とある暗部の暗闘日誌 (暮易)
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とある孤児の後悔日誌
episode01:痛覚操作(ペインキラー)


どうもよろしくお願いします。処女作です。自信ないです。というかなんでこんな小説投稿してるのか理由を聞かれると恥ずかしくて死ねます。
この小説は「とある科学の超電磁砲」の二次創作と呼ぶには難しいほど原作キャラクターが出てきません。原作キャラクター目当ての方には、間違いなくブラウザバックを推奨します。
もしお時間があれば手慰みに読んで頂ければと思います。


第十二学区。そこは学園都市の中でも、とりわけ神学系の学校が多く集まる区画である。通りには各種宗教施設が立ち並び、その町並みは見る者にどこか"多国籍な雰囲気"を感じさせるという。留学生の多く住む第十四学区も同じく、多国籍な印象を受ける景観であると言われているが、この第十二学区ほどには宗教色が強くはなかった。

もっとも、余所と比べていくら宗教色が色濃く出ている学区と言おうとも、そこはやはり学園都市である。どこぞの教会のシスターさんやカミラフカをかぶった司祭さんが、道行く道を埋め尽くすわけもなく、通りは学校帰りの学生たちで溢れていた。

 

 

「なぁ?オマエほんとに痛くねえの?」

 

「便利だなー。その能力。表情変わらねー。」

 

「きもちわりー。」

 

 

この学区では珍しくもなんともない、とある教会の陰。通りから脇にそれた路地裏で、3人の小学生のグループが、彼らと同じくらいの歳の頃の少年を1人、取り囲んでいた。そのグループの中の1人、恐らくリーダー格の少年は、腕をまっすぐに伸ばし掌をその少年へと向けている。掌を向けられた少年の周辺には砂埃が緩やかに立ち昇り、何らかの、超常の力が加わっているように見えた。掌を向けられている少年は表情をピクリとも動かさず、虚空をぼんやりと見つめている。その様子に苛立ったのか、リーダー格の少年が声を荒げた。

 

「テメェ、低能力者(レベル1)のクセに調子乗ってんじゃねぇよ。レベル低いなら代わりに勉強頑張りますってか?マジであんま調子乗んなよ。」

 

その言葉の後に、リーダー格の少年が力み、腕の伸びを強くした。彼の動作と同時に、苛められている少年を取り囲む埃がより一層強く舞い上がった。それを見た残りの2人の少年は、次第に不安げな表情を浮べていった。

 

「あ、あのさ、まーくん。あんま強くしたら怪我しちゃうんじゃね?」

 

「やりすぎはまずいって。」

 

 

少年たちはこの憂さ晴らしが大人たちに発覚することを恐れ、及び腰になっている。

しかし未だにリーダー格の少年の、その鬱憤はどうにも治まらないらしい。

 

その時、突然に。少年たちのいる脇道とつながっている通りから、1人の女の子が姿を現し、この場に走って近づいて来た。

囲まれていた少年は相変わらずの無表情であったが、いつの間にか、彼の意識はその少女のほうへと向けられている。

 

 

「やめなさい!」

 

彼女もまた、その場にそろう少年達と同じ年頃のようである。いじめの状況を即座に理解したのか、直ぐさま制止の言葉を投げかけた。少女の登場とともに、3人の少年たちは顔色を悪くしていた。

それでもリーダー格の少年は能力の使用をやめずにいる。彼の対応を目にした少女は、対抗するように手のひらを上に向けた。

その刹那。空気が弾ける音と同時に、彼女の手のひら上方に真っ赤に燃え上がる火の玉が出現する。

 

 

「今すぐやめて。能力を使って人を傷つけるなんて最低よ。まだ続けるなら、ワタシも力を使うことを躊躇しないから。」

 

そう言い放ち、掲げた火の玉をいっそうめらめらと燻らせた。リーダー格の少年はその様子に大いに動揺した。そして幾許かの葛藤の後、両脇に侍る取り巻きの少年達の視線を気にしつつも、苦々しそうに能力の使用を取りやめた。

 

 

「…大げさだな。コイツに怪我なんかさせてねぇよ。ちゃんと手加減してたし。はいはい、言うとおりにするよ。あんたは怒らせたくないからね、仄暗さん。」

 

彼は横柄な態度を崩さずに、その一言だけを告げると、残りの少年たちに目配せした。間も無く、彼らと供に大通りへと足早に消えていった。

 

 

 

さて。ここで。遅ればせながら、この物語の主人公を紹介しようと思う。言い出すタイミングがいま一つわからなかった。申し訳ない。恐らくは皆さんの推察通り、この物語の主人公は案の定、少年3人に絡まれて、表情を怒らせることすらできなかったヘタレ野郎、このボクのことである。名前は雨月景朗(うげつかげろう)。

 

さきほどアイツらが言ったように、僕の能力はあまり役に立たない低能力(レベル1)の「痛覚操作(ペインキラー)」というものだ。名前の通り、何のひねりもなくただ単純に、自身の肉体に生じる"痛み", 要するに刺激を操作できる。もちろん、痛みをまったく感じないように消し去ることもできるし、何のメリットがあるのか知らないが、逆に痛みを増幅できたりもする。

 

この能力は一見、色んな場面で役立ちそうに見えるかもしれない。だけど、使えるようになってわかったんだけど、案外そうでもなかった。怪我の痛みを消すと、いつもの調子で体を動かしてしまい返って悪化させたりするし、風邪の症状を消した時なんかは、具合が良くなっているのか悪くなっているのかイマイチわからなってしまった。役に立つのは、テーブルの角に小指をぶつけた時とか、予防注射が痛くないとか、今みたいに苛めっ子に能力を使われても、痛みに苦しむ顔を晒さずに済むってことくらいかな。

 

 

っと。話が脱線してしまった。ボクのしょぼい能力の説明なんてしてなんになるんだ。これぐらいにしよう。とりあえず、ボクが何者なのか説明するために、ボクの生い立ちを簡単に説明させてもらいたい。

 

物心つく頃には、ボクはこの第十二学区にある、聖マリア園っていう、置き去り(チャイルドエラー)を預かる児童養護施設で暮らしていた。現在小学五年生。ほら、これで終わりさ。簡単だっただろ。ついでにいうと、絶賛いじめられ中だったりする。

 

 

「景朗!どうしていつも反抗せずに、あいつらに従うのよ!?」

 

ボクのことを助けてくれた少女が、苛立った様子を隠すことなく詰問してきた。

 

 

「どうせすぐに飽きて帰ってくよ。アイツらの能力なんてオレは痛くも痒くもないし。イチイチ相手をするのは時間のムダなんだ…そりゃ、火澄に助けてもらってありがたく思ってるけど。」

 

「時間の無駄――ね。ああやっていじめられている時点でそうとうな時間を無駄にしてると思うけど。」

 

「ぬぐ。」

 

その発言には反論できなかった。上手い言い訳が出ずに、思わず閉口した。彼女はいかにも心配だ、という表情でボクにたたみかけた。

 

「それに、何も反抗しないのは問題だわ。あいつら、景朗の能力を知ってる上に、あなたが一切抵抗しないから、日に日にやることがエスカレートしてる。今日なんか、ついに能力を使ったじゃない。」

 

「それは…火澄の言うとおりかも。さすがにケガするような能力の使い方をするわけはないって、オレが勝手に高を括ってただけかもしれない。」

 

 

こうやって会話をする少女は、見ず知らずの正義の味方、というわけではなく、よく知っている人物だ。彼女は仄暗火澄(ほのぐらかすみ)。齢9にして発火能力(パイロキネシス)強能力者(レベル3)となった優等生だ。

能力開発(カリキュラム)に関することだけじゃなくて、スポーツや勉強、あと料理とか、だいたい何でもそつなくこなしてしまう。おまけにけっこう可愛い(と、ボクは思うんだが。この件に関してはよく意見が分かれる。攻撃的な能力を持っているせいもあって、気が強すぎる、と敬遠するヤツもいるみたいだ)。

 

ボクみたいな、特に派手な能力を持っているわけでもなく、どっちかというといじめられっ子で情けないヤツが、どうして彼女みたいな娘と親しくしているのか(小学校高学年になると、ぼちぼち異能力者(レベル2)になるヤツが増えてきて、なかには既に強能力(レベル3)にレベルアップしてる人もちらほら出てくる。ボクみたいに低能力(レベル1)で、パッとしない能力だったりすると、逆に無能力者や異能力者からの反感を買うようだ)。残念ながらボクが超絶カッコいいから、なんて理由じゃない。

 

実は、彼女も僕と同じ"置き去り"で、同じ孤児院に住んでいるからだった。火澄との付き合いは長くて、いわゆる幼馴染ってやつだと思う。気がつけば、小さなころから一緒にいた。同い年だし、同じ学校に通っている。

 

 

「もう。わかった?何度も言ってるけど、次からはちゃんとアイツ等に抵抗しなさいよ…?」

 

彼女はそれだけ言うと、ボクらの住む孤児院の方向へ歩きだした。ボクは彼女の言葉に返事をせず、無言で彼女と同じ方向に歩きだす。しばらくして、目の前を歩く火澄がポツリと話しだした。

 

「今日も私が料理当番なんだけどさ、早く晩御飯が食べたかったら、準備、手伝いなさいよ?」

 

その話を聞いて嬉しくなった。彼女は謙遜してばっかりだが、とても料理が上手なんだ。

 

「うん。わかった。やるよ。いつもと同じように、煮たり焼いたりは任せていいんだろ?今日は何を作るの?」

 

「んー。ふつーの野菜炒めだけど、頑張っておいしく作るから。野菜、残さず食べてね。」

 

さっきも言ったけど、彼女は料理がうまい。レベル3の発火能力を持つせいなのか、彼女の作る料理は特に焼き加減、火の通りが絶妙で、材料を生焼けにしたり、焦がしたりしたことなんか1度もない。

ボクらの住む孤児院には、シスターさんを含めて10人ちょっとしかいないけど、1人でご飯の準備をするとなると大変だ。ボクたちが小学五年生に上がるころに、中学生だった兄貴,姉貴分が抜けて行ったから、今じゃボクたちが最年長だったりする。五年生になってからは、家事やら掃除やらで前より忙しくなった。

 

 

 

 

ほどなくしてボクらの住む家、聖マリア園に帰ってきた。

この聖マリア園は、民営の児童養護施設であり、十字教(キリスト)系運営母団体、要するにこの第十二学区に乱立する十字教系の神学校からの寄付によって運営が為されている、らしい。一般的な学園都市の孤児院、それも置き去りを預かるようなところは、主に学園都市の行政が経済的な支援を行っている。つまり、うちの院は学園都市からの直接的な経済的援助はもらっていない様で、それ故にほかの孤児院と比べると、著しく経営状況が悪い。

 

 

「かすみねえ、かげにい、おかえりぃー!」

 

ちょうどボクたちが玄関で靴を履き替えている時に、幼い少女がこちらへと転び出て、笑顔を浮かべながらボクらへと近寄ってきた。

 

「かすみねえ、お料理の当番だったっけ?」

 

「うん。そうよ。今から急いで作るから待っててね。」

 

火澄はそう答えた後、まっすぐに調理場へと向かっていった。

 

「わかったぁー!そんじゃぁ、かげにい、宿題教えてー?」

 

「いいよ。教えてやるけど、その前に晩飯の準備手伝ってからでいいか?」

 

「うん。いーよぉー。」

 

明るく元気ハツラツ、のようでいてところどころ間延びした喋り方をする、この妹分の名前は花籠花華(はなかごはなはな)という。……待ってくれ、みなまで言わずともわかっている。この娘の名前が少々…なんとうか…その…アレだというのは重々理解しているとも。

 

ボクたち"置き去り"に名前を付ける親なんていうのは、そもそも捨て子をするような奴らなんだ。そこに多くを求めるのが間違いだ。実のところ、ボクら"置き去り"の業界では、この程度のD〇Nネーム、まだまだ甘っちょろいものさ。

 

閑話休題。えーと、何の話だっけ。花華の話だったか。そうそう、幼い、といったけどこの花華はまだ小学二年生で、僕もそうだったけど、自身の置かれている境遇をいまいちピンと理解していない。

 

ボクらの住む聖マリア園は、民営であるから、一般的な他の孤児院とはちょっと雰囲気が違う。他の所をよく知らないから、これは完全に僕個人の持つイメージの話になってしまうんだけど、うちの院は、他の院より、アットホームで、ゆるゆるなカンジだと思う。

 

そのかわり、他と比べるとやっぱり貧乏なんだけどね。でも、率直に、他の所の"置き去り"の子たちよりは窮屈な思いをしてないと感じるし、ボクはうちの園の余所よりほんわかしたところが気に入っているよ。

 

 

 

花華と分かれた後、とりあえず鞄を自分の部屋へ置きに行った。途中、廊下で流れるようなウェーブした栗色の髪の毛を発見した。我らが聖マリア園の園長、シスター・ホルストンことクレア・ホルストン(27歳独身)が正面に顔を見せたのだ。

 

「あら、かげろう君、おかえりなさい。」

 

「ただいま。クレア先生。今から料理をちょっと手伝った後、花華に宿題教えて、その後にちゃんとシャワー室の掃除をするから大丈夫ですよ。」

 

「いつもありがとう、かげろう君。今日の料理当番、かすみちゃんだったわよね。手伝いに行こうかしら。」

 

なッ、なんてことを言い出すんだ、クレア先生!先生は料理なんてする必要ないんですよ!いつもニコニコしていてくれればいいんです、と、心の中で必死に訴えながら、黙ってクレア先生を見送った。ボクにはクレア先生をどうこうしようなんて難易度が高すぎる。

 

この園の七不思議のひとつに、「料理当番の表に園長の名前を書くと呪いが降りかかる」というものがある。小学二年生の時に、当時の兄貴分に唆され、実際にやったことがあるが、その日は晩飯から後の記憶が無く、気がついたら次の日の朝だった。

 

まぁ要するに、クレア先生はあまりお料理がお上手ではない。加えて、皆が先生に料理をさせたがらないのに気づいていて、料理を手伝うのをやめさせようとすると、時たま、むくれて強行手段に出ることがあるのだ。頼むぞ、火澄。君にすべてを任せる…

 

 

 

 

花華に約束通り宿題を教えた後、シャワー室を掃除した。少々もたついたが、掃除が終わると同時に、ちょうど晩飯ができたようだった。晩御飯は予定通りの、ふつーのおいしい野菜炒めだった。本当によかった。うまくやったね、火澄。不用意にクレア先生の前で"料理"という単語を口にしたボクの注意不足を責めないでおくれよ。

 

 

 

晩飯の後は、自分の部屋で勉強の時間だ。学校の宿題や能力開発(カリキュラム)でいい成績をたたき出すための、予備知識の獲得など、やることはたくさんある。生憎と能力開発(カリキュラム)のほうはさっぱりだけどね。小学三年生の時に"痛覚操作"が発現して以来、能力の目立った向上はみられない。どうやら、ボクの能力は脳ミソの細胞や神経を直接変化させているらしくて、それはけっこうレアな能力なんだそうだ。

 

まあ、そのために効果的なトレーニング方法なども見つかってないんだけど。だから、こうやって暇な時に、たとえば「図解!脳科学」という何が書いてあるのかよくわからない本を眺めたりして、何か役に立ちそうな情報はないかと調べている。

 

本を眺めるのにも飽きてきた。ちょいとばかしノドが渇いたな、牛乳でも飲もうかな、と思い立ったボクは手にしていた本を片付け、部屋をでる。冷蔵庫が置いてある調理場へ向かう途中に、応接室に明かりがついてるのが見えた。クレア先生と誰かが話しているようで、こっそり中をのぞいてみた。

 

クレア先生の話相手は、よく園に顔を見せる先生の上役の司祭さんだった。ドアの隙間から見える先生の顔は、普段と違って真剣でいつもと印象が全く違った。あの顔を見れば、何を話しているかなんてわざわざ聞かなくともわかる。園の経営状況が悪化しているのにちがいない。

きっと、ボクらの兄貴分たちが中学校に上がる時に、軒並み全寮制の学校に行ったのと無関係じゃないはずだ。ボクたちに対してクレア先生は、こういったことを普段の生活の中では1ミリグラム、いや、1ピコグラムだってみせやしないんだ。

 

ボクがこの事実に気づいたのは一昨年ぐらいからで、そのきっかけは火澄だった。彼女はわずか9歳という年齢で、発火能力(パイロキネシス)強能力者(レベル3)へと達した。ボクと火澄は同い年だけど、その能力の強度(レベル)にはずいぶんと大きな違いがある。

火澄は能力開発を受け始めた時から、すでに同学年の他の誰よりも能力を使いこなしていた。その後も彼女は能力開発に心血を注ぎ、メキメキと目に見える速さで力を付けていった。そんな彼女は開発が始まってわずか1年で異能力者(レベル2)になった。

 

当然、まわりの彼女を見る目は他の人と違っていて、先生たちは期待の目を、同学年の子たちは持て囃し、上の学年の子たちは彼女を恐れていた。ボクは、そんな彼女の身近に居て、身体検査(システムスキャン)の成績が毎年ほとんど変わらない自分と比べ、彼女に対し一方的な劣等感を感じていた。

 

 

彼女がついに強能力を手にしたその時、ボクは耐えきれずに、彼女に「どうしてそんなに頑張るの?」と問い詰めた。そしてその時、彼女の返した言葉がボクを変えた。「園のみんなのために、自分がやれることは一生懸命やりたい」、と。

園にこれ以上迷惑を掛けないように、多額の奨学金が貰えるような、能力開発に力を注ぐ有名校に進みたいという、今まで聞いたことの無かった彼女の本心。決して表に出さずに、内に秘めていた彼女の本音を無理やり暴き出した後悔が生まれ、同時に、ボクの中に存在していた彼女に対する劣等感が消えていった。

 

彼女に負けれてられないと思った。同じ土俵にすら上がれていないのに、劣等感を抱き、羨む。なんて無意味なことをしていたんだろう、と自分を恥じた。その時から、ボクは我武者羅に勉強を始めた。心苦しいことに、能力開発の面ではそれからも進展はない。しかし、勉学に関しては、勉強した分だけ成果はでているみたいで、なんと最近では、テストの成績は火澄に勝ち越すほどになっている。

 

ドアの隙間を閉めて、廊下の暗闇へと進んだ。今夜ももうすこし頑張るか。

 

 

 

 

 

なんやかんやで。料理の準備を手伝ったり、花華に勉強を教えたり、皆で晩御飯を食べたり。ボクたちに隠れて、困った表情でため息をつく我らがクレア・ホルストン園長(28歳独身), シスターホルストンをのぞき見て、一層勉強に奮起したり。

 

今思い返せば、とてもとても、幸せだった日々。この時の"俺"は、それなりに未来に対して希望を抱いていた。学園都市はその名に全くもって恥じぬほど、学生に対する奨学金の制度が充実していたから、頑張って能力開発(カリキュラム)や勉学に励んでいれば、それなりの未来が待っていたはずだったんだ。

 

残念ながら、"俺"がこれから語るであろう物語は、今までつらつらと述べてきた、幸せだった日々の記憶とは全く持って無関係なものとなる。今でもはっきりと覚えている。これから、"俺"の安寧の日々は終焉を告げられる。

 

"終わりの始まり"は、一人の怪しい科学者の、夢のような甘言から始まった。絶望は、希望の皮を被ってやって来た。

 

 

 

 

 

次の日。いつもと同じような日だった。昨日張り切って夜更かししたせいで、いつもより少しだけ眠かったけど、その他はなんにも変ったことが無かった。学校で嫌な感じの奴らに絡まれるのも、いつもと同じ。

 

 

今日はツイてたな。いつも絡んでくるいじめっ子メンバーを撒いて、うまく逃げ出してこれた。ボクは機嫌よく、小走りに我らが聖マリア園へと帰ってきた。火澄は委員長の仕事が有るみたいで、学校にまだ残っている。

玄関の前で遊んでいた花華と出くわした。いつもみたいにはしゃぎ過ぎて転んだみたいで、膝小僧をすりむいている。これは、いつものヤツがくるかな、とボクはこの先の花華のセリフを予想した。

 

「あ!かげにい、おかえりぃー。ねぇねぇ、いつもみたいに、いたいのいたいのとんでけぇーってしてー。ころんだとこがいたいのー。」

 

花華の言う「いたいのいたいのとんでけぇー」とは、よく知られているところの「痛いの痛いの飛んでけ」と同じものであり、転んだガキんちょどもをあやすおまじないのことだ。

ボクは、園の年下の子たちが転んでケガをしたときなんかに、昔からよくやってあげている。花華は特に、はしゃいで走り回って、すぐに転んでケガをするので、もう何回やってあげたか覚えていない。

花華曰く「かげにいのいたいのいたいのとんでけぇーはよぉーくきくんだよー」というらしいのだが、本気でそう言っているのかどうかわからない。確かに、この件に関しては、人気者の火澄ではなく、ボクの所にガキんちょどもが寄ってくるので、信憑性が無いわけでもないんだろうか。

花華がせがむ通りに、ケガをしたところを撫でてやると、「いたくなくなったー」と言って嬉しそうに笑っていた。ホントかよ。

 

 

「かげにい。今、なんかへんな人がうちに来てるよぉー?みたことない人だよー。」

 

花華はその一言を告げると、さっそく走り出して、庭の中央にある遊具で遊び始めた。

この孤児院に来客なんて珍しいな。花華が知らないとなると、たまにやってくるクレア先生の上役さんや教会の関係者じゃないってことか。ボランティアの人かな?だとしたら、ちょっとめんどくさいな。自分たちを引き取りに来た足長おじさんかもしれない、なんて可能性は端から考えない。なぜなら、幸運にも里親に拾われていったお仲間の話なんて今までに一度も聞いたことが無かったからだ。

 

そんな風に、いったいどんな人なんだろう、と予想しながらボクは室内に足を運んでいった。

 

 

 

玄関を越え、自分の部屋に向かう途中に、応接室の前を通る。その応接室のドアは開きっぱなしになっていて、部屋の中で話し込んでいたクレア先生と、白衣を着た、ザ・科学者、みたいな恰好をした中年のオジサンが、同時にこちらに気づいて、ボクを呼び止めた。

 

「かげろう君。ちょっとこっちに来てくれるかしら。」

 

心なしか、クレア先生の表情がいつもより険しく見える。ボクが2人に近づいていくと、待っていましたと言わんばかりに、科学者さんが口を開いた。

 

「はじめましテ。こんにちは。君が景朗クンですね。私は木原導体というものデス。今日は、君に用があってきたんデスよ。」

 

科学者さんはそう言って、ボクに名刺を渡し、握手を求めてきた。名刺には、高崎大学の研究員と書いてあった。ここから一番近い大学じゃないか。ちょっと雰囲気が怪しい人だったけれど、礼儀正しい態度だったので、特に不信感を持たずに握手を返した。

 

そのあとは、クレア先生がソファに掛けるように勧めてくれたので、黙ってクレア先生の横に座った。ボクが木原導体氏の名刺をポケットに入れると、クレア先生が話しかけてきた。

 

「かげろう君。さっきも言っておられたけど、今日はかげろう君に話したいことがあって、木原さんはうちにいらっしゃったらしいの。今から少しだけ、木原さんのお話を聞いてもらえないかしら。」

 

最初から断る気なんてなかったけど、クレア先生の頼みならなおさら断れませんな。ボクはこちらをじっと見つめる木原さんと視線を合わせながら、ふと疑問に思ったことを口にした。

 

「今日はわざわざお越しいただいてありがとうございます。僕が雨月景朗です。あの、どうして今日はボクなんかにのために会いにきて下さったんでしょうか?他の子達にもお話があるなら、もう少し待ってもらえれば、皆帰ってくると思いますよ。」

 

ボクがそこまで話したところで、木原さんが途中から割り込んで喋り出した。

 

「イイエ。違いマスよ。今日、私がここに来た理由は純粋に、景朗クン、君にある提案を聞いてもらうためなんデスよ。」

 

木原さんのその答えに、更に疑問符が浮かぶものの、とりあえずおとなしく彼の話の続きを聞くことにした。

 

「景朗クンはおりこうサンみたいデスね。受け答えがしっかりとしていマス。そうデスね。率直に用件をお伝えしマショう。私たちは今、筋ジストロフィーという難病の研究をしていマス。

この筋ジストロフィーという病気を発症すると、体中の筋肉が加齢ととも縮小し、徐々に正常に機能しなくなって行きマス。ほとんどの発症者は十代で自分で歩くことすらできなくなり、そして二十代でほぼ全ての人が、心不全や呼吸障害を併発させて死亡してしまいマス。

 

最近、この病気の治療法の研究に、景朗クンの能力が有用なのではないかという意見がでてきましテね。本格的に検証シたところ、たしかに、景朗クン。君の能力をもっと詳しく研究し、応用していけバ、もしかしたら、今まで以上に効果的な、筋ジストロフィーの治療法を開発できるかもシれないのデス。」

 

木原さんは一口で一気に、ボクに会いにきた動機を語ってくれた。次に彼が何を言い出すか、誰にでも容易に予想できるだろう。

 

「景朗クン。すデにキミも私の言いたいことが予想できると思いマス。どうデしょうか?私たちの研究に協力していただけないデしょうか?」

 

確かに、彼の話の流れから、次はきっとこうやって、ボクに協力を要請するだろうと推測できていた。しかし、協力といったって何をすればいいんだろう?ボクの能力がなにかのやくに立つのなら、正直ちょっと嬉しいけれども。

 

「きょ…協力と言われても…。具体的に、ボクはいったい何をすればいいんでしょうか?もちろん、その難病の治療法の開発に協力できるなら…自分にできる範囲で…やってみたいと思いますが…」

 

さすがに、協力と言いつつ何をさせられるのか全く分からない状態では、ボクの返事の歯切れも悪くなる。木原さんはボクの返答を予想していたようで、すぐさまその答えを返してくれた。

 

「その言葉を聞いて安心シました。恐らくキミの能力の調査は、一朝一夕ではデきません。ですから、今の所ハ、我々の研究機関にも付属の養護施設がありマスので、とりあえずはソコに住居を移していただいテ、逐一、研究のための実験の協力をシていただけれバと思っていマス。」

 

一瞬、思考が止まった。それは…要するに、この施設、聖マリア園から出ていかなくてはならないってことじゃないのか?

隣に座るクレア先生も驚いて硬直している。ボクが放心していることに気付かず、木原さんは淀みなく喋り続けた。

 

「キミの能力はこの学園都市でも非常に希少なモノなのです。今現在、書庫(バンク)に登録されている肉体変化能力者(メタモルフォーゼ)の総数は、たったの2名デス。そのうちの1人が、実はキミなのデスよ。驚くかもしれマセンが、キミは学園都市でもたった2人しかいない肉体変化能力者(メタモルフォーゼ)の片割れなのデス。」

 

予想外の新情報だった。ボクがこの学園都市にたった2人しかいない肉体変化能力者(メタモルフォーゼ)……だって…?

 

「もちろん、私たちに協力していただけれバ、コレからの生活についてハも何も心配要りマセんよ。住居、授業料、生活費、我々がすべて補償シマす。キミにとっても非常にヨい話だと思いマすよ。」

 

ボクは、木原さんの話を聞いて気分を落ち込ませずにはいられなかった。この上なく素晴らしい提案だった。しかし、渡りに船の話のはずなのに、苦しい気持ちになる。彼等は、役に立たないと思っていたボクの能力の活用法を知っている。そのおかげで、ボクはこれから、この施設に頼らずに生きていけるようになるだろう。だが、それは今までずっと一緒に暮らしてきた、この施設の仲間との別れを意味している。

 

家族のように育ったクレア先生や火澄や、花華たちとの別れ。ボクは…ボクは…これ以上迷惑をかけないように、15歳になったらこの施設を出て行こうと心に決めていたはずじゃないか。それが3年ほど早まるだけ。それなのに、嫌だった。こうやっていざ、この施設から出ていけるとなると、みんなとまだ一緒に居たい、そういう気持ちでいっぱいになった。どうして。いきなりすぎる。

気がつくとクレア先生がボクの顔を気遣うように見つめていた。

 

「か、かげろう君。急いで決めなくていいのよ。じっくり考えて、かげろう君の思うとおりにしていいからね。もし、みんなと離れ離れになるのがいやなら、ここにずっと居ていいんだからね。」

 

クレア先生のその言葉に、木原さんも同意の言葉を放った。

 

「大丈夫デスよ。景朗クン。シスター・ホルストンのおっしゃるように、時間をかけテ考えテくださって結構デス。」

 

 

大人2人の顔を見ずに、ボクは下を向いたまま考え続けた。一般的には。ごく普通の"置き去り(チャイルドエラー)"の立場から判断すれば。きっと木原さんの提案を二つ返事に受け入れるべきなのだろう。だけどボクは。全然、嬉しい気分に成れずにいた。この施設の人たちと離れ離れになるのは寂しくて、とてつもなく嫌だった。……しかし、クレア先生はそんな僕を、情けのないヤツだと思って失望するだろうか。ボクは不安な気持ちでクレア先生の顔色をうかがった。

 

先生は、ひたすらボクを心配そうに見つめていた。今までに見たこともないくらい寂しそうな顔付きをして。ずいぶんと長い間、一緒に暮らしてきたから分かる。きっと、先生の立場からは言えないのだろう。自立できる可能性を不意にして、ここ聖マリア園に残ってくれとは。だって、ここの生活は、けっして裕福だとは言えないのだから。

 

先生の顔を見て、ボクは決心した。ボクはここに残りたい。たとえ迷惑をかけることになっても、先生がいいと言ってくれる限り、みんなと一緒に居たい。ボクは木原さんに向き直ると、はっきりとした意思をもって自身の思いを伝えた。

 

 

「す、すみません!あの…今回の話はすごく良い話で…本当にありがたいお話だったんですけど、ボクは、まだこの施設の人たちと一緒に居たくて、もう少しだけここでお世話になりたいんです。ですから、今回のお話は…その病気で苦しむ人たちには合わせる顔がないんですけど……お受けすることはできません。」

 

ボクの言葉を聞いた木原さんに、期待が外れて残念そうな表情はまったくといっていいほど出てこなかった。それどころか答えに納得したような表情をして、つづけてボクに返事を返した。

 

「フム。そうですか。わかりまシた。イエ、そう言うことなら、今回の話ハ、まったくお気になサらないでクダさい。もともと、可能性の話をシていただけなので、景朗クンが病気の患者サンのことを気にする必要もナイのデスよ。ただ、キミの能力には、我々が十分期待するだけの高いポテンシャルがある、そのことを忘れナイでクダさい。もシ気が向いたら、いつでも私に連絡を入れてクダさい。連絡先ハさっき渡した名刺の方に記載してありマスから。」

 

その言葉を聞いたボクはほっとした。クレア先生の方を見ると、さっきとは打って変わった、安堵に包まれた表情をしている。視線に気づいたのか、クレア先生はこちらを見ると、ボクに退席を促した。

 

「お話も済んだことだし、かげろう君、時間をとらせて悪かったわね。ごめんなさいね。」

 

クレア先生の声を耳にしながら、ボクは木原さんに挨拶をしたあと、応接室から退室した。みんなと離れるのが嫌で、その一心で思わず木原さんの提案を蹴ってしまった。

 

 

 

 

ほどなくして自分の部屋に着き、鞄を机に置いて、椅子に座って一息つく。落ち着いた今なら、先ほどの木原さんの話をもう一度冷静になって考え直すことができる。ボクは今更ながら、先の木原さんの提案をあの場で即座に断って、本当によかったのだろうか、と後悔の念が湧きあがってくるのを感じていた。

 

冷静に考えてみれば、このさきボクたち"置き去り"に、ああも簡単に自立の道が降って湧いてくるのだろうかと。ここ、聖マリア園の経営状況は年々悪化しているし、いつまでも世話になるわけにはいかない。ゆくゆくは中学の卒業とともに出て行こうかと思っていたものの、今すぐだと言われたら、まだこの場所に残りたいという気持ちで一杯になった。それは本当だ。あの場で受け入れる覚悟はなかった。

 

しかし、木原さんが僕の能力には高い可能性があると言っていたとはいえ、いつまでも悠長に彼等が僕の能力を必要としてくれる保証はない。それに、木原さんは気にしなくていいと言ったが、もし、役に立たないと思っていた、低能力(レベル1)の僕の能力が、本当に筋ジストロフィーの患者さんを救えるのなら…あんな風に、実験に協力できないと即断したのは、愚かなことだったんじゃないか、と、ボクの良心みたいなものがじくじくと痛んだ。

 

 

 

気分転換に、園の外回りを掃除することにした。いつの間にか夕暮れ時になっており、日もだいぶ落ち、綺麗な夕焼けが眩しかった。箒を片手に庭先を掃除していると、玄関から木原さんが歩いてくるのが見えた。

木原さんの姿を目にしたら、先ほど自分の部屋で一人考えていた案をこの場で彼に伝えてみよう、という気になっていた。後で木原さんに貰った名刺の連絡先に連絡しようかと思っていたが、もうこの機会に話してみよう。

 

彼がこちらに近づいてきたので、ボクは会釈をする。

 

「先ほどはすみません。木原さん。」

 

ボクがそう言うと、木原さんは不思議そうな顔をした。

 

「イエイエ。キミが謝る必要なんてどこにもありマセんよ。今日は時間を取らせてシまい、こちらこそすみませんデシた。」

 

「あの、木原さん。ボク、さっきは実験に協力できないと言いましたけど、あとから自分でよく考えて、それで…。この施設を出ていくことはできないんですけど、ボクの空いている時間に木原さんたちの実験に協力するってのは不可能でしょうか?」

 

ボクのその発言に、木原さんは興味を示したようだった。

 

「そうデスか。もしかして景朗クンハ、我々の実験に協力すること自体ハ嫌ではないんデスね?」

 

木原さんのその答えに、ボクは肯定の言葉を返した。

 

 

「そうデスね。フム…。我々としても、キミの能力ハ、筋ジストロフィーの治療以外にも他の分野で役に立つと考えていマシたからね。……それデシたら、こうシマしょう。景朗クン。今週末、キミの都合のヨい時間デかまわないのデ、私の所属スる鎚原病院の木原研究所という部署に顔を出シてもらえナイデしょうか?住所は渡シた名刺に載っテいマスから。そこデ、とりあえずキミの能力の検査をサセてクダさい。後のことハ、それから考えテも遅くはナイデしょう。」

 

「は、はい。わかりました。」

 

「それでは、景朗クン。週末にマタお会いシマしょう。」

 

木原さんはそう別れを告げた後、大通りの方へと消えていった。こうやって、実験に協力して、病気で苦しむ人たちの力になれる。それはそれで良いことじゃないか、とボクは後悔の気持ちが薄れていくのを感じた。

 

いろいろと悩みを吹っ切ったボクが、手早く掃除を終わらせようと、箒を強く握りしめたその時、いきなり後ろから声をかけられた。

 

「さっきの人、誰?うちにお客さんだったの?」

 

正体は火澄だった。ちょうど今、委員会の仕事を終えて帰ってきたらしい。先ほどの木原さんとの会話を見られていたようだ。火澄の機嫌がすこしだけ悪そうに見えたので、ボクはあわてて質問に答えた。

 

「いや、うちの園のお客さんってわけじゃなくて、ボク個人に用があってきた人だったんだ。うちの園に関する話は何もなかったよ。」

 

ボクがそう答えると、火澄は驚いて、再び詰問してきた。

 

「景朗個人に要件?それで、いったい何の用件だったの?まさか、あなたを引き取りたいとかいう話じゃ…!」

 

「うーん。そんな感じの話になるのかな?実際は、あの人は病院の研究者さんか何かで、ボクの能力を病気の研究に使いたいって話だったんだ。実験に協力したら、その研究所の施設にお世話になることができたんだけど、ボクはまだうちに居たいからすぐに断っちゃった。」

 

ボクの返答に少し落ち着いた火澄は、鞄を持ち直しながら、まだ確認するよう続きを促してくる。

 

「じゃ、じゃあ、もう断ったってことは、結局あんたはこれからもうちに居続けるのよね?」

 

「そ、そうだよ。なんでそんな慌ててんのさ。ビックリした?」

 

ボクの言葉に一瞬言い淀んだ火澄は、憤慨した様子でくるりと後ろを向くと、ボクを置いてけぼりにして、園の方に歩いて行った。

 

「バッ……。な、なんでそうなるのよ!…あんたこそ、本当にそれでよかったの?勿体なかったんじゃない?」

 

掃除なんてどうでもよくなったボクは火澄を追いかけた。そしてその背に向かって喋りかける。

 

「もうちょっとだけこの施設に世話になりたいんだよ。みんなと会えなくなるのはつまらないんだ。」

 

「正直に言いなさいよ。つまらないんじゃなくて寂しいんでしょ?」

 

「それももちろんあるさ。」

 

「ふーん。よかったね。」

 

彼女は早歩きでずっとボクの前を歩いた。ボクが火澄の真っ赤になった耳を見てニヤニヤしていると、突然火澄が振り返る。

 

「さっきからなにずっとニヤニヤしてんのよ。いい加減にしないと燃やすからね!」

 

まさしくマッチを擦り合わせるような音がして、彼女の周りにいくつかの小さな火の玉が燃え上がった。ボクは咄嗟に距離を取ってなんでもないと手を出して、誤魔化さざるを得なかった。

 

 

 

 

 

木原さんがボクらの孤児院に来た週の週末、ボクは早速、彼の指定した病院、鎚原病院へと来ていた。聖マリア園のある第十二学区は学園都市の東の端に位置している。この鎚原病院は第五学区の南の端にあるから、自分1人で行った場所としては一番遠いところになるかも知れない。

行きがけは第二十三学区をぶち抜いてきたけど、あまり面白いものは見れなかった。

やっぱり第二十三学区はみんなが言うように、産業スパイ対策が厳重だってことなんだろう。帰りは第五、第六学区ルートで帰ろうかな。そうだ、帰る前に第七学区や第十八学区に行って、目星を付けてある中学校の見学をするのもアリだな。

 

ボクは伸びをしてから、今までぼうっと眺めていた、正面の病院に向き合う。この鎚原病院は、少々サイズは大きいものの、見た目はごく普通の病院といった感じであり、あまり最先端の研究をやっているようには見えない。建物の外見と中でやっている研究はまったく関係が無いってことだろうか。しかし、あぽいんととか全然取ってないんだけど大丈夫かな。やっぱり事前に電話の一本でも入れておくべきだっかもしれない。

 

ここに来て少々不安になってきた。まぁいいか。木原さんたちが忙しくて相手にしてもらえなかったら、さっそく第七学区に行って丸一日、中学校の見学をしていこう。この前友達に教えてもらったゲームセンターも気になるけど、お小遣いが…。

 

 

やはり大きな病院だからだろうか、病院のエントランスには忙しそうに行き交う看護婦さんやお医者さん、患者衣を着た人、車イスを転がしている人たちで混雑していた。ボクはまっすぐ受付まで歩いて行った。外来対応のお姉さんに名刺を渡して、木原さんに呼ばれてきたことを話すと、すぐ横のベンチで待っているように言われた。言われたとおりに大人しくベンチに座る。

改めて辺りを見渡して、その大きさ、人の多さに驚いた。ここまで大きな病院に来たことは今までなかったからだろうか。患者さんには学生が多いけど、その他の人たちはみな大人ばっかりだ、当り前か。

 

 

しばらくすると、メガネをかけた、少し冷たい印象を受ける女医さんが、ボクを迎えに来てくれた。冷たい印象と言ったが、態度も冷たかった。必要最低限の言葉で、ボクについてくるように言うと、ボクのことなどまるで気にも留めていないかのように、どんどん先へと歩いて行った。

慌てて後ろについて行く。廊下にでて、十字路を左に曲がると、大きなエレベーターが鎮座する、ピュロティに行き当たった。彼女がエレベーターに入ると、すぐにドアが閉まりそうになったので、急いで走って行って突っ込んだ。なんとかドアが閉まる前に滑り込めたものの、女医さんはこのことにすら興味がわかないのか、こちらを一瞥もせずに、手に持っていた書類を眺めている。

 

とても会話ができるような空気じゃなく、ボクは手持無沙汰になって、ぼんやりとエレベーターのボタンを眺めた。そこで驚いた。地下だ。このエレベーターは上階じゃなくて、地下へと向かっていた。おまけに、この病院はなんと地下20階近くもあるようで、他に1人、エレベーターに乗っていた人も、地下3階で降りてしまったのでこの女医さんと2人っきりになってしまった。

どこまで降りるんだろうか。居づらい、沈黙が辛い。見たところ、クレア先生とそう年は変わらなそうだ。それなのに、この態度の違い。ああ、クレア先生が恋しい。今日はまだ何もしてないのに、ちょっとだけ帰りたくなった。

 

 

地下12階でやっと止まった。女医さんが出て行ったので、その後ろにひっついて行く。エレベーターを出て、部屋の様子を見て納得した。確かに、これは病院じゃなくて研究所だ。地下12階を見渡せば、高い天井に無骨な内装で、窓越しに除けば、なんにつかうかわからないマシンとコンピューターだらけの部屋。女医さんはコチラを気にせずどんどん進んでいくので、じっくり見れないのがもどかしい。

 

室内なのにだいぶ歩いた。5,6分かかっただろうか。とある一室についた。扉の前で女医さんが立ち止まり、「ペインキラーの少年をお連れしました。」と言っている。ヲイヲイ、人をペインキラー呼ばわりかよ…あれ、でもなんかちょっとカッコイイかも。実はボク、自分の能力のペインキラーって名前、気に入ってるんだよね。ダメかなぁ。

 

ドアの向こうから、御苦労さまと聞こえると、女医さんはボクに中に入るように促した。とはいっても、ドア、開いてないんですけど。これ、なんか高度なセキュリティっぽいのあるし。大丈夫かな、と思ってドアに触れようとすると、目の前のドアが素早く、音も無く開いた。部屋に入っても女医さんはついてこなかった。どうやらここでお別れみたいだ。

 

部屋の奥に進むと、そこは研究室というよりは個人の書斎により近い内装だった。奥の机に、禿げあがった六十歳かそこいら、もっと上かも知れないが、その位の年ごろのお爺さんが座っていた。お爺さんはボクが机の前に向かおうとすると、途中で話しかけてきた

 

「こんにちは、雨月景朗クン。私は木原幻生という者で、ここの所長をしていてね。この間、君と話をした木原導体は私の部下なんだよ。はは、そうだな。この研究室には、少々"木原"と姓の付く者が多くてね。私のことは幻生と呼んでくれて構わないよ。」

 

木原幻生と名乗ったお爺さんは、うちに来た木原さんと同じ名字で、尚且つ、そのどこか怪しい雰囲気を醸し出すところも一緒だった。そんなに木原ってつく人が多いのかな、この研究所。気になるから、さっきの女医さんの名前も聞いてみようかな。あの人も案外木原なにがしさんだったりして。

 

「ご存じかとは思いますが、ボクが雨月景朗です。改めて、今日はよろしくお願いします。えーと…幻生先生。もしかして、今日はこの間来てくれた木原導体さんには会えないんでしょうか?」

 

幻生さんはボクの言葉にうなずくと、机の上の書類に視線を移しながら返答を返した。

 

「キミの言うとおり、今日は彼は留守でね。残念だが会うことはできないだろう。それより、景朗クン。さっそくで悪いが、キミの能力を試験させてくれんかね。私はキミの能力が気になって気になって仕方がないのだよ。なんせ、学園都市に2人、超の付く稀少素材だ。」

 

そういうと、幻生さんは壁に備え付けてあった端末を操作し始めた。これから実験室に行くんだろうか。しかし、"素材"ってなぁ。さっきの女医さんといい、幻生さんといい、なんというか…これが科学者、研究者ってことなんだろうか。

 

端末の操作を終えた幻生さんは、部屋の棚からティーカップやらクッキーやらを出してトレイの上に乗せていた。お茶の一杯でも頂けるみたいだ。よかった。一応お客さんの扱いだったらしい。さっきから実験動物みたいな視線で見られている気がしていたからね。

 

「景朗クンはコーヒーと紅茶、どちらがいいかね?」

 

「ありがとうございます。コーヒーでお願いします。」

 

何を隠そう。ボクは齢11にして、コーヒーをブラックで飲めるのだ。ふふん、苦いのを我慢して大人ぶってるそこいらのガキんちょと一緒にしないでもらいたい。なんで大人はコーヒーを美味しそうに飲むんだろう?正直苦くてまずいんだけど、ボクの知らない秘密でもあるんろうか?大人だけコーヒーの美味しさを知ってるなんてズルイ、という風に思い至ったボクは、少し前にコーヒーの苦さの克服とおいしさの追求をする訓練を試みたのだ。

なんとまぁ、その後たった一日でブラックコーヒーを美味しく感じるようになったボクは、今じゃいっちょ前においしいコーヒーとそうでないものの区別にうるさくなってしまった。

 

とまあ。アホな回想をしている間にコーヒーが入ったらしく、幻生さんがカップを手渡してくれた。

 

「またせてすまないね、景朗クン。試験の準備が終わるまで、一息入れようじゃないか。」

 

「いえ。コーヒーありがとうございます。…ん。おいしいですよ、コレ。」

 

「おや。景朗クンはブラック派のようだね。実は、私はコレに目が無くてね。仕事がら頭を使うからかな、と言い訳をさせて貰おう。」

 

そういって、幻生さんはソーサーの上に乗せた大量の角砂糖とミルクを手に取った。いや、ボクだってミルクは捨てがたいですとも。

 

お互いにコーヒーで一息入れた後、幻生さんが試験の前にいろいろ聞いておきたいことがあると言い出して、ボクの能力についていろいろと根掘り葉掘り聞いてきた。さすが現役の研究者さんだ、今まで聞いたことが無いような質問やよく理解できなかった質問が目白押しだった。

 

「……ほう。それは興味深い。なまじキミの能力が能力である分に。痛いの痛いの飛んで行け…キミは、その時に能力を意識的に使っていたのかね?」

 

いろいろな話に幻生さんは喰い付いて来たが、この「痛いの痛いの飛んで行け」の話にはとりわけ興味を惹かれたようだった。

 

「いえ、能力を使おうだなんて発想はありませんでした。他人の痛みをどうこうできるなんて…そう考えたことがあってやってみたことがあったんですけど、できませんでした。昔怪我をした友達に試したことがあるんですけど、効いている風ではありませんでした。」

 

ボクの言葉を耳にしてすぐ、幻生さんはすぐさま机の引出しを開けゴソゴソと何かを探し始めた。やがて、警備員(アンチスキル)の持つ警棒のようなものを取り出すと、ゴトンと音を立てさせてそれを机の上に乗せた。

 

「簡単な実験をしてもよいかね?景朗クン。これは自衛用のテーザーで、棒の側面から高圧電流が流れるのだが、電圧を自由に調整で来てね。この電圧の出力を最も低く設定すれば、触れた部分にビリビリと小さな痛みを与える程度に加減できる。今からこれを私の手に使ってみるから、先ほどの"痛いの痛いの飛んで行け"とやらを、私にもやってみてくれんかね?」

 

そういうと幻生さんは、ボクの確認も取らずにパチパチと光るその棒を自分の腕に押し付けた。何回か同じ箇所に押し付けると、その箇所は赤く腫れていた。

ここまでされて、いいえできません、と断る訳にもいかず、ボクは少々恥ずかしながらも、幻生さんに恒例の「痛いの痛いの飛んで行け」をやってあげた。すると、幻生さんは驚いた顔をして、

 

「ほう!確かに、痛みが和らいだように感じるな。これは…面白い。」

 

幻生さんは、興味深そうに腫れた箇所をさすりながら、しばらくぶつぶつと独り言を言い始める。すぐに考えがまとまったのか、手を動かすのをやめて、ボクに向き直ってこう言い放った。

 

「単純な推測だがね。もしかしたら、キミの能力には、恐らく他人の痛みにも干渉する力がある。これも、推測になってしまうが、キミの怪我をした友人の話は、単にキミの能力の出力が足らなかったせいではないかと思うよ。

身体検査(システムスキャン)では、低能力(レベル1)と判断されているからね。ちなみに、その時のキミの友達の怪我とは何だったのかね?」

 

「その時はわからなかったんですけど、あとから骨折してたって聞きました。」

 

そうか。さすがに骨折の痛みは和らげることができなかったのか。というか、それくらい気づけよ、ボク。

幻生さんがつづけて何かを言うとしたが、ちょうどその時に、彼の携帯が振動した。すぐさま携帯を開くと、幻生さんは立ち上がり、ボクを部屋の外へと促した。

 

「試験の準備が終わったようだ。すまないが、もう少しお付き合い願うよ。景朗クン。」

 

 

 

 

 

その後、色々あって、ボクの能力の調査がやっと終わった。一言。疲れた。基本は、でっかいマシンに繋がった椅子に座って、注射を打って、変なコードの着いた電極だらけのヘルメットをかぶる。これだけだった。色々と痛みを感じる試験もあったのかも知れないが、基本的に能力を使用していたのでどれがそうなのか分からなかった。視覚的に痛そうな実験はやってなかったように思えたが。

 

そうそう、注射する時に、「痛みを感じないように能力を使うので、そこのところは配慮しなくて大丈夫ですよ。」って言ったんだが、試験に付き合ってくれた、あの女医さん、そこで初めて僕の"痛みに配慮すべき"ということに気がついたみたいだった。勘弁してくれよ。

 

 

 

 

 

最初に幻生さんと一緒にコーヒーを飲んだ書斎に戻ってきた。幻生さんは、目に見えて興奮していた。嬉しそうだったとも言い換えられるかな。幻生さんがソファを進めてくれたので、トレイに置いてあったクッキーを片手に座った。幻生さんは、机ではなく、僕の対面のソファに座ると、嬉しそうな表情を崩さずに、ボクに再びコーヒーをすすめてくれた。

 

ボクが一息入れた後に、幻生さんは大事な話がある、と前置きをした。真剣な表情だった。やはり、コレからも実験に協力してほしいというお願いだろうか。けっこうな喜びようだったし、と、幻生さんの話を聞く前はボクはどこか気が緩んでいた。そして幻生さんが口を開いた。

 

「景朗クン。私は今日、キミの能力を直に検査して、一つ、確信を得られたよ。断定的な表現は避けたいが、私は疑い無く、キミの力が我々に有用なものになると考えている。君の力は是非とも科学の発展に寄与させるべきだ。此れからも私たちの実験に協力してはくれないかね。キミの能力からは、ひょっとしたら、我々の想像以上の成果が得られるかもしれん。」

 

「そ…そうなんですか。それは良かったです。ホントはちょっと、不安でした。ボクの能力がホントに役に立つのかなって。でも、しっかりと確証が取れて、安心しました。幻生先生、ボクも出来うる限り幻生先生たちに協力したいと思っています。」

 

彼の言葉に、ボクはすっかり照れてしまっていた。こんなに他人に、しかも大の大人に褒められた経験はそれまでに無かったから。しかし、その喜びも、彼が放った次のセリフで台無しになった。

 

「色良い返事が聞けて私も嬉しいよ。…ただ、私の考えている"協力"は、恐らくキミが想像しているものとは違い、キミにとって遥かに負担の大きいものとなるだろう。だからね、此方の実験をキミに押し付ける代わりに、此方からもそれに見合った"見返り"を提供する。そういう風にして、中途半端な協力体制ではなく、きちんとした取引の形にさせては貰えないだろうか?」

 

負担が大きいとは、どういう意味だろう?だけど、この時ボクは、こんな大きな研究所の所長さんに、自身の能力の、価値が認められている、要求されているという事実に、喜びと、自尊心の様なものを感じ、冷静さを失っていたんだと思う。

 

「み、"見返り"って…一体…。ボクは、ボクの能力が役に立つのなら、最大限協力しようと考えています。しかし、この間、導体さんにもお答えしたとおり、ボクは…今住んでいる孤児院から、出て行きたくないんです、今はまだ…。あの施設の人たちと離れ離れになりたくないんです。ですから、ボクの空いた時間にできることだけじゃないと…」

 

ボクがそこまで口を開くと、幻生さんは途中で割り込み、話を続けた。

 

「キミが、今の施設から離れたくないと思っていることは、私も部下から聞いているよ。だからだね、景朗クン。これでも私は、この木原研究室の所長であるし、他にも、先進教育局で所長を、胤河製薬では特別顧問を兼任していてね。キミが今の施設を離れたくないと考えているのは重々承知だ。そこでだね、私の個人的な伝手を使って、キミの孤児院に経済的な援助を行おうかと考えているんだよ。」

 

驚いた。彼が言い出したことを理解するのに、時間がかかった。うちの園に対する経済的な援助…二つ返事で、いやむしろこちらから土下座してでもお願いしたい”見返り”だった。

そんなこと本当にできるのかな。……いや、きっとこの人ならできる。ボクはまだ小学生で、世の中のことなんてほとんど知らないが、今日見たこの研究所での出来事、幻生さんの振る舞い、研究所の人たちの振る舞いが、物語っていた。この人、幻生さんは、学園都市でも強大な"権力"を持つ側だと…。

 

「無粋な話だがね、キミの孤児院の経営状況は非常に良くないと聞いている。それに、キミの能力の研究を行う中では、時にあまり表沙汰に出来ないような実験も必要になる可能性がある。

これは、キミの能力を研究に活かすには、時に少々危険な実験をしなくてはならないという意味でもあるのだが、そういう訳でもね、やはり、キミの空き時間に、キミの善意で協力を願い出るという、中途半端な方法は合理的ではないし、不可能なのだよ。

そこでね、景朗クン。私と契約をしてほしい。まだ世間を知らぬ小学生のキミに、このような話をするのは私としても気が咎めるが、キミはその生い立ち故か、非常に利発で、大人びた考え方をしている。一対一、対等な1人の人間として、改めて私とギブアンドテイクの、対等な取引をしてくれんかね。」

 

いったいどうなっているんだ…。ボクは…ボクの…ボクの能力を実験に使えば…施設の困窮した状況を変えることができるのか…。まるで夢物語だ。そんなこと…火澄にだって出来っこないだろう。

危険な研究っていうのも…それだけ大きな金額が動くというのだから、必要なリスクなのだろう。それは理解できる。けれど…

 

「ほ…本当に…そんなことができるんですか…?それ以前に、ボ、ボクの能力、ちょっとは役に立つかも知れないけど、そこまでの価値があるわけないですよ…。そんな保障、どこにもないでしょう!?」

 

ほとんど悲鳴に近い否定だった。しかし、幻生さんは、落ち着いた声で反論してきた。

 

「いや、何度でも言うが、キミの能力にはそれほどの素養(ポテンシャル)があるはずだよ。前々から、キミの身体検査のデータで予想はしていたんだが、今日の計測でそれが確信できた。キミの能力は、我々の想定する研究でかならず成果を挙げる。それに、そもそも、途中でキミの能力が使えないと判断が下されたとしても、その時にキミの孤児院への、我が病院からの支援が無くなるだけで、今まで以上にデメリットが増える状況にはならないと思うのだがね。」

 

それは…そうだ。幻生さんの言うとおりだった。現状ではボクがうまく実験に協力できれば、孤児院が救われ、それが出来なければ今までどおり。何もデメリットはない。きっと、ボクの体に後遺症が残るような実験が為されない限りは…。みんなを…助けられる。今まで、何度夢見てきたと思ってるんだ。誰かが、ボクらの孤児院に多額の寄付をしてくれて、みんなでワイワイ楽しく暮らす…それが叶うかもしれない。

 

「わかりました。…その、もう一度、確認したいんですけど…。契約って…どんな…」

 

「おお!受け入れてくれるか。その様子だと取引は成立みたいだね。"契約"といった言い方をしたのは、私なりの誠意の証だと思ってくれたまえ。もう一度、取引を確認しよう。詳細は後からまた話し合うが、大まかな取引の条件はだね――――――

 

 

 

その後、ボクは木原幻生先生と"契約"をした。ボクの能力を研究に活かすためには、それなりに危険な実験をする必要もあるため、実験に協力していること、実験の内容に関すること、ほとんどすべてを外部に漏らさないようにと徹底された。所謂守秘義務ってやつらしい。そのかわり、ボクがきちんと実験に、従順に協力している限り、ボクの孤児院に幻生先生が経済的な援助を行うというものだった。

 



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episode02:戦闘昂揚(バーサーク)

 

 

 

結局、鎚原病院から出られたのは、茜色に眩しい、夕暮れ時になってからだった。もはや第七学区に寄り道する時間も元気もなかったため、そのまま最初の予定通り、第五学区、第六学区を通るルートで聖マリア園へと帰った。

 

電車の中で、今日あった出来事を振り返る。現実味がない。あんなんで、ホントにボクらの孤児院が救われるのだろうか。今までずっと、クレア先生の溜息を見ることしかできず、苦しかった。孤児院のみんなも、今とは全く違う、裕福な生活。

 

そんな夢を見たのは一度や二度じゃ済まないだろう。ある日突然、ボクの能力に価値があります。それを研究します。資金が出ます。……なんじゃそりゃ。なんてご都合主義だ。こりゃ夢だな。ははは…

 

そう。夢のような話だ。だが、記憶の中の木原幻生は、はっきりと「孤児院への経済的な支援」と言っていた。この時のボクは、これは夢なんだ、淡い期待なんだ、きっとボクの能力なんて途中で、いや始まる前から「やっぱり駄目でした」ってなるに決まってる。だから、期待なんかするもんか、こんなご都合主義、信じるもんか。

 

そういう風に、誰よりもこの"夢の成就"を渇望しつつも、それが不可能だった時の落胆が怖くて、ただただ、必死に祈っていた。物事が良い方向に動きますように、良い方向に動きますように、と。

 

 

駅から出て、うちへと帰る途中で、火澄とばったり出くわした。火澄は第十四学区の図書館に行ってたようだ。第十四学区は留学生の学区。なるほど、世界中から腐るほど色んな言語の洋書が集まっているのだろう。それ目当てか。

火澄は珍しいものを見た、という顔をして、ボクに休日はどうだったのか聞いてきた。

 

「いや、第七学区や第十八学区に行って、目星をつけてある中学校の見学をしてきたよ。どこもそんなに違いはなかったなぁ。」

 

ボクがそう言うと、火澄は疑わしそうな目線で見つめてくる。思わず明後日の方向に目をそらす。

 

「ウソでしょ。景朗、嘘を吐く時、目を上にそらすもの。今、私が言ったとおりに目をそらしてたわよ。」

 

マジかよ!?しまった。視線に耐えるべきだった。ボクも学習しないなあ。素直に考えていた言い訳を話すか。

 

「バレるの早ッ!…はぁ~。お察しの通り、第七学区に行ったは良いものの、友達が言ってた例のゲームセンターに行ってしまいましたよ。ロクに中学校は見学できませんでした。」

 

それを聞いた火澄は、ほれ見たことかと目を吊り上げ、ぷくっという音が聞こえてきそうなほどに、頬を膨らませたた。

 

「むぅぅ。どうやら遠出するみたいだったから、何をしに行くのかと思ったら…!1人で楽しんで来たのね!私は図書館で勉強してたのに!ズルいわよ!」

 

「い、いや、最初はオレもちゃんと見学に行こうと思ったんだけどさ…やっぱり、いざ第七学区についたとなると、やっぱ休みだし、みんな楽しそうに遊んでて…つい魔がさしてさ…」

 

言い訳をしていると、火澄はボクを糾弾することに徒労を感じ始めたらしく、なにやらポツリポツリと独り言を呟きだした。なにやら「1人でいってつまらなくないのー?」だとか。

ボクは火澄にウソを吐いた罪悪感からか、それとも彼女に対する下心からか、両方か。気づいたら、彼女にある提案をしていた。

 

「や、やっぱりオレも、今日行ってみてさ、1人でゲーセンはどうかなって思ったよ。…よかったらさ、今度行く時、1人だとつまらないだろうからさ、一緒に遊びに行ってくれたり…しない…?」

 

その言葉を口にしたとたん、火澄が一瞬硬直したように見えた。その後、オイルの切れた機械が動くように、ぎくしゃくと首を不自然に回してこっちを向き、返事をしてくれた。

 

「人が一生懸命勉強していると思いきや、遊んでいる人がいて、悔しいったらありゃしないわ。…悔しかったんだから!今度はワタシだって遊ぶ!遊んでやるんだから!今度は連れて行きなさいよね!」

 

その返事に嬉しくなって、そしてちょっと恥ずかしくなったボクは、彼女の顔を直視できず、下を向いたまま、

 

「そうだね!偶には遊ばなきゃ!オレたちまだ小学生なんだから!よし、遊びに行こう!」

 

こう言う風に相槌を打つことしかできなかった。なんだかドキドキするな。後ろから火澄の黒髪サラサラロングヘアーと、白いうなじのコントラストを眺めていると、なんかこう…ムラムラ?

 

ボクの視線に気づいたのか、彼女がさッと振り返った。咄嗟に目をそらす。しまった。いやいや、ボクもう小学五年生ですから。許しておくれ。

 

 

 

 

 

翌週から、ボクの生活は新しくなった。月曜日から金曜日、平日は今まで通りだけれど、それに加え毎週末、土曜日か日曜日、時たま土日両方が実験に消えるようになった。

 

毎週毎度のように出かけるボクを、最初はみんな訝しんだものの、あれこれ言い訳を、それこそ中学校の見学だの、図書館に行って来るだのと説明していたら、みな、「ああ、要するに、1人でぶらぶらしたいんだな、コイツ。そういう年頃なんだな、コイツ。」という風に勝手に納得してくれるようになった。

 

クレア先生はボクが大人になって寂しいわ、と大げさに嘆き、花華たちは、最近遊んでくれなくなったと不機嫌になった。でもまあ、日頃の行いが功を奏したのだろう。誰もボクが人体実験スレスレの研究に参加しているとは思っていないようだった。

 

ただ、火澄だけはちょっとボクを疑っているようで、素直にボクの言い訳を信じているようではないようだった。ボクは新たに、こう言うときの火澄を煙に巻く方法を見つけ出して、うまく使っていた。

 

火澄に、「そんなにオレのことが気になるのかよ…?」と言いながら、じっと目を逸らさず見つると、彼女はいたたまれない気持ちになって、慌てて何かを誤魔化そうと声を張り上げる。そしていつの間にか追及の芽が摘まれている、といった具合だ。

 

ちなみに幻生先生からの連絡は普通に携帯に来る。ただし、この携帯は幻生先生にプレゼントされたもので、前からボクが使っていた携帯と見かけは一緒だけど、中身は特別製になっている。ちょ、ちょっと!そこのキミ!いくらボクらの孤児院が不景気だからって、携帯くらい前から使ってたぞ!ここは腐っても学園都市なんだよ!

 

 

 

 

 

冬のある日、たしか十二月真近に迫る頃合いだったと思う。嬉しい話だ。ある日の晩、クレア先生が突然、

 

「明日は焼肉よーーーっ!!」

 

と、園に帰ってくるなり絶叫した。みんなは、ついに不景気過ぎて乱心したか!?と心配そうな表情でクレア先生を宥めていたが、ボクだけは違った。ついに来るべきものが来たか、と想像した。今まで実験に協力し続けてきたが、それでうちの園の経営が良くなっているという実感はなかった。ボクらの生活に一切変化はなかったからだ。

 

しかしまあ、それは当然のことで、ボクが幻生先生に報酬は後払いにしてくれと言っていたせいである。あの時のボクは自分の能力に完全に自信が無く、何も成果を得る前に、報酬だけ先に支払われることが怖かったのだ。責任のとりようが無いしね。

 

どうやらクレア先生の絶叫ぶりを見ると、期待していたものが遂に来たのかもしれない。先生は落ち着いていつもの調子に戻り、明日の焼肉は必ず決行することと、自分が狂っていないことを必死にみんなに伝えようとしていた。涙目のクレア先生萌える…おっと、ゲフンゲフン。

 

 

みなが一通り納得して、クレア先生に興味を失った頃合いを見計らい、気になっていたことを質問してみた。

 

「先生、さっきはあんなに発狂していったいどうしたんですか?原因が気になります!教えてくださいよ。」

 

発狂という言葉に反応したのか、クレア先生は必死に弁明を始めた。

 

「か、かげろう君まで!?原因ってなんですか!私は発狂なんてしていません。」

 

「いや、先生のあれほどの狂乱狂喜っぷりは初めて見ました。なにかとてつもなく良いことがあったんじゃないんですか?…たとえば、どっかのお偉いさんが気まぐれに、うちにめいいっぱいの寄付をしてくれた、とか…」

 

その言葉を聞いたとたん、クレア先生が硬直した。ヲイヲイ、態度でばればれだよ、クレア先生。

 

「ええっ。どうしてわかっちゃうんですか?かげろう君。そんなに私の態度、わかりやすかったかしら?」

 

クレア先生の問いに、どう答えたものかと考えるが、すぐにどうでもいいか、という気になった。こんな言い訳、考えるまでもない。

 

「いえ、クレア先生の喜びっぷりが、とにかく凄まじいものだったので。そのぐらいしか、先生を喜ばせるものはないかなーって。」

 

「うう。私、そんなにはしゃいでたのかしら。それにかげろう君…『そのぐらいしか、先生を喜ばせるものはないかな』なんて、地味に酷過ぎます…」

 

ほらね。簡単だった。クレア先生のことは何だって知ってるんだぜ…。クレア先生をからかうのは、そこまでにしておいた。ボクだって嬉しくて、飛び上がらんばかりだったのだ。ついにこの時がやってきたぞ、と。ボクは、やれたんだ、と!これからも一生懸命、幻生先生の実験に協力すれば、きっと…きっと……

 

幻生先生は本物だった…。よかった。ボクが、ボクの能力、痛覚操作(ペインキラー)を発現できて、本当によかった…!幻生先生!一生付いて行くぜ!!

 

 

 

 

 

この晩、ボクの念願の夢が叶った。ボクは狂喜した。そして幻生先生に心酔した。彼を完全に信用し、信頼し、尊敬するようになった。未来に、希望に埋め尽くされていた。今こそ、生涯で一番幸せな時だと。

 

ああ、この時の"俺"はなんて浅はかだったんだろう。そんな"俺"の幻想は、あっというまに、木っ端微塵に破壊される。同年、小学五年生の冬だった。"俺"は地獄を見る。同じ境遇であるはずの、"置き去り"達の地獄を…

 

 

 

 

次の日。その晩に、本当にバーベキューが実施された。聖マリア園の庭先で。お隣の回教(イスラム)系の組織が集まったビルの方々が、窓越しにボクたちを迷惑そうに眺めていた。

 

相変わらず、仄暗火澄(11);発火能力レベル3の調理能力は超能力(レベル5)級で、完全にバーベキューの炎を支配しているように見えた。

うちのチビどもは火澄にべったりで、恥ずかしくて火澄に絡めない年頃の小学生男児数人と料理が全くできないシスター・ホルストン(29歳独身)を率いて、ボクはもう一台のコンロを四苦八苦させながら、火澄が下味をつけてくれた肉と野菜を焼いていた。

 

うおお。煙で手元がよく見えない。おまけに薄暗いし、よく焼けてんのかわからないよ。畜生。こうなったら、やけど覚悟でもっと大胆に肉にアプローチしていくしかないか。ボクは菜箸を片手に、コンロに顔を近づける。やっぱ熱いけど、能力を使えば平気だからね。

 

 

大盛況のバーベキューが終わった。みんな幸せそうな顔していた。嬉しいな、全く。チビどもは先に寝かしつけて、今は年長組と先生とで後片付けをやっている。コンロを片付けていると、火澄が近付いてきた。

 

「まだコンロ熱いんじゃない?大丈夫?」

 

そういってボクが片付けているコンロに手を伸ばす。その途端、声をあげてすぐさまその手を引っ込めた。

 

「熱ッ。ちょっと、まだこれかなり熱いわよ。景朗、さっきからずっと触ってたけどホントに大丈夫なの!?」

 

コンロは相当熱かったようだ。最近、能力の使い方もだいぶ上達してるみたいで、無意識に痛みを消していたのかも知れない。すでに日が落ちて、辺りは暗く、自分の手の色もはっきりとは見えない。思い切って能力を解除してみた。その直後。

 

「イタタタタ。ヤバい、ヒリヒリする。」

 

ボクのその言葉に呆れたのか、火澄がジト目でこちらを見る。

 

「はぁ。まるでコントね、それ。相変わらず、便利なのか不便なのかよくわからない能力ね。力を使わなければ、手をやけどすることもなかったでしょうに。…もうっ。その火傷した手、かしなさい!」

 

そう言って、あらかじめ準備してあった救急箱を手にとって、ボクの手に軟膏を塗り、包帯を巻いてくれた。火澄がボクの手をさわっている間、なんだか落ち着かなかった。たぶん、ボクの顔、赤くなってるんじゃないかな。

 

「ありがとう。火澄。暗くてよく見えなくて。能力も無意識に使ってたっぽい。」

 

「ふん。無理にやらなくていいっていったのに、言うこと聞かずに、自分で焼き出すからこうなるのよ。…頼めば、ワタシが代わりに焼いてあげたのに…。知ってるでしょ?ワタシが焼くのだけは得意だってこと。」

 

"焼くのだけは"ですか、またまた、ご謙遜を。

 

「うう…。そうすればよかったんだけど。火澄はずっとチビどもに囲まれてたし。いつもより話しかけに行くのが恥ずかしかったんだ。ちょっと照れてたんだよ。最近火澄のこと意識してしまうっていうかさ…」

 

火澄と手を触れあっているからだろうか。満腹で思考回路が鈍っているのか。思っていたことをなんだかすんなり吐露してしまった。

 

「…………い、意識って……」

 

ん?火澄がなんかボソッと呟いたが聞こえなかった。というか、何で何も言い返してくれないんだ?……ちょっとまて、ボクは今何ていった?

 

ふと、火澄の顔色が気になって、視線を向けてみた。おお。薄暗くて確信は持てないが、彼女の顔も赤くなってる気がする。わわ、ヤバい。そのことに気づいた途端、もっとドキドキしてきた。ヤバいぞ。絶対にボクの顔、赤くなってる。

 

「どうしたの?かげろう君。ケガしたの~?」

 

クレア先生が近付いてきた。それに合わせて、さっきの心臓がバクバクするような空気が霧散する。クレア先生、グッジョブというべきか…残念だというべきか…

 

 

 

 

 

バーベキューの翌週。実験により土日の拘束+αが約束されていた週だった。この週末は特別で、病院からボクが検査入院するために、四泊もすることが予め連絡されていた。

 

生徒の検査入院うんぬんは、学園都市では珍しいことじゃないのでそう頻繁に事が起こらなければ、不審に思われることはない。とはいえ、これから、五日連続で検査入院ってのは、けっこう大胆じゃないかな?学校とかは公欠扱いになるから心配する必要はないんだけれど。

 

うちのみんなも、心配していた。重大な病気が見つかったんじゃないかって、クレア先生は涙を流さんばかりに動揺していた。火澄も心配してくれてたような気がする。なぜか最近話す機会が少なかったから自信が無いけど。

 

 

 

 

いつもどおりに、病院の地下に降りると、まずは幻生先生の書斎へと向かった。そこで、ふと疑問が湧いた。なぜだろう、今日はいつもと研究所の様子が違っている。もっとも、それはエレベーターで地下に降りる前の病院の内でもそうだったんだけれど、なんだか普段よりとりわけ人間が多いような気がした。それも学生が。小学生から中学生、高校生までと、幅広い年代の学生が緊張した面持ちで、皆が皆、研究所に新しくできた大型マシンに搭乗していた。そうだ、一体なんだろう?あの機械…。

 

 

今日はのっけから質問タイムだな、と、ボクは足早に幻生先生の部屋に移動した。やはりいつもと違って、幻生先生は珍しく、忙しそうに端末を弄りながら、所内の人たちと無線で話をしていた。無線機を使うってことは、一度にたくさんの研究者さんと連絡を取り合うってことなのかな。

 

部屋に入ってきたボクに気づくと、幻生先生はこれまたいつもどおりのニタニタした笑い顔を浮かべて、ソファに掛けるように手で指示をした。この笑い顔にもだいぶ慣れたなあ。

またしばらく無線で連絡を取り合った後に、ようやく幻生先生がボクに向き直った。

 

「よく来たね、景朗クン。今回は、今までで一番大規模な実験を行うからね。普段より気合を入れて実験に臨んでくれたまえ。とはいえ、実験の内容から言って特にキミが気張る必要はないかもしれないが。」

 

そういうと、幻生先生は手慣れた様子でティーカップを用意し出した。恒例のコーヒーによる一服の時間だ。相変わらず、砂糖をえげつないほど入れるなぁ、と、ボクは表情に出さずに嘆息した。

少々気が滅入るな。今日これから五日間、きっとこの地下に閉じ込められっぱなしなのだろうから。

 

ボクは空っぽになったコーヒーカップをもとのソーサーに戻し、ビスケットをひとつ齧った。甘いな。たまには塩辛い煎餅でも要求してみようかな。

 

とりあえず、だ。幻生先生も一息着けたみたいだし。さっそく、これからの五日間の実験予定と、それから本日の研究所内の異変、この2点について、気になったことを幻生先生に質問してみよう。そう思いいたったボクは、カフェインの力(もしくは糖分の力?)で穏やかな顔をした先生に、身に沸きあがる疑問を問うてみた。

 

「ところで、幻生先生、今日は研究所の様子が一段と違ってますね。やはり、これから行う、その一大実験とやらに関係があるんでしょうか?」

 

ボクのその問いに、よくぞ聞いてくれたという風にうんうんとうなずきを返しながら、幻生先生はゆっくりとその口を開いた。

 

「もちろん、キミの言うとおり関係しているよ。今日から行う実験は、"プロデュース"と呼称されていてね。目的は、"自分だけの現実(パーソナルリアリティ)"が、能力者の脳の一体どの部位に宿るのか、それをより直接的な手段で調べようというものだ。

 

どうだい、景朗クン。魅惑的なテーマだろう。加えて、被験者はすべてキミと同じ"置き去り"でね。すべて何らかの能力を発現している者たちだよ。彼らと協力して、是非とも善き成果を得たいものだ。そう思わんかね?」

 

本当にうれしそうだった。たしかに、ボクもその単純な疑問には興味がある。いったい、どこからボクたち能力者の能力を司る、自分だけの現実(パーソナルリアリティ)が出現するのだろうか?脳のどこにその寄辺があるのだろうか?なるほど、たしかに気になる……。

 

今回の実験は、それに迫ろうとしているのか。幻生先生はやっぱりすごい実験をするんだな。これは、ボクも気合を入れないといけないな。しかし、五日かぁ。ちょっと長いよな…。そんなに集中力持つかな…。

 

そんなボクの葛藤に気づきもしないまま、幻生先生は言葉をつづけた。

 

「この実験に取り掛かる前に、より詳細な脳細胞の反応データ、大脳新皮質に対する電気的な反応、化学物質、プラスチックホルモンや抗生物質に対する反応などなど、取り上げればキリがないが、様々な事前調査が必要だった。

 

しかしそれは、キミの脳波やキミの能力をモニタリングし、実際の環境データを取り込むことで、ずいぶんと進展した。そして、大幅に計画を前倒しにすることに成功したのだよ。

 

ましてやキミは、他人の痛覚に作用する能力、つまりは他人の脳細胞、神経にすら干渉する能力を持っていたのだからね。それがどれほど我々の研究に役立ったことか。今日も是非、キミの能力、キミの脳細胞、キミの脳波を実験に役立てて貰いたい。たのむよ、景朗クン。」

 

幻生先生は感極まったのか、ボクの手を取ると、その手でしっかりと包み込み握りしめた。ボクも一応、その手を握り返して、二言、

 

「はあ。頑張ってみます。やれるだけやってみます。」

 

とだけ返した。ぶっちゃけ、幻生先生に引いていたのだ。自分で喋って自分で感極まるのかよ…。

 

 

 

実験の準備が整ったとの知らせを受け、ボクと幻生先生は別の実験室へと移動した。幻生先生に案内された部屋は、今までに足を運んだことのある実験室ではなく、また見たことのない新しい実験機械が設置してある部屋だった。

 

ものすごい数のチューブが繋がった大きな台座に、いつもの電極ヘルメットの強化バージョンとでも言うような、今までで最高級にサイケデリックなカプセルが付属したマシンが中央に設置してあった。周りにはコンピューターの供体が繋いである。

 

やはり今までの実験と違うのか、事前に打たれる注射の数も3倍近く増加していた。ちょっとこの薬液の量大丈夫なんですか?!という質問が、喉から出かかったが我慢して飲み込んだ。職員さんたちの気合の入り用も、普段と比べてかなり違っていたからだ。

 

ボクはさらに、いつぞやの女医さんに手渡された錠剤とカプセルを水で流しこみ、中央の厳つい台座に腰をおろした。周りの職員さんたちがテキパキと、ボクの体のあちこちに、電極や針を刺し込んでいく。上手く体にセットされているかが重要らしいので、あえて能力は使わず、痛みの強弱でその如何を確かめた。さすがと言うべきか、どれも異状なし。問題なしだ。

 

すでに幻生先生から実験が始まった後の諸注意は受けていた。ここ最近の実験でやったように、能力を強く意識しつつ、できるだけ電極を通して意識を外に向けたままにする。途中で何を感じても、基本的にはその反応を無視し、ひたすら実験の継続を心がけるように、とのことだった。

 

幸いと言っていいのか、ここ数週間はそういった訳の解らないことばかりやっていたので、長時間意味もなく集中して能力を発動させるのには慣れていた。

 

今回の実験はとても大掛かりなので、途中で中断するようなことにはならないらしい。幻生先生は、始まる前に何度も、何があろうとも徹底して実験を継続するように、と研究所全体に繰り返していた。

 

幻生先生は、ボクには身体的な危険はほとんど無いと事前に太鼓判が押して貰ってるし、今までの実験で身の危険を感じたことも全く無いから、彼の言うとおり、フィジカルな面での心配はゼロだった。

 

ただし、メンタル的な面では多少問題が生じる可能性があるらしい。そう聞いていたので、いつもより実験が始まる前の緊張は大きかった。

 

 

 

いよいよ実験が始まった。電極に電源が入り、どの職員さん達も慌ただしく働いている。ボクはというと、何時もの何倍もの刺激が脳みそにピリピリと来るのを感じ、軽いトランス状態に陥っていた。

 

ちょっと、なんだコレは。聞いてないぞ。電気を通して、自分の感覚が広がっていくような…いや、違うな。より正しくは、まるで新たに1つ、感覚器官が増えたような…何とも言えない感覚を感じていた。いつまで続くんだろう…コレ…。

 

 

結局、初日は2~3時間に一度、30分ほど間に休憩を挟むのみで、深夜遅くまでぶっ通しで実験が続けられた。あと四日間の辛抱だ。晩御飯にそこそこ美味しいお弁当が出たので良しとしよう。

 

それにしても、兎に角クタクタに疲れた。ご飯食べたし、さっさと寝たいな。なんだかんだで実験の時は近くにスタンバってくれている眼鏡の女医さんにその旨を伝えると、作業を中断してベッドの置いてある職員用の仮眠室へと連れてってくれた。

 

仮眠室には誰も居らず、ボク一人になった。あの人たち、もしかしてこれから四日間、徹夜でぶっ通して実験するんだろうか。そんな訳無いと信じたい。きっと途中で帰るんだろう。とにかく寝たい。ベッドに入ると直ぐに眠りにつけた。

 

 

二日目も、初日と同じような実験をやるばかりで、これといって真新しい出来事は起こらなかった。それどころか、ひたすら退屈で、コレならトラブルの1つや2つ発生してくれてた方が、実験を中断できて、いくらかマシだっただろう。

 

二日目は午前中から実験が始まったので、前日より一層の疲労が蓄積したように思う。ものは試しにと、お昼休みの恒例のコーヒーブレイク中に、幻生先生に煎餅が食べたいとの旨を伝えてみた。

 

すると、幻生先生による、いかにコーヒーに煎餅が合わないかについての講義が始まり、それが実験開始直前まで小一時間続いたのだった。完全に藪蛇だった。

 

 

 

 

 

そして三日目。後々まで"プロデュース"として悪名高く囁かれる、この狂気の実験の本当の幕が下りた日だった。この日のことは思い出したくもない。

 

しかし、"俺"の地獄が始まった、記念すべき、運命の日でもある。語らないわけにはいかないだろう。

 

 

 

 

 

三日目の朝。連日の疲労が溜まり、正直とても疲れていた。ここが正念場か。ほとんど一日中座っているようなものであり、退屈で頭がおかしくなりそうだった。

 

しかし、実験に付き合っている他の子たちの中には、ボクより年下の子が居るようなので、あまりだらけるのは気が進まないなという気持ちもあった。

 

異変というほどのことでもないが、三日目の午後にして、研究所に滞在する研究員の方々の数が増えてきているような気がした。この地下12階の、人口密度が上がっている様な気がする。

 

 

 

その日の晩。ついに、異変が起きた。ボクが覚悟していたようなレベルではなかった。それはいきなりだった。

 

ボクが、代わり映えのしない実験操作に退屈して、集中を切らさないように、必死に晩御飯のメニューを考えないように、一生懸命神経を研ぎ澄ませていた頃。

 

突然。ダレかの、見知らぬ誰かの、強烈な、膨大な量の思念が、ボクの意識の内側へ入り込んで来た。刃物を刺すような、疝痛を催す思念の刃。まるで身構えていなかったボクの意識に、他の知らない誰かの圧倒的な量の思念がズブズブと挿入されていく。

 

それは人間の負の感情だった。非常に曖昧な形をしていたが、怒涛の勢いでボクの精神にぶつかってくる。動揺。痛苦。諦観。嫌悪。恐怖。怒り。苦悶。

 

パニックに陥った。今まで実験をやってきて、こんなのは初めての出来事だった。機械の誤作動だろうか。能力の集中が完全に切れてしまったせいか?

 

ボクは恐慌状態のまま、もう一度強く自身の能力の覚醒に努めた。しかし、一向に思念の流入は治まらず、それどころか時間の経過とともに、どんどん強くなりつつあった。

 

 

幻生先生はメンタル面で問題が生じる可能性について喋っていたが、このことだったのか。だとすれば、能力の発動を解除すれば、この意識の流入を解除できるかも知れない。

 

だが、恐らくそれはすべきではないだろう。彼等は実験の継続を何度も強調していた。となると、これに耐えなければならないのか。

 

 

 

ボクは、それから次の休憩に入るまで、ひたすら身をちぢ込ませて、耐え続けた。休憩時間になって、実験機の電極を外してもらうと、どっと体中から汗が噴き出た。冷や汗で体がじっとりと濡れていた。

 

さっきの感情の流入は一体全体何だったんだ?体を震わせる悪寒に耐えながら、ボクはすぐそばに侍る女医さんに何度も幻生先生を呼んでくれるように伝えたが、今は忙しいため、ボクの相手をしている暇はないとのことだった。

 

直接幻生先生に言えなくとも、先ほど起こった感情の流入だけでも伝えたいと思ったので、女医さんにさっきの出来事を詳しく説明し、代わりに幻生先生に伝えてくれるように言付けた。すると、すぐに女医さんから、

 

「意識の感応は当初から予測されている。問題ない。」

 

との答えが返ってきた。当初から予測されている?"意識の感応"…。じゃあ、あの莫大な負の感情の流入は、前もって準備された研究者さんによる感情プログラムなどではなくて、実際に誰かと同調(シンクロ)していた可能性が高いということか…?。

 

……心当たりはある。もしかすると、この実験に参加している他の被験者の子供たちかもしれない。嫌な予感がする。ボクの本能はただひたすらに止めておけ、と警鐘を鳴らしていたが、もしまた、次の実験もあの感情の流入が生じるようなら、今度は自分から干渉して、色々と探ってみる必要があるかもしれない…

 

 

 

それから30分後。実験の再開を覚悟していたが、意外にも休憩時間は延長され、次の実験再開まで2時間近く間が開いた。十分に休憩を取れて、だいぶ気は楽になった。そして、実験開始直前にもう一度、実験の継続の徹底が注意された。

 

 

実験再開から15分後、待ち構えていた負の感情の流入が始まった。今回は意識の侵入に身構えていたため、パニックに陥ることはなかった。この思念の発生源は、おそらく機械で繋がった、同じ実験の被験者たちだ。それくらいしか、考えられない。

 

機械越しに思念が伝わってくるのか、それとも被験者の中に強力な精神感応(テレパス)能力者が紛れているのだろうか。少なくとも、ボクの能力の出力如何で、意識の侵入を操作できなければ、必然的に後者によるものだと判断できるだろう。

 

ボクは覚悟を決めて能力の出力を全開にした。脳に負担がかかるのは承知の上だった。伝わってくる感情が曖昧なのは変わらないが、より意識の範囲が拡大していく……より大勢の人間の意識だ…、まるで荒れ狂う黒い獣のようで……憤りと恐怖と絶望がごちゃ混ぜになった、黒い感情がボクの骨の髄まで浸透していくような……

 

今までの人生で受けたことのない、激しい疼痛を我慢しながら、ボクはその意識に、自身の能力を最大稼働させ干渉していく。

 

戦慄。苦痛。絶望。憎悪。恐怖。鬱屈。苦悶。狂気。拒絶。

 

巨大な負の感情の群れが、頭の中で暴れている。気を抜くと、意識を失いそうだった。ボクは、何故だかわからないが、必至に意識を保ち、その感情の流れに身を任せた。

 

圧倒的な思念の塊は、まるで小さなダムのようで、意識を保ったまま、その水底に沈んでいく。限界まで意識を潜らせたその時、突然。

 

今までとは異なるはっきりとした感情のうねりを感じた。

 

死の恐怖。それは、絶望に絶望を重ね、憤りを抑え込み、諦観のその中に、真っ赤に白熱する生への渇望を抑え込んでいて……

 

マテ。ヤメロ。もう十分に苦しんでいる。これ以上は駄目だ。やめてくれ。これは現実なのか!

 

直後の断末魔。発狂。痛みと怒りの濁流。耐えきれなくなる。

 

 

 

 

 

唐突に、意識が浮き上がった。体を拘束するベルトが、痛いぐらいに食い込んでいる。全身の筋肉に力が漲り、膨張しているように感じた。汗で体はずぶ濡れだった。それだけではない。下半身がずぶ濡れだ。あまりの恐怖に、失禁していたのだ。しかし、もうそんなことはどうでもよかった。そして力の限り叫んだ。

 

「実験を中断してください!異常が発生しています!お願いです!実験を中断してください!」

 

そう大声で叫び続けると、すぐさま女医さんが絶対零度の眼差しでボクを射抜き、実験の中断は許可されていないとボクの要請を却下した。くそ、埒が明かない。幻生先生に直接話を聞きたい!

 

「でしたら!とにかく幻生先生を呼んできてください!幻生先生を呼ぶか、実験についての詳しい説明がなければ、…オレは…オレは…!実験に協力する気はない!教えてください!今、他の被験者は…一体この実験で何をさせられているんですか?!説明してくれなきゃこれ以上は協力できない!」

 

再びオレが大声をあげると、今度こそ女医さんの態度に異変が生じた。眼光が鋭くなり、まるでオレに実験を覗き見する産業スパイを見るが如き視線を浴びせた。無線機で誰かと話をすると、端末を操作して、オレの拘束をより一層強めた。

 

感情の波に中てられたのか、それとも何かのタガが外れたのか、オレは今までに無い"怒り"に支配されていた。何の恐怖も感じなくなっていた。この時、恐いものなど何もなかった。

 

この実験で他の"置き去り"に何をしているのか。絶対に幻生に確認しなくてはならないと思った。

 

力の限り拘束に抗った。ミシミシとオレを拘束しているベルトが音を立てた。直後、金具のはち切れる音が響き渡った。

 

それを見ていた女医さんが息を呑んだ。目の前で起こったことが信じられない、という表情をして、一時、硬直していた。その後、慌てて無線機に連絡を入れる。

 

オレは頭部に装着されていたカプセルを外した。これで実験は一時中断される。後は、待っていれば幻生先生がやってくるはずだ。自分でヤツを探しに行くよりも、ここで待っていたほうが早いはずだ。

 

 

 

間もなくして、2人の守衛を引き連れた幻生がやってきた。

 

「おやおや。どうしたというのかね?景朗クン。そんな無理やりに拘束を引きちぎって、体は大丈夫なのかね?」

 

幻生先生はいつものひょうひょうとした態度を崩さなかった。今の状況は無線で前もって理解しているだろうに、わざと関係のないことを口にした。

 

「大丈夫です、幻生先生。実験を中断させてしまい、すみません。しかし、どうにも精神感応による意識の汚染が激しくて、これ以上は実験を続けられそうにありません。

 

せめて、この実験で、他の被験者に何をやっているのか、説明してもらえませんか?オレには、彼らの悲鳴が聞こえてくるんです。いったい彼らに、何をしているんですか?」

 

オレは幻生に声を荒げた。初めてのことだった。まったく気にも留めていないが。幻生先生は、オレの質問には答えず、普段と変わらない調子で会話を続けた。

 

「まったく。他の実験の熱気に中てられたようだね、景朗クン。いかんなあ。私との"契約"を今一度思い出してくれんかね?キミにはここでわざわざ確認し直す必要はないと思うのだが。

 

さあ、実験を続けようじゃないか。ここでキミに投げ出されると、少々面倒なことになるからね。それはキミだって望まないだろう?」

 

幻生の放った"契約"という言葉に、頭に上っていた血が一気に冷めていく。うちの園の皆の、嬉しそうな顔が浮かんだ。

 

"契約"の単語がもつ力は絶大で、先ほどまでの怒りはすっかりなりを潜めていた。どうにもこの人に逆らうのは不味いんだ、そう頭では理解していても、冷めた頭にあの時感じた断末魔が未だにこびり付いていて、口から疑問が飛び出すのを抑えきれなかった。

 

「お願いです!今、他のオレ以外の、被験者、能力者に、何をしているのか教えてください!」

 

それでも声を張り上げるオレに痺れを切らしたのか、幻生先生はようやくその質問に答え出す。

 

「景朗クン、あの"契約"では、予め、キミには少々危険な実験をさせるかもしれないと、キミの了承を得ることになっただろう。しかしそれは、キミ以外の人間に危険な実験を行わない、という意味ではないのだよ。ここで今実験を受けている彼らも、キミと同じようにその"少々危険な実験"を受けることに対して、承諾している者たちなのだ。彼らと同じように、私と"契約"を結んでいるキミが、そのことに対して、一体どう口を挟もうと?」

 

ああ。その時の、彼の言葉に、オレは抵抗の意思が消えていくのを感じていた。それでも、あの感情のうねり、死に瀕した彼らの想いが頭から離れず、口から言葉があふれ出すのを止められなかった。

 

「しかし、オレは…オレは…感じたんです!彼らが、死に怯えているのを、絶望して、恐怖と苦痛と、未練が……本当に、"少々危険"という程度で済まされるものなんですか?彼らは…大丈夫なんですか?それは違法なことではないんですか?」

 

自分でもわけのわからないことを言っているという自覚はあった。オレの言葉に呆れたようにため息をつき、幻生先生は、諭すように話しかけてくる。

 

「景朗クン。いいかね?実験が"危険"なものかどうか、それを判断するのは我々だ。キミがそれを判断すべきかね?キミにそれができるのかね?キミにその権限があるのかね?」

 

オレは、幻生の言葉になにも反論しなかった。

 

「……異論はないようだね。まぁ、キミが"パニック"に陥ったのも無理はない。初めての経験だったろうからね。私は心配していないよ。キミは良い子だ。さあ、後少し。実験を頑張ってくれたまえ。」

 

そう言って、幻生先生は、女医さんが新たに運び込まれた拘束帯を機械にセットし、オレをマシンに繋ぎ直したのを確認すると、満足げな表情を浮かべ、実験室を立ち去った。

 

 

 

 

それからのオレは、ただひたすら、今なお非道な実験を受け続けいるであろう、他の被験者のことを想った。流れてくる感情を受け止め、せめて彼らの苦痛がやわらぎますように、と能力を全開に酷使し、彼らの無事と安寧を祈り続けた。

 

飯もノドを通るわけがなく、オレは縮こまって必死に他の被験者の無事を願った。そんなオレの様子を女医さんは呆れたように見つめていたが、もはや彼らの視線などどうでもよかった。

 

 

頭の中で鳴り響く彼らの絶望は、四日目も同じように続いた。しかし、四日目の夜。時間が経つにつれて、意識に流入してくる感情の波が小さくなっていった。感情を発する人間の数が減少している。

 

夜更けごろには、4人、3人と減っていき数えられる程になっていた。

 

ふと、カチカチと音が鳴っているのに気づいた。何の音だろうか、と訝しむと、それが自分の歯が震えて鳴っている音だった。感情を発するのをやめた人たちは、無事に実験を終えたのか。"辛い実験が終わって安堵しているだけ"であってほしい。

 

とうとう最後の1人が消えた。しばらくして、実験は無事終了した。

 

 

ついに実験が終わった。拘束具と、体中につけられていた電極や針が外された。台座から降りて、女医さんの後ろについて行く。

 

疲れているはずなのに、体は元気だった。力が漲り、やたら軽く感じる。この実験期間の後半から、なぜかそんなカンジだった。目も耳も鼻も敏感になったように感じる。女医さんの付けている香水が不意に気に障った。

 

その時ふと、思いついた。暴れた三日目は、拘束が解かれて自由に動ける状態になったオレに対して、常に守衛が着けられていた。だが、四日目以降の完全に大人しくなったオレには、誰も監視に着いてはいない。

 

今なら、誰もかもを振り切って、他の実験室の様子をこの目で確かめることができるかもしれない。まだ実験が終わって一時間も経っていない。

 

 

目の前を歩く女医さんを注視した。その後ろ姿から、完全に油断していると判断する。周りを見渡すと、皆実験の後かたずけや他の作業に没頭していた。

 

今ならいける。体がやけに軽い。五感すべてがクリアだった。バクバク心臓が鳴る。緊張しちゃだめだ、落ち着こう。落ち着け…落ち着け…。

能力を使い、心を落ち着かせた。ほんの刹那の時間で、心臓の鼓動は治まり、オレは緊張から解放された。今ならなんでもやれる気がする。

 

女医さんが曲がり角を曲がったその瞬間、オレは一瞬で靴を脱ぎ、反対方向へと逆走し、実験室のある方角へ走り出した。

 

 

 

そして気づけば、想像以上の、とてつもないスピードで走っていた。

 

 

 

なんだ、コレは。疾すぎる。自分自身に驚愕する。ただひたすらに疾い。今までこんなに疾く走ったことなどない。

 

オレは、到底小学生には出しえない速度、それすら超えて、まるで世界陸上の短距離選手のように一瞬で加速し、それ以上のスピードで、人をかきわけ、血の匂いのする奥の研究室へと疾駆していた。

 

体が軽すぎる。オレの体にいったい何が起こったんだろう。今までにない、ほとんど別人の体を動かすような感覚に、パニックに陥りそうになる。

ダメだ。今は目標に集中しよう。チャンスは一度だけ。そう思って、他の被験者の実験があった部屋にたどりつく、そのことだけに集中した。

 

その途端、その一瞬の刹那で、別人の体を動かすような違和感が消え、完全に自分の体として動かす感覚を手に入れた。

 

 

後ろから制止の怒鳴り声がしてきた。時間が無い。ドアの付近にいた研究員を押しのけ、血の匂いの充満する部屋に突っ込んだ。転がり出て、部屋を見渡した。

 

 

 

見覚えのある実験機。体を倒して横になれるシート。頭部がもたれかかるその位置に、大量の血痕が残っていた。

 

 

床にも多量の血液が飛び散っていた。やはりそうだったんだ。危険な実験どころではない。これは死んでいても可笑しくない血の量なんじゃないのか。それなら…やっぱり……あの断末魔は…今際の際の……

 

そこまで考えて、後ろから衝撃を感じた。バチバチと飛び散る火花と刺激。一瞬、体が浮かぶ感じがしたが、すぐに持ち直した。

 

くるりと振り向くと、守衛さんがテーザーを構えながらも、動揺した表情を浮かべ、後ずさった。オレが気絶しなかったのに納得がいかないらしい。なんとなく、直感でだけど、そんなもん効くかよ、と思った。

 

ここで争ってなんになるんだ。と、抵抗する気は無いとすぐさま両手を挙げ、何もしないと喋りかけた。守衛さんは気味が悪そうに顔を歪めると、オレに手錠をかけ、無線で連絡を取り合うと、手錠をかけたままのオレを仮眠室へと押し込んだ。

 

ベッドに横になる。手錠がじゃまだが仕方ない。落ち着いて、天井を眺めた。その時気がつく。足の筋肉が痛い。痛いぞ。それもそうか。さっきあんだけのスピードで走ったんだ。筋肉を痛めてしまったんだろう。足の痛みに辟易する。が、しばらくすると痛くなくなった。

 

疲れてはいないが、もう寝たい。今日は散々だった。

 

 

 

 

次の日。五日目。"プロデュース"最後の日。朝の目覚めは気持ちの良いものだった。昨日はあれだけのことがあって、相当疲れていたのに、どうしたことやら。

現金なもので、体はピンピンしていて、空腹を我慢するのが大変だった。

 

 

ベッドに寝転がって、昨日のことを考えていると、外から施錠してあったドアが開いた。守衛を引き連れた幻生先生のご登場だ。

 

「おはようございます。」

 

とりあえずオレは挨拶してみた。幻生先生も普段と変わらない様子で挨拶を返してくれた。

 

「あぁ、おはよう、景朗クン。昨日は実験が終わった後に、脱走しかけたそうじゃないか。まぁ、未遂で終わらせたようで、そのことはもう結構だよ。」

 

「すみません。先生。どうしても気になったもので…。昨日は、一日中変な声を聞いていたせいか、気が動転していました。」

 

「構わんよ。一昨日もいったが、無理もない話だ。キミが動揺するのもわかる。…そうだな、これから、キミに協力してもらう実験は、今回のように危険度の高いものはやめにしよう。

 

前にも言ったが、我々はキミの能力のもつポテンシャルに大変期待している。これ以上キミの機嫌を損ねるのは御免だからね。どうかな?これからも我々の実験に協力してくれんかね?」

 

正直なところ、断りたくて仕方がなかった。だが、ようやくうちの園の雰囲気が、よい方向に変わってきた所だったのだ。嬉しそうにはしゃいでいたチビどものや、最近はほとんどため息を吐かなくなったクレア先生のことを考える。また、昔のように…。

 

幻生先生は、これからは、今回のような危ない実験はやらせないと言っている。次こそ…次こそ。次こそ、幻生先生たちが、危険な実験をするようだったら、その時は必ず、この"契約"を放棄しよう。

 

愚かなオレは、この時今一度、幻生先生の言葉を信じてしまった。

 

「…わかりました、先生。ホントのところは…オレは、今回のような危険な実験にはもう参加したくありません。ですから、先生がそのように実験を配慮してくれるのなら…これからもどうか、よろしくお願いします。」

 

オレの返事に気を良くした先生は、喜びを露わにすると、一緒に朝食をとろうと言ってくれた。一昨日からロクに物を食べていなかったオレはいい加減、お腹がペコペコだったのでこれ幸いとご一緒させてもらった。

 

 

 

朝食の席で、幻生先生は昨日のオレの、身体能力の飛躍的な上昇についてしきりに興味を示していた

 

「身体能力の飛躍的な上昇…。その現象は、キミの能力を鑑みるに、能力で脳内麻薬を制御し、筋肉のリミッターを外して、意図的に火事場の馬鹿力を引き出しているのか…それとも、脳細胞や神経、筋肉の細胞自体を作り変えたのか、はたまた両方か。

 

詳しいことは調査してみなければわからんが、今までできなかったことができるようになったということは、キミの能力の強度(レベル)が上がったとみて間違いないだろう。だとすれば、これからの実験でより成果を上げやすくなったということだ。大変喜ばしい。」

 

幻生先生はそう言うと、徐に懐からいつぞやのテーザーを取り出した。あ、やっぱり持ってたんですね。オレに会いに来るんだから、準備してたんだろうね。

 

彼はふたたび、電圧の出力を下げ、腕に電流を流した。そのあと、前と同じように痛みを無くしてほしいと頼んできた。

 

レベルが上がったのだとしたら、他人の痛みをもっと大幅に操作できるようになっているかもしれない。気になったオレは、能力を使用して先生の痛みを無くすように念じてみた。

すると、先生は目を見開き、痛みを全く感じないとオレに伝えたのだった。

 

どうやら、レベルが上がったのは間違いないらしい。この五日間で、最悪な経験を積んだものの、まったくの無駄というわけではなかったようだ。

 

ともすれば、すぐに陰鬱な気分になってしまいそうな状況のオレだったが、今までずっと気乗りしなかった身体検査(システムスキャン)、その次回の結果のことを考えると、なんだか少しだけ幸先が良くなった気がした。

 

 

 

 

午前中に最終確認のための軽い検査を受けると、いよいよ実験は完全に終了となった。昼前に病院を出たオレは、さて、今日一日自由な時間を得て、どうしたものかと考えた。何時ぞやの法螺吹きみたいに、ゲームセンターに行くか、学校の見学に行くか。そう考える者の、あまり乗り気がしなかった。

 

なんとなく、うちに帰りたいと思った。クレア先生に会いたい。園のみんなに会いたい。考えだすと、だんだん元気が湧いてきた。今日はもう帰ろう。たった五日帰っていないだけなのに、やたらと聖マリア園が恋しい。

 

 

 

 

第十二学区に着く頃には、低学年の子供たちが下校する姿をちらほらと目撃するようになっていた。第十二学区に入った途端、十字教系の修道服や、回教系の方々だろうか、ヒジャブやニカーブというらしい顔をすっぽり覆うスカーフを被った女性たちの姿が目立つようになった。

 

街並みも今までとは違い、モダンで近未来的な装いから、世界各国の宗教をごた混ぜにしたような、まるで統一感の無い並びになってしまっている。一つ一つの建築物自体は、そこそこシックな出で立ちであり、その点も際立ってユニークな印象を受ける。

 

全体的にはツギハギだらけの様相を呈しているのに、意外と整然な印象も受けるから、宗教の持つ静謐なイメージも馬鹿にならないのかな。

 

 

駅から出ると、一気に冷えた空気が体を包んだ。後少しで三月。だいぶ暖かくなってきたけど、まだまだ寒い。この寒さの中、より道する元気はないかな。

 

まっすぐに聖マリア園へと向かっていると、途中で友達と別れる花華の姿を目にした。近寄って、後ろから声を掛ける。

 

「おーい。オレがいない間、うちでなんか面白いことあったりした?」

 

「あ。かげにぃー。病気だいじょーぶだったのー?」

 

オレの声に気づいた花華は、走り寄ってきて、オレのすぐ横に並んで歩きだした。

 

「とくになんもなかったよぉー。かげにいがいない間、かすみねえが毎日料理作ってくれて嬉しかったぁー。」

 

なんだと。それは勿体無いことをしてしまった。例の経済的支援の影響により、最近うちの園の料理のラインナップは、見るからにクオリティがアップしていた。

 

特に火澄は、精力的にレパートリーの拡大に努めているようで、この五日間にオレのまだ食さぬメニューが提供された可能性があった。

 

「なにぃ~?チクショー、花華、オレが居なかった間の晩飯のメニューを全部教えてくれ!」

 

「えぇ~。そんなのおぼえてないよぉー。病院にお泊りする前に教えてくれればよかったのにぃー。」

 

「じゃぁ、肉だ、ニク。この五日間で提供された肉料理の情報だけでも、オレに伝達するのだ。」

 

「あはは。ニクゥー!ニクねぇ~。んー…と、ねぇ~…」

 

花華はまだガキだからな。オレの言った"ニク"の発音で面白がっていた。結局、コイツが覚えていたメニューは、つい前日に食べたものだけであり、他は綺麗さっぱり忘れていた。

 

料理の情報はなにも得られなかった。ちなみに、その前日のメニューは天ぷらだったそうだ。天ぷらかぁ、惜しいことしたなぁ。

 

 

 

我らが園に帰ってきた。玄関越しに、ちょうど掃除をしていたらしいクレア先生の後ろ姿が見える。ウェーブしたふわふわの茶髪が、棚を掃除する体の動きとともにゆらゆらとゆれていた。その姿を見ているだけで、みるみる心が落ち着いていった。

 

気がつけば、痺れを切らした花華に手を引かれ、玄関に引っ張りこまれていた。ドアの真ん前で、ぼうっと突っ立って、ただひたすらクレア先生の姿を眺めていたらしい。

 

「どしたのぉー?かげにい。…かげにいぃー…もしかして…クレア先生が好きなのぉ~?」

 

ちょ、おい。うるせえな。クレア先生に聞こえるだろ。慌てて花華の口を押さえた。いや、そりゃ好きさ。一番一緒にいて安心する人なのかもしれない。

 

昨日一昨日の出来事で、体の芯にこびり付いてしまっていた、冷たく堅い緊張が、融けて消えていくのを感じていた。オレは心のどこかでこの人を、一番頼りにしていたのかもしれないな、と思った。

 

「ただいま帰りました。クレア先生。オレがいない間、なにか変なことありませんでした?」

 

クレア先生はオレに気づくと、小走りに近寄ってきて、オレの手を両手でしっかり包み込むと、不安そうな表情で病院の検査結果を尋ねてきた。

 

「かげろう君、検査の結果はどうだったの?何か悪い病気でもみつかったの?なんだかいつもより元気ないから、心配です。」

 

「大丈夫でした、先生。何も心配することはありませんでした。お医者さんの勘違いで、検査の結果は完全に白でした。今は逆に検査のせいで疲れがたまってますが、体はピンピンしてますよ。」

 

オレの言葉を聞いた先生はほっとしたようで、安堵の表情を浮かべていた。

かげろう君の体に異常がなくてよかった、今日は頑張って先生がお料理つくっちゃおうかしら、などと犯人は意味不明な供述をしており………すまない。

もとい、"今日は頑張って先生がお料理つくっちゃおうかしら"などと、のたまい始めたのだ。

 

まずい。まずいぞ。やっとあの地獄から帰って来られたのに。帰って早々これはないだろう。だがしかし、火澄のいない今、オレが動かなければ、誰が結末を変えられるというのだろうか。

 

「先生、それなら火澄が帰ってきてから、一緒に買い出しに出かけたらいいんじゃないでしょうか?……おおっと、すみません。せっかく掃除していたのに、邪魔してしまって。とにかく、オレは大丈夫です、お掃除頑張ってください。」

 

「あら、いいのよ。ちょうど終わりかけだったから。ん~、そうね。火澄ちゃんが帰ってきてから、そうしようかしら。」

 

あ、ダメだわ。ごめん火澄。ムリだった。あとは頼む…。

 

 

 

 

 

その日の夕飯が危ぶまれたが、なんとか危機を乗り越え、普段通りのおいしいパスタが振る舞われた。火澄さまさまで、麺のゆで加減もこの上なく素晴らしかった。

 

どうやら結局、また火澄が先生を上手にいなし、興味の矛先を料理から逸らしてくれたようだった。しかしすごいなぁ、火澄。毎度毎度どうやってるんだろ。見当もつかない。

ご心配無く。さきほど料理の配膳を無理矢理彼女に手伝わされ、その時に、先生の対応を押し付けた責任をきっちり追及されました。

 

幸運なことに、彼女もオレの容態が心配だったらしく、体が異常なく健康だったこと、今回のクレア先生の件は本当にいつものうっかりミスではなく、避けようのない宿命だったことを素直に伝えると、珍しくお説教を一度で切り上げてくれた。

 

 

火澄の機嫌を取る必要があったオレは、自ら率先して晩飯の後片付けに協力した。クレア先生と同じく、体調に問題が無い割に元気がないことを疑問に思われた。

 

五日間もずっと病院で検査を受け続けるハメになれば、誰だって元気がなくなるだろうよ、と先ほどと同様に先生に使った言い訳を返したが、それでも疑ってきた。

彼女曰く、オレの醸し出す雰囲気が、前とは打って変わりピリピリしたものに変化しているそうである。冷や汗が出た。当たらずとも遠からずな気がする。

 

「ど、どうしてそんな風に思うんだよ。だいたい、ピリピリした雰囲気って言うけど、一体今までと何が違うんだって話さ。そんな小さな変化を感じ取れるほど、普段からオレのことを観察してたのかよ?」

 

「なッ。ち、ちがうわよッ。今まで一緒に居たから、なんとなく分かっただけよッ。…ホントに、病院で何もなかったの?ホントは…ホントは何か深刻な病気にかかってたりしてないよね?隠してたりしてないよね?」

 

ここまで火澄が心配してくれるの、最近はめっきりなかったな。不安そうな表情でこっちをチラチラ覗き見る彼女に対して、心が暖かくなるような親愛の情と、心臓がドキドキするような、気恥かしさのような、そんな甘酸っぱい想いが浮かんでくる。でも、正直に話すわけにはいかない。罪悪感を踏みしめ、ウソを吐いてごまかすしかなかった。

 

「ふい~。そんなわけあるかよ。いっとくけど、本当に体には何の異常もなかったからな。雰囲気変わったって言われても…そんなの、自分じゃまったくわからないよ。」

 

「……クレア先生にもそう言ったの?」

 

「もちろん。ホントに大丈夫だよ。医者の勘違いだったんだ。五日間も検査させられて、オレもびっくりしたけど、逆にそれだけ長い間みっちり検査した上で、健康ですよってわかったんだ。だからオレは今、安心してるけど。」

 

「…そっか。わかった。…なによ、じゃあ、心配して損したカンジだわ。」

 

彼女の様子は、オレの言葉に納得いっていないように見えた。しかし、それを皮切りに再び追及してくることはなかった。彼女もなんとなく、感であてずっぽうに指摘したのだろうと思いつつも、オレ自身は、雰囲気の変化を昔からの自分を知る2人に立て続けに指摘されて、肝が冷える思いだった。

 

オレがこの五日間で経験したような、危険な、薄暗い実験に協力していたこと、そのことだけは、彼女たちに知られたくなかった。

 

 

 

 

 

3月。新学期まで残すところ僅かひと月となった。小学生も来年で終わりかと思うと、すこし切ない気持ちになる。火澄は間違いなくオレとは違う学校に進学するだろう。今までずっと同じ学校に通ったけれど、それもあと一年で終わりだ。

まあ、中学卒業まではきっとここに留まるだろうから、そこまで気にする必要もないか。

 

この間の"プロデュース"の一件は、確かにオレの肉体と精神を変化させた。学期末の身体検査(システムスキャン)で、なんと強能力(レベル3)の判定を叩き出した。

一度の判定で強度が2段階上昇する。それ自体は珍しい話ではない。ただ、オレの悪口を言っていた奴らが一斉に絡んでこなくなったのが笑いを誘った。

 

まず一つ、身体能力が飛躍的に上昇した。いつの間にか五感が研ぎ澄まされていて、毎日通っていた通学路一つとってみても、以前とは違う印象を受けるようになった。

道を歩いているその時に、目や耳や鼻がとらえ、伝えてくる情報量が一気に増加した。

 

次に、純粋な運動能力の向上。筋肉の肥大、筋肉の質の向上、伝達神経などの発達。

正直なところ、その辺の大人にだって何一つ負ける気がしなくなった。

 

最後に、肉体を操る技量、いわばオペレーティングシステムの向上、だろうか。俗に言われる、"火事場の馬鹿力"。それ以上にの肉体の限界を超え酷使させる使い方ができるようになったらしい。

能力により、そもそもの扱う肉体が強固になり、その上細胞の再生能力が段違いに上昇している。そのため、一般的な人間の尺度を超えた運動ができるようになっている。

 

肉体的な話ではなく、精神的な変化についても、言及すべきことがある。あの"地獄"。彼らの断末魔を聞いたその時から、どうやらオレの性格は変わってしまったらしい。

 

"自分の性格が変わったらしい"とは、奇妙な表現だが。あの一件以来、オレは自分の感情を"完全"に支配できるようになった。人間誰しも、感情の抑制を行うことはできる。だが、その感情の"発露"や完全な"制御"を行うことは難しい。

だが、オレはどんなに恐怖すべき場面でも、その気になれば恐怖をコントロールし、完全に消し去ることが可能だ。もちろん、怒りや悲しみも。

 

これについては、火澄に言われるまで自覚症状がなかった。気づけば、オレはどんな状況においても、常に変わらない精神状態で対応するようになっていた。

それは、どんな状況に差し迫っても、常にクールな思考を忘れない、なんていう都合のよいものではなかった。

 

まるで獣になった気分だった。だって、そうだろう?ある状況に出くわした場合、動物はその身に宿る"本能"で応答する。

今のオレの状態は、獣でいう"本能"が、脳に染み付いた"合理的な思考"や"ロジック"に置き換わっただけだ。

普通の人間は、人それぞれ、時と場合、その時の状態によって感じ方や考え方が異なったものになる。それが当たり前だ。

 

今では。自身の感情の自然な"発露"を、一生懸命"阻害"しないように。普段から心がけねばならない。またまた不便な話だ。

 

最後にもう一つ。

オレの能力はこれまでそのほとんどを、自分自身を対象とし、自らの変化を促すものだった。

しかし、能力がレベル3の強度に達したためか。まったく新しい使い方ができるようになった。

 

それは、接触した相手が受容する、感情や刺激を支配(コントロール)する力である。

良い使い方をすれば、パニックに陥った人間を一瞬で落ち着かせ、怪我をした者の感じる痛みを刹那のうちに消失させられる。

攻撃的な使い方をすれば、先ほどとは逆に、相手を混乱させ、その痛みを増幅させる。ただしこの力は、幻生先生曰く、対象の持つAIM拡散力場の干渉を受け、発動が阻害される可能性があるらしい。

要するに、高位の能力者には通用しない可能性があるということだ。

 

 

 

 

最近、クレア先生は学園都市中を飛び回り、劣悪な環境に置かれている"置き去り"の情報を探し回っていた。

これまでも、悲惨な状況下に置かれている子供たちを見つけ出して、うちに受け入れてきた。クレア先生の学園都市の不正を嗅ぎ分ける能力は確かであり、そうやって連れてこられた子供たちは、みな見るからに精神に病を患っている子がほとんどだった。

 

今でこそ明るてのんびりとしている花華も、そうやってクレア先生に救われた子供の一人だ。うちにやってきた当初も、周りの人間すべてに脅え、縮こまり、遠慮するばかりで見ていられなかった。

クレア先生と、うちの園のゆるゆるな雰囲気が、花華の恐れを融かす助けになったようで、今では彼女はすっかり元気である。

 

ここ数年は、以前にもまして経営状態が悪かったらしく、新しく子供を連れてこなかった。しかし、現在のうちの園の景気は過去とは比べ物にならないほど好転している。きっと、危機に曝されている子供たちをまた見つけだし連れてくるつもりなのだろう。



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episode03:不滅火焔(インシネレート)

 

 

 

あっというまに春休みが終わった。気づいたら、小学六年生になっていた。早いなあ。春休みの間に、うちの園に新しいメンバーが増えた。特筆すべきことといったらそれくらいだろうか。

 

男児が1人、女児が2人だ。特に問題を抱えていたのは男児のほうで、その子の名前は調川真泥(つきのかわみどろ)といった。真泥は親による長年の虐待の末に、この学園都市に"置き去り"にされた。

すべてに遠慮して、自分からはほとんど喋らない彼の様子を見ると、うちの園のメンバーはかまわずには居られなくなるらしく、真泥はひっきりなしに驚いたような顔をみせていた。

 

火澄も真泥に構いたくて仕方がない様子であった。しかし、彼女には気の毒に、気が強そうに見えるその外見と、一番の年長組だという理由から、彼には少々怯えられている。

 

一方のオレは、試しに真泥に対する興味や感情を能力で消して近づいてみると、全くといっていいほど警戒されなかった。そのため、わりと彼の世話を焼いている部類に入るんじゃないだろうか。

 

 

 

オレの能力が強能力(レベル3)に達したためか、新学期のクラス替えで火澄と同じクラスになった。能力開発(カリキュラム)に力を入れる進学校の多くは、能力強度(レベル)に応じて厳密にクラス分けを行っているところがほとんどである。

 

オレ達の通うような、第十二学区の外れにある神学系の学校は、以上に上げた進学校のように"能力開発"に力を入れているとは到底言い難い。

それでもさすがに、"無能力者"や"低能力者"と、"異能力"、"強能力"、"大能力"を発現させるような高位能力者を混雑させ、効率を悪くするほど愚かではなかったようだ。

オレが新たに配属されたクラスは、この学校の高位の能力者を集めた特別開発クラスといったものであるらしい。

 

 

見ない顔がほとんどだが、火澄のほかに一人、何時もオレに絡んできた苛めっ子グループの代表格、風力使い(エアロシューター)の少年の姿が確認できた。

彼と目が合うと、ものすごい形相で睨み返してきた。正直な話、情けないことに、以前は彼のことが少し恐かった。

しかし、今は毛ほども怯みを感じない。興味がなくなったので、すぐに視線を向けるのを止めたのだが、彼のあの様子だと、まだオレの方を睨んで居るんだろうな。

 

 

春の風物詩、クラス委員の選出に、迅速に火澄が推薦されると、皆何の異論もないようで、即座に彼女がクラス委員長へと任命された。

火澄は毎年委員長やってた気がするな。このクラスは昇級時のメンバーの入れ替えが非常に少ないと聞いている。火澄が委員長をやるのは毎年恒例のことらしい。

 

火澄と同じクラスになったのは、小学一年生の時以来だった。当時のことはおぼろげだが、その時は毎日一緒に帰っていた気がする。

この年になって登下校を一緒にするのは恥ずかしいところであるが、食材の買い出しの手伝いなんかは、少しは効率よくなるだろうか。

 

「景朗、ホントだったんだ。強能力(レベル3)になったの。」

 

休み時間。何とはなしに火澄との会話が始まると、唐突に話を振られた。

 

「いやいや。さすがにそれはないだろ。おまいさんは前から知ってただろ。まだそのネタ引っ張るの…」

 

一月前。学期末。小学五年生最後の身体検査で、オレがレベル3を叩きだしてから。彼女の悔しがりようは半端ではなかった。

万年レベル1、能力のパッとしなささから陰口を叩かれていたヤツに、いきなり能力強度(レベル)で並ばれたのだから、さもありなん。

おまけに、純粋な勉学の成績は、微妙にオレが勝ち越すようになっていたのだから、その焦りは当然のものだと言えよう。

 

春休みの間、彼女に「アンタ、ホントにレベル3になったっていうの……。むぅぅ!ちょっと能力使って見せなさいよ!」という風に、さんざん疑われていたのだ。

 

オレと一番近くにいた火澄ですらそうだったのだ。案外、周りのヤツは、オレが実際に特別開発クラスに配属されたのを見て、改めて本当にオレが"レベル3になった"のだと実感しているのかもしれない。

 

オレの言葉を聞くと、火澄はけたけたと笑い出した。やはりからかっていたらしい。他のクラスメイトはそんなオレたちの様子を物珍しそうに眺めつつも、結局誰も話しかけてこなかった。

 

オレが警戒されているのか、それとも火澄が恐れられているのか。なんとなく、後者な気がした。

 

誇張抜きに、火澄の発火能力はこの学校では一番注目されている。大能力(レベル4)まじかだという噂も聞いている。

本人に聞いたところ、噂と互い無く、今年の目標は"レベル4"に到達すること、だそうだ。せっかく能力のレベルが並んだというのに、またすぐ抜かれてしまいそうだ。

 

 

 

 

帰り掛けに、何時ものいじめっ子少年グループに絡まれた。

 

彼らの話を聞くと、要するに、レベル3になったからって調子に乗るな、だそうだ。現金なもので、能力のレベルが上がった今、コイツらのことは全くもって恐くなくなっている。

それどころか、これからも毎回コイツらに付き合うことになるのかと思うと、とてつもなく面倒くさい気持ちになった。いい加減ケジメをつける時が来たんだろうか。

 

「あのさ。もう絡むのやめてくんない。もうオレはレベル3になったんだし、前とは違くね?お前らの理論だとさ、オレよりレベルの低いお前らこそ、調子に乗っちゃいけないんじゃないか?」

 

能力強度(レベル)が逆転したとたんのこの発言である。とんだクソ野郎だった。よくよく考えると苛められて当然でしょう、こんな事言うやつ(笑)。

 

オレの言葉を聞いた途端に、彼等は烈火の如く怒りだした。いや、正直、ムカつくのも無理はないな。能力上がった途端にこんなこと言いだすヤツが居たら、誰だってイラつくかも。

自分自身がこんなクズ野郎だったとは……新たな発見である。いやでも、そもそも君たちが毎度毎度オレに絡まなきゃこんなことには…

 

 

「マジでやっちまうぞ、テメェ。テメェの能力が"レベル3"になったところで、どうにかなんのか?」

 

何本か血管がぶちキレてしまっている様子の、風力使い(エアロシューター)の彼の言葉である。ごもっともな発言だった。

でも、こっちだっていつまでもオマエらに絡まれるのはごめんなんだ。すまない。

 

「ああ、やるんならかまわねえよ。正直、もうオマエらに負ける気がしないんだわ。全員でかかってこいよ。今までの礼を返してやる。」

 

まさか、こんなセリフを言う日がやってくるとは…。ロクにケンカしたことも無いくせに、ホント生意気なヤツである。

 

ビビリ成分, 怯え成分ゼロ、交じりっ気無し。自信満々のオレの勝利宣言に、リーダー格以外の2人はあからさまにビビっていた。

一方、リーダー格の眼はもうイッちゃってるんじゃないかな、ってぐらいに怒りに染まっていた。だが、3人がかりで挑んだ挙句、返り討ちに会ったとなれば、彼等にとっても「明日は我が身」であろう。

 

彼等は捨て台詞を放ち、去って行った。気づけばなんと、拳も交えずに追っ払ってしまっていた。拍子抜けだったが、やはりこの学園都市では能力の強度(レベル)がそれほどまで絶対的なステータスだったというわけなのだろう。

 

とにかく。これからは彼らも絡んではこないだろう。面倒くさいことが一つ消えた。良いことだ。この時のオレは完全に気が抜けていた。だから、この後。彼らが卑怯な手を使って報復してきた時に、その怒りを抑えきれなかったんだろうな。

 

 

 

 

 

帰り道。うちの園まで歩いて残り10分ほどといった所で、先程の少年グループと再び遭遇した。なんと、先述の調川真泥を人質にとり、オレに復讐するために待ち伏せていたのだ。

真泥のランドセルを引っ掴み、フェンスに押し付けている。彼は泣きそうな表情を通り越して、怯えに怯えて震えていた。

 

一目見て状況を察した。真泥がコイツらに捕まったのはオレのせいだ。ヤツらは真泥という人質を手に入れ、自らが立つゆるぎないアドバンテージに笑みを浮かべていた。

オレに怒りを覚えるのは仕方ない。だが、いったいどういう発想でこんなことをしでかすのか。理解できなかった。

 

「雨月さん。ごめんなさい。ぐすっ…」

 

初めて会ってから、毎日顔を会わせているというのに、真泥の口調は未だに固かった。虐待と、小学一年生の時のいじめのトラウマで、彼は誰に対しても遠慮し、脅えて自分の意見を伝えることができないのだ。彼には申し訳ないことをしてしまった。謝らなきゃいけない。

 

「コイツ、テメェんとこのガキだろ。オラ!」

 

リーダー格の少年は、真泥のランドセルを引っ張ると、またフェンスに押し付けた。

 

「うぐっ」

 

真泥は小さい体をフェンスに押し付けられ、くぐもった声を漏らした。小学二年生と小学六年生とでは、体格が違いすぎる。そもそも、小学六年生が小学二年生に手を出すなよって話だ。

オレは覚悟を決めた。オレ自身の問題なのに、真泥に被害が及んでしまった。コイツらとの関係をここで清算してやる。

 

「わぁったよ。大人しくオレがやられればいいんだろう?真泥が可哀想だから、もう手を放してやってくれよ!」

 

とりあえず、彼を自由にしようと思った。だが、少年たちが真泥を解放することはなく、オレを無視して彼を小突き始めた。どうすればいいかわからなかった。そして、もうキレてもいいんじゃないか、と思い始めていた。

 

「やめろ。真泥を放せ。それ以上やったら、もう手加減しねぇからな。」

 

オレの言い方が悪かったのだろう。それを聞いたリーダー格の少年は、イラついた表情を見せ、再び真泥に手を伸ばした。

 

その時。能力を解放した。

 

ヤツの伸ばした手がスローモーションのように、非常にゆっくりとしたスピードに映る。その手が真泥に到達する前に、オレは一瞬で相手の懐に踏み込み、隙だらけの横っ腹に手加減を加えたパンチを打ち込んだ。

 

しかし。能力を未だ完全にコントロールしていない状況で。ロクにケンカなどしたことのなかったオレの"手加減"は完全に未熟なものだった。殴った相手は4,5メートル吹き飛んだ。

後で知ったのだが、この時すでにソイツのあばら骨は数本折れていたらしい。

 

残りの2人の少年に対しても、リーダー格の少年が吹っ飛んだのとほぼ同時に、同じく横っ腹にパンチを食らわせた。この少年たちには、自分も何度もパンチを食らっている。彼らを殴った罪悪感は微塵も無かった。

 

真泥の正面に立って、反撃に備えた。が、いつまでたってもそれはやってこなかった。吹き飛んだ彼らは、腹部を抑えてすすり泣き、地面に伏したままだった。

オレは彼らを殴る際に、湧き上がる興奮を制御せず、むしろ自ら昂るように精神を昂揚させていた。

 

いきり立ち、横たわる3人をまとめて引きずって、彼らが真泥に行ったようにフェンスに押し付けた。

 

「これ以上やられたくなかったら、もうオレ達に絡むな。オレを狙うってんならいつでも相手になるけどな、うちの施設のヤツらに手を出すのは絶対に許さねえ!

今さっきは手加減したけど、次はもうやらない。今度は力の続く限りボコボコにしてやるからな。」

 

オレの言葉を聞いた彼らは、心底脅えた目をしていた。泣きながらも、必死に「わかった」と繰り返していた。オレは真泥とともに、すぐさまその場を離れ、聖マリア園へと連れ帰った。

 

 

 

園に着くまでに、何度も何度も、面倒に巻き込んでしまったことを真泥に謝った。彼の表情が、さきほどよりだいぶ安堵していた風だったのは、オレにとっては救いだった。

園に着いた後すぐさま、汚れてしまった彼と、そのランドセルを綺麗にした。それが終わる頃には、真泥の表情は穏やかななものになっていた。

 

「真泥くん、本当にごめんね。オレのせいで迷惑をかけて。これからは、アイツらに何かされたら、スグにオレに報告してほしい。絶対だよ。オレのせいで真泥くんに迷惑がかかるのは耐えられないんだ。」

 

オレがそう言うと、真泥くんはわずかに微笑んだ。

 

「もういいよ。…雨月……に、兄ちゃん。助けてくれて、ありがとうございました。」

 

真泥は許してくれた。しかも、それだけじゃなく、オレを兄と呼んでくれた。

 

「お。今、兄ちゃんっていったな!いいんだよ、それで。オレたちは同じ園に住む家族みたいなもんだから、ぶっちゃけ他のみんなにも"さん"付けなんてしなくていいんだぜ。これからもオレのことは兄ちゃんって言ってほしいな。」

 

すこし間が空いたものの、真泥はおそるおそる、オレの言葉にうなずき返してくれた。これからは、もっと彼と仲良くやっていける。そう確信した瞬間だった。

 

 

 

 

オレが殴った少年たちが、病院に運ばれた。その知らせを聞いたのは、ちょうど火澄と一緒に夕飯の準備をしていた時だった。明日、クレア先生とともに、学校に事情を説明しに行かなくてはならないそうだ。

 

その話をしたクレア先生は、今までに見たことのないくらい泣きそうな顔をしていた。最初は、オレが3人の少年を怪我させたとは到底信じられずに、何かの間違いではないかと主張したそうだ。

しかし、警備員(アンチスキル)から、間違いなくオレが少年たちを負傷させたのだと、少年たちの証言、監視カメラの映像を用いて説明され、受け入れるしかなくなったという。

 

今日、オレが何をしたのか。怪我をした少年たちにこれまでオレが何をされてきたのか。包み隠さず話さなければならないと思った。

 

オレの話を聞いたクレア先生は、一瞬、辛そうな顔をした。そして、一発。オレの頬を思いきり張った。同時に、彼女の瞳から一筋の涙がこぼれた。

 

いじめに気がつかなかったこと。真泥が巻き込まれたこと。何も気づけなかった自分が、オレに対して説教をする資格など微塵もないと。けれども、オレの手加減がもっと危険なものだったら、下手をすれば少年たちは内臓まで損傷させ、死んでいたかも知れなかったと。

 

オレが危険極まりない行為をしてしまった事実だけは、何とか伝えなければいけなかった。そう言ってオレを抱き締めると、クレア先生は彼女自身の嘘偽りない素直な気持ちを、いつまでも呟き続けた。

 

"レベル"が上がって、オレは本当にクズ野郎になってしまったみたいだ。

咄嗟に、反射的に能力が作動した。さきほど、先生が張った頬の痛みを、オレはまったく感じることが出来なかったのだ。

 

 

 

 

すっかり遅くなってしまった夕飯の後、火澄と2人で料理の後片付けをした。彼女は夕飯の前から、ずっとオレに何かを言いたげだった。その話が聞けるのを、今か今かと待ち構えていた。

しかし、彼女は先ほどから黙り込んだままで、沈黙がしばらくその場を支配していた。

 

ついに、火澄が口を開いた。

 

「景朗、あのさ…。今日は…大変だったね。」

 

「はぁ。そのとおりだったよ。おまけに、今日だけじゃなくて明日もひと波乱あるんだろうさ。」

 

彼女は言いづらそうな表情を変えなかった。慎重に言葉を選んでいる風に、ゆっくり、間を空けながら再び話を続けた。

 

「あのね。景朗。確かに、今日、アイツらに怪我をさせたのは軽率だったと思うわ。幸い、ケガはあばら骨の骨折だけで済んだけれども、運が悪ければもっと酷いことになってたと思う。」

 

「馬鹿だった。火澄の言うとおり軽率どころじゃなかった。オレがした手加減なんて、あてずっぽうで、感で力をセーブしただけのものだった。アイツらに怪我をさせた責任はとらなきゃならないよ。いくらアイツらが前からオレのことをいじめていたんだとしても。…やっぱり、オレのこと見損なった?」

 

「ちッ、違うの!私、景朗のこと見損なったりなんてしてない!」

 

彼女はオレの問いをすぐさま否定した。そしてオレの顔を見つめると、視線を合わせたまま固定した。オレたちは見つめあっていた。決して嬉しい空気ではなかったが。

 

「さっきはアナタを咎めたけど、続きがあるの!ワタシが続けて言いたかったのはね。今日のこと、あまり気にしないで、元気を出して、ってこと。大怪我をさせそうになったことだけ考えて、1人で思いつめたりしないで。

アイツらが、真泥を狙ったりして、景朗もどうすればいいかわからなかったんでしょ?今日、景朗がやったことは、褒められるべきじゃないけど、それでも、何事もなくすべて完璧に対処するなんてマネ、誰にもできっこなかったわ。誰も、あなたを助けなかった。だから…だからね…」

 

言葉じりを曖昧に濁す彼女を見つめる。

 

「だからッ…その…。ワ、ワタシは、景朗の味方だからッ。今日のことで、これ以上落ち込まないの!アイツらを病院送りにしたことで、誰かがあんたの悪口を言おうとも、ワタシは、あんたが乱暴なヤツだなんて思わない。今日たまたま、暴力を奮ってしまったけど、それであんたのこと、嫌いになったりしないんだからね!」

 

恥ずかしいセリフをいうヤツだな。照れてしまった。嫌いになったりしないって、なんだよ。じゃあ…好き…なのかよ。浮かんでくる返し言葉も、恥ずかしくて言い出しにくかった。

 

「ありがとう、火澄。すんごい頼もしいよ…。ホントだぜ。」

 

とっくにオレから視線を逸らしていた彼女は、シンクの食器に向かいながらも、オレの返事に照れて、ブツブツと、此方に聞こえないような小さな独り言をつぶやいていた。

 

 

 

 

翌日。クレア先生とともに学校に出頭し、事件の顛末を説明した。クレア先生はただひたすらペコペコと頭を下げ続けた。見ているだけというのは辛かったが、オレは何もするわけにはいかなかった。状況を悪化させたくなかったら、とにかくすべてを先生に任せなければいけなかった。

 

少年たちの治療費はうちの園が出すことになった。とは言うものの、この学園都市で学生にかかる医療費なんて、タダに等しく、それは大した問題ではなかった。

だからこそ、こう言う事件の場合、責任の追求の矛先、各方面のメンツが優先事項となり、先生があちこち何度も頭を下げに行かなくてはならなくなった面もあるのだが。

 

 

 

 

 

夏が目前に迫った、とある週末。定期的な幻生先生による実験調査の日。いつものように実験を終えると、その日は幻生先生から、なんと小学校卒業後の進学先についての話を振られたのだった。

 

一般的な中学校は、小学校と比べると当然、終業時刻が遅くなり、平日の実験参加はほぼ不可能となる。中学生とは、肉体や精神がもっとも成長する時期であり、それと同時に能力の強度(レベル)の上昇も顕著にみられる時期でもあった。

 

オレの能力にご執心の幻生先生は、中学時の実験時間を今まで以上に増設したいようで、それ故に、オレに対して中学校の推薦の用意があると言い出したのだ。

 

霧ヶ丘付属中学校。第十八学区に構える霧ヶ丘女学院という女子高の付属中学校である。霧ヶ丘女学院と同じく第十八学区に設置され、高校とは違い、男女共学だというのだから驚きだ。

 

幻生先生がオレに要請したのは、この霧ヶ丘付属中への進学である。学園都市指折りの進学校が集まる第十八学区に設立されているとおりに、能力開発(カリキュラム)、特に、イレギュラーな、希少な、ユニークな能力の開発に力を注いでいることで有名らしい。

 

なかでも霧ヶ丘女学院は能力開発分野だけなら、あの常盤台中学にも引けを取らないそうである。もっとも、常盤台はより汎用性の高い、より応用の効く能力者を手中に収めているようだが。

 

 

幻生先生が事あるごとに繰り返すように、"稀少価値が高い能力者"のオレが入学する場所としては、率直に、悪くないチョイスだと思えるけれども。

やはり、あの"木原幻生"の推薦であるためか、どうしても妙な疑いを持ってしまうんだよな。ぶっちゃけ、嫌な予感がする。

 

しかし、幻生先生曰く、中学生の間も実験にきちんと協力するためには、この霧ヶ丘付属に入学してもらうのが一番らしい。先生の口添えで、授業料は免除、奨学金もたんまりと融通してくれるそうである。正直これはもう決まりかもしれない

詳細な条件はとりあえず後で詰めるとして。オレはこの幻生先生の提案に、肯定的な返答をすることとなった。

 

 

話は変わるが、最近の検査でまたひとつ新しい発見があった。結論から言おう。能力が強能力(レベル3)に達してから、オレの体重が急激に増加しているのである。"レベル3"になる前から、外見は全く変わっていないのに、体重が40kgも増加していた。軽くホラーである。

 

幻生先生によれば、オレの筋線維や各部の細胞、骨格、血液にいたるすべての体細胞、身体構造に変化が生じた結果、だそうだ。簡単にいえば、骨の密度がありえないほど大きくなったり、そもそも骨に使われる材料が別のものになったり、ということらしい。

納得した。たしかにオレは肉体変化能力者(メタモルフォーゼ)だったようだ。

 

 

 

 

 

 

初夏。夏休み直前。多くの学生たちが、ひと夏の思い出作りに励むこの時期。夏休み前の最後の壁、身体検査(システムスキャン)やテストが目白押しの期間でもある。

 

新学期早々クラスメートを病院送りにしたオレに、その後のクラス内での快適な生活が見込めるわけもなく。さりとて、堂々とちょっかいを掛けてくる豪の輩もおらず。

 

 

何もなく、ここまで平凡な日々を過ごしていたオレだったが(毎週末の実験だけは平凡ではなかったけれども)。

同じ施設の仲間、仄暗火澄は、小学六年生になってから、正確には、おそらくオレに能力強度(レベル)で並ばれてからなのであろうが、そのころから、以前に増して能力開発(カリキュラム)に心血を注いでいた様子であった。

 

その彼女が、夏休み直前の身体検査(システムスキャン)でついに、大能力者(レベル4)の判定を受けるに至った。

 

"レベル4"。実のところ、さすがに"超能力者(レベル5)に到達する"などというのは、夢のまた夢の話である。

故に、一般の生徒、学園都市に住まうほぼ全ての学生の実質的な目標点は、この"大能力者(レベル4)"に到達することであった。

"レベル4"に、齢12にして到達する、それは230万人を擁する学園都市の中でも、極めて少数の者たちだけに与えられた特権だろう。加えて、彼女が"能力開発"を受けたのは、第十二学区の端に存在する、お世辞にも能力開発に力を入れているとは言えない神学系の小学校であった。

 

彼女の年頃で"大能力"を発現するに足る者は、その殆どがカリキュラムに血道を上げる有名校に在籍する者たちである。彼女の、仄暗火澄の能力を操る才覚の非凡さたるや、わが校始まって以来の逸材である、と学校関係者、教師、生徒もろもろがみな、こぞってその才能を称賛する事態であった。

 

この頃には、彼女に対する劣等感など微塵も感じなくなっていたオレは、もちろん、純粋に彼女の偉業を祝福し、施設の仲間と協力して、"大能力"到達の祝賀会のようなものを開くことにした。

うちの施設から、レベル4の能力者が誕生したのは初めてのことだ、とクレア先生も大喜びしていた。

 

 

 

「火澄お姉ちゃん大能力への到達おめでとう」パーティの当日。何時ぞやのバーベキューの時と全く同じ光景が、聖マリア園の庭先で繰り広げられていた。

そこには、設置されたバーベキュー用のコンロに陣取り、甲斐甲斐しくチビどもの世話とついでにお肉を焼いている、仄暗火澄の姿があった。

 

本来なら主賓の扱いでなければならない彼女に、こんなマネをさせた犯人は何を隠そうこのパーティの発案、企画、実行担当者のオレである。

ちなみに最後までクレア先生は反対していた。だが、「火澄は世話を焼かれるより焼くほうが好きで、こっちの方が結果的に喜ぶはず」だと強調したオレの説得に打ち負かされ、おまけにそれとなく料理の準備班から外されたために、一時は庭のすべり台の上でスネていたが、今は開き直ってひたすらビールとバーベキューを貪っている。

泥酔は戒律違反らしいから、あの様子だと後でビールを取り上げないとダメかもしれんな…。

 

 

火澄をあくせくと働かせている罪悪感が少しはあったらしく、オレはこのパーティが始まってからはずっと、彼女のフォローに徹していた。ふとした拍子に彼女と目が合う度に、恨みがましい視線を送られる。

いや、それはちょっと酷くないか?上げ膳据え膳の催し物をしたって、きっと君は居心地の悪そうな顔をするだろうと思って、こうやってバーベキューをチョイスしたってのに。

それに、バーベキューをするにしても、目の前でオレがたどたどしく肉を焼いたりなんかしたら、「あーもう!見てらんないわ!かしなさいよ!」とか言いだしてたでしょ?

 

どうやら、彼女の不機嫌の矛先がオレに向くのは避けられない運命だったようだなあ。そんな風に考えながら、彼女の顔を先程からいくども見つめているのだけど、すぐに、ぷい、と目を逸らされてしまう。ふむ、実のところ、オレの葛藤は既に彼女も察しているのかもしれないな。願わくば彼女の追及の手が軽微ですみますように。

 

 

宴もたけなわになり、みな自由な行動をとりだした。そのため、幸運なことに、火澄に飯を世話になりながら、肉にありつけられたオレは、ようやく一息つけていた。

満腹になったチビどもは、酔っぱらったクレア先生と楽しそうにじゃれ合っている。腹いっぱいのはずなのに、ガキんちょはやっぱすごいな。

 

火澄とともにバーベキューに齧りついた。やはりすばらしい。素直に称賛した。彼女は、当然ね、と返した。

 

「しかし、すごいな。やっぱり。"レベル4"になってさ、何か変わった?」

 

火澄は、オレの質問に答える前に、食べ物をしっかり飲み込んだ。その後、少し考える素振りを見せた。

 

「んー…。自分自身にこれといった変化はないのだけれど。…変わったのは、むしろ周りのみんなかも。」

 

彼女の答えに、それはどういう意味だろう?という視線を送ると、微笑みながら話を続けてくれた。

 

「ワタシ自身の、能力の上達は、毎日微々たるもので、大きな変化を感じることはなかったわ。それで、毎日毎日少しづつ能力が上って行って、ついに"レベル4"に達したという実感があっただけ。

代わりに、レベル4になって大きく変わったのは、周囲の態度の方よ。みんなに持ち上げられ過ぎて、ちょっと恥ずかしくなっちゃった。…でも、そうね、景朗だけは、ワタシへの対応が全然変わらなかったわね。」

 

火澄はチラチラとオレの方を見つめていた。不思議と穏やかな気分だった。彼女と話すのが楽しい。

 

「いや、オレはさ、火澄が頑張ってるの見てきたし、そのうち"レベル4"になるんだろうな、って予想してたから。さすがにここまで早いとは思ってなかったけど。

 

あーあ、畜生。やっぱりすごいなぁ。レベルが追いついたと思ったら、半年もせずにまた引き離されちゃったな。」

 

彼女はくすくすと笑っていた。しばらく楽しそうに表情を歪めていたが、ふたたびこちらに向き直り、悪戯っぽく、からかうような口調でオレに話しかけた。

 

「そうよ。頑張ったの。最近、勉強の方であんたに負け越してたし。おまけに、能力強度(レベル)まで並ばれちゃって、ちょっと焦ってたの。残念だったわね、儚い夢で。」

 

「べ、別に気にしてないし。…だぁー…、しかし、オレはこれからどうやったらレベルが上がるんだろうな。見当もつかないな…。レベル3の判定が出てから、変わったのは性格と体重だけかよ。」

 

そこまで聞いて、オレの話に疑問を持ったのか、彼女は話に割り込んで来た。

 

「ちょっと、どいうこと?あんたの性格が変わったって話はわかるけど、体重…?が、どうかしたの?」

 

「ああ。まだ言ってなかったっけ?オレさ、ちょうどレベル3の判定が出たぐらいから、ずっと体重が増え続けてるんだ。今じゃ結構重くなっててさ。今じゃちょうど、レベル3になる前の倍くらいになってるんだ。たった3,4ヵ月で体重が2倍になるって、軽くホラーじゃね?それで、外見にはほとんど影響が無いから、誰も気づかないんだよね。」

 

話を耳にした火澄は、急に心配するような表情に変わった。

 

「に、2倍になったって…それ、ホントに大丈夫なの?」

 

「お医者さんが言うには、大丈夫だってさ。簡単に言うと、オレの能力の副作用で、体の組織が一般人とは別のものになっていってるみたい。まだほとんどはわかってないんだけど。お医者さんは今すぐ心配する必要は無いってさ。まぁ、ダイエットでもしてみたら、また違った結果になるのかもしれないけど。」

 

それを聞いた火澄は、表情をまたもやころりと変えて、それは名案だ、というような顔をした。

 

「それはいい考えね。試しにダイエットしてみましょう。ふふん、食事制限は、このワタシがきっちり管理してあげるから良いとして……運動は…。そうだ、夏休みに……ッ。」

 

そこまで言うと、火澄はオレから目を離し、横を向いた。それは一瞬の間だったと思う。すぐさまこちらに向き直った。心なしか頬に赤みがさしていた。しかし、視線をこちらに合わすことはなく、とある提案を持ちかけくる。

 

「か、景朗。夏休み、プールに行きましょう。目標は、あなたのダイエットと、…その…………ワ、ワタシの泳ぎの練習のタメよ。知ってるでしょ?ワタシが泳ぎだけは苦手なの。…どう、かな?……景朗は、乗り気、しない?」

 

「へぇー…。プールかぁ~…。うん、いいね!そうそう、オレの体、外見はほとんど変わってないのに、体重だけどんどん増えてるってことは、密度がすごく高くなってるってことだろう?もしそうなら、プールに行って水に浮かんでみれば、きっとてっとり早く判断できると思う。

もちろんダイエットにもなるし、心配しなくても、火澄の泳ぎの練習、誰にも言わないからさ。さすがは火澄、いいアイデアじゃん。」

 

オレの返事を聞いた途端、今度は彼女の表情が白けたものに変化した。あれ?期待していた反応とちがう…何かマズいこと言ったかな?と、ひんやりしていた。

 

その間に彼女の考えも変わったらしく、とりあえずプールには行くんだし…と無理やり自分を納得させるような独り言をぼそぼそと呟くと、

 

「むぅー…。もう、とにかく!夏休みは一緒にプールに行くんだからね。これは決定事項だから!」

 

その頃になってようやく、オレは火澄と"一緒に"プールに行く事の気恥かしさとドキドキを感じ始めていた。すまん、火澄。そう言うことだったのね。畜生。後の祭りだ。答えを間違ったか…。ん?でも、どっちみちプールには行けるんだし…。まぁいいか。

 

 

 

 

 

夏休みに入ると、一気に例の実験の予定が増えた。せっかくの夏休みなのに毎日毎日、地下にこもり、一日中変な薬品の匂いを嗅ぎ続ける羽目になるのは、正直御免こうむりたかった。だが、幻生先生がうちの施設に援助してくれている金額を考えれば、その誘いを無下にするわけにはいかない。

 

「今日も御苦労様だった、景朗クン。ここのところは連日、長期休暇中だというのにすまないね。最近は研究の進捗が芳しくなくてね…。おお、ところで、先日の、霧ヶ丘付属…だったかな。あそこへの進学の件、前向きに考えてくれておるかね?」

 

「あ、はい。今のところは…また、幻生先生にお世話になろうかと思っています。よほどのことがなければ。」

 

幻生先生の提案は魅力的過ぎた。今の段階では、断る理由すら思いつかない。返事に気を良くした先生は、オレにコーヒーのお代わりを勧めると、進学後の予定について話してくれた。

 

「けっこうけっこう。快い返事を貰えて嬉しいよ。さきほども言ったが、ここのところ研究の進展が思うようにいって居らんのだよ。そこでだね、来年の頭から、外部の研究者と共同で、新しい計画(プロジェクト)に臨むことにしたのだよ。その実験には、キミの協力が必須だったのでね。これでひと安心だ。"契約"の更新は無事に行われた、と言ったところかな。」

 

「はい。…あまりにも危険な実験だと、お断りせざるを得なくなるかもしれませんが。申し訳ありません。」

 

「その心配はないよ。おそらくキミには、新しい概念の脳波調整装置(デバイス)の開発に関わってもらうことになるだろう。その実験には、何一つ危険なことはないはずだ。安心してくれたまえ。」

 

そうか。先生の反応からして、どうやら本当に安全な実験で、正道な、アカデミックな研究内容らしい。これなら心配はいらないみたいだ。すこし安心した。

 

いざ、霧ヶ丘付属中への入学を覚悟すると、途端にやる気が湧いてくる。霧ヶ丘付属は今通っている小学校とは比べ物にならないくらい能力開発(カリキュラム)のノウハウを持っているはずだ。

この機会に、自らのレベルアップを目論んでやろう。いつかは火澄に追いつきたいしね。

 

 

 

 

 

 

待ちに待ったプールの日が来た。火澄と二人でプール。楽しみ過ぎる。あまりに期待しすぎて、前日の実験では、ニヤついた顔を所員さんたちに見せたくなくて、むらむらと湧いてくる欲望を消し去ろうと、能力を強く使用していた。それがうまい具合に働いたらしく、研究員さんに、「今日はいつもより集中してるね。いつもこの調子で頼むよ。」と褒められた。おいおい、オレの能力の実験だと、余計な雑念が入るほど、集中力が増してしまうのかよ。なんという矛盾だ。

 

今日の火澄は、普段よりなんだかかわいく見える。どうしてだろう?お、いつもより髪がしっかり整えられているのか。いつ見てもいいなあ、黒髪ロングストレートサラサラヘアー。やばっ、オレの視線に気付かれる。

 

こんなこともあろうかと、能力を超絶全開にしていたオレは、超速反応で火澄の動きを察知すると、その瞬間を目撃される前に正面を向いた。彼女は、あれー?たしかに視線を感じたのに、と訝しんでいる様子。危なかった。

 

 

目的とするスポーツセンターが位置する第二十学区に辿り着いた。第二十学区はスポーツ工学系の学校が集まる学区である。この学区のあちこち、至る所に存在する、夏休み期間中に解放されるであろう付属のプールが目当てなのである。

 

ここは、この学園都市で健康科学に最も力を入れている学区であるから、大凡エクササイズ目的であれば、最も相応しい場所だろう。そう、エクササイズが目的であれば、ね。

 

初めは、アミューズメント施設目白押しの第六学区か、先進的な娯楽施設が素晴らしい第二十二学区のアミューズメントプールに行きたい、と主張したのだが、火澄に素気無く却下されてしまった。

彼女が言うには、この夏休み期間中だと、そういう行楽施設はどこもかしこも人でごった返し、ロクに泳げないから嫌なのだそうだ。

 

しかし、そうなれば…この代わり映えのしない第十二学区か、それとも行きつけの第十四学区のプールセンターへ行くのか?

……それだけはご遠慮したい。そんな場所へ行ってしまえば、火澄がスクール水着を着ていくことができてしまうではないか!?冗談じゃない。オレは火澄のスク水でない水着姿がみたいのだ。最近富に膨らんで来た彼女の一部分の観察が……あ、それはスク水でもできるか。

 

どうやって説得しようか考えている時に、彼女の方から別案の提示があった。第二十学区の人のいないスポーツセンター等のプールを利用するというのであった。なんだとお、それじゃあ逆に、スク水じゃないとおかしいじゃないか!ビキニとかそういうちょっとえろい系の可能性が…ゼロではないか…

 

残念そうな顔を隠しもせずにいると、彼女の呆れた表情が飛び込んできた。「そもそも、あんたのダイエットが一番の優先事項でしょう?」だとさ。

 

うだるような暑さの中、初めて来訪する第二十学区の様子など見ていなかった。能力を解放すれば、暑さなんか感じなくなるのだが、熱射病や日射病などに全く対応できなくなるからね。そうやってなんにでも能力を使うのは我慢しているのさ。

 

ついに目的地に着いた。昼食を取らずに、昼前にうちの園を出発したので、とりあえず中に入って水着に着替えたら、直ぐに昼食を取る予定であった。火澄がお弁当を作ってくれていた。ま、そうだよね。オレのダイエットだもんね。食事制限まで彼女に任せて忍びないなあ。いやだな、忍びなく思ってるのはホントさ…へへ……。

なんにせよ、プールの中は外より暑さはマシだろう。これは、純粋にプールに浸かるのが楽しみになってきたなあ。

 

 

着替えて、待ち合わせ場所のテラスにやってきた。暑かったから、だいぶ急いで着替えたしな。やはり、オレが先に着いたようだ。火澄の姿はなかった。

 

肝心のプールを拝見する。広い。ていうか、人の姿も少ない。最新鋭の設備のそろった健康科学スポーツセンター、との触れ込みは正しく、外装もインテリアもめちゃくちゃキレイだった。すぐそばの50mプールを眺める。飛び込んだら水がひんやりしてて気持ちいいだろうな。そういえば、この体、浮くんだろうか。あぁぁ、今すぐ確かめたい。だが、我慢だ、我慢。

 

ようやく火澄が来た。彼女の声が聞こえてそちらの方向を向いた。彼女のシルエットが眼に映った瞬間、オレは硬直した。な、なにぃー!?

 

火澄は、オレンジ色の競泳水着を着ていた。しかも、ぴちぴちと体に密着するタイプのヤツだ。

 

ちょ、ど、どうして…これは…え、えろい…なんで…。デルタゾーンなんて、競泳水着とは思えないくらいエッジが効いてて…小学生離れした胸部もオレの脳ミソにパルス波を放っている。

背中も、ざっくりと開いていて、後ろから見ただけだと、ビキニを着ているようにも見える。

 

 

舐めていた 競泳水着は エロかった 雨月景朗 (字余り)

 

脳内に五七五が浮かんできたぞ。アホか。

じっと見つめてしまい、火澄はすっかり恥ずかしがっていた。と、とりあえず褒めなきゃ。せっかく火澄が…火澄が…

 

「すっげぇにあってるよ。な、なんか、競泳水着に対するイメージが180°変わったッス、先輩。」

 

「ダ、ダレが先輩よ!バカぁッ!」

 

照れて胸部を手で覆い隠してしまった。ふふ、だが残念だったな火澄!胸が無ければ太腿を見ればいいじゃない!

 

炎が飛んできた。髪の毛にヒットして、焦げ臭い匂いが立ち込めた。慌ててプールに飛び込んだ。

 

 

 

 

昼食の時間になった。焦げて縮れたオレの髪の毛を見て、火澄が笑いを堪えていた。でもオレは気にしないよ、今日は幸せな日だからな。火澄がお弁当を取り出した。

はからずも、そこまで期待していなかったお弁当だったが、いざふたを開けてみると、その豪華絢爛ぶりに圧倒された。え?食事制限っていうてなかったっけ?

めちゃくちゃ豪勢ですやん…?思わず、率直な感想が口から漏れ出た。

 

「あれ?なんか豪華だね~。今日ダイエットとか言ってたのに、こんな美味しそうなの作ってくれて、もちろん嬉しいけど、カロリーとか大丈夫なの、かな?」

 

オレのツッコミに硬直した火澄は、しだいに顔を真っ赤にさせていった。たっぷりと間が空いてから、慌てて彼女は説明を加えてきた。

 

「え、ええ!大丈夫よ!きちんとカロリー計算はしてあるから、好きなだけ食べていいわよぅ…」

 

語尾を濁したぞ、今。目が泳いでる。プールでまず目を泳がすとはこれいかに。…すいません。顔を赤くしてそっぽを向く火澄がやたらと可愛い。だ、大丈夫かなぁ、コレ。オレ、明日死んだりしないよね?

 

お弁当はとてもおいしかった。ものすごい気合いの入れようだった。目と舌が幸せだった。オレ、この時の幸福感は一生忘れないよ。

 

これから後は、特筆すべきことは何も無く、ひたすら楽しく泳いで、遊んで、はしゃいでいた記憶しかない。あとは…火澄の水着姿を脳内に焼きつける作業で忙しかったくらいかな。

 

彼女に泳ぎを教えたり、なんとか偶然を装ったエロいハプニングを画策したりしたんだけど、うまくいかなかったなあ。でも、とにかく楽しかった。火澄も、すごく楽しんでいたようだった。

 

 

 

 

 

結局。実験三昧の夏休みだった。地下にこもりっきりで、ロクに日焼けしていない。この短いひと夏を思い起こせば、良かったのは、火澄とプールで遊んだことくらいだな。

 

あっという間に新学期。小学生でいられる時間もあと残りわずか。この学園都市では、エスカレーター式に中学校に上がれる人たち以外は、みな中学受験をするハメになる。まぁそこは仕方ない。なんたってここは"学園"都市ですからね。

 

そういうわけで、まだ幾分か暑さの残る新秋。この時期になると、皆が皆次の進学先について、真剣に考え始めるようになる。学園都市には、腐るほど学校が乱立しているが、仲の良い友達同士だと、相談し合い、こぞって同じ学校に通うものたちも大勢いるらしい。

 

もっとも、この能力開発クラスではそのような光景がみられることはないが。皆、能力の研鑽に一生懸命なヤツらだから、そんな友達ゴッコに興味が無いらしい。いうにあたはず、クラスにコレと言った友達が未だに居ないこのオレにも関係のない話である。

 

進学先どこにする?といったほんの世間話程度の会話すら全く無い。火澄と話をしようにも、"レベル"に差があるため、同じ学校に行けるわけもなかった。と、昔ならそのような理由で諦めていただろうが、今のオレはレベル3である。

 

しかも、その希少性を買われてかなりの有名校、"霧ヶ丘付属"への推薦がほぼ決まっていた。もしかしたら、霧ヶ丘付属なら、火澄の進学先にノミネートされても可笑しくないかもしれない。

 

すこしだけ期待した。だが、あっという間にその夢は儚く崩れ去った。なんと、オレが向かう"霧ヶ丘付属"、この中学校、全くと言っていいほど良いうわさを聞かないのだ。

 

そもそも、この中学はほとんど情報を公にしておらず、募集要項すら一般には公開していないらしい(そんな学校ありかよ?)。全くもって謎に包まれた学校だ。2,3聞く噂も、学校で非道な能力開発がおこなわれていて、そこに通う学生は皆うつろな目をしているらしい、とか、そんなやつばっかだった。

 

これでは彼女に話を振る訳にもいかず、自身の進学先をいつ話そうかと、ここのところは毎日悩んでいる。そんな状況だった。

 

 

 

 

そんなある日。ありふれた日常。その日は朝早く、火澄に一緒に学校に行こうと誘われていた。最近では珍しい事だった。通学の最中だった。彼女は、唐突にオレに、進学先について打ち明けてきた。

 

「あのね、景朗。きっとビックリするだろうけど、できるだけ驚かずに聞いてね。」

 

「なんだよ、突然。まぁ、驚かずに話を聞くくらいのこと、オレなら朝飯前だけど。あ、朝飯はさっき食っちまったか。」

 

火澄はオレのからかう態度に機嫌を悪くした。真剣に聞いてよ、という視線を冷徹に飛ばしてくる。オレはわかりましたと言わんばかりに何度もうなずいた。

 

「話し手のワタシが昨日聞いて、直ぐには信じられなかったくらい驚いた話だから、無理かも知れないけど…。あのね、ワタシ、昨日、学校の先生から連絡があってね…。常盤台中学校から、特別推薦入学の勧誘があったのッ。ワタシ、常盤台中学に行けるようになったのよ!どう?すごくない?!」

 

能力を起動させ、感情を制御していたオレは、もちろんその話を聞いて全く驚かなかった。むしろ、その話の不自然さが気になり、疑っていたくらいだった。

 

「それは…確かに凄い話だ。常盤台中学ってこの学園都市の中学校の中で、実質トップの学校じゃないか?

 

でも…ちょっと気になるんだけど、その"常盤台中学"って、かなりのお嬢様じゃないと入学できないんじゃなかったっけ?オレでも知ってるくらいだから、当然こんなこと言うまでもないだろうけどさ…?」

 

その疑問は当然だ、とばかりに、彼女はオレの答えに首肯した。

 

「そうよ。普通なら、家が資産家のご家庭で、かつ、高位の能力者でなければ、入学を許可されないらしいわよ。それで、ワタシも昨日は、何かの間違いじゃないかしら?って思ったんだけど…」

 

そこでオレは、彼女がじっとオレを見つめていたのに気が付いた。気になって見つめ返したが、その瞳はオレに焦点が合っておらず、目と目が合うことはなかった。彼女はそんなオレの行動に気づかず、話を続ける。

 

「ワタシの能力、"不滅火焔(インシネレート)"が、その…自慢話になっちゃうけど、悪く思わないでよ?ワタシの能力、不滅火焔(インシネレート)は、現時点で、この学園都市の発火能力の中でもかなりの上位に食い込んでいるらしいの。

 

常盤台中学の先生から、電話越しでだけど、直々にお誘いがあって、ワタシの能力の開発を是非担当させて貰えないかって話を受けたわ。

 

それで…常盤台中学は全寮制でね、ワタシが"置き去り"だって話したら、電話で話した人が、生活費や授業料、おまけに多額の奨学金を融通しましょう、って言ってくれたの。とてつもない好条件だった…。」

 

 

"大能力者"となった、仄暗火澄の能力、"不滅火焔(インシネレート)"。

 

以前のパーティの後に、チビどもやオレの目の前で披露してくれていた。彼女は、小さな蒼い火の玉を指先に生み出すと、バーベキューで出た生ゴミに向かって投げ付けた。

火の玉は燃えにくいはずの生ゴミに燃え付き、みるみる包み込んでいった。その後、彼女はチビどもにバケツに入った水を炎にかけてみなさい、と指示した。興味しんしんだった花華が、言われたとおりにバケツの水を生ゴミにかけた。

すると、水をかけられた炎はその勢いをまったく減ぜず、水蒸気を焚き揚げて、尚も生ゴミを燃焼させていた。

 

結局、いくら水をかけようとも、砂を浴びせようとも、生ゴミがすべて燃え尽き、灰となるまで、その蒼い炎は決して消えることがなかった。

 

その後、彼女は、その気になったら辺り一帯覆う規模で、この"消えない炎"を放射できるのよ、すごいでしょう。と、チビどもに自慢していたのだが、「えぇーどうしてやってくれないのぉー」という花華達のブーイングに、「周りに迷惑がかかるからでしょ?!そのくらいわかりなさい!」とお説教を始めていた。

 

たしかに、あの炎は凄かった。そうか。学園都市でも上位に食い込む発火能力だったのか。スタンダードな発火能力の"レベル4"だもんな。そりゃ、常盤台中学からお呼びがかかるってもんさ。

 

となると、なるほど。火澄が悩んでいたのは、そう言う訳か。つまり、もし彼女が常盤台中学からの話を受ければ。実質、彼女はうちの施設から退園することになるのか。彼女の様子だときっと、書類上の繋がりも無くなってしまうような案件なのだろう。

 

 

能力を発動させたオレは、自身の寂寥の念を思考に、言葉に一切混入させることなく、彼女に自分の考えを伝えられるはずだ。

 

「わかった。そいういうことか。ちょっと元気がなかったの。」

 

火澄は相槌を返さず、黙したままだった。オレは彼女に喋りかけつづけた。

 

「火澄。オレは、まったく思い悩む必要ないと思う。本当にあの"常盤台中学"から、そんな好条件でお誘いがかかったのなら、迷わず行くべきだよ。その結果、うちの園から出ていくことになってしまうのは、気が進まないかも知れないけど。でもさ、繰り返し言うけど、そんなことを心配する必要はまったくないと思うんだ。」

 

オレの言葉に、彼女は顔を上げた。

 

「名目上、うちの施設を退園することになってもさ、いつでも帰ってこれるに決まってんじゃん。オレは勝手に、聖マリア園のこと、自分の家だと思ってるよ。クレア先生なんかきっと寂しがって、何時でも帰ってきてねって言いだすさ。うちの園から出ても、火澄はずっと聖マリア園のメンバーなんだよ。

 

もし、どうしようもなくなって、うちに帰ってきたくなったら、先生にお願いすればきっと何とかしてくれるよ。その時は、オレも頼み込んでやるからさ。

 

ふふっ。どーしても、オレ達と離れ離れになるのが寂しくて仕方がないってんなら、無理に薦めはしないけどね。」

 

そこまで言うと、火澄は気炎を揚げ、オレの言葉に反論してきた。

 

「なッ、ちょっとッ、ダレもそこまで言ってないでしょッ。~~~~ッ。もうっ。勝手に決めつけないでよ。むぅぅ。ダレが寂しがってるってぇ?寂しがってるのはあんたのほうじゃないの?」

 

彼女が明るくなったことに喜んだオレは、もうすこしからかってみたかった。

 

「そりゃあ、寂しいよ。火澄が居なくなったら、ダレが晩飯を作るんだよ?ちょっとヤバいなぁ。でもま、遅かれ早かれいつかは巣立たなきゃならないんだ。チビどもが成長して、色々やってくれるようになるさ。」

 

「んー…料理…か…。ホントね、ダレが料理作るのよ…。考えてなった…。」

 

「おいおい!?本気で打てあうなよ。心配なら、まだあと半年あるし、花華たちに教えてあげればいいじゃないか。」

 

オレの提案に、彼女は乗り気になったようだ。そのあとは、学校に着くまでひたすら今後の事を語り合った。なんにせよ、彼女はオレの話でいつもの元気を取り戻し、常盤台中学への入学を前向きに考えるようになってくれたようだった。

 

 

 

 

その日の夕方。帰宅後、晩御飯を早速花華たちと一緒に調理した火澄は、夕飯の席で、常盤台中学への入学を園のメンバー全員に伝えたのだった。

 

クレア先生は大喜びしたものの、彼女が常盤台中学は全寮制でうんぬんかんぬんといいだした途端に、泣きそうな顔になった。他のメンバーも、とくに花華たちのように、彼女に懐いていたチビたちは、クレア先生に当てられて、泣きだす者もいた。

 

火澄は慌てて、中学に入っても、ずっと様子を見に来るから、お邪魔させてねと言っていた。それに対して、チビたちは絶対に来ないとイヤだよと駄々をこね、彼女の瞳を湿らせていた。

 

炊事に関しては、これから半年、みっちり彼女がチビどもに教えることにしたらしい。よかった。冗談で言ったけど、結構ガチで心配してたんだよね。うーむ。土日は火澄を招待して、料理をふるまってもらおうかな…

 

事態は一見落着。かと思いきや、沈んでいたクレア先生が一転、今度はオレに向き直り、「かげろう君は中学校に入ってもここで一緒に暮らすんですよね?!」と言いながら抱きしめてきた。

 

ちょ、おい。してやられた。どうしよう。チビどもも、火澄も、みんなオレに注目しているぞ。…ちょうどいい。この機会に伝えてしまおうか。

覚悟を決めたオレは、実は霧ヶ丘付属からお呼びが掛っているが、中学にはうちの園から通うから心配しなくてよい、と報告したのだった。

 

ああ、火澄の「初耳なんだけど。」と言わんばかりの、刺々しい視線が痛い。こう言う痛みだけは消しようがないんだよなぁ。早いとこレベルアップして、こういう"痛々しい空気"も操作できるようになりたいぜ。ムリか。

 

 

 

 

新年が明けて、冬。

結局、オレと火澄はお互いに、お呼びのかかった学校、すなはち、"霧ヶ丘付属中学校"と"常盤台中学校"へとそれぞれ進学することとなった。

 

春が近づくにつれて、互いに中学進学の準備が忙しく、あまりじっくりと話をする機会を付けられなかった。気がつけば3月、オレたちは小学校を卒業していた。

 

 

早いものだ。今、「火澄お姉ちゃんとのお別れ会」が開かれようとしている。火澄に料理を習っていたチビどもだけで飯の準備が行われていた。

手持無沙汰なオレは、火澄とともにソファに座り、最近ハマっているドリップコーヒーを彼女に振る舞っていた。

 

「うぇー。苦い。ミルクいれちゃおっと。景朗、あんたよくこんな苦いの飲めるわね。」

 

そう言うと、彼女は机の上に置いてあったミルクを取り、どばどばとカップに注ぎこんでいた。ちょっと残念だな。結局、彼女がこの施設を出て行ってしまう前に、コーヒーの魅力を伝えることができなかった。彼女は気づいていないだろうが。

 

「まさか、このオレが火澄に、お子様だね、という日が来ようとは…」

 

「ちょっと。コーヒーがブラックで飲めるからって、大人ぶらないでよね。」

 

即効でツッコまれた。子供たちがはしゃぐ声が聞こえた。ふと気になって、テーブルの方に視線を向ける。チビどもは楽しそうに、お別れ会の準備をしていた。もう少しで準備が終わりそうだった。

 

「なによ。寂しそうにしちゃって。心配しなくても、ここにはしょっちゅう様子を見に来るわ。」

 

彼女の声を聞き、視線を正面に戻した。

 

「いや、それは正直まったく心配してないよ。本人の言うとおり、火澄はうちのチビどもが気が気でないご様子ですから。」

 

「スネないの。あんたやクレア先生の様子だってちゃんと気になります。」

 

「き、気にしてほしいなんて言ってないよ!別に!…なんだよぉその顔は!あぁ、寂しいさ、もうキミの料理が食べられなくなっちゃうからね。うわああああ。残念だなー。」

 

火澄の言葉に照れてしまったオレは、誤魔化そうとやや大げさに彼女の料理が食べられなくなることを嘆いた。

 

「またまたぁー。誤魔化そうとしちゃって。ホントのこと言いなさいよ。ワタシと会えなくなるの、寂しいんでしょ?」

 

ぐっ。ここで、寂しくなんかないね、と言い返すのは、実は寂しいです、と肯定しているようなものじゃないか。どうしたものか。うまい反撃は…。そうだ。話をそらそう。

 

「そんなことよりさ、火澄は、常盤台中学での生活に不安とか感じないの?オレさー…ちょっと不安なんだよね。霧ヶ丘付属ってなーんにも話聞かないジャン?」

 

「ちょっと!露骨に話をそらすのやめなさい。まったく、もうっ。…でも、確かに。そッ…その……、ワ、ワタシは、あなたのことが心配かも。あんたが行く霧ヶ丘付属って、いいうわさ全く聞かないし。…気をつけなさいよ。」

 

そう言うと、彼女は心配そうに、どこか照れ臭そうに、オレの眼をみつめてきた。な、なんだよ。さっきから照れるんじゃないか。でも、こうやって彼女と何とはなしに、空いた時間にお喋りできるのも、これが最後か…そう思うと、もっと素直に話をしようか、という気になった。

 

「か、火澄。あのさ…。なんかあったら、いつでもここに飯食いに来てくれよな。オレだって、きっと、中学でいろいろあるだろうし。それで、火澄に相談したくなること、たくさん出てくると思うから……。」

 

火澄は、目をパチパチと瞬かせるとギクシャクと頷いて、言った。

 

「わかった。ちゃんと、会いに来るからね。」

 

「おう。」

 

 

それから、しばらく互いに無言だった。その後、ちょうどタイミングよく、花華たちが料理を運んできた。これ幸いと、オレたちは彼女たちの手伝いに向かった。お別れ会はいつもの調子で賑やかなうちに終わった。

こうして、オレたちは中学生になった。



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episode04:酸素徴蒐(ディープダイバー)

 

 

霧ヶ丘付属中学は、学園都市の有名校がしのぎを削り合う第十八学区に存在する。これからは毎日、第十二学区から公共交通機関を乗り継ぎ、学区をまたいで中学に通うことになる。

 

登校初日。駅から出たオレは、今だなれない第十八学区の街中を徒歩で移動していた。この学区は、外見こそ第七学区と大きな違いはないものの、その雰囲気にはだいぶ異なるものを感じた。第七学区と比べて、通り行く人の数にも違いはないものの、活気が無く、皆疲れたサラリーマン、OLのような表情をしている。

 

一方、治安は両者、雲泥の差で、ここ第十八学区は町の路地裏にたむろする様な不良無能力集団の姿がほとんど見られない。無理もない。すれちがう、通学途中の学生たちのほとんどは高位の能力者だ。この学区と、第七学区の"学舎の園"近辺は、この学園都市で最も高位能力者の密度の高い場所である。

 

 

ちらほらと霧ヶ丘女学院の制服を着た娘たちの姿を見かけるようになってきた。こっちの道で合っているみたいだな。付属中学には、彼女たちのあとを追っていけばそのうち到着するだろう。

 

一応、出発する前に、ここいらの地形は一通り頭にたたき込んできているのが、無駄だったかも知れない。いや、無駄だと結論づけるのは早計かな。おかげで、学校の近くにある良さげなケバブのお店をチェックできたじゃないか。

 

なんとなく、コレはオレの勝手な予想なのだが、元の小学校の特別開発クラスですら、ついぞ友達を一人も作れなかったオレである。恐らく、霧ヶ丘付属の中でも、そうそう友達を作れるわけがないだろう。しばらく楽しみは食う事だけになりそうである。

 

そう考えていたのだが。視界に移る女子高生たちの後ろ姿を眺めていると、年上のお姉様たちと甘酸っぱい思い出づくりだって、頑張ればできないことはないんじゃないだろうか、という気になってくる。せっかくだ。挑戦せずに諦めるのはいかがなものだろう。……よし。そう悲観的になることもないか。元気だしていこう。

 

 

 

 

厳重なセキュリティチェックを乗り越え、遂に学校に到着した。さすがは能力開発優先校。とてつもない数のセキュリティだった。

学校の内部を見渡す。これは…中学校というより最新鋭の研究施設といった様相なんだが。どうしよう、まともな学園生活をおくれるか分からなくなって来た。

とにかく、見た目だけじゃ学校らしさが伝わってこない。学生服を着た生徒が廊下を歩いていなきゃ、完璧にただの研究機関だぜ。

 

驚くことに、入学式はなかった。事前に配布されていたガイダンスに従って、オレは自分の担当となっているこの学校の研究室へと直行した。どうやら、この霧ヶ丘付属中学はアメリカのハイスクールのような授業形態らしい。生徒をクラスを作って割り振らず、代わりにそれぞれが所属する研究室を割り振る。そこから生徒が勝手に授業の行われる教室に出向いていく、という流れである。

 

そもそも、高校の付属校だからな。設立されたのも、割と最近らしいし、こんなものかもしれん。まぁ、コレはコレで楽そうだからいいか。中学生活は悲しくも、幻生先生たちとの実験生活に消えるであろうオレにとっては、いっそ他人に関わる時間を極力排除できてかえって便利かもしれない。

 

目的の研究室に入った。担当の先生に挨拶をすると、そっけなく、よろしく、と一言だけ返された。うーん。この人達、教育に関心があるようには見えないな…。学校生活で利用する自分のテーブルやロッカーを案内された。授業が無い時は、普段はこの研究室で検査や実験に協力することになるらしい。

 

入学早々申し訳ないが。と先程からオレに研究室の紹介をしてくれていた先生からなにやら前置きされ、どうしたのだろうと疑問を持ちつつも、話を促した。

 

「早速だが、明日から君には、午前の授業を受けた後、先進教育局の木原研究所に出向する様に願いたい。話はすでに木原所長から聞いているのだろう?」

 

なんだと。ちょっとまて、もしかして…。オレはすぐさま彼の胸に付けられた教員証を注視した。

 

霧ヶ丘付属中学校木原研究分室所属 木原蒸留 先進教育局木原研究所出向

 

おいおい…この人たちも、幻生先生の部下なのかよ。学園都市の木原って、この界隈じゃそうとう有名なんじゃないか…?いや、それはいまさらか。

 

初日は特にコレと言った用事もなく、この後は目を付けていたケバブ屋で昼食を取って、そのまま帰宅した。なんだよ、午後は丸々実験するのかよ…。幻生先生やりたい放題じゃねぇか。勉強は自分でしないと厳しそうだな。

 

 

 

 

 

翌日。正午を少しまわった頃合い。木原先生ズに言われたとおりに、オレは先進教育局へとやって来ていた。恐らくここは木原一族の一大拠点に違いない。なにせ木原幻生直轄の研究所があるというのだから。

本音をいえば、そんなとこにわざわざ行きたくねえんだけどな…。オレ、木原一族には苦手な人が多い気がする。

 

だが、孤児院の資金援助のためだ。もはや止まるわけにはいかない。今年の春にも、うちの園には新しいメンバーが増えている。みんな不安そうな顔をしてやってきた。彼らのためにも、実験に協力し続けなくては。

いつの間にか、後戻りできなくなっている。気づいているとも。オレは、もう幻生先生には逆らえないのかも知れない。

 

ただ、新しく入ってきたメンツに対して、あのビクビクしていた真泥がお兄さんぶって、色々と世話を焼いていたのを思い出す。クレア先生に抱きしめられて戸惑った表情を浮かべていたガキどもの顔も思い浮かんだ。あの光景は絶対に否定させない。大丈夫、能力で肉体も精神も強くなったしな。

 

 

 

 

研究施設への出入りにも慣れたもので、なんなく木原研究所の所長室へと案内された。そこで待っていたのは、お馴染みの幻生先生と、なんかこう…ぎょろっとした目が特徴的な、同い年くらいの女の子だった。女の子は制服を着ているし、一緒に実験に参加するメンバーなのかな?

 

2人ともソファに腰掛けて、なにやら難しそうな内容の話をしていたが、オレの入室とともにこちらに目を向けた。幻生先生に呼ばれて、隣に腰かける。

 

「ちょうどいいタイミングで来てくれたね。さっそくだが、布束クン、紹介しよう、彼がプロジェクトの要、雨月景朗クンだ。景朗クン、こちらが以前、私が言っていた共同研究をする相手側の責任者、布束砥信クンだよ。布束クン。改めて彼ともどもこれからよろしく頼むよ。」

 

「of course. 彼が噂の。期待させてもらいます。私たちの研究に幸多からんことを。」

 

この女の子が、共同研究組織の責任者…?どうみてもオレと同じくらいの年齢なのだが。大丈夫なのか?しかし、ただの女の子だと考えてはいけないのかもしれない。幻生先生とはそこそこの付き合いだ。彼はそういう冗談をする人じゃない。

この女の子、きっとものすごく頭がいいんだろう。

学園都市だと、どんどん飛び級していく天才児童(ギフテッドチャイルド)の話には事欠かないが、実際に見るのは初めてかも知れない。

 

…まずいな。訝しむ視線でずいぶんと見つめてしまっていた。第一印象が悪くならないといいが。

 

「初めまして。ご紹介の通り、雨月景朗といいます。これからどうかよろしくお願いします。」

 

「no problem, 布束砥信よ。確かに貴方とそう変わらない年齢だけど、心配しないで。こう見えて、私がこの計画の発案をしたの。企画、運営も任されているわ。既に聞いているとは思うけど、私たちの研究には貴方の能力が必要なの。hopefully, 貴方が期待通りの成果を上げることを祈らせてもらうわ。」

 

そういうと、布束さんは立ち上がってオレに手を差し出した。ちょっと上からな物言いをする人だけど、それでも隣の幻生先生よりだいぶマシだぜ。やはり女の子だからかな。こちらも手をとって、しっかりと握手した。その後は、これから皆が試みる実験の目標、目的、方法などの概要を教えてもらった。

 

その研究で開発する装置(デバイス)の名前を聞いて驚いた。"学習装置(テスタメント)"だとさ。はは、字面だけみたら、確かに先進"教育"局が行うに相応しい題目だろうよ。しかし、テスタメント(聖書)ねぇ…。

 

 

 

幻生先生たちと毎週末やっているものと似たような機械で、似たような操作で、似たような注意を受けて。わざわざ先進教育局という場所にやってきたわりに、布束さんたちの実験は今まで受けてきたものとそこまで代わり映えはしなかった。

普段どおりに能力を使用して、脳みそにピリピリとくる刺激に無反応を示していただけで、実験はつつがなく終了した。

 

測定機械から席を外すと、布束さんが何やら足早に近づいてきて、心なしか早い口調で話しかけてきた。顔には出ていないけど、どうやら興奮している?

 

「awesome. 素晴らしいわ、雨月君。期待以上の能力ね。今日、貴方が私たちに見せてくれた反応。それだけでも称賛に値するわ。これなら、研究が想像以上に捗りそう。anyway, これからもどうかよろしく頼むわ、雨月君。」

 

「どうも。オレの能力がお役に立てそうで何よりです。」

 

こっちこそ、予想以上に喜んでもらえてなんだか気が咎める。全然集中してなかったなんて言えないぞ、これは。

お。足音だ。誰かが後ろから近づいて来ている。この足音だと…なんだ、幻生先生か。

 

「ははは。だからいっただろう、布束クン。彼の能力は本物だと。我々は、貴重な能力を提供してくれている彼に感謝すべきだよ。なにせ、この学園都市に3人といないレアな研究素材なのだからね。」

 

おいおい、幻生先生、突然ヨイショしてくるなんてらしくないぜ。褒めたって能力以外は何も出せないぜ?ていうか、いつもいつもしれっと"素材"扱いしてくるよね…。

 

「exactly, 木原所長、この度は雨月君の提供、ありがとうございました。無事、目標を達成できそうです。」

 

「なに、礼には及ばんよ。我々の世界は、持ちつ持たれつだからね。」

 

ちょ、おい。提供ってなんだよ、幻生。

 

 

 

 

霧ヶ丘付属入学直後から、布束砥信とともに"学習装置"開発を行うこととなった。彼女の予定では、これから約1年間、オレは実験に協力しなければならないらしい。最も、うまく研究が進めばもっと早く装置を完成させられるかもしれないとのこと。

はあ、積極的に研究に協力していくべきだろうな。1年も午前授業だけだと、勉学の負担が半端ないものになりそうだ。

 

 

入学してはや3ヵ月。外気はもうだいぶ暑くなっている。梅雨もそろそろ明けそうだった。彼女との研究こそ着々と進んではいるが、その他のこと、たとえば、友達とか霧ヶ丘女学院のお姉様たちとの交流とか、そういった個人的な学生生活に関してはからっきしだった。

 

 

常盤台に行った火澄は、月に2,3回ほど様子を見に来てくれているらしい。らしい、と表現したのは、彼女がうちの園に来てくれるのがいつも週末だったためだ。週末はオレ、実験素材になってますから。彼女に会えないのは辛いな。この3ヵ月で顔を会わせて話をしたのは3,4回である。

最近だと、月に数回の、火澄が作ってくれた晩飯の作り置きを食べるのが最も幸福な時間である。切ねえー。

 

こちらは友達の1人も居ないというのに、火澄は"学舎の園"では大変よろしくやっているようであった。実験が早く片付いた日に様子を見に行ったことがあるのだが、彼女の住む寮は"学舎の園"の内側にあるらしく、結局なにもできずに引き返した。何やってんだろう、オレ。

 

偶に顔を会わせた時も毎回、「彼女の一つでもできた?」なんて聞いてきやがる。友達すら居ませんよって正直に答えると、可哀想な人間を見る目で憐れんでくるぜ。

まあ、正直、"学舎の園"に住む女の子が彼氏を作るのは非常に困難な事だろうから、火澄に彼氏ができる心配はしてないんだが。

 

 

新しく施設に増えたメンバーも、そろそろ慣れてくる時期だな。今年の春に入園してきたガキどもは、みんな幼く、幼稚園に通う年頃の子たちや小学校低学年の子が多い。花華と真泥がだいぶはりきって面倒を見ていたな。クレア先生はチビッ子の面倒に大忙しで、大変幸せそうで結構である。

 

 

 

 

警備の皆さんも、こんな暑い日に御苦労さん。午前の授業を終えたオレは、気乗りしないまま木原研究所へと向かう。

 

布束さんに会うのは幻生先生に会いに行くほど嫌な訳ではないが、もう3ヵ月も一緒に居るというのに未だにイマイチ距離感がつかめていなかった。絶対的に、あの人とラブコメな空気にはなりそうにねえんだよな。

 

だらだらと歩いて、ようやく学校の最寄りの駅に着いた。と、そこで、携帯が振動した。話題の布束さんからのメールである。今日は急に別件が入ったため実験は中止、ですか。……もっと早く、あと20分早く連絡くれないものだろうか。今からまた学校に戻って授業を受け直す……?

 

………い、イヤだなあ。もういいや。今日はこのまま……。あ、そうだ。無駄足になるかもしれないが、せっかくだから火澄に会いに行こうかな。ちょっと照れくさいけど。ここんとこひと月くらい会ってないしな。あっちで昼食を取って休憩して、会えなければそのまま帰ればいいや。ダメもとで行こう。

 

 

 

 

第七学区は第十八学区の西隣に位置しているから、目的とする"学舎の園"付近には直ぐに到着できた。駅から出て辺りを見回しながら、ほんの少し散策するだけで、武装無能力集団(スキルアウト)らしき集団を目にしたが、やはりここ、第七学区は治安が悪そうだな。

学園都市で最も中学、高校が集まっている学区であり、おまけにその学校のグレードもピンからキリまで。学区全体が不良中高生の溜まり場みたいな所なのだ、それもむべなるかな。

 

 

"学舎の園"に着いて、致命的な問題が発生した。携帯のバッテリーが今にも切れそうな状態になっている。本当に、今にも切れそうだ、これ。電話をかけた途端に切れるんじゃないだろうな…迷っている暇はない、一刻も早く連絡しなくては。慌てて火澄にメールを打とうと試みたが、むなしく途中で電源がシャットアウトされてしまった。

 

気づけば、八方塞がりであった。当然、"学舎の園"の中には入れないし、道行く常盤台生に誰ソレを呼んできてくれ、と頼もうが、ハイ承りました、とは成るはずもなし。ここで帰るか?いや、さすがにそれでは、今日は何もできずじまいではないか。…どうしたものか。………ふむ…そうだな……よし。

 

 

とりあえず、大通りから数ブロック離れた別の通りへと出向いた。そして複雑な迷路のように路地裏の入口が視認できる通りを選ぶ。ぶらぶらとそのまま歩いていると、さっそく、目的の現場を発見できた。

 

「いいじゃんいいじゃん。俺達と飯食いに行こうよ?奢ってやっからさ?」

 

「オレらこの辺の良い店知ってんだ。ゼッテェウマいって。キミ可愛いし、コイツが言うように全部奢りだぜ?」

 

「…あの、いいです。お誘いは有難いのですが…私、早く学校に戻らないと…。そのぅ…友人と昼食をご一緒する約束をしておりまして…うぅ…ですから…」

 

常盤台の女の子が1人、野郎3人組に絡まれ、路地裏に追いやられていた。ホント第七学区は期待を裏切らないなあ。

 

女の子は野郎どもに完全に委縮していて、強く出れないでいた。野郎2人は女の子を壁際に詰めて、強引にメシに誘っている。残りの1人は、周囲を通り過ぎる通行人へとガンを飛ばしていた。

 

「…あの、もう…行かないと…。…この度は、すみません。私…」

 

「え?何?声小さくて聞こえないよ。恥ずかしくて大きな声出せないのかな?それじゃ、さっそく行こうぜ。」

 

女の子の拒絶を無視して、野郎の1人が無理やり肩を掴んで引っ張ると、その娘はおびえた表情を浮かべた。どこからどう見ても無理やり彼女を連れて行こうとしているな。

これなら大丈夫そうだ。その時ちょうど、オレが彼らを凝視しているのに気づいたらしく、3人目の男が「何見てんだ、ア?」とこちらを威嚇してきた。

 

まっすぐ彼らのほうに歩いて行った。あまりに淀みなくオレが直進してくるので、彼はすこしたじろいだようだった。オレの自信満々な態度を見て、能力者だと予想しているのかも知れない。

 

「あんだぁ?なんか文句あんのかよテメェ!?」

 

彼らまであと数歩といった距離まで近づいた。さすがに少女にかまけていた残りの2人も、男があげた声で気付いたようで、同じくこちらを睨んでくる。

 

「なにコイツ?俺等のジャマしないでくれる?…さっさと消えねぇと痛い目見んぞテメー」

 

「ムカつくなぁ。なあ、もうい~じゃん。ちゃちゃっとフクロにしちまおうぜ。」

 

弱気な女の子相手に後少しといった塩梅で邪魔が入ったのだ。2人組は相当イラついている様子である。対照的に、女の子は希望の眼差しを送ってきた。可哀想に。さっさと終わらせよう。

 

ご気づきの通りに、オレは既に能力を発動させていたため、彼等に何の恐怖も感じていなかった。効果的に彼らの敵対心を削ぐためには…とりあえず、彼らのマネをして威嚇してみよう。

 

その場の注目を浴びているのを意識しながら、オレは右拳をしっかり握りしめ、すぐそばのビルの壁面に強かに打ちつけた。コンクリートが圧縮され破裂する音が響き、壁にサッカーボール大のクレーターが形成された。それを目前で目撃した野郎3人組はきっちり硬直している。良いカンジだな。ついでに一言。

 

「フクロにするのはかまわねーけど、オレを相手にするんなら、骨折どころじゃ済まなくなんの、覚悟してくれよ?」

 

3人組は互いに目くばせすると、テメェのツラは覚えたなどと言ったありきたりな捨て台詞を残して逃げて行った。だがまあ、全員恐怖にひきつった顔をしていたから、報復は別に心配しなくとも大丈夫だろう。たぶん。

 

1人残された女の子も若干怯えていたが、できるだけ丁寧な口調で優しく話しかけると、だんだんと警戒を解いてくれた。

 

「大丈夫ですか?無理やり連れて行かれそうになってたので、止めに入ったんですけど。余計なお世話だったでしょうか?」

 

「いえ、余計な御世話だなんて、そのようなことは…。あの、助けてくれて本当にありがとうございました。」

 

とりあえず感謝はされているようだ。どうやら無駄足にならずに済みそうだぞ。

 

「申し訳ありません。そっ…その…私、友人を学校に待たせておりまして、急いで戻らねばなりません。助けていただいたというのに、直ぐに失礼せねばならず…。で、ですが、今回助けていただいたお詫びは、後日必ず…」

 

彼女がそこまで口にしたところで、途中で割り込んで話を遮った。ちょうど都合が良かった。

 

「いえ、お詫びだなんて。構いませんよ。そんな大層なことはしてませんから。ただ、常盤台中学の生徒さんですよね?俺と同じくらいの年に見えますし、一年生でしょうか?もしよろしければ、ひとつお願いがありまして。常盤台の一年に仄暗火澄という女の子が在籍しているんですけど、これから直ぐに学校の方に戻られるのでしたら、その時可能であれば彼女に一言、[雨月景朗が、"学舎の園"の正門正面のカフェで待っている]とだけ伝えてもらえないでしょうか?」

 

「えっ?火澄ちゃん…?」

 

んむっ。なんだ?その反応は…。まさか…。

 

「仄暗火澄って、黒髪のロングでストレートヘアーの女の子のことですか…?」

 

「はい。オレが知っている仄暗火澄の特徴はそれであってますけど。」

 

おやおや。知り合いだったか。偶然って怖いな。

 

「えーと、彼女の友人といったらいいのかな。たまたま近くに寄ったので、顔でも見て行こうかなと。」

 

「…あの…、火澄ちゃんの知人の方なのでしたら、どうして電話やメールで連絡をお取りになられないのでしょうか…?」

 

「んぐっ。それは…ですね。不運なことに携帯のバッテリーが切れてしまって。…まあ、突然こんな話をされてもお困りですよね。すみません。この話はなかったことにして下さい。」

 

警戒してこちらを見つめる彼女の顔を見て、自分がどれだけ不審な言動を取っているのか改めて確認できてきた。どんだけオレは火澄に会いたいんだよ。もういいじゃねえか。恥ずかしい…。

 

しかし、オレが頼みを取りやめたのと同時に、今度は彼女のほうが申し訳なさそうな態度になり、火澄に電話で確認しましょうと言いだした。もう好きにしてくれ。

 

彼女はその場で誰かに電話をかけ始めた。しばらくして、なにやらゴニョゴニョと電話越しの相手と会話すると、通話を切って、オレに向き直った。なにやら彼女自身もすこしばかり驚いている様子だった。

 

「あの…。火澄ちゃんが、至急こちらに駆けつけて下さるそうなので……そのぅ……それまでご一緒してくださいませんか?」

 

なぜだろう。何も悪いことはしていないはずなのに。嫌な予感がするなあ。

 

 

 

 

「どうしてこっちに来る前に連絡しないのよ?!」

 

邂逅一番に火澄にそう問い詰められた。確かに、オレが携帯の電源が切れる前に連絡を入れておけばそれで済んだ話である。ひたすら白旗を振って彼女の機嫌を治めるしかなかった。

 

近くのカフェテリアで、火澄の友人さんと供に3人で昼食をとる。もともと彼女と火澄は一緒に食事をする約束をしていたらしく、それは構わないのだが、火澄に罰として奢りなさいよ、と言われてしまった。助けていただいたのに…と友人さんは大変恐縮してくれている。火澄はそれで当然だとばかりに睨みつけてくる。そこまで悪いことはしていないはずだろ。ちょっと悲しくなった。

 

"学舎の園"の近場とあって、お値段は割と高めだったが、こちとら霧ヶ丘から多額の奨学金を貰う身である。そこまで負担が大きいというわけではなかった。火澄も恐らくオレの奨学金のことを知っていて奢れと言い出したのだろう。アイツだって貰ってんのに…。

 

席に着いて、シナモンコーヒーという初めて頼んだブツで一息ついた。シナモンとホイップと、ブラックコーヒーとのコラボレーションが素晴らしい。気に行ったぞコレ。

 

気づけば、火澄が呆れていた。隣の友人さんもくすくす笑っている。しまった。周囲を気にせず思い切りコーヒーを堪能していた。席に着くなりコレではさもありなん。ていうかいい加減"友人さん"呼ばわりも面倒になってきたな。

 

「う。すみません。オレ、コーヒーに目が無くて。」

 

「ふふ。そんなにお好きなんですか?」

 

友人さんはオレが火澄の知り合いだとわかってから、ほとんど警戒しなくなった。彼女と火澄、この2人の中は相当良好みたいだな。まだ知りあって3ヵ月ほどしか経って居ないというのに。こちとら未だに1人も友達いませんよ。

 

「あの、オレ、雨月景朗っていいます。そちらさんはなんとお呼びしたらいいでしょうか?」

 

「あっ。あの、手纏(たまき)とお呼びください。私は手纏深咲(たまきみさき)です。火澄ちゃんのルームメイトで、同じ部活に入っています。」

 

ん?ルームメイト?前に火澄に聞いたような…確か常盤台の寮は2人で1部屋で…同じ部屋の子がとても良い子でよかったとか何とか。そうか、つまり…

 

「あれ?ルームメイトってことは」

 

生じたオレの疑問に、間髪入れずに火澄が答えてくれた。

 

「そうよ、景朗。この子が前に言っていたワタシのルームメイト、深咲ちゃん。先に言っとくけど、深咲ちゃんが優しいからって、あんまり調子に乗っちゃダメよ。ソッコー燃やすから。」

 

おおう。なんと恐ろしいことを。燃やさないで。あなたに火を着けられたら消し炭になっちまうよ。

 

「まさか、火澄ちゃんに何度もお話を伺っていた"あの雨月さん"にあのような形でお会いすることになるなんて…。もの凄い偶然ですね。」

 

「え?ちょっと待ってください。火澄のヤツがオレのことを、なんて言って」

 

「ちょ、ちょっと深咲ちゃん!?コイツの話はそこまでしてないでしょ?!」

 

また火澄に話を遮られた。おいおいおい。手纏(たまき)さんにナニを喋ったんだよ?!

 

「それより景朗!あんた一体ここに何しに来たのよ?!連絡もよこさずに。」

 

ぐはっ。この話題はマズい。特に理由なんてない……いや、正直に言っても、火澄に会いたかったから、なんて恥ずかしくて言えない。おまけに隣には初対面の手纏さんも居るのに。火澄は勝ち誇った顔を俺に向けた。

 

「どうせ、また友達作れなくて、1人寂しいからワタシに会いに来たんでしょうけど?」

 

やめてええええ。

 

「やめろおおおおおお。いの一番にオレに友達居ないことバラしてんじゃねえよおお。初対面の手纏さんだって居るんだぞ!チクショー!」

 

手纏さんはお可哀想に…とオレに同情の視線を向けている。くそう。今日は厄日だ。火澄は腹を抱えて笑っていた。笑い過ぎて涙を流しそうにすらなっているし。

 

「アハハハーッ………ハァ、認めましょう!昼前に学校が終わったけどガチで友達が1人もいなくて。暇で暇で、ここに来るくらいしかやることなかったんですよ!うう…」

 

ついに手纏さんも笑い出した。

 

「くすくす…っ。話に聞いていた印象とは違いますけど、雨月さんって面白い人ですね。火澄ちゃんが話をするのもわかります。」

 

手纏さんの発言に火澄が慌てていた。これはチャンスだろうか。流れを変えなくては。

 

「そうだよ。火澄、手纏さんにオレのことなんて言ってたんだよ?」

 

「べ、別に何も言ってないわよ!ワタシの育った施設の話題になった時に、あんたのことにもちょっと触れただけです!それ以上でもそれ以下でもないから。これ以上この話は聞いても無駄だから!」

 

火澄は手纏さんを注視してなにやら必死にアイコンタクトを取っている。オレは一縷の望みをかけて手纏さんに視線を向けた。目があった。なにやら顔を赤くしてしまわれた。これならいけるか…?

 

「火澄はこういってますけど、手纏さん。オレだけ一方的になじられるのは不等だと思いませんか…?火澄は、ホントはオレのことどう言ってたんでしょうか?」

 

オレの発言に、手纏さんは少しの間考える素振りをしていた。火澄が必死に止めようとジェスチャーしていたが、手纏さんは覚悟を決めたようだ。おお、あれだけ気の弱そうな手纏さんが…!よっぽど信頼しあってるんだろうな、2人とも。

 

「ふふ。そうですね…。あんまり教えちゃうと火澄ちゃんが可哀想なので、これだけ。火澄ちゃんは、景朗さんのこと、常に面倒を見てあげなくちゃいけない頼りないヤツだ、って言ってましたよ。いつも、どうしてるか気になるって。」

 

な…なんだと…。って、おい、なんだ、この空気。火澄はそっぽを向いてるし、オレも正面切って彼女をみれない。そして手纏さんは気づいてない。

 

「…そういう話を聞いていたので、今日助けていただいた時の雨月さんの印象と、以前話を伺った時の印象がだいぶ違うな…と感じました。」

 

そういって、手纏さんはこっちを見つめてきた。イエイエ、お気になさらず、といった気持ちをこめて見つめ返したのだが、なにやら頬をうっすら赤く染めていらっしゃる。…なに、この娘、可愛くね?今更ようやく気づいたぜ。弱弱しい性格と外見、色素の薄いふわっとしたセミロング。顔も小さくて可愛いし。今日、もしかしてツイてるんじゃないか…?

 

なんてことを考えていたら、隣から冷たい視線を感じた。火澄がいつのまにか表情を消している。逢って早々軟派なことするなってね。いえっさー…。

 

「深咲ちゃんの印象が食い違うのも無理ないわ。コイツ、最近ころころ性格が変わるの。昔は、ワタシが言ったように気が弱くて頼りないヤツだったのに、最近はこうみえて、すっかり脳筋(脳ミソ筋肉)になっちゃったのよ。」

 

火澄、オレのこと脳筋って思ってたのか…。た、確かに。最近能力の弊害で喧嘩っ早くなってきているし、無理もないか。…ん?よくよく聞けば、その言い方だとオレが性格安定しない変人みたいじゃないか。

 

「性格が変わったってのは…恐縮な話だな。能力強度(レベル)が上ってから考え方も変わったとは思う。…それよりさ、話は変わっちゃうんだけど、手纏さん、さっき火澄と同じ部活に入ってるって言ってなかった?」

 

本当に唐突に別の話を振ったな。無理やり過ぎたかな…?そう思ったのだが、火澄は何やらもじもじと居心地が悪そうな態度を見せた。

 

「まあ。雨月さんはご存じなかったのですね。火澄ちゃんと私は、今年の春から常盤台中学水泳部に所属しているんですよ。」

 

なるほど。火澄、水泳苦手だったのに、水泳部に入ったのか…。苦手を克服しようと思うのは素晴らしいことだと思うけどな。どうして教えてくれなかったんだろう?

火澄を見やると、しぶしぶ口を開いた。

 

「はぁーっ…まぁ、いっか。前々から、あんたに泳ぎが苦手なのからかわれてたし、同じ部屋になった深咲ちゃんが水泳部に入るっていうでしょ?だからいっそ、ワタシも水泳部に入って、弱点を克服してやろうかなって思ったのよ。あんたに教えなかったのは、泳ぎが上達してから見返してやろうとしてただけよ。」

 

「…ごめんなさい。火澄ちゃん、雨月さんに秘密にしようとしてたのに…」

 

手纏さんの沈んだ声を聞いた火澄は焦ると、オレを睨みつけて彼女をフォローし始めた。

 

「だ、大丈夫よ、深咲ちゃん。景朗に内緒にしてたのは下らない理由だからだし。気にする必要ないわ。…もぅ!景朗のせいで深咲ちゃんが落ち込んじゃったじゃない!」

 

ココでオレすか。だがしかし、手纏さんが落ち込むのはこちららも反対だからな。乗ってやるとするか。

 

「なんだよ、昔泳げなかった時、さんざんからかったの今でも忘れて無かったのか。ふふん。水泳部に入ったと言われても、実際にこの目でその泳ぎの上達とやらを見せてもらわなければ到底信じられないぜ。」

 

お、コレ、咄嗟に口にしたけどナイスな提案じゃないか。泳ぎの上達を見るという口実で、火澄の、あわよくば手纏さんの水着姿まで拝見させてもらえるかも知れない!!!

 

「いいでしょう。景朗にはワタシの泳ぎの上達振りを見せつける予定だったし。深咲にこれからたっぷりと教えてもらうから。こう見えて深咲は我が常盤台中学水泳部の期待のルーキーなのよ!」

 

っしゃー!負けず嫌いの火澄に火が付いたようだぞ。これで彼女たちの水着姿を拝める時がやってくる。ところで、手纏ちゃんって水泳上手なのかな?火澄の発言で彼女は照れてしまっているけど。

 

「へー。手纏さんって泳ぎ上手なの?水泳部に入るくらいだからやっぱり自身あったりする?」

 

「むぅぅ。景朗、深咲ちゃんを外見で判断しちゃだめよ。深咲ちゃん、今年入った1年生の中では1番の期待株で、部内でもすでにトップクラスの実力なんだから。」

 

常盤台の水泳部でトップクラスとな。それは本当にすごいな。

 

「…そっ、そんなことないですぅ…。あの、雨月さん。私の能力、"酸素徴蒐(ディープダイバー)"って言うんです。能力を使って、周囲の物体から気体状態の酸素を無理やり引き剥がして、自由に操作することができて…。それで、水の中でも私は自由に呼吸ができるんです。だから、泳ぐのには自信があって…。…じ、実際は…他の人たちより、純粋に泳ぐのに適した能力を持ってるだけなんです…」

 

なるほど。水の中で自由に息ができるなんてな。確かに他の人と比べたら、大幅なアドバンテージを得られるのかもしれない。さて、それはそれとして。ここはもうひと押ししておくか。

 

「そんな能力聞いたこともなかったです。凄い能力じゃないですか!いっぺん見てみたいなあ。…あ、そうだ。火澄がオレに泳ぎを見せてくれる時に、一緒に手纏さんの能力を見せてくださいよ!もし、手纏さんがよろしければ、ですけど…」

 

「……え、えと…。その…私…お邪魔でなければ…。」

 

キラリ、と火澄の目が光ったが、嬉しそうにもじもじする手纏ちゃんを見て悔しそうにしていた。その後も、3人でいろいろな雑談を楽しんだが、お昼休みも残り少なくなって、またの機会に、と話を終えることとなった。

 

携帯の電源が切れているため、手纏さんとメアドや番号の交換ができなかった。畜生、と呟いて携帯を握りしめていると、火澄がそれをみてほっと一息着いていた。ああ、チクショー。もったいない。今の雰囲気なら絶対イケただろう。

 

なんだかんだで別れ際は火澄も名残惜しそうな表情を浮かべてくれた。手纏さんにも、またお話しましょうとお願いしたら、好意的な返事を返してくれた。携帯のバッテリーが切れて一時はどうなることかと思ったが、どうやら結果オーライな1日になりそうだ。

 

 

 

 

 

中学生になって初めての夏休みが来た。相変わらず友達は作れなかったが、夏休みのスケジュールはほぼ毎日埋まっているんだぜ。全部実験だけどな。

 

日々の業務に潤いがあればもう少しモチベーションも上がるかもしれないんだが、布束さんとは実験を除いたプライベートな会話は全くない。彼女はそもそもオレに興味がないようだ。ああ、もちろん、研究素材という意味合いを除いての話だよ。

 

「very well. おつかれさま。今日の実験はこれでお終いよ。ここのところは際立って順調だわ。貴方の努力の賜物ね。」

 

布束さんはそう言うと、検査機のシートに横たわっていたオレに取り付けられた計器を外し始めた。彼女が言うように、夏休みに入ってから集中して実験を行っているが、特に問題なくスムーズに日々のノルマをこなしている。

 

彼女にプライベートな話題を振っても毎回毎回素気無く素通りされてしまうので、普段はこのまままっすぐ帰るのだが、今日はなにやら珍しく機嫌が良い様子である。

 

「はい。おつかれさまです、布束さん。このごろ、研究が一段とはかどっているみたいですね。今日は何時もより機嫌が好さそうです。最初は研究が遅れ気味みたいでしたけど、どうですか?期日通り学習装置(テスタメント)の開発は終わりそうです?」

 

「right on. それ以上よ。予定では丸1年、実験データの演算に時間が掛りそうだったのだけれど、貴方のお陰で飛躍的に進んでいるわ。probably, この分だと予定の1年で装置(デバイス)の開発まで漕ぎ着けられると思うわ。」

 

おお。想像以上に良い反応が返ってきた。オレとしても、やはり実験はつまらないし、早く終わるのならそれに越したことはない。夏休みに入ってからは、毎日同じことの繰り返しで、極めて退屈だった。だからこそ、実験に集中して、よい成果が出るように頑張ってみたのだ。急がば回れだな。

 

だが結局、オレの夏休みが実験で埋め尽くされているこの現状は変わっていないが…そこは、ほら。だらだらと引っ張って、来年の夏休みまで潰れてはたまらないだろう。とりあえずその心配は必要無くなりそうである。

 

「しかし、布束さんは、毎日毎日実験で疲れたりしないんですか?オレたち、一応学生でしょう?せっかくの夏休みだし、なにか実験以外のご予定は?」

 

オレの質問に、布束さんは少し考えるしぐさをみせた。

 

「not at all. そのような考えを持つこと自体が、久し振りね。貴方の脳から返ってくる反応の解析は常に興味深く、時を忘れて思索に耽ってしまうわ。…そうね。むしろ私は、今の研究がひと段落つくまで、気を置けないのかしら。totally, 夏休みという学生の特権のような長期休暇。研究に専念できるという意味では確かに素晴らしいものだと考えられるわ。」

 

そう言うと、布束さんは忙しそうに隣の部屋へと消えていった。うーむ、ダメだったか。やはり彼女は筋金入りの研究の虫だった。きっと、ああいった人がこの学園都市の技術的優位を支えているのだろう。

 

…それこそ、学生という身分では、彼女を見習わないといけないんじゃないかっていう話で………。さて、帰るか。帰りにアイスクリームを食べていこう。第七学区で美味しいアイスクリームの屋台を見つけたんだよな。他のところとは漂ってくる匂いが頭ひとつ飛びぬけていて、この間近くを歩いている時に惹きつけられたのさ。

 

 

 

 

 

小学六年生の夏休み以来。つまりは、アンダーグラウンドな研究に関わりだしてから。オレの長期休暇はことごとく実験に費やされてしまっている。なんと今日で夏休みは終わりである。

 

たまたま実験の予定が無かったオレは運悪く、"夏休みの宿題"を大量に滞納していた花華以下複数のチビっ子たちに拘束され、一日中宿題の手伝いを強要されていた。

 

そろそろ夕方。まだ日が落ちるには早いが、腹はだいぶ減っている。そして今は花華の宿題につきっきりであった。オレの超絶思考加速(むりやり心拍数を上げて思考速度を上昇させてみた)を使って、先に花華以外のチビどもはカタをつけてしまっていた。そのため、彼女が最後の1人である。

 

早いとこ手伝いから解放され、夕飯にありつきたいところではあるが、今日の料理当番はなんと、最後に残った花華だった。憎いことに、彼女のターゲットも残りわずかであり、ここに来て放棄するのは憚られた。

 

「ふぇぇー…。ここもわかんないよぅ、かげにい。」

 

花華の手が止まった。最後に残されたのは、彼女が最も不得手とする算数の問題集だった。今日幾度目の作業だろうか。とりあえず、口頭でその問題の解答への流れを説明してみた。が、

 

「ぅぅ。やっぱりわかんない。ごめんよぅ…。」

 

やはり無理だったか。小学四年生になり、最近大きく背を伸ばしつつある花華だったが、中身はほとんど変わっていな……い、と言いたいところなのだが。実は、この1年で料理の腕をめきめきと上げてきており、皆の胃袋を握りつつあった。

 

火澄が居なくなった今、オレがうちの園でたった1人の年長者である。本来ならば園の仕事もいの一番に買って出なければならない。しかし、中学に通い出してからは、園に帰って来れる時間帯が遅くなり、特に料理に関しては、この花華に頼りっぱなしの状態であった。最近めっきりオレに頼ってこなくなった彼女の数少ない頼みである。叶えてやりたかった。そこで。

 

「大丈夫大丈夫。気にすんなって。よし、もう1回1から整理して説明しよう。ゆっくり考えればいいから、な。」

 

そう言いながら、彼女の頭に手を置いて、ぽんぽんと宥める振りをする。同時にこの時、能力を解放して、花華の焦りや苛立ちを抑え、集中できるように不快感を取り除いてやった。そして、先ほどの説明と対して変わらない内容のものをもう1度丁寧に話した。

すると、しばらく考え込んでいた花華が鉛筆を走らせ始めた。途中まで計算過程をみて、正解の考え方であるのを確認して、ほっと一息ついた。

 

そう。この日。オレは土壇場で新たな能力の使い方を見つけ出したのである。ほどよい塩梅に相手の精神を落ち着かせ、集中して考えられるようにすれば、学校で習う程度の勉強はなんとかなるものであった。将来、家庭教師のバイトで稼げるかな。そう気楽に言ってしまったが、この方法にはやはり問題点が見受けられた。

 

簡単にいえば、能力を過度に使って集中させた子は、直ぐに消耗して疲れてしまうようなのだ。花華本人の気合で今も継続して宿題に取り組めているが、彼女の疲労は相当なものだろう。

 

「と、とけたぁ。あと少しだぁー!かげにい、ご飯遅くなっちゃうの、ごめんねぇ…。」

 

花華もこの頃はずいぶんと責任感を持つようになった。可愛いヤツめ。だけど、実は既に手は打ってあったりするんだ。先程、火澄にメールで、今晩急遽夕食の支度をお願いできないか確認していたのだ。

花華の宿題の消化具合を見て、夕飯の準備がシビアになりそうだと判断しての行動である。花華にこのことを先に伝えてしまったら、終わる宿題も終わらなくなってしまうかと思ってね…。可哀想なことをしてしまったな。

 

お、ちょうどいいタイミングで返信が来た。…よかった。どうやら、頼みを聞いてくれるらしい。花華のピンチを全面に出しといたからな。これで花華は休めるぞ。

気がつけば、花華は欠伸を噛み殺し、ウトウト眠そうにしている。宿題の残りの量は、夕食後に取り組んでも十分間に合いそうだな。

 

「花華。この分だとさ、宿題、夕飯が済んでからやっても間に合いそうじゃん。それでお前、だいぶ疲れてるみたいだからさ、今日の夕飯、やっぱりオレらで準備するよ。ここらで少し休憩しよう。ちょうどいいからさ、夕飯できるまでそこで寝ときなよ。」

 

「…だ、だいじょうぶだよぉ。すぐに終わらせて、ちゃんと料理できるよぅ?」

 

そう言いつつも、彼女は尚も眠たそうな顔つきのままであった。

 

「今日はもう気にするなって。ここんとこずーっと料理頑張ってくれてじゃん。たまにはオレらに任せてくれよ。真泥は夏休みの最初に全部終わらせてたからさ、今日は珍しくみんなの中で一番元気じゃん。だから、あいつにいっぱい手伝ってもらうよ。」

 

「ふぇ、ほんとにいいのぉ?……ごめんね、かげにぃ。……それじゃ、休憩するよぅ…。」

 

花華は申し訳なさそうな顔を崩さなかった。

 

「そんな顔すんなって。」

 

再度の説得で、ようやく了承してくれたらしい。オレの言葉にしぶしぶと頷くと、そのまま花華はこてん、とソファに横になり、直ぐに寝息をたて始めた。…オレらに任せろって言ったけど、火澄に押し付けます。ごめん、花華。

 

その後は、うちの園に来てくれた火澄と買い出しに行って、道中ずっとネチネチと文句を言われ続けたものの、なんとか夕飯を遅くなる前にに準備できた。真泥を含めて3人で料理の支度をしたのだが、その時、久しぶりに会う火澄に真泥がドギマギしていて、無性に笑えてしまった。

 

もちろん火澄も皆と一緒に夕食をとった。夏休み最終日に彼女を呼びつけたことをクレア先生にもなじられたが、なんだかんだで先生も嬉しそうにしていたからオーライってなもんだろう。

 

花華にもじとっとした目でにらまれてしまった。あとで謝ったらちゃんと許してくれたけどね。

 

 

 

 

 

季節は秋。学園都市に住む者にとっては、この季節は特別なものとなる。学園都市で最も大規模な年中行事、大覇星祭と一端覧祭が開催されるからだ。学園都市の顔とでも呼ぶべきイベントである。

 

どのような学校であれ、この2つの行事に力を注がぬ所は存在しないはず。1人の学園都市に暮らす学生としてはそう信じてやまぬところだったのだが。なんと、我が霧ヶ丘付属中学校はこのどちらの一大行事に対しても、一部の限定的な研究室に所属する生徒以外は、参加の制限が設けられる事態となった。

 

個人的には霧ヶ丘付属のこの対応が俄かには信じられず、やはりここは学校ではなく、能力開発研究機関だったのか、と噴き出してしまった。布束さんはいかにも彼女らしく、どちらの行事の間もより一層実験に集中できると喜んでいたように見えた。

…正気かよ。大覇星祭も一端覧祭も中高生が華だというのに…。積極的に競技に参加できないなら、それはそれで純粋に観戦を楽しもうかと思ってたんだけどなあ。

 

火澄のいる常盤台中学なんて見どころありそうだし。隣の公舎のお姉様方、霧ヶ丘女学院はうちとは違ってきちんと参加するようである。というかむしろ能力開発校らしく、上位に食い込む心意気で臨んでいるようで、最近は体操服姿の女子生徒たちが、運動場でわいわいと楽しそうに各競技の練習をやっている。こっちの学校、だいぶ雰囲気が違うんだよな、あっちの高校とは。

 

大覇星祭が迫る、とある週末、火澄から連絡があった。要約すると、大覇星祭の期間中、霧ヶ丘付属と対戦する機会があればその時に、一緒に昼食でもとろうかという話だった。

大覇星祭、恐らく一端覧祭の時も、学校で実験やら授業があるから、彼女と会うタイミングなんて皆無であろう。そう伝えたのだが、最初は素直に信じてはもらえなかった。なにかの冗談だと思ったらしく、「競技に参加しないからって、サボってないで出てきなさい」と言われてしまった。

繰り返し、詳しく説明すると、しばらく絶句、その後に呆れた声が返ってきた。彼女もうちの学校の異常性にあいた口が塞がらないらしい。空いた時間にできるだけ常盤台の観戦に行く所存であると伝えると、どう答えればよいか困ったような返事が返ってくる。電話越しにお互い苦笑しつつ、何とも後味の悪い通話を打ち切った。

 

 

大覇星祭、一端覧祭ともに、結局碌に参加することなく、布束さんの実験に協力している間に終わってしまった。来年こそは必ず、出場こそできなくとも競技の観戦に興じよう。そう決意し、奮起して実験に臨んだためか。いよいよ彼女の計画の終わりが見えてきた。この分だと中学二年生の春ごろには、"学習装置"の開発まで終了できそうな勢いであった。

 

 

 

 

 

十二月。聖マリア園は十字教系関係者が運営する養護施設である。教会としての側面も持っており、当然、クリスマスイヴ、降誕祭の時期にはとりわけ忙しい。何も言わずとも、どこからか火澄も駆けつけ、それが当たり前のように毎年のように準備、運営の手伝いを取り仕切ってくれた。

 

既に施設を出て、大学や高校へ通っている兄貴分や姉貴分たちも顔を見せ、クリスマスの間は皆慌ただしくも、幸せな一時を過ごした。皆、うちの園の好景気ぶりに驚きを隠さず、そのことに安堵している様相だった。

 

火澄の"大能力者(レベル4)"への到達、常盤台中学への入学についても話題が広がった。口々に褒められて、照れてタジタジになっている彼女をからかっていると、同時にオレの中学、霧ヶ丘付属についても触れられてしまった。

もともと霧ヶ丘付属は一般人には秘匿されている謎の多い学校である。そこそこの有名校だと、その名前をちらほらと知っているだけの者がほとんどであり、火澄に負けないように激励されて微妙な気持ちになったりもした。常盤台中学と比べられねえよ。

 

たまたま、大学へ行っている兄貴分の中の1人が、驚いたことに霧ヶ丘付属の内情を聞き及んでおり、よく入学できたな、と訝しんでいた。詳細をツッコまれる前に運よく話題をそらせてホッしたのだが、その間火澄がこちらを睨んでいたのに気づき、冷や汗が流れた。

 

 

皆、明るい笑顔でパーティを楽しんでいる中、1人だけポツンと壁際に座りんでいる人を見つけた。そこそこ目立っている。なにやら絶望にくれている風であった。しかし、誰も近寄らない。

 

良く見ると、その人はクレア先生だった。今はシスター・ホルストンか。珍しい。彼女の周りには常日頃、ほとんど絶やさずわいわいと騒ぐ子供の姿が見られるのだが。不思議と今日は皆が皆、先生に積極的に絡んでいかないのだ。

むしろ避けているとすら言える。彼女に近づこうとすると、火澄にやめなさいよ、ほっときなさい、と制止された。これまた稀有な、彼女にしては素気ない、我らが先生に対する態度であった。

 

火澄の忠告を無視して、彼女の大好物であるシャンパンを(実のところアルコールが入っているものならなんでも喜ぶ)を勧めてみたものの、返事がない。間を置いてやっと帰ってきた反応もうわ言のようであり、曖昧で聞き取れない。

声に抑揚がない。虚空を見つめて、何かに必死に祈っている風でもあった。ぼーっとしてるだけかもしれないけど。

 

「…かげろう君ですか。もう中学生ですもんね、ホント毎日見るたびにぐんぐん大きくなっていきますね。背もだいぶ伸びました。…そうですよ…ふふふ……かげろう君や火澄ちゃんも、もう中学生になったんですよね……」

 

な、なんか怖いんだが。急にどうしたんだろうか。いったい…?

 

「どうしたんですか?クレア先生。魂の抜けたような表情をして…何かあったんですか?」

 

「ふふ…かげろう君と初めて会った時は、まだかげろう君がこんなにちっちゃい時でしたね……5,6歳くらいの時でしょうか?」

 

ちょうどその位だった。オレが先生の御世話になりだしたのは、6歳の時からだった。先生はいままでずっと何十人もの子供たちを相手にしてきたから、記憶があやふやになっていても仕方がないか。

先生は今29歳だから…7年前…おお。そうか、先生、オレと会った時は、大学を出た直後だったのか。

 

「そうです。たしか、今、先生がえーと…29歳だったから「うぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…」

 

その時突然。オレの話を遮り、先生が大きなうめき声をあげだした。

どうしたってんだ!?先生のこんな取り乱し様、見たことが無い。

 

「やめてくださいいいいいいいいいいいい。誕生日が…クリスマスが終われば私の誕生日が来てしまううううう…ぅぅぅぅぅ…うわああああぁぁぁぁぁん。」

 

彼女は叫び続けながら、頭を抱えてうずくまった。ああ、そういうことだったのか…。シスター・ホルストンことクレア・ホルストン(29歳独身)は現時点で満29歳。彼女の誕生日は12/26だから、クリスマスが終われば彼女は三十路、30代に突入してしまう。

 

ずーっと、オレ達の世話で忙しく、これまで浮いた話ひとつ聞かなかったからなあ…。皆、事前にこのことを察知していたのか。みんなが注意してくれなかったのは、いつもいつもクレア先生の地雷を踏むのがオレだから、あえて放置し、生贄に捧げようとしていたんだろうな。

もくろみ通り、学習しないオレはみごとに地雷を踏んでしまったぜ。今思うと、この上なく直接的にな…!

 

「…うふふ…ふふふふふふ……かげろう君。たしか、貴方の学校っていろんな研究機関から研究者が集まって運営してるんでしょう?」

 

こ、今度は笑い出したぞ…!何が始まるんだ。逃げたい。

 

「は、はい。たくさんの研究所の分室が所狭しと…。そ、それがどうかしたんですか?」

 

オレの返答に、それまで俯いていたクレア先生は一瞬、顔を上げてこちらの顔を伺った。その時、ちらっと彼女の瞳が怪しく輝いているのに気づく。直後。彼女は刹那の間にオレに詰めよって、同時にオレの両手を引っ掴み手繰り寄せ、密着して離れられない状態へと持ち込んだ。

 

顔と顔がくっつきそうなほど近付いている。濃厚なお酒の匂いが、最近富に性能が向上しつつある我が嗅覚を刺激した。

 

「その研究室には、まだ独身の、働き盛りの殿方が大勢居られるのでしょう?かげろう君。先生の言いたいこと、言わなくてもわかってくれるわよね?」

 

ずいずいと鼻をオレの鼻に押し付けてくる。完全に目が座っていた。彼女の瞳には、きっとオレの姿は映っていないのだろう。困ったぞ!

 

「せ、先生、近い近い近い近い!近いです!」

 

「近いって!?ち、近いうちに紹介してくれるのね?!」

 

「ええ!?ちょ…ちが……」

 

く、くそ!…こうなったら……!!

 

「は、はいぃぃ!わかりました。完全に了解しました!皆まで言わずとも了解しましたとも!ち、近いうちに必ずや先生の理想の男性をご紹介いたしましょうぅぅ!」

 

そう言うと、先生は感激したらしく、オレを抱き締めて頭部に頬ずりをして何度も感謝の言葉を述べ始めた。そうして、とりあえず先生が落ち着くのを待った。頃合いを見計らって、先生から距離を取る。

 

「先生。心配ご無用ですよ。ここにいるメンバー全員、先生の味方です。その気になれば、アイツらも助けてくれますって。…さ、さあ、今日は大好きなお酒、たーんと飲みほしてくださいよ!そう、今日はいつもみたいに途中でお酒を取り上げたりしませんから。今日くらい、主も御赦しくださるでしょう。」

 

そういって、近くにあったシャンパンの瓶を手に取り、グラスに注いだ。クレア先生は涙をぬぐうと、嬉しそうにシャンパンの瓶をオレから奪い取り、グラスをオレに押し付け、乾杯ーッ!と声を揚げ、一気に呷った。

瓶が空になるまでラッパ呑みを敢行すると、今度はワインを求めて夢遊病患者のようにふらふらとテーブルのほうに旅立っていった。

 

ふふ。計画通り。先生は泥酔すると記憶を失うんだ。きっと明日には先程のオレの発言を綺麗さっぱり忘却しているに違いない。そして絶望とともに三十路に……ククク……。

 

ふと視線を感じた。オレとクレア先生との寸劇を観察していたらしい、花華と真泥の2人が、悪魔でも見るかのような目をオレに向けていた。し、しかたないだろ!

 

居たたまれなくなって、その場から離れようとした。すると、正面、先生の消えた方向から、ワイングラスを持った火澄がやってきた。顔が赤くなっている。この匂い、コイツもワインを飲んだ様子だな。先生に勧められたみたいだ。

彼女もこちらを睨んでいる。ちッ、さっきからなんなんだよ?そもそもみんながオレを先生の生贄に捧げたのが発端だろうが。畜生…

 

「景朗!さっきはやたらと先生にくっついてたじゃない?…むふぅーッ!先生に対していやらしいこと考えてたら容赦なくブッ潰すからねぇ!」

 

オマエも絡んでくるのかい。先生といい、花華といい、真泥といい。四面楚歌だ。

 

「そ、そんなこと別に考えてなかったさ!なんだよ、急に。大体、クレア先生となんて今更じゃんか。」

 

まあ、正直なところ、抱きしめられてた時はちょっとおっぱいが当たっててゴニョゴニョ…

 

「むぅぅ、うるさぁーい!大覇星祭も一端覧祭も、学校、学校って、ちっとも会ってくれなかったじゃない!…やっぱり、ワタシがここから出てったから、もう付き合うのが面倒になったんでしょ?」

 

ぬぐ。確かに、大覇星祭や一端覧祭に関して言えば、こちらに非があったと思う。やはり常識的に、この2つのイベントに"学校の用事"で忙しくて参加できない、という言い訳は厳しいからな。

 

「それは違う!信じがたいかもしれないけど、ホントにうちの学校はそういうイベントに全く興味がなかったんだよ!その…ら、来年こそ!…来年はきっと大丈夫だから。今年は本当にすまなかったって。オレだって…誰とも予定無くて、正直、みんなの競技、観戦したかったよ。」

 

オレの意気消沈した演技を見て、火澄も少しは溜飲が下がったらしい。苛立った様子から一転、落ち着きを見せる。来年はきちんと顔を見せなさいよ、ともじもじと呟いていた。

ちょうどその時、オレ達の様子をそばで見ていた花華や真泥も近づいてきた。

 

「そうだよぅ、かげにい。火澄ねぇのいうとおり、来年はわたしたちの競技もちゃんと見に来てよぅ。」

 

花華が恨めしそうにしている。そうだったな。今年はコイツらの大覇星祭や一端覧祭の競技や出し物にも全く顔を出していなかった。真泥も一端覧祭の時に、恥ずかしそうにオレを誘ってくれていたんだ。来年はきっと…

 

 

 

 

 

中学一年生最後の冬もあっという間に過ぎた。季節は再び春。あっというまの1年だった。友達がおらず、毎日毎日ホントに実験ばっかりしていたせいだろうな。

 

そして三月。2年連続でクレア先生が、うちの園にまた新しいメンバーを連れてきてくれた。3人のチビっ子たちだ。これから暫くはにぎやかになるな。今回の春に限って言えば、うちの園のメンバーの誰かとの別れは無く、純然たる出会いの季節だったと言える。去年は火澄が居なくなってしまって、彼女に懐いていたチビどもが悲しそうにしていたからな。今年はそういう湿っぽい空気は一切なく、皆新しい出会いに顔を綻ばせていた。

 

 

 

 

中学二年生の春。これまでオレの中学生活を悩ませ続けた、"学習装置"開発の研究がようやく終わりを迎えた。

 

とある日。その日の実験の終了の合図とともに、ここしばらく姿を見せなかった幻生先生が、布束さんを引き連れて現れた。

 

そういえば、去年はほとんどこの人と会わなかったな。ずいぶんと久しぶりな気がする。彼のニタニタとした、あまり好ましくない類のにやけ面も変わっていない。

 

しかし今日は一体どうしたんだろう。そろそろこの研究も終わるそうだし、さっそく次の計画の打ち合わせだろうか。だとしたら、相変わらずせっかちな人だな。

 

幻生先生のすぐ後ろに、端末を弄りつつ無線で誰かと話をしている布束さんの姿も見える。心なしか今日の実験は早く終わったし、彼女もそのことで一言二言あるんだろうか。計画の開始時のメンバーがそろったな。微塵も嬉しくないが。

 

「景朗クン、お疲れ様。久しぶりだね、元気にしていたかな。おや、この一年でだいぶ身長も伸びたようだね。なによりだ。ここのところはめっきりと顔を会わす機会がなかったが、キミの活躍は余すことなく聞いていたよ。」

 

そりゃどうも。こっちは憂鬱だよ。布束さんはちょっと目がギョロっとしているけど、まあまあかわいい女の子だからな。あんたと四六時中くっついて実験するよりはだいぶ楽しかったさ。それももうすぐ終わりか…

 

「お久しぶりです、幻生先生。珍しいですね。今日はどういったご用件で?」

 

「今日は今後の研究予定についてキミと話をしに来たんだよ。予定よりだいぶ早く学習装置(テスタメント)の開発が終わったからね。スケジュールの調整も大変だったよ。…しかし、まあ、今日はこの話は置いておこう。さすがだったな、景朗クン。当初の予定より半年は縮まったのではないかね?キミを推薦した私も鼻が高いよ。」

 

ん?どういうことだろう。幻生先生の口ぶりだと、学習装置(テスタメント)の開発が既に終わってしまっているみたいじゃないか。オレの怪訝な表情を察知したのか、布束さんが端末の操作をやめてこちらを向いた。

 

「excuse. 雨月君、そういえば貴方にはまだ言ってなかったわね。今日で研究の基幹演算アルゴリズムの最終チェックが終わったわ。eventually, これですべての実験が終わったということよ。以降の予定は無し。あとは本格的に装置(デバイス)の電子的,工学的なディテールを砥上げるだけね。thereby, 今まで助かったわ。貴方の協力に感謝します。」

 

え?もう布束さんとの共同作業は終わり…なのか?いつのまにか終わってたよ。ええー、そんな。これからはまたこの不気味なお爺ちゃんとくんずほぐれつしなきゃいけないのか…。ちょっと。いや、かなり残念だ。本当に残念で仕方ない。

 

「そうですか…。いえ、こちらこそ今まで楽しかったです。名残惜しいですが、また機会があれば。」

 

「maybe, そうね。もしかしたら今後、装置の最終的な較正のために、再び貴方の力を借りる必要があるかもしれないわね。yeah sure, その時はまたよろしくお願いするわ。」

 

幻生先生もまた彼女の話に相槌を打っていた。

 

「遠慮することはないよ、布束クン。必要ならばいつでも連絡してくれたまえ。」

 

オレが一礼すると、布束さんは軽く微笑んで一言 bye と口ずさみ、電算室の方へ歩いて行った。マ、マジで素気ないなあ…。もう会えないかもしれないのに。正直寂しいです、布束さん。

 

名残惜しく、彼女の後ろ姿を見送った。今後また彼女の世話になろうとは夢にも思わずに。

 

 



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episode05:窒素爆槍(ボンバーランス)

 

 

布束さんと別れた後、幻生先生としばらくぶりのコーヒーブレイクと洒落込んだ。対面に座る幻生先生は、組んだ腕の上に顔を乗せ、新味のないニヤつき顔を崩さない。

まずいな。長い間彼と接触していなかったからか、あの顔に対する抵抗力がすっかり抜け落ちてしまっている。

 

「さて、一息着いたところで、景朗クン。改めて、"学習装置"の開発協力、御苦労さまだったと言おうかな。」

 

「いえ、そんな。先生こそ、いつもうちの施設への"御協力"ありがとうございます。」

 

「はは。その話はよしたまえ。キミへの正当な対価を支払っているだけだよ。この話はもう何度目だか記憶していないがね、キミの能力そして素質はこの学園都市でも指折りに希少で利用価値の高いものだ。ゆめゆめ忘れないでいてくれたまえ。常時、進んでキミの協力が得られてこちらは大助かりだよ。」

 

本当に何度目だろう、この話。今では疑う余地もないが、どうやら幻生先生は掛け値無く、オレの能力を買ってくれているみたいなんだよな。…というか、"買ってくれている"というよりは、むしろ"執着している"と言ったほうが適切か。

どうしてそこまでオレに拘泥するのか理解できない。彼には申し訳ないが、時々うすら寒く感じている。

 

「ところで先生。先ほど、今後の予定について打ち合わせをすると仰ってましたけど、またなにか新しい計画のご予定がお有りで?」

 

オレはわずかな希望をこめて、彼に質問した。よくよく考えれば、年頃の女の子と一緒に共同研究なんて…なんてレアなイベントだったんだろう。

布束さんみたいなキュートな研究者、そうそう居ないっての。先生の顔つきが少し硬くなったように見えた。

 

「まったく、キミは勘がいいね。そうだとも。実はキミに着手して貰いたい、とある実験があってね。…だが、その実験は少々、被験者に危険な操作を強いるものなのだ。キミがこの手の研究を毛嫌いしているのは十重承知だ。だからこそ、今度は包み隠さず、キミに予め実験の危険性を告げようと思う。それが私なりのキミに対する誠実さだよ。…どうやら、その顔を見ると…やはり厳しいかね?」

 

幻生先生の、そのほんの少し強張った表情から推察できていた。あの"プロデュース"に参加した他の"置き去り"たちがどんな目にあっていたのか。結局、その末路は彼から聞き出せずにいた。

あの実験にはオレが必須だった。それだけは確実に分かっている。つまり、オレがあの実験に協力していなければ…。

うちの施設を潤おすためだけに、他の人間を危険にさらしていいわけがない。極力、幻生先生の機嫌を損ねたくないけれども。…一度決めたことだ、断ろう。

 

「申し訳ありません。"あの時"の、被験者たちの苦痛の声は今でもはっきりと耳に残っているんです。オレはもう、あのような事件に関わりたくないです。」

 

オレの拒絶の返答は、先生としても織り込み済みだったようで、特に落胆した様子はみられなかった。しかし、彼はまだオレの説得を諦めてはいなかった。

 

「景朗クン。科学の発展には、いつの時代もそれ相応の代償が要求されてきた。いかな人類最高峰の科学技術を持つ学園都市といえども、その理を超越することはできない。…理解してくれんかね?」

 

先生はオレの目をまっすぐ見つめていた。残念だが、彼の悪だくみに付き合うことはできない。自分の意思を確固として伝えなければ。視線を逸らしたいという欲求を必死に自制し、彼の眼をしっかりと見つめ返した。

 

「オレには無理です。お願いです。他の、もっと安全な研究にオレを使ってください。こんなことを言える立場ではありませんが、それでも…。オレの意思は変わりません。」

 

しばらく両者の視線が交差し合った。幻生先生は決して目線をオレの目から離さなかった。だが、やがて、幻生先生は根負けしたように苦笑すると、しぶしぶと言った表情でオレの意向を汲んでくれた。

 

「ふむ。仕方がない。我々もこれ以上キミの機嫌を損ねるわけにはいかないからね。先程の実験計画以外にも、幾つかキミにあつらえ向きのプランがある。今回はキミの意思を尊重しよう。ただ、私たちは諦めたわけではないからね。キミの気が変わったら直ぐに教えてくれたまえ。」

 

「ありがとうございます、幻生先生。本当に…」

 

どっと疲れた。先生とその後も、明日からのスケジュールの打ち合わせをした。結局、すべてが終わったのは日が落ちる直前、黄昏時になってからだった。

 

 

 

 

 

それから暫くは、学校の研究室で諸処のデータ収集に従事するだけでよくなった。そうして、中学二年生の春もいつの間にか過ぎて行った。そしてまた暑い季節がやってくる。

 

梅雨明けの時期。学園都市の完璧な天気予報のおかげで、ここのところも急な通り雨で体を冷やすこともなく、快適に生活できている。樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)様様だな。

 

最近は、ようやく午後からも授業が受けられるようになった。この機会を逃してはならぬ、とオレは精力的に勉学に勤しんだ。またいつぞろ別の研究に取り掛からされるかわかったもんじゃないからな。今のうちにやれることはやっておかないと。

 

このふた月ほどで、授業の遅れはほぼ取り戻せてきたように思う。だいぶ頑張ったよ。能力をフルに使い、常にクリアな思考で、長時間集中する。そうやって勉強するのはズルをしているみたいで、少しだけ罪悪感が沸いたのだ。

しかし、この1年間はほとんどずっと、午後の授業をまるごと受講できていなかったのだ。背に腹は代えられない。勘弁して下さい。

 

 

 

その日も、みっちりと日が暮れるまで授業に参加した。能力を解除すると、心地よい倦怠感に包まれた。今ならきっと何を食べても美味しく感じられるだろうな。背中側で腕を組み、思いっきり伸ばして体をほぐした。周りを見渡せば、もはや教室には用は無いとばかりに皆こぞって退出していく。一人一人顔立ちは違うものの、他人に興味のなさそうなツラだけはお揃いだった。

 

ふと気付いた。オレはこの学校に入学してから常に、友達ができないと嘆いていた。であれば、同じように友人がいないことに難儀しているような奴を、オレ以外に目撃してもよさそうなものである。

 

しかし、これまでの学校生活中に、そんな同士がいるような気配はまるで感じなかった。思い返せば、この学校に入ってから、普通の中学校でお目にかかれそうな"部活動"に励む学生に遭遇したことすらない。

 

もちろん隣の高校のお姉様たちは例外だ。時たま、帰りがけに、体操服姿で楽しそうにスポーツに励む彼女たちを視察しているからな。

どうにかしてお近づきになりたいが、セキュリティが半端なく厳しく、彼女たちに接触することは容易ではなかった。

 

 

そろそろ帰宅しようかと思い立ち、席を離れようとしたその時。携帯が震えてメールが一件。火澄からだった。とりあえず椅子に座りなおし、メールを開いた。

…なるほど、何時ぞやの、水泳の上達ぶりを披露するという話についての内容だった。おお、手纏ちゃんも一緒に来てくれるらしい。件の話、すっかり忘れていた。

 

今のオレにとっては思わぬサプライズだな!そういえば、この約束をしたの、ちょうど一年前くらいだったか。

 

そうそう。手纏ちゃんのメールアドレスと番号をゲットできなくて悔しかった、あの後。激しかった火澄の警戒を掻い潜り、なんとか彼女を説得して、手纏ちゃんと連絡先の入手に成功していたのだ。まあ、正確には説得というより、友人の不在を嘆いての泣き落しからの、憐憫、同情に近いものだったが。

 

そうして、今では手纏ちゃんも立派なメル友もどき…かな?ほとんどは時間が取れるときに、勉強会と称して火澄と同じ席で昼食や夕食をご一緒していただけだからな。そこそこ仲良くなったとは思うけど。

 

しかしまあ、火澄のヤツ、まともに泳げるようになるのに丸一年かかったのか。よくそれで常盤台中学の水泳部に在籍していられたものだ…いや、ひょっとして。マネージャー業を務めていたのかもしれないな。詳しく話を聞いていないから断定はできないけど、その可能性も低くはなさそうだ。

 

よし。都合のいい日時は、今週末もしくは来週末か。ヤヴァいなあ!楽しみ過ぎる!

 

 

 

火澄の一件には、もちろん迅速に了承の返答をした。今週末、日曜日に第七学区の近場のプールセンターで彼女たちと落ち合う約束である。

居てもたっても居られなくなって、約束の日まで授業を受け続けるのが面倒くさくなってしまった。週末の予定が入る前には、あんなに勉強に対して気合十分、やる気に満ち溢れていたというのに。

 

 

あれから長かった。プールに遊びに行く当日。間の悪いことにオレはその日の夕飯の当番になっていた。真泥に必死に頼み込み、なんとか幸いにも順番を変わって貰えた。もはや何の憂いも無し。心おきなく楽しもう、と意気込んで聖マリア園を出発した。

 

七月半ば、夏休みも真近である。第七学区のプールなんてどこも中高生で埋め尽くされていそうなものだが…。これから向かうは、第七学区区立の第3総合水泳場という所である。

乗車中、ネットで調べてみたのだが、ここは学園都市内でも指折りに新しい、最近建設されたばかりの施設だった。普段は第七学区の大規模な水泳大会などに使用されており、各種飛び込み台などの機能も充実しているみたいである。

 

ここまでは他の学園内の総合プールと比べても遜色ないのだが。実は、この第七学区区立第3総合水泳場は、とある筋の人たちには特別な場所らしい。

 

その理由は施設内に設置された"The Underwater City"というプールにあるようだ。その"The Underwater City"は、なんと水深が36mもあるとのこと。今現在、世界で1番深いプールなのだそうだ。縦長の円柱形、側面には様々な形状の人工的な洞窟、他にも色んな構造物(ストラクチャー)が存在し、目にした人は「まるで"海底都市"のようだ」と感想を漏らす…とな。

なるほど、海底都市でそのまま"Underwater City"か。普段はダイバーの練習場や、研究機関の物理演習場としても使われているらしい。まったく、今日は色んな意味で、興味深い体験ができそうだな。

 

 

目的の第3総合水泳場は、第七学区所在といえども、その実、第二十二学区との境界線上に立地していた。なるほど。第二十二学区は地下深くまで開発が進んでいる。その"The Underwater City"とやらの建造にはさぞ利便性の高い土地だったろう。

 

しかしまずいな。時間の見積もりが甘かったかも知れない。目的地は、第七学区と二十二学区、さらに第十学区も合わせた境界上に立地していた。つまりは、第七学区の最南端ってことだ。想像していたよりもかなり遠い。マズイな…彼女たちを待たせる羽目になりそうだ。怒って帰ってしまったら…。くッ…。…畜生!彼女たちの水着姿を拝めずに、のこのこ帰れるか!

 

バスで向かう予定だったが、そんなもん悠長に待ってられないぜ。…よし、ならば、走ろう。能力を全開。全速力で走破する。っしゃあー!人間の限界を超えてやるぜ!

 

 

 

 

結局、待ち合わせ時刻には間に合わなかった。オレの足が遅かった訳ではない。走行速度自体はたぶん時速50km近くは出ていたと思う。今、軽く時速50kmとか言ったけど、自分でも驚くぐらい速かったよ。

もちろん、目的地に着く頃には死ぬほど疲れ果てたが。生身で時速50km、これでも"強能力(レベル3)"だってんだから、"大能力(レベル4)"ってのはやっぱりすごいな…。おっと、話が脇道にそれてしまった。

 

そう、速度は問題なかったんだ。自動車とほぼ同速度。そのため、道端をそんな速度で走る訳にもいかず、道路を暴走しなければならなかった。そして、道路と走っていたその時。運悪く警邏中の"警備員(アンチスキル)"に目をつけられてしまった。

 

連中、オレを見て死ぬほど驚いていたが、日々能力者相手にドンパチやっているせいか、直ぐに対応してきたよ。警邏車で追っかけてきやがった。慌てて顔を隠しつつ、「歩行者が道路を走るのに道交法もクソもないだろ!?」って反論したんだけど、「どこが歩行者だ?!走りたきゃ最低限サイドミラーとウィンカーを手に持ってからにしろって話じゃん!」とやらたじゃんじゃん五月蠅いお姉さんに説教された。

 

彼女を撒くのにすっかり時間がかかってしまって…。なんだよ、畜生。サイドミラーとウィンカー持ちながら走るって、ダサいってレベルじゃないじゃん。

 

 

 

 

さる事情により、遅刻の上、全身汗だくで登場したオレを目にして、火澄と手纏(たまき)ちゃんの2人は若干引いてしまっていた。オレの奇天烈な行動にはさすがの耐性を持つ火澄は、すぐに呆れ顔に表情をシフトさせた。

 

「どうしたのよ、その格好。汗かき過ぎよ。どんだけ走って来たのよ…。全くもぅ。連絡をくれれば、10分くらい待ってあげたわよ。」

 

なんと!…良かった。本当に良かった。機嫌を損ね、約束を放棄して帰られていたら立ち直れなかったぜ。遅れそうだと連絡することも考えが、策を打つ前にとにかく行動したかったのさ。遅刻の連絡で帰られたらたまらないからな。

 

「う、雨月さん…。これ、どうぞ…。あのぅー…今日は、これから大丈夫なんでしょうか……。そのご様子だと…そうとう、お疲れなのでは…」

 

やはり手纏ちゃんは優しいな。心配そうに、ハンカチを差し出してくれた。ふうっ。こんな所でヘバッっている場合じゃないぜ。さあ、能力をフル回転だ。深く、深く、深呼吸して…。

オレはハンカチを受け取ると、努めてなんでもない、大丈夫だ、と元気な態度を見せた

 

「大丈夫大丈夫。ちょっと走っただけだから。こんなんすぐ落ち着きますよ。待たせてすみません。お詫びにドリンクでも御馳走させて下さい。さあ、とにかく中に入りましょう。楽しみにしてたんですよー。」

 

オレの提案を「いえいえそんな、結構ですよ。…それでは、行きましょうか。」とやんわりと断りながら手纏さんはなんだか慣れた様子で施設へと入って行く。

 

火澄の顔は明らかに「言った通りに何か飲み物奢りなさいよ」と言っていたのだが、何も言わずに手纏さんの後について行った。オレも慌てて2人を追いかける。先程遠目に見ただけでも、ずいぶんと大きくて広い建物だったからな。はぐれたら面倒臭そうだ。

 

 

 

彼女たちの案内で、更衣室へと向かう。これからのことは、ともかく水着に着替えてから話し合うらしい。通路の壁面に、この施設の簡易見取り図が設置されていた。南端に"The Underwater City"の文字がある。そうだな、今日は是非ともコイツを見物してから帰りたいものだ。できれば体験してみたい。

 

「そういえば、ここには"The Underwater City"っていう、ものすごく深いプールがあるんだよな?世界一深いとか。できれば今日はそいつを見物していきたいな。ちょっと楽しみにしててさ。」

 

オレの質問に、前を歩いていた2人は顔を寄せ合い、小さく微笑んだ。間を開けずに、手纏ちゃんはこちらに振り向き、どこか愉快そうに話し掛けてくる。

 

「ふふ。ご心配なさらずとも大丈夫ですよ。今日は見学どころか、雨月さんが望むなら、実際に Underwater City に入ることもできますから。」

 

「ええっ?!それ、ホント?……確か、ここのHPには一般客の利用には許可が必要って書いてあったんだけど。おお、そうか。予め許可を取ってくれてたのか。」

 

オレの返事に、今度は火澄がこらえきれずに吹き出してしまった。なぜだろう。さっきから2人が異様に楽しそうなのは。

 

「景朗、まだピンと来ないの?あのね、深咲ちゃんの能力を考えたら、この施設との関わりもなんとなく予想がつかない?」

 

手纏ちゃんの能力との関連だと。酸素を操って、水の中でも息が―――ぬぐ。そうか。もしかして、いや、もしかせずに。

 

「うぐ。その通りだ。よくよく考える必要もないな。手纏さんの能力は、さぞ、"The Underwater City"とやらと相性が良いだろう。つうことは、手纏さんはこの施設の研究者さんたちとは…顔見知りなんだろ?そうだな。たとえば――ここで身体検査(システムスキャン)をしていたり?」

 

オレの答えに、火澄は及第点をくれたようだ。"まあいいでしょう"とでも言いたげな表情で、続きを述べた。

 

「当たらずとも遠からず、ね。確かに、深咲ちゃんはここで身体検査(システムスキャン)を受けたりもしてるみたいだけど、それだけじゃないの。この"The Underwater City"は、ダイバーの練習場以外にも、流体物理や医療の研究で使われていてね。深咲ちゃんはその研究のお手伝いをしてるのよ。」

 

どこかで聞いたような話だな。火澄は恥ずかしそうにしている手纏ちゃんと視線を交わすと、目を瞬かせた。また1つ何かを思い出した様子である。

 

「そうそう。それからね、景朗。"The Underwater City"は言うまでもなくそんじょそこらのプールと違って、独特な形状をしているのよ。だから管理がとても難しいらしいの。そこで深咲ちゃんは、能力を活かして、研究だけでなくプールの管理にも定期的に協力してるって話よ。

 

つまり、深咲ちゃんはここの研究所の人たちと、管理をしている人たち、全員と仲がいいの。だから、今日あんたがこの"The Underwater City"に入れるのは、深咲ちゃんのおかげなのよ。」

 

話を聞く限り、真実そのまま、そのプールに入れるのは彼女のおかげのようだな。さすがは常盤台と謂うべきか。いいカンジの研究に従事してるみたいだなぁ。

 

やっぱ霧ヶ丘はブラックだわ。なんだよ"学習装置"って。"学習"ってオブラートにつつんだ表現をしているけど、実際には"洗脳"って言ったほうが近いシロモノだったぞ、アレ。

 

「ありがとう。手纏さん。オレ、興味津々だったんだよ。是非、Underwater Cityとやらを体験させて下さいな。」

 

手纏ちゃんは顔をすっかり赤らめていた。両手を突き出し、いやいやと小刻みに振りながら、オレにそんなにかしこまらないでくださいと言ってくれた。

 

「へぇー。管理が難しいってえのはあれかな。潜水病ってやつ?てことはやっぱり手纏ちゃんの能力って潜水病とかにも対応できるのかな?」

 

手纏ちゃんはちょっと驚いた顔を見せた。

 

「ご、ご名答です。景朗さん。素晴らしいです。よくご存じなんですね。」

 

「いや、あてずっぽうに言っただけだから。オレも詳しいことはわからないんだよね。」

 

「そう…なんですか。…雨月さん、今日は Underwater City をご体験されたいのですよね。でしたら少し説明いたしましょうか…。」

 

そう言うと、少々まごつきながらも、彼女はオレの疑問に解答してくれた。

 

「潜水病、減圧症とも言いますが、簡単に言うと、…そのぅ、人体にかかる圧力の急な減少によって体に悪影響が起きてしまう現象があるんです。深い水深の下、高圧環境下で体内に溶け込んでしまった窒素は、浮上による急な圧力の低下によって、体のあちこちで気泡化してしまうんです。

軽い症状なら関節痛や窒素酔い程度で済むのですけど、…酷い場合になると死亡したり、後遺症が残ってしまう恐ろしい現象です。」

 

え?酷い時は死ぬの?考えが顔にでてしまっていたのか、オレを見つめていた手纏ちゃんは慌てて補足する。

 

「だ、大丈夫ですぅ。圧力の変化が適度に緩やかであれば、なんの心配もいらないんです。それこそ、100mや200m潜っても、そこに時間をたっぷりとかけていれば、体には何の異常もありません。…反対に、たった5mや10mの深さでも、急激な潜水と浮上を行えば、人によっては重度の障害が出たりします。

重要なのは潜るスピードなんですよ。あ…あの…安心してください。わ、私が、その時はちゃんとお教えします…から…。」

 

そんなうるうるとした瞳で見つめられてはタマラナイなあ。オレは彼女に向かってほほ笑んだ。

 

「わかりました。今日はご指導よろしくお願いします。オレ、手纏さんのこと信用してますから。」

 

「えへへ…よかったですぅ。」

 

手纏ちゃんはオレの言葉を聞いて嬉しそうにしてくれている。しかし、彼女にしては頑張って、長々と説明してくれたなあ。

 

「というか、驚いたなあ。手纏さん、そんなに長いセリフもちゃんと喋れたんだね。」

 

「そんなぁ。酷いです。雨月さん!」

 

おお、冗談を言い合える仲になってるようだな。これは幸先いいなあ。…さっきから、火澄を蚊帳の外にしてしまっているけど、大丈夫かな。そう思った矢先。ガスコンロが点火するような、鈍い音が響く。

ほぼ同時に、Tシャツの裾からむき出しの左腕に一瞬、高熱を感じた。

 

「あちィッ。ちょ、火澄!なにをっ。」

火澄に火の玉をけしかけられた。彼女の方をみやると、完全にむくれていた。なんだよ、コイツ。いきなり…。

 

「フン。深咲ちゃんには相変わらずデレデレのようですね。」

 

あ。そっか。今日はそもそもコイツの水泳の成果を確認しに来たんだった。それなのに、プールに着いても尚、その話題には一切触れずに、手纏ちゃんと話してばっかりだった。

 

「ちゃ、ちゃんと覚えてるよ!今日はオレに水泳の上達をとくと見せつけて、昔からかわれた雪辱をきっちり返すといいさ。そんなスネなくとも…地味に…痛…」

 

「言われなくてもそのつもりよ!さ、もう行くわよ!」

 

いきり立った彼女は、オレと手纏ちゃんを置いて足早に更衣室へと入って行った。慌てた手纏ちゃんは、オレに男性用の更衣室の場所を教えると、すぐに火澄の後を追って消えていった。

 

ようやくお待ちかねの、彼女たちの水着姿が拝めるってのに。次に会うときは、まず火澄のご機嫌直しから始めなきゃダメみたいだな。ま、そのくらい屁でもないさ。毎度のことだしな。

 

 

 

野郎の着替えが長引くはずもない。さっそうと水着に履き替えたオレは、更衣室を出て、いかにも学園都市風の、近未来的なデザインで統一された建物内を、通路に沿って歩いていた。

 

目的の場所である第1飛込プールへの道中、50mプールのそばを横切った。そこには、熱心に水練に励む多種多様な中学、高校の生徒の姿があった。やはり休日でも一生懸命練習するヤツは居るんだな。

 

もし、霧ヶ丘付属へ入ってなかったら、オレは今頃何をしていただろうか。いや、それ以前に、幻生と関わっていなければ、どうなっていたんだろう…。少しでも先を見据えれば、胸中に薄暗い畏れとともに、重たい痛みが生まれてくる。

 

一体いつまであの後ろめたい実験に協力しつづければいいだろう?…馬鹿な考えだ。もはや後には引けない。うちの施設にはあれから倍も、生活する人間が増えた。今、幻生先生の援助を失えば、大変なことになる。

 

それに…彼らの援助が無ければ、真泥たちとの出会いも無かったはずだ。…そのことに悔いはないな。そう考え始めると、胸の中の痛みが消えていった。本当のところはわからないけどね。今のオレなら能力を使えば、心の中の"痛み"すら消滅させられるんだから。

無意識に能力を使っているのかもしれない。降りかかる火の粉から、反射的に身を守るように。感情を支配する術を得た代償に、自らの本心を認識できなくなるとは。やっぱりクソな能力だな。

 

 

 

待ち合わせ場所の飛込プールに辿り着いた。途中で少々迷ってしまってな。考え事をしてたもんだから、道を間違えてしまった。プールサイドに設置されたベンチで火澄と手纏ちゃんが待っている。2人とも顔を寄せ合って話し込んでいるな。

 

折角なので、オレは忍び足で、彼女たちに後ろから近づく。二人とも同じ水着を着ていた。競泳水着…ではないな。だいぶ近いが。恐らく、常盤台中学指定のスクール水着なのだろう。しかしまあ、なんだ。オレにスク水属性は無かったはずなんだけど、これはこれで…。

 

さて。後ろ姿はもう十分堪能させてもらった。いい加減正面からご挨拶させてもらいたい。

 

「おーい。待たせてごめんよ。ちょっと道に迷ってさ。」

 

真後ろから急に発せられた呼び声に、2人とも驚いて飛び上がった。大げさな驚きようだな。会話は耳に入っていたんだけど、彼女たちのうなじに集中していて碌に聞いていなかったんだ。

 

「ちょ、ちょっと。いきなり後ろから脅かさないでよ!」

 

すぐに反応した火澄が威嚇してくる。ってぐはっぁぁ。振り向いた拍子に…豊かな丘陵が振動したぞ。うおおおおああ。思わず視線が吸い寄せられた。ヤバイ。火澄は目ざとくオレの行動に気づいた。

 

「こ、こら。どこ見てんのよッ!」

 

彼女が吠える。同時に蒼炎がオレの髪の毛に発現した。へへっ。ここはプールだぜ。素早く水中に飛び込んだ。だが。おかしい。異変が…花火が弾けるような音が未だに…。しまった。火澄の炎は水を浴びた程度じゃ消えないじゃないか。まままままずいぞ。このままだとまずい。早く彼女に許しを請うて、火を消してもらわなければ。冗談じゃなくハゲちまう!

 

慌ててプールから飛び出す。ふてぶてしい顔でこちらを睨みつける火澄。自信満々の表情がニクいぜ。最終的には、ドリンクを御馳走するだけの予定が昼食とデザートに化けた。

 

 

「ところで、どうしてわざわざ屋外の一番遠いプールを選んだんだ?入ってすぐ近くの室内プールもちらほら空いてたじゃないか。」

 

先程から頭にチラついていた疑問を2人にぶつけてみた。実は、なぜ入口からもっとも離れた屋外の飛込プールを待ち合わせに選んだのか不思議に思っていたのだ。エントランスから距離が離れているし、屋外だから人が少ないのかなと推測していたんだが、道中には人のあまりいない閑散としたプールがいくつか点在していたからな。

 

「どうしてって、そりゃ、飛込台が無ければ、飛び込み(ダイブ)が出来ないでしょう?」

 

火澄がため息を吐いた。ええっ、飛び込み(ダイブ)だあ?いくら熱心に教えても、結局小学校卒業までに平泳ぎも覚束なかった火澄が。…常盤台に入ってから猛練習したのかな。とかく、彼女、これから面白いものを見せてはくれそうだ。

 

「じゃあ…。もしかして、今からダイブやって見せてくれんの?」

 

「ええ。その通りよ。活目してご覧あれ!」

 

なにやら自信がある様子だ。意気込み、オレに人差し指を突き付ける。隣を見た。さっきから若干空気だった手纏ちゃんは、不安そうな表情を浮かべている。うーむ。これはふたを開けてみなきゃわからないな。

 

 

オレと手纏ちゃんは、飛び込み台へと向かっていった火澄を見送る。さあ、彼女は何を見せてくれるんだろうか。悔しいがわくわくするよ。隣の手纏ちゃんがオレの体をちらちらと見つめているが、ほうっといてあげとこう。

 

 

飛び込み台の頂上で、火澄が手を振った。手纏ちゃんも手を振って返した。いよいよか。ほどなくして、火澄は迷いなく、整然とした動きで飛び込み台から降下した。

足をすっと伸ばし、ひざの裏に手を回す。体ごとくるくると2回転させた。最後に姿勢を広げ、みごとに着水。静謐な無音の空間と水飛沫の残響とのコントラストが際立った。

 

 

……な、なかなかやるじゃないか。率直に言って…綺麗だった。素直に称賛すべきだろう。手纏ちゃんの反応も確認してみた。すると意外なことに、彼女の表情には陰りが。あれで何か不足があったのだろうか。素人目には美しいって感じたんだけどな。疑問符が浮かぶ。

 

そうしている間に、手纏ちゃんはだんだんとおろおろとした態度を隠さなくなってきた。あれ、そういえば―――火澄、全然浮かんでこないな。

そうだ。そもそも彼女の"泳ぎ"を拝見しに来たのであって…。

 

突然。着水地点からいくぶんか離れた水面から、人間の頭部が、まるで巨大魚が水面を跳ねるような猛々しい水音とともに付き出てきた。プールの渕までのこり数メートルといったところか。火澄は濁音をあげながら、不格好な泳ぎ方で近づいてくる。

ぶはッ。良く見たら腕は平泳ぎっぽい動きをしているが、足はところどころ犬かきのように不器用なものだった。く、くくく。あはは。肝心の"泳ぎ"は駄目駄目じゃないか。最高だよ、火澄!オチまで用意してくれてるなんて!100点万点だよ…ククク。

これじゃ台無しだ。コントじゃあるまいし。たっ耐えろ。ぅぅぅ……ダメだ、我慢できない。

 

爆笑。

 

声を上げて笑うと、火澄が覚えておきなさいよ!と水中で吠えた。あーあ。後が怖い。

 

 

陸に上がった火澄はすぐさまオレを火焙りにした。その後、手纏ちゃんが宥めてくれたおかげでようやく火澄は落ち着いた。

それから、ひとまず昼食を取ることにしたオレたちは、施設中央のフードコーナーに移動した。ごく普通のファミリーレストランからファーストフードまで一通りそろっており、水泳場とは思えない規模だった。この施設はそこそこ大きくて、いくつかの研究所の出先機関も組み込まれているから、そこまで不思議ではないか。

 

ともあれ、ランチを奢って埋め合わせを果たすと、火澄はようやくオレを睨むのをやめてくれた。

たっぷり休憩を挟んだあとは、午前中に話題になった"The Underwater City"へ行くとのこと。はやる心を抑えつつも、やはり皆、どこかテンションを昂らせており、ファミレスでの談笑では盛大に花が咲いた。

 

 

 

初めて見る"The Underwater City"は、真上からみると、その蒼さに感動が湧き上がった。約36メートル。これは、なんと10階建てのビルがすっぽり入る長さである。

その様は深い池や海特有の、深淵を覗きこむような原始的な畏れをも感じさせた。とはいえ、透き通った水質に加え、随所に光源が設置してあるようで、水底までくっきりと視界に入った。

 

手纏ちゃんの一声で、所員さんたちは簡単に許可を下した。彼女はここでは所員さんたちのアイドルらしい。通りすがる作業員どもの向けてくる目が痛い。

 

 

オレは専用のウエットスーツを借用したが、手纏ちゃんは着のみ着のまま常盤台のスクール水着のままで着水した。火澄は頬を膨らませていたが、おとなしくお留守番している。Underwater City の入り組んだ洞窟の様な、その壁面には随所に窓が設置してあり、建物内から中の様子は問題なく伺えるようである。

 

手纏ちゃんは通信用のヘッドセット以外は何も付けていなかった。そのまま潜水するようである。送気用のヘルメットを被ったオレは、手纏ちゃんからの通信を頼りに、彼女の言うとおりに潜水を行った。ホースから常に新鮮な空気が送られてくるので、時間を気にせずに潜っていられる。

 

上下左右、重力のくびきからほぼ解放されたと言っても良い。奇妙な感覚だった。

 

水中での手纏ちゃんの姿は地上のそれとは全く異なっていた。ひと繋ぎの特大に大きな泡で体をまるごと覆っていた。幻想的な光景だった。水中できらめく泡は、溜息がでるほど美しかった。

 

空気の鎖で繋がれ、動きを拘束されたオレとは違い、彼女は、何物にも束縛されていない。優しく微笑む手纏ちゃんは、まるで童話に聞く人魚のようだった。

 

彼女のしぐさに、美しい泡の塊が滑らかに追従する。水の中で優々と挙動する、泡と少女。気がつけば、オレはこの人工の縦穴になど目もくれず、彼女のことばかり眺めていた。

 

「手纏さんの能力、初めて見たけど…素晴らしいよ。綺麗な泡を纏って…まるで人魚みたいだね。」

 

「へうっ…!…そ、そんな…。て、照れちゃいます……。」

 

最も近い窓から、物体が打ちつけられる音が響いてきた。目を向けると逆さに映る火澄が、オレに絶対零度の視線を浴びせていた。あ。やべえ。今の通信、火澄にも聞こえてんじゃん。

 

 

 

努力もむなしく。水泳場を出て、帰りのバスに乗る際まで、火澄の機嫌は直らなかった。物理的にも、精神的にも1人除け者に去れた彼女は、相当にへそを曲げていた。

 

Underwater City 探索中も、気づけばケツの周りの水が熱湯に変わっていて、大変な思いをした。その時には必ず、近くの窓から悪魔の笑顔が。

 

バスから顔を出した火澄に、今度こそ上達した泳ぎっぷりをみせておくれよ、とお願いしてみたが、べーっと、舌を突き出され拒絶されてしまった。はは。今日はホントに楽しかった。

 

 

 

 

夏休み。機嫌を損ねた火澄にはあまり相手をしてもらえなかった。必然、友達がゼロのオレはやることが無い。偶に幻生先生の呼び出しを受けてこまごまとした実験に手を貸したりもした。

だが、ほとんどの時間は、まるまる一年午後の授業を受けずにいた負債の返済のため、おとなしく自主的に補習を受講することに当てていた。

ふふふ。この夏、オレは"偏差値"を以前の水準に戻せたんだぜ…。物哀しい中学二年生の夏は、灰色のまま幕を閉じた。という訳で、当然、夏の間は、うちの園の中にたむろしていた時間は比較的長かった。

 

 

たしか夏の終わり頃からだったろうか。真泥の様子が少しおかしくなった。以前から他の子とは若干違う挙動をする子だったため、この時はそこまで気にかけなかったんだ。今にして思えば、直ぐに気づくべきだった。彼が抱えていた苦悩に。今でも後悔が募る。

 

 

 

 

ねっとりした温風、不快指数をかち上げる湿気も、秋の長雨が洗い流してくれた。秋分がつい最近通り過ぎたばかりであり、まだそこまで差はないはずなのだが、夏を挟むと不思議と、日が落ちる時間が早くなった気がするものだ。

 

今年の大覇星祭では、折角の数少ない霧ヶ丘付属の参加枠を、惜しくも逃してしまった。大多数の霧ヶ丘付属中学生徒と同じく、傍観者となったものの、そのおかげで火澄や花華たちなどの競技は余さず観戦できたのではなかろうか。

 

大覇星祭中は、色々と上手くことが運んだように思えた。が、やはり、ひとつ問題が有った。夏の終わりから真泥の様子がおかしい、その事に確信を持ちつつあった。大覇星祭の時に、競技に姿の無い日が幾つもあった。態度も変わった。一人で行動することを好むようになり、休日はもっぱら一人で街へ出かけるようになった。誰にも行き先を告げずに。最近は頓に暗い顔をしている。

 

ある時、そんな真泥の様子をみて花華が、昔のかげにいに似てきたね、とからかった。その発言でオレはとある可能性に行きついた。もしや、いつぞやの"ボク"のように。

 

真泥と腹を割って話そう。そうふん切りがついたのは、彼の口から、5日間の検査入院のため、園の仕事の当番を代わってくれ、と頼まれた時だった。

 

「真泥。最近元気無かったのは、やっぱりなにか病気してたからなの?5日間も検査入院って。クレア先生も酷い顔してたよ。」

 

「だ、大丈夫です。違います。最近風邪気味だったので、お医者さんに診てもらいに行ったんですけど、その時に一応念のために検査入院してくれ、って言われただけです。そんな大げさな様子ではなかったです。心配しないでください。景朗兄さん。」

 

真泥はそう言って安心してくれという表情を送った。彼の顔ではなく、オレから逸らされたその眼を凝視した。なつかしい。見覚えがあった。それは、何かに脅える目、必死に耐えようとしている目、自分を偽ろうとしている目だ。そう思えて仕方が無かった。昔、鏡で何度も見た気がする…。

オレの第六感は恐ろしいほどに警報を鳴らしていた。いつでも気づけたはずだった。なぜもっと早く…湧き上がる焦燥を能力で押さえつけた。自分を強制的に冷静にした。

 

仮に。仮にだ。仮に彼がオレと同じ立場になりつつあるとして。今までみんなに黙って、"それ"を何食わぬ顔で行ってきた、そのオレに何か言う資格があるか?彼に「やめろ」と言う資格が、ほかならぬオレにあるだろうか。全くもって微塵も存在しないはずだ。何も気づかなかった、という表情を造り、真泥と別れた。

 

携帯を握りしめる。確認しなくては。杞憂であってほしい。きっと幻生先生は「キミは突然何を言い出すんだね?」と呆れた表情を返してくれるはずさ。いくらなんでも邪推し過ぎかな。

 

 

 

 

さっそく幻生先生と都合をつけた。ちょとしたデータ収集を見返りに、彼と一対一で話せる時間を捻出して貰った。この人は老獪だ。オレの手には余りに余る人である。最初から、単刀直入に真泥の件について確認した。

 

オレの祈りは叶わなかった。オレの糾問に、幻生先生は弱り果てた表情を作った。だがその眼は、眼だけは、どこか愉快そうな色を含んでいる気がしてならなかった。

 

「そうか。気づいてしまったか。その顔を見れば確認するまでも無いようだね。景朗クン、キミとの付き合いも長い。事ここに及んだならば、正直にキミに教えよう。…これでも、キミに伝えるべきかずいぶん悩んだんだがね。」

 

事実だった。真泥はやはり幻生先生と関わりを持っていた。オレに伝えるのを悩んだ?素直にそれを信じる訳無いだろ。真泥に何をさせようとしているのかはわからないが、なんとしてもやめさせなければ。

 

「そう、悩んだのだが。最終的に、調川(つきのかわ)クン本人の意思を尊重したのだよ。彼も在りし日のキミと同じ想いだったのだよ。…キミが我々の行動に怒りを覚えるのはよく分かる。キミが施設の輩を大切に思っていることは重々承知の上だった。故に、打ち明けなかったことは謝罪しよう。だが、どうか最後まで私の話を聞いてほしい。私なりに、キミを慮ってのことだったのだよ。」

 

「…どういうことですか?」

 

「調川クンは今、以前のキミと同じ状況下に居る。即ち、我々の実験に協力する代わりに、施設に経済的援助が行われるのだ。この事は、キミに内密にすべきではないと思った…が。調川クンの意思は、思いのほか固くてね。施設の皆には黙っておいてくれと、断固として私に口止めを要求したきたよ。それで結局、敬意を持って彼の要望に答えたのだ。」

 

「幻生先生。あなたは相変わらずまだるっこしいですね。教えてください。そもそも真泥を巻き込んだ理由を。」

 

「最初に言っただろう。まずは最後まで話を聞いてくれと。怒りを収めてくれないかね。キミなら雑作も無いだろう?」

 

幻生先生はため息をついた。

 

「それでは、理由から先に述べよう。私は以前からこう考えていたのだ。…キミは少々、あの施設に思い入れが強すぎる。出会ったころに教えてくれたね。キミは、中学卒業後には、あの施設を出ていくつもりなのだろう?私は今後も、キミに能力を提供して貰い、様々な研究を行う腹積もりだ。だが、キミの様子を見れば、中学校を卒業した後も、かかわりのなくなったあの孤児院にそのまま寄付を続けていく腹積もりではないか。確かに、キミがあの施設に"滞在"している間は、その要求は筋の通るものだと思うが。それ以降は、果たして、道理にかなった行いと言えるだろうか?」

 

オレは何も言い返せない。自分だってずっと悩んでいたことだったから。

 

「今年の春に、私が打診し、キミが断った実験。その実験の被験者を選別している時に、ふと閃いたのだよ。キミの施設に次々と入ってくる子供たちにも、我々の研究を手伝ってもらえば良いとな。キミが居なくなった後も、調川クンが我々に協力してくれれば、継続してキミたちの施設に我々も援助できよう。孤児院には莫大な金額を寄付している。何の理由も無しに、そのような振る舞いはできかねるからね。」

 

「なんだって!真泥を、あの時あなたが危険だと言った実験に参加させているんですか!?」

 

声を荒げたオレに、幻生先生は初めて、厳しい視線を送りつけた。

 

「彼は自ら選んだのだ。自らの意思で。以前のキミのようにな。前にも言ったが、キミに、他人の意志、その選択に、どうこう口を出す資格があるのかね?ましてや、調川クンの覚悟を、他ならぬキミがどういった道理で妨げようというのかな?」

 

窮したオレに、彼はさらに畳みかけた。

 

「無論、私が道理を説くのも許されぬことだが。…景朗クン、調川クンの参加している実験は、危険だとは言ったが、それは、想定の範囲を超えた、不運がいくつも重なった最悪の事態に陥らなければ、命の危険は無いといってよいものだと言っておこう。

 

…さあ、どうするかね?調川クンを計画から外そうと思えば、できなくもない。ただ、その場合は、キミは何時までとも知れず、とうに関わりを無くした孤児院の救済を望み続けることになるだろう。また、既に調川クンとは契約をきっちり結んでいてね。それを反故にしようというのなら、それ相応のベネフィットを我々に提供してくれなければ。」

 

濁って。暗くて。狂気に包まれた瞳がオレを射抜く。理解した。この人は…。この人は、最初からオレに…。

 

「調川クンの代わりに、今我々が取り組んでいる実験にキミが協力してくれるのならば。非常に喜ばしいのだがね。」

 

喉に出かかった、ありとあらゆる文句、罵倒を必死に飲み込んだ。なにがオレのためを思ってだ。まるでマフィアのやり口だ。何も知らないガキを騙して…。

 

だが、オレがここでこの人に思いのたけをぶちまけたとして。それでどうなる?きっと何も変えられない。状況が好転するわけない。中学二年生の立場では、何もできない…。

 

「…わかりました。その実験に協力しますよ。だから、真泥のことは…真泥だけじゃない、うちの施設に居る全員に対して、今後これ以上、あなたたちの実験には係わらせないと約束して下さい。」

 

「…それで本当に良いのかね?」

 

「はい。最初に、オレが貴方の口車に乗ってしまったのがすべての元凶でした。…だから、責任は最後までオレが取らなければいけません。」

 

「耳が痛くなるような言い方をするね。だが、こちらも慈善事業をやっているわけではない。言い訳はするまい。…今日は何にせよ、キミの実験への協力を漕ぎ付けられた。それで良しとしよう。」

 

全く、コイツは…。オレが了承の返事をしたとたん、すぐに何時もの作り笑いが貼り付いた。

 

「さっそくだが、明日からにでもすぐに我々の研究に参加してもらいたい。自発的なキミの協力を得られて本当に良かった。昨今の研究で、キミの能力は最上級にレアな研究対象となっているからな。なかなか上から使用許可が下りなくてね。困っていたんだよ。キミ自身の意思で研究に加わるならまだしも、私の個人的な研究用途として、キミを強引に実験に使うことは禁止されていたのだよ。ただし、キミの同意が得られるなら、その問題も無くなるわけだ。」

 

そういうことか。オレをその実験にどうしても使いたくて、わざわざ真泥をダシにしたのか。…畜生。

 

「統括理事会肝入りの実験。ただ手足としてこき使われているだけならば、私は現在の地位に伸上がれておらんよ。…景朗クン。これを言うのは何度目だろうか。キミの素質を非常に買っているのだよ、私はね。今、我々が取り組んでいる実験は、さっきも言ったが統括理事会、上層部肝入りの大変重要なものだ。この際、キミにもその目的を理解してもらうとしよう。」

 

あんたがやってるクソみたいな研究のいくつかは、この学園都市のお偉いさんが望んだものだったと。徹底的に腐ってやがる。この街が急に…地獄に思えてきた。

 

「現在、学園都市で第一位の超能力者(レベル5)、"一方通行(アクセラレータ)"。彼の脳が織りなす、演算特性(アルゴリズム)精神性(マインド)、"自分だけの現実(パーソナルリアリティ)"を切り取り、個々人の能力者に、能力の向上に適切な処理を施して貼り付ける。

 

そのような試みに挑戦中でね。現段階では、被験者個々人の脳波、パーソナルリアリティの解析を行い、彼らの能力の向上に最適な"一方通行"の特性の算出過程にある。」

 

一方通行(アクセラレータ)。耳にしたことがある。霧ヶ丘付属には今、学園都市の超能力者の中でも最強、第一位の能力者が在学しているらしいと。

…どうやら、その話は信憑性が高いみたいだな。やれやれ、噂も馬鹿にならないね。しかし、その第一位の超能力者さんが、まさかこんなところで関わってくるとは。

 

 

「その後の、彼の特性の被験者へのインストール方法についてだが。知ればきっとキミも驚くだろうな。"学習装置(テスタメント)"。キミが開発にかかわったあの装置(デバイス)だよ。アレを使う。

 

もっとも、布束クンが調整したような生易しい設定ではなく、我々が独自にチューンした特別製を使うがね。」

 

「へ?……えっ…?」

 

そ…んな…。どうして…どうして、コイツらは、オレを尽くそちら側に引っ張り込もうとするんだ。…クソッ!止めたくても止められない。オレにはコイツらの悪事をどうすることもできない。

 

もしこれから"学習装置"で被験者が傷ついたら…その責任は少なからずオレにもあるんじゃないか!?。"プロデュース"の時だって、オレがコイツらに協力していなければ、恐らく被験者は…!

 

幻生は話を区切ると、小さく息を吐いた。オレを見つめる、そのにやけ面は最高潮に達しただろうか。あんたは、オレがあんたの話を聞いて、一体何を想うのか、微塵も興味がないんだろうな。いつの間にか彼は愉快そうな口調になり、長々と、オレに目をつけた理由を語りだした。

 

「そこでだ。私はこの計画を上層部の連中に押し付けられた時に、ひとつ素晴らしいアイデアを閃いてね。その試みの実行のために、私自ら計画の指揮を執ることにしたのだ。

 

その肝心の"試み"とは、キミのことだよ、景朗クン。"学習装置"が擬似的に人間の五感に干渉するための、基本的なアルゴリズムは、すべてキミの脳と能力から蒐集したデータが基盤となっている。であれば、まず間違いなくキミと"学習装置"との親和性は最高のものとなる。

 

また、開発の過程で、我々が掴んだキミの能力のポテンシャル、例を挙げれば、能力によって賦活されるキミの脳細胞の耐久性の向上などがあるがね。そういったキミ自信が元来有する、今回の実験への適正も考慮すれば…。」

 

ごくり、と幻生はつばを飲み込んだ。興奮した表情には嫌悪感しか抱かない。期待に満ちた表情ではあるが、その目だけは、実験素材を見る目つきであった。

 

「必ず成功する。キミの"自分だけの現実(パーソナルリアリティ)"に直接、"一方通行"の演算特性(アルゴリズム)を組み込むのだ。

キミの脳はその負荷に必ずや打ち勝ち、超能力(レベル5)級の演算能力を獲得するだろう。かつて無い成果となる。

私は有史以来初めて、強制的に"自分だけの現実"を拡張させ、"超能力者"を産み出す!その第一歩を踏み出すことになるだろう!」

 

 

興奮と欲望で濁りきった彼の瞳は、オレを捕らえて離さない。ダメだ…。オレはもうきっと戻れない。とっくの昔に学園都市の暗部に飲み込まれてしまっている。せめて、真泥だけでも救わなければ。これ以上他の誰かを巻き込みたくないよ。

 

最後まで、幻生に言いたい放題言われたな。丸め込まれたように思えるが…。違う。そもそも始まりから、彼の手のひらの上で踊らされていただけに過ぎなかったんだ。

 

オレが何もかもをかなぐり捨て、すべての責任を投げうって、逃げだせば…?いや、学園都市のお偉いさん方がグルなんだ。上手くいくはずはない。オレの打てる手は限られている。ここで、この学園都市の暗部の淵で、踏み留まるしかない。

 

 

 

 

幻生の、この"実験"に対する意気込みは相当なものだった。あの日の翌日から早速、オレは彼の命令で、演算データの処理や収集に付き合わされた。

そして、布束さんと一緒に一年近く滞在した先進教育局、木原研究所の一室で、今日も頭痛に耐えている。

 

"本番"前の最終調整――要するに、"一方通行"とやらの、演算パターンの処理が彼らの理論値通りに加工されているか――、その為の、リハーサル、確認作業に付き合わされているのさ。

 

そもそも、本来の"学習装置(テスタメント)"は未だに布束さんが監修しており、現時点では未完成である。今回の実験で使われる"洗脳装置(テスタメント)"は、その完成前のプロトタイプであり、必要最低限のプログラムしか組み込まれていない。そのために、基盤になったオレから直接、必要とされるデータを集めているのだ。

 

この確認作業中に、オレの脳に叩きこまれるのは、オレ専用に加工されたデータではない。オレ以外の、哀れな犠牲者たち。つまり、この実験の、他の被験者に合わせて加工されているものだ。それ故、能力を全開にして、送られてくる演算パターンに抵抗しなくてはならない。

 

脳を無理やり歪められるような、激しい頭痛が常に付きまとう。痛覚を操作すれば、痛みを感じることもないのだが、それだと研究者たちは"正しい解答"が得られないらしいのでね。痛覚の操作のみ、許可されていなかった。

 

 

幻生は真泥をこちら側から解放した、と宣言した。オレは彼をそう易易とは信用できないので、注意深く確認していくつもりだ。

 

 

 

依然として、名称の決まっていないこの"実験"。参加してから随分と経ち、外を見れば、すっかり冬景色へと移り変わっていた。

へとへとに疲れたオレの耳に、幻生からねぎらいの言葉が入ってくる。気づけば、今日のノルマも終わっていた。

 

「辛そうだね、景朗クン。いつもいつもすまないね。そんなキミに朗報だ。そろそろこの作業も終わりに近づいてきた。もう少しで、次のステップへと進めるだろう。今日までのような苦痛ともお別れだよ。」

 

「それは素晴らしい。間違いなくそれは朗報ですね、幻生先生。」

 

辺りを見渡せば、皆実験の後片付けを始めていた。体に取り付けられた拘束具を外す。すっかり手慣れたもので、もはや目をつむっても数秒で取り外せるだろう。

 

能力を発動させて、精神をフラットな状態へと矯正した。この人の話は、しっかりと耳に入れておかなければ。

 

「来年の頭には、いよいよ実際に被験者たちの"自分だけの現実(パーソナルリアリティ)"の加工を開始できるだろう。ああ。心配しなくていい。キミのように見込みのある者たちは、しばらく"性能(スペック)"の低い者たちに試してみた後で、一通りの整形のノウハウを得てから実験を行うからね。」

 

「……そうですか。」

 

全然嬉しくないよ、そんな話を聞いても。どこまでも、人間を実験材料(モルモット)扱いか。もはや怒りもいちいち湧いてこない。能力を使わずともな。特に、保護者の居ないオレ達"置き去り"に関して言えば、コイツは完全に、研究者のための実験素材としか認識していない。

 

オレに対する認識だってそう変わらない。いや逆に、希少価値、有用性がある分、もっと始末が悪いだろう。これから犠牲になる他の被験者たちのことを想い、何度も、すべてを投げうって、実験から逃亡しては、と考えた。

 

しかし、本格的にこの"実験"に関わって行くうちに重々理解した。この実験は、オレが立ち会わなければそもそも成り立っていなかった。オレがいなければ、恐らく彼等は途中で立ち往生していただろう。

 

最初から、完全に。幻生はオレを無理にでも取り込む気でいたのだ。十中八九、真泥を巻き込んだのは、オレを引き込むためにやったことだろう。

今年の春、幻生の誘いを断らなければ、ヤツは真泥に興味すら示していなかったはずだ。

 

 

だんだんと、こちら側、学園都市の暗部世界の理が分かってきた。一度でも目をつけられ、身に染まってしまえば手遅れさ。光の世界で安寧と生きていくことは不可能だ。

 

闇の中で、大切な人たちを巻き込まないように生きていければ、それだけで奇跡なんだ。真泥を救いだせただけでも、行幸だったと考えなければ。

 

 

幻生はオレの渇いた態度に勘付きもしない。席を立ち、実験室から退出すると彼も後を追って来た。

 

「ああ、楽しみで仕方がないよ。キミの他にも見込みのある被験体があってね。空気中の窒素を操る、空力使い(エアロハンド)系の娘が2人。キミと同じく、どちらも強能力(レベル3)級の出力を持つのだよ。

 

重要な点は、その両者の能力特性(スペック)が非常に似通っているという点でね。彼女らの"自分だけの現実"に、それぞれ"異なる領域(クリアランス)"を与えてみるつもりだ。木っ端のような弱小の能力者では観察し難い、我々の操作による能力の発達の相違がより浮き彫りとなるだろう。」

 

後ろを歩く幻生の声に耳を傾けていたその時。突然、通路の角から少女が飛び出して来て、オレにぶつかった。

 

咄嗟に受け止めたが、その行動はお気に召されなかったらしい。彼女がオレの腕の中で、嫌悪感を剥き出しにしたその瞬間、彼女とオレの間のわずかな空間に突如、突風が発生した。

 

その風圧は凄まじかったが、瞬時に重心を落とし、なんとかその場に踏みとどまった。すると、代わりにその女の子が吹き飛んだ。飛ばされた直後に、彼女は表情を驚きに染めた。どうやら、この突風は彼女が生み出したらしい。それで、オレが吹き飛ばなかったのは想定外だったと。

 

その娘はそのまま壁に激突するかと思ったが、ぶつかる直前に速度が緩やかになった。まるで壁との間に見えないクッションができたかのように、ふわりと制止し、危なげなく彼女は着地した。その後すぐにオレに向かって両手を構えた。

 

少女の外見はまだ小学校の中学年ほどだ。花華や真泥と同じくらいの年頃だろうか。黒髪を肩のあたりまで伸ばし、可愛らしい外見とは似ても似つかない、黒く濁った瞳で睨みつけてくる。…いや、ブツかって来たのはそっちだろうよ。

 

「おお、ちょうどいい。噂をすれば、だ。景朗クン、彼女だよ。黒夜海鳥クンだ。今話していたばかりの、窒素を操る能力者、そのうちの片割れだよ。」

 

その黒夜海鳥という少女は、幻生の言葉に過敏に反応した。もとから嫌悪感を晒していた顔が更に歪む。

 

「幻生先生。その"片割れ"呼ばわりはやめてくれよ。あの超超うるせぇクソガキと一緒にされちゃたまんないんだよね。」

 

黒夜海鳥は幻生に対してはあからさまな敵意を向けなかった。そう、その代わりに、彼女の険しい眼光がオレを捕らえて離さない。

今だに構えを解かず、油断なく両手の掌をオレに向けたままにしている。なぜオレをそこまで敵視するんだ?そう疑問を感じながら見つめていた、彼女の口が開いた。

 

「気に障る野郎だと思ったら。アンタが噂の雨月景朗か。こんな間の抜けたツラしてやがったとはね。」

 

「初対面の君にこう言うことを言うのは憚られるけどさ。とりあえず、掌を向けるのを止めてくれないかな。能力を屋内でそうぽんぽんと使わないでくれよ。オレはともかく、幻生先生のようなご老体にその風は障るからね。」

 

のっけから飛ばすな、この娘。しかし、初対面の少女にこんなに嫌われているとは。オレはこの研究所でなんて噂されているんだよ。思いきり警戒されているが、この少女は幻生によれば、オレのせいで被害に会う被験者のうちの1人なんだよな。

 

「話に聞いただけで気にくわねぇヤツだとは思ったが。ここまでいけ好かない野郎だったとはね。それはそうと、オマエ、去勢された犬みてぇな目で私を見てんなよ。自分勝手に1人憐れんでるんじゃねぇよ。殺すぞ。」

 

一体どうしろと。考えあぐねていたところに、幻生の仲裁が入った。

 

「落ち着きたまえ、黒夜クン。ここには私もいるんだ。キミに能力を使われては敵わんよ。」

 

彼の制止を聞きいれた黒夜は、オレへと伸ばした腕をしぶしぶと降ろした。憎悪に塗れた鋭い眼光は已然残されたままだったが。幻生は黒夜の様子に満足したのか、今度は彼女にオレを紹介し始めた。

 

「黒夜クン。彼が、この計画の開始時に話した、雨月景朗クンだ。どうやら、キミは景朗クンと仲良くする気はないみたいだがね、これだけは言っておこう。彼に危害を加えるな。キミも優秀な被験体だ。少々の気まぐれには目をつぶろう。だが、計画の要である景朗クンは手を出さないことだ。覚えておきたまえ。」

 

黒夜は予想通りに、幻生の警告に対して、さも煩わしそうに首を縦に振った。

 

「わかったよ、所長さん。ほんのお茶目だってば。ちやほやされてる噂の坊ちゃんが、どんなヤツなのか確かめたかっただけさ。」

 

それだけ告げると、彼女はこれ以上は面倒だと言わんばかりに盛大にため息を吐き、オレ達の前から去っていった。幻生はオレに向き直ると、心配そうに説明をしてくれた。

 

「見ての通り、黒夜クンは少々血の気が多くてね。制御しづらい面があるのだ。数少ないレベル3のサンプルでもあるからね。彼女と衝突して、無駄に実験素材を摩耗させたくはない。キミも、彼女と積極的に関わるのは控えてくれたまえよ。とはいえ、彼女は長大な射程を持つ能力者だ。向こうがその気になれば、キミは少々不味い事態に陥るかもしれんな。」

 

さっきの風圧程度なら、全く屁でもなかった。が、窒素を使うと言ったか…。確かにまずいな。窒素を使って、無酸素状態なんかにされれば、打つ手がなくなるかもしれない。空気は殴れないからな。彼女にそれができればの話だが。

 

そんなことを考えていたおり、思考から回帰した幻生がふたたびアドバイスを与えてくれた。

 

「…ふむ。そうだな。彼女ともう1人、窒素使いの娘がいると言っただろう。絹旗最愛という子だ。黒夜クンとは犬猿の仲でね。やむを得ない場合は、彼女に頼ると良いだろう。2人が出会えば、間違いなく互いに罵り合いを始めるだろうからな。それでキミは身の安全を確保できよう。」

 

…え?なんだそれは。本気で言っているのか?呆然として突っ立っていると、幻生は安心した様子で、オレを放置し、書斎へと帰って行った。本気かよッ。

 

 

 



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episode06:人狼症候(ライカンスロウピィ)

 

師走。今年の暮、降誕祭の期間中。例年と変わりなく、皆が一同に集合して祝いの場を盛り上げた。火澄との一端覧祭の約束をすっぽかしたオレは、彼女に拗ねられ、無視された。いわゆるJCのシカトってやつでせうか。チビどもを味方に付けようとしたものの、奴らはみな火澄"お姉ちゃん"の味方だった。

てな訳で、そこそこに居心地の悪いクリスマスだった。

 

…いや、クリスマスなんてどうでもいいか。心配していた真泥に関してだが、幻生のヤツ、きちんと約束を守ってくれたみたいだ。相手が相手だからとても不安だったが、約束通り真泥は暗部の厄介事から完全に開放された。

そのせいで、真泥は一時期落ち込んだが、今ではわりと元気を取り戻しつつある。これで良しとしよう。

 

 

年が明ければ、いよいよ、"自分だけの現実(パーソナルリアリティ)"の直接的な"拡張"や"強制"を行う、と幻生は宣言していた。現状のプランでは、オレは一方通行(アクセラレータ)とか言う最強の超能力者(レベル5)固有演算式(アルゴリズム)をぶち込まれることになる。

 

相変わらず小学5年から能力強度(レベル)強能力(レベル3)のままだが、これがヤツが言う様に突然、超能力(レベル5)にレベルアップするもんかね。期待してないわけじゃないが、やはり想像しがたい。

 

ただ、まあ、あの黒夜海鳥とやらに再び絡まれた時に、大能力(レベル4)くらいになっていれば、自分の身を自分で守れるかもしれないか。

 

 

 

 

 

年が明けてしまった。長期休暇明けから間も無く、いつぞやの"学習装置(テスタメント)"の開発と同様に、午後から丸々、お馴染みの先進教育局へと駆り出される日々であった。

 

幻生が口にした、絹旗最愛というショートヘアーの小学生にも遭遇した。一目でわかったよ。なにせ、通路の真ん中で、黒夜と口喧嘩を繰り広げていたからな。

今にも暴れだしそうな黒夜と鉄面皮で毒を吐き出す絹旗、彼女らの周囲に張り巡らされた空気の壁に、職員さんたちは迷惑そうにしていた。

 

君子危うきに近寄らず、だ。もちろんオレは彼女たちに見つからないよう、そっとその場を離れた。

 

 

 

"自分だけの現実"の領域(クリアランス)の拡大が試行されている被験者たち。つまりは、何処からか招集された"置き去り(チャイルドエラー)"の"能力者"である。彼らの能力の改善はやはり一朝一夕で成果を得られるものではなかった。今現在、頻繁に実験のやり直しが行われている。

 

なぜオレがそれを知っているのか。答えは簡単だ。その実験のやり直しにオレの脳みそが使われるからな。

 

失敗すると、その場ですぐさま、入植用の"一方通行"の特性値の再演算が行われる。その都度、オレはあの拷問器具に繋がれる羽目になっていた。

当然、その時には、去年の年の暮に苦しんでいた時と同様の頭痛が生じる訳で。以前と変わらない待遇に、俺は怒りを覚えていた。

 

 

 

 

中学二年生でいられるのも残りわずか。桜の開花はまだもう少し待たねばならないだろうか。確か二月の半ばだったはず。その週末は最悪の一言に尽きた。

朝から晩まで一日中強制偏頭痛の重労働が課せられるわ、黒夜海鳥に絡まれるわで。

 

 

実験と実験の合間の、つかのまの憩いの時間。昼食をとろうと休憩所に立ち寄ろうとした時に、不運にも黒夜に出くわした。いや、正しくは待ち伏せされていた、と推察すべきか。

彼女は一見、気だるそうに壁に依りかかっていたが、オレを目にするとこちらに近づいてきた。

 

「アンタ、相変わらずふぬけた顔してんなあ。所長にさんざん聞かされたが、どう見てもそんな大した奴だとは思えないんだよね。ここのイカれた研究者どもが後生大事にするほどの価値があるとは、とてもじゃないが思えないなあ。」

 

全く。なぜこの娘はこうもオレに敵意を向けるんだろう。それほどまでに、変な噂とやらが広がっているんだろうか。是非とも拝聴させてくれ。誰か教えてよ。

 

…しかし、困ったな。彼女に掛ける台詞を考え付けない。面倒臭くなって、ひたすら黙っていた。その日のオレは疲れていた。きっと相手をするのが面倒くさい、そういう態度を前面に押し出していたのだと思う。

 

「…舐めたツラしやがって。やっぱりさ、この間の続き、ここでやらしてくんないかな?心配しなくとも、命までは取らないからさ。アンタの価値。私にも確かめさせろよ。」

 

そう言って、掌をこちらに向けた。即時に、強烈な空気の壁がオレに衝突した。彼女に攻撃される予感をひしひしと感じていたので、構えて防御する。

壁の圧力は強く、疑い無く一般人が食らえば危険なエネルギー量だったろう。しかし、この程度であれば、オレは何ともない。

 

「あらら。どうしちゃったのかにゃーん?私の力に、耐えるので精いっぱいなのかな?」

 

そちらこそ、窒素でオレの動きを阻害しているだけで満足なんですか、と言わせて貰いたい。そもそも彼女がオレに攻撃する動機は何だろうか。やはり、オレの能力がこの下らない実験の引き金になったから?

 

…そうかもしれないな。"原因"に目の前で飄々とのさばられては、平静を保てなくても仕方がないか。オレの”価値”がどうこういってたしな。

 

「安心してくれ。これ位の風じゃなんのダメージもないよ。」

 

彼女の頬がぴくりと釣り上った。その後、オレの言葉が真実であると悟った黒夜は、ひとまず風の壁を生み出すのを止めた。そして油断なくこちらを睨みつける。この様子だと、またすぐ次の手に打って出てきそうだな。

 

「キミの恨みは当然の感情だろうさ。でもな、こっちだってキミの置かれた状況と大差ないはずだ。恐らくね。学園都市の暗部にずぶずぶと沈み込んで、気がついたらもう、自分ではどうしようもなくなっていた。あいつらには逆らえない。ここにいる誰もが。…そういう訳で、キミには悪いが、これ以上危害を加えようってんなら、こちらも精一杯抵抗させてもらう。」

 

彼女にオレの想いが伝わればと願い、一息で言い切った。供に、実験に巻き込んですまなかったと、申し訳なく思いつつ、黒夜と視線を合わせる。

 

ところが、彼女は掌を治めてくれるどころか、壮絶に顔を歪め、こちらに対して凶悪な憎悪の念を爆発させた。

 

「ああ?オマエ、なんなんだその眼は。まさか、私を憐れんでるのか?…冗談じゃない。オマエみてーな、キンタマ抜き取られた犬が私に同情かよ。やれやれ。本当に殺したくなっちゃうじゃないか。」

 

そう告げ終えるか否や、再び掌をこちらに向けてきた。だが、先ほどのような風塊は襲ってこない。黒夜から溢れ出す殺気は依然として膨れ上がったままだ。彼女への警戒を一層強めるため、能力を本気で発動させた。

 

一瞬の空白の後。かすかな風の流れを察知した。一体何をしているんだ?

 

「さ・て・と。準備完了。あとは首をシメるだけって訳さ。」

 

不穏なセリフとともに、黒夜の口元が愉快そうに釣り上った。すでに何かを仕掛けられたのか?そんな気配は全くなかったぞ。彼女に張り付いた自身はハッタリなのだろうか。わからない。

 

このまままんじりと相手の出方を伺いつづけるのが不安になってくる。痺れを切らしたオレは、自分も動きを見せようと考えた。深く息を吸い込んで、黒夜に飛びかかろうとした。その瞬間。

 

 

いきなりだった。意識の断絶。視界が暗転し、狭まる。あれ…どうし…て……

 

 

体から力が抜けていた。気がつけば、オレは地面に倒れ、伏したまま黒夜を見上げていた。何が起こった?いや、何かされたのか?!

 

ぼうっとする頭に、黒夜の笑い声が響いた。

 

「ひっはははははははは。アンタ、大口叩いたワリにザマないな。もしかして、実戦経験全然ないんじゃない?こいつはとんだ期待外れだったかにゃーん。どうだい、酸素欠乏症(Anoxia)の味は?」

 

思考回路がヒドく単純になっていた。随分と気持ち良さそうに笑っているな。黒夜の子供離れした醜悪な表情を眺めつつ、オレはそんなことを考えていた。起き上がろうともがいてみたが、体に力が入らない。

 

同時に、こんな状況、今までの実験にもあったな、と思い出していた。"プロデュース"の日々を。あの時みたいに、能力の発動だけは持続させてみたら…。

 

そうやって無意識のうちに、能力による身体の活性化だけはなんとか続けていた。これも実験で培った技術さ。真面目に実験材料として頑張っていた、その努力が実ったとでもと言えばいいのか。悲しい話だな。

 

黒夜は完全に勝利を確信し、油断していたんだと思う。徐々に、正常な意識を取り戻しつつあるオレの様子に気づかなかった。

 

そう、オレは、未だに罵り続ける彼女の言葉を、だんだんとはっきり聞き取れるようになってきていた。ついに、意識の覚醒がある準位を超えた。そして一気に、体に力が戻った。

 

そうか。酸素か。オレは上手い具合に、無酸素状態にある空気を吸わされたのか。不覚にも、思いきり深く吸い込んでしまったから、一気に意識をやられてしまったという訳だ。

 

畜生。自分で自分を罵倒せずにはいられなかった。黒夜と喧嘩になったら、今のような攻撃を受けるかもしれないと、前々から想定できていたじゃないか。彼女の言うとおり、これが実戦経験の差ってやつだろうか。完全にオレの注意不足だった。

 

彼女曰く、オレは今無酸素環境下にいるらしい。だが、どうしてかはわからないが、体にはある程度の力が戻っていた。

しかし、この状態も何時まで続くか分からない。女に手を上げるのは気が咎めるが、彼女が油断している今なら、不意を突いて反撃できるだろう。

 

先程は、相手に明らかにわかるほどに、堂々と深く息を吐いてしまっていた。同じような間違いは犯すまい。オレは伏したままの状態で、彼女に飛び掛るべく、タメをつくる。そして、いざ仕掛けんとして。

 

 

吹き飛んだ。オレが。

 

 

油断していた。起き上がろうとしたまさにその時。黒夜とは違う方角から突風が吹きぬけて、倒れていたオレを数メートルほど転がした。

 

「その辺にして置きなさい。彼がこれ以上傷つくと、後が超面倒です。もう既に手遅れみたいですが。」

 

廊下の角から、いつぞや、黒夜と口喧嘩を繰り広げていた少女が姿を現した。オレを助けてくれたんだろうか。

少々手荒だったが、感謝するよ。彼女が空気ごと吹き飛ばしてくれたおかげで、酸素が吸える。

 

気になる黒夜の反応だったが、意外なことに、続投の意思は無い様子であった。ついさっきまで最高潮だったご機嫌を、今度は最低限に不快に塗れたものに変え、新たに現れた少女、絹旗最愛に嫌悪の視線を向けている。

 

「チッ。こっちの方が面倒くせぇって話さ。絹旗ちゃんよ。心配しなくとも、アンタとは実験で白黒着くまでヤらねえよ。」

 

「それには超同意です。あなたとは何回引き分けたか覚えてませんからね。不毛な争いは超ゴメンです。あくまで"今"の状態では。」

 

少女2人の会話中に十分に酸素を吸入したオレは、黒夜の注意がそちらに向いている隙に、音もなく立ち上がった。

絹旗最愛の登場により、黒夜の後ろから殴りかかるのが憚られる空気になっている。そのまま何もせず突っ立っていた。

 

「話が早くて結構。そんじゃ、お優しい絹旗さま、そこに転がってる雑魚の回収、よろしくたの…ッ」

 

既に立ち上がり構えていたオレにようやく気づいて、黒夜は驚いた。そして3人が黙したまま制止する。沈黙の空間。

 

それは、黒夜の舌打ちによって破壊された。興が削がれたのだろうか。最後に忌々しそうに絹旗とオレを見やると、踵を返し足早に立ち去っていった。

 

 

絹旗に目線を移した。助けて貰っておいてなんだが、オレ、この少女にも好かれてる気がしないんだよね。案の定、絹旗最愛は不機嫌そうであった。オレに向ける視線は、その殆どが無関心、そして僅かな侮蔑。

 

「ありがとう。絹旗さん。助かりました。」

 

彼女はオレと目を合わせることすら嫌がった。それでも一応返事は返してくれた。

 

「黒夜海鳥には気をつけろ、と所長さんに警告されていたでしょう。あなたに何かあると、あらゆる人に超迷惑がかかるんで。次は助けません。今後は超気を付けやがってください。」

 

それだけ言い残して、彼女も直ぐにオレから離れていった。どうしてだろう。あんなんでも、黒夜海鳥と比べるとだいぶマシ、むしろ良い子だなって思えてくるんだが。わりと本気で。ちょっと可愛いし。絹旗イイ子だよ絹旗。

 

はぁーあ。踏んだり蹴ったりだったな。オレにドM趣味があれば、最高の一日だったんだろうか。

 

 

 

 

雛祭が終わり、しばらく過ぎた。ぼちぼち、"自分だけの現実"の改良後発組にも出番が廻ってくる頃合いになった。もう少し経てば、復活祭(イースター)の準備で聖マリア園も忙しくなるだろう。

どうやらオレの番はその時期と重なりそうだった。また気分が落ち込む。最近は楽しいことがほとんど無い。

 

 

光陰矢の如し。とうとう、オレ自身の"パーソナルリアリティ"にも手が加えられる。先進教育局の一室。窓のない部屋。白塗りの壁。とことん無機質な空間に、複数立ち並ぶ"洗脳装置(テスタメント)"。

自分の生み出した装置(デバイス)に、自ら実験台になるとは。その光景に、まったくもって、墓穴を掘っている気分にさせられた。

 

幻生のニタニタ笑いを背景に、滞りなく実験開始の算段が付く。幾つか設置された他の"洗脳装置"にも、被験者達が拘束され、頭部をイカついヘッドセットで覆われていた。

 

この頃知ったのだが、彼等はどうやら実際にその度の実験ごとに、簡易的な身体検査(システムスキャン)の真似事をさせられ、綿密に進捗の評価が下されているらしかった。

 

被験者たちはそれを『成績』と呼び、多くのものはより成果を得ようと実験に必死になっている。余りにその『成績』とやらが悪ければ、ペナルティが課せられるという話だ。

 

彼らの真剣に取り組む姿を見て、それぞれ個々人に、やはり"このクソッたれな場所"に踏み留まらねばならない事情が会ったのだな、と心が締め付けられる想いだった。

 

どうやら、オレよりもっと早くに本番の始まった黒夜、絹旗の両名も例外ではなかったようで、彼女たちも『成績』の向上に追われているらしい。

近頃はなお一層黒夜の機嫌が悪かった。窒息させられかけたあの時以外、彼女に絡まれてはいない。

余談だが、話しかけても存在を無視されて、絹旗ともあれ以降絡みはない。

 

 

余計なことを考えている間に、ついに実験開始の合図が聞こえてきた。なんにせよ、超能力者、それも学園都市最強の第一位"一方通行"の演算特性をぶち込まれる訳である。賭けてもいい。ロクなことにはならないはずさ。そして。

 

予想通り、いやそれ以上の凄まじい負荷。激しい疼痛。思考の渦中、ど真ん中で、例え様の無い概念がオレの脳細胞を手当たり次第に引き剥がし、分解しているみたいだ。驚いたな、体中の穴から血が噴き出そうだよコレ。あっという間に意識が朦朧とする。耐えきれず暗転(ブラックアウト)

 

後から聞けば、オレが目覚めるのに小一時間必要だったらしい。記憶が完全に覚醒したのは、その日の実験の終了間際であった。明日からは直ぐに修正が為され、また限界に挑戦していくらしい。

 

限界に挑戦するってなんだよ。オレそんなこと望んでないんだけど。本人の意思を無視して勝手に限界に挑戦されてもなあ。

 

 

 

その後の張付用演算パターンの修正とやらは、これまた都合の良いことに非常に上手く調節されていた。そのため次の日からは延々と、自我崩壊一歩手前、断崖絶壁の淵で敢えてコサックダンスを踊るが如し、謎のドM専用強化訓練合宿が開催される事態となってしまった。

 

今まで幾多の鮮烈なる試練(という名の違法人体実験)を乗り越えてきたオレにも、今回の実験はマゾヒスト養成プログラムとしか思えないものだった。

かような艱難辛苦を繰り返してなお、『成績』が低ければペナルティを負わされるのか。

オレにも『成績』の判定自体は為されていたものの、ペナルティがどうという話は全く無かった。今一度特別扱いと言われた意味を理解したよ。

 

 

オレ以外の他の被験者はもっと過酷なはずだ。噂によると、黒夜は絹旗と比して、『成績』があまり芳しくないという話。

だが、そもそも彼女たち2人の『成績』判定は、彼女たち2人の能力の性能(スペック)向上を相対的に対照比較して行われると聞いている。

それは、例えば戦闘形式の試合の勝敗であったりね。詳細を聞けば、彼女が新たに手に入れた力は、掌から噴出される窒素の槍。人体を容易く貫く出力だとか。それに打ち勝つ絹旗も化け物だな。

 

それに加えて、今挙げた2人は、一週間前に大能力(レベル4)に達したという。大した成果だと思うが、それでも良い評価を得られないのか。

よくもまあ、黒夜はオレに八つ当たりしなかったものだ。そう考えるほど、この実験のストレスは半端ではなかった。誇張なく小学生でも禿げる強度(レベル)だったろう。

 

等のオレ自身は、あまり大した成果を挙げられずにいた。日に日に一方通行の演算パターンに耐えきれる時間が増えていっているのだが。辛いことに、そのままずるずると時は過ぎ、オレは中学三年生になっていた。

 

 

 

 

 

木々が芽吹き、花が咲く季節。新たな出会いの時節、であるはずなのに、ここ数年の俺は毎年煩雑な実験に付き合わされている。小学六年生の春からこれまで、この初春のシーズンは何時だって、薬品臭い地下室に篭りきりさ。

 

 

うちの園は例年と何一つ変わらない。今朝もガキどもが楽しそうに炊事やら掃除やらの当番を話し合っていた。この一年で、オレはこの施設を出ていく。そのことは皆既に知っている。だいぶ前から話していたからな。

 

花華は最近、あからさまにオレに絡んで来るようになって、なんだか可笑しかった。一昨日の晩にも、指を切ったと言って、夕飯の準備中にオレのもとにやってきた。久し振りに「痛いの痛いの飛んで行け」なんていう懐かしいフレーズを聞いたよ。

 

花華も、もう小学五年生へと昇級している。背の伸び具合が著しい年頃だし、精神的にはとっくに第二次性徴を迎えていた。

そんな花華が、顔を真っ赤にして、照れながら「かげにい。指切っちゃった。結構深くやっちゃって、痛くて。だからね…その…久しぶりに、"あれ"やってよ。」なんて言って来たもんだからさ。盛大に笑ってしまったよ。話し方も大分変ったんだ。

皆、体だけじゃなくて心も成長していたんだな。当り前か。

 

 

 

大切な、施設の皆と過ごす日常の中でも、ふと、自身が身を置くアンダーグラウンドな世界を思い出す。

オレが時々、そうやって身の置き所が無くなっていたこと、皆気づいて居たろうな。クレア先生、花華、真泥、火澄、そして一緒に過ごす施設のメンバー達はきっと。家族も同然だったから。

 

四六時中、常に能力を使用して、いつだってフラットな精神状態にしていたら、違っただろうけど。そんなの、こちらからゴメンだった。あそこは、オレの家だからね。勝手な我儘だけど、そう決めているんだ。

 

 

 

 

 

オレの能力が価値を失うか、もしくは、実験の中で命を落とすその時まで。永遠に幻生たちの玩具のままだろうと。そう思っていた。だが、この年の五月。"俺"を取り巻く環境は再び一変した。

 

小学六年の春に味わった、今まで足を付けていた大地が、音を立てて崩れる感覚。人生を狂わす、巨大な運命の奔流。それは、これから幾度となく味わう死闘、闇の中で藻掻く陰惨な暗闘への確かな幕開けだった。

 

 

 

 

 

 

五月の初週だったろうか。その日は実験が始まる前に、幻生に少々発破を掛けられる羽目となった。

 

「この計画も、概ね順調に進展してきたが。やはり景朗クン。私としては、キミにはもっと明確な、実験の成果。もとい、能力の発達を期待したいんだがね。安易に結論を下すことはできないが、現状の首尾から言えば。最も"一方通行"の"自分だけの現実"を模造せしめたのは、恐らく絹旗クンであろうな。」

 

絹旗最愛か。彼女が挙げられたのに、驚きはないな。所員さんたちの間でも話題になっていた。絹旗の活躍に比例して血の気が多くなっていく黒夜の話と合わせてね。

 

「かねてから話していただろう。私はキミの能力に、超能力級の潜在能力(ポテンシャル)を見い出しているとね。もう少し、日々の試みに入念に励んで貰いたいものだよ。」

 

「すみません。おっしゃる通りに、もっと精進して行きますよ。ですが、レベル5級だなんて…やっぱり、持ち上げ過ぎな気がするんですが。」

 

彼は今では、事あるごとに鼻息を荒くしては、オレには超能力(レベル5)級の潜在的資質があるはずだと誇張してくるのだ。

オレは完全に、彼が謀ろうとしているものだと思っていた。いつも通り、相手のことなど微塵も慮っていない様子のまま、幻生は話を続ける。

 

「現状ではな、確かにキミはその器ではないよ。だが、キミには他の能力者にはない、特別な力がある。キミの力の本質は、細胞を自由に創り変える力、そういう類の能力であるはずだ。まだ断定は出来ないがね。

なぜなら、純粋に細胞を遺伝的に造り変えるだけではない、もっと超常的な力もキミからは確認できているからね。いわば、"進化する力"とでも言おうか。その表現がより正解に近い気がするよ。」

 

本当に"そう"だったらどんなに素晴らしいか。生憎と、そんな力の使い方はできそうにない。できるならとっくにやれてるはずだろう?

たしかに、身長に比して、体重が異常なくらい重くなっているけれど。なんと今では、120kg近くあるんだ。身長も平均よりわりと高いほうであるが、異常なことに変わりはない。

 

「最初の"切っ掛け"さえ掴めば、な。自らの殻を造り変える、最初の一歩を。

 

キミの目指す所は、"超能力(レベル5)を発現させる"ことではない。"超能力(レベル5)級の能力を発動する素養を、自ら鍛え上げること"なのだ。いいかね?」

 

無茶苦茶だな。大真面目に言わないでくださいよ…。だが、この人には何を言っても変わるまい。

 

「はい。わかりました。覚えておきます。」

 

「うむ。良い心がけだ。」

 

幻生はオレの返答に首肯すると、他の被験者の様子を確認しに行った。その途中で、常人より遥かに良く聞こえるオレの耳に彼の呟きが入ってきた。

 

「…やはり、"切っ掛け"をこちらで用意すべきだな。"アレ"の投入には、ちょうど良い頃合いだろう。」

 

 

 

 

 

運命が再び変わった日。五月の半ば。土曜日だった。お誂え向きに、その日の天気は最悪だった。薄暗い雨雲が空一面を覆い、雷鳴が鳴り響いていた。豪雨と風雷にまみれ、立ち行く人たちの話し声も阻害される。

 

 

午前中に、所内で黒夜を目撃した。一触即発の棘棘しい殺気を辺りかまわず撒き散らしていた。この頃では、所員も彼女と絹旗の確執を慮り、彼女たちが直面して能力を測定する必要が無い時は、研究室どころか実験日時すらズラしていると聞く。

 

彼女の姿を見たということは、今日は絹旗は居ないんだろうな。どうやら"ハズレの日"だ。この"ハズレの日"には、いらぬ騒動を起こさぬために、能力を使って聴覚と嗅覚を励起させてまで、黒夜との接触を避ける必要がある。面倒だなあ。

 

 

午後からの実験は、普段と所員さんたちの雰囲気が異なっていたように感じた。あくまで個人的な感想であり、推測の域を出ていなかった。そのため、浮かんだ疑問について、誰かにわざわざ訪ねたりもしなかった。

 

"洗脳装置"に座り、所定の拘束具を絞める。頭部全体を覆うデカさを持つ、SF風にケーブルが付随したヘッドセットを着用すれば、後はそばに控える研究員さんに任せるだけである。点滴や電極を幾つも付けられ、毎度の如く注射を受ける。

 

"一方通行"の演算特性、その高負荷に耐え切る時間だけは順調に長くなっている。現状では、調子がいい時でおおよそ20分は持ちこたえられるだろう。

反対に、肝心の能力の性能(スペック)の開花具合はイマイチであり、実験開始以前よりは、僅かながら能力の出力が上っている気がするのだが、検出される数値としては捗々しくないものだった。

 

 

実験開始の合図とともに、能力を程々に発動させつつ身構えた。直後、何度やっても決して慣れない、この実験特有の忌々しい頭痛が襲ってくる。

今日も今日とて、オレの精神と意識とのチキンレースの始まりか、と思いきや。今日の実験は、これまでに無い操作が加えられていたようだ。

 

心臓が大きく跳ねた。それと同時に、まるで初めて能力に目覚めた時のように、能力を安定して使用できなくなってくる。体中が脈動する。脳みそにかつてないほどの疝痛が生じた。

とても耐えきれない。この痛みは危険だと、本能で悟り、躊躇いもなく全ての痛覚を遮断し、同時に脳細胞に対する刺激をシャットアウトしようと試みた。しかし、それも出来なかった。

 

何しろ、能力をコントロールできない。痛みは時間の経過とともに増していた。キリキリと痛む頭脳を駆使して、1つの解決策を思く。能力が安定して使用できないとは言ったが、これは出力が大きすぎて上手く手綱を握れないためである。

 

オレの能力は幸いにも、発動すれば自動で自身の身体の快復・賦活に働く傾向がある。必死に能力を抑えつけて上手くいかないのなら、いっそ、完全に暴走させてしまおう。

 

咄嗟に思いついた試みだったが、なんとか成功した。心拍数や血圧、体温などは、明らかに異常な様相を呈しているものの、意識を支配していた疝痛は徐々に消えていった。

恐らく今のオレは、頭脳に生じる能力の異常を、その異常によって出力の上がった力で押さえつけ、良い塩梅に平衡状態にできているのだろう。

 

 

 

 

 

 

随分と頭痛に煩わされていた気がする。容態がだいぶ落ち着いた頃合に、ふと辺りを見回した。そして驚く。

警報が大音量で鳴り響いている。赤いランプの点滅が目障りだ。第一級警戒態勢(アラート)。既に所員達は皆部屋から絶ち失せ、残った洗脳装置(テスタメント)には拘束されたままの被験者たちが未だに呻き声をあげている。

 

何が起きたんだろう?俺は随分と長い間、意識を朦朧とさせていたようだ。

 

拘束具は一度繋げると、自分では解除できなくなっている。能力はさっきから全開状態である。身体能力も当然活性化していた。

力をこめて、拘束具を弾き飛ばす。直ぐにでもここから脱出したかったが、他の被験者を放っておけなかった。彼らを解放しようとした、その時。

 

 

凶悪な金属の破砕音とともに実験室の頑丈な扉が吹き飛んだ。…いや、よく見れば、扉の中央に大きな穴が空いている。

 

爆発したのか?

 

扉の向こうから足音が聞こえる。嫌な予感がした。そちらを油断なく注視する。ぱらぱらと埃が舞い散り、それに続いて、空洞越しに少女のシルエットが映った。

 

「hがぽうぱおfkj;lじゃgは、がぱおいうfsdjzz」

 

カンに障る、飛び切り不快な笑い声が聞こえてきた。それと同時に、今度はピンクの患者衣を纏った少女が侵入してきた。

黒夜海鳥だ。彼女が笑っている理由がよく分からい。不安だったが、彼女から今のこの状況を聞き出すしかないだろう。いや、その前にとにかくここから脱出したい。

 

「扉、開けてくれたのか?悪いな。すまないが、ここで寝ている他のガキどもを助けてスグに――ッ!」

 

風を切る音が聞こえた。反射的に、真横に飛び退った。

計り知れなく重量感のある物体が、顔のすぐ横を、唸りを上げて通過していった。

耳たぶに亀裂が入り、血が流れ出る。

 

「黒夜。どういうつもりだ、今の。当たってたら、冗談じゃすまなかったぞ。」

 

返事は返ってこなかった。警戒態勢(アラート)だったため、やはりテンパっていたようだ。落ち着いて黒夜の状態を見れば、一目で分かったのに。

彼女は体中、べっとりと血で濡れていた。並々ならぬ殺気を放ち、狂気の視線でオレを貫く。

 

あの攻撃は、彼女の能力だろう。かろうじて音は聞こえたが、姿は全く見えなかった。つまりは、あれが噂に聞く空気の槍か。…非常に拙い状況だ。距離が離れていたから、さっきの一発は奇跡的に避けれたけど。

もしまた撃たれたら、避けられるだろうか…。あの槍は出が早すぎる。唯一の出入り口を彼女が背にしている。

至近距離で狙われたら、どうなるッ…。ただの空気、いや窒素の塊だというのに、あの質量感。直撃すれば致命傷となるだろう。

 

 

黒夜はキミの悪い声を上げながら、ゆっくりと近づいてくる。能力をフル回転させ、彼女の動きに極限まで集中した。数メートル進んだところで、彼女は無造作に歩みを止めた。

止めたように見えたのだ。次に、右手を素早く揚げると、掌を近くにある洗脳装置(テスタメント)に向け―――

 

「待て!やめろッ!」

 

オレの叫び声と同時に窒素の槍が、被験者ごと洗脳装置(テスタメント)を吹き飛ばした。

人体がマネキンのように、錐揉み回転しながら壁に激突し鮮血を噴き上げる。どうみても即死だった。

 

「畜生!ざけんなよッ…!」

 

この部屋に残された人間は全部で4人だった。オレと黒夜と、たった今死んだ子供。そして、最後の1人は、あと1つ残された洗脳装置で意識を失っている。黒夜は生き残ったもう1人に向かって歩き出した。

 

オレは彼女へと、足元に転がっていた瓦礫を投げつけた。しかし、簡単に窒素の槍で撃ち落とされてしまった。黒夜は歩きながら、奇声を上げて無作為に窒素の槍をこちらにバラまいてくる。今見る限りでは、どうやら彼女は掌からしか槍を射出できない様子だった。

 

この時。完全に、黒夜の意識はオレと生きているもう1人に分断されていた。故に、そいつを見殺しにすれば。黒夜が、そいつを殺す瞬間を狙えば。彼女が背にした扉の穴へと無事逃げおおせられるかもしれない。

選択の場面だった。彼女と戦うか、被験者を見捨てて逃げ出すか。猶予はあと数秒。

 

 

 

オレのせいで、本来苦しむはずの無かった人が辛い目に遭っている。そう罪悪感を感じていたくせに。後悔していたくせに。逃げていいのか。

 

彼女が、洗脳装置(テスタメント)で横になっている被験者に向けて手を翳したその瞬間、オレは駆け出した。彼女の背後の脱出口へと。

 

苦し紛れに投げつけた瓦礫を、黒夜は槍で吹き飛ばしつつ、彼女は素早く両の掌をオレに向けてきた。彼女がそのように反応することを、オレは見抜いていた。

先程から、気が狂った様子を見せていたが、オレが少しでも身じろぎして音を立てると、彼女の体がピクリと反応するのを洞察していたのだ。

 

洗脳装置(テスタメント)に乗った生き残りを助け出したくとも、黒夜が近くにいては無理難題だ。助けたければ、彼女を倒すしかない。だが、黒夜の窒素の槍は、余りに出が早すぎる上に、槍自体も目視できない。

しかも、この部屋の中だと動き回れるスペースが限られている。広い空間へ場所を移さなければ、黒夜の窒素の槍を回避できそうにない。

この部屋の中では、絶対に黒夜の相手はできなかった。

 

一途の賭けだった。黒夜がオレを追ってきてくれるように、台の上で寝転がっているヤツに興味を示さないでいてくれるようにと祈りながら。ただひたすらに彼女の掌へ意識を集中させながら、その背後を駆ける。だが。

 

どうやら彼女は、最初からオレのこの行動を予測していたようだった。淀みなく、掌を扉に空いた空洞へと向け、そしてもう片方をオレの足元に向けていた。オレは咄嗟に飛び退って窒素の槍を避けたものの、瞬時に己の失策を悟った。

 

黒夜の狂気の笑顔が目の端に映った直後、飛び上がったオレの腹部を強烈な衝撃が襲った。

 

地に倒れ伏すほんの幾ばくかの間に、オレの頭を過ったのは後悔の二文字だった。

 

彼女の能力は強大だった。俺の能力では、そもそも一体一で逃げ出すのがやっとではなかったのか。他の人間を助けようとせずに、最初から、なりふり構わず生存のための、逃亡の一手を打つべきではなかったのかと。

 

黒夜の奇声と、"洗脳装置"の破砕音が同時に響き渡った。うつ伏せに倒れていたオレには、その瞬間は全く見えなかったが、視界の端に、飛び散る血痕の紅が映り込んだ。

最後の1人も殺されてしまった。たった今、見捨てていたらと考えていたくせに、それでも、涙が溢れてきた。

どうして。黒夜も被害者のはずなのに。苦しみを共有し合う、同志だろうが。

 

「ヒィャハハハハハアアアッハアハッキャッハッハァァァハハハハハアハアハハハアh」

 

ぺたぺたという音が近づく。止めを差すために、黒夜が近づいてきている。さっきからずっと笑っているが、何がそんなに楽しいんだよ。

必死に抵抗しようとして、体を動かそうとしたが、どうにもならなかった。俺の体は頑丈だし、傷の治癒も並外れて早いものの、さすがに腹に大穴が空いている、この重体じゃ動けないか。

 

床に流れている、自分の血を眺めた。今度はオレの番か。もうすぐ死ぬ。当然、死の恐怖が湧き上がる。怯えて死ぬのはごめんだ、とオレは能力を全開にしてその恐怖心を押し込めようとした。

 

だが、できなかった。想定外だ。なぜ恐怖心を消去できない。実験のおかげで、能力の出力は今までにないくらい、最高潮に上昇しているはずなのに。

 

脳にかかる負荷を無視し、能力の出力を上げに上げて、全身全霊で必死に恐怖を押さえ込もうとした。思考速度は加速され、黒夜の地を踏みしめる音が、かつてないほどスローに聞こえている。

それでも、できなかった。恐怖心は無くならなかった。軽くパニック状態になり、考えまいとしていた、火澄やクレア先生たちのことを思い浮かべてしまった。

 

もうあいつらと会えないなんて…ぅぁぁ…ッ…死にたくない…死にたくない!いやだ、最後の最後に、こんな惨めな気持ちのまま死ななきゃならないなんて。

 

クソがァッなんでこんなヤツにビビらなきゃならないんだぁ。消えろ消えろ消えろ無心に…考えるな考えるな考えるな…ッ!ちっくしょおが!怖くて…

 

生きたかったけど。アイツの槍はあまりに速くて、空気だから見えないんだ。どうやったら勝てたってんだ。畜生…!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見えなくとも、音は聞こえた。もっと聴覚が良ければ。

 

空気には色はないが匂いはあった。もっと嗅覚が良ければ。

 

今以上に素早く動ければ避けれた。もっと筋力があれば。

 

でも、それでも、アイツからは逃げるしかない。オレにも、あの槍みたいな武器があれば。

 

ダメだ。オレの肉体は、人間として最高の性能(スペック)を実現していた。

人間じゃこれ以上は無理だったんだ。

だったら…。

人間をやめれば…。

 

 

 

 

 

 

 

迷いなんて無い。火澄、クレア先生、オレは、人間をやめてでも、もう一度あなた達に会いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

意識の何処かで、後戻りできない一線を、踏み越えた音がした。脳内で光が弾けた。

同時に、腹に空いた大穴の治癒が止んだ。そう、"治癒"ではない。もはやその必要がなくなったのだ。肉体が、修復するのではなく、その代わりに新たな器官を生み出そうとしている、と直感で理解した。

 

 

新たな神経が、体中を一瞬で駆け巡った感覚。無理矢理に体を動かして、俺は跳躍した。黒夜から大きく距離を撮り、手足をついて着地する。息を吹き返した俺の様子に、流石に驚いたのか、黒夜は対応できずにいた。

 

 

「GWROOOOOOOOOOOOOOOOG!!!」

 

手足を地につけた状態で、俺は力の限り咆哮した。肉体は発熱し、じゅわじゅわと蒸気を吹き出していた。同時に、俺の肉体に、大きな変化が生じた。

体中の体毛が長く、太く伸び、筋肉がバキバキと肥大した。体躯も延びたが、同時に姿勢も老婆のように歪曲した。

耳は犬のように形状を変えて巨大化し、口が裂け、鼻梁は数倍に伸び、顎とともに前に嫌な音を立てて突き出した。

裂けた口には大きな牙が生え揃い、両手両足の爪は虎のように鋭く尖った。

体格の増大に伴い、身につけていた患者衣は千切れ飛んでいた。

 

 

 

 

一匹の黒い獣人(マンビースト)が誕生した。その姿は、西洋の伝説に謳われる、人狼そのものだった。

 

 

 

 

その獣を前にして、黒夜は嗤いを止めた。先ほどの奇妙な雰囲気は微塵も吹き出ず、室内を静謐な緊張が包んだ。

黒い獣は、その野蛮で粗野な外見からは想像がつかぬほど、ピタリと静止し、身じろぎ一つせず、目の前の少女にだけ視線を集めていた。

 

 

俺の頭の中は、ただひたすらに、目の前の黒夜に対する殺人衝動で埋め尽くされていた。憎しみがとどまることを知らずに溢れ出る。

俺はそれを遮ることなく、それどころか自ら増幅させ、心臓の鼓動を早鐘のように白熱させた。

新たに作り替えられた肉体は、その馬鹿げた心拍数に耐え、思考速度を数倍に引き上げさせた。

油断なく彼女を見やる。もはや、能力を使わずとも、黒夜に対する恐怖は湧いてこなかった。

 

「GYWOOOOOOOOOOOOOOOOOHHH!!」

 

もう一度吠えた。これは、黒夜に対する威嚇であり、最後通牒でもあった。

俺は暴力に染まった脳みそで考えていた。

少しでも黒夜が攻撃する素振りを見せたら、その両腕を食いちぎってやる、と。

 

 

 

互いに睨み合う。獣の眼差しに、僅かな憐憫の情を感じ取ったのか、黒夜は表情を憎しみに染め、両手を前に突き出した。

 

その刹那、獣は身を屈め、地を滑るように、しなやかな動きで、無色透明の槍をくぐり抜けた。瞬きひとつの間に彼女の正面に立ち、彼女の両腕を毛むくじゃらの腕で掴むと、一息に折り曲げた。時を等しく、生木が曲げ割れるような、鈍い音が響いた。

 

黒夜は、声にならない悲鳴を上げ、膝をついた。壮絶に顔を歪め、地べたに頬を押し付けたままでも、俺を睨み続けた。彼女らしい反応だった。

彼女を殺せば、俺はこいつ以下の存在になってしまう。そう考えたのか、気がつけば殺さずに手加減していた。彼女はその意向がお気に召さなかったらしい。

 

 

両腕の痛みが、彼女の能力の使用を妨げているらしく、何一つ反撃もせずに、黒夜はその場にうずくまり動かなくなった。俺は直ぐに、"洗脳装置"から投げ出された被験者の安否を確認したが、2人とも既に事切れていた。

 

 

ふと呻き声が止んだ。黒夜の方を見やれば、やはり失神していた。いつの間にか、警戒態勢警報(アラート)が治まっていた。不審に思う間も無く、何処からともなく耳障りな声が聞こえてきた。

 

『……素晴らしい、の一言に尽きるよ、景朗クン。…キミの活躍、先程から拝見させて貰っていた。ついに…ついに成し遂げたな、景朗クン。私は今、感動に打ち震えているよ……』

 

スピーカー越しに、幻生が語りかけてきた。

 

 

「コレ、オレノコエ、キコエテマスカ?ゲンセイ、センセイ。」

 

とりあえず、部屋の隅に設置されていた監視カメラらしきものに話しかけた。が、思うように喋れなくて驚いた。そうだ、今の俺は、まっとうな人間じゃなかったんだ。口元が、まるで…狼のように裂けているからな。これでは今までどおりに話せない。

 

『聞こえているとも。キミの猛々しい咆哮も余さず記録できているよ。』

 

俺は近くに落ちていた白衣を手に取った。

 

「ゲンセイ、センセイ。アナタハ、マエニイイマシタ。オレニハ、ケンキュウ、ヲ、キョウセイ、デキナイ。オレノ、ドウイ、ガ、ナケレバ、ジッケン、ハ、キョカサレナイ、ト。」

 

『…キミの言う通りだよ、景朗クン。突然どうしたんだい?』

 

「ナゼ、アナタハ、ソレニ、スナオニ、シタガウ、ノ、デスカ?」

 

幻生の声色が不穏なものに変わりつつあった。

 

『…それは、キミにも教えられないな。だが、我々のような研究機関であろうとも、キミを研究対象にする許可を得るのは容易くない。何故なら、統括理事会が一枚噛んでいるからな。…フフ、それも無理はない。』

 

幻生はそこで一息区切った。スピーカーから漏れ出る息遣いからは隠しきれない興奮が感じられた。だが、必要なことは聞けた。俺はそれっきり幻生の呼びかけを無視して、黒夜と争った部屋を後にした。

 

『実際に、今のキミの姿をこうして目にすればな。…完全なる肉体変化(メタモルフォーゼ)

 

伝承の狼男さながらの出で立ちだ。その有様からして、大能力(レベル4)以上の現象であることは確実だろうな。

 

我々が意図してきたその成果が、今のキミの姿に在る。キミはついに、己が細胞を自由に創り変える力に目覚めたのだ。

 

キミは理解できるかね?その力に秘められた可能性を!人類が長らく求めてきた、不老不死への術が、すべて、今、そこに存在している!』

 

廊下に出ても、幻生の声は鳴り止まなかった。

 

『待ちたまえ!景朗クン!その姿で、どこに行こうというのかね?』

 

 

部屋から一歩飛び出して、辺りを見渡せば。其処ら中に飛び散る血痕と、壊れた施設。先進教育局は壊滅状態になっていた。薬物拡散防止のための、防壁がすべて降下しており、逃げ遅れた研究員や、被験者は軒並み物言わぬ屍となり、あちこちに転がっている。

皆、体に穴が空き、腕、足といった部位のいずれかが欠損していた。五体満足の死体はひとつもない。どれも黒夜海鳥の仕業だろう。

 

防壁一つ一つを無理やりこじ開けながら、俺は出口を目指していた。スピーカーからは絶えず幻生の静止の命令が響くが、気にも止めない。

 

 

俺は覚悟を決めていた。幻生と決別する。あちこちに転がる死体が、俺の決意を後押しさせた。奴は、すぐにでもうちの園への援助を打ち切り、真泥に使ったような手口でまた俺を脅してくるはずだ。

 

正直、こういう悪巧みで幻生に勝てるとは思えないが…それでも、一応の考えはある。

俺自身はどうなろうと構わない。ただただ、聖マリア園の皆が無事ならそれでいい。だから…。

 

 

 

先進教育局を出る直前に、能力を完全に解除した。とたんに、気が狂いそうな激痛で脳が一杯になった。

体中の毛が抜け落ちる。声を張り上げて、歯と爪を無理やり引っこ抜いた。体中の骨がミシミシと音を立てて折曲がり、その痛みに地べたを転がりまわった。

 

だが、痛みに耐え抜いたそのあと。俺の体は、もとの人間の姿に戻っていた。安心して嗚咽が漏れそうだった。これで、またみんなに会える。

 

 

 

 

俺は幻生と決別した。五月の暮れの、黒夜と戦ったあの日から、奴と一切連絡を取っていない。ひと月して、予想通りに、鎚原病院からの、俺たちの孤児院、聖マリア園への援助は打ち切られた。

だが、俺が招いてしまった混乱のツケは、必ず払ってみせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『unexpectedly 久しぶりね、雨月君。まさか、あなたから連絡が来るとは思わなかったわ。』

 

「ええ、お久しぶりです、布束さん。」

 

『strange それで、今日は何のご用かしら?どうせ嬉しくなるような要件ではないのでしょうけど。』

 

ほぼ1年ぶりだろうか。電話越しに会話する布束さんのつっけどんな態度は、以前と全く変わっていなかった。彼女はいつも鉄面皮だったが、なんだかんだで、俺の能力の測定結果に一喜一憂していたな。そのことを思い出して、自然と口元に笑みが浮かんだ。

 

「…そうですね。布束さんにとっては、何の価値も見いだせない頼みであることは、明白ですね。」

 

『そう。それじゃあ、ここで通話を切らせてもらうわ。これでも忙しいの。』

 

焦った。ちょおっとまて。いくらなんでもそりゃないだろう。

 

「ちょ、待ってください。お願いします。あなたの助けが必要なんです!」

 

『half in joke 冗談よ。それじゃ、聞かせてくれるかしら。』

 

心臓に悪いぜ。おいおい、あんた、そんな悪ふざけをするキャラだったっけ?1年越しのデレだとでもいうのか。だとしたら、なぜもっと早くデレてくれなかったんだよお。

 

「冗談ですか。はぁ…。残念ながら、俺が今から話すことは、冗談ではなく、真剣で真面目な内容になります。ご迷惑をお掛けすることになるでしょう。」

 

 

俺の布束さんへの頼みごととは、簡単に言えば、暗部の傭兵組織への紹介をお願いすることであった。以前、彼女とともに実験をしていたとき、彼女の口から、大金を得るために命をドブに捨てる、無頼の輩の存在を耳にしていた。

彼女のスポンサーであるところの、巨大な製薬会社にも、単なる一企業のセキュリティを越えた、日の目を見ることが決して無い、忌避される暗躍部隊が存在していたそうである。

 

黒夜海鳥にも、そのような暗部組織に身を置いていたと匂わせる節があった。彼女からは、人を殺すことに対して、一切、躊躇や忌避感を感じられなかった。

 

俺は、訝しむ布束さんに、必死で頼み込んだ。手段や経緯は問わない。俺をどうにかして、その傭兵組織で働かせてくれ、と。

 

 

『no way 胡乱な考えね。貴方、それで木原幻生から逃れられると、本気で思っているのかしら?

いいえ、少なくとも、私の知っている雨月景朗は、そのくらいの分別は理解できていると思っていたのだけれど。』

 

俺の頼みを聞いた布束さんの反応は芳しくなかった。だが、ここで諦めるわけにはいかない。

彼女は、俺が暗部組織と関わるのを辞めさせたい様子だった。彼女には、俺が幻生のもとで実験を受けていた理由や経緯を話していたからな。それでも、俺は彼女を説得しつづけた。

 

「ああ、こっちだって、本気で幻生から逃げられるとは思っていない。…だけど、このまま何もせず、手をこまねいて幻生の犬であり続けるのは、もう御免なんだ。大金が必要だ。幻生の息がかかりにくい手段で。

うちの孤児院の経営は破綻寸前だ。それに…仮に、貧困を受け入れようとも、その状態だと、いつぞやの真泥みたいに、幻生に手玉に取られる子が出てきてしまうだろう。

 

ずっとうまくいくとは思っていない。いつかまた、幻生の元に囚われる羽目になるかもしれない。だけど、そのツケを払うのは、俺1人であるべきだ。

 

…頼みます。どうか、力を貸してください。少なからず俺にだって、あなたに貸しがあるんじゃないか…?」

 

『no wander わかった。貴方の意志は固いようね。止められそうもないわ。…覚悟して。暗部の世界はあなたが思っている以上に、凄惨な所よ。』

 

「それは、今更な話ですよ。俺も、あなたも。とっくに闇の世界の住人なんじゃないか?」

 

『indeed …そうかもしれないわね。』

 

結局、布束さんは俺に力を借してくれた。彼女の伝を使い、樋口製薬という巨大な製薬企業の傘下に属する、とある私兵部隊へと俺は転がり込むこととなった。

 

 

 

 

 

もうすぐ、俺は堅気ではなくなってしまう。しっぺ返しを受ける時、被害を受けるのは自分1人だけでなければ。そのため、直ぐにでも、今までずっと過ごしてきた棲家、聖マリア園を出ていかなければならない。

 

最初に、クレア先生にその旨を伝えた。既にクレア先生は、そのことを伝える前の俺の顔を見て、唯ならぬ雰囲気だと察し、構えていたようだ。だが、俺が聖マリア園を出て行くと言い出した途端に、血相を変えた。

 

「か、かげろう君、冗談ですよね?!急にそんなこと言い出すなんて……。」

 

「いいえ、本気です。クレア先生、寂しいけど、ずっと前から、15歳になったら、聖マリア園(ここ)を出ていこうと決めていましたから。中学校の卒業と同時に出て行く予定だったんですど、今出て行くほうが都合が良くなったんです。」

 

クレア先生は、必死に涙をこらえて、俺の肩を抱き寄せた。

 

「……やっぱり、最近の、うちに対して資金援助が大幅に削減されたことが理由なんでしょうか?かげろう君、そのことは、心配しなくていいんです。先生たちが絶対に、何とかしますから。」

 

そう言うものの、クレア先生の表情には諦観が張り付いていた。わかっているのだ。いくら中学生でも、それが一朝一夕でどうこうできる問題じゃないと、理解できることを。

 

クレア先生が俺を抱きしめながら、小さく震えているのを感じながら、俺は先生の匂いを吸い込んだ。この異様に落ち着く匂いとも、決別の時が来たんだな。

 

「違います、クレア先生。自分の意思ですよ。俺も男です。自分の道は自分で決める。今が、船出の時だと思っただけです。誰も、何も関係ないんですよ。」

 

クレア先生は無言になった。俺の背中に回した彼女の手に、力が入った。その直ぐあとに、今度はくぐもった泣き声が聞こえてきた。

 

能力を強く発動させ、悲しい気持ちをすべて消し去った。でなければこの時、俺は相当な醜態を晒していた自信がある。

 

「先生、そんなに泣かないでくださいよ。俺、自分の家って呼べるところは、ここだけだと思ってます。火澄みたいに、ちょくちょく会いに来ますから。」

 

クレア先生は、一向に泣き止んでくれなかった。火澄の時とは違う反応だった。ここまで悲しそうにはしていなかった。どうしてそんなに辛そうなのか、疑問に思って訪ねてみた。

 

 

「だって、かげろう君。ぜんぜん、寂しそうじゃないんだもの。」

 

そう答えた、クレア先生の寂しそうな笑顔は、ぐさりと俺の心に突き刺さった。

しばらくして、クレア先生は未だ辛そうに、俺の退園を祝うと答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

3ヶ月後。俺はとある暗部の傭兵部隊に転がり込んでいた。これからは、学園都市の裏舞台で大金を稼がなきゃならない。

 

配属された部隊のリーダーが、俺に尋ねた。

 

雨月景朗(うげつかげろう)。コールサインは狼男(ウルフマン)、か。おいおい、格好良いじゃないか。能力のレベルも大能力相当。頼もしいな。一体どんな能力なんだ?」

 

「…やっぱり、言わなきゃダメですか?……ああ、はい。そりゃまあ、当たり前ですよね…。能力名は"人狼症候(ライカンスロウピィ)"。どんな能力かは、一目見たら解りますよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 




とりあえず前章が終わりました。次からいよいよ暗部組織同士の殺し合いのシーンになります。プロット自体は終わりの方までできてますが、想像していたより量が多くなってしまいました。プロットがほぼ出来上がっているので、時間はかかるかもしれませんが、投稿続けていこうと思います。感想とか頂ければめっちゃ励みになるかも。


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とある暗部の暗闘日誌
設定集


 

 

 

○聖マリア園の関係者

 

♂雨月 景朗(うげつ かげろう)[中学3年 登場時:小学5年]

・この物語の主人公。物心ついた時はすでに"置き去り"であり、幼少期から中学までを孤児院"聖マリア園"で暮らす。孤児院の窮状を救えると信じた彼は、小学五年生の冬、木原幻生に嵌められ学園都市の暗部へと囚われる。中学3年の途中で暗部戦闘部隊に所属することになり、孤児院を出る。その後は暗部の仕事で得た資金を孤児院に寄付している。

・"痛覚操作(ペインキラー)Lv1";自身に生じる痛覚を制御する。主人公がもともと有していた能力。

・"戦闘昂揚(バーサーク)Lv3";肉体を人間の限界まで強化し、自己の精神を完全にコントロール下に置くことができる。主人公が"プロデュース"に参加した時にこの能力に覚醒した。

・"人狼症候(ライカンスロウピィ)Lv4";人狼の姿へと変化する肉体変化能力(メタモルフォーゼ)。ほぼ不死身の耐久性を獲得する。

 

♀仄暗 火澄(ほのぐら かすみ)[中学3年 登場時:小学5年]

・主人公と同じ施設で育つ。主人公とは所謂幼馴染であり、幼少時から今でも主人公の世話を焼いている。面倒見の良い性格で、主人公に限らず、孤児院の他の子どもたちの面倒もよく見ており人気者。常盤台中学へ進学した後も、時々孤児院へ通い、手伝いをしている。本人は苦々しく思っている様子だが、彼女と後述の手纏とのコンビ、"火災旋風(ファイアストーム)"の二つ名が学舎の園界隈、一部の層に知れ渡っている。

・"不滅火焔(インシネレート)Lv4";対象が燃え尽きるまで決して消えることのない不滅の焔を放射する。焔の温度も調整できるようだが、彼女は専ら蒼い焔を用いる。学園都市でも上位に位置する発火能力。

 

♀クレア・ホルストン[32歳独身 登場時:28歳]

・聖マリア園の園長さん。主人公たちにとって母親のような存在。どこか抜けている。カタカナ和製英語が苦手。

 

♀花籠 花華(はなかご はなはな)[小学6年 登場時:小学2年]

・主人公に懐いていた少女。底抜けに明るく能天気で、主人公の癒し成分となっている。

 

♂調川 真泥(つきのかわ みどろ)[小学5年 登場時:小学2年]

・主人公が小学六年生の時にやってきた少年。一時期、主人公と同じように木原幻生の手に落ちたが、主人公が助け出した。

 

 

 

○学園都市の学生達

 

♀手纏 深咲(たまき みさき)[中学3年 登場時:中学1年]

・仄暗火澄の常盤台中学学生寮でのルームメイト。火澄と同じく水泳部に所属。主人公とも中学1年以来の友人で仲も良好な様子。少々内気な面が目立つが、水泳部のトップエースであり、色々と優秀な人物ではある様子。

・"酸素徴蒐(ディープダイバー)Lv4";酸素を操る。周囲の物体から気体状態の酸素を取り出すこともできる。何げに常盤台在学中にレベルが上昇した。

 

♀岩倉 火苗(いわくら かなえ)[中学3年]

・仄暗火澄にやたら突っかかる少女。金髪ツインテールのお嬢様。本当は名前どころか能力も酷似している火澄が気になって気になって仕方がないだけだったりする。食蜂操祈を自らの派閥に取り入れようとした所、彼女は気がつけばいつの間にやら自身の派閥を解体しており、食蜂の派閥に加入していたという噂。

・"溶岩噴流(ラーヴァフロー)Lv4";物体の温度を上昇させる。地下の地盤を溶岩になるまで熱し、噴出させられるほど。大覇星祭競技「玉入れ」の時に、ボールを熱したのは彼女の仕業。

 

♀乾風 氷麗(からかぜ つらら)[高校2年]

・霧ヶ丘女学院でも有数の冷却能力者。

・"瞬刻冷却(リフリジレート)Lv4";その名の通りに、強力な冷却能力。

 

♀五月雨 梨沙(さみだれ りさ)[高校1年]

・霧ヶ丘女学院代表選手。

・"結露生成(デューイードロップ)Lv3";周囲一帯の水分を凝集し、操作する。

 

 

 

○暗部組織の関係者

 

♀丹生 多気美(にう たきみ)[中学3年]

・主人公が暗部の任務中に出会った少女。彼女も暗部戦闘部隊に所属している。後に、主人公と同じ部隊に配属された。紆余曲折あり、彼女は間接的にだが、主人公の被害者と呼べる存在だったことが判明する。彼女は主人公と運命をともして、一緒に戦いに臨んでいく。

・"水銀武装(クイックシルバー)Lv3";水銀を自由に操る水流操作(ハイドロハンド)。水銀のように密度の大きい、重い液体しか扱えない。しかし、その出力自体は高いようで、創り出した水銀製の武器は高い硬度を誇る。

 

♂中百舌鳥 遊人(なかもず ゆうじん)

・主人公が初めて所属した部隊"ユニット"にて、2人組(ツーマンセル)を組まされた先輩隊員。

・"空中歩行(スカイウォーク)Lv2";高高度まで、極めて安定した状態で浮遊できる。彼はこの能力と狙撃の技術を組み合わせて暗部で任務をこなしている。

 

♂粉浜 薫(こはま かおる)

・ドラッグの密売を行う暗部組織"カプセル"の売人だったが、組織を裏切り、重要な試薬を持ち出し逃走する。

・"粉塵操作(パウダーダスト)Lv3";粒子の小さな物体を操る。操れる粒子に制限がある代わりに、強能力としては非常に大きい出力を持つ。

 

♀蟻ヶ崎 蛍灯(ありがさき ほたるび)

・外部の産業スパイと関わりを持つ"スリット"という、アンダーグラウンドで活動する組織の構成員。学生という立場を生かして様々な企業の諜報を行っていた。

・"群蟲扇動(インセクトスウォーム)Lv3";主に蟲に感応する精神感応能力(テレパス)。対象とする蟲は複雑な思考回路を持たないので、複数の蟲を同時に操れていた。

 

♂郷間 陣丞(ごうま じんすけ)

・主人公が"ハッシュ"で指揮下についた青年。常に冷静沈着な切れ者。

・"隔離移動(ユートピア)Lv3";肉体を別の空間へ退避させるテレポート能力。自身の空間的な位相をずらし、肉体を3次元世界から消失させる。つまり"隔離移動"使用中は物理的干渉を一切受けなくなる。

 

♀釜付 白滋(かまつき はくじ)

・主人公が"ハッシュ"初任務時に捕縛した標的。

・"撞着着磁(マグネタイゼーション)Lv2";磁性体、非磁性体問わず、物体を限定的に磁化させることができる。簡単に言えば、物質を媒介に磁力を扱える能力。

 

♂牛尾 中(うしお あたる)

・"パーティ"という暗部の傭兵部隊の構成員。その能力故に、"空間転移系能力者殺し"として有名。

・"百発百中(ブルズアイ)Lv4";"絶対等速(イコールスピード)"の上位互換と言える。"百発百中"を使用して投げられた物体は、"絶対等速"と同じ性質を持ちながら、標的に命中するまで自動追尾する。

 

♀刈羽 万鈴(かりは まりん)

・"パーティ"構成員。牛尾と供に主人公を襲撃した。

・"電子憑依(リモートマニピュレート)Lv3";電子機器に自身の精神を憑依させ、自身の肉体のように操る。媒体に存在する電子回路を乗っ取っているわけではなく、直接末端の回路を使うため、非常に強力なハッキング手段としても使われている。

 

♂紫万 元明(しま もとあき)

・プラチナバーグを襲撃した暗殺者。巳之口の支援を行っていた。

・"暗黒光源(ブラックライト)Lv2";近辺の物体が反射・屈折・吸収する光の周波数、位相を操り、その色調を自由に変化させられる能力。能力を応用すれば、周辺を暗闇に変え、任意の物体を蛍光させたりもできる。その光景はさながらブラックライトシアターのようなものとなる。

 

♂巳之口 辰哉(みのくち たつや)

・プラチナバーグを襲撃したスナイパー。彼の狙撃は"ポリシー"に甚大な被害を与えた。

・"絶対温感(サーマルビジョン)Lv2";透視能力の劣化能力。可視光以外の光を感知でき、赤外線や紫外線を用いた透視が可能。

 

♂亀封川 剛志(きぶかわ ごうし)

・"ポリシー"の次席だった能力者。かろうじて生き残った彼も悲運なことに"スキーム"へと加勢する。

・静止機動(イモービライズ)Lv3;物体の運動量、速度、エネルギーを奪う力場を正面に展開し、使用者本人の主観に基づいた"静止"を実現させる。彼は専ら至近距離で爆弾を爆破させ、自身は能力で無傷のまま相手を殺傷する。

 

♂穂筒 光輝(ほづつ こうき)

・"人材派遣"が主人公へ派遣させた助っ人。そのはずだったのだが……

・収束光線(プラズマエッジ)Lv2;光をそのエネルギーをほとんど減衰させることなく、任意の空間に固定させられる能力。学園都市製の小型の強出力レーザー射出装置と併用して初めて、収束されたレーザーによって空気をプラズマ化させたプラズマカッターの運用が可能である。本人は"強能力(レベル3)"だと口にするも、実際は"異能力(レベル2)"相当の能力である。それ故、彼には"プラズマエッジ"の使用には極大な集中力が必要な様子。

 

♂煎重 煉瓦(いりえ れんが)

・親船最中一派と噂される暗部組織"ジャンク"を率いて、主人公らを強襲する。鳴瀧とはただならぬ関係にある様子。

・螺旋破壊(スクリューバイト)Lv4;せん断力を操る、捻じ切ることに特化した念動能力(サイコキネシス)。特化型故か、他の大能力と比して高い出力を有す。弾丸をネジ切り、壁をくり抜き、人体をへし折る。地盤が軟弱な場所であれば、地滑りを発生させることもできる。

 

♀鳴瀧 伴璃(なるたき ともり)

・"ジャンク"の紅一点。極めて汎用性の高い能力を備え、強力な部隊"ジャンク"の中核を担っている。"ジャンク"の精強さの要因は、彼女の存在によるところが大きい。

・共鳴破壊(オーバーレゾナンス)Lv4;物体に振動を生じさせる能力。物体の固有振動数と等しい、強大な振動を与えて過度な共鳴・共振を生じさせ、その破壊を促す。また、振動を操る性質上、あらゆる振動を感知する能力も有している。そのため、高いステルス性と索敵能力を実現している。

 

♂鍛治屋敷 鏈(かじやしき れん)

・"ジャンク"の構成員。軽い雰囲気を漂わせるも、暗部に長く在するベテランで、実力者。

・尖鋭硬化(ハードホーン)Lv3;物質を硬化させる能力。応用が効き、柔らかい物質、弾性や靭性を持つ物質であれば、鋭利な刃物のように尖らせ、ある程度自身の意思に沿って操作することができる。

 

♂筥墳 颯 (はこつか はやて)

・"ジャンク"の構成員。華奢な体格で、一見した物腰は柔らかいが、隠れた他虐性を持つ。

・空気爆弾(コールドボム)Lv3;気体を圧縮し、一気に膨張させる風力使い(エアロハンド)。

 

 

 

○原作キャラクター

 

●木原 幻生

・主人公を暗部に落とした張本人。主人公は彼のことを、"あらゆる意味でメシがマズくなるジジイ"だと表現する。

 

●布束 砥信

・洗脳装置(テスタメント)の開発のために、主人公を実験台にする。主人公は彼女と距離を詰めようと苦心したが、何一つ成功しなかったらしい。

 

●黒夜 海鳥

・暗闇の五月計画の最中に暴れだし、研究者達を皆殺しにした。この時、彼女に襲われた主人公はLv4覚醒を果たす。主人公を蛇蝎の如く嫌っている。

 

●絹旗 最愛

・暗闇の五月計画で主人公と遭遇する。主人公を蛇蝎の如く嫌っている。

 

●御坂 美琴[中学1年]

・常盤台中学1年生。仄暗火澄と手纏深咲の後輩。この時点で一応Lv5って設定にしてるんだけど大丈夫ですよねorz。

 

●ミサカ2201号(ミサカ実妹)

・主人公が初めて遭遇した御坂美琴のクローン。無事に実験を終了させた。

 

●人材派遣(マネジメント)

・原作では15巻でリタイアされた不憫なアンダーグラウンドの人材派遣業者。主人公との関係は推して知るべし。

 

●一方通行(アクセラレータ)

・主人公がとある施設の廊下で通りすがっただけの人物。一言会話を交わしただけだが、主人公はそれだけでチビリそうになった。主人公の第一印象は"得体の知れない無臭の男"。

 

●ミサカ2525号(ミサカスマイリー)

・主人公が遭遇した御坂美琴のクローン。どうやら本人は主人公に付けられたそのニックネームを気に入っている様子だが、周りの姉妹達はピクリとも変わらない2525号の表情を見て、それが皮肉で付けられたものではないのかと疑問に思っているらしい。

 

 

 



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episode07:粉塵操作(パウダーダスト)

 

「いいか、"ウルフマン(狼男)"。お前の仕事は1個だけだ。囮になって、"標的(ダスト)"を俺の狙撃地点にまで誘導しろ。そんだけだ。気張れよ。」

 

そう言って、俺に再度確認を促した男の名は、中百舌鳥遊人(なかもずゆうじん)、コールサイン、"スカイウォーカー"。学園都市製のゴツい迷彩スーツを纏い、これまたデカいライフルを手馴れた様子で弄っている。

 

「いいか、"ダスト(標的)"を仕留めるのはコイツだ。MSR-001磁力狙撃銃、初速290m/sとちと頼りないが、ステルス性は抜群だ。俺たちに与えられた役割は、"ダスト"を狙撃して息の根を止めること。その後、ヤツが盗み出した"ブツ"の回収をしなきゃならねえがな。余計なことやらかして、俺たちの足を引っ張るんじゃねえぞ。」

 

これで何回目だろうか。"ウルフマン"こと、俺、雨月景朗は、同僚の際限のない追求に、辟易してため息をついた。

 

「はいはい。わかってますよ、"ユニット3"。」

 

「その意気だぜ、"ウルフマン"。その名の通りに、お前は今回の任務中は、努めて俺の猟犬であれ。それだけでオーケーだ。あと、俺のことは"スカイウォーカー"って呼べと言ってるだろ。いい名前だろ?」

 

「はぁ。了解、"スカイウォーカー"。」

 

「良し。……『こちら"スカイウォーカー"。今からポイントAlfaに向かう。』」

 

強化された聴覚で、彼のヘッドセットから漏れ出る音を拾い、会話を盗み聞きする。

 

『了解、ユニット3。ところで、ユニット4の様子はどうだ?初陣らしいからな。ヘマをやらかされるぐらいなら、お前の判断で処理していい。』

 

「どうやらその必要はなさそうだぜ。全く緊張してるようには見えねえ。そのへんはきっと期待できるさ。」

 

 

上司、と呼ぶべきだろうか。中百舌鳥の会話の相手は、俺の所属する雇われ部隊のリーダーである。部隊名は"ユニット"というらしい。非道くシンプルで、これで問題は生じないのか?と疑問に思ったものだ。

中百舌鳥は、俺に割り当てられた、二人組(ツーマンセル)の片割れだ。認めたくはないが、この暗部世界の住人の中では、付き合いやすい性格をしているほうだろう。

 

本人には、色々とこだわりがある様子で、まだ相当に短い付き合いなのだが、俺にも色々と間の抜けた要求をしてくることがあった。ひとつは、先ほどの"スカイウォーカー"発言。昔の映画のキャラクターの名前らしいが、その"スカイウォーカー"というコールサインは、彼の能力、空中浮遊(レビテーション)能力の一種、"空中歩行(スカイウォーク)(レベル2相当)"と著しく被っていて、それでいいのかと思ってしまう。あ。いや、このことは俺も言えた義理じゃないか。

上司たちからも、作戦中は隊員は各自割り当てられたナンバーで呼び合うように言われているが、それも無視している有様だった。

 

 

今現在、俺たち2人が待機している場所は、第十一学区北東に位置する操車場の近辺である。この周囲には、高い建築物はほとんど存在せず、あちこちに資材運搬用の巨大なクレーンが点在するのみであった。

 

ちょうど今、別動の"ユニット1"・"ユニット2"のペアが、標的である"ダスト(塵くず)"の追跡を行っている。俺たちの任務は、この開けた場所を通過する標的を狙撃し、生殺問わず、標的が持ち出した"とある薬品"を回収することである。

 

中百舌鳥は、極めて高性能な光学迷彩スーツ(わかりやすく言えば、透明になるスーツ)を装備している。専用の対光学迷彩機器をあらかじめ用意されていなければ、彼の姿が敵に察知される可能性は低い。

そして、彼はその能力、"空中走行(スカイウォーク)"を使用し、宙に浮かび上がり、高高度にて待ち伏せ(アンブッシュ)を行う。

辛うじて狙撃から逃れた標的が、咄嗟に周囲のスナイピングポイントに視線を凝らしても、彼の姿を見つけ出すことはない。

 

そこで、今回の任務での俺の役割は、上空にアンブッシュした中百舌鳥の存在を極力気取られないように、"ダスト"の注意を自身に集め続けること、となる訳だ。

 

非常事態に陥れば、俺自身の裁量で"ダスト"への対処を行って良いと言われたものの。他のメンバー達は、ド素人の俺を好き勝手動かせるつもりはないらしい。皆口を揃えて、「命令された以外のことはするな」とさ。

 

 

小銃の調整をようやく終えた中百舌鳥は、表情を引き締めると、俺に合図を送る。

 

「"ウルフマン"、俺はこれから位置につく。お前も予定の位置につけ。時間がないぞ。わざわざお前さん用に誂えたそのヘッドセットの電源、切るんじゃねぇぞ。」

 

「ユニット4、了解。」

 

これからは、各自別行動になる。俺は、所定の位置につく前に、物陰に隠れ、上半身に身につけているものをすべてとっぱらった。

 

そして、黒夜と戦ったあの時のように、両手両足を地につけ、楽な姿勢をとった。

一息で、能力を覚醒させた。すぐさま、俺の体に変化が生じる。

体躯が膨れ上がり、体毛が太く、長く伸び、爪が鋭く伸びる。口が裂け、顎が飛び出し、耳が大きく変形した。

 

"ウルフマン"の名に恥じぬ、正真正銘の"人狼(ライカン)"へと変貌した。

 

この姿になると何時も憂鬱になる。人狼の姿になるのは大した労力ではないのだが、その逆、人間の姿に戻るときは、毎回毎回耐え難い苦痛を味わう羽目になるからだ。

 

ふと、空を見上げた。夕暮れどき。赤い夕焼けが眩しい。"ダスト"は、暗部組織が表立って動きづらい昼間を狙ってことを起こしたらしい。この操車場に"ダスト"を引き込むのも、人払い等の手間を最小限にするためだった。あまり昼間にドンパチをするわけにはいかないらしい。それについては、俺も大賛成だけどね。

 

 

 

しばらくすると"ユニット1"、つまり、リーダーから連絡が入った。いよいよ"ダスト(標的)"がこのエリアへと近づいて来るらしい。

 

"ユニット1"の指示に従って、"ダスト"の進行ルートを制御すべく移動する。任務直前まで一生懸命に頭に叩き込んだ周囲の地図を思い浮かべながら、能力を全開にし、猛スピードで夕暮れの街を駆け抜けた。

 

"ダスト"は移動の足を、オートバイに乗り換えたらしい。そう"ユニット1"から連絡を受ける前に、既にそのことには気づいていた。強化された聴覚が、こちらに近づいてくる、けたたましいエンジンの鼓動を捕まえていたからな。

 

"ダスト"の姿を目視した。人狼化した今の俺なら、オートバイが街中で出せるくらいのスピードならば、追従していくのは容易なことだった。

 

「GROOOOOH!」

 

軽くひと吠えして、待ち伏せ地点への誘導を開始する。近くにあったコンクリート塀をぶっ壊して、瓦礫をひっつかみ、"ダスト"へ向かって投石した。

 

俺の姿に驚いた"ダスト"は、間一髪、飛来した瓦礫を回避すると、こちらの期待通りのルートへと逃走していった。一定の距離を保ったまま、オートバイで走る彼の真後ろに張り付いて、追跡する。

 

そして、なんとか計画通りに、操車場へと"ダスト"をおびき出すことに成功した。そう思った矢先のことだった。"ダスト"が搭乗しているオートバイが、操車場に入った途端、驚くことに、急激に粉塵が舞い上がりだした。

 

その日の朝方に、少量だったが降雨があった。それゆえ、操車場の地面は湿っていて、砂埃など発ちそうもなかったのだが。それこそ、"ダスト"の。標的名、"粉浜薫(こはまかおる)"の能力の真骨頂だったのだろう。

 

ついぞ数秒前に湧き上がった砂埃は、今では"ダスト"を中心に直径10m近い大きさに成長していた。もはや砂埃ではなく、立派な砂嵐の様相を示していた。

 

 

そろそろ、狙撃地点間近という所で、中百舌鳥から緊急の連絡が入った。

 

『クソッ!ネガティブ!繰り返す、ネガティブだ!撃てない。目標を視認できない!サーマルも試したがダメだった!奴め、バイクが巻き上げる高温の粉塵を利用して、周辺に温度の壁を作ってやがる!あんな芸当、初めて見たぞ!』

 

「ナラ、ドウスル!?アンタ、囮役ダケヤッテリャイイッテ言ッテタダロ!?俺ハコレカラドウスリャイイ!アイツヲ見失ワナイヨウニ、コノママ追跡スルガ、カマワナイナ!?」

 

既に、目標の掃討エリアを通り過ぎている。俺の返答に、一瞬、躊躇する間が開いたものの、すぐに中百舌鳥から、奴を逃すな、との返信が響いた。

 

たった1人で、所属していた暗部組織を裏切った、今回の標的。ネームタグ、"ダスト"。砂嵐と化した奴を追跡しながら、俺は任務前のブリーフィングを今一度思い出していた。

 

 

 

 

 

 

「今回の任務は、"カプセル"を裏切り、とある試薬を盗み出した犯人の抹消。そして、その盗まれた試薬の奪還だ。試薬については、我々にも詳細は知らされていない。上からは、"決して破壊せず、元の状態のまま回収を行え"との厳命だ。

標的名は"粉浜薫(こはまかおる)"。強能力(レベル3)相当の念動能力者(テレキネシスト)だ。能力名は"粉塵操作(パウダーダスト)"。能力名の通りに、砂や粉末状の物質を"操作(ハンドリング)"できるらしい。以降、標的は"ダスト(塵くず)"と呼称する。」

 

「ハハッ。"塵くず"ねえ。こりゃあ、チリトリを持ってきゃ任務(ミッション)は楽勝だな。」

 

資料片手に、任務の詳細を語ったリーダーに対して、パイプ椅子を傾け、だらりとした姿勢で虚空を見つめていた中百舌鳥が、合の手を返した。まったくもって緊張感のない男だ。この男が、俺の相棒(バディ)になるらしい。俺の脳裏に一抹の不安が過ぎった。

 

「茶化すな。ユニット3。」

 

リーダーの眉間に皺が寄った。発言しにくい空気だったが、俺は浮かんだ疑問を解消するために、彼に質問する。

 

「ユニット1、"カプセル"とはどういう組織なんだ?ユニット2から受け取った資料には、碌な記述がないんだが。」

 

ユニット2、リーダーと二人組(ツーマンセル)を組んでいる、寡黙な青年のことである。俺の言葉に、足をぶらぶらとさせていた中百舌鳥がニヤリと口を曲げた。

 

「なんだ、"ウルフマン"。オメェ、そんなことも知らなかったのかよ。勉強不足だぜ、坊や。そんなんじゃ、お前さんはこの業界から速攻でオサラバ、ってことになりそうだな。」

 

中百舌鳥の発言を無視して、リーダーの方を見やったが、珍しいことに、彼も中百舌鳥と同意見のようだった。

 

「ユニット4。ユニット3の言う通りだ。もうすこし、自身の置かれている状況に気を配るんだな。"カプセル"についてだが、こいつは、ドラッグの密売組織だ。俺たち"ユニット"と同じ企業傘下のな。簡単に言えば、俺たちの同僚だ。」

 

リーダーの返答に沿って、中百舌鳥も補足した。

 

「お前さんは知らねぇだろうが、"カプセル"の連中の後始末に、俺たちゃよく駆り出されるんだぜ。大抵は、今回の任務みたいに、"(ヤク)"を持ち逃げした売人の抹消(スイープ)だ。ま、今回の任務もいつもの汚れ仕事だな。」

 

そうか。なるほどな。身内の組織だったわけだ。だから、資料に大した説明が載って無かったのか。

 

二人の発言に遅れて、ユニット2が俺の端末に、その"カプセル"とやらの詳細な情報を送信してくれた。

 

"カプセル"は、もともとはしがない武装無能力者集団(スキルアウト)崩れが起こした違法ドラッグの密売グループだったらしい。結成当初は学生にせせこましく脱法ドラッグを売り捌き、小金を稼ぐだけの弱小組織だったが、日に日に販売エリアを拡大させていき、とうとう警備員(アンチスキル)に目をつけられ、潰されそうになった。

 

しかし、とある統括理事会肝入りの研究機関に、その販売エリアの広さと、警備員の目を掻い潜りドラッグを捌くノウハウを惜しまれ、一転して、学園都市暗部の機密組織へと変貌したらしい。

 

現在では、薄暗い研究を行う組織から送られた、通常ならば決して日の目を浴びることのない、危険な薬品を通常のドラッグ類と一緒に直接学生にばら撒き、その効果や動向の調査を行っている、とな。

 

おいおい、クソッタレなベンチャーも有ったもんだな。これじゃ、立派な暗部組織じゃねえか。訳も分からず、小金を稼ぐために関わりを持ったスキルアウト崩れ(チンピラ)が、そうとは知らずにオイタをして寝首を掻かれる羽目になってる訳か。

 

 

気がつけば、残りの3人は俺を放り出し、任務の委細を話し込んでいた。横からその計画(プラン)を見る限り、彼らは"ダスト"の持つ能力に対して、大した警戒をしていないようだった。

それが少し気になった。俺はその理由を尋ねた。

 

「ユニット1、コイツの能力、強能力(レベル3)とあるが、警戒しなくていいのか?」

 

俺の問いに、中百舌鳥が煩わしそうに切り返す。

 

「慎重だな、"ウルフマン"。"カプセル"からの情報によりゃあ、コイツのシケた能力じゃ、せいぜい"粉物"の売人をやるのが精一杯だったそうだぜ。確かに、定石(セオリー)から行きゃあ、"強能力"からは多少の警戒が必要だけどよ。だが、コイツの能力で、オレのライフルをどうにか出来るとは思えねぇぜ。」

 

彼の発言に対し、今までずっと黙っていたユニット2が、俺の前で初めて口を開いた。

 

「…"カプセル"から上がってきた、今回の"標的"の情報が少なすぎる。私はそこが気になります。通常、取るに足らないスキルアウト崩れのプロファイルでも、もう少し情報量が多いですからね。」

 

ユニット2の発言を聞いた、リーダーと中百舌鳥は、多少気にかけた様子であったが、それに対し、リーダーは彼の推論を返した。

 

「"ダスト"が"カプセル"に所属していた期間はわずか半年だ。加えて、彼は主に薬の売人をやっていただけで、組織の幹部との接触もほとんど無かったとある。それが原因だろう。」

 

「オレもそうだと思うぜ。考えすぎだ。何時も通りの"人狩り(マンハント)"で決まりさ。」

 

 

 

 

 

 

 

目の前の砂嵐が、操車場を抜け、オフィス街に入った。まずい状況だな。ぼちぼち、一目につき始める。可能な限り、衆目に俺たちの行動を晒さないようにしなければならない。

 

他の"ユニット"のメンバーからは、"ダスト"に食い付き、消して見失うなと言われていたが、リーダーからは、奴が盗み出した"ブツ"を無事なまま、容易に取り返せそうならば、こちらから仕掛けても良いと許可が下りている。

 

これ以上市街地に入られては流石に不味い。都合の良いことに、相手は砂嵐の中だ。街中で仕掛けても、衆目の視線からは、その砂嵐が守ってくれるだろう。

 

 

覚悟を決めて、仕掛けようとしたその時。視界の端に、奴が載っていたオートバイが乗り捨てられているのが映った。

 

俺は走るのをやめて、その場に止まった。一体どういうことだ?曲がり角を曲がった直後だ。

今まで追跡していた砂嵐は、そのままの勢いで俺の前から遠ざかっていく。あのスピードは、通常の人間には出せない速度だ。しかし、標的のオートバイはそこに打ち捨てられている。

 

周囲を見渡した。近くに、蓋の空いたマンホールがあった。目の前には、遠ざかる砂嵐。

 

一体どっちに逃げた?地下か、砂嵐の中か。

 

俺は、念入りに砂嵐の残り香を嗅いだ。かすかに小麦粉の匂いがする。なぜ小麦粉の匂いが…。刹那、すぐに答えにたどり着く。操車場の貨物に、小麦粉が搬入されていたんだろう。

 

マンホールからも、小麦粉の残り香が漂っていた。決まりだ。"ダスト"は地下へと逃げたんだ。暗い穴の底では、"ダスト"が待ち伏せしているかもしれない。俺は覚悟を決めて、飛び込んだ。

 

 

 

 

地下道へと降りると、地表ではわからなかった、より高密度の小麦の匂いに包まれた。辺り一帯小麦で充満している。"ダスト"の野郎、不必要になった砂埃をここに捨てて行ったんだろうか?

 

今度は、地に耳を付して、奴の足音を探った。距離が少し離れているが、この先に居る。すぐさま、その背中を追いかけようとした、その時。

 

 

 

突然の発光。轟音。衝撃。大きな爆発が起こった。俺を中心にして。

 

 

 

気がつけば、俺は地に横たわっていた。肉の焦げる匂い。辛うじて意識は失われていなかった。だが、ダメージが大きくて、今すぐには動けそうになかった。

 

視界に、何者かがこちらへ歩み寄る姿を捉えた。

 

「ははは。まんまと引っかかってくれたね、ワンちゃん。」

 

"ダスト"こと、粉浜薫の登場だった。

 

「粉塵爆発って言うんだよ。知ってたかな?ワンちゃん。時間がなくてね。すまないが、君との追いかけっこもここまでだ。さようなら。」

 

その声と同時に、パス、パス、パスと3つの破裂音。銃声だった。サプレッサーをつけていたのだろう。

 

俺の体に、弾丸が命中する。辛い追い打ちだったが、幸いにも、致命傷ではなかった。俺にとっては。

 

粉浜が再び逃亡する。俺はせめてもの思いで、必死に奴の匂いを記憶した。

 

 

 

 

 

 

体が再び自由に動くようになったのは、それからしばらく経ってからだった。粉塵爆発の衝撃で、ヘッドセットは壊れてしまっていた。携帯もオシャカになっている。

 

俺は、"ユニット"メンバーと連絡を取り合う術を失っていた。すぐに地上に出る。日が落ちかけていた。外はだいぶ暗くなっているが、この分だと、動けなかったのは10分くらいだろうか。

 

周囲の音がよく聞こえない。鼓膜が完全に破れてしまっていた。痛みを感じないから、こう言うケガに気づきにくくなってしまっている。今から耳の治癒を始めても、聞こえるようになるまでちょっと時間がかかるな。

 

奴の匂いをたどって、俺は再び走り出した。

 

 

 

街を縦横無尽に駆け抜けて、俺は再び粉浜を見つけ出した。奴を観察して、"ブツ"の在り処を探す。あのトラッシュケースがそうだろうか?

 

 

気づかれないうちに飛び掛り、"ブツ"を奪い返そうかと思ったものの、その前に粉浜に感づかれてしまった。

 

「まいったな!しつこいね、ワンちゃん!……そうか!オレの匂いを辿って来たんだな。」

 

再び、粉浜のオートバイの周囲に粉塵が巻き上がりだした。奴が砂嵐を生み出す前にカタをつけようと、俺は飛びかかる。

 

その時、粉浜は懐からビンを取り出し、地面に叩きつけた。宙に浮かんでいた俺は、回避できず、そのビンから溢れ出た粉末をまともに浴びる。

 

そして、粉末が目に入ると同時に、視力を失った。

 

着地に失敗し、道路を転がる。微かな光は感じられるものの、目が全く見えなくなっていた。何かの薬品を使われたらしい。クソッ、さっきから、粉浜相手に間抜けを晒してばかりだ!

 

 

 

音もよく聞こえず、目も見えない。嗅覚のみで、奴を探す。

 

見つけた。いつの間にか。路地裏に移動している。全力で走り寄り、体当たりを仕掛け、組み付こうとした。

 

だが、失敗する。何か得体の知れない、冷たい金属の壁のようなものに阻まれる。

 

粉浜の奴、何時の間にオートバイを降りたんだ?そして、この金属は何なんだ?不審に思うものの、続けてタックルを繰り出し、再び組み付こうと仕掛けた。

 

相手に肉薄する直前に、肩に刃が突き刺さる感触を受けた。咄嗟に後退する。感触を受けた部分を触ると、自身の流血を感じ取った。ナイフを受けたのか?いや、そのような感触ではなかった。もっと大きな、刀で切られた、とでも言われた方がよりふさわしい気がする。

 

埒があかない。気が進まぬものの、俺は痛みをある程度残して闘うことにした。完全に消し去ると、還って後手に回る。

 

今度は、相手から仕掛けられた。足首にするすると硬いロープのようなものを引っ掛けられ、転がされそうになる。

 

力比べなら自信がある。俺は逆に足を振り回し、相手の体制を崩そうとしたが、するりとロープは解けた。その後、今度は腹部に槍状のものが刺し込まれた。

 

その槍を握り締め、相手を引き寄せようとした。が、なんとその槍は、するするとバターのように溶けて、俺の手をこぼれ落ちた。

 

本当に粉浜が相手だろうか?いい加減不安になってきた。奴は拳銃を持っていたはずだ。なぜ撃たない?それ以前に、一体何で俺は攻撃されている?

 

目の前からは、依然粉浜の匂いが漂うが。俺は少しだけ距離を取り、全力で聴覚を再生させる。残念ながら視覚のほうは、目にこびり付いた薬剤を洗浄しなければ、どうにも使えそうになかった。

 

 

「~~~~かッ?~~~~ッ!」

 

だんだんと、相手の声が聞こえるようになってきた。そして愕然とする。先ほど辛うじて耳にした粉浜の声ではない。それどころか、男ですらなかった。女の子だ。どう聞いても、年若い少女の声色だった。

 

 

「~~~~~……おい!急に止まってどうした?」

 

 

誰だこいつは!?

 

いや、俺から攻撃を仕掛けておいてこんな言い方は幅かられるけれども。

 

チクショウッ。ハメられた。なんでコイツから粉浜の匂いがするんだ。

 

マズいマズいマズい!粉浜は今何処だ!?見失ってしまった!急いで追いかけなくては!

そう考えたが、一度冷静になる。ちょっと待て。粉浜の匂いがするこの娘は一体何だ?奴の協力者だと考えた方が妥当だ。

 

目の前の娘は、キャンキャンと子犬のように喚いている。

 

「おい、お前!お前が"ウルフマン"じゃないのか!?とりあえず、オレに攻撃すんのやめろよ!」

 

なんだ?この娘。俺のことをなぜ知ってる?……いや、娘じゃなくて男か?"オレ"だと発言していたからな。声色から勝手に女だと判断したが。

 

「オイ、坊主、ナゼオレノ事ヲシッテル?」

 

「なッ、オッ…~~~!ワタシは女だ!」

 

なんだよ、オレっ娘か。紛らわしいな。

 

「ソンナコトハドウデモイイ!ナゼ俺ノ名ヲ知ッテイル!」

 

「えッ。そ、それは…えーっと……ようやく喋ったかと思ったらッ!」

 

俺の糾問に、少女はあたふたと答えを濁した。互いに相手を警戒し、空間に緊張が走る。しばらくして、少女は吹っ切れたのか、俺に"符丁"の確認を要求してきた。

 

「…んぅ~と……!そうだ!"符丁"!"符丁"の確認だ!えーっと……"びくたあ おすかあ ジュリエット ユニフォーム ゼロ はち いち ゼロ しえら パパ ホテル えこー きゅう きゅう に ゼロ"!」

 

少女が口にした合言葉は、確かに、任務中に協力関係にある人員との間で、確認を取るためのものだった。この少女、友軍かもしれない。

 

「……ナルホド。"R O G D Q D 8 2 5 8 U N I T 5 6 8 2"。コレデドウダ?」

 

「うっ。ん~と。待って、HQと連絡を取るから。……おっけー。確認できた。」

 

 

目の前の少女も、俺が友軍だとわかって落ち着いたようだ。そのあとすぐ、打って変わって、どうして有無を言わさず出会い頭に攻撃したのか、と問い詰めてきた。

 

彼女の話によると、ビルの合間をパルクールのように駆け抜け、彼女らにとっても同じく標的であった粉浜を追跡していたところに、いきなり俺が襲いかかってきたそうだ。

 

どうやら俺がヘッドセットを壊してしまい、本部と通信が取れなくなった後に、この少女の部隊との連携に関する連絡があったらしい。

 

「スマナイ。今、目ヲ潰サレテイテ、何モ見エナインダ。耳モサッキマデ聞コエナカッタ。ダカラ、匂イヲ頼リニ粉浜ヲ追イカケテイタ。ソノ時、イキナリアンタカラ粉浜ノ匂イガシタカラ、勘違イシテシマッタンダ。」

 

「ちょ、ちょっと。目を潰されたって……。大丈夫なの……?」

 

「ダイジョウブ。シバラクスレバ直ニ視力ハ回復スル。モウ既ニ、アンタノ輪郭ガ見エル位ニハ回復シテイルヨ。」

 

縁も縁もない少女に心配されて、調子が狂う気分だった。

 

「トコロデ、アンタノコトハ、ナント呼ベバイイ?」

 

「ああ。オレのことは"スフィア4"って呼んでくれ。もしくは"マーキュリー"。」

 

"マーキュリー"。"水銀"か?…………ん?もしかして、冷たい金属って……。

 

「オイ!マサカ、オ前、アノ俺ヲ何度モ刺シテタアレ、モシカシテ水銀ナンジャネエダロウナ!?」

 

俺の焦りを前にして、少女はきょとんとした顔で肯定の返事をした。

 

「そうだよ。あー。目が見えないのによくわかったね。アタシ…じゃなくて、オレ!オレの能力は"水流操作(ハイドロハンド)"で、水銀を操作できるんだ。」

 

コイツ…ッ!なんてもんを人にズブズブ刺してくれとんじゃ!水銀が体に入り込んでたらシャレにならねぇぞ!

 

「テメェッ!水銀ダッテゴラァッ!人様ニナンテモンブチ込ンデクレトンジャ!オイ!今スグ俺ノ体カラ吸イ出セ!出来ンダロ!?……ッ出来マスヨネッ?」

 

「むう。なんだよ!元はといえばそっちがいきなり攻撃してくるから悪いんだろ!心配しなくてもあんたの体には入ってないよ!」

 

その言葉を聞いて、取りあえず安心した。さておき、もうこんな茶番をやってる暇はないな。だいぶ時間を無駄にしてしまった。

 

オレっ娘に通信機を要求した。ひとまず"ユニット"メンバーと連絡を取らなくては。

 

"ユニット"リーダーから、粉浜の追跡状況の報告を受けた。現在、奴は第十一学区南東、学園都市と外部の検問所近くへと距離を縮めていた。ただ、奴のオートバイは破壊したらしく、徒歩で逃走しているらしい。

 

至急現場に向かわなくては。オレっ娘は慌てたが、俺は一言礼を告げると、彼女を振り切って走り出した。

 

 

 

 

 

 

走りながら考える。どうしてさっきのオレっ娘から粉浜の匂いがしたのだろう。色々可能性を考えたが、一つ、推理できるとすれば。

 

粉浜の奴は、恐らく"匂いの粒子"を操ったのではないだろうか。人間や犬が"匂い"を察するメカニズムは、元をたどれば"匂いの粒子"を鼻の粘膜が感知することで為されている。

 

もしそうならば、粉浜は。土壇場でそんな器用な真似を成し遂げたのか。奴の能力も、報告書とは大違いの規模(スケール)だった。今日この時のために、能力の真価を隠していたのか?

 

だとしたら、奴は機転が効くどころじゃない。強かで、随分と頭のキレる奴だ。

 

リーダーから、また連絡が入った。粉浜は、近くの廃ビルに逃げ込んだらしい。その報告を聞いて、俺は悩んだ。あいつは、本当に逃げの一手でそこへ逃げ込んだのだろうか。強かに、俺たちを一網打尽にする罠を用意している可能性は……。

 

 

 

 

 

粉浜が逃げ込んだ廃ビルに到着した。上階から、発砲音が聞こえてくる。だが、不自然なことにその発砲音の出処が一箇所だけだった。仲間が数人で包囲しているはずなのに。断続的に発砲音が鳴り響いているから、決着は付いていないはず。何が起こっているんだ?

 

 

廃ビルの屋上に到着した。積まれた資材を影に、"ユニット"メンバーと後詰めの戦闘員が、粉浜の奴と対峙していた。辺りは砂煙に包まれ、見通しは最悪だった。

 

粉浜は、装備しているサブマシンガンでこちらに一方的に発砲してきている。なぜこちらは一発も打たないんだ?奴の"試薬"を傷つけないためなのか?

 

俺が疑問を発する前に、中百舌鳥が声を張り上げた。

 

「"ウルフマン"!テメェがヤツを仕留めろ!オレ達の武器は今使いもんにならねぇ!あの野郎、能力を使って、弾薬の火薬に細工しやがった。オレのライフルも、奴に砂を詰められてお釈迦だ。」

 

あいつ、やってくれるな。ほんとに強能力者(レベル3)か?……いや、力の使い方が上手いのか。

 

「了解シタ!」

 

俺の返事を聞いた"ユニット"メンバーたちは、俺に殺せ、とハンドサインを送った。その後すぐに、彼らはリーダーの合図と同時に、一斉に弾幕のさなかを前進し、俺が粉浜に接敵するタイミングを作り出した。

 

 

俺は、今度は匂いに頼らなかった。回復しつつある視力と発砲音を頼りに、粉浜に飛びかかった。そして、なんとか奴に接近し、思い切り胸部を殴ってブッとばした。

 

 

小浜の発砲音の静止を察して、中百舌鳥が俺に呼びかけた。

 

「"ウルフマン"!殺ったか?」

 

「イイヤ。殺シテハイナイ。ダガ、標的ハ制圧シタ。」

 

俺の返答に、中百舌鳥は唾を飛ばして激昂した。

 

「馬鹿ヤロォ!オレは殺せって言っただろうが!クソ!今すぐブッ殺せ!」

 

 

彼がその言葉を言い終わるかどうか、その寸前に。

 

辺り一面に、白い粉末が、まるで粉雪のように舞い上がった。油断し、不覚にもその粉を吸い込んでしまった。

 

その直後だった。突然、能力を自分の意志でコントロールできなくなった。体が自由に動かせなくなった俺は、マズイことに粉浜のすぐそばで倒れ込む。

 

 

他の仲間たちも、皆軒並み呻き声を上げて地を転がっていた。俺は、粉浜の追撃に焦った。同時に、倒れ伏したままの態勢で、ある考えを巡らせてた。

 

自身を包む悪寒に、身に覚えがあった。

あの晩、黒夜と戦った夜。その直前に、俺はこの感覚を味わっていたじゃないか。

落ち着いて、能力を最大限に展開する。

 

 

目の前で粉浜は苦しそうに立ち上がり、俺を憎悪の瞳で睨めつけた。

 

「また君か、ワン公!やってくれたな!おかげで、奥の手を使っちまったよ!…地獄に送ってやる。脳天ブチ抜かれりゃ、さすがにこの世とはお別れだよなぁ!」

 

そう口にした粉浜は、そばに転がっているサブマシンガンを拾おうとしている。

 

焦りに耐え、俺は身体の活性化をひたすら待ち望んだ。

 

粉浜が銃を拾おうとする動作が、スローに映った。奴が銃を手にかけたその時、辛うじて動かせるくらいには体に自由が戻った。

 

 

粉浜が銃口を向ける頃には、俺は既に立ち上がり、奴の真後ろに立ち上がっていた。

 

「ひッ。お、お前……。やッやめッ

 

奴が言葉を発し終える前に、その首を掴み、そのまま吊るし上げた。

粉浜の表情には恐怖が張り付き、その瞳はまるで俺に命乞いをしているようで、絶望に彩られていた。

 

俺の思考の内側で、一つの声が異様な存在を示していた。「殺せ。終わらせろ」と。

 

 

 

 

ここで終わらせなければ、こいつはまたすぐにでも次の手を打ってくるだろう。殺したほうが安全だ。

 

だが、俺はそもそも金が欲しかっただけだ。金のためにこいつを殺していいのか。

 

こいつには殺されかけた。自身の安全のために、殺してしまおう。

 

こいつの目。完全にビビってる。もう終わりだ。ほうっておけ。

 

そんな確証ないはずだ。いつだってこいつは殺しに来るぞ。

 

いいのか、殺しても。こいつにも家族がいて。

 

安全じゃないか。こいつを殺せば。

 

 

 

 

粉浜の、銃を握っていた手が動いた。瞬時に、彼の目に憎悪の念が湧き上がる。俺は反射的に、握っていた手に力を込めてしまった。

 

 

 

頚椎の潰れる音が聞こえた。初めて聞く音だった。

 

 

 

粉浜の体から力が抜け、だらしなくぶらりと俺の手に、静かな重みが蘇った。

 

初めて人を殺した。無意識のうちに能力を使い、湧き上がる後悔と恐れを押し殺していた。

 

 

 

 

 

 

撤収後。"ユニット"メンバーたちは、険しい顔つきをしていた。粉浜が最後に繰り出したあの一手が、回収すべき"試薬"だったのだ。組織の裏切り者に報復を与えはしたものの、クライアントの要求を完全に満たすことはできなかった。

 

任務は失敗扱いだった。他の"ユニット"メンバーは、俺が最後の最後に詰めを誤った責任を追及することはしなかった。もともとは、彼らの見通しの甘さから生まれた不祥事だったからだ。

 

 

 

"ユニット"の拠点であるトレーラーから出て行く際に、リーダーに呼び止められた。ちなみに、中百舌鳥の奴は粉浜の奥の手で病院送りになっていた。あいつは"強能力者"だったから、特別に薬の影響が大きかったんだろう。

 

「"ウルフマン"。お前は今日、良くやった。だが、覚えておけ。この世界じゃ、失敗はそうそう許されん。次は、その甘えを捨てて出直して来い。」

 

「了解。リーダー。」

 

俺の返事に、リーダーは苦笑した。

 

「任務外で"リーダー"呼ばわりは止せ。……さて、それじゃあな。」

 

リーダーは背中に抱えた大きなギターケースを抱え直し、俺に背を向けた。

 

「リーダー!そんなでっかいエモノを抱えて、また任務ですか?」

 

彼は手を左右に振り、否定の意を返した。

 

「まさか。これからバンドの練習さ。"ウルフマン"、お前も死ぬ前に、後悔の無い様にな。」

 

リーダーの楽しそうな声色に、本気で驚いた。あのゴリ、あの老けヅラでまだ学生だったのかよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第七学区。学生の街。長年慣れ親しんだ聖マリア園を離れて、俺が次の棲家に選んだのは、この学区のボロい安アパートだった。第七学区でも指折りに治安の悪い場所に位置し、スキルアウトが警備員(アンチスキル)に連行される風景が、毎日のように繰り還される。

 

 

家への帰りがけに、今日殺してしまった粉浜のことを考えていた。あんな奴が、どうして暗部を裏切ったりしたんだろう。それもたった1人で。

 

暗部に逆らえばあのような結末になる、とそれがわからない愚鈍な奴だとは決して思えなかった。止むに止まれぬ理由があったのだろうか。そんなもん、暗部に属する皆が皆に在りそうじゃないか。

 

俺も、アイツみたいな最後を遂げるんだろうか?

 

 

 

 

 

アパートまで、もうすぐだった。そこで、アパートの前にポツリと佇む人影があった。火澄だった。狼狽して、一瞬逃げようかと思ったが、彼女は既にこちらに気づいていた。冷たい相貌で俺を見つめている。

 

白状しよう。今はもう九月の初めである。五月の終わりに居を移した。それから今まで、彼女に聖マリア園を退園したことすら、一片も伝えていなかったのだ。

 

色々と彼女に説明をするのが面倒くさかった。だって、トラブルになるのが余りに見え透いていたからな。ずるずると連絡するのを後回しにしていた。

 

彼女からはひっきりなしにメールと着信が届いていたが、今まで無視していた。暗部のゴタゴタが少しは落ち着くまで、連絡を控えようと思っていたのだ。

 

その携帯も今日の任務でぶっ壊してしまった。メールの内容も最近のものは確認していなかった。どッどうしよう。今からでもホント逃げようか?逃げるべきか?逃げたいです!

 

 

「景朗。そのボロボロの格好、ケンカでもしたの?」

 

火澄が邂逅一番に告げたのは、その一言だった。

 

「……そうだよ。」

 

怒らせないように、最新の注意を払って返答を考えた。結局思いつかず、ぶっきらぼうな台詞が口から飛び出ていた。

 

「こんなボロボロのアパートに住んでるし……。はぁ~~~~っ……あんたってば、ほ・ん・ッ・と、分かり易いグレ方するのね。」

 

彼女の答えに、なんと返せば良いのかわからない。俺は黙したまま、彼女の方を向いてつっ立っていた。

 

「まさか。まさかね。まさか本当にケンカしてたとは。あの景朗が、こんなグレ方するなんて思わなかったわ。」

 

呆れ声が、暗闇の中の、静かな空間を通り過ぎていく。

 

「景朗。ケガしたとこ、見せて。さ・い・わ・い・にも、ここに手当をする道具がありますから。」

 

怪我の手当か。それは無理な相談だった。今、傷だらけの俺の体には、風穴(銃創)が3つばかし空いてしまっているからな。

 

火澄が歩み寄るものの、俺は彼女に拒絶の意思を見せ、後ずさって距離をとった。

 

「大丈夫だよ。ただの打ち身、あと擦り傷が少々。わざわざ手当する必要はないよ。」

 

俺の態度に、彼女は一瞬、傷ついた表情を見せた。続けて困惑した顔を向けてくる。

 

「景朗、ホントにどうしちゃったの?何があったの?急にクレア先生の所から出て行くし。」

 

火澄の雰囲気は今までにないくらい真剣で、有無を言わせない空気を発していた。俺が唯ならぬ状況下に身を置いているのを、感覚的に察知しているんじゃないか、と、そんな気がしてならなかった。女って、どうしてこんなカンが鋭いんだよ。

 

「大げさだな。別に何もないよ。今のアパートは、節約のために限界まで安いとこを借りただけだし、ケンカだって、今日は本当にたまたまスキルアウトに絡まれただけさ。」

 

苦し紛れの言い訳だった。火澄は当然、俺の言葉を素直に信じた訳も無く、疑いの眼差しを向けつづける。

 

「じゃあ、どうして。どうして、3ヶ月も、私のメールを無視したのよ?」

 

「それは……。最初に怠けちゃって、連絡をするタイミングをずるずると引き伸ばしちゃったんだよ。ごめん。そのことに関しては、怒られても無理はないよ。」

 

俺の拙い言い訳を耳にした火澄は、烈火のごとく怒りを露わにした。肩を怒らせ、俺に近づいてくる。

 

「そう。随分とあっさり言うのね。それじゃあ……これが、人を丸々3ヶ月も無視した分よ!」

 

そう言って、彼女はぎこちなく、俺の左足に、ぺしん、とローキックを放った。能力を解除していたが、その必要は全く無かったようだ。微塵も痛くなかった。

 

「景朗、いつか、ホントのこと話してね。今は聞かないでいてあげる。あんた、今日は随分としんどそうだから。」

 

 

 

その後、大した話もせず、彼女は夜も遅いから帰る、と言い出した。この辺は治安が悪いから送っていこう、と提案するも、火澄は鼻で笑い、勝手にしなさいよ、と言い放った。俺を置いてスタスタと先を歩いて行く。

 

気まずさで、彼女の隣に並んで歩けなかった。ひたすらに、無言で彼女の少し後ろを付いていく。

 

 

 

駅に付いた所で、火澄はようやく口を開いた。

 

「景朗。今日はホントはね、あんたが、どこの高校に進学するつもりなのか。それを聞きに来たかったんだ。」

 

彼女から話しかけてくれて、俺は焦った。下手なことはもう言えないぞ。

 

「第一志望は、長点上機学園だよ。」

 

俺の答えに、火澄は今日一番、驚いた顔を見せた。

 

「なっ、長点上機学園!?学園都市の名実共にトップの学校よ?ちょっと、真面目に答えなさいよ。……まさか、本気、なの?」

 

俺は黙ったまま、彼女にニヤリと笑った。

 

「まあ、目標は高ければ高いほど、人間、成長できるわね。」

 

彼女は、俺が長点上機学園に入学できるとは到底信じていないらしい。良かった。咄嗟に、本当のことを口にしてしまい、内心焦っていた。

 

布束さんから勧められた、暗部の仕事をこなしながら通うのに適した高校。その名を聞いて、俺は大いに納得したものだった。長点上機学園。学園都市No.1の能力開発校だ。当然、闇の深さも抜きん出ていて当然という訳か。

 

俺の能力のレアリティならば、長点上機学園にはストレートで合格できる、と彼女からお墨付きを貰っている。

 

 

最後に火澄に、手纏(たまき)ちゃんと一緒に大覇星祭の観戦をすることを約束させられた。駅へと歩いていく彼女の姿を見送り、再び帰路につく。

 

 

 

 

 

九月の第二週。大覇星祭の記念すべき初日。暗部の野暮用も無かったため、幸いにも火澄の急な呼び出しに応えられた俺は、待ち合わせ場所である第七学区の所定の公園へと急行した。手纏ちゃんとも同席しているらしい。

 

屋台のクレープに舌鼓を打ちながら、此度の大覇星祭の勝者を予想し合った。

 

「どうなの?今年の大覇星祭は。常盤台は今年こそ優勝できそう?」

 

俺の質問に、火澄と手纏ちゃんは目を見合わせ、クスクスと笑い出した。

 

「景朗さん、やっぱりそう言う話には疎いんですね。」

 

「あんた、日頃から友達がいないって言ってたけど、本当なのね。」

 

2人に突然笑われ、友達がいないと論われ、俺は返す言葉もなく、落ち込んだ素振りを見せた。

 

「何がそんなにおかしいんだよ?」

 

「だって、常盤台生の私が言うのも何だけどさ。大覇星祭に関しては、今年は常盤台中学(うち)の話題で持ちきりだと思うわよ。」

 

「景朗さん、もしかして、今年の春に、超能力者《レベル5》の方が2人も常盤台に入学したのを、ご存知ないんですか?」

 

「え。」

 

ものすごいビッグニュースだったじゃないか。そ、そうだったのか。なんで知らなかったんだよ、俺。これは情けないぞ。ていうか友達居ないなんてレベルの話じゃないよね……

 

毎度恒例の火澄の呆れ混じりのツッコミが入る。

 

「し、知りませんでした。マズイですね。」

 

「……はぁ。ええ、そうよ。マズいどころの話じゃないでしょ。あんたの交友関係が本気で心配になってくるわよ。」

 

手纏ちゃんもフォローできない様子でぎこちない笑顔を浮べた。俺は恥ずかしさを甘んじて受け入れるしかなかった。

 

「せっかく私たちが盛夏祭に誘ってあげたのに。去年も来てくれなかったじゃない。そんなんだから、そーいう事態に陥るのよ。」

 

「ま、まあまあ、火澄ちゃん。仕方ないですよ、学校の御用事がお有りだったんですから。」

 

「だって、結局中学1年生の時しか来てくれてないのよ。ずっと誘ってたのに。深咲だって落ち込んでたじゃない。友達が居ないのに、なんのご用事だったんでしょーねー?」

 

頬を膨らませた火澄の発言に、手纏ちゃんは顔を赤くしてあたふたしていた。

 

「ちょ、ちょっと火澄ちゃん!別にそんなに落ち込んでたわけじゃないよぅ!」

 

「えー、そ、そうなのか。そんなに落ち込まなかったんだ……」

 

「はぅあ。ち、ちがっ。」

 

俺がからかうと、手纏ちゃんはさらに慌てている。和むなぁ。

 

「景朗。それ以上深咲をからかったら、炙るわよ。」

 

「おーけーおーけー!やめる。やめるよ。わかった。」

 

何時ものように、火澄は手纏ちゃんを徹底ガード。一瞬でこの有様だ。

 

 

「し、しかし、それなら、やっぱり皆は当然、今年は常盤台の1人勝ちだって予想してるんだろ?」

 

手纏ちゃんはまだ少しリカバリーに時間がかかりそうだった。そこで続けて火澄が相槌を打つ。

 

「その通り。まあ、結局は団結力の勝負になるから、結果はどう転ぶかわからないけど。でも、今年の常盤台は、2人の超能力者(レベル5)の参加を追い風にして、去年より圧倒的に士気が高い、とはハッキリ言えるわね。」

 

「そこで、先輩方自身のお名前を出さないのは、さすがですね。常盤台が誇る"火災旋風(ファイアストーム)"のお姉様方。」

 

突如、俺たちが寛いでいたベンチの裏から、聞き覚えのない少女の声。まあ、実の所、俺は足音で近づかれる前から気づいていたんだけどね。

 

「!……御坂さん。」

「み、御坂さん?!」

 

混乱から回復仕掛けていた手纏ちゃんが、その少女の登場によって再びあたふたし始める。おや、どうやら、手纏ちゃんだけじゃなく、火澄も少し慌てているようだった。珍しいな。

 

御坂と呼ばれた少女は、にこやかな、人懐っこい笑顔で火澄たちに話しかけた。

 

「いやー、まだお気づきじゃなかったとは。周りを見てください、先輩。我らが"火災旋風(ファイアストーム)"のお二人が、殿方と親しげに談笑なされているのを、近くの常盤台生が、まるで真夏の雪を興ずるが如く、興味津々に観察していますよ。」

 

「み、御坂さん、その"単語(火災旋風)"は禁止!禁止!」

 

「?」

 

火澄の制止に、御坂さんは疑問符を浮かべていた。火澄のやつ、御坂さんの話でなんだか慌てているみたいだな。さっきから言ってる"火災旋風"ってなんのことだろ?火澄たちと関係があるみたいだけど。

 

「と、ところで、御坂さん。最近、よく私たちの所に来るわね。御坂さんと話すのは楽しいし、私たちは全く構わないのだけれど。もしかしたら、御坂さんが私たちの"派閥"に入っているんじゃないかって、そういうのに躍起になっている人たちに疎まれてしまうかもしれないわ。気をつけて。御坂さんに迷惑をかけてしまったら、私たちは自分で自分を許せなくなるわ。」

 

その言葉に、御坂さんは、とんでもない、という表情を作った。

 

「そんなことないですよ!むしろ、その逆です。もう九月になるってのに、まだアタシの所に"派閥"の勧誘が来てて。四六時中勧誘されて、なんだか、気づかれするってゆうか……。こほん。そ・こ・で。先輩たち、"火災旋風(ファイアストーム)"のお二人の"派閥"に入ってる、ってことにすれば、その~、なんとかなるかなーって。……やっぱり、ご迷惑ですか?」

 

「そっか。そう言うことなら、仕方ないわね。私たちも、ちょっとだけそう風に思ってたもの。御坂さん、ずっと勧誘されてて大変だろうなーって。もう、そんなすまなそうな顔しなくていいの!"派閥"だなんて下らないものに気を取られている人たちが悪いのよ。遠慮なく、私たちを頼りなさい、御坂さん。」

 

「さっすが、火澄先輩。相変わらず男前ですね!」

「火澄ちゃん、カッコイイです。えへへ。」

 

「ちょっと!男前って、何よ。男前って……」

 

 

あ、あれれ?先程から、野郎が1人置いてけぼりですよー……。気づいてますかー……。いや、会話に入りたいのは山々なんだけど、この3人の中に入っていくのは難しいぜぇ。はぁーあ。

 

 

「あーあ。そうなると、火苗のヤツが絶対いちゃもん付けにくるわね。メンドくさー。」

 

「岩倉さん、ですか。」

 

火澄と手纏ちゃんはそう言って、若干気落ちした空気を醸し出した。どうやら御坂さんもその空気に便乗しているご様子だ。

 

「先輩たちと同じ3年の"溶岩噴流(ラーヴァフロー)"の岩倉火苗(いわくらかなえ)先輩ですか?……あちゃー。最近、あまりにも勧誘が煩わしかったので、キッパリと断っちゃったんですよ。悪いことしちゃったかなぁーって思ってたんですけど。」

 

「大丈夫よ、御坂さん。火苗はそんなヤワなヤツじゃないから。」

 

火澄はそういって御坂さんを慰めた。手纏ちゃんも続けて御坂さんに話しかける。

 

「その話ならお聞きしました。岩倉さん、めげずに、御坂さんの次に食蜂さんを"派閥"にご勧誘なさったそうです。……そのぅ、これはまだ噂なのですけど……。岩倉さん、その後逆に、食蜂さんの"派閥"にご加入なさったそうですぅ……。」

 

「……」

「……」

 

手纏ちゃんの話を聞いて、火澄と御坂さんは何とも言えない表情を浮かべていた。

 

 

 

「ところでー。そろそろ、先輩たちと同席されている方について、ご紹介いただけませんかね?」

 

ナイス!御坂さん、GJすぎるでぇ!ほんまええこやぁ。てかマジで、冗談抜きでグッジョブ!御坂さんって人!

 

火澄とぱちりと目が合ったが、よそよそしく速攻で逸らしやがった。どうやら、俺の存在は都合が悪いらしいなぁ。ククク……。

 

「はじめまして、えーと、御坂…さんでいいのかな?俺は雨月景朗って言います。ちなみに、火澄とは御坂さんがご想像されている以上にディープな関係です。」

 

「なッ!ええッ!先輩!も、も、も、もしかして、この人!」

 

「景朗ぉ~~ッ!どうやら本気で消し炭になりたいようねぇ!」

 

いや、とっくに髪の毛に火が付いてるんですけど!火澄さん!御坂さんは転げまわる俺を見てあわあわしていたが、手纏ちゃんは何時もの光景だと言わんばかりに、にっこり笑顔を浮かべていた。

 

 

 

盛大に顔を赤らめつつ、火澄は俺の冗談を一蹴した。改めて、御坂さんと正面を向き合って挨拶を交わした。

 

「さっきはすみません。改めまして、雨月景朗といいます。火澄も言ってましたが、同じ施設のメンバーだったんですよ。本当の彼女は手纏……いえ、もちろん冗談です。ジョークです。」

 

「あ、あはは……。いえいえ、こちらこそ。"火災旋風(ファイアストーム)"のお二方の後輩の、御坂美琴です。よろしくお願いします。」

 

「どうもどうも。」

 

「いえいえ。」

 

そうやって、表面上はにこやかに、御坂さんと挨拶を交わしたが、内心では俺は彼女と正面に向き合って初めて、彼女の放つ異様な雰囲気に気圧されていた。

 

なんだ、この娘。只者じゃないぞ。なんだか……強い。いやいや、こんな女の子相手に何を考えているんだ。そう思いつつ、頭の中では、なぜか、この少女との戦いをシミュレートしていた。だめだ。勝てそうにない。不思議な子だなぁ。

 

一方、御坂さんはというと、どうやら彼女も同じように、俺に対して若干の警戒心を持っているようだった。

 

「どうしたの?二人共。険しい顔をして。……こほん。御坂さん、さっきも言ったけど、この脳筋男の言うことは、全て無視していいから。」

 

「えっ。あ、いや。そういうわけじゃ……。」

 

御坂さんは何でもない、という表情を返すが、火澄は不審そうな顔を俺に向けてくる。おいおい、なんもしてねえよう。

 

「か、火澄さん。初対面の方にそういう事を吹き込まないでくださいよ。」

 

火澄は俺のクレームに、ジト目で睨み返すだけだった。ち、ちくせう!さっきから厳しいなぁ!よぅし、こうなったら……

 

 

「あのさぁ。ところで、さっきから御坂さんが言ってる"火災旋風(ファイアストーム)"って一体何のことなんだい?2人に関係してるんだろ?」

 

「あれ?景朗さん、知らないんですか?"火災旋風(ファイアストーム)"って言うのは、この仄暗火澄(ほのぐらかすみ)先輩と手纏深咲(たまきみさき)先輩、お二人の"通り名"のことですよ!」

 

視界の端に、何かを諦めた様子の火澄が映った。

 

 

 

 

"火災旋風(ファイアストーム)"、本来の意味は、火災現場などで発生する自然現象である。炎が生み出す上昇気流や、燃焼により消費された酸素の移動によって生じる、火焔の竜巻のことを表しているらしい。

 

炎を操る火澄と酸素を操る手纏ちゃん、2人を的確に表した"通り名"だと思った。しかしまあ、そんな大それた"通り名"が、そもそも一体全体、なぜあの2人に付けられたのだろうか。

 

切っ掛けは、いくつかあるらしい。ひとつは、学舎の園周辺でスキルアウト等に絡まれた女の子たちを、よく火澄たち(主に火澄だな、これは)が助けてあげており、その界隈の、能力のレベルが低かったり、男に免疫のない女の子たちの間で、お助けヒーローばりのノリで噂されるようになっていたらしい。

 

その能力を使うさまを見て、誰かが"火災旋風(ファイアストーム)"と言い出し、それがいつの間にか定着したと。

 

そんな二人組は、大覇星祭で常盤台の看板を背負って大活躍を魅せる。そして、だんだんと知名度が高くなってきたおりに、最後の切っ掛け。常盤台特有の"派閥"争いの勃発。巷で人気急上昇中の二人組を陣営に加えようと、様々な"派閥"が火澄たちへとアプローチを仕掛けたらしい。

 

だが、"火災旋風(ファイアストーム)"の二人組は、決して、いずれかの"派閥"に所属することなく、孤高を保ち続けた。いろいろ嫌がらせを受けたりしたらしいが、それでも"無所属"を貫いて。今では、"火災旋風"の二人組は、常盤台で"派閥"に加わることを良しとしない、"無所属"筆頭、旗頭のような扱いを受けるまでになった、という話だった。

 

 

お、お嬢様学校怖えぇ。怖ぇぇよぉ。能力使ってもこの怖さは消せそうにないんですけど。どうしてくれる!

 

「パねぇーー!パねぇッス!"火災旋風"のお二人さん、カッケェー!マジリスペクトッすwww。ボク、これからは、お二人のことは尊敬の念を込めてファイアアアアアアアアアアアアアアッチィィイイイイイイイイイイイイ!!!」

 

「わかってた!あんたが絶対そうやって茶化してくるのはわかってたのよ!あーもう、今日は厄日だわ!」

 

「景朗さん、恥ずかしいので、やめてください~~ッ!」

 

転げまわる俺を見て、今度は御坂さんも笑っていた。

 

 

 

 

 

火澄が俺の火炙りにいい加減飽きた後。御坂さんはその後も俺たちと会話を楽しんだ。俺が常盤台中学の超能力者(レベル5)を知らなかったことについて、火澄はやたらとからかって来た。

 

初対面の御坂さんに、俺がいかに世俗に疎いか、速攻でバラされてしまったので、俺は照れ隠しに「一体、超能力者(レベル5)ってどんなやつなんだろうなー?俺の勝手な想像だけど、陰険なムッツリガリ勉さんに違いないって思ってるよ。え?俺?いや、俺はしがない強能力者(レベル3)だけどさ。俺の能力?えーっと、"戦闘昂揚(バーサーク)"っていう、火事場の馬鹿力がでるだけのショボい力だよ。」と言って誤魔化した。

 

なんだかんだで、御坂さんは可愛い娘だったから、名残惜しかったけど。競技時間が来たらしく、御坂さんは1人運動場へと走っていった。

 

 

 

 

 

火澄たちの競技時間も迫っていた。先ほどとは打って変わってご機嫌な火澄が気味悪く、俺はその理由を何度も訪ねていた。

 

「うーん。そろそろ、教えたげる。…ぷくく。あはッ、アハハ。笑いをこらえるのが大変だったわ。」

 

手纏ちゃんも、申し訳なさそうに、笑いを我慢していた。

 

「何がそんなにおかしいんだよ?そろそろ教えてくれよ?」

 

「教えてあげましょう。景朗、常盤台中学が誇る超能力者(レベル5)。一人は"心理掌握(メンタルアウト)"の"食蜂操祈(しょくほうみさき)"。」

 

おお。「みさき」とな。手纏ちゃんと同じ名前だな。漢字は違うけど。

 

「もう一人はね、学園都市第三位の超能力者(レベル5)。常盤台の電撃姫、"超電磁砲(レールガン)"こと"御坂美琴(みさかみこと)"よ!」

 

……はぁ?

 

えっ…御坂って…御坂さん……。

 

なんだッてェ?

 

う、嘘だ。

 

すがる思いで手纏ちゃんを見やるも、彼女はどうしようもないくらい、申し訳なさそうな顔をしていた。手纏ちゃんの反応でわかる。嘘じゃない。

 

え、それじゃ、俺、御坂さんの目の前で、あんだけ超能力者(レベル5)をこき下ろして……

 

 

 

うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

先に言えよ、チクショオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




どうしよう。禁書目録で木原幻生は行方不明だって話だから、勝手に殺しちゃえーってプロットを作ってたんですけど、超電磁砲コミックスで、バリバリ生存。それどころか悪の親玉のごとく盛大にやんちゃしてるじゃないですかーーー。はぁ。
まぁとっくにプロットは木原幻生の生存ルートで修正したんですけどね。嫌な作業でしたよ(笑)
この小説もどき、まだまだ続きます。登場したキャラクターとか、その能力とか、設定が色々あるんですけど、需要なんて無いですよね。お気に入りに登録してくれた方がいてくれてすごいテンション上がってます。こんなオ●ニー小説をお気に入りにしてくれるなんてヤヴァイっすよー!
アンケートなんて大それたもんじゃないんですけど、私はよく、戦闘シーンなんていらねぇ、ラブコメがもっとあったほうが・・・ってほかの方のSSよんでて思ってて、そうした方がいいかなぁ。はぁーあ。


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episode08:群蟲扇動(インセクトスウォーム)

『さあ、間も無く始まります!今大会有数の注目カード!常盤台中学校VS霧ヶ丘女学院!競技種目は極めてスタンダードな「玉入れ」となっております!現時点で暫定一位の常盤台に、何処まで霧ヶ丘が食いつけるでしょうか!兎角申しまして、両雄、知らぬ者無しの"超"の付く有名校!観客席からも並々ならぬ期待と歓声が響き渡っております――――』

 

 

 

興奮した解説実況者の大声が喧しく、俺は今すぐにでもこの場を離れたくなった。またしても火澄に呼び出され、彼女たちの出場競技の観戦へと駆り出された。早く昼の休憩時間にならないかな。しぶしぶ駆けつけたものの、俺の目的は彼女の手作りのお弁当に一極集中していた。最近食ってないからな、この機を逃す手はないぜ。

 

 

競技場に常盤台代表が入場するのを、観客席からぼうっと眺める。火澄や手纏ちゃんの姿を難なく捉えるも、御坂さんは発見できなかった。玉入れには参加してないみたいだな。

 

 

『―――続きまして、両校の注目選手のご紹介です。常盤台代表選手の中には……噂の超能力者(レベル5)の姿は見えませんね。常盤台は温存策に出た模様です。これは霧ヶ丘にとっては朗報ですね。さて、それでは現在、入場の完了している常盤台中学の選手について。まずは、常盤台代表を率いる3年、仄暗火澄(ほのぐらかすみ)選手、大能力(レベル4)発火能力(パイロキネシス)が持ち味の彼女ですが、ご存知の方も会場には多いのではないのでしょうか?去年も常盤台を率いて獅子奮迅の活躍でした。巷では、同じく競技に出場している3年、手纏(たまき)選手とのコンビ名、"火災旋風(ファイアーストーム)"の名で有名だそうですね――――』

 

 

火澄たちがでる競技だけで良かったのだが、プログラムの最後の方ではっきりとした開始時間がわからないから、と朝早くから観戦に興じている。この試合で最後だ、と空腹を我慢しつつ、片手に持つ缶コーヒーを呷った。ひとつ前の試合でめちゃくちゃになったグラウンドの修復に、思った以上に時間を取られたようで、この競技の終了はお昼休みに食い込みそうだった。

 

競技場の端に、霧ヶ丘女学院生が揃っていた。遠目にも、彼女たちの顔には殺る気に満ち満ちているのが察せられる。

 

いやはや、この試合、荒れそうだな。とにかく早く終わってくれよ、とため息をついた。

 

 

『――――そして最後に。霧ヶ丘女学院を率いる主将であり、奇しくも、大能力(レベル4)冷却能力者(クリオキネシスト)である、乾風氷麗(からかぜつらら)選手。相反する能力者同士が指揮を執るこの試合、どのような結果となるのでしょうか?間も無く競技開始となりますが、ここで再び会場の皆様に諸注意の――――』

 

 

興味は全くないが、この試合が終われば火澄たちと昼飯だ。試合内容を全く諳んじられなければ、その間に小言を付け加えられるのは間違いない。改めて競技場へと向き直り、両校の生徒たちへと視線を移した。

 

毎度恒例の、解説実況者の各競技中の諸注意の放送をBGMに、競技者たちの様子を眺めると、とある事に気づいた。

 

集団の中にまぎれ、集中し何かに没頭している、とでも言うような険しい表情を、既に浮かべている娘たちの姿が。それもどちらの陣営ともにな。なるほど、試合開始前に、すでに勝負は始まっているってことか。

 

 

玉入れに使う籠は、各自担当の選手が後生大事に抱えていた。彼らの周囲には、籠を抱える選手を護衛する係の者がそばに待機している。試合終了前に、籠を倒して玉をこぼしてしまえば、勝負は決まったようなものだからな。それもさもありなん。

 

玉入れのボールは、ゴムボールの中に微かに鉄心が入っているもの、極めて軽量なもの、といった様々な種類のものを使用しているらしい。華やかな試合になるようにと、各能力者が能力を使いやすいように調整しているって話だ。

 

 

『―――4, 3, 2, 1, スタート!試合開始です!おおっと!開始早々、見事な能力の応酬!各陣営から水や氷、炎や…電撃が飛び交う!いやぁ、これだけの量があると、煌びやかな印象を受けますねぇ。しかし、あくまで牽制や妨害のためだけに能力の使用は許可されています。人体に影響のある強度で能力を使用した生徒は、その場で即失格となります。両者、無事に中央付近の玉の配置付近にたどり着きました。おや、これは――――』

 

 

両陣営、競技開始の合図と同時に中央付近、ボールが配置されている地点へと駆け出した。

だが。霧ヶ丘女学院が猛然とスタートダッシュを切るさなか、常盤台の女生徒たちの半数が、突然何もないところで転倒した。よく見る光景だ、アイススケートのリンクの中で。

 

常盤台の陣営目前の、一部の地面が凍結していた。そのために、虚を取られた生徒がスリップしてしまったようだった。

 

 

霧ヶ丘女学院に遅れて、ようやく常盤台もボールの配置地点にたどり着いた。ルール上、ボールは一度手に触れなければ籠へ投入できないことになっている。能力を使って直に籠へ大量投入できない訳だ。

 

そこに来て、両陣営ともに玉を手に取ろうと試み……失敗していた。滑稽な光景だった。

 

常盤台の生徒は、ボールを手に取ろうとするも、蹲ったまま。誰ひとり持ち上げられていない。一方の、霧ヶ丘女学院の生徒は、手に取ったボールを掴んだかと思ったら、即座に手放して手を振り回している。

 

おやおや。これは一体どうしたんだろう。

 

 

『―――ただいま情報が上がりました。どうやら、両校、お手玉に能力で細工を行っていたようですね。常盤台のお手玉は凍りつき、地面に接着されています!中には撥水性のボールも混じっていたはずなのですが、例外なくひとつ残らず地面とくっついている!霧ヶ丘女学院の方は、お手玉が手に取れないほどに発熱している模様です!ルール違反のフラッグが揚がらない以上、長時間持たない限りは火傷しない、ギリギリの温度に調節されているようですね!意外な展開となりました!依然として―――――』

 

 

さすがはエリート校。順応速度が半端ではなかった。どちらの学校も、瞬時に対応する。霧ヶ丘女学院は、順次冷やされたボールを、次から次に空へと打ち上げ始めた。常盤台の方は女学院の妨害と、凍りついたボールの処理に徹している。

 

肝心の火澄たちは、複数の生徒をまとめ上げ何やら次の手を仕掛けんとしている様子であった。ここからは目を離さずに彼女たちを伺おうかな。

 

霧ヶ丘女学院が空に打ち上げるボールの数が、だんだんと常盤台の妨害に競り勝ち、いよいよ籠へと投入されるかのように見えた、その時。

 

突如、霧ヶ丘女学院の陣営の背後に、巨大な炎の竜巻が噴出した。炎の竜巻は、強烈な突風を産み出し、その余波は観客の帽子を軒並み吹き飛ばした。

 

当然、霧ヶ丘女学院の籠へ入るはずだったボールも何処へともなく吹き飛ばされる。

 

 

『これは一目瞭然!常盤台の仄暗選手と手纏選手の十八番(オハコ)!これが噂の"火災旋風"とでも呼びましょうか!強風を伴う火焔の竜巻です!霧ヶ丘女学院は対応できていません!次々と水流や氷塊が竜巻に打ち込まれていますが、依然としてその勢いは衰えていませんね!素晴らしい能力です!仄暗選手の"不滅火焔(インシネレート)"と手纏選手"酸素徴蒐(ディープダイバー)"の合わせ技だそうです!どちらも大能力(レベル4)相当!――――』

 

 

竜巻の引き起こす突風は強烈だった。竜巻の近くにいた霧ヶ丘女学院の生徒たちは、風に飛ばされグラウンドを転げ回った。複数の生徒が躍起になって、水塊や氷塊、泥塊を竜巻に打ち込むものの、傍目にも効果は無く、炎の竜巻は不規則に突風を産み出し、霧ヶ丘女学院のボールの投入を見事に妨害していた。

 

そして、霧ヶ丘女学院が炎の竜巻の対応に追われる間。常盤台は、手際よく強風の弱まるタイミングを見計らいつつ、念動使い(テレキネシスト)等のボールを遠隔操作できる手段を持った能力者たちが一斉にボールを自陣の籠に投入していた。その光景はあまりにも息が揃いすぎていて、精神感応能力(テレパス)の影を存分に感じられた。

 

 

一時、焦りの浮かんでいた霧ヶ丘女学院だが、今ではだいぶ落ち着きを取り戻していた。ボールを投入できないならば、と開き直り、今度は逆に、常盤台のボールの妨害に徹していた。

 

その落ち着きの理由は、衆目にも一目で理解できた。なんと、火焔の竜巻の周囲に、巨大な氷壁が形成されつつあったのだ。氷壁は竜巻をリング状に覆い、融解と凝固を一進一退に繰り返しながらだが、僅かに少しづつ、高さを伸ばしていた。このまま時間がすぎれば、竜巻の突風を封じる可能性があるだろう。

 

 

『――――霧ヶ丘女学院の反撃です!巨大なドーナツ型の氷壁が、竜巻の強風を防がんと、徐々に屹立しつつあります!こちらも素晴らしい能力ですね!五月雨(さみだれ)選手の"結露生成(デューイードロップ)"!そして霧ヶ丘女学院主将、乾風選手の"瞬刻冷却(リフリジレート)"の複合技、となっています――――』

 

 

感覚的にだが、最初と比べ突風の勢いが減って来ていた。今では霧ヶ丘女学院のボールも籠に入ってきているが、籠に入ったボールの数は、やはり常盤台がリードしている。競技時間がもう少し長ければ、霧ヶ丘女学院にも勝利の芽はあるだろうが、贔屓目に見ても、常盤台の勝利は堅いように見えた。

 

 

霧ヶ丘女学院が次の手を打つか。それとも心が折れるのか。常盤台が追撃の一手を放ち、トドメを指すのか。この試合の結果は、残念なことに俺にはわからなかった。

 

間の悪いことに、携帯には"ユニット(暗部)"から緊急招集の連絡。俺は勝負の行方を知ること無く、そして火澄の手作り弁当を口に入れることもなく、その場を離れなければならなかった。

 

任務の前に。既に、俺の心は死んでいた。ついさっきの、火澄たちとのやり取りが頭の中でリフレインする。

 

 

 

 

 

 

「いい?景朗、ちゃんと応援してくれないとお昼ご飯抜きだからね。」

 

競技場入場前の、火澄のからかい言葉に、俺はちょっとビクついた。それもそのはず。今日はそもそも火澄の弁当が狙いでここへやってきたのだ。ただ単に火澄にイジられて帰りました、では、洒落にならない。

 

「理不尽な。そっちの競技中に、俺の応援をどうやって判断するんだってんだ。」

 

そう反論したもの、彼女は有無を言わさず、「これは決定事項です」とのたまい申された。

 

手纏ちゃんは、ニコニコと可愛い笑顔を浮かべるのみ。

 

「だって、アンタ最近、すぐどっかにぷらっと行っちゃうじゃない。誰に呼び出されてるのか絶対口を割らないし。」

 

「い、いやだから学校の、研究室の先生だって。」

 

「じー。」

 

火澄は俺の答えを信じてはいないみたいだ。それも仕方がないのかもしれないな。小さな頃から一緒だったし、俺の嘘はなんとなく、で見抜いてしまう。

 

スーッと。彼女が少しだけ視線を逸らした。お。俺だって、多少は彼女のクセを理解している。これは、照れくさい時にヤルやつだ。いやまあ正直、これは"クセ"云々言う前にわかり易すぎるものだったかな?

