とある暗部の暗闘日誌 (暮易)
しおりを挟む

とある孤児の後悔日誌
episode01:痛覚操作(ペインキラー)


どうもよろしくお願いします。処女作です。自信ないです。というかなんでこんな小説投稿してるのか理由を聞かれると恥ずかしくて死ねます。
この小説は「とある科学の超電磁砲」の二次創作と呼ぶには難しいほど原作キャラクターが出てきません。原作キャラクター目当ての方には、間違いなくブラウザバックを推奨します。
もしお時間があれば手慰みに読んで頂ければと思います。


第十二学区。そこは学園都市の中でも、とりわけ神学系の学校が多く集まる区画である。通りには各種宗教施設が立ち並び、その町並みは見る者にどこか"多国籍な雰囲気"を感じさせるという。留学生の多く住む第十四学区も同じく、多国籍な印象を受ける景観であると言われているが、この第十二学区ほどには宗教色が強くはなかった。

もっとも、余所と比べていくら宗教色が色濃く出ている学区と言おうとも、そこはやはり学園都市である。どこぞの教会のシスターさんやカミラフカをかぶった司祭さんが、道行く道を埋め尽くすわけもなく、通りは学校帰りの学生たちで溢れていた。

 

 

「なぁ?オマエほんとに痛くねえの?」

 

「便利だなー。その能力。表情変わらねー。」

 

「きもちわりー。」

 

 

この学区では珍しくもなんともない、とある教会の陰。通りから脇にそれた路地裏で、3人の小学生のグループが、彼らと同じくらいの歳の頃の少年を1人、取り囲んでいた。そのグループの中の1人、恐らくリーダー格の少年は、腕をまっすぐに伸ばし掌をその少年へと向けている。掌を向けられた少年の周辺には砂埃が緩やかに立ち昇り、何らかの、超常の力が加わっているように見えた。掌を向けられている少年は表情をピクリとも動かさず、虚空をぼんやりと見つめている。その様子に苛立ったのか、リーダー格の少年が声を荒げた。

 

「テメェ、低能力者(レベル1)のクセに調子乗ってんじゃねぇよ。レベル低いなら代わりに勉強頑張りますってか?マジであんま調子乗んなよ。」

 

その言葉の後に、リーダー格の少年が力み、腕の伸びを強くした。彼の動作と同時に、苛められている少年を取り囲む埃がより一層強く舞い上がった。それを見た残りの2人の少年は、次第に不安げな表情を浮べていった。

 

「あ、あのさ、まーくん。あんま強くしたら怪我しちゃうんじゃね?」

 

「やりすぎはまずいって。」

 

 

少年たちはこの憂さ晴らしが大人たちに発覚することを恐れ、及び腰になっている。

しかし未だにリーダー格の少年の、その鬱憤はどうにも治まらないらしい。

 

その時、突然に。少年たちのいる脇道とつながっている通りから、1人の女の子が姿を現し、この場に走って近づいて来た。

囲まれていた少年は相変わらずの無表情であったが、いつの間にか、彼の意識はその少女のほうへと向けられている。

 

 

「やめなさい!」

 

彼女もまた、その場にそろう少年達と同じ年頃のようである。いじめの状況を即座に理解したのか、直ぐさま制止の言葉を投げかけた。少女の登場とともに、3人の少年たちは顔色を悪くしていた。

それでもリーダー格の少年は能力の使用をやめずにいる。彼の対応を目にした少女は、対抗するように手のひらを上に向けた。

その刹那。空気が弾ける音と同時に、彼女の手のひら上方に真っ赤に燃え上がる火の玉が出現する。

 

 

「今すぐやめて。能力を使って人を傷つけるなんて最低よ。まだ続けるなら、ワタシも力を使うことを躊躇しないから。」

 

そう言い放ち、掲げた火の玉をいっそうめらめらと燻らせた。リーダー格の少年はその様子に大いに動揺した。そして幾許かの葛藤の後、両脇に侍る取り巻きの少年達の視線を気にしつつも、苦々しそうに能力の使用を取りやめた。

 

 

「…大げさだな。コイツに怪我なんかさせてねぇよ。ちゃんと手加減してたし。はいはい、言うとおりにするよ。あんたは怒らせたくないからね、仄暗さん。」

 

彼は横柄な態度を崩さずに、その一言だけを告げると、残りの少年たちに目配せした。間も無く、彼らと供に大通りへと足早に消えていった。

 

 

 

さて。ここで。遅ればせながら、この物語の主人公を紹介しようと思う。言い出すタイミングがいま一つわからなかった。申し訳ない。恐らくは皆さんの推察通り、この物語の主人公は案の定、少年3人に絡まれて、表情を怒らせることすらできなかったヘタレ野郎、このボクのことである。名前は雨月景朗(うげつかげろう)。

 

さきほどアイツらが言ったように、僕の能力はあまり役に立たない低能力(レベル1)の「痛覚操作(ペインキラー)」というものだ。名前の通り、何のひねりもなくただ単純に、自身の肉体に生じる"痛み", 要するに刺激を操作できる。もちろん、痛みをまったく感じないように消し去ることもできるし、何のメリットがあるのか知らないが、逆に痛みを増幅できたりもする。

 

この能力は一見、色んな場面で役立ちそうに見えるかもしれない。だけど、使えるようになってわかったんだけど、案外そうでもなかった。怪我の痛みを消すと、いつもの調子で体を動かしてしまい返って悪化させたりするし、風邪の症状を消した時なんかは、具合が良くなっているのか悪くなっているのかイマイチわからなってしまった。役に立つのは、テーブルの角に小指をぶつけた時とか、予防注射が痛くないとか、今みたいに苛めっ子に能力を使われても、痛みに苦しむ顔を晒さずに済むってことくらいかな。

 

 

っと。話が脱線してしまった。ボクのしょぼい能力の説明なんてしてなんになるんだ。これぐらいにしよう。とりあえず、ボクが何者なのか説明するために、ボクの生い立ちを簡単に説明させてもらいたい。

 

物心つく頃には、ボクはこの第十二学区にある、聖マリア園っていう、置き去り(チャイルドエラー)を預かる児童養護施設で暮らしていた。現在小学五年生。ほら、これで終わりさ。簡単だっただろ。ついでにいうと、絶賛いじめられ中だったりする。

 

 

「景朗!どうしていつも反抗せずに、あいつらに従うのよ!?」

 

ボクのことを助けてくれた少女が、苛立った様子を隠すことなく詰問してきた。

 

 

「どうせすぐに飽きて帰ってくよ。アイツらの能力なんてオレは痛くも痒くもないし。イチイチ相手をするのは時間のムダなんだ…そりゃ、火澄に助けてもらってありがたく思ってるけど。」

 

「時間の無駄――ね。ああやっていじめられている時点でそうとうな時間を無駄にしてると思うけど。」

 

「ぬぐ。」

 

その発言には反論できなかった。上手い言い訳が出ずに、思わず閉口した。彼女はいかにも心配だ、という表情でボクにたたみかけた。

 

「それに、何も反抗しないのは問題だわ。あいつら、景朗の能力を知ってる上に、あなたが一切抵抗しないから、日に日にやることがエスカレートしてる。今日なんか、ついに能力を使ったじゃない。」

 

「それは…火澄の言うとおりかも。さすがにケガするような能力の使い方をするわけはないって、オレが勝手に高を括ってただけかもしれない。」

 

 

こうやって会話をする少女は、見ず知らずの正義の味方、というわけではなく、よく知っている人物だ。彼女は仄暗火澄(ほのぐらかすみ)。齢9にして発火能力(パイロキネシス)強能力者(レベル3)となった優等生だ。

能力開発(カリキュラム)に関することだけじゃなくて、スポーツや勉強、あと料理とか、だいたい何でもそつなくこなしてしまう。おまけにけっこう可愛い(と、ボクは思うんだが。この件に関してはよく意見が分かれる。攻撃的な能力を持っているせいもあって、気が強すぎる、と敬遠するヤツもいるみたいだ)。

 

ボクみたいな、特に派手な能力を持っているわけでもなく、どっちかというといじめられっ子で情けないヤツが、どうして彼女みたいな娘と親しくしているのか(小学校高学年になると、ぼちぼち異能力者(レベル2)になるヤツが増えてきて、なかには既に強能力(レベル3)にレベルアップしてる人もちらほら出てくる。ボクみたいに低能力(レベル1)で、パッとしない能力だったりすると、逆に無能力者や異能力者からの反感を買うようだ)。残念ながらボクが超絶カッコいいから、なんて理由じゃない。

 

実は、彼女も僕と同じ"置き去り"で、同じ孤児院に住んでいるからだった。火澄との付き合いは長くて、いわゆる幼馴染ってやつだと思う。気がつけば、小さなころから一緒にいた。同い年だし、同じ学校に通っている。

 

 

「もう。わかった?何度も言ってるけど、次からはちゃんとアイツ等に抵抗しなさいよ…?」

 

彼女はそれだけ言うと、ボクらの住む孤児院の方向へ歩きだした。ボクは彼女の言葉に返事をせず、無言で彼女と同じ方向に歩きだす。しばらくして、目の前を歩く火澄がポツリと話しだした。

 

「今日も私が料理当番なんだけどさ、早く晩御飯が食べたかったら、準備、手伝いなさいよ?」

 

その話を聞いて嬉しくなった。彼女は謙遜してばっかりだが、とても料理が上手なんだ。

 

「うん。わかった。やるよ。いつもと同じように、煮たり焼いたりは任せていいんだろ?今日は何を作るの?」

 

「んー。ふつーの野菜炒めだけど、頑張っておいしく作るから。野菜、残さず食べてね。」

 

さっきも言ったけど、彼女は料理がうまい。レベル3の発火能力を持つせいなのか、彼女の作る料理は特に焼き加減、火の通りが絶妙で、材料を生焼けにしたり、焦がしたりしたことなんか1度もない。

ボクらの住む孤児院には、シスターさんを含めて10人ちょっとしかいないけど、1人でご飯の準備をするとなると大変だ。ボクたちが小学五年生に上がるころに、中学生だった兄貴,姉貴分が抜けて行ったから、今じゃボクたちが最年長だったりする。五年生になってからは、家事やら掃除やらで前より忙しくなった。

 

 

 

 

ほどなくしてボクらの住む家、聖マリア園に帰ってきた。

この聖マリア園は、民営の児童養護施設であり、十字教(キリスト)系運営母団体、要するにこの第十二学区に乱立する十字教系の神学校からの寄付によって運営が為されている、らしい。一般的な学園都市の孤児院、それも置き去りを預かるようなところは、主に学園都市の行政が経済的な支援を行っている。つまり、うちの院は学園都市からの直接的な経済的援助はもらっていない様で、それ故にほかの孤児院と比べると、著しく経営状況が悪い。

 

 

「かすみねえ、かげにい、おかえりぃー!」

 

ちょうどボクたちが玄関で靴を履き替えている時に、幼い少女がこちらへと転び出て、笑顔を浮かべながらボクらへと近寄ってきた。

 

「かすみねえ、お料理の当番だったっけ?」

 

「うん。そうよ。今から急いで作るから待っててね。」

 

火澄はそう答えた後、まっすぐに調理場へと向かっていった。

 

「わかったぁー!そんじゃぁ、かげにい、宿題教えてー?」

 

「いいよ。教えてやるけど、その前に晩飯の準備手伝ってからでいいか?」

 

「うん。いーよぉー。」

 

明るく元気ハツラツ、のようでいてところどころ間延びした喋り方をする、この妹分の名前は花籠花華(はなかごはなはな)という。……待ってくれ、みなまで言わずともわかっている。この娘の名前が少々…なんとうか…その…アレだというのは重々理解しているとも。

 

ボクたち"置き去り"に名前を付ける親なんていうのは、そもそも捨て子をするような奴らなんだ。そこに多くを求めるのが間違いだ。実のところ、ボクら"置き去り"の業界では、この程度のD〇Nネーム、まだまだ甘っちょろいものさ。

 

閑話休題。えーと、何の話だっけ。花華の話だったか。そうそう、幼い、といったけどこの花華はまだ小学二年生で、僕もそうだったけど、自身の置かれている境遇をいまいちピンと理解していない。

 

ボクらの住む聖マリア園は、民営であるから、一般的な他の孤児院とはちょっと雰囲気が違う。他の所をよく知らないから、これは完全に僕個人の持つイメージの話になってしまうんだけど、うちの院は、他の院より、アットホームで、ゆるゆるなカンジだと思う。

 

そのかわり、他と比べるとやっぱり貧乏なんだけどね。でも、率直に、他の所の"置き去り"の子たちよりは窮屈な思いをしてないと感じるし、ボクはうちの園の余所よりほんわかしたところが気に入っているよ。

 

 

 

花華と分かれた後、とりあえず鞄を自分の部屋へ置きに行った。途中、廊下で流れるようなウェーブした栗色の髪の毛を発見した。我らが聖マリア園の園長、シスター・ホルストンことクレア・ホルストン(27歳独身)が正面に顔を見せたのだ。

 

「あら、かげろう君、おかえりなさい。」

 

「ただいま。クレア先生。今から料理をちょっと手伝った後、花華に宿題教えて、その後にちゃんとシャワー室の掃除をするから大丈夫ですよ。」

 

「いつもありがとう、かげろう君。今日の料理当番、かすみちゃんだったわよね。手伝いに行こうかしら。」

 

なッ、なんてことを言い出すんだ、クレア先生!先生は料理なんてする必要ないんですよ!いつもニコニコしていてくれればいいんです、と、心の中で必死に訴えながら、黙ってクレア先生を見送った。ボクにはクレア先生をどうこうしようなんて難易度が高すぎる。

 

この園の七不思議のひとつに、「料理当番の表に園長の名前を書くと呪いが降りかかる」というものがある。小学二年生の時に、当時の兄貴分に唆され、実際にやったことがあるが、その日は晩飯から後の記憶が無く、気がついたら次の日の朝だった。

 

まぁ要するに、クレア先生はあまりお料理がお上手ではない。加えて、皆が先生に料理をさせたがらないのに気づいていて、料理を手伝うのをやめさせようとすると、時たま、むくれて強行手段に出ることがあるのだ。頼むぞ、火澄。君にすべてを任せる…

 

 

 

 

花華に約束通り宿題を教えた後、シャワー室を掃除した。少々もたついたが、掃除が終わると同時に、ちょうど晩飯ができたようだった。晩御飯は予定通りの、ふつーのおいしい野菜炒めだった。本当によかった。うまくやったね、火澄。不用意にクレア先生の前で"料理"という単語を口にしたボクの注意不足を責めないでおくれよ。

 

 

 

晩飯の後は、自分の部屋で勉強の時間だ。学校の宿題や能力開発(カリキュラム)でいい成績をたたき出すための、予備知識の獲得など、やることはたくさんある。生憎と能力開発(カリキュラム)のほうはさっぱりだけどね。小学三年生の時に"痛覚操作"が発現して以来、能力の目立った向上はみられない。どうやら、ボクの能力は脳ミソの細胞や神経を直接変化させているらしくて、それはけっこうレアな能力なんだそうだ。

 

まあ、そのために効果的なトレーニング方法なども見つかってないんだけど。だから、こうやって暇な時に、たとえば「図解!脳科学」という何が書いてあるのかよくわからない本を眺めたりして、何か役に立ちそうな情報はないかと調べている。

 

本を眺めるのにも飽きてきた。ちょいとばかしノドが渇いたな、牛乳でも飲もうかな、と思い立ったボクは手にしていた本を片付け、部屋をでる。冷蔵庫が置いてある調理場へ向かう途中に、応接室に明かりがついてるのが見えた。クレア先生と誰かが話しているようで、こっそり中をのぞいてみた。

 

クレア先生の話相手は、よく園に顔を見せる先生の上役の司祭さんだった。ドアの隙間から見える先生の顔は、普段と違って真剣でいつもと印象が全く違った。あの顔を見れば、何を話しているかなんてわざわざ聞かなくともわかる。園の経営状況が悪化しているのにちがいない。

きっと、ボクらの兄貴分たちが中学校に上がる時に、軒並み全寮制の学校に行ったのと無関係じゃないはずだ。ボクたちに対してクレア先生は、こういったことを普段の生活の中では1ミリグラム、いや、1ピコグラムだってみせやしないんだ。

 

ボクがこの事実に気づいたのは一昨年ぐらいからで、そのきっかけは火澄だった。彼女はわずか9歳という年齢で、発火能力(パイロキネシス)強能力者(レベル3)へと達した。ボクと火澄は同い年だけど、その能力の強度(レベル)にはずいぶんと大きな違いがある。

火澄は能力開発を受け始めた時から、すでに同学年の他の誰よりも能力を使いこなしていた。その後も彼女は能力開発に心血を注ぎ、メキメキと目に見える速さで力を付けていった。そんな彼女は開発が始まってわずか1年で異能力者(レベル2)になった。

 

当然、まわりの彼女を見る目は他の人と違っていて、先生たちは期待の目を、同学年の子たちは持て囃し、上の学年の子たちは彼女を恐れていた。ボクは、そんな彼女の身近に居て、身体検査(システムスキャン)の成績が毎年ほとんど変わらない自分と比べ、彼女に対し一方的な劣等感を感じていた。

 

 

彼女がついに強能力を手にしたその時、ボクは耐えきれずに、彼女に「どうしてそんなに頑張るの?」と問い詰めた。そしてその時、彼女の返した言葉がボクを変えた。「園のみんなのために、自分がやれることは一生懸命やりたい」、と。

園にこれ以上迷惑を掛けないように、多額の奨学金が貰えるような、能力開発に力を注ぐ有名校に進みたいという、今まで聞いたことの無かった彼女の本心。決して表に出さずに、内に秘めていた彼女の本音を無理やり暴き出した後悔が生まれ、同時に、ボクの中に存在していた彼女に対する劣等感が消えていった。

 

彼女に負けれてられないと思った。同じ土俵にすら上がれていないのに、劣等感を抱き、羨む。なんて無意味なことをしていたんだろう、と自分を恥じた。その時から、ボクは我武者羅に勉強を始めた。心苦しいことに、能力開発の面ではそれからも進展はない。しかし、勉学に関しては、勉強した分だけ成果はでているみたいで、なんと最近では、テストの成績は火澄に勝ち越すほどになっている。

 

ドアの隙間を閉めて、廊下の暗闇へと進んだ。今夜ももうすこし頑張るか。

 

 

 

 

 

なんやかんやで。料理の準備を手伝ったり、花華に勉強を教えたり、皆で晩御飯を食べたり。ボクたちに隠れて、困った表情でため息をつく我らがクレア・ホルストン園長(28歳独身), シスターホルストンをのぞき見て、一層勉強に奮起したり。

 

今思い返せば、とてもとても、幸せだった日々。この時の"俺"は、それなりに未来に対して希望を抱いていた。学園都市はその名に全くもって恥じぬほど、学生に対する奨学金の制度が充実していたから、頑張って能力開発(カリキュラム)や勉学に励んでいれば、それなりの未来が待っていたはずだったんだ。

 

残念ながら、"俺"がこれから語るであろう物語は、今までつらつらと述べてきた、幸せだった日々の記憶とは全く持って無関係なものとなる。今でもはっきりと覚えている。これから、"俺"の安寧の日々は終焉を告げられる。

 

"終わりの始まり"は、一人の怪しい科学者の、夢のような甘言から始まった。絶望は、希望の皮を被ってやって来た。

 

 

 

 

 

次の日。いつもと同じような日だった。昨日張り切って夜更かししたせいで、いつもより少しだけ眠かったけど、その他はなんにも変ったことが無かった。学校で嫌な感じの奴らに絡まれるのも、いつもと同じ。

 

 

今日はツイてたな。いつも絡んでくるいじめっ子メンバーを撒いて、うまく逃げ出してこれた。ボクは機嫌よく、小走りに我らが聖マリア園へと帰ってきた。火澄は委員長の仕事が有るみたいで、学校にまだ残っている。

玄関の前で遊んでいた花華と出くわした。いつもみたいにはしゃぎ過ぎて転んだみたいで、膝小僧をすりむいている。これは、いつものヤツがくるかな、とボクはこの先の花華のセリフを予想した。

 

「あ!かげにい、おかえりぃー。ねぇねぇ、いつもみたいに、いたいのいたいのとんでけぇーってしてー。ころんだとこがいたいのー。」

 

花華の言う「いたいのいたいのとんでけぇー」とは、よく知られているところの「痛いの痛いの飛んでけ」と同じものであり、転んだガキんちょどもをあやすおまじないのことだ。

ボクは、園の年下の子たちが転んでケガをしたときなんかに、昔からよくやってあげている。花華は特に、はしゃいで走り回って、すぐに転んでケガをするので、もう何回やってあげたか覚えていない。

花華曰く「かげにいのいたいのいたいのとんでけぇーはよぉーくきくんだよー」というらしいのだが、本気でそう言っているのかどうかわからない。確かに、この件に関しては、人気者の火澄ではなく、ボクの所にガキんちょどもが寄ってくるので、信憑性が無いわけでもないんだろうか。

花華がせがむ通りに、ケガをしたところを撫でてやると、「いたくなくなったー」と言って嬉しそうに笑っていた。ホントかよ。

 

 

「かげにい。今、なんかへんな人がうちに来てるよぉー?みたことない人だよー。」

 

花華はその一言を告げると、さっそく走り出して、庭の中央にある遊具で遊び始めた。

この孤児院に来客なんて珍しいな。花華が知らないとなると、たまにやってくるクレア先生の上役さんや教会の関係者じゃないってことか。ボランティアの人かな?だとしたら、ちょっとめんどくさいな。自分たちを引き取りに来た足長おじさんかもしれない、なんて可能性は端から考えない。なぜなら、幸運にも里親に拾われていったお仲間の話なんて今までに一度も聞いたことが無かったからだ。

 

そんな風に、いったいどんな人なんだろう、と予想しながらボクは室内に足を運んでいった。

 

 

 

玄関を越え、自分の部屋に向かう途中に、応接室の前を通る。その応接室のドアは開きっぱなしになっていて、部屋の中で話し込んでいたクレア先生と、白衣を着た、ザ・科学者、みたいな恰好をした中年のオジサンが、同時にこちらに気づいて、ボクを呼び止めた。

 

「かげろう君。ちょっとこっちに来てくれるかしら。」

 

心なしか、クレア先生の表情がいつもより険しく見える。ボクが2人に近づいていくと、待っていましたと言わんばかりに、科学者さんが口を開いた。

 

「はじめましテ。こんにちは。君が景朗クンですね。私は木原導体というものデス。今日は、君に用があってきたんデスよ。」

 

科学者さんはそう言って、ボクに名刺を渡し、握手を求めてきた。名刺には、高崎大学の研究員と書いてあった。ここから一番近い大学じゃないか。ちょっと雰囲気が怪しい人だったけれど、礼儀正しい態度だったので、特に不信感を持たずに握手を返した。

 

そのあとは、クレア先生がソファに掛けるように勧めてくれたので、黙ってクレア先生の横に座った。ボクが木原導体氏の名刺をポケットに入れると、クレア先生が話しかけてきた。

 

「かげろう君。さっきも言っておられたけど、今日はかげろう君に話したいことがあって、木原さんはうちにいらっしゃったらしいの。今から少しだけ、木原さんのお話を聞いてもらえないかしら。」

 

最初から断る気なんてなかったけど、クレア先生の頼みならなおさら断れませんな。ボクはこちらをじっと見つめる木原さんと視線を合わせながら、ふと疑問に思ったことを口にした。

 

「今日はわざわざお越しいただいてありがとうございます。僕が雨月景朗です。あの、どうして今日はボクなんかにのために会いにきて下さったんでしょうか?他の子達にもお話があるなら、もう少し待ってもらえれば、皆帰ってくると思いますよ。」

 

ボクがそこまで話したところで、木原さんが途中から割り込んで喋り出した。

 

「イイエ。違いマスよ。今日、私がここに来た理由は純粋に、景朗クン、君にある提案を聞いてもらうためなんデスよ。」

 

木原さんのその答えに、更に疑問符が浮かぶものの、とりあえずおとなしく彼の話の続きを聞くことにした。

 

「景朗クンはおりこうサンみたいデスね。受け答えがしっかりとしていマス。そうデスね。率直に用件をお伝えしマショう。私たちは今、筋ジストロフィーという難病の研究をしていマス。

この筋ジストロフィーという病気を発症すると、体中の筋肉が加齢ととも縮小し、徐々に正常に機能しなくなって行きマス。ほとんどの発症者は十代で自分で歩くことすらできなくなり、そして二十代でほぼ全ての人が、心不全や呼吸障害を併発させて死亡してしまいマス。

 

最近、この病気の治療法の研究に、景朗クンの能力が有用なのではないかという意見がでてきましテね。本格的に検証シたところ、たしかに、景朗クン。君の能力をもっと詳しく研究し、応用していけバ、もしかしたら、今まで以上に効果的な、筋ジストロフィーの治療法を開発できるかもシれないのデス。」

 

木原さんは一口で一気に、ボクに会いにきた動機を語ってくれた。次に彼が何を言い出すか、誰にでも容易に予想できるだろう。

 

「景朗クン。すデにキミも私の言いたいことが予想できると思いマス。どうデしょうか?私たちの研究に協力していただけないデしょうか?」

 

確かに、彼の話の流れから、次はきっとこうやって、ボクに協力を要請するだろうと推測できていた。しかし、協力といったって何をすればいいんだろう?ボクの能力がなにかのやくに立つのなら、正直ちょっと嬉しいけれども。

 

「きょ…協力と言われても…。具体的に、ボクはいったい何をすればいいんでしょうか?もちろん、その難病の治療法の開発に協力できるなら…自分にできる範囲で…やってみたいと思いますが…」

 

さすがに、協力と言いつつ何をさせられるのか全く分からない状態では、ボクの返事の歯切れも悪くなる。木原さんはボクの返答を予想していたようで、すぐさまその答えを返してくれた。

 

「その言葉を聞いて安心シました。恐らくキミの能力の調査は、一朝一夕ではデきません。ですから、今の所ハ、我々の研究機関にも付属の養護施設がありマスので、とりあえずはソコに住居を移していただいテ、逐一、研究のための実験の協力をシていただけれバと思っていマス。」

 

一瞬、思考が止まった。それは…要するに、この施設、聖マリア園から出ていかなくてはならないってことじゃないのか?

隣に座るクレア先生も驚いて硬直している。ボクが放心していることに気付かず、木原さんは淀みなく喋り続けた。

 

「キミの能力はこの学園都市でも非常に希少なモノなのです。今現在、書庫(バンク)に登録されている肉体変化能力者(メタモルフォーゼ)の総数は、たったの2名デス。そのうちの1人が、実はキミなのデスよ。驚くかもしれマセンが、キミは学園都市でもたった2人しかいない肉体変化能力者(メタモルフォーゼ)の片割れなのデス。」

 

予想外の新情報だった。ボクがこの学園都市にたった2人しかいない肉体変化能力者(メタモルフォーゼ)……だって…?

 

「もちろん、私たちに協力していただけれバ、コレからの生活についてハも何も心配要りマセんよ。住居、授業料、生活費、我々がすべて補償シマす。キミにとっても非常にヨい話だと思いマすよ。」

 

ボクは、木原さんの話を聞いて気分を落ち込ませずにはいられなかった。この上なく素晴らしい提案だった。しかし、渡りに船の話のはずなのに、苦しい気持ちになる。彼等は、役に立たないと思っていたボクの能力の活用法を知っている。そのおかげで、ボクはこれから、この施設に頼らずに生きていけるようになるだろう。だが、それは今までずっと一緒に暮らしてきた、この施設の仲間との別れを意味している。

 

家族のように育ったクレア先生や火澄や、花華たちとの別れ。ボクは…ボクは…これ以上迷惑をかけないように、15歳になったらこの施設を出て行こうと心に決めていたはずじゃないか。それが3年ほど早まるだけ。それなのに、嫌だった。こうやっていざ、この施設から出ていけるとなると、みんなとまだ一緒に居たい、そういう気持ちでいっぱいになった。どうして。いきなりすぎる。

気がつくとクレア先生がボクの顔を気遣うように見つめていた。

 

「か、かげろう君。急いで決めなくていいのよ。じっくり考えて、かげろう君の思うとおりにしていいからね。もし、みんなと離れ離れになるのがいやなら、ここにずっと居ていいんだからね。」

 

クレア先生のその言葉に、木原さんも同意の言葉を放った。

 

「大丈夫デスよ。景朗クン。シスター・ホルストンのおっしゃるように、時間をかけテ考えテくださって結構デス。」

 

 

大人2人の顔を見ずに、ボクは下を向いたまま考え続けた。一般的には。ごく普通の"置き去り(チャイルドエラー)"の立場から判断すれば。きっと木原さんの提案を二つ返事に受け入れるべきなのだろう。だけどボクは。全然、嬉しい気分に成れずにいた。この施設の人たちと離れ離れになるのは寂しくて、とてつもなく嫌だった。……しかし、クレア先生はそんな僕を、情けのないヤツだと思って失望するだろうか。ボクは不安な気持ちでクレア先生の顔色をうかがった。

 

先生は、ひたすらボクを心配そうに見つめていた。今までに見たこともないくらい寂しそうな顔付きをして。ずいぶんと長い間、一緒に暮らしてきたから分かる。きっと、先生の立場からは言えないのだろう。自立できる可能性を不意にして、ここ聖マリア園に残ってくれとは。だって、ここの生活は、けっして裕福だとは言えないのだから。

 

先生の顔を見て、ボクは決心した。ボクはここに残りたい。たとえ迷惑をかけることになっても、先生がいいと言ってくれる限り、みんなと一緒に居たい。ボクは木原さんに向き直ると、はっきりとした意思をもって自身の思いを伝えた。

 

 

「す、すみません!あの…今回の話はすごく良い話で…本当にありがたいお話だったんですけど、ボクは、まだこの施設の人たちと一緒に居たくて、もう少しだけここでお世話になりたいんです。ですから、今回のお話は…その病気で苦しむ人たちには合わせる顔がないんですけど……お受けすることはできません。」

 

ボクの言葉を聞いた木原さんに、期待が外れて残念そうな表情はまったくといっていいほど出てこなかった。それどころか答えに納得したような表情をして、つづけてボクに返事を返した。

 

「フム。そうですか。わかりまシた。イエ、そう言うことなら、今回の話ハ、まったくお気になサらないでクダさい。もともと、可能性の話をシていただけなので、景朗クンが病気の患者サンのことを気にする必要もナイのデスよ。ただ、キミの能力には、我々が十分期待するだけの高いポテンシャルがある、そのことを忘れナイでクダさい。もシ気が向いたら、いつでも私に連絡を入れてクダさい。連絡先ハさっき渡した名刺の方に記載してありマスから。」

 

その言葉を聞いたボクはほっとした。クレア先生の方を見ると、さっきとは打って変わった、安堵に包まれた表情をしている。視線に気づいたのか、クレア先生はこちらを見ると、ボクに退席を促した。

 

「お話も済んだことだし、かげろう君、時間をとらせて悪かったわね。ごめんなさいね。」

 

クレア先生の声を耳にしながら、ボクは木原さんに挨拶をしたあと、応接室から退室した。みんなと離れるのが嫌で、その一心で思わず木原さんの提案を蹴ってしまった。

 

 

 

 

ほどなくして自分の部屋に着き、鞄を机に置いて、椅子に座って一息つく。落ち着いた今なら、先ほどの木原さんの話をもう一度冷静になって考え直すことができる。ボクは今更ながら、先の木原さんの提案をあの場で即座に断って、本当によかったのだろうか、と後悔の念が湧きあがってくるのを感じていた。

 

冷静に考えてみれば、このさきボクたち"置き去り"に、ああも簡単に自立の道が降って湧いてくるのだろうかと。ここ、聖マリア園の経営状況は年々悪化しているし、いつまでも世話になるわけにはいかない。ゆくゆくは中学の卒業とともに出て行こうかと思っていたものの、今すぐだと言われたら、まだこの場所に残りたいという気持ちで一杯になった。それは本当だ。あの場で受け入れる覚悟はなかった。

 

しかし、木原さんが僕の能力には高い可能性があると言っていたとはいえ、いつまでも悠長に彼等が僕の能力を必要としてくれる保証はない。それに、木原さんは気にしなくていいと言ったが、もし、役に立たないと思っていた、低能力(レベル1)の僕の能力が、本当に筋ジストロフィーの患者さんを救えるのなら…あんな風に、実験に協力できないと即断したのは、愚かなことだったんじゃないか、と、ボクの良心みたいなものがじくじくと痛んだ。

 

 

 

気分転換に、園の外回りを掃除することにした。いつの間にか夕暮れ時になっており、日もだいぶ落ち、綺麗な夕焼けが眩しかった。箒を片手に庭先を掃除していると、玄関から木原さんが歩いてくるのが見えた。

木原さんの姿を目にしたら、先ほど自分の部屋で一人考えていた案をこの場で彼に伝えてみよう、という気になっていた。後で木原さんに貰った名刺の連絡先に連絡しようかと思っていたが、もうこの機会に話してみよう。

 

彼がこちらに近づいてきたので、ボクは会釈をする。

 

「先ほどはすみません。木原さん。」

 

ボクがそう言うと、木原さんは不思議そうな顔をした。

 

「イエイエ。キミが謝る必要なんてどこにもありマセんよ。今日は時間を取らせてシまい、こちらこそすみませんデシた。」

 

「あの、木原さん。ボク、さっきは実験に協力できないと言いましたけど、あとから自分でよく考えて、それで…。この施設を出ていくことはできないんですけど、ボクの空いている時間に木原さんたちの実験に協力するってのは不可能でしょうか?」

 

ボクのその発言に、木原さんは興味を示したようだった。

 

「そうデスか。もしかして景朗クンハ、我々の実験に協力すること自体ハ嫌ではないんデスね?」

 

木原さんのその答えに、ボクは肯定の言葉を返した。

 

 

「そうデスね。フム…。我々としても、キミの能力ハ、筋ジストロフィーの治療以外にも他の分野で役に立つと考えていマシたからね。……それデシたら、こうシマしょう。景朗クン。今週末、キミの都合のヨい時間デかまわないのデ、私の所属スる鎚原病院の木原研究所という部署に顔を出シてもらえナイデしょうか?住所は渡シた名刺に載っテいマスから。そこデ、とりあえずキミの能力の検査をサセてクダさい。後のことハ、それから考えテも遅くはナイデしょう。」

 

「は、はい。わかりました。」

 

「それでは、景朗クン。週末にマタお会いシマしょう。」

 

木原さんはそう別れを告げた後、大通りの方へと消えていった。こうやって、実験に協力して、病気で苦しむ人たちの力になれる。それはそれで良いことじゃないか、とボクは後悔の気持ちが薄れていくのを感じた。

 

いろいろと悩みを吹っ切ったボクが、手早く掃除を終わらせようと、箒を強く握りしめたその時、いきなり後ろから声をかけられた。

 

「さっきの人、誰?うちにお客さんだったの?」

 

正体は火澄だった。ちょうど今、委員会の仕事を終えて帰ってきたらしい。先ほどの木原さんとの会話を見られていたようだ。火澄の機嫌がすこしだけ悪そうに見えたので、ボクはあわてて質問に答えた。

 

「いや、うちの園のお客さんってわけじゃなくて、ボク個人に用があってきた人だったんだ。うちの園に関する話は何もなかったよ。」

 

ボクがそう答えると、火澄は驚いて、再び詰問してきた。

 

「景朗個人に要件?それで、いったい何の用件だったの?まさか、あなたを引き取りたいとかいう話じゃ…!」

 

「うーん。そんな感じの話になるのかな?実際は、あの人は病院の研究者さんか何かで、ボクの能力を病気の研究に使いたいって話だったんだ。実験に協力したら、その研究所の施設にお世話になることができたんだけど、ボクはまだうちに居たいからすぐに断っちゃった。」

 

ボクの返答に少し落ち着いた火澄は、鞄を持ち直しながら、まだ確認するよう続きを促してくる。

 

「じゃ、じゃあ、もう断ったってことは、結局あんたはこれからもうちに居続けるのよね?」

 

「そ、そうだよ。なんでそんな慌ててんのさ。ビックリした?」

 

ボクの言葉に一瞬言い淀んだ火澄は、憤慨した様子でくるりと後ろを向くと、ボクを置いてけぼりにして、園の方に歩いて行った。

 

「バッ……。な、なんでそうなるのよ!…あんたこそ、本当にそれでよかったの?勿体なかったんじゃない?」

 

掃除なんてどうでもよくなったボクは火澄を追いかけた。そしてその背に向かって喋りかける。

 

「もうちょっとだけこの施設に世話になりたいんだよ。みんなと会えなくなるのはつまらないんだ。」

 

「正直に言いなさいよ。つまらないんじゃなくて寂しいんでしょ?」

 

「それももちろんあるさ。」

 

「ふーん。よかったね。」

 

彼女は早歩きでずっとボクの前を歩いた。ボクが火澄の真っ赤になった耳を見てニヤニヤしていると、突然火澄が振り返る。

 

「さっきからなにずっとニヤニヤしてんのよ。いい加減にしないと燃やすからね!」

 

まさしくマッチを擦り合わせるような音がして、彼女の周りにいくつかの小さな火の玉が燃え上がった。ボクは咄嗟に距離を取ってなんでもないと手を出して、誤魔化さざるを得なかった。

 

 

 

 

 

木原さんがボクらの孤児院に来た週の週末、ボクは早速、彼の指定した病院、鎚原病院へと来ていた。聖マリア園のある第十二学区は学園都市の東の端に位置している。この鎚原病院は第五学区の南の端にあるから、自分1人で行った場所としては一番遠いところになるかも知れない。

行きがけは第二十三学区をぶち抜いてきたけど、あまり面白いものは見れなかった。

やっぱり第二十三学区はみんなが言うように、産業スパイ対策が厳重だってことなんだろう。帰りは第五、第六学区ルートで帰ろうかな。そうだ、帰る前に第七学区や第十八学区に行って、目星を付けてある中学校の見学をするのもアリだな。

 

ボクは伸びをしてから、今までぼうっと眺めていた、正面の病院に向き合う。この鎚原病院は、少々サイズは大きいものの、見た目はごく普通の病院といった感じであり、あまり最先端の研究をやっているようには見えない。建物の外見と中でやっている研究はまったく関係が無いってことだろうか。しかし、あぽいんととか全然取ってないんだけど大丈夫かな。やっぱり事前に電話の一本でも入れておくべきだっかもしれない。

 

ここに来て少々不安になってきた。まぁいいか。木原さんたちが忙しくて相手にしてもらえなかったら、さっそく第七学区に行って丸一日、中学校の見学をしていこう。この前友達に教えてもらったゲームセンターも気になるけど、お小遣いが…。

 

 

やはり大きな病院だからだろうか、病院のエントランスには忙しそうに行き交う看護婦さんやお医者さん、患者衣を着た人、車イスを転がしている人たちで混雑していた。ボクはまっすぐ受付まで歩いて行った。外来対応のお姉さんに名刺を渡して、木原さんに呼ばれてきたことを話すと、すぐ横のベンチで待っているように言われた。言われたとおりに大人しくベンチに座る。

改めて辺りを見渡して、その大きさ、人の多さに驚いた。ここまで大きな病院に来たことは今までなかったからだろうか。患者さんには学生が多いけど、その他の人たちはみな大人ばっかりだ、当り前か。

 

 

しばらくすると、メガネをかけた、少し冷たい印象を受ける女医さんが、ボクを迎えに来てくれた。冷たい印象と言ったが、態度も冷たかった。必要最低限の言葉で、ボクについてくるように言うと、ボクのことなどまるで気にも留めていないかのように、どんどん先へと歩いて行った。

慌てて後ろについて行く。廊下にでて、十字路を左に曲がると、大きなエレベーターが鎮座する、ピュロティに行き当たった。彼女がエレベーターに入ると、すぐにドアが閉まりそうになったので、急いで走って行って突っ込んだ。なんとかドアが閉まる前に滑り込めたものの、女医さんはこのことにすら興味がわかないのか、こちらを一瞥もせずに、手に持っていた書類を眺めている。

 

とても会話ができるような空気じゃなく、ボクは手持無沙汰になって、ぼんやりとエレベーターのボタンを眺めた。そこで驚いた。地下だ。このエレベーターは上階じゃなくて、地下へと向かっていた。おまけに、この病院はなんと地下20階近くもあるようで、他に1人、エレベーターに乗っていた人も、地下3階で降りてしまったのでこの女医さんと2人っきりになってしまった。

どこまで降りるんだろうか。居づらい、沈黙が辛い。見たところ、クレア先生とそう年は変わらなそうだ。それなのに、この態度の違い。ああ、クレア先生が恋しい。今日はまだ何もしてないのに、ちょっとだけ帰りたくなった。

 

 

地下12階でやっと止まった。女医さんが出て行ったので、その後ろにひっついて行く。エレベーターを出て、部屋の様子を見て納得した。確かに、これは病院じゃなくて研究所だ。地下12階を見渡せば、高い天井に無骨な内装で、窓越しに除けば、なんにつかうかわからないマシンとコンピューターだらけの部屋。女医さんはコチラを気にせずどんどん進んでいくので、じっくり見れないのがもどかしい。

 

室内なのにだいぶ歩いた。5,6分かかっただろうか。とある一室についた。扉の前で女医さんが立ち止まり、「ペインキラーの少年をお連れしました。」と言っている。ヲイヲイ、人をペインキラー呼ばわりかよ…あれ、でもなんかちょっとカッコイイかも。実はボク、自分の能力のペインキラーって名前、気に入ってるんだよね。ダメかなぁ。

 

ドアの向こうから、御苦労さまと聞こえると、女医さんはボクに中に入るように促した。とはいっても、ドア、開いてないんですけど。これ、なんか高度なセキュリティっぽいのあるし。大丈夫かな、と思ってドアに触れようとすると、目の前のドアが素早く、音も無く開いた。部屋に入っても女医さんはついてこなかった。どうやらここでお別れみたいだ。

 

部屋の奥に進むと、そこは研究室というよりは個人の書斎により近い内装だった。奥の机に、禿げあがった六十歳かそこいら、もっと上かも知れないが、その位の年ごろのお爺さんが座っていた。お爺さんはボクが机の前に向かおうとすると、途中で話しかけてきた

 

「こんにちは、雨月景朗クン。私は木原幻生という者で、ここの所長をしていてね。この間、君と話をした木原導体は私の部下なんだよ。はは、そうだな。この研究室には、少々"木原"と姓の付く者が多くてね。私のことは幻生と呼んでくれて構わないよ。」

 

木原幻生と名乗ったお爺さんは、うちに来た木原さんと同じ名字で、尚且つ、そのどこか怪しい雰囲気を醸し出すところも一緒だった。そんなに木原ってつく人が多いのかな、この研究所。気になるから、さっきの女医さんの名前も聞いてみようかな。あの人も案外木原なにがしさんだったりして。

 

「ご存じかとは思いますが、ボクが雨月景朗です。改めて、今日はよろしくお願いします。えーと…幻生先生。もしかして、今日はこの間来てくれた木原導体さんには会えないんでしょうか?」

 

幻生さんはボクの言葉にうなずくと、机の上の書類に視線を移しながら返答を返した。

 

「キミの言うとおり、今日は彼は留守でね。残念だが会うことはできないだろう。それより、景朗クン。さっそくで悪いが、キミの能力を試験させてくれんかね。私はキミの能力が気になって気になって仕方がないのだよ。なんせ、学園都市に2人、超の付く稀少素材だ。」

 

そういうと、幻生さんは壁に備え付けてあった端末を操作し始めた。これから実験室に行くんだろうか。しかし、"素材"ってなぁ。さっきの女医さんといい、幻生さんといい、なんというか…これが科学者、研究者ってことなんだろうか。

 

端末の操作を終えた幻生さんは、部屋の棚からティーカップやらクッキーやらを出してトレイの上に乗せていた。お茶の一杯でも頂けるみたいだ。よかった。一応お客さんの扱いだったらしい。さっきから実験動物みたいな視線で見られている気がしていたからね。

 

「景朗クンはコーヒーと紅茶、どちらがいいかね?」

 

「ありがとうございます。コーヒーでお願いします。」

 

何を隠そう。ボクは齢11にして、コーヒーをブラックで飲めるのだ。ふふん、苦いのを我慢して大人ぶってるそこいらのガキんちょと一緒にしないでもらいたい。なんで大人はコーヒーを美味しそうに飲むんだろう?正直苦くてまずいんだけど、ボクの知らない秘密でもあるんろうか?大人だけコーヒーの美味しさを知ってるなんてズルイ、という風に思い至ったボクは、少し前にコーヒーの苦さの克服とおいしさの追求をする訓練を試みたのだ。

なんとまぁ、その後たった一日でブラックコーヒーを美味しく感じるようになったボクは、今じゃいっちょ前においしいコーヒーとそうでないものの区別にうるさくなってしまった。

 

とまあ。アホな回想をしている間にコーヒーが入ったらしく、幻生さんがカップを手渡してくれた。

 

「またせてすまないね、景朗クン。試験の準備が終わるまで、一息入れようじゃないか。」

 

「いえ。コーヒーありがとうございます。…ん。おいしいですよ、コレ。」

 

「おや。景朗クンはブラック派のようだね。実は、私はコレに目が無くてね。仕事がら頭を使うからかな、と言い訳をさせて貰おう。」

 

そういって、幻生さんはソーサーの上に乗せた大量の角砂糖とミルクを手に取った。いや、ボクだってミルクは捨てがたいですとも。

 

お互いにコーヒーで一息入れた後、幻生さんが試験の前にいろいろ聞いておきたいことがあると言い出して、ボクの能力についていろいろと根掘り葉掘り聞いてきた。さすが現役の研究者さんだ、今まで聞いたことが無いような質問やよく理解できなかった質問が目白押しだった。

 

「……ほう。それは興味深い。なまじキミの能力が能力である分に。痛いの痛いの飛んで行け…キミは、その時に能力を意識的に使っていたのかね?」

 

いろいろな話に幻生さんは喰い付いて来たが、この「痛いの痛いの飛んで行け」の話にはとりわけ興味を惹かれたようだった。

 

「いえ、能力を使おうだなんて発想はありませんでした。他人の痛みをどうこうできるなんて…そう考えたことがあってやってみたことがあったんですけど、できませんでした。昔怪我をした友達に試したことがあるんですけど、効いている風ではありませんでした。」

 

ボクの言葉を耳にしてすぐ、幻生さんはすぐさま机の引出しを開けゴソゴソと何かを探し始めた。やがて、警備員(アンチスキル)の持つ警棒のようなものを取り出すと、ゴトンと音を立てさせてそれを机の上に乗せた。

 

「簡単な実験をしてもよいかね?景朗クン。これは自衛用のテーザーで、棒の側面から高圧電流が流れるのだが、電圧を自由に調整で来てね。この電圧の出力を最も低く設定すれば、触れた部分にビリビリと小さな痛みを与える程度に加減できる。今からこれを私の手に使ってみるから、先ほどの"痛いの痛いの飛んで行け"とやらを、私にもやってみてくれんかね?」

 

そういうと幻生さんは、ボクの確認も取らずにパチパチと光るその棒を自分の腕に押し付けた。何回か同じ箇所に押し付けると、その箇所は赤く腫れていた。

ここまでされて、いいえできません、と断る訳にもいかず、ボクは少々恥ずかしながらも、幻生さんに恒例の「痛いの痛いの飛んで行け」をやってあげた。すると、幻生さんは驚いた顔をして、

 

「ほう!確かに、痛みが和らいだように感じるな。これは…面白い。」

 

幻生さんは、興味深そうに腫れた箇所をさすりながら、しばらくぶつぶつと独り言を言い始める。すぐに考えがまとまったのか、手を動かすのをやめて、ボクに向き直ってこう言い放った。

 

「単純な推測だがね。もしかしたら、キミの能力には、恐らく他人の痛みにも干渉する力がある。これも、推測になってしまうが、キミの怪我をした友人の話は、単にキミの能力の出力が足らなかったせいではないかと思うよ。

身体検査(システムスキャン)では、低能力(レベル1)と判断されているからね。ちなみに、その時のキミの友達の怪我とは何だったのかね?」

 

「その時はわからなかったんですけど、あとから骨折してたって聞きました。」

 

そうか。さすがに骨折の痛みは和らげることができなかったのか。というか、それくらい気づけよ、ボク。

幻生さんがつづけて何かを言うとしたが、ちょうどその時に、彼の携帯が振動した。すぐさま携帯を開くと、幻生さんは立ち上がり、ボクを部屋の外へと促した。

 

「試験の準備が終わったようだ。すまないが、もう少しお付き合い願うよ。景朗クン。」

 

 

 

 

 

その後、色々あって、ボクの能力の調査がやっと終わった。一言。疲れた。基本は、でっかいマシンに繋がった椅子に座って、注射を打って、変なコードの着いた電極だらけのヘルメットをかぶる。これだけだった。色々と痛みを感じる試験もあったのかも知れないが、基本的に能力を使用していたのでどれがそうなのか分からなかった。視覚的に痛そうな実験はやってなかったように思えたが。

 

そうそう、注射する時に、「痛みを感じないように能力を使うので、そこのところは配慮しなくて大丈夫ですよ。」って言ったんだが、試験に付き合ってくれた、あの女医さん、そこで初めて僕の"痛みに配慮すべき"ということに気がついたみたいだった。勘弁してくれよ。

 

 

 

 

 

最初に幻生さんと一緒にコーヒーを飲んだ書斎に戻ってきた。幻生さんは、目に見えて興奮していた。嬉しそうだったとも言い換えられるかな。幻生さんがソファを進めてくれたので、トレイに置いてあったクッキーを片手に座った。幻生さんは、机ではなく、僕の対面のソファに座ると、嬉しそうな表情を崩さずに、ボクに再びコーヒーをすすめてくれた。

 

ボクが一息入れた後に、幻生さんは大事な話がある、と前置きをした。真剣な表情だった。やはり、コレからも実験に協力してほしいというお願いだろうか。けっこうな喜びようだったし、と、幻生さんの話を聞く前はボクはどこか気が緩んでいた。そして幻生さんが口を開いた。

 

「景朗クン。私は今日、キミの能力を直に検査して、一つ、確信を得られたよ。断定的な表現は避けたいが、私は疑い無く、キミの力が我々に有用なものになると考えている。君の力は是非とも科学の発展に寄与させるべきだ。此れからも私たちの実験に協力してはくれないかね。キミの能力からは、ひょっとしたら、我々の想像以上の成果が得られるかもしれん。」

 

「そ…そうなんですか。それは良かったです。ホントはちょっと、不安でした。ボクの能力がホントに役に立つのかなって。でも、しっかりと確証が取れて、安心しました。幻生先生、ボクも出来うる限り幻生先生たちに協力したいと思っています。」

 

彼の言葉に、ボクはすっかり照れてしまっていた。こんなに他人に、しかも大の大人に褒められた経験はそれまでに無かったから。しかし、その喜びも、彼が放った次のセリフで台無しになった。

 

「色良い返事が聞けて私も嬉しいよ。…ただ、私の考えている"協力"は、恐らくキミが想像しているものとは違い、キミにとって遥かに負担の大きいものとなるだろう。だからね、此方の実験をキミに押し付ける代わりに、此方からもそれに見合った"見返り"を提供する。そういう風にして、中途半端な協力体制ではなく、きちんとした取引の形にさせては貰えないだろうか?」

 

負担が大きいとは、どういう意味だろう?だけど、この時ボクは、こんな大きな研究所の所長さんに、自身の能力の、価値が認められている、要求されているという事実に、喜びと、自尊心の様なものを感じ、冷静さを失っていたんだと思う。

 

「み、"見返り"って…一体…。ボクは、ボクの能力が役に立つのなら、最大限協力しようと考えています。しかし、この間、導体さんにもお答えしたとおり、ボクは…今住んでいる孤児院から、出て行きたくないんです、今はまだ…。あの施設の人たちと離れ離れになりたくないんです。ですから、ボクの空いた時間にできることだけじゃないと…」

 

ボクがそこまで口を開くと、幻生さんは途中で割り込み、話を続けた。

 

「キミが、今の施設から離れたくないと思っていることは、私も部下から聞いているよ。だからだね、景朗クン。これでも私は、この木原研究室の所長であるし、他にも、先進教育局で所長を、胤河製薬では特別顧問を兼任していてね。キミが今の施設を離れたくないと考えているのは重々承知だ。そこでだね、私の個人的な伝手を使って、キミの孤児院に経済的な援助を行おうかと考えているんだよ。」

 

驚いた。彼が言い出したことを理解するのに、時間がかかった。うちの園に対する経済的な援助…二つ返事で、いやむしろこちらから土下座してでもお願いしたい”見返り”だった。

そんなこと本当にできるのかな。……いや、きっとこの人ならできる。ボクはまだ小学生で、世の中のことなんてほとんど知らないが、今日見たこの研究所での出来事、幻生さんの振る舞い、研究所の人たちの振る舞いが、物語っていた。この人、幻生さんは、学園都市でも強大な"権力"を持つ側だと…。

 

「無粋な話だがね、キミの孤児院の経営状況は非常に良くないと聞いている。それに、キミの能力の研究を行う中では、時にあまり表沙汰に出来ないような実験も必要になる可能性がある。

これは、キミの能力を研究に活かすには、時に少々危険な実験をしなくてはならないという意味でもあるのだが、そういう訳でもね、やはり、キミの空き時間に、キミの善意で協力を願い出るという、中途半端な方法は合理的ではないし、不可能なのだよ。

そこでね、景朗クン。私と契約をしてほしい。まだ世間を知らぬ小学生のキミに、このような話をするのは私としても気が咎めるが、キミはその生い立ち故か、非常に利発で、大人びた考え方をしている。一対一、対等な1人の人間として、改めて私とギブアンドテイクの、対等な取引をしてくれんかね。」

 

いったいどうなっているんだ…。ボクは…ボクの…ボクの能力を実験に使えば…施設の困窮した状況を変えることができるのか…。まるで夢物語だ。そんなこと…火澄にだって出来っこないだろう。

危険な研究っていうのも…それだけ大きな金額が動くというのだから、必要なリスクなのだろう。それは理解できる。けれど…

 

「ほ…本当に…そんなことができるんですか…?それ以前に、ボ、ボクの能力、ちょっとは役に立つかも知れないけど、そこまでの価値があるわけないですよ…。そんな保障、どこにもないでしょう!?」

 

ほとんど悲鳴に近い否定だった。しかし、幻生さんは、落ち着いた声で反論してきた。

 

「いや、何度でも言うが、キミの能力にはそれほどの素養(ポテンシャル)があるはずだよ。前々から、キミの身体検査のデータで予想はしていたんだが、今日の計測でそれが確信できた。キミの能力は、我々の想定する研究でかならず成果を挙げる。それに、そもそも、途中でキミの能力が使えないと判断が下されたとしても、その時にキミの孤児院への、我が病院からの支援が無くなるだけで、今まで以上にデメリットが増える状況にはならないと思うのだがね。」

 

それは…そうだ。幻生さんの言うとおりだった。現状ではボクがうまく実験に協力できれば、孤児院が救われ、それが出来なければ今までどおり。何もデメリットはない。きっと、ボクの体に後遺症が残るような実験が為されない限りは…。みんなを…助けられる。今まで、何度夢見てきたと思ってるんだ。誰かが、ボクらの孤児院に多額の寄付をしてくれて、みんなでワイワイ楽しく暮らす…それが叶うかもしれない。

 

「わかりました。…その、もう一度、確認したいんですけど…。契約って…どんな…」

 

「おお!受け入れてくれるか。その様子だと取引は成立みたいだね。"契約"といった言い方をしたのは、私なりの誠意の証だと思ってくれたまえ。もう一度、取引を確認しよう。詳細は後からまた話し合うが、大まかな取引の条件はだね――――――

 

 

 

その後、ボクは木原幻生先生と"契約"をした。ボクの能力を研究に活かすためには、それなりに危険な実験をする必要もあるため、実験に協力していること、実験の内容に関すること、ほとんどすべてを外部に漏らさないようにと徹底された。所謂守秘義務ってやつらしい。そのかわり、ボクがきちんと実験に、従順に協力している限り、ボクの孤児院に幻生先生が経済的な援助を行うというものだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

episode02:戦闘昂揚(バーサーク)

 

 

 

結局、鎚原病院から出られたのは、茜色に眩しい、夕暮れ時になってからだった。もはや第七学区に寄り道する時間も元気もなかったため、そのまま最初の予定通り、第五学区、第六学区を通るルートで聖マリア園へと帰った。

 

電車の中で、今日あった出来事を振り返る。現実味がない。あんなんで、ホントにボクらの孤児院が救われるのだろうか。今までずっと、クレア先生の溜息を見ることしかできず、苦しかった。孤児院のみんなも、今とは全く違う、裕福な生活。

 

そんな夢を見たのは一度や二度じゃ済まないだろう。ある日突然、ボクの能力に価値があります。それを研究します。資金が出ます。……なんじゃそりゃ。なんてご都合主義だ。こりゃ夢だな。ははは…

 

そう。夢のような話だ。だが、記憶の中の木原幻生は、はっきりと「孤児院への経済的な支援」と言っていた。この時のボクは、これは夢なんだ、淡い期待なんだ、きっとボクの能力なんて途中で、いや始まる前から「やっぱり駄目でした」ってなるに決まってる。だから、期待なんかするもんか、こんなご都合主義、信じるもんか。

 

そういう風に、誰よりもこの"夢の成就"を渇望しつつも、それが不可能だった時の落胆が怖くて、ただただ、必死に祈っていた。物事が良い方向に動きますように、良い方向に動きますように、と。

 

 

駅から出て、うちへと帰る途中で、火澄とばったり出くわした。火澄は第十四学区の図書館に行ってたようだ。第十四学区は留学生の学区。なるほど、世界中から腐るほど色んな言語の洋書が集まっているのだろう。それ目当てか。

火澄は珍しいものを見た、という顔をして、ボクに休日はどうだったのか聞いてきた。

 

「いや、第七学区や第十八学区に行って、目星をつけてある中学校の見学をしてきたよ。どこもそんなに違いはなかったなぁ。」

 

ボクがそう言うと、火澄は疑わしそうな目線で見つめてくる。思わず明後日の方向に目をそらす。

 

「ウソでしょ。景朗、嘘を吐く時、目を上にそらすもの。今、私が言ったとおりに目をそらしてたわよ。」

 

マジかよ!?しまった。視線に耐えるべきだった。ボクも学習しないなあ。素直に考えていた言い訳を話すか。

 

「バレるの早ッ!…はぁ~。お察しの通り、第七学区に行ったは良いものの、友達が言ってた例のゲームセンターに行ってしまいましたよ。ロクに中学校は見学できませんでした。」

 

それを聞いた火澄は、ほれ見たことかと目を吊り上げ、ぷくっという音が聞こえてきそうなほどに、頬を膨らませたた。

 

「むぅぅ。どうやら遠出するみたいだったから、何をしに行くのかと思ったら…!1人で楽しんで来たのね!私は図書館で勉強してたのに!ズルいわよ!」

 

「い、いや、最初はオレもちゃんと見学に行こうと思ったんだけどさ…やっぱり、いざ第七学区についたとなると、やっぱ休みだし、みんな楽しそうに遊んでて…つい魔がさしてさ…」

 

言い訳をしていると、火澄はボクを糾弾することに徒労を感じ始めたらしく、なにやらポツリポツリと独り言を呟きだした。なにやら「1人でいってつまらなくないのー?」だとか。

ボクは火澄にウソを吐いた罪悪感からか、それとも彼女に対する下心からか、両方か。気づいたら、彼女にある提案をしていた。

 

「や、やっぱりオレも、今日行ってみてさ、1人でゲーセンはどうかなって思ったよ。…よかったらさ、今度行く時、1人だとつまらないだろうからさ、一緒に遊びに行ってくれたり…しない…?」

 

その言葉を口にしたとたん、火澄が一瞬硬直したように見えた。その後、オイルの切れた機械が動くように、ぎくしゃくと首を不自然に回してこっちを向き、返事をしてくれた。

 

「人が一生懸命勉強していると思いきや、遊んでいる人がいて、悔しいったらありゃしないわ。…悔しかったんだから!今度はワタシだって遊ぶ!遊んでやるんだから!今度は連れて行きなさいよね!」

 

その返事に嬉しくなって、そしてちょっと恥ずかしくなったボクは、彼女の顔を直視できず、下を向いたまま、

 

「そうだね!偶には遊ばなきゃ!オレたちまだ小学生なんだから!よし、遊びに行こう!」

 

こう言う風に相槌を打つことしかできなかった。なんだかドキドキするな。後ろから火澄の黒髪サラサラロングヘアーと、白いうなじのコントラストを眺めていると、なんかこう…ムラムラ?

 

ボクの視線に気づいたのか、彼女がさッと振り返った。咄嗟に目をそらす。しまった。いやいや、ボクもう小学五年生ですから。許しておくれ。

 

 

 

 

 

翌週から、ボクの生活は新しくなった。月曜日から金曜日、平日は今まで通りだけれど、それに加え毎週末、土曜日か日曜日、時たま土日両方が実験に消えるようになった。

 

毎週毎度のように出かけるボクを、最初はみんな訝しんだものの、あれこれ言い訳を、それこそ中学校の見学だの、図書館に行って来るだのと説明していたら、みな、「ああ、要するに、1人でぶらぶらしたいんだな、コイツ。そういう年頃なんだな、コイツ。」という風に勝手に納得してくれるようになった。

 

クレア先生はボクが大人になって寂しいわ、と大げさに嘆き、花華たちは、最近遊んでくれなくなったと不機嫌になった。でもまあ、日頃の行いが功を奏したのだろう。誰もボクが人体実験スレスレの研究に参加しているとは思っていないようだった。

 

ただ、火澄だけはちょっとボクを疑っているようで、素直にボクの言い訳を信じているようではないようだった。ボクは新たに、こう言うときの火澄を煙に巻く方法を見つけ出して、うまく使っていた。

 

火澄に、「そんなにオレのことが気になるのかよ…?」と言いながら、じっと目を逸らさず見つると、彼女はいたたまれない気持ちになって、慌てて何かを誤魔化そうと声を張り上げる。そしていつの間にか追及の芽が摘まれている、といった具合だ。

 

ちなみに幻生先生からの連絡は普通に携帯に来る。ただし、この携帯は幻生先生にプレゼントされたもので、前からボクが使っていた携帯と見かけは一緒だけど、中身は特別製になっている。ちょ、ちょっと!そこのキミ!いくらボクらの孤児院が不景気だからって、携帯くらい前から使ってたぞ!ここは腐っても学園都市なんだよ!

 

 

 

 

 

冬のある日、たしか十二月真近に迫る頃合いだったと思う。嬉しい話だ。ある日の晩、クレア先生が突然、

 

「明日は焼肉よーーーっ!!」

 

と、園に帰ってくるなり絶叫した。みんなは、ついに不景気過ぎて乱心したか!?と心配そうな表情でクレア先生を宥めていたが、ボクだけは違った。ついに来るべきものが来たか、と想像した。今まで実験に協力し続けてきたが、それでうちの園の経営が良くなっているという実感はなかった。ボクらの生活に一切変化はなかったからだ。

 

しかしまあ、それは当然のことで、ボクが幻生先生に報酬は後払いにしてくれと言っていたせいである。あの時のボクは自分の能力に完全に自信が無く、何も成果を得る前に、報酬だけ先に支払われることが怖かったのだ。責任のとりようが無いしね。

 

どうやらクレア先生の絶叫ぶりを見ると、期待していたものが遂に来たのかもしれない。先生は落ち着いていつもの調子に戻り、明日の焼肉は必ず決行することと、自分が狂っていないことを必死にみんなに伝えようとしていた。涙目のクレア先生萌える…おっと、ゲフンゲフン。

 

 

みなが一通り納得して、クレア先生に興味を失った頃合いを見計らい、気になっていたことを質問してみた。

 

「先生、さっきはあんなに発狂していったいどうしたんですか?原因が気になります!教えてくださいよ。」

 

発狂という言葉に反応したのか、クレア先生は必死に弁明を始めた。

 

「か、かげろう君まで!?原因ってなんですか!私は発狂なんてしていません。」

 

「いや、先生のあれほどの狂乱狂喜っぷりは初めて見ました。なにかとてつもなく良いことがあったんじゃないんですか?…たとえば、どっかのお偉いさんが気まぐれに、うちにめいいっぱいの寄付をしてくれた、とか…」

 

その言葉を聞いたとたん、クレア先生が硬直した。ヲイヲイ、態度でばればれだよ、クレア先生。

 

「ええっ。どうしてわかっちゃうんですか?かげろう君。そんなに私の態度、わかりやすかったかしら?」

 

クレア先生の問いに、どう答えたものかと考えるが、すぐにどうでもいいか、という気になった。こんな言い訳、考えるまでもない。

 

「いえ、クレア先生の喜びっぷりが、とにかく凄まじいものだったので。そのぐらいしか、先生を喜ばせるものはないかなーって。」

 

「うう。私、そんなにはしゃいでたのかしら。それにかげろう君…『そのぐらいしか、先生を喜ばせるものはないかな』なんて、地味に酷過ぎます…」

 

ほらね。簡単だった。クレア先生のことは何だって知ってるんだぜ…。クレア先生をからかうのは、そこまでにしておいた。ボクだって嬉しくて、飛び上がらんばかりだったのだ。ついにこの時がやってきたぞ、と。ボクは、やれたんだ、と!これからも一生懸命、幻生先生の実験に協力すれば、きっと…きっと……

 

幻生先生は本物だった…。よかった。ボクが、ボクの能力、痛覚操作(ペインキラー)を発現できて、本当によかった…!幻生先生!一生付いて行くぜ!!

 

 

 

 

 

この晩、ボクの念願の夢が叶った。ボクは狂喜した。そして幻生先生に心酔した。彼を完全に信用し、信頼し、尊敬するようになった。未来に、希望に埋め尽くされていた。今こそ、生涯で一番幸せな時だと。

 

ああ、この時の"俺"はなんて浅はかだったんだろう。そんな"俺"の幻想は、あっというまに、木っ端微塵に破壊される。同年、小学五年生の冬だった。"俺"は地獄を見る。同じ境遇であるはずの、"置き去り"達の地獄を…

 

 

 

 

次の日。その晩に、本当にバーベキューが実施された。聖マリア園の庭先で。お隣の回教(イスラム)系の組織が集まったビルの方々が、窓越しにボクたちを迷惑そうに眺めていた。

 

相変わらず、仄暗火澄(11);発火能力レベル3の調理能力は超能力(レベル5)級で、完全にバーベキューの炎を支配しているように見えた。

うちのチビどもは火澄にべったりで、恥ずかしくて火澄に絡めない年頃の小学生男児数人と料理が全くできないシスター・ホルストン(29歳独身)を率いて、ボクはもう一台のコンロを四苦八苦させながら、火澄が下味をつけてくれた肉と野菜を焼いていた。

 

うおお。煙で手元がよく見えない。おまけに薄暗いし、よく焼けてんのかわからないよ。畜生。こうなったら、やけど覚悟でもっと大胆に肉にアプローチしていくしかないか。ボクは菜箸を片手に、コンロに顔を近づける。やっぱ熱いけど、能力を使えば平気だからね。

 

 

大盛況のバーベキューが終わった。みんな幸せそうな顔していた。嬉しいな、全く。チビどもは先に寝かしつけて、今は年長組と先生とで後片付けをやっている。コンロを片付けていると、火澄が近付いてきた。

 

「まだコンロ熱いんじゃない?大丈夫?」

 

そういってボクが片付けているコンロに手を伸ばす。その途端、声をあげてすぐさまその手を引っ込めた。

 

「熱ッ。ちょっと、まだこれかなり熱いわよ。景朗、さっきからずっと触ってたけどホントに大丈夫なの!?」

 

コンロは相当熱かったようだ。最近、能力の使い方もだいぶ上達してるみたいで、無意識に痛みを消していたのかも知れない。すでに日が落ちて、辺りは暗く、自分の手の色もはっきりとは見えない。思い切って能力を解除してみた。その直後。

 

「イタタタタ。ヤバい、ヒリヒリする。」

 

ボクのその言葉に呆れたのか、火澄がジト目でこちらを見る。

 

「はぁ。まるでコントね、それ。相変わらず、便利なのか不便なのかよくわからない能力ね。力を使わなければ、手をやけどすることもなかったでしょうに。…もうっ。その火傷した手、かしなさい!」

 

そう言って、あらかじめ準備してあった救急箱を手にとって、ボクの手に軟膏を塗り、包帯を巻いてくれた。火澄がボクの手をさわっている間、なんだか落ち着かなかった。たぶん、ボクの顔、赤くなってるんじゃないかな。

 

「ありがとう。火澄。暗くてよく見えなくて。能力も無意識に使ってたっぽい。」

 

「ふん。無理にやらなくていいっていったのに、言うこと聞かずに、自分で焼き出すからこうなるのよ。…頼めば、ワタシが代わりに焼いてあげたのに…。知ってるでしょ?ワタシが焼くのだけは得意だってこと。」

 

"焼くのだけは"ですか、またまた、ご謙遜を。

 

「うう…。そうすればよかったんだけど。火澄はずっとチビどもに囲まれてたし。いつもより話しかけに行くのが恥ずかしかったんだ。ちょっと照れてたんだよ。最近火澄のこと意識してしまうっていうかさ…」

 

火澄と手を触れあっているからだろうか。満腹で思考回路が鈍っているのか。思っていたことをなんだかすんなり吐露してしまった。

 

「…………い、意識って……」

 

ん?火澄がなんかボソッと呟いたが聞こえなかった。というか、何で何も言い返してくれないんだ?……ちょっとまて、ボクは今何ていった?

 

ふと、火澄の顔色が気になって、視線を向けてみた。おお。薄暗くて確信は持てないが、彼女の顔も赤くなってる気がする。わわ、ヤバい。そのことに気づいた途端、もっとドキドキしてきた。ヤバいぞ。絶対にボクの顔、赤くなってる。

 

「どうしたの?かげろう君。ケガしたの~?」

 

クレア先生が近付いてきた。それに合わせて、さっきの心臓がバクバクするような空気が霧散する。クレア先生、グッジョブというべきか…残念だというべきか…

 

 

 

 

 

バーベキューの翌週。実験により土日の拘束+αが約束されていた週だった。この週末は特別で、病院からボクが検査入院するために、四泊もすることが予め連絡されていた。

 

生徒の検査入院うんぬんは、学園都市では珍しいことじゃないのでそう頻繁に事が起こらなければ、不審に思われることはない。とはいえ、これから、五日連続で検査入院ってのは、けっこう大胆じゃないかな?学校とかは公欠扱いになるから心配する必要はないんだけれど。

 

うちのみんなも、心配していた。重大な病気が見つかったんじゃないかって、クレア先生は涙を流さんばかりに動揺していた。火澄も心配してくれてたような気がする。なぜか最近話す機会が少なかったから自信が無いけど。

 

 

 

 

いつもどおりに、病院の地下に降りると、まずは幻生先生の書斎へと向かった。そこで、ふと疑問が湧いた。なぜだろう、今日はいつもと研究所の様子が違っている。もっとも、それはエレベーターで地下に降りる前の病院の内でもそうだったんだけれど、なんだか普段よりとりわけ人間が多いような気がした。それも学生が。小学生から中学生、高校生までと、幅広い年代の学生が緊張した面持ちで、皆が皆、研究所に新しくできた大型マシンに搭乗していた。そうだ、一体なんだろう?あの機械…。

 

 

今日はのっけから質問タイムだな、と、ボクは足早に幻生先生の部屋に移動した。やはりいつもと違って、幻生先生は珍しく、忙しそうに端末を弄りながら、所内の人たちと無線で話をしていた。無線機を使うってことは、一度にたくさんの研究者さんと連絡を取り合うってことなのかな。

 

部屋に入ってきたボクに気づくと、幻生先生はこれまたいつもどおりのニタニタした笑い顔を浮かべて、ソファに掛けるように手で指示をした。この笑い顔にもだいぶ慣れたなあ。

またしばらく無線で連絡を取り合った後に、ようやく幻生先生がボクに向き直った。

 

「よく来たね、景朗クン。今回は、今までで一番大規模な実験を行うからね。普段より気合を入れて実験に臨んでくれたまえ。とはいえ、実験の内容から言って特にキミが気張る必要はないかもしれないが。」

 

そういうと、幻生先生は手慣れた様子でティーカップを用意し出した。恒例のコーヒーによる一服の時間だ。相変わらず、砂糖をえげつないほど入れるなぁ、と、ボクは表情に出さずに嘆息した。

少々気が滅入るな。今日これから五日間、きっとこの地下に閉じ込められっぱなしなのだろうから。

 

ボクは空っぽになったコーヒーカップをもとのソーサーに戻し、ビスケットをひとつ齧った。甘いな。たまには塩辛い煎餅でも要求してみようかな。

 

とりあえず、だ。幻生先生も一息着けたみたいだし。さっそく、これからの五日間の実験予定と、それから本日の研究所内の異変、この2点について、気になったことを幻生先生に質問してみよう。そう思いいたったボクは、カフェインの力(もしくは糖分の力?)で穏やかな顔をした先生に、身に沸きあがる疑問を問うてみた。

 

「ところで、幻生先生、今日は研究所の様子が一段と違ってますね。やはり、これから行う、その一大実験とやらに関係があるんでしょうか?」

 

ボクのその問いに、よくぞ聞いてくれたという風にうんうんとうなずきを返しながら、幻生先生はゆっくりとその口を開いた。

 

「もちろん、キミの言うとおり関係しているよ。今日から行う実験は、"プロデュース"と呼称されていてね。目的は、"自分だけの現実(パーソナルリアリティ)"が、能力者の脳の一体どの部位に宿るのか、それをより直接的な手段で調べようというものだ。

 

どうだい、景朗クン。魅惑的なテーマだろう。加えて、被験者はすべてキミと同じ"置き去り"でね。すべて何らかの能力を発現している者たちだよ。彼らと協力して、是非とも善き成果を得たいものだ。そう思わんかね?」

 

本当にうれしそうだった。たしかに、ボクもその単純な疑問には興味がある。いったい、どこからボクたち能力者の能力を司る、自分だけの現実(パーソナルリアリティ)が出現するのだろうか?脳のどこにその寄辺があるのだろうか?なるほど、たしかに気になる……。

 

今回の実験は、それに迫ろうとしているのか。幻生先生はやっぱりすごい実験をするんだな。これは、ボクも気合を入れないといけないな。しかし、五日かぁ。ちょっと長いよな…。そんなに集中力持つかな…。

 

そんなボクの葛藤に気づきもしないまま、幻生先生は言葉をつづけた。

 

「この実験に取り掛かる前に、より詳細な脳細胞の反応データ、大脳新皮質に対する電気的な反応、化学物質、プラスチックホルモンや抗生物質に対する反応などなど、取り上げればキリがないが、様々な事前調査が必要だった。

 

しかしそれは、キミの脳波やキミの能力をモニタリングし、実際の環境データを取り込むことで、ずいぶんと進展した。そして、大幅に計画を前倒しにすることに成功したのだよ。

 

ましてやキミは、他人の痛覚に作用する能力、つまりは他人の脳細胞、神経にすら干渉する能力を持っていたのだからね。それがどれほど我々の研究に役立ったことか。今日も是非、キミの能力、キミの脳細胞、キミの脳波を実験に役立てて貰いたい。たのむよ、景朗クン。」

 

幻生先生は感極まったのか、ボクの手を取ると、その手でしっかりと包み込み握りしめた。ボクも一応、その手を握り返して、二言、

 

「はあ。頑張ってみます。やれるだけやってみます。」

 

とだけ返した。ぶっちゃけ、幻生先生に引いていたのだ。自分で喋って自分で感極まるのかよ…。

 

 

 

実験の準備が整ったとの知らせを受け、ボクと幻生先生は別の実験室へと移動した。幻生先生に案内された部屋は、今までに足を運んだことのある実験室ではなく、また見たことのない新しい実験機械が設置してある部屋だった。

 

ものすごい数のチューブが繋がった大きな台座に、いつもの電極ヘルメットの強化バージョンとでも言うような、今までで最高級にサイケデリックなカプセルが付属したマシンが中央に設置してあった。周りにはコンピューターの供体が繋いである。

 

やはり今までの実験と違うのか、事前に打たれる注射の数も3倍近く増加していた。ちょっとこの薬液の量大丈夫なんですか?!という質問が、喉から出かかったが我慢して飲み込んだ。職員さんたちの気合の入り用も、普段と比べてかなり違っていたからだ。

 

ボクはさらに、いつぞやの女医さんに手渡された錠剤とカプセルを水で流しこみ、中央の厳つい台座に腰をおろした。周りの職員さんたちがテキパキと、ボクの体のあちこちに、電極や針を刺し込んでいく。上手く体にセットされているかが重要らしいので、あえて能力は使わず、痛みの強弱でその如何を確かめた。さすがと言うべきか、どれも異状なし。問題なしだ。

 

すでに幻生先生から実験が始まった後の諸注意は受けていた。ここ最近の実験でやったように、能力を強く意識しつつ、できるだけ電極を通して意識を外に向けたままにする。途中で何を感じても、基本的にはその反応を無視し、ひたすら実験の継続を心がけるように、とのことだった。

 

幸いと言っていいのか、ここ数週間はそういった訳の解らないことばかりやっていたので、長時間意味もなく集中して能力を発動させるのには慣れていた。

 

今回の実験はとても大掛かりなので、途中で中断するようなことにはならないらしい。幻生先生は、始まる前に何度も、何があろうとも徹底して実験を継続するように、と研究所全体に繰り返していた。

 

幻生先生は、ボクには身体的な危険はほとんど無いと事前に太鼓判が押して貰ってるし、今までの実験で身の危険を感じたことも全く無いから、彼の言うとおり、フィジカルな面での心配はゼロだった。

 

ただし、メンタル的な面では多少問題が生じる可能性があるらしい。そう聞いていたので、いつもより実験が始まる前の緊張は大きかった。

 

 

 

いよいよ実験が始まった。電極に電源が入り、どの職員さん達も慌ただしく働いている。ボクはというと、何時もの何倍もの刺激が脳みそにピリピリと来るのを感じ、軽いトランス状態に陥っていた。

 

ちょっと、なんだコレは。聞いてないぞ。電気を通して、自分の感覚が広がっていくような…いや、違うな。より正しくは、まるで新たに1つ、感覚器官が増えたような…何とも言えない感覚を感じていた。いつまで続くんだろう…コレ…。

 

 

結局、初日は2~3時間に一度、30分ほど間に休憩を挟むのみで、深夜遅くまでぶっ通しで実験が続けられた。あと四日間の辛抱だ。晩御飯にそこそこ美味しいお弁当が出たので良しとしよう。

 

それにしても、兎に角クタクタに疲れた。ご飯食べたし、さっさと寝たいな。なんだかんだで実験の時は近くにスタンバってくれている眼鏡の女医さんにその旨を伝えると、作業を中断してベッドの置いてある職員用の仮眠室へと連れてってくれた。

 

仮眠室には誰も居らず、ボク一人になった。あの人たち、もしかしてこれから四日間、徹夜でぶっ通して実験するんだろうか。そんな訳無いと信じたい。きっと途中で帰るんだろう。とにかく寝たい。ベッドに入ると直ぐに眠りにつけた。

 

 

二日目も、初日と同じような実験をやるばかりで、これといって真新しい出来事は起こらなかった。それどころか、ひたすら退屈で、コレならトラブルの1つや2つ発生してくれてた方が、実験を中断できて、いくらかマシだっただろう。

 

二日目は午前中から実験が始まったので、前日より一層の疲労が蓄積したように思う。ものは試しにと、お昼休みの恒例のコーヒーブレイク中に、幻生先生に煎餅が食べたいとの旨を伝えてみた。

 

すると、幻生先生による、いかにコーヒーに煎餅が合わないかについての講義が始まり、それが実験開始直前まで小一時間続いたのだった。完全に藪蛇だった。

 

 

 

 

 

そして三日目。後々まで"プロデュース"として悪名高く囁かれる、この狂気の実験の本当の幕が下りた日だった。この日のことは思い出したくもない。

 

しかし、"俺"の地獄が始まった、記念すべき、運命の日でもある。語らないわけにはいかないだろう。

 

 

 

 

 

三日目の朝。連日の疲労が溜まり、正直とても疲れていた。ここが正念場か。ほとんど一日中座っているようなものであり、退屈で頭がおかしくなりそうだった。

 

しかし、実験に付き合っている他の子たちの中には、ボクより年下の子が居るようなので、あまりだらけるのは気が進まないなという気持ちもあった。

 

異変というほどのことでもないが、三日目の午後にして、研究所に滞在する研究員の方々の数が増えてきているような気がした。この地下12階の、人口密度が上がっている様な気がする。

 

 

 

その日の晩。ついに、異変が起きた。ボクが覚悟していたようなレベルではなかった。それはいきなりだった。

 

ボクが、代わり映えのしない実験操作に退屈して、集中を切らさないように、必死に晩御飯のメニューを考えないように、一生懸命神経を研ぎ澄ませていた頃。

 

突然。ダレかの、見知らぬ誰かの、強烈な、膨大な量の思念が、ボクの意識の内側へ入り込んで来た。刃物を刺すような、疝痛を催す思念の刃。まるで身構えていなかったボクの意識に、他の知らない誰かの圧倒的な量の思念がズブズブと挿入されていく。

 

それは人間の負の感情だった。非常に曖昧な形をしていたが、怒涛の勢いでボクの精神にぶつかってくる。動揺。痛苦。諦観。嫌悪。恐怖。怒り。苦悶。

 

パニックに陥った。今まで実験をやってきて、こんなのは初めての出来事だった。機械の誤作動だろうか。能力の集中が完全に切れてしまったせいか?

 

ボクは恐慌状態のまま、もう一度強く自身の能力の覚醒に努めた。しかし、一向に思念の流入は治まらず、それどころか時間の経過とともに、どんどん強くなりつつあった。

 

 

幻生先生はメンタル面で問題が生じる可能性について喋っていたが、このことだったのか。だとすれば、能力の発動を解除すれば、この意識の流入を解除できるかも知れない。

 

だが、恐らくそれはすべきではないだろう。彼等は実験の継続を何度も強調していた。となると、これに耐えなければならないのか。

 

 

 

ボクは、それから次の休憩に入るまで、ひたすら身をちぢ込ませて、耐え続けた。休憩時間になって、実験機の電極を外してもらうと、どっと体中から汗が噴き出た。冷や汗で体がじっとりと濡れていた。

 

さっきの感情の流入は一体全体何だったんだ?体を震わせる悪寒に耐えながら、ボクはすぐそばに侍る女医さんに何度も幻生先生を呼んでくれるように伝えたが、今は忙しいため、ボクの相手をしている暇はないとのことだった。

 

直接幻生先生に言えなくとも、先ほど起こった感情の流入だけでも伝えたいと思ったので、女医さんにさっきの出来事を詳しく説明し、代わりに幻生先生に伝えてくれるように言付けた。すると、すぐに女医さんから、

 

「意識の感応は当初から予測されている。問題ない。」

 

との答えが返ってきた。当初から予測されている?"意識の感応"…。じゃあ、あの莫大な負の感情の流入は、前もって準備された研究者さんによる感情プログラムなどではなくて、実際に誰かと同調(シンクロ)していた可能性が高いということか…?。

 

……心当たりはある。もしかすると、この実験に参加している他の被験者の子供たちかもしれない。嫌な予感がする。ボクの本能はただひたすらに止めておけ、と警鐘を鳴らしていたが、もしまた、次の実験もあの感情の流入が生じるようなら、今度は自分から干渉して、色々と探ってみる必要があるかもしれない…

 

 

 

それから30分後。実験の再開を覚悟していたが、意外にも休憩時間は延長され、次の実験再開まで2時間近く間が開いた。十分に休憩を取れて、だいぶ気は楽になった。そして、実験開始直前にもう一度、実験の継続の徹底が注意された。

 

 

実験再開から15分後、待ち構えていた負の感情の流入が始まった。今回は意識の侵入に身構えていたため、パニックに陥ることはなかった。この思念の発生源は、おそらく機械で繋がった、同じ実験の被験者たちだ。それくらいしか、考えられない。

 

機械越しに思念が伝わってくるのか、それとも被験者の中に強力な精神感応(テレパス)能力者が紛れているのだろうか。少なくとも、ボクの能力の出力如何で、意識の侵入を操作できなければ、必然的に後者によるものだと判断できるだろう。

 

ボクは覚悟を決めて能力の出力を全開にした。脳に負担がかかるのは承知の上だった。伝わってくる感情が曖昧なのは変わらないが、より意識の範囲が拡大していく……より大勢の人間の意識だ…、まるで荒れ狂う黒い獣のようで……憤りと恐怖と絶望がごちゃ混ぜになった、黒い感情がボクの骨の髄まで浸透していくような……

 

今までの人生で受けたことのない、激しい疼痛を我慢しながら、ボクはその意識に、自身の能力を最大稼働させ干渉していく。

 

戦慄。苦痛。絶望。憎悪。恐怖。鬱屈。苦悶。狂気。拒絶。

 

巨大な負の感情の群れが、頭の中で暴れている。気を抜くと、意識を失いそうだった。ボクは、何故だかわからないが、必至に意識を保ち、その感情の流れに身を任せた。

 

圧倒的な思念の塊は、まるで小さなダムのようで、意識を保ったまま、その水底に沈んでいく。限界まで意識を潜らせたその時、突然。

 

今までとは異なるはっきりとした感情のうねりを感じた。

 

死の恐怖。それは、絶望に絶望を重ね、憤りを抑え込み、諦観のその中に、真っ赤に白熱する生への渇望を抑え込んでいて……

 

マテ。ヤメロ。もう十分に苦しんでいる。これ以上は駄目だ。やめてくれ。これは現実なのか!

 

直後の断末魔。発狂。痛みと怒りの濁流。耐えきれなくなる。

 

 

 

 

 

唐突に、意識が浮き上がった。体を拘束するベルトが、痛いぐらいに食い込んでいる。全身の筋肉に力が漲り、膨張しているように感じた。汗で体はずぶ濡れだった。それだけではない。下半身がずぶ濡れだ。あまりの恐怖に、失禁していたのだ。しかし、もうそんなことはどうでもよかった。そして力の限り叫んだ。

 

「実験を中断してください!異常が発生しています!お願いです!実験を中断してください!」

 

そう大声で叫び続けると、すぐさま女医さんが絶対零度の眼差しでボクを射抜き、実験の中断は許可されていないとボクの要請を却下した。くそ、埒が明かない。幻生先生に直接話を聞きたい!