 

「きょ、今日は、ちょ~~っとだけ、多く作っちゃったから、あんたがいないと絶対に余っちゃうと思うのよ。逃げたら殺す!からね。」

 

火澄の影に隠れていた手纏ちゃんも、言いづらそうに彼女のあとに続いた。

 

「私も……そのぅ、今日のお弁当に……。お手を加えさせていただいたので……。ぜ、是非とも、景朗さんも召し上がってくださいね。」

 

おお。手纏ちゃんも進歩したなあ。今日は言い切った。

 

「言われなくても、そのつもりなんで!いやあ、今日はそのために来たようなもんさ。あ、そうだ。飲み物とかは持ってきてる?持ってきてないなら、それくらい用意させてくれ。」

 

 

 

ああ。どうしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こちらユニット4。異常無し。そちらは?」

 

『ユニット1。こちらも問題ない。オールグリーン。一面コケとヘドロだらけだ。』

 

「……」

 

極限まで簡素な定時連絡のやり取りだったが、何時もより"ユニット1"こと"ユニット"リーダーがイラついた様子であるとは伺い知ることができた。無理もない。彼ら、"ユニット1"と"ユニット2"は今現在、悪臭漂う下水路にその身を置いているのだ。

 

現在、"ユニット"は第十六学区、つまりは第三学区と第一学区の狭間に位置する商業区画へと、護衛対象"プレシャス"の警護をするために足を運んでいる。

 

とりわけ時間の短かったブリーフィングでは、正直なところ、事態の把握に必要な情報を十分に蒐集できなかったが、今当たっている任務について、一言で述べれば。護衛対象"プレシャス"を今日一日、無事に護衛し通すこと、といえば良いだろうか。

 

"プレシャス"と対象を呼ぶものの、誰に対しても、それこそ大覇星祭のために外部から足を運んできた一般生徒の保護者にさえも、その名をわざわざ伏せる意義が存在するとは、俺には思えなかった。"プレシャス"とは知る人ぞ知る、12人の統括理事会の1人、トマス=プラチナバーグ氏のことである。

 

 

本日の11:23頃に、トマス=プラチナバーグ氏が正午からプレゼンを行う予定だった、第十五学区に位置する会場にて、爆破テロが仕掛けられた。幸いなことに、プラチナバーグが入場する前に爆発が起きたため、プラチナバーグには何の影響も有りはしなかった。

 

しかし、プレゼンの会場は使用できる状態ではなくなり、会場の変更を余儀なくされた。周辺の施設は対テロ対策が不十分であったため、急遽、学園都市中央南西部に位置する第十五学区とは真反対の方向、学園都市北部の第三学区へと会場の変更が成された。第三学区は普段から外部から要人や一般客を受け入れる窓口的な役割を持つ学区であり、それ故、学園都市でも有数の対テロ対策が実施されていた。

 

プラチナバーグ氏は、今、第七学区を護送されている。第三学区への途中に通過する、第一学区、第十六学区のうち、第十六学区はとりわけ警備の手が薄かった。そこで、蛇の道は蛇。俺たち"ユニット"のような汚れ仕事専門の部隊にも、緊急で対テロ護衛任務が廻ってきたという訳である。

 

 

供に二人組(ツーマンセル)を組む相棒である、"ユニット3"こと中百舌鳥(なかもず)は、俺が身を隠すビル屋上、そのすぐ近くに、能力を展開し空宙を浮遊しつつ、テロリストの狙撃に目を光らせている。

 

中百舌鳥は、高度に身を隠す光学迷彩スーツを身にまとい、常人の目からは姿を視認できなくなっている。特別な透視ツールを用いなければ、彼を発見するのは難しい。

 

一方の俺は、中百舌鳥のように光学迷彩スーツを着用せずに、姿を堂々と光に晒し、高性能な双眼鏡片手に周囲を偵察している。こうすることで、狙撃手と対になる観測手(スポッター)と同時に、敵の目を引く(デコイ)の役割も担っていた。

 

秘匿任務中だからだろうか。中百舌鳥は彼にしては珍しく、口数少なめに、周囲に気を配っている。

 

『"ウルフマン"、敵影なし。今のところ、敵の襲撃の気配は微塵も無え。』

 

「こちらもだ、"スカイウォーカー"。しかし、今日はもう秋だってのに、いや、秋だからこそか。この辺はやたら雀蜂が多いな。近くに巣が在るんだろうか。」

 

『悪いな、"ウルフマン"。余り口を開きたくねえ。下らねえ話はよしてくれや。……まぁ、なんだ。マジで近くに巣を見つけた時は、オレにも教えろよな。』

 

「了解。」

 

嗅覚、聴覚ともに、能力を使い最大限に賦活させていたからだろうか。敏感に周辺を飛び回る雀蜂の羽音を捉えてしまい、それが少々耳障りだった。

 

 

 

 

 

『ユニット3、ユニット4。"プレシャス"が十六学区に入った。第一学区では何事も無かったようだ。いよいよ此れからだぞ。集中しろ。』

 

リーダーから連絡が入り、俺たちは気を引き締め、より一層周囲の警戒に努めた。逐一"プレシャス"の移送状況が通達され、今もなお彼が無事に移動しつつあることを確認する。

 

 

 

 

 

もうすぐ、俺たちが担当する、とあるビル郡交差点付近に護衛対象が到着する。そこは乱立する商業ビルのせいで視界が悪く、敵襲を警戒する必要のあったポイントのうちの一つだった。

 

この第十六学区は学園都市の中でも学校が少ない地区のため、大覇星祭の活気は他の学区と比べるとそこまで伝わってはこない。

 

しかし、レストランやアトラクション施設、レジャー施設が目白押しで、街を行き交う一般客自体の

数は多いようだった。

 

平和そのもの、何時もの光景にあくびが出そうだった。一般客で混み合うこの大覇星祭の時期に、容赦なくテロを観光するテロ屋の気がしれないなあ。

 

任務に集中しなければならないとは思うものの、任務そのものより、俺は約束をブッチした火澄の機嫌の方が気が気で仕方がなかった。

 

 

 

 

 

 

このまま何もなく、任務の終わりが見えてきたかに思えたその時、事態は大きく動いた。

 

"プレシャス"があと少しで、俺たちのカバーポイントを無事に通り抜けられる頃合に、地下からのテロリストの強襲を警戒していた部隊から、続々と奇怪な通信が入ってきた。

 

『おい、今、何か黒い影が動いたような……!』

 

『ゴキブリだ!山のように居るぞ!』

 

『詳細は不明だが、黒い波がこちらに近づいてきている!』

 

複数の通信が混雑し、状況を正確に捉えられなかったが、恐らくは、ゴキブリが大群をなして下水道を徘徊しているようである。

 

すぐさま、続けて通信からは発砲音と怒声、耳を引き裂くような悲鳴が溢れ出した。驚き、状況が全く掴めず、同じく地下で歩哨任務に当たっていた"ユニット1"と"ユニット2"に連絡を取る。

 

「こちらユニット4!ユニット1、ユニット2!其方の状況はどうなってるんだ?」

 

返信は直ぐには帰ってこなかった。中百舌鳥とすぐに合流しようかとも考えたが、彼が通信に口をはさんでこない以上は、ここでさらなるテロリストの出方を窺っていたほうが良いのだろう。

 

地下で暴れているらしいゴキブリは、敵が引き起こしたものなのだろうか?

 

『"ウルフマン"!状況はつかめねえが、オレたちはオレたちの仕事に集中したほうが良さそうだぜ。ヤツ等にとっちゃ、下が混乱している今が絶好のチャンスだろうからな。』

 

中百舌鳥から通信があった直後だった。"ユニット"リーダーから、初めて聞く切羽詰った呼び声が忙しない銃声とともに耳に入ってきた。

 

『――糞ッ!ユニット1より各員に告ぐ!ユニット2が殺られた。こちらは今、ゴキブリの大群の襲撃を受けている!視界を埋め尽くす量だ!とてつもない数だ!どこから涌いたのか見当もつかないが、この様子じゃ地下の部隊はほぼ全てが無力化しているだろう!撤退をッ……チィ!』

 

もし、これが敵の意図した攻撃ならば。いや、そんな偶然あるものか。地下へのゴキブリの襲撃は十中八九敵の攻撃であるはず。ならば、然るに。すぐにでも、次は"プレシャス"へと強襲が始まるはずで。

 

『糞がァッ!挟まれたッ!―――畜生ォォォォオ!至急、救援を―――』

 

銃声が谺するさなか、リーダーから最後の通信が入った。それっきり、彼からの連絡が途絶える。呆然とする俺に、中百舌鳥から叱咤の激が飛んだ。

 

『"ウルフマン"!?聞いているのか?敵襲に備えろ!―――クソッ。ゴキブリの次は、蜂かよ……!』

 

中百舌鳥の言葉に反応し、虱潰しに辺りを探るのを止め、握っていた双眼鏡を下ろした。通信を聞き取るのに集中していたせいだ。まったく気がつかなかった。知らぬ間に、数十匹の蜂が、俺たちの周囲をぐるりと取り囲んでいた。

 

 

 

 

 

『うわあああ!さッ刺されたぁッ!たッ助けてくれ!』

 

『気をつけろ!刺されたら一瞬で昏倒するぞ!……見たこともない蜂だ!』

 

 

他の狙撃班からも、悲痛な連絡があとを絶たない。蜂が辺りを飛び回っていたのは、このためだったのか。巣が近くにあったわけじゃない。敵の尖兵だったって訳だ。ふとした見かけは雀蜂だが、なるほど、これは……。通信にあったとおり、独特の凶悪なフォルムをしている。学園都市が新たに生み出した新種だろうか?

 

 

空宙に浮かびながら、こちらの動きを見計らっていた蜂の大群から、数匹が高速で飛来し、俺に向かって突撃してくる。

 

鋭敏に反応し、なんとか両の拳で叩き落とす。マズイな、想像以上に疾い。これは、常人では反応できないぞ。中百舌鳥のヤツが危険だ……。

 

「"スカイウォーカー"。まだ無事か?」

 

『チクショウ、今んとこはまだ襲いかかられてねえが、時間の問題だ!悪いが、"ウルフマン"。ここはトンズラさせてくれ。能力を解除して、地上へ急降下するッ』

 

「ああ!逃げろ!俺も急いで合流する!」

 

改めて、目の前の大群に対峙する。どうやって蟲どもを切り抜けようか、と思考を切り替えようとするも、またしても緊急の通信が俺の脳裏を貫いた。

 

『狙撃班!至急援護を!護衛対象に敵部隊の襲撃!護衛部隊が襲われている!……ッ一体どうしちまったんだ!?狙撃班からの反応も無い!このままでは―――』

 

次から次へと事態は急転している。嫌な予感がする。少なくとも、俺たちは混乱状態にあり、敵にイニシアチブを取られたままだ。

 

 

 

 

 

体躯をしならせ、一息に飛び跳ねて、屋内へ逃れる。蜂の群れを掻い潜り、ビルの階段を駆け下りた。同時に、能力を発動させて、"人狼化"を行った。

 

 

『最悪だッ!護衛部隊も蜂に襲われている!まともに敵歩兵部隊に対応できるのはパワードスーツ部隊だけだァ!誰でもいい!至急救援を――うッ、ぐぁぁ……』

 

 

小さな蜂どもにとって、雑多な商業ビルへと侵入するのは、何よりも容易なことだったろう。強化された聴覚で、排気菅やダストシュート、至るところから蟲の飛翔音が聞き取れた。

 

今の状態の俺でも振り切るのは難しい。如何せん、数が多いし、的が小さすぎる。対昆虫兵器兵装が必要だが、誰がそんな状況を予想し得ただろう?火炎放射器、マイクロ波誘導加熱兵器、音響兵器。どれもこれも、こんな街中で使えば、味方まで巻き込んでしまうだろうよ。

 

『チクショォ!ダメだッ!振り切れねェ!』

 

「モウスグダ、合流スルマデ逃ゲ切レ!」

 

中百舌鳥の極限まで緊迫した叫び。時間が惜しい。ここが何階だったか知らないが気にしてられない。窓を突き破り、屋外へと飛び出した。眼下に映る地表まで、まだかなりの高度があった。勢いそのまま、目前に迫る壁を蹴って、また新たな壁へと飛び移り、落下速度を調節していく。

 

上方から蜂の羽撃きが耳に入る。そうだ、どうやって蟲どもから中百舌鳥を助ける?ヤツらの殲滅は難しい。とりあえず、中百舌鳥を抱えて逃げるか?

 

―――駄目だ。護衛目標"プレシャス"は今まさに敵の手に落ちようとしている。直近の護衛部隊の援護に行かなくてはならない。どうする?しかし、救援に向かうならば、中百舌鳥を見捨てるしか方法が…?

 

チッ。任務はまた失敗か。仕方がない。まずは、中百舌鳥のヤツを回収してからだ。その後はあとで考える。

 

両手両足の爪を尖らせ、壁面に食い込ませた。摩擦で熱と煙が生じるものの、俺の落下速度は急激に緩やかになる。上空から付け狙う蜂どもを油断なく注視しつつ、俺は地表へと降り立った。

 

『くああっ、刺された!うおおおおおッ!』

 

マズい!間に合わなかったか!急いで路地を駆け抜け、地に倒れ伏した中百舌鳥を見つけ出した。数匹の蜂が奴に取り付き、毒針を突き刺している。

 

こうなれば、とにかく、急いで処置を受けさせなければ。中百舌鳥の体にまとわりつく蜂を蹴り飛ばし、体を肩に抱えて、この場を離れようとして――――

 

 

 

 

姿勢を起こした俺の目前に広がったのは、加勢すべき"プレシャス"直近の護衛部隊が制圧されつつある光景だった。

 

あちこちに転倒した車両が転がっている。敵は大規模な玉突き事故を誘発させたのか。まんまとしてやられている。車両を遮蔽物に、銃撃戦の痕が見て取れる。

 

軽装の護衛たちはそのほとんどが意識を失い横たわっていた。通信で聞いたように、まともにテロリスト共に対抗していたのは少数配置されたパワードスーツ部隊だけであった。彼らは孤立無援の中、テロリストどもから必死にプラチナバーグを守り通そうとしている。

 

だが、その彼らも長くは保たないだろう。敵部隊はこの状況を予測していたがごとく、かなりの数の対PS(パワードスーツ)兵器を揃えていた。トリモチのような、学園都市の最先端技術によって開発された合成樹脂によって、半数のパワードスーツが地に磔となっている。

 

 

 

 

 

俺はこの状況を放り出して逃げ出すのか?

 

 

 

一瞬の、逡巡。それが、運命を分けた。迷いを振り切り、中百舌鳥を担いで走り出そうとしたまさにその瞬間。

 

 

首筋に小さな痛みを感じた。まるで、小さな虫に噛まれたような。

 

 

その次に、俺が知覚したのは、自身が大地に倒れ伏す振動だった。中百舌鳥と一緒に、地面に転がった。体がぐらついて、うまく立っていられない。

 

疑問とともに、すぐに起き上がろうと試みるも、体は言う事を聞かず、蝸牛のようにゆっくりと動くだけだった。弛緩した体に力が入らない。

 

俺と中百舌鳥に、すぐさま毒蜂が群がってくる。比較的はっきりとした意識の中、俺は中百舌鳥が蜂に貪られ、ショック死する様を目の前でまざまざと見せつけられた。

 

針が体内に入り込む、えも言われぬ悪寒を感じながら、俺は突然の身体の痺れを招いた原因を目撃する。それは、どす黒い色をした蜘蛛だった。俺の手の平ほどもある、大きな蜘蛛だった。音もなく忍び寄る、生粋の狩猟者。

 

後悔すら、体を襲う痺れと悪寒、高熱の中に消えていった。朦朧とした意識には、目の前の味方が発する、増援を縋る虚しい声だけが届いてくる。

 

 

このまま意識を失えたら楽だな。そういえば、俺はこうやって体の自由が効かなくなっては、その都度能力を発動させてきたんだっけ。そういう時はいつだって、ロクなことがなかった。

 

そうやって昔のことを思い出す度に、怒りが湧き上がる。

 

どうせなら、今、立ち上がれよ。また後悔するぞ。蟲の毒くらいでこの俺をどうこう出来ると思ってんのか畜生ッ……!!

 

 

「GOOAAAAAAHHHH」

 

 

奥からくぐもった唸り声を漏れ出しながら、俺は力強く立ち上がった。一歩一歩踏みしめるごとに、意識がクリアになっていく。中百舌鳥は既に事切れていた。今、この瞬間に、悔やんでも仕方がない。

 

倦怠感が断ち消えるとともに、俺は今まさにプラチナバーグを手中に収めんとしている奴らへと飛び掛った。再び、鬱陶しく蜂が寄り集まってくるが、もはや、俺にはその毒は意味をなさない。蜘蛛の毒も。

 

こじ開けられた護送車には、意識を失った青年の姿が。間一髪だった。今まさに、プラチナバーグが収奪されようとしていたのだ。

 

俺に反応できたのは、わずか2名だった。残念ながら、その刹那に意識を刈り取られただろうけどな。盛大な音を立てながら、俺にタックルを食らった2人は数メートルほど吹っ飛び、動きを止めた。

 

機動性を重視したためだろう。敵部隊は軽装の上、対PS兵装の他には、ごく普通の小火器しか用意していない。群がる毒蜂をものともせずに向かってくる俺の姿に、敵部隊は大いに動揺をしてみせた。味方の護衛部隊が数を減らしてくれていたおかげで、残り4,5人といったところ。これなら、俺ひとりで制圧してやる。

 

 

慌てて発砲してくるが、高速で動く俺には全く命中していない。敵が油断していた上に、虚を着いたのが功を奏したのか、ものの数十秒でさらに2人片付ける。

 

 

状況判断する時間を与えてしまった、残りの3人には、しっかりと陣形を組まれ、強力なアサルトライフルで弾幕を貼られている。彼らとプラチナバーグの距離はごく僅か。

 

俺は思い切って、ライフル弾を喰らう覚悟で、奴らとプラチナバーグの間に割って入った。プラチナバーグが人質に取られるのだけは避けたかった。

 

数発の弾丸が俺に命中したが、なんとかプラチナバーグの傍に移動できた。俺の思いがけない行動と、その意図を察した敵3人は悔しそうに発砲を続けたが、切り替えも速く、すぐさま逃走に入った。

 

プラチナバーグの安全を確保しなければならない俺は、奴らより一層地団駄を踏みたい気分だった。追い縋りたい気持ちをなんとか抑えて、増援部隊が来るまでその場に留まった。

 

 

それからたった数分で、どうやら暗部の増援が到着した。どうにも速すぎる。最初から周囲に待機していたのでは?と思わせる速度だった。

 

すぐさま、彼らが何者か察せられた。"縞蛸部隊(ミミックオクトパス)"。近頃話に聞いた、暗部の偽装工作部隊であった。ほぼ非戦闘要員である彼らの援護では、いたずらに被害が増えただけだったかもしれない。いや、ただ単に、彼らの任務が"この事態"の収拾のみだったのかもしれないが。

 

 

 

 

それから数分後。ようやく、遅ればせながら、"警備員(アンチスキル)"や"風紀委員(ジャッジメント)"の影が視界に入る。潮時だろう。もはやプラチナバーグの安全は確保されたも同然だった。

 

衆目にこれ以上今の自分の姿を晒したくはない。俺は事態の回収を彼らに任せ、中百舌鳥の死体を担ぎその場から逃げるように撤収した。

 

先程の戦闘で、多くの人間に人狼化した俺の姿を目撃されていただろう。学園都市に、新たに狼男の都市伝説が誕生してしまうな。面倒なことにならなきゃいいが。諦めるしかないか。

 

 

 

 

 

 

回収地点につく前に、最後に残った"ユニット"のオペレーターに今までの推移の報告を行う。半裸で人間を担ぎ、走り回る俺の姿を、不審そうに見つめる奴もいた。

 

 

『実働部隊で生き残ったのは貴方だけよ、ユニット4。』

 

無機質な女性の声。顔も名前も知らない彼女からの連絡で、俺は"ユニット"の壊滅を改めて確認した。

 

『貴方の活躍で、なんとか"プレシャス"が敵の手に渡らずに済んだわ。そのことについては、お手柄だと手放しに賞賛を送りたいのだけれど。気の毒なことに、そうも言ってられない。結局、"プレシャス"を無事に講演会場へ護送出来なかった。上からの命令を遂行できず、立て続けに二度の失敗。状況を改善したくとも、実働班は壊滅。私たちは今、非常に危うい立場に居るわ。』

 

「言いたいことはわかった。……俺は、これからどうすればいい?」

 

 

『貴方の、"蜘蛛"に噛まれたという証言。ゴキブリと蜂の報告は他の部隊からも連絡が入っていたのだけれども、その"蜘蛛"の情報だけは貴方からしか上がっていなかった。現時点では、報告にあったゴキブリ、"食人ゴキブリ"と貴方も目にした毒蜂、"AVH"の情報から、第五学区の"産学連携生物産業総合技術研究所"へと報復部隊が向けられている。しかし、そこに貴方の"黒色の蜘蛛"の情報を加味した、私たちのリサーチでは、その他にもう一箇所候補が挙がった。第二十一学区、バイオプラスチック研究開発アカデミー。』

 

「今すぐに、其処へ向かえと?たった一人で?おまけに確証も無いんだろう?」

 

『……そのバイオプラスチック研究開発アカデミーと関連深い企業を踏まえて、推測した結果。"スリット"という産業スパイの機関がこの事件の首謀者にリストアップされたわ。彼らの活動はつい最近、統括理事会に露見した。今はわざと泳がされていたの。私たちですら手に入れられた情報よ。"スリット"自身も察知していたでしょうね。』

 

俺の応答は無視された。オペレーターの声色も心なしか切羽詰っている。

 

『情報から推察するに、"スリット"を泳がせるように指示をしたのは、今回の護衛対象"プレシャス"だった可能性が高いわ。貴方の発言通り、確証はない。"スリット"のように、理事会に首根を押さえつけられている非合法組織は山ほどあるもの。』

 

「その"スリット"が、プラチナバーグを襲ったと言いたいのか?」

 

『その可能性は高いはず。彼を人質に取ろうとしたのは、逃亡のためか、取引のためかは分からないけれど。……"ウルフマン"。貴方は、最後の活躍で、奇跡的に任務失敗のペナルティを受けずに済むかもしれない。けれど、私たち後詰めのスタッフはまず間違いなく処分されてしまうでしょうね。ただ、問題はそれだけじゃないわ。今後、貴方がまだ"この世界"で仕事を続けたいなら、今この時、今回の失態を挽回しなければならない。貴方、これからも大金が入用なのでしょう?』

 

『敵地に突入するのは、貴方1人。命令に従うも、背くも、貴方の自由。結果を得られなければ、どうせ私たちは処分されるわ。命令違反のペナルティも在りはしない。ただし、貴方もここで上層部に覚えをよくしておかなければ、資金稼ぎに苦労することになる。』

 

暗部で傭兵でもやらなければ、どうやって大金を稼げるというんだ。それに、今日は一度に3人も仲間を殺された。仲間だなんて呼ぶ間柄じゃないし、そんな意識も無かったが、弔い位はやってやる。

 

「いいだろう。あんた等を助けてやる。せいぜい俺を支援しろよ。……中百舌鳥の遺体はここに棄てていく。後で回収してくれ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人狼化した俺ならば、薄暗い森の奥地であろうが、関係なく走破できる。

 

"ユニット"オペレーターの案内に従い、第二十一学区、山間部、貯水用ダムの畔に建てられた、バイオプラスチック研究開発アカデミーへと辿り着いた。

 

2階の窓を破り、建物内へと侵入した。中は静謐そのもので、少なくとも周囲には、人の姿はもちろん、物音ひとつ聞こえない。それなのに、どうしてだろう。落ち着かない。第六感はしきりに違和感を感じ取っていた。

 

オペレーターの話によれば、敵の中に蟲類に感応し操作できる"精神感応能力(テレパス)"が、まず間違いなく紛れ込んでいるとのこと。だとすれば、緑の多いこの場所には、蟲など幾らでもいる。俺の侵入は察知されていると考えたほうがいい。

 

 

少し離れた部屋から、人の匂いが漂ってくる。慎重に近づき、目的の部屋に忍び込んだ。

 

床に数人の男女が転がっていた。手足を縛られ、1人を除いて皆意識を失っている。ただ1人だけ、必死に拘束を解こうともがいていた女性に近寄った。

 

彼女は俺の姿を見て、可哀想なほどに顔を引きつらせ、この世の終わりでも覗いたかのように震えあがった。

 

彼女の胸に付けられたタグを確認する。研修生, 蟻ヶ崎蛍灯(ありがさきほたるび), 稲之崎工業大学3年とある。この研究所の職員、いや大学生か。インターンシップか何かで顔を出していたところを襲われたと。不運だったな。

 

「オペレーター。ココデ当タリカモシレナイ。」

 

オペレーターに通信を入れようと思った矢先、ヘッドセットから聞こえてきたのは砂嵐にも似た雑音だった。ジャミングだ。敵は間違いなくここにいる。まずは一刻も早くバレないうちに、人質を開放してしまおう。それから敵を仕留める。

 

怯えながらもじっとこちらを見つめる彼女に、できるだけきちんとした発音を心がけて、今から拘束を解くこと、そしてほかの人質を逃がしていち早く退散するように、と語りかけた。

 

未だに震える彼女が今の状況を理解できているかわからないが、時間がない。拘束を爪で破り、床に落ちていたオーバル型の赤縁メガネを彼女に手渡してやった。そこまでして、彼女はやっと少し落ち着いたようだった。

 

「首謀者ハ何処ニイルカワカルカ?」

 

俺の問いに、彼女は一生懸命に首を横に振った。これ以上はもういいだろう。俺の方を不思議そうに見やりつつ、背を向けて、ほかの人質の方に向き直った。

 

人質が逃げる間は、標的を見つけてもしばらく時間を稼がなきゃならなくなるかもしれない。とりあえず、一刻も早く敵を見つけ出さなくては。部屋を退出する。そして、人質が拘束されていた、その部屋を退出する間際。背中から、女の濁った声が。

 

「テメェーの匂いは掴んだぞ、狼男。」

 

俺が振り返ったその時には、既に部屋中に巨大ゴキブリが湧き出していた。瞬く間に、視界が黒く染まる。

 

「賭けには私が勝ったんだよ!必死こいて仲間を助けようとしてたもんなぁ!目の前で殺してやったけど。あはっはっはぁー!またこーやって、暢気に人質を助けようとすると思ったよ!」

 

先程の怯えていた様子など微塵もない。蟻ヶ崎は醜悪な怒りに身を染めて、俺を睨みつけていた。

 

「ほらほら、ひとぢちサンがゴキブリにモグモグされて苦しそうだよぉ?助けないの?」

 

クソッ!コイツ……。一瞬、躊躇した。ためらわず、振り返った瞬間に殺していれば。黒光りする、食人ゴキブリの波が押し寄せてくる。もはやヤツには近づけない。この場から一刻も早く離れければ、危険だ!

 

「さっきは良くもやってくれたなぁ!テメェーのおかげで、プラチナバーグを捕らえ損ねたじゃねぇーか!……テメェだけはゼッテェぶっ殺してやっからな!毛むくじゃらァ!」

 

 

 

 

 

 

 

施設内を走り抜ける。食人ゴキブリどもはコンクリートだろうが鉄筋だろうがお構いなしに、食い散らかして穴を開け、執拗に俺に追走してくる。

 

数の暴力。多勢に無勢。あの大群に喰い付かれたら、髪の毛一本残らないだろう。俺は施設内を縦横駆け抜け、食人ゴキブリから逃げ回るだけで、何の手立ても打てずにいた。

 

際限なく沸き上がる焦燥感を能力で無理矢理に押さえつける。この施設は、あの食人ゴキブリの開発が行われたところだろうか?そうだとしたら、何か逆転の芽があるか?

 

いや、そんな悠長なことをしている暇はない。食人ゴキブリは通常のゴキブリとはサイズも段違いだった。移動速度は想像以上に疾い。障害物をブチ抜いて、最短距離で迫ってくる。

 

無策のまま、逃げ場所がなくなり、ついには屋外へ飛び出す。畜生、ここで逃げてどうする?おめおめと奴を逃してなるものか!絶対に仕留める!ハハッ。どうやって!?

 

 

視界の中央に、貯水ダムと、傍に建てられた大規模な上水施設が映る。いっそダムに飛び込むか?……いや、ゴキブリの中には、確か主に水中で生活する種類のヤツも存在したはずだ。唯の水では……

 

近くにそびえ立つ、巨大な上水施設を目に捉える。上水施設。浄化には、確か次亜塩素酸ナトリウムが使われて……。洗剤何かに使われている成分だ……。水溶液は、塩基性を示す……。ゴキブリが水中で窒息死しないのは、呼吸口を油性の毛で塞ぐからだったはず。それなら……イチかバチか……ッ!

 

 

 

上水槽に侵入し、強烈な塩素臭を漂わせている場所を探す。蟻ヶ崎は俺の"匂い"を掴んだと言っていた。それでゴキブリを操っているのなら。うまくゴキブリどもが水に突っ込んでくれるように祈りながら、俺は水中に飛び込んだ。

 

 

 

さあ、蟲ケラども。俺と息の我慢比べだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

人生最悪の光景が広がっていた。水面一面に浮かぶゴキブリの死骸。

 

どれほどの時間が経ったのかは分からない。不思議なことに、水中に入り、息をこらえていると、だんだんと息が苦しくなくなった。意味不明だな。兎に角、俺はどうやら、その気になったら呼吸をせずとも暫くは生命を維持できる体になっているらしい。

 

何はともあれ。蟻ヶ崎、俺も賭けに勝ったぞ。それとな、"匂い"を掴んだと言っていたが、それはこっちの台詞だよ。

 

 

 

「オペレーター、聞コエルカ?」

 

俺の通信に、焦燥に駆られたオペレーターの声が間を空けず返ってきた。

 

『"ウルフマン"!?何をしていたの?任務を放棄したかと思ったわよ!』

 

「ポイントBデビンゴダッタ。ジャミングサレテイタ上ニ、件ノ、蟲使イノ"精神感応能力(テレパス)"ニ襲ワレテイタンダ。連絡ガ遅レテスマナイ。』

 

俺の報告に、オペレーターが、はっと息を呑んだ。今頃、遠く離れた"ユニット"拠点のトレーラーの中で、ディスプレイの前で、前のめりになっているんだろうな、と笑みが込み上げてくる。

 

『そ、それで、標的は確保できたの?!』

 

「イヤ、マダダ。」

 

『ッ。何をグズグズしているの!』

 

気持ちはわかるが、もうちょっと落ち着いて欲しい。

 

「今向カッテイル!コチラモ相手ノ"匂イ"ヲ押サエテアル。追跡ハ容易ダ。ソレデ、改メテ確認スル。標的ハ生ケ捕リガ望マシインダナ?」

 

『ええ、もちろん。今回の事件の責任を取ってもらうわ。』

 

「通信終了。次ハ標的ヲ確保シテカラ連絡スル。」

 

 

 

 

 

 

バイオプラスチック研究開発アカデミーに戻る。蟻ヶ崎の匂いを辿り、電算室らしき場所へと向かった。目的地に近づくにつれ、蟻ヶ崎の狼狽した怒声が聞こえてきた。

 

「チクショォ!チックショォ!時間がねぇーってのに!なんでセキュリティが開かねえんだよ!手ブラじゃ帰れねぇぞドチクショォォォッ!」

 

彼女は相当に狼狽しており、拳銃片手に、イラつき混じりにガシガシとコンピュータを蹴り続けていた。彼女の周囲を舞う数匹の蜂が俺の姿を捉えると同時に、彼女は振り向きもせず、銃口をこちらへ向けた。

 

「何もかもテメェのせいだ。テメェが2度も余計な茶々を入れなけりゃァ、もうちっとズラかる時間が稼げたのによぉ……ッ。」

 

近づいてきた蜂を速攻で叩き落とす。すぐさま、彼女は逡巡無く発砲。俺は態々避けもせず、淡々と彼女へと歩み寄った。

 

腹部に拳銃弾を受けても、全く怯まない。スタスタと、彼女の前に立ちはだかると、彼女はその場に崩れ落ち、泣き出した。

 

 

そのまま様子を見る。再び、首筋に蜘蛛に噛まれる痛み。天井にこの毒蜘蛛を潜ませていたのか。彼女はピタリと泣き止み、同時にニヤリと嗤い、俺を見上げた。

 

「残念。モウ効カネエンダ、ソレハ。」

 

蟻ヶ崎の目の前で、蜘蛛を引っつかみ、握りつぶした。表情を凍らせた彼女が言葉を発する前に、鳩尾に拳を入れ、意識を奪った。

 

 

 

 

 

 

 

蟻ヶ崎を、回収に来た別系統の暗部の部隊に渡した後。オペレーターから蟻ヶ崎確保までの事後報告を要求された。

 

 

『……それを聞けて良かった。今日からしばらくは、絶対に水道水に口を付けないことにするわ。』

 

「俺もそうするつもりだよ。まぁ、なんにせよ、だいぶ明るくなったな。やっぱり、蟻ヶ崎を捕まえたことで、俺たちの失態はおおよそ軽減されたんだよな?」

 

オペレーターは、しばしの間、口を閉ざした。彼女にとっては、俺ごときに、地の性格を晒したのは屈辱だったのだろう。お互い様だと思うが。

 

『貴方には、一同、感謝します、"ウルフマン"。』

 

 

 

 

 

 

 

 

拠点のトレーラーへと戻ってきた。あれほどの事があったのに、肉体的には全く疲れていなかった。もちろん、精神的には相当キているけどな。

 

以前の失敗を踏まえ、拠点に置きっぱなしにしていた携帯には、火澄たちからの夥しいメールと着信履歴が。当然覚悟していたが、どうにも怒り心頭すぎるご様子。はあ、あのタイミングでブッチした言い訳を考えるのも億劫だ。

 

 

『"ウルフマン"。貴方に転属の連絡よ。』

 

突然の、"ユニット"オペレーターからの通信だった。

 

『"ユニット"は現時点を持って解体。スタッフはそれぞれ別の組織へ転属することになった。"ウルフマン"、貴方は部隊名"ハッシュ"へ加入して下さい。その意思が在るならば。』

 

レスポンスが早い。さすがは暗部組織。末端の部隊の興亡なんて日常茶飯事、上層部にとっちゃ、所詮は取るに足らない瑣末事か。

 

ふと、気になった。今日亡くなった同僚3人。リーダーこと"ユニット1"は、あの外見で意外なことにまだ学生だった。他の皆はどうだったのだろう。死んだ人間のことを根掘り葉掘り聞いても意味はないかもしれないが。

 

「なあ、あんた。最後に頼みがあるんだ。今日死んでしまった、ユニット1, ユニット2, ユニット3の3人は、表じゃ何をしていたんだ?皆もう生きちゃいない。知っていたら、教えてくれないか?」

 

黙り込んだオペレーターは、悩んでいるようだった。しかし、嫌々ながらも、口を開いてくれた。

 

『機密漏洩は、重大な契約違反だけれど、相手は死人。ほかならぬ貴方の頼みだから、特別に教えましょう。

 

ユニット1, 嶺木信山(みねきしんざん) 欧亜大学4年

 

ユニット2, 静馬一誠(しずまいっせい) 電子制御工学の専門学生。

 

ユニット3, 中百舌鳥遊人 金崎大学3年。

 

どう?これで満足して頂けたかしら?』

 

「ああ。……やっぱり、表の個人情報もそうやってしっかり調査されているんだな。俺についても当然詳しく調べられているのか?」

 

3人とも、まだ学生だった。今日、人生が終わった蟻ヶ崎も、学生だった。この間殺してしまった"粉塵操作(パウダーダスト)"の粉浜薫も、成人していたかどうか。

 

人類の英知と希望に溢れる、学園都市?どこがだ。学生同士が殺し合う、最低にクソッタレなところじゃねえか。腐って腐って腐って腐って、底が見えやしねえ。

 

 

『ええ。想像の通りに。最も、貴方はちょっと"特別"だったようだけど。』

 

「ああ。実はそうなんだよ。俺は"特別"だったのさ。……そんじゃな。色々教えてくれてありがとう。あんたも元気でな。」

 

『さようなら、"ウルフマン"。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後日、転属となった"ハッシュ"と呼ばれる部隊の、メンバーたちと顔を合わせた、その時に。俺は意外な出会いに驚かざるを得なかった。

 

なるほど。"ユニット"オペレーターが、"ハッシュ"について、色々と事前に教えてくれていた、その意味に納得する。

 

"ハッシュ"とは、その名の通りに、解体された部隊から、寄せ集められて作られた"ごたまぜ"部隊であると。

 

 

「オ、オレは、丹生多気美(にうたきみ)だ。これからよろしく頼む。」

 

そう自己紹介したのは、ショートヘアの黒髪をサイドポニーで纏めた少女である。ショートデニムが、更にボーイッシュな雰囲気を高めていた。ついでに、いかにもスポーツドリンクが入っていそうな、肩にかけた無骨な水筒にも目を惹かれる。

 

どこかで聞いた声だった。割と最近だ。そう、粉浜を追い詰めるときに、俺が誤って攻撃してしまった、同じく暗部組織に所属していた少女であった。

 

「まさか、こんな所で会うとはな。よろしく。雨月景朗(うげつかげろう)だ。"マーキュリー"。」

 

俺はにこやかに、彼女に答えると、握手のために手を差し出す。丹生多気美と名乗った少女は、目の前の少年が、未だに誰だか分かっていないみたいだが。

 

「えっええっ。まだ教えてない。どうして、アタシのコールサインを知ってるの……?」

 

テンパっているせいで、口調が素に戻っていたが、そこにはあえて触れないでおく。

 

「この間は、いきなり攻撃を仕掛けて悪かったな。まあ、これからは侘びも兼ねて、俺が守ってやるよ。……やっぱ、スグには分からないか。」

 

そう言ってニヤリと笑うと、彼女は何かに気づいた表情を見せた。驚愕とともに、俺を無意識のうちに指差していた。

 

「そうさ。"ウルフマン(狼男)"だよ。この姿で会うのは初めてだな。"ダスト"追跡任務の時、間違って君を攻撃してしまった狼男。その正体は、正真正銘、ここにいるこの俺さ。」

 

 

 




一週間に一度は更新します。忘れ去られそうなので(笑)間に合わなければ、それまでに書いてたところまで(仮)とか付けて。早く仕上がればすぐ上げるつもりですけど、きついだろうなあ。
読む価値ないクソSSだけど、見てもらってるとわかるとやっぱ嬉しいですからね。


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episode09:水銀武装(クイックシルバー)

 

 

「本当にごめん。マジで、あのタイミングで抜け出すなんてありえないって、自分でも思ってる。」

 

『……』

 

「……その、さ。お弁当、やっぱり……余っちゃっ…た?」

 

『……余ったお弁当は、後で御坂さんが美味しく頂きました。』

 

「ああ、そっか……。それは、よかった。」

 

『……』

 

「あの、アレ。玉入れも、最後の方まで見たんだ。火澄と手纏ちゃんが竜巻だすとこもちゃんと見てた…ぜ……」

 

『……』

 

「決着は、やっぱ、その……常盤台の勝ちだったんだよ、な?」

 

『玉入れは勝ったわよ。』

 

「ああ、やっぱり勝ったね。優勝も、常盤台だったんだよな?」

 

『負けたわ。最終的には長点上機が優勝した。そんなことも知らないの?』

 

「……ぬ、ぐ。そのっ……」

 

『深咲、泣きそうな顔してたわよ。』

 

「……そのことは、言い訳せずに、許してくれるまで謝るしかないって思ってるよ……」

 

『言い訳しないっていうのなら、何の用事で居なくなったのか聞かせてもらいたいわね。』

 

「……それだけは言いたくない。誰にも言わない。許して欲しいけど、それを言うつもりはないよ……」

 

『……はぁ。この期に及んでもなお、教える気はないのね。もう。それで本当に許して欲しいの?』

 

「ごめん。許してもらえるまで、何を言われようと我慢するよ……覚悟してる。」

 

『人に言えないような、アルバイトでもしてるの?だからって、あんな風に情の薄い、他人に対して無神経なことばかりやってたら、友達いなくなっちゃうわよ?』

 

「そう、だね。その通り、だよ。」

 

『はぁ。わかりました。……今回のことは、深咲と話し合った結果、さすがに目に余る、ということで。景朗には、ちょっと反省してもらおうと思います。』

 

「え?」

 

『頭が冷えるまで、暫く。アンタのこと、無視させていただきます。』

 

「ちょ、ま、え?」

 

 

以上が、大覇星祭終了後の、俺と火澄の、電話越しでのやり取り、そしてその顛末である。それっきり、彼女たち、火澄と手纏ちゃんのケータイにいくら連絡しても、めっきり音沙汰なくなってしまいました、とさ。

 

手纏ちゃんから唯一、一件。メールで返信があった。『景朗さんのこと、嫌いになったわけじゃないです。けど、今回のことはあんまりだと思います。いつも約束やぶって居なくなっちゃいますし。もうこんなことしちゃ、めっ、ですよ?ごめんなさい。少しだけ頭を冷やしてください。』

 

手纏ちゃんまで。そんな。俺の癒しの時間が。こ、こんなことで、JCと優雅にランチを楽しむ憩いの時間が失われてしまったのか。そんな、嘘だ。こ、こんなの夢だ。……ダメだ、着信拒否。メールもいくら送っても返ってこない。畜生マジでか!えええあああ。寂しすぎるんですけど。

 

がああ、あれもこれも全部、無駄に抵抗して無駄に命を散らす、大馬鹿野郎のクソッタレな暗部どものせいだ。次会ったときは、容赦なく潰してやる。うあー。やってらんねぇよぉ。

 

 

 

 

 

 

「……い!おい!ぼーッとしてないで、ちゃんと見てよ!」

 

丹生多気美(にうたきみ)と名乗った少女が、訝しげにこちらを覗き込んでいた。頬を膨らませた彼女は、ぷんすか、という表現が似つかわしい表情のまま、手にした銀色の物体、水銀の塊をうねうねと手の中でコネ回している。

 

 

今はもう十月のはじめ。九月の末に、火澄と手纏ちゃんに天誅を下され、その衝撃から僅か一週間。未だに、こうしてその時の衝撃がフラッシュバックしてくる。

 

……というわけではない。実は今。俺はこの少女と、戦闘時における連携について情報を交わしつつ、互の身の上話に興じていたところであった。だが、彼女が話す、彼女の能力の話が、あまりに……アレな、理解不能なものだったので、現実逃避しかけていた、と言うべきだろう。正しくは。

 

"ハッシュ"メンバーと顔を合わせた、第三学区の個室サロンで、俺と彼女は二人きり。彼女が身につけていた、無骨なでっかい水筒から取り出された水銀が、部屋の中でクネクネと形を変え、様々な形状の武器へと変わっていく。

 

話によると、このオレっ娘の能力は、分類上は強能力(レベル3)水流操作(ハイドロハンド)に属するそうだ。ただ、彼女の能力では、その出力やら操作の精密性やらが関係して、扱える物がほぼ液体の"水銀"に限られているとのこと。ごく普通の水や油では、密度が小さすぎて、ろくに扱えぬままにバシャバシャと散らしてしまうらしい。なんとなく、彼女の不器用な性格からも、そのことは察することができる気がする。

 

ただ、能力の出力自体は強いようで、オレっ娘は、唯一まともに扱える水銀の形状を自由に変えて、剣やら槍やら盾やら、それこそロープやハシゴなんかにも変えて、状況に適した"武装(ウェポン)"として使用しているという話だった。だからだろう、彼女の能力名が、"水銀武装(クイックシルバー)"

というのは。

 

「で、その手に持ってる槍。今度はなんて名前なんだ?」

 

俺は精一杯、彼女が傷つかないように、自身が感じている感想を漏らさずに、彼女に疑問を投げかけてやった。

 

彼女は、狭い室内で窮屈そうに、手にした"水銀の槍"を振り回し、自信満々に返事をくれた。

 

 

 

「"轟く五星・・・(ブリューナク)"!」

 

 

 

なるほど。今度の槍は、先っちょが五又に分かれているもんな。確か……先っちょが一本に尖ってるやつだと"突き穿つ死翔の槍・・・(ゲイボルク)"で。ええと、二又のやつが……あー、"神殺しの聖槍・・・(ロンギヌス)"だったっけ。

 

何処からツッコもうか。俺は恨めしそうに、先ほど、この場からそうそうに席を立った、"ハッシュ"メンバー残りの1人の顔を思い浮かべる。横で相手をしてほしそうにキャンキャンと吠えるオレっ娘をよそに、俺は再び意識を手放しつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺が自身の正体を告げた後の、丹生多気美と名乗ったオレっ娘の驚き様は半端ではなかった。握手をしたのは、無意識のことだったらしい。彼女は、素早く手を離すと、半歩後退し、俺から距離を取った。この様子だと、しばらくはまともに話はできないだろうな。

 

新生、"ハッシュ"の、前線部隊は今のところ3人。残りの一人は静かに腕を組み、俺とオレっ娘の会話を淡々と眺めていた。

 

「君たち2人は顔見知りだったのか。これは、色々と手間が省けそうだ。」

 

俺より年上、高校生だろう。俺と同じくらいの身長だろうか。面長の整った顔は、俺をまっすぐに見つめている。時たま、第十八学区(エリート校の集団)で見かける制服を着ているな。きっとエリート校に通っているのだろう。ちなみに、俺は、幻生の手にかかってからというもの、ぐんぐんと体がでかくなり、今では中学3年生の平均身長をひっとっ飛びに、だいぶでっかくなっている。

 

郷間陣丞(ごうまじんすけ)だ。よろしく頼む。」

 

「どうも。雨月景朗(うげつかげろう)です。こちらこそ、よろしくお願いします。」

 

 

握手をしようかとも思ったが、そんな雰囲気にはならなかった。彼は、すぐさま、てきぱきと端末を操作して、メンバー全員に、"ハッシュ"に関する情報を送信してくれた。

 

 

「へぇ。あんた、空間移動系能力者(テレポーター)だったのか。」

 

この郷間陣丞と名乗った男。能力名に、強能力(レベル3)"隔離移動(ユートピア)"と記してあった。空間移動系能力(テレポート)。戦闘、軍事転用は言うに及ばず、実生活においても非常に便利であり、利益を生み出す能力の一種である。個人的にだが、彼らの能力の能力強度(レベル)の評価は、その他の能力と比して、非常に厳しく採点されていると思っている。大能力(レベル4)級の空間移動能力者(テレポーター)など、化物ではないかと思う。目の前の男は、強能力(レベル3)といえど、空間移動系能力者(テレポーター)であるならば、極めて心強い味方になってくれるはずだ。

 

「すまない。説明が難しくて……。11次元がどうこう書いてあるが、よくわからない。簡単に言えば、どういう能力なんだ?」

 

仲間の能力の概要くらいは理解しておきたい。まあ、暗部組織では、一種のタブーとして、暗黙の領海のうちに、相手の"奥の手"までは根掘り葉掘り尋ねない、というものがあるのだが、この場合はそうも言ってられないだろう。

 

「そうか。そうだな、"ユートピア(理想郷)"という言葉の語源を知っているか?」

 

全くもってわからない。横で熱心に資料を読んでいた丹生にも訪ねてみる。

 

「いいや。わからない。…おい、オレっ娘。君は知ってるか?」

 

「ふぇっ。え、あ、いや、わかんない。」

 

郷間はピクリとも表情を変えずに、つらつらと話の続きに入った。

 

「語源となったギリシア語を直訳すれば、"何処にも存在しない場所"という言葉になる。俺の能力はその通りに、自身の肉体の空間の位相をずらし、この身を三次元世界から"隔離"させる。つまりは、自由に肉体をこの世から消失させ、いかなる攻撃からも身を守れるということだな。」

 

おいおい、そんな絶対防御の能力が、ただの強能力(レベル3)だって?これだから空間移動系能力者(テレポーター)は。厄介なやつらだぜ。

 

「唯、問題もある。体を"隔離"させている間は、その場からほとんど移動できない。また、長時間の"隔離"もできない。能力の使用中は呼吸できないからな。閉所で毒ガスのような攻撃を受ければ、結局は身を守る術がない。」

 

冷ややかに、抑揚なく自らの弱点を吐露する郷間だったが、俺は彼にニヤリと笑いかけた。

 

「でもあんた、どうせガスマスクや酸素ボンベを使ってるんだろ?」

 

俺の問いかけに、会ってから初めて、郷間は口元に笑みを浮べた。

 

俺たち2人に取り残された丹生は、キョロキョロと交互に2人を見やった。そのうちしょんぼりと肩を落とし、「あぅ……。」と一言。

 

 

 

その後、今度は俺と丹生、能力の説明をしていない2人が幾許か資料に補足を行おうとしたものの、郷間は時間がないと言い出して、すぐさま席を外してしまった。

 

彼は退出する間際に、「俺の能力は他人と連携を行うのには不向きだ。」と言っていた。"ハッシュ"の前線部隊の指揮は、満場一致で、最も経験のある郷間が行うことになっている。彼は、基本的には任務中、1人で行動するつもりのようで、俺と丹生に2人組(ツーマンセル)を組ませると言っていた。

 

そうして郷間は、俺たちの能力については資料で十分に確認した、と告げた後、そのまま俺たち2人を置いたまま、個室サロンを後にした。

 

 

 

 

丹生に対しては、俺の能力の説明をする必要が無かった。とっくに、実物を拝んでいたからな。一方の俺は、直前に"粉塵操作(パウダーダスト)"に目を潰されていたために、丹生の能力を碌に観察できていなかった。

 

ということで、丹生多気美に、彼女の能力の説明やら何やらを教えてくれるように頼んだのだが。彼女はおもむろに、肩にかけていたゴツい水筒を外した。

 

喉でも乾いたのか、お茶でもご馳走してくれるのか?と思ったのも束の間。彼女が水筒の内蓋を開けた瞬間。ドロッとした銀色の液体が、水筒から吹き出し、彼女の手に集まった。なるほど、肩にかけていた無骨な水筒は、自前の水銀の容器だったのか。

 

そういえば、以前の任務で彼女に出くわした時は、彼女がこんなに可愛い娘だとは全く思ってなかったな。目の前で何やら楽しそうに「何から見せようかなー。」と水銀をぐにゃぐにゃとさせている、丹生の姿を今一度観察した。

 

ショートヘアの黒髪を、サイドポニーに纏めている。肩にかけた水筒と、ショートデニム、ヘソ出しトップスとジャケットが、ボーイッシュ雰囲気を醸し出しつつ、同じくボーイッシュな言動とマッチしていて。ていうかそんなんどうでもよくて、ぶっちゃけカワイイ顔してた。

 

あ、あれ?可愛いオレっ娘と個室サロンで2人きりて。ふう。平常心、平常心。くそ。やめろ、俺、やめるんだ。妄想を止めろ。あーもうどうしよう。"俺が守ってやるぜ"的なフレーズが次から次へと脳内で浮かんでは消えていくぜ。おいこれ暗部だからな、俺。脳内ピンク色にしても無駄だからな、俺。

 

 

いつの間にか、目の前でくにゃくにゃと水銀をいじっていた丹生の手には、まさしく"西洋風の直剣"とでも言うべきものが握られていた。

 

「もしかして、それ、この間俺を切ったやつ?」

 

俺の質問に、オレっ娘は自信満々に、違う、と答えた。心なしか、郷間がいなくなって、緊張がほぐれてきているみたいだな。

 

「この間お前を切ったのは刀で、"童子切安綱(どうじきりやすつな)"。で、そのあとお前を刺した槍は"大神宣言・・・(グングニル)"だ。」

 

「……ん?え、なんだって?」

 

そう言って、彼女は誇らしげに手に持った直剣を振り回した。

 

「"約束された勝利の剣・・・(エクス……カリバァーーー!)"」

 

 

 

 

なんの変哲もないショートソードが"エクスカリバー"で、その剣幅の増量版が"カラドボルグ"。なんかギザギザしてるのが"ダインスレフ"……う、うーん……。

 

こちらの呆れ顔に全く気付かずに、彼女は一生懸命にお手製の武具の紹介に勤しんでいる。まるで、些細な情報の行き違いが、生死の境を分かつと言わんばかりに。

 

ボサっとしているあいだに、いつの間にか彼女の手に持っている武器が槍に変わっている。どれも同じ形に見えるんだが……。

 

手にした資料に目を向ければ、そこにはズラァーっと並ぶ、数十の、厨二病的なファンタジー武器の羅列が。郷間、この資料で十分だったと?

 

 

「な、なぁ。剣とか槍とかはもう十分わかったからさ。大丈夫だ。と、ところで、コイツはなんなんだ?"貪喰なる悪狼の足枷"って、これ……な、なんて読むんだ……?」

 

「ああ。"貪喰なる悪狼の足枷・・・(グレイプニール)"か。一言で言ったら投げ縄だな!コイツ(水銀)でロープを作って、相手をぐるぐる巻きにして拘束するんだ。」

 

予想に反して、以外にまともな使い方だった……かな?てか、一言で言って投げ縄ならもう投げ縄でいいじゃねぇーか。

 

「じゃあ、最後にコレ。"熾天覆う七つの円環・・・"とは?名前から全く想像できないんだが、何だこれ?」

 

「それは"熾天覆う七つの円環・・・(ロー・アイアス)"って言うんだ。盾として使うんだ。」

 

丹生は説明と同時に、手持ち無沙汰に弄っていた水銀を、傘を開くように円形の盾に形作った。喉からツッコミが出そうになるのを、必死に抑えた。「盾として使う」もなにも、それ盾以外の何に使うんじゃボケェ。傘か?一瞬傘に見えたから傘に使うのか?

 

「そ、そうか。覚えとくよ。……んあ?こっちには、"蛇神の輝く鏡楯"ってあるけど、これは盾じゃないのか?」

 

「そっちは"蛇神の輝く鏡楯・・・(イージス)"。同じ楯でも、面積を減らして装甲を厚くしてあるんだ。」

 

そんなドヤ顔で言われましても。咄嗟にこの二つの単語を使い分けろと仰るんですね。こいつ、こんな調子でよく今まで生き残って来れたな。

 

資料を読み直す。こいつが暗部で仕事を始めたのは……げぇッ。俺より早い。今年の6月からだと。この調子でよく4ヶ月も生き残って来れたな。先輩かよ。しかし、まぁ、なんだ。さっきのコールサインの序列だと、俺が"ハッシュ2"で、こいつが"ハッシュ3"だったんだが。この事は知らせないでおいてやろう。年が気になるが、記載されていない。まぁ、暗部の仕事に個人の年齢なんて関係ないからなぁ。

 

「おい。丹生。話は変わるが、お前、年はいくつなんだ?」

 

俺の質問に、丹生は不審そうな表情を隠しもせずに、悪態を付いた。

 

「どうしてそんなことを、あんたみたいな得体の知れない奴に教えなきゃならないんだ。」

 

まあ、当然の反応だな。仕方ない。コイツになら俺の個人情報がちっとばかしバレたって大丈夫そうだし。

 

「俺の名は雨月景朗。霧ヶ丘付属中学に通う中学3年生だ。どうだ?俺のことは教えたぞ。はぁ。お前さんの学校なんかこれっぽっちも興味ないから、年齢だけ教えてくれよ。」

 

俺の発言に、丹生の奴は慌てた様子を見せた。俺がそこまで言い出すとは思わなかったらしい。

 

「あ、あんた、何考えてるんだよ!こ、個人情報を……。」

 

「おやおや。それで君は俺をどうこうしようとお考えなのかな?外部に俺の通う学校の情報でも売るかい?それで"ハッシュ"が窮地に陥ったら、遠慮なく君を処分させてもらうぞ。」

 

俺の物言いに、丹生はむっとした表情を返した。しかし、ころころと表情が変わるやつだな。暗部に向いてないよこいつは、絶対に。暗部の人間と話をしているって空気じゃない。まるで友達と話をしてるみたいな……

 

「そんなことするか!……わかったよ。しかし、同学年だったとは。年上だと思ってた。」

 

あ?今なんて言ったこいつ。"同学年"って……まさかこいつ同い年(タメ)……

 

「丹生多気美。あんたと同じ中学3年生。満15歳。どうだ?これで満足か?」

 

おいおいおいおい、こいつが同い年だと!絶対年下だと思ってたよ。しかも満15歳って、俺より誕生日早いんですけど。

 

俺のずいぶんな驚愕ぶりに機嫌を悪くした丹生は、腕組みしたままジト目でこちらを睨む。

 

「そんなに驚くことか?」

 

「あ、ああ。驚いた。……しかし、お前、15歳って。それじゃあ、ギリギリ14歳の俺から言わせてもらおうか。……こほん。」

 

「む。」

 

姿勢を正し、改まる俺に対して、丹生も構える。彼女の水銀を掴む腕に、力が篭った。

 

 

「お前、"約束された勝利の剣(エクスカリバー)"とか"突き穿つ死翔の槍(ゲイボルク)"とか。そういうの、卒業しろよ。中二病が許されるのは14歳までだぞ。あと、大して違わないのに名前だけやたら多くてややこしいんだよ。」

 

 

俺のツッコミに、丹生はみるみる顔を赤らめる。

 

「あ、う、うううううううう。うう、うるさいッ!だってだって、いっぱい種類がって、一個一個名前を付けとかないと忘れちゃうんだよ!アタシだって工夫してるの!ほっといてよ!」

 

「いやでも、さすがに名前ややこしすぎて、そばで聴いてるこっちはわけわからないぜ。」

 

「うう。で、でも、アタシもうこれで覚えちゃってるから、死にたくなきゃそっちが努力してよ!」

 

一応自覚してはいたのか。言葉遣いまで変わっちゃってら。ハイハイと適当に相槌を売って、話をうやむやにした。恥ずかしさを自覚した上でやってるんなら、放っといてやるか。

 

「おーけーおーけーおーけーわかったから!槍をこっちに向けるな振り回すなうねうねさせるな!もうこのことには触れないでいてやるから!」

 

「むー!」

 

 

そんなに恥ずかしく思っているなら、今からでも名前を変えればいいのに。資料にまで自作の武器名を載せちゃってるから、後戻りできないんだろうか。彼女をなだめつつ、それからも俺たちは、戦闘状況時の連携について、一通り話合った。

 

彼女の言うとおり、もしかしたら、それが互いの明暗を分けることになるかもしれないからな。まあ、俺はぶっちゃけた話、こいつ(丹生)が可愛かったから話したかっただけなんだけど。

 

「やっぱりさ。俺が"剣"って言ったらどれでもいいから剣出してさ。そんで"槍"って言ったら適当な槍をだすって風にしてくんないか?」

 

「でも、それだと、武器によって長さとか強度とか色々違うし。どれを出せばいいか……」

 

「その辺の判断は、丹生に全部任せるよ。少しは仲間を信用しなきゃ、やってらんないからな。」

 

丹生のヤツは、ぽかん、としていた。以外な言葉を聞いた、とでもいうような態度を見せた。

 

「"仲間"だなんて。そんな言葉、暗部に入ってから初めて聞いた気がする。」

 

丹生の言葉を聞いて、俺もそうかもしれない、と同意した。心の内では仲間だと考えていても、言葉に、口にした記憶は無いと思う。

 

「あー……まあ、ココ(暗部)じゃ初めて同い年のヤツに会ったからな。お互い、同級生が目の前で死んだら寝覚めが悪いじゃないか?ちったぁ頑張って生き残ろうぜ。」

 

「う、うん。」

 

丹生のヤツ、顔合わせの時よりは随分、落ち着いてきたな。ちょっと頼りないが、他人のことを駒としか見ていない、典型的な"暗部の仕事人間"よりはだいぶマシだった。……あ、いやいや、ここは、可愛い女の子と一緒に任務ができて最高だ、と考えるところだろ。以前の俺ならそう考えていたはずなのに。今の俺は一体どうしたというんだ。いかんな、暗部に染まってきてるぜ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"ハッシュ"のメンバーと打ち合わせをした数日後。"ハッシュ"リーダーこと、郷間陣丞から、初任務の招集があった。

 

 

第十六学区のカラオケボックスで落ち合った俺たちは、そこに並べられた数々の電子機器を見て、ちょっとした疑問が浮上した。

 

「郷間、まさかとは思うが……ここが、俺たちの拠点、というかその……」

 

「もちろん違う。これは俺の私物だ。」

 

郷間の毅然とした否定の返事に、息を撫で下ろした。しかし、だとしたら、こんなカラオケボックスに何なぜこのような機器が累々と。

 

「今回受けようと考えている任務は、"上"からの命令ではない。俺が昔所属していた組織からの、別口の依頼だ。所謂、小遣い稼ぎというやつだな。学生の身には、小遣いというには少々過ぎた額となるが。君たち2人が望まぬというのなら、この話は無かった事にするが、どうする?」

 

郷間の提案に、俺と丹生は2人して互いの顔色を窺った。俺としては、ペナルティの少ない、比較的安全な任務ならば大歓迎だった。

 

なにせ、俺ときたら、致命傷が致命傷にならない、どんな怪我をしても立ち所に癒えてしまう、ほとんど不死身の肉体をもつ化物である。どんな任務が来ようと、基本的には断る考えは無かった。

 

だが、側に控える丹生にとってはまた違う話になるだろう。怪我を負う危険の高い依頼ならば、よほどのことがない限り遠慮被りたいはずだ。

 

そこまで考えて、未だ依頼がどのようなものか、尋ねていないことに気がついた。

 

「すまないが、郷間。どんな依頼か先に聞いてもいいかな?」

 

郷間にとっては、当たり前のように予想された質問だったらしい。打てば響くように、依頼の説明が始まった。

 

「現状では情報が少なく、大したことは判明していないが。逃亡者の捕縛の依頼だ。標的は1人。この十六学区を逃走中だ。今の言葉から分かるだろうが、決断は早く行え。」

 

「任務失敗のペナルティは?」

 

「我々の株が下がり、次から依頼を受けづらくなることくらいか。もともと、報酬も暗部を動かそうと考えれば、端金といっていい金額だ。最初に行ったように、小遣い稼ぎの感覚で行け。むしろ、俺が今回の任務で期待するのは、君たちが何処まで使えるのかを、この目で確かめる所にある。」

 

ペナルティが無いも同然ならば、俺は賛成だな。真横に侍る丹生は、未だ迷っている様子だ。

 

「丹生、怪我しそうだったら、俺が矢面に立ってやる。俺の言葉が信じられないんなら、依頼中に危険だと感じた時点で、お前はその場で帰ればいい。……ん?いや、そもそも、お前の助けはいるのか?」

 

郷間に目配せをしたら、彼も首を横に振っていた。

 

「まあいい。とにかく、俺はこの依頼を受ける。丹生、お前は好きにしていいぞ。手伝ってくれりゃ、分け前は三等分……あー、まあ、報酬の話は後でもできるか。

だがまあ、任務に失敗したとき、俺たちの評判が落ちるのが嫌だってんなら、手伝うべきかな。

さっきも言ったけどさ、俺はめちゃくちゃ頑丈なんだ。危険なことは、俺に任せてくれればいい。怪我を負いそうな状況の時は、俺が盾になってやるよ。ま、俺のことが信用できないなら、無理にとは言わないけどな。」

 

暗部にいる奴らは、皆事情は違うものの、ほとんどが金策に悩まされているヤツばかりである。丹生にとっても、この話はみすみす見逃すのは勿体なかったようだ。彼女は、キッ、と野郎2人を睨み、威勢良く宣言した。

 

「う……。わかったよ。アタシも……ッ。オレも!オレも受ける!報酬の件、忘れるなよ。」

 

 

3人の意見が合致し、すぐさま、現場へ急行することとなった。郷間にも行かないのか?と疑問を投げかけたところ、彼に笑われてしまった。

 

後方で情報的支援を行う奴がいなくてどうする、と。郷間曰く、今回の依頼に彼の能力は不向きであり、また彼は、情報処理や後方支援は不得手ではない、とのこと。

 

確かに、依頼者と情報交換をする奴がいなくなってしまうじゃねぇーか。ましてや今回の依頼は捕獲任務(捕物)だぞ、何言ってんだ俺は。彼に指揮を任せ、標的の逃亡予想地点へと俺たちは駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前を、茶髪のポニーテールが駆け去っていく。キャップに隠れて顔はよく見えないが、背格好から女性だとは判別できた。

 

深夜の、第十六学区。俺にとっては、十分に明るいこの街も、常人にとっては、街明かりの照らさぬ部分は暗くてよく見えないだろうに。

 

命をかけた、夜間の、超高層ビル郡を駆け抜けての、パルクール(フリーランニング)。敵ながら、よくやるもんだ、と感心する。俺はこの恵まれた能力のおかげでなんとかなるものの、な。彼女にとっては、足を滑らせれば致命的だろうに。

 

ビルとビルの隙間。約10mを、軽々と彼女は飛び越えた。続けて後を追う。時々、標的はこちらを振り向き、焦った様子を見せる。ダメですよ、そんな動揺を見せちゃ。相手がやり易くなるだけですよ。

 

なんにせよ、逃げまどう標的、茶髪の女性的なシルエットが、何らかの能力を使用していることは明白だった。10mを、ハリウッド映画のアクション並みに、軽々と飛び超えるのは、常人には成し得ないことだ。

 

俺と似た肉体活性化能力かとも考えたが、それだと挙動に僅かだが違和感を覚える。先ほど感じたように、まるで映画ののワイヤーアクションのような…物理法則が捻じ曲げられたような動きに思えてならない。

 

自分で考えても答えは出そうになかった。今のところ追跡は出来ている。純粋な速度ならばこちらのほうが速いのだが、相手の奇妙な軌道に煩わされ、確保できずにいる。

 

丹生の奴は、最初の接敵で置いてきてしまった。遂一、標的の動きを郷間に伝えているから、そこから予想された逃走経路を先読みして、彼女にバックアタックさせる予定ではあるが。その成功率は低そうだな。

 

 

ふと眼下を覗けば、大きな交差点が目前に迫っていた。当然、高層のビル郡を駆け抜ける俺たちも、空宙の十字路にぶつかることになる。

 

向かいのビルまではかなりの距離があるが、標的は直進する様子である。愚直に追跡し、ようやく機が巡ってきた。直進速度ならこちらが圧倒しているはず。チャンスは逃さない。この機にとっ捕まえてやる。

 

目前で奴が跳躍した。より一層加速し、空宙で背中から補足してやる。そう思い、勢いよく、俺も跳躍する。そして、目に映る、あまりにも予想外な光景に、しかし、宙に浮かんだままではなにもできず、呆然と眺めるだけになる。

 

標的は、跳躍の直後、背後に迫る、俺の両の足が地を離れたのを確認した後。その進路を突如変化させ、正面のビルではなく、通りをはさんだ右のビルへと向かったのだ。

 

宙に投げ出された体が、空宙で進行方向を変えた。クソ。一体なんの能力だ。

 

彼女は、悠々と遠く離れたビルの側面に足をつけた。捕まるところは何もない。のっぺらとしたビルの側面に、真横からぶつかれば、そのまま落下するのが必然であるはずなのに。

 

そびえ立つビルに直交したまま、彼女はピタリと足をくっつけた。重力、はては引力か、電磁力か、念動能力か。どんな能力かは知らないが、彼女は今、重力のくびきを解き放ち、ビルの側面に、身を90°傾けたままで、直立している。

 

「丹生。今スグ合流ダ。状況ガ変ワッタ。」

 

『ふぇっ!?ど、どうしたんだ?』

 

『何が有った、雨月。』

 

遠間から悔しそうに見やる俺をちらりと目視し、彼女はそのままビルの側面を駆けていった。畜生。してやられた。郷間と丹生にすぐに連絡しなくては。仕切り直しだ。ひとつだけ。奴の匂いを補足できていることだけが救いだった。

 

 

 

 

 

 

丹生と合流すべく、居場所を聞いたところ、彼女はここから三つばかし離れたビルの真下にまで来ていた。案外、移動速度が早いな。俺たちはビルの屋上を散々直進していたってのに。まあ、標的がやたら複雑な軌道を取って移動していたからってのもあるかもしれないが。

 

 

丹生に最も近いビルに辿りつき、ビルから降りて合流しようかと持ちかけたが、対する彼女からは屋上に向かうから待っていろと返ってきた。時間が惜しく、すぐに来るように伝えたが、何分かかることやら。

 

そう思っていたんだが。意外にも、彼女は2, 3分足らずで、俺のいるビルの屋上に辿りついた。器用に、ロープ状に変化させた水銀を使って、ほぼ垂直にビルの壁面を登ってきていた。最後には、何と水銀をハシゴのように変化させ、極めて安定した姿勢でこちらに顔を出した。

 

「スマン、丹生。見直シタヨ。正直、今マデ馬鹿ニシテタ。度胸モ技量モチャントアッタンダナ。」

 

「あ、ありがとう。……ッて!聞き取りにくかったけど、今、オレのこと『馬鹿にしてた』って言わなかったか?!」

 

「ソ、ソンナコトイッテナイヨ。キキマチガイダヨ。」

 

疑いの眼差しでこちらをジト目でみる丹生を、狼ヅラのまま見つめ返した。ふはは。狼の表情なぞわかるものか。いや、完全な狼じゃないんだけどさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘッドセットのアイレンズが捉えた、標的の映像。そして、彼女の能力の挙動。それらを伝えた郷間から、数分で連絡が返ってきた。たったこれだけの時間で、よく情報を集められたな。やっぱあいつ、エリートなのかな。

 

釜付白滋(かまつきはくじ)異能力(レベル2)の磁力使い(マグニトマスター)だな。暗部の情報網には引っかからなかった。代わりに、書庫(バンク)からデータが見つかった以上、素人だろうな。』

 

郷間からの報告に、俺は納得するものを感じていた。彼女のように、暗部組織に追い回されるような状況に陥る時点で、詰めが甘い。素人か、暗部に入りたての新人。もしくは、哀れな犠牲者(サクリファイス)だと予想していた。

 

「そんな……」

 

丹生は、相手が素人だと知って、後味の悪そうな表情を浮かべていた。お優しいことに。でも、こうなっては、俺たちにできるのは、釜付がしでかした"悪さ"が大それたものでなかったように、と祈ってやることくらいしかないだろう。

 

『能力名は"撞着着磁(マグネタイゼーション)"。どうやら、磁性体、非磁性体を問わず、周囲のどんな物体でも任意に磁化できる力だな。なるほど。そこが"撞着"の所以か。』

 

そうか。磁力か。釜付の、ワイヤーアクションばりの挙動の秘密は。俺の服を磁化させて逃げなかったのは、AIM拡散力場の干渉を受けてか。それならば、なおさら。

 

「オイ、丹生。オ前ノ能力デ操作スル水銀、釜付ノ能力ノ対象ニナルト思ウカ?」

 

俺の質問に、丹生はしばしの間、思索し、すぐに答えを返した。

 

「いや、ならないと思う。自慢じゃないけど、アタシの能力、出力と強度には自信があるんだ。AIM拡散力場の影響は強いはず。きっと能力者本体よりも。」

 

おい、口調素に戻ってんぞ。ツッコミは無しのまま、俺は考えていた。策と呼ぶには少々お粗末な考えを、2人に話した。

 

時間もない。とりあえず、俺の考えを即興で試すこととなった。

 

 

 

 

 

 

「たっ、頼むから、アタシを落とすなよぅぅ。」

 

背中で情けない声を上げる丹生を宥めつつ、今一度、ビルの屋上を飛び進む。風に乗って漂ってくる、釜付の匂いをたどりながら。

 

程なくして、釜付の存在を感じ取れる位置に付いた。幸い、まだ見つかっては居ないようだ。

ぜぇ、ぜぇ、と、大きく息をつく釜付の吐息が、俺の聴覚に反応する。釜付の息は荒く、今は仕方なく一息ついている様子である。

 

あれだけ俺と追いかけっこしてたんだ。疲れて当然だ。こんな狼ヅラした化物に、ずーっと付きまとわれて、全力で走って。能力まで使わされて。

 

能力者全般に言えることだろう。前提として、能力者は、その能力を使う体力が弱点となる。疲れれば、能力の使用は困難となり、集中力が乱れれば効果的な運用すら難しくなる。どんなに強い能力でも。いや、逆に強く、出力の大きい能力こそ、操作にはそれ相応の体力が必要となる。

 

ま、俺にはその弱点、存在しないけどね。俺と闘う能力者の皆さんには、是非とも体力切れの心配をして貰いたい。ちなみに、俺は七日七晩戦い続けられる自信がある。

 

 

 

背中に負ぶさった丹生とアイコンタクトを取る。彼女も覚悟は決まっているな。できる限り、音を立てずに、限界ギリギリまで釜付に接近する。

 

キョロキョロとしきりに忙しなく、周囲を見回す釜付だったが、まだこちらに気づいていない。匂いがわからないって、不便だよなあ。

 

 

残り10mほどといったところで。俺は思いっきり、ヤツ目掛けて丹生を放り投げた。

 

 

しかし。丹生がその銀色の触手で釜付を絡みとる前に。偶然か、必然か。釜付は迫り来る丹生の存在に気づいてしまった。

 

間一髪。銀の触手が彼女を捕える、その刹那。彼女は一気に、不自然なほどに加速して、真上に飛び上がった。

 

能力を使ったな。磁力で反発力を生み出したか。マズい。逃がすか!いきり立ち、釜付へと飛びかかる俺だったが。

 

飛び上がった釜付は、そのまま能力を使って、すぐ近くのビルの側面へと吸い付いた。返す刀、俺は丹生を背中に乗せ、すぐさま釜付を追いかける。

 

君の息切れまで、あとどのくらいだろう?釜付君。

 

 

 

 

 

しばし、俺たちは空の上で追いかけっこを続けた。命掛けのパルクール。だんだんと、釜付の動きが悪くなってきた。

 

ところが、ようやくこれから、というところで、背中の丹生に異変が起きていた。どうやら大変、お疲れのご様子。

 

なんでお前がゼェゼェいってるんだよ、とツッコミを入れたいところだったが。いやまあ、こいつには色んなツッコミを我慢してきてるんだが。いやはや、仕方がないか。とんでもない高速で動き回る大男の後ろに、これだけの時間しがみついていたんだからな。

 

一応水銀の紐で俺と丹生の体はぐるぐる巻きにしてあった。これをやるときは、丹生のヤツ、散々嫌がってたけど。俺がキリッと、仕事だ!と言い切ったら、呆然としていやがった。

 

よし。勝負をかけるか。次、ヤツが長距離を跳躍した時に、仕掛ける。再び、丹生に合図をして。

 

 

釜付が、ビルの合間を跳躍した、その瞬間に。俺は同じく跳躍し、同時にヤツ目掛けて丹生を投げつける。

 

釜付の奴も、俺が丹生を放り投げるのは予想していたようで、能力をつかって、難なく交わす。丹生は、外した水銀のロープを今度は近くのビルの外縁に引っ掛けた。

 

釜付は、俺たち2人を躱して油断している。俺は、背中にくっついた、水銀のロープを思い切り引っ張り、すぐさま飛び出す前のビルに戻り、壁に足をつけた。もう一度だ。

 

右を向いて、正面の、釜付が飛び移ろうとしているビルへと、全力で蹴り飛んだ。もちろん釜付目掛けて。

 

 

油断した釜付の、がら空きの背中へ、体当たりを食らわせつつ。釜付を胸に掻き抱き、正面のビルのガラスを突き破り、中へ転がり込む。

 

 

俺に下敷きにされ、マウントポジションを取られた釜付は、必死の抵抗を見せる。

 

「無駄ダ。俺ガ何キロ有ルト思ッテンダ。」

 

俺に憎悪の視線を向け、釜付はひたすら罵倒する。暴言を吐く。際限なく。

こいつが俺のことをどう思ってるか知らないが。俺は、素人丸出しの釜付を自分の手で捕まえたいと思っていた。暗部の人間は、人の命をどうとも思っちゃいない奴等ばっかりだ。こいつが殺される前に、生きたまま捕まえてやれば、最低でも、こいつの命は助かるのだ。

 

涙を流しながら抵抗する釜付の、その姿を見て、つい、口から慰めの言葉が漏れ出ていた。

 

「……アンタノ処分ガ軽ク済ムヨウニ、祈ッテルヨ。……命ダケハ助カルヨウニナ。」

 

俺の言葉を聞いた釜付は、静かになった。黙したまま顔を隠し、その後は、ひたすら悔し涙を流しつづた。

 

 

 

 

数分後、やっと丹生がやってきた。女を下敷きにしている俺に、微妙な視線を送ってくる。しゃーねーだろうが。これ以上暴力ふるいたくないんだよ。

 

丹生に頼んで、水銀で手錠を作れないかと尋ねた。まかせろ、と軽快に答えた彼女は、水銀の輪を器用に巻きつけ、釜付を見事に拘束した。

 

郷間に状況終了、と連絡を入れ、クライアントがよこす迎えの人員に釜付を引き渡した。"ハッシュ"の時間外任務は、これで終了だ。

 

 

 

 

 

 

人気のない路地裏で、呻き声をあげながら、牙と、爪を引き抜いた。息も絶え絶えの俺の様子に、そばで見ていた丹生の奴が、ドン引きしている。

 

「はぁ、はぁ。だっ、だから、何も面白くねぇって最初に言っただろう、がァッ。」

 

丹生を睨みつける。正直、こっちだって恥ずかしいんだぞ。今、半裸だし。

 

「わ、悪い。だって、気になったんだもん。あの幸薄そうな顔してる雨月が、あんなゴッツい狼男になっちゃうからさ。変身するとこ見せてくれなかったし。肉体変化能力(メタモルフォーゼ)って、初めて見たなぁ。」

 

慌てる丹生から、彼女が手に持っている俺の服を受け取った。着込む前に、ハサミもくれ、と要求した。人狼化をとく前に、ハサミ、ハサミ、と繰り返した俺の言動に、合点が言った、とでも言うような表情を見せた。

 

「あ、そっか。髪の毛もこんなに長くなってるもんね。フフ、切らないと可笑しいね。」

 

だから、口調。元に戻ってますよ。丹生の言葉にツッコむ気力もない俺は、震える手で自らの髪を切っていく。

 

「あー。待って。アタシが切ったげるよ。辛そうだし、さ。」

 

まあ、自分の髪を自分で切るのは、誰にだって難しいことだろう。降って湧いたせっかくのお誘いを無碍にせず、素直にハサミを差し出した。

 

しゃき、しゃき、と髪の毛が切れる音だけ。この静かな路地裏で聞き取れる音は、それだけだった。

女の娘に髪の毛を切ってもらうのが、どうにも照れくさい。気まずさから、口からいつもは言わないような、さらに照れくさい言葉が出てくる。

 

肉体変化能力(メタモルフォーゼ)、初めて見たのか?」

 

「うん。初めて見た。というか、その存在を雨月で初めて知った。」

 

うーん、と。えーっ?と。そうやって、独り言をつぶやきながら、想定外に、真剣に髪の毛を切ってくれている丹生に向かって語りかける。

 

「驚きの肉体変化(メタモルフォーゼ)、お前も今見ただろ?さっきのみたいに、俺の体は極めて頑丈で、タフで、どんな傷も致命傷にはならない。ほとんど不死身の化物さ。だから、何度も言ってるけど、俺のこと、遠慮なく盾にするべきだぜ。お前が死ぬのは、あー……まぁ、なんつーか、お前はオレっ娘だけど、そこそこ可愛いから、マクロな視点から見て、死ぬのがもったいない、みたいな?そういうわけで、目の前で死なれるのは非常にもったいないんで、危険な時は俺を盾にしていいからな。」

 

「そう言っておいて、本当に危ない時には、オレを変わり身にする。暗部の人間の上等手段だな。」

 

丹生の返答に、俺も心の中で、そうだな、そういうもんだよな、と納得してしまう。全くもって、間違いなく、同意できる話だ。

 

「そうだな。本当に信用できる奴なんていないよな。……じゃあ、こういう風に言っとこう。どうあがいても死にそうな状況に陥ったら、俺を頼ってみろ、いいことがあるかもしれないぜ。」

 

そこまで言うと、丹生が背中で、突然に笑い出した。

 

「プッ。アハ、アハハハッ。どうしてそこまで必死なの?そんなにオレに死んで欲しくないのかよ?怪しいなー」

 

「クソー。笑うなよ。必死というか、信用されなきゃされないで、何か悔しいんだよ。もうこの話やめようぜ。早く髪切ってくれ。」

 

ひとしきり笑ったあと、ポツリ、ポツリ、と彼女は語りだした。

 

「まあ、なんとなく、だけどさ。まだ短い付き合いだけど、雨月のこと、少しはわかったよ。そのへんの暗部の連中よりは、もっとこう、普通のモラルを持ってるみたいだって。」

 

「あー。まあ。油断はしないことだな。」

 

「ふふ。さっき、釜付が素人だってわかったあとさ、雨月、気合の入りようが全然違ってた。アイツが殺される前に、なんとか助けたかったんだろ?バレバレだよ。」

 

マジで?!バレバレだったのか?おいおいおい恥ずかしいぞそれは。結構恥ずかしいぞそれはぁ。

 

「あんたが新しいメンバーで、ちょっと安心した。これからのこととか、色々不安だったけどさ。」

 

丹生の言葉に、俺は素直に返事を返す。

 

「それは俺も思ったよ。そこそこ可愛い女の娘がいて嬉しいなってな。前のとこは男臭かったからなー」

 

肩を握る丹生の手に力がこもる。

 

「おい、なんで、『そこそこ』をそんなに強調して言うんだよっ。」

 

さらなる追撃だ。

 

「あとさ、俺さ、オレっ娘っていうの?自分のこと、『オレ』っていう女?初めて見たー。というか、その存在を丹生で初めて知った(キリッ」

 

「あうううう。うるさい!やめろよ!ハゲにするぞ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月の第二週。最近では、もう火澄や手纏ちゃんに連絡を試みるのを諦めていた。ふと、暗部の任務も、授業も、何もなく、暇で暇でしょうがなかった時間に。火澄たちに連絡を撮ってみた。すると。

 

 

『どうやら、きっちり反省したようね。わかったわ。許してあげる。もう私も深咲も怒ってないから安心しなさい。』

 

お、おおお。ようやく許してもらえたようだ。いえー。またランチをご一緒しようぜ、っと。

 

 

『それが、今、一端覧祭の準備で死ぬほど忙しいのよ。私も深咲も、学舎の園を出る時間すらないの。3年は特にね。絶対に外せないわ、この状況じゃ。悪いけど、一端覧祭が終わるまで会う暇はないわね。ごめんね。』

 

 

ちょ、ええっ。あとひと月近くあるじゃないですか。待てないッスよ、そんなの。そんなこと言って、また煙に撒く気なんですか?と。

 

 

『お望みなら、一端覧祭までまた無視するけど?』

 

 

大人しく待ってます、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

とういうわけで。

 

『それで、暇で仕方がなかったからって、オレに電話した、と?正気か、雨月。』

 

暇なんで丹生に電話してみた。そしたら説教されました。暗部の人間関係を軽く見すぎだろって。あと、お前みたいな胡散臭い暗部の人間とプライベートで関わり持つ馬鹿はこの世にいないよって。

 

いや、もしかしたら、丹生さんなら、そこで丹生さんなら、なんとかいけるんじゃないか。って思ってましたって、正直に言ったら、その場で通話を切られてしまいました。あー。次の任務で顔を合わせるの辛いなー。はぁ。いけると思ったんだけどなー。

 

 

 

 

 

"撞着着磁(マグネタイゼーション)"、釜付白滋を捕縛して、さらに数日が経った。"ハッシュ"の前線部隊に、四人目のメンバーが増えた。魚成(うおなし)という爆弾処理に詳しい男で、それまでのメンツと違って成人していた。外部から来た傭兵崩れだな、という感想を持った。

 

彼、四人目のメンバーと顔を合わせてからは、それからほぼ毎晩、よく分からない、工場のような施設の警護任務に就いている。

 

監視カメラの映像がずらりと立ち並ぶ、守衛室にて。俺と丹生は、俺が持参したコーヒーに舌鼓を打っていた。郷間と魚成にも勧めたんだが、彼らは興味が無い様子だった。最近は、なんだか、俺と丹生を1セットにして、お子様扱いしている気がしないでも……。いや、俺に関しては、少なくとも戦闘能力や判断力自体は買ってもらっているようだが。丹生は……察してください。

 

丹生の顔を覗く。ちょっと眠そうだ。おいおい、まだ慣れないのかよ。危ないぞ。喉から小言が出そうになるのを我慢する。俺はお母さんか。べ、別に丹生にウザがられるのが嫌だったワケじゃないんですよ?

 

「うー。やっぱ苦いよ、ごめん、雨月。」

 

手渡した紙コップをテーブルの上に置き、申し訳なさそうにする丹生に、謝る必要はないと返した。

 

「はいよ、砂糖とミルク。ちなみにさ、丹生は何をよく飲むんだ?」

 

「あ、ありがとう。んーと。紅茶かな?」

 

彼女に砂糖とミルクを手渡した。チィッ。ここにも紅茶派が。火澄も手纏ちゃんも丹生も、皆、紅茶派だとは。幻生くらいしか、コーヒーを語れる輩がいないじゃないか。……って、あのジジイのことを考えるのはやめよう。飯が不味くなる。あらゆる意味で。

 

ガチャリ、とドアが開いた。魚成だ。定時の見回りから帰ってきた。となると、もうしばらくたら、俺の番か。施設の見回りをしに行かなきゃならない。

 

 

「そういえば、雨月、あの電話、一体なんだったんだよ?」

 

「へ?何?」

 

「お前が真昼間に、いきなり掛けてきた電話だよ。暇だったからとか言ってたやつ。アタシ……じゃなくてオレ!オレさ、あれ、意味がわかんなくて。雨月のことだから、何か別の意図があったのかなって、電話切ったあと、考えてたんだ。」

 

いや、全くもって全然なんの考えもなしに電話かけたんだけど。どう答えたものか。そのまま正直に答えたら、更に俺の株が下がりそうだしなぁ。

 

「ああ、あれか。……あれはな、実は……」

 

「じ、実は、どうしたんだ?」

 

丹生が真剣な眼差しで見つめてくる。そんな顔をされたら、期待に応えないわけには行かないじゃないか。

 

「実は、平時の時間に、表の時間にな、いきなり電話をかけて、お前がどんな反応を返すんだろうかって試してたんだ。いや、さすがは丹生だな。慌てもせず、俺を疑い、逆に詰問し返してきた。ああ反応されては、調べることなんて何もないからな。適当に、暇だったから電話したってごまかしたってワケさ。」

 

クソみてえな言い訳だな。あーもうダメだ。郷間がニヤついてるぞ。畜生。

まあ、だが。肝心の丹生は、ちょっと嬉しそうだった。

 

「そ、そっか。やっぱりな。ま、まあ、アタシだって、暗部の人間だし。あれくらいは……。」

 

何処に騙される要素があったんだよ、今の。極めて下らない言い訳だったはずだよな?言い出したこっちの自信が無くなってくるわ。やっべぇー、可愛いんだが、この娘。守ってやりてぇ。

 

「そういや、電話越しに、話し声がガヤガヤと聞こえてきたな。いいな、丹生には友達がいっぱい居そうで。ぶっちゃけた話、俺、学校に1人も友達いないんだ。所謂ボッチって奴さ。羨ましいなっ……って、ハハッ。俺、暗部の奴に何言ってんだろうな?」

 

「む。雨月、友達居ないのか?意外だな。」

 

意外だと感想を口にした丹生は、しかしどうしてか、俺を訝しむ事なく、ちょっぴり嬉しそうな顔を崩すことはなかった。

 

「あ、あのだな。じ、実は、オレも、学校に友達、居なくて。1人も居ない、んだ。」

 

んあ?え?こいつに、友達が1人も居ない?な、なんでだ?本当に意外な事実だぞ、それは。

 

「お、おい。本当か?それ。お前がか、それ?……意外ってレベルじゃないんだが。意外過ぎるぞ。」

 

一体全体なんでだろう?正直、丹生みたいな性格(バカ)なヤツって、常に友達が周りにわいわい居て、いつも楽しくやってそうなイメージしか無いんだがな。

 

あ、もしかして。

 

「あのさ、丹生。もしかして、お前の"約束された勝利の剣・・・(エクスカリバー)"的な趣味が、バレちゃった、とか?」

 

丹生は、俺の言葉を聞いたとたん、耐え切れずに、両手で顔を覆い隠した。おお。図星だったとは。

恥ずかしそうに話しだした丹生の話によれば、暗部に入る直前、緊張のあまり学校で厨二武器を振り回して練習しちゃったそうで、それが皆にバレて……意地張っちゃって。それが始まりで……って、これ以上聞きたくない。うわあやめて。こっちの心までイタくなっちまう!

 

 

 

 

「雨月。時間だぞ。」

 

郷間の横槍が入る。ちぇ。楽しかったのに。もう丹生との癒しの時間はオシマイか。こんな辺鄙な、何作ってるか分からない工場、誰が襲撃するんだよ。はぁーあ。気が進まないが、仕事は仕事だ。俺は無線機片手に、広々とした、ほのかに肌寒い施設の廊下へと歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「こちら雨月。定時連絡。施設内に異常なし。繰り返す、異常は無い。」

 

『了解した。こちらの監視カメラにも異常は見当たらない。帰投しろ。』

 

「はいはい。」

 

何もないだだっ広い施設を真夜中に淡々と歩き回るのは、そりゃもう半端なくツマラナイ。早く帰って、丹生とお喋りしたかったが、次の当番はあいつだしな。

 

あくびをひとつ噛み殺し、守衛室へ帰投しようとした、その時。

 

 

 

 

 

背後で、突如の、轟音。爆発音。

 

 

 

 

 

 

頑丈なはずの、施設の壁に大穴が空いていた。穴の外からは、人の足音が。

ちょ、おい!今さっき、『異常無し』って報告しちゃったのに。どうしてくれる!

 

 

 



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episode10:百発百中(ブルズアイ)

連休日に楽しんでもらえればと思って、つい徹夜で書いちまったぜ。寝不足の頭でぶっ通しで書いたから、誤字脱字とか変な内容とかいっぱいあるかも。episode10はあとでいろいろ代えさせてもらうことになるかもしれないなぁ。


 

まだ少しばかり、爆発したばかりの壁の砂塵が漂うが、耳と鼻は正確に侵入者の数を把握できていた。人間1人と、パワードスーツ1体、そして宙をホバリングする小型の無人攻撃機(ドロイド)、2機。それぞれのシルエットは、無防備に足音を立て、その姿を俺の目の前に表した。

 

先頭に立つ、不敵な笑みを浮かべた男。まだ年若い、青年。高校生か、大学生か。彼の後ろから、大型のパワードスーツが、破片を飛び散らし、豪快に室内を突き進まんとしていた。その機影の上方には、2台の空飛ぶ機銃。1台は、真球状。もう1台は四つの輪っかが均等につながった、蝶のような機体だった。両機、パワードスーツと比して、駆動音は無音に近い。

 

「万鈴、そこのガキは俺が片付ける。ちゃっちゃとハックしちまえや。」

 

眼前の男はそうつぶやくと、ボサボサの茶髪を左右に振り回し、肩をコキリと鳴らした。どことなく放胆な空気を纏わせている。その男の、落ち着き、場慣れした態度が、ほのかに俺に警戒心を抱かせる。

 

 

「郷間、もうカメラで見ているだろうが、侵入者だ。男1人。パワードスーツ1機。無人機2台。」

 

『ああ。確認済みだ。その男には見覚えがある。コードレッド。中枢部へ繋がる隔壁を下ろすぞ。覚悟はいいな。』

 

「構わない。とっととやってくれ。」

 

 

油断なく、目の前の男と対峙する。鋭敏な耳には、どこか遠くで、隔壁の閉まる響きが届く。侵入者は、何とも場違いなほどニヤケたまま、大げさに両手を宙に広げ、慣れ慣れしく話しかけてきた。

 

「おやあ、ボウズ。このオレ相手に一騎打ちたぁ、大した度胸だ。ヒィャハハ。その心意気に免じて、先手は譲ってやるよ。大サービスだ。ヒャハ。」

 

薄暗い工場の中で、ケラケラと笑うヤツの周囲に、きらりと光るものを目にした。金属片、か?よく見れば、無数にあった。ヤツの体の外周、ほんの十数センチのところを、不規則に、高速で飛来していた。何かの能力なのは、間違いないが。クソッ。

 

先手必勝。俺は所持していたサブマシンガンでヤツの下半身を狙らいつつ、同時に発砲。弾丸は、ヤツの足へ。馬鹿か?コイツ。そう思ったのも、束の間。予想は覆された。

 

 

ブチ、ブチ、ブチ、と火花が散る。俺が撃った弾の数だけ、火花が飛び散った。常人ならば、何が起こったのか理解できなかっただろう。だが、視神経が強化された俺は、はっきりと何が起きたのか目にしていた。

 

ヤツ目掛けて、十数発は発砲した。その全てが、ヤツの体に触れる前に撃ち落とされていた。弾丸が届く前に、突如ヤツの周囲を飛来していた金属片が軌道を変え、俺の撃った弾へと吸い付くように、次々に衝突し、両者、弾け飛んだ。結果、ヤツの体には傷一つついてはいない。

 

念動能力(テレキネシス)か?だとしたら、相当強力だ、コレは。銃から放たれた弾丸すべてに命中させるとは。マズい。こいつどう考えても大能力者(レベル4)以上だ。油断していたのは俺の方か。

 

 

「残念ェん。時間切れ。あばよ、ボウズ。」

 

だらけた態度は変えず、目の前の男は素早く、小さな球体、グレネードのようなものを取り出し、こちらへと放り投げた。

 

手にしたサブマシンガンの弾がきれるまで、男に向かって打ち続ける。同時に、飛来するグレネードを蹴り飛ばそうと身構えた。テレキネシスなら、避けても奴に誘導され、あの玉は俺に向かってくるはずだ。だったら弾き飛ばす。

 

対峙する相手も、俺の発砲と同時に、徐に取り出した小銃のトリガーを引いた。断続する互の発砲音の数と同じだけ、金属と金属がぶつかり、はじけ飛ぶ音が響く。俺の目には、奴が真上に向けた小銃から飛び出す弾丸が、銃口から出てくるやいなや軌道を変え、ヤツを守るように俺の弾丸へと向かっていく姿が映っていた。

 

俺が放った弾は、全弾防がれた。マガジンには50発近く入っていたのに。大した奴だ、ちらりと顔色を伺えば、余裕の表情を見せている。

 

 

「…らぁッ!」

 

目前に迫ったグレネードを蹴り飛ばす、つもりだった。だが、しかし。

 

圧倒的な、力、運動量の気配。脳内ではあらぬ方向へ弾き飛ぶはずだった金属球は、俺の渾身の蹴りに、なんということだろう、ピクリとも動きを見せない。動かない。軌道を変えていない。冷や汗が出るほど、ビクともしなかった。何の影響も受けず、未だまっすぐに俺へと向かってくる。

 

驚愕。先程も言った様に、ピクリとも軌道を変えない。どう、して。強大な筋力の代償として、代わりにスネの骨に違和感を感じた。ヒビでも入ったか。僅かに金属球は側面を凹ませた。見かけなんてあてにならない。想像以上に、この小さな玉は頑丈にできていた。

 

こんなに、こんなに小さな玉なのに。まるで、圧倒的質量を持った、巨大な隕石のように、蹴ろうとも、殴ろうとも。結局、俺は1mmたりとも、その軌道を変えられなかった。

 

ついには、俺の胸部に衝突。金属球に押し出され、体が宙に浮かぶ。間も無く、眼前で発光。白熱。

 

「マ、ズイ」

 

金属球は、著しく白熱する。激しく燃え上がり、俺の体を焦がしていく。脳みそ、を。脳だけ、は、守、れ。ご丁寧に、白熱球は倒れ伏す俺の体の上にピタリと張り付き、燃え尽きるまでダメージを与え続けた。

 

 

「ヒィッヒャァ!ヒィィヒャハハハハハハ!どうだいィ、万鈴お手製のサーメート(焼夷手榴弾)の味は。あー、くっせぇ。肉が焦げる匂いってのはまあ、いつまでたっても慣れねぇもんだ。ヒャハ、オレァあんな死に方だけはゴメンだねぇ。ま、だが、ボウズ。叫び声一つあげずに逝ったヤツはテメェが初めてだ。雑魚は雑魚なりにガンバったな。おめっとさん。」

 

男は端末を開き、しばし、覗き見る。

 

「……万鈴、そろそろ終わったか?はは。当然か。そんじゃ、オレはとっとと爆弾仕掛けに行くぜ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「雨月め。油断したな。」

 

監視カメラを注視しつつ、郷間はポツリと呟いた。彼の背後では、魚成が手早く装備を整えている。画面に映った、雨月の敗北に呆然としている丹生は、表情から活力が失われ、立ち尽くしていた。

 

郷間は、背後の2人。残された"ハッシュ"メンバーへと向き直った。

 

「聞け。俺は幸いにして、そこの侵入者が何者か知っている。"パーティ"という、名代の傭兵どもだ。金次第でどんな依頼でも二つ返事に受け入れる狂人どもでな。とりわけ、今、雨月を殺った男、牛尾中(うしおあたる)は"空間移動系能力者(テレポーター)殺し"として名高い。」

 

説明を続けつつも、郷間は慣れ親しんだ手つきで無骨なガスマスクを装着する。

 

「詳細を語れば、ヤツは大能力者(レベル4)、能力は"百発百中(ブルズアイ)"という。放った物体のスピードを維持させたまま、任意の目標に命中させる能力だ。大能力(レベル4)に相応しい出力、規模、射程、を誇る。……だが、コイツの能力は、オレとは相性がいい。オレが相手をしよう。」

 

郷間の説明がきつけとなったのか、1人遅れていた丹生も、迎撃準備に取り掛かっていた。水筒から水銀を取り出し、手元に槍を形作った。

 

「ヤツと行動を共にする、このパワードスーツは、恐らく"電子憑依(リモートマニピュレート)"、刈羽万鈴(かりはまりん)に違いない。彼女は能力を利用したハッキングのスペシャリストだ。この施設のコントロールもすぐに相手の手に渡るだろう。」

 

郷間の話が、終わるやいなや。突如スピーカーから、年若い少女の甲高い声が漏れ出でた。

 

『キャハハッ。ご明察。実はー、たった今、ワタシの制御下に落ちました。ゴメンネッ。』

 

機敏に反応した郷間は、舌打ちとともに小銃を取り、2人に向かって矢継ぎ早に警告した。

 

「機銃だ!」

 

彼の発声と期を等しく、守衛室の隅に取り付けられていた機銃が火を噴いた。

 

 

銃火に晒される直前に、郷間の姿は影も形も残らず断ち消える。彼の能力、"隔離移動(ユートピア)"の発動によるものだった。しかし、彼の背後に位置していた魚成は、無情にも機銃の餌食となった。

 

魚成が蜂の巣となった後、瞬間間も無く、今度は丹生へと銃弾の雨が降り注いだ。間一髪、彼女は咄嗟に銀の傘を広げ、その雨から身を守る。

 

機銃とは別の、発砲音。郷間が機銃を撃ち壊した。

 

 

今一度静けさを取り戻した室内に、郷間が小銃をリロードする動作音だけが谺する。彼は未だに銀の傘を広げたままの丹生へと視線を向けた。

 

「魚成が殺られたか。丹生、お前は"電子憑依(リモートマニピュレート)"を叩け。オレは先ほど言った通り"百発百中(ブルズアイ)"を殺る。」

 

彼女は、不安に押しつぶされそうな、青ざめた顔付きでゆっくりと頷いた。

 

「しっかりしろ。殺らねばこちらが殺られるぞ。」

 

丹生に発破をかけつつ、郷間は"上"へと救援の要請を試みるも。

 

「……チッ。やはりジャミングか。気を引き締めろ。直ぐには救援は来ない。これ以上、敵の増援が無いことを祈るべきだな。」

 

 

生き残った2人が退出した部屋に、刈羽のおどけた声が響いた。

 

『ゴメンネー、牛尾。ついバラしちゃってー。せっかく、3人同時に殺れたところを、1人しか殺れなかったー。え?それでいいの?うん、わかったー。そっちに強そうなのまわすね。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ?何でココのロックだけかかってんだ?……オイ、万鈴。一ヶ所しくじってんぞ。」

 

いかにも重くて仕方がない、という風に、ショルダーバッグを地面に擦りつけながら、"百発百中(ブルズアイ)"こと牛尾中(うしおあたる)は1つの扉の前で立ち止まっていた。

 

"ハッシュ"が警備していた施設のセキュリティシステムを乗っ取った彼の同僚、"電子憑依(リモートマニピュレート)"、刈羽万鈴(かりはまりん)。彼女からは、施錠された出入口は全て開放した、と連絡を受け取っていた。にもかかわらず、目の前のドアは彼に反応せず、入場を拒んでいる。

 

その扉の向こうが、まさに彼の目的地であるようだった。多少苛立った様子で、牛尾は刈羽へと通信を行う。

 

「さっさと開けてくれや。テメェの作った発破が重くて仕方がねぇ。」

 

すぐさま彼の耳に、声色高い少女の怒鳴り声が響いた。

 

『ソコ、システムからは独立してる。きっとー、所員とかが自前の鍵で開閉するトコだよ。ってかさぁ!アンタには隔壁の1枚や2枚ドッテことナイでしょ?いちいちワタシを使うなよなぁ!』

 

気だるそうな顔を驚きに染めた彼は、彼女の言葉に何かピンと来たようだった。

 

「……あー。そうだな。悪ぃ悪ぃ、もういいぜ。ハイ通信終了ォ。」

 

ヘッドセットからは漏れ出る声は、怒りの収まらない様子であったが、彼は強引にそれを打ち切った。そして、胸元をゴソゴソと探り、卵大の大きさをした金属球をいくつか取り出した。

 

「タングステン・ベリリウム鋼だっけかァ?ッたく、この玉だけでいくらかかったか。あー。失くさねぇようにしねぇとなァ。」

 

無造作に、金属球を目の前の扉へと放った。宙に放られた金属球は、投げられた初速を維持して、扉へとぶつかる。次第に、扉からギチギチと金属同士が圧縮される、鈍い物音が響く。

 

軋みが限界を越えた。扉は破壊され、接合部がこじ開けられたかのようにへし曲げられた。強大な力が抑圧から解放された、その重低音が辺りを包んだ。

 

扉の向こうの空間には、今なお稼働し続ける、この工場の心臓部たる用途不明の設備機械がずらりと並び立っていた。

 

「ったく、何だこりゃ?ハイテクな棺桶か何かか?相変わらず、"この街(学園都市)"はよくもまぁ、飽きずにこんな訳のわからないモンを作り続けるこって。どっから金が入ってくるんだ?オレにもよこせってぇの。」

 

 

 

 

彼には、その機械が何に使われるのか、わずかも見当はついていなかった。それを気にすることなく、片手に持つ端末が示す通りの箇所に、バッグから取り出した爆薬を設置していった。

 

 

「これ、1台いくらぐらいすんのかねぇ。金になるんなら何台か失敬してぇな。……っと。やっと来たか。遅ぇぞ。」

 

愚痴をこぼしつつも、手馴れた手付きで設置作業を行う彼だったが、ふいに、その動きを止めた。

 

出入り口のすぐ側に、郷間の姿があった。マスク越しに発せられる声は、彼自身の抑揚の無さとも相まって、なんの特徴もない、極めて画一的な色を見せていた。。

 

「やはり、奇襲はできないか。お前の仲間に監視されているからな。」

 

牛尾は爆弾の設置を中断し、ゆらゆらと立ち上がり、ぶらりと背後に向き直る。それまでの、つまらなそうにしていた態度はガラリと変わり、期待に溢れた笑みを正面の敵に送った。

 

「ヒィャハ、まァな。どっちでも良かったんだけどな。優秀な手下が仕事をし過ぎると、それはそれでつまらなくなっちまうからよぉ。……ってか、カッケェマスク付けてんねェ。ころっと死んでくれるなよ、見かけ倒しは困るぜぇ。」

 

「……心配するな。期待には答えてやろう。」

 

そう言い返し、郷間は間髪入れずに手にしていたハンドガンを発砲した。3度の破裂音。牛尾の目と鼻の先で、放たれた弾丸は三たび火花を散らして弾け飛んだ。

 

 

「……なんだァ、がっかりだぜ。」

 

牛尾も、懐から拳銃を取り出した。しかしそれは、郷間が用いたような、通常のハンドガンとは趣が違っていた。もっと巨大で、角張っている。見かけからも、それが規格外に大きな口径を持ち、破格の威力を発揮すると察せられた。

 

「ビビってくれたかな?熊撃ち用のマグナム銃さ。オレのお気に入りだ。2m越えの大男だってロクに扱えねぇシロモンだが……オレが使えば、この通りだ。」

 

セリフと重なるように、牛尾は明後日の方向に向けたままの鉄塊のトリガーを引いた。打ち上げ花火かと間違えるほどの怪音が轟き、彼の腕は反動で大きく上下に振れた。

 

規格外の弾頭は、見事に郷間の心臓目掛けて伸びていった。しかし、彼に着弾することはなく、彼のいた位置を通り越して、あっという間に対面の壁へと吸い込まれた。

 

「……はぁ?」

 

「くくく。」

 

間の抜けた牛尾の台詞を前に、笑みを漏らした郷間は、その場から一歩も動いてはいなかった。ただひとつ。弾丸が通過する瞬間に、姿がふわり、とかき消えてはいたが。

 

「やはりな。ターゲットが消失しては、お前の能力でもさすがにお手上げ、ということだ。」

 

郷間の悠然たる対応に、牛尾は苛立ちを隠しもせず、嫌悪感を顕にした。

 

「テメェ、"空間移動系能力者(テレポーター)"だったのかよ。最悪だ。」

 

牛尾の言葉に反応せず、郷間は手に持っていたアタッシュケースを前に突き出し、眼前の牛尾へ見せつける。

 

「貴様とこれ以上下らない会話を続けるつもりは無い。此方もそこまで暇ではないのでね。早々に御退場願おう。この中には、貴様を殺すための武器が入っているぞ。」

 

郷間が言い終わる前に、牛尾は煩わしそうに、アタッシュケースへと弾丸を叩き込んだ。発砲と同時に郷間は能力を使ってその身を消失させており、穴が空いたアタッシュケースは支えを失ってゴトリと地に落ちた。

 

そして瞬く間に、穿たれた穴から白色のガスが勢いよく吹き出した。

 

「人の話は最後まで聞くべきだったな。この空間一帯を覆う窒息ガスが吹き出すぞ。扉の向こうにもとっくにガスは巻いてある。逃げ場はない。」

 

 

「チィッ。ぁあー?"空間移動系能力者(テレポーター)"かよォ。クッソ。興冷めだぜ。やる気が失せた。」

 

牛尾にとっては、危機的状況となったはずであった。だが、今もなおダラけた姿勢を崩さず、覇気の抜けた態度を変えない彼の様子に、郷間は違和感を覚えたようである。

 

 

ガスは今もなお、空間を広がっていく。愚鈍としか言い様のない牛尾の反応に、郷間の声色にもさすがに嘲りの色が混じりつつあった。

 

「興冷め、か。それは此方の台詞だ。所詮は3次元に囚われる粗雑な能力。全く。貴様には無駄な手間を取らさ

 

そう、郷間が言い終わらぬうちに、俄かに、牛尾は遮って話を始めた。

 

「"空間移動系能力者(テレポーター)"風情には、コイツ1本で十分だ。」

 

言い放ち、牛尾は太腿に差していた大振りなナイフを抜き、手にとった。

 

「今更ナイフ1本でどう足掻く?」

 

ガスが広がりつつある空間、そのど真ん中で。なおも泰然とした態度を崩さずに、牛尾は不敵な笑みを浮かべてみせた。

 

「特注の、半端なく頑丈にできたナイフだ。オレの相棒。オレァコイツを1番信頼してるぜ。」

 

牛尾は振りかぶってナイフを投擲した。郷間は心底呆れた声色で呟く。

 

「さよならだ。間抜け。」

 

そして、彼の姿は一瞬で断ち切えた。

 

 

 

 

 

 

 

ドサリ、と人間が倒れる物音。

 

 

 

 

 

 

 

 

左胸にナイフをはやした郷間が、表情を驚愕に染めて、地に這いつくばっていた。

 

「な、ぜ……。何故、だ……、在り、得る、は、ずが、こん、な……」

 

「ヒャハ!ヒィャッハア!ヒィャハハハハハハハッハァッハハハハハハハ!!」

 

掠れるような郷間の弱々しい声は、牛尾のけたたましい笑い声でかき消された。

 

 

地を這いずり、苦しそうに蠢きつつも、必死に牛尾から逃れようとする。それに対し牛尾は、未だに気の抜けるほど、とぼとぼと歩き、倒れた郷間へと近寄っていった。

 

そばに落ちている、ガスの吹き出るアタッシュケースを蹴り飛ばし、牛尾は倒れ伏す郷間からガスマスクを奪い取った。それを難なく取り付けると、大げさに腕を振り回す。郷間を嘲るように、深々と深呼吸をした。

 

「"空間移動系能力者(テレポーター)"ってのァ、ドイツもコイツも、11次元がどうとかこうとか、ぺらぺらペラペラとよく喋ってくんだよなァ。したり顔で、勘違いを押し付けてきやがって。オレの能力の本質はなァ、テメェらがのらりくらり語ってくる、"3次元"がどうこういう話じゃねぇんだ。」

 

牛尾は、懸命に這いずり続ける郷間を蹴り起こす。腹に足を乗せ、地面に縫い付けた。ゴボッ、

と郷間は喀血し、口元を朱に染めた。

 

「"投擲したものを、命中させる"。人類が古来より、その進化の過程で幾度も争った末に、会得した"技能"。脳みその中にある、遺伝子上のその"本能"・"概念"を体現したものなのさ、オレの能力はなァ。……下らねェ。もう終わりか。こんなことなら、さっき丸焦げにした坊主のほうが、よっぽど良い反応してたぜ。ありゃ面白かったなァ。」

 

 

身を襲う激しい痛みに苦しむ中、弱々しく牛尾の足首を掴むと、郷間は必死に彼に命乞いをする。左胸に刺さったナイフに手を駆け、頼む、頼むとうわ言のように繰り返した。

 

「……た、たす、け。て。たす、けて。……くれ。」

 

牛尾はにこやかに返事を返す。しゃがみ込み、彼に顔を近づけた。

 

「心配すんな。さっきナイフ1本で十分って言ったからな。もうこれ以上はなんもしねぇよ。この傷だと、すぐに病院に行けば助かるかもな。……ん?おお。ナイフ、返してくれんのか?サンキュー、忘れるところだったぜ。特注っつったろ?これ、高けぇんだよなァ。」

 

そう言って、郷間の左胸に刺さったままのナイフに手をかけた。郷間は力なく、その手を押し止めようとするも。

 

 

 

 

 

数分後。残っていた爆弾を設置し終えた牛尾は、その場を退出する際に、動かなくなった郷間の亡骸に目をやった。大量の血痕を残しつつ、出口へと必死に這いずった跡があった。

 

「プッ。プヒャハ。ヒィャハハハハハ!オレのナイフで死んだのか?それともテメェの毒ガスで死んだのかァ?前言撤回!テメェ、中々面白ぇじゃねぇか!ヒャハ、ヒィャハハハハハッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鼻がひん曲がりそうな、強烈な悪臭。それが意識の覚醒の原因だったのか、そうでないのかはわからない。目が覚めると同時に、鼻につく動物の肉の焦げる臭いに、思わず顔をしかめた。

 

目に映る両腕は、全面が火傷の痕で覆われていた。爪でひっかくと、その下からは新鮮な細胞、ピンク色の肌が姿を現した。どうして俺はこんな黒焦げに?

 

一生懸命に記憶の隅をつついても、答えは出てきそうになかった。ヘッドセットや携帯を探す。見つけはしたものの、両者とも焼けて変形していた。これは、どう見てもブッ壊れてるな。またか。どうしてこういつも連絡手段をお釈迦にしちまうんだよ、俺は。

 

状況から、俺は誰かに襲われたらしい。誰かに燃やされた?焔なんて、最近じゃ火澄の蒼い焔くらいしか記憶に……いや、違う。フラッシュバック。白熱。白い焔だ。金属球。にやけた男。

 

 

全てを思い出す。あまりの怒りに、つい咆哮を漏らしそうになる。懸命にそれを抑えつつ、地に座ったまま、"人狼化"した。四肢を縮め、両手両足の爪を鋭く伸ばす。溜め込んだ力を一斉に開放して、そのまま天井へと跳躍した。爪を壁に食い込ませ、知らぬ人間と嗅ぎなれぬ油の臭いへ向かって、天地を逆さに疾駆する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

道行く廊下の奥に、無防備に浮遊する、見覚えのあるシルエット。侵入者とともに施設に入り込んだ、無人攻撃機(ドロイド)の1機だった。天井を地上と逆さに疾走する俺は、気づかれぬままに接近する。背後から、飛び乗る。

 

機銃を盛大に乱射しつつ、無人機はあっけなく墜落した。馬乗りになった俺は、猛然と拳を握り、殴り続けた。人間に出せる力を遥かに超えた野獣の腕力に、しだいに機体を構成するフレームに変形が生じてくる。広がった隙間へ爪を食い込ませ、力任せに分解し、解体し、破壊した。

 

そして、バラバラに飛び散った部品の中心で、俺は自身の耳へと全神経を集中させる。今の無人機への攻撃で、俺の復活はバレてしまったと考える。馬鹿みたいによく聞こえるこの耳で。侵入者どもの動きを掴んでやる。

 

 

周辺は静謐であり、常人には一切の物音が聞こえないはずだ。しかし、俺の聴覚は、聞き覚えのある少女の、狼狽した悲鳴を捕捉することに成功した。

 

『ちょっとッ、郷間ッ!応答して!郷間ぁッ。殺られちゃったの?そんな、もうアタシ1人なの?!』

 

『キャハハハハッ。その通りぃ!アンタ1人だけ。ホント諦めてさぁ、さっさと死んでくんない?アンタにチョッカイかけられてっと、ウザくて能力に集中できないんだよねー。ほらぁッ、死ねッ、死ねッ、死ねッ、死ねッ』

 

 

音の聞こえる方から、間断なく発砲音が聞こえてきた。良かった!丹生の奴、まだ生きてる!早く助けに行かないと危険だ!

 

慌てて彼女たちの戦闘現場へと駆け出す。しかし、今の丹生の発言だと、郷間の奴、殺られたのか?俺が殺られかけたクソ野郎の仕業だろうか。だとしたら、野郎はまだ生きている。警戒しなくては。

 

 

 

 

 

駆ける。駆ける。全身全霊、自身が出し得る、最高速で。通路を突き進む。唯一つ、俺を燃やしたクソ野郎の存在に、注意を払いつつ。

 

丹生が相対しているであろう侵入者の、銃声と罵声がだんだんと近くに迫っている。気を失う前に、隔壁が閉じる音を確かに聞いたはずだ。だが、今までの移動で降下した隔壁はひとつも見ていない。敵がセキュリティシステムを掌握していると考えよう。"ユニット"で受けたレクチャーでも、それがセオリーだと教わったからな。

 

覚束無ぬ記憶の片隅に存在する、この施設の見取り図が確かならば、このまま進めば、非常時の副電源装置の管理区域へと到達する。何らかのツールか、それとも能力か。敵は電気系統から施設のセキュリティシステムに手をかけたに違いない。

 

 

ようやく辿りついた。丹生の口からこぼれ出す、小さな呻きを聞き取った。廊下を飛び出す。視界が開けると、パワードスーツと球形の無人機に、挟み撃ちにされ攻撃を受けている、丹生の姿が目に飛び込んできた。丹生は銀塊を半円のドーム状にして、なんとか銃撃を防いではいるものの、銀膜は銃弾でたわみにたわみ、今にも決壊しそうだった。

 

「何が、死にそうなったら頼りにしろ、だよ…ッ。先に死なれたら、どうしようもないよ、雨月…ッ!」

 

そう、丹生が漏らした弱音に重なって、俺が叫んだ合図がその場に響いた。

 

「丹生!俺ガパワードスーツヲ抑エル!!ドロイドニ集中シロ!」

 

ガアンッ!という破砕音とともに、丹生へと銃撃していた無人機に、金属塊が衝突した。バランスを崩した無人機の射撃は、丹生から大きく逸れ、クルクルと回転する機体の動きとともに、辺り一帯に無差別に飛び散った。衝突した金属塊とは、俺が力の限りに投擲した、破壊した無人機のパーツであった。

 

たわんでいた銀膜のドームに、力が戻った。既にパワードスーツへと疾駆していた俺は、丹生への攻撃を止めるために、全力の体当たりを食らわせんと試みた。敵からの応射を完全には躱しきれずに、何粒か反撃の散弾を喰らったものの、ほとんど勢いを減ぜすに、パワードスーツへと突撃した。

 

『――ックショアッ!ナニやってんだ牛尾!さっきの怪物がコッチに来ちまってんぞォ!』

 

組み付き、壁に押し付けているパワードスーツから苛立ちの音声が滲む。

 

「良かった、良かったぁ!雨月!生きててッ!う、……お願い!雨月!もう少しだけ、パワードスーツを抑えて!」

 

「マカセロ!」

 

威勢良く答えたものの、密着状態のパワードスーツの胸部から、イキナリ馬鹿デカイ断ち鋏のギミックが、バギャン、と飛び出た。出現したそれを見て、大いに動揺する。お掃除ロボットくらいなら、簡単に分断出来そうなほど、ガッシリとした造りの巨大なニッパー。対PS(パワードスーツ)武装か……。いくらなんでも、これを受けたら……!

 

鋏の稼働に合わせて、距離を取る。敵はすぐさま、散弾をお見舞いしてきた。お次は転がって回避する。パワードスーツ同士で撃ち合うような、馬鹿デカイ散弾をまともに喰らうのは避けたい。運悪く、四肢が千切れ飛んだら、行動に制限が掛かる。それでも、死ぬ気がしないのは……どう考えても異常だよな。

 

しかしながら。このパワードスーツに搭乗している奴、かなりの腕だ。実際に戦闘行動をとっているパワードスーツを何体も拝見して来たが、目の前のこいつほど軽快に動く奴は見たことがない。それこそ、生身の人間を相手にしているんじゃないかって、勘違いしてしまいそうなほど反応が良い。

まるで、パワードスーツに魂が乗り移っているかのようで。

 

 

背後から、鉄塊が落下する轟音が。振り向かずともわかった。丹生が1機残った無人機を破壊したのだ。

 

「雨月!ひとまずこっちに来て!」

 

ちらりと目をやれば、銀色の大盾を用意した丹生が俺を呼んでいた。次々と発射される散弾を避けつつ、彼女の元へと後退した。

 

大盾の裏側では、目を潤ませた丹生が俺の到着を待ちわびていた。

 

「雨月、ほ、ほんとに生きて……」

 

泣きそうな丹生の表情に、場を弁えずに、ちょこっと萌えそうになったが、ぐっとこらえる。

 

「状況説明ヲ頼ム!野郎ニ燃ヤサレタ後ハドウナッタカワカラン!」

 

少し鼻声っぽくなった丹生から簡単に説明を聴く。郷間は多分殺られた。まさかあいつが、こうも簡単に殺られるとは……。糞ッ。手をこまねいている暇はない。とにかく早くパワードスーツ女を片付けないと、野郎がこの場に加勢に来てしまう!

 

「今ノ、ドウヤッテ無人機ヲ壊シタ?」

 

俺の質問に、丹生は間を開けずに答えてくれた。

 

「隙間に水銀を流して、一気に体積を増やした。機械なら全部この手が通じると思う!」

 

「最高ダ、丹生!モウ1回ソイツヲヤロウ。俺ガ敵ノ攻撃ヲ捌ク!オ前ハ敵ニ隙ガデキタラサッキノヲカマシテクレ!」

 

俺の要請に、一瞬、丹生は口ごもった。顔色が悪い。蒼白だった。怯えているのだ。誰だって、死ぬのは怖い。怪我をするのは怖い。今もなお能力で精神を誤魔化す俺が、彼女を責める資格は無いよな。

 

「……俺、何度モオ前ヲ守ッテヤルッテ言ッテタナ。ワカッタ。ヤラナクテモイイ。オ前ハトニカク、攻撃ヲ喰ラワナイヨウニシロヨ。」

 

 

 

 

 

銀の盾から抜け出す。少々離れた場所に位置するパワードスーツが、背中に積んでいたコンテナを分離しているのを目撃する。コンテナからは、犬型のドロイドが飛び出した。

 

『Type:GD起動ぉ!犬同士潰し合え!』

 

散弾を放ちつつ、パワードスーツは俺から距離を取ろうとする。それに反して、犬型のドロイドは一直線に向かってくる。

 

散弾は、正面からまともに喰らいそうなのだけ避ける。パワードスーツへのチャージ(突撃)に集中しよう。

 

犬型ドロイドが噛み付つかんと、飛びかかってきた。渾身の蹴りを放つ。銀色の犬はボディを豪快にヘコませ、スクラップになる。

 

『牛尾!牛尾!牛尾ォォ!ナニチンタラやってんのよ!早く来いよ!オマエェェェ!アンタが助けに来るまで、起爆スイッチは絶対押さねェかんな!』

 

目の前の敵から発する声色は、際立って狼狽しているように感じ取れた。しかし、あいも変わらず、そのパワードスーツ搭乗スキルは色褪せずにいる。

 

 

あのように軽快に動くパワードスーツの外装を、ちまちまと剥がしていく作業は無理筋だろう。だったら、お前を抱え上げ、大地に打ち付けてやる。いや、よく考えれば、パワードスーツの対衝撃性能は高い。無駄足だ。それなら……壁面にぶん投げて、埋めこんでやる。身動き取れなくしてやるよ。

 

再び、敵に組み付いた。抱えあげ、投げつけようとするも、ギチギチと動く胸部の巨大な鋏が良い具合に邪魔をする。チッ、糞。時間が無ぇってのに。その時。

 

「雨月!行くよ!」

 

後ろから、丹生の強張った掛け声。頼ム、と返事をして、精一杯、パワードスーツを持ち上げる。

 

銀の触手がパワードスーツに入り込む。しかし、その時、暴れていたパワードスーツの上体がズレる。冷や汗がでた。この位置だと、刃と刃の間に、俺の首がある。早く、丹生……

 

ジャキン、と刃が閉じた。咄嗟に姿勢をずらしたのが間に合った。なんとか首は無事だった。だが、その代わりに。

 

流血。血飛沫が舞う。丹生の悲鳴。ゴトリ、と俺の左腕が、体から離れて地面に落ちた。左肩から先が切断されてしまった。

 

筋肉が盛り上がり、すぐに出血が治まる。能力を使って、パニックに陥らないようにした。大丈夫だ、俺の体なら、あとでくっつけられるはず。……いやいや、そうやってのけるしかないぞ、俺。一生片手なんて御免だ。

 

 

パワードスーツは、バラバラに分解されていた。すぐそばに、心底怯えた表情で腰を抜かす、金髪の少女が。

 

悪く思わないでくれ。俺は手加減は軽くに止め、少女を残った右手で掴み、近くの壁に投げつけた。ドガァッという、嫌な音とともに、女は泡を吹いて崩れ落ちた。完全に気を失っている。多分、生きているだろう。死んでいても、もうそれは仕方がない。

 

 

 

 

 

 

パワードスーツは片付けた。一息つく。あとは俺を燃やしたあのクソ野郎だけだ。……チィッ。次から次に。嗅覚が、濃密な、俺を燃やしたクソ野郎の匂いを捕える。すぐそこだ。

 

「丹生!女ヲ連レテトットト逃ゲロ!今スグダ!」

 

丹生にそう言い放ったのと、ほぼ同時に。廊下の奥から、3つ。ギザギザと、トゲがたくさん付いた金属のつぶてが、高速で飛来する。

 

反射的に、右手で防御した。しかし、それは飛来するつぶてをいかほども妨げず、右手の甲や二の腕を貫通して、俺の腹部にズブズブと入り込んだ。幸い、丹生には放たれなかった。厄介だ……、"百発百中(ブルズアイ)"。

 

ドクン、と体が脈動する。この感覚は、味わったことがある。毒だ。畜生、つぶてのトゲに毒が仕込んであったのか!……耐えろ!後ろには丹生が居るんだぞ!ここで倒れる訳にはいかない!

 

俺の体は、幸運なことに、強固な意志に従ってくれた。毒で体に異変を感じたのは、僅かな時間だった。廊下の奥から、牛尾が姿を現した。大型のパチンコみたいな道具を持っている。あれは……スリングショット。そうか、あのつぶての速度。それを使ったのか。

 

「ヒャハ。面白ェ!狼男なんて初めて見たぜ!しかも。お前ェ、なんで毒喰らって倒れねえんだ?効かないの?スッゲェなァ、オイ!」

 

 

 

 

 

迂闊。どうして牛尾の接近にもっと気を配らなかったんだ!そうだ。後ろにはまだ丹生がいる。彼女に聞いた、牛尾の能力だと、この場からどうやって安全に彼女を退避させればいい!?糞、糞ッ。どうする?!どうすれば?!

 

てくてく、と歩み寄る牛尾は、地面に伏した刈羽の姿に気づいた。

 

「あれまァ。殺られちまったのか、万鈴。悪ぃな、間に合わなかったぜ。……はぁ。メンドくせぇ。自分で爆弾起爆しなきゃなんねぇのかァ。」

 

 

……こいつ、挑発に乗ってくれるか?……糞が、他には何も思いつかねぇ、畜生。やるしか無い。

 

「サッキハ良クモ、俺ヲ焦ガシテクレタナ、クソ野郎。」

 

「……ぁあ?テメェ、もしかして……俺が燃やした坊主かぁ?プヒャハ!マジかよ!なんだそりゃ、肉体変化能力(メタモルフォーゼ)ってヤツか?ツイてるぜぇ!肉体変化能力(メタモルフォーゼ)とはまだヤったことねぇ!」

 

目の前で同僚か、もしくは手下か。仲間が倒されているというのに、牛尾の表情には一辺の怒りも見受けられなかった。ただ純粋に、場にそぐわない愉楽の感情だけが受け取れる。

 

「トコトンムカツク奴ダナ、テメェハ。……復讐戦(リベンジマッチ)ダ。"百発百中(ブルズアイ)"、俺ト"サシ"デ殺シ合イヲシロ。」

 

「あーあーあー。そう言う感じ?オーライ。ヒィャハ。了解だぜぇ、狼男。テメェは良いカンジ(・・・・・)だ。」

 

 

牛尾の気を惹かないように、精一杯演技して、丹生へと語りかけた。

 

「ソノ女ハホウッテオイテイイ。テメェハ邪魔ダカラ、トットト失セナ。」

 

俺の意図を理解してくれた丹生は、すぐに背を向けて走り出した。だが、彼女が無事逃げきれる、と安心したのも、束の間だった。

 

「あァ、邪魔なのか?じゃァオレが手伝ってやんよ?」

 

チャラけた態度を見せたものの、やはり仲間をやった敵を見逃すつもりはなかったのだ。一瞬の早業。スリングショットを引き寄せ、金属球を高速で打ち出した。フラググレネード。破片手榴弾だった。ターゲットは丹生だ!あああ、畜生、畜生、畜生が!

 

「走レ!丹生!」

 

牛尾が真上に打ち上げたグレネードは、大きく山なりの軌跡を描き、逃走する丹生へと迫った。身体が弾け飛ぶかと思うほど、心拍数を上昇させ、思考を全開に加速させていたおかげで、完璧なタイミングで飛び上がり、残る片手で手榴弾を掴んだ。

 

やはり、ピクリとも動かない。俺の体をぶら下げたまま、グレネードは進んでいく。獲物がグレネードで助かった。とりあえずは、このまま丹生との間に体を挟んで、爆発から彼女を守ろう。

 

そう。俺は、手榴弾を掴み、彼女を庇おうとしたのだ。だが、右の掌の中で、グレネードは不自然な動きをする。俺の手をすり抜けようとしている。どうしてだ?この大きさの手榴弾なら、そのまま掴んで……。

 

それは、穴だった。俺の体に、穿たれた穴。先程、毒を受けた時に、つぶてが貫通した穴だった。手や脚のケガなど、いつも後回しにしていた。どうして、ああ、どうしてなんだ!?どうして、治癒しておかなかった!?

 

必死に、手の甲の穴を塞ごうとした。しかし、無情にも、服に穿たれた穴をすり抜ける鈕のように、グレネードは表面を血に染めて、ぬるりと俺の右手から抜け出した。

 

自由落下する俺の目には、まっすぐに彼女へと向かう真紅の金属球が映る。全てがスローに映る。

"ガ、ー、ド、シ、ロ"と叫ぶ自分の声すら、ゆっくりと。

 

丹生は緩やかに振り向いて、見事に銀の盾を広げてみせた。あれは、"蛇神の輝く鏡楯・・・(イージス)"だ。面積を減らして、装甲を厚くしてあるやつだから、きっと大丈夫だ。

 

血に染まったグレネードは、銀の盾を、なんの抵抗もなく、くぐり抜けた。

でも。はは、まだ爆発しない。

不良品だったのか。どんなに科学が発展しようと、人の手が介入する以上、こういうことはありえる訳で。

 

 

 

 

小さな頃、聖マリア園の皆でやった、打ち上げ花火みたいな音がした。ほぼ、ゼロ距離。あの距離で、手榴弾が爆発すれば、まず間違いなく、人は死ぬ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「GWOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHH!!!!」

 

ジュワジュワと全身から蒸気が吹き出している。心底楽しそうに嗤う、目の前の男を、どうやって苦しめようか。どんな死に方が此奴には相応しいだろう?

 

「ヒィャハハハッ!ヒャハハハハハハッハハハハハッ!さあ、"サシ"で殺ろうぜ?狼男!」

 

殺してやりたい。そう思うものの、目の前の男は、懐から取り出したドデカい拳銃や、

スリングショットから放つ毒のつぶてを手当たり次第に使い、決して俺を接近させなかった。

 

「ヒャハハ!最高だぜ!どちらが死ぬか。テメェが近づけるか、オレがその前に殺しきるか。オールオアナッシング!戦いってのァ、こうでなくちゃつまらねぇ!」

 

馬鹿デカイ拳銃は、喰らえば体の何処に当たろうと、その衝撃で大きく後ろへ吹っ飛ぶ。つぶては、俺の体内へと深く埋まれていく。奴へと近づく勢いは減ぜられ、いつかは行動が阻害されることになるだろう。

 

それでも、怒りに染まった思考が、愚直に奴への特攻を選択し続ける。吹き出し続ける蒸気が、治癒の速度を物語っている。未だ、一進一退の攻防の最中だった。

 

「そろそろ手持ちが切れちまうなァ。狼男!楽しかったけど、もうそろそろ終いといこうや。」

 

牛尾は、新たに懐から、暗く、鈍く光沢する金属球をいくつも取り出した。手にとったそれを、今度は自らの手で投擲した。

 

俺の胴体の各所に着弾したそれらの金属は、俺の体を宙に浮かし上げ、磔けた。牛尾は取り出した大振りなナイフを見せつけると、最後に一言。

 

「あばよ、狼男。」

 

投げられたナイフは、まっすぐに俺の脳天へと突き刺さり、頭蓋を付き破った。

 

 

 

 

 

 

 

目の前に、ニヤケ面を止めた牛尾がつっ立っている。俺はまだ、生きている。当然だ。こいつを殺すまで、死んでやるものか。

 

金属球が邪魔だ。身動きが取れない。右手の爪を、鋭く、長く尖らせる。そして、肉を押し上げる金属球との接触部に、自ら、ズブズブと爪を差し込む。ゆっくりと、金属球は俺の体内に沈んでいった。同時に、体を押し上げる力は消失し、今一度両足で、地面に降り立った。

 

 

「……はぁ?そりゃ、ねえだろ。一体、どうやったらテメェは死ぬんだよ。」

 

ゆらり、ゆらりと後ずさる牛尾は、最後の抵抗と言わんばかりに、拳銃のトリガーを引く。カチカチ、と音が鳴る。弾切れだった。

 

「……負けだ。オレの負け。わかった。ここから出ていく。そこに転がってる女は好きにしていいぞ。テメェにくれてや

 

 

牛尾が最後まで言い切る前に、猛然と飛びかかり、首筋に噛み付く。一噛みで、脊椎は潰れ、千切り喰った首を失った頭部は、ゴトン、と床に落ち、ゴロゴロと転がった。

 

喉から、ごぼごぼと空気が漏れ出る音。それに、ぶしぶしと血が飛び散る音。脊髄が潰れる音。筋肉が千切れる音。人間が死ぬときは、こんな風に、色んな音が一緒に生まれるんだな、と。そんな感想だけが、浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

左肩を、軽く噛み千切り、落ちていた左腕を、断面にくっつける。ジュワジュワ、と泡立ち、左腕は完璧に元通りになった。

 

丹生の元へと歩き出す。守れなかった。守れもしないくせに、俺は何度、助けてやるって口にした?丹生がどんな姿になっていようと、責任をもって、彼女の、両親に。そのことを思うと、否応なく、怒りが治まり、冷静な思考回路を取り戻す。いや、肉親がいるならば、暗部に身を窶してなんか、いるものか。

 

そこで、初めて気づいた。丹生の、血の匂いが漂ってこないことに。駆け出す。

 

床は、黒く焦げ、破裂した金属片で辺一帯穴ボコだらけになっていた。だが。だけど。

 

「……んぅ。」

 

すぅ、すぅ、と静かに呼吸をする、丹生。爆発など、何事もなかったかのように。周囲の状態とは裏腹に、彼女の姿だけ綺麗なままだった。

 

どうして無事だったんだ?……いや、いい。生きている。どうみても、丹生は生きている。丹生を持ち上げようとして、ヒヤリとした感触に驚く。

 

彼女の背面。全面に、膜上になった水銀が。銀膜は、綺麗に彼女の表面を覆い、その身の動きに応じて整然と形を変える。

 

水銀の防御膜。そうか。それなら、あの結末は……。あの時、俺の手の甲をすり抜けたグレネード。あれが、彼女の命を救ったのか。ナイフや毒のつぶてだったら、おそらく彼女は死んでいた。あのグレネードをなんとか受け止めていても、牛尾の追撃の銃弾一つで、彼女は死んでいたかもしれない。途中で破裂し、消滅するグレネードだったからこそ、今際の極で、銀膜で防御することができていたんだ。

 

 

 

しかし。ひとつだけ、脳内に引っかかる。無意識のうちに、水銀で防御膜を……?"自動"で"防御膜"を"展開"する……。そんな話を、どこかで聞いた気がする。

 

 

 

 

 

丹生を背負い、歩く最中。どこでその話を聞いたのか、思い出した。大能力(レベル4)、"窒素装甲(オフェンスアーマー)"、絹旗最愛。幻生から、話を聞いた。"一方通行"の"自分だけの現実(パーソナルリアリティ)"を、最も模倣してみせた少女の話。

 

窒素の装甲を自動で展開させ、鉄壁の防御を誇る、と。丹生も、気を失ってなお、硬質の銀膜を展開している。

 

丹生は、今では暗部の界隈で、"暗闇の五月計画"と呼ばれている、俺が発端となった計画に。ほぼ間違いなく、関係している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"ハッシュ"の増援部隊が、遅れに遅れ、ようやく到着したのは、丹生を介抱し始めてから十五分以上経ってからだった。郷間、魚成という犠牲は出したものの、施設の重要な設備は守りきった。任務を無事完遂できた俺は、一安心する。

 

医療班員に丹生を診せたが、何処にも怪我はない、と診断された。静かな部屋で1人、丹生の側に付き添い、彼女の目覚めを待つ。

 

「んにゃ…………ぅんぅぅ」

 

明け方、ようやく彼女の目が覚めた。両手を広げて、伸びをして、大きなあくびを一つ、かましてくれた。目の前に俺がいると気づいて、すぐに動きを止めたが。

 

「なんで、雨月……が……。」

 

気を失う前の事を思い出したらしく、無事にくっついている俺の左腕を確認し、ほっ、と安堵した。しかし、その後は彼女らしからぬ、陰鬱とした表情のまま塞ぎ込み、室内に気まずい空気が流れた。

 

ひとまず俺は、事後報告という形で、郷間と牛尾の最後について、できるだけオブラートに包んで彼女に語った。

 

「郷間、さん。死んじゃったんだ……」

 

「ああ。死ぬとこ、あんま想像できない人だったけどな。」

 

俺の返答に、丹生はより一層身を縮こませて、ベッドの上で座ったまま、顔を伏せた。

 

「雨月、手が無事にくっついて良かったね。」

 

鼻声で、丹生が泣きそうになっていることがわかった。当然のことだ、と言って、場を和ませようとした。成功はしなかったが。

 

「いいなぁ、雨月は。体が頑丈で。能力も、強くて。きっと暗部での仕事も、怖くないんだろうなぁ。」

 

丹生のつぶやきに、俺はなんと答えようか迷ったものの。

 

「……ああ。そうだな。丹生の言う通り、俺はこの世界で闘い続けることには、微塵も恐怖を感じちゃいないよ。」

 

ポタリ、ポトリ、と、シーツに丹生の涙が滴った。

 

「アタシは怖い。怖くてたまらない。死にたくない。死にたくないよぅ……今まで死なずにこれたのは、運が良かっただけなんだっ……。今日みたいに、いつも死ぬ寸前だったッ!ぅぅ。」

 

 

暫くの間、丹生はさめざめと泣きはらした。少し落ち着いてきたところで。俺は、自分がどうして暗部で金を稼ごうとしているのか。丹生に打ち明けた。聖マリア園に大金を届けるためだ、と。

 

「じゃあ、雨月は、自分から暗部に入ったんだね。……やっぱり、アタシとは違うなぁ。」

 

丹生の言葉から、彼女が自分の意志で暗部に入った訳ではないことがわかった。自分の意志で入ったのではないのなら。そのワケを聞きたい。

 

「丹生と俺が違うって、どういう意味でだ?……丹生は、どういう理由で暗部に来る羽目になったんだ?確か、暗部に入ったのは今年の六月からだったよな?」

 

俺が自身の理由を語っていたためだろうか。彼女は、ポツポツと涙声で、俺に語りだした。彼女が暗部と関わる事態に陥った、その経緯を。

 

 

「お父さんとお母さんは、2人ともココ(学園都市内部)の研究者だった。アタシは、学園都市の学生の中じゃ珍しく、両親2人と暮らしていたの。でも、今年の五月、に、とつ、ぜん。研究所で、実験中に事故で……2人とも、死んじゃった、って。」

 

俺は、その言葉に動揺した。五月に、死んだ。研究者。もしか、して。

 

「どうしてお父さんとお母さんが死んだのか、不思議だった。アタシも、ちょうどその時、お父さんとお母さんが仕事してた研究とか実験に、参加してたから。色々と知ってたの。研究員が事故死するような、研究じゃなかったんだ。」

 

口を挟まずには居られなかった。

 

「なぁ、丹生。その、お前が参加してた研究って、なんていうやつ?」

 

丹生は、俺がどうしてそんなことを聞きたがるのか、不思議そうな顔をしていたが、きちんと答えてくれた。

 

「名前はいくつかあって、どれが正式なものかわからないけど、今では、"暗闇の五月計画"って呼ばれてる。」

 

 

 

丹生が打ち明ける身の上話を、俺は、俺がその計画に関わっていたことを一切知らせずに、聞き通した。

 

両親が"暗闇の五月計画"の研究者だった丹生は、その伝手で、彼女自身の能力のレベルアップも見込んで、計画に参加していた。

 

だが、俺がよく知る通り。あの日の夜。黒夜海鳥が、その日、先進教育局内にいた研究員や被験者を、無差別にすべて殺し尽くした。

 

その中に、丹生の両親が含まれていた。両親を失い、呆然とする丹生の前に、冷たい雰囲気の、よく知らない人たちが押し寄せ、こう伝えたのだそうだ。

 

彼女の両親が、暗部で働いていたこと。その関係から、彼女に多額の借金があり、同時に、両親が結んでいた契約から、彼女が暗部の部隊に配属される、と。一方的に。

 

暗部で仕事をしなければ、日々の生活すらままならない。それ以前に、明確に"暗部の任務に就く"ように、義務付けられているらしい。借金を全額返済するまでは。

 

 

「でも、そんなの、突然やれって言われたって、無理に決まってるよ!アタシ、普通の中学生だったのに!怖くて怖くて。……あははははッ。武器の名前だって、一生懸命、強そうなの考えて、色んなのを用意して、すぐに使えるように、頑張って練習したけど。……そんなの、この世界(暗部)で役に立つわけないじゃん。」

 

 

 

 

俺は、知っている。丹生の両親がどうやって死んだのか。誰が殺したのか。それどころか、なぜ死なねばならなかったのか、その理由すら知っている。関節的に、丹生の両親が死ぬ原因を作った責任が、俺に存在することも。

 

 

いつも、いつも、常日頃。能力を無意識に使って、存在を忘れさせている、胸にぽっかり空いた黒い穴が、大きく、大きく広がっていく。

 

全ては、あの日。俺が、幻生の口車にのせられなかったら。丹生は暗部になんか入っちゃいなかった。普通の女子中学生でいられた。いいや、そもそも彼女の両親はきっと死なずに済んだだろう。

 

同時に、脳裏をよぎる。俺のせいで、暗部に入らざるを得なかった人間が、丹生1人だけだとどうして言い切れるだろう?きっと、他にもいる。そして、俺は、知らず知らずのうちに、コレから暗部で戦い続け、俺のせいで暗部の中で苦しむ羽目になった人々を、やがては手にかけ、殺すのか。

 

今から抜け出す?命を投げ捨てて?もはや、賽は投げられた。今更俺が死のうと、誰も助からない。俺が助けた人間しか、助からない。はははははっ。そもそも助けられるのか?どうやったら、助けるんだよ。どうやって……。

 

今投げ出せば、聖マリア園のメンバーが。俺の家族が、暗部の闇に飲み込まれてしまうかもしれない。投げ出さずとも。丹生のように、更なる犠牲を生んでいく。

 

どんなに綺麗事を言おうと、お前はもうとっくに人殺しだぞ、と、俺の中の獣が囁く。

 

「なあ、丹生。お前、暗部に入ってから、さ。もう、誰か、殺しちまったのか?」

 

丹生は鼻水をすすり、首を降って、まだだ、と返した。

丹生の奴、クソみてぇに泣きまくりやがって。涙も、鼻水もだらだらじゃねぇか。でも、どうしてだろう。どうあがいても、結局、無意味のような。抵抗すべき方法が、全くもってわからない、この闇の中でも。

 

丹生を、まっとうな光の世界に、もう一度返してやれたらな、と思えて仕方がなかった。コイツは、まだ、誰も殺してない。だったら、なんとか、元の世界へ、帰れないかな?

 

 

能力を解除すると、体中の傷の痛みが、俺の意識をガタガタに揺さぶった。痛みは、人間を簡単に、楽な道へと誘導する。でも、それでもやっぱり、俺は。

 

聖マリア園のみんなが、学園都市の闇に染まるのが、我慢ならないように。それと同じくらい、丹生が、このまま暗部で絶望に暮れ、命を落とすことが、耐えられそうになかった。どうしてもだ。

 

 

俺は、丹生の涙と鼻水を、服の袖で無理やり拭った。なされるがまま、彼女は受け入れた。何時もの丹生ならば、コンマ2秒で、「なにすんだよ!」と肩をいからせていただろう。

 

 

覚悟を決めた。それから俺は、自分が知っていること、すべて。それこそ、計画の要となった、俺自身の能力から、丹生の両親を殺した、黒夜海鳥のこと。俺の今までの責任と、幻生への抵抗のすべてを、彼女に語ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

憎悪に染まった、丹生の瞳が、らんらんと輝く。俺の首には、銀色の槍が今にも突き刺さらんとしていた。

 

「別にいいぜ、丹生。お前がぶっ殺したいんなら、そうすればいい。お前に殺されるのは、だいぶマシな終わり方だと思えるところが、本当に、どうしようもないんだよなぁ。」

 

丹生は、結局、水銀を元の水筒に戻した。正直俺も、彼女が俺を殺せるとは思ってなかったけど。

 

その後に。丹生は、許して欲しければ、泣いて謝れ、と要求してきた。

 

思わずポカン、と呆ける俺に、膝のあいだに顔を伏せたまま、「アタシだけ泣いたままじゃカッコつかないから、雨月も泣いて謝りなよ。」と続けて抜かしやがる。

 

そんなことで、本当に許すんだな?と試しに尋ねる。彼女は、大真面目な顔をして、許すよ、と返した。

 

 

……いいだろう。能力の一切を解除して、お前に懺悔してやろう。俺の泣きっぷりは、半端じゃないぜ、覚悟しておけよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は、なんだかんだで、暗部に片足を突っ込んで以来。誰にも、己の罪を懺悔したことは無かった。予想通り、丹生はドン引きしていた。泣きじゃくり、自分が、何を口ばしったのかすら、碌に覚えていない。彼女に、「お願いです、助けさせてください。」と泣いて懇願したりな。

 

 

能力を発動させ、それまでの泣き言をすっぱりと断ち切った俺の態度に、丹生は再び呆れた。しかし、ほのかに頬を染め。

 

「景朗。信じるよ。どうかアタシを、助けてください。」

 

そう言って、俺をギュッと抱きしめたのだった。あれ?本当になにを口走ってしまったんだろう?俺は?

 

 

 




水曜日にキャラクター設定とか能力設定とか上げるかもしれません。需要ないけど、読んで欲しいんだァ!せっかく考えたので。生き恥をあえて晒していこうと思います。


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episode11:欠陥電気(レディオノイズ)

2013/11/27に追記しました。ほんのちょっとですけど。長期間エタっててほんと申し訳ありませんorzこれからぼちぼち、いやわりと急いで次の話を。なんとか。


 

 

静かな、月明かりの眩しい夜。先日の襲撃者と演じた殺し合いが嘘のように、その日はそれまで丸一日穏やかだった。最近富に増加していた工場施設の防衛任務。もう何度受けたかすぐには数え直せぬほど、雨月景朗はその日もつつがなく、無事に任務を終えることができていた。

 

後釜の部隊に問題なく警備を引き継がせ、少年と少女のたった2人。人気のない寂れた建物の影に、帰り支度を整えたばかりの彼らの姿が会った。

 

 

イカれた戦闘狂が突如襲って来た、あの日が特別だったように感じる。あれ以降も似通った任務をこなし続けていた俺は、めっきりと襲撃者の存在を感じられなくなった毎晩の哨戒任務にすっかり気を抜きそうになっていた。

 

もっと気を引き締めないとマズイな。今日警備した施設は、この間"パーティ"の連中に襲われた所とかなり近いっていうのに。唯でさえ丹生と2人きりで頭数が足りないクセに、まるで気合が入っていなかった。

 

 

 

がちゃり、と背後の扉が開いた。直後に丹生の匂いが鼻腔をくすぐった。彼女に声をかけようとしたその時に、もう1人、嗅いだことのある匂いが風に乗り、俺の元へと漂ってきた。気になって匂いの元を辿れば、前回俺と丹生が奴等と一戦交えた建物からだった。

 

即座に浮かぶ疑問。一体全体どうして、あの場所から彼女の匂いが?

 

 

丹生の呼びかけに曖昧に相槌を打ち、俺は早足に風に運ばれた匂いを追跡した。背後では丹生が狼狽えながらも、俺の後を追いかけてくる。

 

 

 

 

 

すまん、丹生。でも、どうしても気になるんだ。確かめなきゃ。どうしてあそこから、御坂さんの匂いがするんだ。ただ事ではない。なぜなら。その匂いには、彼女の濃密な流血の香りが紛れ込んでいたからだ。

 

 

 

 

 

施設に入り、地下へと進む。排気口から血臭が飛び出ていた。この施設の警備任務はこれから後にも数回ほど、今後のスケジュールに詰まってる。そのために頭に叩き込んでおいた施設の見取り図を頼りに、地下へと降りていく。匂いの元凶は近づいてきている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その芳香。その後ろ姿。大きな寝袋のような荷物を肩に抱えた彼女は、俺にはどう見ても、以前顔を合わせた御坂美琴本人にしか見えなかった。彼女が抱えた荷物には、頭がクラクラしそうなほど濃ゆい、彼女自身の血の匂いがどっぷりと詰まっている。

 

「御坂さん。アンタ、何やってんだ?こんなところで。」

 

俺の詰問に、彼女はゆっくりと振り向いた。その表情に、僅かな違和感を感じる。あくまで俺の直感でしかないが、表情に色が無さすぎる。この顔が、御坂さんの本来の姿なのだろうか。

 

相手は"超能力者(レベル5)"。対峙する緊張を能力を使って抑えた。その大きな袋の中には何が入っているんだ。質問する前から、それが何なのか大体想像がつくけどな。

 

 

「"人狼症候(ライカンスロウピィ)"……困りました。貴方は素体(オリジナル)の知人でもあるのですね、と、ミサカは貴方に問いかけます。」

 

「……何だ?そのフザけた物言いは。質問してるのは此方のつもりなんだが。」

 

"書庫(バンク)"には登録されていない、大能力(レベル4)となった俺の能力名を知っている。信じがたい。火澄や手纏さんとあんなに仲睦まじく会話していた君が、こちら側(暗部)の人間だったとは。油断なく彼女と距離を取るが、なんと彼女はまるで警戒せずに荷物をその場に置き、すたすたと俺達に歩み寄ってくる。

 

「こちらに敵対する意志はありません。"人狼症候"、それと彼の背後にいる貴女も、警戒を解いて下さい、と、ミサカは交戦の意志が無い事を示します。」

 

誰がそんなことホイホイと信じるかよ。そう思った矢先、背中からはさっそくほっと一息つく丹生さんの吐息が。

 

「だったら、その荷物の中に入っているもんを見せてくれないか?」

 

俺の言葉に、御坂美琴は即座に否定の意を返す。

 

「申し訳ないのですがそれはできかねます、とミサカは即答します。しかし、貴方は依然納得していない様子ですね。……貴方は、計画に全く縁の無い人物ではありません。ここは素直に伝えられる情報だけ伝えましょう、とミサカは回答します。」

 

「……」

 

さっきから何を言っているのか、全然つかめない。だが、今は相手に喋らせるだけ喋らせよう。

 

「念のため、確認の符丁を

 

「悪いがそんなもん知らないよ。」

 

彼女が長々と喋る前にこちらから先に打ち切った。

 

「……そうですか。一応の確認を得たまでです。やはり貴方はこちらの実験までは関与していないようですね。」

 

「……君の口ぶりじゃ、まるでその計画とやらは俺と関わりがあったみたいに聞こえるぞ。」

 

「はい、お察しの通りです、とミサカは迅速に肯定します。"学習装置"のキーファクター、"人狼症候"。」

 

此奴……ッ。まさか、知ってるのか!?

 

「貴方は1つ勘違いをなされています。私は"御坂美琴(オリジナル)"のDNAマップを元にクローニングされたクローン体です。ですので、貴方が想定されている御坂美琴とは同一人物ではないのです。この私のシリアルナンバーは2201号、とミサカは情報を公開します。」

 

 

……今度はクローンか。わからない。此奴が言うことはさっぱりだ。馬鹿馬鹿しい。……だが。此奴、俺と"学習装置"の件を知っていた。なぜそれをここで引き合いに出した?クローニングがどうこういう話と、"学習装置"がどう関係するというんだ?!俺の第六感は、よく考えろ、と仕切りに警鐘を鳴らしている。くそ。此奴の話を聞いていると無性にざわつく。

 

 

「あ、あのさ、雨月。さっきからどうしたの?あのー。御坂、さんですよね?常盤台の"超能力者(レベル5)"の。すみません!コイツ、さっきからアナタに噛み付いちゃってますけど、勘違いしないでくださいね。オレたちはアナタと敵対するつもりなんてないですから。」

 

丹生の奴。余計なことを。

 

「いえ、申したように、私は"御坂美琴"ではありません。クローン体2201号です、とミサカはそちらの女性に訂正を促します。」

 

「へっ?あ、あはは……。そ、そうなんですか。それじゃ……御坂"実妹(2201)"さんとお呼びしましょうか。……ちょっと!雨月!早くオイトマしようよ!もう!」

 

「…………ミサカ、ジツマイ、ですか……。」

 

 

いや、それは駄目だ。どうして此奴が"学習装置"と俺の関係を知っていたのかを聞き出さなくちゃならない。

 

「丹生。お前は今すぐ帰れ。俺はこの自称クローン人間ともう少し話をしなきゃならなくなった。」

 

「な、何言ってんの?一緒に帰ろうよ!」

 

頼む。帰ってくれ、丹生。俺は彼女を睨みつける。戸惑って、俺を心配そうに見つめ返してくる。丹生は何故俺がこうも目の前の少女に固執するのかまるきり理解していない。

 

 

「……あの、そこの方。ひとつ質問してかまわないでしょうか?」

 

「へっ!あ、はいッ!」

 

火澄と会話をしていた時の、あの快活だった御坂さんの面影は微塵もない。彼女は丹生へと興味の対象を移している。丹生は落ち着かない様子で彼女の問いに答えた。

 

「どうして、"実妹"と呼ばれたのですか?とミサカは胸中の引っかかりを吐露します。」

 

「えっ、と、それは。クローン体だから、遺伝子は同じ、でしょ。後から生まれたアナタは、妹になるんじゃないかなって、単純にそう考えただけなんだけど……。」

 

 

 

 

俺の聴覚が、ぞろぞろとこちらへ近づいてくる人間の足音を捉えた。数十人はいる。時間がなさそうだ。チッ、考えてても埒が明かない。

 

「御坂さん。もう一度言う。バッグの中身を見せてくれ。」

 

「……はぁ。やむを得ませんね。決してお勧めは致しませんが、とミサカは最後まで懸念を表明し続けます。」

 

そう言うと、御坂さんは俺の正面から立ち退いた。彼女を警戒しつつも、横にされた荷物に歩み寄り、ファスナーを開いた。

 

開いたファスナーからは、人間の瞳がこちらを覗いていた。その虚ろな瞳に、見覚えがある。いや、見覚えがあるという以前に今先程の瞬間、俺が油断なく注視していた御坂さんの瞳そのもので。だらりとのびた舌。ピチャピチャと重力に沿って流れる血流。生命が発する熱気、いや生気すら微塵も感じない。死骸。御坂さんと瓜二つの死骸だ。

 

「……あ?」

 

矛盾している。俺の嗅覚は、俺のすぐ後ろで息遣いを発する人間と、この袋の中で哀れに横たわる人間が完全なる同一人物だと主張している。双子だろうと何だろうと、人間は生活環境、それこそ食物なんかで体臭は完全に個人個人別々のモノになるはずなのに。全く一緒だ。

 

本当に、クローン……?背筋が凍る感覚が背中を通り過ぎる前に、俺は能力を開放し精神をクールダウンさせた。

 

 

「百歩、いや、千歩譲ろう。アンタが本当にクローンだったとして。それで、何でコイツは死んじまってるんだよ!銃創が幾つもッ。一体ッ、何をやっているッ!」

 

「残念ですが、その質問には回答できかねます。」

 

「くッ!」

 

俺はポケットから携帯を取り出し、すぐさま手纏ちゃんへと通話。ガヤガヤとした雑音とともに、手纏ちゃんの応答が返ってきた。御坂さんが今、何処にいるのか。すぐに確認してくれるように頼み込む。

 

正面に立つ少女を視線を交わす。感情を決して表に表さない彼女の瞳と、そこに転がっている死体の瞳は同じに見える。思い出せ、大覇星祭の時に会話した御坂さんの表情を。

 

手纏ちゃんからは、御坂さんは部屋にいますよ、と連絡が来た。

 

 

 

 

 

「ひゃぁッ……嘘、まさか」

 

丹生の悲鳴。通路を両脇に挟むようにして足音の集団が俺たちのもとへとやってきた。皆、全員同じ顔。同じ体つき。同じ服装。同じ匂い。同じ声。

 

カチャリ、と装備した小銃の銃口を俺へ向けて、御坂さんのクローン体がキッパリと告げた。

 

「最後に。この様な形で貴方にお会いするとは思っていませんでしたが、"人狼症候"。"学習装置"開発について、貴方に感謝の意を表します、とミサカはこれ以上の貴方の追及を謝絶します。」

 

 

 

 

 

"超電磁砲(レールガン)"。超能力者(レベル5)。学園都市の頂点ですら、この街の闇からは逃れられないのか。それとも、超能力者だからこそ、なのだろうか?光が闇を際立たせるのではなく。闇が、彼らの輝きを強めているのだろうか?

 

なんにせよ。自らのクローンをぶっ殺す実験を許容しているということは。つまりは、彼女、御坂美琴は。ひょうひょうとしたあの厚いツラの皮の下に。信用できない暗部のクソッタレな素顔を隠しているかもしれないってことさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第五学区。とある百貨店に珍しく、雨月景朗の姿があった。雑多な環境に煩わしそうに眉根を顰めている。彼の感度の良い聴覚と嗅覚を思えば、どうやら心地よい場所とは言えないのだろう。

 

 

このフロアに入ってから。数えるのが億劫になるほどの、数多の香水の香りが鼻をつく。店員さんと目が合うと、ああ、宜なるかな。平日の真昼間から、男子中学生がこの売り場に何の用だと言わんばかりの顔付だった。香水、ジュエリー、どれも俺には必要ないもんな。

 

彼女たちの視線が、居心地を悪くさせる。呼び止められないのは、もしや。この霧ヶ丘付属中学の制服が俺の身分を底上げしてくれているのだろうか。そんな被害妄想すら生まれてくる。俺、ここ苦手だ。

 

ったく、どうしてこんな所に店を構えやがる。気を紛らわせるために、ポケットに手を突っ込んで中に入っている鍵を弄りまわす。まったく、この鍵1つ手に入れるためにいくらつぎ込んだだろうか。それ相応のリターンがなければ後悔必死だなぁ。

 

並び立つ暖色系の内装ばかりの店舗群を通り抜け、従業員専用通路へと辿り着く。周りに人気が無いのを確認し、素早く非常通路と表記してあるドアにその鍵を差込み入り込んだ。

 

 

 

目に映ったのは、白塗りの壁に挟まれた単調な廊下だった。左右にいくつかのドアが並ぶだけであり、そのほかには何もない。ドアの中から、『用度室』とこれまたシンプルに一言だけ記された部屋を見つけ出した。ようやく到着した。目的地だ。再び鍵穴に鍵を差し込んだ。ゆっくりとドアノブを回し、恐る恐る室内に。

 

 

薄暗い部屋には、ライトアップされたバーカウンター。チラホラとカフェテーブルやソファの姿も。目が合った軽薄そうなバーテンダーが、「いらっしゃい」の一声。何処からどう見ても、小洒落たBARにしか見えない。いや、まあそういう世間一般的に「BAR」と呼ばれるところに行ったことはないのだが、俺にはそう表現する意外なさそうだ。

 

 

広がった光景に、思わずドアの名前をもう一度確認しそうになった。確かに用度室って書いてあったはずだ。入口でつっ立っていると、バーテンダーにカウンター席へと案内された。予想外だ。さすがにこういう所だとは考えていなかったぞ。

 

情報収集に余念のない俺の鼻にツンとした有機溶剤(これはシンナーだろうか?)の臭いが漂う。なるほど、唯の"小洒落たBAR"ってわけじゃなさそうだ。バーテンダーが背にする棚にはアルコールだけで無く、何に使うのかわからない薬剤や武器のようなもの、様々なモノが飾られていた。

 

俺以外に客は居ない。それなら此奴が。このバーテンダーが、俺の探している"人材派遣(マネジメント)"だろうか?

 

 

 

 

 

俺はここ数日、この"人材派遣(マネジメント)"という、犯罪行為や違法行為、要するに裏稼業を手伝ってくれる"人材"を斡旋し、紹介してくれる"仲介屋"との接触を試みていた。その理由は、我が部隊"ハッシュ"の人員不足にある。そもそも、壊滅した暗部下部組織をツギハギして創られた"ハッシュ"には、唯でさえ優秀な人材が回って来ないというのに。あろうことか、未だに追加の補充要員すら届いていなかった。

 

上に掛け合ってみれば、今現在、暗部の業界はどこも人手不足気味らしく、ベテランの傭兵や高位能力者の補充が来る確率は、雀の涙ほども無いという話だった。

 

その時俺は深々と、この暗部世界の需要を理解するに至った。今にして考えても、不運で済ませて良いのか答えは出ないのだが、先日、俺たちを襲った"パーティ"の件を考えれば。彼らのような強者の暗部戦闘部隊を相手にすれば、重要となるのは、迎撃に向かう人員の"質"となる。つまりは、俺たちには今、強力な助っ人が必要だった。

 

仮に相手があの"百発百中(ブルズアイ)"のように強力な奴だと、10人や20人の一般の武装隊員が束になってかかっても、大した障害にならなかっただろう。大金をかけて、強力な兵器や防衛セキュリティを備えようにも限界はあるだろうし。今の学園都市の技術でも、得てして高位能力者を一蹴できるような兵器は、その効果範囲が長大なものになる傾向がある。そのような類の兵器が、繊細な施設防衛任務に向いているかと言われれば……。

 

待っていても、俺たちの部隊にベテランの強者が補充されることはない。しかし、件の"パーティ"の件を思えば、正直素人に毛が生えた程度の経験しかない俺と丹生の2人ではこの先不安だった。そこで俺は拙い手腕で見つけ出した"人材派遣(マネジメント)"という仲介屋に、一縷の望みをかけたのだった。

 

 

 

 

 

"人材派遣(マネジメント)"とのコンタクトのために、俺からしてみれば決して少なくない金額を支払う羽目になっていた。骨折り損のくたびれ儲けにならないように祈りながら、目の前のスーツを着崩した男に誰何の問答を投げかけた。

 

「オニイサンが"人材派遣(マネジメント)"さんでいいのかな?」

 

「ああ、よく来たな。"人狼症候(ライカンスロウピィ)"の少年。」

 

極めてフランクな態度で"人材派遣"は俺に「なんか飲むかい?」と尋ねてくる。答えあぐねていると、"人材派遣"はにこやかに笑みを返した。彼の首にかかっている四つの携帯電話がじゃらつき音を立てた。

 

「タッパがあるから勘違いしちまうが、まだ中学生だったな。酒の味はまだわからねえか、悪い。ミルクは置いてねえが……コーヒーはどうだい?」

 

彼の勧めに、二つ返事で肯定の意を返した。計画通り。掴みはオーケーかな。"人材派遣"は手慣れた手つきでコーヒー豆を挽きながら、会話を続けてくる。

 

「最近、キミの噂を耳にするよ。あの"パーティ"の看板能力者を殺ったんだってな。耳聡いオレ達みてえなのはみんな、キミのことは多かれ少なかれ知ってるはずさ。」

 

覚悟はしていたが。彼の話を聞いて、むずむずと背筋が冷たくなる思いだった。改めて"人材派遣"のような、その道のベテランに伝えられると気分が落ち込むぜ。暗くなった内心を一切表に出さないように気を持ち直す。

 

「それなら、俺のことをわざわざ話す手間が省けたってことでいいのかな?……だとしたら、オニイサンがこんな風に俺と顔を合わせて会ってくれたのが不思議だな。俺のこと大体は知ってたんでしょ?言っちゃあなんだけど、俺のアプローチの仕方、だいぶお粗末だったよね?」

 

"人材派遣(マネジメント)"はからからと笑い声を上げた。

 

「だからだよ、少年。キミのような鴨が一生懸命葱を背負ってやって来ようというんだからよ。」

 

「いやあ、まいったな。」

 

ふと、目の前の"人材派遣"が動きを止めた。笑顔を装いつつも、目は笑っていなかった。

 

「むしろ、少年。キミのように直接訪ねてくるヤツは珍しいんだ。大したタマだよ、少年は。」

 

 

 

それからは、まっとうな暗部の人間同士では話もしない、ごく普通の世間話を1つ。室内にコーヒーのよい香りが漂い始めた頃に、再び話が進みだした。

 

「さて。そろそろビジネスの話と行こう。今日、少年がここへ来た目的だ。メールでも散々依頼していた通りに、ベテランの高位能力者の仲介で間違いないかい?」

 

「ええ、その通りですよ。」

 

俺の返事に、彼はより一層ニヤケ面を深めて、つらつらと語りだした。

 

「依頼の件だがよ。少年の望みを叶えるためには、今の状況じゃ相当な大金を積まねえとまるで話にならなそうだ。……コイツは初回サービス。出血大サービスだな。」

 

そう言い放つ"人材派遣"の表情には、少しだけ侮蔑の色が混ざりだした。

 

「全く耳にしていないか?少年。今の暗部を取り巻く環境を。お粗末なのはその情報収集能力だ。……いいか?最近、学園都市の裏側では、ひっきり無しにあちこちでドンパチやってやがるんだ。近年じゃ希な頻度でな。原因は、統括理事会の内輪揉めだよ。ヤツら子飼いの部隊が毎晩のように互いを潰し合ってるのさ。少年にも関係ある話だよな?」

 

俺は黙したまま彼に続きを促した。

 

「ま、だからよ。今のような状況で他の"大手"の組織から先んじて優秀な"人材"を引っ張ってこようとなると、万札の束が必要になるんだよ。おかげで俺らの業界は景気が鰻昇り。ここんとこは毎日ご機嫌で、テメェみてぇなガキの相手も苦じゃねえのさ。……さてと。コーヒーだ。ガキはこれ飲んで帰りな。」

 

"人材派遣"の完全に人を食ったような態度。しかし、そういう反応を返されるのは予想していたよ。奴がコーヒーを差し出す。俺は受け取るフリをして、密かに爪を鋭く伸ばしておいた中指を奴の手の甲に引っ掛けた。

 

「痛ッ!」

 

薄らと、か細いカスリ傷が奴の手の甲についた。カスリ傷とは言えじわりと血が滲んでいく。俺は血液が付着した中指をぺろりと舐めとった。胸中では二度と御免だ、と思っていたとも。

 

俺が彼の血液を舐めとった、その動作を目撃したまさにその瞬間。"人材派遣(マネジメント)"は血相を変え、素早く何処からか拳銃を取り出して、俺の眼前に突きつけた。

 

「ヤってくれたなア!ガキッ!」

 

プルプルと突きつけた拳銃を震えさせ、想定以上に慌てていらっしゃる様子の"人材派遣"。俺は両手を宙に広げ、抵抗の意思は無いと示す。

 

「すんません。緊張していたもんで。勘弁してくださいよ。この通り、上背がちょっとデカいだけ、オニイサンが言う通り俺ってばまだまだガキなんです。ホント、これからはより一層自重しますから。」

 

「残念だが。テメェは一線を超えちまったよ、クソガキ。」

 

"人材派遣"の怒りはもっともだ。ひょうひょうとした口ぶりの俺の謝罪では、火に油を注いだようなものだっただろうな。俺は、当然ですよね、といった表情を創り、彼を見つめた。

 

「あ、そうか。つい舐め取っちまったけど、"血"ってかなり重要な個人情報ですもんね。能力者に悪用されでもしたら堪んないか。ああ。とんでもない粗相をしてしまったなぁ。これは……どうやって詫びればいいですかね?」

 

「死んで詫びろ。」

 

"人材派遣"は躊躇いなくトリガーを引いた。発砲音が室内に響き渡り、俺の額に熱い感触が生じる。俺は衝撃で椅子に座ったまま、大きく後ろに仰け反った。首から上が背もたれの裏側へだらりともたれかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「クソガキが。」

 

"人材派遣"の漏らした雑言を耳した、その時。俺は勢いよく姿勢を起こす。並行して、拳銃を仕舞いつつあった彼にニヤリと笑いかけた。

 

「いや、ホントすみません。クソガキで。もう許してくださいよ。」

 

俺の言葉、いや、俺の蘇生に、彼は見事に硬直した。拳銃といえども、至近距離だった。カウンター越しの、ほんの十数cmの距離での銃撃。それを脳天に受け、何事もなかったようにピンピンしているのだから。彼のように人を撃ったことがある人間には、尚更直視し難い光景だったろう。

 

俺はニコニコとした笑顔を貼り付け、できるだけ和やかに"人材派遣"へと語りかけた。

 

「駄目駄目。9mm(拳銃弾)じゃ俺の額は抜けないよ。ゴツいライフルでも使わなきゃ。……あれ?どうしたの?そんなコチコチにならないでよ。俺の能力は知ってたんだろ?」

 

危機を悟った"人材派遣"の顔色は悪い。表情から余裕が消えている。

 

「やっぱ、聞くと見るとじゃ大違いだったってとこかな。」

 

俺はわざと、これからの行いが一部始終、奴にも良く見えるように計らった。3本の爪をさらに鋭く伸ばし、額にずぶずぶと差し入れ、血に塗れ赤黒く、てらてらと光る鉛玉を取り出して見せた。

 

「血の匂いってのは、だいぶ遠くまで届くんだ。おまけに、体臭とほとんど変わらねえ。……ところで、アンタ。何を使ってんのか知らないが、今、体臭を消し去る薬剤を使ってんだろ?いやまあ焦った。アンタの臭いがしないもんだからさ。……1つ質問なんだが、その薬って、高いの?安いの?ハハ。まあ聞いといてなんだが。高かろうが安かろうが、俺には何も関係無いか。」

 

言い放ち、俺は勢いよく"人狼化"してみせた。バキバキと生えそろう牙を見て、"人材派遣"は完全に臆している。

 

「要スルニ、アンタニコレカラ一生、ソノ薬ヲ使イ続ケル覚悟ガ在ルノカッテ話サ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ、なんというかその。"人狼化"までやったのは、完全なる俺のデモンストレーションだった訳で。掴みが大事だから!というノリで、舐められないように必死に工夫しただけだったんだが。

 

狼男となった俺と相対した"人材派遣"さんは、香港映画のチンピラみたいに、急に態度を変え紳士的な態度をとるようになった。お互いに畏まって、ビジネスのお話を続けた。彼のコーヒーは美味しかった。彼が隠し味に使った自白剤について言及したら、特別に初回限定サービス、5割引で依頼をこなしてくれるとのことだった。

 

俺は、彼のコーヒーに惚れた。大ファンになった。また飲みに来るよ、と強調した。だがまあ、結局は。彼のような紳士的な紳士に無茶を要求するのは気が引けて、俺たちに出せる金額の範囲内で優良な奴を見繕う、という結果に落ち着いたよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

百貨店を後にして、第七学区へと向かう。これから丹生と落ち合い、作戦会議をする予定だった。平日の真昼間。制服を着ているから、警備員(アンチスキル)が見れば一発で中学生だと露見し、運が悪ければ行動を見咎められるだろう。ここ、第五学区は大学生の街だ。雰囲気は中高生の多い学区と比べればやはり落ち着いている。俺がついさっき退出した百貨店が良い例だ。

 

学園都市の数ある学区の中でもド真ん中に位置し、西側に常盤台がある第七学区の北東部、南側に俺の通う霧ヶ丘付属がある第十八学区の北部と隣接している。とにかく、第七学区とは近い場所にあるってことだ。丹生を待たせなくて済む。

 

ところが、突然の丹生からのメール。予定よりちょっと遅れるのか。仕方がない。いくら一端覧祭の準備が忙しいとはいえ、授業が詰め込まれるこの時間帯に抜け出して貰えるだけで有難いしな。そういえば丹生の奴、ボッチだとか言ってたけど一端覧祭の準備はどうしてるんだろう。

 

 

ふと、鼻に入る悪臭に気分を害される。こんな街中でなんなんだ。臭いの元へと視線を向ければ、第三資源再生処理施設の文字が。周囲の通行人はこの悪臭を気にも留めていない様子だ。俺だけね。はあ。

 

ため息をついたその時。携帯が震えた。知らない番号からだった。もしかして、もう"人材派遣"に頼んだ依頼に決着がついたのだろうか。だとしたら速いなあ。さすがは"人材派遣"さんだな。

 

 

 

期待して通話に出るが。相手は別人だった。さりとて、全く知らぬ人物という訳でもなかった。

 

『久しぶりね。"ウルフマン"。また貴方と話す機会が出来て嬉しいわ。』

 

え?誰だろ?女性?無機質な、まるで間にスピーカーでも1本経由して発せられてそうな声だった。相手は俺のことを知っている様子。でも、確かに。聞き覚えがある気が……。

 

「もしかして、元"ユニット"のオペレーターさん……か……?」

 

記憶を頼りに当てずっぽうに答えたが、正解だったようだ。

 

『ええ。あの時の事は、未だに感謝しているわ。』

 

今になって、彼女が俺に何の用事だろう?そう考えたときに、ふと思い出した。今年の六月、布束さんに暗部組織を紹介してくれ、と頼み込んだ時の事を。彼女は俺の声を聞くなり、通話を打ち切りたそうにしていた。今この瞬間、彼女の気持ちがよぉ~く理解できる。

 

俺は今、猛烈に。今すぐ、この通話を打ち切ってしまいたい。ぶっちゃけ、これ以上この女と会話したくない。今更、俺に何用だというんだ!?嫌な予感しかしねえぞ!

 

 

……はぁ。しかし、聞かぬ訳にも行かないか。なにしろこの世界、我が身に何が突然降りかかってくるかわからないからな。"人材派遣(マネジメント)"によれば、"情報"に値する対価は他ならぬ"情報"でしかありえないらしい。どうしても情報が欲しければ、最終的には代わりの情報を差し出すしか無いって話だとさ。この女がどういう目的かは知らんが。何か有用な情報の1つや2つ、どうにかして聞き出そう。それができたら御の字だ。

 

「すまない。ちょっと場所を代えさせてくれ。」

 

この場所は臭いからな。辺りを見回しつつ、人気の無い方へと早歩きに向かう。歩きながら気を見計らって会話を繋いでいく。

 

「そうだ、オペレーター。アンタ、心なしか声が低くなったな。成長期とみたぞ?」

 

そうやって電話の向こうの彼女に笑いかけたが、相手は黙り込んでしまった。

 

「……悪かった。よし、それじゃあ要件を聞こう。」

 

前方、少し離れたところに公園がみえた。そちらへ歩を進める。警備員(アンチスキル)どもにも注意を払わなければ。

 

『単刀直入に言いましょう。"ウルフマン"、貴方、私の所属する部隊に移籍してくれないかしら?』

 

……なんだ、それは。移籍ってサッカー選手じゃあるまいし。この業界そんなんもアリなの?

 

「あー。何から聞こうか。そうだな。そっちが言いだしたことだ。仮に、アンタの提案にYESと答えた場合。後腐れ無くそっちの部隊に移れるんだろうな?正直、これがアンタの盛大なジョークだっていう可能性を捨てきれてないんだが。」

 

俺の戸惑い混じりの返答に、オペレーターのくすりという吐息が返ってくる。

 

『ええ、問題なく移れるわ。もっとも私の保証が信頼できないなら、自分で調べてもらうしかないけれど。私は単純に、貴方に選択肢を与えるだけよ。』

 

「どちらにせよ冗談キツイぜ。『来い』とだけ伝えて、後はYes or Noを迫るだけか?何が目的なのかって聞いても無駄だろうけどさ。本当に俺に移籍とやらを考えて欲しいのなら、これじゃてんで宣伝不足だ、と言わせてもらおう。」

 

『あら。"百発百中(ブルズアイ)"を倒しただけで随分と図に乗っているのね。この提案。私が貴方へ垂らした"蜘蛛の糸"である可能性を疑わなくていいの?』

 

カンダタが地獄で掴んだ蜘蛛の糸の話か。どうやらこの女は、この提案が俺に対する助け舟になると言いたいようである。

 

「……いいだろう。此方が先に答えてやる。実のところ、俺の部隊は人員不足で少々お寒い状態だ。残念なことに、"その後の望み"も薄い。そっちがあともう少しだけ『尻尾』を晒してくれたら、どちらに転ぶかわからなくなるぜ。」

 

『嬉しい話を聞けたわ。事のほか望みはありそうね。フフ。少しは賢くなったのね、"ウルフマン"。自身の身の振り方くらいは理解できるようになった様子。それじゃ、貴方に取って置きのプレゼントよ。これでも私は貴方のことを買っているの、"ウルフマン"。』

 

本人が言ったとおりに、電話口から漏れ出る彼女の声は。意外なことに本当に嬉しそうな声色だった。

 

『私が所属している部隊は、貴方が助けた"プレシャス"の肝入りよ。彼は貴方に好意的よ。おかしな話じゃないわね。貴方は彼にとって一応の恩人なのだし。』

 

プラチナバーグの子飼いの部隊だと!?……統括理事会のお偉いさんともなれば、臭いものに蓋をする番犬を何匹か飼っていても不思議ではない。いや、それどころか当然のことか。"人材派遣(マネジメント)"が言うところの"大手"になるだろうな。

 

奴が、プラチナバーグが、もし本当に俺に対して僅かにでも好意的であるのなら。悪くない話だ。まあ、この話に裏がないのかどうかもっとよく下調べする必要はあるけど。ただ、問題となるのは、転属したあとの任務の質が変わりそうなことか。"ハッシュ"のような下部組織とは比べ物にならないくらい、危険な任務を押し付けられそうだ。

 

そこまで考えて。……だが、結局。俺達"ハッシュ"のような木端な末端組織ですら、"百発百中(ブルズアイ)"のような猛者と遭遇したのだ。これから先、先日のように、任務で強敵と相対する場面は必ずやってくるだろう。その時、心強い味方がいる部隊にいたほうが、結果的に生存率は上がるのかもしれない。

 

ただ、奴との遭遇とは不自然ではある。俺たちが警備していた施設は、相当に重要な所だったのだろうか?だとしたら、"ハッシュ"なんかに警備させるのは愚鈍な考えだよな。純粋に、俺たちが不運だっただけだと、結論づけて良いのか?答えは出ない。

 

"百発百中(ブルズアイ)"のイカれた挙動を思い出す。あの日、思い知った。暗部で戦う人間に訪れる結末を。生きるか死ぬかは、結局。自分より強い奴と出会うか出会わないかで決まってしまうんだ。

 

 

『だいぶお悩みの様ね。』

 

余程楽しいんですね。崩れてきたオペレーターの口調と随分と興にそそがれていそうな声を聞いてそう思った。

 

「頼む。考える時間をくれ。」

 

『いいわよ。またこの番号に折り返し掛けてくれていいわ。私の携帯だから。』

 

時間が止まった。え!?ええっ??

 

「おいおいおい!冗談だよな?」

 

『……さて、どうかしら。もし本当だったら。"ウルフマン"。貴方が思っている以上に、私が貴方のことを信頼しているって。信じてもらえそうね。』

 

 

 

彼女との話を終えて。俺は歩いてきた道を辿り、元居た百貨店へと戻る。ポケットには、返しそびれた"用度室"という名のBARの鍵が。丁度いい。返すがてら、"人材派遣"にもうひと仕事頼んでいこう。オペレーターさんの裏付け調査だ。

 

丹生にメールをする。もうちょっと時間をくれ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

丹生との待ち合わせ場所は第七学区にある、とある公園だった。その公園はかなり第五学区よりに位置していたものの、到着した時には約束の時間をだいぶ過ぎてしまっていた。近くのカフェテラスで、むくれた様子の丹生が頬杖を付いている。此方には気づいていない。当然か。俺みたいな奴はそうそう居ないだろう。この距離で人の顔が分かるような奴は。

 

恐る恐る近づいて、すまん、と声をかけた。空いている席に腰掛けると、遅いぞ!と丹生からの糾弾が飛んできた。

 

「いや、そう怒るなって。無意味に遅れた訳じゃないんだ。ちゃんと面白い土産話を持ち帰ってきたんだぜ。」

 

俺の発言に、とりあえず彼女の溜飲は下がった。とは言ったものの、面白くなさそうな目線は此方に固定されたままだ。

 

「それじゃ、早速聞かせてもらおうか。」

 

カフェオレの容器片手にストローをチューチュー言わせつつ、丹生はしっかりと俺の方に向き直った。いいもん飲んでるな、チクショー。こっちだって走ってきたんだぜ。喉渇いた。

 

「まあ、待ってくれよ。俺もなにか飲みもん……あ?おわッ!」

 

プイッ、と。無言のまま丹生が放ったのは、小さな水筒だった。いつも使っているヤツより2周りは小型だ。飲んでいいのかな。

 

受け取ろうとしたが、失敗して足に落としてしまった。

 

「ッテェ!?」

 

ゴズン、と結構ゴツい音を立て、水筒が地面に落ちる。ッ重い!この小さな水筒、見かけ以上に重たいぞ。こんなに重いとは思わなかったから、キャッチするのに失敗しちまったよ。おまけに、丹生の姿に油断して能力はほぼOFF状態にしていたから、足の指に落ちた痛みが……ゴラァッ!

 

「オイ!こんな重てえもん無造作に放るなよな!痛ぇ……。しかも、これ、この重さからして、この水筒、水銀入ってんだろ。さすがの俺だってそれで喉は潤せられねえぞ!いくら俺が相手だからってヒドすぎませんかね?!」

 

「むー。」

 

彼女もまさか俺が取りこぼし、足にまで落とすとは思っていなかったらしい。ちょっと後ろめたそうに、そっ、と俺から目をそらした。俺は自身を襲う戦慄に逆らわず、体をぷるぷると震わせていた。

 

「……『むー。』……じゃ、ねえよ……。……勘弁してくれよ…………。」

 

彼女の口が小さく振るえた。ぼそッ、と小さな声で。

 

「ぁぅ……そんなに痛いなら、能力使えばいいじゃん。」

 

ちょっとッ!俺にはその言葉、聞こえましたよ丹生さん!?そういう考えは今すぐ止めなさい!痛みを感じないならなんでもやって良い訳じゃないんだよ!?

 

 

「はぁ。……今日お前さんに教えてたとおり、"人材派遣(マネジメント)"の所に行ってきたよ。奴とは無事接触できた。」

 

「ほ、ほんと!良かった、"仲介屋"さんとは無事に会えたんだ。で、どうだったの!?」

 

ガバっと身を乗り出して、真剣な面差しで俺に注目してくれている、丹生。ふふん。仕返しだ。

 

「結論から先に言うとな……。残念ながら、"仲介屋"さんは狼さんのエサになりました。」

 

丹生は俺の台詞を噛み砕いて理解するのに少しの間を要した。

 

「えっ!えええええっ!こ、殺しちゃったの!?なんで??」

 

いかん。笑いそうだ。この娘さん、ガチで驚いた顔をなさっています。

 

「嘘に決まってんだろ、ぶわぁーーーーーかっ。きっちり目的は果たしてきたよ。」

 

目をぱちくりさせた丹生は、俺の嘘が先程の水銀水筒の仕返しだと理解した模様で、ううう、と怒りを噛み殺している。

 

「あううう、ば、馬鹿って行ったほうが馬鹿なんだぞ、このばかげろー!」

 

"ばかげろー"、か。なんと懐かしきフレーズだろう。昔はよくその言葉を耳にしたものだ。小学校低学年の時だったろうか。

 

 

 

 

 

俺ら、小学生かよ。

 

 

 

 

 

気をしっかり持て!これから暗部の話をしようという2人組がなんというていたらくだ!いい加減真面目な話をしなければ。丹生の奴、なんと恐ろしい娘か。此奴が暗部を4ヶ月も生き抜いてきたのには、ここら辺に理由が……在るわけねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「か、げう、雨月もなかなかエグいことするんだね。」

 

俺と"人材派遣(マネジメント)"の話し合った結果を伝え終わると、彼女は呆れた口調で感想を返してきた。

 

「――――想像以上に太っ腹な方だったよ。俺が『おおお、このコーヒー美味いスよ!今まで飲んだことのない味がしますね。隠し味に……これ、種類はよくわかんないスけど、"自白剤"かなんか使ってるでしょ?へぇー。こういう使い方もあるんですねぇ、"自白剤"には。』って言ったらさあ、マネさん※("人材派遣(マネジメント)")すっごいニコニコして『イヤーハハハ。やっぱわかる人はわかっちゃうんだよな。初めてだよ、当てられたのは。嬉しいなあ。こりゃもう今回の依頼は半額にサービスしようかな?』なんてかえしてくれてさ。楽しいひと時だったよ。……ん?何?」

 

「な、なんでもないよ……。」

 

"人材派遣(マネジメント)"との会話を追って説明していくほどに、丹生はぎこちない笑みを浮かべていった。ふぅ。ま、この話はこの辺が潮時かな。そろそろ、トピックを"土産話"の件に移そう。

 

 

「さて、もうこの話は終わりだ。大体わかったよな?」

 

「う、うん!もう十分にわかった!」

 

丹生は激しく上下に頷いた。

 

「それじゃ、さっき言った遅刻の原因。"土産話"について話すよ。」

 

突如、真剣な空気を醸し出した俺にあてられ、彼女も引き気味だった姿勢を正してくれた。

 

「実はここに来る前、昔所属していた部隊のオペレーターから引き抜きの勧誘があったんだ。別の暗部組織へのな。俺が"ハッシュ"に来る前、ひとつ前の部隊が解散した時に、生き残りのメンバーは皆バラバラに転属していったんだ。その時のオペレーターが直接俺に連絡してきた。そして今彼女が所属している組織へ俺を引き入れたいと言ってきたんだ。」

 

「え?それって……。」

 

丹生はしっかりと俺の話を聞いてくれている。続けて彼女に説明する。

 

「ああ。まず最初に、そのオペレーターが所属している組織について話そう。その部隊は恐らく、統括理事会の1人、トマス=プラチナバーグの直属の組織だ。ココへ来る原因となった任務で、俺はプラチナバーグの護衛をやったんだが、その時、俺は彼を敵の襲撃から守ったんだ。」

 

丹生は俺の口から飛び出した新しい情報に、ほのかに驚きの色を表した。

 

「オペレーター、彼女曰く。それが一因となってプラチナバーグは俺に良い印象を持ってくれているらしい。その話が本当かどうか、どうやって確かめればいいかわからないけどな。今はとりあえず、今日会った"人材派遣"に彼女の話がどこまで真実なのか裏付けをとってもらっている。ま、とにかく急いで連絡するように言いつけてきたよ。」

 

俺の最後の台詞に、丹生は僅かに苦笑した。

 

「取らぬ狸の皮算用になるかもしれない。けどさ、もし、彼女の話がある程度本当だったら。プラチナバーグがマジで俺に好意的なのかどうか、それは置いといて、実際に彼女がプラチナバーグの部隊の一員で、俺を本気で欲しがっていたら。どうする?俺はお前の盾になると誓った。お前が借金を返済して、暗部から大手を振って立ち去るその時までな。」

 

「う。」

 

丹生が口ごもった。まあ、"守る"だの"誓う"だの。その言葉の、なんと薄っぺらいことか。そう思うよな。

 

「移籍する場合、お前と一緒に行けるなら、と相手側に条件を付ける。この条件が断られたらもちろん破断にするつもりだ。……丹生、お前の考えが聞きたい。俺のカンだが、オペレーターがプラチナバーグの組織の一員だって話は、なんとなく事実なんじゃないかって思えてな。ありえない話じゃない。」

 

じっと説明を聞いてくれていた丹生を見つめる。

 

「かげ、う、雨月。今日会った"人材派遣"さんの話だと、アタシたちの部隊に強い人を助っ人に呼ぶのは難しいんだよね。」

 

「ああ。そうだ。」

 

「プラチナバーグさんの組織に行ったら、きっと強い人も沢山いて、優秀なバックアップだって受けられるはず。その代わり、今より危険な任務が目白押しだろうけど。」

 

彼女の考えに、俺は頷き返す。

 

「でも、"ハッシュ"にいたって、この間の"パーティ"のような襲撃もあるし。……そもそも、アタシたち2人だけじゃまともに任務をこなせるかわからない状態だし……。」

 

「それは、なぁ。もし、"人材派遣"が都合よく使える人材を見繕ってくれれば話は変わってくるだろうが。今のところは、丹生が言う通りだよ。」

 

ふと、俯いていた顔をあげ、丹生はすぅ、と息を吸いこんだ。

 

「……景朗。アタシはアンタを信じるよ。アタシ、アンタより馬鹿だし。だから、アンタの考えに従う。一緒に行くよッ。」

 

目の前の彼女はほんの少しだけ、頬を染めているように見えた。俺の気のせいじゃないと信じたい。

 

「……わかった。まあ、とにかく、"人材派遣"から連絡がこなきゃ、これ以上は考えても意味はないしな。……でもさ、俺が言うのもなんだけどさ。よく、俺のこと信じられるな。い、いまさら発言の撤回は認めないぞ!でも、ホント、どうして……?お前の前で泣きじゃくったのだって、演技かもしれないぞ?」

 

 

 

俺の疑問を聞くと、丹生はどんどん表情を恥ずかしそうに歪め、視線を合わせないように顔を背けてしまった。どうみても顔が赤くなっている気が。これ、顔絶対赤いよね?!ん?

 

「そ。そのッ。そのことで。か、げうう。雨月に、言わなきゃならないことがあるんだッ。」

 

 

 

 

 

え?何?突然のこの雰囲気。めっちゃ恥ずかしそう。丹生の奴、めっちゃくちゃ恥ずかしそうなんですけど。照れてんだけど。もしや……。

 

告白?これ、告白来てる?ええ。どうしよう。初めてだ。人生初告白来てしまうん?な、なんでこんな突然に。

 

丹生を見てると、今にも告りだしそうな表情にしか見えてこない!いや、落ち着け、俺の妄想に違いない!あああ、でもどうしよう。それ以外にこんな赤面するん?人間ってそんな自由に顔色調節できんの?

 

どどどどうする?能力使って冷静に返せるようにクールダウンしとくか?……いや、加減がわからん。あまりにも冷たい反応になってしまったら、取り返しがつかなくなるぞッ!クソっ。どうしたら、どうしたら、どうしたら!

 

いやいやいや、早計だぞ。早計。んなわけ無いだろ。落ち着け、とりあえず落ち着け。俺の超絶反応なら、結果が出てから対応して十分に間に合うはずだろ?もちつけよ童貞。

 

 

「何だ?どうしたんだ?」

 

「ちょっと前から……言おうと思ってたんだけど……」

 

ちょっと前から。ちょっと前からね。ちょっと前から惚れてしまったと。

 

「その……一昨日にさ……」

 

一昨日だって!?それは随分と急な話ですね。一昨日かぁ。突然気づくことって、あるよね。

 

「雨月の、孤児院に行ってたんだッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

へぇぁ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「雨月が暗部に入った理由なんでしょ?か、景朗の家族だって。だから、どんな人達か気になって見に行ったんだ。そ、その!特別な意味は無いからな!?クレアさんとはいっぱい話したけど。そのッ。これから景朗に守ってもらうし。もし景朗が、アタシを庇って取り返しのつかない怪我とかしちゃったら、アンタの家族にどう詫びればいいのかって!!そう思ってさ……。アタシ、教会なんて行くの初めてで。入口でキョロキョロしてたら、クレアさんに話しかけられて。つい、景朗の友達だって言ってしまったんだ。そしたらみんな興味深々で、なんか思いもよらない歓迎を受けちゃった。花華ちゃんとかクレアさんとか、色んな子とお話したよ。それでわかったんだ。雨月がどんなトコで育ってきたのか。どうして暗部に入って、血を流してまであの人たちを守ろうとしているのかって。ふふふ。景朗、ずいぶんと人気者なんだね。皆景朗のこと根掘り葉掘り聞いてきたよ。アタシ、なんかアンタのガールフレンドかなにかだと勘違いされちゃったけど、ちゃ、ちゃんと説明しといたから!よくわかってくれてなかったみたいなんだけど、後で景朗の口からもちゃんと説明してね!とっても暖かかった。皆の様子を見てたら、景朗のことが怖くなくなった。今はすごく身近に感じてる。こ、これから一緒に暗部でも頑張ろッ!……あれ?ねぇ、聴いてる?景朗?聞いてよ!かげろ――――――」

 

 

 

嘘だろ……丹生の言ってることが理解できない。いやそんなことはなくきちんと理解しているけども。

 

俺、聖マリア園に友達連れてったこと無いんだけど。今まで一回も無いんだけど。俺がいない時に、女子中学生がこっそり覗きに来たなんて。そんなの。皆さぞや、ニヤニヤしていただろうね。盛大に歓迎だと?!

 

これは現実じゃない。夢だ。夢であってくれ。クレア先生や花華とお話したって?火澄直通ルートじゃねぇかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁあぁっぁぁぁあぁあああはははははははははは

 

て、天国から地獄。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと、ホントにどうしたの?なんでそんな一気に元気なくなっちゃたの!?」

 

ん?それはね、考え事をしてるからなんだよ。今度聖マリア園に行った時に皆になんて言われるんだろうね、とか。園のみんなが火澄に丹生の存在をタレ込んだら一体どうなるんだろう……とか…………

 

「傷つくよ。そんなにアタシがアンタのとこ行ったのが不味かったの?暗部の人間がアンタの大事な家族に近づいちゃったから?」

 

「……何言ってんだ。そんなわけ無いだろ。丹生が俺のこと分かってくれたのは嬉しいし、俺のことを知ろうとしてくれたこともすごく嬉しい。これから園のみんなにからかわれるのが欝なだけださ……」

 

「あ、う。……だったら、もう少し嬉しそうな顔してくれてもいいんじゃない……?」

 

下を向いて、地面だけを見つめて歩いていたから。この時、丹生がどんな顔をしていたのかわからなかった。もし見てたんなら、もうちょっと早く元気が出てたかもしれないのにな。

 

俺の抑揚の無い「おなかへった」というつぶやきに賛成してくれた丹生と、少し遅い昼食を取ることにした。今日はもともともう少し、これからのことを話すつもりだったしな。

 

今日の情報交換で俺たちは互いに第七学区に、おまけにそこまで離れていないところに等しく居を構えていたと判明した。丹生がペラペラと個人情報を喋ってくれたのは、やはり勝手に聖マリア園に突撃した罪悪感によるものだったんだろうか。

 

とにかく。俺たちは帰りがけに、目に付いたファミリーレストランに入店したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前に並んだ大量の料理を目にして、丹生はげんなりとした顔付を隠せていなかった。テーブルの上に所狭しと並ぶ品目の数は12皿。彼女の分を含めると13皿に及んだ。

 

「あ、あのね、景朗。アンタが全部食べきれるんなら、構わないんだけど。……んーと、このラザニア、なんて名前だっけ?……そう、この『苦瓜と蝸牛の地獄ラザニア』。同じの4皿あるけど、大丈夫?」

 

丹生の呼びかけに、ニコッと笑顔を返した。そのつもりだったんだが、どうやら笑ってたのは口だけだったらしい。彼女はビクッ、と背筋を震わせていた。

 

「大丈夫さ。今日はなんだか"地獄"を味わいたい気分なんだ。他にいっぱい料理きてるけどさ、丹生も食べたいやつは遠慮せずに食ってくれ。心配すんなよ。これだけあっても俺の腹は完全には膨れないから。むしろまだ足りないくらいさ。」

 

「いや、いいよ。……アタシ、このパスタを全部食べきれるかどうか不安になってきたトコだから……」

 

そう言うと、丹生はもそもそとパスタをつつき始めた。俺も彼女の後に続こうと、蝸牛にぐさりとフォークを突き刺したその時。

 

 

 

「"狼男(ウルフマン)"ですの!」

 

かん高い少女の声が耳に飛び込んできた。え、何!?呼んだ?という風に、思わずビクリと反応してしまった。丹生は俺の様子には気づいていない。後暗いことがないからだろうか。それともこの五月蝿い店内では単に聞こえないだけなのか?

 

先程のソプラノが発せられた位置は、俺の正面右手、桂馬の位置。ぴょこんと飛び出たツインテールを揺らしながら、目の前に座る女子高生に必死に食いつく少女の後ろ姿からだった。

 

はいはい、と軽くその少女をいなす、眼鏡をかけたお姉さんに目がいく。いや、正確には彼女の豊かな胸部へと眼球が吸い寄せられていた。気づけばガン見していた。

 

はあっ?!な、なんだあれ。火澄といい勝負……いや、眼鏡のお姉さんのほうが競り勝ちそうだ。あれが高校生……。来年から、俺も高校生……。

 

俺は何をくよくよしているんだ。来年から高校生になるんだぞ。正面の丹生はぽかん、と俺を眺めている。そうだ。此奴を無事に高校生にしてやらなければ。

 

「シャアッ!」

 

掛け声とともに、ラザニアにかぶりついた。丹生に訝しまれないように、チラチラとお姉さんを見やる。集中力は全て、遠く離れたあっちのテーブル席へと回していた。

 

「最近噂になっている都市伝説ですの!ピチピチのズボンを着込んだ、真っ黒い毛並みの"狼男(ウルフマン)"があちこちで目撃されておりますの。学園都市が廃棄した実験動物だとか、遺伝子実験に失敗した哀れな研究者の末路だとか噂が流れて。満月の夜に出歩けなくなった女学生も居ますわ。その様に、一部の学生たちが怯えていますのよ。」

 

「あら、聞いてる限りだとそれはそれで結構なことじゃない。警備員(アンチスキル)の仕事が減るわ。それで、その噂がどうかしたの?そんな有り触れた話、ここじゃ珍しくもなんともないわよ。」

 

少女をまともに打てあわずに、黙々とパフェに匙を伸ばすメガネのお姉さん。クールな性格も良い感じですね。……げぇっ、右腕に風紀委員(ジャッジメント)の腕章が。マズイな。大声で暗部の話はしづらいかも。

 

バレてもどうってことないんだけど、風紀委員(ジャッジメント)には往々にして正義マニアが多いからなぁ。あ、でもあのお姉さんはそんな風には見えないけど。……いや、別の意味で俺たちの会話が聞かれるのは宜しくない気がする。気をつけよう。

 

 

「いいえッ!固法先輩、この動画をご覧くださいまし!先々月のプラチナバーグ氏へのテロ事件の後、事件現場付近のビル内の違法カジノが摘発された時に押収された監視カメラの映像です。ここに、噂の"黒い狼男"の姿が映っておりますの!約140秒と短い時間ですが、くっきりと写っていますでしょう!」

 

「んー?……ホントね。」

 

 

だあああああッ。マジかよ!写ってたのかよ!……クソッ。仕方がないか。この街で完全に情報を隠蔽するなんて土台、無理な話だろう。あーあー。てか、もう俺都市伝説になってたんだな。有名人の仲間入りか。

 

 

「友人の伝手で、解析してもらったのですが。その結果、この映像がフェイクである証拠は何一つ見つかりませんでしたの!おかしいとお思いになりません?何やら隠蔽の匂いがいたしますわ。白昼堂々、大覇星祭の開催期間中に行われたテロだというのに、事件の真相は未だ闇の中。碌に"警備員"や"風紀委員"にすら情報が流れていないなんて!」

 

「それで、白井さんはこの動画の"狼男"が事件の真相のカギを握ってると言いたいわけね?」

 

「もちろん、その通りですわ!」

 

待て待て待て。おいおいおいヤメようよ。そんなことするのやめようよ。俺、事件の真相のカギ、ずばり持っちまってるんですけど。いやあ、この人たち、怖いなあ。顔、覚えとこうかな……。

 

「……はあ、白井さん。そんなに私との外回り、つまらない?」

 

「ぎく。い、いえ。そういう訳では……」

 

「仮に、この"狼男"さんの映像が本物だったとして。彼を捕まえるなんて雲を掴むような話だわ。私たちの目的は、なによりもこの街の治安維持でしょう?そういうことは、この"狼男"さんが本格的に悪さをしだしてから考えましょう。……案外、新型のパワードスーツだったりするんじゃなかしら?」

 

「わかりましたわ……。」

 

いつの間にか、眼鏡のお姉さんのパフェは空になっていた。

 

「さて、それじゃ、そろそろ次の地区へパトロールに行きましょう?白井さん。」

 

「はいですの。」

 

ツインテールの少女は退店の準備をしていた。少女を待つお姉さんは、席を立つ間際。ピタリと視線を俺へと向けた。目と目が合う。

 

え?あれ?これ、俺見てねえ?

 

目をそらせず、見つめ合う。目を逸らせない。逸らしたら、後ろめたいことやってたのがバレそうな気がする。眼鏡のお姉さんは突然のタイミングで、パチリ、と俺にウインクを投げかけた。

 

バ、バレてた!?なぜバレた?あの顔はどう考えても俺の行動を把握してたって感じだぞ!あの距離で、席を挟みつつチラ見してた俺に気づくなんて。

 

 

 

 

 

「ふーん。そういうこと。」

 

気がつかなかった。気づけば、丹生も眼鏡のお姉さんの方を向いていた。ジト目で俺を睨む。

 

「え?何?どういうこと?俺はただ、"風紀委員"がいるから、気をつけて喋らないとなーって思ってただけだぜ。」

 

「……」

 

丹生は黙して語らず。遠くに見える眼鏡のお姉さんは笑いをこらえていた。あああ。まずい。話を反らせ。話題を変えろ!

 

ツインテール少女と眼鏡のお姉さんはお店を出て行った。よし。

 

「そういや、丹生。お前さん、一端覧祭の準備とか大丈夫なの?今じゃどの学校も午後から終日、準備に忙しいだろ?」

 

不機嫌そうな丹生の表情は変わりそうもない。露骨に話題を変えたせいもあるかな?ハハ。

 

「学校なんかより、今はこっち(暗部)の方が重要に決まってるだろ。生死がかかってるんだから。」

 

「お、おう。そうだよね。いや、たださ、丹生、学校じゃボッチだって言ってただろ?1人準備をサボって抜け出してたら、もっと孤立化が加速してくんじゃないかって思ってさ。ちなみに、出し物は何をするんだ?」

 

 

 

丹生は露骨に俺から顔を背け口ごもった。

 

「丹生、世の中にはヤリたくてもヤレない人間だっているんだ。俺の通う霧ヶ丘付属にはな。そもそも

 

「ああもうわかったよっ。その話は何回も聞いたッ。言えばいいんだろ、言えば。」

 

俺がみなまで語る前に、丹生は諦めて話しだした。ぼそりと小さな声でつぶやく。

 

「……メイド喫茶。」

 

「へぇー。へぇぇー。無難ですね。外れなしの安全パイだと思います。ちなみに、そのメイド喫茶って女子は全員メイド服ですか?中途半端に執事の格好して男装する予定とかありませんよね?」

 

「な、なんだよ…。皆全員メイド服だよ。男は裏方。……でも、アタシ、多分でないよ。準備1人だけサボっ

 

俺は立ち上がり、思い切り、ドガァッ!!とテーブルを叩いた。

 

「そういうことはもっと早く言いなさい!!」

 

今度は俺が。丹生が言い終わる前に唸りを上げた。丹生は俺の急な動作に、ビクッと怯えた。

 

「あぅッ。……きゅ、急にどうしたんだよ!」

 

「暗部のスケジュールなんて、俺がどうにでもしてやるッ!丹生、お前は一端覧祭に出ることをおろそかにしてはいけない!」

 

おい馬鹿、声が大きいぞ、と丹生は周囲を見回しビクつく。

 

「何言ってんだ。いくらお前でもどうにもならないからこそ、今日"人材派遣"の所に行ったんだろ?!」

 

丹生の正論に、しかし俺は一歩も引かなかった。

 

 

 

 

 

「丹生。お前が暗部の汚れ仕事なんかのせいで、人生の中で輝く瞬間の1つを無駄に散らすなんて。そんなこと、あってはならないことなんだ。大丈夫さ。暗部のことは俺に任せろ。お前は一端覧祭の本番に。1人の中学生として、本来の在り方も全うしよう!心配するな。クラスで浮いてしまってても、命を賭けて。俺が必ず、お前の勇姿を見届けてやる!」

 

 

 

 

状況はこちらが優勢だ。丹生は勢いに飲まれ、メイド喫茶への参加を考え直し始めている……はず。対面で身を竦ませる彼女のたじろぐ仕草が俺を後押しする。ピンチをチャンスに変えろ。このドサクサに紛れて、丹生のメイド服姿を拝見しに行く約束を取り付けられないだろうか。

 

「わかった!わかったから、声が大きいって景朗。わかったよもう……」

 

丹生の赤面から漏れ出る小さな声を聞いて、俺は席に座り直した。店内でつっ立ちすっかりと目立っていた。あー……大声で『暗部』って連呼しちまったけど、まあ普通の人はそれが何?って思うはずだから大丈夫なはず……だよな。そして、満面の笑みを丹生に送る。言質は取ったぞ、と言わんばかりの表情とともに。

 

「ほ、本気なの?ホントに来るつもりなの?」

 

「お前さんの家の近くからなら、学校は旭日中?」

 

俺の問いかけに、正面の彼女はほんの僅かにだがピクリと体を強ばらせた。お、どうやら図星だったっぽい。俺には彼女の微かな動きからそれがはっきりとわかった。普通の人は今のちょっとした動作で気づけるのかな?いやしかし、いい情報を得た。丹生は旭日中学か。

 

「正直、丹生さんのメイド姿めっちゃくちゃ観たくてたまらないんですけど。絶対行くぜ!旭日中!」

 

「なっ何を言ってッ……ざ、残念でしたー。だいたい、旭日じゃないもん、アタシ!」

 

彼女は口ではそう言いつつも、純粋に嫌がっているだけではなくて、逸らした横顔にはどこか照れや気恥かしさも含まれているように思えた。

 

「ほう、旭日中じゃないと。それなら、柵川か……?フッ、どちらにせよ大した問題じゃない。近辺のメイド喫茶をやっている中学校全てに顔を出せばいい!丹生さんのメイド姿を拝める最初で最後のチャンスとなるかもしれないなら!そのくらいの労力、惜しくはない!」

 

彼女にキッパリと言い放つ。先程から翻弄されっぱなしの丹生はというと、何やら必死に考え込んでいる。俺の来訪を阻止する策を練っているんだろう。やがて想定外だったが、何か思いついたらしく少しだけ、してやったりと口元を歪ませて俺に意気揚々と反論を打ち返してきた。

 

「そんなこと言ったって、無駄だからな。まずは暗部のゴタゴタをどうにかしなきゃどうにもならないだろ。景朗一人に全部任せっきりにはできない。それに、さっきから何やらごまかそうと強気な物言いですけれども、それって景朗が相手を言いくるめようとする時に出るクセだって花華ちゃんが言ってたぞ」

 

「は、はあ?べ、別に言いくるめようだなんて思ってないですよ。ただ、丹生さんの学校生活を虞ろうとした純粋な私なりの厚意ですから。だ、だって現状じゃ2人も1人も変わらないじゃないですかッ。い、いやはや自己犠牲的な配慮に見えるかもしれないですが

 

 

思わぬ反撃に反射的に言い訳が口から飛び出したが、それが不味かった。丹生は俺の言葉を遮り、澄まし面のまま追撃してきた。

 

 

「口調が急にですます調になるのも何かをごまかす時のクセだって真泥くんが言ってたなー。さらに、いかにも正論に聞こえる耳障りのいい単語を乱発する時は、大抵自分の意見を押し通そうとしている場合なんですよ、ともクレアさんに教わったんだけど?」

 

あがッ。そうかもしれねぇ。なんですとー?!そ、そんな。丹生さんに言い返せないなんて。こんな日が来るとは想像だにしなかった!ニヤつき具合が半端ないんですけど丹生さん。あーでもそんな風に小悪魔的な顔付の丹生さんも萌える……。

 

「うッ。ぎ、が、ぐ。お、おまッ!どうやらマジでウチに行ったらしいな……。糞ッ!アイツ等何故に初対面の人間にそんな俺の機密情報を漏らすんですかッ!?……だああ気になるッ!一体どんな話題の時にその3人から今の情報を入手したんじゃぁぁあ!!!」

 

「ふっふっふー。いつも景朗に押し切られてるって言ったら、クレアさんたちがものすごぉぉく同情してくれてねぇー。ま、そういう事で、アタシのメイド喫茶出陣は物理的なスケジュールの問題からして不可能だと決定されましたー」

 

やってらんねぇ。丹生に言い負かされるなんて。やさぐれてぐったりと椅子になだれかかる。

 

「そんな露骨にがっかりした顔するなよ!もーめんどくさいなぁ」

 

「そりゃ元気も無くなりますよう。この俺が丹生さんなんかに言い負かされるなんて」

 

「こらぁー!どーいう意味だそれ!」

 

俺のセリフに丹生は反射的に詰問を返した。ほぼ同時に、俺はピシャリと姿勢を正した。彼女に改めて向き直る。丹生はまたぞろ俺の反論が来るのかと、俺を軽く睨みつけながら構え直した。

 

「だって、絶対楽しいじゃないですか。丹生のメイド喫茶に俺が遊びにいったら最高に楽しいとは思わないんですか?俺の中学は一端覧祭ガン無視なので、私が貴女の学校にお邪魔するしかないんでせうがっ!」

 

悲しそうな顔を創りつつ、最後の抵抗だ。

 

「そ、そりゃアタシも楽しくないとは思わないけどさ。はぁ……一ついい?いい加減欲望だけで考えた短絡的な要求するのはやめようね?」

 

マズイな。丹生さんがだいぶピキっていらっしゃる。これ以上は無理に行くと逆効果になるかもしれない。

 

「もう。だらだらと余計な話ばっかりして、今日話し合うハズだった暗部のこと、全然話せてないじゃん。早く食べて作戦会議の続きするよっ!」

 

「……あ~い。」

 

 

大人しく彼女に従い、俺が今一度目の前に並べられたラザニアにフォークを伸ばしたその時。非常に絶妙なタイミングで俺の携帯に着信が来た。

 

「すまん、丹生。……はい、もしもし。……やあ、マネさん。ずいぶん早いね。ん、それって……」

 

別れて早々の"人材派遣(マネジメント)"からの連絡だった。内容は今さっき頼んだ、元"ユニット"オペレーターからの提案の裏付けに関してだった。

 

パスタをフォークでくるくると回していた丹生も、神経をこちらへ集中させ落ち着かない様子でのぞき見ている。

 

「……わかった。有難い、素晴らしい仕事だよ。さすがだ。…………もちろん。資料は直接取りに行ってもいいが……ハハッ。わかってるよ。郵送でもメールでも何でもいいよ。…………いや、本当に助かった。これからもよろしくお願いしますぜ」

 

 

通話を切ると、今や今かと、待ちきれなさそうな丹生が俺を見つめている。"人材派遣"から届いた朗報のおかげか。自然と笑みが湧き出た。

 

「丹生。どうやらプラチナバーグの所は、本気で俺を欲しがってるみたいだ。それだけあちらさんの状況が逼迫してると考えると少々、いや大分不安だけど。行こうぜ、プラチナバーグの部隊へ。賭けになるけどさ」

 

かろやかに微笑む俺とは対照的に、丹生の顔は少々強ばっていたものの。彼女も俺の言葉に同意し、ゆっくりと頷き返してくれた。

 

「さて。一時はどうなるかと思ったけど、なんとかなるだろ。暗部のスケジュール」

 

「そうだな。そうなるといいな。」

 

丹生も徐々に落ち着き、ほっとした様子を見せてくれた。

 

「つまり。これできっと、丹生の一端覧祭も元通りだな!」

 

「え?」

 

丹生が硬直したまま、力なく呟き返す。

 

「アンブ、ナントカナル。ニウ、メイドニナル。オーケー?」

 

「え?」

 

「ヒュー!メイド喫茶が捗りますなぁー」

 

「え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今回はコメディ色が強いです。毎回毎回シリアスじゃギャップが生まれませんからね。

なんか一気にお気に入りとか評価してくださる方が増えてました。気になって調べたらハーメルンスレで紹介されていて嬉しくて飛び上がりそうでした。


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episode12:暗黒光源(ブラックライト)

episode11の方は最後の方にちょびっと続きを書き加えています。どうかお読みくださいませ。


 

 

雨月景朗が第十二学区の駅を出てまず初めに思い浮かんだのは、「こんなに辺鄙な建物ばっかりだったっけ?ここ?」という、些か同意しづらい、その地に15年間も住みつづけた人間が発するには相応しからぬ感想だった。

 

彼が第七学区に居を構えてから約半年。五ヶ月かそこらの間に彼はすっかりと学生の街に住み慣れてしまっていたらしい。初めのうちは大きく間を空けずに古巣である聖マリア園に顔を出していた彼だったが、ここふた月ばかりはめっきり音沙汰無かったようだ。ここに来て丹生多気美の零した話に切羽詰まり、彼にとっては久方ぶりの実家への見舞いに臨むところであった。

 

それ故に、気がつけば第十二学区特有の、宗教の無差別なごった煮のような町並みに新鮮味を感じる始末。彼は見慣れていた筈の景観に違和感を生じさせる自身の変化に、改めて自らがいかに顔を出さずに怠けていたのか実感し、これからの訪問を想像して冷や汗を垂らしていた。

 

 

「はぁー……。丹生の奴、マジでウチ(聖マリア園)に突撃しちゃってたからなぁ。糞ッ。皆になんて言われるやら……。くぁぁッ。だが、だがしかし、既に火澄に伝わっちゃってるかどうかは確かめないとマズい。それ如何で今後の手の打ち様が変わる。あーあもう。ここまで来たんだ。取り敢えず行くぜ。よし、行こう。さぁ、行くぞー」

 

だが、その言葉とは裏腹に、彼は一歩も足を踏み出していなかった。ぽやぽやとその場につっ立ち、感慨深げにぼやぼやと周囲を眺めているだけだった。やがて、終に飽きが来たのか、ようやく彼はしずしずと帰郷への道を歩き出した。

 

 

どうしてこんなに不思議な感覚を受けるんだろう。しばらく考え耽った後に、ある推論に辿りついた。二ヶ月前といったら、初めて暗部の任務を受けた時期だ。暗部に入ってからたった二ヶ月だけど、体感だとその数倍は長く感じてるかもしれない。だからだろうか。やたら第十二学区が懐かしいのは。となると、暗部の業界に足を突っ込んでからは、まったくここ(第十二学区)に帰ってきてなかったってことか。

 

……ていうか、ヤクザもんになっちまうってんで、自分から意識的に帰らなかったんじゃないか。そんなことすら忘れちまってたよ。

 

はは。だが実際。実のところ、俺自身の個人情報なんて暗部の連中には筒抜けだろうし、ここで下手に我慢しようとするまいと、園の皆を危険に晒す時は晒す羽目になるだろう。結果的にはそこまで神経質にならずに皆に会いに行っても良かったんだろうな。

 

大勢には何も影響せず、か。結局は気の持ち用。聖マリア園に帰らないことで、暗部で生きていく俺自身の危険への緊張が保たれるなら、それはそれで有りだったという考え方もできるかな。

 

 

 

 

 

 

 

懐かしの我が家、聖マリア園が近づくにつれて、これまた懐かしい作りかけの料理の良い匂いも鼻腔をくすぐりだした。直感で、なんとはなしに、これは俺が昔花華に教えたシチューじゃなかったっけ、と頭に浮かんだ。

 

窓の外から厨房を覗くと、花華とガキんちょたちがわいわいと炊事に勤しんでいる。少し見ないあいだに花華の奴、背が伸びてるな。小学六年って、確か女の子は一番背が伸びる頃合だよな。どうだったかな。

 

窓をこんこんと叩くと、近くに居た花華がこちらに気づいてくれた。飛ぶように窓に近寄ると、機敏に窓を開けてくれた。

 

「ただいま。久しぶり、花華。ちょっと背伸びた?」

 

「やっと来た景兄!久しぶり、じゃないよ!最近全然ウチによってくれなかったじゃん!皆に忘れられちゃうよ!」

 

「すまんすまん。あー、まぁそのことは後でおいおい話すからさ。ところで今日は大丈夫?」

 

俺の質問に、花華は頬をふくらませてムッとした表情を見せた。

 

「大丈夫に決まってんじゃん!……あ、でも、晩御飯は景兄が一人前で満足してくれなきゃ足りなくなっちゃうかも」

 

俺が一度に食べる量を良く知っている花華は、呆れを含んだ眼差しを寄こす。心配しなくても突然じゃました挙句食い尽くすような真似はしねえよ。

 

「心配ご無用だぜ。てか今日はちょっと顔を見せに来ただけだからさ。割とすぐ帰るつもりなんだよ。」

 

その返事は花華には不満だったらしい。

 

「ええー。一緒に御飯食べようよ。3人前までなら大ジョーブだからッ」

 

「いや、あのね、量の問題じゃないんだよ?」

 

俺の話を聞いてるのか聞いていないのか、花華は窓に身を乗り出さんとばかりの勢いで詰め寄った。

 

「そんなことより、景兄!びっぐにゅーすだよ。ワタシ、景兄の住んでるとこの近くの、柵川中学に行けそうなんだよ!まだ確定じゃないけど、推薦入試だから、先生はワタシの成績ならほとんど決まりだろうって言ってくれてるよ。」

 

柵川中学か。確かに近いな。

 

「おお、そっか。柵川中からだと俺ん家まで楽に来れるなぁ。なんだ、遊びに来る気か?」

 

「もっちろーん。それにベンキョーとかも教えてよね。高校生に教えてもらえれば中学のベンキョーも怖くないもんね」

 

ははは。いや、それはどうだろう。暗部の人間の住居にあまり出入りするのは宜しくないな。花華にはかわいそうだが。

 

「あぁー。景兄、笑ってるけど、今内心困ってるでしょ?ワタシにはわかるよぉー。やっぱり、こないだの彼女さんとイチャイチャできなくなるのが嫌なんでしょー?まさか、景兄に中学で彼女が出来るとはねー……」

 

あぁ!?コイツ等やっぱ誤解してやがる。クッソ、何を丹生に喋った!そして火澄には何処まで喋った!事ここに至ってはコイツ等に弄り回されるのは覚悟しているが、今後の被害は最小限に食い止めなければ。

 

「あー。その事なんだが。皆少々誤解してるよ?ちょっと前に来た丹生さんはね、唯の友達でね。そもそも当の丹生さんも俺の"友達"だって言ってなかったか?あんまり根も葉も無い噂が広がっちゃったら、ほら、丹生さんにも迷惑かかっちゃうっていうか」

 

「ははぁーん。そっかそっか。今日珍しく景兄が来たと思ったら、そういうことかぁー。火澄姉にバレれるのは時間の問題だねー、か・げ・に・い。ねぇ、もし、景兄にお小遣いを貰えたら、ワタシはきっと火澄姉には何も言わないと思うんだけどなー。それどころかその瞬間から景兄の味方になってあげる。そういう気分だよー?」

 

かつて見たことないほどの、恐ろしい花華のニヤケ面を前に何故かタジタジになっている俺。あ、あれ?花華ってもうちょっとちょろい奴じゃなかったっけー?思わぬ計算違いだ。

 

「突然だけど花華。英世さんのことどう思う?」

 

「ワタシは諭吉さんがカッコイイと思う」

 

想定内の答えだ。さっきも言っただろう。覚悟して来たと。

 

「あちゃー。諭吉さん今一人しかいないんだけど大丈夫?」

 

「大ジョーブだよッ!景兄、これからは火澄姉に何を言われようともずっと黙ってるからね。それでオーケー?」

 

「オーケー。……ってかさ、花華。そろそろ中に入らせて貰ってもオーケー?」

 

「あっ。ごめん、景兄。えへへ。はいはいドゾー」

 

 

なんだろう。もはや用は無くなったと言わんばかりの、急に手のひらを返すこの反応。もしかして、花華の奴。窓越しに俺を見つけた時から、俺の顔が諭吉さんに見えてたんじゃないだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

裏口から建物内に入れば、玄関の奥すぐそばでクレア先生が鼻唄混じりに掃き掃除をしていた。もはやそれほど最近の話では無いと言うのに、いつの間にか自分より小さくなった先生を眺め、浮かんでくる疑問に答えを見つけられずにいた。先生が俺より小さくなったのいつだっけ?

 

何で今頃になって気づくんだよ。中3になる頃にはとっくに身長、先生を追い抜かしてたはずよな。ある程度身長に差ができないと案外、気づかないもんなのかな。すぐ目の先で揺れる先生の柔らかそうな栗毛。子供の頃に見た、記憶にあるものとは少し違った、先生の後ろ姿。胸中に湧き上がってくる、心地よい夕凪のような平穏と心の弛びがあまりに快い。

 

先生の様子を見たところ、別れた直後とは打って変わり、思いのほか元気そうだった。強いて言えばほんのちょっと疲れているみたいだけど。……無理もないか。

 

現状、所属部隊の任務以外にも暇さえあれば、手に入れた伝手を頼りに、小遣い稼ぎのような小さな依頼だろうと何だろうと受けられる仕事は最大限受諾しているつもりだ。稼いだ資金は全て専門の仕事人みたいな奴を通してウチ(聖マリア園)に突っ込んでいるけれども、やはり以前の幻生が支援してくれていた額には届きやしない。

 

俺が招いた災いなのに。クレア先生にそのツケを押し付けたままじゃ居てもたってもいられない。もっと気合入れて、何とかしてかなきゃならないな。ああ。畜生。一度でもこのことを考え出すと幻生のニヤケ面が脳裏にチラついてイラついてしょうがない。まぁ……そもそも騙された俺にも責任はあるんだし、幻生を恨むだけで済む話じゃないってわかってはいるけどさ。

 

とうとう彼女が振り返るまで、声をかけるのを忘れていた。先生は背後の人影の怒り顔に驚き、軽く悲鳴を漏らした。

 

「ひゃぁッ!すすす、すみません!雑用に集中していて気が付きませんでしたぁ!いつからいらっしゃったんですか。ああああのこちらは職員専用の出入り口となっていまして。申し訳ありませんが正面玄関をお使いしていただくと助かるのですがッ」

 

懐かしいなぁ。碌に相手の顔も見ずに、ぺこぺこと頭を下げたまま。箒片手にあわあわと慌てふためいていらっしゃる我らがシスター・ホルストン(31歳独身)。まぁ、三十路にはとても見えない、若々しい外見だからその反応もそれほど痛々しくはない……かな。

 

「先生、俺ですよ、俺。景朗ですけど。お久しぶりです。なんか相変わらずなご様子で、安心しました。つってもたったふた月ほどしか経ってませんけど」

 

「ふぇ?かっ、かげろう君ですか!?す、すみません。一瞬だと誰だかわかりませんでした。……なんだか、記憶の中のかげろう君よりさらに大きくなってる気がします。……はッ。そ、そうじゃなくて、かげろう君!ひどいですよ、ここ最近はずいぶんとウチに寄り付かなくなって。ダメですよ!中学卒業まではちょくちょく会いに来るって約束、忘れちゃったんですかっ?」

 

 

クレア先生による出会い頭のお説教が始まるかに思えた。俺の口から零れた言い訳も歯切れが悪く、一時は駄目かと思ったけれども、流れは予想していた通りには進まなかった。

 

「い、いや。これでも忙しかったんですよ。一応腐っても霧ヶ丘付属ですから、授業とかそれなりに……」

 

「愛が足りませんよ!かげろう君。火澄ちゃんなんて常盤台の寮からいつもお手伝いに来てくれているのに。」

 

クレア先生はぷんすかと眉根を寄せて怒っているが、全然怖くない。このお説教も懐かしいなあ。

 

「ははっ。俺と火澄を比べても意味ないですよ。霧ヶ丘は常盤台と違ってブラックですからね!」

 

「ぶ、ぶらっく、ですか?うう、またそうやって業界用語を乱用して私を煙に撒こうとしてますねっ!和製英語はとてもややこしいんですよっ」

 

「いやいや、そんなつもりは無いですよ。正真正銘真実本当に」

 

満面の笑みで対応すると、先生はちょっと歯がゆそうに声を漏らした。

 

「むむむ。だ、だいたい、忙しいといっても週末は一体何をしていたんですか!かげろう君には火澄ちゃんみたいにたくさんのお友達は……あ、そうでした」

 

あああ。この流れはよろしくないぞ。先生は一気に怒りを和らげ、次いで興味津々の面持ちで俺に身を寄せてくる。

 

「丹生、多気美ちゃんでしたね。とってもいい子でした。かげろう君、おめでとうございます。私もひと安心しました。ようやく、かげろう君にも……

 

 

だあああっ。よぉおおおおくわかったよ。この聖マリア園が今まで平和だったってことがね!結局みんなこの話にたどり着くんだからな!どうやら他の事件は起きようも無かったようですね!先生の追求を押しとどめようと、声を大きくした。

 

「待ってください待ってください!その話はさっき花華にもしたばっかりなんですよッ!もしかして園の皆全員にいちいち説明してかなきゃならいんですかッー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺がここ(聖マリア園)に来た目的は、ぶっちゃけ丹生の話が既に火澄に漏れているのかどうかを知るためだった。頑張って気づかれないように、クレア先生や他の子達にそれとなく探りを入れて見ようとしたけれど、その目論見は皆には最初からバレていたらしい。見事に会話をした人物全てに丹生と火澄の件を突っ込まれてしまった。

 

これほど居心地の悪い聖マリア園は初めてだった。何度も一緒に晩餐をと勧められたが、それ以上墓穴を掘りたくは無かったので日が落ちぬ内に撤退した。花華やクレア先生の口ぶりからしてまだ火澄には知らされていない状態だと推測した。クレア先生がちょっとギクシャクしていたのが怪しく、気になる所ではあるけれど。

 

一番有用な情報源となりそうな真泥にも話を聞きたかったのだが、彼はまだ帰って来ていなかった。彼ならまず間違いなく俺を裏切らないはずだったのに。

 

ともかく、これ以上は仕方がない。火澄がよく状況を把握する前に勘違いして、丹生が俺の彼女だってことになったら……。お粗末な言い訳(てか言い訳すらせずに強引に押し切ったこともあったな……)で約束をブッチし、彼女と遊んでいた"とんでもないクズ野郎"の烙印を押されかねない。

 

良かった。まだ火澄がこの事を知らないのなら、先手を打って誤解が生じないように状況を説明でき…………………………あ、あれ?うまく説明できるのか?これ……。

 

だって、丹生との関係を偽りなくそのまま説明できるわけねぇし。必ず嘘を付かなきゃならない訳だ。この案件をこの俺が綺麗に問題なく解決できるだろうか……。全く想像できない。うわ、どうする?これ。

 

 

 

結局は。折角、事前に選択肢を与えられ、対応がとれる機会を手にしていたのに。俺は"その時"が来るまで何も実行に移さなかったのである。下手に突っ込んでヤブヘビが怖かったのもあった。だが、世の中そんなに甘くない。やはり怠惰な人間には当然、それ相応の厳しい試練が訪れるものらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聖マリア園を訪れて幾数日。俺がヘタレて手をこまねいている中にあっという間に時は過ぎ、一端覧祭が始まっていた。そのうちに、だいぶ落ち着いたらしい火澄や手纏ちゃんからお誘いが有り、俺は"学舎の園"の近くの行きつけのカフェへとやって来ていた。

 

到着したのは火澄と手纏ちゃんと初めてお茶をした思い出深いカフェテリアである。一端覧祭が始まって何日目だったかな。三日位だろうか。四日目だったっけ?なにせ俺自身は全く一端覧祭には絡みがないから、はっきりとは覚えていない。興味を持つ必要性の無い事に関しては、誰だってうろ覚えになるはずでしょう、と言い訳をさせてほしい。

 

閑話休題。俺が今居るカフェテリアはこの中学生活の間に、火澄達と会う時にわりと使われた店だった。お店のメニューももう少しで完全制覇できそうな塩梅だ。"学舎の園"のゲートから近い場所に位置しているから便利だったのさ。

 

屋内には2人の姿は見つけられなかった。それならテラス席だろう。すっかり指定席と成りつつある、入口から最も離れた南側のテーブルに、彼女たちの姿を発見した。

 

 

 

「なんか久しぶりだなぁ。2人ともちょっと元気ないね。よっぽど大変だった?一端覧祭の準備?」

 

火澄と手纏ちゃんは既にくつろいでおり、俺のことを待ってくれていたようだ。手纏ちゃんはテーブルに突っ伏して何だかお疲れのご様子。こんなにダラけた手纏ちゃんの姿、初めて見るかもしれない。

 

「アンタは相変わらず、いつ見てもピンッピンしてるわね。羨ましい」

 

邂逅一番に愚痴を漏らすとは、火澄さんもご機嫌という訳では無い様子。一方の手纏ちゃんは俺の声を耳にした途端にビクッと起き上がり、いそいそと姿勢を正した。

 

「こ、こんにちはですっ。景朗さん」

 

おお。何というか、手纏ちゃん、疲れと羞恥と無理矢理に浮べた空元気の笑顔が混ざり合って、今まで見てきた中で最高に面白いお顔になってますよ。

 

「お疲れ様、手纏ちゃん……俺の学校は一端覧祭無いけどさ、どうやら、やるのとやらないのとじゃ学生にかかる負担は大違いみたいだね」

 

「は、はいー。景朗さんの仰る通り、私もそう思います。ちょっとだけ、景朗さんが羨ましいです……」

 

だ、大丈夫かな、手纏ちゃん。火澄は彼女を労わるようにそっと紅茶を彼女の空になったティーカップに注いでいた。しかし、観察する限り、火澄の方も手纏ちゃんに負けじと劣らず疲れているようだけれども。

 

そう、そうなのだ。彼女たちは一端覧祭が開催され、準備してきた催しをやってのけるまで、のっぴきならぬ忙しさの中に浸かっていたのだ。丹生が聖マリア園へ突撃したのは火澄達が最も忙しい時期だったはず。必然、火澄に聖マリア園へ帰る暇など無かっただろう。

 

俺が今日、彼女達に会うまで丹生の件に手を打たなかったのは時間的余裕があると踏んでいたからなのさ。た、単にヘタレてしまってただけじゃないんだよ?

 

「深咲が一番の功労者。景朗の言う通り、お疲れ様。でも、今日でやっと終わりじゃない。一息つけるぅー、嬉しい」

 

う~ん、と火澄は両手を上げ、大きく伸びをした。手纏ちゃんも同意し、はふ、と息をつく。

 

「はいー。終わりましたぁー」

 

何のことだかさっぱりわからない。疑問符を浮かべたままの俺に、火澄が徐にパンフレットを渡してくれた。これは……常盤台中学の一端覧祭のプログラムか。催し物のアウトラインが小奇麗に羅列してあった。全然関係無い話になるが、火澄が今ぞんざいに扱ったこのパンフレット、オークションに出せば万札に化けるぞ、間違いなく。

 

「常盤台校水泳部の欄を見てみて」

 

火澄に言われた通りに、パンフレットに目を通す。

 

「えっ。常盤台中学校水泳部によるシンクロナイズドスイミング……。うわあっ!見たかったなぁ、これ!手纏ちゃん出てたんだろ?!なんで教えてくれなかったんだよッ」

 

「アンタに言ったって無駄じゃない。いくら"学舎の園"が一般開放されてると言ったって、入れるのは女の子だけなんだから」

 

火澄のジト目にたじろぐ事無く、俺は食いついた。

 

「それじゃさ、ほら、動画とか撮って無いの?!いや撮ってない訳無いよな?」

 

「あ、あの、それは……そのぅー……」

 

そう言って手纏ちゃんを見つめれば、彼女はもじもじと恥ずかしそうに俯いて視線を逸してしまった。横で火澄は大きなため息をつく。

 

「はぁー……。アンタみたいな連中にだけには絶対に動画が渡らないように、"学舎の園"の中は専門のスタッフ以外の撮影が全面的に禁止されているんですぅ」

 

「おあ!?やりすぎだろそれは。例えば"学舎の園"に娘や兄妹が通っている父兄はどうすればいいんだよ?」

 

「セキュリティ上仕方がないわよ、ある程度は。一端覧祭は大覇星祭と違ってそこまで"干渉数値"の制限がキツくないから、どこだって学生の能力を存分に使ったイベントをやりたがるでしょ?ウチ(常盤台)みたいな学校になると割と機密ギリギリまで能力を活用しちゃうから、そういう意味でも対策が取られているの。でも、まぁ、確かに折角頑張って準備したイベントだしね。アンタがそこまで見たがるなら後で特別に新聞部の人達が撮った動画見せてあげる」

 

 

やりぃ。見せてもらえるのか。喉から出かかっていた「シンクロナイズドスイミングやったらしいけどカナヅチの火澄は一体何をやってたの?」というツッコミは入れないでおこう。

 

 

「なるほど。手纏ちゃんが"一番の功労者"ってのは……」

 

俺の推論に火澄は同意して頷き返してくれた。手纏ちゃんはあいも変わらず照れたままだ。

 

「そうよ。"泡"を使った視覚効果、部員への酸素供給、そういう風に能力を酷使しながら"シンクロ"をやるのだから、深咲の負担はとてつもなかったはず」

 

うわあ、それは聞いただけで大変そうだなぁ。練習もどれほどやったのか。よく投げ出さなかったなぁ。常盤台はやっぱり伊達じゃないな。

 

「今までで一番大変でした。も、もうやりたくないですぅッ!」

 

手纏ちゃんにここまで言わせるとは。しかし、俄然興味が湧いてきた。後で絶対見せて貰おう。疲れた様子の2人だったが、一緒に彼女たちの達成感と開放感もこちらに伝わってくる。暗部で四苦八苦している俺には、2人がとても眩しく、犯し難い存在に思えてならなかった。

 

「うーぬ。よしんば霧ヶ丘が一端覧祭をやれたとして、火澄や手纏ちゃん達みたいに生徒同士で協力して連携を取れそうにない。想像できない。てか、そんな和気あいあいの霧ヶ丘なんて霧ヶ丘じゃないなぁ。ははっ」

 

「そっちはそっちで一度拝見してみたい校風みたいね……」

 

火澄の漏らした感想を聞いて、ふと考えた。そもそも霧ヶ丘付属中学に他校の生徒が見学に来れる機会なんてあるっけ?……無いぞ。皆無だ。おいおい、常盤台に男も入れろだなんてツッコミを入れる資格無いんじゃないの。

 

「はぁー。しかし、色んなイベントやってんだな。よくよく考えれば、小学校以来この手の行事に参加してないぞ。さすがに羨ましくなっちゃうね」

 

手持ち無沙汰に眺めていたパンフレットに、ひとつ気になるものを見つけた。

 

「んん!?ええと、ラ コントラディ…ツォン?呼び方わからないけど、この常盤台生の有志が運営してる喫茶店、めっちゃ気になる!」

 

火澄はああ、やっぱりね、といった表情を浮かべていた。俺の反応は彼女には予想通りだったらしい。

 

「それ、ラ コントラッディツィオーネって言うそうよ。気になる?」

 

「もちろんだ。常盤台中学御用達の最高級コナコーヒー使用。常盤台のセレブなお嬢様、その中の有志がこだわり抜いた厳選のコーヒーを提供とな。ふむふむ、注目は通常は表層が深煎り、深層が浅煎りとなる豆の焙煎過程を能力を使って真逆にした……な、に。マジかよ、スゲッ。ほぼ全ての工程に現代の産業技術では加工不可能な処置が施してある。うおお。能力者が浸透圧を弄って抽出し、粉砕過程ではテレキネシストがマイクロスケールでの調整を加えます……。そ、そうか。La Contraddizioneってイタリア語で"矛盾"て意味か。な、なあ、手纏ちゃん……お願いが」

 

「迷わず深咲に言ったわね。聞くだけ聞いてあげるけど、何?」

 

何故か火澄が答えを返す。お前には聞いてないんだよッ。どうせ無理筋だし。

 

「は、はい。なんでしょう?」

 

きょとん、としている手纏ちゃんへと身を乗り出し、力強く頼み込んだ。

 

「女装してこの喫茶店に行くからさ、手伝ってください!」

 

「ふぇっ?ふえええええええええええええええ??」

 

手纏ちゃんは驚きの声をあげ、火澄は呆れかえった。

 

「想像の斜め上の答えが返ってきた。景朗、それ冗談キツいんですけど。アンタみたいな脳筋が女装できるわけないでしょ。さすがにもっとマシなお願いかと思ってたわ」

 

 

いや冗談に決まってるだろ。毎年続出する"学舎の園"に侵入しようとした不審者の末路に関する、都市伝説まがいの噂には事欠かない。中には"学舎の園"のセキュリティを論った定番ジョークのように扱われる話だってあるしな。受験の時期には、失敗して投げやりになった男子学生が「ちょっくら今から"学舎の園"に侵入してくるっ」って言い出す光景がよく見受けられる。

 

さて、ドン引きの2人の顔を十分に堪能できたことだし。

 

「まあ、当然冗談さ。ジョークだよ。……血泪が溢れ出そうなほど悔いが残るけれどもな。是非ともその場で味わってみたかったが不可能だ。まぁだからさ…………ぅお願いしますッ!何とかテイクアウトで入手してきてくださいませんかぁッ!」

 

俺はそう言い終わらぬうちから勢いよく頭を下げ、ゴツリとテーブルへ額をくっ付けた。

 

「フッ。そうくると思ってた。いいでしょう、景朗。アンタのお願いを聞いてあげても。ただし、こちらが提示するそれ相応の条件を飲んでくれれば、だけど」

 

圧倒的高位の立場からの発言だった。火澄は鬼の首を取ったように一瞬で表情を引き締め、俺は彼女から、思わず凍えそうなほどの冷徹な眼差しを向けられた。

 

「な、何故コーヒー1杯にそれほどの覚悟を要求されるのか理解不能ですが、どんな条件だろうと飲み下して見せよう。このLa Contraddizioneのエスプレッソを味わえるのならばッ」

 

視線を上げて彼女達の反応を窺った。火澄が手纏ちゃんへウインクをひとつ投げかけると、手纏ちゃんもおずおずと頷き返した。そして、手纏ちゃんは喉をごくりと鳴らし、2人して真剣な面持ちを維持しつづけた。

 

……なにゆえ、コーヒー1杯でかやうな反応を召されるのでせうか?そこのところにツッコミを入れたいのはやまやまだったが、機嫌を損ねられては堪らない。俺はひたすら下手にでていく所存である。

 

「ささ、早くその条件とやらを聞かせてくれよ」

 

「それじゃ、聞かせて。丹生多気美さんって、景朗のカノジョさんなの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ん?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あい?……………………………なぁーんだ。そんなことかー。いやいやいや、カノジョなんかじゃねーよ、あんな奴。はい、これで質問には答えたな。そんじゃ後日、エスプレッソをよろすくおながいしま」

 

恐怖で正面の2人とは目を合わせられなかった。何故か無意識のうちに小さな物音ひとつたてぬよう気を配りながら、草食獣が肉食獣からそろそろと後退していくが如く、そろりと席をたとうと試みたが。

 

「逃げたら燃やす」

 

「おーらい」

 

中途半端に浮かせていたケツを降ろし、椅子に座り直した。火澄は大変お怒りの様子。両手は膝の上にそろえてお行儀よくしておきましょう。

 

「雨月被告人。貴方には『カノジョにカマけて被害者兼原告である仄暗と手纏両名との約束を反故にし続けた"最低ドクズ野郎"』という嫌疑が掛かっています。貴方はご自分で十分に理解しているはずですよね?」

 

テーブルの上に腕をのせ、手を組んでその上に顎をつけ、某超法規的組織の司令のように凍てつく眼光を放ってくる火澄。手纏ちゃんも恨めしそうに俺を見つめていた。その冷たい相貌に反して、火澄の口ぶりからは彼女が怒った時に本来見せる気炎万丈な猛々しさが表に出かっかっていた。

 

「被告人はさらに前述の一般の女子中学生に対して淫らな行為に及んだとされ、率直に申し上げれば学園都市の淫行処罰規定に抵触した疑いも掛けら

 

 

おいッ!何を言い出す!やめろ!手纏ちゃんも顔を赤くして恥ずかしがってるじゃないか!だがしかし、何と言うことだろう。火澄は鉄面皮を崩しもせず、決して臆すことなく次々と俺に追及してくる。俺は彼女の言葉を遮り必死に抵抗した。

 

「い、異議あり!突然何を言い出すんですかッ!言いがかりだ、そんなもん!一緒に飯喰っただけで何でそうなる!って、あ……」

 

畜生、余計な情報を与えてどうすんだよ俺の馬鹿。

 

「ふーん。そうなんだ。被害者とは仲がよろしかったんですね。それじゃ、被告人に"本当のところ"はどうだったのか証言して貰いましょうか」

 

 

ど、どうしよう。コイツ等知ってたよ。コーヒーがどうとか言ってる場合じゃねぇ。一転して、最も恐れていた最悪の事態に陥っているぞ!

 

あぁぁぁぁぁぁなんで知ってんだよ君たちぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。しかも煩わしい形で誤解してるし……。丹生がカノジョじゃないってのは正真正銘真実、本当のことなのに。それだけ説明しても問題は終結しそうにない。俺が暗部の任務のためにバックレた、2人との約束を破った理由を言わなきゃ納得して貰えなさそうな状況になってるうう。

 

 

「ま、まずは弁護士に電話をさせてくれ」

 

時間を稼がないと。まともな言い訳を考える時間を。この場を治めるナイスなアイデアを思いつく時間をッ。

 

「どうぞ、ご自由に。かけれるもんならね。誰に助けを求めるつもりなの?」

 

そんな奴いないじゃん。俺にはこの状況から俺を助けてくれそうな知り合いなんていなかった。助言を与えてくれそうな人の心当たりすらない……いや、1人いるか。丹生さんだ。あーでもわからないんだよな、丹生さんは。事態を余計に引っ掻き回すだけ引っ掻き回して自滅されてしまうかもしれないし。さりとて、彼女がこの状況を動かしてくれる選択肢であることには違いなさそうだし。

 

落ち着け。まずは落ち着こう。俺はこの状況を予想してなかったワケじゃないだろ?そう、そうだよ。正直面倒臭くて後回しにしてたけど、一応矛盾しない言い訳を考えたりしてたじゃないか。

 

プランA:『いつぞやのように厳かに沈黙を守り通し、真剣に、真摯に、正直に、それは説明できないと説得する』

 

いかん。これは言い訳ではない。この状況でそれをやるのは本当にツラそう。できれば他のプランにしたい。

 

プランB:『実は丹生は借金に苦しみ、泣く泣く違法風俗で働く風俗嬢だった。俺は彼女のお店で働く、お客さんがゴネたときに代わりにお話を聞いてあげる係の人。色々と法律スレスレってかもろアウトだから話すに話せなかったんだ、HAHAHA!』

 

こんな嘘付いたら燃やされる。マトモな言い訳考えつかなくて1人で妄想して笑ってたクズみてえな案だ。どうして人間って、よりにもよってこんな切羽詰った時に限ってこんな下らない事ばっかり思い出すんだろうなぁぁ。

 

プランC:『丹生に丸投げする。だってコイツが元凶じゃん』

 

そうそうそうその通りじゃん。俺のせいじゃないよ、この状況。丹生がオイタしたせいじゃんかよッ。もういっそ丹生んとこ連れてって巻き添えにすりゃ……。できればほかのプランで。

 

プランD……プランD……あああプランDってなんだっけ、てかプランDとかそもそもあったっけあああ。

 

矛盾しない言い訳なんて考えてなかったアッー。そうだよ、考えついてたら俺だっていくら怠け者だろうと、こうなる前にその手筈通りに手を打てていたはずだろッ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

救いを求めて手纏ちゃんの対応を確かめた。なんと、彼女は何だか俺以上にハラハラとした顔色だった。いろいろ葛藤に悶えてそうな様子だ。変だな。どうして手纏ちゃんが今のこの空気でそのような表情を浮かべる必要がある?

 

もしかして、俺の尋問に乗り気なのは火澄だけで、手纏ちゃんは救いの女神となりうる存在なのではなかろうか。その可能性、ゼロではない。

 

「さ、最初にそっちが質問した内容には答えただろ。丹生という女の娘とは唯のお友達です。神に誓って。これは本当のこと。揺るがない」

 

「そもそもアンタに同級生の、しかも女の娘の友達ができるということ自体が疑わしいんだけど」

 

火澄に一蹴される。はぁ?もう、なんなんだよッ。

 

「だったら、俺にカノジョができるだなんて、むしろそっちのほうこそ疑わしくない?ねえ、なんでカノジョのくだりは都合よく信じちゃうのッ?教えてー?!」

 

火澄は嘆息しつつ、本人も半信半疑といった態度でその理由を語りだした。

 

「それが、クレア先生と花華が景朗にカノジョが出来そうだ、わざわざウチ(聖マリア園)まで訪ねてきたぞ、うかうかしてられない―――こほん。それが、クレア先生達が実際にアンタのカノジョらしき女の娘を目撃したって言うものだから、信じるしかないのよ。どんなに疑わしくとも」

 

 

花華さん、今度諭吉さん返してね。彼の命が儚く散っていないことを切に願うよ。

 

 

「火澄さん、さっき言いかけた『うかうかして』の続きをちゃんと

 

「うるさい死ねっ」

 

 

ぐはあっ。久しぶりに火澄に死ねって言われた……。

 

 

「やっぱり自分から素直に話す気はないみたい。深咲、プランBよ」

 

「へぅっ。ほほほ、ほんとに言わなきゃダメですか?火澄ちゃん?!」

 

少しだけ張り詰めていた緊張を緩ませた火澄は、僅かに慌てながら手纏ちゃんと次の手に討って出るつもりらしい。

 

「これは深咲にしかできないことなの」

 

「……わかりました。景朗さん、ごめんなさいぃぃ」

 

 

俺へと向けた、申し訳なさ、恥ずかしさ、そしてやるせ無さを代わる代わるブレンドさせて、手纏ちゃんは表情をころころと変えつつ、息を飲み込んだ。何の前触れだ?え?なんなの?なんなの?プランBって?

 

 

 

「『い、いい加減本当のこと話せよ、最低男』……」

 

 

 

キリッと俺を睨み、刺々しく、今まで俺が見たこともないほど荒々しい物言いで、手纏ちゃんが暴言を吐いた。

 

「え?たまきちゃ……」

 

 

 

「そ、『そろそろキレんぞ、クズ。何回約束破れば気が済むんだよ。ぶっちゃけアンタのやってることマジで有り得ないから。本音言っちゃうとさぁ、次また同じことされたら本気でアンタのこと"切る"つもりだから』……ぅぅッ」

 

 

 

手纏ちゃん、凄まじい顔だ。それでも、やはり暴言を発するうちに本人の怒りのボルテージも僅かに上昇しつつあるらしく、羞恥と怒りと覚悟がごちゃまぜになった顔。それでも、やっぱり可愛い顔付の名残はまだ残っているから、俺は……俺は……。

 

 

 

 

 

 

「『さっさと謝れよ、こっこっこッコッコッこッのッ、チン○スゥーーーーーッ!!!!ウドの大木!タマ無し野郎ーーーーーッ!!!』ぅぅぅ」

 

 

 

 

嘘だ。手纏ちゃんじゃない。俺の手纏ちゃんはこんなこと言わない。ああ、でも、なぜだろう。恥ずかしそうに、羞恥の極みの中それでも一生懸命に頑張って、俺に下品な単語を連呼する手纏ちゃんは見ていてゾクゾクして来る…………これが、天使?

 

やはり一番仲が良いはずの火澄にもインパクトは絶大だったらしい。彼女が口にした「ホントに言っちゃった……」というつぶやきも耳に入ってこない。

 

「ひ、う、『いつもいつも人の体をジロジロ眺めてきやがってッ!この変態!毎度毎度姿くらまして何してやがんだよっ、どうせ家に帰ってせんずりこいてんだろカスッゥ』うぅーーーーッ!……」

 

気がつけば、手纏ちゃんの叫びにテラスにいる周りの生徒たちも物珍しげに俺達3人を観察していた。衆目に敏感な手纏ちゃんがこのことを察知していないはずがない。きっと本人も現状は把握しているはず。それでも。

 

「ぅぅッ、おおおお『おらぁ話せよ最後のチャンスだぞゴミクズゥッーッ!!じゃなきゃテメェーは一生ぉおお、お、お、お、お、お、お、オ○ニー野郎で決まりだぞこのやろぅーーーー!!!』ぅぅーっ!ですぅーーーーーッ!話すんですぅぅぅぅぅぅぅーーーーーーー!!!」

 

ついに手纏ちゃんは言い切った。いや、俺も某かの言葉を返したいよ。でも、今この場の空気は完全に凍りついている。喉からは渇いた空気が音もなく漏れ出るのみだった。しーん、という静寂の中、手纏ちゃんは涙目で必死に俺に食いついてきた。

 

「はっ、話すんですぅーーーーーー!!!」

 

「…………」

 

たった1人、手纏ちゃんの叫びが響き渡る。そんな目で見ないでくれ、手纏ちゃん。俺だって話したい。話したいんだけど声が出ない。身動きすら取れない。この空気の中では。この雰囲気の中では。実のところ、きっと火澄も喋りたくとも喋れないんだと思う。時が止まっていた。

 

 

「は、話すんですぅ…………。……話し……ぅぅ……」

 

 

 

「……………………」

 

 

「……………………」

 

 

なんという気まずい沈黙。外の喧騒からはガヤガヤと「あら!?"火災旋風"のお二方!?」との話し声が。

 

 

 

 

 

 

やがて、空気に耐えられなくなった手纏ちゃんは勢いよくテーブルにつっぷし、縮こまって動かなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すっかりと外野に興味をもたれてしまい、こそこそと覗き見されていた俺達3人は、しばらくの間ずうっと。そのままの姿勢で硬直したまま、延々と言葉を発すること無く沈黙を維持し続けた。というよりは、金縛りにでもあったかのように、動き出すことが出来なかっただけだったのだが。たぶん火澄も似たような感じだったんだと思う。

 

そのうちに、こちらを観察していた見物人や他のお客さんが興味を失っていき、また元通りのざわめきがその場に舞い戻った。

 

 

俺達3人の静寂を打ち破ったのは、やはり火澄だった。急にずぞぞ、と椅子ごと体を伏したままの手纏ちゃんへと寄せて、耳元でごにょごにょと彼女を慰め始めた。俺はというと、突然動き出した火澄に驚き、反射的に身体がビクついていた。だが、そのおかげで俺の金縛りも解けたみたいだ。

 

 

手纏ちゃんのぐずり泣きをBGMに、火澄は彼女とひとしきり会話を続けた後、おもむろに俺を見やると、やや後ろめたそうに、一言口にした。

 

「あーあ。景朗が深咲を泣かせちゃった」

 

 

「……はあっ!?なんだその責任転嫁はッ。俺は公衆の面前で散々罵倒された挙句、事後の責任まで負わされなきゃならないのか?!」

 

俺の反論などまるで意に介さず、火澄は再びこそこそと手纏ちゃんと内緒話を始めやがった。おまけに、俺が言い返した後すぐに、手纏ちゃんのぐずり泣きのボリュームが微妙に上がっている始末。

 

口を尖らせた火澄が再度俺へと向き直り、キッと顔をしかめて更なる文句を継ぐ。

 

「景朗。今ならアンタが私たちに隠してる秘密を正直に打ち明ければ、特別に深咲が許してあげるって言ってるわよ!」

 

 

そう来ますか。どのような状況に陥ろうとも全力で自分の都合のいいように持って行きやがって、この女、悪魔か。お前だって手纏ちゃんの勢いに固まってたじゃないか!今さっきのは彼女にとっても絶対に想定外だったはず。なんという切り返し……。こうなれば……。

 

俺は降参しましたよ、と言わんばかりの大げさな溜め息をつき、火澄の意識をこちらへと向けさせた。時を同じく、突っ伏した手纏ちゃんの曇った泣き声が、ほんの一瞬だけ、停止していたのも確認する。あ、手纏ちゃんこれ間違いなく聞き耳立ててやがる。チッ、やはり罠か。最初の方は手纏ちゃんもガチで泣きそうだったしな。途中から持ち直したんだろう。

 

 

 

「……分かりましたよ。腹をくくりましょう、私も。だが、その前にひとつ!聞かせて欲しい」

 

俺の要求に、火澄はもどかしそうに、早く言いなさいよ、とでも言いたげな視線を送って来る。

 

「手纏ちゃん、さっきの罵倒、ご自分で考案されたんでしょうか?誰か別の人が考えたのか、それとも手纏ちゃんが自分で考えたのかで、俺はもう先程の手纏ちゃんの啖呵を何故咄嗟に録音できなかったのか一生悔やみ続けるかどうかの瀬戸際にオワアッ!!!」

 

俺が全てを言い終える前だった。ボッ!という軽い破裂音とともに、俺が注文したまま手付かずにプレートの上に乗っかっていた、やたら長い名前のスコーンから煙が立ち上がっていた。蒼い焔。火澄の能力だ。

 

「わ、わ、水。水ッ」

 

みるみる蒼い焔は燃え上がり、スコーンを真っ黒に染めていく。夢中になってあたふたと水差しの水をスコーンにぶっかけたものの、全く効果が無い。だ、駄目だ。もうスコーンは手遅れだ。もったいなあ、これを食せば、この店のスコーンは全種類制覇していたのに。

 

「さいッてーだわ。デリカシー無さ過ぎ」

 

呆れを通り越して殺意すら身に纏いつつある火澄さんから、軽蔑を受けた。いつの間にか起き上がっていた手纏ちゃんとも目が合う。彼女はぷくりと頬を膨らませ心なしかお怒りモード、可愛い。

 

「あー、その、な。手纏ちゃん」

 

手纏ちゃんは黙したまま、じとーっとした目つきでこちらを見つめていた。目元と鼻頭がピンクに染まっている。

 

「正直、良かったよ。さっきの。最高にゾクゾクした」

 

今度はコーヒーだった。俺のエスプレッソがその小さなカップの中で突如、水蒸気爆発を生じさせた。飛来した熱いコーヒーの飛沫が俺の顔面を襲う。火澄の能力だ。

 

「熱ッ!がああッ!」

 

なんせ沸騰寸前の温度だ。熱さと痛みを同時に感じる。火澄はもはや無表情だった。

 

「あら?どうしてそんなに熱がるの?景朗だったらなんともないでしょ?」

 

まままマズい。調子に乗りすぎた。もうこれ以上は怒らせてはいけない。手纏ちゃんも怯えている。

 

 

「すみませんでした。調子乗ってました。もうここからは巫山戯ません」

 

「むぅ……ごめん。すこしだけやりすぎたかも」

 

すこしだけ……?一般人ならそこそこ問題になる気が……。皆押し黙り、寸秒間が空いた。空気を読む。2人して言いたいことを我慢し、必死に口を噤もうと努力している風に見える。どうやら2人はこれ以上俺の冗談に付き合ってはくれなさそうだぞ。年貢の収め時がいよいよ迫りつつある……。

 

「わかった。話すよ。ただ、その前にお昼ご飯を……」

 

尚も諦め悪く、ここに来てまだ別の提案を挙げる俺に対して、火澄は睨み、手纏ちゃんは頬をふくらませた。

 

「待って待って!聞いてくれ!そろそろお昼も頃合だし、お腹が減ってると皆いつも以上にイライラするだろ?絶対に逃げないと約束するし、その場で食べながら話をするから!」

 

 

しぶしぶといった様子で2人は納得してくれた。やった!狙い通りにいったぞ!まだだ、まだこれからが重要だ。抜かるなよ、雨月景朗……!

 

「それじゃ、さっさとここで済ませましょ?」

 

そうは行くか。ここでは都合が悪いんだよ。

 

「いやいやいや、ちょっと待ってくれ!実は、今日2人を誘おうと目星をつけていたところがあってさ。折角だから、そこにしない?同じ第七学区、ここから近いお店だから安心してくれ。もちろん俺の奢りだから!」

 

 

火澄と手纏ちゃんは互いに目配せし合うと。

 

「私は構いませんよ、火澄ちゃん」

 

「はぁ。わかった、それでいいわよ。で、何処なの、そこ?」

 

素晴らしい。良かった、2人共承諾してくれて。

 

「ああ、それじゃ行こう!いざ、旭日中学!」

 

俺の告げた行き先を聞いて、彼女達は不思議そうに疑問符を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日は、雨月景朗にとっては厄日だったに違いない。日が出ている間は友人たちに責められ、追求され、彼は半日、そのほとんどを彼女達への必死の弁明に費やす羽目になった。しかし、悲しいことにそれだけでは終わらなかった。その日の夜更け。今現在、彼は件のプラチナバーグの部隊へと移籍した"オペレーターさん"に緊急の呼び出しを受け、押っ取り刀で深夜の第一学区へと馳せ参じていた。

 

昼間にあれほど騒動に巻き込まれた彼には、この急な出動は相当なストレスとなったに違いない。しかし、拒否権を持たぬ身である雨月景朗には、どうすることもできなかった。大人しく、これから属することになるであろう部隊の"初指令"を受け、うなだれる同僚、丹生多気美を連れてプラチナバーグの戦闘部隊との合流を目指していた。

 

 

彼らが現在位置する第一学区は、学園都市圏の中央に位置し、学園都市の行政機関が集中する学区である。基本的に学生達が住みやすいようには設計されておらず、学園都市に住む大多数の人々にとっては生活感しづらい所でもあった。その特徴は顕著に見られ、すぐ隣の第七学区では通行人の大多数を中高生が占めているのにもかかわらず、ここ第一学では彼らの姿を目にする機会は非常に稀である。特筆して、この深夜の時間帯には。

 

学生が多く住まう学区では、一般的に一端覧祭の開催期間中は夜間に外出する学生の数が平時の数倍に跳ね上がる。昼間の勢いに乗ってハメを外し深夜まではしゃぎ続ける学生や、通常時のカリキュラムでは起こりえない、異なる学校の生徒との交流によって乱造された急増カップルが無差別にあちらこちらに出没し、そして彼らが不良無能力者集団(スキルアウト)を呼び寄せ、各々が警備員(アンチスキル)と諍いを撒き散らす。

 

しかし、ここ第一学区はやはり一般の学区とは比べられる訳もなく、当然のように例外であった。隣接する第七学区で頻発するような騒がしい事態は全く見受けられない。さりとて、これが通常の第一学区の夜の姿かと言えば、それも違うと言わざるを得ない。

 

先述の通り第一学区は学園都市の行政を一手に請け負う、政庁の役割を担う学区である。つまりは、学園都市の意思決定機関の頂であるところの、学園都市統括理事会の膝元となる。それ故に、他の学区とは一線を画した厳重な警備が敷かれているはずなのだが。打って変わって、一端覧祭の開催期間真っ只中である現状では、常日頃巡回している警備員(アンチスキル)の数も、他の学区の騒動の解決に追われているせいか大幅に減少していた。

 

 

 

 

「よく二十三学区と比べられてるけど、やっぱ雰囲気違うな、第一学区は。いや、それだけじゃないな―――」

 

今の暗部業界の動向がはっきりとわかる、と続けるつもりだったが、最後までは口にしなかった。夜の第一学区は奇妙なほど静かだった。俺の第六感が今なお現在進行形でこの学区の何処かで行われているであろう、凄惨な暗闘の残香を嗅ぎつけているのだろうか。俺はピリピリとした、ざわついて落ち着かなくなる空気を肌で感じ取っていた。

 

俺と丹生は、迎えに来てくれたプラチナバーグの部隊の車から降りて、目的地である、今回の任務の拠点となる大型のトレーラーへと向かった。

 

後ろを付いてくる丹生を振り向き覗き見れば、彼女は不安そうな顔を隠しもせず、心配そうに俺を見つめ返してくる。彼女が僅かにでも安心できればと思って、不敵にニヤリと笑いかけた。それを見た丹生は少しだけ呆気を含み、ふぅ、と息をついて気を張り直した。

 

 

トレーラーの中へ入ると、これから世話になるであろうスタッフとの挨拶も碌にできぬままに、ヘッドセットと端末を渡される。すぐさま、ヘッドセットからは聞き覚えのある、オペレーターさんの声が響いてきた。

 

『申し訳ないわね。急に呼び出して』

 

意外にも、その台詞からはこちらに対する申し訳なさを感じ取れた。"上"からの命令だし、気にしてくれなくていいんだけどな。

 

「かまわない。余計なことは省いて、大事なことだけちゃっちゃと教えてくれ。こんな急に俺を呼び出したってことは、それだけの事態が起きてるってことなんだろ?」

 

『理解が早くて助かるわ。今回、そこで貴方達にやって貰いたいのは、一言でいえば、"プライム"と彼のゲストを狙って来る暗殺者の排除よ』

 

 

 

オペレーターさんの説明によると、今、俺たちが乗車するトレーラーの近くのホテルでは、"プライム"ことプラチナバーグ氏が学園都市外来のゲストとコンタクトを取っているらしい。詳しいことはまだ聞けてはいないが簡単に説明すると、情報部の調査から、この機を狙ったプラチナバーグ氏暗殺の依頼が数件、暗部の殺し屋どもに受注されていたことが発覚したらしい。恐らくは敵対している統括理事会のメンバーが放った暗殺者だろうと言っていた。

 

プラチナバーグを死守するのは当然のことだが、更に問題となるのが、もし彼が今交渉を行っている外部の来客にまで危害が及んでしまった場合だ。プラチナバーグ氏の面子に傷がつき、危うい立場に立たされる上に、彼にとって有力な外部とのコネクションも失ってしまう事態に陥りかねない。

 

 

今、現場となるホテルではプラチナバーグ直轄の戦闘部隊"ポリシー"が護衛対象に密着して警護しているとのこと。もちろん周辺にも手広く人員を配置して敵襲に備えているらしいが、如何せん、今回の任務では、プラチナバーグ氏の交渉相手や彼らと関わりのある来賓がいるために、カバーすべき対象が通常より広くなっているのだろう。そのため、警備網が手薄になっていたり、戦闘員が不足しているのでは、と俺はそういう風にこの状況を推察していた。

 

急遽俺たちが呼ばれたのは、恐らくは不測の事態に対するバックアップのためだろう。最近は、どこの統括理事会メンバーの私兵部隊も度重なった内輪もめによる戦闘で人員不足、人材不足に陥っている、という"人材派遣"の情報はどうやら正しかったみたいだな。慌ただしく任務に走る構成員の姿を目にして、より一層そのことに確信を持ちつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

状況が動いたのは、というより敵の強襲が始まったのは、俺と丹生が同士討ち(フレンドリーファイア)を避けるための簡易なレクチャーを受け終わった直後のことだった。

 

あちこちから続々と、交戦を知らせる通信が入ってきた。丹生は色めき立ち、がたりと立ち上がったが、俺は彼女に落ち着け、と言わんばかりに姿勢を楽にし、だらけた格好で座りなおした。俺たちは一番の新参者である。事態を混乱させないため、余計に引っ掻き回さないために、基本的にはオペレーターさんの指示に従うことになっている。

 

今はただ、オペレーターさんの命令を待っていればいい。ただ、今の交戦状況を知らせる通信だけは聞き逃さないように集中しつつね。

 

襲撃してきた相手もやはり単なる素人集団ではなかった。断片的な通信を又聞きしていただけだが、なかなかにこちらの部隊は翻弄されていた。

 

 

 

突如、プラチナバーグ氏が会談を行っていたホテルと、周辺のホテルの電源が落ちた。すぐさま連絡を密に確認を行えば、どうやらホテルで歩哨に当たっていた隊員数名からの連絡が途絶えていたようだった。

 

照明の消失とほぼ間が開かずに、今度はホテル周辺の建物をカバーしていた部隊が強襲を受けていく。そして、それから僅かして。とうとうプラチナバーグ氏とゲスト数名を狙った敵の突入部隊が、護衛にあたっていた部隊"ポリシー"と交戦に入ったと報告が届いた。

 

 

 

敵襲を受けた部隊は各地で応戦している。能力者で編成された部隊"ポリシー"は流石であり、優勢に敵部隊を押しているようだった。だが。その"ポリシー"から、突如の悲鳴。

 

 

『新手のスナイパー!"ポリシー3"、被弾!』

 

敵の伏兵の登場。それにより、プラチナバーグ氏とゲスト達、そして護衛部隊は動くに動けず、会談していた会場に釘付けとなった。

 

 

『ッ"スキーム"に伝令!急いで!"プライム"を攻撃しているスナイパーの排除に協力して!』

 

思っていたより早く、俺達に命令が下った。"スキーム"とは、新たに俺と丹生の部隊に与えられたチーム名だ。俺が"スキーム1"、丹生が"スキーム2"である。オペレーターさんから言われた通り、トレーラーから出て、側に控えていた隊員の案内で近くの建物の屋上へと移動した。

 

味方は"プライム"等を攻撃している敵の位置を未だ把握できずにいた。幸いなことに、まだ護衛対象に被害は出ていないが、早く対処しなければ危うい状況らしい。

 

赤外線暗視装置、指向性心拍センサーといった、様々な最新装備を駆使して、味方の隊員達は必死に敵スナイパーの姿を索敵していた。

 

「心拍センサーに反応無し。少なくとも敵は距離200m以上からの狙撃を行っています!」

 

敵の姿を苛立たしげに探していた、そのうちの1人が声を張り上げた。今わかっているのは、現場の"ポリシー"から得られた射角の情報や、周辺に展開している味方部隊の位置情報から、どうやら会場のあるホテルの北西方向に敵が潜伏している、ということだけだった。数は恐らく1人。スナイパーがたったひとりで行動するのは稀なので、数人側に控えているだろうけれども。

 

襲撃して来た敵の規模が想定より多かったらしく、数分後に"プライム"たちを収容するための装甲車チームが来る、と通信が入った。

 

しかし、今の状況では、"プライム"たちの速やかな撤退は難しい。ホテルを取り囲む周辺の建物では今なお歩哨部隊があちこちで敵と銃撃戦を繰り広げている。肝心の護衛部隊"ポリシー"は敵の突入部隊と見えない位置から一方的に攻撃するスナイパーに阻まれ、会場で抵抗しつづけている。

 

確かに、指令が下った通りに、潜伏するスナイパーを殺れれば状況が好転しそうだ。しかし、これほど必死に索敵しているのに、今以て位置が分からないとは。

 

そもそも、学園都市製の強化ガラスや壁材を貫く狙撃なんてどうにもピンと来ないぜ。……いや、そうか。常識で考えてはいけないのか。ここは学園都市、超能力者の街だ。敵部隊に物体の強度を低下させる奴がいるのかもしれないし、スナイパーの方で何らかの能力を行使している可能性もある。

 

 

埒が明かない。いっそ"プライム"の護衛の援護に向かえれば。……いや、その命令が来ない以上、スナイパーさえいなくなれば、"ポリシー"が敵部隊を排除出来るのだろう。敵に増援がいるかもしれないし、装甲車が来る事を思えば、やっぱり敵スナイパーの排除が優先か。随分と腕がいい、敵のスナイパーも。

 

 

俺の横にいる丹生は必死に光学センサーを使い、敵の姿を追っている。そうこうしているうちに、対テロ用に特化された監視用飛行ドロイドが撃ち落とされた。

 

 

俺は何時でも動けるように、唐突に"人狼化"を行なった。それを初めて見る、周りの隊員達にどよめきが生まれたのを全くもって気にかけずに。

 

 

 

 

 

性能が段違いに上昇した、人狼の瞳で周囲をくまなく見渡した。伏兵が居るとされている北西方向を集中して眺めていたその時、ある箇所に微かにだが違和感を感じた。

 

「丹生、アノ場所、アノビルノ左上ダ。アソコ、周リト比ベテ暗スギナイ(・・・・・)カ?」

 

俺の言葉の意味を、丹生は捉えきれないようであった。

 

「え?……景朗、どういうこと?あそこ?……暗くてよく見えない、けど?」

 

違うんだ、丹生。暗さにも程度があるだろ?完全な暗所なんて滅多になく、薄暗くモノが見えることが普通で……。

 

丹生は俺が指した場所へ暗視装置を向けながら唸っていたが、やはり疑問を残したままだった。そう、か。もし、俺の目は普通の人間なんかより、特別上等に色彩を判別できるとしたら。他人と違和感を感じるのも当然となる。

 

俺は今一度眼球へと意識を集中し、気になっている箇所を凝視した。時を等しく、ほんの僅かずつではあるが、それにより視覚能力が上昇していくのを実感していた。より薄暗い色、黒色の判別能力を高めようと試みる。

 

そして、答えが出た。俺が違和感を感じていた箇所を見つめているうちに、はっきりと、そのビルの一角が、まるで絵の具の黒色から光沢だけを取り去ったように、完全なる黒色を呈していると判別できたのだ。

 

月は雲で陰っているが、いくら朧げであるこの月明かりでも、あそこまで暗黒に変性させるものだろうか。俺は有り得ない光景だと思えてならなかった。

 

「オペレーター、出動スル許可ヲクレ。敵スナイパーノ潜伏場所ヲ見ツケタカモシレナイ。確証ハナイ、俺ノ勘ナンダガ」

 

『!?確証が無いとはどういうこと?……ダメよ、それじゃ許可できない。その場所を教えて。近くに展開している部隊に確かめさせる』

 

もし、本当にあの場所に敵がいたら。相手はまず能力者だ。出向いた部隊が返り討ちにあって、敵が潜伏場所を変えてしまうかもしれない。

 

「オペレーター、頼ム。俺タチニヤラセテクレ」

 

『……確証は無いといったけれど、自信はあるみたいね?』

 

「頼ム」

 

オペレーターさんの判断は思いのほか早かった。すぐに、上に許可を要請する、と返した。それほど時間が掛からぬうちに、また彼女から返事が来る。

 

『スキーム1、スキーム2。上からの許可がでた。頼むわ』

 

オペレーターの返信を聞くやいなや、俺は丹生の腕を掴み、何時ぞやのように彼女を背中に背負って、彼女に水銀のロープを俺の体へぐるぐる巻き付けるように言った。急ぐぞ、丹生。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

接敵を警戒していたが、都合よく誰とも遭遇せずに、目的のビルへと一直線に辿りついた。その間、丹生は俺の出す猛スピードに怖がり必死に背中にしがみついていたんだが、その時に背中に当たっていた柔らかな感触には、幸せな気分にさせられたよ。任務中に不謹慎だったけど。

 

敵スナイパーが潜伏していると思われるビルは、やはり電源が落ちてしまっていた。大きな音を立てないように、ガラス張りのドアを力を込めて無理やりこじ開け、ビルの上層、角部屋を含む一角を目指した。

 

丹生に、絶対に俺の背中から出ないように言付け、なるべく足音を立てないように進み続ける。建物内は静かで、一見すると誰も潜んでいるようには見えなかった。

 

エレベーターを見つけたが、停止していた。時間が無いってのに。それからは階段を探して、窓が一面に並んだ廊下を小走りに進む。その時。

 

 

最大限に警戒させていた俺の耳に、微かな人間の息遣いが聞こえた気がした。背後の丹生にフラッシュライトを準備するようにハンドサインを送った。その直後だった。

 

 

外からは、微かな月明かりが溢れ出てくるのみで、もともと室内は真っ暗ではあったのだが。突如いきなり、闇よりもよりいっそうに濃い、完全なる暗黒が廊下一帯を包んだ。

 

それと同時に、トスッ、という鈍い音がして、俺の左胸に何かが突き刺さった。冷たい。金属だ。……ナイフ?

 

考える前に、体が動いていた。丹生を庇うように振り返り、すぐそばの窓のあった所を思いっきり殴った。盛大に音を立てて硝子が砕け散る。俺の目には、不思議な光景が映る。月明かりで微量だが、外には確かに光がある。そのはずなのに。目に映る室内は、すべて。そう、全ての壁面に墨汁をぶちまけたかのように、漆黒に染まっていた。

 

機敏に丹生を抱え上げ、窓の外へ放って、ビルの壁伝いに目指していた部屋へと向かえと叫んだ。また、敵を見つけても決して手を出さずに、もし逃走したら距離をとって追跡するようにとも言うと、水銀を上手く使って壁にぶら下がっていた丹生は勢いよく頷き、焦りながらもするすると壁を登っていった。

 

 

丹生が取りこぼしたフラッシュライトがころころと床を転がっていた。だが、しかし。部屋にはライトが放っているはずの光の痕跡は全く存在しなかった。転がるライトのLEDがこちら側を向いた時のみ、俺の視界に光が入ってくる。その光景は、まるで……まるで、ブラックライトシアターを見ているようだった。もしくは、星空か。

 

暗黒の真っ只中で、目にできるのは。目に映るのは、その真っ暗な部屋で異様に光を放つ光源のキラメキのみ。どれだけ光源が光っていようとも、周りの物体は不自然に真っ暗なのだ。

 

敵を警戒しつつ、床に転がるフラッシュライトを拾った。ライトは問題なく点灯しているのに。目の前を照らそうとしたが、期待した光の柱は物理法則を捻じ曲げられた風に、その存在を消失させていた。

 

右手に持ったライトをあちこちへ向けてみる。だが、なんということだ。そのライトは何ものも照らし出してはくれず、ライトとしての役割を果たしてくれなかった。俺の目に映るのは、暗闇とライトの先っぽに存在する、LEDの光球だけだ。

 

 

嗅覚と聴覚を最大限に励起させ、敵の攻撃に備える。今度は、バス、という軽い音とともに、俺の首に何か細長い棒状のものが突き刺さった。ボウガン、だろうか。俺の脳裏に焦りが生まれたその時だった。

 

 

「オメェ、もしかして"人狼症候(ライカンスロウピィ)"か……?"」

 

その発声が生じたのと一緒に、再び不思議な現象が起きる。突如、俺の体毛が薄らと淡く、白く発光しだしたのだ。先ほどブラックライトシアターと例えたが、これはほとんどそのまま、ブラックライトの蛍光反応と言っていい。俺の体は暗黒の中で、薄らと白く蛍光し、恐らくは目の前の敵にだけ、その姿を現しているのだろう。マズい事態……なんだけど。

 

その現象と一緒に、俺の鼻には数メートル先に立つ男の口臭が届いていた。……あれ?位置がわかっちゃった。……何してんだ?コイツ……。それでも、俺は油断なく、前方に位置する男へと対峙した。

 

 

「ようこそ、俺様の"ブラックライトシアター"へ!おーおー、そのシルエット、まんま狼男じゃん。うはっ、本物の"人狼"たぁ、ラッキーだぜ!こりゃあ大物だぁ!」

 

彼の歓喜溢れる戯言が耳に入った途端だった。コンッ、と何かが床を転がる音を耳にした。反射的にその方向へと視線が向いていた。そして。

 

 

 

強烈な閃光。そして轟音。

 

 

 

敵が放ったのは、閃光手榴弾(スタングレネード)だった。まんまと室内で使われてたせいで、閃光に目が眩み、耳鳴りとともに耳がよく聞こえなくなってしまった。視覚と聴覚、どちらも上限まで鋭敏に励起させてしまっていた弊害だ。だが、だが、しかし。嗅覚はまだ残っている。

 

 

「これで俺様の名が一気に上がるってなもんだぜぇ!」

 

 

何やら敵が喋ってたようだがはっきりとは聞こえなかった。気がつけば首に裂傷を受け、血が噴出する。恐らく、目の前の男は俺の頚動脈を狙ってナイフを振るったのだろう。でも、そんなんで俺は倒せないんだよ。

 

 

勘弁してくれよ。何せ、姿も見えないし音もよくわからないんだ。だから、手加減できそうもない。俺はそう心の中で念じながら、匂いをたどり、俺の背後に回っていた男へと噛み付いた。

 

「があああああああああああああああああああああああッ!」

 

俺に噛み付かれた男は悲痛な叫びを上げて、じたばたと力の限りにもがく。そして同時に、廊下全体を包んでいた暗黒がピタリと消え去った。可哀想だったが、俺は男を咥えたまま、さらに噛む力を強くしていった。やがて、べきべきと骨が砕ける振動が、男を噛み締める歯から俺の脳みそへと伝わった。当然、男は失神して動かなくなっている。

 

俺は血に塗れる男の手と足に手錠を施し、急いで丹生とオペレーターさんへと通信を入れた。

 

「丹生、サッキノ犯人ハ倒シタ。今ドコダ?スグソッチヘ行ク!」

 

『よかった景朗!無事なの?!』

 

丹生の声はか細く、小さなものだった。恐らく、既に敵の近くに忍び寄っているのだろう。

 

「当然ダロ。今スグソコヘ向カウカラ、敵ヲ見ツケテモ俺ガ着クマデ仕掛ケルナヨッ!」

 

『わかってる。早く来て……くッ!敵が動いた!逃げだしてる!』

 

 

チィ!俺が"光学操作"野郎をぶっ倒したのがバレたんだろう。ライトを拾い直し、階段を怒涛の勢いで駆け上がる。目的の場所に着くまでの、そのあいだにオペレーターさんに連絡を入れた。

 

「オペレーター!スキーム2カラ連絡ガアッタダロウガ、敵スナイパー部隊ノウチ1人ヲ今シガタヤッタトコロダ!」

 

『スキーム2から連絡は受けていたわ!お手柄よ、"ウルフマン"!既に敵スナイパーの攻撃は止んでいる!そのまま逃走したスナイパーを捕縛、もしくは仕留めて!"プライム"の収容は上手く行きそうだから!』

 

「スキーム1、了解!」

 

何だかオペレーターさん、興奮しているなぁ。俺のこと思わず"ウルフマン"って呼んでいたし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結末から言えば、その後、逃げ出したスナイパーは屋上へと向かっているようだと丹生から連絡を受けた俺は、屋上に先回りし、難なくそのスナイパーを捕獲することに成功していた。

 

気がかりだった"プライム"と彼のゲストたちの収容も、ほどなくして無事に成功した。"ポリシー"を襲った敵部隊の能力者たちもなかなかに強敵だったらしく、撤収開始間際に伝え聞いた話だと無事に帰還できたのは1人だけだったという。

 

その敵部隊の中に物質の強度を極端に低下させる能力をもった能力者がいたらしく、防弾アーマー、スーツが役に立たぬばかりか、窓の外や壁の外からの狙撃にもさらされ、おまけに彼らは"プライム"やそのゲストたちの肉の盾とならねばならなかった。過酷な状況だったろう。生き残りは1人、か。もっと早くに俺達がスナイパーに対処できていれば、被害を抑えられたかもしれない。

 

 

 

 

 

トレーラーの中で事後処理を行っている間に、色々な情報を手にしていた。想像以上に、このプラチナバーグの私兵団は疲弊していた。資料に目を通せば、この部隊は連戦に次ぐ連戦を受け、戦闘部隊は次々とメンバーが欠け落ち、ツギハギだらけのままなんとか今まで体裁を保ってきていた。

 

そりゃあ、予想していたより装備はハイテクなものだったし、部隊には潤沢に資金が注ぎ込まれているようではあったが。それでも、人材の方は。人材の方は悲惨な有様だった。なぜ、これほどまでプラチナバーグの部隊は襲われる?そして襲ってくる敵の質が異様なほど高いのは何故だ?木端な暗部組織、雇われの殺し屋や傭兵風情に、何故統括理事会のメンバーの1人であるトマス=プラチナバーグの懐刀がいいようにしてやられているのだ。

 

オペレーターさんは、プラチナバーグが俺を欲していると言っていたが、そりゃそうさ。この状況なら純粋に戦闘に使う駒として俺を必要とするはずだろう。

 

 

 

続々と上がってくる他の資料にも目を通した。その中に、先程俺達を襲った敵の詳細な情報が、もうリサーチされ報告されていたのを発見する。この辺は流石、大所帯と言うべきだな。

 

 

俺が捕まえたスナイパーは、巳之口辰哉(みのくちたつや)という異能力者(レベル2)の殺し屋だった。彼は"絶対温感(サーマルビジョン)"という、人間が感知できる可視光の範疇を超えた、紫外線、赤外線を認識する、千里眼のような能力を用いて標的を狙撃するそこそこ有名な奴だった。彼はその能力を使って、スナイパーが不得手とする夜間の暗殺を得意としていた。"ポリシー"や"プライム"を襲った時も、彼には誰がどこにいるのか丸見えだったに違いない。

 

俺が噛み付いたアホ、巳之口の観測手(スポッター)を勤めていた男は、紫万元明(しまもとあき)という最近暗部に入った新人で、異能力(レベル2)の光学操作能力者だったという話だ。自身の能力を"暗黒光源(ブラックライト)"と自称しており、それは周囲の物体の光の屈折率や反射率、吸収率をコントロールできるものだった。

 

 

今俺がつらつらと述べたように、襲ってきた敵を仕留めれば、それが誰だったのか判明し、依頼した組織や個人を特定しやすくなる。また、仕留めるのではなく、俺がやったように生け捕りにして確保すれば、のちのち拷問や薬品を使うなんなりして、さらに詳しい情報を敵から引き出すことができるのだ、とオペレーターさんに今回の俺たちの活躍については好評価を得られたのだが。

 

トレーラーにて、撤収作業を待つ間、そんな風に、新しい部隊での初任務から上手く貢献できた喜びに浸っていた俺達の気分を吹き飛ばす、深刻な報告が突如、情報部へと届く。その結果は、すぐに俺達にも伝えられた。

 

 

 

『……"ウルフマン"。心して聞いて。たった今、報告があったわ。……私たちの組織の主力精鋭部隊"レジーム"が、先程、約15分前に壊滅しました。生存者、ゼロ。彼らが防衛にあたっていた重要施設も破壊されてしまった』

 

さっきまで、なにやら俺たちの活躍を自分のことのように喜んで(いてくれていたようにみえた)いたオペレーターさんが、突然、意気消沈して、張り詰めた空気を纏いつつ、俺たちに"レジーム"とやらの壊滅の報を伝え始めた。

 

 

「あ、ああ。それは聞いた感じヤバそうな話だな。……どうしたんだ?オペレーターさん。そんなの何時もの話じゃないのか?落ち込み過ぎだぜ……?」

 

 

オペレーターさんの声から色がなくなっていた。その声色が、俺たちの不安をよりいっそう煽る。

 

 

『状況から、襲撃者に被害はゼロ。一方的に"レジーム"が嬲り殺しにされていた』

 

 

"レジーム"。プラチナバーグの懐刀たち。レジーム(権力)を名前に冠した部隊だ。特別な部隊で、プラチナバーグが選別した生え抜きが揃えられていた。大能力者2人に強能力者2人。

 

能力強度(レベル)が戦闘力の全てだとは言えないが、少なくとも目安にはなる。戦闘では強能力以上はおいそれと侮るべきではない。……襲撃者は、この"レジーム"を一蹴したのか。

 

 

『……"レジーム"を襲撃した敵の正体は、恐らく。"ジャンク(壊し屋)"の名で知られる、統括理事会の親船最中の息が掛かった精鋭部隊、よ』

 

 

"ジャンク"……?その名前、さっき漁っていた資料で目にしたぞ。夢中で資料を改め、その部隊の資料を見つけ出した。

 

オペレーターさんの言う通りに、親船最中と関わりが深い部隊のようだった。親船最中。彼女も統括理事会メンバーの1人。

 

そこまで来て、ピンときた。先程の疑問だ。なぜ、トマス=プラチナバーグという、統括理事会の一員ともあろうものが、これほどまでに窮しているのかを。

 

"人材派遣"は言っていたじゃないか。統括理事会の内輪揉めによる、殺し合いが各地で勃発していると。

 

トマス=プラチナバーグは統括理事会のメンバーの中で恐らく最も若い。つまりは、最も新鋭であるから当然、最も影響力や権力、そして勢力が小さいのだ。

 

弱肉強食。戦いとなれば、弱いものから潰され、消えていく。最悪だ。ここは。ここの、この部隊の、プラチナバーグの部下であるということは。

 

 

『"レジーム"は消滅し、"ポリシー"も残すは1人だけ。プラチナバーグ本人の護衛にその他の主力は回さねばならない。そこで、"上"は。この敵部隊"ジャンク"の対応に、貴方たち"スキーム"を指名したわ。生き残りの"ポリシー"最後の1人を加えて、ね』

 

 

マジで最悪だよ。他所の、統括理事会メンバーからの、刺客。しかも、名うての精鋭部隊が相手か。

 

 

『現状、どんなに急いでも、貴方たち"スキーム"以上の質を有すチームを用意できそうもない。"上"の判断は……妥当よ……』

 

 

左手をギュッと握り締められる。隣に座っていた丹生が、俯いたままいつの間にか俺の左手に手を伸ばし、不安そうに握りしめていた。

 

 

資料には、要注意人物として、2人の名前が上がっていた。

 

 

煎重煉瓦(いりえれんが)。能力名、螺旋破壊(スクリューバイト)、大能力者(レベル4)

鳴瀧供離(なるたきともり)。能力名、共鳴破壊(オーバーレゾナンス)、大能力者(レベル4)

 

 

彼らは、裏の世界じゃ、実力者であり、"壊し屋"として有名なのだそうだ。先のことはわからないが、どうやら、明日か、すわ明後日か、もしくは明明後日か。少なくとも死闘が俺達を待ち受けていることだけは確かなようだった。

 

 

 




推敲が足りないので、後でちょっと変わるかもしれないです。ふぃー。


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episode13:収束光線(プラズマエッジ)

2013/12/22:追記しました。

すみませんorz
ほんっと有言実行できてませんねorz
また近日中にEpisode13も追記します。

もう何も宣言しないほうがいいんじゃないかって思われてますかねorz


 

 

土曜日の朝。それは学生にとっては思いっきり惰眠を貪ることが許される貴重なひと時。昨日は昼も夜も散々な目に会い、それどころかそれ以上の更なる悲運が待ち受けているであろう雨月景朗であったが、それでも彼は今この時、幸せそうに眠っていた。図らずも、一端覧祭によってムダに高められたテンションに体力を奪われた一般の学生たちと同様に、彼は当然の如く心地よい眠りの中にずっぽりと浸っていたのだった。そのはずだった。

 

 

 

突如、それまでの和やかな表情が一変し、布団の中で僅かに身じろぎをした雨月景朗は、無理矢理に眠りから意識を覚醒させられた。彼はどこか、自分の部屋すぐ近くでインターホンが鳴っているのに気づいてしまったのだ。どうやら常人より遥かに上等なシロモノとなっているらしい彼の自慢の両耳が、彼の住む部屋のすぐ近く、恐らく隣室への来訪者の存在を聞きつけてしまったのだろう。

 

唐突な玄関のチャイムを鋭敏に掴み取り、彼の幸せな眠りは無残にも妨げられる。その卓越した聴覚は、昨日の夜半は大活躍だったはずなのだが。雨月景朗はその感度の良すぎる聴覚を忌々しそうに呪うと、静かに寝返りをうった。微睡みの中で再び、ウトウトとしだしたその時。

 

彼は屋外で発せられた、どこか聞いた事があるような気がする少女の声を聞き取った。年若い少女の、聴いているだけで癒されるソプラノ。けッ、朝っぱらからカノジョとイチャついてんなよ糞がッ。雨月景朗は今度は、このやたら愛らしい声を発する少女を出迎えるであろう、隣室の憎いあんちくしょうを呪いつつ、いち早く二度寝に臨もうと試みる。

 

 

だが、隣室の住人はなかなか来訪してきた少女を出迎えてくれない。断続するチャイムの音と、まるで手纏ちゃんの声のような清らかで癒される少女の呼び声が五月蝿くて、このままでは彼は寝付けそうになかった。

 

 

とうとう彼は覚悟を決めて、枕元に常備していた耳栓の行方を手探りに探し始めた。しかし、耳栓を見つけ出すその前に。耳栓どころか、今度は枕元の彼のケータイが盛大に鳴り響く。

 

 

 

 

「…………だああッ。畜生!」

 

 

彼の眠気は、完全に吹き飛んでいた。二度寝を諦め、景朗はケータイを手にとった。その時、ふと耳に違和感を覚えたようである。

 

「……あれ?耳栓もう着けてんじゃん」

 

耳栓が見つからないはずだった。彼は昨晩、耳栓を着用してから寝ていたのだ。彼は耳栓を外しつつ、ケータイのディスプレイを眺め、驚く。着信、手纏ちゃん。

 

 

 

 

偶然か?外からも手纏ちゃんによく似た声が聞こえて来てるし

 

 

 

 

 

 

 

……っておああああ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「景朗さーん……ぅぅ。やっぱりいらっしゃらないんでしょうか……お部屋、間違ってませんよね……」

 

チャイムが鳴り響いていた。俺の家に。そして玄関からは手纏ちゃんの悲しそうな声が。

 

 

 

 

 

 

 

 

ああああああああああああああああああ、やっべぇぇぇ!そういえば、今日、昼に手纏ちゃんが俺ん家に来るんだった!!!どうして忘れてたよッ!!!うああ、そうか昨日の夜あんなことがあって完ッ全ッに忘却の彼方へ!

 

 

なんで気づかないんだよッ!耳栓して無かったら気づいたかッ!?…………いや、よくよく考えれば、そもそもここに引っ越してからうちのチャイムが鳴ったのって…………あれ、これが初めてか。わかるわけねぇかッ。

 

時計を見る。13時35分だった。もう朝じゃねぇ!

 

 

 

「はいはいはい!ごめん手纏ちゃん!いますよー!すぐ開けますよー!」

 

慌てて大声を張り上げ手纏ちゃんを出迎えようとしたが、寸前で思いとどまる。テーブルや床には昨日の夜あれから更に遅く、朝方まで悩み続けていた暗部の資料が散乱していた。これだけは片付けないとヤバい。

 

着替えつつ、前日、手纏ちゃんと結んだ約束を反芻する。昨日、火澄たちを宥めてなんとか旭日中学へと向かって――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バスを降りて、俺達3人は目的地である旭日中学校の近くのバス停へと降り立った。移動中のバスの車内で火澄と手纏ちゃんの2人には、一体どうして旭日中学なのかと根掘り葉掘り聞かれる羽目になってしまっていた。

 

お店に着くまで秘密だよ、そもそもそこまで詳しくは知らない、俺も行ってみないとわからない、どうやら美味しいコーヒーを出してくれるお店らしいよ。思いつく限りに、どうにかのらりくらりと彼女たちの追求を躱せたものの、未だに冷や汗が出そうだったりする。

 

バス停から旭日中学へ向かう道中、何故か押し黙る背後の2人を振り向けば、なにやらイマイチ気乗りしていない様子である。やはり期待されてないんだろうか。話しかけようかと迷ったが、ほどなく旭日中学へと到着してしまった。校門で早速、パンフレットを配るメイド服を着た女子生徒の姿を発見する。何気ない素振りで近寄っていくと、元気ハツラツとした明るい声をかけられた。

 

 

「メイド喫茶やってまーす♪よろしくお願いしまーす♪」

 

メイド女子中学生にパンフレットを手渡される。素早くそれを確認。場所は3-Bの教室とある。どうやらこの学校の3年生がやっているようだな。この学校に他にメイド喫茶をやっている所があるかどうか、目の前のメイド女学生に尋ねようと思った矢先。雑踏のざわめきがほんの少しだが大きくなっており、周囲の様子が変化しつつあることに気づく。

 

 

 

「……って、えっ!?とっ、常盤台の人達が来てるッ」

 

俺にパンフレットを渡したメイド女学生が、俺の背後にいる火澄と手纏ちゃんを見て興奮していた。今更だが、改めて周りを見渡せば、多くの旭日中の生徒が立ち止まり、俺達3人を興味深そうに眺めていた。

 

火澄はやれやれ、と諦めの表情を浮かべ、手纏ちゃんは完璧にたじろぎ火澄の背中に身を隠している有様だった。

 

「なんか俺達、注目されてる?」

 

俺の言葉に火澄は溜息を漏らすと、出来の悪い子供に懸命に勉強を教えようと試みる教師のように、小さな声で諭し始めた。

 

「うすうす予感してたけど、やっぱりアンタは変わってなかったか。ほんと鈍感過ぎ。一端覧祭に私達が来ればさすがにちょっとは注目を浴びるわよ、ばか」

 

「あ、あの、どうして皆さんこんなに私たちをご覧になるんでしょうかぁ……?」

 

そこまで大々的に視線を集めているという訳ではないが、手纏ちゃんが思わず火澄の背中に隠れてしまう程度には、通りすがる生徒たちから興味深げにじろじろと観察され居心地が悪い。常盤台生の扱われ方がこういう物だとは予想してなかった。中には「あれ霧ヶ丘付属の制服だ。ある意味常盤台より珍しくね(笑)?」という話し声も。ほっといてくれ。

 

「すまん、2人とも。ここまでとは思わなくて……」

 

火澄と手纏ちゃんに向き直り謝罪した。一端覧祭は、主にその学校を志望する学生が中心となって客層を作る。他にはOB、OG、近辺の学校の生徒たち、といった顔ぶれになるのかな。常盤台中学の学生、いやここは大まかに行って"学舎の園"の女生徒と言い直したほうがいいだろうか。彼女たちのように街では比較的見慣れている"お嬢様"達でも、やはり校内にまでやってくるというのは本当に珍しいのかもしれない。

 

「別に、そこまで謝らなくていいから。アンタの考え方が間違ってるわけじゃないしね」

 

「だ、大丈夫です。初めて男女共学の学校に入ったものですから……これでも、人生初の体験にドキドキしているんですよ」

 

「ふふ、そうね。深咲にはいい経験になるかも」

 

 

後ろの2人はそこまで嫌がってはいないようで、ひと安心だ。取り敢えずさっさと校内に入ってしまおう。校庭には学生が出店する色々な屋台が並び、ここまで衆目を集めなければ楽しいひと時を過ごせそうだったのに。手纏ちゃんも物珍しそうにキョロキョロと辺を見回している。……いや、もしかしたら周囲を警戒しているだけなのかもしれないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最終目的地である、3-Bのメイド喫茶にやってきた。扉の前で火澄に肘でド突かれる。

 

「女の娘をメイド喫茶に連れてくなんてどういう神経してんのよ」

 

「いや俺もまさかメイド喫茶とは思ってなかったんだよ。実はさ、教室で他の奴等がここを褒めてたのを盗み聞いただけだったりするんだよ……」

 

白々しく嘘をつく。くくく、サプライズはまだまだ、こんなもんじゃないぜ。これからが本番なんだよ、火澄。

 

お店の扉の前で言い合いを始めた俺達を、手纏ちゃんが不思議そうに眺めていた。あ、そうか。手纏ちゃんはガチで、モノホンのメイドさんがすぐ側で働いている環境で育って来た訳ですからね。メイドさんが喫茶店をすることに、まるで疑問を感じておられないご様子。メイド喫茶というものは、貴女がご想像なされているものとは全くの別物なんですよぅ。

 

火澄はまるで汚らわしいものでも見るかのような目つきで俺を相手にしている。愛想笑いでごまかしつつ、ようやく入店できた。

 

 

 

 

 

「お帰りなさいませー♪ご、…………あ、えーっと、すみません!お帰りなさいませ、旦那様、お嬢……様。こ、こちらの席にご案内いたしますっ」

 

俺たちを出迎えてくれたメイド女子学生は、俺の後ろにいた常盤台生2人組を目にすると、一瞬、硬直した。だがすぐに持ち直し、窓の近くの四人がけのテーブル席にぎくしゃくと案内してくれた。

 

俺達の入店と同時に、店内が俄かにざわついた。俺たちの姿に気づいた店員さんや客として来ていた学生達は皆、珍しいものを見たような顔をして注視してくる。

 

メイド役の女子学生達はカウンター裏やスタッフルームとして仕分けられた空間などに集まり、各々こそこそと小さな声で相談し始めた。

 

俺は火澄達に感づかれないよう細心の注意を払いながら、ここでメイドをやっている筈の丹生の姿を探した。間を空けずすぐに、スタッフルームから騒ぎを聞きつけたメイド姿の丹生が顔を出した。

 

そして、すぐに丹生は俺達を見つけた。当然、彼女を見つめ続けていた俺とは目が合う。喜ばしいことにこの時、ほんのまたたき程度の瞬間だったが丹生は確かに嬉しそうな顔をしてくれたと思う。でも、それも俺の対面に座る火澄と手纏ちゃんの姿を目にした途端に、怪訝な顔付へと変わってしまった。

 

手を振ると、周りが寄せる関心を意識してか恥ずかしそうにしつつも、恐る恐るこちらへと近づいて来てくれた。

 

 

 

こちらへ近づいてくるメイド女子中学生が件の"丹生多気美"だとは露知らず、火澄と手纏ちゃんは2人してメニューを見ながら話をしていた。

 

トレイを両手に持ちながら、俺たちの側へとやって来た丹生に話しかける。

 

「来たぜ!丹生!」

 

「あーもおっ、来る前に連絡してって言ったじゃん!全くもう。……それで、こちらのお2人は……?どうして常盤台の人と一緒なの……?」

 

俺の言葉に、火澄と手纏ちゃんはドキリと顔を上げ、丹生を見つめて驚愕する。俺は丹生のことはほったらかしにして、正面の2人への説明を優先した。戸惑っている丹生へと手のひらを向けて、彼女達に紹介しよう。

 

「驚いていただけたかな?こちらが俺の友達の、丹生多気美さんです!」

 

「な、はぁっ?!」

 

「ふえ!?」

 

2人とも、視線を丹生を俺の間で行ったり来たりさせて、二の句を告げられないようだった。一方の丹生は状況が全く掴めずに、混乱して必死に俺に説明を求め出す、と。

 

「景朗!この人たち、知り合いなの?どっどういうこと?何で常盤台の人達にアタシを紹介してるの!?せっ、説明して?!説明してよっ!?」

 

よし。火澄も手纏ちゃんもこの状況に驚いている。今この瞬間は、きっと俺との約束(昼飯の時に色々説明するうんぬん)も頭から吹っ飛んでいるに違いない。

 

「ああッ。やっぱりなぁ。いきなり押しかけて丹生がびっくりしているぞッ。かわいそうだッ。本人が言うとおりにちょっくら説明してくるッ!すまない、2人ともッ」

 

疑問符でいっぱいのメイド姿の丹生の手首を掴み、強引に教室の外へと連れ出した。読み通り、火澄も手纏ちゃんも何も言えずに俺達をただ眺めるだけだった。

 

 

 

 

 

 

教室を出るまでの間に「丹生さん、あの人達と知り合いみたい。常盤台と、男の子のほうは霧ヶ丘の制服だよね?」といった、ひそひそ声があちこちから耳に入った。丹生本人は目をくるくる回して状況についていけずにいる。

 

念のため、廊下の奥へと丹生を連れ出してから話を始めた。それまで、丹生は早く説明しろと繰り返すばかりだった。

 

「まあ落ち着いて。今から全部話すから、お前さんの知りたいことは」

 

「あああ、あの常盤台のお嬢様たちは一体何なのっ?ワケわかんないよっ。アタシに用があるみたいだったけどッ」

 

どうやら丹生が興奮している原因のひとつに、火澄と手纏ちゃんが常盤台生だったから、という理由が在りそうだった。初めて知ったよ。丹生にもなかなかミーハーなところがあったんだな。

 

「話す話す話すって。あの2人は俺の友達だよ」

 

「景朗の友達?ホントに?」

 

「本当だよ。だいたい友達じゃなかったら一緒に来るわけないだろ」

 

「う、うん」

 

大人しく返事をしてくれているが、まだ落ち着きが足りていないと思う。だが、時間がない。不安だが彼女に今の俺の状況を説明しよう。

 

「丹生、今日俺はお前さんに助けてもらいに来たんだ」

 

「……助ける?」

 

「ああ。丹生、プランBとプランC、どちらを選択する?」

 

「なんだよそのプランBとかCって?ってか、助けるってどういうこと?」

 

俺のフザけた物言いに疑問を感じたためだろうか。丹生は少しずつだが冷静になって来ている。

 

「よし、プランBで行こう。丹生、お前には借金苦で仕方なくエッチなお店で働いている苦学生という役を演じてもらいたい」

 

「いきなり押しかけてきて喧嘩売ってんの?」

 

「わかった。今の無し。プランCにしよう」

 

「そのプランとかいうのはどうでもいいよ!助けるって一体なにっ?」

 

こんな事態だというのに、つい遊んでしまった。ごめんな丹生。

 

「実はさっきのロングの子は、俺と同じ施設で育った女の子なんだ。仄暗火澄って名前で、小っさい頃から同じ施設で育った、友達というより家族みたいな奴なんだよ。アイツ、信じられないかもしれないが中学から常盤台に行っちまってさ。それでさ、こないだお前さんがウチに突撃しやがっただろ。たぶん花華がそのことをアイツにチクったっぽくて。アイツとその友達の手纏ちゃんって娘に、丹生が俺のカノジョなんじゃないかと疑われているんだ。問題は、俺と丹生の接点の無さが、アイツ等にバレちまってるってこと。あぁ糞、またややこしい話になっちまうけど聞いてくれ。前に緊急の任務が入った時に、アイツ等との約束を破ってしまったことがあるんだ。それで」

 

一息に喋りすぎた。丹生は再びくるくると目を回し、俺の話を中断した。

 

「待って待ってよ!そんな一気に言われても飲み込めないっ!」

 

「すまん。やっぱそうか。わかった。要点だけ話す」

 

今一度丹生に話を聞いてもらえる体勢を整えてもらい、次は余分な情報をなるべく省いた内容を伝えようと頑張った。

 

「さっきのロングの娘は俺の幼馴染の火澄で、お前さんがこないだウチに来た時に勘違いした花華が、お前が俺のカノジョだってアイツに伝えてしまったんだ。火澄にはお前さんとは唯の友達だって説明したんだけど全く信じてもらえなくて困ってる。ここへ来たのはそのことに痺れを切らしてしまったからでさ。丹生に直接、説明して貰おうと思って」

 

「……景朗、その火澄さんって娘と付き合ってたの?」

 

「ちげーよ。付き合ってないよ。さっき家族みたいな奴だって言ったじゃないですか」

 

「そんなことのためにワザワザ……。はぁ。で、アタシに常盤台の人達に説明しろって言ってんの?」

 

「そのことでひとつ問題がある。さっきも言った、俺とお前さんの接点の無さだ。考えても見ろ。俺とお前さん、暗部で出会わなかったら絶対に知り合うことはなかっただろ?」

 

「うん、まあ、確かに」

 

良し。いい兆候だ。丹生も現状を把握して来つつある。

 

「アイツ等にもそれがバレてるんだ。暗部関連の話題を一切出さずに、俺と丹生がどうやって仲良くなったのかアイツ等に何て説明すればいいのか思いつかなくて……。バイト仲間だって嘘をつこうとも考えたんだけど、火澄に本気になって確かめられたら多分一瞬でバレる。火澄には、俺があんまり良くない事を裏でコソコソやってるんじゃないかと勘ぐられてるっぽいんだ。アイツに確信を持たれてしまったら、かなり面倒臭いことになっちまう。要するに、俺、アイツに暗部関連のことがバレそうになってるんだ。できれば今ここで、これ以上疑いを持たれないように完璧な対応をとりたい」

 

「……なんだよ、それ。ヤだよアタシ、そんなめんどくさいことに関わるの。だいたい、そんなややこしく考える必要ないじゃん。もう全部黙ってなよ、あの人達のことは放っておいてさ。最初の方はムカつかれて色々勘ぐられるかもしれないけど、そのうち興味なくなって景朗のことなんかすぐに忘れちゃうよ。自意識過剰なんだよ、景朗は。アンタが考えてる風に、アンタなんかのために色々労力割くとは思えないんだけど」

 

「へぐ」

 

か、辛口ですね、丹生さん……ですが、おっしゃる通りです。いっそアイツ等のことなんて放っておいて、暗部のことだけに専念すればいい。もしくは、大元の原因である火澄と手纏ちゃんとの関係をぶった切っちまえばそもそもここまで煩わしい思いをすることはないのです……けど。いやだああああ、あの2人に嫌われるなんて嫌なんだよおおおおおおおああああ。

 

 

 

「今日のところはアタシがきっちりアンタとの関係を説明してあげるから。唯の友達だ、って。でも、それ以降のことは自分で解決して」

 

 

腕を組みつつキッパリと宣言した丹生の態度に、それ以上食い下がるのは幅かれる雰囲気になる。メイドさんなのに頼みを聞いてくれそうにないよ。それでも、俺の頭の中にはその強固な姿勢を尚も崩そうとせんとする説得の台詞が渦巻いていた。

 

二の句を告げようとしたが、彼女の視線を真っ向から受けて思いとどまり、口をつぐむ。このままじゃ事態はややこしい事になるって確定しているけれど。……だが、しかし。今の俺。今の俺って……どっちつかずで、情けなくて、女々しくて、気持ちの悪い男になってるかもしれない。なんだか、全然男らしくないなぁ……。

 

 

「……丹生の言う通りだ。そうする。ごめん、急に押しかけて変なこと言って。……その、さ。まぁ、今更なんだけどさ、実は今日、2人を連れて来たのには、もうひとつ狙いがあったんだ」

 

俺が零した言葉に、話はこれで終了したという素振りで俺を置いて先に戻ろうとしていた丹生は振り向き立ち止まった。

 

「いや、丹生さん、今友達少ないみたいなこと言ってたからさ。俺が連れてきた2人と今日友達になっちゃえばいいんじゃないかって思って。火澄と手纏ちゃん、めっちゃいい奴らだぜ。俺が保証する」

 

丹生は微かにだが、悲しそうな顔を作った。

 

「無理だよ、アタシじゃあ。だって常盤台の人達だよ?仲良くなれっこないよ」

 

「そうは思わないぜ。火澄はもともと俺と同じ"置き去り"だから、典型的な"学舎の園"に通ってるお嬢様なんかとはそもそも考え方が全然違うし。それに、手纏ちゃんは、まあ、少々世間知らずなところはあるけど、逆にこっちが心配になるくらい優しい娘なんだ。まあ、丹生がどう思おうと、俺は今日1日で君ら3人は仲良くなると思ってるよ」

 

「う。景朗、相変わらず最後は無理やりにでもいい事言って締めようとしてくるね」

 

「そそそ、そんなつもりないって。……あ。ちょいまち丹生!まだ行くな!そろそろ戻らないとヤバいっちゃヤバいんだけど、やっぱ俺と丹生がどうやって知り合ったのかだけは完璧な嘘でごまかさないとマズイ!」

 

丹生は呆れと苛立ちを全面に押し出して、声を荒げる。

 

「まだそんなこといってんの!?気にしすぎだって。そんな根掘り葉掘り聞いてこないよ」

 

「いやいやそりゃあの2人は丹生さんにはしつこく聴いて来たりはしないだろうさ。でも俺には絶対聞いてくる!自分で言っててホント情けないけど言わせてもらう!丹生さんは俺のロンリーっぷりを舐めていらっしゃる!なにせ俺には、小学校から今まで、まともな男友達すら出来たことがなかったんだぞ!あの2人はそれをよく知ってるんだ!後で絶対ツッコまれる……!」

 

「あーもう!ほんっとめんどくさいなぁ!だったらいいよもう!カノジョってことにしても!あくまで一時的だからな!」

 

丹生は顔を真っ赤にして、イライラとした様子でそっぽを向いている。いや、それは駄目なんだ、丹生さん!そうしてしまうと、俺は『カノジョにカマけて被害者兼原告である仄暗と手纏両名との約束を反故にし続けた"最低ドクズ野郎"』だということになってしまいまして……

 

「あーいやいやいやマズい!それだけはやっちゃいけないんだ!」

 

咄嗟に口から飛び出たこの言葉で、丹生さんの様子がガラリと変わってしまった。先程まではどちらかというと怒っていたように見えていたんだが。丹生さん、今では一気にクールダウンして、冷徹な空気を身に纏い始めていた。

 

「聞き捨てならないんですけど。景朗、その火澄さんって娘とは付き合ってないんでしょ?どうしてそう困る事態になるわけ?」

 

「へ?あ、いや、それは……」

 

「アタシがカノジョになるとそんなに困るの?あっそう。わかった。じゃあいいよ。自分で何とかしてね」

 

「ち、違う!すぐにバレる嘘を付きたくないだけなんだ!じゃないと、あの2人が俺を疑って色々なことに首を突っ込んでくるかもしれない。そしたら、暗部にかかわらせることになっちまうかもしれないだろ!それだけは絶対に阻止しなきゃならない!」

 

「だったら!あの人達を危険に晒したくないなら尚更、もうこれ以上あの人達と仲良くなるべきじゃないよ!いつ巻き込んじゃうんだろう、って怯えてるくらいなら、関わりを断ち切らないとダメじゃん!」

 

「そ、れは」

 

俺は言葉に詰まった。正論だよ、丹生。俺も何時だってそれを考えてきた。火澄は、自分ひとりの力で成功を勝ち取り、今も躍進し続けている。アイツのこれからの人生に、俺の糞ッタレな暗部のいざこざを巻き込んでしまうのなんて、死んでも御免だった。関わりを断ち切れたらどんなに安全だろう。……本当は、クレア先生たちとだってそうさ。でも、そしたら、俺には。俺には誰も……。

 

 

「今のアタシ達に、他人の面倒まで見てられる余裕あるの?これから新しい部隊で、今までよりずっと危ない任務に乗り込んでいかなきゃならないのに。ホントにあの人達を危険な目に晒したくないなら、身の回りの人達を危険に晒したくないのなら!中途半端なことはしちゃダメっ!」

 

これほど感情を露わにした丹生は見たことなかった。初めて見る彼女の顔だった。俺をギリギリと歯がゆそうに睨みつけ、感情をストレートにぶつけて来る。

 

「アタシのこと、守るって言ったクセに。景朗はそう簡単に死なないから、失敗しても生き残れるけど。アタシは違う……ッ。アタシは、これ以上、友達をつくったりなんかしない。アタシの力じゃ守れないから。そんな余裕ないから。…………かっ、景朗は、強いから、そうやって他の人も守ろうって思えるんだろうけど、アタシには……そんな風には考えられない」

 

 

そうか。丹生の両親は死んでいる。彼女に親戚はいないのだろうか?……いや、きっとそのあたりには何か込み入った事情があるに違いない。こんな言い方はしたくないけれど、彼らは、丹生の両親は、この学園都市の暗部に関わって研究をやっていたような人達だから。

 

彼女は多分激昂するだろうな、と思いつつも、俺は自然とこみ上げてくる自分の想いを素直に話してみたい気持ちになっていた。体の力を抜いて、できるだけ穏やかに語りかけようと試みる。

 

 

「……いいや。丹生は今日、新しく友達を作るんだ。だってお前はそう遠くないうちに、暗部から足を洗って、大手を振って何時もの日常に帰るんだぞ。もっと前向きに考えて、今から作っとこうぜ」

 

「ッ。そうなるために、最善を尽くすつもりだって言ってんの!」

 

「ああそうさ。お前さんの言う通り最善を尽くすための、その一環に、今日あの2人と友達になっておくのさ。なんせ、今の暗部でのいざこざなんて、お前にとっちゃただの通過点に過ぎなくなるんだから。俺と違ってね」

 

最後に言い放った俺の台詞に、丹生は少しだけ眉をひそめて訝しんだ。丹生のやつ、よりにもよってメイド服を着ている時に今までにない怒りを見せるなんてな。怒ってるメイドさんなんてご褒美以外の何者でもないぜ。俺は軽い雰囲気を崩さないように、口元をニヤケさせたまましゃべり続ける。

 

「お前は借金を返済しきったら、恐らくキッパリと暗部世界からオサラバできるはず。ちょっと不安は残るけど、まぁそれは仕方ないさ。普段から気を抜かないように気をつけて生活してかなきゃならなくなるだろうな。でもそれでも、暗部から抜け出せる希望は十分にある。だが、俺はそうじゃない」

 

「ッ」

 

俺と幻生との関係について前に少し話をしたしな。そのことに思い至ったのか、丹生は口を噤む。

 

「俺はこの糞ッタレな能力のせいで、暗部の変態研究者、そして変態上層部の馬鹿野郎どもに完璧にマークされちまってる。暗部のいざこざからはそう易易とは縁を切れそうもない」

 

しまった。丹生が悲しそうな顔をしてしまっているじゃないか。そんなつもりじゃなかったのに。

 

「だけど、ご存知の通り、俺はそう簡単には死なないからな。対策を練る時間は沢山ある。フフフー。まったく丹生さんは怯えすぎなのさ。俺が元気なうちは絶対に丹生が生き残れるように手を貸してやる。何度もくり返し言うしかないけど命に変えてもお前さんの盾をやってのけてみせるさ。そういうことで、俺が死ぬまでは丹生は安全なんだ。そんで、俺はそう簡単には死なないから、お前さんは無事に暗部から脱出。オーケー?」

 

 

俺の軽いノリにあてられたのか、それとも単に呆れたのだろうか。丹生はため息を付く。

 

「……はぁー。そうすんなりと思い通りに行けばいいけどね」

 

だが、とりあえず彼女の先程の怒りは鎮静している。これ以上は俺に食ってかかる気は無いようだった。丹生は少しだけ不満げに俺を注視している。僅かに頬がピンク色になってるような気もするなあ。ちょっと照れてる?

 

「ま、それで。何が言いたいかっていうとだな。お前が無事に暗部を抜け出した後でも、俺は残留してるから相変わらず地べたを這いずり回ってるわけじゃん?そこで、まぁ、なんだ。もし、仮に、万が一。道半ばで俺がたおれてしまった時には。あの2人、そしてクレア先生たちに、『愛していたよ』という俺の遺言を伝えて欲しいんですよ!」

 

 

俺は、俺が今喋った台詞を聞いて丹生が笑い出すと思ったんだけど、予想が外れた。なんと丹生は目をうるうると潤ませて、今にも泣きそうである。

 

 

「う。……そんな言い方卑怯だぞ。……わかったよっ。仲良くすればいいんだろっ」

 

「いや、泣くなよ丹生ッ!冗談で言ったんだよ」

 

充血気味の赤目で未だに涙ぐましくにらみを利かせて来てますが、さっきから何度も言ってる通りお前さん今メイド娘だからね。可愛いだけだからね。

 

「はぁ?全然泣いてないもん」

 

いや目が赤くなってるんだよ!これはちとマズい。これから火澄達のところに戻るってのに、このちょっとの間で丹生を泣かしたのか、と疑られてしまうとサイコーにややこしくなりそうだ。クソ、強引だけどここは俺の能力で……

 

 

「すまん丹生。ちょいとオデコ借してくれ」

 

「へ?わ、なになになにっ!?」

 

 

許可を取る前に俺が素早く手のひらを丹生のデコにかぶせると、彼女は目をパチクリさせて驚き、半歩後ずさった。すぐさま俺も距離を詰めて近寄る。手をデコにくっつけたまま、能力を行使する。彼女には強制的にクールダウンしてもらおう。

 

 

「どーだ、丹生?落ち着いたか?」

 

「なんだよッ!何がしたいのッ?どうしたいの!ちょっと……」

 

上目遣いで迷惑そうに、そして恥ずかしそうにしつつも、丹生は両手を空中に上げて、俺の左手を払おうかどうか迷っている素振りを見せていた。

 

「落ち着いた?」

 

「微妙、わかんない。何がしたいんだよ……」

 

中途半端に上げていた両手を降ろし、既に諦めムードの丹生は俺になされるがまま。ぼーっとして俺の反応を窺っている。あれ、おかしいな。効き目が悪い。

 

 

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 

 

そのままの状態で停止する俺達の間に、不意の沈黙が流れた。俺もなんだかだんだんと恥ずかしくなってきたので、パッと素早く被せていた手を払い除け、くるりと丹生に背を向けて火澄たちを待たせたままの教室へと歩き出した。

 

「よっしゃ。さあ戻ろー、丹生。ダイブ待たせてしまってる!」

 

「あ。ちょッ、ちょっと!だから今の何!」

 

 

 

廊下を辿り、メイド喫茶の教室のドアをガラリと開けて、そこをくぐる間際にようやく気づく。あー、結局口裏合わせしてないじゃないか。時すでに遅し。今や今かと待ち構えていた火澄と手纏ちゃんたちの視線に俺は既にロックオンされていた。

 

 

 

 

 

 

メイド喫茶のドアを開けた瞬間に、ざわめきの勢いが小さくなった。居心地の悪いことに、俺の挙動は注目されている。ドア越しにメイド喫茶の内部がよく見えたが、メイドさんからお客さんまで皆、チラチラと俺と背後の丹生の様子を観察していると来た。

 

 

火澄と手纏ちゃんもこの状況に少々奇怪そうな表情を浮かべていた。俺も不思議だ。いくら常盤台生と霧ヶ丘生が来ているからって、興味を持ちすぎじゃないか?

 

もしかして、丹生か。いや、違いない。きっと丹生が原因だ。……いきなり脈絡無く常盤台と霧ヶ丘のやつらがやって来て、クラス3-Bの、いやもしかしたら学年の問題児であったのかもしれぬボッチな厨二病患者、丹生多気美を連れ出していったのだから。なるほどそれは、同じクラスのクラスメートたちには最高のゴシップになるだろうな。

 

 

あちこちから無作為に飛んでくる視線を甘んじて受けながら、俺はあらゆる意味で針のむしろとなった、火澄たちの待つ席へと戻った。丹生もしぶしぶと俺の隣に座り、改めて初めて目の前の常盤台2人組に正面から向き合う。

 

 

火澄たちにとっては突然の標的とのエンカウント。丹生にとっても不意を打つ珍客の来訪。オマケに衆目からは好奇の目が。これで会話が弾むわけもなく、周囲とは打って変わって俺たちのテーブルにだけ静寂が幅を利かせている。

 

 

「ぅおじゃましましまっ!」

 

耐え切れなくなった丹生は突如、がたりと席を立ち、この場から逃げ出そうとしやがった。俺は慌てて彼女の手首を掴み押しとどめた。

 

「ま、待った待った丹生」

 

カウンターの方へ逃げ出そうとしていた丹生は、周囲の興味津々な探り顔に真っ向から直面し、そして硬直した。寸刻の葛藤の後、再び俯きながら席に座り直す。その気持ち、わかるよ丹生。どっちへ行っても地獄だもんね。

 

 

 

俺たちの寸劇がキッカケとなったのか、緩んだ緊張を逃すまいと抜け目なく、静けさを破る口火を切ったのはまたしても火澄だった。

 

「あ、あの、丹生、さん。目が赤いけど……大丈夫ですか?景朗に何か言われたんですか?……ちょっと景朗!アンタ何したの?」

 

うう。やっぱり突っ込まれた。火澄の質問に、隣の丹生は俯いたままビクっと震えた。

 

「あ、いや、大丈夫だよ……です。あくび!あの、さっき欠伸しただけ!ですからっ」

 

そう言って、丹生はめちゃくちゃわざとらしく、口に手を当ててふああーッと欠伸をするマネをやり始めた。お、おい丹生……バレバレでんがな。

 

「あ、そ、そう、だったんだ……」

 

ここまで困った顔をした火澄を見るのも久しぶりだなあ。手纏ちゃんもどうしたものかと困ってるじゃないか……いや、でも、これはこれでナイスな展開かもしれない。お前さんが挙動不審なおかげで俺へと向けられる不審さが薄くなっているぜ。ありがとう丹生!きっと天然でやってんだろうけど。

 

俺のためにフォローをしてくれている丹生をまたしても放置して、俺は真剣な面立ちへと顔を変化させつつ火澄と手纏ちゃんへと話しかけた。

 

「あのさ、2人とも。お互いの自己紹介もまだなのにこんなこと言うのもなんだけどさ。どうして、こんなにも俺達が周りに注目されているのか。知りたくないか?」

 

2人ともそれについてはしっかりと疑問を抱いていたようで、早く続きを話せとばかりに、何度も頷き返していた。丹生も欠伸のマネをやめて意識を俺へと向けてきた。

 

 

「実はだな。……ここにいる丹生さん、実は、このクラスで浮きに浮きまくっている、ボッチさんなんだよ。ここだけの話、丹生さん、このクラスで浮いちゃってたらしくて、その丹生さんがいきなり常盤台生を連れてきたもんだから、こんな風に強烈に注目されちゃってんだよ」

 

「?」

 

「ふぇ?」

 

「……ちょ、ちょちょちょちょっと何言ってんの景朗おおおおおおおおおおお!初対面の人に!初対面の人だよっ!初対面の人っ!」

 

火澄と手纏ちゃんは俺の言葉を噛み砕くのに数秒時間が掛かり、丹生は顔を真っ赤にして俺へと掴みかかって来る。俺は『ここだけの話』と言いつつも、今の話を、周囲で聞き耳を立てている人達にも十分に聞こえる声の大きさで話していたのだ。だから、俺の発言はこの教室内全体を巻き込んで、極めて微妙な座りの悪い空気を蔓延させてしまっていた。

 

火澄も、手纏ちゃんも、周りで聞き耳を立てていた丹生のクラスメートたちも、そして丹生本人も、すんげー気まずそうな顔付きになってしまいました。

 

「やめッ、やめてよ景朗おおおお!」

 

尚も続けて話をしようとする俺に対して、今にも泣き出しそうな丹生は必死に止めようと俺の肩を両手でつかみがくがくと揺さぶってくる。

 

俺は揺さぶりに全く動じぬまま、拳を握り締めた。そして、ドン、とテーブルに1度、拳を振り下ろす。火澄も、手纏ちゃんも、たぶん周囲の聞き耳を立てている方々も俺の挙動に注目しているだろう。

 

「だから!俺は2人をここに連れてきたんだ!丹生に2人を紹介するために!丹生に友達を作ってあげたくて!!さあ、今日はみんなでともに語らい、互いに友人を増やして、有益なひと時をすごそうではないかー!HAHAHAHAHAHA……」

 

 

丹生は顔を真っ赤にして、恥ずかしさで死んでしまうんじゃないかって心配になるくらい、あわあわと混乱していた。そして何故か。手纏ちゃんも何故か恥ずかしそうにぷるぷると震えていた。あー、これは。おそらくだけど、手纏ちゃん感受性豊かだからなぁ。きっと、今の丹生の心境を慮って、そして自分自身に重ね合わせて、恥ずかしがってる丹生の姿を見て手纏ちゃん自身まで恥ずかしくなっちゃってんだろうなぁ。萌える。想像してみてほしい。メイド女子中学生が羞恥心で爆発しそうなんですよ。こっちも爆発しちまいそうだ。

 

 

 

場を2転3転させ、会話のイニシアチブを占有しつづけようとする俺の魂胆を見抜いたのか、それとも単に、丹生をこのように羞恥の極みのどん底へ突き落とした俺への義憤なのかは知らないが。すぐに落ち着きを取り戻した火澄は、ハァ…、とひとつため息をつくと、この混乱した状況を収拾するべく迅速に行動に移った。

 

キッ、と俺をひと睨みした後、すうっと穏やかな笑顔を浮かばせ、丹生へと優しげに語りかける。

 

「丹生さん、このバカの言う通りにするのはほんの少しだけシャクだけど。でも、貴女と友達になるってことに関しては、その、私も大賛成です。初めまして。仄暗火澄といいます。その、丹生さんさえよければ、連絡先の交換とかどうかな?このバカについても、これから色々聞けたら嬉しいことがあるかもしれないし……」

 

会話と同時に、火澄はケータイを取り出して丹生の方へと差し向けた。期を等しく、手纏ちゃんも火澄に便乗し、彼女も同じくケータイを取り出して、丹生へと名乗った。

 

「ぁぅ……ッ!う、うん!は、はいっ。アタシも喜んでっ」

 

丹生は戸惑いながらも、嬉しそうな表情を隠す事無く、2人と会話を続けていく。どうやら、一件落着しそうですな。めでたしめでたしだね。友情が育まれていく場面に、ほっこりするね。

 

 

 

 

 

 

 

 

出会ったばかりだから当然か。その後しばらく俺達4人はポツポツと長続きのしない散発的な会話を続けていた。丹生は2人に、俺とは別に付き合っていない、とハッキリと伝えていた。その後の火澄と手纏ちゃんと丹生の3人は、俺の想像以上に仲良くなれそうな雰囲気だった。これに関しては俺も本当に嬉しかったさ。嘘じゃない。俺は前からこの3人が仲良く友達になれたらどんなに楽しいだろうか、って思っていたよ。

 

丹生のクラスメート達は、俺が丹生がボッチだ、と発言した時、相当気まずそうな顔をしていた。それだけじゃなく、丹生が新たに友人を作る場面を目撃したことも、彼らにとってはやはり色々と考えさせられる事件だったに違いない。

 

しばらく俺達と会話をした丹生は、メイド喫茶の仕事があるからといって会話を打ち切って席を離れたのだが、カウンターに戻っていった丹生へ、勇気ある何人かが彼女に話しかていくのを俺はしっかりと目にしていた。もしかしたら、これをきっかけに前みたいにクラスでも話し相手ができるかもよ、丹生。

 

火澄と手纏ちゃんは、丹生の去り際にまた直ぐに会いましょうと誘っていた。丹生も嬉しそうに肯定の返事を返していたし、マジで、めでたしめでたしだぜ。そう思ったのに。

 

 

 

 

 

 

丹生が去るやいなや。それまでニコやかだった火澄と手纏ちゃんは、ガラリと空気を一変させた。火澄は無表情となり、一方の手纏ちゃんは顔付きこそ変わっていないが、オデコに青筋を浮かばせ、どこか怒気をはらんでいる。

 

「さあ、覚悟はいい?景朗?」

 

「景朗さん。覚悟してくださいね」

 

 

マズイな。想定外だ。まーだ引っ張るか。もう降参したくなってきたよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

丹生のメイド喫茶で昼食を食べ終えるまで、俺は2人に散々なじられた。だが、俺は頑張ってなんとか踏みとどまったさ。暗部関連の秘密にほつれが出そうな事は何ひとつ喋らなかったぜ。

 

案の定、火澄に「一体全体どうやってアンタなんかが丹生さんと知り合いになれたのよ?」というキツい追及を受けたけれども。俺は「今日は語るべきことはもう語っただろ。質問は『丹生がカノジョかどうか』だったよな?丹生本人がそれを否定したんだ。これ以上何を話せばいいんだよ?」と強攻策を押し通した。

 

最後に「俺と丹生が知り合った時の話は丹生本人に聞いてくれ。丹生の名誉に絡むんだ、その話。俺が話す訳にはいかないんだ」と思わせぶりな、些か卑怯な嘘をついたりもした。それを聞いた火澄は悔しそうに引き下がった。危なかったぁー。ふふふ、丹生。俺はプランC(丹生に丸投げする)で行くと言っただろ。あとは頼むぜぇ!

 

 

 

 

 

 

昼食を食べ終えた俺達3人は、やっとようやく、地獄のメイド喫茶(どうして地獄に変わったのやら……)から退出した。旭日中の学生の好奇の目線にもいい加減慣れてしまったので、この際せっかくだからと色々なイベントを覗いてから帰ろうか、と自然とそういう流れになった。

 

色々な催し物や出店を見物するさなか、俺達3人の中で一番はしゃぎ、最も興奮していたのは意外にも手纏ちゃんだった。彼女にとっては、そもそも男女共学の学校、この国の一般的な"学校"と呼べるところの、ごく普通のノーマルな学生の生活をまの当たりにするのは初めての体験だったらしい。目にしたもの全てに興味深々で、ひっきり無しに驚き、帰路に着くまで始終笑顔のままであった。

 

もちろん、俺と火澄も手纏ちゃんほどテンションが高くなることはなかったものの、やはり一粒の思い出となりそうなくらいには面白おかしいひと時を過ごせたかな。

 

 

 

 

 

楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、もはや夕焼けも眩しい時間帯。そろそろ旭日中学を後にしようと話をしていた、その時に。俺は尿意を催し、2人に近くのトイレへ行ってくるから待っていてくれるように願い出た。早く行ってきなさいよ、という火澄の掛け声を背に、途中で記憶していた校舎1階、最寄りのトイレへと向かった。

 

トイレの中で、はぁーーーーと長い息をつく。昼間は、一時はどうなることかと思ったものの、何とかなったなぁ。……いやいや、何を贅沢言ってんだ、俺は。丹生のメイド姿も見れたし、アイツ等3人は仲良くなれそうだし、手纏ちゃんと火澄と一端覧祭を楽しめたし、いい事づくめだったじゃないか。……あれ?いやホント、これって中々に幸せなことじゃないか。これで満足できないなんて、ガチで贅沢だ。いかん。反省しないと。バチが当たってこの先、ひどい目見ることになるぞ、これじゃあ。

 

2人を待たせたままだ。俺は急いで元来た道をもどる。火澄たちと別れたのは校門のちょっと手前だ。あんまり放置してたら野郎どもにナンパされちまうかもしれねぇ。クッソ、それは虫が好かないな。

 

 

 

そんなことを考えながら、俺はオレンジ色に染まった旭日中学の廊下を早歩きに進んでいた。ところが。校舎を出る前に、校門近くで待っているはずの手纏ちゃんとばったり廊下で出くわした。

 

「あう、景朗さん」

 

火澄の姿は無い。迎えに来てくれたのかな。でも、おかしいなぁ。そんなに待たせてないと思うんだが。

 

 

「ごめん。待たせちゃった?」

 

「ち、違います。私が1人で来たんです。そのぅ、景朗さんにお話したいことがあって……」

 

 

話を聞けばどうやら火澄には、手纏ちゃんもお手洗いに行ってくると言い訳をしてきたらしい。つまりは……えッ!?こ、この俺と2人きりでお話がしたかったということですかッ!手纏ちゃん!

 

「お、おおぅ。そ、そっか。わかった。それで、なんだろ?話したいことって」

 

ちょっとした動揺を悟られないように、極めて平静な風を装う。手纏ちゃん相手なら大丈夫だろうか。いや、彼女はテンパっているように見える時も案外、しっかりと相手を見ているからな。バレちゃうかも。

 

 

「あ、あ、あ、あのっ。そのぅ……こ、これからの進路について、つ、つまり、高校受験についてなのですけど、景朗さんにどうしてもご相談したいことがあるん、です……」

 

あー、それね。もうちょっと心躍る話題かと期待してしまった。そうだよね、俺達中学3年生だしね。この学園都市には腐る程高校があるから、みんな何がしかの学校へ行くけど、だからこそ出現する悩みってのも当然あるよね。

 

まぁ、でもそれにしては。手纏ちゃんは顔を真っ赤にして、心臓バクバクいってそうな表情してるんだよな。俺と2人きりってそんなに緊張するんだろうか。少し悲しい。

 

「当ッ然ッ!相談に乗りましょう!」

 

俺の腕をブンブンと豪快に振り回したジェスチャー付きの快諾に、手纏ちゃんはほっとして嬉しそうにすると、彼女にしては珍しく、途切れることなく話を続けていった。

 

「そのっ、ご相談に少々お時間を頂きたくて。あ、あ、あのっ、それでっ……それで!もしよかったら、明日、また2人でお話を……か、か、か、可能であればのお話ですぅ、よ?景朗さんのご都合がよろしければっ」

 

なるほど。手纏ちゃんが顔を真っ赤にするのもわかる。何だかデートのお誘いみたいだもんな、この言い方だと。俺もちょっと照れちゃうよ。……明日は土曜日、暗部の野暮用も無し。これは、行けるかッ?!

 

「いいねぇ!俺も明日は暇してたんだ。火澄に聞かれたくない話なのか、それとも火澄へのサプライズなのか、わかんないけどさ、手纏ちゃんと2人でってのは初めてでちょっと照れるかも。そうだ。手纏ちゃんさえよければだけどさ、良かったら俺ん家に来てみない?前に言ってた俺の渾身の一杯をご馳走したかったんだ」

 

くくく。俺がコーヒーの美味しい入れ方の探求を趣味にしていることは手纏ちゃんも知っている。純粋に友人に美味しいコーヒーをご馳走したいという、プラトニックな厚意で下心をカバーし、俺の家へと手纏ちゃんを誘い出してやるぜぇ!火澄がいないなんて、今後もう一度やってくるかどうかわからないほどレアリティが高すぎるシチュエーションだ。この機を逃すのはあまりに惜しい。

 

「は、はい!行きますね!楽しみですぅ!景朗さんのおっしゃっていたコーヒーですね!以前から私も頂いてみたかったんです。ふふっ」

 

 

おっしゃーぁぁッ!気づいてない。手纏ちゃん俺の下心に気づいてない。俺の方が楽しみだよ。

 

 

「それじゃ、お昼過ぎくらいに来てもらえれば。いやぁ、朝は惰眠を貪りたくて。ハハッ。それで大丈夫?」

 

「はいっ!」

 

うわぁ。単なる高校入試の相談だとはわかっていても、それでも心臓ドキドキだよ。だって手纏ちゃん、本当に嬉しそうにしてくれてるし。あぁー脳内ピンク色になっちまう。もちつこう。下心がバレたらカッコ悪い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

い、いかん。昨日、3人で一端覧祭を見てまわったことが、今俺が暗部で置かれている立場と比べると、あまりに、あまりに幸せな記憶なものだから。随分と長い間思い出に浸ってしまっていた。つい昨日のことなのに。駄目だ、俺、相当、昨日の夜の悲報がショックだったみたいだ。

 

玄関の外からは困惑した手纏ちゃんの声が漏れ出てくる。今はもう土曜の朝。じゃなかった、もう土曜の昼、約束のお昼すぎなんだぞ!いい加減意識を覚醒させないとマズいッ。

 

 

 

がちゃり!と勢いよく玄関のドアを開けた。そこには、火照った顔の手纏ちゃんの姿が。白いコートに、白いマフラー。そして白い帽子の、全身白づくめの手纏ちゃんは天使のようで。

 

俺は頑張って理性を保たないとなぁ、と冷や汗をかいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

取り敢えず、今のところは。手纏ちゃんはこの俺の1LDKの住処、そののリビングに寂しく設置してあるテーブルの側にぽつんと1人お行儀よく座ってくれている。彼女にキョロキョロと物珍しそうに忙しなく部屋を見渡され、カウンター越しにキッチンでコーヒーを入れている俺は例のアレが露見しませんようにとハラハラしていた。

 

手纏ちゃんは殿方の一人暮らしの家に来たのは始めてだと言っていた。俺なんかでも殿方と読んでくれるんだね。緊張するね。

 

 

 

 

突然だが、俺の部屋の内装について少々説明させてほしい。何故なら、きっと俺の家は、一般的な男子中学生の一人暮らしの部屋とはちと趣が異なると思うからだ。その大体の原因は恐らく2つ。ひとつは、テーブルと椅子とベッドを覗けば、ほとんどと言っていいほど家具が存在しないこと。TVも置いていない。カーテンや壁紙には何も手を加えず、味気ない灰色である。

 

そしてふたつ目の理由、これが俺の部屋を普遍的でない特殊な環境に変えている一番の要因だと思うのだが。そのふたつ目とは、ひとつ目の理由で述べたように割と閑散としている部屋なのにもかかわらず、何故か部屋の中に、大きく内部を占領するドデカい業務用冷蔵庫がドカンと3台も鎮座していることである。

 

その上、玄関の近くの廊下には、食材がたっぷりと詰まったダンボールがわらわらと鎮座しており、更にキッチンには、これまたレストラン等でしかお目にかかれないような、一般家庭には似つかわしからぬ巨大な寸胴鍋がいくつもゴロゴロと放置されている。

 

 

 

俺の渾身の傑作となる、特製コーヒーの準備の手をふと休めて、静かに待機する手纏ちゃんの様子を対面式のカウンターから覗いてみた。

 

ポカンとした、なんとも言えなさそうな表情を浮かべていた手纏ちゃんと目が合った。

 

「HEYHEY, 手纏ちゃん。俺の家どんな感じ?感想を一言」

 

俺の質問に、あわあわと慌ててしまった手纏ちゃん。

 

「あ、あのぅー。そのぅ……、景朗さんの……お住まいは……そのぅ~~……あのー……」

 

気の毒そうに言いよどむ彼女に、俺は助け舟を出してあげた。

 

「食料倉庫みたいだろ?」

 

「あ、は、はい!まさしくおっしゃる通りですぅ!……ってひゃぁっ!すすす、すみません!すみません。ち、ちがッ!」

 

ペコペコと頭を下げる手纏ちゃんを制止して、俺は大丈夫だよ、まったく気にしていないよという風に、ニヤリと口元を釣り上げてオーケーサインを繰り出す。

 

「いやいや気にしないでよ。火澄にも今のみたいにツッコまれてさ。俺、笑っちまったよ。どっかの港湾の食料保管庫みたいだよな、俺の家。いやぁー、まいったね。気づけば俺んちさぁ、食いものとコーヒー豆しか置いてなかったんだよなー。アハハー……」

 

 

 

以前、火澄が一度だけ今の家に様子を見に来てくれたことがあったんだが、その時に、3台の冷蔵庫の中にみっしりと詰まっていた、巨大な生肉のブロックを見て呆れ果て、「アンタ、隠れて虎でも飼ってるの?」と、深い溜め息をついていたほどだ。惜しかったね火澄。虎じゃなくて狼を飼ってたのさ。最近、暗部で怪我を負うようになって来ると、もう食っても食っても際限なくお腹が減るようになってしまって。身長はぐんぐん伸びているけど、それ以上のペースで体重はどんどん増えて行っている。見た目に大きな変化がないというところが、ホントそこらへんのホラーサスペンスより怖い事態に陥っているよね……。俺の体、エイリアンに改造でもされたのかよ、って感じでさ……。

 

 

 

コーヒーを入れるためのサイフォンや豆挽き器具を除けば、他にはPCくらいしか物が無い。手纏ちゃんも俺の発言に冷や汗を垂らしていた。いやぁ、この部屋でいい雰囲気になれるのは至難の技でございましょう……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出来上がった渾身の一作を手纏ちゃんに披露したものの、彼女が紅茶党で珈琲が苦手だったのを忘れていた。一生懸命にプルプルと震えてアメリカンブラックを口にしていた手纏ちゃんを宥めて、ミルクと砂糖を大量投入してもらった。美味しいとは言ってもらえたが、しかし、やはりまだまだ俺の腕は珈琲が不得手な人にもブラックを飲ませられるところにはまだ達していないのだろうな。もっと精進しなくては。

 

……決して俺の味覚の方が悪いわけではないはず。だ、だって俺には人狼の舌があるんだぞ!俺は間違ってない!間違っているのは俺以外の周りの人間であって、絶対に俺の舌ではない!そうに決まっている!いやもうこのことは考えるのはやめとこう……。

 

 

 

一息ついて、手纏ちゃんのそわそわした態度も軟化してきた頃合だった。そろそろ、彼女の相談とやらを聞かせてもらってもいいかもしれないな。そう思い至った俺は、正面に座る手纏ちゃんへコーヒーのおかわりはどうかと質問した後、やんわりと本題への催促へと繋げていった。

 

 

「そういやさ、今日はどうして火澄は呼ばなかったのかな?やっぱり火澄に内緒にしたい話?クリスマスプレゼントの相談かな?それとも、昨日言ってた高校の話?」

 

俺の疑問に、手纏ちゃんはそうだった、と言わんばかりに何度も頷き、少しばかり俺の方へと身を乗り出した。

 

「は、はいっ。その通り、です。……進学のことについてなんです。景朗さんとお話したかったことは……」

 

そう言うと、今度は手纏ちゃんは姿勢をただして、そして頬を額を薄らと桃色に染めて俯き気味になり、またポツポツと語り始めた。

 

「それで……あ、あのっ。景朗さんに、お聞きしたいことが……有るんです……ッ」

 

「は、はいよー。どうぞ何でも聞いてくださいな」

 

手纏ちゃんはここに来て更に緊張していた。俺も一体何の話だろうかと身構えている。脳裏にすわ告白か?と甘い誘惑が湧き出てきたが、丹生との一件を思いだし、もう期待なんかするものかと気を取り直す。

 

手纏ちゃんはすぅっと息を吐き、一息にしゃべりだした。

 

「景朗さん。景朗さんは高校進学、どうされるおつもりなんでしょうか?どの高校へ進学されるおつもりですか?」

 

なんだ。そんなことか。俺は肩透かしな質問を浴びせられ、ホンの少し体の力を抜けさせた。

 

「ああ、そういや言ってなかったっけ、手纏ちゃんには。ふふー。聞いて驚い……てはくれなさそうだな、手纏ちゃんは。こほん。……なんと、俺の第一志望は"長点上機学園"なんだぜ」

 

そう答えた俺が予想した手纏ちゃんの反応は、俺なんかがよくもまあそんな難関高校を志望したものだ、というような驚きを見せてくれるだろうな、というものだったのだが。その予測に反して、手纏ちゃんは更に動揺し、矢継ぎ早に質問を繰り返してきた。

 

「ッ!?そんな、やっぱり。ぅぅ……景朗さん。もし、私が、火澄ちゃんと別々の高校に進学して、疎遠になってしまっても、その、景朗さんはそれでもっ、わた、私とはまだお友達でいてくれますか?」

 

……ん?その質問どういう意図?……手纏ちゃんと火澄が別々の高校にいったら、俺と手纏ちゃんは友達じゃなくなっちゃうだと……。え?なんで?……そッそんなの嫌だ!ダメ、ゼッタイ!

 

「ええっ?!なんでそうなるの?嫌だよ!俺!手纏ちゃんと会えなくなるの!話が分からないって!手纏ちゃんがオーケーしてくれるかぎり俺達は友達じゃないのッ?」

 

手纏ちゃんは真っ赤な顔のまま、恥ずかしそうに捕捉してくれた。

 

「い、いえっ。そ、そうですよね!ああああああの、私っ。私、最近まで火澄ちゃんはこのまま"学舎の園"の高校へと進学するつもりだと思っていたんです。でも、火澄ちゃん。どうやら、"学舎の園"の外部の高校へ行くつもりらしいんです。恐らく、景朗さんのおっしゃる"長点上機学園"だと思います……」

 

 

火澄が、俺と同じく長点上機に?そんな素振り、少しもアイツは見せていなかった。……でも、手纏ちゃんが俺の家へ押しかけてきてまで嘘をつくはずがない。そもそも今まで手纏ちゃんは嘘をついたこと自体が無いんだ。

 

俺が驚愕の表情を貼り付けて固まっている間にも、手纏ちゃんは途切れることなく話し続けていた。

 

 

「わ、私は。……私は、今までずっと、父に言われるがままに疑問すら持たずに、父の決めた学校へと進学してきました。でも、火澄ちゃんと常盤台で知り合って、初めてそのことに疑問を持つようになったんです。そして高校進学について……生まれて初めて父に頼みごとをしました。火澄ちゃんと同じ学校へ行きたいと。……きっと火澄ちゃんも"学舎の園"のいずれかの高校へと進学すると思っていましたから。だから、父も私の希望を尊重してくれていたんです。高校の進学先だけは、自分で決めたい、と」

 

知らなかった。手纏ちゃんの進学する学校を、彼女のお父さんが決めていたのだとは。彼女に聞いた話では、彼女は今までずーっと女子校に、しかもセレブなお嬢様達の集う由緒正しい格式高い学校へと通っていたはずだ。長点上機学園は学園都市でも有数の、トップ校集団の先頭を走る優良高校だ。……だが、男女共学である。共学であるし、第十八学区にあるため、そもそも"学舎の園"に位置していない。

 

もし、手纏ちゃんに、それこそ俺みたいなどこぞの馬の骨とも知らぬ輩を近づけさせたくないのなら、彼女の長点上機学園入学には難色を示すだろうな。いや、この手纏ちゃんの反応からしてもう既に拒絶されているのかもしれない。

 

いや、でも、しかし。世の父親様ってのは、そんな風に娘の進学先をその娘の意志に反して決めているものだったんだな。ついぞ俺には全く関わりのなかった話だ。

 

「手纏ちゃん、悩んでるの?もしかして、"学舎の園"を出て、俺らと同じ学校、長点上機に来ようとしてる……?俺はもちろん大歓迎さ。言うまでもなく火澄も。それに、手纏ちゃんの学力なら、きっと問題なく長点上機に入れるだろうね。それこそ、俺が偉そうに言うことじゃないけどさ」

 

「……は、い……」

 

俺に確認されずとも、既に手纏ちゃんは悩みに悩み切っていたのだろう。悲しそうに口をつぐみ、俺の目の前で考え込んでいた。しばらくして、再び、ポツリと語り始めた。

 

 

「……昨日、初めて外部の学校を見学しました。今まで、自分の目で拝見したことはなかったんです。皆さん、とっても楽しそう、でした……。何も知らず、私は……怯えていたばかりで……」

 

 

「ま、まあ、まだ時間はあるよ。それに、手纏ちゃんと火澄が別の高校になったって、俺は手纏ちゃんとは"今までどおりの友達のまま"でいたいし、そうするつもりだよ」

 

俺は単に、ただそこまで悩む必要は無いよ、と言いたかった。そうやって咄嗟に俺の口から飛び出したフレーズに、手纏ちゃんは少し傷ついたようだった。しまった。もしかして、いやもしかしなくとも、手纏ちゃんは俺に、長点上機学園へ入学するように後押しして欲しかったに違いない。だって、態々俺の家に来ていたんだぞ?1人で。

 

「あっ。は……い……嬉し、いです。そうおっしゃっていただけたら……」

 

 

 

始まりは、ほんのちょっと生じた、お互いの気まずさからだった。一度静けさが生まれたら、もはやどうすることもできなかった。俺と手纏ちゃんは両者共に口を閉じてしまい、そのまま時間だけがムダに流れていった。

 

俺は慌てて、彼女が長点上機へこれるように、彼女の父親への説得やら何やら、俺にできることは協力するよ、と口にしようとした。だが、喉から出かかったその言葉を放つ前に、考え直す。

 

 

 

そんなに軽々しく言っていいのか?言えるのか、俺が?彼女の父親にだって、それなりの考えがあるはずだし。暗部で四苦八苦している身で、偉そうなこと言えるのか?丹生が言っていたように、他人のことに口出ししている余裕はあるのか。だいたい、俺は。俺達は。明日の命も知れぬ身じゃないか。たった今、この時も。今日だって日没前に、防衛目標の施設へ行って、一晩中、暗殺者を待ち構えなくてはいけないのに。"置き去り"で、暗部の捨て駒で、多く人間の運命を狂わせておいて。そんなやつが、手纏ちゃんみたいなセレブな一族の、その頭領に何を言おうってんだよ。はは。

 

この時の俺には手纏ちゃんが、どこか遠くにいる、別の世界に住んでいる人間のように思えてならなかった。そもそも。だいたい、手纏ちゃんが"学舎の園"の学校に行こうと、長点上機学園に行こうとも、それが彼女の生死を分けるような重大な問題か?

 

そんな風に、後暗い考えごとを一度でも始めてしまったら。止まらなくなっていた。俺の心には確かに、手纏ちゃんが今抱え込んでいるこの問題に、これ以上かかずらっていられないという想いが生じ始めていた。

 

 

 

 

 

 

気がつけば、手纏ちゃんの悩みの件をすっかり忘れて、夕方から任務につくであろう、敵対者"ジャンク"メンバーへの対応策を必死に考えいる始末。その間、手纏ちゃんも黙するままであった。

 

 

「……あ、あのぅ。今日は、ごめん、なさい、景朗、さん。景朗さんには、確かに、どうしようもないご相談だったでしょうから……」

 

俺が押し黙っていたのを勘違いしたのか、手纏ちゃんは申し訳なさそうに謝り始めた。彼女は傷ついた表情を隠そうとしていたが、上手くできていなかった。

 

 

あー、クソクソ糞ッ。なぁにをやっているんだ俺は。大きく息を吸い込んで、俺は思いっきり額をテーブルに叩きつけた。手纏ちゃんがびっくりするように態とな。ゴガンという打撃音とともに、手纏ちゃんの体はビクリと跳ね上がった。

 

 

「ごめん!謝るのは俺の方だって!手纏ちゃん!……すまん、俺にはやっぱり、手纏ちゃんが言う通り、軽々しく口を出すことはできそうもない。でも、それでも、手纏ちゃんと一緒の学校に行けるってのは、それだけはめちゃくちゃ喜ばしいことだって胸を張って言いたいです!」

 

「あ。う」

 

未だに手纏ちゃんはびっくりしたままだったが、構わず俺は一口に言い切った。

 

「自分から誘っておいてごめん!俺、昨日の夜急用が入ってさ。そのことで頭がいっぱいだったりするんだ。手纏ちゃんの悩みを聞いたことは絶対に忘れない。また直ぐに、必ず俺の家に招待するからさ、もっかい悩みを聞かせてください!お願いします!そして……その……きょ、今日のところは……お帰り願いたくて……じ、実はこれから行かなきゃならないところがあるんだ……」

 

「……そう、だったんですか」

 

手纏ちゃんはキョトンとした顔付きになっていた。

 

「ごめぇん。手纏ちゃん。マジでごめんなさいいいい」

 

正直な気持ちを吐露しようと、素直な気持ちを吐き出そうと思いつつ、手纏ちゃんをじっと見つめつづける。

 

「…くすっ。わかりました。また後日相談に乗ってくださいね。約束ですよ?」

 

手纏ちゃんはくすりと笑ってくれていたので、まあこれで良かったんだと思いたい。俺が今、頭を悩ますべきは、丹生の言う通り、どうやって生き残るかだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手纏深咲を自宅に招いた、その日の夜。雨月景朗は、チーム"スキーム"が請け負った任務の一環として、とある工場施設の防衛任務についていた。思い返せば彼には、施設の防衛任務と聞けば、強敵と死闘を演じた嫌な経験しか無かった。奇しくも、此度の難敵との遭遇も、全く同じ施設防衛任務で事に当たる羽目になりそうである。彼は施設防衛任務自体に悪いジンクスを感じつつあった。

 

それを後押しするかのように彼らに防衛の命が下ったのは、以前"パーティ"所属の強敵"百発百中(ブルズアイ)"と凄惨に殺しあった施設からほどなく近くの、似たような雰囲気まで纏わせる、これまた一体なにを生産しているかもわからぬ謎の工場施設だったのだ。

 

 

もしかしたら。彼らがその施設で再び"ジャンク"のような猛者と闘うのは、偶然ではないのかもしれないと、雨月景朗は背筋の凍る冷たい推理を立てていた。そういえば、御坂美琴のクローンを名乗る少女と、その少女が抱えていたクローンだとしか思えない死体を目撃したのも、以前防衛を行なったあの施設の地下だったよな、と彼は思い出す。

 

景朗は両者の間に何か関係性を見出そうと試みたが、やはり情報不足がたたったのか。良い考えは浮かばず、彼は仕方なく、今行っている任務である、施設防衛のためのブービートラップの設置作業に今一度集中しはじめた。

 

 

施設内部、くまなくそこらじゅうに爆薬を仕掛けられればてっとり早いのだが、と景朗は嘆息した。彼が今準備しているのは、テイザーガンや毒ガスが内蔵されたギミックや、学園都市製の高性能な跳躍地雷といった、物理的な破壊力は低いが、人間相手なら十分に無力化できそうな、しかしやはり対能力者相手にはイマイチ威力不足かもしれぬ、どっちつかずなシロモノがほとんどであった。

 

 

彼らが防衛すべき施設には、全くもって用途不明な歪な精密機械が乱立する、実験室のような様相を示す部屋も存在し、そのような箇所にはトラップ自体が設置不可能であったりもした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『景朗、"静止機動(イモービライズ)"が来たよ!』

 

景朗の耳に、装着していたヘッドセットから丹生の明るい声が届く。作業を中断してミーティングルームへと足早に向かう途中、丹生の弾んだ声が、彼にも僅かな希望を抱かせていた。景朗と丹生が、元"ポリシー"に所属していた、たったひとりの生存者、"静止機動(イモービライズ)"という能力者との合流を心待ちにしていたのは言うまでもないだろう。丹生の反応から、景朗はその"静止機動"が頼もしい人物であるに違いないと推測していた。それは、厳しい見通しの中苦心していた彼らにとって何より嬉しい情報だった。

 

 

 

 

守衛室に入ると、さっそく、その男の姿が飛び込んでくる。ものものしい耐火服に耐火マスク。醸し出す雰囲気も場慣れしたベテランのそれである。少なくとも弱そうには見えなかった。

 

"静止機動(イモービライズ)"こと、元"ポリシー2"、亀封川剛志(きぶかわごうし)。彼が所属していた"ポリシー"は、昨日のプラチナバーグ襲撃の折に、彼一人を除いて皆死亡してしまっている。しかし、彼は良くあの厳しい状況下で生き残ったものだ。それだけも、景朗は彼に期待をよせるのに十分な事実なのではないかと思っていたが。

 

景朗と丹生の眼前で、ゆっくりと亀封川は耐火マスクを取り外した。短く切りそろえた黒髪に、誠実そうな相貌。歳の頃は、20歳になっていないくらい、だろうか。落ち着いた空気が彼をさらに頼もしく映し出していた。男は静かに口を開く。

 

「亀封川剛志だ。強能力者(レベル3)、能力名は"静止機動(イモービライズ)"だ。通達済みだろうが、確認しよう。前部隊では"ポリシー2"を勤めていたが、これより君らの部隊に合流する。司令部からは"スキーム3"を拝命した」

 

亀封川は名乗りを上げると、背後に立つ景朗へと振り向き、理知的な双眸を彼へと貼り付けた。

 

「昨日は支援が遅れてすまなかった。"スキーム1"、"人狼症候(ライカンスロウピィ)"の雨月景朗だ。……短い付き合いになりそうだが、よろしく頼むよ」

 

景朗はそう言いつつ、握手のために右腕を彼へと差し出した。だが、締まらないことに亀封川は手のひらを景朗へと向けて突き出し、静止のジェスチャーを繰り出した。

 

「君が"人狼症候"か。……君の戦闘データは既に拝見させてもらった。大能力者(レベル4)でもある、君の指揮下に就こう」

 

「……いいのか?言っちゃあなんだが、アンタの方が経験豊富だろう?」

 

出会い頭早々の亀封川の発言は、景朗には意外そうであった。そのため、彼は戸惑いが多分に含まれた返事を返している。その答えに亀封川は首を左右に振り、否定の意を示した。

 

「私には、君のように大能力者(レベル4)を打倒した実績は無い。能力も、VIPの身辺警護等には向いているが、君のように攻撃的なものではないんだ。……提出された私の戦闘データは既に確認しているか?」

 

彼の質問に、景朗と丹生はしっかりと首を縦に振り、頷き返した。亀封川は2人の返答に何の機微も表すことなく、続けて言葉を発した。

 

「それならば理解してくれるだろうが、私の得意とする攻撃手段の一つに、至近距離で破片手榴弾を用いるものがあっただろう?私としては諸処のフレンドリーファイアを避けるために、基本的には個人行動を望んでいることさえ把握してくれていれば、それで問題はないな」

 

それから後、亀封川本人に詳しい説明を受けて判明した彼の能力、"静止機動(イモービライズ)"とは、端的に言えば物体の運動をピタリと停止させられる、念動能力(テレキネシス)の一種であった。彼は個体、液体、気体の運動を妨げる力場を体の正面に面状に展開して、銃弾や敵の接近を防御することができる。ただし、彼の能力で停止させられるのは主に肉眼視できるスケールの物体に限るとのこと。気体に関しては突風のようにダイナミックな動きを持つ現象ならば止められるらしいが、空気を通した熱の移動や振動、波である音や光などは防ぐことができないらしい。

 

彼が言及した至近距離での爆破攻撃は、事前に渡された資料には、『標的に接近し、能力を展開しつつ、至近距離で陶器爆弾や破片手榴弾(フラググレネード)など(爆炎ではなく飛翔する金属片による殺傷を狙うタイプの爆弾)を炸裂させ標的のみにダメージを与える攻撃手段』だと記載されていた。景朗は彼の説明を聞いてようやく、彼が何故、動きを制限しそうなほどの大きさのある耐火服を着用していたのか、その理由に合点がいった様子である。"静止機動(イモービライズ)"で爆弾の熱と轟音が防げなければ、自前の装備で対応すればいいという考えなのだろう。

 

 

 

一通りの確認事項や連絡が終了した後、亀封川はすぐにでも詳細な対応策の議論に没入したい様相であった。その時の彼の話しぶりは、当然、今後"ジャンク"を迎え撃つ能力者部隊"スキーム"の人員がこの場にいる3人のみ、という考えのもとに構築されたものだった。そのことに対して、景朗はつい連絡するのを失念していた、とでも言いたげな表情を作り、亀封川へ追加の連絡事項を伝え始めた。

 

「すまない、亀封川。ひとつ伝え忘れていた。"スキーム"には恐らくもう1人、メンバーが加入するぞ。予定では本日の21:00だ」

 

景朗の言葉に、亀封川は怪訝そうな顔付を見せつけた。

 

「……どういうことだ、それは。そのような連絡は受けていない」

 

彼の言葉を、景朗は否定しなかった。

 

「ああ、その通りだろうな。何せ、俺が個人的な伝手を頼りに入手した人足だ。……心配するな。もちろん指令部には話は通してある。まぁ……ひとつ問題があるんだが、な。指令部と少々モメたんだ。この機に乗じて敵対勢力の回し者が入り込んでくるリスクがあるから、情報部が念入りに調査して、シロと判明した人員だけを増員できることになってさ。だから、それ故に……恐らく、ピカピカの新入り(ニュービー)がやってくることになりそうで……さ……」

 

景朗の最後の発言に、亀封川は大いな懸念を表した。

 

「新入り(ニュービー)だと?我々の足を引っ張らずにいてくれると思うのか?」

 

彼の質問は、景朗には予想されたものだった。

 

「その時は、とっとと突き返すつもりだ。心配せずとも、追加の人員に固執するつもりはない。ただ、もしかしたら使えるやつが来るかもしれないだろ?雀の涙ほどの確率だろうが……。でも、今はこんな状況だしな。僅かな可能性にもかけたいだけさ」

 

景朗の返答に、しぶしぶだが亀封川は納得する。彼が亀封川に提示したこの問題、実はその日の朝方に、司令部との折衝に相当難航したシロモノでもあった。実は景朗は、プラチナバーグの部隊への移籍を決意した段階で、"人材派遣(マネジメント)"への能力者の仲介の件を一度断っていた。だが、本日の朝方、危機的状況から脱するため、景朗は僅かな望みをかけて、無理やり"人材派遣(マネジメント)"に有用な能力者の確保をゴリ押し、なんと即日契約、つまりは依頼したその日のうちに、斡旋した能力者を"スキーム"へ寄越すように託けたのである。

 

 

不可能だと連呼する"人材派遣(マネジメント)"に無理やり肯定の回答を捻出させた景朗は、その旨を後付で指令部に報告したのだが。そこで彼らは"人材派遣(マネジメント)"が敵対勢力の間諜を送り込んでくる危険性を示唆し、絶対に許可できないと彼の案を一蹴。

 

ここに来てそれは冗談ではないと景朗は、彼をプラチナバーグの部隊へと引き入れた元凶、元"ユニット"オペレーターへと連絡。彼女を使った、徹底的なリサーチを約束させ、何とか指令部の許可を獲得するに至っていた。

 

元"ユニット"オペレーター関してだが、なんと彼女は、今のプラチナバーグの部隊の状況を知りつつ、確信犯的に景朗を招集したことに対して罪悪感を持っていたらしく、二つ返事に彼への協力を承諾してくれていた。しかしなるほど。明け方までそのような折衝に遁走していたのならば、宜なるかな。景朗が手纏深咲の来訪を失念していたのも無理からぬことだったかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『"ウルフマン"、貴方の"切り札"がご到着よ。……この貸しはいつか必ず返してちょうだいね?』

 

守衛室で、"スキーム"メンバーと作戦会議を続けていたさなか、オペレーターさんから期待していた連絡がついに俺へと届く。

 

「ああ!もちろんだ。俺たちがこの窮地を脱することができたなら、な。恩に切るよ、オペレーターさん」

 

『……絶対よ?"ウルフマン"。覚えておいて』

 

オペレーターさんからはいつもの無機質な声色ではなく、ちょっと照れたような返事がかえってきた。程なくして、守衛室の扉が開き、1人の男が無造作に入室してきた。

 

 

「……ッス。"収束光線(プラズマエッジ)"ッス。ただいま到着したァッス。遅れてスンマセン……したァッ」

 

だるそうな態度を隠しもせず、ふらふらと室内に入ってきたその男を目にして、俺たち"スキーム"のメンバーは3人とも、言葉を発することが出来なかった。

 

 

「で、どなたがライカンさんッスかァ?」

 

ハードジェルで固めた茶髪。両耳にはピアス。パンク・ファッション風の、あくまでどことなくパンク・ファッション風と呼べるか呼べないかくらいのトゲトゲしい出で立ち。……どっからどうみても、立派な不良無能力者集団(スキルアウト)にしか見えない……。

 

 

絶対にコイツ、期待はずれだ。率直に言って、足しか引っ張らなさそうだった。恐らく、その場に待機していた"スキーム"メンバー全員がそう思ったことだろう。亀封川に至っては、一体どう収集をつけるんだ、と言わんばかりの手厳しい視線を俺へと飛ばしてきていた。

 

 

俺は軽くため息をつくと、のっそり立ち上がり、"収束光線(プラズマエッジ)"と名乗った能力者へと近づいた。

 

「俺がライカンだよ。正確には、"人狼症候(ライカンスロウピィ)"ってんだけど、アンタの言うライカンってのは俺であってんのかな?多分だが、アンタの雇い主(クライアント)の雨月景朗だ。アンタを待ってたよ」

 

「…あァ?テメェがか?オレよかガキじゃねぇか。マジかよォー、イラつくわァー……」

 

コイツ、仮にもクライアントに向かって、なんつう応対だよ。確かに、歳は俺よか少し上みたいだが。

 

「ふぅー……はぁーーー……オーケー。取り敢えず、"人材派遣"から渡すように言われたアンタのデータをこっちに譲ってくれ。あと、名前くらい名乗ってくれよ、"収束光線(プラズマエッジ)"でいいのか?」

 

「……お、ナニナニ?女の子いるジャーン。マジぃー?なんでよ、けっこー可愛いジャン」

 

奴は俺の言葉を無視して、丹生の方へと歩いて行った。……どうしようかな。こんな下らない事で時間食ってる場合じゃねぇよな……

 

 

プラプラと近づいていった丹生の肩をつかもうとした"収束光線(プラズマエッジ)"だが、丹生はサッと素早く避けて半歩後ずさった。しかし、その様子になんら躊躇いもなく、"収束光線"と名乗った男は自らの名を名乗りだした。

 

「オレ、強能力者(レベル3)、"収束光線(プラズマエッジ)"の穂筒光輝(ほづつこうき)。強能力者(レベル3)。ヨロシクねぇー。キミ、名前なんてぇーの?」

 

「……オレは、丹生多気美。強能力者(レベル3)、"水銀武装(クイックシルバー)"。ねぇ、アンタの雇い主は景朗だよ?もうちょっと言うこと聞きなよっ」

 

「うはっ。オレっ娘可愛い。え?景朗ってダレ?アイツ?」

 

穂筒はニヤケ面のまま丹生へとさらに近づこうとしたが、耐え切れなくなった丹生は慌てて俺の方へと小走りに寄ってきて、背中に隠れてしまった。

 

「あァァ?テメェかよ。ッゼェー。なに?その娘オメェのカノジョだったんかよ?」

 

ようやく穂筒は俺の顔に面と向かって話しかけてきた。ちなみに、一貫して亀封川のことはガン無視している模様。

 

「いいか?俺が、アンタの、クライアントの、雨月景朗だ。大能力者(レベル4)の肉体変化(メタモルフォーゼ)のな?いいから、さっさと渡された資料をこっちによこせ」

 

「……テメェ、ちっとデケェからってさっきから調子のってんじゃねェぞガキがッ。ブチ殺すぞテメェ、ア?」

 

クライアントぶっ殺してどうすんだ、あーもうダメだ。コイツ。我慢できねぇ。丹生が心配に俺の顔を覗き込んできた。彼女にニヤリと笑い返したら。

 

「ダ、ダメッ!景朗、ダメだよっ!」

 

何やら慌てていた。いや、でもしょうがないじゃんか、丹生。どうしようもないよ。俺はつかつかと穂筒へと近づいていく。

 

 

「ア?やんのか?コラ。かかってこいや」

 

そう言い放つと、穂筒は腰にぶら下げていた、フラッシュライトのような筒状の器具を手にとった。そして。そして、その筒をまるで剣の柄のように片手で握り、先端を俺のいる方向へ突き出して。

 

「ウッウォオオオオオオオッオオッ!プラズマァッエッジッ!!!」

 

まるでRPGの技名を叫ぶように、一際大きく自身の能力名を吠えた。ポージングもばっちりだ。映画に出てきそうな感じでビシっとキメていらっしゃる……

 

だが、穂筒が吠えたその途端に、明らかに能力によると思われる現象が生じていた。彼が持っていたのははっきりとは言えないが、レーザーポインターのようなものだったらしい。本当にレーザーポインターだったとしたら馬鹿げたサイズだが。

 

そのレーザーポインターの先端から、光が迸ったかのように思えたその時。突如、そのレーザーポインター状の器具の先端に、強力な棒状の光が姿を現していた。直後、バチバチという音とともに、部屋の温度が仄かに上昇し、何だか焦げ臭い匂いまで発生し始めた。

 

「オラ!テメェら、これが見えねぇのかァ?これがオレの十八番!"プラズマエッジ"だ!」

 

「いや、眩しすぎんぞ!おい!何も見えねぇから!」

 

強烈な発光は室内をほとんど真っ白に染めていた。今、俺が口にしたとおり、本当に何も見えない。光しか見えていなかった。

 

「マジで?!あれ、ちょっ…………おらァ!これでどうだァ!?」

 

穂筒の言ったとおりに、光の勢いは急速に落ち着いていった。ただ、依然としてレーザーポインターもどきの先端の、光の棒はバチバチと苛烈な光を放っている。その光景は……まさしく、アレだった。アレとは、所謂、ビ○ムソードやライ○セーバー。光の剣。

 

穂筒はその光の剣、いや、彼の能力から取れば、そのまま"プラズマの刃"と称すればいいのだろうか。そのプラズマの剣を振り回し、彼はたいそうご満悦、といった表情を浮かべている。

 

「こいつの切れ味は最高だぜェ?ア?テメェ、こりゃあ死んだな?」

 

俺は油断しまくりの穂筒へと尚も無造作に近づいていった。俺が大能力者だと宣言していたせいだろうか。穂筒は俺の接近にものすごく警戒し、ちょっと腰が引けていた。おいおい……

 

俺はいよいよ穂筒の真正面に立つと、冷徹に彼を挑発した。

 

「とっとと殺してみろよ、雑魚」

 

「ッらァッ!!」

 

額に青筋をいくつも浮かばせた穂筒は、その場でブンブンとプラズマエッジを振り回した。1閃、2閃、3閃、4閃、5閃、6閃、7閃。しかし、無情にも。それはひとつも俺の体をかすることすらなく、虚空を勢いよく切り裂いていくだけだった。やがて、ゼェゼェと息を切らした穂筒はプラズマエッジで俺を切りつけるのを諦め、青ざめた顔つきで俺の顔を見上げた。

 

「当たらなきゃ俺は殺せないぜ?」

 

「……ちくしょォがッ!」

 

穂筒は捨て台詞を言い放った瞬間に、プラズマエッジの光量を一気に増大させ、部屋中を眩しく照らす。俺の目はその光の不意打ちに眩んだが、バチバチという大きな音がその剣の位置を教えてくれるため、難なく穂筒の追撃を躱していった。

 

「……う……」

 

穂筒は焦りを顔中に散りばめていた。恐怖で彼の口からはくぐもった吐息がこぼれるも。それでも穂筒が再び振りかぶろうとしたその時に、ようやく俺は反撃を開始した。穂筒が振りかぶったその手首をつかみ、だんだんと力を強くして握りしめていった。たったそれだけで穂筒は悲鳴をあげていく。

 

 

 

「穂筒。お前が俺の命令を素直に聞くべき理由、そいつを今からテメェに見せてやるよ」

 

右手を抑えて立ちすくもうとする穂筒の顔を、俺は無理やり左手で掴み、目と目が合うように引っ張りあげた。そして、バキバキと躊躇なく、そのままの体勢で"人狼化"を行う。

 

みるみる膨張する俺の体躯。着ていた服はバチリと音を立てて吹き飛び、獣を思わせる漆黒の艶やかな毛並みが素顔を表した。バキバキと生えそろう巨大な牙と鋭い爪を目にした穂筒は、全身を強ばらせ、顔を青くしていった。視線を横にずらせば、亀封川も緊迫した表情で俺の変身を注視しているようだった。

 

 

「サッキテメェハ、丹生ガ俺ノカノジョナノカッテ言ッテタナァ?ソイツハ違ウ。イイカ?俺ニブッ殺サレタクナキャア、コレダケハ覚エロヤ!俺ト丹生ノ関係ハソンナ生易シイモンジャネェ!俺ハアイツノガーディアンダ!アイツダケハ命ヲ捨テテデモ守リ通ス!既ニテメェノ臭ッセェ体臭ハ記憶シテッカラナァ!コレカラ丹生ニチョットデモ危害ヲ加エテミロ?地ノ果テマデ追イ詰メテ、テメェノ体ヲ真ップタツニ噛ミ砕イテヤラァ!!!GOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAHHHH!!!」

 

 

「わ……わかった……わかった……」

 

穂筒はカクカクと頷き、しばらくの間、ただひたすら『わかった』と繰り返していた。俺は叫び上げたその内容を冷静に思い返し、照れくさくて丹生の方向を向くことが出来なかった。決意して後ろを振り向けば、丹生は恥ずかしそうに俯いていた。まあ、そうだよね。この場には亀封川もいるし。こっぱずかしいよね……。

 

 

 

 

 

 

 

 

ひと段落して、俺は"人材派遣(マネジメント)"にクレームの電話を入れようとしていた。あの男、糞みてぇな奴を寄越しやがって。もっとマシな奴、さすがにいただろうがよ。

 

ひょっとしたら、今回は通話を無視されるかとも危ぶんでいたが、"人材派遣"はいつものように俺へと応答した。

 

「やあ、マネさん。どういうことだい?あの"収束光線(プラズマエッジ)"とか言う奴は?さすがにアイツはジョークだよな?」

 

 

ケータイ越しに聞こえてくる"人材派遣"の声は、愉快で愉快で仕方がないという声色だった。俺は額の青筋がブチリと千切れる音を感じていた。

 

『いやいやいや、ジョークなんかじゃないって、少年。大真面目さ。これでも頑張ってお仕事したんだぜ?どだい、一日や其処らで、っつうか、少年は1日の猶予もくれなかったじゃねえかよ。あまりに時間が無さすぎた。これでも感謝……ブハハハッ、感謝してほしいなぁ?』

 

「俺は足を引っ張りそうな役たたずしか見つからねぇなら、いっそ送ってくるな、とも言ってたよな?アイツのどこらへんが役に立つのか、早いとこ説明ねがおうか?」

 

 

『あれ?おかしいな。資料にはちゃんと目を通してくれたのかい?奴は確かに暗部じゃ新人だが、一応"殺し"に関しちゃ童貞じゃあないんだよ。有効に活用してもらいたいな』

 

 

俺は"人材派遣"には何度も口を酸っぱくして警告していた。新入り(ニュービー)でももう仕方がないが、それでも、自分自身で危険を察知できる脳みそを持ったやつを送ってくれ、と。そう言ったやつが見つからなったら、任務に巻き込んで殺しちまうから、絶対に送ってくるな、と。

 

 

「……いいだろう。次会う時が楽しみだよ。今すぐにでもマネさんに会いたくなってきたぜ」

 

俺の返答に、一瞬、ほんの一瞬だけ"人材派遣"の声が震えたが。すぐさま、こちらを嘲笑するような笑い声が響いてきた。

 

『ああ、そうだな、少年。次が来れば、だけどな。ハハハ……どうやら、そっちはずいぶんと危うい状況になってるみたいだな、少年。仕事柄、今の少年みたいな、切羽詰まった野郎共から散々依頼を受けてきてんだけどよ。……似てるんだよなぁ、少年の焦りが。今まで死んでいった奴等にさ!今まで随分と、金を払わずに死んでいった馬鹿野郎のせいで損をしてきたからな。今回はきっちり前払いで料金は頂いてるんだ。だからよ、少年。俺のことは心配せずに、思う存分戦っておくれよ?……プハハハ!!!』

 

 



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episode14:螺旋破壊(スクリューバイト)

次の話は、一週間以内に更新したいです。もはやほら吹き扱いとなっているでしょうけれどorz。そういう気持であるとは表明したくて。


忌々しい"人材派遣"への報復を考える間もなく、景朗は"収束光線(プラズマエッジ)"こと穂筒光輝(ほづつこうき)の取り扱いについて、すぐさま指令部と交渉を行なった。景朗としては、それが無理難題であると自ら認識しつつも、穂筒の即日解放の許可を指令部に望んでいたのだ。彼にはこれからの戦いにおいて、穂筒が彼らの力になるよりも、むしろ足を引っ張っていく可能性を考えずにはいられなかったのである。しかし、彼の予想通りに、司令部はすげなく景朗の要求、"収束光線(プラズマエッジ)"の迅速な放免を却下した。その理由は、穂筒が僅かながらも防衛施設の内部の様相を目にしていたためだった。彼を野放しにすれば、容易く敵は彼らの陣営の内情を入手できるだろう。

 

指令部の判断自体にはすんなりと納得した景朗だったが、それでも彼は、穂筒をこの防衛施設にそのまま留めて置く気は無いようだった。煩わしい手間を増やす羽目になろうとも、景朗は他の外部の組織を使って、状況が落ち着くまで穂筒を軟禁させる方法を指令部へと提案していた。もちろんその費用は景朗が支払うことになっている。苦労して指令部にその案を承諾させた彼が、その旨を当の穂筒本人に確認したところ。景朗の予想に反して穂筒は粛々と、命令に従うとの答えを返したのだ。やはり、穂筒にとっても避け得る戦闘は避けたいものだったのだろう。

 

「……糞ッ。とんでもなく面倒臭ぇことになったなぁ。"人材派遣"め……次あったらホントどうしてくれようか……」

 

事態を一通り取り成した後、ぽろりと景朗の口から"人材派遣(マネジメント)"への悪態が溢れ出した。彼は"人材派遣"への報復をひとしきり誓うと、速やかに中断していたブービートラップの設置作業へと取り掛かっていった。

 

 

 

 

 

 

この調子で切り抜けられるのか、と景朗は残されたトラップの設置に忙しなく手を動かしつつ、襲撃者達への対処について悩み続けていた。脳内で改めて、後詰の支援スタッフから説明された情報を整理すればするほどに。自分たちが今、極めて危うい状況に追いやられているという、その事実が浮き彫りになる。

 

 

 

どうやら景朗が暗部の世界に足を踏み入れた頃には、学園都市統括理事会の内輪揉めは既に勃発していたらしい。景朗にはこの学園都市の政治について確たる知識がなかったため、自らが置かれている環境の全体像や個々の事件の詳細な前後関係などは説明されてもわからなかった。ちなみにその事実は、今後は『分からない』の一言で済ませていい話じゃないな、と彼に情報収集に関する行動方針の確立への覚悟をもたらしていたりする。

 

ともせず、景朗に理解できたのは。彼が昨日、思いもしなかったことに。ホテルで会談を行っていたプラチナバーグへの護衛を支援したその夜に、事態が大きく動いていたという事実だった。

 

親船最中。統括理事会のメンバーの1人である彼女は、2つに対立して行われていた内輪揉めの当初から一貫して中立を維持し、確たる行動を起こすことはなかった。だが、昨日。景朗が"暗黒光源(ブラックライト)"と戦った夜に。彼女はついに、プラチナバーグの属する陣営ではなく、反対の敵対する勢力に加担する、という形でアクションを起こしていた。

 

敵対勢力はわざと暗殺者の情報を流し、プラチナバーグの戦力を会談の会場へと集結させた。これにより、プラチナバーグは他の主要防衛施設に少数精鋭の配置をせざるを得なくなった。続いて敵対陣営は、本丸であった会談会場に、情報以上の大規模な戦力をぶつけ、プラチナバーグの戦闘部隊の中枢を混乱させる。そして終には、恐らく彼らの計画通り、プラチナバーグの増援部隊をおびき出すことに成功したのだ。

 

このタイミングで、中立派である親船一派が動き出した。情報が錯綜する中、埒外の勢力から攻撃を受けたプラチナバーグ側の対応は鈍く、その結果。親船最中の懐刀、精鋭部隊"ジャンク"は、同じくプラチナバーグの主力部隊"レジーム"を奇襲し、壊滅させたのだ。

 

プラチナバーグは、統括理事会の中で最も若かった。しかし、政界での彼の評価は『過去に一度の失敗もせず、またこの先もしないだろう』と言われるほど高く、それ相応の実力も持ち合わせていたのも事実だった。だが、流石に30代後半の身空では、学園都市の深淵、その随所に跋扈する海千山千の傑物達との争いは一筋縄にはいかなかったのだろう。

 

恐らく。トマス=プラチナバーグは選ばれたのだ。この内輪揉めの清算を可能にする、情勢を変化させ得る鍵となる、その要因(ファクター)の1ピースとして。彼は今、敵対勢力から一身にその矛先を向けられている。

 

そして、俺たちは。どうやら若きプラチナバーグの切り札(ジョーカー)として期待されている、とある計画か、もしくは手段か。具体像はわからないが、俺達が防衛しているこの施設、この設備がきっとその逆転のために重要なのだろう。彼は今、彼自身を守るために残った主力を身辺警護に侍らせつつ。切り札専守のために、俺達"スキーム"をこの施設防衛の任に当たらせている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「丹生。今俺がいるエリアの設置作業は終わったよ。これでこのフロアは全部カバー済みだよな?」

 

『ちょっと待って。念のためもう一度確認する。……うん。だいじょぶだよ、景朗」

 

「次はワンフロア下か?……いや、地下になるのか?」

 

『んー、ん。地下だよ。……なるべく急いで」

 

「わかってる。いつ襲撃があってもすぐ戻れるように細心の注意を払ってるよ。お前んとこへ直急するさ」

 

『……ありがと。今んとこ亀封川さんも順調にやってくれてるから心配ないよ』

 

「オーケー。こっちも順次連絡する。それじゃ―――」

 

『あ、待って!地下から施設の人達が退去するって連絡を受けてたんだった。だから気をつけて』

 

「おお。そっか、わかったよ。ってか、こんな警戒体勢の中、まだ残ってたのか。よくやるよなぁ……いや……もしかして、敵さんは研究機器だけじゃなくて、実験や研究そのものの妨害を狙ってたりもするのか?……あぁ、すまん。とりあえず、これで通信終了だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

襲撃者への対応を苦慮しつつも、順調にブービートラップの設置をこなしていた景朗は、作業場を徐々に地下の方へと移していった。ついに、それまで足を踏み入れることが無かった領域、薄暗く、四方を壁材で塗り固められた無機質な廊下へとやってくる。そして。その飛び出た廊下で、彼は奇妙な人物と遭遇することになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

景朗は踏み入れた通路の奥に、一人の少年の姿を発見した。真白な毛髪と透き通った肌に、景朗が生まれて初めて目にする真紅の光彩が印象深い少年だった。音もなく、匂いもなく、淡々と廊下を歩き近づいてくるその不気味な少年を前にして。景朗は、初めのうちは、廊下が一直線でなければ気がつきにくかっただろうな、という感想を思い浮かべるだけだったのだが。

 

廊下で対面し、互いに直線上に位置する景朗を欠片も気にする素振りもなく、白と紅の少年はまっすぐ景朗へと向かって来る。いつの間にか、景朗はピタリと足を止め、全神経を集中させてその少年を注視するようになっていた。白と紅の少年が一歩一歩、景朗へと近づくたびに、無意識のうちに彼の体は強張っていく。

 

 

 

 

 

近くで目にすればするほどに、不気味な奴だ、と抱いていた感想が変化していった。匂いの無い男。どうしてか俺はこいつのことが気になって気になって仕方がなくなっている……。……いや、男と形容してしまったが、実際、男か女かよく分からない。華奢すぎる体つきだ。脳裏に浮かぶ、アルビノという単語。しかし、どこかその言葉に違和感を覚えてもいて。……そう、違和感だ。こんなに弱々しい外見なのに。認めたくないが、俺は今、無意識のうちに能力を使って、何故か身の内側から湧き上がる緊張を必死に薄めている。

 

 

「……悪いが、タグを見せてくれないか?」

 

匂いの無い男は、俺のすぐ目の前まで接近し、歩みを止めた。極限なる無関心。その白い少年の表情に色はなく、彼の目には俺という人間の存在は微塵も映されていないのでは、と感じていた。俺の言葉に反応し、彼は無言のまま胸元からセキュリティカードを取り出した。

 

「確認した。悪かったな。速やかに退出してくれ」

 

受け取ったセキュリティカードを白髪の少年に返し、俺は横に体をズラして彼へと道を譲った。それまでのやり取りの間、その少年は終始、視線を向けることすら無く、一貫してすぐ側に立つ俺への興味関心を示さなかった。

 

張り詰めたピアノ線のように、硬く、冷たい空気が流れていた。俺は段々と増していく体の強張りを煩わしく思いながら、ふと浮かんできた疑問を耐え切れずに口に出していた。

 

「……なぁ、アンタ。ここで何か実験でもしてたのか?」

 

俺の存在を物ともせずにスタスタと歩き出していた、匂いの無い少年はその質問にピタリと動きを止めた。彼は振り向かぬままに、静止した状態のまま静かに答えを放つ。

 

「テメェこそ、ここで何やってやがる?」

 

彼が口を開いた瞬間。それまでその少年が、微塵も俺へと意識を向けていなかったのだと思い知らされた。彼に話しかけられると同時に、ゾクゾクと背筋に怖気が這い巡る。能力を使い、寒気に震えそうになる体に喝を入れ、俺は精一杯虚勢を身に纏わせた。

 

「たぶん、アンタ達の護衛だよ」

 

「ハハァン……そりゃァ、無駄な事をご苦労さん。知りたきゃァ、後ろのアイツにでも聞きなァ」

 

理由も分からぬままに湧き上がってくる緊張と畏怖。頭の片隅でその原因を探りながらも、俺は彼が返した言葉の意味を考え、しかし捉えきれなかった。そして、背後からコツコツと聞こえてくる足音に、その瞬間に初めて気づく。後方遠方からやってくる、その足音の小さくも軽快な響きは、目の前の野郎とは全くの別物だった。音の質、リズムを耳にして、今までに培った経験からそれほど質量の大きくない人間、恐らく女性ではないかと思い浮かべる。白い少年は再び歩き出すが、俺はもう何も言わず、その場につっ立っていた。

 

そうして、俺は匂いの無い少年の姿が視界から消え失せるまで、彼の背中を監視し続けた。その間、後ろから近づいてくる人間へと意識を合わせる事無しに。白髪の少年を見送る途中、背後からやって来た足音の主は俺のすぐ後ろでピタリと足を止めていたというのにだ。奇妙な話だ。だが、それほどまでに。頭の隅で、この匂いの無い男に対する警戒を絶やしてはならぬ、と第六感が警鐘を鳴らしていたんだ。

 

 

不気味な男が消えた後。俺は改めて背後へ顔を向けた。目視こそしていなかったが、実はだいぶ前から、その人物の体臭により正体を突き止めてはいたのだ。

 

「護衛任務お疲れ様です、"人狼症候(ライカンスロウピィ)"、とミサカは感謝の意を表します」

 

その匂いは御坂さん、いや正しくはミサカクローンズの誰かのもの、ということになるのかな。俺はほっと一息つきつつ、彼女へとゆっくりと向き直った。

 

「そうか。俺たちの任務って、君たちの護衛任務だったのか。知らなかったよ、まったく」

 

「……はぁ。それは、どういう意味でしょうか?」

 

俺の返答に疑問符を浮かべ、無表情のまま首をかしげる、どこからどう見ても御坂さんそのものの少女の存在は。何故だか、その時の俺にはものすごく有難かった。以前彼女を初めて目撃した時には、あれだけ不気味な印象を受けたのに。全く、どうかしちまってるな、今の俺は。一気に凍てついた緊張はほぐれ、いつの間にか弛緩した空気が俺達を優しく包み込んでいた。

 

「いや、すまん。こっちの話さ。……なあ、さっき通っていった奴、誰なのか知ってるかな?」

 

「どうしてご存知ないのですか?……ああ、そういうことですね。彼とは初めて対面なされたと。先程、貴方がタグを確認された人物は、私たちの"計画(プラン)"の基軸要素である"一方通行(アクセラレータ)"ですよ、とミサカは回答します」

 

その答えを聞いて思考が一時、停止する。"暗闇の五月計画"の時。幾度も、幾度も幻生から聞かされ、耳にした。学園都市最高の"超能力者(レベル5)"、第一位、"一方通行(アクセラレータ)"の名を。俺は、アイツが"一方通行"だと言うミサカクローンの言葉から嘘は感じていなかった。なるほど、と納得できる気持ちが、心の中に確かに存在していたからだ。

 

あの匂いの無い男にやたらと圧迫感を感じたのは、俺の強化された生存本能の賜物だったのだと考えようか?それとも、幻生のジジイの手によって、散々頭にブチ込まれた奴のパーソナルリアリティやら演算特性やらが異常に反応したとか?色々考えさせられるな、畜生。

 

 

「あのさ――」

 

矢継ぎ早に、一体アイツと何をしていたんだ?と更に質問を加えようとしたのだが、目の前でこちらを見つめるミサカクローンの、その思いのほか綺麗に済んだ瞳に当てられたのか、俺は発言途中で言い淀み口を閉ざしていた。俺たちは暗部に身を置く人間だぞ。期を等しく、放っただけの質問全てに、そうそう答えられる訳がないだろ、という考えが脳内を駆け巡る。

 

たった1人のミサカクローンは、表情をピタリと固定させたままだったのだが、その姿からはほんの僅かに、こちらを興味深そうに覗いている印象を感じさせられた。常盤台の制服に身を包み、腕を後ろに組んだまま、ピトッ、と俺の目の前に張り付くミサカクローンからは、在りし日の御坂さんの面影が確かに受け取れるような気がしていた。

 

そもそも。この娘のベースは御坂さんであるからして。彼女のような少女に、邪気もなく見つめられれば。こちらの敵愾心も僅かながらも霧散していくってなもんさ。俺が"一方通行"に気を取られている間も、きちんと側で佇んでくれていた分けだしさ。ややあって、ミサカクローンは俺の途切った言葉に反応し、静かに口を開いた。

 

「はい。……どうされたのですか?」

 

相変わらずの、きょとん、とした彼女の顔付きに、激しく波打っていた俺の心は急速に落ち着いていく。ああでも、さすがに、まるで虫眼鏡で覗くかのように、瞬きもせずにジトリと注視されるのだけはやっぱり落ち着かないかもしれない。

 

「あ、いや。……こほん。それはそうと、律儀に挨拶してくれるなんてな。君たちからの好感度が以外と高くて驚いたよ。この間ミサカ2201号と名乗った娘と出会った時は、随分と強引に根掘り葉掘り聞いてしまってたってのに。そうそう。あの時はホント悪かったな。……その、俺に色々話したせいで、彼女、ミサカ"実妹(2201号)"ちゃんは何かペナルティを受けてたりしてないよな?」

 

「問題有りません。ミサカ2201号は無事に実験を終了しました。どうか私たちのことはお気になさらずに」

 

「そっか、それは良かった」

 

「ただ今好感度とおっしゃいましたが、それは私たち"姉妹達(シスターズ)"が貴方に向ける好意的な感情に関与する言葉でしょうか?とミサカは疑問を呈します」

 

「いや、まあ、まちがってないかな、その解釈で……って、え?好意的な感情!?俺に?」

 

俺の曖昧な返事と突然張り上げた疑問に、ミサカクローンは全くと言っていいほど動じず、言葉を繋いでいく。

 

「やはりそうですか。でしたら、"姉妹達(シスターズ)"が貴方に好意的な感情を持つのは当然の帰結です、とミサカは"姉妹達(シスターズ)"の総意を代弁します。貴方の意思に関わらずとも、貴方は今まで私たちが問題なく"実験"に従事できるように、様々な支援を行ってくださいました。ですから、"姉妹達(シスターズ)"は皆、貴方の献身に感謝しているのです。現在も尚、"計画(プラン)"へのノイズの発生を防ぐために、こうして警備をされているのでしょう?」

 

「どういう、ことだ?」

 

「もし、"計画(プラン)"にノイズが生じていた場合、私たち"姉妹達(シスターズ)"の存在理由は崩壊していたでしょう。"計画(プラン)"が計画され、進展し、実行段階へと推移するまでの、貴方の尽力、功績を鑑みれば、"姉妹達(シスターズ)"が貴方に嫌悪感を抱くはずがない、ということがご理解いただけますね、とミサカは再度説明します」

 

「……そこだ、解らないのは。俺が一体、そこまで君たちに何を貢献してきたって言うんだ?教えてほしい。具体的に何を……ええと、君は……なんて呼べば?」

 

「ミサカ2525号です、とミサカは自身のシリアルナンバーを告知し」

 

名乗りを上げたミサカ2525号が皆まで言う前に、俺は再び彼女へと糾問していた。

 

「それじゃミサカ2525号さん。教えてくれ、もっと具体的に。君が言う、俺が行なったどのような行動が、どんな風に君たちの助けになったと言うんだ?」

 

焦って問い詰めたが、それまで淀みなくしゃべり続けていたミサカ2525号は急に口を噤み、俺の質問に答えを返さなくなってしまった。黙したまま心なしか眉根を顰めて、俺の顔をじとーっと見つめている。やはり、彼女達の機密に触れる質問だったのか。いや、だが。俺が彼女達を助けたという発言自体はえらく事もなさげにペラペラと喋っていたし。不自然じゃないか。

 

「……ミサカ2525号には、ニックネームの授与は行ってくださらないのですね、とミサカは不満を大いに露わします」

 

やや間を置いて、再び口を開いたミサカ2525号の第一声は、俺が想像していた物から斜め上の方向へと逸れて、遥か高く飛んでいった。

 

「んあ?」

 

彼女の予想外の返答に、思わず上ずった空気が俺の喉から漏れ出ていく。

 

「以前、"実妹"との呼称を拝命したミサカ2201号には、同時期に稼働中だった多くの"姉妹達(シスターズ)"から羨望の眼差しが向けられました。私こと2525号もその例に漏れてはいないのですよ、とミサカ2525号は期待に胸をふくらませます」

 

「…………」

 

今度は俺が無言となる番だった。

 

「そんなくだらないことで……。だいたい、2201号ちゃんを"実妹"呼ばわりしたのは俺じゃなくて丹生。もう1人いた女の子だっただろ」

 

つい、返し文句が口から飛び出す。耐え切れずに呆れを存分に含ませてしまった言い様だったのだが、ミサカ2525号は全くもって気分を害した風にはならなかった。

 

「……そうですか。下らない事だったのですね、とミサカは……」

 

ああもう。表情がピクリとも変化しないからわからないんだよ。ミサカ2525号がボソボソとつぶやく仕草からは、何だかんだで意気消沈した感じを受けた。

 

「あーわかったわーったから。ミサカニセンゴヒャクニジュウゴ号だろ?二千五百二十五。2525。ニコニコ……ミサカニコニコ……うーん。ニコニコ……スマイル。スマイリー。うーむ」

 

「ニコニコ、ですか。スマイル、笑顔のことですね。……こう、でしょうか?ニコー」

 

ミサカ2525号は口元だけを真横に広げ、無表情のまま『ニコー』と発言した。可哀想だったが、それを目にした俺はビクッと大きく仰け反ってしまった。率直に言って怖かった。おい、それのどこが"笑顔"だと言うんだ……本人は一生懸命な風に見えるのが余計にタチが悪い。申し訳ないが、ミサカ2525号のその行動からは埒外の恐怖が湧き上がってくる。

 

「……うん。まあ。ワルクナイネ。その"ニコニコ(スマイル)"。これからはそれ、周りの皆にやってあげなヨ。はい。それでは今日から君はミサカ"ニコニコ"こと、ミサカ"スマイリー(2525)"、となりました。……ヨロシイカナ。それじゃ、今度こそ俺の質問に――」

 

ようやくミサカ"スマイリー"に話を聞き出せると思った矢先に、突如、都合悪く俺のヘッドセットに通信が入ってくる。

 

『景朗、アタシ。ねえ、もうそっちは終わった?亀封川さんの方は終わったみたいで、次は全員で、戦闘時の連携についてミーティングしたいって。そろそろ帰って来れないの?』

 

眼前で口を開きかけたミサカ2525号へ手のひらを向け静止のジェスチャーを繰り出し、俺はヘッドセット越しに丹生との会話を続けていく。

 

「悪い。あとちょっとかかる。なるべく急いでいくから」

 

『了解。早くね』

 

「オーケー」

 

俺はため息をつきながら、マイクのスイッチをオフにした。ミサカ2525号に話を聞きたいのは山々だが、今はとにかく、襲撃者の対応に全霊を注がなければならない。

 

「こっちから聞いといてなんだけど、そろそろ任務に戻らないといけないみたいだ。もし、今度会うことがあったら、次こそ色々教えてもらいたい。もちろんタダでとは言わないぜ。コーヒーの一杯でもおごらせてもらうからさ。それじゃ、長いあいだ引き止めて悪かったな。そんじゃまたな」

 

「了承しました。それでは」

 

一方的な別れの宣言だったが、やはりミサカ2525号は嫌な顔一つせず受け入れてくれた。まあ、彼女の場合は物理的に嫌な顔を形作ることができないのかもしれないけどね。

 

「ああ、そうだ。一応、2201号、"実妹"ちゃんにも、前回の無礼を許してくれって伝えておいてくれよ。そうだ、なんだったら"実妹"ちゃんにも、コーヒーを奢りますよって言っといてくれ」

 

俺はてっきり、次に口を開くであろうミサカ2525号は、快く『了解しました』と切り返してくれると信じきっていたのだが、彼女の口から返ってきた返答は、その予想を覆すものだった。

 

「いえ、それは不可能です、とミサカはお答えします」

 

「あー、そう、か。それじゃ、悪かった、とだけ伝えておいてくれないかな」

 

「ですから、それは不可能なのです。とミサカは再度否定します」

 

ミサカ2525号の貼り固まった顔付きからは、感情の機微が読み取れない。俺は今イチ、彼女の発言の意味を把握しきれずにいた。

 

「うん?なん、で?」

 

「先程、お伝えしたでしょう。ミサカ2201号は"無事に実験を終了しました"と」

 

どうしてだろう。ミサカ2525号は、どうしてそんなことも気づけないのでしょうか?とでも言いたげな口ぶりだった。

 

「そうなんだろ?"無事に"実験を終えたんだろ?ああ、もしかして、もう学園都市には居ないってことか」

 

「表現としては完全に間違っているとは言えませんが、そうではありません。端的に言えば、ミサカ2201号は実験を完了し死亡していますので、貴方の要望を叶えることができないのです、とミサカは解説します。……やはり、貴方は我々の"計画(プラン)"に対する基礎的な知識が不足しているのですね、何故でしょうか?とミサカは疑問を感じ得ません」

 

まただ。このクローン娘さんは、ほっとけばすぐに訳のわからないことを言い出すんだから。困ったもんだ。

 

「おいおい。君の言い方だと、その"実験"で君たちが死んじゃうのが、まるで当然のことであるかのように聞こえてくるぞ?」

 

「はい。お言葉の通りです。しかし、何故貴方はその事実にそれほど拘泥されるのでしょうか?どうやらミサカは、貴方の発言の意図を上手く把握することができていないようですね」

 

ああ糞。ホントに何を言い出すんだこの娘さんは。早く丹生の所に帰らなきゃならんってのに。帰るに帰れない。

 

「冗談だろ?あの時のミサカクローンの死体は、あれは不慮の事故で運悪く死亡してしまっただけだと思ってた。違うってのか?マジで言ってんのか!?それじゃ、今まで君たちがやってきたその"実験"とやらで、毎回毎回君たちは死んでるって言うんだな?」

 

「肯定です。何故、それほどまでに興奮されるのか理解不能です」

 

「信じられない!だって、もし本当だって言うんなら、殺される羽目になる君は、えらく淡々と―――。なあ、君たちのナンバリングってどうなっているんだ?仮に君の言うことが真実だとして。殺されている2201号(実妹)ちゃんのナンバーは2201。それまでにまるまる2200人死んでるって言い出すんじゃないだろうな?」

 

あまりにも突拍子の無いミサカ2525号の発言に、俺は大いに声を荒げ、唾を飛ばして彼女に食いかかってしまっていた。それでも、ミサカ"スマイリー"はいつもの調子で、冷ややかな相貌を維持している。

 

「おっしゃる通りです。ちなみに、先程第2524回の"実験"が終了したところです。……ですから、貴方の言う"今度"が何時の日時を指すのかわかりませんが。ミサカとしては申し訳ないのですが、私、ミサカ"ニコニコ"が貴方にお会いできる可能性はそれほど残されてはいないと思われます、とミサカは少々名残を惜しんでいるのでしょうか?」

 

「……」

 

俺は絶句し、黙したままその場に立ち尽くした。ミサカ"スマイリー"の欠片も笑顔のない表情を見つめたまま。

 

「"実験"は現状では第20000回まで予定されています。つきましては、それまでどうか貴方のご支援を、これから生まれてくる"姉妹達(シスターズ)"へと授けて頂ければ、とミサカは要望致します。それでは、これにて」

 

 

 

 

 

俺は立ち止まったまま、迷いなく俺の前から退去し、出口へと進んでいくミサカ2525号の背を眺め、無意識のうちにポツリと悪態をこぼしていた。

 

「2万?わけがわからん……冗談じゃねぇッ……さっぱりだ……」

 

ミサカ2525号に聞こえる由もなかった。彼女の姿が出口に消えるまで、俺は何度も何度も彼女の言い放ったフレーズを頭の中で整理していた。

 

学園都市第三位の超能力者の、クローン計画。唯でさえ人道的に問題のあるクローン体を馬鹿みたいに作って作って、2万人。そして、そいつらを片っ端からぶっ殺すって?クレイジーだ。イカれてるってもんじゃない。嘘に決まってる。いくら暗部だからって、そんなことありえるわけが……。だって、もしそんなご大層な計画が実際に実行されたとして。そのことを外部の反学園都市勢力へとリークされてみろ。学園都市の立場、面子が一晩で崩壊しかねないぞ。統括理事会のメンバー全員がこんな危険なギャンブルにチップを賭けるわけが……と。そう頭の中でぐるぐると考えていくうちに。

 

謎だった、学園都市統括理事会の内輪揉めの原因。馬鹿馬鹿しい被害を生み出している、この暗部の闘争劇の原因に。もし、この2万人のクローン殺害の計画が正真正銘真実ならば。これほど相応しい理由もないのではないか。そう思い至った。

 

あのクローン少女の怪しい話を鵜呑みにしていいのか?暗部の世界では、一体どの話を信用すればいいのかわかったもんじゃない。何を信じて、何を疑えばいいのか、わからない。俺はこれからどうすればいい?この殺伐とした世界から抜け出せさえすれば。誰もがそう考えているのかな。本当に、俺に可能だろうか。生き残りさえすれば。何とか時間を稼げれば。いずれ解決できる気がしていたけれど……。あのクローン少女の身に降りかかる惨劇を前にすれば。この暗部の世界から足を洗うのは、とてつもなく困難な道なのではないか、と。そう思えてならなかった。どれだけ馬鹿げたことだろうとも。この学園都市の地下深くでは、起こり得ると考えなければ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミサカ2525号と別れた景朗は、大急ぎで地下通路にトラップを設置し終えると、すぐさま残りの"スキーム"メンバーが待つ場所へと駆け付けた。やや遅れて登場した景朗が彼らと落ち合った所は、その防衛施設の中でもとりわけ広い空間を持つ、予備電源施設の鎮座する管理室であった。やたら広いその空間は、その辺の学校の体育館の、半分ほどの面積すらあるかもしれなかった。実際に体を動かし、戦闘時の隊列や連携をシミュレートできるほどには余裕があったため、その点を考慮した亀封川がここを選んだのだろう。

 

 

おまけに吹き抜けの高い天井を有しており、電源設備の火災に対応するため、防煙機能が極めて高かった。その特性故に。実は、その空間には毒ガスのトラップが仕掛けてあった。景朗が任務にあたった初日、今は亡き"隔離移動(ユートピア)"こと郷間陣丞仕込みの窒息ガストラップを仕掛けようと施設内の視察を行っていた彼の手によって早々に設置が施されている。

 

"スキーム"には、この任務において、施設防衛戦であるが為に、基本的に爆弾等の使用が許可されなかった。そこで、毒ガスが施設防衛戦にて有用な手段であると考え付いた景朗は、施設のあちらこちらに毒ガスの罠を仕掛けようと試みた。だが、設置場所に適した部屋の選集を司令部に仰いだ結果。なんと、施設内にはこの長大な空間一部屋しか適する場所がないと判明したのだった。落ち込んだ景朗は投げ槍になり、持参した膨大な数の毒ガスをすべて、その空間に注ぎ込んでいたりする。

 

 

 

 

 

「ああ、そうだ。最後にひとつ、大切なことを言い忘れてた。よおく留意しておいてくれ。この部屋には、窒息ガスがたんまりと仕掛けてあるって言ったが、実は俺にはその毒ガスの耐性があるんだ。つまり、俺は生身の状態で毒ガスの中に放置されても全く問題ない。だから、使用する際には俺を囮に使ってくれて構わない。その方が敵も油断するだろうしな」

 

景朗の言葉に耳を傾ける、"スキーム"メンバー3人と傍にはべらせている助っ人、穂筒を含んだ合計4人は、各種想定される交戦時の状況についての議論をひと仕切り終えたばかりであった。

 

 

 

「それが本当ならば、大したものだな」

 

背筋を伸ばし、物々しい耐火服を着用して直立する亀封川は、景朗の最後の言葉に賛辞を表した。残念ながら、頭部を丸々覆う耐火マスクに隠れ、彼の表情までは読み取ることはできなかっが。

 

亀封川の言葉の後に。パチ、パチ、パチという、力なくやる気のない拍手の、まばらな音が響いた。"スキーム"メンバー3人とは少し離れた位置。重苦しいモーターの音を響かせる、発電機の側面に寄り掛かった穂筒が、視線を明後日のほうへ向けたまま、ぱちぱちと手を打ち鳴らした。

 

 

「はぁー……。忘れないでいてくれよ、穂筒。俺らの傍から離れられたら、あんたを守れそうにないってことを。今日明日はもうどうしようもないけど、すぐにあんたを別ん所へ移送するからさ。それまでは」

 

「はいはい。覚えてますって。どーもあざーッス。ニウちゃんの横にくっ付いてっから心配ないッスよ」

 

先ほど行った議論の最中も、景朗は幾度も穂筒を交えて話をしようと彼に参加を強要していたのだが、穂筒は最後まで、積極的に彼らの話し合いに加わることはなった。一応、会話を聞き漏らすまいと、そばでしっかりと聞き耳を立てていたようではあったが。

 

「え。いやいや、オレ、穂筒、……さんの護衛なんてムリだから。オレじゃ自分の身を守るだけで精一杯。景朗の側にいなきゃダメだからね!」

 

冗談じゃない!という顔を浮かべつつ、丹生は穂筒のほうへ呼びかけた。

 

「ライカン。……さんの側に?それだけはマジ勘弁願いてぇんだがなァー……」

 

そう言い放つ間も、穂筒は決してこちらへ視線を向けることなかった。それどころか、徐に白い粉末の詰まった小瓶を取出し、内容物を手のひらに少量のせ、鼻からズズリと吸引し始めた。

 

亀封川も、丹生も。そして景朗も。またしても"スキーム"メンバーは全員、呆然と立ち尽くし、穂筒のヤク吸引の現場を見守っていた。

 

 

「穂筒。マジで、死にたくなきゃ、俺の側に居ろよ……」

 

景朗はようやっと、掠れた声でただそれだけ、喉の奥から絞り出した。だがしかし。穂筒は彼の進言を無視。ヤクの吸引を終え、クゥー!、と一声漏らすと、プルプルと心地よさそうに震えている。

 

亀封川が景朗へと向ける視線に気づいた景朗本人は、非常に居心地悪そうに、亀封川から顔をぷい、と逸らした。穂筒は手をパンパンと合わせ、手に付着した粉末を払い落としている。

 

穂筒の動きが引き金になったのだろう。景朗の鼻に、宙を漂い舞い上がった白い粉末がふわりと届いた。その匂いに覚えがあった景朗は、ピクリと反応し、一気に形相を真剣なものへと切り替えた。

 

「なあ!穂筒。悪いが、ちょっとその粉、見せてくれないか?」

 

景朗の言葉に、それまでのらりくらりと彼の呼びかけを交わしていた穂筒はがらりと挙動を変え、俄かに焦りをまき散らした。

 

「な、なんなんだよ一体!?べ、別にコレァ、一服するためにヤッた訳じゃねえから!薬っスよ、クスリ!常用してるだけだッつゥ!」

 

じゃあその慌てようはどう説明するのやら、と思いつつ、景朗は一直線に穂筒目がけて進んでいった。景朗の感想通りに穂筒は大慌てで粉末の入った小瓶を隠し、景朗が近づくと寄り掛かるのをやめ、勢いよく構えて警戒を露わにした。

 

「マジ、やめてくださいよ。そういうの」

 

景朗は、既に穂筒との関係を改善するのを半ば諦めていたものの、さすがにこのやり取りには僅かばかりの後悔を感じ得なかった。

 

「頼む。穂筒。ただ単に、匂いを嗅がせてもらいたいんだ。誓って、絶対にそれ以上はしない。どっかで見たような気がするんだ。……なあ、それ、"カプセル"って組織と関係してたりしないよな……?」

 

景朗の問い掛けを耳にした穂筒は、意外にも、すぐに落ち着きを取り戻した。

 

「あァ?もしかして、アンタこれ知ってたんかよ?だったら、とんでもなく高けぇってわかってるよな?匂いを嗅ぐだけだ。こぼしたりしたらぶっ殺すぞ」

 

穂筒の言葉に、離れた位置で佇みつつも彼らを注視していた亀封川がハッとした表情を形作り、興味を示し始める。

 

恐る恐る穂筒が差し出した小瓶を手に取り、景朗は慎重に蓋を開けてその香りを吟味した。今一度、強くその匂いを吸引した景朗は、その正体をすぐさま思い出す。彼には一度、その粉末を吸引した過去があったのだ。

 

景朗の脳裏に蘇る。暗部での初任務。"粉塵操作(パウダーダスト)"、粉浜薫を殺した時のことが。粉浜を殺してしまうほど、景朗を狼狽させた薬品。あの時の任務の最重要目標であった、あの試薬と同じものだ、穂筒の持っていたこの薬は。

 

だいぶ混ざりものが混入していたが、景朗の鼻には、それが粉浜が奥の手に使った試薬だとはっきりと理解できた。これを使えば、能力が思うように使えなくなるはずなのに。穂筒は何ともないのだろうか?そこに思い至った後、景朗は続けて思い出す。今年の五月に彼が身に受けた、あの運命の夜の戦いを。黒夜海鳥。彼女と戦う前に、あの日。景朗は。黒夜と戦う前に、この薬の効果と、よく似た状態に陥っていたことを。

 

 

 

 

 

 

 

俺が能力強度(レベル)を上昇させた、あの夜の状態と、粉浜に薬品を喰らったあの時の状況は……驚くほど、似ている。なぜだろう。俺の直観でしかないけど、"似ている"んじゃない。全く同質のものである、という変な確信めいたものを感じる。……糞。

 

 

「あー、その。すまん穂筒。ほんの少しでいい。金も払う。だから、ちょっとだけ味見を……」

 

穂筒はこれまた意外にも、俺の頼みにそれほど嫌な顔をしなかった。

 

「ひゃはっ。アンタも手に入れられなかったクチかよ。いいぜ。マジで少量ならな。ただし、小指の先十分の一で、5万払ってもらう」

 

「ああ。構わない。それよか少なくてもいい。純粋に味が知りたいだけなんだ。言い値の五万円、払うよ」

 

俺の快諾に気をよくしたらしい穂筒は、雰囲気を変えてニヤつきだし、饒舌に喋り出した。

 

「そいつを手に入れんのにはマジで苦労したんだぜ?だが、大金を支払った甲斐はあった。そりゃあいいことヅクメだったぜェ?気に入らねぇヘッド、"レベル4"のリーダーを、ソレと、それからコイツを使ってぶっ殺せたしなァ」

 

そう言い放ち、穂筒は気分良さげに腰のベルトに吊るされた、彼の武器、筒状の特性レーザー出力装置をぽんぽんと頼もしげに叩いていた。

 

今更な感想だし、何となくだが。もし中百舌鳥が生きていたら。どうしてか、コイツのこの武器を絶賛しそうな気がしてならない。

 

「まぁ、そのせいでココにこうやって稼ぎに来る羽目になったんだけどよォ」

 

俺は穂筒の語りに適当に相槌を打ちながら、人差し指にうっすらと付着させた白粉を舐めとった。ようやく近づいてきた丹生も、遠間から眺める亀封川も、俺の反応をしっかりと確かめている。

 

「……間違いない。これ、だったのか……」

 

かなりの少量だったので、それほど体に効能は現れなかったが、それでも。俺は確信した。この粉末は、俺が粉浜に嗅がされたものであり、そして同時に、黒夜と戦った日に俺の身に現れた効果を引き起こす要因となったものであると。しかし、それならどうして、穂筒はこの粉末を吸引して平気な顔をしているのだろう。量は違ったが、"ユニット3"こと中百舌鳥はこの薬品を吸わされて一発入院コースだったというのに。

 

「ちィッ。アンタも適正あんのかよ。胸糞ワリィ。オラ、とっとと返せよ」

 

穂筒は俺の手から素早く、粉末の入った小瓶を奪い返した。宝物を扱うように、大事そうに懐にしまう。遠間から、亀封川が驚きの声を上げた。

 

 

「小耳に挟んではいたが、まさか実在していたとは。能力を増幅させる秘薬……」

 

亀封川の台詞に繋げるように、穂筒は胸を張り、得意満面に口元を歪めた。

 

「ああ。その通りだ。けどな、この薬は個人差がとんでもなくデケェシロモンなんだよ。ムカつくことに、ライカン……さんは耐性があるみたいだったが、そうそうこの薬を使えるヤツはいねぇんだぜ。フツーはひと嗅ぎでブッ倒れるはずなのによォ……」

 

穂筒は忌々しそうに俺を睨んでくる。そこで再び、亀封川が口を挟んだ。

 

「噂が本当なら、その薬は相当な額だったんだろう?いくらしたんだ?とても個人に用意立てできるような金額ではなかったと記憶しているが」

 

亀封川の発言を、穂筒は綺麗にスルーした。コイツ、そのことあんま考えたくないんだな、と景朗は直感する。

 

「だからよォー。ライカン……さんはよォ、オレのこと、あんまナメないほうがいいぜ。コイツと、コイツを使って、オレァ、レベル4をぶっ殺してんだからよォ。いざ殺し合うってなったら、オレ、結構強えぜ?」

 

 

ダメだ。コイツ。やっぱり自分の置かれている環境を理解してない。俺はそう口に出そうとしたが、ふと、そのフレーズをどこかで自分も耳にしていたな、と記憶を手繰り寄せた。

 

ああ。そうか。"ユニット"リーダーの台詞だ。今にして思えば、なんと"暗部組織"らしい組織だったことだろう。"ユニット"は。

 

穂筒のガンを飛ばす面を正面に受けながら、俺は改めて"人材派遣"に送りなおさせた、コイツの新しい資料、経歴に思いを馳せる。

 

学園都市の不良は、何も武装無能力者集団(スキルアウト)だけではない。数こそ少ないが、逆に、高位の能力に優越感を抱き、簡単に見下せる低位の能力者たちをやり玉に挙げる、モラルの著しくお粗末な輩も勿論存在するのだ。穂筒光輝。コイツはかつて、"無能力者狩り"から始まり、ついには暴力団とやることが何一つ変わらなくなった、能力者による不良グループ、その内のひとつに所属していた男だ。

 

本人が言っていた通りに、所属していた組織の金を使い込み、さっきの能力増幅薬を購入した穂筒は、その薬を使って、組織の上役にあたる、大能力者(レベル4)を殺している。"人材派遣(マネジメント)"の資料にもそのことは書かれていたから本当なのだろう。不意打ちではあったみたいだが。けれども。この暗部の業界は、今まで穂筒がいたような世界とはあらゆる意味で隔絶している。

 

"人材派遣"に良いように丸め込まれてノコノコと送られてきたコイツには、一朝一夕で今の状況を理解させるのは難しいかもしれないな。

 

「わかったよ、穂筒。覚えとくさ」

 

「……チッ」

 

俺の何一つ動ぜぬ対応に、穂筒は盛大に舌打ちすると、元いた場所へしなだれかかった。間を開けずに、今度は亀封川が俺へとにじり寄ってくる。

 

「スキーム1、話がある」

 

耐火マスク越しに聞こえる、少しくぐもった亀封川の声はどこか不満げなものだった。その声色に、俺はギクりと背筋を引き延ばす。また、さっきの話だろうな、と。

 

トラップの設置作業に出る前に、俺は亀封川に呼び出され、一対一で対話する場を設けていた。その時の話題は、ずばり穂筒の扱いをどうするか、だったのだが。

 

亀封川は、何も知らぬ穂筒を囮、もしくは盾にして自分たち"スキーム"の作戦に使用すべきだ、という暗部の人間が抱くであろう至極当然の主張を展開してきた。しかし俺は、ここで穂筒が死んでしまった場合、そのほとんどの責任は俺にあるのでは?という考えにいたり、積極的に穂筒を犠牲にする作戦をとることにどうしても頷く気分になれなかった。甘いことだよな。……いや、というよりも、ただのヘタレか。もしくは中途半端か。だが、なんと言われようとも、あんな奴でも、いざ自分のせいで死なれるとなると……。

 

俺は必死にとりなし、下手くそにもほどがある弁解で、何とか穂筒を生かして返そう、という方向に持って行ったものの。

 

先ほどの穂筒の上司殺し自慢を聞いて、そのことにうっすらと後悔が募る。亀封川も同じ思いを感じたんじゃないか、と簡単に予想できた。

 

 

「ど、どうした?スキーム3」

 

俺はあえて、彼を"スキーム3"と呼んだ。亀封川の目をゴーグルを通して覗いたが、見事に笑っていなかった。彼の冷たい声が、俺の耳に帰ってくる。

 

「やはり、あの男を作戦に使用すべきだ。それに、それ以前の問題として。私にあの男の支援を行え、という君の命令には、やはり釈然としないものを感じる。いや、はっきりと言っておこう。私は自らを危険に晒してまで、あの男の面倒を見るつもりはないぞ。君はすでにひとつ、失策を弄している。そのことを肝に銘じておいたほうがいい。スキーム2とは確かに並々ならぬ信頼関係を構築できているようだが……。これ以上、私を失望させないでくれ」

 

 

 

「重々理解しているさ、スキーム3。だけど、やはりあんたの能力はあまりに―――」

 

再度、亀封川を説得しようと試みた直後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

施設中のスピーカーから、突然のアラートが鳴り響く。敵襲だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『上層エリアの監視カメラが、ほぼ全て破壊されました。稼働率、ほぼゼロ!』

 

パニックルームのスタッフから、悲鳴の通信が入る。

 

「襲撃者の位置は?!その数は?!」

 

『依然として不明です!……報告。上層エリア、南西棟、非常用タラップ付近の歩哨から連絡がありません!』

 

意外と近い。それに、監視カメラを一度にほとんど破壊された、という報告に、背筋が凍った。マズい。嫌な予感がするッ。

 

 

 

「クソッ。とにかく、敵の奇襲に備えろ!丹生!戦闘準備。おい!穂筒!とっとと武器を構えろ!」

 

亀封川は言うまでもなく、とっくに臨戦態勢だった。丹生も速やかに、肩にかけた水筒から液状の銀塊を取り出し、槍上に形を整え、警戒態勢に移っている。やや遅れて、穂筒も俺たちのほうへと小走りにやってきて、腰に吊るしてあるレーザーポインターもどきを手にした。

 

突然、その空間に存在した照明がすべて、一度に、一気に破裂した。あっという間に、周囲は暗闇に包まれる。慌てて穂筒は"プラズマエッジ"を展開した。そのおかげで、部屋は一応の明かりを取り戻す。

 

俺はその場で全身の感覚を研ぎ澄ませる。パニックルームからの、後続の通信を必死に待っていたその時。ふと、少し離れた前方で、パラパラと埃が上方から散り落ちてくるのを目撃した。薄暗いためか、皆は気づいていない。

 

天井を見上げれば。遥か高く上方の、天井の壁材の一部に、歪な円形の亀裂がどんどん広がっていた。この距離だと小さくみえるが、あれ実際には直径2,3メートルになるんじゃないか……不思議なことに、一切物音は立っていなかった。静寂そのものであった。奇妙な現象だ。ああクソッ!能力者に決まってるだろ!!!

 

 

「天井だ!上から敵襲!クソッ!銃を用意しろ!!」

 

「景朗!どこなの!?暗くて見えない!」

 

俺の注意に、丹生が打てば響くように切り替す。

 

「光を強くしろ!穂筒!」

 

俺がそう叫んだ瞬間だった。無音のまま、歪な円形のヒビがぐるりと一周完成した、直後。尚も音も無く、ふわり、と円柱状の壊れた天井の巨大な一部が、落下する。そして、天井に出来上がった巨大な穴から、四本のがっしりとした黒いロープが垂れ下がるのが俺の目に映った。その瞬間、俺は再び怒声を上げた。

 

「撃ちまくれ!ラペリング降下してくるぞ!」

 

皆、一斉にロープ直上へと射撃を行った。発砲音と同時に、穴から続々と、軍用の黒い戦闘スーツに身を包んだ奴らが降下してくる。合計4名。どこかで見たような暗視ゴーグルも装備済み。随分と性能の良さそうなお召し物を着用で。今に風穴開けてやるよ!

 

少々薄暗くとも、俺の目にははっきりと映るんだぜ。俺はひとりひとり狙いを定めて、何とか奴らが着地する前に決着をつけようと勉めたが。やはり、奴らは能力者だった。俺たちの銃弾は、一発たりとも、奴らに掠傷一つ負わせられずにいた。

 

俺の視界の内では、襲撃者めがけて飛んでいく俺たちの銃弾が、奴らの目前であちこちに弾けじけ飛んでいく。

 

よくよく注意してみれば。銃弾は様々な軌道を描いているようだった。いや、それだけじゃない。これは……。クソッ。ヤバい!間違いなく、大能力者(レベル4)が複数いる!チックショオがッ!

 

奴らの手前で。ある銃弾は、弾頭の形を歪ませていき、突如、形を残さずにバラバラに弾け飛び。ある銃弾は、まっすぐ飛んでいたのが、急に出鱈目に回転するようになり、明後日の方向へ飛び散って。ある銃弾は、途中で螺旋状にねじ切れ、やはり明後日の方向へ飛んでいく。

 

数発。運よく、奴らの能力の干渉を免れた弾丸や、飛散した破片が奴らの体へと到達したが。奴らのスーツに傷一つ付けられず、勢いよく音を立てて弾き返されていった。少々、その光景は不自然だった。スーツに当たったのに、どうしてあんな風に、装甲に弾き返されたように弾が弾けるんだ……

 

いや、そんなこと考えるまでもない。俺は馬鹿か。あの照明の弾け方に、力任せにくり貫かれた天井の壁!報告にあった能力、"共鳴破壊(オーバーレゾナンス)"、そして"螺旋破壊(スクリューバイト)"に違いないじゃないか!

 

 

最後の一人が、降下途中で小銃を抜きだし、俺たち目がけて反撃するのを視認した。

 

「敵の銃撃が来るぞ!丹生、亀封川、防御!」

 

俺がそう言い終える前に、とっくに敵は射撃を開始していた。亀封川は既に、静止力場を展開していたらしい。丹生も水銀の盾を片手に、懸命に敵へと発砲していた。真横を銃弾が掠めた穂筒は慌てて亀封川の真後ろへと走りこんでいる。

 

体に何発か敵の銃弾が命中したが、もちろん俺には気に掛ける必要もない。

 

お互いに、マガジンを空になるまで撃ち尽くすのはあっという間だった。その間に、両者ともに銃弾での決着は付きそうにないと理解し始めていた。

 

 

 

 

 

降下を完了した襲撃者4人は、ロープを手慣れた様子で解除している。一方、俺たちは空になったマガジンのリロードを行っていた。互いに対峙し、互いに相手の様子を観察して。互いに動きを止める。

 

襲撃者、4名。1人は、女性だった。ぴたりと張り付く黒いスーツの、胸の膨らみから判断しただけだが。残りの3人は、恐らく男だ。男3人の内、1人だけ特徴的な外観をした奴がいた。そいつの戦闘スーツだけ、手足や腹部、はては頭部にまで、無数の"さがり(フリンジ)"がくっ付いていたから、一目で判断できる。カウボーイの衣装についている、ジャラジャラとした紐のようなものだ。残りの2人は、似たようなスーツを纏っているせいで判別しにくい。両者の身長には差があるが。

 

 

 

 

戦場での、不可思議な、間、であった。その静けさも、俺の発言であっけなく幕引きがなされたが。

 

 

 

 

 

「気をつけろ!こいつ等"ジャンク"に違いない!」

 

 

俺の一声が引き金になってしまった。俺が言い放つ途中で、"ジャンク"の紅一点がパチン、と指を鳴らした、その時。

 

「くッ!」

 

丹生の呻きとともに、彼女の銀色に輝く盾が、水面に大岩を投げ落としたかのように、激しく波立ち、爆ぜた。

 

「ぐぁぅッ!」

 

入れ違いに、今度は穂筒の手にしていたレーザーポインターが爆散し、持ち主は悲鳴を上げて手を抑えている。時を等しく、周囲を再び暗黒が包み込んだ。

 

ほぼ同時に、俺が手にしていたサブマシンガンにも物凄い振動が生じていた。持ち続けるのに苦難した、コンマ数秒のうちに。手の中の金属製の銃はバキリと破裂し、俺の手のひらを傷つけた。

 

俺の銃だけではなかった。丹生の銃も、亀封川の銃も、穂筒の銃も。すべてが破壊されていた。

 

「"共鳴破壊(オーバーレゾナンス)"……」

 

亀封川が思わずこぼした苦悶の声に、その現象を引き起こした張本人は凄絶に唇を釣り上げる。

 

一瞬で。たった一瞬で。武装解除されてしまった。早く。早く、次の手を打たなければ。能力を開放し、人類の限界をはるかに超えた心拍数を漲らせた俺は、加速された思考速度で、次の一手を必死に手繰り寄せた。

 

 

ヘッドセットのマイクはスイッチを入れたままにしてある。こいつが壊される前に……。

 

「Code:G017(ゴルフまるひとなな)!"ジャンク"が施設内に侵入した!総員、持ち場を放棄し、速やかに撤退せよ!」

 

大きく息を吸い込み、俺は思いっきり叫び声を張り上げた。

 

「俺が囮になる!何をしている!スキーム各員、直ちに離脱しろ!」

 

敵は突然の撤退宣言に、多少なりとも面くらってくれたようだ。それとも、俺たちなんぞ、いつでも斃せると高を括っているのか。どちらにせよ、ありがたい。

 

「……何を馬鹿なことを!お前を各個撃破されてたまるか!」

 

亀封川はすぐさま怒りを露わにした。怒る亀封川を無視して、暗闇の中、丹生へと再度呼びかける。

 

「俺が囮になる!お前達は撤退してくれ!こいつ等は強すぎる!勝ち目なんかねえよ!繰り返す!Code:G017!」

 

「何を、景朗!?…………ッ!わかった!」

 

どうやら丹生は、俺の意図を理解してくれたようだった。出口までの道は、薄暗く発行する、床の蛍光塗料で何とかわかるだろう。彼女が我先にと後ろを向いて走り出したのを確認し、俺は急ぎ、再び彼女へと呼びかけた。

 

「丹生!俺のことはいい!大丈夫だ!だから本当に逃げてくれ!お前はお前が生き残ることだけ考えろ!いいな!逃げるんだ!」

 

俺の言葉に、丹生は一瞬、戸惑った。それでも、即座に迷いを振り切り、出口へと一直線へと駆けていく。丹生の逃走を境に、穂筒も颯爽と駆け出していた。

 

俺はそのタイミングで躊躇無く"人狼化"を行った。敵対者たちが動きを見せようとしたのを見計らったのだ。明らかに、敵対者は警戒を強くした。

 

「何シテル!行ケ!スキーム3!」

 

さすがに今回は亀封川も迷わなかった。彼も素早く走り出す。

 

 

 

 

一番背の低い華奢な男が、逃げる"スキーム"メンバーを目にして動きを見せたが、先頭に立つ別の男は片手を伏せ、静止のサインを出す。

 

「ヤツら逃げていくぜ?いいのかい、ヘッド?」

 

華奢な男は、合図を出した男をヘッドと呼んだ。コイツがリーダー格でいいのだろうか。スクリューバイトか?リーダー格の男の後ろに立つ、最も長身の男、特徴的なスーツを着用している奴が横やりを入れる。この場の空気に似合わぬ軽快な口調だった。

 

「願ったりかなったりじゃねえか。恐らくこのバケモノが"ライカン"だ。お望みの通り、精々4対1で足掻いて貰おうぜ。有難い申し出だろ」

 

ヘッドと呼ばれた男は、その男に同調した。

 

「ホーナーの言う通りだ、ボマー。最大の障害は"ライカン"だった。ここで一気に叩く。全員、集中しろ」

 

長身で、体中に"さがり"の付いたジャラジャラ男は"ホーナー"で、背の低めな奴が"ボマー"か。だとすれば、リーダー格が"螺旋破壊(スクリューバイト)"、女はひとりしかいないから自動的に"共鳴破壊(オーバーレゾナンス)"でいいのか?

 

俺は出口へと走る丹生たちの背中をカバーするように、"ジャンク"どもの目の前に仁王立ちし、威嚇するように、一声張り上げる。

 

 

「GOOOAAAAAAAAAAAAHHH!!!」

 

 

あまりの声量に、ビリビリと襲撃者たちの体に衝撃が走っただろうな。俺は今にも奴等へ飛びかからんとする素振りを見せるために、身を縮めて前のめりの姿勢を保つ。都合よく、"ジャンク"どもは俺の動きを危惧し、再びにらみ合いになる。

 

 

何とか、最後の亀封川が出口を潜った。その足音を耳にした俺は、瞬時にヘッドセット越しにパニックルームのスタッフへと命令を下す。

 

「隔壁ヲ降ロセ!」

 

俺の言葉とともに、予備電源管理室内の、すべての扉に頑丈な隔壁が降りて行った。

 

「ちッ。調子に乗るな!黙ってろ!イヌ!」

 

俺の叫びを聴き、それまで静観していた女は声を荒げ、再び指をパチリと鳴らした。今度は、俺のヘッドセット、そしてポケットの中のケータイがバキリと音を立てた。今ので壊れたろうな。通信手段が無くなった。まあ、それは想定内だからいいけど、やっぱり悔しい。全く、次から次にケータイが壊れていく。はは。こんなこと考えてる場合じゃないな。

 

 

ピューっと、場違いな口笛の音が響いた。鳴らしたのは、やはり"ホーナー"と呼ばれた軽い空気を纏った男だった。"ホーナー"は逡巡無く、残りのメンバーの正面に立ち、俺へと顔を向けた。

 

「オマエが"ライカン"なんだろ?まさかそのナリで違うとは言わねえよな?」

 

"ホーナー"へと、俺は狼面のままでも、嘲りが最大限に伝わるように苦心しつつ、彼へと悪態をつく。

 

「オマエノ情報ネエカラ、一応尋ネトク。オマエ、レベル4以上ノ能力者ダッタリスル?違ウンナラ、俺ト戦ウノハヤメトケヨ。コノ姿ニナルト、手加減デキネエカラ殺シチマウ」

 

俺の挑発に、"ホーナー"は心底楽しそうに、からからと笑いだした。やはり簡単には引っかかってくれないか。クソ、まだか。まだなのか、丹生。

 

「バイター。やっぱコイツ面白そうだ。最初はオレにやらせてくれよ」

 

"ホーナー"はリーダー格の男を"バイター"と呼んだ。"バイター"、"スクリューバイト"って訳か。"螺旋破壊(スクリューバイト)"は感情を声色に表すことなく、"ホーナー"へ言づける。

 

「構わないが、下手を打てば容赦なく見捨てるぞ」

 

「百も承知だッてッ!――」

 

 

 

敵が会話している、今、ひと当てしてみるか。俺は"ホーナー"が言い終えぬタイミングで、奴へと全身の筋肉をしならせ、飛びかかった。幸いなことに、"ホーナー"はこの俺の攻撃に反応できなかった。鋭く伸ばした爪を、奴の腹部へざっくりと突き立てた、はずだった。

 

カキィン、という、今までに聞いたことがない類の、乾いた音が響く。奴のスーツに触れた俺の爪は、仮にも"服"を薙いだというのに、衝撃で震えていた。

 

「ガアッ!?」

 

予想だにしていなかった、その手ごたえに。俺が違和感を感じたその時。突如、俺と狼狽した"ホーナー"の僅かな隙間で。空気が爆発した。いや、正確には、何故だかいきなり、空気が突然膨張した、といえばいいのだろうか。しかも、俺が爆発と勘違してしまったくらいに、極めて衝撃の強大なものだった。おかげで、俺は"ホーナー"から離れ、吹き飛ばされる。

 

「油断しすぎだろう、ホーナー」

 

発言したのは、いつの間にやら片手を"ホーナー"へと向けていた"ボマー"だった。

 

「悪い!今のはナシで頼む!さすがに恰好つかねえ」

 

 

 

やっぱり。情報のない、コイツ等2人も能力者だったか。"ボマー"と呼ばれた男は分かり易かった。恐らく、"風力使い"か"空力使い"系統だろう。だが……もう片方の、"ホーナー"と呼ばれた男の方は、一体……。姿勢を崩していた"ホーナー"は、今では勢い新たに、何かの格闘技っぽい構えを身に着けている。

 

さっき、俺の爪で薙ぎ払った時。アイツの服は金属鎧か何かと勘違いするくらい、硬かったのだが。そんなに硬ければ、今、ああいう風にスムーズには体を動かせないはずだ。バリアみたいなものを操る"念動使い"か何かか?……判断できない。

 

 

もうひと当て。奴等にかましてやろうかと考えていた。だが、行動に移すその前に、俺の聴覚が、やっと、待ち望んでいた音を拾い出した。

 

それは、この空間じゅうのあちこちで。俺が設置しておいた毒ガスが、わんさかと勢いよく吹き出す"悲鳴"だった。

 

良くやってくれた、丹生。俺が繰り返し叫んでいた『Code:G017』とは、以前の"百発百中(ブルズアイ)"の任務の時に、郷間が用意していた毒ガス作戦の名前だったのさ。"ジャンク"の奴等、まんまと俺たちの罠に嵌ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

やはり、最初に気づいたのは気体の変化に敏感な"ボマー"だった。いや、彼とほぼ同時に、紅一点、"共鳴破壊(オーバーレゾナンス)"も気が付いていたのかな。

 

「気づいたかい?毒ガスだ。今すぐ呼吸を止めることをお勧めするよ」

 

しかし。"ボマー"は愉快そうに、毒ガスの噴出をメンバーへと知らせたのだ。窮地に陥っているはずの彼らは、まるで余裕を失わずにいる。"螺旋破壊(スクリューバイト)"が、機嫌を悪くしつつ、"ボマー"と視線を交わす。

 

「頼む。ボマー」

 

 

俺の体から冷や汗がどっと噴き出た。

 

 

 

「わかってるさ」

 

"ボマー"がそう答えた瞬間から。毒ガスの白煙が、彼が掲げた右手の先へ、みるみると集まっていった。……これでは、毒ガスは。意味がない……。

 

 

 

「どうした?かかってこいよ、"ライカン"」

 

楽しそうに笑う"ホーナー"の言い様に、俺は何も言い返せなかった。

 

 

 



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episode15:共鳴破壊(オーバーレゾナンス)

暗闘日誌のクライマックスなので、なるべく間を開けず更新したいです。一応、三章も考えていますので、もし心配してくれる方がいらっしゃいましたら、どうか心配なさらずにいてください。
直ぐに設定集に新キャラを追記します。そのほうが本編読んでて面白くならないかな、と思わないでもないので。邪道ですねorz

2014/01/19二度目の内容追加。明日、もしくはあさってにも、次の話を投稿します!よろしくおなしゃす!


 

 

 

頼みの綱だった窒息ガス攻撃は、眼前であっけなく失敗に終わってしまった。雨月景朗は内心の動揺を表に出さぬように、懸命に取り繕った。彼はとりわけて、自身の命運を賭けるほどに件の毒ガス攻撃に意気込んでいた訳ではない。だが、ああも簡単に足らわれては、多少なりとも気分が滅入るのは無理からぬことだった。

 

それに加えて。事前の毒ガストラップを有効に活用するため、全ての出入り口に隔壁が降下されたその空間は。今では逆に半狼半人の怪獣を閉じ込める、巨大な檻として機能している有様だった。不幸なことに、檻の中には4人の狩人、敵対者"ジャンク"まで混入している始末である。

 

それでも景朗は、余裕の笑みを浮かべる目の前の襲撃者たちから目を逸らさず、しっかりと見つめ返した。そうして。持ち前の能力を活用し、ゆっくりと消沈しつつある精神を昂揚させていく。決して理性を損なわぬように、加減を加えながら。景朗は今までの経験則から、戦闘に適した精神バランスをほぼ完璧に掌握しつつあった。

 

 

得てして。失態を露したばかりだというのに、景朗は迅速に冷静さを取り戻した。どれほど畜生の装いであろうとも、何時いかなる時に窮地に陥ろうとも、決して狼狽せず、永遠に冷静さを失わずに済む。その能力は疑い無く、彼の強みのひとつに数えられるはずだ。

 

 

 

 

落ち着いた景朗は、改めて周囲の様子を確認した。防衛施設随一の広さを誇るこの予備電源管理室の、その照明はまるごと破壊され、辺り一帯暗闇に包まれている。夜目の利く"人狼化"した景朗には勿論全く問題はない。ただ、肝心の敵対者たちも皆全員暗視装置のついたヘッドギアを装備している。暗闇は何のアドバンテージにもなりそうになかった。彼らは容易く、暗室を徘徊する"人狼"のシルエットを捉えるだろう。

 

 

設置場所から未だに噴出し続ける窒息ガスは、悠々と"ボマー"の右手先へと集っていく。白色に染色されていたために、そのガスの行方は肉眼で確認できた。

 

数の上で圧倒的に優勢なはずの"ジャンク"チームは、毒ガスの処理が未完であるためか、直ぐには景朗へと攻勢に出てこない。襲撃者たちに会話が無いのは大事をとって呼吸を止めているからであろう。ガスの設置を行なった景朗にだけは予測できた。ガスの噴出が終わるまで、あと残り数秒足らずだと。

 

 

丹生たちが無事に逃げ果せるまで、どれくらい時間を稼げばいいだろうか。そこまで思考した景朗は、瞬時にその考えを棄てた。そして直ぐに、弱気になるまいと能力を使用し、一層己の精神を鼓舞させ、決死の覚悟を決めた。1対4だろうと関係ない。この場で"ジャンク"叩けば。そうすれば、丹生たちの安全は確保されたも同然ではないか、と。

 

 

闇の中、景朗は視界をチラつく無数の白色ガスの帯に意識を合わせた。その視線の先を、集結点である"ボマー"の右手へと向ける。彼は疑問に思った。室内のガスを全て集めて、その後一体そいつをどう処理するのだろうかと?

 

 

 

景朗は全身に力を漲らせ、一息に跳躍した。狙いは"ボマー"。彼は確信を抱く。今、この時こそが、逆転の契機である。景朗はまだ毒ガスの攻撃を諦めてはいない。"ボマー"が収集した毒ガスを処理する前に妨害すれば。そのあとはどうなるだろうか。"ボマー"が集中を切らしてガスを分散させてしまえば、"ジャンク"4名は慌てずにはいられまい。

 

 

「集中しろよ、ボマー!」

 

"ホーナー"は景朗の予想通りに顔を硬直させ、"ボマー"に注意を促した。並行して、床を踏みしめ"ボマー"目掛けて駆け出す景朗の正面へと滑り込んでくる。

 

 

「舐めないでくれよ。このくらい朝飯前だっての」

 

涼しい声音で応対した"ボマー"だが、しかし"ホーナー"の陰に隠れるように後退していった。それにより、景朗は再び"ホーナー"と対面する形となる。景朗は、今度は鋭く伸ばしていた爪をするすると短くしまった。代わりに右拳を握り込み、"ホーナー"へと全力でパンチを振りかぶる。

 

卓越した動体視力の賜物で、景朗には"ホーナー"が遅れて左拳を繰り出してくるのをしっかりと捉えることができていた。だがここで、景朗の悪癖が露呈した。タフな肉体を持つが故に、彼にはすっかりと、要所要所で短慮な攻撃に出る癖がついてしまっていた。

 

今だ負け知らずの己の腕力と、どんな攻撃をも受け止められるタフネス。そして相手の動きを見てから対応できる動体視力。身体的スペックに奢る景朗は、"ホーナー"の一見して普通のパンチに見えたそれを過小評価した。彼は"ホーナー"の背後に陣取る残りの3人の攻撃も気にかけねばならず、何より"ボマー"への攻撃に最も多くの集中力を割いていた。

 

 

「ゴアッ?!」

 

次の瞬間、景朗は意図せず呻きを上げることになった。景朗の顔面に、"ホーナー"の左拳が突き刺さっていたからだ。正しく鉄拳だった。"ホーナー"の左拳は鋼のように、いや、景朗には鋼など比べ物にならぬほど、強剛に感じられたかもしれなかった。初めて体感する、ずしりと体の芯へと届く衝撃に、景朗はたたらを踏みそうになるも。そこは"人狼"としての意地だったのか、景朗は能力を全開にしてこらえ切った。

 

 

"ホーナー"が成したのは、クロスカウンターと呼ばれる"技術"だった。景朗はその存在を知らなかったが、彼の悪癖が出ていなければ恐らく対処は可能だったろう。

 

見えていたのに、油断した、と景朗はあまりの歯がゆさに頭が沸騰しそうなる。されど今度は、景朗の強みが彼を救う番となった。一瞬で落ち着きを取り戻した景朗は、すぐさま追撃せしめんと両手を振り下ろし反撃に出たのだ。しかしながらまたしても。彼と"ホーナー"との僅かな隙間に、爆発にも似た強風が発生した。

 

 

景朗の体が浮かび、数メートル後方へと流れていく。けれども流石に二度目の爆風である。景朗は無様には転がらず、体勢を崩さず着地できた。一方の"ホーナー"だが、彼には都合の良いことに、風圧の影響はほとんど無かったようである。元いた場所に左拳を掲げ直立していた。"ホーナー"は喜びに口を開く。

 

「くぁぁ。左手が痺れるぜぇ。まるで熊みてえだな、オマエ。でもよ。……最高に気分がいい。なあ"ライカン"、驚いたか?オマエが相手でよかった。オマエ相手なら、俺の"軍隊格闘(マーシャルアーツ)"も活きるってなもんだ。くぅー!あんな上手くキマったのは久しぶりだ」

 

 

 

 

 

この期に及んで、まだそんな軽口を叩けるとは。奴の、"ホーナー"の物言いは、俺をこの上なく苛立たせた。調子に乗るなよッ。お前、よくはわからないが、兎に角。インパクトの瞬間に、何か"能力"を使っていただろうがッ。奴と俺とでは、どう考えても質量に抗えぬ差があったハズなのだ。……最近測った時は200㌔超過してたし……。まっとうな人間の筋力では、さっきのパンチも奴の方が俺の重圧に吹っ飛んでいないと可笑しかった。衝突の瞬間"ホーナー"の体は、再び不自然なほどに硬質し、鉄の塊のように重心がブレなかった。

 

何とか怒りを抑えた景朗は、瞳孔の開ききった眼差しを"ホーナー"へと差し向けた。良いだろう、"ホーナー"。直ぐに、さっきのがマグレだったと証明してやる!

 

「なんだかなあ、勿体ねえぜ、"ライカン"。オメェ、そんなナリしてんのに。マトモな格闘術のイロハすら知らねぇみてえだな。ハッハッ、オレが冥土の土産に教えてやるよ……と、言いたいところだが。あちゃぁ。その目つき、存外に冷静なのなッ!もういいッ!オマエ等頼むッ!フォローしてくれッ!」

 

先程よりも慎重に、より強かに、景朗は四肢にタメを造る。様子に気づいた"ホーナー"は、静観していた背後の"ジャンク"メンバーへと慌てて援護の呼び声を上げていたが。俺はそうはさせまいと、咄嗟にバネの弾けるように奴へと飛び掛かかる。

 

 

舌打ちした。視界の隅で女が動きを見せていた。覚悟しろ!攻撃がくる!

 

 

数歩で間合いを詰められる距離だった。拳を思い切り握り締めたのと同時に、パァン、と突然、"共鳴破壊(オーバーレゾナンス)"が思い切り量の手のひらを張り合わせた。

 

その直後、俺の肺はいきなり爆発を起こした。そう思った。肺に急に痛みが襲い、息ができなくなったものだから俺にはそういう風に感じられたのだ。けどな。そのぐらいで俺が止まるかよ。

 

 

 

あと一歩。笑みの消えた"ホーナー"の表情を見つめながら、俺が腕を振りぬこうとした刹那。またしても邪魔が入った。

 

敵の次の手は深刻だった。踏み出した足の関節が、あちこち前触れなく、ぐちゃぐちゃにねじり曲がった。景朗はバランスを崩しそうになる。犯人は"螺旋破壊(スクリューバイト)"……!

 

 

 

俺を舐めるなよ。関節が出鱈目になった足に、強引に力を入れて踏み締める。ブチブチと繊維が断裂するが、気にせずに力を入れた。だが。悔しいことに、関節のねじれは、足一本では済まなかった。ねじれが、右足、右腕、左腕の関節まで一気に広がって。さすがの俺にもどうすることはできず。

 

 

無様に揉んどりうって、"ホーナー"の目の前に転び倒れた。

 

 

「あーあ。やっぱお2人さんが加勢すりゃこうなるわな」

 

"ホーナー"はつまらなそうに呟いた。彼に合わせるように、"共鳴破壊(オーバーレゾナンス)"も淡々と言葉を漏らす。

 

「でも、わりと勇敢なワンちゃんだった。苦しまないように殺してあげて?」

 

「はいよ」

 

応答した"ホーナー"は、彼の"能力"を使用した。唐突に、彼のスーツ右腕部に音も無く、黒い刃が出現する。よくみればそれは。側面に付属していた、数多の"さがり"が硬質化し、刀身を形作ったものであった。"ホーナー"の能力は物質の硬度を操作する類のものだったのか、と景朗は悔しげに歯を噛み締めていた。傷ついた肺から出血があったのか、ごぽり、と彼の口から血が溢れた。

 

 

景朗は力を振り絞り、側に立つ"ホーナー"の首元へと噛み付こうともがいたが。

 

「だからキミは寝てなって」

 

跳ね上がった彼の顎門を、"ボマー"の爆風が地に押し戻した。

 

 

 

 

横たわる景朗の瞳には、"ライカン"の首を刎ねようと身をかがめる"ホーナー"の姿が映っている。じたばたと藻掻くも、依然として、景朗の四肢の関節はあらぬ方向を向いたままであった。

 

見た目以上に、景朗は窮していた。裂傷、打撲、火傷。それらに対する彼の肉体の再生力は言うまでも無く折り紙付だったが。景朗はこの瞬間に知った。どうやら馬鹿みたいに修復が速かったのは、細胞単位でのスケールでの話だったようだ。"螺旋破壊(スクリューバイト)"が放った攻撃は、それほど体組織の破壊が大きくはなく。初めて受ける種類の攻撃に、景朗は思うように体の回復をできずにいた。

 

 

 

糞ッ。クソッ。くそがッ。体が思うように動かせない。"ホーナー"の刃が迫っている。何か手を……。幸いにも、胴体の筋肉は無事だ。背筋や腹筋だけで、行けるか?いや、やるしかない!

 

"ホーナー"が景朗に手を掛けた、その瞬間。彼は思いっきり飛び上がり、今一度"ホーナー"の首筋目掛けて牙を光らせる。

 

「ハハ!」

 

景朗の歯が、ガチリと空を切った。彼の噛み付きに、"ホーナー"は嘲笑を上げつつ見事に対応していた。飛び跳ねた"ライカン"を上手くうつ伏せ、そのまま背中からのし掛かり、マウントポジションを取った。

 

質量、筋力ともに隔絶した差があるというのに、暴れる人狼を"ホーナー"は巧妙に抑え続けた。景朗には理解不能だった。四肢が思うように動かぬとは言え、"ライカン"が何故、このような普通の体格の人間に遅れをとってしまうのかと。路上で組み合うその"技術(レスリング)"、彼には知る由もなかった。一般的な学園都市内部で生活する人間は、軽視しがちであったのだ。人類の編み出した、格闘技術全般を。しかして、やはり。暗部の世界はそうではなかった。"ホーナー"は"能力"だけに頼らず、生存のために貪欲に、戦う"技術"を身に着けた者であったのだ。

 

"ホーナー"は素早く右腕の刃を人狼の首に当て、力任せに切りつける。首を刈り取るように。鮮血が勢いよく吹き出る。

 

「硬てえ!おい、ライカン。オマエの骨、結構硬てえな!こりゃ無理かもしれねえ」

 

ぴゅうぴゅうと散る血の飛沫を顔面に掠らせつつ、彼はその行為に興じていた。抵抗して暴れ続ける人狼を煩わしく思ったのか、俄かに声を荒立てた"ホーナー"は、さりとて嘲笑を貼り付けたまま。追い撃つように、能力を展開した。

 

「切りにくいだろうが。大人しくしよう……ぜッ!」

 

彼が言い放つと同時に。彼の戦闘衣にじゃらついていた無数の"さがり"が全て、一斉に、鋭利なアイスピックの如く硬化した。そして。"ホーナー"は景朗の背に密着していた。それ故に。景朗の全身に、その無数の針が突き刺さった。

 

「ガァァッ!?」

 

体中あちこちに異物が挿入された悪寒を感じて、景朗の喉奥からは小さな悲鳴が漏れた。その違和感が生じた途端に、同時に彼の動きも止まっている。鋼針と化した"ホーナー"のスーツは景朗の全身を貫通し、それは床面にまで到達していた。地面に磔にされていたのだ。

 

 

それでも。景朗は諦めずに逃れようと試み、暴れ続けた。

 

「GWOOOH!!!」

 

「やれやれ、このワンちゃん相当タフだわ。確かに肺をズタズタにしたはずなのに、こんなに叫び声を上げるなんて。鍛冶屋敷(かじやしき)、そのまま動きを止めておいて」

 

「おいおい、オレを巻き込むなよ?鳴瀧。コイツ半端ねえ力だ。完全に抑えんのは無理だからな」

 

"共鳴破壊(オーバーレゾナンス)"こと、鳴瀧伴璃(なるたきともり)の頼みに、"ホーナー"こと鍛冶屋敷鏈(かじやしきれん)は困ったように言い返した。しかし、彼女の命令に逆らう気は無いようで、依然と人狼の拘束には力を入れている。

 

 

すぐさま景朗の体に異変が生じ始めた。鳴瀧の言葉の後に耳鳴りが生じ、尚且つ、彼の視界が激しく波打ちだしたのだ。膨大な衝撃が彼の頭部を襲う。間もなく振動は振り切れ、結果、彼の眼球は弾け飛んだ。鼓膜にも傷がついている。景朗は視力と聴覚を失っていた。

 

「ガ?!ウヴヴウウゥゥッ」

 

「アハハハハハハッ!眼球破裂。鼓膜裂傷。ゆるして?ワンちゃん」

 

驚きからか、景朗から再び呻きが漏れる。鳴瀧と呼ばれた少女の冷笑も、もはや彼の耳には届いていなかった。暗く染まった視界に焦り、景朗は聴覚と視覚の回復を最優先に臨んでいく。

 

 

 

 

 

何も見えない。音も、相当に聞こえにくくなっている。視覚の修復に急ぎ意識を向ける景朗は、無意識のうちに身じろぎするのをやめていた。だからだろう。ふと、ピタリと肩に置かれた謎の手の感触に、ぞっと怖気を催した。

 

最後の1人、"螺旋破壊(スクリューバイト)"がいつの間にか近づき、彼の真横にしゃがみ、その片腕を人狼の肩へと伸ばしていたのだ。

 

「これで詰みだ。"ライカン"」

 

青年がそう囁くと、みしり、と景朗の体の芯に、得体の知れぬ感覚が這いずり回った。その瞬間。

 

「――ァ――ッ?!」

 

彼は瞬時に、軽いパニックに陥った。何故なら有り得ないことに。景朗の体から、全ての触覚が消え去っていたからだ。

 

背後から組み伏せる"ホーナー"の重圧も。体中を刺す歪な針の違和感も。煩わしかった、床に流れ溢れる彼自身の血の水たまりの湿り気も。突然肩に置かれた感触すらも。景朗は最早、何も感じ取れなくなっていた。

 

手を動かそうとしても。足を動かそうとしても。動いているのかすら分からない。景朗を串し刺す針を伝わり、密着していた鍛冶屋敷の声の、その微かな震えだけ、景朗に伝わった。

 

「うへぇあ、えげつねえ。やっぱアンタにだけは逆らえねえな、バイター。想像したくもねえ。脊椎と内蔵をぐちゃぐちゃに掻き乱される"痛み"なんてよ」

 

 

 

景朗にはそれを感知することができなかったが。鍛冶屋敷は能力を解除して、ピクリとも動かなくなった人狼からずぬりと針を抜き取った。緩やかに立ち上がった彼の体は、人狼の血に塗れ一面を赤黒く染めていた。元通り柔らかくなった全身の"さがり"を伝い、まるで樹雨のようにポタポタと紅い水滴が滴っている。

 

元来、水気に弱い革製品などによく使用される"さがり"とは、雨などによって付着した水分を素早く流し落とすために備えられた、ネイティブアメリカンの知恵の結晶である。奇しくも。鋼針として用いられた"さがり"は、今では本来求められた性能を如何なく発揮していた。もともと撥水性の素材が使われていたのか、あっという間に、血に濡れた鍛冶屋敷のスーツは乾いていく。

 

 

 

 

 

 

 

「これからどうするの?煉瓦」

 

鳴瀧伴璃は"ジャンク"率いる"螺旋破壊(スクリューバイト)"こと、煎重煉瓦(いりえれんが)に行動方針を促した。彼女が煎重へ発した声のトーンには親しみが篭っており、それは鍛冶屋敷や"ボマー"へと向けるものとは若干異なっていた。

 

「伴璃。ホーナーの言う通り、まだ決着はついてないんだ。気を抜くな。まあ、障害だった"ライカン"は排除できたか。油断は禁物だが、残りの"スキーム"の連中には、此奴ほど苦労はしないだろう」

 

"螺旋破壊(スクリューバイト)"、煎重もいくぶんか穏やかな声色で鳴瀧へ視線を返した。その後、彼は徐に腕を、閉ざされた隔壁のひとつへと手向けた。その腕の先では、金属の塊が物々しく折れ曲がるような壊音とともに、鋼壁の歪曲が始まっていた。最後に一層、豪快に鳴り響かせ、遂に頑丈な扉の中央に、まるで見えない巨人に力任せに捲られたかのような、巨大な穴が穿たれた。

 

 

「さて、それじゃ手早く、逃げた奴等を排除しに行くとしよう」

 

煎重の新たな指令に、鍛冶屋敷は両手を広げながら一度、肩をすくめた。次に、ヘッドセットに手を伸ばし、"ジャンク"指令部へと報告を入れる。

 

「HQ。"ライカン"を始末したぜ。ああ、問題ない」

 

 

 

「よっと」

 

室内の毒ガスを全部指先に収集した"ボマー"は、その白色の球状となったガスを、彼らが突入時に開けた天井の大穴を通して遥か上空へと打ち上げた。

 

 

「さあ、行くぞ」

 

煎重が穴の空いた隔壁へと一歩踏み出したその時。

 

「待って」

 

怪訝そうな顔付きの鳴瀧がメンバー全員の足を止めさせた。

 

「信じられない。"ライカン"の心臓の鼓動が復活した」

 

 

 

 

「マジかよ?……あれだけやったってのに。クソ、有り得ねえぜ。どんだけタフなんだよ」

 

血だまりの中央で俄かに体中を痙攣させ始めた人狼の姿に、鍛冶屋敷は表情を凍らせて戦慄した。

 

横たわる"ライカン"は、じゃり、と伸ばした片手で床を引っ掻いた。途端に、鈍い爆音が生じ、小刻みに震えていた人狼の体は地面に押し付けられた。埃が放射状に吹き飛んでいく。

 

「やっぱり、情報部が警告してくるだけあったみたいだ。まったく、大能力者(レベル4)はどこでも厄介だね」

 

能力を使用した"ボマー"はうんざりとした形相を造り、"ライカン"に目を向けている。

 

 

「あれでくたばらないとはな。……チィ。どうやら此奴の面倒は、俺が見とかなきゃならんようだ。伴璃、ホーナーとボマーを連れて、残りの奴等を排除して来てくれ。俺は此処に残ろう」

 

苛立たしげに漏らした煎重のその命令に、鳴瀧はすぐさま反論した。

 

「ダメよ、煉瓦。1人じゃ危険。鍛冶屋敷と残って。逃げたヤツらは私と筥墳で十分に事足りる」

 

煎重は筥墳と呼ばれた男、"ボマー"へと顎を差しつつ彼女に続けた。

 

「いいや、それならお前が"尖鋭硬化(ハードホーン)"を連れて行け。こちらは"空気爆弾(コールドボム)"で良い」

 

大能力者2人の応酬に、ぴゅうう、と"尖鋭硬化(ハードホーン)"、鍛冶屋敷は口笛を吹いた。彼のその行動はメンバー全員に無視されたが。

 

煎重と鳴瀧はお互いに譲らぬといった雰囲気を醸し出していた。やや間を空け、"ボマー"、"空気爆弾(コールドボム)"こと筥墳颯(はこつかはやて)は不満そうに口を開いた。

 

「で、結局、ボクはどっちに付いていけばいいんですかね?」

 

「そう拗ねるな、"空気爆弾(コールドボム)"。"ライカン"の突撃(チャージ)は速かった。お前の能力の方が、奴と上手く距離を取って戦えるだろう?」

 

 

煎重の台詞を耳にした鳴瀧は、きり、と口元を堅く結んだ。続けざまに、くるりと振り向き、破壊された隔壁の穴へと進みだした。

 

「行くわよ、ホーナー。迅速に済ませましょう」

 

「了解だ、レゾネーター」

 

鍛冶屋敷は軽く相槌を返し、彼もまた鳴滝の後へと続いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初に再生したのは、聴覚だった。血溜りで藻掻く景朗の耳に、人間2人の、床を駆けていく足音が届く。景朗の意識自体は極めてハッキリとしていたのだ。直ぐに、丹生たちに危険が迫っている、という考えが頭に浮かぶ。予定外だった。"ジャンク"が相手だろうと、もう少し粘れると思っていた。でも、まだまだ全然足りない。クソ。もっと、もっと、丹生たちが逃げきれる時間を稼がなければ。

 

「マ、デ……マダ、ダ。マダ俺ハ、生デ、イル、ゾ……。アイ、テ、ヲシロ、ヨ……」

 

景朗は段々と、体のコントロールを取り戻しつつあった。まだまだ拙かったが、ガリガリと床に爪を立て、体を引きずる。関節を捻る攻撃、その再生に、だいぶコツを掴んできていた。一度受けた攻撃には、直ぐに対応できる。次からは、もうちょっと早く対応できる自信を景朗は持ちつつあった。だが。

 

 

「さて、ライカン。脊髄を三つ編みにされた状態で、どう足掻いてくれるんだ?」

 

"螺旋破壊"の声が聞こえたのと同時に、景朗の四肢が再びあらぬ方向へ曲げられていく。関節に響く、みしみしという筋肉や腱の捻れ蠢くノイズを聞いても。それでも。景朗は諦めずに、懸命に体を再生させ、抗った。

 

またぞろ、爆風が景朗の体を吹き飛ばした。コイツ等、賢いじゃねえか。近づいてきたら、死ぬまで噛み付いてやろうってのに。でも。コイツ等の能力じゃ、そうそう俺にトドメを刺せないみたいだな。チャンスはある。

 

景朗は血に塗れ、無様に倒れふしていても。頭の中で、必死に勝利への道を模索し続ける。僅かずつだが、敵から受ける捻切り攻撃の回復速度が早くなってきている。

 

もう少し。あともう少し。一気に再生できれば。短時間で再生できれば。攻撃に転ずることができるのに。奴らに飛びかかってやれるのに!

 

 

何度も体を折られ、何度も吹き飛ばされ、地に激しく打ち付けられて。

 

 

 

その内に。景朗の脳裏に、とある、突拍子もない考えが閃く。

 

 

穂筒の薬。俺は、あれに対する耐性を獲得できている。それは。もしかしたら。

 

 

 

 

そうだ。あの薬。体内で中和できるというのなら。逆のことも、できるんじゃないのか?俺の能力で、造り出せないか?俺の体内で、あの薬を、あの成分を、精製する!やるしかない!

 

 

景朗の体が、沸騰する。血が湧き踊り、かつて無い熱量が出現する。その行為は、彼のうちに眠っていた力。その力を閉ざす金庫を、開く鍵となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『隔壁ヲ降ロセ!』

 

耳朶を震わせた景朗の叫びに、丹生多気美は弾んだ息を整えぬままバックアップへと指示を飛ばした。

 

「南西棟、電源管理室にガスのトラップを!早く!」

 

『しかし、スキーム1が――』

 

「構わないから早くっ!」

 

怒声を張り上げ、丹生はスタッフの返信に続行の命を上乗せた。

 

『了解しました、ガスの噴出を開始します!……ッ!スキーム1の信号が消滅しました!』

 

疾走する丹生は、その連絡を受けて耐え切れずに顔を後ろへ翻した。遠間に映る、閉ざされた隔壁に悔しそうに歯を軋らせる。躊躇は僅かな間だった。前を向き、より一層と力強く駆け出した。

 

「なるほど、雨月の指示はそういう事か!それで奴等がくたばってくれれば良いが……ッ!やはり来てしまったか、ジャンクどもめッ。急ぎ態勢を整えなければ……ッ!」

 

そう吐き捨てた亀封川は、走りながらも身につけていた装備を器用に取り外し、迷いなくその場に投げ放った。彼が捨てた、地に落ちたハーネスから手榴弾が外れ、渇いた音を立てて転がった。

 

「忌々しい!"共鳴破壊"が相手では容易に爆発物は使えん!先程は奴に感づかれず行幸だった。スキーム1が時間を稼いでいる間に用意していたレーザー兵器を取りに行かねば!」

 

亀封川は、早期から報告にあった"共鳴破壊"の能力を警戒していた。もし、彼女に身につけていた爆発物を感知されていたら。その場で彼女の能力は造作もなく、爆弾に刺激を加え、爆破させていただろう。さりとて、武器を失い焦燥を隠せぬ亀封川であった。その様相に、彼らを追走する穂筒は不安そうに問いかけた。

 

「オイ!アイツ1人でアイツ等に勝てんのかよッ?!」

 

「景朗なら大丈夫に決まってる!黙っててよ!」

 

穂筒の言葉を、丹生は直ちに切って捨てる。しかし、そう言い返す彼女自身の面差にもありありと、景朗の身を危惧する恐れが滲んでいた。

 

 

 

 

 

 

一心不乱に通路を走り抜けた3人は、怒涛の勢いで階段を降りていく。段差を一度に数段ずつ飛び降りながら、亀封川はヘッドセットに手を這わせた。

 

「管理室の様子はどうなっている?」

 

『スキーム1からの連絡は依然として有りません。室内の状況は判断できません!』

 

彼らは目指していた階段の踊り場に到着した。丹生は慌ただしく、その踊り場の壁面に備え付けられたチェストを力任せに開く。その中には武器に弾薬、予備の装備や医療キットがたっぷりと封入されていた。

 

「ガス攻撃の合否だけでいい。噴出が終わり次第、対化兵装の人員を送って偵察させろ!確認だけで構わない!」

 

『既に派遣しています。追って続報を』

 

尚も通信を続ける亀封川へと、丹生はチェストから取り出した、黒光りする無骨なライフルを手渡した。続けざまに次々と、穂筒にも一丁その銃を渡し、次いで暗視ゴーグルも押し付けた。

 

「穂筒さん。このレーザー銃の有効射程は15mも無いし、目や首とか、急所になるところを狙って撃たないと一発では相手を無力化できないから気をつけて」

 

「ちょ、待っ、わぁったって!」

 

暗視ゴーグルの装着に難儀している穂筒を尻目に、丹生は手早くゴーグルを装備し、手馴れた様子で素早くライフルを点検、安全装置を解除する。景朗がどこからともなく引っ張ってきたその学園都市製のレーザー兵器を眺めて、彼が別れ際に発した台詞を思い返した。

 

景朗は逃げろと言っていた。この困難な任務を命ぜられた当初から、彼は彼女に何度も説得を繰り返していた。丹生はきちんと覚えている。絶望的な強さを持つ敵が襲ってきたら、景朗が囮を買って出る、そうしたら構わず逃げてくれ、と。だが、この世界では。敵前逃亡者には須らく、考えたくもないペナルティが待ち受けている。

 

だが、そんなことは景朗だって重々承知のはずだろう。それでも彼は逃げろと言ったのだ。丹生は黙し、考えを張り巡らせた。

 

考えに耽っていた丹生の意識を、穂筒の大声が今一度戦場へと蘇らせた。

 

「なァ!ニウちゃん聞けよ?!それ、閃光手榴弾(フラッシュバン)だろ?何個かくれッて。オレの能力なら、そいつの効果をスゲェ高められんだよ!」

 

はッとした丹生は考える前に、その言葉通りに穂筒へと閃光手榴弾を手渡した。通信を終えた亀封川が、早々に準備を終えた丹生と視線を合わせた。

 

「スキーム2、こいつを敵に効果的に使うには、どこかで不意を付かなければならない。この先に確かテーザー(高圧電流)のトラップを仕掛けていたな?そこに――」

 

亀封川の話を塞ぐように、先程の光景よろしく、階段を照らしていた照明が一斉にぱきゃりと破裂した。

 

「畜生め。雨月は失敗したようだな。照明が破壊されたということは、奴等が目と鼻の先まで迫っているということだ。時間が無い。この先のトラップ手前で待ち伏せしよう。走れ!」

 

 

 

 

 

 

それほど時間は経たずに。真っ暗な廊下の奥に、"ジャンク"の2人組、鳴瀧と鍛冶屋敷が丹生たちの前に姿を表した。丹生達は彼らが前もって通路に設置していた、高圧電流の流れるワイヤーが飛び出すトラップの、その少し奥に身を隠していた。ドアやロッカーの陰で、息を殺して敵の不意をつこうと虎視眈々と機会を待っていた。奴等がトラップに気を取られた、その時に。レーザーをお見舞いする気であった。

 

 

トラップが発動する地点、ほんのわずか手前で。丹生たちの身を隠す場所から十メートル近く離れたところで、"ジャンク"の2人組は足を止めた。

 

「ふふ、可愛い。3人とも、心臓の音がばくばくしてる。心の声が聴こえてくるみたい」

 

鳴瀧はそう呟くと、パチリと指を鳴らした。その刹那。待ち伏せしていた丹生ら3人の持つライフルが、猛然と振動し、怪音を生み出し始めた。鍛冶屋敷は目の前のトラップ上を気にも留めずに駆け出した。しかし、トラップは発動しなかった。予めその存在に気づいていた鳴滝が、トラップの発動ギミックを破壊したのだ。

 

 

 

「ちッ!バレていたか!撤退するぞ!」

 

「クソッ!クソッ!クソッタレ!」

 

亀封川の合図に応えて、穂筒はライフルを放り出し、閃光手榴弾を見舞った。通常、炸裂した閃光手榴弾は轟音と発光で相手の聴覚と視覚を麻痺させるのだが。穂筒が放ったそれは、期待した爆音を響かせることはなかった。鳴瀧が振動を操り、音を無効化させたのだろう。しかし、さすがの彼女にも、光はどうすることもできなかったらしい。

 

刹那の間でその通路に満ち満ちた烈光は、穂筒の能力の加護を得て、その明るさを決して減衰することなく、その空間を眩しく照らしだしていた。

 

目が眩んだ鍛冶屋敷は機敏に体を伏せて、そのままロッカーの陰へと滑り込んだ。亀封川は予備のサブマシンガンを手に取り、目を閉じて通路にポツリと立ち尽くす鳴瀧を狙い猛然と銃撃を開始する。遅れて穂筒も、サブマシンガンを斉射した。

 

背後の2人が応戦している間に光に満ちたその通路を駆けぬけ、隔壁を潜ろうと試みて、丹生は愕然とする。隔壁は丹生の接近に反応せず、開かない。鳴瀧が開閉装置を破壊していたのだ。丹生はパニックになりかけた。彼女たちは今、袋の鼠となっていた。

 

 

「亀封川さん!ドアが壊れてて開かない!くぅ……アタシの能力で何とかやってみる!」

 

丹生の叫びに、亀封川は大きく舌打ちを返した。

 

「頼む!それまで何とか持ちこたえよう……くそ、オペレーター!そちらから隔壁を操作できないのか?」

 

『こちらの入力を受け付けません!恐らく破損しています!原因は不明です……ッ!』

 

 

丹生は身に纏わせていた、てらてらと輝く水銀の形状を変化させ、隔壁の隙間に流し込んだ。とろけた水銀を無理矢理に硬化させると、ミシミシと隔壁は音を立て、緩やかに少しずつ隙間を広げていく。丹生は能力を全開に振り絞り、出来うる限り迅速に隔壁を上昇させねばと、懸命に打ち掛かる。

 

 

 

 

 

 

 

止めどなく飛来する銃弾を、鳴瀧は苦もなく、眼前で爆散させて対処していた。しかし、止むことなく執拗に狙われ続け、それ以上の攻勢に転じることはできていない。落ち着いた、涼やかな相貌だったが。それも長くは続かずに、僅かに眉間を寄せ、口からは刺々しい文句が現れる。

 

「ホーナー、何時まで寝てるつもり?」

 

「すまねえ。もうそろそろだ」

 

ロッカーの裏側で、鍛冶屋敷は邪魔だった暗視ゴーグルを乱暴に外した。暴力的な笑顔を浮かべ、彼は壁を蹴って亀封川の目の前へと飛び込んだ。

 

「やってくれるじゃねぇか!」

 

彼は能力を展開した。スーツを硬化させて胴体に飛来する弾丸を弾きつつ、鍛冶屋敷は走り込んだ。亀封川の眼前約50cmの距離で、彼の体は不可視の壁にぶつかりその動きを止める。

 

「あん?これ以上近づけねえ。オメェの能力か?これ」

 

間髪入れぬ、タタタタ、というサブマシンガンの発砲音が鍛冶屋敷への答えだった。顔面に弾丸を浴びた鍛冶屋敷を見て、亀封川はごくりと息を飲んだ。そして。仕留めたか、と湧き出た期待をすぐさま切って捨てた。

 

「ってぇなぁ!?オマエ、ぜってぇぶっ殺す。生身の肌を硬くすっと、後で大変なんだぜ、コラ」

 

 

銃撃は効いていなかった。怒りの形相で八重歯を露出させた鍛冶屋敷に、慌てて彼へと銃口を向ける穂筒。亀封川は怒鳴った。

 

「構わん!俺のことはいい!お前は"共鳴破壊"を狙い続けろ!あの位置に磔け続けろ!」

 

 

「ハハ!良い判断だ!けどな……これで、どうだ?」

 

そう言い放つと同時に、鍛冶屋敷はスーツ前面についた"さがり"を、ゆっくり、ゆっくりと伸ばし始めた。

 

「ぬう……ッ」

 

亀封川から、焦りの色が見て取れた。目線の先には、極めて遅遅と緩やかに、彼へと屹立する無数の鋭い針があった。

 

「銃弾を止めるのは得意でも、こうやって、とんでもなく緩慢な動きを制御するのはどうなんだ?え?だいぶ前に、オメエみたいな能力者とヤり合ったことがあんだよ……こっちはなぁッ!」

 

亀封川は動転する。遅々として進まぬその針は、だが確実に、彼の体へと近づいてきていた。その動きは確かに緩やかだった。だが、梶屋屋敷の能力によるその針には、どんなに遅く見えようとも、前進しようとする圧倒的な力が加わっていたのだ。亀封川には、死へのカウントダウンを始めたその針を、どうすることもできなかった。

 

 

「スキーム2!!!まだか!まだなのか!」

 

「あと少し!あと少しなのに!」

 

裂けるような悲鳴。丹生は滝の汗を流し、隔壁を開こうと苦心していた。ぽたぽたと体のあちこちから、汗の雫が滴っていた。

 

 

 

 

 

 

突如、穂筒のサブマシンガンが爆裂した。射撃の途絶えた、銃のリロード期間を狙われたのだろう。鳴瀧は時を等しく、手を張り合わせる。破裂音が生じたその瞬間に。

 

 

「ごぅッ……ふ」

 

穂筒が胸を抑えて、その場に崩れ落ちた。鳴瀧は続けざまにもう一つ、パチリと手を鳴らす。

 

 

「がッ……!」

 

次は、亀封川が口から血を噴く番となった。ポンポンと無造作に、ただ2度、手を打ち鳴らしただけだった。鳴瀧はその間も冷徹な相貌を変化させることはなく、淡々とことにあたっていた。

 

 

肺に生じた衝撃に、亀封川は一瞬、能力の集中を切らしてしまっていた。鍛冶屋敷が、そのスキを見逃すハズは無く。

 

 

 

 

 

隔壁が、ひとひとり分を申し訳なく通過できるほどの隙間を取り戻した。

 

「開いた!はや…く…ッ!?」

 

背後を振り向いた、顔中に汗の雫を散りばめた丹生が目撃したのは。背中から、心臓の位置から黒い針を生やし、立ち往生する亀封川の後ろ姿だった。丹生の瞳に映る。ずぷ、と針が引き抜かれ、"ホーナー"は邪魔くさそうに亀封川の腹部を蹴り離した。

 

 

 

 

「う……わぁぁぁぁぁぁッ!」

 

丹生は目にも止まらぬ速さで銀の槍を創り出し、鍛冶屋敷へと突き出した。金属と陶器が弾き合う音が生まれ、槍先が鍛冶屋敷の脇腹を掠めていく。

 

「ハハッ!嬢ちゃん、筋がいいじゃねえか!」

 

「くっ!はああッ!」

 

丹生は巧みに銀塊の形状を変え、剣の一閃、槍の一突き、鎌の一薙ぎを鍛冶屋敷に繰り出していく。返す鍛冶屋敷は、両の腕、踵、膝頭、身体のありとあらゆる部位に、"さがり"から生じる、黒色の刃を形成し、丹生へと斬撃を加えていった。

 

 

途端に、金属音で辺りは埋め尽くされた。硬い材質同士を打ち鳴らしたような、響きの良い音色が途切れる事無く生み出されていく。

 

鍛冶屋敷が腕に生えた刀で丹生の頚動脈をはらう。銀色の被膜が彼女の首を瞬時に覆い、その刃から身を守った。丹生が押し込んだ三又に分かれた槍は、鍛冶屋敷の硬化したスーツを突き破れず、するりと表面を撫でて横へ滑りずれた。

 

鍛冶屋敷と丹生の白兵戦は、しかし鍛冶屋敷が優勢であった。お互いに致命傷を与えることこそなかったが、次第に鍛冶屋敷が丹生の攻撃を見切り、捌き、合間合間に、刃ではなく、拳や蹴りといった打撃を打ち込みだしたのだ。衝撃を受けるたびに、丹生は小さな悲鳴を漏す。しかし、その闘志は、彼女の目の輝きは尽きることはなかった。

 

 

 

平然とその光景を眺め、どこか上の空だった鳴瀧が、突然いきなり、表情を驚愕に染めた。

 

「早く決めて鍛冶屋敷!」

 

唐突に、鳴瀧が指を打ち鳴らした。それは、鍛冶屋敷によって腹部に繰り出された斬撃を、丹生が銀膜で防御していたタイミングと重なっていた。そのために。彼女の腹部を覆っていた銀膜が、突如、激しく波打ち、液体が飛び散るように波紋状に爆ぜた。

 

「かはっ!」

 

丹生はひとつ、大きく咳き込んだ。血液が数滴、彼女の口内から飛び散った。がら空きとなった彼女の腹部目掛けて、鍛冶屋敷は鉤爪のように鋭く取らがらせた拳を打ち込もうと振りかぶる。

 

「殺さないで!鍛冶屋敷!」

 

鳴瀧の命令は、ギリギリのところで間に合った。鍛冶屋敷の鉤爪は丹生の体に到達する前に丸みを帯び、代わりに鉄拳が彼女の腹部を襲う。

 

「ごえッ!ぐううッ」

 

地に膝をつき、丹生はお腹を押さえて、ドロドロと胃の内容物を吐き出した。こひゅ、かひゅう、と苦しそうに息をつき、虚ろな瞳を地面へと向けている。

 

「あ?なんでだよ、鳴瀧。どうした?」

 

不服そうな鍛冶屋敷が、鳴瀧へ苛立たしげに悪態をつく。丹生が床にぶちまけた吐瀉物の臭いが鼻についたのか、彼はうっすらと眉間にシワを寄せた。

 

「ライカンが逃げ出したわ。筥墳も倒れた。……その娘を人質に取って、急いで合流しましょう」

 

鍛冶屋敷は顔中を驚きで染めあげた。

 

「ああ?なんだそりゃ!?バイターは何やってんだ!?」

 

鳴瀧は鍛冶屋敷を睨みつけた。彼女の反応に、鍛冶屋敷は失言だった、と愛想笑いを返す。

 

「その娘、ライカンととりわけ仲が良さそうだったのよ。人質にとったら、奴が取り返しにくるかもしれない」

 

「そうなることを祈るぜ。ったく、やってらんねえ。今回の任務はずっとケチがついてて嫌になる。だいたい、"人狼症候"を仕留めねえとギャラが半額になっちまうって、面倒臭すぎるにもほどがある。上層部はよっぽど、あのオオカミに個人的な恨みでもあったのか?面倒臭え」

 

 

"人狼症候"を仕留めなければ、"ジャンク"の報酬は半分となる。その台詞を聞いた丹生はピクリと顔を上げた。鍛冶屋敷は、倒れて震えていた穂筒をつかみあげ、刃を伸ばし、彼の首筋へピトリと貼り付けた。

 

 

「オラ、銀ピカ娘。その銀ピカをとっととどっかへ捨てろ。さもなきゃ、コイツを殺す」

 

 

「う。ふぐ。ううう」

 

恐怖にかたかたと震える穂筒の、その股間からは湿り気が広がっていった。丹生は歯ぎしりをして、身に纏わせていた水銀をばしゃりと通路の隅に放逐した。

 

「ご苦労さん」

 

鍛冶屋敷はそう言って、穂筒の首を掻き切った。元よりそうするつもりだったと言わんばかりに。勢いよく、しぶしぶと流血が吹き出し、穂筒の喉からピィィーと甲高い音色が発生する。丹生は目をぎゅうっと瞑り、その光景から顔を背けた。

 

穂筒の遺体を通路に投げ棄て、鍛冶屋敷は丹生の髪を引っつかみ、立たせて歩きだす。

 

「妙なマネしてみろ。その場で殺す」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何度吹き飛ばそうとも執拗にじたばたと暴れだす人狼を相手にして、"空気爆弾(コールドボム)"こと筥墳は耐え切れず、痺れを切らしつつあった。

 

「いい加減くたばりなよ、このワンちゃん。ねぇ、ヘッド。トドメを刺そうよ。さっきからこのワンちゃんずっと寝たきりじゃないか。確かにピクピクしてるけどさ。もううんざりだ。ボクが直接口の中で爆発させてやるよ。頭ごとふっとばしちゃおうぜ?」

 

不満を大いに表す筥墳に、煎重は説得するように淡々と語り掛けた。

 

「そう急くな。いずれ伴璃たちが駆けつける。それからでも遅くはない」

 

しかし、筥墳はその命令を無視して、未だに荒々しく藻掻く人狼へと近づいていった。

 

「心配しすぎだよ、ヘッド。フォロー頼むよ。どのみちライカンは仕留めなきゃダメだったろう?」

 

煎重が顔を顰めて見つめる中、筥墳は不用意に、人狼へと近づいていった。天井に空いた大穴からは、儚い月明かりが零れて。動きを止め横たわる人狼の姿を、優しく照らし映していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

体中に、"あの成分"が湧き出た、成功した、と思った。咄嗟に思いついたその考えを、その場で試み、瞬時に成し得た景朗は、"その成分"の効果と相まって、全能感に酔った。

 

肌で感じる。能力の出力がとてつもなく向上しているのを。僅かな間で、じゅうじゅうと体から湯気を出しつつ、景朗は体の機能を問題なく動かせるほどには回復させることに成功した。

 

 

耳と鼻に、不用意に自分に近づく者の気配を察した彼は。獲物を待ち伏せる狼のように。その身にしなを造り、ひたすらに敵を引き寄せた。

 

 

風が、景朗の口内に集まっている。鼻腔をくぐり抜ける空気が心地よい。さあ、飛びかかれ。景朗は近くに歩み寄った、筥墳へと矢庭に襲いかかる。

 

人狼が、正しく野獣のように。音もなく筋肉を爆発させた。

 

「ッ!」

 

筥墳は飛び跳ねた人狼に驚愕し、声無き声を漏らす。瞼を大きく開かせた煎重は見事に、反射的に能力を行使して、筥墳を守ろうとしたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

俺が飛び上がった瞬間から、わずかに遅れて、四肢に捻り攻撃が襲来する。しかし、遅い。俺は筋肉の繊維が断裂するほど、力を無理矢理に引き出していた。繊維が千切れた後に捻れがやってくる。でも、それから一瞬で、俺の細胞は修復し、元来の機能を取り戻す。

 

 

近づいてきた男の首に噛み付き、一度の攻撃で命を奪うつもりだった。だが、ここは"螺旋破壊"を褒めるべきだろう。俺は体勢を崩してしまい、狙いを変えざるを得なくなった。野性に従い、巧妙に体重移動を行って、顎門を、男の右手へと。渾身の力を込めて、噛み締める。クッキーをさくさくと噛み砕くように"ボマー"の右手はべちゃりと潰れた。粉々に。痛みに我を忘れ、"ボマー"は叫び声をあげた。

 

 

「ぉあああああああああああああああああああああ!!!」

 

 

 

本当に、大した性能のスーツだった。噛み千切ろうとしたが、その繊維は容易には噛み切れそうになかった。口を開けた景朗は、既に視覚を取り戻していた景朗は、追撃せんと、鋭く伸ばした爪を振りかざす。だが、ビキリと腕は回転し、デタラメな方向へ動き出す。

 

"ボマー"も、流石は暗部の精鋭部隊に所属するだけはあった。怒りに顔を歪め、雄叫びをあげながらも能力を発動させる。

 

人狼と筥墳の中間に、爆発と形容すべき突風が吹き荒れた。人狼は身軽にも、すぐ側へと四つん這いになって着地した。

 

 

 

 

「ボマー!能力で奴を近づけるな!」

 

景朗が期待していたほど、煎重は心を乱していなかった。"螺旋破壊"の能力に対抗するため、四足で大地を駆けて移動するようになった景朗を前にして、それでも尚、冷静に状況を判断し、能力を適切に用いた。

 

部屋には僅かな月明かりが射すのみ。薄暗さに危機感を覚えたのだろう。煎重は素早く発炎筒を炊き出し、数本を部屋のあちこちへとばら撒いた。室内は発炎筒のライトグリーンの烈光で、くるりと見渡せるほどには光量を取り戻した。

 

 

 

四本足で地を踏めば、二足歩行時とは雲泥の差で、関節破壊攻撃に対処できる。人狼は果敢に"ジャンク"へと攻撃を仕掛けていった。

 

「よくもボクの手を!クソが!糞が!クソが!クソがァッ!今に見ていろ!ライカァァァン!」

 

鬼の形相。筥墳は烈火の如く憤怒し、煎重の攻撃と被せるように爆風攻撃を放ってくる。景朗は2人のどちらかに接近したかったが、それは難しかった。

 

しかし、攻撃を受けて無様に転がることはなくなっていた。手足がへし折れようと、すぐさま治癒させ、四足で機敏に空間を駆け回り、敵の油断を誘っていた。

 

 

 

この場にいない、"共鳴破壊"と"ホーナー"の2人が気にかかる。景朗は焦りを無理矢理に能力で押さえ込み、今か今かと反撃の機会を待った。しかし。

 

 

ふと、景朗が飛び退ったその場で。背後からいきなり、根元がねじ切れた電源設備が彼へと雪崩れかかってくる。このような巨大な機械の塊まで、苦もなくネジ切り倒すとは。"螺旋破壊"の出力はやはり侮れない。

 

景朗は反射的に真横に跳んだ。なんの前触れもなく、轟音が鳴り響く。そして着地と同時に、彼は頭部から衝撃を受けた。巨大な質量を持つ物体が、人狼の真上から落下し、彼を押しつぶしていた。

 

期を見計らって、煎重が天井の壁材をくり抜き、景朗の真上から落としていたのだ。景朗は何が起きたのか、咄嗟に掴めなかったが、数瞬、間を空けてようやく把握した。彼は壁材に挟まれて考えを改め始めた。

 

やはり。目の前の奴等を始末するのは、一筋縄にはいかなそうだと。丹生たちの安否が気になっていた景朗は、天井の残骸の下で、心に決める。

 

 

撤退しよう。歯がゆさで涙が出そうだったが、ジャンク共を倒すのは難しい。丹生を連れてって、逃げて、それで。…………幻生に頭を下げて。匿って。貰おう。

 

丹生は無事だろうか。丹生。待っててくれ。

 

 

 

 

 

 

 

くり抜き落とされた天井の下敷きとなった"ライカン"は、しばし動きを止めていた。その様子に警戒を解くことなく、煎重は慎重に"ボマー"へと近づいていった。筥墳の呼吸はみるからに荒くなっており、容態が変化しつつあるようだったからだ。

 

 

ぎしぎしと、人狼を押しつぶしたコンクリート壁が動き出す。煎重がそれに反応した、その時。"ジャンク"2人から最も遠く離れた隔壁がするすると開放された。

 

扉からは、対化学テロ装備に身を包んだ戦闘員が2名、フラッシュライトを片手に入り込んできた。コンクリート塊を背負い上げ、立ち上がっていた人狼が咆哮する。

 

 

「来ルンジャネエ!逃ゲロ!」

 

煎重は戦闘員が装備した厳ついガスマスクを目に映し、ほんの微かに、口元を釣り上げた。戦闘員の2人の首が、ごきりと、人間の稼働限界を越えて回転した。"螺旋破壊"はコンマ2秒で、他愛なく、人間2人の命を奪っていた。しかし、その笑みも束の間だった。

 

 

振り向いた煎重の背後には、人狼の姿が無かった。人狼が位置していた部屋の側壁、上方に、ひしゃげた排気ダクトの蓋がかろうじてぶら下がっている。まさか。逃げられた。ダクトから。

 

 

足元の筥墳は、気が付けば意識を失っていた。見たところ、出血量はそれほどでもない。奴の牙には毒があったのか?その日初めて、煎重の表情に苛立ちが生じた。拳を力の限り握り締める。

 

「ライカン……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダクト内を疾走し、景朗は丹生たちを探していた。生きてるよな?丹生。どうなってる?アイツ等はどうなってる?無事か?急げ、急げ、急げッ!

 

 

丹生と一緒に逃げよう。幻生のクソジジイに、命乞いをして。でも、それで。とりあえず、逃げ延びて、生き延びて。生きなきゃ!生き延びなければ!アイツを、丹生を連れて戦い抜くのは厳し過ぎる。俺1人だけなら、延々と時間をかけて。獲物が体力を失い、衰弱するのを待つように、仕留めることができたかもしれない。いや、それも"ジャンク"4名を前にしては、容易には達成しえないだろう。

 

プラチナバーグは、この施設を破壊されて窮地に陥るだろうな。援軍をこちらへよこすほど、奴には余裕はないと聞く。俺達が奴等に、"ジャンク"に当てられたのは、一種の賭けだったのさ。守りきれれば上々だったんだろ?

 

すまないな、プラチナバーグ。俺と丹生は、ここで退散するよ。脳裏に、ミサカ2525号の言葉が蘇る。それを、景朗は悩みつつも振り切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

とある通路の真上に差し掛かり、そこで、血の匂いを嗅ぎとった景朗は。一気に青ざめた。穂筒と、これは、亀封川の、血の、匂い。うそだ、ウソだ嘘だ!

 

がこり、と蓋を蹴り落とし、景朗は目的の場所へと、鼻を頼りに近づいていく。そして。目にした光景に、憤怒した。思考が、停止した。

 

穂筒と亀封川の死体。そのすぐ側にブチ撒けられた吐瀉物は、丹生のものだった。奴らに連れて行かれた!どこだ!どこだ!どこだ!

 

「GOOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAH!!!!」

 

人狼は怒り狂い、半開きとなっていた隔壁へ闇雲に殴りかかった。衝撃が発生するたびに、扉はべこりと凹んでいく。

 

 



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episode16:悪魔憑き(キマイラ)

 

 

"人狼症候"が、先程ようやく命からがら逃走した場所へ、"螺旋破壊"との闘争の場へと、再び姿を現した。血走った瞳孔は縦長に大きく振り切れ、喉から小さく唸り声を上げながら、半狼半人は穿たれた隔壁の穴から静かに歩み寄る。

 

その空間の中央に、敵対者"ジャンク"の3名が陣取っていた。、"水銀武装"を人質に取った"先鋭硬化"、"共鳴破壊"、"螺旋破壊"が人狼を待ち構えている。

 

 

景朗のシルエットを目に捉えた丹生は、思わず身動ぎした。彼女の背後から、首に腕を回した鍛冶屋敷は拘束に力を込める。彼女は苦しそうに息を漏らし、ただちに抵抗を断念した。

 

 

「プッ、ク、ハハハ。まさか、まさか本当に来るとはな、ライカン。ハ、ハハハッ!いや、来て貰えて嬉しいんだぜ?けどよ……クハッ!ダメだ、我慢できねぇ!ヒャハハハハ!」

 

 

丹生を羽交い締めにしつつも、鍛冶屋敷は心底愉快そうに嘲笑を溢した。空間は薄暗くも、ライトグリーンの発炎筒に照らされ、最低限の視界は皆が確保できていた。煎重と鳴瀧はにじり寄る景朗を最大限に警戒し、神経を人狼へとひたすらに研ぎ澄ませていた。

 

「ッ!ぅ・・・ご…ふぇぁ……ッ!」

 

丹生が景朗へ、何かを伝えようと口を開いた。しかし、彼女の口から噴き出す声は血の濁りに汚され、意味を持つ言葉にならなかった。鳴瀧の攻撃に晒された彼女の肺が傷を負っていたからだ。銀膜が衝撃を吸収しており、致命傷ではなかったものの、正常な呼吸を妨げられ、丹生は地獄の苦しみを味わっている。

 

「そこで止まれ、ライカン」

 

煎重が、ある程度の距離を、彼らが対応できる距離を計らい、近づく景朗の歩みを静止めさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

怪我を負った丹生の様子に、景朗は脳の血管がブチブチと断裂する思いだった。落ち着かねば。冷静になれなければ、彼女を失うぞ、と彼は持ち前の能力で、一息に頭に昇った血を冷却させる。彼を前にして、尚も鍛冶屋敷は楽しそうに語りかけ続けていた。

 

 

「なあ、何で来るんだ、人狼?どうしてノコノコ来たよ?何でだ?ハハハッ、オマエ等、ひょっとして愛し合ってんの?愛し合っちゃってんの?お、教えてくれよ?クッハハハハハ」

 

 

景朗には"ホーナー"など眼中に無かった。丹生と視線を合わせ、精一杯の意思疎通を測った。

 

「スキーム2、オ前ハ生キ残ルコトダケ考エロ。イイナ?」

 

景朗が放った言葉の後に、繋げるように"共鳴破壊"が要求した。

 

「そうよ、ライカン。コイツの命が惜しければ、アナタ、今すぐここで自決しなさい」

 

口にしつつ、彼女は腰のシースから大ぶりなナイフを取り出し、人狼の手前へと放り投げた。りぃぃん、と厳かに震えるナイフの振動音を、景朗の敏感な聴覚は捉えていた。

 

さく、とナイフは自由落下した衝撃のみで、コンクリート面にその刀身をうずめた。鳴瀧が、能力を用いてその刃を超高速で振動させていたのだ。超音波カッターと原理を等しく、そのナイフの切れ味は、元々有していたものを遥かに凌駕している。

 

 

 

 

 

 

駄目だ。その提案に素直に従っては。景朗は歯を噛み締めた。俺がまんまと死ねば、障害を排除した奴らは速やかに。丹生を、この施設を襲うだろう。

 

 

「ソイツニ手ヲ出シテミロッ……!任務ナンテ関係ネェ!クタバリ続ケルマデ、テメェ等全員地獄ノソコマデ、コノ街ジュウドコマデモ追イ詰メテ、必ズ殺ス!取引ダ!コノ施設ハクレテヤル!俺トソイツヲ逃ガセ!ソレトモ延々トコノ場デ、テメェ等相手ニ暴レテヤロウカッ?!」

 

返答は、丹生の太ももをめり裂き、裏側から突如突き破った黒い刃。そして丹生の悲痛な叫びだった。

 

「きゃぁぁッ!」

 

鍛冶屋敷は笑みを崩さず、ためらいなく丹生に手傷を加えた。

 

「勘違いするなよ、ライカン!命令するのはオレ達だけだ!いいんだぜ?コイツをとっとと殺して、またオメェと殺し合いを再開しても?」

 

 

必死に能力を使って、精神を宥めた。しかし、景朗の脳裏からは、丹生の胸を今にも突き破る、幻視の黒い刃が決して消え去ってくれなかった。

 

「丹生!ワカッタ!ワカッタッテ言ッテルダロ!今スグヤメロ!!」

 

ナイフを手にとった景朗は、しばし焦る。なにせ、死に方がわからない。俺はどうやったら死ぬんだ?

 

「イイカ、変身ヲ解ク。マズハソウシネェト話ニナラネェ。イイナ、警戒スルナヨ?」

 

景朗は声を殺して、変身を解く痛みを覚悟した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人の姿に戻った景朗を見て。鍛冶屋敷の腕の中で、丹生は悔し涙を流していた。穂筒のように、ジャンク共は、鍛冶屋敷は取引を守るつもりなどない。それに景朗を殺さなければ。彼らの任務は終わらないのだ。それを丹生は知っていた。伝えたくとも、傷ついた喉は上手く発声してくれない。丹生は景朗に、口唇の形だけでも、と、無音のまま必死に語りかけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オマエ、そんなツラしてたのか。デケエっちゃデケエが、まだガキだな。コイツァ大したマセガキだ。そんなにこの娘が大事か?あ?」

 

吠える鍛冶屋敷の隣で、煎重は僅かに驚きを感じていた。鍛冶屋敷の言う通り、まだ若い。ここでこの若者を殺しておかねば。彼が言い放ったとおり、人狼は任務や暗部の理を無視し、彼らへ、隣に侍る恋人、鳴瀧伴璃にまで手を掛けるかもしれぬ。煎重はこの機を逃すまい、と気を張り詰める。

 

「さあ、ライカン。どうした?早く自殺しろ。猶予はないぞ。ホーナーの言う通り、此方は戦闘を覚悟している」

 

煎重は静かに口を開く。鳴瀧は言葉すら発さず、全神経を人狼の動きに集中させている。

 

 

 

 

 

微かにわななく、震えるナイフを景朗は手にとった。最後に丹生と目が合った。丹生の目は、憎しみに染められている。どう、したんだ?丹生……。

 

 

彼女の唇が動いていた。なんだい?丹生。何を…………ッ!やめろ丹生!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

太ももに空いた、流血を続けていた傷から。一瞬で、大量の血が吹き出た。それは驚くべき速さで脈動し、瞬時に音もなく、丹生の背後の3人の顔面を、襲った。

 

 

 

 

 

誰よりも早く、景朗は4人の元へと飛びかかった。景朗は全ての能力を開放した。景色が緩やかに、スローに映る。心臓は弾けて爆散するんじゃないかと、危惧するほどに早鐘を打つ。

 

 

手にしていたナイフを、"螺旋破壊"目掛けて投擲し、丹生へと手を伸ばす。

 

 

 

景朗に僅かに遅れ、"共鳴破壊"が反応した。彼女は顔面に飛来する血液を弾き飛ばした。だが。丹生の血液による不意打ちを防げたのは、彼女だけだった。

 

煎重は片目に血流を受けつつも、何とか景朗が放ったナイフをネジ切り破壊した。

 

鍛冶屋敷は両目に、丹生の血液の刃を受けた。そして彼は。視力を失いつつも、苦し紛れに。全身の"さがり"を刃に変えた。だから。

 

 

 

 

 

 

 

頭の中が、真っ白になる。目の前で、丹生の胸の、真ん中から。刃が突き出ている。鍛冶屋敷が苦し紛れに放った刃が他にも、彼女の体からいくつか飛び出ていて。

 

 

 

 

「おああああああああああああああああッ!あああああああああああああああ!!!」

 

 

叫び声を上げながら、景朗は右手の爪を、全身全霊で伸ばした。伸びた爪の、五本全てを、鳴瀧へと景朗は突き向けた。強度の低かった、小指と薬指の爪が粉々になったが。景朗は残った3本の爪を、鳴瀧の腹部、肝臓(リバー)の部位へと突き刺した。皮肉なことに。丹生が刺されていても、頭の隅の何処か、冷静さを失っていなかった景朗は、鳴瀧こそが、もっとも危険な相手だと認識できていたのだ。

 

「がぁッ、あ、ぐうッ!」

 

「ぐをおおおおお!クソがあああああ」

 

鳴瀧と鍛冶屋敷は呻いている。飛び跳ねた当初から"人狼化"を再開していた景朗は、丹生に飛びつく頃にはとっくに"人狼化"を終えていた。景朗は丹生の体を左手で抱き寄せ、鳴瀧から爪を引き抜き、距離を取らんと飛び跳ねた。

 

 

 

「グッ」

 

足を曲げられた。着地を煎重に邪魔され、景朗は丹生を巧みに体で包み込み、大地に転がり落ちた。

 

丹生の様子を確かめる。意識がない。心臓の勢いも弱まっていく。何も考えられない。

 

 

景朗は天井から飛来する瓦礫の山に気づいた。煎重の追撃。景朗は丹生の身の上に屈んで、瓦礫から彼女を守った。

 

 

 

瓦礫に押しつぶされながらも、景朗は動揺する。どうしよう!心臓が止まってしまう。早く病院に連れて行かないと。治療を受けさせないと。アイツ等を速やかに殺して!殺して!殺して……。そんな、奴等は強い。一分や二分じゃ無理だ……。いや、やるしかない……んだ……。

 

 

どうして、どうしてこんな目にあわなきゃならないんだ。丹生の心臓が止まった。気が狂いそうだ。いっそ狂ってしまえたら楽だろうな。

 

 

ジャンクの奴らは。すぐ側で。俺の息の根を止めようといきり勃っている。

 

 

 

 

 

全身に、能力を暴走させる、あの薬を、あの成分を充満させる。増幅された能力は、また新たに増幅成分を体中に生み出していく。そうして、能力がブーストされる。そして、また成分を創り出して。無限に続く、エネルギーのループ。景朗は、その行為に恐怖していた。そう都合の良いこと

ばかりではない。自分の体が暴走して崩壊、瓦解しそうになるのだ。

 

 

けどさ。もうそうなってもいいや、と景朗は諦めた。発狂してやろう、と彼は冷静さを棄てた。そうして。それまで、決して手を加えることを拒絶していた、自身の脳細胞を。めちゃくちゃに創り変えたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瓦礫の山が爆発した。煎重と鳴瀧の瞳に反射したのは、人狼の姿ではなかった。

 

 

 

獅子の頭部。衝撃を守るために、硬質の鬣に守られている。

虎の四肢。鋭い爪からは、毒液が滴っていた。

蠍の尻尾。鋭利な棘が隙間なく生えたその尻尾の先には、身震いするほど巨大な針が鎌首を擡げている。

鰐の鱗。胴体にはまばらに、爬虫類の鱗のようなものが備わっている。

巨大な体。全長、数メートル。十尺ほどの体躯を誇る。

 

 

 

 

 

 

「化け、もの、か」

 

驚愕に、煎重は声を震えるわせる。

 

 

「見えねえ!畜生が!見えねえんだよ!何が起きている!煎重!!鳴瀧!!」

 

恐れに全身の針を逆立たせた鍛冶屋敷が、苛立ち紛れに顔を振り回す。

 

 

「なんで、どうして、どうしてよッ!あと少しで!この任務で自由になれるはずだったのに!」

 

「取り乱すな、伴璃!諦めるな!生きて帰るぞ!」

 

煎重は素早く鳴瀧の側へ寄り、彼女の身を抱え込んだ。

 

 

 

 

 

 

化け物が動きだす。煎重は鳴瀧とともにその場を離れた。化け物は鍛冶屋敷へと飛びかかり、巨大な顎門でくわえ込んだ。

 

 

「ぐああああッ!あああああッ!」

 

スーツ全身を懸命に硬化させていた鍛冶屋敷は、化け物の牙の間に挟まった。

 

「鍛冶屋敷!能力を維持しろ!援護する!」

 

「クッソが!頼むぜ煎重ぇぇ!」

 

鍛冶屋敷は勇敢にも吠えたが。化け物は突如、喉奥から得体の知れぬ液体を吐き出した。それを浴びた鍛冶屋敷は、苦しみにのたうち回る。

 

 

「がああああッがあああああ、熱ぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいい………」

 

彼のスーツ、皮膚、肉体が一瞬でドロドロと溶解していく。溶解液は難なく彼の骨まで溶かす。直ぐに叫び声は途切れ。鍛冶屋敷は息絶えた。

 

 

 

 

 

無造作に鍛冶屋敷だったものを吐き出した化け物は、すぐさま煎重と鳴瀧へ疾駆する。

 

 

「うおおおおお!」

 

煎重は全力で能力を振り絞り、化け物の四足をへし曲げた。その傷は一瞬で再生した。躓いた化け物が不思議そうに己の前足を見つめると。

 

 

化け物は新たに、動体から一対の足を生み出した。六足の異形となった化け物は、すぐさま走り出す。

 

「おおおおおお!」

 

冷や汗で体を濡らしつつ、煎重は再び能力を振り絞った。彼の限界に届いていたが、強靭な怪物の六本足をなんとか全て捻じ曲げる。

 

 

床へ身を滑らせた化け物は、煩わしそうに一声咆哮を上げた。空間中が、ビリビリと衝撃で震えている。鳴瀧の能力で防がなければ、彼らの鼓膜は破壊されていただろう。

 

 

唐突に。化け者が、背中から羽を生やした。蝙蝠の羽。漆黒に、艶やかに、その羽は黒光りしている。

 

 

化け物は飛翔し、煎重と鳴瀧へ口から溶解液を放った。鳴瀧の全霊を賭けた防御で、その液体は弾け飛び、寸前で彼女らの身を守った。飛び撥ねた1滴が鳴瀧のブーツに付着し、じゅわじゅわと焦げ臭い匂いが沸き立つ。

 

 

 

さらに一声、化け物は吠えた。間を開けずして。化け物の体色が目まぐるしく変化した。カメレオンのように保護色をまとった化け物は、途端に"ジャンク"2名の視界から消失する。

 

 

 

 

「左上!2時の方向よ!」

 

鳴瀧が悲鳴を打ち上げる。我武者羅に、その方向へ能力を使用した煎重は、確かな手応えを得る。

 

 

床に衝撃が走った。その位置から、片羽を折り曲げられた化け物が姿を現した。その羽も一瞬で元通りになる。

 

化物は、足をさらに1対追加した。合計八本足となった化け物相手に。煎重は為す術を失った。怒涛の勢いで迫り来る化け物を、彼は最早どうすることもできなかった。

 

 

 

 

「煉瓦ぁぁぁぁ!」

 

まっすぐに、化け物は近づいて来た。煎重の目の前で鳴瀧を咥えた化け物は、ひと噛みでぐしゃりと彼女を噛み潰し、大量の血痕があたり一面に飛び散った。

 

 

「おおおおおおおおおおおおおお!」

 

わずかな抵抗もできず、煎重は頭部を化け物に喰い千切られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

怯えて死ね。恐怖に震えて死ね。苦しんで死ね。

 

奴等を殺すのは楽しかった。景朗の意識は何一つ変わらず、悪魔のように姿を変えて尚、はっきりと形を保っていた。今なら、意のままだ。体を自分の想像通りに創造できる。なんだってできる。

 

視界の端に、横たわる丹生の体を捉えて。冷静さを取り返す。景朗は姿を人間のものへ難なく変化させ、丹生の側に寄り添った。

 

 

 

馬鹿野郎!俺は何を遊んでいた!どうしちまったというんだ!遊んでいる暇なんてなかった。丹生を早く病院へ……。そう、か。心臓、止まって……。

 

 

後悔が、体の隅々まで、冷たい汐のように澄み渡っていく。あんなマネできるなら。最初からやれただろう。奴等を苦しめて殺す暇があったなら、その間に丹生を運べばよかっただろうが!

 

 

 

丹生の血溜りを見て。その出血の量を前にして、絶望が押し寄せる。心臓が止まってまだそんなに時間は経ってない。

 

 

 

景朗は両腕の爪を鋭く伸ばした。気が狂れたように突然叫び出し。爪を、自身の心臓へと付き入れた。

 

 

「ギィィィィィィ!!」

 

極限まで。脳みそを粉砕させんとばかりに、全身に能力を漲らせて。彼は再生能力に特化した、未知の細胞を心臓に創り出した。生み出した、そのドロドロに溶けた心臓を、丁寧に、丹生の胸に空いた傷へと流し込み。続け、左の手首を噛み切り、どくどくと流れ出る血流をその上に垂らし続けた。

 

 

 

ビクン、と丹生の肢体が痙攣した。心拍が再動する。俄かに、景朗の表情に喜びが生じたが。すぐに、泣きそうな顔になった。

 

丹生の四肢が、止めどなく痙攣し、暴れ、跳ね続けて。丹生は、彼女は苦しみにのたうちまわっていた。ばたばたと、手足が振動している。

 

「あ…が!……か、は。く……ぐぅ!」

 

「ああ糞!駄目か!?駄目なのかッ。丹生、丹生!どうしよう、どうすれば!畜生!どうすれば!丹生!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『お困りのようだね、景朗クン』

 

「…………あ?」

 

 

突然、壊れていたと思っていたスピーカーから放たれた、聞き覚えのありすぎるその声に。景朗はあまりにも、間の抜けた返事を漏らしてしまう。

 

 

「幻…生……せん、せ……え……?」

 

『"水銀武装"の蘇生を手伝おうじゃないか?どうやら一刻を争う様だからね』

 

 

バタバタと、ヘリコプターの音が近づいてくる。穴だらけになった天井から迫る風が、俺の肌を冷たく吹き付けた。

 

 

『キミと私の仲じゃあないか、景朗クン。気にすることはない。いやはや、またしても興味深いものを見せて貰ったよ。……どうしたのかね?景朗クン。その容態では、それほど猶予はないようだが?』

 

 

 

俺は気づいた。全てが、幻生の手のひらの上だったのだと。しかし。痙攣する丹生の手を握り締める俺は。沸き上がる憎しみを、一心に抑え続けるほかなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やや遅れて知った。暗部組織、"スキーム"と"ジャンク"が衝突した、この日。第三次世界大戦が勃発する、その前年の冬。学園都市に、新たな超能力者(レベル5)が、暗闇の殺戮の中、その産声をあげていたのだと。ほかならぬ。雨月景朗。俺自身のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

景朗はガラス越しに、ベッドですやすやと眠りにつく丹生多気美を眺めていた。彼女の容態は安定している。丹生は一命を取り留めた。幻生の手によって。景朗は、数年ぶりに。鎚原病院へと足を踏み入れていた。

 

 

「結果的に判明したことだがね」

 

側に立つ幻生が、景朗へと語り出した。

 

「"水銀武装"は、キミの細胞で内蔵の損傷を食い止め、再生して命を取り戻したよ。だが。キミの細胞は、"体晶"によって励起された状態でなければ、正常に活動を行えないようでね。彼女の体は、血中の"体晶"が欠乏すると問題を引き起こすものとなってしまっているよ」

 

「その、"体晶"って何のことです?」

 

景朗が疑問を返すと。景朗には理解できぬことに、幻生は嬉しそうに笑みを浮かべて、彼へと答えを返しだしたのだった。

 

「キミが体内で創り出したという、能力を増幅させる成分のことだよ。正しくは、増幅ではなく暴走と呼ぶべきものだがね」

 

どうしてそこで嬉しそうにするのか。相も変わらず、わけのわからん爺さんだな、と景朗は幻生から目を背けた。

 

「で?それでつまり、丹生にどんな問題が生じると?貴方は先程そうおっしゃっていたでしょう?」

 

愛想悪く、続きを促す景朗に、幻生は笑を崩さない。

 

「本来、"体晶"は正常な人体には悪影響を及ぼすんだよ。今、"水銀武装"の肉体には、二種類の細胞が共生している。彼女自身の細胞と、キミの細胞だ。投与された"体晶"は、キミの細胞には何ら影響を与えない。問題は、彼女自身の細胞だ。ゆっくりと蓄積されていく"体晶"が、やがては彼女の体を破壊するだろうね。だが、副産物として。キミの細胞により、彼女は"体晶"への抵抗力を獲得した。服用すれば常に、彼女の能力は強化されるだろう。もしや、能力強度(レベル)が上昇するやもしれんよ」

 

 

「幻生先生。貴方になんとかできますか?」

 

景朗は矢継ぎ早に幻生に問いかける。視線の先を、丹生の寝顔へと向けたままに。

 

「努力しよう。他ならぬキミの頼みだからね。だが――」

 

景朗は幻生の答えを遮った。

 

「その先は言わなくていいです。今日から俺は、貴方の犬だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

待望の瞬間が訪れる。丹生が目を覚ました。景朗は片時も彼女のそばを離れず。側で様子を見ていた。1人、考え事に耽りながら。

 

 

「あれ?景朗……ここは?」

 

「心配するな、丹生。任務は終わった。俺たちの勝ちだ。お前さんの怪我も心配ないぜ」

 

 

「んぅ。そっか」

 

丹生多気美は意外にも活力に溢れ、元気そうな様子であった。

 

「体動かして大丈夫か?」

 

「うん。なんでかよくわからないけど。最後の方、体中怪我してたと思うんだけど、今、ピンピンしてる。元気いっぱい。なんともないみたい」

 

そりゃ、俺の細胞が元気に活動してるからな。景朗は心の中でだけ、その言葉を呟いた。

 

「ホントに元気そうだな。よし。それじゃ、丹生、良いニュースと悪いニュース、ああ、あとどうでもいいニュースがもうひとつある。どれから聞きたい?」

 

「ええと、じゃあ良いニュース!」

 

丹生らしい。間髪入れずそう答えた丹生に、景朗は嬉しくなった。思わずニヤケてしまう。

 

「ああ、いや、ごめん。良いニュースから伝えたら、お前さんが上の空になっちまいそうだからさ。悪いニュースから話します」

 

「はいはい、じゃあ早く」

 

丹生は上体を起こしてベッドに腰掛けた。

 

「悪いニュースはな。お前さんの体に残った、後遺症のことなんだ。そのせいで、暗部から完全に足を洗えるのが、先延ばしになるかもしれなくてな……」

 

丹生には、その体に起こったことを正直に伝えた。ただし、幻生が丹生の体の治療法を研究してくれる理由を業とボカしたけれど。俺は同時に幻生を信用するなと何度も丹生に警告した。

 

「わかった……じゃあ、良いニュースは?」

 

気落ちした丹生の声。彼女の身に生じた懸念を伝えると、やはり、丹生は暗い顔付きになった。能力強度(レベル)が上がるかも、と言われても、そうなるのは当然だろう。

 

「良いニュースは……。さっきさ、悪いニュースで、完全に暗部から足を洗えるのが遠のいた、って言ったけど。それでもな。丹生。とりあえずだ。お前さん、暗部の殺し合いからは、完全に開放されるみたいだぞ。もう夜な夜な殺し合わなくていいんだ、丹生。お前は自由だ。実質、暗部から抜け出たようなものだぞ?これは。後はお前さんは、後遺症を治すために暗部と関係のあるこの病院に世話にならなきゃならんだけだ。それだけだ」

 

 

「それ、ホント?本当……に?ホントにホントッ?!」

 

丹生の問答に、俺はひたすら頷き返した。

 

「ホントにホントだって。もう戦わなくていいんだ。とりあえずは、普通の女子中学生。もうすぐ普通の女子高校生になれるんだよ、お前さんは」

 

「どうして?ねえ、どうしてなの?そんなに急に!?」

 

「プラチナバーグさ!奴が防衛しようとしてた施設を守りきったろ?今回の任務で。その報奨で、丹生、お前さんは借金を返済できたんだ!」

 

大嘘だった。真実は、違った。超能力者(レベル5)となった俺には、学園都市中から色々な依頼や研究の誘いが飛び込んでくる。莫大な奨学金と、研究費用。俺は一夜にして。大金を手にすることができていた。思いもよらなかったが。

 

そこから、引っ張った。丹生の借金と、それに加えて"安全"を。でも、丹生には俺のことは気にかけて欲しくない。そのことを気にして欲しくない。お前は自由になるべきなんだ、丹生。お前の両親を死なせた罪滅ぼしだ。

 

「そ、そっかぁ。よかった……ぁグズ。よかっだぁ、アハハ」

 

丹生はぐずり泣いた。俺は悔しそうに呟く。本当は俺だって嬉しかったんだけどな。

 

「おいおい、俺は暗部に残留なんだぜ」

 

「あ。ごめん……」

 

しゅんとしてしまった丹生を、軽い冗談さ、と取り成した。

 

「いや、意地悪なこと言っちまった。こっちこそごめん。喜んで当然さ。でも、あんまり油断するなよ。自由になった後も警戒だけはしてた方がいい。ま、そんなに怯えなくていいよ。心配すんな。現役の暗部の人間の、この俺が、ちまちまお前さんのセキュリティに気を配っといてやるよ。元暗部の丹生多気美さん」

 

そう口にして、俺は席をたった。

 

「え?ちょっと!?もう行っちゃうの?どこ行くの?!」

 

「お前さん、病み上がりなんだぞ?これ以上はやめとくよ。早く体を休めなきゃ駄目だよ」

 

丹生を騙した罪悪感が、心地悪かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから、ひと月が経過した。十二月。今日は、クリスマスイブだ。降誕祭の日だった。

 

寒空高く、日が昇っている。外気の冷えとは無縁の室内で。食料倉庫だと火澄に笑われた自室で、雨月景朗は調理に勤しんでいた。グツグツと鍋を煮込み、彼の得意料理、ボルシチの製作に余念がない。『久しぶりに景兄のボルシチが食べたい』と花華にせがまれ、それがちょっとだけ嬉しかった景朗は鋭意、ボルシチ作りに励んでいた。うむ。無事に完成した。

 

 

タイミング良く。いやどのみち彼にとってはタイミング悪く、手元に置いていたケータイが鳴り響く。手にとったそれを確認して、景朗は長い長い溜息をついた。

 

幻生からの呼び出し。婉曲な表現が満載の文面。恐らく、ほぼ確実に面倒くさい、暗部の依頼だ。景朗にしかできないようなこと。それは大抵、厄介な代物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕暮れ時。しんしんと粉雪が降り注ぐ。聖マリア園の礼拝堂に、仄暗火澄の姿があった。降誕祭のミサが、まもなく始まってしまう。妹分の花華が、悲しそうに俯いている。仄暗火澄は未だに姿を見せぬ、花籠花華(はなかごはなはな)の兄貴分、雨月景朗への苛立ちを募らせた。

 

「降誕祭なのに景兄はどこ行っちゃったのかな……。今年は、来ないのかなぁー……」

 

クリスマス。一年で一番、"家族"の側に寄り添いたい日だった。花華の溢したつぶやき。それを聞いた、隣に座る調川真泥(つきのかわみどろ)もどこか不満げであった。

 

「大丈夫、花華。あのバカ、今から連れてくるから」

 

外套を着込み、火澄は静かに歩き出した。

 

 

 

 

 

手纏深咲は、聖マリア園へと急ぎ歩いていた。もしかしたら。今年で、彼女の友人である仄暗火澄と雨月景朗とは早々に顔を合わせることができなくなってしまうのだ。クリスマスは、一緒に。彼女ら4人で。新たな関係を築きつつある、丹生多気美を加えた4人と。聖マリア園で共に夜を過ごそうと、約束を交わしていたからだ。

 

「あれ?火澄ちゃん?」

 

ちょうど駅から出たところで。彼女は親友たる仄暗火澄と遭遇した。目と目がピタリと合わさり、彼女たちは俄かに合流した。手纏深咲は、打とうとしていたメールを破棄した。もしかして、火澄はずっとここで自分を待っていたのか?と勘違いをする。

 

「深咲。ちょうど良かった。はぁ、行き違いになるところだった。今、景朗を迎えに行くところだったんだ。アイツ、まだ来てないのよ。通話にもメールにも反応無し。今日(降誕祭)ばっかりは、アイツを引っ張ってでも連れてかなきゃ」

 

手纏深咲には、聖マリア園への道がわからない。GPSを使えばそれも大した問題ではなかったのだが。

 

「ご、ご一緒します。火澄ちゃん」

 

「ごめんね。来たばっかりなのに。本当にいいの?」

 

「はい。一緒に行きましょう」

 

 

 

 

 

 

粉雪舞う中、丹生多気美は景朗の自宅へと向かっていた。彼と彼女の住処は目と鼻の先であったため、一緒に行こうと約束していたのだ。

 

しかし、何時まで経っても景朗からの連絡がやってこない。日も暮れ始め、訝しんだ丹生は痺れを切らし、景朗の家へと出発した。

 

 

丹生はその短い道中でばったりと、仄暗火澄と手纏深咲に遭遇した。

 

「あ、もしかして……」

 

丹生の上げた声に、火澄がニコやかに挨拶を返した。

 

「こんばんわ、丹生さん。アイツを迎えに来たところ。もしかして丹生さんの方にも連絡無かったの?」

 

隣を歩く手纏深咲もぺこりと一礼する。丹生も彼女たちへお辞儀を返した。

 

「そうだったんだ。こっちもまったく音沙汰無し」

 

 

 

3人は景朗の済むアパートに到着した。呼び鈴を鳴らしても、無反応だった。何とはなしに、丹生がドアノブに手をかけ、回すと。

 

「あ、開いちゃった」

 

3人娘は顔を見合わせ、ドアを開き、玄関から室内を覗く。ボルシチのグツグツと煮込まれる音と、美味しいと確信をもたらす、良い香りが彼女たちへと到達した。

 

「もしかして、材料を買い足しにコンビニに行ってるんじゃ……寒いから、中で待ってない?」

 

火澄の漏らした言葉に、全員が賛同した。食材のたっぷり詰まったダンボールをかき分け、3人はリビングに腰を下ろした。

 

「アイツ、やっぱり火にかけたままだし。直ぐに戻ってくるでしょ」

 

火澄はグツグツと煮立った鍋を目にして、そう結論づけた。匂いに釣られたのか、手纏が火澄の後ろから顔をのぞかせ、鍋へと視線を向けた。丹生はカウンターに座り、そこに並べられていたコーヒー豆のラベルを読んでいる。

 

「何というお料理かわかりますか?火澄ちゃん?」

 

手纏の質問に、火澄は考えるまもなく答えた。

 

「ボルシチね。花華が景朗に頼んでたって言ってたから。アイツ、スープ料理しかできないし。あ、でも、景朗のボルシチだけは神がかった美味しさだから期待していいかも。アイツが唯一、対等に私と渡り合えるレシピかもね。……何が入ってるのかわかんないのが玉に瑕だけど」

 

火澄は最後のセリフをぼそりと言い放った。

 

「確かに、お鍋ばっかりです……」

 

手纏の台詞に、丹生もうんうん、と頷いていた。

 

「景朗のヤツ、スープ料理、というか鍋料理以外、作れないし、作る気も無いのよ。大勢の人間につくろうと思ったらそれが手っ取り早いし。アイツ、昔っから料理当番の時は、豚汁とか、カレーとか、シチューとか。どんなに頼んでも、しれっとスープ料理ばっかり作ってたから。そのクセ、私には"オムライス"がいい、とか簡単に抜かして……」

 

火澄は勢いよくそこまで喋り、後悔した。いつの間にやら、手纏と丹生が興味津々の目で彼女を捉えていたからだ。これは長くなりそうだ、と仄暗火澄は覚悟した。

 

 

寒さに震えた景朗が家に戻ったのは、それから3時間が経過してからだった。可哀想なことに、景朗はまたひとつ、彼女達の信頼を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、鍵かけ忘れた。あああ、畜生……まあ、いいや。泥棒入ってたら、匂いで追跡してやろう」

 

鍵のかけ忘れどころか。コンロの火すら消し忘れた超能力者(レベル5)。名実ともに学園都市最強の肉体変化能力者(メタモルフォーゼ)となった、雨月景朗。彼は第五学区、鎚原病院へと到着していた。

 

ちゃちゃっと仕事を終わらせて帰ろう。あまり血なまぐさい依頼でなければいいな。最悪断ろうか。景朗は覚悟して、幻生の居城へと踏み出した。

 

 

 

 

 

 

地下に位置する、幻生の書斎。"プロデュース"の日々を、思い出す。

 

「ほら、受け取り給え。いつものだよ」

 

俺は幻生から、無言のままに丹生へと渡す薬を受け取った。俺の血液から抽出された、"体晶"入りのカプセル。彼女にはやはりその事は……いや、まあ、正直言いにくいし、黙ってたっていいじゃないか。それくらい。

 

 

「この間の、キミのパフォーマンスには笑わせてもらったよ。良い余興だった。『二重螺旋の支配者、最強の肉体変化能力、超能力(レベル5)、"先祖返り(ダイナソー)"』だったかな。だがね、景朗クン、ひとつ失敗していたよ。キミが変身したT-レックスの尻尾は、大地に接地していなかった。地面と平行に伸ばさなければならなかったよ?」

 

 

幻生のからかいを、景朗は無言でスルーした。幻生が話していたのは、景朗が少し前に、暗部に片足を突っ込んでいる数社の企業相手に行なった説明会(プレゼンテーション)のことだった。最強の肉体変化能力の看板を引っさげ、景朗は恐竜に変化し、超能力者(レベル5)の"先祖返り"を名乗っていた。大嘘だったが。

 

 

他にも、景朗は自身の正体を隠して、色々な暗部の研究所や企業に顔を出している。より深い、暗部の中枢に位置するような輩には、不老不死の肉体を手に入れた、超能力者(レベル5)、"不老不死(フェニックス)"の名を差し出している。最近出回っている噂によると。"不老不死(フェニックス)"の生き血を飲めば、能力強度(レベル)がアップするらしい。どうしてそこで、不老不死とか、永遠の若さとか、不死身の肉体を得る、という下りにならないんだ。学園都市らしいといえばらしいか。

 

 

だが、何にせよ。彼らから巻き上げた資金で、聖マリア園は立て直せた。その義理ぶんくらいは、協力してやるつもりだ。万々歳な状況なんだよ、ホント、この幻生の事以外はね。

 

 

本当のところは。俺の能力は、そのどちらの説明でも間違っている。俺は正真正銘、不老不死の肉体を手に入れた。そしてその肉体を、自身の思い描く通りに、自由に変化させられるのだ。それこそ、空想上の悪魔のように。

 

 

「実に愚かな連中だった。笑いが止まらなかったよ。キミの能力の本質を理解できていない」

 

幻生の言葉に、景朗はふん、と鼻を鳴らして尋ね返した。

 

「それなら、先生は俺の能力を何と名付けるんですか?」

 

彼の問いに、幻生はやはり、ニヤついた笑みを貼り付けて解答した。

 

「そうだね……進化能力(エボリューション)……ふむ。限界突破(ブレイクスルー)、いや、限界突破(リミットブレイク)、これも違うか。……おお、そうだ」

 

幻生は狂気に染まった目で、俺を覗いた。

 

「限界突破(レベルアッパー)はどうかね?景朗クン?」

 

 

 

「……はぁー……」

 

 

自分から聞いておいて何ですけど。そんな話に興味はない。景朗は大きくため息をついた。話が横道にそれてしまった。

 

「すみません、幻生先生。話の腰を折ってしまって。で?今日は一体どのようなご要件で、俺を呼び出されたんですか?」

 

腕を組み、明後日の方向を向いて話を続ける景朗に、幻生は彼にしては珍しく、笑みの消えた疲れた面持ちで話を始めた。

 

「最近、薬味クンからの催促が五月蝿くてね。かなわんよ。"不老不死(フェニックス)"の細胞を渡せ、もしくはこちらへ研究素材として貸出せ、とな。彼女もあれで統括理事会の一員だ。いずれ、キミには彼女のところへ出向して貰わねばならないだろう……やれやれ」

 

幻生の話に、景朗は表情を凍てつかせ、意味深に、彼へと返した。

 

「その薬味とかいう理事会のメンバーさんに、会いに(殺しに)行けばいいんですね?」

 

「いやいや、彼女とは昔からの仲だ。早まる必要はない」

 

幻生は景朗の答えに満足せず。続けて話し出す。

 

 

「本日、直通の、緊急の依頼が有ってね。どこからだったと思うかね?実は、珍しいことに。この学園都市を束ねる理事長。アレイスター・クロウリーから、直々に連絡があったのだよ。今日、これから、キミの顔が見たい、とね」

 

幻生は景朗へと歩み寄った。声色は相変わらずだった。だが、しかし。形相を醜悪に歪め、景朗へと初めて。憎しみに彩られた、その顔を近づけた。俺の手に、まるまったメモ用紙を押し付けて。

 

「彼は、少々、困った人物でね。私からキミを取り上げようと、昔からいくつか嫌がらせを受けてきたのだよ。今日、これからキミは彼と対面する……またとない好機だ。彼は滅多に、人前に姿を現すことはない。……私が、キミに何を期待するか、わかるね?景朗クン」

 

「相手は理事長。本当にいいんですね?幻生先生」

 

俺の確認に、幻生はまいったと言わんばかりの、弱りきった表情を。演技した。

 

「あくまで、キミが理事長の無礼に気を悪くした結果。その結果の話だよ」

 

幻生は俺から視線を外し、机に座った。もう話すことはない。

 

「わかりました。行ってきます。幻生先生」

 

「行ってらっしゃい。景朗クン」

 

メモ用紙を見る。第七学区、窓のないビル。とだけ、書かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第七学区。窓のないビル。窓どころか、扉すらない。会えって言ったって、これ、どうすればいいんだよ。

 

景朗が、何故だか人気のやたら少ない、そのビルの周りで屯っていた、その時だった。

 

 

 

「貴方が新人さんね」

 

霧ケ丘女学院の制服に身を包んだ、茶髪の、ツインテール。えらく美人な女子高生が、俺へと接近してきた。

 

「お姉さん、先輩だったのか。嗅いだことのある匂いだ……この街は狭いな。こんな身近に、影も形もないと噂の、理事長さんのお知り合いがいたなんて」

 

 

お姉さんは、冷たい相貌をピクリとも変えずに、俺に返した。

 

「やってられないわね。超能力者(レベル5)ってのは、どうしてこう変態ばっかりなのかしら」

 

あ、いや。そういう意味で言ったんじゃないけど。でも、お姉さんがそういう変態的な意味で捉えなさるのでしたら、文句言えませんよね。すみません。俺は黙って、彼女の言うがまま、その指示を聞くことにした。

 

 

彼女は空間移動系能力者(テレポーター)だったようだ。それもとんでもなく高位の。人は見掛けによらないなぁ。もちろん、俺にも言えるだろうけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここは、窓のないビルの内部なのだろうか?本当に?今いち信じられないな。だって、目の前には。テレポート早々に、アロハシャツに、グラサン引っさげた金髪チンピラ野郎が、俺へと握手の手を伸ばしていた。

 

「お前が"悪魔憑き(キマイラ)"か。これからよろしくな。オレは土御門だ」

 

 

あれ?おっぱいが割と大きい、さっきまでいたお姉さんはどこいった?あのお姉さんのほうがいい。お前はいらない。さっきのお姉さんを出せ。

 

目の前のチンピラを見やる。アロハシャツ、グラサン、金髪。俺も暗部にいて結構立つ。だからわかる。

 

コイツは危ない奴だ。間違いない。危険人物だって匂いがぷんぷんしてる。

 

 

 

関わらないほうがいい。俺は目の前の金髪を無視して進んだ。

 

「お前の目的地はまっすぐそのままだ。"悪魔憑き(キマイラ)"」

 

俺の態度に。ひょうひょうと肩をすくめた、土御門と名乗った男は、最後そう言って、俺とは真逆に歩いて行った。

 

まあいいか。お姉さんをまき添いにしちゃ可哀想だったしな。これからひと暴れすることだし。

景朗はぺろりと舌で、口元を舐めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

巨大な、人がすっぽりとまるごと入る、液体に満たされた水槽に。その中に、逆さに浮かぶ人間。その人間は、男にも、女にも、子供にも、老人にも見えた。ピリピリと背筋に怖気が走る。流石は、この街の理事長、か。

 

 

 

『会いたかったよ。"悪魔憑き(キマイラ)"』

 

 

 

チューブの中からではない。どこからか聞こえてくる、その声に。景朗は能力を全開に励起させた。

 

「その"悪魔憑き(キマイラ)"って、俺のことでしょうか?理事長さん」

 

 

『"不老不死(Phenex)"とも呼ばれているようだが。悪魔の躰を持ちて尚、悪魔に染まれぬ、悪魔に憑かれし少年よ。人が手ずから生み出した、その異形を"悪魔憑き(キマイラ)"と呼ばずして、何と呼ぶ?』

 

 

「へえ、そいつは確かに、俺に丁度いいかもしれませんね」

 

俺は言い放つと同時に、彼が言う悪魔へと、躰を爆発させた。恐怖を押さえ込み、アレイスターへと飛びかかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

血に塗れたその部屋に。しかして、辺り一面に撒き散らされたその血痕は全て、あの"悪魔憑き(キマイラ)"の少年が残していったものだった。

 

「上手く"悪魔憑き(キマイラ)"に首輪をつけたじゃあないか。アレイスター」

 

土御門は笑みを浮かべて、水槽に浮かぶ男へと口を開いた。

 

「アンタが直々に"面接"を行うなんてな。そんなにアイツは有望だったのか?他の"プラン"の奴等とだって、直接対面してないってのに」

 

土御門の言葉に、アレイスターは目を静かに瞑ったままだった。しかし、その声だけは、どこからともなく響いてくる。

 

『"プラン"に適さぬからこそだ』

 

『スペアのスペアにすら成り得るかわからぬ、不確定な存在だ。だが。あれの能力は、"第2位"や"第7位"よりは、最もらしく理解しやすい。故に、馬鹿な学園都市の統括理事会どもは、こぞって奴の不死性に目を向けている。眼暗ましにはうってつけの存在だ。少なくとも、凡百の能力者よりは使い道がある』

 

 

 

 

 

 

奇しくも。その日から時を等しく。学園都市の暗部に住まうものどもに、あるひとつの噂が轟くようになる。理事長の背信者は、"三頭猟犬(ケルベロス)(アレイスターの番犬)"に喰われて消えていく、という噂を。

 

俺はアレイスターの番犬となった。命乞いをした。奴の、未知の力に敗れた後で。それからは。もう。考えたくない。

 

 

とりあえず、俺の"暗闘"の日々は終わった。これからは、どっちかっていうと、"暗躍"かな?そう呼んだ方が正しい気がする。

 

 

 

 




第二章、とある暗部の暗闘日誌がようやく終わりました。
次から、第三章、とある悪魔の暗躍日誌が始まります。ネーミングセンス皆無ですねorz。もしよろしければ、ご覧になってください。


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とある悪魔の暗躍日誌
キャラクター設定&能力一覧


ネタバレが少々含まれています。
気をつけてご覧下さい。



一章と二章を読んでないとだいぶネタバレになるかもしれません!



前半に、キャラクターのプロフィール
後半に、登場した能力の一覧を載せています。




★登場キャラクターのプロフィール等★

 

 

[§主人公の関係者]

 

♂雨月 景朗(うげつ かげろう)[16]

・物語の主人公。昨年、『学園都市小学生の将来なりたいものランキングNo.1』である『めざせ!れべるふぁいぶ!』へと到達したばかり。であるというのに『暗部で絶対に逆らっちゃいけない人ランキングTOP3』のお歴々を総ナメにしてパシられている有様なので素直に喜べない。霧々丘付属中学を経て長点上機学園に現在は在籍。小学五年生の時に木原幻生に騙され、暗部世界と関わりになったのが彼の転落人生の始まりである。"プロデュース"、"暗闇の五月計画"、"洗脳装置"の件にもちゃっかり研究対象として関わっており、すっかり暗部でも知る人ぞ知るレアキャラさん扱いを受けている。極最近では偽名を使って学園都市の底辺もいいところの闇企業群と提携し、自ら研究素材に志願。おかげで大金GETできたものの、そのせいでなぜか"第六位"の超能力者として槍玉に挙げられてしまうことに。

・"悪魔憑き(キマイラ)Lv5";肉体変化(メタモルフォーゼ)。学園都市最高の肉体変化能力(メタモルフォーゼ)。細胞を自由に操り、肉体を自身の妄想通りに変化させられる能力。簡単に言えば、既知の生物から恐竜やデタラメな怪獣までなんでもござれの変身能力。但し、質量はごまかせない。変身する時は大量の水を用意できれば手っ取り早い。――という風に、本編描写より先に内容を説明するクソ設定集なのですこの設定集は。どうかお気をつけてお楽しみください。

 

 

♀仄暗 火澄(ほのぐら かすみ)[16]

・主人公と同じ施設で育つ。主人公とは所謂幼馴染であり、幼少時から今でも主人公の世話を焼いている。面倒見の良い性格で、主人公に限らず孤児院の他の子どもたちの面倒もよく見ており人気者だった。進学は全寮制の常盤台中学へ。それと同時に孤児院を離れたものの、ちょくちょく古巣へ顔を出して手伝いをしているようだ。高校進学を期に主人公と同じ長点上機学園へ。ようやく出番が増えるのかと喜んでいたが、そんな彼女を襲ったのは……詳細は本編で。主人公のとばっちりでアレイスター&幻生という最強コンビに人質扱いされているのだが、本人は何一つ知らされていない可哀想な人。せっかくおっぱいおっきい設定なのに。

本人は苦々しく思っている様子だが、彼女と後述の手纏とのコンビ、"火災旋風(ファイアストーム)"の二つ名が学舎の園界隈、一部の層に知れ渡っている。

・"不滅火焔(インシネレート)Lv4";発火能力(パイロキネシス)。対象が燃え尽きるまで決して消えることのない不滅の焔を放射する。焔の温度も調整できるようだが、彼女は専ら蒼い焔を用いる。学園都市でも上位に位置する発火能力。という触れ込みの作者にすらおいそれとは手が出せない謎現象っぷりでございます。だから出番が少ないのかもしれないこともない。一応この能力の原理にはしょぼい秘密が眠っていてもうすぐお披露目できる予定なんですよしばしお待ちください。

 

 

♀手纏 深咲(たまき みさき)[16]

・仄暗火澄の常盤台中学学生寮でのルームメイト。火澄と同じく水泳部に所属。主人公とも中学1年以来の友人で仲も良好な様子。少々内気な面が目立つが、水泳部のトップエースであり、色々と優秀な人物ではある様子。引っ込み思案でおどおどして生粋のお嬢様で白いワンピースが似合う、と如何にも鎌池和馬原作"とあ(ry"の作中に登場する"学舎の園"でしかお目にかかれないようなテンプレートラノベ少女である。そのはずなのだが、いつの間にか作者の手を離れてとんでもないことを繰り出す常習犯と化してしまった。実はこの娘の行動は何時も予定ないことばかりだったりするので優しく見守ってあげてください。あくまで非実在の思考回路をお持ちのお嬢様なんですぅ。ちいさい"ぅ"が似合う設定なんですぅ。

・"酸素剥離(ディープダイバー)Lv4";空気中の酸素を操る、空力使い(エアロハンド)……なのか風力使い(エアロシューター)なのか、どちらと断言はできないものの、両方の真似ができる応用力のある能力。何げに常盤台在学中にレベルが上昇しており、周囲の物体から酸素を強引に剥ぎ取り発熱させセルフバーニングが可能となった。なにそれもう火澄イラネ。ていうか完璧にヒロインの座を狙ってるよね、ってカンジです。

 

 

♀丹生 多気美(にう たきみ)[16]

・主人公が暗部の任務中に出会った少女。彼女も暗部戦闘部隊に所属していた。後に、主人公と同じ部隊に配属され紆余曲折あり、彼女が間接的に主人公の被害者と呼べる存在だったことが判明する。けれども建前を省いて素直に雨月君の心境を暴露してしまえば要するに下心あっての行動だったんでしょおいこら道帝、もはや言い訳の余地なく確定的に明らかだぞ、ってなわけで。

暗部で泣いちゃうくらいパンピーでノーマルで頑張ってオレっ娘中二病的なキャラ演じちゃうようなごくフツーの女子中学生が雨月のストライクゾーンにはまっただけなんでしょうね、きっと。

しかし、この娘が真に悲惨たる理由はもしかしたらウケを取るためだけに短命なテコ入れ(という名の安いキャラ付け)をその場その場で作者に注入されてしまう不憫なキャラクター性にあるという可能性も微粒子レベルで存在している。オレっ娘も中二病も卒業おめでとう丹生ちゃん。出番はこれからもいっぱい用意してるからね。貴女なら平凡でミーハーな普通の女子高生役を演じきってくれると期待しています。

尚、暗躍日誌では丹生さんは主人公の血漿エキス(体晶1000mg配合)を服用しているためLv4相当の現象を実現可能である。実際には能力強度(レベル)は上がっていないのだが、彼女は"大能力者"とみなされている。

・"水銀武装(クイックシルバー)Lv3";水流操作(ハイドロハンド)。水銀等の液体化された金属を最も得意に操る能力。水銀のように密度の大きい、重い液体しか上手に扱えない。しかし、その出力自体は高いようで、創り出した水銀製の武器は高い硬度を誇る。暗闇の五月計画の恩恵を受けた丹生は、絹旗最愛と同様に無意識下で能力を発動させ、防御行動を取れる。

・"水銀甲冑(シルバーメイル)Lv4";少し早めに名前だけお披露目。名前だけで方向性がバレバレだ。早まったてしまったかな……。

 

 

♀花籠 花華(はなかご はなはな)[13]

・主人公に懐いていた少女。底抜けに明るく能天気で、主人公の癒し成分となっている。作者の謀略により、柵川中学へ入学した。これにより、事実上任意の場面で本作品に"超電磁砲編主力少女組"を召集できるようになったわけである。

 

♀クレア・ホルストン

・この人の出番作るの難しい。詳しくは後悔日誌よんでくだしあ。でもこれから出番ないわけじゃないよだからここに名前だけあるよ。

 

♂調川真泥(つきのかわ みどろ)

 

 

 

[§暗部の関係者]

 

○アレイスター・クロウリー

・昨年のクリスマスに木原幻生から暗殺命令を受けた雨月景朗をボコボコににして返り討ちにしている人。それ以降、景朗はアレイスターの走狗と化した。アレイスターは彼を象徴兵器として祭り上げ"猟犬部隊"を発足、彼にNaberius(三頭猟犬)と名乗らせた挙句、それ以降は悲惨な虐殺命令ばかり下している。

 

○木原幻生

・主人公は生理的に嫌がっているのだが、お構いなしに最低な意味で主人公を溺愛している変態博士。何かとすぐ主人公の弱みを突いて言うことを聞かせようとしてくるゲイ野郎。

 

○木原数多

・ガキが嫌いなマッドサイエンティスト、というよりはむしろ神話級の格闘センスを持ち合わせた武人、と個人的には評したい。大人げないという次元を超越した、ある意味帰胎してんじゃねえのと思わせる小学生的センスの持ち主であり高校生である"悪魔憑き"や"一方通行"とガチで口喧嘩に応じてくれる優しい人。

 

○薬味久子

・実はババアだったらしい。どうりでババアの匂いがしたもんだ(雨月談)

 

○土御門元春

・グラサン金髪アロハというDQNの皮を被ったシスターロリペドメイドフェチ。人類史上の汚点。

 

○結標淡希

・主人公や土御門元春やら、他のアレイスターのお客さんをテレポートで運んでくれているイイ感じの女子高生。オマケに大能力者ときたもんだ。かなりヤヴァイ。主人公は肉体変化の技能を活かし、いつまでも冷淡な反応しか寄越さない結標さんをどうにか喜ばせようと雑誌&ネットを駆使したイケメン軍団を編成。顔を合わせる時は必ず稀代のイケメンに変身して彼女の前に現れるものの、今までに一度としてヒットできずにいる。やっぱ大能力者の美人巨乳女子高校生といやあ現代最高峰のヒエラルキーに属しておられる可能性のある方ですからね。面食いレベルも相当なものなのか?やむなし。雨月君のネタもそろそろ底を尽きかけており、残すはショタモノ程度、という塩梅らしいです。

 

 

 

 

 

[§ブラックフライ]

・主人公が無い知恵を絞って必死に編成した傭兵チーム。主人公の心の平安を保つために極悪人で構成されている。役には立った。

 

♂シャッドフライ

・その"正体"は油河雷蔵という中年男性だった。

・爆薬生成(オーガニックボム)Lv3?;胃袋等に取り込れた有機物を爆薬に変化させる力。

 

♂グリーンフライ

・ブラックフライのバンにハチミツを積み込んだハチミツおじさん(という名の大学生)

・粘性操作(ハニートラップ)Lv2;粘性を操る能力。作者はダイラタンシー流体というものの性質を理解していません。科学的な見地からの激しい突っ込みを常時お待ちしておりますorz

 

♂ギャッドフライ;

・本名はウェルロッド・白凪という傭兵。ネタバレ「実は主人公を怪しんでいた垣根帝督が雇ったスパイという名の捨て駒」

・減音能力(サプレッサー)Lv1;使用者の周囲で生じる音を幅広く減音させる能力。干渉可能な音帯は広く超音波等にも対応できるものの、如何せん距離による能力出力の減衰が大きく使い道が限られる。しかし、白凪は自身が生じさせる物音ならばほぼ無音にできた。

 

♂ファイアフライ;

・背が低く童顔なため少年だと誤記してしまった箇所がありましたが、彼はオッサンに片足突っ込んだ中年未満です。

・消火能力(シースファイア)Lv1;火の発生を防ぎ、たぎる炎の勢いを低下させる力。熱を下げるのではなく、発火、燃焼というプロセスに干渉する力。

 

♂サンドフライ

・ネタバレ「JITSUHAHAMAZURADESHITA」

 

 

 

 

 

[§敵対者]

 

◆アイテム

○麦野沈利

・主人公の道帝力により白濁したどろどろの液体を奇形生物から噴出されるだけで戦闘行為にはハッテンしなかったため、イマイチ出番が少なかった原作屈指の名Lv5。

 

○絹旗最愛

・主人公とは暗闇の五月計画で顔見知り以上の関係にある。勿論悪い意味で。とはいえ、黒夜海鳥に乱暴されかけていた主人公を助け出したこともある。当時は散々罵倒するような言葉を主人公へ言いたい放題していた彼女だが、Lv5となった主人公と再び顔を合わせたときどんな言葉が出てくるか楽しみ……でしょうか?読者の皆さんはどう感じますか?需要があれば……。

 

○滝壺理后

・HAMAZURAに先んじて主人公に白濁したどろどろの液体を吹きかけられてしまった犠牲者。浜面は彼を殴っていい。

 

○フレンダ

・ロクに出番もなかったのに麦野サンにオシオキだけされてしまった可哀想な娘。結局、そういう役回りってなわけよ!

 

 

 

◆スクール

○垣根帝督

・本気の主人公に対し、嬲るように弄んでいたものの、途中で覚醒した彼にぶっ飛ばされたザマァな人。まだ出番あるかもね。

 

○ドレスの少女

・粘膜と粘膜の接触を"とある行為"とみなしてよいのなら、な、な、ななななななななななんと雨月君にとって初めての相手になりうる彼女ですが!ちょっと可哀想ですが!これからまた出番はくるのか?!

 

 

 

◇リコール

 

♂産形茄幹(うぶかた なみき)[15]

・能力を使って仮病を繰り返し、ズル休みしていたらすっかり引き返せなくなって、引きこもりになってしまっていた。(イメージ的にダン○ンロ○パのなえぎくん)

・"病菌操作(ヴァイラルシミュレーション)Lv1";ウィルスや細菌を操る能力。いつでも仮病になれる程度だったが、幻想御手で大量殺戮兵器を生み出すことになる。

 

♀嘴子千緩(くちばし ちひろ)[17]

・元"風紀委員"の少女。リコールの計画を主導する。(イメージ的にダン○ンロ○パのきりぎりさん) 茄幹くんとは両想いだったのかもしれないね

・"接触衝突(タッチクラッシュ)Lv2";触った物体同士を引力(念動力)でひっぱって衝突させる。名前が可愛くないので、当人は能力名を"コライダーキス"と勝手に呼ぶ、高二病を発動中。

 

♂洞淵駿(うろぶち しゅん)[16]

・第十八学区の学校に通っていたエリートだったが、今では学校に行っていない。かといって学歴のせいでスキルアウトにも馴染めなかった。アニオタ。

・"透過移動(フェージング)Lv3";壁などをすり抜けて通過できる、よくある"通り抜け"の能力。しかし、対象となるのは自分の身体だけ。ゆえに、能力を使うにはいちいち裸にならなければならず、盗撮魔やら露出魔やらいろんな噂が流れて、いつのまにか……

 

♀夜霧流子(やぎり りゅうこ)[14]

・スキルアウトで諍いを起こして孤立していたヤンキー少女。でも隠れヲタだった側面も。自慢のヤンキー仕様の黒ジャージが命。

・"底無し沼(シンクホール)Lv1";物体をドロドロの液状にしてしまう力。温度は変わらない。ものすんごく柔らかくする力なのかも。

 

♂今大路万博(いまおおじ ばんぱく)[15]

・わりとかっこいい好青年。見た感じいじめられっ子には見えない。事実、彼は自分の能力をつかって、他人の秘密や粗をあばいて他人を攻撃し、クラスでずっと人気者だった。ただ当然、そんな悪し様なことをして勝ち得た人気すぐに、地に落ちる。果ては……

・"過去視覚(ポストコグニション)Lv1";対象となる場所の、過去の風景を知る。それほど強い出力ではなかったが、学校でクラスメートの弱みを握る程度ならば十分だったようだ。

 

♀太細朱茉莉(ださい しゅまり)[15]

・クールな性格の、女子中学3年生。学舎の園の中学校に通っている(常盤台じゃないです。常盤台以外に学校は4つあるらしいけど、ひとつくらい中学校あるよね?……ないの?!)

・"憎悪肥大(ヘイトコントロール)Lv2";他人の憎悪を増幅させられる情意操作(エンパシー)。能力をOFFにはできない。

 

 

リコールメンバーに関してはネタバレするとつまらなくなってしまいそうで、悩みどころです。

いっぱい書きたいところですが……後日追記いたします。

もうすこし物語が完結に近づいてから、ちゃんと説明いたしますね。

 

 

 

 

§その他

 

 

○御坂美琴

・主人公にとってはエロゲーのヒロインに付随してくる攻略できないけどむしろこっちこそ攻略させてほしい嗚呼どうして攻略できないんだもぉーヒロインなんて目に入らねえよザッケンナクリエイターさんドコに目ぇつけとんじゃ!ぜってぇファンディスクアペンドしろよしてくださいゴルァ!的なサブキャラに相当するでしょう。でも得てして人は時に、そういうキャラクターにこそ創造性を発揮するものです。

 

○食蜂操祈

・たべはち……え?これしょくほうってよむの?

後日、追記します

ちゃんと忘れずに追記しますので……

 

○削板軍覇

・根性が口癖の、能力不明キャラ付けイマイチ不明原作でも役割不明、とりあえず根性が口癖だとしか分かっていないあらゆる意味でよくわからない人。主人公は正直イラついてます。だんだん疲れてきて後半は分量が減り、すごく適当になりましたね。またあとで補充して訂正いたします。根性出してやってみますorz

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★暗闘日誌におけるスキル一覧★

 

 

 

 

§系統まとめ

 

 

◇ - メジャースキル(オリジナル)

○ - モブスキル(オリジナル)

□ - 原作出典スキル

 

 

~肉体系~

□肉体変化(メタモルフォーゼ) : 細胞レベルで変化する

□肉体再生(オートリバース) : 体を治療する

◇身体補強(フィジカルブースト) : 身体能力を高める

 

 

~精神系~

□精神感応(テレパス) : 心の声などを聞く

□念話能力(テレパシー) : 離れた人間と会話できる

□読心能力(サイコメトリー) : 人間や物体から記憶を読み取る

◇洗脳能力(ブレインウォッシュ) : 言葉以外の媒介を通して洗脳する

◇催眠能力(ヒュプノーシス) : 対象を催眠状態にして扱う力

◇暗示能力(マインドコントロール) : 言葉で暗示をかけやすくなる

◇情意操作(エンパシー) : 感情を強く操る

 

 

~発電能力(エレクトロマスター)~

 電気を操る

 

~発火能力(パイロキネシス)~

 炎を操る

 

~水流操作(ハイドロハンド)~

 液体を操る

 

~風力使い(エアロシューター)~

 気体そのものを操る

 

~空力使い(エアロハンド)~

 空力で物体を動かす事に主眼を置いている?(この説明で正しいのでしょうか……)

 

~空間移動系(テレポーター)~

 テレポーテーション能力

 

 

~念動系~

 □念動力(テレキネシス) : ?

 □念動能力(サイコキネシス) : 個体を操る?

 ◇空中浮遊(レビテーション) : 物体を宙へ浮かせる

 

 

~超感覚系(ESP)~

 □透視能力(クレアボイアンス) : 透視する

 ◇過去視(ポストコグニション) : 過去を知る

 □予知能力(ファービジョン) : 未来を予知する

 ◇探知能力(ダウジング) : 離れた対象の在り処を感知する

 

 

~光学系~

 □光学操作 : 透明になれる

 

~冷却能力(クライオキネシス)~

 温度を低下させる

 

~振動波動系~

 波に干渉する

 

~化学変化系~

 化学物理性を変化させる

 

 

 

 

 

§能力一覧 系統別・キャラクター名

 

 

☆ - メインキャラクターの能力

◇ - メジャースキル(オリジナル)

○ - モブスキル(オリジナル)

□ - 原作出典スキル

 

P:火薬庫メンバー Pyrokinesists

C:冷凍庫メンバー Cryokinesists

 

 

 

~肉体系~

 

□肉体変化(メタモルフォーゼ)

 

 ☆Lv1痛覚操作(ペインキラー)♂雨月景朗(うげつかげろう)[高校1年]

  痛みを軽減・増幅できる

 

 ☆Lv3戦闘昂揚(バーサーク)♂雨月景朗

  精神と肉体の能力が人間の限界にせまる

 

 ☆Lv4人狼症候(ライカンスロウピィ)♂雨月景朗

  狼男へと変身する

 

 ☆Lv5先祖返り(ダイナソー)♂新顔の"第六位"候補

  他の生物からDNAを奪う"肉体変化"

 

 ☆Lv5不老不死(フェニックス)♂暗部の男

  不老不死の領域にとどいた"肉体再生"

 

 ☆Lv5三頭猟犬(ケルベロス)・???

  話半分に信じられている、アレイスターの番犬

 

 ☆Lv5悪魔憑き(キマイラ)?;謎の超能力者

  魔術と能力のハイブリッド

 

◇Lv1身体補強(フィジカルブースト)♂青髪ピアス

  ※もちろん景朗が創作したウソ能力です

 

 

 

~発火能力(パイロキネシス)~   ※実質、火薬庫メンバー

 

 ☆Lv4不滅火焔(インシネレート)♀仄暗火澄(ほのぐらかすみ)[高校1年]

  炎を産み出す物質化能力

 

P○Lv4乖離能力(ダイバージェンス)♂陽比谷天鼓(ひびやてんく)[高校1年]

  物質を無理矢理にプラズマ化させる

 

P○Lv4過熱能力(ヒートアップ)♀岩倉火苗(いわくらかなえ)[高校1年]

  通り名;溶岩噴流(ラーヴァフロー) 物質を溶けるまで加熱させる

 

P○Lv4摩擦炎上(フリックファイア)♂真壁護熙(まかべもりひろ)[高校2年]

  通り名;炎上物体(メテオロイド) 摩擦熱を操る

 

P○Lv3加熱光線(マグネトロン)

  熱輻射を増幅させる力。懐中電灯の光や電磁波などが加熱光線に早変わり 陽比谷の"切り札"

 

 

 

§水流操作(ハイドロハンド)

 

 ☆Lv3水銀武装(クイックシルバー)♀丹生多気美(にうたきみ)[高校1年]

  液体金属の鎧で体を防御し、液体金属を成形して武器を造り出す

 

 ☆Lv4水銀甲冑(シルバーメイル)♀丹生多気美(にうたきみ);ガリウムなんかも扱う

  強化バージョン。液体金属で甲冑(センスは丹生に依存。戦乙女みたいな鎧を形作るが、余裕がなくなるとただのマネキンみたいになっちゃう)を作り出し、銀ピカ女騎士に早変わり

 

 □Lv4液化人影(リキッドシャドウ)♀警策看取

  原作準拠

 

 ○Lv3結露生成(デューイードロップ)♀五月雨梨沙(さみだれりさ)[高校2年]

  大気の水分を凝縮させる

 

 ●Lv2粘性操作(ハニートラップ)♂グリーンフライ

  粘性を操作する

 

C○Lv4水流操作(ハイドロハンド)♂垂水洲汪(たるみすおう)[高校2年]

  通り名;水氷巨像(コロッサス) 大質量の水を操る。体長7m。重さ8t以上の水の巨人となって、あばれまわる

 

 

 

§風力使い(エアロシューター)

 

 ☆酸素徴蒐(ディープダイバー)♀手纏深咲(たまきみさき)[高校1年]

  酸素を操る

 

 ☆酸素剥離(ディープダイバー)♀手纏深咲(たまきみさき)

  空気中の酸素だけでなく、周囲の物質から強引に酸素を剥ぎ取って操れる

 

 □窒素爆槍(ボンバーランス)♀黒夜海鳥

  原作準拠

 

C○圧搾空気(コンプレスドエアー)♂山城(やましろ)

  通り名;空中楼閣(エアキャッスル)  空気をカチコチに圧縮して固くする

 

C○気流操作(アトモキネシス)♀三邦(みくに);最強の風力使いで、元"能力主義"のリーダー

  通り名;竜巻興し(ハリケーン) まさかの懐妊。学生出産を決意し、能力主義首領を辞任。陽比谷君は相当なショックを受け、立ち直るのに時間がかかったそうです

 

 

 

§念写能力(ソートグラフィー)

 

 ☆Lv3欠損記録(ファントムメモリー)♀ダーリヤ・イリイーニチナ・モギーリナヤ[小学3年]

  破損した記録媒体から情報を遡行し、補填して念写する しかしあくまで念写能力であるため、能力の行使には破損した記録媒体と同種類の媒体(HDDならHDD、写真なら専用用紙、CDならCD)が必要

 

 

 

§空力使い(エアロハンド)

 

 □Lv4空力使い(エアロハンド)♀婚后光子

  原作準拠

 

 □Lv4窒素装甲(オフェンスアーマー)♀絹旗最愛

  原作準拠

 

 ○Lv3空気爆弾(コールドボム)♂箱墳颯(はこつかはやて)

  空気を圧縮・開放して爆発させる

 

 

 

§精神系

 

 □精神感応(テレパス)相手の声を聞く

  ○Lv3郡蟲扇動(インセクトスウォーム)♀蟻ヶ崎蛍火(ありがさきほたるび)

  虫を操り扇動する

 

 ◇念話能力(テレパシー)声を伝える

 

 □読心能力(サイコメトリー) 人間や物体から記憶を読み取る 接触感応

  ○Lv2時刻明細(クロノグラム)♂キナコさとる

  人や物体が対象であり、対象が存在していた場所とその詳しい時間帯を読み取れる

 

 ◇洗脳能力(ブレインウォッシュ)

 ◇催眠能力(ヒュプノーシス)

  ○Lv3記憶洗浄(メモリーローンダリング)♀みりん

  対象の人物を催眠状態にして、記憶や認識を操作する

 

 ◇暗示能力(マインドコントロール)

 

 ◇情意操作(エンパシー)

  □???心理定規(メジャーハート)♀ドレスの少女

  原作準拠

 

  ●Lv2→Lv4憎悪肥大(ヘイトコントロール)♀太細朱茉莉(ださいしゅまり)

  他人から嫌われ憎まれる能力だが、同時に他人の深層心理に眠る憎悪も増幅できる

 

 

 

§念動系(サイコキネシスorテレキネシス)  ※念動系の死傷率ヤヴァイですね……

 

 ◇空中浮遊(レビテーション)

 

  ●Lv2空中歩行(スカイウォーク)♂中百舌鳥遊人(なかもずゆうじん);高所まで浮遊する

 

  ●Lv1→Lv3目方不足(ドロップウェイト)♂

  体重を軽減する

 

C○Lv4直線加速(クロウフライ)♀鳶島(とびしま)

  ・未登場  猛スピードで物体を操るサイコキネシス

 

 ●Lv3粉塵操作(パウダーダスト)♂粉浜薫(こはまかおる)

  粒子を専門に操る

 

 ●Lv4百発百中(ブルズアイ)♂牛尾中(うしおあたる)

  追尾する"絶対等速"

 

 ●Lv3静止機動(イモービライズ)♂亀封川剛志(きぶかわごうし)

  物体の動きを止める

 

 ●Lv4螺旋破壊(スクリューバイト)♂煎重煉瓦(いりえれんが)

  物体をねじ切る念動力

 

 ●Lv3先鋭硬化(ハードホーン)♂鍛治屋敷鏈(かじやしきれん)

  物体を硬化させる

 

 ●Lv1消火能力(シースファイア)♂ファイアフライ

  発火や燃焼を弱める

 

 ●Lv2→Lv4接触衝突(タッチクラッシュ)♀嘴子千緩(くちばしちひろ)[高校2年]

  ・元風紀委員  触れた物体同士をものすごい引力でくっつけて衝突させる。可愛く"コライダーキス"と呼んでね!

 

 

 

§超感覚系(ESP)

 

 □Lv3透視能力(クレアボイアンス)♀固法美偉

  ○Lv2絶対温感(サーマルビジョン)♂巳之口辰哉(みのくちたつや)

  ぶっちゃけるとただのサーモグラフィ

 

 ○Lv1→Lv3過去視覚(ポストコグニション)♂今大路万博(いまおおじばんぱく)[中学3年]

  対象とした場所の、過去の風景を知る

 

 ◇探知能力(ダウジング)

  ○Lv3偶察能力(セレンディピティ)♀印山(いやま)[小学6年]

  相手が無意識に探しているものを探す つまり、逼迫した緊急事態では役に立たせづらい

  効果範囲も狭い しかし、わりとアバウトな探し物にも反応するようで、隠れLv5(景朗)を見つけ出した

 

 

 

§発電系

 

 □Lv5超電磁砲(レールガン)♀御坂美琴

  原作準拠

 

 ○Lv2撞着着磁(マグネタイゼーション)♀釜付白磁(かまつきはくじ)

  磁力操作

 

 ○Lv3電子憑依(リモートマニピュレート)♀狩羽万鈴(かりはまりん)

  まるで憑依して乗っ取るように電子回路に己の意識を張り巡らせて、操ってしまう

 

 

 

§光学系

 

 □光学操作;透明になれる能力?

  ●Lv2収束光線(プラズマエッジ)♂穂筒光輝(ほづつこうき)

   学園都市製の高出力レーザーポインターで、集光熱によるライトセーバーもどきを生み出す

 

  ○Lv2暗黒光源(ブラックライト)♂紫万元明(しまもとあき)

   物体の色調を操る

 

 

 

§空間移動系

 

 □Lv4座標移動(ムーブポイント)♀結標淡希

  原作準拠

 

 □Lv4空間移動(テレポート)♀白井黒子

  原作準拠

 

 ●Lv3隔離移動(ユートピア)♂郷間陣丞(ごうまじんすけ)

  異空間へ自分の体を隠す

 

 ○Lv3射出移動(アスポート)♀学舎の園の女子学生

  射出とある通り、手元からテレポートさせて、対象を遠くへ放つ

 

 

P○Lv4打上移動(エレベート)♀鷹啄(たかはし)[高校2年]

  通り名;怪雨現象(ファフロツキーズ)

 

P○Lv3燃焼移動(フラッシュポイント)

  ・未登場  火や熱を空間移動させる意味不明な力 陽比谷の"切り札"

 

 

 

§冷却能力(クライオキネシス) 実質、冷凍庫メンバー

 

C○Lv4瞬刻冷凍(リフリジレート)♀乾風氷麗(からかぜつらら)[高校3年]

  物体の温度を直接下げていく

 

C◇Lv4同調能力(シンクロニシティ)♀紫雲継値(しうんつぐね)[高校2年]

  氷を創り出す能力だという噂

 

C○Lv4幻氷地帯(アイスミラージュ)♀茜部晶(あかなべあきら)[中学3年]

  空間を対象とした大規模冷却 冷えた空気をぶっぱなす

 

 

 

§振動波動系(ショックウェーブ)

 

 ●Lv4共鳴破壊(オーバーレゾナンス)・鳴滝伴離(なるたきともり)

  物質の振動を増幅させ操る

 

 ●Lv1減音能力(サプレッサー)♂ウェルロッド・白凪

  音を小さくできる

 

P○Lv3光熱波形(フラッシュウェーブ)

  炎に"波動性"を付加させ操るという、わけのわからん力(麦野と似てるところがある) 陽比谷の"切り札"

 

 

 

§化学変化系(ケミカル)

 

 □Lv1定温保存(サーマルハンド)♀初春飾利

  原作準拠

 

 ○Lv3爆薬生成(オーガニックボム)♂シャッドフライ・油河雷蔵(ゆかわらいぞう)

  胃の内容物を爆弾に変える ※本編でネタバレ

 

 ○Lv1→Lv3底無し沼(シンクホール)♀夜霧流子(やぎりりゅうこ)[中学2年]

  物体を強制的に液化させる 温度は変化しない、不思議な能力でもある

 

P○Lv4炭素錬成(シュガーナイフ)♂墨野(すみの)[高校3年]

  ・未登場  砂糖から世界最強硬度の炭素製品を造る

 

 ●Lv1→Lv3病菌操作(ヴァイラルシミュレーション)♂産形茄幹(うぶかたなみき)[中学3年]

  ウイルスや細菌の操作ができる

 

 ●Lv3→Lv4透過移動(フェージング)♂洞淵駿(うろぶちしゅん)[高校1年]

  物質を物理的にすり抜られる

 

 

 

§その他

 ●Lv1→Lv3思念薄膜(ベラムカイト)♂

  一応はベクトル操作系の仲間であり、力のベクトルを変換する薄膜を展開

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

§おまけ ※以下ネタバレなので気をつけてください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~"超能力"(能力主義者曰く、"エースブランド")~

 

□1st 一方通行   一方通行   ベクトル操作

□2nd 未元物質   垣根帝督   物質化

□3rd 超電磁砲   御坂美琴   発電能力

□4th 原子崩し   麦野沈利   電子変性

□5th 精神掌握   食蜂操祈   精神操作

□6th ????   藍花悦    ????

□7th ????   削板軍覇   説明できない力

 

 

☆??? 悪魔憑き   雨月景朗   肉体変化

◇??? ????   紫雲継値   ????

□??? 座標移動   結標淡希   空間移動

 

 

"届きうる可能性"

 

□Lv4.5能力追跡   滝壺理后   AIM操作

◇Lv4.3乖離能力?   陽比谷天鼓  発火能力?

◇Lv4.4気流操作   三邦     流体掌握?

 

 

 

 

 

 

 

 

Date 06.24.2015

Name Clay




● - 死亡済みのキャラクターですorz


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episode17:肉体再生(オートリバース)

2014/02/02 episode17最終更新おわりました。episode18も一周間以内にあげます。がんばります。

ランキングのっててチビりました。
感想も一気にたくさん来て返信するのが大変そうです。でも、同時に幸せな時間でもありますからね、ちょっと遅れるかもしれませんが必ず返信するのでしばしお待ちください。
なるべく急いで本編も更新します。
ちょっとだけ2章のクライマックスで燃え尽きてしまって・・・


 

 

 

雨月景朗は嗤っていた。以前、長点上機学園に行きたいです、と会話の中で一言、冗談交じりに口にしていたなと覚えていた。記憶に揺らぐ木原幻生は、その時、任せておきなさい、と何の気なしに打ち返していた。景朗はそう思っていた。

 

景朗は願書も、試験も、何一つ自発的に行うことなく。あれよあれよと気が付けば、彼は年明け早々に、長点上機学園の第一回生、という身分を手に入れていた。裏口入学で偽りなし。どうやら俺は本当に超能力者だったみたいだ。

 

幻生に手渡された長点上機の制服を片手に、景朗は第七学区南エリア、学舎の園の玄関に位置する、毎度お馴染みのカフェテリアを目指していた。

 

景朗はふと、目の前を散り落ちた、桜色の花びらに目をやった。あたりを漂う桜の蜜の香りに、気分が昂揚する。三月。桜舞い散る季節。そう。その日は彼の友人、仄暗火澄と手纏深咲、両名の卒業式だったのだ。名門常盤台中学校の卒業式。いずれにせよ。最高級に格式張った、お堅いお堅い式典に巻き込まれているんだろうな、と。青空の下、景朗は南の空を望み、彼女達へと心の中でエールを送った。お疲れさんです……。そして、決意する。

 

 

今日こそ、あの2人に丹生の入学した高校を聞き出さねば。

 

 

少し前だったか。丹生に、結局高校はどこへ行くつもりなんだ?と質問したのだが。俺は、俺はまさか、彼女にその答えを拒絶されるとは思ってもいなかった。

 

暗部の人間には教えない、と丹生に為すすべなく口を閉ざされて。俺はそれはもう、意気消沈のどん底に叩き落とされていたのだ。

 

あんだけ仲良かったのに。女って怖い。丹生の安全確保のために、入学する高校を調査しておかねば、という俺の欲望に塗り固められたお為ごかしの建前は一発で粉砕された。いじけた俺はうじうじと、その事実から目をそらしている。

 

 

あ、火澄と手纏ちゃんは結局、学舎の園の中の、枝垂桜学園に行くって言ってました。火澄来い!火澄来い!手纏ちゃんも来い!ってずっと応援してたのに。

 

結局ひとりかーい。またぞろ、孤独な高校生活になりそうだった。まあ、いいか。今の状況じゃ、きっとまともに高校に登校することすらできないかもしれないから……

 

景朗は寂しさを能力で霧散させた。最近はそればっかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

理事長(アレイスター)の小間使いとして。色々な、学園都市の更なる深淵を目にして来た。血に濡れたその両腕の汚れを、最早景朗は気にも留めなくなっている。

 

逆さに浮かぶ、奇妙な上役を眺めつつ、景朗は土御門の横顔を窺った。

 

隣に立つ土御門元春は、今日は随分と機嫌の良さそうな面をしていた。どうしてか、彼の顔を覗き見た景朗に、嫌な予感が湧いてくる。

 

正直、土御門の姿には、何時だって落ち着かない気分にさせられてきた。土御門の衣装には、毎度毎度会うたびに大した変化はなく。馬鹿げたアロハシャツとインチキ臭いサングラス。そのチープな装いと、この、学園都市の闇を特上に濃縮したような空間。サイケデリックな水槽がひとつだけ鎮座する、この薄暗い空間とのギャップに。毎回、冷え冷えとさせられるのだ。

 

しかし、今日はどことなく、いつもと受ける印象が異なっている。どこか本当に、彼の雰囲気からは、純粋な愉楽の匂いが仄かに香るような……

 

 

 

『"悪魔憑き(キマイラ)"、貴様はこれからは土御門と共に、"幻想殺し(イマジンブレイカー)"を監視しろ。"三頭猟犬(Naberius)"としてではなく。貴様の能力を活かし、正体を隠せ』

 

「なんだって?」

 

アレイスターの突然の命令に、景朗は全く理解が追いつかなかった。どれほど声を荒らげて問答しようとも、この水槽の中の小人が口を開くのは、彼自身がそれを欲した時だけである。それを景朗はうんざりするほど知っていた。さりとて、黙っている訳にもいかず、無駄だと分かっていても最後の抵抗とばかりに疑問を投げかけた。

 

「待て待て"幻想殺し(イマジンブレイカー)"ってなんじゃい!?」

 

『後は土御門に訊け』

 

「ダンマリか!ああもう!」

 

 

 

結局、それまでの焼き直しのように毎回毎回、最後には怒声を張り上げる景朗の対応に、くつくつと土御門は笑っていた。

 

 

 

「雨月、オレが色々と教えてやる。心して聞けよ?後輩」

 

「先輩ヅラすんな、無能力者(レベル0)」

 

景朗の挑発に、痛くも痒くもないと言わんばかりの土御門だった。

 

 

「"幻想殺し(イマジンブレイカー)"ってのは能力名だ。持ち主の名は上条当麻。コイツ、まだそれほど観察できている訳じゃないんだが。……面白くなるぞ、今回の潜入任務は」

 

 

景朗は怒りを溜め込みながら、土御門が語る任務の詳細とやらを耳にしていった。"幻想殺し"とは何か?"幻想殺し"とは誰か?上条当麻はどれほど不運な奴で、見ているだけで笑えてくる面白い奴だった、等など。

 

 

 

「正気か?面倒臭えってレベルじゃねえ。何だそれは……」

 

土御門の話を要約すると。能力で変装して上条当麻なる人物と同じ高校、同じクラスに潜入して常々彼を監視せよ。あ、でも僅かにでも右腕に触れるとオマエは能力解けちゃうし、上条当麻は何時だって本人の意思とは無関係にトラブルに巻き込まれるから一瞬足りとも気を抜くなよ、ということだった。

 

 

 

「お前ひとりで十分だろ」

 

「たった今、オマエはオレを無能力者(レベル0)だと罵ったばっかりなんだが」

 

 

無能力者(レベル0)の身の上で、アレイスターの任務の渦中に飛び込んでいくのは確かに危険だ、と景朗は考えて。直ぐに、よくよく考えれば此奴も大した肝っ玉だな、と土御門を少しだけ見直した。

 

 

「はぁー……。それじゃ、頼むよ、土御門」

 

「いいか?オレは潜入のプロだ。オレの指示には必ず従え。いいな?」

 

「わかったよ」

 

「いい返事だ」

 

しかし、どこか不必然に楽しそうなんだよな、と景朗の頭から土御門への疑問が拭えない。土御門は愉快そうな表情をだんだんと隠せず、徐々に露にしてきていた。

 

 

「上条当麻のプロフィールは後で渡す。心配するな。さて、雨月。今日オマエを呼び出したのはな、潜入にあたって、しっかりと事前準備を行って貰いたかったからだ。コイツを渡しておく」

 

 

そう言って、土御門は景朗へと、彼が持参した大きな紙袋を手渡した。彼は説明を続ける気である。景朗は話に意識を傾けた。

 

「ソイツは後でいい。いいか?潜入任務に必要なのは、言うまでもなく標的と迅速に打ち解けるコミュニケーションスキルだ。だが、コイツは一朝一夕で手に入るものじゃない。だから、せめてオマエには、その紙袋の中に入っている資料で、上条当麻の嗜好に沿う知識を獲得してきてもらいたい。これは最も重要なことだぞ!雨月!任務の合否に関わる。決して疎かにするなよ」

 

何時になく真剣な土御門の剣幕に、景朗はしっかりと頷いた。

 

「加えて、環境に適応した変装を行う必要がある。オマエの能力を使えば、これは大した問題にはならないだろう。オマエの変装についてだが。当然、潜入先の高校では、オレとオマエは友人関係にあると見せかけた方が何かと都合がいい。それ故に、オマエの変装後の見た目に少々手を加えさせてもらう。雨月、今までオマエが使用していない人相を出してみろ」

 

 

「はぁ。わぁーったよ」

 

 

土御門の指示通りに、俺はこれまでの任務で一度も使っていない、新顔を持った人間へと、自身の躰を造り変える。

 

やや目は細め。背は高い。ボサボサの頭髪。男性、年かさは高校一年生、今の俺の年齢と準拠。

 

「此奴でいいか?」

 

「上出来だ」

 

土御門は口元を釣り上げた。グラサン越しに見える瞳には、やっぱり愉快そうな色が張り付いている。なんだよ、此奴。息をついたのも突如、土御門が続けて言い放った。

 

「だが、少々背が大きすぎる。もう少し低くしろ」

 

「よし。これでいいか?」

 

それでも180cmを超えてるけど、大丈夫か。

 

「まあ、いいだろう。それじゃ、次は髪の色だ。青色にしろ」

 

「なんで」

 

刹那の間に俺は土御門に言い返した。青色では悪目立ちしてしまうだろう。

 

「いいんだよ。そのくらいで。オマエはオレと一緒につるむんだ。まともなナリをしてたほうが不審に思われる」

 

「だったら、逆にお前のナリを変えるってのはどうだい?」

 

土御門は不敵に笑い、俺の提案をすぐさま跳ね除ける。

 

「オレは潜入のプロだぜ?この格好が最適なんだよ」

 

 

景朗は露骨に面倒臭そうな表情を浮かべ、髪色を青色に染めた。

 

「コイツをくれてやる。つけていろ。発信機能が付いている」

 

景朗は手渡された大ぶりなピアスを、能力を使い、耳から出血を及ぼすことなく装着した。

 

「便利そうだな、その能力」

 

「そのせいで此処に居る。居たくもない場所にな」

 

景朗は皮肉げに悪態をついた。土御門はまたぞろ思うところがあったのか、言葉を止めた。

 

「……さて、お次は何を?」

 

景朗の催促に、土御門は軽く息をついた。

 

「次は、その口調だ。雨月、オマエ、外見を少々いじったくらいで、変装が完了すると思うのか?もちろん違う。内面まで完璧に変える必要がある。外見と内面の両方を全くの別人に造り変えてこそ、変装は完全なものになる。どうしてそこまでするのかと不満そうな顔だな?その必要はある。イメージするんだ。外見を整えるだけでは不十分だ。内面まで変えて、自分が今、全くの別人であると思い込め。強固なイメージを作り上げろ。そうだな……とりあえず」

 

景朗はうんざりとしつつも、土御門の長い話にうなずきを返していたのだが。続いて土御門の口から飛び出した命令には、一瞬、彼の思考も停止した。

 

「これからは、語尾に『にゃー』と付けろ」

 

「……はい?なんですと?」

 

「語尾に『にゃー』とつけろと言ったんだ」

 

「言ったんだ、じゃねぇーよ。意味がわからん」

 

景朗は呆れてモノも言えなくなりそうだった。やれるものならやってみろ、と土御門に反撃する。

 

「お手本を見してくれませんかね?土御門先輩」

 

「だから、語尾に『にゃー』をつけろといってんだろうがにゃー」

 

恥ずかしげもなく『にゃー』『にゃー』と言い始めた土御門に、景朗は一言突き返した。

 

「ぜってぇ嫌だ。死ね」

 

 

土御門は大げさに肩をすくめ、長いため息をふかせた。

 

「はぁーあ。オマエは甘ちゃんだな。いいだろう。それじゃあ、代わりに関西弁で妥協してやろう。雨月、オマエ、今日から関西弁で喋れ」

 

「はあ?俺関西とは縁もゆかりもないんだが?」

 

 

「これは絶対だ、雨月。口調を変えろ。それに関西弁は最も難易度の低い選択肢だぞ。学習の機会に溢れている。たとえ、少々間違ったところで誰もそこまで不審に思わない」

 

サングラスの奥から覗く、土御門の座った目線に、景朗はしかたなく了承の返事を返した。

 

 

「わかったで。これでええんやね?つちみかど?」

 

「ああ。それでいい。雨月、くれぐれも精進しろ?」

 

 

 

 

 

紙袋の中には、アダ●トゲームやら、漫画やら、ライトノベルがみっしりと詰まっていた。マジで言ってんのか、コイツ。景朗は悲しくなった。

 

 

そのくせ。その一週間後には。

 

 

 

木原幻生の下僕。アレイスターの下僕。そしてさらに。ジャパニーズサブカルチャーの下僕と化した雨月景朗の姿が、そこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

テーブルの上で、ガタガタと携帯が震えた。ディスプレイに表示された名前を確認し、土御門は一息で弛緩し切っていた精神を取り成した。

 

 

『……どうした?雨月』

 

 

「緊急事態だ。土御門」

 

 

照明が灯されず薄暗いままの景朗の部屋には、あちこちに食べカスやゴミが散らばっていた。カタカタとPCを操りつつも片手で器用にケータイを操作し、景朗は土御門へと電話越しに話しかける。暗闇を照らすのは、モニターから漏れる微かな発光のみ。そして、静寂を破るのはスピーカーから溢れ出す、成人女性が業と絞り出した、甲高くもあられもない艷声だけだった。

 

 

「お前が寄越した"資料"が底をついた。この一周間、不眠不休で"資料"を改めたが……上条当麻とやらはトンデモない化物だな。間違いない。此奴、ロリータコンプレックスとシスターコンプレックスとメイドフェチをこじらせ、未曾有の合併症を引き起こしている。お前が伝えたかったのは、このことだったんだな?」

 

 

土御門からは反応が帰ってこない。景朗は気にせず語り続ける。

 

 

「どれも強烈なロリペドシスコンメイドモノだった。奴の狂気の一部を覗き見た気分さ。任務の過酷さが透けて見えるようだ。……クッ!お前の残した資料だけでは、どうにも奴には対抗できなさそうだ。もっともっとデータが必要だ!奴に対抗し得るには。土御門、追加の資料は勿論、まだ用意してあるんだろう?無ければ急いで用立ててくれ!お前の言うとおりだ。任務を遂行するには万全な準備が必要だと、今ならはっきり理解できる」

 

 

案外、堕ちるのが早かったな、と土御門はニタリと唇を歪に捻り上げた。

 

『ああ、理解したか、雨月。オマエの言う通りだとも』

 

「おっと!重要なことを言い忘れてた。ずっと不満…いや疑問に思っててな。土御門、いささか"資料"が、メイドモノに偏りすぎちゃあいないか?上条が如何程メイドシスターに血道をあげているかは重々承知さ。だけどな、全ての道はローマに通ずと言うだろう。不足の事態に備えて、他ジャンルの"資料"も用意してほしい、っていうか、バニーさんとか巨乳とか……。ゴホン。いや、自主的に"資料"の調達を試みてもいるんだけど、どうにも、その、成人指定の……奴がさ……その……お前はどうやって入手してんのかなって、ふと疑問にさ……あ、いや!べつに」

 

真実は異なる。上条当麻はメイドに狂ってなどいなかった。全て、土御門の押し付けたものだった。彼こそ、土御門元春こそ、シスターロリメイドに魂を売った悪魔だったのだ。しかし、彼にはそのことを景朗に告げる気は更々ないようだった。それどころか。

 

土御門は俄かに景朗の話を差し止めた。そして、彼が今までに見せたことのない、ただひたすら穏やかな、全てを包み込むような、優しい声色で景朗へと諭すように語った。

 

『雨月、わかっている。心配するな。オレたちは同志だ。もういいんだ。意地を張るな。素直になれ。……大丈夫だ、同志。さあ、落ち着いて言いたいことをぶちまけろ』

 

 

「同志、か……ふぅー。……初めのうちは。いっそ、上条なんてとっとと殺した方が世のため人のためになるんじゃないか…………そう、思っていたんだ。嘘じゃない!"資料"の閲覧だって任務だから仕方がない、と考えて、苦行をあえて敢行しつづけただけさ。でも……そこで……ひとつの真実にたどり着いちまった……。畜生……チクショオオ!今では俺も、他人のことをとやかく言えなくなっちまったッ。もちろん、上条当麻ほど剛の者だとは言わない。だが……あまりに、あまりに明らかなんだ、明らか過ぎるんだ。見落としようがない。たとえ地獄に落ちようとも、俺にはその事実を捻じ曲げることはできない。『シスターズ・サンクチュアリ』の萌黄タンは完璧(パーフェクト)だ。ロリコンとか言ってる場合じゃねえ。どうして俺たちは3次元世界に生まれ落ちてしまったんだ!ああ、糞ッ『My☆妹(まい☆まい)』のコナミちゃんのことも忘れてたな!仲間はずれにはできない!」

 

 

『ああ、ああ、そうだとも。お前は正しい、正しいんだ、雨月。……あ、舞夏、もうちょっと上』

 

 

残酷なことに。世が世なら所持しているだけで両手にお縄が回るレベルの凶悪な自ポグッズの閲覧を土御門に押し付けられた結果。雨月景朗は正常な思考と倫理観と道徳観を著しく破壊されてしまっていた。

 

「マイカ?何それ何のキャラ?……まあいい。クソッ!おかしいんだ!おかしいんだよ土御門!」

 

『ほわぁ~~~……そこだ、そこ。あ?どうした雨月、何がおかしいんだ?』

 

狂気に身を戦慄かせる景朗は、土御門の胡乱げな返事に気づかなかった。

 

「どうして現実には、萌黄タンやコナミちゃんみたいな天使が存在しないんだ!?俺も、何度か実在の天使らしきものを目にかけた……ことが……あって……いや、そんなの勘違いだった。グズッ、畜生!アイツ等、俺から徐々にフェードアウトしてく気だ!結局、教えてくれなかった!リアルの女は皆クソだぁぁ」

 

『ん?何を言っているんだ、雨月?……あぁ、次は背中だ、背中』

 

 

「それに比べて、萌黄タンは……理想的だ。正直エグいと苦言を漏らすファンもいるようだが。ロリータ先生のどこがいけないというんだ!?年上でもあり、年下でもあり、子供のようで先生だなんて。こいつを考え出したやつは天才だ!」

 

 

『もうちょい右だぁー』

 

 

「だろ?そう思うだろ?ううう、どうしてなんだッ?振り返ってみれば、俺はそのへんのエ○ゲの主人公より、よっぽどらしく主人公してたってのに?巨乳の幼馴染もいるし、引っ込み思案な深窓の令嬢だって、元気ハツラツのボクっ娘じゃなかったオレっ娘だっていたってのに!?男友達だってちゃんと居なかったんだぞぉぉぅ」

 

 

『何だと?!おい!雨月!今すぐ"資料"から目を離せ!クソッ、予想外に耐性が低かったか!……交友関係に難有りってデータに乗ってたしな……。雨月!オマエはもう"資料"を見なくていい!やめろ!オマエには幼馴染も深窓の令嬢もオレっ娘もいない!それはオマエの妄想なんだ!現実から目を背けるな!手遅れになるぞ!』

 

電話から漏れ聞こえる景朗の声は、相当に狼狽している様子であった。土御門は冷や汗を垂らし、景朗へと必死に説得した。

 

「い、嫌だ!ぜってぇ嫌だ!うるせえうるせえ!いいか、土御門!追加の"資料"をはやくよこせよ!『シスターズ・サンクチュアリ』の18禁ver.と『My☆妹(まい☆まい)』のコナミちゃんのファンディスクは絶対に忘れるな!」

 

 

ふと、景朗の耳に『誰だー?肩もみ飽きたぞー』という、幼い少女の発した無邪気な声が届いてきた。土御門は電話口から離れて発言していたようだが、景朗の聴覚は土御門の『頼りねえ後輩だ』という少女への返答まで掴み取った。

 

「オイ、まさか、土御門……な、何が同志だ!?テメェ、裏切り者か!?」

 

 

『ふぃー。やれやれ。雨月、わかったわかった。オマエの言う通りの"資料"を送ってやる。でも、オレはシスターメイドさんモノ以外は持ってねえんだにゃー。ロリータに喰い飽きたなら自前でよろしくにゃー?それじゃ舞夏、飯ー』

 

ブツリ、と土御門との通話が切れた。それでも、景朗は叫ばずにはいられなかった。

 

「……あ?メイド、シスター、は?お前が?……おい、マイカって誰だ土御門……つちみかどおぉぉぉぉおっぉぉおおーーーーー!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三月も半ばになれば、だいぶ暖かくなっている。景朗が何とはなしに辺りを見渡せば、そこら中に、屋外で元気よく、楽しそうに遊ぶ幼い子供たちの姿があった。その邪気の欠片もない笑顔を見て、景朗は聖マリア園の弟・妹分たちのことを思い出した。直後に、久しぶりに行ってみるかな、と彼の口から独り言が零れた。

 

 子供たちのはしゃぎ声を背に、雨月景朗は乱立する病院と病院の狭間を渡り歩く。彼は学園都市の西の端、第十三学区へとやって来ていた。病院の合間合間に造られた小さな公園には小学生や幼稚園児ばかりがわらわらと群れを成している。それもそのはずだ。第十三学区は小学校と幼稚園が集中的に設立されている学区である。庇護対象自体が攻撃性を持ち始める中高生とは異なり、純粋に身辺の安全を配慮すべき彼らを一箇所に集めて警備するのは効率的だったのだろう。警備員(アンチスキル)のお膝元である第二学区が南端に接する第十三学区は、学園都市の所々の区域の中でも指折りに治安の良い場所だった。

 

 既に成人男性顔負けの長身を誇っている景朗を、通りすがるガキんちょたちは恐ろしげに避けて走っていく。その光景に、彼は一層気分が落ち込んでいった。景朗が第十三学区に足を運ぶ理由は当然のごとく、幻生から下された碌でもない汚れ仕事のためである。それ故、上条当麻対策を大義名分に、近頃めっきりかかりっきりだった美少女ゲームの攻略を打ち切らなければならなかった。幻生の呼び出しで無理矢理に楽しみを妨害された景朗に命じられたのは、以前会話に出てきた統括理事会の1人、薬味久子の研究室への出向であった。幻生との別れ際の会話を思い出し、景朗は矢庭に立ち止まった。行くの、やめようかな、と。再び彼は誰に話しかけることもなくポツリと呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 精製元の原料が活きた血液だからなのか。景朗はやたら頻繁に幻生の元へと、丹生へ渡す薬を受け取りに行かなければならなかった。往々にしてその時は同時に、後暗い依頼を求められる羽目になった。

 

 丹生の後遺症、その治療法の研究は順調に進んでいるんですか、と毎度のごとく尋ねていた。決まって、しわくちゃの顔をわざとらしく悲痛に染め、難しいね、と返すばかりの木原幻生だった。

 

 幻生からカプセルを受け取った景朗は、悲しくなった。ほんのわずかな幻生の立ち振る舞いから、幻生がその日、普段より微かに機嫌が悪いということに気づけてしまったからだ。表情こそ変わらないものの、声色が少し歪んでいる。それが幻生の不快を表すサインだと、即座に判別できた自分自身が呪わしい。そのことに、景朗は数年前から続く忌極まりない因縁の深さを感じえなかった。

 

 その日は特大に面倒な頼みを要求される日となった。不機嫌そうな幻生は、今日か明日、今すぐにでも、統括理事会の1人、薬味久子の元へと出向き、彼女の研究の支援を行って欲しい、と景朗に願ったのだ。そういえば前に、薬味とかいう理事会のメンバーとは昔からの付き合いだ、とほざいていたな。景朗はおぼろげに記憶を手繰り寄せた。幻生と長い付き合いなら、相手も相当にお年を召した方だろうか。どのみち統括理事会の一員である時点で、手の付けられない老獪な人物に違いない。

 

「薬味クンに無理難題を要求されたのなら、素直に断ってしまいなさい。無論、簡単な事なら出来うる限り応えてやって欲しいがね」

 

 幻生の冷ややかな視線を受けて、景朗は理解した。無理難題とは、恐らく幻生への背信行為のことだろうと。さすれば、薬味久子は"悪魔憑き"を自陣へ勧誘しようと、寝返らせようと打診してくる可能性を考えるべきか。以前も幻生は、薬味久子が景朗を貸し出せと繰り返すので困っている、と口にしていた。

 

「それとだ。彼女らが、もし、キミに不快な言動を取るようであれば。その時は遠慮せず、その場でひと暴れして来なさい。あぁ、勿論殺しは厳禁だよ。あれでも統括理事会の一員だからね。後々厄介なことになる」

 

 景朗は溜息を飲み込んだ。幻生は一体、薬味へ彼を差し出したいのかそうではないのか、どちらなのか。彼なりの精一杯の皮肉を詰め込んで、やや遅れて景朗は言い返した。

 

「……それなら、現時点でだいぶ不愉快なので、もういっそこの場でひと暴れしていいですか?」

 

「ほっほっほ!景朗クンも冗談を言えるようになったんだね!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 景朗は不安になった。薬味久子が指定した目的地は、なんの変哲もないごく普通の病院だったからだ。立ち入る前に目にした外観からも、周囲に乱立する大学付属病院と何一つ違いは見つけられない。これならばむしろ、幻生の居城、鎚原病院の方がまだきな臭い空気を醸し出していよう。

 

 問題なく院内に入れた景朗は、周囲を警戒した。玄関を通り過ぎ、すぐに目に飛び込んでくる正面の受付は無人だった。色んな薬品と人間と、それから病気の匂いが代る代る彼の鼻を刺激した。一見した装いが病院にしか見えなくとも、景朗はそれを素直に鵜呑みにしてはいなかった。嗅覚は病院だとしか思えないと訴えていたが、統括理事会の1人が秘密の会合に指定した場所だ。気を抜いて良いはずがない。だから念のため、第十三学区に足を踏み入れる前から景朗は顔の作りを変化させ、変装していた。

 

 しかし。彼の視界には、そこに入院している風体の、患者さんたちののほほんとした姿がチラホラと映ってくる。どうみても日常の一部分を切り取ったような、自然な光景であった。裏をかいてそのままの、ごく普通の病院だという可能性を捨てきれなくなってきた景朗だった。きょろきょろと辺りを探るも、目に付く範囲には看護師さんやお医者さんはいない。

 

 しかたなく、隣接していたナースステーションへと景朗は足を運んだ。そこで彼は、女医さんらしき人とようやく遭遇できた。カウンターに座る、その女医さんは三十路半ばを過ぎた頃合だろう。明るく茶色に染め、毛先を自然にカールさせたロングヘアーに、色とりどりのネイル。いや、確かに暗部の香りはしないけどさ、その格好はその格好でまともなお医者さんがやるもんじゃないよね?この病院大丈夫なのか?と景朗は別の意味で不安を感じ始めていた。

 

「あら、こんにちは」

 

 若作りがちょっぴりと見苦しい女医さんが景朗に気づき、にこやかな笑顔を見せた。その笑顔はどこか作り物めいており、気持ちがいかほども込められていないようで。業務用のスマイルありがとうございます、いやまあでも仕方ないか、と景朗は心の中でそう呟きつつ、会釈を返した。続けて近づこうとした景朗の足が、なんとはなしにピタリと突然止まっていた。

 

 その原因は、足音だった。景朗は真横に意識を向けた。廊下の向かい側から、年若い看護婦さんがワゴンを両手にナースステーションへと歩いて来ている。ただそれだけだった。不審な場面はどこにもない。

 

 景朗の注意を引いていたのはその、彼女の足音だった。何かが不自然だった。コツ、コツ、と淀みなく踏み出す看護婦さんの足音。景朗はハッと気づいた。とても良く似ているのだ。それは、彼自身の足音に。凶悪な質量を、無理やり平均サイズの体格に収めている景朗の靴裏の響かせる音は、鋭敏な聴覚を持つ者にはとりわけ物々しく感じられるはずだ。今この瞬間、景朗が看護婦さんの足音に強烈な違和感を覚えているように。

 

 あれがカタギの人間の瞳だって?冗談キツい。看護婦さんと目を合わせた景朗は確信した。まるでロボットみたいな、虚ろな目。この場所が目的地に違いない、と景朗は認識を改めた。

 

「君、突然どうしたの?」

 

 女医さんはわかりきったことを平然と言ってのけた。目の前まで接近した看護婦さんは景朗を一瞥すると、彼を素通りし、女医さんと一言交わしてナースステーションの奥へと進んでいった。

 

「経過は良好です」

 

「……そう、ありがと」

 

 看護婦さんに返事をした女医さんの表情が一瞬、硬直した。それを瞬く間に取り成した彼女は、再び景朗へと語りかけた。

 

「待っていたわよ、"不老不死(フェニックス)"」

 

 女医さんは全くといっていいほど動じずに、そう言い放った。場慣れした空気を当然のように纏う彼女に、景朗は無意識のうちに精一杯の去勢を張っていた。

 

「こんにちは、お姉さん」

 

 強い香水の香り。景朗にはたった少しの情報でも構わなかった。目の前の女性から、何でも良いからと、より多くの情報を得ようとして、彼女の匂いを必死に嗅ぎ取ろうと試みた。そして新たに判明した事実に、彼は一層混乱することになった。視覚から得る情報と、嗅覚が得る情報が矛盾していたのだ。彼女は、彼女の体臭は、まるで年老いた老婆のようであるのに。しかして、その外見は。脈動する肌の質感と、そしてその声色は。まぎれもなく若々しい三十路過ぎの人間のものだった。

 

「あんたは……」

 

 景朗は能力を強く発動させた。不安や恐れ、体の強張りは跡形もなく霧散していく。泰然とその場に立ち、女医を油断なく見つめ続けた。

 

「うふふ。合格よ、"悪魔憑き(キマイラ)"君。会えて嬉しいわ」

 

 景朗の顔付きから何かを察知したのだろうか。女医さんは見るものを恐怖に凍りつかせる、闇に煽れた黒い笑顔を引きずり出した。景朗は思った。今の、能力を使っていなかったら絶対にビビっていた、と。

 

 いつの間にか、先ほどの看護婦さんが景朗の近くに移動していた。診察器具の乗ったワゴンをそばに停め、彼に背を向けて作業を始めている。両者互いに、何かあれば即座に対応できる距離。彼は気を強く引き締めた。

 

「……そうか。それじゃ、手っ取り早く案内してくれ。クライアントのところまでさ。無駄話は嫌いなんだ」

 

 景朗の台詞を聞いた女医はくすりと笑みを漏らすと、俄かに椅子に深く座り直し、ゆっくりと足を組み代えた。早く案内して欲しいのに、と景朗の胸の内に小さな苛立ちが生じていく。

 

「案内なんてしないわ。ここでお話をするのよ。実は、今日は私が彼女の代理人なのでした。ビックリした?」

 

 景朗は初め、女医のその言葉を冗談だと思った。彼に我慢する気はなく、躊躇なく、それらしい部屋を探そうと一歩右足を踏み出した。即座に、看護婦の動きも止まっていた。景朗は咄嗟に踏み出したまま静止した。

 

「あら。この病院には、これ以上踏み込まないことをお薦めするわよ?まるで迷路みたいになっているから。ふふ。心配はご無用。ここは本当に、そういう場所なの。周りのことは気にせずお喋りしていいのよ?」

 

 正気なのか、と景朗は歯噛みした。なぜなら。周囲には沢山の、暗部とは一切合切縁も縁もなさそうな一般人が存在している。すぐ近くで、彼らが何気ない日常生活を送っている。いくぶん距離は離れているが、ベンチでは緑色の患者衣を着た初老の男性が、こちらに気付きもせずに新聞を読んでいる。窓の外からは、下校中の幼稚園生が流行りのアニメのテーマソングを歌っているのが聞こえている。

 

 それでもきっと。ここでは暗部の機密を躊躇いなく口にして良いのだろう。そういう風に作られ、管理され、監視されているのだ。幼い子供たちが大勢暮らす土地のど真ん中だというのに。わざわざこの場所に……。その事実に、景朗はまたひとつ学園都市が嫌いになった。

 

「……ちッ。あんたが代理人だって?まあ、俺はそれでも構わないけどさ。代理人程度に話すに相応しい事だけ話して、とっととお暇させてもらう。俺はてっきり、あんた等はもっと込み入った話をする気だと思ってたんだけどな」

 

 景朗の苛立ち混じりのセリフに、女医は嬉しそうに唇を歪めた。

 

「そう怒らないの。短気は損気と言うでしょ?端から、私たちは貴方に頭ごなしに命令する気じゃなかったのよ。勿論、ギブアンドテイク。"悪魔憑き(キマイラ)"君、私たち、きっと貴方の力になれると思うわ。話を聞いてからでも遅くはないと思うわよ?」

 

 代理人は強かだった。景朗は、自分は幻生の顔に泥を塗らない程度の抵抗はできるのだぞ、と怒りを見せれば相手との交渉を有利に運べると思ったのだが。相手は気にも止めていないようだった。代理人の立場ならば、景朗が怒って目的を済ます前に帰るのはさぞや都合が悪かろうと思っていたのに。実は、景朗にはさらに都合の悪いことに、この薬味久子陣営相手にひとつやってもらいたい、ある頼みごとがあったのだった。

 

「……いいだろう。それなら教えてくれ。俺を呼び出した理由を。単刀直入に聞こう。俺に何をさせたいんだ?」

 

 景朗は再び、無理矢理に取り繕われた、欺瞞に満ちた笑顔を向けられた。さらには、眼前の女医は、カタカタと笑いをこらえるように震えている。

 

「とーっても分かり易いわ。だからといって簡単ではないのだけれど。一言で言えばね、"悪魔憑き(キマイラ)"君。貴方、ちょっくら"超能力者(レベル5)"全員に喧嘩を売ってきてくれない?ああ、大丈夫よ。当然、"第六位"は除外していいからね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先生」

 

「はぁい、どうしたの?恋査ちゃん?」

 

 薬味久子は『設計室』と呼称される、薄暗くも完璧に衛生状態の整えられた部屋の中にいた。そこは、彼女が唯一心を安らげる場所だった。恋査と呼ばれた、若き看護婦の容姿を持つ少女は、無表情を顔面に張り付かせたまま、長らく手にしていた疑問を薬味へと投げかけた。

 

「データが不足していたのは、『メルヘンホストさん』と『大根足さん』です。このままでは実験に誤差が生じます」

 

「いーのよ、恋査ちゃん」

 

 以前から"不老不死(フェニックス)"こと"悪魔憑き(キマイラ)"の坊やには興味があったのよ、と薬味久子は本音を暴露した。本人はその意味をどこまで真剣に捉えているのだろうか。不老不死を手に入れた少年。陰ながら第六位に噂される、あの少年のことだ。最も遅れて出現した"超能力者(レベル5)"、実戦データは大いに不足していた。そのために、恋査の、『想定カタストロフ029』の更なるバージョンアップが必要だった。ついでとばかりに、暗部に身を眩ませる"第二位"と"第四位"の実戦データの底上げも見込んでいたのだが。

 

「その方が面白いじゃない。データは有りすぎて困るということはないでしょう?"第六位"の彼がどこまでやれるのか、単純に興味もでてきたし。でも、いーいなぁ、幻生君。あの子、からかい甲斐があったよねえ」

 

 薬味は手慰みに弄っていた、景朗から預かった輸血パックを無造作に放った。それは"超能力者(レベル5)"全員と、いや正しくは現行の実験に忙しい"第一位"と、直接的な戦闘能力には価値のない"第五位"を省いた、残りの"超能力者"4人との戦いに合意した"悪魔憑き(キマイラ)"が、交換条件にと残していったものだった。

 

 "悪魔憑き"の少年は、最初は薬味の無茶な提案に呆れた顔色を隠しもしなかった。しかし、顔付きとは裏腹に、少年は意外にも根気強く会話を続けようと配慮している風であった。彼の胸の内が表に出された表情と本当に一致しているのならば、颯爽とふっかけられた提案を無下にして場を後にすれば良いはずである。彼の数倍は長く生きている薬味には、手に取るように理解できた。この少年には、裏がある。どうやら彼にも、こちらの頼みをきいた交換条件に、願い出たい要件がいくつかあるに違いない。簡単に裏を見透かされた"悪魔憑き"は健気にも、懐から輸血パックを取り出して言い放った。

 

『"能力体結晶"を投与された人間の治療法を研究して欲しい』と。情報の行き来は至極当然、薬味と"悪魔憑き"の相互間でのみ行うらしい。

 

 薬味は彼の提案に、心狂うほど好奇心を掻き立てられた。必死に自制する必要があった。あれは他人のおもちゃだぞ、手を出してはいけないのだぞ、と。それでも、あの"悪魔憑き"の少年の、その運命を戯れに弄ぶ行為は。心底、薬味の心を擽った。

 

 恋査と呼ばれた少女が、徐にブルリと身体を振動させた。間もなく静止した彼女は、薬味へと再び言葉を告げる。

 

「先生。『みんなの噛ませ犬さん』が、『根性依存症さん』と交戦を開始します。少々驚きです」

 

「ホント?あ、あの子、さっき帰っていったばかりじゃないの。……はっははは!だ、"第七位"なら与し易いと考えたのかしら?……やっぱり、あの子、面白いわねえ!ひ、ひひひひ」

 

 矢庭に、恋査は再度、震えだした。その間虚空を見つめていた彼女は、しかしすぐに焦点を『設計室』へと戻した。

 

「経過観察中ですが、今のところ順調ではありません。『みんなの噛ませ犬さん』、『根性依存症さん』を相手に劣勢です。ぼこぼこですね」

 

 ついに、薬味は耐え切れなくなり、腹部を両手で押さえ込んだ。背筋をくの字に折り曲げ、恋査に負けじと劣らず身体を震わせている。

 

「ね、ねえ、恋査ちゃん。その『みんなの噛ませ犬さん』って、もしかしなくても"第六位"のことよね?」

 

「肯定です」

 

「……い、いひひひひ……ひひひひひひ!ふふ、はっははははは!ぎゃはははは!ろ、ろくに考えもせず喧嘩を売っておいて、負けそうになってるって!?ひひひ、ははははははは!あー駄目っ!恋査ちゃんも、あの子も、最高っ!わ、笑い死ぬっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 景朗は気取られないように、ある少年を追い掛けていた。その少年は威風堂々と、ド派手な旭日旗がプリントされたシャツを着込み、肩に引っ掛けた学ランを棚引かせている。彼の名は、削板軍覇。"第七位"の"超能力者(レベル5)"である。学園都市の"超能力者"の中では、"第三位"の次に情報が出回っている人物でもあった。いや、"情報が出回ってる"という表現を用いるのは適切ではないかもしれない。何せ公に広まっているのは彼の顔と名前と、その奇抜なファッションと、最後にひとつ。彼を第七位の超能力者に位置づけているその能力が、名前すら付けられない正体不明のものだった、という噂だけである。

 

 しかし、削板軍覇は能力名すら付けようのないその有様でなお、学園都市の頂点の一角に君臨するポテンシャルを秘めているということになる。噂になるのも当然かもしれない。景朗はキビキビと進む削板軍覇の後ろ姿を眺めつつ、そう考えた。景朗はただ今現在進行形で、第七位を尾行している。場所は第十五学区の繁華街。薬味陣営との交渉の、その帰りがけに発生した事態だった。

 

 追い縋るターゲットは不必要なほど背筋を正しく伸ばし、胸を張って歩いている。削板のその姿に、景朗はツッコミを入れたくなるのを必死に我慢した。ダラダラと削板を追跡する景朗は、悩み始めていた。このまま何もせず奴の背後を歩いて回るのは、時間の無駄だな、と。

 

 

 

 

 

 

 

 結局、薬味陣営が提案してきた依頼は、景朗自身も交換条件を繰り出すことで両者の合意を得られていた。薬味側が要求してきた内容は、一言でいえば"超能力者(レベル5)"各員の戦闘データ収集であった。各々の"超能力者"にちょっかいをかけ、交戦し、新たな戦闘データを獲得する。それが目的らしい。注釈も付け加えられた。一方的に攻撃を受けるのではなく、相手を殺さない程度、少々の怪我くらいを許容範囲に、"悪魔憑き"も反撃に及ぶべし。そういう指示だった。

 

 別件でお忙しい様子の"第一位"様と運動音痴の"第五位"は相手にしなくていいわよ、ぽっと出の"第六位"さん。そのように女医にからかわれた。誰が第六位か。外野が勝手に第六位だとほざいているだけだ。アレイスターにすら"第六位"だと明確に告げられたことはない。景朗はそう心の中でだけ代理人にツッコミを入れた。

 

 はっきり言えば、景朗が"超能力者(レベル5)"になるその前から『7人の"超能力者"』というフレーズが用いられていた。俺が第六位なわけねえだろ、と景朗は目と鼻の先でペラペラとしゃべり続ける憎たらしい代理人に叩きつけてやりたかった。だが、そのことを告げてむざむざ得体の知れぬ本当の"六人目"を相手にするのは馬鹿らしい。せっかく、相手側が残りの超能力者4人だけで良いと言ってくれているのだから。ただでさえ、彼には薬味側に受諾して貰いたいある願いがあったのだ。交渉を余計にややこしくするわけにはいかなかった。

 

 景朗の願いとは、幻生に任せきりである丹生の後遺症の研究だった。表向きに公開されている情報でも、暗部に出回っている情報でも、少し調べれば薬味久子が医療関係に太いパイプを持っていることは明白だった。そこから、幻生を信用していない景朗は薬味に貸しを作り、幻生と別ルートで丹生の問題解決を図れないかと行き着いたのだ。

 

 薬味久子の代理人と話をつけるとすぐさま、景朗は第十三学区を後にした。忌々しい病院からさっさとオサラバしたい。そう思った景朗は第七学区の自宅を目指そうと電車に乗ったところで、目的地を変更した。第十三学区と第七学区の間には、学園都市で最も大きく発達した繁華街を有する第十五学区が立地する。途中で電車を降りて、繁華街の喫茶店に寄り道していこう、と景朗は考えを改めた。丹生の治療法を用意するためならば後悔は微塵も無かったが、流石に"超能力者"たちに喧嘩をふっかけて回れ、と言われては頭も痛くなる。大好物の珈琲を景気づけに一杯引っ掛けていこうと思った景朗の、その矢先の出来事だった。

 

 

「くああ、最高のかほり……。やっぱ第十五学区のお店はどこも一筋縄じゃいかないお仕事してますなぁ……迷う…………ああでも、こうして迷っている時間すら愛おしいかも……」

 

 景朗が繁華街を練り歩き、店から漏れる上質な珈琲の香りを心地よく吟味していた時だった。通りの真ん中で、鮮やかな輝く太陽がプリントされたシャツを目にした。その派手なデザインは人目を引いており、だからこそ彼の目にもすぐに止まったのだろう。持ち主の顔へと目線を上げた景朗は、慌てて顔の造りを変化させた。電車を降りたのっけからの、"第七位"のご登場だった。

 

 すぐさま、景朗は距離を取って"第七位"の背後に陣取った。彼はひとまず、実際に目にした"第七位"の個人情報を、それこそ外見から体臭に至るまできっちりと入念に押さえた。すぐにその場を離れてしまうのを勿体無く感じた彼は、それからは無策のまま闇雲に"第七位"の尾行を開始した。

 

 

 

 

 

 今日会ったのは運命のお満ち引きだろうか。善は急げというし。今日仕掛けるか、引き伸ばすか。景朗がいい加減に、悩むのにも飽きてきた頃だった。追跡劇は景朗の決断を待つことなく、唐突に終わりを告げた。

 

 少なくとも、景朗には何の予兆も感じられなかった。しかし。ぷらぷらと街中をさまよい歩いていた"第七位"は突如、前触れ無しに視線を明後日の方へ向け、獰猛に表情を歪めた。削板は急に舵を切り、近くの路地裏へと向かっていく。景朗はこっそり近づき、路地裏の様子を盗み聞きした。どうやら削板は、カツアゲの現場に介入する気らしい。恐喝行為は学園都市の日常の一部だ。景朗も今更いちいち気にしなくなっていた。ただし。その後の展開は、少々予想外なものとなった。削板が一言犯人たちに語りかけた直後。

 

 ドパン!!という、躊躇のない、発砲音。

 

 路地の入口周辺のざわめきが、一斉に鎮静した。道行く人々の歩みが止まっている。悪趣味なことに、自分の言葉がどのような効果を生むのかを生々しく想像して、景朗はワクワクしながら叫び声を上げていた。

 

「発砲音だ!誰かが撃った。みんな逃げて!」

 

「発砲音?!」「マジ?」「確かに聞こえた」「あたしも聞いたかも」「銃声だったって!」

 

 景朗の耳は、雑踏の中で生まれた全てのどよめきを捉えていた。

 

ドパン、パアンパアン、ぱん、どぱぁん!

 

 再び、銃声が辺りに響いた。今度は続けざまに五発。最早、誰も疑うものはいなかった。群衆の躊躇はわずかに一瞬。流石はよく訓練された学園都市の住人たち。皆が皆、己が為すべきことをわかっていた。まさしく、蜘蛛の子が散るように。学生たちは皆、周囲の人間がよろめき転倒しないように気を遣いつつ、全速力で安全な場所へと走っていく。あっという間に見物人は居なくなった。

 

 

 

 景朗は1人、路地裏を覗き見た。そこでは、削板が数人のスキルアウト相手に、コメディータッチなやり取りを続けている。相手は顔中に恐怖を貼り付けていたけれど。"第七位"が起き上がる時に、意味不明な爆発が発生した。同時に、原理不明の色とりどりの煙が炊き上がっていた。

 

 彼は路地裏の悲惨さを目撃しておきながら、それでも降って沸いた幸運に顔をほころばせている。景朗も"超能力者"の端くれだったらしい。彼の表情に恐れの色は無かった。それどころか、"第七位"の力を観察し放題だぜ、おまけに今の状況は仕掛けるには絶好のチャンスだな、と歓喜に湧いていたほどだった。彼はついさっき女医と交わしたばかりの会話を思い出した。"超能力者"と交戦中に一体にどうやって戦闘データを取れば良いのかと。噂に聞く"第三位"には、電子機器は軒並みぶっ壊されそうだぞ、と。しかして、返ってきた答えはあまりに簡単なものだった。薬味久子を一体誰だと思っているのだ。監視カメラがある場所で、できるだけ人気のない時に、周辺の設備を壊さずにやれ。それだけ気をつければ良いと。確かにそれなら簡単だった。

 

 

 

 爆発の余波で生じたカラフルな煙が霧散するころには、スキルアウトどもはひとりを残してノックアウトされていた。景朗は再度、周囲の状況を確認した。監視カメラはあちこちに存在している。見物人はごく少数。路地裏は狭いが、ちょっと連れ出せば近くに人気のなくなった広場がある。警備員が来るまであと数分はある。またとないチャンスだった。仕掛けようか。最後の最後で景朗は迷った。しかし最終的に、"第七位"という単語の意味が、景朗を後押しした。

 

(超能力者の順位ってさ、誰かが勝手に噂で言ってる非公式なものなんじゃないか?どっかの物好きな奴や企業がさ、収集したデータとか噂を元に勝手にランク付けしただけっぽいんだよな。

 

現に超能力者になった後で、誰にもそんな話されてないもん。それで俺、巷では"第六位"って扱いになってるじゃん。ぽっと出の俺がだよ?前から居た"第七位"をあっさり抜いて。それって、どっかの誰かさんから見ても、あの"第七位"が俺より弱そうだったからすんなりそうなったんじゃないかな。

 

そうだよ、俺、やれるって。俺ならやれるやれる。だいたい、後には二位と四位と御坂さんが控えてるんだぞ。仮に、仮にだ。もし、無策で突っ込んでもいい奴がいるとすれば、それはほかならぬあの"第七位"以外に存在しないだろ。

 

……大丈夫だ。自分を信じろ。とりあえず、俺がくたばることはそうそうありえないんだ。今見た感じ、アイツに俺を殺せそうな力は無さそうだったじゃないか。っしゃ!やったる!やる!やるぞ!やってやる!)

 

 

 

 全てが終わった後。景朗はその後の戦いで、そもそも"超能力者(レベル5)"相手に無策で突っ込むこと自体が愚かだった、という結論に到達したそうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 景朗は足音を立てぬように細心の注意をはらい、こっそり路地裏へと侵入した。縛られながらも健気に"第七位"へとツッコミを入れていたカツアゲの被害者へと近づいていく。こちらに背を向ける"第七位"はさっきから同じ単語を繰り返している。腰砕けになった格闘家みたいな男が、遺言とばかりに倒れふしたままもごもごと口を開いていた。

 

「すごいパーンチ」

 

"第七位"のアホなネーミングに景朗は力が抜けそうだった。だいぶ距離を縮めたが、近づききる前にとうとう被害者が景朗に気づいた。景朗は唇に人差し指を立て、静かにするようにとジェスチャーを送った。続けて、縄を解くよ、と意味を込めて身振り手振りで無言のまま説明すると、縛られた被害者はぱぁぁ、と嬉しそうに涙目となり何度も頷き返す。

 

 すまん、被害者さん。どうやら被害者さんは、勇気ある一般人が自分の縄を解きに来たのだと勘違いしているらしい。実は違うんだ。すまない。景朗は存在するかしないか程度に沸いた小さな罪悪感を苦もなく踏みにじった。

 

 ありがとう、と何度も小声で呟く被害者さんに近づいた景朗は、逡巡なく相手の顔を引っつかみ、無理やり上にあげて、ふぅぅ、と吐息を吐きかけた。

 

「へ?あ、ま……い……に……お………い…………」

 

 被害者さんは、最後にそう言い残して意識を失った。景朗が催眠ガスを吹きかけ彼を眠らせたその背後でも、決着が着いたようだった。

 

「ビブルチ!?」

 

 外見だけは強そうなスキルアウトのアンちゃんが吹き飛ばされている。

 

「そこのオマエ。オマエがラストか?そこで一体何をしてるんだ?身動きの取れないヤツ相手にこそこそするとは。根性が腐っているぞ」

 

「……あんた、根性根性言い過ぎだろ」

 

 このひと時の合間に、何度『根性』という単語を耳にしただろう。"第七位"の口癖らしき『根性』という言葉を使って、景朗はちょっとばかし、彼をからかいたくなっていた。景朗は運がなかった。ツイていなかったのだ。

 

 どうやら、"第七位"にとって『根性』というワードは相当に重要な価値を持っていたらしい。景朗はきっと、そのことを一生忘れないだろう。

 

「よくあることさ。そうやって軽々しくぽんぽんと口に出す奴に限って、その言葉と実態がかけ離れていたりするのさ。あんたの方には、『根性無し』だって可能性はないのかな?」

 

 景朗は気軽にそれを口にしていた。気が付けば。路地を飛び抜け、通りを挟んだ反対側の壁面に体が半分近く埋まっていた。ほんのわずかに遅れて、それまでの人生の中でも最大級に激しい衝撃を知覚した。ああ、躰を強化してて良かった、と思い浮かんだ。油断してた。あの瞬間に、どれだけ吹っ飛ばされたんだ?

 

「オマエの言うことにも一理ある。ならば見せてくれ。オマエの言う根性とやらを」

 

 憤怒に染まった"第七位"が、目の前に立っていた。景朗は能力を使い、恐怖と怒りを寸刻で押さえ込んだ。こちらこそ、"レベル5"を見せてくれ、と頬を歪めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暖かな提灯の光に彩られた居酒屋からは、アルコールに酔う学生たちの和気藹々と騒ぐ声が店の外まで漏れていた。黄金の炭酸水が放つ、爽やかなハーブと酵母の香りを楽しみながら、景朗は煤けて汚れた店内を感慨深く眺めていた。第七学区の地下街。様々な店が軒を連ねるその中で、その店だけが、まるで時の流れから取り残された遺跡のようだった。学園都市の中身が世界の全てであるかのように振舞う一部の学生たちには、きっとこの店は何かのイベントルームにしか思えないに違いない。

 

 "置き去り"である景朗には、生憎と学園都市の外の街を拝見した経験はなかった。それでも、知識だけは持っていた。この街の大人たちを猛烈にセンチメンタルな気分にさせてしまうこの種の店が、街の外ではむしろスタンダードな部類になるらしいと。むしろ街を出た経験がないからこそ、彼には外の世界に、ある種の憧れがあったのかもしれない。小学生の頃は街を出て、外の大学へ行ってみたいと思っていたっけ、と景朗は感傷に浸りかけていた。それを振り切るように、手にしていたジョッキを思い切り呷る。なんだこれ、旨え。ワ○ンと全然違う。

 

 店の戸ががらがらと開き、冷たい外気と、よく知っている胡散臭い匂いが景朗のすぐそばまで這いよった。軽く息を切らした土御門が慌ただしく、景朗の待つテーブルへと一直線にやってくる。片手には、あられもない半裸の少女がプリントされた紙袋が下げられていた。

 

「ほら、持ってきたぜい。こいつが約束の"ブツ"だにゃー。ふぃー、オイラだって早いとこ一杯行きたいんだぜいー」

 

 ようやく到着した待望の美少女ゲーム類と、土御門のふざけきった口調が景朗の意識を一気に現実へと呼び覚ました。景朗は肝を冷やす。このペテン師に危うく騙されるところだった。危ない危ない。この店は何か言葉に言い表せない妙な雰囲気を持っている。その空気は景朗の危機感を根こそぎ奪う寸前だった。そうなれば、物事全てをアルコールでうやむやにしてしまいそうなテンションへと様変わりしていただろう。

 

 土御門の奴、変な店には連れてかねえって言っといて、大ボラ吹きやがって。景朗は的外れな感想を抱く。彼には土御門の善意100%のチョイスが伝わらなかったようだ。

 

「確認したか?ちゃんと持ってきてやってるだろうがよい。それじゃ、今日は約束通りオマエのおごりだからにゃー?」

 

 景朗の奢り。それだけは当初から変わらぬ約束だったため、景朗は苦々しくも頷き返した。彼の背後のテーブルから、乾杯!というスキルアウトらしき学生たちの合唱が轟いた。胸元が素晴らしい具合に開かれ、扇情的な格好をした不良女子生徒が、周囲の酔った男子学生の視線を独り占めにしている。景朗も何度かチラ見せずにはいられなかった。彼らが楽しそうだった。いろんな意味で。

 

 黄金の炭酸水を呷っていると幸せな気分になり、小さいことがどうでもよくなってくる。それでも景朗はふるふると頭を振って、この店へとやってきた目的を必死に思い返した。

 

「本当にこの店で話して大丈夫なんだろうな?」

 

「心配する必要あるわけねーだろ。ちょっとは周りを見るんだぜい?」

 

 『さっきから何度も見てるよ、お前が萌黄タンのにゃんにゃんシーンが封印された円盤を忘れたなんて抜かしやがるから20分近く待つ羽目になったんだろうが』と景朗は即座に言い返した。

 

 景朗への文句をスルーし、土御門は明らかな未成年がアルコールを注文しているのに全く気にもとめない不気味な店員さんへと注文を呼びかけた。30近くズラリと並ぶ地ビ○ルのメニューの左から7番目を頼んでようやく。徐に、お絞り片手に『どうせあの女の子ばっかみてたんだろうが!酔ってガードが甘くなってるあの子のことだぜい……。この中途半端野郎!ロリに操を捧げたんじゃないのかにゃー!?』と彼は怒りを顕にした。

 

「3次元のロリはマジ勘弁……っておい!話がずれてんぞ!逸らすな逸らすな、話を逸らすなよこのペテン師!」

 

 土御門は景朗の話など聞いていなかった。注文後30秒でとどいた黄金の泡に夢中だったからだ。景朗は根気強く話の筋を戻そうとしたが、土御門の喉が勢いよくゴクゴクゴクリと動くのを見て、今一度彼も黄金水に口をつけた。

 

「で?なんだったかにゃー?ああ、そうか。雨月、客を見るんだぜい。スキルアウトばっかだにゃー。それも連中の中ではお行儀の良さそうな、ホントにスキルアウトなのか疑っちまうような奴等ばかりだろー?こういう店はな、頼めばでてくるんだぜーい?この、命の水、がにゃー」

 

 ぷはーっ、と土御門は幸せそうに息をついた。

 

「それがどうしたってんだ?」

 

 景朗の言葉に、土御門はやれやれ、と今度はため息をついた。

 

「だからオマエはモテないんだにゃー。いつもはお堅い女の子だってにゃー、酔わせれば普段と違った、もっと大胆な反応とかがかえってくるもんだぜい?」

 

 3次元でもバリバリでロリコン専門の土御門のその言葉に、景朗は心の底から恐怖した。コイツ、幼女に飲ませてんじゃねぇだろうな、と。やっぱり早いとこ殺しといたほうが……。だが、遅れて景朗の脳裏に、最近そっけない火澄、手纏、丹生、彼女ら三名の姿が浮かび上がった。酔わせれば……いつもとちがう……大胆な……マジすか?土御門さん……。

 

 景朗はハッとした。野郎、また話を逸らそうとしてやがる。

 

「……おい、お前、さっきからまともに受け答えする気ねえよな。もしかしてさ、心配する必要ないとか言っておきながら、確証は無いんじゃないか?暗部の機密話したって誰も聞いてないだろうってなんとなく高を括ってるだけじゃ……」

 

 またしても、土御門は話を聞いていなかった。テーブルの上に並べられた焼き鳥に手を伸ばしてもぐもぐと口を動かしている。景朗は発言を諦めた。ジロリとただひたすらに、土御門を見つめ続けた。

 

「む、むぐ。し、仕方ないんだぜい。雨月が奢るって言うもんだから、ここのすき焼きがどうしても食いたくなったんだにゃー……。ま、まあでも問題ないんだぜい。レベル5の話をしたいんだろ?それならこの場で離せないようなことはオイラも知らないぜよ。どうせあれだろ?昨日"第七位"にボコられて悔しいから情報を――」

 

 ピクピクとまぶたを痙攣させる景朗を見て、土御門は話を打ち切った。そうなのだ。土御門が言いかけた通りだった。景朗は今日、土御門に何でも奢ってやるから、と誘いをかけ、知りうる限りの"超能力者"どもの情報を引き出そうと考えていたのだ。

 

 こっちだって本気を出していなかったし、そもそも俺は人間形態のみで奴の相手をしたんだぞ。それに殺しちゃいけなかったから攻撃に手加減を加えなきゃならなかったんだ。そう、その手加減が食わせ物だったのさ。何せ、奴の能力がわからない以上、相手がどんな攻撃なら防御できるのかまったく想像が付かなかったのだ。手を出すに出せなかった。悔しかったさ。まあ、言い訳ばっかりは格好悪いからな。うん。相手は、"第七位"は、確かに強かった。ぶっちゃけ、形としては、一方的にボコられた、ように見えたかもしれない。

 

 俺は大人だからね。ここは一歩引いて、あえて。それでもあえて、昨日は"第七位"に辛酸を舐めさせられたと表現しておこう。それでだ。件の"第七位"でさえ、言葉の通りに最下位の"第七位(ナンバーセブン)"だった。況やそれを超える第四位、第三位、そして隔絶した強さを持つと噂される第二位以降の"超能力者"の強さに景朗は当然のごとく危機感を持った。

 

 昨日の今日で情報収集に躍起になる彼の、正直な胸の内を明かせば。っていうか"超能力者"の中で最弱だったりしたら悔しくて夜も眠れないし、あと萌黄タンとコナミちゃんのゲームの続きをはやくヤりたい、ということになるのだろうか。

 

 そのため、その日は割と、いや結構本気で真面目な話を土御門に持ちかける気でいたのだ。……だが、しかし。いよいよ到着したメインディッシュのすき焼きの匂いに、その決意ががくがくと揺さぶられる景朗だった。

 

 

 

 

 

 

 景朗と土御門はほろ酔い気分で第七学区の夜道を歩いていた。土御門は財布が空になった景朗を笑い、景朗もその時の話に釣られて笑っていた。徘徊する酔っ払いと化した彼らの肩に、背後から唐突に、誰かが手を置いてしかと握り締めた。

 

「君たち。どうみても未成年だけど、お酒臭いよ?ちょっと検査を受けてもらえるかな?」

 

 警備員(アンチスキル)の言葉に、景朗は神速の速さで、自身の顔を成人男性のものに造り変えた。

 

「あ、いや、私は成人してますけど」

 

 してやったり、と土御門にニヤリと微笑んだ。しかし、景朗の予想に反して、土御門も満面の笑みで微笑み返したのだ。そして土御門は強く息を吸い込んだ。

 

「か、勘弁してくださいにゃー!先輩が怖くて無理やり飲まされたんだにゃー!」

 

 警備員(アンチスキル)の顔が即座に曇った。景朗は抜け駆けしようとしたことを一瞬で後悔した。

 

「あ、ちょ、おまっ!」

 

「それは――!いや、しかし、金髪の彼からアルコールの匂いがする以上、言い訳はできないぞ!君、見たところ大学生だね。駄目じゃないか!未成年にアルコールを勧めては。しかも彼の言葉だと、無理矢理に勧めたらしいね――あっ、キミ!」

 

 土御門は景朗を置いてけぼりにして走り出した。景朗も逃げ出したかったが、肩に置かれた警備員の手には逃がすものかとしっかり力がこもっている。

 

「もう遅いんだ!まっすぐ家に帰りなさい!」

 

 警備員はそれだけを土御門の背中へ叫んだ。その後は。すぐさま景朗に向き直り、地獄の説教が再開されたのだ。後日。『よう!未成年者飲酒禁止法で捕まった"超能力者(レベル5)"!』となじられる羽目になった。

 

 

 



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episode18:原子崩し(メルトダウナー)

2014/02/09更新完了です。

episode19は早く書けると思います。五日ほどかかるかも。


 鏡に映る、細目の青髪ピアスの高校生男子。それが今の雨月景朗の姿だった。銀鏡に映る青年は、自信の無い顔付きでうんうんと唸っている。

 

「あー。あーっっ。なんでやねん!ちゃうねん!ちゃうちゃうちゃうんちゃ…ん?ちゃうちゃうちゃうん?うんちゃ?うーん……大丈夫かなぁ……んんっ、だぁー、大丈夫やねんなぁこれで……。あれ?へんかな?へんやろか?これかな」

 

 青髪の青年は鏡に向かって、声色とイントネーションを確かめるように発声した。部屋中に世界三大テノールもびっくりの野太い重低音が広がっていく。声を低くし過ぎただろうか。景朗は今度は声質に調整を加えようかと思いついた。だが、それに手を付ける前に。突如玄関から来客を知らせるチャイムが鳴り響き、対応に追われることになった。

 

 景朗は疑問に思った。こんな朝早くから誰だろう。土御門の奴、ターゲットとのファーストコンタクトが命だとか言って、すっげぇ張り切ってたからな。時間には随分余裕を持たせて起床していた。チャイムが鳴る前に、確かに外からは階段を上がる数人のか細い足音が届いていた。まさか自分の客だとは思っていなかった。それ故、おざなりに聞き流してしまっていた。

 

 

 

「はいはい。今出ます」

 

 カチャリ、と玄関のドアを開けた。完全に開ききる前の、その刹那の出来事だった。

 

「ぴゃぁッ!」

 

 可愛い叫び声とともに、開いたドアから覗いていた瞳が素早くぴょこんと引っ込められた。景朗にはその声に聞き覚えがあった。手纏深咲だ。しかし、どうして朝から。ドアを広げた景朗の目に、驚きにたじろぐ仄暗火澄の姿が映る。互いに視線を交差し、しばしの間、沈黙が走った。火澄まで。2人して何用か…………

 

 景朗が口を開く前に、火澄は一瞬で気を取り留めて声を振り絞った。

 

「あの、どなたですか?」

 

 あ。しまった。景朗は焦った。青髪クンのままだった。今のままでは声も野太いダミ声のままだ。とりあえず、景朗は勢いよく開いたドアを閉めた。

 

「あ!あの!景朗のご友人で―――」

 

 ドアを一枚挟み、外からは疑問符だらけの火澄の呼び声。

 

「あ、あ、あ。ごほっ。ゴホゴホ。う、雨月クーン!お客さんがきとるでー!」

 

 早速この関西弁を使う羽目になるとは。いやでも、あのアホ(土御門)の言う通り結構有用かもしれない。口調と声色を変えれば、声だけでもうほとんど別人だ。外にいる火澄と手纏ちゃんに聞こえるように、わざとらしく雨月景朗の友人の存在を匂わて。その後すぐさま景朗は変装を解き、ピアスをはずした。息を整え、滲んだ焦りを吹き飛ばした。

 

 

「お。どうしたの?火澄。こんな朝早くから」

 

 玄関のドアを再び開き、たった今その場に顔をだした風に振舞う。しかし、景朗を見つめる火澄の表情には未だに疑問が色濃く残っていた。

 

「あ、悪い。さっきの奴はトモダチの」

 

 火澄は景朗が皆まで言う前に遮り、どこか心配そうに彼に尋ねた。

 

「景朗。どうして裸なの……?さっきの、青い髪の人も……裸だったけど……というか……なんで同じ下着……着てるのっていうか……」

 

 ああああああ。そ、そっちか!手纏ちゃんが恥ずかしそうに逃げ出したのは見知らぬ男の裸体を―――!や、やばいやばい。どうして同じ下着着てるかだって!?同一人物だから仕方ないんだよ!火澄の虚ろな視線に、景朗は激しく動揺した。

 

「あ、ああ、そ、それは、単に、偶然被っただけさ!いやね、さっきの奴、蒼上っていうんだけどさ、高校デビューすんだけどやりすぎてないか心配だから見てくれって突然押しかけてきて!それでちょっと着替えることになりまして。そこでパンツの柄かぶってたのに気づいてさ。さっきまで俺たちもそのことで笑ってたところなんです!」

 

「……へ。あ、そうだったんだ。ごめんね、今忙しかった?」

 

 なんとか火澄の表情に色が戻った。壁から赤くなった顔の手纏ちゃんの両目がじわじわと覗いてきたが、景朗の姿を確認すると再びぴょこりと引っ込んだ。

 

「ああ。大丈夫大丈夫。アイツなら、ベランダから放り投げたから」

 

「へえッ!?ちょっとここ3階でしょ!?」

 

 火澄は景朗との付き合いも長い。景朗の顔付きからは、彼が本当のことを言っているようにしか見えなかった。彼女はしかと驚いた。

 

「大丈夫大丈夫。アイツ頑丈だから。そういう能力だから大丈夫。そんなことどうでもいいって。それより、2人ともアイツには近づいちゃ駄目だよ!ロリコンとシスコンと挙句の果てにメイドフェチまで併発させた人間のクズなんだ、アイツ。とても2人に合わせられる奴じゃなくってさ、アハハハハ」

 

「そ、そうなんだ……」

 

 表面上は取り繕えていたが。彼女とは長い付き合いの景朗にはわかった。景朗の言い訳に、火澄は青髪クンへの軽蔑を隠しきれずにいる。その時、景朗は誓った。火澄たちの前で、土御門の"資料"に関する物事はなんであろうと全て、封印するべきだと。不自然にニコニコと笑顔満開で対応する景朗の勢いに、火澄はそれ以上の追求を抑制された。

 

「と、ところで。今日は2人は一体何の――へぶッ!」

 

「とりあえず服!服を着てきてッ!」

 

 火澄がドアを押さえつけた。打ち付けられた顎の痛みもなんのその。大急ぎで長点上機学園の制服の包みを剥がし、手当たり次第に着替えた。当然潜入先のものではなく、長点上機のものだ。制服は封を切ってすらいなかったため、思った以上に時間がかかった。取り出した長点上機の制服を見て、景朗は驚いた。色合いとデザインが火澄の来ていた服と酷似していたからだ。もしかして――

 

 

 

「ごめん!お待たせ!なあなあ2人とももしかしてさぁ!」

 

 扉の向こうでは、2人して嬉しそうに微笑んでいた。彼女たちの制服は、景朗が着込んだ制服を女子生徒向けに適用させたデザインに見えた。何より。彼の制服に付いている校章と同じものを、彼女たちからも発見できた。

 

 仄暗火澄と手纏深咲は長点上機学園に入学していたのだ。彼女たちは景朗を騙していた。恐らく、今日の来訪はサプライズに違いない。

 

「やっぱり!それじゃ、2人とも――!」

 

 火澄は罰が悪そうに、両手を合わせてごめんね、と頭を下げていた。手纏ちゃんははらはらとした顔つきで、すみませんでしたぁー、と連呼している。景朗が怒りを顕にすれば、間違いなく泣き出してしまうだろう。そもそも怒るという考えは景朗には微塵もなかったけれど。

 

「はぅぅぅぅ。今まですみませんっ!景朗さん。許してくださいぃぃっ!今までの態度にはわけがあったんですぅぅーーっ!」

 

「いやいや、怒ってないよ手纏ちゃん。俺の方こそ完全に嫌われちったのかと思っててさ……むしろこっちが……すごい……泣きそうです……」

 

 手纏ちゃんの目尻に泪がうっすらと浮かんだ。景朗の言葉に、安心したようで徐々に落ち着いていった。火澄の方へ顔を向ければ、矢庭に彼女はたじろいだ。

 

「わ、悪かったと思ってます!この埋め合わせはちゃんとするから、今日のところは許してよ。……アンタだって今まで酷いことしてきたじゃない。まぁそれでも、今回はやっぱり残酷なことしちゃったかな、って反省してる方が大きいけど。アンタが予想以上に落ち込んでたから、こっちもそれなりに心配だったの!ホントよ!」

 

 火澄は罪悪感からか、景朗と正面から目を合わせきれずにいる。だが、彼女たちの不安をよそに彼は大喜びだった。

 

「だから怒ってないって!それよりさ!2人とも長点上機って本当だよな!これ!ドッキリじゃないよね!?どうして今まで黙ってたんだよ!焦らし過ぎだって正直完全に嫌われたのかと思ってたよぉ……でももういいやそんなことうっひゃーーーッ!」

 

 景朗の喜びようからは、予想していた怒りは欠片も感じられなかった。ひとまず安堵した彼女たちは、ただちにころりと顔色を変化させた。まるで未だに、何かを企てている様子である。火澄は喜色満面、景朗の注意を引き寄せた。

 

「嫌いになんてなってないから安心しなさい!それと、まだサプライズは終わってないからね!今、深咲が訳があったのって言ったでしょ?」

 

 火澄は喋りつつも、片手を伸ばし、何かを引き寄せた。思わず、景朗はぽかんと口を開けてしまった。玄関の見えない位置に、もうひとりいたのだ。

 

 

「……景朗。アタシも、長点上機受かったよ。……その、ごめんね、色々と内緒にしちゃって」

 

「に、丹生!マジで!?」

 

 頬を染めたまま、チラチラと景朗の顔を見つめては逸らす。長点上機学園の制服に身を包んだ丹生多気美が、そこに立っていた。

 

「ふッ、ふたりのことは怒らないであげて!アタシのタメにやってくれてたんだ!長点上機落ちてたら恥ずかしかったから……受かるまで景朗には内緒にしてって頼んでたの。勉強もふたりが付きっきりで教えてくれてたんだよ!」

 

 丹生は羞恥心ではち切れそうだった。忙しなく、胸の前で這わせた両指をもぞもぞと動かしている。丹生の説明に疑問が沸く。……合格発表はだいぶ前だったのでは、と?

 

「でも……合格発表って三月だったんだろ?その間……俺は……」

 

 そう。その間。3人に嫌われ、距離を置かれ始めたのだと勘違いした景朗は。やがては何時かは、彼女たちの安全のために縁を切らねばならなかったのさ、と涙した景朗は。最早、後には引けぬほど、道を踏み外してしまっていた。ロリコンという、奈落の底へ。今では。児ポ法違反グッズがたんまりと、彼の部屋の押入れに収納されている。悪夢から覚めようとも。それでも、景朗の胸の内には、あの出会いとトキメキが決して色褪せることなく残っていた。萌黄タンとコナミちゃんとの邂逅は、永遠のものだった。景朗はそう思った。そして、そんな自分に対して。失ったものは、もう永久に戻らないのだと思い知っていた。

 

 

 景朗の胸中を知りえぬ丹生は、あわあわと慌て、ぎゅうっと目をつぶった。勢いこそ強いものの、うまく口を動かせず、もどかしそうに声を上げる。

 

「ごめん景朗!そうなんだ!いざ、受かっちゃったら。絶対受かるとは思ってなかったんだけど、今でも自分でも信じられないくらいなんだけど。アタシ、ホントに受かってたんだよ!それで、いよいよ実際に合格しました、ってなったらね。……その……落ち着いてきたら……欲が出ちゃって……」

 

 ち、ちがいますっ!と手纏ちゃんがぶんぶんと両手を景朗の前で交差して、必死に何かを訴えようとしていた。火澄は真剣な面立ちで、丹生を庇う様に景朗へと口を挟む。

 

「そっから先はアタシの悪巧みなの、景朗。どうせなら、3人でいっぺんに、入学式の日に景朗を脅かしたかったの。アタシたちの頼みだったから、丹生さんも断りたくても断れなかったのよ!」

 

 丹生は、いいやアタシのせいなんだ!と言いたそうな、さりとて、友達に庇われて嬉しそうな。そのどちらもが混ざったなんとも言えない表情を見せていた。景朗は自ら宣言した通り、怒りなど微塵も感じていなかった。彼に湧き上がったのは、怒りではなく、驚愕だった。

 

「はぁ!?え?今日、入学式?!長点上機のッ?!」

 

 

 

「「「……?」」」

 

 3人の女子高生は、どうしてそこで驚くのか、と硬直した。

 

「あ、ああ。いや。いやあ、3人が来てくれて助かったよ。明日だと勘違いしてたんだ。良かったよかった。それじゃ、これから皆で行くってこと?」

 

 火澄は息をつき、体を弛緩させた。景朗の反応は、どうやら想定の範囲内だったようだ。

 

「当然でしょ?覚悟はしてきたから、待っててあげる。できるだけ早く準備して来てよ?」

 

「おっけぇ……。わかった……」

 

 ドアがパタンと音を立てた。歯切れの悪い景朗の返事に、3人は眉をひそめ悲しげに、やはり内心怒っていたのかな、と口を閉ざしてしまった。

 

 

 

 

 

 

 雨月景朗は、喜びと怒りで気が狂わんばかりだった。彼は心の内で土御門へ、ザマアミロ!と叫んでいた。巨乳の幼馴染も深窓の令嬢もオレっ娘も俺のすぐそばにいるぞ!何が『オマエの妄想だ』だよ!ざまぁー!地団駄を踏んで悔しがるが良い。そう思った直後。それはないか、と考え直した。景朗は知っていた。土御門の性癖を。真性のロリペドメイドフェチだった。あの3人には食指が動かない可能性がある。あの3人を前にして!まったく野郎とは思えないイカれた奴だ。景朗は外で待つ3人を想う。そして、切なくなった。

 

 あああ。夢に見た皆との登校イベントが、今にも始まろうとしているのに。彼はそのイベントを諦めなければならない。今日は潜入先の高校の入学式でもあるのだ。同じ日にかぶっていた。これが運命か、と景朗は嘆いた。3人が待っているのに。あんなに表情をころころと変えて、俺に会いに来てくれているのに。景朗は耐え切れなくなり、ベランダへと走り出た。青空へと叫ぶ。

 

「ぅぅぅぅぅぅぅアレイスタァァァァァァァーーーーーーーーーッ!!!!!イツカゼッテェブッ殺スゥゥゥゥゥゥゥゥゥーーーーーー!!!!!」

 

 

 彼もそれなりに暗部に身を置いている。最低限に理解すべきことは理解しているつもりだった。物事には残念なことに、優先順位というものがあるのだ。景朗は後悔を振り絞ると、一息に覚悟を決めた。悲しげに玄関へと向かい、3人へと告げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめん、あと5分だけ待ってくれ!」

 

 景朗は土御門へと連絡を入れる。今日は極めて重要な日である。数秒と待たずに土御門が通話に応対した。

 

『どうしたッ?何か問題かッ?』

 

 緊迫した空気が、電話口から漏れ出ている。景朗はそのように錯覚した。ごくり、と唾を飲み込む。

 

「土御門、悪い。諸用があって小一時間ほど目的地には行けなくなった。出来うる限り力を尽くし、可能な限り早くそちらへ向かう。後はよろしく頼む」

 

『は?……おい?どういうことだ。気でも触れたか?!雨月!?』

 

 

「ぐああっっ!敵の襲撃がここまで来とるっ!ごめんな!キミならひとりでやれるで!ボクは信じとる!世話をかけるでっっ!土御門っっ!」

 

 景朗は棒読みのままその台詞を発言し、容赦なく携帯の電源を切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サングラスと金髪が、同じ制服を身に纏った生徒たちの接近を跳ね除けている。目的の高校まで徒歩で移動する土御門は、ぎしりと歯を擦り合わせた。誰がどう見ても、彼は憤怒に身を委ねていた。高校への道のりも半ば。まだもう少し時間がかかる。

 

 歩きつつ、土御門は能力を使用していた。無能力(レベル0)判定ではあるが、使わぬよりマシだった。手当をする必要があった。つい今しがたの、景朗の土壇場での裏切りに、脳の毛細血管数十本をブチ切らせてしまっていたからだ。

 

 ようやく、土御門は探しものを発見した。ツンツンと跳ねた黒髪。彼の視界に、目標の後ろ姿が飛び込んできた。即座に憤怒に染まった思考を切り替る。彼はプロだ。今日一番の大仕事に、さっそく取り掛かっていく。目標と同じクラスになるのはわかっている。よくある遭遇イベント。登校途中で、軽く相手の印象に残っておく。それが目前に迫った、彼の目的だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 景朗は至福の時を過ごしていた。第十八学区、長点上機学園までの道のり。可愛い女子高生3人と一緒に登校。これなんてエロ……。景朗はそこまでポツリとつぶやき、幸せすぎて最後まで言う必要が無いと思い至った。

 

「学舎の園に住んでないって、それならどこに住んでんの?」

 

 景朗の質問に、手纏ちゃんと火澄はアイコンタクトをひとつ、後にやんわりと微笑んだ。

 

「第七学区のマンションに住んでいるんですよ。火澄ちゃんと一緒に!ルームシェアリングというものをやっているんです」

 

 手纏ちゃんは頬を上気させ、自らの冒険譚を誇らしげに語るように、景朗へと一歩近づいた。彼女の様子だと、彼に秘密にしている間、その話を打ち明けたくて堪らなかったらしい。

 

「へぁぁ……。よく考えたね。確かに火澄と一緒なら色々と安全だし、親御さんの心配もだいぶ減るだろうなぁ。でも、それでも、よく手纏ちゃんのお父さんが許可を出してくれたね?」

 

 景朗から飛び出した質問に、今度は火澄が2人の間に割って入った。火澄も話したくてウズウズしていたのだろうか。機嫌良さげな彼女の態度から、彼はなんとはなしにそう思いついた。

 

「とてつもなく難航したのよ。最初は取り付く島もなかったし。それで深咲に頼んで、私が深咲のお父様に説得することにしたの。電話越しに何度も何度も議論して、最終的には深咲のお父様が直接学園都市に乗り込んでくる、って言うから、私たち2人で出迎えたのよ」

 

「……なんですと?」

 

 景朗の口から驚きが零れた。それもそのはず。手纏深咲の父親は、確か世界の五指に入る海運企業、手纏商船のCEOだと聞いていた。ものすごい度胸だと、景朗は火澄を眩しそうに見つめている。

 

「火澄ちゃん、私のために切実に、お父様を説得してくださったんです。火澄ちゃんとお父様、お顔を初めて合わせたその場から口論を初めてしまいドキドキしていました。ですが、不思議なことに。お父様のご様子が段々と楽しげなものに変わっていって……。とうとう最後に、拍子抜けなほどにあっさりと私に条件付きで許可をくれたんです」

 

 ふわり、と火澄が景朗へと身を寄せた。学園都市製の電車は対衝撃、振動性能に優れており、大きな揺れを生じさせることはない。電車はカーブに差し掛かっていた。火澄がバランスを崩したのは慣性によるものだったのだろう。彼女から漂う匂いと、ぷにっとした胸部の感触に、景朗は久しぶりにドキドキ胸が高鳴った。すぐそばの火澄は気づかず、わずかに胸を張り、喜びを現わに話を繋げていく。

 

「その条件が、私と深咲の同居だったってわけ。今はルームシェアって形にしてやっているけどね。結局、深咲のお父様の説得は上手くいかなかったんだけど。……それが、何だか知らないうちに深咲のお父様に気に入られちゃってて。一番最後に、私になら深咲を任せてもいいって笑って言ったの。何だかんだで、深咲のお父様だもの。面白い人だったなぁ」

 

 火澄は嬉しそうだった。どこか誇らしげでもあった。あらら、なんでしょう?このもやもやとした感情。景朗はその感情が嫉妬だと理解していたが、悔しいのでわからないフリをした。

 

「お父様、あれから火澄ちゃんの話ばかりするんです。火澄ちゃん、だいぶ気に入られているようですよ?この間も、うちの若いのとお見合いがどうの、とおっしゃってました――」

 

 あーあ聞いてらんねー。落ち込みそうだった。景朗は会話に入れずほんの少しだけ寂しそうだった正面の丹生へとウインクを送った。彼女は喜々として反応を返してくれた。俺には丹生がいる!

 

「アタシ、こないだ2人の部屋に遊びに行ったよ!まだ行ってないの、景朗だけだねっ!」

 

「あ。そうなんだ……」

 

 景朗から元気がなくなっていく。丹生はちょっぴり焦った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 景朗たちはそれから会話を楽しみ、長点上機学園の入学式に無事出席した。それからは、景朗ひとりが特別開発クラスへと割り振られていたため、3人とは別行動となった。景朗は廊下で3人へ手を振って別れると。血相を変えて逆走し、猛スピードで長点上機学園から飛び出した。物陰で巨大な怪鳥へと躰を変化させ、カメレオンの様に周囲の保護色を纏い、大空へと飛翔する。既に目標の高校の到着予定時刻から一時間が経過していた。

 

 

 

 目的の高校についた。景朗を出迎えたのはゴリラだった。いや、よく見るとゴリラにものすごくよく似たゴリラ顔の人間だった。どちらかというと人間っぽいゴリラ、人間風のゴリラに見えた。何もかもが人間サイドではなくゴリラの側に針が振り切られていた。彼は自らをサイゴだとか名乗っていた。そして景朗に対しても、オマエがサイゴだと言ったのだ。それがゴリラの国の挨拶なのだろうかと勘違いした景朗は、思い切って「遅刻したんや。サイゴ」と言ってみた。関西弁の敬語がイマイチわからなかったのだ。ゴリラは景朗を職員室に連れて行くと返した。入学式はとっくに終わっているそうだ。それが、その後長い付き合いとなる災誤先生との出会いだった。どうでもよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 土御門は平静を装っていたが、額からは汗をしっとりと滲ませていた。教卓の上では彼好みのロリっ娘が一生懸命教師の真似事をやっていて、男子生徒のほとんどがその萌えにやられて焼け死んでいた。土御門もあえてその業火に身を焦がせたい思いだったが、そうもいかなかった。標的、上条当麻の姿が、教室にないのだ。そもそも、入学式で彼の姿を見ていない。

 

 土御門が登校途中に上条と別れたのは、高校までほんの、残り4,5分の距離であった。彼と二言三言だけ交わしてあっさりと別れたことを、土御門はこの期に及んでようやく後悔し始めていた。たったあれだけの距離の間で、一体どのようなトラブルに巻き込まれるというのだろう?土御門にはまるで想像出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 職員室で、景朗は運命の出会いを果たした。おっぱいが最高、ではなくて、語尾にやたら『じゃんじゃん』と付けたがる"じゃんじゃん警備員"と運命の再会を果たした。黄泉川という物騒な名前の先生らしかった。ジャージをこんもりと盛り上げるおっぱい最高に、景朗は潜入任務も悪くないな、と気分を改めていた。

 

 同類を見つけた。景朗はそう思った。隣に立たされている少年も同じく、神々しくじゃんじゃん警備員のおっぱい最高をチラ見している。彼は、入学式つまりは制服に初めて袖を通す日だというのに、何故か既に制服を泥まみれにして哀愁を漂わせていた。

 

「ったく、今年はさっそく活きのいいのがそろってるじゃん?校門で痴漢騒動起こすわ、髪の毛真っ青の高校デビュー君が遅れてやってくるわ、あと入学式にも金髪サングラスがいたじゃんよ。オマケに、示し合わせたかのように全員小萌センセのクラスときた。こりゃあ、今年も小萌センセーは大変じゃん?」

 

 景朗は暇だったので、じゃんじゃんという発声とともにぷるぷると震える爆乳をガン見していた。彼は青髪クンになりきっていた。彼のイメージした青髪クンは、自身の欲求に素直な人物だったからだ。おっぱい最高先生のおっぱい最高を見て、即座に決めた設定だったけれど。そんな彼を見て、真横に立つウニ頭の少年は深い深い溜息をついた。

 

「……不幸だ。入学そうそう痴漢扱いされて、職員室に召喚されて。挙句の果てには高校デビューを勘違いした青髪ピアスクンと同類扱いされるなんて。ふこーだぁーーーっ!」

 

 じゃんじゃん警備員が居なくなって、景朗はようやく、隣に立ち尽くす少年が件のターゲット、上条当麻だと気づいていた。驚きの声を上げそうになったが、無事に耐え切った。

 

「キミ、入学初日に痴漢か。やっぱり、ボクの思ってた通りのヒトやったみたいやね。あのおっぱいのおっきいセンセーの話によると、ボクら同じクラスらしいやんか。これからよろしくな!キミ、名前は?」

 

 能力を振り絞り、緊張を押さえ込む。景朗は不自然な態度とならぬように精一杯気を配っている。

 

「……オレは、上条当麻。にしても、青はねえだろ、青は。ピアスも開けちゃってまあ。しばらくは笑いの種だな、高校デビュー君」

 

 景朗の痴漢扱いに、上条当麻は青筋を浮かべ始めていた。覚えたての関西弁を違和感なく喋るのにただひたすら夢中だった景朗は、そのことに気付けなかった

 

「大丈夫。ボクには警戒せんでええで。キミ、好きなんやろ?ロリペドシスターメイド。匂いでわかるで?」

 

「ふはぁーーーーっっ。……上条さん、初対面の人間にここまで侮辱されたのは生まれて初めてなんでせうが。一体どうしてくれやがりましょうか?」

 

 あんだけドギツイ性癖晒しといて聖人君子を気取るか。景朗の嗜虐心に火が付いた。

 

「ど畜生のロリペド野郎!なに高尚ぶってんねん!とっとと馬脚をあらわしい!」

 

「喧嘩売られてる!?これ絶対喧嘩売られてるよね!?ちっとばかしデケェからって上条さんを舐めるなよ!いつもいつも巻き込まれ、喧嘩の真っ只中に突っ込まされてきた上条さんの格闘スキルを思い知るがよい!」

 

 上条当麻の右こぶしが唸った。彼は少々、気が立っていたらしい。高校入学早々、痴漢の冤罪で小一時間近く職員室で尋問されていたのだ。無理もなかった。そこにきて、景朗のあの挑発だったのだから。

 

「あっはっは!職員室で喧嘩おっぱじめやがった!小萌センセーが羨ましいじゃん!」

 

 景朗は肝が冷えた。髪の毛を右こぶしがかすりそうだった。あれだけは喰らってはいけない。土御門にぶっ殺される。そう考えた景朗には気の毒なことに。教室で待つ土御門は、今まさに、裏切りの代償を如何にして景朗へ果たそうかと練りに練っている最中であった。

 

「ひゃわわーっっ!入学式に遅刻してきた生徒さんたちが、職員室で喧嘩してますですーっ!!ぼ、暴力は行けないのですよーっ!!」

 

 がらり、と開いた職員室の戸から身を乗り出し、ロリっ娘が目をくるくると回していた。景朗の体に衝撃が走った。景朗は本能的に、その声の主の命令に従っていた。ぼぎゃ!と上条当麻の左拳が景朗の右頬に突き刺さった。そんなもん屁でもねえと言わんばかり。景朗の躰は微塵もぶれなかった。

 

 ロリっ娘が泣き出しそうになり、上条当麻と景朗はきまりが悪そうに拳を収めた。この幼女が居なくなるまでは喧嘩は御法度だぞ、という上条当麻のアイコンタクトに、寸分の狂い泣く景朗は了承の意を返した。

 

 尻餅をついていたロリっ娘は俄かに立ち上がり、2人の若者相手に諭すように口元をやわらげた。

 

「ふふ、良い子ちゃんなのです!ウニ頭ちゃんに青髪ちゃん。私が貴方たちの担任の、月詠小萌です。ちょっとばかし身長が低いですけど、これでも立派な先生なのですよー?」

 

 目の前に、天使がいた。ピンクの天使、だと。景朗の目には、ゲームから飛び出した"コナミちゃん"が、"萌黄タン"のコスプレをやっているようにしか見えなかった。

 

「へ?コナミちゃん?」

 

 ピシリと躰を強張らせた青髪の瞳孔は、限界まで広げられている。彼の呟きに、月詠小萌は不敵に視線を向けて、人差し指をくゆらせた。

 

「違いますよー?先生は小萌というんです。つ・く・よ・み・こ・も・え、です。青髪ちゃん、その髪の毛はお名前と被せてウケ狙いさんですか?」

 

 コナミちゃん+萌黄タン=小萌先生。景朗の脳内に瞬時に閃いた。外見はコナミちゃんで中身は萌黄タンそのものである。ピンクのロリっ娘先生はちっこいナリであったが、どことなく包容力のある雰囲気を醸し出している。景朗は彼の養母とも呼べる存在、シスター・ホルストンことクレア先生の姿を彼女に重ねていた。彼女のそばにいる時と同じように、景朗はえも言われぬ穏やかさを取り戻していく。外見は全く違うというのに、クレア先生と似ているな、と無性に思えてならなかった。

 

「もう名前知ってるんやね、センセー」

 

 小萌先生は、当然です、と頷いた。その可愛らしい仕草に、景朗は弾け飛びそうになる。彼女は真横で居心地悪そうに佇んでいた上条当麻に、今まで以上に優しい口調をつくり、微笑んだ。

 

「上条ちゃん。入学式直前の騒動について、きちんとお話を聞いてきました。心配しなくていいんですよ。他の生徒さんの証言で、ちゃんと上条ちゃんが無罪だったって結論にたどり着きましたから。入学初日から職員室に直行なんて、災難だったのです」

 

 痴漢が濡れ衣だったと周囲の理解を得た上条当麻は、途端に安堵したようである。先程まで苛立っていた彼の機嫌は、今では雲泥の差、すこぶる良好だった。

 

「キミ、痴漢したんやなかったんか。だから怒ってたんやね」

 

 頬を殴られたにもかかわらずの、青髪のあっけらかんとした仕草。上条は罰が悪そうにウニ頭をかく。

 

「まあ、その、こっちも悪かったよ。殴っちまって」

 

 ニヤける青髪に、上条も満更でもない様子であった。ニコニコと2人のやり取りを見守っていた小萌先生は、さてと、と手を叩いた。

 

「ひとまず、クラスの皆さんとお顔を合わせに行きましょう。はぁい、2人ともー、仲直りの握手です」

 

 上条は颯爽と左手を差し出した。内心ホッとしつつ左手を添えた景朗は、しっかりと彼と握手した。しかし耐え切れず、相手に不審さを気取られぬように注意を払いつつ、わざと、抱いた疑問を口に出した。

 

「普通、握手って右手ちゃうのん?」

 

 上条当麻は脈絡なく、大きなため息をついた。

 

「ああ。すまん。無意識のうちに左手を使う癖がついちまってんだ。オレの右手、少々曰くつきでさ。今までうっかりしちまって、いくつトラブルを呼び起こしたか覚えてないくらいなんだよ」

 

「"曰くつき"ってなんやの?」

 

「信じて貰えるかわかんねーけど。オレの右手、"幻想殺し(イマジンブレイカー)"っていう、超能力を打ち消す力が備わってんだ。そういえば青髪、もしかして肉体系の能力者だったりする?」

 

 自らの右手を煩わしそうに眺める上条の目の前で、青髪は不自然に背筋を正した。幸いにも、上条には気づかれていなかった。

 

「あ、ああ。ようわかったなぁ。"身体補強(フィジカルブースト)"っていうんや。レベルはぁー……」

 

 景朗は焦っていた。極力、身体能力を凡人の水準に抑えていたが、実際に身体検査(システムスキャン)を行ってみなければ、正確な判定結果は推測できない。

 

「えーっとな……レベル0、か1……」

 

 意外にも、言いよどむ景朗へ上条当麻ははにかんでいる。

 

「心配すんなよ。こっちだって無能力者(レベル0)だってーの。オマエのレベルなんかいちいち気にしねーよ。にしても、やっぱりそうだったか。オマエ、さっき思いっきりオレのパンチに仰け反ってたしな。カンのいいやつは無意識のうちに気づくっぽいな、オレの右手に。経験上、肉体系のヤツに多いみてえだけど。青髪、気をつけてくれ。たぶん、オレの右手に当たると不快感を感じると思うぜ。悪いな、これからは右手で無闇に触らねえように気を使うよ」

 

 後に、景朗は彼の言葉が真実だったのだと納得した。能力者に溢れる学園都市で長く暮らしてきた上条当麻である。本人曰く、呪われているくらい不幸な運命のいたずらで、右手を不注意に扱った結果、様々なトラブルに巻き込まれてきたらしい。現在では彼自身、ほとんど無意識のうちに、誰かに触れる時は極力右手を使わないようにする癖が付いているとのことだった。そしてそれは本当で、景朗は予期していたよりもずっと楽に、上条と共に過すことが出来たのだ。

 

 ちなみに。"第七位"相手に盛大に地雷を踏んでいたおかげだったのか。人生万事塞翁が馬。3人娘との登校を優先させ、土御門より一足先に上条当麻の友人としての第一歩を踏み出していた景朗は。上条とともに遅れてクラスに到着した。その日の帰り際。怪我の功名とばかりに、上条当麻に中学以来の友人だと土御門を紹介した。後の三バカ(デルタフォース)の結束が叶った瞬間であった。景朗はツイていた。上条の背後、鬼の形相で拳をわなわなと震わせていた土御門は、苦虫を噛み潰しつつもその手をしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は少々遡る。確か、3月の後半だった。"第七位"にしこたま殴られて幾数日。気分が最高に沈んでいた時期でもあった。

 

『みんな逃げろぉぉっ!三頭猟犬(ケルベロス)が現れたっ!!アレイスターの番犬だぁぁぁぁぁッ!!』

 

 哀れな犠牲者の悲鳴が、景朗の脳裏にくっきりと蘇った。第十学区の廃工場。そこには、学園都市の転覆を目指す、とは名ばかりの、場末のテロ組織が潜伏していた。理事長(アレイスター)憎し。常軌を逸した手法であろうと何であろうと、手段を問わずに、必ず一矢報いてやる。そういう覚悟を決めた連中だった。

 

 記憶の中の景朗は。つい1時間ほど前の景朗のことだ。能力で巨大な犬に変身して、頭部を三つに分ち、視聴覚を大幅に向上させた景朗は。恐怖に怯え逃げ惑う、無力な集団を次々と噛み殺していった。

 

 幸いにも、女や幼い子供はいなかった。あの場には、皆自分の命に責任を持てる年齢の人間しかいなかったはず。景朗はそう祈っていた。同時に、もとよりそのような資格が自分にないと分かっていても、自分が殺した人間の死後の安寧を思い、それを祈らずにはいられなかった。クレア先生がいつもそうしていた風に。

 

 辛くも景朗の牙から逃れ、工場から落ち延びたテロ屋たちは、皆即座に、待ち伏せていた"猟犬部隊(ハウンドドッグ)"たちに刈り取られた。景朗の忌名を冠した部隊だ。創設したのは、アレイスター・クロウリー。リーダーは木原数多が勤めている。その男は景朗の知る限り。かなりの上位にランクインする冷徹な科学者だった。

 

 事後処理の合間に、木原数多が煩わしそうに何かのリストを眺めていた。

 

「何見て溜息ついてんのさ?木原さん」

 

 景朗の問いかけに、彼は姿勢を動かさず、声だけで反応を返した。

 

「おぉーう。おつかれさん、クソガキィ。最近理事会に楯突くやつ多いだろぉ?そいつらのリストだ」

 

 木原数多の答えに、景朗の頭にひとつ、閃くものがあった。

 

「木原さん。そのリスト俺にもくれよ?」

 

「はぁぁ?んなもんどーすんだ?まぁいいか。テメェには嗅覚センサーの件で貸しがあったからなァ。リストはくれてやる。だがなぁ、勝手に先走んじゃねぇぞ。ヒマしてる奴らに回してやるつもりなんだからよ」

 

 

 

 

 

 自宅に返ってきた景朗は、ゴミの散らばった部屋の惨状に溜息を飲み込んだ。美少女ゲームに首ったけで、掃除すら録にやっていなかった。

 

 ゴミを踏み付けぬようにかき分け、すっかり慣れた動きでデスクに座り、特注のワークステーションを立ち上げる。リストを眺め、景朗はとある計画を練り始めた。

 

「ちッ。小バエが湧いてやがる。うぜぇなぁ。毒ガスで一気に殲滅だぁー」

 

 景朗は首を後ろに回し、息を大きく吸い込んで、室内へと一息に吐き出した。口からは、白色の霧が吹き出す。やがて、景朗の卓越した聴覚が、部屋の中で蠢く虫ケラのざわめきがなくなったことを告げた。

 

「ふん。まてよ。蝿か……」

 

 ポケットから携帯を取り出し、景朗は通話を開始した。その相手は"スキーム"の一件で完全に景朗の舎弟と化した、"人材派遣(マネジメント)"であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 四月の初週。世間が入学シーズンで賑わう時期である。その初々しい喧騒とは遠く離れた、第六学区のとある高級ホテルの一室。そこに、学園都市"第四位"の実力者、麦野沈利の姿があった。バスローブを着込み、難しそうな顔をしてルームサービスのメニューを睨んでいる。

 

「ちっ。シャケ弁がないじゃないの」

 

 学園都市でも一等格式高い、三ツ星ホテルにそのようなものが常備してあるはずもない。見当はずれな恨み言が、あと少しでホテルのスタッフへと爆発するところだった。彼女の携帯に突如とどいた着信が、一人のホテルマンの運命を変えた。通話に対応した麦野沈利は、苛立たしげに悪態をつく。

 

「またなの?最近依頼多すぎない?今シャワー浴びたばかりなんだけど。……そうなの。でも残念。やなこった。新学期早々、忙しいのは嫌よ。ったく、たった今、あんなカビ臭い施設に屯ってたゴミクズどもを始末してきたばかりでしょうが」

 

 麦野沈利は煩わしさを前面に押し出した。そして直ぐに、素早く携帯を耳元から離す。電話の相手が負けじと劣らず盛大に切り返していた。

 

「だいたい、理事会の足の引っ張り合いが終わってから何ヶ月たったと思ってんのよ?セキュリティの低下した隙だってもう回復してきてる。いずれ欲を掻いた馬鹿どもも自然消滅するわよ。わざわざ私たちが動かなくったってね」

 

 電話から漏れる叫び声もいよいよ大きくなっていた。麦野沈利は諦め、小さく息を落とした。とうとう、部屋中に電話相手の怒鳴り声が広がった。

 

『こいつときたらっ!わかっていやがるならさっさと仕事しろっつーの!だから今が最後のかき入れ時だっつってんのよーっ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日の落ちかけた第十六学区の商業区画を、一台のワンボックスカーが走っていた。とりわけて特徴のない地味な白いライトバンだった。しかし、その中に搭乗する人間たちは、極めて奇抜な格好をしていた。車内の男達3人の髪色はそれぞれ異なり、そのカラフルな色合いがそばを通り過ぎる通行人の目を引いた。全員、ゴテゴテしたパンク風のファッションで統一されている。黒光りするレザースーツは、細部の意匠まで刺刺しい。ヴィジュアル系バンドを彷彿とさせる派手なメイク。元の顔立ちは化粧で埋もれて判別できなくなっている。

 

「アイツだ、サンドフライ」

 

 助手席の男が、抑揚なく指摘した。憮然とした表情を長らく張り付かせていた運転手がハンドルを切った。"サンドフライ(Sandfly)"と呼ばれたその運転手はメイクで年齢の判別が難しくなっていたが、注意深く観察すれば、誰もがすぐに未成年であると気づいただろう。それも、どうあがいても運転免許を取れそうにない年頃であると。

 

 明るい大通りと薄暗い路地の狭間に、巨漢がひとりぽつんと立ち尽くしていた。色鮮やかな虹色のモヒカンに、ピエロと見間違わんばかりのトリコロールのメイク。ヨダレが出そうな、肉厚のフライドチキンをバーレルごと買い込み、路上でひたすらにむしゃぶり付いている。

 

 その男は貫禄のある肥満体型で、チキンレッグを手にした姿は妙に様になっていた。彼が着込んだモスグリーンのジャージの腹部は、大きく膨らみたるんでいる。行くあてもなくグルグルと彷徨っていたミニバンが、その巨漢へと近づいていく。

 

 巨漢のすぐそばに車が停止した。時を等しく、車内の空気が一変する。顔色にこそ表れていなかったが、男たちは皆拳銃片手に、即座に対応できる体勢を取っている。助手席の窓が開き、そこに座っていた男がやたらと流暢な英語で、巨漢へと一言問いかけた。メイクの上からでも、助手席の男に西洋の血が流れていると見て取れた。

 

「Black Fly」

 

 巨漢はフライドチキンの咀嚼をやめ、外見を裏切る、蚊の鳴くような小声で返事を返した。

 

「……シャッドフライ……」

 

「乗れ」

 

 助手席の男は端的に言い返した。後部座席にいた最後の1人が、油断なく、乗り込んできた巨漢から紙切れを受け取った。

 

「ギャッドフライ、サンドフライ、コイツは仲間だ。心配いらねえ」

 

 "ギャッドフライ(Gadfly)"と呼ばれた助手席の男は、それでも警戒を解かなかった。"サンドフライ"は拳銃を懐に戻し、運転を再開する。後部座席に元から座っていた男は、服の下に隠された筋肉質な躰を車の中で器用に動かし、トランクをガサゴソと探り出した。

 

「オマエ随分とデケぇな。こりゃあ、サイズあっか心配だな……。……うし。これでどうだ」

 

 男がトランクから、大きめのツナギを取り出した。隣に座る巨漢へとそれを手渡す。

 

「どうだ?ソイツでサイズ足りそうか?」

 

 片手で器用にツナギを広げ、しばし眺めて、巨漢はコクリと頷いた。

 

「ソイツぁ良かった。オレはグリーンフライ。シャッドフライ、オマエさん、新入りだろ?」

 

 黙したまま、"シャッドフライ(Shadfly)"と名乗った巨漢は再び頷く。そして、徐に、フライドチキンの咀嚼を開始した。

 

「ドイツもコイツも、あんま喋んねえな。自己紹介くらいする気にならないかねえ。まったくよう。うし、いいか、シャッドフライ。助手席の金髪がギャッドフライ、運転してるボウズがサンドフライだ。このボウズ、どこで腕を磨いたのか知らねえが、なかなかのハンドル捌きだろ?頼りになる」

 

 ドライビングテクニックを褒められ、機嫌が良くなったらしい"サンドフライ"が軽口を叩く。

 

「ボウズはよせよ、グリーンフライ」

 

 "グリーンフライ(Greenfly)"と名告った男はうすら笑い、身を寄せて"シャッドフライ"のチキンバーレルへと手を伸ばした。それまで巨体を緩慢にしか動かさなかった巨漢は、脊髄で反射させたがごとく機敏に身をよじり、にじり寄るの魔の手からフライドチキンを守った。

 

「ハハ」

 

 "グリーンフライ"は興に乗った声を上げた。座り直した彼は喋り続け、唐突に、親指を後部のトランクへと差し向けた。

 

「ケチケチすんなって。美味そうな匂いさせやがってよう。……そうだ、後ろに蜂蜜がたんまり積んであんだった。それちっとやっからオレにも一本くれよう?」

 

 躰を縮こませたモヒカン男はいやいやと首を振り、取り付く島すら与えない。"グリーンフライ"は気にした素振りも見せずに朗らかに、そりゃ残念だ、と口にした。

 

「にしてもよう、シャッドフライ。オマエさん、一体そのジャージはどうした?こっちはそのせいで警戒しちまったよう。まぁ確かに、"ベルゼブブ"の指定した"悪魔系デスメタルバンド風パンクファッションコスプレメイク"ってのぁ受け取り方に個人差があるだろうがよ……正直意味分かんねえっつうか……イマイチ"ヤツ"のキャラがわからんなぁ」

 

 会話を聞いていたのだろう。"サンドフライ"は端末を操作した。途端に、スピーカーから激しくアップテンポな、DnBが飛び出した。"シャッドフライ"はゴクンとチキンを飲み込んだ。やっと口を開いた彼は、唐突に質問した。それは"グリーンフライ"が尋ねたことには微塵も関係がなかったが。

 

「……ホ、ホントウ、なのか?……いつ、いかなる時も……逃げたくなったら……その場でトンズラしていい、のか……?」

 

 彼の疑問を耳にして、ようやく助手席の"ギャッドフライ"は神経を緩ませた。"グリーンフライ"も面白可笑しそうに目を輝かせた。

 

「だよな?信じらんねえよな?でも、マジだぜ。"ベルゼブブ"のイカれた指令はよう。幸いにも、今までずっと待機、待機、待機で、そんな事態になるこたなかったけどよ。命が惜しくなったらみんなでズラかっちまおうか?」

 

 それまで後部座席のやり取りを静観していた"ギャッドフライ"が、とうとう口を挟んできた。

 

「冗談じゃねえ、"グリーンフライ"。事に当たれば八千万だ。八千は惜しい。"ベルゼブブ"は仲間を殺すなとは言っていない。その時は、俺が殺す」

 

「ひゃひゃひゃひゃひゃ。欲しがるねえ、ギャッドフライ。オマエ、こんだけ大金ばら蒔いてる"ベルゼブブ"の"本番"が、そんな生易しいモンなわけねえだろ。きっと七面倒臭えコトにちげえねえよ。死にそうなメに遭っても今みてえに吠えられるかな…………ってオマエさん、うすうす感じてたけどよ。案外気が小せえのな……」

 

 "ギャッドフライ"の冷酷な声色に、"シャッドフライ"はぷるぷると震えていた。"グリーンフライ"は呆れた視線を向けている。脈絡無く、車が止まった。巨漢はまたビクッと怯えた。"サンドフライ"が注意を促した。

 

「オイテメェら。ファイアフライってアイツじゃねえの?」

 

 指し示された方向に目をやった"グリーンフライ"が吹き出した。

 

「ぎゃははははは!なんだぁアイツはよう!あのホウキみてえな赤髪。あのチビ、ガキの頃アネキが持ってたブッサイクな人形にソックリだぜ!」

 

 カラオケボックスから少し逸れた路地の入口で、小柄な少年がスキルアウトたちにからかわれていた。顔を真っ白に塗りたくり、髪を真っ赤に染め上げ、そしてそれをホウキのように逆立ててジェルで固めている。頑張ってクラブに行こうと背伸びした中学生。誰の目にもそう見える。

 

 車は彼らへと近づいていき、すぐそばに停まる。"ギャッドフライ"がハンドガンを外から見えない位置に構え、窓を開けた。

 

「乗れ」

 

「あ、ああ。ようやく来たか。遅えよッ」

 

 予想に反した、野太いどら声であった。赤髪の男は驚きつつも、いそいそとバンに乗り込んだ。車外へと窓越しに中指を立てている。彼に絡んでいたスキルアウトたちは、何だよマジでバンドメンだったのかよぉー、と興味を失い離れて行った。

 

 乗り込んだ赤髪は硬直した。運転席と、助手席と、巨漢を挟んだ向かい側の席。その3方向から拳銃を突きつけられていたからだ。巨漢は我関せずと、フライドチキンを噛みちぎる。"ギャッドフライ"が威かすように警告した。

 

「"符丁"だ。"Black Fly"」

 

「ファ、ファイアフライッ!ファイアフライだッ!」

 

「ガキ、Fireflyと言ったのか?カスみてえな発音だ。これじゃ不十分だな。念の為確認する。"ベルゼブブ"のイカれた特別ルールを言ってみろ」

 

 カチャリと着けられた銃口に怯え、"ファイアフライ(Firefly)"は声を震わせる。

 

「撃つなッ!言う!今すぐ言うから撃つなよッ!えええ、ええとッ。ッ!"実動員には何時如何なる時点においても、保身の為の逃走が許可されるッ"!……ッ、これじゃねえのッ?これだろッ!?」

 

 彼の言葉に、運転席と後部座席の男2人はピタリと銃を構えるのを止めた。"サンドフライ"が助手席の男を睨みつけた。助手席の男もしぶしぶと銃口を降ろした。

 

「ホラ!これが指令書だッ!」

 

 "ファイアフライ"が取り出したメモ用紙を、前から男が掠め取る。ひと目でそれを確認すると、舌打ち混じりに男は正面に向き直った。赤髪の少年は、緊張の解かれた車内の空気にふぁぁぁぁ、と躰を弛緩させた。むしゃむしゃと頬張る"シャッドフライ"が巨体を揺らし、隣に座る少年へと食べかけのチキンレッグを差し出した。

 

「……いらねーよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 五人を乗せた白いワンボックスは、ただひたすら闇雲に、第十六学区、夜間のオフィス街を徘徊していた。

 

「今日の新入りはファイアフライとシャッドフライか。昨日抜けてったのは誰だったっけな?サンドフライ」

 

 "サンドフライ"が考える素振りを見せた。赤信号の合間に、ハンドルを握る人差し指でトントンと叩いている。

 

「DayflyとDragonflyだ」

 

 腕を組み、物思いに耽っていた"ギャッドフライ"が素早く答えた。気分良く思い出せた、と"グリーンフライ"が口元を歪めた。

 

「ああ、そうだったそうだった。その前は……ストーンフライ、メイフライ。ボットフライなんてのも居たっけな。オレの番が来たのは4日前だったからよう。その前から延々と続いてたみたいだけどこれ以上は知らねえな」

 

 赤髪が不貞腐れたように窓に頬杖をついていた。

 

「全部虫の名前じゃんかよ。しかも小さくてパッとしねえ小虫の名前ばっか。オレらを虫ケラ扱いしてるみてえでイラつくっしょ」

 

 運転席の男が音楽の音量を緩めた。直後に、巨体の反対側から相槌が返される。

 

「まあ、たしかにな。金をばらまいて、ガキの考えついたようなアホ臭せえ名前割り振ってよう。"ベルゼブブ"の旦那は一体何がしてえんだろうな。こんな訳のわかんねえことしてよう。誰も知らねえんだろ?言われるがまま指示に従ってるだけでよ」

 

 彼らは皆、ここ数日仲介人を通して、"ベルゼブブ"という謎の男から送られてくる指令を忠実に実行していた。その内容は、極めて安全で、極めて簡単で、そして極めて退屈なものだった。夕方、"ベルゼブブ"の指示通り、架空のバンドメンに変装して所定の位置に立ち、同類が迎えに来た車に乗る。お仲間を数人拾って、後は"ベルゼブブ"の追加の指示を延々と待ち続けるだけ。それだけだった。その間、第十六学区の街中をあてもなく彷徨い続けなければならない。

 

 前任者たちから聞いた話では、つまらぬ事に"ベルゼブブ"からの連絡は今ままで全く音沙汰無しだったそうだ。毎日毎日夕方から深夜まで、メイクの痒みに耐え、車で見知らぬ男達とぎこちない会話に興じる日々。だが、しかし。"ベルゼブブ"は頭がイカれているに違いない。意味もなく街を5日間徘徊するだけで、彼らは200万円を手にするのだ。前金だけでそれだ。もし、来るかどうかわからぬ"ベルゼブブ"の"本番"が到来するチャンスに出会えれば、追加で八千万円もの大金を獲得できた。車内は彼の噂話が何度もループした。

 

「"ベルゼブブ"のクソッタレなんかどうでもいいじゃねーか。もう前金は頂いてるんだしな。オレらはヤツのご高尚な趣味まで気にかける必要ねえって。……って、あんま陰口ぶっ叩くわけにもいかねえか。どうせ居るんだろ?このなかに。なあ、"ベルゼブブ"さんよ?」

 

 "サンドフライ"の発言に、その場が一瞬、凍りついた。張り詰めた緊張を壊すように、"グリーンフライ"が軽口を叩く。彼の横で、"シャッドフライ"が悲しそうに俯いていた。

 

「オマエさん、チキン喰い尽くしたからって落ち込むなよ……。ひとりでそんだけ喰ったなら十分じゃねえかよう。ハハッ。……うし。いいこと言うなぁ、サンドフライ。オレはそういうこと言ってるオマエさんこそ怪しいと思ってるぜ?」

 

「……あぁ?」

 

 運転席からの不服そうな返事。赤髪が隣の席へと話を促すように顎をしゃくった。

 

「ボウズ、オマエさんは"本番"じゃ、逃走用の足の役割なんだろ?突入班じゃねえ。"何時でも逃げていい"っていう旦那のルールの恩恵を一番に受けてるじゃねえかよう」

 

「オレはただそう命令されただけだ。テメェらがヘタクソだから指名されなかったんだろ。テメェこそ怪しいぜ?グリーンフライ。こんなかで一番長い。後ろに積んでるブツだってアンタが運び込んだって聞いたぞ?」

 

 男2人の言い合いの最中。それまで黙っていた"ギャッドフライ"が見せつけるように拳銃をスライドさせた。

 

「ゴチャゴチャと五月蝿いぞ。二日前抜けてったBotflyもStoneflyも、オマエら2人が新しい顔だと言っていた。昨日抜けてったDayflyもDragonflyも、そこのデブとチビとは別人だ。キリがねえ。チビッてんなら遠慮なく消えろ。どうせお前らも仲介人を通してここへ来てんだろ?"ベルゼブブ"は取り決めを守るしかない。逃げたきゃ逃げな。今なら撃たないでおいてやる」

 

 車内は静けさを取り戻した。音量が上げられ、喧しいサウンドが再び鳴り響く。しばらくして、"ファイアフライ"がポツリと呟いた。

 

「あんた、グリーンフライと言ったか。さっき言ってた、ストーンフライってのぁ、実はオレのダチなんだ。何もしなくてもポンッと、ウン百万手に入るウメエ仕事があるって聞いて来た。今までのこと色々教えてくんね?こっちもネタはあっから」

 

 この"指令"の背景に興味津々の"ファイアフライ"を前にして、"グリーンフライ"は喜びに顔を染めた。前席の野郎2人は何度も繰り返されたその話題にいい加減飽きているらしく、もはや興味を失っている。誰かと議論したくてウズウズしていた彼は、赤髪とつらつらと語りだした。

 

 

 深夜。ネオン街からやや外れた場所で、突然停止した。ボンネットの上に乗せられていた、誰もが存在を忘れていた携帯に、突如、着信があったのだ。その携帯は、その場の誰もがそこに置かれた由来を知らず、放置されていたものだった。

 

 "ギャッドフライ"が緊迫した面持ちで対応した。

 

『ブラックフライ!こちらバタフライ!奴らが来た!出番だぞ!今すぐ助けに来てくれッ!』

 

 携帯を片手に、男が唇をつり上げた。八千万の大金が、彼らを待っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "ベルゼブブ"に"ブラックフライ"と便宜的に名付けられた4人のチームは、車に用意されていたツナギに着替え、第十六学区の地下街へと急行した。1人ミニバンに残った"サンドフライ"は脱出のために近くで待機している。

 

 地下街を進み、目的のビル地下間近のセキュリティゲートへと彼らはたどり着いた。"グリーンフライ"と"シャッドフライ"はそれぞれ、引っ張ってきた食料品と清掃用具が乗せられたカーゴをゲートへと運ぶ。皆が皆、気を引き締めた。

 

「なんだぁ?オマエら。そのカッコは?」

 

 ゲートで守衛を行っていたガードマンが、素っ頓狂な声色で訪ねていた。

 

「スンマセン。オレら、ライブ終わってから直行してきてんす。だいぶ遅れてませんかね?」

 

 赤髪は饒舌に、自然な態度で会話を交えた。第十六学区は学園都市の中でも一大商業区画であるが故に、バイト学生の宝庫でもあった。特筆して、今の時刻のような、深夜の稼ぎ時の時間帯は学生の数も相応のものとなる。

 

「いいやぁ、逆に早すぎだって。まぁでも、確かに食品搬入と清掃のシフトが入ってんな。だいぶあとだけど。お前ら、もうちょっと余裕あったぞ、こりゃあ。あー……でも、どのみちそのカッコじゃ時間足りてなさそうだわ。待ってろ、一応危険物の検査しなきゃならないからよぉー」

 

「いやぁ、マジスンマセン。迷惑かけます」

 

 ガードマンが計器に目を配り、ゲートを通過するように手を振った。

 

「蜂蜜、ジャム、シロップに……清掃用具。武器も爆発物も無し。お前ら通っていいぞー」

 

「どうもーっ。あざーっす」

 

 "ファイアフライ"の手招きに、残りのメンバーが続いていった。彼らの背へ、ガードマンが問いかけた。

 

「なあ、お前らなんてバンドやってんだー?」

 

 "シャッドフライ"がビクリと硬直した。"ファイアフライ"も言いよどんでいた。"グリーンフライ"が慌てて取り繕った。

 

「悪魔系デスメタルバンド、"ブラックフライ"だぜ」

 

「すぐそこのハコでやってたんだろ?オレ結構ハマってんだけど聞いたことねえなぁー……」

 

 赤髪が機転を利かせて演技した。憤慨した表情を取り作り、声を張り上げる。

 

「これから名を上げるんすよ!今にみててくれよな!オッサン!」

 

「期待しねーでまってるぜー」

 

 ガードマンは彼らを見ることなく手を払っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一行はとあるトイレへとたどり着いた。そこが指定されていたポイントだったからだ。トイレ近辺の廊下の随所に"清掃中"の看板を立て、人気を遮断する。トイレの中で、"ギャッドフライ"は手元の端末を眺めて驚愕した。

 

「おいおい、ここは……。樋口製薬、第十六学区支社の真下だぞ。"ベルゼブブ"は案外大物かもしれん……。しかし、悪くはない。確かに金の匂いがしてきた」

 

 彼の独り言を耳にした"ファイアフライ"が頭を抱えている。

 

「そいつは結構。だけどよ、こっからどうすんだ?オレら手ぶらだぞ?道具も爆薬も無しで、このトイレん中でどうしろってんだ?」

 

 

「おい、ぼさっとしてんなよう、お二人さん。こっちを手伝ってくれや」

 

 いそいそと、小さなバケツ程もある蜂蜜の大瓶を手当たり次第に剥がしている"グリーンフライ"。2人は困惑しつつも、彼へと近づいていった。

 

 彼らの脇で、"シャッドフライ"がゴトリ、と大きな清掃用のバケツを取り出して床に置いた。巨漢はそのバケツの前に四つん這いになり、気分悪そうに体を痙攣させ始めた。

 

「おいおいおいおいデブちゃん、これからって時に勘弁してくれよぉ!?」

 

 間もなく。室内に、EUGOEEEEEEEEEEEEEEEE......と嘔吐する声無き声が満ちていく。それを目にした"グリーンフライ"が最高潮にニヤついた。

 

「いいんだよアレで、ファイアフライ。アレがアイツの"特別指令"なんだろうぜ。で、"コレ"もオレの"特別指令"だ。蜂蜜開けたら乾燥剤のビーズと粉末をこっちのバケツに空けてくれよう!」

 

 "特別指令"のフレーズに、彼のそばに立つ2人は過敏に反応した。得心した風に頷くと、毅然と頼まれごとに取り掛かる。

 

 

 その空間は蜂蜜の甘い香りと、微かにフライドチキンの臭いが混ざる吐瀉物の匂いが充満していた。"シャッドフライ"がゲ○の入ったバケツを両手に、そろりそろりと残りの3人に歩み寄った。悪臭に鼻を曲げ、皆一斉にたじろぐ。指についた蜂蜜をペロリと咥え、"グリーンフライ"が恐る恐るバケツを覗き込んだ。

 

「シャッドフライ、コレ、何だ?」

 

「……ニトロ、グリセリン………」

 

 "グリーンフライ"がどよめき、"ギャッドフライ"は息を飲んでその吐瀉物を観察する。

 

「チキン臭くて匂いがわからない。ゲル化させてるみたいだが、シャッドフライ、扱いには注意を払え。……本物だとしたら。一体どういうことだ?」

 

 "シャッドフライ"はどこか自慢げに、胸を張ってボソボソと繰り出した。

 

「おれの能力……"爆薬生成(オーガニックボム)"……食ったもの…を……はらのなかで…ばくだんにする……ちから……レベル3……破壊力、ある……」

 

「ニトログリセリンってなんだよ?」

 

 トイレの床に座り込む赤髪の疑問に、"ギャッドフライ"が簡素に答えた。

 

「ダイナマイトだ」

 

「マジかい……あんただきゃぁ、無害なやつだと思ってたんだけどなぁ……一番ヤベェやつだったじゃんか……」

 

 "ファイフライ"が悲しそうに言い放った。

 

「……そういうことか。うし。そんじゃ、お次はオレの番のようだぜ」

 

 "グリーンフライ"がぱしり、と胸を叩き、壁の一部を指さした。そこには、様々なイタズラ書きが施されていた。漫画のキャラクターのようなものから、色とりどりのスラングまでずらりと並ぶ。そして、その中には。最も真新しい、大きな赤いバツ印。その横に、『BOMB!』と書かれていた。

 

「ギャッドフライ、壁にソイツを設置する。手伝ってくれよう」

 

 

 

 

 

 ニトログリセリンは極めて刺激に敏感だ。少しの手違いで暴発する。密閉された狭い空間、そう、そのトイレのような場所で間違いを犯せば、皆、即死亡していただろう。壁のバツ印にゲ○塗れの爆薬を丁寧に設置した一行は、その後の"グリーンフライ"の行動に一同首をかしげることになった。

 

 徐に、"グリーンフライ"は膨大な量のハチミツに乾燥剤のビーズと粉末を投入したのだ。あっという間に食料品として不適な物体と化したハチミツに、"シャッドフライ"がモゴモゴとくぐもった悲鳴を漏らした。

 

 ハチミツもどきを大量生産した当の本人は、ハチミツの入ったタライに手をツッコんだ。真剣そのものの表情で、くるくるとそのねとついた液体をかき混ぜる。やがて。彼は、うしっ!と呟くと、そこから抜き取った拳を握り締め、力強くハチミツの表面を殴った。バチ、という弾力のあるゴムを叩きつけたような音が生じ、拳はハチミツの表面で止まる。彼はそのまま力を抜いた。その直後、今度は拳がゆるゆると粘液に水没していった。

 

「もしや、ダイラタンシー流体か。……お前の能力か?」

 

 動じずに立ち尽くす金髪、"ギャッドフライ"が訊いた。ハチミツもどきをネトネトと握り締め、良い塩梅だ、と口から零し、"グリーンフライ"が立ち上がった。

 

「そうだぜ。能力名、"粘性操作(ハニートラップ)"。粘性を操作できる。コイツでシャッドフライの爆薬の爆風と衝撃、そんで爆音までできる限り抑えてみようじゃねえかよう」

 

 ハチミツの入った巨大なタライは相当な質量があった。巨漢を覗いた3人は歯を食いしばり、タライを爆破地点へと引っ張っていく。

 

「ベルゼブブめ。そういうことか。……おい、ファイアフライ。お前の能力はなんだ?どうせお前も能力者なんだろう?」

 

 両腕に血管を浮かび上がらせた金髪の問いに、同じく赤髪も苦しそうに答えを返した。

 

「しゃーねえな。教えてやるよ。"消火能力(シースファイア)"。大抵の炎は消せるし、弱められる。銃弾の雷管だって不発にできるぜ。まあ、レベルが低いから、狙撃とかに対応すんのは無理なんだけどな」

 

 からからと"グリーンフライ"が笑いだした。

 

「ハッハ!そんじゃさっきはビビってたフリをしてたのかよう?」

 

「いや、万が一ってこともあんだろ?3本も銃口向けられちゃあ生きた心地がしないっての……おい、オレは答えたぞ?ギャッドフライさんよ、アンタは白状しねえのか?」

 

「仕方ないな。俺の能力は"減音能力(サプレッサー)"という。周囲の音を小さくできる。もちろん、爆発音にも対処は可能だ。だが、強度が少々低くてな。対して役に立たんだろう。せいぜい保険程度。それでも一応、自分自身が立てる音ならばほぼ完璧に無音化できる。ヘマしたら後ろから刺すぞ」

 

 "グリーンフライ"が能力を展開し、爆薬を覆うように、ゲル化したハチミツをドーム状に形作っていく。"ファイアフライ"がとりとめもなく、大きな息をついた。

 

「意外な事実が判明だ。まさかの、おデブちゃんが。一番の高位能力者だったってわけですかい」

 

 誰も彼の言葉に打て合わずにいた。巨漢は清掃用具をガサゴソと探り、金髪は腕を組んで考えに耽っている。

 

「ベルゼブブ、正気なのか?確かに、トイレには監視用のカメラやマイクは設置されてはいない。だが、代わりに学園都市製の衝撃感知センサーや熱感知センサーに引っかかる。きっと高確率でな。ここまで来たことだし、ものは試しに挑戦してみるのも悪くはないが、直ぐに立ち去る準備をしておいたほうがいいぞ」

 

 金髪の言葉に、赤髪は感心したように頷いた。

 

「うし。こんなもんだろ。終わったぜ」

 

「………」

 

 "グリーンフライ"のあとに続くように、"シャッドフライ"が無言で、手にしていたホウキの柄を披露した。柄の部分の留め金は金属でできている。

 

「ああ。なるほどな。問題発生だ。誰が起爆すんのかって話。ここにゃ、ご大層な起爆ツールなんてねえからよう」

 

 

 

 

 

 寡黙なモヒカンが、ぽつんとトイレに取り残された。彼は頭の中で、仲間との会話を振り返る。『大丈夫だ、お前の死亡、いや脂肪が衝撃を吸収する。お前しか適役がいないだろう』『心配するな、オレの特性ジェルをオマエの躰に塗りたくってやる。死にやしねえよ』『終わったら約束するって。好きなだけチキンを奢ってやっから』

 

 ハチミツでべっとりの躰は動きづらかったが、"シャッドフライ"は覚悟を決めた。自らが生み出した爆薬めがけて、ホウキの金具を思いっきり叩き込んだ。

 

 

 

 

 

 トイレからわずかに離れた位置で、残りの3人は周囲の人影に気を配っていた。待ちわびた爆発により、ビリビリと広がる振動と、それなりに大きな爆発音が生じた。しかし、それらは予想よりもずっと小さかった。これならば、行けるか。3人は声を殺し、警報器の作動音を聞き取ろうと集中した。しばし待てども、恐れていた事態はやってこない。

 

 皆が皆、有事の際には、哀れな犠牲者"シャッドフライ"を置き去りにするつもりであった。"ベルゼブブ"が明言している。仕事中、何時でも逃げて良いのだと。アラートが鳴り響けば、わずかな罪悪感すら感じずに逃げ出していただろう。

 

 しかし、なぜか成功した。各種感知センサーは沈黙を守ったままだった。口にするものはいなかった。だが、全員が。その任務への好奇心を、徐々に胸中に抱き始めていた。

 

 

「おい、おデブちゃん、生きてっか?シャッドフライ!起きろ!」

 

 

 トイレは酷い有様だった。巨漢は倒れ、反対側の壁まで吹き飛ばされていた。巨漢の様子を確認し、ジェルが生きている、と喜びつつ、"グリーンフライ"は彼の頬を叩く。朦朧としていたが、男はモヒカンを焦がしつつも、きちんと目を覚ました。拙い作戦は、無事に成功していたのだ。

 

 爆破地点の壁には、大穴が空いていた。壁の中から途中でちぎれたダストシュートの大きな配管が顔をのぞかせている。そのダストシュートは、上層まで繋がっていた。真上の、製薬会社のビル内へと。

 

 注意深く配管を観察していた"ギャッドフライ"は、心臓を一瞬止める羽目になった。ちょうど注目していた、彼の目の前で、ダストシュートからロープが垂れ下がったのだ。誰かが、ビルの中から彼らを手引きしている。内通者。恐らくは、助けを呼んでいた"バタフライ(Butterfly)"だろう。"ベルゼブブ"は用意周到だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "ブラックフライ"一同はダストシュートを登り詰め、外へと顔を出す。そこは、樋口製薬第十六学区支社の地下に設備された下水処理場だった。企業内で生じた産業排水は、直接下水に垂れ流すことが禁じられている。ましてや、そこは製薬会社だ。実験で生じたさまざまな種類の産業排水を、それぞれ適切な方法で処理し、下水に流せるものを分別して排水しなければならない。

 

 眼前一面に広がる規模の処理設備を目にして、"ギャッドフライ"は舌なめずりを我慢した。自前でこれだけの機材を用意できる会社だ。この任務のリターンが高くなる理由はこのためか、と内心でほくそ笑む。

 

「私だ!バタフライだっ!君達がブラックフライだな!?早く助けてくれ!」

 

 彼らを出迎えたのは、メガネをかけた中年の、冴えないビジネスマン風の男だった。

 

「まずは武器を渡せ。こちらは武装していない。獲物がなければ、そもそもアンタを守れないだろう?それと、例のモノを早く渡せ」

 

 金髪の言葉に、"バタフライ"は大いに狼狽えた。彼は物陰から大きなキャリーバッグを引きずると、乱雑に開いた。バッグの中には、黒光りする銃器がいっぱいに詰まっている。他の仲間たちは素早く、各々が銃を手にとった。"バタフライ"は鼻息も荒く、懐からいくつかの、小さなマイクロチップの入ったケースを取り出し、"ギャッドフライ"、"グリーンフライ"へと手渡した。

 

「私が持ってこれたのはそれだけだ。今、上階に上がるのは危険なんだよ。理事会どもの追っ手が迫っている。早くここから脱出させてくれ!」

 

 赤髪が何かを納得したように、声高に唸った。

 

「たぶん、"ベルゼブブ"の用意した奴らだ!そうか、ヤツは暗部の役職に就いてんだよ。仕事の合間に、自前で大金をかすめ取りたいって寸法なんじゃねえ?」

 

 カチャ、と"ギャッドフライ"が銃口を"バタフライ"へと向けた。

 

「駄目だ。これでは不十分だ。約束が違うだろう?バタフライ。お前はデータだけでなく、実物まで持ってくるべきだった。今から取りに行くぞ。研究室へ案内しろ。それとも、今ここで死にたいか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼らが上階の研究施設まで行く道すがら、"バタフライ"は怯えたように何度も何度も、引き返そうと繰り返した。"グリーンフライ"が不安でいっぱいの表情の"バタフライ"に、何がそこまで危険なんだよ?とからかうように尋ねると、彼は恐怖を必死に押さえ込むように、進んで自らの置かれた状況を語りだした。

 

「うちの営業部が、学園都市外部の企業と秘密裏に取引をしていたのだ。私はセキュリティ部門、保安部の重役でね。彼らの行いに気づいていたが、直ぐに理事会の目に止まり粛清されるだろうと予想し、放置していた。

 

 だが、そうはならなかった。君達が知っているかどうかわからないが、数ヶ月前まで、統括理事会の監視の目は驚く程弱まっていたらしいのだ。うちの営業部はその隙をつき、外部に学園都市内部で御蔵入りするはずだった新薬のサンプルやデータを売りさばいて、目も眩むほどの大金を手にしたよ。営業部の奴らは社内で日に日に勢力を伸ばし、私もはした金を掴まされて、彼らの秘密を擁護せざるを得なくなった。

 

 ところがある日、"ベルゼブブ"とかいう不審な奴がいきなり連絡を取ってきた。理事会の非正規部隊が、営業部の連中だけでなく、私の命まで狙っているとね。……彼らのことは噂しか知らないが、それでも私は恐怖したよ。命あっての物種だ。

 

 "ベルゼブブ"は私に、決行の日、争いに紛れて逃げ出せるように手配してくれると言ってくれた。くれぐれも気をつけて欲しい。私は会社にも、暗部の非正規部隊にも、誰にも気取られずに、この場を離れなくてはならないのだよ」

 

 

 "ブラックフライ"の各員は交戦の可能性を感じ取り、俄かに小銃の装填をチェックした。

 

「おそらくだが、奴らは上層へと向かっている。そこに保安部が、守衛部隊が配備されているからな。研究室は中層だ。心配せずとも、敵が来る前に私がこのビルのセキュリティを無力化しておいた。うまく立ち回れば、バレずにひっそりとことを運べるだろう」

 

 

 

 

 

 "バタフライ"の目指す階層へと、あと少しのところだった。5人は廊下を警戒して進む中、不意に、会社に配備された守衛と遭遇してしまった。

 

「副島部長!?貴方、ここで何をしているんです?」

 

 突如、背後から声をかけられ、"ブラックフライ"のメンバー全員が物陰に飛び退った。反応できずに一人佇む、副島と呼ばれた"バタフライ"は両手を挙げ、狼狽した。

 

「や、やあ。彼らと必死に逃げてきたんだよ。銃を下ろしてくれないか?」

 

 

「誰なんです!?その連中は……まさか、アンタが奴らを手引きしたのか?!」

 

 そう叫ぶ守衛はフルフェイスのヘルメットをかぶり、表情は窺えなかった。それでも、その声色から憎しみに燃える心が透けて聞こえるようだった。

 

 カチカチ、と守衛のトリガーを引く音だけが、あたり一帯に響いた。

 

「ッ!ジャム(弾詰まり)ッ!?嘘だろッ!?」

 

 本来、学園都市製の銃器が弾詰まりを起こす確率は、宝くじで一等を取るよりももっと困難なものであった。"ファイアフライ"が能力を使用し、敵の弾を不発にさせたのだ。

 

「が、う、ぐぉ……ッ!……」

 

 音もなく"ギャッドフライ"の銃口から火が吹き出た。守衛は銃弾の雨にさらされ、くるくると回転しつつ、絶命した。

 

「その能力便利だな。暗殺向き過ぎて正直引くわ」

 

 "ファイアフライ"は楽しそうに揶揄した。

 

 

 

 5人は研究室へとたどり着いた。"バタフライ"の指示に従い手当たり次第に薬剤をかき集めていく。学園都市の最新技術で作られた新薬や、外部への輸出が差し押さえられるほどに、学園都市の機密を含んだ成分の結晶など。それぞれが、外の世界では金塊の山に化ける一品だった。

 

「うし。後は脱出するだけだぜ」

 

 少々重たくなったバッグを背負い、"グリーンフライ"が宣言した。

 

「約束のものは手に入っただろう?!さあ、早く私を連れ出してくれ!」

 

「そうだな」

 

 "シャッドフライ"は"グリーンフライ"と目を合わせた。両者が頷いた。

 

 先陣を切って進み出していた"バタフライ"の躰が、小刻みにがくがくと振動する。彼はすぐさま胸を押さえ、口から血の泡を吹き出した。薄暗い廊下が、連続する小さな発火の光に目まぐるしく照らし出されていた。

 

「…………え?ご、ふっ……」

 

 背後から無音の銃撃に晒され、パタリ、と"バタフライ"は息絶えた。

 

「どうせそういうこったろうと思ってたよ」

 

 口では軽々しい態度だったが、"ファイアフライ"は倒れた"バタフライ"へと黙祷した。"シャッドフライ"は俄かに亡骸へと近づくと、体に触れてその身なりを整え、開いていたまぶたを閉ざした。

 

「今のがアンタの"特別指令"だったんだろ?ギャッドフライよう?」

 

「ああ、そうだ。"ベルゼブブ"の命令だ。俺の"特別指令"はこれで終いだ。いい気分だ、なんせ、あとは来た道を辿って、8千万を貰うだけだからな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「麦野ー。こっちは終わったよ!」

 

 返り血に頬を染めたフレンダ=セイヴェルンが、盛大に扉を開き、守衛室へと飛び込んだ。機嫌の良さそうな鼻歌交じりのご登場だった。麦野沈利は端末を操作する合間に、疑るような視線を彼女へと注した。

 

「フレンダ。アンタまた爆発物使ったんじゃないでしょうねぇ?今回の依頼はターゲットの死亡をちゃあんと確認しなきゃならないんだから。きちんと顔の判別がし易いような方法で殺れてなかったらお仕置きしちゃうわよ?」

 

 勢いそのままに、くるくると腕を胸の前で回し、身体を回転させながら謎の錐揉みダンスを踊りだしていたフレンダだったが。麦野の言葉に、ポーズそのままにピタリと硬直した。

 

「むっはーっ!……そういうことはもうちょっと早く言って欲しかった訳よ……」

 

「はぁーっ。言ったわよ。仕事の前に忠告したじゃない」

 

 がしがしと後ろ髪をかく麦野の仕草から、フレンダは彼女の不機嫌さを感じ取っていた。

 

「む、麦野!ちょーっと忘れものしちゃったみたいだから……取りに行ってくるねっー」

 

「はいはい、いってらっしゃい」

 

 麦野は部屋から飛び出したフレンダの、置き土産と言わんばかりの叫び声にとうとうため息をついた。

 

「結局!皆殺しにしちゃえばそれで済む話な訳よーっ!」

 

 

 

 麦野は徐に守衛室の惨状を眺めた。標的たちは不意をつかれたなりに、健気にもバリケードを築いて保安部部署へと立てこもった。彼らは皆、つい先ほどまで抵抗を続けていたのだ。

 

 今ではその部屋は。穴だらけのチーズのように、部屋中、家具から壁面、窓ガラスに至るまで、何処も彼処もポッカリと無数の空洞がこさえられている。血痕があちこちに付着し、呻き声のひとつも存在していない。五体随所、欠損部位が目立つ死体の山の中で、麦野は冷え冷えとした笑みを浮かべていた。

 

「まったく。私も調子に乗ってたか。確認が面倒。無闇矢鱈と殺して回るのも問題だね。生きてるよかマシだと思ったんだけど」

 

 麦野がそう呟いた後の僅かな間に、彼女の同僚からの通信が入った。

 

『麦野。超面倒臭いことになりました。ここ(保安部)の部長、副島という超絶チキンなクソ野郎が、直前に自分だけ逃げ出してたみたいです。確か超そこそこ、優先順位の高い標的でしたよね?』

 

 

 

 たった1人生かされた血みどろの守衛が、痛みに体を暴れさせている。絹旗最愛が彼を踏みつけ、ギシギシと床面に押し付けていた。胴体からはみしみしと骨の軋む音が聞こえている。

 

「きぬはた。それじゃ、高いのか低いのかわからないかも……」

 

 守衛室のワンフロア下。デスクがわんさかと並んだフロアにも、ところどころに社員の遺体が転がっていた。あらぬ限りの力を振り絞り、拷問を受けている男が絹旗の足を振りほどこうと躍起になっている。滝壺理后はその様子をぽやぽやと眺めていた。

 

 

 

『麦野!麦野麦野麦野~!あと絹旗と滝壺ッ!ねぇねぇ噂の副島部長さんらしき人が、研究室で死んでるんだけど?』

 

 フレンダからの入電に、麦野は眉根を顰めた。

 

「……どういうこと?フレンダ。その言い方だと、アンタ殺ってないんでしょう?」

 

『うん。銃創からして、絹旗でもないっぽいけど?……あれ?』

 

『麦野』

 

「ふうん。おかしいわね…………ふふっ」

 

 麦野は僅かに逡巡を見せた。しかしすぐさま、笑みを浮かべ、"アイテム"メンバーへと通達した。

 

「もしかしたら、私たち意外にもこそこそと動いている奴らがいるかもしれないわ。だとしたら問題よ。アイテム(私たち)の動きが他所に漏れてるってことになる。情報部がヘマしたのかもね。ふふふ、情報が漏れたのは気に食わないけど、それでも。あの生意気な女に貸しを作れるってのは小気味いいわね」

 

『えぇ~?ギャラが出ないんなら、余計な仕事する必要ないじゃん~』

 

 麦野は端末をしまうと、死体の山を放置して、颯爽と歩き出す。

 

「ギャラならちゃんと出るわよ。あの女に後で連絡してみなさい」

 

『麦野。こちらは標的の確認が超終わってませんが』

 

 絹旗の連絡は上の空だった。研究室も、標的が立てこもっていた階も上層だった。"アイテム"の下部組織にも認識出来なかった場所。エリア外からの侵入。絹旗の報告。副島はひとりで逃げ出していた。

 

「そんなの後回しよ。どうせ全部死人。動きはしないわ。確認は後からできる。それより、絹旗。アンタは滝壺を連れて上層から虱つぶしに捜しなさい。フレンダ、アンタは私と一気に地下まで降りるわよ。勿論、犯人は生け捕りね。色々と聞きたいことがあるから」

 

 麦野沈利は、面白くなってきた、と言わんばかりに唇を舌で湿らせた。

 

 

 



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episode19:窒素装甲(オフェンスアーマー)

 

 

 

 影も形も見えぬ襲撃者に気を張り巡らせつつ、ブラックフライ一同は樋口製薬支社ビルの下層へと到達していた。万が一、"バタフライ"が口にした"奴等"と遭遇すれば、状況からして戦闘は避けられない。都合の悪いことに、相手の情報は微塵も持ち合わせていない。

 

 ただひとつだけ判断できるのは、襲撃者達が恐るべき手練であることくらいだった。彼らはごく少数で、この巨大なビルを制圧したのだ。ブラックフライのメンバーは、そこいらのゴロツキよりはるかに肝の据わったメンツではあった。だが、誰ひとりとして正面切っての戦闘を望んではいなかった。

 

 修羅場を経験した場数には、それなりに自信があった。銃撃戦では怖いもの知らずであったし、それで何人も殺している。けれども、思い上がっていたのかもしれない。赤髪の少年は、在りし日の路地裏とはかけ離れた、ほのかに死の香る空気を胸に吸い込んだ。

 

 歪な静けさの中、言いようのない焦燥と恐れを感じ取る"ファイアフライ"は、"ギャッドフライ"の能力に手を合わさずにはいられなかった。どれほど心を奮い立たせようとも、臆した彼の靴裏はぎこちなく床と衝突した。緊張が身体を硬直させている。そのような有様だったが、いくら雑に踏み出そうとも足音はほとんど立たなかった。同僚の能力なくしては盛大に雑音を響かせていただろう。

 

 先行する"ギャッドフライ"は常に冷静であった。可能な限り、接敵しないように丁寧に索敵しつつも、大胆に移動した。その動きには徹底した合理性があった。単に"場慣れ"しただけで、かような動作が身につくとは思えない。彼の出自にはただならぬものがあるにちがいない。赤髪は頼りになる仲間の背を見つめ、俄かに出現した小さな猜疑心を押さえ込んだ。

 

 そして、唐突に気づく。出自の気になるもうひとりのメンバー。腹から爆弾を作り出した巨漢のことを思い浮かべ、振り向いたその時。危うく声を上げそうになる。最後尾にいるはずのモヒカン男が見つからない。いつのまにか姿を消していた。"ファイアフライ"は小さく、掠れた声を精一杯に張り上げる。

 

「クソッ。デブちゃんが居なくなってんぞッ」

 

 3人とも、物陰に潜む敵対者ばかりに意識を向けていた。加えて、"ギャッドフライ"が皆の足音を極限まで小さく抑えていたことも裏目に出たのだろう。誰もが、巨漢の消失を察知できていなかった。"グリーンフライ"は予想外の事態に困惑を隠せずにいる。

 

「どこではぐれたんだよう。かっぱらったブツの半分はアイツがもってんだぞう」

 

 ありありと表情に苛ちを顕にした2人は、巨漢の消失にも顔色を変えない"ギャッドフライ"へと意見を求めた。両名ともに、金銭に執着するその金髪の男は、"シャッドフライ"を捜索する、と言い出すはずだと覚悟を決めつつあった。しかし、意外にもその期待は裏切られた。

 

「シャッドフライは諦める。今は脱出することに全霊を注げ。気を抜くな。暗部の非正規部隊なんぞに補足されれば、後はない」

 

 3人は素早く意見を合致させた。迷いなく、ビルから脱出せんと動き出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "バタフライ"が口にした通りに、そのビルの中層には数多くの実験室が設置されていた。絹旗最愛はフレンダからの連絡を手がかりに、先んじて謎の侵入者の影を捉えていた。

 

 彼女からの、『研究室の薬品が荒らされている』との報告から、ある程度侵入者の狙いに目処が立つ。金銭目当てか、産業スパイの類か。手がかりは少ない。まずは単純に、火事場泥棒に来た輩であるのかも知れないと推察したのだ。それでも、一体どうやって彼女たち"アイテム"の行動を把握したのか疑問が残るが。

 

 絹旗の予想通りに、研究室の一室に身を潜めた巨体を発見する。その男は不可解な出で立ちだった。その男の体中に、ねばつく謎のジェルがこびりついている。僅かな薄明かりでも、はっきりとその瑞々しい光沢が確認できた。

 

(滝壺の予想が超的中しましたね。呑気に背後を晒して、研究データの盗み取りですか。金庫室へ向かったフレンダにも超連絡を入れてあげたいところですが……)

 

 絹旗はとうの昔に、"窒素装甲(オフェンスアーマー)"を展開させていた。窒素でコーティングされたブーツ裏は、極めて柔らかい窒素の層を纏っている。大能力者(レベル4)である彼女にはその層を、その気になれば大口径のライフル弾すら縫い止める驚異の硬度まで圧縮させられたのだが。彼女はあえて、能力を抑え、応用した。当然、接地面からは無音の、軽やかな空気の流れが生じるだけである。

 

 

 無防備に背中を曝け出し、画面に夢中となっているその巨漢へと、絹旗はしのび寄る。滝壺は離れたところに避難させている。敵の反撃を恐れての判断である。それに加えて、絹旗は自身の戦闘能力にも自信があった。相手を無力化させた後で、滝壺の"能力追跡(AIMストーカー)"に対象の能力を記憶させるつもりである。もし、相手が能力者であった場合は。

 

 影のように、男へと気取られずに近づいていく絹旗だったが、その目論見はあっさりと失敗に終わる。その部屋の薄暗さが災いした。床に、男から放射状に広がるように、うっすらと存在不明の液体が張っていた。絹旗はそれに気づけず、見逃した。羽のように空気を広げて床に接地させていたが、にもかかわらず。僅かな圧力に反応し、その液体は過敏に発火した。極めて不安定な物質だったのだ。

 

 巨漢はギョッとした様子で、隙無く振り返った。全身から警戒を滲ませている。

 

「ちッ。超ぬかりました!」

 

 そのモヒカンの男は、慌てて無理矢理にコンピュータからフラッシュメモリを抜き取った。その動作を視界に映す前に、既に絹旗は男目掛けて飛びかかっていた。"シャッドフライ"は大いに肝を冷やしたことだろう。ギリギリで前に飛び退り、なんとか絹旗の突撃を回避していた男は。眼前で、ひしゃげた計器から盛大に飛び散る火花を目撃した。小柄な少女が放った、たった一発のパンチで、頑丈な機械はまるで大型トラックがぶつかったように変形している。

 

(雑魚の割には、いい動きですね……ッ)

 

 目の前で起こった現象によほど動揺したのだろう。尻餅をついたまま、男はしばし呆然と静止した。絹旗は舌打ち混じりにコンピュータに刺さった腕を引き抜く。その仕草に、男はようやく反応した。勢いよく立ち上がるのと同時に、盛大に息を吸う。

 

 少女が飛び込む瞬間を狙い、男は口から煙幕を吐き出した。絹旗の突き出した腕が空を切った。再び壁面に突き刺さる。素早く部屋中に視線をはりめぐらせるも、有色のガスが満ち満ちた空間からは男の姿を捉えることができなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 絹旗は窓ガラスを突き破り、ガスの充満した部屋から脱出した。それでも、彼女には何事もなく無傷である。能力で形成された窒素の装甲は、機械やガラスの破片、ガスから彼女の身を完璧に守り通した。

 

「滝壺!無事ですか!?すみません。超逃がしました!」

 

「私は大丈夫。きぬはた。安心して。対象のAIM拡散力場も記録できてる」

 

 急ぎ滝壺と合流した絹旗は、仲間の安否を確認して胸をなで下ろした。

 

「対象は、下層へ向けて逃走中。速い」

 

 滝壺の言葉を耳に、絹旗は苦々しい顔付きを見せつつも、手早く"アイテム"のリーダー、麦野沈利へと通信を入れた。

 

「麦野。すみません。1人逃がしました。麦野の予想通り、地下へと逃走中です」

 

 絹旗の恐れを余所に、麦野からの反応は穏和なものだった。

 

『そっちは1人か。こっちはたった今3匹見つけたところよ。下へ逃走、か。どう考えても侵入経路は地下みたいだね。いいわ、逃したヤツは放っときなさい。アンタ達は真っ直ぐこっちへ降りてきて。今、"近道"作ったげるから。滝壺。位置は大丈夫?』

 

「大丈夫。問題ない。むぎの」

 

 滝壺の返答のすぐ後に。彼女たち2人の視界に、空へと突き抜ける、圧倒的な閃光が迸った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 慎重に慎重を重ね、ブラックフライの3名は地下の広々とした駐車場へとたどり着いた。このスペースの真下が、彼らの侵入口のある下水処理施設となる。即ち、ゴールは目と鼻の先だ。

 

 彼らの目に映るのは、大きな金属扉。その向こう側が駐車場だ。見覚えのある扉に、"ファイアフライ"は喜び、一息に下水処理施設まで駆け抜けてしまいたい衝動にかられた。しかし、それは束の間の喜びとなった。"ギャッドフライ"と"グリーンフライ"は彼とは真逆に、少しも嬉しそうではなかったからだ。重々しく、金髪の男が呟いた。

 

「今まで随分と静か過ぎた。都合が良すぎる。唯の幸運で済めばいいが。そうでなければ。……そろそろ仕掛けられる頃合だろう。覚悟はいいな?」

 

「ああ。……先頭はアンタでいいのかよ?」

 

 "ファイアフライ"はしかと頷き返す。彼に追従するように、"グリーンフライ"も肯定の意を返しつつ、最後の確認を投げかけた。

 

「ヘマでもされたら耐えられないからな。俺が行く。姿勢を低くしろ。絶対に立つな」

 

 "ギャッドフライ"はそれまでの行軍で見せてきた繊細な動きにより輪をかけて、息を殺し扉を抜けていく。駐車場に点在する車両の陰を縫うように、丁重に歩を進めていった。

 

 彼は車両を背に、彼の位置とは反対の方向へと指でサインを送った。"グリーンフライ"は銃器をしっかりと腹部に固定すると、床に手足をつけた。四つん這いのまま、音もなく近くの車の下へと滑るように向かっていく。

 

 "ギャッドフライ"が、"ファイアフライ"へとハンドサインを指示した。先行した2人よりも、より奥の車両へと指が刺されている。"ファイアフライ"は緊張に負けじと、中腰のまま車の隙間を駆け出した。

 

 一目見た限りでは、敵の姿は何処にも存在していない。遠目に見えた、下水処理施設の入口に付けたビーコンにも、反応は無し。敵は近辺に居ない。思わず、"ファイアフライ"は"ギャッドフライ"が示した場所から、ほんのわずかに奥まった車両へと移動した。

 

 いや。移動しようと試みて、最後の車両間を跨ごうとした瞬間だった。

 

 "ファイアフライ"は朧げに光と熱を知覚した。そして。その次の瞬間には、地面が目前に迫っていた。不覚を取った。緊張で転倒してしまったのか。床に手をついて、衝撃を和らげる。まずい。体が思いっきり車両の陰からはみ出ている。これでは、自分の姿が丸見えではないか。周囲の空気が一気に、チリチリと熱を帯びている気がする。

 

 ようやく、"ファイアフライ"は不自然さに気づいた。慌てて立ち上がろうとして、失敗した。当惑した表情に亀裂が入る。彼の、その左足の膝から下が無くなっていた。遅れて。体中から、熱気が沸き立つ。

 

 

 

「……つッ…………はああ?お、あ、――――ッ痛ぇええええええエエエエエエエエエエエエエエッ!!!!なんだ?なんだッ?どうして足、あしぃ――ぁぁぁいてえよおおおおおおおおおおおおお」

 

 彼が影を晒した刹那の間に、音も無く、稲光の如く閃光が煌めいた。火線は"ファイアフライ"の身体と交差していた。最後の爪が甘かった。気をはやらせ、軽率に距離を詰めた赤髪の、その左足は消滅した。文字通り、灼熱の閃光に瞬く間に燃やし尽くされていた。

 

 目尻に涙を浮かべて、"ファイアフライ"はぶすぶすと肉の焦げる音を生じさせている、自身の左膝の、その断面に手を這わせた。じゅわり、と被せた彼の手は火傷し、火脹れと炭の欠片が所狭しと付着した。彼の炭化した左ひざの肉片の、炭の欠片だった。所々赤黒く、血が混じっている。だが。幸いにも、血管まで焼けていたために、出血は微々たるものだった。代わりに、骨と神経を焦がす苦痛が、"ファイアフライ"の正常な思考を著しく侵食していく。

 

「あづううううううううううういいいぃぃぃ……いてえよお……いてえよぉぉおぉぉぉ……いてええよぉぉぉぉぉぉっあしっ足がぁぁぁぁぁぁぁ……」

 

 

 

 

 

 

 泣き喚く"ファイアフライ"などお構いなしに。彼の頭上では、"ギャッドフライ"の投擲した閃光手榴弾と、謎の閃光の柱が直ちに交差した。称賛すべき状況判断速度のもと、"ファイアフライ"の転倒と同時に瞬時に閃光手榴弾を放っていた"ギャッドフライ"は、先程通り抜けてきた扉へと躰を飛び跳ねさせていた。彼は、即座に仲間を見捨てたのだ。

 

 閃光の柱は糠に釘を打つように、"ギャッドフライ"の身を隠していた車を貫通した。彼が背をつけていた、寸分違わぬ位置に、大穴が空く。彼は殺傷される寸前であった。閃光手榴弾の裂光に紛れ、"ギャッドフライ"は辛うじてその閃光を躱すと。その回避運動と一緒くたに、駐車場の外へ出る扉を潜っていた。

 

 直ちに追撃の閃光がいくつもいくつも放たれ、頑丈な金属製の扉は蓮根の輪切りのように穴だらけになった。しかし、彼は逃走に成功していたようだ。それ以上は、何の音沙汰もなかった。

 

 "グリーンフライ"は眩しい光景の下、辛うじて、身を隠す位置を別の場所に移せていた。それだけが、あの瞬間に唯一彼にできたことだった。馬鹿げた火力を誇る閃光の持ち主が、狙いを変えた。直後、彼が先程隠れていた車が発光し、爆発した。

 

 

 

 

 

 "ファイアフライ"の悲痛なすすり泣きだけが、駐車場内をこだまする。永遠に続くかと思われた、その緊迫とした空気は。若い女の声で、あっという間に幕を閉じた。

 

「フレンダ。悪い。そっちに1人行ったわ。……うん。そうそう。生け捕りよ、生け捕り」

 

 

 位置を悟られないように、"グリーンフライ"は努めて息を潜め続ける。錯乱する"ファイアフライ"は、恐らくは閃光を放った女の口にした"生け捕り"という単語に一縷の希望を見出した。

 

「あ、あんたぁっ!勘違いしてるゥッ!オレたちは敵じゃない!敵じゃないんだぁぁっ!殺さないでくれよぉ、ぜんぶ、ぜんぶ話すぅッてッ!そしたらきっとわかるっ"ベルゼブブ"が裏にいるんだぁっ!俺たちはきっと裏で繋がってるんだぁってぇぇえ!」

 

 雇い主の名を躊躇いもなく口にする"ファイアフライ"を前にして、"グリーンフライ"は恐る恐る拳銃に手をかける。前触れ無く、敵対者の足音が反響した。彼は再び、一切の動作を停止させねばならなくなった。

 

 

「はぁ?何言ってるんだか、コイツ」

 

 無防備なことに、陰から1人の、大人びた少女が現れた。柔らかな栗色の髪を靡かせ、美しく整った相貌を持つ少女だった。しかし、表情を嗜虐的に歪ませる、その仕草は板についている。己以外の全てを見下すような、侮蔑の含まれた視線と相まって、見る者によっては彼女に冷たい印象を思い描くだろう。慄き苦しむ赤髪の少年は、少女の接近に顔色を蒼白に引きつらせた。

 

 周囲を油断なく見渡していた栗毛の少女へ、再び仲間から入電があった。ややして、何時何度、銃弾が飛び交うかわからぬその状況下で、少女は口元を面映そうに歪ませる。

 

「そっちは1人か。こっちはたった今3匹見つけたところよ。下へ逃走、か。どう考えても侵入経路は地下みたいだね。いいわ、逃したヤツは放っときなさい。アンタ達は真っ直ぐこっちへ降りてきて。今、"近道"作ったげるから。滝壺。位置は大丈夫?」

 

 その場に居たブラックフライの2名は、その後、自身の目を疑った。閃光を繰り出していた人間は、やはり栗毛の少女だった。彼女が無造作に天井へ放った光柱は、容易く分厚い壁材を溶解させた。光線の先端は、きっとどこまでも天高く、ビルごと貫き通したのではないか。2人が思わずそう捉えたほど、その閃光は圧倒的なものに見えた。

 

 その光景に、必死に転がった銃へと手を伸ばしていた"ファイアフライ"から、抵抗する意欲の欠片すら失われた。

 

「殺さないでくれぇぇぇぇ……っは、はなしをきいてくれぇ。はなしをきけば、わかるぅって……"ベルゼブブ"に頼まれたんだぁッ!あんたたちのボスか、それに近いヤツのはずなんだっ、オレを捕まえていけばわかるっ、わかるんだっ、この、まま、生け捕りにしていいからぁっ、殺さないでくれよぉぉ……」

 

 恐怖に震えながらも、涙し、足元へと這いずり寄る赤髪の少年を目にして。立ち塞ぐ少女は声に愉悦の色を溢れさせる。

 

「"ベルゼブブ"? なぁにそれ。ふふふ。心配せずとも、アンタのお仲間を全員クビり出すまでは生かしといてあげるわよ。そこに隠れている奴が助けに出て来てくれると嬉しいんだけど」

 

 その言葉を聞いた"ファイアフライ"は、苦しみにしかめていた顔を微かに綻ばせた。

 

「た、たの、む。はや、く。はやくっオレをっつ、つれて……行って手当を、手当をっ……痛くて気が狂うぅぅ……いそうぅだぁ……っ」

 

 激痛に朦朧とする"ファイアフライ"が、少女の足へと手を伸ばした。しぶとく身を隠す、もうひとりの侵入者へと気を向けていた麦野沈利は一時、虚を突かれた。素早く脚を払うも、彼女のストッキングには少年の血と炭の跡が残った。形相が一変する。

 

「何晒してくれてんだ?アァ?」

 

 その様はまるで、虫ケラ(Black fly)を相手に臨むものであった。少年に対する慈悲の心など微塵もなく、麦野は冷徹に彼の左ひざを踏み付けた。

 

「あぎゃあああああああああああああああああああああ」

 

「うるせぇんだよ、虫ケラ」

 

 水滴が高温の物体に弾け、一瞬で蒸発するような。光とともに、液体が即座に沸騰するような、激しい濁音が轟いた。その音を境に、"ファイアフライ"のうめき声は鳴り止んだ。

 

 

 

 

 

 麦野沈利が残る1人へ意識を戻した、その時。

 

「麦野、今の悲鳴は!?」

 

 天井に空く大穴から、滝壺理后を背負った少女、絹旗最愛が落下した。彼女たちの登場を予測していたのだろう。麦野沈利は振り向きもせずに、背後へと注意を促した。

 

「2人とも気をつけなさい。この駐車場にまだ1人ネズミが隠れているから。3人いたんだけど、1人逃がしちゃってね。あとの1人はそこに転がってる。逃げた奴はフレンダが追っているわ」

 

 地に足を付け、滝壺は着用していたジャージの縒れをいそいそと整える。彼女はその場の状況を確認する間もないうちに、急ぎ麦野へと問いかけた。

 

「むぎの」

 

「わかってるわよ。ほら使って」

 

 返答とともに懐から取り出されたのは、じゃらじゃらと錠剤の入る小さなケースだった。投げ渡されたケースを危なげに受け取ると、滝壺は躊躇なく、中から一粒取り出し咥え込む。すぐさま、彼女の瞳は極限まで見開かれ、両の眼球が不規則な軌道を描きだす。

 

 

 

 

 

 

「ちょうどいいわ、絹旗。あの辺にそこの車を投げ込んでくれない?私がやってもいいんだけど、当たり所が悪かったら殺しちゃうのよね」

 

「超お安い御用です」

 

 不敵な笑みの元、絹旗はすぐそばに停まっていたセダンを、片手一本で軽々と持ち上げた。常軌を逸した怪力も、少女たちにはとりわけ驚くべきことではない様子である。

 

 振りかぶる絹旗の虚を突くように、滝壺が叫び声を張り上げた。

 

「敵がひとり、こっちに向かってくる!正面入口!っ来た!」

 

 滝壺の言葉通りに、穴だらけになった扉入口の隙間からまるまるとしたシルエットが露見する。その影を捉えた絹旗は反射的に、手にしていた車両を扉へと投げ撃った。

 

 駐車場へと飛び込んでいた巨漢は器用に飛び伏せ、地を這うように体をスライドさせた。彼の頭上では、放たれた閃光が飛来する車を貫く。間を開けず爆発し、男は数メートルほど吹き転がった。

 

「シャッドフライかよっ?!」

 

 "グリーンフライ"は決死の覚悟で、車両の裏から声をあげた。離れた場所から、返事がかえされた。

 

「……ニゲロッ!オレが時間を、稼ぐッ!」

 

 カチリ、と金属音が響く。"グリーンフライ"は覚悟を決めていた。銃を構え、少女たちを狙いつつ、走り出した。

 

「カッコつけてんじゃねえようッ、おデブ!お前さんも走れぇッ!」

 

 "グリーンフライ"は少女たちへと闇雲に発砲し続け、下水処理場への扉を目指した。"シャッドフライ"も機を逃さず射撃を行い、前進を試みる。

 

「ちィッ。絹旗!ソイツを抑えときなさい!」

 

 麦野は滝壺を庇うように一歩進み出る。湯水のように撃ち出していた光の柱を、彼女は造作もなく円盤状に展開し、男達の銃弾から仲間を守った。

 

 

 

「貴方、超いいカンしてますね。私には一発も撃ち込みませんか。ですが、私の接近を超食い止められなければ、即、詰みですよっ?」

 

 絹旗の発言は、巨漢には届いていなかった。彼女は能力を展開し、男へと砲弾のように跳躍していたからだ。

 

 "シャッドフライ"は慌てて、再び口から煙幕を吐き出した。煙の壁を前にした絹旗は即座に停止する。しかし、同じ手が再び通用するものか、と。彼女は嘲るように頬を歪めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カチカチ、と弾切れを知らせる音を耳にして、"グリーンフライ"は苛立たしげに鉄塊を放り捨てる。全力を振り絞り、下水処理場への扉へ飛び付くが。

 

「バレバレなのよ」

 

 滝壺を庇う必要のなくなった麦野は、淡々と光線を繰り出した。健闘むなしく、"グリーンフライ"は扉を目の前に、大地に転がった。

 

 

「あ。んー……」

 

 

 滝壺はぼそりと呟いた。その様子に気づいた麦野が口を開く前に、今度は絹旗から呼び出しがかかった。

 

「滝壺。位置を教えてください」

 

 いきり立つ絹旗を、麦野は柔らかく押しとどめた。

 

「あれじゃめんどいでしょ、絹旗。私に任せなさい。滝壺、位置は?」

 

 煙の中に身を隠す敵の位置を、滝壺は寸分の狂い無く把握した。情報を得た麦野は、閃光を細く束ねて、威力を抑えた一撃を放つ。

 

 しかし、それは"シャッドフライ"に命中しなかった。巨漢が煙幕から飛び出す。麦野の攻撃は、イチかバチか"シャッドフライ"が煙の中から出ようと図ったタイミングと奇跡的に重なっていた。

 

「あらぁ?運がいいわね。それじゃあ、ご褒美にコイツをど・う・ぞ」

 

 快感に酔いつつ、麦野は狙いをつけた。懸命に走る巨漢の下腹部へと、細く練った火線を当てる。致命傷にはならない。だが、内蔵は焼き払われ、壮絶な痛みを味わうはずだ。じきに男はじわじわと地獄の苦しみを味わい、地に倒れ悶え苦しむことになる。

 

 そのはずだった、が。麦野の放った光線が、男の腹部に的中すると同時に。まるで風船を針でつついたように、男は爆散してしまったのだ。

 

「――ッ!?」 「え、ええ!?」

 

 爆音で、麦野と絹旗の驚愕の声はかき消された。滝壺は不思議そうな面持ちで、小首をかしげている。

 

 

 

 

 

 なんとも言い表せぬ表情の絹旗が、ぎこちなく麦野へと振り返った。気まずそうな顔を浮かべ、麦野はそっぽを向いた。

 

「な、なによ。……私のせいじゃないわよ……。さ、さあ、とりあえずひとりは押さえたんだし、フレンダに成果を訊いて――――」

 

 

 絹旗と顔を合わせぬようにつかつかとうつ伏せる"グリーンフライ"へ歩み寄った麦野は、とうとう二の句を告げられなくなった。胴体のド真ん中に黒焦げの大穴を空けた"グリーンフライ"が、苦しむことなく絶命していた。麦野の閃光が着弾する間際。彼は運悪く躓き、その人生を終えていたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「結局。麦野が全員殺した訳ですが」

 

「ちょっと!フレンダみたいな言い方はやめなさい」

 

 絹旗の瞳から色が失われていく。一方、滝壺は先程から変わらず、不思議そうに頭を傾けている。麦野は矢庭に体をヒネリ、2人へ背を向けた。

 

「……はぁーーっ……はいはい。私が悪かったわよ。これはもう、フレンダに期待するしかないね……」

 

 

「超珍しいですね。麦野が自ら非を認めるとは。フレンダが聞いたら超喜ぶでしょう」

 

 絹旗がからかうと、麦野は気恥ずかしそうに、はぐらかすようにフレンダへと通信を図った。

 

「フレンダ。そっちの状況は?こっちは失敗しちゃってね。アンタが最後の……って、どうしたの、フレンダ?返事をしなさい」

 

 何度呼びかけても、フレンダからの反応は無い。仲間の窮地を悟った絹旗と麦野は、顔付きも硬く、視線を交差させた。

 

 フレンダが向かったのは、ビル下層の金庫室だった。目を見合わせ、少女2人は同時に駆け出した。それを、それまで俯いていた滝壺が突如、静止させた。

 

「待って。やっぱり。まだ反応が消えてない。おかしい。……っ!後ろに、い、るっ!!」

 

 滝壺理后が、彼女にしては珍しい、機敏な動作で真後ろへとクビを旋回した。直後に、声なき悲鳴をあげて、硬直する。

 

「ひ――!?」

 

 注意を受けて、同じく背後をのぞき見た麦野と絹旗も、滝壺と同様の反応を見せた。

 

「ご、きッ――!?」

 

「なっ――!?あああ、あれはぁッ!」

 

 少女3名の背後。天井に、逆さに、謎の巨大生物が張り付いていた。見ようによっては、巨大な触手がいくつも生え揃った、クマほどもある巨大なゴキブリだと言えるかもしれない。生物の内蔵をそのまま取り出したような体色に、ねとつき泡立つ体液がとめどなく滴っている。歪な外見の深海生物に、万人が嫌悪感を催すように、更にとって付け加えて手を加えたような。悪意のある、凶悪な形状であった。

 

 一際過敏に奇声を生み出したのは、何故か頬を上喜させた絹旗最愛だ。

 

「あああああああ、アストロヴェノム、ヴァルミシオン!!ななななななぜ!?どうしてっ!?こんなところにぃぃぃぃ!?」

 

「な、なによ絹旗!?知ってるの?!」

 

 動揺を隠すように、毅然とした態度を貼り付ける麦野。かくかくと震える滝壺は、目尻に涙粒を結んでいた。

 

「ぴ、『P.V.A』ですよ!『P.V.A』!!!」

 

 絹旗が叫び上げると、異形の怪物はぶるりと躰を震えさせた。触手を波打つように動かし、じりじりと少女たちへとにじり寄る。

 

「ぴーぶいえー?ポリビニル、アルコール。スライムの、材料……ホウ酸ナトリウムと、エイチツーオーと、ポリビニルアルコールを……1対1で混ぜ合わせて攪拌すると……あんな感じの……すらいむが……」

 

 蒼白な滝壺は、足が棒のように固まっているのか、まんじりともせずその場に立ち尽くしている。ブツブツと小さな声で、不明瞭な呟きをこぼし続けながら。

 

 

「映画です!映画!あの生物、サイキック(Psychic) VS エイリアン(Alien)というC級映画に出てくる宇宙怪獣に超ソックリなんですよ!」

 

 麦野の額から冷や汗がひと雫流れ落ちた。

 

「え、映画のキャラクターだぁ?」

 

「そうです!無限再生能力を誇る地球外来生命体、サイキックの天敵、アストロヴェノム、ヴァルミシオン!超瓜二つです!そのものといっても超過言ではないですよこれはぁぁ!こんなところでお目にかかれるとは……なんという幸運でしょう。あああ、待ってください麦野ぉ!写メを一枚ああいややっぱり動画を撮らせてくださいはわあ!」

 

 慌ただしく挙動不審になる絹旗を諦め、麦野は極限まで警戒を露にする。怪物の頭部らしき箇所に狙いを定め、先手必勝とばかりに能力を撃ちだした。体の一部が弾けとんだネトネトの生命体は「pigyaaaaaaaaaaa」と衝撃に慄いた。

 

「苦しんではいるけど効果は薄いか!クソ、馬鹿いってんじゃないわよ絹旗。映画のキャラクターだってんなら、誰かが仕組んだもんでしょこれは!」

 

 興奮冷めやらぬ絹旗は、激怒した麦野と顔を合わせ、ようやく正常な思考をとりもどした。

 

「あ、う、そうだった!気をつけてください麦野、滝壺!作中ではヴァルミシオンは大量の子分ゴキブリと、強酸性の白い粘液を吹き出してきま――滝壺ッ!超危険です下がって!ああああ」

 

 奇音を響かせた化物の、胸部に付属した顎門がぽっかりと真横に開いた。投網のようにまだらに打ち出された白い粘液が、"アイテム"3人へと降り注ぐ。

 

 絹旗と麦野は能力で対処が可能だった。だが、滝壺は。仲間の助言も虚しく、大量の白濁液に体中を犯された。

 

「……べと、べと……」

 

 一言だけ呟くと、彼女は白目をむいて立ったまま気絶した。そしてふわりと、背中から倒れ込む。すぐに助けにいかなければ滝壺が危険だが、あのまま触れると嫌悪感100%の白い粘液が体にこびりつく。麦野は非情にも、同僚へ命令を下した。

 

「き、絹旗ッ。頼むわ」

 

「ちょ、超最悪ですっ!どうにでもなりやがれですっ!」

 

 動き出した絹旗を支援するように、麦野は天井に張り付く異形へと大出力の熱線を発射した。肉の塊にしか見えないその異形は、初めて大きな動きをみせた。カサカサと気味悪く、天井を逆さに駆け回る。巨体からは考えにくい素早さだった。続けざまに麦野は火線を打ち込んでいくが。異形は蝗の如く跳ね、回避した。

 

 悲壮な面持ちの絹旗は滝壺へと飛びつき、仲間の無事を確かめた。ただちに絹旗の顔に色が戻った。滝壺には何事もないように見える。スクリーン上では人間をドロドロと溶かしていた卑猥な白い液体は、単に悪臭を放つだけの粘液であったようだ。

 

「滝壺は超無事です!」

 

「それならいいわ。それよりアンタ、さっき子分のゴキブリがどうとか言ってたわねっ?」

 

「そ、そうです。窮地に陥ると、ヴァルミシオンは体から無数の幼生体を放出します。といっても、ただのゴキブリですが……」

 

「ツッコむのもアホらしいわよ!とっとと手伝いなさい!」

 

 とうとう、麦野の光線が怪物の脚を数本吹き飛ばす。天井から落下すると、振動と同時に液体の押しつぶされる卑猥な水音が弾けた。怪物はそのダメージをものともしなかった。機敏に起き上がり、突如、うねうねと体をくゆらせ始める。艶やかな外皮の光沢がその動きに合わせて輝く。

 

 怪物が再び顎門を開いた。再び汚らしい音が鳴り響き、白い粘液が麦野たちへと放射される。絹旗は甘んじて滝壺の前にそびえ立った。目と鼻の先、数cmの距離に垂れる白い液体を目にして、生気が失われていく。

 

 麦野は円盾上に閃光を広げて対処した。だが、びちゃりと床を跳ねた液体が少量、彼女のブーツを汚していた。

 

「ナメてんじゃねぇぞコラ!下等生物がァ!」

 

 血管を沸き立たせ、学園都市"第四位"の超能力者がその能力の真髄を開放した。

 

 次の瞬間には。開け広げられた駐車場の空間一帯が、白光で埋め尽くされていた。

 

 目を細めていた絹旗は、頬に外気の冷たい空気を感じた。その風の元を辿ると。彼女は壁に空いた直径数メートルほどの、巨大な空洞を目撃した。学園都市性の壁材は、気が遠くなるほどの強固な耐熱性と耐久性を兼ね備えていたはずだったが。空洞の淵は高熱で赤く発光し、床は焦げて悪臭を放っている。嫌な匂いに顔をしかめずにはいられなかった。

 

 怪物の姿を探す。すぐに、左半身を消失させた異形を発見できた。一面が黒く焦げ、じゅわじゅわと肉が焼けている。決着が付いたかと思い浮かべた、その時。死んでいたと思い込んでいた怪物は、無音のままに、しかし空間を揺るがすほど、力強く吼えた。絹旗にはそう見えた。

 

 残っていた怪物の半身がひと回りほど膨れ上がる。やがて、体中に亀裂が入った。

 

「ま、ずいです!麦野、来ます!」

 

 麦野の横顔を窺い、絹旗は背筋が冷えた。完全に加減を忘れている。彼女は手早く、懐から結晶が輝くカードの束を取り出した。

 

「むむむ、麦野!私たちがここに超いるんですからねえ!?超手加減してくださいよおおおおお?!」

 

 怪物は最後の力を振り絞り、体中から黒い羽虫を大量に撒き散らした。それだけで視界を黒く染めてくれそうであり、遠目に見てもおぞましい数である。絹旗の願い儚く、蟲の大群を前に、麦野は一切の手加減なく能力を行使した。

 

 

 

 ぞんざいに投げ上げられたシリコンの板へ、圧倒的な熱量を有した閃光が注ぎ込まれた。結晶が光の柱を幾重にも分散させる。そして部屋中に、無数の光柱がばらまかれた。麦野の頭上を頂点に、光線の針山が羽虫を巻き込みつつも、床へと広がり吸い込まれていく。

 

 絹旗は地震と間違うほどの振動を知覚した。滝壺を庇うように身を寄せる。穴だらけになった床が崩壊した。怪物と少女たちは、真下の階へと落下していく。

 

 

 

 浮遊する感覚の中、絹旗は闇に煌くひとすじの光線を目に捉えた。それは力なく転がる異形の中心を貫通し、消滅した。絹旗はそのまま、目で怪物の跡を追っていく。空中でドロドロに溶けた怪物は力なく、下水へとつながる排水路へと着水して。跡形も見えなくなった。

 

 

 

 

 

「これは流石に……少しやりすぎたかしら」

 

 埃に塗れた麦野沈利は瓦礫の山を踏みしめ、しみじみと言い放った。意識のない同僚の安全を確認した絹旗は、喉から出かかったあらゆる種類の文句を全て飲み下すことにした。未だに機嫌が悪そうである。今、"原子崩し(メルトダウナー)"を刺激するのは大変に危険だった。

 

 絶妙なタイミングであった。心配していたフレンダから連絡が入る。やはり、彼女は"持っている"に違いない。絹旗はフレンダの通信を訊いてくすりと微笑んだ。

 

『む、麦野ぉぉぉ……。ごめんね……。そのぅ、逃げたって言ってた奴、見つからなくて。これでも必死に探してた訳よ。そしたら……アタシが回収し忘れたトラップに、引っかかってて……死んじゃっ、て、た、みたい……な?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "サンドフライ"は苛立たしげに足をゆすり、運転席のシートに深くもたれかかった。予定時刻を5分過ぎても、仲間がやって来る気配はない。

 

「……潮時だな。悪い、皆。ここはトンズラさせてもらう。……くたばってねえ事を祈ってるぜ」

 

 彼は勢いよく、アクセルを吹かす。同時に、暫くの間、注意深くバックミラーをのぞき続ける。

 

「ちッ」

 

 2台ほど、不審な車両が目に付いた。その動きはどのように考えても、彼の乗っているワンボックスカーを追跡しているとしか思えなかった。

 

 "サンドフライ"はブラフを貼ってみた。慌てて逃げ出す風を装い、勢いよく車間を縫って走り出す。目星をつけていた2台とも急変した。彼の乗る車へと接近を図ってくる。

 

「くっ。やっぱ失敗してたのか。んだよ、結局、稼げたのは200万とちょっとか。……まあ、半蔵はどうとでもなることだし。問題は駒場さんだな。畜生、何て言い訳するかな」

 

 暗部の車両2台に追跡されてもなお、"サンドフライ"こと浜面仕上は、余裕の表情でハンドルを操った。

 

 自信が示した通りに、彼は僅かな間に、難なく追手を振り払っていた。相手はやはり、"アイテム"が急遽間に合わせに放った追跡部隊だった。"アイテム"メンバーから暗躍者の報を受けた後衛の支援部隊は大いに焦った。急発進した不審車両の追跡に、ビル周辺に展開していた別の部隊を振り分けるしかなかったのだ。そのため、数が極端に少なかったという幸運も確かにあったのだが。それ以上に、彼が無事に逃げ延びた要因は、彼自身の運転技術・状況判断能力の高さによるものが大きかった。

 

 これを期に、浜面仕上は。有能な"運び屋"として、"アイテム"の下部組織に目星をつけられることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局は。"アイテム"の仕事の隙を付き、裏でこそこそと"何か"を画策していた者たちを生け捕ることはできなかった。唯一の生き残りが載っていた、ビルの近くに張り付いていた不審車両にも、あっさりと出し抜かれたらしい。

 

 後は組織のスタッフが死人に問答を行うだけ。そんな無味乾燥な仕事、毎度毎度やらされる奴らはたまったもんじゃないわねえ、嫌気がささないのかしら、と。事の顛末の通信を聞き終えた麦野沈利は、落ち着きを取り戻し哀れんだ。

 

 彼女に八つ当たりに近いお仕置きをくらったフレンダは、ボーッとして虚空を見つめている。ステーションワゴンの後部座席で、滝壺は横になっていた。まだ意識を取り戻してはいない。

 

 麦野の携帯が振動した。ようやく来たか、と"第四位"の超能力者(レベル5)はそれまでの不機嫌さを綺麗に吹き飛ばし、満面の笑顔で通話に対応した。

 

「こんばんわ。うふふ。黙りなさいよ、マヌケにも情報を漏らしたエージェントさん?口汚い言い訳をする前に、何か言うことがあるんじゃない?粗相の後始末を代わりに殺ってあげたのは一体誰だったかしら?」

 

 至極機嫌良さげに会話を続ける麦野の横で、滝壺を介抱していた絹旗は彼女たちの話を耳にした。

 

 

 名誉挽回の機会を得ようと死に物狂いの、"アイテム"下部組織、情報部から、続々と報告が上がってきているらしい。その中のある話が、絹旗を驚かせた。奇妙な話だった。

 

 現場に四つ転がっていた死体の中で。死亡推定時刻がどう足掻いても矛盾してしまう人物が、1人、浮かび上がってきたのだという。

 

 その人物は、記録によれば。2日前に、死んでいなければならなかったらしい。第十学区に設置されていた街頭の監視映像に検索をかけると、簡単に引っかかったとのこと。その男は、二日前の晩に。第十学区のスキルアウトの抗争で、心臓に銃弾を受け、確かに死亡していたのだ。

 

 絹旗は凍りついた。彼女が戦った、その男。奴が生きて動いて、あまつさえ、戦闘行為に及び、能力を使用した現場すら目撃しているのだ。死んでいたとはどういうことだ?

 

 

 

 

 突然、目の前の滝壺が音もなく起き上がった。心臓が爆発しそうになる。絹旗は車内で思わず飛び上がった。銅鑼を力任せに叩いたような鈍い低音が響き、ステーションワゴンの天井が無残に変形してしまった。能力が咄嗟に出た。絹旗はほのかに顔を赤らめた。

 

「何してるのよ、絹旗。気をつけなさい……って、あれ。滝壺、目を覚ましたのね。ちょうどいいわ」

 

 麦野が取り出した体晶の容器を見て、絹旗は滝壺の容態を懸念した。ところが、目を覚ました滝壺は鼻息も荒く、能力を行使する気満々である。体晶を飲み込み、滝壺は眼球を瞬かせた。

 

 『急にどうしたのよコラぁこいつときたらーっ!無視すんじゃないわよーっ!!』と、麦野の携帯から雑音が飛び出してくる。麦野はうっとおしそうに、携帯をそのまま無人の助手席へと放り投げた。

 

「確かめて欲しいことがあるの。滝壺、あのビルで戦った能力者のAIM拡散力場、まさか、いまだに感じ取れたりはしないわよね?」

 

 

 小さく体を痙攣させる滝壺は、僅かにだが苦しそうに息をついた。そして、それまで"アイテム"メンバーが接してきた中で、初めて。彼女はとりわけて一等に真剣な表情を、形作った。

 

「……それは、感知できない。たぶん、死んでいると思う」

 

「ふうん。そうなの」

 

 麦野は腕を組み、俯いた。

 

「それより、言わなきゃならないことがある。麦野、絹旗、あの太った男のAIM拡散力場の反応、あの男が爆発して死んだあとも、暫く残っていたの。そして……実は、あの怪物も、AIM拡散力場を発していた。まるで能力者みたいに。そしてそれは……それは、太った男ととっても良く、似ていた……とても、似ていたの……」

 

「どういうこと?滝壺」

 

 怪訝な顔付きの麦野は、矢継ぎ早に話を急かした。

 

「正確には、同系統の反応、かな。ううん……どういえば、いいのか。同系統の能力者は、他の系統と比べれば、やっぱり似ているように感じるもの、だけど。あの男と怪物の情報は、それ以上に似通っていた、気がする。でも、完全に同じものでは、無かった……」

 

「ありがと、滝壺。色々と不可解な情報が上がってきててね。アンタの言う、その男。どうやら、二日前に死んでなきゃおかしい人間だったみたいなのよ。アンタの教えてくれたことが、解決の糸口になればいいんだけど」

 

 滝壺は目を瞑り、深呼吸をひとつ行った。しばらくして、再び口を開く。

 

「大丈夫。もし、また似たようなAIM拡散力場の情報を探知したら、すぐに教える」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深夜二時。丑三つ時と呼ばれる頃。第七学区を横断する大きな河のほとりには、人っ子一人存在せず、無人であった。夏場ならいざ知らず、四月初頭の夜はそれなりに冷え込み、薄暗い河の河川敷には、夜通し騒ぐスキルアウトたちすら見当たらなかった。

 

 闇の中。1人の少年が、河の淵から岸へ、ゆっくりと音を立てずに身を乗り上げた。彼はつい先程まで、"シャッドフライ(蜉蝣)"(かげろう)と名乗り、"アイテム"メンバー3人と戦闘を繰り広げていた。

 

「後は祈るしかないな。ベストは尽くした。あれでバレてたら、諦めるしかないさ。暗部の連中はホントに人間離れしてるからな。本当の目的がアイテムの威力偵察だってバレてませんように!」

 

 深く息を落とし、景朗はまるで宝物を扱うように丁重に、胸元から小さなフラッシュメモリを取り出した。祈るように、大事そうにそれを両手で包み込む。その中には、樋口製薬が過去、"第二位"の能力を応用しようと試みた企画の研究データが詰まっていた。

 

「まあ、運良く第二位のデータが手に入ったから、運は悪くなかったはずだ。信じるしかない。うまくいかずに凍結した計画みたいだったのがちょっと残念だけど……。ないよりマシだろ、きっと」

 

 御坂さんより、まずは"第二位"を優先して考えないとな、と呟きつつ、景朗はぐったりとコンクリート塀に背中を付けた。

 

 自らを落ち着かせるように、目を閉じ深く考え込む。彼は心配だった。"アイテム"には、自分がちょっかいを仕掛けたことを、絶対に知られたくなかったのだ。そのために、足りない頭を振り絞り、稚拙な計画を組み立てた。そしてそれを、潤沢な資金を頼りに実行に移した。それは"実行"というよりは、"ゴリ押し"したと言ったほうが良いものだった。

 

 

 

 

 

 

 三月の半ば。怪しまれぬ程度に、"猟犬部隊(ハウンドドッグ)"の情報網を使い、なんとか"第四位"の超能力者が"アイテム"と呼ばれる組織に所属していると突き止めた。だが、そこから先が問題だった。

 

 すなわち、"第四位"に戦闘行為を仕掛けるということは、等しく、"アイテム"と敵対するということになってしまうのだ。ただでさえ"超能力者"相手にケンカを売り、禍根を残す行為に嫌気がさしているのに。正面からぶつかれば間違いなく、個人ではなく組織をまるごと相手取らなければならなくなる。冗談ではない。

 

 情報をもっと集めたかったが、統括理事会の最暗部で跳梁跋扈している非正規部隊の秘密を探るのは非常に難しいことだった。例え景朗が"猟犬部隊"に所属していようとも、公に行うには多大なる勇気と運が必要になる。

 

 暗部の世界では、どこに諜報の芽が潜んでいるかわかったものではない。同じ部隊に所属していようとも、"猟犬部隊"の輩に根掘り葉掘り"アイテム"の情報を尋ねるのは危険だ。

 

 その時、景朗は木原数多のまとめたリストに、頭一つ飛び抜けた難易度となる依頼を発見する。それまでの情報からなんとなく、"アイテム"の役割は、自分たち"猟犬部隊"とほとんど同質のものであると察せていた。

 

 難易度の高い依頼は、当然、報酬も高くなる。超能力者を有する非正規部隊(アイテム)が、この依頼を受けずして、一体どの依頼を受けるというのだろう。どうやらアレイスターの直轄部隊である"猟犬部隊"は、機密性も暗部の内では最高峰であるらしかった。憎らしいが、アレイスターの情報規制技術は信じるに値する。

 

 軽く調査したところ、樋口製薬第十六学区支社は、過去に"第二位"の能力の研究を行っていた時期があるという。景朗は賭けに打って出た。

 

 自分がレベル5へと到達したあの晩。土壇場で"人材派遣(マネジメント)"が裏切ってくれたことを、逆に感謝すらしてしまいそうな気分であった。そのおかげで、彼に怯える"人材派遣"には、ほぼ絶対の服従を誓わせることができている。

 

 金をばら撒いて、欲望のままになんでも犯罪を犯す、札付きの悪たちを操ろう。

 

 景朗は命じるがままに指令をこなす、金で雇われた無頼漢どものチームを組織した。コードネーム、"ブラックフライ(Black fly)"。自ら変装し、その中の1人として潜入した。

 

 変装には一番に気を使った。暗部の情報網を辿り、"死体置場(モルグ)"と名乗る、警備員(アンチスキル)や裏稼業での諍いの捜査をかく乱するための遺体を販売する業者と接触した。暗部で最後の最後、どん底まで落ちた人間は、死後、遺体すら他の組織に買い叩かれることになっているようだ。

 

 心が痛まぬはずがなかった。だが、"アイテム"という組織まるごとを敵に回してしまう事態を考えれば、覚悟を決めるしかない。"死体置場"から死体を購入し、景朗は体を液状に変化させ、その死体を内側から操っていた。これで現場に残る、DNAやら歯型といった物質的な情報は、全て死人が有していた固有のものとなる。

 

 そこで、"死体置場"で死体を購入した事実から、足がつく可能性を考えた景朗は。

 

「……く、ふふ。ははは。ふふふふはは。きっと、おったまげるだろうな」

 

 景朗は次々と4,5日ごとに、操る死体を変えていった。死体は全て"死体置場"から購入した。最初に購入した死体を操り、その姿で次の死体を買いに行っていたというのに。"死体置場"の奴は、まったく気がつかなかった!

 

 "アイテム"の捜査員が"死体置場"をとっ捕まえて、監視機材をチェックしたら。小便をちびるんじゃなかろうか。数日前に売った死体が、延々と次の死体を買いに来ていたのだから。残した毛髪の遺伝情報まで一致する。

 

 

 

 肝心の樋口製薬第十六支社に対しては、極悪な保安部の部長、副島という男を味方につけた。景朗は一応本心から、利用する以上は、その男の身を案じてやろうと思っていた。やはりそれなりのポストに就いていた男である。聞かれて困らない範囲の情報を伝え、保身を保証してやると。それが真実だと判断したのだろう。気の小さい男は何でもこちらの言うことを聞くようになった。

 

 

 

 景朗は"バタフライ"から連絡が入るまで、姿と名前を"メイフライ"、"デイフライ"といった風に次々と変え、"ブラックフライ"の中でひたすら"アイテム"を待ち伏せた。

 

 最終的なメンバーは、景朗本人である"シャッドフライ"(死体は二日前に死んだ"油河雷造(ゆかわらいぞう)"という男を使用した)に、"ファイアフライ"、"ギャッドフライ"、"グリーンフライ"、"サンドフライ"の5名となった。巻き添えて死なせてしまったら心が痛みそうな人員は、須らく運転手へと指名している。

 

 通常、一般的な学園都市の地下街は、全てのエリアが警備員(アンチスキル)の管理下に置かれている。しかし、今回景朗たちが侵入した樋口製薬支社のビル地下のセキュリティは、樋口製薬支社の方に権限が移譲されていたのだ。樋口製薬の不正を推進するために、裏取引を行っていた樋口製薬の密売人自身が手ずから変更していた。

 

 結論から言えば、内通者の"バタフライ"がセキュリティを無効化させていたため、景朗たちは安心してトイレの壁を爆破してよかったのだろう。

 

 それから先は、概ね順調だった。でも、一つ誤算が生じてしまった。ライバル企業の妨害工作、または、樋口製薬自身の内部工作、もしくは、学園都市上層部のマッチポンプと見せかけるために。景朗には微塵も必要なかった、樋口製薬支社の機密薬品を回収しようとした時だった。

 

 "ギャッドフライ"が命令を無視して突然、"バタフライ"を射殺したのだ。一体何故、奴は命令を無視したのだろう。"ウェルロッド・白凪"なる傭兵崩れの素性のしれない奴だったが、背後に大きな組織の影はなかった。最近学園都市に入ってきた新参者だったからだろうか?

 

 とかく。恐らくは、"バタフライ"が死んだせいで。"アイテム"がこちらの動きに気づくのが早まり、"ブラックフライ"は奇襲を受ける羽目になったのだろう。景朗は、第二位の情報を獲得するために、副島の死体から抜き取ったカードキーを使い、研究室のデータを回収していたため、襲撃の現場に居合わせることができなかった。どのような形で襲撃を受けたのだろう。たどり着いてみれば、"ファイアフライ"が死んでいた。"ギャッドフライ"も行方不明で。まごついている間に、"グリーンフライ"も死なせてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 薄暗い河川敷で、景朗は気が滅入りそうになった。その時ふと、偶然にも再開した絹旗最愛のはしゃぎ顔が脳裏に蘇った。

 

「はは。まさか、絹旗さんと再開するなんてさ。暗部の世界は案外狭いなあ。ってーか、絹旗さん、ああいうキャラだったのね。もっとクールなキャラかと思ってた……。まあ、絹旗さんだから良かったけど。黒夜なんかと会ってたらどうなってたことか……ッ駄目だ駄目だ!口に出したら現実になりそうだ。楽しいことだけ考えよ」

 

 誰も知らないエイリアンを参考にしようと思って、わざわざドマイナーな、そしてもう一歩そこから外れた、誰からも見向きもされなかった駄作、『P.V.A』を選んだってのに。なんで知ってるんですか絹旗さん。俺、あのキャラに"あすとろヴぇのむ ヴぁるみしおん"なんていう立派な名前があることすら知りませんでしたよ。ビクッとしましたよ、まったくもう。

 

 それに。まさか、暗部の殺し屋、"原子崩し(メルトダウナー)"さんが、あんなセクシーなお姉さんだったとは思わなくてさ。予定では、割とビシバシ交戦するつもりだったんだけど。メンバー全員が可愛い女の娘たちだとはさすがに予想してなかったから。

 

 それっぽい白い液体(卑猥な液体ではありません)をぶっかけてキレさせて、逃げてしまいました。

 

 もんのすごい怒ってたなぁ、あ、でも、ぶっかけて気絶しちゃった女の娘には不覚にも……ゴホゴホ、ゴホン。景朗は微かに唇を綻ばせた。

 

「くああぁぁぁーッ。さて、と。次は一段飛ばしで、第二位対策を考えなきゃな」

 

 景朗はもういちど、確かめるように手の中のフラッシュメモリを握り締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから。事件後日。通りかかった、第七学区の樋口製薬関連施設にて。滝壺は"ヴァルミシオイン"と良く似た反応を偶然にも受信することになる。"アイテム"の上司に寄れば、樋口製薬第十六学区支社の粛清任務の依頼は、おそらく樋口製薬本部から統括理事会を通して送られてきたものだという。すわ、樋口製薬自身が仕込んだ自作自演だったのか、という疑惑が生まれたが。

 

 しかし。その後も時たまに、滝壺は様々な場所で、"ヴァルミシオン"なるAIM拡散力場の情報を探知する機会に恵まれた。その場所は決まって、統括理事会の上層部が管理する、暗部の闇の深いところばかりであった。不可解なことに、複数のAIM拡散力場を確認できた施設もあったという。

 

 事件の首謀者は統括理事会の上層に位置するものであると、"アイテム"は結論づけた。今尚、捜査は難航している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "スクール"が拠点とする一室で、垣根帝督は瀟洒なソファに深く腰を下ろし、仲間の報告に耳を傾けていた。派手なドレスの少女が、所属するチームのリーダーへと、にこやかに言葉を投げかけた。

 

「白凪から連絡が途絶えたわ。おまけに彼の自宅へ、"アイテム"の下部組織が捜査に入ったそうよ」

 

 垣根帝督は、心底、面映そうに笑みを零した。

 

「決まりだな。出待ちされるのは趣味じゃねえ。そろそろこちらから出向くとするか。なかなかに楽しみだ、第六位。面白い奴だと嬉しいんだが」

 

 




浜面さんに、アイテムヒロインズに白い液体をBUKKAKEる手伝いさせた雨月って……


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episode20:超電磁砲(レールガン)

 2014/02/28 追記完了しました。episode20をお楽しみください。

  episode21もまを開けず更新しようと思ってます。
  少なくとも、三月の初週中には必ず!


 頭上鉛直上、数メートルほどの位置で大気が凝縮した。物質が体積と組成を変化させる、激しい化学反応の前触れだと思った。次の瞬間には、その現象が自身を襲うに違いないと分かっている。それでも、景朗はその場から動くつもりはなかった。

 

「いいかッ!信じてくれッ、俺は何があろうとも絶対に、2人を傷つけるつもりはない!傷つけるつもりは無いからなッ!頼むッ信じてくれよ――」

 

 願いが通じていて欲しい。彼が全てを口にする前に、覚悟した熱と衝撃がやって来た。言葉は無理矢理に中断させられ、景朗は凶悪な圧力を受けて地面へ押しつぶされた。制服が炎の到着と同時に焼き消える。爆撃を食らったらこんな感じなのかな、と。風の壁と地面に押しつぶされながらも、彼はどこか現実離れしたような感想を抱いていた。

 

 雨月景朗の肉体はどこまでも優秀だった。瞬く間に躰は熱に対応していく。全身を軋らせつつ、強引に立ち上がる。直感が告げていた。この灼熱は延々と受け続ける訳にはいかないぞ、と。

 

 悪い夢であってくれ。祈るように少女達を見つめた景朗は、精一杯に感情を込めて叫んだ。空気が薄い。周囲から酸素が無くなっている。そのはずなのに。仄かに蒼く色づく業火は躰を覆い、ゆらゆらと蠢いている。

 

「大丈夫だ!俺は大丈夫だからな!落ち着くんだ!落ち着いてッ!」

 

 思考停止している場合ではなかった。なんでもいい。ただちに手を打たなければ、手遅れになってしまう。景朗は能力を全開に、思考能力を最大限に励起させた。

 

「もうやめてください!お願いします、お願いしますっ!景朗が死んじゃうよぉぉおおっ!!」

 

 口から血を流す仄暗火澄が、悲痛な叫びをあげていた。アイツにあんな顔させやがって。絶対にぶっ殺してやる。しかし、怒りに振り切れる景朗にできたのは、歯を軋らせることくらいだった。

 

「いやあああああああああああああああああッ!なんでもしまずッ!やめでぐださい!やめでぐだざいいいいいいいやめでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえええぅぅぅ」

 

 顔中の穴から体液を流して、手纏深咲は錯乱状態に陥っている。彼女たちの涙する姿を目にすれば、どう考えたって冷静になれるはずはない。だが、それを成し得なければ窮地を脱することはできないぞ、と己に言い聞かせ続けた。

 

「落ち着けッてッ!2人とも、それ以上舌を噛むなッ!安心してくれッ!俺はこれぐらいじゃ死なないッ!いいから俺を見ろッ!」

 

 彼の魂からの咆哮に対する答えは、爆熱と豪風だった。すぐそばの建物へと吹き飛ばされる寸前。陽炎に揺れる視界の端に、泣き叫ぶ幼馴染が映っていた。彼女は必死に何かを伝えようとしていたが、声を拾うことはできなかった。

 

 熱風と豪炎が、無抵抗なままの景朗をビルの側面へと叩きつけた。消えない炎がこれほど面倒だとは。蒼炎が盛大に彼の肉を溶かしていく。普通の炎じゃない。頭三つほど飛び抜けた高温に、生存本能が激しく沸騰しかけている。壁にうずもれたまま、景朗は一心に現状からの打開策を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 場面は少々遡る。その日の正午。とある高校の廊下の隅で、雨月景朗は仄暗火澄からの着信を受けた。周囲の学生たちはランチタイムの到来に喜び勇み、どたばたと彼の後ろを駆け抜けていく。

 

『今日もなの?随分と大変みたいね、そっちの特別クラスとやらは』

 

「ああ、ごめん。3分でメシ食って直ぐにまた研究室に顔出さないといけなくてさ」

 

『そうなの。はぁ、残念。せっかく今日は丹生さんや深咲たちと4人で顔を合わせられそうだったのに。それじゃ、都合が付く日は教えてよ?何時だって私たちからばっかり連絡してるし。愛想つかしちゃうからね。だいたい、そっちが一緒にご飯食べよ、ってやかましいから私たちは――』

 

 背後から上履きの音が近づいてきた。誰かがにじり寄っている。

 

「スマン火澄。時間がないんですよ。ちゃんとわかっとる。もう切るで!」

 

『へ?いきなりどうしたのよ』

 

 有無を言わさず通話を遮断。間一髪。すぐに声色を蒼上のものに戻す。

 

「青髪君。黒板は私がやったから。後は気にせずお昼して来て」

 

「へ?あ、ああ。ありがと、吹寄サン」

 

 その日、景朗と一緒に日直の当番になったのは、吹寄整理という女の子だった。直ぐにクラス委員に立候補した活動的な少女であり、少々ぶっきらぼうな物言いをするところが印象的だった。しかし面倒見は非常に良く、四月半ばの、まだ割とクラス全体がギクシャクとしている現段階でも、その竹を割ったような性格から男女両方に人気がある。

 

「それにしても、青髪君、入学したての頃と比べたらだいぶ関西弁上手くなったわね」

 

「ホンマに?あはは、おおきに、吹寄サン」

 

 黒板消しを1人で済ませてくれたらしい彼女は、目ざとく景朗の言葉遣いにツッコミを入れてきた。偶然にもその場に通りすがっていた数人のクラスメイトが、少し離れたところで2人の会話を盗み見ている。皆、よくぞ言ってくれた、流石は吹寄整理だ!と言わんばかりの表情である。

 

 景朗は硬直した。つい嬉しくて、自ら詐称を認めてしまった。うっすらと笑みを浮かべ、腕を組み仁王立ちする吹寄整理。雨月景朗はしどろもどろに言い訳を繰り広げた。

 

「な、なにをいいますのん?ボ、ボクはもう学園都市も長いんで、少々こっちの言葉が混ざってしもうとるだけでしてね?」

 

「ふうん?」

 

 まったく納得してない風の吹寄を相手に、景朗は窮地に追いやられた。用意していた言い訳を色々と頭の中で並べ立てるも、こうしていざ説明する状況に立つと、どれも説得力にかけている気がしてきていた。自信を持って口に出すことができず、言いよどんでしまう。

 

「ははは。そのくらいにしといてあげな。私も続きが聞きたいところだけど。まだ四月だし、彼にも立場ってものがあるだろう」

 

 一時、救いの手が差し伸べられたかと思った。だが、よくよく聞いてみれば。ぜんぜんフォローになっていないじゃないか。声の主は艶やかな黒髪をかき揚げ、吹寄へとウインクした。

 

「雲川先輩、私はただ、クラスの皆の疑問を代弁しようと思っただけで……」

 

 クラス全員が、既に俺のエセ関西弁に違和感を持っていたのか。景朗は絶望した。続ける意味あるんだろうか。今から元に戻す?どちらにせよ、生き恥だ。このキャラで生きていくしかないとは……。

 

 

「おーい、青髪。早くしろよーっ。席が埋まっちまうぞ?」

 

「学食は時間との勝負だにゃーっ!」

 

 景朗の逃げ道を作るように、友人2名、上条当麻と土御門元春が現われた。吹寄と雲川と呼ばれた先輩は景朗からすぐに意識を外し、両者ともに近づいてくる上条へと話しかけていく。それはクラスの男子生徒の誰かが名付けた"カミやん効果"と呼ばれる現象であった。

 

 普段は忌々しい"カミやん効果"だったが、この時ばかりは感謝した。図らずも揃ったダブル巨乳に、上条当麻は鼻の下を伸ばしている。

 

「野郎、巨乳2人と一体何の話をしてたのか教えるんだぜい!」

 

 土御門は景朗の首に腕を回し、その場から引きずり出した。続けざまに彼は耳元に口を寄せ、ごく小さな音量で、景朗に忠告した。

 

「気をつけろ。あの雲川とかいう女、俺たちの同業者だ」

 

 雲川は景朗の正体を見抜いて会話に割り入ったのだろうか。それとも、上条当麻と接触するために利用したのだろうか。その両方か。景朗は、自分にはこの仕事、向いてないんじゃないだろうか、と思わずにはいられなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後、元気のない景朗は、第七学区を行くあてもなくトボトボと散策していた。結締淡希からメールがあり、しばらくしたらアレイスターへ会いに行かなくてはならない。また仕事を言いつけられるのか。気分が落ち込む。

 

思索に耽る時に闇雲に歩き回るのが、景朗の癖だった。第二位、第三位との戦い。上条当麻の任務。暗部のこと。

 

 目まぐるしく様々なことを思い浮かべていくうちに、その日の昼休みの場面に行き着いた。そういえば、今日、火澄たちと皆でメシ食えなかったな。惜しいことしたな。

 

 火澄が言うとおり、最近、景朗は心を許せる彼女たちとまったく顔を合わせていなかった。上条当麻の監視任務で、そもそも長点上機学園にはほとんど登校すらしていない。同じ高校に入って楽しくなると思ったのも、束の間だった。

 

 ただ、意外にも上条当麻との馬鹿騒ぎは、長らく男友達の不足していた景朗にとっては純粋に楽しめるものであった。件の吹寄は3バカ扱いするし、あくまで任務上の関係ではあったが、それを忘れそうになるほど、景朗には面白く感じる時間になっている。

 

 しかしやはり、入学して十日ほど立った今。一度も火澄達と学校で遭遇しないというのはどうにもまずい。景朗は焦る。このままでは怪しまれる。学校に居ないのがバレたら、なんて言われるか。そう考える景朗の心の奥底には、別の想いもあった。単純に、彼女たちに会えなくて寂しいという気持ちだ。彼は自分では気づいていないようだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もうすぐ日も暮れる。行き当たりばったりに歩き続け、小腹が空いた。景朗が、近くから漂うクレープの匂いにつられて顔を上げたその時だった。

 

 彼は見つけた。たった今考えていた、学園都市"第三位"の超能力者(レベル5)の姿を。御坂美琴はベンチに座り、幸せそうにクレープにかぶりついている。

 

 とうの昔に、青髪の姿を解除し、景朗は素顔を晒していた。咄嗟に物陰に隠れる。御坂美琴とは、中学時代に面識がある。久しぶりに会うはずだが、そんな気は微塵もしなかった。彼女のクローンとちょこちょこ遭遇していたからだろうか。

 

 そう、クローンだ。景朗の頭に、御坂美琴のクローンたちの台詞がよぎっていく。人は見掛けに拠らない。ああ見えて、彼女も暗部の一員なんだ。こうしてみていると、ただの可愛い女子中学生だとしか思えないけれど。

 

 いいや。やはり、暗部の匂いなんて、欠片もしない。景朗もだいぶん暗部にこなれている。一目みただけで、その人間が裏稼業に縁のある人間かどうかだいたい判別できるつもりだった。しかし、どうにも御坂美琴からはそのような空気が嗅ぎ取れない。でも、それではミサカクローンズの言葉と辻褄が合わなくなる。

 

 

 

 

 

 それもしても。今の彼女の印象が、初めて会ったときのものとだいぶ違う気がしてならない。実際に会って目にするのは、確かに半年ほど前だったけれど。半年でそれほど人は変わるだろうか。

 

 違和感を探す景朗は、はたと理解した。どうして気付けなかったのだろうか、と自嘲するほど簡単な事実。

 

 御坂美琴は1人だった。彼女は1人で街中を彷徨うことに、随分と慣れている様子に見えた。彼女の年頃の女の子は皆友達と群れて遊ぶものだと思っていたが。遠目に映る横顔からは、寂しさが伝わってくる。本人がそれを意識しているかは知りえない。でも、景朗はそう感じずにはいられなかった。

 

 やはり、超能力者(レベル5)故の孤独なのだろう。その理由を、景朗はわかるような気がしていた。

 

 超能力者(レベル5)になるということ。それは、その人物の人生を否応がなしに大きく変化させる。それも、血生臭く、より危険の溢れる方向へと。決して後戻りはできない。

 

 誰も放っておいてはくれない。日陰に棲む人間が次から次へと、笑顔の裏に他者を省みぬ有刺の欲望を隠し、利用しようと近づいてくる。そこには敵か味方しか無い。弱みを見せれば、たちまち喰らいつかれてしまう。

 

 その点で言えば、俺は獅子身中の虫に躰をボロボロになるまで荒らされてしまっているな。もう食い散らかすところなんてないと思うんだが。笑えもしない。自分を獅子に例えたのはちょっと調子に乗ったかも。もうちっと反省しろよ。 

 

 そんな風に、御坂さんが友人を作らないのは自衛のためだろうか。それとも作れないのだろうか。彼女に限ってはそういうわけでもなさそうだ。でも、御坂美琴、常盤台の"第三位"は少々、俺とは置かれている立場が違っている。この学園都市に住む、ほぼ全ての人間が彼女を知っている。というか、"超能力者"の代名詞として扱われるほどだ。

 

 極めて限定的な場面でしか"超能力者(レベル5)"を名乗らぬ景朗でさえも、毎度毎度向けられる、色とりどりの色眼鏡に辟易するのだ。彼女の場合、接する人間、万人が皆、"第三位"のフィルターを両目に貼り付けてくる。その生活がどのようなものか、推し量る術はない。

 

 

 

 

 

 

 

 長い間考えに耽っていた。きっと御坂さんに対する躊躇があったのだろう。相手は可愛い年下の女の子だ。しかし、戸惑ってばかりもいられない。クレープを食べ終えた御坂さんは、小さなカエルのストラップを数秒太陽の光に翳すと、元気よくカバンにしまいこんだ。席をたち、意気揚々と歩き出す。

 

 優柔不断に、景朗は後をつける。彼は決めかねていた。先程思案したように、御坂さんは超能力者(レベル5)の中で最も情報が知れ渡っている人だ。正直、無理に仕掛ける必要は無い。だが、孤立して街中を歩く御坂さんとの遭遇イベントが、これからそう易々と何度も発生するかと言われれば、否だ。

 

 彼女は学舎の園の生徒であるし、そもそもああやっていつも孤独に過ごしているというのも景朗の勘違いの可能性がある。もし次に会った時、周りに女子中学生をわらわらと引き連れられていては、手が出しにくい。

 

 ちょっかいをかけるには、今が絶好のシチュエーションであるのも確かなのだ。今なら造作もなく、彼女を人気のないところに連れ込むことができる。犯罪の臭いがする言い方となってしまうけれども。あ、いや……犯罪……じゃん……。

 

 

 

 高校一年生とはいえ。大の男が女子中学生をストーキングして、考えている内容はリンチの方法である。警備員は何処だ。

 

 

 

 ……自虐はやめよう。そもそもここで引いて、後から練る策などあるだろうか。景朗はふと思索し、瞬く間に結論にたどり着いた。特に無い。

 

 調べて驚愕した。"第三位"の情報が知れ渡っている、というのはあらゆる意味で真実であった。あの娘、いろんな場所で、様々な人種、国籍、職業、能力を問わず無差別級にあらゆる人間と腕試し、いわゆる野試合みたいなものを繰り広げていた。

 

 ちなみに、記録によればすべての試合に勝利している。コマメに彼女の戦いをチェックしているファンがいるらしい。似たようなファンサイトがわんさかと見つかっている。さらに、ちなみに。"第六位"のファンサイトは……胡散臭さの塊みたいなヤツばかりであった。どのサイトの掲示板も無残に荒らされていた。喜ぶべきだろうか。

 

 話を戻そう。そう、あの常盤台の電撃姫さんは。気軽に変装して、「今から一手、お手合せ願えるかな?」なんて宣言すれば。すわ、格ゲーみたいに、その場でFight!てな流れになってもおかしくないような方なのだ。本当に噂通りであれば。

 

 

 

 

 

 

 

 結締さんとの約束まで、まだ時間は十分にある。ああ、畜生。俺は本当に優柔不断だな。まだ悩んでいるのか。悩む必要ないじゃないか。前情報によれば、彼女の能力は十億Vを操る"電撃使い(エレクトロマスター)"。これは疑いようのない事実さ。得意技、おそらく最大火力を持つ技も、名前が表す通りの"超電磁砲(レールガン)"。

 

 一度は確信を得たはずだ。俺は、彼女とは相性がいい。彼女の攻撃では、俺に致命傷を与えることはできない。"第四位"と戦う前は、"第三位"と"第四位"は割と似ている能力かとも思ったが、実際はまったく違った。

 

 この間手に入れた第二位の情報で、俺は7人の超能力者たちの能力を一応、すべて網羅できている。そこから考察した自己流の分析だが。実は、現状で俺と最も相性が悪いのは"第四位"、"原子崩し(メルトダウナー)"であった。前回の試みであのお姉さんに躰を半分消し飛ばされていた時、本音を言うと、ビビって小便をチビらせていた。家に帰って体重計に乗り、俺の質量が三分の一ほど減っていて、さらに大便を漏らしかけた。

 

 危うかった。俺は質量をゴリゴリと削られる攻撃にめっぽう弱いらしい。いや、らしいじゃねえよ。考えればわかるだろバカ野郎。死ねよ。死ねないけど。

 

 体組織を破壊されるだけなら屁でもないが、まるごと消失させられたら、どうしようもないのだ。あの時、あのお姉さんが周辺施設の被害を顧みず、本気で閃光をぶっぱなしていたら。そして、それがもし、舐めてゴキブリもどきなんぞに変身し、体積を小さくまとまらせていた俺の体幹をまるごと吹き飛ばしていたら。俺は成仏していたかもしれない。

 

 ああ、これ以上は想像したくない。やっぱり御坂さんの能力について考察しよう。"第四位"の能力は、あれは、カチコチに固まった電子で、物質の原子を玉突きモデルみたいに強引に吹き飛ばす防御不能の、俺にとって悪夢みたいな現象だった。一方、御坂さんの能力で俺の質量を奪おうとするなら。電流を俺の体に無理やり流し、ゴリ押しして電気抵抗による発熱で燃焼させる方法があるだろうか。しかし、電気抵抗による発熱、燃焼、というプロセスを挟む以上、"第四位"の装甲を無視した、大凡のこの世の物質では防御不可能な攻撃とは性質が異なる。

 

 あ、そうだ。"第四位"の攻撃。電気ナマズみたいに俺も躰から発電すれば、対処可能だろうか……?いや、上手くはいかないかもしれないな。俺にできるのは発電までだ。生み出すだけで、操作は微塵もできないからさ。そういうわけで。結局"第四位"のことばかり考えてた気もするけど、その実、御坂さん相手なら。俺は躊躇なく、喧嘩を売れるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 背後で不審者が、襲撃方法の考察をしているとも露知らず。件の御坂さんは健気にも、道端に捨てられていた子猫をあやそうとしていた。

 

 子猫はいやいやと必死に首を振り、御坂さんは残念そうに、寂しそうに、悲しそうに、ふわりとはにかんでいた。

 

 俺、今からあの娘を襲うのかい?さっきからひとりぼっちで街を歩く、今では子猫相手に哀愁を漂わせている、あのお嬢さんを相手に。俺はずーっと。暗い考えばかり。

 

 白状しよう。雨月景朗は、あのボッチの女子中学生と。なんだか話をしてみたい気分になっていた。ありのままの、雨月景朗本人として。

 

 

 御坂さんは颯爽と諦め、ため息をついて両手を腰に当てた。そして矢庭に、衆目を気にもかけず、凛として叫び声を上げる。

 

「いい加減、姿を現しなさい!さっきから私を延々と追い回して。出てこないならこっちから挨拶させてもらうわよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "第三位"にはとっくに気づかれていた。勿論、本気で悟られぬように尾行していたわけではないから、大きく動揺はしていない。さてどうする。2つに1つ。変装して喧嘩を売るか。それともこのまま雨月景朗として、彼女とコンタクトを取るか。

 

 意識の中に、はっきりと。御坂美琴と会話をしたい、という欲求が芽を出していた。景朗は御坂美琴へと素顔を晒す。申し訳なさそうな表情を造りつつ、物陰からおずおずと彼女の前へと躍り出る。

 

 

「……久しぶり。ごめん、御坂さん。俺、です……」

 

「へっ?……あ、ああ!雨月さん!?」

 

 焦りを滲ませた景朗の登場に、御坂さんは肩透かしを食らっていた。彼女は怒らせていた空気を瞬く間に霧散させていく。険しかった顔付きは跡形もなくなり、今はただただ、戸惑いを顕にしていた。

 

「お久しぶり、です……本当に……。あの、これは一体……」

 

 あれほど気炎万丈に吠えたのだ。振り下ろすはずの拳の行き先を失くし、所在なさげに立つ彼女は、やや恥ずかしそうに忘我している。

 

 

「申し訳ない!いや、なんつーか、ひっさしぶりに御坂さんの姿を見かけてさ。一言挨拶でもと思ったんだけど。……あのさ、御坂さん、まだ覚えてたりする?最後に会った時のこと。俺、あの時、正真正銘真実本当に、御坂さんがレベル5だなんて知らなかったんだ。そんで……御坂さんの目の前で、超能力者のことを散々こき下ろしちゃって……。そのこと思い出してさ。声を掛けようか迷ってしまってたんだ」

 

 御坂さんも当時のことを思い出したのか、少し大げさに、景朗の言葉に相槌を打ち返した。

 

「あ、あぁぁー、あのことですか!あんなの気にしてませんよ!」

 

 景朗は所々の気まずさをごまかすように、緩やかに笑いを貼り付ける。

 

「そ、そーだよね!あんまし気にしすぎたかな?ただ、あれじゃないか。あのあと調べたら、正直、御坂さんのこと知らない学生の方が少ないくらいみたいで。あの時の態度じゃあ、御坂さんは喧嘩を売られてたように感じててもおかしくないなぁ、ってさ」

 

「ぜんっぜん!そんなことありませんよ!私、そこまで自意識過剰じゃありません!」

 

 尾行の動機に合点がいったのだろう。混乱からようやく脱しつつある彼女は、まったくもう、相変わらずですね、と景朗へと嘆息した。

 

 

「へ、HEYHEY、御坂さん。それじゃあ、驚かせたお詫びにコーヒーでも奢らせてくださいよ。あ、今忙しかった?」

 

 御坂さんはわずかに仰天して、一歩たじろいだ。頬が少し赤くなっている。「う」と一声漏らしたが、最後は折れた。

 

「雨月さん、なんだか大胆になりましたね。お茶くらい、私は構いませんけど。でも、いいんですか?仄暗先輩に言いつけちゃいますよ?」

 

 意地悪そうに目を細めるも、しかしさらに赤くなっていく彼女のほっぺたに、微笑ましさが湧き上がる。顔見知りであるという事実を活かし、直接本人から色々と情報を仕入れてやろうと画策していた景朗は。それしか頭になかった彼は。彼女の忠告を聞いて、ようやく自らの大胆さに赤面する思いだった。ナンパじゃねぇか、これ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところで、雨月さんは高校どこに行かれてるんですか?」

 

 景朗のオススメのカフェでテイクアウトして来たカフェオレ片手に、御坂さんは疑問とともに彼の方へ身を乗り出した。

 

「よくぞ聞いてくれました。ふふふ。御坂さんとはこれから大覇星祭やらで再び相まみえるかもしれないね。今制服来てないけどさ、俺、長点上機学園に行ってるんですよ」

 

 興味津々の御坂さんの様子が、景朗には不思議だった。返す御坂さんは、やっぱり、とでも言うように、手を口元に当てて瞠目した。謎の反応。

 

「くぅーーーーっ。それじゃあ、雨月さん、青春ですね!羨ましいなぁ、色男さん!」

 

「うん?な、なに急にどしたの?」

 

「またまたぁ。仄暗先輩と手纏先輩からお話はうかがってるんですよ?お二人は間違いなく、雨月さんを追いかけて長点上機に行ったんですよ。今はバラ色の高校生活なんじゃないですか?」

 

 急に振られた話に、景朗はエスプレッソを逆流させる。鼻の粘膜で苦味を存分に味わう羽目になった。

 

「げほッ。があ、鼻が……。そ、それは流石に大げさだって。普通に、長点上機学園がトップ校だったってのが大きかったんだと思うよ。まあ、実のところ御坂さんの言うように、あの二人とは仲良くやってるけどさ……」

 

「ほらぁ、やっぱり!しかしですね、景朗さん。ちゃんと考えてあげなきゃダメですよ。"あの手纏先輩"が、学舎の園の外部の、おまけに共学の学校に行ったんですよ?私だって、初めてその話を聞いた時はびっくりしましたもん」

 

 御坂さんの話を聞いていると幸せな気持ちになってくるんですが。いやでも、その予測は穿った見方過ぎる。

 

「いや、それは俺がどうとかいう話じゃなく、単純に手纏ちゃんは火澄と離れたくなかっただけだったんだと思うよ?火澄が学舎の園の高校に行ってたら、手纏ちゃんもそっちに行ってそうじゃん?」

 

 景朗の反論に、御坂さんは姿勢を戻し、思案する。しばらくして、それもそうですね、と口にした。いや、納得されても、それはそれでちょっと悲しいっていうか……

 

「っていうか、俺の話はもうやめやめ!そういう御坂さんこそ随分とヤンチャしてるみたいじゃないか。ちょっとネットで調べただけで、たぁーっくさん、御坂さんの武勇伝がつらつらと――」

 

 バチバチと御坂さんの髪の毛から、淡い、青白い火花が弾けとんだ。彼女は羞恥に顔を歪め、景朗からしっかりと顔を逸らしている。

 

「やッ、やめてくださいぃぃその話はぁぁ。嗚呼恥ずかしい!私だってやりたくてやってるわけじゃないんですよぅ。何もしなくたって、見知らぬ誰かさんが次から次へと喧嘩を売ってくるんです!」

 

 その様子を見る限り、本当に好きでやっている訳ではなさそうだった。俄かには信じられない。なぜなら、彼女の連勝記録を収めたサイトにはいくつか動画まで上げられており、その動画のいくつかには、楽しそうに電撃を見舞う御坂美琴が映っていたりもしたからだ。

 

「ま、まあ、御坂さんもまだ中学生なんだし。怪我するのも危ないし、いっそ逃げちゃってもいいんじゃない?そうやって挑戦者から逃げずに戦い続けるから、皆"第三位"に好戦的なイメージをもっちゃうところもあるんじゃあ……」

 

 御坂さんはくぅっ、と短く息を吸い、俺をキッ!と軽く睨みつける。

 

「アタシだってそう思う時もあります!でも、これでも私は"名門、常盤台中学"の看板を背負ってるんです!そうそう何度も情けなく尻尾を巻いて逃げ回ってたら、他の生徒の皆まで舐められちゃうじゃないですかっ!」

 

 目尻に小粒の涙をため、御坂さんは憤慨した。な、なんというか……。齢14にして、なんと豪気な……。他の超能力者(レベル5)もやっぱ色々と苦労してんだね。

 

「お、落ち着いて御坂さん。うん。そうだね。それは仕方ないね!」

 

 御坂さんは直ちに正気を取り戻した。ハッとすると、ションボリとうなだれた。

 

「ま、まあ。そりゃあ、ちょっとはアタシにも原因があるかもしれませんけど……。性分なんです。もともと逃げるのがキライっていうか、負けず嫌いというか。正面から堂々と名乗られて、勝負を挑まれたら。そのぅ……こっちも気合がはいるというか……」

 

 そうだよね。どう考えてもそんなノリでバトルが始まってた動画もあったよね。ふとした拍子に。眼窩を虚ろに虚脱する御坂さんの姿に、突然、ミサカニコニコ号やミサカ実妹号たちのイメージが重なった。景朗の心に、冷たい汗が流れていた。そうだ。この娘は。暗部と関わりがあるはずなのだ。コロコロと変わる彼女の表情に、忘れそうになる。まったく表に出さない。これが演技なら、相当、大したものだ。

 

「にしても、"好戦的な超能力者(レベル5)"ですか……。やっぱり、皆そういう目でアタシを見ちゃいますよね。……やっぱそうなのかなー。はぁ。それを考えれば、仄暗先輩たちは得難い人たちだったなぁ……アタシを怖がることなく、遠慮することなく、ごく普通の"ふたつ下の後輩"として接してくれましたから……会いたいなぁ……」

 

「会いたいなら遠慮なく連絡すればいいじゃないか。きっと2人も喜ぶさ」

 

 それからは。ずーん、と効果音が重なりそうなほど落ち込んでいく御坂さんを、景朗は必死に励まさなくてはならなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それほど長い話にはならなかった。あと少しで、日も大きく傾き始める頃合。景朗と御坂美琴は互いに、別れの挨拶を交わしていた。

 

「色々お話を聞けて楽しかったです、雨月さん。それじゃ、またコーヒーおごってくださいね!」

 

 一応、御坂さんは元気を取り戻したように見える。景朗は内心ほっと一息つくと、去り行く彼女へ盛大に手を振った。

 

「勿論!それじゃあまた、何処かで、御坂さん」

 

 

 今の景朗の心理状態は。彼女と別れたばかりの彼の心の内は。今から彼女へとちょっかいをかけるほど、ひりついた状態ではなくなっていた。いくらなんでも、その日、同日に、彼が御坂美琴へと任務を遂行することはないだろう。

 

 彼女とちゃんと話せて良かった。景朗に後悔はない。しかし。運命とは過酷なものである。その判断を、彼は後に悔いることになる。

 

 

 

 

 

 景朗と別れた御坂美琴は、期待に満ちた表情で携帯を手にとった。

 

「あ、お久しぶりです!仄暗先輩!えへへ、聞いてくださいよ!今、アタシ、誰に会ってたと思います?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 景朗はため息をひとつ、夕焼けに輝く"窓のないビル"を後にした。相変わらず結締さんは景朗には欠片も興味がないようで、送り迎えを済ませると直ぐに雑踏に消えていった。

 

 景朗としては、結締淡希はアレイスターの傍で、身近に接する者の1人であるので、もう少し良好な関係を築きたいと思っていた。そのため、彼女にはちょっとした遊びを披露していた。しばしば、彼女と待ち合わせるたびに、雑誌やTVで見かけるハンサムな俳優やアイドルの格好を能力で模していったのだ。

 

 結締お姉さんの好みのイケメンで応対すれば、一度くらい微笑んでくれないか、期待した。しかし、一度として、彼女はピクリとも食指を動かさずにいる。方向性が間違っているのだろうか、と景朗は思案した。今度は、ショタ系で行ってみようかな?

 

 そのように間抜けなことを考えていた景朗は、急遽届いたメールを確認した。窓のないビルの内部では、何故かアレイスターとの直通回線しかやりとりができないのだ。それ故、他の通信はビルを出てから遅れてやってくる。

 

 

 メールは手纏ちゃんからだった。皆の都合がついたので、十八学区の川沿いの屋台で一緒に晩ご飯はどうか、という内容だった。景朗は飛び上がらんほど喜ぶ。

 

 メールの発信時刻は少し前だった。急いで彼女へと電話を入れる。

 

 

 

『ッ景朗さん!?――g;alsyasppo;jtou』

 

 かけたこちらが思わず驚く程の、張り詰めた返答が返ってきた。その直後の、ごしゃりという雑音。携帯でも落としたんだろうか。景朗は不思議に思った。

 

 

「もしもし、手纏ちゃん?」

 

『景朗?今どこにいるの?』

 

 何故か、会話を繋げたのは火澄だった。2人一緒にいるんだろうか。ちょっと声が硬い気もしたが。怒っているのだろうか?だとしたら、最近怒らせてばかりだな、と景朗は反省しつつあった。

 

「いや、今第七学区だけど」

 

『そう。ねえ、メールは見た?急いでこっちに来れる?もう皆、待ってるけど』

 

「おっけ!わかった今すぐ行く!待っててくれよ必ず行くから!」

 

 景朗は焦り、何度も肯定の意を返す。

 

『じゃ、待ってるから』

 

 火澄は行き先も告げず、通話を打ち切った。まずい、本当に怒ってるかも。景朗は背筋を冷たくしつつあった。しかしどうにも、その前触れはなかった。少しだけ、違和感を感じてもいた。

 

 メールを再び確認する。第十八学区の、大きな河の、橋の近く。どちらかというと、人通りの少ないところだ。そこに屋台なんてあっただろうか。兎角、景朗は急ぎに急いだ。物陰で巨大な怪鳥の姿へと躰を変化し、羽毛を透明に変色させ、大空を羽ばたいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 火澄たちがメールで指定した場所は、やはり人通りの少ないところだった。学園都市を横断する大きな河がコンクリートで舗装され、大きめの橋が目に入る。学区によっては川沿いに屋台が立ち並ぶが、ここ、第十八学区ではそのような話、聞いたこともない。ただ単に待ち合わせに指定しただけだろうか。

 

 しかし、肝心の火澄達はどこにも見当たらなかった。匂いもしない。耳に飛び込んでくるのは、茜色に反射する河のせせらぎだけだ。

 

 景色はどこもかしこも橙色に煌めいている。もうしばらくしたら街灯に火が入る。ピリピリとモスキート音がやかましい。人の姿がほとんどないのは、そのせいだろうか。何故、このような場所に?

 

 疑問を持ちつつも、携帯を取り出した。街灯に寄りかかり、火澄へと連絡を入れようとした。

 

 

 

 

 

 

 

「よお。元気そうだな?第六位」

 

 真上から、男の声。誰もいなかったはずだ。その声とほぼタイムラグ無しに、上空を見やった。街灯の頂上の、何もない空間が、文字通りひび割れた。透明の殻を破るように、中から金髪の青年が1人、透明の、一対の羽を広げるように、全身を晒した。

 

 景朗は瞬時に飛び退り、川沿いに、橋から離れた場所に位置した。警戒をあらわにする。嫌な予感を全身で悟りながら。

 

 

 橋の下に、一席のボートが屯っていた。そのボートの上に、見知った顔が2人。火澄と手纏ちゃんが蒼白な顔つきでつっ立っていた。彼女たち2人に挟まるように、これまた金髪の、ど派手なドレスを纏った少女。

 

「動くなよ?あの2人が大事ならな」

 

 金髪の青年は言い放ちつつ、ゆっくりと街灯から飛び降りた。不自然な動きだった。滞空時間がやたらと長い。能力に違いない。

 

 ボートは景朗のすぐ近くまで流れて、その位置で停止した。

 

「どちらさん?何か俺に恨みがあったりする?抵抗する気はないよ。言われるがまま、下手にでるつもりさ……でも、ひとつだけ質問いいかな。第六位ってなんのことだい?」

 

「あら、随分と余裕なのね。流石だわ。でも、嘘はいただけないわね。あなたの大事な娘たちが人質になっているのに。お二人さんとはえらく親密なのね?2人とも、貴方のことが気が気でないみたい」

 

 既に、完璧に、俺と火澄、手纏ちゃんとの親密さは露見してしまっている。万事休す。思考を切り替えろ。彼女たち2人を、安全に、救い出せ。脳裏によぎる。何も、人質は彼女たち2人だけだと決まったわけではない。丹生や、聖マリア園の仲間たち。皆が心配だ。

 

「まいったな。何が目的なんだ?恨みか?だったら遠慮なく俺をぶっ殺してくれ。気が済むまで殺してくれて構わない。命乞いでもなんでもするよ。だから率直に言おう。あの2人を開放して欲しい。人質はあの2人だけ?」

 

 景朗は自ら両手を上げ、金髪の男を見つめた。直感で、その男が場を支配しているように感じていた。不敵なその男は、面映そうに語った。

 

「いや、なに。新顔が一向に挨拶にこねぇから、わざわざこちらから出向いてやっただけだ」

 

 景朗はその言葉に、ゴクリと息を呑み込んだ。

 

「"新顔"か。さっきも言ったが、あんたたち何か勘違いしてる。俺は"第六位"なんかじゃない。勿論、自分が"超能力者(レベル5)"であることは認めるよ。でも、信じてくれ。俺がレベル5になる前に、既に超能力者は七人いる、と言われてた。だから、多分俺は第八位とか、第九位とか、誰が下に続くのか知らないが、とにかく。俺は"第六位"じゃあないはずさ。もし、あんたがたが"第六位"に御用事だってんなら……気の毒だが、これは骨折り損の草臥れ儲けになるよ」

 

 景朗が自身を超能力者(レベル5)だと口にした、その時。人質に取られていた火澄たちの表情が一層強ばった。その仕草を横目に、景朗は畜生、と呟いた。これから色々と隠してきたことが露見していくだろう。こんな形で聴かせる羽目になるとは。最悪の方法じゃないか。

 

「そういう意味で言ってるわけじゃないんだが。……何だお前、そんな心配してたのか?安心しろ。お前は正しく第六位だ」

 

「あんたまでそんなこといいだすのか、"第二位"さんよ。あんたも超能力者ならわかるだろ?外野がいくら持て囃そうと、第何位だとか順位付けされようとも。白けるだけさ。成りたくて超能力者になったやつなんていない……」

 

 透明だった羽が、いつの間にやら白い翼となっていた。情報が一致する。眼前の男こそが、この街の"第二席"だと。

 

「見苦しいな。だったらはっきりと言ってやる。オマエに用があるんだよ、"三頭猟犬(ケルベロス)"。それとも"悪魔憑き(キマイラ)"と呼ぶべきか?……まあ、少々以外に感じるな。アレイスターの犬に成り下がったクズ野郎がどんなやつかと思いきや、そんな殊勝なことを言い出すとは。どうやら、俺が直々にぶっ殺すだけの価値はありそうだ」

 

 火澄と手纏ちゃんは、"第二位"の口にした"殺す"という単語を耳にすると、小さく呻き声を漏らした。2人の口元から血の雫が垂れる。派手なドレスの少女は楽しそうに2人の頬を撫でた。ボートから微かに届く少女の声を、景朗は懸命に捉えた。

 

「ダメよ?舌を噛んじゃダメ。お願いよ?舌を噛まないで。私の言うこと聞いてちょうだい?」

 

 景朗は初めて目にした。彼女たち二人の、極限まで激高した姿を。しかし、仄暗、手纏両名の、その表情とは裏腹に、彼女たちは大人しく、少女の命令に従うのだ。

 

 景朗は理解した。あの少女は精神系の能力者だ。2人は操られている。最悪なことに、意識は正常なまま、肉体だけ手玉に取られているのだろう。

 

 鮮やかなドレスの少女は、金髪の男へ提案した。

 

「ねえ、この娘たち、自分で舌を噛んでるわ。第六位のことがとってもとっても大切みたい。可哀想に。その粋に免じて、喋れなくなる前にお話くらいさせてあげましょうよ?」

 

 金髪の男も、その言葉に賛同した。

 

「ほう。羨ましいな、色男。どっちが本命だ?」

 

 金髪の男が手でサインを出す。ドレスの少女は直ちに、火澄たちに自由に会話する許可を出した。

 

 

「景朗!人質は私たち2人だけぇッ!コイツらが私たちを捕まえたのはついさっきなのよ!だから――――」

「景朗さん!私たちのことは無視してください!」

 

 

 ドレスの少女は驚き、火澄の口を塞いだ。

 

「格好いいわね。でも、貴女は余計なこと喋っちゃいそうだから、やっぱり喋っちゃダメ」

 

 口を塞がれた火澄を目にして、手纏ちゃんは言葉を選ぶように押し黙った。

 

「2人とも!後で必ず全部説明する!だから今は!いいか2人とも!自分の安全だけを考えるんだ!それさえできれば、俺に関してはどうとでもなるから!」

 

 火澄も、手纏ちゃんも、真剣に頷いた。

 

「景朗さん!御坂さんから連絡があって、それで私たち、景朗さんを尾行したんです!その時に、この人たちに捕まったんです!それで、それで――この人は、能力で私たちを操ってます――――」

 

 手纏ちゃんも口を閉ざされ、耳元で少女にゴニョゴニョと口を差された。それからは再び。2人とも涙を流し、押し黙った。

 

 2人とも、本当にありがとう。そこまで把握した景朗は、颯爽と金髪の男へ喋りかける。

 

「おーけー。あんた、さっき俺をぶっ殺すとか言ってたよな。俺も賛成だよ。殺しに来たんなら遠慮なくやってくれ。好きなだけ痛ぶってくれよ。心配ご無用。回数制じゃなくて、時間制だからさ。小一時間延々と俺をなぶり殺してくれて構わない。そのかわりに、頼む。その2人を開放してくれ」

 

 景朗が言い放つと、ボートの上で人質たちは辛そうに身じろぎした。彼女たちの口元から伝わっていく、ひとすじの血潮。ドレスの少女は美術品を愛でるように、そっとその朱い線をナゾった。

 

 彼女たちの決死の覚悟を嘲笑うその様子に、景朗は思わず殺気を放っていた。限界まで、怒りを抑えて言葉にした。

 

「なあ、お嬢さん。できれば、それ以上2人には触らないでやってくれないかな?」

 

「先程も言ったけど、随分と余裕ね。貴方が今、前にしているのは、この街の頂点に立つ男なのよ?それと。私には、殺気を向けないことをオススメするけど」

 

 殺意に満ちた景朗の視線を正面から受けて。その少女は不満そうに、ワザと挑発するように、2人の髪を弄った。手纏ちゃんはおびえている。景朗には我慢できなかった。

 

「やめろっつってんだろ!」

 

 牙を剥く景朗。だが、"第二位"とその少女は。それでも尚、楽しそうに哂っている。

 

「あーあ。ちゃんと忠告はしたわよ?」

 

 少女はにこり、と微笑んだ。そして。彼女を庇うように、火澄と手纏ちゃんが立ちふさがった。景朗には訳がわからなかった。

 

 頭上で空気が収縮する。火澄と手纏ちゃんは気が狂いそうなほど辛そうで、ひたすらに涙を流していた。

 

 そうか。そこまで操られているのか。まさか。能力を、俺に。景朗は、2人へ安心するように、自分の耐久性について語りかけた。自分を信じるように、と。だが。彼女たちは自らが行う行為に極限まで恐怖し、その話が届いていたようには見えなかった。

 

 

 "不滅火焔(インシネレート)"と"酸素徴蒐(ディープダイバー)"の二つ名。

 "火災旋風(ファイアストーム)"が景朗を襲う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幾度か焔の風に翻弄され、最後には壁に押し込められた。

 

 ひとまず、壁から這い出た。焔が邪魔だ。これでは、彼女たちへきちんと意思を伝えられない。景朗はいとも簡単に。昆虫が脱皮するように、するりと自身の"皮"を一枚、脱ぎ捨てた。

 

 焔が、脱ぎ捨てた皮をあっという間に燃やし尽くし、灰にした。だが、からくも、景朗は焔の束縛からは自由になれていた。

 

 

 

 

 景朗の無事を目にした火澄は、涙と鼻水と、おまけに口から垂れ流す血と涎で悲惨な有様だった。手纏ちゃんもどっこいどっこい、いやむしろ火澄より酷いだろうか。

 

「かげろう!大丈夫なのっ?大丈夫なのぉっ?!ごめんなさい、でも、でも、わだしッ!このこをまもらなきゃっ!このこをまもらなきゃいけないのよッ!」

 

「安心しろ!俺は平気だ!そういう能力なんだ!だから、頼むから!自分の安全だけを考えてくれ!」

 

 彼女たちへ安心するようにと叫び声を上げて、景朗は意識をドレスの少女から外した。彼女へ敵意を向けていては、火澄たちまで敵に回ってしまうようだったからだ。

 

「おい、第六位。死なれる前に言っておく。俺の要求は、アレイスターについてだ」

 

 やはりそうか。思わず、景朗は唇を噛んだ。どう転ぼうと。表立っては、アレイスターを裏切れない。どこに監視の目があるかわからない。

 

 景朗は心底悔しくも、"第二位"へと拒絶の返答を返すしかなかった。でなければ。火澄たちもろとも、聖マリア園の家族にまで被害が及ぶ。

 

 いっそ、こいつら全員、殺し尽くしてしまおうか……。

 

 

「ま、だろうな。それについては、別に大して期待してはいなかった。テメエみたいな、ただ使われるだけの駒は碌な情報は持ってねえだろうしな。クハハ。よしんば、それでアレイスターをおびき出せようとも。奴と面と向かってお茶するだけで、どうにかなる問題じゃねえからな」

 

 "第二位"の意図、目的を、景朗は全くもって察することができずにいた。いや、ひとつ。もしや、知られているのか!?俺が、超能力者(レベル5)たちに、威力偵察していることを。一体、どうやって!?予測可能なのか?でも、それしか。理由が無い。

 

 

「ク、ソが。だったらマジで、一体何の用で来たってんだ!?」

 

「ナメるなよ。すっとぼけんな。降りかかる火粉は払いのける。それがそんなに不思議か?俺たちはそんなにドMじゃねえぜ?最初に言っただろう?挨拶にきたと。テメェがレベル5に片っ端から喧嘩ふっかけてんのは、バレてんだよ」

 

 

 

 景朗は覚悟を決めた。殺すしかない。薬味には、後で謝ろう。火澄たちに手を出したお前らが悪い。死んでくれ。

 

 

 

 

 

 

「GOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAHHHHHHHHHHHHHHHHHH!!!!」

 

 景朗は唐突に、前触れ無く躰を爆発させた。躰が真っ二つに裂け、そこから同時に白色のガスが勢いよく吹き出した。その勢いは驚愕の一言に尽きた。偽りなく、閃光が闇を照らすように、一瞬で一帯を覆い広がった。

 

 その勢いに、"第二位"は堪らず上空へと飛び上がっていた。ボートの上には、そのガスを僅かながらも吸ってしまった火澄と手纏、そして険しい表情のドレスの少女。火焔と烈風がボートを包む。それはドーム状に広がり、少女を守るようにガスから遮断していた。

 

 やはり、2人は少女を庇ったか。それでいい。予想通りだ。

 

 景朗はそれを横目に、作戦の成功を予感した。ほんの少量で十分だ。彼女たち3人は時期に意識を失い、眠りにつく。広がったガスは、ただでさえ人が少なかった河のほとりから完全に人影を奪っていた。

 

 火澄の操る焔で、ガスは燃焼され灰になる。しかし、景朗はそのガスに細工をしていた。熱でそのガスは硬質の物体に変性する。景朗は集中的にボートへとガスを飛ばしていた。

 

 やがて、ボートは完全に、固まったガスで覆われた。ガスが噴射されてから、数秒と立たぬうちの出来事であった。綺麗に円形に固まり、彼女たち3人はボートに閉じ込められる。やがて、内部からバタバタと、3名が倒れふせる音が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 景朗はそれを確認すると。素早く、躰を変形させた。鷲の前身に、獅子の下半身。"鷲頭獅子(グリフィン)"の形状へと。

 

 次の瞬間には。上空を飛翔していた"第二位"の目の前へと肉薄して。その喉元に、鉤爪を押さえ付けていた。

 

「QYUIIIIIIEEEEEE!!!」

 

 毒液の溢れ出るその鉤爪と、"第二位"の首肌の距離はほんのわずかであった。"第二位"は白い羽で力強く"第六位"を絡めとり、抵抗する。

 

「かっ。速いじゃねえか、"悪魔憑き(キマイラ)"」

 

 両者、一歩も譲らず、上空で力比べと相成った。

 

「サテ。コレデ、互イニ人質ヲ取リ合ッタ訳ダ。オ前は2人ヲ。俺ハ金髪ヲ。問題ハ……」

 

「勝手にしろよ。アイツなら殺ってくれて構わねえぜ?」

 

 飄々とした、余裕を崩さぬ垣根帝督の態度に、景朗は嘴で器用に舌打ちした。

 

「人質ニ価値ガアルカドウカダガ……ッテアッサリソウキタカ」

 

 垣根帝督は新たに、2対の翼を展開した。拮抗が崩れていく。

 

「考えてることは同じだぜ?」

 

 垣根の挑発に、景朗は能力の出力を増大させ、瞳孔を振り切った。

 

「ソウカ。ソレジャ、一気ニ決メサセテモラウ」

 

 

 

 

 

 

 景朗は考える。"第二位"を仕留める手段を。

 

 一方の垣根は"第二位"のプライドか。余裕綽々の笑みを貼り付けたままだった。

 

(いい具合に目が血走ってるな。さあ、本気をだせ、"第六位"。テメェの力を引き出してやる。その能力の本質をとくと見せてもらおうか。何せ、アレイスターが直にアゴで使う超能力者はコイツだけだ。何故、"第六位"なのか。

 

 プランと"悪魔憑き(キマイラ)"が、どう関わっているのか。直接、自分の目で見極める。他のLv5と何処が異なるのか、戦って確かめるのが一番手っ取り早い。コイツを試金石に、プランの全体像を、アレイスターの謀を、少しでも覗き見い出してやる)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 垣根帝督は、余る2対の翼の内、さらに1対を防御へ回した。"鷲頭獅子"は少しずつ、距離を開けられていく。食らいつく怪鳥は剣のように尖った尻尾を、垣根へと突き出した。

 

 とうに、均衡は破壊されていた。鋭い尻尾が垣根へと突き刺さる寸前に、残った羽から繰り出された光の砲撃が、"第六位"に命中する。

 

 上空で攻めぎ合っていた景朗が気づいた時には。高所から低所へと、猛スピードで落下していた。

 

 轟音を轟かせ、怪獣は河の中へ、水中へと叩き入れられた。数メートル近く水柱が立ち、傍のボートがゆらゆらと軋む。

 

 

「ちィッ」

 

 垣根はかすかに眉根を顰め、歯がゆそうに翼から追撃の光弾を放った。水面は光の羽根で埋め尽くされ、水しぶきの雨が湧き上がった。

 

 

Gwooooooooooooooooooooohhhhhh!!

 

 水底から汽笛のように、野太い、重低音が沁み響いた。

 

 突如出現した、巨大な吸盤の付いた触手が、ボートを絡め取った。すぐにその真下から、ボートの全長を優に超える、十数メートルの、巨大な影が水面に浮かび上がる。直後。

 

 馬鹿げた大きさを持った触手が、次々と水中から飛び出し、垣根帝督へと殴りかかった。どこまでもするすると伸びる触手。9本にまで増えたそれらは複雑な軌道を描き、羽を翻す垣根の影を執拗に追跡した。

 

 的から外れた触手が地面をはたく。衝撃と同時に、地面は大きくじゅわじゅわと音を立てた。てらてらと光る触手には粘液が滴っている。それは容易くコンクリートを溶かすほどのモノだった。

 

 "第二位"は翼を一回り膨らませると、その形状を刃のように変化させる。そして器用に自らを追撃する触手を分断していった。

 

 

Gwoooooooooooooooooooooooon

 

 

 水底から轟音が発生する。痺れを切らした、その黒い影が、とうとう水面から姿を現した。

 

 烏賊の怪物。"大王烏賊(クラーケン)"。

 

 

 

 

 "大王烏賊"は胴体を波打たせ、水中から露出させた巨大な顎門を飛び回る垣根へと向ける。水面から飛び出していた胴体が、より一層脈動した。そして遂に。その口から、計り知れぬ質量を持った水弾が発射された。

 

 水塊は圧倒的な速度を持ち、垣根のすぐそばを飛来した。次々と打ち出されるその水弾を、垣根は同様に飛翔のスピードを増加させて対処する。

 

 標的を逸れた水塊は、容赦なく辺りの建物をまるごと抉っていく。その一発一発が、まともな人間には命中すればひとたまりもない威力である。倒壊した壁をよく見てみれば、小さく煙を炊き上げていた。付着した液体が、その壁材を溶解させている。

 

 

 

 

 "大王烏賊"は更なる追撃を展開した。水弾の連射とともに揺らぐ、その巨体の側部に亀裂が入る。次の瞬間には。黒い大群。膨大な量の毒虫がそこから吹き出ていた。体中に猛毒の突起を生やし、2対の翅を持つ、凶悪な形状(フォルム)。地球上のどの図鑑にも載っていない、"悪魔憑き"が冥府から呼び出したような、歪な生命体だった。

 

 黒い霧状になった群れが、第二位を襲う。期を等しく、己が放った小虫などまるで気遣う様子もなく、大王烏賊は黒い群れを巻き込むように、標的へと水弾を放ち続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 六枚羽の天使が、逃げるように再びはるか高くへ飛翔した。夕焼けを背に浴び、羽を精一杯広げていく。

 

 その羽を透け透過した光が、彼を追従する羽虫の群れへと降り注ぐ。まもなく。蟲たちは一匹残らず絶命し、燃え尽き、灰も残さず消滅した。

 

 

「いい加減うざってぇんだよ、そのデカブツは。さあ、よおく味わえよ?第六位」

 

 獰猛に顔を歪ませ、垣根はそのまま羽から虹色に光る羽根を繰り出した。その羽は"大王烏賊"の脇をそれ、水面に飛沫をあげて突き刺さった。

 

 

 

 その虹色の羽根が鍵だったのか。"大王烏賊"は唐突に、全ての動きを止めた。やがて苦しむように、全身を盛大に震わせ始めた。

 

「VWOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHH!!!」

 

 誰の目にも明らかだった。海獣は苦痛に打ちひしがれている。それも無理からぬことだった。ドロドロと怪物の全身が溶け出していく。

 

 "大王烏賊"は最後の力を振り絞り、対面の岸へと固形物で密閉されたボートを引き上げた。それだけ行うと。遂に力尽きた。体躯はまるごと、水中に溶け落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐうっ。くぅッ……は、あ、う。ふう……はぁ、はぁ、クソッ!」

 

 水面から飛び出した景朗が、河岸に身を乗り出して荒い息をつく。

 

(やられた。烏賊の体に使っていた河の水が変質しやがった。変身を無理矢理に解除されちまった!)

 

 景朗の前に、影が差した。人影。見上げずとも分かる。景朗は気合十分に、声を振り絞った。

 

 

「畜生、ナメんなよ!まだ終わりじゃねえ。このメルヘン野郎!」

 

 今一度、彼の躰が爆散した。コンマ数秒で、4,5メートルほどシルエットが膨れ上がる。次に彼が身を変えたのは、どこかドラゴンにも似た異形であった。

 

 

「ハッ!付き合わせて悪いな、"蛇馬魚鬼(ジャバウォック)"(不思議の国の怪物)!テメェもノリがいいじゃねえか?」

 

 

 

 鮟鱇にも似た、2本の醜悪な触角の生えた、深海魚のような頭部。

 龍にも似た、硬質な鱗に覆われた胴体。

 獣そのものの、しなやかな筋肉に覆われた四足。鉤爪からは毒液が滴る。

 蝙蝠にも似た、薄く延びた羽。

 

 

 

 異形は目にも止まらぬ速さで体躯を回転させた。尻尾を振り回し、隙を見せていた"第二位"を

ゴム毬のように跳ね飛ばした。

 

 しかし、人影は空中で奇妙に静止する。

 

「そろそろネタ切れかぁ?"悪魔憑き(キマイラ)"?!」

 

 垣根の悪態をよそに、魚頭のドラゴンは大きく息を吸う。標的は白い翼をたたみ込み、防御する構えを見せた。

 

 "蛇馬魚鬼"が高温高圧のブレスを撃ち放つ。そして矢庭に鉤爪を光らせ、踊りかかった。

 

「何だかな。そろそろつまらなくなってきやがった。やれるのは馬鹿のひとつ覚えか。……俺の敵じゃねえな」

 

 難なくそのブレスを防いだ"第二位"は、呟きを零した。目前に迫る怪物の巨体を前に、全ての翼をブレード状に展開した。

 

 彼の目の前を、輪切りとなった"蛇馬魚鬼"の胴体がバラバラと落下していく。その中で。ギラギラと目を光らせる、触角を携えた"第六位"と視線を交差させた。

 

「ッ」

 

 垣根は身じろぎしたが、それは致命的に遅かった。

 

 何も知らぬ見物人が傍から見れば、爆発が生じたのだと思っただろう。烈光と爆音。立ち尽くす"第二位"の周囲には放射状に焼き焦げた痕が残っている。

 

 "蛇馬魚鬼"の触角から、電光が輝く。放電の余韻が空気を焦していた。

 

 

「は。今のは効いたぜ。ここに来て電撃かよ。フィルターが外れちまってた」

 

 なぜ生きている。景朗の脳裏をその疑問が埋め尽くしていた。しかし、躰は無意識のうちに動く。輪切りになった胴体は即座に繋がり、"第二位"にトドメを指すべくグルグルと彼を巻きつける。

 

 毒液と、溶解液と、灼熱の油を流し込んでやる。そして、握りつぶす。"詰み"だ、"未元物質(ダークマター)"。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐぎゃあああああッがっあっあっがはぁッ、AHHHHHHHHHHHHHHHHH!!!」

 

 

 

 叫び声を張り上げたのは、垣根ではなく景朗だった。巨体がどろどろと溶け落ち、彼は瞬く間に人間の姿へと戻っていた。

 

 蒸気を体中から吹き出し、苦しみに悶えて地面をのたうち回る。

 

「あぎゃああああああああはtぅがぁああがlgじゃ;dぁlッ」

 

 あと一手。あと一手だったのに。躰が急に言うことを聞かなくなった。始めて、だ。こんな、感覚。

 

 

「どうした?既存の物理法則のひとつやふたつ、突き破ってみせろよ?"超能力者"」

 

 凄絶に勝利の笑みを掲げる垣根帝督が、景朗の腹部を踏みつけた。

 

 

「情けねえな。ちょいと細胞分裂を邪魔する物質をぶち込んだだけじゃねえか。やろうと思えば最初からできたんだぜ?」

 

 虹色の羽根が、容赦なく景朗の頭部と心臓を地面に縫い止める。終結となった。

 

「残念だが、俺たちの戦いってのは一手でひっくり返る。いつだって武器になるのは、持ち前の演算能力だ。破って見せろ。それが出来ないのなら終いだ。それが"壁"っていう奴だ。……やれやれ。早すぎる。期待はずれだ。底が知れたぞ、"第六位"」

 

 "悪魔憑き"は身じろぎをやめ、力なく横たわっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 邪魔するな。俺の能力を邪魔するな。アイツを殺さねえと、火澄たちが……!畜生!畜生!

 

 無理矢理に脳みその性能を上昇させる。ようやっと、躰に力が、僅かな力が蘇る。

 

 だが、これっぽっちじゃ奴に対抗するのは無理だった。邪魔されている。俺の、細胞を操る力が邪魔されている!

 

 強引に演算能力で押し返したい。だが、それでは時間がかかりすぎる!今すぐ、今すぐに奴を止めなくては!

 

 躰を変化させる。一番楽な変形は、何故か何時も、狼の姿だった。じわじわと体毛が伸び、口が裂け、顎が突き出していく。

 

 アイツは空を飛ぶ。必死に余力を回し、なんとか一対の翼を用意した。だが。今更、大能力判定の人狼に羽が生えたくらいで、奴の相手はできそうもない。

 

 探す。全身全霊に、使える力を探していた。その時だ。狼の体躯に、羽が生えたその時。脳内に、不思議な感覚が到来した。

 

 ピリピリと、脳みそが、神経が内側から破れ裂ける感覚。なんなのだ?この感覚は。不可思議な感覚だった。脳みそはダメージを受けていくのに。躰は、身体の方は熱を持ち、躰を強くしていっている。そのことがはっきりと理解できた。都合の良いことに、その力は垣根の能力に邪魔をされずに使用できそうだった。

 

 脳の細胞が、その力に意識を向けた途端に、破裂しそうになる。覚悟して、その違和感に身をゆだねた。脳の神経たちが、謎の現象により壊れていく。けれども。景朗はこの時、唐突に理解した。俺の、能力の、本質。それは、脳みそを操ることだと。俺ならできる。脳細胞が壊れるその瞬間。いいや、むしろ壊れるその前から、補強し、再生し、増強できる。

 

 景朗は無意識のうちに、尻尾を"蛇"へと変化させた。それが鍵だった。

 

 

 

 

 

「GOWAAAAAAHHHHHHHHHHHHHHHHH!!!」

 

 

 ボートに取り付こうとしていた垣根は、殺気と怖気に敏感に反応した。反射的に、全霊に能力を行使して、防御の姿勢に入っていた。

 

 気が遠くなる衝撃とともに、上空へと打ち上げられていた。

 

「"悪魔憑き(キマイラ)"ッ!」

 

 有翼の狼。尾に蛇を宿したその狼。その容姿は、図らずも、とある悪魔と瓜二つであった。

 "羽狼蛇尾(マルコシアス)"(Marchosias)

 悪魔が、口から紫の焔を輝かせた。

 

 垣根はもう一度、防御に全霊をかけた。そして、その判断は間違っていなかった。紫炎が破裂した刹那。

 

 遥か遠く、どこまでも。垣根は学園都市の空を吹き飛ばされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間がない。垣根は遥か遠くへ飛んでいった。だが、手応えは感じていない。間違いなく、死んではいない。それどころか、ここへ戻ってくるだろう。奴が帰ってくるのは時間の問題だ。

 

 正気を取り戻した景朗は、急ぎボートを塞ぐガスの固形物を取り除いた。中には意識を失った仄暗火澄、手纏深咲、ドレスの少女が横たわっている。

 

 友人2名よりも先に、景朗は最初にドレスの少女に手をかける。能力を使い、指先を蠍の尾針のように変化させる。それを少女の体へと伸ばし、突き刺し、生体反応をモニタリングした。

 

 実際、景朗はその手のことは素人だったので、少女から把握する情報から、その少女が嘘をついているかどうかくらいしか判別できる自信はなかった。ただ、この場はそれで十分である。

 

 繋がった針先から催眠ガスの解毒薬を流し、少女を覚醒へと導いた。

 

「う……ん…………ッ!?」

 

 少女は倒れ伏せたまま瞠目し、即座に状況を把握したようだった。身じろぎもせず、景朗を見つめ返す。

 

「……信じられない。確認させてくれない?まさか貴方如きが、彼を打ち倒したとでも……言うの?」

 

「この状況が何よりの証拠だろう?」

 

 未だに"未元物質(ダークマター)"の敗北が信じられぬ様子の少女。ややして、悔しそうに文句を溢した。

 

「心がまるで読めない。貴方、おぞましい獣のようね」

 

「余計な口を開くな」

 

 

「あら。時間稼ぎは都合が悪いみたいね?」

 

 

 景朗は無言のまま、彼女に刺さる自身の指へと顎をしゃくった。

 

「ま、さか。貴方……ッ!おぞましい!貴方みたいな野獣と繋がっているというの?!……ッ!ケダモノ!覚えておきなさい!」

 

 

 少女はわなわなと戦慄し、身を震わせた。いいザマだ、と景朗は身のすくような思いになる。

 

「いいか。手短に話す。俺はあんたらと事を構えるつもりはない。だから、あんたも一切傷つけずにこのまま解放しよう」

 

「それなら、一刻も早くこのおぞましい針を私から抜いて頂戴?」

 

「いいだろう。だが、その前に、まずはそこにいる2人への精神操作を、全て解いて貰おうか。これは命令だ。やらなきゃ殺す」

 

「そんなもの、とっくに終わってるわ。そもそも、私の能力は対象がすぐそばにいないと意味がないものなのよ」

 

 景朗は丹念に、少女の脈拍、呼吸、神経の反応、伝達物質、ホルモンの量の変化を読み取った。全てが、告げている。この少女は、嘘は付いていない。

 

「今晩にも、"第二位"と交渉したい。奴と連絡を取れる端末を渡してくれ」

 

 拘束を解くつもりもなく、景朗はさらに要求を続ける。少女は諦めたように、素直に大人しく、ポケットから携帯を取り出した。それを受け取り、景朗は再び質問する。

 

「なあ、あんたらはこれからも俺たちを襲うつもりか?」

 

「さあ、知らないわ。彼の考えなんてどうでもいいもの」

 

「それじゃあ、質問を変える。"未元物質(ダークマター)"は、本気で俺と事を構えるつもりなのか?」

 

 少女は豪胆なことに。この状況で、愉快そうに言い放った。

 

「それも知らないわね。でも、貴方が犬のように頭を垂れれば、どうなるかはわからないわ。あれでも、彼、弱者をいたぶる趣味はないようだから」

 

「……嘘はついていないようだな。話は終わりだ。あんたを解放する」

 

 景朗が少女から針を抜いた。少女は忌々しそうに彼を一瞥し、べえっ、と舌を出した。景朗は手早く火澄と手纏をそれぞれ抱き抱える。その間も、微塵もドレスの少女を見やることは決してなかった。ボートから身を乗り出し、人間二人を抱えたまま、彼は高く跳躍した。

 

「覚えておきなさいよ!"悪魔憑き(キマイラ)"!」

 

 少女の捨て台詞を背に、景朗は2人を包み込むように、空中で大きな鮫へと姿を変える。そのまま音を立てつつ着水し、濁った水中を勢いよく泳ぎ、逃走した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もしもの時のために。有事の際に。そのために用意していた、第十学区のセーフハウスへと、景朗は未だ眠ったままの友人2人の身柄を移した。

 

 かすかに表情を固くして眠る2人を前に、景朗は辛そうに息を飲んだ。ポケットから携帯を取り出す。ディスプレイに表示される"丹生多気美"の名前。しばらく悩む彼は、結局。彼女へと連絡を取った。

 

「なあ、丹生。もしかして今、第十学区の隠れ家へ向かってる最中か?」

 

『当然じゃん!反応があったよ!でもよかった。景朗だったんだね』

 

 

 普段と変わりない丹生の元気な声に、景朗は思わず、来るな、と言いそうになった。だが、そうも言ってられない。これから今すぐ、"第二位"どもの報復に対応しなければならない。その間、この2人を一体誰にあずければ良いというのだ?