 

「でしたら!とにかく幻生先生を呼んできてください!幻生先生を呼ぶか、実験についての詳しい説明がなければ、…オレは…オレは…!実験に協力する気はない!教えてください!今、他の被験者は…一体この実験で何をさせられているんですか?!説明してくれなきゃこれ以上は協力できない!」

 

再びオレが大声をあげると、今度こそ女医さんの態度に異変が生じた。眼光が鋭くなり、まるでオレに実験を覗き見する産業スパイを見るが如き視線を浴びせた。無線機で誰かと話をすると、端末を操作して、オレの拘束をより一層強めた。

 

感情の波に中てられたのか、それとも何かのタガが外れたのか、オレは今までに無い"怒り"に支配されていた。何の恐怖も感じなくなっていた。この時、恐いものなど何もなかった。

 

この実験で他の"置き去り"に何をしているのか。絶対に幻生に確認しなくてはならないと思った。

 

力の限り拘束に抗った。ミシミシとオレを拘束しているベルトが音を立てた。直後、金具のはち切れる音が響き渡った。

 

それを見ていた女医さんが息を呑んだ。目の前で起こったことが信じられない、という表情をして、一時、硬直していた。その後、慌てて無線機に連絡を入れる。

 

オレは頭部に装着されていたカプセルを外した。これで実験は一時中断される。後は、待っていれば幻生先生がやってくるはずだ。自分でヤツを探しに行くよりも、ここで待っていたほうが早いはずだ。

 

 

 

間もなくして、2人の守衛を引き連れた幻生がやってきた。

 

「おやおや。どうしたというのかね?景朗クン。そんな無理やりに拘束を引きちぎって、体は大丈夫なのかね?」

 

幻生先生はいつものひょうひょうとした態度を崩さなかった。今の状況は無線で前もって理解しているだろうに、わざと関係のないことを口にした。

 

「大丈夫です、幻生先生。実験を中断させてしまい、すみません。しかし、どうにも精神感応による意識の汚染が激しくて、これ以上は実験を続けられそうにありません。

 

せめて、この実験で、他の被験者に何をやっているのか、説明してもらえませんか?オレには、彼らの悲鳴が聞こえてくるんです。いったい彼らに、何をしているんですか?」

 

オレは幻生に声を荒げた。初めてのことだった。まったく気にも留めていないが。幻生先生は、オレの質問には答えず、普段と変わらない調子で会話を続けた。

 

「まったく。他の実験の熱気に中てられたようだね、景朗クン。いかんなあ。私との"契約"を今一度思い出してくれんかね?キミにはここでわざわざ確認し直す必要はないと思うのだが。

 

さあ、実験を続けようじゃないか。ここでキミに投げ出されると、少々面倒なことになるからね。それはキミだって望まないだろう?」

 

幻生の放った"契約"という言葉に、頭に上っていた血が一気に冷めていく。うちの園の皆の、嬉しそうな顔が浮かんだ。

 

"契約"の単語がもつ力は絶大で、先ほどまでの怒りはすっかりなりを潜めていた。どうにもこの人に逆らうのは不味いんだ、そう頭では理解していても、冷めた頭にあの時感じた断末魔が未だにこびり付いていて、口から疑問が飛び出すのを抑えきれなかった。

 

「お願いです!今、他のオレ以外の、被験者、能力者に、何をしているのか教えてください!」

 

それでも声を張り上げるオレに痺れを切らしたのか、幻生先生はようやくその質問に答え出す。

 

「景朗クン、あの"契約"では、予め、キミには少々危険な実験をさせるかもしれないと、キミの了承を得ることになっただろう。しかしそれは、キミ以外の人間に危険な実験を行わない、という意味ではないのだよ。ここで今実験を受けている彼らも、キミと同じようにその"少々危険な実験"を受けることに対して、承諾している者たちなのだ。彼らと同じように、私と"契約"を結んでいるキミが、そのことに対して、一体どう口を挟もうと?」

 

ああ。その時の、彼の言葉に、オレは抵抗の意思が消えていくのを感じていた。それでも、あの感情のうねり、死に瀕した彼らの想いが頭から離れず、口から言葉があふれ出すのを止められなかった。

 

「しかし、オレは…オレは…感じたんです!彼らが、死に怯えているのを、絶望して、恐怖と苦痛と、未練が……本当に、"少々危険"という程度で済まされるものなんですか?彼らは…大丈夫なんですか?それは違法なことではないんですか?」

 

自分でもわけのわからないことを言っているという自覚はあった。オレの言葉に呆れたようにため息をつき、幻生先生は、諭すように話しかけてくる。

 

「景朗クン。いいかね?実験が"危険"なものかどうか、それを判断するのは我々だ。キミがそれを判断すべきかね?キミにそれができるのかね?キミにその権限があるのかね?」

 

オレは、幻生の言葉になにも反論しなかった。

 

「……異論はないようだね。まぁ、キミが"パニック"に陥ったのも無理はない。初めての経験だったろうからね。私は心配していないよ。キミは良い子だ。さあ、後少し。実験を頑張ってくれたまえ。」

 

そう言って、幻生先生は、女医さんが新たに運び込まれた拘束帯を機械にセットし、オレをマシンに繋ぎ直したのを確認すると、満足げな表情を浮かべ、実験室を立ち去った。

 

 

 

 

それからのオレは、ただひたすら、今なお非道な実験を受け続けいるであろう、他の被験者のことを想った。流れてくる感情を受け止め、せめて彼らの苦痛がやわらぎますように、と能力を全開に酷使し、彼らの無事と安寧を祈り続けた。

 

飯もノドを通るわけがなく、オレは縮こまって必死に他の被験者の無事を願った。そんなオレの様子を女医さんは呆れたように見つめていたが、もはや彼らの視線などどうでもよかった。

 

 

頭の中で鳴り響く彼らの絶望は、四日目も同じように続いた。しかし、四日目の夜。時間が経つにつれて、意識に流入してくる感情の波が小さくなっていった。感情を発する人間の数が減少している。

 

夜更けごろには、4人、3人と減っていき数えられる程になっていた。

 

ふと、カチカチと音が鳴っているのに気づいた。何の音だろうか、と訝しむと、それが自分の歯が震えて鳴っている音だった。感情を発するのをやめた人たちは、無事に実験を終えたのか。"辛い実験が終わって安堵しているだけ"であってほしい。

 

とうとう最後の1人が消えた。しばらくして、実験は無事終了した。

 

 

ついに実験が終わった。拘束具と、体中につけられていた電極や針が外された。台座から降りて、女医さんの後ろについて行く。

 

疲れているはずなのに、体は元気だった。力が漲り、やたら軽く感じる。この実験期間の後半から、なぜかそんなカンジだった。目も耳も鼻も敏感になったように感じる。女医さんの付けている香水が不意に気に障った。

 

その時ふと、思いついた。暴れた三日目は、拘束が解かれて自由に動ける状態になったオレに対して、常に守衛が着けられていた。だが、四日目以降の完全に大人しくなったオレには、誰も監視に着いてはいない。

 

今なら、誰もかもを振り切って、他の実験室の様子をこの目で確かめることができるかもしれない。まだ実験が終わって一時間も経っていない。

 

 

目の前を歩く女医さんを注視した。その後ろ姿から、完全に油断していると判断する。周りを見渡すと、皆実験の後かたずけや他の作業に没頭していた。

 

今ならいける。体がやけに軽い。五感すべてがクリアだった。バクバク心臓が鳴る。緊張しちゃだめだ、落ち着こう。落ち着け…落ち着け…。

能力を使い、心を落ち着かせた。ほんの刹那の時間で、心臓の鼓動は治まり、オレは緊張から解放された。今ならなんでもやれる気がする。

 

女医さんが曲がり角を曲がったその瞬間、オレは一瞬で靴を脱ぎ、反対方向へと逆走し、実験室のある方角へ走り出した。

 

 

 

そして気づけば、想像以上の、とてつもないスピードで走っていた。

 

 

 

なんだ、コレは。疾すぎる。自分自身に驚愕する。ただひたすらに疾い。今までこんなに疾く走ったことなどない。

 

オレは、到底小学生には出しえない速度、それすら超えて、まるで世界陸上の短距離選手のように一瞬で加速し、それ以上のスピードで、人をかきわけ、血の匂いのする奥の研究室へと疾駆していた。

 

体が軽すぎる。オレの体にいったい何が起こったんだろう。今までにない、ほとんど別人の体を動かすような感覚に、パニックに陥りそうになる。

ダメだ。今は目標に集中しよう。チャンスは一度だけ。そう思って、他の被験者の実験があった部屋にたどりつく、そのことだけに集中した。

 

その途端、その一瞬の刹那で、別人の体を動かすような違和感が消え、完全に自分の体として動かす感覚を手に入れた。

 

 

後ろから制止の怒鳴り声がしてきた。時間が無い。ドアの付近にいた研究員を押しのけ、血の匂いの充満する部屋に突っ込んだ。転がり出て、部屋を見渡した。

 

 

 

見覚えのある実験機。体を倒して横になれるシート。頭部がもたれかかるその位置に、大量の血痕が残っていた。

 

 

床にも多量の血液が飛び散っていた。やはりそうだったんだ。危険な実験どころではない。これは死んでいても可笑しくない血の量なんじゃないのか。それなら…やっぱり……あの断末魔は…今際の際の……

 

そこまで考えて、後ろから衝撃を感じた。バチバチと飛び散る火花と刺激。一瞬、体が浮かぶ感じがしたが、すぐに持ち直した。

 

くるりと振り向くと、守衛さんがテーザーを構えながらも、動揺した表情を浮かべ、後ずさった。オレが気絶しなかったのに納得がいかないらしい。なんとなく、直感でだけど、そんなもん効くかよ、と思った。

 

ここで争ってなんになるんだ。と、抵抗する気は無いとすぐさま両手を挙げ、何もしないと喋りかけた。守衛さんは気味が悪そうに顔を歪めると、オレに手錠をかけ、無線で連絡を取り合うと、手錠をかけたままのオレを仮眠室へと押し込んだ。

 

ベッドに横になる。手錠がじゃまだが仕方ない。落ち着いて、天井を眺めた。その時気がつく。足の筋肉が痛い。痛いぞ。それもそうか。さっきあんだけのスピードで走ったんだ。筋肉を痛めてしまったんだろう。足の痛みに辟易する。が、しばらくすると痛くなくなった。

 

疲れてはいないが、もう寝たい。今日は散々だった。

 

 

 

 

次の日。五日目。"プロデュース"最後の日。朝の目覚めは気持ちの良いものだった。昨日はあれだけのことがあって、相当疲れていたのに、どうしたことやら。

現金なもので、体はピンピンしていて、空腹を我慢するのが大変だった。

 

 

ベッドに寝転がって、昨日のことを考えていると、外から施錠してあったドアが開いた。守衛を引き連れた幻生先生のご登場だ。

 

「おはようございます。」

 

とりあえずオレは挨拶してみた。幻生先生も普段と変わらない様子で挨拶を返してくれた。

 

「あぁ、おはよう、景朗クン。昨日は実験が終わった後に、脱走しかけたそうじゃないか。まぁ、未遂で終わらせたようで、そのことはもう結構だよ。」

 

「すみません。先生。どうしても気になったもので…。昨日は、一日中変な声を聞いていたせいか、気が動転していました。」

 

「構わんよ。一昨日もいったが、無理もない話だ。キミが動揺するのもわかる。…そうだな、これから、キミに協力してもらう実験は、今回のように危険度の高いものはやめにしよう。

 

前にも言ったが、我々はキミの能力のもつポテンシャルに大変期待している。これ以上キミの機嫌を損ねるのは御免だからね。どうかな?これからも我々の実験に協力してくれんかね?」

 

正直なところ、断りたくて仕方がなかった。だが、ようやくうちの園の雰囲気が、よい方向に変わってきた所だったのだ。嬉しそうにはしゃいでいたチビどものや、最近はほとんどため息を吐かなくなったクレア先生のことを考える。また、昔のように…。

 

幻生先生は、これからは、今回のような危ない実験はやらせないと言っている。次こそ…次こそ。次こそ、幻生先生たちが、危険な実験をするようだったら、その時は必ず、この"契約"を放棄しよう。

 

愚かなオレは、この時今一度、幻生先生の言葉を信じてしまった。

 

「…わかりました、先生。ホントのところは…オレは、今回のような危険な実験にはもう参加したくありません。ですから、先生がそのように実験を配慮してくれるのなら…これからもどうか、よろしくお願いします。」

 

オレの返事に気を良くした先生は、喜びを露わにすると、一緒に朝食をとろうと言ってくれた。一昨日からロクに物を食べていなかったオレはいい加減、お腹がペコペコだったのでこれ幸いとご一緒させてもらった。

 

 

 

朝食の席で、幻生先生は昨日のオレの、身体能力の飛躍的な上昇についてしきりに興味を示していた

 

「身体能力の飛躍的な上昇…。その現象は、キミの能力を鑑みるに、能力で脳内麻薬を制御し、筋肉のリミッターを外して、意図的に火事場の馬鹿力を引き出しているのか…それとも、脳細胞や神経、筋肉の細胞自体を作り変えたのか、はたまた両方か。

 

詳しいことは調査してみなければわからんが、今までできなかったことができるようになったということは、キミの能力の強度(レベル)が上がったとみて間違いないだろう。だとすれば、これからの実験でより成果を上げやすくなったということだ。大変喜ばしい。」

 

幻生先生はそう言うと、徐に懐からいつぞやのテーザーを取り出した。あ、やっぱり持ってたんですね。オレに会いに来るんだから、準備してたんだろうね。

 

彼はふたたび、電圧の出力を下げ、腕に電流を流した。そのあと、前と同じように痛みを無くしてほしいと頼んできた。

 

レベルが上がったのだとしたら、他人の痛みをもっと大幅に操作できるようになっているかもしれない。気になったオレは、能力を使用して先生の痛みを無くすように念じてみた。

すると、先生は目を見開き、痛みを全く感じないとオレに伝えたのだった。

 

どうやら、レベルが上がったのは間違いないらしい。この五日間で、最悪な経験を積んだものの、まったくの無駄というわけではなかったようだ。

 

ともすれば、すぐに陰鬱な気分になってしまいそうな状況のオレだったが、今までずっと気乗りしなかった身体検査(システムスキャン)、その次回の結果のことを考えると、なんだか少しだけ幸先が良くなった気がした。

 

 

 

 

午前中に最終確認のための軽い検査を受けると、いよいよ実験は完全に終了となった。昼前に病院を出たオレは、さて、今日一日自由な時間を得て、どうしたものかと考えた。何時ぞやの法螺吹きみたいに、ゲームセンターに行くか、学校の見学に行くか。そう考える者の、あまり乗り気がしなかった。

 

なんとなく、うちに帰りたいと思った。クレア先生に会いたい。園のみんなに会いたい。考えだすと、だんだん元気が湧いてきた。今日はもう帰ろう。たった五日帰っていないだけなのに、やたらと聖マリア園が恋しい。

 

 

 

 

第十二学区に着く頃には、低学年の子供たちが下校する姿をちらほらと目撃するようになっていた。第十二学区に入った途端、十字教系の修道服や、回教系の方々だろうか、ヒジャブやニカーブというらしい顔をすっぽり覆うスカーフを被った女性たちの姿が目立つようになった。

 

街並みも今までとは違い、モダンで近未来的な装いから、世界各国の宗教をごた混ぜにしたような、まるで統一感の無い並びになってしまっている。一つ一つの建築物自体は、そこそこシックな出で立ちであり、その点も際立ってユニークな印象を受ける。

 

全体的にはツギハギだらけの様相を呈しているのに、意外と整然な印象も受けるから、宗教の持つ静謐なイメージも馬鹿にならないのかな。

 

 

駅から出ると、一気に冷えた空気が体を包んだ。後少しで三月。だいぶ暖かくなってきたけど、まだまだ寒い。この寒さの中、より道する元気はないかな。

 

まっすぐに聖マリア園へと向かっていると、途中で友達と別れる花華の姿を目にした。近寄って、後ろから声を掛ける。

 

「おーい。オレがいない間、うちでなんか面白いことあったりした?」

 

「あ。かげにぃー。病気だいじょーぶだったのー?」

 

オレの声に気づいた花華は、走り寄ってきて、オレのすぐ横に並んで歩きだした。

 

「とくになんもなかったよぉー。かげにいがいない間、かすみねえが毎日料理作ってくれて嬉しかったぁー。」

 

なんだと。それは勿体無いことをしてしまった。例の経済的支援の影響により、最近うちの園の料理のラインナップは、見るからにクオリティがアップしていた。

 

特に火澄は、精力的にレパートリーの拡大に努めているようで、この五日間にオレのまだ食さぬメニューが提供された可能性があった。

 

「なにぃ~?チクショー、花華、オレが居なかった間の晩飯のメニューを全部教えてくれ!」

 

「えぇ~。そんなのおぼえてないよぉー。病院にお泊りする前に教えてくれればよかったのにぃー。」

 

「じゃぁ、肉だ、ニク。この五日間で提供された肉料理の情報だけでも、オレに伝達するのだ。」

 

「あはは。ニクゥー!ニクねぇ~。んー…と、ねぇ~…」

 

花華はまだガキだからな。オレの言った"ニク"の発音で面白がっていた。結局、コイツが覚えていたメニューは、つい前日に食べたものだけであり、他は綺麗さっぱり忘れていた。

 

料理の情報はなにも得られなかった。ちなみに、その前日のメニューは天ぷらだったそうだ。天ぷらかぁ、惜しいことしたなぁ。

 

 

 

我らが園に帰ってきた。玄関越しに、ちょうど掃除をしていたらしいクレア先生の後ろ姿が見える。ウェーブしたふわふわの茶髪が、棚を掃除する体の動きとともにゆらゆらとゆれていた。その姿を見ているだけで、みるみる心が落ち着いていった。

 

気がつけば、痺れを切らした花華に手を引かれ、玄関に引っ張りこまれていた。ドアの真ん前で、ぼうっと突っ立って、ただひたすらクレア先生の姿を眺めていたらしい。

 

「どしたのぉー?かげにい。…かげにいぃー…もしかして…クレア先生が好きなのぉ~?」

 

ちょ、おい。うるせえな。クレア先生に聞こえるだろ。慌てて花華の口を押さえた。いや、そりゃ好きさ。一番一緒にいて安心する人なのかもしれない。

 

昨日一昨日の出来事で、体の芯にこびり付いてしまっていた、冷たく堅い緊張が、融けて消えていくのを感じていた。オレは心のどこかでこの人を、一番頼りにしていたのかもしれないな、と思った。

 

「ただいま帰りました。クレア先生。オレがいない間、なにか変なことありませんでした?」

 

クレア先生はオレに気づくと、小走りに近寄ってきて、オレの手を両手でしっかり包み込むと、不安そうな表情で病院の検査結果を尋ねてきた。

 

「かげろう君、検査の結果はどうだったの?何か悪い病気でもみつかったの?なんだかいつもより元気ないから、心配です。」

 

「大丈夫でした、先生。何も心配することはありませんでした。お医者さんの勘違いで、検査の結果は完全に白でした。今は逆に検査のせいで疲れがたまってますが、体はピンピンしてますよ。」

 

オレの言葉を聞いた先生はほっとしたようで、安堵の表情を浮かべていた。

かげろう君の体に異常がなくてよかった、今日は頑張って先生がお料理つくっちゃおうかしら、などと犯人は意味不明な供述をしており………すまない。

もとい、"今日は頑張って先生がお料理つくっちゃおうかしら"などと、のたまい始めたのだ。

 

まずい。まずいぞ。やっとあの地獄から帰って来られたのに。帰って早々これはないだろう。だがしかし、火澄のいない今、オレが動かなければ、誰が結末を変えられるというのだろうか。

 

「先生、それなら火澄が帰ってきてから、一緒に買い出しに出かけたらいいんじゃないでしょうか?……おおっと、すみません。せっかく掃除していたのに、邪魔してしまって。とにかく、オレは大丈夫です、お掃除頑張ってください。」

 

「あら、いいのよ。ちょうど終わりかけだったから。ん~、そうね。火澄ちゃんが帰ってきてから、そうしようかしら。」

 

あ、ダメだわ。ごめん火澄。ムリだった。あとは頼む…。

 

 

 

 

 

その日の夕飯が危ぶまれたが、なんとか危機を乗り越え、普段通りのおいしいパスタが振る舞われた。火澄さまさまで、麺のゆで加減もこの上なく素晴らしかった。

 

どうやら結局、また火澄が先生を上手にいなし、興味の矛先を料理から逸らしてくれたようだった。しかしすごいなぁ、火澄。毎度毎度どうやってるんだろ。見当もつかない。

ご心配無く。さきほど料理の配膳を無理矢理彼女に手伝わされ、その時に、先生の対応を押し付けた責任をきっちり追及されました。

 

幸運なことに、彼女もオレの容態が心配だったらしく、体が異常なく健康だったこと、今回のクレア先生の件は本当にいつものうっかりミスではなく、避けようのない宿命だったことを素直に伝えると、珍しくお説教を一度で切り上げてくれた。

 

 

火澄の機嫌を取る必要があったオレは、自ら率先して晩飯の後片付けに協力した。クレア先生と同じく、体調に問題が無い割に元気がないことを疑問に思われた。

 

五日間もずっと病院で検査を受け続けるハメになれば、誰だって元気がなくなるだろうよ、と先ほどと同様に先生に使った言い訳を返したが、それでも疑ってきた。

彼女曰く、オレの醸し出す雰囲気が、前とは打って変わりピリピリしたものに変化しているそうである。冷や汗が出た。当たらずとも遠からずな気がする。

 

「ど、どうしてそんな風に思うんだよ。だいたい、ピリピリした雰囲気って言うけど、一体今までと何が違うんだって話さ。そんな小さな変化を感じ取れるほど、普段からオレのことを観察してたのかよ?」

 

「なッ。ち、ちがうわよッ。今まで一緒に居たから、なんとなく分かっただけよッ。…ホントに、病院で何もなかったの?ホントは…ホントは何か深刻な病気にかかってたりしてないよね?隠してたりしてないよね?」

 

ここまで火澄が心配してくれるの、最近はめっきりなかったな。不安そうな表情でこっちをチラチラ覗き見る彼女に対して、心が暖かくなるような親愛の情と、心臓がドキドキするような、気恥かしさのような、そんな甘酸っぱい想いが浮かんでくる。でも、正直に話すわけにはいかない。罪悪感を踏みしめ、ウソを吐いてごまかすしかなかった。

 

「ふい~。そんなわけあるかよ。いっとくけど、本当に体には何の異常もなかったからな。雰囲気変わったって言われても…そんなの、自分じゃまったくわからないよ。」

 

「……クレア先生にもそう言ったの?」

 

「もちろん。ホントに大丈夫だよ。医者の勘違いだったんだ。五日間も検査させられて、オレもびっくりしたけど、逆にそれだけ長い間みっちり検査した上で、健康ですよってわかったんだ。だからオレは今、安心してるけど。」

 

「…そっか。わかった。…なによ、じゃあ、心配して損したカンジだわ。」

 

彼女の様子は、オレの言葉に納得いっていないように見えた。しかし、それを皮切りに再び追及してくることはなかった。彼女もなんとなく、感であてずっぽうに指摘したのだろうと思いつつも、オレ自身は、雰囲気の変化を昔からの自分を知る2人に立て続けに指摘されて、肝が冷える思いだった。

 

オレがこの五日間で経験したような、危険な、薄暗い実験に協力していたこと、そのことだけは、彼女たちに知られたくなかった。

 

 

 

 

 

3月。新学期まで残すところ僅かひと月となった。小学生も来年で終わりかと思うと、すこし切ない気持ちになる。火澄は間違いなくオレとは違う学校に進学するだろう。今までずっと同じ学校に通ったけれど、それもあと一年で終わりだ。

まあ、中学卒業まではきっとここに留まるだろうから、そこまで気にする必要もないか。

 

この間の"プロデュース"の一件は、確かにオレの肉体と精神を変化させた。学期末の身体検査(システムスキャン)で、なんと強能力(レベル3)の判定を叩き出した。

一度の判定で強度が2段階上昇する。それ自体は珍しい話ではない。ただ、オレの悪口を言っていた奴らが一斉に絡んでこなくなったのが笑いを誘った。

 

まず一つ、身体能力が飛躍的に上昇した。いつの間にか五感が研ぎ澄まされていて、毎日通っていた通学路一つとってみても、以前とは違う印象を受けるようになった。

道を歩いているその時に、目や耳や鼻がとらえ、伝えてくる情報量が一気に増加した。

 

次に、純粋な運動能力の向上。筋肉の肥大、筋肉の質の向上、伝達神経などの発達。

正直なところ、その辺の大人にだって何一つ負ける気がしなくなった。

 

最後に、肉体を操る技量、いわばオペレーティングシステムの向上、だろうか。俗に言われる、"火事場の馬鹿力"。それ以上にの肉体の限界を超え酷使させる使い方ができるようになったらしい。

能力により、そもそもの扱う肉体が強固になり、その上細胞の再生能力が段違いに上昇している。そのため、一般的な人間の尺度を超えた運動ができるようになっている。

 

肉体的な話ではなく、精神的な変化についても、言及すべきことがある。あの"地獄"。彼らの断末魔を聞いたその時から、どうやらオレの性格は変わってしまったらしい。

 

"自分の性格が変わったらしい"とは、奇妙な表現だが。あの一件以来、オレは自分の感情を"完全"に支配できるようになった。人間誰しも、感情の抑制を行うことはできる。だが、その感情の"発露"や完全な"制御"を行うことは難しい。

だが、オレはどんなに恐怖すべき場面でも、その気になれば恐怖をコントロールし、完全に消し去ることが可能だ。もちろん、怒りや悲しみも。

 

これについては、火澄に言われるまで自覚症状がなかった。気づけば、オレはどんな状況においても、常に変わらない精神状態で対応するようになっていた。

それは、どんな状況に差し迫っても、常にクールな思考を忘れない、なんていう都合のよいものではなかった。

 

まるで獣になった気分だった。だって、そうだろう?ある状況に出くわした場合、動物はその身に宿る"本能"で応答する。

今のオレの状態は、獣でいう"本能"が、脳に染み付いた"合理的な思考"や"ロジック"に置き換わっただけだ。

普通の人間は、人それぞれ、時と場合、その時の状態によって感じ方や考え方が異なったものになる。それが当たり前だ。

 

今では。自身の感情の自然な"発露"を、一生懸命"阻害"しないように。普段から心がけねばならない。またまた不便な話だ。

 

最後にもう一つ。

オレの能力はこれまでそのほとんどを、自分自身を対象とし、自らの変化を促すものだった。

しかし、能力がレベル3の強度に達したためか。まったく新しい使い方ができるようになった。

 

それは、接触した相手が受容する、感情や刺激を支配(コントロール)する力である。

良い使い方をすれば、パニックに陥った人間を一瞬で落ち着かせ、怪我をした者の感じる痛みを刹那のうちに消失させられる。

攻撃的な使い方をすれば、先ほどとは逆に、相手を混乱させ、その痛みを増幅させる。ただしこの力は、幻生先生曰く、対象の持つAIM拡散力場の干渉を受け、発動が阻害される可能性があるらしい。

要するに、高位の能力者には通用しない可能性があるということだ。

 

 

 

 

最近、クレア先生は学園都市中を飛び回り、劣悪な環境に置かれている"置き去り"の情報を探し回っていた。

これまでも、悲惨な状況下に置かれている子供たちを見つけ出して、うちに受け入れてきた。クレア先生の学園都市の不正を嗅ぎ分ける能力は確かであり、そうやって連れてこられた子供たちは、みな見るからに精神に病を患っている子がほとんどだった。

 

今でこそ明るてのんびりとしている花華も、そうやってクレア先生に救われた子供の一人だ。うちにやってきた当初も、周りの人間すべてに脅え、縮こまり、遠慮するばかりで見ていられなかった。

クレア先生と、うちの園のゆるゆるな雰囲気が、花華の恐れを融かす助けになったようで、今では彼女はすっかり元気である。

 

ここ数年は、以前にもまして経営状態が悪かったらしく、新しく子供を連れてこなかった。しかし、現在のうちの園の景気は過去とは比べ物にならないほど好転している。きっと、危機に曝されている子供たちをまた見つけだし連れてくるつもりなのだろう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

episode03:不滅火焔(インシネレート)

 

 

 

あっというまに春休みが終わった。気づいたら、小学六年生になっていた。早いなあ。春休みの間に、うちの園に新しいメンバーが増えた。特筆すべきことといったらそれくらいだろうか。

 

男児が1人、女児が2人だ。特に問題を抱えていたのは男児のほうで、その子の名前は調川真泥(つきのかわみどろ)といった。真泥は親による長年の虐待の末に、この学園都市に"置き去り"にされた。

すべてに遠慮して、自分からはほとんど喋らない彼の様子を見ると、うちの園のメンバーはかまわずには居られなくなるらしく、真泥はひっきりなしに驚いたような顔をみせていた。

 

火澄も真泥に構いたくて仕方がない様子であった。しかし、彼女には気の毒に、気が強そうに見えるその外見と、一番の年長組だという理由から、彼には少々怯えられている。

 

一方のオレは、試しに真泥に対する興味や感情を能力で消して近づいてみると、全くといっていいほど警戒されなかった。そのため、わりと彼の世話を焼いている部類に入るんじゃないだろうか。

 

 

 

オレの能力が強能力(レベル3)に達したためか、新学期のクラス替えで火澄と同じクラスになった。能力開発(カリキュラム)に力を入れる進学校の多くは、能力強度(レベル)に応じて厳密にクラス分けを行っているところがほとんどである。

 

オレ達の通うような、第十二学区の外れにある神学系の学校は、以上に上げた進学校のように"能力開発"に力を入れているとは到底言い難い。

それでもさすがに、"無能力者"や"低能力者"と、"異能力"、"強能力"、"大能力"を発現させるような高位能力者を混雑させ、効率を悪くするほど愚かではなかったようだ。

オレが新たに配属されたクラスは、この学校の高位の能力者を集めた特別開発クラスといったものであるらしい。

 

 

見ない顔がほとんどだが、火澄のほかに一人、何時もオレに絡んできた苛めっ子グループの代表格、風力使い(エアロシューター)の少年の姿が確認できた。

彼と目が合うと、ものすごい形相で睨み返してきた。正直な話、情けないことに、以前は彼のことが少し恐かった。

しかし、今は毛ほども怯みを感じない。興味がなくなったので、すぐに視線を向けるのを止めたのだが、彼のあの様子だと、まだオレの方を睨んで居るんだろうな。

 

 

春の風物詩、クラス委員の選出に、迅速に火澄が推薦されると、皆何の異論もないようで、即座に彼女がクラス委員長へと任命された。

火澄は毎年委員長やってた気がするな。このクラスは昇級時のメンバーの入れ替えが非常に少ないと聞いている。火澄が委員長をやるのは毎年恒例のことらしい。

 

火澄と同じクラスになったのは、小学一年生の時以来だった。当時のことはおぼろげだが、その時は毎日一緒に帰っていた気がする。

この年になって登下校を一緒にするのは恥ずかしいところであるが、食材の買い出しの手伝いなんかは、少しは効率よくなるだろうか。

 

「景朗、ホントだったんだ。強能力(レベル3)になったの。」

 

休み時間。何とはなしに火澄との会話が始まると、唐突に話を振られた。

 

「いやいや。さすがにそれはないだろ。おまいさんは前から知ってただろ。まだそのネタ引っ張るの…」

 

一月前。学期末。小学五年生最後の身体検査で、オレがレベル3を叩きだしてから。彼女の悔しがりようは半端ではなかった。

万年レベル1、能力のパッとしなささから陰口を叩かれていたヤツに、いきなり能力強度(レベル)で並ばれたのだから、さもありなん。

おまけに、純粋な勉学の成績は、微妙にオレが勝ち越すようになっていたのだから、その焦りは当然のものだと言えよう。

 

春休みの間、彼女に「アンタ、ホントにレベル3になったっていうの……。むぅぅ!ちょっと能力使って見せなさいよ!」という風に、さんざん疑われていたのだ。

 

オレと一番近くにいた火澄ですらそうだったのだ。案外、周りのヤツは、オレが実際に特別開発クラスに配属されたのを見て、改めて本当にオレが"レベル3になった"のだと実感しているのかもしれない。

 

オレの言葉を聞くと、火澄はけたけたと笑い出した。やはりからかっていたらしい。他のクラスメイトはそんなオレたちの様子を物珍しそうに眺めつつも、結局誰も話しかけてこなかった。

 

オレが警戒されているのか、それとも火澄が恐れられているのか。なんとなく、後者な気がした。

 

誇張抜きに、火澄の発火能力はこの学校では一番注目されている。大能力(レベル4)まじかだという噂も聞いている。

本人に聞いたところ、噂と互い無く、今年の目標は"レベル4"に到達すること、だそうだ。せっかく能力のレベルが並んだというのに、またすぐ抜かれてしまいそうだ。

 

 

 

 

帰り掛けに、何時ものいじめっ子少年グループに絡まれた。

 

彼らの話を聞くと、要するに、レベル3になったからって調子に乗るな、だそうだ。現金なもので、能力のレベルが上がった今、コイツらのことは全くもって恐くなくなっている。

それどころか、これからも毎回コイツらに付き合うことになるのかと思うと、とてつもなく面倒くさい気持ちになった。いい加減ケジメをつける時が来たんだろうか。

 

「あのさ。もう絡むのやめてくんない。もうオレはレベル3になったんだし、前とは違くね?お前らの理論だとさ、オレよりレベルの低いお前らこそ、調子に乗っちゃいけないんじゃないか?」

 

能力強度(レベル)が逆転したとたんのこの発言である。とんだクソ野郎だった。よくよく考えると苛められて当然でしょう、こんな事言うやつ(笑)。

 

オレの言葉を聞いた途端に、彼等は烈火の如く怒りだした。いや、正直、ムカつくのも無理はないな。能力上がった途端にこんなこと言いだすヤツが居たら、誰だってイラつくかも。

自分自身がこんなクズ野郎だったとは……新たな発見である。いやでも、そもそも君たちが毎度毎度オレに絡まなきゃこんなことには…

 

 

「マジでやっちまうぞ、テメェ。テメェの能力が"レベル3"になったところで、どうにかなんのか?」

 

何本か血管がぶちキレてしまっている様子の、風力使い(エアロシューター)の彼の言葉である。ごもっともな発言だった。

でも、こっちだっていつまでもオマエらに絡まれるのはごめんなんだ。すまない。

 

「ああ、やるんならかまわねえよ。正直、もうオマエらに負ける気がしないんだわ。全員でかかってこいよ。今までの礼を返してやる。」

 

まさか、こんなセリフを言う日がやってくるとは…。ロクにケンカしたことも無いくせに、ホント生意気なヤツである。

 

ビビリ成分, 怯え成分ゼロ、交じりっ気無し。自信満々のオレの勝利宣言に、リーダー格以外の2人はあからさまにビビっていた。

一方、リーダー格の眼はもうイッちゃってるんじゃないかな、ってぐらいに怒りに染まっていた。だが、3人がかりで挑んだ挙句、返り討ちに会ったとなれば、彼等にとっても「明日は我が身」であろう。

 

彼等は捨て台詞を放ち、去って行った。気づけばなんと、拳も交えずに追っ払ってしまっていた。拍子抜けだったが、やはりこの学園都市では能力の強度(レベル)がそれほどまで絶対的なステータスだったというわけなのだろう。

 

とにかく。これからは彼らも絡んではこないだろう。面倒くさいことが一つ消えた。良いことだ。この時のオレは完全に気が抜けていた。だから、この後。彼らが卑怯な手を使って報復してきた時に、その怒りを抑えきれなかったんだろうな。

 

 

 

 

 

帰り道。うちの園まで歩いて残り10分ほどといった所で、先程の少年グループと再び遭遇した。なんと、先述の調川真泥を人質にとり、オレに復讐するために待ち伏せていたのだ。

真泥のランドセルを引っ掴み、フェンスに押し付けている。彼は泣きそうな表情を通り越して、怯えに怯えて震えていた。

 

一目見て状況を察した。真泥がコイツらに捕まったのはオレのせいだ。ヤツらは真泥という人質を手に入れ、自らが立つゆるぎないアドバンテージに笑みを浮かべていた。

オレに怒りを覚えるのは仕方ない。だが、いったいどういう発想でこんなことをしでかすのか。理解できなかった。

 

「雨月さん。ごめんなさい。ぐすっ…」

 

初めて会ってから、毎日顔を会わせているというのに、真泥の口調は未だに固かった。虐待と、小学一年生の時のいじめのトラウマで、彼は誰に対しても遠慮し、脅えて自分の意見を伝えることができないのだ。彼には申し訳ないことをしてしまった。謝らなきゃいけない。

 

「コイツ、テメェんとこのガキだろ。オラ!」

 

リーダー格の少年は、真泥のランドセルを引っ張ると、またフェンスに押し付けた。

 

「うぐっ」

 

真泥は小さい体をフェンスに押し付けられ、くぐもった声を漏らした。小学二年生と小学六年生とでは、体格が違いすぎる。そもそも、小学六年生が小学二年生に手を出すなよって話だ。

オレは覚悟を決めた。オレ自身の問題なのに、真泥に被害が及んでしまった。コイツらとの関係をここで清算してやる。

 

「わぁったよ。大人しくオレがやられればいいんだろう?真泥が可哀想だから、もう手を放してやってくれよ!」

 

とりあえず、彼を自由にしようと思った。だが、少年たちが真泥を解放することはなく、オレを無視して彼を小突き始めた。どうすればいいかわからなかった。そして、もうキレてもいいんじゃないか、と思い始めていた。

 

「やめろ。真泥を放せ。それ以上やったら、もう手加減しねぇからな。」

 

オレの言い方が悪かったのだろう。それを聞いたリーダー格の少年は、イラついた表情を見せ、再び真泥に手を伸ばした。

 

その時。能力を解放した。

 

ヤツの伸ばした手がスローモーションのように、非常にゆっくりとしたスピードに映る。その手が真泥に到達する前に、オレは一瞬で相手の懐に踏み込み、隙だらけの横っ腹に手加減を加えたパンチを打ち込んだ。

 

しかし。能力を未だ完全にコントロールしていない状況で。ロクにケンカなどしたことのなかったオレの"手加減"は完全に未熟なものだった。殴った相手は4,5メートル吹き飛んだ。

後で知ったのだが、この時すでにソイツのあばら骨は数本折れていたらしい。

 

残りの2人の少年に対しても、リーダー格の少年が吹っ飛んだのとほぼ同時に、同じく横っ腹にパンチを食らわせた。この少年たちには、自分も何度もパンチを食らっている。彼らを殴った罪悪感は微塵も無かった。

 

真泥の正面に立って、反撃に備えた。が、いつまでたってもそれはやってこなかった。吹き飛んだ彼らは、腹部を抑えてすすり泣き、地面に伏したままだった。

オレは彼らを殴る際に、湧き上がる興奮を制御せず、むしろ自ら昂るように精神を昂揚させていた。

 

いきり立ち、横たわる3人をまとめて引きずって、彼らが真泥に行ったようにフェンスに押し付けた。

 

「これ以上やられたくなかったら、もうオレ達に絡むな。オレを狙うってんならいつでも相手になるけどな、うちの施設のヤツらに手を出すのは絶対に許さねえ!

今さっきは手加減したけど、次はもうやらない。今度は力の続く限りボコボコにしてやるからな。」

 

オレの言葉を聞いた彼らは、心底脅えた目をしていた。泣きながらも、必死に「わかった」と繰り返していた。オレは真泥とともに、すぐさまその場を離れ、聖マリア園へと連れ帰った。

 

 

 

園に着くまでに、何度も何度も、面倒に巻き込んでしまったことを真泥に謝った。彼の表情が、さきほどよりだいぶ安堵していた風だったのは、オレにとっては救いだった。

園に着いた後すぐさま、汚れてしまった彼と、そのランドセルを綺麗にした。それが終わる頃には、真泥の表情は穏やかななものになっていた。

 

「真泥くん、本当にごめんね。オレのせいで迷惑をかけて。これからは、アイツらに何かされたら、スグにオレに報告してほしい。絶対だよ。オレのせいで真泥くんに迷惑がかかるのは耐えられないんだ。」

 

オレがそう言うと、真泥くんはわずかに微笑んだ。

 

「もういいよ。…雨月……に、兄ちゃん。助けてくれて、ありがとうございました。」

 

真泥は許してくれた。しかも、それだけじゃなく、オレを兄と呼んでくれた。

 

「お。今、兄ちゃんっていったな!いいんだよ、それで。オレたちは同じ園に住む家族みたいなもんだから、ぶっちゃけ他のみんなにも"さん"付けなんてしなくていいんだぜ。これからもオレのことは兄ちゃんって言ってほしいな。」

 

すこし間が空いたものの、真泥はおそるおそる、オレの言葉にうなずき返してくれた。これからは、もっと彼と仲良くやっていける。そう確信した瞬間だった。

 

 

 

 

オレが殴った少年たちが、病院に運ばれた。その知らせを聞いたのは、ちょうど火澄と一緒に夕飯の準備をしていた時だった。明日、クレア先生とともに、学校に事情を説明しに行かなくてはならないそうだ。

 

その話をしたクレア先生は、今までに見たことのないくらい泣きそうな顔をしていた。最初は、オレが3人の少年を怪我させたとは到底信じられずに、何かの間違いではないかと主張したそうだ。

しかし、警備員(アンチスキル)から、間違いなくオレが少年たちを負傷させたのだと、少年たちの証言、監視カメラの映像を用いて説明され、受け入れるしかなくなったという。

 

今日、オレが何をしたのか。怪我をした少年たちにこれまでオレが何をされてきたのか。包み隠さず話さなければならないと思った。

 

オレの話を聞いたクレア先生は、一瞬、辛そうな顔をした。そして、一発。オレの頬を思いきり張った。同時に、彼女の瞳から一筋の涙がこぼれた。

 

いじめに気がつかなかったこと。真泥が巻き込まれたこと。何も気づけなかった自分が、オレに対して説教をする資格など微塵もないと。けれども、オレの手加減がもっと危険なものだったら、下手をすれば少年たちは内臓まで損傷させ、死んでいたかも知れなかったと。

 

オレが危険極まりない行為をしてしまった事実だけは、何とか伝えなければいけなかった。そう言ってオレを抱き締めると、クレア先生は彼女自身の嘘偽りない素直な気持ちを、いつまでも呟き続けた。

 

"レベル"が上がって、オレは本当にクズ野郎になってしまったみたいだ。

咄嗟に、反射的に能力が作動した。さきほど、先生が張った頬の痛みを、オレはまったく感じることが出来なかったのだ。

 

 

 

 

すっかり遅くなってしまった夕飯の後、火澄と2人で料理の後片付けをした。彼女は夕飯の前から、ずっとオレに何かを言いたげだった。その話が聞けるのを、今か今かと待ち構えていた。

しかし、彼女は先ほどから黙り込んだままで、沈黙がしばらくその場を支配していた。

 

ついに、火澄が口を開いた。

 

「景朗、あのさ…。今日は…大変だったね。」

 

「はぁ。そのとおりだったよ。おまけに、今日だけじゃなくて明日もひと波乱あるんだろうさ。」

 

彼女は言いづらそうな表情を変えなかった。慎重に言葉を選んでいる風に、ゆっくり、間を空けながら再び話を続けた。

 

「あのね。景朗。確かに、今日、アイツらに怪我をさせたのは軽率だったと思うわ。幸い、ケガはあばら骨の骨折だけで済んだけれども、運が悪ければもっと酷いことになってたと思う。」

 

「馬鹿だった。火澄の言うとおり軽率どころじゃなかった。オレがした手加減なんて、あてずっぽうで、感で力をセーブしただけのものだった。アイツらに怪我をさせた責任はとらなきゃならないよ。いくらアイツらが前からオレのことをいじめていたんだとしても。…やっぱり、オレのこと見損なった?」

 

「ちッ、違うの!私、景朗のこと見損なったりなんてしてない!」

 

彼女はオレの問いをすぐさま否定した。そしてオレの顔を見つめると、視線を合わせたまま固定した。オレたちは見つめあっていた。決して嬉しい空気ではなかったが。

 

「さっきはアナタを咎めたけど、続きがあるの!ワタシが続けて言いたかったのはね。今日のこと、あまり気にしないで、元気を出して、ってこと。大怪我をさせそうになったことだけ考えて、1人で思いつめたりしないで。

アイツらが、真泥を狙ったりして、景朗もどうすればいいかわからなかったんでしょ?今日、景朗がやったことは、褒められるべきじゃないけど、それでも、何事もなくすべて完璧に対処するなんてマネ、誰にもできっこなかったわ。誰も、あなたを助けなかった。だから…だからね…」

 

言葉じりを曖昧に濁す彼女を見つめる。

 

「だからッ…その…。ワ、ワタシは、景朗の味方だからッ。今日のことで、これ以上落ち込まないの!アイツらを病院送りにしたことで、誰かがあんたの悪口を言おうとも、ワタシは、あんたが乱暴なヤツだなんて思わない。今日たまたま、暴力を奮ってしまったけど、それであんたのこと、嫌いになったりしないんだからね!」

 

恥ずかしいセリフをいうヤツだな。照れてしまった。嫌いになったりしないって、なんだよ。じゃあ…好き…なのかよ。浮かんでくる返し言葉も、恥ずかしくて言い出しにくかった。

 

「ありがとう、火澄。すんごい頼もしいよ…。ホントだぜ。」

 

とっくにオレから視線を逸らしていた彼女は、シンクの食器に向かいながらも、オレの返事に照れて、ブツブツと、此方に聞こえないような小さな独り言をつぶやいていた。

 

 

 

 

翌日。クレア先生とともに学校に出頭し、事件の顛末を説明した。クレア先生はただひたすらペコペコと頭を下げ続けた。見ているだけというのは辛かったが、オレは何もするわけにはいかなかった。状況を悪化させたくなかったら、とにかくすべてを先生に任せなければいけなかった。

 

少年たちの治療費はうちの園が出すことになった。とは言うものの、この学園都市で学生にかかる医療費なんて、タダに等しく、それは大した問題ではなかった。

だからこそ、こう言う事件の場合、責任の追求の矛先、各方面のメンツが優先事項となり、先生があちこち何度も頭を下げに行かなくてはならなくなった面もあるのだが。

 

 

 

 

 

夏が目前に迫った、とある週末。定期的な幻生先生による実験調査の日。いつものように実験を終えると、その日は幻生先生から、なんと小学校卒業後の進学先についての話を振られたのだった。

 

一般的な中学校は、小学校と比べると当然、終業時刻が遅くなり、平日の実験参加はほぼ不可能となる。中学生とは、肉体や精神がもっとも成長する時期であり、それと同時に能力の強度(レベル)の上昇も顕著にみられる時期でもあった。

 

オレの能力にご執心の幻生先生は、中学時の実験時間を今まで以上に増設したいようで、それ故に、オレに対して中学校の推薦の用意があると言い出したのだ。

 

霧ヶ丘付属中学校。第十八学区に構える霧ヶ丘女学院という女子高の付属中学校である。霧ヶ丘女学院と同じく第十八学区に設置され、高校とは違い、男女共学だというのだから驚きだ。

 

幻生先生がオレに要請したのは、この霧ヶ丘付属中への進学である。学園都市指折りの進学校が集まる第十八学区に設立されているとおりに、能力開発(カリキュラム)、特に、イレギュラーな、希少な、ユニークな能力の開発に力を注いでいることで有名らしい。

 

なかでも霧ヶ丘女学院は能力開発分野だけなら、あの常盤台中学にも引けを取らないそうである。もっとも、常盤台はより汎用性の高い、より応用の効く能力者を手中に収めているようだが。

 

 

幻生先生が事あるごとに繰り返すように、"稀少価値が高い能力者"のオレが入学する場所としては、率直に、悪くないチョイスだと思えるけれども。

やはり、あの"木原幻生"の推薦であるためか、どうしても妙な疑いを持ってしまうんだよな。ぶっちゃけ、嫌な予感がする。

 

しかし、幻生先生曰く、中学生の間も実験にきちんと協力するためには、この霧ヶ丘付属に入学してもらうのが一番らしい。先生の口添えで、授業料は免除、奨学金もたんまりと融通してくれるそうである。正直これはもう決まりかもしれない

詳細な条件はとりあえず後で詰めるとして。オレはこの幻生先生の提案に、肯定的な返答をすることとなった。

 

 

話は変わるが、最近の検査でまたひとつ新しい発見があった。結論から言おう。能力が強能力(レベル3)に達してから、オレの体重が急激に増加しているのである。"レベル3"になる前から、外見は全く変わっていないのに、体重が40kgも増加していた。軽くホラーである。

 

幻生先生によれば、オレの筋線維や各部の細胞、骨格、血液にいたるすべての体細胞、身体構造に変化が生じた結果、だそうだ。簡単にいえば、骨の密度がありえないほど大きくなったり、そもそも骨に使わる材料が別のものになったり、ということらしい。

納得した。たしかにオレは肉体変化能力者(メタモルフォーゼ)だったようだ。

 

 

 

 

 

 

初夏。夏休み直前。多くの学生たちが、ひと夏の思い出作りに励むこの時期。夏休み前の最後の壁、身体検査(システムスキャン)やテストが目白押しの期間でもある。

 

新学期早々クラスメートを病院送りにしたオレに、その後のクラス内での快適な生活が見込めるわけもなく。さりとて、堂々とちょっかいを掛けてくる豪の輩もおらず。

 

 

何もなく、ここまで平凡な日々を過ごしていたオレだったが(毎週末の実験だけは平凡ではなかったけれども)。

同じ施設の仲間、仄暗火澄は、小学六年生になってから、正確には、おそらくオレに能力強度(レベル)で並ばれてからなのであろうが、そのころから、以前に増して能力開発(カリキュラム)に心血を注いでいた様子であった。

 

その彼女が、夏休み直前の身体検査(システムスキャン)でついに、大能力者(レベル4)の判定を受けるに至った。

 

"レベル4"。実のところ、さすがに"超能力者(レベル5)に到達する"などというのは、夢のまた夢の話である。

故に、一般の生徒、学園都市に住まうほぼ全ての学生の実質的な目標点は、この"大能力者(レベル4)"に到達することであった。

"レベル4"に、齢12にして到達する、それは230万人を擁する学園都市の中でも、極めて少数の者たちだけに与えられた特権だろう。加えて、彼女が"能力開発"を受けたのは、第十二学区の端に存在する、お世辞にも能力開発に力を入れているとは言えない神学系の小学校であった。

 

彼女の年頃で"大能力"を発現するに足る者は、その殆どがカリキュラムに血道を上げる有名校に在籍する者たちである。彼女の、仄暗火澄の能力を操る才覚の非凡さたるや、わが校始まって以来の逸材である、と学校関係者、教師、生徒もろもろがみな、こぞってその才能を称賛する事態であった。

 

この頃には、彼女に対する劣等感など微塵も感じなくなっていたオレは、もちろん、純粋に彼女の偉業を祝福し、施設の仲間と協力して、"大能力"到達の祝賀会のようなものを開くことにした。

うちの施設から、レベル4の能力者が誕生したのは初めてのことだ、とクレア先生も大喜びしていた。

 

 

 

「火澄お姉ちゃん大能力への到達おめでとう」パーティの当日。何時ぞやのバーベキューの時と全く同じ光景が、聖マリア園の庭先で繰り広げられていた。

そこには、設置されたバーベキュー用のコンロに陣取り、甲斐甲斐しくチビどもの世話とついでにお肉を焼いている、仄暗火澄の姿があった。

 

本来なら主賓の扱いでなければならない彼女に、こんなマネをさせた犯人は何を隠そうこのパーティの発案、企画、実行担当者のオレである。

ちなみに最後までクレア先生は反対していた。だが、「火澄は世話を焼かれるより焼くほうが好きで、こっちの方が結果的に喜ぶはず」だと強調したオレの説得に打ち負かされ、おまけにそれとなく料理の準備班から外されたために、一時は庭のすべり台の上でスネていたが、今は開き直ってひたすらビールとバーベキューを貪っている。

泥酔は戒律違反らしいから、あの様子だと後でビールを取り上げないとダメかもしれんな…。

 

 

火澄をあくせくと働かせている罪悪感が少しはあったらしく、オレはこのパーティが始まってからはずっと、彼女のフォローに徹していた。ふとした拍子に彼女と目が合う度に、恨みがましい視線を送られる。

いや、それはちょっと酷くないか?上げ膳据え膳の催し物をしたって、きっと君は居心地の悪そうな顔をするだろうと思って、こうやってバーベキューをチョイスしたってのに。

それに、バーベキューをするにしても、目の前でオレがたどたどしく肉を焼いたりなんかしたら、「あーもう!見てらんないわ!かしなさいよ!」とか言いだしてたでしょ?

 

どうやら、彼女の不機嫌の矛先がオレに向くのは避けられない運命だったようだなあ。そんな風に考えながら、彼女の顔を先程からいくども見つめているのだけど、すぐに、ぷい、と目を逸らされてしまう。ふむ、実のところ、オレの葛藤は既に彼女も察しているのかもしれないな。願わくば彼女の追及の手が軽微ですみますように。

 

 

宴もたけなわになり、みな自由な行動をとりだした。そのため、幸運なことに、火澄に飯を世話になりながら、肉にありつけられたオレは、ようやく一息つけていた。

満腹になったチビどもは、酔っぱらったクレア先生と楽しそうにじゃれ合っている。腹いっぱいのはずなのに、ガキんちょはやっぱすごいな。

 

火澄とともにバーベキューに齧りついた。やはりすばらしい。素直に称賛した。彼女は、当然ね、と返した。

 

「しかし、すごいな。やっぱり。"レベル4"になってさ、何か変わった?」

 

火澄は、オレの質問に答える前に、食べ物をしっかり飲み込んだ。その後、少し考える素振りを見せた。

 

「んー…。自分自身にこれといった変化はないのだけれど。…変わったのは、むしろ周りのみんなかも。」

 

彼女の答えに、それはどういう意味だろう?という視線を送ると、微笑みながら話を続けてくれた。

 

「ワタシ自身の、能力の上達は、毎日微々たるもので、大きな変化を感じることはなかったわ。それで、毎日毎日少しづつ能力が上って行って、ついに"レベル4"に達したという実感があっただけ。

代わりに、レベル4になって大きく変わったのは、周囲の態度の方よ。みんなに持ち上げられ過ぎて、ちょっと恥ずかしくなっちゃった。…でも、そうね、景朗だけは、ワタシへの対応が全然変わらなかったわね。」

 

火澄はチラチラとオレの方を見つめていた。不思議と穏やかな気分だった。彼女と話すのが楽しい。

 

「いや、オレはさ、火澄が頑張ってるの見てきたし、そのうち"レベル4"になるんだろうな、って予想してたから。さすがにここまで早いとは思ってなかったけど。

 

あーあ、畜生。やっぱりすごいなぁ。レベルが追いついたと思ったら、半年もせずにまた引き離されちゃったな。」

 

彼女はくすくすと笑っていた。しばらく楽しそうに表情を歪めていたが、ふたたびこちらに向き直り、悪戯っぽく、からかうような口調でオレに話しかけた。

 

「そうよ。頑張ったの。最近、勉強の方であんたに負け越してたし。おまけに、能力強度(レベル)まで並ばれちゃって、ちょっと焦ってたの。残念だったわね、儚い夢で。」

 

「べ、別に気にしてないし。…だぁー…、しかし、オレはこれからどうやったらレベルが上がるんだろうな。見当もつかないな…。レベル3の判定が出てから、変わったのは性格と体重だけかよ。」

 

そこまで聞いて、オレの話に疑問を持ったのか、彼女は話に割り込んで来た。

 

「ちょっと、どいうこと?あんたの性格が変わったって話はわかるけど、体重…?が、どうかしたの?」

 

「ああ。まだ言ってなかったっけ?オレさ、ちょうどレベル3の判定が出たぐらいから、ずっと体重が増え続けてるんだ。今じゃ結構重くなっててさ。今じゃちょうど、レベル3になる前の倍くらいになってるんだ。たった3,4ヵ月で体重が2倍になるって、軽くホラーじゃね?それで、外見にはほとんど影響が無いから、誰も気づかないんだよね。」

 

話を耳にした火澄は、急に心配するような表情に変わった。

 

「に、2倍になったって…それ、ホントに大丈夫なの?」

 

「お医者さんが言うには、大丈夫だってさ。簡単に言うと、オレの能力の副作用で、体の組織が一般人とは別のものになっていってるみたい。まだほとんどはわかってないんだけど。お医者さんは今すぐ心配する必要は無いってさ。まぁ、ダイエットでもしてみたら、また違った結果になるのかもしれないけど。」

 

それを聞いた火澄は、表情をまたもやころりと変えて、それは名案だ、というような顔をした。

 

「それはいい考えね。試しにダイエットしてみましょう。ふふん、食事制限は、このワタシがきっちり管理してあげるから良いとして……運動は…。そうだ、夏休みに……ッ。」

 

そこまで言うと、火澄はオレから目を離し、横を向いた。それは一瞬の間だったと思う。すぐさまこちらに向き直った。心なしか頬に赤みがさしていた。しかし、視線をこちらに合わすことはなく、とある提案を持ちかけくる。

 

「か、景朗。夏休み、プールに行きましょう。目標は、あなたのダイエットと、…その…………ワ、ワタシの泳ぎの練習のタメよ。知ってるでしょ?ワタシが泳ぎだけは苦手なの。…どう、かな?……景朗は、乗り気、しない?」

 

「へぇー…。プールかぁ~…。うん、いいね!そうそう、オレの体、外見はほとんど変わってないのに、体重だけどんどん増えてるってことは、密度がすごく高くなってるってことだろう?もしそうなら、プールに行って水に浮かんでみれば、きっとてっとり早く判断できると思う。

もちろんダイエットにもなるし、心配しなくても、火澄の泳ぎの練習、誰にも言わないからさ。さすがは火澄、いいアイデアじゃん。」

 

オレの返事を聞いた途端、今度は彼女の表情が白けたものに変化した。あれ?期待していた反応とちがう…何かマズいこと言ったかな?と、ひんやりしていた。

 

その間に彼女の考えも変わったらしく、とりあえずプールには行くんだし…と無理やり自分を納得させるような独り言をぼそぼそと呟くと、

 

「むぅー…。もう、とにかく!夏休みは一緒にプールに行くんだからね。これは決定事項だから!」

 

その頃になってようやく、オレは火澄と"一緒に"プールに行く事の気恥かしさとドキドキを感じ始めていた。すまん、火澄。そう言うことだったのね。畜生。後の祭りだ。答えを間違ったか…。ん?でも、どっちみちプールには行けるんだし…。まぁいいか。

 

 

 

 

 

夏休みに入ると、一気に例の実験の予定が増えた。せっかくの夏休みなのに毎日毎日、地下にこもり、一日中変な薬品の匂いを嗅ぎ続ける羽目になるのは、正直御免こうむりたかった。だが、幻生先生がうちの施設に援助してくれている金額を考えれば、その誘いを無下にするわけにはいかない。

 

「今日も御苦労様だった、景朗クン。ここのところは連日、長期休暇中だというのにすまないね。最近は研究の進捗が芳しくなくてね…。おお、ところで、先日の、霧ヶ丘付属…だったかな。あそこへの進学の件、前向きに考えてくれておるかね?」

 

「あ、はい。今のところは…また、幻生先生にお世話になろうかと思っています。よほどのことがなければ。」

 

幻生先生の提案は魅力的過ぎた。今の段階では、断る理由すら思いつかない。返事に気を良くした先生は、オレにコーヒーのお代わりを勧めると、進学後の予定について話してくれた。

 

「けっこうけっこう。快い返事を貰えて嬉しいよ。さきほども言ったが、ここのところ研究の進展が思うようにいって居らんのだよ。そこでだね、来年の頭から、外部の研究者と共同で、新しい計画(プロジェクト)に臨むことにしたのだよ。その実験には、キミの協力が必須だったのでね。これでひと安心だ。"契約"の更新は無事に行われた、と言ったところかな。」

 

「はい。…あまりにも危険な実験だと、お断りせざるを得なくなるかもしれませんが。申し訳ありません。」

 

「その心配はないよ。おそらくキミには、新しい概念の脳波調整装置(デバイス)の開発に関わってもらうことになるだろう。その実験には、何一つ危険なことはないはずだ。安心してくれたまえ。」

 

そうか。先生の反応からして、どうやら本当に安全な実験で、正道な、アカデミックな研究内容らしい。これなら心配はいらないみたいだ。すこし安心した。

 

いざ、霧ヶ丘付属中への入学を覚悟すると、途端にやる気が湧いてくる。霧ヶ丘付属は今通っている小学校とは比べ物にならないくらい能力開発(カリキュラム)のノウハウを持っているはずだ。

この機会に、自らのレベルアップを目論んでやろう。いつかは火澄に追いつきたいしね。

 

 

 

 

 

 

待ちに待ったプールの日が来た。火澄と二人でプール。楽しみ過ぎる。あまりに期待しすぎて、前日の実験では、ニヤついた顔を所員さんたちに見せたくなくて、むらむらと湧いてくる欲望を消し去ろうと、能力を強く使用していた。それがうまい具合に働いたらしく、研究員さんに、「今日はいつもより集中してるね。いつもこの調子で頼むよ。」と褒められた。おいおい、オレの能力の実験だと、余計な雑念が入るほど、集中力が増してしまうのかよ。なんという矛盾だ。

 

今日の火澄は、普段よりなんだかかわいく見える。どうしてだろう?お、いつもより髪がしっかり整えられているのか。いつ見てもいいなあ、黒髪ロングストレートサラサラヘアー。やばっ、オレの視線に気付かれる。

 

こんなこともあろうかと、能力を超絶全開にしていたオレは、超速反応で火澄の動きを察知すると、その瞬間を目撃される前に正面を向いた。彼女は、あれー?たしかに視線を感じたのに、と訝しんでいる様子。危なかった。

 

 

目的とするスポーツセンターが位置する第二十学区に辿り着いた。第二十学区はスポーツ工学系の学校が集まる学区である。この学区のあちこち、至る所に存在する、夏休み期間中に解放されるであろう付属のプールが目当てなのである。

 

ここは、この学園都市で健康科学に最も力を入れている学区であるから、大凡エクササイズ目的であれば、最も相応しい場所だろう。そう、エクササイズが目的であれば、ね。

 

初めは、アミューズメント施設目白押しの第六学区か、先進的な娯楽施設が素晴らしい第二十二学区のアミューズメントプールに行きたい、と主張したのだが、火澄に素気無く却下されてしまった。

彼女が言うには、この夏休み期間中だと、そういう行楽施設はどこもかしこも人でごった返し、ロクに泳げないから嫌なのだそうだ。

 

しかし、そうなれば…この代わり映えのしない第十二学区か、それとも行きつけの第十四学区のプールセンターへ行くのか?

……それだけはご遠慮したい。そんな場所へ行ってしまえば、火澄がスクール水着を着ていくことができてしまうではないか!?冗談じゃない。オレは火澄のスク水でない水着姿がみたいのだ。最近富に膨らんで来た彼女の一部分の観察が……あ、それはスク水でもできるか。

 

どうやって説得しようか考えている時に、彼女の方から別案の提示があった。第二十学区の人のいないスポーツセンター等のプールを利用するというのであった。なんだとお、それじゃあ逆に、スク水じゃないとおかしいじゃないか!ビキニとかそういうちょっとえろい系の可能性が…ゼロではないか…

 

残念そうな顔を隠しもせずにいると、彼女の呆れた表情が飛び込んできた。「そもそも、あんたのダイエットが一番の優先事項でしょう?」だとさ。

 

うだるような暑さの中、初めて来訪する第二十学区の様子など見ていなかった。能力を解放すれば、暑さなんか感じなくなるのだが、熱射病や日射病などに全く対応できなくなるからね。そうやってなんにでも能力を使うのは我慢しているのさ。

 

ついに目的地に着いた。昼食を取らずに、昼前にうちの園を出発したので、とりあえず中に入って水着に着替えたら、直ぐに昼食を取る予定であった。火澄がお弁当を作ってくれていた。ま、そうだよね。オレのダイエットだもんね。食事制限まで彼女に任せて忍びないなあ。いやだな、忍びなく思ってるのはホントさ…へへ……。

なんにせよ、プールの中は外より暑さはマシだろう。これは、純粋にプールに浸かるのが楽しみになってきたなあ。

 

 

着替えて、待ち合わせ場所のテラスにやってきた。暑かったから、だいぶ急いで着替えたしな。やはり、オレが先に着いたようだ。火澄の姿はなかった。

 

肝心のプールを拝見する。広い。ていうか、人の姿も少ない。最新鋭の設備のそろった健康科学スポーツセンター、との触れ込みは正しく、外装もインテリアもめちゃくちゃキレイだった。すぐそばの50mプールを眺める。飛び込んだら水がひんやりしてて気持ちいいだろうな。そういえば、この体、浮くんだろうか。あぁぁ、今すぐ確かめたい。だが、我慢だ、我慢。

 

ようやく火澄が来た。彼女の声が聞こえてそちらの方向を向いた。彼女のシルエットが眼に映った瞬間、オレは硬直した。な、なにぃー!?

 

火澄は、オレンジ色の競泳水着を着ていた。しかも、ぴちぴちと体に密着するタイプのヤツだ。

 

ちょ、ど、どうして…これは…え、えろい…なんで…。デルタゾーンなんて、競泳水着とは思えないくらいエッジが効いてて…小学生離れした胸部もオレの脳ミソにパルス波を放っている。

背中も、ざっくりと開いていて、後ろから見ただけだと、ビキニを着ているようにも見える。

 

 

舐めていた 競泳水着は エロかった 雨月景朗 (字余り)

 

脳内に五七五が浮かんできたぞ。アホか。

じっと見つめてしまい、火澄はすっかり恥ずかしがっていた。と、とりあえず褒めなきゃ。せっかく火澄が…火澄が…

 

「すっげぇにあってるよ。な、なんか、競泳水着に対するイメージが180°変わったッス、先輩。」

 

「ダ、ダレが先輩よ!バカぁッ!」

 

照れて胸部を手で覆い隠してしまった。ふふ、だが残念だったな火澄!胸が無ければ太腿を見ればいいじゃない!

 

炎が飛んできた。髪の毛にヒットして、焦げ臭い匂いが立ち込めた。慌ててプールに飛び込んだ。

 

 

 

 

昼食の時間になった。焦げて縮れたオレの髪の毛を見て、火澄が笑いを堪えていた。でもオレは気にしないよ、今日は幸せな日だからな。火澄がお弁当を取り出した。

はからずも、そこまで期待していなかったお弁当だったが、いざふたを開けてみると、その豪華絢爛ぶりに圧倒された。え?食事制限っていうてなかったっけ?

めちゃくちゃ豪勢ですやん…?思わず、率直な感想が口から漏れ出た。

 

「あれ?なんか豪華だね~。今日ダイエットとか言ってたのに、こんな美味しそうなの作ってくれて、もちろん嬉しいけど、カロリーとか大丈夫なの、かな?」

 

オレのツッコミに硬直した火澄は、しだいに顔を真っ赤にさせていった。たっぷりと間が空いてから、慌てて彼女は説明を加えてきた。

 

「え、ええ!大丈夫よ!きちんとカロリー計算はしてあるから、好きなだけ食べていいわよぅ…」

 

語尾を濁したぞ、今。目が泳いでる。プールでまず目を泳がすとはこれいかに。…すいません。顔を赤くしてそっぽを向く火澄がやたらと可愛い。だ、大丈夫かなぁ、コレ。オレ、明日死んだりしないよね?

 

お弁当はとてもおいしかった。ものすごい気合いの入れようだった。目と舌が幸せだった。オレ、この時の幸福感は一生忘れないよ。

 

これから後は、特筆すべきことは何も無く、ひたすら楽しく泳いで、遊んで、はしゃいでいた記憶しかない。あとは…火澄の水着姿を脳内に焼きつける作業で忙しかったくらいかな。

 

彼女に泳ぎを教えたり、なんとか偶然を装ったエロいハプニングを画策したりしたんだけど、うまくいかなかったなあ。でも、とにかく楽しかった。火澄も、すごく楽しんでいたようだった。

 

 

 

 

 

結局。実験三昧の夏休みだった。地下にこもりっきりで、ロクに日焼けしていない。この短いひと夏を思い起こせば、良かったのは、火澄とプールで遊んだことくらいだな。

 

あっという間に新学期。小学生でいられる時間もあと残りわずか。この学園都市では、エスカレーター式に中学校に上がれる人たち以外は、みな中学受験をするハメになる。まぁそこは仕方ない。なんたってここは"学園"都市ですからね。

 

そういうわけで、まだ幾分か暑さの残る新秋。この時期になると、皆が皆次の進学先について、真剣に考え始めるようになる。学園都市には、腐るほど学校が乱立しているが、仲の良い友達同士だと、相談し合い、こぞって同じ学校に通うものたちも大勢いるらしい。

 

もっとも、この能力開発クラスではそのような光景がみられることはないが。皆、能力の研鑽に一生懸命なヤツらだから、そんな友達ゴッコに興味が無いらしい。いうにあたはず、クラスにコレと言った友達が未だに居ないこのオレにも関係のない話である。

 

進学先どこにする?といったほんの世間話程度の会話すら全く無い。火澄と話をしようにも、"レベル"に差があるため、同じ学校に行けるわけもなかった。と、昔ならそのような理由で諦めていただろうが、今のオレはレベル3である。

 

しかも、その希少性を買われてかなりの有名校、"霧ヶ丘付属"への推薦がほぼ決まっていた。もしかしたら、霧ヶ丘付属なら、火澄の進学先にノミネートされても可笑しくないかもしれない。

 

すこしだけ期待した。だが、あっという間にその夢は儚く崩れ去った。なんと、オレが向かう"霧ヶ丘付属"、この中学校、全くと言っていいほど良いうわさを聞かないのだ。

 

そもそも、この中学はほとんど情報を公にしておらず、募集要項すら一般には公開していないらしい(そんな学校ありかよ?)。全くもって謎に包まれた学校だ。2,3聞く噂も、学校で非道な能力開発がおこなわれていて、そこに通う学生は皆うつろな目をしているらしい、とか、そんなやつばっかだった。

 

これでは彼女に話を振る訳にもいかず、自身の進学先をいつ話そうかと、ここのところは毎日悩んでいる。そんな状況だった。

 

 

 

 

そんなある日。ありふれた日常。その日は朝早く、火澄に一緒に学校に行こうと誘われていた。最近では珍しい事だった。通学の最中だった。彼女は、唐突にオレに、進学先について打ち明けてきた。

 

「あのね、景朗。きっとビックリするだろうけど、できるだけ驚かずに聞いてね。」

 

「なんだよ、突然。まぁ、驚かずに話を聞くくらいのこと、オレなら朝飯前だけど。あ、朝飯はさっき食っちまったか。」

 

火澄はオレのからかう態度に機嫌を悪くした。真剣に聞いてよ、という視線を冷徹に飛ばしてくる。オレはわかりましたと言わんばかりに何度もうなずいた。

 

「話し手のワタシが昨日聞いて、直ぐには信じられなかったくらい驚いた話だから、無理かも知れないけど…。あのね、ワタシ、昨日、学校の先生から連絡があってね…。常盤台中学校から、特別推薦入学の勧誘があったのッ。ワタシ、常盤台中学に行けるようになったのよ!どう?すごくない?!」

 

能力を起動させ、感情を制御していたオレは、もちろんその話を聞いて全く驚かなかった。むしろ、その話の不自然さが気になり、疑っていたくらいだった。

 

「それは…確かに凄い話だ。常盤台中学ってこの学園都市の中学校の中で、実質トップの学校じゃないか?

 

でも…ちょっと気になるんだけど、その"常盤台中学"って、かなりのお嬢様じゃないと入学できないんじゃなかったっけ?オレでも知ってるくらいだから、当然こんなこと言うまでもないだろうけどさ…?」

 

その疑問は当然だ、とばかりに、彼女はオレの答えに首肯した。

 

「そうよ。普通なら、家が資産家のご家庭で、かつ、高位の能力者でなければ、入学を許可されないらしいわよ。それで、ワタシも昨日は、何かの間違いじゃないかしら?って思ったんだけど…」

 

そこでオレは、彼女がじっとオレを見つめていたのに気が付いた。気になって見つめ返したが、その瞳はオレに焦点が合っておらず、目と目が合うことはなかった。彼女はそんなオレの行動に気づかず、話を続ける。

 

「ワタシの能力、"不滅火焔(インシネレート)"が、その…自慢話になっちゃうけど、悪く思わないでよ?ワタシの能力、不滅火焔(インシネレート)は、現時点で、この学園都市の発火能力の中でもかなりの上位に食い込んでいるらしいの。

 

常盤台中学の先生から、電話越しでだけど、直々にお誘いがあって、ワタシの能力の開発を是非担当させて貰えないかって話を受けたわ。

 

それで…常盤台中学は全寮制でね、ワタシが"置き去り"だって話したら、電話で話した人が、生活費や授業料、おまけに多額の奨学金を融通しましょう、って言ってくれたの。とてつもない好条件だった…。」

 

 

"大能力者"となった、仄暗火澄の能力、"不滅火焔(インシネレート)"。

 

以前のパーティの後に、チビどもやオレの目の前で披露してくれていた。彼女は、小さな蒼い火の玉を指先に生み出すと、バーベキューで出た生ゴミに向かって投げ付けた。

火の玉は燃えにくいはずの生ゴミに燃え付き、みるみる包み込んでいった。その後、彼女はチビどもにバケツに入った水を炎にかけてみなさい、と指示した。興味しんしんだった花華が、言われたとおりにバケツの水を生ゴミにかけた。

すると、水をかけられた炎はその勢いをまったく減ぜず、水蒸気を焚き揚げて、尚も生ゴミを燃焼させていた。

 

結局、いくら水をかけようとも、砂を浴びせようとも、生ゴミがすべて燃え尽き、灰となるまで、その蒼い炎は決して消えることがなかった。

 

その後、彼女は、その気になったら辺り一帯覆う規模で、この"消えない炎"を放射できるのよ、すごいでしょう。と、チビどもに自慢していたのだが、「えぇーどうしてやってくれないのぉー」という花華達のブーイングに、周りに迷惑がかかるからでしょ?!そのくらいわかりなさい!」とお説教を始めていた。

 

たしかに、あの炎は凄かった。そうか。学園都市でも上位に食い込む発火能力だったのか。スタンダードな発火能力の"レベル4"だもんな。そりゃ、常盤台中学からお呼びがかかるってもんさ。

 

となると、なるほど。火澄が悩んでいたのは、そう言う訳か。つまり、もし彼女が常盤台中学からの話を受ければ。実質、彼女はうちの施設から退園することになるのか。彼女の様子だときっと、書類上の繋がりも無くなってしまうような案件なのだろう。

 

 

能力を発動させたオレは、自身の寂寥の念を思考に、言葉に一切混入させることなく、彼女に自分の考えを伝えられるはずだ。

 

「わかった。そいういうことか。ちょっと元気がなかったの。」

 

火澄は相槌を返さず、黙したままだった。オレは彼女に喋りかけつづけた。

 

「火澄。オレは、まったく思い悩む必要ないと思う。本当にあの"常盤台中学"から、そんな好条件でお誘いがかかったのなら、迷わず行くべきだよ。その結果、うちの園から出ていくことになってしまうのは、気が進まないかも知れないけど。でもさ、繰り返し言うけど、そんなことを心配する必要はまったくないと思うんだ。」

 

オレの言葉に、彼女は顔を上げた。

 

「名目上、うちの施設を退園することになってもさ、いつでも帰ってこれるに決まってんじゃん。オレは勝手に、聖マリア園のこと、自分の家だと思ってるよ。クレア先生なんかきっと寂しがって、何時でも帰ってきてねって言いだすさ。うちの園から出ても、火澄はずっと聖マリア園のメンバーなんだよ。

 

もし、どうしようもなくなって、うちに帰ってきたくなったら、先生にお願いすればきっと何とかしてくれるよ。その時は、オレも頼み込んでやるからさ。

 

ふふっ。どーしても、オレ達と離れ離れになるのが寂しくて仕方がないってんなら、無理に薦めはしないけどね。」

 

そこまで言うと、火澄は気炎を揚げ、オレの言葉に反論してきた。

 

「なッ、ちょっとッ、ダレもそこまで言ってないでしょッ。~~~~ッ。もうっ。勝手に決めつけないでよ。むぅぅ。ダレが寂しがってるってぇ?寂しがってるのはあんたのほうじゃないの?」

 

彼女が明るくなったことに喜んだオレは、もうすこしからかってみたかった。

 

「そりゃあ、寂しいよ。火澄が居なくなったら、ダレが晩飯を作るんだよ?ちょっとヤバいなぁ。でもま、遅かれ早かれいつかは巣立たなきゃならないんだ。チビどもが成長して、色々やってくれるようになるさ。」

 

「んー…料理…か…。ホントね、ダレが料理作るのよ…。考えてなった…。」

 

「おいおい!?本気で打てあうなよ。心配なら、まだあと半年あるし、花華たちに教えてあげればいいじゃないか。」

 

オレの提案に、彼女は乗り気になったようだ。そのあとは、学校に着くまでひたすら今後の事を語り合った。なんにせよ、彼女はオレの話でいつもの元気を取り戻し、常盤台中学への入学を前向きに考えるようになってくれたようだった。

 

 

 

 

その日の夕方。帰宅後、晩御飯を早速花華たちと一緒に調理した火澄は、夕飯の席で、常盤台中学への入学を園のメンバー全員に伝えたのだった。

 

クレア先生は大喜びしたものの、彼女が常盤台中学は全寮制でうんぬんかんぬんといいだした途端に、泣きそうな顔になった。他のメンバーも、とくに花華たちのように、彼女に懐いていたチビたちは、クレア先生に当てられて、泣きだす者もいた。

 

火澄は慌てて、中学に入っても、ずっと様子を見に来るから、お邪魔させてねと言っていた。それに対して、チビたちは絶対に来ないとイヤだよと駄々をこね、彼女の瞳を湿らせていた。

 

炊事に関しては、これから半年、みっちり彼女がチビどもに教えることにしたらしい。よかった。冗談で言ったけど、結構ガチで心配してたんだよね。うーむ。土日は火澄を招待して、料理をふるまってもらおうかな…

 

事態は一見落着。かと思いきや、沈んでいたクレア先生が一転、今度はオレに向き直り、「かげろう君は中学校に入ってもここで一緒に暮らすんですよね?!」と言いながら抱きしめてきた。

 

ちょ、おい。してやられた。どうしよう。チビどもも、火澄も、みんなオレに注目しているぞ。…ちょうどいい。この機会に伝えてしまおうか。

覚悟を決めたオレは、実は霧ヶ丘付属からお呼びが掛っているが、中学にはうちの園から通うから心配しなくてよい、と報告したのだった。

 

ああ、火澄の「初耳なんだけど。」と言わんばかりの、刺々しい視線が痛い。こう言う痛みだけは消しようがないんだよなぁ。早いとこレベルアップして、こういう"痛々しい空気"も操作できるようになりたいぜ。ムリか。

 

 

 

 

新年が明けて、冬。

結局、オレと火澄はお互いに、お呼びのかかった学校、すなはち、"霧ヶ丘付属中学校"と"常盤台中学校"へとそれぞれ進学することとなった。

 

春が近づくにつれて、互いに中学進学の準備が忙しく、あまりじっくりと話をする機会を付けられなかった。気がつけば3月、オレたちは小学校を卒業していた。

 

 

早いものだ。今、「火澄お姉ちゃんとのお別れ会」が開かれようとしている。火澄に料理を習っていたチビどもだけで飯の準備が行われていた。

手持無沙汰なオレは、火澄とともにソファに座り、最近ハマっているドリップコーヒーを彼女に振る舞っていた。

 

「うぇー。苦い。ミルクいれちゃおっと。景朗、あんたよくこんな苦いの飲めるわね。」

 

そう言うと、彼女は机の上に置いてあったミルクを取り、どばどばとカップに注ぎこんでいた。ちょっと残念だな。結局、彼女がこの施設を出て行ってしまう前に、コーヒーの魅力を伝えることができなかった。彼女は気づいていないだろうが。

 

「まさか、このオレが火澄に、お子様だね、という日が来ようとは…」

 

「ちょっと。コーヒーがブラックで飲めるからって、大人ぶらないでよね。」

 

即効でツッコまれた。子供たちがはしゃぐ声が聞こえた。ふと気になって、テーブルの方に視線を向ける。チビどもは楽しそうに、お別れ会の準備をしていた。もう少しで準備が終わりそうだった。

 

「なによ。寂しそうにしちゃって。心配しなくても、ここにはしょっちゅう様子を見に来るわ。」

 

彼女の声を聞き、視線を正面に戻した。

 

「いや、それは正直まったく心配してないよ。本人の言うとおり、火澄はうちのチビどもが気が気でないご様子ですから。」

 

「スネないの。あんたやクレア先生の様子だってちゃんと気になります。」

 

「き、気にしてほしいなんて言ってないよ!別に!…なんだよぉその顔は!あぁ、寂しいさ、もうキミの料理が食べられなくなっちゃうからね。うわああああ。残念だなー。」

 

火澄の言葉に照れてしまったオレは、誤魔化そうとやや大げさに彼女の料理が食べられなくなることを嘆いた。

 

「またまたぁー。誤魔化そうとしちゃって。ホントのこと言いなさいよ。ワタシと会えなくなるの、寂しいんでしょ?」

 

ぐっ。ここで、寂しくなんかないね、と言い返すのは、実は寂しいです、と肯定しているようなものじゃないか。どうしたものか。うまい反撃は…。そうだ。話をそらそう。

 

「そんなことよりさ、火澄は、常盤台中学での生活に不安とか感じないの?オレさー…ちょっと不安なんだよね。霧ヶ丘付属ってなーんにも話聞かないジャン?」

 

「ちょっと!露骨に話をそらすのやめなさい。まったく、もうっ。…でも、確かに。そッ…その……、ワ、ワタシは、あなたのことが心配かも。あんたが行く霧ヶ丘付属って、いいうわさ全く聞かないし。…気をつけなさいよ。」

 

そう言うと、彼女は心配そうに、どこか照れ臭そうに、オレの眼をみつめてきた。な、なんだよ。さっきから照れるんじゃないか。でも、こうやって彼女と何とはなしに、空いた時間にお喋りできるのも、これが最後か…そう思うと、もっと素直に話をしようか、という気になった。

 

「か、火澄。あのさ…。なんかあったら、いつでもここに飯食いに来てくれよな。オレだって、きっと、中学でいろいろあるだろうし。それで、火澄に相談したくなること、たくさん出てくると思うから……。」

 

火澄は、目をパチパチと瞬かせるとギクシャクと頷いて、言った。

 

「わかった。ちゃんと、会いに来るからね。」

 

「おう。」

 

 

それから、しばらく互いに無言だった。その後、ちょうどタイミングよく、花華たちが料理を運んできた。これ幸いと、オレたちは彼女たちの手伝いに向かった。お別れ会はいつもの調子で賑やかなうちに終わった。

こうして、オレたちは中学生になった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

episode04:酸素徴蒐(ディープダイバー)

 

 

霧ヶ丘付属中学は、学園都市の有名校がしのぎを削り合う第十八学区に存在する。これからは毎日、第十二学区から公共交通機関を乗り継ぎ、学区をまたいで中学に通うことになる。

 

登校初日。駅から出たオレは、今だなれない第十八学区の街中を徒歩で移動していた。この学区は、外見こそ第七学区と大きな違いはないものの、その雰囲気にはだいぶ異なるものを感じた。第七学区と比べて、通り行く人の数にも違いはないものの、活気が無く、皆疲れたサラリーマン、OLのような表情をしている。

 

一方、治安は両者、雲泥の差で、ここ第十八学区は町の路地裏にたむろする様な不良無能力集団の姿がほとんど見られない。無理もない。すれちがう、通学途中の学生たちのほとんどは高位の能力者だ。この学区と、第七学区の"学舎の園"近辺は、この学園都市で最も高位能力者の密度の高い場所である。

 

 

ちらほらと霧ヶ丘女学院の制服を着た娘たちの姿を見かけるようになってきた。こっちの道で会っているみたいだな。付属中学には、彼女たちのあとを追っていけばそのうち到着するだろう。

 

一応、出発する前に、ここいらの地形は一通り頭にたたき込んできているのが、無駄だったかも知れない。いや、無駄だと結論づけるのは早計かな。おかげで、学校の近くにある良さげなケバブのお店をチェックできたじゃないか。

 

なんとなく、コレはオレの勝手な予想なのだが、元の小学校の特別開発クラスですら、ついぞ友達を一人も作れなかったオレである。恐らく、霧ヶ丘付属の中でも、そうそう友達を作れるわけがないだろう。しばらく楽しみは食う事だけになりそうである。

 

そう考えていたのだが。視界に移る女子高生たちの後ろ姿を眺めていると、年上のお姉様たちと甘酸っぱい思い出づくりだって、頑張ればできないことはないんじゃないだろうか、という気になってくる。せっかくだ。挑戦せずに諦めるのはいかがなものだろう。……よし。そう悲観的になることもないか。元気だしていこう。

 

 

 

 

厳重なセキュリティチェックを乗り越え、遂に学校に到着した。さすがは能力開発優先校。とてつもない数のセキュリティだった。

学校の内部を見渡す。これは…中学校というより最新鋭の研究施設といった様相なんだが。どうしよう、まともな学園生活をおくれるか分からなくなって来た。

とにかく、見た目だけじゃ学校らしさが伝わってこない。学生服を着た生徒が廊下を歩いていなきゃ、完璧にただの研究機関だぜ。

 

驚くことに、入学式はなかった。事前に配布されていたガイダンスに従って、オレは自分の担当となっているこの学校の研究室へと直行した。どうやら、この霧ヶ丘付属中学はアメリカのハイスクールのような授業形態らしい。生徒をクラスを作って割り振らず、代わりにそれぞれが所属する研究室を割り振る。そこから生徒が勝手に授業の行われる教室に出向いていく、という流れである。

 

そもそも、高校の付属校だからな。設立されたのも、割と最近らしいし、こんなものかもしれん。まぁ、コレはコレで楽そうだからいいか。中学生活は悲しくも、幻生先生たちとの実験生活に消えるであろうオレにとっては、いっそ他人に関わる時間を極力排除できてかえって便利かもしれない。

 

目的の研究室に入った。担当の先生に挨拶をすると、そっけなく、よろしく、と一言だけ返された。うーん。この人達、教育に関心があるようには見えないな…。学校生活で利用する自分のテーブルやロッカーを案内された。授業が無い時は、普段はこの研究室で検査や実験に協力することになるらしい。

 

入学早々申し訳ないが。と先程からオレに研究室の紹介をしてくれていた先生からなにやら前置きされ、どうしたのだろうと疑問を持ちつつも、話を促した。

 

「早速だが、明日から君には、午前の授業を受けた後、先進教育局の木原研究所に出向する様に願いたい。話はすでに木原所長から聞いているのだろう?」

 

なんだと。ちょっとまて、もしかして…。オレはすぐさま彼の胸に付けられた教員証を注視した。

 

霧ヶ丘付属中学校木原研究分室所属 木原蒸留 先進教育局木原研究所出向

 

おいおい…この人たちも、幻生先生の部下なのかよ。学園都市の木原って、この界隈じゃそうとう有名なんじゃないか…?いや、それはいまさらか。

 

初日は特にコレと言った用事もなく、この後は目を付けていたケバブ屋で昼食を取って、そのまま帰宅した。なんだよ、午後は丸々実験するのかよ…。幻生先生やりたい放題じゃねぇか。勉強は自分でしないと厳しそうだな。

 

 

 

 

 

翌日。正午を少しまわった頃合い。木原先生ズに言われたとおりに、オレは先進教育局へとやって来ていた。恐らくここは木原一族の一大拠点に違いない。なにせ木原幻生直轄の研究所があるというのだから。

本音をいえば、そんなとこにわざわざ行きたくねえんだけどな…。オレ、木原一族には苦手な人が多い気がする。

 

だが、孤児院の資金援助のためだ。もはや止まるわけにはいかない。今年の春にも、うちの園には新しいメンバーが増えている。みんな不安そうな顔をしてやってきた。彼らのためにも、実験に協力し続けなくては。

いつの間にか、後戻りできなくなっている。気づいているとも。オレは、もう幻生先生には逆らえないのかも知れない。

 

ただ、新しく入ってきたメンツに対して、あのビクビクしていた真泥がお兄さんぶって、色々と世話を焼いていたのを思い出す。クレア先生に抱きしめられて戸惑った表情を浮かべていたガキどもの顔も思い浮かんだ。あの光景は絶対に否定させない。大丈夫、能力で肉体も精神も強くなったしな。

 

 

 

 

研究施設への出入りにも慣れたもので、なんなく木原研究所の所長室へと案内された。そこで待っていたのは、お馴染みの幻生先生と、なんかこう…ぎょろっとした目が特徴的な、同い年くらいの女の子だった。女の子は制服を着ているし、一緒に実験に参加するメンバーなのかな?

 

2人ともソファに腰掛けて、なにやら難しそうな内容の話をしていたが、オレの入室とともにこちらに目を向けた。幻生先生に呼ばれて、隣に腰かける。

 

「ちょうどいいタイミングで来てくれたね。さっそくだが、布束クン、紹介しよう、彼がプロジェクトの要、雨月景朗クンだ。景朗クン、こちらが以前、私が言っていた共同研究をする相手側の責任者、布束砥信クンだよ。布束クン。改めて彼ともどもこれからよろしく頼むよ。」

 

「of course. 彼が噂の。期待させてもらいます。私たちの研究に幸多からんことを。」

 

この女の子が、共同研究組織の責任者…?どうみてもオレと同じくらいの年齢なのだが。大丈夫なのか?しかし、ただの女の子だと考えてはいけないのかもしれない。幻生先生とはそこそこの付き合いだ。彼はそういう冗談をする人じゃない。

この女の子、きっとものすごく頭がいいんだろう。

学園都市だと、どんどん飛び級していく天才児童(ギフテッドチャイルド)の話には事欠かないが、実際に見るのは初めてかも知れない。

 

…まずいな。訝しむ視線でずいぶんと見つめてしまっていた。第一印象が悪くならないといいが。

 

「初めまして。ご紹介の通り、雨月景朗といいます。これからどうかよろしくお願いします。」

 

「no problem, 布束砥信よ。確かに貴方とそう変わらない年齢だけど、心配しないで。こう見えて、私がこの計画の発案をしたの。企画、運営も任されているわ。既に聞いているとは思うけど、私たちの研究には貴方の能力が必要なの。hopefully, 貴方が期待通りの成果を上げることを祈らせてもらうわ。」

 

そういうと、布束さんは立ち上がってオレに手を差し出した。ちょっと上からな物言いをする人だけど、それでも隣の幻生先生よりだいぶマシだぜ。やはり女の子だからかな。こちらも手をとって、しっかりと握手した。その後は、これから皆が試みる実験の目標、目的、方法などの概要を教えてもらった。

 

その研究で開発する装置(デバイス)の名前を聞いて驚いた。"学習装置(テスタメント)"だとさ。はは、字面だけみたら、確かに先進"教育"局が行うに相応しい題目だろうよ。しかし、テスタメント(聖書)ねぇ…。

 

 

 

幻生先生たちと毎週末やっているものと似たような機械で、似たような操作で、似たような注意を受けて。わざわざ先進教育局という場所にやってきたわりに、布束さんたちの実験は今まで受けてきたものとそこまで代わり映えはしなかった。

普段どおりに能力を使用して、脳みそにピリピリとくる刺激に無反応を示していただけで、実験はつつがなく終了した。

 

測定機械から席を外すと、布束さんが何やら足早に近づいてきて、心なしか早い口調で話しかけてきた。顔には出ていないけど、どうやら興奮している?

 

「awesome. 素晴らしいわ、雨月君。期待以上の能力ね。今日、貴方が私たちに見せてくれた反応。それだけでも称賛に値するわ。これなら、研究が想像以上に捗りそう。anyway, これからもどうかよろしく頼むわ、雨月君。」

 

「どうも。オレの能力がお役に立てそうで何よりです。」

 

こっちこそ、予想以上に喜んでもらえてなんだか気が咎める。全然集中してなかったなんて言えないぞ、これは。

お。足音だ。誰かが後ろから近づいて来ている。この足音だと…なんだ、幻生先生か。

 

「ははは。だからいっただろう、布束クン。彼の能力は本物だと。我々は、貴重な能力を提供してくれている彼に感謝すべきだよ。なにせ、この学園都市に3人といないレアな研究素材なのだからね。」

 

おいおい、幻生先生、突然ヨイショしてくるなんてらしくないぜ。褒めたって能力以外は何も出せないぜ?ていうか、いつもいつもしれっと"素材"扱いしてくるよね…。

 

「exactly, 木原所長、この度は雨月君の提供、ありがとうございました。無事、目標を達成できそうです。」

 

「なに、礼には及ばんよ。我々の世界は、持ちつ持たれつだからね。」

 

ちょ、おい。提供ってなんだよ、幻生。

 

 

 

 

霧ヶ丘付属入学直後から、布束砥信とともに"学習装置"開発を行うこととなった。彼女の予定では、これから約1年間、オレは実験に協力しなければならないらしい。最も、うまく研究が進めばもっと早く装置を完成させられるかもしれないとのこと。

はあ、積極的に研究に協力していくべきだろうな。1年も午前授業だけだと、勉学の負担が半端ないものになりそうだ。

 

 

入学してはや3ヵ月。外気はもうだいぶ暑くなっている。梅雨もそろそろ明けそうだった。彼女との研究こそ着々と進んではいるが、その他のこと、たとえば、友達とか霧ヶ丘女学院のお姉様たちとの交流とか、そういった個人的な学生生活に関してはからっきしだった。

 

 

常盤台に行った火澄は、月に2,3回ほど様子を見に来てくれているらしい。らしい、と表現したのは、彼女がうちの園に来てくれるのがいつも週末だったためだ。週末はオレ、実験素材になってますから。彼女に会えないのは辛いな。この3ヵ月で顔を会わせて話をしたのは3,4回である。

最近だと、月に数回の、火澄が作ってくれた晩飯の作り置きを食べるのが最も幸福な時間である。切ねえー。

 

こちらは友達の1人も居ないというのに、火澄は"学舎の園"では大変よろしくやっているようであった。実験が早く片付いた日に様子を見に行ったことがあるのだが、彼女の住む寮は"学舎の園"の内側にあるらしく、結局なにもできずに引き返した。何やってんだろう、オレ。

 

偶に顔を会わせた時も毎回、「彼女の一つでもできた?」なんて聞いてきやがる。友達すら居ませんよって正直に答えると、可哀想な人間を見る目で憐れんでくるぜ。

まあ、正直、"学舎の園"に住む女の子が彼氏を作るのは非常に困難な事だろうから、火澄に彼氏ができる心配はしてないんだが。

 

 

新しく施設に増えたメンバーも、そろそろ慣れてくる時期だな。今年の春に入園してきたガキどもは、みんな幼く、幼稚園に通う年頃の子たちや小学校低学年の子が多い。花華と真泥がだいぶはりきって面倒を見ていたな。クレア先生はチビッ子の面倒に大忙しで、大変幸せそうで結構である。

 

 

 

 

警備の皆さんも、こんな暑い日に御苦労さん。午前の授業を終えたオレは、気乗りしないまま木原研究所へと向かう。

 

布束さんに会うのは幻生先生に会いに行くほど嫌な訳ではないが、もう3ヵ月も一緒に居るというのに未だにイマイチ距離感がつかめていなかった。絶対的に、あの人とラブコメな空気にはなりそうにねえんだよな。

 

だらだらと歩いて、ようやく学校の最寄りの駅に着いた。と、そこで、携帯が振動した。話題の布束さんからのメールである。今日は急に別件が入ったため実験は中止、ですか。……もっと早く、あと20分早く連絡くれないものだろうか。今からまた学校に戻って授業を受け直す……?