 

「ごめん。丹生。ほんとごめんな。……今、隠れ家に火澄と手纏ちゃんがいる。バレたんだ」

 

『ッ?!え?え?』

 

 驚く丹生へ、景朗は続けて、反論を許さぬ口調で説き伏せた。

 

「今は説明している時間がないんだ。ごめん、丹生。2人が目を覚ましたら、俺が"超能力者(レベル5)"だってことと、そのせいで他の"超能力者(レベル5)"に喧嘩を売られたって風に説明しといてくれ。とりあえずは。心配せずとも、ちゃんと話すよ。思いっきり巻き込んでしまったからな」

 

 落ち込んだ景朗の声色に、丹生は同情するように返事を返す。

 

『わかったから。アタシは大丈夫だからね?景朗。まかせてよ!』

 

「ありがとう、丹生。恩に着る」

 

 

 通話を終えた景朗は、火澄達の傍へ寄り、彼女たちの口を開いた。そして、自らの指を噛み切り、彼女たちの口へと流血を流し込んだ。

 

「目が覚める頃には、噛んだ舌も治ってるよ。……すまん」

 

 景朗は再び、暗くなった屋外へと飛翔した。これから死に物狂いで、聖マリア園と縁のある人間の安否を確かめに行かなくてはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドレスの少女から入手した携帯。それを使い、"未元物質"と連絡を図る。

 

「第二位。話がしたい。こちらに敵意はない。なんなら、そっちのテリトリーへ、俺が乗り込んでいってもいい。頼む。あんたらとは敵対したくないんだ」

 

 電話越しの"第二位"の機嫌は、やや悪い、といったところだろうか。

 

『アイツに手を出さなかった、その誠意に免じて。話だけは聞いてやる』

 

 良かった、と。景朗は安心した。

 

「場所は?」

 

『今し方、戦った場所でいい』

 

「了解だ。少し時間をくれ。今から、あんたらがまた人質を取っていないか調べてくるからさ」

 

 今度ばかりは、相手からも呆れ返ったような口調が打ち返された。

 

『……好きにしろ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 血眼になって、聖マリア園の皆の身辺を確かめてきた。結果的に、皆、無事だった。"第二位"には、俺と敵対する意思はそこまで強くないようだった。骨折り損だったが、景朗はそれを喜んでいた。

 

 夕方、死闘を繰り広げた橋梁へ、またぞろ足を運ぶ。橋の中央に、背の高い、金髪の青年がひとり佇んでいた。

 

 景朗は相手に気取られるように、堂々と姿を晒して近づいていく。そして。なんと、彼は挨拶がわりに、勢いよく、垣根帝督目掛けて、毒ガスを吐き出したのだ。

 

 

 

 放たれた気体は起爆性の物質だったらしい。垣根の白い羽の応酬で、盛大に辺りを爆発が吹き飛ばした。

 

 

「何のマネだ?」

 

 景朗からは微塵も敵意が感じられていなかった。それを察していた垣根は、直ちに彼へ切って返す。

 

 

「すまん。爆発させる必要があったんだ。俺たちには、"虫"が付いていたんだよ」

 

 景朗はそう言いつつ、仄かに深呼吸を始めた。垣根は黙したまま、ただただその様子を眺めている。

 

 おもむろに、景朗は懐から金属製の、小さなボトルを取り出した。それはあらゆる電磁波、光を遮断する材質で作られた、特注品だった。

 

 ボトルを手にして、俄かに俯いた彼は。前触れ無く、自らの胸元に鋭く延びた爪を刺し入れ、肺を露出させた。

 

 "第二位"も暗部の人間であるから、当然か。景朗の行動から目を背けず、淡々と観察し続ける。

 

 景朗は肺を爪で傷つけると、溢れでた血液を慎重に、ボトルへと流し込む。そして事が済んだ後、何事もなかったように、佇まいを元に戻した。

 

「この血の中に、ナノサイズの、とある特殊な機械が入ってる」

 

 垣根へと身を寄せ、限りなく小さな声で、気を張り詰めさせて。景朗は呟いた。垣根は無言でそのボトルを奪い取った。

 

「街中に、そのナノマシンは溢れている。不思議だった。誰がこんな高価そうなものを、惜しみもなく投入してるのかってな……だが、"奴"の懐に入って、俺は驚いたよ。とんでもなく、そのナノマシンの濃度が濃ゆかった。あの空間だけ、な」

 

 

「要求は?」

 

 無表情の垣根は、景朗へと問いかけた。

 

「俺たちに手を出さないでくれ。手土産はそのボトルだ。必ず、その価値に見合う情報が詰まっているはずさ。……俺には、どうしようもなかったものでもある」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 景朗は第十学区の隠れ家へと返ってきた。防音対策はバッチリの物件だったので、内部の様子は全く窺えない。

 

 覚悟して、扉を開けた。火澄の沈んだ声が、飛び込んできた。

 

 

 

「じゃあ、丹生、さんは。……やっぱり。全部、知ってたんだ……」

 

「それは。うん。そう、だよ……そもそも、それが景朗と出会ったきっかけだったから」

 

「それじゃあ、言いたくとも言えないよね。わかってる。そんな顔しないで、丹生さん」

 

 

 

 

 思い切って、話し声のするリビングへと踏み入る。

 

「2人とも、大丈夫か?躰に変なところはないか?」

 

 景朗の登場に、目を覚ましていた火澄と手纏ちゃんは凍りついた。これから、色々と説明しなくてはならない。景朗は、"第二位"との戦闘以上の覚悟を、飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 景朗は、自分が超能力者(レベル5)であることを、初めに告げた。その次に。暗部との絡みは、自身が超能力者(レベル5)へ到達したことが全ての元凶であるかのように、彼女たちを騙して説得した。

 

 その日、火澄と手纏が襲われた理由。その原因を、ただ単に、彼自身が超能力者(レベル5)であったが故に、喧嘩を売られる羽目になったのだ、と騙して伝えたのだ。

 

 もちろん、それなりに信憑性は持たせている。そもそも、超能力者(レベル5)へ至るということが、暗部と関わりを持つようなものである、と2人に説明を加えたのだ。

 

 

 彼の中に、これを期に、全てを曝け出してしまえよ、という悪魔の囁きが溢れていた。しかし、辛くも彼は踏みとどまった。説明してどうなる?巻き込むのか?いいや。俺は決意している。2人を巻き込まない。少なくとも、積極的には、絶対に、巻き込まない。ならば、その説明は。与える情報は、少なければ少ないほど、安全になる。

 

 

 

 

 

 予想通りに、景朗と火澄は口論になった。手纏ちゃんはひたすら、考えるように話を聴き続けるだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の午後、景朗と遭遇した御坂美琴は、その帰りがけに、火澄へと連絡していたようだったのだ。景朗と、今までお茶をしていましたよ、と。

 

 長らく、景朗の行動を不審に思っていた火澄は、御坂美琴に、景朗を尾行してくれないか、と嘆願した。御坂さんは驚きつつも、先輩の頼みならば、と景朗の後を追跡した。

 

 火澄と手纏ちゃんは、すぐに御坂さんと合流した。御坂さんから景朗の尾行を引き継ぎ、彼女と分かれると、2人は延々と景朗の追跡を続行したらしい。

 

 そして、俺は。突然に、2人の視界から消えた。その場でまごついていた彼女たちに。あのドレスの少女がにじり寄った。それからは。ひたすら、彼女の命令を聴き、決して逆らえなかったと。

 

 あの時。変な気を起こさずに、御坂さんと戦っていれば。こんなことにはならなかった。景朗の胸中を鋭い後悔がずたずたに引き裂いた。

 

 

 

 火澄はやはり、景朗が長年、黙って危険な事に手を染めていたことを、責めた。彼女の言い分に、景朗は煩わしそうに返した。

 

「尾行してたんだろ?そっちだって」

 

 景朗の言い様に、火澄は目を吊り上げた。

 

「アンタだって!今まで騙してッ――――!…………いや、騙しては、いないわね。何も言ってくれなかった、だけ」

 

 火澄は顔を伏せて。いきなり立ち上がり、そのまま勢いよく部屋から出ていこうとした。

 

「火澄!」

 

 景朗は最後に叫んだ。

 

「今日、これから家に帰るまでは。近づいて来る奴らは全員敵だと思ってくれ。気をつけて帰ってくれよ。誰にも、気を許さずに……」

 

「心配してくれて、どうもありがとう!」

 

 彼女が返したそのセリフには、感情が少しも込められていなかった。火澄は隠れ家を出て行った。手纏ちゃんは景朗へ涙を浮かべて一瞥した。すぐに、火澄の後を追うように、彼女も駆け出していく。

 

「か、景朗!いいの?追いかけなくていいのッ?!」

 

 動きもしない景朗に、丹生は大いに不満そうである。

 

「いいんだよ。丹生だって言ってたろ?大事なら、きっぱりと縁を切れって。中途半端は駄目だってさ」

 

 色々と考えなきゃならない事がある。それこそ、今日、"未元物質(ダークマター)"との戦いの最中、土壇場でひねり出した、あの"謎の力"のことなどを。

 

 今日の戦いで、またぞろ体重が、質量が減っただろうな。すぐに補充したい。何時、誰が殺しに来るかわかったもんじゃない。とりあえず、飯だ。景朗は目の前の問題から逃げるように、そう思考した。

 

「丹生。飯食いに行こうぜ。世話になったし。なんでも、奢るよ」

 

 景朗の台詞に、丹生はため息をついた。

 

「いい。アタシ、あの2人が心配だから家まで見送ってくる」

 

 丹生は景朗への対応もおざなりに、2人を追いかけていった。

 

 

 

 

 

 

 

 むしゃくしゃしていた景朗は、深夜、第十学区、"屋台先塔"と呼ばれる食事処に繰り出した。巨大な立体駐車場に屋台が軒を連ねる、第十学区独特の、学園都市中のグルメが集う、その界隈では非常に有名なスポットらしかった。

 

 景朗は、ちょうど、そこで大食い大会に出くわした。賞金も一千万円と非常に高く、ハイレベルな大会だったらしい。

 

 いらだち紛れに、景朗は"餓狼"と名乗り、大会を蹂躙した。彼の名は、食の界隈で、一夜にして伝説になった。そんなこと、景朗にはどうでもよかったが。

 



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episode21:心理掌握(メンタルアウト)

2014/03/13追記完了です。



 

 早朝。産形茄幹(うぶかたなみき)は教室に踏み入り、即座に後悔した。自分の席がどこか、先に先生に尋ねておくべきだった。最後に登校したのは何時だったろう。朧げにしか覚えていない。ひと月以上は経っている。それだけは確実だ。どこに座ればいいかわからない。

 

 教室の後ろの扉から顔を現しただけで、彼の登場に気づいた数人が好奇の目線を送っている。茄幹はまるで一生に一度の挑戦に臨む様に、覚悟を振り絞った。

 

「ごめん。その……僕の席、どこかわかる?」

 

 入口から一番近い席にいた少年へと声をかけた。その少年は茄幹の存在には気づいておらず、前の席の友人と熱心に話し込んでいた。彼は会話を唐突に邪魔され、少々面倒くさそうに後ろを振り向く。茄幹に対面し、わずかに驚きを見せた。

 

「…………あそこ」

 

 その少年は口を開きそうになったものの、瞬時にそれを取りやめた。ぶっきらぼうに一言だけ零し、指先を窓際の、教室の後部席の方へ指し示す。明らかに最低限の意思疎通で済ませようしている。意図がありありと見て取れた。

 

「ありがとう」

 

 礼を述べて、茄幹は教わった席へと歩き出した。教室のざわめきはわずかに小さくなっている。部屋にいる生徒のほとんどが、こそこそと彼を盗み見ていた。

 

「……うそ。アイツ来たの?あ、ホントだ」

 

「来てんじゃねぇよー。今日具合悪くなったら絶対アイツ殴ってやる」

 

「マジ最悪。なんでアタシが前の席の時に出てきてんだっつの」

 

「大丈夫だって。今日だけ我慢しなよ。どうせ明日からまた"仮病"してくれるっしょ」

 

 皆、ワザと聴こえるように大声で話している。極力、聞こえないふりを装い、席を目指す。たった数メートルで、心は折れそうになっていた。

 

 茄幹が教室に入った途端に、場の空気が変わった。彼はひしひしと感じとっていた。気のせいではない。毎日毎日、こんな刺々しい雰囲気の教室で過ごしてるわけではないのだろうに。

 

 僕が努力すれば、この扱いは変わるのだろうか?でも、それまで耐えきれそうもない。

 

 机と机の間を跨ごうとした。虚をつく用に、足が飛び出た。座っていた男子生徒に足を引っかけられそうになる。このまま進めば転ぶ。ところが、それを茄幹は無視した。彼の予想通り、直前で慌てたように、出された足は引っ込められた。

 

 

 

 自分の席に座り、机にうつぶせる。直ちに寝たふりを開始。そして、彼は恐怖を飲み込んで、話し声に聞き耳を立てた。

 

 

 

「うわっ。あっぶねー。もうちっとでアイツに当たるとこだったぜぇー」

 

「オレも見ててビクったビクった。お前初っ端"感染源"に立候補してんのかと思ったっつの」

 

「いやオレもそれ考えて止めたんだよ」

 

 

 ぽつり、ぽつりと教室のあちこちから、茄幹を嘲笑する文句が飛び出してきている。すべてを耳にできておらずとも、茄幹はきっとそうに違いない、とより一層ぎゅうっと蹲った。

 

 先程、声をかけた2人に注意を向けてみる。彼らは茄幹もやっているネットゲームの話をしていた。そのゲームなら、僕だって詳しい。色々、話してみたい気持ちもあった。ところが、聞こえてきたのは。

 

 

「貴方はウブカタナミ菌に感染しましたー。俺に触るなよー?」

 

「ざっけんな。触ってねえだろ。机指差しただけだろが」

 

 会話の後に、制服を軽く叩く、乾いた音が生まれた。

 

「うわっナミ菌がクッツイタ。うわーうわぁー」

 

「ちょっとやめてよ!くっつけないでよッ!」

 

 騒ぎに乗じる生徒たちは嫌がっていたが、それでもどこか、楽しそうだった。一方、それに比して、茄幹の気分はどんどん追い詰められていく。

 

 茄幹は何も考えまいと苦心した。ホームルームの始まりをただひたすらに待ち望んだ。後悔が、鎌首をもたげていた。せっかく勇気を出して、学校に来たのに。来なきゃよかった。今からでも、帰りたい。でも、そうすれば、また"仮病"だって言われるに決まってる。

 

 

 

 僕はいじめられている。

 

 

 

 ふとしたきっかけだった。仮病を使って、嫌な授業をサボった。だんだんとそれがクセになって、学校を休んだりするようになった。いつしか、それが皆にも知られていて、更に学校に行きにくくなった。いじめのようなものが、いつの間にか出来上がっていた。

 

 僕に触ると、"ウブカタナミ菌"っていうのに感染するらしい。僕が目の前にいる時は、みんな必死になって、いつまでもいつまでも互いに擦り付け合って遊んでいる。

 

 僕の能力はレベル1、"病菌操作(ヴァイラルシミュレーション)"という。ウィルスや細菌、つまりは、風邪やばい菌、インフルエンザとか、そういう病気の菌を操作できる力だ。とは言っても、低能力(レベル1)だから、自ら進んで風邪を引いたりするとか、そういったちょっとした事にしか能力は使い道がない。

 

 シミュレーションという英単語には、"仮病"という意味もあるらしい。そこから、僕には"仮病"っていうあだ名が付けられていた。僕が休んでいる間に。

 

 明日、学校に来ている気がしないけど。今日くらいは。今日だけ、頑張って授業に出よう。また"仮病"って言われるのは嫌だ。中学校には、とうとう嫌な思い出しか残らないかもしれないな。中学一年から、僕はこんな有様だった。

 

 

 

 しかし、結局。茄幹は教室の雰囲気に耐え切れず。午後から"発熱"し、自宅へ帰宅した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 担任から連絡が来ていた。風邪の具合が悪くなれば、保健室で休んでよいから、せめて出席でもしてはどうか、と。出席日数が危うい状況になっているらしい。

 

「いけるわけないだろ」

 

 茄幹はベッドの中で寝返りを打った。横になったままで、昨日、学校であったいやなことを回想する。それだけで、身が軋む。悔しい。悲しい。誰に怒りをブツければいい。それでも、理解はできていた。原因を作ったのは自分自身だ。だから、自分が問題を解決しなければならない。その努力をしなければならない。

 

 しかし、茄幹の眼前には、とてもじゃないが攻略不可能な、巨大な現実という壁が聳え立っていた。そんな風にしか、彼には現状を認識できなかった。

 

 

 

 再びメールが届く。今度は違う相手からだった。あいにくと、彼には同じ中学に友達はいなかった。いや、正しくは、途中から消えてしまった、と言い換えたほうがよいだろう。となれば、そのメールの送り主は。ネットゲームで知り合った、仮想世界の友人たちからだった。

 

 ネトゲの誘い。茄幹はだらだらと起き上がり、PCの前に座り込む。いつものゲームを起動。

 

 

 

 

 

 ものの数分で、ギルド"リコール"の拠点へたどり着く。

 

『ごめん。遅れた。ミスティ』

 

『気にスンナよ、ヴィラル。シュマリが連絡ギリギリにしたのが悪いんだ』

 

『いいじゃん。どうせ皆学校行ってないんでしょ?』

 

『いくわけねえだろぉぉーーーッ!ここは学園都市だぞーぉぉッ!どこかしこに、必ず潜り込める学校があるんだからよぉぉぉーーーッ!』

 

『ブッチー五月蠅い。エコー駆け過ぎ。早く切って』

 

『スンマセン、姐さん』

 

『ウッドペッカー、今日は何の集まり?』

 

『Hi. ヴィラルくん。今日はオフ会のお知らせだって。ついに日程が決まったみたい』

 

『その通り。いよいよやろうかって話さ。howdy ヴィラル?』

 

『howdy オージ。このカンジじゃあ、皆参加するってこと?』

 

『オフコース。当然だろ、ヴィラル。オレもキミに会ってみたいよ』

 

『私も、ヴィラルくんに会いたいかも。ちょっと怖いけど、それを凌駕して、皆と会いたいって気持ちが優先しちゃうかな。皆何ともないように見えるけど、きっと案外、緊張してるんじゃない?』

 

『あのシュマリだってオーケーしたんだしさ。ヴィラルも勿論来るよな?』

 

『わかった。行くよ』

 

『おーっ。ヴィラルもクンのか。心配だったシュマリとヴィラルが二人とも。これは奇跡だな』

 

『めっちゃ楽しみになってきたぁぁぁぁーーーぁぁーぁぁぁぁーーッ』

 

『うわっ、ウルセッ!』

 

 

 

 

 

 心臓がどくどくと波打っている。初めての、オフ会への参加。ギルド"リコール"は、自称、不登校and引きこもりの馴れ合い集団を求む、みたいな触れ込みでメンバーを募集していた。茄幹はそこに惹かれ、加入を決めた。"リコール"には歌い文句通りに、コミュニケーション能力がそれほど高くない人たちもちらほらいて、ゲーム下手な人もいたりして。その上、ゲーム攻略にだって、力を入れていなかったから、人はほとんど集まらなかった。

 

 最終的には、今いる6人のメンバーで固定されてしまっている。仲良くなって、ぽつぽつ、現実での話をするようになっていた。メンバー同士、互いの身の上話など、色んなことを知った。みんな本当に、学校で上手くやれていないって奴らばっかりだった。きっとみんな、勇気を振り絞ってくるんだろうな。

 

 よし、行こう。茄幹は覚悟を決めた。

 

 

 

 翌日から。長らく不登校で引きこもりだった少年が、自宅から姿を消した。

 彼が棲んでいた寮の寮母さんは、よくあることだと大して気にもとめなかった。どうせ引きこもっているんだろうと高を括っていた。あるいは、自分の目を盗んで出入りしているか。部屋に出向いて不在の確認すら怠る有様だった。居なければ大方、スキルアウトにでもなったんだろう、と。確かにそれは、この街ではごくごくありふれたことだった。態々、騒ぎ立てるほどのことでもない。そう考え、軽率に扱った。報告を怠ったのだ。もともと、彼女は職務に怠慢な人間でもあった。

 

 彼の身に責任を負うべき人間は、この街に、もう一1人いた。茄幹の担任の先生だ。彼は茄幹の普段の素行から、武装無能力集団へ参加する危険性等は考えもしなかった。彼に対しては、穏やかで優しい、繊細な少年だとの印象が強かったからだ。

 

 こうして。誰もが、産形茄幹の失踪を発見できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早朝から一仕事済ませ、ややお疲れムードの雨月景朗は、偶然にも第七学区南エリア、"学舎の園"の近くへと出張っていた。

 

 彼はもののついでとばかりに、思い出深いカフェテリアへと足を延ばす。学舎の園のゲートの目の前、対面に位置する、中学時代よく火澄や手纏ちゃんとお茶をした馴染みのカフェテリア。高校生になってからは、一度もやってきていない。その店のコーヒーを、景朗は密かに懐かしむ。

 

 一人で行っても大丈夫だろうか?いいや、突撃してしまえ。女の子しかいないだろうけど。そんなことより、久しぶりにあの店の珈琲を堪能したい。なんせ、青春の味だ。なんてな。景朗はてくてくと坂道を登って行った。体感的には、ほとんど夏だ。六月だろうと、暑いことには変わりはない。景朗の脳内を、アイスコーヒーという単語が埋め尽くしていく。

 

 

 

 六月も終わりかけ。七月が、夏が迫っていた。ついこの間、夏服へ移行したばかりだったのに。景朗は月日の流れに思いを馳せた。高校一年の春。印象深いのは、上条たちと学校でバカをやって騒いだ思い出ばかり。それも仕方ない。ほとんど長点上機学園には通っていないわけであるからして。

 

 

 四月の半ばに、火澄と手纏ちゃんに彼が"超能力者"だったと露見した。火澄とは喧嘩別れをしてしまい、手纏ちゃんとはまともに会話する機会がないままに。それから今までずっと、彼女たちとは奇妙な冷戦状態が続いていた。

 

 何時ぞやの、連絡を全く取り合わない、制裁をくらっていた状況とはまた少し異なる事態であった。連絡や、会話ならば、ぽつぽつと散発的にメール等で取り合っている。ただ、両者互いに、確信には一切触れずにいるのだ。どちらかが一歩踏み込めば、とたんに静寂は崩れ、また込み入った話をすることになる。その緊張を肌で感じ取り、景朗だけならず、火澄まで、大きく行動を見せずにいた。

 

 光陰矢の如しとはよく言ったもので、そうやって、あっという間にふた月が過ぎた。その二か月間、丹生多気美はどちらの側にも付かず、意図せずして、両者間の橋渡しのような役を担っていた。景朗も、火澄や手纏ちゃんも、丹生への態度は、依然と全く変わりない。

 

 この頃、丹生はしょっちゅう、景朗へと進言を繰り返してくる。彼女曰く、景朗から話をするべきだ、と。

 

 火澄は景朗への後ろめたさから、思い切って話題を持ち出すのを躊躇っているらしい。確かに、景朗が長年苦心して秘密を守ろうとしていたことを、彼女たちが招いた失態で台無しにした事実もある。

 

 景朗が口を閉ざしてきた理由にも、十分に正当性があった。しかし、それは最早露見し、二人が事実として知るところとなっている。景朗から歩み寄らなければ、事態は変化しないのではないか、と丹生多気美はしきりに景朗に忠告する。

 

 

 景朗は、ただひたすらに、巻き込んでしまった事実を思い出し、二人に顔向けできないと考えていた。このまま黙って彼女たち二人が離れていくならば、それも悪くない。

 

 謝り足りない想いもある。だが、再び口論になるのはつらい。あの後、幾度も謝罪の連絡やメールを行ったが、相手は遠慮気味に、ぎこちなく振る舞うばかりだった。

 

 

 口でどう説明しようとも、彼の置かれている状況は変わらないし、彼には改善しようもない。いや、改善できない、というのは、適切な表現ではないかもしれない。リスクさえ決意すれば、いつでも改善のために、行動を取ることはできる。

 

 ただ、景朗にそのリスクを犯す意志が欠片ほども存在しないだけなのだ。暗部に人質のように狙われるかもしれぬ、彼の大切な家族たちを、危険に晒す。そんなことなど、もってのほかだ。それを自ら積極的に行うようなマネなど、正気の沙汰ではない。景朗にとってしてみれば。

 

 

 もうひとつ。解決だけを追求すれば、別の手段もある。馬鹿げているが、それは、景朗が自決することだった。"第六位"の完全なる消滅。もしそれが現実となれば。然るに、彼の身近な人たちは、暗部の狂人どもには見向きもされなくなるかもしれない。しかし、それはその可能性が高いというだけでもある。彼の死後、本当に彼の大事な人たちが、闇からの魔の手に脅かされなくなる、という完璧な保障はない。特に、相手があの幻生ともなれば尚更だろう。

 

 

 思わず嗤いが溢れる。何を考えてんだ。くだらない。そんなに火澄たちにバレたのがショックだったのか?もっとポジティブに行かなくてどうする。よし。せっかくだ。店で一番高い珈琲を選んでやろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 思う存分思案に耽りながら歩き続けた景朗は、目的のカフェテリアにたどり着く。店内もテラス席もやはり、お嬢様方で占められている。野郎1人であるので、普通なら気後れする場所だ。にもかかわらず、彼の表情は明るい。どこにも怯みはない。

 

 幸いにも景朗は店長さんと顔見知りだったのだ。顔を合わせれば、互いに軽口を突き合う仲である。入店した景朗が、レジへ近づいたその時には既に、店長さんに姿を見咎められていた。

 

「おや?キミ、いつもの彼女たちはどうした?」

 

 向けられた不敵な笑みに、景朗は何故だかわからぬまま無意識のうちにたじろいでしまう。

 

「ははぁん。どうやらその様子だと喧嘩でもしてるみたいだね?」

 

 バレてる。どうしてわかるんだ。ええい、クソ。こんな話、いつまでもツッコまれたくないぞ。

 

「そそそ、そんなことないっスよ」

 

 彼がひねりだした答えは、どうしようもなくお粗末なものだった。店長さんは、ひとりで来るだなんて、珍しいじゃないか、とでも言いたげな目線と表情を送ってくる。慌ててフォローを追加する。

 

「こ、ここの珈琲に中毒性があるんですよ。久しぶりに飲みたくなってしまいましてね」

 

 店長さんは合点がいったように、何度も小さく頷き返した。

 

「そうかそうか。それなら自分からさっさと謝っちまいなよ。後悔するぞ?」

 

 一体何を納得されたんでしょうか。相手をするだけ墓穴を掘りそうだ。手早く注文してズラ刈ろう。

 景朗は見覚えのある、一番長ったらしい名前のスコーンを追加注文した。目ざとい店長さんは、またぞろ口を差した。

 

「へぇ。キミ、もしかしてそれが気に入った?」

 

「いえ、なんてーか。これだけ食いそびれてたっていうか……」

 

 正面に、満面の笑顔。

 

「はは。そうか。横取りでもされてたのかな?」

 

「いやぁ、ハハハ」

 

 俺のたじたじの受け答えに、店長さんはようやく、申し訳なさそうにほほ笑んだ。

 

「ごめんごめん。イジリ回して悪かった。それじゃ、あとはごゆっくり」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 運よく、"指定席"が空いていた。テラスの最奥の位置。火澄や手纏ちゃんとお茶をするとき、空いていれば好んで使っていた席だった。ようやく腰を落ち着けた景朗は、なんとはなしに、唐突に思い出した。花華に連絡を入れておかねばならなかったと。なんと、実はその日。午後から花華と、彼女の友達、所謂女子中学生たちに、勉強を教える約束をしていたのだ。

 

 

 

「花華、すまん。昼すぎからっていってたけど、もうちょい遅れてからでいいか?」

 

『えー?もう、仕方ないなぁ。それじゃぁ、何時から行けばいいの!?』

 

 景朗は携帯越しで無意味だというのに、バツの悪そうな顔を浮かべている。周囲の女学生からはくすくすと笑われていた。野郎たった1人である。その場では明らかに、彼の存在は浮いていた。

 

「ごめんって。ええと、三時くらいかな?悪いな。お友達さんは怒ってない?」

 

『大丈夫だよぉー、ルイコちゃんもアケミちゃんもマコトちゃんも気にしてないって!』

 

 花華の無邪気な態度は正直、有難い。彼女に火澄たちとの冷戦を隠し通せるはずもなく、花華は花華なりに、俺たちの仲を取り持とうと色々と画策してくれているようだった。

 

 今回の勉強会?なるものも、彼女のそういった意図が多分に含まれているのだろう。

 

 今日は休日。六月の終わりの、貴重な休みである。つまり、七月初頭の学期末テストならびに身体検査(システムスキャン)の一大苦痛イベントを目前に控えている状況でもあるのだ。

 

 最初の方は、火澄の方に頼んでみれば、と提案しようとしたが。すぐに景朗はその考えを却下した。最近花華は「いいかげん火澄姉と仲直りしなよ」とうるさかった。その話を蒸し返されたくはない。ならば、言いなりになっておこう。

 

 花華は俺の様子を見るついでになのか、テスト勉強を教えてちょうだいとお願いしてきた。花華1人だと思って快く承諾したものの、後日、追加で面倒を見る子が増えていた。長点上機学園の高校生に勉強教えてもらう、みたいなことを花華が友達に漏らすと、一緒に連れてって!と懇願されたらしい。花華本人の例にもれず、彼女の友達も皆、好奇心旺盛な子ばかりらしい。ルイコちゃん、アケミちゃん、マコトちゃん?だったろうか。本当はもう一人来る予定だったらしいが、用事ができて来れなくなったと聞いた。

 

 

「てか、今どこいんの?もう第七学区にはいるんだろ?」

 

『第七学区の公園の~、クレープ屋さん!』

 

「それって、一応は勉強してんの?」

 

『い、う。一応ねッ!』

 

 威勢の良い花華の返事。だが、高性能な景朗の聴覚は騙せない。電話の向こう側、彼女の背後から、わいわいとはしゃぎ声が溢れていた。

 

「こりゃ、今日は大変そうだなぁ」

 

『じゃ、じゃあね!景兄!早くねッ!』

 

 花華は素早く会話から逃げだした。景朗は口元をほころばせ、携帯をテーブルに放り出す。

 

 周囲を少しだけ観察した。ちらほら視線が飛んでくる。周りの娘たちにだいぶ注目されてるな。それもやむなしか。この野太い低音野郎ヴォイス、このあたりじゃ俺だけだもんな。仕方ない。

 

 景朗は気を取り直して、お目当てのアイスコーヒーを呷った。気分爽快。幸せなひと時。

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、まあ。彼の幸せな"ひと時"というのは、文字通り、長くは続かない。

 

 彼の一服を邪魔するように、土御門からの電話が襲来した。だいたいの悪夢は、この土御門の報告から始まるんだよな、と。景朗は彼に対応する前に、たっぷりとひとつ、深呼吸した。

 

 嫌々ながら、通話ボタンを押す。

 

『今朝、盗みがあった。薬味のところだ。やれやれ。こいつはちょっとした事件になりそうだぞ』

 

 景朗はやるせない気持ちで一杯になる。なにも、土御門が事件を起こしているんじゃないんだぞ、と心の内で、念仏のように唱えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜霧流子(やぎりりゅうこ)は闇に包まれていた。ダイビングスーツを通してひんやりとした液体の冷たさが伝わってくる。レギュレーターから息を吸い込み、ただひとつの目的を想い、精神を乱さぬよう集中する。上下も左右もわからぬ暗黒と浮遊感の中、その日のために何度も練習してきたことを、必死に脳内で繰り返す。

 

 必ず盗み出して帰還する。仲間のために。"リコール"のために。"復讐"のために。

 

 

 

 夜霧流子は今、目標とする病院の地下深くに"潜って"いた。それも、まるでスクーバダイビングをするように、必要なダイビング器材を完璧に身につけた状態で。言葉通りに、彼女は現在、病院の真下にいる。彼女の位置情報を仮にGPSなどで辿れば、それを目にした者たちは皆、理解に苦しむことになるだろう。何せ、正真正銘、夜霧流子はたった今、病院地下の地盤のど真ん中に身を宿しているのだから。そのまま情報を鵜呑みにすれば、地中深くにポツリと女子中学生が身体を埋めている事になる。

 

 事実として、夜霧流子は位置情報と違わぬ場所にいる。それ故に、土砂に包まれたままだ。しかし、彼女は押しつぶされてなどいなかった。それどころか海の中を泳ぎ回るように、自由に地面の中を動き回れた。彼女は、夜霧流子は。土砂だろうが、コンクリートだろうが、分厚い岩盤の中だろうが、内部を通り抜け、自由に移動できる。全ては彼女の能力のおかげだった。

 

 

 "底無し沼(シンクホール)"。それが夜霧流子の能力だ。効果は、物質(個体)の液化。大抵の物質ならば一時的に、冷えたスープよりもさらさらの液体状に液化させられる。半信半疑で耳にした"あの曲"を聞いてからは、見違える程、"能力"が上昇している。息継ぎと浮力さえどうにかなれば、今のように周囲の物質だけを溶かし、どこまでも壁を突き抜けて移動できるようになる。

 

 このように能力を応用して、彼女は"とある病院"の地下室へ押し入り、"とある物品"を奪取する腹積もりだった。

 

 

 

 はてさて。コンクリートジャングルとはよく聞くが、それならば、この"コンクリートが液状に溶けた海の中"はどう表現すればいいのだろう。

 

 不意に浮かんだ疑問に気を取られる前に、彼女は慌てて上方へと移動した。目の前に映るヘッドマウントディスプレイ上の光点が、Y軸上に動いていく。その光点は、たった1人連れ立つ仲間、"ブッチー"の位置を表している。この暗黒の中、その心拍センサーによる位置情報のみが頼みの綱なのだ。

 

 

 

 

 "リコール"のギルドメンバーである、夜霧流子と洞淵駿(うろぶちしゅん)は二人組(ツーマンセル)で行動をともにしている。目的は、目標の病院地下室に存在するであろう、とあるウィルスを盗み出すこと。方法は、2人の能力を使用した壁内の直接移動。地下深くから地盤を上昇移動し、病院の分厚い壁内を物理的にすり抜けて、誰の目にも触れずに事を成し遂げる。

 

 "幻想御手(レベルアッパー)"により大能力(レベル4)級に性能が向上した、夜霧流子の"底無し沼"、そして洞淵駿の"透過移動(フェージング)"ならば可能な試みだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パートナーの夜霧同様に、洞淵駿も病院地下施設の壁内に躰を留めていた。彼の能力、"透過移動(フェージング)"の効果が為せる技である。洞淵は自身の躰に、あらゆる物体を透過、要するに擦り抜けさせる性質を付加できる。ただし、能力の効果範囲は厳密に自身の肉体のみに適応される。例えば、割らずに卵の殻に指を透過させ、黄身を引っ掻き回すことができる。しかし、効果範囲は彼の肉体のみにとどまっているため、殻を割らずに中身を取り出すようなマネはできない、といった具合だ。

 

 物質に肉体を同調(フェイズ)させている間は、必然的に呼吸は不可能となる。かろうじて、潜り入った物体内での移動が可能であったのが、唯一の救いだった。

 

 

 

 緊張に緊張を、慎重に慎重を重ね、洞淵はゆっくりと時間をかけて病院の地下施設を探っていった。ほんの僅かな刹那の時間だけ、洞淵は顔を施設内部の壁、その表層に浮き上がらせる。施設内部の様子を一瞬で判断し、目的の場所へ手探りに向かう。直ぐ傍にぴたりとくっついて行動してくれる夜霧が、彼のぶんの酸素ボンベを運んでくれている。そのため、呼吸については心配せずに済むんでいた。勿論、時間制限は存在するが。

 

 

 

 

 

 洞淵はようやく、視界に願っていた光景を捉えた。滅菌のために備えられたシャワールーム。それは彼らの目的地を示す目印であるも同然だった。彼らが求めている"とあるウィルス群"は、その危険性から、研究・保管の際には、須らくそれなりの設備・器材が施設に必要とされる。大抵、人体の安全を考慮する故のその設備は、物々しく、巨大になる。

 

 次第に充実していく設備を目にし、洞淵は確信を抱く。事前にそこそこの知識を蒐集して来た彼には、施設内部の様相から、重要なウィルスの保管場所を推測するのは簡単であった。

 

 

 

 順調だ。自分たちはだんだんと目的地へ近づいている。未だ、2人の侵入がバレた形跡はない。"ミスティ"は外の様子を一切確認できずにずっと、闇の中を漂っているままである。それなのに、"ミスティ"は落ち着いていた。自分を信頼してくれている証拠だ、と洞淵も気を引き締める。彼女はただひたすらに、洞淵の心拍音をセンサーで拾い、彼の足跡を辿っているだけなのだ。懸命に恐怖に耐えながらも。"ミスティ"の事を想っていると、心が温かくなっていく。こんな場所で考えるような事じゃない。洞淵は雑念を振り切ろうとした。

 

 全てが終わったら。"復讐"が終わったら。何も残らないだろうな。数え切れないほど考え抜いた、遠くない未来を想像して。この期に及んで、洞淵の胸中に後悔の念がじわり、じわりと押し寄せてくる。

 

 

 彼はついに、それらしき空間を見つけた。清潔に輝く強化ガラスが美しい。外界と遮断された、無菌に保たれる厳ついキャビネット。この辺りに、目的のウィルスがあるはず。いよいよだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんたる僥倖だろう。目当てを付けたアンプルは、一度で的中した。一言も声を漏らすわけにはいかない。故に、夜霧から返って来たのは作戦成功を示すハンドサインだった。

 

 ここまでは上手くいった。喜びと安堵が全身に染み渡り、洞淵は気を緩めてしまいそうだった。それも無理はない。これまで発見されずに来れた。後は来た道を戻ればいい。

 

 帰路の確認の為、今一度注意深く、静寂の空間へと顔を覗かせた。

 

 

 

 そして、息を飲む。女性のシルエット。看護婦さん。なんだ。看護婦さんか。全く足音がしなかったために、彼は少々我を忘れた。彼女は幽霊のように、地を滑るように歩いていく。待ち伏せてやり過ごせばいい。動けずに停止していた後で、後から捕捉するようにそう思いついただけだ。とっさに対応策を判断できなかった。異様な圧迫感を受けてか、洞淵の思考は止まっていた。

 

 いつの間にか、看護婦さんを見つめ続けていた。彼は目が離せない。

 

 

 静けさが機械音をくっきりと特徴づけた。洞淵は何も考えずに、ただ眺めていた。彼女の背中から、六枚の、"何か"でできた花弁が花開くのを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜霧は手に入れたウィルスのアンプルを丁寧に、持参したケースに封入した。この病院に目をつけた"ヴィラル"の、お墨付きのケースだ。彼女たちが盗み出すウィルスは相当に危険な代物らしく、運搬には緊張を感じずにはいられない。でも、あの"ヴィラル"が選び抜いた密封容器だ。だから動揺するな。今は彼を信じろ。夜霧は自分に言い聞かせた。

 

 

 

 帰ろう、と"ブッチー"へサインを送ろうとした。伸ばした手が空を切る。次に突然。何度も、痛いほど頭をこずかれた。思わず沸騰しかけた夜霧は、そのサインの意味を把握して凍りついた。

 

 "ブッチー"は全速力で逃走しろ、と伝えていた。彼の現在位置を知らせる心拍音が堰を切ったように動き出す。

 

 数秒、動けずに固まった。だって、彼のぶんの酸素ボンベを持っているのは夜霧なのだ。ピリピリと震えが伝わってくる。近い場所で、振動が生じている。最悪の事態を想像して、胃が冷たくなった。こういう状況に陥った場合、どうするか。必死に覚えこんできた対応を噛み締める。逃げなければ。手に入れたものを仲間に届けなければ。"ブッチー"を置き去りにして。

 

 学園都市の研究機関から盗み出した、特別仕様のボイヤンシー・コンペンセイター(浮力補助装置)が一息に開放された。夜霧は生み出せる最高速を用いて、地下深くへと急速潜水していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今朝方の話。今年の三月に、景朗が薬味久子の任務を受けた時に訪問した、あの奇妙な病院。あそこに盗みに入った輩がいたらしい。複数犯で、まんまと病院に保管してあった貴重な細菌やウィルス等を盗みだした。あの病院から盗みを成し遂げるとは、ただ事ではない。確かに空恐ろしい話だった。というか、あそこに貴重なウィルスなんて保管してあったんだ。

 

 どう考えてもきな臭い。気合を入れて事にかからねばならない、とは思うものの。事件を覆う闇を目にして、取り組む前から景朗は疲れを感じえない。

 

「それで、どうなったんだ?」

 

『病院のセキュリティが1人殺ったが、残りは取り逃がしたそうだ。遺体からは身元が判明している。名前は洞淵駿(うろぶちしゅん)。第十八学区に通っていた、高校生。"透過移動(フェージング)"の強能力者(レベル3)だ。物体、それこそ防壁やガラスなんかを物理的に透過する、すり抜ける能力だな。レアな能力だ』

 

「そりゃあ盗みに向いてそうな能力だ。他にわかったことは?」

 

『いや、今んとこそれだけだ。とはいえ、身元が判明しただけ御の字なんだよ、この有様だと。人間だった頃の名残は、影も形も残っちゃいない。ぐちゃぐちゃに潰されている。ありきたりだが、歯の治療痕から判別したらしい。にしても……こいつを殺った奴は何者なんだろうな?たかが病院の守衛が、これをやったとは』

 

 まるで、今現在、実際にその遺体を目にしているかのような、土御門の受け答え。景朗は躊躇なく浮かぶ疑問をぶつけていた。

 

「もしかして現場にいるのか?」

 

『言ってなかったか?今、オレも現場にいる』

 

 土御門の答えに、景朗は驚きを隠せない。

 

「どうしたってんだ?お前がそんな出しゃばってくるなんて。なんかこう、お前っていつも、なんか一見してわけのわからん、みょ~な事件にばっか関わってんじゃん。こういうまっとうな物件は大抵俺に押し付けてさ」

 

『危険なウィルスが盗まれたからだ。天然痘ウィルスだ。伝染病だよ。バイオテロが危険視される、特別ゴッツイ代物だ』

 

 なるほどな。舞夏ちゃんに危害が及びそうな事件は、お義兄さんがシャットアウトします、と。

 

「天然痘、か。確かにまずそうなフレーズだ。詳しくは知らないけど。でもたしか、何年か前に学園都市が抗ウイルス薬を開発したんだろ?」

 

『その通りだ。たった少量のウイルスじゃあ、盗み出したところで何の意味もない。例え犯人が奪った少量のウイルスを特定個人の殺害に使おうが、なんとかそいつを培養させてテロを起こそうが、学園都市は速やかにウィルスの暴露を発見し、被害者へ抗ウイルス薬を処置できる』

 

 学園都市、暗部も含めての学園都市が、簡単にテロには対応できる。そのように語る土御門だったが、今なお、彼の口調は硬いままだ。まだ何か、気になっていることがあるのだろう。

 

「じゃあなにが気になるんだ?」

 

『ここは学園都市だぞ?あらゆる可能性を模索しておく必要がある。今言ったことは、犯人だって百も承知の上だったはずだ。少量天然痘ウィルスを盗み出したところで、おいそれとは役立てようがない。それなのに、何故、危険を冒して盗み出した?』

 

「それは……。犯人はそいつだけを狙ってたのか?ほら、お前さっき言ってただろ。そこ、他にも危険なウィルスが保管されていたと」

 

『ああ、そうだ。もっとヤバいブツも大量にあった。それこそ興味深いものが山のようにな。お前の言いたいことはわかる。無論、犯人が苦し紛れに盗んでいった可能性もあるが……にしては、選り好みされていたように感じる。最初から狙って持っていった風に思えてならない』

 

「了解だ。で?つまり、何を危惧してるんだ?」

 

 土御門は重要なのはいよいよこれからだぞ、と言わぬばかりに、会話にタメを作って語り出した。彼は、とにかく、話し方がうまい男だった。

 

『そこでだ、雨月。お前、知っているか?ひょっとしたらこの事件と関わっているかもしれない案件でな。……"幻想御手(レベルアッパー)"という名前に、聞き覚えは?』

 

 "レベルアッパー"。その音感、どこかで耳にした。一時、景朗は記憶を手繰り寄せた。聞き覚えがある気がしてならない。だが、それだけだ。土御門の言う"幻想御手"なるものはついぞ知らぬものである。

 

 沈黙を肯定とみなしたのか、土御門は声のトーンを一段低くして、再び尋ね直す。

 

『知っていたか?それなら話が早いんだが』

 

「ああ、いや、すまん。まったく知らねえ」

 

『……そうか。それならいい。いいか、レベルアッパーっていうのは、名前通り。そいつを使えば能力強度が上昇するって噂のブツだ。俺も最初は眉唾だった。実際に存在するなら、そういう代物がまず最初にやってくるのは』

 

 土御門の会話に割り入り、景朗は後を繋ぐ。

 

「俺たち暗部の業界に、って話になるよな。俺は寡聞にして聞いたことないな。そんな便利なモノ、あるんなら絶対に噂になってる」

 

『それがだ。どうやら、本物らしくてな。奇妙なことに、一般学生や、スキルアウト達が発端となって街中に拡散しつつあるらしい』

 

 景朗は声を荒げてしまっていた。到底、信じ切れない。

 

「"暗部"が情報を収集しきれてないのか?アレイスター直近の俺たちだって知らないんだぞ。……アレイスターが黙認している?」

 

『断定はできんぜよ』

 

 土御門も、恐る恐るそう口にした。

 

『ち。話が逸れたぞ。話題を戻すぞ。はっきり言うとだな。盗み出された天然痘ウィルスを、能力を使って"操作"できる可能性のある人間が、学園都市には数人いるんだ、雨月』

 

「ッ。そうか。そういうことか、お前が心配しているのは」

 

『ああ。こちらで少し調べたが、まともにウィルスを悪用できそうな能力者の身元は、きっちり掴んである。だがな。もし、レベルアッパーが本当に有用な代物であれば……』

 

「悪用できる能力者たちが、リストに増えるのか」

 

 景朗を嫌な予感がつつむ。気が滅入る。その感覚は今まで彼を裏切ったことがない。

 

『その通りだ。無能力者まで範囲に入れて洗い出した結果。すぐに情報を掴めなかった奴が一人だけいる。産形茄幹(うぶかたなみき)ってやつだ。そいつは書類上、第七学区、学舎の園の近くに住んでいることになっているが……。不登校に引きこもり、だそうだ。もし自宅に居なければ、今はどこにいるのか見当もつかない。』

 

 握っていたアイスコーヒーのコップが、ぐしゃりと潰れてしまった。あああ、勿体ない。

 

「お前、俺が今どこにいるかわかってて連絡したんだろ??」

 

『理解が早くて助かるぜい。雨月、ちっとばかし、そいつの家を確かめてこい』

 

「はぁぁぁぁ。……わかった。大人しく従うさ」

 

 

 

 景朗は土御門に住所を教わると、すぐさま通話を打ち切った。今回ばかりは、素直に彼の命令を遂行するつもりだ。放置して、後で悲惨な目に遭いたくはない。

 

 

 

 

 

 スコーンを一口に、一気に口に放り込み、咀嚼する。さて、行くか、と景朗が席を立った、その時。

 

 

 

 

 

 

 

「へぇー?そういうお仕事してるんだあ、"第六位"さんは?」

 

 ごふり、と景朗はスコーンの残骸をノドに詰まらせた。不意打ち。誰だ?!警戒に警戒を重ねた草食動物を覗わせるような、素早い動き。景朗はその声を認知したその瞬間には、声の主を振り返っていた。

 

 

「面白そうなお話してたわねえ?」

 

 セーラー服に身を包んだ、黒髪、おかっぱの女子生徒。ピースサインの決めポーズ。なんというか、危ういオーラはいか程も纏えていない。だが、只者ではないはずだ。

 

「初めまして。"第五位"の"超能力者(レベル5)"、"心理掌握(メンタルアウト)"です☆あ、言っておくけど、この子は私の連絡係(アンテナ)に過ぎないからあ。襲っても無意味よお?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 洞淵さんが帰ってこない。夜霧さんが人目を憚らずに泣いている。部屋の隅、壁にぐったりと寄りかかり、微かに震えながら。それでも、彼女は持ち帰った。次のステップへ進む鍵。世界屈指の伝染病、"天然痘"のウィルスだ。空気感染する化物。大勢が死ぬ。だからこそ、変えられる。

 

 賽は投げられた。そのはずなのに。茄幹の脳裏に浮かぶのは、これから先、立ち向かうべき敵の影ではなく。仲間と過ごした、過去の楽しかった記憶ばかり。

 

 

 その宝物のような思い出は、失った"平穏"の象徴だったのかもしれない。今は違う。学園都市の執行機関が血眼になって、自分たちを探しているだろう。本当の意味での、"日常"から"非日常"への変遷。茄幹は漸く、後戻り出来なくなったのだ、と実感した。

 

 

 

 茄幹は懐かしむ。"リコール"のメンバーと、最後にカラオケに行った時の事を。

 

 

 

 初っ端、男で唯1人だけ高校生だった洞淵くんがドギツいアニソンをぶちかました。それで、皆にまとわりついていたぎこちないわだかまりが一気に溶けた。

 

 それからだ。生身で面と向かい合わせて固まっていた"リコール"メンバーたちは各々、ゲームの中ではしゃいでいたのと全く同じように、現実世界でも騒ぎだした。

 

 ビックリするほど楽しかった。ゲームの中で培っただけの絆が、現実世界にまで昇華された。茄幹はそう感じとっていた。きっと、他のメンバーも似たり寄ったり、同じ気持ちだったんじゃないだろうか。

 

 

 洞淵くんはそれからも、ブレずに特濃のアニソンメドレーを展開していった。ネトゲでの振る舞い通りにテンションがすごく高いヤツだったから、彼だけは一目見て"ブッチー"本人だとすぐに判明したよ。

 

 実は僕も人のことをどうこう言えずにアニソンばっかりだったんけどね。野郎2人でアニソンという針のムシロに座ろうかと覚悟していたその時。意外にも、夜霧さんがアニソンをかぶせてきた。これでアニソン勢力が半数。おかげで居心地の悪い想いをせずに済んだ。

 

 貴重なアニソン勢力の女の子だった夜霧さんは、1人だけ一学年歳下の中学二年生。なのだけど、女の子の中で一番背は高くて。それに加えてブカブカのパーカーにジャージという服装で。その格好が余りにも似合い過ぎていて、スキルアウトさんなのかなって最初は勘違いしてしまった。彼女は外見を裏切って、重度のアニメ好きだったのだ。皆にツッコマれ、ちょと前にスキルアウトはヤメたんだよ、と言い訳してた。それから照れくさそうに、短気な性格と男勝りな喋り方は元からなんだって教えてくれた。

 

 そうそう。驚いたことに、女の子3人の中で一番可愛かった娘は"シュマリ"だった。あのゲームの中ですらネガティブ思考全開の彼女が、まさかあんなに愛らしい顔付きをしていたとは。太細朱茉莉(ださいしゅまり)と名乗った彼女は、苗字がキライだから名前で呼んで、とぶすりと不機嫌そうに語った。オンラインネームもそのまま"シュマリ"だったしね、本人の言うとおり名前の方は相当お気に入りらしい。カラオケでの選曲は性格を見事に反映した、聞いているこっちまで鬱になりそうな暗い曲ばかり。でもまあ、普段じゃなかなか聞かないようなメロディで、新鮮でもあったかな。

 

 あと、悲しいことに。"オージ"とかいうクールキャラを気取ってた変態は、今大路万博(いまおおじばんぱく)とかいうイケメンだった。何をトチ狂ったのか、洋楽ばかり熱唱してちょっと空気外してた。僕と洞淵くんはそれで救われたよ。"オージ"ざまぁ。ちょっと悔しいことに、歌自体はうまかったけど。

 

 でも、みんなの中でとりわけ、一番歌うのがうまかったのは嘴子さんかな。彼女がずっと歌ってたのはR&Bっていうらしい。僕にはJ-POPと区別ができなかった。ていうか、正直アニソンしか聞かない僕には判断しようがなかっただけだけどね。なんというか、フツーの、オタクっぽくない曲にも興味がわいてきた。試に勉強してみようかな。そしたら、嘴子さんともうちょっと会話できるかもしれないし……。

 

 ネトゲで皆のまとめ役だった"ウッドペッカー"こと嘴子千緩(くちばしちひろ)は高校生だった。僕はやっぱり年上だったか、と納得したよ。なんやかんやで、彼女は現実世界でもまとめ役に落ち着いた。その甲斐もあって、まんま、ネトゲでの掛合いがリアルの関係にまでシフトしたようで。それまでの人生で、誰かと過ごしてきた中で、最高に居心地が良かったな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気が付けば、涙を必死にこらえていた。もう、戻れない。でも、それは最初からわかっていたことだ。

 

「産形クン。もう後には引けないからね」

 

 朱茉莉さんが覚悟を問いただすように、僕を正面から見つめていた。

 

「わかってるよ」

 

 今大路がうなだれたままの夜霧さんへ手を差し出した。

 

「ブッチーは一杯喰らわせたい、一矢報いたいって言ってただろ。アイツはやり遂げたんだ。ここで止めてしまうのか?ここでそいつを差し出して白旗なんて揚げたら、ブッチーの行動が無駄になってしまう。ミスティ、まだ何も変わってない。大事なのはむしろこれからだろ?」

 

 夜霧さんは憎しみを露わに今大路の手を取った。

 

「もういい。言わなくていいっての。ブッチーの仇をとってやらぁ!」

 

 夜霧さんの咆哮に微笑む朱茉莉は、淡々とメンバーを順番に眺めていった。今大路は最後にもういちど、計画の確認を全員に要求した。

 

「それじゃあ俺と朱茉莉は用意を急ぐ。ミスティ、ウッドペッカー、ヴィラル、気をつけろよ」

 

 2人は迷い無く、拠点とした第十学区のマンションを後にした。その間、夜霧は寂しそうに2人の背中を盗み見ていた。

 

 ウィルスのアンプルを取り出し作戦へ取り掛かろうとしていた茄幹は、唐突に気づいた。知らぬ間に嘴子が傍へに寄り添っていた。

 

「茄幹くん。辛い?」

 

 純粋に相手を慮る、憂いの顔色。向けられた柔らかな心遣いに、正面から見つめかえすのは照れくさかった。手元のウィルスの入ったケースに目線を固定させ、茄幹は努めて気丈に振舞った。

 

「大丈夫。問題なくやれるよ。レベルアッパーで十分に能力の強度は上昇してる」

 

 嘴子さんは口を噤んでしまった。最近、彼女の反応が変だ。最初の方は彼女の方こそ、嘴子さんの方こそ、"復讐"に燃えていたってのに。茄幹は様子を窺うように、嘴子に問いただす。

 

「お父さん、殺されたんでしょ?"アンブ"の人たちに。理事長へ抗議活動してただけで暗殺。そんな相手なんかに、嘴子さんは少しも遠慮する必要なんて無いよ。僕も手伝う。今は逆に、少し怖いかな。嘘っぽいけど、噂通りに"ケルベロス"ってのが襲って来たら……犬にウィルスが効くかどうか、流石に自信ないからね」

 

 おどけた風に肩をすくませる茄幹。彼の精一杯の冗談に、嘴子は無理矢理に微笑みをねじりだした。

 

「任せなさい。その時は私が戦うから。貴方は計画だけに集中して。邪魔はさせない。それに、"ケルベロス"は、もしかしたら父さんの仇かもしれないから。躊躇なく殺してみせる」

 

 嘴子は目に憎しみを宿らせて、殺す、と言い放った。その言葉に当てられたのか、より一層自らを鼓舞するためか。茄幹も頬を歪めて犬歯を剥き出した。

 

「僕だって復讐してやりたいんだ。どっちにしろだいぶまいってたから。まっとうに戻れる気、全くしてなかったから。」

 

 "復讐"が成功したら、きっとせいせいするだろう。最高の気分にちがいない。仲間との繋がりも、いつかは消えてなくなる。僕たちは嫌というほど知っていた。現実という壁が、すぐに僕らに立ちふさがってくることを。だったら、最後までこの悲しみを自分ひとりの身に塞ぎ込み、儚く消えていくか?それは

 

 

 

 "リコール"メンバーには、共通したひとつの意思がある。僕らは全員、"学園都市"が死ぬほど嫌いなのだ。この街をこの街たらしめている、ムカつく奴らを陥れてやりたい。

 

 

 

 人間はどうしようもない生物じゃないか。弱いものいじめが大好きだ。そのために、どれほど労力を惜しもうか?呆れるくらい、なんでもやってのける。日がな一日、他者を排斥するその行為にのみ心血を注ぐ。それが至高の快楽だと言ってのける人間が多すぎる。

 

 しかしながら、レベルが上の能力者たちに足蹴にされるのはまだ我慢できる。この街を支配する身分制度だ。同じ穴のムジナは沢山いる。耐えてみせよう。しかし、等しい立場の人間からはじき出されたらどうすればいい。ここには親もいない。街には大人すらろくにいない。この巨大な都市の八割が学生、子供なのだ。

 

 学園都市に一度入れば、大人になるまでは外には出られない。学校を転々しようと、"いじめられていた"事実が後から後から物好きな輩に掘り出されてしまう。子供が船頭となれば、精神を虫食う陰惨な行為がすべて、"いじめ"の三文字で素通りしていく。

 

 

 落ちこぼれは武装無能力集団(スキルアウト)だと言われて蔑まれる。でも、少なくとも彼・彼女たちは1人じゃなかった。もし、スキルアウトにすら馴染めなければ。絶望するしかない。

 

 やがて、不条理に晒され続けて生じる、抑えがたい怒り。逃避と憤怒が混ざりあい、縮合し、諦観と復讐心が取って代わる。

 

 その折に、偶然にも。仲間に与えられた"幻想御手"が、産形茄幹に力を与えてくれた。怒りを解放する術とともに。茄幹は目を向けた。夜霧が命懸けで奪取した"力"。その途方もない可能性を肌に感じ取り、彼の躰は漠然とした憎悪を燃料に動き出す。

 

 これからは"病菌操作(ヴァイラルシミュレート)"の出番だ。ギルド"リコール"には最初から目的があったのだ。名前が指し示している。どうせならこの街を創り出した奴ら全員に、"Recall"を要求してやる。そのための巻き添えを喰らうのは、今までメンバーを虐げて来た奴らになるだろう。だから、気持ちいいくらいに言ってやる。そんなの知ったことか、って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然にコンタクトを取られたため、咄嗟に慌てて付近の人影に一通り目を通した。無駄だと分かっていても、行動せずにはいられない。

 

 予想は覆らなかった。それらしい少女は、この女学生を操っている"第五位"らしき姿は何処にも見当たらない。会話を続けるしかない。急ぎの用があったが、とある事柄が脳裏をよぎり、景朗は敵意が面に表れぬよう穏やかに会釈を返した。

 

「あー……、ビックリしました。すみません。どうもどうも」

 

 少女は景朗のことを"第六位"だと呼んだのだ。彼女が本当に"第五位"かどうか知る由もないが、捨て置けない。この場所で接触を図ってきたのも気に触る。景朗はしばし、眼前の相手へ対応するしかなかった。

 

 

「安心していいわよう?私、あなたの考えていることがさっぱりわからないの。まあ、それでもあなたが私を警戒しているのはバレバレだけどねえ。うふふ。ねえ、私、あなたの考えてること、ちっともわからないわあ。くすくす。これってとっても普通のことよねえ?」

 

 薮から棒に話しかけて来た少女は脈絡もなく、物凄いニヤけ面を披露した。気味の悪い挙動と意味深な発言。不覚にも、景朗は彼女の存在に怯えを感じつつあった。

 

 この女、俺の素顔を知ってるのか。仮にも超能力者を前にしてこの余裕。他にも色々と知ってそうな態度だ。なんにせよ油断できそうにないな、危険な奴だ、畜生

 

 相手が何故そのように愉しげに微笑むのかまるで理解不能だった。さりとて、景朗と敵対する意思はほとんど感じられなくもあった。

 

「とりあえず、座って話をしないか?なあ?」

 

 このカフェテリアには男子生徒は景朗しかいない。手持ち無沙汰なお嬢様方が、自分たちの会話を盗み見ているやもしれぬ。立ち尽くしていると目立つ。目の前の少女を見つめ、景朗は恐る恐る椅子を引き、元いた場所にゆっくりとした動作で座り直した。

 

「俺と電話相手の会話、聞いたのかな?俺の声はともかく、ケータイの音量はものすっごく小さくしてあったんだけどね」

 

 話しかけてきた少女は返答も無しに、大胆に景朗の真横の席に腰を下ろす。景朗はピリピリとした緊張に包まれていた。だが。交渉相手はそうでもなかったのか。

 

「それにしても、久しぶりねえ。ずっと、こうしてお話してみたかったのよう?去年の冬頃から、ねえ、"第六位"さあん?」

 

 "第六位"だと言われるのが癇に障る。"第二位"もからかい混じりに景朗をそう連呼した。思い出したくもない、彼と戦ったあの日の出来事が記憶に蘇る。

 

「あのさ、ひとついいかな?あんた、さっき自分が"第五位"だとか俺が"第六位"だとか言ってたけどさ。俺、実はそんなことはどうでもよくてさ。あんたが何者かも興味は無い。悪いけど立て込んでるんだ。単刀直入に言って欲しい。俺に何の要件なんだい?」

 

 余計な注目を浴びたくなかった景朗は、最低限に声を絞り少女に尋ねた。彼女は貼り付けた笑みを崩さずに、妖しく口元を広げた。

 

「大丈夫よお、そんなに怯えなくても。だあれも私たちの会話を盗み聞きなんてしてないからあ。"第五位"の、この食蜂操祈さんが保証してあげる」

 

 景朗は自称"第五位"と憚りもなく名乗り続ける少女の言を聞き、なに食わぬ顔で己が五感の性能を極力向上させた。近辺のお嬢様たちの行動を、くまなく確かめる。

 

 そこで、はっと気づく。彼女の言う通り、誰ひとり、景朗たちを目に留める人間はいなかった。先程一人で珈琲を嗜んでいた時は、好奇の目線が止むことがなかったというのに。それが、今ではまるで。景朗の存在すら、人っ子一人、微塵も意識のうちに捉えていない。不自然だった。

 

「おーけー。君の話、こっちも真剣に聞かせてもらうことにしたよ。さっきも言ったけど、俺に何の用なのさ?」

 

 少女は景朗の質問に答えなかった。頬に手を当てて、まじまじと景朗の顔を観察している。物憂げな表情を見せると、つぶやくように口を開いた。

 

「くすくす。不思議ねえ」

 

 1番不思議なのはあんたの挙動ですけどね。景朗はもやもやと湧き上がる煩わしさを押さえ込んだ。話が進まない。

 

「こんなに近づいてやっても効かないのなら、どうやら本物のようねえ。私の干渉力が効かない人間がまた1人、登場って訳かしらあ。でも、まあ、あなたの弱点はうーんと、それこそあなた本人よりよおく知ってるから、問題はないのよねえ」

 

 相手曰く、近くに来ている、と。……駄目だ。察知できない。景朗は歯を軋ませる。近くとは言うものの、それは相手からしてみればの話。仮に本当にこの少女が操られているとして、その犯人は景朗が捉えられる距離には居ないようである。

 

「俺の弱点、か。試しにお聞かせ願えるかな」

 

「よろしい。今日からあなたは正式に、堂々と"超能力者(レベル5)"を名乗っていいわよぉ?私のお墨付き。ちゃあんと歩をわきまえて私の"下"にランクインしたことだしい☆」

 

 満足げに顔をほころばせ、少女は足を組み替えた。プリーツスカートがはためき、奥底がちらりと露見した。欠片ほども彼女は心に留めておらず、景朗も嗜める心持ちではなかった。

 

「おい――」

 

「そうそう、私、とっても気になってたことがあるのよお。一端覧祭の最中だったかしら?手纏さん、あなたの家にお邪魔したんでしょう?ねえねえ、どうだったあ?彼女、あなたに告白するつもりだったみたいなのだけど。ちゃんと告白してもらえたの?」

 

 

 さっきから会話になっていない。いい加減答えろよ、と口調を荒らげようかと思った矢先。彼女の口から飛び出した"手纏"という単語に、景朗は思考と動きを同時にピタリと静止させた。まずい。あの2人のことまで知られている。

 

「ッやはり知ってたの……か……ッてぇ――へ?え゛?」

 

 なにを言い出すんだ、こいつ、一方的に。俺の家に手纏ちゃんが来たことまで知られている?というか、告白?

 

「あらあ、せっかく私の干渉力が効かないのに。その顔じゃあ台無しよう?なんてわかりやすいのかしらあ。その様子。あの人、あなたに何も言えなかったみたいねえ。残念」

 

 景朗は動揺するまいと、一度、精神を落ち着かせた。嘘八百。この女、俺の心をつついてかく乱させ、何かを企んでいる。下手に動けない。相手はあの2人を……クソ、告白って、こいつ。

 

 景朗の横で、少女はつまらなそうに息をこぼした。景朗は胸の内で冷や汗を流し、引きつった。この相手は、彼が"超能力者(レベル5)"になる前から、景朗たちを観察していたに違いない。

 

 "第五位"の超能力者の、その能力は"心理掌握(メンタルアウト)"。本人の言葉に従い、相手の背景を推測する。"第五位"の力ならば、確かに俺たちを観察するのは簡単だ。そもそも、本物の"第五位"であればあの2人をよく知るのは当然である。食蜂操祈は常盤台中学の二年生。去年は彼女たちの後輩だったのだから。本当に、"第五位"?

 

「ま、待ってくれ。君、本当に、"心理掌握(メンタルアウト)"なの、か?」

 

「あらあ、疑り深い"獣"さんねえ。でも、無理もないことかしら。あなたみたいに"闇"の存在を知る人間は、言って聞かせるだけじゃあ簡単には信じなくても当然、かあ。ふふん。それじゃあ、取って置きのネタばらしをしてあ・げ・る☆」

 

 少女は勢いよく身を乗り出し、景朗へと迫ってきた。正面から見つめ合う。瞳に浮かぶ奇妙な紋様。その模様を見ているだけで、胸騒ぎが彼を襲った。

 

「今でも思い出すだけで笑えるわあ、あの時のこと。あなたは間違いなく覚えているはずよお、見てきた中で一番いい顔してたもの!このカフェで。あの時の、手纏さんの"罵倒"」

 

「そんなのまで知って?!」

 

「うふふ。そうよお、あの時の罵り言葉、実はねえ……提供したのは、このわ・た・し☆手纏さんも一生懸命考えてたのだけど、ほら、彼女、そういうのにあまりに疎すぎるじゃない?だからあ、私やきもきしちゃって☆あなたが喜んでくれるように、あれでも色々と工夫したんだゾ☆う、うくく、うふふふふふッ!」

 

 暑いはずなのに、寒気を感じていた。容易に想像できる。一体この少女は、いつから俺たちの交遊をのぞき見ていたのかと。

 

「もしかして、あんた、ずっと俺たちの様子を……」

 

「勿論よ。だって、このお店は私の庭だもの。アンテナちゃんたちの、"学舎の園"の外部への発信基地ってとこかしら。そういうわけでえ、ここで起きたことは当然、全部私には筒抜けなのよねえ」

 

 景朗はあまりの衝撃に、言葉を紡げられなかった。ひたすら大人しく、少女の語る事実に耳を傾け続けている。

 

 

「去年の春からね。貴方たち三人の、甘酸っぱい青春ラブストーリーには楽しませて貰ったてたのよお。世間って狭いのねえ。あれだけがっついてた男子中学生が、今じゃあレベル5の一角なんだもの。意外と最近だったわよねえ。去年の冬くらい?」

 

 食蜂操祈が景朗たちを観察し始めた時期は、彼が中学三年になった当初から、ということになる。景朗が強能力者(レベル3)出会った頃から、ずっと通して見物されていたのか。

 

 今更ながらに、火澄と手纏ちゃんに何も打ち明けていなかったのは正解だった、と景朗は思い直していた。"第二位"に襲われていた時もそうだ。彼女たちが景朗の秘密を知っていれば、その時点で駆け引きできぬほど敵側に情報を握られてしまっていたのだから。

 

 いや、そもそも。彼女たちとすっぱりと縁を切れていれば、こんなことにはならなかったか。少なくとも、"第二位"と"第五位"には火澄たちのことはバレなかった。暗部部隊に加入する時点で関係を精算しておくべきだった。いいや、今更後悔しても遅い。

 

 そういえば、一体どうやって気づいたのだろう?景朗が去年、一年の間に、レベル3から順にレベル5まで上昇した、その事実を。気がつかぬ間に、食蜂操祈に頭を覗き見されていたってのか?

 

 景朗は思い出した。つい先程、彼女が口にしたことを。景朗の思考は読めない、と。何度も話していた。ならば、尚更一体?知り様はないはずだ。考えが読めないと言ったのも嘘か?自覚はないだけで、俺は操られているのか?全く判断できない!

 

(ええい、クソ。この女の言うこと、どこまで真実なのかわかったもんじゃない。だいたい、手纏ちゃんが告白ってなんだよ?なんてこといいだすんだ。すごい気になるけど、こいつに聞き返したくはない。すごく気になるけど。クソ、畜生、バカ野郎)

 

「なにが望みなんだ?どうして俺を脅す?あんたは"第五位"なんだろう?何でも操って好きにすればいい」

 

「あらあ?お馬鹿さんねえ。脅す?いつ、私があなたを脅したというのかしら?わざわざあなたに接触したのなんてえ。そんなの、あなたに私の能力が効かないからに決まってるじゃない。あなたを能力で好きにできるなら、こうやって面倒なことしないわあ?」

 

 警戒を露わに無言となった景朗に、にこやかに少女は微笑んだ。

 

「これ、内緒の話よお?私の能力、"人間"にしか効かないの。あなた、とっくに人間やめちゃってるじゃない。そもそも、あなたたちの会話を覗き見し始めた発端はねえ、何を隠そう、あなたの考えが突然読めなくなってしまったからなのよお?」

 

「人間やめた?……それ、去年の五月くらいの話か?」

 

 景朗の質問にだんだんと答え始めてくれている少女。ひとさし指を当てた唇を尖らせ、上目遣いに小首を傾げる彼女は、どこからどう見ても愛らしく。その姿に騙されてはいけない、と景朗は無理矢理に気を詰め直す。

 

「そのくらいだったかしらあ?それ以前だと一度だけ、あなたの考えを読んだことがあったのよねえ。その時は他の人たちと一緒。あなたは特別ではなかった。やろうと思えば何時でも干渉できたのよ。それが一転して。突然、ふとした拍子に、あなたの考えが読み取れなくなった。もやもやとして、記憶の断片しか覗き見れなくなってしまったのよう。気になって気になって、あなたたちを監視しはじめたわけでえ。何時の間にか、それが楽しくなってたのねえ」

 

 景朗は激しく警戒していて、それまで認知できていなかった。ここに来て、ようやく気がついた。目の前の少女は、一貫して、どうやら景朗に好意的である、と。何度も気のせいで済ませようとしていたが、否定するのは難しくなっていた。少なくとも敵対しようとする意思は見られない。彼女は見かけ上は、景朗と会話を楽しんですらいるようなのだ。

 

 

「去年の冬ねえ。とうとう、あなたに通じる干渉力がゼロになったのは。……そういえば、あなたが"超能力者"へ到達したタイミングを判断できたのは偶然なのよねえ。私が情報を得たのは気まぐれの産物が功を奏しただけなのだし。でも、あなたが"第六位"に加わるまで"第六位"の情報は録に出回っていなかった。裏で糸を引いていた誰かさんは、あなたが遅かれ早かれレベル5になることを予測していた、と私は考えちゃうわよお、これじゃあ」

 

 どうやらそうらしい。景朗が"第六位"だと勘違いされているのは、"第六位"の情報が彼の台頭まで全く露出していなかったことが大きな要因となっている。未だに、本来いるべき"第六位"の情報は耳に入れられていない。

 

 

「あなたたち3人のやりとり、見ているのは嫌いじゃなかったのよ。ほんと、リアルタイムで人間ドラマを見ている感覚なの。流石の私にも画面の中の人間の考えはわからないしい。それと同じなのよねえ。考えの読めない敵は大嫌いだけど、あなたみたいに無害だとわかってる人間なら、ねえ。まったくう。目の前で青春繰り広げてくれちゃってえ」

 

「俺が無害?暗部にどっぷり浸かっているこの俺が?」

 

「ぷっ。あなたが"暗部の人間"?どうにもピンとこないのよねえ。仄暗さんの思い出の中じゃ、あなたおねしょしてぴぃぴぃ泣いてたクセにい。あらあ、怖い怖い。犬歯が丸見えよお?私を襲ったら、あなたの大事な人たちがどうなるか、勿論理解してるでしょお?」

 

 

 でも。幻生やアレイスターの命令で、色んな人間を殺してきた。"第五位"からしたら、その程度のこと些事に過ぎないのだろう。ほかの人間には、怖くて知られたくない。クレア先生や花華たち、火澄たちに、自分がやってきた事を正直に話す勇気は無い。そんなもの、もう景朗には残っていない。

 

 このまま話していても、埓が明かない。景朗は試しに、素直になってみた。質問を変えてみる。

 

「なあ、それじゃあ、今日はどうして俺に接触したんだ?今更、このタイミングで姿を現すなんて、一体どうした変わりようだ?今まで秘密裏に監視できてたのにさ」

 

「あらあ、ようやく気づいてくれたみたいねえ。私にはあなたを脅すつもりも、命令を言いつけるつもりもなかったってことに。……そろそろ、お喋りも終わりにしましょうかあ。このくらいでいいでしょう。あなたも私の話を少しは信用してきてくれているみたいだし。それに、あなたにもお仕事があるものねえ?」

 

 景朗は信用なんてしていない。しかし、ここは納得したように見せかけて、彼女への対応は後回しにせざるを得ない。土御門から頼まれた仕事がある。嘘をついているに違いない。景朗は心の中でそう繰り返した。手纏ちゃんが告白?手纏ちゃんの罵詈雑言を提供した?内心、それが事実なのか大嘘なのか、景朗には気になる部分もありはしたけれど。

 

「今日、こうして話しかけたのは。要するに、あなたに協力してあげてもいいゾ☆、ってことなのよ。盗み聞いた感じだと、何やら大変そおだしい?あなたに貸しを作っておくのも悪くないと思ってねえ。なにせ、あなたが相手なら保険も十分。私の話を聞いててよおくわかったでしょう?私が、あなたの弱点をどれほど深く理解しているのか、ってねえ☆」

 

 

 少女は言い放つと、テーブルに腕をのせ、その上に頭を乗せて寄りかかった。興味津々に、景朗の反応を待っている。

 

「馬鹿言わないでくれ。俺たちと関わるつもりか?」

 

「そんなつもりは毛頭ないわあ。純粋に、あなたと個人的な関係を持ちたいだけよお?ヘンな意味じゃなくってねえ?」

 

 正直、景朗は火澄と手纏両名の存在を言及されてから、何時脅されるのやら、と不安に思っていた。しかし、"第五位"を騙るこの少女からは、やはりその意図は感じられずにいる。ただ、彼女が景朗の大切な友人2人の重要性を啄いてくるため、放置して逃げ出すのは得策ではない。

 

「とりあえず、あんたの意思は把握した。よぉく理解したさ。あんたが俺の弱みを握っているっていった、その意味もね。でも悪いが、今は冗談抜きで立て込んでいるんだ。申し訳ないが、また後でお相手させてくれないかな。約束は守る。この場はこれで」

 

「はあい☆それで構わないわあ」

 

 意外にも、二つ返事に承諾された。了承の返事とともに、彼女は携帯電話を取り出した。

 

「それじゃあ、この子のケータイと連絡先交換してちょうだいッ☆」

 

 景朗はかっちり硬直した。少女の精神を操っている犯人などおらず、実際にこの娘本人が会話の相手ならば。連絡先を交換するのも、気は咎めない。しかし、もし本当に操られているだけの、微塵も関係のない一般人だったら気の毒だ。

 

「あんた鬼だな。暗部の人間と無関係の子を」

 

 堅気の人間をぽんぽんと暗部の人間に関わらせる彼女の行動に、景朗は嫌悪感を浮かび上がらせた。

 

「仕方ないわよお!事が事だもの。それじゃあ、さっきのウイルスのお話。私たちにも危険が及びそうだからあ、ちゃあんと報告するんだゾ☆」

 

 少女は初めて不満そうに頬を膨らませた。

 

「やっぱり、全部聞いてたんだな」

 

 返されたのは、可愛らしいウインクがひとつだけ。ためらいもなくしなをつくって取りなそうとする彼女に、景朗はそれ以上追求する気概が失せていた。

 

「だいぶトゲが取れてきたわねえ。うふふ。なんだか、人間不信に陥った野良イヌさんを相手にしているみたい。またお話ししましょうねえ、約束よお?"三頭猟犬"さあん?」

 

 軽く目配せし、会話を断ち切るように席を辞した。背後では、彼女は未だに、なにやらポーズを決めてかわいこぶっている様子であった。だが、彼は最早振り向かず、迷いなく次の目的地を目指している。

 

(心配しなくとも、あとで決着がつくまで話をさせてもらうさ。にしてもだんだんと"三頭猟犬"って、言い得て妙な感じがしてきた。笑い事じゃないか。俺を締め付ける首輪がどんどん増えていく。頭三つじゃ全然足りないっての……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 景朗は標的である産形茄幹の自宅へと、急ぎ駆けつけた。彼が住むマンションのセキュリティはそれほど仰々しいものではなく、難なくマンション内に潜入を果たす。

 

 至極自然な感想が浮かぶ。どこからどう見ようと、一般的な、第七学区の平均的な中学生が住まう寮といったところだろう。

 

 若干、景朗は悩んだ。産形の友人を語り、正面から管理人とコンタクトを取って彼の不在を確かめる。そのように、シンプルな方法で済ませようかと考えた。けれども、すぐさまその案は切って捨てた。

 

 産形茄幹とやらがクロだった場合を考慮する。不審人物が、産形茄幹の在宅を確かめに来たという、その事実すら明るみに出ぬように行動しようと心がけた。

 

 景朗は能力を展開させ、体色を周囲に溶け込むように変化させていく。簡単に言えば、極めて精巧になされた擬態、所謂透明化だ。彼がよく用いる手段である。透明になった自身の両手を眺めて、景朗はひとつ息をついた。最近、やたらと透明になる癖がついてしまってるかもな、と。

 

 そうして、姿を消したまま、景朗はマンションの横壁、絶壁を軽々と登っていった。音を立てぬように動くのにも、随分と慣れてしまっていた。

 

 

 監視カメラ等の存在にしっかりと対処し、景朗は産形茄幹の自宅、そのベランダへとたどり着いた。カーテンが隙間なく広げられていたが、大した障害にはならない。外からでも、彼ならば生活音を逃さず聞き取ることができる。

 

 直ぐに結論が出る。物音一つ聞こえない。産形茄幹の家には誰もいなかった。それならば、と景朗はベランダ周辺、エアコンの室外機を探す。

 

 透明であるからして、景朗の表情は誰にも窺い知れなかったが。その時、彼は顔付きをしっかりと濁していた。彼は俄かに、するすると、躰から透明の細い触手を伸ばし、室外機の奥底へと這わせていく。

 

 触手の先が、室内に顔を出した。その先端には、多種多様な感覚器官、神経が張り巡らされており、匂い、湿度、温度、光センサーの役割を果たすようなものまでが器用にこさえられている。

 

 そこで。産形茄幹の部屋で、景朗は想像していた内でもっとも厄介なものを発見してしまった。手作り感あふれる、お手製の警報器。自宅への侵入者を察知する目的で設置されているのだろう。引きこもりが、グレてスキルアウトになったとして。どうしてこんなものを、仰々しく自分の家に用意しとく必要がある?後暗いことをするつもりだ、と、自ら白状してるようなものだ。

 

 その光景を目にして、景朗は新たな騒動の始まりを予感した。

 

 




次はepisode22を。話が続いているので間を開けたくはないんですが……
二つ目の闇の魂が私を誘いますorz
とっくに書き始めてはいるんですが

設定集もぼちぼちあげます。episode22の投稿前に、すぱっとあげようと思ってます。あんまり内容は濃くないのですが一応。


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episode22:病菌操作(ヴァイラルシミュレーション)

有言実行という言葉は、私の辞書には載ってなかったorz
いろいろと宣言して、どうしてこうその通りにできないのかぁぁぁぁ

さすがに反省しています。今大急ぎで書いてます。
感想も、必ず返信いたしますので、もうしばらくお待ちください。
兎に角続き書きます。
設定集も準備します!



 

 

 

「駄目だった。産形ってのはグレーだったぞ。家ん中には警報器まで仕掛けられてた。とにかく、注意を払っておく必要がありそうだ」

 

 景朗は即刻、土御門元春へと連絡を入れた。標的の不在を確かめた後、彼はすぐにしばし離れたビルの、その屋上へと身を移した。その後、僅かな時間も惜しいとばかりに、すぐさま携帯を取り出していた。

 

『そうか。予想が当たってしまったな。まったく、面倒なことになった。野郎が今朝の件とは無関係であることを祈るしかないな』

 

 電話越しに返って来た同僚の返事は固かった。あからさまに普段よりも緊迫した声色だった。同僚のそうした心持ちは、景朗にも伝わっていた。

 

『万が一、産形に"幻想御手(レベルアッパー)"を使われたら。野郎の能力は低能力(レベル1)だったからな。一体全体、その後、何をしでかせるようになるのか想像がしづらい。"幻想御手"とやらで、能力強度(レベル)に換算してどれほどチカラが上昇するのかもまだわかってないしな』

 

 もしも、産形が犯人と関わりがあったとして。レベルアッパーを使用した彼に、新たに何ができるようになるのか、という予測は難しそうであった。景朗はそれも仕方がない、と嘆息した。彼自身の経験を思い起こせば、容易に納得できる。

 

 低能力(レベル1)の時は、テーブルの角に指をぶつけてしまった時くらいにしか役に立たなかった、彼の能力、"痛覚操作(ペインキラー)"。ところがそれは、いざ強能力(レベル3)へと上昇するやいなや。景朗に頑丈な肉体と、超人的な運動能力をもたらした。

 

 景朗のように学園都市の能力開発(カリキュラム)を受け続けて来た人間には、得心できる話だった。"幻想御手(レベルアッパー)"とやらが、産形にどのような力を授けるのか。そんなこと、誰にも予想できない。できなくて当然だ。もし、そうでなければ。努力も虚しく能力強度(レベル)が上がらず、それ故に道を踏み外したこの街の大半の学生の姿と、矛盾してしまう。

 

『とりあえず、ウィルスや細菌を活発化させられる、とは記録に残っている。それでそのまま、もし、ウィルスを短時間で大量に培養させたりできるんなら』

 

 土御門のセリフの先は簡単に予想できた。ゴクリと唾を飲み、景朗は無意識のうちに顔を歪めていた。

 

『ちょいとばかし、まずい事態になるぞ。ウィルスの感染爆発、典型的なバイオテロを仕掛けることもできそうだ。能力が能力だからな。ウィルスに細工されてて、ワクチンが効かなくなっていた、なんてことも十分に考えられる。ちっ。他にも色々と懸念しなきゃならんケースは山のようにありそうだ。まあ、どれも全部、全ては"病菌操作(ヴァイラルシミュレーション)"の性能次第で変わってくる。したがって、だ。なんとしても、未然に悪用されるのを防ぐしかない。後手に回ると厄介だぞ』

 

 漠然とした不安に突き動かされたのかもしれない。会話の最中、景朗は脈絡もなく、自身の躰を巨大な鳥に変化させた。続けて透明化を容易く行うと、学園都市の空へ舞い上がっていく。器用にも、意識は同僚の話に向けたまま。

 

「"警備員"なんかじゃなくて、マジもんの暗部の追跡部隊が捜査してんだろ?捕まるのは時間の問題だって思いたいけど、色々と備えてはおくべきか!」

 

『ああ。気乗りしないが、そうも言ってられない状況になるかもしれん。強奪犯どもだって理解しているだろうよ。猶予は無い。可能性は薄いが、警備員や暗部から姿をくらまし続ける自信が奴らにあるんなら、しばらくは潜伏してくる、なんてことも考えられるけどな。だがまあオレは、連中は追っ手に補足される前に事を起す、ってほうに賭けるよ』

 

 景朗もその意見に賛成だった。時間が経てば経つほど学園都市に捕捉され易くなる。犯人どもに確たる逃走技術や潜伏技術が無ければ、ほどなく学園都市の追手に捕まるはずだ。

 

 想像の埒外から迫る、卓越した科学捜査技術。この街の暗部の追跡術には、それが余すところなく駆使されていた。彼らから完璧に逃れる得うる術など、そもそも景朗には思いつきもしなかった。

 

 邪魔される前に、迅速に行動に移すはず。もし、犯人たちに、確固たる目的があるのなら。景朗も犯人の動向をそのように見ていた。

 

「やばいな。起きたのは今日の朝なんだろ?相手が直ぐに行動に出たら。もしかしたら今日、今すぐにでも何かやらかしてくるかも知れないのか。盗ったウィルスの使い道には色々あるだろうけど、もしお前が言ったようにそいつらが無差別なテロを起こすつもりだとして。来るとしたら、どこらへんになるんだろう。情報が少なすぎて、犯行グループの目的なんて推理しようがないってのはわかってるけどさ」

 

 悠々と上空を滑空する景朗は、宛もなく飛翔していた訳ではなかった。彼の眼下には通常の区域とは隔離された敷地が広がっている。彼の目指す場所、"学舎の園"は目立っていた。上空から見下ろせば、より一層分かり易かった。なにせ、建築様式が余所と大きく異なっているのだ。白亜の塔が立ち並ぶその様に、景朗は言い知れぬ既視感を覚えていた。テレビに映る、イタリアやギリシャだろうか、そのような地中海地域の光景に、どうにもそっくりだった。

 

『"猟犬部隊"がまだ補足できていないってところを考えれば、奴らは大人しく地下にいるんだろうよ。表立って学区を跨げば目に付きやすい。地下に潜ったままか、慎重にバレないように移動しているのか。だとすればどちらにせよ、それほど遠くには移動していないはずだ』

 

 土御門は景朗の質問に、ほとんど間を開けず迅速に答えを返した。彼もまた、景朗の放った疑問に対し推測を巡らせていたようである。

 

「事件が起きた十三学区は暗部の連中が目を光らせているし、すぐ隣の第二学区には警備員(アンチスキル)がうようよしてる。もし移動するんなら、北か東か。はたまた、西側、外部へ逃走か?」

 

 第十三学区は学園都市の西の端に位置し、北部に第二十一学区、東部に第十五学区、南部では第二学区に隣接している。

 

『まあな。それが概ね正しい考え方だろう。いっそ外部へ逃げてくれるんなら、オレたちは手を煩わせる必要は無くなりそうだな。是非そうしてもらいたいところだ』

 

「オーケー。内部でのテロに警戒するんだったな」

 

「……北の二十一学区か、東の十五学区か。可能性が高いのは第十五学区、だろうな。人数が多いぶん、監視の目が緩くなる。そのまま素通りして逃げても、第七学区へ辿り着くしな。ウィルスをぶちまけるぶんには、第七学区も申し分ないんだ。ほとんどが中高生、つまりは免疫力の低い子供ばかりで、人の数もトップクラス、ときてる。自由に動ける、という面で考えれば、第十学区も移動先の候補に挙がるか。なんせ、警備員の目が届きにくい、この街でも最も好き勝手し易い学区だからな。だがまあ、言っちゃあなんだが、第十学区が選ばれる確率は低いだろう。スキルアウトばかりの掃き溜めだ。連中が大勢死んでも、理事会はどうにか揉み消せる。そう、揉み消せるんだ――』

 

「そうだ。なあ、土御門、それじゃ、第二十二学区はどうだろう?狭いしウィルスを使ったテロにはもってこいなロケーションじゃあ……う。いや、違うか。狭いから逆に、空調が完璧に管理されているか。ある意味隙は無いよな」

 

 景朗の自問自答。土御門はそれを耳にすると、軽く息をついた。

 

『まあ、候補はそれこそ、無数に挙げられる。ただ単に、実行が容易な場所は何処か、って観点から考えていけばな。けれどな、相手は薬味のところからウィルス収奪を強行したような奴らだ。少々強引な手を使ってでも、何らかの目的を果たしたいからこそ、行動に打って出たってことだろう?だからな、実行の容易さという観点からあれこれ考えても無意味かも知れんぞ』

 

 大空を舞っていた景朗を、唐突な強風が襲った。ちょうど景朗が、土御門の発言に間髪入れず疑問を呈そうとしていたタイミングであった。景朗は体制を立て直すのに気を取られ、言い淀む形となった。電話相手の反応が無いと知ると、土御門はすぐさま話をかぶせてきた。

 

『だがまあ、そうは言いつつも、現状、オレたちには犯人どもの目的を推し量る術はない。それなら仕方ない。オレたちは、さっきも言ったように最悪の展開を考慮して動くしかない』

 

「バイオテロ?」

 

『それ以外はすぐには思いつかないな。個人を狙った暗殺の手段としちゃあ、ウィルスはまだるっこしすぎる。奴らが盗んだ伝染病の利点ってのは、少ない手間と資金で大勢の、不特定多数の人間に被害を与えられるってとこだからな。まさに、無差別テロにうってつけだ。だいたい、ウィルスは一度ばら蒔けば、基本的には相手を選ばず、無差別に感染する。ターゲットを絞るのは難しい。無差別テロの他に、どう活用する?』

 

 景朗はすぐには答えを返せなかった。口を噤んでいると、土御門は追うように、つらつらと語りだした。

 

『更に本音を言えば。オレたちとしては、そう言った無差別な、広範囲に被害の出る面倒事以外なら、連中が何をしでかそうが構わないじゃないか。どうぞ、好きにやってくれって話だろ?勿論、連中の狙いがオレたちだってんなら、そうもいかないが』

 

「嫌な言い方するなよ。仕方ないさ。情報が少なすぎるんだ。対応しようが無いさ」

 

『まったく。"病菌操作(ヴァイラルシミュレート)"が盗人どもと結託していたなんてのは、本当に勘弁願いたい話だぞ。――ターゲットを絞るのは難しいといったが。もし、ウィルスに何らかの、遺伝的な仕掛けを施せば、狙いを絞れる可能性も……』

 

「それ、もしかしたらレベルの上がった件の産形になら、どうにかできちゃったりするかもな」

 

『フゥー……。考えてもキリはない。万が一の事を考え、杞憂で済ますようなことにも備えておくぞ。……仮に、"学園都市"を相手にテロを起こそうなどと連中が考えたとしよう。もしそうであれば。この街にテロを企てるような奴らは大抵、"学園都市"の崩壊を望んでる連中だっただろう?オマエの方が詳しく知ってるんじゃないか?』

 

「そう、だな。まんまと"学園都市"の内部に伝染病をバラ撒かれました、なんて事態になったら。"学園都市"のメンツは丸つぶれだ。とんでもなく大きな問題になる。ていうか、バイオテロ、それ自体が大事なんだよな。暗部にいたら感覚がマヒしてしまうけど」

 

『奴らがこのまま監視の目をかいくぐってテロを敢行できるところ。その中でもっとも効果的なのは。おそらく、候補は二つだ。大企業、財閥の子女が集う、"学舎の園"。もしくは、学園都市中から人が集まる十五学区の繁華街だ。この二つが外れるんなら、次点でオレらの住む第七学区、もしくは子供の多い第十三学区だろうな。今ざっと挙げた中でも特に致命的なのは、"学舎の園"だ。もしあそこで多数の被害者が出たら。危機的状況に陥る。あそこにかようお嬢様方の父兄は、この街に強い影響力を持っているからな。アレイスターもそれだけは涼しい顔をして見過ごせまい。学舎の園のセキュリティは強力だが、それを余りあって、事をなしたあとの効果は大きい。狙われる可能性は低くない』

 

 景朗は飛翔を終え、適当に目に付いたビルへと脚をつけた。彼が降り立ったのは、第十五学区と"学舎の園"との境界、学舎の園の西ゲート付近の建物だった。

 

「やっぱ、お前もそういう考えに落ち着いたんだな。俺はもう第十五学区の東境に居るよ。とにかく、学舎の園の近くで待機する。追って連絡をくれ、土御門」

 

『オマエにしちゃあ冴えてるじゃないか』

 

 土御門の軽口を無視し、景朗は疑問を繋いだ。

 

「まあ、実際、学舎の園のセキュリティは学園都市随一だし。俺としては第七学区の方を心配したいんだけどさ」

 

 第七学区には景朗に縁の有る人たちが大勢いる。火澄、手纏ちゃん、丹生。そして今は、花華と彼女の友人たちも。景朗は考えを巡らせる。花華たちとの約束は破らざるを得ないだろう。そのことで、彼女たちに断りの連絡を入れるかどうか、彼は悩んだ。

 

 今日はテスト対策を教えられなくなった、と花華たちに伝えぬまま、どこか安全な場所で待ちぼうけを食らって貰っていた方が、心配しなくていいかもしれない。ただ、そうすると、後で悲惨な目にあいそうである。

 

 ……何を馬鹿な。彼女たちの安全がかかってるんだ。天秤に賭けるまでもない。景朗は、嘘をつくことにした。花華たちには、そのままひと塊になったままで、直ぐに安全を確認できる場所で延々と待機していて貰おう。

 

 そういえば、土御門にも大事にしている人間がいたことを思い出した。電話相手の声が、景朗にとある人物を思い出させていた。土御門舞夏。なんでも、土御門の義妹であるらしい。上条当麻に対する潜入任務の都合上、仕方なくであろうが、景朗もその義妹さんを紹介してもらっていた。真偽は定かではなく確証も無かった。けれども土御門は他の物事とは一線を超えて、彼女のことをとりわけ大切にしているようだと、景朗の目には映っていた。

 

「オマエは逆だもんな。たしか、舞夏ちゃん、常盤台の――」

 

『黙れ声がでかいぞクソ野郎。いい加減話は終わりだ。また連絡する』

 

 土御門は一方的に通話を切断した。彼のその態度には、仄かに苛立ちが見受けられた。小さな反撃に気分を良くした景朗は微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ビルの屋上は陽射しが強かったが、その代わりに強く吹く風が涼しくもあった。景朗は徐にその場に腰を下ろし、僅かに迷った後。手にしていた携帯をもう一度覗き込んだ。

 

「もしもし、花華?すまんすまん。今どこにいる?まだ第七学区?」

 

 花華へと電話を入れた景朗の耳にまず最初に飛び込んできたのは、多種多様のデジタルなエフェクト音の数々だった。これほどはっきりと聞こえる大音量、向こう側は相当五月蝿いはずだ。更に、景朗にはその喧騒に聞き覚えがあった。むしろありすぎるほどだった。脱力する。花華たちは、ゲームセンターで遊んでいるに違いない。

 

『ううんー。二十二学区だよー』

 

「ほーう」

 

『え?なあに?ゲーセンでーす!!』

 

 楽しそうに吠える花華の受け答えを聞いて、景朗は胸の内から罪悪感がすうっと消えていくのを実感した。学期末のテストが大変だ、と半ば無理やり景朗を巻き込んでおいて。この期に及んで、ゲーセンに遊びに行くとは。まあ、こっちだって都合がいい。思うぞんぶん、彼女たちには遊んでいて貰おうか。電話向かいの花華相手に、景朗は邪悪な笑みを顕にした。

 

「一応聞くけどさー?勉強してなくていいのかぁー?」

 

 花華は周囲の喧騒が邪魔をして、景朗の返答が聞きづらいようであった。必然と、両者の語り口も声量も単調なものとなっていた。

 

『えー?ベンキョー?だからぁー景兄が教えてくれるって言ったじゃーん!』

 

 第二十二学区の何処かに花華たちはいる。先程、土御門と話した。第二十二学区がテロの候補地に挙がる可能性についてを。可能性は低いはず。景朗は自分に言い聞かせるように、幾度も頭を働かせた。

 

 第二十二学区は学園都市で最も面積の小さい学区だ。だが、区画の面積が狭いからと言って、第二十二学区も生活スペースが狭くなる訳ではない。第二十二学区は横に小さい代わりに、縦に長く、大きいのだ。第二十二学区の地下には、広大な敷地が広がっている。地盤を突き抜け、地下へ数百メートルほど開発の手が伸ばされていて、中にはみっしり、アミューズメント施設が目白押しである。

 

 地下に立地する上に、人の出入りが非常に激しいとくれば。まず間違いなく、空調設備やそのセキュリティ、健康管理にかけては学園都市随一の対策が施されているはずである。ウィルスを用いたテロの、格好の餌食となりうる箇所ではある。だがしかし、それ故に、そのような事態に対する対処や懸念は幾重にも成されているだろう。仮に事が生じた場合には、いの一番に進展が明るみに出る場所であるのも確かだった。

 

(……どうだろう。危険と言えば危険だけど。でも、それはどこも同じかもしれない。それならいっそ第二十二学区にいてくれていたほうが安全かもしれないな)

 

「……そーかー。わかったー。じゃあもうちょい待っといてくれるかー?もうちょっと、いやもうしばらくしたら、俺がそっちに合流するからー!」

 

『あれー?景兄がこっち来るってコトー?』

 

「そうそうー、また連絡するからー!せっかくだから今のうちに遊んどけよー!」

 

『わー!はいはーい!わかったよぉー!』

 

「もしどっか別のとこ行くんなら、そん時は絶対教えてくれー!いいなー?」

 

『ふーい、じゃあねー』

 

 

 

 花華の楽しそうに騒いでいた声が耳に残っている。景朗はため息をつきながら、上を見上げた。そうして、青空をぼんやりと眺めていく。それほど長い時間は掛けなかった。ややして景朗は機敏に姿勢を正すと、再び携帯に目をやった。

 

 "第五位"との約束だ。ウィルス関連の事で報告しておくべき事は多少なりとも伝えておこう。何せ、"学舎の園"は狙われる可能性が十分にあるのだから。また、あの食えない少女と話をせねばならない。景朗は困り顔を隠せず、2度目のため息を宙に放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第十学区の北西部に位置する、ゲノム情報医科学研究センターはその日、人口密度が著しく上昇していた。理由は簡単だった。ライブ・ラボラトリー(Live Laboratory)のお題目の元、研究所へ学園都市から集まった生徒たちが企業見学に来ていたからだ。

 

 それほど大きな施設ではなかったため、職員が面倒を見られる定員数には限りがあった。ライブ・ラボラトリーの企画担当者は希望者が殺到することを恐れたが、応募した学生は定員の八割ほどで済んでいた。当日、実際に参じた生徒たちは、応募者のうちの更に八割といったところだった。それでも職員たちからしてみれば、その日の所内は学生たちでごった返しているように感じられただろう。

 

 

 ライブ・ラボラトリーに参加する学生たちは、複数の様々な学校の生徒が入り混じり構成されていた。中高生が目立つが、中には小学生も混じっている。いくつかの学校は此度の企業研究に際し、彼・彼女たちにレポートを課していたらしい。職員の説明に絶え間なくメモを取る高校生、寝不足なのか胡乱げな目付きでただただ列の最後尾に付き従う中学生、興味津々にためらいなく設備のあちこちを触れようとする小学生など、群れた子供たちの取り留めのない姿がそこにはあった。なんとも平和で、学園都市としては極ありふれた日常的な光景だった。

 

 

 

 ライブ・ラボラトリーに際して、忙しいのはなにも生徒の相手をする研究員ばかりではなかった。研究所内を監視する警備員(アンチスキル)の面々も同じく、入れ替わりの激しい学生のグループに目を留めておく必要があったのだ。研究所内、全域を見学のために解放できるはずもない。立ち入りを禁じた区画も当然のごとく存在していた。彼らとしては、学生がふらりとそこへ立ち入れば、注意せざるを得ない立場にあった。むざむざ学生たちとの面倒事に積極的に絡みたがる人員などいない。セキュリティスタッフ一同、つつがなくその日一日が過ぎるように、皆が望んでいた。ところが。

 

 

 

「またあの坊ちゃん嬢ちゃんかよ。これで何度目だ。ったく……おい、お前、そろそろアイツ等に注意しに行けよ」

 

 小さな研究所のセキュリティはほぼ全てが、研究所内の管理室で一挙に統括されていた。その管理室の中、唐突に愚痴を零したのは、所内の監視作業に従事していた警備員二人組、その片割れだった。

 

 彼の眺めるモニターには、人気のない立ち入り禁止区域にふらりと立ち入る男女二人の中学生が映っていた。その二人組は、先程からちょろちょろと研究員の目を盗み、立ち入り禁止区域に入り込んでいた。一体何をするのかと思えば、ただ単に、進み行ったその先で人目を避けつつ、互いに抱き合ってベタベタとくっつくだけ。ただそれだけだった。珍しくもなんともない、典型的な学園都市の中高生カップルだと言えた。ついでに加えれば、周りが見えなくなっている、困り者の二人組である。

 

「お前の担当モニターに映ってんだから、お前が行けよ。ざけんな……」

 

 その時刻に監視業務に当たっていたのは、三十路手前の独身男性警備員、2名だった。両名歳も近く、少なくとも仕事中でも問題なくタメ口を叩き合える仲であった。そして彼らは互いに仲良く、盛大に燃え上がる中学生カップルと事を起こすのを嫌がっていた。

 

 そのカップルは立ち入り禁止区域に忍び込むものの、目立った悪さを引き起こす様子はなかった。物陰に隠れてひたすら密着し、口元を寄せ合うだけであり、それ故に監視員の2名はすぐには忠告に行かなかったのだ。カップルが1度や2度で飽きてくれるなら、わざわざ労力を費やす必要はない。

 

 しかし、彼らの不良行為も、もはやこれで何度目だろうか。間違いなく、片手の指では数え切れない回数に到達している。そろそろ行動にでなければならなかった。独身警備員たちは両者、忠告役を押し付け合い、やがて折れた1人が立ち上がり、力なく管理室を退出した。

 

 

 

 

 

 

 

今大路万博と太細朱茉莉の2名は今、第十学区のとある研究施設へとやって来ていた。ゲノム情報医科学センター。その施設はその日、学園都市の学生たちの企業見学を受け持っていた。

 

 

 

 本来なら、この研究所にはあと一人、洞淵駿(うろぶちしゅん)も待機する予定だった。けれども、今朝のウィルス奪取の件から、彼とは連絡がつかない。夜霧流子(やぎりりゅうこ)が最後に耳にした謎の破壊音から察すれば、"ブッチー"は捕えられたか、それとも。

 

 

 

 今大路は歯を思い切り噛み締めた。余計なことを考えている場合ではない。割り当てられた任務に。任せられた情報収集に。自分の為すべき事に、集中しよう。今大路万博は今一度、能力の使用に、自身の脳のリソースを限界まで割り振った。

 

 能力の発露する彼の脳髄には、鈍い痛みが同居していた。今大路は懸命に痺れを無視し、両眼に力を込め続けた。恋人のフリをして抱き合う太細朱茉莉(ださいしゅまり)の存在を忘れる程に。

 

 今大路の目の前には、閉ざされた金属扉があった。研究所の立ち入り禁止区画の内の、一室である。透視能力(クレアボイアンス)であれば、内部の様子を覗けるだろう。しかし。透視能力では、今現在の様相を眺めることしかできない。

 

(でも、俺の能力なら――今この時だけは俺の方が、情報量で上を行く!)

 

 

 "過去視覚(ポストコグニション)"。それこそ、今大路の能力だった。過去、その場所で行われた人間の活動を遡って知覚できる力。透視能力(クレアボイアンス)のように遮蔽物を素通りして物体を見ることはできない。それでも。

 

 今大路の目には、はっきりと映っていた。過去の光景。それが何日前の光景かはわからない。だが、彼には。目の前で閉ざされているはずの扉は開き、そこから通して室内の景色を見渡せていた。その部屋の中央には大きな機械が置かれていた。存在感のある機械だった。まるでその部屋は、そのマシンを使用するために誂えられているようにすら見える。今大路は念入りに確認作業に移っていく。

 

 

 

 無事発見した。安堵した今大路は、気づけば唾を飲み込んでいた。それは、彼ら"リコール"がこの研究所に目をつけた理由そのものだった。多目的複合シーケンサー。学園都市のトップ企業が生み出した、最新モデル。ゲノム解析、培養、遺伝子組換え等と言った作業を、自動で行ってくれるマシンだ。操作方法も、極限まで簡素化されている。備え付きのタッチパネルからだけでなく、3Dホログラムディスプレイに直接触れて動かし入力・操作することも可能のようだった。

 

 侵入禁止区画の全ての部屋はロックされていた。だが、今大路の力にかかれば、どの部屋がどの様に使われているのか、何が運び込まれているのか。普段どの様に研究所が運営されているのかすらも、丸裸同然だった。

 

 "過去視覚(ポストコグニション)"は他にも多くの情報を明らかにしていた。ドアやチェストのロックの解除方法。だが、これは必要ないものだった。彼らには、どんな物質も溶かす反則能力を持つ味方がいたからだ。更には、警備員の巡回ルートや、普段使われていない部屋の位置なども判明している。

 

 つい先程も、今大路は口元を歪めていた。どうやら、つい二日ほど前に、監視カメラやマイクの点検が行われていたらしいのだ。彼には、慎重にひとつひとつ、それらを点検をする作業員が見えていた。懇切丁寧にカメラの場所をレクチャーしてくれてありがとう。その行為は墓穴だったな、と今大路は哂った。

 

 

 

 

 

 

「順調?」

 

 甘い匂いに、今大路万博(いまおおじばんぱく)は心臓が高鳴った。朱茉莉の吐息がこそばゆく、顔を赤らませてはいないかと気が気ではなかった。

 

「良いね。今まさに見てる」

 

「良かった。それじゃそろそろ?」

 

 胸元から飛び出た朱茉莉の最後の質問に、彼は口を開かず小さく頷き返した。今大路の返答を受け取ると、今大路に抱きついていた朱茉莉は素早く、彼の学ランの胸元から端末を取り出した。恋人同士のじゃれあいを装い、地下で待機している残りのメンバーへと情報を送る。

 

 二人は寄り添い、みっしりと密着していた。傍から見れば隠れて端末を操作している風には見えなかっただろう。接近されて確かめられでもしなければ。一応、何をしているかは監視カメラでも捉えることはできないはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

「おい!君たち!」

 

 今大路の背後で掛け声が轟いた。動揺するまいと覚悟して来ていた今大路だったが、彼はあえなく動揺した。

 

 朱茉莉の顔が近くにあった。それは近すぎるなんてものではなく。そして唇に温かい感触。警備員の突然の登場に、鋭敏に反応した朱茉莉が機転を利かせたのだ。彼女は今大路と唇を合わせたまま、彼の胸板をまさぐった。警備員には、そのように見えただろう。

 

「いい加減にしないか!ずっと監視カメラに映っているんだぞ!」

 

 キスを続け今大路の胸元に端末を隠した後、朱茉莉は目配せした。それに気づいた今大路は彼女との抱擁を解く。今大路も振り向いた。その時横目に、確かに朱茉莉の微笑みを盗み見た。

 

 一歩横に踏み出した朱茉莉は胡乱げに、警備員へ視線を向けた。やや大げさに、不機嫌さを表に出している。これから、彼女は"能力"を使う気である。だがそうだと知っていても。朱茉莉の横柄な態度。彼女のキャラクターをだいぶ知っている今大路にも、それが演技なのか、彼女の素の性格から来ているものなのか判別はつかなかった。

 

「すみません。すぐに戻ります。以後気をつけます」

 

 今大路は朱茉莉の前に体を置き、警備員へとバツの悪そうな表情を見せ話しかけた。ちょうど、朱茉莉と警備員の間に挟まるように。警備員の意識を朱茉莉から逸らしたかったのだ。彼の行動には理由があった。"やや大げさ"という表現は正しくなかったようだ。彼の真後ろの朱茉莉は不遜な態度も全開に、侮蔑、軽蔑、嫌悪、負の感情を概ね全て含んでいそうなとびきりドギツい目線を警備員へと照射していたのだ。

 

「そうしてくれないと困る。何度目だい?これで。最初からこっちは見ていたぞ」

 

「うわ、マジすか。あ、でも見てたならわかりますよね?まあその、ちょっと立ち入っちゃいけない場所に入ってはいましたけど、何もしてないし、怒られないし、まぁいいかなって思ってたんですよ。すみませんすみません。すぐ戻ります」

 

 苦々しい顔つきの警備員を見つめていると、相手は小さく嘆息した。

 

「はぁー……。返事だけは調子がいいね……それじゃ、さあほら、今すぐ戻ってくれ」

 

 彼の台詞と被せる様に今大路は緩やかに歩き出した。

 

「そっちの君はさっきから何か言いたいことがあるのかな?その目付きは……」

 

 朱茉莉は未だ立ち尽くし、警備員を眺めていた。誰の目にも明らかだった。彼女の視線にはありありと警備員に対する挑発が含まれていた。

 

 今大路は機を計らう。彼は知っていた。今この時、彼女は"能力"を使っている。目の前のあの男へと。

 

 短い間だったが、緊迫した空気が流れていた。朱茉莉の態度は、警備員へとケンカを売っているようにしか見えない。今大路は小刻みに震え身じろぎする警備員の後ろ姿を見守った。

 

「何でもないです。お仕事ご苦労さまでした」

 

 あっさりと、朱茉莉は張り詰めた緊張を断ち切った。そしてそのまま今大路のそばまで足早に歩み寄ると、彼の手を強く握りしめた。それは合図だった。彼女が"能力"を仕掛けるのに成功したのだと、今大路は理解した。

 

「……いいな、これが最後の忠告だからね。次、故意に一歩でも立ち入り禁止のフロアに入ったら大事にするぞ!」

 

 警備員は2人の背後から警告を投げかけた。今大路は思わず嗤いそうになったが、なんとか押し止めた。だが、横の彼女には難しかったようだ。

 

「ぷッ……くふ、ふふ」

 

 朱茉莉はこらえきれずに吹き出した。離れた後方で、男の足音が止まった気がした。

 

「もう大丈夫だから、行こう」

 

 今度は今大路が朱茉莉の手を握り、引っ張った。忌々しそうな警備員の悪態を後に、2人はその場を離れていく。

 

「……チッ!ったく……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 今大路と朱茉莉は廊下を進んでいた。しばらくすると、朱茉莉が耐え切れなさそうに表情を歪めた。

 

「くふ、ふ。"おおごと"だってよ?オージ」

 

「俺も笑いそうだったよ。それより、あいつ、うまくかかったのか?"能力"」

 

「当然じゃない。"正しい使い方"をする分には、アタシの能力は失敗しないんだよ」

 

 その後更に。朱茉莉は間を空けて、ポツリとこぼした。

 

「今頃、お部屋の空気は最悪だろうなぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 管理室へ戻る最中、不良学生2人に注意を促した警備員は苛立ちを募らせていた。先程の女学生から受けた八つ当たりに近い蔑視。その怒りを抑えるのに苦労していた。頭の中は苛立たしさに満ちていたが、微かに、何故これほどまで自分が興奮しているのか、という疑問も湧いていた。理由が彼にも良く分からなかった。仕事柄、あのような学生の犯行的な態度など日常茶飯事であったのに。今日は虫の居所が悪いのだろうか、と彼は僅かに不思議がる。

 

 しかし、その疑問も、身の奥底から湧き上がる鬱憤に掻き消えていった。再び管理室に帰ったその男は強引にドアを開閉し、荒々しくずかずかと立ち入った。力を込めて閉じられたドアは轟音を響かせていた。

 

「どうした?うるさいぞ」

 

 デスクに座り、仕事に集中していた管理室の主任は煩わしそうに眉根を寄せた。戻ってきた男は彼の言葉を無視して、奥へと歩いていく。主任は一時、困惑するも、すぐに仕事を再開した。

 

「お疲れさん。大変だったなー」

 

 モニタールームに帰ってきた男は、同僚の放った台詞に無性に苛立った。彼は歯止めがきかなくなっているのを自覚していた。それでも、怒気を炊き上げるのを止められなかった。

 

 同僚は片手にコーヒーの紙コップを掲げていた。それは男に差し出されたものだった。

 

「おら、コーヒーどうだ?アイスでいいよな――――っておあッ!?」

 

 差し出されたコーヒーを無視し、強引にその横を通って自らの席へ座ろうとした。男の腰に勢いよくぶつかった同僚の手は跳ね飛ばされ、コーヒーは同僚のデスクの上、彼の仕事上の書類へと盛大に降りかかっていた。

 

「零れっ――!」

 

「チッ」

 

 返ってきたのは舌打ちがひとつだけ。同僚はいきり立ち、声を張り上げた。

 

「おいおいおい!お前どうにかしろよこれ今日帰れねえじゃねえかよ!……シカトしてんなよお前、なんでそんなキレてんだよ。てか行くなよ!仕事どうすんだ?」

 

 同僚の要請すら微塵も気にかけることなく、男はタバコを手に取り部屋を出て行った。当然のごとく、残された同僚は大いに憤慨した。

 

「あぁ?!なんだアイツ!?」

 

 

 怒りに身を任せる男はモニタールームを退出すると、そのまま管理室内を素通りして、休憩室へと向かっていった。

 

「な?何処へ行く?まだ君の担当だろうが?おい君!」

 

 管理室の主任も、目ざとく彼の怠慢を見咎めた。しかし、彼の静止すらも振り切り、男は態度も悪く素通りしていった。しばらくして男は再び仕事に戻ったが、その後のセキュリティスタッフ同士の感情は一触即発、極めて悪化することになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 研究所の見学参加者は、いくつかの班に振り分けられ、流れるように研究所内を巡回し、説明を受けていた。この時、今大路と朱茉莉の組み分けられたグループは休憩時間に入っていた。2人してベンチに座り、ただひたすら待ち続けていた。残された仲間の準備が整うのを。

 

「シュマリ。準備できたらしい」

 

 今大路は仲間から連絡を受けると、すぐに隣に座る朱茉莉へ首を向けた。彼の緊張に引き攣った顔を見て、朱茉莉はうっすらと彼の頬を撫で始めた。今大路の息を呑む音は大きく、朱茉莉ははっきりと聞き取れた。

 

 

「やっと仕返しできるね。ここまで上手くいったけど、これからが大変。後は祈りましょ?アタシはいつでもいいよ」

 

 朱茉莉に触れられて、硬直していた今大路の体は、一瞬、さらに硬度を上げていた。それはだんだんと解かれていき、代わりに彼の表情は憎しみに彩られていく。

 

「……ふぅー。成功させたいな。何としても。……あと少しで、あいつらを……あぁ…失敗したくないな。くそ。早く見たいよ、俺も。……ふー。おし、それじゃ、行こう」

 

 今までに受けた屈辱や苦しみを噛み締めていたのだろうか。今大路は視線をあさっての方向に向け、虚空を睨みつけた。瞬きひとつの間に彼は気持ちを振り切ると、朱茉莉に拳を向けた。

 

「大丈夫。アタシは失敗しない。オージも頑張って」

 

 拳と拳が軽く合わされ、2人は別々の方向へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 一歩一歩、恐る恐る、管理室に近づいていく。朱茉莉が壁に顔を摺り寄せ耳をすませると、壁を伝い部屋の内から微かに振動と怒声が届いてきた。

 

「ふふ、もっと怒りなよ。取っ組み合いのケンカなんて、オジさんたちは久しぶりでしょ?たっぷりと懐かしんでくださいな。……それに、気持ちいいといえば気持ちいいでしょ。自分の思うがままに、他人に悪意をブツけるのは」

 

 蕾が花開くように、朱茉莉は満開の笑みを浮かべている。彼女は愉しそうに鼻歌を奏でながらも、彼女の"能力"の使用強度を際限なく上昇させていった。

 

 彼女が背負う壁の奥底からは、大人同士の、憎しみ歪み合う闘争の物音が絶え間なく響く。それはどんどん物々しく、物騒な破壊音を伴い始めていた。

 

 "憎悪肥大(ヘイトコントロール)"。朱茉莉は自分の能力が鬱陶しかった。ずっと、ずっと、ずうっと。だが、この時、ほんのひと雫ほどといっても良いほどだったが、自分の能力を容赦なく開放する、その快感に彼女は弛緩した。

 

「あは、あはは。お仕事してなくていいのかな?ケンカなんてしてていいのかな?アタシら不良学生は目を離すとすぐに悪さしちゃうんだよお?くふ、ふふふ、あはははは」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『そういえば、まだ貴方の感想を聞いていなかったわねえ?』

 

「悪趣味だな。あの時の話を蒸し返してくると思ったら。そんなことを聞きたかったのかい。……あの時はそうとうな衝撃を受けてただろ。俺の顔見て愉しそうにしてたじゃないか。まだ満足できてなかったのかよ」

 

『ええー。聞きたい聞きたい聞きたいわあ!あの日の前日は私だって楽しみで楽しみで、つい夜更かししちゃったくらい、とっても期待してたんだからあ。肝心の、ターゲットだった貴方本人から感想が聞けずにいてずーっと消化不良だったのよお。聞かせてくれたら何かいいことがあるかもしれないゾ☆』

 

「……」

 

 食蜂操祈という少女は、案外砕けた、馴れ馴れしい絡み方をする人間だった。火澄たちからうっすらと耳にした彼女の"女王"という別名からだと想像もできない。景朗はなんと言い返せば良いのかしばし考え、表情を石像のように固くしつつ彼女へと告げた。

 

「手纏ちゃんが実は天使のままだった、ああよかった、というひと安心する思いもあるものの……なんかこう……ギャップ的なものからくる、こう、"あの手纏ちゃんがあんな刺激的な台詞ををを!?"的な、それはそれでそそられるのモノがあるよね感も、一気に陳腐化したというか…………まあ、なんつーか。お疲れ様でした。いい仕事しましたね」

 

『あらあ。やっぱりレベル5は変態揃いなのねえ』

 

 あんたご自身も、自覚があるようですね。景朗は真面目に相手をするのを放棄しつつあった。散発的に聞かれたことにチラチラ答えていると、飽きが来たのか、彼女は自分勝手に一方的に電話を切って会話を終わらせた。

 

 

 電話番号を交換したばかりの、景朗が電話をかけたあの少女のケータイに対応したのは、食蜂操祈だった。まだあの少女は操られているのだろうかと、景朗は少々気の毒に思ったものの、自分が気にかけていてもやれることは何もない。そのことについては忘れることにして、割り切って相手と会話を行っていた。

 

 

 何はともあれ、着信を受けた彼女へウィルスによるテロの危機をそれとなく伝え終えた景朗。そこで彼は、一息つく間もなく、また別の人物から呼び出しを受けることになった。

 

『おう。テメェ、今どこにいやがる?火急の仕事だぞォ』

 

 開口一番、木原数多は景朗の所在を尋ねてきた。

 

「!……第十五学区の一番東側。端っこに居る』

 

『遠くはねえな。テメエならすぐに駆けつけられるか……おい、あんまうろちょろすんなよ。その辺に居ろ』

 

「何が起きたんだ?早く言ってくれ」

 

『いつものクソ仕事だ。あぁーそうだ、ゲノム情報医科学センターとやらがどっかの馬鹿に占拠されちまったんだとよ。ついさっきな』

 

 電話越しに聞く木原数多の声色には苛立ちが少量含まれていた。

 

「どこなんだそこは?学区は?」

 

『第十学区の北部だ。第二十二学区にかなり近いぞ』

 

「状況は?」

 

『それもこれから説明すんだよ、とりあえず黙ってろ小僧。研究所が複数の占拠犯に乗っ取られた。"猟犬部隊"に連絡が来たのも今さっきだ。まだそれほど時間は経ってねえ。犯人どもの動き出しは十分ほど前かもうちょい前だな。だから内部の情報はまだよくわかってねえ。中には職員と、他にたまたま見学に来てたらしいガキどもがいたようだ。恐らくそいつらは人質に取られている。相手からの要求もまだ無しだ。テメェはどーせ間に合わねえから、そこでいい。動かずに待機してろや』

 

「何を言って?」

 

『あと7分後に突入すんだよ。警備員に紛してな。もうちっと早く準備できたはずなんだが、手間取っちまってよ、今イライラしてんだわ。後で情報部のスタッフは処罰だなァ。研究所内にゃ今、バイオハザードのアラートが出てるらしくてよ。やべえウィルスが蔓延してるらしい。確かなことは言えねえが、人質どもも罹患しちまってるだろうな。畜生が、情報が遅れてきやがってよ。おかげでこっちも対化装備に換え直す二度手間が増えちまってなァ、クソが』

 

「なな、ふんか。……いいのかな?俺がここで待機で」

 

『舐めんなよクソガキ。テメェはせいぜい楽ができたとでも喜んどけ。万が一、犯人どもを取り逃がしたらテメェも駆り出すぞォ』

 

「それも仕方ない、今の状況じゃ。遠慮なく呼んでくれ。にしても、そのゲノム情報なんたらって研究所、名前が気になる。今朝のウィルス騒ぎと関係がありそうか?」

 

『ハハ、お前さんも情報を掴んでたのか?仕事熱心だなオイ』

 

「頼む、突入後の情報を俺にも送って欲しい」

 

『気が向いたらな』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 景朗は木原数多からの連絡を待ち続けた。その間に、土御門に第十学区の研究所で占拠事件が起きていることを伝えていた。予想はしていたものの、土御門も既にその情報を入手しており、さらに景朗に追加の情報まで与えてくれた。事件発生の事実は、未だ"警備員"に発覚していないらしい。彼らの知るところになるのも時間の問題ではあろうけれど。

 

 暗部の危機察知能力が如何に優れているのか、それを見せつけられたようだった。警備員たちが駆けつける前にまたしても、"猟犬部隊"が仕事を終わらせているだろうよ、と話を聞いた景朗はそう土御門に返した。

 

 土御門との会話を終えた景朗は腕を組み、再び物憂げに思案に暮れた。同僚との会話の中、心に残る点がひとつ見受けられたのだ。"猟犬部隊"の仕事の結果を待つあいだ、景朗もその点について、悩み続けた。

 

 土御門は不思議がっていたのだ。何故、犯人はその"ゲノム情報医科学センター"とやらを襲ったのか。研究所が行っていた研究のデータが狙われたのだろうか。しかし、その理由は考えにくいものだった。勿論、その研究のデータを欲しがる企業は、探せば存在するに違いない。だが、強盗までして盗み出す、そのリスクに見合う代物ではないだろう。現に、その研究所の運営もそのことは重々承知しており、学園都市の研究機関の中ではそれほど警備が厳重な施設ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日は高く登っている。いつからだろうか。どれほど燦々と輝く太陽を見つめても、眩しさに目がくらむことはない。景朗は下を向いた。高層ビルの屋上から見下ろす第十五学区の街並み。外部から訪れた人々は口を揃えて、近未来型都市の理想形と口にするらしい。その光景を見て、何の感慨も浮かばぬ景朗だったが。耳を立てれば、大都市の生活音に紛れ、一般市民のお喋りが聞こえてくる。学園都市の面目躍如、耳に入るのは、年若い子供たちの声ばかり。景朗の知り合いもいるかもしれない。数はとても少ないけれど。あの子たちが、犠牲になるかもしれないとは。取り越し苦労に終わる気もする。

 

 

 

 

 

 

 ついに、待ちわびた木原数多からの連絡が届いた。ところが。景朗が予想した結果は、何一つもたらされなかった。

 

 

「犯人がいなかった?!」

 

『何度も言わせるな。突入したがよォ、犯人はもう逃げた後だった。もぬけの殻だったんだよ』

 

「要求も無かった……それじゃ犯人はまさか、研究所の研究データを盗んでっただけか?」

 

『そいつは調査してみねえとわからねえ。俺たちは5分近くで現場から撤退した。くまなく調べたぞ。ひとつ、奴等が地下から出入りした形跡を見つけている。だからよ、ウチの追跡班が地下の調査に移った』

 

「逃げた……。えらく短い。短すぎる。犯人は一時間も立てこもってないじゃないか」

 

 木原数多も多少の混乱を隠せていなかった。

 

『状況から推測して、犯人の施設襲撃から撤退まで約25分ってとこだな。早業だ。まあ、犯人が施設のセキュリティに気づかれずに、まんまと施設に侵攻できたってのもデカいと思うぜぇ』

 

 セキュリティに気づかれずにやってのけた。今朝、薬味のところから盗み出した奴等であったなら、同じく造作もないことだったろう。簡単に調べてみたが、ゲノム情報医科学研究センターとやらは規模も小さく、加えて資金調達に難があったらしい。素人故に完璧に正しい判断を下せるわけではないが、研究されていた内容もそれほど世間の目を引いているようではなかった。厳重な警備体制が敷かれていたとは口にできない施設だった。

 

『踏み込んだ連中が妙なことを言っててなぁ。警備員が派遣され5人体制で管理に当たってたみたいなんだが。奴等が犯人に抵抗したような形跡は皆無だったとよ。むしろ、襲撃の最中、仲間内で争っていたとしか思えねえ有様だったそうだ。犯人どもをほっぽりだしてだ。警備員の中に犯人の一味が潜り込んでいたと考えるのが自然だが……』

 

「5人全員その部屋にいたと?」

 

『そうだ。全員意識を失って転がっていた。なんかありゃ後で調べがつくだろう』

 

「そう、か。そうだ、人質とか被害は?」

 

『職員も、見学に来てたその他の人間も欠員なしだ。記録上の数と現場の人数は一致していた。前々から犯人の一味が潜り込んでた可能性もあるけどよォ、そいつは他の奴等に任せてある。なんせ、今ようやく判明したところなんだが、施設内に撒き散らされたのは天然痘ウィルスだったらしくてな。あの場に居た奴等は皆、咳き込んでいやがった。全員、感染しちまっていたぞありゃあ。今は全員、遅れて突入してきたアンチスキルどもに搬送されてる頃だ。犯人が紛れてたとしても逃げ出せねえ。ま、そういうこった。なんにせよ、実行犯は地下から逃げたみたいだからな。今、センサー持たせて追跡中だ』

 

「天然痘……」

 

『今朝盗まれたモンと同じ種類の天然痘ウィルスだったらしいがなァ、あくまで種類の上での話だぞ?ウィルスが全く同じ個体なのかどうかは遺伝子検査して見ねえとわからねえ。別の経路で運ばれてきたものかもしれねえ。まァ、疑うのは当然だがな』

 

「同一犯の可能性は?」

 

 犯人は襲撃の際に、今朝盗んだばかりの天然痘ウィルスを使った。短時間でウィルスが培養してきた、能力者の仕業と考えるか。それとも、外部の、別ルートからの品だという考えも捨てるべきではないのか。しかし、同一犯だったとしたら。犯人が今朝の窃盗団だったとして、ウィルスの使用は手がかりになってしまう可能性を考えないのだろうか。それでも構わずに使ったのだとしたら……まさか、バレても良かったからなのか?詳しく調査される前に、目的を遂行できるから、気にかける必要がなかったのだろうか?

 

 

『決めつけはよくねえぞォ?まぁ、無理に止めやしねえ。おら、テメェもそろそろ動けや。……そうだな。だがま、俺たちと仲良く一緒に動いてちゃオメエの長所も死んじまうか。おーし、テメェはテメェで頑張れや。必要な情報は送ってある。部隊の"切り札"らしく、な。チェーンは外してやる。"三頭猟犬"、テメェは好きに動け。面倒だからよ、犯人どもは皆殺しでも構わねえぞ?』

 

「待ってくれ。他に目立った情報はないのか?さっきの、警備してたセキュリティの不自然さとかそういったことでもなんでもいい。犯人どもが何をしたかったのかまるで分からない」

 

 

『これ以上はねえよ。目立った報告なんてよ……あ?これは……。ひとつ、あるぞ。奴等が研究所で一番高額だった機器、ウィルスのゲノム解析機を使った形跡があった、てな報告もあるにはあるな。だがこいつぁ実のところ、真偽は定かじゃねえ。その解析機、メチャクチャぶっ壊されててよ。だからもしかしたら連中が使用したかもしれねえ、って感じの報告になったんだな。このマシン、データ入力だけでサンプルの遺伝子解析から組み換えまで自動でやってくれるこの街の特注品だったんだが……あーあ、完全にぶっ壊されちまってるよ。無残だぜぇ。こいつ一台でいくらすると思ってんだぁ?クソども。テメエ等全員のクソ命をまとめてかき集めたブンよりよっぽど上等だってのによ――!!」

 

 話す途中から木原数多はぶつぶつと怒りに震え、最後は放送禁止用語を連発しだす有様だった。景朗は端末に送られた情報を検索し、破壊された複合シーケンサーの情報を調べていく。

 

「少なくとも、連中がこの機械に目を留めたのは事実か」

 

『ああ。だが、こんな短時間でとなると、データを盗み取る以外には、何もできそうにねえな。このこの機械自体は、ちょろっといじくっただけじゃなんも悪用できねえぞ。心配すんなクソガキ。ブッ壊されてたからこんな風な報告が来たんだろうよ』

 

 それは、そうだろう。景朗は押し黙り、考え込む。ウィルスの培養には、それなりに時間がかかるはずだ。魔法や超能力でも使わなければ。

 

『何を考えてんのか知らねえが、この街に、んな魔法みてぇに好き勝手微生物を操れる奴はひとりも居やしねえよ。ウィルスの遺伝情報レベルの規模をあっさり処理できる能力強度なんざ想像もできねえ。俺ァオマエよかそこんとこは詳しいんだよ、長年、テメェらモルモットどもの研究やってきてんだからなぁ』

 

 コイツは。木原数多は、"幻想御手(レベルアッパー)"とやらの存在を知らないのだろうか。いや。彼だからこそ、長年能力の研究をしてきたという研究者だからこそ、簡単には信じられないのだろうか。それも当然かもしれない、と景朗は察した。そう易々とレベルが上がるものか。とても信じられない。

 

 でも。もし。レベルアッパーを使用した産形に、ウィルスの短時間での培養が可能になるのなら。その前提は覆る。

 

 しかし、木原数多ほどの科学者が、どれほど演算能力が要求されるか分からない、といった代物なのだ。低能力者である産形茄幹は、一体どれほど能力強度(レベル)の上昇を要求されるだろう。大能力級か、強能力級以上のものが要求されそうだ。しかし。景朗自身が身を持って知っている。

 

 強能力とは、それほど容易く到達できる領域ではない。丹生は"第一位"の"超能力者"の特性を利用しなければ強能力を獲得できなかった。強能力より上の力を求めるならば。そこには、持って生まれた才能というものが、確かに必要とされるものなのだ。第一、その"幻想御手"とやらたったひとつで。いや、それが単品だとは現物を知らないから、断定はできないが。まあいい。その"幻想御手"とやらひとつだけで、"自分だけの現実(パーソナルリアリティ)"が拡張されるだと。そんなこと信じられない。

 

 ……違う。そんな考えではダメだ。土御門は実在すると言っていた。

 

 今一度、景朗は脳裏に、犯人が使用したものが天然痘ウィルスであったという報告を思い出した。よくよく考えれば。天然痘ウィルスをあの場で使ってしまったら。確実に効果のある種類のワクチンやら治療薬やらを前もって準備されてしまうから、テロには使いにくくなる。治療薬の量が追いつかないほど、大規模に仕掛けるつもりなのか?だが、それほどの準備を暗部に補足される前に遂行するのは難しいはず。

 

 どちらにせよ、問題が生じるはずであるのに、犯人は研究所でウィルスをばら撒いた。もうウィルスに執着する必要がなくなったからできたのだとしたら。極めて都合が良い想像になってしまうけれど。景朗は思い付く。

 

 その複合シーケンサーで、ウィルスの遺伝子を組み替えて、ワクチンや治療薬が効かなくできれば。逆に、対策をしていた医療機関は混乱するかもしれない。それくらいなら、学園都市ならば直ぐに対応できるだろうか。しかし、更にそれ以上に、ウィルスに何か余計な操作を加えられる余地があった場合。トラブルは大いに起こり得る気がする。

 

 全ては、ウィルスを操れる能力者と"幻想御手"の存在があって成り立つ話だ。景朗は産形の部屋に置いてあった、検知器の存在を頭の中で反芻した。あれは、それなりに高度に作られていた。安くでは手に入らない代物に思える。嫌な予感は消えていない。消えそうもない。

 

「木原さん。なあ、その機械、実際に使われていたかどうか、別の所から調べられないだろうか?」

 

『無理だ。何せ、あの小さな研究所にとっちゃ研究データが飯のタネの全てだからな。生命線だ。ネットワーク、情報処理網は神経質なほどクローズドな環境に設定されていやがった。シーケンサーの記憶領域が壊れちまってりゃ、もう一度言うが無理だろう』

 

 

 直ぐに手をつけなければならない事案があるらしく、木原数多はそこで景朗との通話を断ち切った。景朗を、得体の知れない焦燥が覆っている。はっきりと姿を捉えられぬ不安。その影に不快感を覚え、景朗は迅速に土御門へと連絡を入れた。

 

 土御門は木原数多から入手した情報を熱心に聞き入り、念入りに吟味しているようだった。景朗が口を動かす間、口数少なく、大人しい反応を見せていた。

 

「土御門、本当に産形以外にめぼしい能力者はいないんだな?」

 

『考え得る限りではな。リストに挙がった数もほんの僅かだ。全員の動向を掴ませてある。産形以外は』

 

「わかった。何か進展があったら教えてくれ」

 

『情報助かるぜい』

 

「いいさ。今はとやかく言う前に協力しよう」

 

『じゃあな』

 

 

 

 

 

 

 そろそろその場を離れ、行動に移ろうかと思い至った景朗は、発つ前に、ケータイを最後にもう一度確認した。確認して正解だった。追加の情報が届いている。"猟犬部隊"で使われる通信だった。そこには、地下へと逃亡したであろう占拠犯どもの足取りが掴めなくなったと記してある。

 

 

 嗅覚センサーを撒くとは。景朗は顎に指を添え、表情を曇らせた。今朝の窃盗といい、研究所の襲撃といい、この街の暗部を相手に、未だここまで姿を露出させていない。相手はやはり、この街のセキュリティシステムや犯罪捜査に詳しい。その上、念入りに計画を練って実行に移している。突発的に行っているのであれば、追っ手は暗部なのだ、いくらなんでも、もうすこし尻尾を掴んでいておかしくない。

 

 さりとて、相手が今どこにいて、何をしようとしているのか。さっぱり分からなかった。雲を掴むような話だ。土御門と話したように最悪の場合を想定して、網を張るしかないかもしれない。

 

 景朗は幸いにも、産形の自宅で彼の体臭を把握できている。暗部の調査班が現場に紛れているようなので、直に新たな情報も追加されていくだろう。時間が経てば経つほどこちらが有利なのは間違いない。差し迫って危機に陥るとすれば。勝負は、峠は近日中だろうな、と気を引き締めた。

 

 とりあえずは、産形の匂いを辿る。第十五学区の街中をこの"超能力者"、"悪魔憑き"の能力で。全霊を尽くして捜索してやろう。景朗は躰中に力を張り巡らせた。

 

「久々に、能力を最大まで振り切ってやる……ッ!」

 

 景朗は全身の神経を白熱させようとしたが、その前に、ひとつ気にかかることがあった。能力の発動を取りやめ、しまったばかりのケータイをポケットからまた取り出した。

 

 今日は電話で誰かと話してばかりだな、と苦笑する。今度は躊躇はなかった。食蜂操祈は仕切りに、協力してもいい、と助力を匂わせていたのだ。何を要求されるか分からない。それでも、打てる手は何でも選り好みせずに打っておこうと思ったのだ。

 

 万が一、事態が学舎の園に及んでしまった場合。その時に、速やかに彼女の協力を得られるに越したことはない。

 

 

 

 

 

 

 

 危機に瀕しているその状況を、もうすこしだけ詳細に食蜂へと語った景朗は、続けざま彼女に協力を仰いだ。暗部の情報をありありと流す訳には行かず、相当な量の事実をボカして通達した景朗。そんな彼の意識は、そのほとんどを諦めが占めていた。相手は人の心を巧みに見抜いて生きてきたであろう、"精神操作(テレパス)"の頂点に立つ人間だ。景朗の説明は拙過ぎた。彼はそう思っていた。しかし。

 

『へえ。大変じゃない?しょうがないわねえ。約束通り、私が手伝ってあげる』

 

「え、マジ?」

 

 予想だにしていなかった返事に、景朗は素直に驚きを打ち返していた。

 

『マジもマジ、大マジよお☆』

 

「あ、ありがたい。でもなんで……?」

 

 咄嗟に、景朗の口から疑問が飛び出していた。

 

『何故、って。単純に自衛のために決まっているでしょう?貴方こそ本当に知らないの?それでも暗部の人間なのかしら?』

 

「いや、その」

 

 言い淀む景朗を置いてけぼりにして、食蜂は尚も語り続けた。

 

『学舎の園を狙ったテロ事件、物凄く多いのよ。別に言い隠すこともないし、教えてあげるけど、私たち学舎の園に住む女の子はみんな、もうテロ騒ぎには慣れっこなのよ。いい加減、毎回悩まされるのに怒りを覚えるくらい。私だってうんざりよお。出来ることなら犯人さんたちに、自分のこの手で引導を渡してあげたいくらいなの』

 

「そうなのか。ああ。言われてみれば学舎の園を狙った事件、テロに限らずやたら報道されてるもんな。学舎の園は狙われる確率が大、だと」

 

『貴方たちの会話を聴いて、私は真っ先にそれを思い浮かべたの。もしかしたら、またココが面倒事の標的にされるんじゃないでしょうねえ、って』

 

「だったらこれから数日だけでいい。協力してほしい。どこかでひっそりと進行している事件を発見したら、いの一番に教えて欲しい。俺は今からでも手がかりの捜索に入るつもりだ。まずは第十五学区を――」

 

『ちょっと待ちなさいよお。私が協力してあげるって言ってるでしょお?』

 

「っ、わかった」

 

 景朗の返答の後に、食蜂は随分と気分良さげな声を上げていく。

 

『私の能力を使って、街中を手広く探ってあげる。で、貴方の役割は、そうやって私が見つけた怪しい箇所の最終的な確認作業ってのでどうかしら?』

 

「あ、ああ。それができるんなら、躰がひとつしかない俺にとっちゃ大助かりさ」

 

『とはいっても、貴方が教えてくれたテロの予想学区、さすがに広範囲すぎるわねぇ。もう少し、箇所を絞れない?』

 

「それじゃあ。ええと。そうだな。学舎の園は勿論、第十五学区、第七学区の人口密集地区、とかかな」

 

『悪くない選択肢。それじゃあ、貴方はいつでも動けるようにそこで待っててちょーだい?』

 

「あ。……了解、だ」

 

『あらぁん?歯切れが悪いわねえ?何事?』

 

「いや、なんでもない。頼むよ」

 

 

 景朗は小さな小さなため息を吹かす。ずっと待機していたビルの屋上の、その淵をいそいそと歩き回り、そして小声で呟いた。

 

「俺だっていい加減、このビルから移動したいんだけどなぁ……」

 

 言い終えると、景朗は俯き、頭を抱えだした。

 

「あああ、クソッ、"第五位"、このタイミングで俺に接触して、協力したいだと?!怪しすぎるんだよ!」

 

 景朗には気にかけるべき大きな三つの要素があった。一つ目は今朝の薬味の病院からのウィルスの窃盗。二つ目は研究所の占拠事件。そして最後の三つ目。"第五位"食蜂操祈の唐突な接近。

 

 だいたい、あの重要な所を穴抜きしまくった景朗の説明であっさり納得して、協力まで願いでてくる食蜂という女。怪しすぎる。今回の事件、裏で糸を引いてるの、あの女じゃねえだろうな、と景朗はくぐもった唸り声をあげた。

 

「畜生。あんな怪しい女に火澄たちの事バレちまってるし。正直、ウィルス盗難の事があの女に漏れたのも、俺のミスだしな……その件もバレたら大変だぞ、これは……ああーっ!」

 

 色々と悩ましい案件であったが、それでも、食蜂と名乗る少女と接触を断つ訳にはいなかった。もし彼女に裏があった場合を考えれば。彼女と接点を作っておいた方が、尻尾を探り易い。それはどう考えても明らかだった。結局、景朗は大した提案を返すこともなく、言われるがままに食蜂の要請を受け入れていた。

 

 

 

 

 

 

『ちょっといいかしら?』

 

 食蜂と連絡を断ってからまだ幾ばくも時間は経っていない。絶え間なく届く関係者からの連絡に、景朗の顔に疲れが現れ始めていた。

 

「どうした?」

 

 

『んー……。この件と関係あるか分からないのだけど。ちょっとした騒ぎが起きているみたいなの。学舎の園で』

 

「なに?!」

 

『自殺よ。飛び降り自殺。うちとは違う中学校の娘が、飛び降り自殺しちゃったみたい』

 

「それは――」

 

 タイムリーではある。あまり気分の良い報告ではなかった。だが、自殺自体は学園都市では珍しくはない。学生がこれだけいればそれすなわち、いじめを受けている人間の数も多くなるというものだ。

 

「今日はなんて日だ。呪われてるな」

 

 唐突に、電話の向こう側で食蜂が息を飲む音がした。

 

『少し黙っててちょうだい』

 

 急激に真剣さを取り戻した彼女の声色に、景朗は口を噤んだ。

 

 

 

 

『これは、ひょっとして……貴方が言った第十五学区ね。東部にある電波塔が、占拠されているみたい。たった今よお、これ』

 

「東部の電波塔!?第十五学区で一番高い建造物……こっからでも見える」

 

 景朗の脳裏に言い知れぬ引っかかりが発生した。食蜂も言葉を濁し、考えを巡らせている様子が窺える。

 

『……なるほど、第十五学区随一の高さを誇るあの電波塔から、ウィルスでも打ち出すつもりなのかしら』

 

 食蜂の言葉を聴いた景朗は直ちに、その電波塔へ急行する用意を始めた。土御門との会話を思い出す。最悪の仮定が仮定でなかったら。確認に行く。何もなければそれでいい。どのみち、今自分にやれることは限られている。

 

 ウィルスをどのような手段でばらまくのか知らないが。低所と高所からばら撒くのなら、より高いところから行った方が、いずれにせよ遠くまで届きそうだ。相手は用意周到な奴等だった。学区を跨ぐのが面倒なら、近場の高い建物からテロ行為を行うのも有効だと考えてくるかもしれない。

 

 景朗は宙へ飛び出した。

 

『あらん?ちょっと、風の音で貴方の声が聞こえにくいのだけれど……ああ、そうなの。はぁ、単純ねえ。それじゃ、頑張ってちょうだぁい。……ッ。何事――』

 

 食蜂との通話はそこで途切れた。彼女の言いかけた内容に気を取られそうになる気持ちを景朗はぐっと抑えた。今はそれでも。一刻も早く、何者かに襲撃されているという電波塔へと急行しなければ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 頂上よりも高い高度から、電波塔を見下ろす。屋外から見た限りでは、視界に映る電波塔には何の異常も見受けられなかった。

 

 学園都市、第十五学区にそびえ立つ電波塔は中央に一本、ガラス張りの塔が突き通り、そこから外周へと広がるように細い足場が用意されている。

 

 外から内部を覗く。塔の頂上近く、高層には誰の人影も無い。塔にぶつかる風が強風となり、着地しようと近づく景朗を強く煽った。

 

 

 

 

 

 突入してみるしかない。景朗は滞空しつつ、目に入る建物内を見渡し、念入りに確認を済ませた。突き破れそうなガラス張りの階に目星をつける。目標の部屋は誰もいない。狙いを付けた部屋のガラス目掛けて、勢いよく飛び込んだ。

 

 予想外の音だった。バキリ、と重たい、鈍い破壊音。あの、取り返しのつかないことをしてしまったような気分にさせられる、鋭く澄んだ響きは発生しなかった。

 

 破片の上を転げ回る。いくら鋭利であろうとも、ガラスの欠片如きでは硬化させた景朗の皮膚は傷すらつかなかった。散らばった粒の上で立ち上がった景朗は、空いた大穴を振り返り考える素振りを見せた。

 

「馬鹿か俺は。もっと目立たないように入れたじゃねえか」

 

 そう零す景朗の耳が、鋭く伸びていく。あっという間に、彼の頭部に歪な獣の両耳が垂れ下がった。この塔へ侵入する前にざっと見通した限りでは、たった今降り立ったフロアより上方には人影が無かった。加えて、感覚の増した聴覚は、下の階層から微弱な振動を察知した。脈動する昇降機の上昇する駆動音が伝わってくる。

 

 景朗は物陰に身を隠し、下の階へと降りていく。慣れたもので、人間離れしたしなやかな動きは物音一つ催さず。世に言う、軍隊や警察に属する特殊部隊が洗練してきた、合理性が徹底され磨かれてきた産物とは少し毛色が異なっている。その動きは、むしろ、密林に潜む肉食獣の如く、狩猟生物の本能を凝縮したような。卓越した感覚器官と運動能力に支えられて繰り出される種類のものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 静かだった。彼が捉えるエレベーターの上昇する音。それ以外は風の呻き声だけ。景朗が移動してきた上層エリアは、一般客は立ち入り禁止のフロアらしかった。比較的大型の、サーバーのような機械から、電波の送受信装置、記録装置、どこかの大学の研究室が設置したのか、レーダーのようなものまで、様々な電子機器が混在していた。

 

 一般客向けのエレベーターが停止する、最上階。景朗がそこへ足を踏み入れた時には、既にエレベーターの扉が開き、数人が飛び出した後だった。バカ正直に姿を見せてなるか、と景朗は見つからないように隠れている。

 

 エレベーターから姿を現したのは、3人。どうやら全員、学生だ。音だけで判断したが、わかりやすかった。皆、息を切らせ、緊張している風である。景朗が隠れたのは、エレベーターの入口がからだいぶ離れた場所であった。それ故、判明したのは彼らの数と、その息遣いからまだ彼ら3人が年若い子供であることと、少女2人、少年1人の組み合わせだったということだけ。直接、目視はしていない。簡単な確認だけなら、彼らの匂いで済ませられる。少年の方だけは、できれば顔を確認したかったが。

 

 もっと下の階でトラブルがあって、彼・彼女たち3人は慌てて逃げてきただけかもしれない。有無を言わさず襲撃して、安全確認だけでもしてやろうか。しばし、景朗は逡巡していた。

 

「待って、だれかいる」

 

 上階へと走り出していた3人のうち、少年が立ち止まり、険しい声色を上げた。少女2人は息を呑み、3人してその場に立ち尽くす。

 

(本気で存在感を消してたってのに、マジかよ、バレた……普通のやつに見つけられる訳がない!ああ、能力者がいたのか!クソ、それかまさか特殊なセンサーでも持ってきてたのか。なんか怪しいぞこいつら。……おかしい。こいつら、体臭が無い!)

 

 これほど接近して、尚、匂いが捉えられない。無臭。それ故に、景朗の発見も遅れたのだ。異臭がするのであるのなら、数百メートル先からでも判別できたものを。景朗は決断した。ひと目、相手の姿を確認して。怪しければ、即座に無力化してやる。

 

 

 少し間が空いた後、慎重な足づかいの、軽い足音。床には髪の長い女性のシルエット。少女が一人、景朗の隠れるスペースへと近づいてくる。

 

 そのような状況に置かれてもなお、景朗は落ち着いていた。口調だけは、他人に所在を気づかれ焦り怯える、小心者を真似て。彼は悠々と口を開いた。

 

「だれですかっ?」

 

「私たちも逃げてきたんですッ。警告音聞きましたよね?」

 

 凛とした、少女の返答。背中までかかる長い髪。両サイドの一部を、三つ編みに結っている。

 

「ほ、ほんとですか?犯人さんじゃないですよね?」

 

 相手は目と鼻の先。それでもまだ、匂いがしないなんて。ただ単に電波塔に居合わせただけの学生が、たまたま体に消臭処理をしてやってくるだと。そんなわけあるか!

 

「違います!アナタも急いで逃げましょう、逃げるなら早く!」

 

 怯えた様子の景朗の返事に、しかしなかなか、相手の少女もスキを見せなかった。

 

「ッ!2人ともこいつおかしいッ!感染しない!」

 

「チィッ!どうするウッドペッカー!」

 

 唐突に、姿の見えない少年が何やら叫びだし、もうひとりの少女も苛立ちの声を上げた。何にせよ、余計なことを!やむを得ない。強引に決めてやる。

 

「くッ!」

 

 少女の驚き。景朗はロッカーの裏側から、瞬き一つする間に飛び上がった。ロッカーを跳び箱のように乗り越え、隠れていた状態から一気に姿を曝し、勢いよく躍り出た。目もくらむような移動速度。近づいてきた少女の横を一瞬で通り過ぎて。そして、目の前には三つ編みの少女の後方に控えていた残り2人の、女の子と男の子。少女は動きやすそうなジャージ姿であり。もう一方の少年はパーカーのフードを深くかぶり、顔が伺えなかった。

 

「なんッ!?オマエッ」

 

 ジャージ姿の女の子は警戒も顕に吠えた。隙をついた景朗は手を伸ばし、少年のフード掴んで手繰り寄せよとしたが。全くの謎だった。体が、両足が突然、着地のタイミングでガクンと沈み、バランスを崩しそうになる。

 

 景朗は足元を見て動揺した。こんなこと、予想できるかよ。両足を支えるはずの床が、まるで水面のように、ドロドロに溶けていた。ろくに動けない。深い。底が無い。まるで底なし沼のようだった。どれほどの深さか検討もつかない。景朗は咄嗟に解決策を思いつけなかった。特異な光景だった。水面に波紋が広がるように、硬いはずの床が波打っているのだ。

 

 何とかバランスを保ちつつ、手を伸ばす。しかし、軌道がずれ、狙った少年のフードを跳ね上げさせただけに留まった。追いかけ爪を伸ばすも、フードの襟は脆く、破れてしまう。

 

 少年の素顔が顕になった。そのせいで景朗の胸の中に嵐が巻き起こる。運命のイタズラに地団駄を踏みそうになる。その顔には、見覚えがあった。今日、一体何度その名を呼んだだろうか。

 

「動くな!」

 

 景朗は少年へと牙を剥く。産形茄幹が、そこにいた。目と目が会う。産形は驚愕に顔を染め、硬直していた。まるで、誰かの筋書き通りに動かされているみたいだ、と。その出会いの奇妙さに、景朗は沸き立つ悪寒を押さえ込んだ。

 

 突如、景朗は刹那の間に上体を翻えし、背後へ裏拳を放った。ビシャリ、と小さな朱色の水塊か彼の拳に弾かれ、散った。背後から何かが景朗へと放たれていたが、彼は直感と射出音だけで反応してみせた。

 

 超人的な反射速度を見せつけた景朗は、改めて手に付着した朱色の液体をチラリと目に留め、判別した。拳にこびり着いたそれは、ペイント弾に見えた。それにただのペイント弾ではなかった。液体からは血の匂いが香っている。血弾が放たれた方向へ視線を向けた。三つ編みの少女の手元には、黒光りする水鉄砲のようなものが握られている。

 

 ペイント弾を弾いたその間にも、空いている右腕はそのままするすると伸びていた。産形の首を捕まんと直進させていたのだ。だが、しかし。

 

 硬直しているはずの産形の体が、まるで見えない力によって力任せに引き上げられるように。景朗の手から逃れるように後方にズレていく。産形の足は動いていない。見えない力に引きずられ、彼の靴は床と擦れ合い、摩擦音を挽きたてた。

 

 何なんだこの状況は。足元はまるで豆腐のようにぬかるむ。着地の衝撃で膝頭近くまで沈んで……。

 

 景朗は空気を胸に吸い込んだ。催眠ガスで一度に全員を無力化するつもりだ。もし、ウィルステロを起こすつもりであったら。犯人たちは、その治療薬、ワクチン等を同時に用意している可能性が高い。下手に危害をくわえて、彼らが所持しているかもしれないそれらを台無しにするのは避けたい。捕まえてしまいたい、という景朗の判断。だがからくも、ガスの噴射という、僅かにタメの必要だった攻撃が明暗を分けた。

 

 

(!?何だ!この力!体が引っ張られる――ッ!?)

 

 何の前触れもなかった。しかし、唐突に、景朗の全身に、謎の力が働き出す。それは、例えれば重力だろうか。景朗の体はぬかるみに沈む車両のように、ズブズブと沈む。

 

 ぬかるみは加速しつづけ、強力な加速度が景朗の体を襲っていた。瞬く間に彼の胸元まで、液状化した床にぬめり込む。それでも。たとえ床に埋め込まれていようとも、景朗は落ち着いていた。冷徹に、催眠ガスを噴き出そうとしたが。その間際。

 

「落とす」

 

 叫んだのは三つ編みの少女。制服を着ていたため、屈んだ彼女のスカートははだけていた。景朗の視線の先。そこには、膝上まで伸びるスパッツが露出していて。挙句、それが最後に見た光景だった。

 

(なにやってんだ俺はマジであぁぁぁああああああ)

 

 全身が沈んだ。暗闇に包まれる。体が床に吸い込まれ、引き込まれていく。水の流れに逆らえない。景朗の肉体に働く謎の力はとてつもなく強力だった。それでも、全力で抗えば逃れられると思った。ところが、つかもうとする床や壁は全て、水のように形を失ってしまう。これでは、これでは、これでは!

 

 目に再び光が射す。吹き荒れる轟音。次の瞬間には、景朗は外にいた。

 

 途中で真横にも移動していたのだ。電波塔の側面から打ち出された形となった景朗。遥か彼方、遠い地表が眼下に映る。彼は数百メートル下の地面へと、強烈に引っ張られていた。重力の力と、謎の引っ張られる力。二つの力が合わさり、景朗の肉体は驚異的なスピードで落下していた。

 

「落ちてたまるかチクショゥォオオオオオオオオアッッ!」

 

 一声叫ぶ。次の瞬間には、景朗は躰を怪鳥へと、最も飛翔能力を有した姿へと変化させていた。全力で抗い、羽ばたく。躰は緩やかに、上昇する。重力には抗えている。だが、謎の引力は未だ消えず、景朗を強烈に引っ張った。

 

「ク、ソ、邪魔スギル!何ダコノ能力!アノ女カ?!ガアァ、グゾッ!」

 

 いよいよ、景朗は焦っていた。奴等は何かを企んでいる。一刻も早く追いつかなくては!羽ばたく力では埒があかない。景朗は躰のあちこちから触手を伸ばし、塔の外壁へ突き刺した。

 

 彼の躰が緩やかに形状を変えていく。四足の鉤爪を持つ巨大な獣となった景朗は、そのまま壁を駆け上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミスティの"底無し沼(シンクホール)"と、ウッドペッカーの"接触衝突(コライダーキス)"の合わせ技。怪しい男は為す術なく、この高所から地表へと突き落とされていった。

 

「今の、死んじゃっただろ!?」

 

 ミスティと呼ばれた夜霧流子は、恐怖に震え、嘴子千緩(くちばしちひろ)の瞳を覗き込んだ。

 

「ごめん。でも、でも、咄嗟だったから、ああするしか……。あの能力者手ごわそうだったから!」

 

 ウッドペッカー、嘴子千緩の能力、"接触衝突(コライダーキス)"。彼女の身体に触れた二つの物体を、重力、引力を発生させ無理やり衝突させる力だった。物体同士を引き合わせる力は強力だが、その代わりに、能力を使う物体には、直接触る必要がある。その制限を、嘴子は自らの血液を混ぜたペイント弾を用いることで緩和させた。おかげで、射程はより長大となっている。

 

 "接触衝突(コライダーキス)"は、"レベルアッパー"を使う前までは異能力(レベル2)相当だったらしい。ところが今では、大能力(レベル4)に届いているんじゃないかと思うくらい、強力なモノとなっている。"リコール"メンバーの中で、恐らく最も能力の向上が見られた能力だった。 嘴子さんは、演算が簡単な部類の能力だったからではないか、と考察していた。

 

「寒気がする!何だったんださっきの能力者!腕が伸びたり、爪が伸びたり。とんでもない動きしやがって……!チクショオ、怖えよ!あんな奴がこのタイミングで出てくるなんて!」

 

 取り乱したように、延々と口を動かし続けるミスティ。きっと、怖いのだ。仲間に思いの丈をぶちまけていないと。茄幹にはその気持ちがよくわかった。彼も畏れていた。先ほどの男。目があった。あの不気味な男は茄幹だけをしかと目視して、はっきりと言ったのだ。動くな、と。あの言葉は。

 

 奴の態度。これから彼ら"リコール"メンバーが行おうとしている事に対して、茄幹が要となるその事実を。そこはかとなく、知っていたような印象を受けるのだ。

 

「あいつ、どうして真っ先に僕を狙った?……まさか、僕を知っていた?僕の能力を……まずい、まずい!急ごう、これ以上邪魔が入る前に!」

 

 茄幹の蒼白な表情。

 

「どういうこと?茄幹君。あの男、貴方を知っている様子だったの?」

 

 嘴子千緩の顔つきも凍りついていた。悪夢が現実と化してしまったと言わんばかりの、緊張に凝り固まった、色のない相貌。

 

「カンだけど、きっとそうだよ!僕は明らかに、奴に目をつけられていた……」

 

 夜霧が無言のまま、床に放置してあたダッフルバッグを持ち上げた。茄幹も彼女に続く。

 

「もしかして……ッ!ひとりだったからそうは思わなかったけど、あの男、暗部の奴だったのかもしれない!気をつけてミスティ!ヴィラルを抑えられたら、もう私たちにはどうしようもない!」

 

「そうか!暗部の……ッ!」

 

 立ち尽くす茄幹も、ハッとしたように嘴子と目を見合わせた。唇をキツく結んだ夜霧は叫ぶ。

 

「だったら早く、登れ!」

 

 夜霧は茄幹の襟首を掴み、階段へと走り出す。嘴子も表情を引き締め、駆け出した。

 

 

 

 3人は焦燥も顕に、ひたすら頂上へ向かっていく。電波塔の上層フロアから頂上まではエレベーターは通じていない。そのため、塔の外周部位にぐるぐると螺旋を描くように作られた階段を駆け上がっていくしかなかった。

 

「警戒しなくちゃ駄目だった!まだ暗部の奴等に嗅ぎつけられていないって思う方がどうかしてた!いい?茄幹君。もし次また誰かが邪魔しに来たら、私たちが足止めする!貴方は自分の事だけ考えて!私たちのことは無視して先に行って!」

 

「わかってる!」

 

 嘴子の言葉に、茄幹は幾度も頷き、了解の返答を繰り返した。次に疑問を発したのは、オレンジのジャージ姿、夜霧流子だった。

 

「ヴィラル、1人で本当にできるのか?」

 

「やってみせる!」

 

 茄幹の頼もしい返事に、夜霧が軽口を返そうとした、その時だった。彼らのすぐ目の前の壁が、吹き飛んだ。

 

 

 

 

 

「GVWOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHH!!」

 

 

 

 

 

 鼓膜を切り裂くような咆哮。茄幹の全身がビリビリと痺れていく。またしても反応できなかった茄幹だったが、再び、体が真後ろへと引っ張られていく。嘴子の能力だろう。茄幹は心の中で感謝した。

 

 巨体から次々と触手のような、太い筋繊維の束みたいな管が無数に飛び出し、その階層の随所に突き刺さる。

 

 夜霧と嘴子は必死に能力を展開させた。怪物の四肢はぬかるむ床や壁にはまり込み、ずるずると滑っている。しかし、部屋中に伸ばされた触手が脈動するたびに、巨体は室内に運ばれていった。

 

 ついに、怪物が空いた大穴から全身を乗り入れた。そして地響きの如く。重低音が、怪物の口から紡がれた。

 

「答エロ!オ前等ガ!第十学区ノ研究所ヲ襲撃シタンダロォ!」

 

 

 

 

 現れたのは、三つの犬頭に、三対の赤眼。神話の魔獣、"三頭猟犬(ケルベロス)"。茄幹が嘴子から聞いていた、暗部の殺戮者。

 

 

 

 

「うそ、だろ」

 

「うわぁッ、うわああああ!」

 

「ッ、ケルベロス……ケルベロス!!」

 

 三者三様の反応を見せた。眼前の光景が信じられないのだろう。夜霧は悲痛な呟きを零した。茄幹は無様にも狼狽え、怯え、腰を抜かしそうになる。そして、以前からこの"三頭猟犬"の存在を掴んでいたであろう、嘴子は。その瞳に殺意を宿し、憎しみと憤怒をありありと炸裂させ、感情も顕に怪物を睨みつけていた。

 

「この怪物、能力が効く!まだ残ってる!もしかしてさっきの男?……ッ!ケルベロスは能力者だった!やっぱり人だった!本当に現れた!……殺してやる!」

 

 

 

 

 

 

 

「ミスティ、天井空けて!」

 

 茄幹の真上の天井、その部分の壁材が波打ち、人が1人十分に通過できる大きさの穴が生じた。嘴子は間髪入れずペイント弾をその穴越しに上の階へと打ち込むと、すぐさま茄幹を能力で引っ張り上げ、上階に送り出した。

 

「ウッドペッカー!」

 

 茄幹が嘴子に呼びすがった。嘴子はそんな茄幹の瞳を見つめ、迷いを断ち切るように"三頭猟犬"へ向き直る。

 

「ヴィラル行って!私たちに任せて!」

 

「走れヴィラル!いいから行けっての!」

 

 夜霧が続くように気勢を揚げると、空いていた穴が溶けるように塞がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

(溶かす能力と、引っ張る能力、どっちもウザ過ぎだ。先に片付けてしまえ!)

 

 易々と産形茄幹を取り逃がした景朗であったが。その彼の心の内には、先に面倒なこの二人組を片付けてからでないと、面倒で仕方がない、という思いがあった。この慢性的に景朗を引っ張る謎の引力は三つ編み女の能力。手当たり次第に物体を液化させる、邪魔で仕方がない悪質な能力は、どうやらもうひとりのジャージ女のものである。

 

 二種の能力が組み合わさり、強制的に景朗の躰を屋外へはじき出そうとしている。能力の応酬に抗う景朗であったが、室内に留まるだけで精一杯の状況だ、というわけでもなかった。彼とて、"超能力者"の端くれ。出会い頭に催眠ガスを吹き付ける予定であった。が。

 

 彼らが位置しているのは、極めて高所だった。故に、室内と室外では大きな気圧差が存在する。室内の空気は風となって、景朗が自ら空けた壁の穴の外へと流れてしまっていた。だから景朗は急遽催眠ガスを繰り出すのを取りやめていたのだ。

 

(この状況じゃガスは上手く使えない。ようやく準備できた。悪いが、虫刺され程度で済んで良かったと思ってくれ。ぶっとい針だけどな!)

 

 代わりに、景朗は大急ぎで用意した。垣根と戦った時にはイマイチだった、あの毒蟲を。

 

 

 

「もっかい落そう、ウッドペッカー!」

 

 ジャージの少女が堂々と口にした、その台詞に景朗は青筋を浮かべそうになった。

 

「GOAAAAAAAAAAAAAAAAAAHHHHH!!」

 

 一方的にやられ続け、景朗の忍耐も限界を迎えていた。いい加減にしろ!そう吠える勢いで、景朗は雀蜂にも似た凶悪な形状の翅蟲を、三つの口から吐き出してみせた。

 

 

「ッ。ダメだあれ生物だ!ウッドペッカー!」

 

 "底無し沼"は個体であれば、そのほとんどを溶解させられた。だが、勿論、世の中の物質全てを対象に含めることはできない。例外。たとえばそれは、景朗が放った毒蟲のような、生命体であった。

 

 夜霧の悲鳴に反応した嘴子は素早く近くの壁に向かってペイント弾を打ち付けた。そのまま、夜霧を能力で引き寄せつつ、自身の肉体をも壁へと引き付ける。

 

 毒蟲の大群が少女2人へと迫るが。惜しかった。景朗は唸った。壁が波打ち、少女2人を飲み込む。彼女たちを追跡した翅蟲の群れも壁にどんどん吸い込まれていった。

 

 

 

 景朗はしっかりと、四足で床を踏みしめた。2人が壁に消えると同時に、彼にかかっていた能力も解除されていた。

 

(やったか?)

 

 景朗は器用に頭を動かし、部屋中をくまなく見渡した。三つの頭の利点。それは、周囲360°、死角無く一帯全てを目に捉えられることである。

 

 天井の壁が広範囲にわたって波打った。どうやら、あの2人はまだ生きている。こうなれば直接、相手が対応できない数の触手を伸ばし、直接毒針を打ち込んでやる。

 

 相手にしているのは、どう見ても自分より年下に見える女の子たちだった。今まで相手にしてきた中で一番やりにくさを感じていた景朗であったが、最早予断を許さない状況だと感じ始めていた。

 

 しかし。どうにも、奴等がワクチンを持っている可能性を考慮せざるを得ない。保険は誰だって持つに決まってる。取り返しのつかない事態に陥らないように、確実に手に入れておきたい。

 

 

 見上げていた天井がユラユラと揺れ始めた。液化した鉄骨が溶けるように滴り、無数の金属の氷柱が出来上がっていく。

 

 まさか。

 

 数多の氷柱が根元からちぎれ、景朗へ降り注いだ。

 

 

(そんなもん効くかよ!俺の頑丈さを思い知れ)

 

 

 景朗は触手で無数の鉄の氷柱を払い除けた。触手の網を通り抜けた幾本かが、景朗の体に到達する。だが、鉄の氷柱ごときでは、景朗の硬い皮膚を貫くことはなかった。それによるダメージは皆無であった。誤算だったのは、氷柱は弾いたものの、景朗の躰へまとわりつくのは防げなかったことだった。磁石にくっつく砂鉄のように、鉄の塊がびっしりと景朗にこびりついてしまった。

 

(ち、これはこれで面倒だ!……だぁ、またか畜生!)

 

 

 足元がぬかるみ、グラつき、躰が大きく動いていく。巨体に吸い付く、折れた無数の金属槍の残骸で景朗の重量は一段と増加してしまっている。煩わしさも頂点に達していた。少女2人の能力が延々と、景朗をこの高層タワーから引きずり落とそうと妨害しつづける。

 

 景朗は見境なく、おびただしい数の触手をアンカーのように、建物の壁中に放った。これほどの数を放てば、

 

 少女2人が、天井から飛び降りた。息を止めていたのだろうが、耐え切れなくなったらしい。2人とも荒い息をついている。

 

(行けるか?ガスをお見舞いしてやる!)

 

 景朗は急遽再び、催眠ガスを吹きかけよう息を飲み込んだ。

 

「ぐ、はぁ、はぁ、うう、ふざけッ……有り得ねえよ!ダメだ、どうしよう、全く効いてない!ヤバいウッドペッカー!どうしよう、どうするッ?!」

 

「く、ふぅ、は、はぁぅ。やる、しかないでしょミスティ!ヴィラルのところにはっ、行かせないッ、絶対に!」

 

「チクショオオ!分かってんだよンなことはぁぁぁ!」

 

「"あれ"をやる!あわせて!」

 

 

 何をしでかすつもりなのか知らないが、やらせはしない。三つの顎門が大きく開く。次の瞬間。少女2人を目掛けて、白煙の気弾が解き放たれる。

 

 打ち出された3つのブレスは、豪速を誇り、少女たちに直撃するかに見えた。間一髪、"ウッドペッカー"と呼ばれたサイド三つ編みの少女だけは宙に浮き、機敏に壁に張り付き難を逃れた。だが、"ミスティ"と呼ばれたジャージの少女は避けきれず、直撃した。"ウッドペッカー"にも、相棒を庇って動く余裕が無くなってきているらしい。

 

 

 2人の少女は賢明だった。息を止め、強風の吹き荒れるこの空間からガスが消え去るまで耐え忍ぶ心持ちである。あっという間に、白煙は部屋から消え去っていった。

 

 だが、景朗は見抜いていた。ジャージの少女はガスの直撃の瞬間、壁に吹き飛ばされ、したたかに体を打ち付けていた。その時、微かにガスを吸い込んでいる。直にあの少女は眠りにつく。抗えない眠りに。その事実を後押しするような証拠に、揺らいでいた足場が元通りに硬化している。

 

「吸っちまった。ウッドペッカー……」

 

「そんな」

 

 

 "ウッドペッカー"は息も絶え絶えに、繰り出された景朗の触手を足にかすらせ、かろうじて飛び退る。その後も続々と宙を舞う、筋繊維の束。彼女は天井に逆さに足を付け、跳ね回り、襲来する無数の触手から逃げ回るしかなかった。

 

 それでも。嘴子の能力を使った動きは見ものだった。なかなか強力な能力だ。立体的な軌道を描き、"ウッドペッカー"は想像以上の高速で景朗の触手を躱そうと躍起になっている。ぐいぐいと景朗をあらぬ方向へ引っ張る力も、並外れて大きい。抵抗するため、景朗は壁に触手を突き刺して躰を固定せねばばならなかった。ところが、突き刺した箇所が片っ端からふやけていく。彼は次々と触手を打ち出し、抜き差しを繰り返さねばならなかった。

 

 とはいえ。景朗が無数に伸ばす、捕獲の追撃は苛烈だった。間もなく、為すすべもなく彼女は捕まる。残り数秒。景朗は"ミスティ"を嘲笑うように、彼女へはなんの手出しもせずにいた。

 

 

 

 

「ケルベロスゥゥゥゥ!」

 

 怒りに燃える"ウッドペッカー"は、壁の一部へ続けざまにペイント弾を放つ。彼女のその行動に、景朗は疑問を持つ。今更何をしているのだ、と。景朗の瞳に、今にも囚われんとする、三つ編みの少女の影が映っていた。終わりだ。終わる。

 

 2人を捕まえた。あとは産形。3人から情報を聞き出して……。

 

 ふらつくジャージの少女へと。必死に逃げ回る三つ編みの少女は、喉の奥底から、最後の望みとともに叫び声を張り上げた。

 

「お願いミスティ、あわせてぇぇぇぇ!」

 

「ウワアアアアァァァァァ!!!」

 

 

  眠気を気合で吹き飛ばしたかったのか、"ミスティ"は声を振り絞った。躰がグラつく。景朗が接地する、全箇所がぬかるむ。悪あがきを。疾く意識を飛ばせばいいものを。

 

 少女たちが吠えたこの時、同時に、ペイント弾が打たれた箇所の壁が揺らいでいた。先程打たれたペイント弾は単純に、場所をマーキングしていただけだったようだ。

 

 三つの頭部。三対の視覚。景朗は当然気づいたが、その時にはすでに遅かった。液化した壁をいとも簡単にすり抜けて、巨大な物体が現れた。果たしてそれは。とてつもない速度で迫る、一台の乗用車。光沢をもつボディ。景朗は度肝を抜かれた。なんで、こんな場所に、自動車、が。突如飛来した赤いセダンは、恐るべき速度で彼に迫りくる。

 

 "ミスティ"に余力は残っていないと踏んでいた。だがそれでも念の為に、景朗は躰を固定させていた。それは完全に裏目になった。触手でガチガチ固められていた巨体は、それでも機敏に動いたが。しかし。引かれあう2つの磁石のように、2つの巨影は衝突した。

 

「GOAAH!」

 

 映画でよく耳にする衝撃音だった。車がクラッシュし、潰れ、砕け、金属がひしゃげる音が産みだされる。猛スピードで迫る自動車が丸々1台、景朗に直撃していた。その衝撃に思わず吹き飛び、慣性の残るまま、彼は躰ごと車と一緒に飛ぶ。

 

(最後の最後まで……!)

 

 "ミスティ"が、最後の力を振り絞った。運ばれた景朗の躰が、塔の壁に激突する瞬間、彼女は能力を使用した。車ごと景朗は壁を突き抜け、もう一度、外へ投げ出されたのだ。

 

(車が溶けて……まず、い!)

 

 溶解したのは、壁だけではなかった。景朗に接していた乗用車まで溶け出していて、景朗の体にまとわりついたのだ。そしてそれは景朗の予想通りの結果をもたらした。とうとう気を失った"ミスティ"。彼女の能力の効果も失われた。

 

 液化していた鋼鉄が本来の硬度を取り戻す。まんまと景朗は鉄の拘束具に絡め取られていた。

 

 

「GYOWAAAAAAAAAAAAAAAAAAHHH!」

 

 怒りが脳内で溢れている。景朗は情けを捨てた。何が"迅速に無力化する"だと?いいようにしてやられている。産形を上に行かせてしまっているんだぞ。まだ確証はない!とはいえ、こいつらは怪しいんだ!殺しては情報は聞き出せない。それに、もし、別件だったら。産形がいたとは言え、完全に黒だとは、確証はなかった。それでも!チンタラやってる暇がどこにあった!

 

 躰を一時的に軟体動物の如く軟化させ、景朗は車の拘束から逃れた。"ウッドペッカー"とやらの能力で、車は今尚景朗の躰にくっついてくる。しかし、景朗は最早それを気にかけなかった。背中に乗用車1台を貼り付けたまま、"三頭猟犬(ケルベロス)"は塔の壁をよじ登り、再び三つ編みの少女へと迫り行く。

 

 最も煩わしかったのは、ジャージ女の足場を崩す妨害だった。それがなくなった今、一気に決められる。時間はかけられない。

 

 

 

 

 元のフロアにたどり着いた景朗は、"ミスティ"に寄り添おうとしていた"ウッドペッカー"を見つけた。景朗は今まで手加減を加えていた。できるだけ傷つけずに無力化してしまおうと。それは情けだった。年下の少女たちへの。

 

 奢っていた。自分は想像していたというのに。産形茄幹は今この時、何をしでかそうとしているのか、わかっていないというのに!

 

 今一度、白煙のブレスを打ち出し、三つ編みの少女を牽制する。景朗の攻撃を大いに警戒し、少女は高く飛び上がった。

 

 

 

 景朗はそこでようやく気がついた。ジャージの少女は、大きめのダッフルバッグのそばで、意識を失い倒れている。あのバッグ。今の今まで目にしなかった。今までどこかの壁の内側に隠していたのだろう。そういえば、一番最初に会敵した時は、こいつら、このバッグを抱えていた……。

 

 

 "三頭猟犬"がそのバッグに近づこうと動きを見せた、その刹那。"ウッドペッカー"が焦ったように、バッグに能力を使い、景朗から遠ざけようとした。

 

 素早く触手を伸ばし、"三頭猟犬"は横からバッグを掠め取った。景朗は、頭部2つを少女へと向けると、残った頭一つ、その注意と視線をバッグの中身へと向ける。

 

「殺す!殺してやる!ケルベロス!!」

 

 あの三つ編み少女の身の安全は二の次だ。景朗は容赦なく、催涙ガスを圧縮した気弾を発射し続けた。少女は回避行動に精一杯であり、表情を憎しみに染め、制止の言葉を景朗へ浴びせ続けている。

 

 

 開いた中には、液体に満たされた透明な瓶が何本も詰められていた。素早い判断の元、景朗は俊敏に蓋を開け、中身を調べる。

 

 ウィルスだ。景朗は直感した。瓶の中には、想像を超える密度のウィルスが詰まっていた。どんなウィルスか、詳細まではわかりえない。だが、ただひとつ、景朗にも理解できた。このウィルスは、人を殺すウィルスだ。それだけは認識できる。細胞を通して、そのウィルスの特性が景朗に警鐘を鳴らしてくるのだ。

 

 

 こんなものをバラまくつもりなのか?景朗は自分の認識の甘さにほとほと自重する思いだった。時間がない。直ぐに、兎に角直ぐに、産形のところへ。

 

 

「ゴガアアアァ!オ前等ァ!一体何スルツモリダァ!」

 

 能力を酷使し、体力をすり減らし。それでも尚、"ウッドペッカー"は狂気を捨てずにいた。景朗を親の仇の如く見下ろし、命を賭して、妨害せしめんと食らいついてくる。

 

「邪魔するな!化物!死ね、死ねぇ!死んでしまえ!」

 

 

 




2014/04/28 微修正。episode22に変更は無しです。

 すこしだけ書き加えました。ほとんど変わってません。主に、問題となった電波塔の戦いのシーンです。戦闘能力という意味でも、思考能力という意味でも、主人公を弱体化させすぎてしまったようでした。

 色々変えてしまおうかとも思ったんですが、自分への戒めとして、敢えてこのままにしますorz ほんのわずか、あとからフォローするような事を書き加えている?のですが、大して変わってない、のではないかと思います。

 今回頂いたご指摘は、ものすごく、自分の糧となりました。敢えて言及してくださった皆さん、本当に感謝します!キチンと考察された意見ばかりでした。ああいった感想や意見をもらえると、めちゃくちゃ勉強になります。これからも、今回のような感想をどしどしコメントして下されば最高です!


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episode23:接触衝突(タッチクラッシュ)

2014/05/05 更新完了

続いて直ぐに次話、episode24を更新します。
明日更新できると思います。できたとこまで更新するので、ほぼ更新できると思うのですがorz

あと、感想の返信ですがもう少しだけ待ってくださいorzお願いします
更新の方を優先させたほうが喜んでくださるかと思いましたので


 

 昼飯時に土御門から、朝方盗みがあったと聞かされ、景朗は産形の家に調査に行った。彼の自宅には長らく不在の痕跡が見受けられ、それだけでなく悪質な置き土産までされている始末だった。同日、午後昼過ぎ。今度は第十学区で遺伝子研究をしていた施設が襲われた。犯人は襲撃後、すぐ逃げ出し影も形も無く、朝方の事件との関連性は調査の真っ只中。現在も見つかっていない。施設襲撃時、不気味なことに天然痘ウィルスが使用されたという。

 

 土御門の杞憂。産形が"幻想御手(レベルアッパー)"とやらを使って、不可能を可能にできたらという予想。

 

 

 その彼の想像を構築する上で、必要な仮定がある。"幻想御手(レベルアッパー)"の存在だ。土御門は"幻想御手"が実在すると確かに言った。それが果たして如何程のものであろうかと景朗は半信半疑でもあった。それでも、土御門の懸念は端から疑ってかかるべきではない。結局は用心するにこしたことはないと、景朗は手を打っていく。

 

 2人が仮定した懸念。その鍵となる"幻想御手"について、景朗は心の底からはその存在を信じきれずにいた。存在するとしてもそれは成し得て、無能力者が低能力者や異能力者になるような代物なのではないかと。それ以上のものであるとは、易々とは確信を抱けずにいた。なにせ、スプーン曲げができるようになるのと、強能力や大能力を発現するのでは文字通りレベルが違う。

 

 強能力者や大能力者を続々と排出するような。そんなものが発明されたとなれば、幾らなんでももっと大きく、明るみになっているはずだ。今頃、ぽんぽんと強能力者、大能力者、超能力者が出現していなければおかしい。燎原に放たれた火のように、電光のように広がっていなければおかしい。だって、能力強度(レベル)はこの街の身分制度にも匹敵する、重要なステータスなのだ。

 

 更に、件の産形茄幹(うぶかたなみき)の大元の能力にも、考慮すべき点があった。"書庫"のデータを景朗も確認していた。"病菌操作(ヴァイラルシミュレーション)"。低能力(レベル1)、自分自身をようやく風邪に持ち込める程度の力だった。能力名が如実に表している。その能力の程度を。ヴァイラル、シミュレーション。"シミュレーション"だ。もっと直接的に細菌を操れるのであれば、例えば"エレクトロマスター"、"マグニトマスター"、"ハイドロハンド"、"エアロハンド"、といったように、"マスター"や"ハンド"などといった尤もらしい名前を冠するはずである。

 

 だが。産形の能力には、シミュレーション、と名付けられている。これはきっと彼の能力の研究を担当した人物が、産形の能力が持つ細菌への干渉力より、むしろウィルスに対する知覚能力に目を付け、重きを置いたからなのだ。だから、"シミュレート"が付けられたに違いない。それが、"レベルアッパー"を一度使えば、自在にウィルスを操れるようになるなんて。それが景朗の遺憾ない思いだった。

 

 確かに、不審な点も見受けられている。産形の不在は土御門の予想を補足する出来事だ。それでも、まさか本当に一連の事件に関連しているなんて。景朗は心のどこかで、諸処の心配事は骨折り損に終わるだろうと予想してもいた。

 

 

 今朝、薬味の所で強奪されたウィルスは少量だった。研究所で使用されたウィルスが施設でばら蒔かれたものと完全に同一のものならば、短時間でばら蒔けるほど培養されたことになる。その話を聞いて、景朗は確かに一度、"幻想御手(レベルアッパー)"の可能性を考えた。だが、直後に木原数多は真っ向から否定した。学園都市に、それほど都合よく遺伝子操作に関与できる人間などいないと。

 

 情報を手入した何者かがミスリードを狙い天然痘を使用したブラフの可能性だろうか。しかし、だとしたら何故そうする必要があったのか。研究所を襲った犯人どもの正確な狙いがわからない。それが問題だった。犯人は何故天然痘を使った?使えた?使うしかなかったのか、何かの目を逸らすために使ったのか。それとも、本当に偶然だったのか。

 

 簡易的に遺伝子操作を行える機械が、研究所にはあったという。まさか、産形がその場に赴いて、"幻想御手"とやらで有用になった能力で、出鱈目な細工を行ったのだろうか。飛躍した考えに違いない。そうであれば。低能力者で、引きこもりで、不登校だと聞く産形茄幹が犯罪集団の仲間であることになる。更に言えば、産形だけにこだわり事件を推理するのも危うい行為だった。ウィルスの個体に何らかの形で干渉できる能力者は希少であり、そこから犯行が可能な者を絞るのは有効な方法だろう。だが、何らかのトリックや発明品、もしくは別系統の能力者で代用できる可能性も残されている。

 

 

 

 諸々の事件を考察する上で重要な情報。判断のための材料がまだほとんど見つからずにいた。それ故、"幻想御手"の件をひとまず放置して、景朗は自らも直接、事件の捜査に加わることにした。彼の胸中には嫌な予感とともに、モヤモヤとした恐れがあった。その不安を打ち払うように、手がかりを探そう。今朝の事件も、昼の事件も、暗部部隊がとっくに捜査に乗り出している。学園都市を揺るがすテロリストどもの相手だって、彼らの本業なのだ。

 

 

 疑心暗鬼に陥っていても始まらない。土御門の心配事はきっとただの骨折り損に終わる。何はともあれ、事件解決は時間の問題だと希望を持とう。景朗は時を同じく、前向きに行動する腹積もりとなった。ところが、その考えも徐々に暗雲に覆われていく。"猟犬部隊"が研究所から逃走した者たちの足取りを見失ったのだ。2つの事件に共通して、犯人たちは暗部の追跡部隊を相手に全くと言っていいほど尻尾を露わにしていない。まだ事件が発生したばかり。すぐに解決するのか長引くのか、誰にも想像できなくなっていた。

 

 

 

 

 

 その折。食蜂操祈が見つけた異変を察知した。それが事件解決のヒントになるかどうか分かり得えぬものの、景朗は急行した。脳裏によぎる万が一の事態が、景朗を突き動かした。

 

 

 

 

 

 

 事態は急変する。電波塔内で景朗は驚愕した。産形茄幹を目撃することになったのだ。この状況で、この邂逅。彼らを何としても捕らえなければならない。有り得ないと思っていた予想に、景朗の意識が揺さぶられた。

 

 

 

 

 

 

 発見したのは、自分より年下に見えた少年少女たち。少女の制服は中学のものに見えた。高校の制服でもありうるかもしれない。相手は皆、自分と同じくらいの年ごろだった。ましてや、暗部部隊の追っ手を軽く躱す手練だとは露ほども思えない学生たち。

 

 しかし。産形の存在。大量のウィルスの存在。2つが目の前に現れた。景朗は悟り始めていた。それらの存在が強烈に主張する。真実は土御門の想像に近いところにあったのだと。景朗は気づくべきだった。景朗は疾うに知っていたのだ。いとも簡単に遺伝子操作を成し遂げられている人物を。その名は雨月景朗。自分自身が、その証明を既に成していたのだと。

 

 

 

 直面した現場で、まさに何かが起ころうとしていた。景朗が飛び込んだその電波塔で。だが、彼は間一髪間に合った。景朗は自分が現場に遭遇できたことに感謝し、相対する学生たちに慎重に対応しすぎた愚行を恥じた。

 

 脳裏で土御門の杞憂が現実味を帯びていく。景朗が遭遇してきた事実から目を背けられなくなっていく。明らかにせねばならない。恐らく、産形が培養した。産形が、何かをやってのけたのだ。そしてそれらは、まだ終わってすらいない。今この時、また別の何かをやり遂げようとしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女2人は時間を稼ぐと言っていた。そのうちの1人は景朗がすでに昏倒させている。この場にはもう残り1人。しかし、焦りは依然としてにじみ出る。失念してはいけない重要人物が残っているのだ。産形が上階へ逃げて数分が経過してしまっていた。わずか2,3分。しかし、それが命取りにならないと誰に言えるだろうか。

 

「GVOAAAAAAAAAAAAAAAAHH!!!」

 

 三頭の巨犬は今一度、その喉奥から毒蜂を噴出した。二回目の羽蟲による攻撃。一度目は"ミスティ"の機転で躱されたが、彼女はもう動けない。景朗は予想していた。今相手にしている"ウッドペッカー"1人では、この数に物をいわせた一手に抗えない。

 

「ぎッ、……おおおおおおおッ!」

 

 雄叫びとともに、"ウッドペッカー"はペイント弾を乱射する。能力を応用した彼女は機敏に地を蹴り、宙を浮き、立体的に逃げ回った。デタラメな軌道だった。壁や天井に蜘蛛のように張り付き、自由自在に移動していった。

 

 だが、問題はなさそうだ。毒蜂は群れをなし、彼女の後をひたすら追走する。景朗は一瞬で判断した。詰だ。あれだけの高速移動。彼女の肉体には、相当な負荷や激痛がはしっているはず。それでも形相を醜悪に歪め歯を食いしばり、彼女は決して怯むことなく景朗に立ち向かってくるが、いずれ毒蟲に補足される運命にある。

 

 

 

 ダッフルバッグに詰まった大量のウィルス。それを見つめた景朗に迷いはなかった。大きな顎門が、限界まで開かれる。瞬き一つする間に、景朗はなんとそのバッグを咥え、丸呑みにした。

 

「ふざけるなァァァァァ!返せえええええええ!!」

 

 そう叫び返した"ウッドペッカー"であったが、存外に状況を冷静に把握していたらしい。黒く染まる毒蟲の大群は彼女の目前に迫っていた。蜂の群れは器用に分裂し始め、彼女の逃げ場を奪うように進んでいる。追い詰められた"ウッドペッカー"は、側面に空いた大穴の外へ退避せざるを得なかった。

 

 

 

 

 足場はもう、揺るがない。物体を溶かす能力者を仕留めたからだ。巨体に働く謎の引力は未だ景朗の自由を奪おうと、あちこちに彼の体を引っ張っていた。だが。足場さえ、物体さえつかめれば。後は自由に、如何様にも動ける。

 

 巨犬の3つの頭部のうちの、中央の顔の口元が緩んでいる。これで自由に動けると言わんばかり。微かな笑みがこぼれていた。この狭い塔で、あのように手当たり次第にバランスを取るための足場をクリームのように溶解させられては。猛烈に景朗を引き込む引力と相まって、相当に煩わしいものだったのだ。

 

 問題がひとつ解決された現状で巨犬が更に手を加えれば、あと幾ばくもなく目の前の三つ編みの少女との決着もつくだろう。けれども、景朗は今更になって不安になる。放置している産形の存在を忘れられない。

 

 "三頭猟犬"は巨体を機敏に翻すと、電波塔の側面を室内から打ち破り、側面を駆け上がりだす。

 

 あの女はどうせ追いかけてくる。そうでなくても、直に放った毒蟲が動きを奪うだろう。先に逃げた産形を探す。景朗はさらなる上層へと全速力で駆け登っていく。

 

 

「GOOOAAAAHH!」

 

 塔を猛スピードで這い上がる最中、"三頭猟犬"は煩わしそうに唸り声を漏らした。背中にへばり付く自動車が邪魔だったのだ。

 

 蠢く巨体。その背中から巨大な牙が突如、乱立し生え揃った。その背に張り付く自動車を囲むような位置取り。牙が力強く、閉じられた。

 

 牙は巨大な裁断機の役割を果たしていた。怪物にまとわりついていた自動車は、金属の塊が圧力に押され弾け飛ぶような澄んだ轟音を轟かせ、ひしゃげ、粉々になっていく。

 

 

 背中にくっついていた自動車を片付け、巨犬は頂上までスパートをかけていく。その矢先。たった今、邪魔だった重石を壊したところだった。そんな景朗の三対の眼に新たな影が飛来してきていた。

 

 

 彼の目には映っていた。彼方から、まるで電磁浮遊するように沢山の大型機械の山が、そこらじゅうから迫り来る。上層フロアで見かけたサーバーや電波の処理装置の影だ。それなりの質量があるだろうから、躰にまとわりつけば再び景朗の移動の邪魔をするだろう。明らかだった。"ウッドペッカー"の仕業だ。

 

 飛来物を触手や口から放つブレスで弾くも、まるで強力な磁石に引っ張られるように宙を浮く残骸の山が景朗へとまとわりつく。放置すれば重たい枷となっていくだろう。一つ一つ粉々に粉砕しなければならない。

 

 黒艶が波打つ巨犬の胸部が、メリメリと音を立てて横に裂けだした。間もなく、ぽっかりと空いたその裂け目は、馬鹿げた大きさを持つ新たな大口となった。血が滴り染まった、ほのかに透き通る凶悪な結晶の牙が、歪な音を吹き出し幾重にも折り重なり、屹立していく。

 

 怪物は飛来する金属の塊を片端から余すことなくひと口で咬み砕いていった。最早、巨体は止まりそうもない。"ウッドペッカー"がどう足掻こうとも。

 

 

 

 

(決める。死んじまって、後で情報が不足して困るって状況にならなきゃいいが……)

 

 最早明らかなのだ。こいつらは何かをしでかそうとしている。ウィルスをばらまきでもするのか。腹に収めたウィルスは今朝盗まれたものであるのか確証はないが、どちらにせよ危険な代物であるのに違いはない。

 

 この期に及んで、景朗の脳裏にチラついた。もうすでに、色んな人間を殺してしまっている。だが、未だに殺したことはなかった。暗部でもない子供は未だに。あいつらは十中八九テロリストだぞ。大量殺人を手に掛けようとしているかもしれない、テロリストだ。

 

 偽善。大馬鹿だ。それでも、最後の最後に、全く考えずにいられるかと言われれば、不可能だ。

 

 最初、彼らを見つけた時、景朗には躊躇があった。彼らが何か重大な犯罪を犯したという確証は未だなく、あるのは景朗と土御門が話した突飛な可能性だけ。死亡する恐れのある攻撃を、あの3人にぶちかますのは。それは幾らなんでも、短慮だと思った。彼らは怪しく、グレーであった。しかし、発見したウィルスを見て、景朗の頭は一気に覚めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 あと、もう少しだった。十数メートルほどで到着する。頂上付近の、吹き抜けとなった天井のないフロア。そこそこの広さを持つ、人が地に足を付けるエリアまで。

 

「待て!ケルベロス!!!」

 

 苦しそうな表情。毒蟲の群れをすぐ側まで貼り付けた"ウッドペッカー"が、この期に及んで景朗の足止めを図る。彼女は恐らく、自分自身に能力を使っているのだ。まっすぐ、景朗へと猛スピードで直進してくる。片手に何か荷物を抱えていた。

 

 "ウッドペッカー"の死を厭わぬ姿勢。景朗は甘く見ていた。これほどの意思。一体何をやらかそうとしているのだろう、こいつらは。早く、早く。逃げた産形のところへ!

 

(最初からこうしとくべきだった!)

 

 景朗は力強く触手を伸ばし彼女を絡め取ろうと待ち構える。このスピードだ。骨や関節、ヘタをしたら内蔵まで逝ってしまうかもしれない。

 

 時間を稼ぐと言いつつも、"ミスティ"が倒れた今、"ウッドペッカー"には為す術が無くなっていたのだろう。"底無し沼"が倒れた今、"悪魔憑き"を前にして、彼女は行動阻害すら成し得ていなかった。それでも、バカ正直に突っ込んでくる少女。景朗は難なく捕縛した。

 

「あッ!ぐぅ、がぁぁぅ!」

 

 無理を重ねた高速移動で、体はボロボロだったに違いない。触手に絡め取られた"ウッドペッカー"は全身の痛みにたまらず、言葉にならない悲鳴を漏らす。関節や靭帯、腱はあらぬ方向へとねじれ、断裂しているだろう。

 

 どうしてここまでして。絶体絶命の状況だ。それでも尚、彼女は景朗を射殺さんとばかりの憎しみを露わにしてくるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 化物め。"三頭猟犬(ケルベロス)"相手に、打つ手がなくなっていた。背後から迫る蜂から逃げつづけるのも難しくなっていく。体力も限界を迎えていた。嘴子千緩(くちばしちひろ)は唇を噛み締める。あの怪物、自分たちには命を奪わぬように手加減を加えてきた。そこに漬け込めると思った。

 

 賭けに勝った。真正面から近づけば、必ず捕まえてくると予想した。それは現実となった。体に巻きつく筋繊維から、針が差し込まれてくる。意識が遠くなっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

「邪魔、ざぜない、ッ」

 

 "ウッドペッカー"が呪いを吐き出す。彼女に抵抗する力は残されていなかった。そのはずだった。それに加え、既に景朗は触手から意識を奪う毒針を打ち込んでいたのだ。そのような有様の彼女が剥き出しにする、理解不能なまでの激情。圧倒的な意志の奔流に、景朗は気を取られずにはいられなかった。

 

 景朗の瞳が映し出す。彼女が手に絡めていたリュックサック。そこから光が溢れた。

 

 あらゆる雑音で構成されていた世界が、僅かな間、轟く爆音に支配された。視界は炎で染まる。爆発が起きた。荷物の中身、そこには爆弾が詰まっていたのだ。

 

 

 力なく狭まっていく、触手の圧力。無残な焼死体が握られている。

 

 

 一途の虚しさ。景朗の躰はほぼ無傷だった。幾つか眼球が焼け爛れたが、かすり傷のうちにも入らない。

 

 

(死にやがった……。なんなんだ、こいつら。なんなんだ。狂ってやがる)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 恐れが景朗を逸らせる。本当に、奴ら、無差別テロを引き起こすつもりだったのか?

 

 爆死した少女。あの憎しみ。激しい憎悪。破壊に取り付かれてしまっていても、何らおかしくない状態であった。正気を失い、蛮行を繰り出す人間であってもおかしくない。そう思えても不自然ではないほどの、滾る感情の発露だった。

 

 少女の死。それにより景朗の行動を阻害していた、謎の引力は霧消している。塔の側面に全体重を引っ掛けるようにして登る必要はなくなった。景朗は怒涛の加速を行い、飛び出すように目的地へと巨体を転がせた。そこには。

 

 

 

 

 

 

 

 産形茄幹が立ち尽くしていた。目には涙が溜まっている。彼は景朗を待っていた。ただ純粋に、彼を待ち構えていたようだった。邂逅の後の、瞬きほどの時間。矢継ぎ早に、素早く産形の腕が動いた。カチャリ、と金属音が鳴る。彼は自らのコメカミに拳銃を押し付け、睨むように景朗を相手取る。

 

 なんの真似だ、こいつ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 景朗が産形茄幹を発見する前の出来事になる。

 

 

 救急車両のサイレンが鳴り響いていた。延々と、同じ音程のサイレンを耳に留めるのは初めての経験だった。今大路万博(いまおおじばんぱく)はストレッチャーに腰掛け、窓の外、景色を眺めていた。"警備員"の救急車両の後部、搬入スペース。彼と太細朱茉莉(ださいしゅまり)はそこにいた。

 

 地下から侵入させた残りの"リコール"メンバーと施設を襲撃した後、何食わぬ顔をして、2人は元から人質であった体を装った。それが可能になるように、入念に下調べと準備を行ったのだ。

それでも、部の悪い賭けだと思っていた。

 

 もし気づかれてしまっていたら、どうなっていたことだろう。再び地下から逃走した産形、夜霧、嘴子の3名の成功を居るしかなくなっていた。

 

 

 こうして無事、被害者として"警備員"の救急車両に搬入された以上、怪しまれてはいるだろうが、施設襲撃の容疑者としてガッチリとマークされている可能性は低いだろう。今大路は思い出すようにそれまでの記憶をなぞり、その推測が間違いでないかどうか確かめた。

 

 "リコール"メンバーが施設を襲撃し、目的を完遂し終えた後。予定通りに、元から人質にされていた風に振る舞う今大路と朱茉莉。彼らは緊張に身を固くしつつも、"警備員"の突入を待っていた。

 

 予想していた時刻よりも随分と早く、"警備員"は踏み込んできた。2人は決死の覚悟で、人質を演じきった。警備員たちはどのような対応に回るだろう。祈る2人だったが、特筆して目をつけられる様なことはなく、胸をなでおろした。

 

 "リコール"メンバーは、施設内に産形が培養させた天然痘ウィルスを散布していた。それは2人が被害者として混じりやすくなるために行ったことだった。突入の後、感染の恐れのある人間は速やかに、第五学区にある病院に搬送されることになる。何とかその場を乗り切った今大路と朱茉莉。2人は恋人同士だと偽り、同じ救急車両に載せてもらえるように作業員に懇願した。願いは叶えられ、2人は今、第五学区の病院へ送られる最中であり、車両は第七学区の街中を移動している。

 

 

 ここまでは計画通り。無事に被害者として病院へ送られることになった。しかし、実は両名、いずれはこの車両から逃走しなくてはならない状況にある。2人が偽装のためウィルスに感染した、その時。同時に、産形が作成したワクチンも摂取していたのだ。故に、このまま時がすぎれば犯人の一味であったことが露見してしまう。

 

 今大路は唇を噛む。しかし、実は逃走せねばならない理由はそれだけではなかった。"警備員"の車両から逃げ出さねばならない、本命の理由は別のところにある。それは両名の今後の行動方針に直結している。差し迫った彼らの目的。そのために今大路はこうして、外の景色を確認し、機を見計らっている。ただ逃げるだけでは不十分だった。いつどこで逃げ出すか。それが肝心なのだ。

 

「ご、ほッ」

 

 今大路は咳込み、かすかに不審に思った。研究所で確かに、治療薬を摂取したはず。朱茉莉に渡されたそれを、今大路は確かに注射した。だがそれでも、どうにも体調が悪化している風に感じるのだ。キチンと効くはず。ヴィラルと一緒に、あの複合シーケンサーで造ったんだ。俺たちで。自らにそう思い込ませるように頭を振る今大路だったが、彼の肉体はだんだんと、熱を漸増させ、意識はハッキリとしなくなっていく。

 

 

 

 

 

 

 車内には今大路と朱茉莉の他に、2人の"警備員"の救命担当者が乗っていた。現在進行形で、その彼・彼女らは運転席と助手席を挟み、凄絶なる舌戦を繰り広げている。

 

 勤務中なのに。後ろに患者が待機してるっていうのに。あろうことか彼らは互に罵り合い、気もそぞろに怒りを解放し、唾を飛ばしあっている。朱茉莉の能力は恐ろしい。今大路は朱茉莉を見つめた。彼女は心地よさそうに、いがみ合う大人たちの様子を眺めて愉しんでいる。

 

 彼女の能力名、"憎悪肥大(ヘイトコントロール)"。名称が効力を示している。人を自制の効かなくなるほど興奮させ、怒らせ、苛立たせ、狂乱状態へと洗脳する。"リコール"メンバーがゲノム情報医科学研究センターを襲った時も、彼女が能力を大規模に行使した。"レベルアッパー"で力が上昇した彼女の能力は、あの施設のセキュリティスタッフを完璧に錯乱状態へと陥れていた。

 

 "ミスティ"と"ウッドペッカー"が尽く監視カメラを破壊している間も、その情報は彼らにはありありと流れていたはずだ。施設に侵入してくる何者かの存在。だというのに。それすらも無視して、奴らは"シュマリ"の力にまんまと踊らされ、仲間内で争いあった。身内同士で暴徒鎮圧用の銃を打ち合うほどに。

 

 今も、目の前で。アンチスキルどもが、今にも仲間同士で殴り合いをはじめようとしている。それほどまでに烈火のごとく憤怒し、互いに罵詈雑言を擦り付け合っている。

 

 彼らの諍いが一体どういった理由で始まったのか、今ではもう覚えていない。どうにも初めの方は、その日の残業をどちらが受け持つか。そのような所が発端になっていたような気もした。そこまで思案して、今大路は思い出すのをやめた。考えるのが億劫だ。どうでもいい。なんであろうと、そんなことは気にかける必要もない。

 

 

 

 彼らを乗せた救命車両は、第七学区を北上している。車外の建物を窺っていた今大路は、そろそろ、自分たちが事を起こすのに都合の良い地点へ近づきつつあると判断した。すぐさま、朱茉莉へ合図を送る。

 

 

 

「なあ!ちょっとこっち来てくださいよ、こいつの様子がおかしいんです!早く、早く見てください、見てください!」

 

 朱茉莉が固定されたストレッチャーの上で、もがき苦しむ演技を模していた。助手席に座っていた警備員の女性が慌てて席を立ち、運転席と車両後部を繋ぐドアを開けた。

 

 朱茉莉の元へ寄り添う警備員。彼女を見送った今大路は、開いたままとなったドアを乗り越え、助手席へ身を乗り出した。

 

「道を空けろよ馬鹿どもがぁ」

 

 たった今、患者が容態の急変を訴えたというのに。車両後部の騒動など我関せずと、運転席の男は渋滞に気を取られている。熱を上げ、視線は道行く別の車へ。歯を剥き出し睨みつけ、腹立たしそうに体を揺らしていた。だから。彼は今大路の行動に気づけなかった。朱茉莉の能力には、こういった使い方もある。理性を失うほど怒り狂った人間は、怒りの対象に注意を取られ、その他の物事に散漫となってしまう。

 

 

 

 今大路は前部座席から、暴動鎮圧用の散弾銃を盗み取った。静かに、くるり、と背後を振りく。朱茉莉に必死に対応する、女性警備員。彼女には、彼の挙動は見えていない。

 

 ゴム弾といえど、ほぼゼロ距離のこの位置取りから放てば。相手はウィルスの二次感染を防ぐために防疫マスクを着用しているが、それでも無事では済まないだろう。にも関わらず。今大路は迷いすらみせず、冷徹に彼女の後頭部へ発砲した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 第七学区の南部で、交通事故が発生した。警備員2名、学生2名の計4名を乗せた救命車両が道路脇の商業施設へ突入し、現場では重体となった警備員2名が発見された。ところが、同車両にて搬送中であった学生2名はその場で発見されず、姿を忽然と消していた。追って入った情報によれば、重体となった2名の警備員は、両者ともに頭部に重症を負っており、それらは事故による負傷ではなく、至近距離からゴム弾を受けた外傷だと判明した。搭乗していた学生らがその容疑者に挙げられ、2名は逃走したものと見られている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わり、い。シュマリ。ホント、マジでゴメン。俺、ワクチン効いてない……みたいだ」

 

 今大路はフラつく足取りを懸命に抑えていたが、とうとう耐え切れず、ビルの壁に手を付いた。第七学区と第二十二学区の中継点を位置取る駅に、ようやくたどり着いた矢先の出来事だった。

 

「せっ、かくっ、駅に着いたってのにっ。ぅぅ……」

 

 意識が朦朧とするほどの高熱。立っているだけで辛い。それほど容態は悪化していた。初めて味わう経験。疑いようがない。今大路は忸怩たる思いで、言葉を紡ぎだした。

 

「すまん。シュマリ、すまん。俺、無理っぽい。足、引っ張ってしまう……」

 

 まだ仕事が残っている。それを済ませてしまわなければ、今日、自分たちが決起し、行動してきたこと全てが無に帰す事態に陥ってしまう。重々、理解しているはずなのに。理解しきっているはずなのに。

 

 今大路は、とうとう立っていられなくなた。腰が抜けたように、壁に背を押し付け、座り込む。やっとの思いで眺めた、朱茉莉の顔には、少しの動揺も含まれていないように感じられた。

 

「いいから。もういいから、オージ。不測の事態は必ず起こる、って自分で言ってたでしょ?」

 

 そう口にする朱茉莉はひたすらに無表情のままで。今大路はそのことに、かすかに違和感を受け取ったりもした。近づいた朱茉莉は彼の腕を掴むと、ゆっくりと立ち上がらせる。

 

「自分を責めないで。ワクチンが効かない可能性も少なからずあったでしょ?大丈夫。後はワタシ一人でやってみせる。オージはあっちのベンチで横になってて。全部終わったら、ワクチンをもう一回とってくるから。ここで待ってて、ね?」

 

 朱茉莉はオージを支え、駅ビルの手前の広場、その場に並ぶベンチへと座らせる。この駅が指定のポイントだった。先に逃げたヴィラルたちがこの駅のロッカーに、改造した特別性の天然痘ウィルスを隠してくれている。そこには予備のワクチンも置いてあるはずだ。だが、時間がない。今は、今この時は、一刻も早く、目的を達しなければならない時。

 

 ただでさえ不慮の事態を招き、格好の悪いところを見せてしまっている。そう思う今大路は、精一杯、カッコ付け、恐怖を押さえ込んだ。本当は、今すぐワクチンを打ってほしい。怖い。でも。朱茉莉にはカッコつけたい。

 

「シュマリ、終わらせて来てくれよ。それまで待ってるぜ」

 

 苦しそうにベンチにもたれかかる今大路は、踵を返し、人ごみに消えゆく朱茉莉を祈るように見つめ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 朱茉莉は嘴子たちと示し合わせておいたロッカーから、目当てのモノを取り出した。産形と今大路が複合シーケンサーを用いて細工した、特別製の天然痘ウィルスだ。ようやく、ここまできた。これで、望みがやっと叶う。この手の中に、最後の鍵がある。朱茉莉はついに、耐え切れなくなった。

 

「ぷ、くく。ぷくふ、ふふふ、あはははははは。うっふふふふふ……」

 

 後少しで、自分の目的が叶う。いいや、ここまで来れば叶ったも同然だろう。もう、我慢しなくていい。朱茉莉は盛大に笑う。周りの目を気にする必要がなくなったと言わんばかりに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朱茉莉は走った。バスを降りれば、"学舎の園"はもうすぐだ。現在時刻も、ほとんど自分の計画通り。朱茉莉はメールを確かめる。

 

 朱茉莉の脚を動かす速度が一段と速くなる。問題無し。いける。大丈夫。目的地まで、一目散に走っていった。

 

 

 

「太細……」

 

 約束の場所に、1人の女子中学生が不安そうな顔を浮かべて、立ち尽くしていた。朱茉莉の到着と同時に、彼女は苦心して、強気な表情を形作った。

 

 朱茉莉とその少女の関係は、元クラスメート同士、というだけでは説明が足らない。イジメられていた者と、イジメていた側。そこまで言わなければ適切な関係を表せない間柄だった。

 

 朱茉莉はこの時間、まさに、"リコール"メンバーの決起のタイミングに合わせ、仲間にすら秘密裏に、この少女を呼び出していた。この場所、"学舎の園"を覆う外壁の外縁。しかも数少ない、セキュリティゲートからほどなく離れた人気のない地点へと。

 

 

「さあ。約束通り中に入れてよ。早く」

 

「はあっ!?何言ってんの太細!何が約束だよ。勝手に呼び出してさぁ?何様のつもりだッつの」

 

 朱茉莉に呼び出された女子生徒は懸命に、気丈に振舞うものの。朱茉莉の一言に敢え無くその行為は無駄になった。

 

「いいから言う通りしないとあんたのカレシのことバラすよ?」

 

「ッ……!」

 

 彼女が朱茉莉の呼び出しに応じた理由はそこにあった。長い間、諦めたように抵抗することなく、いじめられ続けてきた太細朱茉莉が、今、隠していた牙を剥き、彼女の弱みに付け込んで命令を下している。

 

「急いでるってメールしたよね。早くして?こっちは退学するんだから、さ。後腐れなく、あんたの秘密全部バラしてっても、何も都合悪くならないってわからないの?」

 

「……どうやって知ったんだよ」

 

「とっととやれって言ってんじゃん!頭にくるなあ!あんたらアタシを虐めまくって退学まで追い込んどいて、最後になんの変哲もない、アタシのお願いすら聞いてくれないの?」

 

 少女は動転していた。朱茉莉がそこまで怒りを顕にしたのは初めてだった。長年彼女を槍玉に挙げ、屈辱を浴びせてきたが、ここまで自制の効かなくなっている様相の太細朱茉莉の姿は見たことがなかった。

 

「訳わかんないよッ?!だいたいどうして私にそんなこと頼むのッ?ゲート以外から生徒を不正に"中"へ入れたのがバレたら、大変なことになっちゃうだろっ!」

 

 少女の返した答えに、朱茉莉は凄絶に哂ってみせた。愉しむ様に声を漏らす。

 

「じゃあ選びなよ。アタシにバラされてあんたの身辺滅茶苦茶にされるか、大人しくアタシのお願い聞くのかを?まだバレると決まってないよ?アタシの侵入の件は」

 

 『ダサ』こと、太細朱茉莉に対しては、いつも群れてイジメをしていた。しかし今、ここには自分1人だけ。狙い撃ちされている。彼女の学校では、異性との交際は固く禁止されていた。全く問題のない中学生らしい清い交際であるなら、まだ良かった。だが、どうやらそれ以上の秘密まで握られている。メールには、全てを知っているとしか思えない内容が記されていた。

 

 脅され、退路を絶たれた少女はゆっくりと朱茉莉に近づく。そして、彼女と、彼女が身につけていたバッグにそっと手のひらを這わせた。

 

「約束は守るから安心して。ただし、荷物までちゃあんと失敗せずに送ってくれたらね?」

 

 朱茉莉は大事そうに、腕の中のバッグをぎゅうっと抱きしめる。間もなく、少女が能力を使用した。途端に朱茉莉の姿は物理的に掻き消え、どこか別の場所へと転送された。送られた先は疑いなく、壁の向こう側、"学舎の園"の内部だろう。

 

 少女が使用した力、"射出移動(アスポート)"。それは"空間移動(テレポート)"の劣化版だと言えた。手に触れた物体のみを、任意の場所へ空間移動させる力。自分自身の肉体にまで能力の対象を含められれば、即ちその時点で大能力者(レベル4)へとレベルアップする代物だ。だがしかし。そこには、少女が側に立つ外壁よりも、もっと大きな壁がそびえ立っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朱茉莉は通っていた校舎の屋上で、最後の景色を楽しんだ。

 

「みんな、びっくりするかなぁ、ふふ」

 

 これから自殺するんだ。朱茉莉はようやく、肩の力を抜いた。疲れが取れていくような気分を感じていた。休日の、この時間帯だ。部活動にいる生徒もちらほら居るだろうけど、たまたまこの現場に居合わせるなんて偶然は、幾らなんでもそうそう起こりえない。あるとすれば。"念力使い(テレキネシスト)"に落ちている途中で出くわせば、飛び降り自殺は失敗してしまうかもしれない。だがしかし。運悪くそのように助けられようとも、単純に"飛び降り"が失敗するだけだ。願い自体はどうなろうとも叶うはず。

 

 

 

 朱茉莉は疲れていたし、うんざりしていた。そして何より、諦めていた。彼女の能力、"憎悪肥大(ヘイトコントロール)"。名前だけ聞けば、"コントロール"と付けられているが故に。他人の中にある憎しみの感情を操れそうに聞こえるが。本質はかけ離れていた。

 

 朱茉莉は確かに、他人が持つ"憎悪"の感情に干渉できた。ただし、彼女にできるのは、その"憎悪"を増大させることだけであった。能力を発動させたのは、能力開発(カリキュラム)が始まった年からだったと記憶にある。そしてその時から、朱茉莉の人生は変わってしまった。

 

 "憎悪肥大(ヘイトコントロール)"は常時発動した。朱茉莉の意志とは無関係に、周囲の人間全てに影響を与えた。そう、朱茉莉に触れる人間は皆全て、彼女への憎しみを増大させていったのだ。ずっと、ずっと、小学校のころから、ずっと今まで続いている。

 

 能力を発現させることは、必ずしも幸せなことではない。朱茉莉以外にもきっと居た。社会生活と上手く折り合いがつけられなくなるような、とんでもない能力を身につけてしまった、不運な子供たちが。

 

 当然、そういった生徒たち専用にカウンセリングを行う機関が、学園都市にも存在する。されど、彼らにだって、まるごと全部の問題を解決できる能力はない。そこまでの万能を求められない。朱茉莉は駄目だった。彼女が出会う、その機関の担当者たちは皆が皆、朱茉莉を嫌い、助ける意志を失くしていってしまうのだ。

 

 生みの親たちにさえ、能力は作用した。朱茉莉には最早、彼らに直接会う勇気はない。学校では激しいイジメに遭う。いつでもどこでも。余りにも絶え間ないので、もう朱茉莉には降りかかる出来事に抗う気力は無くなっていた。

 

 ただひとつ。長年の努力。必死に能力を制御しようと苦心して来た結果、ひとつ判明したことがある。朱茉莉の能力の対象となる人物に、元から強力な憎悪を生み出す対象がある場合。時として、その人物たちは朱茉莉に攻撃性を示す前に、胸に巣食っていたその憎悪に怒りを集中させ、朱茉莉を無視することがあったのだ。その結果、朱茉莉にそれほど嫌悪の感情を示さない、というような事例が幾つかあった。ただ、それだけだ。

 

 

 

 

 そのような状況であるからして、彼女は当然のごとく、ほとんど学校に行かなくなっていた。それでも人との接触が恋しかった、そんな彼女にとって。オンラインゲームは大きな救いになった。

 

 ネットを通せば、彼女の能力が絡む余地はない。いつしか、朱茉莉は"シュマリ"として、親愛を抱く5人の友達を手に入れていた。

 

 ギルド"リコール"のメンバー6人はイジメを受けている連中だった。自然と気が合い、メンバーたちは想像以上に早く深く、仲良くなっていった。そのうち自然な流れとして、生身で会って親交を深めたい、という気持ちが強くなっていく。その結果、オフ会をしよう、という話が何度も持ち上がるようになった。

 

 中々OKのサインを返さなかったシュマリと"ヴィラル"が遂に折れ、オフ会は実現することになる。朱茉莉とて、会いたかった。ネットを通してだが、確かな絆を獲得できている、と思いたかったのだ。

 

 しかし、それでも自信はなかった。しっかりとした交友を築いたメンバーたちすら、自らに呪いのように備わる能力によって豹変してしまったら。もう立ち直れそうもない。

 

 朱茉莉はオフ会に行く前に、必死に探した。能力を抑える術を。そして奇跡的に発見した。まるで、地獄の釜の底へ落とされた一本の蜘蛛の糸を手繰り寄せるように。見つけ出した。"幻想御手(レベルアッパー)"を。能力強度(レベル)が上がれば、能力を完璧にコントロールできるようになるかも知れない!

 

 

 

 

 コインの表裏が入れ替わるように、朱茉莉の希望は一変して絶望に塗り変わった。能力強度(レベル)が上昇したことを、肌身に感じとった、その結末に。

 

 "幻想御手(レベルアッパー)"を使用しても、何も変わらなかった。自分には人の心の中にある憎悪を、醜く膨れあがらせる力しか備わっていなかったのだと、はっきりと判明してしまったのだ。

 

 

 朱茉莉は失意に暮れた。オフ会で、どう振舞おう。朱茉莉の脳裏に、思いついてはいけないアイデアが浮かんでいた。メンバーには皆、他人への強い憎しみの心があった。朱茉莉はそれを良く知っていた。それほど仲が良かったのだ。悩みを語り合ったから。

 

 だから。彼らの憎しみを、能力強度(レベル)の上がった"憎悪肥大(ヘイトコントロール)"で強化しつづければ。仲間はきっと、朱茉莉を排斥することはなくなるはず。だが、それをしてしまえば。いつかは、終わりが来る。

 

 能力を使わずに生身の、素の自分を晒すべきか。だが、だが。ギルドメンバーに嫌われるなんて、絶対に嫌だ。死んでも嫌だ。死んでも、嫌だった。朱茉莉は。そして。

 

 朱茉莉は能力を使用した。彼女には勇気が残されていなかった。もし、その日、朱茉莉が能力を使わずに現実と戦っていたら。もしかしたら、違う結果が訪れていたかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 電波塔の下層フロアを速やかに制圧した産形たち。3人は塔のはるか上階まで続くエレベーターが降下してくるまでのその間。扉の前で計画の最終確認に入っていた。警備員たちを制圧したのは、正しくは嘴子と夜霧の2名の活躍によるところが大きかったが。

 

 3人は持ち込んだウィルスの入ったビーカーと組立式の小型ミサイルを丹念にチェックした。"ウッドペッカー"と"シュマリ"がどこからか手に入れてきた、液体をエアロゾル化させて噴出する、スプレーの時限爆弾みたいな装置だ。ミサイルは上空から、農薬の散布機のように、ウィルスをばら撒いてくれる。問題はなさそうだった。これで"復讐"が達成される。

 

 そこには、産形茄幹自らが作製したウィルスの治療薬も含まれていた。時間が限られていたというのに、特に神経質になって創り出した一品だった。肝心の、散布用のウィルスよりも、能力を強く駆使して生み出した。何故だろう。茄幹は知っていた。オージとシュマリに渡した後、それ以降はほぼ使われる機会は無いに等しいと、わかっていたのに。

 

 

 

 音が鳴り、エレベーターの扉が空く。その到着を知らせる音と同時に、何かが変わった気がした。茄幹は胸のつかえが取れた気分になっていた。理由もなく。どこか晴れやかに、胸の内がすうっとして、開放された感覚があった。本当に、脈絡も無く、そうなっていた。

 

 

 

 

 荷物を丁寧に詰め直し、ウィルスの詰まったバッグを夜霧が持ち上げ、ミサイルのパーツが入ったリュックサックを茄幹が背負う。

 

 エレベーターへ向かおうとしたのは、嘴子千緩だけだった。産形と夜霧の脚は地に打ち付けられたかのように動かず、2人はその場に立ち尽くしていた。

 

 歩き出していた嘴子も立ち止まり、2人を振り向いた。嘴子の表情は凍りついていた。背後の2人、夜霧と産形は蒼白を通り越し、顔色悪く、肌を青色に染めて嘴子を見つめ返している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2人も同じ気持ち?硬い表情は、さっきとは打って変わっている。全員を包む雰囲気も180°変化している。茄幹はそう感じてならなかった。

 

 

 一体、僕はどうしたというんだ?!さっきまで、あんなに殺る気だったのに。……いいや。違う。一体、僕はどうしてたっていうんだ!!どうして無関係な、罪もない人たちを、大勢殺すような、こんな、こんな、非道で、残酷なこと……。幾ら僕をいじめてた奴らが許せないからって、ここまでやるなんて、常軌を逸してた!

 

 怖い。怖い。怖い。ここまで来ておいて、何を言い出そうとしてるんだろう、僕は。今さら、"復讐"をやめたいなんて。ああ、なんてことをしでかしてしまっているんだ!怖い!それでも、これ以上、続けられるか!続けてなるものか!?

 

 

 

 

 

 

 

「やめ、よ……っやッ!やめようよ!やっぱり!!」

 

 勇気を振り絞り、喉の奥から声を張り上げたのは茄幹だった。怖気づいたと思われたら。その場で制裁を喰らうかも知れない。それでも、茄幹は叫び声をあげて、拒絶の意志を発露した。

 

 嘴子は張り詰めた顔つきで2人を見比べているままだった。

 

 その3名の内、最も強いのは嘴子千緩だった。彼女は既に産形と夜霧の体に触れている。その能力でいつでも2人を無力化できる。2人を痛めつけられる。茄幹は夜霧の反応を窺った。自分1人では計画を止められない。次に力を持っているのは夜霧だ。彼女も茄幹に賛同してくれれば、なんとかなるかもしれない。

 

 

 ゴクリ、と夜霧の喉が鳴った。その後直ぐに、彼女は意を切ったように、口を開いた。

 

「アタシも嫌だ。ヴィラル。アタシもヤメたいよ。こっ。こ……殺したく、ねえよ」

 

 夜霧は茄幹に寄り添うように、一歩、彼へと近寄った。2人は祈るような思いで、嘴子を注視しつづけた。

 

「やめましょう。2人とも、怯えないで。やめるから大丈夫、大丈夫だから」

 

 嘴子は淡々と、静かに2人に歩み寄る。夜霧と産形は怯え、後ずさった。無理もない、と嘴子は思う。なにせ、この"復讐"の計画は、嘴子と朱茉莉がその発端となったのだ。その他の、計画を成功に導くための緻密な対策は、今大路と洞淵が頭を捻らせた。

 

 

「本当にやめる。私も、無関係な人を死なせたくない……そう、だ。オージとシュマリは?!2人も止めないと!」

 

「ッ、僕がオージに電話する」

 

 茄幹が反応した。夜霧は息を呑み、皆を眺めていた。仲間たちの意思が、計画の中止で統一されているのかイマイチ信じきれないようで、疑うように嘴子としばし見つめ合う。嘴子も、その対応に納得している風に見えた。

 

 

 夜霧へと、優しく語りかけるように嘴子がケータイを取り出した。

 

「私がシュマリに連絡するから。貴女はしっかりとウィルスを持っていて。ね?」

 

 

 

 

 

 

「オージ!今どこにいるッ?なあ、オージ、聞いてくれ。やっぱりやめよう。"復讐"なんてやめようよ。いいかい、どちらにせよ僕たち3人はやめる。やめることにしたよ。今から君たちを止めに行く!」

 

 一口に言い切った茄幹のケータイの電話口からは、ざわざわと騒めく、駅前の喧騒が響いていた。速る気持ちを押さえつけ、茄幹は待つ。今大路からの返答を。

 

 

『……いいん、じゃないか?それで。おれも、いやになってたところだ。はは。みんなおなじたいみんぐでいやになったのか?う、ごほッご、ほ、う』

 

 帰ってきたのは、今大路からの息苦しさに満ち満ちた、霞がかかったようなはっきりとしない返答だった。不審さを感じ取った茄幹は、思わず今大路に詰め寄っていた。

 

「オージ?どうしたの?」

 

『ヴぃらる、おまえだめじゃんか。あれ、わくちん、きいてねえよ、おれわくちんきいてないみたいなんだ。いますっげーくるしくて、しょうじき、いしきとんじまいそうだよ。どうなってんだヴぃらる」

 

「そん、な。効かない訳ないよ!絶対に効くはずだよ!そんな、ホントに!?ホントなのオージ!」

 

 茄幹は今大路から耳にした言葉が信じられず、無意識のうちに声を大きくしていく。

 

「駄目!シュマリに繋がらない!」

 

 すぐ傍で、嘴子が舌打ちした。まずい。急いで今大路から朱茉莉の行方を聞き出そうと考えた茄幹であったが、電話相手の口にした次の台詞が、彼の思考を硬直させた。

 

『たしかにちゅうしゃしたぜ?もしかしたら』

 

「注射?何を言って……注射器で注射したってこと?」

 

『あ?どうした?そうだよ。ちゅうしゃきでちゅうしゃしたんだよ。だから、もしかしたらはりがうまくけっかんにはいってなかったんじゃないかって、おれは――』

 

 朱茉莉。何をした。茄幹は戦慄した。

 

「オージ!僕はシュマリに注射器なんて渡してない!治療薬として渡したのはビーカーだ!それに注射なんかしなくていい!ただ深く、肺の奥まで薬を嗅ぎ込めばそれで良かったんだ!だいたい、君もそのことは知ってたろ?!」

 

『は、あ?マジ、かよ。いや、でも……ああ、でもどうなんだ、ヴぃらる?そのくすり、べつにちゅうしゃでからだにいれてももんだいなくきくんだろ?どうせ?』

 

「本当にそれが僕たちの創った治療薬だったらね、オージ!シュマリはどこにいった!こっちもシュマリに連絡してるんだけど繋がらない!」

 

『なんだよそれ。しゅまりがそんなことするわけないだろ、おれだってしってたさ、ほんとはくすりをちゅうしゃするひつようないってことくらい。でもしゅまりがわざわざちゅうしゃをもってきてくれたんだ、だからそうしたほうがはやくききめが、で、ゴゥホ!ガホ、ガホ』

 

「いいから!オージ!シュマリはどこにいるの!」

 

『わからないんだ。しゅまりはおれをおいてさきにいった。ひとりでやれるっていって、とっくにひとりでいったんだよ。おれもしらねえ、しゅまりはどこにいるんだっ!?』

 

 

「ダメだ!オージも知らない!」

 

 その返答に、嘴子は茄幹と視線を合わせ、悔しそうに言い放つ。

 

「GPSも反応しない。シュマリのケータイも追跡できない!」

 

 ふと、夜霧の様子を確認した。彼女は何か思い当たることがあったのだろう。焦りを顔中に貼り付け、自身のケータイに張り付いている。

 

『なあ、ヴぃらる、おれ、こわいんだ。ほんとにくるしくてさ。でも、だいじょうぶなんだろ?ヴぃらる。まだゆうよはあるんだよな?』

 

 茄幹のケータイから、今大路の震える声が届いていた。

 

「ああ。そうだよオージ。大丈夫。まだ猶予はある。ウィルスの件に関してはだけど。オージ、君が打った注射の中身が問題だ!何が入ってたかわからないんだ。今君が苦しんでいるのもきっとそれが原因だよ」

 

『どうすれば?どうすればいい?』

 

「仕方がない。オージ。救急車を呼んで……そうだ、オージ、今どこにいるの?」

 

『だいなながっくの、えき。ふぅ、ふ……おまえらとうちあわせてた、あのろっかーのあるえき、だ』

 

「わかった。オージ、救急車を呼んで。捕まってしまうけど……怖いかい?」

 

『ああ。こわいぜ。ひとりでつかまるのは。だって、おれ、さっき、うっちまったから、うう、ぐす、うっちまったんだよ、ヴぃらる、あんちすきるのあたま、うっちまってさぁ……くそ、ううぅぅ、しんでねえといいなあ、しんでないでください。ああ、ああうう』

 

「いいかい?オージ。怖かったら、そこにいて。シュマリを止めたあと、絶対に迎えに――」

 

 茄幹の声は、突然の、夜霧の泣き喚く声でかき消される。

 

「ウソだろ、マジかよ!マジかよ!シュマリ、シュマリィッ!ぁぁ……っ」

 

 夜霧が見ていたのは、一部の学舎の園の女子生徒たちが使っている掲示板のようなものだった。朱茉莉が女の子同士だけに、こっそりと教えていたサイトだった。

 

 夜霧が見ていたケータイを奪い取った嘴子は、画面を目にし、呆然とした。

 

「シュマリ、学舎の園で飛び降り自殺した、って、茄幹、くん……」

 

 朱茉莉が死んだ。驚きと悲しみが茄幹に打ち寄せた。だが、それと同時に、頭の中に残っていた冷静な部分も、答えを導き出していた。

 

「まずい。シュマリ、ウィルスをバラまいてるはずだ……学舎の園に。計画通りに!きっと!」

 

 茄幹が零した言葉を補足するように、嘴子が泣き出した。

 

「どうしよう!どうしよう茄幹君!学舎の園の一部の区域で、防疫システムが稼働してるみたい!建物のシャッターが突然降りだしたって書き込みがある!」

 

 

 茄幹の胸が、恐怖で埋め尽くされた。このままじゃ、僕らは大量殺人を犯すことになる……。ここまでやらかしておいて、ごめんなさいなんて、謝って、誰が許してくれるというんだ。止めなきゃ、なんとかしなきゃ!なんとかしなきゃ!

 

 

 

「エレベーター!乗って!急いで!上に行こう!」

 

 茄幹は硬直した空気を吹き飛ばすように、号令をだした。

 

「はやく!荷物も全部のせて!」

 

 少女2人は涙を流しつつも、茄幹の言葉に合わせてエレベーターへ搭乗した。茄幹は時間との勝負だと言わんばかりに、エレベーターの最上階へのボタンを殴りつけた。

 

「私のせい!私のせいだ!どうしよう!ごめんなさい!ごめんなさい!」

 

「いいから、落ち着いて、嘴子さん。大丈夫だから!」

 

 半ば錯乱したように取り乱す嘴子へ、茄幹は安心するように、と落ち着いて語りかけた。茄幹の落ち着いた様子をみて、夜霧は泣き止み、彼の言うことを聞き漏らすまいと視線を上げている。

 

「大丈夫。今からでも遅くない。たぶん、ウィルスがばらまかれて、まだそんなに時間は経ってない。今ならまだ十分間に合う。これから治療薬を"学舎の園"……いや、"学舎の園"だけじゃ足りない。"学舎の園"から東、シュマリがたどった可能性のあるエリア全域をカバーするように、治療薬を散布しよう。道具ならここにあるから大丈夫。運が良かった。散布が必要なエリアは一直線じゃないか。きっとできるよ。風がないといいけど――」

 

 茄幹の台詞を途中で打ち消すように、夜霧が疑問を口にした。

 

「何言ってんだヴィラル!治療薬っつったって、ビン一本分しかねえだろーが!」

 

「大丈夫ッ!」

 

 夜霧に真っ向から向き合い、茄幹は吠えた。

 

「これから増やす!僕たちが"学舎の園"に散布する予定だったウィルスを使う。必要なのは瓶の中に入ってる培養液なんだ。割らないように気をつけて!僕が創った治療薬はバラまく予定だったウィルスだけを特異的に殺す、ウィルスの変異体みたいなものだって言ったでしょ。だから僕の能力でビンの中のウィルスを殺して、残った培養液で増殖させられる!」

 

 夜霧の顔に、うっすらと笑顔が滲む。

 

「ほん、と?」

 

 呆然としていた嘴子も、縋るように茄幹へ呟いた。茄幹はしっかりと力強く頷き返し、希望を取り戻しつつある2人へ、追加の条件を繰り出した。

 

「でも、量がちょっと足りない。ここにあるウィルスの培養液を全部使っても足りなくなる。散布するエリアが増えてしまったから。それに安全を帰すなら、散布予定だったウィルスより多めの治療薬を散布ミサイルに積まなきゃならない」

 

 緊張したように険しい表情で茄幹を見つめる夜霧へ、それでも彼は、うっすらと微笑んだ。

 

「けど大丈夫。それもカバーできる。僕の血を使う。僕の体内でなら治療薬を増殖させられるから。どれだけ血を抜けるかわからないけど、もし僕が気絶したら2人に発射を頼むよ」

 

「わかった!」「最高だぜヴィラル!」

 

 もう直ぐ、エレベーターが最上階へ到着する。3人はその日それまで感じてきたものとはまた違った意味合いでの緊張に体を縫い止められていた。

 

 

 

 エレベーターのドアが開くと同時に、3人は駆け出した。時間がない。実は、茄幹が細工したウィルスの特性を考慮すれば、猶予はそれほど無かった。そのことは2人にも伝えてある。

 

 故に、茄幹は体中にウィルスを振り掛け、それを探知機のように使い、塔の頂上へ登る間、他に自分たちの邪魔をするものがいないかどうか、神経を張り巡らせるつもりだった。

 

 なぜ、塔の頂上へ行かねばならなかったのか。それは、嘴子と朱茉莉が用意したミサイルの性能と、"学舎の園"のセキュリティがネックとなったからであった。

 

 "学舎の園"の外壁には、外周から飛来する不信な飛行物体、たとえば小型の無人飛行機、ラジコンのようなものに対する防衛機器が備わっている。外周から無策でミサイルを打とうとも、無様に撃ち落とされてしまうのだ。故に、散布機で"学舎の園"内部にウィルスを散布するためには、極めて高い高度から直下するように、ミサイルを打ち込む必要がでてきたのだ。だが、リコールが手に入れたミサイルには、それほど自力で高度高く、上昇していく性能がなかった。そのために彼らは最初、わざわざ電波塔に登ろうとしたのだ。

 

 もうひとつ、"学舎の園"内部にウィルスを暴露する良い方法がある。外部からやろうとするから難しくなるのだ。内部に侵入してからならば、もっと簡単にことを運べる。だからだ。リコールメンバーが2チームに分割された理由。それは茄幹たち3名が外部から、朱茉莉たち2名が内部から、というように、策を二つにわけ、より確実に"復讐"を行えるようにするためのものだった。

 

 万が一、不足の自体が起きた場合。茄幹たちは第十五学区へ。朱茉莉たちは第七学区、もしくは第十八学区へ目的地を変えるつもりだった。

 

 朱茉莉たちのテロの候補地には、第七学区、第十八学区も含まれている。だが、時間から推測して、朱茉莉はどう考えても、まっすぐ"学舎の園"に直進していったとしか考えられなかった。その道すがら、道中に幾つか、茄幹たちが渡してしまったウィルスを朱茉莉が仕掛けた可能性も残っている。散布エリアに漏れがあれば、茄幹たちは大量殺人犯の仲間入りだった。いや、もはや、どのみちその謗りを受けざるを得ない状況になっていることだろう。だがそれでも、出来うる限り。自分たちが危機的状況にいることを、3名が3名とも、理解していた。されば、絶対に、命を賭けてでも――!

 

 

 

 

 

 

 

 頂上へと駆け上る最中。茄幹の能力が、ひとりの不審者を捕えた。祈っていたのに。茄幹は悪態を付きそうになった。邪魔者と出会いませんように。そう、願っていたのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 青年が現れた。そして、その次は。信じられない。夢でも見ているのか。化物が現れた。とてつもなく、巨大な。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いや。一番信じられないのは。信じたくない。後からくるはずの、"ウッドペッカー"も"ミスティ"も、やってこない。それどころか。

 

 爆発音が聞こえた。嘴子さんが持っていたはずだ。もしかしたら使うことになるかも知れない、と言って、決起前に、彼女は茄幹に爆弾を見せてくれていた。きっとその音だ。だとしたら、"ウッドペッカー"が、嘴子さんがやってくれたのか?!

 

 嗚呼。もし。もし、もし、あの爆発の後で、姿を現すのが、あの化物だったら。いったい、彼女たちは、どうなったというのだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 一心不乱にミサイルを組み立てながら、茄幹は恐怖で頭がおかしくなりそうだった。はやく来てくれ。はやく、はやく来てくれよ。嘴子さん!、"ミスティ"!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現実は残酷だ。茄幹は涙を必死にこらえた。駄目だ。人が死んでしまう。どんなに悲しくとも、辛くとも、やるべきことがある。

 

 遂に。おぞましい化物が、金属と石の割れ裂ける破壊音とともに、塔を登り切った。見知った顔の少女2人が登場するのを待ちわびたが、そうはならなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 手遅れなほどイカれちまってるのか?自分の頭に拳銃突きつけて、それで何のつもりなのだろう。

 

 ひとつ息つくよりも早く、瞬きする間よりも短く。対峙する緊張をものともせずに。景朗は有無を言わさず、数本の触手を射出した。目の前の少年目掛けて、カメレオンが羽虫を捕食するように。体の自由を奪い、絡め取った。

 

「うッ、ぐ」

 

 打ち出された速度が速度だ。産形は痛みに体を強ばらせた。景朗は捕まえたその人物に、それ以上何もさせる気はなかった。素早くあたりを見渡す。彼の背後には作りかけに見える、ペットボトルロケットのようなものが転がっていた。ペットボトルと例えたが、言うほど雑な作りのものではなく、むしろ、精巧にあしらえられた、学園都市製の機器だとすら思えるものだった。

 

 

「ぼ、僕を殺す前に聴けえ!!」

 

 産形は雁字搦めにされ、圧迫に苦しみながらも。腹の奥底から怒りを吐き出した。

 

「治療薬!ウィルスの治療薬が必要なんだろ?!」

 

 景朗の動きが止まった。油断なく、少年が余計な行動を取らないように、細心の注意を貼り付けて、彼に言葉を続けさせる。

 

「僕を殺せば、治療薬は手に入らなくなるぞ」

 

 治療薬は勿論、手に入れたい。景朗は産形の目を、三対の眼で睨みつけた。産形は身体をかたかたと震わせていた。それでも、巨犬に威嚇するように吠えてみせた。

 

「治療薬は全て僕の体内にある!こッろされるくらいなら全部消してやる!!」

 

 景朗はじりじりと、産形を引っ張り、たぐり寄せる。焦る産形は必死に喚き、叫び続けた。

 

「話を聞いてくれ。僕たちはウィルスをばらまこうとなんてしてない!逆だ!僕たちはウィルスの治療薬を散布するつもりだったんだ!ぐぅ……それだけじゃないっ。今すぐ、今すぐここから治療薬を打ち出さなければッ大勢が死ぬ!時間がない!」

 

 本当に狂ってしまっているのか。よりにもよって、そんなことを言い出すとは。景朗は腹に収めた、ウィルスの入ったバッグを意識した。こいつをどう説明する気だ!

 

「何ヲ言ッテイル?オ前等ガタッタ今、ソレヲヤロウトシテイタンダロウガァッ!!」

 

「ちがう!ちがう!お前こそ何を言っているんだ?!もうとっくにウィルスはばら蒔かれてしまっているじゃないか!」

 

 訝しむ。確かに、犯人がこいつら3人だけとは考えにくい。だからこそ、景朗は殺さぬように捕らえようとした。景朗は考える。まだ残った奴らが居て。そいつらが、まんまと仕掛けたのだろうか。

 

「どうして知らないんだッ?だ、から、僕たちを襲ったんじゃないのかぁっ?!」

 

 景朗は勢いよく、産形へ伸ばした網を巻き上げた。そのまま彼の身体を持ち上げ、引き寄せ、地面に押し付けた。

 

「あがぁ、ぐぅぁ!」

 

 衝撃に呻く産形へ、触手から針を幾本も突き刺していく。脈拍、心拍数、神経伝達物質、微弱な生体電気信号。針からもたらされる産形の生身の情報。その情報の意味までは、詳しくはわからない。だが、産形の動揺や感情の変化程度くらいならば、何とか掴んでみせる。

 

「何モスルナ。ジットシテイロ。殺スゾ」

 

 景朗はするすると、"三頭猟犬(ケルベロス)"の巨体から、人間の姿へ躰を造り変えた。体中から突き出る、みっしりと筋繊維の詰まった、筋肉の管だけは残したまま。そうして、産形を凶悪な力で押し付け続けた。

 

 縮み行く景朗の躰から、飲み込んだバッグが音を立てて転がり落ちる。血に染まって赤く色づいたバッグを目にした産形は、気が触れたように騒ぎ出した。

 

「お願いだああ!聞いてくれえっ!時間がないんだ!頼む!僕に、僕にやらせてくれ!このままじゃ大変なことになってしまうんだぁッ!」

 

 景朗は器用に取り出したケータイの電源を入れた。この電波塔に侵入する前に、念の為に電源を切っていたのだ。微弱な電気、微かなケータイの稼働音。光。電波。そういったものを感知する能力者がいれば、奇襲をかけられない。暗部で使う特殊な通信機器ではなかったから、癖でそうしてしまっていた。

 

 

 怒涛のように押し寄せる、食蜂からの着信履歴。景朗は彼女へ連絡を取る。喚き続ける産形の耳をふさいだ。

 

『もおおおおう!どうして通話にでないわけええええ!』

 

「文句は後だ。何があった?要点だけ言ってくれ!」

 

『アナタああ!良くもエラソーにい!盛大にヘマしてくれちゃってる分際でええ!』

 

「ヘマ?!」

 

『そうよお!あっちの中学の周りで、なんだかウィルステロらしき騒ぎが起きてしまっているんですけどッ!』

 

「本当なのか」

 

『ウソなわけないでしょお!本当よお!防疫セキュリティが反応して隔壁が降下していってるわよお!どーするの?どーするのっ?!これ、アナタたちが言っていた件のウィルスがウチに撒かれてしまっているんじゃないのおっ?』

 

 

 景朗は産形の喉元の拘束だけを緩めると、ぎしりとその他の身体部位を締め付けた。

 

「あ、が、は」

 

「産形!お前は産形茄幹だな!?」

 

「そうだよっ」

 

「治療薬を散布しようとしてたって、それは仲間を裏切ったってことか?!」

 

「違う!もうやめたんだ!僕たちは確かに直前まで実行するつもりだった!でも、もう止めたんだ!ひとりだけだ!ウィルステロを実行したのはっ。他は皆やめようとしてたっ」

 

(やっぱり目的はバイオテロだったのか!)

 

「仲間は何人居る?!テロは何箇所で起きる!?ウィルスがばら蒔かれたといったのは何処だ?」

 

「学舎の園だ!あともしかしたら学舎の園の東から、第二十二学区の境界まで、あそこの駅までの間にウィルスがバラ巻かれているかもしれないっ」

 

(一致してる。"第五位"が言った事と一致している)

 

「一体どうやってやったんだそいつはッ」

 

「仲間にひとり"学舎の園"の子がいたんだよ!その子がやった。自分で。今はもう死んでしまったよっ!」

 

「死んだ?!」

 

「自殺だよ。飛び降り自殺だ。くそおッ。あんたは何も知らないのかよッ!?」

 

(飛び降り自殺……)

 

「名前……言えッ!そいつの名前を言えッ!」

 

「太細朱茉莉だ!チクショォ!全部教えてやるッ!教えてやるからッ!僕たちは6人いたッ。全部言うッ。だから早く治療薬を散布させてくれッ!危ないんだよ!ウィルスの刻限が迫ってる!僕たちが研究所で何をしたか知らないだろう!危――」

 

(そう易々と信用できるか!お前を自由にさせる訳無いだろ!)

 

 喉を枯らす勢いで鳴く産形の口と耳を再び塞ぎ、景朗は食蜂にまた話しかけた。景朗が放置していたせいなのか、若干、むくれているようだった。

 

「"第五位"。飛び降り自殺した生徒がいるって言ったよな?名前わかるか?」

 

『あらん、やっぱり関係あったのね。太細朱茉莉って娘よ、隣の中学校の三年生ねぇ。随分といじめられてたみたいね、その娘――』

 

 食蜂はまだ何かを言おうとしていたが、景朗は被せるように言い重ねた。

 

「第五位!兎に角その辺は危険だ。屋内に避難しといてくれ!それにまだ別の犯人がその辺を彷徨いているかもしれない。不審な奴を見つけたらすぐに教えてくれ!」

 

『別の犯人?その言い方だと、自殺した子が犯人だったみたいねえ。情報ありがとねえん。そうそう、私の心配ならご無用よん。それより、この惨状を何とかしてくれないの?私の庭が――』

 

 今度は彼女が言い終える前に。景朗は無理やり通話を切断した。焦っているんだ。勘弁して欲しい。景朗は"第五位"の機嫌が悪くならないように、と。ほんの1秒間だけ、空に祈った。そして直ぐにケータイの画面を切り替え、土御門へと繋ぐ。

 

 

『ようやく出たか雨月!何故連絡してこない?!状況は――』

 

 電話越しの出会い頭、土御門は糾弾の文句を繰り出した。景朗はそれをすっぱりと断ち切った。

 

「知ってる!んなことよりとりあえず俺の話を聞け!捕まえた!産形茄幹とその仲間2人だ。こいつらが裏で動いていた!お前の予想はほとんど当たってたぞ!きっと午後の研究所襲撃もこいつらだ!」

 

『ッ!良くやった』

 

「第十五学区の電波塔で3人捕まえた。1人死んじまって、1人は気を失ってる。今最後の1人、産形を尋問してる。さあ言えよ!仲間の名前を全員言うんだ!」

 

 産形はとうとう、泣き出した。

 

「死んだ?死んだ?!殺したな?!……うああ、は、ああう。ううううッ!うあああああッ!だっ、誰をッ」

 

「殺そうとした訳じゃない。自分で爆弾を……!」

 

 仲間を殺された怒りからか。産形は床に押し付けられたまま景朗を睨み、怨嗟の唸りをあげていた。

 

「あんたたちは知らないんだろう。僕たちがゲノム情報センターで何をしたのかッ!もう時間がない。あんたたちのせいで僕たちはッ!助けられるのにッ」

 

「ク、ソ、テメエ!言えよ!仲間の名前を!捜査のし易さが雲泥だ!直ぐにお前の話だって聞いてやる!テロを起こす気がなくなったって言うんなら、先にこっちに協力しろよ!」

 

「だから!それを証明するために言ってるんだ!このまま治療薬を使えずに時間が過ぎて

しまえばッ全てが御終いになる!」

 

 ぎしり、と痛いほど床に押し付ける。それでも、産形は景朗を睨みつけるのをやめなかった。

 

『待て雨月。聞くだけ聞くぞ。状況はよくわからないが喋らせよう』

 

 景朗は産形と目を合わせた。顎を差し向け、彼に合図を送る。話してみろ、と。

 

「あんたたちも知ってる通り。今日、僕たちは第十学区の研究所を襲って、そこにあったゲノム解析マシンで、朝盗んだウィルスを改造した。その改造したウィルスが危険なんだ!」

 

 景朗も土御門も、産形が続けるままに、話に耳を傾けた。

 

「通常の天然痘のウィルスは感染すると潜伏期間を経て発症する。でも!それは普通のウィルスなら個人差はあるけど、一日や二日で発症するものじゃないんだ。感染しても直ぐにこの街の治療薬を投与すれば、ほとんど問題にならない!学園都市の治療薬が効かなくなるようにウィルスの遺伝子を改造する手もあったけど、それはやらなかった!この街の研究者たちは優秀だからね!もともと天然痘ウィルスは昔から長いこと研究されてたから、塩基配列は解明されてしまってる。だから対処しやすいんだ。ちょっと突然変異させたくらいのウィルスじゃ、造ったってその端から新しい治療薬を開発されてしまう。それだと失敗に終わる」

 

 産形は自分のしでかした罪に慄くように、悲鳴を上げた。

 

「だから僕は能力とマシンを合わせて特別な改造をやったんだ。とにかく早く、追加の治療薬が間に合わなくなるくらい、早く人体に増殖し、発症し、致命に至らせる、スピードに特化したウィルスを!シュマリがウィルスをバラまいてから、もう20分近く経ってる!僕のウィルスは……1時間経たないうちに感染者の体内に行き渡ってしまう。そうなったらもうどうやったって助けられない!わかるだろ?猶予がない!ウィルスはどんどん拡散していってる。今すぐに治療薬を散布すれば間に合う!感染拡大も防げる。もし手遅れになれば……それでもきっと学園都市は死に物狂いで特効薬を用意できる。わずか2,3日で準備するかもしれない!だけどそのたった2日で感染した人たちは死んでしまうんだ!」

 

「な」

 

 驚いた景朗の口から、くぐもった声が漏れ出ていた。

 

「技術じゃ学園都市には敵わない。でも時間なら別だと思った!時間との勝負に持ち込めば勝てるかもしれないって!」

 

『産形茄幹。オマエはレベル1だろう。レベルアッパーとやらを使ったのか?"書庫(バンク)"が更新される間によくそこまで能力を扱えるようになったな?』

 

 土御門の疑問にかち合うように、景朗も口走っていた。

 

「あの研究所を襲った目的がようやく……けどな、そんな超速で増殖するウィルスをお前はたった20分近くで創ったってのか?」

 

(木原は不可能だと言っていた。俺だって疑問だ。あんな短時間でウィルスをどうこう出来るなんて。そんなこと……)

 

 だが、疑いない事実として、"学舎の園"の一部地域に、何らかのウィルスが暴露されたのは本当のことだ。確認は取れている。産形の話を信じないのならば。それでは一体、何がばら撒かれたことになる?それとも、やはり産形は嘘をついている?景朗たちを騙し、まんまと別の目的を遂行せしめんとする腹積もりか。

 

「ああそうだよ。レベルアッパーを使ったよ。だからできるようになったんだ!」

 

『レベルアッパーの効果は個人差が出る。大層レベルが上がったようだな。オマエの言を信じれば、そういうことになる。雨月の疑問も尤もだ。それほどの短時間で良くやれたな。大能力級の現象だぞ?』

 

 景朗も土御門とて、"幻想御手"の情報は録に持ち合わせていない。産形からもっと聞き出したい。ただし、できれば自分たちが"幻想御手"の概要すら知らないという実態を、この少年に悟らせたくはないが。

 

「力技でやろうとすれば、僕なんかのレベルがいくつ上がったところで到底出来ない芸当だったよ!でもあの研究所には最新の複合シーケンサーがあっただろう。学生の僕たちでもちょっと勉強すれば操作できた。最高の機械だったよ。そいつを上手く利用したんだ。レベルアッパーを使ったって言ったって、僕のレベルはいいとこレベル3に届いたくらいだった。でもそれで十分だったんだよ!僕の能力は直接ウィルスの遺伝子を変化させられるほど、上等なものにはならなかった。でも、それでも事足りた。ウィルスの個体そのものを、一株一株を物理的に操れる力は十分に上昇した!」

 

『ほう?』

 

「あのマシンを使う時、僕の能力を使ってウィルスのDNAに特異な変化を付けた。ランダムに手を加えて、馬鹿馬鹿しい数の突然変異したウィルスを創り出したんだ。勿論狙いは付けていたさ。後はその中から選び出せば良かったんだ。いいかい、僕の能力で特殊な環境に置かれたウィルス群の、その中から!何兆っていうバラバラの個体の中から、進化した、凶悪な一株だけを見つけ出せればよかった!後は取出したその一粒を選択的に培養してやっただけだ!僕の進化した能力を使って!」

 

 自らが危険な立場に置かれていると認識している上で。それでも産形は、真摯に、自分の行った悪事を告白していった。電話越しに耳にする土御門にとっては、それは本当の事だと確実に信用できる裏付けは何もない、どうにも取れない話であったろう。しかし、景朗にとってはそうではなかった。

 

 今もなお、産形の血管や神経に刺し伸ばした針が、情報を送っている。それが、景朗に訴えていた。唸り、口走る彼の生体反応は猛々しく、感情の荒波に大きく揺られていた。だが、それでも虚偽の匂いはしていなかった。産形が語り始めてから始終、たった今この時も、彼の肉体は正直だった。産形は、嘘をついていない。景朗の感じ取る感覚を信じてよいのならば。

 

 景朗は思考した。思考のその先に到着する、論理の終着点がもたらす種類の懼れ。推理の結末が、彼の身の内に萌芽しつつあった。

 

「治療薬を散布するつもりだったって言ったな!じゃあ、このウィルスの入ったビンはどう説明する?どこが治療薬だ!騙されないぜ。これは人体に有害だろう。治療薬なんてこの中には入ってない!」

 

 荒々しくバッグを手に取り中身をまさぐる景朗へ、産形は今度こそ、喉を枯らして吠え猛った。

 

「やめろ!乱暴に扱うなァ!触るなバケモ―――っ!?あ、んた、なんでわかる?ビンの中身、なんでわかる……?」

 

「残念だが俺にはわかる!お前の嘘は通じない!治療薬を散布する?よくもこの有様でそんなことが言えたな!」

 

「さっき言っただろ!治療薬はボクの血液に入ってるっていっただろ!ワクチン散布を考えたのは直前になってからだ!だから焦っているんだ!まだ散布できるほどの量がない。今増やそうとしていた所なんだ。その瓶の培養液を使うつもりだったんだよ!」

 

「クソみてな言い訳しやがって!」

 

 産形の発言を切って捨てるような台詞をたたきつける。しかし、その態度とは裏腹に、内心では景朗は思案に暮れていた。

 

 針を通して送られてくる肉体の反応。嘘の匂いはないのだ。先ほどから、ずっと。景朗は行動に出た。バッグからウィルスの入ったビンを取り出す。少年の仲間の、2人の少女たちと争った時に接種したウィルスは、景朗の体内では正常に活動できず、すぐに死滅していた。今度は殺さない。

 

 景朗は生み出した触手の先端に、如何にも神経がそのまま剥き出たような、デリケートな細胞の束を創り出した。そしてその部位に、ビンの中のウィルスを貯蔵する。

 

 信じ切れずにいた。産形の話も、自分の能力も。他人の代謝情報を読み取り、対象者の真偽を測る能力。しかし、それは絶対の信頼がおける技術ではなかった。あくまで、景朗の主観による判断だった。その人物が、嘘をついているのか否か。100%の確証はない。自分でも、信じ切れない。

 

『雨月、信用しようがない。こいつの発言を裏付ける証拠は何一つ存在しない。こいつの言いようが本当なら確かに猶予はないが……さて。いい加減、オマエの仲間の情報を吐いてもらうぞ?』

 

「クソ!クソ!チクショオ!チクショウ!誰も信じない!そうさ!誰も信じない!捕まった後じゃ遅いんだ!だから!嘴子さんはいのぢをがげで!ぼぐを!ぼぐを!うっうううああああああああああああ!おまえらのぜいだ!後で知っで愕然としろ!今ここにあるワクチンを増やせるのは僕だけだ!助けられる時間内に、必要な量を揃えられるのは僕だけなんだ!このまま僕を連れていけ!それでせいぜい、救えなかった人たちに詫びようじゃないか!僕たちといっしょに侘びようじゃないかぁ!」

 

「うるせえ!お前は良いから、電話の相手の質問に黙って答えていろ!」

 

 景朗は指図しつつ、産形の後方に回った。彼に繋がっている肉手から血液を盗み取り、接種し直したウィルスと撹拌する。景朗特製の神経の束が、ウィルスの動向を推し量らんと脈動した。

 

(確かめてやる)

 

 観念したのか、産形は仲間の情報を答え始めていた。ところが、矢庭に質問に答えるのを中断し、景朗へ注意を向けてきた。

 

「待て。今僕の血を抜いたな?何してる?」

 

 産形の視覚と触覚では、何ら知覚できるはずがなかったにもかかわらず。血の中にあるという、増殖させたワクチン。そのワクチンの微量な変化を能力で捉えて、景朗の行動を悟ったのだろうか。

 

気づかれずに血を抜き取ったつもりだったが、失敗した。その事実を意識すらせずに、景朗は黙し続けた。産形と土御門のやり取りに耳を傾けてはいるものの、言葉を発さず、しばし、産形の血液の検証に集中する。

 

 

(途轍もない濃度だ。まぎれもなく産形の血の中には、何かのウィルスが混じっている。かなりの高濃度……こ、れ、は。死んでいってる。疾い。いや、死滅じゃない。まるで捕食だ。喰われている。喰っている。危険を感じていた方のウィルスが、どんどん喰われて死んでいく!……まさか、言う通りなのか?産形の血中ワクチンの方は、人体に有害ではなさそう、だ)

 

 

『雨月!産形の自供にいくつか信頼できる点が見つかりもしたぞ。犯人以外知る由もない、今朝見つかったばかりの洞淵の実名をコイツ等が知っていたこと。それに午後に襲撃のあった施設、あそこに、コイツの言う仲間、太細朱茉莉と今大路万博が社会見学の学生として確かに潜り込んでいた。おまけにその2人はうまく被害者になりすましたようだな。搬送中に救命員を襲って逃走している。確かに、コイツ等は事件に関わっていたようだ。だが、それでも……雨月?返事を寄越せ!勿論理解しているとは思うが、それでもコイツの与太話は話にならない。コイツの言うことを裏付ける証拠なんて一つもない。事件の全貌が掴めていない現状じゃあ――』

 

 

 

 この期に及んでも尚、景朗は土御門に返事を返さなかった。土御門の言うことはもっともだ。だって、土御門は知らないのだから。バッグのビンの中に、産形が説明する通りの危険なウィルスが入っていること。そしてそれが確かに、産形の血液から発見した高濃度のワクチンによって攻撃され、死滅していくということを。問題はないように思えた。人体に悪影響はない、と感じ取った。産形の言うワクチンの性質は、人間には害がないとしか思えなかった。

 

 

(このワクチン、確かに人体に害はない。でも、いくらなんでも、この状態では産形は危険なはずだ。どんなウィルスだろうと、これほど高濃度のものを体内に留めておくのは危ない。どうして態々そんな危険を犯す?コイツは俺がウィルスを知覚できるだなんて、露ほども予測してなかったはずだろ?誰にも分かってもらえるはずないのに、こんな危険なマネをしてたのは……!)

 

 

 

 景朗は土御門に、朱茉莉という少女の自殺時刻を尋ねた。おおむね今より20分ほど前らしい。ウィルスが巻かれて少なくとも20分ほどが経過している。景朗へ語りかける土御門はそのままに、景朗はさらに悩むことになった。

 

 

(わからない!確信が持てない!クソ、クソ!あやふやな判断はできない!信じられるか?!自分の能力を。100%間違いでないと?!もし俺が勘違いしてしまっていたらどうなる!産形は嘘をついているのか?本当なのか?)

 

 

「な!?うわぁっ」

 

 突然、地に押し付けられていた産形の体が起き上がる。景朗が拘束を緩めたのだ。彼は両手だけを筋繊維の束でからめ捕られている状態となった。

 

(俺には、"現段階"のワクチンの性質しかわからない。このワクチンは本当に安全なのだろうか。時間経過で、急に人体に害を及ぼすように突然変異しないとは言い切れない。……自信がない。だが、だが、少なくとも、ビンに入っている危険な方のウィルスとは別物だ。とりあえずワクチンの方を散布して、様子を見るか?それで時間は稼げる。時間さえ有れば学園都市の技術力で挽回できるかもしれない。いや……このビン詰ウィルスと同じものが学舎の園でばら撒かれたものと同一とは限らない。学舎の園で撒かれたものが別物で、もしこのワクチンと反応して有害なウィルスに化けでもしたら?でもそんな器用な真似、この男にできるか?たった20分だ、コイツがウィルスに細工できた時間は。クソ、時間が過ぎていく)

 

 景朗は身を起こした産形の表情を見つめていた。涙の痕を気に留めることなく、相手は景朗を真剣に見つめ返していた。随分と長い間見つめ合っていたように感じていたが、時は幾ばくも経っていなかった。その間、ほんの数秒足らず。

 

「産形。妙な真似を見せたらその針からお前の脳髄を掻き回す。時間がない。とりあえず散布に必要な量のワクチンを準備しろ」

 

 景朗はバッグをそっと手繰り寄せ、産形の手前に静かに放った。

 

『聞こえたぞ!?何を言い出す雨月!?ふざけるな!』

 

 景朗は土御門の罵声を無視し、驚愕で動作を停止させている産形を無理やりバッグの前へ引き倒した。

 

「信じたのか?僕のこと、キミの能力は一体……??」

 

「完全に信用しているだなんて思うな、念のためだ。時間がないんだろ?早くやれよ!けど肝に銘じとけ、俺にもウィルスの状態が把握できる。不審な動きがあれば必ず殺す」

 

『オマエはいつもこうだ!何を考えている!?』

 

 振り向きざまにケータイを拾い、景朗はすぐに土御門に説明した。

 

「土御門。産形が所持していたウィルスらしきものは確かに危険な代物だった。本人が言うように、危険なヤツだった。それで、ワクチンのことも今確かめた。念の為にこいつの血液も確かめたんだ。俺も疑わしかった、けどな……血中に、高濃度の不自然なウィルスが増殖していた。ビン詰めの方のウィルスと混ぜて確かめたよ。たぶん、ワクチンだ。こいつの言ってることは、ある程度本当かもしれない」

 

『……それは確かなのか?オマエには確信があるのか、雨月?』

 

 自信はない、と言いたかった。しかし、それを産形の前で発言するのは躊躇われた。景朗の物言いにしばし絶句していた産形は、すぐに正気を取り戻していた。すかさず、ウィルスのビンを取り出し、何かを確認していた。

 

(そうだ。産形が騙しているかどうか、"第五位"に協力してもらえば一発でわかる!問題は協力してもらえるかどうかだ。時間的にはギリギリ間に合うか?学舎の園まで飛んでここまで連れて……来て……)

 

 そこまで考えて、景朗は直後に硬直した。

 

「とにかく情報をくれ。なんでもいい、何かわからないのか?!産形は仲間の情報を吐いただろ?わかったことはないのか?助けてくれ土御門。俺はどうすればいい?」

 

『クソ、とにかく早まるな!何か裏取れないかやってみる。だが忘れるなよ雨月!まだ事件は終わっていない。そいつが嘘をついていて、情報が未だ入っていない残りの仲間が何かを企んでいるかも知れない』

 

「わかってるさ。やるのはあくまで用意だけだッ。そんな軽々とできるわけねえだろ!」

 

(なんてこった。"第五位"だって信用できない。タイミングが怪しすぎるじゃないか。今日無理矢理に俺に接触を測ってきて。事件に関与したがってきて。できるか?できるのか?仮に連れてきたとして、それで、産形の言っている事は本当だから、急いでワクチンを散布しろって"第五位"が言い出したとして。クソ、どちらにせよ信用できねえ!……いや、でも学舎の園には行く必要がある!そのビンの中身と、学舎の園で暴露されたモノが同じかどうか確かめないと――――)

 

 

「ダメだ!足りない、足りないよッ!」

 

 産形の悲鳴が思考を遮った。足りない、とは何事だろうか。景朗は向き直った。息苦しそうに顔を引きつらせた少年が景朗にわななく。

 

「容器がふたつも割れている……これじゃ、足りない。バッグに入ってた容器全部の培養液が必要だったんだ。必要量が足りていない。僕の血でカバー出来る量を超過してる。これじゃあ、効き目が……エリアを全部カバーできるかわからないッ!」

 

 時間がないというのに、トラブルが出没してしまった。景朗は頭を抱えたくなった。既に30分が経過しているのだ。

 

「お前の血液をそのままあのミサイルにブチ込むつもりだったのか?」

 

 景朗は放置された、組立途中の散布機に目をやった。そして気づく。まずい。あれだってまだ組み立てていない。もし、本当にワクチンを散布しなければならない事態に落ちいった場合。あれではどうしようもないではないか。

 

「そうだよ。準備してたウィルスはもともと7リットル。でもあんたが2つ割ったから5リットルだ!僕の血を全部入れても、10リットルに届かない……」

 

「ああ!?お前の体格じゃ1リットルも血を抜けば死ぬぞ!?」

 

「それでもやる!僕たちの責任だ……!」

 

 この少年は10リットル散布機に積む予定だった。もともとあった7リットルで計算しても、あと3リットル必要になる。産形茄幹の体格を考えてれば。3リットルの失血。間違いなく死ぬ。そもそも、この少年の全血液量は、多く見積もっても4リットルに届かない。全体量の三分の一、血が流れれば普通の人間は助からない。

 

 景朗は覚悟を決めた。どのみち、準備だけはしようと決めたのだ。

 

「よく聞け産形。俺が血を分けてやる。それで試してみろ。できるだけ、普通の人間の血液の成分に近づけてみる」

 

「は?あんた何を言ってるんだ?」

 

「俺の能力でお前に血を分けてやれるんだよ!余計な質問はするな!言われたことがやれない時だけ口にしろ!それ以外は準備に集中しろよ!」

 

 景朗はそう言いつつ、身体から太い触手を伸ばした。彼方から作りかけの散布機を取り寄せると、散布する液体を入れるであろうタンクを産形へ手渡した。

 

「一時間経たないうちに、って言ったな。安全が確保できる制限時間はもっと短いのか?」

 

「45分程度なら、まず間違いなく大丈夫、だと思う……」

 

 最早、タイムリミットまで12,13分しか残されていない。嘘であってほしい。景朗は強烈な不安に襲われていた。祈らずには居られなかった。嘘であってくれ。この産形とかいう少年が、非道な人間であってくれ、と。嘘を付いている、と。しかし。既に、学舎の園へ、少年の仲間が散布しているのだ。非道な奴らであれば、どちらにせよ。学舎の園の少女たちが危険に晒されている。それに、第七学区にいる人たちも巻き込まれているかもしれない。

 

 自分の判断は正しいのか。本当に、今日は呪われている。景朗は歯を軋らせた。思いもしなかった。朝、こんな一日になるとは想像もしていなかった。できるわけがなかった。

 

「身体に直接血を送って欲しい。一番疾く培養できるんだ。自分の身体を使うのが一番早い」

 

 自らの血液をウィルス詰めの容器に流し込み終わったあと、産形はそう言った。

 

 景朗は本人の要望通りに実行した。時間に余裕はない。何かにチャレンジしている暇はないのだ。本人がそれが最も手堅い培養方法だと口にした。ここはそれで済ませるしかない。

 

 治療薬を用意し終えたら、続いて直ぐに散布機の組立に取り掛かれ。景朗の要請に、産形は激しい能力の使用に耐え顔をしかめていたものの力強く頷き返した。

 

 




今回、"!"マークを滅茶苦茶多用してしまいました。
それと同時に、雨月のセリフがかなり攻撃的になってます。
厳しめの感想でも、構いなくコメントしてください……


タイトルの接触衝突(タッチクラッシュ)は嘴子千緩の能力、コライダーキスの正式名って設定です。くちばしちゃんは正式名がカッコ悪いので、厨二な名前を勝手につけて隠してます。学園都市にはそういうふうに能力名をアレンジしちゃってる子がいっぱいいると思います!


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episode24:幻想殺し(イマジンブレイカー)

追記分の箇所に目印を追加致しました。


>2014/06/06 大量に追記しました。すみませんorz
episode24内に収めておきたい話だったのです
下の約束もういつもどおりにやぶってしまってますが……
次の話、もうかけてます。あとちょっとだけ書き足して、すぐに更新します
お待たせしましたぁorz



2014/05/13 更新完了です。

 次の話は……目標、三日、四日、くらいで。とりあえずいつもみたいに(仮)とかつけて更新します!


 

 

 

「……やってくれるかい?」

 

 産形は苦しそうに、一言呻いた。このまま準備を終えた後、ワクチンの散布を決行してくれるのか、と尋ねたかったのだろう。視線を床に散らばったパーツへ向けられたまま、少年の口からは荒い息が零れていた。

 

「大、丈夫だ。数分で用意してみせる。10リットル、なんとか、やってみせる」

 

 膝を立て、両手を地面に付け、四つん這いに近い体勢で作業をする産形。その合間合間に、ポツポツと思いついたように情報を捻り出していく。

 

「シュマリに渡したウィルスは、2リットル分だ。あともちろん、ウィルスを噴出させる装置も、培養液ごと霧状にして拡散させるタイプのヤツを、4台渡してあるんだ。だから覚えておいてくれ。もし現場付近で4台全部見つけたら。ほぼ間違いなく、第七学区の方は暴露されてないよ。ウィルスに」

 

(知ってるよ。土御門から聞いている。4台だからなんだよ。お前は仲間だったんだから知ってて当然だろ。問題はお前の言ってることが、真実かどうかなんだよ!)

 

 対して景朗は沈黙を維持したままだった。彼はその時、考えに考え抜いていたのだ。産形からもたらされる情報。その一つ一つの信憑性を。

 

 

 

 

 自分の感覚を信じるなら。つまり、この少年を信じるのならば、発射準備が整い次第ワクチンの散布を行わなくてはならない。産形の告白は真実だ。そう証明するパルスが悩む景朗へ尚も脈々と送られてくる。

 

 けれども。どんなに考え抜いて結論を出そうとも、躊躇わずにはいられないのかもしれない。景朗の嘘を見抜く能力に、真偽を完全に推し量るほどの性能はない。だから、他に何か、産形の発現を裏付ける確証のようなものを欲していた。

 

 治療薬散布の実行。それは彼にとって大き過ぎて持て余すほど、過大なプレッシャーがかかってくる判断だった。あまりに大それていて、尻込みせずにはいられない行為だった。テロリストの用意した器具を使い、テロリストの用意したワクチンを揃え、そしてそれらをこの街の無垢な市民へ浴びせかけることになるのだから。それも、提案してきたのは実行犯の仲間からだったという有様。テロリストの発言を引き継ぐような形での治療薬の散布になる。テロリストの言いなりとなって行動することに対して、心に湧いてくる忌避感だって消えてくれそうにない。

 

 

 産形を信用できるか、できないのか。景朗は延々と悩み続ける。まんまと騙されてしまっているのならば、ワクチンの散布は逆に事態を悪化させる行動になるのだろう。

 

 もし、産形茄幹に自身の心を完璧に偽る技術があれば。もし、彼が精神系の能力者に操られ、嘘を真実と思い込まされていれば。

 

 それぞれ十分に有り得る事態である。土御門が言うように、これほどの事態を引き起こすに至ったこの事件の全貌は、未だ明るみになっていないのだから。裏で計り知れぬ陰謀が蠢いていたとしても、不自然ではない。

 

 

「不思議、なんだ。糸が切れたように皆、テロの決行を直前で思いとどまったんだ。たぶん、シュマリ以外の皆が。……後で教えてもらえるか、わからないから、今聴いてもいいかな?キミは知ってるかい?実は今日の朝も、僕たちは窃盗事件を起こしてるんだ。病院でね。その時1人、仲間がいなくなっちゃっ……たんだ。洞淵駿って名前。電話のお相手さん、は洞淵君のこと、知ってたみたいだけど。洞淵君がどうなったかキミは知ってる?」

 

「そいつなら死んでる」

 

「……さっき死んだって言ったのは嘴子さんなんだろ?」

 

「ジャージの方なら生きてる」

 

 そのすっぱりとした切り返しに、しばし、相手は口を閉ざす。景朗は俯き静かに震える少年の、その振動を感受した。

 

 景朗は決して少年を慰めたりはしなかった。口を閉ざしたままでも時間を無駄にしないために、一目見て判断できる範囲内で散布機の組立を推し進める。彼は敢えて無視していた。なぜなら、伝わっていたからだ。

 

 景朗が差し込んだ針から察せられるのは、何も相手が嘘をつく時に晒す動揺だけではなかった。産形の朧げな感情も流れ込み。仲間の死に衝撃を受ける彼の悲哀すらも、景朗へと伝播していた。

 

 僅かばかりの静寂が過ぎ、産形が再び口を開いた。

 

「シュマリが死のうとしていたことに気付けなかった。僕たちは……。計画になかったんだよ。シュマリが自殺するなんて。ずっと考えてて、少しずつわかってきた。きっと、最初からそのつもりだったんだ。シュマリは死ぬつもりだったんだ。今大路の動きを注射で封じたのは、邪魔されたくなかったからなんだ……。でも、シュマリだけのせいには出来ないな……。今となってはわからない。どこまで自分、たちの……。お願いだ、助けてくれ。散布してくれよ。せめて、僕たちがしでかしたことのけじめをつけないと……ぁぁ……僕たちは……」

 

 自分でも言ったじゃないか。ここまでやっといて、随分な言い草だ。最後の最後に会心して大量殺人だけは防ぎたいだと?誰も同情しない。できない。それに、誰も庇わない。

 

 一方的に話しかけてくる産形であったが、だんだんとセリフが途切れ途切れになってきていた。能力の過剰使用で思考が朦朧としている証だ。罪悪感からなのか、延々としゃべり続ける産形に景朗は準備に集中するよう言いつけた。

 

「そろそろ最後の血の供給だろ。余計なことは話さず能力の使用に集中しろよ」

 

「ああ、わかった。……それで、憑き物がとれたみたいに、恨みが無くなったんだ。それまで、楽しそうにしてる周りの奴らにムカついてムカついて仕方なかった、のに。皆死んだらせいせいするだろうなって楽しんですらいたんだ。バチが当たったのかな。怖い、怖いよ……今は怖くて仕方がないよ」

 

 警告を耳にしても産形は狂ったように口を動かし続けた。今一度声を荒らげ注意しようとした景朗を、ケータイの着信が押し止めた。景朗は過剰に反応し、驚異的な速さでケータイを取り出した。すわ、待ちかねた土御門からの連絡か。

 

 ケータイのディスプレイに表示された相手は予想していた人物とは別の人間だったが、どのみち景朗には大いに意味のある報告となった。

 

 放置していた花華からの連絡だった。彼女との会話は、この場では淡々とできそうもない。景朗はすみやかに着信を拒否した。ただし、直後にすぐさまメールの受信を確認する。予想通り、10分ほど前に彼女からメールが送られていた。

 

 メールの内容を読んだ景朗は、思考が停止しかけていた。花華とその友人数名は20分ほど前に第二十二学区を後にして、只今、景朗が産形と幾度も情報を交わしていた、件の第七学区の駅周辺に移動していたらしいのだ。

 

 産形は何度も教えてくれていた。"学舎の園"以外の場所でウィルスの暴露が行われた可能性を。"シュマリ"という少女が、第七学区の駅から"学舎の園"への道すがらにも、ウィルスを仕掛けているかもしれないと。そもそも彼はそれを見越して、ワクチンの散布エリアを外へ広げると言いだしたのだ。

 

 万が一、ウィルスが第七学区にも暴露されていたら。花華たちも巻き込まれているかもしれない。

 

 彼女からの着信を切って返したばかりだったが、いてもたってもいられず景朗は花華へ通話を試みた。もどかしい。直接話して花華の状況を知りたい!

 

「おい!もしもし?今どこにいるって!?」

 

 幸いにも、花華は直ぐに電話に対応した。

 

『景兄やっときたー。まだ駅の近くだよー。なんかねえ、どこもかしこも交通規制でちっとも先に進めなくなってるんだよぉ!』

 

「あとすこし待っててくれッ。会いにいくから!ただホントに今だけちょっと手が離せなくてさ、花華たちがいる場所を後でもっかい詳しくメールしてくれ!」

 

『景兄もしかして急いでる?だったら焦んなくていいよう。慌てずに来てー。アタシたち歩きだからねぇ、この様子だとすっごい時間かかりそうなんだ。クルマだけじゃなくてほこーしゃまで止められちゃってるんだよ?何かあったのかわかんないけどー……。ふへぇー、暑いー』

 

「俺も近くにいるんだ。走っていくからその辺にいてくれ、いいか?!」

 

『あ、景兄もうすぐ来るの?そっか。じゃあわかったーはいはーい。……ねぇねぇ、どうする?お店も締ま――』

 

 花華の話から察するに、"学園都市"は"学舎の園"周辺から人の流入の激しい駅までの区間を遮断しているようである。土御門からの情報によれば、ウィルス散布が発覚しているのは"学舎の園"だけであるらしい。であるから、交通規制は恐らく、"学舎の園"からのウィルスの流出を防ぐために為された処置なのだろう。

 

 第七学区の交通規制の報を花華から聞いた瞬間、景朗は心臓を鷲掴みにされた。花華たちがいるかもしれない区域。駅から"学舎の園"の東側ゲートまでの間の区域にも、ウィルスの魔の手が広がっていたのか、と肝が冷えた。しかし、即座に考えを持ち直した。土御門から連絡が来ていない。その区域にもウィルスの散布がなされたのならば、直ぐに彼が報告してくれているはずだ。

 

 もっとも、何らかのアクシデントが発生してきちんとウィルス暴露が防疫セキュリティに反応していない、といった疑惑は残る。結局、そこのところは産形の言うとおりなのだ。ワクチンを、ウィルスの分布が考えられるエリア全域にバラ撒けば手っ取り早し安全だ。

 

 ただし、そのワクチンが完璧に安全な代物だと信じられれば。ワクチンの出処がテロリストたちからでなければ、の話だが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これでワクチンの用意は終わった」

 

 ミサイルの給水管となるのであろう容器に、ワクチン入の培養液と産形の血液が充填された。見た目よりも遥かに重さがあり、取り扱いは慎重になった。頑なに景朗に仲間のことを語り続けていた産形もその瞬間には押し黙り、静かに景朗に頷き返していた。

 

「それじゃさっさとこいつを完成させよう」

 

 無事にワクチンの準備を終えた2人は、間髪入れず散布機に意識を向けていた。産形はゆっくりと散布機のパーツに手を添えていく。その緩慢な動作は彼の疲労具合を如実に表していたが、刻限は近い。迅速に終わらせるに越したことはない。少々の無理を押してでもやってもらう。本人もわかっているのか、絶え間なく念仏のように垂れ流されていた呟きもすっかりと鳴りを潜めていた。

 

 

 身体中にワクチンを蔓延させた産形は、そのままでは危険な状態だった。彼に死なれれば、事件解決の手がかりがひとつ失われることになる。景朗は彼の全血液を、ウィルスの無い新鮮な血液に交換しておいた。

 

 彼から抜き取ったワクチンを、自らの肉体で感受する。これだけは間違いない。ビンに入っていたウィルスは、このワクチンで死ぬ。問題はその後だ。そのワクチンが人体に本当に安全ならば。摂取後も恒久的に安全なのであれば、迷いなく散布できる。だが、その確証がない。

 

 

 思案するべきことが山のようにあった。そこにまたひとつ、景朗を疑心暗鬼にさせる事実が生まれた。想像以上の、"幻想御手(レベルアッパー)"の性能についてだ。

 

 治療薬が詰め込まれたタンク。その外見からは予想できないずっしりとした重さも、動かぬ証拠。このたった数分で、産形は恐るべき量のウィルスを増殖させてみせた。それこそ、まともに生物兵器として都市部に利用されたら一区画まるまる壊滅させられるほどの質量へと。

 

 疑いがない。今の産形は低能力者(レベル1)程度ではない。断じて違う。少なくとも、強能力者(レベル3)以上の能力を有している。そこまで彼の能力を引き上げてみせた"幻想御手(レベルアッパー)"。

 

 景朗は悟りつつあった。"猟犬部隊(ハウンドドッグ)"だろうとどの部隊であろうと。暗部が手こずるはずだ、と。

 

 

 

 強能力(レベル3)以上は効果的に運用されれば、極めて有効な犯罪の道具となる。扱い方によって便利にも危険にもなる、人々の考えの裏を突く手段に。

 

 故に、"書庫(バンク)"に登録されている"強能力者"以上の学生は、その能力の犯罪への悪用を注意深く考慮されている。一部の能力者たちは、秘密裏に"警備員"たちにマークすらされていた。

 

 警備員たちの総数は、この危険度の高い能力者に対応できる程度には揃えられている。しかしこの均衡は、今は破られている。"幻想御手"によって。

 

 学園都市の学生のうち、無能力者は約6割。つまり、残りの4割、全人口の3割強、約75万もの学生が、"幻想御手"によって潜在的に反目されると厄介な"強能力者"となり得えることになる。

 

 懸念していた事態より遥かに深刻だ。同僚たちから有用な情報がもたらされることは、最後の最後まで、ありえないかも知れない。解決への、針の穴ほどの光明すらも見いだせなかった。

 

 

 

 ならば。とりあえず散布して様子を見るのはどうか。この場を凌げば、後日学園都市の優秀な研究員が対処してくれる。

 

 景朗は歯を食いしばり、頭を降った。"とりあえず"散布するだと?テロリストの用意した、この見かけ上は確かに治療薬の働きをする生きたウィルスを、"とりあえず"散布する?

 

 

 間に合わせでばら撒いて。その後、取り返しのつかない事態が引き起こされれば、景朗の責任も重大なものになる。ここで手を引けば。少なくとも、景朗は誰からも非難されることはない。

 

 このまま対処せず放置すれば、ウィルスで"学舎の園"の少女たちは死亡してしまうだろう。第十学区の研究室に太細朱茉莉とやらは潜り込んでいたそうだし、こうまで産形たちとタイミングを等しく犯行に及んだのだ。両者が結託していた確率は大きい。となれば、この殺傷性の高いウィルスを彼女が入手していた可能性も高くなる。それが使用されたのなら。感染した少女たちは助からない。

 

 それでも。たとえ対策を打たずに少女たちが死に絶えようとも。景朗にその責任が向けられることはない。

 

(だって判断できないんだ!産形が嘘を付いてないなんて、確証が持てるはずがない。精神操作系の能力者なんてうじゃうじゃいるんだ。ましてや"幻想御手"なんてモノのせいで、能力強度[レベル]が上昇してこいつの意識に細工できるような、それでいてノーマークな奴らがごまんといるんだぞ!)

 

 とはいえ無視を決め込むといえども。花華たちがウィルスに巻き込まれていた場合、目も当てられない。そこまで思考した景朗に、とある考えが閃いた。

 

(そうだ。それなら、この場から逃げ出して、まっすぐ花華たちのところに向かえばいい。今から確認してあの子たちが無事ならそれでいい。もし感染していたならこのワクチンを摂取させて、何とか健康状態を維持させて、あとから学園都市が用意してくれる信頼できる治療薬を使えばいい。

 

 他の奴らはたぶん巻き込まれていない。丹生から聞いている。あいつは今頃火澄や手纏ちゃんたちと3人で自宅で勉強してるはずだ。花華を除けばこの騒ぎに俺の知り合いが関わってる確率なんて天文学的に低い数値なはずさ……)

 

 

 わからない。わからないから仕方がない。……見捨てる?

 

 でも、何人?何十人?百人単位?どれくらいの人が……。

 

(だからって!だからって助けようとして逆に殺してしまったらどうしようもないじゃないか!)

 

 逃げ出すか?決められないなら。花華たちだけ助けに行くか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 よどみなく進む散布機の組立作業。手順を把握できた部分は景朗も積極的に手をかしていく。しかし、どうしても気になるのか、手が空き次第いくども時間を確認してしまう。あと10分も残されていない。たちどころに、散布是非の問答に決着をつけなくてはならなくなる。

 

 部品も残りわずか。もうすぐ準備は完了するだろう。産形の所作には一切の無駄がなく、どれほど今日この日のために、パーツを組み込む手順を練習してきたのかありありと察せられた。

 

 たっぷりと時間をかけて考察したい。しかしそれは無理な相談だった。刻限が迫っている。

 

 無情に時が過ぎていく。景朗は何かしらの連絡が来るのを待ちわびていた。土御門から状況を一変するような報告が来たりしないものか!どんな小さな情報でもいい。とにかく欲しい。手にしていたケータイを足掻くようにイジリまわしていた景朗は、無意識のうちに電話をかけていた。

 

「"第五位"、そっちは今どんな状況なんだ?」

 

『……今度は何のご用事でえ?』

 

「防疫セキュリティが働いているんだろ。屋外に締め出された子達はどんな容態なんだ?」

 

『ピンピンしている様子だけど。とてもそんな危険なウィルスに罹患してるようには見えないわねえ』

 

 ウィルスの発症が目に見えて表れる事態には落ちいていないようだった。それなら、被害の現場でパニックは起きていなさそうだ。

 

『そもそも、彼女たちは今何が起こっているのかよく理解していないのよ。屋内に入れなくなっただけ。パニックを防ぐためかしらね?学校側からその場に待機するようにって連絡があって、それからは音沙汰無し。まあ、こういう騒ぎは皆慣れっこだもの。状況が理解できるまであまり軽挙な行動を取る子はいないわよお』

 

 "学舎の園"は各種あらゆるセキュリティが並外れている。ウィルスの散布とほとんど同時に防疫機構が可動していたと考えていい。ウィルスの散布は学校の周辺だと土御門が教えてくれていた。その日は休日であり、それほど学校周辺に人数はいなかった。何らかの理由で感染者が建物内に入っていたら、彼女たちは散布30分は経過してる。

 

「あれから目立った異変はないってことか?」

 

「んー。それが、学校周辺を盛大に闊歩してる警備員たちのお話を盗み聞きしたカンジだと、ようやく進展があるみたいねえ。学校側も決断に踏み切ったのかしら。感染の可能性のある子たちを病院へこっそり収容するみたいよお。ゲートに沢山移送用の車両が来てる。これほどの不祥事がバレたら、あの中学校はオシマイだものね」

 

 

 学校側は、今回ばら蒔かれたウィルスが、第十学区の研究所で使われた天然痘ウィルスと同じものだと判断したのだろうか。学園都市が発明していた特攻薬が使用できると。だから隠蔽も可能だと。いや、そうでなくとも、事件が発生してからもう30分が過ぎている。だらだらと、いつまでも動きを見せないわけがないのだ。

 

(ああ。どうする!どうする畜生!)

 

 違う。効かない。少なくとも、学園都市が数年前に開発した薬は効かない。午後、第十学区の研究所でばらまかれたものは産形たちが改造する前のものだった。故に、その襲撃の被害者たちには学園都市製の特効薬が作用したのだ。

 

「それは直ぐなのか?今にも収容されそうなのか?」

 

『そうだけど?』

 

 憂慮すべき状況だ。車両に運び込まれたら、散布を決行しても感染者に治療薬が行き渡らなくなる。"第五位"に懸念を説明する前に、景朗は一も二もなく口に出していた。

 

「それ、その収容、止められるか?」

 

『はあい?』

 

「収容するのを妨害できるかって言ってんだ!感染者はひとり残らず外に待機させといてくれないかって言ってるんだよ!」

 

『はい?!へぇ?どうしてえ?!』

 

「これからバラ撒かれたウィルスの治療薬を散布!……するかもしれないんだ」

 

『かもしれない?治療薬の散布?アナタ何を言ってるの?』

 

「とにかく!感染した子たちが屋外に居てくれないと助けられなくなるんだよ!」

 

「終わった!これでこいつを発射できる。ただ待ってくれ。ひとつ問題があるんだ。話を聞いて」

 

 "第五位"とのやり取りに混ざり、追い詰められた表情の産形が新たに警告を告げてくる。かまわず教えろ。アイコンタクトだけで産形に対応せざるを得ない。

 

『ずいぶん切羽詰まっている様子ねえ。うーん。まあ、できるかできないかと言われれば、超ヨユーでできますけどお?というか、このワタシに掛かれば片手間で済むレベル?』

 

「助かる!じゃあ頼む。早く頼むぞマジで」

 

「ミサイルの飛翔ルートなんだけど、これ、見て」

 

 

 産形の言葉に集中してしまう景朗は、思わず"第五位"への返答が杜撰なものなっていた。産形が取り出したスマートフォン。画面には、物理計算アプリらしきものが立ち上げられていた。"学舎の園"近辺の地図。そこに、一目見てわかるように3Dモデリングされた散布機の航行ルートらしき線画が動く。

 

『なあにその態度!この1件はアナタの貸しにするからねえ!』

 

「貸しでもなんでも、もうどうでもいいから早くッ!」

 

「散布機は高度をほとんど変えず水平にシュマリの中学上空まで飛ぶ。そして鉛直方向に急降下して高度を落とし、散布を開始する」

 

 百聞は一見に如かずというが、なるほど。産形がスマートフォンを見せてくれて助かった。動きを視覚的に把握できれば、情報の伝達に齟齬はほとんど生じない。散布機の航行ルート確認は、ものすごく容易だった。

 

『ちょぉっと!もおお、覚えてなさいよお!』

 

「づああ、勘弁しろよ!お願いしますお願いしますお願いします」

 

「僕は頂上(ここ)にきて、まず最初にこのルートに手を加えたんだ。シュマリの中学周辺に散布を終えたら、そのまま東に飛んでいくようにしてある」

 

 一生懸命に説明する産形に、景朗はわかっているぞ、と何度も頷きを返し続けた。

 

 一方の"第五位"は。お怒りの様子だが、きちんとやってくれるだろうか。よもや、言いつけ通りに収容を阻止するどころか、反対に生徒たちをその場から退散させて治療薬散布を妨害するような真似をしてくれるなよ。

 

 未だ完全に信用のおけない"第五位"。彼女には景朗の弱点を知られている。敵対することになれば、また一つ悪夢が増えてしまう。脳裏によぎる最悪な展開を思い浮かべ、景朗は意識的に考えるのをやめた。

 

 

『やってあげればいいんでしょお?もお、このヘタレ!』

 

「何とでも言ってくれてかまわない」

 

「でも、第七学区へ向かう途中のここ、学舎の園の外壁の上空を通り過ぎるところ、ここが問題なんだ。外壁には不審な飛行物体を撃ち落とすセキュリティターレットがある。キミ、アンブの人間なんだろ?このセキュリティをどうにか停止させられないか?」

 

 今一度、産形のスマートフォンを注視した。彼の発言通り、このソフトで計算された散布機の経路は、外壁上空を通過する時、セキュリティに捉えられる高度まで低下している。

 

『……』

 

「大丈夫だ。これは俺でも何とかできそうだ」

 

「ああ、うあああ!なら問題ない、やろう!早く、タイムリミットも迫ってる!」

 

 疲労が襲う中、産形は希望に満ちた笑顔を景朗へ照射した。とうとう、治療薬の散布を妨げるものはなくなった。さあ、この場で今すぐにでも行動に移そう。彼の態度はそう物語っていた。

 

「どうしたんだ……なんでやらないんだよ?はやくやってよ!やってくれよ!」

 

 冷ややかに、騒ぐ産形を視線で射抜く。景朗は先ほどの、彼のうわごとのような独り言にきちんと耳を傾けていた。

 

(産形。お前言ってたよな。突然、憑き物が取れたかのように憎しみが消えたって。まるで洗脳が解けたみたいな言い方をしたよな。だけどそれは。言い換えれば、急激に、一瞬で感情が変化したってことだよな。つまり。洗脳が解けたんじゃなくて、新たに洗脳されたって風にも聞こえるんだよ、俺には!)

 

 いるかもわからない能力者を探しに、蝨つぶしに塔内を巡る時間は端から存在していなかった。

 

 

「あとは治療薬を撒くだけだじゃないかっ!助けられるんだよ!」

 

 景朗が自らの要望に応える気がないのだと理解したのだろう。見覚えのあるような、ないような。救いだと思っていたものが、そうではなかった時の、あの浮遊感。単純に形容すれば、希望が絶望に反転する瞬間、か。

 

 笑みを浮かべていた少年の顔が、刻々と歪んでいく。その風景を目にして、景朗の心に形のない既視感のようなものが滲み湧いてくる。

 

 どうしてそんな顔するんだ。だって、わからないんだ!仕方ないだろうが!幻生が俺にやってきたことと、俺がお前にやっていることは、違うはずだろう?なのにどうして、そんな見覚えのあるような表情を俺に向けてくる?!

 

 

 

 

 

 狂気を振りかざし、いよいよ産形は我を忘れ詰め寄ってくる。景朗は逡巡せず、絡めていた触手に力を込め再び彼の自由を奪い取った。

 

「助けてくれ!僕だぢを助けでぐれよ!やればわかる!撒いてくれれば皆わかってぐれるはずなんだああ!」

 

 

 

 

 これほどの事態を引き起こしておいて、そんな事を言っても誰も信じるものか!

 

 ウィルスの大まかな性質に気づけた俺でさえ、治療薬の散布には踏み切れない。まかり間違えば、俺が。愚かにもテロリストに丸め込まれ、大量殺人生物兵器を撒き散らした卑劣漢になってしまうのだから!

 

 客観的に考えて、お前を信用する奴なんて、どこにも居やしない。

 

 確かに、細菌兵器を運用する犯罪者どもが、自爆を恐れて治療手段を用意しておくのは筋道の通った行動だとも。でも、その押収した治療薬を、万全の安全確認すらせずに多数の市民に摂取させるのは軽率に過ぎる!

 

 しかし。無視を決め込めば。そして最初にビンに入っていたあのウィルスが暴露されていたならば。感染した人たちは疑いなく、危機に陥るだろう。それもまた確定事項なのだ。

 

 

 

 いよいよ、産形の悲鳴に逼迫した色が溢れ出る。治療薬の散布が間に合う限界ギリギリの時刻が到来しているのだろう。

 

 

(お前がしでかした事実は変わらない。完全に操り人形にされていたなら、哀れに思うよ。でも、そうでなければ。お前がどんな気持ちだったろうと、お前がどんなメに遭遇して来ていようとも、それで許されると思っている……の……か……)

 

 降って沸いた思考に、凍りつく景朗。その考えは、そっくりそのまま、自分にも当てはまるのではないか。何を偉そうに、この少年に……。自分は一体、何様だ……?

 

 

 

 

「"第五位"。さっきから反応がないけど、やってくれてるのか?」

 

『言っておくけど、アナタは相当無茶苦茶なことを言って来たんだからねえ?』

 

「ッ。やっぱり、無理だったのか?」

 

『誰にモノを言ってるのかしらあ。既に言付かったご命令は完遂していますけど?それだけじゃないわよ。室内に待機してた女の子たちの記憶をちょこーっと覗いて、ウィルスの散布時刻に野外を出歩いていた子たちはみぃーんな、表にたたき出しといて上げたわよ?覚悟なさい、この貸しの重みは相当なものですからねえ?』

 

 

 彼女の言が正真正銘真実本当ならば。これで散布の可不可に関する問題は完璧に排除されている。

 

「うあああああああああああああッ!オマエのせいだ!オマエのせいだああ!」

 

 

 ケータイの時刻が目に入る。ああ。タイムリミットがやってきた。

 

 花華のところにいくか?こんなところで、ゆっくりしてはいられない。

 

 

 

 なかなか、景朗の脚は動かなかった。決断をずるずると引き伸ばし、貴重な時間を食いつぶす。一番愚かな選択だった。いずれにせよ、何か行動にでなければならないのだ。この期に及んで見捨てるのならば、もはやそれでもいい。ならばすかさず、花華の元へ向かって見せろ。

 

 

 

 

 

 

 

 景朗が自らの選択に絶望しかけていた、その時。彼は異変を感じ取った。初めはそれが意味するところに、敏感に気付けなかった。

 

 数瞬、動きも思考も硬直してしまう。のちに、ようやく思い至る。思いもかけない突破口であると、脳裏に閃光が走っていく。奇跡が間一髪間に合った。運命の境目に滑り込んできた。

 

 躰が動き出す。景朗は、こんなこともあるのか、と運命を垣間見た気がした。

 

 

 

 

 ワクチンが本物かどうか確かめようと実験した、景朗の触手の先端部。神経手の束。その中には、まだ天然痘ウィルスを食い尽くしたワクチンが残留していた。景朗の凶悪な免疫機構がそのウィルスを殺さぬように、その細胞の中は環境を整えてあった。通常の人体よりもウィルスに対する抵抗が数段弱い環境へと。

 

 景朗がためらっていた理由。それは、その残留したワクチンが、どの様な変化を見せるか。これに尽きた。もし、時間とともに、人体に有害な反応を示すようになれば。ワクチン散布の意義は失われる。

 

 ところが。悩み苦しむ景朗に、まるで神様が助け舟を送ってくれたのか。景朗は知覚した。死んでいく。死んで行くのだ。

 

 天然痘ウィルスを駆逐したワクチンが、死滅していた。自己崩壊。彼の細胞の奥底。役目を終えたワクチンが、時間経過で自壊していくのだ。急速に、数を減らし始めている。

 

 ワクチンは人体に投与されたあと、一定時間が過ぎれば自動的に自死して消滅する。死滅したウィルスに、それ以上の悪事が働けるはずもない。

 

 これなら、問題ない。この治療薬なら、散布しても問題ない。産形は嘘をついていない?

 

 

 

 少女たちより後にウィルスを摂取した景朗に、ウィルスの危険性は判断できなかった。だが、少女たちより先にワクチンを摂取していたおかげで、景朗はその安全性を知覚できたのだ。

 

 

 ウィルスを操れる能力者なんてそうそういない。産形以外はマークされている!土御門からの情報だ。この情報だけは本物だ!故に、誰かが散布後のワクチンに干渉する可能性はない!だから、だからこの治療薬は散布しても安全だ!

 

 

 

「……やれ!産形やれッ!」

 

 いつの間にか産形の拘束は解かれていた。背後で散布機からガタガタと音がする。景朗はとっくに走り出していた。塔の縁まで一気に駆け抜けると、青海へ飛び込むように勢いよく身を投げだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目的地は地表。この高い電波塔の頂きから急降下するだけでいい。それなら。

 

 澄み渡った青空に突如、ポツリと浮き出た人型の黒点。それは現れるやいなや、一切の音を生み出さずに爆ぜた。偶然にもその塔を見上げ、空中へ飛び出す人影を発見できた通行人たちがいた。しかし、彼らにも目撃できたのはそこまでだった。

 

 

 白雲の保護色に身を染めて、大空へ溶け込んだ巨大な影。大型のグライダーよりもさらに一回りほど長大な翼が広がり、細く鋭い流線型の頭部には長剣のような嘴が突き出している。

 

 遥か大古の暑い空を支配していたであろう、超巨大翼竜、"風神翼竜(ケツァルコアトルス)"。

 

 史実通りであれば、空の彼方を舞う翼竜は空気を押しのけるのに十分な筋肉と強度を有していなかったと推察されている。しかし、現代の"超能力者"が体現したその怪物は、強風を切り裂く軽量にして強靭な薄膜と骨格、そして物理性の限界に迫る反則じみた怪力を誇っていた。

 

 妨げるものは何ひとつとして存在しない。翼竜は飛翔という概念を完璧に掌握できていた。

 

 物理法則を無視したように軽やかに、遥か彼方下方の地表に背を向ける。躰を反転させ、火を炊き上げる散布機の機影を鷹の目よりも鋭い視覚で掴み取る。

 

 耳に届く燃焼の響きは、それできちんと可動しているのかと心配になるほど存在感が小さかった。まるで行楽用の手持ち花火が爆ぜる程度の、静音性。

 

 それにしても、景朗が空へ飛び出してからミサイルの発射音までほとんど間隔は空いていなかった。産形はとにかく迅速に散布機を射出させたらしい。これならば彼が余計な真似を加える時間はなかっただろう。

 

 

(急げ!急げ!あのミサイルよりも疾く、学舎の園にたどり着かないと!)

 

 

 ミサイルの到着より前に現場に乗り込み、暴露されたウィルスを調査しておかねばならない。学舎の園で使われたウィルスが、産形たちの生じしていたものと全く同じものであってほしい。もしそうではなく問題があれば、そのまま上昇して散布が始まる前にミサイルを呑み込んでしまえばいい!

 

 

 能力を際限なく開放し、全力で予定地点へと降下する。そのためか、翼の動くその度にひとつひとつ轟音がどよめく。自分の存在がバレやしないか気がかりであったが、もっと優先して気にかけるべきことがある、と無視を決め込むしかなかった。

 

 

 そのように一直線に滑空していた途中。千里眼とまではいかぬものの、常識を有に飛び越えた破格の視力が、ミサイルの予定飛行ルート上に浮遊するシルエットを捉えていた。

 

 

 1メートル近い大きさの、四つのフィンがくっ付いた外観の監視用ドローン。"お空の散歩"時によく見かける、"警備員"の使用する一般的な装備だった。

 

 自分ひとりなら。通常時ならば、ドローンの赤外線カメラに引っかからぬように体温を極限まで低下させる小ワザ等を使って煙に巻くところだが。今の彼の背後には、後続してくるミサイルがある。いくら学園都市製のミサイルといえども、自分と同じような芸当を期待するわけにはいかない。

 

 とはいえ、無配慮に破壊すれば、落下する残骸によって被害がでるだろう。しかし、景朗はちょうどいい位置にいるな、といわんばかりに笑みをこぼしまっすぐドローンへと近づいていった。ぶつかる寸前に、突撃槍のような形状の嘴がパクリと裂ける。

 

 

 

 次の瞬間。トンボを模したドローンは怪音に警戒を顕にしていたが。なすすべなく、翼竜に捕食された。翼竜が空を支配していたのは、一億五千年ほど前だったかな。古代の空でも、今みたいにコイツラはトンボを食ってたのかもしれない。まるで本物の"ケツァルコアトルス"にでもなった気分に、一瞬させられた景朗だった。

 

 

 

 目的の中学校はいよいよ間近。着陸地点を脇にあるだだっ広いグラウンドに定め、着陸準備に入る。躰を急速に、まるごと網上に変形させ、地面に衝突させた。衝撃を和らげるため、内側からどんどん外側へ広がる波紋のように、薄く伸ばした体組織を引き伸ばしていく。

 

 丸まった絨毯が着地とともに広がるように、衝撃を吸収した景朗。すかさず、ウィルステロの被害状況を確認する。

 

 それほど物々しい重装備でないのは、感染者を刺激しないためだったのだろう。薄い防護スーツにヘルメットをひとつ、ウィルス用の滅菌機材を抱えた警備員たちがあたりを彷徨いていた。

 

 彼らは皆、作業を放棄して世間話に興じている。それどころか、たった今降り立った景朗の存在にすら気づいた様子はない。不可思議な光景だった。

 

 景朗はひといきに大量の空気を吸い込み、ウィルスの存在を検知した。そして発見する。間違いない。これから散布するワクチンが有効な、あのビンの中に混入していた改造ウィルスだ。

 

 除菌作業が滞りなく行われていたら、面倒なことになっていたかもしれない。よくぞここまでやってくれた、"第五位"。景朗の心に一瞬、彼女への感謝の気持ちが沸いた。

 

 

 

 

 澄み渡る燃焼の響きが、景朗へと接近してくる。この場所へと、治療薬が迫っている。突風、強風は無し。風は凪いでいた。これなら、アクシデントはなさそうだ。

 

 景朗は今一度、強く大地を蹴って空へ舞い上がる。今度は小型の、それでも数メートルほどの体長をもつ怪鳥へと変身しつつ。

 

 

 

 勢いよく治療薬を散布するミサイルを先導するように、飛翔し、産形が問題に挙げた外壁のセキュリティターレットへと目を向けた。外周に沿うように、かなりの数のレーザー兵器が配置されている。

 

(数が多すぎる!どんだけ金をつぎ込んでるんだ……ッ!)

 

 景朗の想定以上の数。向けられる大量の砲台。射程もわからない。それでも、短時間で全部壊せなければ失敗してしまう。出来ないこともない。しかし、破壊したつもりで撃ち漏らしては台無しとなる。

 

 後ろで治療薬を霧吹く機影を覗き見て、景朗は予定を変更させる。ミサイルから離れては駄目だ。

 

 

 急遽、砲台の破壊を取りやめ、散布機の防衛へと移行する。ミサイルさえ無事ならばそれでいいのだ。今は護衛の時。撃ち込まれる攻撃を防いでしまえばいい。

 

 景朗はもう一度、巨大な翼竜の姿へと舞い戻る。幸いにも、砲撃は下方からのみ。

 

 まずは、レーザーを無効化させよう!

 

 景朗は勢いよく、口から黒色の煙幕を吐き出していく。散布機や自身の巨影すら覆い隠すほどの、広範囲に及ぶ煙雲。これで、レーザーの威力は弱まるはずだ。

 

 待ち構えているのはレーザーがほとんどだろう。とはいうものの、あれほどの数だ。セキュリティターレットの中には実弾兵器も配備されているかもしれない。

 

(クソ、それなら。盾になるしかない)

 

 煙を吐きつつ、景朗は散布機の下に位置取った。小さな機影を覆うように躰を広げ、飛来する攻撃を全て待ち構える。

 

 

 

 

 いよいよ外壁の上空に差し掛かる。セキュリティターレットが反応し、レーザーの一斉照射が始まった。無数に届く攻撃。その中には実弾も含まれるかもしれないと予想した景朗だったが、その心配は必要なかったようだ。

 

 実弾を使えば、園内に使用した弾丸が落下することになる。その点が配慮されたのか、最初からレーザー兵器しかターレットには備えられていなかったのだ。景朗の身に降りかかったのは高出力レーザーの火砲だけであった。

 

 もくもくと炊き上がる煙幕のおかげで、景朗は少々熱いおもいをしたものの、その場を無事に乗り切った。

 

 

 山場は通り過ぎた。セキュリティの圏外へ到達した散布機の影を見つめ、姿を隠し、景朗は後方からゆっくりと飛翔を続けていく。

 

 

 

 

 

 

 やがて。燃料切れを見計らい、翼竜は役目を終えた散布機を咥えてどこへともなく飛び去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うひゃああ、はわわわわわあっーなにごとぉー!?」

 

 背後から忍び寄り、少女の脇を掴んで持ち上げた。彼女は悲鳴とともに手足をバタつかせている。

 

「もーっ。こんなことするのどーせ景兄でしょ離して離して離して離して!」

 

 子猫のように掲げられる花華。暴れる姿は、その小柄さも合いまってか非常に微笑ましいものだった。そばを通り過ぎる子供たちには指を指され、大人たちは笑みをこぼす。後ろから見える花華は、耳を赤くして恥ずかしがっている。

 

 

 

 

 治療薬の散布を完遂させた景朗は事後処理を投げ打ち、兎角急いで花華たちの元へ直行した。

楽しそうに会話する少女たちのグループを発見すると、景朗は急速に安心を取り戻していった。

 

 

 交通規制が始まった当初。花華とその友人御一行はその煽りを喰らい、人の流れに沿ってダラダラと歩道を歩いていた。

 

 しかし。中々思うように進めない苛立ち。そのうち彼女たちは、いっそ規制が解消されるまでの間、道端でおしゃべりにでも興じていよう、という考えに思い至ったようだ。

 

 

 いずれにせよ。元気な様子を見ただけでは安全しきれない。そこで景朗は背後から花華に詰め寄った。いたずらにかこつけて接触し、無痛の針を打ち込んで健康状態を確認しようと図ったのだ。

 

 獲物へ近づく狼のごとく、そろりそろりと忍び寄る最中。花華の正面で話し込んでいた黒髪ロングストレートの少女に見つかっていた。彼女は景朗の顔を花華に写真で見せてもらっていたらしい。景朗の苦し紛れのアイコンタクト。少女は彼を疑わず、逆に快く含み笑いを返してくれた。

 

「離して離して離して離して離して」

 

「おいっすわかったわかった、下ろすから暴れんなよー!」

 

 服を透して針を差し込み、血液を調査する。結果は、白。花華は無事だった。彼女には何事もなかった。そもそも、"学舎の園"以外のエリアはウィルスの散布は報告されていなかった。とんでもないトラブルでも生じていない限り、ウィルス散布は生じていなかったはずなのだ。この様子では実際その通りに、平和そのものだったのだろう。

 

 

「うわー。写真で見ただけじゃわからなかった。お兄さん、すっごいおっきかったんですねー」

 

 先ほど目配せし合った少女が、ようやく地面に降ろされむくれている花華を見て笑っている。

 

「どーもー。雨月サンー」

 

「こんにちはー」

 

「かーげーにぃーい……」

 

 威嚇する花華をよそに、花華の友達はにこやかに挨拶を交わしてくれる。彼女たちに勉強を教えるはずだった約束の時間は、とうに過ぎている。それでも、何事もなかったかのように、清々しい態度だった。

 

 いいや。何事もなかった、というのは別の意味で不正解だったのだ。景朗は思い至った。

 

 これほど大規模で長時間の交通規制は学園都市でも珍しい。今回の交通規制、第七学区南エリアの駅周辺を巻き込んだ、各方面各所への通行止め。八割が子供、という途轍もない年代比率の学生都市故に敢行できた代物だった。

 

 記憶にも怪しく久しい規模だった此度の交通規制を鑑みて、少女たちは景朗の遅刻に目をつむってくれているのだろう。

 

「ああ、そっか。確かに写真だけじゃ相手の大きさってわかりにくいよね。ふふん。でかいのは躰だけじゃないぜ。ほら、この通り。手もやたらと馬鹿でっかいのです」

 

 少女たちの前に、大きめに膨らませた両手を広げて、披露する。実を言うと、彼女たちに興味を持ってもらえるように若干手の大きさを能力を使って"盛って"いた。正直、誰だって驚き、目が天になるくらいのデカさになっている。やりすぎ感がなければいいな……

 

「うわっ、マジ、ええ?!ホントだ!手だけ異様におっきい!?」

 

 ここまで身長と比してアンバランスなほどに巨大な手を見るのは初めてだったのだろう。花華の友人一行は景朗の手を覗き込む。

 

「HEY, 握手握手」

 

 どさくさにまぎれ、少女たちに握手を求めた。

 

「おかしい。景兄、いつも握手なんてしないジャン!」

 

 不信感むき出しの花華。お前にはそりゃバレるよな。でも、相手は花華。無視して問題ない。

 

「そんなことないよ」

 

「あるよ」

 

「ないよ」

 

 仕込みはあっという間に終わった。握手ひとつする間に終わらせた。花華の友人たちも皆、健康そのものだった。ウィルスの影はなし。

 

 

「あー、はは。そういえばどうも、遅れてしまってごめんね。それでさ。来たばっかりで非常に言いにくいんだけど、俺、実はこのあとすぐ、どうしても行かなくちゃいけない用事ができてしまって……」

 

「へ?」

 

 花華の、まさか!とでもいいたげな目つき。それで正解だよ、花華。

 

「申し訳ない。散々待たせておいてアレなんだけど、今日はちょっと、勉強教えれなくなってしまいまし――」

 

「あたっく!」

 

 そばに立っていた花華が言い終わる前に正拳突きを放っていた。まるで石畳に布切れ一枚を被せただけのところに、思い切り拳を打ち込んでやった、とでもいう乾いた音。直後、彼女は右手をおさえてしゃがむ羽目になる。

 

「ひだああああ?!」

 

(なんと無謀な。俺の鋼の肉体に。いやマジで鋼より頑丈だからね下手したら)

 

 拳を痛めたら可哀想だった。そのため、虚脱して肉を柔らかくしておく配慮を試みた景朗だったが。思いのほか本気で殴りに来ていた花華に考えが変わり、そのまま放置しておいた。花華ごときの筋力ではさすがに拳は壊れまい。

 

 

「この通り。花華の面目も立たないぞ、という事で直接謝りに来たんです。本当に申し訳ない」

 

 両手を這わせ、深く頭を下げた景朗。俯いたままの花華から、怨嗟の声が湧いている。

 

「ううう。だと思った。最後の電話で景兄の声聞いた時から、こーなるんじゃないかってちょっとよそーしてたんだ……ごめんね皆」

 

「別に気にしてないよ、花華ちゃん」

 

「しゃーないっすね。こうやって謝ってくれたし、気にしないでください、オニイサン」

 

「そんなに謝る必要ないですよ!てか、アタシらんトコだってわざわざ会いに来てくれなくても良かったんですよ?」

 

 花華の友人たちは、皆バツが悪そうな表情を浮かべている。

 

(まあ、それはそうだけど。君たちの安全も心配だったからね)

 

「いや、まあ近くには居たんだよ。ホント、"学舎の園"らへんにね。バイトで」

 

「"学舎の園"の方から来たんですか?!それならもしかしてご存知ないです?この騒ぎ。なんだかあっちの方で事故か事件か、とにかく何か起きたんですよね?こんな有様久しぶりだし」

 

 

 黒髪ロングストレートの少女が尋ねてくる。少女たちは交通規制の情報が一切公開されなかったことに疑問を感じているようだ。

 

 花華に悪いことしてしまったし、もう少しもっともらしい言い訳をしなければダメだろうか。……いや、言い訳とは言いつつも、ほとんど真実に近い理由なんだけどね。

 

「いや、残念ながら、俺もあまり詳しくは知らないんだ。ただ、やっぱり"学舎の園"辺りでテロ騒ぎか何かが起きてたらしいね。何を隠そう、俺、"警備員"関連のバイトやっててさ。今日、急にシフト入っちゃって。もちろん昼ごろまでには帰らせてもらうつもりだったんだよ。約束に間に合わなくなるからね。でも、そう思ってた矢先に。この騒ぎが起きてねぇ」

 

 手のひらを見せつけるように広げ、やれやれ、とため息をふかす。

 

「あぁー。そうだったんですね」

 

「やっぱまだまだ非常事態っぽくてさ。これからまた手伝いに行くんだよ」

 

「アンチスキルのバイト?!知らないよー??」

 

 またぞろ立ち上がった花華が気炎を上げる。これは相当、機嫌を悪くしている様子だ。

 

「いや一週間くらい前にはじめたばっかだもんよ。教えてなくて当然……う、とりあえずスマン、花華、皆さん!」

 

 そろそろ場を辞退させてもらおうと考えていた景朗のケータイが、タイミング良く震えだした。恐らく仲間からの連絡だ。花華たちと長々と会話しすぎた。

 

 気を抜くのはまだ早い、と景朗は緊張感を取り戻す。まだ事件は終わっていないのだ。戻らなければならない。

 

 

 

 手を振りつつ、その場を後にした。距離が離れたその時。感度の良い景朗の耳が、遠間から少女たちの声を拾った。

 

「うわーぁぁ!どうしよ!どうしよ!今日一日でめいいっぱい鍛える予定だったのに!盛大に遊んじゃったよー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ポケットの振動を忘れてはいない。近くのビル、人気のない屋上へ足を付け、景朗は電話をかけ直す。

 

『うふふ。うふふふふふふ』

 

 のっけからの、勝ち誇った少女の高笑い。てっきり、陰惨な事件の続きが待っている、と。それが自らを待ち受けているものの正体であるとばかり、思っていた。しかしどうやらこれは。覚悟していたものとは別種の報告に違いない。

 

『ねえ、最っ高だとは思わない?他ならぬ、自分の能力が効きもしない憎い相手が居たとして。そんな相手に能力を使いもせず、飼い犬のように自由に命令を訊かせられるのよお!』

 

 よくもまあ、それほど上からの立場で物を言い出せるな、と景朗は憤慨した。この陰険な"第五位"とやらへの協力の報酬をどうするか。アレイスター、領収書切ってくるからあんたが処理してくれないか?

 

『ワタシの能力にも、一つ欠点があるのよね。ここまで自分の思うがままに他人が言う事を聞くとなると。片手で数えるほどしか、面白みを感じられる娯楽が存在しないのよ。アナタにワンちゃんのように命令して、地面に這い蹲らせてあげる。同じ超能力者のアナタを。う、うふふ、最高の気分だわあ!』

 

「まあ、仕方ないけどさ。でもちゃんと、領収切ってくれよな?」

 

『何を言ってるの、アナタは……そういうキャラクターなのお?……。まあ、最低限、アナタの家族ちゃんには手を出さないでいてあげる。アナタみたいなおつむが弱いパワータイプの脳筋さんは、そこまでしちゃうとトチ狂ってワタシのお城に直接討ち入りしてきちゃいそうだもの』

 

「そんなことないよ」

 

「あるでしょお?」

 

「ねえよ」

 

 手前の"城"だと称すなら、学園の生徒たちを救った景朗と貸しはひとつずつ。貸し借りは折半すべきでは?

 

 そう考えたものの、景朗は黙っていることにした。彼女にはまだ協力して貰わなければならない。なにせ、事件に決着がついているのかどうか、まだ誰も知らないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕方が近い。日は落ちかけていた。街は見渡す限り茜色に染まっている。ウィルス騒ぎが嘘のように、街は日常を取り戻しつつあった。"学舎の園"の内部は、未だに滅菌作業やら何やらで忙しいのかもしれなかったが、その他の場所からは、テロの影響があとを引いている光景は見受けられずにいる。

 

 景朗の治療薬散布の判断は、英断として受け入れられるだろう。何せ、散布したワクチンとしてのウィルスは、人体に入れば無害なまま死滅していく。結果として、誰も死んではいない。この時間帯に到達しても、ウィルスによる死亡の報告は皆無、一件も報告されていないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 景朗は花華たちと別れた後、土御門元春と木原数多に報告を行い、それから直ぐに新たなテロへの警戒に入っていた。

 

 続く捜索活動の際にも、"第五位"は上機嫌で景朗のサポートに徹してくれていた。そこはかとなく意外な行動であった。もっとも、サポートしてくれた、とは言うものの、産形たちとの一件以来、目立った事件は発生していなかった。

 

 

 件の産形は、ワクチン散布直後、"猟犬部隊"に意識不明の状態で確保されている。夜霧流子もその時に同じく捕まった。もうひとり、第七学区で今大路万博という少年も"警備員"に逮捕されており、彼も産形たちの仲間であった、と木原数多から連絡があっている。

 

 

 

 

 

 捜索の合間に、景朗はその日の出来事を何度も思い出し振り返っていた。電波塔で戦った少女と、会話した少年について。

 

 

 あの少年たちは、直前で踏みとどまった。大量殺人を。勿論、細かいことを言うならば、第十学区で襲った研究所でもウィルスをばら撒いてはいる。だが、恐らくその行為にはそれほど殺意は含まれていなかったとも景朗は思うのだ。

 

 遺伝子操作せずに撒かれた天然痘には、この街特製の特攻薬が100%作用する。それでも当然のごとく、冗談で済ませられる行為ではない、悪質な犯罪そのものではあるが。

 

 そして、あの少女。至近距離で爆弾を使ってまで。自爆してまで、景朗を止めようとした少女。彼女は理解していたのだろう。力づくで止めなければ、自分たちに味方するものが誰ひとりとして居ないことを。

 

  "ケルベロスは能力者だった!やっぱり人だった!本当に現れた!……殺してやる!"

 

 嘴子千緩が"三頭猟犬"として初めて能力を晒した景朗へ、放った台詞だ。彼女は暗部で用いられる単語としての"ケルベロス"を知っていた。尋常ではない殺意。初めは景朗の存在を危ぶみ、手を抜ける相手ではないと恐れての発言だと思っていた。

 

 事実は異なっていた。彼女は、仲間と自らが置かれた立場を正確に察していたのだ。奇跡でも起きない限り。産形が敵の手中に落ちれば、大勢の罪なき人間が死ぬと理解していた。だからこそ、死すら厭わず、景朗に抵抗してみせたのだ。

 

 実際、ウィルスの性質を詳細に掴み取れる能力を持つ、景朗があの場に訪れていなければ。人々に記憶される、"今日"という日の結末は容易に反転していたはずだ。

 

 

 所詮は犯罪者。背負いきれぬ十字架の重みに、直前で気づいた愚か者だったのかもしれない。それでも。変わらない事実もある。景朗は思い出していた。爆弾を起動させる今際の際の、彼女の決意を。

 

 知っているのは俺だけだ。彼女が示してみせた覚悟。この世界で、俺だけが知っている。俺が黙っていれば、誰も知ることはない。

 

 自分に何かできるだろうか?景朗は思い悩む。

 

 やはり、相手が悪い。この街の頭に真っ向から喧嘩を売ったのだ。それに、自分自身が完全に信用しきっていない彼らの善性を、証拠もなしにどう証明する?してどうする?

 

 ……けれども。まだ誰もウィルスで死んでいない。結果として、誰も死んでいない。人的被害はない。未だに。ただただこの街の、景朗の預かり知らぬところで、誰かのメンツが踏みにじられただけなのだ。

 

 

 

 

 

 

 もし、罪を犯した人間が、命を賭して贖罪を行おうとして。それでも、許されることがないのならば。その仮定は、景朗にもそっくりそのまま還ってくる。

 

 罪は永久に許されないとしたら。脳裏に刻まれる、彼女の死。だとしたら。景朗にはあれよりよほど苛烈で、惨たらしい結末が待ち構えているのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "第五位"は痺れを切らしつつある。いつまでとも知れぬテロリストたちの捜索。そのことを暗に含んでいるのだろう。トゲトゲしい"第五位"の絡みは腐敗するように辛辣になり、いよいよ毒を生み出し始めていた。彼女の言葉攻めに本格的に面倒臭くなっていた景朗だったが、そんな彼を突然の呼び出しが救いだした。

 

 木原数多から召集の号令。どうやら別の案件が"猟犬部隊"を待ち構えているらしく、それは同時にテロリスト捜索が別部隊へ引き継がれることを意味していた。喜ばしいニュースではあったのだが。

 

 別件。つまり、また新しいトラブルが勃発したのだ。この街は仕事の機会に溢れている。景朗は皮肉げに呟くと、"第五位"に別れの挨拶を告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこは第七学区中部エリア。指定された集合ポイントへ駆けつけた景朗が目にしたのは、わずか1台ばかりのトレーラーだった。"猟犬部隊"のリーダー、木原数多がただひとり。孤独にも彼の到着を待ち構えていた。

 

 この場に集っていたであろう隊員たちは、既に出発を済ませてしまったようだ。閑散としたその雰囲気から、出遅れたのか、と景朗は小さく息をついた。

 

 しかし、それにしては。木原数多は随分とゆったりとした雰囲気を醸し出している。

 

 案外、景朗の勘違いだったのかもしれない。音頭を取った木原数多の口ぶりからして、てっきり別口の任務の招集だったと思い込んでいた。

 

 ビルから飛び上がり、木原数多の背後へ荒々しく着地した。背を向けたまま、木原数多は景朗へ呼びかけた。

 

「遅えぞ?」

 

「……こっちは何も目新しい発見はなかったよ」

 

 相手は返事に振り向かず、背を向けたまま端末を弄りまわしている。しばらく、静けさがあたりを包む。

 

 ほうっておけば、延々と黙したままなのでは。景朗が沈黙に痺れを切らす、その前に。出鼻をくじくように、唐突に木原数多が口を開いた。

 

 

「犯人どもはちゃくちゃくと犯行計画を吐き出してるみたいだぜ。オマエが捕まえた奴も素直に白状してんな。おかげで、おおよそ奴らの目論見は看破できてきてるようだ。これ以上は俺たちを動かすほどのシロモンじゃねえとよ」

 

 産形たちの起こした事件は終結しつつある。"猟犬部隊"をわざわざ実働させる必要もないほどに、事件の背後関係が暴かれているようだった。

 

「なあ、あいつらの調査はちゃんと行われんのか?」

 

 

 薄々、産形たちに待ち受ける転末を予知していながらも、景朗は聞かずにはいられなかった。見守ってきた事件の推移から察する。この分であれば、今回の件は人的被害はゼロで終わるだろう。

 

 となれば、"学舎の園"で無様に生じさせてしまったバイオテロ事件は。恐らく統括理事会にもみ消されることになるだろう。完璧な隠蔽が難しいのであれば、『あくまで未遂だった』形で処理がなされ、メンツの保全に見合った役職、役員の首が飛ぶのだろうか。

 

 今日の事件は少なからず影響を与えるだろう。学園都市を構成する統括理事会や行政機関、警察機関への信頼に。お偉さん方を取り巻く事情がどう移り変わるのか、景朗には詳しくは予測できなかったが。

 

 しかし、直接犯行に及んだ実行犯の学生たちに、どの様な未来が待ち受けているのか。それだけは、非常に容易に想像できる。

 

 

「あァ?」

 

 そのような景朗の内心を察しているのか、いないのか。木原数多は景朗の意図するところが把握できない風に、疑問を呈した。

 

「何馬鹿なこと言ってやがる」

 

 木原数多は気だるそうに肩を捻らせた。顔中に軽蔑の色を貼り付け、しかしどこか愉快そうに、景朗をゆらりと振り向く。

 

「またいつもの病気か小僧?暇だなァ、テメエも」

 

「質問に答えてくれよ」

 

 景朗の問いかけを聞くやいなや、木原数多は早口にぺらぺらと喋りだす。

 

「だいたいよお。中途半端に生かして持って帰ってくっからんなめんどくさいこと考える羽目になんだよ。家猫だって鼠は殺して持って来るだろうが。生かしてたって処理が面倒になるだけだ。俺らの仕事はんなこと気にしてたら大変だぞ。毎回寒みい正義ヅラすんなって言ってんだろクソガキ」

 

「あいつらがもし別途の能力者に洗脳を受けていたら?その場合どうなる?"幻想御手"なんてもんが出てきてる現状、上だってそんな短慮にはならねえだろ?あいつらへの免責は」

 

 言い終わる前に、木原数多が煩わしそうに切り捨てた。

 

「ムリだ。手っ取り早く奴らは生贄になる。どーせな」

 

「今回の件は状況が複雑――」

 

 再び台詞を遮られる。下らない質問はよせ。二度目はないぞ。景朗を睨みつける木原の眼はそう語っていた。

 

「それがどうした?んなわけねえだろうが、ガキどもは地獄に落ちるってえの。そもそも俺に言いがかったってどうする気なんだ愚図。奴等は動機がどうであれ、反乱を企てて一矢報いた。報いかけた。成功寸前だったじゃねえか?ここで上が甘い処分を下したら"外"に示しがつかねえだろうが。奴等は地獄に落とされる。何せ、テメエが言ったように人的被害は出てねえんだ。事ここに至っちまえば、重要なのは見せしめの"質"じゃねえ。"量"だ。それに、そのほうが上にとっちゃあどう考えても楽チンだ」

 

 すんなりと木原の言葉を受け入れるのは癪だった。さりとて、木原本人に文句を浴びせても意味がないのは尤もだ。黙した景朗に気分をよくした相手は、再び端末へ目線を戻し指を動かしていく。

 

「ひゃはは。ご自慢の正義感が疼くってえんなら、無様に理事会に体当たりしてこいや。ああ、けどな。今からは駄目だ。まだ仕事が終わってねえ」

 

 

「仕事?」

 

 事後処理らしき作業に勤しむ木原数多の態度から、景朗は一段落ついているものかと勝手に判断を下していた。

 

「"カプセル"って組織の粛清だ。オマエは知ってるよなァ?奴らには責任と制裁を受け取ってもらう、くく」

 

 

 

「何故"カプセル"?何の責任だ?]

 

 "カプセル"。景朗が暗部で最初に任務を受けた時の、依頼元だった暗部組織だ。学園都市中に違法ドラッグを販売、流通させている。元々はスキルアウトが興した不良グループだった。"警備員"に壊滅させられる寸前、暗部に関わる企業に目をつけられ、暗部組織へと化けた。

 

 景朗が知っているのはそこまでだ。今回の事件とどのように結びつくのだろう。

 

「テロリストどもは"カプセル"から支援を受けてたようだ。組織として動いていたのか、独断専行した馬鹿がやったのか知らねえが、まぁどちらにせよちっと前に裏が取れた。幹部がガキどもから改造ウィルスを受け取ってんだよ。報酬か何かだったんだろう」

 

 その話を聴いて、得心がいく部分もあった。産形たちの一連の犯行。そこには一介の学生では簡単に入手できないツールが多用されていた。

 

「武器が欲しくなったんだろうなぁ。"上役"に対してのよぉ。ハハ、しかも奴らがしでかしたのはそれだけじゃなかったときた。"幻想御手(レベルアッパー)"だ。奴ら、"幻想御手(レベルアッパー)"まで流通させていやがったらしい!今回の事件の間接的な黒幕だ。細かいとこまで知らねえが、"そういうこと"になっちまったらしい。気の毒なこった」

 

 またしても思い当たる。"幻想御手(レベルアッパー)"が、何故暗部にも伝わることなく、ひっそりと学生たちに浸透していったのか。その理由。"カプセル"の存在は、確かに答えとしてふさわしい。"幻想御手"は低能力を強能力へ引き上げるほどの、凶悪な一品だった。街を猛然と揺るがしかねない性能だったのだ。

 

 にも関わらず、人知れず増殖する癌のように、この街に染み込むように広がる、その不自然さ。そう、それこそ、まるで違法ドラッグが法規機関の目をすり抜けて蔓延していくが如き……。なるほど、尤もらしい。奴らは火種が燃え上がらぬよう、この街に静かに、満遍なく燻したのだ。レベルアッパーという毒煙を。"カプセル"ならば、それは確かに不可能な芸当ではなかったかもしれない。

 

「構成員は皆殺し。幹部もその家族も関係者は拉致って地獄行きだとよ」

 

「それじゃ、ここにいない奴らは……」

 

「とっくに向かってるぞ。テメエも下らねえ事やるくらいなら手伝いに行ってこい」

 

「お前、何て命令した?!"家族"って言ったよな今!」

 

「フハハハハハッ。もとより俺たちは殺し専門だ。なァに、何時もの通りだ。面倒なら殺しとけ、って言うっつの。」

 

(ざけんな!産形たちとは違う!)

 

 確かに、木原数多の言う通りなのだろう。"猟犬部隊"は暗殺部隊だ。書類上でどう表現しようと、命令した側は生存者ゼロの結果報告を聴いても構わないと思っているのだ。

 

 その依頼に、ターゲットの家族まで標的の範囲に含められている。景朗の記憶が確かならば、"カプセル"は通常の暗部組織とは組織の構造が異なっていた。スキルアウト上がりの構成員が多いのだ。暴力団間隔で出入りする不良学生たちが居たはずだ。無論、彼らは下っ端の下っ端、使いっぱしりであるが。

 

 幹部や構成員の、家族や関係者。事件に関与していた人間と近しい間柄だったというだけで、殺されてしまうのは、それは……。

 

 "猟犬部隊"の隊員をただ放っておけば、"カプセル"の連中は皆殺しにされる。

 

「何処だッ!」

 

「近くの"蜂の巣"だとか言うとこだ。そこの雑居ビルまるまるひとつネグラに使ってたらしいぞ、ハハハハ」

 

「地図を貸せよ!」

 

(こいつ、わざと俺に遅らせて伝えやがったな!)

 

「クハハ。なんだ、急にやる気出しやがってよお?そんじゃ後はテメエに一任するわ。余計な茶々入れてヘマしたらペナルティだぞ。覚えとけ。どうだ?断るか?」

 

 景朗は木原数多から端末を奪い取り、襲撃施設を確認する。

 

「クソッ!行くさ!」

 

 考えるまでもなく、奴らの招く惨劇が目に浮かぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 銃声と怒声。上階から?下から?玄関から?屋上から?ベランダから?どこからかまるで把握できない。その全てからと言われても、納得できそうだった。"カプセル"本部、とある"蜂の巣"内の雑居ビルは今この時、最も恐れてきた事態に見舞われている。

 

 ビルの何処へ逃げようと、ありとあらゆる場所から身体の危機を匂わせる闘争の足音が。

 

 "カプセル"の構成員の青年は、状況をほとんど理解していないであろう、自らの弟を抱えて走った。何故、自分たちが襲われているのか。青年にすら、思い当たるところがなかった。

 

「兄ちゃん?」

 

 今にも泣き出しそうな弟の声色には、はっきりと怯えが含まれている。ただならぬ事態であることだけは掴み取っているのだろう。

 

 仲間の悲鳴がだんだんと大きく聞こえてくる。彼を突き動かす、2種の恐怖。自分は殺されるのだろうか。そして、何も知らぬ弟まで巻き込まれるのだろうか。

 

 彼はひとつの可能性に賭けた。階段を駆け上り、目的の部屋へ飛び込む。室内には。慌ただしく銃を手に取る同僚。狂乱し、必死に何処かと連絡を試みる上司。邪魔な男たちをかき分け進み、青年は部屋にたった一つの、小窓を押し開けた。

 

 小窓と言えども、ガッシリとした作りの防弾使用。故に完全には開かず、換気をするだけで精一杯の隙間が生まれるのみ。大人1人が通れるほどの大きさはない。しかし、彼の抱える、去年の春にようやく小学校に入学した弟ならば、くぐり抜けられる。

 

 窓の向こうは隣接するビルとビルで作り出す目立ぬ路地裏。青年は予感する。襲撃者は手練のはずだ。見つからずに逃げおおせられる可能性は低い。それでも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "蜂の巣"へと転がり込んだ景朗には、直ぐに目的のビルがどの建物なのか判断できた。火薬の匂い、発砲音。その見えない道しるべが、景朗にとってはこの上なく分かり易かった。

 

 第七学区にひっそりと存在する、通称"蜂の巣"と呼ばれる雑居ビルの無法地帯。住人たちは慣れたもので、対岸の火事に見舞われぬよう息を潜めているらしい。

 

 

 微かに聞こえる。闘争と殺戮を詰め込んだビルのすぐそばで、"猟犬部隊"の女性隊員の姿を捉えた。ビル脇の路地の交差点に身を潜めた彼女へ、景朗は掴みかかる。

 

 

「無線を貸せッ!」

 

「ケルベロス?!」

 

 霞のごとく出現した景朗に対応する間もなく、女性隊員は通信機を奪い取られた。マスクに隠された顔は窺い知れぬが、その歯がゆそうな態度から彼女の心境は表に現れている。

 

「Dogs, こちらスライス。ブレイク、ターゲットは殺すな。抵抗してない標的は確保する!オーバー!」

 

 相手は"カプセル"。彼らが傭兵でも雇っていなければ、それほど"猟犬部隊"が手こずるはずはない。

 

「Dogs, こちらスライス!繰り返す、抵抗していないターゲットは殺すな!ブレイクオーバー」

 

一息の間、隊員たちからの返事を待つものの、静寂だけが通り過ぎていく。気が滅入ることに。基本的に"猟犬部隊"の実働員は頭のイカれた奴が多い。陳腐な表現となるが、血に飢えた連中だ。

 

『ホテル1。スライス、ネガティブだ。抵抗が激しい。アウト』

 

 ようやく一つ、抑揚の無い返答が届く。ネガティブ、という返信。命令がきけない、と相手は答えた。

 

 その隊員の返事を、景朗は今ひとつ信用しきれなかった。何故なら、ビルの内側から響く、戦いの騒音が物語っていた。

 

 軽快に生じていく、聞き覚えのある銃器の砲声。その後には、聞き覚えのない人々の絶叫。これでは"猟犬部隊"が圧倒しているとしか思えない。

 

 命令に従うのが煩わしいから、適当に嘘をついているに決まってる。景朗は唇を噛みしめた。

 

 冗談にもならない話だ。実は、"猟犬部隊"の中で景朗の名目上の扱われ方は、"兵器"だった。人間の階級にすら位置していない。アレイスターに"猟犬部隊"に加われ、とだけ命令された結末が、それだった。それ故、毎回のように木原数多とは歪なやり取りを演じている。

 

「Dogs, これはボスからの命令だ。ターゲットは殺すな!ドゥーユーコピー!?」

 

 返事はない。通信機を持ち主の女性隊員の手元へ叩きつける。通信機を片手に、彼女は肉に匣に景朗へ言い放った。

 

「ああ、そうなの、スライス。私はボスがそんなこと言い出すとは思わないけどね」

 

「チッ。クッソッ!」

 

 "猟犬部隊"に属する隊員たちは、"殺し"の特技を無くせばそれこそ良い所は何も残りそうもない、クソッタレどもの集まりだった。学園都市謹製のスマートウェポンを使いこなし、テクノロジーレベルが外界とはふた回りも進んでいる"この街"独自の"市街戦"に精通している者たちである。

 

 もたもたしていれば、あっという間に終わってしまう。景朗はポッカリと空いた、仲間が突入に使ったと思しき壁の穴へ飛び込んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "カプセル"のアジトへ踏み入り、最初に目撃したのは。一方的に殺戮された"カプセル"構成員の遺体だった。奇襲を受け、抵抗する間も無かったのだろう。その部屋はあちこちに流血が降りかかり、内壁は朱色に波打っていた。

 

 "猟犬部隊"の動き出しは早かった。"カプセル"とバイオテロ事件との関連性が疑われるやいなやの、"カプセル"本部への奇襲攻撃。ビルの側面数箇所から壁を破壊して突入した彼らは、瞬く間に内部を制圧していったはずだ。

 

 景朗は僅かに遅れてこの場に到着していた。その数分の遅れのうちに、ビルに在していた半数の人間が既に事切れ、床上に無残を晒している。

 

 間に合わなかった。転がっている人たちに視線を巡らせる。男性も、女性も、青年も、少女も選別されることなく一様に銃撃の痕が見て取れた。

 

 

「つあッ!」

 

 気合を入れるように、景朗は声を上げた。

 

 まだ、全てが終わってはいない。聴こえてくる。上階では戦いが続いている。生存者はまだ存在するのだ。

 

 景朗は階段を駆け上がった。破壊の痕跡が仲間の辿った道を教えていた。全ての感覚を奮い立たせ、未だ抗争の続く場所を探す。"カプセル"側とて、腐っても暗部組織。いくつかの箇所で、粘り強く抵抗を続けているようである。

 

 

 駆け上がったフロアは、ひときわ騒音が激しかった。景朗はその中心へと迫る。そして廊下の角を曲がったところで、銃撃戦に出くわす。

 

 通路の反対側に目をやれば、狭い廊下に防弾素材のテーブルがいくつも転がされ、積み上げられている。更には隙間を補填するように、最新の硬化樹脂までが塗り固められていた。唯一、微かに空間が設けられたところからは銃口が覗き、盛大に火を吹いている。

 

 景朗はその光景に見覚えがあった。記憶を探り、瞬時に思い出す。そうだ。戦争映画で、あんな風な銃座を見たことがある。もっとガッシリした造りだったけど。

 

 ……たしか、トーチカといったはず。敵の攻撃を防ぐ防壁に、攻撃を加える銃座が付随した防衛陣地。

 

 

 即席のトーチカもどきを作った"カプセル"側は激しい弾幕を張り巡らせている。不利な状況へ追いやられた"猟犬部隊"隊員は接近を阻害されていた。

 

 

 からくも制圧した部屋のドアから銃口だけ指し伸ばし、応戦する隊員たち。彼らへ忍び寄った景朗は、そのうちの1人からヘッドセットを奪い取った。

 

「あぁ?!スライス!よくも――」

 

 突然の蛮行に怒りを燃やすも、ヘッドセットを奪われた男は振り向き覗いた景朗の姿に口を噤んだ。

 

 

 

 取り上げたヘッドセット片手に、景朗は叫ぶ。

 

「Dogs!俺ガ無力化サセル!倒レタ奴ラハ拉致ル!殺スンジャネエゾ!」

 

(こいつらに殺される前に意識を奪わないと)

 

 男が黙り込んだ理由。それは幾度目にしようとも一向に慣れない醜い獣が、背後に立っていたからだった。蛇のように鋭く尖った両眼が、彼の顔面へと注ぎ込まれていたためだった。

 

 男の真後ろで。景朗が姿形を変えていた。ただの人間から、空想上の異形へと。

 

 

 

 水分子が凍り突き、美しい六角の紋様を形作っていくように。ピシリ、と景朗の皮膚は硬質化し、薄らと光沢が肌に波打っていく。色彩こそ変化は無いものの、よく見れば皮膚全体に網目のように、細かい鱗が生え揃っていた。

 

 堅牢な建築物の内部。こういった狭い空間が戦場となる場合、景朗は人型を維持したまま、躰の組成だけをその都度変化させて戦闘に臨む事があった。人型を維持し、身体の適材適所を変身させた姿。獣人を模したその形態を、彼は便宜的に"獣人症候(セリアンスロウピィ)"と呼んでいた。

 

(丹生の事笑えない。変身のバリエーションが増える度に、名前つけとかないと咄嗟に思い出せない時があるな、案外。一度戦闘で使えば躰が覚えてくれるんだけど。特に頭ん中で考えてただけのアイデアは思い出しにくいかもしれないな)

 

 

 

 

 

 "リザードマン"は愚直に弾丸の嵐を突き進んだ。大口径の銃弾。薬莢に封じられていた火薬、その恐るべき化学エネルギーから生み出される衝撃が、まるで小雨のように受け止められていく。

 

 景朗は一切たじろぐことなく、トーチカを突き抜け、"カプセル"の射手たちの懐へ迫る。すれ違いざまに毒爪を掠らせた。

 

 

 

 バタバタと倒れゆく人影を跨ぎ、景朗はそのままくるりと躰を流すと、両腕から毒針を放った。サボテンの刺座(とげ)を彷彿とさせる無数の針。それが肌から顔をのぞかせるやいなや、弾け飛んでいた。

 

 トーチカの裏側、射手たち2人をサポートするように待機していた、数名の構成員。彼・彼女たちはまだ子供に見えた。針は、その呆然と立ち尽くす少年少女たちへ降り注がれる。全てが命中した後、フロアは静まり返っていた。

 

 

(近くにこいつらがいたらガス攻撃が使えない)

 

 

 

 道を切り開いた"リザードマン"へ、背後の仲間たちは忌々しそうな視線を向けている。彼らは景朗の催眠ガスに対処できる装備を所持していないように見受けられた。隊員たちを一瞥し、彼らとの共闘が逆に自らの行動を阻害するだけだと察した景朗は、彼らを置き捨て先を急いだ。単独で、このビルに残る全ての生存者を無力化させる腹積もりだった。

 

 

 

 

 

 とある部屋から人気を感じた景朗は、虚を突くようにドアをぶち破り、突入した。

 

「撃つぞ!」

 

 発せられた声は、景朗へ向けられたものではなかった。

 

 拳銃を構えた青年が2人。1人はドアのすぐそばで不意をつくように息を潜め、もうひとりは窓の正面にたち、景朗をまっすぐ睨んでいる。合図を出したのは、部屋の奥に陣取っていた青年だった。

 

 銃弾が発射された。ミシリ、と銃弾が景朗の肩に辺り、鈍い衝撃を生み出す。しかし、気の毒なことに、景朗に対しては、それほど意味のある抵抗にはならなかった。そして銃声は、たったの一度きりで終わっていた。

 

 片手で入口横の男を払うと、景朗は正面の青年を見つめ、口を軽く開いた。次の瞬間、開かれた景朗の口から、快音が生じていた。

 

 

「ぶ!ぐ、あ!」

 

 くぐもった青年の吐息。原因は、獣人から数メートル程も伸ばされた、力強い、カメレオンを思い出させる長い舌だった。

 

 目にも止まらぬ早さで眼前の青年の両腕を絡め取るように巻き付いた舌は、そのまま伸長し、青年の首元まで巻き付いた。直接触れた肌から極小の針が無数に生え、青年は睡眠薬を流し込まれて気絶した。

 

 

 

 

 1秒すら経たずに部屋を制圧した景朗は、すぐさま次の生存者を探しにドアへ向き直った。が、そこで彼の足がピタリと止まった。獣人が、何かに気づいた。

 

 

 

 鼻腔をくすぐる、新鮮な空気。直前まで窓が開けられていたのか、と景朗は勘ぐる。そしてさらに。窓の近くにいた青年。彼はなんとなくだが、そのひとつしかない窓を気にかけるように、身体を動かしていたような気がしたのだ。

 

 獣人は素早く部屋の奥へ入り込み、窓を強引にぶち開けた。視界いっぱいに隣接するビルの壁が映る。景朗は更に、窓の下を覗き込んだ。

 

 

 

 

 

「ひ」

 

 真下から、声にならない悲鳴を飲み込んだような音。小学校低学年くらい少年の姿が隠れていた。窓の直下、壁に張り付くように息を殺す、幼い少年の姿があった。逃げ出そうとしていたところを、景朗に発見されたのだ。

 

 何らかの能力を発動しているのだろう。窓の外、屋外、十メートル近い側壁の下。幼い少年がまるでイモリのように両腕両脚を平たく、凹凸のないツルツルの壁に押し付け、安定して静止している。

 

 少年と視線が交わった。景朗の瞳に、はっきりと映りこんでくる。この男の子は、目撃したのだろうか?目の前で肉親が殺される衝撃。命を脅かされる恐慌。悲しみに押しつぶされ、心まで痙攣しているように見えるほど、その男の子は小さく小さく、震えていた。

 

 今この時、どれほどの激情が彼の中で産まれているのだろうか。まるで、地に足を付いていた大地が剥がれ落ちるような。世界が破壊され、心にヒビが入っていくような、そんな"悲劇"を、景朗は幼い少年から我が事のように感じ取っていた。

 

 かつて、自身が経験して来た悪夢よりも、もっと救いようのない衝動を。彼は今、その心身に刻み込んでいるに違いない。そのはず、だ。その、顔は。

 

 少年の暗く絶望に満ちた眼が闇に反射した。景朗は息が詰まった。

 

 

 

 

 

 少年が硬直したのは邂逅の瞬間。まばたきほど、ほんの短い時間であった。凝りは一瞬で氷解し、彼はすかさず、絶壁をするすると下へ進みだす。両手両足が張り付き、手足を引っ掛ける場所が無いはずのビルの側面をぺたぺたと這いながら降下していく。ところが、やはり景朗に目撃されたせいか、少年は平静を失っていたらしい。

 

 ドサリ、という地面に柔らかい肉の塊が激突する音。

 

「ぐう!」

 

 能力を安定して使用できなくなった彼は音もなく落下した。滞空時間は一瞬。残り数メートルの距離を自由落下した形となった彼は、激しく地面に体を打ち付け短く呻く。だが、怪我をするほどの高さでは無く、景朗がにらんだとおり少年はすぐさま起き上がろうと藻掻き出した。

 

 

 景朗は脳内で対策を張り巡らせる。落下した少年の保護策を。"猟犬部隊"が襲撃したこの施設。中に居た人間は、もう全員余すことなく捕えただろうか。であれば、あの少年を憂いなく追いかけられる。……いいや、まだそれはできない。上階にあと数フロア残っている。

 

 だがしかし、いずれにせよ残っている人たちは少なそうだ、と景朗は予想した。まだ数階、上に景朗が制圧していないフロアが残っているにも関わらず。

 

 理由は単純だった。どうやら屋上からも部隊は侵入していたようだったのだ。景朗は、ビルを制圧しながら駆け上る間、より上階から争う物音を耳にしていた。その騒音も、もう、すぐ上の階にまで差し迫っている。残されているのはおそらく、景朗が今いるこの階のターゲットたちだけ。建物にいた人たちは皆、殺害されたか、意識を失い捕縛されているか、そのどちらかだろう。

 

 急いでこのフロアを片付け、その後あの少年を追いかける。屋上から来た連中は俺の制止を無視して、残っている人たちを殺すかもしれない。それを防ぐためにも、まずこのフロアの人たちの意識を奪っておかなければならない。

 

 目線の先では落下した少年が立ち上がり、路地を駆け抜け逃走を図っていく。景朗は少年の逃げる行先を掴み、にわかに安堵した。その路地の先には見張りの隊員が1人待機していたはずなのだ。この建物に入る前に、見張りの顔まではっきりと記憶している。

 

「ルル、そっちにガキが逃げ出した!いいかッ殺すなよ!絶対に殺すな!そいつは捕まえなきゃならねえ奴だ!」

 

 叫び声は十分に届く距離。景朗は近くに居るはずの隊員へと叫んだ。見張りに残った"猟犬部隊"の隊員はルルだったはず。しかし、声をかけた相手から期待した返事はない。絶対に見張りはいるはずなのに、と景朗は盛大に毒づいたが、踵を返して残りの部屋へと向かう。

 

 景朗は一刻も早くそのフロアを制圧して、あの少年を追いかけたかった。言付けた隊員だってどう対処するかわかったものではない。少年が能力を使ってしぶとく逃走を図れば、面倒臭がって殺してしまうかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夕方。上条当麻はタイムセールのチラシを目ざとく見つけ、未だ見果てぬ第七学区中央エリア、遠方のスーパーマーケットへ遠征に繰り出していた。

 

 遠出した甲斐もあり、目当ての商品、特に1パック50円の激安タマゴを数点、獲得できていた。上機嫌で暮れなずむ第七学区の道端を帰路に着く、上条当麻。これで、ここしばらくの蛋白源枯渇問題に終止符を打てるはずだった。

 

 だが、そんな彼を、突然の不幸が襲う。

 

 

 

 

「たっ、たすけて……ください……」

 

 気弱そうな、男の子の、蚊の鳴くような叫び。偶然耳にした上条が、ちらりと真横を振り向けば。視線の先、路地裏の奥まった暗所。自販機の陰。

 

 中学生の少年が、彼の背丈を軒並み超える3人の不良学生に壁に押さえつけられ、詰め寄られていた。上条当麻の、最も大嫌いなもののひとつ。第七学区名物、新鮮な"カツアゲ"が今にも香ばしく、おいしく揚げられようとしていたのだ。

 

 

 上条はパンパンに膨らんだ両手のビニール袋に、別れを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぜぇ、はぁ、はぁ、ぜぁ、は、走ったぁーっ……」

 

 あの少年は無事に逃げ出しているだろうか。いつもの口癖、"不幸"をその身に刻みつつ、"不幸"を打ち砕かんと自ら路地裏の闇に臨んだ上条。

 

 笑顔の造り方を遺伝レベルで忘れてしまったのでは?と疑ってしまうくらい、無表情を見せつけてくる不良生徒3人に対して。最初から原始的なコミュニケーション方法に頼る必要もないと、言葉による交渉を推し進めた上条だったが。

 

 両手に戦利品を抱えた上条が、不良どもには体のいいサンドバッグにしか見えなかったらしい。直ぐに拳が飛んできて。タマゴを守るために、彼は闘争よりも逃走を選択せざるを得なかった。

 

 その時のどさくさに紛れ、哀れな被害者が表通りへ逃げ出したのを尻目に、気づけば上条は反対の路地裏へ駆け出していた。

 

 

「あー、くっそ。卵やっぱ割れちまってる。ちっくしょー。せっかく特売間に合ったと思ったのに。こんなとこまでやってきて、走り損になっちまったじゃねーかっ!」

 

 不良生徒3人を煙に撒く間に、あちこちにビニール袋をぶつけてしまった。案の定、戦利品には深刻なダメージが発生してしまっていた。

 

「あーもう。こうなりゃ今更だ!」

 

 上条は荒々しく両手の荷物を地面に置き、壁に背を付け、息を整える。たしか、戦利品の中にスポーツドリンクが入っていたはず。ゴソゴソと袋を漁る上条へ、息つく暇もなく、本日二度目の不幸が迫り来る。

 

 

 

 

 

「たずげて!たずけてください!」

 

「はぁー。やれやれ、またですか。たった今スキルアウトさんたちと今日もお別れの挨拶をやったばっかだってーのに。はいはい、一体なんでせうかガキんちょ。いったいどーしたん――――ッ!」

 

 気だるげに顔を上げた上条の表情が、一気に凍りついた。

 

 突如、人気のない路地裏で、すがりよってきた少年。その幼い男の子の、極限まで緊迫し、歪められた相貌。

 

 余りにも、平和な日常生活とはミスマッチする違和感。ヒリヒリと、上条の首筋をくすぐった。

 

 

 

 

 伊達や酔狂で、人間はこんな怯え方をするものではない。

 

 

 

 

 

 

「どうした?!何があった!?」

 

 身体中擦り傷だらけ。その少年のただならぬ様子に、思わず上条の声色も上ずっていた。

 

「たずけてください!兄ちゃんたちが……にいちゃんだちがっ……」

 

 ぽろぽろと涙をこぼし、嗚咽が邪魔をして、少年の言葉が聞き取れない。

 

「大丈夫だ。心配すんな。何があったんだ?落ち着いて、ゆっくりと話を――」

 

 

 少年の肩と腕を掴み、落ち着かせるように微笑む上条。冷たくなった少年の身体からは、度を越した震えが次から次に滲み沸く。手に触れた冷たい感触に、上条は思わず手に力が入っていた。

 

 自分程度の手のぬくもりじゃ、この子を温めてあげることはできそうもない。上条は無力さを微かに感じ始めた、その時。

 

 

 

「そこにいたのか!」

 

 突如、張り上げられた大声。

 

 

「っ!?」

 

「兄ちゃんっ!」

 

 

 上条と少年の背後から、青年が一人、足早に駆け寄ってくる。上条と目が合うと、その青年はすまなそうに会釈を返した。

 

「すみません。弟がご迷惑をおかけしました。おい、何の遊びか知らないけど他の人に迷惑かけちゃ駄目だろ!早くこっち来い!」

 

 少年の兄を名乗ったその青年は、憮然とした表情で少年へと、手を伸ばした。

 

 

 

 

 

「兄ちゃんっ!!」

 

 駆け出そうとした、少年の手首を咄嗟に抑える。少年は少し困惑したように上条を見上げていた。

 

 

 

 

「あー、オニイサン、なんですか。すみません。ちょっとこの子の名前だけ、呼んでもらってもいいですか?おにいさん、なんですよね?」

 

 突然、何を言い出すんだ、君は。不思議そうな面持ちの、少年の兄。上条は笑顔のまま、青年へと言葉を濁す。

 

「すみません、なんだか疑ってるみたいで。この子、さっきやたら怯えちゃってたものですから」

 

 何故、少年の兄は微笑んでいるのだろう?うすら笑いを浮かべたまま、上条の言葉を無視した青年は手をつなぐように、差し出した腕を幼い少年へと揺らめかせた。

 

 少年の手首を掴む上条の手に、力がこもっていく。

 

「あのー、弟さんの名前、ですよ?」

 

 

 

 

 

 

 上条は反射的に、右手を前に差し出していた。

 

 

 上条が口を動かした、その直後には、既に。小さな火山が噴火したように、目の前の青年の口から白色のガスが吹き出ていた。白雲が上条へ届くギリギリのところで、突き出された右手がその濃霧に触れる。

 

 きっと、この世で彼だけが知っている感覚。"能力"が打ち消される感覚が、右手を通して上条へと伝わってきた。

 

 瞬き一つ。まるで、目の前に突如現れた霧が幻だったかのように、一瞬で立ち消えていた。

 

 

 

「そうか。お前、不思議な奴だな。範囲が広い攻撃の方が避けやすいとは」

 

 少年の兄を名乗ったその男は、顔からあらゆる色が失われていた。

 淡々と上条を見つめ、男は口を開く。

 

 

「あんたは関わるな。今すぐこの場を失せたほうがいい。今すぐに、とっととその手を離せ。……でなきゃ力づくだ」

 

 そして、上条は。その男の両眼が、闇に怪しく輝いた、気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~如何、06/06追記分です~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうして捕まえなかった、テメエ!?」

 

 肩を怒らせた獣人に詰め寄られ、"ルル"と呼ばれた"猟犬部隊"の女性隊員は後ずさっていた。彼女を射抜く、獣の緋い眼光。殺到する敵意に足は痺れ、恐怖に沈みそうになる。

 

 巨大な人影。この"猟犬部隊(ハウンドドッグ)"の象徴たる"兵器"。暗部の深淵を体現させたかのような醜い異形を前に。怯みそうになる心を隠して、彼女は睨みつけた。

 

 "ケルベロス"。生意気な若造。"才能"に飽かせて仕事を蹂躙し、自分の都合のままに隊員たちの行動に口を出し、茶々を加えてくる。

 

 だから、命令を無視した。子供をわざと逃がした。ルルは気に食わなかったのだ。景朗の偽善的な行動全般が。それはルルだけに限らず、他のほぼ全ての隊員に共通する感情だった。

 

 "猟犬部隊"に、目の前の少年に対して確執を持たぬ者は極一部。例外は、不覚にもこの若造に命を救われたマヌケどもが数人いるかいないか。

 

「はっ!オマエ、途中から散々フカしてたじゃないか。『手ヲダスナ』『倒レタ奴ダケ運ンドケ』ッて、吹いてた威勢の良さはどこだい?アタシらはぶっ殺すのが任務なんだ。ワザワザ捕まえてえってんなら、テメエが自分でやりな!」

 

 地響きと聴き間違えそうなほど、低く猛っていた唸り声が止んでいく。静まり返った獣人は切り替えも早く、体躯をミシリとしならせた。

 

「ボスに訊き直したよ。今回の件、しくじったらアンタがペナ喰らうんだってね?」

 

 逃げた子供を追いかけるのだろう。横切って駆け出していくその背中へ、彼女は気分良く言い放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 心配は露と消えた。匂いを頼りに追跡すると、すぐに標的の現在位置を特定できた。少年はもう移動してはおらず、一箇所に留まっている。あの子はまだ幼かった。延々と逃げ続けられる体力はなかったのだろう。疲れに足が止まったのか、と安堵しかけたその端に。少年の隣にもうひとり、嗅ぎなれた人物の気配を察知してしまう。

 

 

 

 息を殺し、夕闇に溶け込む通路の奥を目視した景朗は、その場で舌打ちを噛み殺した。この日に限っては、そうすんなりとは物事は運ばれてくれないらしい。ここにきて、またしても余計な障害の登場。見覚えのありすぎるツンツン頭が、ターゲットの少年と一緒にくっついていた。

 

 

 今この時この場所で、何としても御相手をご遠慮被り願いたい人種。そんな奴らを無理矢理に例に挙げるならば、"幻想殺し"は"第二位"や"第一位"に並んで上位に列挙される。特別に厄介で扱いに困るキワモノだった。

 

 暗部で様々な任務をこね繰り返す景朗が、最も繊細に慎重に取り扱う必要のある、ここ一番の重要人物。悲しいかな、本人を含め、ありとあらゆる人物の都合の悪い修羅場に空気を読まず首を突っ込んでくる。それが上条当麻という男だった。ある意味、景朗の知る通りの出没を披露してくれた訳だ。

 

 

 

 

 

 子供一人だけならば、どれほど楽な作業だったことだろう。手っ取り早く取り逃がしたその子を抱え去るはずが、"幻想殺し"の出現でそうもいかなくなった。

 

 よりにもよって、この野郎とエンカウントするとは。ぎこちなく働く思考が、答えをひねり出した。彼を前にしては、景朗は穏便にことを済ませる必要がある。

 

 下手に危害を加えては、後でアレイスターにどのような仕打ちを喰らうか知れたものではない。上条との直接的な対立はできれば避ける。荒事無しでこの場をやり過ごす。

 

 となると、何か一計を案じなければ。真っ先に頭に浮かぶ。警備員に変装して子供を横取りでもしようか。

 

 採用しかけた閃きが、陰る。景朗の心に不安がよぎった。あのツンツン頭は、あれでいて抜け目ない。子供を引き渡してもいい、安全で然るべき機関や組織のところまでベッタリと付き添ってくる。いいや。寧ろ、その光景がありありと目に浮かぶ。

 

 

 だが、どちらにせよ上手く変身能力を活用できれば、上条と争わずに済みそうだ。

 

 施設で見かけたメンツの中で、少年と顔見知りの可能性が高い人物を記憶に探す。そうして景朗は、少年を見つけた部屋で昏倒させた青年へと変装することにした。

 

 当てずっぽうの勘は冴え、偽装した人物は都合よくその子供の兄だったらしい。すわ、企みはそのまま成功するかに思えたが。

 

 何故、こうもあっさりと変装がバレたのか。それもまた憎らしい。とかく、せっかくの計らいは虚しくもまた、上条当麻に台無しにされてしまった。

 

 

 

 

 

 ダメ押しの、意を決して放った催眠ガスも自慢の右手で斬り払う始末。"カミやん"は、とことん意図に沿わぬ対応を取るつもりらしい。

 

 

 当然の成り行きだろうが、今では完全に不信感を持たれてしまっている。当の本人、上条当麻は左手は守るようにがっちりと少年の手首を抑え、手放す様子は欠片もない。唯一の武器である右の拳を軽く突き出し、臨戦態勢。どう好意的に解釈しようとも景朗に立ちふさがる気概だ。

 

 義憤に躰を滾らせる上条の態度は、分かり易す過ぎた。険しい顔つきのその意味が、手に取るように理解できる。

 

(ああ。想像以上だ。想像以上にお前のそのツラにはうんざりさせられるよ。どうせお前はまたひとつ、『"不幸"を見つけた』とでも思っているんだろ)

 

 

 

 毎日のように学校で顔を合わせているのだ。よく理解している。上条自身に訪れる不運な出来事だけでなく、たとえ赤の他人であろうとも、身近にいる人間に降りかかる不条理が有るのなら。それらもまた、彼の言うところの"不幸"の範疇に含まれるのだ。

 

 こうなってしまえば最早、目の前の男は簡単には引き下がらない。

 

 

 

 人の気も知らず。その子供にまとわりつく因縁も存ぜず。このウニ頭は果たして、助ける気でいるのだろうか。助けられると思っているのだろうか、その右腕一本で。

 

 一目瞭然だ。助ける気満々なのだ、この青年は。

 

(頼むからさ。邪魔してくれんなよ。お前じゃ無理だってのに……ッ!)

 

 "幻想殺し"たったひとつで、その子の闇に覆われた運命は覆せやしない。上条は余計な抵抗を披露してくれる腹積もりらしいが。

 

 

 

 

 

 ただただ、鬱陶しい。

 

 

 

 

 

 

 景朗は平静を保とうと、心境をこねくり回した。尚も偽装している青年の、その仮面の上から、さらに能面のように無表情を張り付ける。沸き立つドス黒い心を押さえつけるために、強引に顔から抑揚を抜き取ったのだ。それでも衝動は抑えきれず。景朗は痛いほど、その感情を自覚しつつあった。

 

 

 

 上条当麻が煩わしい。苛立つ。むかっ腹が立つ!揺るぎない決意に溢れた彼の、その勇気に。景朗は傲慢にも、唾を吐きつけてやりたくなっていた。興奮を無理矢理に能力で押さえたが、胸の内に沸き立つ悪意までは消えてくれない。

 

 

 それが、暗く底意地の悪い感情だと端から理解していても、止められなかった。上条当麻に対する嫌悪感。その発露を、はっきりとこの時、意識した。

 

 

 心を狂わす、軽蔑にも似た上条への敵意。発端がどのようなものだったか覚えていない。彼と接するうちにだんだんと芽生え育まれたのか、それとも、一目会った時から既に存在した確執だったのか。両方だな、と景朗は明瞭に、その瞬間に結論づけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 青髪ピアスという渾名を拝命して、長らく上条当麻の護衛監視任務についていた。四月の入学式の時に出会ってから、ちょうど三ヶ月が経過している。

 

 その期間を、同じ学校、同じクラスで、四六時中、土御門を含めた3人でツルんでいれば、そこそこの付き合いだと形容してもおかしくはないだろう。

 

 暇なくバカ話に興じたり、昼飯のおかずを賭けてこれまた下らない勝負が勃発したり、たまの放課後にはともに街をぶらついたり。

 

 朱に交われば赤くなる。軽快なコントのように下らない話を繰り出す2人のノリに当てられ、景朗も彼らと競うように、笑いを誘うネタ話を躊躇なく繰り出すようになっていた。そうしている内に気が付くと。上条たちと繋がるように、更に友人の輪が広がっていた。

 

 

 予想できるはずもない。素顔を偽り"任務"へと臨んだその学校で、望んでやまなかったありふれた学校生活が待っているだろうとは。数多くの人間と、旧来の友のようにやりとりを交わす日常。正直に言ってその点は、長点上機学園に通っていては成し得なかった特典だとすら思えていた。

 

 

 

 

 "任務生活"がそれほど有意義となったのには、景朗自身の変化も影響していたのかもしれない。

 

 切っ掛けはなんと。潜入前に土御門が景朗へみっちり叩き込んだ謎のヲタ知識だった。それが見事に花開いた。

 

 端的に言えば、身も蓋もない。脳みそから思考回路を経由せず、直接舌から湧いて吹き出すレベルの下ネタやセクハラまがいの発言を、景朗は物怖じせずに口にするようになっていた。

 

 より柔らかい説明をすると。一度"青髪ピアス"としての仮面をかぶると、景朗は人が変わったように明るい性格へと変貌を遂げるようになった。そういうことだ。

 

 

 その事実はなにより、変装した当の景朗本人が最も驚いたことだった。しかし、そのことは意外ではないのかもしれない、と景朗はよくよく思い直した。

 

 

 何故なら、どんなに頭の悪い発言を繰り返そうとも、評判が悪くなるのは仮想の人物、"青髪ピアス"君なのであり、"雨月景朗"当人ではない。

 

 ならば、何も遠慮することはない。口にしたいことを好きなだけ言い繕わずに、告白してしまえばいい。その様な思考が、意識せずとも存在していたのだろう。

 

 土御門からの助言通り、なるべく本来の自分とはかけ離れた性格の、別の人間を演じようと試みた。その結果、他人に悪し様に叩かれるのを顧みず、底抜けに裏表なく本心を吐露する"青髪ピアス"というキャラクターが生まれたのだ。そんな"青髪"の奇行は思った以上にクラスメイトに受け入れられ、少し嬉しさを感じていたりもする。

 

 

 とは言うものの。流石に調子に乗って馬鹿をやりすぎたらしい。夏休みも迫ったこの時期ともなると、誰かが言い出した"デルタフォース(三馬鹿)"という呼称がすっかり定着し、周辺のクラスの生徒たちにもその呼び名で通用する塩梅となっていた。

 

 けれども、そのような噂もどこ吹く風。景朗は全く気にしていなかった。況や、むしろその状況を楽しんですらいた。不思議な話だ。心の奥底でほのかに憧れていた、友人たちとの気のおけない語らい。手が届かぬと諦めていたそれが今になって、任務の一貫として思わぬところから転がり込んできたのだから。

 

 想像もしていなかった。これほど面白おかしくも楽しい潜入任務となるのだとは。笑いに満ち満ちていた三ヶ月だったという印象が残っている。

 

 

 

 

 

 

 その過程で。いつの間にか景朗は上条に対し、重々しくも複雑な感情を抱くようになっていた。

 

 初めは、上条を友人だと受け入れていく気持ち。その次には、自らと同じくアレイスターに見初められ、裏で操られている彼への同情が。そして最後の最後に。両者の立場の違いから生じる、嫌悪を含む醜い嫉妬。色とりどりの想いの蕾が、景朗の心根の先に膨らんでいた。

 

 任務の垣根を越えて友情めいたもの、親愛めいたもの、そして最後に、小さな小さな悪意のようなものが、気づけば心の隅に巣食っていたのだ。

 

 もう一度言う。景朗は、上条当麻が嫌いではない。逆に、友人として大いに好意を抱いていた。それこそ仕事の都合上、騙し続けていることに罪悪感を持つようになるくらいには。

 

 仕事を忘れ、素のままの高校一年生として、三馬鹿たちとともにエロい話や馬鹿げた行動をカマす。景朗の人生でも、上位にランクインするほど最大級に愉快で気分が良い瞬間だ。

 

 本音を晒せば。本当の友達のように、任務を意識の彼方へ追いやり自主的に上条と連れ立って3人で、街へ乗り込み遊びほうけた。そんな日すら、幾度か存在した。

 本心を頑なに隠す土御門でさえもその時ばかりは本心を晒していたのではないか。笑顔の下に偽らざる素顔を見せてくれていた。そう感じられていた。

 

 

 

 たった一言で、今までの任務の全てを表現できる。なんだかんだで、上条らとつるむのは楽しかったのだ。

 

 今年の四月早々に、火澄たちと思わぬ形で疎遠となってしまった。いや、それはむしろ景朗が自ら距離を置くように行動していた、と表現するのが正しかったが。どちらにせよ、以前のように彼女たちと交友を持たなくなった彼にとっては、用意には認めたくない事実となろう。

 

 "青髪ピアス"として自分を偽り、気ままに振舞うこと。それはいつの間にか、心身ともにリラックスできる時間に変質してもいた。上条の"右手"との不用意な接触だけは不安の種だったけれど。

 

 

 

 

 

 

 しかしそれでも。人と人との関係、感情の縺れは一筋縄ではいかない。いかなくて当然だ。

 どんなに交友を深めようとも。景朗には上条に対し、一方的にわだかまりを感じずにはいられない時間が存在した。

 

 それは決まって、上条が"トラブル"に見舞われる場面に起きる。その時彼は必ず、"ある言葉"を放つ。

 

  "不幸"の二文字を。

 

 景朗は、彼の時々発するその台詞に、どうしても。冷ややかな目線を送らずにはいられなかったのだ。

 

 

 

 




 色々お待たせしてしまってすみません。
 予想以上に長引いてしまいました。ダラダラと長く続けてしまい、お話を書いている私本人が、「あれ?これつまらなくねえ?」と思ってました。自分でも気づいていましたともorz

 ですから、次の話からは今までの話の遅れを取り戻すように、展開を目まぐるしく動かしていこうと思ってます。ヒロインズ3人の出番もありますよ……

 ちょっと今回のバイオテロの話は失敗しました。内容的なこと、話を引っ張らせすぎたこと。その両方です。

 次のエピソード以降は、もっと楽しくなるように、テンポがもっと疾くなるように、気をつけようと思ってます。

 新ヒロインも登場予定、です。これ、言っちゃうと面白くなくなっちゃいますよね。もっと慎重に発言していきますorz

感想も返信が遅れに遅れており、申し訳ないです。今日明日中に、感想返します!感想をくださった皆さん、今一度、感謝致します。ありがとうございました。


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episode25:酸素剥離(ディープダイバー)

※全話、episode24の終わりに追加で大量追記しています。どうか一目確認の後、episode25をご覧下さい


 

 

 

 上条当麻はこの上なくアレイスターに目をつけられている。純粋にその点だけ切り取ってみれば、景朗と似た者同士だ。だが、ふたりには大きな違いがあった。

 

 ずばり、あの化物じみた統括理事長から直接干渉を受けているかどうかだ。

 

 景朗はアレイスターに人質を取られ、意に沿わぬ命令に従わされている。それは雑用の一言で済む簡単なものから、後味も悪く罪の意識に苛まれ手を血に汚すような事件に関わるものまで千差万別であった。

 

 一方、上条は監視こそされているが、それ以上は何も手出しをされていない。それどころか、何も知らされず、逆に大事に大切に扱われている。

 

 自分たちの監視の目を除けば、上条はアレイスターから一切の操作を受けていない。そのことは最初のひと月ほどで重々理解できた。

 

 

 

 三月の終わり。冗談めいたやり取りを土御門と交わしつつも、潜入任務への準備に臨んでいた時だ。"上条当麻"が誰かも知らずにいたが、景朗はしっかりと標的の人物に対して警戒を募らせていた。短い付き合いではあったが、それまで何者にも興味を示さなかったアレイスターが唯一、執着してみせた対象だったからだ。

 

 

 件の重要人物との接触には神経質にならざるをえない。もしかしたら対象は景朗たちよりもっと深い闇に位置する、危険極まりない人物かもしれない。それこそ、普段は多くを語らぬ上司が目を剥くほど"命令"に注文を付けてきたくらいだったから。

 

 

 故に。通常の"任務"よりも、下手を打てば厄介な状況に陥ることだろう。仮にそうなってしまっても、なるべく自分ひとりだけに被害を留めたい。

 

 用心に用心を重ね、しばし徹底的に、景朗は全神経をターゲットの観察へと傾けた。

 

 

 

 その結果の話だ。たったひと月ほどで結論は出た。まず間違いはない。上条当麻は頑として、暗部に欠片も関わりはない。それどころか。

 

 控えめにも、良識ある好青年と呼べる人物だった。特筆すべきはその正義感だろう。迷いすらみせず、こちらの"任務"の妨げになるほどに色々な諍いに乗り込んで行き。常に誰かを助けようと藻掻く。

 

 それも尋常な数の"人助け"ではない。全くもって呆れるほど上条は多くの諍いに直面していった。それが可能なほど、不思議な事にこれでもかというほどトラブルが彼へと吸い寄せられていくのだ。理由はたった一言で説明できる。

 

 上条当麻は単純に、超のつくほど"ツイていない"少年だったのだ。

 

 運命の存在を半ば信じずにはいられなくなるほど、上条の周囲では一種の"トラブル"と呼ぶべき事件が発生する。本人が"不幸"と言い出すのも、あながち糾弾できない。当初は景朗ですらそう思ったほどだ。少し目を離せば、上条は様々なトラブルに巻き込まれていく。

 

 

 街を歩けばスキルアウトに絡まれ、しょっちゅう財布を紛失し、物珍しい類の事故はワザワザ上条の直ぐ側を選んでやって来る。おかげで最近、暗部任務以外の生活で意外性を感じる出来事が少なくなってきた。

 

 

 そして、その割には。決してめげず、トラブルに巻き込んだ人たちに媚びたりもせず。逆に片っ端から目に捉えた理不尽な暴力や悪意に立ち向かい、自ら解決に乗り出していく。

 

 

 

 話題が反れた。そう。確かに、上条当麻は"ツイていない"奴だった。あらゆるしがらみ無く接していれば、景朗はまた違った種類の印象を彼に浮かべたことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 そういう事だから、青髪ピアスの仮面を被るその度に。景朗は何度も彼の口から"不幸"の一言を耳にする羽目になった。

 

 飽きるほど同じ単語を聞いていればそのうち何も感じなくなるかと思っていたが、そうはならなかった。景朗は"不幸"の言葉が出る毎に、だんだんと考えさせられていった。

 

 "不幸"だ。そう、ため息をつく上条。しかし、なぜかどうして、その時。彼の表情は、どこか誇らしげで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 言うほど、こいつは不幸だろうか?

 

 ふと沸いた疑問。その疑惑を推し進めていく過程で、景朗は悟った。それはすなわち、自分と上条を比較する行為を意味するのだと。

 

 

 とうとう、上条が知らず知らずの内に暗部のゴタゴタに首を突っ込み、その尻拭いを"護衛監視任務"に就いていた景朗がなさねばならなくなった時。

 

 

 悲劇の渦中で涙していた被害者へ向けて、"助ける"と豪語した上条。彼の、去りゆくその満足気な背中を、景朗は"暗闇"からひとり眺めた。

 

 暗部組織と生じた、絡み縺れたトラブルも。彼が助けた気になっている被害者の行く末も。結局は裏で、景朗が始末をつけた。

 

 

 そうして。遂に思い至ったのだ。上条はそれほど"不幸"ではない。自分と比べたら大したことないではないか、と。よっぽど自分のほうが、"不幸"なのではないか、と。

 

 

 

 

 

 何故なら、同じくアレイスターに首根を押さえつけられている身分であるにも関わらず。上条は自ら口にする"不幸"とやらのどん底で、陰りのない笑顔を浮かべてみせる。

 

 "幻想殺し"は、景朗とは違う立場に居る。アレイスターに悲惨で陰惨な命令を押し付けられ、片時もその重圧から逃れられることのない"悪魔憑き"とは違っている。

 

 

 

 詰まるところ。そのような上条の口から"正論"が飛び出すたびに、無性に、どこか胸の奥がささくれだつのだ。

 

 気が付く頃には。使えるものは全て、それこそ能力すら使って。景朗は上条に対する悪意の発露を無理矢理に押しとどめていた。極端に否定的な感情は"任務"遂行の邪魔になるからだ。

 

 

 いいや。理由はそれだけではなかった。景朗は同時に気づいてもいたのだ。自身の甘さや負うべき責任まで、アレイスターや幻生に押し付けていることを。また、そこから生じてくる上条を妬む気持ちに、傲慢で横着な自我が含まれていることも。

 

 だから、ひたすら無視した。上条への嫉妬や悪意を意識しないように、有耶無耶の内に醜い衝動を抑え付ける。そんな術しか、彼には選択できなかったのだ。

 

 

 闇に浸かる彼の周囲に導を授ける大人は居らず、彼自身もそういった類の人間との接触を拒んでいた。もう随分と、クレア先生の顔を正面から見つめていない。

 

 

 景朗にとって、上条当麻は好きな部類に入る。だが、どうしても好きになれない部分もある。人間だからそのくらい当然だ、と深く考えないようにしてきた。でもそれは結局。納得した体を装い、自分自身の醜さを放置していただけだったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな"上条当麻"がこうして目の前で。遂に直接、景朗の裏の仕事にまで現れ、障害となって立ちふさがってくれやがる。

 

 

("イマジンブレイカー"には、手の内はなにひとつ晒せない。ほんっとに面倒だな。……冷静になれ。抑えろ。怪我なんてさせられないし。かといって下手を打てば今後の任務にどう響いてくるかわからない。ああクソ、不用意にガスなんて吹くんじゃなかった)

 

 決まると思っていた。ガスを少しでも吸い込めば、それで上条は眠りにつくはずだった。ところが、今まで退治してきたどの敵対者よりも疾くツンツン頭は右手をかざし、ガス攻撃に反応してくれた。存外にそれが悔しく、気づけば皮肉を吐き出していた。

 

 

 眼前の"障害"を改めて考察する。右手を使った防御は反射速度が図抜けていた。しかし難なく防がれてしまったものの、その咄嗟に自らを庇う反射行動は良いヒントになってもいた。

 

 

 こいつの喧嘩は、幾度となく観察してきた。そこから、臨戦状態に陥った相手のとる行動が何となく予想できる。景朗は彼の性格を熟知していることに気づいたのだ。

 

 

 

 上条の顔色を、今一度窺う。一切油断なく景朗を注視している。

 

「テメェは誰だ」

 

 発された一言が、キリキリと場の緊張を高める。子供の兄貴に化けていた不審人物に対し、警戒心を極限まで昂ぶらせている様子だ

 

(ああ、こいつのこの顔。殴りたい。でも……少しフェイントかければ、直ぐに手が出るな、この警戒ぶりじゃ。そりゃそうか。よく考えずとも、兄貴の化けの皮をかぶった謎の男の登場、なんてあまりに不気味だもんな。……にしても、なんでバレたんだ?)

 

「いいからガキは置いていけ。痛い目みるぞ。できれば手をかけさせないでくれ」

 

 吹っかけられた質問に答えず、警告だけ言い放ち。景朗は大胆にもずかずかと、上条との間を詰めていった。

 

 

「兄ちゃん……?」

 

 ターゲットの少年は、現実と願望との狭間で葛藤を繰り広げている。頭では、目の前の兄の姿をした人物が危険人物だと理解しかけている。けれども感情と景朗の完璧すぎる偽装が、その理性に歯止めをかけているのだろう。

 

 

「近寄るな」

 

 少年を庇うように、淀みなく前に出る上条。不審者の動きに隙を見せぬ、研ぎ澄まされた刃紋を想像させる集中力。彼の喧嘩の強さが垣間見える対応だった。

 

 

 一触即発の空気をとっくに察しているのだろう。通常時の彼ならば、相手との暴力はできるだけ避けるように、敵対した相手ともコミュニケーションを図ろうとするものだが。今はただただ、すり寄ってくる不審人物の動きに汗を滲ませている。

 

(何時も何時も、後からこうしておけば良かったって事ばかりだ。昼間のウィルス騒ぎも然り。変装なんてまどろっこしいことなんてしてないで、不意を突いて襲っとけば……いや、できればカミやんにはちょっかいかけたくなかった。

 

 変装が成功しとけばな。それがベストだったんだ。状況は変わった。今はもう、生身でこいつの相手をしたほうがいい。どうせこいつには右腕一本しか武器はない。変身やら何やら、俺の他の能力は見せずに済ませられるさ。このまま……)

 

 さらに一歩、景朗はゆったりと踏み込んだ。体重移動は敢えて不自然に行った。フェイントに見せかけるためだ。さすれば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「が、は!?」

 

 呻き声が路地裏に走る。迎え撃つのに最適なタイミングで拳を突き出したはずの上条が、地面に叩きつけられていた。

 

 

 

 一瞬で決着がついた。攻防と呼べるほど複雑なものはなかった。上条が景朗の誘いに反応してしまい、カウンターを受けた。所謂"後の先"を打ち込まれただけだ。

 

 

 先ほど誘い出されたフェイントに、上条は思い切りもよく右ストレートを撃ちだしていた。個人的には100点満点をあげたいほど、よくできた"幻想殺し"のパンチだった。しかし"悪魔憑き"が対象となると、点数は大きく下がったようだ。

 

 

 さぞやアスファルトで胸を強打したことだろう。一面に悲鳴が溢れた。しかし実はその叫びは、地面への衝突が理由ではなかった。

 

 知るのは景朗だけ。恐らく、倒れた側も何が起こったのか理解できていない。

 

 上条が倒れる、その直前に。放たれた拳を神速の疾さでくぐり抜けた景朗が、彼の腹部へ掌底を食らわせていたのだ。

 

 まっとうに動ければ、人間の反応速度を超えた体捌きだって披露できる。

 

 攻撃を避け、その所作の延長で掌底を返し、すかさず瞬きほどの時間もかけず次手へ繋げた。突き出された右腕を外から覆うような動作で掴み、捌き、ダメ押しで地面へと引き落していたのだ。

 

 

 

「逃げ?!ぐぅ―――!」

 

「兄ちゃん!」

 

 不利を悟り、逃げの合図を出した上条。その首根は掴んだまま地に押さえつけてある。それ以上発言させまいと景朗は力んだ。

 

 手のひらから小さな無痛針を伸ばし、自前の睡眠液を注入した。今度はきちんと能力が作動したらしい。人の意識を奪う針から、慣れ親しんだ感覚が肉感を通して伝わってくる。

 

 

「兄ちゃんっ!」

 

 怯えて立ち尽くす少年が、景朗か上条か、果たしてどちらを呼んでいるのか。最早どうでもいいことだった。

 

 動かなくなった上条の胴を軽く蹴り、何度も安全を確かめる。

 

(寝てる。腹殴ったけど大丈夫そうだ。アレイスター、これくらい勘弁してくれよ)

 

 睡眠液は疑いなく体内へと流れ、きちんと効果を発したはずだ。針を差し込んでいた時に、筋肉の弛緩する電気信号もキャッチしている。それはこれまで手を掛けてきた他の被害者たちと全く同じ反応であった。

 

 

 手加減に手加減を加えてはいたが、掌底のダメージも気になるところ。景朗が強能力"戦闘昂揚(バーサーク)"を獲得した頃からだろうか。少々の無茶では怪我一つ追わなくなった躰を手に入れて、だいぶ経つ。今では既に、強化された肉体が景朗の身体感覚のベースとなっている。

 

 であるから、ごく普通のノーマルな"人体"は、景朗からすれば脆すぎて扱いに困る代物としか思えなくなっていた。そのような有様なので彼は手加減という行為自体に苦手意識が有る。余計に上条の容態が気に障った。

 

 力を加減するのは簡単だ。しかし、その加減した力を受ける、肝心の人体が非常に弱いとくればどうしようもない。人によって打たれ強さ、肉体の頑丈さは異なるし、人間の躰にはいくつもの急所がある。打ち所が悪ければ、人は階段から落下しただけで死亡する。

 

 

 心配とともに上条の呼吸を探る。俄かに安心した。寝息はほどよく安定している。少々安定し過ぎているきらいもあるが、相手が無事であるのに越したことはない。

 

 上条は無事。目立った問題は無い。

 

 

「ひぐ」

 

 景朗は無造作に子供の首を掴んだ。細い首筋を握りこむと声が潰れていく。恐怖に萎縮し、立ち尽くす少年は無抵抗そのもの。まさしく、赤子の首をひねるように造作もなく意識を奪う。足元で寝転がっている人間にやったのと同じように、瞬時に眠らせる。

 

 

 

 

 

 

 間もなく、静けさが舞い戻った。

 

 夕暮れに染まる路地裏。転がる2つの影。一時はどうなる事かと思ったが、事態はあっけなく収束した。それでも一息つく前に、速やかにその場を離れようと迅速に対応するつもりだ。

 

 驚く程あっさりと"上条当麻(トラブル)"は過ぎ去った。

 

 

 少年を抱え上げ、上条を跨ぐ。間違って右手を踏まないように――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピタリ、と景朗の足が止まった。意識は完全に"幻想殺し"へと向けられている。

 

 

 

(チャンス、だよな)

 

 

 

 "幻想殺し(イマジンブレイカー)"。

 全ての異能をかき消す、神秘の能力。その触れ込みに違わずたった今、景朗の十八番の毒霧すらも原理不明の力で無効化させた。

 

 事ここに至り、実際にその力を身に受けた景朗は強烈な違和感を感じ始めていた。

 

 路上の喧嘩などで"幻想殺し"が他者の能力を打ち消すのをちょこちょこ目撃してきたが、その時は疑問に思わなかった。スキルアウト程度が相手のストリートファイトでは、それほど高位の能力が用いられなかったせいもあるだろう。

 

 

 

 催眠ガスはあの時確かに、驚異的な速度で発射した。口から噴出されたその刹那に、上条の鼻腔に催眠成分は付着するはずだった。

 

 それが、上条の右手に触れた途端。じかに手に触れていないガスの末端部分まで、綺麗さっぱり分解され、消滅した。

 

 右手に触れた部分のガスだけが分解されるのなら、まだ理解しやすい。しかし、"能力(

ガス)"の一部に接触しただけで全体をまるごと打ち消してしまうとなると。

 

 例えるならば、まるで"能力"という概念そのものを解消(キャンセル)されてしまったような。よくよく考察すれば、あまりに理不尽な現象だ。これでは能力というより……都合の良すぎる"魔法"みたいだ。

 

 

 

 

 …………そう。"魔法"の如き能力だ。

 

 

 そこから閃いた"とある可能性"が、景朗をその場に留まらせている。

 

 もしその力が、能力で完全に活性化されている状態の景朗の細胞に触れたのなら、一体どうなるのだろうか?

 

 景朗は、そこにどうしても抗えぬ疑問を生じさせていた。

 

 

 "悪魔憑き"の励起された細胞に、"幻想殺し"の力はどう働く?

 

 

 

 もし。もし、"幻想殺し"に触れられた細胞が、破壊されることなく単に特性を失うだけ、となれば。より都合の良い結果を求めよう。もし、"悪魔憑き"の力で不正に歪められた細胞が、"幻想殺し"によって正常な状態に戻る、ということがあり得るのなら。

 

 景朗の細胞により弊害が生じていた丹生の内蔵も、上条の右手によって治癒できるかもしれない。

 

(今なら誰も見てない。邪魔も入らない……。めぐり合わせが悪かったと、アレイスターに言い訳もできる……)

 

 意外にも、それまで景朗には上条の"右手"へアプローチする機会が与えられていなかった。

 

 もともと監視護衛任務である以上、景朗と土御門は"幻想殺し"への不要な干渉を制限されている。ましてや、恐らくは上条当麻の価値そのものであろう"右手"への個人的な関与など言語道断だった。

 

 

 初めは上条の登場を快く思わなかった。任務を遂行する上で、神経をすり減らしやむなく無力化したものの。

 

 改めて考え直す。この"不慮の邂逅"そのものは、"思わぬ好機"に変えられる出来事なのではないか。

 

 常日頃、傍で監視の目を光らせている土御門も存在しない。彼は今、"幻想御手"が引き起こしたトラブルで忙殺されているのだから。

 

 残る上条は意識を失っている。今なら"右手"の力を好きに調査できる。

 

 

 "幻想殺し"の性能を試すまたとない機会。倒れた上条を心配する素振りを装い、"実験"を試みてしまえ。

 

 

 景朗は想像した。自分の能力で変質させた細胞が、こいつの力で自然な状態へと還るなんて事態が引き起こされれば。

 

 

 丹生を元に戻してやれる。希望が覗く。光明が射す。誘惑には逆らえなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

(こんな時に何をやろうとしている?)

 

 直前まで理性が働く。頭の中のひやりと冷えた冷静な部位は警鐘を鳴り響かせている。好意的に"幻想殺し"を捉えすぎだと注意を促しているのだ。

 

 最悪の場合。少しでもその右手に触れれば、"悪魔憑き"の肉体は深刻なダメージを受けてしまうかもしれない。

 

 加えて、第六感もうっすらとピリピリ張り詰める。上条の悪運を警戒しろ、と本能が囁く。

 

 

(これまで録にチャンスがなかった。今なら言い訳し放題だし。あとはこのガキを連れてくだけだ。少しだけ。少し確かめるだけで……)

 

 

 しかし、それらを差し止める欲望は余りにも強大すぎた。

 

 『治療法が見つかった』

 

 その一言を丹生へと告げられたなら、どれほど幸せなことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 眠る少年を肩にかけたまま、ゆっくりとしゃがみ込む。投げ出された希望の"右手"へ、景朗はそっと左手を添えた。

 

 

 

「がっ!?」

 

 

 脳みその奥底で火花が散った。一瞬にして、悪寒と激痛が全身を包みこむ。"幻想殺し"との接触、そこには恐るべき不快感が待っていた。

 

 

 

 噛み締めた奥歯が軋む、ゴリゴリという音が脳内で反響する。

 

 もぞもぞと、体中の細胞が蠢いている。景朗はそう直感した。それに、異様に肩が重い。右肩に担ぐ子供の体重が、一気に増していく。

 

(ちがう。ガキの体重は変わらない。逆だ。俺の体が重くて重くて、重ったるしくて気持ちわるいんだ)

 

 "幻想殺し"の効果なのだろう。景朗の躰から力が抜けていきつつあった。それでも忘れることなく、左手の細胞に意識を集中させる。

 

「ぎ、う」

 

 喜びの声は醜い奇声となって喉から飛び出した。

 

 左手の手の平には、あらかじめ丹生の命を救った"細胞"を生成させていた。それは"幻想殺し"と接触すると、ゆっくり、ゆっくりと。だんだんと、通常の人間の細胞へと変成していきつつある。

 

(は、はは。はははははッ!泣きそうだ!俺の細胞は元に戻ってる!ちょっと細胞変化のスピードが遅いけど……なるほど、そうか。やっぱり細胞を爆発的な速度で変化させていたのは、俺の力によるものだったんだ。それができないもんだから遅いのか。俺の力でブースト出来ない分、細胞はゆっくりとしか変化できない。それでもだいぶ早いけど。……これが"幻想殺し")

 

 体中を取り巻く倦怠感が教えていた。今この時、景朗の体中の細胞が、非常に遅々とした速度で"本来"の状態へと戻りつつあるのだと。

 

 なんとも表現しづらいが、敢えていうなれば、"幻想殺し"は"悪魔憑き"の身体へと、いかにも"調和の取れた破壊"をもたらしていた。

 

 景朗は瞬く間に体の細胞を爆発させて変身できる。しかし、それは景朗自身の能力に裏打ちされた現象だった。

 

 細胞を自由に操るスキルが失われた今、景朗の肉体はゆっくりと、元の状態へと細胞レベルで変化している。まっさらな状態へと還っているのだ。

 

(めちゃくちゃツライけど、これなら。任務中でも軽くタッチされるくらいなら、なんとか耐えられそうだ)

 

 景朗は一言『ツライ』と表現したが、醜悪に歪む彼の表情は様相が異なり、深刻なレベルに達している。

 

 想像してほしい。景朗を襲う激痛。その痛みはいうなれば、肉体全身に一部のスキもなく蛆虫が巣食い、埋め尽くされ、さらにはその幾千の蟲が一斉に血肉を貪り尽くそうと蠢きだすような。そう例えられるほど不快感を及ぼし、脳髄を軋ませる苦痛であった。

 

 

 我慢できずにふらつき始める。少々、この状態は辛い。心臓はリズムを狂わせている。ひとえに丹生のため耐えに耐えた景朗だったが、限界が近づいている。

 

 痛みは時とともに結露のように全身に広がり、ボルテージを上げている。だがその苦しみも、とある少女の喜ぶ顔を思い浮かべた景朗には、なんというほどのことでもなかった。

 

 なんとも単純だったが、"実験"は成功した。

 

 

 ようやく。思うように力の入らぬ左手から、重ねるように力を抜く。

 

 

 しかし、振り払った左手から忌忌しい"右手"はなかなか離れない。

 

 

 

 

 感覚が馬鹿になってしまっていて、わからなかった。

 

 "右手"は力強く、左手を掴んでいる。

 

 景朗はぎらりと光り輝く、一対の黒目と視線を交錯させた。

 

 何が何でも助ける。その眼は、そう物語っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あ?寝てたよな?こいつ。ありえねえ。間違いなく意識を失っていたのに。このタイミングで起きるなんてどういう――)

 

 

 考えている場合ではなくなっていた。突如息を吹き返した上条は姿勢を起こし、額を景朗の顔面に近づけてくる。

 

 その動きはとてもゆったりとしていた。見えている。景朗の動体視力をもってすれば、ほとんどスローモーションに近いほどに、完全に見えていた。

 

 しかし、思うように躰が動いてくれないのだ。この後どうなるか、彼には容易に想像できた。屈辱だった。避けられない。

 

 

 

 

「ぎあッ?!」

 

 頭突き。ただそれだけで、目の前で星が飛んだ。情けなく声を上げ、"たかだか鼻を打った痛みで涙目になる"。景朗はその事実に驚愕した。

 

 

「おあああああっ!」

 

 吠える上条は、決して"右手"を相手の体表から離さなかった。頭突きを見舞うとそのまま景朗へと組み付き、両者はもんどり打って地面に転がった。

 

 

「ボウズ逃げろッ!逃げろッ、走れッ!」

 

 乱闘の拍子に地面に投げ出された子供へ何度も呼びかけるが、反応はない。本来ならばそれで当然なのだ。景朗の催眠液を注入されれば、自然と目覚めるのに最低でも半日はかかる。

 

 そのはずなのに。

 

(マジか?毒を注入した瞬間には、絶対に能力はかき消されていなかったのに。催眠液が血管を流れて行って、右手まで到達した……?なんだそれ。それじゃ"右手"そのものが能力の本質みてえなもんじゃねえか)

 

 

 

「ぎッ!」

 

 組み付かれる前に咄嗟に躰をひねっていた景朗は、上条に背中からのしかかられる体勢だ。そこで無防備に晒されていた景朗の横顔へ、容赦のない左拳が打ち下ろされた。またしても痛みに声が漏れる。

 

 顔の皮膚が引きつり、感覚そのものが細胞ごと避けていく。

 

(まず、い顔が……)

 

 身体中の骨が軋む。痛い!痛い痛い痛い!声すら上げられず、立ち尽くし、悶えた。少しでもカラダを動かせば、計り知れぬ激痛。

 

「あ、が、離れろ、離れろぉッその手をどかぜえええええええ!!!」

 

「テメェ!ソイツに何しやがった!」

 

 組み付いた巨体は正気を疑うほど重たかった。到底人間の躰だとは信じられないほどの質量と密度。そのことが手足の感覚だけでも十分に測り取れる。

 

 上条は苦心してマウントポジションを維持しようと不審者を殴りつづける。そこに容赦はなかった。

 

 

 人間とはここまで恐怖に心を引き裂かれるのか。そう思わせるほど異様な様相だった少年。追うように彼を探しにきた、手の込んだ変装を用意してきた不審者。少年が口走っていた"殺されている"という単語。

 

 考えるまでもない。あの少年にはとてつもない危機が迫っている。

 そして間違いない。この男はそれに関係しているはずなのだ。

 

 

 

 

「があああああああああッ!!」

 

 景朗の凶悪な咆哮。直ぐそばで顔を密着させていた上条は、鼓膜の痛みに拳を振るう腕を止めた。

 

 屈辱的で、懐かしい痛み。どこが切れたかは知らないが、景朗の顔面から流血が路地に飛び散った。怒り狂い、闇雲に両腕を豪快に振り回す。

 

「ぐう!」

 

 デタラメな軌道とはいえ、腕一本で人ひとり分の重さがある。後頭部に流れたその質量に上条は呻き、意識が断絶しそうになる。

 

「離ぜッ!はなぜッ!はなぜやあああッ!があっ。ごあっ!」

 

「あの子に何をしたんだッ!答えろッ!」

 

 ミシリ、ミシリと殴打の衝撃が脳を揺らす。景朗はほんのわずか呆然とした。拳を頬に喰らうたびに、ついぞ忘れていた鈍い痛みが蘇る。

 

 それだけではない。余りにも長時間、"幻想殺し"に接触しすぎている。全身を襲う地震のような痛みは、遂に骨の芯にまで到達しつつある。

 

 

(今日は何から何まで馬鹿なことをしちまってッ!自業自得だ、けど、んの、野郎いつまで殴ってやがる!調子に乗るなぁッ)

 

 速やかに上条から離れなければ危うい。でなければ、じきに取り返しのつかない事態に陥る。景朗には直感があった。なんとかしなければ。じわりじわりと、"幻想殺し"による細胞の還元作用が拡大しつつある。

 

 放置しておけば、やがては……。骨格がよがみ捻じ曲げられる痛みなど、想像を絶するはずだ。

 

 

 身動ぎして、"右手"をはずそうと躰をひねる。しかし、どんなに暴れても"右手"は吸い付いたように離れない。

 

 上条も気づいている!"幻想殺し"を押し付けていれば、景朗が自由に身動きがとれずに難儀してしまうことを。

 

 悟っているのだ。自分が闘っている相手に隙を与えれば、すぐさま攻勢の立場が逆転するであろうことを。景朗の身体的能力が圧倒的に優れていることを!

 

 

「ごッ、ガッぁあっ!お前えええええッ!」

 

「泣きながらカタコトで言ってたぞ!『殺されてる』って!オマエ、この子に何するつもりだった!?」

 

 彼の意識は未だに、倒れて動かないままの少年へ向けられている。

 

 

「うごおおおおおおああああああ!」

 

 怒りと憎しみで躰を奮い立たせた。渾身の余力を込めて起き上がる。このまま、背に取り付く邪魔者を壁に押し付けて潰してやる。

 

「やらせるか!」

 

 やはり全力は込められない。背後で機敏に対応をとられてしまう。上手く体勢を流され、目論見は崩れ去る。

 

 左手で肩を抑えられ、"右手"で後頭部を掴まれる。逆に景朗の顔面が横壁に叩きつけられそうになる。

 

 だが、覚悟していた衝撃は来ない。巨大なクマほどもある景朗の肉体は、用意には動かなかった。

 

 しかし。その代わりに。

 

 

「ぷ、ぎああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 

 "幻想殺し"が不審者の頭部に触れた瞬間。明らかに異なった反応が表れた。

 

 聞いている側まで不安にさせるような、絶叫と痙攣。

 

 躊躇が生まれる。戸惑うほどに相手は身悶え、のたうち回り、呼吸すらまともに行えなくなっている様子だった。

 

 

 

 

 涙、鼻水、そして流血で汚れる不審者の横顔が、ちらりと視界に映る。

 

 上条は戦慄した。先ほどと全く形相が違っている。それだけではない。

 

 なんと醜い顔だろう。その男のしわくちゃになった相貌は、完全に人間の顔つきから逸脱してしまっている。

 

 

「何者だ……何者なんだッ。てめえはッ!」

 

 理解のできない事象を目にした人間が感じ取る、畏怖の感情。上条はその感情をねじ伏せ、それでも果敢に謎の男へと挑みかかる。

 

「おまえがしっだごどがッ、あっ、ああ離せ、はなせはなぜッ、殺すッゾッ」

 

「殺すだぁッ?いきなり襲ってきやがってふざけるな。どんな理由があってこの子を……」

 

 

 体が機敏に動かせないのなら、優っている体重と筋力で力押しにするしかない。

 

 節々の芯から骨格が歪み、怪音がわななく。力を込めれば倍の音量が景朗の意識を切り刻むものの、上条にしてやられている悔しさがそれを打ち壊すバネになった。

 

「うう!ぐう!ううあああう!」

 

「く、そ、コイツなんて力……ッ」

 

 上条は全体重をかけて、不審者の頭部をビルの側面に押さえつける。そうでもしなければ、たちどころに反撃を喰らってしまう。

 

 "右手"で髪を絡め、しっかりと後頭部を掴む。一体何が起きているのか、わからない。しかし、この不審者は"幻想殺し"で頭を抑えている間は地獄の苦しみを味わうらしい。

 

「あの子を元に戻せ!さもなきゃ永遠にこのままだぞ!」

 

「お前は何も知らない!自分が何をしようとしてんのがわがっでんのがぁッ?!」

 

 気張り、懸命に両の腕を背後へ叩き続ける。背中の相手は大木で打たれたように、体中に痣をこさえているだろう。

 

「くっ。ぅあ、おおっ!だったら説明しろッ!してみろよッ!」

 

「お前に何がわがるぅぅぅッ、あああああああ!」

 

 ただ単純に、痛みを与えてくる上条が憎い。"幻想殺し"は頭蓋を透り抜いて脳みそを直接握り締めているのではないか、そう思わんばかりの効果を発揮している。その中で、声をやっと振り絞る。

 

「助げようとしてたんだッ。しゃしゃり出てくんじゃねえ!」

 

「この期に及んでっ。信用できるかッ!」

 

 義憤を携えた上条の左拳が、景朗の頬を打つ。

 

「あんな風に泣いていた子に、お前は"遊び"呼ばわりしやがった。如何にもまるで、何事も"大事"はなかったとでも言いたげな言い方だ!俺には逆に聞こえたぞ。自分たちが何か後ろめたいことをやってそうさせましたってな!違うか?クズ野郎!」

 

 脳髄の揺れはピークに達した。余すことなく全身の骨が隅々まで脈動している。自分がきちんと呼吸できているのかすら判断できない。唯一、体格が変わっているのはなんとか意識できる。

 

「ああああああ、邪魔しでんじゃねえ!手を離ぜぶっころすぞおおお!」

 

「殺そうとしてたのはお前らじゃねえのかっ!絶対に離さねえぞ!その子を元に戻すまでは!」

 

「違うううッ。助げようどしでんだ!助け――――」

 

 朦朧とした頭の中。それでも、景朗は今更ながらにある事実に気づき、言いよどむ。

 

 

(いや。違う。俺だって助けない……俺はあのガキが、ただ殺されないように。それだけ始終しただけだ。結局はガキを連れて行って、暗部に引き渡して。ガキは地獄に沈む)

 

 

 

 少しだけ、顔の表面の引き攣りが収まる感覚がある。恐らく変装が解け、完全に素顔が露出しているのだ。上条に"雨月景朗"本人の姿を見られれば、危うい状況だった。しかし。

 

 

 

 変装に使った人物を意識した景朗の脳内では、少年の声が反響している。

 

 

  『兄ちゃんっ』

 

(兄弟、だったのか)

 

 滅茶苦茶な状況の中で考えていたのは、視界の端で倒れている少年と彼の兄に関することだった。むしろ、意識が混濁しているからこそ、素直にそう思いついたのかもしれない。

 

(ああ、そうだよガキ。お前の兄貴は殺される。もう二度と会えないぞ。ガキ、お前は……。これから、俺みたいに……。小学生の時の、俺みたいに……)

 

 上条にしこたま殴られていたおかげで、既に目玉からは累々と涙が溢れていた。そこからさらに別の種類の涙が流れ出していることに、景朗は気がつかなかった。

 

(俺が化けたこいつ、兄貴、か。ガキを隠そうとしてたな。守ろうとしてた。

 

 残念だったな。お前は死ぬ。そんで、弟も虚しく地獄を見る。

 

 本当、残念だったな。俺はお前のこと笑わないよ。世の中、頭のいい人間ばっかじゃねえ。馬鹿だって大勢いるさ。気づいたら、こんなちっちゃな弟と暗部にはまってました。なんてこの街じゃおかしくないさ。

 

 マジで、残念だったろうな。悔しいだろうな。手を下した俺がこんなこと思うの間違ってるけどさ。

 

 こっちまで苦しくなるぜ。俺だって、それが一番怖いんだ。クレア先生や、火澄や、花華や、真泥や……。あいつらが幻生やアレイスターに……。ああくそ、怖え、怖えよクッソおぉが。けどもうやめられない。とまらない。あいつらは街そのものだ。たった一人で何ができる。

 

 アレイスターは、幻生は、会った時はあんなに近くにいたのに、深く知れば知っていくほどまるで遠くなっていく。

 

 あの水槽のガラスは綺麗だった。透明で透き通っていて濁りなんて一切ないんだ。中には白もやし野郎が入っていて、無防備な姿を堂々と晒してやがる。

 

 でも、俺は決して手を出せない。分厚いと思っていた善意は脆く紙くずで、一見して薄っぺらい悪意こそが、決して壊れないこの世界の真実だった。

 

 

 

 巻き込んでしまったんだよ、あんたは。弟を……。

 

 上条、お前にだって助けられない。ガキをアンチスキルに連れて行くか?暗部の手はアンチスキルまで回るぞ。統括理事会が噛んでいるんだ。どうせ運命は同じ。

 

 それとも、ずっとずっとガキの面倒見てくつもりか?そこまでやって初めて、救ったと胸を張るべきだ)

 

 

 

 

「どうした?なにか言えよッ」

 

 唸り声だけを響かせ、微かに逡巡するように黙していた。疑問を持たれ、ミシリと頭蓋を壁に擦りつけられる。

 

「俺は言ったぞ。お前は何も知らねえ、だから手を引けって。覚悟は出来てんだろうなぁッ!」

 

 景朗の返答は、少しだけ滑らかになっていた。呂律が回りだしている。"雨月景朗"元来の姿に近づきつつあるのだ。

 

「テメエなんぞに言われるまでもない!俺はその子を"助ける"!」

 

「ッ!」

 

 あまりの怒りに、景朗は言葉が詰まった。

 

「"助ける"だ?!」

 

 あざ笑うように、その単語を復唱する。

 

「この街に住んでおきながら、お前は何も知らない。暗闇を知らない。それは"幸運"なことなんだ!お前はまるで理解してやがらないけどな!」

 

「暗闇?なんの話を」

 

「最後の警告だ。お前みたいなラッキー野郎は首を突っ込むな!そこのガキに待ちうける運命をわかってんのか?知らねえだろうが!お前には何もできない。誰も助けられない!」

 

 

(お前は何も知らない。だから許されるべきだと思って自分を抑えてきた。

 

 でもな、いい加減、その偽善っぷりには反吐が出る。

 

 その子を助ける?この町の闇に真っ向から対立してか?

 このガキに関わることが、"そういう事になる"ってわからないお前に。助けられるわけが無い!

 

 さあ?どうする上条当麻!"助けられない"ぞ?どうする?また言うのか?"不幸"だって。

 

 いつも、いつも思ってた!

 

  『俺って不幸だよな』

 

 それがお前の口癖だ。でも気づいてるか?

 "不幸"、"不幸"と口にする度に見せつけてくる、その誇らしそうな顔つきはなんだ?

 何に勝った気でいる?

 

 "幸運"なお前にいちいちそんなツラされてさ。俺は毎回毎回。

 

 そのツラ、ぐちゃぐちゃに潰してやりてえって思ってたよ)

 

 

 

 

 

 パチリ、と思考を切り替えた。

 

 上条を殴り倒す。そう決めたからだ。

 

 能力が使えない。故に、冷静ではいられない。衝動が躰を突き動かす。

 

 もともと、自身の能力"悪魔憑き"は"幻想殺し"によって発動を封じられていた。けれども、"右手"が一瞬でも躰から離れた瞬間を狙い、懸命に能力の行使を続けてはいたのだ。

 

 それを、使うのをやめた。能力を全部切って、素の肉体で痛めつけてやろう。そう思ったのだ。

 

 能力の使用を中断した、その途端。幾分か、痛みが和らぎ、戒めが緩む。半端に能力を使わなければ、痛みは弱まるらしい。

 

 

 

 

 

 

 この一件には関わるな、と通告したものの、耳元からは勇気に溢れた返答が飛び出してくる。後ろを振り向かずとも、目に浮かぶ。うんざりするほど、意志の強いその表情が。

 

「説明になってねえぞ!この子を目の前にして見捨てる理由にはならな――――ぁが!」

 

 故に。景朗は返答も待たず、背後に肘打ちを放っていた。まだまだ精彩を欠く動きではある。しかし、ぎこちなさは薄まり、相手を十分に驚かす速度が出ていた。

 突然反攻にシフトした景朗に、上条は虚を突かれてしまう。

 

 

「かは」

 

「うおああっ!」

 

 呼吸を乱された上条だったが、"右手"は離さなかった。好機を逃さず相手ごと立ち上がろうと膝立ちになった景朗の、その顎に左フックが襲来する。

 

「ぎ、ぐ」

 

 力の抜けた躰を起こすには、両腕を地につかえる必要がある。全体重を盛り込んだ上条のパンチの応酬を無防備に受け、血が飛び散る。

 

(なんてことはないぜ。意識が飛びそうになってたのは"右手"のせいだったみたいだな。クソ痛ってえけど、お前のパンチじゃ沈まねえよクソ野郎)

 

 

 上条は急に良くなった景朗の動き、頑としてたじろがぬ無限のタフネス、そしていよいよ本格的に体感し始めたその常識外れの重量に困惑していた。立ち上がった景朗の首根にぶら下がり必死に殴打を続けてはいるが、その行為がそれほど有効ではないと気づいていることだろう。

 

(機敏に動けない。腕と足の一本一本が自分でも重くてしょうがない。パンチなんてやっても無駄だ。だったら代わりに地面にでも壁にでも叩きつけてやる)

 

 どこでもいい。身体のパーツをつかもうとした。が、先手を取られた。上条はするりと伸ばされた腕をかいくぐり、そばにあった横壁を蹴り上がった。全体重を、景朗の頭部に寄せて。

 

 ぐらり、と景朗の足が地面から離れた。上条の動きに沿って、頭からアスファルトに――突っ込まされる。見ようによっては、とある危険なプロレス技、垂直落下式DDTが決まったような形になった。

 

(ころす、こいつ、殺す)

 

 相手は動揺した。計り知れぬ体重を利用し、決め手となる攻撃を放ったつもりだったのだろう。

 

 自らの全体重を、能力が切られた状態で頭蓋に叩き込まれた。確かに、衝撃は相当なものだった。

 

 だがそれすらも、ものともせず。地に顔を擦りつけたまま、景朗はとうとう上条の右手首を掴み取った。その腕がどうなろうと知ったことかと、躊躇無く思い切り握り締める。

 

 

「ぅぐおおお、おお」

 

 上条の口からくぐもった叫びが飛び出す。握り潰せるほど力は入らない。しかし、常人に耐えられる痛みでもないはずだ。

 

「テ、メエは、加害者じゃねえのか?わけがわからねえ、なんで泣いてやがる?」

 

 指摘されて、初めて本人も気づく。無様すぎる。

 

「泣くくらいなら端からやるんじゃねえ!今すぐやめろよ!オマエの良心は――」

 

「黙れ!」

 

 右手はしっかりと上条の"右手"を拘束している。空いている景朗の左腕が伸びる。上条の抵抗はいよいよ激しくなった。掴まれれば終わりだと悟っているのだ。

 

 拳、蹴り、頭突き。苦し紛れに打ち込まれる攻撃を全て受けきり、ようやく。景朗は上条の腋を抱え、持ち上げた。

 

「うおおおおっ」

 

 焦っているのだろう。頭上で盛大に吠えられる。もちろん景朗はためらわず、彼をビルの壁に叩きつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「がっはぁっ、はぁっ、はぁっ、ぅ、待て」

 

 パラパラと、コンクリートの破片が舞う。地に倒れた上条はあちこち身体を痛めていた。どうみても立ち上がれる状態ではない。それでも構わず、声無き叫びとともに立ちふさがってくる。

 

 

 当然の如く察知する。離れた場所で眠りについている少年へ近づこうとしていたが、背後に冷徹な視線を飛ばす。

 

「まだ抵抗すんのか?本当に殺すぞ」

 

 上条は苦しそうに壁に寄りかかるも。景朗がどんなに殺気を出して脅しても、その瞳の奥。闘志の輝きは決して曇ることはない。

 

「暗闇だとか、そんなもん知らねえよ。だからってんな事にビビって、あの子を見捨ててたまるか」

 

「ああ?」

 

「オマエ、さっき俺には何もできないって言ったな。それは違う。目の前でひとつ起こるはずだった"不幸"を、この手でぶち殺せる!」

 

「いい根性してんなッ!死ぬまで殴り殺してやらぁッ!」

 

「うぐ!」

 

 既に、"幻想殺し"の影響からは逃れている。手加減はほどほどに、腹部に拳を打ち込んだ。上条は盛大に身をよじった。が、すく、と身を起こす。決意に顔を染め、正面から見据えてくる。

 

 やれるもんならやってみろ。そう表情が語っていた。

 

「勿論承知してる。俺なんかが世界一不幸なわけじゃない。見えないところで、世の中には沢山の"不幸"が転がっている。アンタが俺の何を知っているのか知らないが、俺が幸運だって、アンタにはそう見えるんだな」

 

「……」

 

「だったら、俺は幸運なんだろうよ。でもな、そんな幸運な人生を送ってきた俺だって、これでも色々な思いをしてきたんだ。俺程度が"不幸"じゃないってんなら、それでもいい」

 

 ぐらつく足元を気にもせず、両の拳を正眼に構え、景朗を射抜く。

 

「じゃあ俺より"不幸"だっていうテメエに訊くぞッ!」

 

 語調とは裏腹に、弱々しい上条の反撃を。

 

「らぁッ!」

 

 簡単に避け、仕返しに脇腹を打つ。

 

「ぐっ、が、ぁああ、テメエ!そこで立ち止まっていてどうする?"不幸"にあぐらをかいてて何になる?お前が"不幸"なら、あの子供を傷つけても許されるのか?

 

 お前の良心はどこにあるッ?」

 

「骨の髄まで正義ヅラかッ」

 

 胸ぐらを手繰り寄せ、頭突きを食らわせる。上条は意識を混濁させるも、口調ははっきりと答え続ける。

 

「オレより不幸だって言うんなら、お前はその分だけ悲しみや痛みを受け入れてきたってことだろ。例えそれが受け入れざるを得なかったことだとしても!」

 

 こんな奴の台詞を真面目に聞く必要なんてない。

 

「だったらわかってるだろうが!不幸を享受する人たちの苦しみや、助けを差し伸べる意味や、誰かに救ってもらえる幸福を!」

 

 殴る力が緩む。

 

「重要なのは、くそったれな状況に直面して、痛みを知って、悲しみを知っていけることだ。何故なら、人間は経験しなきゃ当たり前のことも実感できない生き物だからだ!そしてそっから、何をするかじゃないのか?!

 

 だからだよ。だから俺は、自分が"ツイている"なんて言われても嬉しくなんかない。自分から投げ出してみせる!」

 

 

 

 

 暴力を加える景朗の手が止まる。見つめ合い、意志がせめぎあう。

 

 

(実際に窮地に追い込まれてもいないヤツが、よく吠える!

 

 お前がそれを言うのか。アレイスターに見初められながら"幸福"にも、まっすぐと生きてこられた果報者が言うと説得力があるもんだな。

 

 なあ、正義魔マニアくん。なら、君ならどうしてた?俺と同じ選択を迫られたら、幻生やアレイスターに逆らうか?それでむざむざ敗北して、大切なものを失っていたかい?

 

 どちらにせよ、君は選択を叩きつけられていたとして。それでもそんな風に強がっていられるんだろうか。知りたいよ、上条当麻。そんな日は決してやってこないだろうけど。

 

 何が不幸だ?逆だ。"幸福"だったんだよ。だからこそ、そういやって正義ヅラしていられるんだ。

 

 お前は運が良かっただけだ。運良く、そのイカレタ右腕一本で解決できる、しょぼい事件に遭遇してきただけだ。図に乗るなよ。たかが"ツイてなかった"レベルの不幸を解決してきたくらいで、随分と偉そうに説教をカマしてくれるもんだ。

 

 

 てめえならどうしてたってんだ?軽々しく言いやがる!

 

 なんにも知らないガキの時分で、暗黒社会に飲み込まれていく恐怖。

 

 あの時、俺は自分の意思で、自分のエゴで道を踏み外したと思った。自分の能力が使われるだけで。ちょっとした頭痛、肉体的苦痛、ただそれだけを対価に、大金と幸福を得られると思って、のこのこ浅はかな選択をした。誰かに、無価値だと思っていた自分の能力を褒められて嬉しかった。本当に嬉しい事だった。

 

 自分を擁護する気持ちも皆無ではない。だが、今にして思えば。俺は最初から、目をつけられていたに違いないのだ。あの悪魔どもに。

 

 あの時、幻生の誘いに唆されず、自分の能力が日の目を浴びるかも知れない可能性を無残に切って捨てていればよかったのか?俺は子供だった。馬鹿にされ続けてきた"痛覚操作(ペインキラー)"が、なにかの役にたつかも知れないなんて。そんなの、宝くじに当たるよりよっぽど嬉しかったんだよ。

 

 

 きっと、俺は過去に遡ってやり直す選択の機会を与えられようとも。きっとあの時の馬鹿な道を何度も何度も選び続けたことだろう。

 

 そうさ。俺は馬鹿なんだ。愚かなんだ。なにか間違いをしでかしたあとで後悔をする。

 

 気づいているとも。自分がやっていることの、恐ろしさ。罪深さは)

 

 

 

 "人狼症候(レベル4)"になる前は生き延びるのに必死で、何も考える必要はなかった。相手と殺し合い、負けた方が死ぬ。だから殺してもいい。生きる伸びるために。死に怯える仲間を守るために。

 

 だが、"悪魔憑き(レベル5)"に到達した後では。殺人は変わっていた。変質していたのだ。

 それまでは、景朗が殺すか、殺されるか。その二択だった。

 今は違う。相手を殺すか、殺さないか。そのどちらかを自分が選択しなければならない。

 

 最早、生き延びるために殺す。その言い訳はできなくなっていた。

 だから考えさせられる。昔よりも尚更。

  『この殺人は何のため?』

 

 

(結局。馬鹿に生まれてきたのが罪だったのか?

 

 ああ、そうかもしれないさ!でもなぁ――

 

 てめえみてえなただの親切クンに、それ以上わかったような口は利かせねえ。悔しいんだ!お前なんかに言わせるか。喋る前に、その口を拳で止めてやる。

 

 目の前で説教を垂れるこいつが、どうしても気に食わない。力尽くでも黙らせたい。痛めつけてやりたい……

 

 良かったな、"カミやん"はアレイスターのお気に入りで!俺も一緒だけどさ!でもお前とはちがって、あいつに脅されてるんだよ!お前とは違ってさあ。いいよな、お前はそうじゃなくってさあ)

 

 

 景朗の全身に痺れが走った。上条の精一杯の反攻。力強く、"右手"で景朗の躰を掴んでいる。

 

「さっきあの子を助けるってほざいたな!それじゃあテメエが"助ける"んだな!?どうなんだッ!」

 

「ッ!」

 

 

 上条は震える両腕で、景朗のパンチを防ごうとした。その盾をぶち壊し、圧倒的な筋力で相手の顔に拳を叩きつけて。

 

 ガキリ、と奇怪な打撲音。上条はぐったりと、地面に横たわった。

 

 

 景朗はその様子を、もうそれ以上見ていられなかった。相手にするのも嫌だった。

 

 子供を抱えて、逃走した。上条はあきらめも悪く、這いずり、景朗を追いかけようとしていたが、到底追いつかない。彼の目に、うっすらと涙が光る。"不幸"を目前にしておきながら、打ち砕けなかった。その不甲斐なさが許せなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうしてこんなに心苦しい。今になって、上条を殴り倒した後味がひたすらに気持ち悪い。自分は悪くない。ちっとも悪くないんだって、開き直ってしまいたい。けれど、罪悪感は消えてくれない。

 

 原因はとっくに判明していた。ひとつ。命を奪ってきた人たちに、顔向けできないことがあるからだ。

 

 ……諦めている。景朗は、アレイスターや幻生に立ち向かうことを、とっくに放棄している。

 

 相手が強大だからと最初からさじを投げ、抵抗すらしていない。どういうふうにおもねり、怒りを買わないように動くか。そればかり考えている。

 

 ひたすら目を背け、彼らの言いなりになっている。あの時、胸を張って、少年を助けるとは言えなかった。

 

 

 

 布束砥信に頼み込み、暗部組織に自ら志願したこと。人を殺して金をもらおうとしたこと。とうの昔に後悔していた。

 

 てっきり、対峙するのは悪党が全てだと思い混んでいた。現実は違った。どんな世界にも、想像を超える事情を抱え、やむなくあがいている奴らがいた。丹生多気美のように。

 

 しかし。去年の梅雨。あの時。幻生の魔の手を避け、迅速に、大金を稼ぐ。そんな方法、暗部で戦う以外には残されていなかった。

 

 受け入れるべきだったのだろうか。皆とともに、荒廃する聖マリア園をおとなしく眺めていれば良かったのだろうか。

 

 

 

 今となっては、その考えも正しいのかわからない。例え、手を血に汚すのを良しとせず、奴らに反目しようとも。幻生やアレイスターが景朗を脅す手立てはいくらでもあっただろうから。

 

 幻生の言葉を思い出す。"超能力者"に成り立ての頃だった。

 

  "君が超能力者へ成り得ることは、過去の実験から既にわかっていたよ。

  五月の実験の時だ。『凡庸』な能力者は、『第一位』の演算特性を脳に貼り付けられると

  その『自分だけの現実』を受け入れるため、直ぐに抵抗をなくしていくものだった。

  数をこなせばこなすほど、よりはやく『第一位』の精神性を

  受け入れるようになっていったのだ。

 

  覚えているかな。君の場合は真逆だったね。

  徐々に、『第一位』の精神性に対抗できる時間が長くなっていっただろう?

  つまり、君だけだったのだ。彼の、『第一位』の『自分だけの現実』に

  真っ向からせめぎ合えていたのは。君は勘違いしていたがね"

 

 

 最初から、景朗は目をつけられていたのだ。一体何時からだろう。幻生の口ぶりから察するに、彼が低能力者(レベル1)だった時代以前からでも有り得そうだ。疑問が浮かぶが、それが重大な問題になる気はせず、別の考えが脳をよぎる。

 

 上条のふざけた台詞が、思考の内側で谺していた。

 

 良心を示せ――と。しかし、それは。

 

(勘弁してくれよッ。あいつらと敵対するってことになるんだぜ。あいつらなんだぞ。あんなにわけのわからない奴らなんだよ!)

 

 ああ。でも。これでは。全ての責任を幻生とアレイスターに押し付け、殺人に手を染める。都合の良い殺人者の戯言と何が違う。……悪党じゃないか。こうやって自分で自分の行動にすら、納得していないんだから。

 

 

 

 

 口では、頭の中では後悔していると言いつつも、その実、真逆の行動ばかりとってしまっている。アレイスターの下僕となってからは。今日の上条のように、必死に信じるモノのために命を懸ける奴らの前に立ちはだかり、殺したり、痛めつけたり、闇へ引きずり降ろしたり、そうしなければならなかった出来事に、今までに幾度も遭遇してきた。

 

 最近は特に多い。先ほどだって気が付けば、必死に子供を救おうとしていた上条を痛めつけて……。そんなシチュエーションばかりで。

 

 

 

 背中に眠りこけた少年の重みを感じ、嫌がおうにも上条の姿を思い出す。少なくともあいつは、ボロボロになるまでこいつを助けようと藻掻いていた。

 

 上条なんかには、状況を打破できない。少年を救うことなんてできない。景朗はそう考えて、奴を殴って、少年を奪い取った。

 

 結局、何も知らないあいつにあんなにも暴力をふるってしまった。

 

(……上条、あれじゃ病院送りだな。任務失敗か?素顔も見られたし、アレイスターにどやされるな。もう後悔しても遅いけど)

 

 これからどうする?あっさりと木原数多にこのガキを引き渡すか?

 

 それじゃ、あの暴力は何のためだったんだ?

 

(最後の最後で、それは……ダッセエなぁ)

 

 

 

 

 

「…………くそが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ?もう一度言ってみろ?今なら聞かなかったことにしといてやるぞ?」

 

「別に聞こえてただろうに。何度でも言うさ。"ガキどもは俺が引き取る"って言ってんですよ」

 

 木原数多は景朗の突然な奇怪発言に、理解が追いついていない。

 

「俺が連れてく。構成員だった奴らとは別だ。明らかに"カプセル"って組織の意味すら分かってなさそうな4人のチビどもは、引き取って身内にする。あんたは知ってるだろ?俺が身内にだけは絶対に手を出させやしねえッてことを」

 

 待ち構えていた通りに、蔑みが純度100%に含まれた冷たい目つきが伺える。

 

「良ぉくわかった。遂にテメェをぶっ殺せる日が来たってことだろ?」

 

 トレーラーの荷台に積んであった無骨なショットガンを手に取り、その銃口を子供を背負った青年へと向ける。

 

「それで気が済むんなら、好きなだけ撃てばいい」

 

 銃を突きつけられた景朗は子供を庇う様に背負い直し、悠々と切り返した。歯がゆそうに銃を元の場所に投げ、木原は犬歯を見せつけて唾を飛ばす。

 

「連れてくってどこにだ?そのガキどもが収容される施設はとっくに決定してんぞ。頭の悪い事言い出すんじゃねえ、"三頭猟犬"」

 

「へえ。じゃ、教えてくださいよ」

 

 

 彼の要求は無視された。木原数多は通信機のスイッチを入れ、撤収作業のGOサインを出した。子供達だけをのせた"猟犬部隊"のバンの、エンジンが唸る。

 

 景朗は片腕を伸張させ、がしり、とそのバンの下部を掴む。車体を浮かせ、発進を妨害させたのだ。その間に、同時にもう片方の空いていた腕も、するりと木原数多の端末のひとつへ伸び、素早く奪い取っていた。

 

「あんまし舐めるなよ、クソガキ」

 

 複雑な配線だらけのグローブを手に、木原は神妙に敵意をあらわにする。

 

「舐めてるのはそっちだ。俺は本気で言ってんだ」

 

 子供たちの行き先を調べると、奇妙な事実が判明する。4人とも、暗部関連の牢獄とも呼ぶべきクソッタレな研究施設へ送られるのは共通していた。しかし。

 

「ひとりだけ"虚数研"に送られるのはなんでだ?それに、残りの3人は"特力研"って。どういうことだよ?"特力研"はもう存在しないだろ?」

 

「……馬鹿なんだからよ、難しく考えてんじゃねえよ。"存在しない施設に送られる"っつーのは、そういう事だ。使えねえガキは金をかけるだけ無駄だって――」

 

 その説明に奥歯を一瞬噛み締め、割り込むようにすぐさま疑問を呈す。

 

「ガキどもは全員、まだ録に"能力開発(カリキュラム)"も受けてない"無能力"と"低能力"の有象無象だぞ。どうして今の段階で子供たちの才能を判断できるんだよ?」

 

 不機嫌そうな木原数多であったが、不思議と口をつぐんでいる。違和感を感じる態度だ。普段の彼ならば、今のような景朗の物言いには必ず苛立ちそのままに言い返してきているはずだった。

 

「……ッ。薄々気づいてたけど、やっぱわかってんのか、お前ら……」

 

「さっきからピーピーとうるせーぞ小僧!」

 

 ギチギチと握り拳の音を立たせ、景朗の元へ躙り寄る。

 

「いい加減に車を降ろせ。オレに逆らってんじゃねーぞ」

 

 威嚇されようと、命令を無視するように睨み返す。引き絞られたその場の緊張が、数人残っていた他の隊員たちを寄せ付けずにいる。

 

「第一よお、テメェ、ガキどもを拾ってどうする?ここできっちり"見せしめ"やらねーと、後々尾を引くぞ」

 

「そうかな?」

 

「あぁ、そうだそうだ。それこそあれだ。"予防"になるぞ、オイ。ここで甘い沙汰を下してよぉ、これから幾度となく、今回みたいなテロの真似されてみろ?もっと被害が増えんぞ?だからよぉ、これは予防策だ。やらなきゃ被害が増加する。先を見据えて行動しなきゃなぁ、偽善者クン」

 

「……ああ、その通り。俺は偽善者みたいなんで、ガキんちょたちは連れてかせてもらう」

 

 木原数多を、正面から堂々と睨みつける。

 

「ここで俺たちが黙ってりゃ、ガキどもは死んだも同然だ。それに、"カプセル"は報復できっちり潰された。挙句、人的被害はゼロだったんだろ?誰も本気で関係者どもを恨んで、復讐に血眼になってくるような連中なんて居ないはずだ。仮に。多少、気に食わない結果になったと感じた奴らがいたとしても。そいつらはわざわざこの俺に、"アレイスターの懐刀"に喧嘩を売ってくる馬鹿だろうかね?」

 

 事此処に至っては、すんなりと景朗が納得するとは思っていなかったらしい。眉をアンバランスに釣り上げ、いよいよ木原数多は振りかぶる。

 

「お前、アレイスターに許可はとったのか?」

 

 効果は抜群だった。完全に、目の前で木原は停止した。

 

「そもそもさ、この件に関して俺になにかいいきかせたけりゃあ、まずアレイスターの許可をとってこいって話だ」

 

 "アレイスター・クロウリー"の名は、学園都市の闇に住まう奴らにとって、それも深淵に近ければ近い所に位置する奴らほど、特別な効力を発揮する。

 

「テメェはどうなんだ、あ?」

 

「自分で確認するといい。無駄になると思うけどな?……この街で、本当の意味で俺を脅せるのはアレイスターだけなのさ。俺に命令できるのもアレイスターだけ。ここにはお前の代わりなんて腐るほどいるが、俺の代わりはそうはいねえ。だろ?」

 

 アレイスターはきっと、今回の景朗の行動に興味を示さないだろう。ガキどもが死のうが生きようが、あのモヤシ野郎にはどうでもいいことだ、どうせ。心配なのは唯一、"幻想殺し"に手を出してしまったことだけ。

 

「ふ」

 

 景朗の口元が緩み、笑みをこらえた吐息が漏れ出た。

 

 それにしても、初めての経験だった。まさか、アレイスターの名を代紋代わりに使う日がこようとは。へんてこで、予想外で、至極愉快な気分にさせられる。景朗はにこやかに、笑いをこらえていた。

 

 ぷるぷると震える、木原数多。それも無理はない。景朗はアレイスターの名を出し、ここまで気分爽快な面持ちとなったのだ。彼は全く逆の心境となろう。

 

「調子に乗るなよ。アレイスターの"家畜"!テメエは犬ですらねえ。獲物を追い掛け回して忘れてるみたいだなぁ。テメエは牧羊犬ですらねえんだよ。アレイスターに骨まで利用される"家畜"だ。家畜同士、せいぜい傷を舐め合って自慰行為を楽しんでろ」

 

 寄せ、やめろ、と心の底から小さく声が聞こえてくる。しかし、その日は色々なことがありすぎた。大変な一日だった。景朗の抑えも、どうしてか緩くなっていた。

 

「もちろんさ!忘れた時なんか一瞬たりともねえよ!家畜か!いいだろう。じゃあ俺が家畜なら、お前はいいとこ牧羊犬だな。良くてこの群れのボス犬の犬っころだ。自分で言いだすとはよくわかっていらっしゃる。吠える吠える。なるほど。負け犬ほどよく吠えるって、こういうことか」

 

 胸ぐらを掴まれ、引き寄せられかける。しかし、体重400キロを超える景朗の躰を動かす力が、常人にあるはずもない。

 

「はっはっは。勘弁してくれよぉ。……俺の本命はオメェじゃねえってのによ!」

 

「面白え。殺して見せてくれ。本当にできんなら是非ともやってくれよ。俺だって知りたいんだ。どうやったら俺は簡単に死ぬのかってね。いいお勉強になる」

 

 一層、木原数多の眼光は細まり、鋭くなった。荒々しく景朗の襟を外し、静かに後退する。急なテンションの変わりように、景朗は初めて身構えた。

 

「クソガキ。それで救ったつもりか?虫唾が走るぜ。ああ、ああ!我慢ならねえなぁ、テメェのオナニーズラを見せつけられんのはなァ!」

 

 景朗の手にあった端末を奪い返し、何かの情報を引き出し、すぐさま投げ返してくる。

 

「なあ、お優しいケルベロスクンよぉ。そんじゃテメェはきちっと覚えてんだろうな?ちっと前に自分で殺したテロリストの名前くらいよぉ?」

 

 言われて、端末のディスプレイを覗き込む。そこには四ヶ月ほど前、その年の三月に景朗が請け負ったテロリストの一掃任務の報告書が映されていた。

 

「テメェがヤった奴らの中に、見覚えのある苗字があるな。嘴子緩一(くちばしひろかず)」

 

 かつてないほどに、にこやかに笑う木原数多。

 

「こいつ、今日死んだガキのたった一人の身内だったみたいだぞぉ?」

 

 返事は無かった。景朗は新たな事実の出現に呆然とする。端末を超速でスライドさせ、暗部の情報部の調査結果を猛然と飲み込んでいく。

 

「嘴子千緩だっけか?このガキ、身寄りがなくなっちまってたらしいなぁ、テメェのせいでよ。かかか、ヒャハハハハ!ま、良かったんじゃねえ!?お前が今日親父んとこめがけて、地獄へ送り出してやったんだからな」

 

 木原なんてどうでもいい。四か月前の任務の報告書に続き、今日の事件の調査報告の結果も探していく。今すぐに知りたかった。

 

「ウィルス使いのガキが死ぬ前に白状したんだってな。もともと、このガキの"復讐"が発端で今日の事件が計画されたんだってよぉー?」

 

 暗部の調査報告、本日のウィルステロについて。そのファイルを開く。今日の夕刻に、産形茄幹は各種臓器の機能疾患で死亡したとある。

 

(死んだ?……あとで会いに行くつもりだったのに……内蔵の機能疾患……?)