 

………い、イヤだなあ。もういいや。今日はこのまま……。あ、そうだ。無駄足になるかもしれないが、せっかくだから火澄に会いに行こうかな。ちょっと照れくさいけど。ここんとこひと月くらい会ってないしな。あっちで昼食を取って休憩して、会えなければそのまま帰ればいいや。ダメもとで行こう。

 

 

 

 

第七学区は第十八学区の西隣に位置しているから、目的とする"学舎の園"付近には直ぐに到着できた。駅から出て辺りを見回しながら、ほんの少し散策するだけで、武装無能力集団(スキルアウト)らしき集団を目にしたが、やはりここ、第七学区は治安が悪そうだな。

学園都市で最も中学、高校が集まっている学区であり、おまけにその学校のグレードもピンからキリまで。学区全体が不良中高生の溜まり場みたいな所なのだ、それもむべなるかな。

 

 

"学舎の園"に着いて、致命的な問題が発生した。携帯のバッテリーが今にも切れそうな状態になっている。本当に、今にも切れそうだ、これ。電話をかけた途端に切れるんじゃないだろうな…迷っている暇はない、一刻も早く連絡しなくては。慌てて火澄にメールを打とうと試みたが、むなしく途中で電源がシャットアウトされてしまった。

 

気づけば、八方塞がりであった。当然、"学舎の園"の中には入れないし、道行く常盤台生に誰ソレを呼んできてくれ、と頼もうが、ハイ承りました、とは成るはずもなし。ここで帰るか?いや、さすがにそれでは、今日は何もできずじまいではないか。…どうしたものか。………ふむ…そうだな……よし。

 

 

とりあえず、大通りから数ブロック離れた別の通りへと出向いた。そして複雑な迷路のように路地裏の入口が視認できる通りを選ぶ。ぶらぶらとそのまま歩いていると、さっそく、目的の現場を発見できた。

 

「いいじゃんいいじゃん。俺達と飯食いに行こうよ?奢ってやっからさ?」

 

「オレらこの辺の良い店知ってんだ。ゼッテェウマいって。キミ可愛いし、コイツが言うように全部奢りだぜ?」

 

「…あの、いいです。お誘いは有難いのですが…私、早く学校に戻らないと…。そのぅ…友人と昼食をご一緒する約束をしておりまして…うぅ…ですから…」

 

常盤台の女の子が1人、野郎3人組に絡まれ、路地裏に追いやられていた。ホント第七学区は期待を裏切らないなあ。

 

女の子は野郎どもに完全に委縮していて、強く出れないでいた。野郎2人は女の子を壁際に詰めて、強引にメシに誘っている。残りの1人は、周囲を通り過ぎる通行人へとガンを飛ばしていた。

 

「…あの、もう…行かないと…。…この度は、すみません。私…」

 

「え?何?声小さくて聞こえないよ。恥ずかしくて大きな声出せないのかな?それじゃ、さっそく行こうぜ。」

 

女の子の拒絶を無視して、野郎の1人が無理やり肩を掴んで引っ張ると、その娘はおびえた表情を浮かべた。どこからどう見ても無理やり彼女を連れて行こうとしているな。

これなら大丈夫そうだ。その時ちょうど、オレが彼らを凝視しているのに気づいたらしく、3人目の男が「何見てんだ、ア?」とこちらを威嚇してきた。

 

まっすぐ彼らのほうに歩いて行った。あまりに淀みなくオレが直進してくるので、彼はすこしたじろいだようだった。オレの自信満々な態度を見て、能力者だと予想しているのかも知れない。

 

「あんだぁ?なんか文句あんのかよテメェ!?」

 

彼らまであと数歩といった距離まで近づいた。さすがに少女にかまけていた残りの2人も、男があげた声で気付いたようで、同じくこちらを睨んでくる。

 

「なにコイツ?俺等のジャマしないでくれる?…さっさと消えねぇと痛い目見んぞテメー」

 

「ムカつくなぁ。なあ、もうい~じゃん。ちゃちゃっとフクロにしちまおうぜ。」

 

弱気な女の子相手に後少しといった塩梅で邪魔が入ったのだ。2人組は相当イラついている様子である。対照的に、女の子は希望の眼差しを送ってきた。可哀想に。さっさと終わらせよう。

 

ご気づきの通りに、オレは既に能力を発動させていたため、彼等に何の恐怖も感じていなかった。効果的に彼らの敵対心を削ぐためには…とりあえず、彼らのマネをして威嚇してみよう。

 

その場の注目を浴びているのを意識しながら、オレは右拳をしっかり握りしめ、すぐそばのビルの壁面に強かに打ちつけた。コンクリートが圧縮され破裂する音が響き、壁にサッカーボール大のクレーターが形成された。それを目前で目撃した野郎3人組はきっちり硬直している。良いカンジだな。ついでに一言。

 

「フクロにするのはかまわねーけど、オレを相手にするんなら、骨折どころじゃ済まなくなんの、覚悟してくれよ?」

 

3人組は互いに目くばせすると、テメェのツラは覚えたなどと言ったありきたりな捨て台詞を残して逃げて行った。だがまあ、全員恐怖にひきつった顔をしていたから、報復は別に心配しなくとも大丈夫だろう。たぶん。

 

1人残された女の子も若干怯えていたが、できるだけ丁寧な口調で優しく話しかけると、だんだんと警戒を解いてくれた。

 

「大丈夫ですか?無理やり連れて行かれそうになってたので、止めに入ったんですけど。余計なお世話だったでしょうか?」

 

「いえ、余計な御世話だなんて、そのようなことは…。あの、助けてくれて本当にありがとうございました。」

 

とりあえず感謝はされているようだ。どうやら無駄足にならずに済みそうだぞ。

 

「申し訳ありません。そっ…その…私、友人を学校に待たせておりまして、急いで戻らねばなりません。助けていただいたというのに、直ぐに失礼せねばならず…。で、ですが、今回助けていただいたお詫びは、後日必ず…」

 

彼女がそこまで口にしたところで、途中で割り込んで話を遮った。ちょうど都合が良かった。

 

「いえ、お詫びだなんて。構いませんよ。そんな大層なことはしてませんから。ただ、常盤台中学の生徒さんですよね?俺と同じくらいの年に見えますし、一年生でしょうか?もしよろしければ、ひとつお願いがありまして。常盤台の一年に仄暗火澄という女の子が在籍しているんですけど、これから直ぐに学校の方に戻られるのでしたら、その時可能であれば彼女に一言、[雨月景朗が、"学舎の園"の正門正面のカフェで待っている]とだけ伝えてもらえないでしょうか?」

 

「えっ?火澄ちゃん…?」

 

んむっ。なんだ?その反応は…。まさか…。

 

「仄暗火澄って、黒髪のロングでストレートヘアーの女の子のことですか…?」

 

「はい。オレが知っている仄暗火澄の特徴はそれであってますけど。」

 

おやおや。知り合いだったか。偶然って怖いな。

 

「えーと、彼女の友人といったらいいのかな。たまたま近くに寄ったので、顔でも見て行こうかなと。」

 

「…あの…、火澄ちゃんの知人の方なのでしたら、どうして電話やメールで連絡をお取りになられないのでしょうか…?」

 

「んぐっ。それは…ですね。不運なことに携帯のバッテリーが切れてしまって。…まあ、突然こんな話をされてもお困りですよね。すみません。この話はなかったことにして下さい。」

 

警戒してこちらを見つめる彼女の顔を見て、自分がどれだけ不審な言動を取っているのか改めて確認できてきた。どんだけオレは火澄に会いたいんだよ。もういいじゃねえか。恥ずかしい…。

 

しかし、オレが頼みを取りやめたのと同時に、今度は彼女のほうが申し訳なさそうな態度になり、火澄に電話で確認しましょうと言いだした。もう好きにしてくれ。

 

彼女はその場で誰かに電話をかけ始めた。しばらくして、なにやらゴニョゴニョと電話越しの相手と会話すると、通話を切って、オレに向き直った。なにやら彼女自身もすこしばかり驚いている様子だった。

 

「あの…。火澄ちゃんが、至急こちらに駆けつけて下さるそうなので……そのぅ……それまでご一緒してくださいませんか?」

 

なぜだろう。何も悪いことはしていないはずなのに。嫌な予感がするなあ。

 

 

 

 

「どうしてこっちに来る前に連絡しないのよ?!」

 

邂逅一番に火澄にそう問い詰められた。確かに、オレが携帯の電源が切れる前に連絡を入れておけばそれで済んだ話である。ひたすら白旗を振って彼女の機嫌を治めるしかなかった。

 

近くのカフェテリアで、火澄の友人さんと供に3人で昼食をとる。もともと彼女と火澄は一緒に食事をする約束をしていたらしく、それは構わないのだが、火澄に罰として奢りなさいよ、と言われてしまった。助けていただいたのに…と友人さんは大変恐縮してくれている。火澄はそれで当然だとばかりに睨みつけてくる。そこまで悪いことはしていないはずだろ。ちょっと悲しくなった。

 

"学舎の園"の近場とあって、お値段は割と高めだったが、こちとら霧ヶ丘から多額の奨学金を貰う身である。そこまで負担が大きいというわけではなかった。火澄も恐らくオレの奨学金のことを知っていて奢れと言い出したのだろう。アイツだって貰ってんのに…。

 

席に着いて、シナモンコーヒーという初めて頼んだブツで一息ついた。シナモンとホイップと、ブラックコーヒーとのコラボレーションが素晴らしい。気に行ったぞコレ。

 

気づけば、火澄が呆れていた。隣の友人さんもくすくす笑っている。しまった。周囲を気にせず思い切りコーヒーを堪能していた。席に着くなりコレではさもありなん。ていうかいい加減"友人さん"呼ばわりも面倒になってきたな。

 

「う。すみません。オレ、コーヒーに目が無くて。」

 

「ふふ。そんなにお好きなんですか?」

 

友人さんはオレが火澄の知り合いだとわかってから、ほとんど警戒しなくなった。彼女と火澄、この2人の中は相当良好みたいだな。まだ知りあって3ヵ月ほどしか経って居ないというのに。こちとら未だに1人も友達いませんよ。

 

「あの、オレ、雨月景朗っていいます。そちらさんはなんとお呼びしたらいいでしょうか?」

 

「あっ。あの、手纏(たまき)とお呼びください。私は手纏深咲(たまきみさき)です。火澄ちゃんのルームメイトで、同じ部活に入っています。」

 

ん?ルームメイト?前に火澄に聞いたような…確か常盤台の寮は2人で1部屋で…同じ部屋の子がとても良い子でよかったとか何とか。そうか、つまり…

 

「あれ?ルームメイトってことは」

 

生じたオレの疑問に、間髪入れずに火澄が答えてくれた。

 

「そうよ、景朗。この子が前に言っていたワタシのルームメイト、深咲ちゃん。先に言っとくけど、深咲ちゃんが優しいからって、あんまり調子に乗っちゃダメよ。ソッコー燃やすから。」

 

おおう。なんと恐ろしいことを。燃やさないで。あなたに火を着けられたら消し炭になっちまうよ。

 

「まさか、火澄ちゃんに何度もお話を伺っていた"あの雨月さん"にあのような形でお会いすることになるなんて…。もの凄い偶然ですね。」

 

「え?ちょっと待ってください。火澄のヤツがオレのことを、なんて言って」

 

「ちょ、ちょっと深咲ちゃん!?コイツの話はそこまでしてないでしょ?!」

 

また火澄に話を遮られた。おいおいおい。手纏(たまき)さんにナニを喋ったんだよ?!

 

「それより景朗!あんた一体ここに何しに来たのよ?!連絡もよこさずに。」

 

ぐはっ。この話題はマズい。特に理由なんてない……いや、正直に言っても、火澄に会いたかったから、なんて恥ずかしくて言えない。おまけに隣には初対面の手纏さんも居るのに。火澄は勝ち誇った顔を俺に向けた。

 

「どうせ、また友達作れなくて、1人寂しいからワタシに会いに来たんでしょうけど?」

 

やめてええええ。

 

「やめろおおおおおお。いの一番にオレに友達居ないことバラしてんじゃねえよおお。初対面の手纏さんだって居るんだぞ!チクショー!」

 

手纏さんはお可哀想に…とオレに同情の視線を向けている。くそう。今日は厄日だ。火澄は腹を抱えて笑っていた。笑い過ぎて涙を流しそうにすらなっているし。

 

「アハハハーッ………ハァ、認めましょう!昼前に学校が終わったけどガチで友達が1人もいなくて。暇で暇で、ここに来るくらいしかやることなかったんですよ!うう…」

 

ついに手纏さんも笑い出した。

 

「くすくす…っ。話に聞いていた印象とは違いますけど、雨月さんって面白い人ですね。火澄ちゃんが話をするのもわかります。」

 

手纏さんの発言に火澄が慌てていた。これはチャンスだろうか。流れを変えなくては。

 

「そうだよ。火澄、手纏さんにオレのことなんて言ってたんだよ?」

 

「べ、別に何も言ってないわよ!ワタシの育った施設の話題になった時に、あんたのことにもちょっと触れただけです!それ以上でもそれ以下でもないから。これ以上この話は聞いても無駄だから!」

 

火澄は手纏さんを注視してなにやら必死にアイコンタクトを取っている。オレは一縷の望みをかけて手纏さんに視線を向けた。目があった。なにやら顔を赤くしてしまわれた。これならいけるか…?

 

「火澄はこういってますけど、手纏さん。オレだけ一方的になじられるのは不等だと思いませんか…?火澄は、ホントはオレのことどう言ってたんでしょうか?」

 

オレの発言に、手纏さんは少しの間考える素振りをしていた。火澄が必死に止めようとジェスチャーしていたが、手纏さんは覚悟を決めたようだ。おお、あれだけ気の弱そうな手纏さんが…!よっぽど信頼しあってるんだろうな、2人とも。

 

「ふふ。そうですね…。あんまり教えちゃうと火澄ちゃんが可哀想なので、これだけ。火澄ちゃんは、景朗さんのこと、常に面倒を見てあげなくちゃいけない頼りないヤツだ、って言ってましたよ。いつも、どうしてるか気になるって。」

 

な…なんだと…。って、おい、なんだ、この空気。火澄はそっぽを向いてるし、オレも正面切って彼女をみれない。そして手纏さんは気づいてない。

 

「…そういう話を聞いていたので、今日助けていただいた時の雨月さんの印象と、以前話を伺った時の印象がだいぶ違うな…と感じました。」

 

そういって、手纏さんはこっちを見つめてきた。イエイエ、お気になさらず、といった気持ちをこめて見つめ返したのだが、なにやら頬をうっすら赤く染めていらっしゃる。…なに、この娘、可愛くね?今更ようやく気づいたぜ。弱弱しい性格と外見、色素の薄いふわっとしたセミロング。顔も小さくて可愛いし。今日、もしかしてツイてるんじゃないか…?

 

なんてことを考えていたら、隣から冷たい視線を感じた。火澄がいつのまにか表情を消している。逢って早々軟派なことするなってね。いえっさー…。

 

「深咲ちゃんの印象が食い違うのも無理ないわ。コイツ、最近ころころ性格が変わるの。昔は、ワタシが言ったように気が弱くて頼りないヤツだったのに、最近はこうみえて、すっかり脳筋(脳ミソ筋肉)になっちゃったのよ。」

 

火澄、オレのこと脳筋って思ってたのか…。た、確かに。最近能力の弊害で喧嘩っ早くなってきているし、無理もないか。…ん?よくよく聞けば、その言い方だとオレが性格安定しない変人みたいじゃないか。

 

「性格が変わったってのは…恐縮な話だな。能力強度(レベル)が上ってから考え方も変わったとは思う。…それよりさ、話は変わっちゃうんだけど、手纏さん、さっき火澄と同じ部活に入ってるって言ってなかった?」

 

本当に唐突に別の話を振ったな。無理やり過ぎたかな…?そう思ったのだが、火澄は何やらもじもじと居心地が悪そうな態度を見せた。

 

「まあ。雨月さんはご存じなかったのですね。火澄ちゃんと私は、今年の春から常盤台中学水泳部に所属しているんですよ。」

 

なるほど。火澄、水泳苦手だったのに、水泳部に入ったのか…。苦手を克服しようと思うのは素晴らしいことだと思うけどな。どうして教えてくれなかったんだろう?

火澄を見やると、しぶしぶ口を開いた。

 

「はぁーっ…まぁ、いっか。前々から、あんたに泳ぎが苦手なのからかわれてたし、同じ部屋になった深咲ちゃんが水泳部に入るっていうでしょ?だからいっそ、ワタシも水泳部に入って、弱点を克服してやろうかなって思ったのよ。あんたに教えなかったのは、泳ぎが上達してから見返してやろうとしてただけよ。」

 

「…ごめんなさい。火澄ちゃん、雨月さんに秘密にしようとしてたのに…」

 

手纏さんの沈んだ声を聞いた火澄は焦ると、オレを睨みつけて彼女をフォローし始めた。

 

「だ、大丈夫よ、深咲ちゃん。景朗に内緒にしてたのは下らない理由だからだし。気にする必要ないわ。…もぅ!景朗のせいで深咲ちゃんが落ち込んじゃったじゃない!」

 

ココでオレすか。だがしかし、手纏さんが落ち込むのはこちららも反対だからな。乗ってやるとするか。

 

「なんだよ、昔泳げなかった時、さんざんからかったの今でも忘れて無かったのか。ふふん。水泳部に入ったと言われても、実際にこの目でその泳ぎの上達とやらを見せてもらわなければ到底信じられないぜ。」

 

お、コレ、咄嗟に口にしたけどナイスな提案じゃないか。泳ぎの上達を見るという口実で、火澄の、あわよくば手纏さんの水着姿まで拝見させてもらえるかも知れない!!!

 

「いいでしょう。景朗にはワタシの泳ぎの上達振りを見せつける予定だったし。深咲にこれからたっぷりと教えてもらうから。こう見えて深咲は我が常盤台中学水泳部の期待のルーキーなのよ!」

 

っしゃー!負けず嫌いの火澄に火が付いたようだぞ。これで彼女たちの水着姿を拝める時がやってくる。ところで、手纏ちゃんって水泳上手なのかな?火澄の発言で彼女は照れてしまっているけど。

 

「へー。手纏さんって泳ぎ上手なの?水泳部に入るくらいだからやっぱり自身あったりする?」

 

「むぅぅ。景朗、深咲ちゃんを外見で判断しちゃだめよ。深咲ちゃん、今年入った1年生の中では1番の期待株で、部内でもすでにトップクラスの実力なんだから。」

 

常盤台の水泳部でトップクラスとな。それは本当にすごいな。

 

「…そっ、そんなことないですぅ…。あの、雨月さん。私の能力、"酸素徴蒐(ディープダイバー)"って言うんです。能力を使って、周囲の物体から気体状態の酸素を無理やり引き剥がして、自由に操作することができて…。それで、水の中でも私は自由に呼吸ができるんです。だから、泳ぐのには自信があって…。…じ、実際は…他の人たちより、純粋に泳ぐのに適した能力を持ってるだけなんです…」

 

なるほど。水の中で自由に息ができるなんてな。確かに他の人と比べたら、大幅なアドバンテージを得られるのかもしれない。さて、それはそれとして。ここはもうひと押ししておくか。

 

「そんな能力聞いたこともなかったです。凄い能力じゃないですか!いっぺん見てみたいなあ。…あ、そうだ。火澄がオレに泳ぎを見せてくれる時に、一緒に手纏さんの能力を見せてくださいよ!もし、手纏さんがよろしければ、ですけど…」

 

「……え、えと…。その…私…お邪魔でなければ…。」

 

キラリ、と火澄の目が光ったが、嬉しそうにもじもじする手纏ちゃんを見て悔しそうにしていた。その後も、3人でいろいろな雑談を楽しんだが、お昼休みも残り少なくなって、またの機会に、と話を終えることとなった。

 

携帯の電源が切れているため、手纏さんとメアドや番号の交換ができなかった。畜生、と呟いて携帯を握りしめていると、火澄がそれをみてほっと一息着いていた。ああ、チクショー。もったいない。今の雰囲気なら絶対イケただろう。

 

なんだかんだで別れ際は火澄も名残惜しそうな表情を浮かべてくれた。手纏さんにも、またお話しましょうとお願いしたら、好意的な返事を返してくれた。携帯のバッテリーが切れて一時はどうなることかと思ったが、どうやら結果オーライな1日になりそうだ。

 

 

 

 

 

中学生になって初めての夏休みが来た。相変わらず友達は作れなかったが、夏休みのスケジュールはほぼ毎日埋まっているんだぜ。全部実験だけどな。

 

日々の業務に潤いがあればもう少しモチベーションも上がるかもしれないんだが、布束さんとは実験を除いたプライベートな会話は全くない。彼女はそもそもオレに興味がないようだ。ああ、もちろん、研究素材という意味合いを除いての話だよ。

 

「very well. おつかれさま。今日の実験はこれでお終いよ。ここのところは際立って順調だわ。貴方の努力の賜物ね。」

 

布束さんはそう言うと、検査機のシートに横たわっていたオレに取り付けられた計器を外し始めた。彼女が言うように、夏休みに入ってから集中して実験を行っているが、特に問題なくスムーズに日々のノルマをこなしている。

 

彼女にプライベートな話題を振っても毎回毎回素気無く素通りされてしまうので、普段はこのまままっすぐ帰るのだが、今日はなにやら珍しく機嫌が良い様子である。

 

「はい。おつかれさまです、布束さん。このごろ、研究が一段とはかどっているみたいですね。今日は何時もより機嫌が好さそうです。最初は研究が遅れ気味みたいでしたけど、どうですか?期日通り学習装置(テスタメント)の開発は終わりそうです?」

 

「right on. それ以上よ。予定では丸1年、実験データの演算に時間が掛りそうだったのだけれど、貴方のお陰で飛躍的に進んでいるわ。probably, この分だと予定の1年で装置(デバイス)の開発まで漕ぎ着けられると思うわ。」

 

おお。想像以上に良い反応が返ってきた。オレとしても、やはり実験はつまらないし、早く終わるのならそれに越したことはない。夏休みに入ってからは、毎日同じことの繰り返しで、極めて退屈だった。だからこそ、実験に集中して、よい成果が出るように頑張ってみたのだ。急がば回れだな。

 

だが結局、オレの夏休みが実験で埋め尽くされているこの現状は変わっていないが…そこは、ほら。だらだらと引っ張って、来年の夏休みまで潰れてはたまらないだろう。とりあえずその心配は必要無くなりそうである。

 

「しかし、布束さんは、毎日毎日実験で疲れたりしないんですか?オレたち、一応学生でしょう?せっかくの夏休みだし、なにか実験以外のご予定は?」

 

オレの質問に、布束さんは少し考えるしぐさをみせた。

 

「not at all. そのような考えを持つこと自体が、久し振りね。貴方の脳から返ってくる反応の解析は常に興味深く、時を忘れて思索に耽ってしまうわ。…そうね。むしろ私は、今の研究がひと段落つくまで、気を置けないのかしら。totally, 夏休みという学生の特権のような長期休暇。研究に専念できるという意味では確かに素晴らしいものだと考えられるわ。」

 

そう言うと、布束さんは忙しそうに隣の部屋へと消えていった。うーむ、ダメだったか。やはり彼女は筋金入りの研究の虫だった。きっと、ああいった人がこの学園都市の技術的優位を支えているのだろう。

 

…それこそ、学生という身分では、彼女を見習わないといけないんじゃないかっていう話で………。さて、帰るか。帰りにアイスクリームを食べていこう。第七学区で美味しいアイスクリームの屋台を見つけたんだよな。他のところとは漂ってくる匂いが頭ひとつ飛びぬけていて、この間近くを歩いている時に惹きつけられたのさ。

 

 

 

 

 

小学六年生の夏休み以来。つまりは、アンダーグラウンドな研究に関わりだしてから。オレの長期休暇はことごとく実験に費やされてしまっている。なんと今日で夏休みは終わりである。

 

たまたま実験の予定が無かったオレは運悪く、"夏休みの宿題"を大量に滞納していた花華以下複数のチビっ子たちに拘束され、一日中宿題の手伝いを強要されていた。

 

そろそろ夕方。まだ日が落ちるには早いが、腹はだいぶ減っている。そして今は花華の宿題につきっきりであった。オレの超絶思考加速(むりやり心拍数を上げて思考速度を上昇させてみた)を使って、先に花華以外のチビどもはカタをつけてしまっていた。そのため、彼女が最後の1人である。

 

早いとこ手伝いから解放され、夕飯にありつきたいところではあるが、今日の料理当番はなんと、最後に残った花華だった。憎いことに、彼女のターゲットも残りわずかであり、ここに来て放棄するのは憚られた。

 

「ふぇぇー…。ここもわかんないよぅ、かげにい。」

 

花華の手が止まった。最後に残されたのは、彼女が最も不得手とする算数の問題集だった。今日幾度目の作業だろうか。とりあえず、口頭でその問題の解答への流れを説明してみた。が、

 

「ぅぅ。やっぱりわかんない。ごめんよぅ…。」

 

やはり無理だったか。小学四年生になり、最近大きく背を伸ばしつつある花華だったが、中身はほとんど変わっていな……い、と言いたいところなのだが。実は、この1年で料理の腕をめきめきと上げてきており、皆の胃袋を握りつつあった。

 

火澄が居なくなった今、オレがうちの園でたった1人の年長者である。本来ならば園の仕事もいの一番に買って出なければならない。しかし、中学に通い出してからは、園に帰って来れる時間帯が遅くなり、特に料理に関しては、この花華に頼りっぱなしの状態であった。最近めっきりオレに頼ってこなくなった彼女の数少ない頼みである。叶えてやりたかった。そこで。

 

「大丈夫大丈夫。気にすんなって。よし、もう1回1から整理して説明しよう。ゆっくり考えればいいから、な。」

 

そう言いながら、彼女の頭に手を置いて、ぽんぽんと宥める振りをする。同時にこの時、能力を解放して、花華の焦りや苛立ちを抑え、集中できるように不快感を取り除いてやった。そして、先ほどの説明と対して変わらない内容のものをもう1度丁寧に話した。

すると、しばらく考え込んでいた花華が鉛筆を走らせ始めた。途中まで計算過程をみて、正解の考え方であるのを確認して、ほっと一息ついた。

 

そう。この日。オレは土壇場で新たな能力の使い方を見つけ出したのである。ほどよい塩梅に相手の精神を落ち着かせ、集中して考えられるようにすれば、学校で習う程度の勉強はなんとかなるものであった。将来、家庭教師のバイトで稼げるかな。そう気楽に言ってしまったが、この方法にはやはり問題点が見受けられた。

 

簡単にいえば、能力を過度に使って集中させた子は、直ぐに消耗して疲れてしまうようなのだ。花華本人の気合で今も継続して宿題に取り組めているが、彼女の疲労は相当なものだろう。

 

「と、とけたぁ。あと少しだぁー!かげにい、ご飯遅くなっちゃうの、ごめんねぇ…。」

 

花華もこの頃はずいぶんと責任感を持つようになった。可愛いヤツめ。だけど、実は既に手は打ってあったりするんだ。先程、火澄にメールで、今晩急遽夕食の支度をお願いできないか確認していたのだ。

花華の宿題の消化具合を見て、夕飯の準備がシビアになりそうだと判断しての行動である。花華にこのことを先に伝えてしまったら、終わる宿題も終わらなくなってしまうかと思ってね…。可哀想なことをしてしまったな。

 

お、ちょうどいいタイミングで返信が来た。…よかった。どうやら、頼みを聞いてくれるらしい。花華のピンチを全面に出しといたからな。これで花華は休めるぞ。

気がつけば、花華は欠伸を噛み殺し、ウトウト眠そうにしている。宿題の残りの量は、夕食後に取り組んでも十分間に合いそうだな。

 

「花華。この分だとさ、宿題、夕飯が済んでからやっても間に合いそうじゃん。それでお前、だいぶ疲れてるみたいだからさ、今日の夕飯、やっぱりオレらで準備するよ。ここらで少し休憩しよう。ちょうどいいからさ、夕飯できるまでそこで寝ときなよ。」

 

「…だ、だいじょうぶだよぉ。すぐに終わらせて、ちゃんと料理できるよぅ?」

 

そう言いつつも、彼女は尚も眠たそうな顔つきのままであった。

 

「今日はもう気にするなって。ここんとこずーっと料理頑張ってくれてじゃん。たまにはオレらに任せてくれよ。真泥は夏休みの最初に全部終わらせてたからさ、今日は珍しくみんなの中で一番元気じゃん。だから、あいつにいっぱい手伝ってもらうよ。」

 

「ふぇ、ほんとにいいのぉ?……ごめんね、かげにぃ。……それじゃ、休憩するよぅ…。」

 

花華は申し訳なさそうな顔を崩さなかった。

 

「そんな顔すんなって。」

 

再度の説得で、ようやく了承してくれたらしい。オレの言葉にしぶしぶと頷くと、そのまま花華はこてん、とソファに横になり、直ぐに寝息をたて始めた。…オレらに任せろって言ったけど、火澄に押し付けます。ごめん、花華。

 

その後は、うちの園に来てくれた火澄と買い出しに行って、道中ずっとネチネチと文句を言われ続けたものの、なんとか夕飯を遅くなる前にに準備できた。真泥を含めて3人で料理の支度をしたのだが、その時、久しぶりに会う火澄に真泥がドギマギしていて、無性に笑えてしまった。

 

もちろん火澄も皆と一緒に夕食をとった。夏休み最終日に彼女を呼びつけたことをクレア先生にもなじられたが、なんだかんだで先生も嬉しそうにしていたからオーライってなもんだろう。

 

花華にもじとっとした目でにらまれてしまった。あとで謝ったらちゃんと許してくれたけどね。

 

 

 

 

 

季節は秋。学園都市に住む者にとっては、この季節は特別なものとなる。学園都市で最も大規模な年中行事、大覇星祭と一端覧祭が開催されるからだ。学園都市の顔とでも呼ぶべきイベントである。

 

どのような学校であれ、この2つの行事に力を注がぬ所は存在しないはず。1人の学園都市に暮らす学生としてはそう信じてやまぬところだったのだが。なんと、我が霧ヶ丘付属中学校はこのどちらの一大行事に対しても、一部の限定的な研究室に所属する生徒以外は、参加の制限が設けられる事態となった。

 

個人的には霧ヶ丘付属のこの対応が俄かには信じられず、やはりここは学校ではなく、能力開発研究機関だったのか、と噴き出してしまった。布束さんはいかにも彼女らしく、どちらの行事の間もより一層実験に集中できると喜んでいたように見えた。

…正気かよ。大覇星祭も一端覧祭も中高生が華だというのに…。積極的に競技に参加できないなら、それはそれで純粋に観戦を楽しもうかと思ってたんだけどなあ。

 

火澄のいる常盤台中学なんて見どころありそうだし。隣の公舎のお姉様方、霧ヶ丘女学院はうちとは違ってきちんと参加するようである。というかむしろ能力開発校らしく、上位に食い込む心意気で臨んでいるようで、最近は体操服姿の女子生徒たちが、運動場でわいわいと楽しそうに各競技の練習をやっている。こっちの学校、だいぶ雰囲気が違うんだよな、あっちの高校とは。

 

大覇星祭が迫る、とある週末、火澄から連絡があった。要約すると、大覇星祭の期間中、霧ヶ丘付属と対戦する機会があればその時に、一緒に昼食でもとろうかという話だった。

大覇星祭、恐らく一端覧祭の時も、学校で実験やら授業があるから、彼女と会うタイミングなんて皆無であろう。そう伝えたのだが、最初は素直に信じてはもらえなかった。なにかの冗談だと思ったらしく、「競技に参加しないからって、サボってないで出てきなさい」と言われてしまった。

繰り返し、詳しく説明すると、しばらく絶句、その後に呆れた声が返ってきた。彼女もうちの学校の異常性にあいた口が塞がらないらしい。空いた時間にできるだけ常盤台の観戦に行く所存であると伝えると、どう答えればよいか困ったような返事が返ってくる。電話越しにお互い苦笑しつつ、何とも後味の悪い通話を打ち切った。

 

 

大覇星祭、一端覧祭ともに、結局碌に参加することなく、布束さんの実験に協力している間に終わってしまった。来年こそは必ず、出場こそできなくとも競技の観戦に興じよう。そう決意し、奮起して実験に臨んだためか。いよいよ彼女の計画の終わりが見えてきた。この分だと中学二年生の春ごろには、"学習装置"の開発まで終了できそうな勢いであった。

 

 

 

 

 

十二月。聖マリア園は十字教系関係者が運営する養護施設である。教会としての側面も持っており、当然、クリスマスイヴ、降誕祭の時期にはとりわけ忙しい。何も言わずとも、どこからか火澄も駆けつけ、それが当たり前のように毎年のように準備、運営の手伝いを取り仕切ってくれた。

 

既に施設を出て、大学や高校へ通っている兄貴分や姉貴分たちも顔を見せ、クリスマスの間は皆慌ただしくも、幸せな一時を過ごした。皆、うちの園の好景気ぶりに驚きを隠さず、そのことに安堵している様相だった。

 

火澄の"大能力者(レベル4)"への到達、常盤台中学への入学についても話題が広がった。口々に褒められて、照れてタジタジになっている彼女をからかっていると、同時にオレの中学、霧ヶ丘付属についても触れられてしまった。

もともと霧ヶ丘付属は一般人には秘匿されている謎の多い学校である。そこそこの有名校だと、その名前をちらほらと知っているだけの者がほとんどであり、火澄に負けないように激励されて微妙な気持ちになったりもした。常盤台中学と比べられねえよ。

 

たまたま、大学へ行っている兄貴分の中の1人が、驚いたことに霧ヶ丘付属の内情を聞き及んでおり、よく入学できたな、と訝しんでいた。詳細をツッコまれる前に運よく話題をそらせてホッしたのだが、その間火澄がこちらを睨んでいたのに気づき、冷や汗が流れた。

 

 

皆、明るい笑顔でパーティを楽しんでいる中、1人だけポツンと壁際に座りんでいる人を見つけた。そこそこ目立っている。なにやら絶望にくれている風であった。しかし、誰も近寄らない。

 

良く見ると、その人はクレア先生だった。今はシスター・ホルストンか。珍しい。彼女の周りには常日頃、ほとんど絶やさずわいわいと騒ぐ子供の姿が見られるのだが。不思議と今日は皆が皆、先生に積極的に絡んでいかないのだ。

むしろ避けているとすら言える。彼女に近づこうとすると、火澄にやめなさいよ、ほっときなさい、と制止された。これまた稀有な、彼女にしては素気ない、我らが先生に対する態度であった。

 

火澄の忠告を無視して、彼女の大好物であるシャンパンを(実のところアルコールが入っているものならなんでも喜ぶ)を勧めてみたものの、返事がない。間を置いてやっと帰ってきた反応もうわ言のようであり、曖昧で聞き取れない。

声に抑揚がない。虚空を見つめて、何かに必死に祈っている風でもあった。ぼーっとしてるだけかもしれないけど。

 

「…かげろう君ですか。もう中学生ですもんね、ホント毎日見るたびにぐんぐん大きくなっていきますね。背もだいぶ伸びました。…そうですよ…ふふふ……かげろう君や火澄ちゃんも、もう中学生になったんですよね……」

 

な、なんか怖いんだが。急にどうしたんだろうか。いったい…?

 

「どうしたんですか?クレア先生。魂の抜けたような表情をして…何かあったんですか?」

 

「ふふ…かげろう君と初めて会った時は、まだかげろう君がこんなにちっちゃい時でしたね……5,6歳くらいの時でしょうか?」

 

ちょうどその位だった。オレが先生の御世話になりだしたのは、6歳の時からだった。先生はいままでずっと何十人もの子供たちを相手にしてきたから、記憶があやふやになっていても仕方がないか。

先生は今29歳だから…7年前…おお。そうか、先生、オレと会った時は、大学を出た直後だったのか。

 

「そうです。たしか、今、先生がえーと…29歳だったから「うぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…」

 

その時突然。オレの話を遮り、先生が大きなうめき声をあげだした。

どうしたってんだ!?先生のこんな取り乱し様、見たことが無い。

 

「やめてくださいいいいいいいいいいいい。誕生日が…クリスマスが終われば私の誕生日が来てしまううううう…ぅぅぅぅぅ…うわああああぁぁぁぁぁん。」

 

彼女は叫び続けながら、頭を抱えてうずくまった。ああ、そういうことだったのか…。シスター・ホルストンことクレア・ホルストン(29歳独身)は現時点で満29歳。彼女の誕生日は12/26だから、クリスマスが終われば彼女は三十路、30代に突入してしまう。

 

ずーっと、オレ達の世話で忙しく、これまで浮いた話ひとつ聞かなかったからなあ…。皆、事前にこのことを察知していたのか。みんなが注意してくれなかったのは、いつもいつもクレア先生の地雷を踏むのがオレだから、あえて放置し、生贄に捧げようとしていたんだろうな。

もくろみ通り、学習しないオレはみごとに地雷を踏んでしまったぜ。今思うと、この上なく直接的にな…!

 

「…うふふ…ふふふふふふ……かげろう君。たしか、貴方の学校っていろんな研究機関から研究者が集まって運営してるんでしょう?」

 

こ、今度は笑い出したぞ…!何が始まるんだ。逃げたい。

 

「は、はい。たくさんの研究所の分室が所狭しと…。そ、それがどうかしたんですか?」

 

オレの返答に、それまで俯いていたクレア先生は一瞬、顔を上げてこちらの顔を伺った。その時、ちらっと彼女の瞳が怪しく輝いているのに気づく。直後。彼女は刹那の間にオレに詰めよって、同時にオレの両手を引っ掴み手繰り寄せ、密着して離れられない状態へと持ち込んだ。

 

顔と顔がくっつきそうなほど近付いている。濃厚なお酒の匂いが、最近富に性能が向上しつつある我が嗅覚を刺激した。

 

「その研究室には、まだ独身の、働き盛りの殿方が大勢居られるのでしょう?かげろう君。先生の言いたいこと、言わなくてもわかってくれるわよね?」

 

ずいずいと鼻をオレの鼻に押し付けてくる。完全に目が座っていた。彼女の瞳には、きっとオレの姿は映っていないのだろう。困ったぞ!

 

「せ、先生、近い近い近い近い!近いです!」

 

「近いって!?ち、近いうちに紹介してくれるのね?!」

 

「ええ!?ちょ…ちが……」

 

く、くそ!…こうなったら……!!

 

「は、はいぃぃ!わかりました。完全に了解しました!皆まで言わずとも了解しましたとも!ち、近いうちに必ずや先生の理想の男性をご紹介いたしましょうぅぅ!」

 

そう言うと、先生は感激したらしく、オレを抱き締めて頭部に頬ずりをして何度も感謝の言葉を述べ始めた。そうして、とりあえず先生が落ち着くのを待った。頃合いを見計らって、先生から距離を取る。

 

「先生。心配ご無用ですよ。ここにいるメンバー全員、先生の味方です。その気になれば、アイツらも助けてくれますって。…さ、さあ、今日は大好きなお酒、たーんと飲みほしてくださいよ!そう、今日はいつもみたいに途中でお酒を取り上げたりしませんから。今日くらい、主も御赦しくださるでしょう。」

 

そういって、近くにあったシャンパンの瓶を手に取り、グラスに注いだ。クレア先生は涙をぬぐうと、嬉しそうにシャンパンの瓶をオレから奪い取り、グラスをオレに押し付け、乾杯ーッ!と声を揚げ、一気に呷った。

瓶が空になるまでラッパ呑みを敢行すると、今度はワインを求めて夢遊病患者のようにふらふらとテーブルのほうに旅立っていった。

 

ふふ。計画通り。先生は泥酔すると記憶を失うんだ。きっと明日には先程のオレの発言を綺麗さっぱり忘却しているに違いない。そして絶望とともに三十路に……ククク……。

 

ふと視線を感じた。オレとクレア先生との寸劇を観察していたらしい、花華と真泥の2人が、悪魔でも見るかのような目をオレに向けていた。し、しかたないだろ!

 

居たたまれなくなって、その場から離れようとした。すると、正面、先生の消えた方向から、ワイングラスを持った火澄がやってきた。顔が赤くなっている。この匂い、コイツもワインを飲んだ様子だな。先生に勧められたみたいだ。

彼女もこちらを睨んでいる。ちッ、さっきからなんなんだよ?そもそもみんながオレを先生の生贄に捧げたのが発端だろうが。畜生…

 

「景朗!さっきはやたらと先生にくっついてたじゃない?…むふぅーッ!先生に対していやらしいこと考えてたら容赦なくブッ潰すからねぇ!」

 

オマエも絡んでくるのかい。先生といい、花華といい、真泥といい。四面楚歌だ。

 

「そ、そんなこと別に考えてなかったさ!なんだよ、急に。大体、クレア先生となんて今更じゃんか。」

 

まあ、正直なところ、抱きしめられてた時はちょっとおっぱいが当たっててゴニョゴニョ…

 

「むぅぅ、うるさぁーい!大覇星祭も一端覧祭も、学校、学校って、ちっとも会ってくれなかったじゃない!…やっぱり、ワタシがここから出てったから、もう付き合うのが面倒になったんでしょ?」

 

ぬぐ。確かに、大覇星祭や一端覧祭に関して言えば、こちらに非があったと思う。やはり常識的に、この2つのイベントに"学校の用事"で忙しくて参加できない、という言い訳は厳しいからな。

 

「それは違う!信じがたいかもしれないけど、ホントにうちの学校はそういうイベントに全く興味がなかったんだよ!その…ら、来年こそ!…来年はきっと大丈夫だから。今年は本当にすまなかったって。オレだって…誰とも予定無くて、正直、みんなの競技、観戦したかったよ。」

 

オレの意気消沈した演技を見て、火澄も少しは溜飲が下がったらしい。苛立った様子から一転、落ち着きを見せる。来年はきちんと顔を見せなさいよ、ともじもじと呟いていた。

ちょうどその時、オレ達の様子をそばで見ていた花華や真泥も近づいてきた。

 

「そうだよぅ、かげにい。火澄ねぇのいうとおり、来年はわたしたちの競技もちゃんと見に来てよぅ。」

 

花華が恨めしそうにしている。そうだったな。今年はコイツらの大覇星祭や一端覧祭の競技や出し物にも全く顔を出していなかった。真泥も一端覧祭の時に、恥ずかしそうにオレを誘ってくれていたんだ。来年はきっと…

 

 

 

 

 

中学一年生最後の冬もあっという間に過ぎた。季節は再び春。あっというまの1年だった。友達がおらず、毎日毎日ホントに実験ばっかりしていたせいだろうな。

 

そして三月。2年連続でクレア先生が、うちの園にまた新しいメンバーを連れてきてくれた。3人のチビっ子たちだ。これから暫くはにぎやかになるな。今回の春に限って言えば、うちの園のメンバーの誰かとの別れは無く、純然たる出会いの季節だったと言える。去年は火澄が居なくなってしまって、彼女に懐いていたチビどもが悲しそうにしていたからな。今年はそういう湿っぽい空気は一切なく、皆新しい出会いに顔を綻ばせていた。

 

 

 

 

中学二年生の春。これまでオレの中学生活を悩ませ続けた、"学習装置"開発の研究がようやく終わりを迎えた。

 

とある日。その日の実験の終了の合図とともに、ここしばらく姿を見せなかった幻生先生が、布束さんを引き連れて現れた。

 

そういえば、去年はほとんどこの人と会わなかったな。ずいぶんと久しぶりな気がする。彼のニタニタとした、あまり好ましくない類のにやけ面も変わっていない。

 

しかし今日は一体どうしたんだろう。そろそろこの研究も終わるそうだし、さっそく次の計画の打ち合わせだろうか。だとしたら、相変わらずせっかちな人だな。

 

幻生先生のすぐ後ろに、端末を弄りつつ無線で誰かと話をしている布束さんの姿も見える。心なしか今日の実験は早く終わったし、彼女もそのことで一言二言あるんだろうか。計画の開始時のメンバーがそろったな。微塵も嬉しくないが。

 

「景朗クン、お疲れ様。久しぶりだね、元気にしていたかな。おや、この一年でだいぶ身長も伸びたようだね。なによりだ。ここのところはめっきりと顔を会わす機会がなかったが、キミの活躍は余すことなく聞いていたよ。」

 

そりゃどうも。こっちは憂鬱だよ。布束さんはちょっと目がギョロっとしているけど、まあまあかわいい女の子だからな。あんたと四六時中くっついて実験するよりはだいぶ楽しかったさ。それももうすぐ終わりか…

 

「お久しぶりです、幻生先生。珍しいですね。今日はどういったご用件で?」

 

「今日は今後の研究予定についてキミと話をしに来たんだよ。予定よりだいぶ早く学習装置(テスタメント)の開発が終わったからね。スケジュールの調整も大変だったよ。…しかし、まあ、今日はこの話は置いておこう。さすがだったな、景朗クン。当初の予定より半年は縮まったのではないかね?キミを推薦した私も鼻が高いよ。」

 

ん?どういうことだろう。幻生先生の口ぶりだと、学習装置(テスタメント)の開発が既に終わってしまっているみたいじゃないか。オレの怪訝な表情を察知したのか、布束さんが端末の操作をやめてこちらを向いた。

 

「excuse. 雨月君、そういえば貴方にはまだ言ってなかったわね。今日で研究の基幹演算アルゴリズムの最終チェックが終わったわ。eventually, これですべての実験が終わったということよ。以降の予定は無し。あとは本格的に装置(デバイス)の電子的,工学的なディテールを砥上げるだけね。thereby, 今まで助かったわ。貴方の協力に感謝します。」

 

え?もう布束さんとの共同作業は終わり…なのか?いつのまにか終わってたよ。ええー、そんな。これからはまたこの不気味なお爺ちゃんとくんずほぐれつしなきゃいけないのか…。ちょっと。いや、かなり残念だ。本当に残念で仕方ない。

 

「そうですか…。いえ、こちらこそ今まで楽しかったです。名残惜しいですが、また機会があれば。」

 

「maybe, そうね。もしかしたら今後、装置の最終的な較正のために、再び貴方の力を借りる必要があるかもしれないわね。yeah sure, その時はまたよろしくお願いするわ。」

 

幻生先生もまた彼女の話に相槌を打っていた。

 

「遠慮することはないよ、布束クン。必要ならばいつでも連絡してくれたまえ。」

 

オレが一礼すると、布束さんは軽く微笑んで一言 bye と口ずさみ、電算室の方へ歩いて行った。マ、マジで素気ないなあ…。もう会えないかもしれないのに。正直寂しいです、布束さん。

 

名残惜しく、彼女の後ろ姿を見送った。今後また彼女の世話になろうとは夢にも思わずに。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

episode05:窒素爆槍(ボンバーランス)

 

 

布束さんと別れた後、幻生先生としばらくぶりのコーヒーブレイクと洒落込んだ。対面に座る幻生先生は、組んだ腕の上に顔を乗せ、新味のないニヤつき顔を崩さない。

まずいな。長い間彼と接触していなかったからか、あの顔に対する抵抗力がすっかり抜け落ちてしまっている。

 

「さて、一息着いたところで、景朗クン。改めて、"学習装置"の開発協力、御苦労さまだったと言おうかな。」

 

「いえ、そんな。先生こそ、いつもうちの施設への"御協力"ありがとうございます。」

 

「はは。その話はよしたまえ。キミへの正当な対価を支払っているだけだよ。この話はもう何度目だか記憶していないがね、キミの能力そして素質はこの学園都市でも指折りに希少で利用価値の高いものだ。ゆめゆめ忘れないでいてくれたまえ。常時、進んでキミの協力が得られてこちらは大助かりだよ。」

 

本当に何度目だろう、この話。今では疑う余地もないが、どうやら幻生先生は掛け値無く、オレの能力を買ってくれているみたいなんだよな。…というか、"買ってくれている"というよりは、むしろ"執着している"と言ったほうが適切か。

どうしてそこまでオレに拘泥するのか理解できない。彼には申し訳ないが、時々うすら寒く感じている。

 

「ところで先生。先ほど、今後の予定について打ち合わせをすると仰ってましたけど、またなにか新しい計画のご予定がお有りで?」

 

オレはわずかな希望をこめて、彼に質問した。よくよく考えれば、年頃の女の子と一緒に共同研究なんて…なんてレアなイベントだったんだろう。

布束さんみたいなキュートな研究者、そうそう居ないっての。先生の顔つきが少し硬くなったように見えた。

 

「まったく、キミは感がいいね。そうだとも。実はキミに着手して貰いたい、とある実験があってね。…だが、その実験は少々、被験者に危険な操作を強いるものなのだ。キミがこの手の研究を毛嫌いしているのは十重承知だ。だからこそ、今度は包み隠さず、キミに予め実験の危険性を告げようと思う。それが私なりのキミに対する誠実さだよ。…どうやら、その顔を見ると…やはり厳しいかね?」

 

幻生先生の、そのほんの少し強張った表情から推察できていた。あの"プロデュース"に参加した他の"置き去り"たちがどんな目にあっていたのか。結局、その末路は彼から聞き出せずにいた。

あの実験にはオレが必須だった。それだけは確実に分かっている。つまり、オレがあの実験に協力していなければ…。

うちの施設を潤おすためだけに、他の人間を危険にさらしていいわけがない。極力、幻生先生の機嫌を損ねたくないけれども。…一度決めたことだ、断ろう。

 

「申し訳ありません。"あの時"の、被験者たちの苦痛の声は今でもはっきりと耳に残っているんです。オレはもう、あのような事件に関わりたくないです。」

 

オレの拒絶の返答は、先生としても織り込み済みだったようで、特に落胆した様子はみられなかった。しかし、彼はまだオレの説得を諦めてはいなかった。

 

「景朗クン。科学の発展には、いつの時代もそれ相応の代償が要求されてきた。いかな人類最高峰の科学技術を持つ学園都市といえども、その理を超越することはできない。…理解してくれんかね?」

 

先生はオレの目をまっすぐ見つめていた。残念だが、彼の悪だくみに付き合うことはできない。自分の意思を確固として伝えなければ。視線を逸らしたいという欲求を必死に自制し、彼の眼をしっかりと見つめ返した。

 

「オレには無理です。お願いです。他の、もっと安全な研究にオレを使ってください。こんなことを言える立場ではありませんが、それでも…。オレの意思は変わりません。」

 

しばらく両者の視線が交差し合った。幻生先生は決して目線をオレの目から離さなかった。だが、やがて、幻生先生は根負けしたように苦笑すると、しぶしぶと言った表情でオレの意向を汲んでくれた。

 

「ふむ。仕方がない。我々もこれ以上キミの機嫌を損ねるわけにはいかないからね。先程の実験計画以外にも、幾つかキミにあつらえ向きのプランがある。今回はキミの意思を尊重しよう。ただ、私たちは諦めたわけではないからね。キミの気が変わったら直ぐに教えてくれたまえ。」

 

「ありがとうございます、幻生先生。本当に…」

 

どっと疲れた。先生とその後も、明日からのスケジュールの打ち合わせをした。結局、すべてが終わったのは日が落ちる直前、黄昏時になってからだった。

 

 

 

 

 

それから暫くは、学校の研究室で諸処のデータ収集に従事するだけでよくなった。そうして、中学二年生の春もいつの間にか過ぎて行った。そしてまた暑い季節がやってくる。

 

梅雨明けの時期。学園都市の完璧な天気予報のおかげで、ここのところも急な通り雨で体を冷やすこともなく、快適に生活できている。樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)様様だな。

 

最近は、ようやく午後からも授業が受けられるようになった。この機会を逃してはならぬ、とオレは精力的に勉学に勤しんだ。またいつぞろ別の研究に取り掛からされるかわかったもんじゃないからな。今のうちにやれることはやっておかないと。

 

このふた月ほどで、授業の遅れはほぼ取り戻せてきたように思う。だいぶ頑張ったよ。能力をフルに使い、常にクリアな思考で、長時間集中する。そうやって勉強するのはズルをしているみたいで、少しだけ罪悪感が沸いたのだ。

しかし、この1年間はほとんどずっと、午後の授業をまるごと受講できていなかったのだ。背に腹は代えられない。勘弁して下さい。

 

 

 

その日も、みっちりと日が暮れるまで授業に参加した。能力を解除すると、心地よい倦怠感に包まれた。今ならきっと何を食べても美味しく感じられるだろうな。背中側で腕を組み、思いっきり伸ばして体をほぐした。周りを見渡せば、もはや教室には用は無いとばかりに皆こぞって退出していく。一人一人顔立ちは違うものの、他人に興味のなさそうなツラだけはお揃いだった。

 

ふと気付いた。オレはこの学校に入学してから常に、友達ができないと嘆いていた。であれば、同じように友人がいないことに難儀しているような奴を、オレ以外に目撃してもよさそうなものである。

 

しかし、これまでの学校生活中に、そんな同士がいるような気配はまるで感じなかった。思い返せば、この学校に入ってから、普通の中学校でお目にかかれそうな"部活動"に励む学生に遭遇したことすらない。

 

もちろん隣の高校のお姉様たちは例外だ。時たま、帰りがけに、体操服姿で楽しそうにスポーツに励む彼女たちを視察しているからな。

どうにかしてお近づきになりたいが、セキュリティが半端なく厳しく、彼女たちに接触することは容易ではなかった。

 

 

そろそろ帰宅しようかと思い立ち、席を離れようとしたその時。携帯が震えてメールが一件。火澄からだった。とりあえず椅子に座りなおし、メールを開いた。

…なるほど、何時ぞやの、水泳の上達ぶりを披露するという話についての内容だった。おお、手纏ちゃんも一緒に来てくれるらしい。件の話、すっかり忘れていた。

 

今のオレにとっては思わぬサプライズだな!そういえば、この約束をしたの、ちょうど一年前くらいだったか。

 

そうそう。手纏ちゃんのメールアドレスと番号をゲットできなくて悔しかった、あの後。激しかった火澄の警戒を掻い潜り、なんとか彼女を説得して、手纏ちゃんと連絡先の入手に成功していたのだ。まあ、正確には説得というより、友人の不在を嘆いての泣き落しからの、憐憫、同情に近いものだったが。

 

そうして、今では手纏ちゃんも立派なメル友もどき…かな?ほとんどは時間が取れるときに、勉強会と称して火澄と同じ席で昼食や夕食をご一緒していただけだからな。そこそこ仲良くなったとは思うけど。

 

しかしまあ、火澄のヤツ、まともに泳げるようになるのに丸一年かかったのか。よくそれで常盤台中学の水泳部に在籍していられたものだ…いや、ひょっとして。マネージャー業を務めていたのかもしれないな。詳しく話を聞いていないから断定はできないけど、その可能性も低くはなさそうだ。

 

よし。都合のいい日時は、今週末もしくは来週末か。ヤヴァいなあ!楽しみ過ぎる!

 

 

 

火澄の一件には、もちろん迅速に了承の返答をした。今週末、日曜日に第七学区の近場のプールセンターで彼女たちと落ち合う約束である。

居てもたっても居られなくなって、約束の日まで授業を受け続けるのが面倒くさくなってしまった。週末の予定が入る前には、あんなに勉強に対して気合十分、やる気に満ち溢れていたというのに。

 

 

あれから長かった。プールに遊びに行く当日。間の悪いことにオレはその日の夕飯の当番になっていた。真泥に必死に頼み込み、なんとか幸いにも順番を変わって貰えた。もはや何の憂いも無し。心おきなく楽しもう、と意気込んで聖マリア園を出発した。

 

七月半ば、夏休みも真近である。第七学区のプールなんてどこも中高生で埋め尽くされていそうなものだが…。これから向かうは、第七学区区立の第3総合水泳場という所である。

乗車中、ネットで調べてみたのだが、ここは学園都市内でも指折りに新しい、最近建設されたばかりの施設だった。普段は第七学区の大規模な水泳大会などに使用されており、各種飛び込み台などの機能も充実しているみたいである。

 

ここまでは他の学園内の総合プールと比べても遜色ないのだが。実は、この第七学区区立第3総合水泳場は、とある筋の人たちには特別な場所らしい。

 

その理由は施設内に設置された"The Underwater City"というプールにあるようだ。その"The Underwater City"は、なんと水深が36mもあるとのこと。今現在、世界で1番深いプールなのだそうだ。縦長の円柱形、側面には様々な形状の人工的な洞窟、他にも色んな構造物(ストラクチャー)が存在し、目にした人は「まるで"海底都市"のようだ」と感想を漏らす…とな。

なるほど、海底都市でそのまま"Underwater City"か。普段はダイバーの練習場や、研究機関の物理演習場としても使われているらしい。まったく、今日は色んな意味で、興味深い体験ができそうだな。

 

 

目的の第3総合水泳場は、第七学区所在といえども、その実、第二十二学区との境界線上に立地していた。なるほど。第二十二学区は地下深くまで開発が進んでいる。その"The Underwater City"とやらの建造にはさぞ利便性の高い土地だったろう。

 

しかしまずいな。時間の見積もりが甘かったかも知れない。目的地は、第七学区と二十二学区、さらに第十学区も合わせた境界上に立地していた。つまりは、第七学区の最南端ってことだ。想像していたよりもかなり遠い。マズイな…彼女たちを待たせる羽目になりそうだ。怒って帰ってしまったら…。くッ…。…畜生!彼女たちの水着姿を拝めずに、のこのこ帰れるか!

 

バスで向かう予定だったが、そんなもん悠長に待ってられないぜ。…よし、ならば、走ろう。能力を全開。全速力で走破する。っしゃあー!人間の限界を超えてやるぜ!

 

 

 

 

結局、待ち合わせ時刻には間に合わなかった。オレの足が遅かった訳ではない。走行速度自体はたぶん時速50km近くは出ていたと思う。今、軽く時速50kmとか言ったけど、自分でも驚くぐらい速かったよ。

もちろん、目的地に着く頃には死ぬほど疲れ果てたが。生身で時速50km、これでも"強能力(レベル3)"だってんだから、"大能力(レベル4)"ってのはやっぱりすごいな…。おっと、話が脇道にそれてしまった。

 

そう、速度は問題なかったんだ。自動車とほぼ同速度。そのため、道端をそんな速度で走る訳にもいかず、道路を暴走しなければならなかった。そして、道路と走っていたその時。運悪く警邏中の"警備員(アンチスキル)"に目をつけられてしまった。

 

連中、オレを見て死ぬほど驚いていたが、日々能力者相手にドンパチやっているせいか、直ぐに対応してきたよ。警邏車で追っかけてきやがった。慌てて顔を隠しつつ、「歩行者が道路を走るのに道交法もクソもないだろ!?」って反論したんだけど、「どこが歩行者だ?!走りたきゃ最低限サイドミラーとウィンカーを手に持ってからにしろって話じゃん!」とやらたじゃんじゃん五月蠅いお姉さんに説教された。

 

彼女を撒くのにすっかり時間がかかってしまって…。なんだよ、畜生。サイドミラーとウィンカー持ちながら走るって、ダサいってレベルじゃないじゃん。

 

 

 

 

さる事情により、遅刻の上、全身汗だくで登場したオレを目にして、火澄と手纏(たまき)ちゃんの2人は若干引いてしまっていた。オレの奇天烈な行動にはさすがの耐性を持つ火澄は、すぐに呆れ顔に表情をシフトさせた。

 

「どうしたのよ、その格好。汗かき過ぎよ。どんだけ走って来たのよ…。全くもぅ。連絡をくれれば、10分くらい待ってあげたわよ。」

 

なんと!…良かった。本当に良かった。機嫌を損ね、約束を放棄して帰られていたら立ち直れなかったぜ。遅れそうだと連絡することも考えが、策を打つ前にとにかく行動したかったのさ。遅刻の連絡で帰られたらたまらないからな。

 

「う、雨月さん…。これ、どうぞ…。あのぅー…今日は、これから大丈夫なんでしょうか……。そのご様子だと…そうとう、お疲れなのでは…」

 

やはり手纏ちゃんは優しいな。心配そうに、ハンカチを差し出してくれた。ふうっ。こんな所でヘバッっている場合じゃないぜ。さあ、能力をフル回転だ。深く、深く、深呼吸して…。

オレはハンカチを受け取ると、努めてなんでもない、大丈夫だ、と元気な態度を見せた

 

「大丈夫大丈夫。ちょっと走っただけだから。こんなんすぐ落ち着きますよ。待たせてすみません。お詫びにドリンクでも御馳走させて下さい。さあ、とにかく中に入りましょう。楽しみにしてたんですよー。」

 

オレの提案を「いえいえそんな、結構ですよ。…それでは、行きましょうか。」とやんわりと断りながら手纏さんはなんだか慣れた様子で施設へと入って行く。

 

火澄の顔は明らかに「言った通りに何か飲み物奢りなさいよ」と言っていたのだが、何も言わずに手纏さんの後について行った。オレも慌てて2人を追いかける。先程遠目に見ただけでも、ずいぶんと大きくて広い建物だったからな。はぐれたら面倒臭そうだ。

 

 

 

彼女たちの案内で、更衣室へと向かう。これからのことは、ともかく水着に着替えてから話し合うらしい。通路の壁面に、この施設の簡易見取り図が設置されていた。南端に"The Underwater City"の文字がある。そうだな、今日は是非ともコイツを見物してから帰りたいものだ。できれば体験してみたい。

 

「そういえば、ここには"The Underwater City"っていう、ものすごく深いプールがあるんだよな?世界一深いとか。できれば今日はそいつを見物していきたいな。ちょっと楽しみにしててさ。」

 

オレの質問に、前を歩いていた2人は顔を寄せ合い、小さく微笑んだ。間を開けずに、手纏ちゃんはこちらに振り向き、どこか愉快そうに話し掛けてくる。

 

「ふふ。ご心配なさらずとも大丈夫ですよ。今日は見学どころか、雨月さんが望むなら、実際に Underwater City に入ることもできますから。」

 

「ええっ?!それ、ホント?……確か、ここのHPには一般客の利用には許可が必要って書いてあったんだけど。おお、そうか。予め許可を取ってくれてたのか。」

 

オレの返事に、今度は火澄がこらえきれずに吹き出してしまった。なぜだろう。さっきから2人が異様に楽しそうなのは。

 

「景朗、まだピンと来ないの?あのね、深咲ちゃんの能力を考えたら、この施設との関わりもなんとなく予想がつかない?」

 

手纏ちゃんの能力との関連だと。酸素を操って、水の中でも息が―――ぬぐ。そうか。もしかして、いや、もしかせずに。

 

「うぐ。その通りだ。よくよく考える必要もないな。手纏さんの能力は、さぞ、"The Underwater City"とやらと相性が良いだろう。つうことは、手纏さんはこの施設の研究者さんたちとは…顔見知りなんだろ?そうだな。たとえば――ここで身体検査(システムスキャン)をしていたり?」

 

オレの答えに、火澄は及第点をくれたようだ。"まあいいでしょう"とでも言いたげな表情で、続きを述べた。

 

「当たらずとも遠からず、ね。確かに、深咲ちゃんはここで身体検査(システムスキャン)を受けたりもしてるみたいだけど、それだけじゃないの。この"The Underwater City"は、ダイバーの練習場以外にも、流体物理や医療の研究で使われていてね。深咲ちゃんはその研究のお手伝いをしてるのよ。」

 

どこかで聞いたような話だな。火澄は恥ずかしそうにしている手纏ちゃんと視線を交わすと、目を瞬かせた。また1つ何かを思い出した様子である。

 

「そうそう。それからね、景朗。"The Underwater City"は言うまでもなくそんじょそこらのプールと違って、独特な形状をしているのよ。だから管理がとても難しいらしいの。そこで深咲ちゃんは、能力を活かして、研究だけでなくプールの管理にも定期的に協力してるって話よ。

 

つまり、深咲ちゃんはここの研究所の人たちと、管理をしている人たち、全員と仲がいいの。だから、今日あんたがこの"The Underwater City"に入れるのは、深咲ちゃんのおかげなのよ。」

 

話を聞く限り、真実そのまま、そのプールに入れるのは彼女のおかげのようだな。さすがは常盤台と謂うべきか。いいカンジの研究に従事してるみたいだなぁ。

 

やっぱ霧ヶ丘はブラックだわ。なんだよ"学習装置"って。"学習"ってオブラートにつつんだ表現をしているけど、実際には"洗脳"って言ったほうが近いシロモノだったぞ、アレ。

 

「ありがとう。手纏さん。オレ、興味心身だったんだよ。是非、Underwater Cityとやらを体験させて下さいな。」

 

手纏ちゃんは顔をすっかり赤らめていた。両手を突き出し、いやいやと小刻みに振りながら、オレにそんなにかしこまらないでくださいと言ってくれた。

 

「へぇー。管理が難しいってえのはあれかな。潜水病ってやつ?てことはやっぱり手纏ちゃんの能力って潜水病とかにも対応できるのかな?」

 

手纏ちゃんはちょっと驚いた顔を見せた。

 

「ご、ご名答です。景朗さん。素晴らしいです。よくご存じなんですね。」

 

「いや、あてずっぽうに言っただけだから。オレも詳しいことはわからないんだよね。」

 

「そう…なんですか。…雨月さん、今日は Underwater City をご体験されたいのですよね。でしたら少し説明いたしましょうか…。」

 

そう言うと、少々まごつきながらも、彼女はオレの疑問に解答してくれた。

 

「潜水病、減圧症とも言いますが、簡単に言うと、…そのぅ、人体にかかる圧力の急な減少によって体に悪影響が起きてしまう現象があるんです。深い水深の下、高圧環境下で体内に溶け込んでしまった窒素は、浮上による急な圧力の低下によって、体のあちこちで気泡化してしまうんです。

軽い症状なら関節痛や窒素酔い程度で済むのですけど、…酷い場合になると死亡したり、後遺症が残ってしまう恐ろしい現象です。」

 

え?酷い時は死ぬの?考えが顔にでてしまっていたのか、オレを見つめていた手纏ちゃんは慌てて補足する。

 

「だ、大丈夫ですぅ。圧力の変化が適度に緩やかであれば、なんの心配もいらないんです。それこそ、100mや200m潜っても、そこに時間をたっぷりとかけていれば、体には何の異常もありません。…反対に、たった5mや10mの深さでも、急激な潜水と浮上を行えば、人によっては重度の障害が出たりします。

重要なのは潜るスピードなんですよ。あ…あの…安心してください。わ、私が、その時はちゃんとお教えします…から…。」

 

そんなうるうるとした瞳で見つめられてはタマラナイなあ。オレは彼女に向かってほほ笑んだ。

 

「わかりました。今日はご指導よろしくお願いします。オレ、手纏さんのこと信用してますから。」

 

「えへへ…よかったですぅ。」

 

手纏ちゃんはオレの言葉を聞いて嬉しそうにしてくれている。しかし、彼女にしては頑張って、長々と説明してくれたなあ。

 

「というか、驚いたなあ。手纏さん、そんなに長いセリフもちゃんと喋れたんだね。」

 

「そんなぁ。酷いです。雨月さん!」

 

おお、冗談を言い合える仲になってるようだな。これは幸先いいなあ。…さっきから、火澄を蚊帳の外にしてしまっているけど、大丈夫かな。そう思った矢先。ガスコンロが点火するような、鈍い音が響く。

ほぼ同時に、Tシャツの裾からむき出しの左腕に一瞬、高熱を感じた。

 

「あちィッ。ちょ、火澄!なにをっ。」

火澄に火の玉をけしかけられた。彼女の方をみやると、完全にむくれていた。なんだよ、コイツ。いきなり…。

 

「フン。深咲ちゃんには相変わらずデレデレのようですね。」

 

あ。そっか。今日はそもそもコイツの水泳の成果を確認しに来たんだった。それなのに、プールに着いても尚、その話題には一切触れずに、手纏ちゃんと話してばっかりだった。

 

「ちゃ、ちゃんと覚えてるよ!今日はオレに水泳の上達をとくと見せつけて、昔からかわれた雪辱をきっちり返すといいさ。そんなスネなくとも…地味に…痛…」

 

「言われなくてもそのつもりよ!さ、もう行くわよ!」

 

いきり立った彼女は、オレと手纏ちゃんを置いて足早に更衣室へと入って行った。慌てた手纏ちゃんは、オレに男性用の更衣室の場所を教えると、すぐに火澄の後を追って消えていった。

 

ようやくお待ちかねの、彼女たちの水着姿が拝めるってのに。次に会うときは、まず火澄のご機嫌直しから始めなきゃダメみたいだな。ま、そのくらい屁でもないさ。毎度のことだしな。

 

 

 

野郎の着替えが長引くはずもない。さっそうと水着に履き替えたオレは、更衣室を出て、いかにも学園都市風の、近未来的なデザインで統一された建物内を、通路に沿って歩いていた。

 

目的の場所である第1飛込プールへの道中、50mプールのそばを横切った。そこには、熱心に水練に励む多種多様な中学、高校の生徒の姿があった。やはり休日でも一生懸命練習するヤツは居るんだな。

 

もし、霧ヶ丘付属へ入ってなかったら、オレは今頃何をしていただろうか。いや、それ以前に、幻生と関わっていなければ、どうなっていたんだろう…。少しでも先を見据えれば、胸中に薄暗い畏れとともに、重たい痛みが生まれてくる。

 

一体いつまであの後ろめたい実験に協力しつづければいいだろう?…馬鹿な考えだ。もはや後には引けない。うちの施設にはあれから倍も、生活する人間が増えた。今、幻生先生の援助を失えば、大変なことになる。

 

それに…彼らの援助が無ければ、真泥たちとの出会いも無かったはずだ。…そのことに悔いはないな。そう考え始めると、胸の中の痛みが消えていった。本当のところはわからないけどね。今のオレなら能力を使えば、心の中の"痛み"すら消滅させられるんだから。

無意識に能力を使っているのかもしれない。降りかかる火の粉から、反射的に身を守るように。感情を支配する術を得た代償に、自らの本心を認識できなくなるとは。やっぱりクソな能力だな。

 

 

 

待ち合わせ場所の飛込プールに辿り着いた。途中で少々迷ってしまってな。考え事をしてたもんだから、道を間違えてしまった。プールサイドに設置されたベンチで火澄と手纏ちゃんが待っている。2人とも顔を寄せ合って話し込んでいるな。

 

折角なので、オレは忍び足で、彼女たちに後ろから近づく。二人とも同じ水着を着ていた。競泳水着…ではないな。だいぶ近いが。恐らく、常盤台中学指定のスクール水着なのだろう。しかしまあ、なんだ。オレにスク水属性は無かったはずなんだけど、これはこれで…。

 

さて。後ろ姿はもう十分堪能させてもらった。いい加減正面からご挨拶させてもらいたい。

 

「おーい。待たせてごめんよ。ちょっと道に迷ってさ。」

 

真後ろから急に発せられた呼び声に、2人とも驚いて飛び上がった。大げさな驚きようだな。会話は耳に入っていたんだけど、彼女たちのうなじに集中していて碌に聞いていなかったんだ。

 

「ちょ、ちょっと。いきなり後ろから脅かさないでよ!」

 

すぐに反応した火澄が威嚇してくる。ってぐはっぁぁ。振り向いた拍子に…豊かな丘陵が振動したぞ。うおおおおああ。思わず視線が吸い寄せられた。ヤバイ。火澄は目ざとくオレの行動に気づいた。

 

「こ、こら。どこ見てんのよッ!」

 

彼女が吠える。同時に蒼炎がオレの髪の毛に発現した。へへっ。ここはプールだぜ。素早く水中に飛び込んだ。だが。おかしい。異変が…花火が弾けるような音が未だに…。しまった。火澄の炎は水を浴びた程度じゃ消えないじゃないか。まままままずいぞ。このままだとまずい。早く彼女に許しを請うて、火を消してもらわなければ。冗談じゃなくハゲちまう!

 

慌ててプールから飛び出す。ふてぶてしい顔でこちらを睨みつける火澄。自信満々の表情がニクいぜ。最終的には、ドリンクを御馳走するだけの予定が昼食とデザートに化けた。

 

 

「ところで、どうしてわざわざ屋外の一番遠いプールを選んだんだ?入ってすぐ近くの室内プールもちらほら空いてたじゃないか。」

 

先程から頭にチラついていた疑問を2人にぶつけてみた。実は、なぜ入口からもっとも離れた屋外の飛込プールを待ち合わせに選んだのか不思議に思っていたのだ。エントランスから距離が離れているし、屋外だから人が少ないのかなと推測していたんだが、道中には人のあまりいない閑散としたプールがいくつか点在していたからな。

 

「どうしてって、そりゃ、飛込台が無ければ、飛び込み(ダイブ)が出来ないでしょう?」

 

火澄がため息を吐いた。ええっ、飛び込み(ダイブ)だあ?いくら熱心に教えても、結局小学校卒業までに平泳ぎも覚束なかった火澄が。…常盤台に入ってから猛練習したのかな。とかく、彼女、これから面白いものを見せてはくれそうだ。

 

「じゃあ…。もしかして、今からダイブやって見せてくれんの?」

 

「ええ。その通りよ。活目してご覧あれ!」

 

なにやら自信がある様子だ。意気込み、オレに人差し指を突き付ける。隣を見た。さっきから若干空気だった手纏ちゃんは、不安そうな表情を浮かべている。うーむ。これはふたを開けてみなきゃわからないな。

 

 

オレと手纏ちゃんは、飛び込み台へと向かっていった火澄を見送る。さあ、彼女は何を見せてくれるんだろうか。悔しいがわくわくするよ。隣の手纏ちゃんがオレの体をちらちらと見つめているが、ほうっといてあげとこう。

 

 

飛び込み台の頂上で、火澄が手を振った。手纏ちゃんも手を振って返した。いよいよか。ほどなくして、火澄は迷いなく、整然とした動きで飛び込み台から降下した。

足をすっと伸ばし、ひざの裏に手を回す。体ごとくるくると2回転させた。最後に姿勢を広げ、みごとに着水。静謐な無音の空間と水飛沫の残響とのコントラストが際立った。

 

 

……な、なかなかやるじゃないか。率直に言って…綺麗だった。素直に称賛すべきだろう。手纏ちゃんの反応も確認してみた。すると意外なことに、彼女の表情には陰りが。あれで何か不足があったのだろうか。素人目には美しいって感じたんだけどな。疑問符が浮かぶ。

 

そうしている間に、手纏ちゃんはだんだんとおろおろとした態度を隠さなくなってきた。あれ、そういえば―――火澄、全然浮かんでこないな。

そうだ。そもそも彼女の"泳ぎ"を拝見しに来たのであって…。

 

突然。着水地点からいくぶんか離れた水面から、人間の頭部が、まるで巨大魚が水面を跳ねるような猛々しい水音とともに付き出てきた。プールの渕までのこり数メートルといったところか。火澄は濁音をあげながら、不格好な泳ぎ方で近づいてくる。

ぶはッ。良く見たら腕は平泳ぎっぽい動きをしているが、足はところどころ犬かきのように不器用なものだった。く、くくく。あはは。肝心の"泳ぎ"は駄目駄目じゃないか。最高だよ、火澄!オチまで用意してくれてるなんて!100点万点だよ…ククク。

これじゃ台無しだ。コントじゃあるまいし。たっ耐えろ。ぅぅぅ……ダメだ、我慢できない。

 

爆笑。

 

声を上げて笑うと、火澄が覚えておきなさいよ!と水中で吠えた。あーあ。後が怖い。

 

 

陸に上がった火澄はすぐさまオレを火焙りにした。その後、手纏ちゃんが宥めてくれたおかげでようやく火澄は落ち着いた。

それから、ひとまず昼食を取ることにしたオレたちは、施設中央のフードコーナーに移動した。ごく普通のファミリーレストランからファーストフードまで一通りそろっており、水泳場とは思えない規模だった。この施設はそこそこ大きくて、いくつかの研究所の出先機関も組み込まれているから、そこまで不思議ではないか。

 

ともあれ、ランチを奢って埋め合わせを果たすと、火澄はようやくオレを睨むのをやめてくれた。

たっぷり休憩を挟んだあとは、午前中に話題になった"The Underwater City"へ行くとのこと。はやる心を抑えつつも、やはり皆、どこかテンションを昂らせており、ファミレスでの談笑では盛大に花が咲いた。

 

 

 

初めて見る"The Underwater City"は、真上からみると、その蒼さに感動が湧き上がった。約36メートル。これは、なんと10階建てのビルがすっぽり入る長さである。

その様は深い池や海特有の、深淵を覗きこむような原始的な畏れをも感じさせた。とはいえ、透き通った水質に加え、随所に光源が設置してあるようで、水底までくっきりと視界に入った。

 

手纏ちゃんの一声で、所員さんたちは簡単に許可を下した。彼女はここでは所員さんたちのアイドルらしい。通りすがる作業員どもの向けてくる目が痛い。

 

 

オレは専用のウエットスーツを借用したが、手纏ちゃんは着のみ着のまま常盤台のスクール水着のままで着水した。火澄は頬を膨らませていたが、おとなしくお留守番している。Underwater City の入り組んだ洞窟の様な、その壁面には随所に窓が設置してあり、建物内から中の様子は問題なく伺えるようである。

 

手纏ちゃんは通信用のヘッドセット以外は何も付けていなかった。そのまま潜水するようである。送気用のヘルメットを被ったオレは、手纏ちゃんからの通信を頼りに、彼女の言うとおりに潜水を行った。ホースから常に新鮮な空気が送られてくるので、時間を気にせずに潜っていられる。

 

上下左右、重力のくびきからほぼ解放されたと言っても良い。奇妙な感覚だった。

 

水中での手纏ちゃんの姿は地上のそれとは全く異なっていた。ひと繋ぎの特大に大きな泡で体をまるごと覆っていた。幻想的な光景だった。水中できらめく泡は、溜息がでるほど美しかった。

 

空気の鎖で繋がれ、動きを拘束されたオレとは違い、彼女は、何物にも束縛されていない。優しく微笑む手纏ちゃんは、まるで童話に聞く人魚のようだった。

 

彼女のしぐさに、美しい泡の塊が滑らかに追従する。水の中で優々と挙動する、泡と少女。気がつけば、オレはこの人工の縦穴になど目もくれず、彼女のことばかり眺めていた。

 

「手纏さんの能力、初めて見たけど…素晴らしいよ。綺麗な泡を纏って…まるで人魚みたいだね。」

 

「へうっ…!…そ、そんな…。て、照れちゃいます……。」

 

最も近い窓から、物体が打ちつけられる音が響いてきた。目を向けると逆さに映る火澄が、オレに絶対零度の視線を浴びせていた。あ。やべえ。今の通信、火澄にも聞こえてんじゃん。

 

 

 

努力もむなしく。水泳場を出て、帰りのバスに乗る際まで、火澄の機嫌は直らなかった。物理的にも、精神的にも1人除け者に去れた彼女は、相当にへそを曲げていた。

 

Underwater City 探索中も、気づけばケツの周りの水が熱湯に変わっていて、大変な思いをした。その時には必ず、近くの窓から悪魔の笑顔が。

 

バスから顔を出した火澄に、今度こそ上達した泳ぎっぷりをみせておくれよ、とお願いしてみたが、べーっと、舌を突き出され拒絶されてしまった。はは。今日はホントに楽しかった。

 

 

 

 

夏休み。機嫌を損ねた火澄にはあまり相手をしてもらえなかった。必然、友達がゼロのオレはやることが無い。偶に幻生先生の呼び出しを受けてこまごまとした実験に手を貸したりもした。

だが、ほとんどの時間は、まるまる一年午後の授業を受けずにいた負債の返済のため、おとなしく自主的に補習を受講することに当てていた。

ふふふ。この夏、オレは"偏差値"を以前の水準に戻せたんだぜ…。物哀しい中学二年生の夏は、灰色のまま幕を閉じた。という訳で、当然、夏の間は、うちの園の中にたむろしていた時間は比較的長かった。

 

 

たしか夏の終わり頃からだったろうか。真泥の様子が少しおかしくなった。以前から他の子とは若干違う挙動をする子だったため、この時はそこまで気にかけなかったんだ。今にして思えば、直ぐに気づくべきだった。彼が抱えていた苦悩に。今でも後悔が募る。

 

 

 

 

ねっとりした温風、不快指数をかち上げる湿気も、秋の長雨が洗い流してくれた。秋分がつい最近通り過ぎたばかりであり、まだそこまで差はないはずなのだが、夏を挟むと不思議と、日が落ちる時間が早くなった気がするものだ。

 

今年の大覇星祭では、折角の数少ない霧ヶ丘付属の参加枠を、惜しくも逃してしまった。大多数の霧ヶ丘付属中学生徒と同じく、傍観者となったものの、そのおかげで火澄や花華たちなどの競技は余さず観戦できたのではなかろうか。

 

大覇星祭中は、色々と上手くことが運んだように思えた。が、やはり、ひとつ問題が有った。夏の終わりから真泥の様子がおかしい、その事に確信を持ちつつあった。大覇星祭の時に、競技に姿の無い日が幾つもあった。態度も変わった。一人で行動することを好むようになり、休日はもっぱら一人で街へ出かけるようになった。誰にも行き先を告げずに。最近は頓に暗い顔をしている。

 

ある時、そんな真泥の様子をみて花華が、昔のかげにいに似てきたね、とからかった。その発言でオレはとある可能性に行きついた。もしや、いつぞやの"ボク"のように。

 

真泥と腹を割って話そう。そうふん切りがついたのは、彼の口から、5日間の検査入院のため、園の仕事の当番を代わってくれ、と頼まれた時だった。

 

「真泥。最近元気無かったのは、やっぱりなにか病気してたからなの?5日間も検査入院って。クレア先生も酷い顔してたよ。」

 

「だ、大丈夫です。違います。最近風邪気味だったので、お医者さんに診てもらいに行ったんですけど、その時に一応念のために検査入院してくれ、って言われただけです。そんな大げさな様子ではなかったです。心配しないでください。景朗兄さん。」

 

真泥はそう言って安心してくれという表情を送った。彼の顔ではなく、オレから逸らされたその眼を凝視した。なつかしい。見覚えがあった。それは、何かに脅える目、必死に耐えようとしている目、自分を偽ろうとしている目だ。そう思えて仕方が無かった。昔、鏡で何度も見た気がする…。

オレの第六感は恐ろしいほどに警報を鳴らしていた。いつでも気づけたはずだった。なぜもっと早く…湧き上がる焦燥を能力で押さえつけた。自分を強制的に冷静にした。

 

仮に。仮にだ。仮に彼がオレと同じ立場になりつつあるとして。今までみんなに黙って、"それ"を何食わぬ顔で行ってきた、そのオレに何か言う資格があるか?彼に「やめろ」と言う資格が、ほかならぬオレにあるだろうか。全くもって微塵も存在しないはずだ。何も気づかなかった、という表情を造り、真泥と別れた。

 

携帯を握りしめる。確認しなくては。杞憂であってほしい。きっと幻生先生は「キミは突然何を言い出すんだね?」と呆れた表情を返してくれるはずさ。いくらなんでも邪推し過ぎかな。

 

 

 

 

さっそく幻生先生と都合をつけた。ちょとしたデータ収集を見返りに、彼と一対一で話せる時間を捻出して貰った。この人は老獪だ。オレの手には余りに余る人である。最初から、単刀直入に真泥の件について確認した。

 

オレの祈りは叶わなかった。オレの糾問に、幻生先生は弱り果てた表情を作った。だがその眼は、眼だけは、どこか愉快そうな色を含んでいる気がしてならなかった。

 

「そうか。気づいてしまったか。その顔を見れば確認するまでも無いようだね。景朗クン、キミとの付き合いも長い。事ここに及んだならば、正直にキミに教えよう。…これでも、キミに伝えるべきかずいぶん悩んだんだがね。」

 

事実だった。真泥はやはり幻生先生と関わりを持っていた。オレに伝えるのを悩んだ?素直にそれを信じる訳無いだろ。真泥に何をさせようとしているのかはわからないが、なんとしてもやめさせなければ。

 

「そう、悩んだのだが。最終的に、調川(つきのかわ)クン本人の意思を尊重したのだよ。彼も在りし日のキミと同じ想いだったのだよ。…キミが我々の行動に怒りを覚えるのはよく分かる。キミが施設の輩を大切に思っていることは重々承知の上だった。故に、打ち明けなかったことは謝罪しよう。だが、どうか最後まで私の話を聞いてほしい。私なりに、キミを慮ってのことだったのだよ。」

 

「…どういうことですか?」

 

「調川クンは今、以前のキミと同じ状況下に居る。即ち、我々の実験に協力する代わりに、施設に経済的援助が行われるのだ。この事は、キミに内密にすべきではないと思った…が。調川クンの意思は、思いのほか固くてね。施設の皆には黙っておいてくれと、断固として私に口止めを要求したきたよ。それで結局、敬意を持って彼の要望に答えたのだ。」

 

「幻生先生。あなたは相変わらずまだるっこしいですね。教えてください。そもそも真泥を巻き込んだ理由を。」

 

「最初に言っただろう。まずは最後まで話を聞いてくれと。怒りを収めてくれないかね。キミなら雑作も無いだろう?」

 

幻生先生はため息をついた。

 

「それでは、理由から先に述べよう。私は以前からこう考えていたのだ。…キミは少々、あの施設に思い入れが強すぎる。出会ったころに教えてくれたね。キミは、中学卒業後には、あの施設を出ていくつもりなのだろう?私は今後も、キミに能力を提供して貰い、様々な研究を行う腹積もりだ。だが、キミの様子を見れば、中学校を卒業した後も、かかわりのなくなったあの孤児院にそのまま寄付を続けていく腹積もりではないか。確かに、キミがあの施設に"滞在"している間は、その要求は筋の通るものだと思うが。それ以降は、果たして、道理にかなった行いと言えるだろうか?」

 

オレは何も言い返せない。自分だってずっと悩んでいたことだったから。

 

「今年の春に、私が打診し、キミが断った実験。その実験の被験者を選別している時に、ふと閃いたのだよ。キミの施設に次々と入ってくる子供たちにも、我々の研究を手伝ってもらえば良いとな。キミが居なくなった後も、調川クンが我々に協力してくれれば、継続してキミたちの施設に我々も援助できよう。孤児院には莫大な金額を寄付している。何の理由も無しに、そのような振る舞いはできかねるからね。」

 

「なんだって!真泥を、あの時あなたが危険だと言った実験に参加させているんですか!?」

 

声を荒げたオレに、幻生先生は初めて、厳しい視線を送りつけた。

 

「彼は自ら選んだのだ。自らの意思で。以前のキミのようにな。前にも言ったが、キミに、他人の意志、その選択に、どうこう口を出す資格があるのかね?ましてや、調川クンの覚悟を、他ならぬキミがどういった道理で妨げようというのかな?」

 

窮したオレに、彼はさらに畳みかけた。

 

「無論、私が道理を説くのも許されぬことだが。…景朗クン、調川クンの参加している実験は、危険だとは言ったが、それは、想定の範囲を超えた、不運がいくつも重なった最悪の事態に陥らなければ、命の危険は無いといってよいものだと言っておこう。

 

…さあ、どうするかね?調川クンを計画から外そうと思えば、できなくもない。ただ、その場合は、キミは何時までとも知れず、とうに関わりを無くした孤児院の救済を望み続けることになるだろう。また、既に調川クンとは契約をきっちり結んでいてね。それを反故にしようというのなら、それ相応のベネフィットを我々に提供してくれなければ。」

 

濁って。暗くて。狂気に包まれた瞳がオレを射抜く。理解した。この人は…。この人は、最初からオレに…。

 

「調川クンの代わりに、今我々が取り組んでいる実験にキミが協力してくれるのならば。非常に喜ばしいのだがね。」

 

喉に出かかった、ありとあらゆる文句、罵倒を必死に飲み込んだ。なにがオレのためを思ってだ。まるでマフィアのやり口だ。何も知らないガキを騙して…。

 

だが、オレがここでこの人に思いのたけをぶちまけたとして。それでどうなる?きっと何も変えられない。状況が好転するわけない。中学二年生の立場では、何もできない…。

 

「…わかりました。その実験に協力しますよ。だから、真泥のことは…真泥だけじゃない、うちの施設に居る全員に対して、今後これ以上、あなたたちの実験には係わらせないと約束して下さい。」

 

「…それで本当に良いのかね?」

 

「はい。最初に、オレが貴方の口車に乗ってしまったのがすべての元凶でした。…だから、責任は最後までオレが取らなければいけません。」

 

「耳が痛くなるような言い方をするね。だが、こちらも慈善事業をやっているわけではない。言い訳はするまい。…今日は何にせよ、キミの実験への協力を漕ぎ付けられた。それで良しとしよう。」

 

全く、コイツは…。オレが了承の返事をしたとたん、すぐに何時もの作り笑いが貼り付いた。

 

「さっそくだが、明日からにでもすぐに我々の研究に参加してもらいたい。自発的なキミの協力を得られて本当に良かった。昨今の研究で、キミの能力は最上級にレアな研究対象となっているからな。なかなか上から使用許可が下りなくてね。困っていたんだよ。キミ自身の意思で研究に加わるならまだしも、私の個人的な研究用途として、キミを強引に実験に使うことは禁止されていたのだよ。ただし、キミの同意が得られるなら、その問題も無くなるわけだ。」

 

そういうことか。オレをその実験にどうしても使いたくて、わざわざ真泥をダシにしたのか。…畜生。

 

「統括理事会肝入りの実験。ただ手足としてこき使われているだけならば、私は現在の地位に伸上がれておらんよ。…景朗クン。これを言うのは何度目だろうか。キミの素質を非常に買っているのだよ、私はね。今、我々が取り組んでいる実験は、さっきも言ったが統括理事会、上層部肝入りの大変重要なものだ。この際、キミにもその目的を理解してもらうとしよう。」

 

あんたがやってるクソみたいな研究のいくつかは、この学園都市のお偉いさんが望んだものだったと。徹底的に腐ってやがる。この街が急に…地獄に思えてきた。

 

「現在、学園都市で第一位の超能力者(レベル5)、"一方通行(アクセラレータ)"。彼の脳が織りなす、演算特性(アルゴリズム)精神性(マインド)、"自分だけの現実(パーソナルリアリティ)"を切り取り、個々人の能力者に、能力の向上に適切な処理を施して貼り付ける。

 

そのような試みに挑戦中でね。現段階では、被験者個々人の脳波、パーソナルリアリティの解析を行い、彼らの能力の向上に最適な"一方通行"の特性の算出過程にある。」

 

一方通行(アクセラレータ)。耳にしたことがある。霧ヶ丘付属には今、学園都市の超能力者の中でも最強、第一位の能力者が在学しているらしいと。

…どうやら、その話は信憑性が高いみたいだな。やれやれ、噂も馬鹿にならないね。しかし、その第一位の超能力者さんが、まさかこんなところで関わってくるとは。

 

 

「その後の、彼の特性の被験者へのインストール方法についてだが。知ればきっとキミも驚くだろうな。"学習装置(テスタメント)"。キミが開発にかかわったあの装置(デバイス)だよ。アレを使う。

 

もっとも、布束クンが調整したような生易しい設定ではなく、我々が独自にチューンした特別製を使うがね。」

 

「へ?……えっ…?」

 

そ…んな…。どうして…どうして、コイツらは、オレを尽くそちら側に引っ張り込もうとするんだ。…クソッ!止めたくても止められない。オレにはコイツらの悪事をどうすることもできない。

 

もしこれから"学習装置"で被験者が傷ついたら…その責任は少なからずオレにもあるんじゃないか!?。"プロデュース"の時だって、オレがコイツらに協力していなければ、恐らく被験者は…!

 

幻生は話を区切ると、小さく息を吐いた。オレを見つめる、そのにやけ面は最高潮に達しただろうか。あんたは、オレがあんたの話を聞いて、一体何を想うのか、微塵も興味がないんだろうな。いつの間にか彼は愉快そうな口調になり、長々と、オレに目をつけた理由を語りだした。

 

「そこでだ。私はこの計画を上層部の連中に押し付けられた時に、ひとつ素晴らしいアイデアを閃いてね。その試みの実行のために、私自ら計画の指揮を執ることにしたのだ。

 

その肝心の"試み"とは、キミのことだよ、景朗クン。"学習装置"が擬似的に人間の五感に干渉するための、基本的なアルゴリズムは、すべてキミの脳と能力から蒐集したデータが基盤となっている。であれば、まず間違いなくキミと"学習装置"との親和性は最高のものとなる。

 

また、開発の過程で、我々が掴んだキミの能力のポテンシャル、例を挙げれば、能力によって賦活されるキミの脳細胞の耐久性の向上などがあるがね。そういったキミ自信が元来有する、今回の実験への適正も考慮すれば…。」

 

ごくり、と幻生はつばを飲み込んだ。興奮した表情には嫌悪感しか抱かない。期待に満ちた表情ではあるが、その目だけは、実験素材を見る目つきであった。

 

「必ず成功する。キミの"自分だけの現実(パーソナルリアリティ)"に直接、"一方通行"の演算特性(アルゴリズム)を組み込むのだ。

キミの脳はその負荷に必ずや打ち勝ち、超能力(レベル5)級の演算能力を獲得するだろう。かつて無い成果となる。

私は有史以来初めて、強制的に"自分だけの現実"を拡張させ、"超能力者"を産み出す!その第一歩を踏み出すことになるだろう!」

 

 

興奮と欲望で濁りきった彼の瞳は、オレを捕らえて離さない。ダメだ…。オレはもうきっと戻れない。とっくの昔に学園都市の暗部に飲み込まれてしまっている。せめて、真泥だけでも救わなければ。これ以上他の誰かを巻き込みたくないよ。

 

最後まで、幻生に言いたい放題言われたな。丸め込まれたように思えるが…。違う。そもそも始まりから、彼の手のひらの上で踊らされていただけに過ぎなかったんだ。

 

オレが何もかもをかなぐり捨て、すべての責任を投げうって、逃げだせば…?いや、学園都市のお偉いさん方がグルなんだ。上手くいくはずはない。オレの打てる手は限られている。ここで、この学園都市の暗部の淵で、踏み留まるしかない。

 

 

 

 

幻生の、この"実験"に対する意気込みは相当なものだった。あの日の翌日から早速、オレは彼の命令で、演算データの処理や収集に付き合わされた。

そして、布束さんと一緒に一年近く滞在した先進教育局、木原研究所の一室で、今日も頭痛に耐えている。

 

"本番"前の最終調整――要するに、"一方通行"とやらの、演算パターンの処理が彼らの理論値通りに加工されているか――、その為の、リハーサル、確認作業に付き合わされているのさ。

 

そもそも、本来の"学習装置(テスタメント)"は未だに布束さんが監修しており、現時点では未完成である。今回の実験で使われる"洗脳装置(テスタメント)"は、その完成前のプロトタイプであり、必要最低限のプログラムしか組み込まれていない。そのために、基盤になったオレから直接、必要とされるデータを集めているのだ。

 

この確認作業中に、オレの脳に叩きこまれるのは、オレ専用に加工されたデータではない。オレ以外の、哀れな犠牲者たち。つまり、この実験の、他の被験者に合わせて加工されているものだ。それ故、能力を全開にして、送られてくる演算パターンに抵抗しなくてはならない。

 

脳を無理やり歪められるような、激しい頭痛が常に付きまとう。痛覚を操作すれば、痛みを感じることもないのだが、それだと研究者たちは"正しい解答"が得られないらしいのでね。痛覚の操作のみ、許可されていなかった。

 

 

幻生は真泥をこちら側から解放した、と宣言した。オレは彼をそう易易とは信用できないので、注意深く確認していくつもりだ。

 

 

 

依然として、名称の決まっていないこの"実験"。参加してから随分と経ち、外を見れば、すっかり冬景色へと移り変わっていた。

へとへとに疲れたオレの耳に、幻生からねぎらいの言葉が入ってくる。気づけば、今日のノルマも終わっていた。

 

「辛そうだね、景朗クン。いつもいつもすまないね。そんなキミに朗報だ。そろそろこの作業も終わりに近づいてきた。もう少しで、次のステップへと進めるだろう。今日までのような苦痛ともお別れだよ。」

 

「それは素晴らしい。間違いなくそれは朗報ですね、幻生先生。」

 

辺りを見渡せば、皆実験の後片付けを始めていた。体に取り付けられた拘束具を外す。すっかり手慣れたもので、もはや目をつむっても数秒で取り外せるだろう。

 

能力を発動させて、精神をフラットな状態へと矯正した。この人の話は、しっかりと耳に入れておかなければ。

 

「来年の頭には、いよいよ実際に被験者たちの"自分だけの現実(パーソナルリアリティ)"の加工を開始できるだろう。ああ。心配しなくていい。キミのように見込みのある者たちは、しばらく"性能(スペック)"の低い者たちに試してみた後で、一通りの整形のノウハウを得てから実験を行うからね。」

 

「……そうですか。」

 

全然嬉しくないよ、そんな話を聞いても。どこまでも、人間を実験材料(モルモット)扱いか。もはや怒りもいちいち湧いてこない。能力を使わずともな。特に、保護者の居ないオレ達"置き去り"に関して言えば、コイツは完全に、研究者のための実験素材としか認識していない。

 

オレに対する認識だってそう変わらない。いや逆に、希少価値、有用性がある分、もっと始末が悪いだろう。これから犠牲になる他の被験者たちのことを想い、何度も、すべてを投げうって、実験から逃亡しては、と考えた。

 

しかし、本格的にこの"実験"に関わって行くうちに重々理解した。この実験は、オレが立ち会わなければそもそも成り立っていなかった。オレがいなければ、恐らく彼等は途中で立ち往生していただろう。

 

最初から、完全に。幻生はオレを無理にでも取り込む気でいたのだ。十中八九、真泥を巻き込んだのは、オレを引き込むためにやったことだろう。

今年の春、幻生の誘いを断らなければ、ヤツは真泥に興味すら示していなかったはずだ。

 

 

だんだんと、こちら側、学園都市の暗部世界の理が分かってきた。一度でも目をつけられ、身に染まってしまえば手遅れさ。光の世界で安寧と生きていくことは不可能だ。

 

闇の中で、大切な人たちを巻き込まないように生きていければ、それだけで奇跡なんだ。真泥を救いだせただけでも、行幸だったと考えなければ。

 

 

幻生はオレの渇いた態度に勘付きもしない。席を立ち、実験室から退出すると彼も後を追って来た。

 

「ああ、楽しみで仕方がないよ。キミの他にも見込みのある被験体があってね。空気中の窒素を操る、空力使い(エアロハンド)系の娘が2人。キミと同じく、どちらも強能力(レベル3)級の出力を持つのだよ。

 

重要な点は、その両者の能力特性(スペック)が非常に似通っているという点でね。彼女らの"自分だけの現実"に、それぞれ"異なる領域(クリアランス)"を与えてみるつもりだ。木っ端のような弱小の能力者では観察し難い、我々の操作による能力の発達の相違がより浮き彫りとなるだろう。」

 

後ろを歩く幻生の声に耳を傾けていたその時。突然、通路の角から少女が飛び出して来て、オレにぶつかった。

 

咄嗟に受け止めたが、その行動はお気に召されなかったらしい。彼女がオレの腕の中で、嫌悪感を剥き出しにしたその瞬間、彼女とオレの間のわずかな空間に突如、突風が発生した。

 

その風圧は凄まじかったが、瞬時に重心を落とし、なんとかその場に踏みとどまった。すると、代わりにその女の子が吹き飛んだ。飛ばされた直後に、彼女は表情を驚きに染めた。どうやら、この突風は彼女が生み出したらしい。それで、オレが吹き飛ばなかったのは想定外だったと。

 

その娘はそのまま壁に激突するかと思ったが、ぶつかる直前に速度が緩やかになった。まるで壁との間に見えないクッションができたかのように、ふわりと制止し、危なげなく彼女は着地した。その後すぐにオレに向かって両手を構えた。

 

少女の外見はまだ小学校の中学年ほどだ。花華や真泥と同じくらいの年頃だろうか。黒髪を肩のあたりまで伸ばし、可愛らしい外見とは似ても似つかない、黒く濁った瞳で睨みつけてくる。…いや、ブツかって来たのはそっちだろうよ。

 

「おお、ちょうどいい。噂をすれば、だ。景朗クン、彼女だよ。黒夜海鳥クンだ。今話していたばかりの、窒素を操る能力者、そのうちの片割れだよ。」

 

その黒夜海鳥という少女は、幻生の言葉に過敏に反応した。もとから嫌悪感を晒していた顔が更に歪む。

 

「幻生先生。その"片割れ"呼ばわりはやめてくれよ。あの超超うるせぇクソガキと一緒にされちゃたまんないんだよね。」

 

黒夜海鳥は幻生に対してはあからさまな敵意を向けなかった。そう、その代わりに、彼女の険しい眼光がオレを捕らえて離さない。

今だに構えを解かず、油断なく両手の掌をオレに向けたままにしている。なぜオレをそこまで敵視するんだ?そう疑問を感じながら見つめていた、彼女の口が開いた。

 

「気に障る野郎だと思ったら。アンタが噂の雨月景朗か。こんな間の抜けたツラしてやがったとはね。」

 

「初対面の君にこう言うことを言うのは憚られるけどさ。とりあえず、掌を向けるのを止めてくれないかな。能力を屋内でそうぽんぽんと使わないでくれよ。オレはともかく、幻生先生のようなご老体にその風は障るからね。」

 

のっけから飛ばすな、この娘。しかし、初対面の少女にこんなに嫌われているとは。オレはこの研究所でなんて噂されているんだよ。思いきり警戒されているが、この少女は幻生によれば、オレのせいで被害に会う被験者のうちの1人なんだよな。

 

「話に聞いただけで気にくわねぇヤツだとは思ったが。ここまでいけ好かない野郎だったとはね。それはそうと、オマエ、去勢された犬みてぇな目で私を見てんなよ。自分勝手に1人憐れんでるんじゃねぇよ。殺すぞ。」

 

一体どうしろと。考えあぐねていたところに、幻生の仲裁が入った。

 

「落ち着きたまえ、黒夜クン。ここには私もいるんだ。キミに能力を使われては敵わんよ。」

 

彼の制止を聞きいれた黒夜は、オレへと伸ばした腕をしぶしぶと降ろした。憎悪に塗れた鋭い眼光は已然残されたままだったが。幻生は黒夜の様子に満足したのか、今度は彼女にオレを紹介し始めた。

 

「黒夜クン。彼が、この計画の開始時に話した、雨月景朗クンだ。どうやら、キミは景朗クンと仲良くする気はないみたいだがね、これだけは言っておこう。彼に危害を加えるな。キミも優秀な被験体だ。少々の気まぐれには目をつぶろう。だが、計画の要である景朗クンは手を出さないことだ。覚えておきたまえ。」

 

黒夜は予想通りに、幻生の警告に対して、さも煩わしそうに首を縦に振った。

 

「わかったよ、所長さん。ほんのお茶目だってば。ちやほやされてる噂の坊ちゃんが、どんなヤツなのか確かめたかっただけさ。」

 

それだけ告げると、彼女はこれ以上は面倒だと言わんばかりに盛大にため息を吐き、オレ達の前から去っていった。幻生はオレに向き直ると、心配そうに説明をしてくれた。

 

「見ての通り、黒夜クンは少々血の気が多くてね。制御しづらい面があるのだ。数少ないレベル3のサンプルでもあるからね。彼女と衝突して、無駄に実験素材を摩耗させたくはない。キミも、彼女と積極的に関わるのは控えてくれたまえよ。とはいえ、彼女は長大な射程を持つ能力者だ。向こうがその気になれば、キミは少々不味い事態に陥るかもしれんな。」

 

さっきの風圧程度なら、全く屁でもなかった。が、窒素を使うと言ったか…。確かにまずいな。窒素を使って、無酸素状態なんかにされれば、打つ手がなくなるかもしれない。空気は殴れないからな。彼女にそれができればの話だが。

 

そんなことを考えていたおり、思考から回帰した幻生がふたたびアドバイスを与えてくれた。

 

「…ふむ。そうだな。彼女ともう1人、窒素使いの娘がいると言っただろう。絹旗最愛という子だ。黒夜クンとは犬猿の仲でね。やむを得ない場合は、彼女に頼ると良いだろう。2人が出会えば、間違いなく互いに罵り合いを始めるだろうからな。それでキミは身の安全を確保できよう。」

 

…え?なんだそれは。本気で言っているのか?呆然として突っ立っていると、幻生は安心した様子で、オレを放置し、書斎へと帰って行った。本気かよッ。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

episode06:人狼症候(ライカンスロウピィ)

 

師走。今年の暮、降誕祭の期間中。例年と変わりなく、皆が一同に集合して祝いの場を盛り上げた。火澄との一端覧祭の約束をすっぽかしたオレは、彼女に拗ねられ、無視された。いわゆるJCのシカトってやつでせうか。チビどもを味方に付けようとしたものの、奴らはみな火澄"お姉ちゃん"の味方だった。

てな訳で、そこそこに居心地の悪いクリスマスだった。

 

…いや、クリスマスなんてどうでもいいか。心配していた真泥に関してだが、幻生のヤツ、きちんと約束を守ってくれたみたいだ。相手が相手だからとても不安だったが、約束通り真泥は暗部の厄介事から完全に開放された。

そのせいで、真泥は一時期落ち込んだが、今ではわりと元気を取り戻しつつある。これで良しとしよう。

 

 

年が明ければ、いよいよ、"自分だけの現実(パーソナルリアリティ)"の直接的な"拡張"や"強制"を行う、と幻生は宣言していた。現状のプランでは、オレは一方通行(アクセラレータ)とか言う最強の超能力者(レベル5)固有演算式(アルゴリズム)をぶち込まれることになる。

 

相変わらず小学5年から能力強度(レベル)強能力(レベル3)のままだが、これがヤツが言う様に突然、超能力(レベル5)にレベルアップするもんかね。期待してないわけじゃないが、やはり想像しがたい。

 

ただ、まあ、あの黒夜海鳥とやらに再び絡まれた時に、大能力(レベル4)くらいになっていれば、自分の身を自分で守れるかもしれないか。

 

 

 

 

 

年が明けてしまった。長期休暇明けから間も無く、いつぞやの"学習装置(テスタメント)"の開発と同様に、午後から丸々、お馴染みの先進教育局へと駆り出される日々であった。

 

幻生が口にした、絹旗最愛というショートヘアーの小学生にも遭遇した。一目でわかったよ。なにせ、通路の真ん中で、黒夜と口喧嘩を繰り広げていたからな。

今にも暴れだしそうな黒夜と鉄面皮で毒を吐き出す絹旗、彼女らの周囲に張り巡らされた空気の壁に、職員さんたちは迷惑そうにしていた。

 

君子危うきに近寄らず、だ。もちろんオレは彼女たちに見つからないよう、そっとその場を離れた。

 

 

 

"自分だけの現実"の領域(クリアランス)の拡大が試行されている被験者たち。つまりは、何処からか招集された"置き去り(チャイルドエラー)"の"能力者"である。彼らの能力の改善はやはり一朝一夕で成果を得られるものではなかった。今現在、頻繁に実験のやり直しが行われている。

 

なぜオレがそれを知っているのか。答えは簡単だ。その実験のやり直しにオレの脳みそが使われるからな。

 

失敗すると、その場ですぐさま、入植用の"一方通行"の特性値の再演算が行われる。その都度、オレはあの拷問器具に繋がれる羽目になっていた。

当然、その時には、去年の年の暮に苦しんでいた時と同様の頭痛が生じる訳で。以前と変わらない待遇に、俺は怒りを覚えていた。

 

 

 

 

中学二年生でいられるのも残りわずか。桜の開花はまだもう少し待たねばならないだろうか。確か二月の半ばだったはず。その週末は最悪の一言に尽きた。

朝から晩まで一日中強制偏頭痛の重労働が課せられるわ、黒夜海鳥に絡まれるわで。

 

 

実験と実験の合間の、つかのまの憩いの時間。昼食をとろうと休憩所に立ち寄ろうとした時に、不運にも黒夜に出くわした。いや、正しくは待ち伏せされていた、と推察すべきか。

彼女は一見、気だるそうに壁に依りかかっていたが、オレを目にするとこちらに近づいてきた。

 

「アンタ、相変わらずふぬけた顔してんなあ。所長にさんざん聞かされたが、どう見てもそんな大した奴だとは思えないんだよね。ここのイカれた研究者どもが後生大事にするほどの価値があるとは、とてもじゃないが思えないなあ。」

 

全く。なぜこの娘はこうもオレに敵意を向けるんだろう。それほどまでに、変な噂とやらが広がっているんだろうか。是非とも拝聴させてくれ。誰か教えてよ。

 

…しかし、困ったな。彼女に掛ける台詞を考え付けない。面倒臭くなって、ひたすら黙っていた。その日のオレは疲れていた。きっと相手をするのが面倒くさい、そういう態度を前面に押し出していたのだと思う。

 

「…舐めたツラしやがって。やっぱりさ、この間の続き、ここでやらしてくんないかな?心配しなくとも、命までは取らないからさ。アンタの価値。私にも確かめさせろよ。」

 

そう言って、掌をこちらに向けた。即時に、強烈な空気の壁がオレに衝突した。彼女に攻撃される予感をひしひしと感じていたので、構えて防御する。

壁の圧力は強く、疑い無く一般人が食らえば危険なエネルギー量だったろう。しかし、この程度であれば、オレは何ともない。

 

「あらら。どうしちゃったのかにゃーん?私の力に、耐えるので精いっぱいなのかな?」

 

そちらこそ、窒素でオレの動きを阻害しているだけで満足なんですか、と言わせて貰いたい。そもそも彼女がオレに攻撃する動機は何だろうか。やはり、オレの能力がこの下らない実験の引き金になったから?

 

…そうかもしれないな。"原因"に目の前で飄々とのさばられては、平静を保てなくても仕方がないか。オレの”価値”がどうこういってたしな。

 

「安心してくれ。これ位の風じゃなんのダメージもないよ。」

 

彼女の頬がぴくりと釣り上った。その後、オレの言葉が真実であると悟った黒夜は、ひとまず風の壁を生み出すのを止めた。そして油断なくこちらを睨みつける。この様子だと、またすぐ次の手に打って出てきそうだな。

 

「キミの恨みは当然の感情だろうさ。でもな、こっちだってキミの置かれた状況と大差ないはずだ。恐らくね。学園都市の暗部にずぶずぶと沈み込んで、気がついたらもう、自分ではどうしようもなくなっていた。あいつらには逆らえない。ここにいる誰もが。…そういう訳で、キミには悪いが、これ以上危害を加えようってんなら、こちらも精一杯抵抗させてもらう。」

 

彼女にオレの想いが伝わればと願い、一息で言い切った。供に、実験に巻き込んですまなかったと、申し訳なく思いつつ、黒夜と視線を合わせる。

 

ところが、彼女は掌を治めてくれるどころか、壮絶に顔を歪め、こちらに対して凶悪な憎悪の念を爆発させた。

 

「ああ?オマエ、なんなんだその眼は。まさか、私を憐れんでるのか?…冗談じゃない。オマエみてーな、キンタマ抜き取られた犬が私に同情かよ。やれやれ。本当に殺したくなっちゃうじゃないか。」

 

そう告げ終えるか否や、再び掌をこちらに向けてきた。だが、先ほどのような風塊は襲ってこない。黒夜から溢れ出す殺気は依然として膨れ上がったままだ。彼女への警戒を一層強めるため、能力を本気で発動させた。

 

一瞬の空白の後。かすかな風の流れを察知した。一体何をしているんだ?

 

「さ・て・と。準備完了。あとは首をシメるだけって訳さ。」

 

不穏なセリフとともに、黒夜の口元が愉快そうに釣り上った。すでに何かを仕掛けられたのか?そんな気配は全くなかったぞ。彼女に張り付いた自身はハッタリなのだろうか。わからない。

 

このまままんじりと相手の出方を伺いつづけるのが不安になってくる。痺れを切らしたオレは、自分も動きを見せようと考えた。深く息を吸い込んで、黒夜に飛びかかろうとした。その瞬間。

 

 

いきなりだった。意識の断絶。視界が暗転し、狭まる。あれ…どうし…て……

 

 

体から力が抜けていた。気がつけば、オレは地面に倒れ、伏したまま黒夜を見上げていた。何が起こった?いや、何かされたのか?!

 

ぼうっとする頭に、黒夜の笑い声が響いた。

 

「ひっはははははははは。アンタ、大口叩いたワリにザマないな。もしかして、実戦経験全然ないんじゃない?こいつはとんだ期待外れだったかにゃーん。どうだい、酸素欠乏症(Anoxia)の味は?」

 

思考回路がヒドく単純になっていた。随分と気持ち良さそうに笑っているな。黒夜の子供離れした醜悪な表情を眺めつつ、オレはそんなことを考えていた。起き上がろうともがいてみたが、体に力が入らない。

 

同時に、こんな状況、今までの実験にもあったな、と思い出していた。"プロデュース"の日々を。あの時みたいに、能力の発動だけは持続させてみたら…。

 

そうやって無意識のうちに、能力による身体の活性化だけはなんとか続けていた。これも実験で培った技術さ。真面目に実験材料として頑張っていた、その努力が実ったとでもと言えばいいのか。悲しい話だな。

 

黒夜は完全に勝利を確信し、油断していたんだと思う。徐々に、正常な意識を取り戻しつつあるオレの様子に気づかなかった。

 

そう、オレは、未だに罵り続ける彼女の言葉を、だんだんとはっきり聞き取れるようになってきていた。ついに、意識の覚醒がある準位を超えた。そして一気に、体に力が戻った。

 

そうか。酸素か。オレは上手い具合に、無酸素状態にある空気を吸わされたのか。不覚にも、思いきり深く吸い込んでしまったから、一気に意識をやられてしまったという訳だ。

 

畜生。自分で自分を罵倒せずにはいられなかった。黒夜と喧嘩になったら、今のような攻撃を受けるかもしれないと、前々から想定できていたじゃないか。彼女の言うとおり、これが実戦経験の差ってやつだろうか。完全にオレの注意不足だった。

 

彼女曰く、オレは今無酸素環境下にいるらしい。だが、どうしてかはわからないが、体にはある程度の力が戻っていた。

しかし、この状態も何時まで続くか分からない。女に手を上げるのは気が咎めるが、彼女が油断している今なら、不意を突いて反撃できるだろう。

 

先程は、相手に明らかにわかるほどに、堂々と深く息を吐いてしまっていた。同じような間違いは犯すまい。オレは伏したままの状態で、彼女に飛び掛るべく、タメをつくる。そして、いざ仕掛けんとして。

 

 

吹き飛んだ。オレが。

 

 

油断していた。起き上がろうとしたまさにその時。黒夜とは違う方角から突風が吹きぬけて、倒れていたオレを数メートルほど転がした。

 

「その辺にして置きなさい。彼がこれ以上傷つくと、後が超面倒です。もう既に手遅れみたいですが。」

 

廊下の角から、いつぞや、黒夜と口喧嘩を繰り広げていた少女が姿を現した。オレを助けてくれたんだろうか。

少々手荒だったが、感謝するよ。彼女が空気ごと吹き飛ばしてくれたおかげで、酸素が吸える。

 

気になる黒夜の反応だったが、意外なことに、続投の意思は無い様子であった。ついさっきまで最高潮だったご機嫌を、今度は最低限に不快に塗れたものに変え、新たに現れた少女、絹旗最愛に嫌悪の視線を向けている。

 

「チッ。こっちの方が面倒くせぇって話さ。絹旗ちゃんよ。心配しなくとも、アンタとは実験で白黒着くまでヤらねえよ。」

 

「それには超同意です。あなたとは何回引き分けたか覚えてませんからね。不毛な争いは超ゴメンです。あくまで"今"の状態では。」

 

少女2人の会話中に十分に酸素を吸入したオレは、黒夜の注意がそちらに向いている隙に、音もなく立ち上がった。

絹旗最愛の登場により、黒夜の後ろから殴りかかるのが憚られる空気になっている。そのまま何もせず突っ立っていた。

 

「話が早くて結構。そんじゃ、お優しい絹旗さま、そこに転がってる雑魚の回収、よろしくたの…ッ」

 

既に立ち上がり構えていたオレにようやく気づいて、黒夜は驚いた。そして3人が黙したまま制止する。沈黙の空間。

 

それは、黒夜の舌打ちによって破壊された。興が削がれたのだろうか。最後に忌々しそうに絹旗とオレを見やると、踵を返し足早に立ち去っていった。

 

 

絹旗に目線を移した。助けて貰っておいてなんだが、オレ、この少女にも好かれてる気がしないんだよね。案の定、絹旗最愛は不機嫌そうであった。オレに向ける視線は、その殆どが無関心、そして僅かな侮蔑。

 

「ありがとう。絹旗さん。助かりました。」

 

彼女はオレと目を合わせることすら嫌がった。それでも一応返事は返してくれた。

 

「黒夜海鳥には気をつけろ、と所長さんに警告されていたでしょう。あなたに何かあると、あらゆる人に超迷惑がかかるんで。次は助けません。今後は超気を付けやがってください。」

 

それだけ言い残して、彼女も直ぐにオレから離れていった。どうしてだろう。あんなんでも、黒夜海鳥と比べるとだいぶマシ、むしろ良い子だなって思えてくるんだが。わりと本気で。ちょっと可愛いし。絹旗イイ子だよ絹旗。

 

はぁーあ。踏んだり蹴ったりだったな。オレにドM趣味があれば、最高の一日だったんだろうか。

 

 

 

 

雛祭が終わり、しばらく過ぎた。ぼちぼち、"自分だけの現実"の改良後発組にも出番が廻ってくる頃合いになった。もう少し経てば、復活祭(イースター)の準備で聖マリア園も忙しくなるだろう。

どうやらオレの番はその時期と重なりそうだった。また気分が落ち込む。最近は楽しいことがほとんど無い。

 

 

光陰矢の如し。とうとう、オレ自身の"パーソナルリアリティ"にも手が加えられる。先進教育局の一室。窓のない部屋。白塗りの壁。とことん無機質な空間に、複数立ち並ぶ"洗脳装置(テスタメント)"。

自分の生み出した装置(デバイス)に、自ら実験台になるとは。その光景に、まったくもって、墓穴を掘っている気分にさせられた。

 

幻生のニタニタ笑いを背景に、滞りなく実験開始の算段が付く。幾つか設置された他の"洗脳装置"にも、被験者達が拘束され、頭部をイカついヘッドセットで覆われていた。

 

この頃知ったのだが、彼等はどうやら実際にその度の実験ごとに、簡易的な身体検査(システムスキャン)の真似事をさせられ、綿密に進捗の評価が下されているらしかった。

 

被験者たちはそれを『成績』と呼び、多くのものはより成果を得ようと実験に必死になっている。余りにその『成績』とやらが悪ければ、ペナルティが課せられるという話だ。

 

彼らの真剣に取り組む姿を見て、それぞれ個々人に、やはり"このクソッたれな場所"に踏み留まらねばならない事情が会ったのだな、と心が締め付けられる想いだった。

 

どうやら、オレよりもっと早くに本番の始まった黒夜、絹旗の両名も例外ではなかったようで、彼女たちも『成績』の向上に追われているらしい。

近頃はなお一層黒夜の機嫌が悪かった。窒息させられかけたあの時以外、彼女に絡まれてはいない。

余談だが、話しかけても存在を無視されて、絹旗ともあれ以降絡みはない。

 

 

余計なことを考えている間に、ついに実験開始の合図が聞こえてきた。なんにせよ、超能力者、それも学園都市最強の第一位"一方通行"の演算特性をぶち込まれる訳である。賭けてもいい。ロクなことにはならないはずさ。そして。

 

予想通り、いやそれ以上の凄まじい負荷。激しい疼痛。思考の渦中、ど真ん中で、例え様の無い概念がオレの脳細胞を手当たり次第に引き剥がし、分解しているみたいだ。驚いたな、体中の穴から血が噴き出そうだよコレ。あっという間に意識が朦朧とする。耐えきれず暗転(ブラックアウト)

 

後から聞けば、オレが目覚めるのに小一時間必要だったらしい。記憶が完全に覚醒したのは、その日の実験の終了間際であった。明日からは直ぐに修正が為され、また限界に挑戦していくらしい。

 

限界に挑戦するってなんだよ。オレそんなこと望んでないんだけど。本人の意思を無視して勝手に限界に挑戦されてもなあ。

 

 

 

その後の張付用演算パターンの修正とやらは、これまた都合の良いことに非常に上手く調節されていた。そのため次の日からは延々と、自我崩壊一歩手前、断崖絶壁の淵で敢えてコサックダンスを踊るが如し、謎のドM専用強化訓練合宿が開催される事態となってしまった。

 

今まで幾多の鮮烈なる試練(という名の違法人体実験)を乗り越えてきたオレにも、今回の実験はマゾヒスト養成プログラムとしか思えないものだった。

かような艱難辛苦を繰り返してなお、『成績』が低ければペナルティを負わされるのか。

オレにも『成績』の判定自体は為されていたものの、ペナルティがどうという話は全く無かった。今一度特別扱いと言われた意味を理解したよ。

 

 

オレ以外の他の被験者はもっと過酷なはずだ。噂によると、黒夜は絹旗と比して、『成績』があまり芳しくないという話。

だが、そもそも彼女たち2人の『成績』判定は、彼女たち2人の能力の性能(スペック)向上を相対的に対照比較して行われると聞いている。

それは、例えば戦闘形式の試合の勝敗であったりね。詳細を聞けば、彼女が新たに手に入れた力は、掌から噴出される窒素の槍。人体を容易く貫く出力だとか。それに打ち勝つ絹旗も化け物だな。

 

それに加えて、今挙げた2人は、一週間前に大能力(レベル4)に達したという。大した成果だと思うが、それでも良い評価を得られないのか。

よくもまあ、黒夜はオレに八つ当たりしなかったものだ。そう考えるほど、この実験のストレスは半端ではなかった。誇張なく小学生でも禿げる強度(レベル)だったろう。

 

等のオレ自身は、あまり大した成果を挙げられずにいた。日に日に一方通行の演算パターンに耐えきれる時間が増えていっているのだが。辛いことに、そのままずるずると時は過ぎ、オレは中学三年生になっていた。

 

 

 

 

 

木々が芽吹き、花が咲く季節。新たな出会いの時節、であるはずなのに、ここ数年の俺は毎年煩雑な実験に付き合わされている。小学六年生の春からこれまで、この初春のシーズンは何時だって、薬品臭い地下室に篭りきりさ。

 

 

うちの園は例年と何一つ変わらない。今朝もガキどもが楽しそうに炊事やら掃除やらの当番を話し合っていた。この一年で、オレはこの施設を出ていく。そのことは皆既に知っている。だいぶ前から話していたからな。

 

花華は最近、あからさまにオレに絡んで来るようになって、なんだか可笑しかった。一昨日の晩にも、指を切ったと言って、夕飯の準備中にオレのもとにやってきた。久し振りに「痛いの痛いの飛んで行け」なんていう懐かしいフレーズを聞いたよ。

 

花華も、もう小学五年生へと昇級している。背の伸び具合が著しい年頃だし、精神的にはとっくに第二次性徴を迎えていた。

そんな花華が、顔を真っ赤にして、照れながら「かげにい。指切っちゃった。結構深くやっちゃって、痛くて。だからね…その…久しぶりに、"あれ"やってよ。」なんて言って来たもんだからさ。盛大に笑ってしまったよ。話し方も大分変ったんだ。

皆、体だけじゃなくて心も成長していたんだな。当り前か。

 

 

 

大切な、施設の皆と過ごす日常の中でも、ふと、自身が身を置くアンダーグラウンドな世界を思い出す。

オレが時々、そうやって身の置き所が無くなっていたこと、皆気づいて居たろうな。クレア先生、花華、真泥、火澄、そして一緒に過ごす施設のメンバー達はきっと。家族も同然だったから。

 

四六時中、常に能力を使用して、いつだってフラットな精神状態にしていたら、違っただろうけど。そんなの、こちらからゴメンだった。あそこは、オレの家だからね。勝手な我儘だけど、そう決めているんだ。

 

 

 

 

 

オレの能力が価値を失うか、もしくは、実験の中で命を落とすその時まで。永遠に幻生たちの玩具のままだろうと。そう思っていた。だが、この年の五月。"俺"を取り巻く環境は再び一変した。

 

小学六年の春に味わった、今まで足を付けていた大地が、音を立てて崩れる感覚。人生を狂わす、巨大な運命の奔流。それは、これから幾度となく味わう死闘、闇の中で藻掻く陰惨な暗闘への確かな幕開けだった。

 

 

 

 

 

 

五月の初週だったろうか。その日は実験が始まる前に、幻生に少々発破を掛けられる羽目となった。

 

「この計画も、概ね順調に進展してきたが。やはり景朗クン。私としては、キミにはもっと明確な、実験の成果。もとい、能力の発達を期待したいんだがね。安易に結論を下すことはできないが、現状の首尾から言えば。最も"一方通行"の"自分だけの現実"を模造せしめたのは、恐らく絹旗クンであろうな。」

 

絹旗最愛か。彼女が挙げられたのに、驚きはないな。所員さんたちの間でも話題になっていた。絹旗の活躍に比例して血の気が多くなっていく黒夜の話と合わせてね。

 

「かねてから話していただろう。私はキミの能力に、超能力級の潜在能力(ポテンシャル)を見い出しているとね。もう少し、日々の試みに入念に励んで貰いたいものだよ。」

 

「すみません。おっしゃる通りに、もっと精進して行きますよ。ですが、レベル5級だなんて…やっぱり、持ち上げ過ぎな気がするんですが。」

 

彼は今では、事あるごとに鼻息を荒くしては、オレには超能力(レベル5)級の潜在的資質があるはずだと誇張してくるのだ。

オレは完全に、彼が謀ろうとしているものだと思っていた。いつも通り、相手のことなど微塵も慮っていない様子のまま、幻生は話を続ける。

 

「現状ではな、確かにキミはその器ではないよ。だが、キミには他の能力者にはない、特別な力がある。キミの力の本質は、細胞を自由に創り変える力、そういう類の能力であるはずだ。まだ断定は出来ないがね。

なぜなら、純粋に細胞を遺伝的に造り変えるだけではない、もっと超常的な力もキミからは確認できているからね。いわば、"進化する力"とでも言おうか。その表現がより正解に近い気がするよ。」

 

本当に"そう"だったらどんなに素晴らしいか。生憎と、そんな力の使い方はできそうにない。できるならとっくにやれてるはずだろう?

たしかに、身長に比して、体重が異常なくらい重くなっているけれど。なんと今では、120kg近くあるんだ。身長も平均よりわりと高いほうであるが、異常なことに変わりはない。

 

「最初の"切っ掛け"さえ掴めば、な。自らの殻を造り変える、最初の一歩を。

 

キミの目指す所は、"超能力(レベル5)を発現させる"ことではない。"超能力(レベル5)級の能力を発動する素養を、自ら鍛え上げること"なのだ。いいかね?」

 

無茶苦茶だな。大真面目に言わないでくださいよ…。だが、この人には何を言っても変わるまい。

 

「はい。わかりました。覚えておきます。」

 

「うむ。良い心がけだ。」

 

幻生はオレの返答に首肯すると、他の被験者の様子を確認しに行った。その途中で、常人より遥かに良く聞こえるオレの耳に彼の呟きが入ってきた。

 

「…やはり、"切っ掛け"をこちらで用意すべきだな。"アレ"の投入には、ちょうど良い頃合いだろう。」

 

 

 

 

 

運命が再び変わった日。五月の半ば。土曜日だった。お誂え向きに、その日の天気は最悪だった。薄暗い雨雲が空一面を覆い、雷鳴が鳴り響いていた。豪雨と風雷にまみれ、立ち行く人たちの話し声も阻害される。

 

 

午前中に、所内で黒夜を目撃した。一触即発の棘棘しい殺気を辺りかまわず撒き散らしていた。この頃では、所員も彼女と絹旗の確執を慮り、彼女たちが直面して能力を測定する必要が無い時は、研究室どころか実験日時すらズラしていると聞く。

 

彼女の姿を見たということは、今日は絹旗は居ないんだろうな。どうやら"ハズレの日"だ。この"ハズレの日"には、いらぬ騒動を起こさぬために、能力を使って聴覚と嗅覚を励起させてまで、黒夜との接触を避ける必要がある。面倒だなあ。

 

 

午後からの実験は、普段と所員さんたちの雰囲気が異なっていたように感じた。あくまで個人的な感想であり、推測の域を出ていなかった。そのため、浮かんだ疑問について、誰かにわざわざ訪ねたりもしなかった。

 

"洗脳装置"に座り、所定の拘束具を絞める。頭部全体を覆うデカさを持つ、SF風にケーブルが付随したヘッドセットを着用すれば、後はそばに控える研究員さんに任せるだけである。点滴や電極を幾つも付けられ、毎度の如く注射を受ける。

 

"一方通行"の演算特性、その高負荷に耐え切る時間だけは順調に長くなっている。現状では、調子がいい時でおおよそ20分は持ちこたえられるだろう。

反対に、肝心の能力の性能(スペック)の開花具合はイマイチであり、実験開始以前よりは、僅かながら能力の出力が上っている気がするのだが、検出される数値としては捗々しくないものだった。

 

 

実験開始の合図とともに、能力を程々に発動させつつ身構えた。直後、何度やっても決して慣れない、この実験特有の忌々しい頭痛が襲ってくる。

今日も今日とて、オレの精神と意識とのチキンレースの始まりか、と思いきや。今日の実験は、これまでに無い操作が加えられていたようだ。

 

心臓が大きく跳ねた。それと同時に、まるで初めて能力に目覚めた時のように、能力を安定して使用できなくなってくる。体中が脈動する。脳みそにかつてないほどの疝痛が生じた。

とても耐えきれない。この痛みは危険だと、本能で悟り、躊躇いもなく全ての痛覚を遮断し、同時に脳細胞に対する刺激をシャットアウトしようと試みた。しかし、それも出来なかった。

 

何しろ、能力をコントロールできない。痛みは時間の経過とともに増していた。キリキリと痛む頭脳を駆使して、1つの解決策を思く。能力が安定して使用できないとは言ったが、これは出力が大きすぎて上手く手綱を握れないためである。

 

オレの能力は幸いにも、発動すれば自動で自身の身体の快復・賦活に働く傾向がある。必死に能力を抑えつけて上手くいかないのなら、いっそ、完全に暴走させてしまおう。

 

咄嗟に思いついた試みだったが、なんとか成功した。心拍数や血圧、体温などは、明らかに異常な様相を呈しているものの、意識を支配していた疝痛は徐々に消えていった。

恐らく今のオレは、頭脳に生じる能力の異常を、その異常によって出力の上がった力で押さえつけ、良い塩梅に平衡状態にできているのだろう。

 

 

 

 

 

 

随分と頭痛に煩わされていた気がする。容態がだいぶ落ち着いた頃合に、ふと辺りを見回した。そして驚く。

警報が大音量で鳴り響いている。赤いランプの点滅が目障りだ。第一級警戒態勢(アラート)。既に所員達は皆部屋から絶ち失せ、残った洗脳装置(テスタメント)には拘束されたままの被験者たちが未だに呻き声をあげている。

 

何が起きたんだろう?俺は随分と長い間、意識を朦朧とさせていたようだ。

 

拘束具は一度繋げると、自分では解除できなくなっている。能力はさっきから全開状態である。身体能力も当然活性化していた。

力をこめて、拘束具を弾き飛ばす。直ぐにでもここから脱出したかったが、他の被験者を放っておけなかった。彼らを解放しようとした、その時。

 

 

凶悪な金属の破砕音とともに実験室の頑丈な扉が吹き飛んだ。…いや、よく見れば、扉の中央に大きな穴が空いている。

 

爆発したのか?

 

扉の向こうから足音が聞こえる。嫌な予感がした。そちらを油断なく注視する。ぱらぱらと埃が舞い散り、それに続いて、空洞越しに少女のシルエットが映った。

 

「hがぽうぱおfkj;lじゃgは、がぱおいうfsdjzz」

 

カンに障る、飛び切り不快な笑い声が聞こえてきた。それと同時に、今度はピンクの患者衣を纏った少女が侵入してきた。

黒夜海鳥だ。彼女が笑っている理由がよく分からい。不安だったが、彼女から今のこの状況を聞き出すしかないだろう。いや、その前にとにかくここから脱出したい。

 

「扉、開けてくれたのか?悪いな。すまないが、ここで寝ている他のガキどもを助けてスグに――ッ!」

 

風を切る音が聞こえた。反射的に、真横に飛び退った。

計り知れなく重量感のある物体が、顔のすぐ横を、唸りを上げて通過していった。

耳たぶに亀裂が入り、血が流れ出る。

 

「黒夜。どういうつもりだ、今の。当たってたら、冗談じゃすまなかったぞ。」

 

返事は返ってこなかった。警戒態勢(アラート)だったため、やはりテンパっていたようだ。落ち着いて黒夜の状態を見れば、一目で分かったのに。

彼女は体中、べっとりと血で濡れていた。並々ならぬ殺気を放ち、狂気の視線でオレを貫く。

 

あの攻撃は、彼女の能力だろう。かろうじて音は聞こえたが、姿は全く見えなかった。つまりは、あれが噂に聞く空気の槍か。…非常に拙い状況だ。距離が離れていたから、さっきの一発は奇跡的に避けれたけど。

もしまた撃たれたら、避けられるだろうか…。あの槍は出が早すぎる。唯一の出入り口を彼女が背にしている。

至近距離で狙われたら、どうなるッ…。ただの空気、いや窒素の塊だというのに、あの質量感。直撃すれば致命傷となるだろう。

 

 

黒夜はキミの悪い声を上げながら、ゆっくりと近づいてくる。能力をフル回転させ、彼女の動きに極限まで集中した。数メートル進んだところで、彼女は無造作に歩みを止めた。

止めたように見えたのだ。次に、右手を素早く揚げると、掌を近くにある洗脳装置(テスタメント)に向け―――

 

「待て!やめろッ!」

 

オレの叫び声と同時に窒素の槍が、被験者ごと洗脳装置(テスタメント)を吹き飛ばした。

人体がマネキンのように、錐揉み回転しながら壁に激突し鮮血を噴き上げる。どうみても即死だった。

 

「畜生!ざけんなよッ…!」

 

この部屋に残された人間は全部で4人だった。オレと黒夜と、たった今死んだ子供。そして、最後の1人は、あと1つ残された洗脳装置で意識を失っている。黒夜は生き残ったもう1人に向かって歩き出した。

 

オレは彼女へと、足元に転がっていた瓦礫を投げつけた。しかし、簡単に窒素の槍で撃ち落とされてしまった。黒夜は歩きながら、奇声を上げて無作為に窒素の槍をこちらにバラまいてくる。今見る限りでは、どうやら彼女は掌からしか槍を射出できない様子だった。

 

この時。完全に、黒夜の意識はオレと生きているもう1人に分断されていた。故に、そいつを見殺しにすれば。黒夜が、そいつを殺す瞬間を狙えば。彼女が背にした扉の穴へと無事逃げおおせられるかもしれない。

選択の場面だった。彼女と戦うか、被験者を見捨てて逃げ出すか。猶予はあと数秒。

 

 

 

オレのせいで、本来苦しむはずの無かった人が辛い目に遭っている。そう罪悪感を感じていたくせに。後悔していたくせに。逃げていいのか。

 

彼女が、洗脳装置(テスタメント)で横になっている被験者に向けて手を翳したその瞬間、オレは駆け出した。彼女の背後の脱出口へと。

 

苦し紛れに投げつけた瓦礫を、黒夜は槍で吹き飛ばしつつ、彼女は素早く両の掌をオレに向けてきた。彼女がそのように反応することを、オレは見抜いていた。

先程から、気が狂った様子を見せていたが、オレが少しでも身じろぎして音を立てると、彼女の体がピクリと反応するのを洞察していたのだ。

 

洗脳装置(テスタメント)に乗った生き残りを助け出したくとも、黒夜が近くにいては無理難題だ。助けたければ、彼女を倒すしかない。だが、黒夜の窒素の槍は、余りに出が早すぎる上に、槍自体も目視できない。

しかも、この部屋の中だと動き回れるスペースが限られている。広い空間へ場所を移さなければ、黒夜の窒素の槍を回避できそうにない。

この部屋の中では、絶対に黒夜の相手はできなかった。

 

一途の賭けだった。黒夜がオレを追ってきてくれるように、台の上で寝転がっているヤツに興味を示さないでいてくれるようにと祈りながら。ただひたすらに彼女の掌へ意識を集中させながら、その背後を駆ける。だが。

 

どうやら彼女は、最初からオレのこの行動を予測していたようだった。淀みなく、掌を扉に空いた空洞へと向け、そしてもう片方をオレの足元に向けていた。オレは咄嗟に飛び退って窒素の槍を避けたものの、瞬時に己の失策を悟った。

 

黒夜の狂気の笑顔が目の端に映った直後、飛び上がったオレの腹部を強烈な衝撃が襲った。

 

地に倒れ伏すほんの幾ばくかの間に、オレの頭を過ったのは後悔の二文字だった。

 

彼女の能力は強大だった。俺の能力では、そもそも一体一で逃げ出すのがやっとではなかったのか。他の人間を助けようとせずに、最初から、なりふり構わず生存のための、逃亡の一手を打つべきではなかったのかと。

 

黒夜の奇声と、"洗脳装置"の破砕音が同時に響き渡った。うつ伏せに倒れていたオレには、その瞬間は全く見えなかったが、視界の端に、飛び散る血痕の紅が映り込んだ。

最後の1人も殺されてしまった。たった今、見捨てていたらと考えていたくせに、それでも、涙が溢れてきた。

どうして。黒夜も被害者のはずなのに。苦しみを共有し合う、同志だろうが。

 

「ヒィャハハハハハアアアッハアハッキャッハッハァァァハハハハハアハアハハハアh」

 

ぺたぺたという音が近づく。止めを差すために、黒夜が近づいてきている。さっきからずっと笑っているが、何がそんなに楽しいんだよ。

必死に抵抗しようとして、体を動かそうとしたが、どうにもならなかった。俺の体は頑丈だし、傷の治癒も並外れて早いものの、さすがに腹に大穴が空いている、この重体じゃ動けないか。

 

床に流れている、自分の血を眺めた。今度はオレの番か。もうすぐ死ぬ。当然、死の恐怖が湧き上がる。怯えて死ぬのはごめんだ、とオレは能力を全開にしてその恐怖心を押し込めようとした。

 

だが、できなかった。想定外だ。なぜ恐怖心を消去できない。実験のおかげで、能力の出力は今までにないくらい、最高潮に上昇しているはずなのに。

 

脳にかかる負荷を無視し、能力の出力を上げに上げて、全身全霊で必死に恐怖を押さえ込もうとした。思考速度は加速され、黒夜の地を踏みしめる音が、かつてないほどスローに聞こえている。

それでも、できなかった。恐怖心は無くならなかった。軽くパニック状態になり、考えまいとしていた、火澄やクレア先生たちのことを思い浮かべてしまった。

 

もうあいつらと会えないなんて…ぅぁぁ…ッ…死にたくない…死にたくない!いやだ、最後の最後に、こんな惨めな気持ちのまま死ななきゃならないなんて。

 

クソがァッなんでこんなヤツにビビらなきゃならないんだぁ。消えろ消えろ消えろ無心に…考えるな考えるな考えるな…ッ!ちっくしょおが!怖くて…

 

生きたかったけど。アイツの槍はあまりに速くて、空気だから見えないんだ。どうやったら勝てたってんだ。畜生…!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見えなくとも、音は聞こえた。もっと聴覚が良ければ。

 

空気には色はないが匂いはあった。もっと嗅覚が良ければ。

 

今以上に素早く動ければ避けれた。もっと筋力があれば。

 

でも、それでも、アイツからは逃げるしかない。オレにも、あの槍みたいな武器があれば。

 

ダメだ。オレの肉体は、人間として最高の性能(スペック)を実現していた。

人間じゃこれ以上は無理だったんだ。

だったら…。

人間をやめれば…。

 

 

 

 

 

 

 

迷いなんて無い。火澄、クレア先生、オレは、人間をやめてでも、もう一度あなた達に会いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

意識の何処かで、後戻りできない一線を、踏み越えた音がした。脳内で光が弾けた。

同時に、腹に空いた大穴の治癒が止んだ。そう、"治癒"ではない。もはやその必要がなくなったのだ。肉体が、修復するのではなく、その代わりに新たな器官を生み出そうとしている、と直感で理解した。

 

 

新たな神経が、体中を一瞬で駆け巡った感覚。無理矢理に体を動かして、俺は跳躍した。黒夜から大きく距離を撮り、手足をついて着地する。息を吹き返した俺の様子に、流石に驚いたのか、黒夜は対応できずにいた。

 

 

「GWROOOOOOOOOOOOOOOOG!!!」

 

手足を地につけた状態で、俺は力の限り咆哮した。肉体は発熱し、じゅわじゅわと蒸気を吹き出していた。同時に、俺の肉体に、大きな変化が生じた。

体中の体毛が長く、太く伸び、筋肉がバキバキと肥大した。体躯も延びたが、同時に姿勢も老婆のように歪曲した。

耳は犬のように形状を変えて巨大化し、口が裂け、鼻梁は数倍に伸び、顎とともに前に嫌な音を立てて突き出した。

裂けた口には大きな牙が生え揃い、両手両足の爪は虎のように鋭く尖った。

体格の増大に伴い、身につけていた患者衣は千切れ飛んでいた。

 

 

 

 

一匹の黒い獣人(マンビースト)が誕生した。その姿は、西洋の伝説に謳われる、人狼そのものだった。

 

 

 

 

その獣を前にして、黒夜は嗤いを止めた。先ほどの奇妙な雰囲気は微塵も吹き出ず、室内を静謐な緊張が包んだ。

黒い獣は、その野蛮で粗野な外見からは想像がつかぬほど、ピタリと静止し、身じろぎ一つせず、目の前の少女にだけ視線を集めていた。

 

 

俺の頭の中は、ただひたすらに、目の前の黒夜に対する殺人衝動で埋め尽くされていた。憎しみがとどまることを知らずに溢れ出る。

俺はそれを遮ることなく、それどころか自ら増幅させ、心臓の鼓動を早鐘のように白熱させた。

新たに作り替えられた肉体は、その馬鹿げた心拍数に耐え、思考速度を数倍に引き上げさせた。

油断なく彼女を見やる。もはや、能力を使わずとも、黒夜に対する恐怖は湧いてこなかった。

 

「GYWOOOOOOOOOOOOOOOOOHHH!!」

 

もう一度吠えた。これは、黒夜に対する威嚇であり、最後通牒でもあった。

俺は暴力に染まった脳みそで考えていた。

少しでも黒夜が攻撃する素振りを見せたら、その両腕を食いちぎってやる、と。

 

 

 

互いに睨み合う。獣の眼差しに、僅かな憐憫の情を感じ取ったのか、黒夜は表情を憎しみに染め、両手を前に突き出した。

 

その刹那、獣は身を屈め、地を滑るように、しなやかな動きで、無色透明の槍をくぐり抜けた。瞬きひとつの間に彼女の正面に立ち、彼女の両腕を毛むくじゃらの腕で掴むと、一息に折り曲げた。時を等しく、生木が曲げ割れるような、鈍い音が響いた。

 

黒夜は、声にならない悲鳴を上げ、膝をついた。壮絶に顔を歪め、地べたに頬を押し付けたままでも、俺を睨み続けた。彼女らしい反応だった。

彼女を殺せば、俺はこいつ以下の存在になってしまう。そう考えたのか、気がつけば殺さずに手加減していた。彼女はその意向がお気に召さなかったらしい。

 

 

両腕の痛みが、彼女の能力の使用を妨げているらしく、何一つ反撃もせずに、黒夜はその場にうずくまり動かなくなった。俺は直ぐに、"洗脳装置"から投げ出された被験者の安否を確認したが、2人とも既に事切れていた。

 

 

ふと呻き声が止んだ。黒夜の方を見やれば、やはり失神していた。いつの間にか、警戒態勢警報(アラート)が治まっていた。不審に思う間も無く、何処からともなく耳障りな声が聞こえてきた。

 

『……素晴らしい、の一言に尽きるよ、景朗クン。…キミの活躍、先程から拝見させて貰っていた。ついに…ついに成し遂げたな、景朗クン。私は今、感動に打ち震えているよ……』

 

スピーカー越しに、幻生が語りかけてきた。

 

 

「コレ、オレノコエ、キコエテマスカ?ゲンセイ、センセイ。」

 

とりあえず、部屋の隅に設置されていた監視カメラらしきものに話しかけた。が、思うように喋れなくて驚いた。そうだ、今の俺は、まっとうな人間じゃなかったんだ。口元が、まるで…狼のように裂けているからな。これでは今までどおりに話せない。

 

『聞こえているとも。キミの猛々しい咆哮も余さず記録できているよ。』

 

俺は近くに落ちていた白衣を手に取った。

 

「ゲンセイ、センセイ。アナタハ、マエニイイマシタ。オレニハ、ケンキュウ、ヲ、キョウセイ、デキナイ。オレノ、ドウイ、ガ、ナケレバ、ジッケン、ハ、キョカサレナイ、ト。」

 

『…キミの言う通りだよ、景朗クン。突然どうしたんだい?』

 

「ナゼ、アナタハ、ソレニ、スナオニ、シタガウ、ノ、デスカ?」

 

幻生の声色が不穏なものに変わりつつあった。

 

『…それは、キミにも教えられないな。だが、我々のような研究機関であろうとも、キミを研究対象にする許可を得るのは容易くない。何故なら、統括理事会が一枚噛んでいるからな。…フフ、それも無理はない。』

 

幻生はそこで一息区切った。スピーカーから漏れ出る息遣いからは隠しきれない興奮が感じられた。だが、必要なことは聞けた。俺はそれっきり幻生の呼びかけを無視して、黒夜と争った部屋を後にした。

 

『実際に、今のキミの姿をこうして目にすればな。…完全なる肉体変化(メタモルフォーゼ)

 

伝承の狼男さながらの出で立ちだ。その有様からして、大能力(レベル4)以上の現象であることは確実だろうな。

 

我々が意図してきたその成果が、今のキミの姿に在る。キミはついに、己が細胞を自由に創り変える力に目覚めたのだ。

 

キミは理解できるかね?その力に秘められた可能性を!人類が長らく求めてきた、不老不死への術が、すべて、今、そこに存在している!』

 

廊下に出ても、幻生の声は鳴り止まなかった。

 

『待ちたまえ!景朗クン!その姿で、どこに行こうというのかね?』

 

 

部屋から一歩飛び出して、辺りを見渡せば。其処ら中に飛び散る血痕と、壊れた施設。先進教育局は壊滅状態になっていた。薬物拡散防止のための、防壁がすべて降下しており、逃げ遅れた研究員や、被験者は軒並み物言わぬ屍となり、あちこちに転がっている。

皆、体に穴が空き、腕、足といった部位のいずれかが欠損していた。五体満足の死体はひとつもない。どれも黒夜海鳥の仕業だろう。

 

防壁一つ一つを無理やりこじ開けながら、俺は出口を目指していた。スピーカーからは絶えず幻生の静止の命令が響くが、気にも止めない。

 

 

俺は覚悟を決めていた。幻生と決別する。あちこちに転がる死体が、俺の決意を後押しさせた。奴は、すぐにでもうちの園への援助を打ち切り、真泥に使ったような手口でまた俺を脅してくるはずだ。

 

正直、こういう悪巧みで幻生に勝てるとは思えないが…それでも、一応の考えはある。

俺自身はどうなろうと構わない。ただただ、聖マリア園の皆が無事ならそれでいい。だから…。

 

 

 

先進教育局を出る直前に、能力を完全に解除した。とたんに、気が狂いそうな激痛で脳が一杯になった。

体中の毛が抜け落ちる。声を張り上げて、歯と爪を無理やり引っこ抜いた。体中の骨がミシミシと音を立てて折曲がり、その痛みに地べたを転がりまわった。

 

だが、痛みに耐え抜いたそのあと。俺の体は、もとの人間の姿に戻っていた。安心して嗚咽が漏れそうだった。これで、またみんなに会える。

 

 

 

 

俺は幻生と決別した。五月の暮れの、黒夜と戦ったあの日から、奴と一切連絡を取っていない。ひと月して、予想通りに、鎚原病院からの、俺たちの孤児院、聖マリア園への援助は打ち切られた。

だが、俺が招いてしまった混乱のツケは、必ず払ってみせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『unexpectedly 久しぶりね、雨月君。まさか、あなたから連絡が来るとは思わなかったわ。』

 

「ええ、お久しぶりです、布束さん。」

 

『strange それで、今日は何のご用かしら?どうせ嬉しくなるような要件ではないのでしょうけど。』

 

ほぼ1年ぶりだろうか。電話越しに会話する布束さんのつっけどんな態度は、以前と全く変わっていなかった。彼女はいつも鉄面皮だったが、なんだかんだで、俺の能力の測定結果に一喜一憂していたな。そのことを思い出して、自然と口元に笑みが浮かんだ。

 

「…そうですね。布束さんにとっては、何の価値も見いだせない頼みであることは、明白ですね。」

 

『そう。それじゃあ、ここで通話を切らせてもらうわ。これでも忙しいの。』

 

焦った。ちょおっとまて。いくらなんでもそりゃないだろう。

 

「ちょ、待ってください。お願いします。あなたの助けが必要なんです!」

 

『half in joke 冗談よ。それじゃ、聞かせてくれるかしら。』

 

心臓に悪いぜ。おいおい、あんた、そんな悪ふざけをするキャラだったっけ?1年越しのデレだとでもいうのか。だとしたら、なぜもっと早くデレてくれなかったんだよお。

 

「冗談ですか。はぁ…。残念ながら、俺が今から話すことは、冗談ではなく、真剣で真面目な内容になります。ご迷惑をお掛けすることになるでしょう。」

 

 

俺の布束さんへの頼みごととは、簡単に言えば、暗部の傭兵組織への紹介をお願いすることであった。以前、彼女とともに実験をしていたとき、彼女の口から、大金を得るために命をドブに捨てる、無頼の輩の存在を耳にしていた。

彼女のスポンサーであるところの、巨大な製薬会社にも、単なる一企業のセキュリティを越えた、日の目を見ることが決して無い、忌避される暗躍部隊が存在していたそうである。

 

黒夜海鳥にも、そのような暗部組織に身を置いていたと匂わせる節があった。彼女からは、人を殺すことに対して、一切、躊躇や忌避感を感じられなかった。

 

俺は、訝しむ布束さんに、必死で頼み込んだ。手段や経緯は問わない。俺をどうにかして、その傭兵組織で働かせてくれ、と。

 

 

『no way 胡乱な考えね。貴方、それで木原幻生から逃れられると、本気で思っているのかしら?

いいえ、少なくとも、私の知っている雨月景朗は、そのくらいの分別は理解できていると思っていたのだけれど。』

 

俺の頼みを聞いた布束さんの反応は芳しくなかった。だが、ここで諦めるわけにはいかない。

彼女は、俺が暗部組織と関わるのを辞めさせたい様子だった。彼女には、俺が幻生のもとで実験を受けていた理由や経緯を話していたからな。それでも、俺は彼女を説得しつづけた。

 

「ああ、こっちだって、本気で幻生から逃げられるとは思っていない。…だけど、このまま何もせず、手をこまねいて幻生の犬であり続けるのは、もう御免なんだ。大金が必要だ。幻生の息がかかりにくい手段で。

うちの孤児院の経営は破綻寸前だ。それに…仮に、貧困を受け入れようとも、その状態だと、いつぞやの真泥みたいに、幻生に手玉に取られる子が出てきてしまうだろう。

 

ずっとうまくいくとは思っていない。いつかまた、幻生の元に囚われる羽目になるかもしれない。だけど、そのツケを払うのは、俺1人であるべきだ。

 

…頼みます。どうか、力を貸してください。少なからず俺にだって、あなたに貸しがあるんじゃないか…?」

 

『no wander わかった。貴方の意志は固いようね。止められそうもないわ。…覚悟して。暗部の世界はあなたが思っている以上に、凄惨な所よ。』

 

「それは、今更な話ですよ。俺も、あなたも。とっくに闇の世界の住人なんじゃないか?」

 

『indeed …そうかもしれないわね。』

 

結局、布束さんは俺に力を借してくれた。彼女の伝を使い、樋口製薬という巨大な製薬企業の傘下に属する、とある私兵部隊へと俺は転がり込むこととなった。

 

 

 

 

 

もうすぐ、俺は堅気ではなくなってしまう。しっぺ返しを受ける時、被害を受けるのは自分1人だけでなければ。そのため、直ぐにでも、今までずっと過ごしてきた棲家、聖マリア園を出ていかなければならない。

 

最初に、クレア先生にその旨を伝えた。既にクレア先生は、そのことを伝える前の俺の顔を見て、唯ならぬ雰囲気だと察し、構えていたようだ。だが、俺が聖マリア園を出て行くと言い出した途端に、血相を変えた。

 

「か、かげろう君、冗談ですよね?!急にそんなこと言い出すなんて……。」

 

「いいえ、本気です。クレア先生、寂しいけど、ずっと前から、15歳になったら、聖マリア園(ここ)を出ていこうと決めていましたから。中学校の卒業と同時に出て行く予定だったんですど、今出て行くほうが都合が良くなったんです。」

 

クレア先生は、必死に涙をこらえて、俺の肩を抱き寄せた。

 

「……やっぱり、最近の、うちに対して資金援助が大幅に削減されたことが理由なんでしょうか?かげろう君、そのことは、心配しなくていいんです。先生たちが絶対に、何とかしますから。」

 

そう言うものの、クレア先生の表情には諦観が張り付いていた。わかっているのだ。いくら中学生でも、それが一朝一夕でどうこうできる問題じゃないと、理解できることを。

 

クレア先生が俺を抱きしめながら、小さく震えているのを感じながら、俺は先生の匂いを吸い込んだ。この異様に落ち着く匂いとも、決別の時が来たんだな。

 

「違います、クレア先生。自分の意思ですよ。俺も男です。自分の道は自分で決める。今が、船出の時だと思っただけです。誰も、何も関係ないんですよ。」

 

クレア先生は無言になった。俺の背中に回した彼女の手に、力が入った。その直ぐあとに、今度はくぐもった泣き声が聞こえてきた。

 

能力を強く発動させ、悲しい気持ちをすべて消し去った。でなければこの時、俺は相当な醜態を晒していた自信がある。

 

「先生、そんなに泣かないでくださいよ。俺、自分の家って呼べるところは、ここだけだと思ってます。火澄みたいに、ちょくちょく会いに来ますから。」

 

クレア先生は、一向に泣き止んでくれなかった。火澄の時とは違う反応だった。ここまで悲しそうにはしていなかった。どうしてそんなに辛そうなのか、疑問に思って訪ねてみた。

 

 

「だって、かげろう君。ぜんぜん、寂しそうじゃないんだもの。」

 

そう答えた、クレア先生の寂しそうな笑顔は、ぐさりと俺の心に突き刺さった。

しばらくして、クレア先生は未だ辛そうに、俺の退園を祝うと答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

3ヶ月後。俺はとある暗部の傭兵部隊に転がり込んでいた。これからは、学園都市の裏舞台で大金を稼がなきゃならない。

 

配属された部隊のリーダーが、俺に尋ねた。

 

雨月景朗(うげつかげろう)。コールサインは狼男(ウルフマン)、か。おいおい、格好良いじゃないか。能力のレベルも大能力相当。頼もしいな。一体どんな能力なんだ?」

 

「…やっぱり、言わなきゃダメですか?……ああ、はい。そりゃまあ、当たり前ですよね…。能力名は"人狼症候(ライカンスロウピィ)"。どんな能力かは、一目見たら解りますよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 




とりあえず前章が終わりました。次からいよいよ暗部組織同士の殺し合いのシーンになります。プロット自体は終わりの方までできてますが、想像していたより量が多くなってしまいました。プロットがほぼ出来上がっているので、時間はかかるかもしれませんが、投稿続けていこうと思います。感想とか頂ければめっちゃ励みになるかも。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

とある暗部の暗闘日誌
設定集


 

 

 

○聖マリア園の関係者

 

♂雨月 景朗(うげつ かげろう)[中学3年 登場時:小学5年]

・この物語の主人公。物心ついた時はすでに"置き去り"であり、幼少期から中学までを孤児院"聖マリア園"で暮らす。孤児院の窮状を救えると信じた彼は、小学五年生の冬、木原幻生に嵌められ学園都市の暗部へと囚われる。中学3年の途中で暗部戦闘部隊に所属することになり、孤児院を出る。その後は暗部の仕事で得た資金を孤児院に寄付している。

・"痛覚操作(ペインキラー)Lv1";自身に生じる痛覚を制御する。主人公がもともと有していた能力。

・"戦闘昂揚(バーサーク)Lv3";肉体を人間の限界まで強化し、自己の精神を完全にコントロール下に置くことができる。主人公が"プロデュース"に参加した時にこの能力に覚醒した。

・"人狼症候(ライカンスロウピィ)Lv4";人狼の姿へと変化する肉体変化能力(メタモルフォーゼ)。ほぼ不死身の耐久性を獲得する。

 

♀仄暗 火澄(ほのぐら かすみ)[中学3年 登場時:小学5年]

・主人公と同じ施設で育つ。主人公とは所謂幼馴染であり、幼少時から今でも主人公の世話を焼いている。面倒見の良い性格で、主人公に限らず、孤児院の他の子どもたちの面倒もよく見ており人気者。常盤台中学へ進学した後も、時々孤児院へ通い、手伝いをしている。本人は苦々しく思っている様子だが、彼女と後述の手纏とのコンビ、"火災旋風(ファイアストーム)"の二つ名が学舎の園界隈、一部の層に知れ渡っている。

・"不滅火焔(インシネレート)Lv4";対象が燃え尽きるまで決して消えることのない不滅の焔を放射する。焔の温度も調整できるようだが、彼女は専ら蒼い焔を用いる。学園都市でも上位に位置する発火能力。

 

♀クレア・ホルストン[32歳独身 登場時:28歳]

・聖マリア園の園長さん。主人公たちにとって母親のような存在。どこか抜けている。カタカナ和製英語が苦手。

 

♀花籠 花華(はなかご はなはな)[小学6年 登場時:小学2年]

・主人公に懐いていた少女。底抜けに明るく能天気で、主人公の癒し成分となっている。

 

♂調川 真泥(つきのかわ みどろ)[小学5年 登場時:小学2年]

・主人公が小学六年生の時にやってきた少年。一時期、主人公と同じように木原幻生の手に落ちたが、主人公が助け出した。

 

 

 

○学園都市の学生達

 

♀手纏 深咲(たまき みさき)[中学3年 登場時:中学1年]

・仄暗火澄の常盤台中学学生寮でのルームメイト。火澄と同じく水泳部に所属。主人公とも中学1年以来の友人で仲も良好な様子。少々内気な面が目立つが、水泳部のトップエースであり、色々と優秀な人物ではある様子。

・"酸素徴蒐(ディープダイバー)Lv4";酸素を操る。周囲の物体から気体状態の酸素を取り出すこともできる。何げに常盤台在学中にレベルが上昇した。

 

♀岩倉 火苗(いわくら かなえ)[中学3年]

・仄暗火澄にやたら突っかかる少女。金髪ツインテールのお嬢様。本当は名前どころか能力も酷似している火澄が気になって気になって仕方がないだけだったりする。食蜂操祈を自らの派閥に取り入れようとした所、彼女は気がつけばいつの間にやら自身の派閥を解体しており、食蜂の派閥に加入していたという噂。

・"溶岩噴流(ラーヴァフロー)Lv4";物体の温度を上昇させる。地下の地盤を溶岩になるまで熱し、噴出させられるほど。大覇星祭競技「玉入れ」の時に、ボールを熱したのは彼女の仕業。

 

♀乾風 氷麗(からかぜ つらら)[高校2年]

・霧ヶ丘女学院でも有数の冷却能力者。

・"瞬刻冷却(リフリジレート)Lv4";その名の通りに、強力な冷却能力。

 

♀五月雨 梨沙(さみだれ りさ)[高校1年]

・霧ヶ丘女学院代表選手。

・"結露生成(デューイードロップ)Lv3";周囲一帯の水分を凝集し、操作する。

 

 

 

○暗部組織の関係者

 

♀丹生 多気美(にう たきみ)[中学3年]

・主人公が暗部の任務中に出会った少女。彼女も暗部戦闘部隊に所属している。後に、主人公と同じ部隊に配属された。紆余曲折あり、彼女は間接的にだが、主人公の被害者と呼べる存在だったことが判明する。彼女は主人公と運命をともして、一緒に戦いに臨んでいく。

・"水銀武装(クイックシルバー)Lv3";水銀を自由に操る水流操作(ハイドロハンド)。水銀のように密度の大きい、重い液体しか扱えない。しかし、その出力自体は高いようで、創り出した水銀製の武器は高い硬度を誇る。

 

♂中百舌鳥 遊人(なかもず ゆうじん)

・主人公が初めて所属した部隊"ユニット"にて、2人組(ツーマンセル)を組まされた先輩隊員。

・"空中歩行(スカイウォーク)Lv2";高高度まで、極めて安定した状態で浮遊できる。彼はこの能力と狙撃の技術を組み合わせて暗部で任務をこなしている。

 

♂粉浜 薫(こはま かおる)

・ドラッグの密売を行う暗部組織"カプセル"の売人だったが、組織を裏切り、重要な試薬を持ち出し逃走する。

・"粉塵操作(パウダーダスト)Lv3";粒子の小さな物体を操る。操れる粒子に制限がある代わりに、強能力としては非常に大きい出力を持つ。

 

♀蟻ヶ崎 蛍灯(ありがさき ほたるび)

・外部の産業スパイと関わりを持つ"スリット"という、アンダーグラウンドで活動する組織の構成員。学生という立場を生かして様々な企業の諜報を行っていた。

・"群蟲扇動(インセクトスウォーム)Lv3";主に蟲に感応する精神感応能力(テレパス)。対象とする蟲は複雑な思考回路を持たないので、複数の蟲を同時に操れていた。

 

♂郷間 陣丞(ごうま じんすけ)

・主人公が"ハッシュ"で指揮下についた青年。常に冷静沈着な切れ者。

・"隔離移動(ユートピア)Lv3";肉体を別の空間へ退避させるテレポート能力。自身の空間的な位相をずらし、肉体を3次元世界から消失させる。つまり"隔離移動"使用中は物理的干渉を一切受けなくなる。

 

♀釜付 白滋(かまつき はくじ)

・主人公が"ハッシュ"初任務時に捕縛した標的。

・"撞着着磁(マグネタイゼーション)Lv2";磁性体、非磁性体問わず、物体を限定的に磁化させることができる。簡単に言えば、物質を媒介に磁力を扱える能力。

 

♂牛尾 中(うしお あたる)

・"パーティ"という暗部の傭兵部隊の構成員。その能力故に、"空間転移系能力者殺し"として有名。

・"百発百中(ブルズアイ)Lv4";"絶対等速(イコールスピード)"の上位互換と言える。"百発百中"を使用して投げられた物体は、"絶対等速"と同じ性質を持ちながら、標的に命中するまで自動追尾する。

 

♀刈羽 万鈴(かりは まりん)

・"パーティ"構成員。牛尾と供に主人公を襲撃した。

・"電子憑依(リモートマニピュレート)Lv3";電子機器に自身の精神を憑依させ、自身の肉体のように操る。媒体に存在する電子回路を乗っ取っているわけではなく、直接末端の回路を使うため、非常に強力なハッキング手段としても使われている。

 

♂紫万 元明(しま もとあき)

・プラチナバーグを襲撃した暗殺者。巳之口の支援を行っていた。

・"暗黒光源(ブラックライト)Lv2";近辺の物体が反射・屈折・吸収する光の周波数、位相を操り、その色調を自由に変化させられる能力。能力を応用すれば、周辺を暗闇に変え、任意の物体を蛍光させたりもできる。その光景はさながらブラックライトシアターのようなものとなる。

 

♂巳之口 辰哉(みのくち たつや)

・プラチナバーグを襲撃したスナイパー。彼の狙撃は"ポリシー"に甚大な被害を与えた。

・"絶対温感(サーマルビジョン)Lv2";透視能力の劣化能力。可視光以外の光を感知でき、赤外線や紫外線を用いた透視が可能。

 

♂亀封川 剛志(きぶかわ ごうし)

・"ポリシー"の次席だった能力者。かろうじて生き残った彼も悲運なことに"スキーム"へと加勢する。

・静止機動(イモービライズ)Lv3;物体の運動量、速度、エネルギーを奪う力場を正面に展開し、使用者本人の主観に基づいた"静止"を実現させる。彼は専ら至近距離で爆弾を爆破させ、自身は能力で無傷のまま相手を殺傷する。

 

♂穂筒 光輝(ほづつ こうき)

・"人材派遣"が主人公へ派遣させた助っ人。そのはずだったのだが……

・収束光線(プラズマエッジ)Lv2;光をそのエネルギーをほとんど減衰させることなく、任意の空間に固定させられる能力。学園都市製の小型の強出力レーザー射出装置と併用して初めて、収束されたレーザーによって空気をプラズマ化させたプラズマカッターの運用が可能である。本人は"強能力(レベル3)"だと口にするも、実際は"異能力(レベル2)"相当の能力である。それ故、彼には"プラズマエッジ"の使用には極大な集中力が必要な様子。

 

♂煎重 煉瓦(いりえ れんが)

・親船最中一派と噂される暗部組織"ジャンク"を率いて、主人公らを強襲する。鳴瀧とはただならぬ関係にある様子。

・螺旋破壊(スクリューバイト)Lv4;せん断力を操る、捻じ切ることに特化した念動能力(サイコキネシス)。特化型故か、他の大能力と比して高い出力を有す。弾丸をネジ切り、壁をくり抜き、人体をへし折る。地盤が軟弱な場所であれば、地滑りを発生させることもできる。

 

♀鳴瀧 伴璃(なるたき ともり)

・"ジャンク"の紅一点。極めて汎用性の高い能力を備え、強力な部隊"ジャンク"の中核を担っている。"ジャンク"の精強さの要因は、彼女の存在によるところが大きい。

・共鳴破壊(オーバーレゾナンス)Lv4;物体に振動を生じさせる能力。物体の固有振動数と等しい、強大な振動を与えて過度な共鳴・共振を生じさせ、その破壊を促す。また、振動を操る性質上、あらゆる振動を感知する能力も有している。そのため、高いステルス性と索敵能力を実現している。

 

♂鍛治屋敷 鏈(かじやしき れん)

・"ジャンク"の構成員。軽い雰囲気を漂わせるも、暗部に長く在するベテランで、実力者。

・尖鋭硬化(ハードホーン)Lv3;物質を硬化させる能力。応用が効き、柔らかい物質、弾性や靭性を持つ物質であれば、鋭利な刃物のように尖らせ、ある程度自身の意思に沿って操作することができる。

 

♂筥墳 颯 (はこつか はやて)

・"ジャンク"の構成員。華奢な体格で、一見した物腰は柔らかいが、隠れた他虐性を持つ。

・空気爆弾(コールドボム)Lv3;気体を圧縮し、一気に膨張させる風力使い(エアロハンド)。

 

 

 

○原作キャラクター

 

●木原 幻生

・主人公を暗部に落とした張本人。主人公は彼のことを、"あらゆる意味でメシがマズくなるジジイ"だと表現する。

 

●布束 砥信

・洗脳装置(テスタメント)の開発のために、主人公を実験台にする。主人公は彼女と距離を詰めようと苦心したが、何一つ成功しなかったらしい。

 

●黒夜 海鳥

・暗闇の五月計画の最中に暴れだし、研究者達を皆殺しにした。この時、彼女に襲われた主人公はLv4覚醒を果たす。主人公を蛇蝎の如く嫌っている。

 

●絹旗 最愛

・暗闇の五月計画で主人公と遭遇する。主人公を蛇蝎の如く嫌っている。

 

●御坂 美琴[中学1年]

・常盤台中学1年生。仄暗火澄と手纏深咲の後輩。この時点で一応Lv5って設定にしてるんだけど大丈夫ですよねorz。

 

●ミサカ2201号(ミサカ実妹)

・主人公が初めて遭遇した御坂美琴のクローン。無事に実験を終了させた。

 

●人材派遣(マネジメント)

・原作では15巻でリタイアされた不憫なアンダーグラウンドの人材派遣業者。主人公との関係は推して知るべし。

 

●一方通行(アクセラレータ)

・主人公がとある施設の廊下で通りすがっただけの人物。一言会話を交わしただけだが、主人公はそれだけでチビリそうになった。主人公の第一印象は"得体の知れない無臭の男"。

 

●ミサカ2525号(ミサカスマイリー)

・主人公が遭遇した御坂美琴のクローン。どうやら本人は主人公に付けられたそのニックネームを気に入っている様子だが、周りの姉妹達はピクリとも変わらない2525号の表情を見て、それが皮肉で付けられたものではないのかと疑問に思っているらしい。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

episode07:粉塵操作(パウダーダスト)

 

「いいか、"ウルフマン(狼男)"。お前の仕事は1個だけだ。囮になって、"標的(ダスト)"を俺の狙撃地点にまで誘導しろ。そんだけだ。気張れよ。」

 

そう言って、俺に再度確認を促した男の名は、中百舌鳥遊人(なかもずゆうじん)、コールサイン、"スカイウォーカー"。学園都市製のゴツい迷彩スーツを纏い、これまたデカいライフルを手馴れた様子で弄っている。

 

「いいか、"ダスト(標的)"を仕留めるのはコイツだ。MSR-001磁力狙撃銃、初速290m/sとちと頼りないが、ステルス性は抜群だ。俺たちに与えられた役割は、"ダスト"を狙撃して息の根を止めること。その後、ヤツが盗み出した"ブツ"の回収をしなきゃならねえがな。余計なことやらかして、俺たちの足を引っ張るんじゃねえぞ。」

 

これで何回目だろうか。"ウルフマン"こと、俺、雨月景朗は、同僚の際限のない追求に、辟易してため息をついた。

 

「はいはい。わかってますよ、"ユニット3"。」

 

「その意気だぜ、"ウルフマン"。その名の通りに、お前は今回の任務中は、努めて俺の猟犬であれ。それだけでオーケーだ。あと、俺のことは"スカイウォーカー"って呼べと言ってるだろ。いい名前だろ?」

 

「はぁ。了解、"スカイウォーカー"。」

 

「良し。……『こちら"スカイウォーカー"。今からポイントAlfaに向かう。』」

 

強化された聴覚で、彼のヘッドセットから漏れ出る音を拾い、会話を盗み聞きする。

 

『了解、ユニット3。ところで、ユニット4の様子はどうだ?初陣らしいからな。ヘマをやらかされるぐらいなら、お前の判断で処理していい。』

 

「どうやらその必要はなさそうだぜ。全く緊張してるようには見えねえ。そのへんはきっと期待できるさ。」

 

 

上司、と呼ぶべきだろうか。中百舌鳥の会話の相手は、俺の所属する雇われ部隊のリーダーである。部隊名は"ユニット"というらしい。非道くシンプルで、これで問題は生じないのか?と疑問に思ったものだ。

中百舌鳥は、俺に割り当てられた、二人組(ツーマンセル)の片割れだ。認めたくはないが、この暗部世界の住人の中では、付き合いやすい性格をしているほうだろう。

 

本人には、色々とこだわりがある様子で、まだ相当に短い付き合いなのだが、俺にも色々と間の抜けた要求をしてくることがあった。ひとつは、先ほどの"スカイウォーカー"発言。昔の映画のキャラクターの名前らしいが、その"スカイウォーカー"というコールサインは、彼の能力、空中浮遊(レビテーション)能力の一種、"空中歩行(スカイウォーク)(レベル2相当)"と著しく被っていて、それでいいのかと思ってしまう。あ。いや、このことは俺も言えた義理じゃないか。

上司たちからも、作戦中は隊員は各自割り当てられたナンバーで呼び合うように言われているが、それも無視している有様だった。

 

 

今現在、俺たち2人が待機している場所は、第十一学区北東に位置する操車場の近辺である。この周囲には、高い建築物はほとんど存在せず、あちこちに資材運搬用の巨大なクレーンが点在するのみであった。

 

ちょうど今、別動の"ユニット1"・"ユニット2"のペアが、標的である"ダスト(塵くず)"の追跡を行っている。俺たちの任務は、この開けた場所を通過する標的を狙撃し、生殺問わず、標的が持ち出した"とある薬品"を回収することである。

 

中百舌鳥は、極めて高性能な光学迷彩スーツ(わかりやすく言えば、透明になるスーツ)を装備している。専用の対光学迷彩機器をあらかじめ用意されていなければ、彼の姿が敵に察知される可能性は低い。

そして、彼はその能力、"空中走行(スカイウォーク)"を使用し、宙に浮かび上がり、高高度にて待ち伏せ(アンブッシュ)を行う。

辛うじて狙撃から逃れた標的が、咄嗟に周囲のスナイピングポイントに視線を凝らしても、彼の姿を見つけ出すことはない。

 

そこで、今回の任務での俺の役割は、上空にアンブッシュした中百舌鳥の存在を極力気取られないように、"ダスト"の注意を自身に集め続けること、となる訳だ。

 

非常事態に陥れば、俺自身の裁量で"ダスト"への対処を行って良いと言われたものの。他のメンバー達は、ド素人の俺を好き勝手動かせるつもりはないらしい。皆口を揃えて、「命令された以外のことはするな」とさ。

 

 

小銃の調整をようやく終えた中百舌鳥は、表情を引き締めると、俺に合図を送る。

 

「"ウルフマン"、俺はこれから位置につく。お前も予定の位置につけ。時間がないぞ。わざわざお前さん用に誂えたそのヘッドセットの電源、切るんじゃねぇぞ。」

 

「ユニット4、了解。」

 

これからは、各自別行動になる。俺は、所定の位置につく前に、物陰に隠れ、上半身に身につけているものをすべてとっぱらった。

 

そして、黒夜と戦ったあの時のように、両手両足を地につけ、楽な姿勢をとった。

一息で、能力を覚醒させた。すぐさま、俺の体に変化が生じる。

体躯が膨れ上がり、体毛が太く、長く伸び、爪が鋭く伸びる。口が裂け、顎が飛び出し、耳が大きく変形した。

 

"ウルフマン"の名に恥じぬ、正真正銘の"人狼(ライカン)"へと変貌した。

 

この姿になると何時も憂鬱になる。人狼の姿になるのは大した労力ではないのだが、その逆、人間の姿に戻るときは、毎回毎回耐え難い苦痛を味わう羽目になるからだ。

 

ふと、空を見上げた。夕暮れどき。赤い夕焼けが眩しい。"ダスト"は、暗部組織が表立って動きづらい昼間を狙ってことを起こしたらしい。この操車場に"ダスト"を引き込むのも、人払い等の手間を最小限にするためだった。あまり昼間にドンパチをするわけにはいかないらしい。それについては、俺も大賛成だけどね。

 

 

 

しばらくすると"ユニット1"、つまり、リーダーから連絡が入った。いよいよ"ダスト(標的)"がこのエリアへと近づいて来るらしい。

 

"ユニット1"の指示に従って、"ダスト"の進行ルートを制御すべく移動する。任務直前まで一生懸命に頭に叩き込んだ周囲の地図を思い浮かべながら、能力を全開にし、猛スピードで夕暮れの街を駆け抜けた。

 

"ダスト"は移動の足を、オートバイに乗り換えたらしい。そう"ユニット1"から連絡を受ける前に、既にそのことには気づいていた。強化された聴覚が、こちらに近づいてくる、けたたましいエンジンの鼓動を捕まえていたからな。

 

"ダスト"の姿を目視した。人狼化した今の俺なら、オートバイが街中で出せるくらいのスピードならば、追従していくのは容易なことだった。

 

「GROOOOOH!」

 

軽くひと吠えして、待ち伏せ地点への誘導を開始する。近くにあったコンクリート塀をぶっ壊して、瓦礫をひっつかみ、"ダスト"へ向かって投石した。

 

俺の姿に驚いた"ダスト"は、間一髪、飛来した瓦礫を回避すると、こちらの期待通りのルートへと逃走していった。一定の距離を保ったまま、オートバイで走る彼の真後ろに張り付いて、追跡する。

 

そして、なんとか計画通りに、操車場へと"ダスト"をおびき出すことに成功した。そう思った矢先のことだった。"ダスト"が搭乗しているオートバイが、操車場に入った途端、驚くことに、急激に粉塵が舞い上がりだした。

 

その日の朝方に、少量だったが降雨があった。それゆえ、操車場の地面は湿っていて、砂埃など発ちそうもなかったのだが。それこそ、"ダスト"の。標的名、"粉浜薫(こはまかおる)"の能力の真骨頂だったのだろう。

 

ついぞ数秒前に湧き上がった砂埃は、今では"ダスト"を中心に直径10m近い大きさに成長していた。もはや砂埃ではなく、立派な砂嵐の様相を示していた。

 

 

そろそろ、狙撃地点間近という所で、中百舌鳥から緊急の連絡が入った。

 

『クソッ!ネガティブ!繰り返す、ネガティブだ!撃てない。目標を視認できない!サーマルも試したがダメだった!奴め、バイクが巻き上げる高温の粉塵を利用して、周辺に温度の壁を作ってやがる!あんな芸当、初めて見たぞ!』

 

「ナラ、ドウスル!?アンタ、囮役ダケヤッテリャイイッテ言ッテタダロ!?俺ハコレカラドウスリャイイ!アイツヲ見失ワナイヨウニ、コノママ追跡スルガ、カマワナイナ!?」

 

既に、目標の掃討エリアを通り過ぎている。俺の返答に、一瞬、躊躇する間が開いたものの、すぐに中百舌鳥から、奴を逃すな、との返信が響いた。

 

たった1人で、所属していた暗部組織を裏切った、今回の標的。ネームタグ、"ダスト"。砂嵐と化した奴を追跡しながら、俺は任務前のブリーフィングを今一度思い出していた。

 

 

 

 

 

 

「今回の任務は、"カプセル"を裏切り、とある試薬を盗み出した犯人の抹消。そして、その盗まれた試薬の奪還だ。試薬については、我々にも詳細は知らされていない。上からは、"決して破壊せず、元の状態のまま回収を行え"との厳命だ。

標的名は"粉浜薫(こはまかおる)"。強能力(レベル3)相当の念動能力者(テレキネシスト)だ。能力名は"粉塵操作(パウダーダスト)"。能力名の通りに、砂や粉末状の物質を"操作(ハンドリング)"できるらしい。以降、標的は"ダスト(塵くず)"と呼称する。」

 

「ハハッ。"塵くず"ねえ。こりゃあ、チリトリを持ってきゃ任務(ミッション)は楽勝だな。」

 

資料片手に、任務の詳細を語ったリーダーに対して、パイプ椅子を傾け、だらりとした姿勢で虚空を見つめていた中百舌鳥が、合の手を返した。まったくもって緊張感のない男だ。この男が、俺の相棒(バディ)になるらしい。俺の脳裏に一抹の不安が過ぎった。

 

「茶化すな。ユニット3。」

 

リーダーの眉間に皺が寄った。発言しにくい空気だったが、俺は浮かんだ疑問を解消するために、彼に質問する。

 

「ユニット1、"カプセル"とはどういう組織なんだ?ユニット2から受け取った資料には、碌な記述がないんだが。」

 

ユニット2、リーダーと二人組(ツーマンセル)を組んでいる、寡黙な青年のことである。俺の言葉に、足をぶらぶらとさせていた中百舌鳥がニヤリと口を曲げた。

 

「なんだ、"ウルフマン"。オメェ、そんなことも知らなかったのかよ。勉強不足だぜ、坊や。そんなんじゃ、お前さんはこの業界から速攻でオサラバ、ってことになりそうだな。」

 

中百舌鳥の発言を無視して、リーダーの方を見やったが、珍しいことに、彼も中百舌鳥と同意見のようだった。

 

「ユニット4。ユニット3の言う通りだ。もうすこし、自身の置かれている状況に気を配るんだな。"カプセル"についてだが、こいつは、ドラッグの密売組織だ。俺たち"ユニット"と同じ企業傘下のな。簡単に言えば、俺たちの同僚だ。」

 

リーダーの返答に沿って、中百舌鳥も補足した。

 

「お前さんは知らねぇだろうが、"カプセル"の連中の後始末に、俺たちゃよく駆り出されるんだぜ。大抵は、今回の任務みたいに、"(ヤク)"を持ち逃げした売人の抹消(スイープ)だ。ま、今回の任務もいつもの汚れ仕事だな。」

 

そうか。なるほどな。身内の組織だったわけだ。だから、資料に大した説明が載って無かったのか。

 

二人の発言に遅れて、ユニット2が俺の端末に、その"カプセル"とやらの詳細な情報を送信してくれた。

 

"カプセル"は、もともとはしがない武装無能力者集団(スキルアウト)崩れが起こした違法ドラッグの密売グループだったらしい。結成当初は学生にせせこましく脱法ドラッグを売り捌き、小金を稼ぐだけの弱小組織だったが、日に日に販売エリアを拡大させていき、とうとう警備員(アンチスキル)に目をつけられ、潰されそうになった。

 

しかし、とある統括理事会肝入りの研究機関に、その販売エリアの広さと、警備員の目を掻い潜りドラッグを捌くノウハウを惜しまれ、一転して、学園都市暗部の機密組織へと変貌したらしい。

 

現在では、薄暗い研究を行う組織から送られた、通常ならば決して日の目を浴びることのない、危険な薬品を通常のドラッグ類と一緒に直接学生にばら撒き、その効果や動向の調査を行っている、とな。

 

おいおい、クソッタレなベンチャーも有ったもんだな。これじゃ、立派な暗部組織じゃねえか。訳も分からず、小金を稼ぐために関わりを持ったスキルアウト崩れ(チンピラ)が、そうとは知らずにオイタをして寝首を掻かれる羽目になってる訳か。

 

 

気がつけば、残りの3人は俺を放り出し、任務の委細を話し込んでいた。横からその計画(プラン)を見る限り、彼らは"ダスト"の持つ能力に対して、大した警戒をしていないようだった。

それが少し気になった。俺はその理由を尋ねた。

 

「ユニット1、コイツの能力、強能力(レベル3)とあるが、警戒しなくていいのか?」

 

俺の問いに、中百舌鳥が煩わしそうに切り返す。

 

「慎重だな、"ウルフマン"。"カプセル"からの情報によりゃあ、コイツのシケた能力じゃ、せいぜい"粉物"の売人をやるのが精一杯だったそうだぜ。確かに、定石(セオリー)から行きゃあ、"強能力"からは多少の警戒が必要だけどよ。だが、コイツの能力で、オレのライフルをどうにか出来るとは思えねぇぜ。」

 

彼の発言に対し、今までずっと黙っていたユニット2が、俺の前で初めて口を開いた。

 

「…"カプセル"から上がってきた、今回の"標的"の情報が少なすぎる。私はそこが気になります。通常、取るに足らないスキルアウト崩れのプロファイルでも、もう少し情報量が多いですからね。」

 

ユニット2の発言を聞いた、リーダーと中百舌鳥は、多少気にかけた様子であったが、それに対し、リーダーは彼の推論を返した。

 

「"ダスト"が"カプセル"に所属していた期間はわずか半年だ。加えて、彼は主に薬の売人をやっていただけで、組織の幹部との接触もほとんど無かったとある。それが原因だろう。」

 

「オレもそうだと思うぜ。考えすぎだ。何時も通りの"人狩り(マンハント)"で決まりさ。」

 

 

 

 

 

 

 

目の前の砂嵐が、操車場を抜け、オフィス街に入った。まずい状況だな。ぼちぼち、一目につき始める。可能な限り、衆目に俺たちの行動を晒さないようにしなければならない。

 

他の"ユニット"のメンバーからは、"ダスト"に食い付き、消して見失うなと言われていたが、リーダーからは、奴が盗み出した"ブツ"を無事なまま、容易に取り返せそうならば、こちらから仕掛けても良いと許可が下りている。

 

これ以上市街地に入られては流石に不味い。都合の良いことに、相手は砂嵐の中だ。街中で仕掛けても、衆目の視線からは、その砂嵐が守ってくれるだろう。

 

 

覚悟を決めて、仕掛けようとしたその時。視界の端に、奴が載っていたオートバイが乗り捨てられているのが映った。

 

俺は走るのをやめて、その場に止まった。一体どういうことだ?曲がり角を曲がった直後だ。

今まで追跡していた砂嵐は、そのままの勢いで俺の前から遠ざかっていく。あのスピードは、通常の人間には出せない速度だ。しかし、標的のオートバイはそこに打ち捨てられている。

 

周囲を見渡した。近くに、蓋の空いたマンホールがあった。目の前には、遠ざかる砂嵐。

 

一体どっちに逃げた?地下か、砂嵐の中か。

 

俺は、念入りに砂嵐の残り香を嗅いだ。かすかに小麦粉の匂いがする。なぜ小麦粉の匂いが…。刹那、すぐに答えにたどり着く。操車場の貨物に、小麦粉が搬入されていたんだろう。

 

マンホールからも、小麦粉の残り香が漂っていた。決まりだ。"ダスト"は地下へと逃げたんだ。暗い穴の底では、"ダスト"が待ち伏せしているかもしれない。俺は覚悟を決めて、飛び込んだ。

 

 

 

 

地下道へと降りると、地表ではわからなかった、より高密度の小麦の匂いに包まれた。辺り一帯小麦で充満している。"ダスト"の野郎、不必要になった砂埃をここに捨てて行ったんだろうか?