 

 死の直前まで行われていた尋問で、彼は伝えていた。

 

 今回の事件の始まり。それは嘴子千緩の復讐計画が大元になっていた。報告書には、何とも簡単に数行でまとめられている。

 

 "三頭猟犬(ケルベロス)"に唯一の肉親を殺され、天涯孤独の身となった元"風紀委員(ジャッジメント)"の少女、嘴子千緩。父親の残した情報から、彼女は犯人を特定した。そこで描かれた、学園都市上層部にテロを仕掛け、アレイスターとその手下"三頭猟犬(ケルベロス)"に報復する、儚い夢物語。

 

 そのために。"三頭猟犬"を殺傷し、テロを成功させるために、爆弾や各種ツールの協力を"カプセル"に仰いだのだ。見返りに、産形の"ウィルス"を引き渡すことを条件に。

 

 

「理解できたか?な?テメェが今回の件でいい子ちゃんぶるのは変だろ?プッ、クッ、ククッ、フハハ。にしてもひでえな、オイオイ、嘴子一族根絶やしにしちまってるよ。オレでもそこまで外道なこたァやらかした記憶はねえなぁ?フフ、フハハハハ!」

 

 表情を凍らせている景朗に改めて近寄り、その肩に手をかける。背中におぶさった、子供の寝顔を、まるで虫ケラでも見るような表情で。

 

「よぉくわかったろ。もう遅せえって。んなちっちぇえことちまちまやったって、今更意味ねえだろ」

 

 木原数多は満面の笑みを景朗に見せつけた。

 

「ちんけなオナニーはみっともなくて見てらんねえってことだ。……やめとけよ」

 

「……それでもやるぜ。止めたきゃ力尽くで止めろよ」

 

 わざとらしい、小さなため息が聞こえてくる。意気消沈した景朗の様子にだいぶ満足したようだ。

 

「あっそ。もういーわ。そんじゃ好きにしろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 景朗は眠りについている子供たちを連れて、とある暗部御用達の技術屋、"洗浄屋"の所に直行した。

 

 "記憶洗浄(メモリーローンダリング)"。

 所謂仕事上の源氏名だろうが、それが今回世話になる"催眠能力者(ヒュプノーシス)"が公表した能力名だ。

 

 暗部で任務に従事しなければ、存在すら知らなかったであろう業界人たち。彼らは皆、色々と後暗い仕事をするものたちに都合の良い商売を提供してくれている。

 

 金に見合った仕事をしてくれるし、信頼も厚い。でなければ、すぐに殺される危険な仕事だ。

 

 

 景朗の目的は既に達してあった。高い洗浄料を支払い、4人の子供たちの今日一日の出来事を忘れさせ、新しく、都合の良い嘘の記憶を封入しやすいように調整してもらっていた。

 

 

 週明けからは七月。この季節、六月の終わりは年間で最も太陽が顔を出している時間が長い時期だが、とうに空は暗く、夜の帳は下りきっている。

 

「心配しなくていい。先方は絶対に断らない。……わかった。一報、連絡入れといてやるよ。ダメだったら連れて帰ってきてもいいから、やってくれ」

 

 馴染みの詐欺師に連絡を入れて、4人の子供たちを今から聖マリア園へ連れていくように頼み込む。

 依頼の相手は、裏切られたらいつでも速やかに手を下せるよう完璧に足元を抑えてある人物だ。そうでなくとも今までの景朗の頼みを全て堅実にこなしてくれている。軽く信頼を置いている業者だった。

 

 しかしながら、今回の景朗の頼みは、夜間に突然押しかけ子供4人を強引に引き取らせてこい、という無茶苦茶すぎる要請だった。相手はしばし対応に弱っていたが、強く押し通した。

 

 今日一日酷使したケータイの画面を確認する。バッテリーが切れる寸前だ。無理もない。今日は早朝からずっとずっと、誰かと通話していた。

 

 クレア先生へ電話しようとボタンを押しかけて、景朗は寸前でそれをやめる。

 

(先生が夜中に子供たちを追い返す訳が無い)

 

 クレア先生の声は聞きたい。でも、そんな気になれない。

 

「免許もってないけど、反射神経だけでなんとかなったなぁ」

 

 子供たちを運んできたバンの運転席に深く座り込み、大きく息をついた。いつものごとく、躰は微塵も疲れていない。でも、精神は一刻も早い休息を求めている気がする。

 

 その日は次々とトラブルが続き、録に落ち着ける時間がとれなかった。ここにきてやっと、ゆっくりケータイを確認できる。

 

 夕刻。丹生や手纏ちゃんから着信やらメールが届いていた。急ぎチェックしようと手を動かすも、おあずけを喰らうように電源が落ちてしまった。

 

 続きは帰ってからでいい。やっと家に帰れる。電話をしまう、その手が止まる。最後に厄介な問題を思い出して冷たい汗が吹き出した。

 

 カミやんとの一件は本当にマズい事態になるかも知れない。憤怒に身を委ねていたとは言え、深刻な怪我をさせぬよう、あれでも加減はしたつもりではある。

 

 景朗は意味もなく平静を装っていたが、内心では不安をはためかせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第七学区の自宅へと、やっとの思いで帰ってきた。通常の住宅地区は闇とともに静けさを増していくものだが、彼の済むその辺りは少々事情が異なっていた。

 

 治安の良くない地域は逆なのだ。一般的に日が傾き出してから徐々に人気に活気づき、深夜にその勢いがピークに達していく。

 

 早朝など目も当てられない。人っ子一人、通りを歩むものはいない。健全な市民は朝起きて夜寝るものだが、不良(スキルアウト)どもは反対だ。夜起きて、朝に寝る。

 

 中にはちゃんと昼間に活動し、狩り(カツアゲ)に精を出す者共もいるようだが。

 

 故に、夜行性の野生動物が闊歩するジャングルのように、景朗のアパート周辺では今この時こそ、住人たちは目を覚まし、コウモリのように忙しなく徘徊するのだ。

 

 "朝飯"を調理する様々な生活音と生活臭が、景朗の鼻をヒクつかせる。その中に、とりわけ景朗の気を引くものがあった。すこしだけ懐かしい気もする、濃厚なバターの匂いに、焼けたクッキーの香り。今日は珍しい。一体どいつがこんなファンシーな真似をしてくれている。

 

 

 

 

 

 彼はアパートの前までやってきて、はたと立ち止まった。彼の自室玄関の前に突っ立つ人影のせいだった。

 

 何故、この時間帯に手纏深咲が、玄関の前で待っている?

 

 ポケットの中、電源の切れたケータイをまさぐる。メールくらい、先に読んでおけばよかったと景朗は後悔した。

 

 如何用なのだろうか。見たところ、彼女一人の様子。一人でやってくるということは。突っ込んだ話をしに来た、そういうことなのだろう。

 

 いくらでも予想はつく。といっても、結局は一つの問題に収束するだろう。

 

 景朗がLevel5だと露見し、それ以来どこかギクシャクとしていた火澄たちとの関係。そのいざこざに、人知れず終止符を打ちにきたのだ。彼女はきっと。あれでいて手纏深咲は、想像の埒外の大胆なことを突拍子もなくやってのけてみせる娘だ。

 

 後悔は後からするものなので、仕方がない。覚悟を決めていけ。そう自分に言い聞かせ、アパートの前で足踏みしている景朗。その時点で覚悟ができていないじゃないか、と突っ込むものはいなかった。

 

 

 まごついている内に。突然アパート3階の別の部屋から出てきた住人に、手纏ちゃんが絡まれ始めた。景朗は勢いよく駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ね、もうちょっと顔良く見して?」

 

「いえ、あの……い、嫌、です……」

 

 その野郎は、景朗が"クサメタル"と勝手に名づけて呼んでいる、隣室のさらに隣の住人だった。そいつは部屋に居る時は日がな一日中、クラシックとヘヴィメタルが合わさったような、独特の曲調の曲をガンガン吹き鳴らし、睡眠の邪魔をしてくる困りものだった。

 

 とはいえ、"クサメタル"の部屋は2つ離れている。異常な聴覚を持つ景朗でなければ聞こえていないレベルの音量である可能性もあり、文句を言ったことは今までなかった。……そのはず、だったのだが。

 

 

「なんか用?」

 

 ぬっ、と手纏ちゃんの背後から顔をだした。景朗の顔を一目見た"クサメタル"。彼は瞬きひとつの短い時間、ぽけーっと景朗の顔を眺めると。

 

「え、ちょ、おい!?」「きゃっ」

 

 血相を変え、アパートの共用廊下の手摺を乗り越え、3階だというのに躊躇なく1階へと身を踊らせていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 手纏ちゃんと2人して目をぱちくりと見合わせる。奇妙な空気が流れていた。しかし、居心地は決して悪くはない。

 

 ニコリと笑みを浮かべ、手纏ちゃんは可笑しそうに顔をほころばせた。

 

「なんだか、最初に景朗さんにお会いした時のことを思い出してしまいました。それはそうと、あの方に何かヒドイことをされてたんですか?」

 

 すぅっと、手纏ちゃんはそう口にした。その口調はそっくりそのまま、彼女と火澄、その2人とギクシャクしだす前の雰囲気に戻っていた。

 

「……はは。そういやそうだね。中1だったから、3年前か……、確かに、あの逃げっぷりはあん時思い出すかも。ってぇ!いやでも俺、"クサメタル"には何にも酷い事なんてしてないよ?ほとんど話すらしたことないし……あ、"クサメタル"ってさっきのあいつのことね」

 

「くさメタルさん、ですか?」

 

 やはり彼女が存ぜぬ単語だったようだ。興味津々なようで、どこか不思議そうな顔を向けてくる。図らずも彼女にまたひとつ、いらぬ知識を授けることになってしまった。

 

「あー。俺がつけたあいつのあだ名なんだけど、もともと"クサメタル"って言うのは俗称で、メタル系の音楽のジャンルの一つなんだ」

 

「そうだったんですか」

 

「うん。今度曲教えるよ。そんであいつさ、暇さえあれば家で"クサメタル"を吹っかけてるんだよ……奴が昼夜逆転生活してるせいもあって、それがよく、ちょうど俺が寝る時の邪魔になってね。だからあいつのあだ名、"クサメタル"」

 

「こ、今度、お聞きしてみたいです」

 

 ……全く、なにをアホなことを抜かしているんだ。瞬時に後悔で埋め尽くされる。手纏ちゃんは話を理解できていない。一生懸命に相槌を打とうとしているところは可愛いくて最高なのだが、それもまた景朗を追い打つ材料になりかけている。

 

「……あ、の……急に押しかけてすみません、景朗さん」

 

「ああいや、こっちこそごめん。忙しくてケータイをロクに見れてなかったんだ」

 

「いえ、私が……お会い、したかっただけなので」

 

 ごくり、と息を飲む。ついさっきまで顔を上げていた手纏ちゃんだったが、今は昔のように顔を俯かせている。

 

「手纏ちゃん、そのー、今日は……う、そうだ。とりあえず中に入ろう」

 

 鍵を探してポケットをごそごそと探る。

 

「だ、大丈夫です!今日はこれを……その、クッキーを焼いたんです。是非景朗さんにもお渡しできればと思って……それだけなんです」

 

 手纏ちゃんはガサゴソとバッグに手をいれた。バッグの口が開いた瞬間、その香りとともに懐かしい記憶が蘇ってくる。

 

(そうか、これ昔、火澄が作ってたクッキー……あいつが失敗してた頃の、生焼けの匂い……だからこんな懐かしいのか)

 

「あ、あの、今日は突然押しかけたので、長居は致しませんから!火澄ちゃんも心配します、から」

 

「俺のことは別に気にしないで。話したい事あるからわざわざ来てくれたんだよね?」

 

 景朗の言葉に、手纏ちゃんは手を動かすのをやめた。

 

「来週から7月になってしまいますよ、景朗さん」

 

「……早いね。でも確かに、この頃はそんな雨も降らなくなってきてるなぁ……」

 

 手纏ちゃんはじろーっと、ほのかに恨めしそうに見つめてくる

 

「……ですから今、テスト勉強のまっ最中です。少しも学校に来ない景朗さんとは違って。い……一体、毎日どうされてるんですか?」

 

「俺だって遊び呆けてるわけじゃないよ」

 

 質問にははっきりと答えずに、濁す。そんな景朗の反応に、彼女は意外にも、その日は微塵も物怖じしなかった。

 

「最近、予想外なことばっかりです。景朗さんがLevel5だったり……急によそよそしくなったり、色々と……。景朗さんはご存知ですよね。私が学舎の園を抜け出して長点上機学園に入った理由を。それは……それは、火澄ちゃんだけが理由じゃありません」

 

 少々薄暗くとも、景朗の視力ならばはっきりとわかった。彼女の顔や耳が徐々に赤くなっている。

 

「景朗さんとだって、もっと一緒に……っ!その……ん、んん。……こんなにも学校でお会いできないとは思ってませんでした。学校のクラスが違っていてもテスト勉強ならご一緒できますよね?わ、私は、したいです。是非とも」

 

 四月、"第二位"と戦ったあの日から。とりわけ関係がうまくいっていなかったのは火澄の方だった。手纏ちゃんとは彼女と比べれば多少はましであった。だが、常に火澄の傍にいるが故に、手纏ちゃんからのお誘いなどには否定的な返事ばかり返してしまっていた。

 

 照れるような内容を押し通し、頬を紅潮させつつも、しっかりと目を見て話をしてくれる。今日の手纏ちゃんは一味ちがった。

 

「実はね、俺、テストは受けなくてもいいんだ。あとそれだけじゃなくて授業も全部免除されてる。開発もね」

 

 疑問が発せられる前に言い切ろうと、手纏ちゃんの動きを止めるように口を開く。

 

「要するに、もうレベルが天上に届いて頭打ちになってんのさ。学校側もそんな俺に対してまともなカリキュラムを用意できない状況らしい。だから何も課題を与えようとしてこないのさ。だってそうでしょ?そもそもこの街が定義すらしていない曖昧な"Level6"を闇雲に目指せ、なんて誰も言ってこないよ。学校側はLevel5が在籍してるだけで満足してくれているみたいなんだ」

 

「で、でも!学校が指導してくださるのは"能力開発"だけではないでしょう?それで景朗さんのキャリアは大丈夫なんですか?」

 

 ふわりと脳裏をよぎる。"先祖返り(ダイナソー)"、"不老不死(フェニックス)"等々。"超能力者"として能力を制限して活動している表向きの"雨月景朗"には、いくつかの選択肢があった。そこそこの大金と、暗部と癒着した企業郡との薄汚れた将来が彼を手ぐすね引いて待っている。

 

 それに加えて。

 

「……少なくとも就職先には困らないかな」

 

 "猟犬部隊"、薬味久子、トマス=プラチナバーグ、木原幻生、アレイスター・クロウリー。わお、そうそうたるメンツだ。やっべえな、俺。悪そな奴らとは大体トモダチ……どころかビジネスパートナーだったりしちゃうのか。

 

「そう、なんですか。でしたら、これ以上この件には口を挟みません。景朗さんには既にやりたい事がお有りなんですね……」

 

 彼の口ぶりから、ある種の覚悟を感じ取ったのだろう。手纏ちゃんは微かにたじろぎ、寂しそうに呟いた。

 

 そんな彼女の言葉に、景朗は景朗とて自問自答する羽目になった。

 

(やりたい事?まさか、冗談キツすぎる。頭イカれてるぜ。こんなことを永遠に続けるくらいなら、いっそ死んで……)

 

 それは、嘘だ。だったらとっくに自害していなければならない。自分が真にやりたいこと。一番やりたいことはなんだろう。

 

(考えるまでもない。普通の生活送りたい。暗部なんて関わりたくない)

 

 だがそうあっても、同時に。運命というものの存在も否定できないのかもしれない。運命というよりは、宿命、という言い方がよりふさわしい考えだ。諦めが、景朗の心に薄ぼやけて現れてくる。

 

 すなわち。一度"超能力者"となってしまった人間には、平穏は二度と手に入らない。裏で蠢く学園都市の暗黒を目にすれば、漠然とそう感じてくるのだ。

 

 景朗が入手した他のLevel5たちの現状からも推察しても、第七位以外は皆どこかしらか、この街の闇の匂いが漂っている。

 

「いいや、さっき言った就職口が"やりたい事"だなんて、口が裂けても言えないな」

 

「は、い?」

 

「確かに学校には行かないとまずいかもね。このままじゃ"本当にやりたい事"はできなくなってしまいそうだ」

 

 セリフを全て聴き終えるまで、彼女は呆然と話を聞いていた。

 

「だったらどうしてっ?」

 

「今は他のことに煩わされてていっぱいいっぱいなんだ」

 

「違い、ます……違いますっ!それだけじゃないはずです。わた、私たちのことが嫌いになったからですか?避けてますよね!景朗さん、どうして私たちを避けるんですかっ!?まだ私たちを許してくれないんですかっ?!そうであれば――!」

 

 これほど長い間、彼女と視線を留め合うのは初めてだった。並々ならぬ気迫から、手纏ちゃんの振り絞った勇気と自分に向けられる熱意が受け取れる。適当な嘘をついて誤魔化すのに、心底嫌気が刺した。

 

「手纏ちゃんが言うとおり、避けてはいたよ。けど、それは2人が悪いわけじゃない。ただ単に、俺がそうしようと思って、そうしてただけ」

 

 ぐっ、と彼女の両手に力が入った。微かに筋肉が軋む音が聞こえ、その動きを感じ取れていた。

 

「……そうです。悪いのは私たちじゃありません。非道いです!解ってくださっていたのに!きっと知っていてわざとされているんでしょうけど、火澄ちゃんは……あれからずっと、見たこともないくらい消沈しているんですよ」

 

「だろうね」

 

「火澄ちゃんはどうすればいいか解らないんです。何時だって、景朗さんが悪い時は、あいつの方から必ず謝りに来てくれていた、ここまで頑なに拒絶されるのは初めてだ、って。……今回の件は、どう考えても悪いのは景朗さんの方じゃないですかっ。私だって何も思い浮かばず、行動できずにいて……」

 

 聖マリア園で、火澄とは姉弟のように育ってきた。小さい頃の記憶を手繰れば、幼少の頃に彼女と小さなことで喧嘩していた事や遊んでいた事を真っ先に思い出す。

 

 仮に、仄暗火澄が景朗の知らぬ間に"超能力者"に到達していたとして。景朗が彼女にしでかしたように、それを最後の最後まで秘匿されていたとなれば、景朗とて強大な衝撃を受けずにはいられないだろう。ましてや、あのように火澄と手纏ちゃんの2名を巻き込むような事態に発展する可能性を含んでいた案件でもあったのだ。

 

 無言で聴きづつける景朗の様子に、手纏ちゃんは何かに気づいたようにはっ、と表情を一変させた。一切の怒りや情動の兆しを消し去り、再び、真剣に景朗へと向き直った。

 

「すみません!」

 

 突然の謝罪。疑問符が現れる。

 

「?」

 

「すみません!違うんです!今日は景朗さんを責めるつもりで来たんじゃありません。そ、う、です。そうです!さっき言いました。景朗さん、もう七月です。夏休みが目前ですよ!」

 

「え?」

 

 急に変わり始めた話題に、軽く疑問の声があがった。手纏ちゃんは精一杯、場の空気が変わるように、人差し指で数字の位置を作り、くるくると宙で回す。

 

「この話は忘れましょう。今お話すべきは、夏休みのことだけでいいんです。なんといっても、高校生として最初の夏休みですよ?高校一年の夏休みは人生に一度きりだって、火澄ちゃんも言ってました。私はこのまま何とはなしにお休みが過ぎていくのが嫌だっただけなんです。前みたいに仲良く、夏休みはまた一緒にどこかへお出かけしましょう、って、今日はそもそも約束を取り付けに来るだけのつもりでした。すっかり忘れていました」

 

 うっすらと目元を赤くして催促してくれる手纏ちゃんに、吐き出されそうになっていたでまかせや誤魔化しの嘘が塞がれていた。話をシャットアウトするように、とうとう口を開く。

 

「前にも言ったよね。2人には何の非もないって。本当に本当だよ、2人ともちっとも悪くないよ。そのことはとっくの昔に言っただろう?……でも悪いね。俺は今更、そのことについて謝り直す気はないんだ。形だけだったけど、2人には一応謝罪した。それで十分だと思ってる」

 

「っ」

 

 手纏ちゃんは覚悟するように息を呑み込んだ。

 

「2人を巻き込んだのは、謝ってどうにかなる問題じゃないって気づいたんだ。だから……」

 

 なんと話せば良いか浮かばず、言い淀む。

 

「"レベル5"の方々との争い、ですか?」

 

「そうさ。……本当のこと言うよ。俺……それがいつ終わってくれるかわからないし、見当もついてない。どうやって解決すればいいかも全くわかってないよ」

 

 今度は彼女の両手に力が込められていく。握り締められたハンドバッグが潰れていった。

 

「それが理由なんですか?」

 

「俺、やっぱり甘く考えてたよ。あんなふうに想像もしないトラブルが起きてしまうもんだし、巻き込んでおいて今更だけど、俺といると危ないかもしれない…‥」

 

 未だに迷っている。自分と既に関わりがある以上、どのみち火澄は人質のように扱われることになる。綿密に連絡を取れる方が、なるべく近くにいるほうが彼女たちへ忍び寄る危機を早く察知できる場合もあるだろう。しかし、第二位は正にそこを突き、2人を襲った。

 

「一緒ですよ。私たちだって、景朗さんを心配していないとでもお思いですか?」

 

「これは俺だけが負うべき問題だから関わって欲しくない」

 

「嫌です。その間、景朗さんが苦しんでます」

 

「ありがとう。でも俺なら心配ないよ。それに、そのうちきっと――」

 

「そのうちってどのくらいですか?」

 

「ごめん。どのくらいかはやっぱりわからない」

 

「そんなに長い間、ほうっておけません」

 

「大丈夫だって、別にさ」

 

「……それでも、関係を終わらせたくありません」

 

「関係が終わる?何でそんな言い方になるの?」

 

「今の状態のまま時間が過ぎれば、景朗さんと疎遠になってしまう気がするんです。そんなの嫌です。は、離れたくないんです!」

 

 その時少し、景朗と手纏、2人を包む雰囲気が変わった。どこか投げやりにも見える態度であった景朗の返事に、不満を滾らせていた手纏深咲。両名、会話に火がつき、熱がこもり始めていた。景朗はたった今、そう感じ取っていたはずだったのだが。

 

(一瞬で、手纏ちゃん顔が真っ赤、あれ?え?これ……?)

 

「離れたくないって、いや、ちょっと嬉しいけ――」

 

「だ、だからっ!もうっ!好きだからでズッ!私、はっ、か、景朗さんのことが好きなんです!」

 

 手纏ちゃんの顔面が思わず心配するほど大変なくらい急激に紅に染まるもので、景朗はうっすらとドギマギしていた所だった。

 

  "ねえねえ、どうだったあ?彼女、あなたに告白するつもりだったみたいなのだけど。ちゃんと告白してもらえたの?"

 

 

「だから、あの、傍に居てもいいですか?あ、ああ、あの。あの、これこっくはくです。すぅぅ、ふぅぅ。……告白でしゅ」

 

 噛みまくりで、自分でも慌てて落ち着くように息を吸って吐いて、それから、改めて発音して。それでも最後にまた噛んでいた。それでも、意味は違いなく通じている。

 

「……ま……え?本気?」

 

「そおです」

 

 立ち尽くす景朗に対し、耳まで異様に赤くした手纏ちゃん。緊張のピークも通り過ぎたのだろう。無表情にも近い、すこしだけ怒りを備えた真剣な顔つきで、ただひたすらに景朗の顔を眺めてくる。

 

 彼女は今、怒りが羞恥を上回っているのだろう。しかし、このように怒気を孕ませて告白することを彼女が望んでいたとは思えないような、そんな話の流れだった気もする。

 

 それを裏付けるように、手纏ちゃんの表情から、少し後悔のにじみ出ているような気持ちも伝わってくる。それでも、景朗から本音を聞きだすために決行してくれたのだろうか?

 

(信じられねえ。まずい。早くなにか言わないと)

 

 だが、こればっかりは能力でもどうにもならなかった。咄嗟に言葉を返せない景朗の態度に、手纏ちゃんは後ろ向きな答えを想像したようだった。

 

「あ、あ、あの、大丈夫です。すみません。私、知っていたんですけど。景朗さんにこういうことを言えば、きっとお困りになるだろうなって予想していたんですけど。ですから、大丈夫です」

 

「待った待った!勘違いしてる、嬉しいよ、俺は、ただ……」

 

「大丈夫、大丈夫です。忘れてください!そのお顔で、全てがわかりましたから」

 

 彼女は泣きそうな顔で、声は震え始めている。堰を切ったように帰りだそうとしている彼女の様子に景朗は慌てた。

 

「どうすればいいんだよ?付き合うってなに?俺はまだまだ自分のこと子供だと思ってる。俺の相手したってたぶんなんにもならないよ」

 

 声を荒らげて、軽く走りだそうとしていた手纏ちゃんを呼び止める。

 

「でしたら私たちはいつ大人になるんですか?きっと、なろうと自分から踏み出さなければ、いつまでたっても変わらないはずです」

 

「でもそうやってってその結果何が結びつく?今の俺の状況で、そんなことしてどうなるんだって気がするよ。そんなのに煩わされる価値があると思う?」

 

「難しく考えすぎです!それに、まだ私も確かめていませんからわかりませんけれど、景朗さんのおっしゃる価値というものは最初から手に入るものじゃないと思います。きっと自分たちで育てていくものだと思います!」

 

「今の俺じゃ、そんなあやふやな物と触れ合ったって何者にもなりやしないよ!はっきりいってそんなのに付き合っている暇はない」

 

「それなら景朗さんがご自身であやふやかどうか確かめてください!わ、私はどんなことでも受けて立ちます!」

 

 手纏ちゃんは伸ばした手を胸に掲げ、勢いよく言い切った。彼女は興奮して景朗の直ぐ傍まで近づいており、間近で互いに顔を凝視出来ていた。

 

「へりゃ?それ、それって……っ?!」

 

「ああああ、ちちちち違いますよ?あ、ああああああのこれは――――く、クッキー!そうでした、景朗さん、クッキーを」

 

 彼女は後退しながらガサガサと再びハンドバッグをまさぐりだした。景朗は神速の速さでポケットから鍵を取り出し、鍵を開けてドアを開く。

 

「ちょい待ち手纏ちゃん!中はいろ?とりあえず中に入ろ?お茶入れるから、俺ら外だってのに話しすぎてるし」

 

「これです!これ、クッキーどうぞ!」

 

 景朗から距離を取るように腕だけを伸ばし、彼女は紙袋を差し出してくる。

 

「違うよ?ヘンなこと考えてるわけじゃないよ?ただもっと詳しく話を聞きたいだけ、純粋にそれだけ!だから、ねえ部屋で話しようよ?」

 

 彼女は一度視線を景朗へと飛ばすも、一瞬で逸らし、『言っちまったよー』とでもいうような表情を、この土壇場で初めて顕にした。

 

「いえ、もういい時間ですし、これでお暇させていただきます!かぁ、か、ぁぁぁ……火澄ちゃんが待ってますからぁ」

 

 彼女はぽとりと、景朗の腹部にクッキーを押し付けた。その細腕をつかもうと何度も思いかけるも、景朗は実行できなかった。

 

「でも話終わってないよ?!」

 

「すみませんー!」

 

 手纏ちゃんは共用廊下を走り出した。ちょうどそこへ、彼女を塞ぐようにぞろぞろと数人のスキルアウトたちが3階へと登ってきていた。あの人数であれば、手纏ちゃんは逃げられない。

 

「待って!マジで話だけだって!」

 

 クッキーを拾い追いかけていた景朗は安堵するも――。進路を塞がれた手纏ちゃんは、思いもよらぬ行動に打って出た。

 

 彼女は真横の手すりに手をかけ、足をかけ、身を乗り出して――あ、スカートがめくれて、見え……。

 

「うえ!待って、ちょお待ってっ手纏ちゃ、マジか?!」

 

 手纏ちゃんは手摺を乗り越え、3階から飛び降りた。着地の瞬間、彼女の足元から小さな竜巻が発生し、落下速度は驚く程弱まっていた。

 

 今更ながら思い出す。"火災旋風(ファイアストーム)"の片割れ、"酸素剥離(ディープダイバー)"。今は大能力(レベル4)クラスである。

 

 レベルアップに伴い、分子中の酸素原子を無理やり引き剥がし、物質を強制的に還元させ、そこから熱を引き出してセルフ"発火能力(パイロキネシス)"の真似事までできるようになっている。様々な現象に応用が聞くようになり、評価も高いと聞く。

 

 彼女は火澄と違いそれほど人前で積極的に能力を使用しないために、やはり珍しく感じてしまう。

 

 あっけにとられ、そのまま景朗は彼女の逃走を見守った。アパートの出口付近にたむろしていた数人のスキルアウトが彼女に興味を示し、近づくも。

 

「ふぎゃ!」

 

 突風に吹き飛ばされ、壁に激突していった。窮地に陥り、手纏ちゃんは能力を惜しみもなく使用しているみたいだ。

 

 間もなく、彼女は景朗の前から走り去っていった。

 

 同じく彼女の奇行を目的した3階のスキルアウトたちは、呆然とする景朗の様子に怯え、いそいそと部屋に入っていった。

 

「……くそが、"クサメタル"。今度会ったら垂直落下式DDTだ」

 

 八つ当たりを誓い、景朗はようやく家に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――以上が、最終的なことの顛末だな。今のところは。オマエが言ったように、"憎悪肥大(ヘイトコントロール)"の能力は注目されていたよ』

 

「……そうか。それじゃ、生き残ったのは夜霧と、今大路って奴の2人だけか。色々ありがとな」

 

『オマエは知りたがると思ってな。それから……産形の死因の各種内蔵の機能疾患ってのは……要は、内蔵がスカスカになっていたってことらしい。栄養失調か、餓死か、そういった要因もあるみたいだな』

 

「……そっか」

 

 土御門の話に納得した。産形の死の原因。もっと早く疑問に思うべきだった。気づけたはずだった。

 

 産形は景朗が送った普通の人間の成分に酷似した血液でワクチンを培養した。ウィルスは彼の能力で莫大に増加し、その質量を増大させた。

 

 となれば、その質量はどこからきたのか?つまるところ、ワクチンとしてのウィルスが増加するために必要だった栄養は、どこから用意したのか。

 

 "内蔵がスカスカだった"とくれば、つまりはそういうことなのだろう。死ぬ気でやってみせる、と語っていた産形はそのまま、とうの昔にその言葉を実行していたのだ。

 

(なんだよ、それじゃ、あいつ、熱にうなされたたようにブツブツ言ってたのは……俺に一生懸命話しかけてたのは、遺言みたいなもんだったのか)

 

 結果はどうであれ、ただひとつ確定的に言える。

 あいつらは自分のしでかしたことに対して、命を懸けて償おうと行動した。言葉に違いなく、文字通り。最後には命を費やしてみせた。

 

 だが、この街では、どうやら。彼らの死後に残るのは"無差別大量殺人の未遂犯"、という汚名だけになりそうだった。

 

『奴は死ぬ前に、オマエに礼を言ってくれ、と言っていたそうだ』

 

「……命懸けで被害は防いだのにな」

 

『オマエは今日、良くやったよ。大勢の命を救った。奴らのことは忘れてしまえ』

 

 土御門は、存外に優しい声色で景朗に声をかけた。彼はこれでも、景朗のことを慮ってくれているらしい。

 

 景朗はあえて、その空気で口にした。ぶち壊してしまいたかった。

 

「なあ、土御門、突然ですまんが、ちょっとマズイことになったかもしれん」

 

『どうした?』

 

「上条に俺の素顔を見られた」

 

『……』

 

「待て。まだ続きがある。ひとまず言っとくぞ、青髪ピアスの正体が雨月景朗だってバレたわけじゃない……んですからね?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベランダに出て、そこにぽつんとひとつ置いてある椅子に座った。聴覚の能力をぐんぐんと上昇させて行き、付近の人々の生活音をBGMに、外の空気に触れる。部屋の中は自分の匂いでいっぱいで、外に居たほうが気が紛れるのだ。

 

 土御門は忘れろ、と口にしたけれど。

 

(忘れられそうもない。今日は……今日のことはほんっとに、忘れられそうにない)

 

 

 色々なことを思い出していた。

 

(あの女、俺を恨んでたのか。恨まれていたのか、俺。いつ来るかと思ってたけど、今日来たか。そりゃそうだよな。アレイスターやら、別の悪い奴に命令されてやりました、なんて言い訳したって、なんだそれは?って話になるよな。被害者たちからしてみれば)

 

 もしかしたら。茄幹たちは本当に、"憎悪肥大"のせいであんなことに手を染めてしまったのかもしれない。

 

 少なくとも、嘴子も産形も、命を懸けていた。ワクチンを散布して、自分の過ちを償うために。

一度罪を犯せば、死ぬしかないのか?どんなに後悔しても、命を懸けても?

 

(俺に礼なんて言ってどうすんだよ、産形)

 

 嘴子とやらの父親を景朗が殺していなければ、今日はまた違った日になっていたのだろうか。

 

(なんてめぐり合わせだ。奴らの奮闘を知っているのはこの世で俺だけなんてな。でも、証明なんてできない。それでもさ……)

 

「産形、朗報だ。お前らが盗んだあのウィルスでは、誰も死ななかったぞ。……お前以外は」

 

 もしかしたら。奴らは悪い人間ではなかったかもしれない。その可能性が残っている。そのことを考えると、胸が苦しくなる。死に値する奴等ではなかった可能性がある。いや、俺は必死に罪を償おうとしていた姿を目撃している。この俺だけが、その姿を目撃しているんだ。何もしなくていいのか?俺は死なせるべきじゃなかったと思えて思えて仕方がない。

 

 

 手に力が入り、クシャリと手元でクッキーの紙袋が音を立てた。

 

「はは」

 

 手纏ちゃんが癒してくれた。そう思った。告白の瞬間を反芻すれば、落ち着かない気持ちになる。

 

 景朗とて、彼女とのこれからを少々妄想するところだった。しかし、自分が関わっていた今日の事件が思考の隅に陰り、嘴子千緩の憎悪の死に様が脳裏にチラつき、最後にはため息をついていた。

 

「ああー!くっそ、勿体ねえな、もったいねええ!手纏ちゃんもったいなさすぎる!」

 

 クッキーを頬張り、にやけて、椅子を倒して横になる。彼女と会っていなければ、今晩、悪夢を見てたかもしれない。そう思うほどだった。

 

 しかし、どの道、景朗は悪夢を目にはしなかっただろう。彼はその日、眠らなかった。

 

 

 ずっと、ずっと、考えていた。彼の頭のうちに、確固たる思考の道筋が生まれることはなかったが、それでも、彼は思い浮かべていた。

 

 今日あったこと。昔のこと。今まで経験してきたこと。ずっと、ずっと考えていた。

 

 夜を通して。空が白ばみ、太陽が昇るまで、景朗はずっと、考えていた。青い髪の少年としての日常が始まるまで。

 

 その晩。景朗はずっと、石木のように。椅子に寄りかかったまま、想っていた。

 

 

 途中、気分が落ち込み切らずに穏やかな気持ちになれたのは、手纏ちゃんが会いに来てくれたからだと思えた。そのおかげで必要以上に落ち込まずにいられた気がした。

 

 なんだかんだで、今日は悪い事ばかりでもなかったと、景朗は開き直っていく。

 

 クレア先生は子供たち4人を新たに受け入れ、丹生の治療法に新たな可能性が開けたし、何より、人生初の、異性からの……。

 

 思いに耽り、そして。彼は朝になって思い出した。

 

「づあああ!!!第五位!やっべえ!どうするッ?!」

 

 

 

 




 大変遅れてしまいました。いつもの如く……。
 次の話でヒロインだす、といいつつ、まだ出せなくて申し訳ないです
 今回でリコール編が終わりましたので、次のストーリーはいよいよヒロイン登場のお話です!

 今回、雨月くんにまたドジを踏ませました。批判覚悟してますorz
 思う存分、ぶちまけてください。読んでくださった方の当然の権利ですorz


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episode26:一方通行(アクセラレータ)①

内容は変わっておりません。

しばらくして落ち着いたらこのお話のタイトルを

episode26:一方通行(アクセラレータ)①

と変更させてください


 

 六月最後の週が明けた。七月の到来だ。試験と"身体検査(システムスキャン)"さえ乗り越えられれば、夏休みがやってくる。ここは学園都市、つまりは住人の八割に至高の堕落期間が与えられるわけだ。

 

 早朝。遅刻ギリギリであるのに、登校中の青髪ピアスは余裕綽々の笑みを浮かべ、緩やかに通学路を歩んでいた。

 

 生まれてから16度目に味わう初夏の風は、相変わらず生暖かい。されど、不思議と不快感は無かった。長期休暇を祝う学生たちの残香が、その暑い空気から感じられるのだ。

 

 街はどこか浮き足立っている。軽いお祭り騒ぎ状態にあると言っても差し支えない。学園都市の2大ビッグイベント、大覇星祭と一端覧祭の際も街は沸き立つものだが、正味の話、学生にとってはそれ以上に期待を寄せるべき一大イベント、それが夏休みだった。

 

 

 

 

 

 とある高校の、とある教室はざわついていた。既に一時間目の授業が始まっている時間帯のはずなのだが、担当の先生が遅れているらしい。雑談に花が咲き、教室は生徒たちの自由空間と化していた。

 

 そんな中。遅れてやってきた青髪にピアスの青年は、教室に入った突端に大きく目を見開いた。目線の先、黒髪で絆創膏だらけの青年の姿に並々ならぬ関心を示すと、真っ直ぐに彼へと近づいていく。

 

「カミやん?!」

 

「痛ッ、やめろ、ベタベタ触ってくんじゃねーよ」

 

 体中に青痣と擦り傷をこれでもかとこさえた上条当麻に、友人はしきりに興味を寄せている。向けられる関心に、否応なく苦い記憶が浮かんでしまうのだろう。不機嫌そうに身を捩りつつ、擦り寄ってくる野良犬を追いやるように上条はその友人を手で払い除けた。

 

「触るな!痛えんだから……なんだよ今日はいつにも増してキモいぞ?」

 

「カミやんこそ何でこんなタイソウな怪我しとるん?てかぱっと見酷そうやけどホントに大丈夫なん?」

 

 質問の答え代わりに、音もなく青髪の顔の真ん前に左手が差し出された。その拳は包帯でぐるぐる巻きになっている。

 

「見ての通り、こっちの拳は完全にやっちまってんだけど、それ以外は大したことねえよ。まあ、しこたま体を打っちまったんで若干、むち打ちみてえにあちこち痛むけどな」

 

「何時ものあれぜよ。要するに、まーた喧嘩したんだとよ」

 

 怪我をした理由を補足するように、呆れた様子の金髪のクラスメイトが説明を一言添えた。

 

 青髪は金髪の彼へと視線を移した。黒光りするサングラスに隠れた土御門の顔色はわかりにくかったが、よく見れば冷ややかな視線を送っている。

 

 景朗は瞬きほどのほんの短い間、彼とアイコンタクトを交わした。たったそれだけで、つい昨日、彼と話したやり取りが蘇る。

 

 間もなく。大人しくしているさ、とでも言いたげに、景朗は剣呑な同僚へ肩をすくめてみせた。

 

 

 

 

 先日のウィルス騒ぎから上条との乱闘を含めた一連の事件。それが解決したと判明したすぐ直後に、景朗は土御門から説教まがいの愚痴を散々に食らっていた。勿論、その時の話題は景朗が上条へやらかした失態についてだった。

 

 上条への監視と護衛は2人の共同任務である。つまり、失敗すれば互いにしわ寄せが行くことになる。当然のごとく、土御門から不満の声が上がった。返す言葉もない景朗は叱られた子犬のように萎れるしかなかった。

 されど、土御門はそれほど粘着質な男ではなかったようである。延々と景朗を攻め続けた彼だったが、最後の最後には。なんとも頼もしいことに、今回の景朗の失態をなんとかアレイスターにとりなしてみよう、と自ら口にしてくれたのだ。

 

 

 いくら景朗がアレイスターの直近と言えども、実はそうそう自由に面と向かって会話はできなかった。それが可能なのは、そうするように向こう側から指示が来た時だけだった。自ら面会に赴く場合、結標淡希に都合をつけ、彼女の力で窓のないビル内部へ転送して貰わなければならない。

 

 そういった事情がある中、土御門は都合よく、すぐさまアレイスターと面会する予定があった。渡りに船とばかり、景朗は全ての報告を彼に任せることにした。

 

 

 そして昨日、幸いにも。"窓のないビル"から返ってきた土御門から連絡があった。そして彼から事後報告を聞き、ようやく景朗の心配はつゆと消えた。今回の件はそれほど大事には至らなかったようなのだ。上条が負った怪我は深刻なものではなく、問題は軽微であったらしい。もともと上条当麻は打撲程度の負傷、見舞われること日常茶飯事である。

 

 気になったのはアレイスターの一言だった。"悪魔憑き"と"幻想殺し"の交錯の顛末を聞くと、奴は『実に興味深かった』とだけ口にしたらしい。何事もなく心配事がなくなったと思いきや。一体何に対しての感想を述べたのだろうかと、景朗は嫌な汗をかいた。

 

 

 

「なんだよ、ボーッとして」

 

 不審そうな声を受け、目の前で割とピンピンしている上条を改めて眺める。何時もどおり、何も変わっていない彼の様子に、胸の内に燻っていた不安がみるみる打ち払われていく思いだった。

 

「……"若干"で済んで良かった……なぁ…………」

 

 乾いたつぶやきが景朗の口からこぼれた。そこには偽らざる本音が混じっていた。

 

 単純に、こうして週の初めから上条が登校してくるのは予想外だったのだ。それこそ、最後に目にした時は立ち上がれぬほどふらつき、ぐらついていた。一日二日でどうにかなる容態とも思えず、本人がやせ我慢していないのであれば恐るべき快復速度である。あるいは彼の頑丈さが逸脱しているだけなのか。

 

 人体とは思っていたほど脆くはないのかもしれないな、とうっすら不思議な気持ちにもさせられてしまう。

 

 

「ホントだぜい。相変わらず帰宅部の鍛えっぷりじゃにゃーぜ、カミやん?」

 

 青髪に同調し、からかう様に土御門は笑みを見せる。上条は尚も不満げに口を尖らせた。

 

「テメェーら2人に言われるとイヤミにしか聞こえねえっつの」

 

 土御門も青髪ピアスもそのチャラそうな外見を裏切って、しっかりと筋肉に覆われた躰つきをしていた。そのへんの高校生よりよほどガタイが良く、どうやら上条はその点において2人の友人に対抗意識を抱いているらしいのだ。

 

 家にトレーニング機材が山ほど鎮座している土御門はまだ納得できる。しかし青髪に至っては『そういう能力だから』とトレーニング方法を質問した上条を一刀両断する有様だった。

 

 

「はぁ。にしても、カミやんが拳やってまうくらい相手さんは殴られた訳や。さぞや痛かったでしょうなぁ」

 

 どこかホッとしたように落ち着きだした青髪が、しみじみと言い放つ。

 

「……結局、負けたんだよ。だから喋りたくねえんだ。ほっといてくれ」

 

 上条はおとなしく自分の席に着き、珍しいことに手早く次の授業の準備を始め出した。その後、ふてくされたように寝そべると、机に顔を伏せてしまった。喧嘩の話はこれ以上はもう御免被る、とばかりの態度。それからは授業が始まるまで、彼は友人2人の話を全てシャットアウトした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  午前の授業も終わり、昼休みが始まった。その日は三馬鹿の3人が3人とも昼食を用意して来ず、ならば皆で学食を嗜もうか、と午前中にそういう話になっていた。

 

 特筆して上条はやたらと腹を空かせており、ダッシュで学食行くぞ、と鼻息も荒く。そんな彼に同調するように、スピード勝負ならカレーですたい、と言い出した土御門。ああ、学食のカレー最近食ってねえな、食いてえな、と上条はなお一層燃え上がる。カレーええな、もう学食のカレーの味忘れてるわ、なんかテンションあがってきますなぁ、と青髪が最後に賛同した。

 

 

 

 

 

 お昼はカレーにしよう。皆で確認を取り合わずとも、自然な流れでそのように決まった。そのはずだった。

 

 

 

 

 

 

 

 昼前の最後の授業が終了した直後。いよいよ教室のドアが乱雑に開かれ、青髪と上条が争うように廊下に転がり出る。だがそこで、両者の足は予期せぬ声に止められた。時間勝負と連呼していた当の本人の土御門が、『待て』と言いだしたのだ。

 

「ウ○コだにゃー」

 

 真剣な面差しで何を言い出すコイツは。その一言に、勿論2人はなに食わぬ顔で宣言した。

 

「野郎ざっけんな置いてくで、ごゆっくりなペド」

 

「ああいいぜ。3秒間待ってやる。3秒でケツまで拭いてこい。はい、いち、に、さん。ああ残念アウトーじゃあなシスペド」

 

 金髪サングラスは情けない台詞を繰り出しておいて、何故か堂々とした態度を崩しもしなかった。

 

「ふぃー。あいにくとそいつぁ無理な相談だぜいカミやん。オイラ今日カレー気味なんぜよー。実は朝からカレー地獄でにゃ」

 

 あまりの怒りに、今にも動き出しそうだった2人は再び足を止めて身体を反転させた。

 

「バカ野郎!テメェそれ以上言うんじゃねえよっ!!」

 

「うわ!信じられへん言いやがったでコイツ!カレー食う前によくも!」

 

 頭を抱えて地面にしなだれかかる青髪。ドン引きの上条は唾を飛ばす。

 

「あーもーこっちまで巻き込んでんじゃねえよシスコン三等兵!」

 

「友達なら苦楽を供にするってなもんだろ?待っててくれよー」

 

 フラフラと両手を伸ばし、金髪グラサン男が近づいてくる。

 

「やめて!カレーのついた手を包帯に近づけないで!」

 

 上条は恐怖に震えて後ずさる。ゾンビのようににじり寄る金髪カレー男。彼に狙いを移される前に、廊下の壁に背を付け極限まで身を仰け反らせた青髪は声を張り上げた。

 

「わかりました!わかりましたから!まっとるからはよいってこい!」

 

 上条も何度も頷き、その台詞に同意している。

 

「おみゃーら非道い扱いぜよ」

 

 呆れたように捨て台詞を残し、土御門は背を向けて歩き出して行った。起き上がった青髪が上条を覗くと、彼は投げやりな態度で空元気を炊き上げている。

 

「今ならちょっとくらいカレー食うの我慢できる気がする不思議!」

 

 その悲鳴に、同じくゲンナリとした顔の青髪は呟いた。

 

「ええ?ボクもう今日はカレーやめときます」

 

 彼の視界の端に、窓越しにぷるぷると震える吹寄整理が映っていた。行儀よく自分の席についた彼女は、全然カレーの匂いがしない怪しいカレーパンを片手に全ての動作を止めている。

 

(可哀想に……土御門の奴、声がデカいんだよ)

 

 同情しつつも、いつもいつもどうして吹寄ちゃんはあんな不味そうな匂いの食べ物ばかり食べているんだろう。だから毎日イライラしてるのかな、と景朗は疑問を浮かべたりもした。

 

 

「そいつは名案だぜ青髪」

 

 去りゆく土御門の背を見やる上条は、その一言と同時に晴れやかそうにそう述べた。

 

「いやいや、ここはあえてカレーだろ?」

 

 会話を耳にしていたらしい。廊下でくるりと振り向きドヤ顔を見せつけてきたその男を無視し、上条と青髪は白けたように教室へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クラスメートがまばらになった教室で、上条と青髪ピアスは2人して椅子にもたれかかった。トイレに行った土御門が戻ってくるのをひたすらに待ちわびながら。

 

『何か面白い話してくれ』『ネタ切れやぁー』『第一声がそれ!?んっとに虚仮威しのエセ関西弁野郎だなぁー』『なっ、そ、そんなん今関係ないやろ!?そない言うんならまずあんたからやってくれます?』『あーあ、だからモテねえんだよー』『おいっ!?』

 

 時間をドブに捨てるが如く、毎度毎度なんの足しにもならないやりとりをひとつ終えて。上条と青髪は2人してぼーっと椅子に座り、しばし無言のまま空腹と語らった。周りの友人たちは皆、見せつけるように弁当を頬張っている。明るく暖かな、ほのぼのとした光景だ。

 

 気を緩めずにはいられない。今ではこれがすっかり景朗の日常と化している。ほんの数日前には血みどろの抗争を、そして隣のツンツン頭とは荒々しい喧嘩を繰り広げたばかりであるのに。それがまるで嘘だったかのように思えてしまう。

 

「はぁーーぁぁぁ……」

 

 友人はなにやら、さきほどから隣で哀愁を漂わせ続けている。鬱陶しくもあるが、されどその理由を深く穿り返せばどうせ"あの喧嘩"の話が飛び出てくるのだろう。ヤブヘビとなるのは嫌だった。景朗はしばし、どうしたものかと考えた。やがて穏やかな空気を胸に吸い込むと、徐に、何気ない素振りで口を開いた。

 

「どしたんカミやん今日はホンマにぃー。えろうため息ばっかついとりますねぇー」

 

 恐らくはその原因を作っておきながら、いけしゃあしゃあと恍けた尋ね方をする景朗だった。しかし彼とて先日の喧嘩の件は積極的に話したくはなかったようで、その口ぶりもどこかテキトーだ。

 

「……土御門、おせぇーなぁー」

 

「まぁー、ええやんもう。こうなったら時間置いて人のおらん時間帯に学食行こうでー」

 

「そうだな。……はぁー……っ」

 

 相槌を打つものの、彼の意識はここではないどこかへ乖離してしまっているらしい。覚悟していた話題は出てこなかった。

 

 上の空で考えに耽る上条に習い、景朗も腰を落ち着けてボーッと窓の外に意識を移した。傍からただ単に、物静かに景色を眺めているだけに見える。でも、そんな彼の頭の中では思考の束がぐるぐると目まぐるしく移り変わっていた。

 

 

 

 

 横でうなだれる少年が証明してくれる。どうやら本当に、彼に手をかけてしまった景朗の失敗はアレイスターの逆鱗に触れずに済んだらしい。

 

 となれば、今一刻も早く手がけていかなければいけない案件は必然と、丹生多気美の後遺症問題となる。そのような思考が景朗の脳裏に到来していた。

 

 彼女が元気になれば、単純に自分も嬉しい。それに、そうなれば形だけでも丹生は暗部から開放される。景朗自身が彼女へトラブルを媒介させてしまわないか否か、心配事はそれだけになるはずだ。

 

 こういっては何だが、丹生多気美という少女は彼女の両親の負債を除けば、取立て暗部の業界に必要とされる人材ではなかった。彼女を恨み執着していそうな暗部組織にもとんと心当たりはない。

 

 自分が彼女を新たなトラブルに巻き込むのでなければ、おいそれと問題は生じない気がしていた。楽観的な考えではあるが、景朗には今のところ、そう思えてならなかった。

 

 そうして丹生多気美の行く末について考えを巡らせていると、また一つ、とある重要な事実が浮かび上がってくる。景朗は想像してしまった。丹生の身体的障害を全て取り除くことが叶えば、その結末に何が訪れるのか。

 

 丹生の容態が完全に治癒すれば……少なくともひとつ、幻生のジジイに握られている弱みが解消される。理不尽な命令を言いつけられるだけの関係から脱却できるかもしれないのだ。

 

 幻生との関係が、変化し得る。木原幻生との付き合い方を一変させられる可能性が、突如浮上する。

 

 

 

 急を要する話題。性急に取り組まなければならない課題。たくさんありすぎて困るほど色々と思いつくものがあったが、その内ふと、手纏ちゃんと交わした言葉が脳内に湧いて出た。

 

 その瞬間、衝撃とともに微かな動機が景朗を襲う。

 

(ああ、手纏ちゃん俺のことスキって、好きって……うおおおああああああ)

 

 青髪は得体の知れぬ快感とともに椅子に座ったまま縮こまり、器用に身体を小さくしたまま藻掻き回る。離れたところでそれをたまたま目撃したクラスメートの女子校生が、彼の頭髪より青い顔色を呈している。

 

 

 周囲の目など露知らず、景朗の脳内は一面鮮やかなピンク色に染まりそうだった。しかしそれも直ぐに終わる。景朗が"その日の放課後の用事"を思い出すや否や。彼の躰は芯まで一気に凍りつき、熱を失っていった。

 

(……歯がゆさに、悔しさ……色々あるかな。もちろん申し訳なさもあるけど……手纏ちゃんはウチらとは違う。大した後ろ盾もバックボーンも何もない聖マリア園の奴らとは違って……手纏商船の経営一族、現経営者トップの一人娘だもんな)

 

 今一度よくよく考えてみると、住んでいる世界が違い過ぎる。それが景朗の正直な想いだった。拙い例えになるが仮に、彼女が世間的に+(プラス)の世界に大きく位置しているとすれば、逆に自分は±0(平凡)な世界どころか、際立って-(マイナス)の世界に大きく振り切れてしまっている状態だ、と。

 

 

「……mottainai……」

 

 景朗の口から、蚊の鳴くようなつぶやきが漏れる。その時、耳ざとくその台詞を聞いていた上条が、びくりと激しく身体を反応させた。

 

 

 

 

「……ぁぁー……へぁーあ」

 

 そして彼はまたひとつ、深く息をついた。いかにもワザとらしい態度だった。実は先程から、景朗は顔面を不自然なほど無表情のままにして、チラチラと上条の寄越す視線に気づかないふりをし続けていたのだ。

 

「あのー、青髪さん?そろそろいい?わかる?ほら見て?上条さんが落ち込んでいるでしょう?理由。なぜ理由を聞いてくださらないのかね?」

 

 しびれを切らした上条当麻はいよいよ口火を切った。極力短調な声色を意識して、青髪は答えた。

 

「……あれー?おかしいなー。ボクそれさっき一回お尋ね申しましたよね?あんさんウニ頭やのうてトリ頭やったんかいな?」

 

 上条は息を止めたように静止し、一瞬真顔になる。

 

「……はぁーっ。ぁーぁ、最悪だ……、どーすっかなぁー……」

 

 そして直ぐに何もなかったように平然と景朗の指摘をスルーした。時間を巻き戻したように再び、落ち込んだ素振りを露骨に押し出してくる。

 

「はいはい。怪我が痛むん違うの?てかちょいまち、今のな、それ、今の。今のをボクがカミやんに言い出す前に、前もって気遣っとったら。どーせいつもみたいにホモッ気がどーのこーのと言い出すつもりやったんやろ?簡単に読めてたでー」

 

「全然ちげーよ。オメー、やーっぱホモクサイこと考えてたんだな。ちょっと離れてくれません?」

 

 疲れ気味に話を合わせた恩が、仇で返ってきた。椅子の足が床とこすれ、上条ごと真横をスライドしていった。やや大げさなほどげんなりとした仕草を見せる上条に対し、青髪の額に青筋が差す。

 

「カミやん?最後のチャンスやで?」

 

「ああもうわかりましたよ、青髪さんは全くもう。先にネタふったのはテメーなのに……」

 

 景朗の方から真面目になれば上条がフザケ、逆のシチュエーションとなれば今度は自分が話題を逸らしてみせる。三馬鹿たちは一から十まで遊びの要素を含んでしまうところがあった。正味、真面目な話をする時は遅々として進まなかったりする。

 

「なあ、青髪さんや。詰まるところ、卵って1日に何個まで食っていいと思います?1日に許される許容量的な意味で」

 

 イマイチ重要度のわからない質問が飛び出してきた。

 

「あー?そんなん好きなだけ食えばいいねん」

 

「真面目に答えてくれよ」

 

「あー?カミやんみたいな貧弱ボーイは1日12ダースくらい貪って2000回くらい腹筋せなアカンのやない?」

 

 問いかけ自体が毒にも薬にもならなそうな代物である。イマイチ親身になりきれず、景朗は悪乗りするように茶化して答えてしまった。

 

「顔だけっ!顔だけマジメッ!そんな真剣なツラしてんなこと言われっと遠まわしに殴れって言われてんのかと思うぞ野郎!あと忘れないうちに言っとくけど卵12ダースって144コだぞッ!しかも何カッコつけてダース使ってんだ卵ひとパック10コ入りだろ、中途半端になるだろこの青ゴリ!」

 

「ゴリゴリやかましい!イントネーション似とるからって『青ガミ』みたいに『青ゴリ』って言うの多様すんなやっ!」

 

「まだ一回しか使ってませんがっ!」

 

 ひとしきり言い返すと、上条は憤慨した格好からするりと照れくさそうに口ごもった。

 

「……あぁクソ……なにげにオレが『青ゴリ』を気に入ったの見抜いてんじゃねーよっ……初見で看破するんじゃねーよっ」

 

 いきり立つ少年に対し、景朗は涼しげにそっぽを向いている。更には椅子をカクカクと傾かせて遊んでいた。バランスを崩せばガタリといく、"あの"ポージングである。

 

「で?結局タマゴがどうしたん?さっきからしょげてたのにタマゴが関係すんの?」

 

「はふぅ。……実はさ、この怪我をした休みの日な。……運悪く喧嘩の直前に特売でたくさんタマゴ買ってたんだよ。それが……喧嘩に巻き込まれて全滅しちまってよ……」

 

「……ほ、ほーお。それで?」

 

「『それで?』って!?上条さんの貴重なタンパク源が無残に散ってしまったんだぞ!おかげでこれからしばらくは血で血を洗うがごとく、デンプンでデンプンを迎え撃つ日々の到来なワケだ!強制的に!あああいやだあああそんな無味乾燥な晩餐、耐えられないぃぃぃ!」

 

「カミやんの事やからどーせ自分で首突っ込んだ喧嘩やったんやろ?そんなん自業自得やん、アキラメロン」

 

「冷たいぞ青髪ッ!男子高校生たるものプロテインの摂取は必修科目じゃないですかっ!俺だって腕相撲で青髪クンの両手へし折るくらい鍛えたいんですっ!」

 

 ぷフーっクスクス、と我慢できずに吹き出した青髪は嘲笑うように唇を釣り上げさせた。

 

「そんな日は永久に来ないよ(笑)」

 

「わざわざ標準語で言わないでッ!」

 

 いい加減友人の落ち込んだ振りがウザかった青髪は、話題がそれる前に無理やり叩き直した。

 

「てえか卵1日にどんだけ~ってそおいう話やったんやね。そもそもカミやんはそんな大量の卵どうするつもりでしたのん?あ、てか結局卵はのうなってしもうとるんかスマン」

 

 しっかり聞いていただろうに彼の台詞の最後の部分を無視し、上条はキリリと真顔で述べ返す。

 

「そりゃあオマエ、上条さんはサッカーで言うところの"食卓のフォワード"に"スリートップ"体制で任命するつもりでしたよ。3-4-3的な?」

 

「なして強引にサッカーで例えます?"フォワード"に"スリートップ"……ほならメインのオカズとして毎日タマゴ3つってことやの?あーあーあー、そのウニ頭には魚卵やのうて鶏卵が詰まっとったみたいやな。そんなん三日も続けられんで?」

 

「ほざくじゃねええかテメー」

 

「いやーやっぱ、そもそも男子高校生の晩飯でタマゴをフォワードにするっちゅう発想がキツいですわ。第一タマゴにメインディッシュ的なポストプレーは難しいですやろ。せめて、『カニ玉』みたいにオカズに絡めてワントップのFWの下、トップ下のシャドー(セカンドストライカー)で使うくらいの気構え――」

 

「この痴れ者ッ!」

 

「おわ!」

 

 上条が隙を突くように右手の手刀を抜き放った。ガダリと椅子と共倒れになりつつも、景朗は大慌てで回避した。犯人はまるでその様を気にかけることなく、続けて言葉と"幻想殺し(右手)"を畳み掛けてくる。

 

「贅沢者ッ!」

 

「わあ、待ちいや!どうどうどう!」

 

「全国の卵好きさんと卵業業者さんに土下座しろっ」

 

 青髪は急ぎ距離を取りつつ、両手を前に伸ばして牽制した。猛る上条は俊敏に右手を引いては突き、引いては突き、を繰り返すばかり。

 

「あー、そそそそそそや!カミやんに取って置きの情報を披露するで!タマゴクンに変わるニューフェイスクンの紹介や!彼は攻撃だけやのうて守備の技術も一級品なんやでっ!?」

 

 口と手を止めた上条が、良いだろう言ってみろ、と無言でガンを飛ばしてくる。

 

 

「ふふふ。存外、カミやんにぴったりの一品かもしれんで。まずは……タマゴには流石に負けるんやけどな、きっりち高タンパク、そして低脂肪!」

 

「ほほう」

 

「それでいて、入手が容易!良好なコストパフォーマンス!アーンド、閉店間際によく値下がりしとるしご飯のオカズとしての相性もバッチリや!ほら、安いし高タンパクとくれば、夜な夜な右手がアレなカミやんも大助かりやろっ!?」

 

 

「せんせー、今日も相変わらず青髪が下品でーす」

 

 

「むぐむぐ。はーい。むぐ。知ってまーすー」

 

 

 もぐもぐと口を動かし、教卓近くで持参のお弁当を啄いていた月詠小萌が上条の呼びかけに大声で答えていた。数人の女子たちと仲良くお昼、といったところだろう。

 

「え?あれれー?小萌センセー?」

 

 その途端。不幸男など眼中もなく、青髪はくるりと反転した。そのまま下劣な表情を浮べると、小萌先生へ意識を集中させる。前に質問した時、彼女は料理なんて出来無いと言っていた。然るに、あれは誰が作った弁当だ?……いや、そんなことはどうでもいい。

 

 

 ――その寸前。"青髪ピアス"こと"雨月景朗"の脳内で、理性やら良心やら道徳やら、あらゆる人間性を構築する"歯止め"がギリギリと音を立てていた。しかし。景朗はその拘束を引きちぎり、欲望を沸騰させた。あえてね。

 

 景朗の想像する"ボクの考えた青髪ピアス君"は自分の欲望に忠実な人間であり、婦女子の嫌悪の視線など微塵も恐れたりはしない男なのだ。むしろ、青髪ピアスという人間を演じるのならば、ここは心を鬼にして……やるべきなのだ。

 

 

 青髪は吠えた。

 

「ウェヒヒ、小萌てんてー!具体的にどの件が下品だったかよくわからなかったので、もっと詳しい補足をお願いしまーす!」

 

「こら、速く言えよ」

 

 その瞬間、そっぽを向かれた上条が不機嫌そうに彼の尻をつついていた。青髪の世界に衝撃が走る。

 

 

 

「!? アッーーーーーーーーーー!」

 

 

 

 

 

 

 

 野郎が何かを失ってしまった時のような悲鳴、そしてビリッ、という布の避ける音が轟いた。小萌先生の一挙一動に完全に注目していた青髪は対応できなかったのだ。

 

 音の正体は、青髪のズボンだった。なんと、彼のズボンのケツの部分が綺麗に上下に裂け、肌色やら"自主規制クン"やらが露出してしまっている。

 

 "青髪ピアス"の肉体は"雨月景朗"のデフォルトの体格よりも、もう少しコンパクトな体型に設定してあった。それが、景朗の気の緩みで膨らんでしまったのだ。ケツの部分だけ。"幻想殺し"に触られたケツの肉だけ異様に膨らんだ結果、青髪のズボンのケツが破裂してしまったらしい。

 

 

「お…お……オレは……一体何を……ぶち殺したというんだ……?」

 

 一方、上条は戦慄に震えていた。右手でツツいたその刹那、"右手"が"ナニか"を破壊する感覚とともに、"青髪"の"ケツ"が炸裂してしまったのだ。

 

「オレハッ!一体ナニをッ!ナニを壊してしまったというんだッ!?」

 

 床にうずくまる青髪を決して労わらず放置し、上条はひとり、頭を掻きむしり動揺する。

 

 

 

 

 

 

 が。直ぐに両手を収めると、椅子にぽふり、とだらけて座りこんだ。

 

「はぁー、もうヤメヤメ。はいはい、青髪クーン、いつまでそうしてるんですかー?」

 

 横たわる青髪ピアスは『ケツが……ケツが爆発した……』とうわ言のように呟いて、なかなか起き上がる素振りを見せない。

 

「もおー。さっきからワザとらしく大げさなんですよ、青髪クンはぁー。あなた、どうしてそういちいち"かまってちゃん"なんでせう?」

 

 あなたのワンタッチで下手したら俺の人生は(アレイスター的な意味で)終わってしまうというのに、酷なことをおっしゃりますね。青髪が急に浮かべだした、その切なそうな表情の所以を。上条は全くもって理解してくれそうもない。

 

「ほら早く。世にも珍しい青いゴリラだからって調子乗りすぎると人気なくなりますよ?動物園に居ないはずの閑古鳥が鳴きますよ?正直言ってテメェーみてえなムサいゴリラがんな狼狽えてんのは見ててみっともないんですよ」

 

 ようやく容態を安定させた景朗は、ぷるぷると怒りに震えて身を起こした。

 

(野郎、何さらしてくれやがる……ッ!)

 

 くっ、と怒りを押さえ込んだ。まったくもって気持ちの通じ合わないツンツン頭君は、早く話の続きを言いなさいと急かしてくる。

 

 やりかえしてやろうか。そう考えたが、やっぱり景朗はやめておくことにした。それよりも尚一層彼が恐怖したのは、この年頃の男子高校生の低脳IQ的素行を象徴するようなノリから生じるとばっちりであった。そわそわと動く上条の"右手"。なんだか今この時、Sッ気を微妙に開眼させつつある上条が"嫌がる青髪を右手でつつくゲーム"に興味と関心を持ち始めて来ている気がしたのだ。ガキってそういうの好きだものね。

 

 

 

 キコキコと椅子が傾く音。今度は上条が椅子にもたれかかり、バランスを取って遊んでいる。なんともワザとらしい。

 

「気になるだろー。はよ言いなさい」

 

(なんだその『どうぞムカついてください』と言わんばかりの変顔は!?見せつけてきやがって……)

 

 上条は催促を繰り返す。

 

 奴をこのままプッシュしてひっくり返してやりてえ。その衝動を必死にこらえ、景朗はふぅと息をついて持ち直し、そのまま答えた。

 

「その名は、THE☆CHI☆KU☆○」

 

「乳首?」

 

「竹輪です。ちくわ。今日もはしってますな、カミやん」

 

「ちくわだぁ?何を言い出すかと思えば。いいとこサイドバックだろ」

 

「はっ。流石タマゴスリートップは言うことがちがいますな。ええか?ちくわは世界を取れるんやで!ちくわワールドクラスや!これからよおく説明を」

 

「ぷっ。ワールドクラス(笑)。魚肉レベルが吹いてますな」

 

「言ったな!あぁぁちくわバカにすんなや!サイドバックやけど、いうて世界を狙えるサイドバックやからな!普段はサラダのお供、DFとしてディフェンスラインに構えてますが、カウンターの好機と見れば"磯辺揚げ"やら何やら、攻撃的な采配に即座に対応することも可能やねん!」

 

「ううむ。磯辺揚げか……あれ?え?てかDFって野菜なの?ああなんてこったい!それじゃ……それじゃあ我が『FC Kamijoh』は全試合守備崩壊状態よ!ディフェンスラインスッカスカよ!」

 

「ほれみい!アンタんとこみたいな弱小クラブは助っ人ストライカーを海外から輸入してる場合やないのよ!まずは守備から!足元からきちっと見直しましょうねっ!」

 

 踏ん反りかえる青髪は腕を組み、目を一層細めて不敵に微笑んだ。

 

「い、嫌だ!オレだってフィジカル鍛えて攻撃的サッカー目指すんだっ!"自分たちのサッカー"目指すんだああっ!」

 

「あっそ。せいぜい頑張りやぁ、その調子でグループリーグ(期末考査)突破を祈ってるでー」

 

 とうとう文句一つ言い返せなくなったらしい。青紙のその言葉を最後に、上条は机に伏せて敗北を顕にした。

 

 そのまま満足げに椅子に身体をもたげ、しばらく目の前の男を観察する。この時、景朗は気づいた。上条当麻が机に顔を埋めたまま、教室の様子をチェックしていることに。

 

 

「…………言ったな?」

 

 ポツリ、と上条。

 

「言いましたね」

 

「もういっぺん言ってみろ」

 

 自信満々に切り返す青髪。

 

「ハハハ。何度でも言いますよーボクは!」

 

 ガバリ、と上条は機敏に顔を上げ、間髪入れず叫び上げた。

 

「おーい、吹寄ー!吹寄ーちょっとこっちきてーちょっとだけ来て見てくださいませんかのことよー?!」

 

「……なによ?上条当麻」

 

 辛辣な、相変わらずのフルネーム呼び。尋ねる前からどこか喧嘩腰の彼女の様子に、景朗は目の前の上条へ馬鹿野郎と罵りたかった。

 

(ほら見ろ気づけよ、吹寄ちゃんはさっきのカレー騒ぎで俺たちにまだ敵意があるんだよ馬鹿気づけよ、ウニ!ああもう、オマエって絶対こういうの気づかないよな!)

 

「ほら青髪、言ってみ?」

 

 無表情のまま、上条はただ一言、それだけを口にした。

 

「え?」

 

「ほら、何がワールドクラスなのか言いなさい」

 

「……」

 

 思わず口ごもる。『ちくわは世界を取れる』なんて吹寄整理の前でホザいてみたらどうなることか。……蔑まれ、鼻で笑われ……え?それがお望みなの?上条クン。そんなもの、ちょっと考えればわかるだろキミ。

 

 吹寄ちゃんがボクだけを、この青髪ピアスだけを蔑む訳ないじゃない。きっとボクたち2人セットでゴミカスのように見下されるで……。最後に共倒れしたいだけ?

 

「なに照れてんだよ?ほら、男らしく堂々と高らかに!」

 

(いや、ちがう。それなら、上条は勝者の笑みを浮かべているはずだ。どうしてだ、どうしてそんな、何かを必死に耐えるように、表情を凍りつかせているんだ……な!そ、そう、か!そういうことかっ!)

 

 景朗は把握した。上条の真意を悟ったのだ。

 

「吹寄……ち……ち……ちく……は、……ド、クラス……で……?」

 

 景朗はわざと恥ずかしそうに精一杯演技をする。蚊の鳴くような小さな声で何度もどもりながら、聞き取りにくい声でブツブツもごついた。

 

「え?ちょっとなに青髪クン。はっきり喋って?」

 

 ほら。吹寄整理はこういったハキハキしない態度が大嫌いなのだ。予想通り食いついた!

 

「ボク、な……吹寄さ……ちく、……は、ワールドクラス……と思うねん」

 

「え?何?」

 

「吹寄……ちく…、は……ちくもが……ワールドクラス」

 

「……」

 

 吹寄はピク、と体を硬直させ、若干頬を赤くした。

 

「だから吹寄ちくッ!は――ちくwブゴアッ」

 

「またセクハラかこの三馬鹿!」

 

「わぁ待てなんでオレまでヘブ?!」

 

 吹寄は瞬く間に2人に一撃を加えると、何故か土御門の名を叫びつつ教室を飛び出していった。

 

 あの子もようよう執念深いなぁ、と痛みにのたうつ上条を眺め、景朗はしんみりと息をついた。彼女が土御門を狙う理由。それはきっと、さっきのカレー発言の報復に違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、小萌先生が颯爽と現れた。

 

『こらー!また吹寄ちゃんにセクハラしたんですかー?』『"また"ってなんですか"また"って?』『そんなボクらをセクハラの常習犯みたく言わんといてくださいよー』『嘘付きさんです!吹寄ちゃんは訳もなくああいう真似をする娘じゃないのです!』『いえいえ、俺達、なぁ?』『ええ。センセー、ボクたち、セクハラなんて一切してません』『ホントですか~?』『吹寄サンにはただ、ちくわの栄養価についてボクなりの個人的な解釈をお伝えしようとしただけでして……はて、彼女はどうやら、何か勘違いしてはったようですが……』

 

 上条と青髪は肩を組む。二人して仏のように、静かに、穏やかに、淡々と語った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ま。結局カミやんが何を言いたかったのかようわからへんけれども、とりあえずマッチョになりとう思っとるんなら、肉を食えばいいんじゃないですかね?」

 

 その台詞をぽつりと青髪が漏らすと。くわ、と上条は目を見開き、鬼の形相で青髪の胸ぐらをつかんでガンガンと揺さぶった。

 

「うおらぁ!話聞いてまちたかっ?ここまで会話してきて肝心なとこ理解できてなかったの?!上条さんはお肉が買えないから卵を買ったのよ?パン屋に下宿してっからって、売れ残りのパンで炭水化物を補給できるお前とは違うんだい!」

 

(そういえばそういう設定だったなぁ……)

 

「全てのリソースをお肉に統合できるゴリラくんとは違うんですよ。ま、しかたないかぁー。青髪クンにはちょっとむつかしいお話だったかなー?」

 

「……」

 

「罰として、オマエんとこのパン屋の売れ残りを上条さんにも献上しなさい。ハイこれ決定事項ね?」

 

「はーい!ウニパンマンー!新しいウニよー!あれれーなかなか取れへんなーこのウニッ!ヲラァッ!」

 

 今度は景朗が素早い動きで上条の頭部を掴み、左右に激しく揺さぶった。

 

「あが、あががががが!ひゃべっ、ひゃべろっ、でッ!~~~だあぁッ!」

 

 喋っているうちに舌を噛んだらしい。怒った上条は荒々しく右手を背後へ指し伸ばした。慌てて離脱する青髪とタイミングが重なり、2人はガタリと椅子を倒して距離をとる。

 

「あでぇ、舌……。ちっ、だいたいテメエ、なんだよ『新しいウニ』って!海産物じゃねえかっ!それもうパンですらねえじゃんっ!どうせならウニパンをよこせよっ!」

 

「じゃあカミやんはウニとウニパン、食えるんならどっちが食いたいんや?そんなん、皆ウニって言うに決まっとるやん!」

 

「知らねえよ、そもそもウニパンってなんだよ、んな非実在の食物あるんなら持ってきてみせろよ。食うぞ?今の俺なら食うぞ?食うからな?むしろ食わせてください三段活用!」

 

「……」

 

 蔑むような青髪の目つきに、上条は居心地悪そうに固まった。

 

「……あーもーチクショー、舌かんじまったぞ!」

 

 少し顔を赤くした彼は誤魔化すように突如怒り出し、威嚇するように右拳を突き出してブンブン振り回す。

 

 降参したように両手を前に揃えて、あわあわと青髪は口を素早く動かした。

 

「ま、待つんや!よお考えて!違うで、これはボクが悪いんやないで!……そうやで、そもそも土御門が悪いんや!あれもこれもそれもどれもまるごと、早く用を足して帰ってこん土御門が全部悪いんや!諸悪の根源ってヤツや!」

 

「ぬ」

 

 上条の動きが止まった。悩んでいる。あと一歩だ。

 

「そうや!ボクを殴るならせめて先にあのカレー男をイワしてからにしてやっ!」

 

 突如、ボカリと青髪の背中が蹴られ、彼は教室の床に倒れ込んだ。

 

「帰ってくるなり物騒な話してんじゃにゃーぜッ。野郎ども何をこそこそと画策してやがるっ、廊下でいきなり吹寄が襲ってきたぜよっ!」

 

「それはオマエのせいやっ」

 

 

 

 




 遅れに遅れておいて、本当に申し訳ありません。このお話、暗闘日誌らしくないと思います。episode26は全体的にギャグ的なのに初挑戦してみようと思い、挑戦しているのですが、寒いです。後悔が募ります。それでも、感想だけでも頂かなければ始まらないので、生き恥とキツイ責めを覚悟して投稿致しますorz

今回の更新でepisode26の全体量の四分の一くらいでしょうか。まだまだ先があります。話の展開を早くする、みたいなのはどこいったって感じです……大急ぎで書き進めます。ホント遅くなって申し訳ないですorz

 感想の返信も停滞しており、必ずお返事致しますのでどうかここでお詫びさせてください。





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episode26:一方通行(アクセラレータ)②

 

 

「なあ、2人とも今日暇だろ?どうせ暇を持て増してる系だろ?てか絶対やることないよな、よし。じゃ、ちょっと放課後付き合ってくれよ」

 

 上条の唐突な誘いに、景朗と土御門はカレーをすくうスプーンの動きを止めた。教室を離れた学生食堂、日当たりのよい窓際の四人掛けのテーブル席。デルタフォースの3名は各々は皆、学食で仲良くカレーライスに舌鼓を打っていた。なんだかんだで学食にやってきてみれば、3人が3人とも濃厚なカレーの香りの誘惑に抗えなかったようである。

 

 もしかしたら、昼休みの時間が残り半分を切っていたため、手早く注文できそうなメニューをチョイスした思惑もあったのかもしれない。

 

「スマンでカミやん。今日は用事ありましてね」

 

「オイラもパスだぜーい」

 

「よーっしゃ決まりだな!っしゃー、そんじゃ晩飯は俺んちでお好み焼きパーティーなっ、いえーい!」

 

 上条当麻には割とこういったところがあるのだ。青髪も土御門も大したリアクションを見せずに、聞こえなかったフリをしてもぐもぐと再び口を動かし始めた。

 

「Foooooooh!お好み、パーティ、お好み、パーティ、お好み、パーティ……」

 

 スプーンを視力検査のスティックのように扱い、片目を交互に隠してブツブツと煽ってくる上条。

依然としてワザとらしく騒ぎ続けるこのお調子者を我慢するのは、なかなかに忍耐力が要求されることだった。

 

「はーぁうるせーぇ!『いえーい』じゃねーぜいこの貧乏神条」

 

 耐え切れず反応した土御門。しかし彼の表情には張り上げた声色ほどトゲは含まれていなかった。ひょっとしたら。いや恐らく。彼はお好み焼きパーティなるものに、興味を注がれたに違いない。景朗は無視を決め込みつつも、焦りを胸に瞬かせた。上条も同様にそう考えたらしい。その隙を逃がさんと、ツッコミを誘う次手がウニ頭から矢継ぎ早に注ぎ込まれていった。

 

 

 唾を飛ばし合う上条と土御門の問答を尻目に、景朗はひたすらに忍耐を継続させた。馬鹿野郎なに反応してんだクソ御門。こういうのは無視が一番つれぇーんだ、シカトしろ我慢しろ。そう心の中で文言のように唱えていたのだが……。

 

「あ。青髪はお好み焼きの具はちくわだけな?フィールド(鉄板)でちくわイレブン出陣な?な?ちくわ、な?むしろちくわに小麦粉汁かかったのを焼いただけのやつな?ただし!タマゴだけは遠慮せず食ってよし!」

 

 ぶるり、と身体を悔しくも震わせてしまいつつ、それでも景朗はその煽りを耐え抜いた。

 

(ちくわだけのお好み焼きって何だこの野郎。ちょっと気になるじゃないか)

 

 ぱちり、と上条は頭上に電球マークを浮かべ、何かを閃いた様子を見せた。徐ろに。彼は突然スプーンで右目を隠すと、空いた手でぴこぴこと上下左右に人差し指を回す。それはどこからどう見ても、視力検査そのもののジェスチャーであり――

 

「右、左。上……あれ?お医者さーん、なんか今日のドーナツ、黄色くないですかー?いつもの黒いドーナツじゃなーい……あっ!これちくわじゃないですかー」

 

 頑なに閉ざされていたはずの口元から、ぷしゅっ、とこらえきれずに笑いが漏れ出てしまった。

 

「……ッ!あぁくそ、くそ、ちくしょお!」

 

 一体このやり取りに何の意味があろうか。されど上条は勝ち誇り、景朗は無言を貫き通すのがいたたまれなくなる。もう竹輪は勘弁してください……。

 

「あー無視無視。シカトやシカトー」

 

 上条はようやく、2人の友人は押しても引いてもダメだと悟ったようだ。椅子にだらけてよりかかり、ぶーぶーと文句を垂れだした。

 

「なんだよお前ら非道ぇーじゃん!ちょいと離れたスーパーで今日『タイムセール卵ひとぱっく69円(税込)おひとりさま3つまで』なんだよー!助けてくれよー」

 

「ホンマ堪忍、今日は無理」

 

「メンゴメンゴ、カミやんメンゴー、正直メンドー、そろそろ相手シンドー」

 

 カレーに夢中の2人は、目を合わさずにひたすらそう続けるばかり。

 

「マジかー……ツイてねえな。せっかくヒマだけが取り柄の帰宅部三人衆が揃ってるってのに……」

 

「もう諦めてデルタフォース(三馬鹿)と名乗ろうぜい?」

 

「嫌ですー。ごほん。いいですか?そもそもがワタクシめは、御二人さんと3人セットで扱われていることに不満なんですよ?れっきとした風評被害ですよまったくもう。切実に今からでもソロデビューしなおしたいくらいなんですから」

 

「……カミやん、それだときっとキミ1人だけが『エアフォース・ワン(空気の読めない馬鹿)』みたいなあだ名つけられちゃうだけだにゃー。どうせテロ(災難)に遭うんだろ的な意味で。そんできっと、オイラたち二人は無事に三馬鹿の括りから解放されました、なーんてオチになるだけな気がするぜい」

 

「はは、ボクも同じことかんがえましたよ、と。もっとオノレの体質を自覚せなな、カミやんは」

 

 無条件に土御門に賛同した青髪の態度に、上条も言われるがまま想像したのだろう。言葉に詰まり、悲観に暮れかけている。

 

「そやそや、あと一ついい?言うてな、ボクぁカミやんにテストの点1回も負けたことなかったりするんやけど、プふ。ほほ、土御門もか」

 

 ニヤニヤと見つめ合う青髪と土御門。彼らの追撃に、ひたと上条は唇を噛む。

 

「あれ?いやあれれ?となるとカミやんこん中で、一番、成績、悪――」

 

「笑止!たった入学三ヶ月で学業の優劣を決めようなどとは!?ならば良し!次のテストで勝負といこうじゃ……って」

 

 その瞬間、上条は思い直したように目を見開いた。

 

「待て待て待てゴラテメエら、話題をすり替えようとしてるなクッソ、野郎どもテメェらいつもいつもっ!」

 

 あーあ、気づきやがったか。そう言いたげな彼の友人二人は、全身で脱力を顕にした。上条の無事な方の拳は未だぷるぷると震えている。

 

「ていうか、まぁだタマゴ諦めてなかったのん?3パックで観念しいやぁー」

 

「それじゃ一ヶ月持たねえだろ?馬鹿なの?」

 

「一ヶ月?!だから3人で9パック必要ってことやの!?おバカはどちらさんや!ひとりで卵90個も消費しようとすなッ!」

 

 上条の口ぶりから予想するに、単純計算で一日3個の卵を30日消費していくつもりだろう。いかな神秘の右手と言えども、その身に蓄積されるコレステロールを破壊するのは不可能に決まっている。

 

(ま、俺なら大丈夫なんだけどさ……)

 

 されど、卵90個。口にした当の本人もその恐ろしさに思う所があるようだ。上条の表情を覗けばちょいと顔色も悪く、うっすら青くなっている。景朗はどうにも呆れを隠せなかった。暗部以前に、どうやって生きてきたんだこいつは……。

 

(これも、任務、か……)

 

「はぁぁ……。ん?そおやカミやん。もういっそ舞夏ちゃんにタカったらええねん。プライドより生命が大事やろ?」

 

 実は、上条と土御門は同じ寮の、同じ階に住んでいたりする。トドメとばかりになんと、土御門の部屋は上条の部屋の真横であった。もちろんこれは偶然ではないだろう。土御門の体を張った任務への献身に違いない。であるからして、この2人の交流は非常に容易い状況にあるのだ。あまりにあからさまな構図で上条を哀れむのを禁じ得ないが、とにかく、彼らはお隣さん同士だ。

 

 そしてさらに。土御門の部屋には、なんと想像上の産物だと思っていた"義妹"さんなる生物が生息していたりするのだ。かの義妹さんこと土御門舞夏の存在を思い出した景朗は、条件反射的にそう口走っていた。

 

 

 彼の提案に、一時、上条は表を上げ、如何にも希望の光を見つけたとでも表現できそうな仕草を見せた。しかし。

 

 ドスッ、とスプーンを握り締めたままの土御門の拳がテーブルに突き刺さる。

 

「冗談キツイぜこんな汚フラグ豚と舞夏を近づけさせてたまるか」

 

「……」

 

「……」

 

 残る2人の会話の隙を突き、もくもくとカレーを処理していた彼だったのだが、とうとう看過できぬ話題に触れてしまったらしい。上条と青髪は冷や汗をかいて押し黙った。

 

 実は景朗が口にした『義妹ネタ』は用法と容量を守り、節度を保って使う必要があった。でないとこのように時々、金髪サングラス君が沸騰しそうになるのだ。にゃーにゃーとうるさいこの男が標準語を喋る時、得も知れぬ畏れが襲来する。

 

 

 不用意に義妹ネタを繰り出した青髪に、お前がなんとかしろ、とばかりに上条がジト目を送っていた。

 

「しゃ、しゃーないのー。ほなら、ここはボクが少しばかりお金を融資してあげることにしましょうか」

 

 場の空気が一変するように、ひときわ明るい声で青髪が唄った。サイフを取り出そうとゴソゴソとポケットを探りながら、一層目を細めた愛想笑いが少々ぎこちなかったが。

 

「何っ!いいのか青髪っエ○ゲー買えなくなるんだぞ!ぐす、ありがとな生命より大事なエ○ゲーをっ!お前にとってエ○ゲーは万事に勝る玉璽っ!それでもいいのか青髪ピアスエ○ゲーをっ!うへ。いやでも俺としてはむしろエ○ゲーの方を頂戴したく存じ――」

 

「遠まわしに"要らない"って言うてますよね。しかも誰がエ○ゲー買えるほど銭貸してやるて言ましたか」

 

「そんなこと言わないで青神様ー!ああ青神様青神様青神様」

 

「うはぁぁーっうぜぇぇー。今日は一段とうぜぇぇぇー……」

 

(よっぽど金欠で切羽詰まってるんだな……)

 

 かちゃり、とカレーを食べ終えた土御門のスプーンが皿で転がった。彼は顔を上げると、板に付いた"やれやれ"のポーズをビシリと決めた。

 

「はぁぁー。わかったわかった。ちと遅くなってもいいならオイラがご一緒してやるぜよ。ったく、忘れんなだぜい?晩飯はカミやんの家でだって舞夏に言っとくからにゃー?」

 

 拝むように両手をピンと揃え、上条は上下に激しく振動させ始めた。

 

「ありがとう土御門ー!心の友よー」

 

「ああそれやめてほしいにゃー。キモいにゃー」

 

 土御門の指摘を機に、ああそうですかと上条はすっぱりとゴマすりを止めた。そのまま流れるように彼はふんぞり返ると、腕を組み、椅子に深く腰を据えた。

 

 そしてにわかに、青髪へと顎を指した。

 

「ふぅ。……で?青髪ピアスは?」

 

 『チミは一体何をやってくれるんだい?』

 おそらく、そのセリフの続きはそのようなものになるのだろう。それに加え、呼び方もわざとらしさ満点だった。今だにネタにされている『青髪ピアス』の呼称をさり気無く使ってきている。

 

 景朗は自然と、渋柿をめいいっぱい頬張ったような顔つきになっていた。そのまま感情を逆立てることなく、体内で生成された毒を吐きしてやった。

 

「○ね」

 

 

 

 

 

 

 

 放課後。部活組の生徒たちが競って教室を抜け出す最中。上条と土御門はニヤケさせた顔を隠しもせず、こそこそと教室の後ろで駄弁り続けている。

 

 どちらがより上手い下ネタを繰り出せるか。どうせくだらない話題(エロトピック)を肴に、そんなことを意味もなく競い合っているのだろう。HRが終わるやいなや教室を後にしようとしていたところで、そのような彼らの様子を目にした景朗は、どこか羨ましそうにして立ち止まった。

 

 教室の出入り口を塞いだまま、小さく息をつく。その後彼は、はたと思いついたように首を後方へと傾けた。矢庭に、こういう時はこうするんだとばかりに、吹寄整理の姿を探し始めたのだ。

 

 その予勘はあっけなく的中した。案の定、何時もの通り。彼女は笑い転げる上条と土御門両名のすぐ近くにいた。

 

 エロトークに腹を抱える2人の男子高校生。それは世界中どこででも、幅広く見られるごく普通の日常的な光景であるはずなのだが……。そんな彼らに対し、吹寄整理は氷点下を遥かに降下した、蔑みに満たされた仮面を貼り付けている。

 

 

 身の毛もよだつような寒々とした女子高校生のその種の表情には、一定数の世の男性を『頑張ろう』と奮起させる力がある。クラスメート3名の日常を尻目にしつつ、景朗は深々と感じ入った。そのまま吹寄のクールビューティをなんとか起爆剤にして、後ろ髪を引かれる想いを断ち切って。彼は教室に背を向けた。

 

 そうしてそのまま一直線に、景朗は第七学区とは北西に隣接する学区、"第九学区"を目指していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 乗り合わせた電車は奇跡的にほとんど人が入っておらず、見事に空いていた。怒涛の帰宅部ラッシュを覚悟していたが、無駄に済んで何よりだ。景朗は幸先が良いとばかりに機嫌よく座席に座り、ポケットからケータイを取り出した。まもなく、電車は動き出す。

 

 

 

 数人乗り合わせた乗車客は、皆各々、ご自分のケータイに目が釘付けである。こちらを除き見る者など誰もいない。気休め程度の警戒ついでに一度、ぐるりと車内を見渡し、景朗もケータイを弄りだした。彼は没頭するように、第九学区へ向かう道すがら、今後の行動方針を頭の中で練り直す作業に移っていった。

 

 

 初っ端から目に飛び込んで来たのは丹生からの連絡だった。受信欄には、題名のない未読メールの表示がぽつんとひとつ。同時刻に着信記録もないため、それほど重大な要件ではないだろう。

 

 景朗は反射的にメールを開く。想像と違わず、それは丹生からの没個性的な学校生活の報告だった。今日もいつもどおり平和な日常生活でした、と最後にはそう締めくくられていた。

 

 

 丹生のおかげで、火澄たちのことを心配せずに済む。景朗は嬉しそうに、そのメールを読んだ。丹生は今日も、景朗の代わりに危険に目を光らせてくれている。

 

 

 本当なら景朗自ら、仄暗火澄、手纏深咲、それに加え勿論、丹生多気美の身辺に気を配っていたかった。しかし、記録上でこそ雨月景朗は彼女たちと同じ長点上機学園に在籍しているものの、彼にはもっぱら第十八学区を離れ、第七学区のなんの変哲もない普通科の高校に毎日顔を出さねばならない事情があった。

 

 それ故に、景朗は最後の砦と言わんばかりに丹生へと頼み込むしかなかった。日々、火澄たちの周辺に居るのならば、監視の目を光らせてくれるように、と。丹生多気美には暗部で半年ほど生き延びてきた経験がある。不審者、敵対勢力に対する備えや警戒は、素人とは比べ物にならないほど手馴れていた。

 

 

 今年の四月、入学式が終わったその日だった。景朗が丹生へと懇願した日だ。あの日、彼の内心の不安を吹き飛ばすように、彼女は快く応じてくれた。それからずっとこうして、何かあろうとなかろうと、彼女は定期的に連絡を入れてくれる。なんだかんだで、丹生にはものすっごく助けられている。

 

 

 

 本音を言えば、手纏ちゃんの安全については、それほど気を揉む必要はないのかもしれない。実際に四月の終わりに火澄と手纏ちゃんが第二位に襲われるまで、景朗はそんな風に楽観的に捉えていたところがあった。

 

 勿論、今では違う。手纏ちゃんに対しても、火澄たち聖マリア園のメンバーほどではないが危険に晒さぬよう万全をきす必要がある。

 

 

 

 手纏深咲の安全について、景朗が楽観視していたのには勿論理由があった。手纏深咲は、さる大企業の社長令嬢的なポジションにいる訳である。彼女だけを言うに及ばず、かようなVIPな生徒たちの存在はそもそも長点上機学園では珍しくもなんともなかった。

 

 元来、長点上機学園に在籍する生徒たちの事情は、"学舎の園"あたりと似通っているのだ。どこかの会社の御曹司だとか、学園都市内の研究所のお抱え能力者等が大勢いるのである。必然、学校側のセキュリティも並外れたものではなくなっている。

 

 故に、彼女たちが学校にいる間はほとんど安全だと考えて差し支えはないはずだ。……学園都市の暗部が、どの程度長点上機学園の表層にまで影響を与えるのか、にも依るかもしれないが。

 

 長点上機学園の学内に居れば、とりあえずは安全であるとみなせそうだった。さすれば次に浮上する懸念は、放課後や休日等の時間帯となった。

 

 手纏深咲に関して言えば、景朗はこう考えていた。彼女の父親が"学舎の園"の外部への進学を許可したのならば、それ相応のセキュリティを用意したのではないか、と。目立たないところでそれなりの安全対策が彼女に掛けられているのではないか、と。

 

 しかし。よほど火澄は手纏ちゃんの親父さんに信用されていたのか、それとも過保護からの脱却を図っていたのだろうか。景朗の浅はかな期待はあっさりと裏切られた。第二位は2人をいとも簡単に襲った。手纏ちゃんには大それたボディガードは付けられていなかったのだ。

 

 手纏ちゃんのガードが薄かった事実を、自ら確認していなかった景朗の落ち度である。かと言って景朗に何らかの方法を用い、四六時中彼女たちを監視する覚悟があったかと言われれば、そうではなかったに違いない。

 

 

 

 

 とりとめもなく色々な事を頭の中で羅列していくうちに、もう何度目だろうか。手纏ちゃんの事を思い浮かべる度に、景朗はあの告白のことを思い返してしまっていた。

 

 色々考えを巡らしているうちに、頭の中に手纏、という単語が浮かぶ。そうなると、次に告白の単語が回想されてしまい、なぜか最終的にエロいことに直結してしまうのである。

 

 完全に男子高校生の思考回路だった。まあ年齢的には矛盾はない。年齢的には。肉体的には少々歪になってしまうけれど。

 

 シートに座った景朗の片足が、知らぬ間に激しく上下に揺れ動いていた。エロい衝動を必死に振りほどこうと、無意識に貧乏ゆすりが発動しているようである。

 

(そういや、手纏ちゃんの……あれ……あの発言は、あの告白みたいな発言はホントもう、どう扱ったら良いんだろう)

 

 昼休みに悶えながらも考えた景朗であったが、彼はその時とある事実に気がついていた。手纏ちゃんがアグレッシグにも3階廊下から飛び降りる直前の、あの時。景朗が返答する間も無く、手纏深咲は勝手に納得して逃げ出してしまっている事を。『大丈夫です、忘れてください』と彼女は連呼して、彼の答えなど気にもせず走りさっている。

 

(……あるえ?これ、今から俺が蒸し返したらどうなるんだろ?……マジクソフ○ックなことに、今はお付き合い的なことできる状況じゃない……ゲン☆&アレイ☆は地獄に逝ってよし……。……なんか今、あやふやなカンジだし、こっから何かを追求するといっても、結局自分からまた断りの連絡を入れる形に向かってしまうよな……どうせ……

 

……嫌だ。そんなことしたくない。手纏ちゃんには悪いけどこのまま曖昧なカンジで射程圏内に収めておかせてもらう方向性がベスト!

 

――――ッてなんだよそれあぁぁ!男らしくねえ!自分のことしか考えてねえだろうがよ!手纏ちゃんの気持ちになって考えてみろよ。クソ、いや、しかし……、やっぱ……

 

 

『どんなことでも受けて立つ』って、"そういう"意味も入ってる系だったよな。入ってるカンジで手纏ちゃん焦ってたぽいよな。はあああああ!?マジかよ、これ付き合うって答えたら俺たちはどこへ向かう事になるんだろうか?!ああくっそ、はあああああああああああああああ?)

 

 もはや彼の足のブレは今にも衝撃波を放ち出しそうなほど、強烈に振動数を上昇させつつある。

 

(おいやめろクズ野郎!エロ目的はいかんぞばきゃろうが!最低だぞ道帝野郎!真面目に考えろよ俺!エロは除外して考えエロッ)

 

 気が付くと、ケータイのディスプレイに手纏ちゃん宛の新規メール編集画面が立ち上がっていた。慌てて景朗は削除する。

 

(ああ駄目だぁぁぁ俺だって16なんだって無理だって勘弁してくれよおお。あああうおおお手纏ちゃんまじかよ、そこまでしていい感じだったのかよ、なんだよそれ嬉しいってエロ抜きで考えても、嬉しいか嬉しくないかって言われたらやっぱそれって最高だろぉぉおおおおおおおおおお!?嗚呼いかん。頭を冷やさないと。くっそおこんな下らない事で能力使うなんて屈辱だがああああ……

 

 

うおらああああああ俺はこの世で性欲を支配できるたった一人の逸材!なんだぜえええええええええええ畜生おおおおおおおおおおおおおおおおあああ!!!!!)

 

「っふぅあッ!」

 

 突然、デカイ青髪ピアスの高校生が怒鳴り声を上げれば、誰だって驚くだろう。対面に座っていた小学生は飛び上がりそうになって身体をビクつかせている。

 

「……っはぁ~~~~ぁっ……」

 

 景朗は長く大きな息をついた。小学生など彼の視界には入らない。超能力のゴリ押しで強烈な賢者タイムへと到達した雨月景朗は、改めて落ち着きなおしたのだ。

 

「何考えてんだぁ俺は。自分の立場ってもんを分かってなさすぎだぁ」

 

 改めて彼はケータイを見直した。手持ち無沙汰に、丹生からのメールを読み返す。そこでようやく、とある一文が彼の目に留まった。

 

 [ご飯作ってあげよっか?実は今、カレーにハマってるんだよね!]

 

 いつもなら嬉しくなって飛び上がりそうになる内容だ。丹生からの誘い。今までにいくつあっただろう。が、彼が顕にした反応は喜びとは程遠い、重たく湿ったため息だった。彼は今、常人には理解し得ぬ深度の賢者タイムの渦中にいるのだから、無理もない。

 

 

 あの晩から二日が明けたが、丹生はまだ知らずにいる。上条当麻の理解不能な"右手"を用いれば、彼女の歪められた内蔵と体質を治療できるかもしれない。その可能性を、景朗は未だ伝えあぐねている。

 

 

 景朗が丹生へ申し訳なさを感じる一番の理由は、恐らく彼女の態度からくるものだった。色々と迷惑をかけてきているはずなのに、丹生は全くといっていいほど景朗に負の感情を当てつけることがなかったのだ。"百発百中(ブルズアイ)"と戦ったあの日、彼女が泣きじゃくったあの夜から、丹生から恨み言を聞いた覚えはない。

 

 そんな彼女の容態だが、それは景朗にとってもよくわからない不思議な経過をたどっている。丹生が景朗の細胞を身体に受け入れて、すでに八ヶ月近く経過していた。木原幻生は当初、丹生の容態は悪くなっていく一方だと言っていた。

 

 だが、現状の丹生を見る限り、ただ単純に悪化しているようには全く見えないのだ。彼女は未だ、どこからどうみても健康そうである。本人にも尋ねてみれば、どこも悪いところはないと答えを返す。

 

 そのことについて幻生を問い詰めたところ、彼は予想外の現象が起こっていると口にした。通常の人間ならば、もはやとっくに昏睡状態に陥っていておかしくない。それほどの量の体晶を丹生は体に蓄積しているはずだ、と幻生は前置きして、新たな見解を述べたのだ。

 

 景朗の細胞が、予想していたよりも遥かに丹生の肉体に適合し、体晶が人体に与える悪影響を緩和させているのかもしれない。だからああして、丹生は何事もないように健康なのだ、と。

 

 

 色々とややこしい事態が生じているらしいのだが、全てを掻い摘んで結論だけ言えば。これから彼女の容態はどう転んでいくか全くわからない。つまりはそういうことだった。但し、原則として丹生は依然として景朗の血液か、もしくは体晶を必要とする体質のままである。それに、今は元気そうに見えても、いつか不発弾が爆発するように、体の不調をきたすかもしれない。その予想はできない。しかし、現時点においては容態が急変しそうな予兆も見当たらないといえば一向に見当たらない、というのもまた真実であった。

 

 安定している丹生の現状が悩みどころであるものの、景朗にはこのまま手を拱いている猶予はない。いずれにせよ、彼女の肉体は治療する必要がある。だから。

 

 たった今この時からでもいい。早急に、今すぐにでも伝えておくべきだと、景朗の頭の中央で理性が訴えかけている。だが、言いあぐねさせる引っ掛かりがいくつも存在するがために、景朗の口は重くなっていた。

 

 

 

 第一に、本当に上条の"右手"は丹生の身体を救えるのだろうか、という謎がある。悪魔憑きの細胞が破壊されるその間、丹生の体は正常な活動を保てるのか。それにもともとの、景朗の細胞が置き換わる前の丹生の内蔵は、死滅した状態だったのだ。深く考えず適当に"幻想殺し"を活用できる状況ではない。

 

 徹底したリサーチが必要なのだ。しかしそこでまた、それについて助力を乞わねばならないはずの木原幻生が、どうしようもなく信用できない人物である点も問題になる。気が狂いそうなほど歯がゆい事実である。木原幻生はまず間違いなく、丹生の回復、そして景朗の離反を望んではいない。

 

 彼を頼らず、薬味久子の伝手を借りようかとも思えたが、それも実現性は低かった。薬味久子は景朗に断言している。木原幻生よりも能力体結晶の知識に勝る研究者はこの世に存在しない。それは恐らく、未来永劫変わらないと。一から研究を始めたデータを持っているのは幻生ただひとりである。そのバックボーンは容易く覆されることはない。おおよそ能力体結晶が絡むこの案件は、木原幻生が重要なウエイトを占めざるを得ないのだ。

 

 最後に最も気を揉む必要があるのは、ずばり、アレイスターをどう対処すべきか、という点だった。あの男は上条当麻に並々ならぬ執着を見せている。あの少年を、無策なまま木原幻生や薬味久子といった要注意人物たちの巣窟に招き入れていいはずがない。奴が黙って見過ごすとは思えない。

 

 薬味や幻生やらのアレイスターとの関係は、どこからどうみても単純な上下関係の範囲に収まらない様相を示しているのだから。

 

 

 

 

 

 

 ともせず、打つべき手は既に売ってある。とにかく、現代の医療技術でも除去不可能なほどに癒着した景朗の細胞を、丹生の肉体から取り除く手法、それだけはひとつ発見できたのだ。となれば、そこから新たに予想される不具合を、現代の医術の組み合わせでどうにか解決できれば、丹生は助けられる。ひとまず、その可能性を探るだけ探ってみせる。

 

 

 

 上条当麻については、心配する必要は欠片もない。『助けてくれ』と、そうたった一言頼めば、上条のことだ。理由すら聞かずに『何をすればいい?』と腕まくりをしてくれるだろう。だからこそ、景朗は少しばかり心が痛む。

 

 卑怯であったと自分を恥じる。今日の朝、上条の怪我を目にした瞬間、後悔と良心の呵責というやつが彼の元へ押し寄せた。

 

 "右手"を押し付けられて自制が効かなかった。そんな言い訳ができるだろうか。いいや、きっとできはしない。上条は馬鹿げた右手を持っていたが、身体能力は通常の人間そのものだった。自分とは違った。

 

 上条を痛めつけたあの所業は、大の大人が赤ん坊を無作為に殴るが如き、赤面して恥ずべき行為だった。

 

 よくある事かもしれない。時間とともに興奮と怒りが薄れれば、当然のように自らを省みる心持ちへと変化していくものである。

 

 

 ネガティブな考えに移行しかけていた景朗は、すっぱりと想いを断ち切るように思い切り顔を上げた。賢者タイムは終わりにしよう。

 

 いつのまにやら目的地へと電車が到着していたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 第九学区を説明した学園都市外部向けのパンフレット等によると、この学区は芸術と工芸に全力で比重を傾けた場所であるらしい。設立された学校も専門職の強いものばかりだそうだ。

 

 駅から出て一目見渡せば、嫌でもパンフレットの言いたいことが理解できた。オブラートに包めば、非常に個性的で独創的なデザインの建築物が景朗の視界に立ち並んでいる。通りすがる学生たちの雰囲気も、そのファッションも、第七学区とはまた装いが違っている印象を受けるものだった。

 

 学園都市においては"第十五学区"が流行の発信地だともてはやされている。学生が特に多い学園都市中央部の学区、要するに第七学区や第十八学区あたりもその点は踏襲していたのだが。

 

 ひと駅変わった程度でここまで学生の雰囲気だけ変化するものなのか。その日景朗はひとつ、新たな知識を獲得した。第九学区には、独自の流行が存在しているらしい、と。

 

 

 景朗はきょろきょろと、上京したばかりの若人のように周りを物珍しそうに眺めていった。だが、良く良く考えれば、今彼のいる第九学区は、彼が腰を据えている第七学区のすぐ隣の学区である。だというのに、景朗は街の実態すら僅かばかりも把握していなかった様子だ。

 

 その理由は単純だった。

 

 学園都市の都市機能は世界随一と自負して良いほど、極めて高度に計算され設計されている。それこそ特殊な事情など何も持たぬ一般学生が単純に学校に通い、日々の生活を営むだけならば、各々の学区内で十分に事が足りてしまうのだ。……いくつかの学区は例外的に排除しなければならないかもしれないが。

 

 正直なところ、景朗はそれまでの人生で欠片も第九学区の学校に興味を抱くことがなかったのだ。それ故に、こうして街を直接視察する羽目になったというわけである。全くと言っていいほど、今回任務で立ち寄ったエリアの土地勘を持ち合わせていなかったがために。

 

 

 

(ココ(第九学区)の裏事情だけならそこそこ知ってたんだけどなぁ。俺もすっかり嫌な意味での業界人かぁ……)

 

 景朗は薮から棒に時間を確認すると、やや急いだように足を速めた。彼がそこへ来た目的は当然、食事やショッピング、行楽といった穏やかなものではない。日が落ちてしまわぬうちに"実験区域"の周囲の地形を確認しておく必要がある。

 

 でなければ、恐らく"任務"をまっとうできないだろう。景朗は厳命されている。期待に応えられなければ、手痛いペナルティを負わされてしまう。

 

 ひと月ほど前に幻生から下された仕事の内容を、強引に一言で言い表せばこうなるだろう。

 

 "実験"を"妨害"する闖入者の徹底"排除"。

 

 ただし、じっくりと数分かけて女子中学生のクローン体を嬲り殺す"第一位"の所業を、本当に"実験"と呼んで良いのならば。

 それを阻止する事が、本当に"妨害"なのであれば。

 自らが直面している状況やその結末すら知らぬ、後のない者たちが捨て駒にされていく現実を、本当に"排除"の一言で済ませて良いのならば。

 

 景朗は以上の三つの事柄について、"ちっとばかし"疑問を持っていたけれど。しかし結局のところ彼は言われるがままに命令を遂行してきたのだから、何も口にする資格はないのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 太陽は鮮やかに色付き始めていたが、直に日差しを浴びる側からすれば十分すぎるほどに眩しかった。その一方で、街は少しずつ静けさを醸し出し始めている。少なくともその日の真昼間に、いつものメンツと散々バカ騒ぎをして暴れた"あの種の喧騒"は、微塵も感じ取ることはできなくなっている。それも仕方のないことだった。時刻は午後六時を回っている。冬の季節であれば、もはやとっくに夜の帳が下ろされている時間帯だ。

 

 満足できるまで少々時間がかかったものの、景朗は一通りの実験区域の確認を終わらせている。その後、彼は第九学区の中心に立地する何の変哲もない自販機横のベンチへと、ひとまず腰を落ち着けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何とはなしに茜色の空を眺めて、沈黙に体を投げ打つ。が、それも束の間。あっという間に空を仰ぐのに飽きた景朗は、顔を正面へと戻した。

 

 彼が位置していたのは、中学・高校がマス目のように連なりあって生じた十字路のような通りだった。完全下校時間も迫りつつあるというのに、ぽつぽつと雑踏が途切れることなく彼の目の前を流れていく。芸術に魂を捧げたこの街の学生たちは時間を忘れ、貪欲に創作活動に励んでいるらしい。

 

 あえて耳を立てさせずとも、景朗は余裕をもって察知できていた。自分の位置する自販機横のスペース。その周囲のみ微塵も会話が産まれず、確固たる静寂が保たれていることに。

 

 周りはほど良くざわついているというのに、自身の空間のみ無音がはびこる。これもまた、静寂――というよりは"孤独"を味わえる絶好のロケーションではないだろうか。そんな考えをくゆらせるばかりで、景朗はのんびりと他人事のように思考をアイドリングさせていた。

 

 

 ――――ましてや、たった一人で手持ち無沙汰に暇を潰しているわけでもなければ尚更、孤独を感じるものだ――――。

 

 

 そう、実はただ今この時、実は景朗は一人ではなかった。なんと彼の真横には、静寂と完全に同調したミサカ9632号が、同じベンチに人2人分ほどの間を空けて座っていたりするのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先程から自分一人だけが一方的に喋っていた気がしたが、気のせいではなかったようだ。その証拠に、一度口を閉じればこの有様なのだから。ふとした拍子に生じた沈黙。どうやって打ち破ぶろうかと悪戦苦闘しつつも、隣りで静かに珈琲に挑むミサカ9632号を横目で窺った。

 

 この極上に無口な少女の話相手をするのはやはり難度が高かった。だが、一人ぽつんと街をふらついているのを偶然見つけ、半ば無理やり彼女を引っ張ってきたのは景朗の仕業である。いつまでもこの居心地の悪い空間に浸からせたままでは、気が引ける。

 

 だがしかし。だれか。女子中学生のクローン体という、そのへんのSF小説より遥かにサイエンティフィックな存在が身を乗り出して食いつくような、そんな話題を。誰か教えてくれ。

 

 

 

「やはり、苦いです。……ふう……」

 

 小さな溜息とともに、ミサカ9632号はベンチの上に紙コップを置いた。景朗が待ち望んでいた反応が、ようやく返ってきた。景朗も思わず息を吐き出すところだった。

 

「率直に申し上げますと、これ以上この液体を摂取したくはありません、とミサカは予想された失望に溜息を飲み込みます」

 

(……はて、ため息はおもいっきり吐き出してませんでした?)

 

 景朗が紙コップで手渡した珈琲を、何の反応も返さぬままたっぷりと時間をかけて吟味してくれたミサカ9632号。だがしかし。待ちわびた彼女の感想には、珍しく拒絶の色がはっきりと含まれていた。

 

「うむぅ。申し訳ない、と言いたいところだけどまったく苦くない珈琲は存在しないのです。それが珈琲というものなのです」

 

「はぁ。ですが、簡単なもので良い、率直な感想を述べよ。と貴方が口にされたので」

 

 なんの感情の色も起伏も映さない、デフォルトな表情。そんなものがこの世に有るのか、そもそも定義され得るものであるのかすらわからない。が、景朗はその時、冷や汗を流した。まったくと言って良いほど心に波風立たせぬデフォルトな表情を浮かべたミサカ9632号が、そこに居た。

 

「おーけー。あー……じゃあ~……そう、じゃあ、前飲んでもらったヤツよりどれだけ違う味がしたか、そこんところはどうだったかな?」

 

 声をかけたものの、ミサカ9632号はボーッと呆けているようにしか見えなかった。新たに唇を震わせかけた景朗は、そこで気づいた。彼女のすぼめられた口角が、僅かだがへの字型に曲げられている。どうやら彼女なりに、さっきの珈琲の味を反芻しようとしてくれているようだ。

 

(苦いのは相当に苦手なんだなぁ。にしても、可愛いところもあるじゃないか)

 

「……そう、ですね。酸味が減っていたように感じました。しかし……香り、もしくは……苦味? ミサカは――」

 

 ミサカ9632号のおぼろげな感想が面白かったのか、景朗は思いっきり口角を引き上げた。

 

「ああ、苦味ね。ふふ、そうそう。その苦味みたいなもの、強くなってたりしてなかった?それはねぇ、前より深煎りの豆を使ったから、なんだよ。にしてもやっぱみんな、珈琲の味を表現するときはどうしても曖昧なカンジになるみたいやね。面白れえ」

 

 少女の関心の薄さに真っ向から立ち向かうように、景朗は体の向きを変えて彼女との距離を一人分詰め直した。

 

「実はさ、その珈琲を抽出した豆、前回のと全く一緒だったりするんだ。"一緒だ"の意味は言葉の通り、前回飲んでもらったヤツに使った豆と」

 

 景朗がぽつんと放置されたカップを目で追ってみせると、つられるようにミサカ9632号も顔を動かした。

 

「そいつに使った豆はDNA、遺伝情報、なにからなにまでほぼ同一のだってこと。一本の木から採取された豆なんだ。えぇとつまりは、同じ苗から実った種子の集まりってこと。DNAどころか、育った環境も与えられた栄養も同じだね」

 

「厳密には、同株から収穫された果実であっても栄養価は個別に異なりますが。とミサカは同意しかねます」

 

「まあそうだね。でも俺の言いたい事はなんとなく君だってもう察してくれてるだろ?それに珈琲の場合は沢山の種を一度に砕いて混ぜ合わせて使うから、あまり問題視しなくていいんじゃないかな?」

 

「同型の遺伝情報を共有しているという点で、私たち妹達と珈琲の種子が等しい境遇にあると議論したいのですね?」

 

「そのとおり」

 

 概ね希望に沿った答えを返してくれたものの、相手はその話題に微塵も興味を持っていないらしい。彼女は景朗と視線を会わす気すらないようで、おもむろに無骨な軍用ゴーグルを取り出した。流れるように、よどみなく手を動かし整備を始めている。

 

「遺伝情報が全く同じでも、工程ひとつで最後の味わいは大きく違ってくる。その苦いだけの飲み物ですらそれだ。これを人間に例えてみなよ……口にするのも馬鹿らしい事態になる、とは思ったりしない?」

 

 一方の景朗も、クローンズ達のこのような冷淡な反応には十分にこなれているらしい。決してめげずに、言い聞かせるように語り続けた。

 

 うんざりしている風のミサカ9632号の、その話は何十も何百とも耳にしたとでも言いたげなジト目。さすがの景朗も、僅かにたじろぎかけた。

 

 ある意味、これも新たな人間性の獲得と呼べるかと、無理矢理ポジティブ思考回路を脳に導入したものの。それが、どのみち景朗が導こうとしていた結果ではないことに気づいてしまった。

 

 どうにも居心地の悪い沈黙が再来しているではないか。

 

「毎回訊いてるけどさ……ああわかったよ!これはYesかNoの簡単な返答でいいから頼むよ」

 

 ミサカ9632号は景朗の話の途中だというのに前傾姿勢になりかけていた。席を立ちかけようとした彼女を強引に制し、質問で釘づける。

 

「はぁ」

 

「それ、苦かっただろ?予想していたより断然鮮やかに、そう、言わば世界がセピア色に色づき、濃厚な香りと味わい深い舌先の感覚それら全てが全身を乗っ取って」

 

「肯定です」

 

「あ、そか、良かった」

 

 とりあえず適当にYesと答えて話を終わらんと、もろ食い気味に発せられた返答であった。感情の薄いミサカ9632号にここまで言わせるとは、相当ウザかったに違いない。景朗は今にも折れそうな心を奮起させて、絶対にドヤ顔を絶やさなかった。

 

「見聞きするのと体験するのは別物だ。自分の舌や体で味わうとまた違った知覚があっただろう?」

 

「そうかもしれません」

 

「だったら――」

 

「私に毎回そう尋ねてこられるのは、貴方の趣味なのでしょうか、とミサカは訴えかけます。この度、"ミサカ"が珈琲を飲むのはこれで5度目です。一体どのような意図がお有りなのでしょうか。はっきりと申し上げてください。ミサカたちは徒労を感じています。僭越ながら、以前、ミサカ9174号は紅茶がより好ましい、と貴方にお伝えしていたはずでは?」

 

 景朗は一度、ぴたりと口ごもった。が、それは本当に僅かな瞬間だった。

 

「だから、死ぬのはきっととんでもなく辛いはずだよ、って言いたいだけさ」

 

 如何にもふざけて軽口を叩くように、おどけてみせた。その胸の内では、これで正解だったのか、と幾度も繰り返しながら。本当に言いたかったのはそんなセリフじゃなかったクセに、と若干の後悔をにじませながら。

 

「それが私たちの存在意義です。貴方はいつも、ご自身の意見を一方的に押し付けるだけなのですね。私たちが理解しあうことは難しいようです、とミサカはこれまでの"交流"を振り返ります」

 

「おいおい、コイツの存在意義はなにも人間に砕かれて熱湯責めにされるためにあるんじゃないぜ?」

 

「そうでしょうか?」

 

「もちろんだ。そんなもん全部人間側の都合じゃないか。珈琲豆の肩なんて持つ気はさらさらないけどさ、本当のところはただ単に俺たちがこの植物を弄って勝手してるだけ。いくら人間がコイツを消費するのが大好きだろうと、それで珈琲という植物の存在意義はゆらぎはしないだろ。生物は生物として、未だ人類すら知りえていない命題を全うするために生きているだけだ」

 

「ですがその珈琲豆は結局、消費されるために栽培されたのでは。それが目的でなければ、それが存在意義でなければ、こうしてこの場に存在することすらありえなかったのではないですか?」

 

「こいつは豆だ。ただの植物だ。何も考えちゃいない。でも君は人間だろ。鶏や豚なんかじゃないだろ……それとも――」

 

 彼の断定的な口ぶりとは裏腹に、その声色には覇気が無く、弱々しい響きに満ち満ちていた。

 

『家畜だとでも言うつもり?』

 

 寸前で景朗はその言葉をためらった。ミサカ妹達が何と答えるか簡単に想像がつく。そしてその後、どう言い返せばいいのか、反論が咄嗟に思い浮かばなかったためか。

 

 いいや、思い浮かばなかったのではない。彼女に問いかけたい激情が目まぐるしく頭の中を駆け巡っていたとも。しかしどれひとつとして、自分が口に出して良いセリフだとは思えなかっただけだった。

 

「ミサカたちはまさに、消費される事に価値を見出され造られたのです。私たちは消費されてこそ、存在意義を全うします」

 

 

 

 五月の終わり。街で偶然この少女を、正しくは在りし日のミサカ9174号を見かけた時はどうして良いかわからなかった。

 

 約束をしていたとかこつけて、とりあえず珈琲を奢った。初めて飲む、と驚いていたミサカ9174号に新たな約束を取り付けた。次は美味しい珈琲を持ってくる、と。

 

 単に、何もせずに素通りしていれば、罪悪感が沸いて沸いて仕方が無かったから。それだけだ。ミサカクローンズたちと会った後はいつだって冷静になる。そして考えるのだ。こうやって微かに沸く小さな罪悪感の流れに身を任せるばかりで、彼女たちに何か足しになるのか、と。

 

 

 もう一万人ほどが死んだ。何も出来ぬまま。かといって、本気で助ける気もない。そうだ。景朗は本気で助ける気はなかったのだ。恐ろしい事実に気づいている。今実験が終われば、死んでいった彼女たちは犬死になるのだろうか。

 

 暗部の非道な奴らなんかとは違う。自分は違うはず。こうやってちゃんと彼女たちの身を案じているフリをしているのだから。

 

 でなければ。ミサカクローンズの実験の護衛を文句ひとつなく遂行するだけの雨月景朗では、あまりに――。

 

「作業が残っていますので、それでは」

 

「次はもっと美味しい珈琲をごちそうしてみせるよ」

 

「その件ですが、これ以降はミサカは遠慮させて頂きます」

 

「ミサカ9174号と約束したんだけど。必ず美味い珈琲を――」

 

「結構です。お気持ちだけで十分です、とミサカ9632号はミサカたちを代表し、お礼を申し上げます」

 

 小さなお辞儀とともに、少女は景朗の元から去っていく。その後ろ姿にはすこしの未練も見当たらない。

 

 景朗は鮮明に覚えている。9174号と約束を取り付けたあの日、彼女は確かに、どこか嬉しそうにして帰っていったのだ。

 

 

 

 

 

 日が暮れれば、戦いが始まる。あの少女は"殺害"される。景朗はその"殺害"を邪魔しようとやって来る、敵だともなんとも思っていない、ましてや殺したいとは微塵も思わない相手を、探し出して地獄に叩き返さねばならない。

 

 統括理事会は本気だった。ここまでひとつの目標に真摯な暗部の空気というものを、景朗はそれまで感じたことがなかったほどだ。

 

 皆が厳命されている。"実験"を邪魔する奴らは容赦なく殺せ。必ず地獄へ落とせ。捕まえれば拷問だ。死体ができれば見せしめだ、と。

 

 




とりあえず更新しますorz
まだまだお披露目したいところまで行っていなかったのですが、あまりにお待たせしてしまっている状況ですしorz
これからすぐ感想の返信に入ります!ご容赦ください……

新ヒロインの件については忘れていません!ので!
クライマックスへの布石的な意味で一気にキャラクターが増える予定なのですが、その都合で話を書いては設定とシナリオの調整をー、という状況で筆が進みませんでしたorz


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episode26:一方通行(アクセラレータ)③

 

 

 街灯に群がる羽虫が白く映えるほどに、暗がりが空を覆い尽くしていた。時刻は午後10時をわずかに過ぎた頃合だ。

 

 景朗は明かりの消えたビルの屋上に身を潜ませていた。そのビルは見晴らしが良い場所に立地しており、昼間のうちに目をつけておいた物件だ。そこからは労せずして、その日の夜半の"実験"区域を一望できたのだ。

 

 

 ほどなく前に、"実験開始"の報が届いていた。景朗は相も変わらず不審な影を探るように、注意深く"工芸の街"を見下ろしている。

 

 街は静かだった。

 

 一部のエリアは不気味さを感じるほどに、完璧に人気を失っている。それは当然に、いくら学園都市であろうとも不自然な光景だった。

 

 どれほど高度に発達した都市機能を持ち合わせていようと、所詮は"学園都市"。「学生の街」には違いない。寮や下宿先の門限を守らない自由な生徒たちの姿は、どの学区であろうと一定数は見かけられるものなのだ。

 

 にも関わらず今この時は、景朗の望するそのエリアには、見事なほどに人っ子一人見当たらずにいる。街に住まう人間が目にすれば、さぞや誰もが、その異様さに眉をひそめることだろう。

 

 

 景朗はどうしても、そこから更に深く考えさせられるのだ。

 

 そう。目の前に存在する、この不自然な"停滞"こそが。"実験"が街の意思そのものであることを証明しているのではないか。そう思えてならないのだ。

 

 

 "絶対能力進化計画"。それがしばしば幻生に命令され、護衛する"実験"の通称らしきものだ。正式名がどんなものかは聞かされていない。勿論、効率よく警備する必要上、実験の要点だけは説明を受けている。

 

 実験には、堅守すべきいくつかの条件らしきものがあるらしい。その1, マカロニウエスタンなカウボーイ同士の決闘のように、"第一位"は"ミサカクローンズ"を一対一で殺傷しなければならない。その2, その"決闘"には余計な茶々をいれさせてはならない。その3, なるべく人目から隠さねばならない。

 

 面倒な条件が出されたものだと、うな垂れそうになった景朗を救ったのは意外な人物だった。

 

 "一方通行(アクセラレータ)"。それは、実験のキーパーソンご本人様だった。

 

 "第一位"はその名に恥じぬ器用さで"実験"を軽やかに終了させていった。外野が横槍を入れて世話を焼く必要すら無かった。"彼女達"は数分も粘りきれずに消費されていく。今のところ、彼らの戦いが人目に付く危険性すら感じられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 とは言え、"三頭猟犬"が呼び出される以上は、"能力者"との戦闘が予想されるということだ。"能力"はその使われ方や工夫次第で、思いもよらない被害をもたらし得る。

 

 ビル風に強く晒されつつ、景朗は暗鬱そうに唇を噛んだ。彼の表情はどこか忌々しそうに歪んでいた。緊張に満ちた姿勢でしきりに辺り一面を警戒しつつ、たびたび忌々しそうに空に目を交わしている。

 

 

 彼の頭上、遥か上空を、沢山の小さな影が浮遊していた。その中のいくつかが、景朗にとっては極上に耳障りな超音波をやたらめったに発していたのだ。

 

 

 空飛ぶ小さな影たちの正体。それは、監視用小型無人飛行機(ドローン)の編隊だった。未だ世界に類を見ない、有機的な形状の飛行機の群れ。どれもが学園都市の最新モデルであり、複数の機影は規律正しくマルチリンクされた軌道を描いている。恐らくそれは、世界広しといえども唯一、この街の上空でしかお目にかかれない光景だろう。

 

 無数の機械の瞳はエリア全域をカバーするように監視に目を光らせている。まっとうな手段であれば、あの監視網をくぐり抜けるのは至難の業となるはずだ。

 

 

 今一度深く視線を下ろせば、一見して無人にしか見えない通りがあった。だがそこにも、闇に溶け込んだ同僚たちが潜伏している手はずである。これほど距離が離れてしまえば、誰が何処にいるのかまるで掴み取れない。彼らも皆、腐っても暗部の戦闘員だったということだ。

 

 闖入者への対策は十分だろうか。景朗は"実験"に疑問を抱いている。さりとて、横槍を入れられて"妹達"が犠牲になるのも、そうして"実験"そのものの価値すら失われることも、釈然とはしないのだ。

 

 

 

 

 突風が吹きすさび、夜風が景朗の躰を強く押さえつけた。

 

 それにしても――。

 

 暗部の人員による全力の警戒網。そこでは一般人の往来すらも完璧に途絶されている。故に、街は静かなものだった。

 

  ――"第一位"の醜悪な嘲笑と、必死に延命を図る"ミサカクローン"の残響を除けば、の話となるが。

 

 景朗の鼓膜が、ついに甲高い少女の悲鳴を捉えた。どうやらあちらもひと区切りついたらしい。あと5度あの断末魔を聞けば、とりあえずは家に帰れる。

 

 悲鳴だけじゃ、何号が死んだかなんてわからないな。

 

 何度も浮かびすぎて、とうに錆び付いてしまった感想。それがぽつり、と景朗の麻痺した脳裏に到来した。

 

 ミサカ9632号とも短い付き合いだったな、とそれだけ悼むと。彼の冷めた脳みそはあっさりと、降って沸いた別の問題に意識を向けていった。

 

 

 景朗は最初から、妙に引っかかっていた。"人道派"、もとい"反実験派"の先日の"襲撃"からまだ二日と間が空いていない。やけに早すぎる。今までの襲撃はどれも一週間以上時間を置いて、散発的に行われてきた。

 

 本当に今日も襲撃があるのか。ここでむざむざ悩まずとも、これから直ぐに結果はわかるのだけれども。景朗は徒労感を感じつつも、思考を止めずに推理を尖らせつづけていた。

 

 

 

 景朗は今までに4度、"実験"の警備に駆り出されている。全ての"実験"に呼び出されているわけではない。自分がいつ召集を受けるのか、おそらくそれは、襲撃犯のメンツに原因がある。

 

 実際に襲撃があったのはそのうちの3度である。その全てにおいて、襲撃犯たちの編成に"能力者"たちが組み込まれていた。深く推察せずとも、"三頭猟犬"が現場に駆り出される要因は明白だ。対能力者戦への保険なのだ。

 

 だとすれば。否応なしに記憶に掘り返される、二日前に知った"幻想御手"という存在。能力者の性能を飛躍的に上昇させ得る代物が、今、この街には存在する。

 

 これからは、能力者の襲撃が増え易くなるだろう。必然的に、己の出番も――。

 

 ちくり、と小さく心が痛む。3度の襲撃は全て未然に防がれている。横槍を入れた者共の末路は悲惨なものだった。気になった景朗が調査したところ、彼らの身に何が起こったのか、意図的に漏らされたのだと思える程簡単に情報は流れてきた。全員が拷問され、実験材料にされ……まるで"見せしめ"であるかのような最後を迎えている。

 

 "推進派"は"三頭猟犬"を示威的に使い、"反対派"を押さえつけようとしている。

 

 元をたどればどちらも同じ"統括理事会"へとたどり着くのであろうに。まるでマッチポンプのような今回の件で、景朗はほとほと理解した。

 

 この街の闇にはまるでヒュドラのように、沢山の頭(指令系統)が存在するのだと。明らかに一枚岩ではない。

 

 実験の情報がどこからともなく漏れ出し、"反対派"が闖入者を呼び込む。今度は"推進派"がその襲撃を予知し、対抗策を練る。

 

 お互いが互いの足元を突き止めようと、"実験"の裏では上層部による苛烈な探り合いが同時進行していることだろう。使いやすい人材は捨て駒にできる者たちであり、そしてそれは……何も知らない素人や、経験の浅い新人たちとなる。

 

(全員、"俺たち"の餌食だろうなぁ)

 

 

 

 静かな夜を引き裂くように、彼方から銃撃音がばら蒔かれ始めた。次の実験が始まった。

 

 自分たちの役目もここからが本番だぞ、と景朗は頭から余計な考えを抜き去ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 7月1日、月曜日。闇夜の第九学区、その中でも、専門学校の密集する区域。そこは"三頭猟犬"を筆頭に、空も地も、その窖、地下さえも、無数の罠で埋め尽くされていた。

 

 悪魔の名を冠した殺戮者が朱い眼を光らせる、只中だった。

 

 

 ところがだ。件の雨月景朗でさえも、未だ気づけていなかった。誰も気づいていなかった。既に、侵入者が存在していたこと。そして彼らが、その牙を晒す寸前であったということを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まるで張り巡らされた不可視の網を潜るように。光から秘匿された一対の影が、その人気の失われた空の真っ只中を、堂々と音もなく飛翔していたのである。

 

 

 一対の影。正しく言えば、それは影と表現してよいものかも戸惑われた。何せ、全くもって目に映らない。透明なのだ。完全なる不可視。言うなれば、二つの人型の空白。

 

 

 

 その正体は、奇怪な繊維で覆われた分厚い駆動鎧(パワードスーツ)であった。当然のごとく、内部には操縦者が詰まっている。

 

 彼ら二人が身に纏う駆動鎧は全く同じモデルであったが、正式な名称は存在していない。駆動鎧開発の傍流に生まれた名も無き試作機であった。敢えて無理矢理にナンバリングを行えば、最新の正式採用機種たるHsPSMCD-01、その後身の機種とみなし、その機体は"HsPSMCD-02"と名付けることもできるかもしれない。

 

 読んで字のごとく、その駆動鎧はクローキングデバイス(Cloaking Device)をマウント(Mounted)されたタイプである。一般的に言われるところのステルス機能を搭載された駆動鎧であり、電子戦を想定されて開発されたものだった。

 

 学園都市が米国における市街戦を主眼に置いて開発した先行機、HsPSMCD-01は十分すぎる性能を叩き出した。しかし、兵器開発に連なる発想を行うものたちは得てして際限なく、要求を膨らませていくものだ。

 

 米軍を想定下に安定した性能を発揮したHsPSMCD-01だが、開発を要求した者たちはいざ成果を得るとなると、今度はこぞってその"対象"を学園都市のセキュリティシステムに向けるようになった。ところがさすがに、相手が学園都市ともなればHsPSMCD-01は非常に心もとない代物になりさがってしまう。それが、HsPSMCD-02以降の機体が計画された背景となる。

 

 そうした経緯の元で開発されることとなったHsPSMCD-02は、設計過程で強固な光・電波技術を持つ学園都市のセキュリティがネックとなり、いくつかの性能に目をつぶられることになる。

 

 代償とされたのは重量と稼働時間であった。機体は通常の駆動鎧と比して大型となった上に、稼働時間は大幅に短くなった。その代わりに、現行の学園都市の索敵機器やドローン、セキュリティカメラをほぼ無効化できるステルス能力を獲得するに至っている。

 

 最終的な計画の進退は、とうとう実践テストに委ねられた。そして結局は、開発は失敗に終わったということになる。

 

 駆動鎧としては看過できぬ機動性の低下、さらに新たに浮上した静音性の問題が致命打になった。HsPSMCD-02は欠陥機とみなされ、後継機は未だ開発途中にある。

 

 

 

 

 

 

 侵入者の影二つは、迷いなく上空を突き進む。

 

 確たるステルス機能をもたらす駆動鎧だったが、飛行機能など有りはしなかった。その飛翔は、純粋に彼らの"能力"によって実現されていた。

 

 景朗の予想は現実となった。侵入者の両名はともに"能力"を有し、同時に"幻想御手"の影響をその身に宿していたのだ。

 

 

 空を裂く二つの影。そのシルエット二つは、親が子を背負うように二人折り重なり一体と化している。グライダーを背負うかのように躯を水平に倒した姿勢で、そのまま滑空してみせている。

 

 

 ひとりは、その能力を"念膜帆凧(ベラムカイト)"といった。念動力で生み出した仮想の膜を凧のように広げ、その膜が受けた力、風力などを別の方向へ受け流す能力だ。念力の薄膜は大空を滑空する力と、大気を音もなく切り裂く静音性を両立させている。

 

 その"ベラムカイト"に吊り下がるように、背を寄せて連結されているもう1人、彼の能力名は"目方不足(ドロップウェイト)"。名の通り、物体の重量を軽減させられる力。まっすぐ上方へと、重力の作用する反対の方向へと物体を引き上げる力を発生させる"念動能力(テレキネシス)"の一種であった。

 

 

 "ドロップウェイト"が駆動鎧の重量を軽減し、"ベラムカイト"が飛翔を担当する。同時に、宙を浮くドローンと地べたに潜む歩哨の眼は、駆動鎧が欺く。

 

 二つの能力と兵装の交錯が、暗部の監視網を食い破らせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "念膜帆凧(ベラムカイト)"の眼下には、奇抜なビルディングの群れが延々と広がっている。夜空高くから見下ろしたその景色の形容は、『独特』の一言に尽きた。

 

 ひとつひとつの建築物がユニークなデザインと色調の元に打ち建てられ、見事に個性を獲得している。それらは新進気鋭のデザイナーたちが競うように努力した結晶でもあった。建築に関する規制がゆるい土地柄と、芸術家を多く育む人柄を併せ持つ"第九学区"の気風が、その有様を生み出しているのだろう。

 

 いざ空から眺めてみると、形状もまばらで色とりどりの校舎がひしめくその様は、まるでパズルゲームの画面を覗いているようだ。

 

 自分たちには呆ける余裕すら無いはずなのに、"ベラムカイト"はどこか気の抜けた感想を頭の隅に思い浮かべている。

 

 運命を共にするたった一人の相棒たる"目方不足(ウェイトドロップ)"は何を考えているのだろう。

 

 吊り下げられた彼はなすがままに宙を揺れ、高所を無音で突き進む。そこには飛翔感と呼べるものは皆無なはずだ。自分よりも恐怖を感じているだろうか。

 

 

 彼の目に、目印となる高層ビルが映り込む。実は、彼らの飛行は全て目視によって行われていた。計器類は一切稼働しておらず、最低限の電力だけが供給されている状態だった。全ては、敵の監視網をすり抜けるため。そのための有視界飛行だった。

 

 だからこそ、この任務は第九学区の空で決行されたのだ。実験区域の大まかな位置は、ヘンテコなビル群が形作る景観から察知できる。特徴的な建築物のシルエットは、このうえない目印として機能しているのだ。

 

 

 

 ゴクリ、と"ベラムカイト"の喉が鳴った。ターゲットである女子中学生の姿を探すために、いよいよ高度を下げていく。

 

 どれほど心臓がいびつに脈動しようとも、これほど目標エリアに接近しようとも。未だ、自分たちの襲撃が露見した気配は無い。

 

 このまま敵にバレずに"ドロップウェイト"を投下できれば、"ベラムカイト"の任務は達成される。能力を駆使しなければ戦闘すら危ういと思えたこの重たい駆動鎧へも、どうやら評価を改めねばならないようだ。

 

 こんなものが惜しげもなく投入されるとは、今回の依頼の雇用主はよほどの大物なのか。それとも、ターゲットがそれに準ずるほどに強大な相手なのか。

 

 あまりに不穏な空気を漂わせていた依頼だった。不安からか、事前にいくつかの噂話を耳に入れていた。中でも、とりわけ落ち着かない気分にさせられたのは"とある殺戮者"の話であった。

 

 なんでも、この業界でも一等危険な狩猟者、"三頭猟犬"なるものが関わっている可能性がある、という噂話だった。

 

 

『ふ』

 

 悔しさからか、無意識のうちに唇が真横に引きつっていた。あと一日。ああ、あと一日あれば。あと一日練習できれば、もっと上手く能力を使えていたはずなのに。

 

 

 

 慎重に、更に高度を下げていく"ベラムカイト"であったが、彼の表情には徐々に焦りが滲み出る。

 

 "ベラムカイト"、"ドロップウェイト"たちの任務達成条件は、"戦闘中のターゲット"を襲撃することだ。機を失えば、次の"戦闘"が始まるまでこの危険な空を滑空しつづけなければならない。

 

 

 

 

 苛立つ"ベラムカイト"。彼はほんの少し、冷静さを欠き始めていたのだろう。

 

 

 前触れもなく一匹の羽虫が、念膜の壁に接触した。虫は他愛もなく翻弄されて、闇に消え行く。

 

 夏場であるし、高度もだいぶ下がっている。彼のカンに触わりはしたが、虫けらの一匹や二匹、気に捉えるほどのことはない。当然に、そう思考した。

 

 

 代わりに、少女たちの発見に全力を注ぐばかりだった。"ドロップウェイト"も目視による捜索を行ってくれているはずだが、有線通信による連絡は来ない。

 

 通常ならば頼みの綱となるはずの電子索敵機器が、一切使えない。それを行ってしまえば、敵にも自分たちの位置を補足されてしまう。重々承知していたことであっても、もどかしいことには変わりなかった。

 

 

 最初の羽虫を目にして、わずかな間があいた後だった。

 

 

 二匹。三匹。全精力を懸けて目標の影を探る"ベラムカイト"は、羽虫の姿を再度、狭まった視界に収めて始めていた。

 

 夏場だ。鬱陶しい虫けらどもがわいているだけじゃないか。

 その時の彼にとって、それまで見たこともない形状をしているはずの"その羽虫"は、取るに足らない、純粋に煩わしい対象としかなりえなかった。

 

 その判断が、もしかしたらその先のわずかな明暗を分けたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 焦れる"ベラムカイト"の鼓膜を突如、一つの雑音が引き裂いた。

 

 響きの良い金属音だった。思わず混乱するほどに異様だったのは、それと同時に"重力の急激な増加"が体中を襲ったことだろう。

 

 事態を把握する間もなく。間髪を入れず、彼の発動している"念膜"に巨大な物体の存在が知覚されていく。

 

 直感で悟る。何かが、自分のすぐ傍を落下していった……?

 

 

 

 

 

 

 刹那の放心は、一瞬で驚愕に移り変わった。"ベラムカイト"は致命的なほど遅れて理解した。

躯が重い。その理由は……。

 

 

 

 祈るように、非常事態のサインを有線通信で"相棒"へと送る。だが、虚しくも反応は帰ってこない。

 

 

 

 腹部で繋がっていたはずの"ドロップウェイト"が、切り離されていた。

 

 

 たった今落下していったのは彼だ――!

 

 "ベラムカイト"は動揺せざるをえなかった。穏やかな離脱であったから、おそらくは彼が自ら切り離したのだ。一体何故、何の連絡も無しに、と。

 

 

 咄嗟に思いつけたのは、"ドロップウェイト"の身の安全は考慮しなくてもよい、ということ。たったそれだけだった。彼の能力ならば、この高度から落下しても問題はない。当初の予定からそうであったから、それは気にかけなくてよい。

 

 

 いいや、大問題だった。"念膜帆凧"の能力圏外から外れたら、敵の高周波ソナーで発見されてしまう!

 

 何故。何故、彼は脈絡もなく突然分離した。何故?

 

 その理由をなんとか手繰り寄せたかった。だが、再び押し寄せた新たな事態を前に、"ベラムカイト"は意識を無理矢理にそらされる。

 

 

 

 

 いつの間にか、目を覆うほど大量の羽虫が"念膜"の周囲に群がり始めていたのだ。

 疑いもない異常事態。

 

 

 

『う、あ? う……』

 

 

 敵に察知されたのか。生じた疑問は、恐怖と同義だった。喉奥から悲鳴が漏れそうになる。

 

 

 重要な二択が"ベラムカイト"につきつけられてた。

 

 ステルス機能を解いて、一刻も早く"ドロップウェイト"と連絡を取るか。

 

 ただしそれは暗室に明かりを持ち込むがごとき行為だ。敵には一瞬で察知されることだろう。そんな危険は犯したくない。まだ死にたくはなかった。

 

 それではこのまま任務を放棄して空を飛び、逃走するか?

 

 だがそれも等しく、死の破滅へとたどり着く選択肢には違いない。任務を放棄しておめおめと逃げ帰れば、どんな処遇が待っていることか。

 

 

 

 

 

 

 

 "ベラムカイト"は能力による仮想の膜で、全身を前後に挟み込むように覆わせていた。彼は徐にその"念膜"を、己が成し得る最大半径まで広げてみせた。

 羽虫をそれ以上、躯の近くへ寄せ付けないためだ。

 並行して、すぐさま全速力で上空へ向けて飛翔する。

 

 切迫する最中、意識を能力へ傾ける間にも、レーダーと通信機を稼働させた。まもなく、敵にも位置がバレることになる。それでも、戦闘に巻き込まれようとも、任務だけは遂行せねばならなかった。

 

 彼の胸の内に、ようやく闘志が沸き立った瞬間だった。

 

 

 

 

 

 その直後だ。

 

 予想もできなかった事態に、滾る気迫はあっというまに冷えて凍りついた。

 

 

 恐ろしげで圧倒的な低音が、まるで人間の"男"の怒声のように、突如スピーカーを震わせたのだ。

 

 

「――コンタクトッ、標的ガ一名降下シタッ、標的ハ"パッケージ"ヘ接敵中!」

 

 計器類は、その声が通信の類ではないことを如実に証明していた。

 

「"ソナー"ダ、"ソナービジョン"ヲ使エッ!」

 

 つまりは、肉声なのだ。自分のすぐ真後ろで、何者かが――。

 

 

『ひ』

 

 今度こそ、"ベラムカイト"の表情は怖れで引きつった。

 

 駆動鎧のアイレンズが、目を疑うような巨影を捉えていた。

 

 肉眼では見えない。だが、たしかに、そこにいる。ナイトビジョン(暗視装置)が映し出している。

 

 たった十数メートル離れた背後。そこに、到底この世のものとは思えない、とてつもなく大きな大きな、巨大な飛行生物のシルエットが浮かんでいたのだ。

 

 

 その影の"長大さ"が、神経を圧迫する。まるで自分のすぐ背後に、巨大な怪鳥が迫っているような、そんな幻影を脳が勝手に描きだす。

 

 

 距離はあるはずなのに、遠いはずなのに、近い。いいや、とてつもなく近い!今にも、今にも奴は――――

 

 

 

 

 戦うか、逃げるか。

 時として、"恐怖"は人間の脳の原始的な部位へと、そのどちらかの選択を直接的に叩きつける。

 

 

 

 

 

 その瞬間。生と死の闘いを受け入れて"任務"に望んだはずの"ベラムカイト"が思考したのは、たったひとつ。

 

 離れたい。今すぐ離れたい。この得体の知れぬ怪物から離れたい。早ければ早いほど、遠ければ遠いほど良い。距離を取りたい。逃げたい、と。

 

 

 

 

 

 ひりついた意識はかろうじて、"念膜帆凧"を維持する集中力を維持させた。広がった"念膜"はより多くの風を掴み、勢いよく機械の巨体は空を走り出す。

 

 

 

 

 

 

 

 ――――それは、逃走者が下したその判断と、ほとんど同時に引き起こされていた。

 

 

 怪鳥は機敏に対応していた。恐るべき反応速度だった。凶悪な顎門が空気を飲み込むように、上下に割かれていく。

 

 

 

 

 

 

 

 暗い空へ駆け出したはずの"ベラムカイト"。息つく間も無く、彼が見る世界は一面鮮やかに赤い炎に染まる。

 

 

『"ドロップウェイト"ぉぉ攻撃を受けているっっ、どごだッ、どこにいるうっ』

 

 濁流に翻弄される一枚の葉切れのように、熱風の渦が彼の躯を掻き回す。虚しい通信が雑音に紛れていった。

 

 群れていた羽虫も語るまでもなく、とうに焼き尽されてしまっている。

 

 ところが猛火に包まれていながら未だ、"ベラムカイト"は息を失ってはいなかった。

 

 彼の自慢の能力が空気を遮断し、奇跡的に炎の壁を和らげていたのだ。業火が直接、駆動鎧を炙ることはなかった。しかし。

 

『あああああ助けてくれぇぇっ、助けぇぇグ――gfrtyhbv』

 

 されど、奇跡は二度も訪れなかったようだ。

 

 抗う能力者をあざ笑うように、吹き荒れる炎の中心を一筋の紫電が駆け抜けた。怪鳥が放った終の一撃だった。

 

 懸命に空へ伸ばされた機械の腕が衝撃に震え、駆動鎧は火花を上げて大地へと落ちていく。

 

 猛禽が獲物を攫うように、巨影は機械の塊を抱えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一見して人影の消えたように見える街の通りは、その見た目とは裏腹に激しい銃撃音で埋め尽くされていた。

 

 学園都市製の暗視装置を手にしていないものがその様子を伺えば、暗闇から何もない道端へ向けて、闇雲に銃撃が行われているようにしか受け取れなかっただろう。

 

 

 跳弾の生み出す火花の奇跡。勿論その中心では不可視の鎧を身にまとった"ドロップウェイト"が、大地を剛速で駆け抜けていた。

 

 アスファルトが削れる怪音とともに、道路の上を、足跡の形状の"破壊"が恐るべきスピードで生みだされていく。

 

 "ドロップウェイト"の能力により荷重を大幅に軽量化させたHsPSMCD-02は、人間離れした機敏性とトップスピードを両立させている。

 

 それによってもたらされるデタラメな跳躍が、彼を付け狙う数多の銃口を翻弄しつづけている。

 

 常識はずれの運動機能。だが依然として、軽快な挙動に衰えは見えない。"能力"による負荷の軽減は、電力消費を抑えるのにも役立っていた。その駆動鎧の稼働時間は、実用に耐えうる値を獲得していることだろう。

 

 

 四方八方から、銃弾が雨あられと"ドロップウェイト"へ降り注ぐ。飛来した弾丸のいくつかは、軽快に大地を蹴る駆動鎧へと今にも吸い込まれていきそうだった。

 

 だが、それらは全て、直撃する寸前で超常的な軌道を見せ始めるのだ。

 機械の巨体の体表へと届く直前に、突如として弾丸はどれもがみな、遥か上方へと飛散していってしまった。まるで突然、圧倒的な揚力でもかけられたかのような、そんな現象だった。

 

 未だ銃撃の雨は一発として、駆動鎧に触れてはいない。疾駆する巨体は激しい抵抗にさらされながらも、それでも豪快に実験現場へ距離を縮めつつある。

 

 

 

 

 

 待ち伏せていた暗部の護衛たちにも、じりじりと緊張が伝染していった。謎の襲撃者への迎撃が、過激さを増していく。

 

 

 暴走する闖入者を止めるべく、しびれを切らした暗部の戦闘員たちが暗闇から顔を出し始めた。

その中には対PS兵器を担いだものも多い。しかして、その砲火が今にも"ドロップウェイト"に命中するかと思えたが。

 

 

 携行型のランチャーから、騒乱の先端へと無誘導のEMP弾頭が打ち出された。しかしそれはあっけなく、途中で不自然にも真上の方向に勢いがついて、宛が外れていった。

 電磁パルスの小規模な爆発は街灯を巻き込み、あらぬ場所で盛大に爆ぜただけだった。

 

 

 暗部の刺客たちは、未だたったひとりの闖入者を仕留めきれずにいる。攻撃をうまく当てられなかったのだ。

 

 理由は単純だ。必死に狙いをつける彼らの演算銃器(スマートウェポン)の自動照準機構がまともに働かずにいたからだ。

 

 それもそのはずだ。馬鹿げたステルス性を持った駆動鎧は、電波や赤外線を欺く偽装の塊でもあったのだから。

 

 それにもうひとつ理由を加えるならば、ただただ、標的は純粋に速かった。"ドロップウェイト"の動きは明らかに、現行のどの機種よりも高い機動性を実現させている。

 

 

 

 

 

 

 銃弾を避け、驚異的な速度で街を駆け抜ける異端の駆動鎧。真っ直ぐに実験現場へと向かっている。そう、暗部の人員にとってなにより問題だったのは、この圧倒的に数に差がある状態でなお、相手から"撤退する意思"を感じられずにいることだった。

 

 

 

 

 

 

 "ドロップウェイト"の正面に、歩道橋が現れた。その先を潜り抜けて角を曲がれば、上空から偶然にも発見できた、ターゲット達の戦う小さな運動場へと到達できるはずだった。

 

 

 加速度的に駆動していく鎧。一息に駆け抜けるつもりだった。

 

 その橋を目の前にした"ドロップウェイト"は、おぼろげに直感していた。彼は自分の感覚に従うように、あてずっぽうで歩道橋の真上に強力な"念動力"を行使した。

 

 

 途端に二つの影が、悲鳴とともに上空へとたたき出されていく。やはり伏兵がいた。しかし、役割を果たされる前に空へと消えていった。到底助からない高度まで打ち上げられた奴らは、そのまま落下して絶命する運命にある。

 

 

 

 時速60kmを優に超えるスピードで、駆動鎧は曲がり角から力強く踏み出した。視界が右に開けていく――。

 

 その時。

 

 踏みしめられた機械の足裏が、地面との摩擦で猛然と熱をあげる。

 突如、"ドロップウェイト"は急制動した。

 動揺したように動きに隙を見せている。

 

 止まった彼へすかさず、三方向からアサルトライフルの弾がばらまかれた。

 

 それは堂々と待ち伏せていた、常盤台中学の制服を身にまとった女学生からの攻撃だった。任務前のブリーフィングで確認した、ターゲットの少女と姿が酷似している。

 

 少女たちは皆ゴーグルを装着しており、誰ひとりとして顔立ちを覗けない。

 一体どういうことだ。

 

 

 

 "ドロップウェイト"の反応は鈍く、たまらず地に擦るように体を伏せて滑らせた。迫る弾丸は寸前のところで角度を変え、彼の真上の空気を焦がす。

 

 ここでようやく初めて、駆動鎧は反撃する素振りを見せた。

 

 少女たちを狙うように、無骨な左腕が振るわれ、そこから強化セラミック性のニードルが勢いよく射出されていく。直後、彼は能力を使用して一息に跳躍した。

 

 

 狙われた少女たちのひとりが、警備員が使用するタイプの大型のライオットシールドを手に、庇うように前に飛び出した。

 

 離れた位置に孤立していた少女は機敏に反応し、近くの街灯を蹴り上げている。驚くことに、彼女は一息でそのまま数メートル上空へと跳躍していた。

 

 ゴガン、とニードルが盾と激突し、少女の口から小さな呻きが漏れる。

 

 

 "ドロップウェイト"はその攻撃の隙を突き、少女たちの真上を跳ぶように突き抜けている。

 視界の正面に、目的の運動場を見て取れた。遥か遠く、一瞬、戦闘を行っているターゲットのマズルフラッシュの灯りが目に映る。

 

 ついに、ターゲットを視認した。闘志を燃やす彼の横目に、動くものがあった。

 

 左手には、立体駐車場が建っていた。その屋上に人影が見える。肩に銃器を担いでいる。

 

 既にサーモバリック弾頭が、落下地点間近へと打ち込まれていくところだった。

 

 

 

『オオオオオオオオッ!』

 

 無常にも、爆炎は人間の反応速度をはるかに超えた速さで空間を広がるものだ。"ドロップウェイト"は懸命に避け退ったが致命的に遅く、火炎に包まれる。

 

 その一瞬で、ステルス機能を持続させていた特殊装甲は溶けて使い物にならなっていた。

 

 

 それでも必死に、未だ馴染みきってはいない"幻想御手"で強化された己の能力を、彼は全開に振り切った。

 

「く、これは……っ!」

 

 少女の驚愕の声。

 

 "ドロップウェイト"に追撃を仕掛ける前に、その場の人間は皆、ミサクローンズたちもろともまとめて、遥か高く空へと放り上げられていた。

 

 屋上で携行式ランチャーを撃った男も、その反動と加えられた揚力であらぬ方向へ吹き飛んでいく。

 

 

 

 これで、襲撃者の邪魔をするものはいなくなった。

 

 

 

 転げるように巨体が炎から飛び出すと、一直線に通りを駆け出した。

 最早、駆動鎧の姿は衆目に晒されている。しかし、あと少しで目的を果たせる、と強固な意志の元、彼は諦めることなく走り続けた。剛速で大地を蹴る。失われたのは光学迷彩機能だけだ。駆動鎧としての機動性までは失われてはいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ランチャーを放った男。今では襲撃者の"能力"で空を舞う彼は、死を覚悟した。

 ぐるぐると走馬灯のように、周囲の風景がスローに見えている。

 

 30mか、50mか、それよりもっと高いのか低いのか、感覚だけではまるで把握のしようがない。だが、落ちれば即死だ。それだけは本能が理解していた。

 

 

 共に打ち上げられた少女たちが自前の"能力"でビルの側面にへばりつき、難を逃れている様子が目に映る。助けを乞うように手を伸ばすが、彼女たちにそんな余裕はなさそうだった。

 

 

 

 彼女たちとの距離もすぐに離れていった。

 

 長くもなく、短くもない時間の感覚。次の瞬間には、浮遊感がピークを超えたと感じられた。

 

 途端に重力が身体を支配し、息が詰まりそうになる。地獄への蓋が開いているのだと分かったものの、頭は麻痺したように何も考えられなかった。

 

 長いようで短い落下時間だった。

 

 衝撃が体中に走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を開くと、そこは何故か見知った世界だった。ただし、その世界は真横に傾いていたのだが。

 キョロキョロと辺りを見渡すと、ビルの壁が目の前にあった。

 

 次に、男は気づく。まるでガチガチに拘束されたように、身動きが取れなくなっている。

 

 数秒経って、彼はようやく自分の置かれた状況を正確に理解できた。

 

 

 

 男は、ビルの壁に打ち付けられていた。驚異的に粘つく真っ黒な樹脂のようなものが体中を覆っていて、ビルの側面に縫いとめてくれている。

 

 男は安堵した。よくわからないが、自分は助かったのだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠くに映る運動場では、子供同士の殺し合いが行われているはずだ。

 鎧は火をたなびかせていたが、心はそれ以上に闘志に燃えている。"ドロップウェイト"は真っ直ぐに走った。直に、命をかけた戦いの報いが与えられる。そのはずだと信じながら。

 

 

 

 

 目的の成就まで、あと僅かだと思えていた、その時だ。

 

 月夜に雲が掛かったように、背後から迫る広大な陰。彼には、淡い希望が断ち切られるような、この上ないタイミングに感じられただろう。

 

 "ドロップウェイト"は息を呑み込んだ。

 

 遠く離れた運動場に、"任務の終わり"が見えていたのだ。だからこそ狂おしいほど、ヘルメットのHUDに映る情報を見逃すまいと勤めていた。ゆえに、彼は寸前のところで気がついた。

 

『ッぅ、ぃ!』

 

 不細工な体勢にも形振り構わず全力で振り向き、無意識のうちに右腕の高周波チェーンソーを唸らせると、威嚇するように眼前につきつける。

 

 

 搭載されていた高周波対人ソナーが、まるで悪夢のように描き出していた。

 

 それは馬鹿げた大きさを持つ、四足動物の巨大なシルエットだった。

 

 

 

 三対の眼光が、頭上で爛々と輝いている。

 三つ又の首。三つの頭。三つの顎門。闇に溶け込む黒艶の毛並は視界を覆うほどに広がり、怪物の巨大さを物語っている。

 

 "三頭猟犬(ケルベロス)"。噂話は比喩ではなかったのか。"ドロップウェイト"とっても、それは永遠に知りたくない事実だったことだろう。

 

 

 彼が初めて目にした空想上の魔犬は、実在する肉食獣ととても良く似た動きをみせくれていた。喉笛に食らいつかんと、鋭い爪と牙を伸ばし、獲物に飛びかかる――――これでは駆動鎧の巨体も、まるで小人のようではないか。

 

 

『畜生ォォォォォォぉぉぉッ』

 

 

 生存本能が"能力"に直結したのだろうか。直前、"ドロップウェイト"の潜在能力の弁は全開に開かれる。かつてない規模の念動力を、発揮する感覚。

 

 その時たしかに、意志の力は機械の鎧に破滅的な瞬発力を与えていた。

 

 

 怪物は"ドロップウェイト"に食らいつく寸前だった。

 間一髪。

 機械の鎧が物理法則を超えた動きで動く。

 ガツリ、と身震いするような、牙と牙がぶつかる衝撃音が耳元で鳴り響いた。

 

 しかし、今度はバラバラに裂けた魔犬の尻尾が追いすがっている。

 分裂した沢山の触手。それらはいとも簡単に"ドロップウェイト"を絡め取るかに思えた。

 

 だが、またしても彼に幸運が訪れた。いや、それを素直に幸運と呼べるかは疑問かもしれない。

 振り下ろされていた怪物の前足へと、闇雲に飛び上がった鎧の胴体がぶつかっていく。

 

 直後、圧倒的な剛力が発生した。

 

 

 

 

 

『がッ、はっ、あっが、が、ぁっ、がっ、ぁぁっ!』

 

 駆動鎧はひらべったく潰れた放物線を描きながら、20メートル以上も吹き飛ばされていた。

 

 それでも、よほど打ちどころが良かったのだろう。"ドロップウェイト"は地獄の苦しみを味わいつつも、未だに意識を保てていた。

 

 

 

 

『ふぅ、ぐぅ、ふぅ、ふぅ、ふぅ、ふぅ、動け、動け、うごげ、うごげぇっうごげぇっ……』

 

 "ドロップウェイト"は半ばパニックに陥りながらも、必死に身体を起こし、すぐさま全速力で逃走を試みた。

 

 祈りが通じたのか、問題なく駆動鎧は走行を開始した。脚部にダメージが生じていたら、もはや一環の終わりだったことだろう。

 

 

 脳みそはすぐに追撃が来るはずだと繰り返し、ひたすらに恐怖を煽っている。

 遅れて、体中に痛みが回り始めた。唇からは血が溢れている。

 

 小さな警報が鳴り響いている。それは駆動鎧のメディカルチェックシステムだった。

 肉体は満身創痍、あばら骨や腕の骨が折れていると注意を促している。

 腰部や大腿部といった体の各所で、システムが反応し、着用していたスーツがぴったりと肌に張り付き、適度に身体を圧迫し始めた。

 次に、駆動鎧は自動的に、操縦者に痛み止めの麻酔を注入するように判断した。

 

 その瞬間は鈍痛により全くわからなかったものの、投薬の影響はすぐに身体に現れ出した。

 ほんのかすかに、意識は健全な状態を取り戻していく。

 依然と痛みは残っていた。それでも、生への執着は痛みに比例するように、度を越して膨れ上がっていく。

 

 

 

 

 何を考えるまでもなく、"ドロップウェイト"の身体は自然に動いていた。人気のある方へ、人目のある方へと、とにかく逃げろと。

 

 

 

 

 任務エリアは死ぬほど頭に叩き込んである。とにもかくにも雑踏を目指していた"ドロップウェイト"はわずか数秒ほど走ったところで、単純な"不自然さ"に気がついた。

 

 どう考えてもあっという間に追いつかれるはずだったのだ。背後を振り向く。

 怪物の姿は消失していた。

 

 疑問を感じつつも、足だけは止めずに動かしつづけていた。

 ちょうどその時、目の前の幹線道路へ飛び出しかけたところで、鼻先を救急医療車両が掠めていった。

 

 サイレンの音にも気づかないほど動揺していたようだ。あの怪物は、この音を聽いて――――。

 

 

 そこで"ドロップウェイト"は感づく。あの"ケルベロス"はもしかしたら、衆目に姿を晒すことが許されていないのかもしれないと。

 

 

 

 逃げ切れる。生きて帰る。

 

 任務は失敗した。どのみち、ろくな結末は待ってはいない。しかしそれでも、今この時、彼は死にたくなかった。ただひたすら生き延びたかった。殺されたくなかった。それだけが荒々しく血潮のめぐる躰を動かす指針だった。

 

 

 迅速に身体は舵を切る。横切っていった救急医療車両を正面に捉え、"ドロップウェイト"はひたすらにその車両を追走しはじめた。

 

 

 

 

 そして、幾ばくかの後。

 数秒、数十秒、数分経とうとも、やはり魔犬は現れない。

 

 

『ひ、は、ひ、ひひ、はは、はははは』

 

 

 乾いた喜びの嗚咽が、喉から溢れ出していた。傷にまみれていた精神に、ほどなく調和がもたらされていく。

 

 徐々に心を落ち着かせ始めた"ドロップウェイト"は、魔犬との接触の折りに機能が停止していた対人高周波ソナーに目が向いた。

 

 稼働させようとスイッチのオンオフを繰り返すも、やはり具合はよくない。あれほどの衝撃だったのだ。破損していてもなんらおかしくはない。

 

 数度試すと、運良くソナーは機動した。

 

 HUDに映し出されていく、周囲の風景。壁や車など、ある程度の物体は透けて映像化されていく。

 

 

『なん、だ……っ、う、ああ……』

 

 

 

 そこには、自らの数メートル後方。下水の中を蠢く、得体の知れない生命体の姿が映し出されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第九学区の人気の無い路地裏に、何か柔らかいものが地面と擦れるような音が、静かに生み出されていた。

 

 耳をすませば、穏やかなようでいてどこか決定的にリズムの悪い、人間の呼吸音も聞こえるはずだ。

 

 そこには、二人の人間がいた。引きずっている男と、引きずられている男だ。

 

 引きずっている男の身なりは綺麗なもので、身体には怪我一つない。それは引きずられている男と比べた時に、ずいぶんと対照的で、印象的だった。背丈は190cm前後に迫り、片手で男一人を軽々と自由に動かしている。

 

 

「……くたば、れ…………おまえら、……自分らが何してんのか、わかってんだろうなぁ……」

 

 

 間を空け散発的に言葉を発しているのは、引きずられている男のほうだ。ところどころ出血の跡が見られるほどに、全身が怪我にまみれている。

 

 

「地獄に落ちろぁ……ぁぁ」

 

 痛みか、もしくは麻酔のせいなのか。男は熱にうなされたように目に焦点が定まっておらず、うわ言のように呪いの言葉を吐き出し続けている。

 

「……下衆、ども、が……今に、くたばる、ぜぇ?……おまえらも、おれとおなじだ……くは、ははは……おんなじ、なんだよ……」

 

 わずかに苦しそうに呼吸を挟みつつも、男は決して喋るのを止めなかった。

 

「地獄に落ちろ……地獄に落ちろ……へへ……せいぜい……地獄に落ちろ……」

 

 景朗には手に取るようにわかっていた。

 男の雄々しいセリフは全て、強がりだった。

 景朗の耳には届く。男の心臓は激しく高鳴り、声は硬くなり、呼吸の時には余分に身体を震わせている。

 

 きっと彼は、自らを待ち受ける運命を知っているのだ。

 

 その男の身体は、全身全霊で景朗に訴えかけていた。

 

 殺さないで。死ぬのは怖い。痛いのは怖い。辛いのは嫌だ、と。

 

 男は決してそれを口には出さない。逆に、勇敢にも、自らの主張を曲げることなく、殺戮者相手に啖呵を切ってみせる。

 

 それこそが土壇場で彼が見せる勇気であり、偽りなく彼の本質なのだ、と。

 鬱陶しいまでに、景朗は理解させられてしまっている。

 

「……殺せ、よ……ほら、殺して、みろよ……」

 

「あんたはなんで、こんなことしなくちゃならなかったんだ?どうしてこんなことをしなくてはならなくなったんだっ?何故そうせざるを得なかったんだ?」

 

「あ……あぁ……?」

 

「知りたいんだ。教えてくれよ」

 

「くたばれ、や……クズどもがぁ……上層部の、捨て駒、クン……よぉ……はっはっはっ……」

 

 

 

 あの日。産形茄幹が死んだ日。あの日の朝も、景朗はこうして、"実験"の護衛をやっていた。

 

 捕まえられた襲撃者たちは全員が皆、哀れにも命乞いに涙した。

 必死に、必死に、必死に、延命を祈っていた。

 

 暗部やこの街の上層部に弱みを握られ、何も知らされず、ただ目の前の任務に命を懸けるしかなかった捨て駒たち。彼らは皆、地を涙で濡らす。それでも結局、誰ひとり例外なく、願いもむなしく、ゴミのような終わりを迎えていった。

 

 だが、中には"そうでないもの"も確かに紛れていた。この男のように無様に嘆願をすることをよしとせず、毅然と死に向き合う人間も、中にはいたのだ。

 

 彼らの心の中には、確固たる想いがあるのだろう。あったのだろう。

 彼らを突き動かしていたものの正体は景朗にも、いや、景朗だからこそ、手を取るように理解できた。

 

 彼らは、彼女たちは、一体、誰を恨んでいたのだろう。命を捨ててまで果たすべき復讐があったのだろうか。何を奪われれば、人はそんな風になるんだろうか。

 景朗の胸中に、大事な人たちの顔が浮かんでくる。

 

 

(おい。誰か居ねえのかよ)

 

 全くもって図々しいことを考えている。景朗にももちろん、その自覚はあった。

 

(誰か強え奴居ねえのかよ。良いのに。ここで俺たちを派手にぶっ倒して、仲間を助けて、実験を邪魔して颯爽と帰っていけよ。俺はそれでかまわないぜ。ヒーローみてえな奴いないもんかね。こいつらなんていらねえし。みてらんねえし、誰か取りに帰って来てくれないのかな。いいんだぜ、俺は恨まないぜ)

 

「はは……」

 

 血だるまの男を引きずって、こんな事を現実に作り出した張本人の自分が、こんな時に何をバカなことを。それみたことか、と口からは自分自身に対する呆れがこぼれていた。

 

(マジでアホか、俺は……。あんな弱っちい癖に、なんでカミやんのこと思い出すんだよ……)

 

 痛みは感じないように自前の麻酔薬は注入してあるはずだった。にも関わらず、引きずっている男はまたうめき声を上げた。彼へと、無性に視線が吸い付く。景朗はどうしてもそれをやめられなかった。

 

「なあ頼むよ、教えてくれよ。教えてくれたら……」

 

 途中まで口にするも、その表情には深い迷いが現れていた。

 しかし。平然と、あっけらかんとそれを振り切ると、景朗は囁いた。

 

「楽にしてやるよ」

 

 男はからかわれたのかと思ったのか、決して答えを返さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第九学区の合流地点には、今回の襲撃の実行犯の中で生存した者たちが集められていた。戦闘中に死亡したものは、既に別の場所へ送られている。

 

 生存者たちは全員が拘束されて無様に地に投げ出され、目前に迫った死に涙を流していた。

 

 その数、5名。

 

 いや、"今現在"生きている数を言えば、既に4名になっていた。

 頭部を銃で撃たれた亡骸が一人、捕虜たちのそばに転がっている。

 

 

 そして今まさに、またひとり。

 

 両腕両足を縛られ、口を塞がれた虜囚のひとりが、こめかみに拳銃を押し付けられている。

 捕虜たちの周りに立つ幾人もの男たちが、その様子を興味深げに覗いていた。

 

「あう!あう!ああう!ううッ!うううーっ!ううーッ!ううーっ!ううううううッ――」

 

 小さな銃撃音と、奇妙な破裂音。その二種類の音がまたしても、その場の人間の背筋を刺激する。

 

 

 ドサリ、と力なく仲間の亡骸が倒れると、捕虜たちは再び猿轡を外された。

 されど、彼らにできたのは先程から繰り返していた台詞を一字一句同様に、力の限り叫びつづける事だけだった。

 

「何も知りまぜん!もうこれ以上は何も知らないんですッ!しっでいることはすべてお話しましだッ……お願いしまずッ!お願いしまずッお願いしまずッ殺さないで――ギッ!ガッァ――!」

 

 悲鳴が、男たちの口元を酷薄に歪めていく。

 

 殴られた青年はモゴモゴと苦しそうに藻掻き、息苦しそうに口から血を吐きだした。地べたには赤黒い血液がこびりつき、折れた歯の欠片が転がっていく。

 

 手加減無く殴られ続けた"ベラムカイト"の顔はパンパンに膨らんでいる。心はとうにへし折れたのか。ぎこちなく開く彼の口からは、狂ったように『殺さないで』と懇願が繰り返されていた。

 

 

 その横では、"ドロップウェイト"が仲間の死にこらえきれず涙を流している。ただしその表情はその状況においてもどこか平然としていて、周囲の"尋問官"たちへ小馬鹿にするような視線を送り続けている。

 

 

 残された捕虜の最後の一人は傭兵だった。能力者ではないのだ。それがそばに転がる仲間2人の死因でもあった。この場においては、わずかながらにも生き残る可能性があるのは能力者だけなのだ。本人もそのことは重々承知しているのだろう。絶望に打ちひしがれ、ただただ震えながら目の前の出来事に呆然とするがままだ。助けを乞い願う言葉は、彼の口からは枯れ尽くされていた。

 

 

 

 

「おい――何をやってる?」

 

 拷問を楽しんでいたであろう男たちの背後に、ひとりの青年が豪快に音を立てて着地した。

 その日の晩に予定されていた"実験"の全てが終わるやいなや、一目散に駆けつけてきた雨月景朗だった。

 

 彼の眼前には、血を流し力なく横たわる捕虜たちがいる。ミサカクローンズの死を見守る間中、懇願と苦痛の悲鳴が景朗の鼓膜をずっと、ずっと突き穿っていた。

 

 皆裸にされ、指は殆どが欠けている。股間から血を流しているものもいる。パチパチと燃える口の開いた小さな空き缶からは、肉の焦げる匂いが漂ってくる。

 

 

 彼らに施された肉体的苦痛と投薬の大義名分は、確かに最もらしかった。

 

 "反対派"による別口の攻撃が、他にも予定されていたかもしれない。だからこそ、捕まえた敵から一刻も早く"別の敵"の情報を聞き出さねばならなかった。

 

 

 だが、もはや制限時間は尽きているのだ。"実験"は終わっている。これから先の"事情聴取"は、もっと上層部の息のかかった奴らがやればいい。

 

「実験は終了した。もう"これ"で終わりだ。とっとと失せろ」

 

 途端に、わざとらしい舌打ちが打ち鳴らされる。

 

 "尋問官"気取りの男たちは皆マスクを被り、表情は伺えない。それでもその態度からは、景朗の言う事を聞く気がないのだと、ありありと察せられた。

 

「無神経なことを言わないでもらいたい」

 

「こいつらは仲間を2人殺ってんだ」

 

 彼らの部隊は、景朗の知りえもしないどこか別の上層部と繋がっている。だから彼らとはその日初めて会い、共に任務に望んだことになる。

 

 確かに、まだ明るいうちに彼らの姿をちらりと垣間見た時に、景朗は感じ取ってはいた。彼らにもお互いの背中を庇うだけの友好関係があるようだ、と。

 

 すこしだけ間が開いた。ややして、毅然とした命令が繰り返された。

 

「俺の獲物だって言っておいただろう。あとは俺にやらせてもらう」

 

「……冗談じゃない」

 

 依然として、相手は微塵も納得する気のない様子である。

 今度は苛立ちもあらわに、景朗は猛然と吠えた。

 

「能力者2人を捕まえたのは俺だぞ!役立たずどもが糞だけタレて帰りてえってか?」

 

 薄く光る朱い瞳。白艶に輝く犬歯。発せられる殺気。

 "三頭猟犬"の威圧を前にしては、為すすべがなかったようだ。男たちは恨めしそうな印象を残して消えていく。

 

 

 4名となったその場で、景朗は3人と向かい合う。彼らは突然現れた青年を畏れるように、まるで地獄の沙汰を取り仕切る裁定者へと臨むように、観察しつづけている。

 

 

「殺さないでくだざいッ!お願いじまず……!」

 

 景朗が捕まえた時には意識が朦朧としていた"ベラムカイト"。彼だけが、尽きることなく嘆願に精を出しつづけている。

 

(残念だけど、助からない。まず間違いなく、こいつらは殺される。今回の"実験"は、そういう種類のヤマなんだ。生き残るとしても……クソみたいな能力実験の、生きた実験材料として……)

 

 

 3人は皆一様に無言になった。それでも、浴びせられる視線には驚くべきほどの情報量が詰まっていて。それが景朗の躰をガチガチに凍らせるのだ。

 

 やがて、景朗はゆっくりと彼らの目前に身をかがめ、静かに口を開く。

 

「あんたらを捕まえたのは俺だよ。俺は"三頭猟犬(ケルベロス)"って呼ばれてるけど、正体はな、"超能力(レベル5)"の能力者なんだ」

 

 その名を耳にした3名の顔から、希望の色が消えていく。

 

「俺は"超能力者(レベル5)"だ。あんたらに勝目なんて無かったんだよ」

 

 

「……こっ、殺さないでくだざい!お願いです!なんでもしますっ、どうか殺さないでくだざい!」

 

 

「あんたたちはこれから、俺すら理解のできないところへ送られてく。"こんなもの"よりよっぽどひどい拷問が待ってるよ。まず間違いなく死ぬ。もう助からない」

 

 

「いぃぃ嫌だっ!いやだあああああああああ死にたぐない!死にだぐないんです!お願いしますっお願いじまずぅぅっ!なんでもずるがら!助けでぐだざい!」

 

 "飛行能力者"はどんな顔をしてるんだろうか。彼の顔を正面から目に取ることができない景朗。目を合わせられなかった。

 

「でもその前に、俺はいっこだけ、あんたらにしてやれることがあるかもしれない……」

 

「ひ…は…?」

 

「っ?!」

 

 景朗から戸惑いつつ発せられる言葉に、彼らは息を呑んだ。

 

「望むんなら、この場で楽に……してみせよう……」

 

 

 一瞬のうちにその場は静まり返っていた。生存者たちは理解が追いつかず、景朗は景朗で、頭の中に後悔と苦悩を巡らせていたのだ。

 

 命を終わらせ、彼らを待ち受けるであろう残酷な運命から開放させられる。常軌を逸した傲慢な発言のその意味を、景朗は激しく自問自答し、自罰的に自らに打ち付ける。

 

 

 嘴子千緩(くちばしちひろ)。彼女の事が、彼女の死に顔がどうしても頭から離れない。父親を殺した日のことは鮮明に覚えている。ただそれまでは、その殺人が一体何を意味していたのか、知り得なかっただけだ。

 

 3月に、アレイスターに命じられて"猟犬部隊"とともにテロリストを襲った。いや、その時の標的だった彼らは、正確に言えば"テロリスト予備軍"だった。

 

 在りし日の景朗は"放置しておけば街に引き起こされたはずの凄惨な事件"を、未然に防いたはずだったのだ。

 

 

(嘴子千緩。あんたのおかげで親身に実感したよ。誰かを殺せば、必ず別の誰かに恨まれるってさ)

 

 嘴子千緩は知らなかったのだろうか。父親がテロに加担していたことを。彼女の父親は実行計画に綿密に絡んでいた。娘がいながら、そこまでのことを行わねばならない理由が、彼女の父親にはあったのか?彼女の母親が早くになくなっていることと関係があったのか?知らない。景朗は知らない。調べてもわからなかった。でも。でも

 

 

(復讐?俺をぶっ殺して?おいおいおい、確かに殺したのは俺だよ。苦しまないように、眠りながらに死ぬように、牙に毒を仕込んで殺したよ。でも……俺は、留めを刺しただけだ!

 

 違う!違う!お前の父親の殺害を意図したのは俺じゃあない!俺じゃなかったんだ!

 

 俺に報復だって?それで復讐になるのか?それが本当の復讐なのか?俺は実行しただけだ。十分にムカつくだろうさ!でもお前の父親をぶっ殺すと、そう決めた連中は断じて俺じゃない!

 

 俺は命令されてやっただけだ!恨みじゃない、憎くてやったわけじゃない!

 

 ははは……でもそんなこと、関係ないか。あの娘には関係なかったのか。あの娘にとっては、それが真実だったのか。

 

 

 ……そうさ、それは、俺にだって言える。俺だって確信はもてない。彼女の父親が本当に、本当に本当に、テロを画策していたのかという事は。

 

 だって、十分に疑うべきだ。暗部上層部の連中の言う事を、全て鵜呑みにしていいわけがない)

 

 

 

 

 "ベラムカイト"は息を吹き返し、とうとう狂気を炸裂させた。

 

「うあ!うあああああ!殺さないで!こぉぉ、殺さないでください!嫌だ!生きていだいっ!やめてくれっ!やめてくれえええっ!」

 

 

 "パワードスーツ野郎"が、景朗を正面に睨み、もごもごと口を動かしている。何か言いたいことがあるようだった。そんなことをしなくても聞こえるとわかっていたが、景朗は耳元を彼の口元へ近づけてやった。

 

 

 ぶしっ、と血飛沫が舞う。

 

 

 "ドロップウェイト"が口に含んでいた唾と痰を、景朗の顔めがけて吐き出していた。血と砕けた歯が顔にべっとり張り付き、その異物感は抗議者の意思を代弁しているように思えた。

 

(良かった。どうせ恨まれるだけさ。少なくとも俺はトドメを刺してない。殺しちゃいない。"そいつ"が重要なんだろ、"その事実"がさ。いいじゃないか、ほら、"今日"は俺じゃない。………"今日"は俺じゃないんだ……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 景朗は結局、3人に何もしなかった。彼らが暗部の深層へと送られていくのをただ黙って眺め続けた。やったことといえば、それだけだ。

 

 

 任務はそれで終わりだった。

 とにもかくにも、ようやく帰路に就くことができる。

 

 幻生から労りの連絡を受けた後、部隊を離れようとしていた景朗へ背後から近づく影があった。

 

「よう、あんたが助けてくれたんだってな。……なあ、どうだい?飯でもおごってくぜ?」

 

 

 景朗が戦闘中に助けた男だった。宙を浮かんでいたところを、粘着力抜群の粘液で壁に張り付けてやっただけである。

 

 どうにも彼は、景朗が"三頭猟犬"であることを知らないらしい。それにしても、しかし。飯に誘う状況だろうか。暗部にはこういった、常識はずれで癖のある連中がごまんといた。

 

「冗談だろ?失せろ」

 

 景朗はそれだけ言うと、一人闇に消えていった。

 

 

 

 

 

 

 時刻は午後11時をまわっていた。ふらりと立ち寄った公園で、警備員に見つからないように自販機からお気に入りの缶コーヒーを探す。

 

 ベンチに腰掛け、一息にそれを呷った。

 

「十一時過ぎてんな。流石にあいつらのお好みパーティも終わってるか……」

 

 いかにもふざけた口ぶりで、景朗は呟いた。

 

「俺も食いたかったなぁ」

 




な、何も言えません。言い訳できませんね。

ヒロインの件は申し訳ないとしか……
思ったより長くなってしまいました。
しかしどうしても、うげっちゃんの暗部もういやよシーンを入れる必要があったのですorz
次の話は7割以上かけてます。
がんばります!急ぎます!疑って待っていてください……orz


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episode27:乖離能力(ダイバージェンス)①

 

 

 学生にとっても社会人にとっても週の初めの欝曜日、ではなく月曜日はどこか気分が乗らなかったりするものだ。ご存知の通り"実験"に駆り出され、より輪をかけて後味の悪い思いをした雨月景朗にとっても、週の始まりは最悪の一言に尽きた。

 

 何か気分が明るくなる出来事でもあれば良かったのだろうが、そこから尾を引くように残された一週間も味気のないものだった。

 

 あまつさえ、自分が捕まえた"能力者"の例の二人組がたどった結末を耳にして、あの時楽に死なせておけば、とビルから飛び降り自殺(といっても彼はその程度では怪我すらできない躰であるから、もはや単なる紐なしバンジーと呼ばれるレクリエーションに当たるかもしれない)したくなるほどテンションがド底辺まで降下していた景朗だったが。

 

 

 金曜日の昼下がり。週末をどう過ごそうか、と青髪ピアスは教室で能天気な笑みを浮かべていた。とうとう週の最後まで土日に予定が入らず、幸いにも自由に週末を過ごせそうだったのだ。こと最近に限って言えばそれは珍しい出来事で、気分はようやく上向き始めていた。

 

 

 

「――ちーなーみーにー、先生が専攻していた発火能力(パイロキネシス)も発現する生徒さんが比較的多い種類なのですよ。

 

パイロキネシスの面白さはなんといってもその多様性にあるのです。皆さんもご存知だとは思いますが、炎を特異的に操る能力の系統は一口に発火能力と称されています。ですが、実はその能力の本質は皆それぞれ違っていて、具に調べてみると細かな違いが発見できるのです。

 

発火能力者を発火能力者たらしめている"発火"の仕組み。つまりは炎を生み出す機構(プロセス)についてですが、それはほとんどの場合において個人個人で微妙に異なっているのです。

 

具体的な例を挙げて説明しますと、"発火"のために直接的に分子を振動させて加熱させる能力者もいれば、そうではなくて摩擦熱や電気抵抗による発熱、果ては化学反応熱を原理に用いている能力者もいたりする、ということなのです。

 

不思議ですよね。今お話したように、"発火"を引き起こす原理は人それぞれ違うのに、発火能力者たちは皆、結果的にはその能力を"発火"という同一の現象で導出させるのですから」

 

 

「先生ー、自分が専攻してたからってパイロキネシスばっかり贔屓しないでくださいー」

 

「ち、ちがいますっ!そういうことを言いたいわけではありません!大事なのはこれからです!いいですか?ですから私は、自分の能力に関わる知識だけ知っていればいい、だなんて考えは大間違いだって言いたいのです。

 

 

先ほどのパイロキネシスのお話に戻しましょう。"発火能力者"たちは皆、同じように炎を扱います。ですけどその"発火"の本質は、異なる原理によるものでした。

 

さて、ここで彼ら全員に、とある"発火能力"専用の"能力開発(カリキュラム)"を施すとしましょう。個々人の才能にも目をつぶることにします。皆さんは果たしてそれでも、"カリキュラム"を受けた生徒さん全員に一様に効果が現れる、と予想しますでしょうか?

 

違いますよね。つーまーりー、皆さんの隠されたポテンシャルを100%見抜く技術が未だ確立していない以上、"能力開発(カリキュラム)"は盲目的に受け続けても確実に成果が現れるものではない、ということなのです。だからひとりひとりに適した訓練方法を、皆さんひとりひとりが真剣に学び、創り出していかなければならないのですよ。最後の最後、能力を発動させるのはほかならぬ学生さんたち自身なのですから。

 

そしてそのためには!普段から"未知"を"既知"に変えていこうとする姿勢が必要になってくるのです。

 

科学の発展は日進月歩。学園都市のシステムスキャンも性能は微々たるものですが、比較的短いスパンで性能は向上しています。

 

未だ知りえぬ皆さんの能力の隠された秘密が、ある日突然に発掘される。なんて可能性も十分に起こり得るでしょう。そうなった時に光明を見出すのは恐らく、型にとらわれない幅広い知識や経験となるはずです。ですから、"能力開発"だけでなく、皆さんは今学んでいるどの学問に対しても決して手を抜くべきではないのです!高位能力者を目指す人も、そうでない人も一様に!」

 

 

「先生ー、ちな、先生が知ってる中で一番強い発火能力者ってどんな能力だったんですかー?」

 

「むむ、ここでそういう質問が来ますか。先生としてはもうすこし言いたいことがあったのですけど……ふぅ、くどくなる前に終わりにしておきましょう……。うーん、そうですねー……優秀な発火能力ですかー……あ、もしかしたら皆さんの中にはメディアで"彼"を見かけたことがある人もいるかもしれません――」

 

 黒板の前では相変わらず小さな小萌先生が長々と一生懸命に喋っている。

 

(小萌センセーはホントにもぉー見てるだけで癒されるぜ……)

 

 景朗は確かに、熱心に彼女の説明に耳を傾けている。ただ、肝心の話の内容はどうにも耳から耳へ筒抜けになっているようだ。むしろ甲高いロリボイスを一種の音楽と捉えて"聴いている"状態に近い。

 

 小萌先生に知られればさぞや悲しまれ、必然、クラスメイトにリンチされる羽目になろう。であるのに、彼はとうとう話すら聴かずに、授業とは何の関係もないことを考え始めていた。

 

 情熱的に授業をする彼女の姿を引き金に、なんと景朗は唐突に、"隠れ家"の机の上に放置され今も埃をかぶっているであろう積みゲー(ジャンルは察してください)の存在を思い出していたのだ。

 

 ここでいう"隠れ家"とは、第七学区にある彼の自宅のことではない。

 

 危険な世界に生きるものの心得として、景朗も資金を惜しまず有事の際の"隠れ家(セーフハウス)"、いわゆる秘密基地みたいな物件をいくつか準備している。その場所を知っているのは丹生多気美と……今では仄暗火澄と手纏深咲の2名も頭数に入れねばならないだろうか。"第二位"の襲撃を受け、咄嗟に彼女たち2人を運び込んだのは第七学区にある景朗の自宅ではなく、件の第十学区の隠れ家だったのだから。

 

 セーフハウスと呼べば仰々しくなるが実際のところ、入居数の少ない曰くつきのマンションの一室や、寂れた雑居ビルの一区画などを架空の名義で購入し、そこに武器やら食料やら、通信設備や盗聴器材類を他の暗部の人間の真似をして揃えているだけである。当然に、生活感は微塵もない。唯一、侵入者へのセキュリティだけは強固にかためられている、とは言えるかも知れない。

 

 そのような有様のものだから、どの"隠れ家"もアクション映画のワンカットで使われていそうな無骨な空気を漂わせてい……や、しかしよくよく考えれば、コンピュータの周辺には可愛い萌え絵が所狭しと描かれた"パッケージ"が無造作に置かれており、やはりシュールといえばシュールな光景になっているかもしれない。

 

 

 そう。景朗が思い出したのは、その隠れ家の一室に捨て置かれた未開封のゲームソフトのことだった。

 

(いや~、忙しくて完璧に忘れておりました。これを機に確実に封印を解いておかねばなりますまい)

 

 思いっきり視線を真下に移し、妄想に励む青髪ピアス。しかし、体の大きな彼が授業中にそのような行為を行うと、とても良く目立つ。

 

 うつむく青髪を難なく発見した小萌先生は、小悪魔的なスマイルを浮かべて右手を振りかぶった。

 

「そこっ!青髪ちゃん、ちゃんとお話を聴くのです!」

 

 小さな手から投擲されたチョークの風音を余裕で察知した景朗は、下を向いたまま首をひねって避けた。そして。

 

「あ」

 

 思わず声が漏れた。その理由は不意打ちでチョーク投げを食らったからではなく……。

 

「のわあっ!?」

 

 チョークはすこん、と青髪の背後の席で真面目に授業を聞いていた上条の顔面に直撃した。

 

「ひゃわわっ上条ちゃん大丈夫ですかっ、ごごご、ごめんなさい~」

 

「コラぁ青髪避けてんじゃねえよっ!テメェが喰らうところ楽しみにしてたのにっ!」

 

「うはあしまった!?せっかく小萌センセーが頂戴してくれてはりましたのに!も、もう一発!もう一発お願いします小萌センセーはぁはぁ」

 

 青髪クンのフリもすっかり板についている。よくぞ咄嗟にここまで言えるようになったものだと、景朗の表情が一層緩んだ。

 

「ひっ!?や、やですっ。もう青髪ちゃんにチョークは投げません!」

 

 

 

 

 

 

 

 帰りのHRが終わった。久しぶりの自由な週末がいよいよ目前に迫っていた。が、放課後すぐに、一通のメールが景朗の元へ届く。

 

 差出人は仄暗火澄だった。内容はとても短く、要件だけがきっぱりと告げられていた。

 

[学校に居なかったのでメールします。見たらすぐに電話して下さい]

 

 ちなみに、メールに題名は無い。画面内は白と黒の一辺倒で、絵文字の一つも見当たらない。

 

(このメールは……要するに、喋る覚悟ができたら電話かけて来いや、ってことだよね。現代社会の暗黙のルールだよね。それも多分、きっと猶予は今日の夜いっぱいってところだよね……)

 

 下校途中の生徒が溢れる通学路で、ぴたり、と頭一つ飛び出た男子学生の足が止まった。

 景朗は雑踏の中立ち止まり、ケータイのディスプレイを前にして人知れず緊張の一瞬を迎えたのであった。

 

 

 

 彼の頭の中は、幼馴染の彼女のことでいっぱいだった。

 

 緊張気味に動きを止めたのは、それだけ熱心に考えを巡らせている証拠なのだ。なにせ、優にひと月以上、仄暗火澄と直接会うことはおろか電話で声すら聞いておらず、久しぶりに会話をすることになるのだから。

 

 その原因は五月まで遡る。

 

 約2ヶ月前になるだろうか。"第二位"のせいで火澄と喧嘩してから暫くの間、景朗は彼女とモメ続けた。決着は突かず、7月の今もなお微妙な冷戦状態である。

 

 2人の衝突が始まった当初。全部説明しなさいよ、と吠える彼女に対し、説明してどうなるよ、と景朗はかつてないほど開き直り、強固な姿勢を崩さなかった。

 

 その後も彼は、話して欲しいと願う彼女を撥ね退け続けた。アレイスターや幻生から押し付けられる任務を理由に誘いを断ったのだ。その気になれば話し合う時間は作れていたであろうに。

 

 そうして、いつしか景朗が冷淡な態度を取るうちに、火澄からの反応もそれなりのものに変化してしまっていた。

 

 以後、彼女とはメールや電話で味気のないやり取りが続いている。

 

 完璧に自分が悪い。それくらい景朗とて理解していたのだけれども。

 

(まだ俺を心配してくれている)

 

 それはとてつもなく嬉しい事実だった。今の彼女との関係は心地よいとは言えなくも、彼女から受ける関心は喜ばしいものには違いなかった。

 

 そして景朗はそのことを思うたびに、暗い想像をせずにはいられなくなった。

 

 もし今の自分の真実を知った後、彼女はどう変化するのだろうか。

 

 彼女だけに含まれない。クレア先生たちもそうだ。景朗の真実を知ったあの人たちは、その後一体、どのような視線を自分へ向けるのだろうか……。

 

 

 

 

 "あんな事"があって、彼女たちは被害を受けて、それでもこうして気遣ってくれている。普通なら怖がって、離れていってしまってもなんらおかしくはない。

 

(何なんだろう、この関係は)

 

 それが、火澄との関係を想う彼の偽らざる感想だった。しかしてそのセリフには決して、悪い印象が込められているわけではない。

 

 姉弟のように育ってきたが、家族ではないのだし。恋人なんて呼べる付き合いでもない。極端に両者の関係性を修飾する言葉を削ぎ落せば、単に聖マリア園で二人きりの同学年だった、という話になるのかもしれない。そこに、一等古株の付き合いでもある、と付け加えてもいい。

 

 しかし、今更他人行儀にされたりしたら、自分はまず間違いなく最大級に落ち込む。立ち直れなくなりそうだ。

 

 そんな恐怖と無縁でいられたのは、孤児院を出たあとも彼女との付き合いが続いていたからだ。お互いに少しは憎からず想いあっていた実感があった。だって、思春期を越えた男女が尚あれだけ触れ合いを保てていたのだし。……だが、その事実も過去形になりつつある。

 

 今、危うい状態にあることは分かっていた。しかし、景朗には余計に考えなければならないことと、やらなければならないことが山のように有りすぎて、まごついているうちにあっというまに時間が過ぎて行ってしまうのだ。

 

(畜生。なんだかんだでこんなメールだろうと、連絡が来ると嬉しいんだよ……)

 

 そのメールの要件は最近の彼女にしては珍しく、当たり障りのない内容ではなさそうだった。のこのこ顔を出せばピンチを呼び込む案件なのかもしれないが、景朗には同時にチャンスだとも思えていた。

 

 ふと、手纏深咲の言葉を思い出す。火澄は見たこともないくらい落ち込んでいた、と。

 

 ネガティブに考え過ぎずに、たまにはポジティブに考えよう。

 

 景朗はボタンを押して、電話を耳にかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 電話越しに出迎えたのは居た堪れぬ空気。『電話ありがと』と相手から聞こえるやいなや、感傷的になった景朗の口から飛び出た「いや、いいよ。……あー、久しぶり、元気にしてた?」という柔らかな物言いが。

 

『クレア先生が新しくバイトを雇うかもしれないんだって。その事について話をしましょう』

 

 その台詞で刃物で切断されるかのように断ち切られた。

 

『心配しなくてももう根掘り葉掘り訊かないから。もうそういうつもりは一切無いから安心して』

 

「……おー。……わかった。え?ウチに新しいバイト?」

 

『そーよ。前からそういう案が出てはいたんだけどね。児童の数が膨れ上がりすぎてクレア先生ひとりじゃ厳しすぎるって』

 

「急、だね……」

 

『言ってなかったけど一週間前にも突然小さい子達を四人も押し付けられちゃってたの。クレア先生、結局その子達を引き取ることにしたみたいだから。もう見てられなくって。最近すこーしハクジョーになったとは言え、景朗も流石に今回は助けてくれるかなって思ってね。土日どちらか会って話しましょう。クレア先生がお手伝いさんを雇うまでは私たちがフォローできるでしょ』

 

「……うん。いや、そうだね」

 

『電話じゃ拉致があかないから、土日どっちか空いてないの?

 

 予想していた事態にはならずにホッとしたのも束の間。内心、彼女との関係を進展させる機会にならなくて残念だったりもした。

 

 そんなことを考えていた景朗をハンマーで打ち揺るがすように、新展開が彼を揺さぶった。どう考えても、見捨てて逃げるわけにはいかない要件だった。

 

(全部俺のせいなんだよね……)

 

 つい一週間前にガキんちょを急に四人も押し付けた責任はいつ取る気なんだい、雨月景朗クン?

 心の中の声が、そう言っている。

 

『土日が厳しかったら今日でもいい……けど。アンタさえ良かったらね。どうなの?』

 

「あいやいやいや!今から?!今からかー!えーっと、えーと……」

 

(バイトを雇う?聖マリア園に?それなら身元のちゃんとした人を選ばないと!万が一、幻生やアレイスターの手の人間を引き入れでもしたら、大変なことになる……)

 

『……ちゃんと聞いてる?……ふぅ~ん、まさかとは思うけど、全部私に押し付けようって気?そこまで薄情になっ』「あうや、そんなつもりはないって!」

 

『じゃあ逃がさないからね?ほらもう、いい加減放火されたくなかったらどちらか選びなさい。今日なの?明日なの?明後日なの?』

 

「……じゃぁ、明日で」

 

『約束だからね』

 

 やや憮然とした声色が、通話をぶつ切りにした。

 

「あぁまって火澄……さ……ん……」

 

 通話終了。

 

 ケータイを片手に、景朗は羞恥の念でいっぱいだった。桃色な雰囲気にしてやろうと考えていた自分が、あまりに情けない。

 

 電話を懐にしまい、しばし無言で通学路を歩いていった。人ごみの中で、盛大に孤独を感じながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ほどなく、野良犬の糞を踏んで落ち込んでいる上条の姿を遠くに見つけてしまった。彼めがけて、猛烈と走り出す。

 

「カミやあぁぁぁあああああああああああああああああああああああああん!!!」

 

 声で気づいていたであろうに、上条は鬱陶しそうに前を向いたまま青髪ピアスが近寄るまで一切の反応を返さなかった。

 

「……あんだよもー、うるせーな」

 

「メシっ食いっ行こうっでー!」

 

「あぁ?だから金欠だって言ってんだろ。あ、そうだお前結局いつ金貸してくれんだよ」

 

「せやから今日はボクの奢りや!」

 

「マジか!?それを先に言えよ!」

 

 今の今まで視線を合わせてくれなかった上条当麻君が、ようやく目を合わせてくれた瞬間だった。

 

「カミやん、この間は殴ったり壁に叩き……押し付けたりしてごめんなー」

 

「いつのことだよそれ?いいよいいよ俺だって散々殴ってるし!気にすんな気にすんな!んなことより今日は遠慮なくゴチになりますよー!」

 

 今日はカミやんに好きな物をめいいっぱい食してもらおう。青髪ピアスは目を細めて真夏の太陽を見上げ、ごっそりと冷たくなった背筋を温めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。昼前くらいに仄暗火澄と待ち合わせている景朗は、昨日とは打って変わって上機嫌で第七学区の街中を歩いている。

 

 待ち合わせ場所は第七学区の喫茶店に決まっていた。直接クレア先生たちのいる第十四学区へ行かないのか、と疑問を持ったものの、相手にはひとまず2人で話し合いたいことがあったらしい。お互いに第七学区に住んでいるのだ、それならば近場で合流しようというものだ。

 

 

 だがあいにくと、約束の時間にはまだ少し早かった。そこで景朗は久しぶりに素顔を晒しての、繁華街の散策を楽しんでいるというわけだ。気ままに歩を進めるだけで、左右に列居する昼時の飯屋の香りが鼻に入ってくる。悪くないひと時だった。

 

 

 

 

 ふと、足が止まった。通りの脇で、景朗はポケットの中のケータイを握り締めた。丹生に送ったメールの返信がかえって来たのだ。

 

 それは、とてつもなくセコい策略だった。景朗は、火澄との話し合いがもつれにもつれた場合を想定した。その時に『丹生と約束があったから』と申し出てすみやかに退出できるように、言い訳を作っておこうと彼は考えたのだ。

 

 メールを開く。OKだという返答。急な頼みにも関わらず、丹生は景朗の願いに即答してくれていた。

 

 これで、火澄との約束とはやや遅れた時間帯に丹生と会う約束を取り付けたことになる。要するに、もしも話し合いの場が戦場に変わってしまった時に、スムーズに離脱できるよう退路を作っておく作戦だったのだ。

 

(逃走経路は必ず用意しておく。これ、暗部の極意……この機会に丹生にあの事を説明しなきゃならないしね!)

 

[今日はヒマだったから大丈夫だよ!楽しみ!]

 

 しかしどうにも、丹生の嬉しそうなメッセージを目に留める景朗は、自分は相当にゲスな行いをしているのでは、と後から後から冷や汗が湧いてくるばかりだった。

 

 

 

 

 

 当ても無くふらついていた足先が、いよいよ一つの目的地へと向かい出していく。

 そろそろ約束の喫茶店を目指しても良い時間帯になっていた。

 

 いつにもまして景朗の頬は緩み始めていく。火澄には冷たい態度をとられるかもしれない。それでも、いざとなると景朗はそれを楽しむような心境となっていた。

 つかの間だったが、彼は素顔で歩けて嬉しかった。というよりは、素の自分を待っている人間がいて嬉しい、と言ったほうが近いかもしれない。

 

 どうしてそれだけで喜べるのか。その原因はきっとストレスだ。ここ最近、ずっと別人を演じることを強いられてきた彼の反動なのだ。。

 

 新年度が始まってからは、景朗は絶えず他人の仮面をかぶって生活してきた。まず間違いなく、"雨月景朗"として行動できた時間の方が短かかったはずだ。青髪ピアスというキャラクターの誕生と同時に、"雨月景朗"としての活動の機会も大幅に失われていたのだ。

 

 "悪魔憑き(キマイラ)"、"先祖返り(ダイナソー)"、"不老不死(フェニックス)"、"三頭猟犬(ケルベロス)"。景朗には彼自身が把握していないほどに、いろいろな"顔"と"名前"がある。

 

 それぞれの名前を名乗る時に共通しているのは、決して自分本来の顔を晒してはいけないという事だった。素顔が暗部業界で公になれば、多大なるデメリットが生じてしまう。

 

 雨月景朗たる"人狼症候(ライカンスロウピィ)"は暗部から足を洗った事になっている。今では誰も行方を知らないはずだ。それを知るのは、幻生やアレイスターといった暗部でも上層に位置する役職のものだけだ。

 

 決して気を抜いてはいけなかった。いつだって景朗は他人の仮面をかぶる必要があった。"人狼症候"は"先祖返り"や"不老不死"などではなく、ましてや嫌われ者の"三頭猟犬"とは微塵も関わりはない。そういう事にしておかなければならない。

 

 今では"悪魔憑き"たる雨月景朗は、学園都市でもそうそうたるレア度を誇るキャラクターなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仄暗火澄との待ち合わせ場所まで、まだ幾ばくかの道のりがあった。時間は押してはおらず、景朗はゆっくりと周囲を観察する。

 聴覚も嗅覚も視覚も一級品の彼にとっては、それだけでも味わい深い暇つぶしになっていた。

 目を付けていたカフェの新作ブレンドコーヒーの香り。店員同士の小さな会話は漏れ聞こえ、耳寄りな情報が自動的に耳に飛び込んでくる。他の人間には気が付けない小さなことも、景朗は感じ取れるがゆえに。

 

 そう、そして新たな発見の機会は勿論、良い事も悪い事も関係なく平等にもたらされるものだ。

 

 なんの変哲もない日の、なんの変哲もないその場所で。ただならぬ出会いが、景朗を待ち受けていた。そのことを思い知ったのは、もっと後になってからだった。

 

 

 

 

 

 

 

 通りの向こう側、正面から現れたその一団は、一際目立っていた。

 

 5人の男女が入り混じった学生の集団だった。なぜ、彼らが注目を集めているのか。その理由は恐らく、彼らの容姿と、その少々突拍子もない行動にある。

 景朗からは少し距離が離れていたものの、彼らを中心に人通りが裂けている。話し声も、彼らの姿も、その全ての様子が筒抜けだった。

 

 

 集団の前列を歩く2人は、男子高校生、だろうか。彼らは2人して仲もよさげに道の中央ではしゃいでいる。

 

「HEY!眞壁さん!」

 

 変声期を思わせる少し高めの掛け声とともに、片方の高校生が小さな何かを軽く宙に放り投げた。一体あれは何なのだろう。景朗には黄緑色の小さな玉にしか見えなかった。

 

 眞壁(まかべ)と呼ばれたもう一人はがっしりとした体格で、背がやや高め。男らしい顔つきで、短く刈った髪型もそれを後押ししている印象だった。歳も景朗より上だろう。

 

 兎角、よく人目についていたのは、その眞壁ではなく、爽やかそうに相手の名前を呼んだ少年の方だった。

 

 簡単に一言で言おう。とんでもないイケメンだった。なかなかお目にかかれないレベルの美男子だったといってもいい。周囲の女の子たちの目線をガッチリ掴んで離さないくらいには。

 

 ピカリ、と景朗の目に小さな火球の灯りがちらついた。それは先程からその2人の男子高校生の間を行ったり来たりしていたものだ。景朗にも、ようやくその正体がわかった。

 

 それは火のついたマシュマロだった。彼らはお互いにマシュマロを投げ合って、空中で燃やして遊んでいる。彼らのどちらかは発火能力者(パイロキネシスト)に違いない。

 

 投げ上げられたマシュマロを上手に口に入れた眞壁なる男は、それを飲み込むとわずかに悔しそうに感想を述べた。

 

「んむ。やっぱお前がやったのが美味いなぁ。ほとんど焦げてねえし……」

 

「眞壁さんは火力強くしすぎなんですよ。じゃあ僕の勝ちって事で。こいつは頂きます」

 

 上等そうな紙の袋を揺らし、イケメン君はさらにイケメン顔を増長させて勝ち誇る。それに当てられたかのように、眞壁の表情は淡々としたものだった。

 

「あー畜生。にしても結構美味かったな、その菓子」

 

「ですね。鷹啄さんありがとう。やっぱり美味しいよこのマシュマロ」

 

 イケメン君が振り向きざまに礼を口にした相手は、後ろを歩く女の子の1人、年頃から中高生に違いない。鷹啄(たかはし)というらしい黒髪ロングの清楚系……いや、あれは清楚ビッチ臭がするな、とその一団に近づきつつある景朗は関係のない邪推を膨らませていた。

 

「そっかー、良かった!この間第六学区に行った時に買ったんだ。あ、陽比谷君それね、たしかマシュマロじゃなくって……ギム……あ、あれ?なんだったかな?」

 

 陽比谷という名前の少年へ、鷹啄は不自然なほどの完璧なスマイルを照射するも、台詞とともに轟沈した、その時。

 

「でしたらそれはギモーヴというフランスのマシュマロみたいなものですよ。フルーツピューレを下地に使ってあるように見えますし。ギモーヴとマシュマロの境界は曖昧なので断言は致しませんけど」

 

 突如、補足が加えられた。躍り出たのはクリーム色のロングヘアーを前髪から編み込み、サイドで太くひとまとめにした女の娘だ。その娘は髪の色、高い身長、丁寧すぎる口調、そしてそのどことなく高圧的で高貴なオーラを醸し出しているところといい、特徴が満載の女子高生であったのだけれど。

 なにより特徴的なのは、美人系の顔つきもそそられるのだがやはり一番は、そのジャージの胸部をこんもりと盛り上げる豊かな膨らみである、と断言できよう。景朗はすこしの間、視線を吸い寄せられてしまった。

 

 岩倉さんなる娘さんは長袖のジャージを着ているが、真夏なのに暑くないのだろうか。そういえばなぜか男子2人もぴったりと張り付くジャージを着用しているが、その割には残りの鷹啄という女の娘と最後に残った中学生くらいの女の子はばっちりと化粧も決めた私服姿であって……。

 

(ありゃ?野郎どものジャージは長点上機のじゃないか。うわぁ誰ひとりとして知らねえ……というか、あの娘、あれ火澄並みの大きさかもしれん………………………………はぁー……)

 

「へえ、岩倉さんよく見てたね。無理もないか、見るからに美味しそうだもんねこれ。それじゃお一つどう?」

 

 イケメソ野郎がギモーヴとやらを片手に微笑むと、きょにy……サイド三つ編みの娘はそっぽを向いた。そうか、あの娘は岩倉さんって言うのか。景朗は悲しき本能に従い、その名前だけは忘れぬように記憶に刻み込む。

 

「……遠慮します。それよりも陽比谷君、先ほどから行儀が悪いですよ。もうお辞めなさい」

 

 セリフの割に、彼女の表情はどこか残念そうにも見えた。陽比谷というクソ野郎のギモーヴが名残惜しかったのか、それとも彼との触れ合いがもったいなかったのか。前者だと景朗は信じたかったが。

 

「ひ、陽比谷君、それじゃ私が」「陽比谷さんください!はいはい!ワタシ欲しいです!」

 

 合間を縫うように顔を出した鷹啄の、その更なる隙を突き、彼らの中で一番年若い少女が身を乗り出していた。元気いっぱいの子供らしい反応。ほかのメンバーからの扱いから察して、彼女はひとりだけ年齢差があるようだ。もしかしたら小学生という線もありそうだった。

 

「やーやーやー、印山(いやま)ちゃんは特別さ。いつだって食べ放題だよほら!いくよー、焼き加減はいかが致しましょう?」

 

「陽比谷さんにお任せしますー!」

 

 ふわり、と火のついたピンク色のマシュマロが放られる。印山という少女の口に入る直前、その灯りは立ち消えた。

 

 背景には、歪な無表情でそれを眺める、残された少女2人。

 眞壁という男はなんかもうスマホをいじっている。景朗も彼を気の毒に思った。

 

 

(そろそろ突っ込んでいいですか?なんなのこいつら人前で堂々と)

 

 突っ込みどころは満載だったが、最も重要なことは、ただひとつ。

 

 それは、たったこれだけの観察でただひとつ理解できたことでもあった。

 

 一言で言おう。

 

(陽比谷って奴が見るからにムカつき野郎なんですけどもうどうしたらいいんでしょう?……いや、別に何もしないけどさ)

 

 次点で、岩倉さんのおぱ……ああもうダメだ。彼女は陽比谷に目が釘付けだ。はぁ?あいつ何?

 

 デルタフォースがその場に集結していれば、絡むか絡まないか真剣に議論していたほどであろう。

 上条はモテやがるのでそれほどでもないのだが、とにかく土御門クンと青髪クンは"ああいう奴"が絶対に許せないのである。隙あらば女子の前で赤っ恥をかかせたい派なのである。

 そしてそういう時こそ、上条クンの出番なのである。強引に2人のチンピラの仲間に引き込まれた上条クンが、結局最後は全ての尻拭いを引き受けてくれるのである。

 

 誤解しないでもらいたいが、あくまで僻み屋なのは青髪クンなのであって、雨月クンではないのである。

 

 その証拠に景朗の顔つきはそよ風に撫でられるがまま、柔和な笑みが浮かんでいる。

 

 ギャ○ゲーに出てきそうなほどテンプレートでムカつくイケメン少年を目撃してしまい、にわかに動揺した景朗だったが、彼はすぐに冷静になった。結論、ほっとけ、と。

 

 

 なにやら今度は男子そっちのけで女子が騒ぎ出したその"一団"を、景朗は素知らぬ顔で横切っていく。

 通り過ぎるその時、一番小さな女の子が自分を散々にガンつけてきていたのだが、それもいつもの事だ、とあえて見逃してやった。

 小さな子供にとっては突然コンクリートジャングルに現れたローランドゴリラが物珍しくてしょうがないのだ、きっと。

 

 

 

 ふと、とりとめもなく何かが気になったのか、景朗は振り返ると彼らの後ろ姿を改めて眺めていた。

 

 そういえば、なんとなくではあるが彼らは高位能力者っぽい雰囲気を醸し出していた。自分が知らないだけで、恐らく彼らの属する学校はどれも有名校だったりするのに違いない。

 陽比谷というイケメソ野郎がなかなか見ないイケメソなのは納得できないこともなかったが、しかしそれにしては注目を集めすぎているような感じも受けたのだ。

 遠巻きにチラチラと一団を(主に陽比谷を)覗く道端の女の子たちの反応もやや大げさなのだ。まるで芸能人に偶然遭遇したかのような盛り上がり方。そう例えても不自然ではない具合だった。

 

 

 何故こんなにも気にかけているのか自分でもわからない。景朗は不思議そうにそう思い付くと、しばし考え、やがて諦めたように背を向けた。

 いつまであんな奴らを気にしているつもりだ、と自分に言い聞かせ、火澄の元へ歩き出そうと踏み出した。

 

 

 まさに、その一歩と同時に。不穏な会話が湧き出ていた。

 

 

「あのオッサンです!」

「あのデカブツか?」

「はいっ!」

「いや確かに"ああ"だけど『オッサン』じゃあ流石にわかりにくいぞ」

「へー、本当にあの巨人くんがかい、印山ちゃん。鷹啄さん、どうかな?」

「……あ、ホントだ。すごいね印山ちゃん。彼、信じられない質量。ざっと300kgは超えてるよ。400kg超えかも!陽比谷くん、アレ当たりじゃない?」

「……皆さん、件の殿方がこちらを見ていますけど?」

 

 

 

 なぜだろう。さっぱり理解ができない。けれど、確かに耳にした『質量』『300kg超え』『400kg超え』という単語が嫌というほど気分を悪くさせてくれる。

 そしてなぜ、奴らは揃いも揃って雁首並べて、この俺を直視しているのだろうか、と。

 

 景朗は直感の赴くまま、真横にひらける路地裏へと走りだした。

 

「鷹啄さんお願い!」

 

 景朗の動きに釣られたのか、あからさまにドバドバと走りだす足音が煩わしい。

 

 角を曲がり、路地裏へと躰を躍動させた。

 

 直後、視界のど真ん中に、ついさっきまで彼らの中心にいたはずの"鷹啄"なる女の子の全身が飛び込んでくる。

 

 この短時間で。景朗に察知させずに。ありえない速度で。

 間違いない、空間移動(テレポート)系だ。

 

 

「待ってくれ!"先祖返り(ダイナソー)"!」

 

 振り向くと、イケメン君がさっきまでとは見違えるようなキラキラ顔で、こちらを覗き込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

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(暗部の連中か?違うな、そんな感じはしないッ。ああクソ、でも顔、顔を見られちまった!マジかよ、ちょっと気を抜けばこれかよ――――クッソ体重だぁ?俺を狙い撃ちしてやがったとしか思えない!)

 

 咄嗟に腕で顔を覆い、景朗は正面の少女へにじり寄る。

 

「いえ!あの!そのッ、これは……っ!」

 

 意外な反応が現れた。自ら通せんぼをするように目の前に飛び出ておきながら、鷹啄という少女はちょこちょこと小刻みに後ずさり、怯えるように両手を突き出してうろたえている。

 

「なあ君!君は"先祖返り(ダイナソー)"なんだろう?」

 

 陽比谷(ひびや)少年はつかつかと、大胆にも大股で近づいて来る。その口ぶりからして、景朗の正体を"超能力者(レベル5)"だと見抜いているはずだ。しかし彼の態度には一切の怯みは無く、言い換えれば強気の自信が見て取れた。

 

「ああちょちょちょ、近寄らないで!……くださぃ」

 

 その怯え様からして、目の前の少女は苦もなく鎮圧できそうだった。

 

(どうする?逃げようか?こいつを眠らせて煙に巻いて、それでややこしくならずに済むか……?)

 

 既に、"雨月景朗"の出番は短かくも終わりを告げていた。危機を悟ったその瞬間。本来の自分の素顔と酷似した、しかしよく見れば別人の人相へと、徐々に顔を変形させていたのだ。当然、相手に悟らせないようにゆっくりと時間をかけながらだ。

 

「不躾な真似をしてすまない!でもどうしても君に用があったんだ。なあ、そっちに行ってもいいかい?」

 

(落ち着け。ここで逃げたって何もかもがわからないままだ)

 

 記憶を必死に辿るも、奴らに写真か何かを撮られた様子はなかったはずだ、それならば……と考え直す。

 

「ああ、あとね、その娘は僕の頼みを聞いてくれているだけなんだ。変わって僕が非礼を詫びるよ。だから乱暴な事は抑えてほしい!」

 

(あいつは"先祖返り"って口にしてるんだ。"その辺"はバレちまってるってことだ。問題はどの辺までバレてるか……。俺が"肉体変化能力者(メタモルフォーゼ)"だって知ってるんなら、"今さっき見せた俺のツラ"なんて奴らは宛にしない?……そんなわけない。ああもういい!賭けだ)

 

 "五人組"が無性に気になっていたのは、なんてことはない。持ち前の第六感が『ややこしいことになるぞ』とざわついていただけだったのだ。

 

 どうしてその時にそう理解できなかったのか。今になってようやくその違和感に気づいていた。それは景朗が"賭け"に打って出る理由でもあった。

 

 今尚、こうして路地裏で挟み撃ちにされている。それでも。

 "こちらへ害を成そうという敵意"のようなものは、微塵も感じられていない。

 

 その気になれば簡単に行方を眩ませられる自信はある。しかし、更なる災厄を防がんとするならば、時として危うい手法に打って出なければならない状況も存在し得る。

 

(仕方ない。ここまでして一体何の狙いがあるのか。……聞くだけ聞かせてもらおうじゃないか。どうして探してた?こいつらなんで俺を探してたんだよ……っ)

 

 動きを止めた景朗を合図としたのか、少年は一人、迷いもなく接触を図ってくる。路地裏の入口付近では興味深そうに、ほかの学生たちがこちらの様子を観察してくれている。

 

 間も無く、背後で少女の息遣いが前触れ無く消失した。続いて、ふわり、とした着地音。鷹啄は陽比谷少年の真後ろへと出現した。やはり、鷹啄は空間移動系能力者(テレポーター)だ。

 

「やぁ、突然すまないね、あー、"先祖返り(ダイナソー)"さん、で間違いないよね?……否定はしないか。ふふ、会えて嬉しいよ」

 

 陽比谷が目配せすると、鷹啄はもう一度テレポートをしてみせた。路地裏入口の仲間の元へと転移して、合流している。

 

 それを見届けつつ、陽比谷はとうとう景朗の傍に寄り立った。自信溢れる彼も、多少は緊張を感じているらしい。その真剣な面差しの中で、口元だけが隠しきれない笑みをこぼしている。いわゆる、目は笑っていないというやつだ。

 

「僕は陽比谷天鼓(ひびやてんく)ってものです。長点上機の一年だ。ずっとお会いしたかった」

 

 不気味なアルカイックスマイルとともに、彼は右手を差し出した。

 

 陽比谷天鼓。甘いマスクに、きっちり鍛えられたモデル体型。ハリウッド映画で似たような俳優を見かけたような、そんな気にさせる雰囲気で……サッカー選手みたいなソフモヒにキラリと光るピアスがマッチしすぎで……完全なるムカつき野郎で……。

 

 勿論、そんな下らない事が理由ではなかったけれど。そのチャンスを景朗は見逃さなかった。

 

 

 

「――痛ッ!?」

 

 無言のまま握手を返した景朗は、彼のむき出しの手のひらに"針"を突き刺した。それは陽比谷少年の血液と皮膚組織をわずかに剥ぎ取り、彼の誤魔化しようのない個人情報を景朗へともたらした。

 

 痛みを感じた相手は驚いて右手を振り払い、たまらず数歩退けぞった。彼の血相が変わる。

 同様に、状況も一変してしまっていた。

 

 数メートル後ろで力強い足音。路地裏の反対側、景朗を挟撃するような位置に眞壁がテレポートで転送されていた。彼は左腕を真っ直ぐに伸ばす。その手首には、小型の"クロスボウ"のようなものが装着されている。

 一方、路地裏の入口では岩倉が弓のようなもの――"洋弓(アーチェリー)"を構え、引き絞る。

 どちらの凶器も、その狙いは寸分狂わず景朗へと向けられている。

 

「なんだいこれは?」

 

 不機嫌さと軽口が混ぜ合わさった、相手に緊迫感を与えるような声色で景朗は問いかけた。

 

 

「やめろ!僕は大丈夫だ!」

 

 陽比谷は決して目の前の男から目を逸らさずに、そう叫んだ。

 

「陽比谷はやく離れろ!」「陽比谷君こちらへ!」

 

「無礼に無礼な挨拶で返したまでさ。で、なんの真似かなこれは?結局俺をリンチするのかな?」

 

「勿論違うさ"先祖返り(ダイナソー)"。いいから下ろせ!大丈夫だって言ってるだろ!」

 

「見てて危なっかしいんだよ!第一本当にそいつなのか?」

 

 ちゃりん、という小さな金属音が、眞壁の背中から聴こえてきた。彼の右腕は後ろに回されている。まだ凶器を隠し持っているようだ。

 

 試しにつついただけで、これほど穏やかならぬ空間が出来上がってしまうとは。暴力で決着を付ける羽目になるかも知れない。景朗は薄々、そう思い始めていたのだが。

 

「たぶん正解だ!わかったら今すぐしまえ!彼を刺激するな!ほらはやく!」

 

 陽比谷の説得に渋々といった様子で、岩倉と眞壁は武器を下げた。後には、鷹啄と印山の敵意のこもった視線だけが残されている。

 

「はぁ……。ごめんごめん、そこの陽比谷クンとやらには何もしてないよ。ちょっとした冗談さ。でもま、おかげで君たちの血の気の多さがよおくわかったよ」

 

「すまないね、勘違いしないでくれ」

 

 焦りの次は疲れた表情を顔に滲ませた様子の陽比谷。依然として彼には敵意が無い。

 

「そこの貴方!陽比谷君に何をしたんです?!」

 

「大丈夫!心配ないよ岩倉さん!僕は大丈夫さ。なんともな……なぁ"先祖返り(ダイナソー)"、本当に何もしてないんだよな?マジで何もないんだね?これ」

 

「言っとくけど、俺は今怒ってる。先に仕掛けたのは君たちの方だって忘れるなよ?誰だってあんなやり方で無理やりほじくり出されちゃ機嫌のひとつやふたつ悪くなるさ!」

 

「あのダイナソー、これ何したのかな?ちょっと確認いいかい?ねえ?」

 

「イタズラで針を刺しただけだ心配するな。そんな事より――――」

 

 

 景朗を除いては、誰も察知できていなかった。口を動かすその間、景朗は使い慣れた催眠針を神速の吹き矢の如く、鷹啄の首筋へと射出していた。

 

 針の中身は極微量の、"悪魔憑き"特製の"体晶エキス"だ。"耐性の無い能力者"なら、それを喰らえばまともに能力を使えなくなるだろう。

 

 何も気づいていない仲間の後ろで鷹啄は貧血のようにふらつき、必死に両足で大地を踏みしめている。

 

「――俺に何の目的があって探してた?どこで俺のことを知った?はっきり言っとくぜ、全部吐き出すまで誰ひとりここから逃がさない。さあ、お望み通りちょっとお話でもしようか?」

 

 その瞬間。景朗は頭一つ低い背丈の陽比谷の首に腕を回し、がしり、と引き寄せた。彼の仲間に動揺が走る。

 

 

 しかし。

 

 

「なんだ、君もその気か」

 

 組み付かれた本人は、欠片も動じてはいなかった。不可思議にも逆の反応を見せていた。

 事ここに至り。そこで初めて、陽比谷は心から嬉しそうに。

 獰猛な笑みを浴びせてきたのだ。

 

「……いいねぇ。じゃあ僕もひとつ言っておこう。僕らは"リンチ"しに来た訳じゃない。"喧嘩"はしない。似ているようで確実に違うからね。だからやるのは"決闘"さ」

 

「けっとう?」

 

「どうやら君は僕らのことを何一つ知らないらしいね。いやぁ!そこもまた嬉しいよ!」

 

 景朗は徐に違和感を感じ取った。周囲の空気が異様に発熱している。温度が群を抜いて上昇をみせている。それは圧倒的だった。今にもそこらじゅうから火が付きそうなほどに!

 

「まあ知っていてくれたら話は早かったんだけどね。僕らは"能力主義(メリトクラート)"だ!この言い方なら君にもわかるかな?

"学生決闘(メンズーア)"さ!まだるっこしい事は何もないぜ"先祖返り(ダイナソー)"!君を探してた理由なら、僕に勝てば教えよう!」

 

 密着していた景朗と陽比谷の間で、突如爆発が生じた。

 景朗の目の前は炎で輝き、耳は爆音で塞がり、鼻腔は炙られる。

 

 陽比谷の着用していたジャージが、奇妙にも一瞬で燃え尽きていた。

 その刹那、強腕と服との摩擦も等しく消え失せる。器用にも、その瞬間を狙った者がいたようだ。

 

 爆発は一度ではなかった。炸裂は合間なく幾度も続く。

 生み出される圧空。そのすべてが、陽比谷の動きを都合よく追従していった。

 翻弄されるかに思えた彼の肉体は風に乗り、高速の機動を描き出す。

 

 景朗の腕が宙を掻く。

 陽比谷がその豪腕をするりとくぐり抜けたのだ。

 跳ね退る彼の履いていたスパイクが、ギャリギャリとコンクリートに火花を散らす。

 

 まんまと逃げおおせた相手は、したり顔で景朗へと臨む。

 

 燃え尽きた服の下からは、如何にも機能的なスーツが露出している。

 ひと目で学園都市製の元だとわかる一品だった。

 それは、ところどころに衝撃を吸収するような繊維が織り込まれた、特注の耐熱スーツだった。

 

 しかして、そのスーツにも防げなかった部位があったようだ。

 人間の躰の部位で、最も燃えやすいパーツは髪の毛である。摂氏233℃で発火する。

 

 陽比谷は特殊な整髪料を塗りこんでいたようだが、僅かにチラチラと彼の毛髪は焦げ付いてしまっている。

 

 滞る熱気の中心から、やや困惑した景朗の声が響いた。手を出してしまうか否か決めかねているのか、彼はじっとりと陽比谷少年を睨む。

 

「何を言ってるのか全然わからん!?ちょ、おい待てやる気か!?いいのかッ、お前たった今荒事を回避しようとしてたんじゃないのか?」

 

 一般人ならば間違いなく意識を手放している。爆発はそれほどの衝撃だった。だが、何事もなかったかのように景朗は平然と待ち受けている。

 

 その様子に、陽比谷少年は期待に胸を大きく躍らせた。ゴキゲンなままで、楽しそうに自らの素性を語り始めるほどに。

 

「いいかい"先祖返り(ダイナソー)"、僕の能力は"熔断能力(プラズマジェット)"って呼ばれてる。見ての通り発火能力(パイロキネシス)の大能力者(レベル4)だ。よし、これでお互いに"武器"は知ったな!」

 

 路地裏の湿気った空気がまるごと乾燥を通り越して、ひりついた痛みを肌に伝え始めた。

 陽比谷が颯爽と髪をすくいあげると、途端に燃える頭髪は勢いを無くしていく。

 好戦的な目つきとともに、彼は一方的に宣言した。

 

「さぁ始めよう!一丁稽古をつけてくれよッ"超能力者(レベル5)"!」

 

「何をだ!?お前いい加減に……っ!」

 

「だから決闘だよ!これ以上知りたければ僕に勝て!それでいいだろ?」

 

 どこからともなく取り出した手袋を手にはめると、そのまま陽比谷は路地裏の側壁に伝わっていた細い金属製の配管に手をかけ、握りしめた。直後。

 

 配管は長さ1mほどに両端を切り落とされ、ぽろりと転がり落ちた。断面は赤熱し、蒸気を吹き上げている。熱で焼き切られたような、綺麗な切断面だった。

 

 出来上がった鉄パイプを肩に担ぎ、いよいよ相手は臨戦態勢に入っている。

 

 

 状況が飲み込めない景朗は彼の仲間の様子を窺うも、そこには。

 

「無茶はするな!今お前がいなくなったら俺らヤバんだからな、そこんとこ忘れるな。っしゃあじゃあ行け、陽比谷!」

 

「鷹啄さんがふらついてます」「どうせ陽比谷君とあの殿方との絡みを拝見したせいでしょう。ほっときなさい。それよりもほら、始まりますよ」「うへへ……ひびやくん……いまのよかったよぅ……ぃひひ……」

 

 陽比谷少年の健闘を観覧しようと、呑気に壁に寄りかかる少年少女たち。

 ジャージ組の2人、眞壁と岩倉は完全には警戒を解いてはいなかった。だがやはり、しっとりとした目線を景朗へ送っているように見えて、結局はまざまざと顔面に『好奇心』と書いてある。

 

 毒気が抜かれていく光景だった。問答無用で自分から襲ってしまおうかと決断しかけていた気勢が、猛烈に削がれていく。

 まさかこちらがたじろぐ状況に陥ろうとは。さっぱりと次の手を決めあぐねていた。

 すわ襲撃か。巧妙な手口の敵対行為かと思いきや、"能力主義(メリトクラート)"と名乗った一団はあまりに隙だらけだった。

 すっかり暗部に染まっている景朗は『全員を一瞬にして無力化し、拉致監禁、尋問を行おう』かと画策しかけていた。

 それが馬鹿馬鹿しくなるほどに、彼らは微温(ぬる)くて素人臭い。

 

 どこに暗部の芽が潜んでいるかはわからないものだ。用事に用心を重ねる必要がある。安易に気を許してはいけない。

 それでも、ここまで無用心な彼らを前にしては……。まるで無垢な赤子の首を、容赦なく絞め落とすような罪悪感を感じずにはいられない。

 

 

「ああもうッ。お前最初からッ、一から説明しろッ。この状況は一体何なんだ?」

 

「まだなにかあるのかい!?」

 

 景朗がそもそも何を理解していないのか、まずそこから理解ができていない。相対する発火能力者の表情はそう物語っている。

 

「全部だバカ野郎!」

 

 陽比谷が口にした単語をひとつひとつ紐解いていく。必死に記憶をたどると、そこでひとつの知識に景朗は思い至った。

 

「あぁ……待て!そうかめんずーあ、メンズーアって……"学生決闘"か?お前ら"決闘厨"ってヤツか?!」

 

 景朗が言い放った"決闘厨"という単語。それは学園都市に住まう学生ならば、一度は耳にする言葉だった。

 

 

 学園都市の能力者、"無能力者(レベル0)"を含めたほとんど全ての少年少女たちの願望は時代にとらわれず、いつだってひとつの願いに集約している。

 

 『能力強度の上昇(レベルアップ)』

 

 それは、その街で生きるものにとって、彼らの生活、況や"彼らの世界"そのものを変革しうる可能性を秘めている。

 多感なティーンエイジャーたちは夢にまで見て、ひたすらに祈り続けるのだ。

 "レベル"が上がれば、他人からの見る目が変わる。扱いが変わる。交友関係が変わる。

 

 "レベル"は学生社会を支配する『身分制度』そのものだから。

 『高位能力への覚醒』はいつだってもっとも確実で、もっともスマートで、もっとも手っ取り早い『ステータス獲得』への一番の近道なのだ。

 

 

 

 

「如何にも。……あれ?君ってそこから知らないのか?」

 

「知らん!」

 

 

 

 然るに。学生たちは常に、己の精神(パーソナルリアリティ)を磨く訓練を模索し続けてきた。

 その歴史の中で当然のように、彼らは一つの手法に目を付け、やがては単純なロジックのもとに"そこ"にたどり着いた。

 

 "能力"は脳に由来する。どんな子供でも知っている事実だ。では人間の脳とはどのような状況において、最上の活性化を果たすのか。

 

 アスリートたちが集中力を極限まで研ぎ澄ませる瞬間か。チェスプレイヤーが数十手先の盤上を脳裏に刻む瞬間か。生と死の狭間、人と人が殺し合う戦争の最中か。

 

 彼らが共通して重要視したのは、そこに『競争がある』『優劣を競う状況が存在する』という点だった。つまり、"闘争"だ。

 

 体力、知力、精神。心、技、体。それらを全て研磨する方法とは。

 学園都市の技術的サポートを受けられない平時に、学生たち同士で自己を鍛え合う手法とは。

 

 近代におけるドイツやオーストリアなどの一部のヨーロッパ地域では、名誉や自己鍛錬の名のもとに、"本物の刀剣や銃器"を用いた"決闘"が盛んに行われていた。当然の如く死傷者は続出したが、その行為は賛美され色褪せることなく今でも名残は残っている。

 

 21世紀の現代。極東の果ての島国で。一部の"能力者"たちは、科学と現代倫理の名のもとに生み出した。

 

 すなはち、"能力"を用いた"決闘行為"だ。

 

 そしてその中には、とりわけ"頂点"を目指し、流血すら厭わず自ら"決闘"に望む高位能力者たちがいた。彼らは古きドイツの気風に習い(そして幾ばくかの厨二を患い)、"決闘行為"をそのままこう呼んでいる。

 

 "学生決闘(メンズーア)"、と。

 

 

 

「陽比谷君。やはりその方は私たちの流儀をご存知ないのでは。愛しの"第六位"様に出会えたことは祝福致しますけど、すこしはしゃぎ過ぎです。先に説明して差し上げなさいな」

 

「……そうだね、そうしようか」

 

 

 

 "決闘"に臨む者たちは互いに集い、街には決闘集団が乱立した。中にはカルト的人気を博す者たちも生まれはしたが、ほとんどは単なる迷惑集団として扱われていった。

 無理もないことだった。路地裏でいきなりガチバトルを始める危なっかしい連中なのだから。

 "常盤台の電撃姫"がしょっちゅうお戯れになる顔ぶれも、十中八九彼らである。

 

 ゆえに、平和を愛する生徒たちからは"決闘厨"と野次られている。

 

 

 

「僕たちは君が言ったとおりの"決闘厨"で間違いないよ!けどね――約束するよ。僕ら"能力主義(メリトクラート)"は一味違う。

 

僕たちは全員が真剣に――"八番目(エースブランド)"を目指す――学園都市"唯一最強"の"大能力者軍団"なのさ!

 

改めて自己紹介することにしよう。君に本気を出してもらうためにね!

 

僕は陽比谷天鼓(ひびやてんく)。僭越ながらRIPPAC, 粒演研, 総宇験, 新技研高エネ物理部門の『専属被検生』であり――」

 

(こいつ1人にお抱え研究機関が4つ?……なるほど、しょうもない"能力"って訳じゃないらしい)

 

 

 陽比谷は口上の途中で黒光りするサングラスを取り出した。手馴れた手つきで片手でそれを掛けると、続いてくるくると鉄パイプを回しだす。

 途端に金属管の両端が激しい発熱で白く輝き、光の円輪が揺れ動く。

 

 

「――その理由たる僕の力、"乖離能力(ダイバージェンス)"は――これでも一応、"学園都市最高の発火能力"の看板を掲げさせてもらっているよ!

次期"八番目(エースブランド)"の最有力候補だとも言わせてもらおう!

あとは……そうだね、自慢じゃないがモデル業を少々やらせて貰っているよ。ファッション雑誌ParaForceの表紙7回, 同誌企画:春季男前高校生ランキング堂々1位、ブランドShockの現キャンペーンモデル、僕の顔はご存知ないかい?!

いやあ、はは、恥ずかしい!でも……

さぁどうだい"第六位"クン!次期"八人目"たる僕に、興味は沸いたかな?」

 

 

 




次話も6割は書けています。
この連休中に投稿する予定です。
ちょっとだけ期待して待って頂いても構わないかも……しれないです。

作者としてはこれからの話を書くのが楽しくて楽しくて!
熱が蘇ってきてます!



実際に書いてみて愕然としたんですけど……orz
陽比谷くん思ったより寒いです……大丈夫かなぁ……
この話以降、女の子の新キャラが一杯増えていきます。新ヒロインはキャラを出し切った上でお答えさせて頂く、というのでもOKでしょうか。
誰がヒロインになるのか当ててみてください

と、こういうことを言い出しているわけで。頑張ってマを開けないように更新しなければなりませんね。次の話は特急で出さないと皆さん白けてしまいますよね。新ヒロインを名言できるまではフルスロットルでいきます。どうかお待ちくださいOTL





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episode27:乖離能力(ダイバージェンス)②

2015/01/05 タイトルだけ修正いたしました

episode27:予告
上記のものから現在のものに変えています。

本文に変更した内容はありません。誤字の訂正を少々した程度です。


 

 

 通路の反対側には逃げ道を塞ぐように眞壁という男がいる。どんな能力はわからないが、大能力者だという話だ。一団の能力は発火能力の陽比谷と、空間移動系の鷹啄の2名しか判明していない。景朗は油断なく、その場の空間の異変をまるごと察知できるよう、意識して神経を逆立てた。

 

 ――しかし。その威嚇行為にどのような意味があるというのだろう。景朗にはさっぱり理解不能だった。過熱された鉄パイプの回転は仕掛け花火のように蒸気音を挽きたて、裏路地を不細工な白光で満たしている。常軌を逸した高温は空気を焼き、焦げ臭い煙がほのかに視界を霞ませる。

 

 かような状況を引き起こしている張本人は2度目の名乗りを終えるや否や、サングラスにドヤ顔をブレンドさせてレンズ越しに目配せをしてくるばかり。

 

(……え?説明は?答えになってない、ぞ……)

 

 "能力主義(メリトクラート)"。発火能力者(パイロキネシスト)。モデル業。……だからどうした。なぜ"第六位"を付け狙っていたのか、それどころか何故決闘を挑んできたのかも已然分からないままだ。そんな景朗の戸惑いなど露知らず、陽比谷は口を結んだまま相手の出方をじっと見つめている。

 

「ッ……とりあえずお前なんぞにキョーミは無いッ!おらッ、説明とやらをするんだろうが!」

 

 その疑問は正しかったようだ。景朗と同じ考えの人間もいたらしい。

 

「陽比谷君、始終貴方の紹介だけで終わっています!その方を呼び止めた理由を話して、改めて闘いの承諾を取り付けなくては駄目でしょう!」

 

「あはは、仰る通り!でもどうしても一度キメておきたくってね!そういう場面だと思えてさ!ここで逃したらもうチャンスないだろっ?」

 

 気の抜けるような発言に、暴力的な解決方法が再び頭に浮かんできそうになる。もうすこし抑えてみよう、と景朗は耐え切った。

 

「こっちから訊くぞ!あんたらは決闘厨で俺と戦うと。じゃあ何で俺を選んだ?こうやって探し出してまで何故?『決闘厨だから』だなんて答えるなよ」

 

「ああそうそうそう、察しが良くて助かる!実際のところそれが一番大きな理由だよ。要点をかいつまめば僕らは単に"決闘"が好きなだけで、とにかく強い奴らと闘いたいんだよ。本当さ!」

 

 ふざけたような返答だ。あまりに煩わされるようなら逃げ出して、後日始末をつけるか。そんな考えも刹那、頭をよぎる。全員の顔と匂いは掴み取っている。時間の無駄はよろしくない。早急に彼らの特徴を暗部の情報網で整理して、今度は自分から追い打ちをかければ良い。火澄だって待たせている。

 

(アホか。どう考えてもこっちが重大な問題だ。まったく次から次に面倒事が……)

 

 愛嬌の欠片もなくなった景朗の表情に、陽比谷のニヤつきは真顔に戻っていた。

 すぐさま鉄パイプを振り回すのをやめると、彼はしかと握り締めた。

 

「全然納得できてないか。ふぅー……よし。もう一度だけ聞かせてくれ"先祖返り(ダイナソー)"。僕らは"能力主義(メリトクラート)"だ。……君はそれだけじゃあ僕らが何故、君を探してたのかわからない。予想も想像もつかない。……そうなんだね?」

 

「……」

 

 無言の肯定を返す。相手は小さく息をつくと、またしても急に押し黙った。

 

「ひびやくんがおちこんでるの珍しいよね、ふふ」

「そうなんですか?……というか鷹啄さん本当に大丈夫ですか。どうしてそんな具合悪そうなんです?」「あれおかしいな。さっきの動悸がまだ……」

 

 落ち着いているのではなく、彼は落ち込んでいるらしい。ぽそぽそと呟き合うお仲間さんたちは準備もよろしく、皆して仲良く同じデザインの薄黒いバイザーをちゃっかりと着用している。たかが鉄パイプの輝きと言えど、陽比谷のそれは常人には直視しづらい眩しさを放っていた。彼女たちの用意の良さから察するに、彼はしょっちゅうこういう事をやらかしているらしい。

 

「くは!また眼中に無かったのが確定したな、ドンマイ陽比谷。そりゃそうだって、今までだって誰もお前のこと知らなかったんだろう?」

 

「……御坂さんは知ってくれてたさ。名前だけは。……"仕事"の方でね」

 

「ッぷフ!ふふははハハ、マジでか!そうだったのかよ!?うはははハハッ!笑えるなそれ!」

 

 "目的"を前にしてそっちのけで軽口を叩き合う"能力主義"たち。まるで危機感の感じられないその態度は景朗の感覚とは大きく食い違っていて、ほとほと彼を戸惑わせた。

 彼らはどうしてか、危険人物を刺激しているという自覚が極めて薄い。そのようにしか見えない。"第六位"が本気を出せばいくらでも危うい状況になり得るはずなのにだ。

 その口ぶりからして、奴らは皆が"大能力者(レベル4)"であるらしい。ならばそれ故に、"第六位"の強襲に対応できる自身がある故に、余裕のある態度が取れるのだろうか。

 

 

「笑いすぎでしょう!」

 

「ははっ、悪い悪い!でも――ッ今まで黙ってたのがさらにウケるッふはハハッ!もっと早く言ってろよ!」

 

 景朗を挟んで緊張感もなく男子2人が唾を飛ばしている。彼ら自身が口にした"第六位"を前にしてだ。

 

(断定はマズいけど、でもやっぱりこいつら"暗部"ってカンジはしなさすぎる。あの子なんて下手すりゃ小学生だぞ。俺の裏の"バイト"の情報をどこからか入手してきたんだろうか?"先祖返り(ダイナソー)"なんて言ってるし……)

 

 "先祖返り(ダイナソー)"という超能力者の情報を知り得るのは、一部の裏の企業だけだ。とはいえ残念ながら、そういった機密が拡散するのは防ぎきれない面もある。"先祖返り(ダイナソー)"の情報は、情報屋どもにとっては十分に利益を生み出す案件であるのも確かなのだ。

 

(陽比谷とやらはお抱え研究所が4つだ。大金を持ってるはずだ。金を惜しまなければ……)

 

 "先祖返り"の情報を買うのも不可能ではなかっただろう。

 もし、彼らが暗部ではないとしたら。只の一般人、所謂カタギのヤツらなのだとしたら。

 

(拉致って尋問?疑わしきは罰するか?それは……用心の為とは言え、俺も過激な思考回路に染まっちまってるぞ……)

 

 景朗のカンは、連中がただ街をさすらうだけの"決闘厨"にすぎないと伝えていた。こうして自分を見つけ出した手前、流石にその辺の奴らよりは優秀なのかもしれないけれど。

 

 無礼な来訪だったとはいえ、自らも軽挙な行動にでるべきではなかった。出会い頭に陽比谷に組み付かず、互いに冷静に話をしていたら。うっすらと後悔が募る。

 何時の間にか、自分は問題解決のためならば暴力的な手法も躊躇しなくなっている。景朗が自省する気持ちなのは、そこだった。

 

 

「だいたい真壁さんも同じ扱いでしょうがよ!不愉快じゃないんですか"炎上物体(メテオロイド)"ッ」

 

「なワケあるか、お前ほど自意識過剰じゃないってフツウ(笑)」

 

 やり取りを見かねた岩倉が、慌ただしく横から手を差し伸べた。

 

「お聞きください"第六位"さん!私たち"能力主義(メリトクラート)"の至上命題は、あなた方と同等の『ステージ(レベル5)』に立つ事なのです。なぜなら、私たちは元来、"超能力者"を目指すためだけに"大能力者(レベル4)"が集った――」

 

 そこまで言いかけて、彼女は言い淀んだ。おもむろに陽比谷を一望したのだ。続きを引き受けて繋ぐように、次に陽比谷が口を開いた。

 

「彼女の言うとおり。僕らは"超能力者"になるためなら全霊を懸け、手段も対価も、友情すらも厭わず。そういった意志を持つ"大能力者"だけが入ることを許された、ガチガチの"学生決闘集団(メンズーア)"……だった。今じゃだいぶ違うけどね。ま、そこのところは今は関係ない」

 

 それこそ理由はわからなかったが、説明を続ければ続けるほどに、彼は表情を無くしていった。

 

「さっきも言ったように僕らはレベル5を目指す"能力主義(メリトクラート)"であって、同時に"決闘厨"でもある訳だ。だから"君ら(レベル5)"を探し出して、レベルアップのために"決闘"を挑む。理解してくれよ。君を探してた理由は疑いなく、これで全てだ」

 

 自称ではあるが、奴らは自らが高位能力者の集まりだと宣言した。

 

 景朗は唐突にポケットに手を入れ、そこにある"暗部"で使う特別製の端末を触った。もしかしたら、奴らの仲間にハッキングが得意な能力者がいるかもしれない。そんな奴がもしこの場に居て、この端末にちょっかいを出されていたら手遅れだ。

 

 手遅れかもしれないなら、気兼ねなく使うべきか。景朗はおもむろにその端末を取り出すと、相手に確認を取った。

 

「ちょっといいかな?」

 

 少々ネットで"あなたたちについて"検索してもいいかな?その一言には、そういう意図が込められている。

 

 非常に高価だった特別製の端末は、ハッキング能力を防ぎ切れるかわからない。しかし、"街"の技術の結晶だけはあって、ハッキングを受けた痕跡くらいは感知してくれる設計だという話だった。

 

 それなら今更、検索サイトに"能力主義"の四文字を打ち込むくらい、構うまい。"表"の情報に関することならば、学園都市のネット検索で必ずや何らかの手がかりをつかみ取れるはずだ。

 

 

 陽比谷は抜け目なく、背後に控えるテレポーター(鷹啄)にアイコンタクトを送った。

 合図を受けた鷹啄は、熱にうなされたような顔をさらに困惑させて、硬直した。"自分だけの現実"が著しく掻き乱されている事に、そこで初めて気づいたようだ。予想通り、彼女は能力が使えなくなっている。

 

 2人のやり取りから察すると、お手軽テレポートで景朗の端末を奪い取る算段だったに違いない。ということは、ハッキングはされていないかもしれない。景朗はほんの少し、安堵した。

 

「まさかとは思うけど"超能力者"がアンチスキルに救助要請なんてことはないよね?それはそれで笑える話になりそうだけど、今は勘弁願いたい」

 

 どうぞご自由に。渋々と差し出された左手のジェスチャーは、そう答えていた。

 即席の情報でいいならネットでいくらでも見つけられる。大きな嘘はすぐバレる時代なのだ。

 

「……やっぱり君も、僕たちのことは興味すら無かったみたいだね。流石だ。いいなぁレベル5!どんな景色を見ているんだい?羨ましいよ」

 

 語りかけるような声調だった。陽比谷の期待とは裏腹に、返された反応は味気なかった。"第六位"が横目に散らしてきた極めて興味の薄い視線に、彼は歯を軋らせた。

 

「最高の返事をありがとう"先祖返り(第六位)"。君たちがそんな顔するからさ。僕たちだって手段を選ぶ気がなくなってくる」

 

「それで"決闘"か?人狩りみたいな真似しといて言いたい放題言ってくれるね。そんなに必死になるほどか?よっぽど暇なんだな、だんだん哀れに思えてきたよ。他にやることないのかよ?」

 

 "能力主義(メリトクラート)"。それは決闘集団の側面も併せ持つものの、ネット上では単に学園都市で最も力のある"大能力者"限定の学生サークルとして扱われていた。有名ではあるが、それに比して内情はほとんど出回っていない。そして、ちょろちょろと目にする、陽比谷という名前。

 

「ああそうさ。他にやること無いんだよ。だから好きなことをやるだけさ。第一ね、"能力主義"っていう名前からしてわからないかい?元々"うち"に来るような輩は皆が皆、"自分自身の能力を証明する行為"が大好きなのさ」

 

「ほぉぉ、"大能力者(レベル4)"の方々がおっしゃると薄ら寒くなりますねぇ?」

 

 目の前の男、陽比谷天鼓。コイツマジでモデルだった。オマケに"最高のパイロキネシスト"だという自称は正しかった。複数の研究機関から次期"超能力者"候補に挙げられている逸材らしい。

 

 景朗もだんだんと合点が行きつつあった。彼らからしてみれば、"超能力者"たちは自分たち"能力主義"の存在を知っていて当然だ、ということだったのだろう。現実は残酷だったが。それに加え、"超能力者"ならば"決闘"くらい幾度か経験してきていたはずだ、とも考えていたらしい。

 

 他には、陽比谷兄妹、統括理事会、陽比谷以外の"候補"と目される能力者の情報、色々と興味深い単語が羅列されていて……。しかし、何より情報量が多かったのは、ご本人の自慢どおり学生モデル業についての事柄だ。またしても疑問が沸く。暗部の人間が好き好んでメディアに晒される職業をするのかと。

 

 

「手厳しい事言ってくれる。でも丁度いい。逆に聞かせてもらおうじゃないか。なら、君こそ一体どうやって訓練して"超能力"を獲得したっていうんだい?」

 

 一々確認をせずとも、景朗は肌で感じ取った。真剣な五対の瞳が、自分の躰へと向けられている。

 

「"街"のサポート無しでやれることと言ったら、自己暗示やら、鍛錬によるメンタル面の発達やら刺激やら、そういったことしか残されてないだろう?しかし、能力の"優位性"だけを比べるメソッドに絞れば、"実験"や"身体検査"以外にも確立されている。ご存知のとおり、例えば……同質の能力者との"競争"とか、異種能力者との"闘争"だったりさ。君も少しは理解しているんだろう?」

 

 陽比谷の問いかけに、記憶の彼方から揺り動かされる、今では遠い昔に思える記憶があった。

 "暗闇の五月計画"の当時。先進的な"能力開発"技術を持った幻生たちでさえも、実際に能力を使わせて、絹旗と黒夜を戦わせていた。

 

「僕らにはただ確信があるだけさ。どんなに社会性を身に着けようと、人間だって動物の一種なんだ。闘争本能、つまりは"戦闘行為"には必ずや、能力上昇(スキルアップ)に貢献する部分が存在するに違いないってね。なあ、君の意見を聞かせてくれよ"先祖返り(ダイナソー)"」

 

 "戦闘行為"という単語をことさら強調しつつ、質問者は景朗の瞳を覗き込んできた。そこには、穏やかならぬ強い意思が込められていた。

 悟らざるを得なかった。この少年は、きっと諦めない。対話ごときでは、"決闘"とやらを断念したりはしないのだ。

 

「また黙りかい?それもいいね。言葉は要らないと言うのなら、実際に――」

 

「闘え闘えってうるせえんだよ。たったそれだけの考えしかないってのか。マジでそれだけでレベル5に突っかかってるって?正気なのか疑うよ」

 

「アドバイスありがとう。でも喧嘩ならとっくに売ってきたさ。君でもう4人目だ、"六番目"クン」

 

 嘲るように口を動かす最中、景朗は陽比谷の発言に意識を縫いとめていた。奴は、景朗以外に3人のレベル5に闘いを挑んでいる。良い情報だった。調べてみれば真偽がわかる。奴らの正体を知る材料になり得る。

 

「……で?それで手加減されて生かして帰してもらった上で、自己満足して楽しんでるわけか。ホンットに、"超能力者"の連中が気の毒だよ」

 

「陽比谷、なんだか俺も分かってきたぜ。少なくとも態度はLevel5級だ、この野郎」

 

 景朗と陽比谷の会話に乗じて、背後からも皮肉げな掛け声が響いた。その声色には、ほのかに苛立ちと敵意が混じっていた。

 もたもたしていると、後ろの奴まで闘いの相手をしろと言い出しかねない雰囲気だ。

 

 会話を重ねるにつれ、景朗はある結論に達しつつあった。

 バカ正直に"決闘"を受けて情報を聞き出すか。全員を制圧して無理やり秘密を暴くか。よくよく考えれば、それらは選ぶべきではない選択肢ではないかと。

 

 一団全員か、もしくは特定の個人か、どちらでもいい。連中の中に暗部の人間が混じっている可能性はゼロではない。ならば軽々しく能力を披露して、正体を特定される手がかりを与えてはいけない。然るに、ここでは手は出さない。

 もし、やるとすれば……トコトンやるしかない。命は奪わないまでも、制圧拉致尋問のトリプルコンボを食らってもらう。但し、この時の状況ではそれも些か考え無しなやり方で、悪手だとしか思えない。

 

 それならば……。

 

「とりあえず、色々とわかってきたよ。じゃあこうしよう。どうやって"第六位"の情報を掴んだのか。あとはその辺さえ教えてくれればお望みの"決闘"とやらは受けて立とう。この俺でよければ」

 

「悪いが、ネタばらしは約束を果たしてくれた後じゃないとね」

 

 相手も馬鹿ではない。それなりの確信があってこれほどの暴挙に至ったのだ。"先祖返し(ダイナソー)"を探った手がかりについてはやすやすと明かすつもりはないらしい。最後の交渉材料だと感づいている訳だ。

 

「ああそうかい。それじゃあ先に俺の方からひとつ、ネタばらしをさせてもらおうかな。もっと早く訂正しておくべきだった。こほん。あー、そもそもさ、あんたらは一体全体どうして俺が……えーとその、"先祖返し"?とやらだと勝手に決め付けちゃってるワケ?気の毒だけど初めて聞くなぁそんな能力。ていうかその人が"第六位"なの?知らなかったよありがとさん」

 

 陽比谷は微動だにせず、景朗の虚言に耳を傾け続けている。

 バチバチと、再び鉄の棒が赤くなっていく。直に光量が増して白色へと変わるだろう。

 

「ふふ」

 

 真正面の発火能力者は微動だにせず立ち尽くし、うっすらと薄気味悪く口元を歪めている。

 

「ほーら、予感はしてたんだよね。状況を理解すればするほど君はヤる気を失っていく。問答無用で勝負を吹っかけるくらいで正解だったねまったく」

 

 陽比谷は茶番はうんざりだといった様子で首を左右に曲げ、はたと思いついたように後ろを振り向いた。

 

「ちゃんとバイザー付けてるかな?」

 

 彼の顔を目にした仲間たちはやや青ざめて、静かに頷いた。彼女たちはその時までは陽比谷の活躍を興味深そうに観察していた、とギリギリだがそう言える様子であった。今ではもはや、微塵も楽しんでいるようには見えない。どこか心配そうに様子を眺めている。

 

「おーけー、交渉決裂だな。逃がさないって言ったのは撤回するよ。んじゃ悪いが俺も忙しいんで、ここらへんでさよならさせてくれ。ま、心配するな。俺は"先祖返し"とやらじゃないからさ――――ッ!」

 

 鷹啄は能力を使えない。ならば眞壁を蹴飛ばして逃げだそう。機敏に振り向き駆け出そうとした景朗だったが、彼ははたと立ち止まった。そうせざるを得なかった。

 

 行く手を遮るように烈光の壁がせり上がっていたのだ。突然の眩しさが、瞳を刺す。

 豪音と、燃える虹。熱線の柱が天高く、裏路地を席巻した。ケバケバしいピンク色と青色、紫色の高電離気体(熱プラズマ)の格子が踊るように沸き立ち、逃走経路を塞いでいる。

 とてつもない発熱だと肌が感じ取る。強靭な景朗の皮膚でも、触れれば唯では済まなそうだった。

 

 壁を作った犯人は唄うように、調子良く語りかけた。

 

「さっきの君は実に良かった。とてもいい目をしていたよ。寒々しくて今にも僕を殺してくれそうな冷酷さが有った。初めて会った時の"第一位"もあんな眼をしていたなぁ――」

 

 陽比谷には、わずかな予備動作も見られなかった。しかし――

 色鮮やかな光。虚を突くように、閃光が放たれていた。予告なしの攻撃だった。

 

「ちッ」

 

 細く、されど凶悪な"火線の虹"が、景朗の脇腹や向こう脛をかすめていった。それは落雷の如く、一瞬のうちに眼球を刺激したにすぎない。だが景朗の衣服はところどころ焼け焦げ、穴があいてしまっていた。

 風が燃える音が、残光を追うようにあとから吹き抜けていく。

 熱を伴った光の束。第四位にも匹敵しそうな"絶対的な破壊力"を感じさせるものだった。

 

 

「ほら、怒れよ」

 

 にっこりと笑った陽比谷は、穏やかにそう言ってのけた。

 

「"や"ろうよ。まだ喧嘩の名分が足りないって?」

 

 景朗は足元にちらりと視線を向けた。特注のスニーカーは炎には当てられず無傷だった。

 火傷など屁でもないし、服はボロボロだが……靴さえ無事なら問題はない。景朗の体重を支える特注の靴は高額で、そいつを傷つけられていたら、本音を言えば心中穏やかではなかっただろう。

 

「ああ、言っておく。心配するな。僕は怪我なんて覚悟の上だから安心してくれていい。腕のいい医者にも沢山心当たりがある。さあ、やろう!」

 

 二の腕やスネは軽い火傷。灰に汚れ、服はズタボロ。なんとも無様な格好にさせられてしまった景朗は、しかしそうであっても、どこか憐れむように陽比谷を見つめ返す。

 つたない挑発だと、その眼は語っていた。

 

「なんだよどうした?僕じゃ相手に不足か?ずいぶんと口数が少ないけど、いつまで負けた時の言い訳を考えているんだ?心配せずともここには僕たちしかいないよ?」

 

 泰然と棒立ちのままで、景朗はあくまで余裕を崩さなかった。その態度に、陽比谷は口調とは反対に、諦めかけた表情を浮かべている。

 景朗は必ず逃げだす。相手にはされない。そのことを悟っているのだろう。彼をそこまで執着させるものに、景朗にはまるで見当がつかなかった。

 

「必死なところ悪いけど、俺には全然ピンとこないな」

 

 陽比谷は歯がゆそうだ。相手が一向に仕掛けてこないからだ。決闘だと口にするからには、相手にも殺る気になってもらわねば意味がないのだろう。

 

(逃げ道はひとつじゃないぜ)

 

「ッ!待てッ、待てェ!逃げるなッ!行かないでくれッ!」

 

 背後がダメなら、真上に逃げればいい。景朗は真横の路地の壁を蹴り、垂直に駆け上がる。

 人間場慣れした運動能力で、息つく間もなく数メートルほど壁を登ってみせたのだ。

 

 やや遅れて、今度は景朗の頭上からも茹だるような熱が吹き出した。見上げれば、裏路地で挟まれた細長い青空に、脱出を阻むかのような炎の絨毯が敷かれている。

 

 空に蓋をする、数千、数万度の炎のカーテン。真昼間にオーロラが出現したかのような、大規模な現象だった。されど。

 

 壁を駆け登る逃亡者は、ためらいもなくその炎膜に突撃していった。"能力主義(メリトクラート)"の残りのメンバーは、誰もが火達磨になる青年の光景を脳裏に描く。

 

「おやめなさい陽比谷君!」「わっ、わぁっ!?」「……はえ?」

 

 

 その場に居た3名の女子は悲鳴も上げられず息を呑み、肉の焼ける匂いを想像した。

 だが、そうはならなかった。炎は青年に触れる寸前で、一瞬にして煙のように立ち消えたのだ。

 男は悠々と屋上へ逃れていった。

 陽比谷は悔しそうに、拳を強く握りしめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 突如。ビルとビルを跳び抜け、瞬く間にその場から離れていた景朗の目に、遠間からそびえ立つ"高電離気体(プラズマ)"の長大な火柱が映った。

 陽比谷が苛立ち任せに放った砲撃なのだろう。鮮やかでありつつも、見るからに荒々しい炎の噴出だった。

 ずいぶんとあからさまに不機嫌さを露わにしてくるものだ。それが尚更に、"彼ら"を素人臭く感じさせる。

 

 決断は正しかったかもしれない。奴らは純粋に、"第六位"に用があった一般人だったのだろうか。

 

「クソッ」

 

 悪態が零れて、人知れず風の抵抗に消えていく。どちらにせよ、降って沸いた面倒事には違いなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 先ほどのお騒がせ集団が『待ち伏せ』を食らわせてきた暗部の刺客だと想定して、直接自宅へは行かずに、景朗は別の場所を目指す。

 

 全神経を張り詰め、追跡者の存在に気を配り、そうして彼は第七学区に用意していた"隠れ家"へと到着する。

 

 

 道中、五感を研ぎ澄ませて移動を試みたが、ついぞ尾行の気配は捉えられなかった。

 そのため"隠れ家"に着くやいなや、景朗はひとまず着替えに入った。

 シャツとズボンには穴が空き、無事な布地も先ほどの焦げ付きで変色して汚れてしまっている。

 

 まとめて脱ぎ捨てると、そのまま"隠れ家"に放置しておいた。それは、さらなる襲撃を期待してのことだった。接触感応(ダウジング)能力者などが出張ってくれば、このボロ切れからこの"隠れ家"を突き止めてくるかもしれないからだ。

 もともと"隠れ家"は襲われるのが前提となっている。景朗からすれば、襲撃される分には一向に構わないのだ。むしろ敵襲が実現すれば、影で動く者たちの尻尾をさらに炙り出せることになる。

 だがそれも、あくまで保険だ。たとえ空振りに終わろうとも構わない。既に、陽比谷という人物の個人情報はきっちり掴んである。本命は彼だ。奴はもう、景朗からは逃げられない。しっかりと形勢を整えた後に。迅速に、何用で景朗を炙ったのか問い正しに伺えばいい。

 

 それでいいはずなのだが……。

 

 景朗の直感は、こう予想しつつもあった。"能力主義(メリトクラート)"の強襲は、自身が危惧するような裏の事情とは関係の無い出来事でもありそうだ、とも。

 

("能力"は凄かったけど、暗部にしちゃ気が緩みすぎで見てらんなかったし。というか堂々としすぎてただろ流石に。……そうか、わかったぞ。あいつらくらい気が緩んでいて、案外それで普通なのかも……。誰も彼もが俺みたいに、いつ来るともしれない"敵"に怯えている訳じゃない。いつの間にかすっかり、近づいて来る奴らを片っ端から"処理"しなくちゃ安心出来なくなっちまってる……)

 

 もちろん、疑惑は細部まで突き詰める必要がある。奴らの背後で誰かが糸を引いているのかもわからない。"能力主義(メリトクラート)"とやらは利用されただけで、何者かの差金なのかもしれない。あるいは全くもってため息のでることに、只の学生のお遊びであった可能性も残っている。

 

 調べる事は多そうだ。

 

(またひとつ、ろくでもない予定ができちまったよクソが)

 

――ならばさて、火澄との約束はどうすべきか。今日は断ろうか?

 

(さっき俺に"あんな形"で接触があったんだ。前みたいに狙われてからじゃ遅い。……万が一襲撃がくるのだとしても、俺と居た方が安全だ……)

 

 いくらなんでも、奴らは幻生心に沸く、かすかな不安。

 

「なんにせよまずは……待合わせ場所変えないと……」

 

 火澄は1人でも解決してしまうだろうが、元々は景朗が自分で蒔いた種だ。クレア先生を放ってはおけず、彼はその日のうちにカタをつけておく腹積もりだった。

 場所と待ち合わせ時間の変更を願うメールを火澄へ打つと、続いて迅速に"人材派遣(マネジメント)"へもメールが送られる。"能力主義(メリトクラート)"とは何者だ、という要件だ。

 

 

 20分ほど遅れると告げると、火澄からは先に待っていると返事があった。

 

 

 

 

 

 

 たっぷりと時間をかけて、寄り道を幾度も織り交ぜて。精一杯尾行に気を遣いながら、景朗は変更した待ち合わせ場所へと到着した。

 火澄の姿はなかった。距離的にも時間的にも、とっくに到着していなければおかしかった。彼女の気まぐれでも起きたのか、もしくはトラブルに遭遇したのでもなければ。

 

 ケータイを取り出したものの、待ち人は着信もメールも受け付けてくれなかった。約束の時間になってしまった。連絡が取れない状況だとは思えない。

 

(着信に気づかないなんてよくある事じゃないか。遅れてるだけじゃんかッ)

 

 つい今さっきの、あの『邂逅』が脳裏にチラついてしまう。もうこうなったら粘着野郎だと思われたって構うものかと、しばし着信音を鳴らしつづけるも、一向に反応はない。

 

 

 彼女がやってくるであろう方角へと、景朗は少しずつ歩き出した。耳をそばだて、そしてセクハラを心の中で懺悔しつつ、彼女の匂いも同時に探っていく。

 

 

 時間はかからなかった。ほどなく、聞き慣れた火澄の声を鼓膜が捉えていた。

 安心できるかと思えたその瞬間に、思考が凍りついた。

 

 その声は、どこか怯えていた。

 彼女は誰かと――誰か数人と、言い争っていた。

 たった二十分前に嫌というほど聞かされた、陽比谷たちの声だった。

 

 

 

 景朗のなりふり構わぬ全力疾走に、道行く人たちは驚く暇もないようだ。

 

(急げッ、早く、早くッ!)

 

 

 

 




予告扱いですみません


なるべく早く追加更新したいから予告扱いにいたしました。
続きもできているのですが、キリのいいところまで書かせてください。

予告扱いにしたからには、一週間以内に更新します。
やります!頑張ります!

なるべく紛らわしくならないように、更新がわかりやすくなるようにタイトルを変えますし、活動報告にも情報を載せる予定です。

なぜ一話にまとめない?というご質問。それに対しては……
中途半端にしておいたほうが、続きを書くモチベーションが維持できる!と言い訳させてください……
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episode27:乖離能力(ダイバージェンス)③

 

 

 

 澄み渡る青空へ、紫色に帯電した光の柱がそそり立つ。ギザギザと曲がった落雷をまっすぐ直線形にでも引き伸ばしたかのような、轟音を伴った砲火だった。

 しかして、その輝きは儚く。瞬きする合間に、光柱は断ち消えた。

 

「うああああーーーッ、うあーーあッ!」

 

 陽比谷少年の雄叫びは、彼自身が放ったプラズマビームの音に上塗りされ、誰の耳にも届かなかった。

 強引に引き剥がされた電子が大気を引き裂き、振り切れた高温が空気を乖離させ、さらには宙を漂っていた小さなゴミやホコリが焼き焦げる。それが、音響の正体だ。様々な現象を内包するが故の大音量だった。

 

 

「うるせえよバカ野郎ッ!眩しいだろうがッ!てか今の、放射線とか紫外線とかマジで大丈夫だったんだろうなッオイッ!?」

 

 あまりにも強く輝いた光量は、陽比谷の粗相などいくらでも見慣れていた眞壁にすら、危機感を抱かせたようだ。

 

「ふぅ。手加減ならしましたよ。安全です。街中で本気は出せませんよ」

 

「んっとだろうな……」

 

 陽比谷は口惜しそうに言い放ち、乱雑にサングラスを剥ぎ取った。レンズが剥がされると、スッキリとした穏やかな素顔が顕れた。先ほどまで露にしていた怒りなど、どこにも無い。彼の雰囲気は既に、がらりと落ち着いたものに変わっていた。

 

 他のメンバーも釣られたようにバイザーを外し、話題の中心へと歩み寄る。

 

「ごめんねひびやくん!ごめんなさい!急に気分が悪くなっちゃって、ぜんぜん集中できなくなっちゃって……自分でも理由がぜんぜんわからなくて……」

 

「ああ、良いんだよ鷹啄さん、気にしない気にしない。どのみちあのノッポ君にはまったくヤる気なさそうだったから仕方なかったさ」

 

「大丈夫です!陽比谷さんは逃がしただけで負けたわけじゃないですっ!」

 

 息も荒く詰め寄る印山に、庇われた当人はバツが悪そうに目と話を逸らす。

 

「はは、ありがとね印山ちゃん。おかげでダイナソーを見つけられた……と言っていいのかはわからないけど、貴重な出会いだったのには間違いなかったよ。君のおかげだ。とは言え、さて、次はどうしようかな。あの恥ずかしがり様じゃ今度は見つけることすら難しそうだしなぁ」

 

「それじゃあの人、本当に"第六位"だったかもしれないんですか?だとしたらものすごい発見じゃないですかっ!」

 

「確証はないよ。僕のカンがそう言ってる、ってだけで。証拠も無いし」

 

「ま、俺もあいつはけっこうイイ線いってたと思うぜ。同じくカンで」

 

 眞壁は話に飛び入るや、矢庭に賛同した。そのまま陽比谷と内心を確かめ合うように目を交わすと、次に両者は視線を、さらなる意見を求めるように岩倉へと向けていた。

 

「んん。……そうですね……彼は場慣れしていましたし……言葉にし難い『危険な雰囲気』を纏っていたようにも思えました。ですから見ていて焦りましたよ、陽比谷君」

 

「何時ものことじゃないですか」

 

 即興で返ってきたのは、肩をすくめて茶化すような反応だった。嗜めるように唇を尖らせていた岩倉は腕を組んだ。ほんの僅か、不満そうに彼女は言葉を継ぐ。

 

「"紫雲(しうん)さん"対策の断熱スーツが思いがけず役に立って幸運でしたね?」

 

「うぐ。それは……完全に同意するよ。全くと言っていいほど不安を感じなかった。やっぱり実用品には手間暇掛けて最良の物を選びましょうって話かな。このスーツ、手放せなくなりそうだ」

 

 そう言いつつ、陽比谷はぴったりと張り付いた、ダイビングスーツにも似たそのスーツの胸元に手をかけた。彼は襟を引き伸ばして浮かせると、空気を送るように上下させ始めた。

 

「そうですか?機能優先で着心地はお話にならないと思いますが」

 

 岩倉の皮肉に、眞壁も頷きを返している。2名はともに、真夏日だというのに暑苦しそうな長袖の服装だった。自ら衣服を燃やす前の陽比谷と、同様の格好だ。

 涼しそうな表情で精一杯隠し通されているものの、岩倉の肌はしっとりと汗ばんでいる。眞壁も似たような様子だ。

 両名は陽比谷をやや恨めしそうに見つめかえす。

 

「う、うぅん。でもやっぱり、一番いいのは着なくて済むようになることですかね。夏だと流石に暑いですもんね、うん。こんな時ばかりは"冷凍庫"どもの力でも羨ましい」

 

「俺らも我慢してんだぞ?お前はジャージだけでも脱げて良かったと思え」

 

「それなら眞壁さんも脱ぎましょうよ?一緒にどうです?」

 

「ふざけろ。で?結局あいつのことはどうすんだ」

 

 眞壁の問いに、皆が押し黙った。ところが、沈黙は一瞬。陽比谷がすぐさま、軽口を叩くように答えていた。さも何一つ問題はないと言わんばかりの、余裕綽々の態度とともに。

 

「……はぁあ。どうしましょうか。あれだけ不格好にも名乗ったからには、何かあれば真っ直ぐ僕のところへ来てくれるとは思うんですけど」

 

「ああ、さっきのアレか」

 

「彼、想定してたよりも――岩倉さんが言ったように警戒心剥き出しで、なんだか野生動物みたいな反応してましたからね。皆さん、もし何かあったら僕にすぐ伝えてください。すみませんね」

 

「まあそれに関しちゃ皆覚悟の上だった、と言いたいところだが。印山ちゃんの件は――」

 

「当然、僕が抜かりなく気を配ります」

 

 話題が自らの話に移ると、印山は果敢に話に混じる。

 

「あのぅー。たぶん、大丈夫だと思います。最初にあの人に気づいた時、ワタシすっごい睨んでたんですけど、目があってもあの人、飄々としてて。……優しそうに見えたん、です。けど。少なくともあの時は……」

 

「色々不安だろうけどご心配なく。僕たちが付いてるからね」

 

「あ、はい。"火薬庫"の皆さんに守ってもらえるんですよね?だったらちっとも怖くないです!」

 

「うえ!?ちょ、ちょっと印山ちゃん、"火薬庫"なんて誰に聞いたの?」

 

「鷹啄さん……」「ま、鷹啄だよな……」

 

 武闘派3名の注目を浴びて、犯人は大いにうろたえている。

 

「あ、あのね、それ、それはぁぁー……」

 

 泡を食ったように言いどもるも微妙に呂律が回っておらず、言い訳はしどろもどろだった。

 

「まあまあいいじゃないですか。彼女はこうして協力してくれているんですから」

 

 陽比谷の説得に、残りの2人は仕方ないな、と表情を和らげた。鷹啄は落ち着いたように息を吐き出した。ほっと胸をなで下ろす彼女の姿に、印山も緊張の糸を完全に解いている。

 

 一団を、和やかなムードが覆っていた。陽比谷はその瞬間を見逃さなかったようだ。

 

「さてさて、みなさんどうします?まだ付き合ってくれます?できれば真壁さんと岩倉さんにはもうすこしお付き合い願いたいんですが。鷹啄さんは顔色が――」

 

「あっもう平気だよ?!だいぶ気分良くなってきてるから!ホント、ホントですよっ?」

 

「ええー?あのー冗談抜きで、熱っぽそうに見えますよ?鷹啄さんほんっとーに大丈夫なんです?」

 

 鷹啄の体調不良を最初に気づいたのは印山だったのだ。口では揶揄しつつも、気遣うように寄り添っている。

 

「だ、だいじょうぶだよ、さっきはちょっとハラハラしてたのもあったんだと思うから」

 

「あーはは、それねぇ。お恥ずかしい。みっともないところを見せてしまったなぁー……」

 

「ちちちちがうよ陽比谷くんちがうからね?あれは陽比谷くんがやさしかっただけだよっ!」

 

 眞壁は念を押すように、今一度鷹啄の顔色を確かめている。

 

「鷹啄、本当に具合は平気なのか?」

 

「も、もちろんです!」

 

 打てば響くように繰り出された彼女の返答に、陽比谷が見計らったように提案を上乗せた。

 

「よし。それなら少し休憩でもしましょうか?僕が奢りますから。お詫びも兼ねて」

「あー、いいですね」「いいんですかっ?」

 

 少女たちの賛同を耳に、彼はぐるりと周りを一瞥した。不満そうな顔つきはひとつも見当たらなかった。

 

「みんな賛成みたいですね。それじゃあどこにします?」

 

 その問い掛けに素早く反応したのは、鷹啄だった。まるでその瞬間を狙っていたのではないかと、皆が思ったほどに。

 

「あ、あの、少し歩きますけど、わりと近くにいい感じの喫茶店を知ってるんですけど……どうです?」

「へえ、いいね」「俺はどこでもいいぜ」「行きましょう行きましょうっ」

 

 瞬く間に、男女の混合グループは和気あいあいの空気に染まった。つい先程の、火花を散らすような戦いの前の昂揚も、どこふく風といった具合だった。

 

 学園都市がいくら特殊な地域といえども、彼らの行動も十分に不良行為と呼ぶべきものだったといえる。陽比谷は通行人を追い詰め、無理やりに喧嘩を吹っかけたのだから。

 

 しかし、罪悪感を感じている者はその場にひとりもいない様子である。もはや誰も気に悩んでなど居なかった。彼らにとってはそれが日常茶飯事なのだろう。

 

「さっきのマシュマロ、じゃなくてギモーヴか。あれも美味しかったしなぁ。鷹啄さんの情報には期待できそうだね」

 

「岩倉さんのお口に合うかどうか心配です……」

 

「ふふ、そのようなことは仰らずに。私もとても興味がありますから。第七学区だと、どうしても学舎の園で用事を澄ませてしまうんですよ」

 

「あう。そういえば。……陽比谷さぁん!預かってたおかし、潰しちゃいました――」

 

 年齢も、性別も、出身校すら分け隔てなく。楽しそうに休日を謳歌する学生たちの姿が、そこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おや?」

 

 最初に目ざとく発見したのは陽比谷だった。鷹啄の先導するがままに、"能力主義"の一団が第七学区の繁華街を練り歩いていた時だ。

 そこで、ふとした拍子に彼は気づいた。ひとりの少女だ。見覚えのある後ろ姿が、数歩先を進んでいた。

 まもなく、ポケットティッシュを配っていたバイトの店員がその人物へ声をかけた。彼女が何気なくこちらへ振り向いたその瞬間を、陽比谷は目撃する。

 件の人物の、ピンクのTシャツ越しに盛り上がった胸部へ目を吸い寄せると、彼はしかと確信を得られたようだ。

 話しかけるタイミングは、すぐにやってきた。

 

「やあ仄暗さん。仄暗さーん!」

 

「あ゛ッ……こんにちは、皆さん」

 

 仄暗火澄は出会い頭に都合の悪そうな表情を浮かべるも、すぐに取り繕った。ぞろぞろと陽比谷の後から続く面子に向けて、遅れつつも一礼を返してみせている。

 

「ほら、見ての通りただいま活動中ってところ。仄暗さんの席は何時だって空いてるからね?なんなら手纏さんも!」

 

「うー、もう。その必要は無いって言ってるでしょう。お断りさせてほしいって」

 

「まあ待って、結論は急がずに。むしろこっちが仄暗さんの力添えを必要としてる面があって。ねえ、なんとなくお忙しそうなカンジだったけど、もし良かったらこれから――」

 

「お久しぶりですね仄暗さん。お変わりありませんね?」

 

 誰が聞いても、温かみの感じられない、冷たい歓迎の挨拶だと思えるような声のトーンとともに。それ以上は言わせはしないと、岩倉火苗が会話に割って入った。今の今まで機嫌が良さそうだった岩倉の変わりように、陽比谷は口をつぐみ、訝しんだ。

 何かに感づいたのか、彼は背後を返り見た。眞壁は今にもため息を吹かしそうな顔つきである。残る少女たちはどうか。鷹啄も印山も薄く笑顔を浮かべてはいたが、どこか作り物臭い表情である気がしてならなかった。

 

 一目見て明らかだった。たった今まで存在していた"能力主義"を包んでいた和やかなムードが、綺麗さっぱり消失していた。あの少女の登場が原因だ。

 

「あー……アナタも元気?」

 

 仄暗火澄も、どことなくぎこちない。

 

「再びお会いできて嬉しく思います。貴女とは何かとご縁がありますね?」

 

「私もまあ、何て言うか、そう思うところはある、かな」

 

 仄暗火澄を喫茶店で同伴させようかという陽比谷のアイデアは、女性陣にはまったくもって歓迎されなさそうである。

 彼はそう悟ったものの。故意に、無視を敢行することにした。

 

「そっか、そういえば言ってたね!御二人さんは中学で一緒だったって――」

 

「先日のお話は聞いています。極めて正しい決断です、仄暗さん。安心致しました。貴女には少々、私たちの"派閥"は危険ですからね。あまりお関わりにならないほうが賢明です」

 

 岩倉の一声で、場の空気がもう一段階移り変わる。男性陣にとっては極めて居心地の悪い、いわゆる"あの『嫌な空気』"へと。

 

「大丈夫、そのつもりだから。この間でそれがよおくわかったので。心配せずとも貴女の邪魔は一切しないから、ね?」

 

「いえ、お邪魔だとは申しておりませんよ。貴女が勘違いをなさっていたら、と気になっていましたので、一言お伝えしておきたかったのです」

 

「あ、そうだったんだ、ありがと。でも勘違いって言い方がすこし不思議かも。そんな事ないと思うけどなぁ」

 

 言葉以外の全身で仄暗を邪魔だと表現する岩倉に対し、わずかな有り難みの念すら含まれていない態度で、仄暗も礼を返す。

 

 陽比谷に耳打ちをするように、恐る恐る眞壁が動いていた。

 

「想像以上だぞ?」「ですね。あ、ダメですよ彼女は。僕のですからね」「死ねよ。いやんなことより早くなんとかしろ」

 

 

 

 既知の間柄故か、他のメンバーを放置気味に"元"常盤台中学組の会話は加熱していく。

 だがしかし、道のド真ん中である。一団はより一層目立ってしまっていた。通行人は彼女たちをちらりと目に捉えて、こそこそと話声を漏らしていく。

 

 ただし、思いのほか反応は小さかった。ただの口喧嘩だと思っているのだろう。事実、現状では未だその通りで違いない。それでも、陽比谷と眞壁は冷や汗を流す。なにせ、いつ二人が噴火して周囲にマグマを撒き散らし始まるか、わからない。

 

 ところが。このような状況においてもなお次々と自分へ突き刺さってくる視線に、陽比谷は気づいてしまった。すれ違う人々は口喧嘩に暮れる女子高生二人よりも、未だに陽比谷の方に目を惹かれている気がしたのだ。

 

 第七学区だとやはり、自分を知っている人間の比率が多いのだろうか。対応を考えあぐねた当人は、脈絡もなくそんな風に思考を脇道へと逸らしていた。

 

 

「どなたなんです?」

 

 硬直していた陽比谷を、印山の質問が解きほぐした。彼女の発言を皮切りに、"能力主義"の4人は岩倉の背後へ一歩後ずさる。彼、彼女らは、すぐさまこそこそと内輪話を交わし始めた。

 

「"能力主義(うち)"に勧誘中のパイロキネシストさん。岩倉さんとは同じ中学で知り合いだったってさ」

 

 かすり切れるような、小さな声で答えた陽比谷に続き、眞壁が言葉をつなぐ。

 

「陽比谷が先週連れてきたんだよ。体験入団、というよりは見学みたいな形でな」

 

「そうそう。ちょっと手伝って欲しいことがあってね」

 

「そうなんですか……」

 

 印山は、仄暗の姿をまんじりともせず覗っている。疑問を感じた陽比谷が問いかけようとしたが。口火が切られる直前に、鷹啄が話に混じっていた。

 

「そうそう。あくまで見学だったんだよね?結局ウチには入らないんでしょ。ね?」

 

 その口ぶりからして、彼女も仄暗火澄をこころよく思っていないらしい。

 

「それはそうだけど、まだ芽はあると思ってる。彼女は少なからず"僕ら"に興味があったからこそ見学に来てくれたんだ。"僕ら"、じゃあなくて"超能力者(レベル5)"に、だったのかもしれないけど」

 

「でもあの子、嫌がってたように見えたよ?ここには来たくないって言ってたんじゃないのかな?」

 

「教えただろう?彼女の能力は"紫雲"に対抗できるかもしれないって。少なくともあいつを引きずり下ろすまでは誰の手だろうと借りたい。勿論鷹啄さんにもね」

 

 助力を求められたその途端。相手は歯切れの悪そうに、威勢を弱くした。陽比谷へ粛々と追求を迫っていたその勢いは、瞬く間に逆転しつつあった。

 

「それはー……あのね?こうやって皆と騒ぐのはOKだけど……ね?くー、でたーに協力するのは……」

 

 眞壁が口を開きかけていたが、"クーデター"という単語を耳にするやいなや、鼻で笑った。バカバカしいとばかりに閉口し、今度はヒートアップするばかりの岩倉と仄暗の様子を今一度確かめて。何も出来ぬとたじろいだのか、視線を空へと逸らしてしまった。

 

「クーデター?奴らそんな風に言いふらしてるのか。馬鹿みたいに大げさな。ねえ鷹啄さん、たかが1サークルの"副部長"が、単に『"部長"の人選が気に食わない』ってダダをこねてるだけじゃない?」

 

 陽比谷も片腹痛し、と嗤った。軽やかな態度と口調で、説得の言葉を並べ立てている。しかし、どう見ても彼の本心は、その口調の反対側にありそうだった。鷹啄はやや怯えて、口ごもる。

 

「う、うん……」

 

「卑怯な手段で"紫雲"に楯突いてる訳じゃないだろう?あくまでうちの流儀で、正々堂々とあいつを追い出すから。鷹啄さんにはその時はこちら側に居てほしい」

 

「うん……」

 

「あのー。ワタシの件はどうなるんですか?」

 

 不満の混じった印山の発言が、唐突に水を差していた。陽比谷の対応は迅速だった。

 

「ああ、印山ちゃん」

 

「やっぱり入れないんでしょうか……?」

 

「印山ちゃんはまだLv3だろう?大丈夫、印山ちゃんなら絶対Lv4になれるよ。その時の君に意思さえあれば、僕たちは絶対に歓迎するよ。ね?」

 

「おい陽比谷」

 

 眞壁が彼の背を叩く。示された方向の、口論を続ける女子二人が気になるも、陽比谷は印山への対応を優先した。

 

「……そう言う陽比谷さんは、いつ入られたんですか?」

 

「小学六年の夏、だから印山ちゃん位の時だったかも、ね」

 

 むぅーっと膨れる印山。

 

「今日だってずっと頑張ってお手伝いしてきましたよ?」

 

「勿論、お手伝いなんてもんじゃない、大手柄だったよ。だからこれからも助力を頼みたいんだ。僕の"個人的な友達"としてね。メリトクラートなんて関係無くさ?」

 

 俯き、なかなか返事をしない印山。陽比谷は仄暗を横目に見る。彼女は岩倉と舌戦を繰り広げている。その様子に、いい加減二人を仲裁しなくては、と気も早るが。

 

「……私、もう陽比谷さんとはお友達なんですよね?」

 

「当然」

 

「仲良しですか?」

 

「違うの?」

 

「……じゃあそれでいいです!」

 

 その答えを待っていた、と印山は勢いよく顔を上げると、上目遣いに陽比谷に微笑んだ。念を押すような笑顔だった。

 

「あ、ああモチロン。ふ、ふふふ……」

 

 急に態度を180度反転させた彼女に習って、陽比谷もにっこり微笑んだ。硬直した彼の体は人知れずかすかに震えていたが。

 

「陽比谷!」

 

 眞壁の声で、陽比谷はようやく気づいた。

 仄暗火澄は一団から離れ、雑踏の中へとひとり、背を向けて去っていく。

 

「え、ちょ、え!?あれ、行っちゃって――!?」

 

「仄暗さんはご用事があるとの事で。あまり長らく引き止めては気の毒でしょう?」

 

 岩倉は断定的な口調できっぱりとそう告げ、その隣では鷹啄がブンブンと何度も強く頷いている。眞壁はもはや素知らぬ顔だ。

 

「……そうですか」

 

 陽比谷は軽く息をついた。走れば仄暗へは追いつくだろう。だが……。

 

「じゃ、僕たちも行きましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日はよほど、奇妙な出会いや数奇な偶然に縁があるらしい。陽比谷はくすりと可笑しがった。

 

「おーい!仄暗さん!」

 

「……ッ?!」

 

 数分後。"能力主義"の一団は鷹啄が案内した喫茶店の軒先で、不満そうにメールを打つ仄暗火澄とばったり再会してしまったのだ。

 

「もしかして――」

 

 大げさなほど驚いている、仄暗火澄。彼女への返答代わりに、陽比谷は親指を喫茶店のドアへと指し示してやった。その仕草に、相手は息を飲んだ。やや緊張しているようだった。陽比谷はかすかに不審に思うも、それほど不躾な質問であっただろうか、と気にかかった。

 

 メンバーの中では一応の顔見知りである眞壁も、仄暗へと片手を挙げている。顔見知りというよりは、同じ高校の先輩と後輩というだけの関係、と表現した方が近いのかもしれない。

 

「僕らもね。偶然だよ。仄暗さんは誰かと待ち合わせ?」

 

「――そう、なの。友達とちょっとね」

 

「あら。もしかして彼氏さんですか?お話は聞き存じておりますよ?お名前はうづきさんでした?」

 

 岩倉の言葉に、仄暗はあからさまにぶっきらぼうな答えを返す。

 

「……違います。友達です。……ッはぁぁ~~……っ」

 

 都合の悪い事態に思わず吐き出すような、舌打ち混じりの深いため息。仄暗は何故か、悩み焦り、憂いを帯びた顔つきであった。

 

 過敏に反応したのは、やはり岩倉だった。

 

「なんですか、その態度は。はっきり言ってくださいな?」

 

「何も。別に後を付けてこられただなんて思ってませんから」

 

「……言ってくれますね」

 

 よほど自分たち"能力主義"に合わせたくない相手がいるのだろうか。陽比谷は仄暗のらしくない行動を訝しむ。

 

 怒りを溜め込む岩倉の反応を、仄暗は観察するように眺めていた。陽比谷はその目の色に、思いのほか冷静な落ち着きを垣間見ていた。されど。

 

 とても仲間との歓談に誘える状況ではなさそうだ、と結論をつけて、和やかに仲裁を試みる。

 

「穏やかにいきましょう岩倉さん。仄暗さん、僕ら別のお店に行くから。また今度お話しよう?」

 

 岩倉が睨む相手を変える。彼女が文句を言う前に、陽比谷は押しとどめるように畳み掛けた。

 

「これ以上喧嘩するところ見たくないんです。まったく、御二人さんもっと仲良くできないの?」

 

「喧嘩などしていません」

 

「いいです」

 

 仄暗火澄は目の前の問答を無視して一方的にそう言うと、携帯をフレアスカートのポケットに突っ込んだ。

 

 『いいです』 その言葉の意味を、咄嗟に理解できたものはいなかった。

 

「ん?」

 

「急用ができて予定が変わっちゃったみたいです。ありがとう、陽比谷君」

 

「――お?……あ、ああ。それじゃあ……仄暗さん」

 

 どう見ても急な連絡が来たようには見えなかった。しかし、仄暗火澄は追い立てられるように踵を返し、その場から歩き去っていく。

 

 陽比谷は背後のメンバーと顔を見合わせた。真壁と印山は『早く喫茶店の中に入ろう』と、そういう顔つきだった。予想に反し、皆はそれほど彼女が逃げ出した事実に興味はない様子である。……例外の1人を除いては。

 

「……ッ。あの態度……」

 

 岩倉だけは、酷薄そうに口角を釣り上げている。『仄暗火澄については良く知っている』と彼女が零していたその言葉を、陽比谷たちは真逆に捉えてしまっていたようだ。

 

「まあ、いいじゃないですか、岩倉さん」

 

 岩倉火苗は陽比谷の制止より僅かに早く、駆け出した。無論、仄暗火澄の後を追って。

 

「やれやれ。嫌ってるのか好きなのか……」

 

「おい、岩倉!放っておけよ!――ああくそ、お前も止めろ!」

 

 真壁は彼の肩を叩くと、自ら先を走っていった。

 

「……それじゃあ、止めに行きましょうか」

 

 残る女子2人に語りかけ、陽比谷もゆったりと駆け出した。

 

「ふええ!?こんな暑いのに走るんですか~?」

 

「あーあ。まーた喧嘩かなぁ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 繁華街のメインストリートを大河の本流に例えれば、支流のそのまた支流に位置するであろう、路地裏へすぐにずれ込むようなその小さな通りは、人の数がやたらと少なかった。

 

 立ち並ぶショップもどれもがメジャーな層から外れたものばかりで、それ故に人通りが少ないのか、人通りが少ない故にそうなってしまったのか。鶏が先か卵が先か、図らずも論争を始めてしまえそうな寂れた通りに、その日は久方ぶりの騒動が訪れる。

 

 

 

 

 人通りは少ないといったが、それでもわずかばかりの人影はあった。それぞれに思い思いの楽しみがあったのだろうが、とある二人組の少女の登場すると、その場は一変してしまった。

 

 

 黒髪の少女が血相を変えて駆けてきたのが始まりだった。

 

 その少女は、誰かに追いかけられて、逃げて来たらしかった。苛立ちも顕に、追いかけてくるなだの、帰れ、だのと小言を撒き散らし、全速力で道なりに走っていった。

 

 ぽつぽつと幾人かが、そんな彼女の様子を横目にとらえてから、それほど時間は経たなかった。

 逃げる少女の行く手を遮るように、道端に設置されていたゴミ箱がガタガタと勢いよく崩れ落ちた。ゴミ箱は熱でクタクタに溶け、奇妙に変形していた。それが倒壊の要因にちがいなかった。

 

 溢れるように転びでた空き缶の群れに、少女はつまづきそうになる。寸前で持ち直したものの、しかし盛大に立ち止まらなければならなかった。彼女を追いかけてきたらしい、もうひとり別の少女が登場すると、2人はすぐさま口論を始めだす。

 

 とはいえ、その程度の光景はその場の誰にとってもそれほど珍しい出来事ではなかった。むしろ、見慣れた日常の一コマだとすら言えた。子供同士の口喧嘩など、それこそ子供の街にはありふれている。

 だが。次の瞬間、彼らは目にした。

 

 通りの上空に燃え上がった、幻想的な蒼い炎。

 何もない虚空から現れたそれは、炎の塊と呼ぶべき大きさを持っていた。目撃したものは皆、度肝を抜かれたようだ。

 

 蒼くキラめく炎は、明らかに高位能力だと思わせるスケールだった。そんな代物を街中でお目にかかるのは流石に珍しく、危険な香りもプンプンと漂わせている。

 巻き添えを食らってしまうかも。そう考えた察しの良い者たちは、颯爽と姿を消していった。目に付く人影は既にまばらで、野次馬だけがぽつぽつと陰から顔を出し、観察と決め込んでいる有様だった。

 

 

 

 周囲のどよめきで我に還ったのか。反射的に炎を生み出してしまった仄暗火澄は、慌てて能力の発動を抑えていた。

 

 少女たちの頭上を揺らめいていた蒼い炎が、前触れもなく掻き消えた。

 

「いッ、きなり危ないでしょ?!しばらく見ない間に好戦的になりすぎだっての!あんなとこ(能力主義)に居るからそうなるんだっつの!」

 

「余計なお世話ですッ。そういう貴女はいっそう人の話を聞かなくなりましたね。それに……おや。ただいま気づきましたけど、少々ふっくらしました?」

 

「なっなっ、なにをっ。なぅ、自分は痩せたからって一方的にッ――というかアナタよりよっぽど他人の意見に耳を傾けてるつもりです!」

 

「あらそうですか。でしたら貴女の彼氏さんにも同じ事を尋ねてみたいものですね?」

 

「彼氏じゃなくて友達!そもそも絶対会わせないし!そういうアナタこそ頑張ってね、陰ながら応援してるから。そのクリーム色の髪、すっごく大人っぽくて似合ってる。正直、前の子供じみてた金髪ツインテールじゃなくなって見直しちゃってます!」

 

「うっ。くぅぅ……貴女、ヘアスタイルをかぶらせておいて、お互いに偉そうなことは言えないでしょう!」

 

「う」

 

 その発言通り。仄暗火澄の髪型は対峙する岩倉火苗と完全に同様のもので、前髪から編み込んだサイドブレイド。目立たない化粧も念入りで、"たかが友達"と会う予定などではなかったのだと、目の前の少女には看破されてしまっていた。

 

「ひとつ、良いですか。本来なら貴女が何方と逢引をされようと興味はないのですが、今日の態度には――」

 

「ほんっとにしつこいな!そっちは枝垂れ桜でしょ?制服着用じゃないの?チクっちゃうからね!」

 

 真夏だというのに、謎の蛍光ジャージスタイル。突っ込むなという方がおかしな姿だと言えた。

 

「卑怯なッ」

 

 悔しがる

 

「ぃよしッ!これで終りね?」

 

 両の拳を握り締め、喜ぶ仄暗。ところが、彼女を恨めしそうに睨みつけていた眼光が怪しく輝いた。

 

「ふふッ。いいでしょう。構いません。どうぞお好きに?」

 

「え?へ?」

 

「お好きになさい。ここでアナタの彼氏に灰をかぶせられるというのならば、その程度、甘んじて受けましょう」

 

「ッ?!本気なのっ?!」

 

「ええ、構いませんとも!なにせ、我が"枝垂れ桜"には"あの手の寮監"はいないのですから!ふふふッ、さあ、羨みなさい!」

 

「――うそ!?」

 

「事実です」

 

「ううう、いいなぁーッ!いいなあぁーーーッ!!……って、いやいや、私だって今は自由だから!」

 

「……ふふふ。そうです。"寮監"殿はもはや居ないのです。……いい機会です。いつぞやの決着をここでつけてしまいましょう?」

 

「嫌です!お断りです!さっきも言ったでしょ!もう私は関係ないの!ほんっとにいいかげんほっといて!今日は用事があるって言ってんでしょぉぉっ」

 

 仄暗の言葉を黙って聞く岩倉は、ちらりと背後を振り返った。バタバタと人がかけてくる足音が大きくなっていたのだ。

 

「待ちなって岩倉さん!」

 

 岩倉の仲間たちが、ようやく遅れて現れた。"能力主義"のメンバーを目に捉えた途端、仄暗火澄の焦りも再燃したようだ。

 

「放してッ」

 

 再び逃げ出そうとした彼女のその腕を、懸命にも岩倉が捕まえていた。

 

「そうもいかないのですよ、いいですか――」

 

「またその話?冷えかけの溶岩より粘着質なヤツ!」

 

「な!?ほら人の話を!アナタこそ嫉妬の炎がいつまでも燻っていてお可哀想な人ですね!」

 

「はあっ!?私が一体何に嫉妬してるっていうの?!」

 

 仄暗は焦りに我を忘れかけていた。その視線が、岩倉の胸部へと直撃する。

 

「……」

 

 ぱたり、と掴まれていた腕が放され、揺れる。仄暗は怯え、素早く後ずさる。

 追い迫っていた陽比谷の足まで何故か止まり、立ちすくむ。

 

「あ、ご、ごめん火苗、さん、あ、あのね、ホントそんなつもりじゃ」

 

「う、うううううううううううううううううううううううううううううわあああああああああああああああああああああああああああああああ燃えろーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 

 絶叫が響いた直後からだ。彼女たちの足元のアスファルトが、猛烈に熱を帯びだした。

 すぐに、テニスボールほどの大きさの丸く細い円が、地面に浮き上がる。

 それらはひとつではなかった。いくつものいくつもの、複数の赤い円が滲んでいく。

 縁(ふち)を彩る、赤熱する橙色は熔岩そのものに見えた。触れたとして、火傷で済むのだろうか。

 かたかたと地面ごと震えている。何かが、その下で胎動している。得体の知れないものが、されど肌は、膨大な熱量の前兆を予感して、大地は熱気を放ち――――。

 

 実際には、その現象は数秒経たぬうちに生じた出来事だった。しかし、揺れ動くアスファルトでバランスを取っていた仄暗は、それよりもっと長い時間を体感していただろう。

 

「やめろって!」

 

 制止の台詞に続き、空気が焦げるバチリという炸裂音。その出処は、彼女たちの目と鼻の先の空間からだ。それに加え、雷光と見間違わんばかりの光も、同じく空間を埋め尽くす――。

 

「あう!」「くうっ!」

 

 ストロボのような炎の灯りで仄暗と岩倉は怯み、悲鳴を挙げて目を閉じた。両者は不意を突かれ、そのフラッシュを直視してしまっていたのだ。

 

「とにかく落ち着いて御二人さん。さっきからこっちは困惑しっぱなしなんだ」

 

 たたらを踏む二人であったが、目を瞑るままに、声のした方向へ闇雲に顔を向けている。

 

「陽比谷君ッ!?」

 

「すみません仄暗さん。少し目を眩ませただけだから。すぐに治るから」

 

 表情を暗く俯かせ、陽比谷は二人の少女へと近づいていく。眞壁も鷹啄も、どこか居心地が悪そうに彼の後へと続く。印山も、懸命に彼らの背後に付き添った。

 

「何をするんですか!」

 

 恨めしそうに声を大きくしたのは岩倉だ。恐らく、陽比谷に目を眩まされるのは初めてではなかったのだろう。フラつきかけている仄暗とは違って、彼女は顔を手で覆い、静かに直立している。

 

「君こそ!それこっちの台詞だよっ。君たち中学時代に何があったのか知らないけどこっちは驚きっぱなしだよ。らしくないですよ?挑発しすぎでしょう?」

 

 しゅうしゅうと、アスファルトから湯気が沸き立っていた。その熱気に不快そうに眉をひそめ、岩倉は苦々しそうに声を荒らげた。

 

「……そういう貴方も不信に思われていたのでは?彼女が何に焦っていたのかを」

 

「僕にはずっと喧嘩してるようにしか見えなかった。仄暗さんは仲間に引き入れたいって言ってたのにこのザマだ。だいたいそんなに仲が悪かったのなら……教えててくださいよ……」

 

 仄暗火澄が、思い切り顔を上げた。ポケットに突っ込んであった携帯を、ぎゅうっと握り締めながら。

 

「もおお、わかりました!わかったから!後日、いくらでもお話を聞きに行くから。これ以上の嫌がらせするんなら、私だって――」

 

「ごめん!わかった。わかったよ、言う通りにする。今日は本当にごめんね、仄暗さん。迷惑をかけてしまって……とにかく、僕たちが悪かった。二人が友達だったってしか聞いてなかったんだ」

 

「陽比谷君!」

 

 岩倉の拗ねるような目つきに、陽比谷は優しく頷き返す。

 

「わかってますよ。ねえ仄暗さん、ひとつだけ教えてくれたら嬉しいんだけど……君が僕たちと顔を合わせたくなかった理由は……」

 

 ところが、質問はそこまで口にされるも、唐突に打ち切られた。ありありと、陽比谷は思案に暮れる顔つきだった。

 

「いや、いい。ごめんね、変なこと聞いて。僕は仄暗さんを信じるよ」

 

「なにそれ、訳がわからない。さっきから……」

 

 仄暗の荒い口調が、陽比谷の背中でまたぞろ内輪話に集中していた残りのメンバーたちの注意までも誘っていた。

 

「正直、私はもうアナタたちとは何の関わりもなくなったんだから、内輪揉めの話を延々とされても困る!陽比谷君も最初は見学だけでいいって言ってたじゃない?それでやっぱり先週ね……野蛮だな、って思ったんだ。アナタたちみたいにアンチスキルに迷惑をかけてまでレベルアップに没頭するのは間違ってると思う。元々、"能力主義"に入りたいとはそれほど考えてなかったし。陽比谷君、同じ系統の能力だからって、もう私を気遣ってもらわくても――」

 

「それは違う。僕は本気だった」

 

 力強い否定の言葉が、会話をひとたび断ち切った。

 

「君を勧誘してたのにはちゃんとした理由があったんだよ。僕も色々説明したかったさ。でも君が形だけでもウチへ入ってくれなきゃ何も話せなくてね。高位の発火能力者なら誰でも良かった訳じゃないんだよ。"不滅火炎(インシネレート)"でなければ駄目だったんだ。君を気遣うとかそういうことじゃなくて、僕らが純粋に君の力を必要としてたんだよ。実は今、ちょっと立て込んでる"状況"でね。今まで協力してほしいって言ってたのは全部、正真正銘、本音だったんだよ?」

 

「立て込んでたって何っ?それが私を追い回した理由?」

 

「ですから偶然だと言ったでしょうっ!?取り立てて貴女を探ってなどいませんでした!」

 

 陽比谷は岩倉へ近づくと、彼女の肩にかかっていた小さな煤埃を払った。どことなく宥めすかすようなその優しい手付きに、岩倉の再燃しかけた怒りは収まりをみせていく。

 

 陽比谷は疑問の詰まった視線へ、堂々と立ち向かう。

 

「説明しだすとすこし長くなると思うから、週明けにでもきちんと話すよ。仄暗さん用事があるんだろう?今更だけどそっちは大丈夫?とにかく今日は迷惑をかけてすまなかった」

 

 ようやく正常に整いつつある視界をスライドさせて、仄暗は眞壁や鷹啄といった面識のあったメンバーの表情を望む。皆して、いたたまれぬ表情を浮かべている様子だと、彼女には感じられた。そういう風にしか見えなかった。

 

「………………そういうことなら。じゃあ、来週、また学校で」

 

 長い間沈黙があった。他の言葉は全て飲み込んで。複雑そうな含みのある思案顔をそのままに、彼女は別れの挨拶だけを告げた。その場を離れようと、背を向けて歩き出す。

 

「でも本当にいいのかな?」

 

 未練がつらつらと混じった陽比谷のセリフ。仄暗の足が止まった。

 

「そりゃあ、君のご想像通り僕たちはこれからも野蛮な事は沢山やっていくさ。けど、そこに魅力を感じてもいたんじゃないの?」

 

 見透かすような物言いが、制止した背中へ尚も投げかけられる。

 

「君も薄々、このままじゃ停滞したままだって意識してただろう?だからこそ僕の誘いに興味が無いフリをし続けてた。違うかい――」

 

 長いセリフの最中。陽比谷は何かに気づいたようで、唐突に言葉を切った。立ち止まったままの仄暗の姿に、一筋縄ではいかない違和感を感じとったのだ。

 

「岩倉ァ!陽比谷ッ、上だ!」

 

 眞壁の警告。緊張に彩られたその声色で、陽比谷はやっと気がついた。気づけた瞬間に、それは遅すぎた、とも悟っていた。

 

「受け取れ!」

 

 眞壁は背負っていたアーチェリーのケースを、先ほど"第六位"へと向けたそれを、陽比谷へと投げ渡す。

 岩倉も同様に異変を察知していたようだ。焦りを滲ませていた彼女へと、陽比谷はケースから取り出した武器を受け渡した。

 

 

「壁?なに、これ、見えない壁?――これ、空気?」

 

 困惑した仄暗の言葉

 

「空気の壁っ?!」

 

 岩倉が過敏に反応した。

 

「なんなのこれッ」

 

 仄暗は行く手を阻まれ、『見えない壁』伝いに、横歩きにさせられてしまっていた。その様はまさしく、空想の壁に手を付くパントマイムそのものだ。

 

 この通りは既に封鎖されている。陽比谷はそう直感するも、出口を無くした少女へ口出しはしなかった。

 

 代わりにひとつ舌打ちを披露して、周囲をギラついた視線でぐるりと見渡し始めた。

 彼が感じた異変は、仄暗火澄という個人に生じたものではなかったのだ。

 その正体は、彼ら全員をすっぽりと覆い込む"策略"だった。

 

 

 

 

 

 

「フゥーァーハーッ。おーら見たぞ?見たぞてめぇーら!えらーい必死だなぁーあ?マッチ棒諸君」

「せんぱい。残念ですけど完璧に目撃させてもらいましたんで」

 

 その声は、真上から響いてきた。仄暗には全く心当たりのない男女の声音だ。彼女は空を見上げて、そこに闖入者たちの姿を発見した。陽比谷たちの真後ろのビル。3階建てのそれの屋上に、でこぼこな3つの人影があった。

 

 

 中でもまず初めに目に付いたのは、太った大男の、その流線型のシルエットだった。夏の暑い盛りにダボついた長袖のパーカーを着込み、スパイクむき出しの登山靴を履いている。これから登山にでも赴くのか、といった出で立ちだ。それでも体の輪郭は丸っこく浮き出ており、ビジュアルだけで暑苦しさが増している。

 『マッチ棒』と口にして、ここにいる陽比谷、眞壁、岩倉、ついでに仄暗を挑発したのは恐らく、この男だった。

 『マッチ棒』とは『ライター』などと並んで、"街"で広く使われている悪口のひとつだったりする。その正しい用途は――まさにたった今、男が使って見せてくれた通りだ。

 そんな彼の右手には、歯型のついたアイスキャンディーが握られていたりする。

  故も知らないが、男は探るような、濁った目つきを仄暗へ向けたまま、大口を開けてしゃくり、とアイスクリームにかぶりつく。遠く離れたこの場所まで、その豪快な咀嚼音が聞こえてきそうな食べっぷりであった。

 

「はいはい。こっちですよー」

 

 大男の陰に体をうまく隠して、ハンチング帽をかぶった少女がやる気なさげに手を振っている。

 陽比谷を先輩と呼ぶからには中学生なのだろう。彼女もまた、気温30度に迫る、七月初めの週末だというのに、ジャケットにニットブーツ姿である。夏の暑さをものともしていないようだ。

 

 大男の隣には、間を空けて少女がひとり、無防備に佇んでいる。ご大層なことにマフラーで口元まで包み、見るからに雑に染めたボサボサの金髪と相まって、顔つきは窺えなかった。彼女は何一つ喋らない。それどころか、無防備どころか、傍から見れば薄ぼんやりと立ち尽くしているだけのようにすら見えた。最大限に好意的に捉えれても、陽比谷の挙動をどことなく、淡々と眺めているだけなのでは、と説明するしかない。

 

 冬服と見間違わんばかりの厚着で、とりわけ膝下まで覆う無骨なオーバーニーブーツが季節感に真っ向から逆らっている。

 

 

「マジで来やがった……あぁー、こりゃヤベえな……」

 

 あっさりとした感想。ビル屋上の3人を見つめた眞壁のこぼした呟きだった。だが、その発言とは裏腹に、彼自身の態度にはわずかばかりの気の緩みも含まれてはいない。いつ何時、なにが起ころうとも受けて立つ。そういった心持ちに見えた。

 

「……悪いけど立て込んでるんだ。今すぐ帰ってくれ、紫雲(しうん)」

 

 一方の陽比谷は、しっかりとした強い命令の口調を使いだした。彼の視線もまた、マフラー少女、"紫雲"と呼ばれた少女に釘付けだ。紫雲に対し、並々ならぬ警戒心をむき出しに顕している。一応、彼は不敵な余裕を崩さぬよう、表情に笑みを張り付かせているのだが、誰が見ても慇懃無礼な笑顔だと捉えることだろう。紫雲の登場から陽比谷はずっとその有様である。

 

 

 重苦しい空気の中。仄暗はふと、肌寒さを意識した。Tシャツの袖の短さを忌まわしく感じ、そして、遅れて気がつく。

 通り一帯の空気が、とても夏だとは信じられないほどに冷たくなっている。

 すぐに察知できなかったのは、温度低下のスピードが非常にゆっくりであったからだ。ならば、想像に固くない。どうやら随分と前から既に、この現象は始まっていたようだ。

 ガードレールに結露が滴るのを目撃すると、明確に実感がわきだした。

 見上げれば、かんかん照りの日差しが降り注ぐ。しかし、思うことはただ一つ。

 ただひたすらに、寒い。吹き出した息が、白く霞む。

 

 

「陽比谷君。無駄な事は省きたいけど、最初に聞いとく。考えは変わった?」

 

 マフラー少女が重い口を開いた。平坦な抑揚で、通りに立つ者たちにはようやく届くかといった声量だった。

 

「見て分かれよ。君たちに火傷してもらうために"新戦力"を勧誘していたところさ」

 

「ちがッ、私は……関係ない」

 

 仄暗は即座に抗議したものの、セリフの最後を曖昧に濁した。彼女としては必死に否定したかったのだろう。陽比谷たちの仲間なんかじゃない、と。

 だが、何と答えれば速やかにその場を離脱できるのか、まるで推測できなかった。無理もない。彼女は自分の置かれている状況を把握できていなかった。

 

「ほら。でもこの通り、うまくいかなかった。どうせ見てたんだろう?」

 

 陽比谷は仄暗へと手の平を指し示し、説明してみせた。さりとてその間も決して、目線をマフラー少女から離さない。彼は彼女1人を懸命に見つめたまま、動かなかった。

 

「とりあえず言っとこう。彼女と其処の小学生の子は、"僕ら"とは無縁だ。言いたいことはわかってくれるな?」

 

「勿論知ってる。仄暗火澄。大能力者で発火能力者。"不滅火焔"」

 

「……そうか。知ってる、か。どうしてこう、良いニュースってのは悪いニュースと一緒にやってくるものなんだろうねぇ……」

 

 陽比谷の顔面は険しさに溢れていた。それを隠すように、彼は片手で器用にサングラスをかける。

 その途端、その場の全員が慌ただしく彼に習った。仄暗を除いた皆が、慣れた手つきでバイザーを被る。ビルの屋上の3人も、どこからかサングラスを取り出した。

 

 一帯何が始まるのやら。仄暗は現実逃避しかけていた。まるでフラッシュモブだ。

 真夏に冬服の不審者軍団が登場したかと思えば、今では全員がグラサン集団と化している。

 彼ら全員が徒党を組み、ひと芝居売って自分を騙そうとしているだけなのでは。話の流れも見えず、理解がおいつかない。しかし何故か、ビルを挟んで会話する二人の話題に、自分の名前が含まれていて……。

 

「で、やるのか?今日は何しにここへ?"冷蔵庫"の皆様方?」

 

「彼女を助けに。あなたの馬鹿の巻き添えなんて可哀想」

 

 紫雲のその発言のどこかが、陽比谷の琴線に触れたのだろう。

 

「そうかそうか!自分から教えに来てくれるなんてね!どうやら僕の目も節穴じゃなかったみたいだ」

 

 声高に宣言すると、彼は面映そうに笑いだしてしまった。

 

 

 

 

 

 

 陽比谷と紫雲は、それぞれのグループの代表者であるかのように振舞っている。取り巻きたちも二人の結論を待つように、静かに睨み合う。

 

 状況がさっぱり理解できずにいた仄暗は、それでも唯一の知り合いである陽比谷たちの方へとじわじわ近づいていった。

 見えない壁を"不滅火炎(インシネレート)"で吹き飛ばして逃げ出そうか?

 そう考えたりもしたが、決闘集団である陽比谷たちに真っ向から挑む『新手の3名』もまた、危険な人物たちには違いがない。

 おおよそ、学園都市でも最も能力を使う喧嘩に慣れている奴らなのだ。しばらく様子を見よう。というか、説明してもらおう。そういう結論に至り、彼女は眞壁へとにじり寄る。

 眞壁は長点上機の二年生だ。一応の先輩である。

 

「仄暗」

 

 小さく抑えられた呼び声が、相手からやってきた。相手方も仄暗のことは気にかけてくれているらしい。

 

「仄暗、気をつけろ」

 

「もしかしてこれから――」

 

「そうだろうな。こうなる前に伝えとくべき事があったんだが、もう察してくれてるだろ?」

 

「……あの人たちと喧嘩してるんですか?」

 

「喧嘩というよりは……常盤台中学出身ならわかるだろうが……例えれば"派閥争い"ってカンジだな。学校を二分するレベルで大規模なヤツを想像してくれ」

 

「派閥って……それじゃあ、あの人たちも"先輩たち"のメンバーなんですか?」

 

 何も知らされぬまま、自分たちの都合に巻き込んでしまった仄暗を哀れに思ったのだろう。必死に食いついて疑問を呈してくる彼女を前に、眞壁は諦めた風に内情を語り始めた。

 

「ああ。でも敵対してる。いや、敵対は敵対だが、実はな……ウチの"前"団長が二週間くらい前に急に辞めちまったんだが、その団長が紫雲を後任に指名してな。で、俺らはそれが気に食わねえ、と抗議してるだけなんだが。現時点では俺らの実質的なリーダーであるはずの、あそこのマフラー女、紫雲に」

 

 仄暗の記憶に在りし『過去の陽比谷』は、まるで彼自身が"能力主義"の首領であるかとばかりに、私的に利用していたように思えてならなかった。彼女の引っかかりをその顔色からありありと察したのか、眞壁は今も紫雲と対立する陽比谷を庇うように、説明を加えていく。

 

「言っとくが、紫雲がトップに立つことに納得してない奴らは多かった。これは間違いじゃない。俺だって結構びっくりしたからな。団長が紫雲を指名したことには」

 

 そんなこと、自分には関係ない。そのセリフを飲み込んで、仄暗は別の疑問をひねり出す。

 

「紫雲さんって誰なんですか?」

 

「紫雲の事はウチに所属してる奴らじゃないとほとんど知らないか。陽比谷が発火能力のトップランカーなら、アイツは"冷却能力(クライオキネシス)"の……チャンピオン、かな。紫雲は知らなくても"絶対硬度(フローズンデッド)"の通り名は知らないか?」

 

「全く知りません。陽比谷君はわかりますが、そもそもどうして彼女が私のこと知ってるんですか?言ってましたよね?」

 

「マークされちまったんだよ。君は紫雲に対抗できる貴重な能力者だったみたいだな。紫雲の言い様から俺もそう察したところだ。陽比谷が執着してたのも今ならわかる。第一、君は同じ発火能力者だから信用できるしな」

 

「そんな?勝手じゃないですか……っ」

 

「文句は陽比谷に言ってほしい、が俺としては君に迷惑をかけちまって悪いと思ってる。せめてこっから君を逃がしたいと思ってはいるけどな……たぶん余裕はなくなる。紫雲たちは強い」

 

 仄暗の非難の目から逃れようと、眞壁はビルの屋上へ面を上げた。

 

「そもそもな、紫雲はたぶん、ウチで一番強い。アイツには言えねえが、たぶん次の"八人目"になるのは紫雲だろうって皆噂してる。そのくらい強い。前の団長が指名した理由も恐らくは……」

 

「陽比谷君なら"決闘"で白黒付けようとか言い出しそうですけど?」

 

「そりゃあ無理だ。明らかに紫雲が勝つ」

 

 その言葉で、仄暗はひとつの可能性にようやく思い当たったようだ。

 陽比谷、眞壁、岩倉の緊張感。その源泉たる可能性に。

 

 鷹啄は悩みに暮れた顔つきで、逃れるように通りの隅に立ち位置を移していた。そんな彼女の陰には、不安そうな印山が居た。鷹啄は鷹啄なりに、彼女をかばっているようだ。

 

 鷹啄にとっては既知の予想だったのだろう。

 陽比谷たちは、新たに現れた紫雲たちに勝てるのだろうか?

 となれば、その時に……。

 

「……あの……私も狙われるんですか?」

 

「すまん。ああ、これをかけといたほうがいい。申し訳ないが、自分の身は自分で守るって意識で居てくれ。たぶん、一戦やりあう」

 

 アーチェリーのケースが抜けてぽっかりと空いたバッグから、眞壁は新たにひとつ、サンバイザーを取り出し、放って寄こした。

 

 『すまん』の一言で片付けられた仄暗は、呆然とそれを受け取った。

 

「陽比谷が本気出し始めると、まあ、アレだ……ちょいと目には優しくないし、なにより眩しくてロクに見えなくなるぞ」

 

 バイザーは学園都市製の高価そうな一品だった。強い紫外線や発光から目を守れるそのツールの重要性が、仄暗には手に取るように理解できた。陽比谷の能力の特性を、良く知っていたからだ。

 

 なにせ――陽比谷天鼓は仄暗火澄と同じく長点上機学園の一年生であり、偶然にも同じレベルで、さらには同じ系統の発火能力者だった。

 だから、彼は彼女とほぼ同様の能力開発(カリキュラム)を受けているわけである――ほとんど毎日、一緒に。

 

 其れ故に知っていた。陽比谷天鼓の能力、"乖離能力"は、学園都市最高の発火能力と呼ばれるだけあって色々な呼び方が付けられている。その中の一つに、"電離能力(イオナイズ)"という呼称がある。

 その名が表すとおり、陽比谷の能力は物質を無理やり高電離気体(プラズマ)化させる力なのだ。

 "乖離"された物質はその瞬間から膨大な熱を持つ。プラズマの温度は、一気に数千度から数万、数十万、数百万、数千万度へと到達しうる。本気を出した陽比谷ならば、極小範囲であれば、あるいは数億度までも。

 

 だがしかし、高温になればなるほど、プラズマは強烈な紫外線や放射線をバラまき得る。

 そう。それこそが、陽比谷がまるで本気を出さない――正しくは、出せない理由、となるのだろう。恐らく、陽比谷は自分自身でもその限界を測りかねているはずだ。

 

 

 仄暗は手にとったバイザーを慌ただしく装着した。先程のヤワな花火程度の"乖離能力"でも立ちくらみしかける光量だったのだ。もう一度アレを食らいたくはなかった。バイザーさえつけれいば、紫外線や強すぎる光を遮光プレートが軽減してくれるはずだ。

 

 

 どうしよう。逃げるべきだろうか。脱走路を塞ぐ"空気の壁"は、あの3人の誰かが作っているのだろうか?同じ大能力(レベル4)の能力なら、自分の"不滅火炎"で穴を開けられないだろうか?

 

 しかし。いざそうやって逃げ出すとした時、自分に矛先が集中すれば、一体どうなることか。

 陽比谷たちが負けるとは、まだ決まっていない。そう思いたいが、嫌な予感がだんだんと存在を大きくしていきつつある。

 これが"場馴れしていない"ということなのだろうか。仄暗には判断がつけられなかった。

 

 だがそれでは。手をこまねいていても、時間は迫っている。

 それは、仄暗が不審さを曝け出してまで、陽比谷たちから短慮にも逃げ出した理由である。

 

 きっと、アイツは自分を探している。たった今この瞬間にも、彼は顔を出すかもしれない。

 Lv5に異常な執着を見せる"能力主義"の前に、知り合いの"超能力者"を鉢合わせるわけにはいかないと、思っていたのだ。

 

 

 

 

「陽比谷君、いい加減諦めて。だいたい誰が仕切るとか、音頭を取るとか、貴方は本当はそんなものに興味は無いはず。いつだって自由気ままに、誰かに迷惑をかけるだけ」

 

「おや、わかってもらえてたとは意外だったなぁ。そうだね。そこはほんとにどうでもいいね」

 

「はぁ?だったら先輩、どうしてこんなことしてるんですか?」

 

 ハンチング帽の少女が居てもたってもいられなかったからなのか、太った男の影から飛び出した。ビルの高さもものともせず、屋上のフチに立ち、陽比谷を見下ろしている。

 

 ところが少女の発言は陽比谷と、そして紫雲の両方から、無視をされることになる。

 紫雲は仲間の少女に構わずに、陽比谷に要求を突きつけた。

 

「あの"火災旋風"の燃える方(萌える方もいるらしい)、私の力に対抗できそうだもの。これ以上困らせるようなことしないでほしい」

 

 冷たい視線を向けられた少女は、ぶるりと震えていた。口ぶりに反して、仄暗を映し出す紫雲の瞳は何も反射してはいなかった。興味や関心といったものが、そこには存在しなかった。

 

「その言い方じゃどっちかわからないよ。ふふ、でもまあはっきりと言うもんだね。この場を切り抜けられたらなんとかなりそうだ」

 

 遠く離れたビルの真下でも、紫雲が肩を落とし、深く息をついた事は伝わっていた。乾ききったそのため息は、疲れを感じさせるものだった。

 

「彼女まで貴方達"火薬庫"に加わったら、他の中立のメンバーまで貴方たちを怖がるようになる」

 

「いいね。好都合だ。臆病者が誰なのかはっきりとわかる。色々と手間が省けて良い事づくめだ」

 

 ムッとした顔つきの、ハンチング帽の少女。彼女は耐え切れなかったのか、陽比谷へもう一度文句を告げる。

 

「たったそれだけで臆病者呼ばわりですか?陽比谷先輩がこんなにメンドくさい人だとは意外でした」

 

「はは。何も知らないひよっこの鳴き声は可愛いなぁ。でも僕は茜部ちゃんのその勇気を買うよ。どんな結果になろうとも君ならいつでも大歓迎だ。こっちにこない?」

 

 にっこりと微笑む陽比谷に、ハンチング帽の少女、茜部(あかなべ)は気味が悪そうに二の足を踏んだ。

 その時だ。茜部の隣で、バキリとアイスキャンディーを砕く爽快な音がした。表情を無くした大男が、不機嫌そうにもごもごと口を動かしている。陽比谷へと、蔑むような目つきを送っている。

 

 

「鷹啄さんがそっちに居るって事は、そういうこと?」

 

「うええっ!別にそのようなことはっ!あああ、あのこれは友人として休日にプライベートなっ」

 

「残念だが鷹啄さんはもう僕らの仲間だ!」

 

 あわあわともたつく鷹啄は顔を青くして、陽比谷と紫雲の顔を見比べている。結論は何処か、それはしばらく続く。

 

 

 

 すわ、鷹啄へのさらなる追求が行われるかという、その時に。話題がすげ替わる問題提起を発したのは、眞壁であった。

 

「つーか、壁だ!壁ッ!空気の壁だなおいッ!バレてんぞ山代ォ!オマエしか居ねえだろうがでてこいやオラァッ!」

 

 眞壁の怒声。陽比谷も楽しそうに、ニヤけた唇をさらに歪めさせている。

 

 

 屋上の3人は等しく同時に、振り向いた。地表からは見えないが、彼女たちの背後にはどうやら実際に誰かが隠れていたらしい。

 "冷蔵庫"の3名全員に出番を要求され、その人物は諦めたのか、3人から離れた屋上の一番端っこから1人、すごすごと顔をのぞかせた。

 

 ひょっこりと現れたのは、しなびた表情にチャラいロン毛がもはや哀愁を誘う、今にも泣き出しそうな中学生男子だった。

 

 

「オオオ!?テメーコラナァニ俺ら裏切ってんだテメー!『ボクは何があろうと中立です。でもどっちかっていうと先輩たちサイドです』とかホザいてただろがオアッ!?」

 

 急遽吠え始めた眞壁の威嚇に、山代(やましろ)少年はタジタジで、顔を真っ青に変えてしまった。

 

「しゃーねえッスよ!だったら先輩が紫雲さんに勝ってくださいよおおッ」

 

「てめー俺らが勝ったらどうなるかわかってんだろぁなっ!?」

 

「勝ってから言ってください!勝ってからぁっ!」

 

 狂乱する少年に突如助け舟を渡したのは、それまで熱心にアイスクリームを頬張っていた太った青年だった。

 

「山代ー、下がってていーぞー」

 

「ウ、ウッス!垂水先輩、マジ後でアイスおごらしてもらうんで!」

 

「んー」

 

 アイスクリームをめいいっぱい頬張りつつも、垂水(たるみ)と呼ばれた肥満青年はGOODサインを左手に、山代へアイコンタクトをしてみせた。

 

 親指を立て合う2人。眞壁の額に、リアルな青筋が走る。

 

「おい山代!山代ォ!いいのか?あ?いいのか、いいんだなァ?!またアフロにすっぞテメー!」

 

「あああああ!ああああああもうやめてくださいよ!もおおおおおやめてくださいってぇぇぇぇぇぇ!!それやったらマジで俺もッ――ひッ」

 

「はあ?!やったらどうなるってんだオマエあ?」

 

「冗談じゃないッスよおお!ここまで伸びるの大変だったんスから!まだウィッグなんスからねオレェッ!」

 

 茜部と垂水が『えっ!?』という風に、若干の驚きを山代少年へとみせている。

 

「テメェが腐ゲーの厨房みてえなロン毛してっから燃やしたくなんだろうが!」

 

「……ダメだ……やっぱダメだ……あの人らに好き勝手させっかよ……」

 

 

 怒りながら笑う、という器用な芸当を見せる学校の先輩を、仄暗はやむなく止めに入る。

 

「眞壁先輩、可哀想ですよ」

 

「山代は俺が目ェかけてた後輩だ。ここへ入れたのも俺なんだよ」

 

 荒い恫喝のセリフとは裏腹に、それほど山代の裏切りに腹を立ててはいないようだ。不機嫌さを顕にしているが、どうみても眞壁は心では楽しんでいるようである。

 

 

 

 

 皆が、山代の動向に意識を向けていた。仄暗はその瞬間を、またとない好機だと捉えていた。

 

 携帯をポケットから取り出し、こっそりと画面をのぞき見ようとして――。

 携帯が、壊れてしまった。ピシッ、と小さな音を立てたかと感じた瞬間。

 燃えるような痛みが、仄暗の手の平を襲った。

 

「あっつ!」

 

 携帯は仄暗のスニーカーに落ちて、音も立てずに地面に転がった。

 ヒリヒリとする手の内をさすりながら、彼女は心当たりを見上げた。

 透き通った視線が突き刺さる。紫雲が、こちらをしっかりと観察していたのだ。

 

「携帯はもう触るな。凍ってるぞ」

 

 いつのまにか気づいていたのか、眞壁が耳打ちするように注意を払った。

 

「仄暗。変な気を起こすなよ。キッカケになるかもしれないからな」

 

 

 

 

「山代!まだ間に合うぞ。今来いッ。今来たら許すから。さあほら?な?おーい」

 

 引っ込みかけた山代を押し戻したのは、今度は陽比谷が迫った最終確認だった。今の今まで、陽比谷も眞壁と山代の寸劇に笑いを零していたのだ。

 

 うすい笑みとともに、こちらへ来いと手を仰ぐ陽比谷を見て、山代少年は冷や汗を流し始めた。

 交互に紫雲と陽比谷の様子を窺い、迷宮からの脱出路を探るように、ゴクリと喉を鳴らし、迷う。

 

「鷹啄さんの話も山代の話もどうでもいい。時間の無駄。今日は決着を付けに来た」

 

 メンバー2人の行末にとことん興味の無さそうだった紫雲が、きっぱりと宣言した。

 "能力主義"の全員が口をつぐみ、静寂が生じた。

 仄暗にはわからなかったが、紫雲という少女は決して冗談を言うキャラクターではなかったのだ。

 

 山代少年はどちらがよりユーモアの通じない相手か、即座に判断したらしい。されど、若干の人情が、彼を再び中立の立場へと突き動かしたようだ。

 

「ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ」

 

 なんとも突飛な行動だった。とうとう吹っ切れてしまったのか。

 

 山代少年は突如、ビルの屋上から飛び降りた。

 

 仄暗は大きく目を見開いた。が、その瞬間。

 

「う、ううう、ああーっと!よぉぉしこっからこっちは中立派の陣地デース!」

 

 何もない空中を、少年は走りだした。まるで透明の見えない板を掛け渡したかのように、空を力強く駆けて、数メートル離れた隣のビルの屋上へとたどり着いたのだ。

 

 "空中楼閣(エアキャッスル)"。空力使いのLv4たる山代の能力は、空気を圧縮して自由自在に足場を作る。器用にも、彼は力を振り絞れれば十数メートル四方の"空気でできた要塞"を宙に建設してみせる。

 

 ビルに乗り移った山代は、次は身振り手振りで、自分のいる屋上エリアを手で囲む仕草を繰り返した。なにやら若干意味不明だが、彼の言葉通りならばそのエリアに立つ者は中立派であり、要するに両陣営ともに自分に手を出すな、と言いたいのであろう。

 

「中立派!鷹啄せんぱーいッ、こっちですよーッ!」

 

 山代は全身全霊に、全力で仲間を呼んでいる。悲痛な真顔で、鷹啄を呼んでいる。

 

 皆の視線は今一度、隅っこの鷹啄へと舞い戻る。

 そこでは。

 困り顔の鷹啄が、山代と合流したそうにモゾモゾと動いていた。

 

 

「残念だが!鷹啄さんは味方だ――――よね?」

 

 陽比谷に見つめられ、鷹啄はうっ、とうろたえた。だが、しかし。

 

 パッ、と。一瞬で彼女の姿は消失した。ついでに印山もだった。

 次の瞬間、彼女たちは山代の真横に現れた。

 

「って……鷹啄さん!?鷹啄さあああん!あれ、なんで?」

 

「ごめーん陽比谷くん!わたし、ワタシ中立派だけど陽比谷くんのこと応援してるよーっ!」

 

「た、鷹啄さん、私ッ!私は?!私も連れてって!?」

 

 仄暗と目が合うと、ぶんぶんと首を横に振った鷹啄。そんなことをしでかしたら中立派でいられなくなる、と表情で語っていた。

 

「裏切り者……」

 

 と言いつつも、岩倉はどこか嬉しそうに陽比谷の傍に立っていた。それを見ないふりをして、陽比谷が叫ぶ。鷹啄まで裏切り、すこし焦っているらしい。

 

「鷹啄さんも山代もこっち来なって!今なら許してあげるとも!紫雲は冗談通じないぞ!?」

 

「陽比谷さんだって紫雲さんにビビってるじゃないッスかッ!オレをまきこまないでくだざいよもおッ!」

 

 陽比谷は混じりけのない怒りをほんの少し顕に、叫び返す。図星をつかれたのかは本人にしかわからない。

 

「あ゛あ゛ん山代!いいのかコウモリはどこいっても嫌われるぞ!」

 

「オレらコウモリではなく風見鶏デース!」

 

「はぁ?!」

 

「あああーっとぉそういえば先輩たち一戦交えると言うならばじきに警備員がやってきますよねだったらオレ道塞いどきますよーぬりかべでーすぬりかべぬりかべー、ごゆっくり!」

 

 ゴミを見るような目で印山が山代を睨んでいたが、鷹啄に肩をつかまれ引きずられていった。そうして、中立派3人はビルの裏側へと姿を隠してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふぅぅ、と陽比谷が息をつく。誰もが口を噤む。その場に静寂が蘇った。かと思いきや、垂水が新たなアイスクリームの封を切る、バリッという音がして、やや締まらなかった。

 

「見て分からない?中立派の子たちは貴方たち"火薬庫"を怖がってる」

 

「いやその件に関しちゃどっちもどっちだと言わせてもらう」

 

「さて。もういいでしょう。そっちの時間稼ぎも弾切れのようだし。岩倉さんの視力も、いくらなんでも回復しているはず」

 

 紫雲の掛け声に、"冷蔵庫"の2人は覚悟を決めたようにもう一歩、躍り出る。垂水も間が空いたが、アイスを捨てた。

 

 陽比谷は唐突に振り向くと、仄暗に口パクだけでこういった。

 

(仄暗さん、警備員(アンチスキル)に連絡してくれてるよね?)

 

(え?いや……ええ?!呼んでないよッ?)

 

 今度は、仄暗が盛大に首を横に振っている。え?戦らないのか?と眞壁が陽比谷をアイコンタクトを取ると、もちろんやるとも、と陽比谷はやや元気を失って反応を返した。

 

「それが貴方の流儀、なんでしょう?」

 

 陽比谷は決闘をからかわれたせいなのか。そこで初めて、紫雲に対して、明確な敵意の感情を吐き出した。

 

「正しくは"僕らの流儀"、だ。アンタのそんな態度を見るたびに嫌気が刺す」

 

 

「さっきからチョーシばっかくれてんじゃねーぞ陽比谷ァ!」

 

 腹に据えかねたのか、垂水はついに怒声をあげた。ただしそれは、バキバキ、という轟音の響きでぶつ切りにされていた。そして轟音と同時に、"冷蔵庫"3名の立つビルがミシミシと揺れ始める。振動は垂水の怒りに対応しているように見えてならなかった。

 

「火達磨になる前に失せろよデブだるま」

 

 一方、陽比谷の反応は冷徹そのものだった。

 

「マァージで。調子に乗るなよ陽比谷よお。まともな口の聞き方ができるようになるまで夏風邪の刑に決定だ、一年。てえか、なんだそのピチピチスーツはよ?レーシングスーツか?見ない間にお笑い芸人に鞍替えか?いぃじゃんいいじゃん!オマエなら売れるって!くひはっ!」

 

 指摘されたスーツを自ら眺め、パチリと目を瞬かせた。着用している本人はその奇抜さを忘れてしまうということだろう。

 

 陽比谷は振り向き、2人の"火薬庫"メンバーに目配せをした。眞壁と岩倉は辛そうに互いを見比べて。ややして諦めたように、顔を俯かせた。

 

 その途端だった。

 

 二人の服が、勢いよく燃えていく。

 それは、二人のパイロキネシストによってなされたものだ。

 岩倉火苗。能力、"熔岩噴流(ラーヴァフロー)"。物質をあっという間にドロドロに加熱させる能力だ。

 一方の、眞壁護煕。能力名は"摩擦炎上(フリックファイア)"。摩擦熱を掌握し、動いている物体ならば、瞬時に猛火で包み込む。別名、人体発火(ウィッカーマン)、炎上物体(メテオロイド)。

 

 衣服はとうとう、焼け落ちた。その下からは、陽比谷とお揃いの耐火スーツ姿が現れた。

 

「ぶはははははっ!わかった、お笑いトリオか!?」

 

 

「笑ってるとこ悪いが、このスーツ、性能は最高だって言わせてもらおう」

「オマエはアイス食わなくなった途端ペラペラ喋り出してウッゼェんだよ。いいからアイス食ってろよピザッ」

「汚らわしい目でこちらを見ないで貰えますか?」

 

 三者三様の言い様に、垂水は蔑んだ笑みを浴びせかけたまま。

 そんな彼の態度を諌めるように、紫雲が横から口をだす。

 

「たしかに笑ってる場合じゃない。相手も思ってたより油断してない。たぶんあのスーツじゃあ濡れないし、凍らない。それに、彼らも自分自身を火傷させずに思う存分能力を使えるようになる。武器も用意してきてる。垂水、本気だせる?」

 

 岩倉が手に持ったアーチェリーを、正確には握られた矢――爆薬を固めて作られたものだ――を、紫雲はしっかりと観察していたらしい。

 

「……わぁーってますよ、もちろん」

 

 紫雲の喝で、垂水は真顔に戻る。

 

「茜部。垂水のフォローに徹して。私のことは心配ない」

 

「はい」

 

 

 いよいよ喧嘩が始まるようだ。仄暗は壊れた携帯を悔しそうに眺め、先ほどの鷹啄のように通りの隅に陣取る他なかった。

 

「今更だけど、ずっと疑問だったことがある。始める前に聞いておく。高一で私より弱い貴方には任せてられない。だから前団長は私を指名した。そういう事じゃなかったの?それに逆らうというのなら、こそこそやってないで真っ直ぐ私の所へ来るといい。"能力主義(ココ)"は強さこそ全て、なんでしょう?貴方の言い分だと」

 

「美邦さんがアンタなんかを指名したのは僕へのメッセージだったんだと思ってる。美邦さんが残した宿題なんだよ。早くアンタをブッ倒せ、っていうね」

 

 紫雲や垂水が文句を言いたそうに口を動かそうとしていたが、その前に陽比谷が畳み掛けた。

 

「だが。新団長にも少しは時間をくれてやらなくちゃあならないと思ったのさ。で、二週間ほどたった今、改めて言うけど。やっぱアンタじゃダメだ。今の"能力主義"は見てらんないんだよ。僕が」

 

「可哀想。貴方、その若さで懐古厨ってやつ?」

 

「かもね。今じゃあ僕が一番の古参だし。でもすくなくとも、僕がここに入った4年前は。今みたいにダベリ場を提供するだけで、ステータスを誇るだけの"無意味な同好会"じゃあなかった」

 

「それは私だけの責任にはならない。組織は人が変える。組織が人を変える訳じゃない。少なくともココはそうだった」

 

「まあ、否定はしないよ。だが、ちょっと卑怯じゃないか紫雲?もちろん僕も詳しくは知らないが、アンタ"暗部"とかいうのにウチのメンツを関わらせてるって話じゃあないか?」

 

「……へえ。何それ。誰に聞いたの?」

 

「因縁つけてんじゃねーぞ陽比谷!テメェーこそ統括理事会の――」

 

「オマエは黙ってろや水風船!テメエこそあまつさえ"無能力者狩り"なんてやらかしてる首謀者だろうが!よくもウチの名前に泥を塗ってくれやがったな!」

 

 激情をそれとわかる形で初めて表に出した陽比谷は、犬歯を剥き出し、吠えた。

 それは、非常に珍しいことだった。それこそ、今まで見たこともなかった彼の表情に茜部はぐっと拳を握り締め、恐怖を押さえ込んでいる。ほとんど発言していない茜部だったが、彼女は中学3年生であり、敵対する"火薬庫"のメンバーは全員が年上であった。ゆえに、なかなか会話に割り込むことができなかったのだ。

 

「アンタらさえ排除できれば僕の敵はいないだろ?紫雲。あとは好き放題さ」

 

 陽比谷が言い終わるや否や、その時。

 バキバキバキ、ミシリ、と。ビルが激しく音を鳴らし、振動した。

 

 野太い水道管が、破裂でもしたのか。金属の管が軋む爆音も聞こえてきた。

 次の瞬間。

 "冷凍庫"たちの足元、ビルの側面はヒビ割れて、漏水が所狭しと吹きだしてきた。

 そして――。

 間欠泉のように吹き出た水は寄り集まって、巨大な水塊となった。

 誰もが口を揃えて言うだろう。どう見ても、大能力級の――水流操作(ハイドロハンド)だと――。

 しかし、事はそれだけでは済まなかった。吹き出る漏水の合流はとどまるところを知らず、水塊はいつまでもいつまでも、際限なく膨張しつつある。

 

「垂水。食べ物は粗末にできないからね。アンタが火達磨になる前にアイスだけはあずかっといてやろうか?いつも疑問だったんだけど、アンタいくつ持ち歩いてんです?」

 

「おい陽比谷。年上にマジでいい度胸してんよオマエ死ぬぞ?死ぬか?あ?死ね」

 

「俺はどうすんだよメタボ」

 

「うるせぇーよマッチ坊(笑)」

 

 

 摩擦熱を操る眞壁は、とりわけマッチ棒という渾名を嫌っていた。垂水の言葉にキレた眞壁は、背中に隠し持っていた、手裏剣のようなナイフ――アフリカンナイフという凶悪な形をした刃物――を、おおきく振りかぶった。

 

 岩倉は弓を引き絞る。

 

 投擲されたナイフは、空中で火花を散らし、瞬く間に――業火に包まれた。

 強烈な火炎の渦となったナイフは目にも止まらぬ早さで垂水へと向かい――。

 それは、岩倉の矢と同じ材質でできていた。爆薬に点火できる温度へと、眞壁が能力を調節したその瞬間。

 

 ナイフは垂水のすぐ目の前で、爆発を引き起こした。

 

 

 

 




めちゃくちゃ投稿が遅れてしまいました……

生存のご心配すらさせてしまったみたいで、自省する思い出です。


か、感想は明日までに絶対返信させていただきます。長らくお待たせしてしまいました。本当にすみませんorz。

ちと雨月っちゃんの出番少なかったんですが、次、みっちりきます。
3人娘もきます。



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episode28:同調能力(シンクロニシティ)①

 

 

 

 

 炎の手裏剣は、炸裂音とともに黒煙を生み出した。あっという間に広がった煙は、薄いカーテンのように、"冷凍庫"メンバーの姿を撫でる様にさえぎった。

 

 

 しかしそれも、ほんの一瞬の出来事だった。煙幕は霞のように掻き消えていく。

 

 

 

 遥か頭上のビルに立つ3人は、元居た場所から一歩たりとも動いていなかった。何事もなかったかのように、皆が皆、"涼しい表情"で、平然とした態度そのものだ。

 

 至近距離で爆風を受けたはずの垂水(たるみ)は、不可解なことに全くの無傷だった。それどころか、熱に晒されたはずの彼らの衣服には焦げ跡ひとつ見当たらなかった。

 

 眞壁のあの不躾な一撃は、直撃すれば疑いなく病院送りになる代物だったはずだ。だが、彼女たち――"冷凍庫"メンバーにとっては、いちいち腹を立てる必要も無い瑣末事であったらしい。その男のニヤニヤとしたふてぶてしい薄ら笑いが、なお一層その事実を際立たせている。

 

 

 

 

 爆発が、思わぬ引き金になったようだ。

 

 前触れもなく訪れた、静けさ。いかんとも形容しがたい奇妙な停滞が空間一帯に縛り付き、まるで凍り付いたように誰も動かなくなった。

 

 眞壁の後に続く者はいなかった。新たな動きを見せるものは、いない。

 

 

 

 

 爆発の余波。その影響を受けなかったのは、先ほど垂水がビルの水道管から喚び出した水流だけである。その水の塊だけが、相も変わらずぷかぷかとその場の人間たちの視線を独り占めにしているようである。

 

 静けさに気後れする仄暗の視界にも、端的に"水の球"と形容するしかないような、巨大な水塊が浮かんでいる。ゆらゆらと波を掻き立てながら、宙に浮かぶ"水の塊"は順調に、丸みを帯びていく。

 

 ゆっくりと。ただひたすらにゆっくりと、巨大な水塊は大きさを増していく。水と水がぶつかると、波音が跳ねた。ちゃぷちゃぷとやさしい水音が、仄暗にはひどく場違いに聞こえていた。

 

 

 彼女は横目に、岩倉を眺めた。ギリギリとアーチェリーが引き絞られる音に誘われたのだ。弦は緊張が保たれたまま、矢尻は慎重に狙いを付けられている。

 

 常盤台中学では散々争った"一応の友人"は、高所に陣取った闖入者たちへまっすぐと視線を注いでいる。3年間の中学生活でついぞ見かけたことのない、狂おしいほどの集中と怯えが入り混じった顔つきだった。

 

 

 

 

 

 何故、誰も口を開かないのか。身じろぎ一つする者も居らず。仄暗は居心地の悪さに、ゴクリと息を飲みこんだ。

 

 眞壁の発言の意味が身に染みて蘇った。彼の言うとおりだ。そうだ。今こそ。今ここに。"キッカケ"とやらがあれば――――この沈黙は――――――。

 

 

 

 発火能力者たちと冷却能力者たちが、ただ立ち尽くし、ただ単に睨み合う。

 それはまるで喧騒と喧騒の合間を縫う、空白のような時間だった。

 

 

 改めて思えば、短いひと時だった。やがて。

 停止した時間を打ち壊す"異変"が、誰の目にも明らかに現れた。

 

 

 

 

 

 とうとう、ビルの中程の高さでゆらゆらと蠢いていた"水球"が、その肥大化を終えた。4, 5メートルほどに膨れ上がった水の大質量が、できあがっていた。

 

 それが、唐突に収縮した。ぐしゃぐしゃに押しつぶされた球体の、その挙動は――――既視感があった。潰れた水の球は今にも爆ぜようとする爆弾のように、ひどく不安定な状態に思えてならなくて――。

 

 

 

 

 何かが爆ぜた瞬間だけは、目に映った気がした。仄暗には目撃できなかった。

 

 "水塊"が軋むその刹那。より僅かに早く、"烈光"が空間を埋め尽くしていたからだ。

 その横槍は、まさしく"熾烈"と表現するほかない"まぶしさ"だった。

 そこから先は、まるで太陽が二つに増えたのか、と。思わずそのような文句がこぼれそうなほど、異様な明るさが周囲を包んだのだ。

 

 

 

 

 

――――嗚呼ああああああああああああああああああああッ!!

 

 

 

 

 うっすらと聞こえた何者かの雄叫びは、性別すら判別がつかない。少年の声色だと直感があったが、それも気のせいだと思えてしまうほどに――――わけのわからない、様々な種類の轟音が、仄暗の耳朶を埋め尽くす。

 

 だから全ては、鼓膜だけで判断した、当てずっぽうの推測だ――――。

 

 

 

 正体不明の叫びをかき消す、鋭利な噴出音。どこか遠くで火薬が一息に燃焼し、どこまでも果てなく伸びていく。

 かと思えば、前触れ無くあちこちから急沸する、無数の、蒸気の爆発。

 物体と物体が軋み、歪み、破裂する、衝突の悲鳴。

 

 

 

 

 音だけで判断せざるを得なかった。ジェット機で白雲に突っ込んだ時のように、突如現れた大量のスチーム(白い濃霧)があたり一面を覆い隠したのだ。

 

 仄暗は蒸れた風に押されて圧力を受けた。水蒸気爆発で生じた横風だろう。

 

 爆風に酩酊した少女は、白い蒸気で視界を失っていたせいで、そのまま一歩たじろいだ。

 途端に足首に、何かを引っ掛けられたような衝撃が襲った。

 

「わぁ!?」

 

 闇雲に踏み出した足のバランスを崩して、思わぬ悲鳴があがる。

 足首に絡み、まとわりつく重み。その感触は極めて独特で、すぐに理解できた。

 

(水!?)

 

 浜辺の浅瀬を歩いた時を思い出させる、特徴的な水の抵抗がある。そう気が付くと同時に、真冬の冷たさがスニーカーに浸水しはじめた。

 

「痛ッ!!」

 

 よろけた体を支えようと水面に手を付こうとした彼女は、続けざまに呻き声を漏らす。原因は、皮膚を突き刺す刺激的な痛みだった。

 

「なにこれ……」

 

 手に触れる、硬い感触。

 目撃した有りのままの光景を、俄かには信じられない。七月の真夏日の真昼間なのだ。それも、この場所は繁華街のど真ん中である。

 

 しかし。水の流れを感じた、その次の瞬間には――――液面が遠く彼方まで凍りついていた。見渡す限り、足元の路面には、うっすらと氷が張り付いている。氷に乗せた手の平の痛みは、冷気で熱を帯びていく。

 

 

 歩けない。足が動かない。

 すぐさまスケートリンクとして機能しそうな規模の路面凍結(アイスバーン)が、仄暗の足首を巻き込み、その場に釘付けている!

 

 垂水の罠だったのだ。ほんの数秒前、意識はまんまと、謎の水球に釘づけにされていた。あの場の全員の視線をうまく逸らして、足元から自由を奪おうとしたのだろう。地面から這うように染み込ませた水面を、火薬庫メンバーの動きを阻害せしめんと凍結させたのだ。

 

 

 

「眞壁さんをフォローっ!」

「やってます!」

「まず茜部だなッ!?」

 

「もちろん茜部ちゃんっ!紫雲にッ、気をつけろォッ!」

「ッやべえっ!垂水!」

 

 

 濃霧の合間から、"火薬庫"メンバーの会話が漏れ聞こえる。だが、その内容は仄暗の意識には届かない。同じく濃霧の合間から覗けた別の光景が、続けざまに彼女の意識をゆさぶっていたのだ。

 

 

 激しく、猛々しい水流がうみ出す、"生きた"水の飛沫(しぶき)。すぐそばで轟々と瀧が流れているとしか思えない。瀑布か、濁流か。水が物体を飲み込む野太い声が聞こえる、仄暗の視線の先には。

 

 

 二階建ての建物と憂に背丈を並べる、馬鹿げた大きさの"氷の巨人"が。

 氷柱にまみれた拳を、振りかぶっている。

 

 

 浪打だった水質の肌の、荒々しい泡立ち。うっすらと白く濁り凍りついた装甲。水の巨兵とも言うべき、見上げるほどの巨体。

 その巨体が、人間らしさをまるまる体現した軽快な動きで、陽比谷たちへ腕を振り下ろそうとしていたのだ。

 

 

 垂水洲汪(たるみすおう)の能力は純粋な"水流操作(ハイドロハンド)"であった。だが、他の能力者とは一線を画したその能力の雄大さからか、彼の作り出す巨人には通り名があった。

 "水氷巨像(コロッサス)"。名前のとおり、全長7mを超える人型の水塊。

 もうすこし詳細に形状を説明するなら、それは人型というより、巨大なてるてる坊主だった。そう説明したほうがより真実に近い。2本の腕が生えた水氷のてるてる坊主が、大地からニョキリと存在を訴えている。

 

 

 仄暗の思考は、巨体のひとつひとつの動作に食いつかざるをえなかった。

 つまりは、その8tを超える大質量が肩をいからせ、拳を握り、振り上げ――その氷塊の鉄槌を今にも振り下ろさんとしている状況だったのだ。

 

 

 

 

 きゅぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーん、と。矢がアーチェリーから放たれていた。

 火矢はロケットランチャーの弾頭のように直線軌道を描くと、そのまま氷の巨人の方へ向かっていく。先ほどの噴出音の正体はこれか、と仄暗は察した。

 

「ショラアアッ!!!」

 

 眞壁も荒々しく、ベルトから凶悪なナイフを抜き取り、投げ放つ。

 

 

 

 想像した炸裂に、水の弾ける音は含まれていなかった。火矢は見当はずれのビルにあたって、無残に燃え上がる。

 狙いが外れていた。ほのかに、巨人の"姿"が揺らめいている。仄暗もバイザー越し目を凝らしていたため、その揺らめきにまともに騙されていようだ。

 巨人の姿は陽炎のようにブレている。あれでは的を絞れない。

 

 

 一方、回転する炎の円盤と化したそれは、岩倉が狙ったであろう場所へ運良く命中した。氷の巨人の肩に刺さったのだ。

 

 火薬でできたナイフは、猛烈な熱量を水塊にプレゼントしてみせたのだろう。ジュワジュワと水分が弾けて、濃い霧が吹き出す。まとまった水量が蒸気となり、巨人の腕は肩の付け根から剥がれ落ちた。

 

 直後。腕パーツの内部から、水中を透してあざやかな紫電(ライラック)が明滅した。

 

 コンマ数秒で爆散した水分は、冷えた空気で白濁していく。蒸気が泡立つ音は、想像以上に空気を振動させている。

 氷塊の巨腕は湯気と立ち消え、跡形もなくなった。

 

――陽比谷ナイス!

 

 眞壁がそう口にした。激しい雑音のせいか、誰もそのセリフを明瞭に聞き取ることはできなかったようだが。

 

 

 

 

 

 一連の光景を目撃した仄暗には、巨人の姿が揺らめいている理由に直感で思い至るものがあった。

 ちらりと除き見ただけだが、あの空気の揺らぎは見慣れたものでもあったのだ。自分だって熱を扱う能力者の端くれだ。その現象が何なのか見当がつく。

 あれはおそらく、蜃気楼だ。

 巨人の周辺の空気密度が、誰かに操作されていたに違いない。となれば、きっと茜部という少女の能力は――。

 

 

 仄暗の予想は的中していた。"幻氷地帯(アイスミラージュ)"。大能力(レベル4)の冷却能力である茜部晶(あかなべあきら)の能力は、そう呼ばれている。巨人の姿に細工を加えていたのは、彼女だ。

 

 

 

 

 

「もう一発ッ!ラストッ!」

 

 陽比谷の掛け声が、間欠泉のような噴射音と重なった。

 ケバケバしいライラックの光が、巨人の脚部に相当する部分でピカリと煌めいた。

 彼の能力が、再び"水氷巨像"の内部で発動したのだ。

 水が、醜く膨れあがっていく。巨人の内側に生じた大きな"あぶく"は、数秒と耐え切れずに決壊した。

 この一瞬で何度耳にしたか数え切れない、水蒸気の大爆発だ。

 

 

 

 ずしん!!と大地が揺れた。蒸気の膨張圧で、巨人が前のめりに吹っ飛んだのだ。

 

『蛍光灯野郎がぁッ』

 

 胸にズシンとくる低音が、垂水の意思を代弁して響き渡った。地に伏した巨像の肌は激しく波打ち、震えている。水がスピーカーの役割を果たしているようだ。

 

 

 

 

 "水氷巨像"はうつ伏せに倒れたために、その背中側が露わになっていた。巨人の肌にはトゲトゲしい氷柱が一面にびっしりと生え揃っていたのだが。

 濃紺のハンチング帽が、そのトゲとトゲの合間からピョコリと顔を覗かせている。

 

 

 帽子の持ち主である茜部は、巨人の背中に張り付いていたのだ。

 

「ちょッ。うあっ!」

 

 きゅぅーん、とすかさず炎の矢が彼女の真横を掠めていった。茜部が肝を冷やして頭を下げると、更にその上を炎の回転が通りすぎる。火花が彼女の目の前まで降り注ぎ、熱風がそよいだ。

 

「やっばい!」

 

 

 

 

 

 

「ゆらゆらとウゼえッ!さっさと茜部やるぞッ」

「同感ですっ!」

 

 "幻氷地帯"が生み出す幻影は、眞壁と岩倉にとっては予想以上に厄介に感じるものだったらしい。追撃を外した2人は声を荒らげて、続けざまに茜部を狙う。

 

 そうして攻撃の手は絶やさずに、眞壁は本命の敵の状態を問いただした。

 

「陽比谷、紫雲は!?」

 

「持って2分、がギリギリですッ。早くカタつけて、頼みます!っあああ、やっぱ2分持たない、1分もたない可能性もアリ、っくおおおおおああああああああああああああああああっ!!」

 

 

 

 なるほど、これが"明るさ"の正体だったのか。仄暗は陽比谷の視線の先を盗み見て、納得した。

 長大な光の柱が、上昇気流のように空へ立ち上っている。

 その炎でできた筒の真ん中には、宙に浮かぶ巨大な繭の如き物体が鎮座していて。

 その物体は、湧き上がる上昇気流に必死に対抗しているようにも見えた。

 

 繭は噴射される熱で、太陽と見間違わんばかりに輝きをはなっている。ビルの側面付近で煌々と流星のように空気を焦がしながらだ。

 

 彼は何をしているのだろう。あの光と炎でできた柱で、一体何を?

 陽比谷が全霊で能力を行使していることは、彼の顔中にくっきりと浮かぶ血管から容易に想像がつく。

 

 紫雲と呼ばれた少女を探すも、どこにもその姿は無い。

 もしかして、あの繭の中に?あの彗星のような火炎の中に?だが、そうとしか考えられない。

 

 

 

 なんだか嫌な予感がする。仄暗はとにかく何か行動にでなければいけないと、衝動的に能力を発動させた。

 足元の氷を、"不滅火焔"で炙る。盛大に水がはじけて、熱水と化した水滴が素足を撫でる。

 徐々に、氷は水になっていく。

 

 忌々しい熱さを乗り越えて、仄暗は水たまりから両足を引き抜いた。

 勢いよく飛び出して、彼女はその瞬間、盛大に転倒した。

 そういえば、足場はどこも完全に凍っていた。なんの変哲もないこのスニーカーでは、まともに歩けそうにない!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 茜部は、必死になって路面を凍結させていた。にもかかわらず。

 凍らせているはずなのになぜかすぐに溶け出してしまう氷の上を、"火薬庫"メンバーたちは"都合よく履いていたスパイクシューズ"で颯爽と移動してのけている。

 

「垂水さんアタシが狙われてる!早く早くッ早くッ」

 

 居場所がバレた茜部は慌ただしく口を動かしつつも、能力をさらに強く発動させた。

 ビシリと、一瞬にして火薬庫メンバーたちの足元の、溶けた水分が氷になった。だが。

 

 またすぐに、氷はふやけてもどる。何故だ?茜部はその原因の解明に躍起になって。

 地面が熱く熱く、発熱していることに気がついた。

 岩倉火苗の"過熱能力"か。

 

 

『先に眞壁だっ、眞壁を殺るぞッ』

 

「岩倉さんヤらないとちょこまか逃げられるッ!」

 

『いいや真壁だっ!あいつから――オマエッ、マズッ、水かぶれ!』

 

 とっさに水氷巨像の体の一部が溶けて、茜部の身体をまるごと包み込んだ、その時。

 ばしゅうううっ!と、彼女の肉体で盛り上がった液層から、蒸気の泡がゴボゴボと立ち昇った。

 

「あっつ!あっつぅ!熱、熱、熱ぅぅぅっぁぁ!」

 

 突如、熱湯と化した水中で、茜部は茹だてられる。中にいた人間は、暴れまわらずにはいられなかった。

 

『眞壁とヤる時は気ぃ抜くなって言っただろぉが!常に身体を冷やせっ!炙られたら口から空気全部抜けんぞ!』

 

 

 眞壁は摩擦熱を操る能力を持つ。垂水が機転を利かせて水を被せたが、彼が助けていなければ、茜部はその瞬間に火達磨になっていたことだろう。

 

 人体が火傷する間もなく、ごく刹那的な極小の時間のみ、体表を炎で包む。それが眞壁の十八番だった。炎はその一瞬で口内から酸素を抜き去り、対象者の意識だけを奪い取る。

 

 眞壁の通り名"人体発火(ウィッカーマン)"は、彼のこの得意技から広まったものだ。

 

 

「信じらんない!中学生女子相手にマジかよッ……おらあああああっ!!」

 

 手加減抜きだ。芯まで凍えろ。

 怒りのままに、茜部は全力で空間を冷却させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「うおっ寒、さぶッ!」

 

 真壁の身体から3度、火花が激しく飛び散った。強引に暖をとった彼は、飛来してきた氷の砲丸を、身をひねって避ける。

 

「うあ、あぶねっ」

 

 直進する砲丸の先には、紫雲に心血を注ぐ陽比谷の姿があった。彼は言葉を発する余裕も無い様子で、迫り来る一撃に流し目を送るだけだった。とっさに逃げようとしたようだが、足元が一瞬にして凍りついて、彼は動けなかった。

 

 ジュワアアアア、と砲弾はすぐさま、火炎につつまれる。真壁が慌てて、砲弾を蒸発せしめんと能力を使ったのだ。

 

 しかし、圧倒的に時間が足りなかった。

 

 直撃するかと思えた、その時。陽比谷の目の前から突如、アスファルトの壁がせり上がり、砲弾の衝突を横合いから防いだ。

 

「陽比谷君、集中していてください!」

 

 岩倉は片膝をつき、地面に手を添えていた。

 地下で胎動していた彼女の能力が、窮地を救ったのだ。そそりたった赤熱の壁は氷の砲弾とぶつかって、ジュワジュワと勢いよく湯気を出している。

 

『うおおおおおいナァニ道路ぶっ壊してんだ岩倉ァ!』

 

「貴方がおっしゃいますか!?」

 

 続けざまに、ボコボコと数本のアスファルトの円柱が、"水氷巨像"を貫くように大地からそそり立った。巨像は岩石のアッパーカットを幾重にも見舞われ、空にはねあがる。

 追撃が、巨像を襲う。醜悪に空洞が開いた路面の穴底には、ブクブクと泡を立てる溶岩が粘り立つ。その常軌を逸した温度の液体が、盛大に穴から飛び出した。

 溶岩は巨人の皮膚と混合すると、盛大に蒸気を奪い取り、冷えて固まった。

 体積を削り取られていく水氷巨像は、ふたまわり以上も身体が小さくなっている。

 

 陽比谷の"乖離能力(ダイバージェンス)"も、溶岩を生み出す岩倉の"溶岩噴流(ラーヴァフロー)"も、人間が相手では、やすやすと力をふるまうことはできない。

 だが、このように――水の大質量が相手であれば、手加減など無用だった。

 

 

 

 

 

 

 

 陽比谷はメンバー同士の闘いを目の端でとらえつつ、次の一手を模索していた。

 彼は精一杯、紫雲が中に詰まっている"氷の繭"を、得意のプラズマウォールで空へ押し上げている最中だった。猛烈な火柱の上昇気流で、とっくに氷の繭は大空へ打ち上げられているはずだった。しかし……。

 

 氷の繭からは、薄く、透明な雪の結晶のような"イバラの蔓"が伸び出していた。それは生き物のように蔦をくねらせ、ビルの横壁へとたどり着く。そして、しっかりと氷の根を張っていくのだ。

 

 何本も何本も飛び出した茨の蔓は、繭ごと紫雲を地面へと引っ張っていく。ほどなく彼女は地上にたどり着く。

 奇跡的に隙を付き、彼女を氷のカプセルへ閉じ込める事には成功していたが。このままでは時期に、"防御不能"の反撃が繰り出されるようになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『息をとめろ!』

 

 垂水の言葉に従って息を吸い込んだ瞬間に、茜部は水氷の巨人の内側に引きずり込まれた。その刹那。世界が色鮮やかに、オレンジ色の光に染まる。

 

「茹でダコにしてやるぁああああ!!」

 

 真壁は血管を浮き上がらせ、"摩擦炎上(フリックファイア)"に全霊を傾けた。

 水の巨人は言葉の通りに、火達磨と成り果てた。

 

『冷やせ茜部!冷やせ!!』

 

「もが、もぐもが」

 

 沸騰していた巨人の皮膚が、次第に穏やかになっていく。しかし、水温がぬるま湯程度まで変化したその時点で、温度低下は終わりを告げた。

 

『どうせすぐに紫雲が来る!遊んでやろぉぜ!』

 

「むぐーっ!」

 

 赤熱の石柱が次々と、絶え間なく地面から猛スピードで突き出ると、巨人の胸板めがけてぬかるんでいった。地獄の温泉巡りに終りが見えない茜部が、青ざめた。その時。

 

 

 

「岩倉!マンホールに近づくな!」

 

 マンホールの蓋が暴発し、暗闇から濁流が溢れ出た。意志を持つ大蛇となった水のうねりが、岩倉を飲み込もうとしていたが。

 

 危機一髪。岩倉が足をつけていた地盤が噴火し、彼女は空高く跳躍した。そのまま、ちょうど近くにあった街灯を両手で掴む。

 

 

 しかし。一連の隙を突いて。

 

「ぐ、ぎっ!」

 

 上半身だけになっていた"水氷巨像"が、眞壁に巨腕をふるっていた。カチカチに冷え固まった氷の拳が胴体に突き刺ささると、対象者が浮き上がって。

 

 青年はビルとビルの合間の路地へと吹き飛ばされていく。ところが、路地の横壁に激突する寸前に、彼のスーツはボンレスハムのように膨らみはじめていた。

 

「がっ、ああッ、クッソ痛えぇッ!」

 

 壁に打ち付けられた当人は、むくりと何事もなかったかのように起き上がった。腹部を押さえている彼の様子からは、むしろインパクトした氷の拳の方が痛みの原因なのだと察せられた。

 

「うお、マジか」

 

 覚醒した眞壁が、呟いた。失った水量を再び取り戻した"水氷巨像"を目にして、改めて放った言葉だった。

 

 装甲のように白濁した氷を纏い、巨人は両足を取り戻している。そして、ギリギリと身体を引き絞る、その腕の先には、巨人サイズの氷の槍が握られていて。最低限の"情け"だったのか、槍の先端は丸く潰れていたけれども。あの質量をそのまま身に受けでもしたら……。

 

「○ぬだろうがボケッ!」

 

 咄嗟に左手首を突き出す。彼は瞬時に、手首に装備していた小型のクロスボウを撃ちだした。

 火薬でできた小さな矢だったが、著しく高まったエネルギー密度が幸いした。

 

 投擲された氷の槍の先端へ、なんとか命中してくれたようだ。先端部が溶解して盛大に水をぶちまけさせた槍は、軌道を狂わせた。そして、ギリギリのところで身体からそれた。眞壁は水流に流され、さらに奥へと転がされる。

 

 ゲホゲホと水を吐き出して、彼は吠えた。

 

「……野郎、マジでぶっ○してやる!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 巨人をとりまいていた焔が消えた。眞壁がやられたのだと判断した茜部は水面から顔を出し、ぜぇぜぇと新鮮な空気を食らっている。

 

『ぃよぉ陽比谷ッ!くらえやッ!』

 

 眞壁へと追撃を放った垂水は、ただちに目標を変えていた。身体機能を取り戻した水の巨人を軽やかにステップさせ、豪快な蹴りを見舞う。

 陽比谷相手に手加減はいらぬと、茜部に足先を極限まで凍結させていた。直撃すれば、怪我はまぬがれない。そのはずだった。

 

 

 がきり、と陽比谷の前にアスファルトの防壁が飛び出し、彼を守った。割れた氷の破片がそばの自販機に激突すると、缶ジュースがポロポロと転がり出していく。

 

『茜部、岩倉を押さえろ!』

 

「わかってますよッ、っらぁ、凍れ凍れ凍れッ!」

 

 "溶岩噴流(ラーヴァフロー)"が操ろうとする物体をピンポイントに冷却して、茜部は岩倉の攻勢を果敢に削ぎ取っていく腹積もりだった。

 

 ところが。

 

「え?」

 

 茜部の足元が唐突に輝き、そして爆発した。

 

「わわわわわわッ」

 

 彼女はその勢いもろとも、近くのビル壁へと叩きつけられた。衝撃はそれほどでもなかったが、如何せん高さが二階建ての建物ほどもある。このまま落下しては、危険だ。

 一緒に飛ばされた水塊ごと凍らせて、茜部は横壁に張り付いた。

 直後。一際あざやかな、ライラックの輝きが目に付くと。

 彼女の目の前を、水の巨人が十メートル近く吹き飛ばされていった。

 マズイ。あの人への対応策はない。茜部は息を呑み込んだ。

 

 

 

 

 

 

「もうやめだ。眞壁さんもやられたし、馬鹿正直に固まってられるかよ」

 

『陽比谷ぁああああああああああああああああああああ』

 

 通りを挟んだ反対側で、転がった"巨像"が重低音の呻き声で呪っている。だが、陽比谷は年上の"水流操作(ハイドロハンド)"を気にもとめずに、通りを大股で闊歩した。

 

 

 神経を張り詰めた体勢で、彼は疲労を滲ませた岩倉をかばうように、前にでる。

 

 あれほど炙ってやったというのに、微塵もダメージを食らっちゃいない。

 彼の視線の先には、ようやく繭から抜け出した紫雲が、物憂げに、余裕たっぷりに、一見して隙だらけの姿を晒している。

 

 

「眞壁君、まだ元気みたいだけどね」

 

 ぽつり、と。その状況で、紫雲はそれだけを、呟いた。

 

 

 

 陽比谷の視界の片隅で、明るいオレンジ色の灯りが点滅した。

 焦げたハンチング帽が、ふわりと宙を舞う。

 気を失った茜部が、水に濡れてビルから落下しはじめた。

 

 そんな彼女を、突如壁から生え茂った氷の蔓が絡めとって、優しく受け止めた。

 

 

 

 

 

「その通り、まだまだこれからだぜ、紫雲!」

 

 路地から眞壁が顔を出した。隙を見せていた茜部を気絶させたのは、彼だ。かってにやられたと勘違いしていたのは、そちらの責任だ。そう言わんばかりの口調であった。だが表情には、不意をついた罪悪感がほんの少しだけ見受けられて。

 

 いいや。しかし、それでも。

 

 紫雲と闘うのならば、せめて頭数くらいは優勢でなければ。お話にならない。

 "火薬庫"メンバーの表情はそのように物語っていた。なかでも恐れに強ばった岩倉の緊張が、彼女の経験不足を如実に表に顕している。

 ほとんど経験もないのに、今日はよくやったよ。陽比谷は振り向くと、ウインクだけで岩倉にそう語ってきかせた。

 

 

 

 

 

『紫雲、頼むぜぇ!』

 

 垂水の遠吠えを合図に、紫雲はパチリと指を鳴らしてみせた。

 次の瞬間。

 

 微かに白く濁っていた水の巨人が、色を失った。

 透き通る身体は、いびつな嵩張りを見せている。

 無数の氷片が折り重なって、巨人の身体を構成しているようである。

 そのひとつひとつが、限りなく、どこまでも透明な氷の水晶。

 日光は氷の群れで乱反射して、巨体を美しく彩っている。

 

 

 陽比谷は舌打ちとともに、虚を突くように数発の"輝き"を"水氷巨像"へと打ち付けた。

 先程まで、こてんぱんに巨人を吹っ飛ばしていた"攻撃"だったが。

 

 

 眩しい照り付けが、虚しく消え失せる。

 損傷は、皆無。

 巨像には、傷一つ付着していなかった。全くの無傷だった。

 

 

 人類史の中でも、古い時代。紀元前900~600年ほどに発達したと言われている鎧のひとつに、ラメラー・アーマー(Lamellar armour)というものがある。金属の薄板が縫い合わされて作られた鎧で、日本語では薄片鎧、または薄金鎧と訳される。

 

 "水氷巨像"が纏った装甲は、まさにこのラメラー・アーマーそのものに見えた。

 

 巨像は騎士のように、重装甲を身にまとう。

 

 透明であるのに、計り知れない強度を感じさせる。幾重にも重なった、氷のプレート。

 

 今度は茜部ではなく、紫雲が事を成したのだ。

 

 

 

 

 

 紫雲の氷は、絶対に溶けない。絶対に割れない。絶対に、壊れない。

 陽比谷は彼女の能力を、こう推察していた。

 物質の振動を一瞬にして同期させ、停止させる。その気になれば、紫雲の氷はタイムラグを挟まずして、一瞬にして、氷点下270℃を超える。

 空気すら、瞬く間に凍てつかせ、液化させて。透明のイバラを創造してみせる。

 

 無敵の装甲を獲得した巨兵は、今までにない力強さと存在感を醸し出している。

 

 

 

 紫雲継値(しうんつぐね)。高校二年生。去年の秋に、唐突に"能力主義"に現れた新星。

 能力名、"同調能力(シンクロニシティ)"。バンクに登録されているその他の冷却能力(クライオキネシス)とは一線を画す、とびきり突き抜けた大能力(レベル4)だった。

 

 

 

 

 

 誰が名付けたのか。その通り名は、"絶対硬度(フローズンデッド)"。

 またの銘を、文字通りの、"破壊不能(ドーントレス)"。

 不変の氷。

 

 あの氷に拘束されれば、抜け出す方法はない。

 すなわち。彼女に捕捉されれば、一巻の終わりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 






お待たせして申し訳ないいいいいい。
あと、今回の投稿はちょちょぎれた状態で更新させてますので、すぐに更新します。
(と、いいつつ、ちょちょ切れ状態でまるまる4ヶ月放置してましたorz)

実生活の方がようやく落ち着いたので、書ける、いやむしろ急いで遅れを取り戻して書くんだ!
書きます!
気合、入れて、行きます!(と言いつつ、艦これやめました)


あまりにも更新しなさすぎて、
このSS、もう賞味期限切れちゃってるくね?
感がでてましたよね。作者も怯えていました……

息を吹き返して、頑張ります
ストーリーが進むところまでは全速力で更新します(信じてください!)


活動報告、そして感想にコメントを下さったみなさん。お詫びします。
返信を書く気力がでませんでした。無礼な真似を謝りますorz
明日、明後日中に返信させていただきます。
感想は感想に返信を。活動報告の分のコメントは活動報告の所にそのまま返信いたします





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episode28:同調能力(シンクロニシティ)②

 

 

 

 

 マフラー少女が次々と紡ぎ出す無数の茨は、緩やかに空間を編み込んでいった。

 極度の低温状態で空気が液体に変化した、極北の水晶のように透明な投網が意思を持ち、獲物を追跡する。

 

 

 されど、火花をバチバチと散らすナイフやアーチェリーの矢と比べると、紫雲の攻撃にはやはり明らかなスピード差が存在した。

 

 氷の蔓が空間を絡め取る動きは、緩慢そのものだ。そのスピードは、まるで幼児が投げたゴムボールのように弱々しいものに見えた。

 

 けれども。"火薬庫"メンバーは必死の形相で、その網目から逃れようと息を荒げている。

 

 

 

「これでっ」

 

 迫り来る氷のうねりから逃れて、陽比谷はガードレールの手すりに手をかけた。

 中腰のまま両の足をまたいだ彼が、握ったままのガードパイプを両手で軽く引っ張ると。

 パイプは2mほどの長さを保ったまま両端が赤熱して、簡単に焼き切れた。

 陽比谷は手に入れた即席のロッドパイプを手馴れたようにくるりと回すと、息つく間もなく振りかぶった。

 

 すでに背後に迫っていた氷の蔦へ向けて、ロッドが振り下ろされた。インパクトの直前に、ロッドの後頭部がピカリと小さく光る。打ち下ろしの速度はプラズマの爆発により加速され、モーメントは肥大化していたことだろう。

 

「どうだぁ!――――ぅ、ぐぅぅ……」

 

 ミシミシと軋しむ、陽比谷の両腕。

 音を立てて凹んだのは、ガードレールのパイプだけだった。

 数センチとない太さのか細い薄氷は、相も変わらず想像を絶する硬度を持っている。

 所詮はガードレールのパイプにすぎなかった。

 だがそれでも、学園都市製の高強度ガラス繊維強化樹脂が素材に使われていたのだ。

 

 

『うおおおおおおああああああああああああああっ!!!』

 

 足の止まった陽比谷へ、今度は氷晶の巨人が横合いから数メートル超の鈍器を振りかざした。

 休むまもなく、垂水から必死の一撃が繰り出される。

 

「ぅらあッ」

 

 陽比谷も叫び声をあげて、垂水を睨み返した。彼の口から気炎が上がると同時に、小型の爆発が生じ、真横から声を上げた当人を吹き飛ばす。

 

 爆風で無理やり身体ごと移動する、緊急回避だ。

 

 間一髪。巨人が手に持っていた"結晶のメイス"は標的を外れて、地面にうっすらとめり込んだ。

 

 

「ごほ、ごほっ。邪魔するな雪達磨!」

 

 両手がしびれていたおかげで、着地に失敗していたらしい。ごろごろと転がったせいで、陽比谷の顔には擦り傷ができている。

 よくよく考えれば、爆風を受けてそれだけで済んだのだから、是非もない話だ。

 だが、青年は怒りにまかせて、その手を巨人へとかざす。

 

 

 紫。紅。青。桃。橙。水色。色取り取りの閃光(プラズマ)の虹が炸裂し、そのあまりの物量に垂水は姿勢を保てず、地面へひっくり返った。

 

 

 

「アンタは寝てろ」

 

 倒れたまま背中をさする陽比谷は、辛そうに顔をしかめていた。

 仲間を援護するべく、眞壁は近くに落ちていたジュースの缶を拾って、勢いよく回転をつけて投げつけた。

 

「おいっ、お前は寝てんなッ!はやく立てッ!」

 

 缶ジュースは空中で着火すると、炎をしばたかせて回転を加速させた。即席のライフル弾と化した火球は、紫雲へとまっすぐ飛翔する。

 

 

 

 一方、冷却能力者は飛来してきた火球へ指先を傾けた。

 レザーのロンググローブが嵌められた指先を、おもむろに開く。

 

 ――――音もなく、影もなく。空間から突然浮かび上がる、氷晶の鉤爪。

 瞬きしたその後には、紫雲の右腕に鋭利な氷刃が装着されていた。一瞬の早業だった。

 鉤爪はケタ外れに低温な状態のようで、その手元にはすぐに結露が凝集し、霧で薄暗く濁った。

 

 眞壁が放った火球はその鉤爪へと、吸い込まれるように飛んでいって。

 ゴシャリ、と缶は潰れ、するどい刃に自ら串刺しとなった。

 

 

 紫雲は陽比谷を気にも止めておらず、鉤爪で掴み取った缶をやる気の無さそうにしげしげと観察し始めた。

 

「へえ。これが眞壁君の"炎上物体(メテオロイド)"。中身は……ふふ。あつあつ、いちごおでん。でも、火が通りすぎ」

 

 

 紫雲がふぅっ、と息を吐くと、缶詰はみるみるうちに窒素の氷で覆われてしまった。

 小さな笑みがこぼれたようだが、マフラーで半分以上覆われた表情では、本当に笑顔だったのかすら曖昧だ。

 

 

 

「――――ところで陽比谷君。やっぱり逃げるの上手。そこいらのLv5より上手だね、きっと」

 

 思い出したように繰り出された挑発に、その相手は腰をさすりつつも噛み付いた。

 

「君ねぇ。僕がこんな街中じゃあ本気を出せない事は重々わかってるでしょうに。毎度毎度君ばかり、フェアじゃないぜっ?」

 

「だったら話し合いで決着をつける?」

 

 返答は、無言で打ち放たれたプラズマ火球だった。それは紫雲の目前で透明のシールドによって遮られると、煌々と火花を散らして消えた。

 

 無言の拒絶。

 

 ブカブカのマフラー越しに、少女のため息が漏れた。

 

「ふう。

 

 

 

…………こっちだって。あんたの大叔父が『潮岸(しおきし)』じゃなかったら、とっくに"そう"してる」

 

 

 最後に囁いた呟きはほんとうに僅かな声量で、誰にも聞こえなかった――――はずだった。

 紫雲にとっても、そのはずだった。

 

 

 

 

 

 

 彼女の真上で、"悪魔憑き(キマイラ)"が聞き耳を立ててさえいなければ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「紫雲さん硬えぇー……。まぁでも正直、陽比谷さんが勝ってくれたらなぁ……」

 

(後輩に心配されてる。ホント、デカい口叩いてた割に劣勢じゃないか)

 

 陽比谷へのダメ出し。それが、山代と呼ばれた中学生のすぐ真うしろで、透明人間となって堂々と観戦していた景朗の感想である。

 

 山代少年は真後ろに立つ、1mも離れていない景朗の存在に全く気がついていない。

 少年はのほほんとビルの縁に寄りかかり、先程から他人事のように感想を垂れ流しているばかりだった。

 

 

(ああ、面倒だ。紫雲ってのが言った通り。あの"陽比谷"ってやつ……統括理事会の"あの潮岸(しおきし)"の身内だなんてな。大叔父が理事会の潮岸。そんでおまけに陽比谷の父親は第一学区の政庁のお偉いさん……そんで、さっき暗部がどうとか言われてた――――

 

 

 

――"紫雲"。コイツのデータも不審なほど出てこない。真っ当な学生生活を送っている奴なら、こうも暗部業者のデータベースに引っかからないなんてことは……ほぼ有り得ない。ましてあいつは大能力者だって話だぞ。となるとあの女……ほとんど"黒"だ)

 

 

 自分と一緒だ。組織ぐるみで情報の秘匿がなされているとしか思えない。紫雲継値の背景を洗うのは、厄介な作業になると目に見えていた。とにかく、一朝一夕で彼女の調査をするのは不可能に近い。

 

 陽比谷に対しても、バックボーンに理事会の一角が付随するというのであれば、物騒な手段を軽率にとるわけにはいかなくなった。

 

 

 

 景朗は器用に片目の眼球だけをくるりと回し、幼い頃から見慣れた少女の現状を確認した。

 仄暗火澄は頑丈そうなレンタル自転車の精算機の陰に隠れている。

 濡れたTシャツを貼り付けた少女は、何の気なしの見た目にも凍えていた。

 

 怯えるその姿を瞳に映して。景朗はLv5として正体を晒すリスクを、ぐるぐると頭の中で巡らせていた。

 躰は今にも飛び出そうと疼いて、脳が必死にそれを押さえ込んでいる。

 

 何事もなく火薬庫とやらが敗北すれば、すんなりと火澄を連れ出せるのだが。

 

 

 

 

 景朗が"この場"に遅れてたどり着いた時。

 火澄を連れ出す間もなく、"冷凍庫"と名乗る一団がやってきた。

 

 その後、状況は目まぐるしく移り変わった。事態は悪化する一方だった。

 景朗に興味津々の陽比谷たちの存在が邪魔をして、秘密裏に火澄を連れ出すのが難しくなっていた。

 

 ひとまず"能力主義"の一団のいざこざを静観すべし、と耐え忍ぶしかなかった。

 

 

 地蔵の如く地に足をつけて、景朗は微動だにせず戦況の観測に徹した。

 彼らの言う"決闘"とやらは、一体何が敗北に値して、何がそうではないのか。

 一人気を失った少女、茜部のように、全員ぶっ倒れるまで続くのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「陽比谷さん、がんばれー……」

 

 恐る恐るビルの縁から身を乗り出した少女は、印山(いやま)という小学生6年生だ。"書庫(バンク)"に登録されている能力は、探知能力(ダウジング)の強能力(レベル3)。詳しくは"偶察能力"というスキルで、簡単に説明すれば、"他人が今一番意識して欲しているモノ"ではなく、"意識の片隅に置いていたわりと重要だが緊急を要してはいないモノ"を優先して"探知"する性質だという。

 

 

 以上のとおり、印山(いやま)の正体に関しては、打てる手は既に打ってある。

 雨月景朗を"先祖返り(ダイナソー)"だと見抜いた子供だ。気にかけるのは当然だった。

 

 密かに忍び寄り、髪の毛を拝借し、まじまじとその相貌を正面から窺って。すると、祈りが通じたのか、簡単に"書庫"の記録と目の前の少女が合致した。

 

 

 印山は"能力主義(メリトクラート)"にも、研究成果の競争でガチガチの研究所にも所属しておらず、情報は"書庫"でダダ漏れになっていた。

 しかし、そのおかげで景朗は印山少女に余計な手を出さずに済みそうだった。

 

 "偶察能力"は居場所を探知するだけで精一杯で、それ以上の情報は読み取ることができないらしい。

 また、その能力の対象が人間ともなれば、探知範囲は恐ろしく狭くなるようだ。

 印山が景朗を見つけた時を思い出せばいい。極至近距離に近づくまで、彼女は景朗の存在を把握できなかった。

 

 故に、次に街で出くわそうとも、景朗さえ気をつけていれば先ほどのように正体を看破されることはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「鷹啄さんも大変なんですね」

 

「いやあ、でも、ほら。特典もないわけじゃないよ?こんなとこに来なきゃ同系統の能力者には会えなかっただろうしね」

 

 初めのうちは、陽比谷たちを助けなくていいのか、と印山は鷹啄にやんわりと詰問していたのだが。ビルの真下で行われている大惨事を理解していくうちに、話し相手に同情する心持ちに変わったようだ。

 

「でもー……みなさんあちこち怪我してるのに、よくやりますねえ……」

 

「まあ、あれ、一応気持ちいいんだよ?あれほど能力を振り絞れる機会なんて、大覇星祭でもなかなかないもん。個人で暴れたら直ぐに警備員に捕まってお説教だけど、"能力主義"に入ると――」

 

「入ると?」

 

「全くお咎めなし」

 

「そんな、まさかぁ」

 

「ホントウです。ただ、今回みたいな――大規模なヤツは流石に経験ないからわかんないけど。いつもは大抵、メンバーの上の人たちがパパッと何処かにお願いして、酷い時は誰かが代表して警備員の人たちに連れてかれて、すぐに帰ってくる。それでおしまい?」

 

「でもあれ、道路とか壊れちゃってますよ。お店もっ。賠償金とかすごいんじゃあ」

 

「あはは。それこそ大丈夫。お金関係のトラブルだけは絶対に大丈夫みたい。色んな研究所がこっそりわたしたちのスポンサーになってくれてる。……らしいよ?私たちが能力を使ってるデータが大金に化けるからなんだって、陽比谷君はそう言ってたけど。その代わり、メンバーは"これ"みたいな、ウェアラブルセンサー?をいつも携帯してなきゃダメみたい」

 

 そう言って鷹啄は、極小のセンサーが内蔵されているという腕時計と、なんの変哲もないリストバンドをぷらぷらと揺らしてみせた。

 

 

「それに、ひどい怪我になる前に私が手助けするつもりだから、安心して。山代くんもオッケー?」

 

「ま、まあ、ギリギリまで手は出したくないッスけどね」

 

 会話に入りたそうにウズウズしていた山代少年は、ひょこひょこと横にスライドして少女2人組に近づいていった。通り道に構えていた景朗も、彼のために数歩後退して、道を譲ってさしあげたようだ。

 

「警備員のほうは大丈夫?もうそろそろ来るんじゃないかな?」

 

「はぁー……そうっすよ。紫雲さんからサインが来るまで"檻"で抑えとかなきゃならないでしょうね」

 

「ふーん」

 

「いっつも淡白な反応なんですけどね、口答えするとじぃーっと見つめてくるんですよ。だからって怖いって訳じゃねえくて、なんだかんだでオレより背ぇ高いし、強いし、色々知ってるし……でも引き抜きの時、オレだけ、直々に招待したって言われたんスよねー。何故オレの力が必要だったんだろうか……」

 

「へー。そうなんですかー」

 

「いったい、何故……」

 

「難しいねー」

 

 

 

 

 

 

 鷹啄(たかはし)は景朗の予想どおり、"空間移動系能力者(テレポーター)"で間違いなかった。景朗の正体が見破られたとき、彼女が体重が300kgどうのこうのと言っていたのは、テレポーターの転移質量の限度量のことに違いない。

 

 最近は詳しく計測していなかったために自信はないが、概算で300kgくらいが、今の景朗の体重だ。

 

 景朗の能力、"悪魔憑き"にとって、質量(というより体重)は何よりの武器だ。変身するにはそれだけ物質がいる。平たく言えば、水やお肉、野菜、油、重金属などがあれば手っ取り早い。水炊きの材料みたいなラインナップだが、言い繕っても意味はない。

 

 

(手も触れずに質量を計る能力者なんて、テレポーターや極々一部の希少な能力者だけだと思って油断してた。けど、ある程度は躰に溜め込んでおかないと不慮の事態に陥った時にマズい。今の体重でも正直不安だってのに)

 

 

 

 

 

 

「あっ!」「ひあ!」「……あー……」

 

 観戦していた3人の各々が、苦々しい声を零した。

 

 岩倉を庇って、眞壁が紫雲の茨に捕まったのだ。氷の蔦はあっという間に捕えた獲物をがんじがらめにしてしまった。

 

 覚悟したように、眞壁は息を飲んだ。彼の正面では、歓喜に震える氷晶の巨人が雄叫びをあげていて。すでに両の腕から苛烈な水流の大蛇を放ち、磔にされた獲物へ狙いを絞っていた。

 

 その時点で、他の火薬庫メンバーには打つ手が存在しなかった。下手に水流に手を出して水の温度を上昇させてしまえば、眞壁へのダメージとなってしまうからだ。もとより、紫雲の氷に拘束されては、彼を解放する手段をもちあわせていなかった。

 

 

 

「クソッ!眞壁さん!」

 

 紫雲は直前で氷の拘束を解いたようだ。濁流に飲み込まれた眞壁は身体を強く揺さぶられ、そのまま水の流れとともに運ばれていく。

 そのままテナント募集中で無人だった貸店舗へと水流は向きを変え、ガラス張りのドアを破って突っ込んでいった。彼はそれっきり、出てこなかった。

 

 

『もうそろそろ泣いて謝ったほうがいいんじゃぁないか?そんくらいで済ますつもりはねぇけどなぁ、ふひゃは!』

 

「どうする?そうする?」

 

 "冷凍庫"メンバーの勝利宣言に対して、その段階においてなお、発火能力者は不敵に笑ってみせていた。

 

 

「眞壁さんが犠牲になってくれなければ、どうなることかと思ったよ。岩倉さん、もういい。ここで"やろう"」

 

「ええ。お望みのとおりに」

 

 陽比谷の合図にならい、岩倉はただちにその場に片膝をつき、地面に手を添えた。

 その途端だ。

 

 舗装された道路や、ビルの側面の分厚いコンクリート、その一面から無数の"大きな筒状の岩石"が、一斉に出現し始めたのだ。

 メキメキと音を立ててそそり立ち、その岩石で形作られた"砲身"を大気に晒し、熱い湯気を吹き上げている。

 そうだ。その筒状の岩石は、陽比谷と岩倉が苦難の先に用意した、"砲台"の姿だったのだ。

 

 その数は、憂に百を超えていた。岩倉は脳髄の痛みを必死に抑え、苦しみをやせ我慢で笑顔に変えている。

 

 訝しむ垂水は"絶対硬度"の拳でいくつかの"砲台"を破壊するものの、その膨大な数に対処できずにいた。

 

「言うなれば、この"砲台"は"サーマルカノン"と言ったところだ。原理は知ってるよな?」

 

 陽比谷はおもむろに、地面に転がっていた缶ジュースを拾った。握った手を宙へ浮かすと、途端に缶ジュースはボコりと破裂音を引き立て、プルタブが吹き飛んだ。

 ジュースの中身が開いた口からぶくぶくと溢れ出している。

 

 サーマルガンというものがある。レールガンと同じくEML (ElectroMagnetic Launcher) の分類のひとつと紹介されることが多い、武器の一種類だ。

 火薬の爆発エネルギーで弾丸が放たれる重火器と異なり、サーマルガンの原理は、電気のジュール熱をもちいて導体をプラズマ化させ、その膨張にともなう圧力で弾丸を発射させるものである。

 このサーマルガンにはひとつ、欠点があった。物体のプラズマ化膨張速度は一定であるが故に、どんなにジュール熱を強くしても、ある一定以上の初速は得られないことだ。

 

 

 ――――しかし。陽比谷の"乖離能力"ならば。プラズマを強引につくりだす彼の能力ならば、その欠点を克服できる。

 

 

 

「設置にはさんざん苦労させられた!だから避け切れるなんて思うなよ!さあ、全力で防御して貰おうか!!」

 

 

 "水氷巨像"は身体に腕を巻きつけ、縮こまらせた。紫雲は目をパチパチとしばたかせて、得意の氷の繭で体全体を覆った。

 

「ああそうだ。仄暗さん、絶対にそこから動かないでね!」

 

 

「貴女、まだそんなところに居たんですか?」

 

「隠れるところないでしょうっ、ほらぁっ、どこにあるの? ――――わ、きゃっ?!」

 

 しかめ面の岩倉は、無言で仄暗の前面に防御壁をせり上げ、鼻で笑った。

 

 陽比谷の眼球が充血していく。まもなく、掲げた拳を彼がぎゅうっと握りしめる。

 直後に、爆音と砲弾の嵐が巻き起こった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんなっ。――嘘でしょう?」

 

「はは。まいったな。これで"凍ってる"だけだって?なんて硬さだよ……まったく、どうしようもないなッ!」

 

 粉塵が舞い、景色は白く濁っていた。だがそれでも、砲弾の嵐を無事に通過した氷晶の繭と巨像の姿は、くっきりと"火薬庫"メンバーの瞳に映っている。

 

 彼らも、敗色が濃厚に染まりかけていることを受け入れるしかなかったようだ。

 

 

 

「何今の。陽比谷君、死んじゃってたらどうするつもり?」

 

 紫雲はまったくもって動じていない。自分の能力に絶対の自信があるのか、それとも、ただ単に興味がないのか。理解できない立ち振る舞いだった。

 

「いやいやまさか。泣いて謝ったら許してあげるつもりだったよ。結局無駄だったみたいで、ものすごく残念だ。……よし。それじゃ……鷹啄さんッ!!悪いけどッ!!いいかなッ!!」

 

 

「えっ。あ、は、はぁい!なぁーにぃー??」

 

 不意に名前を叫ばれて、挙動不審気味に鷹啄は口を開いた。

 

「悪いけどッ、岩倉さんをそっちに運んでくれッ!」

 

 

「何を!?情けは無用です。覚悟して入りました!」

 

 

「でも流石にね。ほとんど初陣だったでしょう?勝たせてやれなかったのは僕の責任だ」

 

 陽比谷がウインクを鷹啄に送ると、ふわりと岩倉の姿が掻き消える。

 

「ちょ、ちょっと!はいはい!私も!私も!!」

 

 仄暗はアスファルトの壁から顔を出して、めいいっぱい手を振った。

 

「ごめん鷹啄さん、ほのぐr――」

 

「駄目。その娘にはまだ話がある。"不滅火焔(インシネレート)"はここに置いて行って」

 

 

 意外にも、意志の通った強い否定のセリフ。それが、陽比谷の言葉を遮って、紫雲から発せられていた。

 

「手を出したら、あなたにも容赦はしない」

 

「……え?」

 

 紫雲に意識を向けられた鷹啄は怯えて、困ったように陽比谷を見つめている。

 

 

「どうして私がそんなに気になるんです?」

 

 仄暗は怯えの色を隠せていない。

 

 ふぅーっ、と長い息をつき、陽比谷は大仰なジェスチャーで不満を表した。

 

「彼女は僕らとは関係ないって、何度言えばわかるんだ?それに紫雲、まだ終わってない。僕はまだ負けを宣言していない」

 

 

 のしのしと、ゆっくりと"水氷巨像"が仄暗に近づきはじめた。

 

『話があるって言ってるだけだろぉが、あぁ?』

 

 逃げだそうと走りだした仄暗だったが、すぐに"空気の壁"に阻まれる。

 

「山代!今すぐ壁を消せ!」

 

「いやっ、でもっ、今消したら……すぐそこまで来てるっつうか……」

 

 陽比谷が睨みつけたが、紫雲の言いつけを破るのが恐ろしいのか、山代少年は答えをいいどもる。空気の壁は今だに健在だ。

 

 

 いつのまにか、パキパキ、ピシリ、と氷の茨が地面を伝い、仄暗の足元へ伸びていく。

 

「いい加減にッ――」

 

 仄暗が蒼い火の玉を出現させて、身がまえた、その時。

 

 

 

 

 

 

 

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっーーーーーー!!!」

 

 

 

 何が起こったのかわからない。だが、突然、山代少年がビルの屋上から地上めがけて、猛スピードで落下してきたのだ。

 

 落下予測地点はおそらく、仄暗めがけて伸びていた透明の蔓の、その中心だ。

 

 咄嗟に水塊を動かして山代を助けたのは、垂水だ。

 

『なにしてる、おいッ!』

 

 涙と鼻水をぐじょぐじょに垂れ流し、山代少年は震えている。

 

「わ、わか、わからない、能力つかなかった、能力がつかえなくなって、投げられた!誰かに投げられたぁっ!!」

 

 

 陽比谷と紫雲は、既にその人物に注意を向けていた。

 

 山代が居た屋上の縁に、誰か別の人物が立っている。

 大きな影だ。背丈は190cmに届くだろう。

 

 陽比谷には、その顔に見覚えがあった。

 

 

「よう。派手にやってるな。お前ら、騒がし過ぎ」

 

 

 陽比谷の表情に、期待に満ちた笑みが広がり。

 

「はっははははは!今日は狂ってる!最高の一日だ!」

 

「だれ?」「秘密さ」

 

 紫雲が浮かべた疑問を、ざっくりと遮断した。

 

 

 

 

 景朗は、もはやためらわなかった。これ以上は見てられない。

 

「売られた喧嘩、遅ればせながら買いに来てやったぜ。あんだけ吠えといて、今は都合が悪いんです、なんて言わないだろうな?」

 

「もちろんだ!とっとと始めよう!」

 

 意気揚々と、ハンサム君が白い歯をみせつける。

 

 ところが。

 誰よりも真っ先にその男に向かっていったのは、氷晶の巨像だった。"能力主義"以外の低レベル能力者を完璧に見下す垂水は、不意に現れた人物の横暴なセリフに我慢がならなかったのだろう。

 

『調子に乗るなよ!さくっと死んでこい、雑魚がぁっ!』

 

 いかにもな雑魚が口にしそうなセリフとともに、景朗めがけて氷の拳が突き上げられた。

 

 

 

 

 





 またしても、キリの悪いところで話がとぎれました。
 大丈夫です。続きはほとんど書けてますので、明後日か明々後日までに必ず次の話を投稿します。ので、どうか怒らないでもらえれば幸いです。



 すみません。感想やコメント返し、少し遅れるかもしれません。次の投稿までには必ず!


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episode28:同調能力(シンクロニシティ)③

 

 

 

 氷片装甲を蛇腹状に散りばめ、ぐんぐんと伸び上がる水流の腕。

 硬質の拳が風を切り裂き、迫り来る。

 ところが、男は避ける素振りを見せなかった。

 

 その長身が、水晶質のキラめきに吸い込まれていく。

 "水氷巨像"の豪腕が、あまりにあっけなく直撃した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 何もない空間から突如、降って沸いたように現れた男だった。

 彼はその瞬間まで、迫り来る危機にまるで無頓着だった。

 

 そうに決まっている。

 なぜなら。男の視線が、別の方向を向いていたからだ。

 

 

 ただひたすら、自分を視ていた。そう思えてならなかった。

 

 鷹啄は驚愕で身体が硬直し、そばで眺めていることしかできなかった。

 

 何故、自分なんかを。

 

 あの男はなぜか、横目で自分を見張っていた。

 しっかりと見つめ合った。

 理由も無く、自分も釘付けにされていた。

 

 鷹啄は目が離せなかった。だから、一部始終を目撃してしまった。

 

 

 謎の男の虹彩は、澄んだ黄金色に美しく輝いていた。

 だが、彼の身に衝撃が走るその直前に。

 怪しく透き通るルビーのような"瞬膜"に、その眼球は覆われていった。

 

 

 その時、直感が理解した。

 

 "あれ"は人間じゃない。

 

 

 冷や汗の雫が首筋を垂れて、くすぐった。そこでようやく、鷹啄は気づく。

 そうか。『理由も無く』なんてことはなかったのだ。

 ただ単純に、自分は"恐ろしく"て動けなかっただけなのだと。

 

 遅れて、うっすらと推察する。

 ああ、そうか。男はきっと、自分を警戒していたのだ。

 

 けれども、何故。あなたに対して"能力"を使おうだなんて。

 そんな発想すら、自分には存在していなかったというのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あまりにあっけなかったが、不審者を一撃で仕留められた。

 

 しかし垂水は、いつものように侮蔑の含まれた勝利の宣言をあげることもなく。

 巨人はぎこちなく、空間に停止していた。

 伸ばした腕を奇怪につっぱらせたまま、不可解な疑問の声があがった。

 

『は?ああ?なんだチクショオッ!どうなってんだこれは!!』

 

 

 その場の誰もが、何が起こったのか飲み込めていなかった。

 ただし、陽比谷にだけは確信があった。これで幕引きだなんてありえない。逆だ。

 開幕なのだ。これから何が始まるのか、楽しみで楽しみで仕方がない。

 喜色満面の表情はそう語っている。

 

 "先祖返り(ダイナソー)"は一体何をしでかしてくれるのだろうかと。

 

 

 

 

 

 

 唐突に始まった。巨人はいきなり右腕を左腕で無造作に掴むと、気が狂ったように地面に叩きつけ始めた。

 何度も、何度も何度も何度も何度も、何度もだ。

 

『んッだコイツ、何してる!クソがぁッ、潰れちまえっ!』

 

 巨人が暴れる振動で、地震のように揺れが起きる。

 

 素行や思想に道徳的な引っかかりがあろうとも、それでも、垂水という青年は"能力主義"で有数の戦闘センスを持つ逸材だった。能力者相手の"決闘"も、無能力者相手の"狩り"も経験豊富な、悪質な男だった。

 

 

 しかして、そんな彼が錯乱するのも無理はなさそうだった。彼にとってはまさに未知の攻撃だったのだから。

 

 

 光を透過させる氷晶の腕が幸いした。垂水の身に何が起きているのか、その他の人間にも徐々に、事態が鮮明になる。

 

 

 

 長大な影。

 

 何か大きな物体が、巨人の腕の中でうねうねと波打っている。

 我が物顔で水中を動き回るその生物は、今も尚、その体積を増しているようだ。

 現在進行形で、巨大化を続けている。

 

 

 前触れもなく。

 氷のプレートの合間から、"鱗に覆われた爬虫類の尻尾"が盛大に音を立てて出現した。

 

 すらりと細長いそのシルエットは、目にも止まらぬ速さで長く長く伸びて。

 巨人の腕と首を絡め取ると、強靭な筋肉でギシギシと締め付けた。

 

 サファイアのような蒼い光沢。見る者に、美しさと同時に引き込むような恐ろしさを、その本能に突き刺してくる。

 

 "大蛇"だ。

 

 その正体は、"海蛇"だった。今や全長20mを超える巨体に成長した、蛇だ。

 

 巨人の腕は、言い換えれば氷でできたトンネルだ。その中に入り込むヘビの頭部が、満たされた水をひと呑みするたびに。しなやかな巨体が、みゃくみゃくと脈動する。

 

 

 前触れ無く、バキバキバキィ、と地面がひび割れ、その亀裂から濁流が溢れだした。

 水分を奪われ続けて焦った垂水が、無計画に近辺の水道管から水を接収しはじめたのだ。

 

 

 

 

 

 

 マフラー少女がおもむろにサングラスを手に取り、外す。どこかもどかしそうな仕草だった。

 少女の相貌が露出する。どことなく異国風の顔立ちが露わになった。手入れのされていない金髪は、どうやら自毛のようである。

 彼女のグレーの瞳が、するりとした眼光を騒乱の元凶へと照射した。

 

 

「切り離して。手も頭も!」

 

 かすかに緊迫を含んだ助言が、大蛇に抗う巨人へ投げかけられる。

 だが、興奮している仲間には届かない。

 

 紫雲は謎の大蛇をいっそう睨みつけた。その濡れた瞳に、明確な敵意の結晶が形を実らせる。

 

 

 その瞬間。

 

 バラついた氷の欠片と冷水で構成されていた巨人が、ぴしりと凍りついた。

 その事実は、誰の目にも分かりやすかった。

 暴れに暴れていた巨人の恐慌が、麻酔を打たれたかのようにピタリと止まったからだ。

 

 なかでも凍結が激しかったのは、巨人の頭部と腕の部位だ。すなはち、ちょうど大蛇が絡まっていた箇所である。

 

 

 一瞬にして、凍った。凍りついた。

 "先祖返り"を巻き込み、"同調能力(シンクロニシティ)"は一滴の水分も残さず凍て尽くした。

 

 

 

 氷塊が滑るように落下し、地面を揺るがす。

 結晶は美しく透き通り、光を迎え入れる。それ故に。

 

 氷付けになった大蛇が、陽光に照らし映された。

 モンスター級の生物は、ピクリとも動かない。

 先程までの暴れようが嘘のように鳴りをひそめている。

 

 

 

「あば、あばばば、あばば、じ、じうんっ!殺ずぎかっ!」

 

 人型を維持できなくなった死に体の垂水が、氷の残骸から死に物狂いで這いずり出る。

身体中に霜を張り付かせ、顔色も唇も紫色に染まっている。寒さに凍えるせいか、呂律も回っていない。

 

「お、おわったっ!終わりだ!絶対ぇ終わった!ほっ、ほんきで凍らぜたんだろっ、紫雲?」

 

 垂水はむき出しの生身では心もとないのか、すぐさま新たな水分を手繰り寄せる。

 またしても彼は、水塊を纏わせ、"水氷巨像(コロッサス)"を創りだした。

 

『ヘビだった。ヘビだったっ!ヘビは寒さに弱ぇっ!』

 

 ヘビは寒さに弱い。そう連呼する垂水だったが、彼は今まさに、水中で寒さに震えている。

 執拗に何度も確認してくる仲間に、紫雲は何も答えなかった。

 思案する風に口をつぐみ、黙して、動かない。

 

 

 

「それはどうか、なっ!」

 

 薮から棒にピンク色の炎が現れ、氷晶から露出するヘビの尾に触れる。

 蛇の皮はうっすらと焦げつき、まるで風船のごとくパンパンに膨らみ始めた。

 

 

 

 ――膨らむ。そうだ。つまり、ヘビの内部は空っぽだった。

 残されていたのは、脱皮した後のような、抜け殻だけだったのだ。

 

 

 

「はっは!いつの間にいなくなったのやら!さあ、お次はなんだろうねッ」

 

 場違いなほど、陽比谷は陽気だ。遊園地に――いや、この場合は、動物園に来た子供のようなハシャギようである。

 

 

 

『いなくなった?どこだっ。どこいった?!』

 

 困惑する水の巨人へ、紫雲は無言のままその掌を差し向けた。

 ひしひしと水の分子が結びつき、流動のクリアボディが結晶質を手に入れる。

 

 垂水はかかさず、長く、細く、薄い、水の板を伸ばしていく。

 

 ひとつ瞬きをする間に、巨人の右手には流麗の長剣が形作られる。

 刃を構成する物質は、なんの変哲もない唯の水である。だがその硬度を鑑みれば、想像を絶する切れ味を発揮することだろう。

 

 

 3人は消えた怪物の行方を探す。無言のままに、あちこちに視線を飛ばす。

 誰も言葉を発しなかった。

 惨憺たる有り様に成り果てた裏通りの小さなストリートは、それだけでどこか居心地悪く静かになった。

 

 

 

 

 

 

 発火能力(パイロキネシス)と、冷却能力(クライオキネシス)。

 230万人を誇る"学園都市"の中で、それぞれの能力の"最有力の使い手(meritocrat)"だとみなされている2人が、向かい合うように対峙していた、その間を縫うように。

 

 

 ひび割れた地盤を突き破り、山のような巨体が姿を現した。

 

『grrrrrrr.........』

 

 その"巨大生物"の影はぐんぐんと空高く伸びると、簡単に巨人の背丈を追い越していった。

 

 聞いたこともない唸り声は、とても生き物のものとは思えない代物だ。

 洞窟から漏れ響くような、低く重苦しい振動。

 

 全貌を露わにしたシルエットは、まさしく"怪獣"と呼ぶにふさわしい。

 

 巨大生物の鼻息は荒く、Lv5に憧れる少年の前髪を強烈にたなびかせた。

 彼が迷い込んだのは、博物館だったらしい。

 

 

『ティ、ティラノ?』

 

 驚く垂水。紫雲はぎしり、と歯を軋らせた。

 

 

 

 ティラノサウルス・レックス。肉食獣の王。太古の支配者。恐竜の代名詞。

 

 筋肉に覆われた躰は、想像もつかないような秘めたパワーを、言外に語る。

 凶悪な牙は、粘液で艶ばみ。紫雲の氷晶とはまた異なった、別種の"生きた硬さ"を、どうしようもなく想像させる。

 

 琥珀色の眼球は、誰もが初めて目にするであろう巨大さだった。

 生物の瞳は言語や種族の垣根を越え、時としてその意思をありありと伝達する。

 知性と暴虐性が同時に宿ったその視線で、怪獣はその場の全員を射抜いてみせた。

 

 

 

 

 

 

 

 驚いている。あらゆる種類の"その表情"を、景朗は知っていた。

 

 仄暗火澄はどうしていいかわからなかったのだろう。

 未だに逃げ出すことなく、彼女は景朗が横槍を入れる前の、そのままの位置に立ち尽くしていた。

 

 

 だから、景朗は瞳で訴えた。

 惚けた様に佇むもうひとりの少女へ、怪獣が眼光を尖らせる。

 

(何してる。逃げろ、火澄。その為に出張ってきたんだぞ)

 

 山代少年が維持していた空気の壁も、今なら存在しない。景朗の思いは通じてくれたようだ。

 火澄は意を決して逃走した。彼女は背中を向けて走り出した。

 

 

 

 紫雲は火澄を追いかけなかった。

 山のような巨体から、引っかかっていたコンクリートの破片がパラパラと落ちて、地面に乾いた音を立てている。

 

 それもそのはずだ。怪獣に相対する者たちからしてみれば。

 怪獣はその一歩で、一体どれほどの長距離を跳躍するのか。

 まったく想像もつかないのだ。

 

 

(さて。山代が壁をとっぱらった今。"警備員"が押し寄せるのも時間の問題だ。この馬鹿(陽比谷)は俺に相手をしてほしそうだが。このお姉さんはどう動く?)

 

 

 

 

 そもそもこうして表舞台に立つ事すら、考えものだった。

 だから、手の内を見せるのはあくまで"ダイナソー"の情報のみに徹する。

 

 "能力主義"の相手をすることには、なんの利益も得もない。デメリットばかりだ。

 

 火澄が逃げ出すまで時間を稼いで、はやくこの場を去るべきだ。

 人の休日を散々なものにしてくれた奴らに、思うところがないわけじゃない。

 しかしひとつ、気にかけねばならないことがあった。

 

 

 "暗部"。

 暗部についてだ。

 紫雲は暗部に連なるものか?

 だとしたら、接触は最低限にしておいたほうがいい。

 

 

 景朗にはサングラス越しであろうとも、紫雲という少女の瞳がよく観察できた。

 理知的な頭脳と、経験が生み出す落ち着きが融合し、そこから初めて生じる"冷静さ"。

 それが、そこから垣間見える。

 

 

(考え事があるのはお互い様か。だったら逃げろ。尻尾を巻いて逃げるなら、追いかけたりしない)

 

 

 

『……アホかッ、ざけんなぁッ!どうせ光学系か何かだッ!!』

 

 

 氷の巨人は再び武器を振りかぶり、恐竜へ突撃する。

 

 学園都市にはそれこそ、独自のホログラム技術や工作技術が氾濫している。いずれかのトリックや特殊な能力を駆使すれば、目の前の"恐竜"のようなハッタリを用意でき得る。

 

 そのような考えが、垂水の頭の中をよぎったのだろう。しかし彼とてたった今、謎の大蛇の登場をその身に味わったばかりだ。

 

 『光学系能力のトリックもどき』だとタカを括った発言とは裏腹の、全力を振り絞った突撃(チャージ)。

 "ティラノサウルス"へと振りかざされる長剣の速度には、一切の油断が感じられない。

 

 巨人は数メートルの距離を跳ぶように闊歩した。垂水は恐れを振り切るように、恐竜へ全霊を賭けて斬りかかった。

 

 

 

 

 だが。たかが人間の反応速度が、捕食者に通用するはずもなかった。

 

 物理法則を超過しているに違いない。そう思わずにはいられないほどの運動能力を、恐竜はその巨体から繰り出した。

 

 

 鱗様がまぶされたしなやかな尾が、振りかざされた長剣の腹を苦もなく弾き返す。

 圧倒的な剛力。

 長剣は巨人の手に癒着していたがために、弾かれた腕ごと人型のバランスは崩れさる。

 

 

 その隙を捕食者は見逃さなかった。いいや、その一瞬の巨人のブレは、"隙"だと表現できるほど長い時間ではなかった。しかし、"先祖返り"にはそれで十分だった。

 

 

 ティラノサウルスは、巨人に頭からかぶりつくと。そこから、強引にその首を噛みちぎった。

 

 

 

『ごおおおおあっ!』

 

 "水氷巨像"は頭部を食いちぎられ、ぽっかりと胸部まで氷を削ぎ取られていた。

 恐竜の歯型が、その跡にくっきりと残っている。

 

 

「あれ?あったけぇ……」

 

 暖かい夏の外気に晒されて、呆けたような声が漏れる。

 心臓の位置に身体を置いていた彼は鎧を剥ぎ取られ、外の空気を吸い込んだ。

 その上半身は生身のまま、まるまる巨人の装甲から露出してしまっている。

 

 恐竜は容赦しなかった。

 

「ちょお待t」

 

 牙が暗闇から顔をだ下かと思えば。

 次の瞬間には、極大の顎門(あぎと)が閉じられていた。

 

 "水流操作"は丸呑みだった。

 

 

 

 初めて会った時も、そんな顔をしていた気がする。

 陽比谷の眼はキラキラと輝き、紅潮が頬を彩っていた。

 

「ふふっ、すばらしッ!素ン晴らしい!

幻覚でもないっ。まぎれもなく細胞レベルから変化しているようにみえる!純然たるメタモルフォーゼッ!

そしてLevel5!

美しい!

ふあははっ。"先祖返り(ダイナソー)"ッ!

爬蟲(はちゅう)の支配者!

 

いいなぁっ!いいなあっ!

スゴイスゴイスゴイ!すげえ、すげぇーッ!!!

羨ましい!羨ましいっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 氷の巨人が"ティラノサウルス"に無謀な挑戦を仕掛けた、その時。

 紫雲と陽比谷の間にも、小さな動きがあった。

 

 

 垂水が声を振り絞り、恐竜へ仕掛けた。

 

 彼とタイミングを合わせて行動に踏み切るつもりだった紫雲は、ぴくりと身体を動かす。だがその前に、不意をうつような閃光が彼女を襲っていた。

 

 

 一瞬にして生み出される、炎の壁。

 

 氷の盾が虚空から現れて、衝撃を防ぐ。

 しかし、フラッシュに網膜を刺激されたのか、その場で足踏み、動きが止まった。

 

「人の楽しみを邪魔するな。もっと"見せろ"」

 

 陽比谷の横暴な要求。

 一貫して涼しい余裕を維持してきた紫雲の顔つきが、とうとう崩れ去る。

 

 眉間に、うっすらと険が立つ。

 

 

「あれ、あなたの差金?」

 

「さあね。そんなことが今重要かい?」

 

 

 紫雲にも油断はなかったようだ。彼女はサングラスをかけ直すと、"予め閉じていた右目"をくっきりと開いた。

 陽比谷の行動パターンなどは、おおよそ見当がついていたらしい。

 

 

 彼女の怒りを体現するかのように、何もない空間が唐突に軋んだ音を立てた。大気が一瞬にして冷え固まる。

 

 上空に、みるみると氷の柱ができあがっていく。

 固体となった空気の形状は、まるで建築資材の角材のようだった。

 

「邪魔はしない。心配せずともお好きにどうぞ」

 

 大重量の氷が、空から一気に降り注いだ。

 

「まさか君ッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 巨大で重い物体が、山のように落下すると、こんな轟音が発生しそうだ。

 そう思わせる騒音が耳に入り、恐竜は振り向いた。

 

 

 陽比谷が決死の表情で焦り、降り積もる氷の角材の山から距離を取っている。

 聴覚で感じ取った通りの光景だ。

 

 

 紫雲の姿を探す。結晶の輝きの合間を縫い、一対の目線と鉢合わさった。

 

 

 気絶した垂水を口から吐き出す。盛大に汁気をまくし立て、巨漢がアスファルトに転がった。

 無様に眠るメンバーが予告する、悲惨な結末。君もこうなるぞ、と景朗は脅したつもりだった。

 

 

 その時。前触れとも呼べる、空気が凝縮する、微かな軋み。

 その音が、聴こえた。自分のすぐ、耳元でだった。

 

 

 鉤爪のついた両腕に、冷たい感触。空気が凍った塊が爪にまとわりつき、鋭利さが失われていた。

 凶悪なクローとして使えたはずの腕が、凶器としての役割を果たせなくなってしまった。

 考えるまでもなく、景朗はそう悟る。

 

 

 紫雲は戦う気なのか。仕方がない。彼女の行動をそうみなすと、景朗は巨体を機敏に走らせる。

 たった一歩で、彼女に肉薄してやる。

 

 ところが。

 

 べきべきべきぃ!と足元で大地が裂ける。踏み出した足に、予想だにしなかった抵抗がある。

 何事かと見下ろせば、恐竜の両足にも氷杭が張り付き、大地に縫い付けている。

 

 しかし、紫雲が放った束縛の一手はムダに終わった。

 

『Gowlllll!!』

 

 強烈なパワーだ!