 

今度は、地に耳を付して、奴の足音を探った。距離が少し離れているが、この先に居る。すぐさま、その背中を追いかけようとした、その時。

 

 

 

突然の発光。轟音。衝撃。大きな爆発が起こった。俺を中心にして。

 

 

 

気がつけば、俺は地に横たわっていた。肉の焦げる匂い。辛うじて意識は失われていなかった。だが、ダメージが大きくて、今すぐには動けそうになかった。

 

視界に、何者かがこちらへ歩み寄る姿を捉えた。

 

「ははは。まんまと引っかかってくれたね、ワンちゃん。」

 

"ダスト"こと、粉浜薫の登場だった。

 

「粉塵爆発って言うんだよ。知ってたかな?ワンちゃん。時間がなくてね。すまないが、君との追いかけっこもここまでだ。さようなら。」

 

その声と同時に、パス、パス、パスと3つの破裂音。銃声だった。サプレッサーをつけていたのだろう。

 

俺の体に、弾丸が命中する。辛い追い打ちだったが、幸いにも、致命傷ではなかった。俺にとっては。

 

粉浜が再び逃亡する。俺はせめてもの思いで、必死に奴の匂いを記憶した。

 

 

 

 

 

 

体が再び自由に動くようになったのは、それからしばらく経ってからだった。粉塵爆発の衝撃で、ヘッドセットは壊れてしまっていた。携帯もオシャカになっている。

 

俺は、"ユニット"メンバーと連絡を取り合う術を失っていた。すぐに地上に出る。日が落ちかけていた。外はだいぶ暗くなっているが、この分だと、動けなかったのは10分くらいだろうか。

 

周囲の音がよく聞こえない。鼓膜が完全に破れてしまっていた。痛みを感じないから、こう言うケガに気づきにくくなってしまっている。今から耳の治癒を始めても、聞こえるようになるまでちょっと時間がかかるな。

 

奴の匂いをたどって、俺は再び走り出した。

 

 

 

街を縦横無尽に駆け抜けて、俺は再び粉浜を見つけ出した。奴を観察して、"ブツ"の在り処を探す。あのトラッシュケースがそうだろうか?

 

 

気づかれないうちに飛び掛り、"ブツ"を奪い返そうかと思ったものの、その前に粉浜に感づかれてしまった。

 

「まいったな!しつこいね、ワンちゃん!……そうか!オレの匂いを辿って来たんだな。」

 

再び、粉浜のオートバイの周囲に粉塵が巻き上がりだした。奴が砂嵐を生み出す前にカタをつけようと、俺は飛びかかる。

 

その時、粉浜は懐からビンを取り出し、地面に叩きつけた。宙に浮かんでいた俺は、回避できず、そのビンから溢れ出た粉末をまともに浴びる。

 

そして、粉末が目に入ると同時に、視力を失った。

 

着地に失敗し、道路を転がる。微かな光は感じられるものの、目が全く見えなくなっていた。何かの薬品を使われたらしい。クソッ、さっきから、粉浜相手に間抜けを晒してばかりだ!

 

 

 

音もよく聞こえず、目も見えない。嗅覚のみで、奴を探す。

 

見つけた。いつの間にか。路地裏に移動している。全力で走り寄り、体当たりを仕掛け、組み付こうとした。

 

だが、失敗する。何か得体の知れない、冷たい金属の壁のようなものに阻まれる。

 

粉浜の奴、何時の間にオートバイを降りたんだ?そして、この金属は何なんだ?不審に思うものの、続けてタックルを繰り出し、再び組み付こうと仕掛けた。

 

相手に肉薄する直前に、肩に刃が突き刺さる感触を受けた。咄嗟に後退する。感触を受けた部分を触ると、自身の流血を感じ取った。ナイフを受けたのか?いや、そのような感触ではなかった。もっと大きな、刀で切られた、とでも言われた方がよりふさわしい気がする。

 

埒があかない。気が進まぬものの、俺は痛みをある程度残して闘うことにした。完全に消し去ると、還って後手に回る。

 

今度は、相手から仕掛けられた。足首にするすると硬いロープのようなものを引っ掛けられ、転がされそうになる。

 

力比べなら自信がある。俺は逆に足を振り回し、相手の体制を崩そうとしたが、するりとロープは解けた。その後、今度は腹部に槍状のものが刺し込まれた。

 

その槍を握り締め、相手を引き寄せようとした。が、なんとその槍は、するするとバターのように溶けて、俺の手をこぼれ落ちた。

 

本当に粉浜が相手だろうか?いい加減不安になってきた。奴は拳銃を持っていたはずだ。なぜ撃たない?それ以前に、一体何で俺は攻撃されている?

 

目の前からは、依然粉浜の匂いが漂うが。俺は少しだけ距離を取り、全力で聴覚を再生させる。残念ながら視覚のほうは、目にこびり付いた薬剤を洗浄しなければ、どうにも使えそうになかった。

 

 

「~~~~かッ?~~~~ッ!」

 

だんだんと、相手の声が聞こえるようになってきた。そして愕然とする。先ほど辛うじて耳にした粉浜の声ではない。それどころか、男ですらなかった。女の子だ。どう聞いても、年若い少女の声色だった。

 

 

「~~~~~……おい!急に止まってどうした?」

 

 

誰だこいつは!?

 

いや、俺から攻撃を仕掛けておいてこんな言い方は幅かられるけれども。

 

チクショウッ。ハメられた。なんでコイツから粉浜の匂いがするんだ。

 

マズいマズいマズい!粉浜は今何処だ!?見失ってしまった!急いで追いかけなくては!

そう考えたが、一度冷静になる。ちょっと待て。粉浜の匂いがするこの娘は一体何だ?奴の協力者だと考えた方が妥当だ。

 

目の前の娘は、キャンキャンと子犬のように喚いている。

 

「おい、お前!お前が"ウルフマン"じゃないのか!?とりあえず、オレに攻撃すんのやめろよ!」

 

なんだ?この娘。俺のことをなぜ知ってる?……いや、娘じゃなくて男か?"オレ"だと発言していたからな。声色から勝手に女だと判断したが。

 

「オイ、坊主、ナゼオレノ事ヲシッテル?」

 

「なッ、オッ…~~~!ワタシは女だ!」

 

なんだよ、オレっ娘か。紛らわしいな。

 

「ソンナコトハドウデモイイ!ナゼ俺ノ名ヲ知ッテイル!」

 

「えッ。そ、それは…えーっと……ようやく喋ったかと思ったらッ!」

 

俺の糾問に、少女はあたふたと答えを濁した。互いに相手を警戒し、空間に緊張が走る。しばらくして、少女は吹っ切れたのか、俺に"符丁"の確認を要求してきた。

 

「…んぅ~と……!そうだ!"符丁"!"符丁"の確認だ!えーっと……"びくたあ おすかあ ジュリエット ユニフォーム ゼロ はち いち ゼロ しえら パパ ホテル えこー きゅう きゅう に ゼロ"!」

 

少女が口にした合言葉は、確かに、任務中に協力関係にある人員との間で、確認を取るためのものだった。この少女、友軍かもしれない。

 

「……ナルホド。"R O G D Q D 8 2 5 8 U N I T 5 6 8 2"。コレデドウダ?」

 

「うっ。ん~と。待って、HQと連絡を取るから。……おっけー。確認できた。」

 

 

目の前の少女も、俺が友軍だとわかって落ち着いたようだ。そのあとすぐ、打って変わって、どうして有無を言わさず出会い頭に攻撃したのか、と問い詰めてきた。

 

彼女の話によると、ビルの合間をパルクールのように駆け抜け、彼女らにとっても同じく標的であった粉浜を追跡していたところに、いきなり俺が襲いかかってきたそうだ。

 

どうやら俺がヘッドセットを壊してしまい、本部と通信が取れなくなった後に、この少女の部隊との連携に関する連絡があったらしい。

 

「スマナイ。今、目ヲ潰サレテイテ、何モ見エナインダ。耳モサッキマデ聞コエナカッタ。ダカラ、匂イヲ頼リニ粉浜ヲ追イカケテイタ。ソノ時、イキナリアンタカラ粉浜ノ匂イガシタカラ、勘違イシテシマッタンダ。」

 

「ちょ、ちょっと。目を潰されたって……。大丈夫なの……?」

 

「ダイジョウブ。シバラクスレバ直ニ視力ハ回復スル。モウ既ニ、アンタノ輪郭ガ見エル位ニハ回復シテイルヨ。」

 

縁も縁もない少女に心配されて、調子が狂う気分だった。

 

「トコロデ、アンタノコトハ、ナント呼ベバイイ?」

 

「ああ。オレのことは"スフィア4"って呼んでくれ。もしくは"マーキュリー"。」

 

"マーキュリー"。"水銀"か?…………ん?もしかして、冷たい金属って……。

 

「オイ!マサカ、オ前、アノ俺ヲ何度モ刺シテタアレ、モシカシテ水銀ナンジャネエダロウナ!?」

 

俺の焦りを前にして、少女はきょとんとした顔で肯定の返事をした。

 

「そうだよ。あー。目が見えないのによくわかったね。アタシ…じゃなくて、オレ!オレの能力は"水流操作(ハイドロハンド)"で、水銀を操作できるんだ。」

 

コイツ…ッ!なんてもんを人にズブズブ刺してくれとんじゃ!水銀が体に入り込んでたらシャレにならねぇぞ!

 

「テメェッ!水銀ダッテゴラァッ!人様ニナンテモンブチ込ンデクレトンジャ!オイ!今スグ俺ノ体カラ吸イ出セ!出来ンダロ!?……ッ出来マスヨネッ?」

 

「むう。なんだよ!元はといえばそっちがいきなり攻撃してくるから悪いんだろ!心配しなくてもあんたの体には入ってないよ!」

 

その言葉を聞いて、取りあえず安心した。さておき、もうこんな茶番をやってる暇はないな。だいぶ時間を無駄にしてしまった。

 

オレっ娘に通信機を要求した。ひとまず"ユニット"メンバーと連絡を取らなくては。

 

"ユニット"リーダーから、粉浜の追跡状況の報告を受けた。現在、奴は第十一学区南東、学園都市と外部の検問所近くへと距離を縮めていた。ただ、奴のオートバイは破壊したらしく、徒歩で逃走しているらしい。

 

至急現場に向かわなくては。オレっ娘は慌てたが、俺は一言礼を告げると、彼女を振り切って走り出した。

 

 

 

 

 

 

走りながら考える。どうしてさっきのオレっ娘から粉浜の匂いがしたのだろう。色々可能性を考えたが、一つ、推理できるとすれば。

 

粉浜の奴は、恐らく"匂いの粒子"を操ったのではないだろうか。人間や犬が"匂い"を察するメカニズムは、元をたどれば"匂いの粒子"を鼻の粘膜が感知することで為されている。

 

もしそうならば、粉浜は。土壇場でそんな器用な真似を成し遂げたのか。奴の能力も、報告書とは大違いの規模(スケール)だった。今日この時のために、能力の真価を隠していたのか?

 

だとしたら、奴は機転が効くどころじゃない。強かで、随分と頭のキレる奴だ。

 

リーダーから、また連絡が入った。粉浜は、近くの廃ビルに逃げ込んだらしい。その報告を聞いて、俺は悩んだ。あいつは、本当に逃げの一手でそこへ逃げ込んだのだろうか。強かに、俺たちを一網打尽にする罠を用意している可能性は……。

 

 

 

 

 

粉浜が逃げ込んだ廃ビルに到着した。上階から、発砲音が聞こえてくる。だが、不自然なことにその発砲音の出処が一箇所だけだった。仲間が数人で包囲しているはずなのに。断続的に発砲音が鳴り響いているから、決着は付いていないはず。何が起こっているんだ?

 

 

廃ビルの屋上に到着した。積まれた資材を影に、"ユニット"メンバーと後詰めの戦闘員が、粉浜の奴と対峙していた。辺りは砂煙に包まれ、見通しは最悪だった。

 

粉浜は、装備しているサブマシンガンでこちらに一方的に発砲してきている。なぜこちらは一発も打たないんだ?奴の"試薬"を傷つけないためなのか?

 

俺が疑問を発する前に、中百舌鳥が声を張り上げた。

 

「"ウルフマン"!テメェがヤツを仕留めろ!オレ達の武器は今使いもんにならねぇ!あの野郎、能力を使って、弾薬の火薬に細工しやがった。オレのライフルも、奴に砂を詰められてお釈迦だ。」

 

あいつ、やってくれるな。ほんとに強能力者(レベル3)か?……いや、力の使い方が上手いのか。

 

「了解シタ!」

 

俺の返事を聞いた"ユニット"メンバーたちは、俺に殺せ、とハンドサインを送った。その後すぐに、彼らはリーダーの合図と同時に、一斉に弾幕のさなかを前進し、俺が粉浜に接敵するタイミングを作り出した。

 

 

俺は、今度は匂いに頼らなかった。回復しつつある視力と発砲音を頼りに、粉浜に飛びかかった。そして、なんとか奴に接近し、思い切り胸部を殴ってブッとばした。

 

 

小浜の発砲音の静止を察して、中百舌鳥が俺に呼びかけた。

 

「"ウルフマン"!殺ったか?」

 

「イイヤ。殺シテハイナイ。ダガ、標的ハ制圧シタ。」

 

俺の返答に、中百舌鳥は唾を飛ばして激昂した。

 

「馬鹿ヤロォ!オレは殺せって言っただろうが!クソ!今すぐブッ殺せ!」

 

 

彼がその言葉を言い終わるかどうか、その寸前に。

 

辺り一面に、白い粉末が、まるで粉雪のように舞い上がった。油断し、不覚にもその粉を吸い込んでしまった。

 

その直後だった。突然、能力を自分の意志でコントロールできなくなった。体が自由に動かせなくなった俺は、マズイことに粉浜のすぐそばで倒れ込む。

 

 

他の仲間たちも、皆軒並み呻き声を上げて地を転がっていた。俺は、粉浜の追撃に焦った。同時に、倒れ伏したままの態勢で、ある考えを巡らせてた。

 

自身を包む悪寒に、身に覚えがあった。

あの晩、黒夜と戦った夜。その直前に、俺はこの感覚を味わっていたじゃないか。

落ち着いて、能力を最大限に展開する。

 

 

目の前で粉浜は苦しそうに立ち上がり、俺を憎悪の瞳で睨めつけた。

 

「また君か、ワン公!やってくれたな!おかげで、奥の手を使っちまったよ!…地獄に送ってやる。脳天ブチ抜かれりゃ、さすがにこの世とはお別れだよなぁ!」

 

そう口にした粉浜は、そばに転がっているサブマシンガンを拾おうとしている。

 

焦りに耐え、俺は身体の活性化をひたすら待ち望んだ。

 

粉浜が銃を拾おうとする動作が、スローに映った。奴が銃を手にかけたその時、辛うじて動かせるくらいには体に自由が戻った。

 

 

粉浜が銃口を向ける頃には、俺は既に立ち上がり、奴の真後ろに立ち上がっていた。

 

「ひッ。お、お前……。やッやめッ

 

奴が言葉を発し終える前に、その首を掴み、そのまま吊るし上げた。

粉浜の表情には恐怖が張り付き、その瞳はまるで俺に命乞いをしているようで、絶望に彩られていた。

 

俺の思考の内側で、一つの声が異様な存在を示していた。「殺せ。終わらせろ」と。

 

 

 

 

ここで終わらせなければ、こいつはまたすぐにでも次の手を打ってくるだろう。殺したほうが安全だ。

 

だが、俺はそもそも金が欲しかっただけだ。金のためにこいつを殺していいのか。

 

こいつには殺されかけた。自身の安全のために、殺してしまおう。

 

こいつの目。完全にビビってる。もう終わりだ。ほうっておけ。

 

そんな確証ないはずだ。いつだってこいつは殺しに来るぞ。

 

いいのか、殺しても。こいつにも家族がいて。

 

安全じゃないか。こいつを殺せば。

 

 

 

 

粉浜の、銃を握っていた手が動いた。瞬時に、彼の目に憎悪の念が湧き上がる。俺は反射的に、握っていた手に力を込めてしまった。

 

 

 

頚椎の潰れる音が聞こえた。初めて聞く音だった。

 

 

 

粉浜の体から力が抜け、だらしなくぶらりと俺の手に、静かな重みが蘇った。

 

初めて人を殺した。無意識のうちに能力を使い、湧き上がる後悔と恐れを押し殺していた。

 

 

 

 

 

 

撤収後。"ユニット"メンバーたちは、険しい顔つきをしていた。粉浜が最後に繰り出したあの一手が、回収すべき"試薬"だったのだ。組織の裏切り者に報復を与えはしたものの、クライアントの要求を完全に満たすことはできなかった。

 

任務は失敗扱いだった。他の"ユニット"メンバーは、俺が最後の最後に詰めを誤った責任を追及することはしなかった。もともとは、彼らの見通しの甘さから生まれた不祥事だったからだ。

 

 

 

"ユニット"の拠点であるトレーラーから出て行く際に、リーダーに呼び止められた。ちなみに、中百舌鳥の奴は粉浜の奥の手で病院送りになっていた。あいつは"強能力者"だったから、特別に薬の影響が大きかったんだろう。

 

「"ウルフマン"。お前は今日、良くやった。だが、覚えておけ。この世界じゃ、失敗はそうそう許されん。次は、その甘えを捨てて出直して来い。」

 

「了解。リーダー。」

 

俺の返事に、リーダーは苦笑した。

 

「任務外で"リーダー"呼ばわりは止せ。……さて、それじゃあな。」

 

リーダーは背中に抱えた大きなギターケースを抱え直し、俺に背を向けた。

 

「リーダー!そんなでっかいエモノを抱えて、また任務ですか?」

 

彼は手を左右に振り、否定の意を返した。

 

「まさか。これからバンドの練習さ。"ウルフマン"、お前も死ぬ前に、後悔の無い様にな。」

 

リーダーの楽しそうな声色に、本気で驚いた。あのゴリ、あの老けヅラでまだ学生だったのかよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第七学区。学生の街。長年慣れ親しんだ聖マリア園を離れて、俺が次の棲家に選んだのは、この学区のボロい安アパートだった。第七学区でも指折りに治安の悪い場所に位置し、スキルアウトが警備員(アンチスキル)に連行される風景が、毎日のように繰り還される。

 

 

家への帰りがけに、今日殺してしまった粉浜のことを考えていた。あんな奴が、どうして暗部を裏切ったりしたんだろう。それもたった1人で。

 

暗部に逆らえばあのような結末になる、とそれがわからない愚鈍な奴だとは決して思えなかった。止むに止まれぬ理由があったのだろうか。そんなもん、暗部に属する皆が皆に在りそうじゃないか。

 

俺も、アイツみたいな最後を遂げるんだろうか?

 

 

 

 

 

アパートまで、もうすぐだった。そこで、アパートの前にポツリと佇む人影があった。火澄だった。狼狽して、一瞬逃げようかと思ったが、彼女は既にこちらに気づいていた。冷たい相貌で俺を見つめている。

 

白状しよう。今はもう九月の初めである。五月の終わりに居を移した。それから今まで、彼女に聖マリア園を退園したことすら、一片も伝えていなかったのだ。

 

色々と彼女に説明をするのが面倒くさかった。だって、トラブルになるのが余りに見え透いていたからな。ずるずると連絡するのを後回しにしていた。

 

彼女からはひっきりなしにメールと着信が届いていたが、今まで無視していた。暗部のゴタゴタが少しは落ち着くまで、連絡を控えようと思っていたのだ。

 

その携帯も今日の任務でぶっ壊してしまった。メールの内容も最近のものは確認していなかった。どッどうしよう。今からでもホント逃げようか?逃げるべきか?逃げたいです!

 

 

「景朗。そのボロボロの格好、ケンカでもしたの?」

 

火澄が邂逅一番に告げたのは、その一言だった。

 

「……そうだよ。」

 

怒らせないように、最新の注意を払って返答を考えた。結局思いつかず、ぶっきらぼうな台詞が口から飛び出ていた。

 

「こんなボロボロのアパートに住んでるし……。はぁ~~~~っ……あんたってば、ほ・ん・ッ・と、分かり易いグレ方するのね。」

 

彼女の答えに、なんと返せば良いのかわからない。俺は黙したまま、彼女の方を向いてつっ立っていた。

 

「まさか。まさかね。まさか本当にケンカしてたとは。あの景朗が、こんなグレ方するなんて思わなかったわ。」

 

呆れ声が、暗闇の中の、静かな空間を通り過ぎていく。

 

「景朗。ケガしたとこ、見せて。さ・い・わ・い・にも、ここに手当をする道具がありますから。」

 

怪我の手当か。それは無理な相談だった。今、傷だらけの俺の体には、風穴(銃創)が3つばかし空いてしまっているからな。

 

火澄が歩み寄るものの、俺は彼女に拒絶の意思を見せ、後ずさって距離をとった。

 

「大丈夫だよ。ただの打ち身、あと擦り傷が少々。わざわざ手当する必要はないよ。」

 

俺の態度に、彼女は一瞬、傷ついた表情を見せた。続けて困惑した顔を向けてくる。

 

「景朗、ホントにどうしちゃったの?何があったの?急にクレア先生の所から出て行くし。」

 

火澄の雰囲気は今までにないくらい真剣で、有無を言わせない空気を発していた。俺が唯ならぬ状況下に身を置いているのを、感覚的に察知しているんじゃないか、と、そんな気がしてならなかった。女って、どうしてこんなカンが鋭いんだよ。

 

「大げさだな。別に何もないよ。今のアパートは、節約のために限界まで安いとこを借りただけだし、ケンカだって、今日は本当にたまたまスキルアウトに絡まれただけさ。」

 

苦し紛れの言い訳だった。火澄は当然、俺の言葉を素直に信じた訳も無く、疑いの眼差しを向けつづける。

 

「じゃあ、どうして。どうして、3ヶ月も、私のメールを無視したのよ?」

 

「それは……。最初に怠けちゃって、連絡をするタイミングをずるずると引き伸ばしちゃったんだよ。ごめん。そのことに関しては、怒られても無理はないよ。」

 

俺の拙い言い訳を耳にした火澄は、烈火のごとく怒りを露わにした。肩を怒らせ、俺に近づいてくる。

 

「そう。随分とあっさり言うのね。それじゃあ……これが、人を丸々3ヶ月も無視した分よ!」

 

そう言って、彼女はぎこちなく、俺の左足に、ぺしん、とローキックを放った。能力を解除していたが、その必要は全く無かったようだ。微塵も痛くなかった。

 

「景朗、いつか、ホントのこと話してね。今は聞かないでいてあげる。あんた、今日は随分としんどそうだから。」

 

 

 

その後、大した話もせず、彼女は夜も遅いから帰る、と言い出した。この辺は治安が悪いから送っていこう、と提案するも、火澄は鼻で笑い、勝手にしなさいよ、と言い放った。俺を置いてスタスタと先を歩いて行く。

 

気まずさで、彼女の隣に並んで歩けなかった。ひたすらに、無言で彼女の少し後ろを付いていく。

 

 

 

駅に付いた所で、火澄はようやく口を開いた。

 

「景朗。今日はホントはね、あんたが、どこの高校に進学するつもりなのか。それを聞きに来たかったんだ。」

 

彼女から話しかけてくれて、俺は焦った。下手なことはもう言えないぞ。

 

「第一志望は、長点上機学園だよ。」

 

俺の答えに、火澄は今日一番、驚いた顔を見せた。

 

「なっ、長点上機学園!?学園都市の名実共にトップの学校よ?ちょっと、真面目に答えなさいよ。……まさか、本気、なの?」

 

俺は黙ったまま、彼女にニヤリと笑った。

 

「まあ、目標は高ければ高いほど、人間、成長できるわね。」

 

彼女は、俺が長点上機学園に入学できるとは到底信じていないらしい。良かった。咄嗟に、本当のことを口にしてしまい、内心焦っていた。

 

布束さんから勧められた、暗部の仕事をこなしながら通うのに適した高校。その名を聞いて、俺は大いに納得したものだった。長点上機学園。学園都市No.1の能力開発校だ。当然、闇の深さも抜きん出ていて当然という訳か。

 

俺の能力のレアリティならば、長点上機学園にはストレートで合格できる、と彼女からお墨付きを貰っている。

 

 

最後に火澄に、手纏(たまき)ちゃんと一緒に大覇星祭の観戦をすることを約束させられた。駅へと歩いていく彼女の姿を見送り、再び帰路につく。

 

 

 

 

 

九月の第二週。大覇星祭の記念すべき初日。暗部の野暮用も無かったため、幸いにも火澄の急な呼び出しに応えられた俺は、待ち合わせ場所である第七学区の所定の公園へと急行した。手纏ちゃんとも同席しているらしい。

 

屋台のクレープに舌鼓を打ちながら、此度の大覇星祭の勝者を予想し合った。

 

「どうなの?今年の大覇星祭は。常盤台は今年こそ優勝できそう?」

 

俺の質問に、火澄と手纏ちゃんは目を見合わせ、クスクスと笑い出した。

 

「景朗さん、やっぱりそう言う話には疎いんですね。」

 

「あんた、日頃から友達がいないって言ってたけど、本当なのね。」

 

2人に突然笑われ、友達がいないと論われ、俺は返す言葉もなく、落ち込んだ素振りを見せた。

 

「何がそんなにおかしいんだよ?」

 

「だって、常盤台生の私が言うのも何だけどさ。大覇星祭に関しては、今年は常盤台中学(うち)の話題で持ちきりだと思うわよ。」

 

「景朗さん、もしかして、今年の春に、超能力者《レベル5》の方が2人も常盤台に入学したのを、ご存知ないんですか?」

 

「え。」

 

ものすごいビッグニュースだったじゃないか。そ、そうだったのか。なんで知らなかったんだよ、俺。これは情けないぞ。ていうか友達居ないなんてレベルの話じゃないよね……

 

毎度恒例の火澄の呆れ混じりのツッコミが入る。

 

「し、知りませんでした。マズイですね。」

 

「……はぁ。ええ、そうよ。マズいどころの話じゃないでしょ。あんたの交友関係が本気で心配になってくるわよ。」

 

手纏ちゃんもフォローできない様子でぎこちない笑顔を浮べた。俺は恥ずかしさを甘んじて受け入れるしかなかった。

 

「せっかく私たちが盛夏祭に誘ってあげたのに。去年も来てくれなかったじゃない。そんなんだから、そーいう事態に陥るのよ。」

 

「ま、まあまあ、火澄ちゃん。仕方ないですよ、学校の御用事がお有りだったんですから。」

 

「だって、結局中学1年生の時しか来てくれてないのよ。ずっと誘ってたのに。深咲だって落ち込んでたじゃない。友達が居ないのに、なんのご用事だったんでしょーねー?」

 

頬を膨らませた火澄の発言に、手纏ちゃんは顔を赤くしてあたふたしていた。

 

「ちょ、ちょっと火澄ちゃん!別にそんなに落ち込んでたわけじゃないよぅ!」

 

「えー、そ、そうなのか。そんなに落ち込まなかったんだ……」

 

「はぅあ。ち、ちがっ。」

 

俺がからかうと、手纏ちゃんはさらに慌てている。和むなぁ。

 

「景朗。それ以上深咲をからかったら、炙るわよ。」

 

「おーけーおーけー!やめる。やめるよ。わかった。」

 

何時ものように、火澄は手纏ちゃんを徹底ガード。一瞬でこの有様だ。

 

 

「し、しかし、それなら、やっぱり皆は当然、今年は常盤台の1人勝ちだって予想してるんだろ?」

 

手纏ちゃんはまだ少しリカバリーに時間がかかりそうだった。そこで続けて火澄が相槌を打つ。

 

「その通り。まあ、結局は団結力の勝負になるから、結果はどう転ぶかわからないけど。でも、今年の常盤台は、2人の超能力者(レベル5)の参加を追い風にして、去年より圧倒的に士気が高い、とはハッキリ言えるわね。」

 

「そこで、先輩方自身のお名前を出さないのは、さすがですね。常盤台が誇る"火災旋風(ファイアストーム)"のお姉様方。」

 

突如、俺たちが寛いでいたベンチの裏から、聞き覚えのない少女の声。まあ、実の所、俺は足音で近づかれる前から気づいていたんだけどね。

 

「!……御坂さん。」

「み、御坂さん?!」

 

混乱から回復仕掛けていた手纏ちゃんが、その少女の登場によって再びあたふたし始める。おや、どうやら、手纏ちゃんだけじゃなく、火澄も少し慌てているようだった。珍しいな。

 

御坂と呼ばれた少女は、にこやかな、人懐っこい笑顔で火澄たちに話しかけた。

 

「いやー、まだお気づきじゃなかったとは。周りを見てください、先輩。我らが"火災旋風(ファイアストーム)"のお二人が、殿方と親しげに談笑なされているのを、近くの常盤台生が、まるで真夏の雪を興ずるが如く、興味津々に観察していますよ。」

 

「み、御坂さん、その"単語(火災旋風)"は禁止!禁止!」

 

「?」

 

火澄の制止に、御坂さんは疑問符を浮かべていた。火澄のやつ、御坂さんの話でなんだか慌てているみたいだな。さっきから言ってる"火災旋風"ってなんのことだろ?火澄たちと関係があるみたいだけど。

 

「と、ところで、御坂さん。最近、よく私たちの所に来るわね。御坂さんと話すのは楽しいし、私たちは全く構わないのだけれど。もしかしたら、御坂さんが私たちの"派閥"に入っているんじゃないかって、そういうのに躍起になっている人たちに疎まれてしまうかもしれないわ。気をつけて。御坂さんに迷惑をかけてしまったら、私たちは自分で自分を許せなくなるわ。」

 

その言葉に、御坂さんは、とんでもない、という表情を作った。

 

「そんなことないですよ!むしろ、その逆です。もう九月になるってのに、まだアタシの所に"派閥"の勧誘が来てて。四六時中勧誘されて、なんだか、気づかれするってゆうか……。こほん。そ・こ・で。先輩たち、"火災旋風(ファイアストーム)"のお二人の"派閥"に入ってる、ってことにすれば、その~、なんとかなるかなーって。……やっぱり、ご迷惑ですか?」

 

「そっか。そう言うことなら、仕方ないわね。私たちも、ちょっとだけそう風に思ってたもの。御坂さん、ずっと勧誘されてて大変だろうなーって。もう、そんなすまなそうな顔しなくていいの!"派閥"だなんて下らないものに気を取られている人たちが悪いのよ。遠慮なく、私たちを頼りなさい、御坂さん。」

 

「さっすが、火澄先輩。相変わらず男前ですね!」

「火澄ちゃん、カッコイイです。えへへ。」

 

「ちょっと!男前って、何よ。男前って……」

 

 

あ、あれれ?先程から、野郎が1人置いてけぼりですよー……。気づいてますかー……。いや、会話に入りたいのは山々なんだけど、この3人の中に入っていくのは難しいぜぇ。はぁーあ。

 

 

「あーあ。そうなると、火苗のヤツが絶対いちゃもん付けにくるわね。メンドくさー。」

 

「岩倉さん、ですか。」

 

火澄と手纏ちゃんはそう言って、若干気落ちした空気を醸し出した。どうやら御坂さんもその空気に便乗しているご様子だ。

 

「先輩たちと同じ3年の"溶岩噴流(ラーヴァフロー)"の岩倉火苗(いわくらかなえ)先輩ですか?……あちゃー。最近、あまりにも勧誘が煩わしかったので、キッパリと断っちゃったんですよ。悪いことしちゃったかなぁーって思ってたんですけど。」

 

「大丈夫よ、御坂さん。火苗はそんなヤワなヤツじゃないから。」

 

火澄はそういって御坂さんを慰めた。手纏ちゃんも続けて御坂さんに話しかける。

 

「その話ならお聞きしました。岩倉さん、めげずに、御坂さんの次に食蜂さんを"派閥"にご勧誘なさったそうです。……そのぅ、これはまだ噂なのですけど……。岩倉さん、その後逆に、食蜂さんの"派閥"にご加入なさったそうですぅ……。」

 

「……」

「……」

 

手纏ちゃんの話を聞いて、火澄と御坂さんは何とも言えない表情を浮かべていた。

 

 

 

「ところでー。そろそろ、先輩たちと同席されている方について、ご紹介いただけませんかね?」

 

ナイス!御坂さん、GJすぎるでぇ!ほんまええこやぁ。てかマジで、冗談抜きでグッジョブ!御坂さんって人!

 

火澄とぱちりと目が合ったが、よそよそしく速攻で逸らしやがった。どうやら、俺の存在は都合が悪いらしいなぁ。ククク……。

 

「はじめまして、えーと、御坂…さんでいいのかな?俺は雨月景朗って言います。ちなみに、火澄とは御坂さんがご想像されている以上にディープな関係です。」

 

「なッ!ええッ!先輩!も、も、も、もしかして、この人!」

 

「景朗ぉ~~ッ!どうやら本気で消し炭になりたいようねぇ!」

 

いや、とっくに髪の毛に火が付いてるんですけど!火澄さん!御坂さんは転げまわる俺を見てあわあわしていたが、手纏ちゃんは何時もの光景だと言わんばかりに、にっこり笑顔を浮かべていた。

 

 

 

盛大に顔を赤らめつつ、火澄は俺の冗談を一蹴した。改めて、御坂さんと正面を向き合って挨拶を交わした。

 

「さっきはすみません。改めまして、雨月景朗といいます。火澄も言ってましたが、同じ施設のメンバーだったんですよ。本当の彼女は手纏……いえ、もちろん冗談です。ジョークです。」

 

「あ、あはは……。いえいえ、こちらこそ。"火災旋風(ファイアストーム)"のお二方の後輩の、御坂美琴です。よろしくお願いします。」

 

「どうもどうも。」

 

「いえいえ。」

 

そうやって、表面上はにこやかに、御坂さんと挨拶を交わしたが、内心では俺は彼女と正面に向き合って初めて、彼女の放つ異様な雰囲気に気圧されていた。

 

なんだ、この娘。只者じゃないぞ。なんだか……強い。いやいや、こんな女の子相手に何を考えているんだ。そう思いつつ、頭の中では、なぜか、この少女との戦いをシミュレートしていた。だめだ。勝てそうにない。不思議な子だなぁ。

 

一方、御坂さんはというと、どうやら彼女も同じように、俺に対して若干の警戒心を持っているようだった。

 

「どうしたの?二人共。険しい顔をして。……こほん。御坂さん、さっきも言ったけど、この脳筋男の言うことは、全て無視していいから。」

 

「えっ。あ、いや。そういうわけじゃ……。」

 

御坂さんは何でもない、という表情を返すが、火澄は不審そうな顔を俺に向けてくる。おいおい、なんもしてねえよう。

 

「か、火澄さん。初対面の方にそういう事を吹き込まないでくださいよ。」

 

火澄は俺のクレームに、ジト目で睨み返すだけだった。ち、ちくせう!さっきから厳しいなぁ!よぅし、こうなったら……

 

 

「あのさぁ。ところで、さっきから御坂さんが言ってる"火災旋風(ファイアストーム)"って一体何のことなんだい?2人に関係してるんだろ?」

 

「あれ?景朗さん、知らないんですか?"火災旋風(ファイアストーム)"って言うのは、この仄暗火澄(ほのぐらかすみ)先輩と手纏深咲(たまきみさき)先輩、お二人の"通り名"のことですよ!」

 

視界の端に、何かを諦めた様子の火澄が映った。

 

 

 

 

"火災旋風(ファイアストーム)"、本来の意味は、火災現場などで発生する自然現象である。炎が生み出す上昇気流や、燃焼により消費された酸素の移動によって生じる、火焔の竜巻のことを表しているらしい。

 

炎を操る火澄と酸素を操る手纏ちゃん、2人を的確に表した"通り名"だと思った。しかしまあ、そんな大それた"通り名"が、そもそも一体全体、なぜあの2人に付けられたのだろうか。

 

切っ掛けは、いくつかあるらしい。ひとつは、学舎の園周辺でスキルアウト等に絡まれた女の子たちを、よく火澄たち(主に火澄だな、これは)が助けてあげており、その界隈の、能力のレベルが低かったり、男に免疫のない女の子たちの間で、お助けヒーローばりのノリで噂されるようになっていたらしい。

 

その能力を使うさまを見て、誰かが"火災旋風(ファイアストーム)"と言い出し、それがいつの間にか定着したと。

 

そんな二人組は、大覇星祭で常盤台の看板を背負って大活躍を魅せる。そして、だんだんと知名度が高くなってきたおりに、最後の切っ掛け。常盤台特有の"派閥"争いの勃発。巷で人気急上昇中の二人組を陣営に加えようと、様々な"派閥"が火澄たちへとアプローチを仕掛けたらしい。

 

だが、"火災旋風(ファイアストーム)"の二人組は、決して、いずれかの"派閥"に所属することなく、孤高を保ち続けた。いろいろ嫌がらせを受けたりしたらしいが、それでも"無所属"を貫いて。今では、"火災旋風"の二人組は、常盤台で"派閥"に加わることを良しとしない、"無所属"筆頭、旗頭のような扱いを受けるまでになった、という話だった。

 

 

お、お嬢様学校怖えぇ。怖ぇぇよぉ。能力使ってもこの怖さは消せそうにないんですけど。どうしてくれる!

 

「パねぇーー!パねぇッス!"火災旋風"のお二人さん、カッケェー!マジリスペクトッすwww。ボク、これからは、お二人のことは尊敬の念を込めてファイアアアアアアアアアアアアアアッチィィイイイイイイイイイイイイ!!!」

 

「わかってた!あんたが絶対そうやって茶化してくるのはわかってたのよ!あーもう、今日は厄日だわ!」

 

「景朗さん、恥ずかしいので、やめてください~~ッ!」

 

転げまわる俺を見て、今度は御坂さんも笑っていた。

 

 

 

 

 

火澄が俺の火炙りにいい加減飽きた後。御坂さんはその後も俺たちと会話を楽しんだ。俺が常盤台中学の超能力者(レベル5)を知らなかったことについて、火澄はやたらとからかって来た。

 

初対面の御坂さんに、俺がいかに世俗に疎いか、速攻でバラされてしまったので、俺は照れ隠しに「一体、超能力者(レベル5)ってどんなやつなんだろうなー?俺の勝手な想像だけど、陰険なムッツリガリ勉さんに違いないって思ってるよ。え?俺?いや、俺はしがない強能力者(レベル3)だけどさ。俺の能力?えーっと、"戦闘昂揚(バーサーク)"っていう、火事場の馬鹿力がでるだけのショボい力だよ。」と言って誤魔化した。

 

なんだかんだで、御坂さんは可愛い娘だったから、名残惜しかったけど。競技時間が来たらしく、御坂さんは1人運動場へと走っていった。

 

 

 

 

 

火澄たちの競技時間も迫っていた。先ほどとは打って変わってご機嫌な火澄が気味悪く、俺はその理由を何度も訪ねていた。

 

「うーん。そろそろ、教えたげる。…ぷくく。あはッ、アハハ。笑いをこらえるのが大変だったわ。」

 

手纏ちゃんも、申し訳なさそうに、笑いを我慢していた。

 

「何がそんなにおかしいんだよ?そろそろ教えてくれよ?」

 

「教えてあげましょう。景朗、常盤台中学が誇る超能力者(レベル5)。一人は"心理掌握(メンタルアウト)"の"食蜂操祈(しょくほうみさき)"。」

 

おお。「みさき」とな。手纏ちゃんと同じ名前だな。漢字は違うけど。

 

「もう一人はね、学園都市第三位の超能力者(レベル5)。常盤台の電撃姫、"超電磁砲(レールガン)"こと"御坂美琴(みさかみこと)"よ!」

 

……はぁ?

 

えっ…御坂って…御坂さん……。

 

なんだッてェ?

 

う、嘘だ。

 

すがる思いで手纏ちゃんを見やるも、彼女はどうしようもないくらい、申し訳なさそうな顔をしていた。手纏ちゃんの反応でわかる。嘘じゃない。

 

え、それじゃ、俺、御坂さんの目の前で、あんだけ超能力者(レベル5)をこき下ろして……

 

 

 

うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

先に言えよ、チクショオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




どうしよう。禁書目録で木原幻生は行方不明だって話だから、勝手に殺しちゃえーってプロットを作ってたんですけど、超電磁砲コミックスで、バリバリ生存。それどころか悪の親玉のごとく盛大にやんちゃしてるじゃないですかーーー。はぁ。
まぁとっくにプロットは木原幻生の生存ルートで修正したんですけどね。嫌な作業でしたよ(笑)
この小説もどき、まだまだ続きます。登場したキャラクターとか、その能力とか、設定が色々あるんですけど、需要なんて無いですよね。お気に入りに登録してくれた方がいてくれてすごいテンション上がってます。こんなオ●ニー小説をお気に入りにしてくれるなんてヤヴァイっすよー!
アンケートなんて大それたもんじゃないんですけど、私はよく、戦闘シーンなんていらねぇ、ラブコメがもっとあったほうが・・・ってほかの方のSSよんでて思ってて、そうした方がいいかなぁ。はぁーあ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

episode08:群蟲扇動(インセクトスウォーム)

『さあ、間も無く始まります!今大会有数の注目カード!常盤台中学校VS霧ヶ丘女学院!競技種目は極めてスタンダードな「玉入れ」となっております!現時点で暫定一位の常盤台に、何処まで霧ヶ丘が食いつけるでしょうか!兎角申しまして、両雄、知らぬ者無しの"超"の付く有名校!観客席からも並々ならぬ期待と歓声が響き渡っております――――』

 

 

 

興奮した解説実況者の大声が喧しく、俺は今すぐにでもこの場を離れたくなった。またしても火澄に呼び出され、彼女たちの出場競技の観戦へと駆り出された。早く昼の休憩時間にならないかな。しぶしぶ駆けつけたものの、俺の目的は彼女の手作りのお弁当に一極集中していた。最近食ってないからな、この機を逃す手はないぜ。

 

 

競技場に常盤台代表が入場するのを、観客席からぼうっと眺める。火澄や手纏ちゃんの姿を難なく捉えるも、御坂さんは発見できなかった。玉入れには参加してないみたいだな。

 

 

『―――続きまして、両校の注目選手のご紹介です。常盤台代表選手の中には……噂の超能力者(レベル5)の姿は見えませんね。常盤台は温存策に出た模様です。これは霧ヶ丘にとっては朗報ですね。さて、それでは現在、入場の完了している常盤台中学の選手について。まずは、常盤台代表を率いる3年、仄暗火澄(ほのぐらかすみ)選手、大能力(レベル4)発火能力(パイロキネシス)が持ち味の彼女ですが、ご存知の方も会場には多いのではないのでしょうか?去年も常盤台を率いて獅子奮迅の活躍でした。巷では、同じく競技に出場している3年、手纏(たまき)選手とのコンビ名、"火災旋風(ファイアーストーム)"の名で有名だそうですね――――』

 

 

火澄たちがでる競技だけで良かったのだが、プログラムの最後の方ではっきりとした開始時間がわからないから、と朝早くから観戦に興じている。この試合で最後だ、と空腹を我慢しつつ、片手に持つ缶コーヒーを呷った。ひとつ前の試合でめちゃくちゃになったグラウンドの修復に、思った以上に時間を取られたようで、この競技の終了はお昼休みに食い込みそうだった。

 

競技場の端に、霧ヶ丘女学院生が揃っていた。遠目にも、彼女たちの顔には殺る気に満ち満ちているのが察せられる。

 

いやはや、この試合、荒れそうだな。とにかく早く終わってくれよ、とため息をついた。

 

 

『――――そして最後に。霧ヶ丘女学院を率いる主将であり、奇しくも、大能力(レベル4)冷却能力者(クリオキネシスト)である、乾風氷麗(からかぜつらら)選手。相反する能力者同士が指揮を執るこの試合、どのような結果となるのでしょうか?間も無く競技開始となりますが、ここで再び会場の皆様に諸注意の――――』

 

 

興味は全くないが、この試合が終われば火澄たちと昼飯だ。試合内容を全く諳んじられなければ、その間に小言を付け加えられるのは間違いない。改めて競技場へと向き直り、両校の生徒たちへと視線を移した。

 

毎度恒例の、解説実況者の各競技中の諸注意の放送をBGMに、競技者たちの様子を眺めると、とある事に気づいた。

 

集団の中にまぎれ、集中し何かに没頭している、とでも言うような険しい表情を、既に浮かべている娘たちの姿が。それもどちらの陣営ともにな。なるほど、試合開始前に、すでに勝負は始まっているってことか。

 

 

玉入れに使う籠は、各自担当の選手が後生大事に抱えていた。彼らの周囲には、籠を抱える選手を護衛する係の者がそばに待機している。試合終了前に、籠を倒して玉をこぼしてしまえば、勝負は決まったようなものだからな。それもさもありなん。

 

玉入れのボールは、ゴムボールの中に微かに鉄心が入っているもの、極めて軽量なもの、といった様々な種類のものを使用しているらしい。華やかな試合になるようにと、各能力者が能力を使いやすいように調整しているって話だ。

 

 

『―――4, 3, 2, 1, スタート!試合開始です!おおっと!開始早々、見事な能力の応酬!各陣営から水や氷、炎や…電撃が飛び交う!いやぁ、これだけの量があると、煌びやかな印象を受けますねぇ。しかし、あくまで牽制や妨害のためだけに能力の使用は許可されています。人体に影響のある強度で能力を使用した生徒は、その場で即失格となります。両者、無事に中央付近の玉の配置付近にたどり着きました。おや、これは――――』

 

 

両陣営、競技開始の合図と同時に中央付近、ボールが配置されている地点へと駆け出した。

だが。霧ヶ丘女学院が猛然とスタートダッシュを切るさなか、常盤台の女生徒たちの半数が、突然何もないところで転倒した。よく見る光景だ、アイススケートのリンクの中で。

 

常盤台の陣営目前の、一部の地面が凍結していた。そのために、虚を取られた生徒がスリップしてしまったようだった。

 

 

霧ヶ丘女学院に遅れて、ようやく常盤台もボールの配置地点にたどり着いた。ルール上、ボールは一度手に触れなければ籠へ投入できないことになっている。能力を使って直に籠へ大量投入できない訳だ。

 

そこに来て、両陣営ともに玉を手に取ろうと試み……失敗していた。滑稽な光景だった。

 

常盤台の生徒は、ボールを手に取ろうとするも、蹲ったまま。誰ひとり持ち上げられていない。一方の、霧ヶ丘女学院の生徒は、手に取ったボールを掴んだかと思ったら、即座に手放して手を振り回している。

 

おやおや。これは一体どうしたんだろう。

 

 

『―――ただいま情報が上がりました。どうやら、両校、お手玉に能力で細工を行っていたようですね。常盤台のお手玉は凍りつき、地面に接着されています!中には撥水性のボールも混じっていたはずなのですが、例外なくひとつ残らず地面とくっついている!霧ヶ丘女学院の方は、お手玉が手に取れないほどに発熱している模様です!ルール違反のフラッグが揚がらない以上、長時間持たない限りは火傷しない、ギリギリの温度に調節されているようですね!意外な展開となりました!依然として―――――』

 

 

さすがはエリート校。順応速度が半端ではなかった。どちらの学校も、瞬時に対応する。霧ヶ丘女学院は、順次冷やされたボールを、次から次に空へと打ち上げ始めた。常盤台の方は女学院の妨害と、凍りついたボールの処理に徹している。

 

肝心の火澄たちは、複数の生徒をまとめ上げ何やら次の手を仕掛けんとしている様子であった。ここからは目を離さずに彼女たちを伺おうかな。

 

霧ヶ丘女学院が空に打ち上げるボールの数が、だんだんと常盤台の妨害に競り勝ち、いよいよ籠へと投入されるかのように見えた、その時。

 

突如、霧ヶ丘女学院の陣営の背後に、巨大な炎の竜巻が噴出した。炎の竜巻は、強烈な突風を産み出し、その余波は観客の帽子を軒並み吹き飛ばした。

 

当然、霧ヶ丘女学院の籠へ入るはずだったボールも何処へともなく吹き飛ばされる。

 

 

『これは一目瞭然!常盤台の仄暗選手と手纏選手の十八番(オハコ)!これが噂の"火災旋風"とでも呼びましょうか!強風を伴う火焔の竜巻です!霧ヶ丘女学院は対応できていません!次々と水流や氷塊が竜巻に打ち込まれていますが、依然としてその勢いは衰えていませんね!素晴らしい能力です!仄暗選手の"不滅火焔(インシネレート)"と手纏選手"酸素徴蒐(ディープダイバー)"の合わせ技だそうです!どちらも大能力(レベル4)相当!――――』

 

 

竜巻の引き起こす突風は強烈だった。竜巻の近くにいた霧ヶ丘女学院の生徒たちは、風に飛ばされグラウンドを転げ回った。複数の生徒が躍起になって、水塊や氷塊、泥塊を竜巻に打ち込むものの、傍目にも効果は無く、炎の竜巻は不規則に突風を産み出し、霧ヶ丘女学院のボールの投入を見事に妨害していた。

 

そして、霧ヶ丘女学院が炎の竜巻の対応に追われる間。常盤台は、手際よく強風の弱まるタイミングを見計らいつつ、念動使い(テレキネシスト)等のボールを遠隔操作できる手段を持った能力者たちが一斉にボールを自陣の籠に投入していた。その光景はあまりにも息が揃いすぎていて、精神感応能力(テレパス)の影を存分に感じられた。

 

 

一時、焦りの浮かんでいた霧ヶ丘女学院だが、今ではだいぶ落ち着きを取り戻していた。ボールを投入できないならば、と開き直り、今度は逆に、常盤台のボールの妨害に徹していた。

 

その落ち着きの理由は、衆目にも一目で理解できた。なんと、火焔の竜巻の周囲に、巨大な氷壁が形成されつつあったのだ。氷壁は竜巻をリング状に覆い、融解と凝固を一進一退に繰り返しながらだが、僅かに少しづつ、高さを伸ばしていた。このまま時間がすぎれば、竜巻の突風を封じる可能性があるだろう。

 

 

『――――霧ヶ丘女学院の反撃です!巨大なドーナツ型の氷壁が、竜巻の強風を防がんと、徐々に屹立しつつあります!こちらも素晴らしい能力ですね!五月雨(さみだれ)選手の"結露生成(デューイードロップ)"!そして霧ヶ丘女学院主将、乾風選手の"瞬刻冷却(リフリジレート)"の複合技、となっています――――』

 

 

感覚的にだが、最初と比べ突風の勢いが減って来ていた。今では霧ヶ丘女学院のボールも籠に入ってきているが、籠に入ったボールの数は、やはり常盤台がリードしている。競技時間がもう少し長ければ、霧ヶ丘女学院にも勝利の芽はあるだろうが、贔屓目に見ても、常盤台の勝利は堅いように見えた。

 

 

霧ヶ丘女学院が次の手を打つか。それとも心が折れるのか。常盤台が追撃の一手を放ち、トドメを指すのか。この試合の結果は、残念なことに俺にはわからなかった。

 

間の悪いことに、携帯には"ユニット(暗部)"から緊急招集の連絡。俺は勝負の行方を知ること無く、そして火澄の手作り弁当を口に入れることもなく、その場を離れなければならなかった。

 

任務の前に。既に、俺の心は死んでいた。ついさっきの、火澄たちとのやり取りが頭の中でリフレインする。

 

 

 

 

 

 

「いい?景朗、ちゃんと応援してくれないとお昼ご飯抜きだからね。」

 

競技場入場前の、火澄のからかい言葉に、俺はちょっとビクついた。それもそのはず。今日はそもそも火澄の弁当が狙いでここへやってきたのだ。ただ単に火澄にイジられて帰りました、では、洒落にならない。

 

「理不尽な。そっちの競技中に、俺の応援をどうやって判断するんだってんだ。」

 

そう反論したもの、彼女は有無を言わさず、「これは決定事項です」とのたまい申された。

 

手纏ちゃんは、ニコニコと可愛い笑顔を浮かべるのみ。

 

「だって、アンタ最近、すぐどっかにぷらっと行っちゃうじゃない。誰に呼び出されてるのか絶対口を割らないし。」

 

「い、いやだから学校の、研究室の先生だって。」

 

「じー。」

 

火澄は俺の答えを信じてはいないみたいだ。それも仕方がないのかもしれないな。小さな頃から一緒だったし、俺の嘘はなんとなく、で見抜いてしまう。

 

スーッと。彼女が少しだけ視線を逸らした。お。俺だって、多少は彼女のクセを理解している。これは、照れくさい時にヤルやつだ。いやまあ正直、これは"クセ"云々言う前にわかり易すぎるものだったかな?

 

「きょ、今日は、ちょ~~っとだけ、多く作っちゃったから、あんたがいないと絶対に余っちゃうと思うのよ。逃げたら殺す!からね。」

 

火澄の影に隠れていた手纏ちゃんも、言いづらそうに彼女のあとに続いた。

 

「私も……そのぅ、今日のお弁当に……。お手を加えさせていただいたので……。ぜ、是非とも、景朗さんも召し上がってくださいね。」

 

おお。手纏ちゃんも進歩したなあ。今日は言い切った。

 

「言われなくても、そのつもりなんで!いやあ、今日はそのために来たようなもんさ。あ、そうだ。飲み物とかは持ってきてる?持ってきてないなら、それくらい用意させてくれ。」

 

 

 

ああ。どうしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こちらユニット4。異常無し。そちらは?」

 

『ユニット1。こちらも問題ない。オールグリーン。一面コケとヘドロだらけだ。』

 

「……」

 

極限まで簡素な定時連絡のやり取りだったが、何時もより"ユニット1"こと"ユニット"リーダーがイラついた様子であるとは伺い知ることができた。無理もない。彼ら、"ユニット1"と"ユニット2"は今現在、悪臭漂う下水路にその身を置いているのだ。

 

現在、"ユニット"は第十六学区、つまりは第三学区と第一学区の狭間に位置する商業区画へと、護衛対象"プレシャス"の警護をするために足を運んでいる。

 

とりわけ時間の短かったブリーフィングでは、正直なところ、事態の把握に必要な情報を十分に蒐集できなかったが、今当たっている任務について、一言で述べれば。護衛対象"プレシャス"を今日一日、無事に護衛し通すこと、といえば良いだろうか。

 

"プレシャス"と対象を呼ぶものの、誰に対しても、それこそ大覇星祭のために外部から足を運んできた一般生徒の保護者にさえも、その名をわざわざ伏せる意義が存在するとは、俺には思えなかった。"プレシャス"とは知る人ぞ知る、12人の統括理事会の1人、トマス=プラチナバーグ氏のことである。

 

 

本日の11:23頃に、トマス=プラチナバーグ氏が正午からプレゼンを行う予定だった、第十五学区に位置する会場にて、爆破テロが仕掛けられた。幸いなことに、プラチナバーグが入場する前に爆発が起きたため、プラチナバーグには何の影響も有りはしなかった。

 

しかし、プレゼンの会場は使用できる状態ではなくなり、会場の変更を余儀なくされた。周辺の施設は対テロ対策が不十分であったため、急遽、学園都市中央南西部に位置する第十五学区とは真反対の方向、学園都市北部の第三学区へと会場の変更が成された。第三学区は普段から外部から要人や一般客を受け入れる窓口的な役割を持つ学区であり、それ故、学園都市でも有数の対テロ対策が実施されていた。

 

プラチナバーグ氏は、今、第七学区を護送されている。第三学区への途中に通過する、第一学区、第十六学区のうち、第十六学区はとりわけ警備の手が薄かった。そこで、蛇の道は蛇。俺たち"ユニット"のような汚れ仕事専門の部隊にも、緊急で対テロ護衛任務が廻ってきたという訳である。

 

 

供に二人組(ツーマンセル)を組む相棒である、"ユニット3"こと中百舌鳥(なかもず)は、俺が身を隠すビル屋上、そのすぐ近くに、能力を展開し空宙を浮遊しつつ、テロリストの狙撃に目を光らせている。

 

中百舌鳥は、高度に身を隠す光学迷彩スーツを身にまとい、常人の目からは姿を視認できなくなっている。特別な透視ツールを用いなければ、彼を発見するのは難しい。

 

一方の俺は、中百舌鳥のように光学迷彩スーツを着用せずに、姿を堂々と光に晒し、高性能な双眼鏡片手に周囲を偵察している。こうすることで、狙撃手と対になる観測手(スポッター)と同時に、敵の目を引く(デコイ)の役割も担っていた。

 

秘匿任務中だからだろうか。中百舌鳥は彼にしては珍しく、口数少なめに、周囲に気を配っている。

 

『"ウルフマン"、敵影なし。今のところ、敵の襲撃の気配は微塵も無え。』

 

「こちらもだ、"スカイウォーカー"。しかし、今日はもう秋だってのに、いや、秋だからこそか。この辺はやたら雀蜂が多いな。近くに巣が在るんだろうか。」

 

『悪いな、"ウルフマン"。余り口を開きたくねえ。下らねえ話はよしてくれや。……まぁ、なんだ。マジで近くに巣を見つけた時は、オレにも教えろよな。』

 

「了解。」

 

嗅覚、聴覚ともに、能力を使い最大限に賦活させていたからだろうか。敏感に周辺を飛び回る雀蜂の羽音を捉えてしまい、それが少々耳障りだった。

 

 

 

 

 

『ユニット3、ユニット4。"プレシャス"が十六学区に入った。第一学区では何事も無かったようだ。いよいよ此れからだぞ。集中しろ。』

 

リーダーから連絡が入り、俺たちは気を引き締め、より一層周囲の警戒に努めた。逐一"プレシャス"の移送状況が通達され、今もなお彼が無事に移動しつつあることを確認する。

 

 

 

 

 

もうすぐ、俺たちが担当する、とあるビル郡交差点付近に護衛対象が到着する。そこは乱立する商業ビルのせいで視界が悪く、敵襲を警戒する必要のあったポイントのうちの一つだった。

 

この第十六学区は学園都市の中でも学校が少ない地区のため、大覇星祭の活気は他の学区と比べるとそこまで伝わってはこない。

 

しかし、レストランやアトラクション施設、レジャー施設が目白押しで、街を行き交う一般客自体の

数は多いようだった。

 

平和そのもの、何時もの光景にあくびが出そうだった。一般客で混み合うこの大覇星祭の時期に、容赦なくテロを観光するテロ屋の気がしれないなあ。

 

任務に集中しなければならないとは思うものの、任務そのものより、俺は約束をブッチした火澄の機嫌の方が気が気で仕方がなかった。

 

 

 

 

 

 

このまま何もなく、任務の終わりが見えてきたかに思えたその時、事態は大きく動いた。

 

"プレシャス"があと少しで、俺たちのカバーポイントを無事に通り抜けられる頃合に、地下からのテロリストの強襲を警戒していた部隊から、続々と奇怪な通信が入ってきた。

 

『おい、今、何か黒い影が動いたような……!』

 

『ゴキブリだ!山のように居るぞ!』

 

『詳細は不明だが、黒い波がこちらに近づいてきている!』

 

複数の通信が混雑し、状況を正確に捉えられなかったが、恐らくは、ゴキブリが大群をなして下水道を徘徊しているようである。

 

すぐさま、続けて通信からは発砲音と怒声、耳を引き裂くような悲鳴が溢れ出した。驚き、状況が全く掴めず、同じく地下で歩哨任務に当たっていた"ユニット1"と"ユニット2"に連絡を取る。

 

「こちらユニット4!ユニット1、ユニット2!其方の状況はどうなってるんだ?」

 

返信は直ぐには帰ってこなかった。中百舌鳥とすぐに合流しようかとも考えたが、彼が通信に口をはさんでこない以上は、ここでさらなるテロリストの出方を窺っていたほうが良いのだろう。

 

地下で暴れているらしいゴキブリは、敵が引き起こしたものなのだろうか?

 

『"ウルフマン"!状況はつかめねえが、オレたちはオレたちの仕事に集中したほうが良さそうだぜ。ヤツ等にとっちゃ、下が混乱している今が絶好のチャンスだろうからな。』

 

中百舌鳥から通信があった直後だった。"ユニット"リーダーから、初めて聞く切羽詰った呼び声が忙しない銃声とともに耳に入ってきた。

 

『――糞ッ!ユニット1より各員に告ぐ!ユニット2が殺られた。こちらは今、ゴキブリの大群の襲撃を受けている!視界を埋め尽くす量だ!とてつもない数だ!どこから涌いたのか見当もつかないが、この様子じゃ地下の部隊はほぼ全てが無力化しているだろう!撤退をッ……チィ!』

 

もし、これが敵の意図した攻撃ならば。いや、そんな偶然あるものか。地下へのゴキブリの襲撃は十中八九敵の攻撃であるはず。ならば、然るに。すぐにでも、次は"プレシャス"へと強襲が始まるはずで。

 

『糞がァッ!挟まれたッ!―――畜生ォォォォオ!至急、救援を―――』

 

銃声が谺するさなか、リーダーから最後の通信が入った。それっきり、彼からの連絡が途絶える。呆然とする俺に、中百舌鳥から叱咤の激が飛んだ。

 

『"ウルフマン"!?聞いているのか?敵襲に備えろ!―――クソッ。ゴキブリの次は、蜂かよ……!』

 

中百舌鳥の言葉に反応し、虱潰しに辺りを探るのを止め、握っていた双眼鏡を下ろした。通信を聞き取るのに集中していたせいだ。まったく気がつかなかった。知らぬ間に、数十匹の蜂が、俺たちの周囲をぐるりと取り囲んでいた。

 

 

 

 

 

『うわあああ!さッ刺されたぁッ!たッ助けてくれ!』

 

『気をつけろ!刺されたら一瞬で昏倒するぞ!……見たこともない蜂だ!』

 

 

他の狙撃班からも、悲痛な連絡があとを絶たない。蜂が辺りを飛び回っていたのは、このためだったのか。巣が近くにあったわけじゃない。敵の尖兵だったって訳だ。ふとした見かけは雀蜂だが、なるほど、これは……。通信にあったとおり、独特の凶悪なフォルムをしている。学園都市が新たに生み出した新種だろうか?

 

 

空宙に浮かびながら、こちらの動きを見計らっていた蜂の大群から、数匹が高速で飛来し、俺に向かって突撃してくる。

 

鋭敏に反応し、なんとか両の拳で叩き落とす。マズイな、想像以上に疾い。これは、常人では反応できないぞ。中百舌鳥のヤツが危険だ……。

 

「"スカイウォーカー"。まだ無事か?」

 

『チクショウ、今んとこはまだ襲いかかられてねえが、時間の問題だ!悪いが、"ウルフマン"。ここはトンズラさせてくれ。能力を解除して、地上へ急降下するッ』

 

「ああ!逃げろ!俺も急いで合流する!」

 

改めて、目の前の大群に対峙する。どうやって蟲どもを切り抜けようか、と思考を切り替えようとするも、またしても緊急の通信が俺の脳裏を貫いた。

 

『狙撃班!至急援護を!護衛対象に敵部隊の襲撃!護衛部隊が襲われている!……ッ一体どうしちまったんだ!?狙撃班からの反応も無い!このままでは―――』

 

次から次へと事態は急転している。嫌な予感がする。少なくとも、俺たちは混乱状態にあり、敵にイニシアチブを取られたままだ。

 

 

 

 

 

体躯をしならせ、一息に飛び跳ねて、屋内へ逃れる。蜂の群れを掻い潜り、ビルの階段を駆け下りた。同時に、能力を発動させて、"人狼化"を行った。

 

 

『最悪だッ!護衛部隊も蜂に襲われている!まともに敵歩兵部隊に対応できるのはパワードスーツ部隊だけだァ!誰でもいい!至急救援を――うッ、ぐぁぁ……』

 

 

小さな蜂どもにとって、雑多な商業ビルへと侵入するのは、何よりも容易なことだったろう。強化された聴覚で、排気菅やダストシュート、至るところから蟲の飛翔音が聞き取れた。

 

今の状態の俺でも振り切るのは難しい。如何せん、数が多いし、的が小さすぎる。対昆虫兵器兵装が必要だが、誰がそんな状況を予想し得ただろう?火炎放射器、マイクロ波誘導加熱兵器、音響兵器。どれもこれも、こんな街中で使えば、味方まで巻き込んでしまうだろうよ。

 

『チクショォ!ダメだッ!振り切れねェ!』

 

「モウスグダ、合流スルマデ逃ゲ切レ!」

 

中百舌鳥の極限まで緊迫した叫び。時間が惜しい。ここが何階だったか知らないが気にしてられない。窓を突き破り、屋外へと飛び出した。眼下に映る地表まで、まだかなりの高度があった。勢いそのまま、目前に迫る壁を蹴って、また新たな壁へと飛び移り、落下速度を調節していく。

 

上方から蜂の羽撃きが耳に入る。そうだ、どうやって蟲どもから中百舌鳥を助ける?ヤツらの殲滅は難しい。とりあえず、中百舌鳥を抱えて逃げるか?

 

―――駄目だ。護衛目標"プレシャス"は今まさに敵の手に落ちようとしている。直近の護衛部隊の援護に行かなくてはならない。どうする?しかし、救援に向かうならば、中百舌鳥を見捨てるしか方法が…?

 

チッ。任務はまた失敗か。仕方がない。まずは、中百舌鳥のヤツを回収してからだ。その後はあとで考える。

 

両手両足の爪を尖らせ、壁面に食い込ませた。摩擦で熱と煙が生じるものの、俺の落下速度は急激に緩やかになる。上空から付け狙う蜂どもを油断なく注視しつつ、俺は地表へと降り立った。

 

『くああっ、刺された!うおおおおおッ!』

 

マズい!間に合わなかったか!急いで路地を駆け抜け、地に倒れ伏した中百舌鳥を見つけ出した。数匹の蜂が奴に取り付き、毒針を突き刺している。

 

こうなれば、とにかく、急いで処置を受けさせなければ。中百舌鳥の体にまとわりつく蜂を蹴り飛ばし、体を肩に抱えて、この場を離れようとして――――

 

 

 

 

姿勢を起こした俺の目前に広がったのは、加勢すべき"プレシャス"直近の護衛部隊が制圧されつつある光景だった。

 

あちこちに転倒した車両が転がっている。敵は大規模な玉突き事故を誘発させたのか。まんまとしてやられている。車両を遮蔽物に、銃撃戦の痕が見て取れる。

 

軽装の護衛たちはそのほとんどが意識を失い横たわっていた。通信で聞いたように、まともにテロリスト共に対抗していたのは少数配置されたパワードスーツ部隊だけであった。彼らは孤立無援の中、テロリストどもから必死にプラチナバーグを守り通そうとしている。

 

だが、その彼らも長くは保たないだろう。敵部隊はこの状況を予測していたがごとく、かなりの数の対PS(パワードスーツ)兵器を揃えていた。トリモチのような、学園都市の最先端技術によって開発された合成樹脂によって、半数のパワードスーツが地に磔となっている。

 

 

 

 

 

俺はこの状況を放り出して逃げ出すのか?

 

 

 

一瞬の、逡巡。それが、運命を分けた。迷いを振り切り、中百舌鳥を担いで走り出そうとしたまさにその瞬間。

 

 

首筋に小さな痛みを感じた。まるで、小さな虫に噛まれたような。

 

 

その次に、俺が知覚したのは、自身が大地に倒れ伏す振動だった。中百舌鳥と一緒に、地面に転がった。体がぐらついて、うまく立っていられない。

 

疑問とともに、すぐに起き上がろうと試みるも、体は言う事を聞かず、蝸牛のようにゆっくりと動くだけだった。弛緩した体に力が入らない。

 

俺と中百舌鳥に、すぐさま毒蜂が群がってくる。比較的はっきりとした意識の中、俺は中百舌鳥が蜂に貪られ、ショック死する様を目の前でまざまざと見せつけられた。

 

針が体内に入り込む、えも言われぬ悪寒を感じながら、俺は突然の身体の痺れを招いた原因を目撃する。それは、どす黒い色をした蜘蛛だった。俺の手の平ほどもある、大きな蜘蛛だった。音もなく忍び寄る、生粋の狩猟者。

 

後悔すら、体を襲う痺れと悪寒、高熱の中に消えていった。朦朧とした意識には、目の前の味方が発する、増援を縋る虚しい声だけが届いてくる。

 

 

このまま意識を失えたら楽だな。そういえば、俺はこうやって体の自由が効かなくなっては、その都度能力を発動させてきたんだっけ。そういう時はいつだって、ロクなことがなかった。

 

そうやって昔のことを思い出す度に、怒りが湧き上がる。

 

どうせなら、今、立ち上がれよ。また後悔するぞ。蟲の毒くらいでこの俺をどうこう出来ると思ってんのか畜生ッ……!!

 

 

「GOOAAAAAAHHHH」

 

 

奥からくぐもった唸り声を漏れ出しながら、俺は力強く立ち上がった。一歩一歩踏みしめるごとに、意識がクリアになっていく。中百舌鳥は既に事切れていた。今、この瞬間に、悔やんでも仕方がない。

 

倦怠感が断ち消えるとともに、俺は今まさにプラチナバーグを手中に収めんとしている奴らへと飛び掛った。再び、鬱陶しく蜂が寄り集まってくるが、もはや、俺にはその毒は意味をなさない。蜘蛛の毒も。

 

こじ開けられた護送車には、意識を失った青年の姿が。間一髪だった。今まさに、プラチナバーグが収奪されようとしていたのだ。

 

俺に反応できたのは、わずか2名だった。残念ながら、その刹那に意識を刈り取られただろうけどな。盛大な音を立てながら、俺にタックルを食らった2人は数メートルほど吹っ飛び、動きを止めた。

 

機動性を重視したためだろう。敵部隊は軽装の上、対PS兵装の他には、ごく普通の小火器しか用意していない。群がる毒蜂をものともせずに向かってくる俺の姿に、敵部隊は大いに動揺をしてみせた。味方の護衛部隊が数を減らしてくれていたおかげで、残り4,5人といったところ。これなら、俺ひとりで制圧してやる。

 

 

慌てて発砲してくるが、高速で動く俺には全く命中していない。敵が油断していた上に、虚を着いたのが功を奏したのか、ものの数十秒でさらに2人片付ける。

 

 

状況判断する時間を与えてしまった、残りの3人には、しっかりと陣形を組まれ、強力なアサルトライフルで弾幕を貼られている。彼らとプラチナバーグの距離はごく僅か。

 

俺は思い切って、ライフル弾を喰らう覚悟で、奴らとプラチナバーグの間に割って入った。プラチナバーグが人質に取られるのだけは避けたかった。

 

数発の弾丸が俺に命中したが、なんとかプラチナバーグの傍に移動できた。俺の思いがけない行動と、その意図を察した敵3人は悔しそうに発砲を続けたが、切り替えも速く、すぐさま逃走に入った。

 

プラチナバーグの安全を確保しなければならない俺は、奴らより一層地団駄を踏みたい気分だった。追い縋りたい気持ちをなんとか抑えて、増援部隊が来るまでその場に留まった。

 

 

それからたった数分で、どうやら暗部の増援が到着した。どうにも速すぎる。最初から周囲に待機していたのでは?と思わせる速度だった。

 

すぐさま、彼らが何者か察せられた。"縞蛸部隊(ミミックオクトパス)"。近頃話に聞いた、暗部の偽装工作部隊であった。ほぼ非戦闘要員である彼らの援護では、いたずらに被害が増えただけだったかもしれない。いや、ただ単に、彼らの任務が"この事態"の収拾のみだったのかもしれないが。

 

 

 

 

それから数分後。ようやく、遅ればせながら、"警備員(アンチスキル)"や"風紀委員(ジャッジメント)"の影が視界に入る。潮時だろう。もはやプラチナバーグの安全は確保されたも同然だった。

 

衆目にこれ以上今の自分の姿を晒したくはない。俺は事態の回収を彼らに任せ、中百舌鳥の死体を担ぎその場から逃げるように撤収した。

 

先程の戦闘で、多くの人間に人狼化した俺の姿を目撃されていただろう。学園都市に、新たに狼男の都市伝説が誕生してしまうな。面倒なことにならなきゃいいが。諦めるしかないか。

 

 

 

 

 

 

回収地点につく前に、最後に残った"ユニット"のオペレーターに今までの推移の報告を行う。半裸で人間を担ぎ、走り回る俺の姿を、不審そうに見つめる奴もいた。

 

 

『実働部隊で生き残ったのは貴方だけよ、ユニット4。』

 

無機質な女性の声。顔も名前も知らない彼女からの連絡で、俺は"ユニット"の壊滅を改めて確認した。

 

『貴方の活躍で、なんとか"プレシャス"が敵の手に渡らずに済んだわ。そのことについては、お手柄だと手放しに賞賛を送りたいのだけれど。気の毒なことに、そうも言ってられない。結局、"プレシャス"を無事に講演会場へ護送出来なかった。上からの命令を遂行できず、立て続けに二度の失敗。状況を改善したくとも、実働班は壊滅。私たちは今、非常に危うい立場に居るわ。』

 

「言いたいことはわかった。……俺は、これからどうすればいい?」

 

 

『貴方の、"蜘蛛"に噛まれたという証言。ゴキブリと蜂の報告は他の部隊からも連絡が入っていたのだけれども、その"蜘蛛"の情報だけは貴方からしか上がっていなかった。現時点では、報告にあったゴキブリ、"食人ゴキブリ"と貴方も目にした毒蜂、"AVH"の情報から、第五学区の"産学連携生物産業総合技術研究所"へと報復部隊が向けられている。しかし、そこに貴方の"黒色の蜘蛛"の情報を加味した、私たちのリサーチでは、その他にもう一箇所候補が挙がった。第二十一学区、バイオプラスチック研究開発アカデミー。』

 

「今すぐに、其処へ向かえと?たった一人で?おまけに確証も無いんだろう?」

 

『……そのバイオプラスチック研究開発アカデミーと関連深い企業を踏まえて、推測した結果。"スリット"という産業スパイの機関がこの事件の首謀者にリストアップされたわ。彼らの活動はつい最近、統括理事会に露見した。今はわざと泳がされていたの。私たちですら手に入れられた情報よ。"スリット"自身も察知していたでしょうね。』

 

俺の応答は無視された。オペレーターの声色も心なしか切羽詰っている。

 

『情報から推察するに、"スリット"を泳がせるように指示をしたのは、今回の護衛対象"プレシャス"だった可能性が高いわ。貴方の発言通り、確証はない。"スリット"のように、理事会に首根を押さえつけられている非合法組織は山ほどあるもの。』

 

「その"スリット"が、プラチナバーグを襲ったと言いたいのか?」

 

『その可能性は高いはず。彼を人質に取ろうとしたのは、逃亡のためか、取引のためかは分からないけれど。……"ウルフマン"。貴方は、最後の活躍で、奇跡的に任務失敗のペナルティを受けずに済むかもしれない。けれど、私たち後詰めのスタッフはまず間違いなく処分されてしまうでしょうね。ただ、問題はそれだけじゃないわ。今後、貴方がまだ"この世界"で仕事を続けたいなら、今この時、今回の失態を挽回しなければならない。貴方、これからも大金が入用なのでしょう?』

 

『敵地に突入するのは、貴方1人。命令に従うも、背くも、貴方の自由。結果を得られなければ、どうせ私たちは処分されるわ。命令違反のペナルティも在りはしない。ただし、貴方もここで上層部に覚えをよくしておかなければ、資金稼ぎに苦労することになる。』

 

暗部で傭兵でもやらなければ、どうやって大金を稼げるというんだ。それに、今日は一度に3人も仲間を殺された。仲間だなんて呼ぶ間柄じゃないし、そんな意識も無かったが、弔い位はやってやる。

 

「いいだろう。あんた等を助けてやる。せいぜい俺を支援しろよ。……中百舌鳥の遺体はここに棄てていく。後で回収してくれ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人狼化した俺ならば、薄暗い森の奥地であろうが、関係なく走破できる。

 

"ユニット"オペレーターの案内に従い、第二十一学区、山間部、貯水用ダムの畔に建てられた、バイオプラスチック研究開発アカデミーへと辿り着いた。

 

2階の窓を破り、建物内へと侵入した。中は静謐そのもので、少なくとも周囲には、人の姿はもちろん、物音ひとつ聞こえない。それなのに、どうしてだろう。落ち着かない。第六感はしきりに違和感を感じ取っていた。

 

オペレーターの話によれば、敵の中に蟲類に感応し操作できる"精神感応能力(テレパス)"が、まず間違いなく紛れ込んでいるとのこと。だとすれば、緑の多いこの場所には、蟲など幾らでもいる。俺の侵入は察知されていると考えたほうがいい。

 

 

少し離れた部屋から、人の匂いが漂ってくる。慎重に近づき、目的の部屋に忍び込んだ。

 

床に数人の男女が転がっていた。手足を縛られ、1人を除いて皆意識を失っている。ただ1人だけ、必死に拘束を解こうともがいていた女性に近寄った。

 

彼女は俺の姿を見て、可哀想なほどに顔を引きつらせ、この世の終わりでも覗いたかのように震えあがった。

 

彼女の胸に付けられたタグを確認する。研修生, 蟻ヶ崎蛍灯(ありがさきほたるび), 稲之崎工業大学3年とある。この研究所の職員、いや大学生か。インターンシップか何かで顔を出していたところを襲われたと。不運だったな。

 

「オペレーター。ココデ当タリカモシレナイ。」

 

オペレーターに通信を入れようと思った矢先、ヘッドセットから聞こえてきたのは砂嵐にも似た雑音だった。ジャミングだ。敵は間違いなくここにいる。まずは一刻も早くバレないうちに、人質を開放してしまおう。それから敵を仕留める。

 

怯えながらもじっとこちらを見つめる彼女に、できるだけきちんとした発音を心がけて、今から拘束を解くこと、そしてほかの人質を逃がしていち早く退散するように、と語りかけた。

 

未だに震える彼女が今の状況を理解できているかわからないが、時間がない。拘束を爪で破り、床に落ちていたオーバル型の赤縁メガネを彼女に手渡してやった。そこまでして、彼女はやっと少し落ち着いたようだった。

 

「首謀者ハ何処ニイルカワカルカ?」

 

俺の問いに、彼女は一生懸命に首を横に振った。これ以上はもういいだろう。俺の方を不思議そうに見やりつつ、背を向けて、ほかの人質の方に向き直った。

 

人質が逃げる間は、標的を見つけてもしばらく時間を稼がなきゃならなくなるかもしれない。とりあえず、一刻も早く敵を見つけ出さなくては。部屋を退出する。そして、人質が拘束されていた、その部屋を退出する間際。背中から、女の濁った声が。

 

「テメェーの匂いは掴んだぞ、狼男。」

 

俺が振り返ったその時には、既に部屋中に巨大ゴキブリが湧き出していた。瞬く間に、視界が黒く染まる。

 

「賭けには私が勝ったんだよ!必死こいて仲間を助けようとしてたもんなぁ!目の前で殺してやったけど。あはっはっはぁー!またこーやって、暢気に人質を助けようとすると思ったよ!」

 

先程の怯えていた様子など微塵もない。蟻ヶ崎は醜悪な怒りに身を染めて、俺を睨みつけていた。

 

「ほらほら、ひとぢちサンがゴキブリにモグモグされて苦しそうだよぉ?助けないの?」

 

クソッ!コイツ……。一瞬、躊躇した。ためらわず、振り返った瞬間に殺していれば。黒光りする、食人ゴキブリの波が押し寄せてくる。もはやヤツには近づけない。この場から一刻も早く離れければ、危険だ!

 

「さっきは良くもやってくれたなぁ!テメェーのおかげで、プラチナバーグを捕らえ損ねたじゃねぇーか!……テメェだけはゼッテェぶっ殺してやっからな!毛むくじゃらァ!」

 

 

 

 

 

 

 

施設内を走り抜ける。食人ゴキブリどもはコンクリートだろうが鉄筋だろうがお構いなしに、食い散らかして穴を開け、執拗に俺に追走してくる。

 

数の暴力。多勢に無勢。あの大群に喰い付かれたら、髪の毛一本残らないだろう。俺は施設内を縦横駆け抜け、食人ゴキブリから逃げ回るだけで、何の手立ても打てずにいた。

 

際限なく沸き上がる焦燥感を能力で無理矢理に押さえつける。この施設は、あの食人ゴキブリの開発が行われたところだろうか?そうだとしたら、何か逆転の芽があるか?

 

いや、そんな悠長なことをしている暇はない。食人ゴキブリは通常のゴキブリとはサイズも段違いだった。移動速度は想像以上に疾い。障害物をブチ抜いて、最短距離で迫ってくる。

 

無策のまま、逃げ場所がなくなり、ついには屋外へ飛び出す。畜生、ここで逃げてどうする?おめおめと奴を逃してなるものか!絶対に仕留める!ハハッ。どうやって!?

 

 

視界の中央に、貯水ダムと、傍に建てられた大規模な上水施設が映る。いっそダムに飛び込むか?……いや、ゴキブリの中には、確か主に水中で生活する種類のヤツも存在したはずだ。唯の水では……

 

近くにそびえ立つ、巨大な上水施設を目に捉える。上水施設。浄化には、確か次亜塩素酸ナトリウムが使われて……。洗剤何かに使われている成分だ……。水溶液は、塩基性を示す……。ゴキブリが水中で窒息死しないのは、呼吸口を油性の毛で塞ぐからだったはず。それなら……イチかバチか……ッ!