 恐竜の脚力は常軌を逸している。まとわりつくすべてのデッドウエイトを巻き込んで、邪魔なコンクリート塊ごと駆け出してみせた。

 

「ちッ!」

 

 紫雲から舌打ちが飛ぶ。

 結果として、景朗は自分が意識した通りに冷却能力者の目前へと肉薄してみせた。

 

 卓越した景朗の動体視力が、紫雲の前面に形成されはじめた氷の盾の薄膜を映し出す。

 

(そのまま耐えられなきゃ、終わりだ)

 

 筋肉の塊がしなる。

 景朗は氷の盾にわざと被せるように、手加減を加えて尻尾を叩きつけてやったのだ。

 

 氷のガードの上からだが、壮絶な圧迫感を防御した人間に与えたことだろう。

 

『GROOOOOOOOOOOOWWWL!!』

 

 人間の鼓膜など難なく揺さぶるであろう咆哮を、喰らわせる。

 

「くぅっ」

 

 表情が歪んだ。

 紫雲の氷のマスクに罅が入る。――――だが。

 

 景朗はそこで、奇妙なモノを目撃することになった。

 

(!?)

 

 けたたましい音量でわずかに表情を曇らせたものの。その後すぐに、紫雲は笑った。うっすらと、笑みを見せていた。そこに恐怖や焦燥は見当たらなかった。皆無だった。

 まるで、こんなことはさも日常の一部であり、恐るる出来事にはまったくもって値しないと。

 そう言外に語っている。

 

 氷越しに悠々と"景朗"を観察している。紫雲のその姿は、予想外だった。

 

 

(なんだ、こいつ)

 

 

 妙な引っかかりを覚えた景朗は、そこで思わぬ横槍を受けてしまった。静観しているのかと思っていた陽比谷が、突然に能力を行使したのだ。

 

 

 

 薄紫の炎が、紫雲の真横で爆発した。

 彼女は新たに生み出した薄膜を使って、上手に爆風をてなずけてみせた。

 

 ちょうど逃げ道となるような、細い路地へ。少女の軌道が描かれる。

 

 

 

 しかし。

 

 勢いよく空中を吹き飛ぶ少女は、格好のエモノでもあった。

 

 狙いすました恐竜が、上下に裂いた顎を勢いよく閉じる。

 

 

(おい、うそだろ!?)

 

 ジギッ――――ッ!!

 

 日常生活ではまず耳にしない、特殊な種類の音だった。高密度な物体と物体が、強力な圧力に圧縮されて生じるような、いびつな抵抗音。

 

 

 恐竜の口は閉まらなかった。

 氷の柱が、巨大な顎門の閉まりを妨げていたのだ。ワニの口につっかえ棒をするような古典的な手法である。

 

 

 悠々と紫雲を捉え損ねた景朗だったが、それ以上、彼の追撃はなかった。

 

(……まあいい……そのつもりならな)

 

 

 

 ビルの横壁に着地する直前に、浮遊する少女は空中で能力を使用した。

 氷でできたスケートのブレードが、長いブーツからニョキリと生えて。

 そのまま氷の道を路地に沿って敷き詰めると、彼女は振り向くことなく、ビルとビルの合間を滑走していった。

 

 引き締まった脚線美と、太腿半ばまで覆うブーツカバーに、取り付けられたガーター。

 分厚く脚部を布地で覆っていたのは、そのためだったのか。

 

 

 冷却能力者、紫雲継値は"先祖返り"から逃走した。清々しいほどの逃げっぷりだった。

 

 

(逃げた。なんだあいつ。逃げるなら最初から逃げればいいだろうが。気色が悪い……)

 

 見返り美人とはよく言うが、その後ろ姿を見る限りでは。

 

(俺に威圧されて欠片も動じなかった冷血女だとは、思えないけど。……暗部の人間だろうな。あの眼は)

 

 確かに、"能力主義"が語る"決闘ごっこ"なるものは、スケールが大きかったと認めよう。

 だが、それでも違う。

 "あの種の胆力"は、そう簡単には身に付かない。鍛えられる環境はそうそう存在しない。

 景朗の直感だが、あれは。命を奪い合う時に研磨され、形成される類のものだ。そうあってほしいし、そうに決まってる。

 

 紫雲のあの落ち着き様は、どうにも、どう取り繕っても、景朗に既視感を与えるものだった。

 

 

 

 

 

「ありがとうっ。いいもの見せてもらったよ!」

 

(……そう。こいつとは絶対に違う)

 

 

 残されたのは、やたらとテンションが高い陽比谷天鼓ただ一人。

 別人のような興奮っぷりだ。何がそこまで嬉しいのか、景朗には理解ができない。

 

 

 

 

 

『逃ゲルナラ……今ノウチダ』

 

 恐竜の口と舌は、とりわけ喋りにくかった。景朗はゆっくりと、目の前の同級生を脅す。

 不思議なものだ。この少年が、一応は自分と同じ年齢だなんて。

 

 

 されど。少しは怯えるかと思ったが、陽比谷にはそんな様子が欠片も無い。

 いいや。よく見れば、足が緊張に震えていた。怯えてはいるようなのだ。ただ、それを上回る衝動が、彼に強い意志を与えているのだろう。

 

 これから自分がどんな目に遭うのか。想像できないほど馬鹿ではないはずだ。

 いったいどれほどまでに、稀覯の"第六位"に出会えたことが喜ばしいというのか。

 

 

("強度依存(レベルホリック)"だと思ってたけど、ひょっとしたらただの"能力嗜好(スキルフリーク)"だったってオチか?)

 

 

「君のおかげで今日は最高だ。ふふ。私刑(リンチ)される寸前だったと思ったら、これだ。なんて先の読めない狂った一日だろうね!」

 

「陽比谷君、"警備員"が来ます!」

 

 頭上から、心配がこれでもかとまぶされた岩倉の知らせが届く。

 

 

「本当に?ああ、勿体無い。じゃあ早速始めようッ。時間が勿体無い!」

 

 陽比谷の手元には、切断されたパイプが握られている。

 異様に短いそのパイプは、武器としての体をなしていないようにも見えた。

 

 パイプが片手に握られ、中段に構えられた、その時。

 両端の空洞から、突如、熱を持った光の刃が噴出しはじめる。

 ああ。なんだか似たような光景を、どこかで見たような。そんな気にさせる武器だ。あれは両刃ではなく、片刃だった。

 

 

 

(時間が足りないって?面白い。そいつは無用な心配さ)

 

 

 発火能力者までの距離は、ほんの10mと少し。

 

 今の"景朗"にとってはその程度、たったの"半歩"でお釣りが来る。

 

 さて、何ができる?

 

 俺が一歩を跨ぐ、その間に。

 

 見せてみろ。

 

 君に一体何ができる?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 吹き飛んで壁に激突する直前に、陽比谷の奇妙なスーツはボンレスハムのように膨らんだ。 衝撃は空気にうまく吸収され、青年の怪我は激しく咳き込む程度で済んだようだ。

 

「ありがとう、ダイナソー!ほんと、有難う!」

 

 まもなく、警備員の車両が現場に駆け込んでくる。景朗の耳が、ほかの車両とは明らかに馬力の違う駆動音を捉えていた。

 

 

 苦しそうに咳き込みつつも、青年はニコニコと笑っていた。

 すこし切れたのか額から血の雫が流れ落ちて、ひと筋の跡をつくっている。

 けれども。

 

 景朗には、理解できない。

 

「また稽古つけてくれよ!今日は有難うなぁー!」

 

 姿が見えなくなっても。遠くから彼の叫び声が、うっすらと聴こえてくるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "能力主義"のいつもの乱痴気騒ぎ。それがその日は、特別にでっかい祭りをやらかしているらしい。

 そう耳にして、黄泉川は押取り刀で駆けつけたのだが。

 彼女を出迎えたのは、人生最良の日とばかりに機嫌が良い、やんちゃ坊主のニヤケ面だった。

 

「おーまーえーかー……」

 

「あれっ!?黄泉川センセー。そうか第七学区にはアナタがいらっしゃったんですもんね。うはっ!ぃよっしゃーっ!センセー、非行少年が先生の胸に飛び込んでいきますよーっ!」

 

 一方。陽比谷少年を出迎えたのは、黄泉川の放った強烈なラリアットだった。

 

「はぐう」

 

 "今しがた食らった衝撃"よりも脳が揺さぶられている気がするのは、きっとなのかの間違いだ。

 

「いい度胸だほらぁっ!ほらァっ!ほらアアッ!抱きしめてほしいんだろおん!?ほらどうじゃん?どうじゃん?どうじゃんこれは!」

 

「ぐぎいいいいいいいいッ。だきッ、抱きしめるならボディアーマー脱いでくださいよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!せっかくの100点満点のおっぱ――ッガアアアアアアッ。ちょお、ちょおマジですか先生ッ。イタッ、痛ててててててててててててててっ」

 

 倒れた相手に、追い打つような寝技。ヘッドロックが万力のように頭を締め付けている。

 

「暴力は禁止でしょうが、もう確保してる!確保してるじゃないですがああああああああああああっ!」

 

「オマエらは少年房にぶち込んでもひと晩立たずに研究機関が連れてくじゃんよーっ!毎度毎度!今!ここで!全"警備員"の願いを代表してアタシが教育的指導を下してやるって話じゃあん!?」

 

「越権行為!越権行為ですよっ。ああ、鉄装さん!ねえいいんですかこれ止めなくて鉄装さん?あはっ、鉄装さん。お久しぶりですね!きょぉぉ、ぃぃぃ、今日も可愛いですねっ!!ちょっといいですかコレ、せめて黄泉川センセーにボディアーマー脱いでくれるようお願いできませんかッ?それなら僕はっ、ひと晩中この状態でもかまいませんケドッ、ァ痛ッ!」

 

 

「おらおらおらおらおらおらおらおら」

 

「ちょおおっ。ヤバ、流石に――。がひ、ひいいいいいっ。えええなぜだっ!毎回毎回おとなしく捕まってあげてるじゃないですかぁ!あんまりだぁぁっ。従順な自首の姿勢は反省の証でしょうっ?!」

 

 

 

 鷹啄にお願いして、"能力主義"のメンバーは全員避難させている。裏切った山代も、敵対している垂水も含めた全員だ。

 

 紫雲は仲間すらおいていくような薄情ものだ。後始末はいつも、陽比谷の仕事だった。

 しかし、その日は不満など何一つなかった。今日はいい日だった。陽比谷は本気でそう思っている。

 特に垂水は、Lv5相手に根性をみせた。今日は特別だ。そんな風に、朗らかに出頭した気でいた彼は、思わぬ暴力の応酬を受けて困惑した。

 

 

「"捕まってあげてる"だとおおおおお?面白い、相変わらず面白いコト言うじゃんキミはあああああああああああああああああああっ!」

 

「ふっ、ふははっ!無駄ですって。どうして無視するんですかッ?いい加減認めてくださいよぉ、僕たちの"決闘ごっこ"は所詮"ごっこ"ですけど。それでも貴重で希少な高位能力が干渉し合う、極めて有用なデータであることには違いないっ!一体どれだけ科学の発展に貢献しうると思ってるんですぅぅぅぅ?そろそろ察してくださいよおおおおお」

 

「あんたらは口を開けば――ッ!ワタシは認めてないからなあああああああッ!そんな道理が世の中通ると思うなよおコラアァァァァッ」

 

「イダぁぁぁととととと、通ってる!通ってるじゃあないですか現に!無理が通れば道理が引っ込む世の中なんでしょうよッ。それが学園都市だっ。さっきのバトルのデータが一体いくらで売れると思ってるんですか?それだけ能力者同士の戦いのデータが少ないんだ、現状この都市では!大覇星祭のデータなんかじゃお話にならないんですよっ。僕らこそが科学の発展に寄与してる、んだッ――畜生!い、い、加減、に――そらァ!」

 

 ジジジ、と焦げた匂いが充満した。黄泉川のボディーアーマーのベルトが焼き切れたのだ。組んず解れつ転がりだした陽比谷は、締め技に一心不乱の女教師の鎧を剥ぎ取り、その蒸れた胸部に顔をうずめることに成功した。

 

「おぉおぉ!"警備員"に能力を使ったな!ははは!ははははは!嬉しいじゃんよぉ、これでみっちり絞れるじゃん小僧!いい度胸だ、教えてやろう!今日は非番だったってのに、オマエらが来てると聞いて飛んできてたんじゃん!最終下校時刻までみっちり遵法意識ってもんを植え付けてやるぅぅぅ!」

 

 だが。逆にガッチリと頭を抱え込まれて、天国のような地獄へ落ちていった。

 

「よ……よみかわセンセー!そんなに僕の事を?わっははは巨乳バンザァアッ――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 火澄を追いかけたどり着いたのは、第七学区のとあるひと区画だった。

 すぐそばの公園に、公衆トイレがある。火澄はそこで、服を乾かしているようだ。

 

 

 彼女を待つ間、景朗はそばにあった壁に寄りかかるように立つと、静かに腕を組んだ。

 考えなくてはならない事がたくさんあった。彼はすぐさま、思考の海に沈んでいく。

 

 

(あいつは、"あれ"でも統括理事会『潮岸』の親族だ。あまり手荒な事はできない)

 

 だが、それでも、あの発火能力者には何としても聞き出さなければならないことがある。

 

 陽比谷も、紫雲も、火澄に何の用があったのか。

 

 問題解決に際して、ひとつ突破口になりそうなアイデアがあった。理解しがたいことに、陽比谷は自分に興味がある。なんだか薄ら寒くなる言い方になってしまうが、それはまぎれもない事実だ。

 慎重に事を運べば、彼に関してはどのみち、いずれ進展があるだろう。

 

 

 

 気になる事が、もうひとつあった。

 紫雲継値という人物についてだ。不審な引っかかりはいくつもあった。だが、中でも最大級に景朗を悩ませていたのは、先ほど遭遇した、とある事実だった。

 

 

(壊せなかった。砕けなかった。あの"硬さ"は、"凍らせたなんて次元じゃない")

 

 

 景朗は握り締めていた左手を唐突に胸元に掲げ、ゆっくりと開いた。

 指と指の間にはうっすらと肌色の膜が広がる。

 水かきだ。カエルの掌のようにヒダがついたその場所には、透明な雫が溜まっている。

 

 その液体自体は、なんの変哲もない水。ただの水だった。

 ぺろり、と景朗は舌で舐めとった。

 

 やはり、水だ。正確にいえば、学園都市の浄水施設が処理した、水道水だ。

 

 重要なのは、どこで採取してきたものかということだった。

 答えは簡単だ。

 あの現場に残されていた水だ。

 そう。つまり、もともとは紫雲の氷だったのだ。

 

 

 

 あの時。氷の巨人に噛み付いた時は。ひとつひとつ氷晶のプレートがバラけてくっついていたから、首を切り離すことができたのだが。

 

 だが、その後。紫雲継値が逃げる直前。

 口の中に、氷の柱を突っ込まれた、あの時。

 

(全力で噛んだ。手加減なんかしちゃいない。本気で壊そうとした。でも、あれは……あれは……)

 

 牙と牙でがっちりと氷を挟み、全霊を賭けて噛み砕こうとした。

 それでも、破壊できなかった。罅ひとつ、傷ひとつ付けることができなかったのだ。

 

 景朗は無意識のうちに、自らの顎に手をやって、さすった。

 

(イカれた硬さだった。俺は全力で噛んだってのに。軋みもしやがらなかった。そればかりか――――逆に、俺の顎のほうが先にぶっ壊れやがった!!)

 

 たしかに、物体は冷やせば冷やすほど、基本的には硬くなっていく。

 摂氏0℃の氷はモース硬度で表せば、1.5ほどの硬さだが、

 それが摂氏-70℃ともなれば、一気に硬度は4倍、6という数値にまで跳ね上がる。

 

 

 

 陽比谷たちには確信が持てないのだろう。確かめる手段もなかったはずだ。

 

(でも、俺は違うぞ。俺は体感した。あの"揺るぎなさ"!)

 

 

 どんなに硬い物質でも、必ず少しは"たわむ"ものだ。形状は微小に歪む。

 

 そのはずなのに。揺るがなかった。

 この"悪魔憑き"が全身全霊で破壊に望み、それでも揺るがなかったのだ。

 隔絶した、"絶対硬度"。

 

 

 あれは、"無限"の硬さだったとでも?

 どんなに強化しようと"有限"の硬さしか持てない俺の躰だったから、俺の顎が先にぶっ壊れたとでも?

 

 

(いいや。違う。そもそも、あれは、あの結晶は元々、ただの水だ。どんなに冷やして固くしようとも限界はある!そうだ。水だ。冷やした程度で、あれほど硬くなるわけがない)

 

 

 

 紫雲は嘘をついている。あの女の能力は、冷却能力などではない。

 その結論に到達した瞬間。

 景朗の胸中に"とある疑問"がごく自然に湧き上がった。

 

 

「あの女、本当にただの大能力者(レベル4)だったのか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏場だというのに、ブカブカのマフラーで顔面の半分を覆っている。

 そんな格好の少女が居れば、当然のごとく人目を引くはずだった。

 ところが。周囲は薄暗く、既に夜の帳が降りている。

 実際のところ、彼女の奇抜な格好を気にするものなど、そう多くはいなかった。

 

 

 大きなマフラー。無骨な超ロングブーツ。長袖のジャケット。

 季節に真っ向から逆らうコーディネートの少女は、どこか疲れたように歩いていく。

 どこにも学生らしさが見受けられない少女だった。

 その片手に引っ掛けているコンビニ袋がなければ、彼女に親近感を持てる唯一の要素がなくなっていたかもしれない。

 

 

 時刻は、最終下校時刻をとっくに通り過ぎていた。

 それでも、第七学区の学生寮が密集する区画には、あちこちにポツポツと帰宅する学生の姿があった。

 

 

 

 歩き続け、公園を通り過ぎようとしていた時だった。

 少女は、ひとりの児童に目をとめた。

 遊具のそばに佇む、小学生低学年くらいの少女だった。

 

 

 マフラー少女は公園に入り、ベンチに腰掛けた。

 

 人の存在を感じたのが、キッカケになったのだろう。ランドセルを背負った小学生の少女は、ひとり寂しそうにブランコを漕ぎ始めた。

 

 

 

 

 紫雲はぽさり、とベンチにコンビニの袋をほうる。

 続き、淀みのない動作で、その中から紙コップとゴムのチューブを取り出す。

 

 そしておもむろに、能力を発動させた。

 

 どこまでも、どこまでも薄く氷が伸びていく。

 そうしてできた氷の刃は、ナイフの代わりになった。

 

 そうして、"それ"が出来上がるまで、わずかな時間しか掛からなかった。

 

 紫雲は出来上がったその紙コップを、両手にひとつずつ持った。

 コップの底と底に、チューブが繋がれている。

 

 なんの変哲もない、糸電話だった。

 

 片耳にコップを当て、もう片方で口元を押さえて。

 

 そして紫雲は――――。

 

 唖然とする小学生の少女が見守る中、ぶつぶつと独り言をつぶやき始めた。

 

 

『驚きました。以前からお話だけは拝聴していましたが、今日、"彼"と接触しました』

 

『あれは、貴方の差金ですか?』

 

『勿論、最低限の邂逅で済ませたつもりです。能力も、"一部しか"使用していません』

 

『……』

 

『拝見したところであれば――あの程度なら、問題にはならないかと』

 

『今後、任務の障害になるようなら排除してもよろしいですね?』

 

『……了解、しました』

 

 

「ねえねえ、お姉ちゃん。何してるの?」

 

 ランドセルを背負った少女の興味が、我慢の限界を上回ったらしい。

 そして、糸電話の構えを解いた紫雲の反応も、意外だった。

 近づいてきた少女に対し――――"能力主義"のメンバーには決して見せないであろう、柔らかな微笑みを返している。

 

「糸電話。知ってる?」

 

 彼女の態度から鑑みるに。紫雲はどうやら、ランドセルの少女に話しかけてもらいたかった様子である。

 

「知ってるよ。でもお姉ちゃん、糸電話ひとりでしてたの?ひとりじゃつまらないよ?」

 

「じゃあ、やったことは、ある?」

 

「ホントはやったことないかも」

 

「お話しましょうか?」

 

 少女を横に座らせると、紫雲はコップを互いによく見える位置に持ち上げた。コップに人差し指を当て、説明口調でしゃべりだした。

 

「こう見えて、学園都市特製の断熱素材複合層の紙コップ。わりと吸音性も高い。ゴムチューブのこの糸は、普通の糸よりも――」

 

「わかったから早く早く」

 

 ランドセルの少女は口元にコップを運んだ。だから紫雲は、耳元に手元を寄せる。

 

『ねえー、お姉ちゃん。さっきひとりで糸電話してたけど、なにをお話してたの?』

 

『内緒』

 

『もしかして能力でおはなししてたの?』

 

『お姉ちゃんはこれでも"エスパー"だからね』

 

 少女は納得がいった、とでも言いたそうに目を丸くする。その手から、糸電話がぽろりと転がり落ちた。

 

「ほんと、じゃああたしもパパとママとお話しできる?」

 

 頼み事をした少女の表情には、口調とは裏腹に余裕が浮かんでいなかった。最終下校時刻を過ぎても寮に帰らず遊んでいたことも、何か関係しているのだろう。

 

「そう。私の弟も、よく同じことをいってたな」

 

 泣きそうな顔で、少女はさらに懇願を続けた。

 

「できない?お願い、お姉ちゃんお願い……」

 

 紫雲はおもむろに、小さな端末を懐から取り出した。少女に画面を向けて、質問を放つ。

 

「お家の場所、わかる?」

 

「わかるよ!夏休みと冬休みは帰るもん。お姉ちゃんは?」

 

 紫雲は質問には答えず。代わりに、少女が指さした地図を拡大して覗き込む。

 

「わたしは、昔、この辺に住んでた」

 

「へぇー」

 

「それじゃあ、お話はできないけど、声だけは聞かせてあげる」

 

「ほんとに?」

 

「この時間だと、まだお父さんはお仕事かな?」

 

『――あっ!ホントだ!ママがお友達とお話してる!すごい、すごい!』

 

 しばらく聞き惚れていた少女は、紫雲の額に浮かんだ汗を見て、あわててもういいよ、と口にした。それから思い出したように、少女は口元に紙コップを当てて、言った。

 

『じゃあお姉ちゃんも、ママたちとお話してたの?』

 

『違うよ』

 

『誰?カレシ?』

 

おしえておしえて!と騒ぐ少女。

完全に元気を取り戻したようだ。

 

「じゃあ、教えたらそろそろ、家に帰る?」

 

「んー。わかった」

 

 少女が我先に、とコップを口元に当てる。だから紫雲は、耳にコップを運ぶ。

 

『ねえ。誰とお話してたの?』

 

『お姉ちゃんが話してた人は、アレイスター・クロウリーって人』

 

『ええー?だれー?』

 

『この街で、1番偉い人』

 

 紫雲がコップをベンチに置くと、少女がつまらない、と口を尖らせていた。

 

「もうおしまい。それじゃ、そろそろ帰ろっか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ランドセルの少女が帰路に着くのを見届けてから。紫雲はゆっくりと、公園から歩き出した。

 

 すぐ脇に、黒塗りのワゴン車が止まっていた。そこへ迷わず、足が向かう。

 

 彼女が扉を開けるまでもなく、内側から車のドアが開いた。

 

「お待ちしてました」

 

 紫雲は口をつぐんだままだ。迎えた人物も、彼女の性格をよく知っているらしい。特に不満げな様子はない。当たり前の、いつもの出来事だという事なのだろう。

 

 

 隊員からタブレットを受け取ると、紫雲は慣れた手つきで情報を閲覧していく。

 

 画面の右端には、部隊の隊章が表示されている。

 

 八本の手足。蛸がシンボルに描かれている。

 

 

 

 ここにはいない雨月景朗は、きっとその意匠の意味を知っている。

 

 "縞蛸部隊(ミミックオクトパス)"。暗部の偽装工作部隊だ。

 

 

 

 隊員は、紫雲とは長い付き合いの古株だったようだ。その証拠に、彼はその日、彼女がほんの少し、いつもより機嫌が良いことに気づいてみせた。

 

 

「今日は機嫌がよろしいですね。なにか良いことでも?」

 

 

「……今日、"第六位"に会ったの。頑張ってくれてるみたい」

 

 

「……はあ。……それは……?」

 

 

 隊員には、紫雲の発言の意味を何一つ汲み取ることができなかった。

 

 

「すみません。おっしゃっている意味が……。

 

そもそも"第六位"とは――――貴女の事でしょう?」

 

 

 隊員は、さらなる質問を諦めた。いくら待とうとも、紫雲は答えない。そんなこと、重々承知していることなのだから。

 

 

 彼女は機嫌が良さそうに、車外の音に耳を傾けている。

 興味がないのだ。彼女は興味がないことに、答えたりはしない。

 

 




おくれてすみませんorz

深夜ならギリギリしあさってだったということで・・・orz


次の話は、一週間ほどください。
もしかしたら、もっとはやく更新できるかもしれません。
ええ。どなたかがおっしゃったとおり、今は筆が進むんです!

感想の返信は明日必ず行います。申し訳ありませんorz


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episode29:欠損記録(ファントムメモリー)①

 

 

 

 

 仄暗火澄がトボトボと覇気のない足取りで、公園の中程まで顔を出した。

 身だしなみを整えて濡れていた服も乾かしたようだが、少しシワになっている。

 

 すぐさま近づいていった景朗は声をかけた。同時に、ポケットから拾っておいた携帯電話を差し出す。

 

「壊れてるけど、これ」

 

「景朗っ。どうやって、あぅ――ありがとう」

 

 受け取る寸前に、火澄はぎくりと体をこわばらせた。携帯が壊れたそもそもの理由が、記憶に蘇ったのだ。彼女の右の手のひらには、今だに赤い線が薄く走っている。紫雲に凍らされた携帯を握り締めて負った、軽い凍傷の跡だ。

 

 しかし、携帯は夏の熱気にさらされ、とっくに常温で生暖かくなっていた。触っても平気に決まっている。落ち着かなさそうに携帯を握りしめたところで、火澄は思い出したように礼を返してくれた。

 

「見せて?」

 

 景朗は自ら彼女の手を取って、腫れた赤い筋に目をこらす。

 

「見たところそこまで酷くなさそうだけど……」

 

「大丈夫。すこしひりひりするだけ」

 

「うん、ほっといてもすぐ治ると思う。その前に痒くなるかも」

 

「これもほとんどやけどみたいなものでしょ?発火能力者はこれくらい平気です」

 

「そっか。良かった。あ。……そういえばまだあれあるの?お腹のやけどの跡」

 

「へっ?……ああ。ありますけど?」

 

「見せ「見せないっ」ろなんて言わないって……」

 

 火澄は両手を腹部に回して隠すと、すこし頬を赤くして睨みつけた。二の腕が胸の前面で狭まり、前傾姿勢気味だ。

 

(あーお。そのポーズ、すっげえ胸部が強調されるんですがくぁwせdrftgyh)

 

 景朗は唐突に、ものすごく昔にあった出来事を思い出していた。火澄とやけどと、おっ○い。恐らくその三つの単語が引き金になったのだろう。

 

 小学生の頃だ。買い出しを頼まれた景朗が、手痛い失敗をした話である。

 スーパーで、メモに記載されていたものとは値段が断然に違う、叩き売られていたトマト缶を発見したのが始まりだった。本来買う予定だったものではなく、捨て値で売られているモノを代わりに買おう。そうすれば、浮いた差額で露店のケバブサンドをGETできる。

 ちょっとした"やりくり"の範疇だと、その時の景朗は思ったのだが。

 呪うべきは、彼の注意不足だった。結論から言うと、トマト缶だと思って買ったものは、トマト缶ではなかったのだ。ビートの缶詰だったのだ。

 

 もちろん彼は、マジギレした料理当番の火澄からその場で報復を受けた。煌々と体中にまとわりつく熱風の恐怖を、今だに思い出せるそうだ。

 それほどまでに、その時の彼女の怒り様が半端ではなく怖かったので、景朗は命からがら少女の胴体に飛びついた。感触は覚えていないが、なにかがふにゃふにゃしていたことだけは何故かおぼろげに覚えていて……。

 自分の体ごと燃やす馬鹿はいない。慌てて火を消そうとした火澄も動揺したのか、うまく消火できずにお腹にやけどを負った。そして最終的にはクレア先生に喧嘩両成敗の沙汰を受けて、2人とも凹んだ。そういう話だ。

 

(そうだ。そういえば、あの時から柔らかかったんだっけ……)

 

 彼を責めないで欲しい。青少年は切欠さえあれば、エロい妄想をせずにはいられない生物なのだ。エロとは条件反射なのだ。

 

 あの時のやけどの跡が、まだ彼女の腹部に残っているのかどうか。景朗は唐突に気になった。ここ数年の過去を辿る。彼女とともに幾度かプールに行ったはずだが、景朗の記憶にやけどの印象はない。

 なるほど。そういえば、彼女はいつだってお腹周りが露出するセパレートタイプの水着を着用していなかった。

 

 そんなまさか。それではもはや……自分は火澄のビキニ姿を拝むことは一生無いということなのか。こんな時にこんなことに気が付くなんて、青髪クンを頑張りすぎた弊害だ。

 

 余談だが、残された大量のビート缶の処理は、当然のごとく景朗に押し付けられた。苦戦した彼がたどり着いたのが、件の彼の得意料理、ボルシチレシピである。それは園生からのプレッシャーに晒されて、彼が泣きながら編み出したものだったのだ。

 

 景朗は二重の意味でダウナー気味になり、気が付くとじぃっと、目線を一箇所に固定させてしまっていて……。

 

「わ。こら、みるなっ」

 

 何をしていたのか、察知されてしまった。

 

 唐突に2人は何も語ることなく、ぎこちなく見つめ合った。両者ともに何かを言いたそうで、しかし言いあぐねて口を閉じる。

 

 短い無言の後に、火澄はふぅぅーー、っと重いため息をついた。まだ昼時を過ぎた頃合だというのに、ひどく疲れた顔つきそのものだ。

 

 その気持ちは、景朗にもよく察せられた。先ほどの騒動で、彼女にも十分な量の災厄が降りかかっていたと言えよう。

 

「よし。とりあえずコーヒーを飲もう」

 

「とりあえずコーヒー、ねぇ?」

 

「それで少しは元気でるでしょ?」

 

「それはアンタだけでしょ?まあいいけど。あ、いや。待って、あのね、さっきの人たちが景朗を狙ってて」

 

「それなら大丈夫。俺もその人たちのことなら大体わかってるから。その陽比谷って奴は夜まで警備員の少年房から出てこないよ。ほかの奴らも病院にいる」

 

「そう。それなら……。そういえばよくココがわかったね。携帯失くしちゃってどうしようって思ってたから、助かったけど」

 

「あー。匂いを辿って」

 

「……に、におい、で?」

 

 "ちょうどトイレから出てきたばかり"の火澄は、羞恥と怒り、その他にたくさんの種類の感情をブレンドさせて、顔を赤らめる。景朗がそこいらのワンコよりももっと優れた嗅覚を持つことを、その身を実感して思い出したようである。

 

 何かを堪えるように涙目で、無言のままに景朗を再び睨みつけている。

 

「あいや、待たれい。拙者にそのような趣味はございま……アッー!危ッ、あぶなッ!ストップストップ待て待て待て、さっき助けてあげたじゃん!仕方ないじゃんっ!」

 

 火澄が恥ずかし紛れに炎を繰り出した。仰々しく手を差し出して制止していた景朗は、ひょこりと身をかがめてそれを避ける。

 

 炎の攻撃はすぐに止んだ。

 

 "能力主義(メリトクラート)"から助けた。その言葉が効いたらしい。火澄は頬をややふくらませ気味だったが、矛を収めることにしたようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 手近なカフェテリアに入り、相手がアイスティーをゴクリと一口のみ飲み込むまで見守る。当然、やりづらそうな目つきが反応として返ってくる。

 相手の口から文句が飛び出す前に、景朗は待ち望んでいた議題を持ち出した。

 

「で、陽比谷って奴とどんな関係なんスかね?なんか狙われてたみたいだけど」

 

「ふうん」

 

「……いや、なに? ふうん、て」

 

「やっぱり知らないんだな、って」

 

「何を?」

 

「陽比谷君とワタシはクラスメートです。同じ発火能力専攻の生徒だから、基本的に学校では毎日顔を合わせます」

 

「は?」

 

「関係って言われれば、それだけです。さて。景朗。あなたが学校に来て、まともに生活さえしていれば、彼のことは知らずとも耳に入っていたでしょうけど。そうじゃなかったってことね?」

 

 ぐうの音も出ずに、景朗は軽く息をつく。そのまま黙り込んで、深く椅子に腰を落ち着け直した。

 

「ごめん」

 

 ごめん、と呟いたのは景朗ではなく、火澄だった。

 

「いや、いつまでもその事で愚痴ってたら話が進まないなって。色々と特別な理由があるんでしょう? ――――そうだ。今日は……助けてくれてありがとう」

 

「いいよ、あれくらい」

 

「お礼をまだ言ってなかったから」

 

「じゃあ、教えてほしい。"能力主義"って奴らのこと。俺、待ち合わせの時間に遅れるってメールしただろ。あれは、あの時まさに陽比谷ってのに絡まれてた真っ最中だったからなんだよ」

 

 

 景朗は火澄に問いただしておきたい情報を、思いつく限り説明してみせた。"能力主義"とはなにか。陽比谷たちメンバーの個人情報。彼らが"先祖返り(ダイナソー)"を襲った理由。火澄自身が陽比谷や紫雲に狙われていた理由、などだ。

 

 

 "能力主義"とは大能力者(レベル4)が集まる社交クラブみたいなものだと、火澄もそう説明した。要は、彼女が知っていた事に景朗が収集した情報以上のものはなかったということだ。

 

 陽比谷たちの個人情報についても、火澄はあまり詳しくない様子だった。彼らの主要メンバーには"五本指"の生徒が多いらしいこと。陽比谷があくまで学園都市内限定活動のローカルモデルで、"潮岸"の又甥で、実家が金持ち。そのくらいのことしか火澄も知らなかった。強いて言えば、特筆すべき事でもないが、ひとつ。

 岩倉火苗という子とは、常盤台中学在校中に色々とヤりあった仲、なのだそうだ。(それを聞いて、火澄がよく文句を言ってた娘の名前だ、と景朗もようやく思い出した)

 

 陽比谷に毎日のように熱心に誘われ、たまたま一週間前に見学に行っただけ。当然のごとく、彼らの内部のイザコザなどに関与していない。

 景朗(レベル5)と待ち合わせた場所で、"彼ら"と鉢合わせた。その結果が今日のあの騒動だと、うんざりとした顔で火澄はアイスティーをがぶ飲みする。

 

「紫雲やら、垂水、茜部ってのに面識はなくて、なのに何故か興味を持たれてた?」

 

「本当に理由がわからないの。……眞壁さんが言うには……ワタシの能力なら、あの紫雲って人を打ち負かせる? って話だったみたい。言っておくけど、これも全部あやふやな話だから……」

 

 火澄には、本当に狙われる心当たりが無いようだ。それだけわかれば、あとは彼女に教えてもらうべきことは、無かった。そのはずだった、が。

 

 

――どうして、あんな奴らとかかわり合いになろうと思ったんだ?

 

 心に湧き上がる疑問。"能力主義"に関わった理由は、誘われたから。彼女の話ではそのようだ。聞くべきことは全て聞いたまだ完全じゃない。

 

――どうしてあんな"奴"の誘いに乗ったんだ?

 

 いいや。これもまだ違う。本音に耳をすませば――。

 

――もしかして陽比谷のこと好きだったり? じゃああいつ○○すわ。

 

 という、嫉妬に近い衝動だった。ちなみに、○○にはすべてのワードが当てはまる。『コロ』や、『つぶ』、『ボコ』、という可愛い二文字が候補となる。

 

 何故誘いに乗った?!

 

 物凄く訊きたい。問いただしたい。そんな想いがふつふつと湧き上がる。しかし景朗は何故だか、その意欲を全力で体の内に押さえ込み、蓋をして平然と振舞い続けてしまうのだ。

 

――――絶対訊かねえ。いや、訊こうぜ。いやだよ恥ずかしいだろ。でも訊かねえと……。

 

 胸の内でぶつかり合う二つの思考。

 心地の良い声に耳を傾けている間、深く深く、その思考に煩わされつづけた景朗は、最後にでたらめな解決方法を思いつく。

 

 まるごと無視してほうっておくことにしたのだ。一般的には解決方法とは言わないけれども。

 良くないことだと頭で分かっていても、そうするしかなかった。そうしてしまおう、と。

 

 そう決意したところだったのだが。

 

 

「かげろう? なんだかすごく怒ってない?」

 

「いや。ただ、どうして陽比谷なんかの誘いに乗ったんだと?」

 

(あ。言っちまった。……いや、そうだよ。別に質問を我慢しなきゃならない理由もないし。俺の頑固な嫉妬がなければ尚更……)

 

「なっ、なにそれッ。ワタシの勝手でしょ?」

 

「うん。言った瞬間自分でもそう思った。火澄の勝手だな。言いたくないならやっぱ喋らなくていいよ」

 

「……言います。教えてあげますぅ!」

 

 わずかに怒気を含んだ、火澄の声。景朗も、何を勿体ぶって口にされるのだろうかと、身構えた。

 

「あ、ああ。聞こう」

 

「……"超能力"が知りたかったから」

 

「う、うぅん?」

 

 ほんの少し、わかりにくい答えだった。景朗の合いの手も、精彩を欠く。

 

「だからッ、景朗に先越されちゃったまんまじゃムカつくから、とっとと追いつきたかったってこと!だから"能力主義"の見学に行ってみようかな、と踏み切ったの。何か文句あるッ?」

 

「ぅーん。――本当にそれだけ?」

 

 純粋な疑いの質問だった。だが、それは挑発と受け取られたらしい。

 

「わ、悪い?! あんたに舐められっぱなしなんて今までなかったじゃない!?」

 

「え、俺、舐めてたの? 舐めてるの?」

 

「……かげろ~おぉぉぉぉ」

 

 ふぅ、と誰の目にもわかりやすく、景朗は鼻で息をついた。彼の態度に煽られた火澄の姿勢が、危険なものに変わっていく。

 

(舐めてると思われてても、仕方ないか)

 

 四月の終わりごろに"第二位"の襲撃に巻き込んで、説明も端折り端折りで大まかにしかしていない。少なくとも、火澄が納得するまで話し込んではいない。彼女にあれだけの危険が生じたにも関わらず。

 どうやら彼女は、景朗が幻生とコンタクトを取り始めた頃から不審に思っていたところがあって、それがあの一件で吹き出したのだろう。

 

 ここ最近仲が悪くなっていたのも、教えろ、教えない、のやり取りを続けてきたからだ。景朗も、不器用にも『危ないから話せない』の一点張り。景朗は、彼女の保護者気取りだったつもりはない。でも、彼女にとってはそう感じる部分もあったに違いない。

 

「ふ。かもね。確かに舐めてたかもね。でも好き好んでやってるわけじゃないって、それくらいはわかってくれてるんだろ?」

 

 急に自嘲気味につらつらと語りだされて、今度は火澄がクエスチョンマークを浮かべている。

 

「仕方ないんだ。超能力者(レベル5)は別次元だよ。人生が変わるって意味でもね。とにかく……申し訳ない」

 

 さっぱりとした口調で、景朗は淡々とそのセリフを口にすると。最後には、深々と頭を下げて、幼馴染に謝罪した。当人はいたって真面目で、からかうような雰囲気は皆無だ。

 

「なに。急に」

 

 戸惑い。ほかの質問は、そのせいで火澄の喉元で止まっているようだ。

 

「とにかく、迷惑かけないように努力するから。誓うから。色々説明するのが筋だって思うこともあるんだけど、本当に危ないから。俺は話さないよ」

 

「もう、いい。もういいから。あーもう、このやりとり何度目? はぁー。わかったから。そんな泣きそうな顔しないでよ。デカい図体しといて」

 

「ういっす。よかった、分かってもらえて。でも別に泣きそうじゃないけど」

 

「いいえ。ものすごく見覚えのある顔です」

 

「はぁ? なんでそうなるのかわかりませんね、いやマジで。あんま否定すると嘘っぽくなりますけれどもね」

 

「いいえ。小さい頃はそんな顔で泣いてました」

 

「いいえ。それは気のせいです」

 

「いいえ。急に敬語を使い出すところとか、それっぽいです」

 

「そ、そんなことマジでないっての。ちょお、なんなんスかこれ。泣けばいいの?」

 

 

 

(あれ。なんか前みたいな雰囲気だ。このノリ、だいぶ戻ってきたぜ。確信がある)

 

 以前のように、にこやかに火澄と語らえている。素直に一言でいうと、楽しい。

 

 やはり、面と向かって話すと、コロコロと変わる相手の表情が飽きさせない。面白い。

 

 

 

(彼女たちを、アレイスターが狙ってる? ヘマをしたら、ペナルティを食らわせられる?)

 

 

 ありえない。無しだ。それだけは無しだ。止めさせてもらう。防がせてもらう。いつまでだって。

 

 そうだ。いつまでも……彼女たちの安全の代わりに、"あいつら"を……。

 

 ああ。考えるだけで最悪だ。今日も命令があれば……。

 

 

 

 

 

 アレイスターの苛政を正す! 

 そう決意した、肝の据わった素敵な連中が、毎度毎度俺の牙の餌食になっていく。

 彼らの中には、こう信じきっていた奴らも居たりする。

『あの男の生命装置を外せば、すべてが終わる』

 

 そう思い込んでいた人間は、意外にも多かった。

 

 

 

(残念だが、そんなわけねえんだ。そんな一手間で済むわけねえだろ。

教えてやりたいなぁ。そんなことしても無意味なんだ。

 

生命維持装置の破壊なら、俺がもうとっくの昔にやってみたんだから。

 

去年のクリスマスに無謀にも壊してみたさ。

でも……今なら考えるまでもなく当然のことだ。

 

そんなあからさまな弱点が、あいつに存在する訳が無い)

 

 だから一層、哀れみを誘う。

 

 忸怩たる想い。どう考えても不可能だ。

 あの男が強いとか、強かだとか、そういう以前の問題だ。

 接していると、ひしひしと感じられる。

 

 濃密な時間の密度。

 

 雨月景朗が生まれる前? 学園都市が生まれる前?

 違う。おそらくはあの木原幻生が生まれる前からでも、まだ足りない。

 どれだけ遡ればいいのか、見当もつかない。でもきっと、それくらいでちょうどいい。

 

 

 ずっとずうっと、ずぅーっと前から入念に準備してきたその全てを。

 アレイスターは"今"この時に集約しているに違いないのだ。

 

 

 そんな相手に、一朝一夕でどうにかなるはずもない。

 勿論、アレイスターは悪どい奴だ。人質を取られてるから、景朗だって十分に理解できるとも。

 でも、だからこそ。もっと命を大事にしていこうぜ。不死身の自分だって、この有様なんだ。

 どうか死に急がずに!

 

 あの男は何でも知っているんだ。街で起こる事件をまっさきに嗅ぎつけ、害虫駆除の注文を授けるように、簡単に自分を顎で使う。

 アレイスターの命令には逆らえない。絶対だ。

 まあ、理解している。このままじゃ永遠に奴の奴隷のままだと。

 

 倒せないなら、アレイスターの弱みを握ろうか。そう考えたりもする。

 弱みを握る。あの得体の知れない、未知の方法を駆使するあの男を出し抜いて。

 

 どうやってだ? まるで想像もつかない。

 おまけに……失敗すれば? しっぽをつかまれたら?

 

 アレイスターの弱みを探ろうと、画策する。

 そんな試みすら、試したことはない。

 

 アレイスターが、火澄たちに手をかける? 

 まいったね。奴の手にかかれば、ヤッヴァイくらいに簡単なことだろう。

 

――――冗談じゃない!

 

 自分にだって執着を寄せる人間はいる。

 彼女たちがいなくなってしまうなんてゴメンだね。

 

 景朗はただアレイスターの命令を鵜呑みにしつづける。逆らう素振りすら見せたくはない。アレイスターと敵対しては、自分の身すら守れない。そんなこと、わかりきった事実だ。

 

 

 しかし。そんな簡単な事実が、毎夜毎晩、景朗の脳みそにハンマーを打ち付ける。

 

(逆らったってムダなのに、懲りない連中が湧き続ける。きっと永遠に終わらない)

 

 身を持って知っている。"連中"だって、バカじゃあないのだ。ならば、何故?何故?何故?

 

 

 

 おいおい。またネガティブなことを考え始めている。考えても仕方のないことは考えるな。

 

 

 

 

 ん。あれ? はて。迷惑をかけないように?

 そういえば、もとからそんな話をするつもりでそもそも今日は彼女と待ち合わせをしたのではなかったか。

 

 

「そうだそうだそうだ。こんな話はヤメにして、そろそろ本題について話さないと」

 

「本題? あー……。そう、ね。クレア先生の……」

 

 どうしたというのだろう。火澄は話題が切り替わったのとほとんど時を等しく、落ち着きがなくなった。

 

「ウチ(聖マリア園)の手伝いは、ワタシが何とかする」

 

 そして、彼女は何の前振りもなく、そう宣った。

 

「火澄が? え、それって全部? 全面的にってこと?」

 

 そもそもの発端は、カプセルのアジトで回収した子供4名の身元の引取りにある。子供達が増えたせいで、クレア先生の目が回りそうだ、という火澄の報告でこうして集合したわけなのだが。

 

「そうよ。ワタシ以上に適任者はいないでしょ? ウチの事は何でも知ってるもの」

 

(それは素直に、頼もしい。本人のおっしゃるとおり。文句のつけようがない)

 

「そのさ。なんというかね。火澄がバイトとして働くってことだよね?」

 

「うん」

 

「なんというか、色々とほぼ解決?」

 

「それはそうだけど、景朗は少し冷たいんじゃない? 今、ウチには高校生の代はワタシたちしかいないのに」

 

「ごめん。でも無理なものは無理だ」

 

 

 中学の卒業はそれと同時に、聖マリア園からの卒業も意味していた。どこも似たり寄ったりだ。"置き去り(チャイルドエラー)"にとっては16才で独り立ちしたも同然だ。皆、別々の道を歩いていく。

 とは言っても、人と人との縁が途切れる訳ではない。聖マリア園にも、昔は高校まで世話になる兄貴・姉貴分たちも居たと聞く。最近はそうもいかなかったみたいであるが。

 

 然るに、景朗は中学の卒業を期に、ほとんど顔を出さなくなっていた。月に一度、様子見に行くか行かないか。そのくらいだ。あまりに頻繁に景朗自らが視察に乗り出せば、リスクを招く事態になるかもしれないからだ。

 

 そのような体たらくだったので、園内の実情を知る手立ては、ほとんど火澄からのクチコミ便りになっている。

 

 

「ううん。ごめん、またグチっちゃって。別にいいから。仕方ないんでしょ」

 

 ところが意外にも、火澄はすんなりと許した。景朗は目をしばたかせる。てっきり、本日はその事で色々と話し込む予定なのかと思っていたからだ。

 

「いや、謝るのはこっちのほうだって。あー、それじゃ。なぁ、今日は何を話したかったの?」

 

 その質問を付け加えた途端だった。火澄は歯切れの悪そうに、どこか悩むようにアイスティーを手に取って、口に含む。

 

(何か変だぞ。……最初から少し変だと思ってたんだ。そりゃあ、ウチは今じゃ数が増えて20人ほどになってたけど、それが急に24人になったからって、何もかも急に忙しくなるわけじゃない。24人で目玉が飛び出るような忙しさだってんなら、その前の段階でも相当無理がたたってたはずだもんな)

 

 火澄がバイトとして、正式にクレア先生の手伝いをしてくれるというのなら、まさしく100人力だ。問題など出てこないはずだ。

 

 そこまで考えて。景朗は不思議に思う。それくらいの連絡なら……わりとギスギスしていた彼女との関係を考慮すれば、電話の一本で済ませてきそうなものじゃないか。

 それはそれで悲しいけれども。ありえない話ではない。

 

 現に、目の前で『自分が何とかする』と一言で言い切ったくらいなのだから。

 

 

 

 ゴクリ、と彼女の喉が鳴る。

 アイスティーに手を伸ばしたのは、逃げるためか、時間を稼ぐためか。

 その瞳を、じぃっと見つめる。火澄の目は大海を自由に泳ぎ、とらえどころのない軌道を描く。

 この娘、カナヅチのくせに目を泳がすのは得意ときた。

 

(ん? お、おや? なんか前もこんな雰囲気を味わったことが……身に覚えがある気が……)

 

 そういえば、丹生がカノジョなのかどうか、御用改めを食らった覚えがあった。常盤台中学の、いつものカフェテリアでの話だ。まだLv5になる前で、もう少し楽観的に人生を考えていたあの日々を、思い出す。

 

 

「か、かげろう。今日はね――――深咲の事、で話をしに来た、の……」

 

 くるものが来たか。

 

 

 その話か。

 

 この娘もう知ってるよ。あれ? 当然か?

 

 手纏ちゃん話したのか……

 

 女の子ってこういうことほかの人にも言っちゃうんだろうか。漫画とかドラマとかだとそうしてるしな。そうなんだろうな。火澄知ってるのか。

 だいたい、彼女は手纏ちゃんと一緒に暮らしてるんだしな。遅かれ早かれ、だ。だから、まぁ……………………………………………

 

 

 

 

 

ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああた、ハメやがった! 火澄ぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!!!

 

 

 

 

「か、火澄さん、あまり人を騙すのは宜しくないのでは? 特に、俺に対して。昔からあなたは――」

 

「そんなの景朗には言われたくないんだからっ! アンタがワタシに吐きまくってる嘘を思えばこんなの些細な問題でしょっ?」

 

(うげッ。その通りだ。正論すぎる、言い返せないっ)

 

「な、何を根拠にそんなことを」

 

「わかるわよそのくらいっ! とぼける気? お馬鹿? アホなの? 無理があるでしょ?」

 

「うぬぬぬぬ……。ふっ。悪いけど、その話は俺と手纏ちゃんのプライベぇと」

 

「わかってる! 口出しはしない! でも聞いて!」

 

「!?」

 

 ピキリ! と景朗は目を見開いた。

 何を言い出す、この娘。

 口出しをしないと言い出しつつ、まさに口出ししようとしているではありませんか!

(え? え? 口出ししない! っつって口出ししてきてますよ? なんですかこれ? 口出ししないんでしょう? ええっ?? 二律背反ですか?)

 

 

 豪快な矛盾の発言に口をぽかーん、と開けた景朗を見てしまったせいなのだろうか。火澄はやや気恥ずかしそうに早口にまくし立てる。

 

「待って! アンフェアになっちゃうから私は余計な口を出すつもりはないの。まあそう言いつつも現時点で口を出しつつある状態ですけど! でもお願い聞いて」

 

 息を吸うっと短く吸い込んで、さらに早口に言い切ってくる。

 

「その、ね? 口出しには違いないかもしれないんですけど、でもそうじゃなくてあくまでアドバイスとして聞いてください。そこのところはスルーしてお願い!」

 

 景朗も、ようやく口を開く。

 

「え? アンフェア? 今、アンフェアって……アンフェアってことは何? つまり?」

 

 一瞬にして、火澄の顔は燃えるような真っ赤に染まる。しかし顔色は変化せずとも、彼女の口調だけはすぐに平静にもどった。

 

「ええ、アンフェアじゃない。人の恋路に無闇に口を出すもんじゃないでしょ、フツー。例えそれが友達であろうとも」

 

「いやいやいや、口出しするのが一般論的にアンフェアやって言ったんとちゃうんですやろ、今の。今のアンフェア発言は誰か手纏ちゃんのほかに対抗馬が居るから、具体的な対抗馬が居るからそういう言い方になっ」

 

「じゃあそこもスルーしなさいっ!」

 

 ボフ! 聴き慣れた水蒸気爆発の小さな音だ。

 

 景朗の珠玉の一杯が、黒い飛沫を立てて襲いかかってきた。

 

「チョッ?! あ、わ、わあああ! うわあああッ俺のインドモンスーンが! アッ、アメリカンだったんだぞ! ああああーアメリカンのインドモンスーンだったんだ!」

 

 悲しみを全身で表現する大男から、椅子をガタリと引いて火澄は距離をとる。

 

「はぁ? インド? アメリカ? なにをわけのわからないこといってんのよ、コロンブスかアンタは」

 

「このコーヒーのことだ! この辺じゃ珍しく挑戦的な一品だったのに。ほとんど口つけてないっ! うもああああっ、だいたい勿体無いだろ何故俺のドリンクを爆発させたがる! それ禁止!」

 

 インドモンスーンと呼ばれる、インドのコーヒー豆がある。景朗が言っているのはその事だった。インドモンスーンを使ったアメリカンコーヒーが、無残に飛び散り果てたということなのだ。

 

「直接炙ったらかわいそーだからでしょ!」

 

 後ろめたそうに、そっぽを向いている。しかし。正面を向いたほっぺたが紅い。

 

「いいから! 珈琲にやるくらいなら俺の髪を炙ってくださっていいから! もうアフロになるくらい深煎りしていいからっ!」

 

 

 バスッ、と火澄がテーブルに両手をついた。

 

「話をもどしましょう」

 

 肝の据わった眼光に威圧され、景朗は姿勢を正してしまう。きっと、幼い頃からそうやって躾られてきたからだ。気がついたときには躰がそのように行動してしまっている。

 

(も、もどすのか~。話を、もどすのかぁー……)

 

 正面にいる彼女も、口では話をもどすと言っておきながら、どこかモジモジしているように見える。

 

「どうして返事をしないの」

 

 何故、手纏ちゃんに告白の返事をしないのか? そういう意味だろう。

 しかし、どうしてと言われても、具体的に手纏ちゃんに返事をしろ、何をしろ、と言われているわけではない。あれが告白だったのかすら、よくわからないところがある。

 有耶無耶なままに終わったからだ。でも。

 

(わかってますよ。そんな"逃げ口上"を手纏ちゃんに言えるわけない)

 

「急かされたってどうにかなるもんじゃないだろ?」

 

「ふぅー。これは。純粋なアドバイスです。口出しじゃありません」

 

「おう」

 

「逃げずに話してあげて」

 

「なんて言えばいいか」

 

「だから今日は話をしたかったの。そんなの考える必要ないの。ただ会って、景朗の本心を言えばいいだけ。何も思いつかないなら、何も考えが浮かばないって、そう返事をすればいいんだよ? 変に取り繕わなくていいの。それだけでいいの。バカなのにどうして考えたがるの?」

 

「あー、それ言っちゃう? なんかもう俺、元気ない……おうち帰る……」

 

 落ち込んだ素振りを見せる景朗を完全スルーして、火澄は言葉を重ね続けた。

 

「深く考えずに深咲と会って、その時感じたことを言えばいいだけなの! 何を言われるか、言うかじゃなくて、それすらわからないなら、今は会ってみてどう感じているかだけ伝えればいいいと思う」

 

 そこまで言うと、火澄はいきなりテーブルに腕を載せ、そこにぐったりと顔を伏せた。彼女にとっても、そこまで口にするのが限界だったのだろう。

 腕の中から話すせいで、火澄の声はくぐもって聞こえてきた。

 

「こんなこと言っちゃったけど、逃げるのも景朗の自由だから。もうこれ以上私だって偉そうなことは言わないし、景朗の選択には何も関わらない、から。でも、私は、深咲と話をするのは、早ければ早いほど良いと思う。これからも深咲と一緒に居るつもりなら」

 

「うん。そうだね」

 

「ふぅぅー。最近、深咲にはお世話になりっぱなしだったから、お節介せずにはいられなかっただけ。ごめんね景朗。余計なこと言って。これで全部、おしまい。あとは何も言いません。

まあ、あとは……同居人がいつまでも落ち込んだままなら、そうさせた犯人のことを少しくらいは、恨めしく思っちゃうこともあるかもね」

 

 疲れたように、どこか寂しそうに、ふぃーっと息をついて、火澄は顔を上げた。

 景朗は照れくさくなって、かりかりと後ろ髪を掻いた。そのまま、目線をどこへも向けずに呟く。

 

「あー。とりあえず、近いうちに話すよ。会ってから」

 

「ふーん、そう」

 

 火澄は興味がないですよ、とばかりにバッグから携帯を取り出して、それが壊れていたことに遅れて気づいて、気まずそうにぬったりと鈍重な動きでそれをしまい直す。

 

 

「ぅおーっしゃーっ!」

 

 ドゴッ! と今度は景朗が両腕でテーブルを叩く。火澄が突然の奇行に肝を冷やして、びくりと震える。

 勢いで何もかもを吹き飛ばすように、彼は軽快に提案してみせた。

 

 

「お腹減った! 奢るからお昼食べに行こう? 嫌?」

 

「い、いいけど。じゃあご馳走になっちゃおうかな」

 

「いやー、何食う? 久しぶりに第十四学区行っちゃう?」

 

 気まずい空気はいつものノリで吹きとばせ。景朗の態度に、火澄も追従してくれるようだ。

 

「うん。私もさっきの騒動でお腹へってるなあ!」

 

 火澄も背伸びをして、気持ちよさそうに目を閉じている。

 

「お゛う゛っ」

 

(ものすごい着信履歴と、メール受信。はひいいい、丹生先輩だああああ)

 

 胸騒ぎがして、ひとまずOFFにしていた携帯の電源をONにした。その直後。

 心配した丹生からの、怒涛の着信とメールの嵐。

 

(ドタバタで……丹生のことすっかり忘れてた……履歴、すごいことなってる……)

 

「どうしたの?」

 

 硬直した景朗を不審に思い、バッグを肩にかけた火澄が不思議そうにかしげている。

 

(こ、ここで丹生さんシカトなんてありえない。後日火澄さんに今日のこと教えてもらって、次は丹生さんが水蒸気爆発するよっ。ていうかそれ以前に、嫌われたくなああああい)

 

 

「あ、あのさ……丹生さんも一緒にどう?」

 

 火澄はニコニコしていたのだが、その一瞬、時が止まったように見えた。

 気のせいだったらしい。ほとんど気のせいだと思えるようなタイムラグで、もちろん! と答えてくれた。

 

 電話で丹生を呼ぶ。ついでに手纏ちゃんにも声をかけることになるな。そう予想しつつ、景朗は横目で火澄を盗み見る。

 

 彼女も、どこかほっとしたような表情だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、昼食を皆で一緒に食べて。事態は急変した。

 

 

 手纏ちゃんと一体一(サシ)で、レストランのど真ん中。丹生と火澄は先に帰ってしまった。

 

 これは、もう。

(今、言うしかないよな……)

 

 

 

 

 




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episode29:欠損記録(ファントムメモリー)②

 

 

 

 丹生が飛ぶようにやって来て、次に手纏ちゃんが陰のある表情で現れた。

 合流した4人は、ただちに遅めの昼食へと駆り出す。

 育ち盛りの高校生は、やっぱりお肉へ目がいってしまうものだ。

 ハンバーグが美味しいと評判のお店が、話題に挙がった。

 反対意見はでてこなかった。

 

 

 

 時間がずれ込んでいたせいか、皆、あっという間に食べ尽くしてしまった。

 そういうわけで。今ではドリンクバーを片手に、食後の雑談に花を咲かせているというわけだ。

 

 

「いいよね景朗は。テスト受けなくていいし、"身体検査(システムスキャン)"も無いし……」

 

「いやー。俺も"身体検査"は心配だなぁ」

 

 丹生がこぼした泣き言に対する、景朗の答え。それは全員の予想を裏切る一言だった。

 

「えぇー? ヘンなの。どうして景朗が"身体検査"なんかを心配するの?」

 

 火澄も手纏ちゃんも、不思議そうである。

 

「う」

 

 景朗は口ごもる。

 皆にそのまま理由を説明するわけにもいかなかったからだ。

 うっかり青髪クンの躰で受ける"身体検査"のことを愚痴っていた。

 なにせ、判定をレベル1くらいにとどめておかねばならない。その手を抜くさじ加減が癖者だった。今さらレベル0からレベル1程度に出力を調整しろと言われても、一発勝負では自信がない。

 

「しー。オフレコオフレコ。トップシークレットで」

 

 Lv5関連の話題はナシで頼む。唇に人差し指をあて、不安そうに周囲に目配せする。ついでに、おもいっきり丹生から目をそらす。

 

「まあとにかくもう時間もないし、やれるだけやるしかないじゃない」

 

 火澄が割って入った。

 

「心配だよー。長点上機に入って初めての"身体検査(システムスキャン)"だし……」

 

 一方で、丹生はじーっと景朗を見つめたままだ。

 

「丹生さんは、その、授業中にもう少しだけ、睡眠を取らないように気をつけましょう」

 

 手纏ちゃんはおずおずと、口にした。丹生は腕時計をちらりと確認して、悔しそうにジュースを呷った。

 

「うう。ちょうどこのくらいの時間だよね、一番眠くなるの。……ふふ、なんでだろ。お休みの日はなぜだか眠くならない」

 

 その日は土曜日で、たまたま休日だった。レストランの席はまばらにうまっている程度で、客足は徐々にはけていく。そこそこの人気店にもかかわらず、人影は少なかった。理由は、時間帯によるものだろう。

 

 遅めの昼食だと評した通り、ランチタイムはとうに通り過ぎている。丹生のセリフ通り、平日だと授業でもっとも過酷な睡魔が襲ってくる頃合だろう。

 

「授業中でもこうやって炭酸が飲めたら眠気も覚めるのになぁー」

 

「お、そうだ、丹生なら能力でバレずに直飲みができるんじゃ? こっそりやれるんじゃね」

 

「駄目。先生に嫌われたら良い事なんてひとつもないんだから」

 

 景朗がそそのかすも、すぐさま火澄がたしなめる。彼女の言うことは最もだった。

 

 長点上機の教師ともなると、研究者を兼任するものがほとんどだ。

 というか、どちらかというと研究者が片手間にとった教員免許で教師をやっている。そう表現するほうが正しい場合が多い。五本指の一角である長点上機学園ともなると、尚更その傾向が強くなる。

 

 となると、生徒にとってもっとも身近な研究者が、授業を担当する教師になり得る。

 決定的に嫌われれば、生徒の進退に影響する可能性すらあるのだ。

 

 

 

 それにしても、景朗と絡みのある面子が一同に揃うのは久しぶりだった。女の子に囲まれて、ほんの少し座り心地が悪くもある。景朗は大いなる幸福感に酔いしれていた。

 

 ただ、極上の多幸感に包まれてはいたのだが、ひとつ問題も存在した。

 景朗と手纏ちゃんとの間にできた距離感だ。

 

 

 丹生は、景朗と手纏ちゃんの一件について何も知らされていなかったようだが――――これはただの景朗の勘にすぎないが、たぶん間違ってはいないはずだ。

 

 

 例えるなら、捨てられた子犬の形相に近い。疑心と不安に潤む双眸で直視してくる丹生多気美(にうたきみ)に、景朗は反応を返さなかった。返せなかったとも言える。なんと言えば良いかもわからず、ひとまず彼は波風が立たぬように徹したのだ。

 

 

 恐らく、丹生はとっくに気づいている。

 食事の時から上の空だった、景朗と手纏。そんな2人の様子から、彼女はありありと状況を推察していったらしい。それはもう真綿が水を吸い込む勢いで、あっという間に何が起こったのか看破してしまったに違いない。

 

 もしかしたら細かいイザコザまでありとあらゆることを、もう見抜かれてしまっているんじゃないか?

 

 雰囲気だけでよくぞ読み取れるものだ。景朗は昔から、どちらかというとそれが苦手だった。

 

 

 またしても、丹生と目が合う。ねえ? ウソだよね? ねえ? どうする気?

 彼女はなんだかそんなことを言っている気がする。

 

 景朗の直感はそう翻訳した。たぶん、間違ってはいない。

 景朗はあとでね、と無言で応える。 あ、だめだ。通じてない。

 こうして食事中からずっと、バシバシと何度も目配せが送られている。

 

 

 このような彼の態度をうけて、丹生の態度もだんだんと変わっていった。景朗はそんな気がしてならなかった。今ではもう、彼女に向けられる笑顔にうっすらと怒気が滲み出している。無性にそんな気がして、なかなか落ち着かない。

 

 丹生と手纏ちゃんから目をそらすものだから、自然と視線があちこちに飛ぶ。火澄の顔ばかり眺めているわけにも行かないから、余計にそうなるのだ。

 

 

「もーぅ。大丈夫だよ景朗。さっきからずーっとキョロキョロしてるよ?」 

 

 遠慮のない丹生のセリフは、景朗には『ちょっとはこっち向けよ』と言われているように感じられて仕方がなかった。

 

 ついでに言うと、火澄の鉄面皮っぷりもなかなかのものだ。彼女は割り切って楽しんでいる。カフェではあれほど親身にあれこれ口出ししてきたというのに。

 どこからどうみても、今では景朗に砂粒ひとつ分も興味がない様子である。

 

 手纏ちゃんとて、景朗と話す時以外はいつもの態度と全然違わない。

 

 すげえな。みんなすげえ。

 

 

 

 

 それでもしかし。やはり、久しぶりの歓談は集った面子を裏切らず、楽しいものだった。

 

 テストが終わったらどうする。好きな曲とアーティストが増えた。最近マイブームの料理がある。

 

 話題は尽きない。

 

 

 その折に。コーヒーのおかわりにと景朗がしばし席を立った隙に、事は起こった。

 

 まずいコーヒーだと文句をぶちまけつつも、しっかりとコーヒーサーバーの前で待機していた彼が、やっとテーブルにたどり着いたその時。

 

 

 ウェイトレスさんが空いたお皿を片付けてくれたのか、テーブルの上は綺麗なものだった。

 ところが少々、綺麗になりすぎだった。

 そこにいたはずの火澄と丹生の姿まで消えているものだから、もはや物寂しいくらいに綺麗だった。

 

 

 

 油断していたところに、思わぬ襲撃。

 景朗はただひとり、ぽつんと取り残されていた。

 

 みんな帰ってしまったのか? 自分だけ取り残されたのか?

キョロキョロと周囲を見回す。だが、焦って皆の影を探す必要もなかった。

 すぐにひとりの少女が見つかった。

 

 

 お手洗いに行っていた様子の、手纏ちゃんだった。足の止まった彼女と目が合う。すぐに逃げるように、視線をそらされてしまった。

 

 

 それはさておき、彼女もテーブルに景朗しかいないことに気づき、にわかに動揺している。うってかわってずいぶんとゆったりとした歩みで、テーブルへと戻ってくる。足取りは大昔のストップモーション映画のごとく、どこか煮え切らない迷いが見えていた。

 

 

 

 景朗は、これが火澄がプロデュースしたおせっかいであると瞬時に理解した。手纏ちゃんもおそらくは、彼の脳裏にその考えが浮かぶと同時刻に、同じ結論に至ったことだろう。

 

 

 

 

 近いうちに会って話すと、確かに言いました。深く考えこまずに感じたことを口にすればいい。その助言も耳に入れました。

 しかし、あくまでアドバイスだとおっしゃっていたではないですか。

 

 

(レスポンス早すぎぃっ! あなたは鬼ですか火澄さん! どうしろってんだ。ホントになーんにも考えていませんよボクぁ?! ついさっきそう話したじゃないですかぁっ!?)

 

 

 とにかく、もうまもなく、雨月景朗(うげつかげろう)は手纏深咲(たまきみさき)と2人きりになる。

 

 

 

 

 

 

 

 返事を待たせて、一週間以上経つ。なんだかんだで、これ以上手纏ちゃんを傷つけるのは気が咎める。

 

 全然関係ないかもしれないが、暗部で任務を続けてきたことで、得た教訓もある。

 そのひとつは、"チャンスは逃すな"、だった。だから。

 

「せっかくのこの機会。俺は有意義に使おうと思います。今日は俺、腹を割って話すよ」

 

 勇気を持って、景朗はスパッと本題に乗り込んだ。

 

「は、はい」

 

 思いのほか、手纏ちゃんも乗ってくれている。

 

「でも自分ひとりだけだと寂しいので、そのー。お互いに……っ」

 

「はいっ」

 

 手纏ちゃんの心臓が、どっくんどっくんと唸っている。緊張は、伝播するものだ。

 心拍音が聞こえてきて、景朗もいつもの調子がだせない。

 

「よし。わかりやすく、このお話のルールを決めましょう」

 

「は、はいっ」

 

 YES, と短い返事し返してくれない手纏ちゃんであるが、見逃してあげよう。

 『はい』という短い単語を口にするだけで、彼女の声は震えていた。

 

「『本音を語ろう~正直に~』 ってルールをね、考えてました。何も複雑に考えず、ぽろって本音を語る感じで。本心を隠さず打ち明けていく方向で。そこを念頭に置いてみよう、って感じね。

つまりね、俺は今から肩の力抜いて、フツーに思ったことを打ち明けていきます」

 

 その時。長々と景朗の話を聞いていた手纏ちゃんも、勇気を振り絞ったようだ。

 テーブルの上に乗せられていた彼女の拳が、ぐぐっと握られた。

 

「大丈夫ですから」

 

「よおし。それじゃ……ん? 何が大丈夫なの?」

 

「へんじは聞かなくてもへいきです。いいです。改めて聞きたくないです」

 

 

 

 まさか。そんなことを言われるとは。

 のっけからつまづいてしまった。てっきり、景朗は彼女が返事を待っている状態だと。ずっと返事を待ってくれているのだと、そう思い込んでいたからだ。

 

 

「あれ? 聞かない……の?」

 

「私、思い違いをしていたみたいなので、まず私の話から聞いてくださいませんか……?」

 

「そっ、か。うん。わかった」

 

「私……は、すこし思い違いをしてました……みたいです」

 

「……思い違い……?」

 

「私は、ずっとお父様のお言葉通りに進学してきました。学舎の園に籠りきりです。だから本当に、景朗さんのような男の人とはまともにお話したことすら、なかったんです。同じ年頃の男の子と話した経験なんて、親戚を覗いてしまうと……思い出せません」

 

 あそこ(学舎の園)は恐ろしい数の純粋培養お嬢様を育てているらしい。火澄や手纏ちゃんの話を聞くと、まったくもって真実だと信じるしかない。

 

「ですから、初恋は従兄弟の、年上のお兄様でした。そのくらい、私は世間知らずで……」

 

 手纏ちゃんは、もはや目も合わせてくれていない。

 

「だから、忘れてください。きっと初めて親しく交友(おつきあい)できた景朗さんを……その、条件反射的に……――き、になってしまっただけ、だったんだと思ってます。今では」

 

「は……。あ、そうなんだ。へぇー……。へぇーそうかぁ、そんな感じかぁ……」

 

 ついに言ってやったぞ。そんな達成感と、脱力が、手纏ちゃんから匂ってくる。

 

「そう、かー……そっかーぁ……」

 

 

 相手は、すっごい赤い顔でチラ見しまくっているが……だがしかし。

 それ以外に何を言えと。

 

(ここに来て撤回宣言かお。やめてくえお。

 ちょうしにのって、いろおとこまがいのきづかいしたのが、すっげーしねるお)

 

「えぇー。ホントに……。あーあ。せっかく女の子に告白されて人生勝ち組路線、行くも引き返すもすべて未来は僕らの手の中ぁ~だと思ってたんだけど。なんか、図に乗っちゃって、すいませんね……」

 

 

 死んだ魚のような目で、ぽつぽつと景朗は呟きだした。

 釣りそこねた魚を逃した自慢話をして、翌日、禁漁区であった事が露見。あえなく御用となった泥船野郎みたいな気持ちだと、彼は思った。

 

 

 空元気、という行動がある。今こそ、人生においてもっとも有用に使えそうなシチュエーションである、と。そう気づいた。

 

 

「いやー、あれノーカウントかって言われればどっちかといえばそうだもんね。カウント無しの領域に片足突っ込んでたもんね否定できない。否定できないああっすいませんてっきり勘違いしてました、なんかもう、なんかもう――」

 

 せめてもの、仕返しだった。

 

「はっはずかしぃですぅー。わたし、はずかしぃですぅーぅぅ!」

 

 景朗の渾身の声真似。声帯を能力で狭めて、少女特有のソプラノを演出する。

 

「なぁっ!? そ、それ私の真似ですかっ? あうあ、やめてくださいっ!」

 

 肩をゆさゆさと揺さぶられる。景朗は、はたと思う。貴重なスキンシップだった。手纏ちゃんと体を触れ合う機会なんてほとんどなかった。不思議と、このやりとりは楽しかった。

 

 なんだ。これからは普通にお友達どうしか。まあ、いいか。

 

 

「うわーっ! よかった早まらなくて! 危うく友達に元常盤台のお嬢様に告白されちったもんねザマァwww俺勝ち組wwwって自慢するところだった。あっぶなー。ホントギリギリだったぁー。背筋が凍るぅー……はぁ。そっかー。まぁ、仕方ないよね」

 

 『告白されちったもんね』というワードが、手纏ちゃんを一瞬にして真っ赤なゆでダコにしてしまったようだ。

 

 恥ずかしいのか、手纏ちゃんはテーブルの角に寄る。すこし距離を取られてしまった。

 もぞもぞと、両手で白い帽子をいじくっている。お洒落なガーデンハットだった。

 急にキョドりだした景朗をチラチラ見ていた彼女は、際限なく顔を赤くして、ややしてぽろっと呟いた。

 

「……あ、あの。やっぱり……そう思っていたのですが……こうしてうろたえている景朗さんを見ているとそうでもない気がしてきました? いや、来ています。……かもしれません」

 

「……はへ?」

 

「ご、ごめんなさい。今の話、わりと嘘です……」

 

「え! ちょっと、どっち、どっち??」

 

「あー! うわーああ! 今度は景朗さんの番ですよ私はたくさん喋りましたっ!」

 

 手纏ちゃんはがばっと白い帽子を突然かぶると、おもいっきり端を両手で引っ張った。帽子のツバはそれなりの長さがあったので、頭を完全に隠し、表情をそれ以上みせないようにガードされてしまった。軽く錯乱しているようだ。

 

「ええっ!?」

 

 帽子の隙間から覗けるのは、手纏ちゃんのらんらんと輝く黒目がひとつだけだ。

 

「もお喋りません……」 

 

「俺の番?! 喋るって言ったって何を?」

 

 ジトリ、と帽子の陰から恨めしそうな顔が覗いている。その目が語っていた。『本音を語ろう』と言い出したのは貴方からでしょう、と。

 

「つまりー……"あれ"がノーカウントじゃなかった場合の話? あれはオフサイドではなくてオンサイドだったと仮定しての話?」

 

「そ、そおですよ?」

 

 あの告白が本気だったら、景朗は一体どうしていたか。それが聞きたいらしい。

 

「……そうッスね……んー……俺は……まず。まずはそう! 俺はてっきり手纏ちゃんに好かれている……方に賭けて、性的……じゃなくて性急に事を運ぶのは不味い。というよりはその……さ、ねえ! あの何でも受けて立つって発言はやっぱりものすごく親密なふれあいに発展しても覚悟はできてたぜ、ってことだったの?」

 

 手纏ちゃんは無言のまま、すすーっと離れていく。ごっそりと景朗から距離をとって、ソファの一番遠い位置まで横滑り。

 

「いや、ごめんね勿論今のは冗談。『本音を語ろう』って言ったもんね、俺が。本音を語りましょうか……その……ぶっちゃけ……いい感じにキープできたらなぁ、と考えてたところがありました……」

 

「え……?」

 

 

 くっそう。焦らしやがって。つらつらと本音を語る景朗の頭の中は、手纏ちゃんの"嘘"が本当なのかどうかがひたすらに気がかりで、集中力がかけていた。

 重要な案件である。ひょっとしたら、脱童貞の道が再び開けるかも知れない、可能性が無きにしも非ずな……。

 

「手纏ちゃんの本気度がイマイチわからなかったし、俺は今、忙しい用事が目白押しで……だから手纏ちゃんとの仲をギリギリまで引きつけて、いつでも確保できる射程圏内に止めておいて、機会があればセッ……セットプレーで直接ゴールを狙うようなプレースタイルをですね。その……」

 

「つ、つまり、断るつもりはなかったってことですか?」

 

「――うん。うん、そう。そういう面もあるね」

 

「私はてっきり火澄ちゃん、か、丹生さんが……お好きだと。こ、断られるかと思って。でも」

 

「いやその……ふぅっ。うん。みんなまとめてキープしておきたいってのが本音……っていうか、いやいや、あッ、むしろゾーンディフェンスに近いね! こう、プレッシングをあえてかけ続けてくみたいなスタイル? それがベストかなと。あくまで自分の中の理想論。ほらっ! やっぱむりくり言葉にすれば今みたいなラフな言い方がでてくるのもしょうがないよね? それが人間だから!」

 

 火澄は、思うがまま、感じるがままに言葉を口にすれば良い。そのような助言をくれた。だがしかし、世の中にはやはり言っていいことと悪いことが、さすがにあるよね、と。

 景朗はドクズな発言をしてしまってから、後からじくじくと失敗を悟っていた。

 手纏ちゃんが今までに見たことない顔つきになっている。

 あまりに考えなしなセリフの途中で、急遽、路線変更を図る。図るしかないっ。

 

「勿論自陣のディフェンス力を過大評価してて馬鹿だなあとも思ってるよ。ロングカウンターを喰らえば命取りだから。でも自分の中に遠慮があって、どうしてもゴールを積極的に打てないんだ。自分でも悔しいんだけど、しょうがないんだ。やっぱりそれがレベルファイブの呪い」

 

 やばい。もう巻き返せない。こうなったら全面的にLv5が悪い。なんでもかんでもLv5が悪いんだと。そのせいで、ということにしよう。そうするしかねえ。

 

「景朗さん、ヘンな例えを連発して誤魔化さないでください。ちゃんと、ちゃんとわかるように言ってくださいっ」

 

「とにかく、俺は厄介な問題を抱えてるから付き合うとかどうのこうのはない、けど、本音を言えばめっちゃ勿体無え事しちゃってるなぁぁぁーッて思ってます」

 

「も、勿体無いってことは、未練があるんですね? そうなんですね?」

 

 突如、遠く背後でスチーム音が鳴り響いた。誰だ、やかましい。にわかに立ち上る強烈なコーヒーの香り。

 

 なんだ。誰かがドリンクバーのコーヒーサーバーを故障させたのか。こっちは大事な話をしてるんだ。あまり煩わせないで欲しいな。景朗がそう思った、次の瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは比喩表現ではなく、本当に起こったことである。

 突如、景朗のケツが煮えたぎった。まるで沸騰するお湯が、股間まわりで暴れているようだった。色々な意味で笑えない。

 

 

「未練、未練はあるよ。後悔も――――ッ!?」

 

 巨体が突如、飛び上がった。半腰で、両膝がガツンとテーブルを叩く。

 

「ばああ! あぢ! あヂヂッ、ひゃばあ、な、なんだなんだ、何だッああ!」

 

 景朗の奇声が轟いた。股間からはホコホコと湯気が立ち昇る。

 

(な――――ッ!? えあッ――――!?)

 

 突然の事態に理解が追いつかない。いや、追いついてはいる。現実をただしく認識してはいる。だが、景朗は対処法を思いつけずにいる。

 

 どうか彼を信じてやって欲しい。

 それは、正真正銘真実に、沸騰したお湯そのものだった。

 

 なぜか、アツアツのコーヒー、それも大量のコーヒーがどこからともなく現れて、まるで意志を持ったようにまとわりつき―――彼が必死に腰をくねらせても意味はなく――――どこまでも追尾してくるのだ。

 何故か、彼の下半身のデリケートゾーンめがけて……。

 

 

 

 手纏ちゃんは完全に当惑してしまっている。若干の怯えも含まれているかもしれない。

 

 ど畜生な熱湯コーヒーが、意味不明なことに景朗のズボンを盛大に濡らしている!

 熱から逃れようと、中腰で景朗は腰をくねくねと仰け反らせずにはいられなかった。

 

 他人がその行為をみれば、どう思うか? 引く。

 

 誰がどう見ても嫌悪感の沸く奇妙な動作で、しかもわけのわからないタイミングで小刻みに悶えだした。そんな彼の様子に、手纏ちゃんはじわじわと離れていく。

 

 

 

 

 

 

「ど、どうされたんですか? 景朗さん?!」

 

『やめてっ、やめてっ! 丹生さんダメッ! 邪魔しちゃ――ッ!!」』

 

『だッて! 許せないッつのォ!』

 

 

 

 

 

 

……おや? ざわついていた周囲の喧騒の中に。今、聞き覚えのある声が混じっていた。

 いずこからか、非常に聞き覚えのある声が二種類も。

 

 どこか遠くから。何かに遮られていたからか、小さかった。だが確実に、耳にした。

 

 間違えようがない。これは丹生と火澄の声色だ。いなくなったはずだが。

 機敏に、店内の窓ガラスを一望する。

 

 

 すぐさま発見した。

 予想通り、2人は店の外にいる。正面の窓ガラス越しに見える。

 

 火澄に羽交い締めにされた丹生が、怒りのまなざしでこちらを睨んでいる。

 

(ちょおちょおちょおちょお、ちょいちょいちょいちょい!

な、なんてことしやがるメスども!)

 

 丹生の仕業だ。このコーヒー責めは、間違いなく丹生の能力だ。

 彼女は比重の大きい液体しかうまく扱えない。そのはずである。先程もシステムスキャンが緊張するなどと口にしていたくらいだ。

 それがこんな時に限って、扱うのが下手くそなはずの水(熱湯コーヒー)をダイナミックに股間にぶつけてくるなんて!

 

 おそらく、コーヒーサーバーから熱湯をあちこち"くぐらせて"ここまで引っ張ってきたのだろう。

 器用なものだ。

 

 

『裏切りやがってェ!』『バレたからっ、もう私たちのことバレてるからぁ!』

 

 なだめる火澄に、キレる丹生。悲しそうな眼光がとても印象的で、まるで裏切り者を射殺してやると言わんばかりの表情だ。

 

(なんで? 裏切ったって、何でっ?? てか、口調まで荒々しくなってるっ)

 

 あれほど怒りのボルテージをあげた丹生は、初めて見る。

 口調が、信じられないくらい汚くなっている。どこか聞き覚えのある……ああ、黒夜海鳥だ。

 遠い昔の記憶。暗闇の五月計画で知り合った、あの乱暴な少女の口調に、似ている。

 どうして? どうしてそこまで怒るのか?

 

(あいつ、今朝"体晶"の薬を飲んだっていってたよな! だったら体の調子は悪くないはずなのに!)

 

 丹生の豹変に景朗は戸惑いつつも。

 

 やめろ、やめろおお! と声無き声を、口パクだけで外の少女たちに向けてみせる。景朗には店外の声も聞こえるが、少女たちにはその場から叫んでもどうせ通じはしない。

 

 だが、景朗はとにかくやめてほしかった。今すぐやめてほしかった。

 

(危険だッ! ねっとりとデンジャラスゾーンにまとわりつく――コーヒーがヤバい! 野郎のうずらをハードボイルドしようってかぁッ? 使い物にならなくなるだろうがッ!)

 

 念のため、熱湯からうずらをガードするように能力を使う。なんともの哀しい能力の使い道だろうか。

 そもそも何故このような真似をされなければならないのか。話を聞かれていたとしか思えない。

 

「はっ!?」

 

 そうか、もしや。景朗に心当たりが浮かぶ。

 

「手纏ちゃん、バッグの中!」

 

 手纏ちゃんは混乱気味だったが、言われたとおり自分のハンドバッグの中を改め始めた。

 ややして、彼女はバッグの底から丹生のハンカチを見つけ出した。

 

「あっ……なにか硬いモノのが……入ってます」

 

 案の定、そのハンカチには盗聴器がくるまれていた。

 景朗が丹生に用立てた、暗部諜報活動用の一品だった。めっちゃ高性能なやつだ。

 まずい。これでは自分たちの会話なぞ、丸聞こえだっただろう。

 

(今の手纏ちゃんのセリフ、そこはかとなく――――うおいっ!? てか、なんじゃそりゃ!? 裏切ったのはどっちだぁ??)

 

 確かに、野郎の都合100%のクズ理論を展開してしまったわけだが、それでも。――それでも。

 

(やめて!?俺だけじゃなくて他の人にも言えることだけど

 野郎の股間を熱するのだけは、やめたげてよお!)

 

 

(やめろ! いい加減にしろ! なぜ股間を狙う?)

 

 景朗も景朗とて、丹生を真正面から威嚇する。悲しそうな相手の表情は、どこか拗ねたように歪んでいく。

 

 正直、分かりたくもなかったが、景朗は丹生の目線を読んで、その狙いを理解してしまった。

 

 いいや、違う。この狙いの性格な場所は――ア○ルだ!

 

 

 

(そ、そういえば……)

 唐突だった。丹生の形相が、頭の隅にとある思い出を蘇らせる。

 

 

 

 

 思い出すと、すこし恥ずかしくなる。

 丹生の前で、わんわんと泣いてしまった、あの夜の一幕だ。

 

 丹生の事を守れなかったと、心底後悔した、あの夜の会話だった気がする。

 

 

『私のこと、守ってくれるんだよね。じゃあ、もし裏切ったら?』

 

『いや、絶対に裏切らないから』

 

 もし裏切るようなことがあれば、その時は――。

 

『ケツの穴からコーヒーをかっくらってやる!』

 

 俺は、確かにそういったのだ。

 

 

 

 

 だって。なぜなら。怯える丹生が。全力で頼ってくる丹生が、可愛かったから。

 

 

(だからついついカッコつけちゃったんですよ。カッコつけちゃうでしょお、フツー!?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いやいや、確かに『守る』とは言いましたが……。

 

 ガラスの前で、涙目の丹生が吠えている。

 

『なンでッ、許せ、ねェっツの!』

 

『もう十分! もうやめよ、お願い丹生さんっ!』

 

 必死に取り押さえる火澄も、すっかり怯えている。

 丹生のキレようは、どこか変だ。普通じゃない、そのはず。いや、今はそんなこと関係ない。

 あれだけいきり立ってる丹生さんが、もし、あの言葉を覚えていたら……?

 

 いや、覚えているに決まってるだろ!?

 

 

 

 

 

 

 今度ばかりは、景朗も悲鳴なき悲鳴をうっすら漏らす。

 

 

――――自分は恐怖を封じ込められる男だ。

 

 景朗はそう信じてやまなかった。でも、ちょっとだけ間違いだったかもしれないと、認識を改めた。

 

――――恐ろしい。

 

 丹生がやろうとしていることを察して、コーヒーで熱さを感じていたはずの脳が冷えかたまる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(公衆の面前で熱湯コーヒー浣○責めだと?! は、ハードすぎる!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうしてだ。今日はどうしてこうも、想定してなかった出来事が起こり得てしまうのだ。

 

 うっすら涙目の丹生が、繰り返している。

 

「かげろうはアタシがッ! アタシのォォォォがッ――!」

 

 『かげろうはあたしンだァーっ』やら、『かげろうがとられるだろォが!』とか。何やらとらえどころのないセリフだった。

 やめてほしい。なんだかその呪文を聞いていると、怒るに怒れなくなってしまいそうだ。

 

 

 

 

 大昔の自称ハードゲ○芸人風に腰をカクカクさせていた景朗の、振動が止まる。

 その時を狙っていたかのごとく、手纏ちゃんが質問をぶつけてきた。

 

 

「これ、景朗さんはご存知なんですか?」

 

「それ、盗聴器……」

 

「へぇっ?!」

 

「ほらあれ。丹生の」

 

 

 もう、どうにでもなれ、と。景朗は丹生たちの姿を指さした。

 

 

 ガラスの前で騒いでいた2人が、手纏ちゃんに見つかった途端に、ギクリと硬直した。

 つかの間の緊張。その直後の、火澄の逃走。

 彼女は颯爽と、丹生を見捨てて逃げ出していった。

 

 丹生も丹生とて、はたと彼女の怒りが、止まった。

 ありありと、『あれ? なんでアタシはこんなにも怒っていたんだろう? あれ? 一体どうして??』と困惑を顔中に張り付かせて。そして手纏ちゃんの表情をもう一度みて、びくりと体をしならせて。

 

 迷うことなく、彼女も逃げだす。

 

 同時に、景朗を責め立てていたコーヒーもバシャリと重みを得て、重力の虜となった。

 

 

 手纏ちゃんの表情を確かめる。

 意外にも、彼女の様子は先ほどと大して変わらず、もぞもぞと恥ずかしそうにうつむいている。

 

 

 

 あの二人は何を見たんだ?

 ……いや、知らない方が良さそう、かもな。

 

 

 

(そんなことより、やっと自由に……ん? うわやべぇ。こ、これ……)

 

 

 景朗が履いていたカーゴパンツは、前後のデンジャラスゾーンがぐっしょりびちょ濡れだ。

 ぴちょぴちょと雫が脚を伝って垂れている。

 

 そのズボンが、モスグリーンの生地だったのが災した。

 その色合いではどんな液体がかかろうと、たとえコーヒーでなかろうと、布地は黒く染まる。

 

 

 しっとりと立ち上がる湯気が、絶妙に演出してしまっている。

 

(……な、なんてこった)

 

 そうだ。景朗のデンジャラスゾーンの前後は、まさにデンジャラスな状態だった。

 まるで盛大に粗相をしてしまったみたいになっている!

 

 

(か……確実に誤解される!)

 

 

 能面のように無表情となっていた手纏ちゃんには、なんとも声をかけづらかった。

 それでも、景朗はやむを得ずに頼み込む。

 

 

「お、おねがい手纏ちゃん、これ、乾かしてくれな――」

 

「ごめんなさい! 景朗さん!」

 

 手纏ちゃんは丹生と火澄の後を追いかけるために、バッグ片手に退席し始める。

 

「待って、おねがい待って?!」

 

 ガタリ、と踏み出した景朗。声に反応した周囲の客の目線が、彼に集まる。

 手纏ちゃんも、目をぎょっとひん剥いた。

 景朗が鋭敏な五感を持っていなくとも、きっとわかってしまっただろう。

 みなの視線は股間に釘付けであると。

 

「ひゃっ!?」

 

「違う! 誤解しないで! 違うんだっ! おねがい乾かして――――!」

 

 彼女の能力、酸素を操る"酸素剥離(ディープダイバー)"は、"風力使い(エアロハンド)"の性質を有している。

 

 大能力の風を使えば、こんなコーヒーの水分なぞ、すぐに吹き飛ぶ。だが、しかし……。

 

「ご、ごめんなさいぃ」

 

 先ほどの『ごめんなさい!』とは明らかに違ったニュアンスの、『ごめんなさいぃ』だった。

 

「おねがいまってえええええええええあああ!? ああっ!?」

 

 手纏ちゃんは無情にも走り去っていった。

 

(くっそ。伝票が残ってやがる)

 

 精算を済ませなければならない。これではすぐに、彼女たちを追いかけられない。

 

 いいや。もはやこうなれば……。

(帰ろう。一旦帰ろう。まずは着替えたい)

 

 

 

 3人で喧嘩でもなんでも、好きにすればいい!

 やさぐれた景朗だったが、ふと、自らを省みる。……己が招いた種には違いない。

 意気消沈して、おずおずとレジへ向かう。

 

 

 その途中。

 トボトボ歩く彼に、さらなる追い打ちがかけられた。

 ちらほらと、携帯のカメラのレンズが下半身を不躾に狙っている。

 

「やめて! 写メらないで! なんでだよ! 今日はどうしてこうなんだ! 何も悪いことしてな……いや日頃の行いは悪いけれどもっ! あんまりだっ!」

 

 

 





 感想は明日までに返します! お待たせしてすみません!

 次の話は、すこし長めになります。
一週間くらい、じかんをくだしあ……

 いよいよ、次の話でNEWヒロイン登場です!
 お約束します!


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extraEp01:記憶洗浄(メモリーローンダリング)

 

 

 

「あーっ! また叫び声が聞こえました、第十学区ってホントに噂通りの所なんですねーっ」

 

 印山(いやま)少女は、随分とはしゃいでいる。十分ほど前はガチガチに緊張して、『これが人生初デート』なのだと縮こまっていたのだ。

 ところが、生来好奇心の強い質だったらしい。"第十学区"独特の喧騒が、彼女の凝りをすっかりとほぐしてしまったようだ。少女がもともと決闘集団に興味を持っていたことを、失念していた。

 今では不良同士の諍いを――恐らくエンターテインメントとして――楽しそうに眺めている始末である。

 

「ごめんね。ぱぱっと"吸い出し"てちゃちゃっと済ませちゃうから。絶対に痛くないから心配しないで」

 

「はい、心配してません。大丈夫です! きちんとゴリラさんの顔、覚えてますからね!」

 

 ぎゅうっ、とつないでいた手を、小学生女子はしっかりと握り締めた。

 

「……ところで、彼ってそんなにゴリラに似てたのかい? さっきも言ったけど僕らは明るい所でしっかりと顔を見たわけじゃないから、実はあんまり……ね?」

 

 何故だか、陽比谷少年はものすごく切なそうな口ぶりで、そう呟いた。

 

「いえ、正直、別にそこまでゴリラ顔だったわけでもないですよ。でもゴリラ君って最初に呼んだのは陽比谷さんじゃないですか」

 

「いや、ははッ! それなら言いんだ!」

 

 眩しいようにキラキラと見つめられて、印山も嬉しそうに微笑んだ。

 

「ん、っと。そろそろかな……」

 

 唐突に、2人の足が止まった。

 

「そろそろ到着ですか?」

 

 印山はキョロキョロと、ビル街を見渡した。第十学区の街並みは、初めて目にする少女にとってはとりわけ煩雑な様相だった。どこに何があるのか、何のための建物なのか、想像がしにくいのだ。

 

 すれ違う通行人はみなが想像以上にまともな服装で、まっとうな格好の人物ばかりだった。それが尚一層、落書きやゴミがちらほらとバラつくストリートの景観とミスマッチを引き起こしている。

 如何にも妖しい雰囲気の汚らしいビルの真隣に、第一学区で見かけそうな立派な新装ビルが配置されていたりするのだから。

 

「いや、こっちの話。はいこれ帽子。こっからはあんまり素顔晒して歩くのも面倒だからね、しっかりとかぶって」

 

「へえ、そうなんですか。はぁい……わかりました」

 

 ごくり、と小学生6年生女子は息を呑み込んだ。いくら全幅の信頼を寄せる大能力者と一緒とは言え、その場所は噂に轟く第十学区の中心部なのだ。

 言われた通りの行動を心がけよう。印山が改めて意識を引き締めた、その時。

 

「よし。じゃあはい。背中に乗って?」

 

 案内をしてくれていた少年が、突如背を向けて、身をかがめた。あまりに突飛な行動に、率直な疑問が印山の体を凍らせる。

 

「はい?」

 

「危ないからね」

 

 振り向いた横顔は、依然としてキリッとしていてカッコよかった。どの角度から見ても素晴らしいイケメンだった。

 

「あの、歩けますよ、全然、疲れてませんよ?」

 

「いや、危ないから。ここからはすこしおぶってく」

 

 印山は再び、キョロキョロと周囲を見渡した。幼い子供の姿も見かけないわけではない。

 

「なんというか――――そういう遊びなんです?」

 

「さあ、はやく!」

 

 相手は大真面目だ。かつてないほどに真剣な面差しである。まあ、いいか。これほどまでに言うのなら。一応、これはデートだってこの人は言ったのだから……。

 

「わかりました……。お願いします――――わわっと! うわあ、陽比谷さんって見かけによらず筋肉すんごいんですね!」

 

「はいはいしっかりつかまってー」

 

「はあ、はい……う、ううん…………」

 

 背負われ、ゆさゆさと揺られる。それがそれほどまでに気持ちよかったのか。印山少女はものの1分も経たぬうちに深い眠りについていった。

 

 

 

 ぐぅぐぅと夢見る少女をしっかりと支えて、足早に少年は歩き出した。

 機敏な動作で眼球だけを動かして、彼が監視カメラの有無を察知すると。

 一歩一歩進むごとに、文字通り"がらりと顔つきが崩れ"だす。

 

 やがて、全くの別人に成り代わる。

 

「はぁー。丹生、なんであんな怒ったんだろう……」

 

 変わり身を済ませた男の口から、先程までとはまた異なった声色があらわれた。陽比谷の高めの声とは対局に位置する、成人男性を思わせる低音だ。

 

 雨月景朗はしっかりと少女を支えると、警戒を怠たる様子もなく、小走りに急ぐ。

 

「とにかく話を……やっぱ携帯の電源切ってるか」

 

 丹生が怒り狂った理由は、恥ずかしながら理解しているつもりだ。そうではなく、あれほどまでに怒りを爆発させた要因はなんだったのだろうか。

 

 たとえば、誰かと一緒に仕事をしていて、その人がミスをしたら、怒る。ただ、その怒り方というのには、いろいろな種類があるはずだ。

 

 あの時の丹生は、どうしようもなく自分を抑えきれていなかった。そんな風に思えてならない。普段の彼女とはだいぶ様子が違った。要するに、それが問題だった。

 

 景朗はしばし、真剣に悩む。

 

 とはいえ、本当に我慢できずに怒っただけなのだろうか。それはそれで、別の意味で脳髄がしびれるというか……。

 

 

 

 自分のデカい歩幅のせいだろう。背中の少女の帽子はパタパタと、大きく振動してしまう。

 少しずつ位置はズレ始め、印山の素顔が顕わになってしまいそうだった。

 ゆうゆうと片手で少女を支えると、景朗は反対の腕で帽子を掴み、少女に目深にしっかりとかぶせ直した。

 

 

 

 印山は思ったとおり、"陽比谷"の誘いを断らなかった。騙して連れてきてしまったが――。

 少女はまだ幼く、巻き込んだ事に罪悪感がふつふつと浮き上がる。

 純粋さが幾分か残っている、幼さ。その証拠に彼女は、とてつもなく軽かった。

 背や腕に加わる重さは、景朗にとってはあってないようなものだ。

 

 

 

 

 手纏ちゃんに逃げられて。むせ返るコーヒー臭にあえなく新たな領域を開拓する寸前で、なんとか着替えを済ませた、その直後。印山にくっつけていた景朗の羽虫が帰還した。それはすなはち、印山が孤立した、という合図だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 景朗が立ち入ったのは、どこをどうとっても変哲のない、特徴のないビルだった。古くもなく、新しくもない。ただ一つ、塗りたての塗装剤がピカピカと壁面に光沢を与えていた。

 

 中に入った景朗はどこにも目を向けず、ひたすら階段を探して上り詰めた。なぜなら住人もテナントも何もかも見つけられず、ビル内はどこまでも空き部屋だらけ。ほとんど無人の状態だった。

 

 おまけに内装には全く手がつけられておらず、どこまでも白塗りの殺風景である。

 一方で階段と廊下は迷路のようにつながっていて、上階を目指す者を必要以上に歩かせる造りになっていた。

 

 景朗はそのまま階段を上り詰めて、とうとう吹き抜けの天井に迫る、屋上の真下のフロアまでたどり着いた。

 

 

 

 不思議なことに、そこで初めて彼は人影を目にすることになった。

 

 サラリーマン風の男性がちらほらとベンチに座り、何やら端末をいじり、自然な様で空間に溶け込んでいる。

 

 ベンチは広い空間の四隅に無造作に置かれていた。一箇所に固めておけば良いものを、それぞれのベンチの近く、コーナー(隅っこ)にワザと分散させて自動販売機が設置されている。

 

 

 彼らは、ここで一体何をしているのだろう。奇妙なことにこのフロアだけに限って、少人数ながら人が集まっている

 

 外観からは貸物件なのかすら分からない有様で、何のために存在する場所なのか知り用もないこの建物に、何の用事があるのだろう。

 

 

 

 

 景朗は一番遠くの自販機に足を運ぶと、おもむろにポケットからコインを取り出した。

 

 コインといっても、それは"硬貨"ではなかった。学園都市で流通している貨幣ではないし、もちろんアメリカや中国等で使われているものでもない。

 

 おそらく、ゲームセンターに足繁く通う少年少女に尋ねても、その存在を知る者はいない。

 玩具か何かか? と答えを返されるであろう、しかしそれにしてはいやに出来栄えの良い、なかなかに作りこまれた不思議な"メダル"だった。

 

 

 景朗はためらいもなく、投入口にそのメダルをつっこんだ。

 

『いらっしゃいませ』

 

 自販機のスクリーンに変化はなかった。だが、明らかに"活きた人間"を思わせる、女性の機械音声がスピーカーから発せられていた。

 

 

「不死鳥」

 

 それだけを淡々と答えると、手持ち無沙汰に黙り込む。

 景朗の音声をどこかのマイクが拾ったのだろう。

 

 すると。

 

 どこか遠くからだ。エンジンが稼働する厳かな静音が、空気に乗って伝わってきた。

 エンジン音はしばらく続く。

 最後に、カタンと静かな物音が生じて。再び静けさが戻った。

 

 

 今一度フロアを出て、改めて階段を昇るのが煩わしかったのか。

 景朗は何の気なしにぐぐっと力を込めて、跳躍した。

 

 少女を背負ったまま、ひとつ上の階へと吹き抜けを突き抜けて、飛び上がる。

 

 

 

 屋上に着地すると、目に飛び込んできた。新しい道筋が出来上がっていた。

 隣のビルから景朗のいる屋上までを、強化プラスチック製の"透明な跳ね橋"が繋いでいる。

 

 

 景朗の用事は、隣の巨大なビルにあったのだ。

 

 向かう場所はつい先日、"カプセル"の子供たち4人を"記憶洗浄(メモリーローンダリング)"した"洗浄屋(ブレインウォッシャー)"である。

 

 その目的は当然のごとく、印山の脳裏に刻まれた"景朗の素顔"の洗浄だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 隣のビルに渡る。先ほどのビルはどこか物寂しい造りであったけれども、景朗が踏み入れた建物はどこもかしこも分厚く、堅牢な印象を感じさせるものだった。そして。

 その雰囲気にこれまたぴったりとマッチする、どこか金庫扉にも似た豪勢な造りのドアの真ん前に、景朗はたどり着いた。

 

『血液認証をお願いします』

 

 音声と同時に、ドアに取り付けられていたよくわからないデバイス的なものがぱかっ、と開いた。採血用だと思われる小さな針や剣山のような器具を前にして、景朗は不機嫌そうにポケットに手を突っ込んだ。実はその中には、コンビニで入手しておいたケチャップの小パックが入っていた。

 

 小さな遠沈管のようなバッチにどろりとした赤い液体を滴下して、それっぽいボタンを押す。もう一度押す。押す。押して押して、押しまくる。

 

『……あっれー? なにこれ、なにか変……難しくてわけがわから……あれっ、ちょっ、ダメぇぇ! ボタン連打しないでぇぇっ! してるでしょ? そんな押しちゃダメッ!』

 

「面倒くさいです。網膜の方が絶対良いですよ、ホラ」

 

 景朗は高級そうなレンズに顔面を近づけ、有無を言わさずまばたきで反応を探った。

 

『うわっスッゴイねー相変わらず……アニメでも見たことないドピンク……』

 

「どうです? 俺だってわかったでしょう? はやくドア開けてください」

 

『はいはい。よしよし、結果は……けえあっ! なにこれ!? 血じゃないっ! 何? 何入れたの?』

 

「血ノリと間違えてケチャップ入れちゃいました。すみません」

 

『ふえー!? ケチャッ――――――っ血ノリ?』

 

「だから前から血液認証は問題だって言ってたでしょう。案の定、ケチャップ混入させたことにすら気付かなかった。いっとくけど手品レベルですよ今の。これじゃ意味ないでしょう」

 

 それこそ、学園都市暗部の後暗い技術を駆使すれば……網膜のデータもどうにかなるし、それこそ血液などは、当人を襲えば容易く入手できる。まっとうな暗部組織であればの話であるが。

 

『いっ、いいのっ! どうせキミにはわからないんだからっ。ウチらがどれだけ怖い思いしてるか……っ』

 

「気持ちは分かりますけど。弱小でいつでも消せるのがあなたたちの魅力なんですから……中途半端に厄介処にならないほうがいいですよ? もっと素人路線で行きましょうって。相手が貧弱だとこっちもそれなりに安心できますから」

 

『わかってる! でも頭でわかっててもそんな無用心なマネムリっ! 平然とやれる心臓は持ってないっ」

 

「誰もこんなところに重要案件を持ってきたりしませんよ……」

 

『ああっ、今本音がでたよ? うひぃぃいん一生懸命やってるのに』

 

「はい、それじゃほらこれ、前回もらった名刺です。どうぞどうぞ」

 

 名刺とは言うものの、取り出されたそれは紙でできた頼りのないものではなく、非常に頑丈な金属製のプレートだった。

 景朗は半歩後退して距離をとり、視線を右往左往させてドア一面を見回す。

 前回来訪した時を思い出し、ドアの取っ手らしき金具の近くに、カード差し込み口を発見する。

 そこに、"名刺(という名の金属板)"をぶすりと挿入した。名刺は機械音とともに引き込まれていく。

 

『キー君、どう?』

 

『間違いなく先週の土曜に渡したやつだ。ほぼ"不老不死(フェニックス)"で確定?』

 

 少年らしき人物の音声が、新たにスピーカーから漏れ聞こえた。

 景朗は最初からこうしておけばよかったと、うっすら後悔を滲ませた。

 

「もういいですか? 早くしてください、時間が惜しいんで」

 

 

 

 ようやく、豪奢なドアが重々しく開く。

 早速とばかりに、景朗は印山をおぶったまま店内へと進んでいった。

 

 

 

 彼らがあっという間に景朗を常連客だと認めたその秘密は、あの"名刺"にある。

 

 相手は読心能力(サイコメトリー)や催眠能力(ヒュプノーシス)を駆使する洗浄屋だ。

 

 あの"名刺"にこびりついた"記憶の残滓"を読み取ったのだ。

 

 

 彼らの言った通り、景朗は先週の土曜日にこの"洗浄屋"を利用している。

 

 名刺という名の金属板は、前回の利用時に相手から渡されていたものだ。

 その時のやり取りが、あの"名刺"には封入されている。景朗は手渡されていたそれを、今、そのまま相手に送り返した。それだけだ。

 その"記憶"を"読み"込み、景朗の身分に納得がいったのだろう。 

 この店に来たのはついぞ一週間前の話だというのに、さすがの念の入れようだ。

 

 

 つまりは。名刺だと散々に形容したが、要するに、あの金属プレートはサイコメトラーたちが好んで使う独自のカードキーみたいなものなのだ。

 簡単に壊れないよう金属で仕上げてあるのは、そこにこびり着いている"記憶"を保護するためだと考えられる。

 

 プレートに込められた"記憶"は、"外側の入れ物"と違って偽造や複製をするのがほぼ不可能だ。その上、仮に他のサイコメトラーに細工をされようとも、絶妙な違和感を感じとれるらしい。

 だからこそ、絶好の身分証明として使われているのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目的地に、"洗浄屋"にやっとたどり着く。

 "なんか全体的に黒っぽい歯医者さんに来たようなカンジ――"

 それが、その店内の雰囲気を簡単に説明した一言だ。

 

 

 室内に入って目に付くのは、とにかくデカイ椅子だ。

 それこそ歯科医院で必ず見かけるような、機能性を感じさせるリクライニングシートが数台置いてある。

 それぞれに、モニターや何に使うか想像のつきにくい電子機器が付随している。

 

 病院や歯医者は衛生管理的な面から汚れの目立ちやすい白っぽい内装にしているが、その部屋はそういった配慮が皆無なせいで、なんだか全然白くない歯医者に来たなあ、と。そんな気分にさせられてしまうのだ。

 

 

「よ、ようこそいらっしゃいませー」

 

 出迎えたのは、メガネをかけた女子大生風の白衣の女性だ。

 ふわりと化粧と香水のニオイが漂ってくる。どうやら強引にお色直しをしたようだ。

 本人は、女子大生風じゃなくて、本当に女子大生だと主張している。

 実は彼女が実際に女子大生だという調べをつけていたのだが、景朗は毎回ワザと『自称女子大生の……』とひねくれた呼び方をしていたりする。

 

 スタイルからルックス、他の何もかも全てが、なんというか平凡というか凡庸で、どうしようもなく説明しづらい。特徴がないのが特徴というやつかも知れない。

 強いて言えば、青ブチの細いメガネがほんのり知的さを醸し出している、と言えるかもしれないが……野暮ったい三つ編みもフツーに普通だ。

 

 

 

 そんな彼女こと、源氏名"みりん"さんのメガネの奥底からは、疑いと怯えの色がありありと照射されている。

 

 

 景朗は嘆息すると、やむなしか、と首をひねった――――――そのままゴキゴゴギッ、っと約720°ほど、まるまる2回転させてしまう。

 

 

 洗浄屋(ココ)へ来たら、毎回"これ"をやってみせている。

 女店主はそのグロテスクな通過儀礼をよしとしたのか、ほっと一息付いたように安堵してみせた。

 

 

「ちぇー。せっかく"不死鳥の生き血(Blood of Phoenix)"が手に入ると思ったのに」

 

 現金なもので、さっそくボヤキを言い放つ。

 

「ヘタに前金渡して手抜き仕事されたらタマらないんで」

 

「わわわ心外っ!? キミ相手に手抜きなんてするわけないでしょう!?」

 

 景朗は慣れたもので、背負っていた印山をリクライニングシートへ乗せると。有無を言わさず女店主へ号令を発した。

 

「"みりん"さん、この子の"忘却"と"予防"の処理をお願いします。大至急お願いします」

 

「よーし、キー君お仕事だよー!」

 

 "みりん"さんはバタバタと準備に取り掛かる。そのすぐ後だった。

 彼女の様子を眺める暇もなく、新たな呼び声が背後の黒革のソファから放たれた。

 

「フェニックス、それ誰? JK?」

 

 声変わり前の少年の声が、景朗を振り向かせた。

 マンガらしきものを読んでいた糸目の小学生男子が身を乗り上げて、椅子に寝かせられた少女に関心を寄せている。

 

 女子大生風のメガネ白衣よりもむしろ、景朗にとってはその少年こそが、気をつけるべき存在であったようだ。

 恐るべきしなやかさを誇る景朗の筋肉が、ほのかに強ばっている。

 

 

「残念。小学生だ。たぶん君とひとつかそこらしか違わないぞ」

 

「……そうなんだ」

 

 能面のような無表情を維持したまま、少年は再びマンガに目を戻した。興味が失せたようだ。

 印山少女は小学六年生にしては背が高く、発育が良い。高校生に見えないこともない。マンガ少年は反対に背が低く、年齢よりも下に見える。

 小学生の時の自分も彼と同じくらい背が低かった。"戦闘昂揚(バーサーク)"に目覚めなければ、今のような巨体には成長していなかったかもしれない。

 

 

「だからキー君、"きなこ"君、お仕事だよー?」

 

 再びマンガに熱中し始めた"きなこ"少年を、"ミリン"さんが手招く。

 

 

 少年はため息一つにマンガをソファに放ると、印山少女の隣にパイプ椅子を運び、座った。そしておもむろに、ごついゴーグルのようなヘッドマウントディスプレイを装着し、手早くコードがあちこちにくっついたグローブを装着する。

 すぐそばに侍る"みりん"さんは、眠る印山のおでこに謎のジェルを塗りたくっており、既に準備を終えていた。

 タイミングをみはから、彼女は少年の左手を印山のおでこに誘導する。

 くちゃり、と液体が潰れる音がした。

 

 

「フェニックス、忘却処理の期間は?」

 

 "きなこ"少年が疑問を発した。ゴーグルのせいで景朗の居場所がわからないのか、あさっての方向を向いている。

 

「その子は今日の昼ごろ、だいたい11時から13時。その時間帯に第七学区の繁華街に居たはずだ。その間の"記憶"をぶっ飛ばして欲しい」

 

「了解」

 

「余計なものを見るなよ」

 

「心配せずとも見たくても見れないよ。ボクの力じゃあ」

 

「キー君、集中して」

 

「わかってる」

 

 "きなこ"少年はその一言をきっかけに、言葉を発しなくなった。グローブを装着した彼の右手が、何もない空間をひっきりなしにひっかき、掴み、つねり引っ張っている。

 ヘッドマウントディスプレイと連動した何かのアプリケーションが、ゴーグルをかけた彼にだけは視えているのだ。いろいろな操作を、その右手で行っているのだろう。

 

 

 彼が何をしているのか、景朗は知っている。"きなこ"少年は異能力(レベル2)読心能力者(サイコメトラー)で、その能力は"時刻明細(クロノグラム)"というらしい。

 

 人や物体が、どの時間にどの場所にいたのかを読み取ることができる能力だ。読み取るイメージは場所と時刻、すなわち時間と空間に限られていて、あまり多くの情報を読み取ることはできないらしい。

 

 つまり彼は、印山ちゃんが景朗の素顔を盗み見た時間帯をより正確に絞り込んでいるのだ。

 

 人の"記憶"にメスを入れるのだから、精密な操作が必要とされる。"きなこ"少年はその前段階の処置をしているというわけだ。

 

 彼の仕事が終わると、あとは"みりん"さんの出番になる。

 

 彼女は強能力(レベル3)の"催眠能力(ヒュプノーシス)"、通称"記憶洗浄(メモリーローンダリング)"という能力を有している。

 その力では"記憶"の読み取りができない。催眠による上書き(ローンダリング)しかできないため、しかるに"時刻明細"の補助が必要なのだと。

 万能ではない能力だ。

 されど、"記憶を封じる"という用途に関して言えば、なかなか強力な能力らしい。

 文字通り相手の記憶認識を上書きしてしまうので、その他のサイコメトラーやテレパスに復元される可能性は低いのだそうだ。

 

 

  "みりん"の女子大生に、"きなこ"の男子小学生。明らかな偽名だ。

 戸棚の奥底でいつの間にか消費期限が切れていそうなラインナップである。そうでもないか?

 まあとにかく、2人そろって"洗浄屋"だというわけだ。

 

 

 

 

 "きなこ"少年がひと仕事終えるまで、"みりん"さんは景朗こと"不老不死(フェニックス)"と世間話に興じるつもりであるらしい。

 

「不死鳥さん、さっきの話だけど本当にケチャップなんだよね? もおお、クリーニング代上乗せさせてもらうよ? ……それにしても、どうやって洗ったらいいんだろう……」

 

 ゴソゴソとデスクの裏側で何かを探していた"みりん"さんが、どこからかマニュアルを取り出した。さっきの金庫扉の洗浄方法を調べているらしい。ケチャップをあちこちにひっかけた景朗が恨めしいようだが、恐ろしくて真正面からは睨みつけることができないようだ。

 

「だからアドバイスしたでしょう。頑丈なだけので十分だって。本当に危険な奴らにはあんなもの役に立たないですよ。それよりも、どう裏社会を渡っていくかが重要でしょう? そこにお金をかけないと」

 

 無駄にセキュリティの硬い、一体いくらつぎ込んだのかよくわからない"あの玄関"がおそらくこの洗浄屋でもっとも高価な設備だ。

 それこそ、店内に設置してあるその他全ての機器をまとめたものより、あのドア一枚のほうに金銭的な価値があると思われる。

 

 しきりに怯えている彼女であるが、実際に襲撃があったとすると――あれを抱えて逃げる訳にもいかないわけで。

 

 つまりは、"ドア"という名のひと財産をまるまる放棄しなくてはならないのだ。

 非常に気の毒だ。自業自得な話ではあるが。

 

(おまけにセキュリティのためのセンサーを繋いでいる分、あのドアはハックされやすくなっているんじゃないだろうか。最終的にはアナログな方が信頼できる部分もあるとおもうんだけど)

 

「そうだよね。政治は味方を増やすよりもまず、敵を作らないことが大事だって聞くものね。よ、よーし。それじゃあ……」

 

 ガサゴソと探っていた手をとめて、"みりん"さんは息をタメこむ。

 

「それじゃあウチを"不老不死"御用達のお店にしちゃおう! なんて計画なんてどうかな? ホ、ホラホラ、ロゴも考えてあるのよっ」

 

 用意していたとしか思えない早業だった。テンションを高めた"みりん"さんはご丁寧にフリップを取り出して、景朗にくるりと翻してみせた。そこには"不死鳥"をかたどった中二病臭いマークが数種類描かれている。

 

「おおおい勝手なことするな! どうなっても知らないぞ」

 

「で、でも、そしたらこれからずっと洗浄料金は無料で、しかも今ならウ、ウチがお嫁さんとしてついてきます」

 

「あたまおかしい」

 

 間髪入れずに、否定を見舞った。提案を一刀両断するそのセリフに、相手は屈辱の怒りを浮かべている。

 

「ひどっ!」

 

「ぷフーックスクス、どうしてフェニックスがみりん姉の相手なんかしなくちゃならないんだよ(笑)。"超能力者"なのにww」

 

「コラぁ"さとる"ッ! 集中しなさいっ!」

 

「バカっ、実名出すなよっ!」

 

「あー。心配ご無用、俺も本名は"さとる"って名前だから」

 

「嘘つかなくていいよフェニックス……」

 

「ゴホン。"キナコ君"、アナタはおしゃべり禁止」

 

「もう終わったよ!」

 

 ガチャリ、と乱雑にゴーグルを背もたれに立てかけ、"さとる君"が勢いよく立ち上がった。

 乱暴にしないでえ、と慌てた"みりん"さんはぴゅーっと飛んでいって、ゴーグルが壊れていないか確かめている。

 

「ほら早く。次はあなたの番でしょう。ああそうだ。これ。こいつ。こいつの顔を使ってください」

 

 ばふり、と景朗はテーブルに放る。それは、新たにポケットから取り出されたファッション雑誌だった。強引にくしゃくしゃに折りたたまれていて、ところどころ破けている。ひどく乱暴に扱われていた、と言っていい。

 

 もちろん。その雑誌の表紙を飾るのは、昼間散々拝見してきた"あの男の顔"である。

 

「あー。その子知ってる。え? どういうこと?」

 

 わけがわかっていない"みりん"さんに、景朗はすごむ。

 

「昼間、その娘が見た男を全部"そいつ"の顔に変えてくれ」

 

「……ふへ? ひゃ、あ、は、はいっ。承りましたっ」

 

 余計な質問するな、マナー違反だぞ、ともう一度鋭い眼光を見舞う。

 "みりん"さんはビクッと震えて、雑誌を片手に仕事に取り掛かっていった。

 

 その様子を切なそうに眺め、景朗はソファに沈み込む。が、体重が体重なので文字通り沈みそうになり、やはり立ち尽くさねばならなかった。

 

 女子大生の腕の中の、見覚えのある表紙を見つめて、景朗は複雑な心境だ。

 なんだかんだで、コンビニの雑誌コーナーで手早くその男の顔を発見できて、その時、こう思ってしまったのだ。

 

(なんやかんやで陽比谷の顔、なかなかに便利なのかも。ちょくちょく"使わせて"もらおうかな……)

 

 

 "奴"には、強力な精神系の使い手と連絡をとる伝手が、ごまんとありそうだ。

 後日、印山から情報を抜き出そうと試みた陽比谷は、おったまげることだろう。

 戦慄の瞬間だ。彼女の記憶の中が、自分自身のドヤ顔で溢れかえっているのだから。

 

(印山少女なら、それもありえない話ではないだろ? くっくっく……)

 

 

 

 

 

 

 

 

「フェニックス。"例のモノ"は?」

 

 いつの間にか。ぴたりと影のように後ろに回り込んでいた"きなこ"少年が小さな、それはそれは小さなかすれ声を、囁いた。

 

 反射的にごくり、と景朗の喉が鳴る。珍しいことに緊張しているようだ。

 

「……持ってきたとも」

 

 

 "きなこ"君は普段からクールな少年だった。何事にも動じない切れ長の細い糸目も、その性格を表していた。しかし、ここに来て。

 

 景朗が、とあるデータが詰まったマイクロチップを渡すと。彼は豹変した。

 

 糸目がぐにゃりと湾曲して、口角が丸くのびる。

 そのまんま教科書に載っていそうなエロス顔ならぬ、エビス顔だ。

 

 

 この少年はこれで、"みりん"女子大生の徹底的な管理下に置かれている。

 しかるに、余りにも若い時分に発症(目覚め)してしまった少年は、とある系統に不如意な生活を送っていた。

 

 

 ありがたやありがたや、と尊敬と謝礼の感情に満ち満ちたエビス(エロス)顔が、下から見上げてくる。ボクはもう"これ"じゃないとダメなんだよ、と表情で語っている。

 

 

 彼はこそこそと端末にデータチップを差し込んだ。

 

『アナタ、視線が毎回鬱陶しいのよ。一体どこをみてるのかしら、木偶。その窮屈そうな図体で悪あがきはよしなさい』

『笑って欲しいですって? そうね、縮こまって靴でも舐めてちょうだい』

『汚らわしい。消えてくれない? ステロイドが空気感染してこっちまでニオって来そう』

『……チッ、喉仏さえなければ……。っ最大級の侮辱ね! その学生服はなんの真似? 今日はもう口を開かないで!』

 

 イヤフォン越しにでも、景朗の聴覚は音声を拾っている。"さとる"君が見ている動画は、景朗が彼のために編集した"結標さんのサディスティック罵詈雑言スペシャル12連発集"だ。

 

 

 

 なぜ結標さんチョイスかって? 

 彼女の情報自体は書庫等でもオープン(公開済)である。裏と表を完璧に演じ分けられている人なのだ。いかに空間移動系が便利なのかを物語っている話だ。性格も姐御肌でオープン(さっぱり)な方だし、格好もオープン(開放的)だし……というかあんまり仲良くないし、やたら毛嫌いされてるし、いいよね、と自分に言い訳を聞かせつつ。

 

 あ、そうだ。なぜ結標さんチョイスかって?

 それはこの"きなこ"少年の表情を見てもらえば一目瞭然だ。

 

 彼はJKが好きだ。一言で表せばなんてことなく聞こえるかもしれないが、彼は相当に業が深い……。重度の中毒症状が見て取れる。

 

 齢11才そこそこで何故か1990年代の女子高生の行動様式や社会文化、風俗に異様に詳しい高学年小学生男子は、JKじゃないともうダメなんだ、というかムリなんだよ、と景朗に力強くそう語っていた。

 

 景朗が彼にいたらぬ知識を押し付けたわけでは、決してない。

 少年は最初から"そう"だった。

 生まれつきなのだ。極稀に、こういったエロスのカリスマの宿命を背負った逸材が、この世にはこうしてまろび出るのだ。

 ご理解いただければ幸いだ。彼はもはや手遅れに見える。末期症状を呈している。

 

「すごい……レベルファイブってすげー……こんな世界で生きてるんだね……」

 

 

 少年はこちらをちらほらと、嫉妬に駆られて睨みつけてくる。

 

 こんなに美人でセクシーな格好のじょしこーせーとアブノーマルな会話を嗜んでいて、尊敬するって?

 

 バカ野郎。これは相当危険な世界の話なんだぞ。

 

 今更ながら、やりすぎてしまった感がして"みりん"さんにあわせる顔がない。

 さとる君は結標さんが大のお気に入りだ。だからきっと。

 今夜はさぞやフィーバーするのであろうな。

 

 背筋が凍る。

 

 景朗は自らが加担した悪行のおぞましさに、思わず十字を切った。

 クレア先生にあわせる顔がない……。

 あ、あとついでに結標さんにも。

 

 でも、許してくれ。いいや許されなかろうと構うものか。

 だってこいつ最高におもしろいんだもの。

 それに加えて。景朗が少年にそこまで手心を加えるのには、実はもう一つ理由があった。

 

 少年をよおく観察すると、誰かの面影に気づくだろう。

 クセ毛、髪型、糸目、エロス顔、エロい性格。

 とある人物と非常に共通点がある。

 

 

 彼が髪の毛を青く染めて、関西弁を話せば……。

 

 そう。何を隠そう……実は彼こそが"青髪クン"のモデルなのだ。

 

 

(ぜんぶ彼からパクっています)

 

 

「はああ……むすじめさんかぁ……超キテル……ありがとう……いつかボクも――」

 

 夢を彼方に焦がれ、少年は力強く端末を握り締めている。

 その姿はさながら"リトル青髪クン"だ。

 

(可哀想だが君じゃムリだ。諦めろ。結標さんは相当な面食いだ。君みたいな半ズボンの似合うお子様(ショタっ子)が相手にされるとは思えない)

 

 

 

 

「あーっ、ちょっとちょっとちょっと、なんか静かだよっ? ねえ不死鳥くん、またキー君に"ヘンな"の渡してない? ダっ……ぁぅ――ダ、ダメなんですからね! そういうのはちゃんとしたトシになるまで管理するんだからっ」

 

 エロネタ, アダルトネタ, その他の18Gold()系統――もちろん電子的デジタルデータに関しても――の一切合切に禁輸措置を食らっている"さとる君"は――。

 

――心底、憎しみが込められたしかめ面で、"みりん"さんの背中へと中指(フ*ックサイン)をつき立てた。

 

 しかし。彼女は印山ちゃんのまぶたをクリップで固定し、意識のない眼球とにらめっこを続けている。どうあってもこちら側は見えていないはずだ。

 なぜ背後で行われている闇取引に感づけたのか。第六感とは不思議だ。"自分"ほどとは行かないまでも、何の変哲もない人間でもこうして雰囲気だけで敏感に嗅ぎ取ってしまう。

 

(でもな……諦めたほうがいいよ"みりん"さん。こいつはもう芽生えてしまったんだ。"男"ってのは一度発芽したら、枯れるまで花粉を飛ばしつづける宿命なのさ……)

 

 

 

 とんでもない早業で、少年はソファの下に景朗が渡したマイクロチップを隠してみせた。へなへなに歪んでいたエロ坊主ヅラを糸目に引き締め、ぐっとサムズアップ。

 

「恩に着る、Bro.(ブラオ)

 

兄貴分(ブラザー)はやめろ」

 

 景朗もかつて、同園の"兄貴分"たちに世話になったものだ。

 受けた借りは、誰かに返すのが義理と人情、世渡りの心得だと。そんな気がして、強烈な飢饉に飢えていた少年を見捨てることができなかったのだ。

 

 こうしていざ呼ばれると、すんごい嫌な気分だった。

 確かに兄貴分に違いない。

 毛が生え始めた奴の面倒を見るような奴は、どう足掻いたって兄貴分でありそれ以上でもそれ以下でもない矮小な存在ではあろうが……。

 

 どうして自分はこんなことをしてしまうのだろう。リトル青髪クンの未来の肖像権を果てしなく侵害してしまっている罪悪感からだろうか。……いや、違う。

 

 それ以上になによりもまず。

 このリトル青髪クンがやがてたどり着くであろう境地を、"デルタフォース"の一員として見届けてみたい。

 そういった願いが、自分の根底にはあるのだ。

 叶わない願いだろうが、"奴ら(デルタ)"にもさとる君を紹介してみたい。自分と同様に奴らも戦慄して、そして――――さぞやこの子を可愛がってくれるだろう。

 

 

 

(あーくそ。早く"みりん"さん終わらせてくれないかな。こんな下らねえこと考えてる暇はないはずなんだ……)

 

 

 

 

 

 

「ウチだってちょっと前まで女子高生だったのに……」

 

 その時。悔しそうな呟きが2人の耳に入った。だが。

 

「三年前は"ちょっと前"じゃないっ」

 

 悲しそうな"みりん"さんに対して、リトル青髪クンはオエーッと嘔吐するジェスチャーで煽り返した。

 

「女の子が男に視える"呪い"をかけてあげよっかぁっ!?」

 

 がばっ、と怒れる女子大生が振り向いた。

 能力の影響なのか、らんらんと光る眼はてかてかと艶ばんでいる。

 

 "みりん"さんが最終兵器(宝具)"直視の魔眼(ゲイ・ホルク)"の使用に踏み切ったのだ。

 

 効果は彼女のセリフ通り。目にした女性がすべて、女装したホモ軍団に変わる。つまり、すべてのエロ動画がホモ動画に脳内変換されてしまうという、苛烈なペナルティでなのである。

 "直視の魔眼"の名のとおり、まともに"ネタ"を直視したノンケ(ノーマルな性癖の人)は、そこで思わぬ"ゲイ(掘られて苦しんでる)"を目撃して、死ぬ。つまり、ノンケは死ぬ。

 

 

「うわああっ! ごめんなさいっ! それだけはやめてぇっ!」

 

 毎度の恒例行事なのだが、いつ見ても哀れを誘う。

 彼は両手でがっちりと両目を覆って床に倒れ伏し、縮みあがってしまった。

 

 流石は"きなこ"君が最も恐れる"絶対遵守の力"だ。

 

 

Bro.(ブラオ)助けてぇっ! Bro.(ブラウ)ッ!」

 

 少年を助けるつもりはなかったのだが、"みりん"さんが印山少女から目を離していては"記憶洗浄"が進まない。

 

 

 噂に聞く精神系最高峰の"精神掌握(メンタルアウト)"、食蜂操祈。

 彼女の能力すら跳ね返している自分に、強能力程度の洗脳・催眠が通用するとも思えない。

 されど、万が一という事もある。もしも……くらったら……ホモ痔獄だ。

 

「ふざけてるってことは、終わったんですか?」

 

 極力視線を合わさず、景朗は威圧する。

 

 ちなみになぜ、自分が操られていないと信じられるのか。その理由は、単に、小娘に操られている者をアレイスターが重用するとも考えづらい、という逆算的なもの。また、自分に操られている兆候が全く観られなかった事(景朗は生まれて初めて自撮りというものを行った)から、結局はいい案が浮かばなかったので手が尽きて諦めた末の総合的な判断、によるものだ……。

 

 

「すっ、すぐ終わるから、あと少しですからねっ!」

 

 あからさまに怯えていそいそと作業にもどるその姿に、心が若干痛む。元はといえば、"きなこ"少年に悪ふざけをしている自分のせいだ。

 ここはキレてもいいところですよー、と。こちらが申し訳なくなる。

 

(まあ、でも、嫌われるくらいでちょうどいいんだ)

 

 

「みりん姉おやつどこー?」

 

「れーぞーこー」

 

 なんとも締まらない。早く終わらせろ、と無言の圧力を、"みりん"さんへと飛ばし続ける。

 

 少年は冷蔵庫から焦げ茶色のドーナツの失敗作のような物体を取り出した。

 まるでゴミを見る目つきのまま、齧り付くのを一瞬躊躇したが、結局彼はかぶりついた。

 

ふぇにっふふ(フェニックス)ひる(いる)ー?」

 

 

 景朗は実のところ、ものすごく食べてみたかった。のだが、興味のないフリを返す。

 わざとらしく手で払いのける仕草をして、断った。

 

(ダメだダメだ。あんまり仲良くなってもお互いに不幸になるだけだ)

 

 

 

 "みりん"と"きなこ"の2人組は非常に仲がよくみえる。しかし、実は"姉弟"ではなかった。

 止むにやまれぬ事情があって、2人して暗部に片足を突っ込んだ生活をしているだけだ。

 

 2人組には一切を教えていない。

 

 この世にはもはや生きてはいないであろう"きなこ"君の姉は、スキルアウトと暗部の"半グレ"――半ば暗部の領域に踏み込んでいた。

 

 例えるならば、音楽シーンでいうインディーズシーンがスキルアウト上がりの"半グレ"どもで、メジャーシーンが暗部組織に近い。

 上手く例えられてはいないだろう。だが、どのみち学園都市の裏業界の複雑な状況をきっぱりと区切ることがそもそも無理筋な試みなので、致し方ない。

 

 "きなこ"少年の姉御さんたちは、彼のサイコメトリー能力で、"何か"を読み込み、その事実をもって更なる"何か"に利用しようとした、らしい。

 その"何か"の正体はわからない。

 だが、結果的に統括理事会のメンバーの誰かの怒りを買ったのだ。

 

 姉御さんたちは恐らく謀殺されている。

 

 残された"きなこ"君を、彼女と親しかった"みりん"さんが必死に庇っていた。

 

 景朗が初めてこの"洗浄屋"を利用した時点で、"きなこ"少年は口封じのために統括理事会の幹部に狙われており、相当危険な状況だったようだ。

 

 

(紫雲の件では、この2人の時の失敗は犯したくない……)

 

 

 初めて洗浄屋を訪ねて。景朗は当然のごとく、陰で蠢く暗部の人員の存在を察知した。

 まだ暗部のイザコザに慣れていなかった頃だ。

 Lv5に成り立てだった景朗は、不調法にも思いっきり警戒し、そして失敗した。

 

 何で? どうして? いったい誰が俺を狙ってやがるんだ冗談じゃねえぞ! とばかりに闇雲に"威嚇"してしまったのだ。

 

 実のところ、暗部のエージェントたちは景朗の敵ではなかったのだ。しかし……。

 

 さしものLv5には、それなりの"重み"がある。統括理事会メンバーに一考させるくらいには。

 自らの幹部の首と、Lv5とどちらが重要なのかを天秤に掲げる、一手間を惜しまぬ程度には。

 

 顛末はあっけなかった。

 

 恐らくだが"きなこ"少年は偶然にも、とある統括理事会のとある幹部に関する、非常に都合の悪い証拠を握ってしまっていたらしい。

 

 しかしそこで、"不老不死(フェニックス)"が横槍を入れたわけだ。

 

 結局、とある理事会の幹部は"事故"で亡くなり、"きなこ"君には賞金がかけられた。

 

 "不老不死"が利用していた"洗浄屋"を襲撃すれば、それは彼に対する敵意の狼煙となる。

 さりとて、碌な後ろ盾もないチンケな洗浄屋ごときに"不老不死"がまともな個人情報や秘密をあずけているはずもない。

 

 襲うメリットが無く、デメリットばかりが目立つ案件になった。それが、彼女たちが無事に暮らしていけているひとつの理由なのだろう。

 

 しかし、おかげで"きなこ"君は学校に行けず、ずっと身を隠し続けなくてはならない身分となってしまっている。

 生意気にも、えっちなお店に行ける年齢になる前に、自分でなんとかしてみせる。そう言っているけれども。

 

(かといって、俺がこれ以上関わっても……)

 

 

 景朗は想像もしていなかった。吹けば消え飛ぶようなチンケな裏の"洗浄屋"が、こんなにも、アットホームな処だったとは。誰に予想できようか。

 

 口にするだけで恥ずかしくなるところを我慢して、本音を吐露すると――。

 必死に"きなこ"君を守って育てようとしている"みりん"さんの姿に、母性にも似た、心地の良いものを感じてしまっている自分がいる。

 

 その光景には、ものすごく心惹かれるものがあった。もちろん、性的にどうこうではなく、ずっと見ていたくなるような、美術品のような美しさが――――。

 

 

 かといって、あまり自分が関わってしまえば――――。

 接近しすぎれば、どちらも危険になる。共倒れになるだけだ。

 

 

 おかげで、ぶっきらぼうな言い方になる。まるで男子校で純粋培養されたシャイな高校生のように、"みりん"さんが相手となると、口が悪くなってしまう。

 

 

「終わったよ!」

 

 

 景朗は無言のままに、どかどかと印山をシートから剥がして、背負い上げた。

 店を出る前に、料金の精算が残っている。

 

現金(キャッシュ)でいい?」

 

「ぶ、物品で!」

 

 景朗の簡素な物言いに、相手は珍しいことに勇気を振り絞って返事を返した。

 そこから先は、2人の交渉合戦だ。

 

「キャッシュなら相場の2倍だす」

 

「半分でいいからっ。今日こそお願い!」

 

「何をだ? はっきりと言ってくださいよ」

 

「っ、血を!」

 

 "血"をよこせ。この問答が、毎回毎回、このように続いている。

 "不老不死"を恐れつつも、最後には必死に、執拗に食いついてくるのだ。

 

「無礼だとは思わないんですか?」

 

「どうしてもお願いします。欲しいの」

 

 

 もうすでに、相手は泣きそうな顔だ。

 それでも、その日は折れなかった。

 

 

「……本当にわかってるんですね。危険性を?」

 

「覚悟してるよ」

 

「泣きついてきても助けない。いいんですか?」

 

「も、もちろんわかってる」

 

 無言のまま思考する景朗のその所作から、了解したものと受け取ったらしい。

 彼女は注射器をおずおずと差し出してきた。

 

 景朗は乱暴に奪い取り、荒々しく床に投げつけてみせた。わざとだった。

 

 "みりん"さんの目を見つめ続ける。これから景朗が渡す"もの"をどう扱うかで、危険にも安全にもなりうる。彼女に渡して大丈夫なのだろうかと、悩む。

 

 

 

(仕方ない……。貴重なものだし、身代わりに差し出せる状況がくる可能性も、ある、だろうか……)

 

 

 景朗は要求された"物品"を渡す"腹いせ"に、特大のデモンストレーションを見せつけてやることにした。

 

 

「いいでしょう。じゃあ、これから取り出すところを"しっかりと"見ててくださいね」

 

 ニコリ、と笑って、景朗は印山少女をそっとソファに下ろした。

 陰から恐る恐る見守っていた"きなこ"君が、興味津々な様子で聞いて近づいてくる。

 

「君は見ないほうがいいよ。どうしてもって言うなら止めないけど、見ないほうがいいって言っておくから」

 

 ビビりかけた"きなこ"君は、それでも居座った。ならば善し、と景朗は――――

 

 

 

――――右手を手刀の形に携え、2人の目の前でそのまま――――自らの腹部に、思いっきり突き刺した。

 

 そして。"みりん"さんも、"きなこ"君も青ざめたまま、言葉ひとつ発することができず、立ち尽くした。

 

 景朗が平然と、自らの腹をさばき、内蔵を取り出し。

 そこから綺麗な透明の"腸"を引きずり出して。

 まるでソーセージのように、自ら"くびり"だして見せるまで。

 

 

 まっとうな人間ならば噴水のように流血するところだが、景朗はそうはならなかった。

 鮮血は極少量に抑えていた。だがそれでも、彼の手は紅に染まっている。

 

 

 ニコニコと笑う"不老不死"は、真っ青でふらつく"みりん"の手のひらに、"特別製の血液の腸詰"をにぎらせてやった。

 

 薄い腸の皮は、透明なビニールのようだった。中に密封された血液の独特の色合いが、"きなこ"少年の視線を惹きつけている。

 

 それは、濃ゆすぎる緋がたたって、赤銅色の領域に達した"液体"だった。

 濃厚さと透明さを併せ持ち、見た目からは予想もできない流動性に富んでいる。

 

 まったくもって平気な様子の景朗を、真実を疑うように確かめてから。

 ぽつり、と"みりん"さんは呟いた。

 

「これが、"不死鳥の生き血(Blood of Phoenix)"……」

 

 

 丹生に極力負担の少ない体晶を考え、考え抜いた末に景朗がたどり着いたひとつの結論が、この液体だった。

 "Blood of Phoenix"と、噂されている。

 

 体晶の特徴である、"能力の暴走"。それは同時に、人体に害を及ぼす。

 そこでだ。能力の暴走なんてどうでもいい。体晶としてのメリットは極限まで薄まってもいい。

 そういった考えのもと、景朗が極力、人間に危険を及ぼす因子を徹底的に省いた一品。

 それこそがこの"不死鳥の生き血"である。

 摂取すると、レベルは僅かに上昇する。相性が良いものが飲めば、レベルひとつ分くらいは上昇するかもしれない代物だ。

 景朗の自前の細胞を使用し、とかく、脳や内蔵の細胞を保護するように作ってあった。

 そのため、レベルが上がるというよりも、演算処理能力の限界を強引に突破できる、といった説明が正しいかも知れない。

 

 

 

「出血大サービスです。せいぜい身を守るために使ってください。風邪ひいた時とかね。ああ、水虫にも効きますよ」

 

「あはは……。ちがう、もん……そんなことより、不死鳥くん、それだ、大丈夫なの?」

 

「大丈夫に決まってるでしょう。今まで俺を誰だと思ってたんですか……」

 

 

 

 可愛いことに、2人は店を出た途端に、本物だー、とはしゃいでいる。

 

 景朗は自嘲気味に、ひとつ息をついた。何しろ――。

 

 "Blood of Phoenix"なんてちゃちなものとは言わず。

 "もっと恐ろしいもの"が、この街の革新的技術で生み出されているようなのだ。

 

 『Med.Phoenix』『Five_Over. Modelcase_"PHOENIX"』『Equ.Dynosaur』

 

 暗部の闇は深い。ざっと耳にしただけで、これだけ気持ちの悪い名前が聴こえてくるのだから。

 

 

 

 

 




色々コメントしたり、発言したりしてきましたが、まだまってください!
あ、あえてノーコメントで。まだつづきがあるのですorz
もうすこし皆さんにおみせしてから、言いたいことがあるんです。お願いしますorz


それは置いといて、感想返しが遅くなってます。すいませんorz
明日中に返信いたします!


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extraEp02:水銀甲冑(シルバーメイル)

 

 

 

 アンチスキル第七学区支部は、異質などよめきに包まれていた。

 

 

 すこぶる機嫌の良い高校生男子のその後ろを。

 すっかりと機嫌を悪くした黄泉川愛穂が、練り歩いている。

 

 

 指導を受けた生徒が、指導した先生を先導する。

 アンチスキルの事務所において、通常ではとても考えられない光景だった。

 

 

 

 正面ゲートを目指して、二人組は廊下を迷いなく進む。

 喜怒哀楽がめっきり食い違った男女だった。

 周囲に違和感を振りまく元凶は、どうやら彼らにあるらしい。

 

 

 

 男子学生の足取りに迷いは見てとれず、しっかりと目的地へのルートを把握しているようである。

 街の片隅に屯しているスキルアウトなぞ比べ物にならないほどに、少年はアンチスキル事務所内の地理に明るいらしい。

 

 

 一度や二度、御用になった程度で、ここまで完璧に建物の間取りを覚えられるわけがない。

 つまりは、この教師と生徒の二人組が闊歩する光景は、幾度となく繰り広げられてきたということだ。

 

 故に、通りすがる職員たちにとってはそれほど珍しい状況ではないはずだった。

 しかし、彼らは皆が皆、まるで大名行列にでも出くわしたかのように、目線を逸らす。

 

 よくよく観察してみると。

 たった一人の場違いな高校生に対して、真正面から目を合わせるものがいないのだ。

 

 その実。黄泉川や一部の熱血教師を除いたほとんどの職員は、彼とトラブルを構築するのを恐れていた。

 

 

 

 職員たちが背を向けるのも無理はない。

 その少年には特別厄介な"後ろ盾"があるのだ。

 

 

 軍事産業の元締めたる統括理事会『潮岸』は、アンチスキルにも多大な影響力を持つ。

 にこやかに微笑む少年はその『潮岸』の身内の、息のかかった子息なのだ。

 

 

 堂々と廊下を闊歩する当の本人は、やんわりと向けられるアンチスキルたちの敵意に満ちた視線に、一歩も動じていない。

 

 そればかりか高校一年生にして、思わず舌打ちが飛び出そうなほどサングラスが似合っていた。

 才気煥発なオーラに満ちた自信満々の態度が、よくもわるくも憎たらしさを演出しているようである。

 

 

 

 

 

 

「また来るじゃんよ」

 

 

 正面玄関まで陽比谷天鼓を送った黄泉川愛穂が、ぶっちょう面で投げかけた。

 まだまだ物足りない。そう眼光で語る女教師にキツく睨まれて、高校生は薄く笑った。

 

「そこは『もう来るな』って言うところじゃないんです?」

 

「何を言う。お前はまだペナルティを受けていないだろう。少しは犯罪者だって自覚を持て」

 

「犯罪者?」

 

「まだ何も終わっちゃいないじゃん。あくまで一時的に中断しただけだ」

 

 アンチスキル本部の事務員が、緊急に連絡を下していた。

 陽比谷少年に対する鑑別は後日、直々に本部の調査官が執り行うことになった。

 そして続報として、少年を一時帰宅させるように、と。

 

 

 第七学区支部のアンチスキル全員が、反省の色が全く見えない小僧を一晩ほど少年房にブチ込んでやるつもりだった。その算段は、からくも破滅してしまった。

 

 

「ああ。"続き"ってのは本部でやるらしいですね」

 

「"らしい"? 他人事みたいな言い方すんなじゃん? ……おい、ちょっと待て。毎回君を引っ張っていく調査官がいると聞いたが……。試しに担当者の名前を言ってみろ?」 

 

「ん~。んん~と。あー、あー、あー。誰だったかなぁ?」

 

 若干のうろたえを見せるも、陽比谷は楽しそうにとぼけてみせた。

 バレバレの彼の対応が語っていた。

 "能力主義"担当の調査官なる人物は書類上存在しているだけで、実在はしないのだと。

 黄泉川は徒労を感じずにはいられなかった。

 

「ところでセンセー、犯罪者なんてひどい言い方ですよ? 僕らだって少しは傷つくのに」

 

「非行を喜々としてやらかす上に、欠片も罪の意識が無いとくれば。こっちも心を鬼にして、君たちを犯罪者呼ばわりするしかないじゃんか?」

 

「犯罪者と呼ばれる人たちは、犯罪を犯した人たちですよ? 僕たちは違います。"犯罪"なんて犯してませんから。アナタたちの上司のエラ~い方々だって、僕たちの"活動"を決して"犯罪"とは呼びませんよ?」

 

 黄泉川は返し文句を言いかけた。だが、徒労感には勝てなかったのか。

 不機嫌そうに腕を組むと、無言のまま『早くここから出て行け』とばかりに顎をしゃくった。

 

「虚しいですね。"犯罪"を"生み出す(規定する)"のは犯罪者じゃあないみたいです。社会の制度やシステムが決定するようですね。僕ら(能力主義)の存在が許容されているように」

 

「ほら、もう行けっての。ここにきて話を振り出しに戻すなって話じゃん」

 

「だから"犯罪"を無くしたければ、"アンチスキル(警察)"になったって意味がなかったんですよ。官僚や政治家にならなければね。結局、現場で駆けずり回るアンチスキルは"犯罪をなくしている"のではなく、どちらかというと"犯罪者を助けている"。ほら、このように」

 

 陽比谷は自由になった両手を悠々と広げてみせた。

 

 さんざんと語り合った彼の言い分は、こうである。

 この街は、巨大な実験場であると言うのだ。

 

 実験は成果を求めるために、正しき結果を求めるにあたり、時として当たり前の犠牲を払う必要がある、と。

 

 それは犯罪ではなく、犠牲であり、実験であると。"能力主義"が社会に被る迷惑は、実験の一部なのだと。

 

 そう語ってニヤつく子供を、黄泉川は職務を忘れて何度ぶん殴りそうになったことか。非常に危うかった。

 

 おかしいのは自分の方なのか? この街ではまさにこの小僧の言い分こそが、まかり通っている。いい加減に、怒鳴る気力もなくなっていた。

 

 

「ったくもう。まーだそんな戯言を口にする元気があるんじゃん……? その無尽蔵のエネルギー、もっとマシな事に使わせてやりたいもんだ」

 

 

 日が昇る時間帯に散々暴れ倒して。それから日が沈むまで、代わる代わる警備員(教師)に説教を食らい続けて。だというのに。

 

 

 この憎たらしい小僧には、なおも挑発を続けるエネルギーがあまり余っている。

 まさしく、子供だ。子供に違いない。

 差し入れのカツ丼に大喜びで、ガツガツとかき込んでいた時は、少しは可愛げがあるかとも思えたのだが。

 

 

 呆れた風に、負けを認めるように、黄泉川は疲れがこびりついた溜息をどっと吐き出した。

 

「ハハ。それじゃ約束通り、また黄泉川センセーに会いに来ますねー!」

 

 

 不良を更生させるのは、教師の勤めだ。だが理不尽なことに、この街ではあの少年こそが"社会的なエリート像"そのものなのだ。

 あの小僧の"勘違い"をうち解きたいが。その困難さは、まるで学園都市の社会構造そのものを相手どる様だった。

 

 ゆくゆくは、ああいった若者がこの街を、社会を率いていくのだというのに。

 

 

 

「統括理事会、か……」

 

 手のひらの腕章を見つめ、黄泉川はぽつりと呟いた。しばし、その場に立ち尽くし、夏の夜風に身をさらす。それも幾ばくか、粛々とした暇は束の間だった。

 

 ぎゅっ! と力強く手のひらを握り締めると、彼女は踵を返してきびきびと仕事へ戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 迎えのための黒塗りの車両が一台、道路の脇に停まっていた。しかしそれよりも先に彼の目にとまったのは、薄暗がりに浮かぶ馴染みのシルエットだった。

 

「鷹啄さん?」

 

「誰も迎えに行かないのは冷たいでしょ? それとあと事後報告!」

 

「そうだった。今日は雑用を押し付けて悪かったね、色々ありがとう」

 

「いいよ。それくらいのことは……それにしても、今日は随分遅かったねー……?」

 

「予想はしてたよ。今までで最大規模にヤラかしたんだから。特に道路と建物を数軒めちゃくちゃにしたし。さすがにしばらくは大人しくしてなくちゃ、まずい!」

 

 

 二人の高校生を積み込み、高級車は第七学区の夜道を駆け抜けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 第十八学区(エリートの巣窟)とは一風変わった、第七学区(最大の学生街)の夜の賑わい。その風景が目に付いた陽比谷は、その場で運転手に停車を命じた。

 

 完全下校時刻は僅かに通り過ぎているが、もう少しだけ猶予はある。

 鷹啄を夜食に誘い、彼は繁華街へと繰り出した。

 

 

 

 

 

 

 ところが。目ぼしい軒先にたどり着く前に、のっけから二人は予想外なトラブルに出くわした。

 やはり、その日は神妙におとなしくしておくべきだった、ということなのだろう。

 

 

 どうやらここは、"十八学区"とはスキルアウトの絶対量が違うらしい。

 女連れで通りすがっただけなのだが、陽比谷はあっという間に不良学生の獲物として見繕われてしまった。

 

 奇抜なスーツ姿のサングラス少年は、スキルアウトたちとって絶好のからかいの標的だった。

 

 

「ほぉら、見せてくれよー、能力者ぁ?」「オラどうした? 使えよ?」

 

 アンチスキルの事務所から出張ってきたばかりだ。小一時間とせずに出もどるのは、少々どころかだいぶ恥ずかしい。流石に黄泉川に合わす顔もない。少年がたじろぐ理由は、そんなところだった。

 

 高位能力者だから、自分に構わないほうがいい。

 口から飛び出したのは、第十八学区では一等効果を発揮する、荒事を避ける常套句だったのだが。

 

 第七学区では微塵も通用しなかった。

 それどころか、逆効果だったようだ。スキルアウトたちはますますいきり立つ。

 

 陽比谷はそれが普段の癖なのか、困ったように笑っていた。

 しかし。

 張り付いた笑みは、スキルアウトたちには逆の意味に写ってしまったらしい。

 すなはち――――ハッタリがバレて、怯えているのだと。

 

 

「ヘラヘラ笑ってねーでさっさと使えや、コラ。高位能力者さんよぉ?」

 

「……どうしたもんかな……」

 

 青年たちは異様なテンションで、陽比谷たちをからかうだけに止めておくつもりはないらしい。執拗に絡み、仲間内5人で二人を囲い込んでしまった。

 

「ワタシがやろうか?」

 

 さすがの大能力者たる態度で、鷹啄が耳打ちをした。

 

「あらら、かわいそーに。彼女に慰めてもらってるのーん? 今日はチョーシ悪いのかな」

「ざぁーんねん。俺ら全員、ついさっきドーテー(レベル0)を卒業したばっかでさぁ、最高にご機嫌なぁんですぅ。で、ずぅーっと相手を探しちたんで♪ どかーんと俺らにレクチャーしてくらちゃいよ、高位能力者クン」

 

 陽比谷は目ざとく見つけてしまった。青年のひとりが、ズボンに無造作に何かを突っ込んでいる。ポケットから顔をのぞかせているそれは、薄型の音楽プレーヤーだった。

 

 "第六位"には軽くあしらわれ、自分に絡んでくる輩はこの体たらく。レベルアッパーを使っただけで勇み、つけあがる無能力者どもだ。

 

「まあ、いいや。……鷹啄さん。悪いけど、ちょっと付き合ってくれる?」

 

 陽比谷は促されるままに、スキルアウトたちと人通りのない路地へと向かっていく。

 

 スキルアウトたちはその堂々とした態度にうっすらと青筋を浮かべつつ、ぴゅーぴゅーと口笛を吹いている。

 

 彼女の前で強がるイケメン。ありとあらゆる意味で、格好の的だった――かに、思えただろう。少なくとも、スキルアウトの面々には。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レベルアッパーは、どのような人間にも必ず一定の効能を与えるらしい。

 

 

 

 

 ピチピチスーツ男は、見かけによらず喧嘩慣れしている。

 そう気づいて舌打ちしたスキルアウトたちは、ためらいもせずに"能力"を使いだした。

 

 

 ちょろちょろと噴出する調理用バーナーみたいな発火能力に、膝裏をカクっと滑らせる程度の念動能力。

 

 

 とは言っても、実用に耐えうる"異能力"ほどの出力を持つものはいなかった。

 "能力主義"に身を置く立場からすれば、赤子のくしゃみのような弱々しさに感じられるものだった。

 

 

 それに加えて、彼らのおおよそは能力を初めて"ケンカ"に使ったのだろう。

 

 出力が弱いならば、弱いなりに活用法に気を使えば良いものを。

 案の定、垂れ流されるだけの能力の行使。

 Lv2程度の能力では、ゴリ押しのしようもない。そこいらの警備員でさえ、鎮圧用の盾ひとつでLv3を圧倒するというのにだ。

 

 

 無遠慮に顔面に投射された火球を、陽比谷はスーツに包まれた二の腕で、力づくで払う。

 

 さらには、最低限の手加減を行う心遣いもなっていないとくれば。こんなもの、まっとうなケンカにすらなりえない。ただの遊びだ。

 

 

 相手を速やかに戦闘不能にする効率も、必要以上に傷つけない配慮も、何もかもが見当たらない。

 

 ゆえに、結論としては。この耐火防寒スーツはやはり非常に高性能で、とても有用である。その事実が、改めて浮き彫りになった。このケンカで得た経験が何かと言われれば、そう答えるしかなかった。

 高価なスーツは衝撃や打撃を吸収し、刃物も通さない。強靭なグローブは、それだけで握りこむ陽比谷の拳を凶器に変えてしまっている。どれほど力を込めて人体を殴りつけようとも、殴る側の拳は傷まない。これなら、いくらでも人間を殴り続けられる。

 

 

 

 どうしようもないほど不細工なケンカだ。もっとも、それはお互いに言うべきことか。陽比谷は自嘲気味に荒い息を付いた。

 

 

 既に拳で2人ほど地面に横たわらせている。彼は、一切の能力を使用していない。暇さえあればダラけているスキルアウトとは、彼は少々事情が異なるのだ。

 

 彼は一応のところ、本気でLv5を目指していた。少しでも時間が空けば、いつだって自分を鍛えてきた。多少なりとも何かの"足し"になればと、格闘術にもそれなりに手を出していた。

 

 

 能力を使わず、どこまでスキルアウトたちをいなせるか。ふと思いついた"新しい遊び"だった。どこか吹っ切れたように、ニヤニヤといやらしく嗤う。それまで怒り狂うだけだったスキルアウトたちはそこで初めて、陽比谷の妖しい蔑みに気がついたようだ。

 

 

 

「クソ野郎、調子のんなやッ!」

 

 それなりに格闘技を齧っていたのか。そう判断したスキルアウトのひとりが、ポケットから折りたたみナイフを取り出した。仲間内で一番の実力者だったようで、彼の背後に隠れるほかの二人は、どこか自身がなさそうに目線を陽比谷の後ろへ向けた。

 明るい通りからこちらを覗き込む鷹啄の姿を、ちらちらとのぞき見ている。

 

 

 狙いがまるわかりだった。彼女を人質にでもとるつもりか? 

 もうこんなもの、勝負でもなんでもない。

 

 

 ナイフを持ったスキルアウトが切り込んでくる前に、陽比谷は能力で閃光を生み出した。

 それは一瞬の出来事だったが、ピカリ、と路地全体が薄く光る程だった。

 

「おあッ!」

 

 もとより薄暗かった路地で、目もくらむような光量を受けたのだ。スキルアウトは叫ぶようにうろたえて、たたらを踏んだ。

 

 陽比谷はグローブの上から、男のナイフをまるごとがっしりと掴み、強引に剥ぎ取った。

 目も見えず、武器を奪われた男はそれだけで一気に威勢が弱々しくなった。

 

 

 劣勢を確信したのか、相手が高位能力者だと薄々感じ取ったからなのか。

 残るスキルアウト二人は戦う気をなくしたらしい。すぐさま仲間を見捨てて逃げ出そうと走り出した。

 

 だが、それは果たされなかった。

 

 ケバケバしいネオンのような光と炎の壁が、何もない空間に突如として現れた。

 絶望的な熱を放つ炎の壁が、二人の逃げ道を閉ざす。

 

 

「なにも殺しはしないって。逃げるな。殴られる覚悟もないのに人様にケンカを売るな」

 

 陽比谷は淡々と、かかってこい、と背を向ける二人に言い放った。

 ナイフを綺麗に折りたたみ、右手で握り締める。冷たい金属の重みが、ほどほどに拳に馴染む。

 

 

「ひっ、あっあひっ! やめてくれ! わかった! 負けだ! やめてくれよ!」

 

 ナイフを取られた男は頭を防御するように両の腕で包み、這いつくばって縮こまる。

 

 目潰しは卑怯か? 

 しかし、能力で無法を行うならば、この街ではまだ可愛い小ワザの部類に入るだろう。

 少なくとも、能力でためらいなく急所を攻撃し、あげくポケットからナイフを取り出すよりも卑怯な行為だとは思っていない。

 

 それに加えて、陽比谷にはどうしようもないことでもあった。

 まともに能力を使えば、どうしてもそれなりの光量が発生してしまう。

 

 自分には、こんな程度の奴らがふさわしいのか?

 

 

 

 暴力的な思考が、その脚を動かした。寝込む男をガツンと蹴り上げ、顔を表に上げさせる。

 

 

「があッ! 痛ッ――もうやめてください! やめてくださいッ! すみませんでしたッ!」

 

 重りを持って殴れば、パンチの破壊力は増す。ナイフの柄をしっかりと握り込み、思いきり振り抜けば。耐火スーツのグローブは、己の拳をしっかりとガードしてくれることが分かっている。

 

 このまま加減無しの右ストレートをぶちかませば、目の前のスキルアウトの前歯はまるごとオシャカになるだろう。

 

 

 

 

 陽比谷は力強く、怯えるスキルアウトの腕を掴んだ。

 

 そして彼は拳を振り上げ――――。

 

 バチバチバチィ! と路地内が再び発光した。

 

 突如、暗闇の向こう側から高速で迫る"物体"が飛来し、陽比谷の能力圏内に干渉して、宙を燃え上がっていたのだ。

 

 燃焼した物体はべちゃり、と振りかぶられたままの腕に命中した。

 それはグズグズと焼き焦げた粘着質の液体だった。

 

「面白い!」

 

 そう口にして、謎の攻撃を受けた当人はナイフを奔放に投げ捨てた。

 からからと小さな金属音がこだました。

 放られたナイフが、陽比谷の気持ちを如実に表している。

 もはやスキルアウトなんぞには、興味がなくなったのだ。

 

「もういい。ほら、寝てるのも忘れずに持って帰ってってくれよ」

 

 スキルアウトたちの逃げ道をふさいでいた炎の壁が、打ち上げ花火がすうっと掻き消えるように、俄かに立ち消える。

 

 いそいそと仲間を背負いこんだ彼らは、豹変した陽比谷に対し、恨みと怯えが入り混じった奇妙な顔つきを向けた。

 

「ああ、そうだ。おいオマエ。そうオマエだ。オマエはポケットの中身を全部置いていけ」

 

 スキルアウトの少年は、ぎょっとした。悩ましい表情で硬直した彼にとっては、それは苦渋の選択だったようだ。だが、やがて大能力者の威圧に晒されて、涙目でポケットの音楽プレーヤーを地面に残す。

 ややして、全員が一目散に駆け出していった。

 早々と立ち去るその背中めがけて、陽比谷は叫ぶ。

 

「おい! いいか? 今度はもっといっぱいお仲間を連れて仕返しに来るんだぞ!」

 

 是非とも仕返しに来て欲しい。そんな風にニコニコ顔で嬉しそうに笑っている青年に、スキルアウトたちは精一杯の強がりで暴言を吐き、全速力で逃げ出していった。

 

 

 

 

 

 

 そして。誰もいなくなった路地の深部へと顔を向けて、陽比谷は一方的に語りかけた。

 

「なんだい? なにか問題でも? ナイフを向けられて前歯数本で済ませてやろうとしたんだ。そんなに悪かないだろ?」

 

 スキルアウトたちが逃げていった、そのさらに奥へ。

 陽比谷の目線の焦点は、曖昧な暗闇へと向けられている。

 返答を聞き逃すまいと、耳を澄ます。

 

 遠い喧騒が生み出す静けさが、鮮明になっていく。

 

 都会のど真ん中でも健気に生きる、セミたちの合唱だ。夏の暑さの象徴だ。

 その途端に、陽比谷は自分が汗だくになっていることに気が回り始めた。

 しばしの間、セミの鳴き声が耳朶を打つ。

 次に、ようやく――。

 

 

 

 

 

 

 

「別に。何も」

 

 

 

 

 

 

 

 興味の薄そうな、短い返事が暗闇に反響した。

 それは小さな声だったが、持ち主の巨体を思わせる野太いテノールだった。

 

 

「さっき一瞬、光った時に視えたよ。君の眼、イルカみたいにハートに潰れてるんだね。可愛いじゃないか」

 

 猫やカエルとは違い、イルカの瞳孔は潰れたような歪なハート型だ。その形状は、太陽光がそそぐ海面上と、深海が暗闇へと誘う真下の方向とを、同時に視認するのに優れている。

 学園都市の宵闇は、街灯やビルの強烈な明かりが遥か上空から降り注ぐ。"先祖返り"のその瞳は、街の暗闇に適応した結果なのだろう。

 

「やあやあ機嫌が悪そうだね。"大能力者"程度が図に乗ってたのがそんなに気に食わなかったかい?」

 

「まだ質問の答えを聞いていなかっただろ。教える気があるなら、昼間の続きができるかもな?」

 

 闇からの問いかけは、静かな驚きを生み出していた。

 言葉を発することも忘れて目を凝らし、影の主を探しているのだろう。

 

「おや? 一発"こづかれた"だけでギブアップかな?」

 

 景朗の放った挑発は、正解を引き当てたようである。

 

「冗談だろ? あんなもんじゃ足りない! もっとボコボコにしてくれよ! 何が何でも僕はLv5になりたいんだよ!」

 

「ねえー、どうしたのー?」

 

 唐突な少女の声が、男同士の会話に割り込むように後方からやってきて、路地を響かせた。

 

「なにしてるのー?」

 

 陽比谷の独り言に疑問符を浮かべた鷹啄が、こちらへ近づこうとしている。

 

「早く返事をしろ。やめるなら今のうちだぞ?」

 

 催促に返された返事は、火花が弾ける破裂音だった。

 

「わっ! え? え? どうしたの??」

 

 接近を拒むように、陽比谷は炎の壁で路地を封鎖すると。

 

「君はやっぱり話が早いな、勿論承知したとも! フッハッハッハッ! Awesome! 今日はスゴいッ! アメイジングな夜になりそうだ、キミとデートだなんてな!」

 

 鷹啄に何の説明もないままに、景朗とともに闇へ消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 路地裏を席巻していた炎の明るさが、少年の存在を証明してくれていたのだ、と。

 鷹啄ははっきりと、そう悟っていた。

 炎の壁が霧消したとたんに、誰の存在も感じられなくなっていた。

 待ち人の姿も、当然のごとく見当たらない。

 

 

「え? ナニコレ? ちょっと、ねえー、なんの冗談なのー?」

 

 無理もないが、残された少女は状況の推移に対応できていなかった。

 

 自ら発した呼びかけが、虚しく消えていく。

 

 路地は静まり返っている。

 その現場には、既に人の気配というものが残されていなかった。

 

 

「……ええー? ……陽比谷クン、ホントに誰かと話してたの……? 女の子じゃなかったカンジだし……男の人? でも、"デート"って聞こえたような……」

 

 

 真横の、レストランの勝手口が錆び付いた音を立てた。怪訝な顔をしたスタッフは、暗闇にぽつりと立つ女子高生を目に入れる。

 君主危うきには近寄らず、とばかりに、すぐに扉は閉められた。

 

 

「そ、そんな……もしかして……男の人と、デート? ……なに、それ……」

 

 

 無表情のまま、少女はしばし暗い路地で立ち尽くした。

 

 

「……なにそれ――――――すごくイイ……」

 

 

 とてつもなく貴重な"発言"を聞き逃してしまった気がする。そんな気がしてならない、と。

 鷹啄の胸の内を、猛烈な衝動が突き動かした。

 

「いそげっ!」

 

 鷹啄は無言のまま、路地裏を駆け出した。妄想を炸裂させ、若き活力は走力へと変換されていった。

 そうして。

 かねてより待ち望んでいた"夢の実現"を見逃してなるものか、と彼女は小一時間ほど、執拗に周囲を探し回った。

 

 その間。

 

 脳みそ熱ばむ空間移動系能力者は、絡んでくるスキルアウト総勢15名程を千切っては投げ、千切っては投げつくし。

 

 邪魔な雑草をむしるがごとく、無心のままに空高くへと打ち上げ続けた。

 

 数時間後。半泣きの少年たちは無事、高層ビルの締め切られた屋上から救出された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギョロリギョロリ、と両の眼は足並みを外れて暴れまわっている。

 深い紅茶色の髪の毛は一本一本が蛇の舌のように、小さな風の匂いも逃さない。

 皮膚の感覚は極限まで研ぎ澄まされ、全身で一つの鼓膜を形成するかのような鋭敏さだ。

 

 超音波すら補足する、生命としての五感の終着点。

 

 そこにはLv5級の演算能力と、景朗独自の能力である脳細胞や神経にまで領域(クリアランス)を届かせる、繊細さ。

 そして鋼のように細胞を堅固し、瞬時に修復させる驚異の出力が必要だった。

 

 それら全てが合わさった最高峰の知覚能力は、"科学"にすら真っ向から立ち向かえる。

 そう胸を張れる出来栄えだった。

 

 そんな風に、ピリピリと神経を張り詰める景朗の気も知らず。

 陽比谷は先程からノンキに、べらべらとまくし立てている。

 

「なあ、紫雲をどう思う? 君はどう見た? 見てたんだろう? 直前まで」

 

「あのなあ、質問するのは俺だ。お前が答えるんだ」

 

「なあ。君は手加減してたようだけれど、その気になれば簡単にアイツを片付けられてたのかい? "あれ"でもまだLv4の領域だってなら……Lv5の壁はやっぱり高いんだな」

 

 紫雲をよく知る陽比谷も、彼女の実力を訝しんでいたようだ。

 偶然にも、2人が思い浮かべた疑問。

 

 "同調能力(シンクロニシティ)"とやらは、書庫(バンク)に登録してある通りの"大能力(レベル4)"で相違ないのか? 

 

 景朗とて、あの氷使いに引っかかる部分は大きかった。だが、しかし流石に。

 

(あの女からは暗部のニオイがしたけど……。だからって"まさか"な……。そんなこと……)

 

「俺の知りたいことは何一つ言わずして質問攻めか。順序ってもんがあるだろ?」

 

「そうかい。了解した。それならさあ、何なりと聞いてくれよ。いずれにせよ面白いものを見せてもらったしね。アイツの氷が食い千切られるところなんて、初めて見た」

 

 陽比谷と紫雲が火澄に執着していた理由。

 それこそが、いの一番に聞き出したいことだった。

 だが、無遠慮にも直接その事を尋ねるのには問題がある。

 公には"先祖返り"と"仄暗火澄"は赤の他人同士でなければならない。

 

 回りくどいけれど、遠回りな質問で聞き出すしかない。

 故に――。

 

「その紫雲ってのの話がしたいんならちょうどいい。そいつ、うしろ暗い事をやってるんだってな?」

 

 

 こうして陽比谷と接触している以上、片時も油断してはならない。

 

 彼と行動をともにしていれば、敵が尻尾を出してくれるかも知れない。

 そんなものが本当にいるのだと仮定すればの話だが。

 仮に、もし何者かがこいつをダシに使っていたのだとしたら、そいつらはこちらの様子を伺わずにはいられないはずだ。

 何らかのアクションを目の前で起こしてくれれば、こちらにとってはチャンスとなる。

 

 "猟犬"たる超能力者は、その好機を狙っていた。

 

 

「ああ、そっちか。そういえば君も顔を表に出したくないみたいなんだものな。

……だとしたら不確定な情報をあげつらっても気に入ってくれなさそうだ。確定的に言える事はなにかな……」

 

「暗部に関係してるってのは?」

 

「ああ、あれ。実は確証はないんだ。そう匂わせる情報がたまに僕のところに入ってくるってだけで、もちろん、そっから先は手を出せないからね。とどのつまりは、何もわかっていないんだよ」

 

「本当か?」

 

「僕たちだって引き際は心得てるさ。一応、裏社会に片足突っ込んだようなところがあるからね。すこしは敏感なんだ、そういう話題には」

 

 人通りのない小路を選んではいるが、2人は屋外を歩いている。

 火澄を狙った理由。"先祖返り"を探していた理由。聞きたいことは山ほどあるが、こんな場所ですんなりと聞くわけにも行かない。

 

「あとは……。うーむ、さっきから質問に答えろという割には具体的な追求がほとんど来ないね? 何かあるんだろう? 聞きたいことが。もしやこういうのは苦手なのかな?」

 

 からかうように、軽口を叩かれてしまった。

 淀みなく弾む口を押さえこもうと、質問をくびりだした。

 

「じゃあ聞こう。俺は紫雲ってのに興味がある。能力や目的についてもっと教えてくれ。話したいんだろ? というか、そもそもなんで俺を探してた?」

 

「ふーむ。……とにかく、紫雲はわからない奴なんだ。確実に言えることと言ったら、アイツは"あの体たらく"でなぜか僕たちのリーダーになりたがってる、ってことくらいかな。どう考えても何か裏があるんだろうね。まあ悪いけど、その点については興味がなくて全然知らない」

 

 欧米人のように大げさに手を広げ、楽しそうに陽比谷は笑った。

 イタリア人ばりのジェスチャーが、よくよく様になる高校生だった。

 

「基本的には昼間見た通りの奴さ。いつも無口で、時たま話したかと思えば命令口調で嫌味ばかり。かちんこちんにモノを凍らせてなんだってあしらってくる。君には効かなかったようだけどね。書庫登録名は同調能力(シンクロニシティ)。ひといきに"同調(シンクロ)"なんて言ってもわかりづらいから、皆は"絶対硬度(アブソリュートエリア)"とか"破壊不能(アブソリュートエリア)"だとか"絶対不変(アブソリュートエリア)"やら"絶対領域(アブソリュートエリア)"――」

 

「まてまて、あぶそりゅーとえりあ? 何だそりゃあ、初耳だ」

 

「見ただろう、あの絶対領域(白いふともも)に掛かる一筋の闇(ガーターベルト)を……どう見ても外国の血が入ってるからね、あのスタイルは……あんなものを直視させられたら、"フローズン"して社会的に死――」

 

「おい、それじゃああの女は関係してないのか? 昼間のバカ騒ぎで蚊帳の外になってた女、巨乳の奴だ。紫雲とやらはだいぶご執心だっただろう。お前だってずいぶんと気にかけていたよな」

 

「へえ、君いいところに目をつけるねえ!

でも、あの娘自体は僕らにはなんにも関わっちゃいない。紫雲ともなんのつながりもない。

けれど、見事な目の付け所だ。

よくあっちが天然物だってわかったね、どうやって見抜いたんだい?」

 

「何の話だ?」

 

「溶岩をだしてた娘がいるだろう? あっちは養殖物となっていましてね」

 

「……は?」

 

 少年は急速に明るさを失い始めていた。もの悲しそうに俯くその姿は、やたらと小さく見えた。

 

「つまり偽乳。PAD, 巨乳御手(バストアッパー)を使用してるってことだよ。ぱっと見で2人とも85点以上に見えるけど、ひとりはカンニングだ。この僕が騙されていたくらいだ。さすがLv5はモノが違うな。一目で見抜くなんて……」

 

(火澄に勝るとも劣らないボリュームだったけど、偽モノ? え……あ、あんなサイズに盛るなんて、可能なのか? なんというか、その、大胆すぎる、故に精神的に可能なのかというか……そ、それは……他人事ながら確かにこっちまで悲しくなるな……って)

 

「ちょっとまて。お前さっきからふざけるなよ? 下らねえ話は要求してないぞ」

 

「あっ、ああ、そう、そうだ。よし、プライバシーを侵害したくないから、あの娘の事はできれば話したくない。彼女は本当に巻き込んでしまっただけだ。どうしても知りたければご自分で調べてくれよ。――ただし。その代わり、紫雲があの娘に執着してた理由なら説明できる」

 

 "先祖返り"は黙したままだ。それを肯定だととらえて、陽比谷は語り続けた。

 

「分かってもらえてると思うけど、"火薬庫"組の能力は基本的に手加減ができない。もっともそれは僕らだけに限った話じゃなくて、だいたいの発火能力者にも言える哀しい現実だ。そもそも高位の発火能力者(ぼくたち)には思う存分能力をぶちかます発散の機会と場所が無い。

だから決闘に活路を見出そうとするんだけど、そこでも相手を殺傷するのは御法度だ。

だから発火能力者(ぼくたち)は手加減するために仕方なく道具(武器)を持つのさ。カビの生えた昔ながらのツールなら、人体にどれほどダメージを与えるのか研究され尽くされている」

 

「その手加減どうこうの話がどう繋がるんだ?」

 

「確かに話がずれたね。だから要するに。僕はアイツと本気で闘えない……それは色々と相性が悪いから……それなら、なにも僕じゃなくたっていい。

他に相性の良い奴をぶつければいい。アイツを倒せるような奴を」

 

 もったいぶって話す少年の笑みに、嘲りのエッセンスが薄らと滲む。

 その胸の内に焦がれた期待と悦楽が、ほのかに透けて見えていた。

 

「とんでもなく苦労したけど、紫雲の能力を徹底的に調べた。で、結論として2つ。アイツは"物体"にしか干渉できない。そして意外なことに、分子量の大きい有機物なんかも凍らせるのが苦手だった。彼女が扱うのもっぱら水や空気、鉄、石。そんなのばかり。つまり……」

 

 陽比谷が暗に語ろうとしていることに、景朗の理解も進み始めていた。

 昼間の邂逅が脳裏に描かれ、反芻される。あの時。

 鼓膜を揺さぶるティラノサウルスの咆哮に、紫雲は"辛そうに"顔をしかめていた。

 

「紫雲は光や波や電磁波に直接干渉して防げない、ましてや実態のないものを凍らせられるはずもない。

その弱点を突く。既に"熱射波形(フラッシュウェーブ)(炎に"波"に変える能力者)"と"加熱光線(マグネトロン)(熱輻射に干渉する能力者)"を勧誘してあるんだ。

もう少し鍛える必要があるけど、ぶつけてみるのが楽しみだ。

今はちょうど"面白いもの(レベルアッパー)"が出回っているからね、クク」

 

「つまり部外者だっていう女の能力も紫雲に通用するってことか? だから嫌っていたと?」

 

「察しがいいね。そう、残る最後の1ピースがあの子の力だ。紫雲は"もともと自然界に存在する無機物"じゃないと上手く凍らせられないんじゃないかと。そう予想していたから……"あれ"はアタリだった!

フフッ、"あんな反応(仄暗火澄への執着)"をみせられちゃあ、YESと答えてもらったも同然だ。

あの巨乳ちゃんは特殊な発火能力をもっててね。

かの"第二位"、"物質化(マテリアライゼーション)"系統に連なる力。

架空の"ガスや高電離気体(ほのお)"を生み出す"物質化能力者"でもあるのさ」

 

(そう言えば昔、話を聞いてた。"消えない炎"の"からくり"か。確かに、紫雲は物体を凍らせて対処していた。能力で具現化された物質である火澄の炎なら、相手はそう簡単に防げない……だから、火澄)

 

 昼間、盗み見た"能力主義"の内輪もめ。その時の様子を、にわかに思い出す。

 彼女は、苛立たしげにつぶやいていたではないか。

 

(陽比谷が『潮岸』の身内でなければ、とっくに○してる……みたいなこと言ってたな。相当イラついてたな、あれは。無理もないか、こいつの悪巧みを知ってたのなら……)

 

「自慢げに語ってるけどな、相手に手の内が筒抜けだったみたいじゃないか?」

 

「ああ、そうさ。このままじゃあ頂けない。いったいどこから嗅ぎつけられたのやら。あの女は異常に"鼻が利く"んだよまったく。案外、暗部ってのも本当なのかな? ハハ」

 

 

 景朗にとっても、それはデリケートな問題だった。同じように"暗部"に所属している組織同士が、任務の都合上たまたま顔を合わせる。そういったことは十分に起こりうることだ。

 もし、紫雲が本当に暗部に所属しているとしたら。彼女の情報を探ろうと画策すれば、その行為はほぼ間違いなく相手方にも伝わってしまうだろう。

 

 暗部とは、おおまかに言ってそういう世界だ。どちらか一方が、一方的に相手の情報を抜き取り、優位に立つことは難しい。非常に難しいことだ。こういった話は、もしかしたら暗部の業界に限らないのかもしれないが。

 

 だとすれば。これから先、紫雲が必要以上に景朗や火澄に関わってこなければ。

 こちらも安易に、彼女に手を出さない方が良い。そういう風にも考えられる。

 

「あいつ、たぶんカタギじゃないぞ。一般人を巻き込むのはやめておいたほうがいい。お前に責任が取れるなら止めはしないけどな」

 

「それはこちらの台詞だよ。ひとつ言っておく。いいかい? 素直に君に情報提供してみせたんだ、あの巨乳ちゃんには手を出すなよ。あの子は前々から"別の意味"で狙ってたんだ。余計な茶々を入れるな?

どうせ答えないだろうから訊かないが、君があの子を助けるようなタイミングで現れたのはわかってるんだ」

 

「お前真顔で何言ってんだ……?」

 

 陽比谷なりにカマをかけての発言だったのだろうか。

 しかし景朗とて、あやうい反応は寸分たりとも表にださなかった。

 

「"不滅の炎"は、紫雲(不変の氷)にとっては"不壊の炎"も同然だったわけだ。それがわかっただけで十分。あのおっぱいはこれ以上傷つけさせやしない。どう見積もっても85点越えのレアリティ……あーあ、勿体無いね。紫雲の偏差値だってもっと高ければ……別の解決策も……あの脚線美は……」

 

 少年は再び、ブツブツとまた下らない話を披露し始めた。

 景朗はそんな少年に対し、凍てつくような視線を送っている。

 

 情報提供をしてやったぞ、とよくも押し付けがましく口にできるものだ。

 陽比谷がベラベラと手の内を喋ったのは、その情報を隠す必要がなくなったからだろう。

 既に、紫雲に手の内を見抜かれていたのだから。

 

(いずれにせよ、火澄が狙われた理由は聞けた。真偽を確かめないと。あと少しだけ情報を補完して……最低でも一晩は必要、か……)

 

 

 始終、"罠"にかかる気配は感じられずにいる。このまま待っていても拉致は明かないようだと、景朗は悟った。

 

 紫雲の問題を慎重に扱うとすれば、残る疑問はこの男が"先祖返り"を狙った動機、となる。

 陽比谷と火澄が以前から顔見知りだったのは、火澄本人から確認をとっている。

 印山の能力を使って景朗を見つけたというのなら、今日というこの日に"火薬庫"メンバーが自分を見つけたのは偶然だったのだろう。

 

(というか、誰が誰を狙っているだって?  何を貰うだって? ……いいだろう……)

 

 背後の少年に対する情けや同情がみるみると薄くなっていく様を、実感した。

 冷めた思考回路は、用意していた"次の一手"を打ち出すことに同意した。

 

 

 はた、と両名の足が止まった。前触れもなく、景朗が立ち止まったのだ。

 

「状況が変わった。"ここ"じゃ危なっかしくて録に話せない。場所を移す。改めて俺が指定した場所に1人で、誰にも行動を悟られずにひっそりと来てもらう。そこでお前の大好きな決闘が待ってるぞ」

 

「ほう? 相変わらず急だね。でもま、仕方ないか。"ここ(街のド真ん中)"でやらかせば昼間の二の舞だろうね。いいだろう。で、その場所は?」

 

「第十学区。俺のテリトリーに来てもらう。怖気づいたなら来なくていい。でもよく考えろ。貴重なチャンスだぞ、大能力者(レベル4)」

 

「ああ、ああ! で、いつだ? 今からかい?」

 

「それは"お前しだい"だ」

 

 "先祖返り"は、陽比谷相手に柔和な笑みを浮かべていた。初めてのことだった。

 

「どういうことだい? すまないね、僕は察しが悪いようだ」

 

「ところでお前、ボンボンなんだってな。個人的な警護とかついてないのか?」

 

「今更そんなことを……そんなものはついていない。ご立派なのはあくまで大叔父だけさ」

 

「ふーん、そう。オーケー。じゃあ、目が覚めたら全速力で来てくれ」

 

「だからどこに? いつ――つッ! なんだ??」

 

 唾を飛ばしていた少年は突然首筋を押さえ、顔を歪めた。

 チクリ、と太い針に刺されたような感覚があったのだ。

 困惑と疑問で、顔面が凝縮していたが。しかし、それも束の間の出来事だった。

 

 すぐに表情から締まりが取れて、あげく、みるみるうちに体全体が弛緩していく。

 あっという間に、彼は立つことすらままならなくなってしまった。

 

「何、した、オマエ……」

 

 "先祖返り"の腕が、朦朧とする少年のズボンに伸びた。

 そのままなされるがままに、陽比谷はポケットから財布を抜き取られてしまった。

 

 紙幣を1枚取り出し、景朗は血文字で待ち合わせ場所を書き込んだ。

 眼前でブラブラと揺らして見せると、陽比谷はそれをくしゃりと握り締めた。

 

「は、ふぇ。ふぁ……」

 

 耐え切れたのは、そこまでだったようだ。深い眠りに誘われ、少年はバランスを失った。

 

 倒れこむ寸前で、景朗は難なく片手で受け止めた。

 そのまま流れるように、すぐ近くに設置してあったゴミ捨て場まで少年を引きずっていく。

 生臭いゴミのコンテナをひとつ見繕って、そのフタをぱかりと開いて。

 

 女癖が悪いと噂の青少年を、がしゃりとゴミのコンテナに放り捨てた。

 

(お前さん、放蕩息子で有名なんだってな。日頃の行いって大事、と……俺も人のことは言えないけど)

 

 あの汚臭の中で少年が目覚めるまでに、色々と準備を済ませておかなければ。

 どこかすっきりとした面立ちの景朗は、夜道を颯爽と歩き去っていった。

 

 

 

 

 とあるマンションの一室の、玄関の前で。

 大柄な青年は立ち尽くし、そろそろと指をチャイムへと伸ばした。

 腕の付け根をたどってみれば、肩が弾んでいる。

 楽しみを抑えきれない。そんな喜びが垣間見えていた。

 

「に、丹生さーん。少しだけ話せないかな?」

 

『……しばらくそっとシトイテ。今日はゴメンネ。でもムリ。今は誰にも会えない……』

 

 景朗がインターホンへ向けてぼそぼそと呟くと、スピーカーからはどんよりとした返事が響いてきた。丹生の声色は低品質なマイクでさらに歪められ、無残な代物だった。

 昼間の盗聴騒ぎの一件で、だいぶ消沈しているらしい。

 

 されど。一度の挑戦で諦めるくらいなら、端からこの場所へやってきたりはしない。

 チャイムが再び鳴り響いた。

 

「にーうーさーん、お土産もってきてまして。受け取るだけでいいからー。少しでいいから開けてくださーい」

 

『お土産……どうせまたお好み焼きでしょ……?』

 

「ちがいますよ」

 

『そっかぁ。……良かったぁ。ちょうど甘いもの食べたかったんだぁ……』

 

(そういえば、食べ物しか買ってこないもんな、俺……)

 手土産といえば、食べ物。それが景朗の無意識な鉄則だった。

 他人の何気ない指摘で、改めて自らの癖を知ることもあるのだな、と。

 今更ながらに気づいた景朗だった。だがしかし。

 

「ううん。その……"たれ"っていうか、"ソース"は甘いかな。"砂糖"が入ってるから」

 

『……ケーキじゃないの?』

 

「オーケー今すぐケーキ買ってくる!」

 

『開けるからっ、開けるから入っていいよっ!』

 

「オーライ」

 

『ひあう。ちょっと待ってて十分くらい』

 

 

 

 

 

 お目通りが叶うまで、本当に10分近く待たされてしまった。

 その間、買って来た"ブツ"が冷めてしまわないかと気が気でない様子で、景朗は鼻歌交じりにリズムをとった。

 落ち着かない様子には別の理由があるようだ。

 すなはち、要するに。

 "ファミリーサイド二号棟、八階(丹生のお家)"からの眺めは格別だったということだ。

 

 

 

 

 

「きょ、今日はなんのご用時っ?」

 

 いつもどおりの平素な表情で挨拶片手に乗り込むと、邂逅一番に彼女はそう言った。

 そっぽを向かれていたが、既に相手の顔には熱がこもっている。

 

 丹生とて、自分が口走っていた告白もどきの"あのセリフ"を、しっかりと覚えているはずだ。

 それに加えて。あの叫び声を、景朗ならばお店の壁越しに耳にできていたはずだ、としっかり想像してくれているようである。

 

 そう気づいてしまっては、景朗もなかなか触れられなかった。

 

 

 両親と一緒に住んでいたという4LDKには、当時の生活感がそのままに残っている。

 ご両親が使っていた遺品がそのままに放置してあるからだ。

 しかし、掃除はこまめに行われているようである。

 まるまる1年間は履かれていないはずの玄関の紳士用の革靴には、ホコリすら付いていない。

 

 

 目新しいものといえば、景朗が提供した違法品(イリーガル)な探知機器や物騒なツール類だ。どうしてもこの部屋に住みたいと言って聞かなかった彼女のために用意したが、そのうちの一品(盗聴器)は本日の昼間に、思いっきり想定外な方法で使用されてしまっている。

 

 

「あー……昼間、だいぶ怒ってたみたいだけど、あれさ。俺も考えたんだけど、もしかして体晶が関係してたりする? いや、これでもビックリはしてるんだよ? というか、ずっと心配してて」

 

 いつもの丹生さんらしくなかったね、と言外に取りなした。

 丹生はその一言でずいぶんと出鼻をくじかれたらしい。

 さりとて、すぐに安心したように、どこかほっとしたように、宙に浮かせた腰をクッションへくっつけ戻した。

 

「そっか。景朗もやっぱり気づいてたんだ。安易に人のせいにしちゃいけないと思って、あの2人には言えなかったんだけど……」

 

(に、丹生さん、あなたの体の秘密はトップシークレットですから、もとより言っちゃダメだったんですよ)

 

「そ、それ秘密ね? そうそう、その事がずっと気になってたんだ。どうしてもちゃんと聞きたくて。ってあの2人といえば。手纏ちゃんとはあの後どうなったの?」

 

 やはりデリケートな質問だったらしく、深いため息を吐き出した丹生はちゃぶ台にうつ伏せ、だらっと脱力した。

 

「わかった聞かないから。おうし、じゃあ話を戻そう、それで体晶を飲むとどうなるって?」

 

「……怒らない?」

 

 むくり、と身を起こした丹生は、最初にその一言だけを言い放った。

 嘘でも良いからYESと答えてあげないと、先には進みそうにない。

 

「もちろん」

 

「……実は……ひと月くらい前から……」

 

「ひと月ぃ?」

 

 向かい合っていた丹生は怯えて体育座りのまま後退し、タンスにガタッ、と背すじをくっつけた。

 怒らないって言ったのに。ウソつきぃ、と顔に書いてある。

 景朗が不器用にニコっと笑うと、そろそろと席に戻ってくれた。

 

「さ、最近の話なの。薬を飲んでからしばらくしたら、ちょっと乱暴になっちゃう、時がある、かもなぁ、って……」

 

「かも?」

 

「最近なんだからねっ? さいきん。さいきん、少しずつ調子が変わってきてたかも……」

 

「あの時のカンジだと自制が効かなくなるくらい荒っぽくなってた気がするぞ? 気がする"かも"、じゃなくて大事な事なんだからもっと本格的に「へ、へるまにょにょはトクヴェツッ!」

 

 素っ頓狂な叫びが上がって、そのせいで、思わぬ一瞬の間が生まれしまった。

 丹生は醜態をごまかすためか、今度はわざとらしく不満をさらけ出した。

 

「今日のは特別っ! だって景朗がっ! 景朗が――「わかったわかった! そうだとも今日のはトクヴェツだったね! で、やっぱアレかな!? あの時の実験のやつかな原因は?? "第一位"サマのパラメータがどうとかこうとか言うやつ??」

 

 嫌な予感がして、景朗は話題を強引に戻そうと試みた。

 結局のところ、お互いに突っ込んだことを言う勇気がなかったようだ。

 丹生も、景朗の誘いに乗っかってきた。

 

「そうだよっ。"あの実験"の時と似てんの! あの時もみんなイライラしてたでしょ? 実験が終わった後っ」

 

「……去年の実験の? ……そうだっけ?」

 

「そうなの! どーせ景朗だけ別メニューだったんだよ、わかんないんならっ」

 

 丹生が言及しているのは、いわゆる"暗闇の五月計画"で行われた"実験"のことだろう。

 暗部で見かける資料では事実上、"あの実験"の通り名は"暗闇の五月計画"で固定されてしまっている。どれも似たような名前であったから、景朗も今ではそう呼んでいる。

 

 暗闇の五月計画と言われて、幻生を除いて強く印象に残っているのは、黒夜と絹旗、二人の少女だけだった。

 

 そもそも他の被験者とは、あまり触れ合う機会もなかった。

 施設の中では少年少女たちとすれ違うこともありはしたが、不思議な偶然か、丹生を見かけたことはついぞなかったのだ。

 

(あの頃はまだ、匂いに敏感じゃなかったもんな……今なら体臭で簡単に嗅ぎ分けられるのに)

 

 しかしいずれにせよ、丹生の能力には"絹旗のような特性(自動防御性能)"が備わっている。

 あの実験を受けていたことに間違いはない。

 

 

 

「ん? "みんな"って言った? "精神性(マインド)"を弄られてた全員が漏れなく?」

 

「そうだよ。だからしょっちゅうケンカが起きてたじゃん。こども同士で」

 

 丹生の言葉には信憑性がある。彼女の発言通り、あの当時は黒夜も絹旗も、普段から異様に苛立っていたのを覚えている。

 

 黒夜海鳥に至っては、まさしく自制が効かぬ怒り、と形容できそうな振る舞いだった。

 

 黒夜、絹旗、丹生。3名は操る対象こそ違えど、似たような念動能力者(サイコキネシスト)である。

 きっと類似した"第一位"の"精神性"を貼り付けられていたに違いない。

 

(そうか。幻生が言っていた"一方通行"の"精神性(攻撃性)"か……)

 

「それじゃあ、もしかしたら……お昼の時さ、ご飯食べてる時に言ってたよな、"身体検査"に備えてずっと能力の練習してる、って。それも原因のひとつだったりするんじゃないか?」

 

「……う?」

 

 目をぱちくりとさせて、丹生は硬直した。

 

 丹生の能力の底上げに"第一位"の精神性が関与しているというのなら。

 限界まで能力を振り絞るという行為は、"第一位"の精神性が眠る"領域(クリアランス)"へ踏み込むことと同義なのではないだろうか。

 

「あう。そうかも、ここのところずーっと特訓してたから。ああーっ、そうかも、そうだよ!」

 

 謎が解けた、と言わんばかりに喜んでいた少女を制して、景朗は軽く睨みつけた。

 

「とにかくっ」

 

「え、なにっ?」

 

 急変した青年の様子に、すぐさま彼女は戸惑った。

 

(健康に繋がりそうなことはなるべく教えてくれ、って言ってたのに。手遅れにならないようにっ。なのに……)

 

「ちょいと一ヶ月は遅いんじゃないっすかねえ……?」

 

「だ、だってすっごく最近の事だったからっ。自分でも自信なかったんだもん」

 

 しゃーねえなー、と諦めたようなため息を出すと、丹生はフォローに走った。

 

「うう、ごめん」

 

 謝る丹生の鼻声が、景朗の耳についた。

 もとより落ち込んでいた彼女に、追い打ちをかけに来たわけではない。

 そこで空気を変えようと思った。

 だから、何とはなしに浮かんでいた小さな疑問を口にしてしまったのだろう。

 

「なあ、そういえばあの時の"実験"。実験の間さ、ずっと頭ガンガンしてて、とんでもない悪寒でずーっとピクピクしてたよな、丹生も?」

 

「……えー? そんなことなかったけど。痛いのは最初の一瞬で、あとは――こう、すごい違和感がして、ずぅぅっとずぅんずぅん胸騒ぎがするようなカンジ。じゃなかった?」

 

「俺はずっとのたうち回ってたよ。それじゃやっぱり別の実験を食らってたのかな……ッチ。あのキモじじい俺に何してやがったんだ……」

 

(丹生と意見が食い違うな……。俺だけ別の実験されてたのか?

 

いや、幻生は"俺だけ実験結果の傾向が食い違う"といって大喜びしてた。

あれだけ特上にニヤケてたんだ。嘘やデマカセで笑っていたってのは、少し違う気がする。

 

……やっぱり、"あの言葉通り"だったと考えないと)

 

 

 景朗がLv5として覚醒した後に、幻生は平常運転の喜色を貼り付け、こう教えてくれたのだ。

 

 『"一方通行"と拮抗し、張り合える"パーソナルリアリティ"の素地が雨月景朗に眠っていた』からこそ。

 景朗だけやたらと実験で苦しみに苛まれる羽目になったのだと。

 

(奴はあの時気づいたんだよな。俺にそれなりの素養(Lv5級のポテンシャル)があったことに……ん? でも、どうしてだ??)

 

 矢庭に黙り込んだ景朗を丹生はじぃっと見つめて、観察し始めた。

 物珍しそうな視線が、神妙な顔つきの青年にずぶずぶと突き刺さる。

 

 普段ならすぐにからかう言葉を口にするところだった。

 しかし、頭の中で考えを巡らせるのに忙しく、景朗は見つめられるがまま、思考の海に沈んでいった。

 

 

 

(……遅くないか? 俺が"そう"だって気づくのが、幻生にしては遅くないか?)

 

 

 "素養格付(パラメータリスト)"は、恐らく実在する。

 少なくとも、噂話に登場する"素養格付"に似通った"産物"が、この街には存在しうる。

 

 先週末に巻き込まれた事件で、確信を得ていた。

 "幻想御手"が引き金となって勃発した、ウィルステロ事件。

 件の事後処理で起こった、"カプセル"のアジトの襲撃。

 木原数多は、そこで回収されかけた子供達の"素質"をその場で選り分け、ふるいにかけた。

 

 ガキんちょどもは皆が、まだ本格的に能力開発(カリキュラム)を受けていなかった。

 それにも関わらず、何故か仕分けが滞りなく行われていた。

 ということは。

 

 

 "素養の格付"なるものは、ヘタをしたら学園都市全体を巻き込んだ規模で行われている可能性すらある。

 

 

 幼き頃の雨月景朗にも、その捜査は及んでいたに違いない。そう考えるのが自然だ。

 となれば。

 景朗はLv5へとたどり着く素質があったというのに、そこをすんなりと見逃されていた理由はなんなのだろう。

 

 

(そもそもどうして幻生は俺の"資質"を知らなかったんだろう。奴ほどの研究者にすら知らされていなかったってこと、ありえるのか?)

 

 木原幻生ですら、"素養格付"を"調査する側"ではなかったということになる。

 だとすれば、一体誰が。一体どんな組織や機関が、180万人に迫る人間の調査を……。

 

(御坂さんなんて随分小さな頃から目をつけられて、裏でとんでもない計画に利用されて……ッ。そうか、"あれ"が始まりじゃあなかったってことなのか……)

 

 その時。どこか、脳みその奥深くで。

 その"想像"にたどり着いた景朗の脳髄に、幻痛にも似た仮想の衝撃が走った。

 

 信頼を決して裏切らない、持ち前の第六感がざわざわと震えだした。

 冴えた刺激が体中に張り巡って、思考回路に活が入りだす。

 

 

 そうして――過去の出来事が、鮮明に思い返されていく。

 

 もう生きてはいないミサカ9174号は、以前こう話してくれていた。景朗はありありと覚えている。

 

 御坂美琴ですら、幼少期からその才能(DNAマップ)を見出されていた。

 そして。後の計画のネックとなる、クローンの大量生産後の、"調整(学習)問題"。

 

 それを解決したのが、学習装置(テスタメント)。

 ミサカクローンズに言わせれば――テスタメント完成にもっとも貢献した"素材"が、雨月景朗の人間離れした脳みその耐久性だったっという話だ。

 

 

 クローンズの脳波パターンがオリジナル(御坂美琴)と完全に一致しないのは、生育環境の違いと、さらにもう一つ。

 雨月景朗の脳波パターンの癖が、うっすらとクローンズに滲んでしまっているから、らしい。

 

 それが一体どういう意味を持つのか理解できなかった。だが、ミサカ9174号は、"それ"が非常に価値を持つことなのだ、と景朗に礼を口にしたのだ。

 

 ミサカクローンたちは、景朗が計画の完全なる部外者ではない、と口にしていた。確かに以前から、彼女たちはそういう言い方をしていたのだ。印象に残ってはいたのだが。

 

 なんのことはない。彼女たちは、自分を"育ての父親"だとみなしていたようなのだ。

 曰く、景朗が素材として犠牲を払ってくれなければ。

 自分たちはこの世に生まれてすらこれなかったのだと……。

 

 丹生と楽しくちゃぶ台を囲む、この間にも。こうしている間にも"街"では、あのクローンたちが……。

 

(……いいや、知らないね。俺が知ったことか。俺には関係ない……)

 

 ふとした折に湧き上がる、じくじくとした後悔やもの悲しさ。そこから目をそらすのも、もはや慣れたものだ。

 

 今は別に考えなくてはならないことがある。景朗はすぐさま、思考を無理矢理に切り替える。

 

 

 御坂美琴(第三位の超能力者)は幼い頃からそのポテンシャルを見抜かれ、学園都市の計画に組み込まれていた。

 

 現に、"原石"やら、"解析不能"やら噂されている"第七位"以外のLv5は皆、ズブズブと暗部の匂いを漂わせているものばかりである。

 

 そうくると。

 

 暗闘の果てに開花したものではあるが、一応はLv5へとたどり着いた雨月景朗の"素養"が、都市の闇に見逃されていたとは思えない。

 

 果たして、幻生までがそいつを見逃すだろうか?

 幻生はなぜ知らなかったのか。

 その理由は限られている。

 すなはち、"あえて知らされなかった"のだ。

 

 何故か? 

 邪魔をされたくなったからなのだろうか。水面下でひっそりと"事"を成したかったから、なのだろうか。

 

 何を?

 "得体の知れない計画"をだ。"雨月景朗(自分)"に関わる何かよからぬ事なのだ……。

 

 

(……俺にも"あった"のか? いいや、"ある"と仮定しておかなければダメだ。

御坂さんのように、考えにも及ばない"何か"が。想像もつかない計画が、俺にも……。

もしかしたら、今この時も……)

 

 

 誰かが、幻生にすら"そう"とは知らせずに、"悪魔憑き"の才能を秘匿していたというのなら。

 そんなことをするのは誰だ? いや、むしろ。

 そんなことが可能なのは誰だ?

 

 思い当たる人物はそう多くはいない。

 ゆえに、わざわざ悩む時間すら必要無く、ひとりの人物が脳裏に強く浮かびあがる。

 

 

(アレイスター……やっぱり。やっぱり"あれ"は、きっとその一部なんだ)

 

 

 四月の末。垣根帝督を追い払った、"謎の現象"について。

 景朗の理解は未だに追いついていない。

 

 直感的にアレイスターの"未知の力"に対抗しうる、"切り札"になるかもしれない。

 そう期待していた"謎の現象"だったが。

 

(やれる。やれることはわかっているんだ。でも、なぜ"できる"のかまるで理解不能だなんて。この期に及んでまだ、詳しいことはわかってない……)

 

 景朗はあれから1度、"未元物質(ダークマター)"との戦いの"再現"を行っている。

 戦闘に極めて有用である"謎の現象"を、いつでも活用できるよう"訓練"するためだ。

 

 しかし、その"訓練"とでも呼ぶべき"再現"の成果は、芳しくなかった。

 その原理や応用法について、なにひとつ解明できなかったのだ。

 

 

 薬味から受けた最後の依頼である、御坂美琴への威力偵察。

 速やかにそれを済ませて、景朗は早速、"謎の現象"の解明に取り掛かかった。

 

 厚い雲が空を覆っていた、五月の半ばのどんよりとした日だった。

 

 景朗は"特訓"に挑むためのフィールドを、第二十一学区のダムの、その水底に求めていた。

 つまり、ダム湖の深い水の中で"再現"を行ったのだ。

 わざわざ辺鄙な場所を選んだ理由のすべては、アレイスターの目から逃れるためにあった。

 

 

 丑三つ時の深夜。濁り、暗闇に包まれた生ぬるい水の奥底で、もう一度、"第二位"を打ち負かした"魔法"の再現に臨んでみせた。

 

 

 

 結論から言うと、羽の生えた狼は無事に、見事な紫炎を吹き出すことに成功した。

 

 しかしどうしようもなく説明不可能な現象だ。

 景朗が変身した狼には、生物として可燃性ガスを作り出す器官も、発火を促す牙も、なにひとつ存在しないのだ。

 

 

 一言で言えば、"それ"はとても不思議な体験だった。

 "あの時の戦い"でたった一度ばかり経験したことを、体は完璧に覚えていた。

 まるで息を吸うように、自然に願いが叶うように。

 

 

 だからこそ、その過程が一体なにを意味するのか、まったくもってつかみどころがなかく。

 理論の"り"の字も見つからないその現象は、まさしく魔法のような出来事だった。

 

 それでも確かに――――"再現"は成った。

 

 そして悔しいことに、理解できたのはそこまでだった。

 

 

 

 

 仕組みをわずかにでも理解できればと景朗は期待していたが、希望は無残に打ち砕かれた。むしろ、真逆の結果と言って良かった。

 新しく獲得した知識はなにひとつなく、結局は余計に理解の及ばない現象ばかりが起きてしまったからだ。

 

 狼男に羽を生やしただけで、景朗の躰中の細胞はどこまでも壊れていった。

 そして、知った。

 痛覚を抑えるとか、痛覚を感じる神経を無くすとか。そういった抵抗は一切の無駄だった。

 どうやら"強烈な痛み"が、その行為には要求されるようなのだ。

 

 景朗の変身能力には前提として、幼い頃から有していた"痛覚操作(ペインキラー)"が必要となる。

 そもそも、肉体に"痛覚を感じる余地"が残っていれば、変身する段階で失神してしまう。

 

 もし、痛覚が生きた状態でバリバリと躰が裂けて変形していけば。

 どれほど非道な拷問にも勝る苦痛が、躰中をかき乱すことだろう。

 

 

 垣根と戦った時も、思い出したくもない身の毛もよだつ激痛が生じたのを覚えていた。

 

 だが、それはてっきり"未元物質"が生み出した"細胞分裂を抑制する物質"の影響によるものだと、そう思い込んでいた。

 現実は違った。非常に惜しまれることに間違った推理だったようだ。

 

 

 

 景朗がどれほど"痛み"から遠ざかるように能力を使おうとも――――。

 例えるならば、自分でも触れることのできない箇所にある、脳髄の奥底で。

 決して"いじくってはならない"聖域が、ぎりぎりと有刺鉄線でがんじがらめにされていくような――――。

 

 

 "謎の現象"は絶えず、耐えようのない苦痛を景朗にもたらした。

 "謎の現象"を発動させ続ける限り、それは終わりなくじぐじぐと深みを増していった。

 垣根を追い払った時は、ほんの短い刹那の時間で変身を取りやめていたので、気づかずに済んでいただけだったのだ。

 

 どうやら、長時間の使用は"不老不死(フェニックス)"の肉体をもってしても、不可能である。

 結果として、そう結論づけるしかなかった。なぜなら。

 

 

 

 深い深いダムの底。そこには自分ひとりしかいないはずなのに。濁った水の中で。

 景朗は、誰かの視線に気づいてしまったのだ。それは奇妙なことに、複数の視線だった。

 しまいには、だんだんと話し声まで聞こえ始めて――。

 謎の解明に躍起になっていた景朗は、そのうちに気づく。

 

 隔絶した疼痛は精神の限界を容易く打ち破り、幻覚や幻聴を引き起こしはじめていたのだ。

 

 やむなく"訓練"を打ち切ったものの、その頃にはすっかりと憔悴しきっていた。

 水中から湖畔に上がると、消耗は想像以上に激しく、気づけば身を横たえてしまっていた。

 

 

 質の悪い"幻"だったと、景朗は悪寒にガタガタと震えた。

 

 "体調を崩す"なんて、普通の人間であれば当たり前のことだ。

 だが、"戦闘昂揚(バーサーク)"へと覚醒して、何不自由のない肉体を獲得した数年間。

 一度としてそのような経験を得ることがなくなっていた景朗にとっては、とりわけ背筋が寒くなるほどの違和感を覚える"驚愕"だった。

 

 

 

 ――――湖の中で感じた"視線"には、見覚えがあった。

 まったく同じものが網膜に焼きついて、鮮明に記憶に残っている。

 彼らの"最後"をみとる直前の、光が消え失せる寸前の熱いまなざし。

 

 いずれの幻聴にも、聞き覚えがあった。

 当然だ。あれは――――自分が殺した人たちの声だったのだから。

 

 よくも殺したな、と。全員が自分を恨んでいた――――。

 誰ひとり欠ける事なく覚えていた。だからきっと、あれは自分の記憶なんだ。

 そうだ。それならあれは、ただの幻覚だ。束の間の幻聴だったんだ――――。

 

 それ以外に何がある?

 

 

 

 幼い頃は、暗闇が理由もなくおそろしかった。在りし日の身をすくむような思いが蘇り、景朗は十数年ぶりに、ダム湖の湖畔で縮こまって震えていた。

 

 

 

 

 結局。そこまで苦労したものの、獲得できた知見は多くなかった。

 羽の生えた狼という、なんとも捉えどころのない"悪魔の似姿(合成獣の外見)"が、唯一の発動条件であること。

 判明した事実はその程度であった。尚且つ、それは。

 

 

 その事実は、"悪魔憑き(キマイラ)"と真っ先に呼んだ人間が誰だったのかを、思い出させるものだった。

 

 ところが、事態はそれだけでは済まなかった。

 

 空気を漂う"謎のナノマシン"から逃れたい。そのためだけにわざわざ、"訓練"の場所に深い水底を選んでいた。だがその考慮が、余計に至らぬ結果を招いてしまった。

 

 明らかな失策だった。広大なダムには水害や水質環境、その他もろもろの調査を行うためのセンサーが網目のように設置されていたのだ。

 

 

 後日。当然のごとく、ダムの底質環境を調査していた研究機関は大騒ぎの、お祭り騒ぎだった。

 

『怪奇!! 第二十一学区のダムに"不可解な痕跡"。巨大水棲生物の謎!?』

『我が研究室は巨大生物の確かな生痕を発見した!』などなど……。

 

 

 丹生からまとめサイトの記事を教えられ、景朗は人知れず青ざめた。

 ダム湖の謎の水棲生物の名称について、あちこちの報道機関が好き勝手に命名戦を繰り広げ始めていた。

 景朗にとっては、昨年の"狼男騒動(ウルフマン)"が沈静化してきて、やっと胸をなでおろした矢先の出来事になってしまった。

 

 もちろん、悪いことはそれだけではない。"学園都市の研究機関"がデータを測定していたということは。それはつまり、一番に秘密にしておきたかった人物にも、即刻あの"訓練"の情報が伝わったということだ。

 十中八九、アレイスターは景朗の行いを見通してしまったはずだ。

 

 真正面から戦いを挑んでも勝てない以上、情報戦が命取りになる。

 アレイスターの狙いがどうであろうと、出来うる限り自分の情報を与えてはいけないはずだったのに。

 

(まあ、情報戦こそ勝ちの目がない分野なのかもしれないけどさ……)

 

 焦って秘密をさらけ出すのは愚の骨頂だ。

 もしかしたらどこかに眠っているかもしれない、逆転の目を、自ら潰してしまうことになる。

 どんな行動を起こすにしても、よくよく慎重にならなければ……。

 

 

 冷や汗を拭うように、景朗は首筋を手でさすった。

 自慢の肉体には、そんなものは流れていなかった。

 

 

 

 

 ふと、目の前の"動き"に意識が吸い寄せられる。

 

 丹生はすっかり飽きてしまったのか、景朗が買ってきた手土産を思い出したように、ガサゴソと探っている。

 

 丹生の存在が、非常に心強かった。

 自分は強くなったはずだった。強いはずだった。それでも、アレイスターや幻生を相手にしていると、たった自分ひとりで得体の知れない"街"そのものを相手取っているような気分になって、心が折れそうになってしまうのだ。

 

 

 "謎の現象"。あれはきっと、アレイスターが"自分"を手元に置いているのに関係がある。

 

(アレイスターが俺を"使う"のに、何か特別な理由があるのかもしれない。考えようによっては、俺は常にアイツの隣で管理されているとも言える)

 

 それはもしかしたら、ずっとずっと、昔から。

 景朗が"始まり"だと思っていた、あの日よりも。

 まだ小学生だった景朗が、木原幻生と馬鹿げた契約なんてものを結んだ、あの日よりも。

 もっと昔から用意されていた、オゾマシイ運命なのかも知れない。

 

 

 

「どうして今になって気づくんだ……っ」

 

 ほのかな怒りをまぶした自嘲の声を、景朗は荒げてしまっていた。

 だがその時。包み紙に手を伸ばしてかけていた丹生は。

 

「ひうっ?!」

 

 壮絶にビクついて、手を引っ込めた。景朗の歪みに歪みきった壮絶な怒り面に、それほどまでに大事なことだったのか、と涙目になっている。

 

「ごめん、そうだよねっ……? たこやきっ、たこ焼きでしょ、これ」

 

 丹生の発言に、景朗は刹那の間、理解が及ばなかった。

 

「あ……ごほん。ああいやごめん、こっちの話。うん、そう。それたこ焼き。美味いぜ。ささ、お食べください」

 

「う、うん。ごめん、アタシ鼻が詰まってて、匂いがわかんなくて」

 

 丹生は少し前に泣いていたようだ。部屋に入った時から、景朗はニオイで悟っていた。

 恐らく、手纏ちゃんと喧嘩してしまったせいだろう。

 

「ふは。はな……涙の匂いがしてたから気づいてたよ。そんな泣きなさんなって、仲直りには誠心誠意協力しますから」

 

(あっぶね。鼻水の匂いがしてたっていうところだった……)

 

 ところが、ガサガサとたこ焼きの封を剥がすのに忙しく、丹生は話を聞いていなかったようだ。

 

「今日はたこ焼きなんだ。この間まではずっとお好み焼き買って来てくれてたけど、結局粉モノだし……ねえなんでここんとこずぅっと粉もの?」

 

 景朗の取りなしをスルーして、別の質問が飛び出してきた。

 

「諸事情あって……」

 

「むぅ。最近やたらとあたしに食べさせたがるけど、どうして? 教えてくれなきゃ食べてあげないって言ったらどうする?」

 

(丹生さんがもっとも一般人的な味覚をお持ちだからです。けど、そんなシラケるような事は言いませんよ、このタイミングではね)

 

 丹生に粉ものを食べさせたい理由とは。

 当然あるのだが、少々情けない事情からくるものだった。

 なので、ごまかすしかない。

 

「に、"任務"の都合上……」

 

「どうしてすぐわかる嘘つくのかなっ?! アタシだって暗部に居たんだからわかるよそのくらいっ?!」

 

「い、いいから鍛えるんだっ。"粉もん"を鍛えるんだっ!」

 

 首を180度回転させて、景朗はわざとらしく口笛を吹いた。

 

「ひわあっ! 痛々しいからやめてぇっ!」

 

 誰にも真似できない必殺の"視線逸らし"である。どんなに目が泳いでいても、相手は自分の表情を確認できない。

 

「もーおおっ、『鍛えるんだ』って、鍛えたいのは景朗の方なんでしょ? 無理やりアタシを巻き込まないでよっ。そもそも、たこ焼きやお好み焼きで誰か接待でもするの? そんな急にサラリーマンみたいに飲み会の幹事押し付けられましたーみたいな任務にならないでしょ……景朗の仕事っていったらどうせ……あ」

 

「そうさ……どうせ……俺は……」

 

「はいはいストップ! 落ち込んだフリしない! そんなことしても無駄だからねっ。いい加減"悪巧み"してること教えてくんなきゃ食べてあげない。どうせ大した理由じゃないんでしょ?」

 

「なっ。……ふっはっはっは『食べてあげない』とな? ふふふ、『どうかお願いしますから召し上がってください』とまで言う気はないのですよ」

 

 景朗はたこ焼きの箱を奪うと、おずおずと爪楊枝でそのうちのひとつをつまみ上げた。

 そろり、そろりと口元に運んでいく。

 

「これ、ウマいと評判のお店ですから。厳選の一品ですから」

 

 ひとつひとつが美しい円形にまとまっており、生地の色合いも見事な黄金色だ。濃厚なソースの香りは甘く、食欲へと囁きかけてくる。

 ごくり、と丹生のノドが鳴る。されど、彼女の意地もなかなかのものだった。

 

「いいもん。たべないもん……」

 

 困った。景朗とて、本当に食べる訳にはいかなかった。

 本音を言えばまぎれもなく、丹生に味の感想を聞くのが目的だったりするのだから。

 

「ひとパック3000円でも?」

 

「ウソッ!? これ三千円もしたの??」

 

 驚いたのか、今度こそガタッ、と丹生は腰を上げた。ところがすぐさまその事を恥じたらしく、ただちに疑惑の声で切り返してきた。

 

「い、いいもん。3000円のたこ焼きなんてヘンだよ。そこまで高くなるなんて普通の"たこ焼き"じゃなくなってるんだからっ。きっともう別の食べ物になってるよっ。そんなに高いなんてヘンだもん」

 

「ぬぐ」

 

 言われてみると、確かに不思議になる。そもそもたこ焼きは原価が抑えられる部類である。

 一体どこに3000円まで高騰させる要素があるというのか。

 技術か? 材料費か?

 

 景朗はクンクンと匂いをよく嗅ぎ分けてみた。

 

(あ、このたこ焼き、トリュフ入ってる……この分だと恐らくタコも高級品だな……)

 

 確かに、このたこ焼きはうまいのかもしれない。でもやっぱりここまで行くと、"普通にたこ焼きとしてウマイ"というよりは、中に入ってるトリュフとタコがウマイってだけなのでは……。

 

 思い切ってぱくりと口に放ると、丹生が耐え切れずに反応した。

 

「あっ」

 

「もごもご。ふ、ふおおおおおおおおおおおおっ! ひょーうめえぇっうめえ! ほらほら丹生ひゃんもたべへみなおっ! ほらほらっ」

 

 美味だー、と盛大にはしゃぎつつ、そのままゴリ押せとばかりに景朗は強行策をとる。

 ザクリと爪楊枝をたこ焼きに突き刺し、丹生の口元へと急ピッチで運んでみせた。

 

「あう……あ……たべな……たべ……」

 

 食べないと言い張った手前、丹生は我慢するようにそっぽを向いた。

 サイドで止めた髪がハネて、景朗の鼻先をくすぐった。だが。

 

 彼女の正面で、ふるふると艶やかにエサを揺らしてやると。にわかに視線が合体した。

 とたんに若干テンパった仕草を見せて、相手はしばらく葛藤を披露した。しかし。

 すぐにおとなしくなって、意外にもあっさりと。

 

「あむっ」

 

 勢いよく食いついた。

 

「どうっスか? 美味いっスか? どんなカンジ?」

 

「もぎゅ、もういっこ」

 

 追加を要請しておきながら、丹生はおずおずと器用に少しずつ後ずさる。

 景朗もちゃぶ台を挟み、前のめりにならざるをえない。

 

「おうし。ほら、さあほら」

 

「あむむぐっ」

 

 しばしの間、もきゅもきゅと音を立てて咀嚼し、そして飲み込んだのか、喉が上下した。

 

「ど、どう? 感想が聞きたいんスけど」

 

「もうすこし食べてみないと……」

 

 丹生は受けの姿勢を強くして、あーん、と口を開けた。

 一方の景朗も、彼女をさらに覆うような前傾姿勢となる。

 

 言わずもがな、手ずから相手に食べさせるこのシチュエーションには、気恥ずかしいものがある。

 

(丹生の野郎、目をつぶって口だけ開けやがって……い、いいだろう。俺は負けない。降りないぜ。自分から降りてたまるか……)

 

 ぎゅっと閉じられていた瞳が、突然パチリと開く。思いっきり覗き込んでいた景朗の眼光を正面から受けて、丹生は慌てて目をつぶった。

 生唾を飲み込んだのは、景朗の方だった。

 

 

「じゃあほら、第3弾どうぞ」

 

「むぐ、むぐむぐ」

 

 さらにパクつくと、丹生はまたぞろじわじわとお尻だけで器用に後ずさってしまう。

 

「美味い? ってえか、なんでそんな仰け反るんだよ? 食べさせにくいよ」

 

「……感想が聞きたいんでしょ? じゃあ。あ、あーん」

 

 至近距離でじっくりと観察してみると。そしてさらに相手の心臓がばっくんばっくんと高鳴っていることに気づいてしまうと。

 今まで気にもとめていなかった事実を、ふと再確認してしまったりするものだ。

 

 真上から、瞳を閉じた相手を見下ろす。そして、気づく。

(丹生ってこんなスタイルよかったのか……限りなく谷間に近い絶景が……はっ!)

 

 もうそろそろ、いい加減にしろ、とどこか遠くから聞こえてきそうだった。

 景朗はそこでようやく思い出したように前傾姿勢を取りやめて、恥ずかしそうにおずおずと腰を据え直した。

 

「おい、もう腕が伸びねえって。もっとこっち来てくれよ……あっ、そうか」

 

 腕の長さが足りないなら、伸ばせばいいのだ。

 爪楊枝をつまんだまま、二の腕がにゅるにゅると"伸びて"いく。

 

「ひゃうわあ、キモっ!」

 

 薄目を開けた瞬間に飛び込んできた、奇妙に伸びたるんだ腕に驚いたらしい。

 それと同時に、丹生の背筋も飛び上がらんばかりにビクリとハネてまっすぐ伸びた。

 

(あ。姿勢が戻った)

 

「むーっ、いいじゃんちょっとくらい……ひわ! わかったからやめて、自分で食べるからっ。食べるからウデ戻してっ」

 

 うねうねとタコ足のようにくねらせていると、ようやく丹生から降伏宣言があがった。

 

「で、味は?」

 

「うーん、なんかよくわかんない味なんだけど、すっごく美味しい。うん。フツーに美味しいよ」

 

「星いくつくらい?」

 

「な、なんかわかんないんだけど、なんだか……今日のは星……三つ!」

 

「おおおなるほど星3ついただけました。フツーに美味しいとな。普通な感性をお持ちの丹生さんにそう言っていただけると安心できますよう。ふいーっ」

 

(丹生さんの星三つが来たなら間違いない。こいつは"デルタ"の奴らにも紹介できるぞ。上条と丹生さんは同じ貧乏舌してらっしゃるからな)

 

「もーったまには素直に褒めてよぅ。ふん、だ。いいもんね。全部食べてやるっ」

 

「あ、いいよ全部食べちゃって」

 

 あっけらかんとそう答えると、丹生は白けた風にたこ焼きのパックをちゃぶ台に置いてしまった。

 

「おや、どしたの?」

 

「……やっぱりあとで食べる」

 

 丹生は飲み物を取りに行ったのか、おもむろにキッチンの方へ向かっていった。

 

「っしゃあ……リベンジだ……」

 

 土御門とその妹、舞夏ちゃんと一緒に行う予定の"たこ焼きパーティ"第二回戦へ向けて、景朗は闘志を燃やす。

 次の"たこパ"にもほぼ間違いなく、前回において散々に青髪の無知をあげつらった上条当麻もおまけでついてくると思われる。

 ※実際のところは青髪くんこそがオマケポジションなのかもしれないが。

 

 

(土御門はあのナリで信じらんねえくらい博識だし、上条も勉強できねえくせに余計なコア知識だけはやたらと詳しいんだよな畜生。

 エセ関西弁系キャラだとはバレてしまってるけど、それでも……仲間内でよりにもよって"青髪クン"が一番"粉もん"に詳しくないって現状は……

 ウニ頭なんて完全に"キャラ崩壊しかけてるイタい奴"を見る目つきなんだもん……)

 

 糞御門クンは針のむしろに立たされた青髪クンをゲラゲラ笑って指差していたが、そもそも余計な心労をプレゼントしてくれているのは彼奴のせいなのだ。

 今にして思えば、当然の過ちだろう。

 土御門の腐れアドバイス崩れなど、最初からまともに取り合ってはならなかったのだ。

 あんなものは助言でもなんでもない。腐敗し、崩壊してしまっており、アドバイスとしての体をなしてなかっただろう。

 どうして自分は鵜呑みにしたのだか。

 

 おそらくは。録に窓のひとつも付いていない"あのいびつな空間"が、己の正常な判断力を奪っていたのだ。そうに決まっている。

 

(あの時は"あのアレイスター"に重宝されている敏腕エージェントに見えたんだもの……)

 

 そこまで思い浮かべて、景朗はかぶりをふった。

 あの男は確かに、"敏腕"であるには違いない。

 無能力者(レベル0)のあの様で、理事長の命令をこなしつづけているのだから。

 

(まあ、それも怪しいけどな。俺もだんだんとわかってきてるんだぜ、土御門。ただの無能力者が、あれほどアレイスターに重用されるわけないってさ)

 

 それは、カンに過ぎない。だが、疑いは徐々に景朗の内側でどんどんと膨らみ、存在感をましている。

 

(どうせお前さんも、"謎の現象"と何か関わりがあるんだろう?)

 

 

 ああちくしょう。何もかもあいつらのせいだ。

 あのクソ御門のせいで。幻生のせいでっ。アレイスターのせいで。

 心の中で当り散らす。

 

 しかし、責任の一端は自分にもあるのだと、そう理解している理性は、決して頷き返してはくれなかった。

 

 だが、それでもやはり。一番の元凶は、奴だ。

 アレイスターに操られるままでは、全てがままならない。

 

 自分の人生を決めるのは、今のところすべてあの男次第なのだ。

 

 だというのに、現状ではヤツの弱みを握ることすらできそうにない。

 お粗末な手法でアレイスターの粗を探せば、その目論見は丸裸にされてしまうだろう。

 

 

 自分ひとりでは、やはり限界がある。

 

(かと言って。一体誰と……)

 

 死んでも構わないような赤の他人(悪党)は、端から信用できない。

 かといって。

 信用できる極少の人間は、絶対に巻き込めない。

 

 

 

 

 またぞろ考え込んだ様子で、無言で停止していた景朗が気になるのか。

 麦茶のグラスを二つ持って帰ってきた丹生は、そわそわと横顔を覗き込んでくる。

 

(なんだか今日は特別に落ち着きがないな、丹生さんは)

 

 一方の景朗は、不思議なほど心が安らぎ、落ち着く心持ちだ。

 不思議な話だが、この家は異様に居心地がよかったりするのだ。

 彼女の家にお邪魔すると、景朗はいつもいつも心が凪いで、研ぎ澄まされていく。

 だからだろうか。ついつい、考え事にふけってしまうのは。

 

(……うーん。そうも言ってられないか……)

 

 どこかの誰かさんが、やたらと心臓をばっくんばっくん脈動させている。

 こういうものは、一度気づいてしまうとなかなか頭から離れない。

 隣から聞こえてくる心拍(ハートビート)の高まりは天井知らずで、どこまでも上昇していきそうな予感がしてならない。

 

 だんだんと無視ができなくなっていた、その折に。

 

「それで、か、景朗、今日はいつまで居るカンジなにょ?」

 

 緊張がたっぷりと含まれた声だった。

 見つめ合って、汗が噴き出しかける。

 いつのまにか丹生の両眼が血走っている。これでもか、というほどに。

 

 

 それもそうだ。こんな遅い時間に、特に用もなく、丹生とふたりっきりになったことなんて、そういえばなかったではないか。

 

 ニヤっと誤魔化し笑いを浮かべたとたん、ごくり、と丹生は息を飲んだ。

 

(いかん。取り立てて用件もなしに、丹生とこんな夜遅くまで……。ふ、普通に俺らヤバいんじゃ。アンチスキルが黙ってないぞお……)

 

 

「な、なんかテモチブタサだねー」

 

「あ、悪い。麦茶だけいただきます」

 

「あっそうだ。ヒマだし、いっしょにゲェムでもしようよ?」

 

 ゴトリ、と飲み干したグラスを置いて。

 

「よし。遅いから帰りますわ」

 

 相手の顔が見れなかったのか、景朗はあさっての方向へと告げていた。

 

「へ?」

 

「ごめん。帰るっていうかね、俺、そういえば用事があったんだった……」

 

「……え? ホントに?」

 

 むくりと起き上がって身支度に取り掛かると、丹生はポカンと口を開けた。

 

「ええっ? ウソっホントにたこ焼き食べさせに来ただけッ?」

 

「…………いや、帰るって…………かっ、帰らずに何をすると言うんだね? こんな遅い時間にっ!」

 

(不純異性交遊に道徳感が引っかかる暗殺者って。本当にどうしようもねーななんだこれ)

 

 力強く、照れくさそうに言い放つと、わりと直接的な言い方がまずかったのか。

 その先を想像したらしい丹生さんの表情も、ピキリと硬直した。

 

 

「…………うん。そおだねー、エヘ。わかった。いつもの任務?」

 

「違う違う。ちょいとその辺のクソ迷惑野郎をボコボコにしばいてくるだけさ」

 

「そ、そっか。ほどほどにね」

 

 気の毒そうに、どこか悲しそうに。丹生が顔をしかめてくれた。

 景朗はそれが、ちょっと嬉しかった。

 

 

「あ。そうだ、丹生さん、もしかしたら緊急のヘルプ呼んじゃうかも知れない。万が一、いいや億

が一、ありえるかって緊急事態の話だけど。ごめんな」

 

「いいよ。わかってるから!」

 

「そだ。なあもう"アレ"いけるんだよな?」

 

「ふっふー、だいじょぶ!」

 

 丹生はラックのハンガーにかけられていたIDを手に取り、景朗にかざしてみせた。

 

 見覚えのある、学園都市専用の一輪・二輪車用の運転免許だ。

 これから先の未来、引き起こされうる未曾有の惨事に備えて、彼女に取得しておいてほしい、と景朗がお願いしていたものだ。

 

 有事の際の、"移動手段"の確保のために。

 

 

「いーねー。今度丹生さんに乗っけてもらいてえな」

 

「いいけど、景朗も取ってよ! アタシ、ひとりで取ったんだよ?」

 

 あさっての方向を向いていても、手に取るように感じ取れる。

 さそや恨めしそうな顔をなさっていることだろう。

 

「いやー、でもなー。街でちょろちょろ走ってる車より……俺、基本的に自分で走ったほうが早いじゃん……?」

 

「うう、そうだけどさっ!」

 

 

 

 

 名残惜しそうに、丹生は玄関まで見送りに来てくれた。

 夏休みは時間とれるかな、と。

 最後の最後に放たれた、質問とも取れないつぶやき。

 

 

 景朗は、何も答えなかった。

 長期休暇ともなれば、時間帯を問わず街中に学生が溢れ出す。

 

 人の目が、街中に開放されてしまうのだ。それはつまり。

 

 

 必然、"第一位"様のお守り(レベル6シフト計画の進行)が難しくなるということだ。

 夏休みのせいで追加される問題の解決に、幻生はためらいもなく景朗をあごで使うだろう。

 呼び出しの機会は倍増し、スケジュールは間違いなく圧迫されることになる。

 

 

 そして悲しくも、予想通り。

 景朗は貴重な高校一年生の夏休みも、棒に振ることになった。

 

 

 

 

 




まことに心苦しいですorz

次の話で、次の話でーとマジでヒロインだすだす詐欺してしまってますorz

ちょっと計算が狂ってしまって、書いとかなきゃーって部分を増やしてしまったんです。
とはいえ、ヒロイン登場回はかけてます。
ただ、気を使わなくてはならない部分があって、もうすこし時間をかけたいのですorz

とはいえ、ヒロイン出しますって宣言してしまった以上、出来うる限りの形でお約束を守りたいです。
明日、もう一話更新いたします。
深夜になって、月曜日に踏み込んじゃうかもしれませんが、申し訳ないですorz
次の話は95%書き上げてあるので、ほぼ100%更新できます
ですが、もうちょっとだけ加筆させてください


あと、お二方の感想をお待たせさせてしまってます。
あすの更新に合わせて返信いたします。いや、本当にお待たせしました……


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extraEp03:禁書目録(インデックス)

 

 

 

 

(よく来たな、時間通り。目覚めてまっすぐ寄り道せずに来てくれました、と)

 

 日曜日の早朝。第十学区の一等寂れた住宅街の隅に、生ゴミ臭い陽比谷が顔を出した。

 

 住宅街と言っても、あちこちに第十学区ならではの歪な光景が広がっている。

 

 居住用に改良されたコンテナが学園都市製の頑丈なワイヤロープでビルとビルの間にぶら下がっていたり、キャンピングカーが何故か建物の屋上にどでんと乗っかっていたりする。

 よくあるコンテナ港にも見えるため、原住民からは『ドライポート(海無し港)』なんて呼ばれている。もともとDry Portは陸上港を意味する言葉なので、その筋の方にはややこしい名称である。

 

 

 濃厚なゴミの臭いが染み付いた、レーシングスーツもどきの格好の男。

 第七学区ではひたすら嫌悪されるだけの服装だったが、"第十学区"は一味違った。

 

 『おい兄ちゃん、高そうなスーツ着てんな。ワシのジャージと交換してくれんか?』と陽比谷は早速、絡まれ始めていた。第十学区では、金の匂いを嗅ぎ分けることにかけては"三頭猟犬"を凌駕する超人どもがウジャウジャとその辺を歩いているので、ある意味しかたがない。

 

 勝手がわからなかったのか、諦めたのか。陽比谷は強烈な爆風でスキルアウト数人をひといきになぎ払った。

 額に一本の筋を浮かべ、苛立ちを隠せずに待ち人の姿を探している。

 

(ああ、あいつもうダメだ。助けてやらないと……)

 

 何事も、真っ先に暴力に訴えてばかりでは解決しない。

 陽比谷のしでかした行為は、スズメバチの巣に壊れない程度に優しく衝撃を与えるが如き愚行だった。

 直にわらわらとスキルアウトに群がられて、彼は囲まれるだろう。

 巣に入り込んだスズメバチをニホンミツバチが包み込んで蒸し上げるように……。

 おや? それではどちらがスズメバチだかわからない。

 

 

 一体どちらがスズメバチなのか区別がつかなくなってしまう、その前に。

 景朗は後ろからこっそり近づいて陽比谷の襟首を思いっきり掴み、傍のビル屋上へと遠慮なく跳躍してみせた。

 

「おわあああああああっ!!」

 

 叫ぶ少年を着地地点へ放って、景朗は無表情のままに吐き捨てた。

 

「ピーピーうるせえなぁ」

 

 咳き込みつつも少年は下手人を見上げ、苦しそうに言葉を絞りだした。

 

「ごほっ、ごほ。キ、キミだろ? こんな真似するのはキミだろっ?」

 

「おお正解。賢いね。ていうかちょっとなあ。シャワーくらい浴びて来てよかったのに……クサッ」

 

 今度ばかりは、相手も怒りを我慢できなかったらしい。

 

「全部テメエがやらかした事だろうがッ!! 随分とやってくれたなッ、何がしたいんだッ!!」

 

 いきり立つ青年の肌からは、バチバチと線香花火が燃えるような淡い火花が飛び散っている。

 

「いやいや、約束を守ってもらえるか心配だったからさ。だから"ずっと"見させてもらってたんだよ」

 

「『ずっと』? どういうことだ?」

 

「だから、第七学区のゴミ箱でお前さんが目を覚ましてからここに来るまで。ずーっと近くで監視させてもらっていた」

 

「……なんっ……」

 

 景朗の発言に、さしもの"能力主義"の少年も怯みをみせた。言いよどんだその仕草に、恐れが垣間見えている。

 

「ちゃんとひとりで来たみたいだな。なかなか肝が据わってる。すこし見直したよ。あー、でも、やっぱり賢いってのは撤回だ。マジで頭良かったなら、俺んとこにひとりでノコノコ来やしないし」

 

「キミ、イカレてるぞ……」

 

「ははっ。知らないのか? 超能力者はみーんなどっかイカレてるらしいぜ? いちいち気にしてんなよ。心配するな、お前は約束を守った。俺も約束を守ろう。さあ、移動するぞ」

 

「……やっぱり、目的地はここじゃないんだな」

 

「当然だろ。俺の"巣"に来てもらう。お前は"恐竜(ダイナソー)"の鼻先に小便を引っ掛けたんだ。見逃してもらいたいなら、それなりにやるべきことがあるんだぞ? ……でもまあ、勇気は買おう。痛い目にあいたくないなら、今が最後のチャンスだ」

 

 セリフの通りに、景朗は細心の注意を払って、陽比谷の動きを監視した。

 その間、目の前の少年に怪しい素振りは一切なかった。

 驚愕とともに目覚めると、彼は悪臭を身にまとわせたまま、あくせくと"先祖返り"との約束を守るために馳せ参じてくれたのだ。

 

 ここまで来て尻尾を出さずに帰るというのなら、景朗としてもそれ以上は追求しない方針だった。

 

「良いのか? そんなホイホイついてきて」

 

 発火能力者の口元はほぐれていたが、目元には歪なひきつりがあった。それでも、少年は得体の知れないLv5の背中を追ってくる。景朗に対して、よほどの執着があるらしい。

 

「こんな事初めてだけどいいんだ……。僕、キミみたいなヤツ好きだぜ……」

 

「……」

 

「彼――――ちょっとワルっぽい"超能力者"で、"先祖返り(ダイナソー)"と名乗った。第十学区も住み慣れているらしく――――あー。いいかな恐竜さん。すこしばかり準備させてもらってもいいかな?プレーには色々と道具が必要なんだ」

 

 ピタリ、と2人の足が止まった。

 

「いい加減にしろ」

 

 鍛えようにも鍛えきれない、精神の脆弱な部分を突かれたような疲れた顔つきで、景朗はそう口にした。

 

「言葉選んでくれない? マジで流れが危なくなってきたから。急に気分悪くなってきたから。なんか気分的に嫌だから」

 

 げんりとした表情で、一息に言い切った。

 陽比谷はしてやったり、と愉快そうに哂っている。

 

「ハッハ、なんだよ過敏に反応しやがって。もしかしてD○UTEIか?」

 

 その伏せ字のやり方は明らかに失敗だ。結局、問題なく読めるではないか。

 

「――――いい度胸だな。ホイホイついてきやがって」

 

「スルーか。最初からやり直しかい。もしや図星だったかな?」

 

「お前ホントいい度胸してんな。俺が笑ってみせてんのは、いつでも手を下せるからだぞ? くだらない話をするなよ、後悔するぞ」

 

 これではどちらがイカレているのかわかったものではない。

 緊張感ってものがないのだろうか、この男。

 まったくもって信じられないようなタイミングで、ちょくちょく下ネタをぶっ込んでくる癖がある。

 真剣に対応に困っていた。

 

 

「童貞には冗談も通じないから仕方がないか。実のところ、君のふざけたスケジュールのせいでレベルアッパーくらいしか準備できてないんだ。もうすこし"装備"を整えさせて貰えないかい? でないと意味がないんだよね」

 

「……なんだその言い方。もしかしてレベルアッパーを使ったとでも?」

 

「はッ! もちろん使ってきたさ。正確には聴いてきたってとこだけど、おかげで今朝から最高の調子だ!」

 

「はあ? バカ言うな。……え? ひょっとしてマジで使ったのか? 本当に"聴いた"のか??」

 

「ああ、聴いたが? 案外短かかったね。なんだい? 何か問題でも? あんな醜態をさらした以上、僕だって簡単には引き下がれ――」

 

「おい!? 本当に使ったのか? 嘘じゃねえだろうな!? 今すぐここで"使って"もらうからな? いいのか?」

 

 尋常ではない食いつきようの"超能力者"に、相手もたたらを踏んでいた。

 

(こいつ、電車の中で聞いてたのか)

 

「な、なんだ君は。使ったって言ってるだろう」

 

「――――くそ。オラッ、受け取れ」

 

 景朗はポケットから端末とイヤフォンを取り出して少年に渡し、そして。

 

「聴いてもらおう。今ここで。早くしろ」

 

「ほんっとうにめちゃくちゃだな、"先祖返り"。いいとも、聴いてやるよ! でも後で必ず特訓に付き合ってもらうぞ? きっちりと!」

 

 そう言いつつも、手にとったケータイを眺めると、鼻で息をつく。思案顔のまま、皮肉げに突っ返してきた。

 

「いらない。自前のがある」

 

「信用できない。俺のヤツで聴け。いいから早くしろ。……いや、やっぱり……。そうだ、やめるなら今のうちだぞ? 今なら特別に――」

 

 

「はッ! もう聴いたんだ、今更何も変わらないと思うぞ。まあでも物は試しに2度聴いてみよう。もっと効果が……あるかはわからないが」

 

 それでも陽比谷はしぶしぶと耳にイヤフォンをはめて、再生ボタンを押した。

 互いに無言のまま、おおよそ五分ほどその場に立ち尽くしたのだろうか。

 

「さあ、聴いたぞ」

 

 手持ち無沙汰にも程がある。そんな顔つきをしていた少年が、荒々しくイヤフォンを外す。

 

 

 その一方で。トゲトゲしい空気感を醸し出す事すら忘れて、景朗はツッコミを入れずにはいられなかった。

 

 

 

「……今、はっきりとわかった…………お前、バカなんだな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 レベルアッパーが学生の界隈に広がり、暗部の業界まで流れ込んで、既に10日以上が経過している。そのさなかでポツポツと、とある報告が上がり始めていた。

 

 今では暗部の上層部では、完全に周知の事実となっている。

 

『"幻想御手"を使用した人物は遅かれ早かれ原因不明の副作用で意識を失い、ぞくぞくと昏睡状態に陥っている』

 

 "幻想御手"による、副作用。あまりに簡単に予想されていた出来事だ。

 

 命を切った張ったする暗部のエージェントですら、端からそれを疑って服用を控えていたほどだ。

 当然だ。原理すらわからぬまま、ひとつふたつもレベルが上昇する秘薬なのだ。

 副作用が有るに決まっている。

 おまけに、暗部の情報網でも未だに"出自"が判明していない"いわくつき"だ。

 

 

 

 

「いつまでここに居る気だ? さあ、早くしようじゃないか。君なんかにはわからないだろうけどね、僕は何が何でもLv5にならないといけないんだ……一刻も早くッ!」

 

「いや、それはいいけどお前。もうすぐ死ぬぞ」

 

「……はあ?」

 

 整った顔つきが、今ではただのマヌケ面に見えて仕方がない。

 

(ったく、ありえねえ……。こんなマヌケ野郎が"裏"を"使ったり"、"使われたり"? ありえねーよな……ほぼ100%"シロ"だ、この野郎は……)

 

 

 

 真実を教えてやると、陽比谷は途端に青ざめてぐったりとうな垂れた。

 まだ死にたくない、と怯える少年をなだめすかしつつ、時には恫喝して、叩くだけ叩いてみたが。

 それでも"ほこり"は一切出てこなかった。

 

 陽比谷という少年は『潮岸』に近しい身内でありながら、暗部にはあまり関わっていない潔白なところがあるようだ。

 

 "先祖返り(ダイナソー)"を知った理由も、軍事産業に明るい大叔父(潮岸)の伝手を使っただけだったと説明を受けた。

 

 ある程度、『潮岸』から情報が漏れるのはしょうがないことだ。彼が担っている軍事産業の裾野は広い。"先祖返り"関連の研究はそのド本命である。

 

 扱いづらい事この上ないこの一件は、業腹であるが放置して、泳がせて経過を見るしかない。

 それが、景朗の最終決定となった。

 

 裏世界でのいざこざでは、よくある結末だ。

 無闇矢鱈に白黒つけようとすることは、"互い"に危険を招く行為なのである。

 理事会の一角が相手では、こちらも無闇にヤブをつつくわけにいかないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 七月の第三週ともなると、どの学校もテストや"身体検査"が終了している頃合だ。

 街中に独特な開放感が漂っていて、学生たちにとっては事実上、一足早い夏休みの到来である。

 

 そういう雰囲気に包まれる最中、あれからすっかりとテンションがお通夜ムードにだだ下がった陽比谷クンは、助けろ助けろと執拗に景朗に食いついていた。

 

 どのような選択でも、常にリスクを天秤にかける必要がある。ただ、それを考慮に入れても、あの少年は恩を売っていれば少しは役に立ちそうな人材でもありそうだった。

 大能力者達のお山の大将を舎弟に組み込むことができれば、それなりのメリットがみえてくる。

 

 憔悴していく発火能力者を尋問する間際に、『洗いざらい吐けばレベルアッパーの件に協力してやろう』と嘯いてしまっていたのも、事実だった。

 

 それ故に、助力を願う相手を無下にもできない心境でもあった。

 しかし。かと言って、相手は軍事の『潮岸』(暗部のド本命)に極めて近しい人間である。

 信用することも、油断することも一切できない。

 そういうことだから。

 

 『埒があかないので、本格的に意識を失ってから連絡してきてください』

 とだけことづけて、景朗は静観を決め込んだ。

 相手は壮絶に絶句していたが、こちらも忙しいのだ。常に相手ができるわけではない。

 『ムチャクチャな事を言うな、不可能だ!!』と正論を跳ね返されたが、そもそも不用意にレベルアッパーを使用したのは相手である。こちらに責任はないはずだ。

 

 たとえ少年に屈辱を与え怒り狂わせて、思わずレベルアッパーを使ってしまうほどに追い込んでいた元凶が景朗であったとしても……。

 

 

 

 さて。そうして現在はすでに、七月二十日の朝を迎えているわけだが。

 

「……さすがにすこし、気の毒だったかなぁ……」

 

 景朗はケータイを手の中で弄びつつ、そうつぶやいた。

 陽比谷少年に唯一教え与えていたアドレスには、連日のように救助要請が届けられていた。

 

 それなりに、景朗なりに幻想御手の情報を嗅ぎ分けてみてもいたのだが。しかしどうにも、有益な成果は得られていなかった。

 結果として、効果的な救いの手を差し伸べることはできなかった。

 

 

 少年からの連絡は、よりにもよって七月一九日(夏休み前日)の夕方から途絶えている。

 今頃、彼の意識はお花畑へ昇天してしまっているのだろうか。

 いずれにせよ、肉体は病院のベッドの上だろうが……。

 

 

 

 しかし、景朗が気の毒そうに画面を見つめていたのはほんのわずか一瞬だった。

 すぐさまサクッと意識を切り替え、別の相手に電話をかけていく。

 

 忌々しい同僚へ、尋問をするために。

 

 "我らが高校"の夏休みは、八月二十日から、つまり本日の朝から始まっている。

 

 "青髪ピアス"としては、休暇中も"上条当麻(監視対象)"へ張り込む事は難しい。

 

 しかし、その気になれば別人に化けていくらでもやりようはある。

 故に、きたるこの日へ向けて、同僚と綿密な打ち合わせを行っていたはずなのだが。

 

 昨夜。急に手のひらを返した土御門は『任務は俺が一手に引き受ける。しばらく首を突っ込まなくていい』と豪語してきたのだ。

 

 ただ、やはり負担が大幅に削減されて嬉しい反面。

 どうにもこうも、胡散臭くてしょうがない部分があるのも事実だ。

 

 

 

『おお、青ピかー、ナイスなタイミングですたい』

 

 土御門は、"普段の口ぶり"とは大違いの、ふざけたハワイアンサングラスのキャラクターでテンションが異様に高い。

 ずばり。

 近くにウニ頭がいるらしい。

 

 景朗も、ただちに"エセ関西弁"を脳内にプリセットしなくてはならない。

 そうこうしている間にも、一方的に話しかけられていた。

 

『補習サボってんじゃねえぞコラ』

 

「……は? え? ど、どうしてですかね? ボクの成績でなぜに――」

 

 そこに強引に割り込んできたのは、上条当麻のとぼけた声色だった。

 

『青髪ーッ! 小萌先生が間違えてオマエのプリントも作ってたらしいぞー。よかったなー、来るだろ? 来るよな? 一人だけ仲間ハズレなんてあーもうなんてかわいそーなんでしょーかーっ?』

 

『ってことだからとっとと来るんだにゃー。十分以内に』

 

『十分は無理かもだけど、なるべく早くな。待ってるぞー同志よー』

 

「……な、なんですとー! わ、わーい! 小萌センセーのお呼びとあればはせ参じずにはいられませんなー! あっはっはっは……」

 

『ちゃあーんと来るんだぜーい? ………………いいから来い』

 

 

 

(そうきますか。

"補習"か!

想定外だった。マズいぞスケジュールまで補修しねえと!)

 

 

 

 ただでさえ、景朗のスケジュールは"レベル6シフト計画"の護衛で既にパンパンだったのに。

 上条の補習(お守り)にまで付き合うとなると、夏休みは大忙しの大惨事で確定になりそうだ。

 

 

 ただでさえ、 路地と路地の網目を縫うように"実験場"を整備して、人の目を取り繕うように隠匿して。

 "絶対能力進化計画"は薄氷にも近いギリギリの秘匿性の上で行われている。

 暗部のビッグプロジェクトなのだ。細心の注意が払われている。

 

 

 ところが、そこに夏休みだからと朝昼晩の時間帯を選ばず、街のすみずみまで学生たちが顔を出すようになると。

 

 運営を行う側には、負担しか生じてこない。

 とにかく何もかもが、ますますやりづらくなるだろう。

 そのことはとうに、幻生の招集命令の莫大な増加が証明してくれている。

 

 上条当麻の補習授業がどの程度の頻度になるかわからないが……どちらにせよ、スケジュールは圧迫される。

 

 必然。"誰か"と遊んだり、お茶したり、一緒に勉強したり。そんな暇はありそうにない。

 

(ああ。今度こそ愛想つかされちゃうな……)

 

 

 でも、それでいいのかもしれない。

 ありのままの雨月景朗本人が世間に顔を出すのは、もはや相当に危険な行為に成り果ててしまっている。

 先日も、陽比谷(素人もどき)が"先祖返り(ダイナソー)"に運良く食らいついてきたではないか。

 

 いい加減、諦めるべきなのだろうか。もう自分は"終わってしまっている"のだと……。

 

(いや、あきらめちゃだめだ。ここで諦めるくらいなら、端から手をかけてはならなかった人達がいるんだから。

 そうさ。いつだって前を向いてなきゃ。ポジティブさを失ったらどんな奴だってオシマイだ。

 そうだろ? 色々な現場を見てきたけど、それだけはまだ覆っていないルールのはずなんだ)

 

 夏休みはまだ始まったばかりだ。始まってもいないことで、くよくよしてはいけない。

 景朗は夏休み初日の太陽の下へ、勢いよく飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして。夏休みが始まってわずか四日足らずのできごとだった。

 早速とばかりに監視護衛対象(上条当麻)が負傷した。

 一時意識を無くしたらしいが、今は容態が安定しているとだけ、深夜に唐突に報告が来たのだ。

 その時任務についていたのは、土御門ひとりだけだった。

 

 もちろん、『一体何があったんだ』と問い詰めた。だが。

 如何様な追求にも、土御門は頑なに口を閉ざした。

 アレイスターの許可は得ている、大した問題はない、との一点張りだった。

 その名前を出されては、景朗としても首を突っ込む訳にはいかなかった。

 

 

 翌日、念の為にと補習に顔を出した景朗は、心中穏やかではなくなっていた。

 小萌先生の両腕から、真新しい上条の血臭が漂っていたからだ。

 

 新鮮な血の香りは、流れ出した血液の量を暗に語っていた。

 どう少なく見積もっても、ストリートファイト程度でこさえる傷だとは思えなかった。

 

 

 振り返れば七月二十四日のその日からだろう。

 土御門が景朗に、隠し事を匂わせるようになったのは。

 "彼"らしくないお粗末な報告が目立ち始めたのも、このあたりからかもしれない。

 自らに勝るとも劣らず、土御門も何かに追われているのだと、景朗は悟り始めていた。

 

 

 上条の怪我の原因についてだが。

 心当たりに、昨日の『幻想御手事件』があった。

 第十学区当たりで御坂さんが盛大に暴れたらしい。

 お祭り騒ぎには漏れなく顔を出すフラグ建築士のことだから、ノコノコ現場にはち合わせていたのかもしれない。

 

 ともあれ、昨日はレベルアッパーを使用したものたちにとっては一応の転機となった。

 『幻想御手事件』と過去の事件のように名付けられているのには、それなりの理由がある。

 昏睡していた被害者たちが、一気に目覚め始めたのだ。

 対策にあたっていた"表"の機関には、軽い混乱が生じているらしい。

 

 

 となると、バイオテロ事件でレベルアッパーを使用していた夜霧少女と北大路少年も、少年院の独房で目を覚ましたのだろうか。

 景朗は未だに、あの事件の調査を続けていた。

 罪を償おうと試みて、命を失った子供たち。暗部のデータバンクで解決済みの事件としてひっそりと消えていくだけの名誉が、本当に彼や彼女たちにふさわしいのか。

 その疑問が心に染み付いたままでは、忘れることはできそうになかったのだ。

 

 "憎悪肥大(ヘイトコントロール)"。レベルアッパーにより賦活された情操能力(エンパシー)の大能力級(レベル4)ともなれば……数名の人間を意のままに操ることも十分可能だと。

 たったひと月で忘れ去られつつある事件について、景朗は今でもそう思っていた。

 

 

 それは、小さな小さな朗報に過ぎなかったが。

 幻生からの招集命令が連日のように繰り出されるさなか、景朗をくすりと笑わせる一件もあった。

 

 すっかり忘れていたどこぞの発火能力者から、[いつか殺す]とのメールが一通、届いたのだ。

 

 昏睡中の彼の動向を調べたが、実際に病院で静かに眠っていたようである。

 陽比谷クンのラジオ初主演も、その他もろもろのお仕事も降板となっていた。

 

 ここまでマヌケが隙を披露してくれると、対応に困ってしまうというものだ。

 

 とりあえず。

 

 非常にお怒りのご様子であったため、景朗は簡単に一言だけでも詫びてやろうかと思い至ったのだが。

 

 受け取ったメールの文面を読む限り、相手方にはどんな言葉を並べ立てても、火に油を注ぐような結果になりそうだった。

 

 最低限の短い快気祝いの言葉に、和むような顔文字でもつけて手早く済ませてしまおうと、景朗は思いつく。

 

 その時。たまたま目に付いたWEB記事に『女性が使うと萌えるネット用語』にて堂々の一位にランクインしていた『ぷぎゃー』なる言葉があった。

 

 使い方がよくわからなかったので、結局、彼はその顔文字だけをコピペして使ってみたようだ。

 

 

>Re:いつか殺す

>[ご快復されたそうで、本当に何よりです m9(^Д^)]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 七月二十八日。

 上条当麻が意識を失う怪我をして、さらに四日後。

 

「センセー、カミやんはおらへんのー?」

 

「上条ちゃんはまたまた入院ですー」

 

 ぽけーっとした青髪のリアクションに、小萌先生は苦笑を浮かべていた。

 彼女にしてはとても珍しい対応で、教室はしんみりと静まりかえった。

 

「だ、大丈夫なのですよー? 本人から連絡があって、軽い怪我だそうです。先生が直々にお話を聞いて確かめてあります。元気そうな声だったので、心配ないとおもうのです」

 

 ウニ頭が、また入院した。

 今度は軽傷だったらしいが、前日の怪我がたたって入院を決め込んだらしい。

 

(土御門の奴、どう考えても怪しいな……)

 

 上条がとうとう暗部のいざこざに本格的に首を突っ込んだのか?

 しかし、それにしては"アレイスターの猟犬"に干渉させないとは、つじつまが合わないところもある。

 

 なまじ、笑って切って捨てられない可能性がある。

 あの上条の不幸っぷり。

 

(あいつのことだからな……正真正銘真実本当に、ただドジ踏んだだけでした、なんて可能性もあるんだよな……)

 

 "デルタ"の中ではクールぶっているところがあるくせに、夏休みに入った途端どんだけはしゃいでんだあの馬鹿野郎。不幸体質を自覚しているのなら、すこしはおとなしくしていて欲しい。

 

 それが景朗の率直な感想だった。

 

 

 休みに入ってからというもの、彼の負傷率はぐんぐんと上がっている。

 

 まあしかし。今更それをあげつらっては"幻想殺し"の監視が務まらないのも、また真理である。

 程度の差はあれ、上条が怪我をするのは既定路線なのだから。

 

 では、なぜこうも自分はイライラするのだろう。

 決まってる。

 

(問題は、いつになったら補習が終わるのか、だな)

 

 もうすぐ八月だ。予定では七月中に補習は終わるはずだったのに。

 

 誰かさんの怪我や入院がかさんで、全然消化されていないのだ。

 

 もう既に、小萌先生の補講は八月の半ばまで延長される見込みである。

 

 このままでは上条も景朗も、秋の訪れまでずーっと地獄を見る羽目になりそうだ。

 

(というか、でなくてもいい補習にわざわざ顔を出してるってのに、なんで毎回毎回肝心のテメェラがいねえんだよ畜生……)

 

 いつのまにか、小萌先生からニコニコとした微笑みを向けられていた。

 よそ見をしていたはずの景朗に、なぜそこまで、機嫌の良い愛想を振りまけられるのだろう。

 

「先生は見直しているのです! いつまでもピアスを外してくれないので心配してましたが、やっぱり根はお利口さんだったみたいでなによりです。

自主的に補習に参加してくれている男子は、青髪ちゃんだけなのですよ!」

 

(あっ。そらそうですよね。ボクもそう思いますわ、小萌センセー……。まあ、いっか。小萌センセーの授業楽しいし。"俺"だってここでしか勉強する時間ねーしな)

 

 

 連日の補習ともあって、授業は普段よりだいぶ砕けたノリで行われている。そういう背景もあってか。

 教室の後ろの方から、『先生ー、青髪君はゲームの発売日まで暇なだけですよー』とヤジが飛んでくる。

 気だるげに無視していると、今日は仲間がいないから元気がないのかー、とクラスメートに心配されてしまっていた。

 

『青髪ちゃんはどんなゲームが好きなんですかー?』

 

 と小萌先生がつぶらな瞳で尋ねてきた。

 せっかくだから、と生徒はタメをつくる。

 

 それはもはや憂さ晴らしとも言うべき、人間性の欠如した質の悪い行為へと成り果てていた。

 

 青髪クンのフェイスが、怪しく輝いた。

 

「それはそれはもう"センセー"みたいに成熟した"アダルティー"な女性と片っ端からにゃんにゃんしていくゲームでーす↑」

 

 なにげに初めての経験だった。

 上条当麻がいないというのに、クラスメートから集団リンチを食らったのは。

 

 

 

 

 

 

 

 景朗にとっては、夏の夜の声というものは極めて特徴的だった。まぶたを開かずとも耳を澄ませば、いとも簡単に聴き分けることができた。

 街灯に群がる羽虫のオーケストラが、あちこちからこれでもかと鳴り響いている。

 

 

 雨月景朗にとっては、その"建物"は極めて馴染み深く、感慨深く、なによりも印象深い思い出だった。

 

 玄関をくぐる前に無意識のうちに躊躇して、5年前とまったく変わらない外壁を見上げ立ち止まってしまうくらいには、特別な場所だった。

 

 

 木原幻生が約束の薬(特別製の体晶)の受け渡しに指定したのは、意外な場所であった。

 

 

 第五学区、"鎚原病院"。幻生の居城。

 

 初めて幻生と出会った場所で、初めて幻生の悪事に加担した場所で、初めて人の死を目撃した。

 その忌々しさを思えば、形を成した悪夢そのものだと言っても良いところだ。

 思い出すことすら嫌気が差すものだから、"あの時"からは一度も、自ら足を運んだことはなかった。

 

 

 病院独特の薬品臭が鼻について、当時の記憶がよみがえってくる。

 

 "プロデュース"。この病院の地下深くで行われた実験は、今ではそう呼ばれている。

 今でも時折、その名を目にするたびに考えてしまうことがある。

 景朗と運命が交錯しなければ、犠牲者は今頃生きていられたのだろうかと。

 

(いいや。本当はそんなの建前だ。あーあ、心にも建前と本音があるなんて、なんてややこしくい生き物なんだろな、人間は。だから何するかわからないんだろな。

 本当はきっと……幻生の誘いを断る勇気が、あの時の自分にあれば、って……その先の未来はどうなっていたんだろうか、って。後悔せずにはいられないだけなんだろうな)

 

 幻生へ会いに、自動ドアを跨ぐ。

 自分がどれほど堕ちた場所に立っているのか、改めて弁えさせられるような感覚だった。

 

 

 

 なぜ、わざわざ鎚原病院へ呼ばれたのか。その点について、景朗はなんと、一言も会話を交えずに理解してしまった。まるで探偵のように、幻生の表情ひとつで洞察してしまえた自分に、景朗はげんなりとする思いだった。

 

 ヒョホホ、と幻生は薄気味悪く笑い、忙しなく院長室の中を小刻みに歩き回っている。

 ここまで喜色満面で機嫌の良い姿は珍しく、景朗が見てきた中でも確実にベスト3にランクインするだろう。

 景朗はよく知っている。木原幻生がこういった状態になる時は、きまって。

 決まって、自分の大好きな実験のプロジェクトが立上がった時である。

 つまり、なにかしらよからぬ企みがまたひとつ、この男の手によって世に生まれ出さんとしているわけだ。

 ……ちなみに栄えあるベスト1位は、景朗が"超能力者"へ覚醒した時だった。

 

 

「すまないね景朗クン。実はこれからしばらく立て込みそうでね。こうやって直に会って話せる機会もめっきり少なくなってしまうだろう」

 

「そのようで」

 

 端から見え透いていたので、景朗に驚きはまったくない。

 氷の様な無表情のままで、淡々と重苦しい唇を動かした。

 

「"ご入り用"ですか?」

 

「いやいや、今日はそんな物騒な話じゃないよ。楽にしてくれたまえ」

 

 幻生は隙だらけのあくびを晒して、思いついたように席を立った。

 

「先生、お忙しいところすみませんが、"俺たちの研究(丹生の治療法)"はどうなさるおつもりですか? 最近あまり進捗状況が良くないですよね?」

 

 蛇口をひねる音がして、水音が流れだした。幻生はかちゃかちゃとマグカップを弄っている。背を向けたままで、こちらへ振り向く気はないようだ。

 

「実は十分に睡眠がとれていなくてね。景朗クンも好きだっただろう? 眠気覚ましに一杯どうだね?」

 

 ほのかにインスタントコーヒーの芳香が鼻をくすぐったが、あいにくと景朗には気休めにすらならなかった。

 

「結構です」

 

「ホホホ、失敬。キミには眠気覚ましは必要ないか。いやはや、今朝は早くからひと仕事終わらせてきたものでね。老体には堪える一日だったよ。昨夜、何があったか景朗クンは知っているかな?」

 

「『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』が故障したんでしょう?」

 

「悲しいかな。資金規模の大きい実験ほど、想定外の事態というものが頻発するよ。それがまた思わぬ僥倖をもたらすこともある。面白いよ」

 

「別に、"俺たちの研究"に支障は出ないでしょう?」

 

「これでも少しは忙しくなったんだよ? 珍しい事態には違いないからね。恣意的な横槍だと受け入れざるを得ないほどには。職員の一部は現実逃避に走ってすらいるよ、ほほ」

 

(まあ、そうだよな。ツリーダイアグラムが破壊された? 馬鹿馬鹿しい。学園都市の最重要施設を破壊できる国や組織なんて、どこにもありやしない。どうせ、上層部のイカレた内輪もめに決まってる……俺にとばっちりが来ないといいな……)

 

「まあ、研究者の皆さんはどこもお困りになられてるだろう、と思ってはいましたけど……。ですがそれにしては、先生の御機嫌はそれほど悪くなさそうですね?」

 

「トラブルには慣れっこだからねえ。亀の甲より年の功というやつだ。いつのまにやら、世の中は三日見ぬ間の"桜"のように便利になっていたんだねえ。散りゆく"桜"に慌てふためくのは、どいつこいつも経験の浅い若者ばかりだよ。この年になると、それを眺めているだけで楽しいものだ」

 

 コーヒーを一口含んで、幻生は一息ついた。

 

「――アレイスター君はさぞや涼しい顔をしているのだろうがね。だが、もれなく"彼の部下も"すべからく、という訳にはいかないはずだ……」

 

 まるで独り言のような、どこか意味深な呟きだった。

 その一方、景朗は余裕を貼り付けた表情の裏方で、幻生の発言の意味をひとつひとつ吟味していかねばならなかった。

 

 幻生も、やはり"ツリーダイアグラム"について愚痴をこぼした。

 学園都市随一のコンピュータが消え去った弊害は、研究者たちのみならず、他の産業や行政にも影響するだろう。

 そこにはもちろん、暗部の上層部だって含まれる。少なくない混乱が生じる可能性は、否定できない。

 

 景朗とて、とっくに気づいている。

 今この時は、アレイスターや統括理事会の手足たる暗部組織にも、わずかな麻痺が現れるタイミングなのである。

 幻生の発言はその事を暗に語っているような、含みのある言い方だった。

 

 

(まさか。まさか、嘘だろ? 嘘に決まってる。前から幻生はアレイスターを嫌っていると思ってたけど、冗談じゃない……)

 

 

 アレイスターは暴君だ。逆らえば容赦なく俺や人質をたたっ斬るだろう。頼み事などできやしない。

 

 一方の幻生は、骨の髄まで景朗をしゃぶる気だ。徹底的にアレイスターに庇護を申し出れば、聖マリア園の皆を守り通すことは不可能ではないかも知れない。

 けれども。丹生を助けられるのは幻生だけだ。そんなことをすれば、彼女は助からない。

 

 おまけにアレイスターとて、いつ"三頭猟犬"に用済みの烙印を押すのかわかったものではない……。

 

 万が一両者が争い合えば、雨月景朗の立場は……。

 

(冗談じゃない……こんなやつらに板挟みにされるなんてゴメンだ。冗談はやめてくれっ!!)

 

 

 

「先生。今のは冗談にしてはタチが悪いですよ? 俺の前で理事長の悪口を言うなんて……"心臓が止まりそう"になるじゃないですか。別に俺なら止まっても死にやしませんけどね」

 

「ホッホッホ、寂しくなるようなことを言わないでくれたまえ。私だってキミの躰を弄りまわしている時ほど、幸せな時間はないよ」

 

 幻生の対応は、いつもどおりの飄々とした態度だ。

 片手の指で足りる数しかないが、彼が時たま"暗殺"を命じる時のような、悪意の芳香は微塵も感じられない。

 二本のリードに繋がれた状態の景朗にとっては、肝の冷える思いをした瞬間だった。

 

「とにかく。もうそろそろ"俺たちの研究"にも力を入れてください。お願いしますよ、先生。そのために蒸し暑苦しい"実験場"で駆けずり回ってるんですから」

 

 景朗の強い意思を込めたセリフにも、幻生にとってはそよ風程度に感じられるものだったらしい。結局のところ、またしても幻生は景朗の催促に首を縦に振らなかった。

 

「……それにしても景朗クン。キミはすっかりアレイスター君と仲良くなってしまったね。古女房が浮気した時よりも妬かされてしまうなあ。このままでは……いずれキミは、私の元から去っていく。すっかりと枯れきった老いぼれをここまで妬かすとは、本当に悪い子だねえ……」

 

「っ。約束は約束でしょう?」

 

「やれやれ、キミの頼みも無碍にはできないときた。困ったなあ。困った、困った……」

 

 一体なにを言われるのか想像もつかず、景朗の思考は凍りついていた。

 じわじわと溶ける氷塊に垂れる一滴の雫を待ちわびるように、彼は幻生の次の言葉を飲み込もうと、立ち尽くした。

 

 

 なかなか、幻生は口を開かなかった。

 椅子に深く腰掛けた老人は、物憂げな表情を浮かべたまま、目を休めているようだ。

 

 しびれを切らしたのは、景朗だった。

 

「しばらくは会えないとおっしゃいましたね。でしたら、薬はどうするおつもりですか?」

 

「ああ、そのことかね。ホッホッホ。朗報だよ、例の調査にやっと結論が付いたところだ」

 

 景朗の追求が、ようやくアクションに結びついた。

 幻生は、椅子から身体を引き起こした。

 立ち上がるままに、彼はおもむろに近くの保冷庫へと近づき、その蓋を開ける。

 

 老人は、そこから注射剤の容器を取り出した。

 中身は、見覚えのある緋色の液体だった。

 

 景朗には、その液体の正体が、一瞬にして理解できた。

 それもその筈だ。それは、自分の血液だったのだから。

 

 

 "不死鳥の血"は、丹生の体調を安定させられる体晶の代替物たりえるのか。

 それが知りたくて、景朗が前々から幻生にあずけていたものだった。

 

 

 

 ゴクリ、と景朗の喉がなった。

 制止するタイミングも、疑問を挟む暇もなかった。

 幻生は注射器を容器に差し込み、内容物で満たすと、それをためらいなく自らの腕に注入し始めたのだ。

 

 

「ああ……素晴らしい……私が精製した物よりよほど使い勝手が良いよ。なによりもキミの優しさが滲みでているねぇ……老骨に染みわたる思いだ……」

 

 気づけば景朗は、食い入るように幻生の反応を見つめ続けている。

 

「……これならば問題ない。感動するねえ。やはり生命こそが、この世すべてに勝る分子科学の救世主であるべきだ……」

 

「ッそうですか!」

 

 今更のように人間らしく、景朗はぶはり、と安心したように息を吐き出した。

 少なくない確信があったのだ。

 自ら生み出した"体晶の新たなる可能性(Blood of Phoenix)"が、丹生の体に及ぼす影響について。

 

「"俺の血"でまかなえるのなら……」

 

 幻生から渡される怪しい薬を、丹生に飲ませずに済む。

 憎き相手の意見に賛成するのはシャクだったが、確かに景朗にとっては朗報に違いなかった。

 

「君のお友達は世界一の贅沢者に違いない。ホホ」

 

「そういうわけで、ご納得頂けたかな。では、しばし私は吃緊のプロジェクトを推し進めさせてもらおう。さて、差し迫って他に、何か要望があるだろうか? 私からは以上だが」

 

「……いいえ。ありません」

 

 覚悟していたよりも短い会話だったと胸を撫で下ろし、踵を返す。

 そうして部屋から退出する間際だった。。幻生は最後にひとつ、問いを投げかけてきた。

 その問答は、とりわけ意味深なものだった。

 

「そういえば、景朗クン。覚えてくれているかね? 昔、教えたことがあっただろう。私がこの世で最も忌み嫌う行為が、一体何なのかを……」

 

「どうされたんですか、急に」

 

「いやはや、私は"キミの事ならば何でも知っている"のだが、キミはどうかと思ってね」

 

「きっちりと覚えていますよ。"実験を邪魔される"のがお嫌いなんでしょう?」

 

 早く立ち去れ、とでも言いたかったのだろうか?

 しかし、たった今そうしようとしていたではないか、と。不信が鼻をつく。

 

 どうやら自分は、その質問の意図を掴み取れていないらしい。

 しばし答えを探すも、良いアイデアは浮かばなかった。

 部屋から去った後味は、おかげで最悪だった。

 

 

「ホッホッホ。キミとは末永く良い関係を築けると思っているよ。そのために何をなすべきか。夢々忘れずにいてくれたまえ?」

 

 

 

 

 

 

 その後。

 鎚原病院を抜け出す途中で、景朗は奇妙な患者を見かけることになった。

 

 病院で見かけた故に患者と評したが、その女の子は見てくれだけをみれば、患者ではなく囚人に近かった。

 

 目出し帽(バラクラバ)をかぶった屈強な傭兵崩れに両脇をマークされ、連行されているといった表現が近い、華奢な少女だった。

 

 何日も入浴できていないのか、少女の黒髪は濃厚な獣の臭いを漂わせている。

 しかしそれでも色艶は失われておらず、彼女の纏う黒い拘束服や黒いアイマスクとあいまって、その色合いは映えていた。

 

 

 しばらく見送るものの、予想通りに少女は幻生の部屋へと連れられていった。

 

(あんな子が、ジジイの"新しいプロジェクト"とやらに利用される……)

 

 過去の自分を見かけてしまった。そんな重苦しいやるせなさが、胸に燻りかけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 八月八日。それは特別な日だったのか、なんの変哲もない日だったのか、どちらか判断しかねる奇妙な一日だった。

 

 

 景朗は土御門から呼び出され、第七学区のアイスクリームショップ手前で合流を果たしていた。

 

「よお。ようやくか。今日こそ教えてくれるんだろうな? 夏休みに入ってからコソコソやってた隠し事をさ」

 

 開口一番に前々からの疑問を投げかけた。からかい混じりに話してはいたが、景朗の表情は真剣だ。

 土御門は一言も口をきかぬまま、親指で荒々しく後方を指し示した。

 

「知ってますん。忘れないうちに言っておきましょか、と思っただけやんな」

 

「相変わらず畜生にも劣る雑魚エセ関西弁だぜよ(笑)」

 

「黙れよ」

 

 横断歩道を間に挟み、特徴的なツンツン頭が遠くに見えている。普通の人間には聞こえない距離だろうが、景朗の耳には彼らの会話の内容が素通りだ。

 

(あいつ、あっという間に女の子と仲良くなるんだよなぁ)

 

 またぞろ通行人に絡まれたらしい上条当麻が、外国人のシスターさんらしき人物と蒟蒻問答を繰り広げている。

 外国人のシスターさんとはいえど、極端に背が低く、カンカンと声も甲高い。明らかに彼女は子供だった。

 

「ちょっと確かめたいことがあるんだぜい。お前の力をかりたくてなあ」

 

「カミやん相手に?」

 

 潜入生活も長くなった今では、土御門の呼び出しには基本的に青髪ピアスとして出向くことになっている。

 取り立てて言付がなければ、雨月クンの出番はないのだ。そんな事だから、もしかしたら上条関連の事だろうかと想定してきてはいたが……。

 

「なあーに。お前はいつもどおりにしてればいいんだにゃー。いつものノリで責めろ。特にあの女装シスター」

 

 上条たちが移動する前に合流するつもりなのか、土御門は我先にと歩き出して、そう言った。

 

「ハハー、どう見ても女の子やん、女装って――"女装"――え゛ッ男?」

 

 

 第十四学区の教会郡で過ごしてきた身の上であるから、学園都市内のシスターさんの修道服には、ある程度見覚えが有る。

 ところが子供シスターさんの修道服は、まったくもって珍しく、初めて見る装飾ばかり。

 

 景朗の脳裏をよぎる。ハンドメイドの一品であれば……。

 

(それじゃ、もしかしてコスプレ……本当に女装少年……!?)

 

 その可能性は無きにしも非ずだ。しかし、改めてよくよく子供シスターさんの着ているものを観察すると、到底パチものとは思えないほどに造りが良く、極めて高級そうな代物である。

 偽物か、本物か。

 

「あーそうそう、あと、お先に言わせてもらっときますたい。カミやんは前回の怪我で頭を強く打ったらしくてにゃー記憶ぶっ飛んぢまってなーんも覚えてないかもしれないんで、そこんとこ確かめたいんですたいヨロシコ」

 

「ファッ!? さっきからウソかホンマかわからへんことばっかり?!」

 

 

 

 

 

 アイスクリームショップの真ん前で上条当麻に噛み付いていた銀髪のシスターさんは、ただの通りすがりではなかったようだ。

 インデックスと偽名臭い名前を堂々と名乗り切ったシスター少女と上条当麻は、とりわけ仲の良い間がらであるらしい。

 奴はまったくもって知らぬ間に友達をつくるのが上手なヤツである。

 

 

 そのままなんとはなしの流れで、皆で冷たいものを食べようかという話になったのだが。

 肝心のアイスクリームショップは閉まっていた。

 

 不機嫌になっていくシスターさんを何とかなだめようと、そこで上条はヤケクソ気味に手近なファーストフード店を指さしたのだった。

 

 

 

 

 バーガーショップを退店すると、再び夏の暑い空気にさられてしまった。

 しかし、そんなうだるような熱気の中でも、御機嫌麗しいインデックスさんが可愛らしい鼻歌を披露してくれているおかげで、ほのかな清涼感が漂っている。それもまた事実だ。

 しかしてその背後ではそんな気分をぶち壊すように、ツンツン頭が重苦しい鼻息をついていた。それもまた事実だった。

 

 

 銀髪碧眼なわりに日本語ペラペラで違和感が半端ないシスターさんに、土御門が旧来の友のように語りかけている。意外なことに、何かと会話は弾んでいるようだった。

 

 しかし、あのままにしておいていいのだろうか。奴の鬼軍曹(真性ロリ)っぷりは上条も承知であるはずなのだが。

 上条さんに危機意識の欠如を感じつつも無視を決め込み、先を行くアロハとシスターの背後で、青髪はしみじみと上条に口を開いた。

 

「しっかし『INDEX』て、やっぱ海外のキラキラネームはパないんやなぁカミやん」

 

「それ偽名だから」

 

 スパッとした切り返しに、うまく対応できなかった。

 

「……アッハッハー、なになにどういうこと? ボクらには本名なのっちゃいけませんって? え? たしかにシスターさんは守備範囲内どころか積極的に打っていきたいドストライクゾーンにハマってますが、ええ、なにか?」

 

「今日はとんだ散財だ……不幸だ……」

 

 どうしたというのだろう。今日はずいぶんと上条さんにシカトされている気がする。

 

「こ、こないだボカァぎょうさんたこ焼き食わせてやったやあーりませんか。そない気落ちしなさんなや」

 

「あっ、ああ、そうだっけ。まあな……ん? にしてもお前――」

 

 青髪クンの言葉使いに引っかかるものがあったのか、上条の目つきが険しくなる。

 

「そ、そうや今度はまたお好み焼きでも食べひん? 雪辱を晴らしますで、もち、ボクが――」

 

 危うい空気を感じ取った矢先に、銀髪シスターちゃんが救いの手を差し伸べてくれた。

 

「はいはいはい! イく! イクよー! 私も行くんだよ! お好み焼き! 知ってるよジャパニーズピッツァのことでしょう? ねえねえ私も連れてって連れてって青い髪のおにいさん!」

 

「おほ、かまいまへんでー。なんやキミ、日本語ペラペラやけど日本文化についてはもしかしてそんなに知らへんの?」

 

「あーあ、そんな安請け合いするとあとで後悔するぜい青髪ぃー?」

 

「それなりに知識はあるけど、経験はあいにくとまったくのゼロなんだよ! 日本食と日本の食文化には大いに興味があるからねー。こほん。で、ところで日本の文化体験食についてだけど、私は今からでも構わなかったりするんだよ?」

 

「……ぇへ? お、お嬢ちゃん、シェーキLサイズ3つガブ飲みしてましたけど、まだそんな元気がありますのんか?」

 

 こんだけ自分の欲望丸出しのシスターさんも珍しいなあ、と青髪の糸目も点になった。

 

「迷える子羊も、時として草を食まねば……あれ? そういえばおにいさん、さっきからずいぶんと不思議な喋り方してなーい?」

 

 ぎく。なんなんだよこの黒髪銀髪コンビ。結局どっちも関西弁モドキにツッコミいれてくるなんて。

 

「しゃーないにゃー。カミやんの予定次第なのだにゃー?」

 

 窮地を救ったのは、まさかの土御門だった。

 額に手を当てて黄昏ていた上条は催促を受けると、やれやれ、と一気にお疲れ気味の様子で口を開いた。

 

「ちょーっとまてインデックス。上条さんにはそんな暇ありませんよ? ほら、これを見てください」

 

 そう言って、手に持っていた重量感のある紙袋を指し示した。

 

「漫画?」

「アニメ雑誌?」

「参考書ー?」

 

 三者三様の答えが飛び出した。

 答えを知っている少女は一体それがどうしたんだとばかりに、ぽかんと首をかしげている。

 

 

「そうです! 参考書です!さんぜんろっぴゃくえんの参考書です! 何のためにこいつを買ったと思ってるんだっ!? 今日くらいっ。今日くらい上条さんはお勉強するんですっ! とにかく、とにかく今日、今すぐにでもこの包み紙を破かなきゃいけないんだっ!さもないとこいつは上条さん家の本棚で……永遠の肥やしになっちまいそうな気がするんだぁーーーっ!」

 

「ど、どうしたんやカミやん!? 急に勉強するや言い出すなんて本格的に夏の暑さで――」

 

「いいーじゃんかよー! 誰がいつ勉強したってよー!」

 

「ええー、それじゃ今晩はとうまがジャパニーズピッツァつくってくれるの??」

 

「カミやん、無駄な抵抗はやめとくにゃー?」

 

「そうそう、そんなことしても今更、補習は一秒たりとも減ったりはしないんやでー……(呪)」

 

「あーっもーっ。暑いしウザイし金欠だし、もういーーーーやーーーーーーーっ!!!」

 

 上条は頭をかきむしり、唐突に走り出した。どんどんその背中が遠ざかっていく。

 

「あーっ! まってーっ! とうまーっ!」

 

 銀髪シスターちゃんも慌てて追いかけていった。

 

 

 

 

 

 

 

 二人の影が遠く離れ、十分に小さくなったところで、土御門がつぶやいた。

 

「で? どう思った?」

 

「たしかにヘンだ。あの野郎が俺らに"奢ってくれた"なんて……たったひと月前に"金欠こじらせて"ひとりでタマゴ三桁(100個)も買い溜めようとしてた男だぞ……?」

 

 土御門からの返事はない。呆れたようなため息をつかれてしまっていたからだ。

 

「冗談だよ。記憶がないってのは、まんざら嘘じゃないのかもな」

 

「理由は?」

 

「俺はいつだってあいつの右手に気をつけて生活しなくちゃならないからな。だから気づいたのかもしれない。さっきの野郎、"まるで自分の右手に無頓着"だった。ほとんど別人みたいだったよ。あいつ自分で良く言ってただろ? 右手のせいでいろんな苦労をしてきたって」

 

「なるほど、そういうことか……」

 

「あるだろ? 手痛い失敗(経験)が生み出す"無意識の行動"って奴がさ。ちっとやそっと記憶が混乱したくらいで、体に癖が染み込むほどのトラウマが綺麗さっぱり無くなるもんなのか、って思うんだよ」

 

(あれ? ってことは、先月俺が上条をボッコボコにしたのもチャラになるんじゃね? "素顔"見られてたのも心配しなくて良かったり? そいつは素晴らしいぞ! 上条には食蜂の能力すら効かないと思うしっ!)

 

「でも"それ"が、今日の上条には全くなかった、ように思えた。"あれ"が続くんなら、少なくとも俺にとっては、以前とは別人みたいに接しなきゃならなくなったわけさ」

 

 皮肉げなセリフとは裏腹に、景朗の口調は晴れやかな香りが漂うものだった。

 

「まったく……なぜオマエが嬉しがるんだかな?」

 

「ひとついいか? 仮に、あいつの記憶が吹っ飛んでたとしてだ。それで何か問題があるのかよ? あいつの頭の中にドデカい秘密でも隠されてたってのか?」

 

(アレイスターが"異常"に上条を気にしてた秘密が、そこにあるのか……?)

 

 景朗には、土御門がなぜそれほどまでこの問題を恐る恐る扱うのか、理解が及ばなかった。

 それほどまでに気がかりならば、上条に直接『記憶がないのか?』と問いただしてしまえばいい。

 四月からいっしょに学校に通ってきたクラスメートの自分たちならば、その是非を問う程度、いとも容易い行為のはずだ。

 

 それを"しない"というのならば、あくまで上条に悟られずに確かめたかったという事か。

 それとも単に、"上条の事を慮り、配慮している"ということなのか。

 

 どちらにせよ、土御門のまどろっこしい態度は解せないものだ。少なくとも景朗にとっては。

 

「……まあいい。礼を言っておこう。オマエの話は参考になった」

 

「おいおい、こんな事に人を呼び出しといて、何の駄賃もなしかよ?」

 

「オマエには関係ない。そもそも、知らないほうがいい。オマエこそらしくないぞ? 余計な重荷を背負い込むのが趣味だったか?」

 

「どうせ上条に関わっている事案なんだろう? だったら俺だって危険を避けるために全力を尽くす」

 

「あくまで自分のため、か。……いいから、さよならだ。オレは退散させてもらう。ああ、ひとつ言い忘れてた。さっきとった写真、オレにもよこせ」

 

「あの天然の巫女さんも"何か関係"があるってか?」

 

「疑り深すぎだぞ。心配するな。オマエにはまったく関係ない」

 

 景朗は睨む。

 土御門のサングラスを透過して、その瞳を直接観察してみせた。

 

 嘘をついている目だった。

 しかし、虚しいことに。この男に限っては、それも役立たない情報だった。

 なにせ、この男、土御門元春は、春夏秋冬、四六時中ウソをつきっぱなしなのである。

 毎日毎日、口から吐く言葉のすべてが、詐欺師まがいの大法螺なのだ。

 これではもはや、どうしようもない。

 

 

「関係ないかどうかは俺が決める」

 

「雨月、オレにもどうこうしようがない。アレイスターが決めたことだ」

 

 

 

 




ちょっとマジですいませんorz

Episode29③を投稿してヒロイン登場!と行きたかったのですが、明日までまってください!
それまではexEP03をお楽しみください……

明日の深夜、新ヒロイン……
うわああああもう信じてもらえねえええええorz


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episode29:欠損記録(ファントムメモリー)③

今回はくっさいです。臭いです。クサすぎです。
最初の方が、特に臭いです。
くせえっ! なんちゅーくささやっ!と。
苦情がお有りの方は、バンバン

くさすぎ

と感想をひとこと連発してくださいorz



そして……





うおーーーー、予定してたヒロイントウジョオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオお約束はたせましたあああああああああああああああああああああ


 

 

「――おい……マジか……そんな……違ってくれ……」

 

 聴覚に火を入れて、轟々と際限なく研ぎ澄ます。

 すぐさま耳に入ってくる、聞き飽きた少女の弱々しくなる脈動すら、越えて。

 "音の景色"を遠くへ、もっと遠くへと手繰り寄せていく。

 

  空気を蒸らす湿気は振動を手早く空間へと伝わせ、神経との親和性を高めてくれる。

 

 

 そして――――願いは虚しく。

 

 

 景朗は、闖入者の存在を感知した。

 聞き覚えのある足音に、息切れの吐息がダメ押しの合図を送ってくる。

 その正体は、どうしようもなく弱いくせに。

 やたらと格好の良い科白を言い放ってくれる知り合いに、相違なかった。

 

「……おい……おいおいおいッ! あいつ!? なにやってんだあいつ! クソ……クッソマジか? どうする? どうする? ……どうする……」

 

 そもそも、どうしてここまでやってこれたのか。

 狼狽えている場合ではない。周囲には自分と同じく、警護する監視役がいたはずだ。

 素通りなんて考えられない。

 

 いいや、原因を探っている場合ではない。

 

 現に、ここまでの接近を許している以上、なにか対応をとらねばならない。

 

 

 小さな小さな、ツンツン頭が目に入る。ようやく、対象の全体像が確認できた。

 どうしたことか、奴はすでにボロボロの格好である。

 

 既に、誰かと戦ってきた……?

 おそらくは……。

 

 立ちふさがる監視役どもを、無理やり右の拳でなぎ倒してきたという事なのか。

 

 

(それでも! 一体全体どうやって"操車場(ここ)"を嗅ぎ付けたんだ――偶然か? そんなのありかよ!? あいつ"ここが何なのか"分かって向かってきやがってんのか――――)

 

 

 わざわざその表情を確かめるまでもなく、一目で察し取れた。

 限界を超えているにちがいない。

 上条当麻は苦しみに歯を食いしばり、一分の手加減もない全力疾走を延々と続けてきた様子である。

 

 

 その血気迫る意思が、ありありと教えてくれる。

 少年の狙いは考えるまでもない。

 彼を知る者にとっては、簡単すぎる推理だった。

 

 

 

 もし彼が、眼下に広がる実験(殺戮)を知ってしまったというのなら。

 恐らく、そこに迷いなどなかっただろう。

 条件反射するように、全霊を振り絞って駆けつけてくるはずだ。

 それこそ今、景朗の瞳に映るあの姿のように。

 

 

 

 

 となれば。

 このままでは監視対象(上条当麻)が、実験対象(一方通行)と衝突してしまう。

 

 

 

 

 

 

 己の飼い主たるアレイスター・クロウリーに下された任務は、上条の監視と護衛で。

 己の保護者を主張する木原幻生の厳命は、"絶対能力進化計画"の遂行だった。

 己の友人かどうかもわからない上条当麻の目的は、一方通行の打倒(己の身を顧みない実験妨害行為)のようである。

 

 

 

(まずは上条を引き剥がす? そうさ、それでいこう。あいつをここから遠ざければいい。実験は滞りないし、上条も殺されずに済む)

 

 

「ひとり一般人が入り込んでるぞ! お前ら何やってたんだッ! 手ぶらの"無能力者(ド素人)"だぞ! 今すぐ捕まえろ!」

 

 

 

(非能力者の隊員なら、あいつは手も足も出ない。これで差し迫った問題は全て解け…つ……あ、く、ダメだ……。

"上条の自由意思には不干渉(アレイスターの命令には絶対)"だ……でも、もう指令をだして……クソッ。今更撤回できっかよ……)

 

 

 "監視"と"護衛"。

 上条に対する監視。それについては、今更目新しく語ることもない。

 徹底的に上条をマークして、監視する。それが内容で間違いない。

 

 しかし、実のところ、"護衛"という任務に関しては。

 まさしく名ばかりの呼称であった。

 

 最終的に上条を保護する結果となってきたから、護衛と呼んでいるだけである。

 意味するところは、上条の心身の安全をおもんぱかる事ではない。

 

 ある意味、それも"実験"なのだ。

 

 上条当麻という人間をより深く観察(監視)するために添える、性質の悪い行為にすぎない。

 

 "上条当麻の、自由意思を守る"

 

 当人のために護衛が自ら花道を敷くのではなく。その行先を決めるのではなく。

 

 ただ両脇に寄り添って。

 彼の"目的(道筋)"に邪悪な横槍をはさもうとするその他の外因を、排除するのみ。

 

 

 故に、上条が自ら"第一位"に挑み、打倒しようと挑戦するのなら。

 邪魔をしてはならない。

 彼がなぶり殺しにされるのを、見届けろということなのだ。

 

 

 

(でも、あいつが"一方通行"とかち合えば……殺される……それも……)

 

 

 とうとう一万人を人形の如く殺し尽くしてしまった"一方通行(アクセラレータ)"の残虐性は、完全にタガが外れてしまっている。

 

 

 まるで、幼子が捕まえた蟲ケラの足を興味本位で削ぎ落とすが如く。

 たった今も、冷たい骸となった少女の残骸の、その指をしゃぶり、肉をかじり。

 "遺体"を"玩具"に変えてみせた男だ。

 

 威勢良く啖呵を切るであろうあの男を、白髪野郎がどんな風に料理するのか。

 想像すらしたくない。

 

 

 

 人の気も知らず。

 一方の上条はまるで障害の無い一本道をひた走るように、着実に距離を縮めている。

 彼はまっすぐと、生き地獄を味わうミサカクローンの元へと向かっているのだ。

 

 

 どこもかしこも目を覆いたくなる光景だった。

 だからこそ、硬直している猶予はない。

 第十七学区の操車場。その一等高いクレーンの上に陣取った景朗は、マイクに声なき叫びを叩きつけた。

 

「なにしてる?!」

 

『ッ?! しかしッ! 上からは見逃すように指示されたばかりですッ!』

 

「――ッんなワケッ?!」

 

 そんなわけあるか、と口に出す前に。

 歯がゆさを堪え、まずは行動ありきと幻生へ直通の回線を開く。

 

「"実験"の状況を確認されていますね?」

 

『ホッホ! もちろんだともっ! 幻想殺し(イマジンブレイカー)と一方通行(アクセラレータ)の干渉っ、見逃せない! ああっしかし観測機材が不足しているっ! キミもしっかりと"観察"しておいてくれたまえっ!』

 

「それッ、それは見逃していいってことですか? 実験はどうなさるおつもりですッ?」

 

『キミが気にすることではない。構わないよ、静置しなさい。イマジンブレイカーの彼は静置したまえ、いいね?』

 

 

 

 幻生との通信は一方的に途切れ、聴こえてくるのは少女の悲鳴と、悪辣で下品な命を奪う愉しみの雄叫びばかり。

 

 

 

 

 上条当麻はついに、操車場へ足を踏み入れた。

 彼の目的は疑いなく、"実験の阻止"だろう。

 

 

 

 汗にまみれたその面が、あらわになった。

 見覚えのありすぎる顔だった。

 打ち鍛えられた鋼の意思が、瞳に宿っている。

 

 

 それを目撃すると。寝ている時に突然足が吊るような、ぴり、とした不快感とも痛みとも捉えようのない"ひきつり"が、胸の中に走った。

 

 

 

 まさかとはおもうが、上条は本気で"助けることが可能"だと思っているんだろうか?

 嗅ぎつけてきたからには、あれほど怒りを滾らせているからには、それなりにこの計画の実情を知って、駆けつけて来たはずだ。

 景朗ですら、かつて経験したことのない"暗部"の巨大プロジェクトを。

 

 

 またぞろ、バカなことを。そう浮かびかけた心の声が、"バカ"の一言では流石に済ませられない、と。胸の中をかき乱した。

 

 

(またかよ……何考えてんだッ……!?)

 

 自分のことなんて顧みず、目の前の捉えやすい正義感だけに突き動かされて、その場しのぎの、いかにも正義ぶった台詞を吠える。

 

 だが、ここまで来るともはや――――ただの痛い奴だ。

 

 

 でも、何故か。暴れまわって怪我をしたって。

 最終的にはアレイスターに徹底的に保護されている。

 

 

 あいつの"過去"に何かあるのか?

 あいつの"能力"にどんな秘密があるというのか。

 

 

 そばで見ていると、どうしようもなく疑問に思う。

 何も考えてない馬鹿な奴にしか見えないのだ。

 僻みだと理解しているけれど。

 正直なところ、そんなに"大層な奴"だと思いたくない自分がいる。

 

 

 

 それでも、毎日の積み重ねにはそれなりの重みを感じずにはいられなかった。

 

 

 あいつらとつるむのは楽しい。

 

 でも、勘違いしてはいけない。

 それは景朗の"一方的"な感想だ。

 

 上条当麻に裏表があってほしくない。そんな想いだってなくはないけれど。

 アレイスターがかように肩入れする男を、心の底から信じていい訳がない。

 …………その、はずだ。

 

 

 

 暗部(この世界)では、誰も信用できない。すべきではない。それが客観的な事実だ。

 徹底的に弱って、死に直面して後がなく、絶望を瞳に宿した人間くらいしか、馬鹿な自分には"そう"だと断定はできない。

 物事が決定的に終わりかけて、決着がつく寸前に――――ああ、そうか。彼らは被害者だったのか、と。やっとそこまできて、自分は"そう"だと気づくのだ。

 

 

 上条だって、何を隠しているかわかったものじゃない。そう決めつけねばならない。

 それは感情ではなく、あくまで可能性が規定するものだからだ。

 

 

 景朗が重用している"人材派遣"だって、裏切られたら口を封じて安全を守るしかない。

 『潮岸』の身内である以上、陽比谷だっていつ暗部の手先になるかわかったものじゃなかった。

 御坂美琴だって、こんな実験に加担してる悪魔みたいな女だ!

 

 

 しかし。このまま、ただ状況を傍観し続ければ、その先は……。

 一方通行が上条当麻に引き起こすであろう惨劇の、その先は――あまりに明らかだ。

 

 

 小萌先生や、銀髪のシスター。クラスメート。上条には"両親"が居るそうだ。

 

 まさか、例に挙げた全員が後暗い人間だとは……思えない?

 

 "幻想殺し"が何者であろうと、周囲にいる人たちは……。

 

 なにより。

 今までの推理こそ、景朗が無理矢理に思い描いた"仮定"に過ぎない。

 もし。自分と同じように、上条当麻がただアレイスターの魔の手にとらわれているだけの"被害者"であったのなら……。

 

 

 

 本当に目の前で、なぶり殺される。

 

 それでも……残念でした、の一言で終わりか……?

 

 でも、あいつはアレイスターの……かもしれなくて……。

 

 

 

 

 

 

 

 景朗は懐からもう一つ、別物の通信機を取り出した。

 

「土御門……出てくれ……」

 

 まずは、唯一の"同僚"に話を通す。

 

『どうした?』

 

 彼に、アレイスターと直接会話する算段を取り付けるつもりだった。

 

「マズイ事態だ。あいつが死にそうなんだ! あいつ今にも"第一位"に喧嘩をふっかけて――」

 

 ところが、景朗が状況を伝えきる直前に、通信に巨大なノイズが走る。

 

『構わん。放置しろ』

 

 耳に飛び込んだのは、いくど聞いても聞き慣れぬ"飼い主(アレイスター)"の無機質な応答だった。

 

 驚きは声にはならず、喉の奥底で飲み込まれた。

 

 

「――――ッ。……でもこのままでは"イマジンブレイカー"が死にます」

 

『混同するな。私が命じたのは"監視"だ。貴様の"意志"は必要ない。余計な手出しはしないことだ。ただ、"見届けろ"』

 

「死にますよ。本当にいいんですか?」

 

 矢継ぎばやに送った確認の催促に、返事はない。

 

「いいんですね? このままでッ?」

 

 虚しい問いかけだけが、夜に消えていった。

 とうに、通信は切られていた。

 

 わずかばかりの抵抗は意味をなさなかった。

 

 景朗の雇い主はどいつもこいつも、一度として満足な答えを返してはくれないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 操車場の平地に、つんつん頭の長い影が伸びていく。

 "三頭猟犬"には、それがはっきりと見えた。

 もうまもなく、2人の戦いが始まってしまう。

 猶予はわずか。今動き出さねば、間に合わない。

 

(幻生もアレイスターも、『手を出すな』と命令しやがった。

ああ……なんだ……。

そうか、俺。結局、上条に関わらなくていいのか……。

2人のお墨付きが出たんだ。どうやら、ここでこうして見ているだけでいいみたいだ……)

 

 

 あの2人に逆らえば、どうなるか。

 命令を無視してしまったら。

 万が一、逆鱗に触れてしまったら。

 

 そんな事をしでかして、もし火澄やクレア先生にペナルティが与えられたら……。

 

 何のために今まで手を汚してきた?

 別に、上条を守るために汚してきたわけじゃあない。

 

 

 

(悪いけど、お前の命より優先したいものがある。さようなら、上条当麻……)

 

 

 上条当麻が、一方通行に制止の声を投げかけた。

 かの友人は、決して期待を裏切らなかった。

 

 流れるように、その口からは白髪男を罵倒する言葉が放たれた。

 

(『三下』か。耳が痛いな……)

 

 

 

 

 

 黒髪の少年が、白髪の化物に飛びかかる。

 

 そこから先は、かつて見たような光景が広がった。

 

 "超能力者(最強)"が"無能力者(最弱)"を圧倒する。

 

 当然の帰結だ。

 

 

 

 

 景朗の予想通りだった。上条にできたのは、相手の気を引くことだけだった。

 

 

 命からがら、ツンツンウニ頭は飛び回って、逃げ続ける。

 

 

 だがそれも、長くは続かない。

 

 

 "超能力者"が飛び上がり、着地した。

 たったそれだけでコンテナが横倒しになり、小麦の粉が小さな砂嵐のごとく舞いあがった。

 

 

 

 "超能力者"が次に何をするつもりなのか。

 似たような体験をした事がある"超能力者"にも、その先が読めた。

 

 

 粉塵に火がついて、爆発が起きた。

 上条は缶けりで蹴っとばされた空き缶みたいに、まるで人間じゃないみたいに、軽々と転がっていった。

 

 

 

 しかし。

 

 倒れ伏す少年の目から、輝きは消えていなかった。

 闘志は決して弱まっていない。

 意志が体を引っ張るその様が、遠く離れた景朗にも確認できた。

 再び上条は、ふらつきつつも立ちあがった。

 

 

 

 そのような、抵抗にすらなっていない、些細な上条の"抵抗"を間に受けて。

 

 白髪男は淡々と、気だるそうに語りだした。そろそろ決着をつけると、彼はこぼす。

 その時。

 感情の欠落したような声色の奥に、隠しきれぬ苛立ちが混じっているような気がして。

 景朗は、たしかに見抜いた。

 "悪魔憑き"には、その気持ちが理解できてしまった。

 

 "一方通行"は上条の"失われる気配が一向にない抵抗"が気に入らなかったのか。

 冷酷な結末(簡単な決着)を選んだようだ。

 

 

 両腕を前に構えた。あれが必殺の一撃の準備らしい。

 

 銀髪の少年の、背筋がしなる。"あれ"が伸びきってしまったら、"ひとつの終わり"だ。

 

 

 ふらつく上条は、よけられるはずもない。

 やっとの思いで立ち上がった男に、決死の追撃を加えるその卑怯さ。

 

 

 その刹那。

 

 自分だって、同じことをやったじゃないか、と

 

 

 景朗の脳みそに、電撃のように刺激を迸らせた。

 

 

 

(――――マジで死ぬ。あいつ死ぬ。

 

 初めからアレイスターは、上条を食わせる気だったのか?

 それじゃあ、それじゃあ、あいつは俺と同じだ。

 アレイスターに翻弄されて、ただ惨めに終わりを迎えるだけか?

 

 今、今、今。

 いま飛び掛れば!

 

 

 でも、"第一位"をどうやって?

 コンテナだ! 食えばいい! 時間はかかるけどコンテナをまるごと食い散らかす!

 全力で守りに徹すれば、"第一位"には俺を一撃で吹き飛ばせる決め手がないんだから!

 いざとなったら……俺にも"切り札(羽狼蛇尾)"が……でもこんな衆人の目前でそんなことしたら、俺だって!!!!)

 

 

 

 

 アクセラレータが、跳ねた。

 無遠慮に止めを刺す動作。景朗にとっては、油断にまみれた姿そのものであった。

 

 絶好のチャンスだった。

 ――――しかし。景朗の躰は動かなかった。

 

 

 

 

 

 

 だが、予想外なことに。

 

 

 上条は生き残っていた。

 

 

 

 それどころか、かつて"悪魔憑き"に見舞ったような、見事なカウンターを"第一位"に味あわせてみせている。

 

 

 "悪魔憑き"が華麗に躱してみせた一撃を、"一方通行"がしくじった所以は。

 動体視力の差か。それとも、上条の覚悟の差か。

 

 

 

 

 動けなかった。当然だ。

 あの場所(聖マリア園)で過ごした情景が、最後まで脳裏にちらついた。

 

 

 第一位をどうする? そんなことをしてどうする?

 

(こんな大事な場面で横槍なんて入れたら――――

 だって、まだ実験は終わっていない!)

 

 

 

 

 

 風に乗ったミサカ10032号の血臭が、鼻腔を塗りたくっている。

 彼女はまだ生きている。せめて、上条が死んでしまう前に。

 

 

 

 

 今にも命を吹き消えそうな、上条の願い(瀕死の少女)が、ついえれば。

 

 一方通行が"死にかけのミサカクローン"に止めをさせば、ひとまず"実験"は終わりだ。

 

 あの二人には逆らえない。でも、せめて、そこからなら。"実験"を壊さずにすめば、景朗は――――。

 

(……死ね、死ねよ。早く死ね!!!)

 

 

 

 

『……妹達(シスターズ)だってさ、精一杯生きてきたんだぞ』

 

 

(――――ッ!?)

 

 やっとの思いで上条が紡いだ言葉が。

 景朗の躰のみならず、思考まで止めて。

 深く楔び、突き刺さった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分自身が、過去に"クローン"どもに吹っかけた、大層な台詞を思い出し……。

 

「ふふハハハハははははははっ。ふひひひひひひひひひひひ…………」

 

 笑いが、口からこぼれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『私に毎回そう尋ねてこられるのは、貴方の趣味なのでしょうか、とミサカは訴えかけます』

 

『だから、死ぬのはきっととんでもなく辛いはずだよ、って言いたいだけさ』

 

『一体どのような意図がお有りなのでしょうか。はっきりと申し上げてください。ミサカたちは徒労を感じています』

 

『でも君は人間だろ。鶏や豚なんかじゃないだろ……それとも――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう、おれにはかんけいない……」

 

 自分には関係ない。馬鹿らしい。そんな訳はない。でも、そう思い込んで無理矢理にでも忘れるしかない。でも。

 

 心の中に()をしまって置く場所はいつも決まって同じ場所で、そしてやたらと狭かった。

 おまけに、すぐさま新鮮な()がころころと追加で入り込んでくるばかりだから。

 片付けようとする度に、毎度のようにうず高く積み上がっていく石の山を見せつけられて。

 

 そんな体たらくでは、忘れようにも忘れることはできない。

 

 

 時を追うごとに積み重なって、ぐらぐらと揺れるようになってしまった。

 振動は毎日のように、ふとした瞬間に脳裏を揺さぶって。

 

 自分には関係ない。

 その言葉は、本当は自分が何をしたかったのか、どうすべきだったのか、何を考えていたのかを、隠しきれていなくて……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上条当麻は宿敵にやっとの思いで一撃を加えると、とたんに活力を取り戻した。

 二発。三発と、それまでの鬱憤を晴らすような追撃が決まった。

 まさしく、路上のストリートファイトで見かける光景だった。相手は180万人さなかの、第一位であるはずなのに。

 

 

 やはり、奇跡は長くは続かないものなのだと、景朗は悟った。

 景朗は上条の動きの端々に、崩壊の兆しを見つけ始めていた。

 上条は満足に息を吐き出すことができていない。

 彼を支えている気力の決壊の、予兆とも言うべき"粗"が現れている。

 

 どうあがいても肉体の消耗には逆らえないのだ。

 怪我や出血で制限時間は大幅に短縮されている。

 直に、動きは尽きる。

 

 

 殴られてはいるが、しかしてそれでも、"一方通行"は未だに遊んでいる。

 プライドが邪魔をしているのか、勝ち方にこだわっている。

 つまりは、この状況においても、某かのルールにしたがって動いている。

 ルールがある以上、アクセラレータは"スポーツまがいの遊び"だと認識してるのだ。

 少なくとも、"殺し合い"ではなく。

 

 故に。

 "第一位"が気分を変えて。

 殺し合いに天秤を傾けたら。

 終わる。

 

 

 

 

 

 

 その時。

 パタパタと音を立てていた一つの足音に、景朗は意識を向けた。向けざるを得なかった。

 足音は、明確に操車場へと近づいていたからだ。

 

 

 まもなく。

 またしても聞き覚えのある声と匂いを、彼は感じ取る。

 

 新たな登場を果たしたのは、フェンス越しに操車場を探る、御坂美琴だった。

 

 

(はは。このタイミングで来たか、御坂さん。

今更怖気づいたのか? 事情は知りもしないが。

ほら、やっぱり信用できなかった。

誰もかれも疑って信じるべからずだ。

仕方ない。俺はアレイスターの懐刀なんだからよ。

大勢の人間に恨まれてるし、命の限り呪われてる。

……だからこそっ!)

 

 せめて、自分の"行為"にほんの少しでも正当性を持たせられるとしたら。

 全ては、人質を守るため。"彼女たち"を危険に晒さないために、その生存と幸福を守るために。

 唯一の目的に反する"行為(命令違反)"は、今までに手にかけた人たち全員に対する裏切りになってしまう。

 

 

 ここで上条を助けるとして。

 "守るべきもの(殺人の理由)"を破滅へ近づけてまで、なぜそうするのか、明確に答えはあるのか?

 

(だって、それが普通だろう。死にそうな人がいたら、可哀想だって思うのが普通だろう?)

 

 そうさ。でも……。

 

[それじゃあ、なぜ私たちはあなたに見逃してもらえなかったの?]

[どうして私たちはあなたにとって特別じゃなかったの?]

 

 "あの日"。ダム湖の水底で聞こえた"幻聴"は、景朗にそう語りかけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "一方通行"の嗤い顔が、眩い烈光に照らされている。

 

 彼の真上には、高電離気体の巨塊が熱を持つ。

 乖離能力が手を加えていたような、低温の火炎どころではない。

 

 

 高エネルギーの波長が生み出す、青白い光が全てを物語っている。

 

 

 

 

 

 御坂美琴が必死の形相で悪あがきに遁走している。

 

 彼女の立ち位置は如何程なのか。

 クローンの生存に奔走する少女の姿は眩しかった。

 

 

 

 

「カミやん……殺されない程度にボコられてろよ……ミサカクローンが死んだら、助けてやるからよ……」

 

 

 ありえもしない未来にさじを投げて、景朗はぽつりと呟いた。

 

 

 "実験"が終わっていれば、"2人の戦い"に手を加えても許されるだろうか。

 幻生もアレイスターも少しは、ペナルティを軽くしてくれるだろうか。

 

 

 無理だ。逆らった懲罰は、景朗ではなく……自分ではなく、他人に向かう。

 そんなことをすれば、唯一、己の行動を正当化できる免罪符も、消えてなくなってしまう。

 

 

 

 守りたい人。絶対に聖域を汚したくない人。

 

 その為に仕方なく従ってきた(殺してきた)

 でなければ、俺は……言われるがままに人を殺す、"第一位"と何が違う?

 

 違う! 俺は違う!  "アレイスターの番犬(殺戮者)"なんかじゃない!

 

 なるほど。気の狂った殺戮者ではないと、だから上条と妹達を見殺しにするわけか。

 それゆえに、暗部の仕事で大金を手に入れようと欲を掻いてもいいわけか。

 

 

 当然だ! 人間は自己の生存のためなら、家族の生存のためなら、手を汚すしかないときがある!

 

 だったら。

 

 上条は見捨ててもいい。

 

 アレイスターのいうがままに、幻生の言うがままに、写真で見ただけで話したこともない赤の他人を殺してもいい。

 

 誰かの幸せのために、それ以上の不幸を撒き散らすのは仕方がないことなんだ。

 

 それは世間が決めたことであって、俺だけの責任じゃあないはずだ……。

 

 

 

 

 

 

 

 上条を待ち受ける光の玉は、無情にも巨大さを増していく。

 

 人一人を軽く飲み込む規模で、炎の塊が迸る。

 

 あのプラズマの大質量を一身に受ければ。

 "悪魔憑き(キマイラ)"の体とて、大きく質量を削り取られてしまうだろう。

 況や、ただの人間如きに。生存の術はない――――。

 

 

 

 それに、万が一。生き残ったとしても――――。

 

 

 

(ああ……そうか……そうなんだな……それすらもアレイスターの狙いか……はは。

 生き残っても(勝っても)死んでも(負けても)、カミやんは終わってるじゃないか……)

 

 

 景朗が知る中でも。いいや。おそらくは、暗部の歴史上でも有数の予算が注ぎ込まれた、一大プロジェクト。

 それが、この"絶対能力進化(レベル6シフト)計画"だ。

 いかな"通りがかった一般人"が迷い込んだだけだと主張しようとも。

 

 計画を頓挫に追い込んだ張本人には、想像を絶する懲罰が下されることだろう。

 

 

 少なくとも、まっとうな人間なら絶望のあまりに首を括るほどの。

 莫大な負債を押し付けられる。

 

 人一人の人生など、大海の嵐にかき乱される草の葉のように崩壊してしまう。

 

 

 どちらに転んでも悲劇(地獄)が待っている、そんな上条の姿が。

 景朗が手をかけてきた人たちと重なった。

 

 

 

 誰かを助けるために。良心に従うがままに。善なる感情を信じるがままに、命を振り絞っている。

 そばで見てきたから、知っている。

 上条が今までやってきた事は、たったソレだけだ。

 

 だというのに。果たしてこの先、彼に待ち受けるものは――――。

 

 考えるのがバカバカしくなるほどに、"間違い"に"間違い切った"出来事が目の前で繰り広げられていく。

 

 

 

 

 

 助けなければ、上条は死ぬ。

 自分がすべてを投げ打って助けても、ここまでの事態を仕出かした上条は堕ちて、景朗も大切なものを失うだろう。

 

 

 ならば。

 もうどうでもいい。

 

 どうせ毎日のように、この街のどこかで同じような出来事が転がっているんだから。

 キリがない。第一。

 "ボク"の時だって誰も助けてくれなかった。

 

 

 ……いいや。違うかも知れない。"ボク"は逆らわなかった。諦めて、逃げ出している。

 

 

 

 でも、あいつはちがう――――。おれとは、少々ステップがちがうぞ。

 

 血だるまになって、勇気を振り絞って、正しいことに命をかけたその結果、改めて地獄に堕ちるんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 で、結局。おれなら、どっちがいい?

 

 

 

 

 

「……………………もう……かんがえなくていい…………」

 

 

 

 最後の瞬間まで、失望とともに。

 超能力者はコンテナの上で、一歩も動かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし。

 振り絞った景朗の"未練"すら、世界は嘲笑った。

 

 世の中というものはとことん思い通りにならない。

 

 "良い"意味でも、"悪い"意味でも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 "奇跡(上条)"が――――――――――――――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「実験が、凍結……あ、そうか、ツリーダイアグラムは……」

 

 

 

 

「無期限凍結……。なんだ、本当に"守った"のか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すげえじゃん、上条。でも……」

 

 

「ははは。こんなもんだっけ? 暗部(世界)って……」

 

 

 

 

 

 上条は守り通した。見事なまでに。"文句"は付けられない。

 おかげで、"全て"に結論がついてしまった。

 "自分"というものが、浮き彫りになる。

 ぐうの値も出ないほどに"世界中"から罵られ、最後通牒を叩きつけられた気分だった。

 ――――この"卑怯者"と。

 

 

 

 とはいえ。景朗の日常は何も変わらない。少しは忙しくなくなっただけだ。

 やる気が噴き出してくる"脳内ホルモン"を多量に分泌すれば、いつもの毎日が帰ってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから、あっという間だった。

 本日は、八月三十一日。つまり、夏休み最終日である。

 

 "絶対能力進化計画"の凍結に伴って、景朗のスケジュールに猶予が生まれて、はや十日。

 とはいえ、土御門に深刻な声色で『夏休みの宿題を終わらせてこい』と言われ、疑いつつも身を扮して徹夜でやり遂げてきた、早朝だ。

 

 土御門曰く『どえらい朝早く上条が出かけて行ったので迎えに行くぞ』とのことで、第七学区内の目的のコンビニへと向かっている最中である。

 

 

「今日はなんなの?」

 

「ふむん。ここはひとつ、"どうせ宿題やってないだろう友人をひとつ助けてやるかの会"ですたい」

 

「くっはっは! この任務ってあいつの宿題の面倒まで見てやる必要あったんやねえ!」

 

「霧ヶ丘の元エリートが夏休みの宿題くらいでみみっちいんだぜいまったくもう」

 

「じゃあてめえがやれよ! 何の意味があるのかわからなかったぞ!」

 

 ぷるぷると震える青髪ピアスを無視して、相変わらずの無神経男はグラサンを太陽光にピカリと反射させてみせた。

 

「今年の夏だけは多めに見てやろうって話だぜい。カミやん、ぜぇぇぇっっってえやる暇なかったはずなんだにゃー」

 

「なっ。おいおいこの夏何があったんやいい加減白状しろよほんっとにボクに何も関係ないんやろうな?」

 

「オマエもひつこいにゃー。平凡そのものの日々だったぜい?」

 

「少しは吐けよ。じゃねえと宿題渡さねーぞ」

 

「女々しいやつだにゃー! 小萌センセー小萌センセーとマザコン奮発させてはぁはぁヨダレ垂らしてる分際でみみっちいぜよ! だからモテないんですたい」

 

「お前らそればっかりだな。だいたい……っ! そうだ・・・そうだぜ・・・ふはは、みみっちい偏見はこれ以上はよしてもらおう。俺ってばちょいと前に、元常盤台のお嬢様から愛の告白を授かったばかりなんですからよ?」

 

「な!? 本当か?」

 

 想像通りに、相手は目を見開いた。土御門は全身をかくかくプルプルと震わせて、立ち尽くす。

 

「ああ、本当さ」

 

 しかし、その答えとともに。

 サングラスを俯かせ、哀愁たっぷり。切なさたっぷりに。

 可哀想なものを見る視線を隠しもせずに、苦しそうにつぶやいた。

 

「……そうか……」

 

「なんだそのツラは本当だって言ってんだろ嘘じゃねえよ」

 

「お前はところどころ繊細だからな……今度すき焼きでも奢って……いや奢ってくれ」

 

「ぶっころすぞシスペドぉ。奢れだぁ? てめぇが奢れ!」

 

「ぶあっひゃっひゃっひゃ! なんだぜい今の! 天然! 無意識!? 狙ってやったのかにゃー!?」

 

 景朗は土御門を無視して、すたすたと歩き出した。どことなく恥ずかしそうな横顔を、地味に隠している。

 天然のうちに、無意識のうちに土御門の発言にネタを合わせてしまったらしい。

 

 やあ、悪い悪い、と土御門は馴れ馴れしく青髪の肩に組みついた。

 

「いやー、まあ、その、なんだ。ぼちぼちおごってやる! だから、オマエとカミやんに何があったかは知らんが、今日は元気だしていくんだにゃー?」

 

「はぁ…………わかっとるでー! 今日は朝からかっ飛ばしていきますのんよー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宿題を何とかしようと悪あがきしている人(冴えない顔の上条当麻)を無事に発見し、すわ、ほんの少しばかりイジくって鬱憤を晴らしたあと。

 宿題をぽとん、と手渡して、感謝感激雨霰の賛辞を受け取りましょうか、という流れだったのだが。

 

 ここ一番、世界中でも青髪ピアスにしかできない! とばかりに景朗が驚異の肺活量を披露し、記憶にある限りの二次萌属性キーワードの羅列を披露した、その直後。

 

 

『待ったー? って言ってんでしょうが無視すんなやこらーっ!!』

 

 という掛け声とともに、常盤台女子中学生がお手本のような見事なリアタックルを敢行。

 

 上条当麻は、御坂美琴と青春街道まっしぐらに消えていった。

 

 

 取り残された2人の負け犬高校生男子二人は。

 

 女連れで抜け駆けしていくクソウニ頭に、わざわざ追いかけていって『はいこれ、夏休みの宿題! よかったね心配なくなって! それじゃあデートごゆっくり!』と口にするなんてコレ一体どこぞのマゾヒスト用の罰ゲームですか? 

 

 と満場一致で上条当麻死刑論にGOサインをだし、久しぶりの完全オフということで、夏休み最後の日を有意義に過ごすことに決定した。

 

 

「なーなー、どうせなら寿司食わしてくれへん? 回転寿司でかまいませんよー?」

 

「却下だ。無限に皿を食い尽くす気だろうがバキュームカーかオノレは。オレは二度とゴメンだ」

 

「いい加減そのネタから離れません?」

 

 ゲンナリとしなだれていた青髪のポケットが、その時。超音波を発信した。

 周波数があまりに高音域に達しているせいか、土御門は気づいていない。

 景朗にだけきこえる、秘密の着信音というやつだ。

 

 さらに周波数帯によって、大まかな通話の相手が分かるようになっている。

 

「あーあ」

 

 思いっきり苦い顔つきのままに、景朗は着信に対応した。

 できれば一番ご遠慮願いたい相手だった。

 

『オラァ、ハッハァーッ! レッドブ○ガブ呑みで最後の悪あがき中のところにジ・エンドの朗報だぞァワン公!』

 

 木原数多が、最近めっきり聞き覚えのなかった喜声ではしゃいでいる。

 

「いったいなんの御用で? なんにせよ、声小さめでお願いします」

 

『あぁ。なんだよオマエ。シケた声出しやがって。テメエにはガッカリだぁ。まだ課題が残っってますそんなぁーボク心筋梗塞になりそうですぅ。くらいのリップサービスを期待してたんだがなぁ? おし、仕事だ、シゴト』

 

「……さっさとどうすりゃいいか教えてください」

 

『こちとら珍しく"迎電部隊(スパークシグナル)"から救援要請食らったばかりなんだよ! オレらも詳しいことは知らねえ。とにかく、目的地点(ポイント)へリードぶっちぎって走れオラ! 今すぐっ』

 

 ちらり、と真横の人物を仰ぐ。

 散財を回避できた土御門は、どこか嬉しそうだった。

 

 

 

 

 颯爽と街中を駆け出した景朗は、ケータイの音声に意識を向ける。

 

『第七学区の"蜂の巣"近くのゴーストマンションだァ! ドンパチが始まっちまってるらしいからとっとと行け!』

 

「だからッ! なにをすればいいッ?」

 

 

『要人保護だ! ダーリヤ・イリイーニチナ・モギーリナヤ! ロシア系、所持能力も不明。写真もねえ』

 

「はあ? それでどうしろと?」

 

『さあな。だがまあ、テメエなら行けばわかんだろ』

 

「どういう意味だ?」

 

『どうやら"対象(オブジェクト)"はテメエの元"同僚"らしいぞ。"デザイン"チームの情報分析官(ディレクター)だ!』

 

 

(同僚?! "デザイン"! プラチナバーグの私兵部隊だ……)

 

 それが何故、"迎電部隊(検閲機関)"からの依頼に繋がる?

 

(もしかしたら……)

 

 情報が錯綜している理由は、依頼元が混線しているから、なのかもしれない。

 景朗の記憶にあるプラチナバーグの私兵部隊は、数々の連戦で疲弊し尽くしていた。

 それは半年以上前の話だが、そうそう良い人材が転がっている業界でもない。

 未だ目立った噂を聞かない以上、彼の私兵部隊は精強ではないと踏んでいる。

 

 だとすれば。

 プラチナバーグ側が手を持て余して、"迎電部隊"へ救助要請をした。

 それがQRF(Quick Reaction Force)の部署でもある"猟犬部隊"にたらい回された、というシナリオはどうだろうか。プラチナバーグは表向き、"理事長"に従順な勢力である。コネクションはないわけではない。

 

(そう、例えばこの"俺"とかね。元々、"(プラチナバーグ)"の部下だし……)

 

 

 それにしても。"デザイン"とは、懐かしい名前だ。

 景朗が丹生とともに、プラチナバーグの組織へ引き抜かれた、あの当時。

 勧誘を取り持ってくれた、名前も知らない"彼女(オペレーターさん)"が所属していた組織である。

 

『"ウルフマン"、貴方の"切り札"がご到着よ。……この貸しはいつか必ず返してちょうだいね?』

 

 "収束光線(プラズマエッジ)"なんてハズレくじを引かされたのも、いい……悪い思い出だ。

 

 

 

 

 何かのきっかけで、また"彼女"と話をする機会があるかもしれない。

 そんな予感が、ふわりと湧いて浮かびでた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 五分ほど全力疾走を重ねると、目的のビル周辺にたどり着いた。

 第七学区の一等後暗い区画、通称"蜂の巣"と呼ばれるビルの密集地域である。

 

 その外周部に陣取った景朗は、周囲をぐるりと見渡した。

 雑居ビルが乱雑するエリアとは、真反対から飛びいったようだ。

 そこは、高層マンションが迷路のように入り組んでいるエリアだった。

 

 

 その場所で一体全体、何が起こっているのか。

 当然のごとく、景朗には知らされていない。

 たった五分では、木原数多から追加の情報が連絡される余地もない。

 

 

 しかし。現場への到着とともに、どうやら景朗が呼び出された"原因と思しき事件"が、目の前に飛び込んできた。

 

 たまたま目を向けた、すぐ正面のビル。

 景朗のすぐ目の前のビルだった。

 

 

 

 

 

 

 小学校低学年くらいの女児が、マンション7階の、手摺壁の上からぴょこりと顔を出した。

 

 彼女はどう見ても、外国人の少女だった。

 

 見事な銀髪。プラチナブロンドというのだろうか。キンキンに白さが混じった金髪は、その色素の色合いと光加減で、輝かんばかりに透き通るはずだ――――今は少々ホコリにまみれ、くすんだ色をしているが。

 涙の滲んだ瞳は、琥珀を思わせる明るい黄土色の輝きを放っている。

 

(要人はダーリヤ・イリイーニチナ・モギーリナヤ。ロシア系。ぱっと見、あの子もロシア系に見える……)

 

 背が低いせいか、壁の上に現れたのはその小さな顔やっとひとつ分である。

 

「――ひくっ! ふぅ、ふぐ、ひぐっ――はぁはぁ、ひぃ、ふっ」

 

 彼女はマンション内をずっと走ってきたか、ゼエゼエと荒い息をついていた。

 何が一体そうさせたのか、その表情は今にも泣きそうで、極限まで引きつっている。

 

 しかして、驚くべきことは、まさにそこからだった。

 

「ふぐっ!」

 

 なんと。その女児は――――高さ7回のビルの手すりから、身体をまるごと乗り出して、その外側の庇(ひさし)の部分に、足をかけ――――恐る恐る歩き出した。まるで、誰ぞかの追跡を受けているかのように。

 

 

 あの行為の意味は?

 

 ひとまず周囲の状況を判断しようと、景朗が耳を澄ませた、その時。

 

 あっという間に、その理由が明らかになった。

 

 ボガオォォォォォォンッ! と。住宅マンションで耳にするには、あまりに壮大な爆発音。

 

 おそらくは、どこかの部屋が爆薬で吹き飛ばされた音だった。

 

 

 続く、複数の男たちの野太い悲鳴。罵声。

 

 

 今の爆発、あの女児と関係が? 有るに決まっている。

 

 

 

『探せ!』『絶対に殺すな!』と荒々しい男たちの怒声が、彼女が出てきたマンション中に響き渡っている。

 

 

 女の子は、恐らくあの男たちから逃げているのだろう。

 庇をゆるゆると進む彼女の目的地は、どうやら地表まで一直線に降りられる"避難はしご"のようだ。

 はしごは壁伝いに進んだ数メートル先にある。彼女の目線もそこに釘付けだった。

 

 

 恐怖に打ち勝つためか、『マーマ、マーマ』と女児は母親の名を呼んでいる。

 小さな小さな悲しみを堪えた泣き声だったが、景朗の耳にはしっかりと届いていた。

 

 

("マーマ"、母親か。そうか、デザインの分析官、あの子の母親か? 一体どこにいる? あの子がああして逃げ出しているって事は……まだマンションの中か? クソ、間に合うか?)

 

 しかし、あの女の子を放っていくか?

 

 対象はあの女の子ではなく、恐らく母親一人……。

 

(クソ、迷ってる暇はないか。探せ! 耳を澄ませ。聞き取れ、このくらいの距離なら物音ひとつなんだって聞き取ってやる!)

 

 注意深く女の子を見守りながら、景朗は周囲の雑音をまとめて拾っていく。

 

 鼓膜をつんざくように轟いたのは、――――総勢5台、車両の駆動音だった。

 

 

 装甲車など、特徴的な車種だと目立つからなのか。

 至って普通の黒塗りのセダンが2台、ビルの真下の道路わきに強引に乗り出してきて、停止した。残る3台は、マンションの裏手側に移動している。

 

 まずいことに、停車したのは女の子のすぐ真下だった。

 車の中の男たちにも、庇の上の女児は丸見えだ。

 

 彼女の装い――――子供用の軍用迷彩スモッグなる、需要がどこにあるのかわからない一品の、その色合いは、背後の白塗りの壁とくらべてあまりに目立ちすぎている。

 

 ひと目で気づかれる。女児もその事を理解したらしく、悲鳴を押さえ込んで、庇の僅かな面積に身を伏せた。

 

 

(まだわからない! あの車の連中が敵だとはわからない! クソッ木原! 連絡を早くよこせよ!)

 

 

 車のドアが開く。中からゾロゾロと現れたのは、フルフェイスのマスクを被った素人臭さを感じさせない男たちだった。全員が軽火器で武装している。

 

 

 マンションの中庭を挟んだ反対側からも、依然3台の車の駆動音が轟いている。

 

 

「いやがった!」「上だ!」「おい撃つな!」「まて――――」

 

 

 男たちが騒ぎ、声を上げ、銃口を動かした、その時には――――。

 

 

 景朗の巨体は、迷わず動き出していた。

 

 

 猛然と、両腕を振りかぶる。

 野球の投球モーションそのままに、腕先の奇跡が最速に達した、その時。

 

 指の先から、証拠の残らないただの水弾を発射する。

 

 水滴の散弾は、ぞろぞろと顔を出した五人の男たちのうち、3人を一気に無力化した。

 命中したものは嗚咽すら漏らすことなく、気絶する。

 

 

 その間にも、"超能力者"は音もなく大地降り立ち、滑るように標的に迫っている。

 

 

「なっ! だれ――ッ!?」「がっ……ッ!」

 

 残る二人。ひとりは、振り向かれる前に蹴り飛ばし。

 敏感に反応できたもうひとりには、腹に掌底をぶちかます。

 

 

 数秒と立たず、オールクリア。5人の不審者は、全員気を失った。

 

 

 

「チビっ子! そこに居ろ! いいなっ?!」 

 

 我慢できずに、景朗は叫ぶ。

 

「おいっ! チビっ子!」

 

 しかし、呼び掛けに女児は応えなかった。庇の上に縮こまって動かない。

 

 無理もない。あそこは7階の高さなのだ。一度怖じ気付けば、あの年頃の女の子なら二度と真下を覗けまい。

 

「ちびっ子! 大丈夫だ! とりあえずそこを動――――なッ!」

 

 錯乱して、女の子が落下したらマズい。

 ひとまず落ち着けようと試みた。その時。

 

 

 

 

 事態が次から次に急変し、切迫する。

 

 

 

 

 どうやら穏やかに説得する時間すら無いようだ。

 

 景朗が女児をなだめようと口を開きかけたその瞬間だった。

 彼の視界に、遠方から光る、銃口のマズルフラッシュ(発火炎)が煌めいたのだ。

 

 

 ライフルによる、狙撃。二つほど、隣のビルからだった。

 

「ガア゛ッ!」

 

 やはり、弾丸の目的地は女の子だった。

 咄嗟に、景朗は無理矢理に喉から大量の空気を吐き出した。空気砲のように衝撃を伴った吐息の塊は、弾道になんとかカスって――――狙いをギリギリのところで外す。

 

 

 

 

 しかし。さらに予想外の事態が起きてしまった。

 

 スナイパーが使った弾頭が、特殊なものだったのだ。

 

 "衝槍弾頭(ショックランサー)"。学園都市製の、マンストッピングパワーに優れた特殊口径弾だったのだ。

 弾頭に掘られた溝は多大な空気抵抗を引き起こし、大凡精密射撃には適さない強烈な衝撃波を産む。

 弾丸に直接命中しなくとも、すぐそばを衝撃波が通り過ぎていく。

 

「わあ゛あ゛ーーーーっ!」

 

 

 女児は"衝槍弾頭"に煽られてバランスを崩し、落下する。

 ドップラー効果で色調が変わる、落下の悲鳴。

 バタバタと、水色のスモッグが風になびく。

 

 

(――――ッそうだ。このままキャッチすればいいじゃないか。あんな高所にいるよりマシだ)

 

「ぐえ!」

 

 景朗は難なく女児をキャッチして、素早く片手で抱え込んだ。

 女児の背負っていたゴロゴロと中身の詰まったリュックサックが、腕にくい込む。

 

 

 ひとまず子供を抱えたまま、景朗は男たちが乗ってきた車の陰に寄り添った。

 

 

(この車、防弾だ。スナイパーは……逃げた。そりゃそうだ。位置がバレたもんな……ッんあ?」

 迸る異臭。非常になじみのある、特有のアンモニア臭が、鼻いっぱいに広がっていく。

 

「うぅ、ひぐ、うう、マーマ……ッ」

 

(この子……漏らしてやがる……。ッああもうどうする? この子を連れてくか? 一刻も早くマーマとやらを助けに行ってやらないと……。でもこの子を連れてったら、自由に動けない。どうする? 担いでくか? この車防弾だし、中に隠してちゃちゃっと全速力でマンションを片付けるか?)

 

 耳を澄ます。近辺には誰もいない。

 急がなければ、時間が惜しい。先ほどの爆発も一体なんだったのか気になるところだ。

 

 

「クソッ!」

 

 

 景朗は車のドアを、力尽くでガキリと開いてみせた。

 

「いいか嬢ちゃん、おとなしく隠れてろよ? 君はさっきまで賢く行動できてたろ? ここから動くな?」

 

 返事を聞く前に、強引にドアを閉める。

 

(スピード勝負だ。ちゃっちゃとターゲットを見つけて、保護して、ここに戻る)

 

 先ほどの男たちも、マンションで暴れている仲間たちも、『絶対に殺すな』と漏らしている。

 ひとまず信じるしかない。手提げカバンのように女児を振り回して暴れまわるのは、不可能だ。

 

(車が動いたら連れ去られる……)

 

「らァッ!」

 

 二台の車両。少女が載っていない方を、景朗がぞんざいに蹴っ飛ばすと。

 

 ふわり、と車は浮いて――――十数メートル吹っ飛んで、グシャーン、と逆さまにひっくり返った。

 

「うおらああああっ!!!」

 

 そのまま叫びつつ、流れるように女児の車両の真ん前に移動する。

 腕付くでバンパーをこじ開けて。

 

「エンジン……これだ。おらああとれろおおおっ!」

 

 バキバキバキリ、と"最強の肉体変化"の面目躍如とばかりに。

 駆動するエンジンを、まるでプラモデルを引き裂くように筋力だけで引きちぎった。

 

 

「よっしゃああああああああああああっ!!!」

 

 そして。遠くに見える、新手が乗ってきた中庭の車両三台へ向けて。

 

 景朗は意味深な笑いを浮かべて振りかぶった。

 

 金属の塊が、重力を無視した軌道で飛んでいく。

 

 数秒後。エンジンが激突した車両は盛大に横倒れ、残りの二台を巻き添えにしてクラッシュした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ダメだ。もう終わりだ……」

 

 あれから数分と経っていない。

 

 "超能力者"が力の限り暴れたのだ。

 迎電部隊の援軍に気を配りつつも、目に付く範囲の傭兵たちは、既にあらかた気絶させてしまっている。

 

 されど。

 ダーリヤ・イリイーニチナ・モギーリナヤなるロシア人女性は、発見できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひとまず、現場の敵影は排除し尽くしている。

 残してきた女児の回収のために、景朗は急ぐ。

 

 

 数分前となんら変わらぬ姿の廃車を目に捉えて、ほっと胸をなでおろした。

 

 こそこそと忍び寄って脅かしては悪いと、勢いよく足音を立てて歩く。

 

 ところが、気遣いは裏目にでてしまったようだ。

 

 こつこつと車に近づくたびに、なかでチビッ子がおびえているのがわかってしまった。

 なんだか、その反応が可愛らしい。こんな時に不謹慎だとはわかっていても、景朗の口元はわずかにほころんだ。

 

 ふと、聖マリア園での日々を思い出す。懐かしく、幸せで、今思い返せば。

 あの頃には悩みらしい悩みなどありはしなかった。

 

 

 

 

 

 ゴバァン! と車のドアを引き剥がす。閉めるときに変形してしまったせいで、立て付けが悪くなっていたようだ。

 

「チビッ――――」

 

 車内を覗き込んだ途端に、ぱぁん、と中から発砲音。

 ぶるぶると震えているお漏らし女児が、両手でおもちゃのようなプラスチック製の拳銃を構えていた。

 

 

 情け容赦なく発射された"スタンシェル"が、景朗の顔面に突き刺さっている。

 まっとうな人間なら、悶絶どころか、下手したら死亡している事案である。

 

 

 何事もなかったかのように、景朗は高圧電流を流す弾頭をむしり取った。

 改めて両手を広げて、安全を表明するジェスチャーとともに。

 

「おちつ――――」

 

 ぱぁん。

 同じような音がして、再び首筋に弾頭が刺さる。

 

 子供が構えている拳銃は、中折式で装弾数が4発のものだった。正面からみると、たこ焼き器みたいである。

 ドデカイ穴がサイコロの四の目みたいにぽっかり四つ空いている。

 

(もういい。あと2回か)

 

 ぱぁん、ぱぁん、とチビッ子はガクブル怯えて全弾撃ち尽くした。

 

 ばたばたと、あわあわと、もたつく仕草で子供はぱかり、と拳銃を開く。

 中から、撃ち尽くした空薬莢をポコポコと取り出して。

 意外にも手馴れた風に、再装填を済ませてみせた。

 

 かちゃり、と改めて拳銃を構えて。

 表を上げた女児はそこで初めて――――切なそうにリロードの一切を傍観していた大男の想いに、ようやく気づいてくれたようである。

 

 

「よしよし。嬢ちゃん落ち着いて。危害は加えないから。いいかい? 俺は君のお母さんを助けに来たエージェントだ。所属は"猟犬部隊(ハウンドドッグ)"。つってもわかんないか……よし、君のお母さんのお名前は?」

 

 

 少女は固く口を閉ざしている。が、驚くべきは、それだけではない。

 

(ワオ、素晴らしい)

 

 オマエみたいに胡散臭くて何処の馬の骨かもわからん奴に、絶対に教えてやるもんか。

 怯えながらではあるが、女の子のカオにはありありと、そう書いてある。

 

 

「じゃあ、君の名前を教えてくれないかな?」

 

「……しらない」

 

「ちょ、いや"しらない"って。君さぁ……」

 

 賢いし、勇敢なチビッ子にはちがいない。しかし、お互いに緊急事態なのだ。

 気は進まないが、ビビらせて、チビらせて。ガキなんざ脅かして吐かせるしかないか、と景朗の思考は物騒な方向へと進んでいく。

 

(この子の名字か、母親の名前を確認しとかないと。……というか、この娘。この件に全く関係なかった、なんてオチはないだろうな? ないよな? ありえないよな? この子ちゃんと狙われてたもんな? 早くしないと蜂の巣だっつっても周辺部だし、風紀委員ならもう駆けつけて来ちまうかもしれない)

 

 念の為に、耳を澄ます。

 圧倒的な環境把握能力を誇る自慢の聴覚は、不審な物音など絶対に聞き漏らさない。

 今は、周りに誰もいない。安全だ。

 

 生意気にも睨みつけてくる女児に、ニィっと笑顔を見せて。

 次の瞬間、景朗は犬歯を剥き出し、盛大に吠えた。ほんのちょっと、良心が痛む。

 

「GRRRRROOAH!!!!」

 

 獣のような咆哮に、ガキはぶるった。

 目が点になって、驚きつつも、パチパチと瞬きを繰り返し。

 いっそうじーっと、景朗の顔を見つめて、首をかしげている。

 

「ゴラアアクソガキッ! いい加減にこっちの言うこときかんとブチ殺すぞガキャァッ!」

 

 雨月景朗ヴォイスver木原数多。効果があると良いのだが。

 

 

 しかし。しかし、なんと、しかし。

 

 そこで返事を返したのは。

 その場に登場するはずのない、新たなる"第三者"からの厳しい制止だった。

 

 

 

「そこまでですの! 完璧に聞かせていただきましたわよ」

 

 

 唐突に。突然に、背後にトスン、とお上品な足音が生じて。

 その瞬間に、景朗は一瞬にして悟っていた。

 

(しまった。"空間移動(テレポート)"には音がない……)

 

 

「ジャッジメントですの! 動かないでくださいましっ! ゆっくりと両手をあげなさい! 聴いていますの? フリーズ!」

 

 

 風紀委員(ジャッジメント)が誇る、熱血空間移動(テレポーター)こと。

 御坂美琴(常盤台の電撃姫)の"露払い"を自称する。

 本気を出させるとなかなかに厄介な、大能力者(レベル4)の少女との、思わぬ再開だった。

 

 

 

(まさかこんなところではちあわすとは……ツインテレポ(白井黒子)!)

 

 

「児童恐喝。器物損壊。女児わいせつ目的誘拐現行犯。叩けばいくらでもホコリが出てきそうな貴方のような原始人に、一切の手加減はいたしませんわよ。命が惜しくば、大人しくお縄につきなさい!」

 

 口調に反して、背後から響く白井黒子の声色には、緊張が多分に含まれていた。

 

 大男の厳つい筋繊維の一本一本が放つ威圧が、歴戦の能力者のカンに囁くのか。

 

 白井黒子にうっすら滲む脂汗の、そのひとつぶひとつぶが垂れる感触が。

 背中を向けた景朗にも伝わって来るような。

 それほどの緊張を、背後の風紀委員は感じ取っているらしい。

 

 それにしても、なのだが。

 

(……なぜこの娘は最初から"わいせつ"の罪状(レッテル)を貼り付けてくるんだ。何回目だよこの職質娘! ……面倒くさいぞ。一撃で仕留めないと"逃げ"に徹されたら厄介だ)

 

 "能力者"たちは、すべからく"脳"が弱点である。(弱点じゃない人間なんてそうそういないが)。

 

 しかし。こと"悪魔憑き"に限っては、"空間移動系(テレポーター)"に与えられた特権である"、脳への直接攻撃"に対して。

 万全の耐性を持っていると言っても、過言ではない。

 

 ぶっちゃけ、誰もが恐るテレポーターであるが、この"悪魔憑き"には恐るるに足らぬ……と言いたいところだが。

 とある事情により、衆人の面前で変身するのを避けねばならない肉体変化能力者にとっては、"人間形態"のままで、逃げ惑う空間移動能力者を追い詰めるのは、すこしばかり面倒に感じるところであった。

 

 

「ちょっとねえ、誤解しないでもらいたいな。ジャッジメントのお嬢さん」

 

「はて。誤解、とは?」

 

「そうさ。あんた誤解の達人じゃないかよ」

 

(そもそもジャッジメントどもは何回職質してくりゃ気が済むんだよ……確実に20回は超えてんだぞ、いい加減にせいや……)

 

 女児を回収するところを邪魔されたせいか。それに加えてふつふつと、別種の苛立ちまで沸き上がりはじめていく。

 

 ツインテレポ。景朗がそう呼ぶこのツインテールお嬢さまと彼との間には、実は浅からぬ因縁があったのだ。

 全ては、白井黒子による一方的な大量虐殺、もとい大量職質が原因である。

 

 なぜかは知らないが、景朗があれやこれやと身体検査をされては困る"青髪"のナリをして通りを闊歩している時に限って、彼はやたらとジャッジメントに職務質問(学生なのになぜ!?)を喰らってしまうのだ。

 大抵はきちんと、一応の数点の質疑を交わしてから移送車両を呼び込む(それでも通報される!)礼儀をわきまえた学生(ほぼ女学生)ばかりなのだが、このツインテール横暴娘だけは別格だった。

 

 それは、在りし日の昼下がりだった。

 

『どこからどう見ても変質者でまちがいありませんの。とっととブチ込んでくださいまし――』

 

 今思い返しても慈悲の欠片もない、凍てついた、一度聞いたら忘れられないような特徴的な少女のドラ声だったように思う。

 そしてたしか、その声が十メートルばかり後方から聞こえてきた途端の出来事だったはずだ。

 

 どう見ても変質者? ヲイヲイ全裸でストリーキングしている変態でもいるのか? 

 いやだなあ、そんなやつの体臭なんてニオイたくない。

 けしからんやつがいるものだ、と青髪は世俗の乱れに涙し、任務に勤しんでいたのであるが。

 

 

『――――止まりなさい! そこの変質――キミ、止まりなさい!』

 

『え? ――ええっ!? な、なんですのん? ボカァ何も――――に、ニモツ? ええああ、ちゃ、ちゃいますのん! こ、ここここれはトモダチから運ぶよーに言われただけでしてッ! いやいやセ、センセーボクにもトモダチくらい……ややっ!? どうして幼女の裸体が印刷してある書籍やデジタルデータ記録媒体がこんなに大量にっ! あ、危ないところだったーッ! とんでもない犯罪の片棒を担がされるところやったーっ! ホ、ホンマおおきにー。え? なんですか? え? この車に乗ればええんですか? え? い、いやあ、でもボク、これからトモダチと用事が……』

 

 

 

 問答無用だった。

 言葉ひとつ交わさずに、風紀委員の女子中学生は青い髪の大男に犯罪者の烙印を押(ジャッジメント)しくさったのだ。

 

 車に蹴り入れられる前に、ツインテール少女の表情がちらりと見えた。そこには。

 善意をなした人間だけが浮かべられる、爽やかな充実感が滲んでいた。

 

 それはまさしく、ファ○リーズでひと吹き除菌するようなお手軽さだったのだろう。

 

 ああ。どうして。

 頭髪が青いというだけで男子高校生をアンチスキルの車両に問答無用で押し込む女子中学生の残虐性を、どうして世間は放置するのだろうか。

 笑ってギャグで済ませられない、忸怩たる憶いがふつふつと蘇ってくる。

 

 

 突然、なにか辛い出来事を思い出したかのごとく無表情になった大男の変化に気づいたのは、目の前の、車の後部座席の足元にすっぽりと身を隠してしまっていた女の子のほうだった。

 

 半開きのまぶたで、女児はじーっとこちらを覗いている。

 大人しく状況の推移を見守っているらしい。

 とりあえず泣き止んでくれてはいるようだ。

 

 

「いいですか? 俺は壊れた車のなかにこの子が隠れていたから、助けようとしていたまでですよ?」

 

 そう言いつつ、おもむろに振り向こうとした男の動きに、鋭い指摘が飛ぶ。

 

「動かないで!」

 

 逃げられてはかなわんと、景朗は大人しく指図にしたがうことにした。

 

(わたくし)、お伝え致しませんでした? 聞かせていただきました、と。厚かましいことをおっしゃいますわね。くだらない問答はここまでですの。貴方を拘束します」

 

「そりゃあ、こんな壊れた車から強情にも出てきてくれないんですから、仕方ないでしょう。それくらいで、ちょっと横暴じゃないですか?」

 

 

「貴方お気づきでして? あちこち返り血のようなものがついていますわよ。そのような不届きものの言葉を、(わたくし)がそのまま素直に信じるとでも?」

 

 諦めたように、景朗はわざとらしいため息を付いてみせた。

 

「貴方を拘束します! 両腕をゆっくりと後ろ手に回しなさい!」

 

「はいはい。わかりました。大人しく受け入れましょう。どうにでもしてください」

 

 もぞもぞと腕に、白井黒子の手が触れた。その時。

 

「ぶえっくし!」

 

 景朗はわざとらしく、巨大なくしゃみを放った。

 

「!? 何事ですのッ!」

 

 白井黒子は勢いよく距離を取り、自らスカートの下に手を突っ込んだ。

 太ももに手を当てているようだ。

 

「なにって……ちょっとちょっと、くしゃみくらい自由にさせてくださいよ?」

 

「大人しくしなさいと言ったでしょう」

 

「勘弁してくださいよ。何でもかんでもお伺いをたてろと?」

 

 カチャリ、と背後で手錠がかかる。

 

「あのー、ジャッジメントさん。それじゃあ、振り向いていいですか?」

 

「……いいでしょう」

 

 振り向いた男の顔を見て取った途端に、ぐぐっと白井黒子は身構えた。

 

「何をニヤけていらっしゃいますの?」

 

(手錠なんかで"俺"を拘束した気になられているみたいなので……そりゃあ笑えますって)

 

「じゃあ、ジャッジメントさん。なんだか無性に股間が痒くなってしまったので、掻いてもいいですか? あ、手錠が邪魔でズボンに入らない。すみません手錠を――」

 

「フザけないでくださいましッ」

 

「あ。それじゃあこうしましょう。ボクの代わりにあなたが掻いてもらえません?」

 

(あれ? 咄嗟に思いついた冗談だけど女子中学生相手になんつー……これセクハラだorz)

 

「くうっ! ……いいでしょう。大人しくしていると言うのなら後ほど、思う存分掻いて差し上げますわ。留置場の中でお好きなだけ!」

 

「はあー、冗談ですよ。あ、またくしゃみでそうなんですけど、おーけーですか?」

 

 ジャラジャラと手錠を鳴らしつつ、男は車のそばに座り込んだ。

 すっかりと虚脱したその態度と、からかい混じりの悪態に、やや離れた位置に陣取った白井黒子は苦々しそうに顔をしかめている。

 

「……それこそお好きなだけ、あちらを向いておやりになってくださいな」

 

 白井黒子は居心地の悪そうに言い放つと、ケータイを取り出した。

 一刻も早く応援を呼ぶつもりらしい。彼女の焦りと緊張が、目に見えて伝わってくるようである。

 車の中でもぞもぞと動く女児を横目に、白井は電話に意識を傾けた。

 

 そのタイミングを見計らっていた景朗は、思いっきり第二波をぶちまけた。

 

「は――ぶえっくしっ!!!」

 

 脂ぎったオジさん顔負けの、ドデカイくしゃみだった。

 白濁した粘液は白井黒子の顔面へと飛沫し――――どストライク。

 

「もしもしういはちょ、うゲエエエエエエエエエエエエエエエッ! ひいいいいっ! あ、あなたはああっ! 何てものを人様に向かって……はえ? あ、あ、あ、れ……足、が……あな、た……」

 

 女子中学生は、はたり、とその場で眠りに就いた。

 

「大量職質の恨み、思い知れ」

 

 アスファルトへ頭を打ち付けないように、支えつつもゆっくりとツインテールを地面に寝転がし。

 くるり、と振り向きざまに、車を降りて逃げようとしていた女児へと語りかけた。

 

 

「とにかく俺は何にもしないから、武器は下ろして。俺を撃たないでくれ。今から君をお家に返してやるからさ。俺はモギーリナヤ氏を探してるんだけど、君は何か知らないか?」

 

 その名を出した途端に、うっすらと女の子の表情筋がヒクついた。

 小さな反応で、見逃す人間の方が多いかも知れない。

 しかし、景朗にはしっかりと確信があった。

 この子は無関係ではないようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 女児の首根っこを引っつかみ、子猫を加える親猫のごとくマンションの中庭へと景朗は移動した。

 

 焦げ臭さにつられて見上げると、空にたなびく黒煙が狼煙のように火災の存在を知らせてしまっている。

 これでも、爆発があって10分ほどは経っているはずだ。

 いい加減に、もう間もなく、アンチスキルがやって来ることだろう。

 

 

 今からの数分が、現場を探る最後の機会になる。

 

 木原数多から遅れて連絡されてきた住所と、煌々と炎が上がっていたマンションの部屋番号は一致した。

 目的の部屋からは、未だにモクモクと煙が上がっている。

 

 

 学園都市製の建築物であるのにここまで火災が悪化している以上、やはりそれなりに激しい爆発だったのだろう。

 

 先ほどひとりで突入した時に確認したが、やはり部屋の中身はまるごと吹き飛んでいた。

 

 生存者の有無を確かめたが、確認できたのは爆風で肺が潰れた死体が三つ。

 転がっていた死体のどの装備も、中庭やマンション専用通路で転がした奴らと同様のものだった。

 

 部屋の住人らしき人物は、焦げ付いて転がってはいなかった。

 となると。住人は一体、どこまで逃げ出していったのやら。

 

 

 小さな女の子は、焼けた家を目撃した瞬間、グズグズと泣きだしてしまっている。

 この子を放り出したままで、いったいどこへ。

 

(しかし、ちょっと困った事態になった)

 

 やはり住んでいた家が燃えているのはショックなのだろうか。

 涙と鼻水をポロポロと流し、女児は精一杯な様子で、ひとつの台詞を繰り返すばかりになってしまった。

 

「ぼうしをさがしてください。おねがいします、マーマのぼうしをさがしてください」

 

 ヒクつく子供に問いただすと、帽子とは、母親から貰ったロシア帽のことらしい。

 動物のタレ耳のような耳あてが付いた、よくメディアで見かけるヤツだ。

 

 

 泣く子と地頭には勝てない。その言葉の意味がしみじみとわかる。

 この緊急事態に、帽子ひとつにかように執着されても、と説得をつづけたが。

 メソメソと喚くチビッ子には何を言っても無駄だった。

 

(まてよ? "母親"の帽子か! 何か手がかりが隠されてたのかもしれない! 緊急事態の時は帽子の手がかりを使え、って子供に言い聞かせてたのかも!)

 

「その帽子かぶってたんだろ? 逃げる時にどこかに落っことしたのか?」

 

「ふぐっ。でも、よくおぼえてないです……」

 

(匂いでわかる!)

 

 チビッ子の髪の毛を嗅ぎわける。むわっとした動物の香り。

 風呂嫌いな子だったのか、少々臭っていた。

 

(まあ、おかげで匂いは強く残ってるな)

 

 サイレンの音が近づいている。

 今にも"警備員"が蜂の巣に突っ込んでくる。

 

 女児を中庭の公園の遊具の下に隠し、景朗は全速力で探しに行った。

 

 だが、結局。その帽子とやらは、見つからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 女児を連れて、警備員から距離をとり、すぐさま状況を説明すると。

 頭を抱えるような報告が、木原数多から届けられた。

 

 

『ガキ? ガキなんざ知らねーぞ。とにかくよぉ、テメーが確保した奴はまだ危険らしいからよ、ウチでそんまま保護しとけって話だ』

 

「は?」

 

『おーし。テメエに一任するわ。オラ、今回の件はオマエがタントーだ。いいだろ? 喜べよ、思う存分人助けしてこいや。じゃーな切るぞカス』

 

 

 "猟犬部隊(ハウンドドッグ)"の人間にあずける……?

 ありえない選択肢だ。馬鹿げている。

 

 

 しかし。自分なんかのそばにいては、もっと危険だ。

 

 

 かと言って。……やはり、しばらく落ち着くまでは。この子への"謎の襲撃"が一件落着するまでは、そこそこ強い人間が守っていてやらないと……。

 

 信用できる人間がいるか?

 

(丹生? でも、この子狙われてるかもって……巻き込めない……)

 

 何てことだ。今日は夏休みの最終日だっていうのに。

 

 存外にも理知的な黄色い瞳が、景朗を覗き込んでいた。じーっと、覗き込んでいた。

 まぶたは半開きだ。タフなことに、ここにきてチビッ子は、なんだか眠そうな様子をみせている。

 

 

「チビちゃん。とりあえず、俺ら"猟犬部隊(ハウンドドッグ)"っていう君のお母さんの仕事仲間だから。んで、俺たちがしばらく君のことあずかることになったから」

 

 黙ったまま、チビッ子は景朗の様子を観察している。そればっかりだ。

 みっしりと詰まったリュックが重そうだったので、持ってやろうかと手を貸すも。

 

「さわるなっ」

 

 先程から、この調子だ。

 

 泣きやんで、我が家の火事の衝撃から復帰し始めたのか。チビッ子は途端に、この世の全てを疑ってかかるような、典型的な暗部のガキんちょみたいな反応を醸し出し始めていた。

 

 透き通るような銀髪。まだまだ子供の証だ。大人になるにつれて色素が沈着して変色していきそうだ。白いままかもしれないが。

 目玉は学園都市では珍しいことにギンギンの黄色で、どっからどう見ても日本人じゃないのに、日本語はペラペラだった。おそらくは、学園都市で育った子供だ。

 

 肌はなまっ白くて、青白く、全然日焼けしていない。部屋の中から出ずっぱりなのかと思えば、ガリガリの身体には平均程度の筋肉はついている。

 

 先程も景朗に向かって震えながらもスタンシェル四発をぶち込み、割と鮮やかに再装填してみせた。この子はカタギの子供ではないようだ。

 

 

(最終手段を取ろう。仕方ない)

 

 一番使っていない秘密基地(セーフハウス)に匿おう。

 半ば倉庫のような扱いになっているところだが、この子だって安全さは何よりの快適さに勝る、と理解してくれるはずだ。

 

 セーフハウスの場所は、第十学区。

 第十学区には同じようにいくつか拠点を作ってあったが、これから案内する場所は"第二位"にしてやられたときに、咄嗟に火澄や手纏ちゃんを運び入れた賃貸オフィスである。

 

 

 

「これから第十学区の秘密基地に行くから。君はそこでしばらく俺たちが匿う。俺は……スライス(三つ分)って呼ばれてる。君の名前は?」

 

「しらない」

 

「そうか。それじゃあ君のことずっと小便漏し(アクシデント)って呼ぶけどいい?」

 

 クレア先生が、ちっちゃい子が漏らした時に『アクシデントしちゃいましたか……』と言っていたので、景朗たちも須らく"アクシデント"と呼んでいる。

 

「……それでいいもん」

 

「おーけー、もうこっちで勝手に調べるよ。よし。とりあえず着いたら、君、お風呂入ろっか。そのリュックサックの中に着替えは入ってる?」

 

「いいです」

 

「え?」

 

「おふろはべつにいいです」

 

 この子、徹底的な風呂嫌いのようだ。

 

(ウチにもいたな。風呂嫌い(花華)。昔の話だけど……)

 

「いや、いいですとか、そういう問題じゃないでしょ。おしっこ漏らしたままで気持ち悪くないの、君?」

 

「おきがえないからむりですー……」

 

 女児はそっぽを向いて、ぼそぼそと他人事のように、そう言った。

 

「コンビニで買えるからできますー」

 

(あれ? コンビニに女児のパンツとか売ってたっけ?)

 

 と、いうか。女の子を連れて、そんなものを買って、街中を歩いて……。

 風紀委員に絡まれたら……。

 

(だ、大丈夫だ。今は青髪クンの"ガワ"じゃあないんだぜ?)

 

 不安だったのか、景朗はまっすぐ、第十学区のセーフハウスへ向かうことにしたようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 貸し店舗がゴロゴロと立ち並ぶ、第十学区のオフィス街。

 その一角の、賃貸オフィスの一室に、景朗は銀髪のチビッ子とともに足を踏み入れる。

 

 その階層のフロア全体を貸し切って使っているが、その実、上下の階もぶち抜いて別名義で借りているものだから、そのややボロっちいビルまるごと景朗の巣なのであった。

 

 殺風景なコンクリート打ちの空間には、ゴロゴロとイリーガルな暗部御用達の道具類(銃器や電子機器)が山積みにされている。

 

 隣の部屋を除けば、どこかで見たような景朗お気に入りの巨大冷蔵庫が所狭しと並んでいる。

 中身はもちろん、冷凍のブロック肉で満杯だ。

 ただし、ほとんどが腐りかけているものなので、子供に食べさせるわけにはいかない代物である。

 

 以上に述べたように、そこそこまとまっている物件(セーフハウス)だったのだが。

 

(それなりに高い買い物だったのに、使い捨てにせざるを得ないかも……)

 

 チビッ子の境遇しだいでは、この秘密基地はお払い箱になってしまうかもしれない。

 景朗は人知れず、息をついた。

 

 銀髪の女の子は、若干関心したように、暗部の拠点と変わり果てた内装をキョロキョロと物珍しそうに見渡している。

 

 

 

 二人が最終的にたどり着いたのは、給湯室を改造したような、畳張りの一室だった。

 そのフロアの中では唯一、生活感が存在する場所だろう。

 迫っ苦しい印象はなく、広さもそれなりに有った。宴会のひとつやふたつはできそうな間取りで、こたつまでぽつんと鎮座しているくらいだ。

 

 チビッ子を連れ込むと、景朗は備えてあった小さめの冷蔵庫を即座に開く。

 

(まずい。食物は……缶詰だけか……)

 

 女の子はどたどたと畳に上がり込み、部屋の隅にぽつんと置かれていた小さなラックステーションに興味を向け始めた。

 ぐちゃぐちゃと湿った足音が、い草と反響して恐ろしいことになっている。

 

(おいチビ……お前さん小便漏らしたままだったろうが……)

 

 ラックには、景朗が過去の任務で散々に壊してきた数々のケータイの残骸が山積みになっている。バラバラにして捨ててしまえば、読心能力者によからぬ利用を防ぐ事ができる。

 しかし、かと言って、データが入っていたHDDやメモリは万が一の悪用を防ぐため保管して、こうして一箇所にまとめ、放置していたのだ。

 完全にバッキバキに砕いてしまっているために、もはや誰の悪意にも晒されないだろうが、念の為に、というやつである。

 

 

「おーい、それ壊れてるぞ。というか、あまり触るなー?」

 

 女の子は言いつけを聞いたのかそうではないのか。

 景朗に興味を失ったふうに、水色迷彩のスモッグのポケットから自前のケータイを取り出し、無心にいじくりまわす。

 

「ふぅ。マジ、どうする? 子供の面倒はそれなりに見れる自信はあるけど……暗部のガキとなると……おーい、とりあえず、ハラへってないかー? 何か食べたいものあるかー?」

 

 

 猫背になって丸まった女の子は、画面から目を離さない。

 

「おみず」

 

 ややして、適当に放り投げられたような返事がやってきた。

 

「いや、食いモノでなにかないかなぁ」

 

 火事で家が燃えていた時は、耐え切れずといった風にわんわん泣いていた。

 景朗とて、すこしは優しくしてやる腹積もりだった。

 

「……ぶどう」

 

「いや、もっとこう、食材ではなく食品でなにかないかなぁ」

 

(買いに行くしかないか。しかし、こんな状況でも水とぶどうが欲しいって……ワインの酵母菌みたいな嗜好だなぁ。……いや、単に俺が信用されてないってだけか)

 

 冷蔵庫には、いつぶち込んだのか覚えていないワインのビンが、横倒しになっていた。

 

(ワイン。ぶどう、か……)

 

 そういえばクレア先生はワインが大好きだったなあ。景朗の大好物でもある。そんなことをふと思いつき。

 ワインは水とぶどうと、酵母菌から造られてて……と。そこまで考えて。

 

 その時。ある種のひらめきが、唐突に炸裂した。

 雨月に衝撃が走る。

 

(アルコール発酵……? これ、俺の体内で可能なのでは? 基本は酵母と糖分だ。こ、これは……まさか、できるのか? できる……いやはや、できるぞ! な、なんてこった、こんなタイミングで思いつくとは。

 

まさか……できるのか!?

 "雨月酒"が!

なんとも恐ろしい……体内発酵して……なっ?!

 の、飲ませる……せ、先生に……なあななななななななななんて恐ろしい考えを……俺は……!!!

うおおおお、うわあああああああああああああああ)

 

 

「おかし」

 

 

 女の子が、ポツリと口にした。幼い声色が、景朗の注意を再び引いた。

 しかしそれでも、画面からは一切目を離さない。すごい集中力だ。

 というかすごいメンタルだ。この状況でゲームか何かに一心不乱になれるとは……。

 

 

「おかしって言われても……もういっそ料理名でたのむ」

 

「たぬき」

 

「は?」

 

「うどん」

 

「ああ……そういうこと。つーか、そろそろいい? どうしたの? 急に三文字以上喋れなくなっちゃったのかなチビちゃん? そろそろ三文字縛りやめてくれないかな?」

 

 買い物にでも行くか、とパタリと冷蔵庫を閉じた景朗が立ち上がる。

 後ろを振り向き、少女の姿を目に捉えた、そのとき。

 ケータイを覗き込んでいた娘も、突然、バタリ! と立ちあがった。

 ものすごい勢いだった。

 ぎょロリ、と、信じられないようなものを見つめる目で、景朗を見つめ返していた。

 

 

「? どうした? チビッ子?」

 

 

 ふわり、と女児の顔が、興味津々で鮮やかな様相に変わっている。

 

 女児はやっと、三文字以上の言葉を口にした。

 とはいえ、それは、三文字から五文字に変わっただけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 しかし。先程までの単語とは比べ物にならないほど、大変な意味を持つ五文字だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「"うるふまん"……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え?」

 

 

 

 思わぬ単語をつぶやかれ、景朗の思考は停止した。

 

("ウルフマン"。懐かしい名前だ。一年前、俺はそう呼ばれてた。名乗って、た……)

 

 

 脳みその奥が、冷たく凍っていく。

 

 なぜ、こんなチビからその名前がでてくる。

 

 いいや。そもそも。

 

 どうして景朗が、件の"ウルフマン"だと見抜いてみせたのだ?

 そんな要素は皆無だったはずだ!

 

 

「ガキ、お前なにして。能力者か?」

 

「そうよ! わたしは欠損記録(ファントムメモリー)!」

 

 

 チビッ子は興奮を抑えきれずといったふうに、はっきりとした喋り方で、そういった。

 

 先程までどこか落ち着かない様を顕にしていたというのに。

 今では牙を顕にした大男に遠慮する様子もないようで、とてとてと畳を走り、近寄ってくる。

 

 表情でわかる。問いかけてはいるものの。

 少女は景朗が"ウルフマン"であることを、まったくもって疑っていない。

 確信を得た人間の、顔だった。

 

 

「どうしてわかった?」

 

 こんなチビあいてに遠慮する必要はない。わざと認めて、話を聞いてみよう。

 そんな考えが、その瞬間をよぎっていたのだろう。

 

 景朗は混乱からそうつぶやくと、少女から離れるように後ずさった。

 

 

「あなた、ウルフマンなのね? そうなんでしょう? ウルフマンじゃないの? ねえ、ウルフマンなら変身して見せて!? お願い、お願いよウルフマンっ!」

 

 

「なんのことだ。ガキ?」

 

 舌の根が乾きかけていた。

 無論、比喩的な表現だ。景朗の舌はそれほどやわなものではない。

 

 そして、比喩的な表現が現実をひっくり返すほどに。

 一方の女児はすっかりと、"豹変"してしまっていた。

 

 しっかりとした、其の辺の大人となにひとつ変わらぬ理知的な言葉使いで勢いよく喋りだす。

 

 今までのたどたどしい舌づかいはまったくの演技だったのだと、はっきりとそうわかる様だった。

 

 

「ほら! "ウルフマン"のデータ!」

 

 女の子はもはや、景朗を微塵も恐れてはいない。

 ドタバタと近寄ってきて、手に持っていたケータイを景朗の大きな手に押し付けてきた。

 大人気なくも、奪いとって画面を除く。

 

 

「……こ、れ……ッ!」

 

 去年の九月。

 景朗は、初めての暗部の戦いで、ケータイ電話を"粉塵操作(パウダーダスト)"という男に壊されてしまった。

 

 そのせいで、仄暗火澄が残したメールや留守電の記録を、まるごと聞きそびれてしまっている。

 

 

 

 

 その、失われたはずの記録が。

 

 なぜか少女のケータイに、表示されている。

 

 

 

 

 ウソか? 嘘じゃない。

 

 

 一年前。

 

 

 そう。ちょうど一年前だ。

 

 

 八月の暮れから、景朗が初任務を受ける、九月の頭まで。

 

 仄暗火澄は、景朗に連日、メッセージを残してくれていた。

 

 だからこそ、理解できる。

 

 

 

 

 

 強烈な見覚えがあるのだ。

 

 失われてしまった、仄暗火澄との言い争いの記録。

 当時の言い争いの全てが、一字一句、残さず景朗の目に飛び込んでくる。

 

 覚えている。間違いなく、これは、本物だとしか、思えない……。

 

 

 

 

 

「わたしの能力の欠損記録(ファントムメモリー)は、完全に壊れてしまった記録媒体から、元通りの情報を抜き出すことができるの! あなたは"ウルフマン"なんでしょう?」

 

 

 何も答えられず、硬直した景朗の、その様子を"肯定"だと受け取ったのか。

 

 

 なぜだかわからない。だが、銀髪の幼子は、感動に目尻を潤わせた。

 

「うわーああっ! ウルフマン! 助けに来てくれたのね!?」

 

 感極まったように、ぴょんぴょん飛び跳ねる、女児。銀髪がゆらゆらと、揺れている。

 

 

「君のお母さんが……あの"オペレーターさん"なのか?」

 

「ちがうわ! マーマなんて最初からいないのよ! もうとっくに死んでるんだから!」

 

 

 

 

 女の子は大人顔負けの理性が灯った眼光を、景朗へと照射した。

 その様子はさながら。

 どこか自慢げに、わたしはもうおとななんだから、と言外に語っているようであった。

 

 

 

 

「わたしよ、わたしなの! わたしはダーリヤ・イリイーニチナ・モギーリナヤ。あなたといっしょに戦ってきたのは、この"わたし"なのよ!

 あなたの"オペレーター"さんは、このわたしのことなんだからっ!!」

 

 

「……」

 

 信じられない。突然のカミングアウトに、景朗はわけがわからず、理解が追いつかない。だが。

 少女は興奮冷めやらぬ様子で、たしかに。

 あの時の"オペレーターさん"しか知りえぬ情報を、景朗にベラベラとまくし立ててみせている。

 

 

「電話……そうだ。君が本当にあの"オペレーターさん"だって言うなら、俺は電話番号を知っている」

 

 手早くポケットからだして、一年前に教えられていた"オペレーターさん"の電話番号の、着信ボタンを押す。

 

(いやいや、なにしてんだ。無駄だろ、これ)

 

 なにしろ、"暗部"の電話番号だ。それも一年前に教えられたものときている。

 つながるわけがないはずだった。

 

 PRRRRRRRRRRRRRR!!!!!

 

 信じられないことに、少女に渡されたケータイがぷるぷると振動する。

 

 

「ほら、わたしでしょう? あなたに電話して欲しかったのに、一回もかけてこなかった!」

 

 

 銀髪の子供は興奮の絶頂という様である。

 ぴょんぴょん、ぴょんぴょん、と。

 ドスドスと畳が揺れるのも辞さず、歯がゆそうにジャンプを繰り返すのだ。

 

 

「約束したのにっ! "ウルフマン"! 約束したでしょう? わたしにひとつ貸しがあるってあなたはそういってたでしょう?? "収束光線(プラズマエッジ)"が役に立たなかなかったのはわたしのせいじゃないじゃないっ! あなたがよこした"人材派遣(マネジメント)"のせいなんだからっ。

 

 だから、約束は約束よ? わたし、狙われてるの。助けて、助けてよう、"ウルフマン"ッ」

 

 

 




 ヒロインは複数いますといいました。
 確定はまず、この子です。

 銀髪ロリ。ロシア養女、ダーリヤ・イリイーニチナ・モギーリナヤ。
 ダーシャと読んでやってください。


 すっごい遅れて登場しましたが。

 実はこの子、作者のアイデアの中では、最古参のヒロインです。
 そうです。
 丹生よりさきに、暗部でいっしょに任務に望んだのは、このちびっこ。
 天才少女、ダーシャちゃんだったのです……

 彼女の能力は、強能力(レベル3)の念写能力(ソートグラフィー)。
 欠損記録(ファントムメモリー)となっています。
 詳し話や、更なるイベントは、次の話で。
 一週間程ください。
 もしかしたら、すっごい短い話(ダーシャ関連の話)をもっと短期間であげられるかもしれませんが。
 短くていいからスグ話を読ませろ、というかたは……まあ。いいや。


 


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episode30:引出移動(ドローポイント)

お久しぶりです。長らくお待たせしました。すごく不安でいっぱいです。


とりあえず、この四か月間、お待たせした感想とコメントへの返信を、明日中に行います。
感想の返信については、4か月もお待たせして本当に心苦しいです。
申し訳ないですorz すんごい遅ればせながらですが、お返事いたいますのでお許しください……


あ、あと、4か月も更新とまってたんで、もうお話の続きが分らない!忘れた!って人のために、年表?みたいなものをご用意しました。
内容どんなだったかわすれたー、でも読んでやるカー、というご親切な方がいらっしゃいましたら……どうか、お読みください~


 

 

 

 

「狙われてる? 君を襲ってた連中に当たりはついてるのか?」

 

「ううん、わからない。わからないけど、わたしの能力を狙って襲って来てるはずよっ!」

 

 

 ピクリ、と景朗の片腕が脈打った。彼の指先は、少女へと向けられている。

 自由に形状を変える凶器の触腕は、先ほどから『耐え難き』とふるふると揺れている。

 キンキン声をあげる少女の、その細い首を狙っている。

 

 景朗は耐えていた。

 普段の調子であれば、もはやとっくの昔に容疑者の首を"触手"で絡めとり、拷問まがいの方法で尋問を行っているはずだった。

 

 でも。

 

 

 彼は、側坐に暴力的な解決に打って出られなかった。

 

 少女は本当の事を言っているような気がする。

 言いようのない第六感。ただそれに従っていた。

 彼女の幼い容姿も、荒い衝動を押しとどめるのに一役買っているのかもしれない。

 そうに違いない。

 

 

 あの瞬間、確かに直感がよぎった。

 初めて聞く少女の声に、わずかながら覚えのある口ぶりの幻聴をとらえた気がして。

 事実、たった今、こうして今も。

 景朗は少女に言わせるがままに、何故かその一喜一憂に耳をそばだてている。

 

 

 そうこうするうちにも、少女はじれったそうに距離を詰めてきた。

 大男に物怖じせず、その表情を覗きこんでくる。

 

 

「前と違う顔だけど今のが本当の顔なの? 今はウゲツカゲローじゃないの?」

 

 『待て』と手のひらをかざして、景朗はそれを押しとどめた。

 

(ちょっと待て。待て、待て、待て)

 

 身長差ゆえに、たったそれだけで相手の表情は手の甲で隠れて見えなくなった。

 

「"ウルフマン"? まだ信じてないのっ?」

 

 信じるもなにも、こちらは端から疑っている。

 君がスパイか。もしくはロクでもない輩からの"回し者"かもしれないと。

 

 

 PRRRRR,という着信音が、先ほどからうざったく耳にまとわりついていた。

 手元のケータイが、応答に答えろとしつこく暴れている。

 

 

 ぷるぷると手のひらで震える着信の振動だけでは、確実な証拠にはならないのかな?

 ダーリヤと名乗った少女は、そういう風に考えたらしい。

 

 

 彼女は景朗の手から、抵抗もなくするりとケータイを抜き取り、もどかしそうに口元へと添えた。

 景朗はその様子を鋭く見つめていた。だが、行動をとがめるつもりもないようだ。

 

 少女はすぐさま着信に応えて、わざとらしい挨拶を口にしてみせた。

 その間もしつこいほど、熱いまなざしを景朗から離さなかった。

 

 

「はい、もしもし」

 『はい、もしもし』

 

 カン高い女児の舌足らずな声が耳に届く。

 それとほぼ同時に重なるように、まったく同じセリフが別人の女性の音声で、景朗のケータイからも飛び出した。

 

 二人の声が届いたタイミングは、ほぼ同時だ。

 誰かほかの人間がケータイに応対している? さすがにそれは考えられない。

 第三者の工作を疑う必要がないほど、タイムラグはゼロに等しい。

 

 

「ほらね。ウルフマンみたいに声を自由に変えられたら、わたしも楽チンなのに」

 『ほらね。ウルフマンみたいに声を自由に変えられたら、わたしも楽チンなのに』

 

 おまけにそれはずいぶんと聞き覚えのあって、懐かしい声質だった。

 わざわざ一度スピーカーを中継させて発声されたかのような、無機質な声色。

 それでいてどこか、妙齢の女性を思わせるハスキーボイス。

 

 景朗の暗部駆け出し時代に嫌というほど耳にした、あの当時の彼女の声だ。

 まったくもって、記憶に残るものと遜色はない。

 

 

 紛れもなく"オペレーターさん"の声だ。

 

 

 ダーリヤという少女は、通信時に声に加工を施していたようだ。

 そもそも、暗部ではそういった個人情報保護の行為は珍しくはない。

 声紋も立派な情報戦の手がかりになる。

 犯罪の捜査にも使われているし、況や暗部ではその用心が生死を分け得る。

 

 

 景朗がうっすらと関心を寄せたのは、少女が声色を大人びたものに変えるだけという、中途半端な真似をしていたことについてだった。

 声紋を特定される事を嫌う暗部のオペレーターたちは、ダーリヤと名乗った少女とは違って、普通はもっと念入りに音声を加工する。

 いかにも機械じみた声音へと変えるものだ。その方が安全なのは考えるまでもない。

 

 

 故に、当時の景朗も"オペレーターさん"の秘密について、そこまで深く気にかけられなかったのだろう。

 

 

「あっ、ねえウルフマン覚えてる? わたしに成長期か? って言ったことあったでしょう。あの時はびっくりしたんだから」

 『あっ、ねえウルフマン覚えてる? わたしに成長期か? って言ったことあったでしょう。あの時はびっくりしたんだから』

 

 同年代の平均身長よりも小柄であろうダーリヤの地声は、とりわけ幼い。

 命を切り売りする任務中に、一体誰がこんな小さな子供の指示に素直に従えるだろうか?

 誰だって承諾しがたい。まともな人間なら誰もが嫌がる。

 

 

「でもわたしも気づいてたのよっ。 ほらさっきウルフマンが吠えた時、ウルフマンの声に似てた気がして、もしかしたらって考えていたんだから。一瞬ッ!」

 『でもわたしも気づいてたのよっ。 ほらさっきウルフマンが吠えた時、ウルフマンの声に似てた気がして、もしかしたらって考えていたんだから。一瞬ッ!』

 

 

 

 してやったり、と表情に浮かべ、ダーリヤはぎょロリとまぶたを開き、大男を見上げている。

 一心にこちらを見つめてくる少女は、無邪気なものだった。

 正直言って、悪意を見出す方が難しい。

 

 

「ウルフマンみたいに――わあ!」

 

 

 

 景朗は再び、少女の手中からケータイを奪い取った。

 その中身について、先ほどから彼は必死に考えていた。

 

 

 

 オペレーターだと言いだしたダーリヤと名乗った少女が、どうしてケータイを証拠として突きつけたのか。

 

 景朗にもその理由は分かっている。

 復元されたケータイの中身がどうして根拠になるのか。オペレーターがダーリヤであることの証明になるのか。その根拠は、仰天するようなものであった。

 

 

 重要なものであるはずなのに、少女がいやにあっさりと手渡したそのケータイに、表示されていた文字列。

 

 それはやはり、何度見ても偽物には思えなかった。

 

 その"記録"は、脳裏にこびりついている一年前の記憶と寸分違わない。

 

 

 一年前の九月、その初週。中学三年生だった景朗は『暗部の初任務』に臨み、自らの手で初めて人を殺した。当時の感触は色あせることなく、くっきりと残っている。

 "そうなってしまう"ことに、もとより予感があったのか。火澄やクレア先生、手纏ちゃんが心配して送ってくる連絡に、初任務を終えるまで景朗はまともに返事を返すことをしなかった。

 

 あの当時、火澄とはほとんどケンカしている状態だったが(よくよく考えると彼女とは定期的に衝突しているかもしれないが)それでも彼女は連絡は欠かさず、多量のメッセージやメールを残してくれていた。

 

 "ユニット"の初任務に臨む直前まで、彼女からのメッセージに目を通していたから。

 だからよおく、覚えていた。

 

 

 そして。その当時。同時期に。

 『"ユニット"指令部からの業務連絡』も、またわんさかと受け取っていた。

 

 

 

 ダーリヤと名乗った少女が言外に景朗に追及しているのは、間違いなくこの"ユニット"からの"業務連絡"についてだろう。

 

 "業務連絡"と言うからには、その内容は暗部組織では珍しくもなんともない、一般的なものだった。

 いついつの時間帯に、どこどこに来られたし、というありふれたものにすぎなかった。

 そんな風な内容が、固有名詞をボカすような"符丁"がふんだんに駆使されて、送られてくるのだ。

 事前知識のない他人が読めば、当たり障りのなく、特徴もない日常生活の一幕にしか見えないはずだ。

 

 

 

 その"当たり障りのない"メールを、この少女は一目覗いただけで"ウルフマン"のデータだと理解してみせたのだ。

 

 

 この変哲もない業務連絡のくだりで、見ず知らずの猟犬部隊の男を"ウルフマン"だと看破したのであれば。看破できるとするならば。そんな芸当が可能な人物は誰か。

 

 "オペレーターさん"は、確かに妥当な答えだ。なぜなら。

 

 このケータイに表示されている"連絡"は、全て"ユニット"時代の"オペレーターさん"が作成し、送ってきたものだからだ。

 

 

("ユニット"の事はともかく、箝口令が敷かれていた"スキーム"の一件は……俺がLv5に到達したあの事件は、ごく少数の人間しか知らないはずなんだ)

 

 このガキは、俺が"Lv5になった最後の戦い"のことを知っている。

 あの場にいた人間しか知りえない、"穂筒(プラズマエッジ)"の事まで口にしている。

 

 

 

(妥当? 筋は通っている? ……だいぶ強引じゃないか?)

 

 と、そこまで考えて。

 景朗は馬鹿馬鹿しい、と自分に言い聞かせた。

 

 

(素晴らしい。奇跡的な偶然だ! ――――んなわけあるか?!)

 

 

 偶然捕まえたこのチビが、"彼女"でしたと??

 偶然俺の秘密を暴いて、窮地に陥らせていると??

 

 

 すぐに信じろと言う方が無理だ。

 しかし、どれほどあやふやな話だろうと、雲をつかむような話だろうと、景朗はここで、この場で判断しなくてはならない。

 

 

 

「"ウルフマン"ッ! ねえほら変身してみてっ、お願いよ、お願いッ!」

 

 白い肌。白髪。全体的に"白い"少女は『変身しろ』と口にしはじめる。

 ところが景朗にとってその"変身"という単語は、忌避感を匂わすものだった。

 

 幸いにも、この少女の前で変身能力を使ってはいない。

 決定的な証拠を、まだこの娘に与えてはいないのだ。

 

 雨月景朗の過去が啄まれようとしている今、むざむざと致命的な秘密を明かしてなるものか。

 

 

 すうう、と景朗の瞳孔に縦に亀裂が入り始めていた。

 少女の興奮から、景朗の心は遠ざかっていく。

 躰は炎の様に、脳は氷の様に、肉体変化能力者は気勢を整えていった。

 

 

(呑気に構えている猶予はない。いい加減、覚悟を決めろよ。このガキは……このまま帰すわけにはいかないだろう? もう仕方のないことだろう……?)

 

 

 完全に油断していた。

 こんな小便を漏らして怯えていたチビっ子が、まさか自分の正体を見破ってくる伏兵だとは夢にも思えなかった。

 

 ああ。そうだ。

 

 知られてしまった。

 この際、このチビッ娘がオペレーターさんであろうと、そうでなかろうと、関係はない。

 知られてしまったのだ。

 "ウルフマン(雨月景朗)"が、猟犬部隊に所属している事実と。

 彼自身のウィークポイントそのものである、雨月景朗と仄暗火澄との関連性。

 

 最重要と紐付けても過言ではない秘密を、この少女は(あば)いてしまっている。

 

 

 景朗は彼女を自由にさせ過ぎたのだ。

 ケータイを弄っていた少女が、そのままどこかに"雨月景朗"の秘密をリークしていたらどうする……。

 その時間は、先ほどから十分にあった。

 

 

 このガキがスパイであったとしたら。もう手遅れだ。

 一年前。

 "ジャンク"と闘ったあの一件以降、世情から忘れ去られた人狼症候(雨月景朗)が、ここで再び"アレイスターの下僕"として"裏"の"表"に晒されることになる。

 

 

 "三頭猟犬(ケルベロス)"は大勢の人間に憎まれている。

 また、アレイスターへの"取っ掛かり"として、攻略を考えている人間もいるはずだ。

 

 

 もし、このチビが悪意ある敵対者の回し者であったとしたら。

 暗部を取り巻く雨月景朗の旗色は、既に取り返しのつかなくなるほど悪い状況に陥っている。

 

 

(もしかしたら、もう手遅れ、かもしれない……)

 

 

 ただし、絶望する前に、いくつかの疑問が浮かんでいる。

 

 

 

 もし、本当に――――少女がスパイであったとしたら。

 

(……まんまと"猟犬部隊"と"迎電部隊"を出し抜いてきたってことになる)

 

 猟犬部隊も、迎電部隊も、統括理事会が組織する優秀な部隊だ。

 この二つを欺き、一体どんな機関が、わざわざ"三頭猟犬"にスパイを送り込める?

 しかもこんなチビッコを!

 

 

 

 ……木原数多は有能だ。ただし、猟犬部隊の正式なメンバーではない雨月景朗に関わる事には、嬉々として手を抜くことがある。

 

(クソ、クレア先生の言う通りだ。"敵からは自分で守れるが、友の裏切りは神に守ってもらうしかない")

 

 味方でなければならないはずのあのクソ野郎を、心の底から信用できない。

 木原数多には、雨月景朗を擁護するという観点が絶対的に欠けている。

 

 

 

 

 とにかく確かめるしかない。

 

 このガキの能力が本当に"欠損記録"という代物なら、"データ"は今この場で復元されたものだ。

 このガキが本当に"オペレーターさん"なら、"俺"の事を知っていてもおかしくない。

 

 

 

 景朗の冷え続ける心象とは裏腹に、目の前の少女のエキサイト度合いは尋常ではなかった。

 

 

「"ウルフマン"なんでしょう? あんな力持ち"ウルフマン"しかありえないものっ!」

 

 思わず少女の様子を眺めて、ひとつまばたきを終えて。

 続いて、景朗は信じられないものを目撃するに至った。

 

 つつつ、と少女の小さな鼻から赤い"すじ"が垂れたのだ。

 

(鼻血?)

 

 えも言われぬ奇妙な感覚に包まれていた。

 自称"あなたのオペレーターさん"こと銀髪アンモニア臭少女の躍動感に溢れる喜び方には、どこかで見たような懐かしさがあった。

 

 長々と思案を巡らす間もなく、景朗は求めていた答えにたどり着いた。

 

 ああ、あれだ。ヒーローショーでカラフルなピチピチタイツメンを目撃した小学生そのものだ。

 あの狂いかけたガキどもみたいに、今にも身体中のあちこちを"はちきらせそう"な勢いなのだ。

 

 仮にこの少女があの"オペレーターさん"に関わる何者かであるならば、"雨月景朗"が"ウルフマン"として活動していた一件を知っていたのも、それなりに納得ができる。

 

 しかし、どうしてここまで嬉しがるのか。それはさっぱり理解不能だ。

 もしかして、奇跡のような出会いを目の当たりにしたからか?

 そんな偶然性には、誰もが多少なりとも興奮しようか?

 

 

「ねえ"ウルフマン"、"カスミ"って誰なの?」

 

 

 ただ、残念ながら。

 そいつが万が一"偶然"の産物に過ぎない奇跡であったとしても、景朗にはどうでもいいものだった。

 

 

 

 

「ひぐっ」

 

 長く太い、大木のような男の腕がするりと伸びると。

 まるで小枝を拾うような気軽さで、簡単に少女の細い首を掴んでいた。

 

「ごほっ。わ、なに?」

 

 驚いた様子のダーリヤは息苦しそうに首筋を伸ばし、両手で男の手首に触れた。

 がっちりとした腕は力強く、少女の力では岩塊のようにビクともしなかった。

 

 

 大男にまっすぐに見下ろされ、少女の表情に怯えによる陰りが生じつつある。

 

 

 

 

 高いところから落下して、恐怖で失禁した女児だからなんだ?

 火事を見て泣いていた女児だからなんだ?

 帽子を無くして泣いていたからなんだ?

 オペレーターさんしか知りえない情報を知っていたから、なんだ?

 

(やるしかないだろ)

 

 

 巻き付いた指の表面から極小の無痛針が無数に生え出し、少女の柔肌に食い込んでいく。

 理性と集中力をボロボロに破壊するホルモンを、景朗は疑わしきスパイ候補に注入していった。

 

 

 ここからは、投薬と暴力を交えた"尋問"の始まりだ。

 

 

 "これ"を人間相手に少なくない回数こなしてきた景朗は、もはや知識と経験として知っていた。

 

 

 嘘をあぶりだすには、コツのようなものがある。

 

 

 人間が嘘をつくには、それなりの"演技力"が必要である。

 そしてその"演技力"が発揮されるには、最低限の"冷静さ"と"集中力"が揃っていなければならない。

 

 

 

 

 ……質問を工夫して、誘導して、相手の嘘を見抜く?

 俺には、そんな必要はない。

 

 思考回路に介入して、嘘を付けなくさせてやればいい。

 

 

 全部、奪ってやればいい。

 

 冷静な判断力も、集中力も、記憶力も。

 

 

 自分が生み出す体液は、相手からそのすべてを奪い去る。

 

 

 意思や訓練では逆らえない。

 

 どんなに当人が痛みを感知したくとも、鎮痛剤を注射されれば、もはや無痛を甘受するしかない。

 

 これはそういった類の、抵抗できない現象なのだ。

 

 さらには、景朗の細い神経は直接、相手の神経に繋がる。

 意識的だろうが無意識なものだろうが、どんな反応も見逃さない。

 

 

 それはつまり。

 

(心理系のエキスパートでもない限り、俺には誰も嘘を付けない)

 

 

 もっとも、こんな小さな子供に手を下すのは、さすがに初めての経験だった。

 やり過ぎないように注意を払う必要がある。

 いまいち確証は持てないが、護衛対象なのかもしれないからだ。

 それも敵対者の回し者であれば、話は変わってしまうけれども。

 

 

「ごめんなさい。怒らないでウルフマン。ごめんなさい」

 

 明らかな怯えと不安を織り交ぜて、少女は硬直した。

 

(歳はななつ? やっつ? ここのつ?)

 

 

 うっすらと。

 ほんのうっすらと涙を浮かべ始めたダーリヤの瞳を、正面から覗く。

 そこには能面のように無表情を貼り付けた"自分の顔"が反射している。

 

 何を考えているかわからない、いかにも危険そうな男だった。

 今すぐ殴りつけて追い返してしまいたくなるような、危うさを感じさせる不審な男だ。

 

 

(もし。どこかから送られてきた回し者なら……素直に黒幕を話すわけがない。あるいは、知らされていないかもしれない)

 

 

 しかし、尋問の目的が危険性を確かめることにある以上、中途半端に行っては意味がない。

 さあ、これほど幼い相手に、どこまで"やる"つもりだ?

 こいつが口を割らなければ、一体どこまで容赦なく"やれ"ばいい?

 

 景朗も一緒の気持ちだった。

 このガキが、自分の正体を見抜いてしまったこと。

 願わくば、それは偶然の産物であってほしい。

 

 

(もういちいち気に病むな。仕方ないだろうが。

……悪いな、俺も安全な立ち位置にいるわけじゃないんだ)

 

 

「違う。怒ってないよ。ただ悪いけど、こっからはちょっとこっちの質問に答えてくれないかな? 君がダーリヤ・モギーリナヤ本人で間違いない?」

 

 当然のごとく、少女とて、景朗が素直に信じてくれる、と。

 そんな楽観的な予想はしていなかったようだが、それでも、突如攻撃性を露わにした男に、少なくない衝撃を受けているようだった。

 

 

「怒らないで。ほんとよ、わたしはほんとにオペレーターよ」

 

「怒ってるわけじゃないよ。"こうしてる"とわかるんだ。"オペレーターさん"が本当の事を言ってるのか、嘘をついてないのか。本当のことを言ってくれればなにもしないよ」

 

 最悪の想定が脳裏によぎるのか、女児は不安そうに心臓をばくばく鼓動させはじめた。

 幼い子供は祈るように、景朗の手首に触れる両手に力を込めた。

 

「もう一度聞くけど、君がダーリヤ・モギーリナヤ本人で間違いない?」

 

 景朗には、心理情報を感覚的にモニタリングすることができている。

 体内に侵食させた針が、その脈拍や反射運動、神経伝達、血中成分の変化をリアルタイムに読み取ってくれているおかげだ。

 彼女の恐れが、言葉の通り手に取るように理解できる。

 

「ホントよ。わたしがダーシャよ」

 

「ダーシャ?」

 

「ダーリヤだからダーシャでしょ? だからウルフマンはダーシャって呼んでいいわよ」

 

(嘘をついている様子はない……)

 

「って事は、あの家に居たのは結局君ひとりだったってことか?」

 

「うん……おうち……あそこに住んでたわ」

 

(……チビッ子は緊張してるし……本気で悲しんでるようだし……だいぶ興奮もしてる。こんな状態じゃ嘘は付けない……はず…………心理系に操られているのでなければ……)

 

「"マーマ"ってのは?」

 

「わたしのマーマよ。2年前に死んでるわ」

 

「……そう。じゃあ次は、どうして俺が"ウルフマン"だと思ったのか説明してくれないか?」

 

「だってわたしが"ユニット"で"ウルフマン"に連絡してたのよ? わたしが送ったメールだもの、見覚えあるわよッ! まちがいないっ! あなたはウルフマンなんでしょう?? どうして、わたしたち一緒に戦った同志――――」

 

 ばきり。

 それは、小さな電子機器が凶悪な握力で破損した音だった。

 ダーリヤは男に握りつぶされた己のケータイを見て、瞳に絶望を色濃くしていった。

 

「ああ。オペレーターさんが情報を誰かに売ってたりしてなければね。きっとあのメールの"意味"が分かった奴は、この世に2人だけだったろう。でも、そんな確証はないだろ? ……さあ、"ダーシャ"。これが一番重要な質問だ。

 

このケータイで、どこかにあの"データ"を送ったりしてないよな?」

 

「そんなことしてないわ! どうして怒るの、ウルフマン? どうして?」

 

「君が勝手に俺の秘密を探っていたことについてかい? 大丈夫、ちっとも怒っちゃいないさ。

油断してた自分が悪かったんだからね。

でもさ"ダーシャ"、他人の秘密をこそこそ嗅ぎまわる奴を一体誰が好きになる?」

 

「わたしの事は"デザイン"に訊けばわかるわ!」

 

「ああ。俺もそう思ってたさ。でもなぜか君の組織は、君の情報をこれっぽっちも寄越してこないんだ。"猟犬部隊"も"迎電部隊"も困惑してるよ」

 

 "デザイン"が情報提供してこない理由が、めっきり理解できない。

 そのことも、嫌な予感がする原因の一つだった。

 

 

「もう少し待って! きっと混乱してるのよっ!! わたしはオペレーターよ! "ウルフマン"は――――"ウルフマン"は"スリット"と戦った後、わたしに水道水にはゴキブリのエキスが入ってるから危ないって話したでしょう? ほら、こんなこと知ってるのわたしだけよ!」

 

 

 少女は頭に血が上り、興奮しつつある。それは景朗が仕組んだことだった。

 おかげで、反応が読みやすい。

 演技で怒りを見せているわけではない。少女は心底、景朗に不満があるようだ。

 ……嘘をついている兆候は見られない。

 最初から最後まで、徹頭徹尾、この子は嘘をついていない。

 

 

「確かにその可能性はゼロじゃない。じゃあ、俺が君の事をあれこれ調べるのに協力してくれるよな?」

 

「いいよ」

 

「……それじゃあこれから君の能力を試そう。ほら、壊れたケータイを返すよ」

 

 ダーリヤは強めに口を閉じると、潰されたケータイをてのひらで受け取った。

 

「たしか、"欠損記録(ファントムメモリー)"だったな? 君の説明じゃ、"読心(サイコメトリー)"なのか"念写(ソートグラフィー)"なのかわかりにくかった」

 

「ソートグラフィー。私は念写能力者よ。壊れた"記録媒体"からなら何でも情報を復元できるわ。でも"念写"するのにはまっさらな新しい記録媒体がいるの」

 

「何でもか。ありきたりだけど、写真や本でも?」

 

「できる!」

 

「それじゃあほら、新しいケータイだ」

 

 景朗は自分のケータイを差し出し、ダーリヤに見せつけた。

 

「さっきの"データ"を移せるな?」

 

 

 やれないはずはないよな? 

 わかっているだろうが、できなければ君を酷い目に合わせないといけない。

 

 言外にそう語った冷酷な男の視線を浴びつつも、少女は気丈に手足を動かし、行動に移った。

 景朗には聞こえている。

 彼女の心臓はバクバクと震えている。冷や汗が、その頬を伝って垂れた。

 

 

 

 しかし。景朗の想像以上に、ダーリヤは集中力を発揮した。

 

 

 小さな手に、二つのケータイを握りしめて。

 彼女は目を閉じ、まるで瞑想するかのように静かに息を吐いた。

 

 

 脅され、命令に努める。

 まだ小さな少女は、そんな状況に"慣れている"ようだった。

 

 

 その姿に、景朗は気づかされた。

 

 やらなきゃ殺す。できなきゃ殺す。

 そう命令してくる"悪魔"どもがずっと憎らしかった。

 他人の自由意思を歪めるあいつらを、全霊を懸けて嫌っていたはずだった。

 

 自分には守るべきものがある。その為には、手段は選べない。

 だが、それでも、あいつらの様になるのは嫌だった。

 まあ、とっくにそんなことを言える状況ではないし、諦めてはいたのだが……。

 

 でも、気が付けば……。

 

 自分は幼い少女相手に、当たり前のように決死の命令を強制するようになっている。

 

 

(結局、この世の中は行動が全てだ。俺が心の中でどんなに嫌がっていても、誰も信じないってんだから。当然だけど、当然だけどさぁ……)

 

 

 

 畳にちょこんと座ったダーリヤは、むむむ、と目をつむり唸っている。

 

 その姿を見て、景朗は唇を噛んだ。

 

 決めなきゃいけないことをまだ決めていない。

 万が一、この子がスパイだったとして、その後どうする?

 

 洗いざらい吐くまで"やる"のか?

 かといって、ほかの奴に任せたら、もっと――。

 ――――俺がやるんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「できたわ! ほら、カンタンよ!」

 

 ダーリヤは立ち上がり、景朗の元へ壊れていないケータイを差し出した。

 景朗はそれを受け取って、新たに追加された"データ"に目を通した。

 

「そうみたいだな」

 

 あっさりとしたその反応を、ダーリヤは予測していたらしい。

 文句ひとつ口にせず、少女は黙って立ち尽くしている。

 次の要求を待っているのだ。

 真摯な視線が、景朗の顔面に向けられている。

 

 

 もちろん、そのつもりだとも。景朗はそんな風に、目で答えた。

 

 

 一度の実験で信用できはしない。

 まだまだ確認作業が続くことを、彼女も理解してくれている。

 

 

 手ごろなものがそれしかなかったのか、景朗はいつのまにか手にしていた教科書を、ばさりと力づくで半分に千切ってみせた。

 

 それはアームレスラーがデモンストレーションで分厚い少年誌を破くような、インパクトのある行為だった。

 ダーリヤの視線は景朗の手元に釘づけになっている。

 

 彼はそのまま、部屋に設置してあったコンロに近づいた。

 スイッチをカチリとひねると、勢いよく青い火がたぎる。

 

 真っ二つになった教科書の上半分がコンロへ突っ込まれ、火がついた。

 鍋を棚から取出し、燃え盛る紙束をゴトリとそこに放り込む。

 振り向いて、景朗はダーリヤに告げた。

 

「次はこの本だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燃えた教科書。景朗の胃液で半分ほど溶けた写真。割れて粉々になったCD。砕いて水に浸したSSD。

 それら全てに記録されていた情報を、少女は目の前で"取り出して"みせた。

 彼女が念じるだけで、損傷し、永久に失われたはずのデータ群は次々と蘇ったのだ。

 

 

 ダーリヤ・イリイーニチナ・モギーリナヤと名乗った少女は、自ら説明した通りの"能力"を景朗に証明してみせた。

 

 

 実際にまざまざと"復活"した情報を提示されては、景朗も信じなくてはならなかった。

 少なくとも、ダーリヤが"欠損記録"という特異な能力を所有しているのは、事実だ。

 

 それどころか、景朗は表情には決してあらわさなかったが、大いに驚いていた。

 学園都市においては、とりわけ"時空"に連なる能力は希少だとされている。

 代表的なのは"空間移動(テレポート)"、"読心能力(サイコメトリー)"あたりだろう。

 

 

 "予知能力(ファービジョン)"という、発現できれば一発で"超能力者"認定されるのではないかと噂されている伝説も、時間に関連する能力である。

 

 ダーリヤの"欠損記録"は"念写能力"ではあるが、時間を遡及する要素が含まれていそうだ。

 これだけの才能があれば、"警備員"の捜査補助員などに抜擢され、保護を受けつつ生活することも可能だったろう。

 

 よくよく考えれば暗部でもこれほど幼い人材は流石に珍しい。なぜ"暗部"に?

 ダーリヤの境遇に興味の芽が生え始めたところで、景朗は他人の心配をしている場合でないと、今一度振り返ったようだ。

 

 

「能力は信じよう。だから今後、命が惜しかったら二度と俺の秘密を勝手に探ろうとするなよ」

 

(そして俺も、"命が惜しかったら"相手がどんなチビであろうと油断するのはやめなくては……)

 

「大体、君もチャレンジャーだね。あんなことをしてバレたら普通ただじゃすまない。俺は未だに君が信用できないよ」

 

「だって"ウルフマン"のおたけびに似てたから、もしかしたらって思ったのよ」

 

「……君を脅したあの時の"アレ"か……」

 

 確かに、あの時のダーリヤは何かに気づいたような、怪訝そうな顔つきをしていたような。

 

「だからって"直感"と"あれだけの根拠(ユニットの業務連絡)"で、良く言い出せたもんだ」

 

 そもそもからして、ダーリヤの行動は極めて危険な行為だった。

 暗部の人間の秘密をこっそりと盗み出した挙句、自らその悪行をカミングアウトしたのだから。

 

「でもほら、わたしは無事よ。やっぱりあなたは"ウルフマン"なんでしょう?」

 

「俺は君の"能力"を信じただけだ。まだ疑ってるよ。報復しないのは、ただ単に君がまだ護衛対象だからさ。だいたいその自信はどこからきてるんだい? 俺がその"ウルフマン"だったとして、君のように怪しい奴を歓迎するとは思えないけどね?」

 

 この娘が本当にオペレーターさんだったとしても、残念ながら景朗にそれを喜ぶ心持ちは皆無だった。

 

 それどころかダーリヤには、火澄の事を知られてしまっている。

 どんな結末になろうと、最低でも彼女の記憶から"火澄の記録"を消し去ってから、送り返さねばならない。

 

 景朗のそっけない返答に、ダーリヤはそこで初めて唇を噛んだ。

 

「……それじゃあ、どうしてわたしが"ウルフマン"宛てに送ったメールが、あなたのケータイに詰まっていたの?」

 

「"ウルフマン"って奴が、とっくに死んでるからじゃないか?」

 

「……そう。じゃあ早く"デザイン"に確認してちょうだい? もういいでしょう? まだ質問する気?」

 

「そうだね。それができてれば一番手っ取り早かったな」

 

 

(……あれから一時間は経った。木原から連絡はまだ来てないが、進展くらいはあっただろう。あの野郎の事だからな。連絡サボってただけってことも……)

 

 

 

 

 油断なく、畳の上にへたり込んでいるダーリヤを見つめつつ、景朗は木原へ連絡を入れる。

 

 目尻がたるんと落ち込み、ひどく疲れたような顔つきだ。

 原因は恐らく、過度の疲労と寝不足によるものだろう。

 

 色々とダーリヤを質問攻めにして、確認作業を行っている途中からだった。

 少女は目つきがショボショボと落ち着かなくなりだした。

 

 無理もない。あの少女からすれば、昼間から大冒険を繰り返してきたような感覚のはずだ。

 目まぐるしく展開は変わり、男たちに襲われ、男に助けられ、かと思えば疑われて……。

 

 もとより、あまり睡眠を取っていなさそうだった。

 体力もそろそろ限界だろう。

 

 

「"ウルフマン"、お願いよ」

 

 幾ばくか元気のなくなった声だったが、少女ははっきりと景朗を見上げ、懇願した。

 

「確認が済んだら、もういっかいわたしのウシャンカを探してきてほしいの。もういっかい、おうちのところを探してきて……おねがい……」

 

(ウシャンカ? なんだそれは。……帽子のことか?)

 

 答えようとした次の瞬間、木原数多が通信に応じた。

 

「"ボス"。何か進展はありましたか?」

 

『無しだ。未だに"迎電部隊"のアホどもはマゴついてるらしい。だがまあ奴らにも機密ってもんがある。情報が欲しけりゃ向こうからの連絡を待て。じゃあ切るぞ』

 

「待ってくれ。このガキの情報は?」

 

『無えな。切るぞ』

 

「待てよ! ふざけるな! ――ちゃんと答えてくださいよ」

 

『だぁーからなんも音沙汰無えって言ってんだろうが。不満ならテメエで全部やれ。全部だ。いちいちオレに頼ってくるな。許可ならくれてやる。おら、これでいいだろーが?』

 

「俺に命令したのはあんただ。犯人の情報はともかく"デザイン"はどうしてこのガキの保護を依頼しといて、だんまりくれてやがるんだ? だいたいらしくねーじゃねえか? んな訳わからねーことにツッコミ入れんの大好きだったろ、あんたは?」

 

『あー。テメエ何か勘違いしてやがるなぁ――――そのガキを一応キープしとけっつったのは"スパークシグナル"の無能どもだ。で、そのガキが"デザイン"どうたらこうたらと一方的に言って来やがったのも"スパークシグナル"だ。

つか同僚だのどーこういう話はどうなった?

テメエが知らねえならオレにわかるわきゃねえだろ。

"デザイン"は最初っから何も言ってきてやがらねえ。

こっちからどういうこったと問い詰めようがしらばっくれてやがる。つか、そもそも興味ねえのかもな』

 

「っ! "デザイン"側は無反応だったのか? 今まで一貫してずっと?! 先に言えよクソ野郎!」

 

『かっかっか。喜んでガキを連れてったのはどこのどいつだぁ? 何も聞いてこなかったマヌケがいっちょまえに説教たぁ、あぁー、やってらんねえよ。どいつもこいつも笑わせるぜ。だからオレは言っただろぉが、テメエに一任するってよ。メンド臭そうだからなあ!』

 

「他人事のように……っ!」

 

『キャーキャーうるせえぞ少女趣味。何かあったらスパークシグナルに責任おっかぶせりゃあいいだろ。あ。それかオマエが取るってのはどうよ?』

 

 プツリ、とそこで通信は断ち切られた。

 

「あいつ……いい加減……殺し……ッ!」

 

 それ以上食いついても無駄だと察した景朗は、木原との会話をそこで諦めた。

 

 その時。理不尽な扱いに耐える景朗の耳に、すう、すう、と小さな寝息が入り込んだ。

 とても穏やかな音だった。

 

 いつの間にか無言となった保護対象は、今では壁に寄りかかっていた。

 限界が来たのか、ダーリヤはヨダレを垂らして眠り込んでいる。

 

 

("スパークシグナル"が"デザイン"の情報分析官だと言っただけ? "デザイン"は徹底して無関与? ……それじゃあヘタしたら、このガキが"デザイン"所属だったかどうかも確証が無いじゃないか!)

 

 ダーリヤの発言に、嘘はなかった。それは景朗が手ずから確かめたので間違いはない。

 しかし、彼の嘘発見能力にも限界はある。

 

 弱点があるのだ。それは、"予め洗脳を受けてきた人間の嘘は見抜けない"ことだ。

 

 

 当人が、"偽りの記憶"を洗脳により本気で"真実"だと思い込んでいた場合。

 それがその人間にとって"偽りのない真実"と成り代わっていた場合。

 

 彼らは自覚がまったくないので、"嘘つく瞬間の歪な反応"が肉体に現れないのだ。

 

 

 

("メンド臭い"どころの話じゃない! キナ臭え! ……クソッ! "デザイン"が一つも連絡をよこさないのは……このガキが端から"デザイン"所属じゃなかったからだってのか?)

 

 

 

 "欠損記録"によって移された、ダーリヤの連絡先を開く。

 "デザイン"への連絡先だ、と少女が答えた宛先。

 そこにはとうに確認を取っている。ただし。

 木原の言葉を証明するかのように、どこからも無反応だ。

 

 

(とにかく、ダメ元でも早急に"迎電部隊"に事実確認を取らないと)

 

 "迎電部隊"は検閲を行う部隊だ。口は相当に硬い。

 木原数多に伝達した内容以上のことを、景朗にも教えてくれるとは思えない。

 

 "猟犬部隊"の隊員として、景朗は今一度"迎電部隊"に情報提供の催促を送る。

 

「さて、どうする……?」

 

 用を終えたケータイをポケットにしまって。

 得体の知れなくなった少女を前にして、超能力者は考え込んだ。

 

 

 明日から新学期だというのに、下手をしたら雨月景朗は破滅する。

 今できることを、余さずやるしかない。

 

 

「……そうだ。"オペレーターさん"だ。少なくともこの子は"彼女"と関わりがある」

 

 もはやおぼろげな記憶であるが、ダーリヤは景朗が"オペレーターさん"と交わした雑談まで知っていた。

 本当に本当に"彼女"なのかもしれないし、"彼女"に非常に近い場所に居た人間である可能性も、また高いのではないか。

 

 それなら"奴"とも少なからず関わっている。

 景朗とて、彼には少なくない恩を売ってきたつもりだ。

 

 「組織がダメなら"個人的"に教えてくれよ、"プライム"(プラチナバーグ)さんよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数時間前。太陽が一番空高く上る頃合いへと、わずかに時間はさかのぼる。

 

 

 

 

 

 黒髪をざっくばらんに切りそろえた"少年"はスコープを覗いて、第七学区、"蜂の巣"の様子を眺めていた。

 

 

 自信満々に自らを"最精鋭"だと名乗っていた傭兵たちが、ハリウッド映画の悪役のように吹き飛んでいく。

 負け方までそちらさんの流儀でやってくれるとは、義理堅い人たちだ。

 ご苦労さん、と"少年"は精一杯の侮蔑を込めて呟いた。

 

「"アメリカ"。あれで"アメリカ"か。はは、あんな様じゃロシアの方がまだマシだったんじゃないか?」

 

『姐さんの決定に文句付けんなよ』

 

 耳にぴったりと添えられたイヤフォンが震えて、別地点で観測している相棒の返事を"少年"へと届けた。

 耳の軟骨を直接振動させるこの学園都市製のイヤフォンは、常軌を逸した静音性能を誇る。

 

 相棒の返答を合図に、"少年"は磁力投射式の長距離ライフルを慣れた手つきで構えなおした。

 

 そしてひたすらに、馬鹿力で豪快に人間を吹き飛ばしている、謎の乱入者の観察に意識を戻す。

 

 長身の男だった。肉食獣のような、鋭い動き。"少年"がそれまで観察して来た"人間の運動"の中でも最上位に位置する、惚れ惚れとするしなやかさだった。

 

 ハリウッド映画に例えたが、実際に映画の撮影なのではないか、と思い込んでしまうほどに、突然の乱入者は見事な演武を披露してくれている。

 

 直に、動ける者は誰一人いなくなるだろう。

 スコープの中心には、恐らくターゲットであろう異様に白い少女が隙を晒して縮こまっているというのに。このままでは手が出せない。

 

 次々と大した抵抗もできずに意識を失っていく"一応の味方たち"へ向けて、どうしてもむかっ腹がたって抑えられなかったのか。気がつけば彼は、またひとつ愚痴をこぼしていた。

 

衝槍弾頭(ショックランサー)(こんなもの)で俺らにあてつけといてあのザマだぞ?」

 

 長距離射程のライフルを用意しておけと託けておいたにも関わらず、あのアメリカ人たちが用意した弾薬は、精密狙撃不可能の"衝槍弾頭"だけだった。

 "少年"たちに出番はないと、彼らは鼻で笑っていたことだろう。

 にも関わらず、全員がたった1人の乱入者に制圧されてしまった。

 

 早くも計画は路頭に迷い始めている。

 押し寄せてくる徒労感に、少年はどっと息をついた。

 

 しかしまあ、それでも心地よくなかったか、と問われれば嘘になる。

 他所からやってきた"大人"が、この"街"の厳しい現実を知って膝を折る。

 その無様な姿は、見ているだけでどことなく胸がすうっと晴れた。

 

 身に染みて分かっただろう。俺たち"能力者"は、あんたたちとは根本的に違うんだ、と。

 

『認めるよ。オレらの事舐め腐るわ、あげく何もせずにノされるわ。まったくアテにならなかったな。オマエが正しかった、認める。だからもう機嫌治せよ』

 

「悪い。集中する」

 

『やるのか?』

 

「ダメ元で撃つ。準備頼むぞ」

 

 

 "少年"は、射撃の腕には少しばかり自信があった。なにせ、丸一日つかって"練習"したのだ。

 距離は1km近くある。その上、使用する弾薬は長距離射撃だと弾道がめちゃくちゃになる"衝槍弾頭"だが――――問題ない。自分になら当てられる。

 

 

 狙いはもちろん、あの男だ。

 うまくいけば、今日ここで決められる。

 

 

 才波徹兵(さいばてっぺい)は目を見張る集中力を見せ、ものの数秒で引き金を引いた。

 

 

 

 結果として。引き金を引いた瞬間、徹兵は弾道が狂うことを"経験的"に悟った。

 練習に使った銃とは違う反動が、それを教えてくれていた。

 

 

 まずい。"ターゲット"ではなく、"目標"に当たってしまうかもしれない。

 食い入るように見つめる最中。

 あの男はまたもや、惹きこまれるような美しい反応を、徹兵の目の前で繰り出した――――。

 

 

 その神懸った反応に、徹兵はゾッとした。

 

 思えば、自分は無意識のうちに"ダメ元で撃つ"と口にしていた。

 気付きたくなかっただけだ。

 頭の奥の冷静な部分は正直に、当たらないと判断していたではないか。

 

 撃つべきではなかった。徹兵は思わず歯噛みした。

 その後の行動は迅速だった。もうミスは犯せない。

 

 ライフルの引き金を引いた時とは比べ物にならないほど、彼は全神経を集中させて、その場から撤退した。

 己の"能力"の全てを引き出して、全身全霊で、ただただ逃げた。

 

 

 

 

 

 

 

 "少女"は、仲間が待機しているはずのマンションの一室に恐る恐る足を踏み入れた。

 

 ドアノブが鳴る金属音を聞き取ったのか、部屋に顔を出すと真っ先に、両手両足を無骨なグローブとブーツで揃えた"少年"と目があった。

 

 メタルブラックの光沢が美しいグローブが、真っ直ぐに少女へと――牡丹要(ぼたんかなめ)へと――向けられていた。

 

「わたしだッて宗吾ッ。もってきたのっ」

 

 少女は小声で出せる精一杯の叫び声をあげて、警戒する仲間へと抗議のジェスチャーを繰り返した。

 

「もってきたのっ!」

 

 ぐいぐい、と握りこぶしに親指を立てるGOODサインを返し、"少年"こと七分咲宗吾(しちぶさきそうご)も笑顔を見せた。

 

『徹兵(てっぺい)、あの子の"帽子"を取ったよっ。"ロシア帽"ってやつ? これでイケると思うっ』

 

 要は両腕で、黒い毛皮でできた耳たぶの付いた帽子を大事そうに抱えている。

 それは先ほどの火災現場にて、標的の白い少女が確かに落とした所持品だった。

 

『お手柄だ。……おい待て。マーカー(発信機)とか入ってないよな? 一応調べたよな?』

 

「やばい。まだやってない」

『OK. 今すぐやるんだ』

「マジかよ。いいニュースだと思ったのによおッ」

 

 宗吾と呼ばれた少年こと、七分咲宗吾(しちぶさきそうご)は徹兵の指摘に慌てふためくと、いそいそと手に握っていた猫のぬいぐるみをバッグへとかたずけ始めた。

 

 非常に精巧な猫のぬいぐるみは、生きている本物と見分けがつかないほど、そっくりに作られていた。

 

 猫の両眼にはカメラレンズが取り付けられていて、バッテリーも内臓されている。

 言ってしまえば、猫型の監視カメラである。

 

 味方のアメリカ人傭兵たちを襲った謎の襲撃者の姿は、この猫の両眼がきっちり撮っていてくれている。

 

 

 一方で、白い少女が所持していたと思われる"ロシア帽"を手に取った牡丹要は、ショートカットの髪の毛を盛大に揺らして、その帽子をフリスビーの様に思いっきり投げ放った。

 室内であるから、当然のように、近くの壁に目がけてだ。

 

 間もなく、帽子は壁に激突する――――かに思えた、その時。

 

 帽子はそのシルエットごと、まるごと空中で掻き消えた。

 パッと、手品のように消滅した。その途端だった。

 

 "ロシア帽"は、少女の手元に再び手品のように唐突に現れた。

 

 学園都市に住む者ならば、一目でその現象の正体に思い当たることだろう。

 メジャーである割に、使用者が少ない能力。

 "移動系能力(テレポート)"だ。

 

 牡丹要は、"移動系能力"の中でも、"取り寄せ(アポート)"専門の能力者である。

 Lv3の能力、"引出移動(ドローポイント)"の使い手だ。

 

 非常に分かり易い能力名だ。離れたところにある物体を、手元に引き寄せるようにテレポートさせる。

 日常生活でも非常に便利で、使い勝手が良い能力だ。――――ゲームセンターで、一切のクレーンゲームができないことを除けば、だが。

 

 

 要(かなめ)が引き寄せたロシア帽は、綺麗にすっぽりと彼女の手元に収まった。

 慣性も、綺麗にすっぱりと失われている。

 だが。ロシア帽の中に巧妙に縫い付けられていた"電子部品"は、そうもいかなかったようだ。

 

 要は帽子を投げる前に、しっかりとその毛皮の感触を確かめていた。

 帽子だけを、正確にアポートさせるためにだ。

 

 投げた拍子に勢いが付いたロシア帽は、その中に隠されていた発信機のみを虚空(空中)にのこして、要の手元へ帰ってきた。

 

 帽子から放り出された数点の発信機は、至極当然、勢いよく投げ出され――――いそいそと片づけに専念していた宗吾少年の背中へパラパラとぶつかった。

 

「あ」

 

「んあ? おい、要、なんだ? んん?」

 

「ごめん宗吾、それ、発信機、たぶん発信機」

 

「はあっ? ちょ、おま、これ――――何個あった?」

 

 薄暗い部屋の中で、足元に散らばった発信機と思しき電子部品の、その正確な数は宗吾にはわからない。

 さりとて、要にも数を数えられる余裕はなく。

 

「ごめん、わかんない。壊して、全部壊してっ。宗吾詳しいでしょっ」

 

「おい、オマエ、おまえなあっ」

 

 宗吾は逃げ惑うゴキブリを踏みつぶすように、どかどかとブーツで足踏みを繰り返す。

 

「しーっ、うるさいよっ」

 

「オマエがやったんだオマエがっ」

 

『どうした? 何かあったのか?』

 

「"アレ"を床にバラ撒いちまった。徹兵、とにかくこっから早くでないとまずい」

 

『わかった。落ち着け。どの道そこは危険なんだ。構うな』

 

「なんだこれは? ……これ"外"の奴だ、初めて見るな。……本当に動いてんのかこれ? にしてもほんっとセンス無えなあ"外"は、不細工なヤツ使ってんぜ」

 

「ねえ、この帽子で大丈夫だよね?」

『選択肢はない。そいつで"獏"にやってもらうしかない』

 

 猫のぬいぐるみから撮影データの入ったチップを取り出し、少年は準備を終えた。

 

「よし。すぐ出よう」

 

『おい、あの男の動画は送ったか?』

 

「いやそれが姐さんは文字だけで情報のやり取りをしろってさ。やっぱ検閲が危険なんだって」

 

「ただのバンテージ野郎じゃないの?」

 

『違うな。あいつ命中する前に気づきやがったんだ。やばいぞ』

 

 ショックランサーの弾速は空気抵抗で遅くなる。とはいえ、仮にもライフル弾の、不意をついた初撃に"あんな反応"ができるとは、並大抵の"能力者"ではない。

 

『絶対まともなヤツじゃない。"裏"の能力者だ。大能力者。嫌な予感がするから今すぐ帰ってこい。ああいや、お前はそのまま"獏"を迎えに行ってくれ』

 

「わかってんよ。なあ、帽子を持ってけばいいのか?」

 

『その帽子だけが今のところ唯一の手がかりなんだぞ? 俺らが預かっとく。お前は俺たちのために陽動を頼む。それでとにかく無事にあいつを連れてこい』

 

「私は?」

 

『帽子を頼む。"お前"が本命だ、頼むぜ。サポートはお前だ、いいか、"獏"には合流地点だけ教えればいい。お前は絶対に捕まるな、でも少しだけ目を引いてくれ。お前1人なら撒けるだろ?」

「大丈夫?」

「大丈夫だって」

 

『あのバカどものバカさ加減だと、俺らの事までバレちまうと思う。……糞ッ。だからいいな? あいつに合流地点を教えたら速攻で潜れよ? あと、危ないかもだがあいつのところから出るときも陽動役をやってほしい』

 

「おう。オッケー。……まあ、それはいいんだけど、とりま、金くれよ?」

 

 金をくれ、との発言に、ジロリ、と要は宗吾を睨んだ。

 

『仕方ない。渡してやってくれ。とにかくもう急げ』

 

 唇を尖らせて、少女はしぶしぶと革の財布をどこからともなく取り出(アポート)した。

 にやけた少年は、嬉しそうにそれを受け取って、ポケットに押し込む。

 『能力禁止』と小声で少女を煽りながら。

 

「やっぱこういう時はキャッシュかー」

 

『たぶんもう少し時間がかかる。しばらく逃げ切れ』

 

「お前こそしくんなよ?」

 

『わかってる。というか急げ、早くしろ』

 

「宗吾、あんま獏野(ばくや)をいじめないでよね?」

 

「いや無理だろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しっかし……しょんべん臭えなあ……このまま持ってかなきゃならないとは……」

 

 地面は日差しに焼かれ、容赦なく大気を温めている。

 その夏の暑さによって、蒸れに蒸れた少女の粗相の匂いに、景朗の嗅覚は苦しめられていた。

 

 

 景朗が木原数多に呼び出しを食らったのは、午前中の涼しい時間帯である。

 あれから色々とあった気がするが、まだ数時間ほどしか経っていない。

 まさに今時が、気温が最も高くなる頃合いだった。

 

 

 景朗はダーリヤを背負い、馴染みの"洗浄屋"を目指している。

 

 進んでいるのは、第十学区で一番賑わっているはずの通りだった。

 だが、雑踏と呼べるほど通行人の姿はない。

 ダラけたがりの不良の街だ。この暑さに真面目に向き合う奴が少ないんだ。

 "悪魔憑き"にとって、暑さ自体は全く気にならない。しかし。

 嗅覚や聴覚は、そうもいかない。敵対者の行動を察知する重要なファクターだ。

 鋭敏にしておくに越したことはない。

 となると。街中の悪臭や雑音が、研ぎ澄ませた分だけ跳ね返ってくる。

 

 様々な事情が絡み合い、今の景朗は常時臨戦態勢を心がけている。

 五感の鋭さを最大限に上げている、今の状況では……。

 

「このチビ、お菓子ばっかり食ってやがるな。成長期に真っ向からケンカ売ってるなー、これは」

 

 文句の一つも飛び出ようものだ。

 少女を連れ出す前に風呂に突っ込もうかと、彼も迷ったのだ。

 されど、彼女のゴタゴタとしたリュックサックを探っても着替が入っていなかった。

 

 

 あいにくと洗濯機や乾燥機といったものは、セーフハウスに設置していなかった。

 近くにコインランドリーがあるにはあったが、やっぱり時間が惜しかった。

 

 

 最終的に、景朗は『"ニオイ"が強くて分かり易い』と前向きに捉えることにしたのだが。

 少女を背負ってセーフハウスを出て、そして。

 早くも後悔にかられている、といった塩梅なのだった。

 

 

 

 

(うだうだ言ってねーで、さっさと行こう。

プラチナバーグの所へ行く前に、この子の頭の中から"俺たちの秘密"を削除しとかないと……)

 

 ダーリヤを連れてプラチナバーグの所へ押しかける前に、"火澄"の記憶を削除しておかねばならない。

 

 景朗の祈りが最大限に叶った場合――――すなはち、ダーリヤが"デザイン"所属の"オペレーターさん"だった場合だ――――その場で彼女を突っ返すことになる。

 

 

 願わくば、この子が"デザイン"所属でありますように、と景朗は祈るような気持ちだった。

 そうでなければ、この娘は恐らく、得体の知れない組織からの回し者だ。

 

 

 

 

 

 

 決して疲れを知ることのない景朗は、少女1人を背負ったままでも、淀みなく歩き続けた。

 

 その甲斐あってか、あっという間に目的地へたどり着いた。

 

 "みりん"さんの経営する記憶洗浄屋の、その玄関の前で、景朗は立ち止まった。

 

 

 そして――――異変に感づいた。

 

 立ち止まったのは、危機を察知したからだった。

 

 

 異変。それは異変というより、異臭だった。

 食べ物が腐ったような臭い。まるで、掃除をしていない廃屋のようなニオイだ。

 

(ここはオカシイ)

 

 中には、2人の人間が住んでいたはずだ。

 幾度も立ち寄ったことがある場所だが、きちんと手入れがされていた。

 当然だ。住人たちにとっては、自らの拠点に異変が無いか探すことが、命を守る術そのものだったのだから。

 

 

 十分に警戒して、景朗は住人へ来訪を呼びかける。

 学園都市の最新技術で造られた防音の建物だ。音だけで中の様子を調べることは難しかった。

 だが、鼻孔をくすぐる火薬と肉の腐った臭い。それが代わりに教えてくれる。

 店の見栄えはほとんど変わっていないが、景朗にはわかる。

 前回の訪問から時間が空いているが、わずか1, 2か月の間に随分と陰気な雰囲気を放つようになったものだ。

 

 

『フェニックス? 本物?』

 

 機械音の女性の声による出迎えだ。ここまでは、普段と同じだった。

 

「そちらが信じてくれるなら、ですけど」

 

 銀行の金庫室のような、分厚く頑丈な金属の塊のようなドアのスリットが、ガラリと開いた。

 

「いまさら何しに来たの?」

 

 そこから飛び出したのは、見知った女性の肉声だ。

 ぷーん、と沸き立つアルコールの香りと、人間の脂肪と垢と汗と、血の臭い。濃厚な女の臭い。

 

(こいつも風呂に入ってねえのかよ)

 

 厄介なのは、ドア越しに伝わってくるアルコールの臭いだ。

 アルコールの香りそのものは、景朗も大好きな香りの類であるのだが、どうしてだろう?