 

 

 

上水槽に侵入し、強烈な塩素臭を漂わせている場所を探す。蟻ヶ崎は俺の"匂い"を掴んだと言っていた。それでゴキブリを操っているのなら。うまくゴキブリどもが水に突っ込んでくれるように祈りながら、俺は水中に飛び込んだ。

 

 

 

さあ、蟲ケラども。俺と息の我慢比べだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

人生最悪の光景が広がっていた。水面一面に浮かぶゴキブリの死骸。

 

どれほどの時間が経ったのかは分からない。不思議なことに、水中に入り、息をこらえていると、だんだんと息が苦しくなくなった。意味不明だな。兎に角、俺はどうやら、その気になったら呼吸をせずとも暫くは生命を維持できる体になっているらしい。

 

何はともあれ。蟻ヶ崎、俺も賭けに勝ったぞ。それとな、"匂い"を掴んだと言っていたが、それはこっちの台詞だよ。

 

 

 

「オペレーター、聞コエルカ?」

 

俺の通信に、焦燥に駆られたオペレーターの声が間を空けず返ってきた。

 

『"ウルフマン"!?何をしていたの?任務を放棄したかと思ったわよ!』

 

「ポイントBデビンゴダッタ。ジャミングサレテイタ上ニ、件ノ、蟲使イノ"精神感応能力(テレパス)"ニ襲ワレテイタンダ。連絡ガ遅レテスマナイ。』

 

俺の報告に、オペレーターが、はっと息を呑んだ。今頃、遠く離れた"ユニット"拠点のトレーラーの中で、ディスプレイの前で、前のめりになっているんだろうな、と笑みが込み上げてくる。

 

『そ、それで、標的は確保できたの?!』

 

「イヤ、マダダ。」

 

『ッ。何をグズグズしているの!』

 

気持ちはわかるが、もうちょっと落ち着いて欲しい。

 

「今向カッテイル!コチラモ相手ノ"匂イ"ヲ押サエテアル。追跡ハ容易ダ。ソレデ、改メテ確認スル。標的ハ生ケ捕リガ望マシインダナ?」

 

『ええ、もちろん。今回の事件の責任を取ってもらうわ。』

 

「通信終了。次ハ標的ヲ確保シテカラ連絡スル。」

 

 

 

 

 

 

バイオプラスチック研究開発アカデミーに戻る。蟻ヶ崎の匂いを辿り、電算室らしき場所へと向かった。目的地に近づくにつれ、蟻ヶ崎の狼狽した怒声が聞こえてきた。

 

「チクショォ!チックショォ!時間がねぇーってのに!なんでセキュリティが開かねえんだよ!手ブラじゃ帰れねぇぞドチクショォォォッ!」

 

彼女は相当に狼狽しており、拳銃片手に、イラつき混じりにガシガシとコンピュータを蹴り続けていた。彼女の周囲を舞う数匹の蜂が俺の姿を捉えると同時に、彼女は振り向きもせず、銃口をこちらへ向けた。

 

「何もかもテメェのせいだ。テメェが2度も余計な茶々を入れなけりゃァ、もうちっとズラかる時間が稼げたのによぉ……ッ。」

 

近づいてきた蜂を速攻で叩き落とす。すぐさま、彼女は逡巡無く発砲。俺は態々避けもせず、淡々と彼女へと歩み寄った。

 

腹部に拳銃弾を受けても、全く怯まない。スタスタと、彼女の前に立ちはだかると、彼女はその場に崩れ落ち、泣き出した。

 

 

そのまま様子を見る。再び、首筋に蜘蛛に噛まれる痛み。天井にこの毒蜘蛛を潜ませていたのか。彼女はピタリと泣き止み、同時にニヤリと嗤い、俺を見上げた。

 

「残念。モウ効カネエンダ、ソレハ。」

 

蟻ヶ崎の目の前で、蜘蛛を引っつかみ、握りつぶした。表情を凍らせた彼女が言葉を発する前に、鳩尾に拳を入れ、意識を奪った。

 

 

 

 

 

 

 

蟻ヶ崎を、回収に来た別系統の暗部の部隊に渡した後。オペレーターから蟻ヶ崎確保までの事後報告を要求された。

 

 

『……それを聞けて良かった。今日からしばらくは、絶対に水道水に口を付けないことにするわ。』

 

「俺もそうするつもりだよ。まぁ、なんにせよ、だいぶ明るくなったな。やっぱり、蟻ヶ崎を捕まえたことで、俺たちの失態はおおよそ軽減されたんだよな?」

 

オペレーターは、しばしの間、口を閉ざした。彼女にとっては、俺ごときに、地の性格を晒したのは屈辱だったのだろう。お互い様だと思うが。

 

『貴方には、一同、感謝します、"ウルフマン"。』

 

 

 

 

 

 

 

 

拠点のトレーラーへと戻ってきた。あれほどの事があったのに、肉体的には全く疲れていなかった。もちろん、精神的には相当キているけどな。

 

以前の失敗を踏まえ、拠点に置きっぱなしにしていた携帯には、火澄たちからの夥しいメールと着信履歴が。当然覚悟していたが、どうにも怒り心頭すぎるご様子。はあ、あのタイミングでブッチした言い訳を考えるのも億劫だ。

 

 

『"ウルフマン"。貴方に転属の連絡よ。』

 

突然の、"ユニット"オペレーターからの通信だった。

 

『"ユニット"は現時点を持って解体。スタッフはそれぞれ別の組織へ転属することになった。"ウルフマン"、貴方は部隊名"ハッシュ"へ加入して下さい。その意思が在るならば。』

 

レスポンスが早い。さすがは暗部組織。末端の部隊の興亡なんて日常茶飯事、上層部にとっちゃ、所詮は取るに足らない瑣末事か。

 

ふと、気になった。今日亡くなった同僚3人。リーダーこと"ユニット1"は、あの外見で意外なことにまだ学生だった。他の皆はどうだったのだろう。死んだ人間のことを根掘り葉掘り聞いても意味はないかもしれないが。

 

「なあ、あんた。最後に頼みがあるんだ。今日死んでしまった、ユニット1, ユニット2, ユニット3の3人は、表じゃ何をしていたんだ?皆もう生きちゃいない。知っていたら、教えてくれないか?」

 

黙り込んだオペレーターは、悩んでいるようだった。しかし、嫌々ながらも、口を開いてくれた。

 

『機密漏洩は、重大な契約違反だけれど、相手は死人。ほかならぬ貴方の頼みだから、特別に教えましょう。

 

ユニット1, 嶺木信山(みねきしんざん) 欧亜大学4年

 

ユニット2, 静馬一誠(しずまいっせい) 電子制御工学の専門学生。

 

ユニット3, 中百舌鳥遊人 金崎大学3年。

 

どう?これで満足して頂けたかしら?』

 

「ああ。……やっぱり、表の個人情報もそうやってしっかり調査されているんだな。俺についても当然詳しく調べられているのか?」

 

3人とも、まだ学生だった。今日、人生が終わった蟻ヶ崎も、学生だった。この間殺してしまった"粉塵操作(パウダーダスト)"の粉浜薫も、成人していたかどうか。

 

人類の英知と希望に溢れる、学園都市?どこがだ。学生同士が殺し合う、最低にクソッタレなところじゃねえか。腐って腐って腐って腐って、底が見えやしねえ。

 

 

『ええ。想像の通りに。最も、貴方はちょっと"特別"だったようだけど。』

 

「ああ。実はそうなんだよ。俺は"特別"だったのさ。……そんじゃな。色々教えてくれてありがとう。あんたも元気でな。」

 

『さようなら、"ウルフマン"。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後日、転属となった"ハッシュ"と呼ばれる部隊の、メンバーたちと顔を合わせた、その時に。俺は意外な出会いに驚かざるを得なかった。

 

なるほど。"ユニット"オペレーターが、"ハッシュ"について、色々と事前に教えてくれていた、その意味に納得する。

 

"ハッシュ"とは、その名の通りに、解体された部隊から、寄せ集められて作られた"ごたまぜ"部隊であると。

 

 

「オ、オレは、丹生多気美(にうたきみ)だ。これからよろしく頼む。」

 

そう自己紹介したのは、ショートヘアの黒髪をサイドポニーで纏めた少女である。ショートデニムが、更にボーイッシュな雰囲気を高めていた。ついでに、いかにもスポーツドリンクが入っていそうな、肩にかけた無骨な水筒にも目を惹かれる。

 

どこかで聞いた声だった。割と最近だ。そう、粉浜を追い詰めるときに、俺が誤って攻撃してしまった、同じく暗部組織に所属していた少女であった。

 

「まさか、こんな所で会うとはな。よろしく。雨月景朗(うげつかげろう)だ。"マーキュリー"。」

 

俺はにこやかに、彼女に答えると、握手のために手を差し出す。丹生多気美と名乗った少女は、目の前の少年が、未だに誰だか分かっていないみたいだが。

 

「えっええっ。まだ教えてない。どうして、アタシのコールサインを知ってるの……?」

 

テンパっているせいで、口調が素に戻っていたが、そこにはあえて触れないでおく。

 

「この間は、いきなり攻撃を仕掛けて悪かったな。まあ、これからは侘びも兼ねて、俺が守ってやるよ。……やっぱ、スグには分からないか。」

 

そう言ってニヤリと笑うと、彼女は何かに気づいた表情を見せた。驚愕とともに、俺を無意識のうちに指差していた。

 

「そうさ。"ウルフマン(狼男)"だよ。この姿で会うのは初めてだな。"ダスト"追跡任務の時、間違って君を攻撃してしまった狼男。その正体は、正真正銘、ここにいるこの俺さ。」

 

 

 




一週間に一度は更新します。忘れ去られそうなので(笑)間に合わなければ、それまでに書いてたところまで(仮)とか付けて。早く仕上がればすぐ上げるつもりですけど、きついだろうなあ。
読む価値ないクソSSだけど、見てもらってるとわかるとやっぱ嬉しいですからね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

episode09:水銀武装(クイックシルバー)

 

 

「本当にごめん。マジで、あのタイミングで抜け出すなんてありえないって、自分でも思ってる。」

 

『……』

 

「……その、さ。お弁当、やっぱり……余っちゃっ…た?」

 

『……余ったお弁当は、後で御坂さんが美味しく頂きました。』

 

「ああ、そっか……。それは、よかった。」

 

『……』

 

「あの、アレ。玉入れも、最後の方まで見たんだ。火澄と手纏ちゃんが竜巻だすとこもちゃんと見てた…ぜ……」

 

『……』

 

「決着は、やっぱ、その……常盤台の勝ちだったんだよ、な?」

 

『玉入れは勝ったわよ。』

 

「ああ、やっぱり勝ったね。優勝も、常盤台だったんだよな?」

 

『負けたわ。最終的には長点上機が優勝した。そんなことも知らないの?』

 

「……ぬ、ぐ。そのっ……」

 

『深咲、泣きそうな顔してたわよ。』

 

「……そのことは、言い訳せずに、許してくれるまで謝るしかないって思ってるよ……」

 

『言い訳しないっていうのなら、何の用事で居なくなったのか聞かせてもらいたいわね。』

 

「……それだけは言いたくない。誰にも言わない。許して欲しいけど、それを言うつもりはないよ……」

 

『……はぁ。この期に及んでもなお、教える気はないのね。もう。それで本当に許して欲しいの?』

 

「ごめん。許してもらえるまで、何を言われようと我慢するよ……覚悟してる。」

 

『人に言えないような、アルバイトでもしてるの?だからって、あんな風に情の薄い、他人に対して無神経なことばかりやってたら、友達いなくなっちゃうわよ?』

 

「そう、だね。その通り、だよ。」

 

『はぁ。わかりました。……今回のことは、深咲と話し合った結果、さすがに目に余る、ということで。景朗には、ちょっと反省してもらおうと思います。』

 

「え?」

 

『頭が冷えるまで、暫く。アンタのこと、無視させていただきます。』

 

「ちょ、ま、え?」

 

 

以上が、大覇星祭終了後の、俺と火澄の、電話越しでのやり取り、そしてその顛末である。それっきり、彼女たち、火澄と手纏ちゃんのケータイにいくら連絡しても、めっきり音沙汰なくなってしまいました、とさ。

 

手纏ちゃんから唯一、一件。メールで返信があった。『景朗さんのこと、嫌いになったわけじゃないです。けど、今回のことはあんまりだと思います。いつも約束やぶって居なくなっちゃいますし。もうこんなことしちゃ、めっ、ですよ?ごめんなさい。少しだけ頭を冷やしてください。』

 

手纏ちゃんまで。そんな。俺の癒しの時間が。こ、こんなことで、JCと優雅にランチを楽しむ憩いの時間が失われてしまったのか。そんな、嘘だ。こ、こんなの夢だ。……ダメだ、着信拒否。メールもいくら送っても返ってこない。畜生マジでか!えええあああ。寂しすぎるんですけど。

 

がああ、あれもこれも全部、無駄に抵抗して無駄に命を散らす、大馬鹿野郎のクソッタレな暗部どものせいだ。次会ったときは、容赦なく潰してやる。うあー。やってらんねぇよぉ。

 

 

 

 

 

 

「……い!おい!ぼーッとしてないで、ちゃんと見てよ!」

 

丹生多気美(にうたきみ)と名乗った少女が、訝しげにこちらを覗き込んでいた。頬を膨らませた彼女は、ぷんすか、という表現が似つかわしい表情のまま、手にした銀色の物体、水銀の塊をうねうねと手の中でコネ回している。

 

 

今はもう十月のはじめ。九月の末に、火澄と手纏ちゃんに天誅を下され、その衝撃から僅か一週間。未だに、こうしてその時の衝撃がフラッシュバックしてくる。

 

……というわけではない。実は今。俺はこの少女と、戦闘時における連携について情報を交わしつつ、互の身の上話に興じていたところであった。だが、彼女が話す、彼女の能力の話が、あまりに……アレな、理解不能なものだったので、現実逃避しかけていた、と言うべきだろう。正しくは。

 

"ハッシュ"メンバーと顔を合わせた、第三学区の個室サロンで、俺と彼女は二人きり。彼女が身につけていた、無骨なでっかい水筒から取り出された水銀が、部屋の中でクネクネと形を変え、様々な形状の武器へと変わっていく。

 

話によると、このオレっ娘の能力は、分類上は強能力(レベル3)水流操作(ハイドロハンド)に属するそうだ。ただ、彼女の能力では、その出力やら操作の精密性やらが関係して、扱える物がほぼ液体の"水銀"に限られているとのこと。ごく普通の水や油では、密度が小さすぎて、ろくに扱えぬままにバシャバシャと散らしてしまうらしい。なんとなく、彼女の不器用な性格からも、そのことは察することができる気がする。

 

ただ、能力の出力自体は強いようで、オレっ娘は、唯一まともに扱える水銀の形状を自由に変えて、剣やら槍やら盾やら、それこそロープやハシゴなんかにも変えて、状況に適した"武装(ウェポン)"として使用しているという話だった。だからだろう、彼女の能力名が、"水銀武装(クイックシルバー)"

というのは。

 

「で、その手に持ってる槍。今度はなんて名前なんだ?」

 

俺は精一杯、彼女が傷つかないように、自身が感じている感想を漏らさずに、彼女に疑問を投げかけてやった。

 

彼女は、狭い室内で窮屈そうに、手にした"水銀の槍"を振り回し、自信満々に返事をくれた。

 

 

 

「"轟く五星・・・(ブリューナク)"!」

 

 

 

なるほど。今度の槍は、先っちょが五又に分かれているもんな。確か……先っちょが一本に尖ってるやつだと"突き穿つ死翔の槍・・・(ゲイボルク)"で。ええと、二又のやつが……あー、"神殺しの聖槍・・・(ロンギヌス)"だったっけ。

 

何処からツッコもうか。俺は恨めしそうに、先ほど、この場からそうそうに席を立った、"ハッシュ"メンバー残りの1人の顔を思い浮かべる。横で相手をしてほしそうにキャンキャンと吠えるオレっ娘をよそに、俺は再び意識を手放しつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺が自身の正体を告げた後の、丹生多気美と名乗ったオレっ娘の驚き様は半端ではなかった。握手をしたのは、無意識のことだったらしい。彼女は、素早く手を離すと、半歩後退し、俺から距離を取った。この様子だと、しばらくはまともに話はできないだろうな。

 

新生、"ハッシュ"の、前線部隊は今のところ3人。残りの一人は静かに腕を組み、俺とオレっ娘の会話を淡々と眺めていた。

 

「君たち2人は顔見知りだったのか。これは、色々と手間が省けそうだ。」

 

俺より年上、高校生だろう。俺と同じくらいの身長だろうか。面長の整った顔は、俺をまっすぐに見つめている。時たま、第十八学区(エリート校の集団)で見かける制服を着ているな。きっとエリート校に通っているのだろう。ちなみに、俺は、幻生の手にかかってからというもの、ぐんぐんと体がでかくなり、今では中学3年生の平均身長をひっとっ飛びに、だいぶでっかくなっている。

 

郷間陣丞(ごうまじんすけ)だ。よろしく頼む。」

 

「どうも。雨月景朗(うげつかげろう)です。こちらこそ、よろしくお願いします。」

 

 

握手をしようかとも思ったが、そんな雰囲気にはならなかった。彼は、すぐさま、てきぱきと端末を操作して、メンバー全員に、"ハッシュ"に関する情報を送信してくれた。

 

 

「へぇ。あんた、空間移動系能力者(テレポーター)だったのか。」

 

この郷間陣丞と名乗った男。能力名に、強能力(レベル3)"隔離移動(ユートピア)"と記してあった。空間移動系能力(テレポート)。戦闘、軍事転用は言うに及ばず、実生活においても非常に便利であり、利益を生み出す能力の一種である。個人的にだが、彼らの能力の能力強度(レベル)の評価は、その他の能力と比して、非常に厳しく採点されていると思っている。大能力(レベル4)級の空間移動能力者(テレポーター)など、化物ではないかと思う。目の前の男は、強能力(レベル3)といえど、空間移動系能力者(テレポーター)であるならば、極めて心強い味方になってくれるはずだ。

 

「すまない。説明が難しくて……。11次元がどうこう書いてあるが、よくわからない。簡単に言えば、どういう能力なんだ?」

 

仲間の能力の概要くらいは理解しておきたい。まあ、暗部組織では、一種のタブーとして、暗黙の領海のうちに、相手の"奥の手"までは根掘り葉掘り尋ねない、というものがあるのだが、この場合はそうも言ってられないだろう。

 

「そうか。そうだな、"ユートピア(理想郷)"という言葉の語源を知っているか?」

 

全くもってわからない。横で熱心に資料を読んでいた丹生にも訪ねてみる。

 

「いいや。わからない。…おい、オレっ娘。君は知ってるか?」

 

「ふぇっ。え、あ、いや、わかんない。」

 

郷間はピクリとも表情を変えずに、つらつらと話の続きに入った。

 

「語源となったギリシア語を直訳すれば、"何処にも存在しない場所"という言葉になる。俺の能力はその通りに、自身の肉体の空間の位相をずらし、この身を三次元世界から"隔離"させる。つまりは、自由に肉体をこの世から消失させ、いかなる攻撃からも身を守れるということだな。」

 

おいおい、そんな絶対防御の能力が、ただの強能力(レベル3)だって?これだから空間移動系能力者(テレポーター)は。厄介なやつらだぜ。

 

「唯、問題もある。体を"隔離"させている間は、その場からほとんど移動できない。また、長時間の"隔離"もできない。能力の使用中は呼吸できないからな。閉所で毒ガスのような攻撃を受ければ、結局は身を守る術がない。」

 

冷ややかに、抑揚なく自らの弱点を吐露する郷間だったが、俺は彼にニヤリと笑いかけた。

 

「でもあんた、どうせガスマスクや酸素ボンベを使ってるんだろ?」

 

俺の問いかけに、会ってから初めて、郷間は口元に笑みを浮べた。

 

俺たち2人に取り残された丹生は、キョロキョロと交互に2人を見やった。そのうちしょんぼりと肩を落とし、「あぅ……。」と一言。

 

 

 

その後、今度は俺と丹生、能力の説明をしていない2人が幾許か資料に補足を行おうとしたものの、郷間は時間がないと言い出して、すぐさま席を外してしまった。

 

彼は退出する間際に、「俺の能力は他人と連携を行うのには不向きだ。」と言っていた。"ハッシュ"の前線部隊の指揮は、満場一致で、最も経験のある郷間が行うことになっている。彼は、基本的には任務中、1人で行動するつもりのようで、俺と丹生に2人組(ツーマンセル)を組ませると言っていた。

 

そうして郷間は、俺たちの能力については資料で十分に確認した、と告げた後、そのまま俺たち2人を置いたまま、個室サロンを後にした。

 

 

 

 

丹生に対しては、俺の能力の説明をする必要が無かった。とっくに、実物を拝んでいたからな。一方の俺は、直前に"粉塵操作(パウダーダスト)"に目を潰されていたために、丹生の能力を碌に観察できていなかった。

 

ということで、丹生多気美に、彼女の能力の説明やら何やらを教えてくれるように頼んだのだが。彼女はおもむろに、肩にかけていたゴツい水筒を外した。

 

喉でも乾いたのか、お茶でもご馳走してくれるのか?と思ったのも束の間。彼女が水筒の内蓋を開けた瞬間。ドロッとした銀色の液体が、水筒から吹き出し、彼女の手に集まった。なるほど、肩にかけていた無骨な水筒は、自前の水銀の容器だったのか。

 

そういえば、以前の任務で彼女に出くわした時は、彼女がこんなに可愛い娘だとは全く思ってなかったな。目の前で何やら楽しそうに「何から見せようかなー。」と水銀をぐにゃぐにゃとさせている、丹生の姿を今一度観察した。

 

ショートヘアの黒髪を、サイドポニーに纏めている。肩にかけた水筒と、ショートデニム、ヘソ出しトップスとジャケットが、ボーイッシュ雰囲気を醸し出しつつ、同じくボーイッシュな言動とマッチしていて。ていうかそんなんどうでもよくて、ぶっちゃけカワイイ顔してた。

 

あ、あれ?可愛いオレっ娘と個室サロンで2人きりて。ふう。平常心、平常心。くそ。やめろ、俺、やめるんだ。妄想を止めろ。あーもうどうしよう。"俺が守ってやるぜ"的なフレーズが次から次へと脳内で浮かんでは消えていくぜ。おいこれ暗部だからな、俺。脳内ピンク色にしても無駄だからな、俺。

 

 

いつの間にか、目の前でくにゃくにゃと水銀をいじっていた丹生の手には、まさしく"西洋風の直剣"とでも言うべきものが握られていた。

 

「もしかして、それ、この間俺を切ったやつ?」

 

俺の質問に、オレっ娘は自信満々に、違う、と答えた。心なしか、郷間がいなくなって、緊張がほぐれてきているみたいだな。

 

「この間お前を切ったのは刀で、"童子切安綱(どうじきりやすつな)"。で、そのあとお前を刺した槍は"大神宣言・・・(グングニル)"だ。」

 

「……ん?え、なんだって?」

 

そう言って、彼女は誇らしげに手に持った直剣を振り回した。

 

「"約束された勝利の剣・・・(エクス……カリバァーーー!)"」

 

 

 

 

なんの変哲もないショートソードが"エクスカリバー"で、その剣幅の増量版が"カラドボルグ"。なんかギザギザしてるのが"ダインスレフ"……う、うーん……。

 

こちらの呆れ顔に全く気付かずに、彼女は一生懸命にお手製の武具の紹介に勤しんでいる。まるで、些細な情報の行き違いが、生死の境を分かつと言わんばかりに。

 

ボサっとしているあいだに、いつの間にか彼女の手に持っている武器が槍に変わっている。どれも同じ形に見えるんだが……。

 

手にした資料に目を向ければ、そこにはズラァーっと並ぶ、数十の、厨二病的なファンタジー武器の羅列が。郷間、この資料で十分だったと?

 

 

「な、なぁ。剣とか槍とかはもう十分わかったからさ。大丈夫だ。と、ところで、コイツはなんなんだ?"貪喰なる悪狼の足枷"って、これ……な、なんて読むんだ……?」

 

「ああ。"貪喰なる悪狼の足枷・・・(グレイプニール)"か。一言で言ったら投げ縄だな!コイツ(水銀)でロープを作って、相手をぐるぐる巻きにして拘束するんだ。」

 

予想に反して、以外にまともな使い方だった……かな?てか、一言で言って投げ縄ならもう投げ縄でいいじゃねぇーか。

 

「じゃあ、最後にコレ。"熾天覆う七つの円環・・・"とは?名前から全く想像できないんだが、何だこれ?」

 

「それは"熾天覆う七つの円環・・・(ロー・アイアス)"って言うんだ。盾として使うんだ。」

 

丹生は説明と同時に、手持ち無沙汰に弄っていた水銀を、傘を開くように円形の盾に形作った。喉からツッコミが出そうになるのを、必死に抑えた。「盾として使う」もなにも、それ盾以外の何に使うんじゃボケェ。傘か?一瞬傘に見えたから傘に使うのか?

 

「そ、そうか。覚えとくよ。……んあ?こっちには、"蛇神の輝く鏡楯"ってあるけど、これは盾じゃないのか?」

 

「そっちは"蛇神の輝く鏡楯・・・(イージス)"。同じ楯でも、面積を減らして装甲を厚くしてあるんだ。」

 

そんなドヤ顔で言われましても。咄嗟にこの二つの単語を使い分けろと仰るんですね。こいつ、こんな調子でよく今まで生き残って来れたな。

 

資料を読み直す。こいつが暗部で仕事を始めたのは……げぇッ。俺より早い。今年の6月からだと。この調子でよく4ヶ月も生き残って来れたな。先輩かよ。しかし、まぁ、なんだ。さっきのコールサインの序列だと、俺が"ハッシュ2"で、こいつが"ハッシュ3"だったんだが。この事は知らせないでおいてやろう。年が気になるが、記載されていない。まぁ、暗部の仕事に個人の年齢なんて関係ないからなぁ。

 

「おい。丹生。話は変わるが、お前、年はいくつなんだ?」

 

俺の質問に、丹生は不審そうな表情を隠しもせずに、悪態を付いた。

 

「どうしてそんなことを、あんたみたいな得体の知れない奴に教えなきゃならないんだ。」

 

まあ、当然の反応だな。仕方ない。コイツになら俺の個人情報がちっとばかしバレたって大丈夫そうだし。

 

「俺の名は雨月景朗。霧ヶ丘付属中学に通う中学3年生だ。どうだ?俺のことは教えたぞ。はぁ。お前さんの学校なんかこれっぽっちも興味ないから、年齢だけ教えてくれよ。」

 

俺の発言に、丹生の奴は慌てた様子を見せた。俺がそこまで言い出すとは思わなかったらしい。

 

「あ、あんた、何考えてるんだよ!こ、個人情報を……。」

 

「おやおや。それで君は俺をどうこうしようとお考えなのかな?外部に俺の通う学校の情報でも売るかい?それで"ハッシュ"が窮地に陥ったら、遠慮なく君を処分させてもらうぞ。」

 

俺の物言いに、丹生はむっとした表情を返した。しかし、ころころと表情が変わるやつだな。暗部に向いてないよこいつは、絶対に。暗部の人間と話をしているって空気じゃない。まるで友達と話をしてるみたいな……

 

「そんなことするか!……わかったよ。しかし、同学年だったとは。年上だと思ってた。」

 

あ?今なんて言ったこいつ。"同学年"って……まさかこいつ同い年(タメ)……

 

「丹生多気美。あんたと同じ中学3年生。満15歳。どうだ?これで満足か?」

 

おいおいおいおい、こいつが同い年だと!絶対年下だと思ってたよ。しかも満15歳って、俺より誕生日早いんですけど。

 

俺のずいぶんな驚愕ぶりに機嫌を悪くした丹生は、腕組みしたままジト目でこちらを睨む。

 

「そんなに驚くことか?」

 

「あ、ああ。驚いた。……しかし、お前、15歳って。それじゃあ、ギリギリ14歳の俺から言わせてもらおうか。……こほん。」

 

「む。」

 

姿勢を正し、改まる俺に対して、丹生も構える。彼女の水銀を掴む腕に、力が篭った。

 

 

「お前、"約束された勝利の剣(エクスカリバー)"とか"突き穿つ死翔の槍(ゲイボルク)"とか。そういうの、卒業しろよ。中二病が許されるのは14歳までだぞ。あと、大して違わないのに名前だけやたら多くてややこしいんだよ。」

 

 

俺のツッコミに、丹生はみるみる顔を赤らめる。

 

「あ、う、うううううううう。うう、うるさいッ!だってだって、いっぱい種類がって、一個一個名前を付けとかないと忘れちゃうんだよ!アタシだって工夫してるの!ほっといてよ!」

 

「いやでも、さすがに名前ややこしすぎて、そばで聴いてるこっちはわけわからないぜ。」

 

「うう。で、でも、アタシもうこれで覚えちゃってるから、死にたくなきゃそっちが努力してよ!」

 

一応自覚してはいたのか。言葉遣いまで変わっちゃってら。ハイハイと適当に相槌を売って、話をうやむやにした。恥ずかしさを自覚した上でやってるんなら、放っといてやるか。

 

「おーけーおーけーおーけーわかったから!槍をこっちに向けるな振り回すなうねうねさせるな!もうこのことには触れないでいてやるから!」

 

「むー!」

 

 

そんなに恥ずかしく思っているなら、今からでも名前を変えればいいのに。資料にまで自作の武器名を載せちゃってるから、後戻りできないんだろうか。彼女をなだめつつ、それからも俺たちは、戦闘状況時の連携について、一通り話合った。

 

彼女の言うとおり、もしかしたら、それが互いの明暗を分けることになるかもしれないからな。まあ、俺はぶっちゃけた話、こいつ(丹生)が可愛かったから話したかっただけなんだけど。

 

「やっぱりさ。俺が"剣"って言ったらどれでもいいから剣出してさ。そんで"槍"って言ったら適当な槍をだすって風にしてくんないか?」

 

「でも、それだと、武器によって長さとか強度とか色々違うし。どれを出せばいいか……」

 

「その辺の判断は、丹生に全部任せるよ。少しは仲間を信用しなきゃ、やってらんないからな。」

 

丹生のヤツは、ぽかん、としていた。以外な言葉を聞いた、とでもいうような態度を見せた。

 

「"仲間"だなんて。そんな言葉、暗部に入ってから初めて聞いた気がする。」

 

丹生の言葉を聞いて、俺もそうかもしれない、と同意した。心の内では仲間だと考えていても、言葉に、口にした記憶は無いと思う。

 

「あー……まあ、ココ(暗部)じゃ初めて同い年のヤツに会ったからな。お互い、同級生が目の前で死んだら寝覚めが悪いじゃないか?ちったぁ頑張って生き残ろうぜ。」

 

「う、うん。」

 

丹生のヤツ、顔合わせの時よりは随分、落ち着いてきたな。ちょっと頼りないが、他人のことを駒としか見ていない、典型的な"暗部の仕事人間"よりはだいぶマシだった。……あ、いやいや、ここは、可愛い女の子と一緒に任務ができて最高だ、と考えるところだろ。以前の俺ならそう考えていたはずなのに。今の俺は一体どうしたというんだ。いかんな、暗部に染まってきてるぜ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"ハッシュ"のメンバーと打ち合わせをした数日後。"ハッシュ"リーダーこと、郷間陣丞から、初任務の招集があった。

 

 

第十六学区のカラオケボックスで落ち合った俺たちは、そこに並べられた数々の電子機器を見て、ちょっとした疑問が浮上した。

 

「郷間、まさかとは思うが……ここが、俺たちの拠点、というかその……」

 

「もちろん違う。これは俺の私物だ。」

 

郷間の毅然とした否定の返事に、息を撫で下ろした。しかし、だとしたら、こんなカラオケボックスに何なぜこのような機器が累々と。

 

「今回受けようと考えている任務は、"上"からの命令ではない。俺が昔所属していた組織からの、別口の依頼だ。所謂、小遣い稼ぎというやつだな。学生の身には、小遣いというには少々過ぎた額となるが。君たち2人が望まぬというのなら、この話は無かった事にするが、どうする?」

 

郷間の提案に、俺と丹生は2人して互いの顔色を窺った。俺としては、ペナルティの少ない、比較的安全な任務ならば大歓迎だった。

 

なにせ、俺ときたら、致命傷が致命傷にならない、どんな怪我をしても立ち所に癒えてしまう、ほとんど不死身の肉体をもつ化物である。どんな任務が来ようと、基本的には断る考えは無かった。

 

だが、側に控える丹生にとってはまた違う話になるだろう。怪我を負う危険の高い依頼ならば、よほどのことがない限り遠慮被りたいはずだ。

 

そこまで考えて、未だ依頼がどのようなものか、尋ねていないことに気がついた。

 

「すまないが、郷間。どんな依頼か先に聞いてもいいかな?」

 

郷間にとっては、当たり前のように予想された質問だったらしい。打てば響くように、依頼の説明が始まった。

 

「現状では情報が少なく、大したことは判明していないが。逃亡者の捕縛の依頼だ。標的は1人。この十六学区を逃走中だ。今の言葉から分かるだろうが、決断は早く行え。」

 

「任務失敗のペナルティは?」

 

「我々の株が下がり、次から依頼を受けづらくなることくらいか。もともと、報酬も暗部を動かそうと考えれば、端金といっていい金額だ。最初に行ったように、小遣い稼ぎの感覚で行け。むしろ、俺が今回の任務で期待するのは、君たちが何処まで使えるのかを、この目で確かめる所にある。」

 

ペナルティが無いも同然ならば、俺は賛成だな。真横に侍る丹生は、未だ迷っている様子だ。

 

「丹生、怪我しそうだったら、俺が矢面に立ってやる。俺の言葉が信じられないんなら、依頼中に危険だと感じた時点で、お前はその場で帰ればいい。……ん?いや、そもそも、お前の助けはいるのか?」

 

郷間に目配せをしたら、彼も首を横に振っていた。

 

「まあいい。とにかく、俺はこの依頼を受ける。丹生、お前は好きにしていいぞ。手伝ってくれりゃ、分け前は三等分……あー、まあ、報酬の話は後でもできるか。

だがまあ、任務に失敗したとき、俺たちの評判が落ちるのが嫌だってんなら、手伝うべきかな。

さっきも言ったけどさ、俺はめちゃくちゃ頑丈なんだ。危険なことは、俺に任せてくれればいい。怪我を負いそうな状況の時は、俺が盾になってやるよ。ま、俺のことが信用できないなら、無理にとは言わないけどな。」

 

暗部にいる奴らは、皆事情は違うものの、ほとんどが金策に悩まされているヤツばかりである。丹生にとっても、この話はみすみす見逃すのは勿体なかったようだ。彼女は、キッ、と野郎2人を睨み、威勢良く宣言した。

 

「う……。わかったよ。アタシも……ッ。オレも!オレも受ける!報酬の件、忘れるなよ。」

 

 

3人の意見が合致し、すぐさま、現場へ急行することとなった。郷間にも行かないのか?と疑問を投げかけたところ、彼に笑われてしまった。

 

後方で情報的支援を行う奴がいなくてどうする、と。郷間曰く、今回の依頼に彼の能力は不向きであり、また彼は、情報処理や後方支援は不得手ではない、とのこと。

 

確かに、依頼者と情報交換をする奴がいなくなってしまうじゃねぇーか。ましてや今回の依頼は捕獲任務(捕物)だぞ、何言ってんだ俺は。彼に指揮を任せ、標的の逃亡予想地点へと俺たちは駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前を、茶髪のポニーテールが駆け去っていく。キャップに隠れて顔はよく見えないが、背格好から女性だとは判別できた。

 

深夜の、第十六学区。俺にとっては、十分に明るいこの街も、常人にとっては、街明かりの照らさぬ部分は暗くてよく見えないだろうに。

 

命をかけた、夜間の、超高層ビル郡を駆け抜けての、パルクール(フリーランニング)。敵ながら、よくやるもんだ、と感心する。俺はこの恵まれた能力のおかげでなんとかなるものの、な。彼女にとっては、足を滑らせれば致命的だろうに。

 

ビルとビルの隙間。約10mを、軽々と彼女は飛び越えた。続けて後を追う。時々、標的はこちらを振り向き、焦った様子を見せる。ダメですよ、そんな動揺を見せちゃ。相手がやり易くなるだけですよ。

 

なんにせよ、逃げまどう標的、茶髪の女性的なシルエットが、何らかの能力を使用していることは明白だった。10mを、ハリウッド映画のアクション並みに、軽々と飛び超えるのは、常人には成し得ないことだ。

 

俺と似た肉体活性化能力かとも考えたが、それだと挙動に僅かだが違和感を覚える。先ほど感じたように、まるで映画ののワイヤーアクションのような…物理法則が捻じ曲げられたような動きに思えてならない。

 

自分で考えても答えは出そうになかった。今のところ追跡は出来ている。純粋な速度ならばこちらのほうが速いのだが、相手の奇妙な軌道に煩わされ、確保できずにいる。

 

丹生の奴は、最初の接敵で置いてきてしまった。遂一、標的の動きを郷間に伝えているから、そこから予想された逃走経路を先読みして、彼女にバックアタックさせる予定ではあるが。その成功率は低そうだな。

 

 

ふと眼下を覗けば、大きな交差点が目前に迫っていた。当然、高層のビル郡を駆け抜ける俺たちも、空宙の十字路にぶつかることになる。

 

向かいのビルまではかなりの距離があるが、標的は直進する様子である。愚直に追跡し、ようやく機が巡ってきた。直進速度ならこちらが圧倒しているはず。チャンスは逃さない。この機にとっ捕まえてやる。

 

目前で奴が跳躍した。より一層加速し、空宙で背中から補足してやる。そう思い、勢いよく、俺も跳躍する。そして、目に映る、あまりにも予想外な光景に、しかし、宙に浮かんだままではなにもできず、呆然と眺めるだけになる。

 

標的は、跳躍の直後、背後に迫る、俺の両の足が地を離れたのを確認した後。その進路を突如変化させ、正面のビルではなく、通りをはさんだ右のビルへと向かったのだ。

 

宙に投げ出された体が、空宙で進行方向を変えた。クソ。一体なんの能力だ。

 

彼女は、悠々と遠く離れたビルの側面に足をつけた。捕まるところは何もない。のっぺらとしたビルの側面に、真横からぶつかれば、そのまま落下するのが必然であるはずなのに。

 

そびえ立つビルに直交したまま、彼女はピタリと足をくっつけた。重力、はては引力か、電磁力か、念動能力か。どんな能力かは知らないが、彼女は今、重力のくびきを解き放ち、ビルの側面に、身を90°傾けたままで、直立している。

 

「丹生。今スグ合流ダ。状況ガ変ワッタ。」

 

『ふぇっ!?ど、どうしたんだ?』

 

『何が有った、雨月。』

 

遠間から悔しそうに見やる俺をちらりと目視し、彼女はそのままビルの側面を駆けていった。畜生。してやられた。郷間と丹生にすぐに連絡しなくては。仕切り直しだ。ひとつだけ。奴の匂いを補足できていることだけが救いだった。

 

 

 

 

 

 

丹生と合流すべく、居場所を聞いたところ、彼女はここから三つばかし離れたビルの真下にまで来ていた。案外、移動速度が早いな。俺たちはビルの屋上を散々直進していたってのに。まあ、標的がやたら複雑な軌道を取って移動していたからってのもあるかもしれないが。

 

 

丹生に最も近いビルに辿りつき、ビルから降りて合流しようかと持ちかけたが、対する彼女からは屋上に向かうから待っていろと返ってきた。時間が惜しく、すぐに来るように伝えたが、何分かかることやら。

 

そう思っていたんだが。意外にも、彼女は2, 3分足らずで、俺のいるビルの屋上に辿りついた。器用に、ロープ状に変化させた水銀を使って、ほぼ垂直にビルの壁面を登ってきていた。最後には、何と水銀をハシゴのように変化させ、極めて安定した姿勢でこちらに顔を出した。

 

「スマン、丹生。見直シタヨ。正直、今マデ馬鹿ニシテタ。度胸モ技量モチャントアッタンダナ。」

 

「あ、ありがとう。……ッて!聞き取りにくかったけど、今、オレのこと『馬鹿にしてた』って言わなかったか?!」

 

「ソ、ソンナコトイッテナイヨ。キキマチガイダヨ。」

 

疑いの眼差しでこちらをジト目でみる丹生を、狼ヅラのまま見つめ返した。ふはは。狼の表情なぞわかるものか。いや、完全な狼じゃないんだけどさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘッドセットのアイレンズが捉えた、標的の映像。そして、彼女の能力の挙動。それらを伝えた郷間から、数分で連絡が返ってきた。たったこれだけの時間で、よく情報を集められたな。やっぱあいつ、エリートなのかな。

 

釜付白滋(かまつきはくじ)異能力(レベル2)の磁力使い(マグニトマスター)だな。暗部の情報網には引っかからなかった。代わりに、書庫(バンク)からデータが見つかった以上、素人だろうな。』

 

郷間からの報告に、俺は納得するものを感じていた。彼女のように、暗部組織に追い回されるような状況に陥る時点で、詰めが甘い。素人か、暗部に入りたての新人。もしくは、哀れな犠牲者(サクリファイス)だと予想していた。

 

「そんな……」

 

丹生は、相手が素人だと知って、後味の悪そうな表情を浮かべていた。お優しいことに。でも、こうなっては、俺たちにできるのは、釜付がしでかした"悪さ"が大それたものでなかったように、と祈ってやることくらいしかないだろう。

 

『能力名は"撞着着磁(マグネタイゼーション)"。どうやら、磁性体、非磁性体を問わず、周囲のどんな物体でも任意に磁化できる力だな。なるほど。そこが"撞着"の所以か。』

 

そうか。磁力か。釜付の、ワイヤーアクションばりの挙動の秘密は。俺の服を磁化させて逃げなかったのは、AIM拡散力場の干渉を受けてか。それならば、なおさら。

 

「オイ、丹生。オ前ノ能力デ操作スル水銀、釜付ノ能力ノ対象ニナルト思ウカ?」

 

俺の質問に、丹生はしばしの間、思索し、すぐに答えを返した。

 

「いや、ならないと思う。自慢じゃないけど、アタシの能力、出力と強度には自信があるんだ。AIM拡散力場の影響は強いはず。きっと能力者本体よりも。」

 

おい、口調素に戻ってんぞ。ツッコミは無しのまま、俺は考えていた。策と呼ぶには少々お粗末な考えを、2人に話した。

 

時間もない。とりあえず、俺の考えを即興で試すこととなった。

 

 

 

 

 

 

「たっ、頼むから、アタシを落とすなよぅぅ。」

 

背中で情けない声を上げる丹生を宥めつつ、今一度、ビルの屋上を飛び進む。風に乗って漂ってくる、釜付の匂いをたどりながら。

 

程なくして、釜付の存在を感じ取れる位置に付いた。幸い、まだ見つかっては居ないようだ。

ぜぇ、ぜぇ、と、大きく息をつく釜付の吐息が、俺の聴覚に反応する。釜付の息は荒く、今は仕方なく一息ついている様子である。

 

あれだけ俺と追いかけっこしてたんだ。疲れて当然だ。こんな狼ヅラした化物に、ずーっと付きまとわれて、全力で走って。能力まで使わされて。

 

能力者全般に言えることだろう。前提として、能力者は、その能力を使う体力が弱点となる。疲れれば、能力の使用は困難となり、集中力が乱れれば効果的な運用すら難しくなる。どんなに強い能力でも。いや、逆に強く、出力の大きい能力こそ、操作にはそれ相応の体力が必要となる。

 

ま、俺にはその弱点、存在しないけどね。俺と闘う能力者の皆さんには、是非とも体力切れの心配をして貰いたい。ちなみに、俺は七日七晩戦い続けられる自信がある。

 

 

 

背中に負ぶさった丹生とアイコンタクトを取る。彼女も覚悟は決まっているな。できる限り、音を立てずに、限界ギリギリまで釜付に接近する。

 

キョロキョロとしきりに忙しなく、周囲を見回す釜付だったが、まだこちらに気づいていない。匂いがわからないって、不便だよなあ。

 

 

残り10mほどといったところで。俺は思いっきり、ヤツ目掛けて丹生を放り投げた。

 

 

しかし。丹生がその銀色の触手で釜付を絡みとる前に。偶然か、必然か。釜付は迫り来る丹生の存在に気づいてしまった。

 

間一髪。銀の触手が彼女を捕える、その刹那。彼女は一気に、不自然なほどに加速して、真上に飛び上がった。

 

能力を使ったな。磁力で反発力を生み出したか。マズい。逃がすか!いきり立ち、釜付へと飛びかかる俺だったが。

 

飛び上がった釜付は、そのまま能力を使って、すぐ近くのビルの側面へと吸い付いた。返す刀、俺は丹生を背中に乗せ、すぐさま釜付を追いかける。

 

君の息切れまで、あとどのくらいだろう?釜付君。

 

 

 

 

 

しばし、俺たちは空の上で追いかけっこを続けた。命掛けのパルクール。だんだんと、釜付の動きが悪くなってきた。

 

ところが、ようやくこれから、というところで、背中の丹生に異変が起きていた。どうやら大変、お疲れのご様子。

 

なんでお前がゼェゼェいってるんだよ、とツッコミを入れたいところだったが。いやまあ、こいつには色んなツッコミを我慢してきてるんだが。いやはや、仕方がないか。とんでもない高速で動き回る大男の後ろに、これだけの時間しがみついていたんだからな。

 

一応水銀の紐で俺と丹生の体はぐるぐる巻きにしてあった。これをやるときは、丹生のヤツ、散々嫌がってたけど。俺がキリッと、仕事だ!と言い切ったら、呆然としていやがった。

 

よし。勝負をかけるか。次、ヤツが長距離を跳躍した時に、仕掛ける。再び、丹生に合図をして。

 

 

釜付が、ビルの合間を跳躍した、その瞬間に。俺は同じく跳躍し、同時にヤツ目掛けて丹生を投げつける。

 

釜付の奴も、俺が丹生を放り投げるのは予想していたようで、能力をつかって、難なく交わす。丹生は、外した水銀のロープを今度は近くのビルの外縁に引っ掛けた。

 

釜付は、俺たち2人を躱して油断している。俺は、背中にくっついた、水銀のロープを思い切り引っ張り、すぐさま飛び出す前のビルに戻り、壁に足をつけた。もう一度だ。

 

右を向いて、正面の、釜付が飛び移ろうとしているビルへと、全力で蹴り飛んだ。もちろん釜付目掛けて。

 

 

油断した釜付の、がら空きの背中へ、体当たりを食らわせつつ。釜付を胸に掻き抱き、正面のビルのガラスを突き破り、中へ転がり込む。

 

 

俺に下敷きにされ、マウントポジションを取られた釜付は、必死の抵抗を見せる。

 

「無駄ダ。俺ガ何キロ有ルト思ッテンダ。」

 

俺に憎悪の視線を向け、釜付はひたすら罵倒する。暴言を吐く。際限なく。

こいつが俺のことをどう思ってるか知らないが。俺は、素人丸出しの釜付を自分の手で捕まえたいと思っていた。暗部の人間は、人の命をどうとも思っちゃいない奴等ばっかりだ。こいつが殺される前に、生きたまま捕まえてやれば、最低でも、こいつの命は助かるのだ。

 

涙を流しながら抵抗する釜付の、その姿を見て、つい、口から慰めの言葉が漏れ出ていた。

 

「……アンタノ処分ガ軽ク済ムヨウニ、祈ッテルヨ。……命ダケハ助カルヨウニナ。」

 

俺の言葉を聞いた釜付は、静かになった。黙したまま顔を隠し、その後は、ひたすら悔し涙を流しつづた。

 

 

 

 

数分後、やっと丹生がやってきた。女を下敷きにしている俺に、微妙な視線を送ってくる。しゃーねーだろうが。これ以上暴力ふるいたくないんだよ。

 

丹生に頼んで、水銀で手錠を作れないかと尋ねた。まかせろ、と軽快に答えた彼女は、水銀の輪を器用に巻きつけ、釜付を見事に拘束した。

 

郷間に状況終了、と連絡を入れ、クライアントがよこす迎えの人員に釜付を引き渡した。"ハッシュ"の時間外任務は、これで終了だ。

 

 

 

 

 

 

人気のない路地裏で、呻き声をあげながら、牙と、爪を引き抜いた。息も絶え絶えの俺の様子に、そばで見ていた丹生の奴が、ドン引きしている。

 

「はぁ、はぁ。だっ、だから、何も面白くねぇって最初に言っただろう、がァッ。」

 

丹生を睨みつける。正直、こっちだって恥ずかしいんだぞ。今、半裸だし。

 

「わ、悪い。だって、気になったんだもん。あの幸薄そうな顔してる雨月が、あんなゴッツい狼男になっちゃうからさ。変身するとこ見せてくれなかったし。肉体変化能力(メタモルフォーゼ)って、初めて見たなぁ。」

 

慌てる丹生から、彼女が手に持っている俺の服を受け取った。着込む前に、ハサミもくれ、と要求した。人狼化をとく前に、ハサミ、ハサミ、と繰り返した俺の言動に、合点が言った、とでも言うような表情を見せた。

 

「あ、そっか。髪の毛もこんなに長くなってるもんね。フフ、切らないと可笑しいね。」

 

だから、口調。元に戻ってますよ。丹生の言葉にツッコむ気力もない俺は、震える手で自らの髪を切っていく。

 

「あー。待って。アタシが切ったげるよ。辛そうだし、さ。」

 

まあ、自分の髪を自分で切るのは、誰にだって難しいことだろう。降って湧いたせっかくのお誘いを無碍にせず、素直にハサミを差し出した。

 

しゃき、しゃき、と髪の毛が切れる音だけ。この静かな路地裏で聞き取れる音は、それだけだった。

女の娘に髪の毛を切ってもらうのが、どうにも照れくさい。気まずさから、口からいつもは言わないような、さらに照れくさい言葉が出てくる。

 

肉体変化能力(メタモルフォーゼ)、初めて見たのか?」

 

「うん。初めて見た。というか、その存在を雨月で初めて知った。」

 

うーん、と。えーっ?と。そうやって、独り言をつぶやきながら、想定外に、真剣に髪の毛を切ってくれている丹生に向かって語りかける。

 

「驚きの肉体変化(メタモルフォーゼ)、お前も今見ただろ?さっきのみたいに、俺の体は極めて頑丈で、タフで、どんな傷も致命傷にはならない。ほとんど不死身の化物さ。だから、何度も言ってるけど、俺のこと、遠慮なく盾にするべきだぜ。お前が死ぬのは、あー……まぁ、なんつーか、お前はオレっ娘だけど、そこそこ可愛いから、マクロな視点から見て、死ぬのがもったいない、みたいな?そういうわけで、目の前で死なれるのは非常にもったいないんで、危険な時は俺を盾にしていいからな。」

 

「そう言っておいて、本当に危ない時には、オレを変わり身にする。暗部の人間の上等手段だな。」

 

丹生の返答に、俺も心の中で、そうだな、そういうもんだよな、と納得してしまう。全くもって、間違いなく、同意できる話だ。

 

「そうだな。本当に信用できる奴なんていないよな。……じゃあ、こういう風に言っとこう。どうあがいても死にそうな状況に陥ったら、俺を頼ってみろ、いいことがあるかもしれないぜ。」

 

そこまで言うと、丹生が背中で、突然に笑い出した。

 

「プッ。アハ、アハハハッ。どうしてそこまで必死なの?そんなにオレに死んで欲しくないのかよ?怪しいなー」

 

「クソー。笑うなよ。必死というか、信用されなきゃされないで、何か悔しいんだよ。もうこの話やめようぜ。早く髪切ってくれ。」

 

ひとしきり笑ったあと、ポツリ、ポツリ、と彼女は語りだした。

 

「まあ、なんとなく、だけどさ。まだ短い付き合いだけど、雨月のこと、少しはわかったよ。そのへんの暗部の連中よりは、もっとこう、普通のモラルを持ってるみたいだって。」

 

「あー。まあ。油断はしないことだな。」

 

「ふふ。さっき、釜付が素人だってわかったあとさ、雨月、気合の入りようが全然違ってた。アイツが殺される前に、なんとか助けたかったんだろ?バレバレだよ。」

 

マジで?!バレバレだったのか?おいおいおい恥ずかしいぞそれは。結構恥ずかしいぞそれはぁ。

 

「あんたが新しいメンバーで、ちょっと安心した。これからのこととか、色々不安だったけどさ。」

 

丹生の言葉に、俺は素直に返事を返す。

 

「それは俺も思ったよ。そこそこ可愛い女の娘がいて嬉しいなってな。前のとこは男臭かったからなー」

 

肩を握る丹生の手に力がこもる。

 

「おい、なんで、『そこそこ』をそんなに強調して言うんだよっ。」

 

さらなる追撃だ。

 

「あとさ、俺さ、オレっ娘っていうの?自分のこと、『オレ』っていう女?初めて見たー。というか、その存在を丹生で初めて知った(キリッ」

 

「あうううう。うるさい!やめろよ!ハゲにするぞ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月の第二週。最近では、もう火澄や手纏ちゃんに連絡を試みるのを諦めていた。ふと、暗部の任務も、授業も、何もなく、暇で暇でしょうがなかった時間に。火澄たちに連絡を撮ってみた。すると。

 

 

『どうやら、きっちり反省したようね。わかったわ。許してあげる。もう私も深咲も怒ってないから安心しなさい。』

 

お、おおお。ようやく許してもらえたようだ。いえー。またランチをご一緒しようぜ、っと。

 

 

『それが、今、一端覧祭の準備で死ぬほど忙しいのよ。私も深咲も、学舎の園を出る時間すらないの。3年は特にね。絶対に外せないわ、この状況じゃ。悪いけど、一端覧祭が終わるまで会う暇はないわね。ごめんね。』

 

 

ちょ、ええっ。あとひと月近くあるじゃないですか。待てないッスよ、そんなの。そんなこと言って、また煙に撒く気なんですか?と。

 

 

『お望みなら、一端覧祭までまた無視するけど?』

 

 

大人しく待ってます、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

とういうわけで。

 

『それで、暇で仕方がなかったからって、オレに電話した、と?正気か、雨月。』

 

暇なんで丹生に電話してみた。そしたら説教されました。暗部の人間関係を軽く見すぎだろって。あと、お前みたいな胡散臭い暗部の人間とプライベートで関わり持つ馬鹿はこの世にいないよって。

 

いや、もしかしたら、丹生さんなら、そこで丹生さんなら、なんとかいけるんじゃないか。って思ってましたって、正直に言ったら、その場で通話を切られてしまいました。あー。次の任務で顔を合わせるの辛いなー。はぁ。いけると思ったんだけどなー。

 

 

 

 

 

"撞着着磁(マグネタイゼーション)"、釜付白滋を捕縛して、さらに数日が経った。"ハッシュ"の前線部隊に、四人目のメンバーが増えた。魚成(うおなし)という爆弾処理に詳しい男で、それまでのメンツと違って成人していた。外部から来た傭兵崩れだな、という感想を持った。

 

彼、四人目のメンバーと顔を合わせてからは、それからほぼ毎晩、よく分からない、工場のような施設の警護任務に就いている。

 

監視カメラの映像がずらりと立ち並ぶ、守衛室にて。俺と丹生は、俺が持参したコーヒーに舌鼓を打っていた。郷間と魚成にも勧めたんだが、彼らは興味が無い様子だった。最近は、なんだか、俺と丹生を1セットにして、お子様扱いしている気がしないでも……。いや、俺に関しては、少なくとも戦闘能力や判断力自体は買ってもらっているようだが。丹生は……察してください。

 

丹生の顔を覗く。ちょっと眠そうだ。おいおい、まだ慣れないのかよ。危ないぞ。喉から小言が出そうになるのを我慢する。俺はお母さんか。べ、別に丹生にウザがられるのが嫌だったワケじゃないんですよ?

 

「うー。やっぱ苦いよ、ごめん、雨月。」

 

手渡した紙コップをテーブルの上に置き、申し訳なさそうにする丹生に、謝る必要はないと返した。

 

「はいよ、砂糖とミルク。ちなみにさ、丹生は何をよく飲むんだ?」

 

「あ、ありがとう。んーと。紅茶かな?」

 

彼女に砂糖とミルクを手渡した。チィッ。ここにも紅茶派が。火澄も手纏ちゃんも丹生も、皆、紅茶派だとは。幻生くらいしか、コーヒーを語れる輩がいないじゃないか。……って、あのジジイのことを考えるのはやめよう。飯が不味くなる。あらゆる意味で。

 

ガチャリ、とドアが開いた。魚成だ。定時の見回りから帰ってきた。となると、もうしばらくたら、俺の番か。施設の見回りをしに行かなきゃならない。

 

 

「そういえば、雨月、あの電話、一体なんだったんだよ?」

 

「へ?何?」

 

「お前が真昼間に、いきなり掛けてきた電話だよ。暇だったからとか言ってたやつ。アタシ……じゃなくてオレ!オレさ、あれ、意味がわかんなくて。雨月のことだから、何か別の意図があったのかなって、電話切ったあと、考えてたんだ。」

 

いや、全くもって全然なんの考えもなしに電話かけたんだけど。どう答えたものか。そのまま正直に答えたら、更に俺の株が下がりそうだしなぁ。

 

「ああ、あれか。……あれはな、実は……」

 

「じ、実は、どうしたんだ?」

 

丹生が真剣な眼差しで見つめてくる。そんな顔をされたら、期待に応えないわけには行かないじゃないか。

 

「実は、平時の時間に、表の時間にな、いきなり電話をかけて、お前がどんな反応を返すんだろうかって試してたんだ。いや、さすがは丹生だな。慌てもせず、俺を疑い、逆に詰問し返してきた。ああ反応されては、調べることなんて何もないからな。適当に、暇だったから電話したってごまかしたってワケさ。」

 

クソみてえな言い訳だな。あーもうダメだ。郷間がニヤついてるぞ。畜生。

まあ、だが。肝心の丹生は、ちょっと嬉しそうだった。

 

「そ、そっか。やっぱりな。ま、まあ、アタシだって、暗部の人間だし。あれくらいは……。」

 

何処に騙される要素があったんだよ、今の。極めて下らない言い訳だったはずだよな?言い出したこっちの自信が無くなってくるわ。やっべぇー、可愛いんだが、この娘。守ってやりてぇ。

 

「そういや、電話越しに、話し声がガヤガヤと聞こえてきたな。いいな、丹生には友達がいっぱい居そうで。ぶっちゃけた話、俺、学校に1人も友達いないんだ。所謂ボッチって奴さ。羨ましいなっ……って、ハハッ。俺、暗部の奴に何言ってんだろうな?」

 

「む。雨月、友達居ないのか?意外だな。」

 

意外だと感想を口にした丹生は、しかしどうしてか、俺を訝しむ事なく、ちょっぴり嬉しそうな顔を崩すことはなかった。

 

「あ、あのだな。じ、実は、オレも、学校に友達、居なくて。1人も居ない、んだ。」

 

んあ?え?こいつに、友達が1人も居ない?な、なんでだ?本当に意外な事実だぞ、それは。

 

「お、おい。本当か?それ。お前がか、それ?……意外ってレベルじゃないんだが。意外過ぎるぞ。」

 

一体全体なんでだろう?正直、丹生みたいな性格(バカ)なヤツって、常に友達が周りにわいわい居て、いつも楽しくやってそうなイメージしか無いんだがな。

 

あ、もしかして。

 

「あのさ、丹生。もしかして、お前の"約束された勝利の剣・・・(エクスカリバー)"的な趣味が、バレちゃった、とか?」

 

丹生は、俺の言葉を聞いたとたん、耐え切れずに、両手で顔を覆い隠した。おお。図星だったとは。

恥ずかしそうに話しだした丹生の話によれば、暗部に入る直前、緊張のあまり学校で厨二武器を振り回して練習しちゃったそうで、それが皆にバレて……意地張っちゃって。それが始まりで……って、これ以上聞きたくない。うわあやめて。こっちの心までイタくなっちまう!

 

 

 

 

「雨月。時間だぞ。」

 

郷間の横槍が入る。ちぇ。楽しかったのに。もう丹生との癒しの時間はオシマイか。こんな辺鄙な、何作ってるか分からない工場、誰が襲撃するんだよ。はぁーあ。気が進まないが、仕事は仕事だ。俺は無線機片手に、広々とした、ほのかに肌寒い施設の廊下へと歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「こちら雨月。定時連絡。施設内に異常なし。繰り返す、異常は無い。」

 

『了解した。こちらの監視カメラにも異常は見当たらない。帰投しろ。』

 

「はいはい。」

 

何もないだだっ広い施設を真夜中に淡々と歩き回るのは、そりゃもう半端なくツマラナイ。早く帰って、丹生とお喋りしたかったが、次の当番はあいつだしな。

 

あくびをひとつ噛み殺し、守衛室へ帰投しようとした、その時。

 

 

 

 

 

背後で、突如の、轟音。爆発音。

 

 

 

 

 

 

頑丈なはずの、施設の壁に大穴が空いていた。穴の外からは、人の足音が。

ちょ、おい!今さっき、『異常無し』って報告しちゃったのに。どうしてくれる!

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

episode10:百発百中(ブルズアイ)

連休日に楽しんでもらえればと思って、つい徹夜で書いちまったぜ。寝不足の頭でぶっ通しで書いたから、誤字脱字とか変な内容とかいっぱいあるかも。episode10はあとでいろいろ代えさせてもらうことになるかもしれないなぁ。


 

まだ少しばかり、爆発したばかりの壁の砂塵が漂うが、耳と鼻は正確に侵入者の数を把握できていた。人間1人と、パワードスーツ1体、そして宙をホバリングする小型の無人攻撃機(ドロイド)、2機。それぞれのシルエットは、無防備に足音を立て、その姿を俺の目の前に表した。

 

先頭に立つ、不敵な笑みを浮かべた男。まだ年若い、青年。高校生か、大学生か。彼の後ろから、大型のパワードスーツが、破片を飛び散らし、豪快に室内を突き進まんとしていた。その機影の上方には、2台の空飛ぶ機銃。1台は、真球状。もう1台は四つの輪っかが均等につながった、蝶のような機体だった。両機、パワードスーツと比して、駆動音は無音に近い。

 

「万鈴、そこのガキは俺が片付ける。ちゃっちゃとハックしちまえや。」

 

眼前の男はそうつぶやくと、ボサボサの茶髪を左右に振り回し、肩をコキリと鳴らした。どことなく放胆な空気を纏わせている。その男の、落ち着き、場慣れした態度が、ほのかに俺に警戒心を抱かせる。

 

 

「郷間、もうカメラで見ているだろうが、侵入者だ。男1人。パワードスーツ1機。無人機2台。」

 

『ああ。確認済みだ。その男には見覚えがある。コードレッド。中枢部へ繋がる隔壁を下ろすぞ。覚悟はいいな。』

 

「構わない。とっととやってくれ。」

 

 

油断なく、目の前の男と対峙する。鋭敏な耳には、どこか遠くで、隔壁の閉まる響きが届く。侵入者は、何とも場違いなほどニヤケたまま、大げさに両手を宙に広げ、慣れ慣れしく話しかけてきた。

 

「おやあ、ボウズ。このオレ相手に一騎打ちたぁ、大した度胸だ。ヒィャハハ。その心意気に免じて、先手は譲ってやるよ。大サービスだ。ヒャハ。」

 

薄暗い工場の中で、ケラケラと笑うヤツの周囲に、きらりと光るものを目にした。金属片、か?よく見れば、無数にあった。ヤツの体の外周、ほんの十数センチのところを、不規則に、高速で飛来していた。何かの能力なのは、間違いないが。クソッ。

 

先手必勝。俺は所持していたサブマシンガンでヤツの下半身を狙らいつつ、同時に発砲。弾丸は、ヤツの足へ。馬鹿か?コイツ。そう思ったのも、束の間。予想は覆された。

 

 

ブチ、ブチ、ブチ、と火花が散る。俺が撃った弾の数だけ、火花が飛び散った。常人ならば、何が起こったのか理解できなかっただろう。だが、視神経が強化された俺は、はっきりと何が起きたのか目にしていた。

 

ヤツ目掛けて、十数発は発砲した。その全てが、ヤツの体に触れる前に撃ち落とされていた。弾丸が届く前に、突如ヤツの周囲を飛来していた金属片が軌道を変え、俺の撃った弾へと吸い付くように、次々に衝突し、両者、弾け飛んだ。結果、ヤツの体には傷一つついてはいない。

 

念動能力(テレキネシス)か?だとしたら、相当強力だ、コレは。銃から放たれた弾丸すべてに命中させるとは。マズい。こいつどう考えても大能力者(レベル4)以上だ。油断していたのは俺の方か。

 

 

「残念ェん。時間切れ。あばよ、ボウズ。」

 

だらけた態度は変えず、目の前の男は素早く、小さな球体、グレネードのようなものを取り出し、こちらへと放り投げた。

 

手にしたサブマシンガンの弾がきれるまで、男に向かって打ち続ける。同時に、飛来するグレネードを蹴り飛ばそうと身構えた。テレキネシスなら、避けても奴に誘導され、あの玉は俺に向かってくるはずだ。だったら弾き飛ばす。

 

対峙する相手も、俺の発砲と同時に、徐に取り出した小銃のトリガーを引いた。断続する互の発砲音の数と同じだけ、金属と金属がぶつかり、はじけ飛ぶ音が響く。俺の目には、奴が真上に向けた小銃から飛び出す弾丸が、銃口から出てくるやいなや軌道を変え、ヤツを守るように俺の弾丸へと向かっていく姿が映っていた。

 

俺が放った弾は、全弾防がれた。マガジンには50発近く入っていたのに。大した奴だ、ちらりと顔色を伺えば、余裕の表情を見せている。

 

 

「…らぁッ!」

 

目前に迫ったグレネードを蹴り飛ばす、つもりだった。だが、しかし。

 

圧倒的な、力、運動量の気配。脳内ではあらぬ方向へ弾き飛ぶはずだった金属球は、俺の渾身の蹴りに、なんということだろう、ピクリとも動きを見せない。動かない。軌道を変えていない。冷や汗が出るほど、ビクともしなかった。何の影響も受けず、未だまっすぐに俺へと向かってくる。

 

驚愕。先程も言った様に、ピクリとも軌道を変えない。どう、して。強大な筋力の代償として、代わりにスネの骨に違和感を感じた。ヒビでも入ったか。僅かに金属球は側面を凹ませた。見かけなんてあてにならない。想像以上に、この小さな玉は頑丈にできていた。

 

こんなに、こんなに小さな玉なのに。まるで、圧倒的質量を持った、巨大な隕石のように、蹴ろうとも、殴ろうとも。結局、俺は1mmたりとも、その軌道を変えられなかった。

 

ついには、俺の胸部に衝突。金属球に押し出され、体が宙に浮かぶ。間も無く、眼前で発光。白熱。

 

「マ、ズイ」

 

金属球は、著しく白熱する。激しく燃え上がり、俺の体を焦がしていく。脳みそ、を。脳だけ、は、守、れ。ご丁寧に、白熱球は倒れ伏す俺の体の上にピタリと張り付き、燃え尽きるまでダメージを与え続けた。

 

 

「ヒィッヒャァ!ヒィィヒャハハハハハハ!どうだいィ、万鈴お手製のサーメート(焼夷手榴弾)の味は。あー、くっせぇ。肉が焦げる匂いってのはまあ、いつまでたっても慣れねぇもんだ。ヒャハ、オレァあんな死に方だけはゴメンだねぇ。ま、だが、ボウズ。叫び声一つあげずに逝ったヤツはテメェが初めてだ。雑魚は雑魚なりにガンバったな。おめっとさん。」

 

男は端末を開き、しばし、覗き見る。

 

「……万鈴、そろそろ終わったか?はは。当然か。そんじゃ、オレはとっとと爆弾仕掛けに行くぜ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「雨月め。油断したな。」

 

監視カメラを注視しつつ、郷間はポツリと呟いた。彼の背後では、魚成が手早く装備を整えている。画面に映った、雨月の敗北に呆然としている丹生は、表情から活力が失われ、立ち尽くしていた。

 

郷間は、背後の2人。残された"ハッシュ"メンバーへと向き直った。

 

「聞け。俺は幸いにして、そこの侵入者が何者か知っている。"パーティ"という、名代の傭兵どもだ。金次第でどんな依頼でも二つ返事に受け入れる狂人どもでな。とりわけ、今、雨月を殺った男、牛尾中(うしおあたる)は"空間移動系能力者(テレポーター)殺し"として名高い。」

 

説明を続けつつも、郷間は慣れ親しんだ手つきで無骨なガスマスクを装着する。

 

「詳細を語れば、ヤツは大能力者(レベル4)、能力は"百発百中(ブルズアイ)"という。放った物体のスピードを維持させたまま、任意の目標に命中させる能力だ。大能力(レベル4)に相応しい出力、規模、射程、を誇る。……だが、コイツの能力は、オレとは相性がいい。オレが相手をしよう。」

 

郷間の説明がきつけとなったのか、1人遅れていた丹生も、迎撃準備に取り掛かっていた。水筒から水銀を取り出し、手元に槍を形作った。

 

「ヤツと行動を共にする、このパワードスーツは、恐らく"電子憑依(リモートマニピュレート)"、刈羽万鈴(かりはまりん)に違いない。彼女は能力を利用したハッキングのスペシャリストだ。この施設のコントロールもすぐに相手の手に渡るだろう。」

 

郷間の話が、終わるやいなや。突如スピーカーから、年若い少女の甲高い声が漏れ出でた。

 

『キャハハッ。ご明察。実はー、たった今、ワタシの制御下に落ちました。ゴメンネッ。』

 

機敏に反応した郷間は、舌打ちとともに小銃を取り、2人に向かって矢継ぎ早に警告した。

 

「機銃だ!」

 

彼の発声と期を等しく、守衛室の隅に取り付けられていた機銃が火を噴いた。

 

 

銃火に晒される直前に、郷間の姿は影も形も残らず断ち消える。彼の能力、"隔離移動(ユートピア)"の発動によるものだった。しかし、彼の背後に位置していた魚成は、無情にも機銃の餌食となった。

 

魚成が蜂の巣となった後、瞬間間も無く、今度は丹生へと銃弾の雨が降り注いだ。間一髪、彼女は咄嗟に銀の傘を広げ、その雨から身を守る。

 

機銃とは別の、発砲音。郷間が機銃を撃ち壊した。

 

 

今一度静けさを取り戻した室内に、郷間が小銃をリロードする動作音だけが谺する。彼は未だに銀の傘を広げたままの丹生へと視線を向けた。

 

「魚成が殺られたか。丹生、お前は"電子憑依(リモートマニピュレート)"を叩け。オレは先ほど言った通り"百発百中(ブルズアイ)"を殺る。」

 

彼女は、不安に押しつぶされそうな、青ざめた顔付きでゆっくりと頷いた。

 

「しっかりしろ。殺らねばこちらが殺られるぞ。」

 

丹生に発破をかけつつ、郷間は"上"へと救援の要請を試みるも。

 

「……チッ。やはりジャミングか。気を引き締めろ。直ぐには救援は来ない。これ以上、敵の増援が無いことを祈るべきだな。」

 

 

生き残った2人が退出した部屋に、刈羽のおどけた声が響いた。

 

『ゴメンネー、牛尾。ついバラしちゃってー。せっかく、3人同時に殺れたところを、1人しか殺れなかったー。え?それでいいの?うん、わかったー。そっちに強そうなのまわすね。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ?何でココのロックだけかかってんだ?……オイ、万鈴。一ヶ所しくじってんぞ。」

 

いかにも重くて仕方がない、という風に、ショルダーバッグを地面に擦りつけながら、"百発百中(ブルズアイ)"こと牛尾中(うしおあたる)は1つの扉の前で立ち止まっていた。

 

"ハッシュ"が警備していた施設のセキュリティシステムを乗っ取った彼の同僚、"電子憑依(リモートマニピュレート)"、刈羽万鈴(かりはまりん)。彼女からは、施錠された出入口は全て開放した、と連絡を受け取っていた。にもかかわらず、目の前のドアは彼に反応せず、入場を拒んでいる。

 

その扉の向こうが、まさに彼の目的地であるようだった。多少苛立った様子で、牛尾は刈羽へと通信を行う。

 

「さっさと開けてくれや。テメェの作った発破が重くて仕方がねぇ。」

 

すぐさま彼の耳に、声色高い少女の怒鳴り声が響いた。

 

『ソコ、システムからは独立してる。きっとー、所員とかが自前の鍵で開閉するトコだよ。ってかさぁ!アンタには隔壁の1枚や2枚ドッテことナイでしょ?いちいちワタシを使うなよなぁ!』

 

気だるそうな顔を驚きに染めた彼は、彼女の言葉に何かピンと来たようだった。

 

「……あー。そうだな。悪ぃ悪ぃ、もういいぜ。ハイ通信終了ォ。」

 

ヘッドセットからは漏れ出る声は、怒りの収まらない様子であったが、彼は強引にそれを打ち切った。そして、胸元をゴソゴソと探り、卵大の大きさをした金属球をいくつか取り出した。

 

「タングステン・ベリリウム鋼だっけかァ?ッたく、この玉だけでいくらかかったか。あー。失くさねぇようにしねぇとなァ。」

 

無造作に、金属球を目の前の扉へと放った。宙に放られた金属球は、投げられた初速を維持して、扉へとぶつかる。次第に、扉からギチギチと金属同士が圧縮される、鈍い物音が響く。

 

軋みが限界を越えた。扉は破壊され、接合部がこじ開けられたかのようにへし曲げられた。強大な力が抑圧から解放された、その重低音が辺りを包んだ。

 

扉の向こうの空間には、今なお稼働し続ける、この工場の心臓部たる用途不明の設備機械がずらりと並び立っていた。

 

「ったく、何だこりゃ?ハイテクな棺桶か何かか?相変わらず、"この街(学園都市)"はよくもまぁ、飽きずにこんな訳のわからないモンを作り続けるこって。どっから金が入ってくるんだ?オレにもよこせってぇの。」

 

 

 

 

彼には、その機械が何に使われるのか、わずかも見当はついていなかった。それを気にすることなく、片手に持つ端末が示す通りの箇所に、バッグから取り出した爆薬を設置していった。

 

 

「これ、1台いくらぐらいすんのかねぇ。金になるんなら何台か失敬してぇな。……っと。やっと来たか。遅ぇぞ。」

 

愚痴をこぼしつつも、手馴れた手付きで設置作業を行う彼だったが、ふいに、その動きを止めた。

 

出入り口のすぐ側に、郷間の姿があった。マスク越しに発せられる声は、彼自身の抑揚の無さとも相まって、なんの特徴もない、極めて画一的な色を見せていた。。

 

「やはり、奇襲はできないか。お前の仲間に監視されているからな。」

 

牛尾は爆弾の設置を中断し、ゆらゆらと立ち上がり、ぶらりと背後に向き直る。それまでの、つまらなそうにしていた態度はガラリと変わり、期待に溢れた笑みを正面の敵に送った。

 

「ヒィャハ、まァな。どっちでも良かったんだけどな。優秀な手下が仕事をし過ぎると、それはそれでつまらなくなっちまうからよぉ。……ってか、カッケェマスク付けてんねェ。ころっと死んでくれるなよ、見かけ倒しは困るぜぇ。」

 

「……心配するな。期待には答えてやろう。」

 

そう言い返し、郷間は間髪入れずに手にしていたハンドガンを発砲した。3度の破裂音。牛尾の目と鼻の先で、放たれた弾丸は三たび火花を散らして弾け飛んだ。

 

 

「……なんだァ、がっかりだぜ。」

 

牛尾も、懐から拳銃を取り出した。しかしそれは、郷間が用いたような、通常のハンドガンとは趣が違っていた。もっと巨大で、角張っている。見かけからも、それが規格外に大きな口径を持ち、破格の威力を発揮すると察せられた。

 

「ビビってくれたかな?熊撃ち用のマグナム銃さ。オレのお気に入りだ。2m越えの大男だってロクに扱えねぇシロモンだが……オレが使えば、この通りだ。」

 

セリフと重なるように、牛尾は明後日の方向に向けたままの鉄塊のトリガーを引いた。打ち上げ花火かと間違えるほどの怪音が轟き、彼の腕は反動で大きく上下に振れた。

 

規格外の弾頭は、見事に郷間の心臓目掛けて伸びていった。しかし、彼に着弾することはなく、彼のいた位置を通り越して、あっという間に対面の壁へと吸い込まれた。

 

「……はぁ?」

 

「くくく。」

 

間の抜けた牛尾の台詞を前に、笑みを漏らした郷間は、その場から一歩も動いてはいなかった。ただひとつ。弾丸が通過する瞬間に、姿がふわり、とかき消えてはいたが。

 

「やはりな。ターゲットが消失しては、お前の能力でもさすがにお手上げ、ということだ。」

 

郷間の悠然たる対応に、牛尾は苛立ちを隠しもせず、嫌悪感を顕にした。

 

「テメェ、"空間移動系能力者(テレポーター)"だったのかよ。最悪だ。」

 

牛尾の言葉に反応せず、郷間は手に持っていたアタッシュケースを前に突き出し、眼前の牛尾へ見せつける。

 

「貴様とこれ以上下らない会話を続けるつもりは無い。此方もそこまで暇ではないのでね。早々に御退場願おう。この中には、貴様を殺すための武器が入っているぞ。」

 

郷間が言い終わる前に、牛尾は煩わしそうに、アタッシュケースへと弾丸を叩き込んだ。発砲と同時に郷間は能力を使ってその身を消失させており、穴が空いたアタッシュケースは支えを失ってゴトリと地に落ちた。

 

そして瞬く間に、穿たれた穴から白色のガスが勢いよく吹き出した。

 

「人の話は最後まで聞くべきだったな。この空間一帯を覆う窒息ガスが吹き出すぞ。扉の向こうにもとっくにガスは巻いてある。逃げ場はない。」

 

 

「チィッ。ぁあー?"空間移動系能力者(テレポーター)"かよォ。クッソ。興冷めだぜ。やる気が失せた。」

 

牛尾にとっては、危機的状況となったはずであった。だが、今もなおダラけた姿勢を崩さず、覇気の抜けた態度を変えない彼の様子に、郷間は違和感を覚えたようである。

 

 

ガスは今もなお、空間を広がっていく。愚鈍としか言い様のない牛尾の反応に、郷間の声色にもさすがに嘲りの色が混じりつつあった。

 

「興冷め、か。それは此方の台詞だ。所詮は3次元に囚われる粗雑な能力。全く。貴様には無駄な手間を取らさ

 

そう、郷間が言い終わらぬうちに、俄かに、牛尾は遮って話を始めた。

 

「"空間移動系能力者(テレポーター)"風情には、コイツ1本で十分だ。」

 

言い放ち、牛尾は太腿に差していた大振りなナイフを抜き、手にとった。

 

「今更ナイフ1本でどう足掻く?」

 

ガスが広がりつつある空間、そのど真ん中で。なおも泰然とした態度を崩さずに、牛尾は不敵な笑みを浮かべてみせた。

 

「特注の、半端なく頑丈にできたナイフだ。オレの相棒。オレァコイツを1番信頼してるぜ。」

 

牛尾は振りかぶってナイフを投擲した。郷間は心底呆れた声色で呟く。

 

「さよならだ。間抜け。」

 

そして、彼の姿は一瞬で断ち切えた。

 

 

 

 

 

 

 

ドサリ、と人間が倒れる物音。

 

 

 

 

 

 

 

 

左胸にナイフをはやした郷間が、表情を驚愕に染めて、地に這いつくばっていた。

 

「な、ぜ……。何故、だ……、在り、得る、は、ずが、こん、な……」

 

「ヒャハ!ヒィャッハア!ヒィャハハハハハハハッハァッハハハハハハハ!!」

 

掠れるような郷間の弱々しい声は、牛尾のけたたましい笑い声でかき消された。

 

 

地を這いずり、苦しそうに蠢きつつも、必死に牛尾から逃れようとする。それに対し牛尾は、未だに気の抜けるほど、とぼとぼと歩き、倒れた郷間へと近寄っていった。

 

そばに落ちている、ガスの吹き出るアタッシュケースを蹴り飛ばし、牛尾は倒れ伏す郷間からガスマスクを奪い取った。それを難なく取り付けると、大げさに腕を振り回す。郷間を嘲るように、深々と深呼吸をした。

 

「"空間移動系能力者(テレポーター)"ってのァ、ドイツもコイツも、11次元がどうとかこうとか、ぺらぺらペラペラとよく喋ってくんだよなァ。したり顔で、勘違いを押し付けてきやがって。オレの能力の本質はなァ、テメェらがのらりくらり語ってくる、"3次元"がどうこういう話じゃねぇんだ。」

 

牛尾は、懸命に這いずり続ける郷間を蹴り起こす。腹に足を乗せ、地面に縫い付けた。ゴボッ、

と郷間は喀血し、口元を朱に染めた。

 

「"投擲したものを、命中させる"。人類が古来より、その進化の過程で幾度も争った末に、会得した"技能"。脳みその中にある、遺伝子上のその"本能"・"概念"を体現したものなのさ、オレの能力はなァ。……下らねェ。もう終わりか。こんなことなら、さっき丸焦げにした坊主のほうが、よっぽど良い反応してたぜ。ありゃ面白かったなァ。」

 

 

身を襲う激しい痛みに苦しむ中、弱々しく牛尾の足首を掴むと、郷間は必死に彼に命乞いをする。左胸に刺さったナイフに手を駆け、頼む、頼むとうわ言のように繰り返した。

 

「……た、たす、け。て。たす、けて。……くれ。」

 

牛尾はにこやかに返事を返す。しゃがみ込み、彼に顔を近づけた。

 

「心配すんな。さっきナイフ1本で十分って言ったからな。もうこれ以上はなんもしねぇよ。この傷だと、すぐに病院に行けば助かるかもな。……ん?おお。ナイフ、返してくれんのか?サンキュー、忘れるところだったぜ。特注っつったろ?これ、高けぇんだよなァ。」

 

そう言って、郷間の左胸に刺さったままのナイフに手をかけた。郷間は力なく、その手を押し止めようとするも。

 

 

 

 

 

数分後。残っていた爆弾を設置し終えた牛尾は、その場を退出する際に、動かなくなった郷間の亡骸に目をやった。大量の血痕を残しつつ、出口へと必死に這いずった跡があった。

 

「プッ。プヒャハ。ヒィャハハハハハ!オレのナイフで死んだのか?それともテメェの毒ガスで死んだのかァ?前言撤回!テメェ、中々面白ぇじゃねぇか!ヒャハ、ヒィャハハハハハッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鼻がひん曲がりそうな、強烈な悪臭。それが意識の覚醒の原因だったのか、そうでないのかはわからない。目が覚めると同時に、鼻につく動物の肉の焦げる臭いに、思わず顔をしかめた。

 

目に映る両腕は、全面が火傷の痕で覆われていた。爪でひっかくと、その下からは新鮮な細胞、ピンク色の肌が姿を現した。どうして俺はこんな黒焦げに?

 

一生懸命に記憶の隅をつついても、答えは出てきそうになかった。ヘッドセットや携帯を探す。見つけはしたものの、両者とも焼けて変形していた。これは、どう見てもブッ壊れてるな。またか。どうしてこういつも連絡手段をお釈迦にしちまうんだよ、俺は。

 

状況から、俺は誰かに襲われたらしい。誰かに燃やされた?焔なんて、最近じゃ火澄の蒼い焔くらいしか記憶に……いや、違う。フラッシュバック。白熱。白い焔だ。金属球。にやけた男。

 

 

全てを思い出す。あまりの怒りに、つい咆哮を漏らしそうになる。懸命にそれを抑えつつ、地に座ったまま、"人狼化"した。四肢を縮め、両手両足の爪を鋭く伸ばす。溜め込んだ力を一斉に開放して、そのまま天井へと跳躍した。爪を壁に食い込ませ、知らぬ人間と嗅ぎなれぬ油の臭いへ向かって、天地を逆さに疾駆する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

道行く廊下の奥に、無防備に浮遊する、見覚えのあるシルエット。侵入者とともに施設に入り込んだ、無人攻撃機(ドロイド)の1機だった。天井を地上と逆さに疾走する俺は、気づかれぬままに接近する。背後から、飛び乗る。

 

機銃を盛大に乱射しつつ、無人機はあっけなく墜落した。馬乗りになった俺は、猛然と拳を握り、殴り続けた。人間に出せる力を遥かに超えた野獣の腕力に、しだいに機体を構成するフレームに変形が生じてくる。広がった隙間へ爪を食い込ませ、力任せに分解し、解体し、破壊した。

 

そして、バラバラに飛び散った部品の中心で、俺は自身の耳へと全神経を集中させる。今の無人機への攻撃で、俺の復活はバレてしまったと考える。馬鹿みたいによく聞こえるこの耳で。侵入者どもの動きを掴んでやる。

 

 

周辺は静謐であり、常人には一切の物音が聞こえないはずだ。しかし、俺の聴覚は、聞き覚えのある少女の、狼狽した悲鳴を捕捉することに成功した。

 

『ちょっとッ、郷間ッ!応答して!郷間ぁッ。殺られちゃったの?そんな、もうアタシ1人なの?!』

 

『キャハハハハッ。その通りぃ!アンタ1人だけ。ホント諦めてさぁ、さっさと死んでくんない?アンタにチョッカイかけられてっと、ウザくて能力に集中できないんだよねー。ほらぁッ、死ねッ、死ねッ、死ねッ、死ねッ』

 

 

音の聞こえる方から、間断なく発砲音が聞こえてきた。良かった!丹生の奴、まだ生きてる!早く助けに行かないと危険だ!

 

慌てて彼女たちの戦闘現場へと駆け出す。しかし、今の丹生の発言だと、郷間の奴、殺られたのか?俺が殺られかけたクソ野郎の仕業だろうか。だとしたら、野郎はまだ生きている。警戒しなくては。

 

 

 

 

 

駆ける。駆ける。全身全霊、自身が出し得る、最高速で。通路を突き進む。唯一つ、俺を燃やしたクソ野郎の存在に、注意を払いつつ。

 

丹生が相対しているであろう侵入者の、銃声と罵声がだんだんと近くに迫っている。気を失う前に、隔壁が閉じる音を確かに聞いたはずだ。だが、今までの移動で降下した隔壁はひとつも見ていない。敵がセキュリティシステムを掌握していると考えよう。"ユニット"で受けたレクチャーでも、それがセオリーだと教わったからな。

 

覚束無ぬ記憶の片隅に存在する、この施設の見取り図が確かならば、このまま進めば、非常時の副電源装置の管理区域へと到達する。何らかのツールか、それとも能力か。敵は電気系統から施設のセキュリティシステムに手をかけたに違いない。

 

 

ようやく辿りついた。丹生の口からこぼれ出す、小さな呻きを聞き取った。廊下を飛び出す。視界が開けると、パワードスーツと球形の無人機に、挟み撃ちにされ攻撃を受けている、丹生の姿が目に飛び込んできた。丹生は銀塊を半円のドーム状にして、なんとか銃撃を防いではいるものの、銀膜は銃弾でたわみにたわみ、今にも決壊しそうだった。

 

「何が、死にそうなったら頼りにしろ、だよ…ッ。先に死なれたら、どうしようもないよ、雨月…ッ!」

 

そう、丹生が漏らした弱音に重なって、俺が叫んだ合図がその場に響いた。

 

「丹生!俺ガパワードスーツヲ抑エル!!ドロイドニ集中シロ!」

 

ガアンッ!という破砕音とともに、丹生へと銃撃していた無人機に、金属塊が衝突した。バランスを崩した無人機の射撃は、丹生から大きく逸れ、クルクルと回転する機体の動きとともに、辺り一帯に無差別に飛び散った。衝突した金属塊とは、俺が力の限りに投擲した、破壊した無人機のパーツであった。

 

たわんでいた銀膜のドームに、力が戻った。既にパワードスーツへと疾駆していた俺は、丹生への攻撃を止めるために、全力の体当たりを食らわせんと試みた。敵からの応射を完全には躱しきれずに、何粒か反撃の散弾を喰らったものの、ほとんど勢いを減ぜすに、パワードスーツへと突撃した。

 

『――ックショアッ!ナニやってんだ牛尾!さっきの怪物がコッチに来ちまってんぞォ!』

 

組み付き、壁に押し付けているパワードスーツから苛立ちの音声が滲む。

 

「良かった、良かったぁ!雨月!生きててッ!う、……お願い!雨月!もう少しだけ、パワードスーツを抑えて!」

 

「マカセロ!」

 

威勢良く答えたものの、密着状態のパワードスーツの胸部から、イキナリ馬鹿デカイ断ち鋏のギミックが、バギャン、と飛び出た。出現したそれを見て、大いに動揺する。お掃除ロボットくらいなら、簡単に分断出来そうなほど、ガッシリとした造りの巨大なニッパー。対PS(パワードスーツ)武装か……。いくらなんでも、これを受けたら……!

 

鋏の稼働に合わせて、距離を取る。敵はすぐさま、散弾をお見舞いしてきた。お次は転がって回避する。パワードスーツ同士で撃ち合うような、馬鹿デカイ散弾をまともに喰らうのは避けたい。運悪く、四肢が千切れ飛んだら、行動に制限が掛かる。それでも、死ぬ気がしないのは……どう考えても異常だよな。

 

しかしながら。このパワードスーツに搭乗している奴、かなりの腕だ。実際に戦闘行動をとっているパワードスーツを何体も拝見して来たが、目の前のこいつほど軽快に動く奴は見たことがない。それこそ、生身の人間を相手にしているんじゃないかって、勘違いしてしまいそうなほど反応が良い。

まるで、パワードスーツに魂が乗り移っているかのようで。

 

 

背後から、鉄塊が落下する轟音が。振り向かずともわかった。丹生が1機残った無人機を破壊したのだ。

 

「雨月!ひとまずこっちに来て!」

 

ちらりと目をやれば、銀色の大盾を用意した丹生が俺を呼んでいた。次々と発射される散弾を避けつつ、彼女の元へと後退した。

 

大盾の裏側では、目を潤ませた丹生が俺の到着を待ちわびていた。

 

「雨月、ほ、ほんとに生きて……」

 

泣きそうな丹生の表情に、場を弁えずに、ちょこっと萌えそうになったが、ぐっとこらえる。

 

「状況説明ヲ頼ム!野郎ニ燃ヤサレタ後ハドウナッタカワカラン!」

 

少し鼻声っぽくなった丹生から簡単に説明を聴く。郷間は多分殺られた。まさかあいつが、こうも簡単に殺られるとは……。糞ッ。手をこまねいている暇はない。とにかく早くパワードスーツ女を片付けないと、野郎がこの場に加勢に来てしまう!

 

「今ノ、ドウヤッテ無人機ヲ壊シタ?」

 

俺の質問に、丹生は間を開けずに答えてくれた。

 

「隙間に水銀を流して、一気に体積を増やした。機械なら全部この手が通じると思う!」

 

「最高ダ、丹生!モウ1回ソイツヲヤロウ。俺ガ敵ノ攻撃ヲ捌ク!オ前ハ敵ニ隙ガデキタラサッキノヲカマシテクレ!」

 

俺の要請に、一瞬、丹生は口ごもった。顔色が悪い。蒼白だった。怯えているのだ。誰だって、死ぬのは怖い。怪我をするのは怖い。今もなお能力で精神を誤魔化す俺が、彼女を責める資格は無いよな。

 

「……俺、何度モオ前ヲ守ッテヤルッテ言ッテタナ。ワカッタ。ヤラナクテモイイ。オ前ハトニカク、攻撃ヲ喰ラワナイヨウニシロヨ。」

 

 

 

 

 

銀の盾から抜け出す。少々離れた場所に位置するパワードスーツが、背中に積んでいたコンテナを分離しているのを目撃する。コンテナからは、犬型のドロイドが飛び出した。

 

『Type:GD起動ぉ!犬同士潰し合え!』

 

散弾を放ちつつ、パワードスーツは俺から距離を取ろうとする。それに反して、犬型のドロイドは一直線に向かってくる。

 

散弾は、正面からまともに喰らいそうなのだけ避ける。パワードスーツへのチャージ(突撃)に集中しよう。

 

犬型ドロイドが噛み付つかんと、飛びかかってきた。渾身の蹴りを放つ。銀色の犬はボディを豪快にヘコませ、スクラップになる。

 

『牛尾!牛尾!牛尾ォォ!ナニチンタラやってんのよ!早く来いよ!オマエェェェ!アンタが助けに来るまで、起爆スイッチは絶対押さねェかんな!』

 

目の前の敵から発する声色は、際立って狼狽しているように感じ取れた。しかし、あいも変わらず、そのパワードスーツ搭乗スキルは色褪せずにいる。

 

 

あのように軽快に動くパワードスーツの外装を、ちまちまと剥がしていく作業は無理筋だろう。だったら、お前を抱え上げ、大地に打ち付けてやる。いや、よく考えれば、パワードスーツの対衝撃性能は高い。無駄足だ。それなら……壁面にぶん投げて、埋めこんでやる。身動き取れなくしてやるよ。

 

再び、敵に組み付いた。抱えあげ、投げつけようとするも、ギチギチと動く胸部の巨大な鋏が良い具合に邪魔をする。チッ、糞。時間が無ぇってのに。その時。

 

「雨月!行くよ!」

 

後ろから、丹生の強張った掛け声。頼ム、と返事をして、精一杯、パワードスーツを持ち上げる。

 

銀の触手がパワードスーツに入り込む。しかし、その時、暴れていたパワードスーツの上体がズレる。冷や汗がでた。この位置だと、刃と刃の間に、俺の首がある。早く、丹生……

 

ジャキン、と刃が閉じた。咄嗟に姿勢をずらしたのが間に合った。なんとか首は無事だった。だが、その代わりに。

 

流血。血飛沫が舞う。丹生の悲鳴。ゴトリ、と俺の左腕が、体から離れて地面に落ちた。左肩から先が切断されてしまった。

 

筋肉が盛り上がり、すぐに出血が治まる。能力を使って、パニックに陥らないようにした。大丈夫だ、俺の体なら、あとでくっつけられるはず。……いやいや、そうやってのけるしかないぞ、俺。一生片手なんて御免だ。

 

 

パワードスーツは、バラバラに分解されていた。すぐそばに、心底怯えた表情で腰を抜かす、金髪の少女が。

 

悪く思わないでくれ。俺は手加減は軽くに止め、少女を残った右手で掴み、近くの壁に投げつけた。ドガァッという、嫌な音とともに、女は泡を吹いて崩れ落ちた。完全に気を失っている。多分、生きているだろう。死んでいても、もうそれは仕方がない。

 

 

 

 

 

 

パワードスーツは片付けた。一息つく。あとは俺を燃やしたあのクソ野郎だけだ。……チィッ。次から次に。嗅覚が、濃密な、俺を燃やしたクソ野郎の匂いを捕える。すぐそこだ。

 

「丹生!女ヲ連レテトットト逃ゲロ!今スグダ!」

 

丹生にそう言い放ったのと、ほぼ同時に。廊下の奥から、3つ。ギザギザと、トゲがたくさん付いた金属のつぶてが、高速で飛来する。

 

反射的に、右手で防御した。しかし、それは飛来するつぶてをいかほども妨げず、右手の甲や二の腕を貫通して、俺の腹部にズブズブと入り込んだ。幸い、丹生には放たれなかった。厄介だ……、"百発百中(ブルズアイ)"。

 

ドクン、と体が脈動する。この感覚は、味わったことがある。毒だ。畜生、つぶてのトゲに毒が仕込んであったのか!……耐えろ!後ろには丹生が居るんだぞ!ここで倒れる訳にはいかない!

 

俺の体は、幸運なことに、強固な意志に従ってくれた。毒で体に異変を感じたのは、僅かな時間だった。廊下の奥から、牛尾が姿を現した。大型のパチンコみたいな道具を持っている。あれは……スリングショット。そうか、あのつぶての速度。それを使ったのか。

 

「ヒャハ。面白ェ!狼男なんて初めて見たぜ!しかも。お前ェ、なんで毒喰らって倒れねえんだ?効かないの?スッゲェなァ、オイ!」

 

 

 

 

 

迂闊。どうして牛尾の接近にもっと気を配らなかったんだ!そうだ。後ろにはまだ丹生がいる。彼女に聞いた、牛尾の能力だと、この場からどうやって安全に彼女を退避させればいい!?糞、糞ッ。どうする?!どうすれば?!