 この香りはいっぺん他人の口に入って出てくると、途端に不快に感じるようになる。

 

 気になるのは臭いだけではなかった。

 カチャカチャと小さな金属音が聴こえてくる。

 恐らく、内側から銃口が向けられている。

 

 "みりん"さんの対応で、景朗の予想は確かなものになった。

 

「"廃業"ですか?」

 

「廃業よ。お仕事したくてもできなくなっちゃったから」

 

 やはり、"きなこ"君は攫われたのか。いずれにせよ、いつか訪れる未来だった。

 

「最近、じゃなさそうですね。だいぶ時間が経ってますね、ひと月くらいですか?」

 

 ギリギリと、銃を握りしめる握力の軋みが聴こえてくる。相手の反応はそれだけで、返事は返ってこない。

 

「ひと月もここで何してるんですか?」

 

 ぱぁん、と弾丸が飛び出して、景朗のシャツの胸ポケットに風穴をあけた。

 

「あなたまで巻き添えを喰らわなかったのは、たぶん俺のおかげですよ」

 

 もう一発弾丸が飛んできそうだった。景朗はその前に、目にも止まらぬ早さで腕を伸ばして、スリットに突っ込んだ。

 

「あうあっ」

 

 女性の悲鳴。景朗がドアの隙間から引っこ抜いた手の中には、冷たい感触があった。

 学園都市製の優美な造形の、一丁のマシンピストルが握られていた。

 今となっては、本来の役目に使われることのなかったガラクタだった。

 

「逆恨みはやめてください。最初からわかってたことでしょう?

空から降ってくる雨粒をひとつひとつ避けるには、大きな傘か、誰も気にもとめないような小さな肉体が必要なんですよ」

 

「……助けてください……」

 

 唐突な、涙ながらの懇願だった。来ると予想していた景朗だったが、それでもわりと衝撃があった。

 

「心配しなくとも今まで無事だった以上、あなたのことは誰も気に止めていなかったみたいです。

これを機会に、ほかの学区に引越ししたらどうですか?

羨ましいですよ、全部忘れて普通に暮らしていけるなんて。

……さて。それじゃ俺も忙しいんで。もう会うこともないですね。さようなら」

 

 "色々なもの"を無視して、立ち去った。

 置き去りにした彼女の事が気になって、景朗の耳は遠く離れるまで、ぴくぴくと動いていた。

 しかし、今度は予想を裏切って、その店はずっと無音だった。

 泣きわめくとか、怒るとか、物に当たるとか、後を追って来るとか。

 色々なことを予想したがそれらを一切裏切って、とうとう、あの店の中はずっと無音だった。

 いつまでも、静寂そのものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 当てが外れてしまった。

 記憶操作をやってくれる"業者さん"で、あそこ以上に信頼できる店はなかったのに。

 頭の中にインプットされれている残りの候補は、イマイチ信用できない連中だけだ。

 

 

 これからどうしようか。腕のいい洗浄屋をまた見つけなくてはいけなくなった。

 

 経歴としては、雨月景朗は暗部に数年ほど漬かってきた。

 だが、最暗部に身を置いてから計算をすると、まだ1年ほどしか経っていない。

 こんな業界だ。暗部の戦闘部隊はしょっちゅう潰れるものだし、身に染みてそれは経験してきていることでもある。

 ところが、ああやって鉄火場を避けて細々と生き延びていた人たちが消えていく様を見るのは、初めての経験だった。

 

 

 いつも消す側だからわからなかった。

 何時も便利に使っていた人たちに急にいなくなられると。

 なんというか、不便だ。

 

 

 景朗は考え事を振り切るように、勢いよく歩き出した。

 けれど、目的地は決まっていない。

 

 

 これからどこへ行く?

 先に自分の状況をどうにかしなくてはならない。

 

 そう頭で理解しているつもりでも、思いのほか飲み込むことはできていなかったようだ。

 あの2人のことが、なかなか頭から離れなかった。

 

 あの人たちが敵に回していたのは、"不老不死"の馴染みの店を襲っても平気な連中だった。

 ただそれだけのことだ。

 

 かといって、景朗があれ以上彼女たちに肩入れしていたら、自分まで争いに巻き込まれていた。

 無理だ。統括理事会に関わる闇に、もうこれ以上は景朗とて関わりたくはない。関われない。

 

「もうあそこに行けないのか……弱ったな」

 

 それでも……と、IFの出来事を考えてしまった。もう何もかも手遅れで、全部遅い。でも。

 後先考えなければ、自分には何かしらの"行動"ができたはずなのだ。

 その辺を歩いている無力な"無能力者"たちとは違って。

 

 

 

「……って、おいおい、ンなこと考えてても仕方ない。今考えなきゃいけないことを考えろ。このガキが何者なのかマジでとっとと調べないと」

 

 普通の人間の躰ではないもので、頭は冷静さを維持してくれている。

 だがそれでも、やはり景朗は焦っていた。

 背中には、自分が"オペレーターさん"だと信じきっているチビッ娘がいる。

 もし、この子が"オペレーターさん"ではなかったら?

 その場合、自分は一体どこのだれの策略に巻き込まれている?

 

 

 

 心理系、心理系と脳味噌を探り、ふと、景朗は閃き行き着いた。

 

「"精神掌握"……。背に腹は代えられない。食蜂に頼むか?」

 

 

 食蜂祈操。彼女と初めて会話を交わしたのは、六月の終わりかけの大事件の最中だった。

 思い起こせば、あの日は色々なことがあった。

 

 朝っぱらから"妹達"の一件で暗部のはぐれ者たちを殺し。

 土御門にバイオテロ事件に巻き込まれ、食蜂祈操に度肝を抜かれ。

 中学生を数人死なせて、大勢のお嬢様を救った。

 直後に一般人を襲い、上条当麻にしこたま殴られ……最後の最後に、手纏ちゃんに。

 

 食蜂祈操。彼女は景朗の秘密をまるごと握っている。

 聖マリア園。仄暗火澄。手纏深咲。

 弱みのほぼ全てを握られた"悪魔憑き"は、"精神掌握"に手も足も出ない。

 

 アレイスター、幻生、垣根提督。彼らに続き、またしても己を縛る手綱が現れたのか、と景朗は決死の覚悟で彼女の元へと赴いた。が、その時の会話は、密約は、今考えても景朗にはさっぱり理解できない。

 

 食蜂は、景朗と敵対するつもりは一切無いようだった。

 木原幻生。彼の情報をリークすることを条件に、食蜂は自ら、景朗に一切干渉しないことを誓ったのだ。

 

 

 到底信じられない確約で、現に景朗はいつ裏切られるかと日々警戒しているものの、幸い今日この日までは、彼女の言う通り。

 食蜂祈操の能力の影響、その影の一片すら、景朗の目に入ってはいない。

 

『アナタに本気で寝首を取りに来られたら、制圧力の無い私にはお手上げだもの☆』

 

 放たれた冗談交じりのその一言は、案外、彼女の本音を語っていたのかもしれない。

 

 

 さて、その食蜂祈操についてであるが。

 彼女は暗部駆け出し以前から、景朗の行動を観測していたのであるからして。

 つまり、考えるだけで居心地が悪くなる思いだが、景朗の秘密のほぼ全てを知っている、といっても過言ではない人物である。

 

 故に。

 食蜂が相手であるならば、火澄との関係をこれ以上知られても、もはや何も問題はあるまい。

 ダーリヤの正体も、一発で判明する事だろう――――食蜂が正直に教えてくれれば、だが。

 

 とっさに思いついた代案だったが、思いのほか良案であるようだ。

 

「あいつに頼むのがベストだな、畜生」

 

 

 

 

 ダーリヤを背負ったまま、景朗は器用にポケットからケータイを取り出した。

 食蜂へと連絡が繋がる、憐れな操り人形の少女へと、連絡を入れようとして――――。

 

 

 PRRRRRRR. と着信があった。見知らぬ番号からだった。

 

 

 今更だが、景朗のケータイは"猟犬部隊"から支給された特別製だ。

 それはつまり、最先端の科学技術を有する学園都市のコミュニケーションツールの中でも、最もセキュリティに秀でた逸品であるということを意味している。

 

 

 その画面に、非通知の番号が映っている。

 かつてない出来事だった。

 

 アレイスターは、何時も誰かの回線を乗っ取って、誰かの振りをして連絡を押し付けてくる。

 

 一体誰だ?

 

 

 

 景朗からすれば、運命とは常に、向こう側から勝手にやってくるものだった。

 その原則は、昔からずっと変わっていない。今日という日も、また"そう"だった。

 

 着信に対応する。出迎えたのは、一人の中年男性だった。

 その人物と会話を交えたことは一度もない。

 されど、嫌というほど聞き覚えのある声でもあった。

 

 

『やあ、初めまして……というのも今更な話だな。どうかな? もしや、私をお探しではなかったかな?』

 

「……なるほど。こうして会話するのは初めてですね、"プライム"さん。ええ、是非ともあなたにお聞きしたいことがあったんです」

 

『君からの頼みとあっては無下にはできないさ。少々手違いがあって"連絡"が遅くなってしまった。すまないね』

 

「お時間を下さるんですか?」

 

『すぐに迎えを寄越そう』

 

 

 

 

 

 

 

 




今回の投稿では、あまりストーリーが進みませんでした。
その割には文章が長々とつづいて、正直言うと、面白くない、かも、しれません……

次の更新も、急いでご用意いたします。
もはや説得力が無いのですけれども(汗)

新ヒロイン登場させたから、すぐ更新するよー → 四か月停滞 の流れなので……

一応、まったくお話を書いていない、というわけではないです。
この四か月間で、部分的に、それこそ1シーンごとちぎれ千切れに書いてきました。
シーンとシーンを繋げることができれば、ぱぱっとご用意できそうなのです。次の話とその次くらいまでは。
とりあえず、ダーシャの事件が落ち着くまで、全速力で書きたいと思っていま……す!
リアルが、落ち着いてきてますので……次の木曜日!あたりに更新します。
ストーリーいっぱい進めようと思ってます、次の話は!


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episode31:分割移動(バイロケート)

 

 

 

("むかえ"?)

 

 プラチナバーグは『すぐに迎えを寄越す』と口にしたが『すぐに』とはどのくらいを差している?

 

 今の今までじれったく景朗への返信を差し止め、あげく今になって特製の通信機にわざわざ"非通知"で連絡を図って来た相手だ。

 

 もしや、既に自分の位置を捕捉しているのかもしれない。

 すぐさま周囲の様子を確かめたくなった景朗は、炎天下に揺らめくアスファルトを一望しようと顔をあげた。

 その直感はどうやら正しかった。

 

 時を同じくして、遠くに見える交差点の角から、クラシカルな大型車が3台ずらりと姿を現したのだ。

 

(そうか、あれか)

 

 

 己の第六感というやつはなかなか頼りになるものだ、と景朗は鼻で笑った。

 

「見事な手際です」

 

 最後の一手間とばかりに、電話相手へ形ばかりの称賛をおくると。

 

『続きは車内で話そう』

 

 期待した通りに、通信は終わった。

 

 第十学区(はきだめ)には不似合いな、胴長で黒塗りの高級車は、真っ直ぐに自分の方へ向かってくる。

 近づいてくる排気音を聴きながら、今一度、ずれ落ちそうになっていたダーリヤをしっかりと背負い直して……背中越しに少女の存在をしっかりと確認したからか。

 

「ふぅ……」

 

 くちびるから、安堵のため息がこぼれ落ちた。

 

 このタイミングでプラチナバーグからの接触があったということは、背中の子供はやはり"彼ら"と関わりがありそうだ。そう思いなおすと、焦燥感が無くなっていく。

 

(ヤツの方からお声がかかって来たってことは、ガキんちょはやっぱり"デザイン"所属だったっぽいな。どうやら一安心できそう……かな?)

 

 ダーリヤがプラチナバーグと全くの無関係ならば、こうも早く相手から接触してくる理由は無い。

 しかし当然だが、この展開にはそれはそれで不審な点がいくつもあって、やはり景朗をしばし考えさせた。

 

 なぜ"デザイン"や"ハウンドドッグ"を介さず、あの男はコソコソと自分に直接コンタクトを取って来たのか?

 もちろん、景朗とて"そう"なるように頼むつもりだった。が、まだ、だ。まだ頼んではいない。

 その事前対策として、少女の記憶を工作しようと画策していたところなのだから。

 

 違和感を感じる点は、まだたくさんある。

 

 "ハウンドドッグ"への状況報告が咄嗟にできなかった。先程の電話ではそう説明していたが、その割にプラチナバーグが景朗にアプローチを仕掛けてきたこのタイミングは、妙に早い。

 迅速な対応である。これもまた不思議なのだ。

 

 とっさに報告ができなかった。そう言うからには、"デザイン"本陣の方にも襲撃が発生していて、手が回らなかったりしたのだろうか? 

 しかし先程の話し相手の口ぶりは、余裕たっぷりだった"電話相手"のあの落ち着き様は、とても混乱があった直後には思えない。

 なんとなく疑わしい。景朗はそんな気がしてならない。

 

 

 不審な対応、解けない謎、流されるままの不愉快な状況。

 しかしどちらにせよ、その悩みは直に解決しそうだ。

 

(まあいい。さあ、しっかりと話をつけてやろう)

 

 事態は動く。少なくとも、これ以上は待たされることはないのだ。

 数分と経たず相手はやってくる。

 

 プラチナバーグとカタをつけようと息巻いて、まんじりともせず景朗は車の到着を待った。

 

 それはさながら。緊張と緊張の合間、隙間を突くような気の緩む時間帯だ。

 故にか。肩の力を抜き、リラックスしたその瞬間に。

 ――――ある種の閃きが唐突に、彼を襲った。

 

 

 "デザイン"はダーリヤが襲撃されていた状況を把握しつつも、わざと今まで連絡をしてこなかた、としたら?

 

(まぁ、だとしたら"デザイン"はどうしてそんなことしなきゃならないんだよって話になるか。このガキんちょにどんだけ価値が無くったって、"普通"は救援くらい――ああ、そっか)

 

 

 後味の悪さ故に、考え続けていた謎。

 その答えに、彼が自分なりの解釈を添えることができたのは――ようやく答えにひとつ思い至ったのは――迎えの車が近づくまでギリギリに迫った、その寸前のことだった。

 

("わざ"とでもいいんだ。ガキへの襲撃は"わざ"と見逃された。別に、それでも良かったんだとしたら……)

 

 この子供が真に大事なら、猟犬部隊(ケルベロス)が動き出す以前に、とうに"デザイン"も何らかの対処に打って出ていたはずだ。

 ところが実際は、"デザイン"は動じることなく、ただ静観しつづけただけである。

 

(馬鹿だな、何で気づかなかったんだ。ガキは捨て石かなにかだっただけじゃん。"ヘマ"をやらかしたせいでそっちに気を取られてて……)

 

 この子供が真に大事なら、猟犬部隊(ケルベロス)が動き出す以前に、とうに"デザイン"も何らかの対処を打ったはずだ。

 ところが実際は"デザイン"は動じることなく、ただ静観しつづけただけである。

 

 

(もしかしてデザインがスパークシグナルと組んでやってた『おとり捜査』か何かか?)

 

 ダーリヤは、彼女を襲った襲撃犯をいぶり出す餌として捧げられたのか?

 景朗はその可能性を吟味したが――――強烈な違和感に、その考えを即座に棄てた。

 

(……いいや、そんなんじゃない。もしそうだったとしたら、"やり方"がスマートじゃなさすぎる。腐っても暗部だ。だとしたらこんな"不細工な状況"になるわけない)

 

 

 仮に"デザイン"にとってあの少女が限りなく価値の低い人財であったとしても、あれほど静観を決め込む理由になるとは思えない。

 となれば。

 今の今まで動かなかった"デザイン"の、異質でデタラメな対応の、その原因は。

 

 

(やっぱり、この子は奴らに"襲われる予定"だったんだろうな)

 

 

 木原数多は、何気なく口にしていたではないか。

 "デザイン"はダーリヤに『興味がない』のかもしれない、と。

 

 少女を疑うばかりで、景朗は愚かにも思いつかなかった。

 最初から"デザイン"がダーリヤを見限っていた――――救援する気が無かった可能性を。

 

 木原数多は常日頃から『どの部下を、どの下部組織を"捨て駒"にするか』について頭を働かせている。

 そんな彼には、ピンと来たのだろう。

 

 

 ダーリヤはデザインの捨て駒にちがいない、と。

 

 

(くそ。その予定を邪魔して潰したのが"俺"だったと考えれば……スパークシグナルがわざわざ"外部機関(ハウンドドッグ)"に協力を要請したのは……畜生、妙にしっくりくるな)

 

 冷酷さを丁寧に裏ごししたような、プラチナバーグの"穏やか過ぎた声"を思い出す。

 直に会話を交えたことで感じ取った"ある種"の直感は、景朗の想像をその先へと膨らませていく。

 

(まてよ。今まで微塵も接触してこなかったプラチナバーグが、慌てて俺にコンタクトを取ってきた、ってことは――――ガキが助かったのは、奴にとってそれほどまでに予定外だったのか?)

 

 しかし、いくらなんでも"ダーリヤが助かった"ことが、デザイン側に予定外に生じた"トラブル"の"本命"ではないだろう。

 

 となれば。もしやそこから先の事情が、これから自分にかかわってくるのかも。

 そんな風に景朗は結論を導き出した。

 

 

 "デザイン"側にとって本当に予定外だった"障害"は、おそらくもっと別の所にある。

 

 もしかしたらその一端を、これからプラチナバーグは景朗に知らせる腹積もりなのでは?

 巻き込んで、関わらせようとしてくる? プラチナバーグのアプローチがやけに早いのは、もしかして……。

 

 

(ああもう、明日から学校(任務)だってのに、やってらんねえ!)

 

 

 結局のところ知らされようとも、蚊帳の外ではぐらかされようとも、どちらにせよ自分にとっては面倒事が増えるだけになりそうだ。

 

 

 その車両に乗り込む前から、景朗には妙に確信的な"予感"があった。

 特筆して確証のない確信。俗にいう嫌な予感がする、というやつだ。

 

 ひたすら悪化していくだけの状況を受け入れるために、心の準備を整えて。

 人知れず、無感情に覚悟を決める。

 

(巻き込まれる。まぁぁぁぁぁた、何かに巻き込まれようとしているぞ……くそがッ!)

 

 

 ガキんちょは捨て駒だったのかもしれない。プラチナバーグの対応が、それが真実に近い予想なのではないかと、半ば証明のように景朗に予感させてくる。

 

(じゃあ、それなら――俺がガキんちょを助けたのが、プラチナバーグ側にも想定外だったのなら――)

 

 ダーリヤというこのガキは、雨月景朗へと送り込まれたスパイでもなんでもなかったことになる。

 となれば――事の次第は、"景朗とダーリヤの出会い"は、彼女の主張の通りに"単なる偶然"だったことになるのか?

 

 

 なるほど、チビッ子があれほど興奮していたのにも、難なく同意できる。

 気持ちの悪いほどに奇跡的な再開だったわけだ。

 

(あぁ、それじゃあ)

 

 ただ単に、単なる偶然の出会いであったというのならば。

 あの時のダーリヤの、"あの喜び様"は――溢れんばかりの好意的態度は――ひょっとして彼女が"最初から"持ちあわせていたものだったのか?

 

 降って沸いたプラチナバーグの登場が、そんな確信を後押しし始めている。

 

 ただし――――それでも別に。

 散々に疑ってかかってダーリヤに尋問したことを、後悔はしていない。

 正直なところ、"ガキんちょ"相手に盛大に用心したことには、罪悪感は存在しない。

 

 ……だが……。

 

 家を燃やされ、誘拐されかけ、果ては見知らぬ組織に強引に保護されて、それで不安にならないガキんちょがこの世にどれだけいることか。

 その最中で。やっと見つけた希望の光に、もしかしたら友人であったはずの元同僚に、冷たくもあしらわれ続けた"少女"の心中を慮ると……少しばかり、気の毒になってくる。

 

 いいや、"少しばかり"ではすまない。

 大いに、心中を察して痛み入るところがあって……。

 

 

(まだまだ"終わり"じゃないってところが、なおさらなぁ。お互いに、"まだまだこれから"だぜ)

 

 気の毒なことに、ダーリヤの受難は"今回の一件"で落着、というわけにはいかなそうである。

ついでに言うと、自分もだが。

 

(ったくどうしよう。ガキの記憶そのままだ。まずいことになってる)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 統括理事会の一角を擁する車両は、最終的にぴたりと景朗の真横に停車した。

 

 直立して到着を待ちわびていた彼を最初に出迎えたのは、いかにもSPといった風体の男たちだった。

 極度に緊張しているのか、皆が引き吊りそうな表情を隠せていなかった。

 

 プロ中のプロフェッショナルな用心棒たちからしてみても、理事長の信用を一心に受ける"アレイスターの刺客(学園都市最強の暗殺者)"を前にしては、生命の危機を感じずにはいられなかったようである。

 

 くじ運の悪かったSPがひとり、警戒に警戒を重ねた動きで景朗に近づいてくる。

 何かを手渡そうとしている。

 受け取ったそれは、彼らとの出会い頭に差し出していた、身分証代わりの端末だった。

 同時に、車のドアが開いた。

 "三頭猟犬(ケルベロス)"が乗車すると、まもなく車は動き出した。

 

 

 

「すみません、どこに目があるかわかりませんから。非礼を先にお詫びします」

 

 生来の素顔とはかけ離れた他人の顔のまま、景朗はいの一番にそう言い放った。

 ダーリヤの救助へ向かったその時点から、一貫して変装は続けている。

 "雨月景朗"という人物を表に出してたまるものか、と彼なりに注意を払っているわけだ。

 

 しかし、仮にも統括理事会の一角を相手に、無礼だろうか――――と景朗が迷っていたその目の前で。

 

「もちろん構わないさ。気にする必要はない」

 

 広々とした車内に悠々と座るトマス=プラチナバーグは全く気にも留めていないようで、機嫌良さげに微笑んでいる。

 

「それより、噂はかねがね耳にしていたよ。ずっと、こうやって君と話をする機会を取りたかったのだがね――」

 

(理事長の目が怖くてできなかった、と)

 

 プラチナバーグが濁した台詞の先を、景朗は心の中で補足した。

 

 

 "木原幻生"

 "アレイスター・クロウリー"

 "垣根帝督"

 "食蜂祈操"

 この4人が、景朗の心を悩ませ続ける"手綱を握る者たち"だ。

 景朗のウィークポイントを熟知し、何時でも"そこ"に危害を加えることができる。

 

 アレイスターには隷属させられているし、幻生には甘んじて付き従っている。

 食蜂は幻生の情報をリークすることで手を引いてくれている……らしい。

 

 残る最後の1人、垣根帝督について。

 彼に関しては、何故未だに襲ってこないのか、弱みに付け込んでこないのか、その理由は完全には納得できていない。"完全には"という言葉の通り、景朗はその理由にはある程度の推察を付けている。

 されど、明確な確証がなかった。

 いつ、また再び敵対するかもわからない。そのために、殺り合う準備はかかしていない。

 仮に、その万が一の事態が起これば、決死の争いとなるだろう。最も恐れている事態だが、もしそうなればアレイスターの力を借りてでも(当てにはできないが)決着をつけるしかない。

 

 閑話休題。

 

 さて。以上のこの4名の人物を除いたときに、実は景朗の内情を知るであろう人物が、潜在的にもう一人だけ存在する。

 ここに来てその答えを焦らす必要もない。

 

 今、景朗が相手にしようとしているのが誰かを考えれば、それは明白である。

 

 "人狼症候(Lv4)"が"悪魔憑き(Lv5)"に覚醒した時に所属していたチームの上司である、トマス=プラチナバーグ。

 必要以上に親しげに語りかけてくるこの統括理事会メンバーの若き俊英は、景朗の秘密を十中八九、知っている。

 

 ということは、最大限に警戒しなくてはならない相手となる。

 ……のだが。

 

 ことは少々複雑になり、景朗はプラチナバーグを警戒する必要がある、と知ると同時に、折り重なった偶然の結果、彼に対しては差し迫った対応をする状況にないことも、また同時に把握していたのである。

 

 

 プラチナバーグを恐れる必要がないのは、なぜか。

 

 端的に言えば、彼が統括理事会の一員という立場にいること。それが大きな要因だった。

 景朗のたずなを握る木原幻生も"街"の権力者には違いないが、それはあくまで研究者としてだ。プラチナバーグは、幻生とは"表向きのポジション"が全く持って異なってくる。

 

 あの男は、体面上は"理事長(アレイスター)"と肩を並べる理事会メンバーである。

 しかして、その力関係の実態は、対等どころの話ではない。

 暗部上層部という括りの中では"奴"はもっとも新参で、もっとも力を持たない、末席にすぎない。それは誰もが知っているし、当人こそがそれは良く理解しているだろう。

 唯一、その将来性には目を見張るものがあるが……現状ではとてもではないが、理事長の懐刀である"三頭猟犬"に対しておいそれとは干渉できないはずだ。

 

 

 木原幻生のような小物が操るのと同じように、プラチナバーグが"三頭猟犬"に干渉するわけにはいかない。

 アレイスターが際立てて目をかけている子飼いの暗殺者がその対象となれば、なおのことだ。

 ヘタをすれば、理事長への叛意を示す行為に繋がってしまう。

 

 その事実を示すかのように、件の理事会委員(プラチナバーグ)は景朗がアレイスターの部下となったその日から、一度の連絡すら寄越してはいない。

 知らぬ間柄ではないというのに、情報交換のひとつも、挨拶ひとつも交えていない。

 

 景朗が"デザイン"の揉め事に自ら首を突っ込み、その取っ掛かりを与えることになった今この瞬間まで、一度たりとも接触してこなかった。

 

 

 されど、それでも元をただせば。

 "人狼症候"は、あの男の部下だったのだ……ようやく手に入れたかに思えた"超能力者"の手下を、その瞬間に奪われた男にとって……雌伏の日々だったにはちがいない。

 

 その間の彼の眼に、学園都市最恐の暗殺者として成長した自分はどう映っていたのだろう?

 

 野心を抱く親理事長派のあの男には、旨味のある人材に見えてはいたのではないだろうか?

 

 もし"悪魔憑き"を自身の陣営へ"自発的に"協力するように差し向けれられれば、ほかの理事を頭一つ出し抜いて、理事長への強力なパイプを得るのだ、という風に。

 

 

 さて。

 そういった背景を重々考えまわしていた景朗は、想定内の対応を見せたプラチナバーグに一定の希望を見出していた。

 その直感を信じ、彼は自ら進んで話を切り出した。

 

「すみませんが、お話を伺う前にまずこの"娘"の身元の確認を良いですか?」

 

 質問に対して、プラチナバーグは返事の代わりに片手でサインを放った。

 それを合図に、SPの男はテキパキと数枚の紙切れを取出し、景朗へと手渡した。

 

 完璧に電子化されているこの時代に、意図して用意した"紙の書類"だ。

 やはり相手側もそれなり以上に用心深い。読んだら返せ、と言われるだろう。

 

 景朗はさっそくとばかりに書類を眺めた。

 そこには待ち望んでいたものが記されていた。ダーリヤの"経歴"について書かれていた。

 

 心の内で、喜ぶ。

 生体認証スキャンを施されている間もビクともしなかった、隣の席で静かに寝息を立てている謎の少女の正体が、これでやっと判明するのだ。

 

 

 

 紙面の上に力強く視線を走らせる。

 怒涛の文字の洪水を、彼の脳みそはあっという間に飲み干していく。

 

 

 ……ところが。彼はその半ばで突然に、読むのを中断してしまった。

 その実、ひと息にその資料を読み通してしまうつもりだったのに。

 

 

 ――思わぬ衝撃に出くわした青年は、耐え切れなくなって真横の少女を盗み見た。

 

 

 結論から言えば、ダーリヤはとんでもない経歴の持ち主だった。その一言に尽きた。

 まさしく想像以上の内容がそこにはあって、完璧に予想の上をつき走っていた。

 

 だからだ。

 

 プラチナバーグを前にして、ちんたらと資料を眺めている余裕などないとわかってはいても――。

 "少女の経歴"そのものを――――資料につらつらと記述されているこの"奇天烈な情報の羅列"とを――――実際に彼女の寝顔と"比較"して、確かめずにはいられなかったのだ。

 

 

 

 

 

 誘惑を断ち切って、景朗はもう一度、資料に目を戻した。

 ――それでもやはり。あまりに現実味が薄い――――。

 

(これ、俺にもよくわかんねえかも)

 

 景朗はそう思った。

 

 

 

 

 ダーリヤ・イリイーニチナ・モギーリナヤ。彼女の名前は一貫してそう表記されている。

 年齢は書類上で満9歳で、ロシア連邦の元"諜報員"だと、何のひねりもなく記載されていた。

 

 『諜報員』である。この舌足らずな九歳児に対して、その違和感の溢れる"単語"は、しかしてふんだんに使用されていた。

 

 

 始まりは五年前だ。ダーリヤは4才という幼い身で、"母親役"たるエージェントの上司とともに学園都市へやってきた。

 そして当然のごとく、能力開発(カリキュラム)をこなせる最少年齢の時分から、彼女は開発を受けることになる。

 その後の約4ヶ月の開発期間で、強能力(レベル3)の念者能力である"欠損記録(ファントムメモリー)"を、彼女は発現した。

 

 

 得てして。開発によって能力を得たこの"街"の児童が、その人生の進路を大きく変えていくように。

 ダーリヤも例外でなく……そこで、彼女の人生は大きく変わっていた。

 

 

 なんとも理由は定かではないが、"欠損記録"をダーリヤが目覚めさせた、その直後に。

 

 "母親役"がダーリヤ1人を残して、突然に行方を暗ましたのだ。

 

 当然だが、孤立したスパイの少女は窮地に陥った。

 

 学園都市が他国に対してアドバンテージを持つ、その源泉たるものの一つが"能力開発"のノウハウだ。

 そのデータをリークしていた他国の工作員が、そのバックアップを失えば……。

 "暗部"屈指の人狩り部隊に食いつかれるのは、時間の問題だった。

 樹上の巣から落ちた雛鳥のように、少女は恰好の餌食になるはずだったのだ。

 

 

 だからだ。

 ロシアからの支援を失ったダーリヤは、その瞬間から生存のために全精力を注ぐほかなかった。

 そうして、幼い少女はそこで驚くべき賢明さを見せたのだ。

 

 

 隠れ家のドアが何者かに蹴破られる前に、彼女は自ら進んで"暗部組織"へ飛び込んでしまった。

 それまでの全て(ロシアからの信頼)を裏切って"敵側"へ寝返り、ただ一つ、己の"価値"を銃口の前にぶら下げて、奇跡を手繰り寄せた。

 

 彼女は今も無事に、ここにいる。それが危機を乗り越えてきた何よりの証明だ。

 

 すなはち、暗部に居場所を移した後も報酬を得るだけの価値を示し続けた、ということなのだ。

 

 資料にも間違いなくそう書いてある。だから。

 

 だから、彼女がたった7歳だったその夏に。それらは本当に起きてしまったことなのだろう。

 

 

 それから2年が過ぎて、現在に至る。

 暗部で2年もの月日を過ごしたというのに、彼女は未だ、こうして幼い。

 成し遂げて来たことを考えると、恐るべき才能だ。

 

("とんでもなく頭が良い(ギフテッド)"……そのぐらいじゃないとロシアスパイがこの街に送り込んでは来ないか……)

 

 他国からのスパイ。諜報員。エージェント。その単語に関わりがありそうな事件を、景朗も猟犬部隊の任務中に遭遇したことがある。

 

 どの事件についても、その時はたいして気にも留めていなかったので、詳細は覚えていない。

 ロシアだかアメリカだか、どこの国だったかも、今では忘却の彼方だ。

 ただ、明らかに組織的なバックアップを受けて活動していたであろう不信人物を、命令を受けて捕まえたことがあった。

 決まって学園都市製ではないローテクな武器やツールにお目にかかっていたものだから、その印象だけは強く残っている。

 

 もちろん、そういった経験は極めて希少だ。

 学園都市の外部の、他国との諜報合戦は"ハウンドドッグ"の主任務ではないからだ。

 はっきり言えば、自分たちが相手にするのはもっと手強い、学園都市の内部事情にどっぷり浸かった輩たちだ。

 

 それこそ、他国からのスパイのように"外部"が関わってくる案件は――――"スパークシグナル"の奴等なんかが主に担当しているわけで――――。

 

 

(ッ、おいおい、"スパークシグナル"!)

 ――――そもそものこの一件の発端は、いったいどこの誰だった?

 

 

 

 少女の経歴のそこから先は、景朗が自ら目撃してきた案件でもあった。信憑性は抜群だ。

 

 ダーリヤは去年の夏に"ユニット"で景朗と出会い、そこで互いにプラチナバーグと接点を持つ。これは景朗が初めてプラチナバーグを助けた時だ。

 

 奇しくもその一件で"ユニット"は壊滅してしまった。その折に、どこぞの誰かの操り人形だった景朗とはちがって、ダーリヤはプラチナバーグの組織にそのまま勧誘されていたようだ。

 ――――そして。

 

 まだLv4の身分だった景朗をプラチナバーグの組織へ勧誘したのも、彼女の行動に間違いなかった。

 

(マジかよ、嘘じゃない。このチビがマジモンのオペレーターさん……)

 

 

 

 かさり、と紙はめくられたものの、青年の視線は動かず、真横に向けられたままだった。

 

 ――ここまで読み進めれば、もはや少女の正体を疑う必要もない。

 

 少し前の台詞を、思い出さずにはいられなかった。

 

 自分こそがあなたの"オペレーター"なのだ、と。そうなんども言いつけられた。

 あの時の少女に叩きつけられた言葉を証明する文章で、紙面は埋め尽くされている。

 

 

 最後の書類には、少女のよりパーソナルな情報までくまなく載せられていた。

 色々な項目があった。"思想"、"嗜好"、"活動"といった具合である。

 その中の"最近の活動"という報告に、景朗はぐぐい、と惹きこまれた。

 

 

 "モギーリナヤの最近のライフワークは、人狼症候の行方を捜し、足跡を記録すること"

 と、記してあったのだ。

 

 なぜそんなことをライフワークにするのだ? たった9歳の子供が? と訝しむ。

 その答えは幸いにも、その直後にあっけらかんと載っけてあった。

 

 "ダーリヤ・モギーリナヤが、あの狼男に並々ならぬ執着心を見せているからである"

 

 なんなんだその一言は、それでいいのか! と心の中でツッコミを入れずにはいられない。

 

 

 しかし。

 とにもかくにも、ダーリヤは景朗をしつこく探していた。

 資料を見る限り、それは受け入れざるをえなかった。

 

 

 Lv5となったことで暗部世界から綺麗に消失した"人狼症候"こと"ウルフマン"を、彼女はずっと探しつづけていた。

 それはたしかに、ダーリヤが"狼男"の情報を買った"金の流れ"によって証明されている。

 彼女は仕事で得た多額の報酬をつぎ込んでいたようなのだ。

 

(そこまでする理由はなんだってんだ?)

 

 さらには、"人狼症候"を自らの陣営に加入させるように、と上層部に幾度も打診していたようだ。その時の記録も、ここにはきちんと残されている。

 

 

 "人狼症候"の末梢された過去をほじくり出そうと躍起になっていたり。

 彼が使用した装備を独自に入手し、専門機関に調査を依頼したり。

 彼が敵対した組織をもう一度個人的に洗いなおしたり。

 

 存在を抹消された人間を探すのが、危機を招く行為になると理解していても、彼女はそれを続けたのだ。

 

 人狼症候を気に入っていたから。

 そんなしょうもない理由がこうも堂々と書かれたその訳が、やっと景朗にもわかりはじめていた。

 

 要するに、彼女は再び"人狼症候"を我が職場へと勧誘したかったようなのだ。

 また一緒に働きたかった。根底にあったのは、ただそれだけのようである。

 

 とにかくこんな有様では、プラチナバーグ側も彼女の行動に目を光らせておかざるを得なかっただろう。

 

 

(暗部ってのはこれだから訳がわからない……こんなところに自分の"ファン"が居たってのかよ……)

 

 

「そろそろ良いかい? 何か質問はあるかな? 互いに忙しい身の上だ、時間はそれほど取れないが」

 

 読みふけっていたところで、穏やかな注意を呼びかけられてしまった。あまりに意外性のある情報の連続に、景朗は図らずも顔を上げられなかった。あって当然の忠告だ。

 

「驚きました。これは偶然なんですよね?」

 

 ダーリヤが自分と何らかの縁があった事を知っていた、その事実を隠し、景朗は白々しく嘘をついた。

 実のところ、突然こんな"暴露資料"を渡され、どういった答えを返せば正解なのか全く見当がついていなかった。

 

(これはチャンスか? 俺とオペレーターさんの関係を資料に乗っけてやがる。こいつを動機にしよう。このガキに執着してるフリでもして、しばらく手元に置ければ楽に対策が取れる。ガキはこいつらに見捨てられようとしてたんだ。どうせ重要な情報は持たされていないはず。過去の同僚を守ってやりたくなったとでもいいだせば……)

 

「君たちの"世界"は広いようで狭い。長居をしていれば、時に思いがけない場面で顔を合わせるものさ。面白いじゃないか。私はね、そういった"繋がり"を大事にしているんだ。今回の事も"偶然"で終わらせるには惜しいと思ってね。だからこそ、君と直接会いたかった」

 

 そこまで口にしたプラチナバーグの表情には、柔らかな笑みが浮かんでいる。

 これ以上ないくらいの友好的な対応であるはずなのに、なぜだか、景朗はそのすべてが気に入らなかった。

 

(待てよ。そもそもなんでここまで詳しくオペレーターさんの情報を俺に見せたがった? 俺にはこいつの所属だけを知らせればそれで済むんだ。至れり尽くせりの情報をなぜ仰々しく見せつけてきたんだ……??)

 

「率直に頼もう。しばらくその子を預かってもらいたい」

 

 ダーリヤをしばし手の内に留めておきたいが、どうやってそれを怪しまれずにプラチナバーグを説得できるか。景朗はそればかりを考え込んでいた。

 だからか、唐突に自分に都合の良い提案をぶつけて来たプラチナバーグに、彼は大いに混乱することになった。

 

「それは――なぜです?」

 

(どういうこった? このガキを引き取りに来たんじゃないのか?!)

 

「まず最初に約束がある。これは私と君との間だけで交わされた至極"私的"な依頼となる。重々そのことを念頭に置いて、だ。次に私と連絡をつけるまで、誰の手にも渡さずその子を"君だけの手"で保管する。たとえその間に、"どのような組織の横槍"が入ろうとも。君には簡単なことだろう?」

 

 ニコニコ笑っている割に、有無を言わさぬ口調と態度だった。

 景朗の質問に答える気はさらさら無い様子である。

 

(そりゃあ、依頼を引き受けてすらいない相手に込み入った事情を話しはしないだろうけど……)

 

 こうなっては自分で考えるしかない。

 

 明らかに過ぎるほどに裏がある。というか目の前の理事は『裏がありますよ宣言』したも同然だ。

 普段ならばNoと即断している依頼だ。

 突っ返した方がいい。そんな気がしてならない……。

 

(……はず、だってのに畜生ぉ、困ったな)

 

 ただし、今の彼にはダーリヤという不安要素があった。

 彼女を手元に留めておくという一点に限っては、渡りに船の提案である。

 

 

「"どのような組織"でも、ですか? それは流石に難しいですよ」

 

「無論、"君の立場"は重々承知している。君の"上司"に逆らうような真似にはならないと言っておこう。万が一にもそうなった場合は致し方ない。私も理解しよう」

 

「それは安心できますね。でもそれでも説明不足ですよ。――"迎電部隊"を相手にしなければならないのに?」

 

「無用な心配だろう?」

 

 プラチナバーグは決して否定しなかった。景朗としては、そこは思い切り否定してほしかった。

 

「この街で力を持つ人間ほど、"君たち"には容易に手が出せない。例外にあたる者たちはいとも簡単にそれを為し得るだろうが、この場合はそうはならない。詰まる所、君の気分一つで、良い取引が一つ形になる」

 

 

 こうなっては馬鹿でもわかる。

 この依頼を受けた場合、"相手"になるのは――――"スパークシグナル"だ。

 

 ダーリヤを襲った得体の知れない組織犯も相手になるかもしれないが、そんなもの問題にならないくらいに厄介なのは、確実に"やつら"だ。それは火花(スパーク)を見るより明らかだった。

 

(つまりこうか。"スパークシグナル"を相手にして、誰かは知らない統括理事の機嫌を損ねるかもしれなくなって、そのかわりプラチナバーグ(弱みを握ってそうな男)に恩を売れる、と。もしくはその反対か、どっちかってわけだな)

 

 色々とカマをかけてみたものの、相手もその道の達人だ。

 一度話さないと決めた理事の一角に、何の交渉カードも持たずに根掘り葉掘り聞いても成果は得られないだろう。

 

 もしくは、だが。

 プラチナバーグにはどうにも、本気で景朗を説得する気がなさそうにも、また思えたのだ。

 

(たぶんそうだよな。この男は俺が依頼を受けようとも断ろうともどっちでもいいんだ。どちらにせよ俺に"突っかかる"理由ができるんだし)

 

 他の"理事"も十分に怖い。だが悔しいことに、こと景朗限っては、己の秘密を知り得る"理事会の若僧"を守る事も十分に選択肢に入る。

 

 ここで依頼を断っても、どこぞの理事たちが景朗に恩を感じてくれるわけでもなく、ただ単にプラチナバーグの印象を悪くするだけだろう。

 ただし依頼を受ければ、もしかしたらどこかの理事が敵になるかもわからない。ただし、それは確実にプラチナバーグ以外の誰かである。心もとないが、その時は目の前の男も少しは力を貸すだろう。

 

 

「わかりました。依頼を受けましょう。だからもう少しだけ"協力者"に情報提供をお願いしますよ。"スパークシグナル"のように口を噤まれては困ります」

 

 "スパークシグナル"が"ハウンドドッグ"に散々にカマしてきた不自然な対応のツケを、今ここで先に払ってもらうことにしよう。

 

「喜ばしい。期待通りの返事をきけてここまで嬉しく思えるのは……久々だ」

 

「それでは早速ですが、どうして一度は"見捨てた"この子を今更になって守れと言うんです? 正しく認識しておかなければ依頼に不都合が生じそうで心配なんですよ」

 

 プラチナバーグは"見捨てた"という言葉に対し、一切否定をしなかった。あっさりとしていたが、しかし、認めたのはその点だけだった。

 

「目障りなネズミの尻尾を嗅ぎつけたかったのだ。ところが、エサだと勘違いした不届き者は一人ではなくてね、予想外の邪魔者が"君たち"をつれて横から嗅ぎ付けて来た。だが。全てはこの一点に帰結するのだが――"君"と"私"は知らぬ間柄ではなかった。今回の一件を簡単に言えばこうなる。これ以上説明すべき事は、本来ならばないな」

 

「では、この子を襲っていた"敵"の正体はまだご存知ないと?」

 

「"敵"? はは、それこそ間もなく"スパークシグナル"がカタを着けてくれるだろう。君にも後日、その件は報告しよう。問題は、誰がそれまで"彼女"を預かるかだ……」

 

(嘘に決まってる、何も知らないわけないだろう!)

 

「なるほど、その"襲撃犯たち(連中)"は全く問題にはならないんですね。じゃあ俺は何をするべきなのか、わかってきた気がします」

 

「円卓に座る騎士に敵の影はあれど、彼らを真に脅かしたものはいなかった。唯一、味方の裏切りを除いては……。それはいつの世も変わらないようでね、どの理事にとっても厄介事の種は同じさ。あるいは邪魔者に、あるいは協力者に。今回の一件も、ただそれだけのことだよ」

 

(へえ。なんだか俺には、あんたが自分で蒔いた種なんじゃないかと思えてならないけどね。しっかし、こいつ全ッ然ホントのこと話さねえ。まいったな)

 

 そもそも報告書に乗っていた情報を軽くつなぎ合わせただけで、こうなってしまう。

 元ロシアスパイの少女を拾って、今になってその子を見捨てたところで"横槍"が入る。そこで慌てたように"スパークシグナル"にだけは渡すなと、"ハウンドドッグ"の知り合いに工作を図る理事会メンバーが、ここに一人こうして目の前に……。

 

「君も覚えておくといい。味方はいつか敵になることを」

 

(説得力があるぜ、まったく。一番ブラックなのはあんただろうが)

 

 正直なところ、景朗は身振り構わずその場で頭を抱え込んでしまいたかった。

 この依頼は断っておいた方がよかったのではないか、と後悔が押し寄せていたのだ。

 

 まるでグラグラと揺れるオンボロ吊り橋をわたっているかのような。

 もう既に、言いようのない不安定さを感じてしまっている。

 

(でもそれだと、俺の秘密を抱えたままオペレーターさんは他の組織の手に渡る。……彼女のこの先を考えると、ここで手を打っておかないと……)

 

 上司に見捨てられてしまったオペレーターさんの末路について考え出すと、きっとひどい気分になる。その事は忘れろ、と肝に命じて、景朗は覚悟を決めた。

 どの道、先ほど首を縦に振ったのだ。プラチナバーグの提案に従わざるを得ない。

 

「わかりました。この子は安全に保管しておきましょう。ですが急に返せと言われてもセキュリティの関係上、即座にはお返しできません。構いませんか?」

 

「事態が落ち着くまではそれで構わない。とはいえ、そもそもこの話は私の好意から始まったものであるのだがね。私の部下で唯一"君の原点"を知っているのはその子だけなんだ。こうして関わった以上、君は自分の手で管理したかった所だろう?」

 

「……そうですね」

 

(そんな建前を使うってことは、オペレーターさんが"オペレーターさん"では"なかったとしても"、俺に預けるつもりだったっぽい……か? ちっ。考えてもわからないか)

 

「ああ、もう一つ忠告しておこう。その子は私の部隊の機密に触れていた。あまり余計な"詮索"はしないでおきたまえ」

 

 プラチナバーグはさらりとそう言い放ち――――景朗にアイコンタクトを迫った。

 その目は『話はもうこれで終わりだ』と語っていた。

 

「わかりました。心得ましたよ」

 

 

 プラチナバーグはSPに、景朗を丁重に送り出せ、と命令を出している。

 まだまだたくさん聞きたいことはあったが、これ以上は何も答えてくれそうにない。

 それ以上追及する材料(カード)を、景朗も持ち合わせていなかった。

 

 

 

 座席からダーリヤを再び抱え込み、盛大に腰をかがめて車から降りた。

 SPの男たちは表情こそ変わらなかったが、あからさまに気の緩んだ雰囲気だ。

 

 話は終わってしまった。最後の方には、ダーリヤの記憶を工作するのは禁止であると釘を刺さされてしまったのが、少々痛かったが。

 

 それが気に食わなかったのか、景朗は心なしか冷たい視線をSPの男たちへと送ってしまった。

 数人の躰がそれで固まったが、彼はそんなこと気にも留めなかった。

 

(まあそれでも、ヤルけどね……絶対にバレないようにしなきゃならくなっちまった、か)

 

 釘を刺されたとはいえ、食蜂操祈の力をかりればバレずに事を済ませられる確率は高いだろう。

 しかしそれでも、さらに万全を期さねばならなくなった。

 『ダーリヤを連れて食蜂と接触した』という事実を掴まれただけで怪しまれそうだ。

 奴がこちらにいちゃもんを吹っかける口実を与えたくはない。

 

("第五位の能力(心理系最強)"なら100%安全だろうか? ……いいや、一番の問題はそもそも彼女を信頼するかどうか、だな……しかしそれにしても)

 

 すぴー、すぴー、と、耳元で寝息がうるさい。

 どうやら。

 まだこのガキんちょとは縁がつながっていたようだ。

 

(オペレーターさんめ、強運の持ち主だぜまったく。俺がヘマさえこいてなきゃ、ここで君を放り捨ててたよ)

 

 そこまで考えて。ふう、と息をついて、景朗は一番の幸運者が誰だったのかを改め直した。

 

 ダーリヤも運が良かったが、それに輪をかけて幸運をつかんだ人間がいるではないか。

 

(違うな。一番ツキが回ってたのは"プラチナバーグ"だ。あーあ、俺はその逆だ)

 

 車を背に見送って、景朗はつぶやいた。

 

「もう、帰ろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第十学区のセーフハウスへとまっすぐ帰り着いた景朗は、まず初めに心の中でこう叫んだ。

 

(とうとう悪臭の原因を排除できるぞ!)

 

 そうだ。彼が我慢の限界に差し掛かっていたのは、この切羽ずまった突然の追加任務によるストレスではなく。

 

 およそ1時間近く彼の鼻を悩ませ続けた小便の悪臭だったのだ。

 

 もはや、もうこれ以上は、この小便の臭いに我慢しなくてもよいのだ!

 その嬉しさたるや、これから己を待ち受けているであろう暗部のイザコザすらも、一時脳裏から消し去さってしまうほどだった。

 

 荒い鼻息をつき、少女を畳へと転がし放り投げる。景朗の睡眠剤は流石に優秀で、それだけやっても彼女にはピクリとも起きるそぶりはない。

 

(つーか、プラチナバーグも平気そうな顔してたけど、明らかに不快そうな目を向けてたしな……)

 

 もしかしたら、少女が粗相をしていなければ、もうすこしヤツと会話できていたのだろうか?

 

「……あほくさ」

 

 

 さて、これからどうしようか。どうしてやろうか?

 

 こいつの服を剥ぎ取ってすぐ近くのコインランドリーへ叩き込んでやろうか。

 

 手を伸ばしかけた景朗は、しかしすんでのところで思いとどまった。

 

(先にこいつの生活用品を買いそろえておかないと面倒なことになるな……)

 

 いずれにせよ、もう一度外出することになるだろう。

 あれこれ考えつつも、次にとるべき行動を考えて……。

 

 

 そこでひとまず景朗は、セーフハウスのセキュリティシステムの警戒レベルを上げておくことを思い出したのだった。

 

 

 

 

 慌ただしくビルのフロアを練り歩き、センサーを一つ一つ念入りに確認して回る。

 そうするうちに少女の悪臭の除去でいっぱいだった頭の中も、ようやく落ち着きをみせてくる。

 

 あくせくと急いで計器類をチェックしていた景朗の手は、その終わりが見え始めた段階に差し掛かったころあいで、はたと止まった。

 

 とあることに気が付いてしまったのだ。

 

(つーか俺、なんでこんな全速力でメンテしてんだろ?)

 

 ――それは至極当然、手早くセキュリティを整えて、一刻も早く、ダーリヤの生活用品を買い揃えてあげなければいけないからである。

 

 ぴたりと景朗は動かなくなった。もはや作業の手は完全に止まっていた。

 

(馬鹿か、俺)

 

 ダーリヤを眠らせた景朗にはよくわかっている。彼女はまだしばらくは目を覚まさない。自らその分量の睡眠剤を注入したのだから。

 

 

 それがわかっているのならば、こうも急ぐ必要はないはずだ。

 一体どうして自分は、一刻を争って出かけようとしているのか?

 

(なーんで、楽しんでんだろ、俺……)

 

 自称オペレーターさんは、本当に"オペレーターさん"だった。

 ところが正体はチビっ子で、俺と出会えてあんなに喜んでいた。

 そしてこれから少しの間、彼女を預かることになった……。

 

(何で楽しみになっちゃってんだよ、俺ッ)

 

「いや、別にいいじゃん。真剣に考え過ぎんな。逆にどうして楽しんじゃ駄目なの、って話さ」

 

 言い訳をするように、景朗はひとり寂しくその言葉を呟いた。

 しかしそれが、反対に自意識を過剰にする結果を招いたようである。

 

 しばし、カチャカチャとセンサー弄りを再開していたのだが。

 耐え切れなくなったのか、彼はその場に1人、頭を抱えてしゃがみこんだ。

 

(はあ!? なんで俺、こんなに恥ずかしいんだ!! 誰だよ、俺は誰に恥ずかしがってんだよ! ああーもう!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いよいよもってセキュリティ構築のためにやるべきことをすべて済ませてしまった景朗だったが、その足はなかなか動かなかった。

 

 他にすべきことは無かったかどうかをむりやりに探し続け、セーフハウスから出かける準備を終えたまま、壁に寄り掛かっている。

 

 オペレーターさんを守るセキュリティの本命である"虫くん"を――彼女の服に目立たぬようにくっついている羽虫を――眺めつつ。

 未だに恥ずかしがっているのか、誰かに向けて言い訳をぶつぶつ呟きながら時間をつぶしていた――――その時。

 

 "それ"は、ようやくやってきた。

 

 景朗のケータイが突如、声高に高周波をまき散らした。

 覚悟していたよりも、むしろずっと遅い。

 だいぶ"出遅れて"やってきたなと感じるタイミングだった。

 

 

 待ち望んでいた"スパークシグナル"からの催促だ。

 景朗の気分も、一瞬で切り替わった。

 

 

『こちらスパークシグナル、タスクフォース"クリムゾン01"』

 

 耳に飛び込んだ第一声は、渋い重低音にインパクトがあった。

 壮年の男か、と景朗は勘ぐった。

 

其方(そちら)さんには世話になっている。悪いが捜査の延長のためにモギリナヤ氏の身柄が必要だ。引き渡しについては貴方が担当だと聞いたが?』

 

 慣れた口調で、電話の相手は一息に言い切った。

 

「"スライス"だ。彼女はここにいる。間違いない」

 

『協力に感謝する。ランデブーポイントの指定はこちらで――』

 

 当然だが、景朗には端からダーリヤを渡す気はない。

 

「あー、お待ちいただけないかな。少々気が早いのでは?」

 

 ワザとらしく険のある声を滲ませて、電話相手にすべてを語らせなかった。

 

『何か?』

 

 だが、相手はまるで機械のように冷静だった。

 

「こちらはまだ挨拶以上の返答を貰っていない。それと、随分前にこちらから送った"挨拶"に関してはまだ返事すら受け取っていない」

 

『……引き渡しの件についてだが、許可はいただけるのか?』

 

 意図を一瞬で見抜いたかのような質問が、相手もベテランなのだと悟らせる。

 景朗のケータイを握る強さが、ググッと大きくなった。

 

「はっきり申し上げると貴方たちの行動は不審だ」

 

『申し訳ないが調査内容の開示には応えられない』

 

「残念だ。では我々としても独自にこの件を調査せざるをえない。もちろんそちらからの綿密な情報提供があれば話は別だが。失礼するが、我々に支援を要請した理由すら説明せずに、まさか彼女の身柄だけを引き渡せとおっしゃっている?」

 

『捜査状況は後日、精査して必ず通知する。こちらの体質を理解してもらいたい』

 

「それではあまりに一方的すぎる。貴方たちの"協力"要請とやらは名前だけでは?」

 

『"デザイン"には正式に通知し、許可を得る。少なくとも貴方がた以外に問題は生じていない』

 

「協力が無いのであれば、我々も行動せざるをえない。従って彼女は手放せない。"デザイン"にもそう通知する。ご心配なく、現場では情報を共有しよう」

 

『……既に手は打たれた後のようだな』

 

「"手を打った"? それはどういう意図の発言なのか訊かせてもらいたいな?」

 

『敢えて君たちを巻き込んだのが裏目に出るとは。いいだろう。また後日"お会い"しよう』

 

 流石は諜報機関の人間だ。察するのが早い。それが嘘偽りない感想だった。

 通信の切れたケータイをしばらく眺めた後で、景朗は舌打ち気味にポケットにしまった。

 なんだか口喧嘩で負けたような気分にさせられたのだ。

 

「ふぅ!」

 

 ばちん、と頬を両手でたたいた。時間を無駄にしてはいけない気がしていた。

 

(んな低レベルなこと考えてる場合じゃないぞ。こっからだ。上手くこなさないとな)

 

 "我々も独自に調査する"。先の会話ではそう言い放ってしまった。

 しかしそれについては、すべてが出まかせという訳でもない。

 

(どの道オペレーターさんを襲った犯人の正体は探さなきゃならないし、別に"俺一人"で行動したって"我々"には違いないだろ、"スパークシグナル"さんよ。第一、"犯人ども"と直接戦ったのを誰だと思ってやがる。現場の情報なら頭にしっかり入ってる。せいぜい俺に負けんなよ、オッサン)

 

 ぼちぼち動き出すか、と景朗は立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 期待していた小さな寝起きの物音が聞こえたのは、完全下校時刻がもう間もなく迫る頃合いだった。もしも窓の外へと目を向ければ、そのすべてが茜色に染まっていることだろう。

 

 景朗は、まんじりともせずその時をまっていた。

 そうしなければならなかった理由は、特にない。単純に、たっぷりと眠らせてあげようと思ったのだ。

 

 

「……んぅ、ん……」

 

 小さな手足がもぞもぞと動き始めるのを目ざとく見つけて、彼はその側へと駆け付けた。

 

「おはようございます」

 

 目ヤニをつけたまま上体をむっくりと起こす少女へ、朗らかに挨拶を呼びかけた。

 景朗は気恥ずかしいのか、飄々とした物言いはどことなくぎこちなかった。

 となれば、それはどうやら無意識のうちの振る舞いであるようだ。

 

「……うるふまんは?」

 

 少女の半開きの寝ぼけまなこには、気だるそうな物言い以上に訴えかけるものがある。

 まだ少し寝ぼけているようだ。

 

「おう。ぐっすり眠れたかい?」

 

「うーん……んん?」

 

 気づいた瞬間の"その反応"は、素晴らしいほどに機敏だった。

 両目をぱっちりと広げ、タオルケットをはねのけ、少女はどえらい勢いで膝立ちになった。

 彼女がさんざんに記憶に焼き付けていた"あの人物"が、そこにいたのだ。

 

「ウルフマン?」

 

「はいよ」

 

 瞬く間に興奮し始めた少女と目があう。覗きこんでくるその黄色い目玉は物珍しく、景朗も遠慮せずに見つめ返してやった。

 

「"ウルフマン"ね?」

 

 視線では『言質は取ったぞ』と問い掛けつつ、ダーリヤはもう何度目かも数えていないその質問を投げかけた。

 

「何?」

 

 景朗は景朗であっけらかんと、口ではなくその態度で"回答"してみせた。

 

「ホントに?」

 

「そうだよ」

 

「"ウルフマン"ねッ?」

 

「はいはい、"そう"だって」

 

 ついにダーリヤは飛び起きた。が、立ち上がったその勢いでその場から動こうとはしなかった。集中力を全身にみなぎらせて、大男から放たれる次の言葉を待っているらしい。

 その子供らしい顔つきに、ようやく"らしい"笑みが走りだした。

 

 この時。ダーリヤに対して、落睡の直前まで893のようなやり口で尋問をカマしていた景朗にとっては、それはもう恥ずかしくてたまらない状況だっただろうが――。

 さりとて――ここから先は自分が切り出してあげなくてはならない、と。

 彼は使命感そのままに、口を開いた。

 

「いやあ、お久しぶりですね。"オペレーター"さん」

 

 

 

 

 

 

「――――"ウデュフマン"ッて言ったじゃないっ!」

 

 オペレーターさんは感極まったのかタメにタメて、昔のあだ名をもうひとたび叫び。頬を紅潮させてチマチマとステップしつつ、椅子に座った景朗を多角度のアングルから観察しはじめた。

 それはまるで動物園の檻に入れられて、ゴリラのように眺めまわされるような扱いだったけれど――――なぜだか居心地は悪くない。

 

 景朗はおもむろに、少女にニヤリと笑い返してみせた。

 ホッとしたのか、ダーリヤの目は赤くなっていて、彼女はそれを隠そうとしているのか、目を合わせなくなった。

 

「いろいろ話すことはあるけどさ、でもとりあえずおなか減ってない?」

 

 実のところ、プラチナバーグが用意した資料と整合性を取るためにもう一度、本人の口から身の上話を聞き出そうと考えていたのだが――。

 

「うん、へってる、へってるわ!」

 

 それはこれからいつなんどきでも、簡単に達成できそうである。

 

「よし。それじゃちゃちゃっとシャワーを浴びてきてくれ。メシはそれからでいい?」

 

 新品の小さなスリッパを片手で揃えて床に置いて、もう片方の手で手招きをする。

 ところが、今の今までトタトタと歩き回っていた護衛対象は、そこでぴたりと足を止めてしまった。

 

「実は着替えが無くて――「ねえ、わたしがねちゃってた間に本部と連絡は取れたの? どうなったの?」

 

 流石に、最低限に説明すべきことはあるか。そう思いなおして、景朗はしっかりと少女へと向き直った。

 

「ああ。連絡は取れたよ。事態が落ち着くまで君の身柄は俺が保護することになった。だからそんなに慌てなくていい」

 

「ホント?」

 

「実はまあ、そのことに関してはただ口でやり取りしただけだから、オペレーターさんに提示できるものは何もないんだけど、信じてくれ。……俺はさっきまで君の事を信じなかったけどさ」

 

「今は信じてる?」

 

「……もちろん。今は信じてるよ、色々とわかったからね」

 

 

 その返事に、ダーリヤは瞬間的に怒りだしそうな兆候を滲ませた。

 だが、それは本当に瞬く間の出来事だった。

 すぐさま彼女の表情はころりと変わり、あからさまに他の事を考えている顔で何かを言いたげに口を開きかけたが。それも途中でやめてしまった。

 

 結局。ほんのひと息の間、考え事をするように黙り込んだ後。

 

「……じゃあ、んー。じゃあ……ごはん食べに行く!」

 

 勢いよくドタバタと走りだした。

 

「いやいやいや、ちょ、おい、先にその"服"を」

 

「ウルフマン、わたしのクツは―?」

 

「オペレーターさん、シャワーを先に浴びてきてくれてもいいんスよ?」

 

「おなかが減ってもうこれ以上はヤバいわ、"ウルフマン"。はやくごはんを食べないと……」

 

「……あのー、オペレーターさん?」

 

「あっ! ウルフマン、帽子! お願い、帽子を探して、ウシャンカを探しにいって! もういっかい探しにいってお願いっ!」

 

 突然思い出したかのように、オペレーターさんは帽子、帽子と騒ぎ出した。

 彼女の言うウシャンカとは、ロシア帽のロシア語発音のようである。

 眠りにつく前にも同じことを言っていたな、と景朗はため息をついた。

 

「あの時ちゃんとしっかり探したんだよ。でも、やっぱり無かったと思う。帽子は燃えちゃったんだと思うよ、残念だけどさ」

 

 景朗とて、その帽子とやらは何かの"手がかり"なのかと考えて、それなり以上に真剣に探したのだ。

 

 だが、五感がするどく、物探しが得意な部類の自分が見けられなかった以上は。

 やはり、火事で燃えてしまったにちがいなかった。

 

「はぁー。それじゃあシャワーはいいから、せめてその服を洗濯させてくれない?」

 

 景朗はダーリヤへ顔すら向けずに、用意していた服を指差した。どことなくその口調も、聞き分けのない子供に言い聞かせるような、一方的なものだった。

 言い出したタイミングが絶妙で、シャワーを浴びたくないが故の言い訳なのかも、とほんの少し少女を疑っていたのだろう。しかし。

 

「近くにコインランドリーがあるから――「"ウルフマン"ッ! お願いっ!」

 

 涙声でやんわりと低くなったダーリヤの叫びが、歯がゆそうに景朗の鼓膜を揺さぶった。

 突然のことに驚いて振り向けば。

 オペレーターさんは今にも泣き出しそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中学2年生である獏野(ばくや)詩旗(しき)は、時計の針の位置を確かめた。

 時刻は午後七時を回っていた。

 

 ――――よし、大丈夫だ。

 夏休みの宿題は、何とか間に合いそうだ。

 もし、このまま一睡もせず朝まで学習机に座っていられたら、きっと必ず――。

 

 今日はやってやるぞ! と。

 

 気分を仕切り直し、再び椅子に深く腰掛けた、その時だった。

 

 

 

 

 ガタガタッ、ぞぞぞぞ、と。

 不審な物音が背後の廊下から響いたのだ。

 

 

 

 誰だ? と少年は首だけを回転させて、じっと椅子の上で待ち構えた。

 

 部屋を仕切るドアのガラスは、暗くて真っ黒だ。

 おかげで向こう側で何が起きているのか、まるでわからない。

 

 

「もしかして宗吾くん?」

 

 生き物が徘徊していたような、はっきりとした動的な音だった。

 不安のなかで口から飛び出たのは、唯一、心当たりのある"とある友人"の名前だ。

 

「宗吾くんでしょ……?」

 

「……ふぃー。詩旗、オレっ。オレだよ」

 

 ずいぶんと遅れたが、"返事"はキチンと返って来た。

 囁くような。されど、精一杯叫ぶような。人に隠れてひそひそ話をする時のように妙にかすれた声だったが――――それは、予想していた"とある友人"のものに、間違いなかった。

 

 安心したとたん、詩旗の身体からはみるみるうちに緊張が抜けていった。

 

「もぉー! 何なの!?」

 

 抜け出たモノの代わりに隙間を埋めていくのは、当然ながらふつふつと湧き上がってきた小さな"怒り"だった。詩旗は、彼にしては珍しいことに、他人に物おじせずに声を荒げてみせた。

 

「毎回毎回、勝手に入ってこないでよ!?」 

 

「おい、デカい声だすな、小さい声で喋れっ」

 

 謝罪のひとこともありはしなかった。まったくもってマイペースな発言とともに、カタツムリの歩みのようにドアがゆっくりと開き、七分咲(しちぶさき)宗吾(そうご)が顔を現した。

 

 両手両足に無骨なブラックメタルのグローブとブーツを付けた、いつもと変わらないスタイルだ。ブーツは歩くたびにカツン、カツンとフローリングに冷たい音を立てている。

 

「ちゃんと玄関からさぁー、もぉー!」

 

 だが、不思議なことに。

 土足で家に入るなと、あって当たり前の注意を詩旗が促すことは、決してなかった。

 

「しー。いいから大きな声出すなってマジで。ちゃんと"玄関から入ってきた"ぞっ?」

 

「そーいう意味じゃないよ……」

 

 詩旗はようやく、学習机からくるりと背後へ振り向いた。

 無断で部屋に侵入してきた友人をとがめながらも、もともとは気の弱い少年は言われた通りに声量をぐっと抑えている。

 

「あのさぁ宗吾くん。学年も学校も違うんだから、宿題見せてあげてもいいけど意味ないと思うよ?」

 

 詩旗は去年の夏を思い出していた。結局あの時は、詩旗が言った通りに宗吾は学年が一つ上の中学三年生で、学校まで違うものだから、一緒に居ても勉強がはかどるはずもなく。

 互いにゲームに惚けてしまって、宿題はうやむやのままに……。

 

 

「ちげーよ。んなこと頼みに来たんじゃねえよ」

 

 冷たい友人の口調が、詩旗のぬるい回想を断ち切った。

 相手の声にはまるで温かみが無くて、今まで聞いたことのないほど感情が込められていなかった。

 驚いた詩旗は表情を確かめて、ますます混乱した。

 

 なぜかはわからない。だが、突然押しかけて来たはずの友達は、まだ何もしていないはずの自分を、ひどく攻撃的な目つきで睨みつけている。

 

 

「え? じゃあ何?」

 

「あのな、詩旗。これマジで冗談じゃないからな、真剣に聞けよ?」

 

 相手の形相は、とてもではないが遊びに来るつもりの人間がするものではなく……。

 その全身から凶悪な量のアドレナリンが噴出しているのを、本能的に詩旗は悟った。

 

 

 まっとうな日常生活では決して見かけることの無い、"特別な感情の昂ぶり"。

 それを目の当たりにすると、去年の様な――――命の危機が迫った"あの時"の事が脳裏によぎった。

 

 とにもかくにも、お互いの真剣さの度合いが大幅に食い違っていることがわかって。

 とはいえ、しかし、自分はそんな話を聞き入れる準備などできていないのに。

 

 ただ……。

 目の前の友達が"ただならぬ精神状態"に陥っているその原因には、自分も心当たりがあって――。

 

 思い当たる出来事は、そう多くない。

 だがそれは、詩旗にとって最悪のニュースにも等しかった。

 

 とてもそれが現実だとは信じられなくて、信じたくなくて。

 故に、先に切り出したのは詩旗のほうからだった。

 

 

「あの……宗吾くん、あの、この前の話。やっぱりボク断ろうと思ってて……」

 

 

 能面のような宗吾の表情は、ピクリとも変わらなかった。

 その時点で、"嫌な予感"は確定したも同然だった。

 

 

「悪りい、もう遅せえ。もう"やった"。今"やって"きた。無理だぜ、もう。だから――」

 

「え?」

 

「だから小声で話せって。いいか? いいな。あのな、今日の昼間、今さっき、"やって"きた。"やって"きたんだ、マジで。これはマジだからな。準備できてるか?」

 

「……ううん」

 

 正直なところ、首を横に振ることさえ恐ろしかったにちがいない。

 

「詩旗! オレらもう現在進行形で狙われてるんだ。ここに来るまでにも、マジでそれっぽいヤツ等に既に"追われ"てきてんだよ。わかるか?」

 

「はぁ、ここに!? なんで?! なにしてんだよっ!?」

 

「うるせえってッ、静かにしろよっ。まだ見つかってねえから心配すんなって」

 

「そいつら"警備員"だった?!」

 

「絶対違う」

 

「ッ、やっぱ相手は理事会の"捜索部隊"なんだよっ! どうすんの? 見つからずに済むわけ――

「今はまだ大丈夫なんだって! バレてんならとっくにこんな家見つかってる。だろっ?!」

 

「……うぐ。ちくしょう、だからボクん家に着いた時、静かにしてたのか」

 

「んッとに心配すんな。今はまだ……オレのことを探してる段階のはずだって。そもそも捕まりさえしなきゃオレらのこととかはそう簡単にバレねえはずだろ?」

 

 うろたえにうろたえた少年は、悲痛な面持ちのまませわしなく身体を震わせ、最終的にベッドに深く腰掛けた。

 

「あぁーもうっ……あぁー、もおぉぉ……」

 

 視線はずっと下に向けられている。必死に不安を抑え込もうとしているのか、片膝はずっと小刻みにゆすられっぱなしだった。

 

「いいな、オマエは1人で徹兵たちと合流しろよ。しばらくしてからな? 場所は前話してたとこに、教えた通りにいけばいいから。追手っぽいヤツ等は大丈夫だ、俺が引きつけとく。これからやるから……」

 

 その言葉に詩旗は面を上げたものの、悔しさを滲ませた顔で無言の抗議を発している。

 

「いっとくけど、オマエが一番安全なんだからな? 落ち着いて堂々としてりゃいいんだよ。普段通りに生活して、"姐さん"か(かなめ)に拾ってもらえ。いいな?」

 

「でも、やっぱさぁ……ボクOKしてなかっただろぉ?」

 

 なおも説得を重ねた宗吾だったが、うらめしそうな涙声で言い募られて、とうとう苛立ちまぎれに脅すような物言いになった。

 

「じゃあ今からまっすぐ"警備員"に行くか? そんで何もかもゲロって、オレらの事まで売って、"姐さん"まで裏切って……結局それで助かるかもわからねえんだぞ? 姐さんとかオレらは間違いなく助からねえけどな!?」

 

「いやだよ、ちくしょうぅぅ……」

 

「いいからこいよ! オレらもう始めちまったんだ! あとはやるしかねえんだよ! そりゃ失敗するかもしれねえけど、オマエ今ここでやめるって、そのあとどうすんだ、オマエ捕まっちまうぞ!? ちがうかよ? 1人で逃げ切れんのか?」

 

「なんでボクっ?!」

 

「オマエの能力がいるんだよ! 頼むから助けてくれよ。今更やめるとか言うなよ? 一緒にこいよ!」

 

 じっと見つめたが、返事は一向にない。

 相手は完全に下を向いてしまって、ぽろぽろと涙をこぼし続けている。

 

 ややして。

 気まずそうに目をそらし、宗吾はぽつりとつぶやいた。

 

「泣くなって……ふーっ。……クソ。詩旗、頼むって。オレだってそろそろ行かなきゃヤベえよ、あんましここには長居できねえし……」

 

 もう一度だけうつむいたままの頭を見て、諦めたようにため息をついた。

 

 沈黙に飽きたのか、それとも、何かを思いついたのか。

 そこで、うんともすんとも言わない友達から目を離し、宗吾はおもむろに部屋の中をきょろきょろと見渡し始めた。

 

 テーブルの上にティッシュ箱を見つけると、彼は近づいて、カシャカシャとティッシュを数枚取り出して。ドカッと、床に腰を下ろした。そして――。

 

 右腕を、仰々しいブラックメタルのグローブごと、左脇に挟むと。

 ――――カシュゥッと空気音を響かせ、肘関節の部分まで覆っていた"それ"を取り外した。

 

 脇がゆっくり開くと、グローブはテーブルに落ちて、ゴトリ、と重量を感じさせる音を産んだ。

 

 

 

 機械式のグローブに包まれていた宗吾の右腕が、露わになった。

 

 そこから現れたのは、"生身"の腕ではなく――。

 ――プラスチックのような非金属の材質でできた、"義手"だった。

 

 シリコン製にも見えるカラーリングに、妙に有機的な曲線を取り備えたデザイン。

 とうてい人間の手の形状には思えない。

 

 言葉で簡単に説明すれば、こうなるだろう。

 肘から無遠慮に生えた一本のパイプの先に、チューブ状の"指らしきもの"が5本垂れ下がっている。言いようによってはそんな風に形容できそうな、まさしく異形の腕そのものだった。

 

 事実、それを初めて目撃した宗吾の周囲の人間は、皆驚いたものだ。

 確かに仕方がないことなのかもしれない。

 最低限の機能しか備わってなさそうな簡素な腕の造りは、あまり見ていて心が和むデザインではないだろう。

 

 しかし……。

 

 宗吾はその5本のチューブを生身の人間の指以上に器用に動かし、外したばかりのグローブの手のひらを、ごしごしとティッシュペーパーでこすり出した。

 

 そうして、手慣れた動作でグローブのウェアラブルカメラの汚れを拭き取ると、満足そうにティッシュペーパーを放り投げた。

 

 テーブルの上に落下して広がったそれは、綺麗なものだった。破れてすらいなかった。

 

 それがティッシュではなく、たとえば豆腐であったとしても、その腕は何だって壊さずに掴み取れただろう。

 

 なぜなら、見た目はどうであれ、宗吾の右腕は学園都市の先端技術が造り出した、最新式のロボティックテンタクル(無関節マニピュレーター)アームなのだから。

 最先端の冠通り、物を掴んだ指先の精緻な触覚すら、神経を通じて完璧に再現されている。

 

 もはや"生身の腕"以上の便利さと汎用性を備えているといってもいい。

 

 だが――――その機械の塊を見つめる宗吾の瞳には、発達した科学技術への畏敬の情は、微塵も含まれてはいなさそうだった。

 

 

 詩旗はそんな友人の行動を、ずっとベッドの上から眺めていた。

 

 

 宗吾の両手両足は、まったく同じ規格の金属の装甲で覆われている。

 右腕だけではなく、残る左手と両足も、その黒い装甲の下は機械の身体だった。

 露出しているあの右手と、似たような有様だ。

 

 

 いつの間にか、両手両足真っ黒のアイツの姿にすっかり慣れてしまっている。

 去年の今頃は、あいつはきちんと全身で汗をかけていたはずなのに。

 

 

 グローブを脱いだ宗吾の、あの歪に細い手足を見ると、思い出さずにはいられない。

 

 

 いっしょに無くなった"パーツ"を探したけれど、見つかりはしなかった。

 "生身"を失った直後は、あいつは別人のように落ち込んでしまって……。

 確かに。あいつが怪我をする前の活発な人柄へ戻れたのは、"あの人"と出会えたからだけど……。

 あれから宗吾は変わってしまった。変わるなと言う方が無理難題だったのかもしれないけれど。

 

 

「……どうしても嫌だっつうなら……でもここに隠れてても他のヤツ(なかま)が捕まった時点で、いずれオマエのこともバレるだろ……1人じゃどの道危ないぜ? 一緒に行こう、な? オレらには"姐さん"たちがついてんじゃん、何とかしてくれるって!」

 

 

 パワーアシストグローブを元の部位に装着すると、宗吾は泣いた詩旗を気遣うように、トーンダウンした口調で語りかけた。

 昔と同じような楽天的な顔つきで、まるで遊びにでも誘うような態度だった。

 

 ただし、昔とは……宗吾はもう"この街"に何の未練も無い、というその一点において、決定的に違うのだろう。

 

 ……このまま、こいつを一度も助けられずに、ボクたちはここで……?

 

 

「……わかった。行く」

 

「え?」

 

「行くから」

 

「……マジで?」

 

「行くって! 行くからっ!」

 

 目を散々に赤くしていたが、友達はきっぱりと断言した。

 

「よっしゃ! よっしゃ! こいよ、来いよ? うーしそれじゃ後で"姐さん"のとこでごうりゅーう、しようぜっ!」

 

 ひとまず予定通りの展開になった、と宗吾は胸をなでおろし……そして休む間もなく、友達に別れを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "つけ"られている。

 宗吾は左右両手のグローブに搭載された赤外線ウェアラブルカメラで、自分を追跡する"敵影"のようなものを、こっそりと捕捉しつづけていた。

 

 見るところ、後ろから二人。

 

 相手が一体どうやって追跡し続けているのか、まるで理解が及ばなかった。

 自分は"能力"を使って、街の障害物を"突き抜けて"移動しているはずなのに。

 

 

 "警備員"如きにこんな真似ができるはずがない。

 だったら自分たちはとっくの昔に捕まっている。

 

 

 ゴクリ、とつばを飲み込んだ。

 もうそろそろ、頃合いなのかもしれない。

 勝負にでるかどうかの分かれ目という意味で。

 

 

 

 

 追跡者たちに嗅ぎつけられたのは、獏野詩旗の家から出て随分たってからだ。

 それ以前からつけられていたとは思えない。なぜなら、自分はそういう"能力"だからだ。

 

 宗吾は強能力者(レベル3)だ。能力にはそれなりに自信がある。

 その上、能力者の中でも特に選ばれた存在なのだから、その点には自信を持っていいはずだった。

 

 自分が捕捉されたのは、きっとあのアメリカ人傭兵たちが自分と才波徹兵(さいばてっぺい)の情報を漏らしたからに違いない。

 

 そろそろ見つかる頃合いだと"姐さん"から警告があったと、最後の連絡で徹兵からもそう伝えられていたことだし。

 

 

 ……姐さんは"暗部"の奴らとは戦うなと言っていたが。

 指揮を執ってくれている徹兵は、詩旗から敵の目をそらすために陽動を頼むと言った。

 

 結果的にその必要はなかったように思うけれども。

 自分とてわざわざ危険を犯す真似はしたくないけれども。

 

 

 全速力で姿をくらまそうと逃げているのに、相手はくらいついてくる。

 先ほどから、距離を全然引き離せていない。

 追いかけっこで振り切るのは厳しそうだ。

 

 

 

 だから、頃合いに違いない。他にどうしようもない。

 

 

 

 両手両足のパワーアシストツールとの接続を確認する。

 端部の各センサーの調子も、インターフェース上は良好だ。

 戦術を頭の中でなんども反芻して、決着をつける場所を選別する。

 

 

 ――あそこだ。あの天井の低い工場にしよう。

 一度通った場所だから、内装はほとんど覚えている。

 

 

 宗吾は、目的の場所で追跡者を待ち構えることにした。

 

 

 

 無人の加工工場で、工作機械の森を駆け抜ける。

 追手は計画通り、半ば姿を隠すことを断念したようで、猛スピードでせまってきた。

 人目のない空間という条件を、相手も気に入ったようだ。どうやら決着をつける気でいるらしい。

 

 

 二つの影はしたたかに動き回って、宗吾の逃げ道を誘導した。

 素人は素人だったということなのか、とうとう宗吾は施設のただなかで、挟み撃ちにあってしまった。

 

 

 覚悟していたつもりだが、やはり囲まれた瞬間は、思考が一時、停止してしまった。

 動きを止めたその一瞬をつかれ、頬の真横を、"スマートウェポン"の弾丸らしきものが掠めていった。

 宗吾は凍りついたように、その場で動けなくなった。

 

 心臓はバクバクとなり響き、たまらず彼はゴクリ、と息を飲んだ。

 

 まだ生きている。なんとか無事に、銃撃は威嚇のみに終わった。

 そうでなくては。涙がでそうになるのを必死に我慢した。成功してよかった。

 

 宗吾は両手を挙げて、降参の合図を示していたのだ。

 

 

「ま、待ってくれ。プロ相手にどうにかなるとは思ってない。頼む、抵抗はしねえ」

 

 

 無抵抗を装って掲げた義肢の腕には、カメラが内臓されている。

 そのレンズは――背後の光景を脳裏に繋ぐ。

 

 男たちは宗吾の真後ろから近づいてきた。

 やはり二人だ。他に仲間はいない。

 やれる! 二人なら、やってやる!!

 

 

 男たちは殺傷から無力化への選択肢を取って、武装を交換しようとしたのだろう。

 

 見たこともないほど多機能的(高価そう)なアーマーを着込んだ彼らの両手が、その瞬間だけスマートウェポンへと伸びた。

 

 

 宗吾はその隙を突くことに、全霊を懸けた。

 

 彼の能力、Lv3の"分割移動(バイロケート)"が発動した。

 

 

 

 宗吾はパワーアシストシューズのグリップ力と馬力任せに、驚異的な速度で身体を翻した。

 ほとんど同時にスマートウェポンの発砲音が聞こえたが――――それらは全て、自分から的外れの方角へ飛んでいった。

 

 突如、何もない空間から現れた(・・・・・・・・・・・)4本のロボティック・テンタクル・アームが、それぞれの男たちの腕と銃口をがっちりと掴み込み、その自由を奪っていたのだから。

 

 "分割移動(バイロケート)"。

 その名の通り、"空間移動系"の能力である。

 能力者の身体の一部を、それぞれ任意の場所に"分割"して"移動"させることができる。

 

 宗吾自身のイメージはこうなっている。

 空間に自分の好きなように2点のワープリングを創り出し、そこに自分の四肢を突っ込む。

 片方のリングに勢いよくパンチを突っ込めば、もう片方のリングから、そっくりそのまま自分の腕が飛び出していく。そんなイメージだ。

 

 

 強能力の評価を授かるだけあってそこそこ便利だったのだが、大きな問題点があった。

 "四肢"といった通り、空間移動させられるのは自分の身体の一部だけだったのだ。

 

 体の一部を、体から離れたところへ飛ばす。危険でないはずがなかった。

 

 宗吾は一年前に、能力を暴走させて四肢を失った。絶望せずにはいられなかった。

 "分割移動(バイロケート)"は自分の身体の一部しか転移させられない。

 だから四肢を失うということは、生身の身体のみならず、唯一の価値だと思っていた自分の能力(スキル)さえ失うということを意味していたのだ。

 

 

 ――だが、神は彼を見捨ててはいなかった。

 捨て鉢になった宗吾が最新の義体技術の被験者となって、あらたな肉体を得た、その時。

 

 "分割移動(宗吾の脳みそ)"は、その機械の身体を正当な肉体だと認めてくれたのだ。

 

 そしてさらに、宗吾は知った。

 新たなる出会いは、新しい出会いを呼ぶことを。今では、怪我をしたことは結果的に無駄ではなかったとさえ思えるのだ。

 "あの人"に、"姐さん"に、自分の人生を変えてくれる人に、出会うことができたから。

 

 

 

 だから、やれる!

 

 

 機械の肉体を得た今の自分には、"蛸"(オクトパス)のように"8本の手足"がある。

 パワーアシストグローブ一対。パワーアシストシューズ一対。そして、ロボティック・テンタクル・アームが手足で2対。

 

 

 テンタクル・アーム4本で、"後ろの2人"は完全に体勢を崩している。

 それぞれのアームにも、ウェアラブルカメラが内臓されていて、宗吾は自由自在に景色を視れる。

 

 そして彼には、未だ自由に動かせるパワーアシストツール(グローブとシューズ)の肉体がある。

 

 宗吾は振り返りつつ、思い切り足を踏み切って、力の限りにストレートパンチを振りかぶった。

 いかにパワーアシストツールを使った一撃とはいえ、あの最新式のアーマーには歯が立たないだろう。

 

 ……だが。

 "分割移動(バイロケート)"は絶対防御の盾を、いともたやすく貫通させる。

 

 機械の拳はアーマーを通り抜けて、やわらかい相手の胸部へと突き刺さった。

 衝撃で男はくの字にのけ反った。肉に拳がめり込んでいく感覚は、宗吾の背筋を凍らせたが――――彼はもう止まれなかった。

 

 間髪入れず、パワーアシストシューズに命令を送る。

 次の瞬間。

 人間の命をやすやすと奪えそうなアシストされた脚力が、なんのクッションも挟むことなく、もう一人の男の胸元へ炸裂した。

 けりを受けた男はやはり、凶悪な運動量を受けて吹き飛び、工作機械へ音を立ててぶつかった。

 

 

 

「はっ、はああっ、はあふ、ふう。クソ、クソッ、ううう。うううッ」

 

 宗吾は倒れ伏した男2人を見て、猛烈な後悔に襲われていた。

 

 なぜなら――――あまりに明確なのだ。

 この機械の手足を使って本気で殴れば、人はあっさりと死ぬだろう。

 

 

 2人とも、もはやピクリとも動いていなかった。

 自分を殺そうとしたんだ。もし失敗していれば、オレは殺されていたんだ!

 殺されていたのはオレの方だ! どうせ暗部の奴らなんだ。殺したってかまうもんか!

 

 

 殴る前は、必死でそう思い込もうとしていたのに。

 

 殴った後は、必死でひとつのことを考えるばかりだった。

 

 今から救急車を呼んで治療して貰えば、すぐ病院へ運べば。

 この人たち助からないかな?

 まだ助かるんじゃないのかな?

 今から助ければこの人たち死なないんじゃないだろうか?

 このままほっといたら死んじゃうんじゃないだろうか?

 

 

 

 

 だが、そんなことすれば、"みんな"が捕まってしまう。

 "姐さん"と約束したんだ。はやくみんなのところに帰らないと……。

 

 

 

 

「詩旗。信じろ、"姐さん"は最強だ。"能力主義(メリト)"の奴らなんて目じゃないだろ? 噂されてないだけで、あの人は"超能力者(レベルファイブ)"なんだ! どんな防御も通用しない!

"姐さん"は最強なんだぜ!」

 

 そこにはいない友達へ話しかけて、宗吾は言い聞かせるように繰り返した。

 そうして、まだかろうじて息のあった男たちへ背を向けて、彼は駆けだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 給湯室のドアを開けた景朗を気分よく歓迎してくれたのは、トタタタタタタッ、という軽量級の足音だった。

 

「ウルフマン、あった?!」

 

「いや、無かった」

 

「……そうなの」

 

 期待を弾ませて出迎えてくれたオペレーターさんだったが、否定の返事にすぐさま顔を曇らせてしまった。

 

「もう勘弁してくれよ。"警備員"の証拠品保管庫に無いとすれば、あとは……ん? ……あ、ああああ、おいおいおい、それ掴んでちゃ駄目だったんだぞッ?」

 

 静かにうつむいていた少女は、さきほどから両手で"小さな何か"をむんず、と掴んだまま、尚も逃げられない様にムギュッ、と握りしめていた。

 問題は、その手の中の"小さな何か"が、ジタバタと暴れていることだった。

 

「……この虫のこと?」

 

 もぞもぞと動き、小さな手の中からやっと顔だけぴょこりと這い出してきたのは、景朗が"アクティブセンサー"として残しておいた"羽虫"くんその()だった。

 

「それなぁ、お前さんに何かあった時に、俺に危険を知らせてくれるように置いといたんだから」

 

 

 高度な神経回路を持つ動物、たとえば人間などに対して景朗の能力は、直接的には痛覚に干渉して痛みを和らげたりできるかどうか、といった低レベル級の現象しか導出できない。

 だが、対象が己の細胞をその身に刻むこのくらいの小ささの虫けらともなると、それなりに話が違って来る。

 

 景朗が用意した"羽虫くん"は、ダーリヤ以外の人間の存在を感知した瞬間、景朗の元まで全速力で帰ってくる。

 もっとも、いつでも使える様に新鮮な虫の"卵"を体内に保管しておくのは、それなり以上に抵抗感があったが……むちゃくちゃ便利なので、景朗曰く『慣らした』らしい。

 

 ともあれ、ダーリヤが捕獲しているその虫は、機械類のセンサーと合わせて、二重にも三重にも張り巡らせておいたセキュリティの要の存在だったのだ。

 

 

「ねえ何この虫? こんな虫見たことないっ!」

 

「んーと、それは、学園都市が開発した新種」

 

(ほんとは嘘だけど)

 

「なにそれほんと!? 賢いのね……」

 

「一応大丈夫なはずだけど、刺されたりしてないだろうな?」

 

「んーん、けっこう力強いわねこの虫」

 

 オペレーターさんは虫の顔を間近でガン見している。

 人によってはそれだけで"アウト"なスズメバチにも似たフォルムに、さらにその上からヒールレスラーが使う凶悪なマスクを被せたような、相当"悪魔的"な顔つきをしているであろう羽虫くんに、まるで物怖じしていない。

 

「……きみ、そういうの(・・・・・)平気な子なのね……」

 

 彼女の年頃だと既に"虫"と名のつく外見の生物は苦手としていそうだが、まったくそういうことはないらしい。

 

(みんな小さいうちは割と平気なんだけどな。小学校高学年くらいになるともう……手纏ちゃんとか卒倒しそうだ)

 

 こんな事で判断するのは間違っているだろうが、オペレーターさんはその外見と育ちに違わず"個性的な性格"をしているような、そんな気がしてならない。

 

 

「はぁ。さあほら、いい加減離してやってくれ」

 

 彼女はもう飽きていたのか、言われたそのままに"彼"を解放してくれた。

 

 ブブブブ、と宿主のニオイにつられて飛んで来たところを捕まえて、景朗はあきれ交じりに口を開かずにはいられなかった。

 

「羽がよれよれだ……まさか俺が帰って来るまでずっとイジってたんじゃないだろうな?」

 

 だが、景朗も景朗で、負けてはいなかった。

 そう言った後で、弱弱しくなった羽虫くんを、なんと――――パクリと口に放った。

 そして――――バリバリ、もぐもぐ、ゴクリ、と。一飲みにしてしまった。

 

「あっ……!」

 

 オペレーターさんはぷるぷると震え、『むしさん……』と呆然とつぶやいて。

 

「……おいしい?」

 

 興味津々な顔で、そう言った。

 

 

 

 

「ぷっ。はははっ!」

 

 一連のやり取りで気が抜けたのか、景朗は安心したように笑ってしまった。

 

 心配していたよりも、ダーリヤは落ち込んではいない。

 

 

 

 

 

 たった今、景朗は第七学区の"警備員"の証拠品保管庫へ、ダーリヤの帽子を探しに潜入してきたところだった。

 

 思い出したように『マーマのロシア帽を探してくれ』と言い出したダーリヤは、そこから一歩も引かなかった。

 

 

 子供とはいえ、彼女は"オペレーターさん"である。それほどまでに固執する帽子には何か事件に関連する秘密があるのかと、景朗はそこで改めて尋ねてみた。

 

 

 ダーリヤの答えは、NOだった。

 

 必死に懇願する彼女の話を聞くと、彼女の言う"マーマ"が大事にしていた"形見"であり、当人にとってはこれ以上無く大事な代物だった、ということに過ぎなかった。

 

 

 それでも、ダーリヤはしつこかった。なにしろ"形見"であるのだから。

 

 しかし、景朗にとってはもちろん違う。

 個人的な執着以上の価値はないと、当人が断言した以上、リスクを犯す必要はない。

 

 どう考えても、探してやる必要はない。

 

 ところが、自分でそう結論を出したにもかかわらず、景朗は……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんか、意外と元気そうだな。今の見ておなかへったか?」

 

「うん。おなかすいたわ」

 

「ほんとかよ」

 

 たった今、目の前で昆虫食を披露してみせたばかりで、我ながら意地悪な質問だったと思ったものの、ダーリヤの返事は快活だった。

 

「あのさ、オペレーターさん、その恰好で気持ち悪くないの?」

 

「"ウルフマン"、さあはやくいきましょう」

 

 シャワーをあびろ、とまた言い出されるのが嫌なのか、オペレーターさんはいそいそと靴を履いて、手早くドアを開けてしまった。

 なんだか、イメージしていた"オペレーターさん"像と全然違う。

 

「おーけー、前向きに考えるよ。オペレーターさんがどこに居ても俺には(そのおしっこのニオイで)すぐわかるってね」

 

 ビルの間取りは一度見ただけで覚えてしまっていたらしい。

 オペレーターさんはパタパタと軽快に、景朗を先導して歩いていく。

 

「でも、どこで食べるの、ウルフマン?」

 

 彼女のいう事ももっともだ。八月の終わりとはいえ、この時期にここまで陽が落ちて暗くなっている以上、完全下校時刻は確実に過ぎている。

 まともな学区なら、飲食店もそのほとんどが店を閉めている頃合いだ。

 

「それな。いい考えがあるんやでー!」

 

「やで?」

 

「あっうっ、ごほん。オペレーターさん。オペレーターさんを襲ったヤツラは俺に邪魔されて、すんげー苛立ってるよな。ヤツラにもスケジュールってものはあるだろうし、取り返すならできるだけ早い方がいいと思ってるはず」

 

「そうね」

 

 『だからなに? さっさと要件を言って』と、自分を振り向いた九歳時にさげすんだ目を向けられ、高校生にくすぶっていた最後の罪悪感は、ぷつりと消えてしまったようだ。

 

「そいつらをおびき出すなら、今からの時間(次の朝日が昇るまで)は絶交のタイミングだろ。だからちょっとだけリスクを犯して飯を食うことにするから。んで、待ち伏せにうってつけの場所があるんで、そこにいく。"屋台尖塔"ってとこ。知ってる?」

 

「知らない。ん、ちがう、やっぱり聞いたことはあるわ。駐車場のところね?」

 

「そうそう、でっかい立体駐車場。学園都市中の物好きが集まって色んな屋台を開いてる場所さ。場所は割と近いぜ、第十学区にあるからな。んで、ちょうど今は夏休み最終日だからデカい"フードファイト"の大会が開かれてんだけど」

 

「今からそこに行くの?」

 

「おう。好きなの食べていいぜ。けど、できるだけ俺の目にとまる範囲に居てくれよ?」

 

「ふうん。そこはそんなに広いの?」

 

「ま、行けばわかるさ」

 

 

 

 景朗が口にした"フードファイト"とは、彼が垣根帝督と戦い、その後仄暗火澄と喧嘩別れをした際に、飛び入りで乱入して勝利をかっさらった大会のことである。

 "屋台尖塔"で定期的に開かれている賭け試合でもあり、スポンサーや客層の質、第十学区のど真ん中という立地も相まって、裏では大金が動く、その実危険な代物であった。

 その運営に関しては、マフィアの様に潤沢な資金を得たスキルアウトのグループ、企業群、果ては"理事会"までもがからんでいる、との噂もある。

 

 その真偽は定かではないが、"フードファイト"関連団体が凶悪なほどの資金力を持っているのは確かだった。

 大会が開かれる期間は"屋台尖塔"内部に万全の安全対策が敷かれ、プロの傭兵や警備会社が神経を尖らせて警備に当たるようになる。

 

 "どこか(暗部)"でみたような顔ぶれと遭遇する可能性すら、あるかもしれない。

 

 景朗が"うってつけの場所"と呼んだのは、まさにそれが理由だった。

 

 "フードファイト"期間中の"屋台尖塔"は、"第十学区"のみならず、"学園都市"においても有数のセキュリティを備えた"試合会場(レストラン)"へと化けるのである。

 

 

 オペレーターさんを攫いに来られるのなら、是非来てほしい。

 その方が楽ちんに違いない。

 景朗はむしろそう思っているほどだ。

 

 

 

 

 話をしているうちに、景朗とダーリヤはビルの1階裏口正面への階段を降り切ってしまった。

 

「じゃあ、オペレーターさん。ちょっと俺の顔(こっち)を見て?」

 

「変わってる。……わぁ」

 

 景朗の顔を見上げたはずが、そこで別人の男を見つけて、ダーリヤは感嘆の言葉を漏らす。

 新しい顔を作り上げた景朗は、満足げにニヤッと笑った。

 

「この顔の俺を呼ぶときは、"ウルフマン"じゃなくて"餓狼(がろう)"って呼んで。いいな? 絶対だぞ、ウルフマンって言うなよ?」

 

「はいはい。じゃあウルフマンもわたしのことダーシャって呼んで?」

 

「……そっこー間違ってますよ」

 

「あっ!」

 

「はぁ……うーん。オペレーターさんも少しは顔を隠さないとなぁ」

 

 やれやれ、と息をついて、景朗はすくっと立ち上がった。

 

「ねえガロー、わたしのことはダーシャって呼んで?」

 

「ダーリヤ、ダーシャ。まあ……いっか。了解、"ダーシャ"。じゃあ、ちょっとそこで待っててくれない?」

 

 そういって、景朗は真横にあった倉庫のドアを開けて、一人で中に入っていこうとしたのだが。

 

「おいまてい。そこにいろよ、こっち見るなって言ってんだ」

 

 すぐ近くでパタパタと少女の靴音が鳴って、油断ならぬ、と注意しなくてはならなかった。

 

「ウルフマンどこ行くの?」

 

 返事の前に、バタン、とドアはしまった。

 ダーリヤは本当に物怖じしない子供らしく、彼女はすぐさま金属製のドアにペタリと耳を押し付け、中の物音に聞き耳を立て始めた。

 

 

『ガロート呼ベー、モガ、ゴキュ、ゴフフッ――』

 

 要領を得ない答えが内側から響き――――。

 

「ガロー、どうしたのよー?」

 

 ものの数十秒で、"餓狼"は右手に何かを携えて倉庫から現れた。

 彼が握っていたのは――――本物と見間違えてしまうほど"非常に精巧"に作られた、"オオカミの被り物の頭部"だった。

 

 

「それなに?」

 

「ほら、これ被って顔を隠せるか?」

 

「これッ、オオカミ! すごい、本物みたい! ……ほんもの?」

 

「んなワケないじゃん。あれ? ダーシャさんもしかして狼嫌いだった?」

 

「ううん好きよ! 大好き! マーマのウシャンカもオオカミの毛皮だったのよ! うわぁー! ……あ……ね、ねえウルフマン」

 

「どうしました?」

 

「なんか"うちがわ"がねとねとしてるわ、なにこれ?」

 

「ああそれ、アルコールアルコール。アルコールで拭いたの。というかガロウね? あんまし間違えないでね? というかそろそろ自分で自分の事『ガロウと呼べ』って強要するのハズかしくなってきたからもう言わせないでほしいの」

 

「うーん……えいっ!」

 

 "ダーシャ"はくんくんと景朗の毛皮の臭いを嗅ぎ、しばらく迷っていたが。

 ややして覚悟を決めて、すぽりと頭から被ってみせた。

 

(小便はガマンできる癖に……)

 

「ガロウ、いいわねこれっ!」

 

 "オオカミの被り物"の大きく開いたアゴの合間から、ダーシャの真っ白な顔がこちらを覗いでいる。なんとも嬉しそうな表情だった。

 

「それじゃあほら、新しい虫さん――どあッ! 触るな! 握るなって! 服に着けといてくれよッ!」

 

 新たな監視役の"羽虫"を渡そうと思ったのだが、予想に反し、ダーシャは力強く――直接"羽虫くん"を握りしめるような軌道で――腕を振り下ろそうとしたので、またもや景朗は注意せざるをえなかった。

 

 今度はおそるおそる、ゆっくりと彼女の頭部に虫を乗っけて、景朗は一言、こういった。

 

「オペレーターさん、俺、正直――――もっと言う事聞いてくれるかと思ってたわ」

 

 げっそりと息をついた景朗は、祈るように少女へ視線を合わせたが……ダーシャはとことんマイペースだった。

 ピカリ、とその琥珀色の眼が光る。新たなアイデアを思いついたようである。

 

「ねえガロー、今度は"ウルフマン"の"毛皮"で新しい帽子を作ってくれないかしら?」

 

「エグいことさらっと言うなぁ……なあ、君のなかで"ウルフマン"ってどういうポジションにいるのん? 聞くのが怖くなってきたよ」

 

 バケモノじみたスタミナを持つLv5の肉体変化能力者といえども、精神に限っては、徹底的に疲れさせることができるのかも。

 こいつは本格的に楽しくなってきそうだなぁ、と。乾いた笑いが景朗の唇から漏れていた。

 

 

 




※この後、景朗とダーリヤは"屋台尖塔"にて彼らの直面する事件とは全く関係のない"とある騒動"に巻き込まれますが、そのお話は番外編 "extraEp05:美味礼賛(ガストロノミー)" にて後日、お伝えします。


一応、全編ギャグにしたい、というか挑戦したい、と思ってまして。
寒くても甘んじて生き恥を受け貫く覚悟です。
投稿は先になると思います。構想だけで書きあがってないですから…



さて。

どあああああ、三か月の遅れ、申し開きできません。
ふぉ、ふぉーるあうと4が……

あとリアルの事情が落ち着くとか言っといて落ち着かなかった!

もう何を行っても信用してもらえねえな! 更新するしかなひ!


ストーリーが進んでないorz
ダイジェスト的でもうおそ松なできになってもいいから
スパッと展開を転がしていかないと、マジで今のままだと……
どうしてできないんだあorz


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episode32:欠損記録(ファントムメモリー)④



期間が開きましたが、投稿再開の折に更新したのは

episode32
episode33
episode34

以上の3本です。
合計で10万字ありますのでお気を付け下さい。

皆様。
本当に、本当にお久しぶりです。

まず最初に、この4年ほど、いただいた感想に返信せず、放置していたことをおわびします。すみませんでした!!


うつ病で文章をかく元気がありませんでした。

ようやく、元気が湧いてきて、投稿までこぎつけられました。

皆様を振り回しっぱなしで逃げ出していたことを心苦しく思ってました。

キチンと完結させます。






 

 

 

 景朗とダーリヤ。

 急造のでこぼこコンビが"屋台尖塔"に立ち入った。

 そこでは『想定外のトラブル』が2人を待ち構えていた――――ので、あるが。

 しかしそれは、ダーリヤを襲った謎の組織とはまったく別の案件だった。

 彼女とは無関係だったのである。

 なにしろ、その『想定外のトラブル』の原因を作ったのは、過去の景朗自身だったのだから。

 

 簡単に説明すると、こうなる。

 尖塔内で開催されていた夏休み最後の大イベント、『納涼チャンピオンシップ』。

 景朗はこの定例大会のいくつか前に開催された『新人歓迎食人遊戯』に参加し、優勝を収めていた。

 

 そう、『定例』大会である。であるのに、もちろん景朗は以降の大会には出場していない。

 彼は知らなかったが、コテンパンにされた当時のチャンピオンはその後、成績不振を引き起こし、大会は今や戦国時代の様相だという。

 フードファイトには賭博が絡んでいる。乱戦の端緒となった餓狼は行方不明。この逸話を観客は餓〇伝説と呼んだ。(あれ、なぜか伏字に。。

 とにかく、観客も選手層にも不満があった。

 その心情を組んだ実行機関は"餓狼(景朗)"の首に賞金をかけるに至った。

 それは無論、命を狙うというものではなく、大会に連れてこい、という大手スポンサーと大衆の意志だった。

 

 

 かような背景をつゆ知らず。

 会場に足を踏み入れた景朗は不幸にも、打ち負かした元チャンピオン当人に声をかけてしまった。

 彼は、大会出場者はみなが例外なく食事処の情報通だと知っていた。

 ただ、おすすめの店を訊きたかっただけなのだろう。

 

 "そういえば前回、試合でご一緒しましたよね"程度の認識で軽く挨拶を済ませたところで、それが地雷の上に自ら手榴弾を叩きつけるが如き行為だと思い知らされる。

 

 

 餓狼だ! 出口を塞げ! 逃がすな! という叫び。ねぐらに棒をつっこまれたスズメバチのように、あっという間にどよめきが伝播した。

 

 

 コアなファンは餓狼を逃がすまいと捕り物に協力し、見物客はイベントまがいの見世物かと興味深々だ。

 景朗と少女は取り囲まれ、罵倒され、不満を糾された。

 やたらいい匂いのする香ばしい粉をぶっかけられたりもした。

 ダーリヤはくしゃみが止まらなくなった。

 

 

 しかし。なぜかそのうちに、完全アウェーとでも言うべき敵意は、期待と興奮の香りへと変わっていって……。

 

 『"餓狼"をトーナメントへ強制参加させます!』

 

 人だかりをかき分けてきた運営スタッフは、混乱する景朗に向かって宣言した。

 

 嫌です。帰ります。逃げます。さようなら。

 

 それが景朗の心の声だった。とはいっても、アテにしていた"屋台尖塔"のハイクラスな警備がアダとなり、穏便に会場から出ていくことは難しかったのだろう。

 こうして彼は再び"餓狼"のリングネームを名乗るハメになったのでした……。

 

 

 

※⦅フードファイト編は、番外編としてやる予定です⦆

 

 

 

「また行きましょヲルフマンっ」

 

 エキサイトのなごりが冷めやらぬダーリヤから、景朗は疲れたように目をそらした。

 屋台尖塔では無意味で余計な骨を折っただけだった。

 ダーリヤを襲った集団の影すら掴めなかった。それは別に構わない。

 ただ時間を無駄にしただけで済んだのであれば、ぜんぜん良い。

 問題は、この蓄積された精神的疲労である。

 

 絶えず視線を寄こすダーリヤに歩幅をあわせて、それに気づかないふりをして景朗は歩いた。

 2人はまだまだ活気あふれる第十学区の裏通りを迷路のように巡り、帰りの途に就いた。

 

 

「明日も行く? 行きましょう?」

 

 とまあ帰宅したばかりで相変わらずの、この言い様である。

 観ていただけのチミはさぞ楽しかっただろう。

 

「ふざッ、ヴフッ。無理ィ、無理ですよっ」

 

 このガキんちょが相手では、考えて発言しなくてはダメだ。

 この数時間で、景朗とてそのくらいのことは学習している、つもりである。

 

「これから何をするの?」

 

 スパークシグナルにケチをつけ、プラチナバーグの怪しい取引を受け入れて、そしてフードファイトに意味もなく巻き込まれ、あげく、この少女に関わるトラブルへの手がかりは何一つ得られておらず。

 

「うーん、そうだなぁー……」

 

 あくせくと頭を使うのもいいが、情報量が限られているこの状況では終わりが見えてこない作業でもある。

 仮にも学園都市の暗部組織が1つとならず動き回っているわけなのだから、待つ時は待つ。

 そういう事にしよう。頭を使うことに自信がないからではない。決して。

 

「もう着いたし、とりあえず中に入れよ」

 

 これから何をすると問われたが『眠っていてもらうのが一番楽だ』とは言いづらい。

 言わずもがなダーリヤはゴキゲンである。

 帰宅道中のハシャギ様からして、そんな事を言えばキンキン声で反論されるに決まっている。

 むべなるかな、そもそも彼女を昼間にさんざん眠らせたのは景朗当人である。

 また眠らせるのは酷だろうか……いや、それほどか? いやいや、別にいいじゃないか。

 子供は寝るのが仕事って言葉もあるし。

 

 彼が開き直るのははやかった。

 

「ねえウルフマンは学校に行ってるの? 明日から学校が始まるんでしょう? ん、今日からだったかしら?」

 

 少女はセーフハウスの玄関をまたいだ途端に、開きかけていた口のチャックを解き放った。

 

「今日からだなー。そういう君こそ学校はどうしてた?」

 

「行ってないわ!」

 

 あっけらかんとした返事は、予想していたことだから意外性もない。

 ただ、学校に行っていないとなれば同年代とふれあう機会がほとんど無い。

 それがどうしてか、彼女はそこに不満がない風である。

 若干の引っかかりを感じたりもするが。

 

「……ほーう。そうなん」

 

「え、ウルフマンの学校は?」

 

「それを知られたら君を殺さなくてはならない」

 

 無論、景朗は冗談めかして言ったが、硬い意志は含めていた。

 ムッとしたダーリヤであるが、意外と聞き分けはよかった。

 

「じゃあ。これからなにするの? なにするの?」

 

「うーーーん、だからそいつを考えてる。あ」

 

 彼女の身の上話を続けていても、あまり楽しくなりそうではないぞ、と気づき。

 景朗は、じんわりと考え込み、はっとした。

 

「決まってんだろ」

 

 にやりと笑った。

 

「風呂だ」

 

 ようやく、かねてからの要求を突きつけられる。

 こいつをシャワールームに叩き込んでやる。

 

 

 

 

 

 

『ウルフマンちゃんといる?』

 

「ふぃぃぃぃ。そういやこんなことが日常茶飯事でありましたなぁ」

 

『ウルフマン?』

 

「ェーイ」

 

『ねえウルフマン』「オッケーわかってる。ちゃんと聞いてるよ。ちゃんと話もするよ」『ん。そうしましょう』

 

 シャワールームのドアにもたれて座る景朗は、生返事を吐き出すのをやめて、長々と続いていた呼びかけにやっと応じることにした。

 ダーリヤを風呂に押し込み、ちょこちょこと雑用を済ませようかと思いきや。

 超人的な聴覚をもってしては『うるふまん、うるふまん』と自分を呼ぶ声が、シャワールームからガッツリ聞こえてきて仕方なかったのである。

 

「へあ。……なあ、その"ウルフマン"ってのは一体全体どういう……その……"どういうニュアンス"で言ってんだい?」

 

『ええ?』

 

 ウルフマンと呼ばないで。

 2人して出歩いているときは、彼女は大人しくその言い付けに従ってくれていたのである。

 だが帰ってきた途端に、出会い始めの興奮が甦ったかのように、またぞろ怒涛の"ウルフマン"呼びが再燃してしまっている。

 

「だいぶ気に入ってくれてるみたいだけどさぁ」

 

『ここなら"ウルフマン"って呼んでもいいはずよ』

 

「NO」

 

『どうして?』

 

「……その名前は捨てたんですよ」

 

『え? なんで?』

 

「……『なんで』って言うなっ……」

 

 "ワケあってやめてほしい"と言っているのに、むしろ何故、かたくなに"狼男"と呼びたがるのか。

 

『2人きりの時はウルフマンって呼ぶわ』

 

「呼ばないで。じゃなくて、呼ぶな。呼ぶな!」

 

『じゃあせめて心の中ではウルフマンってよんでもいい?』

 

「やめろっ……というかもお、だからダーシャさんはさぁ、そもそもどういうモチベーションでウルフマンと呼びたいワケなのよ?」

 

『モティベーッ?』

 

「まさかとは思うけどスー○ーマン的なニュアンスで言ってるんじゃないでしょうね。あるいはどこぞの蜘蛛超人みたいな恥っずいハナシじゃないよね? ちがうよね? むしろ図星でも今ここで違うと言って」

 

『すーぱー?』

 

(知らねえのかよ)

 

『クモ? クモ超人?』

 

「いやいやいやいや、ご存じナイならイイんですよ」

 

『クモがどうしたの?』

 

「もういいの、蜘蛛の事は。ったく、それならなぜに『ウルフマンっ』

 

「あい」

 

『クモってなんのことっ? 昔、ウルフマンに教えたクモと関係あるの? ほら! ウルフマンが噛まれて「あのさ! ダーシャさんよ、ひとつだけ今すぐどうしても教えてもらいたいことがあるからさ、まずそれを教えてもらおうか」

 

『な――はぶしゅっ。なに?!』

 

 可愛らしい小さなくしゃみに、反射的に飛び出そうになった小言をまたぞろ飲み込んだ。

 先程から水音が途絶えていたものだから『入浴がお留守になってますよ』と内心ツッコミ続けていたのだが、このタイミングでそれを言っては話が脱線しっぱなしになる。

 

「ずーっと熱心に俺を探し回ってたみたいだけど、何故そうまでして俺に会いたかった? どんどん金もつぎ込み続けて。俺から見たら気味が悪くなるくらい偏執的だったぞ。こっちに気づかれずに探そうといった意図はなさそうだったけれど、なにが目的だったのかきっちり教えてもらおうか」

 

『どうして? どうして"そのこと"をウルフマンが知ってるの? もしかしてわたしが今まで探してたの、知ってて無視してたの?』

 

「いや違う。そうじゃない。実は君んとこの"お偉いさん"と話をした時に、君のプロフィール――というより君のプロファイルを見せてもらってたの。そこで初めて知ったの。大体、最初から君のことを知ってたら、あんな出会い方してないよ」

 

(そうさ。"こんな状況"には陥ってない)

 

 ダーリヤが元"人狼症候"を探し回っていたことに景朗が気づかなかったのは、プラチナバーグ側が隠蔽していたからであろう。

 

 景朗とて、前もって知る事ができていたら今回とは違う形で出会えていたかもしれない。

 

 ため息が出た。頭を悩ませるこの現実。

 我が基地のシャワー室に、この瞬間、厄介事の種が存在する事実を。

 まあ、暗部に入ってからずっとこんなことばっかりな気もするけれど。

 

 深々と吐露した景朗の声色には、"疲れ"の色が滲んでいた。

 それは彼にしては珍しい事態なのである。

 

 『チーフが? なんで……?』

 

 一方のダーリヤは、戸惑い半分、訝しみが半分、といった様子である。

 少女がそう悩む理由もわからない訳ではない。

 

(確かに。プラチナバーグがあそこまで(プロファイル開示)やってみせたのは、はっきりと怪しい)

 

「だからな、ダーシャさん。だいぶ昔の話になるけど、俺が言ったことを覚えてるか? 俺が"特別"扱いされてる、うんぬんって話。"ウルフマン捜索"の不自然極まる困難さに、君は当然、不穏さと危険さを感じ取ったはずだ。しかしそれでも食い下がり続けたのはなぜだ? ろくな成果もないままに、それでもお金を浪費し続けた。俺はそこを知りたい」

 

 

『それは……ウルフマンと……"ウルフマン"の仲間になりたかったから』

 

「何度も聞くが、俺にしか頼めないことがあるのか?」

 

『ちがうわ。うんと、ある意味そうね。だから、"ウルフマンと一緒"にまたシゴトがしたいの』

 

「"一緒に"ね。たったそれだけの理由であれほどつぎ込んだ労力や金額を納得は、できないな」

 

『だって! "ウルフマン"だものっ!』

 

 がこりとシャワーノズルが音を立てた。

 シャワー室はドアの向こうだが、興奮具合はあまさず伝わってきた。

 

『"ウルフマン"には――――。あのね――。そう! "ウルフマン"には"カリスマ"があったのよ!』

 

 

(カリスマ?)

 

 想定していなかった類の単語だった。

 それが自分にどう関連するのかわからない。

 

 なので、景朗は何と質問すればよいか悩んで、口を噤んだ。

 沈黙はひと時でも、会話のリレーはそこで途切れかけた。

 

『だって!』

 

 ドアを幾重に挟んでいても、ダーリヤは景朗が理解できかねている様を悟ったようだ。

 

『だから、"ウリュフマン"みたいに"強い"のに絶対に仲間を見捨てないなんて――"ウリフマン"ほど完璧な"オペレーター"は他にいなかったでしょ?!』

 

 ここにきてさらに舌足らずさが増していく少女の語りには、焦りと、もどかしさと、景朗にはイマイチ察しえない熱気が混ざっている。

 

「あのな、言葉を選んでくれているんだろうけど……」

 

『だから"ウルフマン"といれば〈何とかなるんじゃないか〉って。〈何とかしてくれるんじゃないか〉って、"みんな"思ってたのよっ!』

 

「"みんな"?」

 

『そうよ。"ウルフマン"は人気者だったじゃない』

 

「だから、どこの誰を差して"みんな"?」

 

『だからたとえばっ、あなたと一緒にチームを組んだバックアップスタッフのみんなよ!』

 

 つまりは、昨年のある一期間。

"オペレーターさん"ことダーリヤ少女と初めて一緒に仕事をしたとき。

 景朗が所属していた"ユニット"のサポートチーム。彼らのことを指すのか。

 あるいはプラチナバーグの元で活動していた時期もあてはまるのだろうか。

 

「確かに俺は強い方だったさ。でも強いだけなら他にいくらでも――。いくらでも、はいないかったかもしれない、けど。いや」

 

『"いくらでも"なんているわけないじゃない!』

 

 彼女の言うことはもっともである。

 

『全然いないでしょ! そんな人どこにもいなかったわ、"ウルフマン"の他には。あなただけがわたしたちを、"なかま"を"なかま"として助けてみせたし、助けられたもの』

 

「まぁ分かったよ。確かに俺ほど余裕のあった奴は珍しかっただろう。確かに」

 

『少しはいたわっ。ごくまれに"ウルフマン"みたいにやろうとしてた人も居はしたけど。みんな"身の程知らず"だったわ。でも、"ウルフマン"は特別なのよ! 最後まで生き残ったのは――生き残れるくらい強いのは"ウルフマン"だけよ!』

 

「……そういえば君は俺の事を買い被ってたね」

 

『わたしたちにはわかるのよ。"ウルフマン"には強さと自信(カリスマ)が溢れてた。わたしたちは"ウルフマン"なら信用できたわ!』

 

「わかった。もうわかったから」

 

『やっぱり"ウルフマン"には自覚が無かったのね?』

 

「別に。単にうぬぼれてなかっただけさ。"上"からの評価ならまだしも、すぐにいなくなる同僚なんかに興味なんて」

 

(いや、うぬぼれてはいたか。アレイスターなんぞに、手を出したッ)

 

『"ウルフマン"にまた会えたから、今日、じゃなくて昨日は襲われたけど、良かった』

 

「おーけーおーけー、もうこの話はおわり。それじゃあ、強くて信頼できるナイスガイな"俺"とどーおしても一緒に働きたかった、ってことなんだな? それほど俺に会いたかったというわけか……」

 

『……うん』

 

「は。ひどい言い方に聞こえるかもしれないけど、仮にも暗部の人間を友達みたいに誘えると思ってたのか? 本気で?」

 

『だってわたしたち……一緒に戦った仲間(同志)だもの』

 

 景朗はほんの短い間だったが、とまどってしまった。

 が、やはり"同志"だなんて言葉に乗っかる気はない。

 

「まぁ、ね。悪いね、ダーシャさん。俺は今"猟犬部隊(ハウンドドッグ)"にいるからさ。だから……はぁ。色々と無駄足にさせてしまって、気の毒に思うよ」

 

『そうなの。そうなの』

 

 ダーリヤの声に元気がなくなっていく。

 

「……なあダーシャさん、"ケルベロス"の噂は知ってる?」

 

『……噂ならたくさん知ってるわ。どうして?』

 

 裏社会の深奥たる"猟犬部隊"。暗部でも彼らと関わるものはごく少数である。

 その"猟犬部隊"の切り札、未曾有の怪物の噂話には、まさに創作としか思えない突飛さがあった。

 

 しかし、ただの興味本位で暗部の掃除屋に探りを入れる愚か者も存在しないわけで、つまりは。

 暗部においても、ケルベロスは噂話だと思っているものが多数派だった。

 

 ただし、いずれにせよ、それが真実であれば、かの存在は暗部の捕食ピラミッドの頂点に分類される。

 その逸話は、真実味を帯びたものもそうでないものも、暗部業界で広まらないはずがなかった。

 

 ダーリヤも耳にしていたようだ。

 まさかその最高機密が"ウルフマン"だとは、気づかせないほうがいい。

 

 

「どんな噂があるんだ?」

 

『教えてくれるの? ケルベロスの正体。生体実験に失敗した能力者ってのはうそ臭いわ。うわさの中でマシなのは、知性のある生物兵器説かしら。主人である理事長を守るためならどんなギセイもヒガイも厭わない。目撃者も残さないから、殺されたくなければ絶対に関わっちゃダメ。"理事長の猟犬(ケルベロス)"。絶対的な忠誠心を持ってて、理事長に近づくどんな危機も嗅ぎ付けて一掃する、怪物。ひょっとして"ウルフマン"がお世話してたりするの?』

 

 ウルフマンにならできそうだもの、とダーリヤは言いたげだ。

 

『……もしかして、ケルベロスはドウブツじゃなくてニンゲン(ウルフマン)なの? ケルベロスの噂が出始めた時期は……"ウルフマン"が消えちゃった後だわ。ねえウルフマン』

 

「いや、どの噂も嘘っぱちだな。"俺"はケルベロスってのを見たことはないよ」

 

『ふーん……ぶしゅっ』

 

 くしゃみの理由は明らかだ。ダーリヤの手を動かす音はずっと止まっている。

 

「おーい、手が止まってるぞ。おしゃべりもいいけどさ」

 

『じゃあもうおフロ上がるわ、ウルフマン』

 

「"じゃあ"ってちゃんと洗ったのかよ? ……あぁいい、いい、おーけー。ほら、そこにタオルとシャツがあるだろ。今はそれで我慢しておくれ、すまん」

 

『いーわ』

 

「ほふーん。そういうことだったとはねぇ……わりと深いところを見てくれてたんだな。正直言うと俺は、狼男(ウルフマン)の野性的なヴィジュアルだとか、モフモフ加減がキャラクターチックだったからぁ、なんて子供染みた理由をすこーし疑ってたよ」

 

『(……まあ……そういうのもすこしはあるけど……)』

 

「ん?」

 

 おそらく、景朗でなければ聞き逃していたくらいの小声である。

 

『(……かっこいい口吻(こうふん)……うるふまんはさいこうにかっこいい……のよ)』

 

 また小声である。つぶやくように言われても。

 

「え? なに? コウフン? って口(くち)のこと? ……もしかしてフォルムか? やっぱり俺の見た目か?」

 

「………………………………ぜんぜんそんなことないのよ」

 

 今回は取り繕うような大きめの声だった。

 

「なんだ今の間は? おいッ」

 

『……とにかく"ウルフマン"には"ウルフマン"にしかない魅力があるのーよ』

 

「おい! 否定してくれぇ?」

 

『(むふー)』

 

「ちょっと……今までの説明が崩壊しそうなんだが……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「寝なさい」

 

「全っ然眠くないわ。ウルフマン、これは無理だわ。さすがに無理だわ」

 

 やはりこうなった。一度は強引に布団に寝かしつけてみたものの、起き上がったダーリヤは不満もあらわに口をへの字に曲げた。

 少女は仮にも暗部で働いている身である。文句が出てきて当然の子ども扱いだと景朗とて内心では思っていたが、どうにも彼女のお喋り攻撃に嫌気が差していた。

 

 歯磨きをさせた。洗面台の鏡越しにまたぞろ見つめられ、ウルフアンバー! と謎の叫び。自分の目の色はウルフマンと同じ琥珀色なのよ、と突如うんちくが始まった。

 仕方なくオオカミが好きなのかと問うた。こげ茶色が動物の毛色として一番優れてると持論を持ち出された。

 まるで乞われていたかのようだったので、動物全般が好きなのかと聞いてあげた。蚊とハトとネズミとゴキブリは例外であると憤慨されてしまった。

 数えで9才になるというわりには背が小さいので食生活を聞いてみたら、壊滅的だった。小便から甘い臭いがした理由にアテがついた。

 脈絡もなく、ところでウルフマンはわたしのことをダーシェンカって呼んでもいいわよ、と言われた。ダーリヤの略称がダーシャというのは理解できるが、ダーシェンカって元の名前より難しくなってるじゃないか。わけがわからないよと言えば、それならダリュシュカでもいいわ、と答えになっていない答えだ。

 ウルフマンって呼ばないときは、カゲロウだからゲローシャって呼ぶわ、と突然宣言された。

 呼んでもいい? と許可を問われたので、ダメだと取り下げた。

 なんで? と詰問されたので、毎回毎回ゲロゲロと吐瀉物のような名前を呼ばれたくはないと返した。

 それなら雨月だからウゲェーシャね、と言われた。いや……あのね……そっちの名前もまだまだ嘔吐感があるじゃないのよ、と却下すると、なんで?! と怒られた。

 

 

 すべて他愛のない話だった。ただ、どうにも彼女はそういった子供っぽい発言をわざざわ選んで披露しているのではないか――と、彼は疑っていた。

 媚びる童女のような相貌には、絶えずこちらを観察する理知的な眼光が見え隠れしていた。

 つまり。

 昼間、麻酔でさんざん眠らせといてなんだがマジもっかいとっとと寝てほしいのである。

 

 

「ワタシ、放り出してしまっているシゴトがしたいわ」

 

「まぁいいけど、ネットは使わせられねーぜ」

 

「なんで?!」

 

「そういう約束だし……第一、セーフティのしっかりした環境がここにはないし。つーか、しなくていいんじゃないの? 今は流石に」

 

「ぬぃー、ハウンドドッグのID使わせて?」

 

「ふぢゃけんなよチビガキ」

 

「でもシゴト終らせないと困るわ。あいつらに言い訳なんか通じないわ、またいっぱい蹴られる……どうにかしてほしいのよ」

 

 風呂上がりに着せたTシャツからはみ出た、少女のなまっちろい二の腕には、確かに青あざがあった。昨日の襲撃犯とのイザコザで出来たものだと思っていたが、そうではないのかもしれない。

 

「うぅん……考えよう。でも今日のところは我慢してくれ」

 

「わかったわ。あ、じゃあ、それなら"ウルフマン"と一緒なら、ネるわ」

 

「あぁ?! ……はぁ。大人しく寝るか?」

 

「ふひゅ、ひひゅ! ネる!」

 

「たぁー、わかったよ」

 

「ねえ、はやく、"ウルフマン"、ほら変身して! 『わかった』って言ったでしょ!」

 

 いっそ別の"動く物"に変化してやろうかと思ったが、どちらにせよ喜ばれそうでそれ以上は考えるのをやめた。

 

 考えたいのは、明日以降のことについてだった。しかしそれがなかなか叶わない。

 とにかく少女が次から次に奇行を見舞ってくるからだ。

 

 続いてはご希望の"ウルフマン"が登場した途端のできごとだった。

 彼女の興奮のボルテージは最大になった。

 

 

「こっち見んなよ?」

 

 一度、景朗は給湯室から出た。変身する瞬間は子供に見せられない絵面のはずだからだ。

 まあ、ダーリヤはその逆で絶対に見たがるタイプだとわかっていたが、そこは意地だった。

 案の定、ドアノブが音を立て、部屋の内側からドアを開けようとチカラが込められる。

(ほら来た!)

 景朗は変身の途中でもかまわず、背中でドアを押した。

 

「ドシター? ソンナモンカ、ク〇ガキー」

 

「んぅーーー、んうーーーーーっ!」

 

 もちろんダーリヤにドアは開けられない。

 

「ハイザンネン。モウ終ッタゾ」

 

 景朗は狼頭で器用にニヤケつつ、部屋に戻った。

 

「!」

 

 ダーリヤはなぜか開いたドアの裏側、つまり死角に隠れるように立っていた。

 いや正確には、床につっ立っていたわけではなく、彼女はパイプ椅子の上に登っていたのである。

 ドアの裏までわざわざパイプ椅子を移動させたのは、何故?

 

「Ураааааааааааа!」

 

「チョ危ナァッ。飛ビ乗ルナッヤメッ、危ナイテッ! ――オイコラハナレロ、ヤメロッテオイッ」

 

 ダーリヤ本人は華麗に飛び掛かったつもりなのだろうか。

 なぜそこまで勢いよく飛ぶ必要がある。

 景朗は肝が冷えたように受け止めた。彼が手を出さなければ少女は身体のどこかを床に打ち付けていただろう。

 

「ヲォルフマァァァァアァァァァァァァッ!!」

 

「ウルサイッ!」

 

 テディベアを掲げるように脇の下から両手で少女を持ち上げ、腕を突っ張ってできる限り顔から離す。

 しかし少女はかかんに両足を振り子のように揺らし、勢いをつけてしつこいように景朗への接近を図ってくる。

 

「ク、クノッ! コイツッ!」

 

 脱いでおいたTシャツで、景朗はじたばた暴れるダーリヤを簀巻きにして縛り上げ、畳に転がした。

 

「あれ? あれ? ウルフマンッほどいて、ほどけないわッ」

 

「グルルゥーッ。モウ暴レナイッテ誓ウカ?」

 

「誓う! 誓うわ、ごめんなさい。テンション上がっちゃったわ」

 

 不信そうに狼男は鼻を鳴らし、確かめるように少女へと近づき、徐に片手で弁当箱をつまむように持ち上げてみる。

 

「オ前サン、ダイブ軽イナァ。トシハ9ツダッケ?」

 

「そうよ、数えで9才よ」

 

 学校に通っていれば小学三年生か。それでこの身長に体重なのか。

 景朗は聖マリア園で見てきたほかの子の体格と頭の中で比較して、呆れるように喉を鳴らした。

 

「トシノワリニ小サイナァ。オカシバッカ食ッテルカラダゾ……」

 

 少女の目の下にできた歳不相応な大きな"くま"には触れられなかった。

 暗部で仕事をする以上、睡眠が取れたり取れなかったりはどうしようもないだろう。

 

 ふとした質問が功を奏したのか、ダーリヤは落ち着きをとりもどし、おしゃべりモードに入ってくれそうな予感がした。景朗は畳みかけるように疑問を投じなくてはと焦った。

 咄嗟にその質問が浮かんだのは、心に残っていたからだろう。

 

「ナァ、ダーシャサンヨ、学校、行カナクテ平気ナノカ? 俺ハ明日カラ学校ダカラ、マタ別ノ所デ君ニハ待機シテモラウ事ニナルケド」

 

「平気よ。行きたくないもの。すんごいつまんなかったわ」

 

 狼男のつぶらな瞳に見つめられ、ダーリヤは宙にぶらさげられたまま、ついに出会って初めて、うんざりしたかのように唇を尖らせた。

 

「幼稚園には行ったわ」

 

 それで十分だわ。表情でそう語っていた。

 

(でも学園都市住みなのに最終学歴が"園卒"ってのは……まぁ頭良さそうだから必要なら大学いくか。大学行くまで、無事、なら……)

 

 景朗は失言を悟り、無言で拘束を解いた。尋ねたところで、そして返事が"学校に行きたい"というものであったとして、自分がどうにかする気だったとでもいうのか。

 逆だろう。行きたくない、と言われて、そうですか、それは良かった、で済んだことに景朗はほっとしなくてはならない。

 

 お互いに白けたのか、それからは幸いにも静かにことが運ばれていった。

 倉庫から今まで使うことのなかった新品の寝具をもう1セット取り出して、給湯室の畳に広げる。

 

 『そうじゃないだろ?』とじっと見つめてくるので、仕方なく、少女と同じ床に就いてしまった。

 

 ひとときの無言の空間。

 ああ、このまま寝付いてくれるならどんなに幸せか。

 しかし景朗のカンはそうはならないぞと警告していたので、どうせ何か起こるんだろうと身構えていた。

 

 ……なんというか、景朗のカンは優秀すぎた。

 フラグ回収までが異様に早かった。

結果を言えば、待つ必要などなかった。

いや、待てなかった、が正解か。

 

 

 布団に入って、闇につつまれて。

 せっかく歓迎すべき静けさを享受していたというのに、ややもせず、今度は景朗のほうから音を上げるように悲鳴をあげていた。

 

「ダーシャサン、早ク寝テネ? イイカゲン、息ヲ荒ゲルナ。聞コエテルカラナ。大人シクスルッテ言ッタダロ」

 

 台詞としては諭すような物言いなのだが、その実、それは切なげな懇願そのものだった。

 

「(すん……すん……ふんすっ)」

 

 布団に入ってからずっと、少女はぴったりとくっついたままである。

 いたたまれなくなった景朗は背中を向けて横になったのだが、その直後からもう怖くて振り向けなくなった。

 ダーリヤは静かに、しかし全力で、景朗の背中の毛に鼻を突っ込み臭いを嗅いでいる。もとい、堪能していらっしゃる。

 

 まんじりともせず少女はもぞもぞ動き続けている。背後で彼女が手を動かしている音が景朗にははっきりと聞こえていた。どこを触っているのか、想像もしたくなかった。

 ほんのわずかに荒い程度だが彼女の息遣いは一向に収まらない。その気配がない。

 というか、寝ようとしている気配はまったくない。

 

 

「ダァカラモジモジスルナッテ。ツゥカ……」

 

 景朗は最大限にためらいを見せたが、どうにか精いっぱいの覚悟を振り絞った。

 

「ドコイジッテンダ。気ヅイテルカラナ? モウ手ェ動カスナヨ。コレ以上言ワスナヨ、オメェ。……イイ加減出テクゾ?」

 

 まさかと思われるシチュエーションに、流石の景朗も秒で弱り切った。

 だって、言葉にしてはっきりと指摘したくない変なにおいがしている。水音もする。

 察してほしいR18のヤツである。マセガキとかいうレベルじゃない。そんなかわいいもんじゃない。

 このクソガキはきっと自分が何をしているのかまだわかってないんだ。それ以外ありえないじゃないか。それは景朗の切実な祈りだった。

 

 クソガキ、今すぐやめなきゃ強制的に眠らせてやる。彼の我慢も限界だった。

 

 景朗の警告で、ぴたりとダーリヤの動きは止まった。

 だが。なんということだろうか。気配でわかる。

 ものすごく不満そうである。己が何を"しかけて"いるのか、意味がわかってないのだろうか。

 わかっててやってるのか、本当にわかってないのか、景朗はぶっちゃけそこまで判断をしたくなかった。うやむやで終わらせておきたい。

 だって、意味がわかってなかったという事実が明らかになったとしてもだよ?

 そういうのは人前でやっちゃダメなんだよ、って。

 大人としてきちんとお説教してあげなくちゃならなくなるじゃないか。

 

 あきらめた景朗は、するすると狼男の変身を解く。瞬く間に人間の姿へ戻ってみせた。

 大能力者"人狼症候"であったころは、この変身を解くときに能力をカットするせいで、どえらい痛い目にあっていたものだ。

 超能力者となった今では戻るというより"人間に変身しなおす"要領であるので、痛みは完全に無くせるのである。

 

 つるつるの人間肌に驚いたダーリヤの反応が、これまた彼を疲れさせた。

 

「……うるふまん……どうして戻るの……"ウルフマン"?」

 

 ダーリヤは悲しそうに景朗を2,3度押して揺らし、再びまんじりともせず"ウルフマン"再臨を待った。

 が、反応がないことを悟ると、何を考えたのか。たぶん、ただそうしたかっただけだろう。

 景朗の背中にカプリと噛みついた。

 

 彼の我慢はそこでついえた。

 

「イタっ。うるふまん、チクっとした。なにかした?」

 

 それからわずか十数秒である。

 すー、すー、とダーリヤの天使のような寝息が聞こえてきた。

 

 すくっ、と布団からでて立ち上がった景朗は、つぶやいた。

 

「……だれか、助けてください……」

 

 深い後悔に満ちた者だけがひりだせる、呪言だった。

 

 

 

 

 

 

 

 寝付いたダーリヤを放置し、別室にて滴下水出しコーヒーを片手に、景朗はすぐさま至福の落ち着きを取り戻していた。

 

(今のうちに、このケータイのチェックを済ませてしまおう)

 

 不思議な巡りあわせである。景朗が初めて暗部の仕事に挑んだのは、去年の9月頭である。明日から夏休み明けの新学期が始まるので、ほぼ丸1年が経つのだ。

 あの当時、火澄や手纏ちゃん、クレア先生が送ってくれたメッセージには、虫食いのような返信しかしなかった。暗部生活を志したころあいだ。どうしてもそんな気に慣れなかったのだ。

 しかしだからこそ、景朗は心配をしてくれる彼女たちの優しさに縋るように、幾度も幾度も、目を通したものだった。だからか、懐かしくないかと問われたら、YESだと首を振るしかない。

 

 

 探るようにケータイのデータに目を通していき、目当ての、火澄が残してくれた最後のメッセ―ジ群を見つけ出した。

 これらは初任務の当日に彼女が送っていたものであり、任務中にケータイが壊れたので内容を確認できずじまいだった。

 奇跡的。一年越しでようやく初披露ということになる。

 

《景朗が重大な決断をしようとしてるのはなんとなく分かるよ》

《私たち、結局は誰も頼れないし》

《景朗にやりたいことがあるんなら他人の目なんて気にしないで。絶対に応援するから堂々とやればいいの! もし、誰にも話せなくて、辛くて、本当に嫌なことだったら、私が必ず助けてあげるからやめちゃいなよ!》

《相談に乗ってくれないのはすっごく寂しいけど、連絡ずっと待ってるからね》

《本当の家族だったらよかったなー それなら全部話してくれてた(笑)?》

《とにかくウジウジせずに勇気を出して。あと、私を頼ってね》

 

(本当の、家族……)

 最後まで火澄に打ち明けなかったのは、彼女が本当の家族じゃなかったからか?

 わからない。景朗にはわからなかった。でも、家族の様に想っていたからこそ、意地でも黙って来たつもりなのだ。

 でも、わからない。世の家族は、そういう事を打ち明け合うものなのか?

 本物の家族だったら、打ち明けていたことなのか?

 わからない。

 

《助けて!》

 

(ん?)

 

 脈絡もなく『助けて』とは一体どういうことか。

 

 続きを読めば、疑問の氷解は一瞬だった。

 ただ、まあ、しかし、なんというか、その、それは。

 劇的で、あった。

 

《気分が盛り上がって言いすぎたあああ! やばい! 好きバレしたかもももも。どうする? もう今、好きって告白したほうがいいかな?》

 

(あれ? これ、俺宛へのメッセじゃなくない? ――――手纏ちゃん宛か???)

 

《どうしよう告白したい。どうすべき? 好きバレしてたら告白すべき?》

 

("好きバレ"って、なに?)

 

 読んで字のごとくだろうと想像はつくも、景朗は神速の俊敏さで指を動かし、大手検索サイトで単語の意味を確認する。

 

 ああ、やっぱり。告白する前に、相手に好意がバレてしまうことだよね。そのまんまだね。

 

 もう一度、メッセージを。

 本文を、確認しよう。

 

《どうしよう告白したい。どうすべき? 好きバレしてるならここで告白すべき?》

 

(してます。今、好きバレしてます!!)

 

 

 このメッセージの着信から一時間後、火澄から怒涛の通話着信履歴が届いている。

 間違いに気づいて驚愕し、茫然とし、そこから立ち直って対策を練って挽回を図るまでに、1時間かかったんですね。

 おいたわしや……火澄さん……わかる……わかるよ……。

 

 

『あーもう、今のメッセージっ、深くつっこまないでねっ?! 察して!』

『あーのーね、あー……明日、きっちり話すから! 何も言わないでっ!』

『今はなかったことにして。お願い! 忘れて! 返事もしなくていい! わかった!?』

 

 一度言えばわかるのに、続けざまに3回も留守電を残すとは、テンパり具合が察せられる。っていうか。

 『返事もしなくて良い』とのたまわれておるが、そのあともすっごい数の留守電記録が残っているのでござるが……。

 

『うおらーっ! なんで電話にでないのっ?! でろよ! でろよてめー、でなさいっ!』

 

 ついにキレましたか。

 しかしこいつぁやむを得ないですよね。

 こんな緊急性を要する話題に言われたからってホントに無反応を決め込むたぁ、この雨月景朗ってヤツァふてえやろうですわ。

 

『つっぅぅ~かぁ~~~ここまで~~~言ってんのにぃぃ~~反応無しってぇぇぇ……ほんっとにぃ~、イッ! イラッつくんですけど!! むかつきゅぅぁぁ~ッ!……もおおっ、決めた! 今から行く! 行ってやるッ! シロクロつけてやるッ! 覚悟しなさいよッ!! 火達磨にしてっ、エビフライみたいに転がしてやるからっ! いや、火達磨は! やりすぎだから!? だからぼッこぼこにするっ! 昔みたいにぼっこぼこにしてほっかほかっにしてっ打ち上げられたアザラシみたいにしてやるぅぅぅぅぅっらッ!! ねえ! 出なさいよ!? 何ででないのよ! でろよ! でろぉぉぉぉぉっ、でろでろでろでろッ!! 出るまで続けるからね!? 出るまでぇぇぇぇやるからねぇぇぇぇえマジでぇえええええええっ! ああぁもぉおおおおおおおおおおおおおおおあうあうあうあうううううううううおおおおおおおっ! ふわぁーっ。すぅーーーっ。

 ――――逃げるなよ。今から行く。

 からッ! 逃げるなよぉぁ~~~っ! 聞いてる?! ~~~~っもう許さないっ。行くからねっ!』

 

『完全に頭に血がのぼってんなー』と他人事の"てい"での感想を浮かべた景朗だったが、ニヤけ顔は隠せていない。

 

 ドタバタ、ガチャガチャ、パタパタ、ゴガッ、アイタッ、ッタクモオッ、ドバン! アレ、カギ、カギ、ドコ、カギィィィ――――と。電話越しに聴こえる生活音がやけに大きい。

 

 ひょっとしなくても、彼女は盛大に部屋中を動き回っている。

 これは間違いなく雨月宅襲撃準備の音である。収まりきれぬ青春の情動である。

 まだ準備の段階であろうと、ケータイを片手に叫ばずにはいられないのだろう。

 

(なにをやってんだこいつは)

 

『軟膏は!? 包帯はあるっ!? 用意しときなさいよっ! ――――――いやいいっふふっほぉらここにあるからっ、あるからねっ! ひととおり持ってくから! 水浴びでもして体を冷やしてなさいっ、いや頭を冷やしてなっさい! うふふ、ふふふふ、ふふふふふふふふふf』

 

 ところが次の留守電で、一気に大人しくなった。

 

『ねえ、ほんとうにあんた大丈夫? ……あー……あのね、これ聞いてたら、もうね、ぼこぼこにするのは、やめますから、逃げずに家にいてください。いーい?』

 

 声に交じって街中の雑音が入ってくる。これは歩いているうちに頭が冷えたのだと考えられる。

 

(結局来る途中で冷静になってんじゃん(笑)。って、そうか救急キット!)

 

 思い出せ。去年の9月。一番最初の任務が終わって。火澄は景朗の家の前で待っていた。

 思い出す。なぜか不自然にも、あの時、火澄は救急箱を持参していたではないか。

 

「――あ、"あれ"。はは、"あれ"はそういう……」

 

 ワザとらしく笑いをひねり出したところで、はたと気づく。

 手の中のケータイは、無意識の握力でミシミシと悲鳴を上げている。

 

 俺は応えられていなかったんだ。

 なんてしょうもないオチだろう。火澄には本当に申し訳ない。

 

「うわあ、もったいねえ。これは聞いとくべきだった」

 

 ちょっとだけ、考えずにはいられなかった。

 もし、暗部の初任務に臨む前に。最初の一歩を踏み出す前に。

 このメッセージを聴いていたら? 一体どうしていたんだろう。

 あのとき、一晩と言わず。ひと月と言わず、自分は悩んだ。

 

 放り出していたのだろうか? 

 いいや。どうせ、"能力強度"が上がった自分の力に酔っていたじゃないか。

 だが。初任務に臨むあの時だけは誰にも連絡を取らず、最後まで悩んでもいたはずだ。

 

 直前に"これ"を聞いていたら…………それでも俺は…………?

 

 行ったのか?

 

(行ってたに決まってる。俺は大能力[人狼症候]を過信してた)

 

 ほんのちょっとだけ、考えてしまった。

 実際のところ、あのとき踏みとどまっていたら。

 たとえ皆に落胆されようとも、これほど取り返しのつかないことになるよりマシだったに決まっている。

 もちろん、それでも結局、今と似たような惨状に陥っていた可能性は十分ある。

 アレイスターや幻生が、どのみち俺に無理やり首輪を押し付けた可能性はある

 でも、その"些細な違い"は、胸の内にこびりつく"罪悪感"を幾ばくも和らげてくれていたに違いない。

 

(行ってたさ。"行っていた"って)

 

「いや行ってただろ」

 

 とっさに、衝動的に。振りかぶろうとしていた。

 

 手の中のケータイを思い切り壁に投げつけて、メチャクチャに壊そうとしていて。

 腕を振り上げたまま、景朗の躰も、思考も、事を起こす前に一度、硬直した。

 

「ッ」

 

 おいおい、何を今さら。落ち着けよ。

 心の中でそう唱えるたびに、凶悪な破壊衝動は跡形もなく消え去っていく。

 

「何を今さら。ホルモン過多の思春期高校生かよ」

 

 わざと口に出した。ほら、もう簡単に手の力を緩められる。

 

(今更聞く必要なんてなかったのに)

 

 このメッセージを当時、直接聞いていたら、自分だって火澄に好きだと答えただろう。

 でも、そうしなくて良かったと、今の景朗は心底ほっとした。

 まさにその当時から始まった、自ら為した悪事を少しでも考えてみると、そうしなくて良かったのだと、心から思える。

 

 

「ふっふ、しかしまっさか火澄から先に俺のことを、ねぇ。くく、このメッセージは宝物、になるな…」

 

 唇はそう嘯いた。しかし。

 

 狂おしいほどの熱を持っていた火澄の告白は、胸に深く突き刺さると、凍傷を引き起こすかのように痛んで、ひどく邪魔にも感じてしまっていた。

 "これ"を忘れさってしまえるまでどれほど時間がかかるか見当がつかなくて、それはひどく億劫だった。

 そして己が忘れたがっている事に改めて気づいて、なんじゃそら、と無様さに隣の部屋で寝ているダーシャの存在を忘れかけそうになる。

 

 

 宝物だと自ら口にした癖に、景朗には分っていた。

 

 

 この先、思い出を懐かしむために、自分が再びこのケータイを手に取ることなど無い。

 もう一度、再生ボタンを押す気力なんて無い。

 もう一度、耳にすることを想像するだけで、歯がゆいほどやるせなくなる。

 

 

 ほんの小さなものだったけれど、救いの手は差し伸べられていた気にさせられる。

 それを蹴った自分は、それを蹴って安堵してしまっている自分は。

 そんな"もしも"のことすら考えたくない今の自分は、やっぱり暗部の一員に過ぎない。

 

 

 手纏ちゃんの突然の告白後に、一歩引いた態度で接してきた火澄のことを思い出す。

 あの理由がやっとわかった。

 どこか他人事のような素振りに、景朗は少し寂しさを感じていたのだけれど。

 これでは無理もない。今となっては、お互いに過去の出来事なのだろう。

 

 このケータイの"中身"を蒸し返すことは可能だろうか?

 炎の少女との絆は、完全には途切れていないと感じている。

 だが、繋ぎなおす意義と、資格と、勇気と、未来が、見つけられない……。

 

 

 おもむろに立ち上がって、歩き回る。

 こんなことはこれ以上、考えなくていい。

 

 

 朝が来るまで、まだまだ長い。

 もういつからは覚えてないが、景朗は、夜も、朝も、昼も、眠らなくなっていた。

 景朗の悪事が、"殺し合い"から"殺し"に変わったころからだろうか。

 寝なくても肉体には問題が生じていない。これからもそうはならないだろう。

 

 

 考えるべきことは他にたくさんある。

 木原数多からの呼び出しがないことを祈りつつ、景朗は鼻歌まじりに気分転換に何度目かになる珈琲を淹れた。

 

 それからはひたすら、彼は陰鬱な静寂と向き合うつもりだった。

 

 

 しかし、突如として。

 またしてもそれをぶち壊したのは、皮肉にも散々彼を引っ掻き回したダーリヤだった。

 まったくもって、突如現れた少女は日常を引っ掻きまわす天才だった。

 

 おかげでその夜は、いつもと変わり映えのない、繰り返しのような眠れぬ夜にはならなかった。

 

 景朗にとっては遥か遠くから人の悲鳴が聴こえてくる、うるさくも静かな夜が当たり前の日々だった。

 

 でも、その日は本当に本当に、いつもの夜とは違った。

 

 なんというか、ただただ、うるさい夜だった。

 

 

 時刻は、丑三つ時を過ぎていた。

 少女が寝ているはずの部屋のドアが開いて、ぺたぺた、ぺたぺたという足音が、あちこちを這いずりまわりだしたのだ。

 ――――泣き声とともに。

 

 

 

 

 明かりもつけず、ダーリヤは廊下に立っていた。

 

「マーマァ、どこぉっ?」

 

 急ぎ駆け付けた景朗へと、出会い頭に彼女は問いかけた。

 

「どうした?」

 

 質問を質問で返した彼の問いに、少女は無視をする。

 それどころか、これまで過剰なほど興味を示してきた"ウルフマン"に対し、まるで大きな電柱がそこにあるかの如く、注意を向けてすらこない。

 

「マーマ、どこぉー?」

 

 眠りにつく直前に会話していた男がいるのに、まったく気にも留めてこない。

 ただし、はっきりと景朗の顔は見ている。それでいて誰何してくることもないのだ。

 道端ですれ違う通行人にいちいち注意を向けないような、無頓着さなのだ。

 

「ダーシャ?」

 

 完全に挙動がおかしい。いや、挙動というよりむしろ彼女の意識が、と改めたほうが良いのだろう。彼女の様子は尋常とはいえない。

 

「おいダーシャっ」

 

「ふぃーん、ここどこーぉ?! ひぃーぃう、ふ」

 

 まともな精神状態ではないが声量は意外なほど大きく、それはもう泣き叫んでいる、と呼称するのに遜色はない。

 目元は赤く染まり涙が滲んでいる。

 

「ほらダーシャ、こっちこっち」

 

 当初こそ混乱したが、景朗は少女の状態に心当たりがあった。

 夜驚症(night terror)だ。聖マリア園で、彼は幾度か目にしてきた。

 夜驚症について、景朗は夢遊病の仲間だと思っている。

 夢遊病では、極度のストレス下に置かれている幼い子供が、夜中に半覚醒状態で動き回る。

 朝起きると、当人はそのことを覚えていない。

 夜驚症もよく似ていて、夜中に起きて、怯えて泣き出す。

 

 ダーリヤの年頃では珍しいかもしれないが、直感は揺るがなかった。

 昼間、彼女は男達に襲われ、マーマと暮らしていた家を燃やされ(爆破したのは彼女自身だが)死にそうな目にあった。まさしく極度のストレス状態にあったと言って差し支えないのだ。

 

 優しく労わるようにそっと抱き上げ、イヤイヤと身体を動かし泣き続ける少女のバランスを取って、給湯室へと戻る。

 

「マーマ? マーマ?」

 

「マーマはちょっと出かけてるんだ。寝よ、寝よ、ダーシャ。寝て朝になったらマーマは帰ってきてるさ」

 

 嘘をつくことにチクリと心が痛むが、とりあえず安心させないといけない。

 布団に寝かせようとしたが、ダーリヤはしぶとく、うろちょろと給湯室の中を動き回る。

 何かを探しているのか。

 

「マーマのウシャンカがなぁいっ! どこ? どこぉ? ないっ、ないっ」

 

 ウシャンカ。たれ耳状の耳当てがついたロシア帽。

 彼女がこのことを話すのは出会った時と、洗面台の前でうんちくを聞いた時、そして今この瞬間の、3回目である。

 よほど大切なものだったのだろう。思えば、彼女が昼間襲われたときに、忘れず欠かさず持ち出してきたくらいである。

 

「どんな帽子だ? 色は? 大きさは?」

 

「ふぃひ、ひふぃ、どぉこっ、どこぉ」

 

 ダーリヤはやはり景朗の質問には答えない。

 聴こえてはいるのだが、返事をしなければならないという意識が生じないのだろう。

 

 根気よく、間を開けてでも話しかけつづけた。

 

「ホラ、ウルフマンダゾ」

 

 うなりながら辺りを歩き回っていただけの少女は、変身した景朗へふらりと近づいてきた。

 

 目と目が合った。だが、それだけだった。

 あら、目の前にウルフマンがいるわね。でも今はウルフマンに用事はないの。

 そう言わんばかりの態度だ。

 

 狼男の姿が効かなかったので、景朗は打つ手なしとばかりにダーリヤを抱き上げた。

 そのまま彼女を運びつつ、建物のあちこちに徘徊して、帽子を探す手伝いをしてやるしかなかった。

 

「こげ茶色の、よーろっぱおおかみの毛皮で、このくらいよ、うるふまん、このくらい」

 

 話しかけつづけた景朗に対して、唐突にダーリヤから返事があった。

 歩き始めて数分が経っていた。

 夜驚症はそれほど長くは続かない。10分も経ってはいないだろう。

 

「ダーシャ、とりあえず寝よう。ほらもう眠いだろ?」

 

 少女はようやく"ウルフマン"の存在を認識するようになった。

 こうやって受け答えができるようになれば、症状は終息する。

 景朗はほっとしたように息を吐き、給湯室へと踵を返した。

 もう彼女のぐずり泣きもやんでいる。

 

「ウシャンカ……うるふまん……」

 

 抱っこしてやっていたおかげか少女は落ち着き出すと、とたんに目蓋を重そうにしばたかせ始めた。

 それでもなお、朧げな意識で帽子を探し続けるダーリヤに、景朗はとうとうかける言葉が見つからなかった。

 昼間、"ウルフマン"は適当に探したわけではない。心当たりは全て当たっていた。

 だが、"警備員"の施設にすらなかったのだから、今後、帽子が見つかることはないだろう。

 

 給湯室へ戻ると、少女はテーブルの上に几帳面に置かれた狼男の頭部をぼんやりと見つめた。

 出かける前に少女に被せた、着ぐるみもどきの毛皮である。

 

 いたたまれなくなって、テーブルの上のそれを手に取って、眠りに落ちそうな少女の頭にかぶせた。

 大した抵抗もなく、ダーリヤは再びおとなしく横になってくれた。

 

 オオカミの毛皮の帽子だったらしい。

 無論、その事を意識して彼は狼のかぶりものを作ったが、代わりになるはずもなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ノロノロと起き出したダーリヤの上に、景朗は彼女の服を放り投げた。

 もちろん、夜間に近くのコインランドリーで洗濯してある。

 

「ありがとうルフマンっ。ほらこれ、ブルータイガー、オモンパターン!」

 

「は?」

 

 スモッグは園児が着ているようなイメージがあるが、ダーリヤが手にしたそれは、しっかりとした造りで軍用といった趣である。

 

「ベレスカカモ、アーバンタクティカル」

 

 取り上げていたダーリヤのバックパックを返すと、彼女は期待を込めてまたぞろ謎の呪文を唱えた。

 

「なに? なんなの? ……それよか、朝飯、何が食べたい? といってもその辺で開いてる店でしか買ってけないけど」

 

 う~ん、とほんのわずか考えて、少女はすぐに顔をあげた。

 

「バナナ!」

 

 もっとマシなものを言えよ、と口を開きかけてすぐに取り止める。

 バナナは朝食として定番だろう、と思い直す。

 第一、それで済むなら楽チンだ。

 

 心配してしまったのには訳があった。

 昨日から、食べたいモノを尋ねると先程のような調子で返ってくるのだ。

 飲食そのものに興味がないのか、料理に対する知識が全くないのか、どちらかイマイチわからない返事しかよこさない。

 

「ねえ、うるふまん、ひとつ仕事のお願い聞いてくれない?」

 

「どうしたんだ? トラブルか?」

 

「ううん。個人的な仕事の依頼。ひとり――――消してほしいの」

 

 ゆるやかな笑みに目が吸い寄せられた。そこには、見る限りでは、無邪気さだけがある。

 

「今回の任務に関係あんのか?」

 

「え? "任務"って何の?」

 

「……昨日君を襲った奴らから君を守り通す任務のこと」

 

「あらそうなの。もちろん。カンペキな別件よ。今すぐというわけじゃないわ。都合が悪ければうるふまんの任務が一息ついてからでもいいの」

 

 殺したいほど敵対している相手がいるが、昨日の襲撃犯関係ではない無いのであれば。

 もしかしてスパイ時代からの因縁だろうか。

 いやしかし、それならもっと切実そうな、切羽詰った姿勢で来るべきでなかろうか。

 

 ダーリヤを見る。念願のおもちゃをやっと買ってもらえるようになった。

 そんなときに子供が浮かべそうな、待ち遠しげな表情なのだ。

 

 何となく殺害対象の予想できて、景朗はあまり聞きたくなくなっていた。

 殺し屋をやっているせいで鍛えられてしまった、でも決して鍛えたくは無かった"勘"だった。

 

「ターゲットは身内か?」

 

「うん」

 

 殺してせいせいする奴となれば、彼女の組織内でのトラブルが真っ先に考えられる。

 暗部って、そういう場所だ。話に聞く外の世界のマフィアとそんなに違わないのかもしれない。

 景朗にだって木原数多がいるので、以外でも何でもない。

 あいつはいつかスリ潰してやりたい。

 

「消せってことは、バレずに殺れって?」

 

「イエス、そうよ!」

 

「理由は? 私怨か?」

 

「……うん、でも」

 

「わかった待て、これ以上ターゲットのことは聞きたくない。殺してどんな問題が解決されるのか教えろ。そいつの方が先にお前さんを殺そうと狙ってるなら考えてやる。セルフディフェンスか?」

 

 殺しがワリに合うほどの理由なんて出てこないんだろうな、という直感があった。

 であれば、突っ込んだ話なんてこっちだって聞きたくもない。

 

「うん」

 

 少女の鼻のアナが不自然にぴくぴくしているのを、当然、景朗は見逃さない。

 

「嘘つくな。なら、そいつがお前を殺ろうとしてる証拠を見せろ。だいたい同じ組織なら私闘はタブーだろ普通は」

 

「わたし、計画はきっちり考えてあるわっ! うまくジコに見せかけられるのっ!」

 

「なぁ! 悪いが任務以外で君の私事を手助けする気はないよ」

 

「ちゃんとお礼はするわっ、おねがいよ!」

 

「昨日の夜、蹴られるとか言ってたヤツか?」

 

「わたしはまだ小さいんだから仕方ないわよ!」

 

「なあッ……いいか、俺はお前の復讐には、絶対に、付き合わない。もうお前の知ってるウルフマンじゃないんだ。"殺し"は安請け合いしなくなったんだよ。お前程度が出せる報酬で"殺し"が割に合うことはない。永久にな」

 

 屁理屈だと笑われそうな言い訳だが、景朗にとっては曲げられない宣言だった。

 人殺しは今でもやっているが、それは逆らえない命令としてだ。

 まかり間違っても、今なお"仕事でやっている"わけではない。

 アレイスターから命令達成の支援は受けても、報酬は意地でも受け取っていない。

 

 どうしようもなく逆らえない相手からの命令で、必死に耐えて遂行しているだけなのに。

 自分の意思で人殺しはしていないこと。

 それを誰も信じるわけがないのは、日々実感すらしているところである。

 

「おねがい、殺してくれたら、わたし何でも手伝うわ! おねがい! おねがいよっ!」

 

「だから。悪いけどその提案も魅力無しだ。やる気は起きないね」

 

「どうして? わたしをその辺のこども扱いしないで! きっと役にたってみせるから!」

 

 説教まがいの拒否反応が口から飛び出そうだった。

 だが、そういった種類の建前を口にする資格が、自分には恐るべきほど無さすぎる。

 勢いは全て霧散して、深々と大きく息をつくだけに終わった。

 

「『何でも手伝える』って言ったな? それじゃあ俺がそのターゲットを生け捕りにして攫ってきたら、お前が"とどめ"を刺して後始末までするってんだな?」

 

「ええ! いいっ! いいわっ! それでもいいわ! それでやってくれるならっ! やるっ! やるやる! わたし、殺すわ! ふひゅっ!」

 

 ダーリヤは自らターゲットに手をかける光景を想像したのだろう。

 依頼を拒否された怒りとは別口の興奮に染まっていった。

 年齢に不相当な気持ちの悪い喜色に満ちていた。

 

 これを目にしたら、誰だって簡単に思いつくだろう。

 少女が直面してきた暗部の世界が、その心を歪めてしまったのか、と。

 

 正直なところ、そんなお涙頂戴の感想を抱いて、しかるべき機関に連絡を入れて、はい、それでおしまい、で済ませたかった。

 だが景朗はあいにくと、不幸をタレ流すドキュメンタリー番組を画面越しに眺めていればいいだけの、ごく平凡な一般人の立場にいなかった。

 

 道徳。慈愛。良心。

 

 たとえばそんなモノが、現実的に目の前の少女に必要な概念なのかすら、悩ましいことだった。

 だって、ダーシャは、これからも暗部の世界で生きていく。

 彼女が置かれた立場では、生きている限り足を洗えることもない。

 最初からこの結論が待っている。

 

 ダーシャは"建前"が"建前"に過ぎないという、その実例のなかで育ってきた。

 "他人の犠牲で自分の身を守る"という生存戦略よりも、"ささいな道義心の方を優先しよう"なんて破られ放題の公衆道徳の方を、あっさりと実践してもらえるわけがない。

 残念ながら、暗部の中で身を守るという一点に限って考えれば、不必要だ。

 いや、不必要どころかむしろ足を引っ張る邪魔な考え方だ。

 

 

「まいったな。殺すんですか。わりかし本気みたいだなぁ……。怖くないの、"オペレーターさん"は?」

 

「だからゼッタイにバレないように殺すわ」

 

 物騒なことを口走る少女は、バックパックから取り出した中折れ式の拳銃にスタンシェルを装填しつつ、動作を確認中だった。すっかり様になっている手つきだったが、その銃は無力化用で非殺傷である。聞いた限りではダーリヤがウェットチーム(戦闘要員)に出たことはない。

 

 人を殺すことそのものに恐怖はないのか、と聞いたつもりだった。

 だが、そんな事はそもそも殺してからじゃないとわからないので、聞いても無意味だったことを遅れて悟る。自分だってそうだったのだから。

 

「はは。そうか。俺はな、それがあるんだよ」

 

「"それ"?」

 

「だから、バレたことがあるんだよ。だから身に染みて実感してんの。他人の恨みを肩代わりするなんて、どんだけ対価を積まれようと果たして割に合うのか? ってね。はぁ……。さあ、聞くだけは聞いたぜ。結論、俺はやらない。手伝わない。そこまでやるなら全部自分でやりなさい。以上。さ、諦めてくらさい」

 

「大丈夫よ、あいつは殺しても大丈夫なの。調査済みよ、復讐の可能性はほとんどないわ」

 

「じゃあなおさら自分で後腐れなくサクっとやっちゃいナよ」

 

 景朗は話は終わったとばかりに、中座していた身支度にかかる。

 

「ねえ、なんでっ! さらってきてくれるって言ったじゃない!」

 

「ほら、ダーシャも早く準備して」

 

「どうして? いいじゃない。おねがいウルフマン。必ず対価を支払うわ。殺してようっ! もうっ! なんでダメなの?」

 

 クリスマスプレゼントにお願いしたものとは違うオモチャを買われそうで、必死なの。

 そんな風に子供が諦め悪くねだるかのような、そんな気軽さである。

 

「いいじゃない殺してようぅぅっ! どうして私の頼みだけ聞いてくれないの? 今もいっぱい殺してるんでしょう? おねがいしますっ。殺して、殺して、殺して、殺してくださいっ、殺してくださいっ」

 

 キンキンに高く幼い声で連呼されるのはそれだけで五月蠅いこと、このうえない。

 

「クソガkッ――――ちょっといいかな、ダーリヤ君。……いい加減に迷惑だよ。これからもし、また誰かが襲って来たら、俺が君の代わりにそいつらを殺してやるって状況だぞ。誰を殺すだの殺さないだので、君は文句を言える立場じゃ無い」

 

「それはっ、それはうるふまんの任務でしょう!?」

 

「おいおい、君は任務のためならどんな代償でも受け入れるのかい? それなら君だって任務中に受ける苦痛なんだろうし、甘んじて受け入れなよ」

 

 本当に言いたかったのは全く別のことだったが、偉そうに何を口出しできようか。

 余計なことはできない。しないほうがいい。

 ……しないほうがいい? うん、そうだ。しないほうがいい。

 

(超能力者の暗殺者サマにだって、てめえのことしか気にかける余裕がねえんだよ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 唐突だが、景朗は舎弟としている"人材派遣(マネジメント)"に資金と武力を提供して様々な事業をやらせている。

 その中の一つに貸倉庫がある。ヤクザ的に例えれば、"人材派遣"に貸倉庫業というシノギをヤラせて、景朗がケツ持ちをしている、という塩梅である。

 もともとは大量に食物を必要とする景朗が、街中あちこちに非常食や非合法な器具を安全に保管しておくためにやらせたものだ。

 管理・メンテ・経営はおおよそ人材派遣に任せてあるのでなかなか便利なものだった。

 無論、"人材派遣"側にとっても景朗の武力という破格のセキュリティを得られるので、これまたなかなかの稼ぎらしい。Win-Winの関係といえるのではないだろうか。

 

 上条当麻への張り込み、すなはち第七学区の高校への潜入を機に、学校の敷地の近辺に、いくつか私用の貸倉庫をつくらせていた。

 そのうちのひとつに、バナナを片手に文句を言うダーリヤを押し込み、『今日は半日だから昼に戻る』とどうにか説得し、無事に学校への登校を済ませられたのである。

 彼女が居る貸倉庫は無論のこと、校舎からさほど離れてはいない。

 距離的には、景朗の能力にあかせた力技で異変があればすぐに察知できる。

 その気になれば、教室の中で小萌先生の授業を聞きつつ、倉庫内のダーリヤの鼻息を聴いていられるくらいだった。

 

 とはいえ、新学期の初っ端から欠席をかました土御門の不在、それに加えて、夏休みに出会ったインデックス&姫神秋沙のコスプレコンビが登場した時には、さしもの彼とて一時、気を持って行かれはしたのであるが。

 

 

 

 幸いなことに、始業式はつつがなく終わった。

 終わってくれたのだが、縁起の悪いことに、実は新学期初日の今朝から、学園都市全域で第一級警報(コードレッド)が出ているのである。

 テロリスト侵入の報が公開されており、警備員と風紀委員たちは狩りだされている。

 猟犬部隊の情報網で知り得た限りでは、そのテロリストとダーリヤを襲った集団との関係性はあまり期待できない。テロリストの手口は、彼が相手をした者たちと違い過ぎていた。

 仮に、この一件が少女に関わっていたとしても、既に"表"の執行機関が対処に向かっている。テロの鎮圧後に結果はおのずと懐に入ってくるだろう。

 

 となれば、景朗としては、コードレッドの隙をついて謎の集団が大きく動いてくる可能性をあたりたい。

 今朝のテロ騒動と件の集団が別の組織だと仮定すると、連中にとってもチャンスになる。

 監視対象である上条当麻は、女子を連れ立って遊びに繰り出すとのこと。

 いくらあのアホでも、女連れで無茶はしないはずだ。

 

 そこで次の手として、小萌先生の授業中に、景朗は丹生多気美に連絡を入れていた。

 彼女の都合がついたので、念のためにダーリヤとの顔合わせをさせておくのだ。

 

「ダーシャ、"マーキュリー"のことも覚えてるよな?」

『あの"よわむし"?』

(弱虫?! 第一声で"よわむし"呼ばわり……丹生さん……)

 

 以上が、休み時間における、ダーリヤとのやり取りである。

 "マーキュリー"は、丹生の当時のコールサインだ。

 "ユニット"時代にも丹生とダーリヤはニアミスしていたし、プラチナバーグの元へ加入した後は同僚として最低限の付き合いはあったはずである。

 だがしかし、ダーリヤは丹生のことを良く知っているのに、丹生はダーリヤの素顔すら知らない。

 "もしも"のことを考えて、彼女にダーリヤを紹介しておく。

 とうにお互いの事を知っているのだから、余計なトラブルを考えなくていい。

 

 テロ騒ぎこそあれ、学校は半日で終わったのだ。時間はある。

 ダーリヤを丹生にぱぱっと会わせて、その後、景朗は謎の襲撃者たちの手がかり探しにいけるかと考えていた。

 

 そう、考えていた。少なくとも、そのつもりだったのだ。

 

 校門を出て、もよりのバス停を横切って、貸倉庫へ向かう。

 その途中で、苦虫を噛み潰すような人物と出会わなければ。

 

 最初に嗅ぎ覚えのあるニオイがして、警戒するとほぼ同時に気づかされた。

 既に逃げてもどうにもならない事態に陥っていたのである。

 正面から立ち向かうしかなかった。

 

 "幻想御手(レベルアッパー)"の昏睡から久しく連絡を拒絶していた陽比谷天鼓が、バス亭で"青髪ピアス"を待ち構えていた。

 

 嫌な緊張を切り裂いてくれるような、的確な問いが咄嗟には思い浮かばなかった。

 狼狽えていた。

 なぜなら、こいつは迷いなく"青髪ピアス"としての雨月景朗に挨拶をよこしたのだ。

 この上なく信じがたい。

 今回の接触は、前回のように偶然に遭遇してしまったような不運ではない。

 

 陽比谷は"どうにか"して自分を探り当てたのだ。

 "能力主義(メリトクラート)"の大能力者集団をかき集めて、力ずくで自分の元にたどり着いたとでもいうのか?

 大叔父だという、統括理事会の潮岸に泣きついたのか?

 

 だが、だが、しかし、それでも、アレイスター直属の"猟犬部隊"に隠し遂せて、俺にたどり着いたとでもいうのか?

 

「お茶でもしに行こう。珈琲、好きなんだろ?」

 

 ここまで接近されては、もう武力では解決できない。話を聞かなくてはならない。

 陽比谷には、怒りもなく、敵意もなく。

 ひとまずその場においては、相変わらず見覚えのある興味津々に"輝く眼"を携えて、景朗を誘った。

 

 

 

 

 

 

 

 確かに歩いてすぐの距離にあった。近場だったが、無造作に選んだのではなさそうである。

 陽比谷は、景朗が良く知っている"学舎の園"に隣接するカフェを話し合いの場に選んだ。

 

 そう。ここは、中学時代に火澄や手纏ちゃんと幾度となく語らった、想い出のカフェテラスなのだ。

 言外に、景朗の交友関係すら盾に取れるのだぞ、という脅しなのだろうか。

 

 テラス席のひとつに陣取り、勝手知ったるとばかりに、陽比谷は黙りこくる景朗の分まで注文してしまった。

 

 カフェに来る道さながらに、丹生にはダーリヤを回収してくれるように連絡を送っている。

 大いに迷ったが、他に手が思いつかなかった。正しい判断なのか自信もない。

 ただ、ダーリヤは丹生の顔を知っている。

 ダーリヤが信頼……とまではいかないが、従ってくれるような人物は、丹生以外に候補が無い。

 

 

 

「で。何の用なんだ、俺に?」

「オオ有りだッ、この野郎!」

 

 片手をズボンのポケットに回し、陽比谷は激怒した。

 景朗は目をそらさず、身構える。

 

「天下の往来で人様の顔面晒してなにしてくれとんじゃああああああ!」

 

 ドバン! ポケットに乱暴に丸めて収められていた週刊誌が、テーブルの上に叩きつけられた。

《陽比谷天鼓、回転寿司で250皿完食、フードファイター顔負け!》

 それが記事のタイトル。粗い画質だが、回転寿司店で食事をしている陽比谷青年の写真が掲載されている。客の誰かが撮っていたようだ。

 

(やべえ)

 

 でもこれはきっと小手調べ。

 単なるジャブ。景朗は警戒を引き締め直す。

 

「なにこれ?」

「しらばっくれるな!」

「どんな根拠があるってんですか?」

「逆に僕が間違ってるんなら好きにするといい、ホラ、別の真犯人がいるんなら連れてこいよ。その時はぶち殺せよ、自分(僕)を」

 

 陽比谷はもう完全に景朗の仕業だと決めつけている。片方がツバを飛ばして怒鳴っているのだから悪目立ちしているはずなのだが、客層が上品すぎるのか、チラチラ視線が飛んでくる程度で済んでいて、驚きである。ワリと物騒なことを口走っていると思うのだが。

 

「僕はなあ、自慢じゃないが行ったことがないんだよ回転寿司! 勘違いするなよ、自慢する気はない、今まで機会が無かっただけだ! こんなワケのわからない形で本人より先にデビューしてんじゃねえよ!」

 

 犯人だとあっさりバレたのは大したことではないが、青髪ピアスの中身まで看破された手段と目的は致命的だ。

 ……説明が遅れたが、景朗が陽比谷の外見を使って回転寿司で食事をしたのは事実である。

 しかしモチロン、彼に悪気は……悪気は…………。

 

「しかも女連れでだ! まったくの冤罪で振り回されるこっちの身にもなってみろやあ! 『陽比谷クンそんなに食えるなら食タレできるジャン、なんで教えてくれなかったの?!』ってゲイの社長には説教にかこつけて迫られるし!」

 

「オーライ、そんなことより、本題を……」

 

 陽比谷の収まりきらぬ憤りは、景朗の横槍を素通りしていった。

 

「小食が大食いだと証明するのは簡単さ、目の前で食ってみせればいい。でもその逆は不可能だろぁ?! 一度でも大食いしてみせた奴は、もう二度と小食のフリができないんだよ! 病気にでもならないかぎり誰も信じないだろ! こっちには完全に身に覚えが無いんだ! 必死に否定しまくったら証拠写真を突き付けられて、ボカァ今じゃ事務所ですっかりオオカミ少年あつかいだ!!!」

 

「証拠なんてないんだろ。いいから本題を言えよ」

 

「250皿なんてギ〇スもんの記録、アンタ以外に誰ができるんだこん畜生! みろよこの記事、店長が『100皿……いや150皿近くはなぜかイカでしたね。イカとかタコばっかり食べてました。バイトの女の子が途中からメモしてたんで間違いありません。イカなんてネタが切れちゃうまで爆食いされてましたよ。だから途中からタコになりましたけど』だとよ。なあ、なぜイカなんだ?! な・ん・で・イ・カ・なんだよッ!」

 

「だから……たべて、ますん」

 

「今じゃネットでアンチが『陽比谷氏、どう考えてもイカ臭いw』って叩きまくってお祭り騒ぎだよ!

僕の気持ちがわかるか? まさかネットで叩かれてるんじゃないかと思って検索しようとしたら、もうその時点で検索候補に《陽比谷 いか 臭い》って出てきやがったんだゾ?! なんとかしろよ!」

 

「そんなことどうしようもないだろ!」

 

 口応えした景朗を睨む陽比谷の眼は尋常じゃないギラつきようで、ヤバいくらに光り輝いている。

 窮地に陥っているというのに、自分のしでかした不始末が原因でどうにも相手ペースになってしまう。まずい事態だ。色々と。

 

「だから、本題を言えよ! んなしょうもない事を詰め寄りに来たんじゃないんだろ!?」

 

「う、うふ、うっふっふっふっふふふふふふふ!」

 

 キレすぎて陽比谷が笑いだした。もはや荒事は避けられないかもしれない。

 奇妙な空気感だからといって、正体がバレている以上、決着を付けないといけない。それを忘れてはいけないのだ。

 

「もともとモデル事務所に入ったのは母が経費扱いで僕に色々と干渉するためだった! レベルアッパーのせいでラジオデビューも逃したし。それでもなぁ……ッ!」

 

「わかった! いったん謝る! だから早く要求を言ってくれ! もう寿司ネタの話はヤメロ!」

 

 景朗が自らの非を認めたその瞬間。対面する男から、キラリ、と眼光が煌めいた気がした。

 

「うっ。うふ。フフ、フア~ッアハハハハハッ! 認めたわね、"うげつかげろう"」

 

 本名まで調べられている。

 カチンコチンに固まった景朗をみて、陽比谷は女のように高笑う。

 状況がどこまで酷いのか、もう想像もつかない。

 

「なぜ"イカ"なのぉ? あは。あんなに食べたのに、なぜイカとタコばっかりなのよ。ふっふふ、板前さんに面白おかしく言われて当然じゃない。はやく、神妙に白状なさい!」

 

 もはや、突然オネエ言葉になった陽比谷に対し、ツッコム余裕すらない。

 陽比谷はなぜそんなにイカのくだりにこだわるのだろう。

 面白おかしそうに、突然乗り移られたかのような女クサイ仕草で腹を抱えてニヤついている。

 もうほんっとに気持ちの悪いヤツだが、妙な緊張感でそれどころではない。

 

「イカが……その……プロテインが、生物価が豊富で……魚は普段、市場でブロック買いしてて…………あ?」

 

 まるで中身が女に入れ替わったような?

 

「あッ! あ…………あ…………おまえッ、食蜂操祈!」

 

「気づくのおっそーいんだゾ、おっかしー! おっひさー☆ケルベロスさん」

 

 憎たらしい陽比谷の顔面に思いっきり右ストレートを入れるところを妄想したが、今、その中身は女子中学生である。

 陽比谷の身体だし殴っていいだろ、いやこの女は敵にするのはまずい、一応女だし、というか。

 

 だったら本名知られてておかしくないってか、これまでの正体バレうんぬんで焦ったのが全部取り越し苦労ってことになるじゃないか。

 景朗の秘密をこの少女はもとから知っているのだ。

 大方、陽比谷が景朗を血眼で探し回っているのを発見し、イタズラに使えるとみて利用したのだろう。

 

 かくして。よかった~~~という渾身の安堵感で、陽比谷青年の顔面は変形せずに済んだのである。

 

「死ねよ。……死んでください。死んでください、クソ中学生」

 

「どうして250皿も食べたのにイカばっかり食べたんですかぁ? そんなにイカが好きだったっけぇ~? カワイソ~、この人、ネットで『イカ臭そう』って叩かれてるんだゾ☆」

 

「知らなかったんだよ。人間は普段200皿もお寿司を食べられないんだ。俺も……初めて行ったんだよ……回転寿司……」

 

 夏休みのとある一日。丹生と一緒に回転寿司に行った。

 いつもはレストランで満足するまで注文すると周囲に白い眼で見られるので、セーブしているのであるが。

 『回転寿司ってどんだけ大量にドカ食いしても一般客には不審に思われない』という事実に驚愕した景朗は大いにテンションを爆アゲさせてしまったのだ。

 

 栄養摂取じゃ! と高たんぱくで邪魔な糖質の少ないイカやタコがねらい目だった。

 まぐろのように人気があるわけでもないし、思う存分食わしてくれや!

 そりゃあまあ、ウン百皿も食うのにちまちまネタの種類を分けて頼むのはめんどくさかったから、不精にもまとめて注文したことは認めよう。

 ただまあやっぱり、イカに続いてタコもドカ食いしてネタ切れにまで追い込んだ景朗は案の定、店員に不信がられた。

 アドバイスをまるで聞き入れなかったせいか丹生にも恥ずかしがられ見捨てられそうになって、後始末を押し付けるのに便利そうな"あの少年"を思い出し、結局景朗は"その顔"でお会計まで済ませることにしたのである。

 

「マーダー☆ウィル☆アウトッ (悪事は必ずばれる)!」

 

 ケタケタと少女めいた笑いを見せる陽比谷(食蜂)の仕草がキモく、何より憎らしい。

 その諺は景朗の状況に刺さり過ぎてて全く笑えないではないか。

 

 

 

 

 

『最後に幻生と直接会ったのは"いつ"?』

 

 それが、食蜂が最初に放った質問だった。

 その後は軽快に回していた舌を止め、景朗を差すように見つめて、ひたすら押し黙った。

 答えなければなにも始まらない。

 いや、始める気はない、という確固とした意志が感じられた。

 

「……ツリーダイアグラムが壊れた日だ」

 

 景朗が最後に幻生と会った日だ。それ以降は連絡も取っていない。

 幻生の方からも、連絡は一切来ていない。

 景朗は連絡が来ないことを嬉しがっていたくらいだ。

 だが、実のところ、嬉しがっている場合ではなかったのだろう。

 

 幻生が顔を出さなくなったのは、景朗から食蜂の影を察していたからだろうか?

 

 本音は胸にしまうしかない。幻生にも、食蜂にも、敵対したくなんてない。

 景朗の"やわらかい弱点"に、2人とも手を伸ばせるのだから。

 

 景朗の返事に、食蜂は納得した様子を見せた。

 彼の嫌な予感はここにきて、最大限に極まっていた。

 

 食蜂は陽比谷の顔で、茶化すように宣言した。その眼は笑ってはいなかった。

 柔らかな笑みだったが、"威嚇"としてしか機能しない性質のものである。

 

「あの枯れた老いぼれを裏切りなさい。失敗すればあなたの"仲間"は永遠に失われるわぁ☆

 もちろん私になにかあれば、"彼女たち"も無事ではすまない」

 

 幻生を"裏切れ"とはどういうことだろう。裏切っているかと言われれば、すでにある程度は幻生を裏切っている。景朗からだとバレないような性質の、奴の情報をリークしたこともある。

 

 景朗は食蜂に暗部の情報をリークする。食蜂は景朗の"仲間"の異変を知らせる。

 以前からそういう"約束"をしている。

 無論、アレイスター関連は教えられない。

 食蜂は青髪ピアスが上条の側に居ることについて言及し、上条関連についてもしつこく尋ねてきた。

 偶然だが、上条については景朗も食蜂以上の情報は知らなかった。

 そう伝えると、ひとまず食蜂も納得はしてくれていた。

 

 その約束が、ここに来て。

 

「"約束"を変えてくるのか。一方的だな?」

 

「モチロンよ。貴方と永遠の契りを結んだ気はないもの。

 ごめんなさい。今回のお話は、これまでとはすこぉし違うのよ。

 貴方は私に言ったわ。守るべきものの為ならば、一切引くことはできないって。

 そう。今回は私もなのよ。あなたが相手でも一切引くことはないの。

 

 だから、しばらくわたしのワンちゃんになってほしいナ☆」

 

 食蜂は木原幻生と本格的に敵対するつもりか?

 幻生との間にどんなトラブルが?

 具体的にその内容を知らなければならない。

 

「ねえ、私と貴方が組めば、ちょっとした以上に快適な生活が送れるとは思わなあい?

 わたしたちはお互いに欠けているモノを補完しあえるはずだもの」

 

「あいつと何があった? どうせ能力でこの場のセキュリティは確保してるんだろ?」

 

「"妹たち"」

 

「あ? それがどうしたんだ?」

 

 なぜ、食蜂がミサカクローンに固執するのか。

 

「私が守る」

 

 頑なさが、言葉の少なさに表れていた。

 

(ミサカクローンズを守るのが、目的だと? 幻生がシスターズを狙ってるのか??)

 

「ご心配なく。もうしばらくだけ悩ませてあげる。こうして、"イエスかノーをせまる"なんてお遊びも、久しぶりで新鮮だものねぇ。でも。

勘違いしないでね。これは私の優しさだゾ。

この場は、この場だけは、待つのも一興ってことにしといてあげる☆

もう一度言うわ。わたしなら貴方の事情を"全て"汲んであげられる。お忘れなく」

 

 食蜂と幻生。どちらに味方すればいい。幻生にも連絡を取りたいが、果たして取れるか?

 幻生が景朗と食蜂の関係に気づいていたら、幻生にコンタクトを取っても無視される可能性がある。

 

(そうか……思い返せば、幻生は別れ際に、"実験の邪魔をするな"と言っていた。あれは、食蜂との関係を知っていて、俺に警告していたってことか?)

 

「迷っている……いいえ、悩んでいるってとこね。ふふ、相談にならのってあげるゾ☆」

 

(けれど、上条が"絶対能力進化計画"をぶち壊したのは、8月21日。だから、七月末のあの時点では、幻生は"ミサカクローンズ"に手を出そうとはしていなかったはずだ。つまり、あの時、幻生は実験にミサカクローンは使わないつもりだった。ならば、あの時点では、食蜂を危険視していた可能性は低い。でも、それなら、今、食蜂と幻生がミサカクローンズを巡って争う理由は?)

 

「……説明しろよ。どうして"妹達"をお前なんかが守ろうとする?」

 

(食蜂が嘘をついていて、ミサカクローンではなく"別の理由"で幻生と争っているなら。幻生は食蜂と俺の関係を見抜き、警告していた可能性がある。その場合、食蜂に味方すれば簡単に俺の裏切りが幻生にバレる)

 

「"友達"だから」

 

 いけしゃあしゃあとその言葉を口にした、その相手に、景朗は氷のような殺意を胸に秘めた。

 

「そうだったか?」

 

 皮肉げに牙を剥き突っかかる景朗に、食蜂は表情を動かさない。

(やっぱり、食蜂が、ミサカクローンズを命懸けで守るとは、思えない……)

 

「認めるわ。"向こう"はそう思っていないでしょうね」

 

(何なんだ、"そんな理由"で俺を説得できるわけないだろ?

 だいたい、今このタイミングで幻生を裏切れるか?

 丹生はどうする? 上条を当てにする? 上手くいく保証がない。

 幻生だ……体晶を造ったのは幻生だ。

 奴にその気があるのかはともかく、奴以上にその道のエキスパートはいない。代えはきかない……。

 まずい。まずい。まだ幻生を失う訳にはいかない。

 ああでも! 食蜂がその気になっている以上、協力すら断れば、たった今からでも、この場でこいつに先手を打たれちまう!

 陽比谷を寄越して、食蜂本人が出向かなかったのも、俺にこの場で殺されないためだ。

 

 そもそもが食蜂と俺が組んだところで幻生を抑えらえるか?

 食蜂が、学園都市上層部の幻生を相手に勝利するってのか?

 不利だから俺を味方に引きずり込みたいだけだろうが!

 

 ……殺す。

 なんとかこの女の裏をかいくぐって、殺す。其れまでは、言う事を聞いておくしかない。

 食蜂に緊迫した雰囲気はない。本人が言ったように俺を待つくらいの時間はあるみたいだ。

 万が一の話になるが。

 幻生が負けでもしたら、ヤツを食蜂の能力で操らせることができる。

 でもその後、用が済めば、きっと食蜂は幻生殺しを俺に押し付ける。

 クッソ! クソが! クソクソクソが! 最終的には、どちらかを殺さなきゃならないのか!)

 

 

「わかった。やるよ」

 

 静かに、景朗は返事をした。ひとまず、協力をするフリを示しておく。

 

「ふふふ。ヘタクソなウソねぇ。それくらい能力使わなくったってわかっちゃうわよ」

 

 少女の乗り移った陽比谷は、まるで同情するように苦しげな表情だった。

 

「困ってるわねぇ。ごめんなさぁい。今までのはぜ☆ん☆ぶ、じょーだん☆」

 

 残念そうに、食蜂は切り捨てる。

 

「それに駆け引きもニガテなのね。そこまで時間をかけちゃったらまるわかりでしょう。貴方が私と幻生を天秤にかけて、そこまで葛藤したのなら、結論は絞られる。

意外ねぇ。"即断即決"。これが"わたしたちの住んでいる世界"の残酷なルールでしょう?」

 

 忸怩たる思いで、景朗は悟った。

 景朗が迷ったのを見て、食蜂は協力関係から、脅迫関係に切り替えたのだ、と。

 

「はぁ。……まったく。この程度の脅迫で動揺するだなんて、ほんっとに頼りないわねぇ? 

 

 お互いに"超能力者"である以上。 

 

 私には捨身の貴方を食いとめられる防衛力はないし。

 貴方には、多角的に展開した私に対する掣肘力がない。

 

 お互いにこれ以上立ち位置を変えられないというのなら、仲良く二人三脚するしかないでしょう?」

 

「……どうしてそんな芝居をする必要がある? 俺は捨身にならなければ一歩も動けないのに、君は少しのリスクで俺にダンスさせられる。わざわざ何を言いに来たんだよ?」

 

(食蜂は一方的に俺の"秘密"を握っていた。なのにタダ同然で俺の前に名乗り出た……その狙いがわからない)

 

「貴方の立場では、幻生に従うほかはない。でも、それを承知で言うわ。

"このままだとあなたはあのお爺さんに永遠に弄ばれ続けるだけ"

 

大切な人の命を助けたいと思う気持ちは……どうしても捨てられないもの。

いいえ、捨てずに抱いて死ぬべき宝物よ。だから、私は貴方を躍らせたいの。

 

あなたは、勘違いしているわ。

人は誰しも、他人の命に、全ての責任を負うことはできない。

わたしたちは神様にはなれない。

残念ながら、あなたがどれほど命を削ろうと、他人の人生を背負いきることはできない」

 

 食蜂の言葉を否定はしない。

 力と権力、その両方をもった悪人から、他人を守り切る。

 計り知れない難しさがある。

 でも、背負いきれないなんて言い訳で、アレイスターや幻生、そして食蜂、お前に"あの人たち"を好き勝手させてたまるか。

 

「ふふ。当然ね、わたし程度の言葉ではあなたの"心"は動かない。

それなら、"彼女"の言葉ならどうなのかしらねぇ?」

 

 火澄たちに、本当のことを言って、仲間に引き入れろ?

 馬鹿な事を。それは景朗が最も恐れていることでもある。

 

「あなたは直接、彼女の意志を確かめたことはあるの?

私が身勝手だと思うのならば、貴方自身も身勝手だと知りなさい。

私の傲慢さもあなたの臆病さも。

人の意志をないがしろにしているという点では等しいのよ。

同じく女の子としての身の上から言わせてもらえば、あなたは真実を伝えて、当事者の気持ちをもっと尊重するべきよ」

 

 それを陽比谷の身体を使って言っているのは、何かのギャグなのか?

 景朗は食蜂入りのこの男を殴りつけることを、もう一度真剣に考え始めている。

 

「貴方は手を取り合う道を真っ先に切り捨てている。

レベル5の苦労がレべル4にはわからない?

それならあなたは、レベル5になれないレベル4の覚悟をどれほど汲んであげられているの?」

 

「人の心を駅のロッカーみたく無造作に開け閉めするお前が言うか? 笑わせるなよ」

 

「心を読んだ人間には、最後まで責任を持つ。

越権行為は覚悟の上、私は私の良心に従って最良の結末を諦めない。

そのために最後まで戦い貫き通す。

その業を背負う意志がなければ、わたしには力を使う資格がない。

 

あなたには守る意志があっても、私のように戦う意志がないようね。

 

ええ、確かにあなたは、戦えば死ぬ。でも、戦わなければ、先に心が死ぬわ。

"不老不死(フェニックス)"。あなたは不老不死なのでしょう?

だったら、心を生かしなさい」

 

「……うるさい」

 

「あら、そうだ。ついでに教えておこうかしらぁ。大能力者の覚悟、についてだけど。

 この人(陽比谷)をここまで連れて来たのは、貴方をからかうためだけじゃないの。

 彼の妹のためなのよ。

 私の後輩、常盤台中学校1年生、陽比谷南天(ひびや なんてん)は恐らく生まれると同時に陽比谷家の養女になった。だから彼女には血のつながらない兄がいる。

 兄の名は、陽比谷天鼓。

 潮岸の性を捨てさせて嫁を貰った陽比谷氏は、どうしても自分の血縁で"手柄(超能力者)"を立てたかった。

 幼い南天ちゃんが大能力を発現すると、それをなぜか見越していた父親は、兄妹にいずれ結婚するよう厳命した。養女から嫁養子になるわけね。

 

 結婚がいやなら、陽比谷少年は自ら超能力者になるしかなかった。

 妹を兄として愛していた低能力者は、死にもの狂いで大能力者になった。

 兄を助けたい妹は常盤台までたどり着いた。

 

 そこから先の彼の悪あがきは、貴方も知っている。

 貴方は私が知る内で唯一、他人の能力強度に干渉できる可能性がある。」

 

「そんなことはどうでもいい! んなこと知ったことか!」

 

「わたしは、心を読んだ人間の面倒は最後まで見る。"先輩(仄暗火澄)"然り。……そこに、貴方も含まれていると思う?」

 

「何が言いたいんだ」

 

 幻生と食蜂が戦うのなら、景朗は最後までコウモリに徹して、勝ちそうな方に着く。そう決めた。

 なんと罵られようと、景朗はどちらかを選択する。

 つまり、食蜂の負けが決っしそうになったら。

 奴に彼女の首を差し出す覚悟だった。

 そんな相手に対して、なんという綺麗事を吹かすのだろうか、この中学二年生は。

 

 食蜂は、幻生との争いを冗談だと言った。

 だが語っていた内容は、とても冗談だとは思えない。

 何時だって起こり得る未来である。

 ならば、これは、食蜂の善意なのか? 彼女の良心なのか?

 火澄のために俺を? 陽比谷のために俺に?

 俺のために、何かをする?

 

 阿保か? お前のメリットはどこにある?

 

 疑ぐり深い景朗に対して、やれやれ、と大げさに腕をあげ、食蜂は急に口調を元に戻した。

 陽比谷青年のものへ。

 それは長く続いたこの会話の、締めくくりを意図しているのだろう。

 

「ヤツ(幻生)には従ってるフリを続けてほしい。

決して悪いようにはしない。そして、今まで通りに過ごしていてくれればいい」

「……探せとは言わないんだな?」

「普段の君は、自分から積極的にヤツに連絡を取っていたのか?」

「いやまったく」

「それなら君から動いちゃダメだろう。相手から君にコンタクトを取らせろ。それまで動く必要もない。可能性は高くはないが、ヤツが君にコンタクトしくればつけ込む隙になる。

それまでじっと耐えてくれ☆ 得意だろ? そういうの☆」

「……それだけか?」

「ああ。お忙しいところ失礼した」

 

 

 ここに来て再びの、幻生裏切れ発言。

 結局、冗談じゃないっぽいんだが。

 ホントにこの女子中学生との会話はキライである。

 たちが悪すぎる。

 

「待て。俺からもひとつだけいいか?」

「何だい?」

「シリアスな話をするときは、次からはお願いだから野郎じゃなくて女の子で来てください……お願いします……」

 

 確かに、陽比谷にイジワルをした自分も悪い。

 それでも、思いっきりナヨナヨと話す男子高校生の女言葉を、こんな真面目くさった心境で聞き続けなければならなかった景朗の心労も、少しは考慮してほしい。

 

(というか迷惑かけたのは陽比谷だけだろ、クソ蜂に対しては何もしていないだろ!)

 

 もう一度言うが、食蜂なんて嫌いだ。

 景朗はここまで巨乳美少女を嫌いになる日が来るとは、正直、思わなかった。

 

「うふ☆ ちょっと人選ミスだったカナ☆ 認めてあげる☆」

 

 シナをつくって、イケメン男子高校生はキラッ☆とウインクを投げかける。

 

「やめてくれよ……"ちょっと"じゃないだろ……」

 

「わあっ! 僕に何した?!」

 

 ウインク状態から逃げる様に、突然の洗脳解除である。

 なるほど、陽比谷の瞳から輝きが消えている。

 パニック状態の陽比谷青年は、テーブルの対面に座る大男を見つけると、じわじわと状況を察していった。

 景朗はとっくに彼が見覚えのある姿に変身し直していたので、気づいてくれたようだ。

 何らかの能力を使われて、この場所に拉致られてきたのだと、当たりは付いているらしい。

 

「……超能力者は、悪ふざけも笑えないね」

 

 怯える様に、真剣にこちらの様子をうかがって来る男子高校生が、なぜだろう、一瞬、愛らしく映ってしまった。そんな自分を景朗は呪いたくなった。

 

 意識が戻ったばかりのセリフにしては落ち着いている。

 しかしさすがに、緊張気味にあちこちに視線を走らせ、いつもの軽い口ぶりは鳴りをひそめてしまっていた。

 

「僕に何をした?」

 

 テラス席にて一対一。こちらだって巻き込まれただけなのだから。

 『"俺は"何もしてない』と言いかけ、途中でめんどくさくなって、景朗は一切手を付けていなかった珈琲で、余韻たっぷりに舌を潤わせた。

 

(俺を気味悪がってる。笑える)

 

「ここは、どこだよここは?」

「で? 何の用なんだ? 俺に用があったんだろう? 話せよ、聞いてやるからさ」

「……そのとおりだ。ああ、言わせてもらおうじゃないか。てめえ! 勝手に人様に化けて好き放題してくれてるな! 見ろ! この回転寿司屋の記事をッ!」

 

「……もうその話はいいんじゃああああああああああああああああああああっ!!」

 

 ぼしいっ、と景朗の左掌底フックが、陽比谷の顎に炸裂した。

 

「はぐあぁっ! なぜだぁあっ?!」

 

 がらがらがっしゃぁぁんと盛大に音を立てて、青年は椅子ごと転がった。

 周囲の女子生徒たちの話声がぴたりと鳴りやんで、すっかり衆目が集まってしまった。

 食蜂の洗脳が解けてしまっているのだ。

 

「あっ、そうか。ここではもう内緒話ができないね……」

 

 

 

 




※夜驚症について


わたしは専門家ではありませんので、夜驚症についてWikiをかじり、動画をいくつか見て参考にした程度で描写しています。

実際の夜驚症とは相違点があると思います。
お詫び申し上げます。


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episode33:旱乾照り(ブレイズダウナー)

 

 

 景朗と陽比谷はカフェから連れ立って退席して、そのまま第七学区の駅に向かっていた。

 陽比谷はすぐにもその場で文句の言い合いをつづけたそうだったが、常盤台中学が目の前にあることに気づくと、態度が豹変した。

 まるで背に腹は代えられぬとばかりに、とりあえず移動しよう、という事になったのだ。

 

「殴ってサーセン。色々積もるものがあったからさぁ……」

 

「はぁ?! 積もるもの!? それはこっちの台詞だろうがッ」

 

 陽比谷の放ったローキックを、やれやれ、と涼しい顔をしてもらい受けた。

 全くもって痛くも痒くも無さそうな態度に世の不条理を味わっているのか、むしろ蹴りを見舞った方が渋面で足を擦っている有様である。

 いつもより多めの通行人が、暴力行為を見て驚いて避けていく。

 人が多いのは、どの学校も始業式とコードレッドのコンボによるものだろう。

 

「あのなぁ……人として最低限の謝罪くらいしてほしいんだが?」

 

「もうどうしようもないジャン。別にほら、君はイカ臭くないよ? 俺が太鼓判を押すから」

 

「少しも心が痛まないのか?」

 

 蔑みきった陽比谷の視線の方が、今日に限ってはちょびっと痛い。

 

「……わかった詫びる。ごめんなさい。はいこれで詫びたよ。もうチャラだからな、はい、俺に付きまとうのは止めな? な?」

 

「それはできない」

 

「じゃあ『つきまとわない』って言うまでボッコボコにして泣かすわ」

 

「ハッ! よっしゃ! こいよ! オラ! こい!」

 

 陽比谷はニッコニコの笑顔で血管をブチ切れさせるという芸当をやってみせ、バチバチと周囲の空気を炸裂させながら、ボクシングスタイルで機敏にステップを踏み出す。

 その姿は様になっていて、またしても通行人が距離を取っていく。

 

「はぁ……わかったよ、どうすりゃいいんだ?」

 

「……ふん。……ぅうむ、うん。今さっき思いついたんだが、寿司ネタのしょくざいは寿司ネタでとれ。てことで今から回転寿司に行こう。もちろん奢りで」

 

(丹生とダーシャを待たせてんのに、この状況でオマエと悠長に寿司を食うんかい?!)

 

 しかし、本気で陽比谷が取り巻きの大能力者軍団を召喚して景朗を追跡してきたら、それはそれでウザすぎる。丹生たちと合流できなくなる。

 ここで陽比谷を昏倒させてその辺に放り捨てちゃうか。前に一度やってるけど。

 でもやっぱ、その場しのぎでしかないか。

 コイツはまた、"お仲間"を引き連れてしつこく街中を探し回るかもしれない。

 

 苦渋の選択で、景朗はその条件を飲んだ。

 

 

 

 

 

 寿司屋に向かい始めたばかりで、警備員の巡回と遭遇した。

 物々しい雰囲気は、やはり朝から第一級警報が出ているせいだろう。

 

 その2人組の片割れは、景朗の潜入する高校の教師、黄泉川愛穂だった。

 

「はぅぁ、黄泉川センセー!」

 

 真横で陽比谷が大声を出して駆けて行った。

 まさかのお前が反応するんかい、と心の中で毒づかずにはいられない。

 

 

「陽比谷ぁ? なんでこんなとこ(第七学区)にいるじゃん? 正直に言え、悪さしてないだろうな?」

 

「してますしてます、悪さしてまーす!」

 

「あー、はいはい。わかったわかった、今日は見逃してやるじゃんよ。ほらアッチ行った、行った!」

 

「鉄装さんお久しぶりです。今日もかわいい! センセーたち、これから一緒にお寿司どうですか?!」

 

(何を考えてんだこいつは!)

 

「仕事中だ! ったくお前はぁ、ホントに良くお前は教師をナンパできるじゃん? 万が一、お前が"超能力者(レベルファイブ)"にでもなったらと思うと……悪夢じゃんよ」

 

 黄泉川よりも若く、眼鏡をかけた女性は、やや照れつつも苦笑い。

 先生という貫録はあまりないが、鉄装というらしい。

 "武装無能力集団(スキルアウト)"より"警備員"を煩わせている"高位能力者(エリート)"というギャグ集団の頭を張っているだけはある。陽比谷はよく名前まで知っている。

 

「言っとくけど、テロリストに遭遇しても喧嘩を吹っかけるんじゃないぞ! ほら返事は? 今度ばかりは全力をあげてしょっぴくぞ!」

 

「え!? センセーに全力でしょっぴいていただけるんですか? そんなぁ、それは! それはそれは! ――すいません冗談です。不謹慎でした」

 

 本気の説教モード到来の兆しに慌てて、陽比谷はとりなした。

 景朗もほっと息を吐いて。そこで『しまった!』と自分自身にツッコミをいれる。

 青髪ピアスの習性が出てしまってるじゃないか。

 姉御肌で包容力のある黄泉川センセーに本気で怒られると、己の人間性の矮小さを思い知らされて、悲しくなってしまうのである。

 本音を言うと、学校で青髪ピアスとして黄泉川先生に怒られる分にはご褒美だ。

 その点では陽比谷と気が合いそうで、自己嫌悪感が湧いてくる。

 

 

「絶対だぞ!」

 

「もちろんです。大体、今日はテロリストなんて眼中にないですから!」

 

 カラッと快活に笑った陽比谷だったが、『テロリストに眼中がない』発言で、黄泉川は下げていた目尻を上げ直してしまった。

 

「気になる言いぐさじゃん、何を企んでいるんだッ?!」

 

「いやいや単に、友人と遊ぶつもりなだけですよっ」

 

 日ごろの行いが悪いせいか疑われるのも無理はない。

 たじろぐ様を見て、黄泉川はさらなる気炎を上げる寸前だった。

 

「ところでそっちのお前さんはお前さんで、どこかで会ってるよな?」

「初対面ですー」

「そうかー? あたしを見たとき『げっ、黄泉川だ』ってカオしたじゃぁん? 一度シメたやつは皆同じカオするからわっかりやすいのなんの」

「なんでそんな自信あるんですか……ボクは先生みたいな長身巨乳美人にアレルギーが出る体質なんで」

「出るのはアレルギーじゃないだろぉ?」

 

 ちゃちゃをいれてくる陽比谷の脇腹を肘で突く。ゲホゲホと咽ている。

 

 

 そこで、時間がありませんよ、と横から鉄装が注意を促してくれたのが、助け舟になった。

 彼女の焦りには真実味があったので、助ける意図はなかったのかもしれないが。

 

「すまん、時間を取った。……はぁ。ったくもう、どうしてこう生徒にまでセクハラ発言されるかねぇ」

 

 なんとまぁ、青髪ピアス変身時でもないのにセンセーに『陽比谷の仲間は所詮同じ穴の狢か』みたいな顔をされてしまったではないか!

 集ってくるブンブンバエを追い払うように、黄泉川はどっかにいけ、と手をしゃくった。

 

 しかし、黄泉川が落ち込むとは。セクハラって一体誰に?

 景朗の脳裏に、サイゴリラ先生の顔が浮かんで消えた。

 

 

 

 

 

 

 

「君、黄泉川センセーと面識あったのかい?」

 

 警備員2人が離れていったその場で、タイミングを逃すモノかと陽比谷がせまる。

 

「どっかですれ違ったかもな」

 

「ふぅん」

 

 信じて無さそうな返事である。

 景朗は改めて陽比谷と距離をとった。

 うっすら不安に思っていたところを、彼はさっそく疑ってきた。

 この男は、こういう馬鹿ではないところがウザったい。

 言い訳をするようだが、景朗は変身して人に化ける様になってから、表情の使い方には自信があった。黄泉川相手にも不覚を取ったつもりはない。

 

(しっかし、顔以外の所作で感づかれたのか? 黄泉川のヤツ、やっぱ直感がハンパないわ)

 

「はぁ~、しっかし、黄泉川センセー、ワンチャンあるかな?」

 

「……ハ? なに? ワンチャンって? 犬のハナシ?」

 

「はいはい、君にも理解できるように下品に言い換えるとだな、つまり"一発お願いできないかな"ってことだよ」

 

「どうせなら上品に言い換えろよ……そういうもんかねぇ」

 

「大事な事だろ?!」

 

 話題を変えたくて陽比谷の話に付き合おうとしたものの、方向性がはやくも危い方向にそれていて、景朗ははやく寿司店に着け、と祈った。

 

「年上だぞ? 先生だぞ?」

 

「女性を年齢で判断しようだなんて、最低だな」

 

「なんなの急に」

 

「男なら女性は年齢じゃなくて、エロいかエロくないかで判断しろよ!」

 

「どっちが最低だよ。……ったく、わかんねえな」

 

「まだ言うか!」

 

「わからねえって! なぜそんなくだらねえコトを! あったばかりの俺にイチイチ語ってくるんだよ! ひと月前に会ったときも、いきなし似たようなシモネタぶっこんできてたしよ!」

 

 陽比谷はその指摘に、意外なほど衝撃を受けていた。はっとした、と言い換えてもいい。

 

「と、当然だろう? 一度決闘しあった仲なんだ。凡百の友情よりも硬い絆で結ばれた……そう、もう僕ら"ダチ公"ってやつじゃないか」

 

「……」

 

 無言で距離をとる景朗に対し、陽比谷は苦しそうに語り出した。

 

「実は。頭のイカレた奴だと思われたくないから、正直に打ち明けとくよ。……僕は中学は男子校でね。3年間365日、寝ていない時はほとんどシモネタ漬けの毎日だった……。その習慣が染みついてしまってて、女の子が目の前にいないと無意識のうちにどんなハナシだろうがオチをぜんぶエロネタでシメてしまう体質になってしまっているんだ……」

 

(体質?)

 

 なんかもう、とりあえず疑問符は流そうと思うけれど。

 

(いやそれでも、依然としてお前から"頭のイカレた"って部分は切り離したくないのじゃが)

 

「なんだ。そうだったのか。陽比谷クン、正直に話せるなんて、君はじつにエライね」

 

「そ、そうかい? ありがとう」

 

「ボクが浅学だったよ。男子校に行った人って、みんなそうなるの?」

 

 コクリ、と陽比谷は悔しそうに、力なく頷いた。

 

「そうなんだ。ところで、陽比谷クン、あの、これだけは言わせてほしいな」

 

 景朗は酷薄そうな無表情を、演じることなく本心で造り出して。

 

「病院いけよ」

 

 冷酷に切り捨てた。

 

「ぁっ、ぁば、ぁぅ」

 

「なに大嘘ぶっこいてんだこの猿ゥ! シモネタしか言えんのはお前が、脳ミソがキンタマに付いてるチンパンだからじゃろうが! 二度と俺に触るなよ、チンパンが染つる!」

 

 自分のことを思いっきり棚に上げて、唇を釣り上げて罵った。

 

「うわあああああ! もうやめろ! やめろっ!」

 

 大ダメージを受けた陽比谷は、両耳を手でふさいでガードするので精いっぱいだ。

 景朗は更なる大声で、追撃を見舞う。

 

「みなさーん! ここにどんなハナシもシモネタでオトせると豪語する変態芸能の天才がいますよー! よってらっしゃいみてらっしゃーい!! さあさあさあ! ほら!」

 

「ワアーアーアーッ! やめてくでえええええええええッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 痛めつけすぎたのか、陽比谷は抜け殻のように質問にするすると答えるようになった。

 舌なめずりをした景朗は、"超能力者"とは実際どんな風に戦ったの? と聴いていこうとしたかったのだが。

 最初に話題になった御坂美琴との対戦バナシが、初っ端から脱線して彼女のバストのハナシに変わってしまい、それに気づいた陽比谷は会話を自粛してしまった。

 無理にこじ開けてもどうせ……と景朗サイドも諦めた。そんな顛末だった。

 

 

 まあ、要約すると以下の流れだった。

 御坂美琴にタイマンを挑み、戦いの場を予め狙っていた建設現場の空き地にまんまと誘導できた。

 そこは新素材を使った木造家屋が建てられる予定で、置いてある建材には御坂美琴が磁力で操れるものがほとんどなかったそうだ。

 しかも念入りに、前の日に磁力で操れそうなものを取り除いておいていたらしい。

 まぁそこから色々あって、戦いの最中に家の柱が吹き飛び、戦いを見ていたギャラリーの子が柱の下敷きになったという。

 下敷きになった子は奇しくも発電能力者で、御坂さんに至近距離で能力を使われると痛みがある、と言いだした。

 その場には高位のテレキネシストもおらず、青ざめた御坂さんに、陽比谷は2人して柱をどかそうと提案した。

 その時に『せーの!』と掛け声を合わせよう、と勢いでゴリ押したのだそうだ。

 人の良い御坂さんは恥ずかしながらも付き合ってくれたらしい。

 だが、それは陽比谷の罠だったのだ。

 

「実は『セーノ』という発音はイタリア語で『おっぱい』という意味なんだ。汗で夏服のシャツに浮かぶ、つつましやかな彼女の胸元を眺めながら、2人して「せーの!」と掛け声を合わせたときの背徳感は! もう! 対戦なんかどうでもよくなってしまいそうだったよ……あ、ちなみに『せーの!』って掛け声をモンゴルで言う時は『オッパイ!』って発音するんだ、知ってたかい? つまりだな! なんとか御坂さんをモンゴルまでつれていければ、彼女に合法的に『オッパイ!』と言わせることが可能になるってことなのだ!』

「マジか……やべぇな……」

「な! ヤバイだろ!?」

「お、おう……男子校って……マジでヤバいんだな……」

 

 景朗の発言で正気に戻った陽比谷からは、壊れていく音がしていた。

 

 

 

 

 

 

 

「はよ歩けよ、オラ、乳(ぱい)ろきねしすと!」

 

「うるさい……黙れ……」

 

 脱力しきった陽比谷の尻を足で小突くが、のれんに腕押しである。

 

 カフェから回転寿司店まで大した距離もないのに、まだ移動できていないなんて。

 この野郎もどっかの少女と同じくトラブルばかり運んでくるヤツである。

 

「(……おにぃー……さまぁー……)」

 

 先程から上品な叫び声が、遠くから聞こえていた。距離的には100mも離れていないのだろうが。

 景朗にとっては、あらゆる距離から人の声が届いてくるのは日常的なことである。

 ただ、彼が"気にした"となれば、その声の主がこちらに近づいていることを示している。

 

「ん~……なあおい、あれ見ろ。 こっちに近づいて来てないか?」

 

 陽比谷は声に気づいていないのか、何事かと景朗の指差す方向へ首を振った。

 

「ん? ……うそだろっ……あ……ま、まひゃか!」

 

 怯えだす陽比谷だったが、近づいてくる声の主は、それほど危険には見えない。

 なにしろ相手は、常盤台中学の制服を着た少女がたった1人である。

 彼女は日傘を差したまま走り出したので、バサバサという音が激しくなった。

 

「ああああ、ない! ない! ないないない! ひ、日焼け止めが! あった! あああ、これダメなやつじゃん、パぁぁ!」

 

 通学バッグを漁り、取り出した日焼け止めのチューブの記載を見て青年は悲嘆に暮れている。

 その日焼け止めではダメなのだろうか?

 

「おいダイナソー、頼む! 日焼け止め持ってたら貸してくれ一生のおねが」「お兄様? おにぃさまぁー!」

 

「寄るな触るなそんなもんない! 無いって、俺はんなもん使ったこともない」

 

「じゃあ急げ! とにかく日陰に、日陰に、日陰に」

「お兄様っ! 逃げないでっ! おにぃさまぁー!」

「ちょっ触んな! クソッ離せ触ってんじゃねえぞカマ野郎! 何べんも言わすなッ――――チンパンが染つる!」

 

 陽比谷の力は火事場の馬鹿力とも呼べるほど強く、しつこかった。

 

「ああもう、こっちこいっ――うああ動けよっ!」

 

 背中を押してくる陽比谷。ビクともしない景朗は、意味がわからない。

 陽比谷を兄と呼ぶ以上、妹ではないのか。

 食蜂操祈は"義理の"と口にしていたが、陽比谷兄妹の、片割れ。

 変に逃げて追い回されるより、忙しいからときっぱり断ればいいはずだ。

 

 と、思った瞬間から、それは始まった。

 

(焦げ臭い)

 

 唐突に、辺り一面から空気の乾くニオイが巻き起こりだす。

 それは水気の一切ない、まるで炎天下の砂漠のような……。

 乾燥した突風が吹いたわけでもない。

 近場でも離れた場所でも、火事など起きていない。

 原因は何か。もしやテロリストが?

 違う。そんな騒動は聞こえてこない。

 

「ああ、ちちぃゃっ、いっちゃちゃぁ!」

 

 たまりかねたように、陽比谷がカンフー映画のような悲鳴をあげだした。

 その理由はニオイで分かった。

 周囲はすでに焦げ臭さの海だが、その中で最も強く臭いを放っているのは、彼なのだ。

 体中をやんわりと焦がしまくって、悶えている。

 音を立てているのは――――彼の、皮膚? 

 いや"表面まるごと"だ。制服もチリチリと音を立て始めた。

 

 原因は――"日差し"か?

 少女がすぐそばに寄って来ると、疑いようがなくなった。

 太陽の照り付けが猛烈に強まったからだ。

 もはや陽比谷は乾燥機に入れられて転がされているような有様である。

 

「南天(なんてん)、いつも言ってるでしょう……こんな真夏日に出歩いちゃいけないよ……」

 

 絞り出されたのは、この短時間でカラカラに乾いてしまった声だった。

 

「ご機嫌よう、お兄様っ! ご機嫌よう、お初にお目にかかります」

 

 ペコリと頭を下げられたが、茜色の日傘から現れたのは少女が被るカンカン帽のてっぺんだけ。だいぶ身長差があった。

 兄とは対照的な、みずみずしく高い声。でも常盤台中学の制服を着ているので、中学1年生なのは間違いない。

 

(これが陽比谷の妹、陽比谷南天か)

 

 不思議な臭いのする少女だった。

 身もふたもないが、景朗にとって人間の匂いはみんな等しく臭いと定義するようなものである。

 しかして、この少女のものは、とりわけ動物的なソレの印象が濃ゆく感じてしまう。

 彼女が発動させている能力のせいだろうか。そもそもどこからも焦げクサいニオイが立ち込めていて何とも言い難い。

 

「やっとお兄様の方からお会いに来て下さったのですね! 寮監様が大変厳格な方でして、なんとまぁ夏期休暇期間だというのに、私からはお兄様に会いに行けなかったのです。ご病気で臥せられておられたときもお母様に許可をもらえず、風雪に耐えがたき思いでした。お許しくださいお兄様」

 

「ハハ……南天が言うと、なんてことなかったように聞こえるね……」

 

 最初からわかっていたが、景朗には興味がないらしい。

 熱心に陽比谷にだけ話しかけている。

 

「しっかし寮監さんは正しいよ。正しすぎる……夏休みは……夏だから、夏だからね……」

 

「そういうわけでお兄様すみませんっ、やっと会えました嬉しさで力(能力)がどうしても緩んでしまいます!」

 

 えいっ、と腕を伸ばして、南天は兄の上に日傘を掲げた。

 しかし、陽比谷は変わらずオーブントースターに閉じ込められたハムスターのよう。

 あまり効果はないみたいである。

 

「夏場はぁ、自重してほしい。人様に迷惑が、掛っちゃう季節だろ?」

 

「そんなことありませんっ。おひさまだって、いつもこのくらいのご陽気ではありませんか」

 

(どこがだ)

 

 被害は甚大だった。

 景朗たちの周りにいた通行人はギラギラと滾る日射に耐えかねて、とっくに日陰に逃げ散っていた。

 聞いたこともないが、これが少女の能力なのだろう。

 

(……いや、見覚えはある、あった。"陽比谷兄妹"。"陽比谷"をネットで検索した時に、出て来たワードだ!)

 

 異臭の質は刻一刻と変化している。真横を走る道路のアスファルトはもうユルッユルだ。

 側を通り過ぎて行く乗用車のタイヤが、ベリベリベリ、と汚い音を立てていく。

 陽比谷の言った『人様に迷惑がかかる』という部分には2重で赤線を引くべきだ。

 

 どうせ2人だけで話し込んでいるので、景朗は端末でネット検索に勤しんだ。

 陽比谷の妹について。

 ひとまず、兄貴ほど有名人ではなかった。

 検索できたのは、彼女の能力くらいである。

 "旱乾照(かんかんで)り(ブレイズダウナー)"。大能力者(レベル4)。

 名前の通り、日差しを強め乾燥を招く。

 ただし、今のように能力を抑えずにまともに使えば、周囲を旱魃状態にさせるどころでは済まず、容易く業火を引き起こすほどの猛威を振るうという。

 流石はネット記事。かっこよく大げさな文章であるが、読む限り"灼熱"と形容できそうだ。

 かんかんでり……旱魃。なんだか、聖書にでもでてきそうな力だな、というが景朗の印象だった。

 

 研究機関や一部の生徒には、兄妹ともに屈指の発火能力を操るので有名なようだ。

 

 さもありなん。兄妹だからといって同系統になるわけではない。しかも2人とも大能力者。

 DNA的な面から能力を語る好例として、様々な場で議論が交わされている、とのこと。

 これが、ネットに陽比谷のみならず、兄妹二人分の名前が転がっていた理由である。

 景朗が知らなかったのは、能力分野がほとんど被っていないせいかもしれない。

 生じている現象のエネルギースケールが違いすぎる。

 

 

「能力ぅは、順調に上がってるかい?」

 

「いいえ、其方は芳しくありません。ですがっ、胸囲は1.5cm大きくなりました!」

 

 あ、胸の話題ですこし活力が戻ったように見える。筋金入りの変態だぜこいつは。

 

「胸なんか……あ、いや、大きくなったのなら、おめでとう、と言っておこうかな。ごほん。違う違う、そうじゃない。南天、そんなことは気にしなくていいの。僕は女性を外見で判断したりしないよ」

 

「はいっ。承知しておりますっ」

 

「あまり迷惑をかけずに気を付けて、開発を頑張ろう。約束だろ、約束」

 

「はぁいっ。頑張って、もっとお胸を大きくします!」

 

(妹にはエロ猿だってバレてんじゃん)

 

 だからぁ……と掠れた声で訂正しようとするも、妹に押し切られている。

 陽比谷にはもはやその程度の元気も残っていないらしい。

 

「お兄様。今、御付き合いされている方は何人なんですか?」

 

「だからぁ、居ないって。ほら、それより、新しくできた"男"友達を紹介するよ。この人は"メリト"とは関係ない友人だよ」

 

 陽比谷は殊更に"能力主義(メリトクラート)"とは無関係な点を強調した。

 意外だった。南天ちゃんは、陽比谷の学生決闘に否定的らしい。

 

(いや、意外じゃないか。常盤台は能力の濫用を許可してさそうだものな)

 

「この殿方が、ですか……?」

 

 カンカン帽を目深にかぶって目線を合わせてこなかった少女が、ようやくこちらを見上げた。

 

「失礼申し上げます。お兄様とは、如何様に交誼を結ばれたのでしょうか?」

 

 名前すら聞かれずに質問されるとは、珍しい。

 

(なんで、この娘は初対面の俺に敵意ムキ出しなのかね)

 

「それは……」

 

 陽比谷が答えあぐねている。

 

「いや、単に道でとおりすがっただけだよ、"最初は"」

 

「なるほど。行きずりのご関係から……」

 

 得心が行きました、と時代がかった台詞を紡ぎ、少女は景朗の前に立ちふさがった。

 陽比谷を背中に隠すように。そして。キリッ、と凛々しいドヤ顔が襲ってくる。

 

「この方は、お兄様の貞操を狙うホモセクシュアル野郎に決まっています!」

 

(兄妹そろって血の気が多いなぁ。……いや、食蜂の話が本当なら、血は繋がってない……)

 

 義理の兄妹か――などと心の中でシリアスに展開していた考察が、月面までぶっ飛んでいった。

 

(なんてことほざくこのガキ?!)

 

「なァんてん?! ホントに失礼だよ?」

 

「だってお兄様はご存知ないかもしれませんが、特殊嗜好の殿方からの評判が異様に高いのですっ! 同性愛者の方々の好きな学園都市タレントランキングでは不動のトップスリーにランクインされているのですよっ!」

 

 身体的に干からびてミイラになりかけていた陽比谷に、今度は精神的なダメージでトドメが入りそうだった。

 妹の暴言による刺し傷が骨髄まで到達しつつある彼の様子は、あまりに哀れを誘った。

 

「ひっ、人様に出会い頭にホ○臭いと言いがかりつけるたぁ、ホンットーに失礼だぞおじょーさん。だったらこっちも遠慮なく言わせてもらおうか。俺は分け合って鼻が利く。君ね、言うまいと思ってたんだが」

 

「なんですかっ?!」

 

「変な香水つけてるのか知らないが、ひっでえ臭いだぞ。嗅いだことがない臭いだ。君が迷惑省みずタレ流してる能力も合わさって、最悪の悪臭だよ! 兄貴の心配する前に自分の能力を――」

 

「あ、あああくしゅう? う、うう。なんなんですかその無礼な物言いはっ」

 

「貴様っ、人様の妹を本気で異臭呼ばわりか!? 謝れ、年頃の女の子になんてこと言うんだ!」

 

 陽比谷はどっちの味方なのか。

 しかし、南天ちゃんが泣きそうだったので、しぶしぶ謝るしかない。

 萎れる様に目元がうるんでいく南天ちゃんだったが、しかして現実はその逆。

 陽比谷南天の周囲数十メートルは最早、灼熱の大地と化している。

 アフリカ大陸の乾荒原をイメージさせる、空気の揺らめきすら煮え立っていた。

 

「くちびるが割れたぁぁ、なんてぇん! もうヤメテ!」

 

 なんともいえない、この髪の毛の焦げる匂い。

 火澄に炙られる時と同じ匂いだ。

 たまらず日陰に逃げ込んでいく兄貴だったが、その逃亡にさほど意味はなかった。

 涼しそうな日陰に陣取ったというのに、チリチリと陽に照らされ揺らめいている。

 シュールな光景であるが、恐るべき事実を浮き彫りにしていた。

 少しでも日光が差す空間であれば、この少女の能力は何物をも逃さないのだ。

 

 ただ太陽光を強めているわけではない。

 太陽が当たったところに、何らかの作用が働いている。

 

 

「ごめん言いすぎた。ほらほらほらほら、陽比谷クンがミイラになりかけてるゾ。能力おさえて、おさえて」

 

「なぜ、貴方は平気なのですか?」

 

 ぎゅっ、と日傘の柄を握りしめ、南天は平然と立つ景朗を不気味そうに見上げている。

 

「やはり貴女でしたの、陽比谷さん」

 

 突然、新たに少女が現れた。

 聞き覚えのありすぎる声。ツインテールのシルエット。

 テレポーターの接近には音が無く、肝を冷やされる。

 

「あら、白井さん。御機嫌よう。朝からお姿をお見かけしませんでした、いずこに?」

 

「異常な日差し。と伺って真っ先に貴女を思い浮かべましたけれど、アテは外れてくれなかったようです。良かったのか悪かったのか」

 

 一体どちらの間が悪いのだろう。何度目か数えていられない、雨月景朗と白井黒子の対面である。

 

 

「白井さん、この方が私に暴言をっ。私、侮辱されましたっ! 確保してくださいましっ」

 

「"暴言"~? ってアチッ!」

 

 白井黒子は慌てて南天の日傘に退避する。陽比谷は日傘の下でもチリチリしていたが、白井黒子は日差しが和らいだように感じているらしい。

 どうみてもこの状況に慣れている。

 

 

「白井さん、お手伝いできなくて申し訳ありません。しかし、能力は私闘に用いるべからず、その禁を破れば……あ、ああああ"あの方"にどんな非道を誅されることか……"風紀委員"に属しておりませぬ私には、ご助力できかねますぅ」

 

 ぶるぶると震えて、白井黒子に助けを乞うているが。

 

(はて。能力は既に使っているだろ?)

 

 あきれ果てた男。憤る同級生。悶えるその兄のミイラ。

 それらを順番に観察して、白井黒子はあっというまに結論を導きだした。

 がしいっ、と南天の手の甲ごと、彼女は日傘の軸を握りしめた。

 

「確保されるのは、貴女ですわ!」

 

「またですか? どうしてですかっ!」

 

「まったく、紛らわしい騒動を起こさないでくださいまし。

 "風紀委員"も"警備員"もテロリスト探しにピリピリしておりますのにッ。

 常盤台の生徒だと聞いてしまっては、ワタクシが駆けつけるほかないじゃないですのっ!

 

 そちらの殿方には多少、怪しい点はありますけれどっ、毎回毎回貴女の引き起こす騒動とは比べられませんわッ」

 

(おや? これは良い流れだぞ??)

 

「ひゃぁ~~っ、やっぱり! やめてください白井さんっ、私まだっ、お兄様とお話したいんですっ! 連れてかないでっ!」

 

(話せる状態じゃないと思うんですが……)

 

 南天は強引に日傘を放りだすと、白井の拘束から逃れる様に暴れ出した。

 

「ウッゲェェェェッ! おやめくださいな陽比谷さんワタクシのお肌がッーー! この街のUVケアでも貴女の日差しは防げませんの!」

 

 白井黒子はいったん拘束を解いて、猛スピードで日傘を拾いなおした。当然その隙に、南天は逃げる。

 

「私だって晴れやかな空の下でお兄様とお喋りする権利があるんです! 見逃してくださいましっ!」

 

「大人しくしてくださいましッ! 悪気がなかったのは認めますがっ、一応規則ですからっ! いい加減ッ、こちらにッ!」

 

 お嬢様言葉を連発する2人は景朗の周りをぐるぐる回りだした。

 

(なんスか、この茶番?)

 

 しばし追いかけっこは続いたが、唐突に終焉を迎えた。

 足を突き出して南天をすっころがした、景朗の功績によって。

 

「お仕事、お疲れ様です!」

 

 ピシッと敬礼をキメると、南天を確保した育ちの良い白井さんは、あらどうもご丁寧に、と返してくれる。

 

「あら?貴方、どこかで……?」

 

「いえ、決して。それより、そっちの彼の面倒は自分が看ます。近くの警備員のところに連れて行くので、大丈夫です。それほど親しくないのですが、まぁ友人なのでそれくらいは」

 

「あら、そうですか。それは助かりますわ」

 

「ふぇああああ! いやいやいや、わぁ! お待ちください白井さっ、お兄様ぁ~、助け」

 

 一刻も早く南天を抑えてしまいたかったのか、白井黒子は礼を述べるとともに、さっそくテレポートで南天ともども姿を消した。

 

「う、嘘だ……嘘だっ……」

 

「ん? あ、おい、何してるッ、やめろ! 傷口を広げるな!」

 

「だ、だって、ラ、ランキング……はああう、ほ、本当に載ってるっ!僕の名前がぁあああああああああああああああああああっ!」

 

「どうしてそんなことを! 諦めるべきだったんだ、現実は変わらない!

良く言うだろ!? 芸能人はネットでエゴサしちゃいけないんだよ!!」

 

「うわあああああああああああああああ……」

 

 ミイラのような相貌で絶望の雄叫びをあげる様は、ホラー映画さながらである。

 実のところ、目まぐるしく不運に襲われた彼の姿を慮れば、仕方がない寿司くらい奢ってやろうかという心持ちだったのだけれども。

 しかしこの惨状ではどうあがいても、不可能だろう。

 

「結局……チミは"警備員"のところでお世話になる宿命なんだね……」

 

 

 

 

 

 

 朝からコードレッドが発令されていたおかげか、街を巡回している警備員は探せばすぐに見つかった。

 陽比谷を預けて、待たせっぱなしの丹生とダーリヤのもとへ急行する。

 

 連絡では、景朗たちがいたカフェテラスから、少し離れたティーハウスで2人は時間を潰してくれていたようだ。

 

 

 幹線道路から1本ずれた通りの、寂れた文具店の前で2人を待つ。

 姦しく言い争う女子高生と女子小学生……ではなく女子児童が近づいてくる。

 

 変身しているので、見つけてもらえるように片腕をあげ、ぐるぐると大げさに回して合図を送る。

 とぱぱぱぱーっ、とダーリヤが走り出した。

 やや遅れて、何かに気づいたらしい丹生も、過敏にスタートダッシュを切った。

 

「うづゅふまん! たいへんっ、たいへんよ!」

 

「なに!?」

 

 全然そのような雰囲気はなかったが。

 

「ニウはっ、今までトナカイが! うどぅふまん! ニウはトナカイがいるって今までハカッ」

「うぎょぁぁクソガキッ! それ以上言うんジャネェー!」

「何だよ……」

 

 どこも大変そうではない。

 何事かと思って聞き流したが、アイコンタクトでウルフマンと呼んでんぢゃねえ、としかめっ面を送った。如何せん、2人はそれどころではないけれども。。

 

 もしかして今までずっと口喧嘩していたの?

 そう思わせるほど出会ってすぐのはずなのに既に遠慮をどこかに置き去りにした、丹生さんの本気度90%越えの羽交い絞めがダーリヤに見舞われている。

 

 相性は良くないと思っていたが、速攻で喧嘩するほどとは。

 ダーシャは丹生のことをナメきっていたので、ひと悶着あるかと覚悟していたが想定以上である。

 

「ぐぶ、はなせ、はなせ貧乳、ヒンニウッ、ヒンニウオンナッ、ぅぐ、ぐぺっ」

 

 ダーリヤはガシガシと丹生の足を蹴っているが、その方とて暗部のウェットチームで鍛えていた人財だ。ダーリヤも知っていように。フィジカルで敵うはずが無いだろう。

 

「"それ"言うなッてイッテェァオ! ィタッ、タタッ、ゆるさネェーッ、クスガキィィ!」

 

「ヒーッ、ヒンニウッ! ヒンニウーッ! ヒッ――ひんにゃ。ぬゅひ」

 

 『絞められた9歳の児童が』とはいえ、本気で蹴られている以上、お互いにソコソコ痛いようで、引く気がまったく無い。

 ……これは余計かもしれないが、丹生だってC……B以上はありそうで、特に貧乳とは呼べ無いだろう、不憫だった。

 

「たすけて! うぐっふ、まぁぁん!」

 

 どうなったら終わりなの、この闘いは?

 

 

 

 

 

 

 

 

 無理やり両者を引きはがし、ケンカを再開させないように、売店で並々と注がれたドリンクをテイクアウトして持たせて。

 それから景朗たちはタクシーを拾って、第十学区のセーフハウスへと向かっている。

 

 後部座席で2人に挟まれた景朗は、機を見計らって話を切り出した。

 

「でさ、たま~に、チビガキの面倒を見てもらうことになるかもなんだよね。風呂に入れたり」

 

「お風呂?」

 

「風呂のサボり魔なんだよ」

「ガロー、一緒に入ればいいでしょう」

「仕方ないなぁ……」

 

 景朗と丹生は息を合わせて、ダーリヤをスルーした。

 

「そのときは飯とかも作ってくれたら……良ければ」

 

「ええぇ……」

 

 景朗の頼みにここまで丹生が拒否反応を示すのは珍しいが、気持ちはわかる。

 今なおダーリヤは景朗に隠れて、時たま丹生にガンつけている。

 景朗の優先順位がどちらにあるのか、理解してくれているのだろうか。

 任務上ダーリヤを守るつもりではあるが、それが破錠する惨事にでもなれば、丹生の身の安全を第一に取る。

 この娘の勘違いを正したくはあるが、ストレートに伝えたらショック死される気がして、めんどうくさい。

 

「はぁ~。わかった、でもッ。そんなに期待しないでよ」

「いいのか?」

「まあね。ふふ、激辛カレーをお見舞いしてやる……キラッ!」

 

 攻撃的な丹生のウインクに、ダーリヤはガチギレ一歩前といった表情だ。

 

「くちに出して言うんじゃないわよヒンニギッ。ふりふまん助けへふ」

 

 景朗はダーリヤの口を抑える。だからウルフマンて言うな。

 

「おや、まだカレーの修行は続いてたんだ?」

 

 ちょっと前まで、彼女はオムライスの修行をしていた。

 修行といったが、一定期間集中して同じ料理を上達するまで作り続けるだけである。

 成果として披露された、見事なふわとろオムライスをご相伴にあずかったこともある。

 見事だったのは料理の外見だけだったことは秘密である。

 

「むご…むばっぺッ。こんなやつの料理なんて食べたくないわ。私の食事に口を出さないでっ」

 

「俺が預かってる間に病気にはさせられないだろうが」

 

「病気に? ならないわよ」

 

「そうか? じゃあ最後に野菜を食べたのはいつ?」

 

「サプリを飲んでるから平気よ」

 

 おすまし顔が可愛らしい。

 

「そういうことね」

 

 丹生は納得してくれたようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第十学区のセーフハウスは、景朗の所有する物件の中でも一等のセキュリティを施してある。丹生にも各種デバイスの使い方は熟知してもらっているし、何かあればすぐに連絡はくる。

 

 丹生とダーリヤを置いて、景朗は早速、第七学区マンション群通称"蜂の巣"へと足を運んでいた。

 

 元ダーリヤ宅へと近づくと、誰かが現場を調査している気配があった。

 十中八九、"迎電部隊"であろうから、昨夜コンタクトを取った"電話の男"に確認を図ってみる。

 すると、幸いにも応答があり、景朗は何故か、予想と違って別棟の別室へと案内をされたのだった。

 

 

 隊員に身分をチェックされて、部屋に入った。

 空き家であったようで、生活跡は全く無く、照明器具もなくて暗く、埃臭い。

 

「どうも、"スライス"だ」

 

 しゃがんで床を調べていた男の背中に、話しかける。

 

「こちらこそ昨晩はどうも。意外と早い再開になったな、"猟犬"」

 

 立ち上がって振り向き、男は名乗った。中肉中背。黒っぽい装備で身を固めている。

 ほとんどパーソナリティを出していない。身長・年齢・性別くらいしかわからない。

 

「クリムゾン01,君と話したのは私だ。早速だがひとつ、質問がある。答えてくれるならば、それなりの情報を差し出そう」

 

「まずは聞かせてもらっても?」

 

「ここに、数人の足跡と、何らかの機材を扱った跡があった。君が排除した襲撃犯の仲間だろう」

 

「そいつらから吐かせた情報は? うち(猟犬部隊)が確保したんだから、こっちに何も無しってのはキツいんですが」

 

「まだ質問をしていないぞ。ここから――――狼の"体毛"が見つかった。君に心当たりはあるか?」

 

「……いいえ。まったく。勘違いなさらずに、我々はあずかり知らない。……見つかったのはそれだけ? 他には?」

 

「ない。狼の体毛、それが微量。"それだけ"だ」

 

 景朗は動揺を抑えて、ダーリヤの帽子の話を伝えるか迷い、口を閉じた。

 

(襲撃犯の手に"帽子"は渡ってたのか! "狼の毛皮"の帽子……なんでその帽子のなごりがこの部屋で見つかるのかわからないが……それをこいつは"俺の体毛"だと勘違い……いいや、この様子だと確認しておきたかっただけ、か)

 

 奇妙な関係である。お互いに情報を渡すまいとしているが、その実、襲撃犯の確保は望んでいる。

 こちらとしてはダーリヤを渡さなければよいだけで、残りの問題は迎電部隊に解決して貰いたいのである。

 多少の情報提供は仕方がない。

 

「ヨーロッパオオカミの毛皮か?」

 

「…………そうだ。シベリア一帯に生息しているグループに近い」

 

(やっぱりDNA情報をどこかで照合してたか)

 

 一歩踏み出して答えた景朗に、男も素直に返事をした。

 バラクラバ(目だし帽)で表情は良く見えないが、40代半ば前後。

 口臭から、景朗はそれを察しとり、この男が捜査の指揮を執っているのかと予想する。

 

 しかし……精神的な疲れのせいだろうか。嗅覚の感じ方がいつもと違うのか。

 景朗にしては珍しく、男の吐息に妙な嫌悪を感じてしまって、モヤモヤする気持ちを無理矢理抑え込んだ。タバコ等を吸っているわけでもない。その男の口臭が他人と比べてとりわけひどい訳でもない。

 先ほど会った陽比谷の妹にもニオイのことを言ってしまったし、本格的に精神面から疲れてしまっているのか? そんな疑問が浮かんでしまった。

 

「捕虜からの情報が欲しければ、そちらのと"交換"してもかまわないが?」

 

 残念だが、景朗は絶対にダーリヤは渡せない。

 

「……」

 

 まさか、本当に自分が疲れて"調子が悪い"なんて思ってはいない。

 ただ、景朗の第六感が、男に対して不穏な予感を囁いていた。

 確かに、相手は抑電部隊のベテランだ。

 暗部の情報屋を相手に口を滑らせ、不利な情報を渡すことを避けるべきかもしれない。

 

 帰りを待っている丹生とダーリヤのことを想うと、それが景朗の背中を押した。

 

「ダーリヤ・モギーリナヤが紛失したと主張する所持品に、ヨーロッパオオカミの毛皮で造られたロシア帽があった」

 

「そういうことか……感謝する」

 

「いい。それより、そのロシア帽はカタが付いたら彼女に返したい。留意してほしい」

 

「善処しよう」

 

 背を向けた景朗を、感情の読めない声が追い止めた。

 

「情報の見返りだ。客人は"ラングレー(CIA)"から。無論、出迎えたのは内部の裏切り者だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おかえりぃ~……」

 

 出迎えた丹生の疲労感がたっぷりつまった姿に、苦労が想像できて、クスリと笑っていた。

 

「あれ? 髪、どったの?」

 

 丹生は長めのショートヘアだが、片方だけ耳が覆うくらい伸ばしている。

 いつもはそこをまとめてアップしたりお団子にしてたりするのだが、というか出かける前もそうしていたのだが、今は下ろしてしまっている。

 

「まぁ。あれ」

 

 指の差された方向には、熱心にTV番組を見ているダーリヤの頭が。

 なるほど、長くてぼさぼさの好き放題になっていたロングヘアが編み込まれている。

 

「ダーリヤがTVくらい見せろってダダこねたから、景朗のカード使っちゃった」

 

「ああ、全然いいよ、ありがとう。てかむしろ危ないから何をするでも俺の用意したのを使って。しっかし、TVごときでよく黙らせられたね、あのガキンチョ」

 

「ずっと動物の出る番組観てんの、すっごい集中しちゃってさ。アタシの方がつまんなくなって髪の毛で遊んぢゃった」

 

「そういやぁ、買い物は終わった?」

 

「うん。必要なものは大体注文させといたよ」

 

 当面のダーリヤの生活必需品を揃えるため、とりあえずネットで買うように命令しておいたのだ。宛先は自前の貸倉庫へ。人財派遣(マネジメント)をパシればそこそこ安心だ。

 もちろん、ネットを使わせる以上、丹生にもその監督を頼んでいた。

 

 TVは、ダーリヤがゴネたのでぱぱっと買ってきてくれたようである。

 子供が暇をつぶすようなものは何も無し。ネットも禁止。

 ダーリヤが文句を言ったのも仕方がない。

 何事もなかったようでほっとした。

 

 

「うるふまん? 帰って来たの?」

 

「おう。ダーシャ、定番だけど良いニュースと悪いニュースがあるよ」

 

「聞かせて」

 

「ダーシャのウシャンカは火事で燃えてはいなかった」

 

「ホント! どこに?」

 

「それが、襲撃者の仲間が持って行ったみたいだ。なあ、本当にただの帽子なんだよな? 中に記録媒体とか、仕込んでなかったんだよな?」

 

「だから、何にもしてないわ。ただの帽子よ、他人にとっては」

 

「それじゃあ、何で持ってったんだろうな……?」

 

(現場に狼の毛を残してる。わざとそうしたのか、と疑った方がいいくらいだ)

 

「……わからないわ。でも、そいつら殺してほしいわ、うるふまん」

 

「はぁ。まぁ、たぶん見つけるのは他の部隊だよ」

 

「えっ?」

 

 ラングレー、つまりCIA。彼らとの戦いは"抑電部隊(スパークシグナル)"の主戦場である。

 これは流石に、彼らと競争するのは分が悪い。

 ダーリヤを守り通して、事件が解決するのを待ったほうがいいだろう。

 

「大丈夫。ちゃんと返品してほしい、って頼んでおいたから」

 

「そうなの、そうなの! ありがとう、ウルッフマン!」

 

「ねえー、おふたりさん。お話終わった? 景朗、御飯作ってって言ってたけどさ、お肉と魚しか冷凍庫に入ってなかったから、どうしようもなかったんだけど」

 

 給湯室の手前の部屋には大型冷蔵庫が2台も鎮座してあって、丹生は中を覗き込みながら不満そうに声をあげていた。

 

 ダーリヤも一度中身を見ていたのか、すささっ、と丹生の隣へとよっていく。

 

「ねえこれっ! ウルフマンのえさ?」

 

「エサ、って。チミ、嫌な言い方するね」

 

 牛。羊。鯖。鮫。どーんと冷凍ブロック状態で詰め込んである。

 丹生がグチをこぼした通り、量だけはあるが、本当に肉と魚介しか入っていない。

 

「しかもさぁ景朗、これって見たカンジ、けっこう悪くなってない……?」

 

「ほ、ほら、お肉は腐る直前が一番おいしいっていうじゃん?」

 

「お魚も?」

 

 ダーリヤの無垢な質問が胸に突き刺さる。

 

「"腐る直前"じゃなくて、これもう腐ってんじゃん!」

 

 あぁ、落ち込む。丹生にツッコミ入れられるなんて。

 なんというか彼女も、最近はゲンナリした表情を隠さなくなってきているんです。

 

「……お弁当、買ってきます……」

 

「ダーリヤちゃん、何がいい?」

 

 丹生はスッと首を振ってダーリヤを向いて。

 

「ん~……うどん!」

 

 スッと景朗に向き直り、キリッと言い放った。

 

「わたくしもうどんを所望します」

 

「ちょ、おれが、出前ってか、俺が運ぶの……運ぶか。わかったよ」

 

「あ! ウルフマンのえさはわたしが用意するわ。食べさせてあげる!」

 

 ダーリヤがむっふー、ととてつもない興奮を見せている。

 彼女が観ていたTV番組には、タイミングよくシャチの食事シーンが映っていた。

 飼育員さんが放った魚をドデカく口を開けておいしそうに頬張っている。

 

 景朗はダーリヤを無視して、帰って来たばかりでもう一度、外へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スペシャル特盛えび天うどんで丹生の機嫌を取ってから、彼女を無事に家に送りとどけて。

 翌日。早朝。

 景朗は任務の学校生活へ。登校前に、またダーリヤを貸倉庫に押し込めておく。

 

 

「あれ? なんか荷物、多くね?」

 

 "猟犬部隊"から取り寄せた、ダーリヤの監視ができる情報処理端末。

 そして、その他もろもろの彼女の日用品。

 それらが貸倉庫内に無造作に置かれている。

 "人材派遣"は急ぎの仕事をこなしてくれたようだ。無論、猟犬部隊のPCは景朗の部下に持ってこさせている。

 しかし、その日用品なのだが、予想外な量なのである。

 

(丹生さん、いろいろ必要なものって。子供の一人暮らしを送り出すお母さんじゃないんだから……)

 

「おおー」

 

 ダーリヤは、景朗から渡されたPCを立ち上げて機嫌が良い。

 この端末で、猟犬部隊のIDを使ってダーリヤの言う仕事をさせる。

 逆に、それ以外はさせない。このPCなら、彼女の行った事を全て監視できる。

 このことは、プラチナバーグの組織にも了承させてある。

 

「ypaaaaaaaaaaa! プ・リーグ開幕だあああああああ! ハランデイイ、ハランデイイッ!」

 

「なにそれロシア語? てか、それ絶対仕事じゃないよな? こっちきて手伝えよ」

 

 景朗は一応、送られてきた荷物を確かめる。ダーリヤにも手伝うように言ったが、彼女は剛毅なもので、要請を無視してPCにかかりっきりだ。

 ここでもう1度、シメてやらなきゃだめかもしれない。

 

「はちみつ。はちみつ。はちみつ。なんでこんなにはちみつが要るんだよ……はぁ?」

 

 まずもって、段ボール小箱にぎっしりのはちみつのビン、というのもおかしいが、それ以上に。

 

「おいダーシャ、なんだよこれ!?」

 

 女子児童用パンツ2ダース入りの段ボール箱が、いち、に、さん、よ……

 80枚以上!?

 

「うるふまん? ――いっ」

 

 ダーリヤは一瞬驚いた顔をして。そしてすぐ、ずる賢そうになんともない顔に戻した。

 景朗はしっかりと一連の動作を見逃さなかった。

 

「どうしてこんなにパンツがいるんだよ? まさか、もしかして――おわっ!? 俺のアカウントじゃねえか!? ふざけんなよ! 業者でもないのにこんなに注文しやがって、女児童パンツ収集癖の変態だと思われちまうだろうが!?」

 

 思われちまう? 時すでに遅し。

 "あなたへのおすすめ"に女の子のパンツがラインナップされてしまっている!

 

「もうこのアカウント誰にもみせらんねえよ!」

 

「だって! ウルフマンの、あそこのビルには洗濯機ないじゃない。だから毎日新しいのと取り換えるのよ!」

 

「ちかくにコインランドリーがあんだよ、そりゃあ万全を帰すならチミの言う通り新品を使い捨てて証拠を残さない方がいいけどっ、そうじゃないんだろ?! 洗濯機が無いんなら、買ってやったよ!!!」

 

「はぁ、やれやれ。子供相手に怒らないでほしいわ」

 

「素直に注文で桁を間違えたと言え!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダーリヤがPCで悪戯しないかヤキモキしながらの学校は、いつもより長く感じてしまった。

 放課後、帰り支度中に、吹寄氏に掃除当番だ、と呼びとめられて、気づけば三馬鹿が勢ぞろいしていたのである。

 どこの誰だ、サボりそうな奴らを固めて、見張り番を付けたのは。

 

「新学期二日目、実質初日に掃除当番に指名されるとは~さすがの上条さんでゴザイマス」

 

「君もなんですけどね?」

 

 携帯片手にサボっている土御門に目がけて、上条と青髪ピアスは仲良く箒を振るう。

 そんなことをしていたら……ほら、吹寄整理に蹴りを喰らった。

 

「いやそれはほら、上ヤ、ゴミヤンの不幸の巻き添えやあらへんか。昨日も一体なにがあったんや」

 

 遠くを見つめるような悩んだ顔が、上条当麻にはらしくなかった。

 

「テロ騒ぎの巻き添え食ったんだよ。あーっ、たく、頭が痛いぜ。はぁ~っ」

 

(うそつけ!)

 

「もー、なんなんですか。 新学期早々ため息ついて、ゴミ条クン?」

 

「おまえにゃわかんねーよ、青ゴミピアスクン」

 

「っかぁー! JKなんてBBAだぜよ、BBA! BBAの学校なんて掃除する気が起きねーぜよー。別の(小)学校なら金払ってでもやるってのに」

 

「「黙れシスロリ、ツゴミカド」」 

 

 2人ともこの男とだけは同類だと思われたくなかったので、タイミングは完璧に重なった。

 

「「「わーっはっはっは俺ら全員ゴミがついてるじゃねえかwww」」」

 

「いいから手を動かせゴミども!」

 

 すぱーん、と吹寄がほうきを薙いだ。青髪と土御門はとっさに屈んで避けたので、ど真ん中にいた上条当麻の背中だけが、ペチリとほこりまみれのほうきとキスをした。

 

「さながら吹寄氏はゴミ整理がかりですかな! あっとごめん、悪口みたいになって、悪気はなかったんだ、ごめんごめん」

 

「うまいでーゴミヤンww」

「ゴミゴミうるせーなww」

 

「もう! い・い・か・ら、ほら! 誰かちりとりやって!」

 

「ええーナチュラルに自分を選択肢から外してる吹寄氏こそ」「私はゴミの整理役なんでしょう? お望み通り箒で整えてあげますけど?」

 

 ブーイングは一蹴された。

 

「土御門は黒板消しとって逃げたか。だいたい、なんでうちの学校はこんな漫画に出てきそうなクラシックオールドスタイルなんだよ。掃除ロボットなら街中に走ってるじゃねえか――あれ。どうにかして中に入れちまうか?」「まぁ2人がかりで十分イケるんちゃう?」「馬鹿か問題は警報だろ! あのロボに悪戯したら即通報されるんだぞ」「あいわらずロクでもない経験は人一倍ありますのんね」

 

「あーもう! そこまで嫌がるか! ほら、アタシがやる! はやく集めて!」

 

「あざーす」「どうも~」

 

 ちりとりに集めたごみを袋に入れて、帰り支度を始めた2人を、吹寄がキッとにらんだ。

 

「ちょっと、まだよ! 今学期から当番が代わって、教室の外の階段まで私たちのクラスが担当するの! 説明きいてなかったの?!」

 

「そうだっけ?」「ええ~、えらい優等生やなぁ、吹寄サァン」

 

「言わせてもらうけど! あんたらと一緒なったアタシが一番不幸でしょ。いったい誰よ、アタシを毎回監視役に付けてんのはっ。まぁ、アタシが居なかったら3人とも逃げてただろうけどっ」

 

「逃げませんって」「土御門どこいった?」

 

 

 吹寄、上条、青髪は階段の全体を箒がけ。

 逃げた土御門は1人、罰ゲームとして階段の雑巾がけを命じられていた。

 土御門は「雑巾と箒の人数比がおかしい」と途中まで喚き続けていたが、今は静かなものだ。

 

 早く帰りたい気持ちは皆同じだったのか、4人とももくもくと手を動かしたので、掃除はほどなく終盤に差し掛かっていた。

 

 

「さ、あとはこれを集めて終わり」

 

 階段の踊り場に集めたごみを、誰が集めるかでまたケンカが勃発した。それしきのことで、また勃発してしまったのである。

 

 土御門は3人の側で、ひとりバケツに手を突っ込み、己が最も大義を為したとばかりに悠々不敵の表情である。

 

「ごほん。うえっへん。あのー、まずおひとつよろしいですかな? 常識的に考えてボクより背の低いゴミチビクンがちりとり係に適任と考えて間違いないですやろ。こういった小さな掃除にも、それなりに効率性を取り入れていかないとやっぱアカンでしょー?」

 

 嫌味たっぷりのニヤケ面で、自分より背の低い友人2人の頭にそれぞれ手を載せて、ぽふぽふと撫でる様に頭をたたいた。しれっと土御門まで巻き込んでいる。

 

 ウニ頭と金髪のお二人が額に青筋を浮かべているのに、青髪は気づいていないふりをして、続けた。

 

「さ、ほら、みなさん多数決できめましょー、ちりとり係に適任の人を指差して? さん、はいっ!」

 

 青髪は上条を指差した。が、残りの三人は息を合わせたように、ただ一人の人物を指差した。

 満場一致で、青髪がちりとり役になった。

 

 

「吹寄さんだからまだ許せるんですけれどもね。次はあんたらやからなー」

「もう終わりだって」

 流石の吹寄氏も疲れたのか、苦笑しつつ箒を動かす。

 

「はい、しゅ~りょ~、っと。あ、ワリい青髪、頭にゴミついちまった」

 

 ぱふり、と上条は青髪の頭部を叩いた。

 なんと"右手"で。以前の彼なら決してしなかった。

 

「はえ?(あ~ッ、ビビった! 大丈夫だ、当たったのは髪の毛だけだ。一瞬だから耐えられるはず。くそ、上条め!)」

 

 景朗は焦ったものの、大事には至らなかった。髪の毛が一瞬、赤みの混じった焦げ茶色にもどっただけである。

 

 だが、流石は不幸を呼ぶと他人にすら豪語される上条当麻である。

 

 忘れてはいけない。たった今しがた目の前で起こった光景に、景朗以上に焦りを生み出す人物が、その場には存在していたことを。

 

 隣で雑巾ごとバケツを抱えていた土御門が、血相を変えていた。

 次の瞬間。

 彼は、汚水のたっぷり入ったバケツを、両手で振りかぶった。

 

(あっ)

 

 それはもう体中の筋肉をフルスロットルで酷使したにちがいない、ダイナミックなフォームで素早い動きだった。

 

 景朗は、避けられた。間違いなく、楽に避けられた。

 しかしそうしていたら、どこか火澄に似ている景朗お気に入りの吹寄ちゃんに、バケツがクリーンヒットしていただろう

 

 だから結局。

 

 「ごむぅうえぇぁるうがおぁあつあgぁじゃぁ;あj!!!」

 

 汚水バケツが、景朗の頭に勢いよくかぶせられた。

 

「すまん手が滑った、おおっと足も滑ったにゃー!」

 

 こともあろうに土御門はバケツを被せるだけでなく、景朗の尻をおもいっきり蹴っ飛ばした。

 そこは階段の踊り場。彼は階下へと転がり落ちていく。

 

「!? あがッがががががが ごぇあがああがあがががががあっがっ!!」

 

 バケツという目隠しをされて、階段を転げ落ちていく青髪。

 どでかい車輪に体を括りつけ、急斜面から滑落させる処刑法が古代ローマで行われていたのだが、それを彷彿とさせる姿だった。

 

「い、いくら青髪きゅんだからって容赦なさすぎじゃないでしょうかッ、土御門ぉ!」

 

「ちょ、ちょっと! 青髪君大丈夫! 何やってんのよ土御門! 流石の青髪君でもキレるわよ?」

 

 ドン引きの2人のヤジが飛ぶ。

 土御門をサイコパスでもねめつけるような視線で見ているに違いない。

 あきらめ境地の景朗は、バケツ色に染まった視界の中でそう切に願った。

 

「おおっと! すまんすまんすまんぜよーい、大丈夫かにゃっ!」

 

 景朗にかけより、青髪ピアスの姿のままだとわかると、安心したのか。

(心配させるな)

 小声でそう言うと、土御門はわざとらしくも、心のこもっていない台詞をぶっこんだ。

 

「まっこと申し訳なく御免ですたい! いやほら雑巾汁で手足も滑るってなもんで!」 

 

「て、てめぇ」

 

(いかん。いかんぞ景朗。切れるな。わざとじゃない。むしろこいつは善意でやって……善意で……)

 

「青髪君、すごい顔してる……」

 

 吹寄サン、それは見たこともない怒り顔を、って意味だよね。

 汚物に塗れた悲惨な顔だからってわけじゃないよね?

 

「あ、あおがみー、今のは流石にキレていいぞー、キレていいからなー?!」

 

「何言ってんのよ、煽らないでよ上条当麻! 怒ってもいいけど、暴力は禁止よ青髪君! というか、後始末は私たちがやっとくから早く顔洗って来て!」

 

「そ、そうさせてもらうわー」

 

 景朗は起き上がって、じーっと土御門を見つめている。

 

「あ、あぁーん? め、めんごっていってるぜい。ほ、ほら、ハンカチかしてやるにゃー」

 

(わ、わかってるよな? 咄嗟に助けてやった俺様の機転に感謝するんだにゃぁ!)

 

「あ゛!? あッ、あっ、あ……あり、がとう、土御門クン」

 

「なぁっ?! なぁ、なぁーんでそこで礼を言うんでせう? 青髪……君」

 

 急に青髪に"君"付けするようになった上条が遠くに感じる。

 頼むから呼び捨ててほしい。なんぞこれ。上条との間に距離感がある。

 カミやんはまるで初めて会った時の様に、切なそうに景朗から目をそらした。

 

「ドMって噂が……まさか正しかったなんてね……普段からああなの?」

「い、いやーわたくしもそこまで詳しくは……」

「なによ。意外と仲良くないの?」

「野郎どうしでもそこまでコアな話題はしませんのことよ」

 

 火澄にちょっと似てるので景朗的好感度の高い吹寄ちゃんには、完全に誤解されましたな!

 はっはっは。でもいいんですよ、これで。

 これぞ、青髪君なのだからね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 顔を洗って、着替えて、ダーリヤを迎えに行く。

 

「ダーリヤさん。元気にしてましたか?」

 

「? どうしたのよ、ガロー?」

 

「どうしてましたか?」

 

「ナショナ○ジオグラフィ○クみてたわ」

 

 すり寄って来たダーリヤの両肩に手を乗せ、景朗は優しく微笑んだ。

 

「ダーリヤ、君は、いいニオ……わるい臭いがします。 てかくせえよホント。ちゃんと風呂入れって昨日も言ったろ」

 

 はたと真顔に戻ってクサイと言われたのに、ダーリヤは平気なカオをしている。

 

「入ったじゃない」

 

「洗わなきゃ意味ないんだよ」

 

「"風呂嫌いの理由を当ててみせようか"」

 

「は? どうしたんだ急に」

 

「"心の構えーーー つねひごろ 気と体の状態は いつ何どき斬りかかられてもしゅんじに対応できるよう備えている ねこのように 垢と一緒に その構えまで解かれてしまう気がするゆえに 風呂が嫌い"なのよ」

 

「……なんだ? なんだ急にお前。 お前、漫画かなんか読んだだろ? 何の漫画だ!?」

 

「バガボ○ド」

 

「だからお前、そのPCで読むなよ。くっそ、木原の野郎になんて言われるかッ」

 

 

 部屋の中は、食い散らかした菓子の匂いが充満していた。

 お菓子を没収するかどうか悩んだが、こいつとの別れもそんなに遠くはない。

 好きにさせてやるか、と嘆息し、立ち上がった。

 

「飯食ってから帰るか?」

 

「悪いけど、今おなかいっぱいよ」

 

 だろうね、口からはちみつガスがでてきてるもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新学期が始まって最初の日曜日。

 結標淡希は"窓の無いビル"を暗い表情で見上げて、覚悟を決めたように息を飲み込んだ。

 とあるゲストを迎えに来るように連絡が来たのだが、用向きは果たして本当にそれだけなのか、不安が拭えなかった。

 

 浮遊感、悪感、悪寒。ビル内部にテレポートした結標は、しばらくその場で呼吸を整える。

 そこで、なんとはなしに眺めたビルの壁をみて、内壁が変形していることに気づく。

 見上げる。壁一面に、細かな凹凸が突き出ている。それはくまなく、ビル内部を見渡す限りに。

 

 知っている。これは音を吸収する壁。理事長の部屋は今、無響室と化している。

 

 この光景は、過去に何度も目にしている。

 この部屋がこうなるのは、ある人物が理事長に謁見するときだけだ。

 

 

 理事長の水槽がある方向から、かすかに話声がする。

 不安を抑えきれず、結標は恐る恐る様子を覗いてしまった。

 

 

 女性にしてはすらっとした長身、ぼさぼさの髪、真夏にマフラーの後ろ姿。

 やはり理事長に呼ばれていたのは、紫雲継値だった。

 

 

[[貴女はどうしてそこまで馬鹿なしゃべり方をしてるのですか?]]

 

 若く、低い男の声。

 

[[クセになってしもうて言葉づかいを直せないのよ]]

 

 若くも、古臭い口調の女の声。

 2人ぶんの話声。

 

 部屋には、水槽の中で逆さまに浮かぶ理事長と、紫雲の2人だけ。

 しかし会話をしているのは、彼らではない。

 

 

[[今までそんな馬鹿な言葉遣いで学園都市の代表を協議してきた訳]]

[[大丈夫大丈夫。確けし確けし]]

 

 

 声が小さすぎて会話の内容は分からない。しかし、結標は奇妙に思う。

 会話は、スピーカーから聞こえてくるような質ではない。

 どう聞いても、この部屋の中で、ついその先で立って喋っているかのごとく、生々しい肉声そのものなのだ。

 

 

[[仕事の話を進めてください]]

[[其の先に]]

[[何をやっているんですか?]]

 

 

 部屋の中に、唐突にバスか何かのクラクションが鳴った。それは話し声と同じく小さなものだったが、そのおかげで結標は、会話をしている二人組が屋外にいることを察した。

 加えて、聞こえたクラクションは、学園都市では聴き慣れない異国めいたものだった。

 

(外国? 盗、聴?)

 

 疑問を確かめようとさらに集中しはじめたところで、唐突に会話が終わってしまった。

 

 しばしの静寂。

 口を開いたのは、紫雲だった。

 

「もしかしたら――――気づかれたのかも、しれません。相手は声帯での会話をやめました。音は、拾えません」

 

 いかなる失態を犯したのだろうか?

 想像はつかないが、理事長に報告する紫雲の声は震えていた。

 

 

『あの女とコンタクトを取った人間は予想がつく。十分だ、下がっていい』

 

「はい」

 

 一刻も早くその場を離れたかったのか、返事と同時に紫雲はくるりと振り向き、結標の元へと真っ直ぐ歩いてきた。

 

「はやく。お願い」

 

 ぶっきらぼうなその頼みを、結標は素直に聞きとめることにした。

 口数の少なさは普段通りだったが、薄暗い室内ではっきりと見えずとも彼女の具合はひどく悪そうだった。

 

 

 結標の能力は一瞬で済む。

 2人は、残暑の喧騒へと瞬く間に帰って来た。

 

「あなた、大丈夫?」

 

 貧血でも起こしそうなほど蒼白な紫雲は、テレポート後のはじめの一歩でつっかかり、転げて地面に手を着けた。

 

 結標が思わず差し伸ばしていた手を見上げ、紫雲は泣きそうな表情をマフラーをずり上げて隠した。

 結局、彼女はその手を取らず、ひどく心細そうな足取りで消えていった。

 

 同じ境遇の、同級生。

 能力さえなかったなら、こんなに怖い思いをせずに済むのにね。

 

 結標は小さくなっていく背中を、まるで自分の姿を重ね合わせるかのように、しばらく見つめて。

 覚悟を決めたように、忽然とその場から姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダーリヤを連れて登校し、ダーリヤを連れて下校する。

 上条も騒ぎを起こさない。木原数多からも連絡が来ない。

 迎電部隊からも連絡はない。プラチナバーグからも当然連絡がない。

 

 平和といえば平和だった。でも。

 その繰り替しが、気づいたら2週間目に突入しそうだった。

 

 

 それはつまり。

 ダーリヤがこの一週間、朝・昼・晩と、ほぼお菓子のみしか食さなかったことを意味している。

 

 月曜日。放課後にダーリヤを貸倉庫からセーフハウスへと連れ帰り、そのまま外泊の準備をしなさい、と言い付けた。

 

「あとな、今日からお菓子は禁輸・禁止措置を取らせてもらう。もちろん丹生を使った密輸入も禁止だ。おーけー?」

 

「なんでよ? だいたいヒンニウはあれからずっと来てないし、わたし、病気はしてないわよ」

 

「そいつはまだ十代にもなってないお前さんの若さが必死でカバーしてくれているだけで、それもそろそろ破錠しかけてんだよ。気づいてないと思ったか、ほら、これでどうだ」

 

 景朗はダーリヤのほっぺたの"とある"位置を指で軽く押した。ただ、それだけだ。

 

「ひゃぅっ!」

 

 口内炎を刺激された少女は、うめき声を我慢できなかった。

 

「今日から明日まで、2日間は丹生が面倒みにきてくれる。あいつにも頼んで、お菓子は食べさせない様に徹底するからな。んやぁ、まぁ、完全に禁止ってわけじゃなくて、おやつくらいならいいんだけど、ちゃんとメシは食わせる。今のお菓子=メシ状態は終わりにするぞ。ってか、終わりにしねえといい加減ヤバイよ? お前の小便の匂い、ほんとに……」

 

「えーヒンニウがここに来るの?」

 

「いいや。第七学区の別のセーフハウスに一時移動するよ。ココとは違ってマンションを改造したところ。ココに丹生を泊めるのは気が咎めるし」

 

「え、泊めるの?」

 

「おう」

 

「え、泊まるの?」

 

「何を心配してるのか知らんけど、俺はたぶん明日まで帰ってこないよ。ずっと仕事だから」

 

 丹生を呼ぶのには理由がある。

 アレイスターから殺しの命令があったためダーリヤの側にいられなくなったのだ。

 とある企業のお偉いさんの暗殺である。

 今晩から潜入の準備をして、明日、殺して後始末をして帰ってくる。

 一泊二日の殺人旅行だ。

 

 丹生を巻き込むのは苦しい。

 

 しかし、景朗はどうしてもセキュリティを強化したかった。

 ダーリヤを狙う者たちは、彼女の帽子を使って何かを企んでいる可能性がある。

 背に腹は代えられない。景朗不在中は、同じマンション内の、ダーリヤの隣の部屋に待機していてもらうことにした。何かあっても戦わずに、景朗に連絡さえしてくれればいい。

 もともと、景朗がダーリヤを保管しておくマンションは、猟犬部隊の隊員の数名も住居にしている、セキュリティに特化した物件だ。

 丹生は大能力者であり、しかもオートで展開する防御性能を持つ、対人向けの能力を有している。

 昼間、学校にいたときも、襲撃は無かった。

 ほんの1日ほど。大事なく済むことに賭けている。

 

 『丹生は暗部から足を洗った』なんて理屈は暗部では通じない。

 基本的には、一度暗部で名が通れば、一生暗部扱いされかねない。

 だから、安全のために、丹生の側にいる。

 そんな言い訳を使って、今回ような一件に巻き込んでいては、丹生を暗部から脱出させるなんて夢のまた夢ではないか? そんな苦悩が到来する。

 でも。丹生以外に信用できる人物はいない。丹生の側から離れたら危ない。丹生と何時までも一緒にいると危ない。すべてが事実だ。

 

 

「んなわけで、さあ出発です。行きがけになんか買って、ついてから晩飯にしよう」

 

「うどんがいいわ」

 

「またぁ?」

 

 この一週間。ダーリヤ自身に調べさせていたことがある。

 今のところたったひとつの手がかりである、ダーリヤのロシア帽についてだ。

 

 襲撃者がプロでも素人でも、狼の毛皮を現場に残して行ったというのは、素人臭さいを通り越して、罠かもしれないとすら思えるミスである。

 

 ただ、罠でも、罠でなく犯人たちの油断でも。

 どちらにせよ、奴らは帽子を持っていることがバレても問題ない、あるいは、そこから足は付かない、と考えていたことになる。

 

 当然、迎電部隊も同じ可能性を当たっただろうが、念のために、ダーリヤに所持品から持ち主を特定するダウジング能力者や、警察犬のように臭いで追跡するタイプの能力者などを総当たりで調査させてみた。

 ヒットする件数がそこそこあったらしいが、"書庫"登録者内のめぼしい候補は暗部に属していなかったという。

 しかし、実際のところは、暗部でも重宝される系統の能力であるらしいので、書庫未登録の能力者が暗部に何人かいてもおかしくはないそうだ。

 ダーリヤはその年齢ながら、この調査を景朗よりよほど効率的にこなしてしまった。

 

 暗部の情報分析官という縦書きは、嘘ではなかったようだ。

 この事をほめたら、どえらく調子に乗られてしまったので、景朗は速攻で褒めなくなった。

 ダーリヤは不満たらたらである。

 

 閑話休題。という経緯があって、ダーリヤの調査結果から景朗は考えを改めた。

 よくよく考えずとも、あっさりダウジング系能力者探しから候補が搾り込めるのであれば、スパークシグナルがとっくに捕まえているはずである。

 

 逆に言えば、ダーリヤの帽子を持っている、と追跡側に知られれば、そこから暗部能力者に居場所を察知され、逃亡中の犯人側の方が危険にさらされかねない。

 

 襲撃者たちが今も捕まらずに逃亡しているのだから、帽子はとっくに捨てられている可能性もあるだろう。

 

 ひとまずできることは、ダーリヤを守り通すこと。

 

 ――結局のところ、景朗はなんだかんだ言って、暗部組織"スパークシグナル"を信用しているのかもしれない。

 彼らが動いているのだ。時間が経つにつれ、襲撃者たちは窮地に陥っているはずである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生まれて初めてスカートを着用したというのに、雨月景朗はその感想を思い浮かべる余裕も、猶予も、気の向きようすらも、持ち得なかった。

 練習するハメになった化粧、腰元にぴったり張り付くタイトスカート、初体験のパンプスの履き心地、踏み出した途端に折れてしまったヒールの不安定さも、意識の内に入らない。

 

 

 景朗は、第一学区の高層ビルの、一室にいる。

 学園都市大手の建設会社の、とある顧問を殺害するために。

 

 無論。彼の姿は、いつものようにむさ苦しいテノールボイスを生み出すガタイではない。

 細い脚に、色香を纏わせた縊れ。どこをどう見ても瀟洒なセクレタリーそのものだった。

 肉体変化(メタモルフォーゼ)の面目躍如とばかりに奇跡を演出して見せている。

 

 意識を奪った、変装元の"お姉さん"は、猟犬部隊の隊員が確保している。

 標的の規模が規模なので、証拠を残さない様に処理するだけだ。殺しはしない。

 

 彼女には眠ってもらう前に投薬をして、その日のスケジュールを吐かせている。

 

 

 ターゲットは、景朗の隣の部屋にいる。

 

 造りの良いデスクに、高級そうなスーツを着こなした老紳士が座り、会報に目を走らせている。

 このビルは第一学区に存在する。第一学区は、学園都市の行政機能があつまった区画。

 そこに本拠地を持つ企業には、ひとつの共通点がある。

 学園都市創設時から共に歩んできた歴史を持つことだ。

 

 

 

 この顧問は、学園都市創設時から働いてきた業界の重鎮のひとりらしい。

 

 つまり、アレイスターは、裏切り者はたとえ昔からの協力者でも、あっけなく殺すということだ。

 

 方法はシンプルだ。彼は、毒で殺す。

 懸命に珈琲を淹れる景朗の手つきには、真剣さがくっきりと滲み出ている。

 

 薄く焼き上げられた白磁だけに許される、独特の澄んだ音色。

 そこにまぎれる様に、透明なしずくが一滴、黒い水面に垂れて静かに波紋を立てる。

 

 人を永遠の眠りに誘う"悪魔憑き"の渾身の"毒液"は、

 馨り高いブラックコーヒーに一切の風味の変化も、雑味の造成も、与えることはない。

 

 ただの人間には気づけない。この、"悪魔憑き"をのぞく誰一人として。

 

 

 隣室に待つ標敵(ターゲット)に残された人生を、眠るように刈り取ることだろう。

 嗜好のひとときを口にしたその時に。

 

 

「ありがとう」

 

 どこか人を安心させるような、しわがれた低音のお礼の一言は、逆にこちらを申し訳なくさせるくらいに心地の良いものだった。

 書類に釘づけだったお爺さんは、いたわるように老眼鏡をそっと外し机に置いた。

 まるで凝り固まった眼球に湯気をあてるようにカップを近づけ、戸惑うようにしばしカップの水面に目をやって、深く深く香りを味わうように息を吸った。

 

「お気に召しませんか?」

 

 老人に背を向けたまま、景朗は疑問を口にした。

 

 配膳用のカートワゴンをまさぐるその手は、既に動きを止めている。

 

 お爺さんは、毒入りの珈琲に口を付けることなく、カップをソーサーに戻したのだ。

 

「実は、私は紅茶派なんだよ」

 

「ご冗談を」

 

 この部屋には、上品な珈琲の匂いがうっすら染みついている。

 お姉さんは嘘は言っていない。毎日数杯は欠かさず飲んでいるはずだ。

 

 だが。確かに。

 わずか。ほんのわずか。たった1秒間ほどの戸惑い。

 お爺さんは、珈琲に疑問を持った。

 

 背後に座す老人の気配がまたたくまに変化していくのを、景朗はあまさず感じ取る。

 

 動揺。驚愕。恐怖。

 場数を踏んだ、経験豊かな人は、こうやって殺意に気が付くことがある。

 

「君が。理事長殿の使いなのかね?」

 

 そして、目前に迫った死を意識して、お爺さんの気配に新たに加わったもの。

 新たなる発見という、喜び。

 それは未知の現象を前にして、そこに素直に興味と関心を抱くような。

 この場にそぐわない、何故か前向きな感情のように思えてならなかったからだ。

 

「人を呼ばないんですか?」

 

「まさか。クロウリー氏の刺客を目の前にしてかね? 部下を犬死させんよ……それに、君と話す時間がなくなってしまうだろう」

 

 刺客を前にしておきながら、抵抗する意志はなく。

 それどころか諦観の気配すら感じ取れるのに、同じようにどこか楽しげなのだ。

 だからだろうか。景朗は初めて経験する戸惑いから、話しかけてしまった。

 

「ご心配なく。お姉さんは無傷です。ほうっておけば勝手に目覚めます。服だけお借りしたんですよ、ここまで来る道中が面倒だったもので」

 

「完璧な変装だが、今日は午後から孫が遊びに来る予定だったんだ。だから彼女に、今日だけは珈琲を我慢するように釘を刺されていてね。『お孫さんに、お爺ちゃんお口がくさいよう、って言われない様に』だとさ。だが昨日、口うるさく注意した本人が珈琲を淹れだしたのでね、驚いたよ」

 

 お爺さんは、ネクタイをするすると外し、いっそう深く椅子に姿勢を預けた。

 

「もう次の会議に出なくてよくなったからね。はは、こんなことなら最初からサボってゴルフに行っておけばよかった」

 

「殺し屋の毒に気が付くほど、毎日毎日何におびえて暮らしてたんですか……。ふふ。こちらこそよかった。あんたは真っ当な人生を送ってきていたわけじゃあないらしい。暗殺者の身分で生意気を言わせてもらいますが」

 

「ほっほ。まったくだ」

 

 楽しそうにお爺さんは笑った。

 景朗は、自分が言い知れぬ怯えを感じているその原因に、気が付いた。

 この人は、死ぬことなんて何とも思っていない。

 どことなく、木原幻生と話をしているようだった。

 

「最後の一杯がこれかね。君、なってないよ、淹れ方が素人だな。だがまあ、これも良い。はじめて自分で入れた一杯を思い出したよ。覚えてないがね。はは。後ろ指を指される時代だったが、懐かしい。最近は忘れていたよ。懐かしい香りだ……。さて、君はいくつなんだい?」

 

「いいから、はやくそれを飲んでください。あなたを苦しめたくない」

 

「優しいね。だから毒を選んでくれたのか」

 

「時間稼ぎはさせません。早く飲んでください」

 

「そう、かね。……これは、飲んだらすぐに効き目があるのかな?」

 

「遅行性です。ゆっくりと眠るように……何も感じません」

 

「そうか。ではこれを飲んだら、眠るまで付き合ってくれたまえよ?」

 

 

 お爺さんはまるで悪戯をするような目つきで、珈琲を呷った。

 咽が音を立てる。疑いなく、致死量を飲んだ。

 

 景朗はその事実を確認したので、あとは後始末をして帰るだけだ。

 会話をしたい? そんなものに、付き合う必要はない。

 

 ピコン、とデスクからアラームが鳴った。

 だが、老紳士は機敏にパネルをなぞり、音を消しさった。

 彼の孫の来訪を知らせるアナウンスだったようだが、自らそれをキャンセルしたようだ。

 

「大事な人はいつだって突然いなくなる。私の孫にそれを教える良いチャンスだ」

 

(お孫さんが、来てるのか……?)

 

 景朗は、目の前でその死を看取るつもりだった。だが、その事に恐怖を感じ始めている。

 

「君は獣のようだな。労わる様な眼差しだね。しかし、これは当然の運命なんだよ。君のような子供にこんな真似をさせようとは。私にはその責任があると、言えるだろう……」

 

 何をしたのか。何をしてきたのか。景朗は聞いてみたかった。だが、ずうずうしくも、自分が殺した人間に、それを聞けるほど恥知らずではないつもりだった。

 

「君に、助言を言いたい。大人に、助けを求めなさい。いいかね? 誰か身の回りの信頼できる大人に、助けを求めるんだ。いなければ探しなさい。全力を賭すんだ。そこに君の未来が、人生がかかっているんだからね」

 

「僕は子供でもないですよ」

 

「子供だ! ひとりでここまで難なく私を殺しにやって来れたんだから、子供(高位能力者)に決まっている!」

 

 声を荒げたことに気が付き、老紳士はニコッと微笑んで、部屋の隅に置いてある帽子掛けへと手を伸ばした。

 だが、毒が回っているのか、彼はもう立ち上がれなかった。

 

 景朗はどうしてそんなことをしたのか自分でも理解できなかったが、彼のかわりに帽子を手に取って、デスクの上に置いた。

 

「ははっ。今日が会議でよかった。決まってるじゃないか。このまま棺に入れそうだ。ふん、死ぬ時くらい、ネクタイはいらない」

 

 お爺さんは帽子をかぶり、スーツの襟をピッと手で整え、ニヤリと口角をあげた。

 

「では、人生の先輩からの、最初で最後の助言だよ。2回目だけどな。ふふ。君は――老人に毒を食わせ、そしてそのまま永遠に命令されるがままの、鼠のような使い捨ての人生で本当に満足なのかね?」

 

 景朗はするどく老人を睨みつけていた。こんなことをしても意味はないとわかってはいても、彼にはそうするほかなかった。

 

「足掻け。私を見ろ。悪人だろうと、家族を成し、幸せを手にできたぞ。

等しく人生は一度きりだ。だからこそ、悪事を働きたいなら、行え。善き事を行いたいなら、行いたまえ。だが"働きたくもない悪事"はやめてしまえ! 

わたしは"そのこと"を後悔しているよ。最近はタバコもやめておけばよかったと思っていたんだが、心配はいらなかったようだな。はは」

 

 カップを握り、残りをすべて飲み干して。

 

「私の人生は、まさしくこの一杯にふさわしいものだった。だが、素晴らしい宝物にも巡り会えた。その出会いに、乾杯だ。喜んで飲み干そう――――君の躍進を願う。私は英国と手を結ぼうとした。だが、アレイスター君はそれに反対のようだ。このままいくと"戦争"になる。アレイスターの刺客よ、君は凡百の輩ではない。"その時"は、その資質を無駄にするなよ」

 

 言いたいことは言ったと、満足そうに、お爺さんはかぶっていた帽子を顔に載せ、ゆったりと椅子を倒し、眠りについた。

 

 

 

 景朗は逃げるように急いでいた。

 ビルの屋上から飛び立とうとしたところで、階下から『おじいちゃんはー?』とまのぬけた孫娘の声が聞こえて来くる。

 景朗はもうそれ以上、一言だって聞きたくないと、大慌てでその場から飛び去った。

 そうするほかなかった。

 

 

 

 

 

 みっともなく逃げ去って。言われた言葉の意味を咽の奥でせき止めて。

 飲み込めぬまま、景朗は窓の無いビルを見下ろして、足止めを食らっていた。

 

 アレイスターに報告に行きたいが、結標淡希と連絡がつかない。

 タイミングよく土御門から、メッセージが届いた。

 

 

 

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episode34:座標移動(ムーブポイント)


投稿再開いたしました。
どうかよろしくお願いいたします。

今回、いっきに3話投稿しました。

episode32
episode33
episode34

以上です。
episode32からご覧ください!

……4年たってるので、episode32から読んでも覚えていらっしゃいませんでしょうがああ
すみませぬ!


 

 

 

 土御門は結標を捕まえろと指示したが、それはアレイスターの命令というわけではなかった。

 そもそも全力で逃げに入った学園都市最高の"空間移動能力者"は、おいそれと1人で出歩く程度では捕まえられない。

 景朗といえど捕獲するなら待ち伏せして不意を打つしかないが、呑気に学校に通わせられている任務状況では、ろくに張り込みすることもできない。

 第一に、彼は結標には同情的だったのである。

 毎回体調を悪化させて怯えながら、窓の無いビルの案内人をこなしていた彼女を知っている。

 命令もされていないのに自主的に追い詰めようとは、到底思えなかったのだ。

 

 それに"捕まえろ"という土御門の言葉。決して"殺せ"ではない。

 彼も結標を何とか助けたいのだろうと、想像はついていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だがしかし、景朗は今、ダーリヤを保護している。ほっぽりだして結標を探しに行ける状況ではなかった。

 

「ウルフマン、これ、はぁはぁ、いっ、生きてる? まだ"生き"てるぅ? えい!」

 

 ボウルの中で水を吹くあさりを見つけて、ダーリヤは由来不明の興奮をたぎらせている。

 景朗とダーリヤは第七学区のセーフハウスにいた。

 ここはマンションなので平凡だがキッチンがある。

 景朗は夕食の調理中で、まちどおしそうに様子を見に来たダーリヤがめざとく小動物を見つけてしまったという構図である。

 

「いやぁほら、お前さん、麺類ならグダグダ言わず食べるじゃん。今日は肉も魚も嫌だ嫌だって突っぱねやがるから、ボンゴレ――ビアンコなら、どうよ? ってハナシ」

 

 裏ルートで入手しているワインを戸棚の下から取出し、景朗はニンニク刻みを再開する。

 白ワインは良く飲んでしまうので心配したが、今回料理する分はまだ残っていた。

 

「うるふまん、これっ、こっ、これっ、焼くの? フライパンに入れるの?」

 

 ダーリヤはあさりをガシガシと突っつきながら、ごくり、と喉を鳴らした。

 

「そりゃそうっしょ」

 

「ならわたしがっ、わたしが入れたい! おねがいヤラせて!」

 

「いいけど、そんなら最初から最後までお前さんがやってみるかい?」

 

「ええー、キョーミないわ。あさり入れるだけでいい」

 

「……そうっすか」

 

 ふらりと猫の様にダーリヤが逃げて行った。

 入れ違いになるように、ぶるぶるとケータイが鳴った。

 丹生からだった。遊びに来ていいか、とのメッセージ。

 ダメだ、と返すも、既に近くに来ているらしい。

 

 ダーシャに会いたいんだろうな。

 ホントはダメなんだけど、ついでに風呂に入れてもらうか。

 何度言ってもまともに洗いやがらねえ。

 

 料理はもとから大量に作ってしまうタチなので、1人増えても十分に足りる。

 

 

「おーい、ダーシャ、そろそろあさりを投入してくれ~」

 

「Ypaaaaaaaaaaaaa!」

 

「ゆっくりだぞ、ゆっくり……」

 

 ダーリヤは椅子を持ってきてコンロの前に添えて、飛び乗った。

 ゴキゲンな動きであさりの入ったボウルを掴む、そしてひっくり返す。

 

「地獄の業火で苦しみなさい! ひゅーっひっひっひゅ!」

 

 声なき声を上げて死滅していくあさりたちを、愉悦と恍惚の笑みで見下ろしている。

 

「あ~、死んでるわ、しんでる。ふひゅ~――あっ!」

 

 白ワインをかけてフライパンにフタをすると、邪魔すんぢゃねえ、と抗議の目線が飛んでいた。

 

「いや、蒸し焼きにしなきゃなんないから」

 

 サドッ気全開のダーリヤの挙動にも、もはや動じない。

 なにしろ、放っておくとこの娘、ネズミ捕りに引っかかって死んでいく鼠の動画なんかを延々と視聴してたりするのである。

 延々とネズミ捕りの動画を上げている人がいるのだから、まぁ、世の中にはそれを見る人も当然いたのだなぁ、と納得してしまった……。

 少女の過剰な攻撃性は、彼女の"マーマ"とやらの教育方針だろうか? 

 しかしながら暗部で生きていくには今のほうが向いているといえば向いているから、どうこう言わずである。

 

 

 ピッピッピッとセキュリティのアラームが鳴った。

 

「え? 誰?」

 

 ダーリヤがビクついた。

 

「丹生だと思う。ロック開けてやって」

 

「チッ。何しに来たのよ、メス」

 

「こえーよお前……」

 

 

 

 

 

 

 

 キャリーバッグを引き摺って来た丹生は「子供の頃の洋服を持って来たんだ―!」

 と、わたし妹が欲しかったのと言わんばかりのひとりっこあるある(?)を炸裂させた。

 

 のだが、ルンルン気分で丹生がカーペットの上にぽんぽん並べていくおさがりの子供服を、丹生なんて毛虫くらいにしか思っていないダーリヤは、サッカーでいうPKの練習みたいに次々と蹴っ飛ばして遊んでしまった。

 

 わくわくを隠せず「ささ、どれを着る~?」とニコニコして後ろを振り向いた丹生は、散乱した洋服をみてしおしおと崩れ落ちてしまった。

 

「ひっ、ひどすぎる……ッ帰る!」

 

「あ、ちょ、まてい、丹生ッ!?」

 

「フシーッ! わたしのほうがウルフマンと付き合いが長いのよ!」

 

 泥棒猫を追っ払うような威嚇で、ダーリヤは逃げ去る丹生に追い打ちを浴びせた。

 すごい気迫だ。勘弁してほしい。

 

「ばかああああああああああああああああっ! 何で追いかけてこないのっ? かげろうのばっかあああああああああ!」

 

 丹生が追いかけてこいと催促しています。

 

「行く行く! 今行くから、待って!」

 

 だって大した距離も走らずにお前さんがすぐ近くで止まったから。

 こっちは足音が聴こえてるんだからわかってるのよ。

 

「ダメ! いっちゃだめ、ニウのワナよ。うるふまん、うるふまんっ!」

 

 外へ出る景朗を追いかけようとしたが、ダーリヤはひとりで外に出るのが怖いのか、玄関の前で憤怒の形相のまま立ち尽くした。

 

 

 

 

 

 夏といえど、外は暗い時間帯だ。

 丹生は非常階段から暗闇を眺めていた。

 

「もー。あのガキンチョは気に食わなかったらシメていいから。こないだみたいにさぁ」

 

「まっ、前のはちょっとやりすぎただけ、頭に血が昇っただけ! ホントはもっとお淑やかなんだからッ」

 

「おしとやか~? だいたい出会った頃の"俺ッ娘"はどこ行ったんだよ?」

 

「それは言うなああああああ! もういいの、かげろうのおかげで暗部卒業できたしもうやめたの!」

 

「あれは別に悪くなかったよ。いや、むしろなかなか良かったよ?」

 

「そ、そう? じゃあ……たまには"おれ"って言った方がいい?」

 

「え? 頼めばやってくれんの?」

 

「……恥ずかしいからかげろうの前でだけだけど」

 

 そう言って、すっごい親しげにちらちら見つめてくる。

 

 お互いに無言になって、しばし見つめあう。

 

 ――なぜだろう。

 なんなら、今ここで丹生に抱き着いても拒否されないような。

 そんな雰囲気だという、直感があった。

 すこし、欲が湧いた……ところで。ハッと思い出す。

 

(パスタ作ったばっかりなのに、のびちまう!)

 

「さ、早くもどろうぜ。メシできあがったとこなんだ、食ってってくれよ」

 

「!? いっ、いい。まだもどらない」

 

 丹生はちょっと悔しそうに、意地を張っている。

 

「え~?」

 

「ダーリヤちゃんの味方ばっかりするからだよっ」

 

(けっこう君の味方してる気がするんですけど……)

 

「小学生と張り合うなよ……」

 

 あ、丹生がそっぽを向いてまた景色を眺めだした。

 

「ねえ、ダーリヤ返しちゃうの?」

 

「おう。その前にちょい記憶イジって」

 

 「アタシのことは忘れさせないでいいから」と丹生は小声で言った。

 もとからダーリヤは彼女をある程度知っていた。

 景朗も小さく「そうする」とだけ返した。

 

「助けてあげないの?」

 

 自分を助けたように。丹生の眼は真剣だった。

 

「ダーシャは複数の外国の諜報機関に追われてる。元から暗部に居ないと"詰み"なんだ」

 

「そうじゃなくてッ」

 

「ダーリヤを助けるのはリスクが大きすぎる。色んな組織を敵に回すんだ、そのせいで自分たちに被害がでるなんて考えられない。俺にだって支えられる限界がある」

 

「そうだよねっ……そっ、かぁ」

 

 景朗も、しばし夜のとばりに耳を澄ませた。

 

 待ちかねたように、うるふまーん、と小さな子供が呼んでいる。

 丹生には聞こえていないようだ。

 

「もういこう、御飯さめちゃうぜ?」

 

「景朗みたいに食い意地はってるわけじゃない」

 

「うう、じゃあ何? どうすればいいの?」

 

 ぷいぷい、と丹生が手まねきする。

 近くに寄れと?

 

「ご……ご褒美、とか?」

 

 丹生は髪をサイドでまとめたしっぽみたいな短いテールをつまみ、それを筆の様にして、景朗の肩をくすぐった。

 

「ぇっ……?」

 

 なに、この距離感。さっき一瞬、えろいことしても良さそうな空気になったんだけど、その続きをしろと言ってるのだろうか、丹生さん。

 ご褒美って、俺にご褒美!?

 

 

 でも、部屋にダーシャがいるし。ち、ちがうよな?

 

 

 固まった景朗の勘違いを知って、丹生は赤くなって大いに否定した。

 

「もっ、物とか! 具体的なものなんてないけど、強いて言えば小物がいいな。たとえば……日常的に使う、っていうか、身に付けるっていうか、金属製の……?」

 

「あー、新しい水筒ね。変な水筒あつめてるもんな」

 

「はぁ?! ひどッ! あつめてねーよ! ぜんぶ気に入ってるのに! って違う! 水筒は違う!」

 

 一瞬、真顔で怒っていた。そうか、水筒はバカにしちゃいけないのか。

 

「違ったか。なぁ、やっぱ具体的に欲しいものがあるんならはっきりと」「水筒はダサいの買ってこられたら毎日それ持ってかなきゃならなくなるからNGなだけですっ!」

 

 ちょっとからかい過ぎただろうか。

 

「おーけーおーけーあれでしょ? 金属製で、小さくて、キラキラしてて……わかったから、はやくもどろ」

 

「やっりぃ! すんごい期待してますから」

 

 

 

 

 戻った景朗がスパゲティを配膳する間に、喧嘩の決着は付いてしまった。

 

 クソガキ! ヒンニウ! とお約束的なドタバタが発生し、丹生が対ダーリヤの為に練習した四の字固めが炸裂した。

 

 仕方なく、景朗がかわいいダーシャが観てみたいなぁ、と呟くと、ほんとうに仕方なさそうに、ダーリヤはやっと着せ替え人形に甘んじた。

 

「ダーリヤ、足が長いからやっぱサルエル似合うね!」

 

 股下がぽっこり伸びたデニムサルエルにパーカー姿で、ダーリヤは食卓に着いている。

 少女が「コアラの育児嚢みたい!」と喜んだので、それが決め手になった。

 

 丹生に育児嚢(いくじのう)ってなに? と聞かれたが、景朗も答えられなかった。

 ネットで調べたら、コアラにはカンガルーでいう子供を育てる袋がケツに下向きについてるそうである。ダーシャはケツに袋がついてることをあんなに喜んでたのか。流石である。

 

「うるふまん、明日こそうどんが食べたいわ」

 

「またぁ?」

 

 早速、丹生をシカトして、ダーリヤはもぐもぐとスパゲティを頬張っている。

 ダーリヤに飯をつくり始めて3日。気づいたのだが、このガキは口では嫌だ嫌だとなんでもかんでも食べたくないと文句を言う。

 が、いざ食わせてみるとあっけなくなんでも食べてしまうのである。

 スパイに育てられた、というだけはある。

 

 

「うどん好き過ぎじゃない?」

「明日もきていい? 新作カレーが完成したんだよね!」

 

「うどんはね、マーマと一緒に食べに行ってたから一番好きなのよ」

 

「ほ~ん」

 

 感化されやすい丹生は、性懲りもなくうるうると瞳を潤わせ「ダーシャ、カレーうどんって知ってる?」としつこく食い下がっている。

 

「ニウはダーシャって言わないで」

 

「ちぇー」

 

 唇を尖らす丹生に対し、ダーリヤは頑なである。

 

「あっ、"うるふまん"は特別だから……ダーシェンカって呼んでもいいわよ?」

 

「ダーシャじゃダメ?」

 

「いいわよ」

 

(俺のいう事だけは素直に聞いてくれるよな……食べ物以外は)

 

 偶にダーリヤはあだ名を変える様に催促してくるが、その割に丹生にはイジワルをする。

 

(そういえば俺だって小さい頃は、あだ名をコロコロ変えて友達と呼び合ってたっけ)

 

 意外なところに子供っぽさが残っていて、うっすらにやけてしまった。

 

 ただ、丹生は新メンバー(?)が加入したかのように扱っているが、ダーリヤをそう長く保護はできないことを自覚してくれているのだろうか。

 彼女をプラチナバーグに返す、と言ってあるし、その前に食蜂に火澄関連の記憶を消してもらって……それ以降は、どうしようか。

 ダーリヤは暗部の人間だ。丹生は接触を絶った方がいい。

 彼女もわかっているのだろうけれど。

 

 ……預かり続けることはできないが、猟犬部隊の立場を使って、できる範囲でダーリヤを援助してあげられたらいいな。消極的だが、景朗だってそう思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 才波徹兵(さいばてっぺい)は異能力"最高傑作(コンプリート)"を持っている。肉体強化系のこの能力は、学習能力を大幅に強化してくれる。格闘技・スポーツは言うに及ばず、勉学・専門技術などもあっという間に習得していく。

 二週間前、"蜂の巣"でCIAが雇った米国人傭兵をあっというまに鎮圧した男を、姐さんは超能力者だと看破した。それを聞かされたのは、1日でプロ級に鍛え上げたスナイピング技術を、衝槍弾頭(ショックランサー)という野暮な弾で台無しにしてくれたCIAを蔑すんでいたときだった。

 自分の直感は外れてはいなかった。相手が本当に超能力者だったのなら、どのみち無意味だっただろう。

 

 

「徹兵、お前ほんとにヘリ運転できんのかよ?」

 

 強能力者"分割移動(バイロケート)"の七分咲宗吾(しちぶさきそうご)は軽口を叩いたが、徹兵に向ける笑みは信頼を映し出していた。

 

「シミュレーターは完璧に仕上げただろ?」

 

 何ともないように返答する才波の、熟練ドライバーのようにワゴン車を"ココ"まで運転したハンドル捌きは、少なくとも本物だ

 

「ありがとう」

 

 注射を打たれた久留須獏弥(くるすばくや)は、注射痕をちり紙でぬぐってくれている、強能力者"引出移動(ドローポイント)"の牡丹要(ぼたんかなめ)に礼を言った。

 獏弥の腕には、この場で出来たもの以外の沢山の注射痕が残っていた。

 

「何度もごめんね」

 

「要さんが謝る必要ないよ」

 

 獏弥はうっすらとワゴン車の窓を開けて、ほのかにカレーの匂いが香るマンションを見上げた。

 この匂いって、平和を感じるよなぁ……と、今までの、そしてこれからの非日常から逃避するように、気分を落ちつけていく。

 

 注射したのは巷で"不死鳥の血"と呼ばれている、レベルが上がるという眉唾のドラックだ。

 噂を全て知っている訳ではないが、この"真紅の液体"は本物だ。

 

 獏弥は、集中力が異常なほど高まっていくのを実感する。

 それだけではない、筋力、持久力、視力、聴力、嗅覚、ほぼすべての身体能力が研ぎ澄まされていく……。

 何度も使ってきたので、経験則で知っている。この効果が半日ほど持続することを。

 

 獏弥は胸元に抱くプラスチックケースに意識を向ける。中には、宗吾たちが見つけて来たロシア帽が入っている。

 

 久留須獏弥の能力は、なんの変哲もないダウジングとサイコメトリーの間に位置する、"愛着探し(アタッチメント)"である。

 異能力のままでは探しきれなかった距離を、不死鳥の血が拡大してくれている。

 やっぱり、間違いない。この帽子の持ち主は、あのマンションにいる。

 ここしばらく、夜はあの家から動いていない。

 昼間はどこに行っているのかわからなくて焦っていたけど、今日、ようやく目的は達せられる。

 

 

「絃木、そいつは頼むぞ」

 

「わかってるよ」

 

 最後のメンバーである、絃木弓鵜巳(つるぎゆうみ)が、ここに来るまでに誘拐してきた能力者の様子を見ている。

 絃木は薬物を扱うのが得意で、攫ってきた能力者に投薬して意識を奪うと、その状態で彼女の能力"催眠能力(ヒュプノーシス)"で逃げ出さない様に処理をしてしまっている。

 

 あと一人、あのマンションにいる能力者を攫えば、ワゴン車メンバーのミッションは達成に近づく。

 仕掛けるタイミングは、姐さんからの合図。ひたすらに、それを待つ。

 

「超能力者って、ほんとかな?」

 

 不安そうに要が言った。

 

「信じられねえよな。でも、姐さんは『この街が馬鹿正直にレベルファイブの人数を公表するわけないでしょ』って言うし。てか、徹兵の言う強そうな男以外にも、まだいるって姐さんいってたよな? それじゃ7人じゃなくて9人じゃね?」

 

「アホ。姐さんを淹れたら10人だろ」

 

「そういやぁ、藍花ってのはホントにいるのかねぇ」

 

 絃木が発言すると、残りが一斉に次の言葉を待つように押し黙った。

 

「なんだよ、黙るなよ。……いやなに、もし、藍花ってのがフェイクなら、誰が第六位なんだろうね?」

 

 "第六位・藍花悦"には色んな噂がある。ひとつが、藍花悦と名乗る人物が多すぎて、結局、本物はいないのでは、という都市伝説だ。

 

「姐さんに一票……ま、んなことこれからどうでもよくなるけど、さ。おい獏、大丈夫か? 静かだけどよ」

 

「大丈夫。いい気分なんだ。って、おい、宗吾たちも今日は"使う"んだろ?」

 

「やべっ、そうじゃん、俺たちも急いで"打た"ねえとッ」

 

 不死鳥の血を手にする要に向かって、宗吾は言い放つ。

 そこで彼は、トリップしたように宙を眺める牡丹要の異常さに初めて気が付いた。

 

「要? どした?」

 

 その症状に心当たりがある獏弥は、ゆっくりと要の手から注射器と不死鳥の血を取って、宗吾に腕を出すように顎をしゃくった。

 

「最初にコレを打つとね、万能感でボーっとしちゃうんだ。あれでかなり要さんは集中してるよ。遠くの音とかが良く聞こえて、面白いんだよね……あっ、そっか」

 

 七分咲宗吾は、両手両足が義手義足である。

 戸惑う獏弥に、宗吾は不安そうに己の首を差し出した。

 

「姐さんの合図が来るかもしれない。はやくしろ」

 

 徹兵がイラつきを抑えた声で、そういった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……ほんとに、わかっているのかな?

 週末。日曜。丹生が景朗のところにまた遊びに来た。

 ダーリヤにカレーを作ると言って、食材をぶら下げている。

 

 彼女の首元には、景朗がプレゼントしたロザリオ(ガリウム特殊合金製)もぶら下っている。

 ニッコニコである。そいつを見せびらかしたいからって、連日、遊びに来ないでほしい。

 

 ……今日は、食材を買って来てしまっているので、仕方ない。

 けれど、このままズルズルとこんな関係を許してはダメだ。

 ……これで最後にしよう。丹生にそう言おうと景朗は決心した。

 

 

 

 そう、なのだ。実はまだ、ダーリヤ・イリイーニチナ・モギーリナヤこと欠損記録(ファントムメモリー)は、景朗の家にいる。

 

 プラチナバーグからも、スパークシグナルからも、木原数多からも音沙汰がなく、ダーリヤを預かってからなんと2週間も経過してしまった。

 

 【ほんとは全部解決してるけど、クソ木原が景朗に連絡を寄越すところで止めているだけの嫌がらせ説】を疑って、昨日、木原数多に喧嘩腰で通話をしてしまったのだが、盛大な罵り合いにハッテンしただけで、大した収穫もない。

 

 

 

 

 ぐつぐつと煮える寸胴鍋の前に、エプロンを着た丹生と、子供用エプロンを着させられたダーリヤが"仲悪く"並んでいる。

 

「ダーリヤ、味見」

 

「んぐ。……うぇっ~、ちょっと、これカラいわ」

 

 実のところダーリヤは、わりと、というか、なんでも食う。

 けれども、辛いといって渋る表情はほんもので、これは流石に食べられるか怪しい。

 

「えっマジ、しまった。これでも辛いかー、牛乳と……粉チーズを入れるしかないか」

 

 粉チーズ、粉チーズ、と丹生は袋を探したが、はたり、と動きが止まった。

 

「大変! 粉チーズがない!」

 

 くるりと振り向き、タブレットを弄っていた景朗に、聞こえているのに大声でなんども繰り返しなさる。

 

「大変! 粉チーズがありません!」

 

「はあ、そうですか。うちも粉チーズは買い置きしてません」

 

「大変! 粉チーズがありません!」

 

「……」

 

「大変! 粉チーズがないとダーリヤちゃんがご飯をッ」「わかった買って来る」

 

 やれやれ、と腰を上げた景朗を、丹生はものすごくうれしそうに見送った。

 

「ウルフマン、わたしも行くわ」

 

「ダメですー」

 

 着いてきたいと言う割にダーリヤは玄関内で立ち止まり、動かない。

 

「なんか欲しいのあんの?」

 

「"グレネード"買って来て」

 

「え…? グレ? マジ?」

 

「"グレネード"ならなんでもいいわ」

 

「そんなお手軽に……」

 

 ダーリヤは唇を軽く噛んで、最後までじーっと、景朗が靴を履き、ドアを開けるのを眺めていた。

 

(しっかし、なんであんなに丹生は楽しそうなんだろ?)

 

 

 

 

 アジトにしている第七学区のセーフハウス(マンション)からでて、近くのスーパーへと向かう。

 駐輪場を流し見すると、丹生に買ってあげた単車が目に入った。

 

(丹生、なんだかんだで乗ってくれてるみたいだな)

 

 ふふ、と口元をほころばせ、マンション上階のカレーの匂いを堪能したところで、ケータイにメッセージが入った。

 

 差出人は"結標淡希"。

 

 要件は、"悪魔憑き"に助けを願う、と。

 急行してほしいと、切羽づまった内容だ。

 

 

 

 景朗は、丹生に万全の警戒をするように連絡を入れ、結標の指定した地点へと急いだ。

 

 場所は、窓の無いビル。

 要件は。

 アレイスターに詫びを入れたいので協力してほしい、とのこと。

 

 "悪魔憑き"がもたらす、あまり外れることのない第六感が嫌な予感を告げていた。

 もうすこしで夕暮れだが、無事、晩飯が食べられるといいな、と彼は呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺からアレイスターにとりなして欲しい。

 そう自分に頼んでくれた以上、できるだけ力になってあげようと思っている。

 

 相手はあのアレイスターだ。不安に思うの気持ちは分かり過ぎる。

 ぶっちゃけ、俺だって彼女と同じ立場なら、ひとりでアレイスターの前に出ていくなんてチビりそうでとてもじゃないが正気じゃいられないだろう。

 

 元気づけてやるつもりで、景朗は結標さんとくり広げて来たいつもの恒例ネタを準備していくことにした。

 

 つまり、大能力者の美人巨乳女子高生という学園都市の最高位カーストに君臨するお姉さまの好みのタイプを推測する体当たりのコーナーである。

 

 といっても、大した準備はできない。

 家から買い物に行くつもりで出て来たので、今はジャージ姿である。

 

 前は、さわやかサッカー青年系で駄目だった。

 今日は……何か、ネタを考えてなかったっけ。

 ああそうだ。声変わり前の小学生男子でどうだろ。

 

 そうだな、元ネタは○ィーン少年合唱団、あたりで。

 ジャージじゃムリか……?

 ま、いいや、テキトウで。

 

 待ち合わせ場所。

 窓の無いビルのそばに待機していた結標さんは、今にも死にそうな顔をしていた。

 こんな時に不謹慎かと思ったが、想像以上に思いつめている様子だった。

 

「あなた……その格好は……なんてこと。す、ばら…………どうしてここまでおぞましいの」

 

 深い懊悩にでも焚かれているのか、結標さんは歯を食い縛っている。

 やはりアレイスターへの恐怖は凄まじかった、ということだろうか。

 心中察するところだ。彼女の表情は苦しみに満ちていた。

 悲壮感に溢れている。

 

「どうしてジャージなの? それじゃあ小柄な中学生に見えるじゃない」

 

「……? あ、ああ、そうかもしれませんね。んえ? なんだかその言い方だと小学生が良かったみたいな言い方に」「馬鹿なことを言わないで。相変わらずいつだってくだらないわね。Lv5の余裕という奴かしら。こんな時まで私をからかって楽しいわけ?」

「そんなつもりは……あれ、でも今までで一番必死じゃないですか? いや、たしかに今回ばかりは冗談が過ぎたかもしれませんね。反省します」

「ええ。反省しなさい。それじゃあ89点よ。ギリギリ届かない」

「89点? え、点数やたら高くないですか? ジャージじゃなかったら90点越えしてたみたいな?」 

 

 ……あれ?もしかして案外喜んでます?

 

「……あなたは、わたしを元気づけようとしてきてくれたわね。だから、今までのお礼に、あなたにご褒美をあげるわ」

 

 結標は儚く笑って懐中電灯に電気を付けた。

 

 景朗はその瞬間、結標に向かって口を開け、舌をカメレオンのように射出して反撃に討って出ていた。

 

 しかし。学園都市最高の空間移動はそれよりも早かった。

 

 景朗の視界は暗転する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 叫び声も上げられなかった。

 自分がどこに転移されたかわからない。ただ、わかっていることはひとつ。

 このままここにいれば、自分は消滅する。

 

 大電流、過剰な摩擦。熱と衝撃と圧力。

 躰の組織がガリガリと強引に削られ、"悪魔憑き"は今も急激に質量を失っていく。

 一刻も早くここから脱出できなければ、自分は擦り切れた消しゴムのように存在を失ってしまう。

 

 重力を感じろ。ここがどこだろうと、方向がわかる。

 躰を伸ばせ。できるだけ堅固に。

 躰を削ってくる現象は、まるで異物を排除しようとする生命の免疫構造のような、流動性に富んでいる。

 だからこそ、もっとも抵抗が弱い場所を探せ。

 そこへ向かう。

 たどり着いたら、もう一度同じことをする。

 抵抗が弱い方へ。弱い方へ。

 

 景朗は幾度かそれを繰り返し、すっかりと溜め込んでいた肉体の質量を放出し、ようやく、ようやく、解放された。

 

 

 優先的に再生させた眼球が、その場所が一体どこなのか知覚した。

 

 ここは、窓の無いビルの、内部だ。

 

 なぜなら、目の前に真っ直ぐ浮かぶ"もやし野郎"の姿がある。

 

 景朗はひっくり返っていた身体を起こすと、必死に守っていたケータイを躰の内側から掘り起こした。安堵する。ケータイは無事だ。丹生たちに連絡が取れる。

 

 ……いや、取れない。ここは窓の無いビル。外界とは情報が一切、遮断されている!

 

 

「あ、アレイスター、さん。ここから出してください!」

 

 アレイスターは目を瞑り、静かに瞑想している。景朗のことなど眼中にないのだ。

 

 

 

(考えろ、考えろ。結標はどうして俺を呼び出して、すぐさまここに放り込んだ?)

 

 結標は最初から俺を殺す気だった? しかし、なぜ。危険を犯してまで、どうして?

 彼女にそこまでの恨みを買っていたとは思えない。

 

(他に、心当たりは!?)

 

 現在の心当たりは、ダーリヤと食蜂のこと。

 珍しくなかなか犯人を捕まえられないスパークシグナル。

 そして、突然アレイスターを裏切り、ゆうゆうと逃げ回っている結標。

 

 なかなかつかまらない、スパークシグナルが追う犯人。

 誰にも捕まえられない、学園都市最高のテレポーター。

 

 たったそれだけ。ただの直感にすぎない。

 

 

(丹生に連絡を取らなきゃ! 今すぐ!)

 

「アレイスターさん、お願いです! ここから出してください、今すぐ、お願いします!!

 出してくれ! 出せ! 出せよ! 頼むッ! 出してくれええええええええええッ!」

 

 正気を失ったように叫んでいた景朗を止めたのは、突然鳴り出したケータイだった。

 

(急に電波が入った?!)

 

 丹生からの着信。疑問などどうでもよい。

 

「どうした、丹生!?」

 

『ダーリヤが居なくなっちゃった! 連れてかれた! 襲われたんだよ、ごめん、景朗、ごめん! 守れなかった!」

 

「謝らなくていい! 丹生は無事か? 大丈夫なのか??」

 

『大丈夫、アタシは大丈夫だよ。ダーリヤが突然目の前から消えて、爆弾が現れたの。テレポートみたいに。とっさに防御したから、どこもケガはしてないッ……んんぅ!』

 

 ガシャリ、と丹生のケータイから大きな金属音がする。

 

「なにしてんだ? 丹生?」

 

『追いかけてる! 黒いワゴンが、猛スピードで逃げてる! ダーリヤに付けてた発信機もいっしょに!』

 

 丹生はあの単車で追いかけているようだ。

 

「は?! やめろ、俺がすぐ行く、危ないことはするな!」

 

『しないよ! 追いかけるだけ!』

 

「いいか、絶対に切るなよ!」

 

『うん! 信じて待ってる!』

 

 景朗はケータイを握りしめ、アレイスターに今一度頭を下げた。

 

「アレイスターさん、ハウンドドッグの任務で預かっている少女を助けないといけません。どうかここから出してください! はやく、お願いします!」

 

 そこで初めて、アレイスターはやっと、重たい口を開いた。

 

『その必要はない』

 

「なぜですか?!」

 

『もう一度だけ言う。その必要はない。放置してよい』

 

 アレイスターの言う『その必要はない』という発言に、景朗は頭が真っ白になった。

 アレイスターは知っている。状況を把握している。その上で、景朗には何もしない事を望んでいる。

 

 スパークシグナルが既に出動していて、景朗が出ていく必要がないということか?

 それとも、他の部隊が敵の動きを待ち伏せていて、今、一斉に検挙に向かっているとでも?

 つまり、雨月景朗が何もしなくても、ダーリヤは無事に帰ってくるって状況だということか?

 

 

 

 

 アレイスターは、もう喋らない。彼は、三度は言わない。

 

 

「丹生……まだ追いかけてる?」

 

『うん、どうしたの。今どこ景朗!』

 

「丹生、もう追いかけなくていい。今すぐ戻って。安全な場所へ逃げるんだ」

 

『はぁ!? えッ、いやだよ!』

 

「丹生、他の部隊が動いてる。俺たちが追いかけなくていいんだ」

 

『他の部隊!? それ、ホント?』

 

 景朗は黙った。本当かどうか、わからない。景朗の希望的推測でしかない。

 

『本当に本当にホントなの?! かげろうッ、ねえっ!!』

 

「丹生、危険だから戻れ!」

 

『いっ、嫌だよ! やだ! あたし追いかけるッ! ダーリヤを追いかけるッ!』

 

「もどってくれ!」

 

『ふざけんなッ! 何言ってんの?!』

 

「もどれ! もどれ! いいからもどれ!」

 

『景朗ッ本気?! 本気なの、ねえ!?』

 

「本気だよッ」

 

『何言ってんだよっ! ばかっ! バカッ! 馬鹿ヤロウッ! いいよ、じゃああたしが助ける! 死ネ!』

 

「ふざけんな! 暗部の仕事に首をつっこむな、やめろ!」

 

『グスッ』

 

 ケータイからは、丹生が悔し泣きでうめく嗚咽が混じるようになっていた。

 

『ふざけんなよ! 助けろよ! ダーシャを助けに行きなさいよ! ばかげろう!』

 

 丹生は叫んだ。景朗がやめろといっても、もういう事を聞きそうにない。

 

『あたし、ダーシャの気持ちわかるよぉ、ほっとけないよ!』

 

 丹生は動かない景朗に対する歯がゆさで、怒りを迸らせる。

 

『暗部でひとりぼっちのところを景朗が助けてくれなかったら、あたし発狂してたよ! 景朗がいたから暗部にいても怖くなくなったからッ、でも、ダーシャはまだひとりでそこにいるんだよ! あの子はあたしよりも賢いんだからもっと怖がってる! わかるでしょう?! どうして助けてあげないの? ッ助けろよ! 助けて、あげてよッ!』

 

 知っている。そんなことは知っている。わかっている。

 景朗だって理解している。泣きたいのは彼も重々いっしょだった。

 

『ダーシャはあたしにダーリヤって呼べって! お前はダーシャって言うなって言ってくんだよ、景朗がいないときにっ。景朗だけが"特別"だって、あたしは馴れ馴れしいって。だからムカついて調べたんだ、それでわかったのっ! ロシアではね、家族や親友は特別な"愛称"でお互いを呼び合うんだって。ダーシャは景朗にダーシェンカだとかッ、もっと違うあだ名で呼んでいいよって何度も言ってたでしょ? あれはね、親とか兄弟でしか言わないような、家族じゃないと呼ばないような"特別"な愛称なんだって。だからダーシャは景朗のことッ!』

 

 興奮しすぎていた丹生は息が続かなくなって、そこで一度大きく息を吸った。

 

『景朗はダーシャが『ウルフマンは"特別"』っていってたことを軽く見てる!

 あの子は何度も"特別"って言ってたでしょッ、あれは本物だよ、ダーシャの一番の願いなんだよ!!

 景朗は一番の友達で、お兄さんで、お父さんみたいで、初恋の人で、現実に表れたヒーローそのものでッ、それがみぃんな全部いっしょになった"特別"だったんだよ! ダーシャは暗部の絶望を景朗に託したかったんだよ、でもそれが言えなかったのは、賢いから、景朗が拒絶するってわかってたから、きっと今まで言いだせなかったんだよッ!

 オマエがッ、言わせなくしてたんだよ! ひどいよ!

 

 聞いてるッ!? 景朗!?

 助けないならあたしが助けるぅッバカヤロウゥッうぇっぐ、しねっ……ぐしゅ!』

 

 

 

 景朗はまるで電話ごしの丹生から逃げるように、水槽の中の男に背を向けた。

 

 

 

 帰ったら、ダーリヤはもういない。

 

 二週間は長すぎた。

 

 禁輸措置にしたお菓子を、ダーシャが丹生を使って密輸したこともあったな。

 帰ってきたときに、うっすらとお菓子の臭いがして、探し回ったが見つけられなかった。

 翌日、自分の洗濯前のシャツについたお菓子の臭いに気づき、負けたと思った。

 俺自身は、俺の臭いに鈍感である。

 あいつはそれを利用し、前日に「うるふまんの服で寝ていい?」と猫をかぶって景朗のシャツを着服。

 お菓子の隠蔽に備えていたのだ。

 

 

 はは。もう、そんなイタズラとはお別れか。寂しい、かな。

 

 

 ……丹生、マジで黙れよ。

 

 助けないなんて、ありえるか?

 あのチビガキを助けないなんて、ありえるか?

 助けたいに決まっている。

 気が狂いそうなほどに!

 

 

 でも。

 ダーリヤを抱え込んで、彼女を取り巻くトラブルが原因で、火澄やクレア先生たちに飛び火したら?

 

 それは、今まで殺した人たちにすら顔向けできない事態だぜ。

 

 だって、俺はそれを唯一の目的として、殺人を決行しているんだぞ。

 

 

 あくまで、アレイスターの意志で殺人が行われている。

 自分の意欲ではない。それが、景朗がしがみついている免罪符なのだ。

 

 だから。

 

 助けることにリスクが大きすぎるダーシャの保護は、それを破り捨てる行為なのだ。

 

 

 

 ダーシャはトラブルを抱えている。CIAや結標、ロシアの諜報機関に狙われている。

 彼女を引き込めば、俺の大切な人たちに更なるリスクを負わせることになる。

 そもそも、"彼女たち"からリスク遠ざけるために殺してきたんだぞ!

 ダーシャを守るために殺してきた訳じゃない!

 

 ダーシャを助けたいさ! けれど。

 ここでダーシャを助けて、リスクを増やして、そのリスクのせいでもっと人を殺して、助けて……それで、その繰り返しは、永遠に続いていくんだろ?

 それじゃあこの地獄から抜け出せないんだよおおおおおおおおおおおおおおおお!!!

 

 背を向けたまま、景朗はアレイスターを憎む。

 

 

 お前のせいだ。

 いつまでやればいいんだよ。

 

 お前さえいなければ……。

 

 人は俺をお前の忠犬だって呼んでるぜ……。

 

 誰だよ……ぶっ殺してやるよ!

 

 

 コポコポと、水槽で泡が立つ。

 その音の積み重ねが、逼迫する時の経過を知らしめる。

 

 

 ああ、ああ。時間がない。

 リミットが迫っている。

 

 

 

 ダーシャを助けなかったら?

 そんなことは考えられない。

 そんなことは考えたくもない!

 

 

 うるふまん、うるふまん、って俺の後ろをついてくるクソガキ。

 もうここでお別れか? 寂しいな。寂しいよ。俺がこういうと、なんて白々しいことか。

 

 

 ……ダーシャを助けなかったら……。

 

 その次は、いったい誰を助けられなかったと、後悔するのかな……?

 

 

 

 ……。

 

 ……いや……違うぞ……この先……俺は……。

 

 もう……誰も……助けないのかもしれない……。

 

 ……そうだ……そうじゃないか……。

 

 これほどまでに情のわいたあのガキんちょをここで助けないのなら……。

 

 俺はこの先、誰にも手を差し伸べることはないだろ……?

 

 冷たい現実。それは誇張なんかじゃなくて。きっと、永遠に。

 

 

 そしたら。そうしたら。なんだ、流れている噂話は、実物と遜色ないじゃないか。

 誰も助けない、冷酷な殺人狂。

 アレイスターの猟犬そのものに、なってしまう。

 ……なる? それは違う。その言い方じゃあ、遠い未来に、やがてそうなってしまう、ってニュアンスだ。

 

 違う。そんなに遠い未来の話じゃない。

 

 むしろ、俺が"そうなる"かどうか、決まるのは、今この瞬間じゃないか?

 だって、そうだろ。

 たった今、このときから、未来永劫、誰も助けることはないと、俺自身が悟ったんだから。

 だったら。俺は既に……こいつの犬そのものに、成り果てている。

 

 

 

 なぜ、今まで気が付かなかったのか?

 雨月景朗がアレイスターの猟犬に成り果て堕ちるのは、遠い未来の話ではなく。

 

 それが決まるのは、この瞬間、この時の選択によるのだ。

 

 いいや。過去、悩み、苦悩し、"現在"を選択してきた、その瞬間ごとに決まってきたことなのだ。

 未来を決めるのは、現在の自分の意志なのだ。

 

 

 

 アレイスターの忠犬のまま終わるのは、死んでも御免だ。

 俺は散々、そう嘯いてきたじゃないか。

 その言葉に偽りはないか? 偽りなどない。

 文字通り、死んでも嫌だ。

 終われない。こいつの犬のままで、死にたくない。

 

 

(景朗にやりたいことがあるんなら、他人の目なんて気にしないで)

("不老不死"、あなたは、心を生かしなさい)

(働きたくない悪事なら、やめてしまえ!)

 

 

 うるっさいな。人に説教してんじゃねえよ。

 

 そもそも、そんなことはどうでもいいんだよ。

 ダーシャを助けたい。死ぬとか、未来とか、そんなことどうでもいいから。

 

 

 夜中に泣き出していたダーシャ。

 精一杯強がっていたダーシャ。

 

 

 なあ、ダーシャ。

 君のマーマは、君を愛してなかったから消えたのかな。

 でも、君はえらく攻撃的で、傲慢なほど不屈で、誰にでも負けん気を持って立ち向かっていく。

 嫌い嫌い食べたくない、と吠えながら、食わせたものは全部、行儀よく食べてしまう。

 

 俺は、君のお母さんが、君を愛してそういうふうに育てたんだと思ったよ。

 

 結局、俺は今まで、ひとりで死んでいくのが怖かったんだ。

 でも、君の中に、君のお母さんの愛情を見出して、思い直したよ。

 

 人って死んでしまっても、思っていたより、人に多くの物を残せるのかもしれない。

 

 だからさ。

 そんな君がこんなところでいなくなってしまうなんて。

 どうやら俺は、そんな結末は死んでも許せないようだ。

 

 アレイスターが他の部隊を動かしているかどうかなんて当てにできない。

 自分でオマエを助けないと気が済まない。

 

 ああ、さっさとダーシャを助けに行きたい! 一刻も早く!

 

 

「丹生ッ、まだ聞いてる?」

 

『きいてるよ!」

 

「そのまま食い付け、絶対逃がすな」

 

『うん、わかった、わかった!』

 

 

 

 

 

 逆さまに浮いている"もやし野郎"に、景朗はもう一度、頭を下げる。

 心などこもっていない。結標が、笑顔を殺して景朗をハメたように。

 

 暗部の流儀で、お前にあいさつをくれてやる。

 

 

「アレイスターさん、お願いです。どんな手段でも構いません、俺をここから出してください。死んでも構いません。どうかお願いします。お願いします」

 

 膝をつき、手を着いて、頭を垂れた。

 

 アレイスターの返答など、どうでもよかった。

 

 彼が無視をするなら、最後の"切り札"、あの炎を吐く狼の姿になって、力の限り暴れてやるつもりだった。命が続く限りに。

 

 

 

 ほんの少し、部屋に明るさが増した気がした。

 そう思った時、景朗の視界はここへ来た時と同じように、また暗転していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 窓の無いビルに入った時の様に、ご丁寧にもアレイスターは壁の中に景朗を埋めて放り出した。

 入った時ほどは体重は削られなかったが、都合2回の極死芸当を敢行させられた彼は、その辺を歩いている男子学生より、よほど躰が軽くなっていた。

 

「……う。きっつ。躰が軽い。能力が発揮できない。時間がねえってのに」

 

 どこかで蛋白質を大量に補給しなきゃならない。

 

「き、きみっ! 大丈夫かい!?」

 

 警備員のお兄さんが、血だるまで四肢欠損状態の景朗を見つけて、血相を変えて駆け寄ってくる。

 

「あー、いいですか、ちょっとこっちに」

 

「なんだい!?」

 

「おらっ」

 

 ぷしゅっ、と景朗は麻酔針を警備員に突き刺した。

 気の毒だったが、救急車を呼ばれでもしたらめんどうだった。

 

 景朗は物陰に警備員を引き摺り、服を奪って、駆け出した。

 ところで、すぐに立ち止まった。近くに食べ物の匂いがする。

 

 そばの路地裏に入る。どんどん走る。

 目的は、どでかいゴミ捨て場だ。

 そこには、ほっかほかのファストフードや残飯が廃棄されている。

 

 嫌な予感はあたるものだ。丹生のカレーを食べられるはずが、こんなものを大量に食う羽目になるとは。

 ダーシャの顔を思い出して、景朗は勢いよく残飯にかじりついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ってぇッ! コイツ、噛んでる! 放せ、放せ、放せやガキッ!」

 

 絃木はワゴン車の中で懸命に暴れるダーリヤに注射を打とうとするも、その行為を理解している少女は力の限りに抵抗を見せている。

 

 手伝え、と絃木は声を上げたかったが、他のメンバーはそれどころではない。

 ワゴン車の背後からは、全身銀色の甲冑をキメたイカれライダーが、クラッシュ上等とばかりにフルスロットルで追跡してきている。

 だから、運転手の才波と怯えている久留須以外、つまり力を貸してくれそうな武闘派の2人は、サンルーフから顔を出しっぱなしだった。甲冑ライダーへライフルを向けて、かれこれ数分は撃ち続けているのだ。

 

「クソ、かってえ! あいつレベル高けぇぞ!」

 

「ヘリまでもてばいい!」

 

 宗吾のグチに、徹兵が返す。

 一心不乱に撃ち続けていた要も、さじを投げつつあった。

 

「だめ! 頭に当ててもバイクにあてても効いて無い。全体を覆ってる!」

 

「徹甲弾でもだめか、なら、ヘリに乗ってる口径のデカいやつを使うか……獏、そこに曳光弾とかスタンシェルがあるだろ。RPGじゃねえけど、物理がダメなら電気や炎だッ」

 

「ねぇ、なんか臭くないッ?」

 

 押し黙っていた獏弥がようやく大声を出した。

 

「おいっ、ウッソだろコイツっ!」

 

 暴れつづけたダーリヤだったが、そうそう体力がもつものではない。

 ぐったりとしたスキを見計らって絃木が注射の準備をしていたところだった。

 

 絃木は己の膝から下が、ぐっしょりと濡れていることにやっと気が付いた。

 ダーリヤはおもいっきり小便を漏らしている。

 

「ばーか!」

 

「ふざけやがって!」

 

 激昂した女子高生は、年齢差を気にもかけず、腕力にモノを言わせて童女を殴りつけた。

 顔面を、腹部を、何度も、何度も、何度も。

 

 他のメンバーは緊急事態ということもあって、あえて彼女の蛮行を止めることもできなかった。

 直にぐったりしたダーリヤは、何も言わなくなった。

 ところが。暴力が落ち着いたところで、殴っていた方の絃木も急に意識を失ったようにシートに倒れ込んでしまた。

 

「絃木っ、どうしたの?」

 

 動きを止めた姿を不審に思い、要は様子を探った。

 絃木の手首に、見慣れぬバンドが巻いてある。

 それは、ついさっきまで暴れていた少女がつけていたものだ。

 スタンガンの小型版か?

 

「隔し道具! やってくれるね!」

 

 要はライフルのストックで、今一度ダーリヤの額を打った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ君っ、何をしてるんですかっ」

 

 ゴミ捨て場で大食い選手権の居残り練習でもしてるかのごとく、血相を変えて残飯を書き込む青年を呼び止めたのは月詠小萌だった。

 

 幾人かがチラチラと気の毒そうに景朗の様子を覗いている事は知っていたが、気にかけている暇などなかった。

 

「ほっとけよ!」

 

 いっそ眠らせてやろうかと思っていたが、今にも泣きそうでこちらに飛びかかって来そうな小萌先生が相手だと、どうしてか暴挙に出られない。

 

「そんなものを食べたら病気になっちゃいますよ。ほら、こっちを向いて。わたし、女の子を探してるんです。結標ちゃん、っていうんですが。この辺で見たって人伝に聴いて、よかったら彼女といっしょに君も晩ご飯を」

 

 それがどうしたと言わんばかりに、いい加減に煩わしくなってふり向きざまに月詠小萌を睨みつけた。

 雷に打たれた様に先生は凍りつき、息を止めてしまった。

 まるで、痛みで肺が動かなくなってしまったかのように。

 

 今は先生に構っている暇はない。

 次は水。食べ物はあらかた食べた。水が大量に欲しい。

 

 景朗は耳を澄まし、水の流れる音を探した。

 小萌先生を無視して、すすす、と消火栓を見つけして。

 ガキン、と蹴り飛ばした。大量の水が流れ出してくる。

 

「こ、こらっ、何をしてるんですかッ! あ、あああっ、こらっ!」

 

 景朗は手のひらでがしっ、と小萌先生の顔を掴み、眼を塞いだ。

 そして。大口をあけて、大量の水を飲みほしていく。

 

「なっなにを、してるんですか??」

 

 無視。無視だ。月詠小萌は無視。

 くそ、丹生も電話に出れないのか、先ほどから応答してくれない。

 急がないとマズイが、ダーリヤの位置がわからない。

 

 ……そうか、虫だ!

 

 ダーリヤが何度も握りしめようとしていた、スズメバチもどきの凶悪な羽虫を、景朗は大急ぎで大量に羽化させ、背中から群れを解き放った。

 

「わわわっ、なにごとですか?! って、あれ?」

 

 ぱっと青年が手を放した。きょろきょろと周りを確かめたが、小萌の眼にはもう誰も映ってはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 体表に光学迷彩をほどこし、景朗は目の前のビルを駆けのぼった。

 ばら撒いた沢山の羽虫たちはダーリヤの臭いを記憶している。

 彼らが目標を探し当ててくれるのを祈るしかない。

 

 ……耳を、澄ます。

 

 遠くから、ブンブンブン、と特徴的な羽音。

 飛翔とはまた違う独特の、合図として教えた羽音だった。

 

 子分たちがダーリヤを見つけたようだ。

 

 景朗は大鳳に姿を変え、一直線に向かっていく。

 途中で彼自身も見つけた臭いの正体に気づいて、思わず歓声を上げていた。

 

「ハッハハハ、賢イナ、アイツ! 小便ノ臭イハ分カリヤスイゼ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 脱出用のヘリコプターの隠し場所は目前だった。

 姐さんたちと準備した、最新鋭とは言えないが現行の輸送機だ。

 

「ヘリにもう着く、ガキ2人を詰め込むのに時間がいるッ。時間を稼げ宗吾!」

 

「ああくそ、やってやる!」

 

 徹兵の頼みに、宗吾は吠えた。

 

「あのビルを覚えろ、あそこの屋上でオマエを拾う。とにかく勝てなきゃ時間を稼いであそこに来い!」

 

「マジで頼むぜ!」

 

「足元に牽引ロープあるだろ? フック付きのやつだ、アイツを引っけて飛ばせッ、電柱とかガードレールとか使ってえ!」

 

「やるって!」

 

 血相を変えて、宗吾はシート下のガラ袋からワイヤーを引っ張りだした。

 

「大丈夫、やれる?」

 

「うるせー話しかけんな。あそこにかけて、あっちと、俺は飛んで。――よッしゃ」

 

「気を付けてッ」

 

 獏弥と要に見守られていたが、宗吾には愛想笑いを返す余裕すらなかった。

 徹兵が上手くワゴン車の背後正面に銀ピカライダーを誘った、そのチャンスを狙った。

 

 改めて考えれば、100km以上速度が乗った中での綱渡り。曲芸だった。

 それでも、不死鳥の血がもたらしていた極度の集中力が、それを可能にした。

 

 追跡者も達者だった。

 宗吾が投げつけたワイヤーを躱してみせた。だが、躱した時点で、意識をワイヤーから手放している。

 

 今こそ能力を使う。分割移動(バイロケート)を。

 宗吾のグローブ型の義手の中に内臓されている、もう一対の腕。

 テレポートで姿を現した左右のチューブアームが空中に出現し、ワイヤーの両端の片方をバイクに、反対側を道路側のレールに引っ掛ける。

 狙い通りに、ワイヤーはポールに引っかかる。

 

「ああッ!? ぁぁあああああああああああああああ!!}

 

 ライダーが大声を上げた。無理もない。バイクはポールを支点にして、スリップして急角度。

 それまでの推進力に比する過激な向心力が発生し、突発的な円運動へと発展したからだ。

 

 

 丹生多気美はバイクごと道路の外へと向かって跳ね上がった。

 

 

 死が間近に迫って、時間がゆったりと流れていく。

 不死鳥の血のおかげだろうか。

 

 ――――そう、七分咲宗吾が奇跡の芸当をやり遂げられたように。

 丹生とて景朗の血を服用しているのだから、対抗できないわけではない。

 

 とっさにバイクから液体金属の鎧を分断し、防御姿勢を取る。

 体中からハリネズミのように銀色のかぎづめを伸ばし、どこでもいいから引っかけて威力を削る。

 

「ぅぐッ」

 

 最優先で頭を守った。ゆえに背中から落ちたので、凶悪な打撲の衝撃がそこにはある。

 だが、大丈夫。痛い。痛いけど、これは痛いだけですむやつだ。

 

 弾けるように起きる。標的を急ぎ確認する。ワゴン車が走り去ってしまう。

 カィィン、と金属音がして丹生の肩を銃弾が弾けていった。

 逃げていく方向とは別からの攻撃。

 グローブを付けた少年がアサルトライフルを構えている。

 見たところ相手は1人。足止めする気だ。

 

 

 "水銀装甲(シルバーメイル)"は大能力相当の出力なのだ。

 銃弾なんか怖くない。ダーシャを見失うほうが怖い。

 足止め役になど目もくれず、丹生はワゴン車へと走り出した。

 

 流動する金属の動きを応用して、大地を凶悪な力で蹴って駆ける。

 

 

 

 しかし、もともと強能力だった"分割移動(バイロケート)"も、現在は大能力並みの力を出している。

 宗吾は腕部のテレポートを器用に繰り返し、信号や照明柱をとっかかりにターザンの綱渡りのごとく自らの肉体を空中で運ぶ。

 そのまま勢いを殺さず、雄たけびをあげて丹生の背後から飛びかかった。

 

「うおおおおおおおおおおおおおああああッ!」

 

 仲間を追わせやしない。その粋は良く、また注意を引き付ける意図もあったのだろう。

 しかし結果的に、宗吾の上げた大声は攻撃の好機を逃した。

 丹生が接近に気づいて反撃を見舞ったのだ。

 

 流銀の甲冑が振るう腕に追従し、銀の鎧は溶け出して長槍となった。

 

 大きく、そして鈍い金属音。

 

 薙ぎ払われた槍が宗吾の左足に直撃していた。

 

「くっそがあああ! 逃げるな! 来い!」

 

 

 手早く左足の破損状況をモニターする。底部についていたセンサー類は完全に故障した。

 駆動系への被害はすくないが、右足よりはるかに動きが悪い。

 

 

 一方、丹生はとっさに槍を振るったものの、相手の足を壊してしまったかと一瞬ためらい、続いて響いた金属音に中身が機械の類だと気づき、警戒を強めた。

 あれは武器も同然だ。防御により一層の集中を。

 

 

「うおらあっ!」

 

 宗吾は全霊で腕を振りかぶった。相手の肉体に直接届くようバイロケートさせて拳を放つ。

 甲冑野郎、いや、胸部装甲にふくらみがあるので甲冑女騎士か。どちらでもいい。

 相手がどこのだれだろうと、自分たちに余裕はない。

 

「ぐぶッ」

 

 丹生は腹部に衝撃をうけ、のけぞった。

 とてつもなく痛い。けれど、皮膚に張り付くように覆っている銀膜がガードの役に立った。

 

 

「らあっ!」

 

 悔しそうに叫び、宗吾はもう一度拳を放つ。貫通させたはずなのに、相手は能力で防いでしまった。しかし、ダメージは入っている。殴り続けて、時間を稼ぐ。

 蹴りを放ちたかったが、左足は壊れかけている。これ以上、脚部にダメージを蓄積させて走れなくなったらお終いだ。

 

 

「ぎっ! ぐぅっ!」

 

 続けざまに2発の衝撃を受けて、丹生は呻き続けた。

 

 確かに効いている。甲冑女は足を止めている。

 時間を与えるな押し切れ、とばかりに宗吾はラッシュを迫る。

 

 

「ぅぐ! ぐぐ!」

 

 悲鳴が心地よい。

 

 しかし。

 もう2発、左右の拳を放ったところで、宗吾のパワーアシストグローブにエラーが発生した。

 破損の警告がでて、そして、あっけなく、システムダウン。

 

「な、なんだ!? なにしやがった!」

 

 急ぎ甲冑女から距離を取って、腕を注視する。ビキビキメキメキとパワーアシストツールが音を立てて壊れていく。

 同じく、内臓されているほうの触手チューブアームにも違和感が発生する。

 ――腕の中で何かが蠢いている?!

 

「うおあっ、ざッけんな!」

 

 宗吾は慌ててパワーアシストグローブをパージした。両手からグローブを外したので、テンタクルアームが露出する。よかった、内臓アームは無事だ。

 

 ぎしり、と歯を軋ませる。

 彼は何をされたのか理解した。

 

 

 甲冑女は液体金属を操る。

 宗吾が殴った時に、彼女はグローブに少量の液体金属を忍ばせ、パーツの隙間から沁みこませて破壊したのだ。

 

 

 

 丹生は2発目のパンチを貰った段階で、"分割移動"のからくりに気が付いていた。

 奇妙な能力だが、あれはテレポートだった。あんなテレポートがあるのかと驚いた。

 

 だが、相手の手脚が機械だとわかれば、こっちのものだ。

 景朗と暗部時代に練習したとっておきの攻略法があった。

 精密機械に液体金属を浸透させ、一気に膨張させて内部から破壊する攻撃手段だ。

 

 

 続けざまにパンチをワザとくらって、ダメージを大げさに受ける。

 相手が詰めてきたら、こちらが罠を仕掛ける。

 

 そしてそれは無事に成功した。

 帰ったら景朗にキスしたい。

 

 

 さあ、テレポート野郎は腕と脚を壊されて動揺している。

 ワゴン車はもう見えなくなっている。

 この相手を捕まえて吐かせるか。

 

 

 丹生が更に仕掛けようと機を図ったところで、唐突に相手の少年が踵を返した。

 一目散に逃げ出したのだ。

 

 果敢に少年を追いかけ走る丹生は、ヘリコプターの飛翔音が近づいてきて、焦る。

 やつらは飛んで逃げる気だ。

 

 そこでハッと気づいて青ざめる。

 景朗から連絡が着ていたじゃないか。

 わかってはいたが、しかし、追跡と戦闘のさなか、余裕はなかった。

 しかしそれでも、応答を第一に優先すべきだったのに。

 

 とにかく、最後に届いたメッセージを見る。

 ()()()()

 そこにそう書いてあって。

 丹生は泣きそうになって息を漏らした。これで何とかなる、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テレポート少年はすぐ近くのビルへ入り、上へ上へと逃げていく。

 丹生も後をついていくが、移動速度ではテレポーターに迫るので精いっぱいだった。

 

 

 屋上にでたところで、ちょうどヘリに乗り込む少年を目撃した。

 ヘリの側面には銃座がついていて、そこにポジショニングしていた女の子が強い眼差しを送ってくる。

 口径の大きなガトリング。人間が制御できる携行武器の威力を遥かに超えている。

 丹生の能力でも衝撃を完全に殺しきれるか自信はない。

 今までに受けたことが無い攻撃だった。

 

 まずい。とっさに飛び跳ねたが、屋上のコンクリート材ぐらいでは弾丸は突き破って襲って来る。

 丸裸も同然だった。

 

 

 GYEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!

 

 空気を引き裂く2種類の音。

 一つは発砲音。そしてもう一つは。

 

 

 弾丸の衝撃が来る前に、丹生の身体は巨大な生き物に包まれていた。

 

 間一髪まにあった景朗が、彼女の盾になったのだ。

 

 

 

「景朗、よかった、よかった!」

 

「ケガシテネエナ?! タマクラッテネエナ?!」

 

 景朗は巨大な翼竜にも似た姿で丹生の身体を見回し、さすりあげた。

 緊急事態でお互いに照れはなかった。

 

「ケガはしてないと思う」

 

「良カッタ、無事ダ」

 

 ガトリングでの銃撃を続けたままヘリは高度を上げて逃げていく。

 ダーシャを乗せたままに。

 

 

「オマエハココニイロ!」

 

「行く! 乗せて!」

 

 景朗と丹生は見つめ合った。

 いつもなら彼女を戦いに巻き込みはしなかっただろう。

 

 だが、今の景朗は、質量が足りない。利用できる肉体が小さい。

 

 

 距離が離れすぎて、ヘリはとうとう銃撃を止めた。

 

 景朗は丹生が跨りやすいように巨体を伏せた。

 万が一の事態が起きそうになれば、身を挺す覚悟だった。

 

 1人と1匹は飛び立った。

 甲冑女騎士と翼竜。

 女竜騎士(ドラグーン)だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう撃つな要! 撃つなッ! 下の奴らにあたる!」

 

 撤兵の制止で獏弥は飛び掛かって、興奮とパニックで撃ち続ける要を抑えつけた。

 戦いの緊張のせいか、要はヘッドセットをつけ忘れている。

 これではヘリのエンジン音で仲間同士の会話すら聞こえない。

 

 猛る要にヘッドセットを付け、獏弥は跳弾や流れ弾で被害がでることを叱りつけた。

 要は石のように固まっている。

 

 

 獏弥はほっと胸をなでおろして、機内を見渡した。

 さらってきた少年と少女。少女は抵抗をあきらめたが、まだ意識がある。

 目があうと、この世すべてを睨みつけるような苛烈な敵意で獏弥に唾を吐きつけてきた。

 

 

 姐さんが絃木を雇った理由がよくわかる。催眠能力(ヒュプノーシス)でも使わなければ、この少女は自分たちに協力などしないだろう。

 

 追っ手を撒いたからか、絃木は再び薬品を取り出して少女への投薬を準備し始めている。

 宗吾は壊れかけた脚のメンテに必死だ。

 絃木を手伝おうかと獏弥が向き直ったその時だった。

 

 チカッと目に光が差した。

 寒気がして、獏弥は双眼鏡を取り出し、のぞく。

 

「敵だ! さっきのヤツがまだいる! 撤兵、みんな、敵だ!」

 

 

「ふざけんなよ! 超能力者ぅ!」

 

 注射器を握ったままの絃木が激高して叫んだ。

 

 

 

 

 

 第五学区でヘリに乗り換え、すでに第四学区の上空を通過している。

 

 信じられないことにヘリの後ろからは、得体のしれない飛行生物に乗った甲冑女が執拗に追いすがってくる。

 

 

 撤兵はなぜ相手が仕掛けてこないのか訝しんだ。

 もしや自分たちが撃つのを止めたのと同じ理由か?

 ここはまだ第四学区。食品関連のオフィスや工場が立ち並び、地上には人の群れがある。

 こんなとこでドンパチをしたら、無関係な人たちが血を流す。

 

 

 

 ……だが、最終目的地である第十九学区は、学園都市で最も寂れた学区だ。

 古い町並み。背の高い建物は少ない。人も少ない。

 だとしたらアイツラは必ずそこで仕掛けてくるだろう。

 

 ならば。ならば。……ならば。

 ミラーで仲間たちを見る。

 壊れた手足の撤兵。泣きそうな要。覚悟を決めた獏。

 ここで敵に捕まれば、仲間は死ぬより悲惨な目に遇う。

 撤兵は自分の良心を殺さなければと思った。

 

 第四学区にいる間に追跡者を撒かなければならない。

 

 

 操縦桿を握り、ヘリコプターの高度を下げた。

 

 オフィス街の中へ入り、ビルとビルの間を飛ぶ。真下には通行人がいる。何事かと見上げている。

 

 

「獏。ヘリにほんの少し角度をつける。アイツラを撃て」

 

「え?」

 

 獏弥も硬直した。先程撃つのをやめたじゃないか。相手だって。

 そこで獏弥も、撤兵の懸念に気が付いたようだ。

 

「やめろ。相手も撃ってねえ!」

 

「そうだよ!」

 

 恐れおののくテレポーター2人を見て。四肢の壊れかけた宗吾を見て。

 獏弥は唇を噛み切り、銃座についた。

 

「やめろ、獏! 下に人がいるだろぉが!」

 

「いいから撃てッ!」

 

 冷酷な相貌の撤兵が、ハンドガンを宗吾に向けていた。

 

「てめぇ!」

 

「殺すぞ! わかってんのか? ここで捕まったら死んだほうがましなメにあわされるんだぞ! 俺たち全員がだ! やりきるしかないんだ!」

 

 上体を起こした宗吾に、なおも撤兵は拳銃を突き付けた。彼が足を狙って撃とうとした、その時。

 

「獏、撃って。私がリロードする」

 

 要が銃座のそばについた。宗吾もあきらめたように唇をかんだ。

 

 

 そして、被害の省みられない銃撃が始まった。

 

 

「絃木ッ。宗吾の手が壊れた以上、そのガキには催眠をかけて走らせる! 今から能力を使っておけ、早くしろ!」

 

「わぁったよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「景朗、追いつけないのッ?」

 

 歯痒そうに叫ぶ丹生に、景朗は何も言い返せない。

 

 第四学区、上空。地上には人がわんさか歩いている。

 

 ここでは攻撃を仕掛けたくなかった。

 追いつければいいのだが、相手は最新鋭ではないものの現行の学園都市性ヘリコプターである。

 最高速は時速300kmを超える。

 一方で、空を飛ぶ鳥の最高速は、ツバメがやっと時速170kmをマークする程度。

 飛行性能にそもそもの絶対的な壁がある。

 とはいえ、躰に燃料をたっぷり積んだ状態ならば十分に手は打てた。

 しかしながら、今の景朗はカラッカラのガス欠状態だった。

 

 懸命にチャンスを待ち続けていた景朗だったが、前方からマズルフラッシュが煌めきだして、さらなる覚悟を決めなくてはならなくなった。

 

「わっ」

 

 相手がしびれを切らして銃撃を再開してしまった。

 

 丹生をもっとお尻のほうに移動させる。

 景朗はのけぞるように躰に角度をつけて、発射された弾丸をすべて躰で受け止める。

 下には落とさない。

 自分はアレイスターの犬じゃない。誰に認められなくても、行動で示す。

 此れは俺の私闘だ。絶対に誰も死なせない。

 

 

 ヘリは銃撃のために機体をわずかに横に向けている。

 暴れているダーシャの姿を、景朗の卓越した視力がとらえた。

 

 

 

 

 

 その瞬間。肉体系超能力者の真価が発揮された。

 

 翼竜は吸い込んでいた空気を吐き出し、威力を抑えに抑えた空気砲を放った。

 それはヘリに命中し、大きく揺らす。

 

 

「わあああああああああああああああああああああああああああああああっ」

 

 

 ヘリ内で固定されていなかったダーシャが、見事に青空に投げ出される。

 

 

 

 景朗は高度を下げて急加速した。

 

 間に合う。間に合わせる。

 

 

「うっ、うるふまん!」

 

 

 景朗の頭に、ダーシャのお尻が乗った。

 

「うづふまぁん!」

 

「ダーシャ!」

 

 丹生が手を伸ばす。

 しかし邂逅はわずかの間だった。忽然とダーシャの姿が消えた。

 

 大能力級に底上げされた"引出移動(ドローポイント)"が、少女を再びさらっていた。

 

 やはり、ヘリをなんとかしなければ。

 

 

「景朗ッ!」

 

 丹生が叫ぶ。

 ヘリに乗り込ませろと言いたいのだろう。

 不思議なもので、言葉を交わさずとも景朗は察していた。

 

 

 

 

 

 

 迷う。丹生の能力を信じるか?

 

 

 

 夕暮れが始まっている。

 相手も、明かりのついていない窓を狙ってはいるようだが、これ以上はもうやらせない。

 

 ……だが、景朗の肉体は限界に差し迫っている。

 物資が圧倒的に足りていない。

 残飯と水だけでここまできた。

 持ってくれ。

 あの"切り札"を出すことを考えたが、現在のコンディションで意識を保てるか確信がもてなかった。

 

 

 とうとう、時間切れになった。

 ヘリの銃座が、今度はビルの窓ガラスを銃撃し始めたのだ。

 

 あの高さで、あれだけの量のガラスが降り注げば、死人が出る。

 

「ニウ!」

 

 景朗は吠えて、丹生をヘリ目掛けて放った。

 彼女は銀色の鎧で、しっかりとヘリの後部に取りついた。

 

 "それ"を聴覚だけで把握しつつ、景朗は翼を広げてガラスをすべて身に受ける。

 

 破片を受け止めると、今一度、銃撃の嵐に自ら躰を差し出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘリの後部に取りついた丹生に向けて、宗吾と要はライフルを手に取り、銃弾を叩き込んでいた。

 だが、弾ける。甲冑には通用しない。

 

 撤兵が叫ぶ。

 

「テーザー銃を使え! レーザーでもいい、溶接機でもいい、熱と電気だ!」

 

 宗吾がスマートライフルのスイッチを切り替えた。

 銃弾に多量の静電気を込めて発射する、VOLTモードへ。

 

「ぎいううッ!」

 

 銃弾は効かずとも、電流による激しい痛みが丹生の動きを縛ってしまった。

 

「撃ち続けろ!」

 

 要も静電気弾に切り替えて射撃する。

 あと少しのところだったが、丹生はたまらずヘリのテール部分へと後退し、身を隠した。

 

 

「絃木! 終わったか?」

 

 撤兵の催促に、絃木は目を血走らせて怒鳴った。

 

「ムチャ言うな! この揺れで注射が打てっかよ!」

 

 

 ヘリはめちゃくちゃに揺れている。投薬に使う薬品の種類も分量も、目分量だ。

 それでもかまうものかと、彼女は投げやりだった。

 

 戦闘の余波とダーリヤの抵抗で、注射器は2つも駄目にしてしまっている。

 最後の三つ目だが、こうなればどこでもいいから刺してしまったほうがいいのか。

 

 少女に近づく。ヘロヘロの抵抗だ。揺れで手元はガクガクだが、もう知ったことか。

 絃木がダーシャに迫った、まさにその時だった。

 

 怪物の咆哮が轟いた。ヘリのエンジン音に掻き消されぬほどの、エールだった。

 

「ヘッドバットォ! ダーシェンカアアアアアアアアアア!!」

 

 ギラリと憎らしい目つきが光った。ダーシャは力を振り絞ってジャンプした。

 硬いオデコが、絃木の顔面にクリティカルヒットした。

 

「ごッガァッ!」

 

 絃木は大量の鼻血が噴き出してよろけた。

 しかし。注射器はダーリヤの首に突き刺さっていた。

 

 

 

 

 

 

 タイミングは重なった。

 ヘリは、オフィス街をちょうど抜けたところだった。

 その先は第十九学区。

 人はいない。寂れた工場跡。

 

 

(もういい。持ってくれよ俺の躰!)

 

「ローターヲ斬レエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!!!!」

 

 景朗の渾身の叫びに、丹生も全霊で応えた。

 液体金属の流動カッター。

 これだって、景朗と一緒に練習して磨き上げた技だ。

 

 白銀の刃は、ヘリコプターのローターを見事に切断した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘリは火花と回転を加速させ、墜落する。

 

 大地に衝撃を与える前に、ところどころから血しぶきを噴き上げる巨大で透明なシルエットが、機体の真下に取りついていた。

 

 土埃が舞う。

 

 

 

 9月14日。

 結標淡希の一味として反乱に加担した5人のメンバーは、墜落したヘリの中で全員が無事に目を覚ました。

 不思議なことに、いつのまにかヘリの中には"残飯の香りがする粘つく綿"が充満していて、それが衝撃を受け止めてくれたらしい。

 

 

 

 虫の羽音で意識を覚醒させた撤兵は、ハンドガンを手に取ってつぶれた機体から這い出した。

 なんとかそこまで移動はできたが、気が付くと血まみれの青年が目の前にいて、大した抵抗もできずに殴られて気絶した。

 

 

 

 

 

 

「ダーシャ、おい、ダーシャ!」

 

 ダーシャの意識は朦朧としていた。

 呼吸がおかしい。明らかに異常だった。

 

 景朗は細い神経の触手をダーリヤの首につないで、彼女の反応を確かめる。

 かなり危険な状態だった。

 薬物の成分が、脳にダメージを与えてる。

 

 景朗はどんなケガに対しても、自前の能力で応急手当を施す自信はある。

 だが、たったひとつのウィークポイント。脳みそには打てる手が限られている。

 

 丹生が茫然としてダーシャのそばに座っている。

 誘拐犯たちは5人とも羽虫の毒で意識を奪っている。

 

 景朗はヘリの中から薬品の詰まったケースを取り出し、絃木という女を引っ張り出し、解毒してたたき起こした。

 

「おい、起きろ。起きろ!」

 

「……あ?」

 

「この子に何を注射した?」

 

「……知らねえ」

 

「死ぬか?!」

 

「あぅっぐ! ああああああああああああああ! 本当だッわからねえんだッ手元がブレてどれを注射したかわかんねえんだッああああああああああああ!!」

 

 景朗の触手が絃木の神経を直接締め付けると、彼女は穴という穴から汁を出して泣き叫んだ。

 わからないのは真実らしい。

 

「くっそがあああああああああああ! 俺はなにやってんだ!」

 

 どれかはわからないが、薬は手元にあるのだ。

 じゃあ、全部試せばいい話ではないか!

 何十とある種類のそれらを、血まみれの青年は躊躇いなく飲み込んでみせた。

 

 

「かげろうっ?」

 

 鼻水を垂らす丹生の目の前で、景朗の眼球が血走った。

 リソースが少ないギリギリの躰だが、体当たりでどれがダーシャに入ったのか探してやる。見つけてやる。まってろ。待ってろ。待ってろ!

 

 

 脳を酷使した疲れか、呻くように、手を着いて。

 景朗はよだれを垂らして微笑むと、ダーシャのおでこを撫でさすった。

 

「……ぁぅ。……うるふまん?」

 

 戦闘の後だが、知ったことではなかった。

 そこには、素顔でにっこりとほほ笑む雨月景朗が、ダーシャを迎えていた。

 

「気分はどうだ?」

 

「痛い……」

 

「ほら、これでどう?」

 

「んぅ……あれ、痛くないわ」

 

 ダーシャは寝転がったままで、景朗を見た。

 

「うるふまん……わたし……これからどうなるの……?」

 

「心配するな。今は眠っていいよ」

 

「うん……」

 

「よかったぁ」

 

 安堵した丹生は、ダーシャの顔をハンカチで拭っている。

 

 唐突に、すくっと立ち上がると、景朗は丹生とダーシャの前に立ちふさがった。

 

 スパークシグナルの班長、クリムゾン01が、息を切らせて飛び込んできた。

 

 相手に敵対する意思が無いことを見て取っても、景朗はその場を動かなかった。

 一方で、クリムゾン01は素顔の景朗を前にして黙ってしまった。

 改めて、嫌な臭いのする男だと景朗は思ったが、そんなことは今、関係ない。

 

「何の御用ですか?」

 

「……あれだけ騒動を起こしておいて、か? こちらで尻ぬぐいをしているんだ、少しは協力してほしい」

 

 事態を把握したいのはどちらも同じだった。ここは情報を共有するべきだろう。

 

「こちらを襲ったメンバーは全員、そこで眠らせてある」

 

「ああ。途中から拝見させてもらっていたよ。……噂とはずいぶん違う戦いぶりだったな」

 

 クリムゾン01は、まるで大人をほめる子供のように柔らかな口調だった。

 景朗は若干面食らったが、直にどうでもよくなった。

 

「そちらはそちらで、別動隊とやりあってたと?」

 

「そうだ。結標淡希と、彼女と手を組んでいたCIAの潜入組を確保した。恐らくこれで一連の事件は収束するだろう」

 

「一連?」

 

「ツリーダイアグラムのシリコランダムの裏取引だ。そこの"欠損記録(ファントムメモリー)"はシリコランダムからデータを抜き取るためにCIAが欲していたんだ。だが本丸を抑えた今、もうその少女は必要ない。これまでご苦労だった。では、またな、"スライス"」

 

 不思議な男だった。機嫌良さ気に、彼は消えていった。

 

「よし。丹生、それじゃあ人が集まる前に――」

 

 景朗のケータイが鳴った。

 統括理事会委員の1人、プラチナバーグからだった。

 

「レスポンス早ええな」

 

 景朗は哂って、通話に出る。

 

『やあ。無事に預かってくれて、礼を言おう』

 

「いえいえ。それで、ご用件は?」

 

『約束の受け渡しについてだ。その娘の返却は君の都合に合わせよう。君の方も忙しいだろうから、先に一報入れておこうと思ってね。ゆっくり休息できないだろう?』

 

「そのことですが、少々お待ちを。時間は取らせません」

 

 景朗はしっかりと電話口をふさいで、それまでの無表情を打ち払うかの如く、にっこりと笑う練習をした。

 続いてしゃがみ込み、ダーシャに話しかける。軽快な笑みとともに。

 

「ダーシャ、実は新しい活動を始めようと思ってね。腕のいいスタッフを探してるんだ。俺の仲間に入ってくれないか?」

 

「う、うん。入る、入るわっ!」

 

 ぽけーっとして、ダーシャは事の成り行きを見守っている。

 丹生も、もどかしそうにダーシャのおなかをさすった。

 あ、ダーシャにぺしっとはたかれた。。

 

 景朗はケータイを再び口元に添える。

 

「ダーリヤ・イリイーニチナ・モギーリナヤを僕のスタッフに移籍させてください」

 

『……その意味がわかるね?』

 

 プラチナバーグはそりゃあもう嬉しそうだった。

 景朗をパシる口実が、棚ボタで転がり込んできたのだから。

 

「はい。はい。では、急ぎの後処理がありますので」

 

 

 通話を切って、景朗はダーシャの前に三度、しゃがんだ。

 じっと、2人は見つめあう。

 

「さあ。うどんでも食って帰ろうか? 大丈夫か?」

 

「うん、あのね、うるふまん、わたし……あじがとう、わたし、こうなったらいいなって、ずっと思ってたば」

 

 丹生は泣いてるのを隠すように、ケツを軽く蹴って来た。

 

「さぁて、丹生さん。君、何回、死ねって言ったかな?」

 

「……ふん、だ!」

 

 景朗はからからと笑った。

 

 ダーシャはまだうまく起き上がれないようだ。

 景朗に、そっと手を伸ばしてきた。

 

 

「……?」

 

 

 ダーシャは、硬直してじっと見つめてくる青年の姿を見て。

 ――――わけが分からなくなった。

 

 

 

 

 彼は、ダーシャのオオカミのような琥珀色の瞳に反射した、自分自身を見つめていた。

 

 

 

 

 ――――この手を取った結末が、どうなるかわかってるか? その責任を負えるのか?

 

 大丈夫さ、そうはさせない。覚悟を決めるんだ。受け入れるときが来たんだ。

 

 アレイスターの猟犬として自分の命運が尽きる前に、やるべきことをやらなくては。

 

 もちろん、どうなるかなんて知っている。

 

 俺は何度も何度も何度も何度も、アレイスターに逆らった無謀者の末路を見てきたんだから。

 

 でも、それでも、この手は必ず取るぜ。心の底からそうしたいんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仲間にする。やっと、ウルフマンはそう言ってくれた。夢のような瞬間だった。

 涙がでてきて、止まらない。

 ただ。ただ。ただ……。

 ウルフマンは遠く遠くを見つめていて、その眼はダーリヤを通り越して、まるで未来を見通しているみたいだった。

 なんだかひどく怯えていて、ウルフマンは嬉しくないのかしら、とすこし不安になってしまった。

 

 ウルフマンが、ようやくダーシャの手を取ってくれた。

 

 ふわふわの大きな手だった。

 

 ダーシャは、その時のウルフマンの表情を、生涯忘れることは無かった。

 

 強さと弱さが織り混ざった、"特別"なその顔を。

 

 

 




これから、4年越しに頂いた感想の返信を必ず行います。


episode34はそもそも暗闘日誌で一番表現したかった内容です。

何度も書き直し、気に入らなくて、結局また勢いにまかせて
がーっと書いて、へとへとになってもういっか、で投稿しております。


あとからちょこっと最後の部分を編集するかもしれません。
と言っても、言っている内容を変えるわけではありませんので、ご了承お願いします。



何人もの方が、いつまでも待ってるぜ、2020年もまってるぜ、と温かい言葉をくださいました。
背中をめっちゃ押されました。
お礼を申し上げます。ありがとうございました。勇気が湧きました。


ふっかつのT!

レールガン熱、燃えてます!


はぁ。以前から暗闘日誌は欝っぽいと言われておりましたが。
書いてる奴が鬱病でしたからね。
そりゃあうつっぽいですよねwww




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episode35:心理定規(メジャーハート)

すいませぬ!
活動報告で「もうすぐ次話するよ」なんてウソツキまくりでほんとすみませぬ!

あ、活動報告に新たに、垣根帝督に対する考察、というものを上げさせてもらいます。
今回の話に関連しますので、どうか御目通りを!


 

 

 

「うーん、何か忘れてる気がする」

 

 丹生の発言で、24時間営業のうどんチェーン店へ向かう3人の足が止まった。

 といってもダーシャは景朗におんぶされているので実際は2人分だ。

 

「うるふまん、グレネードは?」

 

「おい、そんなもの買う暇なかったよ」

 

「えー、自販機に売ってるのに?」

 

「売ってるわけねえだろ?!」

 

「景朗、グレネードってエナジードリンクのヤツじゃないの?」

 

「そうよ」

 

「……"グレネード"なら何でもいいってそういうこと」

 

 爆発する機動力を貴方に。スプリットザクロ味。フラッシュパイン味。バーニングライチ味。スモーキーキウイ味。シチュエーションごとにタクティカルなチョイスを。

 

「もし武器のグレネードを頼んでたなら、何でもいいって言うわけないじゃない」

 

 悔しさで臍を噛みそうだった。小学校に行ってない小学生に呆れられてしまった。

 

「お、俺はそんなもの必要ないカラダだからさッ」

 

 景朗の疑問は氷解したが、丹生はまだ悩んでいる。

 

「うーん。"そういうの"じゃなくて……もっと別の……あれ~?」

 

 結局、うどん屋に到着して食券を購入し、席についても彼女は首を傾げ続けていた。

 

「エッライ悩んでるじゃん丹生サン。でもまぁ俺も何か引っかかってる気はする。ナァニを忘れてんだろなぁ?」

 

 そう景朗が言い切る前に、脈絡なくケータイが振動していた。

 取り出して確認すれば、メッセージは迎電部隊から。先程別れたばかりの男からだった。

 

「この黄色いカス、いっぱい入れるわ~」

 

 ダーシャは天かすが好物のようで、テーブルに置かれていたタッパーを手に取ってうずうずとフタを開け閉めしている。そいつを掠め取ろうとタイミングを計る丹生の様子には、気づいていないようだ。

 

「ニウ、これ何て言うの?」

「揚げ玉だよ。もしくは天かすとも言う」

「えっ、○んかす?」

「ぐふっ、わぁざと言ってる!?」

 

 目の前の他愛のないやり取りがぶち壊しにならないようにと願いつつ、景朗はケータイに目を通す。

 

「お」

 

 予想に反して、それは朗報以外の何物でもなかった。

 ダーリヤの母親の形見だというロシア帽が、放棄されていた車から無事に見つかったという。

 

「ダーシャ。帽子、見つかったってよ」

 

「え、まじ? ウラーッ!」

 

 ダーリヤは椅子から立ち上がった。

 

「うらー? あはは。良かったっ、良かったじゃんっ!」

 

 丹生も我がことのように喜んでくれている。

 女子2人は童心にかえった様に、キャッチボールをするがごとくテーブルの上でタッパーを激しく交換し合った。行き交うたびに底が擦れてスリスリと音が鳴って、彼女らの興奮を代弁しているみたいだった。

 

「どうする? 取りに行こうか?」

 

「今すぐ取りに来いって言ってるの?」

 

「いや、保管してるから、後日取りに来いって。でも今からでも行ってやるぜ?」

 

 ダーリヤは期待に満ちた目を景朗に向けて、しばし手元をぐるぐる動かして悩んだ。

 

「……じゃあ、後でいい!」

 

 一緒にうどんを食べよう、ということらしい。

 

「そか。あいよ」

 

 少女の言葉には"ウルフマン"に対する全面的な信頼があった。

 彼が取りに行くと言ったのだから、そのまま任せていて大丈夫なのだと。

 態度でそれを示されて、照れ臭くなったのは先に目をそらした景朗の方だろう。

 しかし、逃げるように丹生へと顔を向けたところで、そちらにもまたぞろ鼻をつまみたくなるニヤケ面があった。

 彼は物言わず天かすのタッパーを奪った。フタを開け、テーブルの中央にドンと置く。

 ちょうど、店員の足音と美味しそうな匂いがこちらへ向かっていたのだ。

 

「お待たせしましたー。お先に、カレーうどんのお客さま~?」

 

 ウェイトレスさんの配膳でピシリと丹生の笑みが凍った。

 若干遅れて、景朗も気が付いた。綺麗に忘れていた。

 家に帰ったら丹生の力作カレーが待っているのだった。

 おすまし顔のダーシャは、わたしの注文です、とばかりに手を挙げていた。

 

「あ……でもほら。爆弾が、爆発したんだろ?」

 

「上の階に待機してたのでカレーは無事デス」

 

「あっ。でも、ほらまぁ、とりあえず頼んじゃったものは仕方ないじゃん?」

 

 お願い……丹生……キレないで……。景朗はひっそりと祈った。

 体晶入りの景朗の血を大量に服用した直後だから、彼女は精神的に荒れやすい。

 正直、危うい。

 

 空気を読む気の無いダーリヤは、カレーうどんに天かすをこんもりと盛って手を合わせた。

 

「いただきます……キラッ☆」

 

「クソガキィィィィ! てッめえ絶対に気づいてただろうがあああアアアァァァ!!」

 

「うっさいわニウ! 食事中に暴れないで! オサトが知れるわ!」

 

「どうどうどう、丹生サァンッ、どうどうどう!」

 

 景朗も同意するけれど。

 当てつけるようにカレーうどんを頼んでいた時点で、ダーシャは絶対にカレー生存説に気が付いていただろうけれど。だから間違いなくチビガキはクソガキだと思うんだけれども。

 それでも、クソガキにアイアンクローを仕掛けようとする女子高生を、必死に止めた。

 さすがに場所が場所なので恥ずかしかった。

 

 

 

 

 丹生を付け足した景朗一行が第七学区のマンションに帰宅したときには、すっかり夜も更けていた。丹生の言っていた通り、爆破された部屋は無残な有様だったが、残る下の階の部屋は襲撃者に手を付けられておらず無事だった。

 

 念のため景朗が中に入って安全を確かめ、2人を招き入れた。

 

 そこでタイミングを見計らっていたかのように、丹生が動いた。

 ダーリヤの腕をしっかりつかむと。「ダーシャ、お風呂に入れてくるね!」と宣言。

 機嫌の悪い彼女から何をされるかわかり切っているクソガキは物凄い抵抗を見せたが、結局は無理矢理、バスルームへ連行されていった。

 能力的に水場は丹生の独壇場になるからね……。

 

 

 ギャーギャーと姦しい喧騒が聴こえてくる中で、景朗はそういえば、と毒見も兼ねて無事だったカレーを味見してみた。

 評価は……可もなく、不可もなく。

 ほんとこう、お世辞でこうずばっと強調できる個性も何もなかった。

 ほんっとに強いて言えば、完全なるガキ舌のダーシャには少し辛いかもしれな……。

 

「あ。粉チーズ買ってないや」

 

 どうやって彼女にバレずに買いにいくか、景朗はちょっと悩んだ。

 

 

 

 

 爆破された部屋の清掃等やることは多々あったのだが、とにもかくにも丹生とダーリヤには、必要だと判断すれば、まず休息を取ってもらわねばいけなかった。

 両名の健康状態を今一度チェックし、問題がないことは確かめられたのだが、眠たそうにしているダーリヤは"ウルフマン"にまだまだ言いたいことがあるらしく、素直に眠ってくれそうにない。

 寝ろ、といっても少女が駄々をこね出して興奮しだすのは明らかだったので、反論される前に昏睡させる手際の良さだった。

 

 

 

「丹生、お疲れ様。手伝ってくれてありがと。ほんと助かった」

 

「まぁね」

 

 爆破後の処理なんて、正直自分たちではやっていられない。専門の業者を呼ぶつもりで、その前に最低限の機密情報の片づけをすることにしたのだが。

 なんとも申し訳ないことに、丹生はそこまで手伝ってくれていた。

 彼女にも休んでいてほしかったのだが、思ってもいない力強さを発揮され、作業の合間に、夕暮れの追跡劇について互いに情報共有を済ませてしまったほどである。

 話によれば、カーチェイスのみならず度重なる白兵戦を強いらせてしまったようで、感謝の念が堪えなかった。

 しかし、それをさし置いても、いったい彼女はいつからこんなにタフになったのか。

 キビキビと働き、ダメージも疲労もほとんど蓄積していなさそうで、かなり驚かされている。

 

「お茶飲む? 炭酸?」「お茶。こっち~」

 

 丹生は待ちきれないとぶんぶん手を振ってくる。冷たいペットボトルを放ってあげたが、ダーリヤの眠るソファに腰をおろしていた彼女はキャッチに失敗。ものぐさな素振りで能力を使って、銀色のツタで回収している。

 

「ほんとにありがと。あとはもう好きにしてくれよ」

 

 ひと息に飲み干して、ほふぅぅぅぅ、と心地の良さそうな疲労感を滲ませている。

 

「明日、どうしよう?」

 

 丹生の問い掛け。

 なに気なく放たれたようでいて、今まで貯め込まれたものが解放されたような思い切りの良さもあって。

 対する景朗には二つの迷いがあった。

 丹生はどちらを望むのだろうか。もっと仲間に引き込むか、距離を取るか。

 身近な道義と、離れたところにある道義。

 どちらを選べば、自分はより後悔しなくて済むのか。

 

「……なぁ、明日も時間ある?」

 

「あるよー」

 

「それじゃ、ダーシャと一緒に話を聞いてほしい。頼む」

 

「いいの?」

 

「実のところ、ただ聴いてほしいってだけで、ホントにそれ以外をお願いするわけじゃないんだ。もちろん嫌なら断っていいんだけど?」

 

「それでも聞く……ごめん、もう寝る」

 

 むに、と景朗のドデカTシャツに身をくるんだチビガキのほっぺたを触り、ふああ、とあくびと伸びをして、丹生はそのまま横に寝っ転がった。

 

「そいつぁマジでたすかるよ……。それじゃおやすみ」

 

「んー、かげろうもねー…」

 

 丹生は、景朗が眠りにつかない事を知っているのだろう。

 お休み、とは言われても、寝ないの? という質問はきたことがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。第六学区。とある改装中の札が付けられた建物内で。

 

「さて。アイスとホット、どちらで?」

 

「「アイス」」

 

 季節はぴったり九月の半ば。まだお外の天気は暑かったり涼しかったり、のどちらつかずなので仕方ないのだ。

 空調の効いたフロア内で長袖を羽織った2人のゲストを前にして、景朗はそう自分に言い聞かせた。

 ホットと答えたら、景朗が嬉々として珈琲を入れるのに30分もかけるのを2人が熟知しているからではないのだ。決して。

 

「アイスコーヒーも自信作なんだぜ。昨日の夜から仕込んでた"コレ"、コールドブリュー。じゃーん、本格的だろ? このガラス管から一滴一滴冷水を滴下させて……」

 

「ニウ! これどうやってやるの?」

「ダーツかぁ。あー、これ電源入ってないじゃん。景朗、電源入れてよー」

 

 

 景朗たちの居る第六学区はアミューズメント店がしのぎを削り合う歓楽街だ。競争が激しいとなれば、当然負けて潰れる店舗も人知れず存在するわけで。

 飲食とアミューズメントを融合させ、両者の需要を満たそうとして見事にどちらも中途半端になり、あっというまに客に見限られた。

 どこにでも転がっているような顛末だが、それがこの物件が人材派遣の手元に転がり込んできた正味の理由である。

 しかして、からくり屋敷と化した飲食店はちょうどよい広さと複雑さを兼ね備えていた。もとから各階を隔てずに高さを生かしたアミューズメントが入っていたので、忍者屋敷化させるのに都合がよく、景朗が思い描いていた秘密基地を体現するのにもってこいだった。

 

 男子たるもの、秘密基地作りはいくつになっても熱中するものだ。景朗の熱意はいつしか人財派遣をも巻き込んで、4階建てのビルをサイバーパンクRPGにでてくるマフィアの居城のような有様に変貌させていた。

 監視カメラ。パニックルーム兼司令室。隠しドア。隠しエレベータ。電気トラップ。ガストラップ。落下トラップ。隠し爆弾。喫茶&BARキッチン。テキトウに残したアミューズメント。

 

 キッチン類はお金をかけて造られていたのでそのまま残した。2階にはBARカウンターもあったのでそちらもだ。密かに喫茶店にあこがれていた景朗はサイフォンやエスプレッソ機材もそろえ、試しに人財派遣に一杯ごちそうしてやったくらいである。

 

 「今までで飲んだ中で一番うまい珈琲ッス」「まじ?カオ引きつってるけど」「苦いのはもともと苦手なんスよ」「そっか!(来る前に車の中で缶コーヒー飲んでたの見えてたけど)そんじゃあ喫茶店開業しちゃおうかな、ほら、表のカオと裏のカ」「あソレ絶対やめてください」

 

 景朗はそこですんなりと引き下がった。実を言うと気持ち的には物凄くやりたい。やりたくてしかたがなかった。しびれる一杯を出す喫茶店のマスターとして裏世界の情報を集めるのだ。

 ただ、超能力者としての第六感が悲惨な結果を招くから止めとけと大げさなくらい言っていた。便利な能力だった。

 物理的に舌がしびれる一杯を出すつもりか、と人材派遣は言いたそうだった。

 

 閑話休題。景朗の珈琲から逃げ回る丹生とダーリヤの姿に傷ついたように唇を尖らせると、彼は諦めたように手をパンパンと叩いて、合図を送った。

 

「FiveOver_Phoenix!」

 

 建物に設置したギミックに音声が認識され、ガコン、と遠くの部屋でハッチの開閉音がした。次にゴロゴロゴロ…という移動音。

 ついには回転するタイヤのような物体が、ダーツゲームの前でガヤガヤ騒いでいた2人の目の前に飛び出した。

 

「なにこれ?」「ファイブオーバー!? 景朗これって、これが前に言ってたヤツ?」

 

 真っ黒な、人のヘソの高さくらいもある大きなタイヤ。そう思わせるシルエットが、しなやか且つ機械的な動きで展開し、ムカデのような形状へと変化した。

 

 正式名『FiveOver_Modelcase"PHOENIX"』

 

 そのフォルムは"カギムシ"という生物がモデルのようだ。英名ベルベットワーム。

 カタツムリのような2本の触覚を有する、ムカデほどトゲトゲしくない短く可愛い脚。

 どこかゆるキャラ染みた鋭角に欠けたデザインの生物である。

 

 FiveOver_PHOENIXは、救急医療用の機材である。

 頑丈かつ柔らかみのある高分子樹脂製の皮と、疑似的に神経と骨格の役割も兼ねるファイバーの塊が中には走っていて、負傷者の元へと自立行動し、その身体ごと包み込んで治療をする。その機体内には輸血や麻酔等を兼ねた医療用ナノマシンやら分子モーターやらが黒いオイル状になってたっぷりと詰まっている。

 たとえ手足がもげて致命傷を負った人物でも、カギムシくんがまるで外骨格と外皮を為すように広がってくっ付いてくれるため、瞬く間にその場で戦闘が続行可能となるのだ。

 

「そだよー。ファイブオーバー。ダーシャが怪我したとき焦ったからさ、貰って来た。俺が居ない時に怪我してもコイツがいれば安心だからさ」

 

「おおおおおお、カギムシ? カギムシが動いてるわ、でっかい!」

 

 お、お、こいつか? とピコピコ触覚を動かすカギムシ君はダーリヤに興味津々のようである。

 それもそのはず。FiveOverPHOENIXにはダーリヤのゲノム情報を既にユーザー登録してある。普段はセキュリティも兼ねてチビガキに随伴させるつもりなのだ。攻撃性能は毒や酸性液を吹きだす程度だが、防御性能は一級品である。

 

 

「そうそう、その調子でどんどん話かけて音声認識できるようにデータ取らせてやって。その子はダーシャが飼い主だからな。暇なときは相手してやってねい……ぐびっ」

 

 カウンターの上で放置プレイを喰らっていたアイスコーヒーをちびちびやりつつ、景朗は片手間にアイスココアを作りだした。これなら2人も飲むだろう。

 

「どうしたのよ、これっ!?」

「プロトタイプを貰って来たんだよ。安心して、きっちり初期化させてあるから。まだ量産はされてないと思うんだけど、どうだかわかんないな。わざわざ自立行動させる必要もないからデチューンさせる、みたいなこと言われてるらしいし」

「コレのテキストないのウルフマンッ?」

「んー。はいこれ」

 

 タブレット内のアプリを起動させてからカウンターを滑らすと、端っこでダーリヤがキャッチした。

 丹生はひととおり見て満足したのか、近づいてきて椅子に腰かけ、ココアを受け取って口を付けた。

 

「景朗、あれアタシにはあんまり反応しないんだけど?」

 

「あーその、丹生の情報はまだ登録してないからさ」

 

「むぅ」

 

 私だけ仲間はずれなの、とでも言いたげな目線が苦しい。

 

「いやほら、なんでかっていうと、敵に鹵獲された場合を考えたらさ。個人情報が根こそぎ取られちまうだろ? だからお前さんの意志に任せようと思って」

 

「……じゃあ後で登録する。いいよね?」

 

「もちろん。さ、そろそろ本題に入るかー」

 

  某名作SFでの宇宙人とのやりとりのごとく、1人と1匹は指と触覚をツンツン…と触れ合わせている。見事にFiveOver_PHOENIXに首ったけのダーリヤへと呼びかけて、景朗はカラカラと大型のホワイトボードを引っ張り出した。アルコール性のマーカーペンもじゃらじゃらと用意する。原始的だが使いやすくて景朗は気に入っている。

 

「さてと。今日集まってもらったのはな、これからの活動方針について説明を聞いてほしかったからです」

 

「めんどくさいわ。後でまとめたヤツ読むから今はいい」

 

 ビヤヤッ、とカギムシ君が黒いオイルを吹きだした。テストプレイに夢中のダーリヤの首根っこを掴んで椅子に運んで、景朗は笑顔で怒りを表現した。

 

「いいか、ダーシャ。俺のチームに移籍したからにはお前はエンプロイー。そして俺がエンプロイヤーだ。おまいもきっちりディベートに参加してアイデアだして練り上げるんだよ! てか、お前の発想力に期待してんだからな? いわばビジネス上のパートナーなんだよ、当然だろ。だからお前の体長管理もゆるぎなくさせて貰うし?」

 

「横暴だわ。給料の5%はキャンディで支払って!」

 

「はいはい! アタシは何、何ッ!?」

 

「オブザーバーとかでどう?」

 

「ヒュザッケンナ! ニウなんて何で仲間に入れる必要があるのよ?」

 

 一般の従業員より、オブザーバーの方が地位は高そうである。気に食わない、とダーリヤは猛烈に反発しだした。

 

「なんだとクソガキ!」

 

 ふぎゃー! と激昂する丹生。それも仕方ない。ダーリヤ奪還のときは丹生だって汗と血を流していたのだし。

 

「ちょっ、まて、まて、まてよ、今さらそれは言うなよダーシャさん。丹生さん、お前さんを助けるためにめっちゃ頑張ってたよ?」

 

「でもニウのことだからこの先アホなうっかりして足引っ張ってくるに決まってるわ。だからウルフマンはカギムシに丹生のこと登録してなかったんでしょ?」

 

「ち、ちがうぞ。それはちがうぞ!」

 

 無論、景朗は縋るような丹生に向かって精一杯違うぞとアピールをする。

 

「じゃあなんでニウを入れるの? メリットは?」

 

「それは……信用できるのは丹生しかいなだろ」

 

「信用できるのと能力・適正は別でしょ。はっきりと理由を説明してほしいわ。ぶぅ、なんで?」

 

 正論で問いただしてくるダーリヤに、そうだそうだ言ってやれとこぶしを握りしめる丹生。

 2人の注目が景朗に集まった瞬間だった。

 

「…………"なんで"とか言うなッ」

 

 コラッ! と聞き分けのない子を叱るように怒って誤魔化そうとした景朗だったが、丹生には全然通用しなかったようだ。

 

「うわああああああああああ!? ちゃんと言い返してよおおおおおおおおおおおおおっ!? ばかげろうぅぅっ!! ばかぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「やめっ、やめて、マーカー投げないで」

 

 ペンを投げつけてくる丹生に、うまくフォローできなかった景朗は申し訳なくてたじたじである。

 

「だいたい、アタシうっかりキャラにされてるけど、今までそんな大ポカやらかしたことなんてないもん! それを言ったら景朗の方が毎回ポカミスやらかした回数多いジャン!」

 

「はあ!? 俺?! 聞き捨てなら……あっ……いやそんなことねえよ!」

 

「ヒンニウ! ウルフマンはそれでいいのよ、うっさい! 他にもニウ、ウルフマンに嘘ついてるのよ、ブラジャーはCカップだけどホントは「うわあああああああっ! おらあああーっ!!!」

 

 ヒンニウ発言でついに手が伸びそうになる丹生。応戦する気マンマンでFiveOver_PHOENIXをさっそく盾にしようとするダーリヤ。

 こんなしょうもないことで能力なんて使いたくなかったけれど、それはワガママであろう。

 景朗はズニュウウ、と両腕を伸ばして2人の間に割り込ませ、力強く引き離す。

 

「待たれええい、待って待てストップ! 話がそれてるっ。だいたい俺、まだ何を話し合うかすら言えてねえからさぁ」

 

「景朗、ダーシャの言ってることは」「ダイジョウブだ! 知ってた!」「ふゃっ!? ちがうんだってばぁ!」

 

「ダイジョウブだ! ささ、席について!」「ニウはうそつき」「ぐぬぬ」

 

 景朗の顔を立てるということなのか、2人はむすっとしながらも席に着いた。

 

「ダーシャ。肝心なのは丹生は嘘が上手じゃないってことだ。裏切られることはないのです。お互いに苦手な分野は助けあうの!」

 

 くちびるを尖らせるダーシャに対して、今回の雪辱はいつか果たすと顔に書いてある丹生。

 女の子が1人増えただけで諍いがここまで増えるとは、と心の中でため息を吐く景朗。

 しかして、事態は少し沈静化した。

 

「ウルフマン。チーム名は?」

 

「え?」

 

「ウルフマン、ずっとこれからの"方向"とか"活動"って言って言いにくそうにしてるわ。いっそ何て呼ぶか決めてしまえばいいのよ」

 

「確かにそうかもねぇ。日常会話にでてきて不自然じゃないくらいの」

 

「"ビジネス"は?」

 

「え? いやだからそれをこれから」

 

「違うわ。チーム名"ビジネス"よ。ワタシたちの関係や、これからの活動ってビジネスのお話なんでしょう? だったらもう"ビジネス"って呼ぶわ」

 

「そう、ねぇ。いいんじゃない、話してて不可解に思われないし」

 

 答えに窮する景朗としては、少し嫌気が差すネーミングだった。今まで所属して来た組織名に似通い過ぎている。もっと暗部っぽさが無い方が良かったのだが……ただ、女子2人はもうソレでいいんじゃないの、とその点をほとんど気にとめていない。そればかりか、2人の意見が珍しく合致している。

 仕方がない。ここは多数決に従うか、と景朗は軽く息を吸い直した。

 

「じゃあ、"ビジネス"の話をしようか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 景朗は現在、アレイスター、木原幻生、垣根帝督、食蜂操祈に弱みを握られている。

 食蜂操祈とは折り合いが付けられているし、彼女が言った通り、その気になれば暗殺も可能である。

 

 木原幻生とアレイスターには残念ながらほぼ完璧な服従を強いられているが、幻生は景朗の能力に執着しているがゆえに、丹生の問題が片付けばある程度交渉が可能となるだろう。

 

 問題はアレイスターと垣根帝督である。

 

 はっきり断言しよう。景朗はアレイスターを恐れている。その頂点を極めた政治力のみならず、彼自身の持つ得体のしれない超新星級の戦闘能力を、である。

 景朗は身を持って知っている。アレイスターには、"悪魔憑き"など必要ない。

 その気になれば、あの怪物が殺せない人物など、この街に、いやこの世界を含めて、ただの一人も存在しないのではないか?

 

 そんな化物が何故景朗を囲い続けるのか、その理由がさっぱり理解できない。

 

 単純に能力が便利なだけでこき使い続けられているのであれば、不要になった瞬間、少なからず機密を握る景朗はその場でトカゲのしっぽきりのように処分される。

 

 そして仮に、何らかの特別な実験や計画で景朗を利用しているのだとすれば、その目的が終わった瞬間にも、同じく安全のために景朗を処分するだろう。

 

 

 

 最後に残るは、"第二位"垣根帝督。

 どうして垣根は景朗を脅迫してこないのか。一度は景朗と火澄&手纏コンビを襲った彼が、何故こちらを放置しておいてくれているのか。

 いよいよそのことについて触れなければならない。

 

 

 聖マリア園の人質たちと一緒に景朗がアレイスターの支配から脱するためには、過度な危険を伴うが、今のところ2つの手段が考えられる。

 一つ目は、アレイスターの弱みを握り、景朗たち全員の安全を買うこと。学園都市内部の反アレイスター組織と協力する必要がある。

 二つ目は、アレイスターを学園都市から排除すること。学園都市内部の反アレイスター組織のみならず、外部の敵対勢力の協力も必要になるだろう。

 

 

 はっきり言って、1つ目の案すら実現性が見えてこないが、2つ目など輪をかけて非現実的である。

 さしあたって、景朗が狙うは、1つ目の案。アレイスターの弱みを握る事である。

 アレイスターの弱みを探す行為。それはすなはち、反アレイスター活動そのものとなる。

 最上級の危険を伴う行為だ。なぜなら、猟犬部隊や迎電部隊のその任務の多くが、彼の秘密を暴こうとする背信者の抹殺だからである。

 

 

 

 ひとまず。アレイスターの弱みを探るために、ダーリヤにやってほしいことが2つある。

 

 ひとつは、景朗の過去を徹底的に洗うこと。

 のこるは、景朗に協力してくれる可能性のある味方を探すことだ。

 

 これらは、比較的安全に行えそうだった。

 まず、景朗の過去を徹底的に洗う。御坂美琴に量産型能力者計画があったように。

 景朗にも、もし割り振られた闇の計画があるのならば、そこからアレイスターの狙いを推定することができるかもしれない。

 景朗にははっきりとした確信がある。おそらくこの街の上層部は、街に住むすべての学生の潜在的なレベル限度を既に握っている。それが恐らく素養格付というウワサとなって暗部世界に伝わっているのだ。

 

 一方で、景朗に協力してくれるかもしれない味方。

 これについてはまだ未知数だが。たったひとり、景朗の中に確たる候補者がいる。

 

 そう、それこそが、第二位、垣根帝督なのだ。

 

 垣根はこの街で唯一存在が許された暗部監査組織"スクール"を率いており、先日の彼との邂逅で、垣根自身に反アレイスターの思想がある確信も得られている。

 

 

 景朗は垣根と争う以前から、彼が過去にアレイスターに蜂起した事実を、猟犬部隊の資料で知っていた。

 "第二位"という希少特権で生かされ、アレイスターの独裁状態にある暗部組織の監査という役割を与えられ、反アレイスターの統括理事たちに擁護されていることも。

 

 だが、知識として知っていたからといって、垣根という人物を理解したことにはならない。

 しかしそれも、"空気中を漂うナノマシン"という唯一のアレイスターへの手がかりを、垣根に渡したことで合意が図れた事実が、景朗に確たる希望を抱かせる。

 

 垣根には今でも反アレイスターの意志がある、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな垣根ですら、"窓の無いビル(理事長の御膝元)"には入ったことが無いはずだ。

 あそこに入られる人物は極端に限られている。景朗はその中の貴重な1人なのだ。

 

 さらに恐らく。

 あのビルの中に、街中に漂うのとは比べものにならないくらい大量の"謎のナノマシン"が溢れている事実。

 それを知っているのも、能力(スキル)の特性的に景朗ただ一人である。

 

 ヤツは、あのナノマシンの正体をもう明らかにしただろうか。

 

 

「ダーシャ。ッてなわけで、俺の過去の任務から何か新しい事実が洗えないか、しばらくあたってみてほしい。協力してくれそうな組織への探りも、お前さんなら俺より得意だろうし」

 

「景朗、アタシは?」

 

「丹生には何もしないでほしい」

 

「ええ!?」

 

「この話をしたのは、丹生に対する俺の誠意なんだ。もしかしたら丹生にも被害が及ぶかもしれない。だから真実を知る権利があると思って」

 

「ええー……」

 

「俺とダーシャが突然いなくなるかもしれない。その時に、何も知らなかったじゃああんまりだから」

 

「手伝わせてよ、何か、あるでしょ?」

 

「いや、まあぶっちゃけ、今はないもないってのもホント。だってこれから活動を始めます、って最初の一歩ふみましたよって宣言をしたばかりなんだぜ。本当に困ったことがでてきたらきっと丹生にも相談するよ」

 

「はーい……」

 

 大人しいと思ったら、ちょっと目を離した隙にまたFiveOver_PHOENIXの相手をしているダーリヤにも聞こえる様に、景朗は声をはり上げた。

 

「念を押すけど、この建物以外では"ビジネス"の話はしないように。例のナノマシンが街中にあふれてるからねぇ……」

 

「わかってるわよ。あれ? ウルフマン、どこに行くの?」

 

「ダーシャの帽子を取りに行って来る。そのあとはちょっと人を探すよ。さっき言ったスクールのメンバー。アホみたいなドレスきてた女だよ」

 

「そうだ景朗。ダーシャに、ダーシャが居ない時に景朗がどんなことしてたか、アタシが知る限りのこと教えてあげてていい?」

 

「あ、それは助かる。ダーシャ、ケンカするなよ」

 

「ニウ次第だわ」

「これは命令です」

 

「……」

 

 ニシシ、と笑う丹生に、ダーシャはむくれていた。

 

 秘密基地から出る。第六学区の喧騒はあいかわらずで耳が疲れるが、秋の空気は澄んでいて、太陽は真上から気持ちよく照らしてくる。

 

 

 

 

(前々から考えてたんだ。俺にもチームが欲しいって。でも、信用できる奴なんてどこにもいなかった。だから作れなかったんだ。でも――――ダーシャのおかげで分かった。リスクを冒さなければ信用すら作れない。今まではただ怯えてただけだ)

 

 

 今はどうか? 代償が目の前に来たとき、受け入れられるか?

 

 その答えには、何時だって怖いと返事をするしない。

 

 ヤツの犬という汚名をすすってでも生き延びて、好きなヤツらと一緒にいたかった。

 しかし。

 それじゃあ"雨月景朗"としては、アイツらの記憶の中には残れないんだ。

 

(でも俺はもう、アレイスターの猟犬じゃなあい。今は雨月景朗として生きてる)

 

 

 景朗はすっきりとした表情で伸びをすると、はきはきと歩き出した。が、だんだんとその顔も曇っていく。

 

 問題は、ドレスの女だ。彼女の匂いは完璧に把握している。なんなら彼女のDNA情報だって所持しているのである。

 すぐに見つかればいいのだが。一応、相手もスクールの一員なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「インディアン・ポーカー?」

 

 第一学区の待ち合わせ場所で、見るからに防弾使用の警備員用移送車両に乗せられたかと思えば、出迎えたクリムゾン01はそうそうに「ようこそスライス。俺は蒼月だ」と名乗り、1枚のおもちゃのカードを手渡してきた。

 

「ちょっといいすか? 俺は帽子を取りに来ただけです。このカードは? それにアンタ、クサツキ?」

 

「蒼い月とかいてクサツキだ。帽子なら椅子の下にある」

 

 暗い車内でも景朗には関係がない。それとわかるタックルボックスを引き出して、焦げ茶色のロシア帽を見つけだした。

 ぽんぽんと手のひらの上で跳ねさせる。かすかな音も聞き逃さない。盗聴器や発信機の類はついてはいないようだった。目と耳で分かる範囲内では、の話だが。

 

「用心深いな」

 

 そう言ってニヤける蒼月はバラクラバ(目だし帽)すらつけていない素顔で、油断しているとしか思えない有様だったが、声も臭いも同じなので間違いなくこれまで会ってきた男である。

 

「このオモチャのカードは何? 話さないなら…いや話さなくていいから降ろしてくれ」

 

「正真正銘玩具だよ。夢を見るためのツールだ。芳香成分で特定の"夢"を見ることができる。使い方は匂いを嗅ぎながら寝るだけ。ただし、そのカードに自分で夢を記録させたいとなれば、装置を作る必要がある。だがそれも、金をかければ素人でも作れるシロモノだ。ネットに設計図が流れているからな」

 

「何で俺にこれを?」

 

「手伝ってほしいことがある」

 

「待ってくださいよ。たった帽子いっこでですか?」

 

「帽子一つ? とぼけるなよ。君等が暴れた片付けと口止めその他もろもろ。全部、猟犬部隊に経費を請求したほうがいいか?」

 

「わかりましたよ。さわりだけ教えてください。手伝えるかどうかはその後で。無条件には無理だ」

 

「安心しろ。"専門家"である君の意見が聞きたかっただけだ」

 

 イチイチ気になる良い方をする男である。景朗は何かの"専門家"になった覚えはない。強いて言えば暗殺くらいだが、それを専門家呼ばわりは悲しくなる。

 しかし、暗部の世界ではこれでも冗談としては軽い部類である。仕方がないのかもしれない。

 

「君なんだろう? この"嗅覚センサー"の開発に協力してるのは」

 

 景朗は真っ向から質問には答えず、手にしたカードをペラペラと振って匂いを嗅いだ。

 ややして、返事を待つ蒼月に話をそらすように呟いた。

 

「……そのセンサーは犬より沢山の種類の匂いを判別できる。このカード、見たカンジ"人間用"ですよね。だから当然ですが人に感知できる匂い成分しか使ってないんじゃないかと。なら、そのセンサーで性能は事足りると思いますよ」

 

「それではただの人間でなければ。たとえば能力者、君クラスの能力者なら簡単にこのカードを欺けるのだろうね」

 

 その発言で蒼月が何を疑っているのか、景朗にもなんとなく想像することができた。

 

「このカードを応用して、外部に機密を漏らしている奴等がいる。外部との出入りを行う全ての人間にこのセンサーでチェックをかけ、使用者とおぼしきものには監視を付けているが……インディアン・ポーカーを使う学生が日に日に増えている。これ以上人気に火がつく前に抜本的な捜索方法を見つけ出し、チェックをかけたい」

 

「どんな能力者を探してるんです?」

 

「このリストを君に渡す。疑わしき者がいたら連絡をくれ。他に何かアドバイスがあっても。ああ、忘れていた。君に嗅覚関連の協力を持ちかけて来た企業や研究機関等の情報等も、高値で買わせてもらおう」

 

 迎電部隊にピックアップされた能力者のリスト。それが入った記録用チップを眺めて、景朗は疲れたように息を吐いた。

 

「で、成果を上げられなかったらこの帽子はお返ししなきゃならないと?」

 

「そのつもりはないさ。だが、期待しているよ。リストは慎重に扱ってくれ」

 

「もちろんですよ。それじゃあ、とっとと降ろしてください」

 

 車はものの数秒で停止した。景朗と蒼月の二人は、別れの挨拶を告げることもなかった。

 去っていくトラックを見届けると、景朗は近くの自販機で缶コーヒーを買った。

 ベンチを壊さないよう恐る恐る座り、一息ついて空を仰ぎ見る。

 

(しまったなぁ。あの男に"スクールのあの女"の情報を聞きたかったが、頼みごとをできる状況じゃなかった、クソッ)

 

 ひとまず、第六学区の秘密基地へととんぼ返りすることにした。

 そもそもダーリヤのロシア帽を手にしたまま、当てもなく女を探して街をさまよう訳にもいかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ウルフマン! ウシャンカ、あああああっypaaaaaaaaaa!」「もう帰って来たの?」

 

「はいそう言うと思ってたよ。もう帰って来ましたよ」

 

 パニックルーム(隠し部屋)兼司令室に入った途端に駆け寄って来たダーリヤには帽子を見せつけ、ニヤつく丹生にそっぽを向いて。

 

 景朗はキッチンから持ってきたアイスコーヒーをグビグビと飲み干した。

 

「良かったじゃん、それが"帽子"?」

「うん。マーマのウシャンカみつかったわ。もうこれしかないもの……今は天国にいるもの……」

 

 感動に打ち震えるダーリヤが、何とはなしに口にした天国という言葉。

 景朗は硬直したが、嬉しそうにぎゅうっと両の手で帽子を握りしめる少女には何も口にできなかった。

 

 たまらずといったようにダーリヤを後ろから抱きしめる丹生にも、少女は頓着していない。普段なら最低でもウザそうな顔を見せつけるように皮肉を放っているところだろうが。

 

 感動の瞬間を邪魔しては悪いと、景朗は黙って見守るつもりだった。のだが、最も早くその空気を切り替えたのはダーリヤ当人だった。

 

「あっ、ウルフマン。ウルフマンのことで、分かったことがいっぱいあったわ」

 

「え? もう?」

 

「アタシも手伝ったけど……やっぱダーシャはすごいね~」

 

 丹生がやっぱプロにはかなわんわー、とたたえる様にダーリヤの頭をナデナデしている。

 ダーリヤはぺしっ、とその手を払うと側に寄って来て、タブレットを見る様に促した。

 

「ウルフマン。このType:GDに見覚えあるんでしょう?」

 

「タイプ・ジーディー?」「タイプ:グレートデーンよ」

 

 ダーリヤが見せてきた画像に写る犬型ロボットには、確かに見覚えがある。

 

 昨年の10月半ば。景朗が"ハッシュ"という暗部組織で、丹生と一緒に働いていた時のこと。

 "パーティ"という傭兵部隊と殺し合ったときに、パワードスーツを着ていた金髪少女が使ってきた犬型兵器だ。

 

「あれ? でも、この写真の犬は口がホースってかダクト状になってるな。俺が見たことあるのは、口に牙が生えたもっと犬っぽいヤツだね」

 

「それ、プロトタイプだわ。量産はされていないヤツ。しかも、ウルフマンたちが戦ったのは去年の10月。量産型のType:GDすらまだ存在すらしていないのに。この"パーティ"の"刈羽万鈴(かりはまりん)"ってオンナ、絶対に"ただの傭兵"なんかじゃないわ。足跡を洗ってみたけど、ろくに素性が追えなかったのよ。ウルフマンに捕まった後、どこかに売られたことしかわからなかった」

 

「"ただの傭兵"じゃない?」

 

「そうよ。この時期にType:GDのプロト版を持ってるなんて。上層部直轄にコネがあるか、そういう組織にもともといたんだと思う。"パーティ"は傭兵を積極的に取り入れていたからカムフラージュに利用して、きっと"ウルフマン(人狼症候)"を調査しにきていたんだわ」

 

「俺を……」

 

 うっすらと疑問に思っていたことが氷解していく。

 去年。"ユニット"、"ハッシュ"、"スキーム"と、暗部組織を転々とした景朗が戦ってきた相手。

 強能力者に大能力者の目白押しである。

 何かがおかしいと思っていた。

 誰かが何かを仕組んでいるのではないかと疑いが晴れなかった。

 だが、そのヒントが目の前に転がっていたとは。しかしこれで、その疑いは確定の物となる。

 

「見つかる可能性は薄いかもしれないけど、"スクール"のオンナを探すついでに、狩羽万鈴も探してみて、ウルフマン」

 

「おう、ありがとうダーシャ。すごいな、モヤモヤしてたのがひとつ晴れたよ。あ……そうだ」

 

 景朗は、つい先ほど迎電部隊の蒼月に依頼された内容をダーリヤたちに説明した。

 少女のちいさな手のひらに、受け取ったデータチップをのせると、信頼の証を受け取ったと言わぬばかりに、ダーリヤはふんふん、と鼻を鳴らした。

 

「蒼月。ヘリの墜落現場にでてきたあいつの名前だよ。あいつに協力すべきかどうかなぁ……"スクール"の女も探したいし」

 

「あー、その事だけど……」

 

 丹生は言いづらそうに、景朗を見つめると、つづいてダーリヤに視線を移した。

 

「ウルフマン、"スパークシグナル"には恩を売っておいた方がいいかもしれないわ」

 

「理由は?」

 

「ウルフマンに協力してくれる組織について、考えていたのだけれど……」

 

 ダーリヤはタブレットを再びイジり、景朗に統括理事・親船最中と景朗が受けて来た任務との関連性を示す資料をつきつけた。

 

「学園都市内部組織で、理事長の政策に一番反対してる理事は、親船最中。だから、この人と協力関係を結べればよかったんだけど……」

 

 

 "ハッシュ"所属時。景朗は量産型能力者計画のプラント工場を警備し、反アレイスター派の送ったパーティを粉砕している。

 

 "スキーム"所属時。景朗はアレイスター派の筆頭プラチナバーグの部下として、親船最中の私兵部隊"ジャンク"を皆殺しにして壊滅させている。

 

 

「ウルフマンは、"パーティ"と"ジャンク"を潰してる。特に"ジャンク"は親船の直轄部隊で、最後の実力行使になってしまったわ。"ジャンク"壊滅の、親船の娘が人質にとられた事件の時期とをすり合わせて考えると、"悪魔憑き"の存在は親船の行動方針変化の引き金にすらなってるのよ」

 

「そりゃあ、俺と手を結べるわけないか」

 

 アレイスターの猟犬。アレイスターの刺客。アレイスターの執行人。

 親船たちを含む学園都市内部の反アレイスター派の一体だれが、景朗の言葉を信じるというのか。むしろ景朗は、彼らのもっとも憎むべき敵の1人なのだ。

 

 そんなことはわかりきっていたとはいえ、景朗は自らが置かれた壊滅的な惨状になんと結論をだせばよいのか、心配そうに顔色を窺う2人に返す言葉が見つからなかった。

 

「ありがと。言いたいことはわかったよ。ありがとう、ダーシャ、丹生。つまり内側では手を結べない。残るは外部の敵対機関。しかし外部と連絡を取りたいとなると、迎電部隊と仲良くならなくちゃ話にならないってことか」

 

「でもワタシも"スクール"には望みがあるとおもうわ」

 

「が、がんばろー、景朗っ」

 

「ホントありがと。そいじゃ、ダーシャ、根を詰めない様にほどほどでいいから、リストのチェックをお願いできる?」

 

「うんっ。まかせてウルフマン!」

 

「景朗」

 

「丹生サンは送ってくから帰ろ?」

 

「ちぇー」

 

 ちぇー、じゃないよ。危ない事はもうさせねえ。景朗は心でそういうと、丹生の背中を急くように押した。

 

 

「バカドレスの女、狩羽万鈴、スパークシグナルの探し人。えらく捜索対象が増えたもんだなぁ、どこから手を付けようか……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第五学区。"とある施設"内の悪臭に顔をしかめていた紫雲継値は、地下へのエレベーターに到達したことでようやく表情をほころばせた。

 

 コントロールルームに入った彼女が真っ先に目にしたのは、金髪の少女が椅子に倒れ込み意識を失っている姿だった。

 

 近づいて、少女のほっぺたを何度も何度も叩く。10を数える前にして、やっと相手は目を覚ました。

 

「ぅあっ! 誰だッ! だ……紫雲さん。やめてくださいよ……」

 

「"万鈴(まりん)"。"クリスタライン"は?」

 

「下で"AAA"のメンテしてると思いますよ」

 

「そう」

 

 紫雲が部屋から出ていく前に、慌てたように狩羽万鈴は叫んだ。

 

「私、今日、もう上がりますから!」

 

 返事は無かったが、仕方がないとため息をついて、狩羽万鈴は壁にかかっていた変装用のマスクとコートに、取り出した鬼の様に高価な高性能消臭剤をぶちまけ、続いて自分にも頭からふりかけた。こうしなければ、恐怖でろくに外にも出歩けない。

 

「……糞っ。クソッ。めんどくせえ。あのクソオオカミ。はよ死に腐れ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第六学区は繰り返すが、アミューズメント施設が密集している繁華街である。

 気にも留めていなかったが、そこらの路地をすこし見回ってみただけで、ちらほら件の"インディアンポーカー"を売る露店をいくつか見つけることができた。

 

「い、いらっしゃい、ませ……」

 

 露店のお姉さんのドギツイ白黒二原色のメッシュが入ったヘアカラーも、この街ではまったく珍しくはない。

 

 景朗は、並べられているカードの匂いを一通り嗅いで確かめてみる。やはりどれも、人間の鼻で認識できる匂いしか使われていない。

 

「あの……どうされました、か?」

 

 売り子のお姉さんは全くと言っていいほど接客になれていないようで、不安げに様子をうかがうばかりである。

 

「たとえば、このカード。犬や熊みたいに嗅覚が人間離れした動物にも使えるんでしょうかねぇ」

 

「面白い発想じゃないか。でも、人間にしか使えないだろうね」

 

「なんでですか?」

 

「彼らも人間と同様に夢を見るという研究結果があるのだけれど、結局は高度な知的情報を処理する大脳がないからね。共感覚の膨大なデータベースもないし、人間専用だよ」

 

「じゃあ、嗅覚が犬や熊並になった能力者は?」

 

「それは……それだと、彼ら専用のカードが作れるかもしれないね」

 

「専用って?」

 

「人間が目視できる色素が錯体の数によって限られているように、嗅覚も約400種類という嗅覚受容体によって嗅ぎ分けられる種類が決まっている。たとえば犬は800種類ほどあるらしいから、人間には存在しないその残る400種類の匂いだけを使って、嗅覚超越者同士でのみ使えるカードが作れれば……聞いてるかい?」

 

 お姉さんの話は雷の様に、景朗の脳髄にひらめきを催させる呪文の役割を果たしていた。はっきり言って、景朗はこの場で今すぐにでもお姉さんの連絡先を聞きだし、家にでも押しかけ、根掘り葉掘りその知識を聞きだし、蒼月から受けた依頼に有効活用してやろうと、そんな悪巧みの算段を組み立てている最中だった。

 

 だが、しかし。彼が目線を横に向けると。

 

 薄暗い路地に差し込む通りの光が、一人の女性的なシルエットによって遮られていた。

 

 派手なドレスの少女だった。

 こちらには気づきもせずに、彼女はのこのこ露店までやってきて。

 

「くださいな」

 

 と瀟洒にはにかんだのだった。

 

 

 



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episode36:猫耳猫目(キトゥニッシュ)①



一年・・・経つの・・・早いですね・・・

また新たな生活環境に慣れるのに時間を要してしまいました。

この長い休み期間に、感想を数件分お返事できずに貯めてしまってますね。
あとしばしお待ちを。おまたせしすぎて申し訳ないです。
数日中にお返事します!



 

 

 

 白黒のお姉さんの話はまた今度聞けばいい。

 ここでドレスの女を取り逃がすなどありえない。

 

 決断を下したかどうかの、その間際に、景朗は少女の腕を掴んでいた。

 カラダはまるでそのことを予知していたのか、捕食動物が狩りをするような俊敏さだった。

 

 

「あら?」

 

 捕まったと言うのに少女は慌てもせず、余裕のある動きで見上げてきた。

 視線が交わった。彼女の目つきは明確に語ってきた。

 

 不埒を働いてきた男を見ているようで、しかし意識はそこに向いていない。

 何か別のことを一生懸命に考えている――何かに集中している。

 

 少女が能力の発動に意識を割いている。

 慌てないのは、己の能力に全幅の信頼を寄せていたからなのか。でも。

 

 

「貴方、何ッ」

 

 少女は、目まぐるしく油断と失策を悟ったようだ。

 当然である。彼女の能力の正体は知らなかったが、恐れる必要などなかった。

 以前、そのチカラは自分には通用しなかったのだ。

 

「シッ!」

 

 とはいえ暗部で糧を得ている少女である。怯みはしなかった。

 即座に攻撃を判断し、膝で金的を打ってきた。続いて流れるように、ドレスを着ているとは思えない切れ味の良いハイキックへとつなげてみせた。

 身長差から頭部を狙えないと判断したのか、首の頸動脈を狙った技アリの一撃だった。

 

 ただし残念なことに、一般人レベルの暴力が景朗に通じるわけもない。

 

「わっ! わっ! 何事だ!? 暴力はいかんよ、とにかく!」

 

「落ち着いて。"第六位"だよ。六位じゃないんだけど」

 

「あっ、貴方――ッ!」

 

「君も面識があるのか知らんがッ、いきなり女性を掴むのは紳士的じゃないぞッ。やめっ、ほら! やめたまえ!」

 

 服の内側をまさぐり、武器か何かを取り出そうとしていたドレスの少女は、ためらいを見せつつも動きを止めた。

 目の前の男の言葉を信じるかどうか。彼女の焦る表情は葛藤を隠せておらず、掴んだ銃器を握りしめるみしみしという音は、戦いを選ぶか今なお迷う、そのためらいを伝えてくる。

 

 覚悟を決めたのか、少女は一度はぁっと浅く息を吐いて、じっと景朗を見つめてきた。

 

 恐らくもう一度、彼女の精神系能力とやらを使用しているのだろう。

 何度も反芻するように、当時の感覚を思い出すように、念入りに時間をかけている。

 

「本当にあの時の"貴方"なの?」

 

 改めて通用しないことを悟って、抵抗するのをようやく諦めたらしい。

 

「休みの日はこんな"姿(カンジ)"」

 

「な、なんだ?! "第六位"? 何を言っている?!」

 

 接客に加えて荒事にもまるで慣れていない白黒の知的なお姉さんは、どう仲裁すべきか盛大にテンパってくれている。

 これは好都合な状況かもしれない。その時、衝動的に浮かんだ"ひとつのひらめき"に逆らわず、お姉さんの意識を自分に釘付けにできるであろう言葉を脳裏に秘めて、景朗は勝負に打って出た。

 

「お姉さん、先ほどの話、実に興味深かった。できれば、というかどうしても続きが聞きたいんですが、たった今、外せない用事ができてしまいまして。またあとで改めてお話するために、連絡先を教えてもらえません?」

 

「……君ね、この狼藉を前にして素直に教えると思うのかい? まず、そう、とりあえず、その子を放したまえ」

 

「そうよ。離してちょうだい」「それはできません。絶対に。でも! でもですね、あの、たった今これだけのやりとりでどうしてそう思い至ったのかうまく説明できないんですが、ずばりお姉さんとお付き合いしたくなったってのは嘘偽りのない本心なんです、もう告白しようって決めちゃってますので。なのでどうしても教えてほしいんです。知的なところが好きです。付き合ってください」

 

「……はぁ?」

「あらら。お邪魔しちゃってたのかしら。それなら大人しく消えるわよ?」

 

 告白がドレスの少女にではなく、まさかの自分に向いているのだと察すると。

 お姉さんは瞬く間に顔色を赤く染めてしまった。

 

 接客、荒事に続き、色恋にもなれていないようである。

 景朗ごときが色恋を語るのも生意気だろうか?

 

「いや本当に。一目惚れってあるんですね。大人っぽいというか、理知的というか、落ち着いた雰囲気にときめきました。恋に落ちた自覚があります」

 

「ハァッ?! にゃ。にゃ、にゃぅんだと。き、君、からかってるんだろ。そうだろ?!」

 

 変装している景朗に怖いものなどない。彼は恥ずかしげもなくキリッとお姉さんを見つめ続けた。

 いやもう凝視し続けたと言っていい。

 

(マ・ザ・コ・ン?)