 

てくてく、と歩み寄る牛尾は、地面に伏した刈羽の姿に気づいた。

 

「あれまァ。殺られちまったのか、万鈴。悪ぃな、間に合わなかったぜ。……はぁ。メンドくせぇ。自分で爆弾起爆しなきゃなんねぇのかァ。」

 

 

……こいつ、挑発に乗ってくれるか?……糞が、他には何も思いつかねぇ、畜生。やるしか無い。

 

「サッキハ良クモ、俺ヲ焦ガシテクレタナ、クソ野郎。」

 

「……ぁあ?テメェ、もしかして……俺が燃やした坊主かぁ?プヒャハ!マジかよ!なんだそりゃ、肉体変化能力(メタモルフォーゼ)ってヤツか?ツイてるぜぇ!肉体変化能力(メタモルフォーゼ)とはまだヤったことねぇ!」

 

目の前で同僚か、もしくは手下か。仲間が倒されているというのに、牛尾の表情には一辺の怒りも見受けられなかった。ただ純粋に、場にそぐわない愉楽の感情だけが受け取れる。

 

「トコトンムカツク奴ダナ、テメェハ。……復讐戦(リベンジマッチ)ダ。"百発百中(ブルズアイ)"、俺ト"サシ"デ殺シ合イヲシロ。」

 

「あーあーあー。そう言う感じ?オーライ。ヒィャハ。了解だぜぇ、狼男。テメェは良いカンジ(・・・・・)だ。」

 

 

牛尾の気を惹かないように、精一杯演技して、丹生へと語りかけた。

 

「ソノ女ハホウッテオイテイイ。テメェハ邪魔ダカラ、トットト失セナ。」

 

俺の意図を理解してくれた丹生は、すぐに背を向けて走り出した。だが、彼女が無事逃げきれる、と安心したのも、束の間だった。

 

「あァ、邪魔なのか?じゃァオレが手伝ってやんよ?」

 

チャラけた態度を見せたものの、やはり仲間をやった敵を見逃すつもりはなかったのだ。一瞬の早業。スリングショットを引き寄せ、金属球を高速で打ち出した。フラググレネード。破片手榴弾だった。ターゲットは丹生だ!あああ、畜生、畜生、畜生が!

 

「走レ!丹生!」

 

牛尾が真上に打ち上げたグレネードは、大きく山なりの軌跡を描き、逃走する丹生へと迫った。身体が弾け飛ぶかと思うほど、心拍数を上昇させ、思考を全開に加速させていたおかげで、完璧なタイミングで飛び上がり、残る片手で手榴弾を掴んだ。

 

やはり、ピクリとも動かない。俺の体をぶら下げたまま、グレネードは進んでいく。獲物がグレネードで助かった。とりあえずは、このまま丹生との間に体を挟んで、爆発から彼女を守ろう。

 

そう。俺は、手榴弾を掴み、彼女を庇おうとしたのだ。だが、右の掌の中で、グレネードは不自然な動きをする。俺の手をすり抜けようとしている。どうしてだ?この大きさの手榴弾なら、そのまま掴んで……。

 

それは、穴だった。俺の体に、穿たれた穴。先程、毒を受けた時に、つぶてが貫通した穴だった。手や脚のケガなど、いつも後回しにしていた。どうして、ああ、どうしてなんだ!?どうして、治癒しておかなかった!?

 

必死に、手の甲の穴を塞ごうとした。しかし、無情にも、服に穿たれた穴をすり抜ける鈕のように、グレネードは表面を血に染めて、ぬるりと俺の右手から抜け出した。

 

自由落下する俺の目には、まっすぐに彼女へと向かう真紅の金属球が映る。全てがスローに映る。

"ガ、ー、ド、シ、ロ"と叫ぶ自分の声すら、ゆっくりと。

 

丹生は緩やかに振り向いて、見事に銀の盾を広げてみせた。あれは、"蛇神の輝く鏡楯・・・(イージス)"だ。面積を減らして、装甲を厚くしてあるやつだから、きっと大丈夫だ。

 

血に染まったグレネードは、銀の盾を、なんの抵抗もなく、くぐり抜けた。

でも。はは、まだ爆発しない。

不良品だったのか。どんなに科学が発展しようと、人の手が介入する以上、こういうことはありえる訳で。

 

 

 

 

小さな頃、聖マリア園の皆でやった、打ち上げ花火みたいな音がした。ほぼ、ゼロ距離。あの距離で、手榴弾が爆発すれば、まず間違いなく、人は死ぬ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「GWOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHH!!!!」

 

ジュワジュワと全身から蒸気が吹き出している。心底楽しそうに嗤う、目の前の男を、どうやって苦しめようか。どんな死に方が此奴には相応しいだろう?

 

「ヒィャハハハッ!ヒャハハハハハハッハハハハハッ!さあ、"サシ"で殺ろうぜ?狼男!」

 

殺してやりたい。そう思うものの、目の前の男は、懐から取り出したドデカい拳銃や、

スリングショットから放つ毒のつぶてを手当たり次第に使い、決して俺を接近させなかった。

 

「ヒャハハ!最高だぜ!どちらが死ぬか。テメェが近づけるか、オレがその前に殺しきるか。オールオアナッシング!戦いってのァ、こうでなくちゃつまらねぇ!」

 

馬鹿デカイ拳銃は、喰らえば体の何処に当たろうと、その衝撃で大きく後ろへ吹っ飛ぶ。つぶては、俺の体内へと深く埋まれていく。奴へと近づく勢いは減ぜられ、いつかは行動が阻害されることになるだろう。

 

それでも、怒りに染まった思考が、愚直に奴への特攻を選択し続ける。吹き出し続ける蒸気が、治癒の速度を物語っている。未だ、一進一退の攻防の最中だった。

 

「そろそろ手持ちが切れちまうなァ。狼男!楽しかったけど、もうそろそろ終いといこうや。」

 

牛尾は、新たに懐から、暗く、鈍く光沢する金属球をいくつも取り出した。手にとったそれを、今度は自らの手で投擲した。

 

俺の胴体の各所に着弾したそれらの金属は、俺の体を宙に浮かし上げ、磔けた。牛尾は取り出した大振りなナイフを見せつけると、最後に一言。

 

「あばよ、狼男。」

 

投げられたナイフは、まっすぐに俺の脳天へと突き刺さり、頭蓋を付き破った。

 

 

 

 

 

 

 

目の前に、ニヤケ面を止めた牛尾がつっ立っている。俺はまだ、生きている。当然だ。こいつを殺すまで、死んでやるものか。

 

金属球が邪魔だ。身動きが取れない。右手の爪を、鋭く、長く尖らせる。そして、肉を押し上げる金属球との接触部に、自ら、ズブズブと爪を差し込む。ゆっくりと、金属球は俺の体内に沈んでいった。同時に、体を押し上げる力は消失し、今一度両足で、地面に降り立った。

 

 

「……はぁ?そりゃ、ねえだろ。一体、どうやったらテメェは死ぬんだよ。」

 

ゆらり、ゆらりと後ずさる牛尾は、最後の抵抗と言わんばかりに、拳銃のトリガーを引く。カチカチ、と音が鳴る。弾切れだった。

 

「……負けだ。オレの負け。わかった。ここから出ていく。そこに転がってる女は好きにしていいぞ。テメェにくれてや

 

 

牛尾が最後まで言い切る前に、猛然と飛びかかり、首筋に噛み付く。一噛みで、脊椎は潰れ、千切り喰った首を失った頭部は、ゴトン、と床に落ち、ゴロゴロと転がった。

 

喉から、ごぼごぼと空気が漏れ出る音。それに、ぶしぶしと血が飛び散る音。脊髄が潰れる音。筋肉が千切れる音。人間が死ぬときは、こんな風に、色んな音が一緒に生まれるんだな、と。そんな感想だけが、浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

左肩を、軽く噛み千切り、落ちていた左腕を、断面にくっつける。ジュワジュワ、と泡立ち、左腕は完璧に元通りになった。

 

丹生の元へと歩き出す。守れなかった。守れもしないくせに、俺は何度、助けてやるって口にした?丹生がどんな姿になっていようと、責任をもって、彼女の、両親に。そのことを思うと、否応なく、怒りが治まり、冷静な思考回路を取り戻す。いや、肉親がいるならば、暗部に身を窶してなんか、いるものか。

 

そこで、初めて気づいた。丹生の、血の匂いが漂ってこないことに。駆け出す。

 

床は、黒く焦げ、破裂した金属片で辺一帯穴ボコだらけになっていた。だが。だけど。

 

「……んぅ。」

 

すぅ、すぅ、と静かに呼吸をする、丹生。爆発など、何事もなかったかのように。周囲の状態とは裏腹に、彼女の姿だけ綺麗なままだった。

 

どうして無事だったんだ?……いや、いい。生きている。どうみても、丹生は生きている。丹生を持ち上げようとして、ヒヤリとした感触に驚く。

 

彼女の背面。全面に、膜上になった水銀が。銀膜は、綺麗に彼女の表面を覆い、その身の動きに応じて整然と形を変える。

 

水銀の防御膜。そうか。それなら、あの結末は……。あの時、俺の手の甲をすり抜けたグレネード。あれが、彼女の命を救ったのか。ナイフや毒のつぶてだったら、おそらく彼女は死んでいた。あのグレネードをなんとか受け止めていても、牛尾の追撃の銃弾一つで、彼女は死んでいたかもしれない。途中で破裂し、消滅するグレネードだったからこそ、今際の極で、銀膜で防御することができていたんだ。

 

 

 

しかし。ひとつだけ、脳内に引っかかる。無意識のうちに、水銀で防御膜を……?"自動"で"防御膜"を"展開"する……。そんな話を、どこかで聞いた気がする。

 

 

 

 

 

丹生を背負い、歩く最中。どこでその話を聞いたのか、思い出した。大能力(レベル4)、"窒素装甲(オフェンスアーマー)"、絹旗最愛。幻生から、話を聞いた。"一方通行"の"自分だけの現実(パーソナルリアリティ)"を、最も模倣してみせた少女の話。

 

窒素の装甲を自動で展開させ、鉄壁の防御を誇る、と。丹生も、気を失ってなお、硬質の銀膜を展開している。

 

丹生は、今では暗部の界隈で、"暗闇の五月計画"と呼ばれている、俺が発端となった計画に。ほぼ間違いなく、関係している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"ハッシュ"の増援部隊が、遅れに遅れ、ようやく到着したのは、丹生を介抱し始めてから十五分以上経ってからだった。郷間、魚成という犠牲は出したものの、施設の重要な設備は守りきった。任務を無事完遂できた俺は、一安心する。

 

医療班員に丹生を診せたが、何処にも怪我はない、と診断された。静かな部屋で1人、丹生の側に付き添い、彼女の目覚めを待つ。

 

「んにゃ…………ぅんぅぅ」

 

明け方、ようやく彼女の目が覚めた。両手を広げて、伸びをして、大きなあくびを一つ、かましてくれた。目の前に俺がいると気づいて、すぐに動きを止めたが。

 

「なんで、雨月……が……。」

 

気を失う前の事を思い出したらしく、無事にくっついている俺の左腕を確認し、ほっ、と安堵した。しかし、その後は彼女らしからぬ、陰鬱とした表情のまま塞ぎ込み、室内に気まずい空気が流れた。

 

ひとまず俺は、事後報告という形で、郷間と牛尾の最後について、できるだけオブラートに包んで彼女に語った。

 

「郷間、さん。死んじゃったんだ……」

 

「ああ。死ぬとこ、あんま想像できない人だったけどな。」

 

俺の返答に、丹生はより一層身を縮こませて、ベッドの上で座ったまま、顔を伏せた。

 

「雨月、手が無事にくっついて良かったね。」

 

鼻声で、丹生が泣きそうになっていることがわかった。当然のことだ、と言って、場を和ませようとした。成功はしなかったが。

 

「いいなぁ、雨月は。体が頑丈で。能力も、強くて。きっと暗部での仕事も、怖くないんだろうなぁ。」

 

丹生のつぶやきに、俺はなんと答えようか迷ったものの。

 

「……ああ。そうだな。丹生の言う通り、俺はこの世界で闘い続けることには、微塵も恐怖を感じちゃいないよ。」

 

ポタリ、ポトリ、と、シーツに丹生の涙が滴った。

 

「アタシは怖い。怖くてたまらない。死にたくない。死にたくないよぅ……今まで死なずにこれたのは、運が良かっただけなんだっ……。今日みたいに、いつも死ぬ寸前だったッ!ぅぅ。」

 

 

暫くの間、丹生はさめざめと泣きはらした。少し落ち着いてきたところで。俺は、自分がどうして暗部で金を稼ごうとしているのか。丹生に打ち明けた。聖マリア園に大金を届けるためだ、と。

 

「じゃあ、雨月は、自分から暗部に入ったんだね。……やっぱり、アタシとは違うなぁ。」

 

丹生の言葉から、彼女が自分の意志で暗部に入った訳ではないことがわかった。自分の意志で入ったのではないのなら。そのワケを聞きたい。

 

「丹生と俺が違うって、どういう意味でだ?……丹生は、どういう理由で暗部に来る羽目になったんだ?確か、暗部に入ったのは今年の六月からだったよな?」

 

俺が自身の理由を語っていたためだろうか。彼女は、ポツポツと涙声で、俺に語りだした。彼女が暗部と関わる事態に陥った、その経緯を。

 

 

「お父さんとお母さんは、2人ともココ(学園都市内部)の研究者だった。アタシは、学園都市の学生の中じゃ珍しく、両親2人と暮らしていたの。でも、今年の五月、に、とつ、ぜん。研究所で、実験中に事故で……2人とも、死んじゃった、って。」

 

俺は、その言葉に動揺した。五月に、死んだ。研究者。もしか、して。

 

「どうしてお父さんとお母さんが死んだのか、不思議だった。アタシも、ちょうどその時、お父さんとお母さんが仕事してた研究とか実験に、参加してたから。色々と知ってたの。研究員が事故死するような、研究じゃなかったんだ。」

 

口を挟まずには居られなかった。

 

「なぁ、丹生。その、お前が参加してた研究って、なんていうやつ?」

 

丹生は、俺がどうしてそんなことを聞きたがるのか、不思議そうな顔をしていたが、きちんと答えてくれた。

 

「名前はいくつかあって、どれが正式なものかわからないけど、今では、"暗闇の五月計画"って呼ばれてる。」

 

 

 

丹生が打ち明ける身の上話を、俺は、俺がその計画に関わっていたことを一切知らせずに、聞き通した。

 

両親が"暗闇の五月計画"の研究者だった丹生は、その伝手で、彼女自身の能力のレベルアップも見込んで、計画に参加していた。

 

だが、俺がよく知る通り。あの日の夜。黒夜海鳥が、その日、先進教育局内にいた研究員や被験者を、無差別にすべて殺し尽くした。

 

その中に、丹生の両親が含まれていた。両親を失い、呆然とする丹生の前に、冷たい雰囲気の、よく知らない人たちが押し寄せ、こう伝えたのだそうだ。

 

彼女の両親が、暗部で働いていたこと。その関係から、彼女に多額の借金があり、同時に、両親が結んでいた契約から、彼女が暗部の部隊に配属される、と。一方的に。

 

暗部で仕事をしなければ、日々の生活すらままならない。それ以前に、明確に"暗部の任務に就く"ように、義務付けられているらしい。借金を全額返済するまでは。

 

 

「でも、そんなの、突然やれって言われたって、無理に決まってるよ!アタシ、普通の中学生だったのに!怖くて怖くて。……あははははッ。武器の名前だって、一生懸命、強そうなの考えて、色んなのを用意して、すぐに使えるように、頑張って練習したけど。……そんなの、この世界(暗部)で役に立つわけないじゃん。」

 

 

 

 

俺は、知っている。丹生の両親がどうやって死んだのか。誰が殺したのか。それどころか、なぜ死なねばならなかったのか、その理由すら知っている。関節的に、丹生の両親が死ぬ原因を作った責任が、俺に存在することも。

 

 

いつも、いつも、常日頃。能力を無意識に使って、存在を忘れさせている、胸にぽっかり空いた黒い穴が、大きく、大きく広がっていく。

 

全ては、あの日。俺が、幻生の口車にのせられなかったら。丹生は暗部になんか入っちゃいなかった。普通の女子中学生でいられた。いいや、そもそも彼女の両親はきっと死なずに済んだだろう。

 

同時に、脳裏をよぎる。俺のせいで、暗部に入らざるを得なかった人間が、丹生1人だけだとどうして言い切れるだろう?きっと、他にもいる。そして、俺は、知らず知らずのうちに、コレから暗部で戦い続け、俺のせいで暗部の中で苦しむ羽目になった人々を、やがては手にかけ、殺すのか。

 

今から抜け出す?命を投げ捨てて?もはや、賽は投げられた。今更俺が死のうと、誰も助からない。俺が助けた人間しか、助からない。はははははっ。そもそも助けられるのか?どうやったら、助けるんだよ。どうやって……。

 

今投げ出せば、聖マリア園のメンバーが。俺の家族が、暗部の闇に飲み込まれてしまうかもしれない。投げ出さずとも。丹生のように、更なる犠牲を生んでいく。

 

どんなに綺麗事を言おうと、お前はもうとっくに人殺しだぞ、と、俺の中の獣が囁く。

 

「なあ、丹生。お前、暗部に入ってから、さ。もう、誰か、殺しちまったのか?」

 

丹生は鼻水をすすり、首を降って、まだだ、と返した。

丹生の奴、クソみてぇに泣きまくりやがって。涙も、鼻水もだらだらじゃねぇか。でも、どうしてだろう。どうあがいても、結局、無意味のような。抵抗すべき方法が、全くもってわからない、この闇の中でも。

 

丹生を、まっとうな光の世界に、もう一度返してやれたらな、と思えて仕方がなかった。コイツは、まだ、誰も殺してない。だったら、なんとか、元の世界へ、帰れないかな?

 

 

能力を解除すると、体中の傷の痛みが、俺の意識をガタガタに揺さぶった。痛みは、人間を簡単に、楽な道へと誘導する。でも、それでもやっぱり、俺は。

 

聖マリア園のみんなが、学園都市の闇に染まるのが、我慢ならないように。それと同じくらい、丹生が、このまま暗部で絶望に暮れ、命を落とすことが、耐えられそうになかった。どうしてもだ。

 

 

俺は、丹生の涙と鼻水を、服の袖で無理やり拭った。なされるがまま、彼女は受け入れた。何時もの丹生ならば、コンマ2秒で、「なにすんだよ!」と肩をいからせていただろう。

 

 

覚悟を決めた。それから俺は、自分が知っていること、すべて。それこそ、計画の要となった、俺自身の能力から、丹生の両親を殺した、黒夜海鳥のこと。俺の今までの責任と、幻生への抵抗のすべてを、彼女に語ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

憎悪に染まった、丹生の瞳が、らんらんと輝く。俺の首には、銀色の槍が今にも突き刺さらんとしていた。

 

「別にいいぜ、丹生。お前がぶっ殺したいんなら、そうすればいい。お前に殺されるのは、だいぶマシな終わり方だと思えるところが、本当に、どうしようもないんだよなぁ。」

 

丹生は、結局、水銀を元の水筒に戻した。正直俺も、彼女が俺を殺せるとは思ってなかったけど。

 

その後に。丹生は、許して欲しければ、泣いて謝れ、と要求してきた。

 

思わずポカン、と呆ける俺に、膝のあいだに顔を伏せたまま、「アタシだけ泣いたままじゃカッコつかないから、雨月も泣いて謝りなよ。」と続けて抜かしやがる。

 

そんなことで、本当に許すんだな?と試しに尋ねる。彼女は、大真面目な顔をして、許すよ、と返した。

 

 

……いいだろう。能力の一切を解除して、お前に懺悔してやろう。俺の泣きっぷりは、半端じゃないぜ、覚悟しておけよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は、なんだかんだで、暗部に片足を突っ込んで以来。誰にも、己の罪を懺悔したことは無かった。予想通り、丹生はドン引きしていた。泣きじゃくり、自分が、何を口ばしったのかすら、碌に覚えていない。彼女に、「お願いです、助けさせてください。」と泣いて懇願したりな。

 

 

能力を発動させ、それまでの泣き言をすっぱりと断ち切った俺の態度に、丹生は再び呆れた。しかし、ほのかに頬を染め。

 

「景朗。信じるよ。どうかアタシを、助けてください。」

 

そう言って、俺をギュッと抱きしめたのだった。あれ?本当になにを口走ってしまったんだろう?俺は?

 

 

 




水曜日にキャラクター設定とか能力設定とか上げるかもしれません。需要ないけど、読んで欲しいんだァ!せっかく考えたので。生き恥をあえて晒していこうと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

episode11:欠陥電気(レディオノイズ)

2013/11/27に追記しました。ほんのちょっとですけど。長期間エタっててほんと申し訳ありませんorzこれからぼちぼち、いやわりと急いで次の話を。なんとか。


 

 

静かな、月明かりの眩しい夜。先日の襲撃者と演じた殺し合いが嘘のように、その日はそれまで丸一日穏やかだった。最近富に増加していた工場施設の防衛任務。もう何度受けたかすぐには数え直せぬほど、雨月景朗はその日もつつがなく、無事に任務を終えることができていた。

 

後釜の部隊に問題なく警備を引き継がせ、少年と少女のたった2人。人気のない寂れた建物の影に、帰り支度を整えたばかりの彼らの姿が会った。

 

 

イカれた戦闘狂が突如襲って来た、あの日が特別だったように感じる。あれ以降も似通った任務をこなし続けていた俺は、めっきりと襲撃者の存在を感じられなくなった毎晩の哨戒任務にすっかり気を抜きそうになっていた。

 

もっと気を引き締めないとマズイな。今日警備した施設は、この間"パーティ"の連中に襲われた所とかなり近いっていうのに。唯でさえ丹生と2人きりで頭数が足りないクセに、まるで気合が入っていなかった。

 

 

 

がちゃり、と背後の扉が開いた。直後に丹生の匂いが鼻腔をくすぐった。彼女に声をかけようとしたその時に、もう1人、嗅いだことのある匂いが風に乗り、俺の元へと漂ってきた。気になって匂いの元を辿れば、前回俺と丹生が奴等と一戦交えた建物からだった。

 

即座に浮かぶ疑問。一体全体どうして、あの場所から彼女の匂いが?

 

 

丹生の呼びかけに曖昧に相槌を打ち、俺は早足に風に運ばれた匂いを追跡した。背後では丹生が狼狽えながらも、俺の後を追いかけてくる。

 

 

 

 

 

すまん、丹生。でも、どうしても気になるんだ。確かめなきゃ。どうしてあそこから、御坂さんの匂いがするんだ。ただ事ではない。なぜなら。その匂いには、彼女の濃密な流血の香りが紛れ込んでいたからだ。

 

 

 

 

 

施設に入り、地下へと進む。排気口から血臭が飛び出ていた。この施設の警備任務はこれから後にも数回ほど、今後のスケジュールに詰まってる。そのために頭に叩き込んでおいた施設の見取り図を頼りに、地下へと降りていく。匂いの元凶は近づいてきている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その芳香。その後ろ姿。大きな寝袋のような荷物を肩に抱えた彼女は、俺にはどう見ても、以前顔を合わせた御坂美琴本人にしか見えなかった。彼女が抱えた荷物には、頭がクラクラしそうなほど濃ゆい、彼女自身の血の匂いがどっぷりと詰まっている。

 

「御坂さん。アンタ、何やってんだ?こんなところで。」

 

俺の詰問に、彼女はゆっくりと振り向いた。その表情に、僅かな違和感を感じる。あくまで俺の直感でしかないが、表情に色が無さすぎる。この顔が、御坂さんの本来の姿なのだろうか。

 

相手は"超能力者(レベル5)"。対峙する緊張を能力を使って抑えた。その大きな袋の中には何が入っているんだ。質問する前から、それが何なのか大体想像がつくけどな。

 

 

「"人狼症候(ライカンスロウピィ)"……困りました。貴方は素体(オリジナル)の知人でもあるのですね、と、ミサカは貴方に問いかけます。」

 

「……何だ?そのフザけた物言いは。質問してるのは此方のつもりなんだが。」

 

"書庫(バンク)"には登録されていない、大能力(レベル4)となった俺の能力名を知っている。信じがたい。火澄や手纏さんとあんなに仲睦まじく会話していた君が、こちら側(暗部)の人間だったとは。油断なく彼女と距離を取るが、なんと彼女はまるで警戒せずに荷物をその場に置き、すたすたと俺達に歩み寄ってくる。

 

「こちらに敵対する意志はありません。"人狼症候"、それと彼の背後にいる貴女も、警戒を解いて下さい、と、ミサカは交戦の意志が無い事を示します。」

 

誰がそんなことホイホイと信じるかよ。そう思った矢先、背中からはさっそくほっと一息つく丹生さんの吐息が。

 

「だったら、その荷物の中に入っているもんを見せてくれないか?」

 

俺の言葉に、御坂美琴は即座に否定の意を返す。

 

「申し訳ないのですがそれはできかねます、とミサカは即答します。しかし、貴方は依然納得していない様子ですね。……貴方は、計画に全く縁の無い人物ではありません。ここは素直に伝えられる情報だけ伝えましょう、とミサカは回答します。」

 

「……」

 

さっきから何を言っているのか、全然つかめない。だが、今は相手に喋らせるだけ喋らせよう。

 

「念のため、確認の符丁を

 

「悪いがそんなもん知らないよ。」

 

彼女が長々と喋る前にこちらから先に打ち切った。

 

「……そうですか。一応の確認を得たまでです。やはり貴方はこちらの実験までは関与していないようですね。」

 

「……君の口ぶりじゃ、まるでその計画とやらは俺と関わりがあったみたいに聞こえるぞ。」

 

「はい、お察しの通りです、とミサカは迅速に肯定します。"学習装置"のキーファクター、"人狼症候"。」

 

此奴……ッ。まさか、知ってるのか!?

 

「貴方は1つ勘違いをなされています。私は"御坂美琴(オリジナル)"のDNAマップを元にクローニングされたクローン体です。ですので、貴方が想定されている御坂美琴とは同一人物ではないのです。この私のシリアルナンバーは2201号、とミサカは情報を公開します。」

 

 

……今度はクローンか。わからない。此奴が言うことはさっぱりだ。馬鹿馬鹿しい。……だが。此奴、俺と"学習装置"の件を知っていた。なぜそれをここで引き合いに出した?クローニングがどうこういう話と、"学習装置"がどう関係するというんだ?!俺の第六感は、よく考えろ、と仕切りに警鐘を鳴らしている。くそ。此奴の話を聞いていると無性にざわつく。

 

 

「あ、あのさ、雨月。さっきからどうしたの?あのー。御坂、さんですよね?常盤台の"超能力者(レベル5)"の。すみません!コイツ、さっきからアナタに噛み付いちゃってますけど、勘違いしないでくださいね。オレたちはアナタと敵対するつもりなんてないですから。」

 

丹生の奴。余計なことを。

 

「いえ、申したように、私は"御坂美琴"ではありません。クローン体2201号です、とミサカはそちらの女性に訂正を促します。」

 

「へっ?あ、あはは……。そ、そうなんですか。それじゃ……御坂"実妹(2201)"さんとお呼びしましょうか。……ちょっと!雨月!早くオイトマしようよ!もう!」

 

「…………ミサカ、ジツマイ、ですか……。」

 

 

いや、それは駄目だ。どうして此奴が"学習装置"と俺の関係を知っていたのかを聞き出さなくちゃならない。

 

「丹生。お前は今すぐ帰れ。俺はこの自称クローン人間ともう少し話をしなきゃならなくなった。」

 

「な、何言ってんの?一緒に帰ろうよ!」

 

頼む。帰ってくれ、丹生。俺は彼女を睨みつける。戸惑って、俺を心配そうに見つめ返してくる。丹生は何故俺がこうも目の前の少女に固執するのかまるきり理解していない。

 

 

「……あの、そこの方。ひとつ質問してかまわないでしょうか?」

 

「へっ!あ、はいッ!」

 

火澄と会話をしていた時の、あの快活だった御坂さんの面影は微塵もない。彼女は丹生へと興味の対象を移している。丹生は落ち着かない様子で彼女の問いに答えた。

 

「どうして、"実妹"と呼ばれたのですか?とミサカは胸中の引っかかりを吐露します。」

 

「えっ、と、それは。クローン体だから、遺伝子は同じ、でしょ。後から生まれたアナタは、妹になるんじゃないかなって、単純にそう考えただけなんだけど……。」

 

 

 

 

俺の聴覚が、ぞろぞろとこちらへ近づいてくる人間の足音を捉えた。数十人はいる。時間がなさそうだ。チッ、考えてても埒が明かない。

 

「御坂さん。もう一度言う。バッグの中身を見せてくれ。」

 

「……はぁ。やむを得ませんね。決してお勧めは致しませんが、とミサカは最後まで懸念を表明し続けます。」

 

そう言うと、御坂さんは俺の正面から立ち退いた。彼女を警戒しつつも、横にされた荷物に歩み寄り、ファスナーを開いた。

 

開いたファスナーからは、人間の瞳がこちらを覗いていた。その虚ろな瞳に、見覚えがある。いや、見覚えがあるという以前に今先程の瞬間、俺が油断なく注視していた御坂さんの瞳そのもので。だらりとのびた舌。ピチャピチャと重力に沿って流れる血流。生命が発する熱気、いや生気すら微塵も感じない。死骸。御坂さんと瓜二つの死骸だ。

 

「……あ?」

 

矛盾している。俺の嗅覚は、俺のすぐ後ろで息遣いを発する人間と、この袋の中で哀れに横たわる人間が完全なる同一人物だと主張している。双子だろうと何だろうと、人間は生活環境、それこそ食物なんかで体臭は完全に個人個人別々のモノになるはずなのに。全く一緒だ。

 

本当に、クローン……?背筋が凍る感覚が背中を通り過ぎる前に、俺は能力を開放し精神をクールダウンさせた。

 

 

「百歩、いや、千歩譲ろう。アンタが本当にクローンだったとして。それで、何でコイツは死んじまってるんだよ!銃創が幾つもッ。一体ッ、何をやっているッ!」

 

「残念ですが、その質問には回答できかねます。」

 

「くッ!」

 

俺はポケットから携帯を取り出し、すぐさま手纏ちゃんへと通話。ガヤガヤとした雑音とともに、手纏ちゃんの応答が返ってきた。御坂さんが今、何処にいるのか。すぐに確認してくれるように頼み込む。

 

正面に立つ少女を視線を交わす。感情を決して表に表さない彼女の瞳と、そこに転がっている死体の瞳は同じに見える。思い出せ、大覇星祭の時に会話した御坂さんの表情を。

 

手纏ちゃんからは、御坂さんは部屋にいますよ、と連絡が来た。

 

 

 

 

 

「ひゃぁッ……嘘、まさか」

 

丹生の悲鳴。通路を両脇に挟むようにして足音の集団が俺たちのもとへとやってきた。皆、全員同じ顔。同じ体つき。同じ服装。同じ匂い。同じ声。

 

カチャリ、と装備した小銃の銃口を俺へ向けて、御坂さんのクローン体がキッパリと告げた。

 

「最後に。この様な形で貴方にお会いするとは思っていませんでしたが、"人狼症候"。"学習装置"開発について、貴方に感謝の意を表します、とミサカはこれ以上の貴方の追及を謝絶します。」

 

 

 

 

 

"超電磁砲(レールガン)"。超能力者(レベル5)。学園都市の頂点ですら、この街の闇からは逃れられないのか。それとも、超能力者だからこそ、なのだろうか?光が闇を際立たせるのではなく。闇が、彼らの輝きを強めているのだろうか?

 

なんにせよ。自らのクローンをぶっ殺す実験を許容しているということは。つまりは、彼女、御坂美琴は。ひょうひょうとしたあの厚いツラの皮の下に。信用できない暗部のクソッタレな素顔を隠しているかもしれないってことさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第五学区。とある百貨店に珍しく、雨月景朗の姿があった。雑多な環境に煩わしそうに眉根を顰めている。彼の感度の良い聴覚と嗅覚を思えば、どうやら心地よい場所とは言えないのだろう。

 

 

このフロアに入ってから。数えるのが億劫になるほどの、数多の香水の香りが鼻をつく。店員さんと目が合うと、ああ、宜なるかな。平日の真昼間から、男子中学生がこの売り場に何の用だと言わんばかりの顔付だった。香水、ジュエリー、どれも俺には必要ないもんな。

 

彼女たちの視線が、居心地を悪くさせる。呼び止められないのは、もしや。この霧ヶ丘付属中学の制服が俺の身分を底上げしてくれているのだろうか。そんな被害妄想すら生まれてくる。俺、ここ苦手だ。

 

ったく、どうしてこんな所に店を構えやがる。気を紛らわせるために、ポケットに手を突っ込んで中に入っている鍵を弄りまわす。まったく、この鍵1つ手に入れるためにいくらつぎ込んだだろうか。それ相応のリターンがなければ後悔必死だなぁ。

 

並び立つ暖色系の内装ばかりの店舗群を通り抜け、従業員専用通路へと辿り着く。周りに人気が無いのを確認し、素早く非常通路と表記してあるドアにその鍵を差込み入り込んだ。

 

 

 

目に映ったのは、白塗りの壁に挟まれた単調な廊下だった。左右にいくつかのドアが並ぶだけであり、そのほかには何もない。ドアの中から、『用度室』とこれまたシンプルに一言だけ記された部屋を見つけ出した。ようやく到着した。目的地だ。再び鍵穴に鍵を差し込んだ。ゆっくりとドアノブを回し、恐る恐る室内に。

 

 

薄暗い部屋には、ライトアップされたバーカウンター。チラホラとカフェテーブルやソファの姿も。目が合った軽薄そうなバーテンダーが、「いらっしゃい」の一声。何処からどう見ても、小洒落たBARにしか見えない。いや、まあそういう世間一般的に「BAR」と呼ばれるところに行ったことはないのだが、俺にはそう表現する意外なさそうだ。

 

 

広がった光景に、思わずドアの名前をもう一度確認しそうになった。確かに用度室って書いてあったはずだ。入口でつっ立っていると、バーテンダーにカウンター席へと案内された。予想外だ。さすがにこういう所だとは考えていなかったぞ。

 

情報収集に余念のない俺の鼻にツンとした有機溶剤(これはシンナーだろうか?)の臭いが漂う。なるほど、唯の"小洒落たBAR"ってわけじゃなさそうだ。バーテンダーが背にする棚にはアルコールだけで無く、何に使うのかわからない薬剤や武器のようなもの、様々なモノが飾られていた。

 

俺以外に客は居ない。それなら此奴が。このバーテンダーが、俺の探している"人材派遣(マネジメント)"だろうか?

 

 

 

 

 

俺はここ数日、この"人材派遣(マネジメント)"という、犯罪行為や違法行為、要するに裏稼業を手伝ってくれる"人材"を斡旋し、紹介してくれる"仲介屋"との接触を試みていた。その理由は、我が部隊"ハッシュ"の人員不足にある。そもそも、壊滅した暗部下部組織をツギハギして創られた"ハッシュ"には、唯でさえ優秀な人材が回って来ないというのに。あろうことか、未だに追加の補充要員すら届いていなかった。

 

上に掛け合ってみれば、今現在、暗部の業界はどこも人手不足気味らしく、ベテランの傭兵や高位能力者の補充が来る確率は、雀の涙ほども無いという話だった。

 

その時俺は深々と、この暗部世界の需要を理解するに至った。今にして考えても、不運で済ませて良いのか答えは出ないのだが、先日、俺たちを襲った"パーティ"の件を考えれば。彼らのような強者の暗部戦闘部隊を相手にすれば、重要となるのは、迎撃に向かう人員の"質"となる。つまりは、俺たちには今、強力な助っ人が必要だった。

 

仮に相手があの"百発百中(ブルズアイ)"のように強力な奴だと、10人や20人の一般の武装隊員が束になってかかっても、大した障害にならなかっただろう。大金をかけて、強力な兵器や防衛セキュリティを備えようにも限界はあるだろうし。今の学園都市の技術でも、得てして高位能力者を一蹴できるような兵器は、その効果範囲が長大なものになる傾向がある。そのような類の兵器が、繊細な施設防衛任務に向いているかと言われれば……。

 

待っていても、俺たちの部隊にベテランの強者が補充されることはない。しかし、件の"パーティ"の件を思えば、正直素人に毛が生えた程度の経験しかない俺と丹生の2人ではこの先不安だった。そこで俺は拙い手腕で見つけ出した"人材派遣(マネジメント)"という仲介屋に、一縷の望みをかけたのだった。

 

 

 

 

 

"人材派遣(マネジメント)"とのコンタクトのために、俺からしてみれば決して少なくない金額を支払う羽目になっていた。骨折り損のくたびれ儲けにならないように祈りながら、目の前のスーツを着崩した男に誰何の問答を投げかけた。

 

「オニイサンが"人材派遣(マネジメント)"さんでいいのかな?」

 

「ああ、よく来たな。"人狼症候(ライカンスロウピィ)"の少年。」

 

極めてフランクな態度で"人材派遣"は俺に「なんか飲むかい?」と尋ねてくる。答えあぐねていると、"人材派遣"はにこやかに笑みを返した。彼の首にかかっている四つの携帯電話がじゃらつき音を立てた。

 

「タッパがあるから勘違いしちまうが、まだ中学生だったな。酒の味はまだわからねえか、悪い。ミルクは置いてねえが……コーヒーはどうだい?」

 

彼の勧めに、二つ返事で肯定の意を返した。計画通り。掴みはオーケーかな。"人材派遣"は手慣れた手つきでコーヒー豆を挽きながら、会話を続けてくる。

 

「最近、キミの噂を耳にするよ。あの"パーティ"の看板能力者を殺ったんだってな。耳聡いオレ達みてえなのはみんな、キミのことは多かれ少なかれ知ってるはずさ。」

 

覚悟はしていたが。彼の話を聞いて、むずむずと背筋が冷たくなる思いだった。改めて"人材派遣"のような、その道のベテランに伝えられると気分が落ち込むぜ。暗くなった内心を一切表に出さないように気を持ち直す。

 

「それなら、俺のことをわざわざ話す手間が省けたってことでいいのかな?……だとしたら、オニイサンがこんな風に俺と顔を合わせて会ってくれたのが不思議だな。俺のこと大体は知ってたんでしょ?言っちゃあなんだけど、俺のアプローチの仕方、だいぶお粗末だったよね?」

 

"人材派遣(マネジメント)"はからからと笑い声を上げた。

 

「だからだよ、少年。キミのような鴨が一生懸命葱を背負ってやって来ようというんだからよ。」

 

「いやあ、まいったな。」

 

ふと、目の前の"人材派遣"が動きを止めた。笑顔を装いつつも、目は笑っていなかった。

 

「むしろ、少年。キミのように直接訪ねてくるヤツは珍しいんだ。大したタマだよ、少年は。」

 

 

 

それからは、まっとうな暗部の人間同士では話もしない、ごく普通の世間話を1つ。室内にコーヒーのよい香りが漂い始めた頃に、再び話が進みだした。

 

「さて。そろそろビジネスの話と行こう。今日、少年がここへ来た目的だ。メールでも散々依頼していた通りに、ベテランの高位能力者の仲介で間違いないかい?」

 

「ええ、その通りですよ。」

 

俺の返事に、彼はより一層ニヤケ面を深めて、つらつらと語りだした。

 

「依頼の件だがよ。少年の望みを叶えるためには、今の状況じゃ相当な大金を積まねえとまるで話にならなそうだ。……コイツは初回サービス。出血大サービスだな。」

 

そう言い放つ"人材派遣"の表情には、少しだけ侮蔑の色が混ざりだした。

 

「全く耳にしていないか?少年。今の暗部を取り巻く環境を。お粗末なのはその情報収集能力だ。……いいか?最近、学園都市の裏側では、ひっきり無しにあちこちでドンパチやってやがるんだ。近年じゃ希な頻度でな。原因は、統括理事会の内輪揉めだよ。ヤツら子飼いの部隊が毎晩のように互いを潰し合ってるのさ。少年にも関係ある話だよな?」

 

俺は黙したまま彼に続きを促した。

 

「ま、だからよ。今のような状況で他の"大手"の組織から先んじて優秀な"人材"を引っ張ってこようとなると、万札の束が必要になるんだよ。おかげで俺らの業界は景気が鰻昇り。ここんとこは毎日ご機嫌で、テメェみてぇなガキの相手も苦じゃねえのさ。……さてと。コーヒーだ。ガキはこれ飲んで帰りな。」

 

"人材派遣"の完全に人を食ったような態度。しかし、そういう反応を返されるのは予想していたよ。奴がコーヒーを差し出す。俺は受け取るフリをして、密かに爪を鋭く伸ばしておいた中指を奴の手の甲に引っ掛けた。

 

「痛ッ!」

 

薄らと、か細いカスリ傷が奴の手の甲についた。カスリ傷とは言えじわりと血が滲んでいく。俺は血液が付着した中指をぺろりと舐めとった。胸中では二度と御免だ、と思っていたとも。

 

俺が彼の血液を舐めとった、その動作を目撃したまさにその瞬間。"人材派遣(マネジメント)"は血相を変え、素早く何処からか拳銃を取り出して、俺の眼前に突きつけた。

 

「ヤってくれたなア!ガキッ!」

 

プルプルと突きつけた拳銃を震えさせ、想定以上に慌てていらっしゃる様子の"人材派遣"。俺は両手を宙に広げ、抵抗の意思は無いと示す。

 

「すんません。緊張していたもんで。勘弁してくださいよ。この通り、上背がちょっとデカいだけ、オニイサンが言う通り俺ってばまだまだガキなんです。ホント、これからはより一層自重しますから。」

 

「残念だが。テメェは一線を超えちまったよ、クソガキ。」

 

"人材派遣"の怒りはもっともだ。ひょうひょうとした口ぶりの俺の謝罪では、火に油を注いだようなものだっただろうな。俺は、当然ですよね、といった表情を創り、彼を見つめた。

 

「あ、そうか。つい舐め取っちまったけど、"血"ってかなり重要な個人情報ですもんね。能力者に悪用されでもしたら堪んないか。ああ。とんでもない粗相をしてしまったなぁ。これは……どうやって詫びればいいですかね?」

 

「死んで詫びろ。」

 

"人材派遣"は躊躇いなくトリガーを引いた。発砲音が室内に響き渡り、俺の額に熱い感触が生じる。俺は衝撃で椅子に座ったまま、大きく後ろに仰け反った。首から上が背もたれの裏側へだらりともたれかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「クソガキが。」

 

"人材派遣"の漏らした雑言を耳した、その時。俺は勢いよく姿勢を起こす。並行して、拳銃を仕舞いつつあった彼にニヤリと笑いかけた。

 

「いや、ホントすみません。クソガキで。もう許してくださいよ。」

 

俺の言葉、いや、俺の蘇生に、彼は見事に硬直した。拳銃といえども、至近距離だった。カウンター越しの、ほんの十数cmの距離での銃撃。それを脳天に受け、何事もなかったようにピンピンしているのだから。彼のように人を撃ったことがある人間には、尚更直視し難い光景だったろう。

 

俺はニコニコとした笑顔を貼り付け、できるだけ和やかに"人材派遣"へと語りかけた。

 

「駄目駄目。9mm(拳銃弾)じゃ俺の額は抜けないよ。ゴツいライフルでも使わなきゃ。……あれ?どうしたの?そんなコチコチにならないでよ。俺の能力は知ってたんだろ?」

 

危機を悟った"人材派遣"の顔色は悪い。表情から余裕が消えている。

 

「やっぱ、聞くと見るとじゃ大違いだったってとこかな。」

 

俺はわざと、これからの行いが一部始終、奴にも良く見えるように計らった。3本の爪をさらに鋭く伸ばし、額にずぶずぶと差し入れ、血に塗れ赤黒く、てらてらと光る鉛玉を取り出して見せた。

 

「血の匂いってのは、だいぶ遠くまで届くんだ。おまけに、体臭とほとんど変わらねえ。……ところで、アンタ。何を使ってんのか知らないが、今、体臭を消し去る薬剤を使ってんだろ?いやまあ焦った。アンタの臭いがしないもんだからさ。……1つ質問なんだが、その薬って、高いの?安いの?ハハ。まあ聞いといてなんだが。高かろうが安かろうが、俺には何も関係無いか。」

 

言い放ち、俺は勢いよく"人狼化"してみせた。バキバキと生えそろう牙を見て、"人材派遣"は完全に臆している。

 

「要スルニ、アンタニコレカラ一生、ソノ薬ヲ使イ続ケル覚悟ガ在ルノカッテ話サ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ、なんというかその。"人狼化"までやったのは、完全なる俺のデモンストレーションだった訳で。掴みが大事だから!というノリで、舐められないように必死に工夫しただけだったんだが。

 

狼男となった俺と相対した"人材派遣"さんは、香港映画のチンピラみたいに、急に態度を変え紳士的な態度をとるようになった。お互いに畏まって、ビジネスのお話を続けた。彼のコーヒーは美味しかった。彼が隠し味に使った自白剤について言及したら、特別に初回限定サービス、5割引で依頼をこなしてくれるとのことだった。

 

俺は、彼のコーヒーに惚れた。大ファンになった。また飲みに来るよ、と強調した。だがまあ、結局は。彼のような紳士的な紳士に無茶を要求するのは気が引けて、俺たちに出せる金額の範囲内で優良な奴を見繕う、という結果に落ち着いたよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

百貨店を後にして、第七学区へと向かう。これから丹生と落ち合い、作戦会議をする予定だった。平日の真昼間。制服を着ているから、警備員(アンチスキル)が見れば一発で中学生だと露見し、運が悪ければ行動を見咎められるだろう。ここ、第五学区は大学生の街だ。雰囲気は中高生の多い学区と比べればやはり落ち着いている。俺がついさっき退出した百貨店が良い例だ。

 

学園都市の数ある学区の中でもド真ん中に位置し、西側に常盤台がある第七学区の北東部、南側に俺の通う霧ヶ丘付属がある第十八学区の北部と隣接している。とにかく、第七学区とは近い場所にあるってことだ。丹生を待たせなくて済む。

 

ところが、突然の丹生からのメール。予定よりちょっと遅れるのか。仕方がない。いくら一端覧祭の準備が忙しいとはいえ、授業が詰め込まれるこの時間帯に抜け出して貰えるだけで有難いしな。そういえば丹生の奴、ボッチだとか言ってたけど一端覧祭の準備はどうしてるんだろう。

 

 

ふと、鼻に入る悪臭に気分を害される。こんな街中でなんなんだ。臭いの元へと視線を向ければ、第三資源再生処理施設の文字が。周囲の通行人はこの悪臭を気にも留めていない様子だ。俺だけね。はあ。

 

ため息をついたその時。携帯が震えた。知らない番号からだった。もしかして、もう"人材派遣"に頼んだ依頼に決着がついたのだろうか。だとしたら速いなあ。さすがは"人材派遣"さんだな。

 

 

 

期待して通話に出るが。相手は別人だった。さりとて、全く知らぬ人物という訳でもなかった。

 

『久しぶりね。"ウルフマン"。また貴方と話す機会が出来て嬉しいわ。』

 

え?誰だろ?女性?無機質な、まるで間にスピーカーでも1本経由して発せられてそうな声だった。相手は俺のことを知っている様子。でも、確かに。聞き覚えがある気が……。

 

「もしかして、元"ユニット"のオペレーターさん……か……?」

 

記憶を頼りに当てずっぽうに答えたが、正解だったようだ。

 

『ええ。あの時の事は、未だに感謝しているわ。』

 

今になって、彼女が俺に何の用事だろう?そう考えたときに、ふと思い出した。今年の六月、布束さんに暗部組織を紹介してくれ、と頼み込んだ時の事を。彼女は俺の声を聞くなり、通話を打ち切りたそうにしていた。今この瞬間、彼女の気持ちがよぉ~く理解できる。

 

俺は今、猛烈に。今すぐ、この通話を打ち切ってしまいたい。ぶっちゃけ、これ以上この女と会話したくない。今更、俺に何用だというんだ!?嫌な予感しかしねえぞ!

 

 

……はぁ。しかし、聞かぬ訳にも行かないか。なにしろこの世界、我が身に何が突然降りかかってくるかわからないからな。"人材派遣(マネジメント)"によれば、"情報"に値する対価は他ならぬ"情報"でしかありえないらしい。どうしても情報が欲しければ、最終的には代わりの情報を差し出すしか無いって話だとさ。この女がどういう目的かは知らんが。何か有用な情報の1つや2つ、どうにかして聞き出そう。それができたら御の字だ。

 

「すまない。ちょっと場所を代えさせてくれ。」

 

この場所は臭いからな。辺りを見回しつつ、人気の無い方へと早歩きに向かう。歩きながら気を見計らって会話を繋いでいく。

 

「そうだ、オペレーター。アンタ、心なしか声が低くなったな。成長期とみたぞ?」

 

そうやって電話の向こうの彼女に笑いかけたが、相手は黙り込んでしまった。

 

「……悪かった。よし、それじゃあ要件を聞こう。」

 

前方、少し離れたところに公園がみえた。そちらへ歩を進める。警備員(アンチスキル)どもにも注意を払わなければ。

 

『単刀直入に言いましょう。"ウルフマン"、貴方、私の所属する部隊に移籍してくれないかしら?』

 

……なんだ、それは。移籍ってサッカー選手じゃあるまいし。この業界そんなんもアリなの?

 

「あー。何から聞こうか。そうだな。そっちが言いだしたことだ。仮に、アンタの提案にYESと答えた場合。後腐れ無くそっちの部隊に移れるんだろうな?正直、これがアンタの盛大なジョークだっていう可能性を捨てきれてないんだが。」

 

俺の戸惑い混じりの返答に、オペレーターのくすりという吐息が返ってくる。

 

『ええ、問題なく移れるわ。もっとも私の保証が信頼できないなら、自分で調べてもらうしかないけれど。私は単純に、貴方に選択肢を与えるだけよ。』

 

「どちらにせよ冗談キツイぜ。『来い』とだけ伝えて、後はYes or Noを迫るだけか?何が目的なのかって聞いても無駄だろうけどさ。本当に俺に移籍とやらを考えて欲しいのなら、これじゃてんで宣伝不足だ、と言わせてもらおう。」

 

『あら。"百発百中(ブルズアイ)"を倒しただけで随分と図に乗っているのね。この提案。私が貴方へ垂らした"蜘蛛の糸"である可能性を疑わなくていいの?』

 

カンダタが地獄で掴んだ蜘蛛の糸の話か。どうやらこの女は、この提案が俺に対する助け舟になると言いたいようである。

 

「……いいだろう。此方が先に答えてやる。実のところ、俺の部隊は人員不足で少々お寒い状態だ。残念なことに、"その後の望み"も薄い。そっちがあともう少しだけ『尻尾』を晒してくれたら、どちらに転ぶかわからなくなるぜ。」

 

『嬉しい話を聞けたわ。事のほか望みはありそうね。フフ。少しは賢くなったのね、"ウルフマン"。自身の身の振り方くらいは理解できるようになった様子。それじゃ、貴方に取って置きのプレゼントよ。これでも私は貴方のことを買っているの、"ウルフマン"。』

 

本人が言ったとおりに、電話口から漏れ出る彼女の声は。意外なことに本当に嬉しそうな声色だった。

 

『私が所属している部隊は、貴方が助けた"プレシャス"の肝入りよ。彼は貴方に好意的よ。おかしな話じゃないわね。貴方は彼にとって一応の恩人なのだし。』

 

プラチナバーグの子飼いの部隊だと!?……統括理事会のお偉いさんともなれば、臭いものに蓋をする番犬を何匹か飼っていても不思議ではない。いや、それどころか当然のことか。"人材派遣(マネジメント)"が言うところの"大手"になるだろうな。

 

奴が、プラチナバーグが、もし本当に俺に対して僅かにでも好意的であるのなら。悪くない話だ。まあ、この話に裏がないのかどうかもっとよく下調べする必要はあるけど。ただ、問題となるのは、転属したあとの任務の質が変わりそうなことか。"ハッシュ"のような下部組織とは比べ物にならないくらい、危険な任務を押し付けられそうだ。

 

そこまで考えて。……だが、結局。俺達"ハッシュ"のような木端な末端組織ですら、"百発百中(ブルズアイ)"のような猛者と遭遇したのだ。これから先、先日のように、任務で強敵と相対する場面は必ずやってくるだろう。その時、心強い味方がいる部隊にいたほうが、結果的に生存率は上がるのかもしれない。

 

ただ、奴との遭遇とは不自然ではある。俺たちが警備していた施設は、相当に重要な所だったのだろうか?だとしたら、"ハッシュ"なんかに警備させるのは愚鈍な考えだよな。純粋に、俺たちが不運だっただけだと、結論づけて良いのか?答えは出ない。

 

"百発百中(ブルズアイ)"のイカれた挙動を思い出す。あの日、思い知った。暗部で戦う人間に訪れる結末を。生きるか死ぬかは、結局。自分より強い奴と出会うか出会わないかで決まってしまうんだ。

 

 

『だいぶお悩みの様ね。』

 

余程楽しいんですね。崩れてきたオペレーターの口調と随分と興にそそがれていそうな声を聞いてそう思った。

 

「頼む。考える時間をくれ。」

 

『いいわよ。またこの番号に折り返し掛けてくれていいわ。私の携帯だから。』

 

時間が止まった。え!?ええっ??

 

「おいおいおい!冗談だよな?」

 

『……さて、どうかしら。もし本当だったら。"ウルフマン"。貴方が思っている以上に、私が貴方のことを信頼しているって。信じてもらえそうね。』

 

 

 

彼女との話を終えて。俺は歩いてきた道を辿り、元居た百貨店へと戻る。ポケットには、返しそびれた"用度室"という名のBARの鍵が。丁度いい。返すがてら、"人材派遣"にもうひと仕事頼んでいこう。オペレーターさんの裏付け調査だ。

 

丹生にメールをする。もうちょっと時間をくれ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

丹生との待ち合わせ場所は第七学区にある、とある公園だった。その公園はかなり第五学区よりに位置していたものの、到着した時には約束の時間をだいぶ過ぎてしまっていた。近くのカフェテラスで、むくれた様子の丹生が頬杖を付いている。此方には気づいていない。当然か。俺みたいな奴はそうそう居ないだろう。この距離で人の顔が分かるような奴は。

 

恐る恐る近づいて、すまん、と声をかけた。空いている席に腰掛けると、遅いぞ!と丹生からの糾弾が飛んできた。

 

「いや、そう怒るなって。無意味に遅れた訳じゃないんだ。ちゃんと面白い土産話を持ち帰ってきたんだぜ。」

 

俺の発言に、とりあえず彼女の溜飲は下がった。とは言ったものの、面白くなさそうな目線は此方に固定されたままだ。

 

「それじゃ、早速聞かせてもらおうか。」

 

カフェオレの容器片手にストローをチューチュー言わせつつ、丹生はしっかりと俺の方に向き直った。いいもん飲んでるな、チクショー。こっちだって走ってきたんだぜ。喉渇いた。

 

「まあ、待ってくれよ。俺もなにか飲みもん……あ?おわッ!」

 

プイッ、と。無言のまま丹生が放ったのは、小さな水筒だった。いつも使っているヤツより2周りは小型だ。飲んでいいのかな。

 

受け取ろうとしたが、失敗して足に落としてしまった。

 

「ッテェ!?」

 

ゴズン、と結構ゴツい音を立て、水筒が地面に落ちる。ッ重い!この小さな水筒、見かけ以上に重たいぞ。こんなに重いとは思わなかったから、キャッチするのに失敗しちまったよ。おまけに、丹生の姿に油断して能力はほぼOFF状態にしていたから、足の指に落ちた痛みが……ゴラァッ!

 

「オイ!こんな重てえもん無造作に放るなよな!痛ぇ……。しかも、これ、この重さからして、この水筒、水銀入ってんだろ。さすがの俺だってそれで喉は潤せられねえぞ!いくら俺が相手だからってヒドすぎませんかね?!」

 

「むー。」

 

彼女もまさか俺が取りこぼし、足にまで落とすとは思っていなかったらしい。ちょっと後ろめたそうに、そっ、と俺から目をそらした。俺は自身を襲う戦慄に逆らわず、体をぷるぷると震わせていた。

 

「……『むー。』……じゃ、ねえよ……。……勘弁してくれよ…………。」

 

彼女の口が小さく振るえた。ぼそッ、と小さな声で。

 

「ぁぅ……そんなに痛いなら、能力使えばいいじゃん。」

 

ちょっとッ!俺にはその言葉、聞こえましたよ丹生さん!?そういう考えは今すぐ止めなさい!痛みを感じないならなんでもやって良い訳じゃないんだよ!?

 

 

「はぁ。……今日お前さんに教えてたとおり、"人材派遣(マネジメント)"の所に行ってきたよ。奴とは無事接触できた。」

 

「ほ、ほんと!良かった、"仲介屋"さんとは無事に会えたんだ。で、どうだったの!?」

 

ガバっと身を乗り出して、真剣な面差しで俺に注目してくれている、丹生。ふふん。仕返しだ。

 

「結論から先に言うとな……。残念ながら、"仲介屋"さんは狼さんのエサになりました。」

 

丹生は俺の台詞を噛み砕いて理解するのに少しの間を要した。

 

「えっ!えええええっ!こ、殺しちゃったの!?なんで??」

 

いかん。笑いそうだ。この娘さん、ガチで驚いた顔をなさっています。

 

「嘘に決まってんだろ、ぶわぁーーーーーかっ。きっちり目的は果たしてきたよ。」

 

目をぱちくりさせた丹生は、俺の嘘が先程の水銀水筒の仕返しだと理解した模様で、ううう、と怒りを噛み殺している。

 

「あううう、ば、馬鹿って行ったほうが馬鹿なんだぞ、このばかげろー!」

 

"ばかげろー"、か。なんと懐かしきフレーズだろう。昔はよくその言葉を耳にしたものだ。小学校低学年の時だったろうか。

 

 

 

 

 

俺ら、小学生かよ。

 

 

 

 

 

気をしっかり持て!これから暗部の話をしようという2人組がなんというていたらくだ!いい加減真面目な話をしなければ。丹生の奴、なんと恐ろしい娘か。此奴が暗部を4ヶ月も生き抜いてきたのには、ここら辺に理由が……在るわけねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「か、げう、雨月もなかなかエグいことするんだね。」

 

俺と"人材派遣(マネジメント)"の話し合った結果を伝え終わると、彼女は呆れた口調で感想を返してきた。

 

「――――想像以上に太っ腹な方だったよ。俺が『おおお、このコーヒー美味いスよ!今まで飲んだことのない味がしますね。隠し味に……これ、種類はよくわかんないスけど、"自白剤"かなんか使ってるでしょ?へぇー。こういう使い方もあるんですねぇ、"自白剤"には。』って言ったらさあ、マネさん※("人材派遣(マネジメント)")すっごいニコニコして『イヤーハハハ。やっぱわかる人はわかっちゃうんだよな。初めてだよ、当てられたのは。嬉しいなあ。こりゃもう今回の依頼は半額にサービスしようかな?』なんてかえしてくれてさ。楽しいひと時だったよ。……ん?何?」

 

「な、なんでもないよ……。」

 

"人材派遣(マネジメント)"との会話を追って説明していくほどに、丹生はぎこちない笑みを浮かべていった。ふぅ。ま、この話はこの辺が潮時かな。そろそろ、トピックを"土産話"の件に移そう。

 

 

「さて、もうこの話は終わりだ。大体わかったよな?」

 

「う、うん!もう十分にわかった!」

 

丹生は激しく上下に頷いた。

 

「それじゃ、さっき言った遅刻の原因。"土産話"について話すよ。」

 

突如、真剣な空気を醸し出した俺にあてられ、彼女も引き気味だった姿勢を正してくれた。

 

「実はここに来る前、昔所属していた部隊のオペレーターから引き抜きの勧誘があったんだ。別の暗部組織へのな。俺が"ハッシュ"に来る前、ひとつ前の部隊が解散した時に、生き残りのメンバーは皆バラバラに転属していったんだ。その時のオペレーターが直接俺に連絡してきた。そして今彼女が所属している組織へ俺を引き入れたいと言ってきたんだ。」

 

「え?それって……。」

 

丹生はしっかりと俺の話を聞いてくれている。続けて彼女に説明する。

 

「ああ。まず最初に、そのオペレーターが所属している組織について話そう。その部隊は恐らく、統括理事会の1人、トマス=プラチナバーグの直属の組織だ。ココへ来る原因となった任務で、俺はプラチナバーグの護衛をやったんだが、その時、俺は彼を敵の襲撃から守ったんだ。」

 

丹生は俺の口から飛び出した新しい情報に、ほのかに驚きの色を表した。

 

「オペレーター、彼女曰く。それが一因となってプラチナバーグは俺に良い印象を持ってくれているらしい。その話が本当かどうか、どうやって確かめればいいかわからないけどな。今はとりあえず、今日会った"人材派遣"に彼女の話がどこまで真実なのか裏付けをとってもらっている。ま、とにかく急いで連絡するように言いつけてきたよ。」

 

俺の最後の台詞に、丹生は僅かに苦笑した。

 

「取らぬ狸の皮算用になるかもしれない。けどさ、もし、彼女の話がある程度本当だったら。プラチナバーグがマジで俺に好意的なのかどうか、それは置いといて、実際に彼女がプラチナバーグの部隊の一員で、俺を本気で欲しがっていたら。どうする?俺はお前の盾になると誓った。お前が借金を返済して、暗部から大手を振って立ち去るその時までな。」

 

「う。」

 

丹生が口ごもった。まあ、"守る"だの"誓う"だの。その言葉の、なんと薄っぺらいことか。そう思うよな。

 

「移籍する場合、お前と一緒に行けるなら、と相手側に条件を付ける。この条件が断られたらもちろん破断にするつもりだ。……丹生、お前の考えが聞きたい。俺のカンだが、オペレーターがプラチナバーグの組織の一員だって話は、なんとなく事実なんじゃないかって思えてな。ありえない話じゃない。」

 

じっと説明を聞いてくれていた丹生を見つめる。

 

「かげ、う、雨月。今日会った"人材派遣"さんの話だと、アタシたちの部隊に強い人を助っ人に呼ぶのは難しいんだよね。」

 

「ああ。そうだ。」

 

「プラチナバーグさんの組織に行ったら、きっと強い人も沢山いて、優秀なバックアップだって受けられるはず。その代わり、今より危険な任務が目白押しだろうけど。」

 

彼女の考えに、俺は頷き返す。

 

「でも、"ハッシュ"にいたって、この間の"パーティ"のような襲撃もあるし。……そもそも、アタシたち2人だけじゃまともに任務をこなせるかわからない状態だし……。」

 

「それは、なぁ。もし、"人材派遣"が都合よく使える人材を見繕ってくれれば話は変わってくるだろうが。今のところは、丹生が言う通りだよ。」

 

ふと、俯いていた顔をあげ、丹生はすぅ、と息を吸いこんだ。

 

「……景朗。アタシはアンタを信じるよ。アタシ、アンタより馬鹿だし。だから、アンタの考えに従う。一緒に行くよッ。」

 

目の前の彼女はほんの少しだけ、頬を染めているように見えた。俺の気のせいじゃないと信じたい。

 

「……わかった。まあ、とにかく、"人材派遣"から連絡がこなきゃ、これ以上は考えても意味はないしな。……でもさ、俺が言うのもなんだけどさ。よく、俺のこと信じられるな。い、いまさら発言の撤回は認めないぞ!でも、ホント、どうして……?お前の前で泣きじゃくったのだって、演技かもしれないぞ?」

 

 

 

俺の疑問を聞くと、丹生はどんどん表情を恥ずかしそうに歪め、視線を合わせないように顔を背けてしまった。どうみても顔が赤くなっている気が。これ、顔絶対赤いよね?!ん?

 

「そ。そのッ。そのことで。か、げうう。雨月に、言わなきゃならないことがあるんだッ。」

 

 

 

 

 

え?何?突然のこの雰囲気。めっちゃ恥ずかしそう。丹生の奴、めっちゃくちゃ恥ずかしそうなんですけど。照れてんだけど。もしや……。

 

告白?これ、告白来てる?ええ。どうしよう。初めてだ。人生初告白来てしまうん?な、なんでこんな突然に。

 

丹生を見てると、今にも告りだしそうな表情にしか見えてこない!いや、落ち着け、俺の妄想に違いない!あああ、でもどうしよう。それ以外にこんな赤面するん?人間ってそんな自由に顔色調節できんの?

 

どどどどうする?能力使って冷静に返せるようにクールダウンしとくか?……いや、加減がわからん。あまりにも冷たい反応になってしまったら、取り返しがつかなくなるぞッ!クソっ。どうしたら、どうしたら、どうしたら!

 

いやいやいや、早計だぞ。早計。んなわけ無いだろ。落ち着け、とりあえず落ち着け。俺の超絶反応なら、結果が出てから対応して十分に間に合うはずだろ?もちつけよ童貞。

 

 

「何だ?どうしたんだ?」

 

「ちょっと前から……言おうと思ってたんだけど……」

 

ちょっと前から。ちょっと前からね。ちょっと前から惚れてしまったと。

 

「その……一昨日にさ……」

 

一昨日だって!?それは随分と急な話ですね。一昨日かぁ。突然気づくことって、あるよね。

 

「雨月の、孤児院に行ってたんだッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

へぇぁ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「雨月が暗部に入った理由なんでしょ?か、景朗の家族だって。だから、どんな人達か気になって見に行ったんだ。そ、その!特別な意味は無いからな!?クレアさんとはいっぱい話したけど。そのッ。これから景朗に守ってもらうし。もし景朗が、アタシを庇って取り返しのつかない怪我とかしちゃったら、アンタの家族にどう詫びればいいのかって!!そう思ってさ……。アタシ、教会なんて行くの初めてで。入口でキョロキョロしてたら、クレアさんに話しかけられて。つい、景朗の友達だって言ってしまったんだ。そしたらみんな興味深々で、なんか思いもよらない歓迎を受けちゃった。花華ちゃんとかクレアさんとか、色んな子とお話したよ。それでわかったんだ。雨月がどんなトコで育ってきたのか。どうして暗部に入って、血を流してまであの人たちを守ろうとしているのかって。ふふふ。景朗、ずいぶんと人気者なんだね。皆景朗のこと根掘り葉掘り聞いてきたよ。アタシ、なんかアンタのガールフレンドかなにかだと勘違いされちゃったけど、ちゃ、ちゃんと説明しといたから!よくわかってくれてなかったみたいなんだけど、後で景朗の口からもちゃんと説明してね!とっても暖かかった。皆の様子を見てたら、景朗のことが怖くなくなった。今はすごく身近に感じてる。こ、これから一緒に暗部でも頑張ろッ!……あれ?ねぇ、聴いてる?景朗?聞いてよ!かげろ――――――」

 

 

 

嘘だろ……丹生の言ってることが理解できない。いやそんなことはなくきちんと理解しているけども。

 

俺、聖マリア園に友達連れてったこと無いんだけど。今まで一回も無いんだけど。俺がいない時に、女子中学生がこっそり覗きに来たなんて。そんなの。皆さぞや、ニヤニヤしていただろうね。盛大に歓迎だと?!

 

これは現実じゃない。夢だ。夢であってくれ。クレア先生や花華とお話したって?火澄直通ルートじゃねぇかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁあぁっぁぁぁあぁあああはははははははははは

 

て、天国から地獄。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと、ホントにどうしたの?なんでそんな一気に元気なくなっちゃたの!?」

 

ん?それはね、考え事をしてるからなんだよ。今度聖マリア園に行った時に皆になんて言われるんだろうね、とか。園のみんなが火澄に丹生の存在をタレ込んだら一体どうなるんだろう……とか…………

 

「傷つくよ。そんなにアタシがアンタのとこ行ったのが不味かったの?暗部の人間がアンタの大事な家族に近づいちゃったから?」

 

「……何言ってんだ。そんなわけ無いだろ。丹生が俺のこと分かってくれたのは嬉しいし、俺のことを知ろうとしてくれたこともすごく嬉しい。これから園のみんなにからかわれるのが欝なだけださ……」

 

「あ、う。……だったら、もう少し嬉しそうな顔してくれてもいいんじゃない……?」

 

下を向いて、地面だけを見つめて歩いていたから。この時、丹生がどんな顔をしていたのかわからなかった。もし見てたんなら、もうちょっと早く元気が出てたかもしれないのにな。

 

俺の抑揚の無い「おなかへった」というつぶやきに賛成してくれた丹生と、少し遅い昼食を取ることにした。今日はもともともう少し、これからのことを話すつもりだったしな。

 

今日の情報交換で俺たちは互いに第七学区に、おまけにそこまで離れていないところに等しく居を構えていたと判明した。丹生がペラペラと個人情報を喋ってくれたのは、やはり勝手に聖マリア園に突撃した罪悪感によるものだったんだろうか。

 

とにかく。俺たちは帰りがけに、目に付いたファミリーレストランに入店したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前に並んだ大量の料理を目にして、丹生はげんなりとした顔付を隠せていなかった。テーブルの上に所狭しと並ぶ品目の数は12皿。彼女の分を含めると13皿に及んだ。

 

「あ、あのね、景朗。アンタが全部食べきれるんなら、構わないんだけど。……んーと、このラザニア、なんて名前だっけ?……そう、この『苦瓜と蝸牛の地獄ラザニア』。同じの4皿あるけど、大丈夫?」

 

丹生の呼びかけに、ニコッと笑顔を返した。そのつもりだったんだが、どうやら笑ってたのは口だけだったらしい。彼女はビクッ、と背筋を震わせていた。

 

「大丈夫さ。今日はなんだか"地獄"を味わいたい気分なんだ。他にいっぱい料理きてるけどさ、丹生も食べたいやつは遠慮せずに食ってくれ。心配すんなよ。これだけあっても俺の腹は完全には膨れないから。むしろまだ足りないくらいさ。」

 

「いや、いいよ。……アタシ、このパスタを全部食べきれるかどうか不安になってきたトコだから……」

 

そう言うと、丹生はもそもそとパスタをつつき始めた。俺も彼女の後に続こうと、蝸牛にぐさりとフォークを突き刺したその時。

 

 

 

「"狼男(ウルフマン)"ですの!」

 

かん高い少女の声が耳に飛び込んできた。え、何!?呼んだ?という風に、思わずビクリと反応してしまった。丹生は俺の様子には気づいていない。後暗いことがないからだろうか。それともこの五月蝿い店内では単に聞こえないだけなのか?

 

先程のソプラノが発せられた位置は、俺の正面右手、桂馬の位置。ぴょこんと飛び出たツインテールを揺らしながら、目の前に座る女子高生に必死に食いつく少女の後ろ姿からだった。

 

はいはい、と軽くその少女をいなす、眼鏡をかけたお姉さんに目がいく。いや、正確には彼女の豊かな胸部へと眼球が吸い寄せられていた。気づけばガン見していた。

 

はあっ?!な、なんだあれ。火澄といい勝負……いや、眼鏡のお姉さんのほうが競り勝ちそうだ。あれが高校生……。来年から、俺も高校生……。

 

俺は何をくよくよしているんだ。来年から高校生になるんだぞ。正面の丹生はぽかん、と俺を眺めている。そうだ。此奴を無事に高校生にしてやらなければ。

 

「シャアッ!」

 

掛け声とともに、ラザニアにかぶりついた。丹生に訝しまれないように、チラチラとお姉さんを見やる。集中力は全て、遠く離れたあっちのテーブル席へと回していた。

 

「最近噂になっている都市伝説ですの!ピチピチのズボンを着込んだ、真っ黒い毛並みの"狼男(ウルフマン)"があちこちで目撃されておりますの。学園都市が廃棄した実験動物だとか、遺伝子実験に失敗した哀れな研究者の末路だとか噂が流れて。満月の夜に出歩けなくなった女学生も居ますわ。その様に、一部の学生たちが怯えていますのよ。」

 

「あら、聞いてる限りだとそれはそれで結構なことじゃない。警備員(アンチスキル)の仕事が減るわ。それで、その噂がどうかしたの?そんな有り触れた話、ここじゃ珍しくもなんともないわよ。」

 

少女をまともに打てあわずに、黙々とパフェに匙を伸ばすメガネのお姉さん。クールな性格も良い感じですね。……げぇっ、右腕に風紀委員(ジャッジメント)の腕章が。マズイな。大声で暗部の話はしづらいかも。

 

バレてもどうってことないんだけど、風紀委員(ジャッジメント)には往々にして正義マニアが多いからなぁ。あ、でもあのお姉さんはそんな風には見えないけど。……いや、別の意味で俺たちの会話が聞かれるのは宜しくない気がする。気をつけよう。

 

 

「いいえッ!固法先輩、この動画をご覧くださいまし!先々月のプラチナバーグ氏へのテロ事件の後、事件現場付近のビル内の違法カジノが摘発された時に押収された監視カメラの映像です。ここに、噂の"黒い狼男"の姿が映っておりますの!約140秒と短い時間ですが、くっきりと写っていますでしょう!」

 

「んー?……ホントね。」

 

 

だあああああッ。マジかよ!写ってたのかよ!……クソッ。仕方がないか。この街で完全に情報を隠蔽するなんて土台、無理な話だろう。あーあー。てか、もう俺都市伝説になってたんだな。有名人の仲間入りか。

 

 

「友人の伝手で、解析してもらったのですが。その結果、この映像がフェイクである証拠は何一つ見つかりませんでしたの!おかしいとお思いになりません?何やら隠蔽の匂いがいたしますわ。白昼堂々、大覇星祭の開催期間中に行われたテロだというのに、事件の真相は未だ闇の中。碌に"警備員"や"風紀委員"にすら情報が流れていないなんて!」

 

「それで、白井さんはこの動画の"狼男"が事件の真相のカギを握ってると言いたいわけね?」

 

「もちろん、その通りですわ!」

 

待て待て待て。おいおいおいヤメようよ。そんなことするのやめようよ。俺、事件の真相のカギ、ずばり持っちまってるんですけど。いやあ、この人たち、怖いなあ。顔、覚えとこうかな……。

 

「……はあ、白井さん。そんなに私との外回り、つまらない?」

 

「ぎく。い、いえ。そういう訳では……」

 

「仮に、この"狼男"さんの映像が本物だったとして。彼を捕まえるなんて雲を掴むような話だわ。私たちの目的は、なによりもこの街の治安維持でしょう?そういうことは、この"狼男"さんが本格的に悪さをしだしてから考えましょう。……案外、新型のパワードスーツだったりするんじゃなかしら?」

 

「わかりましたわ……。」

 

いつの間にか、眼鏡のお姉さんのパフェは空になっていた。

 

「さて、それじゃ、そろそろ次の地区へパトロールに行きましょう?白井さん。」

 

「はいですの。」

 

ツインテールの少女は退店の準備をしていた。少女を待つお姉さんは、席を立つ間際。ピタリと視線を俺へと向けた。目と目が合う。

 

え?あれ?これ、俺見てねえ?

 

目をそらせず、見つめ合う。目を逸らせない。逸らしたら、後ろめたいことやってたのがバレそうな気がする。眼鏡のお姉さんは突然のタイミングで、パチリ、と俺にウインクを投げかけた。

 

バ、バレてた!?なぜバレた?あの顔はどう考えても俺の行動を把握してたって感じだぞ!あの距離で、席を挟みつつチラ見してた俺に気づくなんて。

 

 

 

 

 

「ふーん。そういうこと。」

 

気がつかなかった。気づけば、丹生も眼鏡のお姉さんの方を向いていた。ジト目で俺を睨む。

 

「え?何?どういうこと?俺はただ、"風紀委員"がいるから、気をつけて喋らないとなーって思ってただけだぜ。」

 

「……」

 

丹生は黙して語らず。遠くに見える眼鏡のお姉さんは笑いをこらえていた。あああ。まずい。話を反らせ。話題を変えろ!

 

ツインテール少女と眼鏡のお姉さんはお店を出て行った。よし。

 

「そういや、丹生。お前さん、一端覧祭の準備とか大丈夫なの?今じゃどの学校も午後から終日、準備に忙しいだろ?」

 

不機嫌そうな丹生の表情は変わりそうもない。露骨に話題を変えたせいもあるかな?ハハ。

 

「学校なんかより、今はこっち(暗部)の方が重要に決まってるだろ。生死がかかってるんだから。」

 

「お、おう。そうだよね。いや、たださ、丹生、学校じゃボッチだって言ってただろ?1人準備をサボって抜け出してたら、もっと孤立化が加速してくんじゃないかって思ってさ。ちなみに、出し物は何をするんだ?」

 

 

 

丹生は露骨に俺から顔を背け口ごもった。

 

「丹生、世の中にはヤリたくてもヤレない人間だっているんだ。俺の通う霧ヶ丘付属にはな。そもそも

 

「ああもうわかったよっ。その話は何回も聞いたッ。言えばいいんだろ、言えば。」

 

俺がみなまで語る前に、丹生は諦めて話しだした。ぼそりと小さな声でつぶやく。

 

「……メイド喫茶。」

 

「へぇー。へぇぇー。無難ですね。外れなしの安全パイだと思います。ちなみに、そのメイド喫茶って女子は全員メイド服ですか?中途半端に執事の格好して男装する予定とかありませんよね?」

 

「な、なんだよ…。皆全員メイド服だよ。男は裏方。……でも、アタシ、多分でないよ。準備1人だけサボっ

 

俺は立ち上がり、思い切り、ドガァッ!!とテーブルを叩いた。

 

「そういうことはもっと早く言いなさい!!」

 

今度は俺が。丹生が言い終わる前に唸りを上げた。丹生は俺の急な動作に、ビクッと怯えた。

 

「あぅッ。……きゅ、急にどうしたんだよ!」

 

「暗部のスケジュールなんて、俺がどうにでもしてやるッ!丹生、お前は一端覧祭に出ることをおろそかにしてはいけない!」

 

おい馬鹿、声が大きいぞ、と丹生は周囲を見回しビクつく。

 

「何言ってんだ。いくらお前でもどうにもならないからこそ、今日"人材派遣"の所に行ったんだろ?!」

 

丹生の正論に、しかし俺は一歩も引かなかった。

 

 

 

 

 

「丹生。お前が暗部の汚れ仕事なんかのせいで、人生の中で輝く瞬間の1つを無駄に散らすなんて。そんなこと、あってはならないことなんだ。大丈夫さ。暗部のことは俺に任せろ。お前は一端覧祭の本番に。1人の中学生として、本来の在り方も全うしよう!心配するな。クラスで浮いてしまってても、命を賭けて。俺が必ず、お前の勇姿を見届けてやる!」

 

 

 

 

状況はこちらが優勢だ。丹生は勢いに飲まれ、メイド喫茶への参加を考え直し始めている……はず。対面で身を竦ませる彼女のたじろぐ仕草が俺を後押しする。ピンチをチャンスに変えろ。このドサクサに紛れて、丹生のメイド服姿を拝見しに行く約束を取り付けられないだろうか。

 

「わかった!わかったから、声が大きいって景朗。わかったよもう……」

 

丹生の赤面から漏れ出る小さな声を聞いて、俺は席に座り直した。店内でつっ立ちすっかりと目立っていた。あー……大声で『暗部』って連呼しちまったけど、まあ普通の人はそれが何?って思うはずだから大丈夫なはず……だよな。そして、満面の笑みを丹生に送る。言質は取ったぞ、と言わんばかりの表情とともに。

 

「ほ、本気なの?ホントに来るつもりなの?」

 

「お前さんの家の近くからなら、学校は旭日中?」

 

俺の問いかけに、正面の彼女はほんの僅かにだがピクリと体を強ばらせた。お、どうやら図星だったっぽい。俺には彼女の微かな動きからそれがはっきりとわかった。普通の人は今のちょっとした動作で気づけるのかな?いやしかし、いい情報を得た。丹生は旭日中学か。

 

「正直、丹生さんのメイド姿めっちゃくちゃ観たくてたまらないんですけど。絶対行くぜ!旭日中!」

 

「なっ何を言ってッ……ざ、残念でしたー。だいたい、旭日じゃないもん、アタシ!」

 

彼女は口ではそう言いつつも、純粋に嫌がっているだけではなくて、逸らした横顔にはどこか照れや気恥かしさも含まれているように思えた。

 

「ほう、旭日中じゃないと。それなら、柵川か……?フッ、どちらにせよ大した問題じゃない。近辺のメイド喫茶をやっている中学校全てに顔を出せばいい!丹生さんのメイド姿を拝める最初で最後のチャンスとなるかもしれないなら!そのくらいの労力、惜しくはない!」

 

彼女にキッパリと言い放つ。先程から翻弄されっぱなしの丹生はというと、何やら必死に考え込んでいる。俺の来訪を阻止する策を練っているんだろう。やがて想定外だったが、何か思いついたらしく少しだけ、してやったりと口元を歪ませて俺に意気揚々と反論を打ち返してきた。

 

「そんなこと言ったって、無駄だからな。まずは暗部のゴタゴタをどうにかしなきゃどうにもならないだろ。景朗一人に全部任せっきりにはできない。それに、さっきから何やらごまかそうと強気な物言いですけれども、それって景朗が相手を言いくるめようとする時に出るクセだって花華ちゃんが言ってたぞ」

 

「は、はあ?べ、別に言いくるめようだなんて思ってないですよ。ただ、丹生さんの学校生活を虞ろうとした純粋な私なりの厚意ですから。だ、だって現状じゃ2人も1人も変わらないじゃないですかッ。い、いやはや自己犠牲的な配慮に見えるかもしれないですが

 

 

思わぬ反撃に反射的に言い訳が口から飛び出したが、それが不味かった。丹生は俺の言葉を遮り、澄まし面のまま追撃してきた。

 

 

「口調が急にですます調になるのも何かをごまかす時のクセだって真泥くんが言ってたなー。さらに、いかにも正論に聞こえる耳障りのいい単語を乱発する時は、大抵自分の意見を押し通そうとしている場合なんですよ、ともクレアさんに教わったんだけど?」

 

あがッ。そうかもしれねぇ。なんですとー?!そ、そんな。丹生さんに言い返せないなんて。こんな日が来るとは想像だにしなかった!ニヤつき具合が半端ないんですけど丹生さん。あーでもそんな風に小悪魔的な顔付の丹生さんも萌える……。

 

「うッ。ぎ、が、ぐ。お、おまッ!どうやらマジでウチに行ったらしいな……。糞ッ!アイツ等何故に初対面の人間にそんな俺の機密情報を漏らすんですかッ!?……だああ気になるッ!一体どんな話題の時にその3人から今の情報を入手したんじゃぁぁあ!!!」

 

「ふっふっふー。いつも景朗に押し切られてるって言ったら、クレアさんたちがものすごぉぉく同情してくれてねぇー。ま、そういう事で、アタシのメイド喫茶出陣は物理的なスケジュールの問題からして不可能だと決定されましたー」

 

やってらんねぇ。丹生に言い負かされるなんて。やさぐれてぐったりと椅子になだれかかる。

 

「そんな露骨にがっかりした顔するなよ!もーめんどくさいなぁ」

 

「そりゃ元気も無くなりますよう。この俺が丹生さんなんかに言い負かされるなんて」

 

「こらぁー!どーいう意味だそれ!」

 

俺のセリフに丹生は反射的に詰問を返した。ほぼ同時に、俺はピシャリと姿勢を正した。彼女に改めて向き直る。丹生はまたぞろ俺の反論が来るのかと、俺を軽く睨みつけながら構え直した。

 

「だって、絶対楽しいじゃないですか。丹生のメイド喫茶に俺が遊びにいったら最高に楽しいとは思わないんですか?俺の中学は一端覧祭ガン無視なので、私が貴女の学校にお邪魔するしかないんでせうがっ!」

 

悲しそうな顔を創りつつ、最後の抵抗だ。

 

「そ、そりゃアタシも楽しくないとは思わないけどさ。はぁ……一ついい?いい加減欲望だけで考えた短絡的な要求するのはやめようね?」

 

マズイな。丹生さんがだいぶピキっていらっしゃる。これ以上は無理に行くと逆効果になるかもしれない。

 

「もう。だらだらと余計な話ばっかりして、今日話し合うハズだった暗部のこと、全然話せてないじゃん。早く食べて作戦会議の続きするよっ!」

 

「……あ~い。」

 

 

大人しく彼女に従い、俺が今一度目の前に並べられたラザニアにフォークを伸ばしたその時。非常に絶妙なタイミングで俺の携帯に着信が来た。

 

「すまん、丹生。……はい、もしもし。……やあ、マネさん。ずいぶん早いね。ん、それって……」

 

別れて早々の"人材派遣(マネジメント)"からの連絡だった。内容は今さっき頼んだ、元"ユニット"オペレーターからの提案の裏付けに関してだった。

 

パスタをフォークでくるくると回していた丹生も、神経をこちらへ集中させ落ち着かない様子でのぞき見ている。

 

「……わかった。有難い、素晴らしい仕事だよ。さすがだ。…………もちろん。資料は直接取りに行ってもいいが……ハハッ。わかってるよ。郵送でもメールでも何でもいいよ。…………いや、本当に助かった。これからもよろしくお願いしますぜ」

 

 

通話を切ると、今や今かと、待ちきれなさそうな丹生が俺を見つめている。"人材派遣"から届いた朗報のおかげか。自然と笑みが湧き出た。

 

「丹生。どうやらプラチナバーグの所は、本気で俺を欲しがってるみたいだ。それだけあちらさんの状況が逼迫してると考えると少々、いや大分不安だけど。行こうぜ、プラチナバーグの部隊へ。賭けになるけどさ」

 

かろやかに微笑む俺とは対照的に、丹生の顔は少々強ばっていたものの。彼女も俺の言葉に同意し、ゆっくりと頷き返してくれた。

 

「さて。一時はどうなるかと思ったけど、なんとかなるだろ。暗部のスケジュール」

 

「そうだな。そうなるといいな。」

 

丹生も徐々に落ち着き、ほっとした様子を見せてくれた。

 

「つまり。これできっと、丹生の一端覧祭も元通りだな!」

 

「え?」

 

丹生が硬直したまま、力なく呟き返す。

 

「アンブ、ナントカナル。ニウ、メイドニナル。オーケー?」

 

「え?」

 

「ヒュー!メイド喫茶が捗りますなぁー」

 

「え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今回はコメディ色が強いです。毎回毎回シリアスじゃギャップが生まれませんからね。

なんか一気にお気に入りとか評価してくださる方が増えてました。気になって調べたらハーメルンスレで紹介されていて嬉しくて飛び上がりそうでした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

episode12:暗黒光源(ブラックライト)

episode11の方は最後の方にちょびっと続きを書き加えています。どうかお読みくださいませ。


 

 

雨月景朗が第十二学区の駅を出てまず初めに思い浮かんだのは、「こんなに辺鄙な建物ばっかりだったっけ?ここ?」という、些か同意しづらい、その地に15年間も住みつづけた人間が発するには相応しからぬ感想だった。

 

彼が第七学区に居を構えてから約半年。五ヶ月かそこらの間に彼はすっかりと学生の街に住み慣れてしまっていたらしい。初めのうちは大きく間を空けずに古巣である聖マリア園に顔を出していた彼だったが、ここふた月ばかりはめっきり音沙汰無かったようだ。ここに来て丹生多気美の零した話に切羽詰まり、彼にとっては久方ぶりの実家への見舞いに臨むところであった。

 

それ故に、気がつけば第十二学区特有の、宗教の無差別なごった煮のような町並みに新鮮味を感じる始末。彼は見慣れていた筈の景観に違和感を生じさせる自身の変化に、改めて自らがいかに顔を出さずに怠けていたのか実感し、これからの訪問を想像して冷や汗を垂らしていた。

 

 

「はぁー……。丹生の奴、マジでウチ(聖マリア園)に突撃しちゃってたからなぁ。糞ッ。皆になんて言われるやら……。くぁぁッ。だが、だがしかし、既に火澄に伝わっちゃってるかどうかは確かめないとマズい。それ如何で今後の手の打ち様が変わる。あーあもう。ここまで来たんだ。取り敢えず行くぜ。よし、行こう。さぁ、行くぞー」

 

だが、その言葉とは裏腹に、彼は一歩も足を踏み出していなかった。ぽやぽやとその場につっ立ち、感慨深げにぼやぼやと周囲を眺めているだけだった。やがて、終に飽きが来たのか、ようやく彼はしずしずと帰郷への道を歩き出した。

 

 

どうしてこんなに不思議な感覚を受けるんだろう。しばらく考え耽った後に、ある推論に辿りついた。二ヶ月前といったら、初めて暗部の任務を受けた時期だ。暗部に入ってからたった二ヶ月だけど、体感だとその数倍は長く感じてるかもしれない。だからだろうか。やたら第十二学区が懐かしいのは。となると、暗部の業界に足を突っ込んでからは、まったくここ(第十二学区)に帰ってきてなかったってことか。

 

……ていうか、ヤクザもんになっちまうってんで、自分から意識的に帰らなかったんじゃないか。そんなことすら忘れちまってたよ。

 

はは。だが実際。実のところ、俺自身の個人情報なんて暗部の連中には筒抜けだろうし、ここで下手に我慢しようとするまいと、園の皆を危険に晒す時は晒す羽目になるだろう。結果的にはそこまで神経質にならずに皆に会いに行っても良かったんだろうな。

 

大勢には何も影響せず、か。結局は気の持ち用。聖マリア園に帰らないことで、暗部で生きていく俺自身の危険への緊張が保たれるなら、それはそれで有りだったという考え方もできるかな。

 

 

 

 

 

 

 

懐かしの我が家、聖マリア園が近づくにつれて、これまた懐かしい作りかけの料理の良い匂いも鼻腔をくすぐりだした。直感で、なんとはなしに、これは俺が昔花華に教えたシチューじゃなかったっけ、と頭に浮かんだ。

 

窓の外から厨房を覗くと、花華とガキんちょたちがわいわいと炊事に勤しんでいる。少し見ないあいだに花華の奴、背が伸びてるな。小学六年って、確か女の子は一番背が伸びる頃合だよな。どうだったかな。

 

窓をこんこんと叩くと、近くに居た花華がこちらに気づいてくれた。飛ぶように窓に近寄ると、機敏に窓を開けてくれた。

 

「ただいま。久しぶり、花華。ちょっと背伸びた?」

 

「やっと来た景兄!久しぶり、じゃないよ!最近全然ウチによってくれなかったじゃん!皆に忘れられちゃうよ!」

 

「すまんすまん。あー、まぁそのことは後でおいおい話すからさ。ところで今日は大丈夫?」

 

俺の質問に、花華は頬をふくらませてムッとした表情を見せた。

 

「大丈夫に決まってんじゃん!……あ、でも、晩御飯は景兄が一人前で満足してくれなきゃ足りなくなっちゃうかも」

 

俺が一度に食べる量を良く知っている花華は、呆れを含んだ眼差しを寄こす。心配しなくても突然じゃました挙句食い尽くすような真似はしねえよ。

 

「心配ご無用だぜ。てか今日はちょっと顔を見せに来ただけだからさ。割とすぐ帰るつもりなんだよ。」

 

その返事は花華には不満だったらしい。

 

「ええー。一緒に御飯食べようよ。3人前までなら大ジョーブだからッ」

 

「いや、あのね、量の問題じゃないんだよ?」

 

俺の話を聞いてるのか聞いていないのか、花華は窓に身を乗り出さんとばかりの勢いで詰め寄った。

 

「そんなことより、景兄!びっぐにゅーすだよ。ワタシ、景兄の住んでるとこの近くの、柵川中学に行けそうなんだよ!まだ確定じゃないけど、推薦入試だから、先生はワタシの成績ならほとんど決まりだろうって言ってくれてるよ。」

 

柵川中学か。確かに近いな。

 

「おお、そっか。柵川中からだと俺ん家まで楽に来れるなぁ。なんだ、遊びに来る気か?」

 

「もっちろーん。それにベンキョーとかも教えてよね。高校生に教えてもらえれば中学のベンキョーも怖くないもんね」

 

ははは。いや、それはどうだろう。暗部の人間の住居にあまり出入りするのは宜しくないな。花華にはかわいそうだが。

 

「あぁー。景兄、笑ってるけど、今内心困ってるでしょ?ワタシにはわかるよぉー。やっぱり、こないだの彼女さんとイチャイチャできなくなるのが嫌なんでしょー?まさか、景兄に中学で彼女が出来るとはねー……」

 

あぁ!?コイツ等やっぱ誤解してやがる。クッソ、何を丹生に喋った!そして火澄には何処まで喋った!事ここに至ってはコイツ等に弄り回されるのは覚悟しているが、今後の被害は最小限に食い止めなければ。

 

「あー。その事なんだが。皆少々誤解してるよ?ちょっと前に来た丹生さんはね、唯の友達でね。そもそも当の丹生さんも俺の"友達"だって言ってなかったか?あんまり根も葉も無い噂が広がっちゃったら、ほら、丹生さんにも迷惑かかっちゃうっていうか」

 

「ははぁーん。そっかそっか。今日珍しく景兄が来たと思ったら、そういうことかぁー。火澄姉にバレれるのは時間の問題だねー、か・げ・に・い。ねぇ、もし、景兄にお小遣いを貰えたら、ワタシはきっと火澄姉には何も言わないと思うんだけどなー。それどころかその瞬間から景兄の味方になってあげる。そういう気分だよー?」

 

かつて見たことないほどの、恐ろしい花華のニヤケ面を前に何故かタジタジになっている俺。あ、あれ?花華ってもうちょっとちょろい奴じゃなかったっけー?思わぬ計算違いだ。

 

「突然だけど花華。英世さんのことどう思う?」

 

「ワタシは諭吉さんがカッコイイと思う」

 

想定内の答えだ。さっきも言っただろう。覚悟して来たと。

 

「あちゃー。諭吉さん今一人しかいないんだけど大丈夫?」

 

「大ジョーブだよッ!景兄、これからは火澄姉に何を言われようともずっと黙ってるからね。それでオーケー?」

 

「オーケー。……ってかさ、花華。そろそろ中に入らせて貰ってもオーケー?」

 

「あっ。ごめん、景兄。えへへ。はいはいドゾー」

 

 

なんだろう。もはや用は無くなったと言わんばかりの、急に手のひらを返すこの反応。もしかして、花華の奴。窓越しに俺を見つけた時から、俺の顔が諭吉さんに見えてたんじゃないだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

裏口から建物内に入れば、玄関の奥すぐそばでクレア先生が鼻唄混じりに掃き掃除をしていた。もはやそれほど最近の話では無いと言うのに、いつの間にか自分より小さくなった先生を眺め、浮かんでくる疑問に答えを見つけられずにいた。先生が俺より小さくなったのいつだっけ?

 

何で今頃になって気づくんだよ。中3になる頃にはとっくに身長、先生を追い抜かしてたはずよな。ある程度身長に差ができないと案外、気づかないもんなのかな。すぐ目の先で揺れる先生の柔らかそうな栗毛。子供の頃に見た、記憶にあるものとは少し違った、先生の後ろ姿。胸中に湧き上がってくる、心地よい夕凪のような平穏と心の弛びがあまりに快い。

 

先生の様子を見たところ、別れた直後とは打って変わり、思いのほか元気そうだった。強いて言えばほんのちょっと疲れているみたいだけど。……無理もないか。

 

現状、所属部隊の任務以外にも暇さえあれば、手に入れた伝手を頼りに、小遣い稼ぎのような小さな依頼だろうと何だろうと受けられる仕事は最大限受諾しているつもりだ。稼いだ資金は全て専門の仕事人みたいな奴を通してウチ(聖マリア園)に突っ込んでいるけれども、やはり以前の幻生が支援してくれていた額には届きやしない。

 

俺が招いた災いなのに。クレア先生にそのツケを押し付けたままじゃ居てもたってもいられない。もっと気合入れて、何とかしてかなきゃならないな。ああ。畜生。一度でもこのことを考え出すと幻生のニヤケ面が脳裏にチラついてイラついてしょうがない。まぁ……そもそも騙された俺にも責任はあるんだし、幻生を恨むだけで済む話じゃないってわかってはいるけどさ。

 

とうとう彼女が振り返るまで、声をかけるのを忘れていた。先生は背後の人影の怒り顔に驚き、軽く悲鳴を漏らした。

 

「ひゃぁッ!すすす、すみません!雑用に集中していて気が付きませんでしたぁ!いつからいらっしゃったんですか。ああああのこちらは職員専用の出入り口となっていまして。申し訳ありませんが正面玄関をお使いしていただくと助かるのですがッ」

 

懐かしいなぁ。碌に相手の顔も見ずに、ぺこぺこと頭を下げたまま。箒片手にあわあわと慌てふためいていらっしゃる我らがシスター・ホルストン(31歳独身)。まぁ、三十路にはとても見えない、若々しい外見だからその反応もそれほど痛々しくはない……かな。

 

「先生、俺ですよ、俺。景朗ですけど。お久しぶりです。なんか相変わらずなご様子で、安心しました。つってもたったふた月ほどしか経ってませんけど」

 

「ふぇ?かっ、かげろう君ですか!?す、すみません。一瞬だと誰だかわかりませんでした。……なんだか、記憶の中のかげろう君よりさらに大きくなってる気がします。……はッ。そ、そうじゃなくて、かげろう君!ひどいですよ、ここ最近はずいぶんとウチに寄り付かなくなって。ダメですよ!中学卒業まではちょくちょく会いに来るって約束、忘れちゃったんですかっ?」

 

 

クレア先生による出会い頭のお説教が始まるかに思えた。俺の口から零れた言い訳も歯切れが悪く、一時は駄目かと思ったけれども、流れは予想していた通りには進まなかった。

 

「い、いや。これでも忙しかったんですよ。一応腐っても霧ヶ丘付属ですから、授業とかそれなりに……」

 

「愛が足りませんよ!かげろう君。火澄ちゃんなんて常盤台の寮からいつもお手伝いに来てくれているのに。」

 

クレア先生はぷんすかと眉根を寄せて怒っているが、全然怖くない。このお説教も懐かしいなあ。

 

「ははっ。俺と火澄を比べても意味ないですよ。霧ヶ丘は常盤台と違ってブラックですからね!」

 

「ぶ、ぶらっく、ですか?うう、またそうやって業界用語を乱用して私を煙に撒こうとしてますねっ!和製英語はとてもややこしいんですよっ」

 

「いやいや、そんなつもりは無いですよ。正真正銘真実本当に」

 

満面の笑みで対応すると、先生はちょっと歯がゆそうに声を漏らした。

 

「むむむ。だ、だいたい、忙しいといっても週末は一体何をしていたんですか!かげろう君には火澄ちゃんみたいにたくさんのお友達は……あ、そうでした」

 

あああ。この流れはよろしくないぞ。先生は一気に怒りを和らげ、次いで興味津々の面持ちで俺に身を寄せてくる。

 

「丹生、多気美ちゃんでしたね。とってもいい子でした。かげろう君、おめでとうございます。私もひと安心しました。ようやく、かげろう君にも……

 

 

だあああっ。よぉおおおおくわかったよ。この聖マリア園が今まで平和だったってことがね!結局みんなこの話にたどり着くんだからな!どうやら他の事件は起きようも無かったようですね!先生の追求を押しとどめようと、声を大きくした。

 

「待ってください待ってください!その話はさっき花華にもしたばっかりなんですよッ!もしかして園の皆全員にいちいち説明してかなきゃならいんですかッー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺がここ(聖マリア園)に来た目的は、ぶっちゃけ丹生の話が既に火澄に漏れているのかどうかを知るためだった。頑張って気づかれないように、クレア先生や他の子達にそれとなく探りを入れて見ようとしたけれど、その目論見は皆には最初からバレていたらしい。見事に会話をした人物全てに丹生と火澄の件を突っ込まれてしまった。

 

これほど居心地の悪い聖マリア園は初めてだった。何度も一緒に晩餐をと勧められたが、それ以上墓穴を掘りたくは無かったので日が落ちぬ内に撤退した。花華やクレア先生の口ぶりからしてまだ火澄には知らされていない状態だと推測した。クレア先生がちょっとギクシャクしていたのが怪しく、気になる所ではあるけれど。

 

一番有用な情報源となりそうな真泥にも話を聞きたかったのだが、彼はまだ帰って来ていなかった。彼ならまず間違いなく俺を裏切らないはずだったのに。

 

ともかく、これ以上は仕方がない。火澄がよく状況を把握する前に勘違いして、丹生が俺の彼女だってことになったら……。お粗末な言い訳(てか言い訳すらせずに強引に押し切ったこともあったな……)で約束をブッチし、彼女と遊んでいた"とんでもないクズ野郎"の烙印を押されかねない。

 

良かった。まだ火澄がこの事を知らないのなら、先手を打って誤解が生じないように状況を説明でき…………………………あ、あれ?うまく説明できるのか?これ……。

 

だって、丹生との関係を偽りなくそのまま説明できるわけねぇし。必ず嘘を付かなきゃならない訳だ。この案件をこの俺が綺麗に問題なく解決できるだろうか……。全く想像できない。うわ、どうする?これ。

 

 

 

結局は。折角、事前に選択肢を与えられ、対応がとれる機会を手にしていたのに。俺は"その時"が来るまで何も実行に移さなかったのである。下手に突っ込んでヤブヘビが怖かったのもあった。だが、世の中そんなに甘くない。やはり怠惰な人間には当然、それ相応の厳しい試練が訪れるものらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聖マリア園を訪れて幾数日。俺がヘタレて手をこまねいている中にあっという間に時は過ぎ、一端覧祭が始まっていた。そのうちに、だいぶ落ち着いたらしい火澄や手纏ちゃんからお誘いが有り、俺は"学舎の園"の近くの行きつけのカフェへとやって来ていた。

 

到着したのは火澄と手纏ちゃんと初めてお茶をした思い出深いカフェテリアである。一端覧祭が始まって何日目だったかな。三日位だろうか。四日目だったっけ?なにせ俺自身は全く一端覧祭には絡みがないから、はっきりとは覚えていない。興味を持つ必要性の無い事に関しては、誰だってうろ覚えになるはずでしょう、と言い訳をさせてほしい。

 

閑話休題。俺が今居るカフェテリアはこの中学生活の間に、火澄達と会う時にわりと使われた店だった。お店のメニューももう少しで完全制覇できそうな塩梅だ。"学舎の園"のゲートから近い場所に位置しているから便利だったのさ。

 

屋内には2人の姿は見つけられなかった。それならテラス席だろう。すっかり指定席と成りつつある、入口から最も離れた南側のテーブルに、彼女たちの姿を発見した。

 

 

 

「なんか久しぶりだなぁ。2人ともちょっと元気ないね。よっぽど大変だった?一端覧祭の準備?」

 

火澄と手纏ちゃんは既にくつろいでおり、俺のことを待ってくれていたようだ。手纏ちゃんはテーブルに突っ伏して何だかお疲れのご様子。こんなにダラけた手纏ちゃんの姿、初めて見るかもしれない。

 

「アンタは相変わらず、いつ見てもピンッピンしてるわね。羨ましい」

 

邂逅一番に愚痴を漏らすとは、火澄さんもご機嫌という訳では無い様子。一方の手纏ちゃんは俺の声を耳にした途端にビクッと起き上がり、いそいそと姿勢を正した。

 

「こ、こんにちはですっ。景朗さん」

 

おお。何というか、手纏ちゃん、疲れと羞恥と無理矢理に浮べた空元気の笑顔が混ざり合って、今まで見てきた中で最高に面白いお顔になってますよ。

 

「お疲れ様、手纏ちゃん……俺の学校は一端覧祭無いけどさ、どうやら、やるのとやらないのとじゃ学生にかかる負担は大違いみたいだね」

 

「は、はいー。景朗さんの仰る通り、私もそう思います。ちょっとだけ、景朗さんが羨ましいです……」

 

だ、大丈夫かな、手纏ちゃん。火澄は彼女を労わるようにそっと紅茶を彼女の空になったティーカップに注いでいた。しかし、観察する限り、火澄の方も手纏ちゃんに負けじと劣らず疲れているようだけれども。

 

そう、そうなのだ。彼女たちは一端覧祭が開催され、準備してきた催しをやってのけるまで、のっぴきならぬ忙しさの中に浸かっていたのだ。丹生が聖マリア園へ突撃したのは火澄達が最も忙しい時期だったはず。必然、火澄に聖マリア園へ帰る暇など無かっただろう。

 

俺が今日、彼女達に会うまで丹生の件に手を打たなかったのは時間的余裕があると踏んでいたからなのさ。た、単にヘタレてしまってただけじゃないんだよ?

 

「深咲が一番の功労者。景朗の言う通り、お疲れ様。でも、今日でやっと終わりじゃない。一息つけるぅー、嬉しい」

 

う~ん、と火澄は両手を上げ、大きく伸びをした。手纏ちゃんも同意し、はふ、と息をつく。

 

「はいー。終わりましたぁー」

 

何のことだかさっぱりわからない。疑問符を浮かべたままの俺に、火澄が徐にパンフレットを渡してくれた。これは……常盤台中学の一端覧祭のプログラムか。催し物のアウトラインが小奇麗に羅列してあった。全然関係無い話になるが、火澄が今ぞんざいに扱ったこのパンフレット、オークションに出せば万札に化けるぞ、間違いなく。

 

「常盤台校水泳部の欄を見てみて」

 

火澄に言われた通りに、パンフレットに目を通す。

 

「えっ。常盤台中学校水泳部によるシンクロナイズドスイミング……。うわあっ!見たかったなぁ、これ!手纏ちゃん出てたんだろ?!なんで教えてくれなかったんだよッ」

 

「アンタに言ったって無駄じゃない。いくら"学舎の園"が一般開放されてると言ったって、入れるのは女の子だけなんだから」

 

火澄のジト目にたじろぐ事無く、俺は食いついた。

 

「それじゃさ、ほら、動画とか撮って無いの?!いや撮ってない訳無いよな?」

 

「あ、あの、それは……そのぅー……」

 

そう言って手纏ちゃんを見つめれば、彼女はもじもじと恥ずかしそうに俯いて視線を逸してしまった。横で火澄は大きなため息をつく。

 

「はぁー……。アンタみたいな連中にだけには絶対に動画が渡らないように、"学舎の園"の中は専門のスタッフ以外の撮影が全面的に禁止されているんですぅ」

 

「おあ!?やりすぎだろそれは。例えば"学舎の園"に娘や兄妹が通っている父兄はどうすればいいんだよ?」

 

「セキュリティ上仕方がないわよ、ある程度は。一端覧祭は大覇星祭と違ってそこまで"干渉数値"の制限がキツくないから、どこだって学生の能力を存分に使ったイベントをやりたがるでしょ?ウチ(常盤台)みたいな学校になると割と機密ギリギリまで能力を活用しちゃうから、そういう意味でも対策が取られているの。でも、まぁ、確かに折角頑張って準備したイベントだしね。アンタがそこまで見たがるなら後で特別に新聞部の人達が撮った動画見せてあげる」

 

 

やりぃ。見せてもらえるのか。喉から出かかっていた「シンクロナイズドスイミングやったらしいけどカナヅチの火澄は一体何をやってたの?」というツッコミは入れないでおこう。

 

 

「なるほど。手纏ちゃんが"一番の功労者"ってのは……」

 

俺の推論に火澄は同意して頷き返してくれた。手纏ちゃんはあいも変わらず照れたままだ。

 

「そうよ。"泡"を使った視覚効果、部員への酸素供給、そういう風に能力を酷使しながら"シンクロ"をやるのだから、深咲の負担はとてつもなかったはず」

 

うわあ、それは聞いただけで大変そうだなぁ。練習もどれほどやったのか。よく投げ出さなかったなぁ。常盤台はやっぱり伊達じゃないな。

 

「今までで一番大変でした。も、もうやりたくないですぅッ!」

 

手纏ちゃんにここまで言わせるとは。しかし、俄然興味が湧いてきた。後で絶対見せて貰おう。疲れた様子の2人だったが、一緒に彼女たちの達成感と開放感もこちらに伝わってくる。暗部で四苦八苦している俺には、2人がとても眩しく、犯し難い存在に思えてならなかった。

 

「うーぬ。よしんば霧ヶ丘が一端覧祭をやれたとして、火澄や手纏ちゃん達みたいに生徒同士で協力して連携を取れそうにない。想像できない。てか、そんな和気あいあいの霧ヶ丘なんて霧ヶ丘じゃないなぁ。ははっ」

 

「そっちはそっちで一度拝見してみたい校風みたいね……」

 

火澄の漏らした感想を聞いて、ふと考えた。そもそも霧ヶ丘付属中学に他校の生徒が見学に来れる機会なんてあるっけ?……無いぞ。皆無だ。おいおい、常盤台に男も入れろだなんてツッコミを入れる資格無いんじゃないの。

 

「はぁー。しかし、色んなイベントやってんだな。よくよく考えれば、小学校以来この手の行事に参加してないぞ。さすがに羨ましくなっちゃうね」

 

手持ち無沙汰に眺めていたパンフレットに、ひとつ気になるものを見つけた。

 

「んん!?ええと、ラ コントラディ…ツォン?呼び方わからないけど、この常盤台生の有志が運営してる喫茶店、めっちゃ気になる!」

 

火澄はああ、やっぱりね、といった表情を浮かべていた。俺の反応は彼女には予想通りだったらしい。

 

「それ、ラ コントラッディツィオーネって言うそうよ。気になる?」

 

「もちろんだ。常盤台中学御用達の最高級コナコーヒー使用。常盤台のセレブなお嬢様、その中の有志がこだわり抜いた厳選のコーヒーを提供とな。ふむふむ、注目は通常は表層が深煎り、深層が浅煎りとなる豆の焙煎過程を能力を使って真逆にした……な、に。マジかよ、スゲッ。ほぼ全ての工程に現代の産業技術では加工不可能な処置が施してある。うおお。能力者が浸透圧を弄って抽出し、粉砕過程ではテレキネシストがマイクロスケールでの調整を加えます……。そ、そうか。La Contraddizioneってイタリア語で"矛盾"て意味か。な、なあ、手纏ちゃん……お願いが」

 

「迷わず深咲に言ったわね。聞くだけ聞いてあげるけど、何?」

 

何故か火澄が答えを返す。お前には聞いてないんだよッ。どうせ無理筋だし。

 

「は、はい。なんでしょう?」

 

きょとん、としている手纏ちゃんへと身を乗り出し、力強く頼み込んだ。

 

「女装してこの喫茶店に行くからさ、手伝ってください!」

 

「ふぇっ?ふえええええええええええええええ??」

 

手纏ちゃんは驚きの声をあげ、火澄は呆れかえった。

 

「想像の斜め上の答えが返ってきた。景朗、それ冗談キツいんですけど。アンタみたいな脳筋が女装できるわけないでしょ。さすがにもっとマシなお願いかと思ってたわ」

 

 

いや冗談に決まってるだろ。毎年続出する"学舎の園"に侵入しようとした不審者の末路に関する、都市伝説まがいの噂には事欠かない。中には"学舎の園"のセキュリティを論った定番ジョークのように扱われる話だってあるしな。受験の時期には、失敗して投げやりになった男子学生が「ちょっくら今から"学舎の園"に侵入してくるっ」って言い出す光景がよく見受けられる。

 

さて、ドン引きの2人の顔を十分に堪能できたことだし。

 

「まあ、当然冗談さ。ジョークだよ。……血泪が溢れ出そうなほど悔いが残るけれどもな。是非ともその場で味わってみたかったが不可能だ。まぁだからさ…………ぅお願いしますッ!何とかテイクアウトで入手してきてくださいませんかぁッ!」

 

俺はそう言い終わらぬうちから勢いよく頭を下げ、ゴツリとテーブルへ額をくっ付けた。

 

「フッ。そうくると思ってた。いいでしょう、景朗。アンタのお願いを聞いてあげても。ただし、こちらが提示するそれ相応の条件を飲んでくれれば、だけど」

 

圧倒的高位の立場からの発言だった。火澄は鬼の首を取ったように一瞬で表情を引き締め、俺は彼女から、思わず凍えそうなほどの冷徹な眼差しを向けられた。

 

「な、何故コーヒー1杯にそれほどの覚悟を要求されるのか理解不能ですが、どんな条件だろうと飲み下して見せよう。このLa Contraddizioneのエスプレッソを味わえるのならばッ」

 

視線を上げて彼女達の反応を窺った。火澄が手纏ちゃんへウインクをひとつ投げかけると、手纏ちゃんもおずおずと頷き返した。そして、手纏ちゃんは喉をごくりと鳴らし、2人して真剣な面持ちを維持しつづけた。

 

……なにゆえ、コーヒー1杯でかやうな反応を召されるのでせうか?そこのところにツッコミを入れたいのはやまやまだったが、機嫌を損ねられては堪らない。俺はひたすら下手にでていく所存である。

 

「ささ、早くその条件とやらを聞かせてくれよ」

 

「それじゃ、聞かせて。丹生多気美さんって、景朗のカノジョさんなの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ん?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あい?……………………………なぁーんだ。そんなことかー。いやいやいや、カノジョなんかじゃねーよ、あんな奴。はい、これで質問には答えたな。そんじゃ後日、エスプレッソをよろすくおながいしま」

 

恐怖で正面の2人とは目を合わせられなかった。何故か無意識のうちに小さな物音ひとつたてぬよう気を配りながら、草食獣が肉食獣からそろそろと後退していくが如く、そろりと席をたとうと試みたが。

 

「逃げたら燃やす」

 

「おーらい」

 

中途半端に浮かせていたケツを降ろし、椅子に座り直した。火澄は大変お怒りの様子。両手は膝の上にそろえてお行儀よくしておきましょう。

 

「雨月被告人。貴方には『カノジョにカマけて被害者兼原告である仄暗と手纏両名との約束を反故にし続けた"最低ドクズ野郎"』という嫌疑が掛かっています。貴方はご自分で十分に理解しているはずですよね?」

 

テーブルの上に腕をのせ、手を組んでその上に顎をつけ、某超法規的組織の司令のように凍てつく眼光を放ってくる火澄。手纏ちゃんも恨めしそうに俺を見つめていた。その冷たい相貌に反して、火澄の口ぶりからは彼女が怒った時に本来見せる気炎万丈な猛々しさが表に出かっかっていた。

 

「被告人はさらに前述の一般の女子中学生に対して淫らな行為に及んだとされ、率直に申し上げれば学園都市の淫行処罰規定に抵触した疑いも掛けら

 

 

おいッ!何を言い出す!やめろ!手纏ちゃんも顔を赤くして恥ずかしがってるじゃないか!だがしかし、何と言うことだろう。火澄は鉄面皮を崩しもせず、決して臆すことなく次々と俺に追及してくる。俺は彼女の言葉を遮り必死に抵抗した。

 

「い、異議あり!突然何を言い出すんですかッ!言いがかりだ、そんなもん!一緒に飯喰っただけで何でそうなる!って、あ……」

 

畜生、余計な情報を与えてどうすんだよ俺の馬鹿。

 

「ふーん。そうなんだ。被害者とは仲がよろしかったんですね。それじゃ、被告人に"本当のところ"はどうだったのか証言して貰いましょうか」

 

 

ど、どうしよう。コイツ等知ってたよ。コーヒーがどうとか言ってる場合じゃねぇ。一転して、最も恐れていた最悪の事態に陥っているぞ!

 

あぁぁぁぁぁぁなんで知ってんだよ君たちぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。しかも煩わしい形で誤解してるし……。丹生がカノジョじゃないってのは正真正銘真実、本当のことなのに。それだけ説明しても問題は終結しそうにない。俺が暗部の任務のためにバックレた、2人との約束を破った理由を言わなきゃ納得して貰えなさそうな状況になってるうう。

 

 

「ま、まずは弁護士に電話をさせてくれ」

 

時間を稼がないと。まともな言い訳を考える時間を。この場を治めるナイスなアイデアを思いつく時間をッ。

 

「どうぞ、ご自由に。かけれるもんならね。誰に助けを求めるつもりなの?」

 

そんな奴いないじゃん。俺にはこの状況から俺を助けてくれそうな知り合いなんていなかった。助言を与えてくれそうな人の心当たりすらない……いや、1人いるか。丹生さんだ。あーでもわからないんだよな、丹生さんは。事態を余計に引っ掻き回すだけ引っ掻き回して自滅されてしまうかもしれないし。さりとて、彼女がこの状況を動かしてくれる選択肢であることには違いなさそうだし。

 

落ち着け。まずは落ち着こう。俺はこの状況を予想してなかったワケじゃないだろ?そう、そうだよ。正直面倒臭くて後回しにしてたけど、一応矛盾しない言い訳を考えたりしてたじゃないか。

 

プランA:『いつぞやのように厳かに沈黙を守り通し、真剣に、真摯に、正直に、それは説明できないと説得する』

 

いかん。これは言い訳ではない。この状況でそれをやるのは本当にツラそう。できれば他のプランにしたい。

 

プランB:『実は丹生は借金に苦しみ、泣く泣く違法風俗で働く風俗嬢だった。俺は彼女のお店で働く、お客さんがゴネたときに代わりにお話を聞いてあげる係の人。色々と法律スレスレってかもろアウトだから話すに話せなかったんだ、HAHAHA!』

 

こんな嘘付いたら燃やされる。マトモな言い訳考えつかなくて1人で妄想して笑ってたクズみてえな案だ。どうして人間って、よりにもよってこんな切羽詰った時に限ってこんな下らない事ばっかり思い出すんだろうなぁぁ。

 

プランC:『丹生に丸投げする。だってコイツが元凶じゃん』

 

そうそうそうその通りじゃん。俺のせいじゃないよ、この状況。丹生がオイタしたせいじゃんかよッ。もういっそ丹生んとこ連れてって巻き添えにすりゃ……。できればほかのプランで。

 

プランD……プランD……あああプランDってなんだっけ、てかプランDとかそもそもあったっけあああ。

 

矛盾しない言い訳なんて考えてなかったアッー。そうだよ、考えついてたら俺だっていくら怠け者だろうと、こうなる前にその手筈通りに手を打てていたはずだろッ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

救いを求めて手纏ちゃんの対応を確かめた。なんと、彼女は何だか俺以上にハラハラとした顔色だった。いろいろ葛藤に悶えてそうな様子だ。変だな。どうして手纏ちゃんが今のこの空気でそのような表情を浮かべる必要がある?

 

もしかして、俺の尋問に乗り気なのは火澄だけで、手纏ちゃんは救いの女神となりうる存在なのではなかろうか。その可能性、ゼロではない。

 

「さ、最初にそっちが質問した内容には答えただろ。丹生という女の娘とは唯のお友達です。神に誓って。これは本当のこと。揺るがない」

 

「そもそもアンタに同級生の、しかも女の娘の友達ができるということ自体が疑わしいんだけど」

 

火澄に一蹴される。はぁ?もう、なんなんだよッ。

 

「だったら、俺にカノジョができるだなんて、むしろそっちのほうこそ疑わしくない?ねえ、なんでカノジョのくだりは都合よく信じちゃうのッ?教えてー?!」

 

火澄は嘆息しつつ、本人も半信半疑といった態度でその理由を語りだした。

 

「それが、クレア先生と花華が景朗にカノジョが出来そうだ、わざわざウチ(聖マリア園)まで訪ねてきたぞ、うかうかしてられない―――こほん。それが、クレア先生達が実際にアンタのカノジョらしき女の娘を目撃したって言うものだから、信じるしかないのよ。どんなに疑わしくとも」

 

 

花華さん、今度諭吉さん返してね。彼の命が儚く散っていないことを切に願うよ。

 

 

「火澄さん、さっき言いかけた『うかうかして』の続きをちゃんと

 

「うるさい死ねっ」

 

 

ぐはあっ。久しぶりに火澄に死ねって言われた……。

 

 

「やっぱり自分から素直に話す気はないみたい。深咲、プランBよ」

 

「へぅっ。ほほほ、ほんとに言わなきゃダメですか?火澄ちゃん?!」

 

少しだけ張り詰めていた緊張を緩ませた火澄は、僅かに慌てながら手纏ちゃんと次の手に討って出るつもりらしい。

 

「これは深咲にしかできないことなの」

 

「……わかりました。景朗さん、ごめんなさいぃぃ」

 

 

俺へと向けた、申し訳なさ、恥ずかしさ、そしてやるせ無さを代わる代わるブレンドさせて、手纏ちゃんは表情をころころと変えつつ、息を飲み込んだ。何の前触れだ?え?なんなの?なんなの?プランBって?

 

 

 

「『い、いい加減本当のこと話せよ、最低男』……」

 

 

 

キリッと俺を睨み、刺々しく、今まで俺が見たこともないほど荒々しい物言いで、手纏ちゃんが暴言を吐いた。

 

「え?たまきちゃ……」

 

 

 

「そ、『そろそろキレんぞ、クズ。何回約束破れば気が済むんだよ。ぶっちゃけアンタのやってることマジで有り得ないから。本音言っちゃうとさぁ、次また同じことされたら本気でアンタのこと"切る"つもりだから』……ぅぅッ」

 

 

 

手纏ちゃん、凄まじい顔だ。それでも、やはり暴言を発するうちに本人の怒りのボルテージも僅かに上昇しつつあるらしく、羞恥と怒りと覚悟がごちゃまぜになった顔。それでも、やっぱり可愛い顔付の名残はまだ残っているから、俺は……俺は……。

 

 

 

 

 

 

「『さっさと謝れよ、こっこっこッコッコッこッのッ、チン○スゥーーーーーッ!!!!ウドの大木!タマ無し野郎ーーーーーッ!!!』ぅぅぅ」

 

 

 

 

嘘だ。手纏ちゃんじゃない。俺の手纏ちゃんはこんなこと言わない。ああ、でも、なぜだろう。恥ずかしそうに、羞恥の極みの中それでも一生懸命に頑張って、俺に下品な単語を連呼する手纏ちゃんは見ていてゾクゾクして来る…………これが、天使?

 

やはり一番仲が良いはずの火澄にもインパクトは絶大だったらしい。彼女が口にした「ホントに言っちゃった……」というつぶやきも耳に入ってこない。

 

「ひ、う、『いつもいつも人の体をジロジロ眺めてきやがってッ!この変態!毎度毎度姿くらまして何してやがんだよっ、どうせ家に帰ってせんずりこいてんだろカスッゥ』うぅーーーーッ!……」

 

気がつけば、手纏ちゃんの叫びにテラスにいる周りの生徒たちも物珍しげに俺達3人を観察していた。衆目に敏感な手纏ちゃんがこのことを察知していないはずがない。きっと本人も現状は把握しているはず。それでも。

 

「ぅぅッ、おおおお『おらぁ話せよ最後のチャンスだぞゴミクズゥッーッ!!じゃなきゃテメェーは一生ぉおお、お、お、お、お、お、お、オ○ニー野郎で決まりだぞこのやろぅーーーー!!!』ぅぅーっ!ですぅーーーーーッ!話すんですぅぅぅぅぅぅぅーーーーーーー!!!」

 

ついに手纏ちゃんは言い切った。いや、俺も某かの言葉を返したいよ。でも、今この場の空気は完全に凍りついている。喉からは渇いた空気が音もなく漏れ出るのみだった。しーん、という静寂の中、手纏ちゃんは涙目で必死に俺に食いついてきた。

 

「はっ、話すんですぅーーーーーー!!!」

 

「…………」

 

たった1人、手纏ちゃんの叫びが響き渡る。そんな目で見ないでくれ、手纏ちゃん。俺だって話したい。話したいんだけど声が出ない。身動きすら取れない。この空気の中では。この雰囲気の中では。実のところ、きっと火澄も喋りたくとも喋れないんだと思う。時が止まっていた。

 

 

「は、話すんですぅ…………。……話し……ぅぅ……」

 

 

 

「……………………」

 

 

「……………………」

 

 

なんという気まずい沈黙。外の喧騒からはガヤガヤと「あら!?"火災旋風"のお二方!?」との話し声が。

 

 

 

 

 

 

やがて、空気に耐えられなくなった手纏ちゃんは勢いよくテーブルにつっぷし、縮こまって動かなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すっかりと外野に興味をもたれてしまい、こそこそと覗き見されていた俺達3人は、しばらくの間ずうっと。そのままの姿勢で硬直したまま、延々と言葉を発すること無く沈黙を維持し続けた。というよりは、金縛りにでもあったかのように、動き出すことが出来なかっただけだったのだが。たぶん火澄も似たような感じだったんだと思う。

 

そのうちに、こちらを観察していた見物人や他のお客さんが興味を失っていき、また元通りのざわめきがその場に舞い戻った。

 

 

俺達3人の静寂を打ち破ったのは、やはり火澄だった。急にずぞぞ、と椅子ごと体を伏したままの手纏ちゃんへと寄せて、耳元でごにょごにょと彼女を慰め始めた。俺はというと、突然動き出した火澄に驚き、反射的に身体がビクついていた。だが、そのおかげで俺の金縛りも解けたみたいだ。

 

 

手纏ちゃんのぐずり泣きをBGMに、火澄は彼女とひとしきり会話を続けた後、おもむろに俺を見やると、やや後ろめたそうに、一言口にした。

 

「あーあ。景朗が深咲を泣かせちゃった」

 

 

「……はあっ!?なんだその責任転嫁はッ。俺は公衆の面前で散々罵倒された挙句、事後の責任まで負わされなきゃならないのか?!」

 

俺の反論などまるで意に介さず、火澄は再びこそこそと手纏ちゃんと内緒話を始めやがった。おまけに、俺が言い返した後すぐに、手纏ちゃんのぐずり泣きのボリュームが微妙に上がっている始末。

 

口を尖らせた火澄が再度俺へと向き直り、キッと顔をしかめて更なる文句を継ぐ。

 

「景朗。今ならアンタが私たちに隠してる秘密を正直に打ち明ければ、特別に深咲が許してあげるって言ってるわよ!」

 

 

そう来ますか。どのような状況に陥ろうとも全力で自分の都合のいいように持って行きやがって、この女、悪魔か。お前だって手纏ちゃんの勢いに固まってたじゃないか!今さっきのは彼女にとっても絶対に想定外だったはず。なんという切り返し……。こうなれば……。

 

俺は降参しましたよ、と言わんばかりの大げさな溜め息をつき、火澄の意識をこちらへと向けさせた。時を同じく、突っ伏した手纏ちゃんの曇った泣き声が、ほんの一瞬だけ、停止していたのも確認する。あ、手纏ちゃんこれ間違いなく聞き耳立ててやがる。チッ、やはり罠か。最初の方は手纏ちゃんもガチで泣きそうだったしな。途中から持ち直したんだろう。

 

 

 

「……分かりましたよ。腹をくくりましょう、私も。だが、その前にひとつ!聞かせて欲しい」

 

俺の要求に、火澄はもどかしそうに、早く言いなさいよ、とでも言いたげな視線を送って来る。

 

「手纏ちゃん、さっきの罵倒、ご自分で考案されたんでしょうか?誰か別の人が考えたのか、それとも手纏ちゃんが自分で考えたのかで、俺はもう先程の手纏ちゃんの啖呵を何故咄嗟に録音できなかったのか一生悔やみ続けるかどうかの瀬戸際にオワアッ!!!」

 

俺が全てを言い終える前だった。ボッ!という軽い破裂音とともに、俺が注文したまま手付かずにプレートの上に乗っかっていた、やたら長い名前のスコーンから煙が立ち上がっていた。蒼い焔。火澄の能力だ。

 

「わ、わ、水。水ッ」

 

みるみる蒼い焔は燃え上がり、スコーンを真っ黒に染めていく。夢中になってあたふたと水差しの水をスコーンにぶっかけたものの、全く効果が無い。だ、駄目だ。もうスコーンは手遅れだ。もったいなあ、これを食せば、この店のスコーンは全種類制覇していたのに。

 

「さいッてーだわ。デリカシー無さ過ぎ」

 

呆れを通り越して殺意すら身に纏いつつある火澄さんから、軽蔑を受けた。いつの間にか起き上がっていた手纏ちゃんとも目が合う。彼女はぷくりと頬を膨らませ心なしかお怒りモード、可愛い。

 

「あー、その、な。手纏ちゃん」

 

手纏ちゃんは黙したまま、じとーっとした目つきでこちらを見つめていた。目元と鼻頭がピンクに染まっている。

 

「正直、良かったよ。さっきの。最高にゾクゾクした」

 

今度はコーヒーだった。俺のエスプレッソがその小さなカップの中で突如、水蒸気爆発を生じさせた。飛来した熱いコーヒーの飛沫が俺の顔面を襲う。火澄の能力だ。

 

「熱ッ!がああッ!」

 

なんせ沸騰寸前の温度だ。熱さと痛みを同時に感じる。火澄はもはや無表情だった。

 

「あら?どうしてそんなに熱がるの?景朗だったらなんともないでしょ?」

 

まままマズい。調子に乗りすぎた。もうこれ以上は怒らせてはいけない。手纏ちゃんも怯えている。

 

 

「すみませんでした。調子乗ってました。もうここからは巫山戯ません」

 

「むぅ……ごめん。すこしだけやりすぎたかも」

 

すこしだけ……?一般人ならそこそこ問題になる気が……。皆押し黙り、寸秒間が空いた。空気を読む。2人して言いたいことを我慢し、必死に口を噤もうと努力している風に見える。どうやら2人はこれ以上俺の冗談に付き合ってはくれなさそうだぞ。年貢の収め時がいよいよ迫りつつある……。

 

「わかった。話すよ。ただ、その前にお昼ご飯を……」

 

尚も諦め悪く、ここに来てまだ別の提案を挙げる俺に対して、火澄は睨み、手纏ちゃんは頬をふくらませた。

 

「待って待って!聞いてくれ!そろそろお昼も頃合だし、お腹が減ってると皆いつも以上にイライラするだろ?絶対に逃げないと約束するし、その場で食べながら話をするから!」

 

 

しぶしぶといった様子で2人は納得してくれた。やった!狙い通りにいったぞ!まだだ、まだこれからが重要だ。抜かるなよ、雨月景朗……!

 

「それじゃ、さっさとここで済ませましょ?」

 

そうは行くか。ここでは都合が悪いんだよ。

 

「いやいやいや、ちょっと待ってくれ!実は、今日2人を誘おうと目星をつけていたところがあってさ。折角だから、そこにしない?同じ第七学区、ここから近いお店だから安心してくれ。もちろん俺の奢りだから!」

 

 

火澄と手纏ちゃんは互いに目配せし合うと。

 

「私は構いませんよ、火澄ちゃん」

 

「はぁ。わかった、それでいいわよ。で、何処なの、そこ?」

 

素晴らしい。良かった、2人共承諾してくれて。

 

「ああ、それじゃ行こう!いざ、旭日中学!」

 

俺の告げた行き先を聞いて、彼女達は不思議そうに疑問符を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日は、雨月景朗にとっては厄日だったに違いない。日が出ている間は友人たちに責められ、追求され、彼は半日、そのほとんどを彼女達への必死の弁明に費やす羽目になった。しかし、悲しいことにそれだけでは終わらなかった。その日の夜更け。今現在、彼は件のプラチナバーグの部隊へと移籍した"オペレーターさん"に緊急の呼び出しを受け、押っ取り刀で深夜の第一学区へと馳せ参じていた。

 

昼間にあれほど騒動に巻き込まれた彼には、この急な出動は相当なストレスとなったに違いない。しかし、拒否権を持たぬ身である雨月景朗には、どうすることもできなかった。大人しく、これから属することになるであろう部隊の"初指令"を受け、うなだれる同僚、丹生多気美を連れてプラチナバーグの戦闘部隊との合流を目指していた。

 

 

彼らが現在位置する第一学区は、学園都市圏の中央に位置し、学園都市の行政機関が集中する学区である。基本的に学生達が住みやすいようには設計されておらず、学園都市に住む大多数の人々にとっては生活感しづらい所でもあった。その特徴は顕著に見られ、すぐ隣の第七学区では通行人の大多数を中高生が占めているのにもかかわらず、ここ第一学では彼らの姿を目にする機会は非常に稀である。特筆して、この深夜の時間帯には。

 

学生が多く住まう学区では、一般的に一端覧祭の開催期間中は夜間に外出する学生の数が平時の数倍に跳ね上がる。昼間の勢いに乗ってハメを外し深夜まではしゃぎ続ける学生や、通常時のカリキュラムでは起こりえない、異なる学校の生徒との交流によって乱造された急増カップルが無差別にあちらこちらに出没し、そして彼らが不良無能力者集団(スキルアウト)を呼び寄せ、各々が警備員(アンチスキル)と諍いを撒き散らす。

 

しかし、ここ第一学区はやはり一般の学区とは比べられる訳もなく、当然のように例外であった。隣接する第七学区で頻発するような騒がしい事態は全く見受けられない。さりとて、これが通常の第一学区の夜の姿かと言えば、それも違うと言わざるを得ない。

 

先述の通り第一学区は学園都市の行政を一手に請け負う、政庁の役割を担う学区である。つまりは、学園都市の意思決定機関の頂であるところの、学園都市統括理事会の膝元となる。それ故に、他の学区とは一線を画した厳重な警備が敷かれているはずなのだが。打って変わって、一端覧祭の開催期間真っ只中である現状では、常日頃巡回している警備員(アンチスキル)の数も、他の学区の騒動の解決に追われているせいか大幅に減少していた。

 

 

 

 

「よく二十三学区と比べられてるけど、やっぱ雰囲気違うな、第一学区は。いや、それだけじゃないな―――」

 

今の暗部業界の動向がはっきりとわかる、と続けるつもりだったが、最後までは口にしなかった。夜の第一学区は奇妙なほど静かだった。俺の第六感が今なお現在進行形でこの学区の何処かで行われているであろう、凄惨な暗闘の残香を嗅ぎつけているのだろうか。俺はピリピリとした、ざわついて落ち着かなくなる空気を肌で感じ取っていた。

 

俺と丹生は、迎えに来てくれたプラチナバーグの部隊の車から降りて、目的地である、今回の任務の拠点となる大型のトレーラーへと向かった。

 

後ろを付いてくる丹生を振り向き覗き見れば、彼女は不安そうな顔を隠しもせず、心配そうに俺を見つめ返してくる。彼女が僅かにでも安心できればと思って、不敵にニヤリと笑いかけた。それを見た丹生は少しだけ呆気を含み、ふぅ、と息をついて気を張り直した。

 

 

トレーラーの中へ入ると、これから世話になるであろうスタッフとの挨拶も碌にできぬままに、ヘッドセットと端末を渡される。すぐさま、ヘッドセットからは聞き覚えのある、オペレーターさんの声が響いてきた。

 

『申し訳ないわね。急に呼び出して』

 

意外にも、その台詞からはこちらに対する申し訳なさを感じ取れた。"上"からの命令だし、気にしてくれなくていいんだけどな。

 

「かまわない。余計なことは省いて、大事なことだけちゃっちゃと教えてくれ。こんな急に俺を呼び出したってことは、それだけの事態が起きてるってことなんだろ?」

 

『理解が早くて助かるわ。今回、そこで貴方達にやって貰いたいのは、一言でいえば、"プライム"と彼のゲストを狙って来る暗殺者の排除よ』

 

 

 

オペレーターさんの説明によると、今、俺たちが乗車するトレーラーの近くのホテルでは、"プライム"ことプラチナバーグ氏が学園都市外来のゲストとコンタクトを取っているらしい。詳しいことはまだ聞けてはいないが簡単に説明すると、情報部の調査から、この機を狙ったプラチナバーグ氏暗殺の依頼が数件、暗部の殺し屋どもに受注されていたことが発覚したらしい。恐らくは敵対している統括理事会のメンバーが放った暗殺者だろうと言っていた。

 

プラチナバーグを死守するのは当然のことだが、更に問題となるのが、もし彼が今交渉を行っている外部の来客にまで危害が及んでしまった場合だ。プラチナバーグ氏の面子に傷がつき、危うい立場に立たされる上に、彼にとって有力な外部とのコネクションも失ってしまう事態に陥りかねない。

 

 

今、現場となるホテルではプラチナバーグ直轄の戦闘部隊"ポリシー"が護衛対象に密着して警護しているとのこと。もちろん周辺にも手広く人員を配置して敵襲に備えているらしいが、如何せん、今回の任務では、プラチナバーグ氏の交渉相手や彼らと関わりのある来賓がいるために、カバーすべき対象が通常より広くなっているのだろう。そのため、警備網が手薄になっていたり、戦闘員が不足しているのでは、と俺はそういう風にこの状況を推察していた。

 

急遽俺たちが呼ばれたのは、恐らくは不測の事態に対するバックアップのためだろう。最近は、どこの統括理事会メンバーの私兵部隊も度重なった内輪もめによる戦闘で人員不足、人材不足に陥っている、という"人材派遣"の情報はどうやら正しかったみたいだな。慌ただしく任務に走る構成員の姿を目にして、より一層そのことに確信を持ちつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

状況が動いたのは、というより敵の強襲が始まったのは、俺と丹生が同士討ち(フレンドリーファイア)を避けるための簡易なレクチャーを受け終わった直後のことだった。

 

あちこちから続々と、交戦を知らせる通信が入ってきた。丹生は色めき立ち、がたりと立ち上がったが、俺は彼女に落ち着け、と言わんばかりに姿勢を楽にし、だらけた格好で座りなおした。俺たちは一番の新参者である。事態を混乱させないため、余計に引っ掻き回さないために、基本的にはオペレーターさんの指示に従うことになっている。

 

今はただ、オペレーターさんの命令を待っていればいい。ただ、今の交戦状況を知らせる通信だけは聞き逃さないように集中しつつね。

 

襲撃してきた相手もやはり単なる素人集団ではなかった。断片的な通信を又聞きしていただけだが、なかなかにこちらの部隊は翻弄されていた。

 

 

 

突如、プラチナバーグ氏が会談を行っていたホテルと、周辺のホテルの電源が落ちた。すぐさま連絡を密に確認を行えば、どうやらホテルで歩哨に当たっていた隊員数名からの連絡が途絶えていたようだった。

 

照明の消失とほぼ間が開かずに、今度はホテル周辺の建物をカバーしていた部隊が強襲を受けていく。そして、それから僅かして。とうとうプラチナバーグ氏とゲスト数名を狙った敵の突入部隊が、護衛にあたっていた部隊"ポリシー"と交戦に入ったと報告が届いた。

 

 

 

敵襲を受けた部隊は各地で応戦している。能力者で編成された部隊"ポリシー"は流石であり、優勢に敵部隊を押しているようだった。だが。その"ポリシー"から、突如の悲鳴。

 

 

『新手のスナイパー!"ポリシー3"、被弾!』

 

敵の伏兵の登場。それにより、プラチナバーグ氏とゲスト達、そして護衛部隊は動くに動けず、会談していた会場に釘付けとなった。

 

 

『ッ"スキーム"に伝令!急いで!"プライム"を攻撃しているスナイパーの排除に協力して!』

 

思っていたより早く、俺達に命令が下った。"スキーム"とは、新たに俺と丹生の部隊に与えられたチーム名だ。俺が"スキーム1"、丹生が"スキーム2"である。オペレーターさんから言われた通り、トレーラーから出て、側に控えていた隊員の案内で近くの建物の屋上へと移動した。

 

味方は"プライム"等を攻撃している敵の位置を未だ把握できずにいた。幸いなことに、まだ護衛対象に被害は出ていないが、早く対処しなければ危うい状況らしい。

 

赤外線暗視装置、指向性心拍センサーといった、様々な最新装備を駆使して、味方の隊員達は必死に敵スナイパーの姿を索敵していた。

 

「心拍センサーに反応無し。少なくとも敵は距離200m以上からの狙撃を行っています!」

 

敵の姿を苛立たしげに探していた、そのうちの1人が声を張り上げた。今わかっているのは、現場の"ポリシー"から得られた射角の情報や、周辺に展開している味方部隊の位置情報から、どうやら会場のあるホテルの北西方向に敵が潜伏している、ということだけだった。数は恐らく1人。スナイパーがたったひとりで行動するのは稀なので、数人側に控えているだろうけれども。

 

襲撃して来た敵の規模が想定より多かったらしく、数分後に"プライム"たちを収容するための装甲車チームが来る、と通信が入った。

 

しかし、今の状況では、"プライム"たちの速やかな撤退は難しい。ホテルを取り囲む周辺の建物では今なお歩哨部隊があちこちで敵と銃撃戦を繰り広げている。肝心の護衛部隊"ポリシー"は敵の突入部隊と見えない位置から一方的に攻撃するスナイパーに阻まれ、会場で抵抗しつづけている。

 

確かに、指令が下った通りに、潜伏するスナイパーを殺れれば状況が好転しそうだ。しかし、これほど必死に索敵しているのに、今以て位置が分からないとは。

 

そもそも、学園都市製の強化ガラスや壁材を貫く狙撃なんてどうにもピンと来ないぜ。……いや、そうか。常識で考えてはいけないのか。ここは学園都市、超能力者の街だ。敵部隊に物体の強度を低下させる奴がいるのかもしれないし、スナイパーの方で何らかの能力を行使している可能性もある。

 

 

埒が明かない。いっそ"プライム"の護衛の援護に向かえれば。……いや、その命令が来ない以上、スナイパーさえいなくなれば、"ポリシー"が敵部隊を排除出来るのだろう。敵に増援がいるかもしれないし、装甲車が来る事を思えば、やっぱり敵スナイパーの排除が優先か。随分と腕がいい、敵のスナイパーも。

 

 

俺の横にいる丹生は必死に光学センサーを使い、敵の姿を追っている。そうこうしているうちに、対テロ用に特化された監視用飛行ドロイドが撃ち落とされた。

 

 

俺は何時でも動けるように、唐突に"人狼化"を行なった。それを初めて見る、周りの隊員達にどよめきが生まれたのを全くもって気にかけずに。

 

 

 

 

 

性能が段違いに上昇した、人狼の瞳で周囲をくまなく見渡した。伏兵が居るとされている北西方向を集中して眺めていたその時、ある箇所に微かにだが違和感を感じた。

 

「丹生、アノ場所、アノビルノ左上ダ。アソコ、周リト比ベテ暗スギナイ(・・・・・)カ?」

 

俺の言葉の意味を、丹生は捉えきれないようであった。

 

「え?……景朗、どういうこと?あそこ?……暗くてよく見えない、けど?」

 

違うんだ、丹生。暗さにも程度があるだろ?完全な暗所なんて滅多になく、薄暗くモノが見えることが普通で……。

 

丹生は俺が指した場所へ暗視装置を向けながら唸っていたが、やはり疑問を残したままだった。そう、か。もし、俺の目は普通の人間なんかより、特別上等に色彩を判別できるとしたら。他人と違和感を感じるのも当然となる。

 

俺は今一度眼球へと意識を集中し、気になっている箇所を凝視した。時を等しく、ほんの僅かずつではあるが、それにより視覚能力が上昇していくのを実感していた。より薄暗い色、黒色の判別能力を高めようと試みる。

 

そして、答えが出た。俺が違和感を感じていた箇所を見つめているうちに、はっきりと、そのビルの一角が、まるで絵の具の黒色から光沢だけを取り去ったように、完全なる黒色を呈していると判別できたのだ。

 

月は雲で陰っているが、いくら朧げであるこの月明かりでも、あそこまで暗黒に変性させるものだろうか。俺は有り得ない光景だと思えてならなかった。

 

「オペレーター、出動スル許可ヲクレ。敵スナイパーノ潜伏場所ヲ見ツケタカモシレナイ。確証ハナイ、俺ノ勘ナンダガ」

 

『!?確証が無いとはどういうこと?……ダメよ、それじゃ許可できない。その場所を教えて。近くに展開している部隊に確かめさせる』

 

もし、本当にあの場所に敵がいたら。相手はまず能力者だ。出向いた部隊が返り討ちにあって、敵が潜伏場所を変えてしまうかもしれない。

 

「オペレーター、頼ム。俺タチニヤラセテクレ」

 

『……確証は無いといったけれど、自信はあるみたいね?』

 

「頼ム」

 

オペレーターさんの判断は思いのほか早かった。すぐに、上に許可を要請する、と返した。それほど時間が掛からぬうちに、また彼女から返事が来る。

 

『スキーム1、スキーム2。上からの許可がでた。頼むわ』

 

オペレーターの返信を聞くやいなや、俺は丹生の腕を掴み、何時ぞやのように彼女を背中に背負って、彼女に水銀のロープを俺の体へぐるぐる巻き付けるように言った。急ぐぞ、丹生。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

接敵を警戒していたが、都合よく誰とも遭遇せずに、目的のビルへと一直線に辿りついた。その間、丹生は俺の出す猛スピードに怖がり必死に背中にしがみついていたんだが、その時に背中に当たっていた柔らかな感触には、幸せな気分にさせられたよ。任務中に不謹慎だったけど。

 

敵スナイパーが潜伏していると思われるビルは、やはり電源が落ちてしまっていた。大きな音を立てないように、ガラス張りのドアを力を込めて無理やりこじ開け、ビルの上層、角部屋を含む一角を目指した。

 

丹生に、絶対に俺の背中から出ないように言付け、なるべく足音を立てないように進み続ける。建物内は静かで、一見すると誰も潜んでいるようには見えなかった。

 

エレベーターを見つけたが、停止していた。時間が無いってのに。それからは階段を探して、窓が一面に並んだ廊下を小走りに進む。その時。

 

 

最大限に警戒させていた俺の耳に、微かな人間の息遣いが聞こえた気がした。背後の丹生にフラッシュライトを準備するようにハンドサインを送った。その直後だった。

 

 

外からは、微かな月明かりが溢れ出てくるのみで、もともと室内は真っ暗ではあったのだが。突如いきなり、闇よりもよりいっそうに濃い、完全なる暗黒が廊下一帯を包んだ。

 

それと同時に、トスッ、という鈍い音がして、俺の左胸に何かが突き刺さった。冷たい。金属だ。……ナイフ?

 

考える前に、体が動いていた。丹生を庇うように振り返り、すぐそばの窓のあった所を思いっきり殴った。盛大に音を立てて硝子が砕け散る。俺の目には、不思議な光景が映る。月明かりで微量だが、外には確かに光がある。そのはずなのに。目に映る室内は、すべて。そう、全ての壁面に墨汁をぶちまけたかのように、漆黒に染まっていた。

 

機敏に丹生を抱え上げ、窓の外へ放って、ビルの壁伝いに目指していた部屋へと向かえと叫んだ。また、敵を見つけても決して手を出さずに、もし逃走したら距離をとって追跡するようにとも言うと、水銀を上手く使って壁にぶら下がっていた丹生は勢いよく頷き、焦りながらもするすると壁を登っていった。

 

 

丹生が取りこぼしたフラッシュライトがころころと床を転がっていた。だが、しかし。部屋にはライトが放っているはずの光の痕跡は全く存在しなかった。転がるライトのLEDがこちら側を向いた時のみ、俺の視界に光が入ってくる。その光景は、まるで……まるで、ブラックライトシアターを見ているようだった。もしくは、星空か。

 

暗黒の真っ只中で、目にできるのは。目に映るのは、その真っ暗な部屋で異様に光を放つ光源のキラメキのみ。どれだけ光源が光っていようとも、周りの物体は不自然に真っ暗なのだ。

 

敵を警戒しつつ、床に転がるフラッシュライトを拾った。ライトは問題なく点灯しているのに。目の前を照らそうとしたが、期待した光の柱は物理法則を捻じ曲げられた風に、その存在を消失させていた。

 

右手に持ったライトをあちこちへ向けてみる。だが、なんということだ。そのライトは何ものも照らし出してはくれず、ライトとしての役割を果たしてくれなかった。俺の目に映るのは、暗闇とライトの先っぽに存在する、LEDの光球だけだ。

 

 

嗅覚と聴覚を最大限に励起させ、敵の攻撃に備える。今度は、バス、という軽い音とともに、俺の首に何か細長い棒状のものが突き刺さった。ボウガン、だろうか。俺の脳裏に焦りが生まれたその時だった。

 

 

「オメェ、もしかして"人狼症候(ライカンスロウピィ)"か……?"」

 

その発声が生じたのと一緒に、再び不思議な現象が起きる。突如、俺の体毛が薄らと淡く、白く発光しだしたのだ。先ほどブラックライトシアターと例えたが、これはほとんどそのまま、ブラックライトの蛍光反応と言っていい。俺の体は暗黒の中で、薄らと白く蛍光し、恐らくは目の前の敵にだけ、その姿を現しているのだろう。マズい事態……なんだけど。

 

その現象と一緒に、俺の鼻には数メートル先に立つ男の口臭が届いていた。……あれ?位置がわかっちゃった。……何してんだ?コイツ……。それでも、俺は油断なく、前方に位置する男へと対峙した。

 

 

「ようこそ、俺様の"ブラックライトシアター"へ!おーおー、そのシルエット、まんま狼男じゃん。うはっ、本物の"人狼"たぁ、ラッキーだぜ!こりゃあ大物だぁ!」

 

彼の歓喜溢れる戯言が耳に入った途端だった。コンッ、と何かが床を転がる音を耳にした。反射的にその方向へと視線が向いていた。そして。

 

 

 

強烈な閃光。そして轟音。

 

 

 

敵が放ったのは、閃光手榴弾(スタングレネード)だった。まんまと室内で使われてたせいで、閃光に目が眩み、耳鳴りとともに耳がよく聞こえなくなってしまった。視覚と聴覚、どちらも上限まで鋭敏に励起させてしまっていた弊害だ。だが、だが、しかし。嗅覚はまだ残っている。

 

 

「これで俺様の名が一気に上がるってなもんだぜぇ!」

 

 

何やら敵が喋ってたようだがはっきりとは聞こえなかった。気がつけば首に裂傷を受け、血が噴出する。恐らく、目の前の男は俺の頚動脈を狙ってナイフを振るったのだろう。でも、そんなんで俺は倒せないんだよ。

 

 

勘弁してくれよ。何せ、姿も見えないし音もよくわからないんだ。だから、手加減できそうもない。俺はそう心の中で念じながら、匂いをたどり、俺の背後に回っていた男へと噛み付いた。

 

「があああああああああああああああああああああああッ!」

 

俺に噛み付かれた男は悲痛な叫びを上げて、じたばたと力の限りにもがく。そして同時に、廊下全体を包んでいた暗黒がピタリと消え去った。可哀想だったが、俺は男を咥えたまま、さらに噛む力を強くしていった。やがて、べきべきと骨が砕ける振動が、男を噛み締める歯から俺の脳みそへと伝わった。当然、男は失神して動かなくなっている。

 

俺は血に塗れる男の手と足に手錠を施し、急いで丹生とオペレーターさんへと通信を入れた。

 

「丹生、サッキノ犯人ハ倒シタ。今ドコダ?スグソッチヘ行ク!」

 

『よかった景朗!無事なの?!』

 

丹生の声はか細く、小さなものだった。恐らく、既に敵の近くに忍び寄っているのだろう。

 

「当然ダロ。今スグソコヘ向カウカラ、敵ヲ見ツケテモ俺ガ着クマデ仕掛ケルナヨッ!」

 

『わかってる。早く来て……くッ!敵が動いた!逃げだしてる!』

 

 

チィ!俺が"光学操作"野郎をぶっ倒したのがバレたんだろう。ライトを拾い直し、階段を怒涛の勢いで駆け上がる。目的の場所に着くまでの、そのあいだにオペレーターさんに連絡を入れた。

 

「オペレーター!スキーム2カラ連絡ガアッタダロウガ、敵スナイパー部隊ノウチ1人ヲ今シガタヤッタトコロダ!」

 

『スキーム2から連絡は受けていたわ!お手柄よ、"ウルフマン"!既に敵スナイパーの攻撃は止んでいる!そのまま逃走したスナイパーを捕縛、もしくは仕留めて!"プライム"の収容は上手く行きそうだから!』

 

「スキーム1、了解!」

 

何だかオペレーターさん、興奮しているなぁ。俺のこと思わず"ウルフマン"って呼んでいたし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結末から言えば、その後、逃げ出したスナイパーは屋上へと向かっているようだと丹生から連絡を受けた俺は、屋上に先回りし、難なくそのスナイパーを捕獲することに成功していた。

 

気がかりだった"プライム"と彼のゲストたちの収容も、ほどなくして無事に成功した。"ポリシー"を襲った敵部隊の能力者たちもなかなかに強敵だったらしく、撤収開始間際に伝え聞いた話だと無事に帰還できたのは1人だけだったという。

 

その敵部隊の中に物質の強度を極端に低下させる能力をもった能力者がいたらしく、防弾アーマー、スーツが役に立たぬばかりか、窓の外や壁の外からの狙撃にもさらされ、おまけに彼らは"プライム"やそのゲストたちの肉の盾とならねばならなかった。過酷な状況だったろう。生き残りは1人、か。もっと早くに俺達がスナイパーに対処できていれば、被害を抑えられたかもしれない。

 

 

 

 

 

トレーラーの中で事後処理を行っている間に、色々な情報を手にしていた。想像以上に、このプラチナバーグの私兵団は疲弊していた。資料に目を通せば、この部隊は連戦に次ぐ連戦を受け、戦闘部隊は次々とメンバーが欠け落ち、ツギハギだらけのままなんとか今まで体裁を保ってきていた。

 

そりゃあ、予想していたより装備はハイテクなものだったし、部隊には潤沢に資金が注ぎ込まれているようではあったが。それでも、人材の方は。人材の方は悲惨な有様だった。なぜ、これほどまでプラチナバーグの部隊は襲われる?そして襲ってくる敵の質が異様なほど高いのは何故だ?木端な暗部組織、雇われの殺し屋や傭兵風情に、何故統括理事会のメンバーの1人であるトマス=プラチナバーグの懐刀がいいようにしてやられているのだ。

 

オペレーターさんは、プラチナバーグが俺を欲していると言っていたが、そりゃそうさ。この状況なら純粋に戦闘に使う駒として俺を必要とするはずだろう。

 

 

 

続々と上がってくる他の資料にも目を通した。その中に、先程俺達を襲った敵の詳細な情報が、もうリサーチされ報告されていたのを発見する。この辺は流石、大所帯と言うべきだな。

 

 

俺が捕まえたスナイパーは、巳之口辰哉(みのくちたつや)という異能力者(レベル2)の殺し屋だった。彼は"絶対温感(サーマルビジョン)"という、人間が感知できる可視光の範疇を超えた、紫外線、赤外線を認識する、千里眼のような能力を用いて標的を狙撃するそこそこ有名な奴だった。彼はその能力を使って、スナイパーが不得手とする夜間の暗殺を得意としていた。"ポリシー"や"プライム"を襲った時も、彼には誰がどこにいるのか丸見えだったに違いない。

 

俺が噛み付いたアホ、巳之口の観測手(スポッター)を勤めていた男は、紫万元明(しまもとあき)という最近暗部に入った新人で、異能力(レベル2)の光学操作能力者だったという話だ。自身の能力を"暗黒光源(ブラックライト)"と自称しており、それは周囲の物体の光の屈折率や反射率、吸収率をコントロールできるものだった。

 

 

今俺がつらつらと述べたように、襲ってきた敵を仕留めれば、それが誰だったのか判明し、依頼した組織や個人を特定しやすくなる。また、仕留めるのではなく、俺がやったように生け捕りにして確保すれば、のちのち拷問や薬品を使うなんなりして、さらに詳しい情報を敵から引き出すことができるのだ、とオペレーターさんに今回の俺たちの活躍については好評価を得られたのだが。

 

トレーラーにて、撤収作業を待つ間、そんな風に、新しい部隊での初任務から上手く貢献できた喜びに浸っていた俺達の気分を吹き飛ばす、深刻な報告が突如、情報部へと届く。その結果は、すぐに俺達にも伝えられた。

 

 

 

『……"ウルフマン"。心して聞いて。たった今、報告があったわ。……私たちの組織の主力精鋭部隊"レジーム"が、先程、約15分前に壊滅しました。生存者、ゼロ。彼らが防衛にあたっていた重要施設も破壊されてしまった』

 

さっきまで、なにやら俺たちの活躍を自分のことのように喜んで(いてくれていたようにみえた)いたオペレーターさんが、突然、意気消沈して、張り詰めた空気を纏いつつ、俺たちに"レジーム"とやらの壊滅の報を伝え始めた。

 

 

「あ、ああ。それは聞いた感じヤバそうな話だな。……どうしたんだ?オペレーターさん。そんなの何時もの話じゃないのか?落ち込み過ぎだぜ……?」

 

 

オペレーターさんの声から色がなくなっていた。その声色が、俺たちの不安をよりいっそう煽る。

 

 

『状況から、襲撃者に被害はゼロ。一方的に"レジーム"が嬲り殺しにされていた』

 

 

"レジーム"。プラチナバーグの懐刀たち。レジーム(権力)を名前に冠した部隊だ。特別な部隊で、プラチナバーグが選別した生え抜きが揃えられていた。大能力者2人に強能力者2人。

 

能力強度(レベル)が戦闘力の全てだとは言えないが、少なくとも目安にはなる。戦闘では強能力以上はおいそれと侮るべきではない。……襲撃者は、この"レジーム"を一蹴したのか。

 

 

『……"レジーム"を襲撃した敵の正体は、恐らく。"ジャンク(壊し屋)"の名で知られる、統括理事会の親船最中の息が掛かった精鋭部隊、よ』

 

 

"ジャンク"……?その名前、さっき漁っていた資料で目にしたぞ。夢中で資料を改め、その部隊の資料を見つけ出した。

 

オペレーターさんの言う通りに、親船最中と関わりが深い部隊のようだった。親船最中。彼女も統括理事会メンバーの1人。

 

そこまで来て、ピンときた。先程の疑問だ。なぜ、トマス=プラチナバーグという、統括理事会の一員ともあろうものが、これほどまでに窮しているのかを。

 

"人材派遣"は言っていたじゃないか。統括理事会の内輪揉めによる、殺し合いが各地で勃発していると。

 

トマス=プラチナバーグは統括理事会のメンバーの中で恐らく最も若い。つまりは、最も新鋭であるから当然、最も影響力や権力、そして勢力が小さいのだ。

 

弱肉強食。戦いとなれば、弱いものから潰され、消えていく。最悪だ。ここは。ここの、この部隊の、プラチナバーグの部下であるということは。

 

 

『"レジーム"は消滅し、"ポリシー"も残すは1人だけ。プラチナバーグ本人の護衛にその他の主力は回さねばならない。そこで、"上"は。この敵部隊"ジャンク"の対応に、貴方たち"スキーム"を指名したわ。生き残りの"ポリシー"最後の1人を加えて、ね』

 

 

マジで最悪だよ。他所の、統括理事会メンバーからの、刺客。しかも、名うての精鋭部隊が相手か。

 

 

『現状、どんなに急いでも、貴方たち"スキーム"以上の質を有すチームを用意できそうもない。"上"の判断は……妥当よ……』

 

 

左手をギュッと握り締められる。隣に座っていた丹生が、俯いたままいつの間にか俺の左手に手を伸ばし、不安そうに握りしめていた。

 

 

資料には、要注意人物として、2人の名前が上がっていた。

 

 

煎重煉瓦(いりえれんが)。能力名、螺旋破壊(スクリューバイト)、大能力者(レベル4)

鳴瀧供離(なるたきともり)。能力名、共鳴破壊(オーバーレゾナンス)、大能力者(レベル4)

 

 

彼らは、裏の世界じゃ、実力者であり、"壊し屋"として有名なのだそうだ。先のことはわからないが、どうやら、明日か、すわ明後日か、もしくは明明後日か。少なくとも死闘が俺達を待ち受けていることだけは確かなようだった。

 

 

 




推敲が足りないので、後でちょっと変わるかもしれないです。ふぃー。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

episode13:収束光線(プラズマエッジ)

2013/12/22:追記しました。

すみませんorz
ほんっと有言実行できてませんねorz
また近日中にEpisode13も追記します。

もう何も宣言しないほうがいいんじゃないかって思われてますかねorz


 

 

土曜日の朝。それは学生にとっては思いっきり惰眠を貪ることが許される貴重なひと時。昨日は昼も夜も散々な目に会い、それどころかそれ以上の更なる悲運が待ち受けているであろう雨月景朗であったが、それでも彼は今この時、幸せそうに眠っていた。図らずも、一端覧祭によってムダに高められたテンションに体力を奪われた一般の学生たちと同様に、彼は当然の如く心地よい眠りの中にずっぽりと浸っていたのだった。そのはずだった。

 

 

 

突如、それまでの和やかな表情が一変し、布団の中で僅かに身じろぎをした雨月景朗は、無理矢理に眠りから意識を覚醒させられた。彼はどこか、自分の部屋すぐ近くでインターホンが鳴っているのに気づいてしまったのだ。どうやら常人より遥かに上等なシロモノとなっているらしい彼の自慢の両耳が、彼の住む部屋のすぐ近く、恐らく隣室への来訪者の存在を聞きつけてしまったのだろう。

 

唐突な玄関のチャイムを鋭敏に掴み取り、彼の幸せな眠りは無残にも妨げられる。その卓越した聴覚は、昨日の夜半は大活躍だったはずなのだが。雨月景朗はその感度の良すぎる聴覚を忌々しそうに呪うと、静かに寝返りをうった。微睡みの中で再び、ウトウトとしだしたその時。

 

彼は屋外で発せられた、どこか聞いた事があるような気がする少女の声を聞き取った。年若い少女の、聴いているだけで癒されるソプラノ。けッ、朝っぱらからカノジョとイチャついてんなよ糞がッ。雨月景朗は今度は、このやたら愛らしい声を発する少女を出迎えるであろう、隣室の憎いあんちくしょうを呪いつつ、いち早く二度寝に臨もうと試みる。

 

 

だが、隣室の住人はなかなか来訪してきた少女を出迎えてくれない。断続するチャイムの音と、まるで手纏ちゃんの声のような清らかで癒される少女の呼び声が五月蝿くて、このままでは彼は寝付けそうになかった。

 

 

とうとう彼は覚悟を決めて、枕元に常備していた耳栓の行方を手探りに探し始めた。しかし、耳栓を見つけ出すその前に。耳栓どころか、今度は枕元の彼のケータイが盛大に鳴り響く。

 

 

 

 

「…………だああッ。畜生!」

 

 

彼の眠気は、完全に吹き飛んでいた。二度寝を諦め、景朗はケータイを手にとった。その時、ふと耳に違和感を覚えたようである。

 

「……あれ?耳栓もう着けてんじゃん」

 

耳栓が見つからないはずだった。彼は昨晩、耳栓を着用してから寝ていたのだ。彼は耳栓を外しつつ、ケータイのディスプレイを眺め、驚く。着信、手纏ちゃん。

 

 

 

 

偶然か?外からも手纏ちゃんによく似た声が聞こえて来てるし

 

 

 

 

 

 

 

……っておああああ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「景朗さーん……ぅぅ。やっぱりいらっしゃらないんでしょうか……お部屋、間違ってませんよね……」

 

チャイムが鳴り響いていた。俺の家に。そして玄関からは手纏ちゃんの悲しそうな声が。

 

 

 

 

 

 

 

 

ああああああああああああああああああ、やっべぇぇぇ!そういえば、今日、昼に手纏ちゃんが俺ん家に来るんだった!!!どうして忘れてたよッ!!!うああ、そうか昨日の夜あんなことがあって完ッ全ッに忘却の彼方へ!

 

 

なんで気づかないんだよッ!耳栓して無かったら気づいたかッ!?…………いや、よくよく考えれば、そもそもここに引っ越してからうちのチャイムが鳴ったのって…………あれ、これが初めてか。わかるわけねぇかッ。

 

時計を見る。13時35分だった。もう朝じゃねぇ!

 

 

 

「はいはいはい!ごめん手纏ちゃん!いますよー!すぐ開けますよー!」

 

慌てて大声を張り上げ手纏ちゃんを出迎えようとしたが、寸前で思いとどまる。テーブルや床には昨日の夜あれから更に遅く、朝方まで悩み続けていた暗部の資料が散乱していた。これだけは片付けないとヤバい。

 

着替えつつ、前日、手纏ちゃんと結んだ約束を反芻する。昨日、火澄たちを宥めてなんとか旭日中学へと向かって――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バスを降りて、俺達3人は目的地である旭日中学校の近くのバス停へと降り立った。移動中のバスの車内で火澄と手纏ちゃんの2人には、一体どうして旭日中学なのかと根掘り葉掘り聞かれる羽目になってしまっていた。

 

お店に着くまで秘密だよ、そもそもそこまで詳しくは知らない、俺も行ってみないとわからない、どうやら美味しいコーヒーを出してくれるお店らしいよ。思いつく限りに、どうにかのらりくらりと彼女たちの追求を躱せたものの、未だに冷や汗が出そうだったりする。

 

バス停から旭日中学へ向かう道中、何故か押し黙る背後の2人を振り向けば、なにやらイマイチ気乗りしていない様子である。やはり期待されてないんだろうか。話しかけようかと迷ったが、ほどなく旭日中学へと到着してしまった。校門で早速、パンフレットを配るメイド服を着た女子生徒の姿を発見する。何気ない素振りで近寄っていくと、元気ハツラツとした明るい声をかけられた。

 

 

「メイド喫茶やってまーす♪よろしくお願いしまーす♪」

 

メイド女子中学生にパンフレットを手渡される。素早くそれを確認。場所は3-Bの教室とある。どうやらこの学校の3年生がやっているようだな。この学校に他にメイド喫茶をやっている所があるかどうか、目の前のメイド女学生に尋ねようと思った矢先。雑踏のざわめきがほんの少しだが大きくなっており、周囲の様子が変化しつつあることに気づく。

 

 

 

「……って、えっ!?とっ、常盤台の人達が来てるッ」

 

俺にパンフレットを渡したメイド女学生が、俺の背後にいる火澄と手纏ちゃんを見て興奮していた。今更だが、改めて周りを見渡せば、多くの旭日中の生徒が立ち止まり、俺達3人を興味深そうに眺めていた。

 

火澄はやれやれ、と諦めの表情を浮かべ、手纏ちゃんは完璧にたじろぎ火澄の背中に身を隠している有様だった。

 

「なんか俺達、注目されてる?」

 

俺の言葉に火澄は溜息を漏らすと、出来の悪い子供に懸命に勉強を教えようと試みる教師のように、小さな声で諭し始めた。

 

「うすうす予感してたけど、やっぱりアンタは変わってなかったか。ほんと鈍感過ぎ。一端覧祭に私達が来ればさすがにちょっとは注目を浴びるわよ、ばか」

 

「あ、あの、どうして皆さんこんなに私たちをご覧になるんでしょうかぁ……?」

 

そこまで大々的に視線を集めているという訳ではないが、手纏ちゃんが思わず火澄の背中に隠れてしまう程度には、通りすがる生徒たちから興味深げにじろじろと観察され居心地が悪い。常盤台生の扱われ方がこういう物だとは予想してなかった。中には「あれ霧ヶ丘付属の制服だ。ある意味常盤台より珍しくね(笑)?」という話し声も。ほっといてくれ。

 

「すまん、2人とも。ここまでとは思わなくて……」

 

火澄と手纏ちゃんに向き直り謝罪した。一端覧祭は、主にその学校を志望する学生が中心となって客層を作る。他にはOB、OG、近辺の学校の生徒たち、といった顔ぶれになるのかな。常盤台中学の学生、いやここは大まかに行って"学舎の園"の女生徒と言い直したほうがいいだろうか。彼女たちのように街では比較的見慣れている"お嬢様"達でも、やはり校内にまでやってくるというのは本当に珍しいのかもしれない。

 

「別に、そこまで謝らなくていいから。アンタの考え方が間違ってるわけじゃないしね」

 

「だ、大丈夫です。初めて男女共学の学校に入ったものですから……これでも、人生初の体験にドキドキしているんですよ」

 

「ふふ、そうね。深咲にはいい経験になるかも」

 

 

後ろの2人はそこまで嫌がってはいないようで、ひと安心だ。取り敢えずさっさと校内に入ってしまおう。校庭には学生が出店する色々な屋台が並び、ここまで衆目を集めなければ楽しいひと時を過ごせそうだったのに。手纏ちゃんも物珍しそうにキョロキョロと辺を見回している。……いや、もしかしたら周囲を警戒しているだけなのかもしれないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最終目的地である、3-Bのメイド喫茶にやってきた。扉の前で火澄に肘でド突かれる。

 

「女の娘をメイド喫茶に連れてくなんてどういう神経してんのよ」

 

「いや俺もまさかメイド喫茶とは思ってなかったんだよ。実はさ、教室で他の奴等がここを褒めてたのを盗み聞いただけだったりするんだよ……」

 

白々しく嘘をつく。くくく、サプライズはまだまだ、こんなもんじゃないぜ。これからが本番なんだよ、火澄。

 

お店の扉の前で言い合いを始めた俺達を、手纏ちゃんが不思議そうに眺めていた。あ、そうか。手纏ちゃんはガチで、モノホンのメイドさんがすぐ側で働いている環境で育って来た訳ですからね。メイドさんが喫茶店をすることに、まるで疑問を感じておられないご様子。メイド喫茶というものは、貴女がご想像なされているものとは全くの別物なんですよぅ。

 

火澄はまるで汚らわしいものでも見るかのような目つきで俺を相手にしている。愛想笑いでごまかしつつ、ようやく入店できた。

 

 

 

 

 

「お帰りなさいませー♪ご、…………あ、えーっと、すみません!お帰りなさいませ、旦那様、お嬢……様。こ、こちらの席にご案内いたしますっ」

 

俺たちを出迎えてくれたメイド女子学生は、俺の後ろにいた常盤台生2人組を目にすると、一瞬、硬直した。だがすぐに持ち直し、窓の近くの四人がけのテーブル席にぎくしゃくと案内してくれた。

 

俺達の入店と同時に、店内が俄かにざわついた。俺たちの姿に気づいた店員さんや客として来ていた学生達は皆、珍しいものを見たような顔をして注視してくる。

 

メイド役の女子学生達はカウンター裏やスタッフルームとして仕分けられた空間などに集まり、各々こそこそと小さな声で相談し始めた。

 

俺は火澄達に感づかれないよう細心の注意を払いながら、ここでメイドをやっている筈の丹生の姿を探した。間を空けずすぐに、スタッフルームから騒ぎを聞きつけたメイド姿の丹生が顔を出した。

 

そして、すぐに丹生は俺達を見つけた。当然、彼女を見つめ続けていた俺とは目が合う。喜ばしいことにこの時、ほんのまたたき程度の瞬間だったが丹生は確かに嬉しそうな顔をしてくれたと思う。でも、それも俺の対面に座る火澄と手纏ちゃんの姿を目にした途端に、怪訝な顔付へと変わってしまった。

 

手を振ると、周りが寄せる関心を意識してか恥ずかしそうにしつつも、恐る恐るこちらへと近づいて来てくれた。

 

 

 

こちらへ近づいてくるメイド女子中学生が件の"丹生多気美"だとは露知らず、火澄と手纏ちゃんは2人してメニューを見ながら話をしていた。

 

トレイを両手に持ちながら、俺たちの側へとやって来た丹生に話しかける。

 

「来たぜ!丹生!」

 

「あーもおっ、来る前に連絡してって言ったじゃん!全くもう。……それで、こちらのお2人は……?どうして常盤台の人と一緒なの……?」

 

俺の言葉に、火澄と手纏ちゃんはドキリと顔を上げ、丹生を見つめて驚愕する。俺は丹生のことはほったらかしにして、正面の2人への説明を優先した。戸惑っている丹生へと手のひらを向けて、彼女達に紹介しよう。

 

「驚いていただけたかな?こちらが俺の友達の、丹生多気美さんです!」

 

「な、はぁっ?!」

 

「ふえ!?」

 

2人とも、視線を丹生を俺の間で行ったり来たりさせて、二の句を告げられないようだった。一方の丹生は状況が全く掴めずに、混乱して必死に俺に説明を求め出す、と。

 

「景朗!この人たち、知り合いなの?どっどういうこと?何で常盤台の人達にアタシを紹介してるの!?せっ、説明して?!説明してよっ!?」

 

よし。火澄も手纏ちゃんもこの状況に驚いている。今この瞬間は、きっと俺との約束(昼飯の時に色々説明するうんぬん)も頭から吹っ飛んでいるに違いない。

 

「ああッ。やっぱりなぁ。いきなり押しかけて丹生がびっくりしているぞッ。かわいそうだッ。本人が言うとおりにちょっくら説明してくるッ!すまない、2人ともッ」

 

疑問符でいっぱいのメイド姿の丹生の手首を掴み、強引に教室の外へと連れ出した。読み通り、火澄も手纏ちゃんも何も言えずに俺達をただ眺めるだけだった。

 

 

 

 

 

 

教室を出るまでの間に「丹生さん、あの人達と知り合いみたい。常盤台と、男の子のほうは霧ヶ丘の制服だよね?」といった、ひそひそ声があちこちから耳に入った。丹生本人は目をくるくる回して状況についていけずにいる。

 

念のため、廊下の奥へと丹生を連れ出してから話を始めた。それまで、丹生は早く説明しろと繰り返すばかりだった。

 

「まあ落ち着いて。今から全部話すから、お前さんの知りたいことは」

 

「あああ、あの常盤台のお嬢様たちは一体何なのっ?ワケわかんないよっ。アタシに用があるみたいだったけどッ」

 

どうやら丹生が興奮している原因のひとつに、火澄と手纏ちゃんが常盤台生だったから、という理由が在りそうだった。初めて知ったよ。丹生にもなかなかミーハーなところがあったんだな。

 

「話す話す話すって。あの2人は俺の友達だよ」

 

「景朗の友達?ホントに?」

 

「本当だよ。だいたい友達じゃなかったら一緒に来るわけないだろ」

 

「う、うん」

 

大人しく返事をしてくれているが、まだ落ち着きが足りていないと思う。だが、時間がない。不安だが彼女に今の俺の状況を説明しよう。

 

「丹生、今日俺はお前さんに助けてもらいに来たんだ」

 

「……助ける?」

 

「ああ。丹生、プランBとプランC、どちらを選択する?」

 

「なんだよそのプランBとかCって?ってか、助けるってどういうこと?」

 

俺のフザけた物言いに疑問を感じたためだろうか。丹生は少しずつだが冷静になって来ている。

 

「よし、プランBで行こう。丹生、お前には借金苦で仕方なくエッチなお店で働いている苦学生という役を演じてもらいたい」

 

「いきなり押しかけてきて喧嘩売ってんの?」

 

「わかった。今の無し。プランCにしよう」

 

「そのプランとかいうのはどうでもいいよ!助けるって一体なにっ?」

 

こんな事態だというのに、つい遊んでしまった。ごめんな丹生。

 

「実はさっきのロングの子は、俺と同じ施設で育った女の子なんだ。仄暗火澄って名前で、小っさい頃から同じ施設で育った、友達というより家族みたいな奴なんだよ。アイツ、信じられないかもしれないが中学から常盤台に行っちまってさ。それでさ、こないだお前さんがウチに突撃しやがっただろ。たぶん花華がそのことをアイツにチクったっぽくて。アイツとその友達の手纏ちゃんって娘に、丹生が俺のカノジョなんじゃないかと疑われているんだ。問題は、俺と丹生の接点の無さが、アイツ等にバレちまってるってこと。あぁ糞、またややこしい話になっちまうけど聞いてくれ。前に緊急の任務が入った時に、アイツ等との約束を破ってしまったことがあるんだ。それで」

 

一息に喋りすぎた。丹生は再びくるくると目を回し、俺の話を中断した。

 

「待って待ってよ!そんな一気に言われても飲み込めないっ!」

 

「すまん。やっぱそうか。わかった。要点だけ話す」

 

今一度丹生に話を聞いてもらえる体勢を整えてもらい、次は余分な情報をなるべく省いた内容を伝えようと頑張った。

 

「さっきのロングの娘は俺の幼馴染の火澄で、お前さんがこないだウチに来た時に勘違いした花華が、お前が俺のカノジョだってアイツに伝えてしまったんだ。火澄にはお前さんとは唯の友達だって説明したんだけど全く信じてもらえなくて困ってる。ここへ来たのはそのことに痺れを切らしてしまったからでさ。丹生に直接、説明して貰おうと思って」

 

「……景朗、その火澄さんって娘と付き合ってたの?」

 

「ちげーよ。付き合ってないよ。さっき家族みたいな奴だって言ったじゃないですか」

 

「そんなことのためにワザワザ……。はぁ。で、アタシに常盤台の人達に説明しろって言ってんの?」

 

「そのことでひとつ問題がある。さっきも言った、俺とお前さんの接点の無さだ。考えても見ろ。俺とお前さん、暗部で出会わなかったら絶対に知り合うことはなかっただろ?」

 

「うん、まあ、確かに」

 

良し。いい兆候だ。丹生も現状を把握して来つつある。

 

「アイツ等にもそれがバレてるんだ。暗部関連の話題を一切出さずに、俺と丹生がどうやって仲良くなったのかアイツ等に何て説明すればいいのか思いつかなくて……。バイト仲間だって嘘をつこうとも考えたんだけど、火澄に本気になって確かめられたら多分一瞬でバレる。火澄には、俺があんまり良くない事を裏でコソコソやってるんじゃないかと勘ぐられてるっぽいんだ。アイツに確信を持たれてしまったら、かなり面倒臭いことになっちまう。要するに、俺、アイツに暗部関連のことがバレそうになってるんだ。できれば今ここで、これ以上疑いを持たれないように完璧な対応をとりたい」

 

「……なんだよ、それ。ヤだよアタシ、そんなめんどくさいことに関わるの。だいたい、そんなややこしく考える必要ないじゃん。もう全部黙ってなよ、あの人達のことは放っておいてさ。最初の方はムカつかれて色々勘ぐられるかもしれないけど、そのうち興味なくなって景朗のことなんかすぐに忘れちゃうよ。自意識過剰なんだよ、景朗は。アンタが考えてる風に、アンタなんかのために色々労力割くとは思えないんだけど」

 

「へぐ」

 

か、辛口ですね、丹生さん……ですが、おっしゃる通りです。いっそアイツ等のことなんて放っておいて、暗部のことだけに専念すればいい。もしくは、大元の原因である火澄と手纏ちゃんとの関係をぶった切っちまえばそもそもここまで煩わしい思いをすることはないのです……けど。いやだああああ、あの2人に嫌われるなんて嫌なんだよおおおおおおおああああ。

 

 

 

「今日のところはアタシがきっちりアンタとの関係を説明してあげるから。唯の友達だ、って。でも、それ以降のことは自分で解決して」

 

 

腕を組みつつキッパリと宣言した丹生の態度に、それ以上食い下がるのは幅かれる雰囲気になる。メイドさんなのに頼みを聞いてくれそうにないよ。それでも、俺の頭の中にはその強固な姿勢を尚も崩そうとせんとする説得の台詞が渦巻いていた。

 

二の句を告げようとしたが、彼女の視線を真っ向から受けて思いとどまり、口をつぐむ。このままじゃ事態はややこしい事になるって確定しているけれど。……だが、しかし。今の俺。今の俺って……どっちつかずで、情けなくて、女々しくて、気持ちの悪い男になってるかもしれない。なんだか、全然男らしくないなぁ……。

 

 

「……丹生の言う通りだ。そうする。ごめん、急に押しかけて変なこと言って。……その、さ。まぁ、今更なんだけどさ、実は今日、2人を連れて来たのには、もうひとつ狙いがあったんだ」

 

俺が零した言葉に、話はこれで終了したという素振りで俺を置いて先に戻ろうとしていた丹生は振り向き立ち止まった。

 

「いや、丹生さん、今友達少ないみたいなこと言ってたからさ。俺が連れてきた2人と今日友達になっちゃえばいいんじゃないかって思って。火澄と手纏ちゃん、めっちゃいい奴らだぜ。俺が保証する」

 

丹生は微かにだが、悲しそうな顔を作った。

 

「無理だよ、アタシじゃあ。だって常盤台の人達だよ?仲良くなれっこないよ」

 

「そうは思わないぜ。火澄はもともと俺と同じ"置き去り"だから、典型的な"学舎の園"に通ってるお嬢様なんかとはそもそも考え方が全然違うし。それに、手纏ちゃんは、まあ、少々世間知らずなところはあるけど、逆にこっちが心配になるくらい優しい娘なんだ。まあ、丹生がどう思おうと、俺は今日1日で君ら3人は仲良くなると思ってるよ」

 

「う。景朗、相変わらず最後は無理やりにでもいい事言って締めようとしてくるね」

 

「そそそ、そんなつもりないって。……あ。ちょいまち丹生!まだ行くな!そろそろ戻らないとヤバいっちゃヤバいんだけど、やっぱ俺と丹生がどうやって知り合ったのかだけは完璧な嘘でごまかさないとマズイ!」

 

丹生は呆れと苛立ちを全面に押し出して、声を荒げる。

 

「まだそんなこといってんの!?気にしすぎだって。そんな根掘り葉掘り聞いてこないよ」

 

「いやいやそりゃあの2人は丹生さんにはしつこく聴いて来たりはしないだろうさ。でも俺には絶対聞いてくる!自分で言っててホント情けないけど言わせてもらう!丹生さんは俺のロンリーっぷりを舐めていらっしゃる!なにせ俺には、小学校から今まで、まともな男友達すら出来たことがなかったんだぞ!あの2人はそれをよく知ってるんだ!後で絶対ツッコまれる……!」

 

「あーもう!ほんっとめんどくさいなぁ!だったらいいよもう!カノジョってことにしても!あくまで一時的だからな!」

 

丹生は顔を真っ赤にして、イライラとした様子でそっぽを向いている。いや、それは駄目なんだ、丹生さん!そうしてしまうと、俺は『カノジョにカマけて被害者兼原告である仄暗と手纏両名との約束を反故にし続けた"最低ドクズ野郎"』だということになってしまいまして……

 

「あーいやいやいやマズい!それだけはやっちゃいけないんだ!」

 

咄嗟に口から飛び出たこの言葉で、丹生さんの様子がガラリと変わってしまった。先程まではどちらかというと怒っていたように見えていたんだが。丹生さん、今では一気にクールダウンして、冷徹な空気を身に纏い始めていた。

 

「聞き捨てならないんですけど。景朗、その火澄さんって娘とは付き合ってないんでしょ?どうしてそう困る事態になるわけ?」

 

「へ?あ、