 

 ドレスの少女が淡い抵抗とばかりに口パクでからかってきたフレーズだったが、景朗はなぜかはっきりと理解できてしまった。

 

 『黙れ』と意志を込めて少女を握る手に少し力を入れる。

 

 指摘されて初めて気づく自分がいた。

 

(あれ? 俺ってマザコンなのか? ……どのみち)

 

 どのみち素顔だったら絶対にこんな真似はできなかったよな、と。妙な奇妙さが湧き出て来て、原因不明の笑いが出てきそうで、景朗は我慢した。

 

 ドレスの少女の腕を掴んだまま告白をぶちかます。景朗は非日常感には慣れっこのはずだった。しかし如何とも殺し合いはまるで別種といえる緊張感が、彼の思考を目まぐるしく明後日の方向へ追いやっているのに本人も気が付いていないらしい。

 

「そ、そ、そ、そぉぉっ! れなら、なおさらその子を放したまえっ! 話はそれからだっ!」

 

 当然だが、手を離せるわけがない。

 しかしそのために、からかわれているだけだと判断したのか、ついにお姉さんもちょっぴり怒気が表れてしまった。

 

「そうか。ならば断らせていただこう!」

 

 地面に散らばっているインディアン・ポーカーを残したまま、お姉さんは最後にひとたび刺々しく景朗を睨みつけると、それから脱兎のごとく駆け出した。

 

 やがては路地から抜け出した彼女の「警備員! 喧嘩だ! 来てくれ! 警備員!」という大声が聴こえてくる。

 

「フラれちゃったわねぇ。残念。さ、慰めてあげるから、どこへなりとも連れてって頂戴。それとも真っ直ぐ"彼"のところへ向かう?」

 

 喧嘩だ、喧嘩だ――という叫びは遠くなっていく。

 

「ぜひとも。と言いたいところだけど、俺は本当に喧嘩をしにきたんじゃないんだよ。ただ繋いでほしかっただけ、君を探してたのはね。俺が会いたがってるって"彼"に伝えてくれないかな? もちろん、お礼はする」

 

 景朗はしっかりと少女の瞳を見つめながら、ゆっくりと手を放した。

 

「そうだったの。でも蹴り飛ばしたのは謝らないわ。貴方は不躾だったもの」

 

「こちらこそごめんなさい、謝ります」

 

「はぁ。いいでしょう。彼に伝えとくわ。そうね……返事は、ここでしましょうか。その時はたっぷりお礼をちょうだいね」

 

 彼女はポーチから名刺を取り出した。

 名刺と言っても、極彩色あふれるカラフルさ。

 セラピスト。サービス。

 きちんと読む前からそんな単語が飛び込んでくる。

 

(こ、これは、名刺といっても、俗にいう如何わしいお店でなんちゃら嬢に貰う系の名刺なのでは??)

 

 紙切れ1枚が『浮気』『離婚』だと男女間にトラブルを引き起こす系の……。

 

「あのぅ、これは?」

 

 困惑度100%の景朗の質問。

 少女は今までのお返しとばかりに、まともに答えてはくれなかった。

 

「予約制なの。早めに指名してね」

 

 そう言い放ち、ウィンクを飛ばして、ふぅと息を吐いてしゃがみ込み、彼女は残されたインディアン・ポーカーをしげしげと眺め出した。

 

「これ、どうしたらいいと思う?」

 

「……そんじゃあ、俺が買い取っとくから、必要なら全部もってっていいよ」

 

 第六学区にはこれからよく顔を出すことになる。あの白黒のお姉さんにもう一度会えたら、お金を渡そう。

 

「ありがと。それじゃあもらっていくわ。全部はいらないけど」

 

 景朗は少女と一緒にカードを拾い集め、去っていくその姿をただ眺めて見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実を言うと、ダーリヤは蒼月とやらの依頼にかなり乗り気だった。

 

 インディアン・ポーカーで迎電部隊を欺いている奴らがいる。

 つまり学園都市の検閲機関をダマして、外部へ情報をリークする手段があるのだ。

 

 犯人を捜すことは、すなはち"アレイスターにバレずに情報交換できる技術"に迫ること。

 

 迎電部隊に先んじてリーク手法を解き明かせたら、自分たちだけで犯人たちを始末してその技術を独占してしまえばいい。

 独占が厳しい状況ならば、そのまま迎電部隊に成果を差し出し、恩を売り付ければいい。

 

 そう言ってダーリヤは不敵で子供らしからぬ、欲にまみれた攻撃的な笑みを浮かべたのだ。

 

 

 

 

 ……なので、この一連のやり取りが取らぬ狸の皮算用にならぬように。インディアン・ポーカーとはどんなものか。まずはそこから知らねばならないと。

 

 実際にカードと記録装置を入手して検討するべきだ。

 ダーリヤはそう提案した。

 しかしてさらに、彼女は"夢の記録装置"の設計図を見て『これくらいのなら造れる』とすら豪語したのである。

 であるなら、景朗の役目は速やかに必要なものを揃えることだった。

 

 

 

 

 

「おら、買ってきたど!」

 

「おおー」

 

 インディアン・ポーカー記録用デバイスの製作に必要なパーツは、玩具の部品からでも代用できる。そうダーリヤは言ってくれたが、サンプルや見本はあればあるだけ困らないはずだ。

 結局、景朗はアンダーグラウンドなマーケットにまで足を運び、よそ様制作の記録用デバイスから見本品のカードまでひととおり揃えてきてしまった。

 

「あれ、作ろうと思ってたのにウルフマン買って来ちゃったのね。パーツは?」

 

「パーツも買って来てるよ。一応、見つけたから他の人がつくった録"夢"装置も持ってきた」

 

「うわぁー! よしよし。……分解するわ!」

 

 秘密基地に帰ってきてそうそうに、景朗はそこが定位置だといわんばかりに喫茶スペースへと直行した。作り置きのアイスコーヒーで喉を鳴らすと、それからは作業するダーリヤをほうけた様に眺めることにした。

 

 

 飽きもせずずっと見つめられていることに、少女はさっぱり気づいていない。

 カードを明かりに透かして観察したり、買ってきたばかりの記録用デバイスを分解したいのか工具をしたためたりと、彼女はインディアンポーカーにかかりきりだった。

 

「ダーシャ、マジで造れるのか?」

 

「造れる。設計図があるでしょ」

 

 

 手持ち無沙汰に話しかけた景朗に、なんども分かり切ったことを質問してくるな、と返事はぶっきらぼうになっていく。

 買い出しに行く前に聞いたところでは、暗部組織ではずっとこういう事を勉強させられていたのだという。

 天才児って本当にいるんだなぁ、と何度目かになる驚きを反芻しつつ、同時にそれが彼女の暗い運命を決定づけた原因であることにも思い当って、景朗の口は鈍くなった。

 

 ふと、ありもしない想像に思いを巡らせてしまった。

 

 ダーリヤに、その才気あふれる頭脳が無ければ、今頃どこにいたのだろうか、と。

 やはりロシアにいたのだろうか。そこで幸せに暮せていたのだろうか。

 

 自分だったら。

 もし景朗に、超能力者に至る素養がなかったとしたら?

 その仮定には容易に結論がつけられる。

 今頃、自分は至って平凡な人生を送っていただろう。

 血なまぐさい経験をすることも、取り返しのつかない業を背負うこともきっと無かったはずだ。

 

 

 ならば……いや、違う。

 自分とダーシャは、同列には語れない。

 

 

 ダーシャに選択肢はなかった。

 彼女は生まれてすぐにスパイとして教育を受けさせられた。

 もし彼女の頭が悪ければ、途中でお役御免だったか? 普通の子供として育っていたか?

 そんなわけがない。

 むしろそのような境遇では、頭の出来が悪くて競争に勝ち抜けなければ、より不幸な事態に陥っていた可能のほうが高いだろう。

 

 

 

「そういえばウルフマンの言ってた"詳しそうなお姉さん(白黒頭のお姉さん)"って見つからなかったの?」

 

「あぁ……見つかんなかった。一応ね、十五学区(繁華街)も通って来たんだけどね」

 

 工具箱が若干重かったのか、ダーリヤはそれを開ける時に顔をしかめたものの、あとは慣れたように目当てのツールを探っている。

 

 こうして彼女の働く様を見ていると、映画に出てくる天才メカニックキッズそのものである。

 おままごとのような光景だが、現実なのである。

 しかもこんなヤツらが、どうやらこの街では珍しくもないときている。

 

 たとえば、彼女の昔の職場の同僚とやらも。

 

 景朗はそのまましばし眺め続けた。

 ダーリヤが軍用ラップトップ(景朗は何台も買わされた)の画面を覗きこみ、チマチマやりだすようになって、一息ついたのかな、という空気感になってから。

 彼はおもむろに語りかけた。

 

「……なぁダーシャ。そういや殺したいヤツがいるって言ってただろ? 誰なんだよ?」

 

「"死者の詩(ゴーストチャント)"」

 

「Ghost Chant? 能力名で呼ぶって相当嫌いなんだな……まておい能力者ってことは歳は? キミとそう変わらない歳のガキんちょじゃねえだろうな?」

 

「"くそがき"よ。小6だから……12才? ほんとくそがきだからハナシが通じないのよ」

 

「小学生……あのなぁ……9歳児に依頼されてのこのこ12歳児をブチ殺すと? 俺がそんなことをすると? 本気で思ってたのか、コラ……」

 

 呆れる景朗に、ダーシャは予想外の怒りを表明した。

 不機嫌さを隠しもせず、いかにもな暴投でダーリヤは端末をぶん投げてきたのである。

 飛距離すら足りていなかったが、危なげなく景朗は腕を伸ばしてキャッチすると、何すんだと睨みつけた。

 

「だってキショいのよ」

 

 しばらく睨み合ったが、ダーシャは頑なに端末を見ろ、見ろよ良いからはよ見ろよゴルァ、とジェスチャーを繰り返すのみ。

 埒が明かないので手元の画面に目をやった。

 

「あ。すまん」

 

 くだんの"死者の詩"のプロフィールが表示されていた。

 

「"死者の詩(ゴーストチャント)"。死体から記憶を読むサイコメトリー。能力者本人が対象を殺害した場合はより高精度な読み込み(リーディング)が可能。能力の対象生物は人間のみならず、幅広く脊椎動物を包含する……」

 

「ヒトだけじゃなくて、ノラネコとかスズメとかカラスなんかもナイフで殺してたわ。わざわざ毒を塗って。けらけら笑っててキッショい"がき"なのよ!」

 

「便利だなぁこれ。現場で飛んでた小鳥なんかからも情報収集できるわけか。で……んあー、目の下にデッケーくまができてんなぁ、ついこないだまでの誰かさんみたいに。こいつ、仕事は楽しんでやれてなかったクチか?」

 

「知らない。キョーミないわ。いっつもガイコツみたいな顔しててフラフラのくせに。ちょっとカラダがデカいからってワタシにボーリョクをふるって自分のシゴトを押し付けてたわ。今からでもウルフマンにコロしに」「ハイわかった! もう俺のチームに居るんだからいいじゃん。二度と会うこともないじゃん? 忘れようよ。蒸し返して悪かった。あ、そうだ。なんか甘いもの食べようぜ?」

 

 ダーリヤは不満さを隠さぬ一方で、文句を垂れつつもちょこまかと動かしていた手を止めた。

 1日の糖分摂取量を適正値へと矯正させられた今、甘味の魔力にはいかんとも抗えないのだろう。

 

「食べるっ」

「おkおk」

 

 景朗は最後にもう一度だけ"死者の詩"の顔写真に目にとめた。

 なんだか、初めて会ったときのダーリヤに印象がかぶる。

 子供には不釣り合いな巨大な目の下の隅は、たしかにガイコツを彷彿とさせるほどに黒ずんでいた。

 

 

 業務用のくそでか冷蔵庫から、買い置きのエクレアを取り出すと、ダーリヤはスソサスススッ、トタタターッ、と近寄り見る間に奪い去っていった。

 

 

 なんと軽い足音なのだろう。本当に体躯は子供そのものなのだ。

 

 

 ダーリヤを助けて、身近において暮らす様になって、景朗はふとした瞬間に考えざるを得なくなった。

 

 

 統括理事会が創ったこの街の裏社会。

 その最下層で使われる暗部の子供たちの中には、ダーリヤと同じような境遇の者がまだほかにもいるはずなのだ。

 当たり前のことなのに、これまで深く考えようとしなかった。いや、深く考えても意味がないと、それで済ませてしまっていた。済ますことが、できてしまっていた。

 

 

 しかし、今となっては……。

 四六時中、『疑問』が脳裏から離れなくなってしまっていて、景朗はまた気分転換にアイスコーヒーをガブガブとあおらなくてはならなかった。

 

 実際のところ子供とはいえ、暗部で手を汚した倫理無き犯罪者たちには変わりない。

 だから誰も彼らを助けないのだろうか?

 

 

 助けに期待する馬鹿馬鹿しさを悟っていたが故に、ダーリヤは景朗を探し続けたのだろうか。

 

 救援を求めるのではなく、ただ寄り添える大樹の陰を。

 せめて等しく、暗部の絶望に立ち向かってくれる頼もしい仲間を。

 

 景朗は誰かに助けなど求めなかった。

 今まで気が付かなかっただけでそれは、ダーリヤが縋りついてくるほどの強さを、自分が持て余してきたということなのだろうか。

 

 それでも、いくらダーシャが罪を犯しているとはいえ。

 不運の果てに暗部へ落された弱者であれば、助けを望む資格はあってもいいはずだ。

 

 でも景朗は、彼らの内のいくばくかにでも救いの手が差し伸べられたという話を聞いたことが無い。

 

 悪がはびこるのが世の必然なら、それに抗する善なる者たちも少なからず現れて然るべきなのに。

 

 暗部から救済される。そんな夢みたいな話がどこかに転がっていないかと、他人事でもいいから耳にしてみたいものだと。

 そう期待して来た1年だった。

 だが結局、この街の闇には、かすかな光すら届くことはなくて。

 

 

 この街にだって少なからずいるはずの善なるものが、何もできないというのなら。

 それはいったいどうしてなんだろう?

 

 

 

 景朗なりに理解に至った結論はある。

 

 ダーシャのような子供たちが苦しんでいる状況が、この街ではそもそも"悪"だとみなされていない。

 

 そうとしか考えられない。

 

 子供が消費されるのは悪ではない。

 立場の弱い者が地獄を見るのは、予定調和であり、イレギュラーではない。

 この街のシステムが許容している"必要性"だ。

 それが正常だとして成り立っているのだ。

 

 

 そのクソみたいなシステムを創って、運営しているのはどこのどいつか?

 

 暗部の人間ならば、統括理事会と答えるだろう。 

 ……だが。

 景朗は数奇な運命から、理事たちよりもっと"上"の存在へ。

 この街の裏世界の、もっとも強大な核心部分に身を置けている。

 

 

 実のところ理事会すら恐れる、頂点に立つ支配者の存在。

 

 あの"もやし男"さえ――。

 

 本当に本当のところで、"あいつ"が許しさえしなければ、"あいつ"がこの惨状にNOと言ってくれさえすれば、この街では善行でも悪行でも、何ひとつ成り立たないのだと漠然と理解し始めている。

 

 つまりは。

 ここで繰り広げられている"できごと"はあの男が意図して創り出し、是として運営しているということになる。

 "あいつ"にはそれだけの責任があるはずなのだ。

 

 たった1人の"あいつ"の意志によって、多くの運命が捻じ曲げられている。

 そこに自分だって含めていいはずだ。

 歪みは連鎖して、弱い部分から順番にひび割れを起こしている。

 

 ダーリヤを手元に置いたのは、景朗の単なるエゴだ。

 何かを救済する行為とは、ほど遠い。

 

 

 "あいつ"さえどうにかなれば、光明だって見えてくる。

 いつ。だれが。どうやって。

 ただ――――良いことをすれば、悪いことがチャラになるわけじゃないんだ。

 目的はいつだって絞らなければ。

 

 からんからん、とグラスの氷で音を立てる。

 

 ――――なあ、最近。調子に乗ってないか。

 たったひとりガキンチョを助けたからって、なんだよ、何か変ったのか? 変えられたつもりか?

 聖人君子になった気分か? 今までのがこれでチャラになるのか? お前正気か?!

 そもそも、"助けた"って胸を張れる状況かい?

 こどもをひとり"助けてみた"って、そのへんの動画のしょうもないタイトルみたいな、チンケな話じゃないのか――――

 

 

 

「ムグッ、フマン! 手が空いたらカード使ってみるって言ってたでしょ! ムグ、ングッ。はやくしてッ!」

 

 

 エクレアにかぶりついていたとてダーリヤはやっぱり目ざとく、何もせず眺めていただけの景朗にしっかりと腹を立ててしまっている。

 

「あうお、オッケー」

 

 I.P.(インディアンポーカー)カードを額において横になる。

 しかし。

 最後に寝たのいつだっけ? 

 と自問自答して明確な記憶がでてこないくらいには、"眠りにつく"という行為から景朗はすっかり離れていた。

 

(あれ?)

 

 すんなりと意識を手放すことができない。

 

 だがここであっさりと諦めるなんて、もってのほかだ。

 

 自らに強く、再認識させる。

 

 もし、本当にインディアン・ポーカーで内部機密をリークしている奴等がいるのなら。

 そいつらは相当に上手くやっている。

 なんぜ、あのアレイスターの目をかいくぐり、外部と情報を交えているのだから。

 

 ダーリヤの気の入れ込みようは当然だ。

 今もっとも、自分たちに必要な技術なのだから。

 

 

 とりあえず、横になって意識を落として休息をとる。

 だが流石に、この労役から長く解放されてきた景朗とて、無意識のうちに脳を休ませてはきたはずである。

 

 たとえば、一部の海生哺乳類や鳥類が右脳左脳を交代々々にして片脳ずつ睡眠をとるように。

 

 さりとて、今の今になって所作がわからなくともやるしかない。

 

 起きつつ、眠る。同時に何とか為し得ないか。

 そもそも睡眠に近づけば近づくほど、能力使用のための集中力は無くなっていく。

 

 かといって、意識を手放せるように臓器に仕掛けを施してしおうかとも考えるが、問題がある。

 

 "脳みそには極力、手を加えたくない"のだ。

 

 それは誓いや信仰にも近く、破ろうとすれば猛烈な忌避感を景朗に与える行為だったが、ダーリヤの期待に応えようとする気持ちがこの時ばかりは勝利したようである。

 

 

 

 警戒に割いていた集中力が低下していく。それに伴う凶悪な不安感も押しとどめる。

 

 

 

 車の排気音や人の話し声といった耳に入る外界の情報が、どこまでも遠く離れていく。そんな感覚だった。

 

 そろそろだと確信が己のうちに沸いたころに、景朗は天井のその向こうを、別の世界を空想して凝視した。

 

 初めは、それが夢の中だとは気づけなかった。

 バグを起こしたゲーム画面のような、真暗で何もない空間が、ただそこにあるだけだった。

 この闇こそが"無意識"なのか、と勘違いすらしたが、そうではなかった。

 

 突如、一人の人物が出現したからだ。

 なんとも夢だと分りやすいことに、見覚えのある人物だった。

 

 つい先ほど見かけた白黒メッシュ2原色のお姉さんだ。

 

 ただ、白黒頭の知的なお姉さんは、景朗のことなど瞳に映してはいなかった。

 

 昼間の打てば響くような知性は鳴りを潜め、ただただ陶酔し切ったかのような演技ぶりで、一方的に口上を垂れてくるだけである。

 

 景朗のほうから話しかけても会話は成立しない。

 まさしく、再生された動画に視聴者が画面外から相槌をけしかけるような無意味さである。

 

 

 これが、明晰夢を味わっている感覚なのだろうか。

 明晰夢とは、夢の中でこれが現実ではなく夢であると自覚できるものを指す。

 

 それにしても。

 

『放置できない脅威』『脅威を排除することはさらなる脅威を産み出すことになる』

 

 お姉さんは不安を煽るだけ煽って、具体的なことは何一つ言わない。

 

 "暗号"なのか?

 特定の誰かに向けたメッセージなのだろうか。

 

 暗部のド外道どものことを指しているような気もするが。

 おおざっぱすぎる主張で、このカードの作成目的がさっぱりわからない。

 

 この謎のお姉さんにはもう一度話を聞いてみたいものである。

 

 

 

 

 

 

 まどろみを自ら打ち切った景朗は、音もなく上体だけを起こした。

 ゆっくりと含みを持たせた動きで、真横を向く。

 いつのまにか横たわる自分の姿をデジカメで撮影していたダーリヤに、そして無言の抗議を送る。

 

 

 もちろん、女児童の行動には気づいていた。

 

 眠りについた景朗を見て何らかのチャンスと思い立ったのか、ここぞとばかりにダーリヤは撮影ツールをどこからか取り出してスタンバイ。

 それはさながら希少生物の映像をハントするために、大自然に根を張るプロフェッショナルな撮影クルーのように。

 遮熱シートらしきものをかぶり、カメラだけをこちらへ向けている。

 

 

「満足スか?」

 

「ウルフマンのすいみんシーンは貴重だわ」

 

「なんだろ、なんだろ。この何かを失った感。何も損はしていないはずなのに」

 

 ダーリヤも取れ高に満足がいったのか、ぱちりとそこで録画を終えた。

 小さなため息とともに立ち上がった景朗は、呆れがそうさせたのか、わずかに怒った風をよそおい、わざと声を荒げてみせた。

 

「こんなに散らかすのはいいけどさ、録夢デバイスはできたんかい?!」

 

「ソコ!」「あえ?」

 

 ちっさな指が指し示す、カウンターテーブルの上の無機物はまさに。

 I.P.(インディアンポーカー)作成装置の完成品と思しき機材だった。

 

「はええなぁ……いやそうじゃないのか。俺、どのくらい寝てた?」

 

「30分くらい?」

 

「そんなにか! ……すまん、最速で作ってくれてお疲れ様でした」

 

 景朗の体感では10分も躰を横たえてはいない。

 改めて睡眠の無防備さと記憶の曖昧さに身震いする思いだった。

 忘れるのは一瞬だ。

 睡眠をとらずに活動ができるようになって、1年も経っていないのに、である。

 

「早く動作チェックしてっ!」

 

「また寝ろとぉ? たった今目が覚めたんですけどもッ!」

 

 

 今しがた眠って起きたばかりの人間に向かっての、容赦のない要求だった。

 

 

 じんわり湧いてきた無情感を追い払って、ダーリヤ手製の記録装置に手を伸ばそうとして。

 その前にふと振り向く。

 ダーリヤは先程から遮熱シートの下で伏せたまま動いていない。

 カメラをオフにしたのに撮影機材の撤収作業に入らなかったのでヘンだと感じていた景朗だったが、ここで得心がいった。

 クソチビはこれからの録夢テストもばっちり録画する算段なのだ。

 

「ふぅん、そういうことかい。ふぅん、だからカメラ片付けないのね」

 

 景朗は意地の悪い笑みを浮かべ、カメラの撮影範囲からわざと離れたところで横になった。

 ぱたぱたと慌てたようにチビガキは動き回る。愉快そうに笑いながら、景朗は目をつむった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんとも呼び名に困る迎電部隊クリムゾン01こと自称蒼月氏から進呈された"疑わしい能力者リスト"――ダーリヤが書庫や暗部のデータベースで調べてひとりひとりに注釈をつけてくれている――を上から下までスクロールしながら、景朗は実際にインディアンポーカーを試遊して察した結論を不意にぶちまけていた。

 

「眠りながら能力を使うのって、普通の人間にできるかね?」

 

「ワタシにはムリだわ」

 

「だよなぁ」

 

 ダーリヤからの同意もあった。

 景朗はむくりと寝転がっていた床から身を起こし、真面目な会話をしよう、と少女に向き直った。

 

「おもいっくそ当てずっぽうの直感なんだけどさ、俺は眠っているときに能力を使えるヤツを当たってみたい。どう思う?」

 

「そんな能力者、もうとっくにスパークシグナルが抑えていると思うわ」

 

「あー、違う。夢を操る能力じゃなくて、能力で嗅覚そのものを鍛えてる奴らを調べるんだ」

 

「そういうこと。……わかったわ。それはたしかにウルフマン向きね」

 

 眠っているときでさえ意のままに能力を使える能力者。

 精神系能力者にはそれができそうな者がいそうだが、もしそんな例外があったとしてもだ。

 

 その例外たる能力者を除いて、能力は基本的に起きてる時にしか能動的に使うことはできない、と仮定してしまってよいのではないか。

 

 これが、実際にカードを試遊してそれを実感した景朗の結論である。

 

 肉体系の最高峰であるという自分ですら、睡眠をある程度のレベルで操るのに手間をかける。

 どこぞにいる犯人が、覚醒中、つまり目覚めているときに能力を使ってカードに細工しようものなら、その時の記憶を感知系の能力者にすっぱ抜かれることになる。細工された夢を見た者も、同じくだ。

 

 迎電部隊は学園都市の出入ゲートに張り込み、検閲を行っている。

 念話能力(テレパシー)、精神感応(テレパス)、念写能力(ソートグラフィー)、読心能力(サイコメトリー)。

 抜け目なく感知系能力を揃えてる迎電部隊を誤魔化すなんて方法は、景朗にはさっぱり想像もつかない。

 

「ここまで迎電部隊が手をこまねいてるってことは……能力を使ってる当人に犯罪の片棒を担いてる自意識がないって可能性もあるんじゃね?」

 

「ワタシもその仮定はアリだとおもうわ。リストには一般人(非暗部)が多いし、スパークシグナルも一般人を利用して犯行が隠蔽されているって疑っているんだと思う」

 

 暗部組織は、ある意味で、学園都市理事会の完璧なコントロール下にあると言ってよい。

 この暗部組織の中に裏切り者がいると迎電部隊が疑っているのなら、景朗に助けを求めてなど来ないはずである。

 インディアン・ポーカーという新ツールは、瞬く間に学園都市全体に拡散しつつある。カードの枚数は180万人もいる学生が日夜作成しつづけ、もはや1枚1枚管理するのは難しくなっている。

 

 この状況に紛れて何らかの工作を行っている犯行グループだが、彼らの手口は未だに露見していない。

 

 蒼月が景朗に協力依頼を送ってくるほどである。

 景朗とダーリヤも、やはり迎電部隊と同じ疑いに到達した。

 

 犯行グループは、全く関係のない無垢なる学生のインディアン・ポーカーに細工を行い、自らの手駒としている。当人にすら気づかせることなく、恐らくは秘密裏に。

 

「俺が気になるのはリストに載っていない、この4人だよ。

 

 "猫耳猫目(キトゥニッシュ)"

 "繊維織り(シルクワーム)"

 "金属探知(メタルチェッカー)"

 "宝石鑑定(ストーンエッセンス)"」

 

 

 ごっつい軍用ラップトップをイジったままだが、ダーリヤはちゃんと聞き漏らさずに「選んだ理由は?」と続きを促してくる。

 

「蒼月にもらったリストに載ってるやつらは全員、普通の人間では知覚できない匂い、"超嗅覚"を利用できている。けど、こいつらのほとんどは能力による知覚、第六感(ExtraSensory Perception)で認知してるだけだろ? だからたぶん、寝てる間は上手に能力を使えないと思うんだ」

 

 寝ている間や無意識に能力が発動することはある。だがそれはAIM拡散力場や能力の暴走といった代物であり、能力の適正活用には、極度の集中力が必要である。

 それは『寝ていながらにして数学の問題を解け』という矛盾した行為に近いのである。

 

「けどこの4人は、なんというか、能力の使用履歴や"超嗅覚者としての俺の経験とカン"からさ。能力で嗅覚を底上げして匂いを感知してる"ニオイ"がするんだよな。五感、つまり嗅覚で匂いを嗅ぎ分けてるわけだから、睡眠中、無意識で能力を暴走させた状況でもカードを使える可能性があるかなぁと」

 

「もしかして、さっき寝てる間にそれを確かめてたの?」

 

「まあね。……んで、コイツ等4人のレベルは低いんだけど、超嗅覚を発揮できるポテンシャルはありそうなんだ。"猫耳猫目(キトゥニッシュ)"、本人曰く『ねこのチカラ』。夜目と聴覚の発達。でも嗅覚は? 本人が幼くて気がついてないだけってセンもありそうでさ。次、"繊維織り(シルクワーム)"は雑草から糸を紡ぎ出すって能力で。……どうやって草木から有用な繊維、つまりポリマーだけを選り分けて抽出してる? ってところで嗅覚で選別してるかもしれないってわけ。3人目、"金属探知(メタルチェッカー)"。コイツ、盗難車の追跡をしたことがあると資料に載ってる。嗅覚も利用してる可能性大だろ? 最後の"宝石鑑定(ストーンエッセンス)"は……コイツは直接触らないと能力が使えないらしい。ガラス越しではダメだと。なのに、目隠しして当てることはできるらしい。自覚が無いだけで嗅覚も利用してる可能性アリ、かな」

 

「とにかく今は手がかりが少ないから、現場に打って出るのは賛成するわ。それでワタシ次は、インディアンポーカー記録器作り終わったし、スパークシグナルの"ウラ"を取ってみたいのよ。ずっと気になってたのよ、この一件の事実確認。どこまで本当なのか」

 

「あ、それはもう、たのんます……」

 

「"ウルフマン"、じゃなかった。"三頭猟犬(ケルベロス)"として調査に当たるわ。いい?」

 

「いいよ」

 

「蒼月から追報があったら……あれ? これってハウンドドッグとしてじゃなくて、ウルフマン個人への依頼なのよね?」

 

「ああ、そうだよ。だから"猟犬部隊"には内緒で。ああ、そういや先に蒼月のところに顔だして依頼を受けるって伝えるか。その後で」

 

 景朗はもう一度、ピックアップした4人の能力者の資料に目を落とす。

 

「"猫耳猫目"と"金属探知"は今日中にでも当たってくる。猫耳ちゃんは小学生で、メタル君は……"風紀委員(ジャッジメント)"かいっ。これで"クロ"だったらなんというかドラマチックだな……」

 

「……ウルフマンの仮説が本当だったとしても、ワタシにはまだ具体的な方法が思いつかないんだけど……でも"超嗅覚"で細工するってことは、インディアンポーカー自体は従来の使用方法になるでしょ。それなら"超嗅覚者の共感覚のデータベース"を作らないとダメ。となるとソウテイされる犯人たちは組織的にやっている可能性が高いわ。いちおう気をつけてね」

 

「わかってる。ま、元からダメ元だよ。……あれ、意味が被った?」

 

「……」

 

 ダーシャ君の無言の沈黙が痛い。

 ――――無言の沈黙、これは、地の文まで意味の重複が生じてしまっている。

 

 景朗はごまかすように、とりなすように、言葉を付け加えて外出の支度に取り掛かった。

 

「とりあえず安全確認もかねてさ! ほらこいつら、とくに猫耳ちゃんとかまだ小学1年生じゃん? 万が一、暗部のゴタゴタに巻き込まれてたらカワイソウじゃん」

 

「ふぅん……?」

 

 ダーリヤは景朗の善人ぶった発言になんら理解を示してはくれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗部のデータベースでは、ターゲットたる4名の能力者の住所が漏れなくヒットした。

 景朗は最も可能性のある"金属探知(メタルチェッカー)"の自宅へとまず先に向かった。

 

 彼は"風紀委員"に所属している。となれば、休日の明るい時間帯はパトロールやらボランディア等でまず確実に家を空けていると踏んでいた。

 予想は外れず、家は無人だった。

 景朗は手馴れたもので、誰にも悟られることなく侵入し痕跡すら残さず、インディアン・ポーカー事件に関連のありそうな証拠を物色したが、めぼしいものを見つけることはできなかった。

 

 第七学区には残る3人のうち2人、"繊維織り(シルクワーム)"と"宝石鑑定(ストーンエッセンス)"も住んでいたが、在宅状況は掴めていなかった。

 一方で、十三学区にいる"猫耳猫目(キトゥニッシュ)"はダーリヤの事前調査で、外出中だと判明している。何でも彼女の寮のフードサービス会社の手配ログを暗部のネットワーク経由で調査したら、昼食用のお弁当の申請があったという。

 

 目ざとく喫茶店のテラス席に腰を据え、どちらに行こうか迷っていた景朗だったが、そこで聞き覚えのあるエンジン音を察知してしまった。

 

 話を通しておこうと思っていた蒼月たちの乗る、移送防護トラックが、ひとつ離れた通りを横通っていったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「協力に感謝する。念を押すが、君個人への依頼だ。くれぐれも"猟犬部隊"には手を出さないで貰いたい」

 

 ヒッチハイクの真似事にもきちんと対応してくれた"迎電部隊"のドライバーに胸の内で軽く感謝をつぶやきながら『その条件で構いません、依頼協力に対応しましょう』と景朗は蒼月に向かって返答した。

 

「そう、その件ですよ。ひとつ……あー、ひとつと言わず色々知りたいんですがまず、どうしてそこまで自分個人への契約に固執するんですか? 依頼を受けるといっても"猟犬部隊"ひいては上部組織への背信行為はできませんからね?」

 

「それで構わない。君なら理解してくれるはずだが、端的に言うと"猟犬部隊"が絡めば死体袋が大量にできあがってしまうだろう? 今回の案件では我々はそれをタブーとしているんだ。それが一番の理由だ」

 

 景朗は蒼月の皮肉めいた言い方に何の反論もできなかった。木原数多が舵を取る猟犬部隊はそもそも迅速に対象者を(殺して)制圧する部隊である。ひとたび動けば、すなはち誰かを殺している。

 

「ですが状況が状況なら、手が足りていないのなら選択の余地はないのでは?」

 

 ただし。さりとて景朗ひとりの協力も惜しい状況なのであれば、一応は等しく理事会を上部に持つ暗部組織同士である。連携を取れないこともないはずだ。

 

「いいかね。私たちは諜報組織の面も持っている。君たちのように純粋な執行部隊ではないんだ。いわばスパイ行為を監視し、時には我々がスパイ行為を行わねばならない。スパイ、諜報活動は組織と組織の交渉が欠かせず、互いに二重スパイを抱えあう。情報は情報でしか入手できない場合があるということだ。前回、"アレイスターの案内人(ムーブポイント)"の一件で君は極力誰も殺さないようにしていたね。私からは100点を送りたい。人質を取ることこそ我々の仕事の第一歩なのだよ。殺してしまえば情報も吐かせられず、相手組織との交渉どころか無価値な感情的対立を産んでしまう」

 

「だから、つまり、たったそれだけ、俺が殺さないように気をつけたってだけで。それだけが理由だと本気で言ってるんですか?」

 

「『それだけ』では済まされないんだよ。諜報では敵対機関とのコネクション作りが不可欠だ。君にはまだ理解できないかもしれないが、ある程度、情報を売り買いするのは我々の世界では黙認されている行為なんだよ。それこそ"猟犬"並みの浅はかさで殺し回られたら損失は計り知れない。私は君を"初めて目にして、見直した"んだよ。君が実戦で見せた姿勢が何よりの証明だ。"アレイスターの執行人"、"アレイスターの忠犬"。君の資料からは殺人嗜好しか読み取れなかったのだが、噂は所詮噂に過ぎなかったとこの眼で拝見させてもらった。君の資質はその能力も含めてスパイ向きだ。ウチに引き抜きたいくらいさ」

 

(俺が手早く片付けてしまうしかないんだよ。"あいつら"に殺されるより俺に殺された方が苦しまなくて済むんだから)

 

 "猟犬部隊"の隊員たちは木原数多が選んだということもあって、皆、実戦の場では特段に品性が下劣になる。相手が弱ければ"殺しで遊びだす"のだ。

 人のことを悪しざまに言える立場ではないと自覚はあるが、少なくとも猟犬部隊で働く時、景朗はターゲットに麻痺毒と睡眠毒を必ず併用している。

 余計な痛みもなく、眠るように意識を手放せるように。

 

 しかしその精一杯の足掻きは、暗部の報告書には決して現れないようだ。

 むしろ"三頭猟犬"は理事長のために率先して殺害数(キルスコア)を稼ぐ猟奇的な存在として知れ渡っている。

 

 のだが、この蒼月はそうではなかった。景朗の気持ちを、ほんの少しは理解してくれている、らしい。

 この程度でデレてたまるか! と景朗は心の中で叫び倒したが、それでも、次に口からでた言葉は、ほんのりと笑いを誘うものだった。

 

「はぁ。そうですか。なんというか……木原数多にその話、是非とも通しておいて欲しいですね」

 

 景朗の愚痴に、フッ、と蒼月は鼻だけで笑みをこぼした。

 

「現場で敵対者と対面しても、極力殺さずに捕まえてくれ。君なら容易なはずだ。今回の事件にはいや今回の事件にも当然CIA(ラングレー)が絡んでいる。その他に彼らと連携して動いている可能性は――大きなところでNSAやUSCM、日本企業。一番の懸念はCIAの連中だ。奴らは荒っぽい、多少は目をつぶるが――」

 

「ちなみにロシアは?」

 

「ロシアが気になるのか?」

 

 はばからず景朗の顔面をずっと観察していた蒼月は、いっそう探るような眼でこちらの表情を読もうとし始めた。

 蒼月に対する印象は前回会った時よりも多少はよくなった気がするのだが、景朗はどうしても不信感を拭う気になれなかった。

 この男の言葉からは、気に食わないニオイを感じずにはいられなかった。

 

「あくまで私の見立てではヨーロッパ勢力はあまり。米国が主犯格で間違いないと見ている」

 

「そうですか。ありがとうございます。なんというか自分は。そりゃサボタージュや、アサシネートは得意ですよ。でも交渉は苦手です。ほとんどやったことがない。ので、そこまでの責任は負いかねますよ」

 

「もちろん。交渉は互いに衝突の結果がわかりきっているときにだけ起こる、妥協ゆえの行動さ。君にはわざわざ交渉をする必要がないだろう。誰が相手だろうと問答無用で無力化して捕まえてしまえばいい。単純だろう?」

 

「それじゃあ、今の捜査状況は? うちのバックアップスタッフにデータを送ってもらっても?」

 

「申し訳ないが、できない。だが、最低限の説明はしよう」

 

 

 蒼月が語った内容は、景朗とダーリヤがたどり着いた推論からそう外れてはいなかった。

 迎電部隊が持っている検閲のノウハウ。

 高位能力者によるアナライズや最先端化学捜査機器の駆使。

 敵対諜報機関経由での情報奪取。

 

 それでも犯行の糸口が見えてこない。

 

 唯一判明したのは、やはりCIAの影がそこにあったということ。

 CIAの活動が活発化しており、流出した情報の事実確認がしたいのだろう、という推論だった。

 

 今はまさに別の角度からの試み、例えば嗅覚の発達した景朗などに応援を頼んでいる状況らしい。

 

 

「あくまで、インディアン・ポーカーは疑わしいという懸念があるに過ぎない。あちら(CIA)に送り込んでいる"耳"が『カンパニー(本部)でカードの実物を見た』と報告してきた以上、可能性には敬意を持って当たり、顛末を白紙に記さねばならない。もちろん彼らは学園都市製品はすべからく吟味して調査しているようだから、特段高い疑惑があるというわけではなく……可能性はゼロではないという話さ。こちらも人員を割いて監視に勤めているが、こういう時の鉄則として、我々とは別の超感覚を持つ君にも同席しておいてほしいのだ」

 

(絶対嘘だろ。もうちょっと何か掴んでるだろ。この男、俺に何をさせたいんだ?)

 

 景朗はダーリヤと立てた、『一般人がインディアン・ポーカーで情報漏洩の片棒を担がされてる説』を問うてみたが、あっさりと蒼月はそれも可能性の一つだと認めた。

 景朗としてはひとまずこの仮説で捜査を進めたい、と進言するも、これまたあっさりと蒼月は許可をだしてしまった。

 

 一体全体、協力しろと言って置きながら、具体的な要求が無いのは不気味である。

 

 

「はっきり言って、わざわざ"アレイスターの忠犬"という危険人物を選ばなくても他に適役がいたでしょう? 自分をそばに置いて、何に使う気ですか?」

 

「君を選んだのは役に立つと思ったからだ。仮に別の狙いがあったとして、本人を前にして正直に言うと思うか? 納得できないなら、この依頼を蹴るか?」

 

 別にどちらでもいい。蒼月は言外にそう言っていた。

 

「全然まったく納得できていませんが、この依頼は受けます。受けさせてください。問題あります?」

 

「よろしく頼む」

 

 景朗がそう答えることをまるで最初から知っていたかのごとく。

 蒼月は感情を消したまま、握手のために手を差し出してきた。

 

 

 

 

 

 

 

 第十学区の端で車から降ろされた景朗は、ダーリヤに当たり障りのない軽い報告を送ったあと、十三学区へと向かうことにした。

 日が暮れ始めるまで、たっぷりと時間が残っているわけではない。

 "猫耳猫目"ちゃんの留守中に、空き巣もとい調査を終えてしまわねばならない。

 

 

 もはや家宅侵入に何の躊躇もなく、ナチュラルにちゃちゃっと済ませてしまおう、と罪悪感すらなく計画を組み立てていた景朗は、ちょうど第十三学区への通り道である第二学区(警備員や風紀委員の本部がある)で、正義に殉じようと訓練に勤しむ人々の凛々しい姿を見て、カチーンと思考が固まってしまったりしたとかしないとか、なんやかんやで。

 

 

 "猫耳猫目(キトゥニッシュ)"の住む学生寮へとたどり着いた景朗は、そこでぴったりと出くわしてしまった。

 焦げ茶色の長めの髪をツインテールにまとめ、えっちらおっちらと猫の入ったキャリーバッグを一生懸命に運ぶ小学生女子が歩いてくる。

 

 写真資料と同じ顔だ。間違いなく彼女が"猫耳猫目"である。

 猫を飼っていて、そんな少女が多様な動物と病院の残り香を漂わせている。

 動物病院で飼い猫の検診にでも行っていたのだろう。

 

 

「暑づ~い。まぶし~い。マブシー!」

 

 

 長々と歩いてきたのか、汗をかいてグチを交えてつつも、猫が怯えないように必死に腕をあげてバッグを揺らさないように頑張っている。

 

 

 景朗はあらかじめ寮の前のベンチに座り、通行人を装って少女が目の前を通り過ぎるのを待ち構えていた。

 

 彼には作戦があった。

 

 少女がベンチの前を通り過ぎる瞬間、何気なく彼女と視線を交わす。

 

「あっ!」「……お?」

 

 おや?! と少女が景朗の眼を見てざわつく。

 景朗も同じように、今しがた気づいたかのごとく、驚きをわざとらしく表情に浮かべてみせた。

 

 

 彼女の眼はまさしく猫目だった。

 少女の瞳、虹彩は縦に裂けている。"猫耳猫目"の名にふさわしく誰がどう見ても猫の目である。

 タペータムが太陽の光を反射させるがごとく、少女の目は特段にキラリギラリと陽光を跳ね返し輝きを魅せている。

 

 そんな少女が驚いたのも無理はない。

 景朗もまた同じように自らの眼を"猫目"に変え、彼女を見つめ返していたのだから。

 

「おにーちゃん、同じ能力かッ?!」「お前さん、同じ系統の能力者か?」

 

 景朗の有する肉体変化系能力は、強度を問わず学園都市でも希少な部類である。

 何を隠そう、景朗ですら同系統の肉体変化系能力者と初めて面と向かって顔を合わせたくらいなのだ。

 "猫耳猫目"の驚きはさもありなん、である。

 

 

「おにーちゃんレベルはッ?」

 

 チョロすぎた。もうどう見てもどう転んでもこのおチビさんは景朗に興味津々過ぎである。

 

「レベルファイブ」

 

「ウソッ!?」

 

「嘘だよ」

 

「ぇぁ~……」

 

 少女はくんくん、と無意識に鼻を鳴らしていた。

 その瞬間に、景朗は胸中で『勝った!(何に?)』とガッツポーズ。

 猫が好む匂いを躰から分泌させていた景朗の作戦勝ちであった。

 

「いやー、同じ系統の能力者、初めて見たわ」

 

「ウチも、ウチも!」

 

 景朗はわざとらしく、ケータイを取り出して『まだ時間に余裕があるな』感を演出し、ポンポン、とベンチの真横を叩いて座るようにアピールをする。

 

「んー、ほら。ちょっくらハナシでもすんべ? どや? ここ、ホラ?」

 

 ほらほら、と手を振って児童(小学一年生)を誘う。

 

「ウ~ン。ウ~。……い~よっ!」

 

 警戒心をなくした野良猫のように、"猫耳猫目"はよたよたと歩み寄ってきて。

 持ってやんよと言わんばかりに手を差し出していた景朗に、猫の入ったキャリーケースを預け、隣に座ってくれたのだった。

 

 

 

 

 

 

「にーちゃん、名前は?」

 

「あ、え? 俺の? ……俺は、上条元春(かみじょうもとはる)だ!」

 

 キリッ! という効果音が鳴り響いていそうなほど、自信満々で景朗は偽名を名乗った。

 脳裏に浮かんだ2名に対しての、罪悪感はみじんも無かった。

 

「ほんとのレベルは?」

 

「えぇ~? おまいさんから教えてくれたら教えるよ。俺ばっかりじゃん」

 

「レベル1だゾ! ウチ、沙石安寿(さいしあんじゅ)!」

 

「アンジュ氏、ねぇ。そいじゃコイツは? この猫」

 

「ズシオウ!」

 

「猫の方が立派な名前じゃね……?」

 

「にいちゃん、レベルは? レベルは?」

 

「俺はレベル3だ。ふっふっふ。ちなみに学校はどこに行ってると思う?」

 

「えー? ワカンネ」

 

「長点上機だぜ? これホントウ」

 

「ナガテンジョーキ?」

 

「まだ小学生だもんな。知らないのか……ほら俺のケータイ見てみ、検索したらNo.1って出てくんだろ? すごい学校だろぉん?」

 

「うわー! まじカー! マジだー!」

 

「ふふふ、アンジュ氏、アンジュ氏。オヌシも拙者と同じ肉体変化系。ならば将来長点上機学園に入ることも夢ではないぞよ?」

 

「ホント? ホント? セッシャも入りたいゾ! 入りたいゾォン!!」

 

「"ふきだし"やってる? 俺さ、同じ系統の能力者と初めて会ったんよ。まー、それでさ、よければたまに連絡とりあおうぜ。もち、ムリには勧めないぞ?」

 ※("フキダシ"は禁書世界のL○NEのようなものです。詳細は超電磁砲コミックを参照)

 

「ウッ、ウーン。にーちゃん、まぁまぁカッコイイから、イイゾ……」

 

 久しぶりに年下の子供と会話をした景朗は、聖マリア園のちびっこたちのことを思い出さずにはいられなかった。

 懐かしさからか、いつしか純粋に会話を楽しんでいた景朗からは、胸がほこほこと暖かくなるような優しい雰囲気が現れていて。

  その気持ちが伝わったのか、沙石ちゃんはふきだしのID交換に応じてくれて。

 その後、あっというまに二人は打ち解けて、なんと本人から『ズシオウにエサやってもイイゾ!』と、自宅へ遊びに来てもいいとの誘いを受けるまでに至ったのである。

 

 

 

 

 

「いんでぃあんぽーかー? 持ってるゾ!」

 

「俺も持ってるゾ! そいじゃ、あとで交換してみる?」

 

「スル~。スル~」

 

 エレベーターの中でもアンジュ氏との会話は弾んだのだが、母親の話題に変わると、彼女は少しずつ元気をなくしていった。

 それも仕方のないことだった。彼女の母親は大病を患っていて、学園都市の外へと頻繁にお見舞いに行っている状況なのだそうだ。

 

 

 エレベーターから出て、廊下を歩き、彼女の部屋へと入る。

 

 その途端に、景朗は無言になった。

 

「ズシオー、タダイマ~」

 

 猫用キャリーケースのフタを開けると、ズシオウは景朗から逃げるように部屋の奥へと駆け出してしまった。

 安寿はそれを気にもとめずにそのままスタスタと洗面台に向かっていった。

 

「カミジョーにーちゃんも手を洗わなきゃダメーだゾ!」

 

 アンジュの部屋は、小学生にしてはきちんと掃除がなされていた。

 いや、なされすぎていた、といってもいい。

 

 アンジュは気づいていないようだが。

 景朗は部屋に入った瞬間に気づかざるを得なかった。

 

 

 かがみ込み、猫が駆けていった絨毯に顔を近づけ、匂いを嗅ぐ。

 

 

 ダメだ。異質だ。

 

 

 この部屋には"匂いが無さ過ぎる"。生活臭が無さ過ぎる。

 ズシオウという猫を飼っているのにも関わらず、だ。

 

 匂いがない。"匂いの無いニオイ"。

 

 景朗はこのニオイを嗅いだ経験がある。

 安寿とは正反対で、似てもにつかない、暗部という非日常の中で。

 

 

 学園都市の暗部部隊で好んで使われる、消臭剤。

 これはそんじょそこらの一般家庭では決して使われることがない。

 なぜなら、目が飛び出るくらいに高価な代物なのだ、この消臭剤は。

 

 用途は限られている。

 例えば、プロがプロの追跡部隊から身を隠す場合などに、だ。

 

「にーちゃん聞イテルー?」

 

 安寿は人間以上の嗅覚を有している。それは先ほど確かめた。

 だが、それでもこの無臭の異常さには気づけまい。

 無いものの"無さ"には、気づけまい。

 

「……アンジュ氏。それじゃあ、"月に何度も"学園の外にお見舞いに?」

 

「そうだゾ~」

 

 景朗は洗面台で手を洗い終わったばかりの安寿に近づいて、できうる限り明るい声を作った。

 

「なーなー、具体的に何回くらい?」

 

「えー? ワカンネ。でも行く日はカレンダーにマルつけてるから、ほらアレ!」

 

 

 キッチンの壁にカレンダーが下がっている。

 安寿の話しぶりより予想以上に、付けられた丸は多かった。

 この少女は週に1日、多ければ2日ほど。

 この街から外に出て、家族に会いに行っている。

 

 

 

 匂いの無い暗部のニオイ。

 それがここに存在する理由は、なぜか。

 

 

 景朗は己の第六感の鋭さをいつも呪ってきたが、今日という日ばかりは呪いに呪い、悪態をついた。

 

 

 

 

 

 




初めて投稿をした年からだいぶ時間が経ちましたね
2013年から・・・2021年!?
8年の重みがぁ~!!

なんかもう最近は、とにかく終わらせることが最優先で、
中身を吟味して質をよくするより、とにかくプロットに味付けするくらいで

ずばばばーんとスピード投稿するべきなんじゃないのか?と割り切れてきてる感があります。

・・・ある気がするってだけにならないようにしなきゃ(なんとか感)


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episode36:猫耳猫目(キトゥニッシュ)②

とある感想の変身で6月20日に更新できるってまぁたホラを吹いてしまいました。
すいやせん・・・まじ・・・。


本当はもっと次の話を長くイッキに書いてしまいたかったんですが、やっぱり私の不手際で妙に長くなってしまいましたので、ブツ切りにして投稿します。

次の話はなかなか書いてますのでひと月もお待たせせずにすむとおもいます!

次の更新目標は1ッ週間です!


 

 

 

 

 

 フライパンしかなかったが、これでも結構おいしく焼けるものである。

 あれやこれやと巧みに言葉を運び、安寿のインディアン・ポーカーを自前のカードとごっそり交換した後で、得意になった粉もの料理を披露してしんぜよう、と景朗は恭しく安寿に提案した。

 

 

「ウオ~ッ! ナニしてんの?! ナニしてんだッ!?」

 

 真後ろでドタバタと安寿が飛びはねている。

 猫のズシオウは迷惑そうな表情を隠しもせず、学習デスクの上に避難したきりめっきり降りてこなくなった。

 

 

「お好み焼きだって!」

 

 子供からすれば十分大人に見えるお兄さんが、何やら甲斐甲斐しくキッチンで料理を作ってくれているのである。彼女にとってはこれも一種の非日常、お祭り感覚になるのだろう。

 

「オンガクかけよっ!」

 

 安寿がかけた曲は、街中で流れている名曲だった。

 

 

「お、ARISAじゃん」

 

「知ってた! うん、グローリア! アリサめっちゃスキ!」

 

「めっちゃ流行ってるよなぁ、今日もやたら街で聴いたわ。俺もめっちゃ好きだけどさ……ARISAはマジですげーよ。皆聴いてる。すぐに有名になるよきっと」

 

 外を出歩くたびに、人間離れした彼の耳にはあちらこちらからARISAの曲が届いてくる。

 "人気がある"とネット上で自称する輩は枚挙にいとまがないが、彼女の歌声は学園都市で昼夜問わず響いていた。

 おかげですっかり景朗の耳にも馴染んでしまった。

 彼女の人気も実力も、ともに本物だろう。

 圧倒的な視聴者の数。それを自らの耳で実感できる景朗には、ARISAの人気がいずれ確固たるものに変わる自信があった。

 

 

 背後でテンション爆上がりの少女のキンキン声もBGMに付け加え、景朗は手を休まず動かしながら、思考を整えつづけていた。

 

 

 

 今すぐに、安寿を連れ去って保護するか?

 場当たり的に安全だけは確保できるが、しかしこれは長期的に良い案ではない。

 暗部組織と関わりを持たせてしまうことになる。

 

 既に安寿が深く関わりを持ってしまっているならば、気にする必要はなくなるけれども。

 そんなもの、まだ確信はない。

 

 何せ、一時的に利用されているだけの一般人ならば、むしろ放っておいた方が危険から遠ざけられる。

 

 

 冷静に、冷徹に、合理的に考えなければ。

 

 きっと利用されているだけだ。短い時間だったが、安寿とふれあってみて、景朗は彼女が暗部組織にかかわりがあるとは到底思えなかった。

 ダーリヤという例外を身近に置いていながら、我ながら安易な推定だと自認するところだったが。

 やっぱり、安寿が暗部の構成員である可能性は相当に低い。それが正直な感想だった。

 直感にすぎなかったが、景朗はそこに賭けてもいい気がするのだ。

 

 

 ならばむしろ、カムフラージュに使われている以上は、景朗やスパークシグナルが見張っている限り、彼女はずっと日常生活を送ることができるはずだ。

 

 酷い物言いとなってしまうが、ちょっとばかり目が良く耳がよく鼻がよい程度の児童でしかない安寿には、さほど利用価値があると言えないのだから。

 

 犯行グループは、ここまで丁寧に安寿の自宅に証拠の隠蔽工作を行っているのである。

 泳がせておけばまた彼女を利用しにくるかもしれないし、景朗の影を察したのであれば、彼らは二度とこの小学生には接触してこないことだろう。

 

 

 

 

 

「ウマ! ウマ! え~! ナンダコレ美味いゾ!」

 

 ニッコニコでもしゃくしゃ口を動かす安寿に、景朗は『ド畜生! ほっこりするじゃねええか、ダーシャはなんつーか食事そのものをめんどくさがってる節があって作ってあげてもこんなに笑ってくれねえんだチクショォ……』と思わずやさぐれた台詞が浮かんでくるほどである。

 丹生があれやこれやと悔しがってダーリヤに料理を食べさせようとするのも若干わからないでもないのだ。

 

「これナニ、ニクゥ? っぽいの入ってるゾ?」

 

「あソレ、ちくわッス。でもイケるでしょ? 流石に下の売店じゃお肉は売ってなかったからさぁ」

 

 この寮の1階にはコンビニが併設されていたのだが、そこでキャベツをGETできたことすら僥倖であろう。実はコンビニと同じフロアには食堂もあって、そもそも当初は『一緒にゴハンたべよ、たべよ!』と誘われていたのだが、あまり人に見られたくなかった景朗が急遽プランの変更を申し入れたのだった。

 

「オォン。イケルゾ~!」

 

「わかったからほらほら立つなよっ。座って食おうぜ」

 

(なんでガキは口にモノを入れたまま立ち上がっちゃうのかね?)

 

「ズシオウもちくわ好きナンダゾ!」

 

「んあ!? ダイジョウブなのか、ほら、塩分とか……?」

 

 

 景朗は少女と談笑しながらも、心の中ではこのままに彼女を泳がせようと決めていた。

 もちろん無手で放置したりはしない。部屋の中は言うに及ばず寮の周囲にも、景朗の頼りにする例の"黒い蜂"を待機させておくつもりである。

 この冷たい選択が、後悔に繋がらないように。

 しかしそう祈るだけでは、何もしないのと等しいのに。

 ぐるぐる、ぐるぐる。

 決断に伴う責任が頭の中をいつまでも廻りつづける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "繊維織り(シルクワーム)"と"宝石鑑定(ストーンエッセンス)"の自宅にも侵入し、手がかりを探したが、空振りに終わった。

 薄々、"猫耳猫目(キトゥニッシュ)"という本命に近い大物を引き当てていたので、都合よくこれ以上の成果が手に入るとも期待しておらず、決して景朗も落胆はしなかった。

 

 

「ずるい」

 

「……んなこと言ったって、前に作ってあげたときは見向きもしなかったじゃねえか、チミは」

 

 第六学区の秘密基地に帰還して、ダーリヤに最終報告を伝えている最中だった。

 『お好み焼きを作ってあげた』らへんからダーリヤは不機嫌になり始め、『自分にも今すぐ作れ』と言わんばかりの不満顔でチラチラと景朗を睨みつけてくる。

 

 はっきり言うと、これは非常に理不尽な言いがかりだった。ホットプレートを引っ張り出して、どこぞのシスターが言っていた特大ジャパニーズピッツァを提供してあげたのは、ごく最近のできごとである。

 たしか、一週間ほど前の話だろうか。

 その時のダーリヤは香ばしい匂いにも大して興味を示さず、むしろクネクネとうごめくカツオブシに戦慄し、顔面を引きつらせていたくらいである。

 

 

「とにかく、もしものときは"猫耳猫目"を確保するからな、頼むな」

「ニィェト!」

「えー?! 頼むよぉ?!」

「どうして? メリットがないわよどうしてそんな事しなきゃならないのよッ?」

 

「メリットなくても俺がやりたいって言ったら手伝ってくれよ!」

 

「ブゥゥゥゥゥ~!」

 

 ダーリヤはスネたのか、階段を駆け下りて行った。

 会話から逃げだされたのは初めてのことだった。

 

「……あ?」

 

 ちょっとばかり放置できないワガママっぷりである。

 

「嫌ならいいよ、ひとりでやるから。でも減給(お菓子の配給停止)だからな」

 

 耳の良い景朗は、パタパタと走る音がすぐに鳴りやんだのをとらえていた。

 ダーリヤは階下で聞き耳を立てている。

 まだ聞こえる距離だったので、景朗は捨て台詞とばかりに最後通告を突きつけた。

 

「ブゥゥゥゥゥ~!」

 

 

 

 

 

 

 

 思いのほかダーリヤの反対にあって時間を取ったが、景朗には報告をすべき人間がもう一人いる。

 迎電部隊の蒼月に"猫耳猫目"と出会った子細を伝えておく必要があった。

 

「"猫耳猫目"は危うい。洗い直しと、監視と保護をひと通り頼みます」

 

「心得た。ふむ。監視網には組み込むつもりだが、保護とは?」

 

「まだ幼いので、もし……」

 

「君の考察は正しかろう。その"児童"に直接的な危険が振り掛かる可能性は限りなく低いだろう――ああ、ありがとう。"猫耳猫目(キトゥニッシュ)"、低能力(レベル1)、沙石安寿、6歳。確かに頻繁に学園都市外に出入りしているが――――毎回、我々のチェックを――受けているようだ。楽観はできないが……それほど見込みがあるとも思えないが」

 

「ですが、不測の事態は起こり得ますし」

 

「学生の安全を守るのは"警備員"の仕事だ。フッフ、ハッハッハ、いちいち護衛要員まで付けてはいられない」

 

 迎電部隊は暗部部隊である。任務達成が第一であり、それが余計なトラブルを生むと判断されないかぎり、端から積極的に学生の身の安全を考慮することは無い。

 暗部の人間とはかけはなれた"ぬるい"発言に呆れ、可笑しさから笑いをこらえきれなかったらしい蒼月の嘲笑を景朗はスルーしてやり過ごすほかなかった。

 

 一度褒められたとはいえ、蒼月に期待しすぎてしまった景朗の落ち度なのかもしれない。

 

「ではその子に接触があった時は自分にも連絡をください。発見者としてこれくらいはお願いしたい」

 

「はは……仕方がないな。今回は特別に、君にも"迅速に"伝えるよう取り図っておこう。保護したいというなら許可も出しておこうか」

 

「……」

 

 景朗は答えに窮して黙った。

 確かに今回は、景朗が相手側から協力依頼を受けた形だ。

 だが、そもそも"猟犬部隊"の権限でこちらにだって"猫耳猫目"を確保する名目は立てられる。

 少し上から目線すぎやしないだろうか。

 ただ、素直に"うん"と言わせたいのか、それとも逆らって反論させたいのか。蒼月の狙いは相変わらずわからない。

 

「それでは、こちらからも。私達は膨大な数の人間を捌いているのでね、一人一人保護するマンパワーは無いぞ。お忘れなく、お願いする」

 

「わかりました」

 

 呆れたような蒼月の口調に、景朗は断ち切るようにきっぱりと一言告げた。

 

 連絡を終え、ふと下を向くと、そこにも呆れ顔があった。

 

 通話中に戻っていたダーリヤが、やれやれ、とまなじりを下げて大いに落胆してくれている。

 

「しょうがないじゃん。なんか、嫌な予感がするんだから」

 

「それって"ウルフマン"の"能力で"ってこと?」

 

「いやそういうんじゃないんだけど」

 

「はぁ~……」

 

(9歳児にここまで大げさにため息をつかれると、こう、クるものがありますね、多少は、やっぱり、ハイ)

 

「いいよもう。ほっといてくれていいよ――――と思ったけどアレだ。"予約"取っといてくれた?」

 

「うん、明後日のホウカゴよ」

 

「マジかー」

 

「明日はその女、入ってなかったもの」

 

「クソ、すぐに会えるようにしとけよ。時間もったいねえだろが」

 

 

 "予約"とは、昼間に会ったドレス女から渡された名刺のセラピーの予約である。

 ドレス女と毎回呼ぶのも面倒くさいことこの上ないが、名前をずっと訊き忘れているので仕方がない。

 彼女が予約制だと話していた通りに、こちらから事前に指名を取っておかねば利用することはできない。毎回ホテル等を予約して

 

 ダーシャに調べせさせたところ、源氏名らしきものは突き止められたがどうせ100%で偽名だ。

 "ドレス女"呼びの方がまだ名が体を表している感があるから、もうそれでもいいや、という話になった。

 出かける前にダーリヤにセラピーの予約を入れておいてくれるように頼んでいたのだ。

 景朗とて自覚はある。

 女児童に如何わしいサービスの指名を頼むゲス野郎だということは、彼とてきっと……。

 

 

 彼にも言い訳、もとい言い分はある。

 どうしても時間が無かったのだ。明日は"任務"。つまり景朗の"学校生活"がある。

 昼間は上条や土御門と一緒に過ごさねばならない。

 加えて、大覇星祭の準備や対策で最近は早く下校できない可能性もでてきている。

 

 

 ひとまず腰を落ち着けて考えようと、景朗はソファにもたれ込んだ。

 学園都市製特注のソファは、景朗の体重に悲鳴を上げつつもぐぐっと耐えている。

 "人材派遣"に用意させたソレは、本来は動物実験、それも巨大肉食獣向けに制作されたものの余剰品だった。

 景朗は知らなかったが、知れば知ったで少しショックを受けていたかもしれない。ソファをいたく気に入った景朗に褒められた"人材派遣"が製品の来歴を語らなかったのは、景朗の性格を彼もしっかり掴んでいたということなのだろう。

 

「あー。どうすっかなぁ」

 

 またぞろちょろちょろと目の前をうろつき出したダーリヤに、先程の反抗をもっと咎めなければとも思いかけていたところで。

 

 ポンッ、とケータイからポップなサウンドが湧き出た。

 特別に設定した効果音、しかも登録したばかりだったので送り主が誰だかすぐにわかった。

 

[ ズシオウのゲップ! 動画とれたミロ!]

 

[ 明日は学校だろ? 君は早よネロ ]

 

 すなはち顔を合わせたばかりの安寿からである。

 

[ ズシオウがこわがってたからしばらくゴハン食べなかったぞ やっといま食べた! ]

 

[ それは悪うござんしたね ]

 

[ マチでズシオウに会ってもイジメるなよ! ズシオウの考えてることわかるんだからナ!]

 

[ ワオ、もう立派に親馬鹿してますねえ ]

 

[ ズシオウは猫以外にも友達がいっぱいいてナ]

 

[ そういやアンジュ氏のオトモダチのハナシはめっきり出てこないけどトモダチおるん?]

 

 小学1年生といえば、"ギャングエイジ"真っ盛りだ。親よりも身近のガキ大将なんかの意見を優先させちゃう、友達がいちばん大切! とほざくお年頃である。

 であるのに、安寿からは仲のいい友達の名前がひとつたりとも出てこない。景朗はそこが少し気になっていた。

 それ故の質問だったのだが、やはり直球的に訊きすぎてしまったようだ。

 安寿からのメッセージはそこでいったん止まり、遅れてやってきたのは。

 

[ ズシオウがイチバンだゾ! んで、ズシオウは昼間にアチコチ行って、イロ~ンナヤツに会ってるんだゾ 商店街のからあげ屋さんとか全部まわってて イチバンおいしーニオイのするお店もわかってんだから ]

 

 やはり友達の話題ではなかった。景朗は未だ学生の身なれど、安寿よりは人生の先輩として友達づきあいの経験がある。

 すべてを察し、もう二度とその質問はしてやるまい、と景朗はほろろ、と涙を拭うフリをした。

 

[ なるほどねぇ、ネコイチオシのから揚げ屋か。今度おしえてくれナ。つか、昼間はその猫、外に出してんのか 大丈夫なの? ]

 

[ ダイジョブすぎ ズシオウかしこいから決まった道を散歩してるんダ んでもナ 昼間は遊んでても ウチが帰ってくると玄関でいつも待っててくれてるンだゾ!!]

 

[ たしかにそれはエライ ネ公にしては ]

 

[ ネハムってなンゾ? ]

 

 ぴこん、ぽこん、と音を鳴らしてイジり続けていると、横槍を入れたくてたまらなくなったらしいダーリヤからも突如"ふきだし"が飛んでくる。

 

[ おこのみやきは明日作ること!]

[ もし忘れたらキャンディの配給量を2倍にすること ]

[ のど飴は不可 ]

[ ニウが頻繁に食わそうとしてくる黒ッろい苦い飴も不可 ]

[ ビタミンCが大量に入ってるだけのヤツもカウント不可 ]

 

 しかも間髪いれず怒涛に飛んでくる。

 

「おいダーシャ! これ調査の一環だぞ、邪魔すんなよ」

 

 姿は晒していないが、近くのソファの裏から彼女の小さな鼻息と身じろぎする音が聞こえているのだ。

 

[ 約束してくれないなら明日の昼間中メッセージ送り続ける ]

 

「ハイそーですか。全部シカトするだけですよ~」

 

 無視して安寿とやりとりを続けていると、ケータイが通話受けの画面に切り替わる。

 ついにダーリヤからの怒りの呼び出し通話がやってきたのだ。

 受話ボタンを押した瞬間に切ってやろうと試みたがダーリヤのほうが一瞬早く、ボタンに触れた途端にプツリと回線が切られていた。

 

「あーもうやめろ、クソガキ」

 

 スネたダーリヤをあやして釣り出す良いエサ。何がいいだろうか。

 実は、何がいいだろうかと前置きしたが、この時、わざわざ考え込まなくとも景朗には秘策があったりした。

 

「キレんなよ。イイ子にしてたら"大覇星祭"の空き時間に遊びに連れてってやるから」

 

「ほんと?!」

 

 ピョロリと即座にソファの背からカオが飛び出した。

 興味津々のその様子からは、やはりダーリヤは今までまともに大覇星祭を楽しめたことが無いようである。

 

 常軌を逸した人混み。学外からの保護者(大人)の大群。

 どちらもダーシャが嫌って避けてこなければならなかったものである。

 今までは指をくわえて、ただ街の混雑を眺めているしかなかっただろう。

 

 景朗のように、全身に高性能有機的警戒センサーをガン積みした護衛でも身近に居なければ。

 

「あー、まぁ確約はできないかもだけど、精一杯努力するよ、うん」

 

 言い出した後で日和られたものの、ダーリヤはそれでも嬉しかったらしい。

 

「Уpaaaaaaa!」

 

 ソファの裏から姿を現して、景朗のとなりに勢いよく座った。

 

 

 

 

 

 翌日。休み時間。

 ARISAの話題が出たところで『絶対に売れるから青田買いしておけ』とカミヤンに力説するもどこ吹く風。寝不足だというツンツン頭は覇気がなく、そのままションボリと補習を受けていった。

 

 毎度おなじみの巻き込まれ補習のせいで下校時刻が遅くなったこと以外は、特に事件という事件もなかった。

 

 補習中に件の安寿氏から『ズシオウが帰ってこない!』という"ふきだし"が来たくらいで、これといった事件はなかったと言っていいだろう。

 

 別に重大事件が起こ『ズシオウがどこかにいっチャタよ!!』ったわけではない。

 

 再び安寿から救援要請がやってきたのは下校中のことだった。

 

 

[ そんな大げさな。猫が帰ってこないのってそんなに珍しいの?]

[ ズシオが帰ってこないのなんてハジメテだゾ ]

[ 本当にぃ? なんかお前さんがハジメテって言ってもなぁんかイマイチ信用度が低い気も ]

[ いつも帰ったらズシオウのゴハン上げてるから絶対待ってるもん! いままでずっと待ってたんだゾ!]

[ わかった。ちなみに心当たりは? もう探してんの?]

 

 文字を打つのが面倒になったのか、"ふきだし"でのやりとりはここまでだった。

 ケータイの画面に通話の要請が表示される。

 安寿は景朗と直接に話をしたくなったらしい。

 

『今もちかくをさがしてるけど全然見つからないヨォ……! 呼んでも出てこないっ、これは"がち"で誘拐だゾ!』

「あー、おいおい、それじゃ手がかりはナシか?」

 

『じつは最近はヘンな大人と遊ぶのが好きだったみたいでナ』

 

「変な大人? ちょいっと詳しく教えて?」

 

『わかんね。いっつもとびきり美味いエサくれる人たちだからズシオウめっちゃ気に入ってたけど』

 

「何だそれは。まあいい、そいつ等の顔、まだ覚えてるか?」

 

『わかんねって。見たことないもん』

 

「はぁ? ズシオウがそいつらにエサ貰ってるところを見たわけじゃないのか?」

 

『そだぞ。ウチじゃなくてズシオウが会ってただけだもん。でもなんかアヤシーから会うのヤメロって言ったのに聞いてくれなかったんだゾ。もっと怒ってればよかったヒィン……ヒェンッ』

 

「待て待て。直接、自分の目で見たわけじゃないんだよな?」

 

『そだそだそだゾ! ……そだぞ?』

 

「じゃあなんでお前さんは自分が見てきたかのように言うんだよ? どうやって知ったの? お前の妄想じゃねえよな?」

 

『嘘じゃないゾ。ホント、ズシオウの考えてること、ワカンダもん!』

 

 学園都市ではテレパスの類は珍しくはない。

 安寿は肉体変化系の能力者かと思いこんでいたが、そうではなく、"猫に焦点を合わせた特殊な能力"だという可能性はなくもない。

何しろ彼女はまだ小学一年生で"カリキュラム"を受け始めて間もない。彼女の能力の特性が浮き彫りになってくるのはもっと後の話である。

 

 ただ、安寿が猫の考えを読めるスキルを持っているのだと仮定しようにも、まだ景朗には疑問が残る。

 昼間、安寿とズシオウのやり取りを間近で見てきたが、安寿はズシオウの考えを読み取れていたようには見えなかった。

 彼女の態度は、"ズシオウに精神感応していた"と呼べるような代物ではなく、ごく普通の猫とその飼い主のやり取り、そのものだった。

 

「ズシオウと話ができるわけじゃあ、ないんだよな?」

 

『うん』

 

「そいじゃあ。そうだな、たとえばそれって、ズシオウの"見たもの"だけ、か? 音声はわからねー、とか、そういうのが知りたい」

 

『うーん、見たものとか、話しかけられた声とか内容とか、わかるぞ。うんそうそうソソソ、ズシオウのいちにちの記憶をな、一緒に見てるカンジだゾ』

 

「いつ? いつその記憶を読み取るんだよ? 昨日、俺と会った時はそんなことしてなかったよな?」

 

『夜。いや朝?』

 

「落ち着け。なるべく、正確に頼む。ズシオウ探し手伝ってやるから」

 

『うーん、寝て、起きたら覚えてるから……。ああーっ! ウチ、寝てる間にズシオウの記憶を"さいこめとりー"してるのカナ!?』

 

「……アンジュ、その記憶を読み取るのって毎日か?」

 

『うんにゃ、たまに。毎日じゃないゾ』

 

「……それってさ、夢を覗いてるって可能性はないか?」

 

『え、ゆめ?』

 

「そうそう。思い込みは無くそう。冷静に、落ち着いて思い出してみ。ズシオウの夢を、お前さんが一緒に見てる、とか、そんなカンジ、しない? しないでもないか? どうだ?」

 

『…………そうかも! する、スル! そんなカンジしる! カミジョーすげー! そうかも!』

 

 おお~、と電話口から感嘆の声が漏れ出ているが、景朗はさっぱりと楽しい気分にはなれなかった。

 

 冗談がすぎる。剛運にもほどがある。

 いくらなんでも今回は自分の第六感が、"カン"が働きすぎている。

 

 沙石安寿は"猫に肉体と精神を近づける"種類の能力者なのかもしれない。

 

 彼女は都合よくも、自前で猫を飼っているし。

 

 よしんば、捜査の手が伸びて証拠隠滅を図ろうとも、人間が対象だと誘拐として大きな事件になってしまうが、ペットならば大事には至らない。

 

 精神系能力者は能力者の系統としては数が多い方だから、動物の考えを読み取れる能力者は珍しかろうとそれなりの数がそろっているはずだ。

 くわえて、動物の夢や考えが読み取れるのだから、彼らのほとんどはペットを欲しがるのではなかろうか。自宅でペットを飼っていても不思議ではない。それこそ安寿とズシオウのように。

 

 

 景朗はダーリヤに推論を伝え、セーフハウスには帰らずそのまま安寿の寮へ直接向かうことにした。

 現時点ではそんなことが実現されているのかと疑いが拭えないが、予想は外れてくれても一向にかまわないのだ。

 

 

 "迎電部隊"が追い求めている犯行グループが、"人間"ではなく"動物"の"夢"を利用している可能性について。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 安寿の寮に着く。めんどうなので本人には会わなくていい。

 

 周囲に配置していた"蜂"を匂いをばら撒いて呼び出す。

 

 景朗の祈りは通じた。戻って来た蜂たちの数は合わず、3匹ほど少なくなっている。

 

 所詮は虫だと言って侮ってはいけない。この蜂を使いだして、野鳥の類に食われたことはまだ一度もない。複数の人間を即座に昏倒させるくらいの芸当はやってくれる。

 

 

 景朗はゴミ箱から空っぽのポテチの袋を漁って、まるでそこにゲロでもぶちまけるかのような演技をしてみせた。

 さすがに、口から次々に"蜂"を吐き出す光景を監視カメラに抑えられてはマズいだろう。

 

 その後も、消えた3匹がどこに居るのか探させるべく、新しく"蜂"を創り出して散布しては移動し、そのまま彼は学園都市を東へと横断していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 釣り針は思いのほか早く引っかかった。

 散布した"蜂"には、目標の蜂を見つけたら、飛行には使わない特殊な翅を動かすように指令をだしてあった。

 その翅には特徴的な溝がついていて、羽ばたかせると超音波を出す。その音を聴いた蜂も同じく音を出すようになる。

 無論、景朗の耳なら聞き取れるので、あとは音を頼りに蜂から蜂へと辿っていけばいい。

 

 

 そして、その先で景朗の期待は裏切られた。

 

 安寿を早々に見つけられた点や、今回の件といい、景朗は立て続けにツキが来ていることにうっすら不安を感じつつあったのだが、それは的中した。

 

 

 消えた蜂は"どこかで見たような輸送防護トラック"に引っ付いていたのだ。

 見た瞬間に景朗は直感した。

 蒼月が乗っていたトラックではないが、同じく"迎電部隊"の別班が乗っている車両ではないかと。

 

 何しろ、防音性が完璧だった。車内の音があの景朗ですら拾えないレベルに達している。

 蒼月が使っていたものと同じ型で間違いない。

 これだけの高機密性を持たせた特殊車両は、"猟犬部隊"でも使っていない。

 

 

 念のため、景朗はバレないように静かに身を隠しつつ、やがて一人の男が下車してくるまでトラックを追走しつづけた。

 降りた男をそのまま尾行し、途中で男の顔写真や毛髪を採取し、"第十五学区"のオフィスビルに入ったところで監視を打ち切った。

 オフィスビルのセキュリティはやはり暗部レベルで、強引に侵入するのは良くないと判断したからだ。

 暗部レベルと表現したものの、景朗にはオフィシャルな暗部組織じゃなかろうかという確信があった。

 

 装備・設備・施設。なんかもうあらゆる全てが、"猟犬部隊"が使っているモノより高価そうだったので。

 

 たぶん。おそらく。いや、ほぼ間違いなく。

 安寿の猫を攫ったのは"迎電部隊"だ。

 蒼月に『もう一度洗え』と報告したのは景朗自身だ。

 まさに今、こうしてその調査に当たっている、と。

 

 そういうオチだったのだ。

 まごうことなき骨折り損のくたびれもうけである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ウルフマン。クサツキ、"the cat's cat(猫の飼い猫)"なんて知らないって」

 

「は? ……まいったな」

 

 緊急用の連絡経路として『使うな』と前置きされ教えられていたネット上の"デッド・ドロップ(受け渡し場)"のひとつを利用し、安寿の猫について問い合わせた結果である。

 

「あそこは絶対"迎電部隊"の"ヤサ"だと思ったのに。ダーシャ、ほかに"迎電部隊"と同機密の類似機関って何か知ってる?」

 

「うーん。"流星部隊(バーストライン)"とか……?」

 

 やっとこさひねり出した。そんな言い方だった。

 しかしダーリヤ自身は、その発言を胡乱気なものだと思っているらしい。

 

「どんな部隊?」

 

「ロシアとか、アメリカとか、学園都市外に拠点を持ってる部隊」

 

「対外機関かぁ。ゼンゼン絡みが無いしなぁ。一緒に仕事したことあるのか?」

 

「ちがう。暗部に入ってなければ"そこ"がわたしを襲ってたみたい。"デザイン"に入った後で自分で調べた」

 

「……なる、ほど。プラチナバーグの部隊は福利厚生がすごかったんだな」

 

 "デザイン"はダーリヤがひとつ前に所属していたプラチナバーグ傘下の部隊だ。それまでダーリヤが辿って来たどの暗部組織よりも、やはり理事直下の部隊の方が構成員に対しての待遇がよかったらしい。

 

「でもヘンなのよ。仮に"バーストライン"だとしても、"スパークシグナル"が学園都市"内部"での活動を知らされていないなんて。ちょっと考えづらいわ」

 

「そうだよな。特に"連中(迎電部隊)"は網を張ってピリピリしてるまっ最中だぜ」

 

 景朗もダーリヤもうつむき、無言のまま、しばし無音に耳を傾けた。

 2人して息を合わせるかのように、少しずつ緊張感を造成しつつある。

 

 ダーリヤは当初から"犯人"ではなく"犯行組織"だと疑って調査すべき、と推測していた。

 だが事ここに至って、状況は"暗部組織"VS"暗部組織"という内部抗争の様相すら見せ始めている。

 

 そのことに2人して同時に気がついて、同時に後悔が始まったのだ。

 最初からもっと警戒心を持って行動すべきだったと。

 

 蒼月(くさつき)が依頼を運んで来た時を思い出す。

 彼の態度は非常に軽く、"暗部組織"同士の抗争を匂わせる様なものでは決してなかった。

 

 こうなると、この蒼月の誘い方にも不審な点がある。

 

 疑惑の対象が、"別口の暗部組織"ほど強大なものならば、もっと公的に、それこそ"猟犬部隊そのもの"に協力依頼をすべきである。

 景朗個人に協力を求める。なんてぬるい手腕でいて、それで任務に失敗すれば蒼月の首とて危ういのだから。

 

 まさか追いかけている敵が同じ暗部だとは思いませんでした、と。こんな言い訳が通るほど暗部は穏やかな組織ではないし、そんな無能はとっくの昔に処分されているだろう。

 ましてや彼は"迎電部隊"の実働班の、そのうちの一班のリーダーだ。無能では決して務まるまい。

 

 蒼月は敵が暗部なら最初からそう説明すべきだったし、もし本当に敵が暗部なのだとしたら、彼とてその可能性に気づけなかったわけがない。

 

 奴は意図的に景朗を騙して今回の一件に引きずり込んだのだ。

 

 

 

「ウルフマン。とりあえずウルフマンが言ってた、"動物の夢"を応用してる可能性だけど、これならシロクロつけられるかもしれないわ」

 

「本当か?」

 

「うん。だって人間ならともかく、"どうぶつの夢"だと産業的に見込めないマイナーなテーマだし、研究機関もすごく限られてるはずだもの。それにどうぶつの研究機関はわたし個人的にくわしいし。ただ、情報料っていうか、暗部のツテとか使って情報を買うのにお金を使うけど、いい?」

 

「もちろん。緊急事態用にプールしてるヤツ以外は糸目を付けなくてイイよ」

 

(キミの金策でイイカンジに増えそうだからネ……)

 

 ダーリヤがおずおずと提案してきた『わたしにも資産運用やらせてほしいわ』というお願いに警戒心を持ってあたった景朗だったが、少女のアイデアを聞いて彼はアッサリ堕ちて、今では"人材派遣(マネジメント)"とちょこちょこやっていた事業を全部押し付けよう……もとい肩代わりしてもらおっかな、と考えているくらいの信用っぷりである。

 油断すると"違法就労中の暗部児童"が"金のなる木"に見えてきそうになるので、景朗こそ自分を律するのに糸目を付けてはならない心境だとかそうじゃないとか。

 

 

「そだ。俺がさっき採取してきた"男"の裏どりはどうする?」

 

「もちろんやるわ。でも、こういう個人情報とか、"情報を探っているのが相手にもバレやすい"調査は、後で短時間でキメたいのよ」

 

「ふむん?」

 

「だから、オープンソースリサーチとか、間接的な情報で予測して突き止めるタイプの調査方法なら、例えば今からわたしは"どうぶつの夢の研究をしてる研究室に資金提供したスポンサー"をお金の流れとか情報屋とかから手がかりを集めて突き止めようと思ってるのだけれど、こういう調査は、わたしたちが調査してるのが相手にバレにくいでしょ」

 

「なるほど」

 

「でも、ウルフマンの持って来た毛髪とか写真で個人情報を調査しようとすると、それ専門の情報屋にお金を積めばあっという間に手に入りはするのだけど、これって相手にバレやすいのよ。わたしたちがこの男の情報を買ったって情報が売りに出されちゃったりする可能性すらふつーにあるから」

 

 ダーリヤ曰く"A氏がB氏を疑っている"という情報がC氏にお金を積ませる情報にすらなるのである。

 

「だからわたしとしては、相手にバレにくい方法で詰めてから、んで、何かしら決行するってときに、ウルフマンが実働できるときに、まとめて情報収集して相手に悟られる前にぱぱっとウルフマンにキメ(襲撃)てもらいたいのよ」

 

「おっけーまったくもって合理的というかナンにも反論ありませんでした。それじゃあ、お願いしちゃいます……」

 

「まかせて! ムフー!」

 

 ウルフマンのためにわたしがんばるわ! そういって鼻息も荒く奮起する小娘が、この時ばかりは可愛くてかわいくて、思わず頭をなでてしまった。撫でられているダーリヤも嬉しそうだったので通報はしないでもらいたい、とここにはいないどこかの誰かに言い訳せずにはいられなかった景朗だった。

 

 

 

 が、すっかり弛緩しつつも画面に目をやっていたダーリヤが、突如ズバッと反応した。

 

「あ! ウルフマンッ」

 

「どした?」

 

「追加で情報がきた。 [ prev report is wrong. we keep the cat's cat (誤送信。猫の飼い猫は我々が確保してる)] だって」

 

「はぁ? んだよもう。んっだよもう! 焦らせるなよあのクソ野郎」

 

「あのね、クサツキからじゃなかった。Crimson00から」

 

 クサツキはCrimson01だと名乗った。Crimson00は別人なのだろうか。

 

「クサツキとは違うデッド・ドロップ(受け渡し場)サイトからの報告。別人というか別の命令系統なのかもしれないわ……」

 

 Crimsonとはコールサインなのだろうが、一般的に考えてナンバーは若ければ若いほど立場が上である可能性は高いだろう。蒼月は班のリーダー。それでCrimson01なのだとしたら、Crimson00はその上なのか。考えても答えはでない。

 

 それよりも、だ。

 重要なのは、景朗が追跡したトラックも尾行した男も"流星部隊"なんてものを持ち出さずとも"迎電部隊"でした、めでたしめでたし。となったことである。

 

 

「あ~。焦ったぜ……」

 

「でもでも、ウルフマン。ウルフマン、でもやっぱり"どうぶつの夢の研究機関"は調べてもいい?」

 

 上目づかいで見上げてくるダーリヤにはこれまでとは一変して、不安ではなく好奇心が加わっている。

 これもう調査に関係なく、ただ自分が興味あるから調べてみたい、に変わってる気がする。

 けれど。

 

「……おっけー。いいよ」

 

「やたっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 途中、ちょろちょろと様子を気にかけてみたものの、ついぞダーリヤは画面に向かって作業をつづけっぱなしだった。

 早朝。景朗は登校しなくてはならず、ダーリヤにできるかぎり休息をとるように呼びかけ、後ろ髪を引かれながら"第六学区"の秘密基地を後にした。

 

 

 休み時間ごとに相変わらずぼっちの安寿からズシオウの"ふきだし"が襲って来て、昼休みにはダーリヤから『帰ってきたらハナシがある』と一言だけ連絡がきた。

 カミヤンの補習の巻き添えで下校が遅れたことを含めても、日中はごく平凡な一日だったと言えるだろう。

 

 

 ただ、件の補習のせいで、予定していたドレスの女との面会時間まで余裕がなく、景朗は帰るまもなくそのまま面会場所に指定されたホテルへと直行しなくてはならなかった。

 

 とは言っても、実は目的地は景朗とダーリヤの秘密基地と同じ学区、"第六学区"のとあるホテルの一室である。いや、今では"だった"というのが正しいか。

 

 

 セラピーの予約場所を知らせるメールが届いたのは昨日だった。

 

 だが、予約時間の30分前にいきなり"ホテルの変更"を通知するメールを受け取り、景朗は秘密基地が近場にあるのに一時帰宅する暇もなく目的地へ向かっている、という訳である。

 

(ったく、予約してたホテルが急遽変更、か。怪しいなぁ……行ってみるけどさ)

 

 "第六学区"はアミューズメント施設が目白押しの区画だ。

 となれば当然、学園都市の外からの来客も多く押し寄せるエリアである。

 大人向けの商業施設も多い。況や宿泊施設もニーズに沿う形で多種多様に存在している。

 ぶっちゃければ、"数時間のみの滞在"に使われるホテル類も、ここでは珍しくはないということだ。

 

 そういった建物を、どうやって判別するべきか?

 

 意外と簡単だったりする。

 サインゲートや出入口付近の壁にこれでもかとカラフルなポスターやチラシが張り付けてあるので、一目でそういう客層向きなのだと察せられるわけで、どこのどなたでも問題はなかろう、となる。

 大人になれば自然とわかってくるよ、な理屈です。

 

 

 そう。今更"ラ"のつくホテルごときで驚愕するほど景朗だってお子様ではない。

 

「あそこか……おぁ!?」

 

 その彼があえなく驚愕してしまったのは、ホテルとホテルの間の路地裏、そこにいつぞやの白黒知的お姉さんの露店を再発見したからである。

 

(操歯さん!?)

 

 

 ダーリヤに調べて貰った、お姉さんの個人情報。

 氏名年齢や所属学校が判明。まさかの年下だったという驚愕。

 "年上"が好き、というより"年上っぽい"が景朗のツボなのかもしれない……小萌先生然り。

 マザコンとドレス女にツッコまれたが、言い訳が浮かばず。

 

 というか普通、年下の少女に熱を上げる者に対して"ロリコン"ではなくソコに"マザコン"気質があるのだと瞬時に看破したドレス女は、やはり只者ではない。

 『流石は"第二位"垣根が重用する人財だ……ッ』と景朗はちょっぴり戦慄したとかしないとか。

 

 いやそんなことはもはやどうでもいい。

 こんなにも早く再開できるとは思ってもいなかった。

 予約時刻まで押していたがそんなの関係ねえ!

 暗殺が得意な高校一年生は本人の許可も取らず勝手に個人情報を調べたその対象である中学二年生への元へ、喜びすさびスイスイとしかし音もなく夕暮れを急く。

 

 気づかれて逃げ出される前に正面から対峙するためである。

 

 もう言い訳の余地もなく危ないヤツだった。

 

 

「おねぇーさぁーん! こんちわっす!」

 

「ああ、きみか。……君かっ!?」

 

 嫌そうな表情を真っ先に浮かべた操歯さんはとっさに立ち上がろうとしたが、既に景朗が真正面に立っているせいで逃げられないとすぐに悟った。

 仕方がない、と小声でつぶやいたが、しかし。

 もじもじと座りが悪そうに身じろぎしたり、景朗だから聞こえる彼女の動悸はバクバクと少し早まっていたり、と落ち着きが若干失われている。

 

 脈があるのか、ないのか。経験の浅い景朗にはそれがわからなかったが、わからなくともやるべきことは決まっていた。

 否、やりたいことは決まっていた。このほうが正しい。

 

 

 そこは夕暮れの商業地区である。衆目はそれなりにあった。

 景朗は『みんなに届けおれの想い!』とばかりに大声をあげた。

 

 

「操歯さん好きです付き合ってください! 前回のお返事を聞かせてください!」

 

「ヒェッ!? なんで私の名前を知ってるんだぁ!?」

 

「やべっ言っちゃった。しまった」

 

「なんでなんで。何で知っている!?」

 

「SNSで友達に聞きまくりました。この人にホレたんで絶対彼女にします、って」

 

「じ、自分の告白をネットで拡散させたのか、キミはぁぁぁぁぁぁ! わたしを巻き込むなぁぁぁぁぁぁ!」

 

 恥ずかしがって顔を真っ赤に茹で上がらせた操歯さんは文句の付けようもなく可愛らしかったが、このまま嘘をついて放置はさすがに可哀想だった。恥ずかし悶える様を十分に堪能した景朗は、たんたんと答えた。

 

「まぁ、嘘ですけど」

 

「こっ! このやろう……ッ! じゃあどうやって知った?」

 

「うーん。えー、あ、じゃあ、ネットで検索しました」

 

「……」

 

「"白黒" "可愛い" "女の子" で検索したら」

 

「……したら?」

 

「パンダの赤ちゃんとか、シャチとか子猫とかの画像が」

 

「だろうな! フン、いいよ。どうせ正直に答える気なんてないんだろうからな。キミがそういう態度を改めないかぎり、返事はNO、だ」

 

「え、改めたらYESって言ってくれるんですか?」

 

「あ、改めてもNOだ! うるさいうるさい! この話題はもう金輪際しないぞ!」

 

「ちぇー」

 

 

 

 

 

 好機の目線が薄くなりだした頃に、そそくさと商品のカードをたたんで逃げ始めようとした操歯さんを『そういえば前回のカード、俺が全部もらっちゃったんで、買い取ったってことにさせてくださいよ。お金払いますから! 今回もいっぱい買うから逃げないで逃げないで』となだめすかし、しゃがみこんでカードを物色(するフリをする景朗はインディアン・ポーカーなんぞにカケラも興味がなかったのだが)。

 

 

「というか操歯さんはどうして"こんなところ"で露店を?」

 

「……」

 

「うむ、うむ! 操歯さんはホントにかわいいなぁ。ホテル街だから、これから睡眠を取る人に売り付けられると思ったんですよね。でもなぁ、実はここいらのお客さんは部屋の中で眠ったりはしないんですよねぇ~いやぁ~代わりにナニしてるんだと思」「うるさい! やっぱり帰る!」「あぁスミマセンハイハイもうイジめないから逃げないで」

 

 わざとらしくニッコニコで質問する景朗を睨みつけるもまたしっかりと頬を赤らめ吠えて威嚇する操歯さんはなんとも可愛いすぎて、なんだか強引にその辺のホテルに連れ込みたいくらいだった。

 イジめはしないけどイジり倒しますけどねぇぇぇぇぇぇ!! と景朗は心の中で叫んでいた。

 

「ほら、無駄話ばっかりしてないでさっさと選べ」

 

 カードの説明文なんてロクに読みもせずくっちゃべってばかりいる景朗に、スネた操歯さんはふっきれたのかぶっきらぼうな口調になった。

 

「うーん。なんかもう。そうだ、これ全部買いますよ」

 

「まぁぁぁぁぁったくぅぅぅ! わかってたとも、キミはカードに興味がないんだろ、私に何の用だ!」

 

「それはもちろん」

 

 キリッと(あくまで景朗基準で)した表情に切り替えて、景朗はイケボで(あくまで景朗基準で)クソ真面目に詠みあげる。

 

「この度は真剣にお付き合いできないかとお願いしたい次第です」

 

「その話はしないって言った」

 

 きっと操歯さんは彼女なりにできうる限りの冷酷な表情を作って、それで景朗に向き合っているつもりなのだろうけれど。

 景朗の聴覚は、いっそうバクバクと強く振動し始めた操歯さんの心臓の音を拾っている。

 なにこの萌える生き物、イジりのやめどきがわかんなくなっちゃうだろ。

 

「ぬわあん、残念だ。おちゃらけてるようにみえてるだろうけど、実はめっちゃくちゃツラい。悲しい。キツイ泣きそう」

 

「そういう時はこのカードを使うと良い。悲しみや不安、緊張、焦燥に対してどうマインドセットすべきか、私なりにエッセンスをまとめてある。今なら定価の10割引きで進呈しよう。さあ商売の邪魔だ。そろそろお開きにしてもらおうか」

 

 こんなこと言ってますが告白されて心臓ドッキドキですからねこの人。

 ほっとけないんだよなぁー。

 

「いえ。どんなに悲しくても成功するまで無限にアタックする覚悟だから大丈夫です!」

 

「ぐぬぬっ」

 

 なんだかんだで異性にアピールされると嬉しいよね。操歯さんはどうやって口八丁で景朗を追い払うか躍起になり始めているが、すでにその時点で景朗の術中に嵌っているのだ。

 このまま会話を続けていけば、この初心な小娘の心に吾輩の存在が根を張っていくことになる。

 

(くっくっく……)

 

 ああ、楽しい。年下の少女を告白詐欺で困らせるのがこんなに楽しいとは。

 

(やっぱり、告白って…面白!!……)

 

 彼はもう完璧に"変装中の悪ノリ"に味を占めてしまった、質の悪い迷惑野郎だった。

 

 

 

 

 その後も、いくつかカードを物色しつづけるフリをして操歯さんと世間話に勤しんだ。

 積極的に仲良くしようと試み続ける景朗を邪険にするのが難しくなったのか、だんだんと打ち解け、あ、これは連絡先をホントに教えてもらえるかもしれない、と景朗に希望が差して来たころ。

 

 いい加減に商売の邪魔をしつづけるのも申し訳ないし、時間もギリギリになってしまっていたので、景朗は最後に真面目な質問をしてから、この至福の時に自ら終止符を打つ覚悟をようやく決めたのである。

 

「そういえば初めて会った時の俺の質問、覚えてます?」

 

「あぁ、えっと。記憶力には自信がある方でね。『犬や熊みたいな嗅覚が優れている動物なら、インディアン・ポーカーが使えるか』……いやちがうな。『嗅覚が優れている能力者専用のカードが造れるか』だったかな?」

 

「あぁ、たしかにそれでした。今回の質問はそれとはちがってて、ズバリ、犬や猫みたいな知能の低い動物用のインディアン・ポーカーは作れるか否か、です」

 

「うーん。作れるには作れるが、意味のあるものはできないな」

 

「それは?」

 

「前も言ったかな。動物には、というか人間以外には夢の中身を処理する高性能な大脳が無い。動物も、とくに哺乳類は夢を見ていると言われているし、膨大なデータを取ってその夢をカード化することはできるかもしれない。でも、カードの中身には何ら意味の無いデータしか入れられず、その様では使っても何ら有意義な情報を得ることはできまい。作るだけ無駄……と切り捨てるのは科学者の卵として言いたくはないが、下手をしたら人間と同じような情報処理された夢を見ていない可能性すらあるのだから……オススメできないね」

 

「ははぁ……。あの」

 

「なんだ?」

 

「友達が、猫の夢を見るといってるんですよ。そういう能力で。これって?」

 

「……それは双方向性の能力か?」

 

「え?」

 

「猫の夢を読み取って、その夢に意義ある情報を付加させ、その後、猫にその夢を送り返すことができる能力、なのかな?」

 

「あーと。その可能性があったら、どうなります?」

 

「哺乳類のインディアン・ポーカー作製でネックになるのは、脳の処理能力不足だ。そこを人間が夢を共有して情報処理を補ってやる、というのなら、動物用のインディアン・ポーカーを作れなくもないかもしれないが。それだけの大金をかけて、能力者ありきのインディアン・ポーカーを作り上げたとしても、そんなニッチなもの、市場に広まりっこないじゃないか」

 

「……」

 

 これほどの答えが、まさかこの14歳の少女から帰ってくるとは思わなかった。

 スキスキ、とふざけて繰り返していた景朗だったが、今回はそこに、純粋なる敬意と謝意を込めて、満面の笑みでにこりと操歯さんに「ありがとう」と言った。

 

「そ、そうか。キミの助けになったのなら、まあ、よかった」

 

 どんだけ押しても素直に照れてはくれなかったのに、素直に尊敬を表したらデレました。

 これも一種の"北風と太陽"でしょうか。

 

 おっしゃ。このノリで連絡先を正規ルートで交換してやる。

 

「訊きたかったことも聞けたし、そろそろ、連絡先――をッ?!」

 

 有頂天で女子中学生との会話を楽しんでいた、そんな彼の楽しみをぶち壊す悪魔もとい、操歯さんにとってはある意味救いの天使になるのだろうか。

 

 

 操歯の返答が降って来た天恵すぎて、すぐ側のホテルから出て来た女性客がコツコツと近づいてきてるのを把握はしていても、大して気に留めていなかった景朗だったのだが。

 その匂いを嗅いだ瞬間、彼は動揺し、戦慄した。

 

(やべっ!!!)

 

「あら、お兄さん、ココにいたの。ずっと部屋で待ってたのに」

 

 満を持して、ドレス女の登場である。

 

(もしかして……もしかして……)

 

 景朗の脳裏に、とある悪意ある姦計が、この状況に至った原因に心当たりが湧き出した。

 

(急に予約してたセラピーの場所が変わって。変更後のホテルの真横に操歯さんが居て。狙ったようなタイミングで来やがった。もしかしてこのドレスの女……わざとこのタイミングで出て来たのか?! だとしたらヤバい!)

 

 このドレスの女と景朗と操歯さんが同時に出くわしたのは、一昨日のことである。

 操歯さんが忘れるわけがない。

 

「あなたは、ああ、カレの……?」

 

 操歯さんも見覚えのある顔の再登場に混乱して、ホテルから出て来た彼女の待ち人が景朗であることに遅れながら気づいて、すこし悲しそうな顔になった。

 

(ああああああああああああ、悲しんで、くれてるってのにおうおわああああああああああああああああああああああああああああああああまずいまずいまずい)

 

「`FLIRTING THERAPY`のアヤカです」

 

「フリーティング・セラピー、ですか」

 

「……」

 

 景朗は浮気がバレた男のように、何も言葉を発することができなかった。

 

「まぁ、ありていにいうと"レンタル彼女"ね。あ、もちろん。私どもは女性のゲストもお待ちしておりますわ」

 

 ゴタイソウな演技力で、ドレス女は優雅に名刺を差し出した。操歯さんに。

 

「予約時間過ぎてるけど、キャンセルするの?」

 

(キャンセルできるわけないだろ!!! くっそおおおおおおおおおこの女ァァッァァァァァァァ!!)

 

 目的は"第二位・垣根帝督"とのコネクションである。会話の名目のセラピーを断れるわけがない。

 

 

「ほう……? ここに陣取ってから、ここ(ホテル)にエラく年齢差のあるアベック(死語)ばかりが入っていくのをみてきたが。君たちもそのクチかい?」

 

 操歯さんは、差し出された名刺を受取ろうと手を伸ばした。

 そんな彼女に、なぜか渡す気マンマンでさらに腕を伸ばしたドレス女の邪魔をするべく、景朗も横槍を入れて腕を伸ばしてドレス女の腕を掴んだ。

 

 ぐっぐっぐ。ぐいっ、ぐいっぐいっ。としばらく引っ張り合いをしていると、おもむろに立ち上がった繰歯さんは少し怒りを表すような動作で強引に名刺を掴んで思い切り引っ張った。

 名刺は最終的に繰歯さんの手中へ。

 

 引き抜いたカードを一瞬で解読すると、白黒お姉さんはかつてないジト目で景朗を睨む。

 

「お・に・い・さ・ん。よ・や・く。キャンセル、するの? しないの?」

 

 ドレス女はわかってて訊いて来てやがる。

 

「し、しな……しない、よ」

 

 景朗の発言でもはや操歯さんは最高潮に冷たい。景朗はちょっと怯えた。

 告白したときよりも彼女の心臓はバックバク鳴っている。これはアレだ。怒りだ。

 ごめんなさいゆるして怒らないでなんでもしますから……。

 

「なあ、もういちど言ってごらん? もっかい『真剣にお付き合いできないかとお願いしたい次第です』と自分の口でいってごらん。私の目を見ながら、ホラ?」

 

 ぐ、ぐーっと景朗の顔面へと操歯さんは顔を近づけて、まさしく能面を張り付けた冷たき怒りを解き放っている。

 

「シ、真剣ニオ付キ合イシタイとトオモッテマス……」

 

「この状況でダマされるわけないだろ?! 君の思考回路は下半身に直結してるのか?!」

 

 繰歯さんはぷんすかと擬音が聞こえてきそうな不機嫌っぷりで足元のインディアン・ポーカーを拾いもせず、最後にまた一度景朗を睨みつけ「もういいっ」という捨て台詞を残し、すたすたと歩き去っていく。

 

「ぷ、くふふ。あっはははは! も、『もういいっ』ですって! 完璧にフラれてしまったわねぇ! ウフフフフフ!」

 

 ドレス女は途中からとめどなくケラケラと笑いっぱなしだった。もう大爆笑である。

 

「はぁ。なあ、ハメただろ? これだけのために急にホテルの予約場所変えたんだろ? 楽しい? ヒマなの? 暇すぎてちにそうだったの? 何だと思ったじゃねーか!!!」

 

「あは、おもしろい! あはは、あはははは!」

 

(さようなら……繰歯さん……)

 

「だああもう、何がしたいんだよ、ここまで手をかけて?」

 

「え、ただのイタズラだけど? ダメだった?」

 

「……はぁ(うーむ。実は最後の方、繰歯さんに睨まれたときゾクゾクしてなんかご褒美感が……別に本気じゃなかったから、怒る気にはならないんだけども、さ……)」

 

 景朗なりにクールぶってため息を吐いたのだが、ドレス女には演技が通じなかった。

 

「あらあら、まんざらでもなさそうね? まったく、"カレ"とは大違い。本当にレベルファイブとは思えない童貞臭さね?」

 

「ちょ……おい、俺がDTかそうじゃないかは別として。なんスか? レベルファイブはDTが許されてないンですかい?」

 

「あらあら、ここまで見事に予想通りの反応がくるなんて。貴方まさかホントウに?」

 

「わかったどうでもいいこの話は。ほらさあ、行こう」

 

 少々強引に引っ張ると、ドレスの女は両足を宙に浮かばせガクッと驚いた。

 

「きゃあっ。怒らないでちょうだいな。はいはい、わかりました。これからは親しみを込めて"非童貞の超能力者"さまとお呼びしますぅ」

 

「やめろよオイ! 二つ名みたいに言うなよ! そんな悲しい称号いらねえよ!」

 

 

 

 

 

 



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extraEp04:心理定規(メジャーハート)





すみません。ギャグ&ちょいえろ?回として
まとまったので、別話として投稿します。


なにせ、次の話がすっごく大きな山なので
この回だけ空気が違い過ぎるので、切り取って投稿いたします。

3~4日後に、次の話を投稿できれば幸いです。
半分以上書けてますので、なんとかやるぞー、と。
発言だけでも前向きに・・・


 

 

 

 

 

 

 

 場面は少し飛ぶ。

 

 場所はラ○ホテルの一室だ。

 

 ベッドの上。重なるシルエット。

 アヤカと名乗ったドレス女にひざまくらをされていた景朗には、当然意識があった。

 だが、その突飛な質問に押し黙った。

 押し黙るしかなかった。

 

 

「えっちなこと、する?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 操歯さんが逃げ帰った後、すぐさま景朗と源氏名アヤカことドレス女はホテルに入り、予約していた部屋へ。

 

 ホテルのフロントや廊下で勝手のわからない景朗の様をいくどもDT扱いしてご満悦(に決まっている)のドレス女は、部屋に入るなり名刺の裏のメモを見せつけ、こう厳命した。

 

[ 今から私と貴方はセラピストとお客よ。60分コースの間、しっかり役に徹すること ]

 

 うんうん、とうなづいた景朗は、そうだろうなぁ~という予感はあったものの、ラ○ホテル一室の"クイーンサイズベッドの上に垣根帝督が寝そべっていないこと"に心底ほっとした。

 

 "第二位"との面会をこんなケバケバしいカラーリングの場所で行うなど、想像するだけで嫌になる。

 ラブホのベッドで待っている相手に「お久しぶりです」なんて言える空気感じゃねえから。

 ゼッテエ違うから。

 

 やはりドレス女1人が相手だ。

 他にも彼女のバックアップなどが近くに隠れている可能性はもちろんあるので油断はできないが、そういった襲撃への心構えは無くしてはならない。

 

「シャワー浴びる?」

 

 ブンブン、と景朗は首を振った。

 

「え、緊張してるの? ぷっ」

 

「んなわけあるか! ゆっくりしてるは時間ねえんだよ、はやく要件を済ませよう」

 

「えー、こっちは仕事終わりだから浴びたいんだけど」

 

「いいからはやくしろよ」

 

 ちょっと本気メで睨みつけると、仕方なさそうにため息を吐かれた。

 

「はぁ。いるのよねー、嗅覚が鋭い能力者に。そういう性癖のヒト」

 

 ダメだった。ドレス女には通じない。普段から"第二位"という殺傷力の高い人間と行動を共にしているだけはある。

 しかしもはや景朗とて我慢の限界だった。効き目がなさそうだったが、それでも小声で怒鳴り付けずにはいられない。

 

「だいたい、何でなんで悠長にごっこ遊びするんだよ! 目的があんだろ目的がッ!」

 

「貴方そんなこともわからないの? これからこうやって私が貴方との連絡役になるんだから、貴方は極力"一般の利用客のフリ"して来なさいよ。そのくらいの頭は働かせられるって期待してたのだけれど、完璧に期待外れだったわ」

 

「……むぅぅぅ。わかったよ。やるよ、でも今日は時間が無いんだ。手早く済ませてくれ。本業とやらも」

 

 合理的すぎる理由にぐうの音も出ずYESと答えさせられた景朗だった。

 要するに密会していても、両者の関係を疑われないように念には念を入れてセラピストの仕事を隠れ蓑にしろ、ということなのだろう。

 それならば偽装工作として、これから実際にそのセラピーも受けねばならないわけだ。

 時間がどれほどかかるのか。いや、最初に60分コースと言われた以上、一時間は持って行かれるわけだ。

 

(くっそお、ダーシャ! もっと短い時間とか無かったのかよ。これが最短コースだったのか?)

 

 よくよく考えれば、幼女に微エロサービスの指名予約まで代行させておいて、あげくコースの時間指定まで忖度させようとは、この男、鬼畜に勝る所業を働いているのにその自覚がまるでないのではなかろうか。これは一種のバチだと考えてもらいたいものである。

 

「はいはい。仕方ないわねぇ。準備したらいくから、ベッドで待ってて」

 

 すたすたと最後まで話を聞かずに移動を始めていた景朗は、いかにもなクイーンサイズのベッドを前にして、億劫そうにそろそろとその上に腕を置いた。

 

 何しろ今の景朗の体重は200kgを超えている。サイズがサイズなので人間が複数乗っても大丈夫な設計ではあるはずだが、景朗の場合、小さい面積にかなりの重量が集まる。

 うっかり穴でも空けたら面倒なので(この場合ドレス女に小言を言われることが主な要因であるのが少々悲しいが)おずおずと力加減を確かめつつベッドの上に乗ろうとした。が。

 

「ウフフッ、ねえそんなに緊張しないで? 可愛いトコあるじゃない」

 

 真後ろでドレス女が笑っている。

 

「!? ちッがッ! ぁぁもう、クソ~……」

 

 景朗はまたしても敗北感を味わった。言い訳が機能しない。

 そわそわとベッドの上にゆっくり乗っていく童貞疑惑の男子高校生。

 場所が場所、ラブホである。

 客観的にみて、一体全体、ソイツのどこが緊張してないように見えると言うのだ。

 

 非常に悔しいが、緊張しまくりのDT小僧にしか見えない構図なのだった。

 

「壊さねえように気を付けてたんだよ……」

「はぁい。そういうことにしておきまぁす」

「……クッ……キッ……グゥ……」

 

 

 嗚呼、過去にしてやられた能力者を相手に思う存分からかい返すことができてなんて幸せなのかしら。

 そんなカンジで鼻唄でもでてきそうな塩梅のドレス女は、しかしポーチに手を突っ込むと、珍しくもやや照れ気味でコホン、と前置きをしてきたのである。

 

「……ま、ギクシャクに緊張してるみたいだから、ニオイは特別サービスにしておいてあげましょう」

 

「サービスにカウントしなくても嗅覚はオフにしてやらぁ。はよ始めてくれって」

 

「そういうわけにはいかないもの。ほら、コレを使うの」

 

 そういって、ポーチから取り出したのは一枚の見覚えのあるカード。

 インディアン・ポーカーだった。

 景朗も納得だった。これでは嗅覚をオフにすることなど不可能だ。

 というか嫌でもドレス女の匂いも意識せざるを得ない……。

 正直、彼女が照れるのも無理はない。景朗の嗅覚の優秀さを予想できているだろうから。

 

「ほら、はやく横になりなさい。膝枕してあげるから」

 

 頬をほんのり赤く染められると、こっちも申し訳ない事をさせている気になってしまう。

 

 たしかに。確かに、"こういうサービス"をするという名目でホテルに入っておいて、かたや一方はベッドで寝て、もう一方が何にもせずに近くで待機する、なんてのは不自然かもしれない。

 もしかしたら、遠距離感知系能力者の盗視などに引っかかる可能性もある以上、不自然さは少しでも隠すのが鉄則である。

 

「俺、重いから無理しなくてどうぞ」

 

「緊張されるとこっちが緊張するんだけど」

 

「してませんから」

 

「なんで敬語なの?」

 

 景朗は黙ってドレス女の太腿に頭をのっけてやった。

 

 

 

 

 結論から言おう。一度、ダーリヤと一緒にインディアン・ポーカーの使い方を実践しておいて、本当に、本当に本当に良かった。心の底から景朗は思った。

 なぜなら、アレがなければ、今頃この少女の太腿の上で、なかなかインディアンポーカーを読み取ることができずに四苦八苦して、どうせ苦情が飛んでいただろう。

 

 『60分コースなのよ? 私の膝を堪能する時間はいくらでもあるのに、そこまで必死に演技しなくても(勝者の嘲笑)』

 

 

「ふぅ」

 

 真上からのため息。

 あっさりと眠りについた景朗に対し、ドレス女はそれはそれで暇になって退屈そうである。

 

 

 夢の中。

 景朗がやってきたのは、どこかの高層ビルの上層階。

 ガラス張りの壁一面から、周りの景色が見える。

 いかにもどこかの企業がロビーに使っていたところをそのまま再利用しました、なんて内装のフロアだった。

 出迎えたのは、頭に土星の輪っかみたいなものをくっ付けた地味顔の青年だった。

 

「単刀直入に言います。我々と面会の意思があるのなら、明日か明後日に時間を作ってください。あなたが想定している以上に、この街には盗聴・盗視のリスクがある。これから我々が確保しているシェルターの一部をお伝えします。詳しい話はそこで。

 分り易い名前や地名を口に出すことは避けます。かわりに、これから実際にその場所の近くを通り過ぎますので、あとは自力で探し当ててください。あなたなら苦も無く見つけられるでしょう。

 これは私の夢ですので、リラックスしてついて来てください。そのかわり、しっかり道を覚えてくださいね」

 

 そういって、ジミメン君は歩きだし、ビルの外へ。景朗は夢の中の街を彼とともに歩き出す。

 これなインディアン・ポーカーの見せる夢。このジミメン君が話しかけてこない限り会話はないし、話しかけても何も返事は帰ってこない。

 はっきりいって、まだまだ時間はかかりそうだった。

 

 

 

 この状況では、景朗だって退屈である。

 景朗は能力を器用に使った。半覚醒・半睡眠状態のまま、薄目を開ける。

 片目で街の景色を、もう片目で真上の少女をそれぞれ監視できる。

 

 

 

 

 

 その瞬間に映ったのは、景朗の上腕や腹部の筋肉の感触を物珍しそうに物色しているドレス女の油断した表情だった。

 流石に寝ている相手に最大値の警戒心を向け続けるほど疲れ知らずではなかったようだ。

 素に近い反応で楽しそうにイジられている分には、まあ文句を言いだす気にもならない。

 眠ったふりをしておいてやろう。

 親切心でそう思った直後に、彼女の手が下半身に伸び始めたので、さっそくその気が霧散した。

 

「おひ……やめひょ……」

 

「あら! 起きてたの? ちょっともう、どれだけ演技する気よ……」

 

 ドン引きの声。だが、断じて違う。断じて違うと主張したい。

 フトモモの上に長時間アタマを乗せていたいがために寝たふりなんかしていない。

 これだけは真実だ。だと言うのに、ドレス女を納得させられる言い訳が、またも存在しない。

 なんという敗北感なのだ……。

 

「ちやう……ぅぅ」

 

「はぁ、やれやれ。どれだけ私の膝が気に入ったのよ。時間が無いって焦らせといて。お楽しみは後にしてちょうだいな。60分もあるんだから」

 

「ちやう……ねへるんだよ……」

 

「うふふ。苦しすぎる言い訳ね(はぁと)」

 

「のうりょくで……ねむひながりゃ…はなせる……ひゃんと…ジミメンくん……みてりゅ……」

 

「へぇ。便利ねー貴方のチカラ」

 

 ジミメン発言であっさりと景朗の言いたい人物に理解が及ぶとは、仲間からもそのような評価を受けているのか。ジミメン君とは仲良くしてあげよう。

 

 

「感触はあるのかしら? ほら、ほら、これとかどう?」

「ひゃめりょ…ぉ…」

「はいはい。やめます」

 

 寝ぼけたような声が口から出る。流石に体を動かすのは億劫だ。

 なんとか口から声を出す景朗の様子から、躰を動かせるまでには至っていないことを察したのか、ドレス女はほっぺたを遠慮なくつついている。

 

 しばらくイジられたが、景朗が我慢して無反応になれば飽きるのは少女が先である。

 

 

 ケータイをイジり始めたが、それも数分で終わってしまい。

 

 顔面全体で退屈さをアピールしていたドレス女はその時、景朗の薄目に眼を合わせ、突拍子もないことを口走った。

 

 

「えっちなこと、する?」

 

「……ちっ」

 

 景朗は舌打ちだけを返した。さもありなむ。

 

(これ、俺がどう答えてもまたDTやらどうだのと難癖つけられるのが確定の、敗北確定クイズじゃねえか)

 

 YESと言っても盛大にからかわれ。NOといってもまた盛大にからかわれる。

 この女はどうしてこう、YESorNOのどちらを答えられても勝利できる質問しかしてこないのだろうか。

 

 黙る。無視する。はぐらかす。

 そういう方向性で対応しないとホテルに入室する前の、常時からかわれ状態にまた逆戻りだ。

 

「舌打ちって便利よねぇ。こっちの"カレ"もそんなカエシばっかりで、つまらないわー……えいっ」

 

 ドレス女は思いついたように前かがみに。

 インディアンポーカーのカード越しに、むにゅっとした感触が景朗の顔面へ襲って来る。

 

(これ?!)

 

 ふよふよの柔らかい重量。

 健康的な汗の匂いが、ぐんと強くなる。

 

「ねえねえ。もういい加減(カードに記録された夢)終わってるんじゃないの? こんなにお楽しみされると追加料金をもらいたくなってくるんだけど?」

 

「…やめひょ……やめりょ…っへ……」

 

(まだ無言のまま街中を歩いてるよ! このへんな輪っかつけてるジミメン君はぁ!!)

 

 エモノを追い詰めたようなカオである。

 

「本当かしらぁ? ずいぶんお喋りじゃない?」

 

「おわっはら……かってにどくひょ……」

 

「はいはい。そういうことにしておいてあげましょう」

 

 すくっ、と顔に乗っていた重みが消えた。

 これでいい。これでいいのだ。景朗は必死にダーリヤの事を思い浮かべて、そう思い込むことにした。

 

 

 

 

 

 カードの夢が終わった。ジミメン君は「わからなければ何度でも観てください」と言ってくれたが、1回で十分だった。予想はついた。

 恐らくは、ルート上にあった理事のシェルターである。それが一番の有力候補だ。"スクール"の政治力なら間借りすることもできそうだ。

 

 ドレス少女の膝枕からむくりと起き上った景朗は、さっそくとばかりに部屋から退出しようと立ち上がった。

 いつの間にかはだけていたシャツのボタンもしっかり留める。

 苦々しい。今日あったことは忘れよう。

 まあ、このドレス女とは今後もずっと定期的に会う事になるのだろうけれども。

 

 

「疲れたわぁ。貴方、自分で言うだけあって重かったし?」

 

「まあ、そこは礼を言っておくよ。ありがとう、耐えてくれて」

 

「そうそう、素直なのはいいことよ。あぁ、そうだ。ねえ、次も私ひとりをご指名? それとも複数ご指名のご予定かしら?」

 

 意味ありげの流し目。景朗も彼女の質問の意図に気づいた。

 夢の中で、ジミメン君は明日か明後日と言っていた。

 そのチャンスに間に合わなければ、恐らく彼らは今いる拠点から移動するのだろう。

 彼女ひとりの指名だと答えれば、また今日あったことのやり直し。

 複数なら、次に会うのはスクールの面々と、ということだろう。

 

「複数の指名で」

 

「あらら。随分と"せいよく"が強いのね。さっきも必死で女の子をナンパしてたしね?」

 

 まとめていた髪をほどく仕草が女性的で、何ともいたたまれない気持ちになってくる。

 

「ちっが! ちっげーよ! あれはちゃんとした思惑があったんですー! そっちこそ無意味に邪魔するなよな」

 

 まぁ思惑があったにはあったが、それよりも学校帰りという事もあって、青髪クンを演技していたときのノリが抜けきっていなかったことも理由にあるかもしれない。

 

 ムキになった景朗に、はは~ん、とわかったようなカオでドレス女はベッドの上にしな垂れた。

 

「念のため、えっちなこともしておく? 偽装工作と・し・て(はぁと)」

 

 いいけど? みたいな気軽さである。

 虎の目つきみたいな獰猛さもセットで付いて来ているが。

 

「いい加減うぜーよ」

 

 この景朗の興味全然ありません発言には、ついに彼女もムスッときたらしい。

 

「あー。はい減点。まったく、少しは演技に徹しなさいよ」

 

「……ぅ」

 

「貴方はこれからも"私の猛烈な追っかけ客"として何度もまた何度も、こうやって私と会っていくんだから。もっと入れ込んでくれないと不自然でしょ?」

 

「"入れ込みなさい"って、直球すぎないッスかね」

 

「毎回、貴方の方からガッついてくれないと。それが私に会う理由がなんだから、当然でしょ? そういうケンカ腰は金輪際やめてちょうだいな」

 

「……すごくヨカッタので、また指名します。すぐ会いにくるから、マタネ」

 

「はぁーい、ニオイフェチの変態さん。待ってるからネ♡」

 

「……くッ」

 

 はやくダーリヤに会いたい。

 

 

 

 

 

 






うーむ。


ここ数話の景朗がナンパすぎて、読者の皆さま、引いていらっしゃる・・・?


どんな感触なのか、わからないのが不安だぁ……


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episode37:液化人影(リキッドシャドウ)


えーと。前回の前書きで、次が"おっきな山"だと言ったのですが、
今回、そこまで描写しきれませんでした。

今回の話は、その山のピークへ登る中腹あたりで止まってます。

正確には、次回が最大の山場になります。
きっと「何が起こってるんだ?!」という感想がいっぱいくる、はず。
ていうかきてほっしい!

そんなカンジで祈りつつ、楽しみながら書いております。


今回の話もソコソコ衝撃を受けてくれればな、と思いますが。

次の話にはもっと期待していてください。
次の更新ですが、次の文の話も7割かけてますので、
読者様の熱が冷めないうちに更新できればと思います。


目標は日曜日の朝です!


今回の話は地味に4万字超えてますので、ゆっくり休憩しながら読んでください(汗


 

「インディアンポーカーで場所の指定があった。たぶん"第一八学区"のシェルターだな。統括理事の誰かの。最初は何が来るのかと思ったけど、夢で情報を伝えあうって機密性は高いよなぁ。時間はかかるけど。どこかの理事長サマもさすがに人様の夢の会話を盗み聞きするわけにはいかないだろうし」

 

「ねえ、ウルフマンは自力で明晰夢を作れるの? それなら交信に使えるのかしら」

 

「できると思う。練習しとくよ。ダーシャはこのカードさ、どのくらい信頼できると思う?」

 

「何百、何千ってあるニオイ分子の特定は、ハウンドドッグの嗅覚追跡デバイスですらレイテストバージョンでもそれなりの大きさがあるから……ウルフマンが心配してる"ナノマシン"なんかじゃ検知はムリに決まってるわ」

 

「だよな。能力者ならともかく"物理的装置"となると。"ウチ"のは、俺が開発用に最適化させた嗅細胞のサンプルを使ったから、他のとこより頭一つ抜けてるセンサだって……木原の野郎が言ってたしな(憎々しげに)」

 

「デジタル信号だけじゃなくてアナログな方法(ニオイ粒子)まで複合させてるし、ネックはウルフマンの言う通りスピードかもね」

 

「それなら……こいつを創った奴もナノマシンを知ってたってことか? ただの偶然かな?」

 

「わからないわ。その可能性はあるかもしれない。一番最初に作った人間なら、うるふまんみたいに自力で夢をみてからって形で最初にアウトプットする手間が必要ないもの。最初からどんな夢を相手に見させるかを、カードに直にインプットできるはずだもの……そうね……ただの想像だけど。やっぱり、電気信号だけで夢を創り出せるメカニズムも開発できたんじゃないか、って思うわ。

 でもそうじゃなくて、わざわざ嗅覚っていう媒体が素粒子スケールじゃなくて分子スケールのものを選んだ……アナログな方法で暗号化を目論んだ、って考えるべきかも。

 ううん、やっぱり考え過ぎかしら。ただ単にカード一枚分の容量で夢を調節する電気的な出力が足りなかったって線もあるのよね。物理シミュレーターで計算しないと正確なところはわからないけど……。ニオイ粒子(ホルモン)を別口のパワー(動力)源にしたかったんだと思うの。ニオイをうまく使って、より小さい比エネルギーで人間の感情のベースを効率的に誘導しようとしたんだわ。うるふまんならよく知ってるでしょう? たしかホルモンって驚くほどの少量で人体にリアクションを喚起させられるのよね?」

 

「んーとね。うーん。その辺、たしかにシミュレーター使わないとケタが合わせられないハナシだと思う。つーかさ、お前さん、9歳児って気がしないわ……」

 

「ウルフマンも頭を良くすればいいのに? 能力でIQめっちゃあげちゃえば?」

 

「間接的に頭が悪いって言ってますよね、ソレ。やだよ。絶対脳みそはイジくらない。絶対やだ」

 

「ブゥゥ~。…そうすればきっと、なんでも好きな夢が作れるようになるとおもうわ。うるふまんなら超絶シナプス反応でどんな芸当も一発で模倣できるでしょ? そうだ! "ぷにき"で"ろびかす"斃す夢を作ってほしいわ!」

 

「え、え? ごめん、何かを斃す夢ってことしか理解できなかった。え、何を?」

 

「やっぱりいい。自分で復讐する!」

 

「え、解決したの? まあいいけど。うん、そうそう。てか、昼間のハナシって何。ずっと気になってたんだけど」

 

 

 メールや通信で気軽に話せない内容だったからこそ、直接会って話すとダーリヤが前置きして来た話題なのだ。景朗は話が脱線して弛緩しかけていた気を締め直し、年齢の割に背の低い少女へと向き直った。

 

 

「ウルフマン、私の勘にすぎないんだけど、今夜、動いてもらってもいい?」

 

「大丈夫。ダーシャが必要だっていうなら大抵のことはやってやるよ」

 

「今から大急ぎで情報を買うわ。これ、昨日も言ったけど、一番時間を短縮できるかわりにリスクがあるの。地道に調べたほうがわたしたちの動きを相手に気取られにくいけど、わたし、ここはスピード重視で情報を買い漁って時間を節約した方がいいと思うの。なんとなくなんだけど。今まで仕事して来たカンがすっごくそう言ってる」

 

「おーけー。心配するなって、何でもやっちまいな。で、俺は何をすればいい?」

 

「昨日頑張って、"どうぶつの夢"の研究機関に投資してた企業や組織を追っかけてたんだけど」

 

 ダーリヤは眠たそうな目をこすって、またカフェイン高含有エナジードリンク"グレネード"をぐびびっと呷った。それから、観て診て、とばかりにPCの画面を指で叩いた。

 

「ウルフマン、有望な研究機関の全てに"スパークシグナル"が大金を投資してた」

 

「それって、スパークシグナルが調査するために打った手じゃあ、なかったカンジなのか?」

 

 

 "迎電部隊"の蒼月は、景朗に"夢の研究をしている機関"の情報なら買う、と言ってきた。

 奴等が動物の夢からもなにかヒントを得られないかと、捜査の一環としてダーリヤの行き着いた研究機関に、先に金を渡して協力を依頼していたのではという判断である。

 

 しかし、ダーリヤはそうではないはずだ、と答えた。

 

「早すぎるのよ。インディアン・ポーカーがマーケットに広まるはるか昔から投資してる。しかも、バレないように複数のダミー口座を経由させてた。これはまあ、いつもそうしてる可能性はあるんだけど、それにしてもずいぶん念入りにやってくれてたのよね」

 

「これは……たしかに。本気で犯人を捜したいなら、このこと(動物の夢は追いかけるだけ無駄だってこと)を俺に伝えないのは二度手間だよな。文字通り大金をかけてるのに」

 

 ダーリヤがまとめた予想金額を見て、景朗はうなずいた。

 

「確かに今日にでも動いたほうがいいなコレ。最悪、"迎電部隊"はダーシャの動きを掴んでるかもしれない」

 

「うん。気を付けて捜査したけど、絶対バレてないとは言えないから。昔のチームのツテとか使ってなるべく工夫はしたけど」

 

「おまえ、エライぞ? めっちゃ偉いぞ?」

 

 ぽんぽん、とダーリヤの頭を撫でると、とろん、と眠たそうな目をしたままだったが、むふーっ、と少女は鼻息を吹きだした。

 

「ウルフマンが昨日採取してきた"かみのけ"と"動画"でこの男の個人情報が買えれば、一気に詰められるわ。けど情報屋から買えば最悪数時間で相手にもバレる。バレる前に侵入して証拠とか人質とか、盗って来れる?」

 

「やろう。残りのお金、全部つぎ込んでいいぞ。こうなると蒼月はクソみてえにクロだよな」

 

「うん、クサツキはそうとうクサイわ。スパークシグナルがクロなら、自分からウルフマンを誘って捜査に引きずり込んだ意味不明の行動になるし。あやしすぎるもの」

 

「そうだよ、あいつめっちゃ臭く感じるんだよなぁ。なんでだろなぁ」

 

「そっちのクサイじゃないわ」

 

 ダーリヤは早速、"迎電部隊"のデータを裏の情報屋から買う算段を立て始めた。準備はしていたのだろう。既に入金する段階に入っているようだ。

 

 景朗は景朗で、"猟犬部隊"の非番隊員のリストを開いていた。

 

「ダーシャ、このリスト見える?」

 

「うん」

 

「"ヘンリー"と"テレサ"にヘルプを頼むことにするわ。こいつらは俺に貸しがあるから護衛くらいはやってくれる。ただコイツらも連中よりは多少マシって程度だから絶対信用はするなよ。金さえ払えば大丈夫なはず、だと思う」

 

「うん」

 

「機密重視ならヘンリーだけでもいいかな……ヘンリーだけにしとくか」

 

「なんで?」

 

「テレサは一回しか命を助けてやってないけど、ヘンリーは。コイツはもう何回も何回も命を救って尻拭いしてやってっから。これで裏切ってくるってんなら、申し訳ないけど後腐れなく口封じしちゃおうかな、と」

 

「他のPMCは?」

 

「やめよう。金でいくらでもひっくり返されるよ。同僚より信用できない。コイツらならある意味で俺の力を良く知ってっから。裏切りの代償が高くつくって知ってくれてる」

 

「わかったわウルフマン」

 

「状況が荒れたらすぐに残りの"猟犬部隊"も呼べ。俺達だけで収拾がつかなそうになったら、あいつら(迎電部隊)全員殺して木原数多に後始末させればいい」

 

 彼らには悪いが、"迎電部隊"も"猟犬部隊"と同じくらいに手を汚している人種である。何か不利益を被られる前に、息の根を止めてこちらの身の安全を守らせてもらう。

 その辺を歩いているカタギの一般人と同じように殺しを躊躇う必要性は、ない。

 むしろ、油断すればこちらの弱みを握られ、消される。

 暗部同士の戦いなので全力で相手をさせてもらう。

 

「あ、おい、コイツらの前では"スライス"って呼べよ。その呼び方、ホントは嫌いなんだから」

 

「むふー」

 

「聞こえないふりやめてよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダーリヤに、以前から用意させていた防弾ベスト(子供用)や防刃迷彩スモッグ(子供用)など一通りの防具を着せて、最後に「これも!」と言われて以前景朗が作ってやった"狼頭のかぶりもの"を被らせ(確かに景朗がめいいっぱい気合を入れて造った代物だったので、そこら辺のヘルメットよりよほど軽くて頑丈、耐衝撃性も防弾性能にも優れもの)、第十五学区へと向かう。

 

 途中で猟犬部隊の同僚、"ヘンリー"を拾う予定だ。

 

 ダーリヤは手にしていた軍用ラップトップを重そうに掲げ、早速とばかりに景朗に見せつけた。

 

 景朗が尾行した迎電部隊の隊員は、通称"朽葉"。過去の作戦上で使用した名前らしい。

 残念ながら拠点はわからなかった。が、あの男は現場と拠点を行き来していたので、チャンスがあればまた捕まえられるだろう。

 

 ダーリヤをヘンリーに任せ、景朗は先行した。

 

 

 

 

 

 ヘンリーの持っていた嗅覚センサーでウルフマンの足跡をたどっていたダーリヤ達は、第十五学区、とあるマンションの1階へと辿り着いた。

 ヘンリーが銃を構えて突入する。ダーリヤもテーザーガンを用意して後ろに続いた。

 

 部屋は真暗で、家具はごっそり無くて、埃の匂いが強い。空き家だった

 奥のリビングを照らす。人が倒れている。恐らく朽葉本人が根転がされている。

 

「お前ら急げよ」

 

 その声は真上から聞こえた。ダーリヤがライトとともに見上げると、そこには天井に張り付いたウルフマンが居た。

 

「ヘンリー、ドア窓、シールしろ」

 

「OK」

 

 手慣れたもので、ヘンリーという猟犬部隊隊員は防音性の低そうなドアや窓の縁に銃口を向け、ジェルを射出して隠蔽工作に取りかかっている。

 

「ダーシャ、"朽葉"のデータで重要そうなの読み上げて」

 

「わかったわウル……"スライス"。んー、でも」

 

 既に意識が朦朧としてぶつぶつ呟いている状態だった朽葉の顔を掴み、ウルフマンは朽葉の両目をかっと開かせ、網膜を写し取っている。

 

「"スパークシグナル"だけあって、あんまり有効そうな情報は拾えなかったわ、ごめんなさい」

 

「あやまるなよ。ほら、朽葉、あ~い~う~え~お~」

 

 ウルフマンに言われるがままにあ、い、う、え、お、と朽葉は声をあげた。

 その後今度は、ウルフマンが完璧に近い声色で、朽葉と同じ声であいうえお、とテストするように発した。実際に、声紋検出器に聞かせていたのだろう。ウルフマンがベルトに付けていた探知機の、緑色の豆粒ライトが光った。

 これで声紋のコピーも終わったのだ。

 

 ウルフマンの腰のデバイスをもっと見る。

 グリーンライトは他にもいくつか付いている。

 既に採血等も終わらせてあるらしい。

 

「ヘンリー、静脈読み取るヤツ持ってきてるよな?」

 

「あるぜ、ほらよ」

 

 ウルフマンは朽葉の両手を、ヘンリーが差し出したデバイスの上に載せた。

 

「ダーシャ、目、つぶれ」

 

「うん」

 

 ウルフマンは暗幕を被せてはいたが、デバイスから漏れた一瞬の光は強烈だった。

 瞬間的な発光だったが、薄暗い部屋を見渡せるほど照らしていた。

 

「これ、手のひらの血管網で認証するヤツ?」

 

「うん。朽葉本人から聞いた……ふぅー。これで物理的なセキュリティは万全だけど」

 

 

 振り向いたウルフマンは、既に横たわる朽葉と全く同じ顔つきで、体格、身長も調節してあった。

 たった数分で、遺伝情報すら用いた物理的セキュリティを完全クリアーしてしまったのである。

 

 ウルフマンが学園都市最高の暗殺者だと言われるのも納得だ。

 ダーリヤはまるで自分のことのように、自慢げにむふー、と息を吐いた。

 

 その間にウルフマンは再びパンパンと朽葉の頬を軽くたたき、詰問し始めていた。

 

「朽葉。Turquoise01。入出には必ずテレパス(心理系能力者)を通すんだよな?」

 

「……ああ、もちろん」

 

「班長のお前でもか?」

 

「全員だ。臙脂さんも含めて」

 

「エンジ?」

 

「朽葉はTurquoise01。Crimson01とは別班のリーダー。で、現場統括がCrimson00、臙脂ってヤツらしい」

 

「エンジ、ね。わかった」

 

「捕虜はとったりするのか? 捕虜もゲートを通すのか?」

 

「人質も通す」

 

「じゃあ、おまえ、俺を人質に見せかけて連行しろ。内部まで案内しろ」

 

「……」

 

「内部で安全に着替えられる場所はあるか?」

 

「……あ、る」

 

「ヘンリー、自白剤追加で打って」

 

「あいよ」

 

 阿吽の呼吸とはこういうのだろう。隊員同士の仕事は迅速だった。

 ヘンリーは朽葉のつぶやきから、ウルフマンに言われる前に針を刺さないタイプの電動注射器を用意しており、ほぼ命令と同時に首にくっつけ、薬剤を注射していた。

 

「安全に替え玉できる場所はどこだ?」

 

「わからない……自分の部屋、なら、少なくとも」

 

「よし。そうしよう」

 

「ヘンリー、チビと一緒に近くで待機しててくれ」

 

「了解」

 

「朽葉。今日の用事は? 誰かと会う約束してたか? 帰ってお前は真っ先に何をするつもりだった?」

 

「…・…え……っぐぅあああ! ああっ!」

 

 ウルフマンが能力で神経に直接痛みを与えているのか、朽葉は全身を震わせた。

 

「臙脂さんに報告しにいく、いくはずだった」

 

「何と?」

 

「蒼月が裏切ったと……」

 

「裏切り?」「うらぎり?」

 

 疑問を発したのはダーリヤとウルフマンの両者からだった。

 

「蒼月は裏切っていた……"猟犬部隊"の"番犬"と手を組んでいた……」

 

「……なぁ。俺が誰だか、まだ想像つかないか?」

 

「……まさ……か……」

 

 朽葉の肉体は薬剤で弛緩し切っていたはずだったのだが、それでもダーリヤにすら察知できるほどに、彼の声には硬さが戻った。

 

「……こ、殺すな……殺さないでくれ……そんな、もう、お前ら(猟犬部隊)が……ああ……」

 

 ほろり、と朽葉の目から怯えと諦観のこもった涙が流れ落ちる。

 

「一体なにが裏切りなの?」

 

「この子の質問に答えろ」

 

 ウルフマンが強くつかむと、わなわなと朽葉は震えて口を開いた。

 

「あいつが俺達の……俺達を売ったんだ……あいつが始めたのに……最初からぁ踏み台に、するき…する気だったのか…」

 

 景朗にはピンとこなかったが、ダーリヤには思い至るアイデアが閃いたらしい。

 

「犯人なんていなかったのね? インディうぐッ」

 

 そこでようやく景朗も察しがついたのか、慌てたようにすぐさまダーリヤの口を塞いだ。

 

「むぐぐ、むぐ?!」

 

 なにをするの、とこちらを見てくるダーリヤに、カレは指で耳を差すジェスチャーを何度も行った。

 

 ダーリヤも悟った。ウルフマンが気にしている"ナノマシン"は、この空間にも浮遊している可能性があるのだ。

 話は中で付けてくる、とダーリヤにアイコンタクト。少女はうなずいた。

 迎電部隊の施設内ならば、機密性は学園都市で指折りなはずである。

 逆に、敵陣のど真ん中でコトを起こす方が機密的には安全なのである。

 決着は臙脂さんにもご同行してもらって付けてやろう。

 

「朽葉。今から中和剤を打つ。俺を中へ連れていけ。命だけは助けてやる」

 

「……わか、った」

 

 

 改めて朽葉の所持品を改めると、幸いにも迎電部隊特製の通信機と、その予備の通信機が手に入った。

 これを使えば、施設内部に入った景朗も、比較的安全にダーリヤと連絡が取れる。

 

「じゃあ、いこうか、朽葉」

 

 景朗は片手で軽々と朽葉を持ち上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "第十五学区"のオフィルビル。

 "迎電部隊"の主要拠点のひとつのそこは、いつもと変わらぬ静けさを保っていた。

 

 

 Turquoise01ことターコイズ班のリーダー、朽葉が人質を連れて自室へと戻り、"彼"はその後すぐに臙脂局長の部屋へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 Crimson00こと臙脂の部屋には、既に蒼月が呼び出されていた。

 数名のサブマシンガンを所持した隊員が彼の側に見張りとして立っており、裏切りの容疑者としてつるし上げられている状況のようである。

 

「朽葉、遅いぞ」

 

「すみません」

 

 

 臙脂はデスクに座っており、その正面に、手錠を付けられた蒼月がソファに座らされている。

 両隣に歩哨。

 朽葉の参上をもって、蒼月の裏切りを捌く裁判が始まるはずだったのだろう。

 

 予定通りであれば。

 

 

 

 本物の朽葉から、局長室は完全にセキュリティが守られている。何を喋っても安全だ、と言質はとれている。

 疑わずとも、諜報部隊の局長の居城である。機密性は十分だろう。

 

 

 景朗は、入って来たばかりのドアに振り返り、口から樹脂を吐き出してドアを封鎖した。

 

「なにをしている?」

 

 迎電部隊の隊員の反応速度は見事だった。

 朽葉の恰好をした景朗が口から異物を吐き出した瞬間に敵だとみなし、発砲しようと身構えていた。

 

 

 だが、それは景朗にとっては十分に遅かった。

 

 景朗は片手を上げて、四指を伸ばした。文字通り、指は驚異的な速度で、まるでミサイルが射出されたような勢いで飛び出し、次の瞬間には室内にいた臙脂・蒼月・歩哨2人のノドに巻き付き、あっという間に動きを奪ったのだ。

 

 

 蒼月の口元には、うっすら笑みが滲んでいた。

 景朗は気に入らなかったが、今はそれを無視するほかなかった。

 

 蒼月の両隣にいた歩哨は意識を失い、音もなく倒れた。

 

 

 

 景朗が何者なのか。

 組織の長まで上り詰めた臙脂局長は、さすがというべきか、その正体に心当たりがあったらしい。

 抵抗は無意味だと悟ったのか、筋肉質で浅黒い表情を驚愕からあっという間に青ざめさせ、その場にただ立ち尽くした。

 

 

 

「……待ってくれ。事の発端はその蒼月が始めたことだ。証拠もある」

 

「おやおや、責任は組織の長が取って然るべきでしょう。部下に押し付けて尻尾切りですかい?」

 

 臙脂はこの場を乗り切ろうと、背信者は蒼月だという主張を押し通す気であり。

 蒼月はなぜか余裕を持ち、ひたすらに景朗に意味ありげな視線を送ってくる。

 

 

「まあまあ。お互いの言い分を聞きましょう。ただし、お気をつけて。少しでも抵抗を見せれば、その瞬間に首を刎ねます」

 

「いいだろう」「こちらも」

 

 3者は睨み合った。

 口火を切ったのは、最も緊張を見せていた臙脂だった。

 

「確かに認めよう。我々は、外部の……CIAと協力体制を一部構築していた。だが、戦略的に仕方がないことなのだ。ヨーロッパ諸国との戦争が始まってしまえば……戦時緊急措置法で身動きが取れなくなる前に、味方を作っておく必要があった」

 

「彼はそんな言い訳を求めてはいないでしょう。ただ我々が学園都市を裏切って、インディアン・ポーカーを使ってCIAに情報を売りさばいていた張本人だと。それだけのこと」

 

「必要な措置だった! そもそも、それを提案したのは蒼月だ! 証拠もある!」

 

「ああ、朽葉君に集めさせていたのはソレですか」

 

「黙れ!」

 

「蒼月、あんたが俺に説明しろ。あんたの方が都合のいいことをペラペラ喋ってくれそうだ」

 

「もちろんだとも」

 

「蒼月! ぅぐッ!」

 

 景朗に首を絞められた臙脂は悲鳴も上げられずに、咽を手で引っ掻いてジタバタと暴れている。

 

「私たちはインディアン・ポーカーがいずれ市場に出回るであろうという構想を、早い段階で手に入れていた。これは……君も知っていれば幸いだが、"アンダーライン"にも引っかからない情報伝達ツールでもある」

 

「空中散布されているナノマシンのことか?」

 

「驚いたな。やはり君は……いや君たちは優秀だな」

 

 蒼月は景朗に喉を絞められた状態で、悠々とテストの点数をほめる先生のような笑みを見せた。

 臙脂よりも蒼月のほうが恐ろしい。蒼月が裏切ったのも納得がいく。

 こいつと比べれば、臙脂ははるかに小物だ。

 

「君ももう付きとめているのだろう? 動物の夢を対象にできるテレパス・テレパシー能力者を間に挟めば、まるでペットの脳を"外付け記憶媒体"のように扱い、理事会にバレずに米国諜報機関に内部機密を高値で売り付けられる。もうじき戦争が始まることだし、想定の倍は儲けられたよ」

 

 ダーリヤが突き止めた、動物の夢に大量出資していた迎電部隊。

 猫や犬の夢をカード化するデータベースを独自に完成させ、動物用のインディアン・ポーカー記録装置とカードを作る。

 ペットと一緒に外泊する生徒の予定をチェックし、行く前にペットにカードを見せ、学園都市外部の地でCIAの現地エージェントに、そのペットの夢をカード化させればよい。

 それまでの間にペットの夢を、主人である生徒が読み取って処理し、送り返していれば、そのカードには有用な情報が詰まっている。

 

 

「で、裏切りってのは?」

 

「ああ。戦争が始まれば"迎電部隊"の構造が変わってしまうのさ。我々の権力が減らされてしまうんだ。表の政府機関に実権が集められる。その前に力を溜めておきたかったし、それまでに私はこの部隊のTOPに立っておきたかった」

 

 蒼月は臙脂を真っ向からねめつけ、冷酷に嗤った。

 その間、景朗は臍を噛んでいた。

 戦争。ヨーロッパ勢力との戦争。心当たりがなかったが、この場で説明を求めるわけにもいかない。

 

「だから私から積極的に提案したのさ。戦争が始まれば我々は力を失う。下手をすれば上層部の秘密を握っている分、尻尾切りに会うとね。それに対抗すべく、戦争前の、情報が一番高く売れるこの時期に、CIAと取引をして力を蓄えておきませんか、とね。あとはまあ、臙脂局長殿はあっさり騙され、私の提案に乗ったというわけだ」

 

「で、金が集まれば。蒼月、お前は自分からソレを"上"に明かして、臙脂の責任としてなすりつけ、告発した功労者としてその椅子に取って代わろうと?」

 

「まったくもってその通り」

 

 むー! むー! と臙脂の抵抗が強くなる。景朗は彼にも喋らせてやろうと、戒めを緩めた。

 

「証拠ならある! 蒼月がすべてを取り仕切っていた! もちろん私にも監督責任はあるだろう、だが、蒼月が実行犯だと示せるだけの証拠を集めてある!」

 

「ふぅん。それじゃあとりあえず"ソレ"を渡してもらおうかな。ハナシはそれからでしょう」

 

 蒼月を見る。彼も、そればっかりは仕方がないとばかりに顎をしゃくった。

 

「外に仲間を待機させてある。ここに連れてきたい。許可を出せるか?」

 

「私が指示しよう」

 

「お前が?」

 

 蒼月の不正を示す証拠をダーリヤに見せ、実際に"使える代物"か確かめたかったのだが。

 よりにもよってその行為を自ら推奨するかのような蒼月の提案に、景朗は眉を顰めずにはいられなかった。

 蒼月にとっては不利益にしかならないはずなのに。

 

「……ヘンな真似をしたら死んでもらう」

 

「心得ているよ」

 

 景朗が蒼月の拘束をわずかに緩めると、彼は手錠をされたままでも器用に無線機を手に取った。

 

「お仲間はどんな格好だ?」

 

「ひとりは俺の同僚。あとは能力者のガキ」

 

「猟犬部隊の隊員と子供1名が入ってくる。局長室まで通していい」

 

 蒼月は不審な挙動を見せることなく、部下に音声で支持をだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 狼男の被り物を付けたチビッコが局長室までやってきた。ヘンリーにはドアの外で見張りに立ってもらっている。

 

「"ウルフキッズ"、このデータを確かめてくれ」

 

「なにこれ?」

 

「そこの蒼月が、インディアン・ポーカーを使ってCIAに情報を売ってたんだと。君の言う通り、犯行グループなんていなくてコイツ等の自演だったんだよ」

 

「やっぱり。わかった……これが。ふーん」

 

 しばらくダーリヤはカタカタとデータを認めていたが、半分ほどチェックしたあたりで、うんうん、と首を縦に振りだした。

 

「スライス、これ笑えるわ。弱みというか爆弾よ。理事会に売り込めばこいつは数秒で破滅させられるわ」

 

 

「……なるほど」

 

 

 臙脂はデスクの奥で立ち、蒼月はデスクの前に立っていた。

 

 

「では、お互いに最後の命乞いをしてもらうことになるんでしょうかね?」

 

 

「ッブハッ! "ケルベロス"君、その証拠があれば、蒼月の責任として処分できるじゃないか。そうしてくれたら、そうしてくれたらッ、君の言うことは何でも率先して叶えよう。頼むッ!」

 

「はははっ。私に"全て"を押し付けられますかね? 私も処分されるだろうが、貴方もただではすまないはずだ。下手をしなくても高確率でココの頭を挿げ替えられる。一方で……」

 

 景朗は臙脂が気の毒になってきた。この闘いは彼には分が悪すぎる。

 圧倒的な弱点を握られてなお開き直れる蒼月の胆力は相当なものだ。

 

「そこなスライス君は私の弱みを十分に握っておられる。彼が口をつぐんでくれさえすれば、私は元臙脂局長殿を告発し、ここのTOPに成り代われる。そうなれば"迎電部隊"は実質的に……彼のものになるのでは、ないかな?」

 

 

 恐らく、この構図は蒼月が描いた絵図なのだろう。

 だが、どうしても疑問が残る。

 

 なぜ蒼月は、これほどまでに雨月景朗を信用したのだろう?

 "三頭猟犬"なんかを信用する気になったのだ?

 "悪魔憑き"に賭けてみようと思えたのだ?

 

 

「蒼月。まだあんたの勝ちじゃないぜ。説明しろよ。どうして俺を選んだ? この計略に俺を使おうと思った理由は? 言わなきゃ信用するつもりはない。あともうひとつ! なぜ俺がお前を助けると。お前を選ぶと確信が持てた? 臙脂もろともお前を切り捨てる可能性は十分にあるだろ。現に今も迷ってる! "どこか"から俺を利用しろ、と告げ口でも来たのか?」

 

「……明日、話す。君をどうして信じられたのか、証拠がなければどうせ信じてはくれないだろう? 明日までに必ずその証拠を用意する。私が君をラスト・ピースに選んだ理由。それを短時間で証明できる方法が無いんだ。それに、今はもう時間がない。臙脂を告発するならば今すぐにでも私は動き始めねばならない。頼む、今はその証拠を素直に君に渡したというその一点で、私を自由にしてほしい」

 

「……スライス、この証拠があればクサツキは破滅させられる。させて見せるわ」

 

「……わかってる。そこは信用してるんだよ」

 

 蒼月は既に笑ってなどいなかった。今までみせたことのない、かつてない真剣な表情で、祈るように、縋るように景朗を見つめていた。

 

「明日。私がキミを納得させられなければ、その時点で速やかに粛清すればいい。今は、すぐにでも動かなければ、これまでの準備が全て無駄になってしまうんだ。お願いする、工作に当たらせてくれ」

 

「……俺が学園都市の反乱を許したと。お前が"上"にタレこめば俺は滅ぶ。俺に恨みがあるなら、それでお前は復讐できる」

 

「君に対してわだかまりはないッ。それに考えたまえ、たった一日だぞ! 私を泳がせておいたとでも言えばいい! すぐさまその場で証拠を差し出して私を告発すれば、どうとでも言い訳は立つだろうッ!」

 

 ダーリヤは実質的に"迎電部隊"を言いなりにできる状況になったことで、最大限のメリットが得られたと喜んでいる。

 大丈夫、そうなっても私がなんとかかばってみせるわ、と、ぎゅっと景朗の手を握ってくる。

 

 景朗は思い出していた。

 どうしても焼き付いて離れない。脳裏にフラッシュバックする。

 リコール事件。嘴子千緩が目の前で自爆したときの、あの表情を。

 復讐に支配され、全てを投げ打って景朗を呪い殺すことだけを考えていた少女の死にざまを。

 

 蒼月の大切な人間を、もし景朗が殺していたら?

 景朗を正攻法で殺す方法などない。

 

 だが……今回のケースのように、裏切りに巻き込んでしまえば、蒼月は自分の身の破滅に景朗を引きずり込むことができるのだ。

 

 はっきりいって謎が過ぎる。

 この男が景朗に"迎電部隊"をプレゼントとして差し出してくる理由なんて見当たらないではないか。

 

 

 恨み。憎しみ。自分を呪う相手ならば、それだけで目的を成就できる。

 

 ダーリヤにはわからないのかもしれない。

 この街に、自分を、全ての人生を犠牲にしてでも殺してしまいたいと恨んでいる人間が、いったいどれだけ紛れているのか。

 その恐怖感。

 

 信用しきれない。見るからに蒼月は強かな男だ。全員ここで"街への背信者"として始末してしまえたらどんなに安全だろうか。

 

 ただし。

 景朗がいつかアレイスターから自由になるために。

 今後、アレイスターと対立するというのならば。

 

 "迎電部隊"の助けがあればどれほど役に立つか。

 ダーリヤにはそのメリットがしっかりと見えている。

 

 景朗はきゅぅっと軽く、ダーリヤの手を握り返した。

 

 

 

「蒼月、お前の案に乗る。始末は自分で付けてくれ」

 

「……恩に着る」

 

 

 景朗は蒼月の戒めを完全に解いて、手錠を力づくで引きちぎってやった。

 蒼月はそのまま倒れた歩哨に近づき、サブマシンガンを拾った。

 

「フシーッ! しぃぃぃーっ! しぃぃぃーーーっ! ぶじぃぃぃーっ!」

 

 顔中から汁を垂れ流し失禁までしていた臙脂は、涙ながらに景朗と蒼月を交互に見やった。

 変わらず景朗の指で口をふさがれたままだったが、彼は最後まで無言の命乞いをやめなかった。

 

 

 蒼月は、臙脂の頭部と喉元に、2発ずつ銃弾を放った。

 肉体から力が失われたのを確認して、景朗は遺体をそっと椅子の上に置いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。9月18日。大覇星祭の前日でもあった。

 

 景朗たちが暗部でうごめいていた頃に、一般の人たちは軌道エレベーターが壊れただのなんだので、大騒ぎしていたらしい。

 上条も怪我を負ったとかで(案の定)、休みだった。

 

 景朗は都合が良くなったとばかりに午前中に早退して、"スクール"の面々と顔を合わせに行くことにした。

 

 

 彼の動向も気に成るが、おかしな行動を取ればすぐにダーリヤが知らせてくれるだろう。

 連絡用にと"迎電部隊"の蒼月が使っていたラップトップを彼女が受け取っていて、今や今かと連絡を待っていてくれているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "第十八学区"はエリート校が集まる学区だ。

 仄暗火澄や手纏深咲、丹生多気美が通う長点上機学園も近くにある。

 

 ばったり出くわさないようにいつもより多めに警戒しつつ、景朗は目的地であるシェルターへと忍び込んだ。

 服を脱いで腹部に来るんでまとめ、スライム上に体を溶かして、エアダクトから侵入していく。

 

 

 最下部の駐車スペースまでやってきて、景朗は秒速で服を着なおした。

 着終るかいなやの、本当に刹那の時間だった。

 

 

 高熱を頬に感じて、そのまま真横に飛び退った。

 それでも左肩付近が爆発に巻き込まれ、腕が付け根からちぎれて吹き飛んだ。

 

 

「垣根ェッ!!」

 

 異質な臭い。

 一度"第二位"と交戦経験のあった景朗には、それが"未現物質(ダークマター)"による攻撃だと直感できた。

 

 

 だが、今日は戦いに来たわけではない。話をしに来たつもりである。

 

 叫ぶだけ叫び、飛び退ぶだけ飛び退って距離を取り、景朗は金髪の男を睨みつけるがままにじっと耐えた。

 

「敵意はないだろ? そんなに血の気だすなよ」

 

「賭けは俺の勝ちだぜ! ありがとな、"第六位"」

 

 無言のまま、攻撃に備えて集中する。そんな景朗の、とうの昔に再生しきったつるつるの腕を見て満足そうに垣根は鼻を鳴らした。

 

「クク。つーかなぁ、お前が"第六位"でいいと思うがなぁ? 藍花よりは"らしい"だろ」

 

「何の話だ?」

 

「賭けをしてたんだよ。お前がどこから来るか。俺は下から、あいつは上から、獄彩は真ん中から、ってな。…さて。今の一撃で"あらかた潰した"ぜ。まあここでは安心して喋れよ。どのくらいの覚悟できたのか、聞くだけ聞いてやる」

 

「敵の敵は味方だよな?」

 

「フフ。どうした、ついに1人じゃのっぴきならない状況にでも陥ったか?」

 

「……そろそろ俺をストーキングしてる理由を真剣に聞いてみたくなってね。新しい同居人も増えたことだし、そっちも労力が2倍になって大変だろ?」

 

 もう一度、垣根は鼻を鳴らし、通信機をポケットから取り出した。スイッチをオンにして、告げる。

 

「見てたろ、オラ。これで互いに"能力"で(本物だと)証明しあったってこったよ」

 

 残りの"スクール"メンバーが監視カメラでこちら2人の様子を観ているのだろう。

 安全確認できなければ、移動のためのエレベーターを動かさないつもりだったのだろうか。

 

「テメェも付いて来い。……引き返すなら今だぞ。群れ出すと喰らい合いの始まりだろ? 何も"犬っころ"だけに限ったハナシじゃねえ」

 

 一方的にそう言い放って垣根はエレベーターへと向かっていった。

 景朗も何も告げず、その後を追った。

 

 

 

 

 どこかで見たようなフロアだった。

 

 垣根に続いて現れた景朗をひと目見て、頭に輪っかのような演算補助デバイスをのっけた青年が息を止めた。

 一瞬の間があったが、彼は身構える様に椅子から立ち上がった。

 そしてすぐさま動揺を大っぴらに示したその軽率さを後悔したのか、強引に無表情を作りあげ、気丈にも立ち続けた。

 

「ようこそ"スクール"へ。"悪魔憑き"……さん?」

 

「ハハッ、良い問答だな。そういやお前は"悪魔憑き"だったか? それとも"三頭猟犬"か?」

 

 なにごとかと慌てるデバイス男をよそに、垣根は八重歯をのぞかせて笑った。

 どうにも心から笑っているようには見えなかったけれども。

 

「両方だよ」

 

 くだらない遊びに付き合うか迷ったものの、景朗は仕方なく答えに乗ってみた。

 

「だ、そうだ。お前はどっちに会いたかったんだ?」

 

 景朗の答えなど端からどうでもよかったらしく、デバイス男を片手で制すと、埃くさいソファに気だるげに腰を落ち着けた。

 よく見なくても、インディアン・ポーカー内で会ったジミメン君である。

 "悪魔憑き"に会いたかった、と答えられたら、少し困ったことになるかもしれない。

 大よその"殺し"は"三頭猟犬"の姿でやっている。

 "悪魔憑き"としての自分を知られているならば、それなりの縁があったはずである。

 

「……ぅっぷ! オゥェ?!」

 

 景朗と垣根を交互に見やって、それからガチマジのイキナリで唐突に何の脈絡もなく。

 ジミメンゲロ男は口を抑えてトイレかどこかへと、猛烈ダッシュをキメてしまった。

 ……なぜだ?

 

 初対面だったと思う。記憶にないのに、何か因縁のある相手だったのだろうか。

 ホントに、なぜだ?

 

 景朗は不審さを隠せず、ジミメンゲロ男が残して行った、ぷぅ~んと漂う嘔吐臭に顔をしかめ、その場に突っ立つことしかできずにいた。

 

「ッ。座れよ?」

 

 何千何万と打ち据えられたのであろう舌打ちは、もはや達人の一撃のように滑らかな音をあげた。

 

「椅子が壊れっかも」

 

 明らかに家具店で最安値を争っているであろうパイプ椅子だった。

 景朗の不安はむべなるものだろう。

 

「ハァ。じゃあ地蔵のマネでもしてろ」

 

 バキッと音が鳴ったが、景朗が腰を下ろした椅子はなんとか壊れずに耐えた。

 これからはもう垣根の命令と、みしみしと軋む足元の音の両方を無視することに決める。

 なぜだろう。そう決断すると、景朗の心に一陣の清涼感がそよいでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しばし、2人は無言のまま、ロビーで待ち続けた。

 十分近く経っただろうか。

 流石に、居心地が悪い。

 というか、なぜ待たされているのか理解できない。

 

「なあ、これ、"何"待ちなんだ?」

 

「チッ。もう一人来んだよ」

 

「あと、一人」

 

 確かにドレス女が居ない。だが、彼女はそれほどまでに重要人物なのだろうか。

 "未現物質"と"悪魔憑き"がここにいるのだから組織のトップ同士で進められるハナシもあるだろう。

 

 ただ、言わば景朗はこの場では客である。

 相手方の都合に合わせよう。1時間も無為に待たされている訳ではないのだから。

 

 そうやって、またも二度目の静けさを味わったのちに。

 

 ポーン、とエレベーターから音が鳴り、ドレスの女と一緒に驚愕の人物が現れた。

 

「スライス、昨日は助かった」

 

 Crimson01.いやもはやそのコールサインは使われていないのかもしれないが。

 無事に"迎電部隊"の実働班の長となった蒼月が、"スクール"との会談の場に登場したのである。

 おひさ~、と手を振るドレス女が視界に映るが、とてもじゃないが気軽に手を振り返す気分にはなれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ビルの地下、シェルター本部の会議室に移動し、3名はそれぞれ距離を取って席に着いた。

 口火を切ったのは、年長者たる蒼月だった。

 

「やはりテストは合格だった。彼を招き入れよう」

 

「おやっさんがそういうなら、異議はねえ」

 

 垣根と蒼月の親しげなやり取りに、景朗は嫌でも悟った。

 

 蒼月が、景朗を信用できた理由。

 

 それは、垣根が景朗を蒼月に推薦していたからだ。

 

 反アレイスター思想を持ち、確立した武力を有し、将来的に理事長と対立しうる"有力候補"として。

 

 彼は最初から知っていたのだ。

 景朗が"迎電部隊"を手中に収めるために、蒼月の罪を見逃すであろうことを。

 

「俺があんた(蒼月)を選ばなかったら……どうするつもりだったんだよ」

 

「だから"テスト"だっつったろ? もしおやっさんまで売ってたら俺が直でテメエをブチ殺しに行ってただけだ、クハハ」

 

 口ぶりでは殺すだの言っているが、垣根は景朗が"使える人材"だと蒼月に薦めてもいるのである。

 そもそも、垣根は景朗の人間関係の弱み(火澄や手纏)を掴んでいながらも今まで決して攻撃してこなかったし、発言とは裏腹に、この男はずいぶんと自分を買ってくれている気がする。

 

「とにかく、彼は本心を行動で証明した。これでようやく協力体制が組めるな」

 

「何の?」

 

「テメエが、少なくとも俺達の勝ち馬だけに乗る気の、チキン野郎じゃなかったってことさ。これでもホメてんだぜ?」

 

「垣根君、今日は随分と機嫌が良いな。しかしまぁ、年少者を苛めるのはほどほどにしよう。それより、まずは彼にしっかりと説明しよう」

 

 垣根はつまらなそうに、片手を上げるジェスチャーだけで"話を続けろ"と指示しかえした。

 

「君のおかげで昨日、私もようやく"迎電部隊"を動かせるようになった。これで我々は諜報機関(迎電部隊)監査機関(スクール)執行機関(猟犬部隊)の3方にスパイを抱えたことになる。以前とは比べ物にならないくらい歩調を合わせやすくなった。私のラスト・ピースも揃ったことだしな」

 

「コイツがねぇ。随分と買っちまってんだな?」

 

「そう妬くなよ」

 

「やれやれ」

 

「……俺はもう、あんたらのお仲間扱いか?」

 

「逆にそれ以外にどうしようがある? あ? 俺はいつでもテメエに決着つけれんだぞ?」

 

「その通りだ。君に"わざわざ"私の弱点を差し出した意味を考えてくれ」

 

「わざと?」

 

「そう、わざとだ。垣根君から君は疑り深い性格だと聞いていたからね。私の弱みを先に提示しなければ、君はリスクを冒さなかったのではないかな?」

 

 昨日、蒼月の裏切りを告発できる証拠を景朗は手に入れたが、それはわざと蒼月がそう仕向けたものだったと彼は言う。

 

「考えてみたまえ。垣根君は君の弱みを握り、君は私の弱みを握り、私は垣根君の弱みを握っている。これで平等。均衡に、健全に同盟が組める、というものだろう」

 

「おやっさんに感謝しろよ。お前を引っ張り込むためにここまで骨を折ってくれたんだぜ」

 

 スクールと迎電部隊の、学園都市への背信。その計画に巻き込まれていたのだと今になって知る景朗は、情報量に追いつけずにいる。

 

「頼んだ覚えはねえよ」

 

「じゃあ、お前は何がしたくて俺を探してた?」

 

「……」

 

「まあまあ。年少者イジメはやめよう。とにかく、これで文字通り"三竦み"の関係となった。互いに互いの裏切りを封じられる。君も文句はないだろう?」

 

「どこが?! 俺があんたの弱みを握ってるのは認めるよ。でも、あんたと垣根は? あんたが垣根の弱みを握っているようには見えないが?」

 

「あーあ。言いやがったよコイツ。オウ、じゃあよ。だったらどうする?」

 

「あ?」

 

「だったらテメエはこれからどうするんだ? どうするつもりだよ?」

 

「……ちッ」

 

「心配するな。ここで私が君に弱点を渡した事実が効いてくるのさ。君は私を脅して、一緒に垣根君相手に立ち向かえと命令すればいい。だろう? "迎電部隊"の長の座を失えば私は無力だ」

 

「……」

 

「それに……彼にも話しておいたらどうだ。君の考えを。垣根君?」

 

「……はぁ。おやっさんに免じてな。こんな面白味のない場面で言いたかなかったぜ、ったく」

 

 "第二位"は極限まで冷えた眼光で景朗を睨んだ。

 不機嫌さは最高潮に達し、殺し合いに発展しそうなほどに緊迫しつつあったが、それをぐっと耐えたのは垣根の方だった。

 

「テメエが俺に期待したのは、俺が"アレイスターに潰されていた"のを知ったからだろ? 仲間を皆殺しにされ、"希少能力"の価値だけでただ一人生かされた俺なら、アレイスターへの恨みを決して忘れていないはずだ、ってな」

 

「君の考えていることの足しになるかはわからないが、私と垣根君はその時からの付き合いなんだよ」

 

 今は過去。暗部に堕とされた垣根は、仲間とともにアレイスターへ反旗を翻す。結果は惨敗。

 垣根だけは超能力を理由に生かされ、理事長への掣肘力として他の理事から"スクール"の立場をあてがわれ、アレイスターへの監査役としての道を得た。

 それが、景朗が想定する垣根帝督の過去だった。

 

「認めてやるよ。お前の抱えているモノは、俺も。チッ。俺も少しは理解できる」

 

 垣根の不機嫌さの理由が景朗にも伝わっていた。

 彼は本来、こんなこっ恥ずかしい事をいうキャラクターではないのだろう。

 

「テメエがチキンになるのも仕方がねえ。お前は当時の俺より、弱点を抱え過ぎている。だがな、絶対諦めんなよ。抱えて守り通せ。守れねえくらいなら抱えたまま死ね。意地を貫きとおせ、死んでもやれ。後悔するぞ。っ、クソ!」

 

 垣根はガラにもない発言の連発で体にかゆみがでたのか、むず痒そうに頭を掻いた。

 一言だけ、これが最初で最後だ、とばかりに、透き通った目をして、景朗に語った。

 

「だからこういうこった。こうして協力体制だとかいってっけどな。……お前はお前の"闘い"を続けろ。それでいい」

 

「……言われなくても、俺は俺の闘いをさせてもらう。というか、それしかするつもりはない」

 

「よし。じゃあそれでいいな。ハイハイこれで終わりだな。で、おやっさん? このクッサイサブイボたちそうな空気で、お次は何を?」

 

「はは、そうだな。では君だけに恥をかかせては悪いし、私からも打ち明けておこうか」

 

「俺は恥なんかかいてねえよ?」

 

「フフッ。私がアレイスターと戦う理由は簡単さ。息子と娘を人質に取られている。もう10年以上会っていない。恐らくは…街ですれ違っても気づかないだろう」

 

「は? ドラマか何かか? え? この話、そのまま信じろと?」

「ま、おやっさんが言うにはそうらしいぜ?」

 

 全開の疑惑を見せる景朗と垣根に対して、期待が裏切られてすこし意気消沈している中年男性が、そこにはいた。

 

「つーかよ、やっぱこんなシミッたれた通過儀礼っつうか。指揮高揚のためのお涙頂戴三文芝居がやりたいのか知らねえが、俺達には合ってねえだろ」

 

「お二人さんには悪いけど、次、俺の番はパスさせてもらうわ」

 

「誰が聞きてえって言ったよ?」

 

「だから言わないって」

 

「わかった。確かに時間が勿体ない。では"スクール"、垣根君から我々に連絡しておくことは?」

 

「"滞空回線(アンダーライン)"のログを漁るために、"ピンセット"という特殊な最先端の素粒子スケール用マニピュレーターが必要だ。どんな小さな手がかりでも構わねえ。とにかく今はそれが欲しい」

 

「"アンダーライン"って、俺が血液サンプルで渡したアレだよな?」

 

「ああ。"滞空回線"について提供できるデータはやるから後で獄彩に訊け」

 

「すまん、獄彩ってあの女か?」

 

「チッ。そうだ」

 

「あとひとつ! 頼む、"戦争"について教えてくれ」

 

「……あ?」

 

 知らないなんて冗談だろ、という垣根の表情。

 景朗が"ヨーロッパ勢力"なるものに対する知識を持たない点については、蒼月ですら不自然に思うらしく、怪訝そうだった。

 

「スライス君。"グループ"、"メンバー"、"アイテム"といった秘密部隊の名は?」

 

「目にしたことはある。"アイテム"とは交戦経験もある」

 

「ふむ。では"His Ferryman" "His Huntsman" "His Watchman" これらの単語は?」

 

「ないですね」

 

「ないのか? "His Huntsman"とはつまり"アレイスターの執行人"である君のことなんだぞ?」

 

「はあ? ない、本当にない」

 

「マジでか? 交流はねえのか? 結標や紫雲とだ」

 

「結標なら案内人として、あっ、Ferryman(案内人)ってあいつのことかッ。紫雲? いや紫雲がWatchman?? 知らないぞ!?」

 

「では"イギリス清教"。"ローマ正教"。"ロシア成教"。これらについては?」

 

「え? それはただ、十字教の宗派の違いでしょう?」

 

 垣根と蒼月はいつぞやのように2人して眉を顰めアイコンタクトを取った。

 

「テメエ、"魔術師"を知らねえのか?」

 

「マジュツシ? 魔法使いとかの?」

 

「9月1日に学園都市が襲撃されたテロ騒ぎがあっただろう。テロリストはヨーロッパから来た魔術師だ。つまり、外部の"能力者"による攻撃だ」

 

「……外部の、"能力者"?」

 

「そうだ。イギリス清教・ローマ正教・ロシア成教はそれぞれ学園都市とは異なり、"能力者"の武装集団を組織している。"戦争"・"ヨーロッパ勢力"とは、学園都市外部の能力者集団を抱える組織からの侵略防衛戦のことを言っているんだ」

 

「……知らされてこなかった。悪いですが……」

 

「……どう考える?」

 

「意図的に行われていると考えるしかねえ……不可解だけどな。コイツは"プラン"には関係ねえとばかり思ってた。思い込んでいた、のか? 情報を制限したのは一体何故だ?」

 

 

「とにかく君は"非公式の超能力者"と"西洋魔術団体"について情報を制限されてきているわけだな?」

 

「たぶん、いや、間違いなくそうだ……そのはず、だ」

 

「"紫雲"の情報はテメエを当てにしてたんだがな」

 

「紫雲継値か? あいつ"超能力者"なのか?」

 

 景朗の問いに答えたのは蒼月だった。彼はため息を添えて、残念そうだった。

 

「はぁ。そうではないかと考えている。あくまで推論だ。さっき言った"アレイスターの案内人(His Ferryman)"、"アレイスターの執行人(His Huntsman)"、"アレイスターの見張人(His Watchman)"は、統括理事間の連絡や文書等でたびたび見かけるワードだ。結標も君も"非公式の超能力者"であるから、同じ使われ方をしている"縞蛸部隊(ミミックオクトパス)"の能力者、"紫雲継値"も"超能力者"だと考えたほうがいい」

 

「"縞蛸部隊"?」

 

「表向きは偽装工作部隊だと説明される。統括理事の尻拭いをしている部署だから一等のセキュリティを与えられている、とな。だが、迎電部隊が内々に調査してきた結論では、彼らは偽装工作だけをやっているのではなく、むしろ『偽装工作部隊』という名目こそがブラフであり、我々の目すらも欺いて何か別のことをやっていると。それだけはつきとめている」

 

「俺たちはアレイスターの狙いを"プラン"と呼んでいる。お前ら3人がオフィシャルに超能力者じゃねえのは、その"プラン"に必要ねえからだ。不思議に思わなかったのか? だからお前らだけがあのビルに呼ばれて、面と向かって理事長サマとツラを合わせて使いっパシリを命じられているわけだ」

 

「待て、待て。"7人の超能力者(あんたら)"はアレイスターに呼び出されはしないのか?」

 

「ああ。"超能力者"でヤツと顔を合わせているのは"非公式の三人(おまえら3人)"だけだと考えていいはずだ。だからだ。ヤツはお前ら3人を"プラン"に組み込んでいねえから"汚れ仕事"をやらせてんだと、そう思い込んでいた。いつでも消せる"使い捨ての超能力者"として、な」

 

「私も読み違えていた。君の戦闘能力は特に使い勝手が良いだろうから"魔術師"との戦いでも矢面に立たされていると考えていたが……」

 

「……内部で会ったことがあるのは、結標だけだ。紫雲と交流なんてない。つい最近、知らずに交戦はしたけど」

 

 嘘だ。もうひとりいる。土御門元春。土御門も、なぜかビルの内部に呼ばれている。

 土御門に対して感じていた疑問に、初めて筋の通る推理があてはまる。

 魔術師。

 もしかしたら、レベル0のくせに景朗と同等の扱いを受けるあの男は、外部から来た"魔術師"なのではなかろうか?

 今まではレベル0の身でよくぞ依頼をこなしきれるものだと感心していたが、そういうタネがあったのだとしたら、妙に納得がいく。

 

 ……それでも、なぜかはわからないけれども。

 景朗はその場において、ついぞ土御門の名を告げることは無かった。

 これは友情なのだろうか。

 土御門元春。土御門舞香。あの二人の団欒は、偽物ではないような気がして。

 危険に近づけたくはない。景朗は本心ではそう思っていたのかもしれない。

 

「"能力主義(メリトクラート)"だったか? あの乱闘倶楽部か」

 

「流石に知ってるか」

 

「ま、おやっさんは小事まで気にするタイプだからな」

 

「仕事柄そうなるさ……ひとまず、9月頭の魔術師の資料は君に送っておく。気を付けて扱ってくれ」

 

「わかりました」

 

「おい、紫雲の能力はどうだった? 肌身で感じ取ってみて?」

 

「少し納得した。"超能力者"だったと言われて。あんたの"未現物質"みたいに、導出される現象のスケール(規模)よりも、むしろ物理法則の凶悪なねじれがあったような……そんな印象を受けたよ」

 

「俺に例えやがるか。……いいだろう。俺からはもう何も言うことはねえな。おやっさんは?」

 

「ああ、私からも別に。最後に"例の計画"について勧誘しておくよ」

 

「呆れたぜ。どんだけ気に入ってんだ、ソイツを? ま、それじゃ俺は先に失礼するぜ」

 

 垣根は席を離れた。"例の計画"とやらの資料を取り出す気か、蒼月は彼に目もくれずカバンを取り出している。

 

「ああ、忘れてたぜ。チッ。頼まれごとがあったか」

 

 垣根は振り返って、質問した。

 

「オイ。テメエもチーム単位で動いてんだろ? いつまでも"テメエの"だの"テメエんとこ"じゃウチの連中がメンドクセェんだとよ。なんかねえのか、あんだろ、ナンか?」

 

「あー。それな。あー……"ビジネス"、かな」

 

 その単語を聞いて、2人して目を見合せると。

 垣根はすぐさま吹き出し、蒼月はやや耐えるも結局は笑いをこらえきれなかった。

 

「クカ、クフフハハハ! ハッハッハッハッハ!」

 

「……フフ、ハハハッ。これはこれは。反アレイスター活動を"ビジネス(生業)"か。頼もしいな、君らは!」

 

「フハハッ! 最後にようやく見直したぜ、俺もな」

 

 機嫌よく退出する背中を遠い目をして眺めつつ、景朗は思った。

 

("ビジネス"って名前を馬鹿にされたこと、ダーシャには一生黙っておこう)

 

 

 

 カタン、となんの変哲もないラップトップPCをテーブルに載せて、蒼月は引き締めた空気を纏った。

 

「これから話す"計画"は、究極の機密情報だ。よって明文化した資料は無い。全て口頭で説明する」

 

「了解です」

 

「あくまで現状では仮の名となるが。"OP:HOMECOMING"というものを米国CIAと計画している」

 

「オペレーション・ホームカミング」

 

「あちらさんは名前を付けるのが好きでな。つまり戦争突入前に力づくで、学園内の留学生を米国に一時避難させよう、というものだ」

 

「それは。無謀ですね」

 

「無論だ。だが米国は本気だ。米海軍・海兵隊の特殊部隊も協力する手はずだ、といえば信じるか? 一歩でも間違えば、米国と学園都市・日本国との紛争を招きかねない事態になる。それでも、連中はやる気だ。私もこの作戦に協力せねばならない。君の協力が得られれば、作戦成功率は跳ね上がる」

 

「……正直な感想、いいですか?」

 

「受けつけよう」

 

「アホ臭すぎるッスよ、これは……」

 

 成功率が跳ね上がる、とは蒼月の談だが、それは0.01%が1%になっても『跳ね上がる』と呼べるよね、と。そうツッコミたくなる低レベルな話題なのではなかろうか。

 

「呆れてくれて結構。というか、私も最初は呆れたクチさ。裏の戦いを知らない表の、古い世代の人間は、米軍心棒が抜け切れていない。だからやれると考える。名目上、学園都市が"警備員(警察組織)"で能力者を統制できているように見えているせいかもしれない。だが君も知ってのとおり、実際は既に一部の高位能力者には同じく高位の能力者が対応し取り締らなければならない様相を呈している。Lv4級の集団が一斉蜂起して非統制状態に陥った場合、"警備員"だけでは対応できないだろう?」

 

 景朗の脳裏に"能力主義(メリトクラート)"のメンバーリストが浮かぶ。

 精力的に活動しているものは数十人しかいないようだが、そのコミュニティ自体は数倍に膨れ上がるだろう。

 

 

「君は"プラン"というものが、どういうものか想像が付いているか?」

 

 唐突な質問かに思えたが、景朗とて"プラン"の正体には議論を重ねておきたかった。

 

「全然わかっていません。ただ……俺は"プラン"とやらに、というかアレイスターには、"街"全体が必要なんじゃないかって推察してます。

 ある程度の、学生の人口が必要、という意味です。

 "猟犬部隊"の任務にも偶にある。反学園都市運動の顔役の暗殺だとか。

 "上"は、1人2人はどうでもよくても、大勢の学生、つまり人口が減少するレベルの出来事は許さない。

 最初は"LEVEL6の開発"かとも思ってたが、たぶん違う。

 レベル6シフト計画に従事していたころと、アレイスターの任務をこなすようになってからでは、考え方が変わりました。

 あの男なら……本気になれば、Level6シフト計画の遂行は可能だったはずです。

 でもそうしなかった。実験は成功しなかった。なら、アレイスターにとってはLevel6はその程度のことだったんだろう、と。

 もしくは、まだ時間が足りていなかった、とか。

 何かを待っている、とか。全く俺たちが想像もできないようなものを。

 その正体については、……自分は、素養格付(パラメータリスト)が気になってます。

 ダ、ウチのスタッフにも探らせてるんですが、研究者市場とでもいいますか。マーケットに、低レベルの"素質格付"が出回っていなさすぎる気がする。もっと出回っていていいはずなんだ。

 この街はすでに、全学生の"素養格付"を済ませてしまっているはず。

 なのに、出回っている量が少なすぎる。

 二束三文でも、売りさばけば効率的に研究ができるはずなのに。

 あ。ハナシを戻します。

 いずれにせよヤツには大勢の能力者が住む、この街、"箱庭"が必要なんだってこと。それが"プラン"の土台……なんじゃないか、と?」

 

 

「私の考察も、君の考えと似ている。私はさらにそこに、高位能力者の選定が含まれていると思っている」

 

「高位能力者、つまりLEVEL3以上?」

 

「大量の学生が必要だということ。それは恐らく、私の考えでは"AIM拡散力場の形成"と同義なのさ。

つまり、AIM拡散力場に多大な影響を与えるLevel5とLevel4は、裏でその個体数まで正確に管理されているはずだ、と私は疑っている」

 

「……なるほど」

 

「これはつまり、だ。先ほどのホームカミング作戦に"ひと手間"加えれば、十分に理事長殿への報復に繋がる可能性を示唆している。

 

 留学生のみならず、ついでに、そこにある程度まとまった数の高位能力者を園外へ連れ出し人質にできれば、アレイスターの譲歩を引き出せる可能性はある。君の推察どおり、ヤツは能力者の流出をなぜか極端に嫌っているからな」

 

 

 ふうう、と蒼月は深い深いため息を繰り出した。

 

「だが、この計略には狂いが生じて不可能になりかけている。高位能力者を効率よく学園外に連れ出すために、私は"能力主義"を利用しようと目を付けていたんだ。だが。君も知ってのとおり。何者かが"能力主義"に紫雲継値を送り込んできた。"能力主義"の以前の首領は"三邦波留(みくに はる)"、学園都市の半域の天候を操り得る"風力使い"の大能力者だったが、洗脳を受けた形跡がある」

 

 事実として、陽比谷も言っていた。三邦とやらの様子はおかしかった、と。

 "ヨーロッパ勢力"との戦争。先だって"大能力者集団"を効率よく抑えるために、紫雲が送り込まれてきた。一体、誰に? しかし、わざわざエージェントを送り込むほど被害が心配されるのであれば、それは逆の意味で"狙い目(敵の弱点)"である、ともいえる。

 

「もし、君がオペレーションに協力してくれるというのなら、遠からず紫雲継値と敵対することになるだろうな。だが、これは同じ超能力者である君にしか解決できまい……それに、キミにとっては渡りに船じゃないか? 陽比谷天鼓に興味を持たれていただろう? 君なら彼を煽動して計画を動かせると期待しているのだが……」

 

 成功の見込みが薄すぎる作戦。

 景朗はまだ返事すらできていない。

 蒼月はめげることなく、言葉をつづけた。

 

「乗り気じゃない、か。認めよう。"能力主義"の活用はあくまでクロウリー氏が確実に嫌がることではあるだろうが、しかし確定的に譲歩を引き出せる一手というわけではない。この件はそこまで引きずらなくてもいい。

 

 最も期待すべきは、垣根君の案件だな。"ピンセット"で"アンダーライン"のログをハックする。

 

 私達から一方的に情報共有を受けているからと言って、そうかしこまらなくてもいい。

 実はこの一件に限って言えば君の功績がとても大きかった。

 垣根君は口が裂けても言わないだろうから、私から言っておこう。

 

 先程、話題になっただろう。アレイスター氏が直に会って指示を下す人間は極めて少数である、と。

 "His three workmen". 君はその選ばれし一人。

 窓の無いビル内に高濃度の"滞空回線"が存在する、という情報を持ち換えれたのは……おそらくこの学園都市に2人と居るまい。

 

 我々が最も頼りとする部分がまさに"この一点"なのだからね。

 "滞空回線"のネットワークには高確率で"プラン"の正体を指し示す手がかりが隠されているはずだ。君の発見のおかげで、それが見込める。

 しかしな。君にも察せられただろうが、垣根君はあからさまに"滞空回線"の中身にしか興味がない。

 CIAとの協力関係構築には否定的なのさ。

 

 だから君にはぜひ、手伝ってもらいたい。

 ただ、今すぐ答えろというのは酷だからね。

 持ち帰ってもらって構わない。また後日、返事を聞こう」

 

 蒼月が出したPCの画面には、無造作に集めたような広告が流れている。

 

「おっと。そうだ。ちなみに作戦協力者となる組織や企業は……

 米海軍特殊部隊SeALsの空白の第9部隊COunter PSYchic"CORPSY(幽霊部隊)"。

 更には米海兵隊のCAC連隊(Counter Academic City)通称ASTERers regiment.

 こちらはAnti Science Tactics & Equipments Raidersの略だ。

 Asterはラテン語で星。Aleister(銀の星)殿に対抗意識を見事に突き付けている。

 協力関係にある日本政府の一部機関と日本企業を取りまとめているのが

 著名なフリーランス投資家の御坂旅掛氏。筆頭企業は――――」

 

 景朗にも想像がついたのはそのあたりまでで、あとは名前くらいしか聞いたことのない企業がいくつか。

 ただし。その中に唯一、身近で耳慣れた単語が含まれていて、景朗は動揺せずに聞き流したが、何故その企業が? という質問を口から飛び出さずにいるのが精いっぱいだった。

 

「――が用意する。海運の場合は手纏(たまき)商船がコンテナ船を手配する。空輸の場合は――」

 

 蒼月ははっきりとそう述べた。記憶が正しければその会社は、手纏深咲の父親が手掛けている。

 CIAの作戦とやらの説明では、留学生を米国の学芸都市まで輸送するのに、空輸ではなく海運ルートを用いる場合は、手纏商船の船を使う予定らしい。まだ細部まで決まっていないところもあるようだ。

 

 あまりにも成功の確率が低そうなこの作戦に、景朗は問答無用でNOと突きつけるつもりだった。

 だが、方向転換しよう。

 一度くらいは、じっくりと自分でも細かいところまで詰め、考えるだけ考えてみよう。

 今は頼もしい仲間もいる。蒼月に『答えは持ち帰る』と告げて、景朗もその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "第六学区"の秘密基地に到着した景朗を出迎えたのは、"FIVE_OVER_PHOENIX"ことカギムシロボット君を背にしてもたれ込み、ウトウトした表情で眠気と闘いながらも必死に待ってくれていたダーリヤだった。

 

「すまん、ダーシャ。大丈夫か? ここんとこ寝てないだろ、悪いな」

 

「らいじょうぶよ。クサツキから連絡きてたわ。会ったの?」

 

 カギムシくんの触覚の一本に、黄色ランプが付いている。

 ここを出る前にシャワー浴びとけよと言っていたのに、やっぱりダーリヤは嫌がったのだ。

 ただ、今はソコに突っ込む気にもならない。

 

「会ったよ。予想外のことになった。一気に色々と……。そんな顔しなくても全部教えるって。でもさすがにさぁ、ひと眠りしとかない? 時間は大丈夫だぜ?」

 

「このくらい、らいじょうぶよ」

 

「いや、見るからに疲れてるじゃん。とりあえずひと息つけれるようになったからさ、後でもいいけど」

 

 再度ダーリヤを説得するも、執念深くじぃっと見つめられる。

 のれんに腕押しのような反応の悪さだった。

 景朗が垣根と蒼月と何を話してきたのか気になり過ぎて、いくらへとへとの状態でも寝るに寝付けないのだろう。

 

「……まあ、じゃあ、ぼちぼち話すけどさ。眠たかったらいつでも寝ていいから気にすんなよ」

 

「ぅん」

 

 それからのダーリヤは、ただ大人しく聴いていた。

 大人しくというより、眠気と闘っていただけという可能性も非常に高かったが。

 

「ぉぉ、"ビジネス・スクール"」

 

「え? "スパークシグナル"の要素はどこいったよ?」

 

「ぅるふまん、ぜったい"スクールビジネス"呼びには反対するのよ」

 

「……"ビジネス"ってさ、続投すんの?」

 

「へぁ?」

 

「いや、なんでもないッス」

 

「ほふ……」

 

 ダーリヤはもう完全に目をつぶっている。

 ディスプレイを確認する。まだ日が暮れ始めるまでには時間がある。

 

「っしゃ、寝ろ寝ろ。お疲れ様、いやほんとここのところ助けられっぱなしだったよ、ほんとうにご苦労様でした、ダーシャ君」

 

「ぁへ……一緒に……寝る……」

 

「えー?」

 

「けがわ……毛皮を……」

 

「け、毛皮って。どんな要求スかぁ?」

 

 ダーリヤの頑張りにはほとほと頭が上がらないのは事実。

 仕方がなさそうに景朗は少女をほんのすこし抱えて、そのまま変身した。

 すぐ後ろにはソファがある。

 

「コレデイーノカ?」

 

「ほぉ、ふるふまん、ふるふまふ」

 

 "毛皮"に頬ずりしてもふもふする少女を脇に、仏像のように静観を保った。

 が、しかし。

 

「うおらぁぁっ! 俺を性的な目でみるなこのマセガキが!」

 

 もぞ、もぞ、とダーリヤが動き始めた瞬間に飛び跳ね、瞬く間に人間へもどる。

 

「にぇと」

 

「頼むから1人で寝てくれ」

 

「……ぷりう゛ぇぇ。じゃあでっかいミーシャ(熊)」

 

「はぁ……一緒に"寝る"のはおーけー。それ以外は駄目だ。絶対ダメだ。てか嫌だ」

 

「だぁー」

 

「……わかった、熊な。寝ろよ? 絶対寝るんだぞ?」

 

 これで最後だと自分に言い聞かせ、景朗は大きなもこもこの熊に変身してやるも。

 しかして、その5分後。

 景朗はやはりこうしておくべきだった、とばかりに。

 事前に変形させておいた指先の睡眠針をぷすりとダーリヤに打つと、仏頂面ですたすたと歩き出した。

 

 

 

 

 

 土御門から思わぬ呼び出しを受けて外に出る。

 夕焼けで茜色に染まった秋の清々しい空気に心が癒される。

 

 

『おーい青髪ぃ~。クラスミーティングの続き、ガッコ近くのベニーズでまだやってんだけどさ~。代わりに来てくれよおれっち"バイト"あんだにゃーよぉ?』

 

「げぇっ!? まだ終わってへんの……?」

 

『いやーはは。抜け出そうにも殺されそうでにゃぁ。オヌシで替え玉ぜよ?』

 

「"バイト"ってやっぱり"カミやんの怪我"?」

 

『いやいや。ナニを言ってますか。関係ナイナイ』

 

「ふぅん。まあ、"バイト"ならしゃあないですな」

 

『ということで頼むナリー』

 

 

 カミやんこと上条は、今日は簡易入院という名目で欠席をカマしてくれていた。

 なので好都合だった。背後からの『ゼッテーサボりだ』『エロゲーの発売日だ!』という野次を無視して、青髪ピアスも午前中に早退をカマさせてもらっている。

 教室から抜け出す時には、たしかに大覇星祭直前のクラスミーティングが行われていた。

 それがまさか終わっていなかったとは。

 

 あまり気乗りはしないが、土御門がわざとらしく頼み込んでくるからには代わりに顔を出しておこう。

 

 ブツブツと文句をこぼしていた景朗だったがそこで、約束の"第七学区"へと向かう最中、日常使いのケータイに着信履歴とメッセージが残っているのにようやく気が付いた。

 

 そのケータイは雨月景朗としてのケータイだった。

 暗部や任務で使っているケータイではないので、日中はダーリヤが待機する秘密基地に保管しておいた。

 ゆえに、この手纏ちゃんからの連絡を今の今まで見逃すことになってしまったのである。

 

 

 残っていたボイスメッセージは『また連絡します』とだけ。

 [ お時間があればお電話いただけますか ]と伝言も短めだ。

 

(これ、意外と重要案件なヤツじゃね?)

 

 ケータイを壊れないようにきゅっと握りしめる。

 とにかく電話してみよう。心して通話に臨む。

 

『あ、お電話ありがとうございます景朗さんっ』

 

 手纏ちゃんの声色はいつもと変わりなかった。

 どころか、どこかテンション高めで、少しうわずってすらいる。

 ホッと一息つく。厳しめの話ではなさそうだった。

 

 

「こちらこそ連絡が遅れてごめん。今からでも大丈夫? てか今、大丈夫?」

 

『はい。お待ちしてました。あの……。あの……』

 

「ん、なになに?」

 

 景朗はわずかに笑って、軽い口調で問い返した。

 手纏ちゃんが言い淀んでいるのは、何だか懐かしい。

 出会ったばかりのころは、男友達に全然慣れていなくて、始終こんなカンジだった。

 あの頃と比べたらだいぶ仲良くなったけれど、何か頼みごとだろうか。

 

 

『実は、今年の"大覇星祭"には私のお父様が参観に来てくれるんです。それで、本当に突然ですけど、明日、初日に、も、もひよろしければ私のお、お父様と、お会いしていただけないでしょうか……?』

 

「えっ……手纏ちゃんのお父さ、あ、お父上と?」

 

『あの! お嫌ならもちろん断ってくださいっ。唐突すぎましたよねっ』

 

 電話口からでも手纏ちゃんのバクバクしてそうな心拍が伝わってきそうだ。

 それくらい彼女の声は緊張を含んでいる。

 

「いやぁ、その。え、なんでだろう?」

 

 行きたい行きたくないを通り越して。

 何故、会いたがるのか。

 それが一番の疑問である。

 

『あのですね、実は以前から交友関係を……特に、長点上機学園に通うことになってから、お父様は私の交友関係を気にされるようになって。景朗さんのこともお話、させてもらっていたんです。その時から"是非とも会わせてほしい"なんて言われていて、私も冗談だと思っていたんですが』

 

「あー。お父さんのほうから、俺に会いたいってことなんだ?」

 

『そうです。今年は大覇星祭を見に来れるから、って数日前に連絡が来て。その時も景朗さんの話題に少し触れて、"会わせてほしい"というような事をおっしゃられていて。私はその時も冗談を言われたのだと受け取っていたんですけど。今日の朝、予定を空けたので"どうしても雨月君を連れてきてほしい"と念入りに頼み込まれてしまいました……』

 

「明日のいつ?」

 

『明日のお昼休みに、どこかホテルのラウンジを貸し切って、ということになってます、今は』

 

 彼女のお父上は手纏商船の社長というかCEDというか、他にも関連会社があって会長とか総帥とか呼ばれていそうなお人である。

 確かに、景朗はタイムリーなことについ先ほど蒼月から"手纏商船"というワードを耳にしている。

 しかし、まだ協力すると伝えてはいないし、蒼月が景朗を"例の作戦"に加えようと画策し始めたのは最近のはずである。

 それにいくら会社が協力するからといって、社長のような高位の人物に直通で奴が連絡を通しているとも思えない。

 "例の作戦"を実働するのは手纏の父親ではなく別の人間であろう。

 

 彼女の父親が景朗に興味を持った理由が、そうではなくもっと昔からというのであれば。

 心当たりはひとつだ。

 

「俺のことを話したこともあるって言ってたけど、どんな風に言ったか具体的に覚えてる? 聞いても良ければ聞いても、いい?」

 

『そのぅ。実は景朗さんが"超能力級"の能力者だ、とは。公にはなっていないけど超能力者くらいの力があると。お父様に怪しまれてしまったので、実力はあるってことを伝えたくて……』

 

「お父さん、真剣なカンジだったでしょ?」

『はい……』

 

 ああ、これはやっぱり。

 景朗の"裏の顔"について、彼女のお父上はお察しされたのだろう。

 "非公式の超能力者"と呼ばれていると、蒼月は語った。

 景朗らは以前から、理事会やその他、立場が有る権力者からはそんな風な呼ばれ方をしてきたのだろう。

 然るに、それに近い語感のある"公になっていない超能力者"で、もしやと疑われていたのだ。

 

 

 今年の四月。

 手纏ちゃんに超能力者だと説明したこと。このことは別に景朗にも後悔はない。

 彼女は被害を受けた。説明責任はあっただろう。

 

 ならば。

 

『困らせてしまってごめんなさい。常識外れのお願いでs』「わかった絶対行くから」

 

『はい。大丈夫です――――えっ? あ、はいっ。えっ??』

 

 直接会って、相手からどんな話題が飛び出すにしても。

 会わずに後悔することはあっても、会って後悔をする、ということにはならないだろう。

 

「もしお父上の方がお忙しくて、時間が変わってしまいそうでもこっちは全然おっけーだよ。俺の方が合せるから大丈夫!」

 

『ああ、はい! はいっ、わかりまひゅぃた! あの、よろしくお願いしますっ!』

 

「大丈夫大丈夫。こちらこそよろしくお願いしますー」

 

『あのっ。あのう! か、景朗さんお聞きしてもいいですか? 私ここまで前向きなお返事が貰えるとは、そのぅ、ホントは、思っていませんでした……その、どうして今回はこんなに?』

 

「それはね……たぶん、いやほぼ間違いなく手纏ちゃんも一緒に同席させられるから、どのみち理由は分かるよ」

 

『……わかりました』

 

 ごくッ。と電話越しに手纏ちゃんの息を呑む音がした。

 よほど緊張されているようなので、もしかしたら彼女はこの件で勘違いしているかもしれない。

 いや"かもしれない"なんて意地悪な言い方はやめよう。

 

 勘違いさせて悪いとは無論思うけれども、そうさせておくほかない。

 

 呼び出しを喰らった理由は120%を超えて1200%の確率で、

 "なぜアレイスターの猟犬が我が愛娘と関わりを持つのか"

 という壮絶なものになるはずなのだ。

 

 この電話口でさくっと説明できるようなお手軽な話題ではないし、セキュリティ的にも話せない。

 事前に説明してあげたいけれど、今回は許してほしい。

 

「手纏ちゃん、あのね……覚悟しておいたほうがいいかも……」

『……はいっ、了解しましたっ。私もっ。準備できてます。ダァイジョウヴです』

 

(ああ、ごめん、ごめんなさい。絶対"ダァイジョウヴ"じゃなくなると思うけど……)

 

 "手纏ちゃんの方こそ何の準備をするの?"という質問が喉から出かかったが、景朗はかろうじてその欲望を押しとどめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ファミレスに入った途端に『青髪くんはまずあそこに行って』と女子に指示されたのは、数人の男子が頭をひねってあーだこーだと煮詰まっている4人掛けテーブルだった。

 

 何やらそのテーブルではクラスメート各員の"紹介文"を準備しているらしかった。

 "紹介文"とは、"大覇星祭"で長時間の競技をするときに司会者がマイクで読み上げてくれる個人個人のプロフィールである。

 当然、大会当日は対戦する両校から面白おかしく誇張されたユーモアが炸裂しあう。

 会場の空気を高めるためには意外と手の抜けない部分である。

 

「あの~呼び出されたってことはボクらのとこ決まってなかったり?」

 

「けろっと顔を出しやがって、やっぱりサボりだったのかよ」

 

「アハハハハまぁまあ」

 

「いやぁ、お前らのは真っ先にあっさりソッコーで決まったぜ?」

 

「はあ?」

 

「土御門がー"超高校級のロリータコンプレックス"でー

 上条はもう決まりだろ? "超高校級のアンラッキー"」

 

「ボクは?」

 

 流石の青髪ピアスとて嫌な予感しかしなかったが、一応尋ねてみた。

 

「これしかないってのを用意したぜ。"超高校級のマゾヒスト"」

 

 本人に文句を言いだされる前に、クラスメート(男子)はすばやく言葉を積み上げた。

 

「待て待て。じゃあなに? おまえのキャラってなに? 青髪さんはさぁ、ちょこちょこちょこちょこつまみ食いしてっけど、全部中途半端じゃん!」

 

「ちゅ、中途半端ってソンナァ」

 

「お前からマゾを取ったら何が残るわけ? 逆に?」

「つーかお前のトコ今更変えるのメンドイのよ~。変えたいんなら自分でゼンブ考えてくれる?」

「俺らのハードルは高けーぞ?」

 

(クッソ。ニヤニヤしやがって!)

 

 とくに最後の台詞を抜かしたヤツは腕組みなんかしてエラソーである。

 

「ぬぐぐ……あっ」

 

 何かを閃いた、とばかりに青髪ピアスは細めていた目を開いた。

 今度はクラスメートたちのほうが"嫌な予感がする……"と不安そうな表情に変わりだしていた。

 

「じゃあ、こうしようや」

 

 ピシッ、と指を天空へ向ける。

 

「ボクが紹介される番では上条クンの紹介文を読んでもらってぇ~。そんで、逆にカミヤンのところで~、ボクの文を読んでもらう。ってことで」

 

 あまりにもあからさまなドゲス発言をキレイな顔でたん淡々とのたまい切った青ピ。

 クラスメートたちはあんぐりと口を広げた。

 

 いかな青髪クンでも呆れや侮蔑の応酬に耐え切れなかったのか、そこはたじろぎ気味でもなんとか言い訳を追加して乗り切りにかかった。

 

「ホ、ホラァ! 考えてみい! 自分の紹介の番で間違って他人様の悪辣な紹介文を読まれる。読まれてしまう。それでこそ真の"超高校級のアンラッキー"と呼べるんやないですか!?」

 

「青ピさぁん。それでいいのかお前ェ……」

 

「思い出してくださいよ。普段女子を囲ってる汚フラグ体質は、一体どこの誰なのかを?!」

 

「なして急に標準語?」

 

「ボクですか? ダレですか?」

 

「……」「……」「……」

 

 顔を見合わせる複数の男子。その場に女子が居なくて心底よかった、と青髪は思った。

 

「"ヤツ"ですか?」

 

「……ま、いっか。お前らがそれでいいなら」

「まぁな。時間もったいないし」

「そーそー、もう帰りてーよ。つぎいこ、つぎつぎ」

 

 我、策を成功せしめたり。青ピの眼はさらに細まった。

 

(くっくっく。悪いなカミヤン。悪いんはワイやないで。いつもいつも怪我して学校休んでばっかりの君が悪いんやでぇ)

 

「いやいやお前がワリーよ。面白そうだからこのままいくけど」

 

「心の声にツッコまんといて」

 

 

 この後の顛末を一足先にお披露目しましょう。

 こうなりました。

 

 

 鈴の鳴るような美しい声は、放送部などの部活動で日ごろから鍛えているのだろう。

 その会場のアナウンスを担当していたのは、恐らくは女子大生くらいのお姉さんだった。

 

『つづいて、上条当麻君。ちょ、"超高校級のマゾヒスト"、だそうです』

 

 おお~というどよめきと、観客の父兄の方々からところどころ嘲笑が吹き出した。

 

「……はぁっ!? あれ、ちょ、まっ、えっ。間違い! 間違ってますよおねえさーーーん!!」

 

 グラウンドでいくら叫んでも、放送席まで聞こえる訳がない。

 テンパる上条の真横では「あら~カミヤンに紹介文と~ら~れ~た~」とわざとらしい青髪の台詞が。

 

「ぅおおおおおおおいッ! まちがッてまぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁッす!?」

 

『上は69から下は11才まで。どんな球でも完全ストライク、絶賛彼女募集中、食わず嫌いの16才です!』

 

「おねぇぇぇえぇぇぇぇさあぁぁぁぁぁぁぁぁんッ!? くぅっ、ちっくしょぉぉぉっ。これおまえの紹介文だろ! 公衆の面前でなんて恥辱だよもう!! オヤジもオフクロも見てんだぞ、これェ!!」

 

 観覧席からはいやぁ~ねぇ~クスクス、といったより取り見取りのざわめきが出る。

 

「ふこぉ~だぁ~」

 

 そういって煽る青髪は、となりでクネクネとダンスを踊っていた。

 

「だああああっ、お前が言うなぁああああああ!!」

 

 思わず蹴りが飛び出たがサクッと避けられ、よろけたのはむしろ大会前なのに何故かテーピングまみれでボロボロのツンツン頭の方だった。

 まわりのクラスメートもげらげらと笑っていたので、めでたしめでたし、ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 青髪が、というか上条のクラスメートたちがファミレスから退出できたのは、なんと日付を跨いでからという体たらくだった。

 通常ならば完全下校時刻を過ぎているし、ファミレス側も学生を問答無用でつまみ出す対応を取るのであるが、"大覇星祭"には前日から学園都市に入って泊まり込みで開会式を参観する保護者が一定数存在するため、例外的に24時間営業へと変更されていたのである。

 実際に店内には深夜だというのに一足先に親と食事を交えて喜んでいる子供の姿も、ちらほら見受けられていた。

 

 

 

 景朗が秘密基地に帰り着くと、一生懸命にびしょ濡れになったソファを掃除せんともがくダーリヤと鉢合わせた。

 

「あ、おねしょしちゃったん?」

 

「ウドゥフマァァァン……」

 

 ダーリヤは珍しく敵意を持って景朗を睨んでいる。

 

「あ……もしかして、俺のせい? はは、睡眠導入剤を打つ前にトイレに行かせてあげるべきだったね、ハハハ、スマンスマン……」

 

 ダーリヤはアレでも、"グレネード"をがぶがぶ飲んででも、景朗の帰りを待ってくれていたのである。

 無理矢理クスリで寝かされ、尿意にも気づけないくらい深い眠りに落し込んだのは景朗である。

 寝小便の責任をダーリヤひとりにかぶせるのは酷かもしれない。

 

 目尻に涙をためてスゴまれている。

 

 カーペットまで広がってしまっている"染み"に、FIVE_OVER_PHOENIXが反応して『警告:登録者ノ遺伝情報ヲ確認シマシタ』的なセリフを英語で発している。

 うん、そんなの調べるまでもなく見たらわかるから、キミは黙っててくれないかな。

 

 そんなカギムシ君の発声は、ダーリヤの怒りに油を注いでしまっている。

 これはもう、大人しく謝るしかないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 9月19日。早朝。

 

 景朗とダーリヤは、とあるビルの前で丹生と待ち合わせをしている。

 

 

 実は、手纏ちゃんの父親との面会時間が急遽変更になったのだ。

 昨日の深夜、手纏ちゃんからさらにメールが来た。

 彼女の父親の方から、時間に融通が利くなら、明日の朝、開会式が始まる前に時間を変えられないか、とお願いされたという。

 

 景朗は断らなかった。

 この事で、むしろどんな話題になるか予想しやすくなった。

 

 恐らく手纏ちゃんの父親は景朗に"金輪際、娘に近づくな"みたいな警告をするのだろう。

 であれば、こういう誰にとっても不快な話は、楽しいお昼どきまで抱え込まず、早く済ませておくに限る。

 その点は景朗も彼女の親父さんに賛成だった。

 

 それに時間帯の都合も良かった。確かに朝、早めの時間帯にはなる。

 だが、実は一週間に及ぶ"大覇星祭"のスケジュールの中で、午前中にもっとも空き時間があるのは初日、つまり今日これからの時間帯だったりするのだ。

 

 初日に一斉に保護者が押し寄せるのだから、渋滞や土地勘に慣れない人々に配慮して、開会式は遅めの時刻に設定してある。

 学生にとっては最後の休憩タイムなのだ。

 

 ということもあって、手纏父との用事が済むまで丹生にダーリヤを預かってもらう予定なのだ。

 

 

 景朗はふてくされたようにしゃがみこんでしまっているダーリヤの様子を観察した。

 少女の足元の植樹の根っこ近くにはアリの巣があって、その行列を一匹一匹、木の枝で一心不乱に潰している。

 

 静かにしているな、と思ったらコレである。

 

 おねしょしたせいか。いやまちがいなくおねしょをしたせいで、朝からダーリヤは機嫌が悪かった。

 元スパイの卵として訓練されていたせいか、睡眠時間が短くともすっぱりシャッキリ活動に移れる少女にしては、起き抜けの機嫌の悪さは珍しかったので少し微笑ましく思っていたりするのだけれども。

 

 言おうかどうか迷って、それでも言うだけ言うか、と彼は口を開いた。

 

「可哀想じゃん、やめたげなよ」

 

 絶対反論されるとわかりきっていたが、それでも教育上必要か、との判断だった。

 

「うるさい。というかウルフマンは"こんなの"よりはるかにヒトを殺してるでしょ」

 

「はい、そうですよね。すみません。他人に説教できる立場じゃないのは分かってたんですけど、一応、ね。一応……」

 

 やっぱり言わなきゃよかった。自分にはどう考えても説得力がない。

 ブルーになった景朗はダーリヤから少し離れて、ビルの壁に覇気なくもたれ掛った。

 はぁ~、と深い深いため息をついて、無言でボーっと宙を見つめる。

 またぞろネガティヴな考えに耽っているのだろうとダーリヤには看破されているのか、彼女はお気に入りの"ウルフマン"がしょぼくれても気にも留めていない。

 

「ヒンニウ、おっそいわ」

 

「……あのさー。丹生、またキレ散らかすよ。そんなこと言ってると」

 

「今日は倒してやるわ」

 

 ダーリヤは軍用バックパック(幼児用)を身じろぎして背負い直し、ふむーっ! と鼻息を荒げた。

(そのドデカバックに何つめてても構わないけどさ。丹生とケンカになっても頼むからドーグ(道具)は出さないでおくれよぅ……)

 

「倒すって……なあたまにはさぁ。少しくらい褒めて機嫌とってみ。ほら、今日からお祭りじゃん。出店で色々お菓子買ってくれるかもよ? 俺も今日くらいは許可だすからさぁ」

 

「ホント?! わかったわ! ヒンニウをホめてやろうじゃないの! ひゅひひっ!」

 

 意外と早く堕ちたな。やっぱりガキを手なずけるには菓子だと相場が決まっている。

 

「お、来たぜ」

 

 一番初めに気づいたのはやはり景朗だった。

 通りの向こうから、"長点上機学園"のジャージを着こんだ丹生が胸を張ってやってくる。

 

 今更ながら、景朗とダーリヤが丹生と待ち合わせているこの場所は、"第七学区"だ。

 

 やや棘のある言い方になってしまうが、"学舎の園"などという例外を除いて、"第七学区"はごく一般の中高が集まっている学区である。

 "長点上機学園"などが存在する"第十八学区"とはある程度すみわけがなされている。

 

 まわりの生徒に校章を見せびらかしながら歩く、うっすらとドヤ顔が透けて見える丹生さんは、学校自慢に余念がない。

 そういう小物っぽいところも丹生がやるとカワイイものなのだが。そう景朗が思っていたところだった。

 

「あ、ニウ! え~い! ヒンヌ、まちがた。え~い!」

 

 ダーリヤも遅れて丹生を見つけ、こう叫んだ。

 

「バクニウ~! バクニウ~! こっちこっち~! バ~ク~ニ~ウ~ッ!」

 

 プハッと景朗は吹き出した。

 

 丹生はしばらく気がつかなかった。

 が、あちこちが「え? (爆乳は)どこっ?」「どこ? どこ?」

 「は? あの人?」「デカいか?」「普通じゃね、ていうか貧――」

 「え!? どこどこ? 爆乳? どこーーっ??」

 という軽い騒ぎで包まれる。

 

 ここは学園都市である。爆乳なんて単語を往来で叫べば、街を歩く半分は年若い少年で、彼らはすべからく性に敏感なお年頃なものなのだから。

 件の人物を、"ボインちゃん"を探さずにはいられない。

 

 なので。長点上機学園の校章を見せびらかしたくて胸を張って歩いていた丹生は。

 つつましやかというか、いややっぱり平均クラスはあるのでそんなに捨てたものではないものをお持ちの丹生だったが、しかし。無情にも実力不足は否めず。

 

 あっという間に「は? どこが(爆乳)?」「チッ。貧乳じゃねえか」という手厳しい批判の集中砲火を浴びてワナワナと顔を真っ赤に染め、憤怒も露わにダーリヤへの猛ダッシュを開始した。

 

「うおらああああああああああ! ケンカ売ってんなら買うぞクソガキィィィィィィ!!!」

 

 片腕を水平に伸ばして、走る。あれはプロレス技の"らりあっと"というやつではなかろうか。

 今日の彼女はだいぶ容赦ないカンジに仕上がっている。

 

「バァ~クニュィ~…ええ~っなんで?? うるふまんッ、ヒンニウが本性をあらわしたわ! 助けて! 助けて!」

 

 ダーリヤは景朗を盾にして背後に隠れた。が、彼は丹生が"らりあっと"をぶちかます直前に、すいっと避けてダーリヤを荒神への供物に捧げた。

 

「もおおおおおッ! バカダーシャ!」「どゅっ、ひ!」

 

(ダーシャさん。ダーシャさん。もし丹生サンが本性をあらわしちゃったのだとしても、それはきっとキミの責任ですよ……)

 

 さわらぬ神にたたりなし。景朗だって今の丹生にたてつきたくはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「火澄ちゃんめっちゃキゲン悪かったよ?」

 

 "うん、わかるよ。『機嫌悪いのはワタシもいっしょ』だって言いたいんでしょ?"

 丹生の開口一番の言い様に対して、思わず景朗が言い返そうかと迷ったセリフである。

 

 火澄をダシに使わなくても、その表情を見れば"手纏ちゃんの父親に会いに行く"のが気に食わないのは理解できよう。

 

「しゃーねえんだよ。言っとくけど絶対に楽しい話題にはならないよ。那由他パーセントくらいの確率で」

 

「えっ、そうなの? なんでそうなるの?」

 

「俺たちが"暗部"だって、その気になって調べればわかっちゃうくらいにはスゴい会社なんだよ、手纏ちゃんのお父さんのトコロは」

 

「……そうだったんだ」

 

 景朗がどんな気分で面会に臨んでいるのか察してくれた丹生は、それっきり文句を言う事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 丹生たちと別れ、景朗は第七学区の"学舎の園"近辺にあるオープンカフェ手前で足を止めた。

 そこが待ち合わせ場所である。

 この場所は中学時代に火澄や手纏ちゃんとよくお茶をした思い出深い場所である。

 前回来たのは……いやなんと夏休み中に、陽比谷を操った食蜂に連れてこられたばかりである。

 

 

「お待たせしました!」

 

 こんなに元気爆発な手纏ちゃんは初めて見た、といいたいほどに珍しい。

 大覇星祭なんてゴタイソウな名前だけど、学園外では体育祭に相当する催しらしいし、こんなに化粧する必要あるのかな、とは思っても絶対に口にはしない。

 

 

「いや、今の時間ならまだ道も混雑してないし、お父さんが到着してるならベストな判断だったと思」「景朗さんお好きでしたよね!」

 

 軽く駆け足でやってきた手纏ちゃんは、まず何より先に、両手に持っていたテイクアウト用のコーヒーカップの片割れを景朗に押し付けた。

 おお。手纏ちゃんにハナシの途中に食い気味で食ってかかられたのは初めてではなかろうか。

 

「おおー、いい匂い。ありがたい、ありがたいよこれは」

「えへへ。ちょっとお行儀が悪いですけど、このまま少しお店を見て回りませんか?」

 

 学舎の園の周辺のストリートは車線も多く、かなり広めに幅員が取ってある。

 手纏ちゃんの指差す先には、ちらほらと品の良さそうなたたずまいの出店が並んでいた。

 

「いやいや、ホテルに行かないと。時間、そんなに余裕ないよね」

 

「ごめんなさい。お父様が、あと少しだけ遅らせてくれって」

 

「あー、そっか。じゃあそうしよっか」

 

「うー、ごめんなさい。ホントは私の嘘です」

 

「え?」

 

「やっぱりご迷惑でしたか? 私、予定より早い時間を教えてたんです。一緒に見て回りたくて」

 

「なんだ。いいよ別にそのくらい」

 

「あぁよかった!」

 

「うん、つか、この珈琲美味いね、すっごいいい匂い。うん、これでチャラってことでいいよマジで」

 

 景朗は情緒もへったくれもなくがぶがぶっと半分ほど飲み干してしまっている。

 手纏ちゃんも間を持たせようとストローに口を付けて、ブラックの苦みに顔をしかめてしまった。

 彼女の行動を予想していたのか、景朗はからかうように笑った。

 

「やっぱり。俺が今飲んでるほうがだいぶ甘口だからね、もしかして~って思ったけど」

 

「ぁい。渡すの間違っちゃいました……」

 

 "今からでも交換する?" そう言いだせば、なんぞギャルゲー的には好感度を稼げるのか、キザったらしくカッコつけすぎで好感度が下がるのか。

 そんなのどちらでもかまわない。楽しい時間が過ごせるのなら、それでいい。

 しかし、笑いつつも景朗には、これからホテルで彼女の父親が打ち明ける内容に予想が付いていてる。

 その事を思えば、ここで仲睦まじく過ごすことがいかに無意味であろうかと。

 そう考えずにはいられなくて。

 彼には結局、ブラックコーヒーを手纏ちゃんに飲ませ続けることしかできなかった。

 

「それ、昔景朗さんが飲みたがってた"ラ・コントラディツィオーネの"です。中学時代の後輩にお願いして買って来てもらっちゃいました」

 

「え、これが?」

 

「そうです。ふふ、イタリア語で"矛盾"って意味の"アレ"です」

 

 常盤台中学で代々続く喫茶同好会。そこはこういった行事で出店する場合、毎回"La Contraddizione"という店名を受け継いで使っているのだという。

 

「あ~……ありがとう。昔のこと、覚えてくれてて」

「景朗さん女装するって言ってましたもんね。あれっきり誘ってくれませんでしたけど」

「本気で頼み込んでたら手伝ってくれてたの?」

「はい、手伝ってましたっ。景朗さんの女装姿見たかったのに!」

「いやいや、もう二度としたくもないね」

 

「……いつされたんですか?」

 

「うおっと! 言葉の綾だって。二度と女装したいだなんて言いださないよってこと!」

 

「ふぅん……?」

 

(疑ってるよ……)

 

 じとっとした目線を感じたが、それはすぐにニコニコとした喜びに変わる。

 歩いているだけなのに楽しそうな手纏ちゃんの姿が、ものすごく心に痛い。

 

「お店を一緒に見て回ってるカップルが羨ましかったんですよねぇ~」

「手纏ちゃんもそう思ってたんだ??」

「景朗さんこそ、今まで思わなかったんですか?」

「いや、別に全然……」

 

 暗部と関わりさえしなければ、きっと並んで歩くカップルを羨ましいと思っていたことだろう。

 だがそんな余裕を今の景朗はすっかり失ってしまっている。

 

 意外そうに手纏ちゃんは言った。

 

「そうなんですか。景朗さん、火澄ちゃんとくっ付くとばかり思ってましたから」

「あー……目を向ける余裕が無くて」

「丹生さんとは?」

「丹生とも別に……」

「ふふ。冗談です。からかってごめんなさい。今は私にもわかってます。火澄ちゃんと丹生さん(あのお二人)は景朗さんがいつからか、本当に、心の底から余裕を無くしてしまわれていたことに、"理解されていた(お気づきになっていた)"のに。それが"できなかった"私だけが、暴走してしまいました……」

「複雑な状況っていうか。普通から逸してる俺が悪いだけだし、何も問題はないんじゃないカナ」

「はい。でも、今も気持ちは変わっていませんから」

 

 思わず見つめてしまった景朗に対して、耳まで顔を真っ赤にした手纏ちゃんは、しかし視線をそらさなかった。根負けして先に逸らしたのは景朗の方だった。

 

(連絡も中学時代ほど頻繁に取らなくなったし。夏休み終わってから今まで会ってないし。学校で好きな人とかできたりしないのか?)

 

 いつまでも自分に執着してもらえるなんて思い上がりだ。手纏ちゃんだけでなく火澄に対しても、景朗はそう自分に言い聞かせて来た。繰り返すたびに心に痛みが走るけれど、必要な痛みだと思ってきた。

 

「ご迷惑ですか?」

 

「困らないけど、わからないよ。どうしてそこまで、って」

 

「えぇっと。どうしてでしょうかね。でも……初めて会った時から、助けてもらった時から、やっぱり景朗さんといるとドキドキしますねっ」

 

「……あの、これからさ、ホテルでさ、手纏ちゃんのお父さんと会ってもさ……」

 

「大丈夫です。ゆっくりでもいいと思ってますから」

 

 

 もはや何も言えず、言わず。どう切り出そうかぐるぐると考えて。

 この段階に至っては、もはやどうにもならない、と。

 これから直に訪れるであろう衝撃に、手纏ちゃんが傷つきすぎないように、と。

 景朗は祈るばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 "第七学区"。手纏ちゃんのお父さんは"社長"といって思い浮かべる姿より、むしろ引退したアスリートといった"いでたち"だった。

 少し白の差した髪をきっちり整え、グレーのスーツも往年のスパイ映画ばりに着こなしてみせている。

 

 ホテルのラウンジ。そう説明を受けていたが、連れていかれた先はホテルのスイートをフロアごと貸し切ってあって、景朗を警戒してか、幾人もの要人警護PMCの姿や気配が感じられていた。

 

 フロアの一室はまるで会議室の様にテーブルとイスがセッティングしてあって、景朗にとってはこれからいかなる吊るし上げを喰らうのか、ほとんど透けて見える様だった。

 

「こんにちは。初めまして」

 

「お父様、お元気ですかっ?!」

 

「おう元気元気。こちらこそ初めまして、雨月君。さ、とりあえず席についてよ、2人とも」

 

 景朗は、PMCがすっと椅子を引いて出しだした席に座った。

 手纏ちゃんは近くに座ろうとしたが、女性PMCが手際よくお父さんの隣りへ案内して、不思議そうにそこに座った。

 

「ふぅーっ……。今日は少し緊張するね」

 

 いやいや、一番緊張してるのは、自分の真後ろにつったっているPMCのおっさんでしょうね。

 景朗は愉快そうに目を瞬かせた。

 

「お父様。お名前くらい紹介されてはどうですか?」

 

「これは失礼をした。手纏高峰(たまき たかみね)と言います」

 

「雨月景朗です」

 

「申し訳ないが握手と。挨拶と。世間話も、今回ばかりは遠慮させてもらいたい。いいだろうか? 雨月君」

 

「お父様?」

 

 手纏氏は直にわかる、と言いたげに手を差し出し、手纏ちゃんを制した。

 

「はい。わかってます。安心してください。何も起こりません。何も起こしません。絶対に。お約束します」

 

「……そう、か。ありがとう。それではまず、いの一番に確認させてほしいことがある」

 

 女性PMCがスクリーンの電源をONにしたが、手纏氏は首を横に振った。

 その動作で意図に気づいたのか、彼女はあらかじめ用意していたのであろう紙の資料を取り出し、景朗と手纏ちゃんの目の前に揃えて置いた。

 

 

「個人的信条だが私も子供の前で物騒な話はしたくない。だがこれは、どうしても必要なことなんだ。私達のようなものが仕事で学園都市にお邪魔したり、時折、学園都市側からVIPとして招待を受けたりするときもあるが、そういった時に、日本の警視庁SPや彼らのような要人警護PMCから、要注意人物への注意喚起を受けることがある。中でも指折りの危険人物とされている……"猟犬"という通り名で恐れられている殺し屋がいる。それが、その人物に関する資料だ」

 

 その資料に並べられた被害者のリストに目を通して、景朗は思ったよりは調べられていないんだな、と場違いな乾いた感想を抱いた。

 

 全然足りていない。景朗が請け負ってきた仕事と比べれば、ざっと3分の1ほどだろうか。

 

「3ケタ近い要人が、この一人の殺し屋によって殺害されている。たったの一件も証拠は挙がっておらず、組織的な犯行なのは間違いないが、我々は"彼"に狙われたら諦めろ、と言われているよ」

 

「……この"猟犬"という殺し屋が、どうかしたんですか、お父様?」

 

 手纏ちゃんも予想がついているのか、その声はひどく乾燥し、掠れていた。

 

「はっきり言うと……雨月君にはこの人物と関わりがある、という……"噂"が絶えない」

 

 手纏ちゃんがじっとこっちを見る。景朗はごめんね、とアイコンタクトだけでもと、先に謝罪を伝えたかった。

 

「うわさ、ですか。あえてそう濁していただけて助かりました。火の無いところに煙は立たないって言いますよね、それ、ホントです。まあ、噂されても仕方ないかな、というところです。ただ、そんなの関係なく、僕は極めて警戒すべき危険人物ですよ。手纏さんの対応は極めて妥当です。正解です」

 

 暗に自らが"猟犬"だと認めるようなジェスチャーとともに、景朗は不敵な笑みを見せた。

 PMCの方々はそれぞれがごくり、と息を呑んだ。

 まるで景朗の機嫌ひとつで、自分の命が摘み取られるかどうかの瀬戸際にあるのだと考えているかのようだ。

 それは手纏氏も同じだったのだろうが、彼にとっては恐怖より娘への愛情の方が勝っていたらしい。

 

「予想される被害者の中に……先日、崩壊した軌道エレベーターを造った建設会社の、ご意見番(客席アドバイザー)をされていた方がいるんだが……私の恩師だった……。何か、彼についても"噂"を知っていないだろうか? 是非とも耳に入れておきたいんだ」

 

「あー……もしかして、珈琲とゴルフがお好きな方でしたか?」

 

(そういえばあのお爺さんは『英国と手を組もうとした』っていってたな。

 そうか、アレイスターは戦争がしたいのか。じゃあ、間違いなく戦争は起きるな。

 なあんだ。やろうとしてた"コト"が大きすぎる。それじゃあどっちにしろ……俺が殺さなくったって、別の誰かがあの人のところに送り込まれてたさ……)

 

「……ああ、確かにそうだったよ。……はぁっ。そうか、そうか。そうなのか……」

 

 手纏氏は手のひらを組んで、何かに耐えるように、祈るように数度振り、目をつぶって、開いた。

 

「私の父に頭が上がらない、と言っていてね。若い時に可愛がってもらったんだ。あの珈琲がもう二度と味わえないのかと思うと、酷く寂しくてね。まだまだ教えてもらいたいことがあったんだがなぁ……」

 

 もはや、手纏氏は景朗を殺人鬼として視る目付きを隠そうともしていない。

 

 手纏ちゃんは何かを言いたげで、しかし言いだそうとするたびに、手元の資料に目を戻し、信じられないとばかりに読み込み、ただ景朗の言葉を待つかのように、それをいくども繰り返している。

 

 手纏氏は言葉に詰まって、景朗をじっと見つめてきた。

 正直、居心地が悪い。言うべきことを言って、この場を去りたい。

 あまり余計な事を言ってしまいたくはない。

 それはお互いの為にもだ。これは心からの想いだった。

 

「なぜ? どうして? とお思いでしょう。信じてもらえるかはわかりませんが、僕としてはこう言うしかないです。その"うわさ"が広がり出すもっと前から、僕と仄暗火澄さんは友達でした。そして仄暗さんを通して、深咲さんと友達になりました。うわさが産まれたのは、たぶんその後からでしょう。だから、ただの友人だとしか、思ってません。そういうワケですよ。自分も、これでもただの中学生でしたからね」

 

 手纏ちゃんはじっと、景朗の言葉を聞いていた。何もかも凍りついたように。

 

「では……友達の父親としての、私のお願いを聞いてくれるだろうか? 代償は。いやお礼は。何でも差し出せるよ」

 

「もちろんです。深咲さんッ」

 

 景朗は手纏氏に有無を言わせず、手纏ちゃんに言葉を向けた。

 

「これでわかったよね? 今まで悪い印象を持たれたくなくて、本当のことを言いだせなかった。ずっと後ろめたく思ってた。この機会に謝ります。今までだましててごめんなさい。……手纏さん、今後一切、関わり合いは持ちません。お約束します。言葉しか差し出せませんが、お約束します」

 

「……わかりました。……さっき、仄暗火澄、ちゃんの話が出たが。彼女に対しても、できたら同じことを約束してほしい」

 

(なんで火澄のことまで口を出されなきゃならないんだよ、ってとこだけど。火澄のことを気に入ってくれてんなら……面倒をちゃんと見てくれるってんなら、渡りに船……だと思おう。手纏ちゃんのコト以外で、あんたとの約束なんて守る気はないけどなッ)

 

「口約束でいいなら、そうしますよ」

 

「それなら……」「お礼って言っては何ですけど。お礼代りに、うわさはうわさだった、ってことにしてくれるのが一番助かりますね」

 

「……了解した」

 

「それなら、もう退出させてもらって、いいですか?」

 

「かまわないよ。雨月君、今日は出向いてくれて本当にありがとう」

 

 景朗は途中に呼びかけてから一切、手纏ちゃんの方を向くことはしなかった。

 部屋を出る最後の最後に一度、彼女がこちらをみて、そして下を向いて俯いたのを感じて。

 思ったより大事にならなくて済んだな、とほっと一息つくことができていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダーリヤを迎えに第七学区のとある学校へと向かう。

 ダーリヤの存在がバレたらどうなるのか予想もつかないので心配していたが、火澄は別の競技場にいるので問題ない。

 

 子守りで疲れたッ、と身体全体で訴えてくるので苦笑して、あとでちゃんと労わるよ、とウインクを飛ばす。

 丹生はムフン、とガッツポーズを返してくれた。

 

 そんな二人の無言のやりとりを邪魔したかったのか、ダーリヤはとりわけデカい声で景朗にすり寄った。

 

「ウドゥフマンッ! お土産買ったのよッ!」

 

「へえ、マジかい。ありがとありがと」

 

「ほら、コレよ」

 

 ダーリヤが手に持っていたポリ袋から取り出したのは、大きな金属製のブラシだった。

 なんてーか、大型犬とか、牛とか、馬とか、そんなカンジの大型哺乳類のブラッシングに使えそうなくらいの。

 

「はあ?」

 

「これでやっとヒュルフマンのお世話ができるわ……むふーっ!」

 

「これ俺へのお土産じゃねーじゃん。お前のお土産じゃんッ。ぬか喜びさせんなよなぁ、もう」

 

 

 開会式までの時間を、丹生とダーリヤと出店を見て回ってツブして。

 きぃきぃと喚くダーリヤをまたぞろ秘密基地に押し込み。

 景朗はその後、青髪ピアスとして大覇星祭に参加し。

 なぜか途中で上条と土御門が消えて、吹寄などが怪我をする事故が起きはしたものの。

 総評して、つつがなく大覇星祭の初日を終えたと呼べるだろう。

 そんな一日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とは、ならなかった。

 

 事件は起きた。

 

 大事件だった。

 

 

 

 

 9月19日。深夜。イベントごとは最初と最後の夜が最も煩いと相場が決まっている。

 いつにもまして耳障りな喧騒に歯噛みしながら、景朗がダーリヤのブラッシングから逃げ回っているときだった。

 

 日常使いのケータイが鳴った。彼には着信音から火澄だと判別できた。

 手纏ちゃんと一緒に住む火澄から、である。

 

 あの二人の仲の良さは凄まじいものがあるが、さしもの手纏ちゃんでも、素直に今日あったことを火澄に打ち明けられるとは思えない。

 

 お鉢が自分に回って来たのかも、と景朗は覚悟してケータイを取った。

 

 火澄の第一声は信じられないものだった。

 

『景朗ッ、深咲が帰って来てないの! 最初はホテルに泊まってくるのかって思ってたんだけど、念のためにと思って手纏のおじさまに電話したら、とっくの昔に帰ったって! 景朗、何か知らない?』

 

「え、マジでか?」

 

『ホントよ! ねえ、景朗も知らないの?』

 

「知らない。マジで知らないよ!」

 

『あのね、もう警備員に連絡してるの。可笑しいのよ! オジサマもね、深咲を部下に送らせてウチのマンションの目の前まで、確かに送って返したって言ってるのよ!』

 

「マジか……ヤバイなそれ。あーもうッ。探しに行くわ、俺も。外、探す。ホテル周辺からお前ん家までのルート上!」

 

『お願い! お願い、景朗ッ』

 

「なんかあったらすぐに連絡くれよ」

 

『わかった、ひとまず切るね』

 

 

 ブラシを片手にぐびっ、とダーリヤは"グレネード"を呷っていた。

 飲み過ぎはヤメロと言ってるのに、こうした隙を見つけては隠れ飲みを試みてくる。

 

「ダーシャ。手纏ちゃん。手纏深咲が行方不明になった。探すの手伝って、今すぐ」

 

「えー? なんか昼間にウルフマンが会ってたってヒト? でももうこれからは完全に付き合いを絶つっていってなかったかしら?」

 

 もうほっとけばいいのよと言わんばかりにぐびっ、と2回目を呷りやがる。

 

「言ったけど、そうするつもりだけど、今日の今日で観て診ぬふりはできないんだよ。大事な友達だからこそそうしようと思ってんだから!」

 

「……わかった。で、どうすればいいの?」

 

「極力、秘匿性を保てる手段で手纏ちゃんを探してくれ。誘拐があった、とか、そういう仕事が暗部界隈でなかったか、とか。手がかりすら見つからなければ、もう蒼月に協力してもらうしかない……」

 

 速攻であの男に貸しを作る事になるが、背に腹は代えられない。

 

 大急ぎで外にでる仕度を終えて、ダーリヤと捜査方法や捜査状況の確認を済ませようと、秘密基地を上から下まで駆け上って駆け下りて来たところだった。

 

 今度は仕事用のケータイがぶるぶると震えだした。

 景朗は怒りの余りに悪態をついた。

 

 こんな忙しいときに、よりにもよって木原幻生からの連絡だった。

 ずいぶんと久しぶりである。なんて間の悪い爺さんだろう。

 

 景朗は通話アプリに出た途端に、唾を飛ばす勢いで言い放った。

 

「先生、大変すみませんが、今、まさに今、緊急事態で、あまりお時間が取れないんですよ!」

 

『久しぶりだというのにキミはいつも慌ただしいね。やれやれ。一体どうしたんだい?』

 

「知り合いが行方不明になったんですよ、少し前にね!」

 

『ああ、そのことか』

 

「はい?!」

 

 景朗は硬直した。

 

『"酸素剥離(ディープダイバー)"の子なら、ウチで預かってるよ。ちょっと入用でね。心配ご無用。2,3日したら傷一つ付けずにお返しするよ。悪いけどいなくなった子が他の子なら、ボクも知らないなあ』

 

「……どうしてですか? どうしてそんなことを……どうしてこんなことするんですか?!」

 

『ウフフフフフ。頼むよ景朗クン。実はボクも緊急事態ってヤツでね。ちょーっと手を患わされるかもしれなくて。やっぱりキミの手助けが必要になっちゃったんだ』

 

「……わかり、ました。"酸素剥離"は傷一つ付けずに返す、とおっしゃってくれましたよね。必ずそれは守ってくださいね」

 

 木原幻生が、手纏ちゃんを人質に取ってまで。

 景朗にやらせようとしていることは、それだけ大がかりなのだろう。

 

「どこに行けばいいですか? どこで?」

 

『うん。それなんだけどね、ボクは今、身を隠さなきゃならないから、キミと直接会うわけにはいかないんだよ』

 

 残念だなぁ、と幻生は嗤う。

 

『キミと会っちゃったら、食蜂クンに"読心能力(サイコメトリー)"でヒントを与えちゃうからねえ』

 

「食蜂、操祈、と?」

 

 食蜂操祈と、敵対しているのか、と。全てを口に出さずとも、幻生はその先を語り出した。

 

『嘘はつかなくていいよ、時間が勿体ないからね。八月中旬に、キミが食蜂クンと接触したのは掴んであるんだ。キミがボクを裏切っているかもしれないなんて、そんなのボクだって信じたくはないんだけどね、最近のキミの言動を観ていたら、これも仕方がないよね、景朗クン』

 

(食蜂……これが狙いだったのか!?)

 

 八月。陽比谷を操り、食蜂は景朗に『木原幻生を裏切れ』と脅しをかけた。ただ、脅しをかけはしたものの、最後には『なぁんて☆嘘よ』と誤魔化して去って行った。

 陽比谷の妹が常盤台にいるから、その御世話焼きとして現れただけ、とうそぶいていたが。

 

 なぜ木原幻生と食蜂操祈が敵対しているのかはわからない。

 だが、これでは景朗はどちらからも利用され、板挟みの状況に陥ってしまっている。

 

 2人とも殺してやりたい。

 どこまで勝手に、こうも気軽に、人を奴隷の様に!

 

「先生。信じてもらえるかどうかわかりませんが、自分は言っておきます。食蜂とは組んでいません」

 

『うんうん、キミが裏切ってようと裏切っていなかろうと、今はどうでもいいんだよ。そんなことより、景朗クン、ちょっと"猟犬部隊"をボクたちに貸してくれないかな? キミの権限ではどのくらい動かせるかい?』

 

「ッ! 自分の権限、だと。分隊数で言えば3部隊ほどかと。10数人ちょっとしかいません」

 

 貸しのある隊員に賄賂を渡して頼み込めば、10人ちょっとは動かせる。

 

『そうかい。十分だよ。うんうん。明日の朝までには準備しておいてくれたまえ。それとね、景朗クン。食蜂クンは、キミから私の居場所をたどれるとアテにしていると思うかね?』

 

「自分から、先生の居場所までつきとめられるかって?」

 

『そうそう。キミが私を裏切り、食蜂クンサイドに着いたと思わせても、やはり厳しいかい?』

 

「それはそうでしょう。このタイミングでは、もう俺のことを信用できる味方だとは思ってくれないはずです」

 

『うんうん。だろうね。よし。それじゃあキミは彼女に直接、私の居場所を教えようとしちゃいけないよ。気を付けてね』

 

「はい。元々先生の居場所、知りませんよ」

 

 思い返せば、七月。確か、ツリーダイアグラムが破壊されたと暗部世界にニュースが走った日だ。

 あの日から、幻生とは会っていない。あの日から幻生は景朗を避けていたのかもしれない。

 

『そのかわりに、君には私の居場所のブラフだけをリークしてもらおう。そこから先は彼女自身に情報を盗らせるんだ』

 

「え?」

 

『キミは察しが悪いなぁ。食蜂クン自信に、ブラフの情報を掴ませるんだよ。自分自身の力で得た情報なら、彼女も信用するだろう? そうだねぇ、"猟犬部隊"の1部隊を私に貸してくれたまえ』

 

「……わかりました」

 

『彼らには私から直々に嘘の指示をして出しておこうかな。彼女はそれで勝手に勘違いしてくれるだろう。くっくっく。いやはや、彼女の能力に引っかからないし、部隊を貸してくれるし。今回は本当に景朗君にはお世話になるねぇ」

 

「ッそれなら今すぐにでも自分の友達を返してくれませんか? 今回のあなたの目論見は見当もつきませんが、彼女はそこに必要な存在ではないはずですッ!」

 

『悲しいなぁ。私にもまだ多少の信用はあると思っていたのだがねぇ。用が済めばきっちりお返しすると言ったじゃないか』

 

「……自分を罰したいのなら、大人しく受けます。俺自身が! 自分が一番嫌っている方法をわざわざ取らなくてもいいじゃないですか」

 

『元をただせば、ふらふらと、どっちつかずで疑わざるを得ない行動を取るキミが悪いんじゃないのかい? 人質なんて私も取りたくなかったが、最近の君はどうにも信用に欠けたからねえ』

 

「幻生先生、お願いします」

 

『あとねえ、"酸素剥離"クンはなかなか便利な能力でもあるからね、やっぱり、もうちょっとだけ我慢してほしいなぁ。今は忙しいすぎてこうして君と話している時間も惜しいくらいなんだよ。うん、そうだね。また明日の朝、追って連絡するよ。くれぐれも"猟犬部隊"の件は根回しヨロシクね……おお、コウザククンからもお願いがきていたか。景朗クン、"コウザク"というボクの部下にもキミへの連絡手段を与えておくから、彼女の頼みもできうるかぎり叶えてやってくれたまえ。いいかい?』

 

「わかりました」

 

 幻生はわざわざ手纏ちゃんを選んだ。火澄、丹生、ダーリヤそして聖マリア園に関わる人たち。もし彼女らの誰かを選んでいたら、景朗はアレイスターに泣きついて、幻生と完璧に対立していた可能性もある。

 だから、そういった景朗の逆鱗にギリギリで触れない程度の人質を。手纏ちゃんただ一人を。

 景朗が、これ以上はほんのわずかにでも我慢ができないというラインで、なんとか踏みとどまれる人選を、幻生は理解して選んだのだ。

 

 

 

 

「何があったの、ウルフマン?」

 

 ただならぬ景朗の怒り、動揺。さしものダーリヤも今度ばかりは心配そうに見上げている。

 景朗はダーリヤに助けてくれ、と懇願した。

 これから急いで"猟犬部隊"の隊員に連絡を取らねばならない。

 

 

 

 

 

 

「火澄?」

 

『景朗ッ。どうしたの?』

 

「手纏ちゃんのことで、教えとくことがある」

 

(クソッ。手纏さんに宣言したばかりなのに!)

 

『見つかったの?』

 

「うん。命に別状はない、と思う」

 

『思う??』

 

「誘拐した犯人から直接連絡があったんだ」

 

『誘拐?!』

 

「手纏ちゃんを誘拐した犯人は、俺の知り合いだった。ごめん。謝り切れないけど、ごめん」

 

『どうなるの? 深咲、どうなるのよ?』

 

「誘拐した俺の知り合いだけど、俺に言う事をきかせたくて手纏ちゃんを誘拐しただけだって言ってた。だから、俺が交渉して手纏ちゃんを連れて帰るよ。どうせ信用してもらえないだろうけど、手纏さんにも待っていてくれ、って伝えといて」

 

『ちょっと待って! どういうことなの??』

 

「ごめん、犯人の指示でやらなきゃならないことがある。こっちから一方的にしか連絡できない。ごめん、火澄、ごめん」

 

 景朗はそこで通話を切った。何度も着信があって、メッセージが繰り返し飛んでくるが、今は放置しておくしかない。

 

 

「ウルフマン、連絡きてる!」

 

 

 ダーリヤの言う通り、幻生から連絡のあったケータイに、彼とは違う知らない番号からの着信が来ている。

 誰だかわからないが、出ない訳にはいかない。

 

『あ、モシモシ? ドモドモ、"コウザク"です。オタクであってる? "猟犬部隊"の協力者クン』

 

「"コウザク"さんか?」

 

『ソウソウ。聞き取りにくかったかにゃー?』

 

「俺であってる。先生から聞いたよ」

 

『アハハ、"センセイ"、ねぇ。もしかして今聞いた? まあいいや。早速で悪いんだけどさぁ、明日の朝、1班、こっちにもソッコーで回してくんない?』

 

「わかった。符丁も転送しておく。どこへ送ればいい?」

 

『シブい声だねぇ~。ちょろっと待っててぇ、と』

 

 軽薄な口調の割に、時間に余裕はないらしい。

 数秒と経たずに"コウザク"なるものから連絡先が届いた。

 

「送ったぞ。隊員には俺の方から説明しておく」

 

『いいねぇ~、シゴト早いねぇ~キミィ』

 

「言っておくが"こっち"は誰もが忠誠心なんて持ち合わせてない。無茶な命令したら逃げ出されるかも、だ。俺に責任は取れない」

 

『フムフム……リョーカイリョーカイ。お疲れサン、こりゃァあとでお礼をはずまなきゃダネ。"お互いに生きてたら"だけどねッ、ニシシ。それじゃあコンゴトモヨロシクゥ~』

 

 

 想像していたより若い女の声だった。年はきっと近い。下手をしたら年下かもしれない。

 幻生の手駒。同じく能力者。"お互いに生きてたら?"

 それはそれは、幸先の悪い事を聞いたものだ。

 

 

 

 



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episode38:悪魔憑き(インヴォケーション)


投稿が遅れてすみません。
新キャラ二人組の口調を考えるのに思った以上に・・・


でも、あの、読者様が今回の話で衝撃を受けてくだされば、もう私としても感無量です!


 

 

 

 

 

 9月20日。太陽はまだ昇っていない。

 景朗が賄賂を渡し、頼み込んで味方に引き入れた猟犬部隊の"同僚"は11人ほど。

 

 木原幻生から貸し出された移送用大型ワゴンを仮の拠点に、景朗と残る3名は会話もなくひたすらに待機中だった。

 

 8名は4人と4人の2分隊に分け、それぞれ幻生と"コウザク"のもとへと既に派遣してある。

 

 この場の3名と景朗は、別働隊として幻生の次の指示を待っている。

 

「ヘンリー、連絡が来たらすぐに俺にも転送してくれ」

 

「了解、スライス」

 

 猟犬部隊の同僚たちは、ある程度まとまった金を握らせているので最低限の指示には従ってくれるだろう。ただ、景朗が貸し付けた"命の恩"がどこまで通用してくれるかは怪しいものだ。

 

 走行中の車両から、景朗は苦も無く飛び降りた。着地と同時に、ため息すらつく暇もなく仮面をかぶった。青髪ピアスとして、大覇星祭2日目の競技場へと向かわねばならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼休み。デルタフォース(三馬鹿)からこっそり抜け出した景朗は、すっかり大得意になった人目を盗んでのサボタージュを敢行し、第六学区の秘密基地へと戻ってきた。

 

 

「ダーシャ、進展あったか?」

 

「ううん、無い。クサツキはゲンセイが動かしているのは小規模なんじゃないか、って言ってたわ。シスターズにも検索は引っかかっていないって」

 

 手段を選んでいるわけにはいかなかったとはいえ、蒼月に景朗と手纏ちゃんの個人的な関係を知られたくは無かった。

 その代わりに、景朗は木原幻生の素行を怪しみ、"あえて彼の下について目論みを探っている"という体を装い、蒼月に依頼をかけている。

 前回食蜂と接触したときに伝えられていた"妹達"という線からの捜査依頼だ。

 

 協力の見返りに、黒幕は幻生もしくは食蜂だという情報を教えてしまっている。

 また、手纏氏と蒼月とのあいだにもコネクションが構築されているのであれば、手纏氏を抑えておくように頼んでいた。

 実際に、手纏氏は"警備員"に行方不明の報を届けており、"警備員"に圧力をかけられる"迎電部隊"の助太刀は非常にありがたかった。

 

 ひとまず、新たな問題は生じていない。今は全力で、手纏ちゃん(人質)を取り返すだけでいい。

 ここで万が一アレイスターから咎められれば、その時は"幻生の狙いが読めていないので泳がせている"という名目を貫き通すしかない。

 

 景朗は爪を噛んだ。幻生は相当な準備をしてこの凶行に及んでいる。

 "迎電部隊"ですら、手がかりをまた掴めていない。幻生及び食蜂の狙いは、そのうちの少なくともひとつは"妹達"だと当たりを付けられているというのに、だ。

 

 

「ウルフマン、ハウンドドッグのテレサから連絡が来たわ」

 

「わかった、でるよ」

 

 ハウンドドッグ共用の通信機で着信に出る。だが、出迎えた相手は"同僚"ではなかった。

 

「どうした?」

 

『"猟犬部隊"の記憶を読んだわ。とびっきり上等な言い訳でも聞かせてもらえるのかしら?』

 

 年若い少女の、甘く高い声。

 誰何もなく、初っ端から問答無用の問いかけには、敵意がふんだんに含まれていた。

 

 

 番号は間違いなくテレサの通信機から。

 幻生に貸していた"猟犬部隊"は"心理掌握(メンタルアウト)"に襲撃され、その手に堕ちてしまったと考えねばならない。

 輪をかけて悪い事に、食蜂は景朗が対応に出るとあたりを付けて連絡をしてきた。

 それができる程度には、情報を回収されてしまっているのだ。

 

「……食蜂……先に罠にハメてきてたのはそっちだろ。おかげで俺は幻生に疑われて人質まで取られてる」

 

『まったく。人質ねえ。……お互いに時間はなさそうだし、最後に訊かせて。あなたはどちらにいるの?』

 

「どっちにも居たくないさ! でも人質は守り切る、何があろうとも」

 

『そう。ブレてはいないのね。大切な人を守りきる、と。ねえ覚えてる? "私も大切な人を守るためなら、一切引く気はない"って。そう言ったわよね』

 

「覚えてる」

 

『よかった。それじゃあ、悔いのないようにねぇ』

 

 

 その言葉を最後に、食蜂との通信は一方的に切られてしまった。

 それから遅れて、遅れに遅れてだった。

 幻生の部下から『借りていた"猟犬部隊"は全員負傷した』との連絡がきたのは。

 

 

 景朗は待った。

 

 そして、昼休みが終わる直前に。

 ようやく待ちに待った幻生からの連絡がやってくる。

 

 『残りの隊員を貸してくれ』と。

 

『ひとまず"第二学区"に向かわせておいてくれたまえ』

 

「手配します。ですが先生、いい加減、人質の場所だけでも教えてくれませんか。ウチの隊員は食蜂の洗脳を受けました。俺はかなりの代償を支払っていますよ?」

 

「うん、まあ状況もよい塩梅だし。そろそろ君にも準備しておいてもらおうかな」

 

「聞こえてますか? その前に人質の安否だけでも確認させろ、って言ってるんです。どうしたんですか? いつもならそれくらいさせてくれる余裕があるでしょうに。まさか食蜂にしてやられてるんですか? だったらなおさら、先生が負けたらもう自分が迎えに行きますから、場所だけでも教えておいてくださいよ」

 

 せめて手纏ちゃんの居場所だけでも聞き出せれば。おとなしく答えるとも思えないが、毎回、粘れるだけ粘ってやる。

 

「ンッフッフ。言うじゃないか。お望み通り会わせてあげよう。指定の実験場に、指定時刻までに向かってくれたまえ。キミのお友達もそこにいる。そもそも、最初からそこで会わせてあげるつもりだったんだけどね」

 

 そう言って幻生がこぼした場所は、ある兵器開発工廠の実験場だった。

 奇しくも、その実験場は先程幻生が指示した"第二学区"にある。

 はっきりいって全く期待をしていなかった景朗は困惑すらすることになった。

 あの老人が珍しくも素直にエサを差し出したのである。

 何か裏がある。

 

 すぐさまダーリヤに目的地を伝え、蒼月に情報を精査させるように指示。

 景朗自身は、幻生が答えた場所に直行する。

 

 "第二学区"への道すがら、ダーリヤからメールが届いた。

 蒼月から提供された推察と、幻生が口を割った場所が一致した。

 

  両者は同じ名前の施設だった。

 "第二学区"のその施設周辺の監視カメラや入出ログから、幻生とつながり深い研究者の出入りが確認できたという。

 手纏ちゃんの居場所だという可能性は、これでかなり高くなった。

 

(ダーシャ、ありがとう)

 

 もし幻生が嘘をついていたら。つまり、さらに景朗をハメようとする罠だったとしたら。

 まんまとその罠に嵌っていたずらに時間を消耗してしまえば、状況はさらに悪くなる。

 文字通りの急がば回れ。

 そんな疑いがよぎり、ぐるぐると猜疑心が回っていたところだった。

 

 それにしても、どうしてわざわざ"そこ"を選んだのか。

 必然性がまるで理解できない。

 

 目的地は"第二学区"の、"化学兵器実験区画"の一棟だ。

 

 耳にした瞬間に幻生の新しい罠かもしれないと疑ってしまったのも、無理はないだろう。

 だが、これで迷いはなくなった。

 当然ながら心の中は嫌な予感で蔓延していたが、向かわないという選択は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ようやく来たのね、雨月くん。急ぎなさい。大至急、"先生の実験"に取り掛かります」

 

 快く景朗を迎えた女性研究者。彼女の香水や体臭には、覚えがあった。

 小学五年生。幻生と実験を繰り返していた日々。

 面と向かえば、彼女の臭いも記憶とともに蘇ってくる。

 

 数年ぶりの再会となる。あの時の実験、"プロデュース"で自分を担当した女医だ。

 この人は木原幻生の部下で間違いない。

 彼女との再会で、瞬時に悟らねばならなかった。

 凶悪な実験によく顔を出していた、この女医がここにきて再登場したということ。

 彼女が口にした"先生の実験"というワード。

 景朗に実験を処す。その意向をあの老人は最後まで、この場所に来るまで隠し通した。

 幻生の狙いは手纏深咲ではなく、雨月景朗にあったということなのだろう。

 

 この実験場から手纏ちゃんを連れ出すのは、一筋縄ではいかなくなるだろう。

 

 彼の直感は、第六感は、警鐘を最大音量で鳴らし続けている。

 それでも、実験がどのようなものであろうと、取り返さなければならない。

 

「……わかりました。でもその前に約束を守ってもらいます。俺の関係者に会わせてもらえます?」

 

「もちろんよ。あなたが時間を無駄にさえしなければ、機会は必ず"与え"ます」

 

 エレベーターという限定空間に、たった2人。鉄の箱は、地下へと降りていく。

 

「懐かしいわね。貴方をこうやって何度も実験室に案内したけど、5年も前になるのね」

 

 こちらの気も知らず、しみじみと過去を偲ぶ研究員に、景朗は返事をする気にすらならなかった。

 

(頭おかしいのかこの女)

 

 景朗は人質に会いに来たのだ。世間話を談笑できるとでも思っているのだろうか。

 

「友達は無事なんですよね? 傷一つなくお返しするって先生は何回も言ってくれてましたけど」

 

「もちろん。昨晩運び込まれたばかりだから、まだ彼女の意識は正常だと思うわよ」

 

「……早く会わせろよッ」

(手纏ちゃん、これで何度目だろう。ごめん、昨日話した矢先に。クソが……ッ)

 

「ここよ」

 

 エレベーターが止まる。加速度が減少していく。

 その時に感じるわずかな浮遊感に、これまたかすかに違和感を感じるも、今はその一点に集中しきるわけにもいかなかった。

 その大規模な実験室は、ブルーライトやイエローライトで無機的にデコレートされた、しかし凶悪な刺激臭がところどころから漏れ溢れていて、生命とは無縁の世界を印象に抱かせる光景だった。

 みえないところからも研究員の足音はいくつも聞こえている。

 彼らは皆あくせくと何かの準備に夢中だ。

 守衛も小銃を抱えこんでおり、監視用なのか観測用なのか区別はつかないが、ドローンも多数浮かんでいて、厳重なのは間違いない。

 

 表向きには、この兵器工廠は生物化学兵器の開発局である。

 その名にふさわしく、高価そうな実験機械がいくつも並べられている。

 用途に想像がつきそうなものもあれば、そうでないものも沢山ある。

 

 

「奥へ行って。さて、それじゃあ実験を始めましょう。担当するのは私、木原加硫とあちらの無水です。無水とも昔顔を合わせているのだけど、覚えているかしら?」

 

「……んなことどうでもいい、何だよアレはッ、どういうことだ、アァ?!」

 

 とりわけ目立ち、存在そのものが謎を産む、中央の巨大実験機械。

 その周囲には、いくつかの繊維ガラスっぽい透明な部材で造られた、人が丸々数人は入れそうなフラスコ状の水槽が輪を描いて囲むように間隔をあけていくつか隣接してあって。

 

 その中のひとつに、手纏ちゃんの姿があった。

 巨大フラスコの内、裸に剥かれた少女は真ん中にぽつんと設置されたシートに固定されている。

 

 長時間放置されていたのが窺える。抵抗する気力はとうに無くしていて、恥部を隠すこともできず、うつらうつらと眠気からか船をこぎかけている。景朗には気づいていない。

 

 近づいていくと守衛が寄って来て銃を構えてきたが、気にも留めずに友人の無事を確かめる。

 少なくとも外傷は無いが、どうしてか異様に体力を消耗していて、呼吸が辛そうだった。

 かすかに、フラスコ内から耳慣れない超音波が聴こえてくる。

 とてつもなく嫌悪感を催す旋律と周波数で、思わずそのノイズの波長域を部分的に聞きづらくするように能力を使っていた。

 "AIMジャマー"だ。フラスコ内はこの不快音で満たされている。

 

「AIMジャマーは切れないんですか」

 

「"大能力者"よ? 必要な措置でしょう。健康面には問題ないので」

 

「……あぁ、わかりましたよ! さっさと先生の実験とやらを終わらせましょう!」

 

 幻生がそうであるように、ここにいる部下の研究者たちも必要ならば平気で嘘を吐くだろう。

 健康面には問題がないと言ってきたが、景朗の突発的な反乱に保険を掛け、手纏ちゃんに投薬や洗脳をほどこしていたりする可能性は十分にある。

 一刻もはやく助け出すには、命じられるがままに頷いて、全てを速やかに終わらせるのが一番の近道らしい。

 

「元気いいわね雨月くん、どんどんこの調子でいきましょうか! うふふ、実は私も今日はテンションが極限まで昂ぶっちゃってるのよ。とっても危険な実験なのよね、今回のは!」

 

「俺も"あの中"に入ればいいんですか?」

 

 巨大フラスコの一本には、一人の研究者がかかりきりでチェックを入れている。

 登乗用の車輪付きの足場もそばにある。

 近寄っていくと、すんなりと中に案内された。

 

「待ちなさい。私の説明に注意を"加え"なさい。みなも命がけになるのだし、必ず後悔することになるわよ。今日はキミに一番に頑張ってもらわなきゃイケないんだから!」

 

 唐突に、室内のいくつかのモニターの画面が一斉に切り替わる。

 そこには久しぶりに目にする幻生のにやけヅラが映っていた。

 

『おお、景朗クンもお早い到着かい』

 

 景朗は我慢できずに大声を上げていた。

 ずっと衆人環境で裸体をさらされ続けている友達へとジェスチャーを向けて。

 

「幻生先生ッ! 何の意味があるんですかコレは?! 俺の友達に無意味な恥辱を与えて、一体な」

「無意味じゃねえよクソガキ。意味ならあるっつーの」

「はい? あんた誰ですか、聞いてないんですけど」

 

「木原無水だ。今日はよろしく。お前のカノジョ、全然チチ無えのな。そういうシュミ?」

 

 木原無水と名乗った軽薄そうなサングラスにスキンヘッドの研究者は、手にしていた計器のスイッチを切り替えた。

 

「おい変態(ロリ)野郎。あの極まったセクハラにまっとうな言い訳があるんなら言ってみろ。なあ? オタクら専門の科学的な動機付けってヤツでもあんのか? 言えねえか? ならテメエらが家に帰って女子高生の裸体で自家発電にフケる前に、お前ら全員の脳みそは俺がシェイクしてミキサーにかけてやるよ」

 

 がばっ、と手纏ちゃんの顔があがった。透明な材質越しに景朗と彼女の視線がつながる。

 恐らくは実験室内の音声が手纏ちゃんにも聞こえるようになったのだろう。

 

「そりゃ暗殺者クンはろくに尋問もできずに殺してるから知らないよな。どの文化圏でも昔から拷問官は被疑者から衣服をはぎ取るもんなんだよ。人間は物理的な鎧を"奪われ"無抵抗さを自覚すれば、心の鎧まで自分から脱ぎ捨ててしまう生き物だ」

 

「ふぅん? その口ぶり、あんたがこのしょうもない痴漢プレイの発案者っぽいね。覚悟しようね、彼女が受けた屈辱は必ず思い知るぜ?」

 

「はっは、今日の"実験の後"に君がやってくれる仕返しかぁ。興味深いねぇ。どうぞ、何でもやってごらん?」

 

 らんらんと眼を獣のように光らせる景朗に対し、木原無水はどこまでも実験動物を観察するような態度を崩さなかった。

 2人の口論がそれ以上白熱する前に、幻生は煩わしそうに水を差した。

 

『そうムキにならずとも、我々だって不埒な考えがあったわけじゃないよ、純粋なる知的探求心を追い求めんがための、手段のひとつじゃないか』

 

「手纏ちゃん、聞こえてる?」

 

 手纏ちゃんはうっすら瞳から水滴を垂らしつつも、うんうん、とうなづいて必死に口をぱくぱくと動かしている。

 景朗のフラスコは完全には閉じられていないが、彼女のほうは密閉されているらしく、声は聞こえてこなかった。

 

『さてさて、レベル6シフトの並行実験も開始しよう。景朗くん、突然だけど今このときにも、御坂君、御坂美琴君の"LEVEL6化実験"が稼働中でね。まあ、十中八九、いや"十中十九"、彼女のLEVEL6化は失敗しちゃうから、そうなるとほら。取り出したエネルギーが逃げ場を失って解放されるからね、この街くらいは簡単に吹き飛んでしまう。はずだ。だから今日は君にも"絶対能力者もどき(神を模した身で天上の意思へ羽ばたくもの)"になってもらって、街の焼失を防いでもらいたいんだ。これはお願いじゃなくて命令に近いね。やってもらわなきゃ、困るよ?』

 

「……あんたは、何を言ってんだ? 説明する気ないのか?」

 

『だから。"超電磁砲(レールガン)"の御坂美琴クンを、LEVEL6シフトさせているんだ。たった今この瞬間にも継続中なんだよ』

 

 

「"レベルシックス"? 街が吹き飛ぶってなぜ? ぜんぜんわかりませんよ! もしかして"妹達"がどうのこうのって、そういう話で(前回のLv6計画)? 意味が分からないッ、"一方通行(アクセラレータ)"ですら"妹達"を何万人も」

 

『詳しい説明をしている時間は無いんだ。重要なのはLEVEL6化して不安定になった御坂美琴が自壊するのがほぼ確定事項だから、その後始末をキミにやってもらわなきゃ困る、ってことなんだよ』

 

「どうやって?」

 

『だから、キミにも"レベル"を上げてもらって、さ!』

 

 突飛な話題に、不完全な理解。景朗はただただ、モニターの幻生を睨みつけた。

 

『く、ふふふふふふ! もう、もう、どうしてこの話題になるととぼけちゃうんだい? まったくキミの臆病さんには困っちゃうねえ』

 

「またか。……いい加減に、いい加減にしろよッ、木原幻生ェッ! んなチカラは無いッて! そんなことできないって言ってるだろッ! あんたが何をしたいのかもわかってねえヤツにッ、そんなことさせるなよッ! 俺を"あて"にするなよッ! とにかく街が吹っ飛ぶって何だ?! 先に説明しろッ!」

 

『フホホホホホホッ! 嘘はよくないッ! 今日という今日は嘘は通じないよぉ景朗クン! 確かに"あの時点"ではできなかっただろうがね、今でも"そう"なのかい? キミはヒントを得てるんだろう? "第二位"君との戦いでキミは答えを得たはずなんだ! そうでなきゃ"第二位"に太刀打ちできたはずがないっ! さあさあ景朗クン、こうして使わざるを得ない状況を作ってあげたんだ。大丈夫、心配しなくても最高の状態で観測できるように準備は万端だよ』

 

「いいから説明しろッ! 街が吹っ飛ぶってナンなんだ!?!」

 

「おやおやおや。今日は一段と聞き分けが悪いねぇ。私が実験のことで嘘を吐いたことがあったかね? 本当も本当だとも。極めて高い確率で起こりうるんだよ。心して聞きたまえ。何度も言っているけど、現在進行形で御坂美琴をLEVEL6へシフトさせている最中なんだよ。ただし御坂君はピーク到達時にコンマ数秒の世界で崩壊することになる。彼女が正常にLEVEL6へ至ることはまずもってありえないからね。問題はここからだ。彼女が崩壊すれば、行き場を失ったエネルギーは間違いなくこの街を覆うだろう。爆発を起こすか、そのまま熱に変わって街中に広がるか。確証はないがエネルギーの解放は確定なんだよ。"今の景朗クン"ならそれがどのぐらいの物理的スケールを持つか想像つくよね? キミが何もしなければ街は跡形もなく焼け消』

「だったら今すぐその実験を中止しろよ! 御坂美琴を止められなかったらどうする? 俺が失敗したらどうするッ? うまくいく確証なんてない!」

 

『ホッホ。これだから学生は。絶対に成功する実験なんてやる意義が無いじゃないか? 失敗してもそれは科学の進歩の礎になる。一体何が問題なんだね?』

 

「大アリだ! めちゃくちゃだ、俺に何ができるってんだ? わけのわからん買いかぶりはもうやめてくれ! 俺なんかがセーフティになるかよ! 無理だ! 無理だろッ! 頼むからやめてくれ、やめてくださいよッ!!」

 

『残念だが賽は投げられた。実験の失敗を恐れるならば、キミがいっそう奮起するしかない。何度も言わせるな。泣いても笑っても、キミが何とかするしかない状況なんだ。そう"した"と言っただろう。Level6化した御坂美琴を倒すなり、なんなり。諦めておとなしく実験を遂行したまえ。この私が見たいと言っているんだ、キミが"何をやれる"のかを、さ。フッフ、"できない"とは言わなくなったね。結構、結構』

 

 実験に狂う幻生にもはや言葉は通じない。説得などとっくの昔に諦めるべきだった。

 ひと暴れしてこの場をぶち壊してやりたい。

 だが、手纏ちゃんが拘束されたカプセル内を観察するに、彼女は人質として機能するようにそこに据えられている。

 景朗が逆らうようなマネをすれば、即座に彼女には何らかの投薬や外傷が与えられるはずだ。

 

 最初から景朗はアレイスターに泣きつくべきだったのだ。

 用意周到に準備されたこの場所にのこのこ現れた時点で、詰んでいた。

 手纏ちゃんの安全か、自分の安全か。

 

 もはや、このどちらかを選ばなくてはならない。

 

『くれぐれも手を抜かずに全力を出すんだよ。キミならば想像がついてるよね? 絶対能力のエネルギースケールを。まず間違いなく、中途半端に能力を使っても太刀打ちできっこないからね』

 

「加硫さん、"羽化昇天(アセンション)"の初導出とそれに伴う諸現象の観測準備、整いました」

 

 研究員が準備完了の呼びかけすると、幻生の話を遮るまいと押し黙っていた木原加硫女医が改めて発言を求めた。

 

「了解。先生、時間です。"OSTRA BRAMA"シフト実験、開始できます」

 

『ああ、わかったよ。ただ、景朗クンに最低限のインストラクションを授けておかなくては』

 

「手短にお願いします」

 

 

 

 

 

 "羽化昇天(アセンション)"。

 "OSTRA BRAMA(オストラブラーマ)"。

 

 初めて耳にする二つの単語。

 

 疑問を発する前に、幻生は自らその答えを語った。

 

『あのね。私はずっと嫌いだったんだよ、"悪魔憑き(キマイラ)"なんてキミの本質を表してもいない名前はね。今回、改めて君の"超能力"を確認できたら、私が命名した能力名で正式に登録してあげよう!』

 

 興奮と至福を大いに表現し、唾を飛ばす勢いで幻生は吠えた。

 

『君の超能力名は"羽化昇天(アセンション)"とした! あえて宗教用語から拝借したが、キミの本質をぴったり表しているとは思わないかい? "次なる次元"への進化。キミだけが持っている隔絶したポテンシャル。"進化能力"の正式名だよ! キミがアレイスター君とやっている奇妙な実験とは無関係の、ね。キミの能力はシンプルで美しい。あぁ、きっと羽化した姿も美しいんだろうねぇ。フッフッフアッハッハ! やっとこの目で拝める日がやってきた! まったく、"7人の超能力者"だなんて、わざわざ仰々しく呼ぶほどの代物じゃあないよね、君の能力と比べればさぁ。格が劣るにもほどがある。キミのはたった一度でいいんだから。たった一度使うだけで完結する能力! 実に美しく、これぞまさに"超能力者(レベルファイブ)"。"真に完結するチカラ"だもの』

 

 

 

 口をはさむことのなかった景朗の瞳は、ドロドロに濁っていた。

 冷たい殺意。

 息の根を止めて口を封じることだけを望んでいた。

 

 幻生は殺す。殺して黙らせる。

 それしかないだろう。

 

 この老人は、景朗のたったふたつしかない"聖域"を両方とも踏み躙ろうとしている。

 

 ひとつ。必死に守り通してきた人達。友達を人質に取った。

 ふたつ。必死に律してきた禁忌。生きる意義を奪う気だ。

 

 この気の狂った老害は、景朗の全てを終わらせようとしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 記憶は過去へとさかのぼる。

 

 景朗が"超能力者"として覚醒した日に。

 "悪魔憑き(キマイラ)"へと名付けられた日に。

 木原幻生に"超能力者"だと認められた日へ。

 

 

"それなら、先生は俺の能力を何と名付けるんですか?"

"そうだね……進化能力(エボリューション)……"

"ふむ。限界突破(ブレイクスルー)"

"いや、限界突破(リミットブレイク)、これも違うか……おお、そうだ"

"限界突破(レベルアッパー)はどうかね?景朗クン?"

 

 昔々の、あの会話には続きがある。

 

 

 今になってようやく理解が追い付いた。

 この狂気の科学者は、実はその日からずっと。

 この日が訪れるように、ずっと計算ずくで動いてきたのだ。

 

 

 

 確かに、幻生は"悪魔憑き(キマイラ)"という呼び名を嫌いだと言っていた。

 現に、彼は一度として景朗をそうは呼ばなかった。

 

 

 

 

 

 この会話をした日は。

 たしか、これからは理事長にも仕えねばならないと報告した、その日だった気がする。

 

「"悪魔憑き(キマイラ)"か。キミの能力をただ眺めて決めた、そんな名前だね。気に入らないね。話にならないよ」

 

「あの、自分は本当に"超能力者"なんですか? 公式にそうなってしまったんですか?」

 

「正式に"超能力者"として登録されたわけではないよ。何しろまだキミは一度として"超能力"を行使していないのだからね」

 

「やっぱりそうですか。よかった! ふぅ。でも、ですがそれなら、なぜ自分は"超能力者"と呼ばれてるんですか? 先生も自分を"超能力者"扱いするじゃないですか?」

 

「まだ使っていなくとも、疑いなく使えることが分っているからさ」

 

「それって……もしかして"あの話"ですか?」

 

「その通り。全く勿体ない。何故"あそこ"で止めてしまったのかねぇ」

 

「これでも十分ですよ。自分は変わってしまいました。変わり果ててしまいましたよ」

 

「もっと進化できたはずだろう? たかだか大能力どまりの能力者にならなくても。もっと素晴らしい存在になれただろうに?」

 

「だから……前もお答えしましたけど、よくわかりませんよその話は。想像もできない、思い描くこともできない存在に、いったいどうやって成れっていうんですか?」

 

 景朗は扉へ向かって歩き出した。木原幻生は口惜しそうに、ぶつぶつと独り言を唱え続けている。

 

「……どうしたものかね。設計図の不足。アークテクチャを組み替えるスペックがあっても、肝心の設計図が無ければ……ああそうだ、景朗クン」

 

 少年には気狂いの老人と仲良くお喋りする趣味なんてこれっぽっちもなかったが、無視するわけにもいかなかった。

 

「っ。なんですか?」

 

「"超能力者"であることに変わりはないよ。キミの演算能力は既存の"超能力者"たちと遜色がないレベルに達しているだろう」

 

「正直そこまでの実感は無いです。出力は上がりましたし、できるようになったことはめちゃくちゃ増えましたから強くなったつもりには……成れてたんですけど」

 

 景朗はアレイスターに殺されかけたばかりである。

 彼の自信がひどく失われた要因は、単に敗北を喫したという事実にはない。

 アレイスター・クロウリーが"何をして"自分を倒したのか、まったくもって理解が及ばなかったところにある。

 

「違う違う。違うよ景朗クン。躰を変化させる能力なんてどこまで行っても"大能力"どまりさ。躰を変化させるのにキミにはまだ摂食が必要だしね。しかしそれではなくほら、それだけじゃあないだろう、今のキミにできることは」

 

「……?」

 

「この街の能力者の中には、キミよりも大規模な能力行使ができる者がいるけれども。キミにしか、キミだけにしかできないことがあるじゃないか。ホッホッ。"脳"だよ。君だけは"脳の構造"を組み替えられる。筋肉を変化させることとは比べ物にならない。どれほど偉大か、理解できてないのかね??」

 

「だけどそれはさっきも話した通り、どう組み替えるかがわからなきゃ意味がないじゃないですか。現状、何の意味もないじゃないですか」

 

「今はまだ、ね。だが、他に誰も居ないんだよ? "自分だけの現実(パーソナルリアリティ)(ソフトウェア)"を書き換えられても、"脳の作動ロジック(ハードウェア)"そのものに手を加えられる機能(スキル)を持っている者は。持て余しているからと言って忘れてはいけないよ」

 

「あの、この話って今しなきゃならないことですか?」

 

「私達生命は未だに"脳細胞"、神経という物理的制限から解き放たれていない。

"特異点(シンギュラリティ)"は知っているだろう?

高度に発達したAIが、やがて自分自身でより高機能なソフトウェアを書き出し、自ら高性能なハードウェアを設計し、ついに人類の手を借りることなく、マシンスペックを次々とグレードアップできるようになってしまう瞬間を指す言葉だが……」

 

 幻生は"能力者"を"マシン"に例えたいらしい。

 "パーソナルリアリティ"がソフトウェアに当たる。これはどんな能力者でも鍛えることができる。

 ただし、ハードウェアに相当する"脳という器官"は、コンピュータのように一時的に電源をOFFにしてパーツを交換するというわけにはいかない。

 人間には、脳のネットワーク構造や思考ロジック、脳細胞の強度を物理的に別物に取り変えることは不可能である。

 ……はずだった。"悪魔憑き"という例外が出てこなければ。

 

「君は地球史において、どの生命種よりも先んじて"有機的特異点"へと至る力を手に入れているんだよ?! ひとりの科学者としてキミが、あぁぁぁっはっは! 羨ましい、君が羨ましくて妬ましいよ!」

 

 景朗は付き合っていられないとばかりに、とっくの昔に退室していた。が、それでも、木原幻生はひとり、愛を囁き続けていた。廊下を歩く景朗が聞き耳を立て、その話を聞き続けていたのを承知していたかのように。

 

「…………だから私はねぇ。キミがだぁぁぁぃ好きなんだよ、景朗クン」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぽかん、と顔をあけた手纏ちゃん。

 戸惑いを隠せていない彼女の表情が、妙に可愛くて。

 ほんの少しだけ、景朗を絶望の淵から救い上げた。

 

 

 荒唐無稽な話だと思っていた。

 神のごとき存在へと至れる。

 

 脳みそを……なんかもうちょっとうまくイジくるらしいんですけど、と。

 はは。ほらみろ、と。

 結局のところ。"どう"イジるかが問題だ、と。

 

 神様になる?

 

 どうやって? 見たことも無い、想像もつかないものにどうやって変身すればいいと?

 

 

 まさしく幻生の言った通り、生命として次の段階へと、高次元生命体へと進化したくとも、その為の道しるべが、設計図が存在しないのでは、どのみち足踏みすることしかできないではないか。

 

 

 

 

 ……そういう風に、ほんのちょっと前の景朗は考えていた。

 

 

 でも、今では。

 アレイスターの下僕として、世界の裏側をずっと覗いてきた今の景朗は。

 拭えぬ恐怖感とともに、こうも思えるようになっている。

 

 

 

 

 

 神にはなれなくとも。"悪魔"にはなれるのかもしれない、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 "第二位"たる"未現物質(ダークマター)"と戦い、退けたとき。

 景朗の姿は、神話や御伽噺で耳にするような幻獣とでもいうべきものだった。

 

 羽を持った狼には、蛇の尻尾が生えていた。けれども。だけれども。至極真っ当に考えよう。

 そんな中途半端な生き物に、生物としてさほど強みがあるとは思えない。

 第二位の能力を打ち負かすような力が出せるわけがない。

 

 

 なのになぜだ。

 魔法のような幻想の炎が、実際に、現実の世界に導出されてしまったのだ。

 景朗は"紫色の炎"を吐いた。

 もちろん、能力で火を噴くことはできる。

 炎色反応を応用すれば、紫色の炎を吹きだすこともできる。

 

 

 ただ。重要なのは色ではなく。

 

 "未現物質"を打ち負かすほどの"特性を持った炎"を産み出すことは、景朗の能力では不可能だったことにある。

 

 

 

 あの"炎"は、御伽噺の世界からやって来たのか?

 

 "魔術"。蒼月が言っていた"別の異能"なのだろうか?

 

 あの時。景朗は知っていた。

 

 "第二位"を打ち払える炎を産み出せると知っていた。

 

 なぜなら。

 

 なぜか変身できた狼の姿から、なぜか羽と蛇の尻尾を生やしてしまった、その途端に。

 "得体のしれない知識"がどこからともなく湧いてきて、景朗に"使えるぞ"と囁いてきたからだ。

 

 

 "使える" "できる" "やれる"

 

 

 "誰"が囁いた?

 囁いたのは"何者"だ?

 

 

 

 

 悪魔という存在がもし本当に在るのだとしたら。

 その"囁く者"をそう呼称することが、ひどく自然なことだと。

 そう景朗には思えてならなくて。

 

 

 

 

 

 

 

 その先に行ったら、どうなる? "彼ら"と同じ場所へ辿り着いたら、どうなる?

 

 景朗は恐怖から逃げるように、その答えを考えないようにするほかなかった。

 

 

 "悪魔"はきっと、何でも知っている。

 自分が知りたいことは、何でも知っている。

 

 宇宙の神秘。生命の意義。

 

 でも。

 知ってしまえば、人格は変質する。

 

 

 "全知全能の悪魔"と同じだけの"全知"を手に入れてしまった存在は。

 その存在は、"悪魔"と一体どこがどれだけ違う?

 

 

 

 知りたくない。

 このままでいたい。

 雨月景朗のままで在りたい。

 

 

 頭の良さ? 賢さ? 何を知っているか? 何を考えられるか?

 

 それらが人間のアイデンティティを織り成す根幹なのだとしたら。

 

 

 

 触れてはならない。

 人間のままでいたいなら、これ以上、もうこれ以上は、"思考回路"を変革させてはならない。

 

 

 

 

 

 景朗の感じている畏怖。

 

 昨日あったできごとを思い出していた。

 

 昨日の朝。丹生を待つダーリヤは手持ち無沙汰に、街路樹の側を通っていた蟻の行列を、一匹一匹、一心不乱に潰していた。

 

 

 それこそ自分たちはきっと、あの"悪魔"と比べたら、あの蟻のようにちっぽけな存在なのだ。

 

 もし。

 一匹の働きアリが、ある日突然、進化して"高次元の生命体(ひとりの人間)"に成ってしまったとしよう。

 

 突如として人間の思考を得た"彼女"は。

 

 それまでと同じように、姉妹(蟻)たちを愛せるのか?

 それまでと同じように、女王アリのためにせっせと道端の虫の死骸を集めるのか?

 それまでと同じように、街路樹の隅の小さなアリの巣を、自分の帰る場所だと思うのか?

 

 自らが帰属するべき場所であると、そう信じ続けていられるとでも?

 自分が元は"蟻"だったという、実感がそこに在りつづけるとでも?

 

 あなたには、たったの5秒前まで蟻だった記憶が鮮明にある。

 たった今、巣には別種の蟻という外敵がやって来て、同朋を襲い危害を加えている。

 あなたは、ほんの5秒前までそうしていたように、足元に在るコロニーのために命を捧げられるだろうか?

 

 

 

 きっと忘れ去ってしまう。

 実感は失われてしまう。

 

 景朗は人間だったことを覚えていても、人間社会のその全てに価値を見出さなくなるのだ。

 雨月景朗であったことに価値を見いだせなくなるのだ。

 

 

 人間は、一匹一匹の蟻の名前を見分ける能力は合っても、人生に捧げる意義を見いだすことはない。

 自分がもし、無事に"次の存在(LEVEL6)"へ至れたとしても。

 

 

 

 クレア先生を、火澄を、丹生を、ダーシャを……手纏ちゃんや、あの園のチビどもを。

 今までと同じように、心の底から大切だと想うことはできなくなる。

 

 そんな風に、すべての価値観を変質させて失ってしまっては、雨月景朗という人間は、その人生は、その歴史は、失われたも同然だ。

 

 雨月景朗という、暗部で汚名を受けるがままの存在でも。

 それでも、それは捨て去ってしまうわけにはいかないのだ。

 

 

 幻生は、LEVEL6に成れという。

 

 では、LEVEL6になった"あと"で、何をすればいいのだろう?

 

 あの深い叡智を備えた研究者にすら、その答えにはたどり着けていないのだ。

 

 

 だったら。"LEVEL6"になんか、絶対に成ってはいけないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『独国の哲学者、ショーペンハウアーは言った。全ての真理は三段階を経る。最初は嘲弄され、次は反対され、結局は自明の理だと受け入れられる、と』

 

 あのとき馬鹿馬鹿しいと一考だにしなかった景朗は、今ではツバを飛ばして全力で不可能だと叫んでいる。

 だが、モニター越しの幻生の瞳は狂信的であれど、"羽化昇天"の発動をまるで疑ってはいない。

 『景朗くんも早く"自明の理"を受け入れなよ』と言っている。

 

 

『年貢の納め時さ。さあ、オストラ――ああ、言い忘れていた。景朗クン、キミが成るのは"LEVEL6(SYSTEM)"ではなく"別の存在"(OSTRA BRAMA)だよ』

 

 

「……なんですかソレは。前は"絶対能力者"だって言ってたでしょう」

 

『それがねぇ。良く考えてみたら"羽化昇天"を迎えることができてもねぇ、"SYSTEM"とは言え無さそうなんだよねぇ」

 

 

 |"神ならぬ身にて天上の意思に辿りつくもの"《SYSTEM》

 LEVEL6と同義とされる、学園都市の目指す究極。

 

 

『"一方通行"クンとは違って、景朗クンの場合は思考アルゴリズムごと変わってしまうだろうからね。もしかしたら塩基配列どころか珪素生命化するくらいの変質をみせる可能性もある。それはもう同一生物の進化前と進化後と呼ぶより、種からの逸脱に近いからさ。

 "SYSTEM"とは別枠として

 "the Ostracised from the biogeneration of mankind(進化の系譜から追放されしもの)"

 の頭字語で便宜的に"神を模した身で天上の意思に羽ばたくもの(OSTRA BRAMA)と呼ばせてもらうよ。

 もともと"ostra brama"(オストラ ブラーマ)という門がリトアニアにあるんだけどね、"夜明の門"というあだ名があるんだ。これまた君の偉業に相応しい名前じゃないかい?』

 

 

「はッ。"偉業"ですか」

 

 呟きは乾ききっていた。

 自らの"自意識の終焉"をことさらに偉ぶって呼ばれても、嬉しくも何ともない。

 

 

『偉業……そう。偉業には違いない。だがそれは残念ながら"SYSTEM"では非ず。

 だからずっと、ずぅぅぅぅぅっと、ボクは想っていたんだよ。

 OSTRA BRAMA("羽化昇天")SYSTEM("絶対能力")にぶつけてみたい、って。

 

 キミを。景朗クンをさ。フフ、カゲロウ。フフフ、"蜉蝣"さ。

 

 キミと言葉を交わすのも最後になるかもしれないし、やっぱり話しておこうかね。

 諸君、すまない。もう少しだけ時間をくれたまえ』

 

 木原加硫と木原無水。他に実験室にいるすべての研究者は、慶弔するように動きを止めた。

 

『カゲロウクン。キミと同じ名前の羽虫は知っているよね。

 

 "カゲロウ"には、沢山の別名があるんだけれども、どれだけ知っているかい?

 はは、時間もないか。今はね、その中の"一日飛虫"という別名について考えてほしいんだ。

 "一日飛虫"。

 羽化して飛んだら一日で死んでしまうからそう名付けられたんだろうね。

 さもありなん。

 カゲロウの中でもオオシロカゲロウという種の寿命はすごく短いんだ。

 なんと成虫になって30分たらずで寿命がつきてしまうんだと。

 彼らの死体が川べりに積み重なって、まるで雪のように見えることもあるらしい。

 しかしなぜ、その30分のためにカゲロウは命を尽くすのだろうねぇ。

 まあ普通に考えれば、生き物なんだから。世代を重ねるために。続けるためだけに。

 遺伝子を残すためだけに、彼らは飛ぶんだろうねぇ。

 

 しかしだね。

 

 ……カゲロウクン。この地球史上で一番最初に、自らの意思で空を飛んだ生命体を知ってるかい?

 

 生命がまだ、海から上がって陸を支配しつつあった頃の話さ。

 

 そう、キミと同じ名の、最も原始的な翅を持つ虫。

 "カゲロウ"だったと言われている。

 

 

 3億年くらい前の石炭紀にね。

 雨が良く降る熱帯の世界だったと考えられている。

 木々が生い茂り、のちの石炭の元になった。

 

 

 想像してごらん。

 太古の月も今と変わらずさぞ見事なものだっただろうが、いつも雲でかげっていたことだろう。

 名月が雨雲で隠れる。

 そういう様をね、なんというか知っているかい?

 "雨月"と呼ぶんだ。

 

 思い浮かばせてごらんよ。

 最初の一匹を。

 真なる意味で、一番最初に、この惑星の歴史上、一番最初に空を飛んだ小さな羽虫のことを。

 

 カゲロウはつがいを探すために空を飛ぶ。

 

 しかしその羽虫の羽ばたく先にはまだ誰も"いない"のだ。

 

 まっこと生命なき空。完全なる未開拓の次元。

 手つかずの新たな領域に、ただひとり可能性を求めて飛び立つリスクは計り知れない。

 

 それでもその羽虫は飛んでくれた。

 雨の降る夜。"雨月"の晩に、最初の"蜉蝣"は空を飛んだ。

 

 だから今の世にこれほど空を飛ぶ生き物が溢れているんだ。

 

 分るかね? 先んじる為だけに、自らを犠牲に新天地を(ひら)く!

 キミもひとりの学徒として浪漫を感じずにはいられないだろう??

 

 頼むよ、景朗クン。いまこそ羽化すべき時なのだ!

 実に運命的じゃないか!

 "雨 月 景 朗(最も先んじて空を翔けた生命)"。

 新天地への開拓者の名が君の由来なのだから!』

 

 

 

 

 幻生の話を耳に。自らの名前に隠された意味を語られ。

 

 ただひたすらに。

 気分が悪くなる。畏れを知る。

 

 自分は孤児だ。ただの偶然に決まっている。だがもし、そうでないのならば。

 誰かが狙って付けたのだとしたら。

 

 自分の運命は一体どれほど"前"から操られていたことになる?

 

 

『ああ、その素敵な名前は、いったい誰が付けたんだろうねぇ、まったく』

 

 

 景朗は浮遊していたドローンの、小さなカメラを凝視した。中継カメラがそこあることをわかっていた。

 その一点を睨んだ時に幻生が反応したのを、見逃していなかったからだ。

 

(あんたじゃないのか??)

 

 疑惑の視線は、幻生へと届いていた。

 

『はっはっは。僕じゃないよ、そうだったらよかったんだけども。どこの誰だろうねぇ、まるで名付けたその時、既に。君の未来を予知していたかのようじゃないか』

 

 

(幻生じゃない? 誰だ……誰だ……誰だ……)

 

 

『よろしいかな。この実験の意義を理解してくれただろうか。

 私のためだけになんてせせこましいことは言わない。

 危機にさらされている学園都市の人々のために!

 科学を奉ずる全人類のために!

 

 どうか今こそ我らの"OSTRA BRAMA(夜明の門)"をくぐりたまえ!

 

これは君にしかできない、君のための役目なんだ!』

 

 

 

「わかった。もうわかりましたから……もう黙ってください。それ以上喋るなよ…………殺してやる……殺してやるぞ幻生、てめぇ……」

 

 

 

 

『こほん。さあそれじゃあ、"羽化昇天(アセンション)"誘発実験("OSTRA BRAMA"への進化)に入ろうか』

 

「「"OSTRA BRAMA"シフト計画 phase01, 開始します」」

 

 木原加硫と木原無水は同時に復唱した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モニターから幻生が消えると、実験室には実験作業員たちの慌ただしさが戻った。

 

 景朗の真正面に陣取った木原加硫は、おもむろに縁の厚いメガネを外した。

 うっすらと青い目が自分を狙っている。彼女の八重歯が鈍く光った気がした。

 

「さあ無水っ、今回もどちらの研究哲学が本質に近いのか、徹底的に討論しようじゃないかっ!」

 

 加硫女医は突如としてそれまでのクールビューティっぷりを放り捨て、高らかに、そして快活に声を張り上げた。

 木原幻生という上司の監視から逃れた開放感か。

 いや、それだけでは到底説明できない、別人のような陽気さだった。

 

「ようやくだ!」

 

 加硫に名指しされた無水も、歓声を上げてサングラスを外した。

 

 しかして、その直後。

 あらわになった無水の素顔に喜びの感情はどこにも無く、彼はひたすらに冷たい鉄の無表情を、能面を顔面にかぶり付け、始終そのままになってしまった。

 

「特例中の特例の素材だ。今までにない知見が得られるのは確実だな」

 

 淡々と独り言のように繰り出した口ぶりは冷静さに満ちていて。

 景朗に食ってかかってきた先程までの獰猛さは、見事に霧散してしまっている。

 

「年寄りはハナシが長いねぇ」「あの人の悲願のひとつだ。無理もない」

 

 それからの木原コンビは、まるで互いの口調と性格を入れ替えたかのような様変わりを見せたあと、宣言通りまたたくまに実験を主導し始めた。

 

「服を全て脱ぐんだ。全部溶かされても構わないのならば好きにしなさい」

 

 またしても無水は独り言のように語りかけてきた。

 相手の返事などどうでもよさ気な意志の薄弱さだ。

 今の無水を相手に問答は無意味かと悟った景朗は、大人しく靴まで脱ぎ捨ててフラスコの外に放り投げた。

 するとすぐさまハッチが閉じられ、彼の際立った聴覚でも、もはやうっすらとしか外部からの音が拾えなくなってしまった。

 

「聞こえるかなっ?」

 

 加硫はニィッと色気のある嗤いとともに景朗の躰をなめまわすように、食い入るように見入った。

 不躾な視線の直撃。別種の興奮を匂いたたせているが、隠す気もないようだ。

 眼鏡とともに、完全にクールな女医のイメージは崩れ去っている。

 

「ようやく実験の注意点を説明できるねっ。もう一度言うけど、これからの作業はワタシと無水が担当するよ。ワタシたちの指示は"先生"からだと思って逆らわずに従うこと。でなければ――"こう"なるよ」

 

 そういって加硫から目配せを受け取った無水は、手元の端末の数値をイジったようだった。

 

『っか、はっ――――』

 

 今になってやっと聞こえた、スピーカーから伝って漏れる手纏ちゃんの第一声は小さな悲鳴だった。

 

「やめろッふざけんな! 何もしてないだろッ!」

 

 空気が突然送られなくなったのか、不器用で歪な呼吸のリズム。

 苦しむ手纏ちゃんの姿を見る無水の目付きには、当の昔に実験し尽くした"実験動物(ラット)"へ向けるような、興味も薄く感情のこもっていない無機質さしかない。

 

「私は実験操作に専ら"単純化(奪うこと)"を試みる。無酸素の苦しみ、"酸素剥離(ディープダイバー)"には新鮮だろうか」

 

 加硫はバチッと指を鳴らして景朗の意識を自らに誘導し、続けて操作を行った。

 またもターゲットは景朗ではなく手纏ちゃんだった。

 ビクビクッと少女はのけぞり、白い肌を惜しげもなく振り動かした。

 

「はぁーい、電流を流してまぁーす! ワタシは無水とは違ってイロイロな刺激を"与えて"反応を見ていくからねっ」

 

「従う! わかったからやめろ! 何でもやってやるよ! 今すぐ元に戻せ!」

 

 加硫の口元で鋭利な笑みのカーブがトガる。

 "その激怒と承諾の言質を待っていたんだよ"

 彼女がそう伝えたかったのだと理解が及ぶ。

 

 手纏ちゃんへの拷問は中断されたようだ。

 しだいに彼女の容態は落ち着いていく。

 しかし今でも、冷や汗を流して粗く息をついている。

 

 

「ハイハイ、ほぉら。怒らないで。百聞は一見に如かずと言うからね」

 

「こんな調子で今まで拷問まがいのことをしてたんだな?」

 

「心外だなぁ。そんなことないよ。ね、無水。あれ、ちがった?」

 

「"多少の動作チェック"以外は何も」

 

 景朗はこの実験フロアに入った時、既に手纏ちゃんに抵抗の意思がなくなっていたことをしっかり覚えている。

 動きを止めて、じっと瞑想でもするように、景朗は息をひそめた。

 その悔しさと憤怒を、今は溜めれるだけ溜め込み。己の身にあまさず刻み込まんとするかのように。

 復讐を果たすまで永遠に忘れてなるものか、と。燃え上がる寸前の輝くフィラメントのように。

 

「実験は積極的に受けてやりますよ。でもその前に、俺の友人にしたことを正確に、全て教えてください。幻生先生は傷一つなく返すと約束してくれてたんだ。あんたたちが破っていたとなれば話は変わってくる」

 

「まちなよ、彼女の体を見なよ。傷なんてついていないだろう?」

 

「――"実験"を台無しにしたいんですか?」

 

 挑発しているとしか思えない加硫の態度に、景朗はついに殺意を明確に発露し、牙を見せつけた。

 

「仕方がない、了解だ。了解しよう。君が従順でいるかぎり彼女には手を出さない」

 

 無水はそう返事をしたものの、彼は景朗など観ておらず、手元の端末に釘づけだった。

 

「だから他に何をしたって聞いてるんだ。全部言えよ、どうせ薬でも盛ってあるんだろ?」

 

「あーもうウッザいなぁコイツ。無水、さっさと答えちゃいなよ」

 

 イラだつ加硫に頓着することなく無水は気だるげに頭を上げ、まさしく他人事のように答えた。

 

「薬か。特に体内に残るものは何も。強いて言えば"幻想御手(レベルアッパー)"で脳波を調整してあるくらいか」

 

「レベルアッパー!?」

 

「"先生"の指示だったんだよね」

 

 自分たちに責は無い、とあっけらかんと示す加硫。景朗はくちびるを噛んだ。

 

(だからこいつは"まだ意識は正常"なんて言い方をしたのかッ)

 

 手纏ちゃんを助けても"幻想御手"の解除手段を得なければ、いずれ意識を失ってしまう。

 

「加硫、話に構うな。そろそろ始めよう。何時までも付き合ってはいられない」

 

「そうだね。この辺でご納得していただこう」

 

「クソが。――――ッ?!」

 

 実験動物の反論など一考だにするつもりがなかったのだろう。

 景朗が悪態をついたその刹那、それが起こったのはほぼ同時だった。

 

 2人のどちらかが実験機械を運転させたのか。

 

 突如、強烈な浮遊感が景朗を襲った。

 直後、躰の重心や平衡感覚に圧倒的な違和感が発生して。

 

 フラスコの底にしっかりとくっついていた足の裏の感覚は消え去り。

 

 文字通り、景朗の躰は空中に浮遊していたのである。

 

 

 

 フラスコの中心で浮遊は落ち着き、手足はどこにも触れることなく。

 景朗はまるで金魚鉢の小魚のように漂っていた。

 

 奇しくも水槽で逆さまに浮かぶ"アレイスター・クロウリー"のように。

 

 ただ"あの男"と違っているのは、景朗が水中ではなく文字通り空気中に"浮遊"している点にある。

 

 

「驚いたのかい? アハハ、むしろこっちこそ驚きだよっ。キミは重力系の能力者と戦った経験が無かったのか!」

 

「重力、これが反重力?!」

 

「そうそう。取り付けに時間がかかったんだよぉ。これから扱う"試薬"には色々と難点が多くてさぁ」

 

「反重力場生成型非接触式揚撹拌炉(レビテーティブ・メルティング・ファーナス)。かの"ダイヤノイド"の建設基礎技術。重力制御機構が使われている」

 

(試薬。非接触。撹拌炉。どんな劇薬を俺に浴びせる気だよ?!)

 

 しかし。景朗は己の判断が正解だったと内心では安堵していた。

 幻生が景朗の秘密を、"羽化昇天"の秘密を手纏ちゃんにまでバラしていた、あの時。

 

 彼は何度も、何度も考えていた。

 能力を即座に発動させ、実験室、いやこの実験棟の全員を瞬く間に殺戮し。

 手纏ちゃんだけをとっとと連れ帰ってしまおうか、と。

 

 だが、景朗が浮かぶフラスコと手纏ちゃんが拘束されているフラスコは恐らく同じ装置に繋がっている。

 だとすれば景朗の反乱と同時に手は打たれ、手纏ちゃんに即死級の劇薬を浴びせかけられていた可能性も十分にある。

 

 この場は言いなりになるしかない。全て受け切って、受け止め続けて……しかし。その先は?

 彼らは景朗が"羽化昇天(アセンション)"を発動させ、"OSTRA BRAMA"なる"LEVEL6もどき"に変わり果てるまで、まさにこの場で実験を延々と続ける気なのだろうか?

 

 だとすれば。いくら景朗でも永遠に"実験"とやらを持ち堪えられ続ける自信はない。

 

 どうすればいい。景朗は必死のこの状況を覆す必要がある。

 "羽化昇天"を使わずに済ませる方法を。

 

 

 

 

 

 

「ッ?!」

 

 唐突に呼吸がままならなくなり、景朗はその負圧の原因を観察した。

 フラスコ内に繋がれたダクトから急速に空気が吸われていき、このままだとじきに真空に近くなる。

 

「雨月クン、キミから空気を奪っている。だがある意味でこれは新しい環境の提供そのものでもある。キミはどう思う? "奪うこと"は"与えること"だろうか? ならば"与えること"は"奪うこと"でもあり、一長一短に物事の単純化は難しいと言わざるを得ないだろうか?」

 

(知ったことか!)

 

「あ、まずい。声が聞こえにくい。無水、やっぱりアルゴンだけでも先に充填しといて」

 

「だから言っただろう」「はぁ、言ってないでしょ?」

 

 徐々にフラスコ内に空気が戻っていく。されど、どんなに吸っても息苦しさは戻らない。

 景朗は"能力"を使わねばならない。体内に溜め込んだ酸素を消費して考える。

 永遠にこのフラスコに留まることはできない。

 これで、短くはないがゴールまでさほど遠くもない制限時間が設けられてしまった。

 

「"羽化昇天(アセンション)"君。広く遍く、我々人類には共通認識がある。生物の存在意義について、それは子孫を増やし、勢力を広げること。効率よくそれを行うために不死を捨て、世代を繋いで進化する選択肢を掴んだ。つまり生命は増えるために率先して死を創り出したともいえる。では、"生を与える"とは"死を与える"ことであり、我々の本質は"与えること"なのだろうか?」

 

「頭狂ってんのか? 今の俺の状況みろやヴォケッ! んなこと真面目に考えられる状況かよ?」

 

「聞きたまえ。これは実験を有意義にするために知っておいてほしい前置きだ。少なくとも理解が及ぶのは、我々にとって"死"はこの上なくわかりやすい"結果"だということだ。Survival(生存)というtrial-and-error実験の、エラー表示であること。死が結果報告でもある以上、生と死を分かつ我々そのものが同時に"何者か"にとっての実験体でもあるわけだ」

 

「は。"エラー表示"を失った俺は人間じゃないんスか?」

 

「心配ご無用。それはこれから十分に確かめられるさ。生命の本質は"奪うこと"か"与えること"か。同種族間では"増えること"は"生を与えること"であり"死を与える"ことでもある。しかし更なる"進化"をたどれば、やがて我々は"奪い続ける存在(不死)"へとたどり着くだろう。

 一方、異種族間を包括するような大局的な視点で言えば、与えることは多種の命を奪うことでもあり、逆も同義だ。

 まだ結論は付けられない。我々にとって両者はまったくの同義か、否か。"羽化昇天"()の躰(能力)にもこの問いの答えを聞きかせてほしい。能力の使用に感覚器官はどう作用している? 生とは脳髄だけでは完結しない。刺激こそが生を生む末端であり本質だ」

 

「ハハハッ。禅問答は禅寺でやれよ。白衣着てやることじゃねえだろ。もしかしてそのスキンヘッドはギャグでやってるの? じゃあここ、笑うところ? 無水さん、お袈裟着てくれたほうがもっと笑えるよ」

 

知的生命体(我々)は複雑化することで文明を得た。だがその中からようやく君というもっとも単純な存在へと還る個体が現れたというのに。愚かにもその自覚がまるでない。今日もまた単純化から始めよう。生を絞ろう。今日はカラカラになるまで、"絞ろう"」

 

「アッハッハ。禅問答じゃあないよ。禅問答には悟りや仏陀っていう、明瞭だか不明瞭だかよくわかんなくても一応のゴールがあるじゃない。ワタシたちがやりたいのは"実験"。観察し、仮定し、まだ見ぬゴールを考察する。仮定なき試みはただの再現検証でしょ? でも、そうだなぁ……」

 

 加硫は端末をイジくって、実験室の横壁のスクリーンにこれまで"先祖返り"が行ってきた"肉体変化"の実験の記録映像を流し始めた。

 翼竜。首長竜。正確には恐竜ではないものも含まれている。

 

「そういう意味で言うとさぁ、キミは一体どうやって実験もせずにこれらの運動能力を獲得したんだい? 人間は手足を使って泳げるし、操縦桿を操って飛行機にも乗れる。だが、翼を動かして空を飛び、発電器官をいとも簡単に造り出し、鰓呼吸をなしとげる神経網は持っていない。人間はね、翼が生えたからって、そのまま使いこなせるわけじゃあないんだよ。 鳥でさえ羽ばたき空を飛ぶのに練習をしてるじゃないか。ねえ、一体、キミはそのソフトウェアはどこから調達してきてるのさ?」

 

「さあ? 最初からできたんだから、太古の本能とかじゃないか?」

 

「違うんだよねぇ。我々が先祖をたどり、遺伝的に繋がっている一本の糸をたどっても、電気ウナギや鳥類にはたどり着かない。"飛行"や"発電"。これらはワタシたちのご先祖サマが分化した後に、末端でそれぞれ獲得した能力(スキル)なんだから、さ?」

 

「……」

 

「"どこから"持って来たのか、教えてくれない? それともワタシたちにナイショで試行錯誤(trial-and-error)してたのかナァ?」

 

「そうそう、それ。"試行錯誤"してたんですよ」

 

「そうかっ。それじゃあワタシとも試行錯誤しましょうね。よしさっそく、まずは反応性の高い物質に雨月クンがどこまで耐えられるか、いってみよーう」

 

 研究従事者たちは加硫の指示を受け、フォークリフトに似た作業車で次々と薬品の詰まったタンクを動かし始めた。

 

「試してみたい試薬、いっぱいあるんだけど全部知ってるかな?

 色々あるよ。コンクリートを燃やす3フッ化塩素。重金属のアジ化物とか。

 キミ、生物毒にはめっぽう強そうだから、致死量優秀なジメチルカドミウムとか、悪臭最強チオアセトン

 オススメは硫酸の1京倍の強度の酸、フルオモアンチモン酸。最強の酸だね。あとは生分解性がめちゃ低だからヤバいって報告のあったイオニックリキッドは最後らへんにして……」

 

「死にそうなんだが?」

 

「えー、ほんと?」

 

「頼むから、他人に試す前に自分でやってくれ」

 

「アハハッワタシだと即死だよ。やる前から分りきってる。"超能力者"でも。うん、"第三位"くらいまでしか耐えられなさそうなのもいっぱいあるかな?」

 

「まあ、でも。ボクは奪うのは好きだけど、他の誰かから時間を奪うってのは、さすがに趣味じゃないんだ。だから、最初から一番強力なのでいこう。フルオロスルホン酸。ハメットの酸度28。人類が手に入れたもっとも反応性の高い物質のひとつだよ。生命VS科学。その最先端のせめぎ合いだと言えないかい?」

 

「加硫。真面目にやれ。初手で終わらせる気か」

 

「ちぇー。あながち間違いじゃないと思うんだけどなぁ。生と死の落差。そこの開きが大きければ大きいほど奪いがいがあるじゃない?」

 

「先に警告しておくぞッ! 俺でも本当に死ぬぞ! 死ぬッ、死んじまうって!!」

 

「その時は仕方がないよ。殺す気でやってみて、わずかでも生き残ってくれさえすればいい。だから」

 

 加硫はわざとらしく両手を胸の前で組み、少女漫画のワンシーンの様に瞳を潤ませて歌劇的に振る舞った。

 

「集中して! キミは生き残る事だけを考えてくれればいいんだっ! あ。そうだ忘れてたよ。死なれる前に、遅ればせながらこの実験の目的をキミに共有しといてもらわなきゃ」

 

 加硫は作業をやめて景朗に向き直った。

 それはずっと端末のデータ整理にかかりきりだった無水も同じで、数歩近づいてきて景朗を見上げた。

 

「幻生先生は"羽化昇天"の発動に、生命活動の下限値までの低下が最適だと仮定したんだ。だから、ワタシたちの実験操作の目的は」

 

 二人の木原は息を揃えて言った。

 

「キミに極限まで死を"与える"ことさ」「君から極限まで生を"奪うこと"だ」

 

 

 無窮の興味関心を思う存分に晴らせる機会。それをようやく得た科学者たちの笑みは、そこだけ切り取れれば美しかったと評せたかもしれない。

 天使のような悪魔の笑顔。使い古されたその単語が、今ここではふさわしい。

 

 

 加硫はカチッと、赤いボタンを押した。

 とうとう、言うべきことは言いつくしたらしい。

 

 

 景朗は声もあげられなくなった。

 

 フラスコ上部から未知の刺激臭を放つ液体が降り注ぎ、気化したそれは一瞬で"モルモット(景朗)"の眼球や口腔粘膜を焼け爛れ溶かした。

 

 

 それは小さな爆発でも生じたかのような光景で。

 

 実のところ、それは実験なんてしろものではなく。

 扱われる劇物を考えれば、拷問ですらなかった。

 

 延々と続く、投薬による処刑の始まりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新たな"試薬"(処刑法)が投入されるたびに、景朗は全力全霊で対抗した。

 躰の体積を削り。質量を消費し。命を維持しつづけた。

 

 合間合間に、なんとか目玉を再生させて、フラスコの中から友達が無事か確かめた。

 

 手纏ちゃんは、時には耐え切れず目を逸らしたし、時には無音の叫び声を上げていたけれど、それでも涙を流し続けてくれた。

 

 それはまぎれもなく、景朗が"羽化昇天(アセンション)"を拒否しつづけることができた要因のひとつに数えてよいだろう。

 

 

 

 

 それでも、もう景朗は諦めつつあった。

 直に、この躰のリソースも消費し尽くす。

 

 そうなれば生物としての本来の死か、羽化による価値感の死滅か。

 必然的にどちらかを選ばねばならなくなる。

 

 

 もはや取り返しはつかない。

 景朗は重大な判断ミスを犯したのだ。

 

 そもそも、ここに来てはいけなかった。幻生の命令に従ってはいけなかった。

 アレイスターに頭を垂れて、幻生と闘い、手纏ちゃんが無事に帰ってくるという低い確率に乗るしかなかった。

 

 

 事ここに至っては、もはや選ぶしかない。

 

 人として死ぬか。

 人間を捨てるか。

 

 

 

 自分のために泣いてくれる手纏ちゃんに縋れずにはいられなかった。

 この気持ちを無くしてしまうのは死ぬのと同じくらい恐ろしかった。

 

 覚悟なんてできてなかった。いつ死んでもいいなんて、そんな覚悟は自分にはなかった。

 準備もしていなかった。

 

 だって、ここでただ無為に殺されてしまったら。

 

 ダーシャや丹生はどうなる? 

 彼女たちをほったらかしにして、ただここで薬液に溶けて亡くなってしまっていいのか?

 

 

 でも。それでも、景朗には自信がなかったのだ。

 

 "羽化昇天"して、"OSTRA BRAMA"なるものに成ったとして。

 

 僕はダーシャや丹生を助けようとしていたことを、覚えていられるだろうか。

 

 

 反応性の高い物質。つまりはそれは、爆発や腐食を引き起こすということ。

 それらから身を守るために、景朗は自分の表面積を抑えなければならず。

 

 質量をすっかり失った彼の肉体は、今では四肢の"もがれ"、頭部を胴体に埋め込んだ醜い肉達磨となって、なんとか命を繋いでいる状況だった。

 

 木原一族、その2人のテンションは最高潮に達している。

 加硫は座布団サイズの肉玉になった景朗に対して、さきほどからうるさく叫んでいる。

 

 『わぁ雨月クン、ずいぶん小さくなったね。ん? なになに……あははっ! キミ、そんな体たらくになっても諦めずに体内で磁場を発生させて電波を飛ばしてるんだっ。"や・め・て・く・れ"、だって? うわぁ~! なんだろう、なんだろうっキミって、とっても、可愛いなぁ! なんだかカワイイなぁっ! 死なせるのがもったいなくなってきちゃったなぁ!』

 

『計測質量が50kgを切り始めた。やはり弱い試薬から試していて正解だっただろう?』

 

『だねっ! よぉぉし、ついにとっておきの番がきたぁ! フルオロスルホン酸の投入だぁ!』

 

 

 眼球を再生させられる余裕がなくなっていたので、外の状況は音声からしか判断がつかない。

 ただ、加硫の台詞を聞くからには、恐らく次の投薬でもう、自分は持たないだろう。

 

 最後の最後まで、景朗は決めかねていた。

 

 まんまと"羽化昇天"を使うか。人間としての尊厳を守るか。

 

 どちらを選んでも、遺してしまう火澄や丹生、ダーシャ、手纏ちゃんの身の安全を確保できるかわからないところが、悔やんでも悔やみきれない後悔だった。

 

 

 最後に手纏ちゃんを観よう。

 まだ自分のために泣いてくれてるんだろうか。

 

 "羽化昇天"を使わずとも。

 あの"羽狼蛇尾"の姿になって、このフラスコをぶち破って木原どもを皆殺しにしてやれないこともない。

 だが、それでは。自分と同じ実験器に繋がっている手纏ちゃんにも即座に投薬が行われ、彼女は即死するだろう。

 即死されては、もういかようにも助けられそうにない。

 

 

 

 

 "肉の海星(ヒトデ)"に成り果てた景朗は、躰の中央に眼球をひとつだけ創った。

 手纏ちゃんの姿を観るためだけに。

 最後の瞬間に、自分を好きだと言ってくれた女の子をみるためだけに。

 

 

 

 視界が形作られる。

 

 手纏ちゃんは泣き叫んでいた。鼻水まで垂らして、みっともなく。

 やっぱり、どうしても。あの子を死なせるわけにはいかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その時起こったことを、奇跡と呼んではいけないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 "囁き声"が聞こえた。

 "囁く者"が在った。

 

 

 

 

 ひとつ目玉の、人肉の海星。

 異形とかした景朗に、囁きかける何か。

 

 

 

 その姿は、まさしく。

 

 

 

 

 

 景朗は知らなかった。

 

 

 

 

 

 その姿は、とある魔道書に記された。

 

 "とある男"が魔道書に記した。

 

 

 とある"悪魔"の似姿に、あまりにもそっくりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "慧眼の星(デカラビア)"

 

 "地獄の大侯爵は、五つ光の星形で現われる"

 "彼は知っている。あらゆる薬草とあらゆる宝石を統べる術を"

 

 

 

 

 

 

 

 景朗には知る由も無かった。

 肉体に"慧眼の星(デカラビア)"を憑依させたその手法を。

 魔術師たちはこう呼んでいることを。

 

 "悪魔憑き(インヴォケーション)"と。

 

 

 

 

 

 だが、名前など知らなくとも、景朗は囁き声を信じていた。

 "慧眼の星"は、あらゆる薬草(有機物)とあらゆる宝石(無機物)を支配する。

 

 

 

 

 前触れは皆無だった。

 

 その時。

 

 実験室中の薬品が、一斉に爆発した。

 

 

『なにごとだ!?』

 

 木原加硫はエマージェンシーのスイッチを叩いた。

 

 すでに倒れているモノ。発火して床を転がっているモノ。叫び逃げ惑うモノ。

 

 その中で、たった一人だけが、"慧眼の星(景朗)"の目を見つめて、凍りついたようにあらゆる動きを止めていた。

 

 都合が良かった。

 

 大惨事にもかかわらず、その場で糸の切れた人形のように立ち尽くしていた木原無水は、唐突に持っていた端末を触った。

 

 

 同時に。

 

 手纏深咲の拘束が自動で解かれ、フラスコまで開いた。

 

 

『何をしてる無水!!!』

 

 

 憎しみに染められていた少女は、AIMジャマーの電源まで切れている事に気づく。

 

 感情のまま、少女は大能力を炸裂させた。

 

 殺意に身をゆだね、解き放った。

 

 

 "慧眼の星"と化した景朗には、その光景がスローモーションのように映った。

 

 木原加硫の顔面付近で"酸素剥離"による爆発が生じて、彼女の両眼はあべこべの方向に弾け飛んでいった。

 

 

 

 

 

 

 






軽くまとめます。

新出単語が分りにくかったと思いまして…。


実は、今まで景朗は大能力級の能力しか使ってなかったんです。だから下手を踏んだりしてたんです(という言い訳)

悪魔憑き(キマイラ)は悪魔憑き(インヴォケーション)という魔術名をアレイスターが直接そう呼びたくなかったので間接的に名付けたもの。


景朗の科学サイドオンリーの超能力名は今まで名づけられてなかったんですが、今回、幻生が"羽化昇天(アセンション)"に決めてくれたってカンジです。


"羽化昇天(アセンション)"の力は、"人間から卒業して次の次元の生命種に進化する"こと。

なので景朗くんは使う気ありませんでしたし、実はどんな姿に進化すればよいのかもわかってなかったので使いたくても使えなかった、ていう状況だったり。


次はOSTRA BRAMAについて。これはSYSTEMとの対比させてます。


原作では 絶対能力(レベル6)これが "SYSTEM" と同義だとされてますね。

んで、SYSTEMのルビに"神ならぬ身にて天上の意思に辿り着くもの"



景朗の場合は、このSYSTEMには至れず、別の存在である"OSTRA BRAMA"にしかなれません。

このOSTRA BRAMAのルビに"神を模した身で天上の意思に羽ばたくもの"がやってきます。




いやぁ、やっと、温めて来た、最初から温めて来た"雨月景朗"の名前に込められた魔術的意味を披露できましたぁ・・・


元ネタっていうか、発送元は
F○TEのギルガメッシュ君を呼び出す"世界で最初に脱皮した蛇"です。

そこに魔術的意味が発生するなら、世界で初めて空という領域を開拓した生命体にもなんか偉大な力がやどりそうだなぁ、と。

なんぞF○TE/ZEROを観ながら思ってて、雨月景朗って名前を考えました。うーん、たぶん、当時の自分はこのネタを誰かに見てもらいたくて暗闘日誌を書き始めたところが多分にある気が・・・する・・・お恥ずかしながら・・・


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episode39:天使の力(テレズマ)


またお恥ずかしながら戻ってきてしまいました。

今回投稿したこの1話だけで9万字(薄い文庫本1冊)くらいあるので、ゆっくり読んで欲しいです。


 

 

 

 

 

 "能力"は、その強度を問わず種類によっては高い殺傷性を持つ。

 そういった"能力(ツール)"を数年にわたり扱ってきた"手練れ"が、もし完全に理性を失って暴れ回ってしまったら?

 

 いくら学園都市製の防爆防薬施設内に居ようとも、無手の一般人では壊滅に追いやられてしまう。

 

 そうだ。

 もはや取り返しがつかなくなったこの悲劇は、雨月景朗と手纏深咲が二人で手がけた地獄にほかならない。

 

 一つ目玉の悪魔が巻き起こした災害に乗じて、手纏ちゃんはいわゆる"血の酩酊"でも引き起こしたのか、目につく人間すべてに攻撃をしかけていった。

 

 賢しいことに、彼女は真っ先に、逃亡者が殺到するであろう出口に、火炎の柵を敷いていた。

 無慈悲にも、焼き窯に蓋をしていたのだ。

 

 もともと引火性の物質に溢れていた実験室は、さながらモルモットたちを焼き上げるグリルへと変貌した。

 おかげで的(まと)にはこと欠かず、手当たりしだいに彼女は"殺傷"できた。

 酸素を操る能力者は、いとも簡単に逃げ惑う白衣の従事者を火焔でくるみ、爆風で吹き倒していったのだ。

 

 

 

 たとえ耳元でジリジリと髪が燃えていようとも。

 煩わしそうに少女はかぶりを振って小火を掻き消し、そしてまた、次の獲物を探した。

 己が身の安全確保など一考だにしていない。

 ただなにものにも優先して、他者への加害を図るばかりだった。

 

 

 景朗には、彼女の精神状態に察しがついた。

 きっと、ああなってしまっては自力では止まれない。

 まさしく"タガ"が外れている状態なのだから。

 

 恐らくは、手纏ちゃんは生まれて初めて"炸裂"させたのだ。

 今の今まで、それまでの人生で、ずっとずっと抑え忍んで来た、"嗜虐心"。

 

 反撃がくることの無い、一方的な加虐の開放感。

 きっと逃れがたい快感だろう。

 その快楽はまるで悪酒のごとく、酔い潰されてしまっている。

 

 

 精神か、体力か。そのどちらかが尽き果てるまで。

 快楽が押しつぶされるほどの、圧倒的な疲労(エキゾースト)にたどり着くまで。

 

 手纏ちゃんの理性は戻ってこないかもしれない。

 

 最後の最後まで、疲労困憊に陥るほどに人を傷つけ尽くし、できあがった無数の焼死体の匂いに彼女がようやく怖気づくのは、全てが終わったあとなのだ。

 

 

 冗談じゃない。

 

 

 そんな事態にさせるものか。

 そうなってしまう前に、一刻も早く彼女を止めるのだ。

 消せない呪いを背負ってしまう前に!

 

 

 ……いや、現実を受け止めよう。

 

 既に、手遅れなのかもしれない。

 だとしても。

 もはや遅すぎるのだとしても。

 それでも全霊を尽くせ。

 止めろ。

 動かなければ。

 だから早く動かなくてはいけないんだ。

 

 いい加減にしろ。

 

 邪魔をするな。還れ。還れ。

 用は済んだ。躰を自分に返せ。

 

 ピギィ、と肉のヒトデはうめき声をあげた。

 

 気を抜けば激痛でぼうっとしてしまう。

 頭痛なのか、身体中が痛むのか、その両方か、確信がもてない。

 それでもなぜか感覚は鋭く、今なら思いのままになんとでも物事を成し遂げられる気ような万能感もたしかに感じられるのだ。

 誰だって殺せる。何だって実現できる。そのはずなのに。

 

 

 いまだ景朗は自分の意思で肉体をコントロールできずにいた。

 自分の身体を支配した何者かは、悪魔の似姿のままに、欲望を叶えろと扇動しつづけてくる。

 

 気を抜けば、その甘言に唆されそうになる。

 悪魔と一体化した今の自分には、狂おしいほどの全能感しかなかった。

 

 声も聞こえる。悲鳴のような声だ。それも無数の老若男女の。

 この街の声が、拡大化された悪魔の超聴覚で拾われているのだろうか。

 

 意識をそちらにもっていかれないように、必死に集中しつづける。

 

 今の自分に叶えられない願いはただひとつだけ。

 簡単なことだ。

 悪魔に【さようなら】ということだけ。

 "コイツ"は、なんだって願いを叶えてやるぞと囁くくせに、今すぐ帰れと叩き返そうとすると腹を立てる。

 

 この悪魔を元の世界に返そうと、ただそう念じるだけで、景朗の意識は奪われ、身体から離されていく。

 

(あの時はどうした? 垣根をたおしたときは、悪魔はすぐに還った。あいつなら言う事をきいてくれるのか?)

 

 手をこまねいている時間は無い。

 

(だったら。もう一度。あの"狼"を呼び出すつもりで……)

 

 べしゃり、と音を立てて、人肉の海星はフラスコの底に落下した。

 ぶくぶくと表面は泡立ち、徐々に人の形を帯びていく。

 

 そうして、悪魔に魂を蝕まれ、身動きが取れずにいた景朗が自由を取り戻したのは。

 

 身を引き裂く思いで"悪魔憑き"の解除に成功したときには。

 

 研究室内を走り回る者がひとりもいなくなってしまった後だった。

 

 全ての感覚を取り戻した躰には、どっと苦痛が満ちている。

 

 

 

 だが、今は動け。とにかく行動にでなければ。

 

 木原一族に陥れられた窮地から、起死回生の一手を打ったつもりだったのだ。それだけだったのに。

 たしかに、悪魔はやってきてくれたけれど。

 

 

 室内を見渡せば、立っているものはもういない。かわりに充満するのは肉と薬品の焦げた匂いだけだった。

 

 

 一筋の光明だったあの喜びは、ほんの数分で、これほどの悲しみに変わり果ててしまった。

 

 

 

 

 手纏深咲は既に、人間からターゲットを変えて、施設中の機器や薬品類に衝撃と火を放っている。

 次から次へ。止まることなく……。

 

 

 彼女は背を向けていた。

 その露出したままの、白い肌へと向けて景朗はつまずきながらもバランスをとって駆けた。

 

 見たところ、研究者はだれもかれも意識を失い倒れていて、木原加硫に至っては今すぐに処置をしなければ命を失うだろう。悔しいけれど、正直、手遅れなのかもわからない。

 

 木原無水は魂を抜かれた様に惚けたままで、崩れ落ち、壊れた"炉"を見つめ続けている。

 景朗が居なくなってしまったにもかかわらず、空っぽのフラスコを、ずっとそのままに。

 

 景朗が手纏深咲に半ば飛びかかって抱き着き、動きを抑えると、とたんに体力切れを起こしたのか少女は体重を預けるようにその場にへたり込んだ。

 

 彼女の顔面をひっつかんで、正気かどうかをたしかめる。

 

「かへぇゃろうさん?」

 

 少女とはロクに視線も交わさずに、その疲れきった表情だけを盗み見て、景朗は放りなげるように解放した。

 ひとまずそれ以上、暴れる気はなさそうだった。

 

 

 景朗はエマージェンシー用のボタンをガラスごと突き破って打ち鳴らし、閉じ始めたシャッター下にデスクを投げ込んでつっかえさせた。

 続けざまにものすごい早業で、部屋中の人間を最後のリソースを振り絞ってなんとかかき集め、室外にひきずり出した。

 

 非常階段の踊り場は今や倒れた人間で埋め尽くされている。

 階段に座り込んでいた手纏深咲が小さく声を上げていたが、景朗はそれを無視して、一番最初に回収しておいた木原加硫のもとへと向かった。

 倒れたままの肉体からはまったく呼吸音が聴こえず、近づくことすらゾっとさせてくる。

 心を凍らせて、加硫の容態をみる。

 抱え運ぶ途中で気づいてはいたが、彼女の息は既になく、心臓も止まっていた。

 それどころか、頭部で放たれた、あの至近距離の爆発の威力は、この女の……。

 

 

 ああ。こうなってしまうのか。

 

 いくらなんでも、生き返らせることなんてできやしない。

 

 

 どうすべきか。

 俺に、この惨状を解決できるのか?

 今。今この瞬間。何をすれば。

 加硫の頭の中身は、もう元に戻らない。

 爆発の衝撃でシェイクされて、まるで弾力を失ったゼリーのよう。

 蘇生は絶望的で。

 どのように、加硫の遺体を。

 どこに、どうやって…。

 いや、死体なんてどうにかなる。そうじゃない。

 どうやって、どうやって、解決を……。

 

 

「かげろうさぁんっ」

 

 

 わざわざ声を張り上げなくとも気づいているとも。

 手纏ちゃんの視線は、さきほどからずっと背中に突き刺さっている。

 

 

「いきてまずよね?」

 

 そんな質問しなければいいのに。

 

「そのひといきてますよね?」

 

 

 景朗は預言者を気取れるほど賢くはない。

 それでも、この時ばかりはそれができた。

 

 目の前の事実を伝えたらおしまいだ。

 手纏ちゃんに、永遠に解けない呪いが降りかかる。

 

 

 自分がこれから彼女に向けて放つ言葉は、永久に彼女を変質させてしまう……。

 

(なあ、肩代わりさせてくれ。俺が巻き込まなければ手纏ちゃんはこんなことに一生関わらなかったはずだろ。俺が肩代わりする。それで解決ってことでいいじゃないか。なあ!)

 

 

 木原幻生の悪意ある罠から抜け出せたかと思ったらこれだ。運命なんてものを決めてる意地悪な悪魔がいるんだとしたら、せめて自分だけを狙ってくれないものだろうか。

 

 

「はやく救急車をっ。すみません、いそいで病院につれていってくださいませんか。お願いします。救急車、はやくかげろうさん、すみません、はやく!」

 

 手纏ちゃんの心音は荒れ狂っていた。

 彼女の苦悩の念や、おそらくは絶望や後悔といったもの。

 ばくんばくんと止まぬ彼女の脈動が、鼓膜をとおして痛いほど景朗にも伝わってくる。

 

 彼女はきょろきょろと首をふる。すぐさま目に飛び込む。

 おびただしい火傷で肌を炭色にした人たちが床に転がっている。

 

 当然だが、充満する肉の焼けた臭いは彼女の不安をさらに悪い方向へと向かわせるだけだ。

 

「あっあっ――っあ! どうしようほかのひと、かげろうさんおねがいします、ほかのひとも、ぎゅッ、あああっ!」

 

 手纏ちゃんは自力で何かを為そうと立ち上がろうとしたが、腰でも抜けているのかそれもできず、階段からこけて踊り場で尻を打った。

 そのあとは床の上でじたばた暴れるものの、大した距離をすすめられずにいる。

 

 

 

 悩んでいられない。どのみち景朗に、十分に考え抜く時間なんて無い。

 

 手纏ちゃんに、これ以上加硫の遺体を見せたくない。見せない。

 

 自分の判断が正しいのか、景朗の脳みそでは最後の最後までつきとめられやしなかった。

 

 ただ、もう起きてしまった。取り返せない。挽回などできない。

 

 真実を語っても。嘘を語っても。手纏ちゃんの心に永遠に残る傷がつくのなら。

 

 彼女がこの一件でトラウマを抱え、一生逃れられない業を背負うのだとしても。

 

 俺もここにいる。彼女と一緒に、ここにいたんじゃないか。

 

 自分にしてあげられることが、たとえどんなに些細な違いか生みださないのだとしても。

 できうるかぎり背負ってあげたい。

 今更、ひとりやふたり、自分ならどうってことないのもあるけれど。

 

 

「安心して。まだ生きてるよ、生きてるって。でもあまり関係ないけどね」

 

 景朗は加硫の焦げた白衣を剥ぎ取り、彼女の遺体に頭から噛ぶりついた。

 

「はァ?」

 

 手纏ちゃんは、それからの一部始終を眺めていた。

 

「ぁぁあああっげぇあっ! なにしてるんですッ!? やめッごほっ。やめなさいッ、やめなさいッ!!」

 

 景朗は加硫の頭部を噛み千切って丸呑みにした。

 その"ひと口"でわずかながら生気を取り戻すと、こんどはさらに躰を膨らませ、ケダモノの姿もあらわに残った遺体を巨大化した口であまさず平らげた。

 胸部まで噛み千切った後は、残り全てをひと呑みにして、速やかに終わらせてしまった。

 

 

「バッ、あなたは! あなたはァッ! 何をしてるんですかッ!」

 

 きゅるるっ、と能力で引き起こされた風が頬をかすめて、すぐに立ち消えた。

 手纏ちゃんは能力で、咄嗟に景朗を攻撃するか迷ったらしい。

 極限の心理状態で能力発動がうまくいかなかっただけなのか、自分の意志でやめたのか。

 それはわからない。

 

「ひとっ! ……ぅ」

 

 人殺し? 果たしてそれはどっちが?

 そんな心の声が聞こえてくるかのように、会話を恐れた少女は最後まで言えずに押し黙った。

 

 息遣いだけが聴こえている。

 手纏深咲はしぼりだす言葉すら失い、呆然と時を止めている。

 

 今まで雨月景朗という人間に抱いていた信頼を、どう再計算すべきか。

 そんなことを考えているのだろうか。

 

 ぽたぽたと水滴が彼女の瞳からつぎつぎと流れ出した。

 

 

 景朗としては、大いに同情するとも。

 

 突如誘拐され、味わった恐怖と孤独。

 なんの手加減もなくさらに襲いかかってくる、暴力的な学園都市の闇。

 

 

 散々に現実感を失った、その後で。

 今度は自分が誰かを手にかけたかもしれない、という疑惑。

 それを打ち消す、友人の食人行為。

 

 手纏ちゃんはそれまで以上の更なる"日常"を喪失させたにちがいない。

 今、自分が立ち尽くす場所がどこなのか。

 "そこ"が地獄にほどなく近い場所だと、しっかりと頭に刻み込めただろうか。

 

 

 彼女に認識しなおしてほしい。

 地獄から脱せるのは、手纏ちゃんただ一人なのだ。

 もとから景朗は"ここ(地獄)"の住人だったのだと。

 

 

 食事を終え、歩きだし、近づく景朗に、うまく立ち上がれない手纏ちゃんはお尻を引きずって後ろに下がろうとするも。

 

「ひ」

 

「まだやる事があるのに、食べ物が無いんだよ。この女にはせめて栄養になってもらうっての。何か文句あるカヒッ、グ、ゥゥエェァ?!」

 

 景朗は血にまみれた吐瀉物を口からこぼした。

 躰中にノイズが走って、思い通りに動かなかった。

 理由は分からない。神経や筋肉、そういった末端の機能は正常な、はずだ。

 判断力の大元の、その中枢が壊れてしまっているのだろうか。

 命令を発する指揮所がエラー信号を送り出すので、手足は正常に"誤作動"を反映させてしまうような、そんな感覚だった。

 

「お、おへぇほ、おれをひゃっかいは殺した女だぜ?! 当然の報いだ」

 

 

 場違いな裸体を晒したままへたり込んでいた手纏ちゃんは、景朗から距離を取りたくて後ずさろうとしつづけている。

 けれども床が液体でつるつるなので手尻を滑らせ、その場から進まず、体力を無駄に消耗しているだけで。

 失禁という言葉はこの惨状に当てはまるのだろうか? もうずっとまえから、手纏ちゃんは垂れ流しっぱなしだったように思う。

 

 彼女の表情には、ありありとただ一つの願望が書いてある。

 家に帰りたい。このまま、安全な場所に一刻も早く逃げ帰りたい、と。

 現実を受け入れる辛さ。いっそ卒倒でもしてしまえば、楽だっただろう。

 だが、大能力を扱える人間の精神力は、それほどヤワではないらしい。

 

 しかし、帰りたいというのなら。

 景朗とて、彼女の願いをかなえてあげたい。

 意を決して景朗は距離を詰めた。

 

 彼が手に持っている焦げ焦げの白衣は、今では加硫の"遺品"に変わり果てた一品だ。

 何も着せないよりはマシだと、白衣を手に近づくも、それを身に付けることへの手纏ちゃんの抵抗感はすさまじそうだった。

 

「あんまり手を焼かせないで。こんなのただ実験が失敗しただけじゃん。この街ではありふれて起こっていることなんだし」

 

 この状況でよくもそれほどに乾いた笑みを浮かべられるものだ。

 凍りついた手纏ちゃんのひきつった顔は、ひとつの関係の終わりを予感させずにはいられなかった。

 

 仕方がないか、と景朗は演技ですくめてみせて、狂った平常心で周りを見回し、ぼうっと宙を見つめて座り込んでいた無水の白衣をはぎ取って、少女を無理矢理くるみこんだ。

 

 非常階段の踊り場に並べられた人たちを見る。

 手当が必要な人たちばかりだが、それはじきに届くだろう。

 監視カメラで状況を察したのか、続々とこの場所へと救助隊の喧騒が近づいている。

 

 ややこしいことになる前に、自分達は消え去ろう。

 

 

 それから景朗は、ただ登った。

 彼女を片腕で抱えたまま、太陽の元に出るまでそのまま避難通路の階段を上がりつづけた。

 会話はなかった。

 あったのは、弱弱しい手つきで景朗の腕をほどこうとあがきつづけた、手纏ちゃんの力のない抵抗だけだった。

 

 

 

 

 

 外気に触れると同時に、ただならぬ熱量を肌で感じとった。

 遠景を望めば、異質さを絵に描いたような雷雲が見て取れる。

 

 怪物の棲家のようなその雷雲が秘めたエネルギーは、景朗の第六感に直射し、たかが雲だというのに彼の肌を指すように焼いてくる。

 そんな気すらするほどだった。

 

 

 幻生の脅しは、はっきりと信憑性を増していく。

 あのジジイはもとより実験に関わることでは絶対に嘘をつかない。

 異質な空。他の原因は考えられない。

 ああ、きっと幻生は本当の事を喋ったのだ。

 

 たった今、"非日常"がビルの中で手纏ちゃんただ一人だけを襲ったわけだが、ビルの外では、そいつが都市の住人すべてに降りかかろうとしている。

 

 文字通りに己の肌身で感じとって、景朗は決断を下さねばならなかった。

 手纏ちゃんを降ろし、立たせる。

 

「あの剥げた爺さんが言ってたこと覚えてる?」

 

 少女は自信なさげにうなづいた。

 何かを言っていたことだけは覚えているのだろうが、会話の中身にまでは理解が及ばなかったのだろう。

 

「もう戻って来れないかもしれないから……まぁつまり、もう謝る機会が無いかもしれないから、謝っとくね。といっても本当に時間が無くて、いますぐ"あそこ"に行かなきゃならないから中途半端になるけど。そこは――ごほっ」

 

 ふらりと体をグラつかせた景朗を反射的に支えようとしたが、手纏ちゃんが差し出したその手は間にあわず。

 だが、景朗は倒れはしなかった。

 

 星型の人間達磨を"辞めて"から、何度も何度も体中に痛みがぶり返す。

 ひと時の間を置いて、その軋みは神経の中を這いずり、襲いだす。その繰り返しだ。

 加硫の遺体を喰らって肉体的な損耗はある程度回復できているはずなのに。

 

 今は能力を使えている。脳は万全の状態だ。

 意識の欠落など起こってたまるか。

 脳細胞は正常に"精神"の演算を成し遂げているはずなのだ。

 

 ではこの歪みは精神ではなく、別の"何か"だとでもいうのか?

 

 明確な答えなどない。

 それでも、ときおり思考にクラックが入り、幻想痛は消えずにいつまでも耐え難い頭痛となって脳みそにこびりついている。

 間に合わせの自作ホルモンでは正常化できない状況にある。

 

 

「オカルトじみてる……」

 

 景朗が思わずこぼした悪態は、小さすぎて誰にも聞こえなかった。

 

 

「"みさかさん"って常盤台の御坂さんですか? "街が吹っ飛ぶ"っていってましたけど、どうして御坂さんの名前がでてくるんですか?」

 

 一部始終を聞いていたはずなのに、さっぱり理解が及ばなかった。

 そんな自分自身を自嘲するかのごとく、うつむく手纏ちゃんは、はしっと両手で白衣の襟を掴んで裸体を隠すように力を張った。

 

 ちらほら見えていた恥部を気にするようになってくれたのは、彼女が正気にもどりつつある兆項だと思いたい。

 太陽の日差しは濁っているが、それでも夏の暖かさと遠くにある人の喧騒は日常感を呼び覚ますのに役立ってくれたのではないか。

 

 わずかでも元気を取り戻してくれると、今後のことを話しやすい。

 

「あいつらの目的は俺。俺に言う事を利かせたくて手纏ちゃんを人質にしたんだ。ホントに狂った奴らでさ、ついでに手纏ちゃんにもちょっかいをかけやがった。申し訳なくてなんて謝ったらいいか。ほんとうに、迷惑をかけてしまってごめんなさい」

 

「景朗さんにいったい何を? 私を攫ってまで何をさせようと?」

 

「それは後で話す。手纏ちゃん、いい、大事なことだから」「今さっきこれが最後になるかもしれないって言ったばかりじゃないですかッ!! 今、話してくださいッ!」

 

「ごめん。だけどこれは手纏ちゃんの安全に関わることなんだ。お願い、先にこの話だけはさせてほしい」

 

「ふう。……わかりました」

 

「あのハゲ爺、幻生ってんだけど、あいつが言ってたよね。手纏ちゃんは"幻想御手"という曲を聴かせられて、脳波パターンを無理矢理"調整されて"しまってるって」

 

「……はい、そうみたいです」

 

「前回"幻想御手(レベルアッパー)"が使われたときは大規模だったから、"ソレ"を聴いた人間は全員が意識を失った」

 

「意識を?」

 

「意識を失って倒れる。完全な昏睡状態になるんだ、誰かの介護がいるレベルで」

 

 真剣なまなざしで詰める景朗の様子から、手纏ちゃんも徐々に青ざめだす。

 

「でもね、今回は規模が小さそうだから、あわよくば意識を失わないかもしれないし、もうちょっと時間が経った後で意識を失いだすのかも。どうなるかは俺にもわからなくて、だから今は一刻も早く丹生たちに合流して。いつ意識を失っても大丈夫なように信頼できるヤツの側にいかなきゃ」

 

 アイコンタクトで、気分はどうかと尋ねる。

 

「今は、今はそれほど、気分は悪くないです」

 

「よかった。けど油断せずにいこう。ああ、それともちろん親御さんのところに行ってもいいけどねッ、あ、ヤヴァゥううえぁッ!」

 

 話の途中だったが、不覚にもさきほどから続く、制御不能な"平衡感覚のノイズ"が走って、景朗はよろけてえづいた。

 血のような嘔吐を道端にぶちまけて、凶悪な"幻肢痛のようなもの"に体を震わせた。

 

 

「景朗さんッホントに、大丈夫なんですか?!」

 

「ぇぅぅアッ!」

 

(これは何なんだ??)

 

 この痛みの正体に、全く理解が及ばない。

 そもそもこれは"痛み"なのか? 痛みを感じる神経は失活させているのにか?

 脳みそは痛みなど決して演算していないはずなのに、この謎の苦痛はどこからきてるっていうんだ?

 

(あの"存在"に、なにか壊されたのか? 肉体は元通り修復したはずなんだ。 だったら……"何"を壊されたってんだ? それって、それって……)

 

 物理的な肉体はもっていないはずのくせに、"意識あるもの"として実在して我が身に降り懸かった"存在"。

 そんなものがあるというのならば、ありえてしまうのならば。

 物質というものを離れて――人の念、意識、精神や……まさか"魂"だなんてものがあるとでも?

 

 

 顔を上げれば、遠目に見える異界じみた雷雲。胸騒ぎは止まらない。

 景朗の第六感は猛烈に"行くな"と告げている。

 行ってはならない。あの雷雲に関わってはいけない。

 

 "あれ"の正体は知らない。だけど漠然と悪寒がする。予感がする。

 この幻肢痛の先へ、先へと突き抜け、たどり着いた闇の広がる果てに。

 

 "あれ"は"その果て"に、似ている気がするんだ。

 どうしてかはわからない。

 直感にすぎないこの根拠なき恐怖感は、とどまることなく増大しつづけている。

 

 

 逝きたくない。まだ此処に居たい。

 だって、届くのかもわからない。

 脳みそを書き換えて、先の見えない真っ暗闇(高次元知的生命)へと一方通行の梯子を登る。

 

 その果てへ辿り着かなければ勝てないのか? 

 勝利と引き換えに全てを差し出して。

 人間から羽化して。自分は一体どこへ逝く?

 たった一度の脱皮。されど、もう二度と元には戻れない。人間には戻れない。

 羽化したあとで人間に変身しなおす?

 残念だが、それは人間に戻る行為にはならない。ただの人間への"擬態"だ。

 人を超えた何かが、人間のフリをするだけだ。

 宇宙人が人間に擬態して、何食わぬ顔で生活するようなものだ。

 

 

 そんな彼の弱気な心根が行動に表れたのか、ひとえに精神的な抵抗感からか。

 

 遠く怪しく輝く雷雲から目線を外して下に向け、景朗はついにその場に座り込んでしまった。

 

 誰にも顔を見られたくなかったのか、そのまま膝の間に頭を落とし込んで、動かなくなった。

 

 

 やっぱり。幻生を黙らせておくべきだった。

 手纏ちゃんにまで知られてしまった。

 

 

 

 いらなかった。

 こんなこと、考えてはいけないのに。

 自分で選んだ道だと、どんなに言い聞かせようとしても。

 ああ、やっぱりどうして。

 いらなかったのに。

 こんな能力いらなかったのに!

 こんな能力が無ければ、俺は哀れなアレイスターの奴隷で居られたのに。

 "人間"を気取っていられたのに。

 

 たとえ火澄に見向きにされなくとも。蔑まれようとも。しょうもない矮小なレベル1のままでいればよかった!

 

 

 あそこにはいきたくない。もう戦いたくない。

 

 募る後悔が、自分を女々しくする。こんな考えは今すぐ捨て去ってしまえ。

 

 行動に移ろう。移るんだ。行くんだ。行かなくてはッ!

 

 

 

 

 ……ああ。ああ、幻生の口を封じておく時間なんていくらでもあったのに。

 

 

 

 こんなことなら幻生を殺しときゃよかった。

 バラしやがった。 あの野郎バラしやがった!

 

 こんな日が来るかもしれないと思っていたくせに、なんで殺しておかなかった!!

 どう考えても殺しておくべきだっただろう! 殺しとくべきだった!!!

 憎い、憎い、憎い、憎い、にくい!

 許さない。許すもんか。許さない、許す必要なんてないさ。

 絶対、殺そう。

 この後、殺そう。とにかく殺そう。

 この先どうなろうともあいつは殺しとこう。

 たとえこの先すぐアタマが"イカれちまって(悪魔になって)"なにもかもがどうにでもよくなっちまうんだとしても、アイツを殺すのだけは覚えておくんだ。

 

 そうしよう。そうしよう。

 うんと苦しめて、後悔させてから殺さなきゃ。

 苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて苦しめて、あの頭を握り潰してやる。

 思う存分、苦しめて苦しめて苦しめて苦しめて苦しめて苦しめて苦しめて苦しめて苦しめて苦しめて、その後で殺そう。

 ジジイはヘラヘラ笑って死んでいきそうか?

 そうかそうか。だったらそうしてみせろよ。やってみせろよ。

 こっちだって笑えなくなるまで痛ぶってやるぜ。

 ドロドロに崩れた苦悶のツラに「笑ってみろ」と叫びつけるまで殺してなんかやらないからさ。

 

「――ゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ」

 

「帰りましょう、早く。私のことはいいですから、はやく、安静に」 

 

 至近距離まで近づいて顔を覗き込んできた手纏ちゃんは疲労も不安も、心細さもなにもかもを抱え込んでいて、救いを必要としている表情だった。

 それでも、景朗を気遣かってくれている。

 

 だというのに、景朗はあからさまに彼女から顔をそらしてしまった。

 

 本当にかすかな、身じろぎする音が聞こえた。景朗の態度は、やはり少女を一瞬で傷つけたのだ。

 

 しかしたとえ、それがわかってしまっても、景朗はしばらくそのままだった。

 

 

 臓腑で煮えたぎる殺意を隠したくて、ただそれを見せたくなくて、彼女にはバレたくなくて、それは手纏ちゃんを思いやる事より優先してしまうほどに嫌なことだった。

 

 しかし。最後まで残っていた冷静な部分は一方で、悠長に座り込んでいる時間の無さを告げてもいて。

 

 見上げれば、このわずかな間にあの異様な"暗雲"はまたひとまわり大きくなっている。

 

 

「……ごめん、待たせてごめん、もう大丈夫。ここから離れよう」

 

 立ち上がって改めて顔を合わせた景朗に、手纏ちゃんも手纏ちゃんとて、それまでに溜め込んでいた感情を解き放つように、今度は自分の番だとばかりに大声をあげた。

 

「何言ってるんですか? 行かなくていいですよッ! 行かないでくださいッ!」

 

「いや、まずい」

 

「まずいって、誰の立場からですか? いつからあなたの立場はそれほどえらくなったんですか? 赤の他人を、自分の身を犠牲にしてまで救いに行かなくてはならない立場に、一体いつから? 行きたくないなら行かなくていいんです」

 

「立場のハナシじゃないって」

 

「だって、よくわからないですけど、景朗さんだけに責任があるようには見えませんでしたよ? 行く必要なんてないんですよ!? 今の景朗さんには、景朗さんだからって、何もできるような状態じゃありません、どこにも行かないでくださいッ! 一緒に居てくださいッ! 私とッ!」

 

 街の人間すべてが吹っ飛びかねない、ということをやはり理解してくれていない。

 いやしかし、それは無理もないことかと、改めて思い直した。景朗にだって実感はないのだから。

 

 手纏ちゃんは完璧に感情が昂ぶり、白衣を抑える手にまで意識が行っていない。

 気をつかってみないようにしているが、それでも白いおなかが見えるたびに、ちゃんと服を抑えていろ、と言いかけそうになる。

 白衣の襟を戻してあげようと、手に取ろうとした。だが今はそんなことはどうでもいいとばかりに、手纏ちゃんは自ら両手で景朗の手を力強く引っ張って、それを制した。

 

「今は私のことをほうっておかないでくださいッ!」

 

 こんな風に攻撃性を見せる手纏ちゃんは初めてで、しかしこっちだって余裕はないんだよ、とやや投げやりな態度を返しそうになる景朗は、ここにきて紳士的な態度をし続ける意味があるのか? と自問自答して、その答えがNoだということに、たどり着いた。

 

「悪いけど、怒鳴る元気があるならまた担いで運んで――」

 

 怒りを込めて言い放った景朗に、唐突に手纏ちゃんが抱き着いた。

 言葉で言い争うのに疲れたのか、焦れたのかはわからない。

 

 あまり力を入れずに引き剥がそうとしたが、手纏ちゃんは強く抵抗した。

 何度か繰り返すが、手纏ちゃんは駄々っ子のようにイヤイヤと抵抗しつづけた。

 ここまでくればどこからどう見ても、抱き着いているのではなくしがみついている。

 

 手纏ちゃんはまた泣いている。今回は苛立ちも交じっている。

 わかるけれども。イライラするのはわかるけれども。

 時間としては短いものだった。しばらくそのままにしたあとで、景朗から切り出した。

 

「……ごめん、最後になるかもしれないとか言って。なるべく、じゃなくて。絶対、あとから絶対に、説明しなおすから。説明しにまた戻ってくるから。約束するから」

 

「いい加減、ホントウですね?」

「そう言われると説得力ないけど、いい加減、ここから動こう」

「それは賛成です」

 

 完璧な鼻声だった。

 素肌同士が触れ合ってもいる。

 

 

 繰り返すが手纏ちゃんは素肌に白衣だけ。はだけた胸元は、その先の膨らみまで露わだった。

 だが景朗にも手纏ちゃんにも、それを今さら恥じるような余裕はなく。隔たりもなく。

 

「なんにせよ先に安全なとこに届けるよ」

「はい、お願いします」

 

 

 眼を交差させて、2人とも同時に気がついた。それまであったわだかまりがすっかり霧散してしまっていることに。

 互いに、本気で怒ってなどいなかった。それが理解しあえている。

 

 ならば。ここに在るのは、もはやお互いがお互いを心配しあう、そんな露わになった親愛さだけであって。

 

 そんな気がするのは景朗の一方的な勘違いだろうか?

 

 はっきりとは言い表せなかった。

 けれど、ここではもう彼女に対して、必要以上に遠慮をする必要がなくなった気がして。

 いや、今このときだけではない。

 もしかしたらこれから先も遠慮はずっと無用なのかもしれないな、と。なぜか唐突に、そう思い至ったところで。

 

 考えを立ち切るように、景朗は強引に歩き出した。

 

「ふわぁっ」

 

 驚く手纏ちゃんの手を奪い取って、おんぶして、有無を言わせずに歩き出す。

 

 これから丹生とダーリヤを呼び出し、彼女を預けてすぐにでもあの雷雲の下へ直行するつもりだ。

 

 今度は手纏ちゃんも抵抗らしい抵抗をせず、素直なものだった。

 

 

 

 そこからは、まるで中学生の頃に戻ったかのように、二人とも妙におしゃべりになった。

 

 これはIFのハナシだけれども、もしたとえ、会話などなくても。

 仮に、お互いに無言のままで時が過ぎていたのだとしても、きっとどちらにせよ心地よい空間だっただろう。

 

 

 手纏ちゃんの質問に答えるがままに、景朗はぽつりぽつりと幻生と初めて会った日から、これまでの想い出を話し続けた。

 

 

 

 秘密にするのもいい。

 ただ、景朗には自信がなかった。

 

 幻生は"羽化昇天"しなければどうにもならない、と言った。

 もしそれが避けられない現実となるのならば、手纏ちゃんと話をするのはこれできっと人生最後になるのだろう。

 それは決して手纏ちゃんだけではなく、他の奴らとも、だ。

 

 ここで必死に秘密を守って、何になる?

 明日、皆がそろって生きているかもわからないのに。

 

 幻生のヤツは街が吹っ飛ぶといった。ならば、誰にでも真実を知る権利があるような気がしてならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、ここでこんな風に説明を終えてしまえば、この両名はその後の帰路をまるで始終よい雰囲気で語りあって帰ったかのような印象を受けるだろう。

 

 だが実際には、2人はまたも途中で、揉めた。

 

 当初、景朗はダーリヤと丹生に手纏を預ける予定だった。それを急遽変更し、最終的には火澄を追加で呼び出し、手纏を引き剥がして無理矢理3人に押し付けて預けなければならないハメになったのである。

 

 

 中学時代の転落を語り、機密を避けて現在の不自由さをおおまかに説明すれば、手纏ちゃんは今回の誘拐までいたった経緯をなんとなく理解できたようだった。

 

 そこからだった。

 

 2人の会話はもつれだしていた。

 

 

「かげろうさん……責任をとってください」

 

 何やら意気込んで名前を呼ばれたので、何が待っているかと待ち構えていた。

 

「……心配しなくても木原加硫は生きてたよ。俺がとどめを刺すまでは」

 

 手纏ちゃんは単に友人を助けようとした。そこになんの咎があろうか。

 その結果、木原加硫を手にかけることになろうとも、緊急事態ゆえに情状酌量の余地はあるに決まっている。

 友人が目の前で何度も殺される目に遇わされていたのだ。どちらが先に殺すか殺されるか、そんな極限状況であったことは疑いようがない。

 

 それに、景朗が確認したときに木原加硫がすでに死んでいたとはいっても、学園都市の深部の技術ならばあの状態から蘇生させられた可能性は、ゼロではなかったのかもしれない。

 

 自分が"とどめを刺した"という表現で、間違ってはいないと信じている。

 

 ゆえにその"責任"とやらは、言われずとも景朗が背負うつもりである。

 ただ、その"責任"の行方をきちんと言葉で追及しあう行為は、つつかなくていい藪をつついてしまうような、なにやらタブーのように感じてお互いに言い出さずにいたのだと。そう思っていた。

 話し合わずにうやむやに済ませてこのまま去ってもよかったのだ。

 しかし相手がそれを白黒はっきりさせたいというのであれば仕方がない。

 

 

「だとしても、私は無罪ではありません。私たちが犯した罪を償い、この一件を必ずや教訓として今後を戒めるために、私は私の償いをしていかねばなりませんし、景朗さんだって更生を目指すべきです。もちろんお嫌だとは言いませんよね?」

 

 

 素晴らしい。かつてここまで強気で言い返す手纏ちゃんは見たことがない。

 景朗が繰り出すいかような言い逃れも正面から看破してやらんと、首を絞めつけてくるチカラもさっきからゆるぎない。

 

 

「更生……」

 

「ですから責任を取るとは、更生することなんです。わた、私は、私も、これから景朗さんのおそばで、そのためのお手伝いをします」

 

 『今すぐ更生なんてできません。する気がないのではなく、ゆくゆくはそうしようと誓っていますが、状況が許さないのです』

 

 なんて馬鹿正直にも言えず、何を言い出すのやらと景朗はとまどった。

 その間にも、ずけずけと手纏ちゃんは宣言した。

 

「景朗さんはたくさん物件をお持ちなんですよね。一番セキュリティのしっかりした物件をご用意おねがいします。私が住み込みでお世話をしますから」

 

「はあ? 待って。待ったなにそれ」

 

 おんぶ状態で手纏ちゃんの顔は頭の後ろにある。

 正気か確かめようと振り返るが、手纏ちゃんも負けじとぐぐっと顔を逆サイドに伸ばして顔を隠してしまう。

 

「どんなところでも文句はいいませんよ、バスルームさえついていれば私は」

 

「嫌だよ」

 

「おいやなんですか?! どうして! わたしはッ誰かを殺めてまであなたにッ!」

 

 背中で発せられたキンキン声は、とにかく一瞬でものすごい圧を景朗の精神にうちつけた。

 今にもヒステリーを引き起こされる。そんな不安が巻き起こる。

 

「まっ、違う、嫌というより無理、無理だろう?!」

 

「どの辺がムリなんですかッ」

 

「キミのお義父さんに殺されるでしょ!」

 

「大丈夫です、その前に私がお父様を無力化します!」

 

「そこまでするんだ? あんなに仲良さそうだったのに?」

 

「やります。だって景朗さんは放っておいたら絶対にお父……お父様の誤解を解くために、かげろうさんを矯せ……だから景朗さんが更生してくださればすべて解決します」

 

「無理ッス!」

 

「私からは逃げられても、景朗さんはご自身の償いからは逃れられませんよ!?」

 

「んぐ」

 

「ほぉら。であれば、私が、毎日、おそばでお手伝いします! 何の不都合があるんですかッ!」

 

 

 なおも言い逃れをして全力で拒否しようと考える景朗の様子をみてとって、ついに手纏ちゃんは泣きわめくように、怒り以外の感情も上乗せして責め立てる。

 

 

「わたし、かげろうさんのために人まで殺しました。なのに、責任すら……御側においてすら、もらえないんですか?」

 

「だからキミは誰も殺してないってば、俺がとどめを刺したんだよ」

 

「残酷な嘘をつかないでください。あの研究者の方がもし生存されていたのでしたら、景朗さんは間違いなく救助されたはずです。私の為に犯してもいない罪を背負っていただかなくて結構ですッ!」

 

「何と言おうと、証拠は俺が呑み込んだんだからグレーのままだよ。永遠に。白にも黒にも結論はつかない。むしろ俺が殺した。俺が黒ってことで処理されるはずだよ」

 

「私にそれで納得しろと? あの体験を、あの過ちを、私がそんな陳腐な言い訳で受け流してしまえるとでも?!」

 

「これ以上はどうしようもないよ。なんなら勝手に自分が殺したと思っていればいい。そこまでいうなら止めない」

 

「そうさせてもらいます。そうしますとも。だからあなたも! あなただって罪を償うために行動を起こさねばならないと主張しているんですッ!」

 

「俺は付き合わないよ。勝手にやってくれ」

 

「……わかりました。でしたらせめて、あの女性を殺したのはご自分だと、吹聴するのはやめていただけますか? あれは私の責任ですので」

 

「……ああもう。どうやったらこの一件を引きずらずにいてくれるんだよ? キミは巻き込まれただけだろ。目の前の友人を助けようと、正当防衛した結果だろ? 加害者の生死はこの際問題じゃない。きっとほかの国なら称賛される行為だよ! 考えてもみなよ!」

 

「何をですか?」

 

「たとえば街中に銃の乱射魔が突然あらわれて、無辜の犠牲者がたくさんでている最中で! キミはたまたま居合わせて、たまたま持っていた"能力"でそれを終わらせた! だったらどうだ? 結果的に犯人が死のうと、誰だってキミを英雄扱いするはずさ! 銃社会の米国だったら通行人だって銃を持ってたりするだろうから、キミと同じように決死の覚悟で犯人を止める人がいっぱいでてくるはずだ! 彼らが罪に問われるわけないだろ? 今回だって同じだとは思えないのかい?」

 

 ぐぐ、と景朗の首に回されていた手纏ちゃんの腕に力が入った。

 

「俺を助けようとしてくれただけだろ!? 手纏ちゃんは何も行動を起こせないような偽善者じゃなかっただけなんだッ。みてみぬふりをしなかっただけなんだよ! なぜそれが」

 

「そうだったらどれだけ幸せでしょうか。そうやって今日あったことを全部忘れられたらどんなにいいでしょうが。ですがあなたもご覧になっていたとおり、私は、わたしは、愉しんでいました……っ。なかったことにはできません!」

 

 

(時間が解決してくれるんだろうか……。

 木原加硫は脳みそまでぐちゃぐちゃになっていた。

 確かにキミは殺してしまっていたよ……。

 

 でも、それは。俺がやってきたことに比べたら。

 許されるべきことなんじゃないのか。

 

 今ここで手纏ちゃんの主張を認めちゃだめだ。

 殺人を犯しただなんて引きずってほしくない。

 

 元はと言えば俺が原因だ。責任を感じてほしくない。

 

 今、説得を諦めちゃダメな気がする。

 じゃないとこの先もずっと手纏ちゃんは引きずっていく気がする。

 

 でもこの態度じゃあ、言葉で変えるのは無理かもしれない。

 どうする。どうしよう)

 

 

 

「……とにかく。木原加硫にキミが攻撃をしかけた時点では、正当防衛だった。俺はそう信じてる。

だから、手纏ちゃんに……おれは感謝をするのを忘れてた。助けてくれてありがとうって。まだ言ってなかっただろ? 

おれはさぁ……手纏ちゃんが俺を見捨てて、何もしなかったほうがよかっただなんて、そんな風には絶対に思えない。

ほら、今日起こったことは、ただそれだけのことなんだよ」

 

 手纏ちゃんはその言葉を聞いた後、しばらく黙り、小さく嗚咽を漏らし始めた。

 

「だったら。どうして、"食べた"んですか?」

 

「それは。――そうさ、憎かったからだよ。加硫はへらへら笑って俺に劇薬を浴びせかけてきてただろ? 何回も何回も楽しそうに!」

 

「おっしゃるとおり、私が乱射魔を止めた英雄なのだと、そうあなたがお考えになったのであれば。あのとき、加硫さんを、食べて、…まるで誰かから隠すみたいに。そんなことをする必要はなかったはずでしょう?」

 

「実質的に何度も俺を殺したようなもんだ! 殺し返して何が悪い!? だからこれは俺と加硫の問題さ!」

 

 小さかった手纏ちゃんの嗚咽は、しだいに大きくなりつつある。

 

「かげろうさん……ほんとは、もうどうにもならないくらい……ほんとうは、ておくれだったんでしょう……だから」

 

「違うって。とどめを刺したのは俺だって。もう、蒸し返しても無駄だよ」

 

「ぅう、ひ、ふぅ。でも、かげろうさんは、少しでも、すこしでも蘇生のめどがあれば、あなたは、そうしてくれていたはずです。ほかならぬわたしのために。わたしが罪を背負わずにすむよおに……何が、なぁう、んでも……わたしのために、加硫さんを助けようとしてくれたはずでしょう……」

 

「……」

 

「だけどすでに……手遅れだったから………」

 

 どうにか、彼女の追及を逃れる言い訳がないか。脳内で必死にぐるぐると探している。

 

「もう……病院に運んでも……だから……」

 

 どんな言い訳を並べても、もはや手纏ちゃんを誤魔化せるとは思えなかった。

 

「……あの方を。"食べた"んでしょう……?」

 

 何かを言わなくてはならない。でも、思いつかない。

 

「ぅうっ、ぐすっ……ひっ、ぐ、ああっ、わ、たしのためにっ、食べたくもなかったのに、たべてくださったんでしょう?! う、ひぐ」

 

 息も荒く背中で泣いている。彼女が両手でしがみつき、肉を掴むその力はとても強くて痛いほどだったが、そんなことを注意する気力すら残っていない。

 

「ちがうって……生きてたよ、あの時はまだ生きてたから……」

 

 ちがう。ちがう、と。口から稚拙な否定の言葉を吐きつづけた。

 しかし、この状況で、それは。なんの説得力も発揮していないのは明白だった。

 

 

「なにが、さぜでぐださい……。わだしにも、かげろおさんのために、なにかさぜでぐださいっ」

 

 

 

 

(なんだか……このまま、言う通りにしてあげなきゃ自分がクズ野郎なのかと思えてくる)

 

 手纏ちゃんを背負いつつ歩いているが、真上を見上げればあいも変わらず異質な空模様のままだ。

 

(でも……俺は今、学園都市の人々を助けるために"羽化昇天"するかしないかって案件が、瀬戸際なんだよ。

 というかあれ、さっきまで俺、『オストラる』か『オストラない』か悩んでなかったっけ。

 ああ……次から次に……)

 

 ここにきて、どんよりした天気に染められるように、景朗の目も若干のにごりを見せていた。

 

(まずい。無性に火澄に会いたくなってきた。

 あいつならこの状況(手纏ちゃん関連)を何とかしてくれるかも……。

 あーあ、でもその前に、そもそもこんな惨事に巻き込んだって説明した時点でとんでもなくキレられるの確定してるよな。

 でもそれでも、火澄に来てもらって解決してもらったほうがいいって。そう考えてしまうのは都合良すぎか……。

 告白っぽいことしてくれたのにも気づかずスルーしてきて、そんなやつがこんな面倒押し付けてくるとか……。

 ううう、マジギレされて当然じゃんか。

 マジでエロゲーで刺されるクズのチャラ男みてーじゃん。

 なんてこったい。二股かけるどころか、俺は誰にも手なんか出してないのに、なんでこんな状況が出来上がるんだよ……)

 

 

 

 

 待ち合わせ場所は目と鼻の先となり、ダーリヤ、丹生、火澄の姿が見え始めた。

 散々待たされたせいか、もはやこれ以上は辛抱ならぬ、と3人は駆け寄ってきた。

 

 

 もしかして? と期待することすらできずに予想は的中した。

 さも敵陣に突撃する武者のような様で走ってくる火澄の背後には、たぎる蒼い炎の幻覚がみえるようだった。

 瞳にはもっと熱い炎が灯っていて、景朗はついさきほど小一時間前に感じた恐怖がぶり返すかのような思いだった。

 

 

「景朗! この子は! 何!? そして今までのッ、説ェ明ィ!」

 

「あとで説明」「『あとで』はもう売り切れなのよ! ふざッけんじゃないわよどんな神経してりゃこのごに及んでそんなセリフ吐けんのよ! ぅああッ殺してでも今すぐッ! 説明させッからねぇぇッ!」

 

 

 火澄の怒りとともに肥大化した蒼い炎がぶわりと景朗の足元をなでて、両足のスネ毛を根こそぎチリチリにした。

 普通の人間なら2~3日やけど用軟膏をヌリヌリしなければならないくらいの脅威である。

 たじろがずにはいられなかった。

 これはマジ切れ度が98%を超えている。怖い。

 

 

 とてつもなく心配かけまくっておいて『後で説明する』と約束しておきながらの2度目の"説明は後"でブチ切れた火澄さんのあまりの迫力に、考えていた言い訳の全てが通用しないのでは、と景朗は秒で弱気になった。

 

「ごめんなさい! ほんとそう言われて当然なんだけど! ホントに今、人命救助で俺、いかなきゃいけない場所があるんだって!」

 

 彼の口からでたのは全力の謝罪だった。

 どうあがいても、幼いころからの刷り込みは咄嗟にでてしまうということなのだろうか。

 

 ひとまず手纏ちゃんを背中から降ろそうと試みるが、ミチミチと聞こえそうなほど全力で手纏ちゃんはまたぞろ景朗の首をホールドし始めた。

 何が何でも離れる気はない、という強烈な決意を感じる力強さだった。そして通常の人間なら呼吸が止まるくらいの力強さでもあった。

 

(いかんぞこれは、暴力に対するハードルが下がっとるゥ!)

 

 手纏ちゃんは先程、『人を殺傷する』という日常から振り切れた破壊行為を経験してきたばかりである。

 いまさら人の首をちょいと絞め落とそうがどうってことねえべ、という常盤台出身のお嬢様がけっして"慣れ"てはいけない『暴力に対する"抵抗感"の欠如』を今の彼女からは感じられる。

 

「ちょ、ほら、行ってほらッ。手纏ちゃん何してんのッ」

 

「ミサキちゃん、ふざけてる場合じゃなさそうだから、お願いッ」

 

 丹生さんだけが手纏ちゃんを引きはがそうと手助けしてくれている。

 やっぱ丹生さんだけが最後の最後まで景朗の味方をしてくれる安心感。

 

「お約束いただけるまで離れません!」

 

「何の話よッ? 少しくらい状況を説明してくれてもいいんじゃないの?!」

 

 手纏ちゃんと丹生のどちらにも絡んでる火澄の腕は力強くてとても恐ろしい。

 思わず景朗も嫌がって、火澄の手をガードしようとするがそうすると今度は脚に蹴りが飛んできた。

 

「ちょ、おいっ。蹴らないでくださいよぉっ」

 

 卒業した後だって、どんな時も片時も常盤台生の優雅さを失わないでほしい。

 

「ウルフマンから離れろ!」

 

 小さいダーシャも頑張ってくれているが力不足はいなめない。カァーッと効果音がでてそうな怒り顔だが、キレてないでもっと俺と火澄の間に割って入ってきてよホラ。

 

「んぎっ! ぎいいっ!」「クビ閉まってる! ウルフマンの首しまってる!」

「ごまかさないでとっととハナしてどこにでも行けばいいでしょホラ!」「息ができなくて話せマセン」

「きゅぃぃぃはらたつ~!」「カスミちゃん話したでしょ! 今は景朗の言う事きくって! 行かせてあげてってば!」「ヒンニュウオンナ! ウルフマンを離せ!」「ぐぎぐぅーっ!」「あイタ! うるふまんこの女たたいた! たたいてくるわ!」「ミサキちゃんもいい加減にしてッてば! 今はふざけてる場合じゃないつってんだろォ!」

 

 息づかいを間近に感じる丹生の、その胸元(なぜ胸元を見ていたのかはツッコまないでほしい)にはプレゼントしたガリウム合金製ロザリオがぶら下がっていたのだが、ソレが徐々に溶け出して明らかに警棒のような打撃武器に変化し始めている。

 

(マズイ。丹生さんまでキレだしてきてるっ)

 

 気が付けばきゅるきゅると周囲の風の音も大きくなっていて、ときたま感じるその風圧には一瞬だけガスコンロに顔を突っ込んだときのような熱気も交じっている。

 

(ちげぇ! 殺る気だしてきてるの全員じゃん!)

 

「おちつい、おちつけ、落ち着いてくれぇ!」

 

 なんで自分以外全員がブチきれてるんだろう。

 しかし大能力(レベル4)相当の能力者3人がこの怒気で能力アリの喧嘩をするとなると怪我まったなしである。

 

 

「わかったぁああああっ! 説明してやるっっ! また帰ってくるって言ってるだろッ逃げも隠れもしねえよオラァァァァー!!」

 

 景朗は正面から火澄の胸に手を伸ばし、むんずと双丘を掴んだまま思いっきりプッシュアップ(引き離)した。

 

「ぁぅにゃっ、ボヴぁああああああああッ!!」

「「「あーっ!」」」

 

 バチン、バチン、バチィッ! ドゴッ! と頬とスネに打撃を食らったが、結果的に火澄は見事に景朗から飛び退った。

 あ、蹴ったのは丹生さんでしたか。

 すたっ、と手纏ちゃんは自分から降りてくれました。

 

「なにすんのヘンタイッ! おらおらおら炙られろ!」

「ちょ、おわあばばばっ!」

 

 景朗は地面を転がって炎をはたきつつも逃げ出した。

 視界がパチパチと明るさで満ちて、体毛が燃える凶悪な悪臭で鼻腔も満たされる。

 身体中でチリチリと毛が焦げて縮み上がる音がしている。

 散発的に炎の勢いがヤバい領域にあがっているのは、手纏ちゃんまで能力を使っているから?

 

 結局、火澄たちの視界から完全に消え去るまで、少女たちはしつこく彼をあぶりつづけた。

 

 安全なところまで逃げ出して、景朗は一度座り込んだ。

 

「へ、へへ……やっちまったぜ……やってやんよ……さあいくぜオラっ!」

 

 彼のメンタルは幻生の指定した座標地点へと向かう、その前から疲弊しそうだった。

 

 

 

 

 

 

 4人と別れた景朗は、幻生が指定していたポイントへとただちに直行した。

 その場所へ近づくにつれ、明らかになったことがある。

 目指す地点は、あの"異様な雷雲"の真下だった。

 

 

 

 

 進むにつれて、大覇星祭でいつもより衆人に溢れているはずの道路やストリートから、不思議と人の波が引いていく。

 

 

 "街(上層部)"はこの事態を把握しているようだ。

 ニュースなり放送なり、何らかの情報操作で人払いをしてくれていたらしい。

 ならば、景朗なんぞに頼らなくとも、もっと確実な手法で事態を解決してはくれればいいのに。

 

 なぜ"羽化昇天(アセンション)"などという未使用のLevel5能力に、その命運を預けようという判断になるのか?!

 

 静かな街並みは、考え事をするのに抜群で。

 今までにないスケールの責任もあって、彼の弱気は、ぐるぐると頭の中を巡ってしまう。

 

 そして。

 

 とうとう人っ子ひとり見かけなくなったところで、反対に騒音は激しさを増した。

 

 

 たどりついた景朗は、そこで予想外の光景を見た。

 だがなぜだろう。

 予想外であるはずのその光景は、どこか見慣れたものでもあったのだ。

 

 

 

 まさかまさかの、体操服すがたの上条当麻が、そこにいて。

 

 爆撃でも受けたかのような崩壊したフィールドで、御坂美琴と闘っていた。

 

 なぜか削板軍覇と一緒に、だ。

 

 

 

 

 御坂美琴が纏っている紫電は、もはや物理法則に従っているのかすら怪しい挙動で2人の少年を襲っている。

 

 

 なんとかしろ。解決しろ、とだけあの男は言っていた。

 木原幻生は、"羽化昇天"をしなければどうにもならない、と説明しただけである。

 この場に到着した景朗に、あれをしろこれをしろ、といった具体的な指示をしてくれたわけではない。

 

 

 

 何が起きているのか。どうすべきなのか。まったくわからない。

 

 

 

 じっと観察して、3人の命のやりとりをいくばくか呑みこもうと試みる。

 

 

 上条は、御坂美琴を助けようとしている。

 ……決して、うまくいっている様子ではないが。

 

 

 迷う景朗は、しばし立ち尽くすしかなかった。

 

 もちろん彼とて、いくつかの選択肢を考えた。

 

 

 

 この隙を逃さずに、御坂美琴を抹殺すべきか?

 あの異様ないでたちの"超電磁砲"に、己の攻撃手段が通じるかわからない。

 通じなければ、"羽化昇天"なるギャンブルをぶちかますしかない。

 

 このまま上条の助太刀をするか? 彼らと一緒なら、奇跡とやらを起こせるか?

 青髪とは異なる自分の本性を名乗って、今すぐ飛び込むか?

 上条なら平然と受け入れてくれそうではあるが。

 

 それで解決するならばもちろん嬉しい。

 

 だがしかし、手をこまねいて手遅れになれば、大勢の命が犠牲になる。

 

 今も、街に住む多くの生命が危険に晒される状況にはちがいない。

 

 

 

 あの"超電磁砲"が何かをしでかすのであれば、処理してしまえば解決するのだろうか。

 そう思いたいが、それでうまくいく確証もない。

 殺した途端に爆発するだなんて、そんなオチでは意味がない。

 アドバイスをねだりたくとも、幻生とは連絡も取れない。

 

 

 ……しかしだ。

 目に見えて正常な意識を失っているであろう御坂美琴は、あっという間に上条を殺してしまうかと思われた彼女は、なぜかアイツを始末しそこねつづけている。

 

 

 

 上条と御坂。あの二人がとても仲良さそうにしていたのを覚えている。

 

 いつにも増して死にそうな惨状に身を置くヤツは、いつも以上に真剣極まる形相で立ち向かっている。

 

 

 

 上条当麻なら、なんとかするかもしれない。その予感はたしかにある。

 だが、自分の大切な人たちの安全を賭けてまで、ヤツに期待するほどなのか。

 

 

 『御坂美琴が学園都市そのものを吹っ飛ばす』

 

 木原幻生の、あの極限まで嬉しそうな愉悦顔が嘘をついているようにはどうしても思えなかった。。

 ならば御坂美琴を処理してしまうのが、もっとも確実な解決策なんじゃないか。

 

 しかしそうなると。

 今日は一人殺したから、彼女で二人目になる。

 

 口の中には、まだ木原加硫の血の味が残っている。

 

 

 冷徹に固まり切っていた景朗の心に、狼狽していた手纏ちゃんの姿が浮かぶ。

 

 口の中の血の味を反芻する。

 

 ぐっと唇をかみしめて、景朗はその場に腰を下ろした。

 

 戦闘現場から離れたビルの屋上で、風に当たりながら。

 

 あいつらの負けが決まりそうになれば、飛び込むつもりで。

 まるで順番を待つ死刑囚のように、ただ、見届けつづけた。

 

 

 

 こんな風に、上条の戦う様を眺めていたことがあったな、と。

 ふと思い出していた。

 

 

 一方通行が上条を弄っていたのを、ただ眺めていたあの日のようだと。

 

 

 あの時も。上条は奇跡を起こしてみせた。

 

 

 今度も、起こしてみせろよ。

 

 

 

 ――――その後の結果を、景朗はなんの感慨もなく受け止めた。

 

 笑いも、悪態も、これで自分が犠牲になる必要がなくなったと、安堵のため息さえつくことはなかった。

 

 上条はいつものごとく、流石だった。

 御坂美琴を助け出した。

 

 

 アイツは、何事もなくつぎの競技へと戻っていった。

 己が、学園都市すべての命を救っていたことも知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 景朗は、"羽化昇天"とやらを望まれていたはずだった。

 暴走した"超電磁砲"の崩壊をそれで防ぐはずだった。

 

 

 自分としての自我が、霧散するはずだったこと。

 この街が消え去る直前だったこと。

 そんなスケールの大きな事態を、またしても上条は右手一本で変えてしまった。

 

 あの"木原幻生"が、"街が吹き飛ぶ"と言った一大事が、である。

 

 

 上条の右手から、異質な"あの感覚"に似た何かを目撃したかに思えた。

 景朗には理解できない"何か"が、確かにあの時起こって。

 

 いつのまにか御坂美琴は自我を取り戻していた。

 

 これで、なぜか事態は収束してしまったのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 あまりのあっけなさに、考えずにはいられなかった。

 

 自分が犠牲になっていれば街を救えていたのか? それほどの力が自分にあったのだろうか、と。

 

 いくら超能力者といえども、人間としては1個体の存在にすぎない自分が、この世界にそこまで影響力を持つものなのだろうか、と。

 

 さりとて、同じく1個体にすぎない、自分よりできることが遥かに限られているあのウニ頭(上条当麻)があの場にいなければ、一体、今日という日はどうなっていたんだろう。

 

 これまで色々と突拍子もない事態を景朗は目にしてきたし、自分自身の身体で体験してきた。

 

 それでも、その日あったことは、どこか現実味がなかったように感じずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 火澄からはひっきりなしにメッセージが来ていたが、その中に埋もれた土御門からの『任務にもどれ』との催促を見つけてしまっては、じっくりと説明するために彼女たちの元へ帰るわけにもいかない。

 

 とにかく、色々と気になる事が山積みだったが、 しかしてアレイスター直々の命令に逆らうわけにはいかない。

 色々と行動に移したかったところを我慢して、景朗は"青髪ピアス"として大覇星祭へと、いつもの高校の"日常"へと戻らざるをえなかった。

 

 

 なので現在は。

 喋れることは喋っていい、とダーシャに言付け、そのチビっこには一時的に火澄・手纏・丹生の長点上機トリオに同行してもらっている。

 

 食蜂操祈と木原幻生、どちらにも干渉を受けうる景朗一派は、長点上機学園のセキュリティに頼らざるをえないほど窮地に陥っている。

 

 火澄や手纏ちゃんとダーシャは初対面だが、仲良くやれているか心配だ。

 ダーシャは対人関係を良好に済ませようという観点をそもそも持っていない。

 丹生とは少しの間、一緒に働いていたためか若干の仲間意識はあるようだが、基本的に"ウルフマン"以外には興味がないのだ。

 

 とはいえ超が五つ付くほど頭の良い子なので、火澄や手纏ちゃんに与えていい情報だけをうまく供述して納得させてくれるだろう。

 あの子がその気になってさえくれれば、だが……。

 

 

 ダーシャや火澄たちの安全も気になるが、とにもかくにも一番の問題は、幻生だ。

 

 木原幻生は、『学園都市を崩壊の危機に晒す』という明確な反逆行為を今回は犯している。

 それも堂々と、誰の目にも、上層部にも言い逃れできないほど派手に、だ。

 確実に幻生は何らかの処罰を受けるだろう。

 

 知らなかったとはいえ、その片棒を担がされた猟犬部隊や景朗にも責が及ぶかもわからない。

 

 

 木原幻生に敵対する。

 そういっていた食蜂には、当初は勝ち目があるとは到底思えなかったが、こうなれば彼女にも急場をしのげばチャンスはでてくる。

 

 幻生は直にアレイスターに粛清されるだろう。

 況や、その実行役に"三頭猟犬"を指名するかもしれない。

 

 

 アレイスターは、学園都市そのものを消し炭にしようとしていた幻生を許すのだろうか?

 景朗の推察では、それはどう考えてもあり得ないことだった。

 

 食蜂は生き伸びたのだろうか。

 生きていれば、景朗に報復を考えるかもしれない。

 そのターゲットの第一候補は、火澄や手纏ちゃんだろうか。

 

 "心理掌握"の能力は強力だ。直接的にも、間接的にも。

 仮に食蜂と直接対峙したとして、無事ですむのは景朗だけだ。

 絡め手を使われては、手も足もでない。おしまいだ。

 

 だから、そうさせてはいけない。

 その場合は彼女と交渉するほかない。

 ダーシャには食蜂とは敵対せず、交渉するつもりだと念を押してある。

 

 

 

 くどくどと考え事をしていたが、小萌先生のカン高いロリボイスが聞こえてきた。

 諦めたのか、火澄からの連絡は止まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「幻生を返り討ちにした?!」

 

 太陽が真っ赤に染まった夕暮れどきだった。

 それが良かろうと悪かろうと、この一連の騒動に関わるニュースを待ちわびていた景朗は、その第一報に絶句した。

 食蜂からの衝撃的な勝利報告だった。

 

 

『その通りよ。二度は聞き返さないでちょうだい』

 

「なッ。あ、どう、どうやって? 今、あのジジイは」

 

『自分で確認したら。私の要件が先よ』

 

「がッ」

 

『初めに尋ねておきたいのだけど。あなた個人が私と敵対していない、というのならば、手伝ってほしいことがあるの。手を貸してくれるわよね?』

 

 青髪として自分が出場すべき競技は全て終わっている。

 そういえば昨日は忙しそうにしていた土御門も、今日は随分とゆとりがある様子だった。

 というか土御門は土御門で初日に謎の怪我を負っている。都合のいいことに上条も、である。

 なぜかと尋問してもいつものようにはぐらかされた。

 

 昼の間、当然の如く質問攻めを開始した青髪を土御門は散々と煙たがっていたので、これにかこつけて上条を押し付けてしまえるだろう。

 

「……そうくるかもしれないと思ってた。なるべく力になる。だけど俺だけだ。手伝えるのは俺だけだ。他のヤツは一切関わらせないぞ」

 

『あなた1人で十分よ。とはいえ今は立て込んでるから、また後日連絡するわ』

 

「わかった。俺ひとりだからな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帰路に就く景朗の足は重かった。

 

 ダーリヤと丹生に頼んで、火澄にも第六学区の基地で待機してもらっている。

 手纏ちゃんには、一度、彼女の父親が滞在するホテルに戻るようにお願いしている。

 

 そもそも今回の騒動を説明するだけでも難事であるというのに、別れ際に特大のセクハラ(よくよく考えればもはや性犯罪)をかましてしまっているのである。

 

(なんであんなことしちゃったんだろ……。最悪、これから死ぬかもて思ってたから気が大きくなってたんだろな……やめときゃよかったああああああああああああああ)

 

 

 頭を抱えつつも歩いているうちに、たどりついてしまった改造秘密基地。

 今のところこのビルには改装中の札を永遠に下げておくつもりである。

 雀の涙のほどの時間稼ぎにもならないのだが、シャッターをあげて正面ルートからビルに入っていく気が景朗には起きなかった。

 わざと回り道をして屋上まで壁を蹴って飛び移り、排気ダクトからセキュリティの点検も兼ねつつ内部に侵入することにした。

 

 まごうごとなき現実逃避だった。

 やりたくないことを差し迫ってやらねばならなくなると、途端に別のことに気を取られる現象である。

 

 彼も例にもれず、テスト前に部屋のちょっとした後片付けをするつもりが気づいたら年に1回クラスの大掃除をぶちカマして時間を浪費し、後悔するタイプだった。

 

 

 外敵を察知するセンサー類に堂々と身を晒して、建物の中に入り、最上階の床に足をつけた。

 ほとんど同時だった。

 

「ウルフマン!」

 

 多足類にも似たシルエットのカギムシ型ファイブオーバー・フェニックス(F.O.Phonix)の背中に跨って、ダーリヤが景朗を出迎えた。

 

 F.O.Phoenixは景朗に向けていくばくかの光の筋を放射し、ピーピーとサインを鳴らした後で本人確認を終えたのか、警戒色で発光するのをやめて通常動作に戻っていく。

 

「どうしてこんなとこからくるのよ?」

 

「いいじゃんいいじゃん。検知器の動作チェック替わりにもなったろ? で、2人は?」

 

「3人」

 

「え?」

 

「あのフワフワアタマのペッタンコもまた来たわ。ついさっきだけど」

 

「マァジ? ……まぁそうか」

 

 よくあの御父上が、手纏ちゃんが帰還したその場でまた自由行動を許可したものだ。

 いやいや正直なところ、逃げ出して無許可でココに来てしまった可能性のほうが高そうである。

 

 

 すっかり会議室のように使い込んでいる喫茶スペースにダーリヤとともに顔を出すと、2人から質問攻めでゲッソリとした丹生がほっとしたように、まっさきに声を上げた。

 3人はカウンター席で並ぶように座っていた。

 

「景朗! ダイジョウブなの?」

 

 彼女の一言は、今回の騒動の後始末を意味しているのだろう。暗部組織どうしのイザコザの後処理という意味でも。

 

「ひとまず大丈夫そう」

 

「景朗さんのお身体のほうは?」

 

 ひとりだけ立ち上がって近づいてきたのは手纏ちゃんだった。

 

「それはもちろん無問題」

 

 手纏ちゃんには昼間に、景朗の体調不良の一部始終を見られている。

 彼女の口からでてきた発言に、腕を組んでカウンターに突っ伏したままジトーっとした目線を送るだけで無言だった火澄から、ほんの少しトゲトゲしさが取れたように感じた、気がした。

 

 火澄にも話したいことがたくさんあるが、真っ先に尋ねておかねばならないことがある。

 

「お父さんは?」

「帰りました」

「ええっ?!」

 

 あの手纏ちゃんのお父さんが、もう一度景朗に会わせる許可を出すとは思えなかった。

 それに、この状況で手纏ちゃんを置いて帰ったというのも信じられない。

 娘を守り切る意志を持った、良い父親にしか見えなかった。

 

「お父様は猛反対していたんですが、ボディガードの皆さんが、みんなして次に襲撃があったとしても守り切れる自信がない、と申し訳なさそうにされてました。SPの皆さん全員に泣きつかれて、お父様もやむなく……」

 

「そ、そうなんだ。みんなクビになっちゃうのかな?」

 

 "学園都市有数の殺人能力者"を相手に怯えを隠しつつも、手纏親子の命を守らんとプロ意識を発揮しておられたすごい人たちだった、それが彼らへの景朗の印象である。

 

「いえ、契約内容を超える状況になってしまいましたので、そこまでの事態には至らないと聞きました。理事会の一派と事を構えられる装備もその想定もしていないから、お役に立てません、と土下座されるくらいの勢いで謝られてしまいまして……」

 

「たし、かに……」

 

 SPさんたちは、手纏氏と景朗の会談でもしもがあれば、つまりは有事の際に暴れだした景朗ひとりを体を張って止めるつもりできたのに、フタを開ければ学園都市の理事クラスが動かす暗部特殊部隊を相手にしろ、ではハナシが違ってくる。

 まさしくそれを成し遂げようとするならば、各国が保有する特殊部隊の精鋭クラスが出張ってくる案件である。

 

 

「でも、俺、二度と関わらないって約束したのに」

 

「そんな約束、とっくに破ってしまってるじゃないですか」

 

「そうだけど……」

 

「景朗さんは紳士的でした。私を助け出してすぐにお父様のところに送り届けてくださいました。あっさりと手放すことができる人物なのだから、それなりに安全だろう。もうしばらく預かってもらうことにする、って。勘違いしないように、後で必ずお礼はする、と言ってました」

 

(お礼参り的な意味でのお礼じゃないよね、ソレって)

 

「そっか。許可をもらってきてるのならよかったよ」

 

「ゆっくり"あの時のお話"の続きができますね?」

 

 ニコッとほほ笑まれたが、獲物が射程圏内に収まったのであとはゆっくり料理するだけだ、という肉食獣の余裕じみた威圧感を少々感じてしまう。

 笑み(smile)の起源は威嚇するときの表情からきている、とかなんとかそういう説を景朗は思い出した。

 

「そう、なんだけど。今は真っ先に状況を説明してあげないといけない人を優先してもいいかな……」

 

 景朗がそう言いつつ向き直ると、火澄はビクッと身を縮こませつつも、攻めるような訴えかけるような視線だけはなおいっそう強くして睨む。

 

「いやその、説明の前に、その……セクハラしてすいませんでしたっ!!」

 

 先手をうって軽く土下座をする。

 青髪ピアスのときに吹寄たちに何度かやっているので、もはや慣れたもの。

 その動作はきわめてスムーズでありナチュラルすぎるウェイトシフトで、瞬きする間に床に頭が接着している。

 

「はぁーっ。もういいからカオあげてよ。ある程度は深咲と丹生さんにハナシを聞いたけどさ、」

 

 いくらかあの時から時間は経っている。

 自分から土下座してきた男に追撃を加えるほど火澄も鬼ではなかったらしく、究極に呆れたようなため息一つで、謝罪を受け入れてくれそうだった。のだが。

 

「……そういえば景朗さん、私には?」

 

「え?」

 

わけがわからず、といった彼の反応に、ムっと頬をしかめつつも照れて頬を赤らめるという二つの動きを同時進行させた手纏ちゃんは、爆弾発言をほうった。

 

「私の裸だってご覧になったじゃないですか?」

「「「!?」」」

 

 まずい。ゴクリ、と景朗は息を飲み込んだ。

 

「それに裸のままずっとくっつかされましたし。私にだって。何もおっしゃってくれないのは少々、無責任、かと」

 

(俺がここに来る前にだいぶ3人で話し込んでたみたいだけど、その辺の説明をしてなかったのはきっとワザとなんでしょうねえ?!)

 

 長い長い一日の最後に、さてようやく腹を割って事の成り行きを語ろうか、という空気感が出ていたはずだったのに。

 

 手纏ちゃんの話をスルーして先に進む方法はなさそうである。

 

「ねえ『逃げも隠れもしない』っていってなかったっけ?」

 

 言い訳や言い逃れを口にする前に、目を細めた火澄は逃げ道を絶った。

 

「大したことじゃないっていうか」「たいしたことないんですか、そうですか」

 

 『アレ』でたいしたことがないとおっしゃるのなら、またやってみせても平気ですよね? と手纏ちゃんの目は雄弁に語っていた。

 

「いやいやいや、仕方が無かったってヤツだよ。だって、助けに行った時には既に手纏ちゃん脱がされてて、つーか裸にひん剥いたのは俺じゃないっての!」

 

「でも帰るときに無理やり私を背負いましたよね。抵抗したのに……」

 

 丹生さんに援護射撃を求めようとしたが、どっちかわからなくなっていた。

 

「カゲロウ、ずっと大変そうだったけどそうでもなかったりしたんだねぇ……?」

 

「ずっと大変だったっての!」

 

「わかったわかった。景朗、深咲にも謝って」

 

「なぁっ。あぁ、その、手纏ちゃん、遅れちゃったけど、いろいろと不躾なことしてごめん……ね」

 

 もういちど頭を床にくっつけようとした景朗だったが、焦った手纏ちゃんに止められてしまった。

 

「やめてください! その、あの、ひとこと、言ってくれればそれでよかったんです。さあ立ってくださいっ」

 

 照れもなく、緊張もなく、遠慮もなく、しっかりと景朗の手を掴みあげた手纏ちゃんに、景朗もそれが当たり前だというように平然と応えていた。

 

 既に違和感をバリバリに感じていた火澄・丹生・ダーリヤの3人は、そこで確信に至った。

 二人の距離感が不自然なほどに近い。近くなっている。

 

 手纏ちゃんの所作は、百の説明よりも劇的に二人の関係性の変化を第三者に伝えたのである。

 行動は言葉よりも雄弁に語る、というやつだ。

 

 『いまさら手を繋ぐことくらいどうってことなよね。だってあんなことがあったんだから……』

 そんな風な親密さが、景朗と手纏のやりとりをここにきて初めて観察したダーリヤにすら露見してしまったのである。

 

 

「……はい、おしまいおしまい。もう、ハナシもどすからね。いや戻すっていうより、ていうか戻さない。状況の説明はいらないから、景朗、アンタがこれからどうするのか聞きたいのよ、今は」

 

「どうするってなにさ?」

 

「これからどうやってアンタの置かれている立場を改善してくか、ってハナシにきまってるでしょ!」

 

「えーっと、だからさ、カスミちゃん、その話は」

 

「丹生さんぜんっぜん教えてくれないんだもの。まあ、景朗に直接聞いてってのは最もだから、そうさせてもらいます。てこと。景朗、わかった?」

 

「説明は。ことに至った経緯は話すっていったけどさ。それ以外の事情は話す気はない」

 

「はぁ?」

 

「ていうか、"話せない"」

 

「あのね。アンタのせいでわたしや深咲も、これからも危ない目にあわされるかもしれないんでしょう? それはよぉぉ~っくわかったし、今回だってひょっとしたらターゲットがわたしであってもぜんぜんおかしくなかった、てのは丹生さんに聞いたから。今はそうなる理由もよく理解できてる」

 

「ほんとうにごめん」

 

「だから、迷惑かけてごめんなさい、だなんて言葉を毎回ことが終わってから聞く前に、解決できるならあんたのほうから能動的に動いて解決してほしいってワケ。わたし間違ったこと言ってる?」

 

 仄暗火澄は同調するように手纏深咲にアイコンタクトを送った。

 が、返ってきた反応は予想の反対だった。

 

「いいんです。わたしは景朗さんにことさら追及したりしません」

 

「どうして?!」

 

「景朗さんも被害者だったんだ、って、襲われてはっきり分かったんです。嵐の海で揺れる木の葉のように、景朗さんだって沈まないように必死にしがみついているだけ、なんだと思ったんです」

 

「それって、こいつ(景朗)が悪い状況から抜け出そうとしないのを許す理由にはならないとおもうんだけど?」

 

「抜け出そうとしてないわけじゃない」

 

「じゃあ、なんでそれを教えてくれないの? いってくれてもいいんじゃないの? わたしたち、関係あるんだよね? あなたのせいで。いつも『自分のせいでごめん』って言ってくれるけど、それが本心なら、少しは『こうこうこうやって対応してます』って説得くらいしてコッチを安心させてよ?」

 

「……話せない、てのはつまり……そんなもの、はっきりとは無いってのもあるんだよ」

 

「きっとそれは真実だと思います。火澄ちゃん、それで納得するしかないんです」

 

「アタシからもそれは本当だって言いたい。それに、知れば知るほどカスミちゃんに悪い影響を与えることはあっても、決していいことは、なんにもないよ」

 

「本気? じゃあいったい深咲は何のためにココに来たのよ?」

 

「わたしは景朗さんのお手伝いをしに来たんです」

 

「深咲もコイツに厄介者扱いされてるじゃない。手伝いなんてさせてもらえそうにないけど?」

 

「厄介者扱いなんてしてない!」「そうだよ、カスミちゃんそんなことないよ!」

 

「丹生さんと違ってワタシ達は状況がわかってないのに、納得だけして帰れなんて無理じゃない?」

 

「わかった。納得してくれないのも無理ないって、よくわかった。それなら納得してくれなくていい。それでも俺は"話さない"。話せないじゃなくて話さない」

 

「この期に及んでまだそう言えるんだ。私たちは。被害を受けるかもしれない。今回はこうして実際に被害がでた。けれども部外者扱いされ続けて、あなたの問題ってやつの解決方法、どころか、いつ終わるのかすら知る権利もないってコトなんだ?」

 

「そのとおり、火澄たちは一方的に被害を受けるだけ受けつづける、迷惑きわまりない立ち位置にいつづける」

 

「それで平気ってワケ?」

 

 パチッ、パチッ、と静電気の火花が散るような音がする。火澄は武力行使も辞さない覚悟をキメ始めている。

 

「でもそれはもっともマシな選択肢だと思ってる」

 

「はい?」

 

「丹生のように、丹生のように裏社会に染まって一生抜け出せなくなるよりずっといい。一度でも"こっち"の仕事に関われば、ずっと平穏に暮らせなくなる!」

 

「そうだよ、アタシだってまだ完全には抜け出せてないんだよ?」

 

 とうとう丹生も我慢ができず、景朗に助太刀するように同意する。

 

「あのねぇ実際、今でも平穏に暮らせてないんだけど?!」

 

「平穏の意味が違うよっ!」

 

 丹生に続いた景朗はきっぱりと言い切った。

 

「でもいつか必ず終わりは来るよ。終わりがくるというより"終わらせる"つもりだから。今は言葉でしか保証できないけど。絶対に」

 

「"終わらせる"ってなに? どうせまともな方法じゃないから胸張って私に言い返せないんでしょう?! 犯罪に犯罪で返して強引に片付けて『ハイ解決!』っていうつもりじゃないでしょうね?!」

 

 景朗は火澄の切れ味の良い問答に、無言で肯定の意を返した。

 そこでついに沸騰した彼女の怒りは凶悪だった。

 バチン! という頬を張る音はあまりに大きく、そのあとは静けさがやってきた。

 

「あのね、そうじゃないでしょ?! 違う、違うわよ! わたしは、危ないことするなっていってんの。言い方が悪かったわよ、もう迷惑かけるななんて言わないから。かけてもいいのよ、もうあなたを責めないから、危ないことしないでっていってんのよっ」

 

 火澄の長いセリフの、その終わり際には明確に泣き声が混じっていた。

 誰もがいたたまれなくなって、静けさが訪れて。しかしその静寂を破ったのも火澄からだった。

 

「悪かったわよ。ごめん、ここで話さなきゃならないのは、アンタの今後をどうするか、よ」

 

 

 景朗は丹生を見て、その後でPCとにらめっこしながら勤しんでくれているダーリヤの姿を眺めた。

 

 チラチラと目が合うたびに、ダーリヤは口をはさみたそうにしている。 

 それでも仕事を優先して、今回の猟犬部隊を動かした事後処理や助太刀してくれた迎電部隊への連絡などの雑処理をこなしてくれている。

 

(俺はダーシャに守るって約束した)

 

 危ないから、危険だからって理由で身を引くわけにはいかない。

 身を引けない、じゃない。俺は、引かないんだ。

 悪いことをしすぎてしまった。もう後戻りできないところにいる。

 

 

「正気か? って疑うだろうけど、それでも言うけど、まともな方法じゃあなんとかならないんだよ」

 

「何言ってんの? 警備員(アンチスキル)や、教育委員会、この街のPTAだってそうとうな規模よ? やってもムダだなんてあきらめる前に使えるものはすべて使って助けを求めなきゃ!」

 

 

 火澄の言い分は間違っていない。すくなくとも、表の世界の常識では。

 

 前回、火澄が目撃したのはあくまで[第二位という学生が率いた集団が襲ってきた事件]である。

 今回のように一流の権力者(木原幻生)が企て、学園都市の純正機関が襲撃をしかけてくるような事態は景朗にもお手上げだろう、とのその意見は最もである。

 そう、もっとも一般的な意見だ。暗部のことを知らない一般人が持つものとしては。

 

 

 

 しかし。学園都市の暗部を取り巻く問題は、根が深い。どこの国にだってマフィアや暴力団は存在し、そういった組織と公的機関との癒着の問題は耳にするので、この街にも裏社会(暗部)が存在すること自体は不思議ではないのかもしれない。

 

 だがこの街のソレは、癒着だなんてレベルではないのだ。

 

 表向きには、この街は独立国家だし選挙も行われている。

 だが裏をよく知る人間にとっては自明である。

 実際は、統括理事会、とくに統括理事長の独裁状態といって差し支えない。

 

 政府も警察機構も裁判所も、学校も研究機関も、そして問題の"暗部組織"すらも、すべてを統括理事会が掌握している。

 

 クレア先生に景朗が泣きついたとしても、聖マリア園ごとたやすく消し潰されるのは火を見るより明らかだ。

 だからこそアレイスターは、それをよくよく理解している景朗を、高級な首輪もつけずに人質を取るだけで奴隷に堕とせるのである。

 

 

 彼はもういちど、幼いダーリヤを見た。

 

 こんなに頭のいいダーシャですら、ロシアの諜報機関に狙われて暗部を頼った。

 この街のおめでたい福祉施設や警察機構には頼らなかった。

 暗部に落ちた子供を救助するようなシステムは、この街にはないのだ。

 あたりまえだ。

 ガキんちょどもを裏社会に陥れて使いつぶす現在の仕組みを作ったのは、そもそも"この街"なのだから。

 

 権力者の中には、暗部で消費されていく能力者の児童たち。そのサイクルすら学園都市が用意した"実験"だと考えている者すらいるのである。

 

 

 光が届かない深海のような暗部の絶望の中で、ダーシャはずっとずっと、ウルフマンを探していた。

 

 すがりつく場所がどこにもなくて、この子でさえ、"ウルフマン"という小さな小さな在って無いような可能性に希望をつまんでのせるので精いっぱいだったのだ。

 

 ダーリヤ以外の、暗部で孤独に生きるチビっこたちは何にすがっているんだろうか。

 

 政府機関。警察組織。そういった表の陽の当たる場所に、自分たちを助けられるチカラがないと"彼ら"は知っている。

 暗部の子供はみんなその絶望を抱えて、少しでも自分より弱いヤツを陥れて生き延びようと必死になっている。

 

 

 垣根はそれを是正したくて戦った。しかし現在第二位の地位を得るほどのポテンシャルをもっていた当時の超能力者でさえ、凄惨に敗北して理事会の飼い殺しとなった。

 

 

 それを変えようとしているのが反アレイスター同盟だ。

 これだって果たして成功するのかわからない危うい賭けである。

 でも、組むしかなかった。組まざるを得なかった。

 この街には、いやこの世界には、アレイスターの忠犬として活動してきた景朗を信用してくれる仲間など、どうやら他にいないらしいのだから。

 

 

 

「やっても無駄だし、おいそれと火澄がそんなマネできないように何一つ証拠品なんて渡さない。その上で余計なまねをしようとすれば全力で止める」

 

「偉そうに『とめる』って、何するつもり?」

 

「金を払えば記憶を消してくれる専門の人たちもいるから」

 

「信じられない……」

「私だってそんな下劣な真似には精いっぱい抵抗させてもらいます」

 

 火澄には、景朗の姿が自ら炎に飛び込む分からず屋のように見えているのだろう。

 彼女は自分を助けたくて仕方がなくて、気が狂わんばかりの熱心さで説得を試みてくる。

 それが喜ばしくないわけがなかった。

 

 

 だというのに。

 とうとう彼女を相手にあんな台詞を吐きかける事態にまで陥らせてしまった。

 これまで何度も想像してきた。

 火澄に敵対的な物言いをすること。

 それは想像するだけでもいやなことだった。

 

 実際に口にすれば、ことさら喪失感が滲んでいた。

 景朗の平常心はもうこれ以上ひとことだって言葉にしたくない、と叫んでいた。

 

 涙の粒が目じりに光る火澄の表情に、景朗と敵対してしまう怯えや不安、哀しみの色が大きくなっていく。

 

 それを目の当たりにして、こっちだって頭がおかしくなってしまいそうだったけれど。

 

 

 

(どうする?

 俺は今日、死にかけた。

 死ぬはずだった、らしい。

 

 で?

 明日、死ぬとしたら? 

 明日死ぬとしたら火澄に話すか?

 

 話したいことを。

 話すか?)

 

 

 子供の頃、火澄が大能力者になってしまって。

 それは嬉しかったけど、寂しくもあった。

 けれど、遥かな未来に、躍進する火澄の姿を思い描くと。

 遠くにいってしまう事実すら呑み込めて、俺は喜んでいた。

 

 やっぱり。

 明日死ぬんだとしてもなおさら、あの光景を穢したくはない。

 

 話さない。このまま墓まで持って行くべきだ。

 

 

 火澄のことは、家族のように思ってる。

 でもここで、俺たちの住む世界はやっぱり別にした方がいい。

 

 俺は馬鹿をした。その償いはしなきゃ。

 その結果に家族との別れが来るんだとしても、やらなきゃダメなんだ)

 

 

 

 このどうしようもない状況を火澄に伝える必要なんてない。

 人知れず、幼馴染が馬鹿をやって消えていったのだと。

 自業自得で消えていったのだと思ってほしい。

 

 そうすれば、彼女は誰も恨むことなく、前へ進めるはずだ。

 自分が居なくなった後でも。

 

 

 

 景朗は突拍子もなく、ダーリヤに呼びかけた。

 

「ダーシャ、ぜんぶ終わった?」

 

「まだよ」

 

 あまりに突飛なタイミングだったが、チビッコは打てば響くように答えてくれた。

 

「ごめん、いまから手伝う。てなわけでだいぶ時間も経ったし、こっちにも実はやることあるんで、これで話は終わりね」

 

「何言ってんの! ここで自分勝手に終わりにするなら、私だって勝手にやらせてもらうからね!」

 

 初めてだった。景朗は爪を刃物のようにするどく伸ばして、火澄につきつけた。

 能力で彼女を脅したのは、生まれて初めてだった。

 

「やめろ!」

 

 有無を言わせず、敵対者を睨みつける。

 これまでの人生で、そんな表情を彼女に向けたことなど一度もなかった。

 

 火澄は強ばり、現実味のない裏切りを反芻するかのようにしばし立ち尽くした。

 

 少女は怯えていた。

 昔から一緒に育ってきた少年は、数百人を殺してきたその冷たい敵意を、威圧するように露わにした。

 

 "不滅火焔(インシネレート)"をあやつる大能力者の少女は、そこで思い知った。

 

 "超能力者"の殺人の間合いに自分が立っていることを。

 

 

 子供の頃はいくどか喧嘩もした。ぜんぶ、少女が少年に勝ってきた。言葉で、げんこつで。

 今日だって、わからず屋の少年を喧嘩をしてでも説得するつもりでやってきた。

 でも、これは"違う"。悟ってしまった。目の前の相手が本気になれば、"喧嘩"になど成りえない。 

 

 

 いじめられっこにおびえていた少年は、あの当時と似たような強がりを顔に張り付けてはいるけれど。

 もうその中身には、簡単には吹き消せない意志が詰まっていた。

 時には投げ出し、逃げ出していた少年はもはやいなくなっていて。

 怯えた顔はそのままに、闘い抜く覚悟を持った青年へと成長を遂げていた。

 

 

「知らせちゃダメなことは知らせられない。これが結論。悪いけど、もう帰ってくれ」

 

 搾り出すように、景朗はできるかぎり優しい口調で語りかけた。

 

 暴力をチラつかせて、相手を脅す。

 とうとうそれを火澄相手にやってしまった。

 間違った。間違いだった。やらなきゃよかった。やるべきではなかった。

 そんな後悔だけが、彼の胸中で吹き荒れていた。

 

 それでも表情には決して出さない。

 

 

 頬に涙が流れた跡を残した火澄は、すがるように友達の二人をみた。

 二人からは微かな嫉妬が向けられていた。

 冷静ではなかった火澄にはその理由がわからなかった。

 

 

 

 雨月景朗は、責任感から手纏深咲には話した。

 

 しかし、仄暗火澄には彼自身のエゴで話さなかった。

 

 その差が生じた要因は明白だ。

 

 

 丹生多気美は『これが終わったらアタシからも話すことがあるから』と目つきだけで景朗に伝えてきた。

 それに気づきながらも、残念ながら彼にその瞬間にその場で弁明することはできなかったが。

 

 

 孤立を感じた火澄は怯えを断ち切るためか、己を奮い立たせて叫んだ。

 

「家族だと思ってたのに!」

 

「結局は赤の他人だろ」

 

「なによ! 昔は私のこと好きだったくせに!」

 

「別に今でも好きだけどな」

 

「はぁ?! なに!? なにっ?!」

 

「つってもそれはもうどうでもいいことなんだよ俺にとっては。そっちはそっちで元気にやれよって、それだけが言いたかっただけさ。さぁもう帰れよ」

 

 

 

 負けん気を振り絞ったのであろう火澄はもう一度、景朗を強い視線で見つめた。

 それからは何かを告げる暇もなかった。

 

 

「深咲、帰りましょ」

 

「まだお話することが残っていますので、私はあとで帰ります」

 

 いえもう残ってないです、と景朗はその場で言いたかったがもちろん言えなかった。

 

「そっか!」

 

 もはや一言の憎まれ口すら叩かずに、きびすを返して少女は出口へとぐんぐん向かっていった。

 彼女が外へ出てから、景朗はいそいそとそのあとに続こうとした。

 

「景朗? どこいくの?」

 

 まてまてまて、と言わんばかりに詰問したのは丹生だった。

 

「いや、火澄あぶねえし。送ってかないと」

 

「無理でしょ」

 

「わかってる」

 

 今の火澄に『家まで送ってくよ』なんて声をかけても無言の火炎放射が飛んできて、走って逃げられるに決まっている。

 あるいは『暴漢が追いかけてくる』と叫ばれて警備員を呼ばれるやも。

 

「だからバレないようにこっそりあとをついてく」

 

「……あのさ、カゲロウさん」

 

「なん、スか?」

 

 丹生さんってば最近、笑いながら怒るのがすっかり上手になりましたね。コワイっす。

 

「蹴っとばしていい?」

 

 蹴っ飛ばしたくなる理由、か。山ほどありそうですね。

 

 景朗は大人しく一発蹴られてから火澄を追いかけた。

 手纏ちゃんは『よくやった!』という顔で丹生を見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さっきはゴメン。脅してゴメン。あれは完全に俺が間違ってた」

 

 早歩きで駆けるように道路を蹴っていたその背中に、ダメ元で景朗は呼びかけた。

 

 一度はこちらを見てくれたが、すたすたと彼女は無視して歩き出した。

 ひとまず警備員(アンチスキル)は呼ばれなさそうだったので、そのままあとを付いていく。

 

 2人はしばらく歩いた。そして歩きながらに、唐突に火澄はポツリと言った。

 

「何?」

 

「昨日の今日だろ。危ないから家まで送る」

 

 予想外にも彼女はピタリとその場で立ち止まった。

 

「じゃあ、ちゃんと送って」

 

 許しを得たので、距離を詰めた。

 それでもまだ若干の空間をあけて立ち止まった景朗に、不服そうな声がかかった。

 

「送るんでしょ?」

 

 がしっと手を掴まれた。ぐいぐいと火澄は引っ張って歩き出した。

 

「さっきのハナシだけど」

「あ、ダメだぞ。外ではダメだぞ誰に聞かれてるかわからない」

 

「じゃあ口をふさげば?」

 

 火澄はぶしつけに先ほどの内容を繰り返し始めた。

 しかたなく景朗は彼女の真後ろに回って、まるで背後から抱え込むように、もう片方の手を当てた。

 いったん離れ離れになってしまった手を、火澄はもう一度自分から繋ぎなおした。

 

 二人一列となった歩きづらさから、歩みは自然と遅くなった。

 

 

「わわ、噛むなよ」

 

 最初のひと噛みはなかなかに強かった。

 けれどそのあとは手加減がやってきた。

 ガジガジ、と手の平を猫のように甘噛みされている感覚。

 攻撃的な意思を感じなかったので、そのままに道を進む。

 

 駅への向かう途中で、深夜徘徊するスキルアウト2人組とすれ違った。

 『爆発しろ』と言ってそうな剣呑な顔で、中指を立てられてしまった。

 気まずさと気恥ずかしさから、景朗の忍耐もそこで尽きる。

 火澄のクチからついに手を離した。

 

 

「あぶな。二人組でよかった。3人組なら絡まれてたかもだぜ」

 

「ふうん、そういうもんなの?」

 

 会話が途切れるが、手をつないでいるせいか居心地は悪くない。

 

「わたし諦めないからね」

 

「何をだよ。あのな、俺はお前の邪魔をしたくないんだよ」

 

「深咲ならいいのに?」

 

「良くない。あとでかならず説得して諦めてもらう」

 

「丹生さんは?」

 

「あいつは最初から巻き込まれてたじゃんか。だって親がそう(暗部)だったんだからな……」

 

「……あ~! 私だって暗部にもがッ」

 

「だからやめろって、なんだよもうっ」

 

 バラされたくなければ再びクチを塞げといわんばかりのわざとらしさだったので、お望み通り景朗はもういちどそのクチに手を当てた。

 とたんにガジガジと甘えてくるような二度目の、火澄の、口内の感触。

 あたたかい歯の硬さと熱い舌の柔らかさ。

 そのコントラストは景朗の感情にストレートに響いていた。

 

「これ気に入ったの……?」

 

「ふん(うん)」

 

「あ、今ナメただろ? 小学生かよ……」

 

「ふぁふぁひのほほふひふぁっふぇひほへははふぇ? (わたしのことすきだってみとめたわね?)」

 

「なんて言ってるかわかんないッス。ごまかそうとしてる?」

 

 

 甘噛み遊びは電車の中ではさすがに遠慮させてもらったが、ずっと手は繋いだままだった。

 エリート校が集う第十八学区は、第六学区のほとんどとなりのような近さだ。

 それほど時間はかからなかった。それ故に、意味のある会話もさほどできなかったけれども。

 ついさっき幼馴染史上最大級のひどい喧嘩を繰り広げたというのに、なぜだか小学生のころに帰ったような雰囲気で、心は落ち着いていた。

 

 

 火澄の住むマンションの前までやってきて、正面ゲートで別れる間際に、彼女はむすっとした顔で手を振ってくれた。

 手を振り返すと、ニヤリ、と不敵な笑みを一瞬だけ見せて。

 彼女は、ちょいちょい、と小さく手招きしている。

 

(家に寄ってっていいの?!)

 

 その誘惑は筆舌なほど凶悪で、景朗としてもうなずくギリギリの瀬戸際だった。

 

 とはいえ先ほど『このあと手纏ちゃんを説得する』と大見得を切ってしまっている。

 その舌の根の乾かぬうちに情けないところは見せられない。

 

 殺し合いでもするかのような喧嘩をしたあとに、こうやって一気に和やかなムードになるのは不思議だが、男女のあいだではそんなに珍しいことではないと世間話で耳にしたことがあったけれど。

 本当だったとは。

 

 心の声は『行きてぇ!』とダンスを踊っていた。

 しかし、ぎこちなくとも景朗がもういちど手を振ってさよならをすると。

 スンっ、と表情を変えた火澄はあっさり帰っていった。

 

(え、なにこれ、この残念で血涙でそうな悔しさと後悔……俺、ダメだろこんなんじゃ。優柔不断ってやつだぞコレは。何やってんだよしっかりしろ……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 手纏ちゃんと丹生は泊まっていった。一晩中説得した成果と言えるのか、ひとまず翌朝、手纏ちゃんは丹生と一緒に火澄のマンションに帰っていった。

 

 ダーリヤは人見知り全開で手纏ちゃんとはほとんど会話をしなかったし、手纏ちゃんもそれを気にするどころではなかったので若干寂しそうだったが、仕方がなかった。

 

 

 その後すぐに、ゆっくりする暇もなく蒼月(くさつき)から連絡がきた。

 手纏ちゃんが誘拐されたとき、"迎電部隊"にはいち早く幻生の情報の裏をとってもらっている。

 手早い手助けの礼をしなければと思っていたが、謝礼の代わりは『とある場所に来てくれるだけでいい』と返されてしまったのである。

 

 そんな言い方をされれば、逆にお金を渡してありがとう、と言うよりもよほど厄介な案件が待っているのではと思わずにいられなかったが、景朗は断わなれなかった。

 

 

 第十九学区には、はたから見れば閑古鳥が嘶く古風な釣り堀がある。

 人がいなければ破棄された空間ではないかと勘違いしそうな外観はそれはもう、どうやって採算を取っているのか不思議な佇まいだ。

 そこが蒼月との密会場所のひとつであり、明日、赴く場所である。

 

 

 『君に万が一があったとき、その後を引き継ぐ人物も一緒に連れて来てくれ』と念押しをされていたので、安全な案件かどうかを再三確認してから、嫌々ながらもダーリヤを一緒に連れていく。

 

 たしかに、いよいよもって景朗とて、いつこの世から消え去るかわからない状況になってきた。

 突然アレイスターに裏切られでもすれば、刺客を送り込まれて消されるかもしれないし、ヤツに直接始末されでもすれば、ダーリヤや丹生の行く先が心配だ。

 丹生のために調整した血液(体晶入り)のストックなど、いろいろと準備はしているが、物質的なものの準備だけでは当然ながら万全ではない。

 肝心の、行動の指針を示す具体的な計画策定やリーダーシップをとる者の取りまとめなどは、お世辞にも進んでいるとは言い難い。

 

 蒼月の口ぶりから、そういった至らぬ点を解決する光明にでもなるかもしれない、と自分を無理やり納得させての、ダーリヤの同伴だった。

 

 一方で当のダーリヤは『明日、釣り堀にでもいくかい?』といえば二つ返事でOKをだした。

 夜中にゴソゴソとやっているなぁと思いつつ迎えた翌朝、景朗を出迎えたのは子供用の軍用潜水装備といういささか矛盾した代物で体中をガッチガチに固めたゴキゲンなプラチナブロンド童女だった。

 

「だれがSEALsのブートキャンプに行くっていったよッ!?」

 

 ぺしん、と軽くアタマをはたくも、ダーリヤが装備した幽鬼のごとく恐ろしげなデザインの潜水用フェイスベールの分厚さに阻まれ、想定通りに彼女には毛ほどもダメージは入っていない。

 

「つかコレあれでしょ? フロッグマン(水中工作部隊)ってやつの装備でしょ?」

 

「キッズ用のXSサイズもあるのよ」

 

「だからなんでだよ……どこのどいつがそんな物騒なもん造ってんだよ。余計なモンこさえやがって!」

 

 あーだこーだと愚痴をバラマキつつ、せめてダーリヤの顔だけでも見えるようにとカチャカチャと装備を外そうとするも、思いのほか複雑で景朗は苦戦した。

 なされるがままのダーリヤはいつのまにか小ぶりのコールドスチール製ダイバーナイフを手にしており、『ひゅひひ……』と魚を釣り上げる前からご満悦そうにトリップしている。

 きっと無抵抗の哀れなる小魚のハラワタをかっさばく妄想でもしているのだろう。

 

「おいこれどこから外すんだよ? ちょっとダーシャさん? お前さんも協力しろよ髪の毛挟んだままひっぱったら大変だぞコレ」

 

 ゴツいマリンゴーグルで表情は覗えないが、おそらく嗜虐の笑みを浮かべたままであろうチビガキは、まったく聞く耳をもってくれなかった。

 

 

 

 

 

「ウルフマン、水族館があるわよ」

「どうみてもやってないんじゃないアレ」

「……やっぱりこの学区つまらないわね」

 

 第十九学区は寂れまくっているエリアなので、目的の釣り堀のおとなりに併設されていた小さな水族館もあたりまえのように閉館してしまっていた。というか水族館のついでに釣り堀もつくったら先に水族館が潰れてしまったんじゃないだろうか。

 後続の第十三学区の博覧百科(ラーニングコア)や第十五学区の天体水球(セレストアクアリウム)なんていう実力派ライバル相手に太刀打ちできるわけがなかったのだろうが、だとしたら作られた時期は大昔なのかもしれない。

 

「ふるい。きたない。くさい」

 

 なんかこうフェンスや手すりが全体的に赤錆まみれな巨大いけすの、そのほとんど深緑色の水面をみて、ダーリヤはさらにがっかりしたようだった。

 

「なんか建物の造りが学外っぽいよな」

 

 聖マリア園の視聴覚室に保管してある大昔の映画では、だいたいこんな風に打ち出されたコンクリート造りの建物がでてくるものだった。

 

 屋内にも屋外にも魚がうようよ泳いでいるいけすがあるが、どこにでもぽつぽつとお客さんがいて、ほとんどが無気力そうに竿を握っている。

 中にはもはや釣竿すら持たずに、ひたすら魚に撒き餌をやって時間を潰しているヤツらもちらほらと。

 

(撒き餌は禁止って張り紙してあったけどな……)

 

 学園都市の施設にしてはたいそう珍しく、大学生やおっさんオジサンばかりで客層の平均年齢が著しく高い。

 

 

「"ネモ(蒼月)"は?」

 

「こっちから声をかけるからテキトーに遊んでろ、ってさ」

 

「じゃあ、やるわ!」

 

 二人そろってカウンターでひととおりの釣り具を貸出してもらっている。

 ダーリヤはタックルケースの中身をぶちまけて興味深そうにツールをイジっている。

 もともとそういう作業が好きなのだろう。こちらから声をかけなければいつまでもそうしていそうな、のめり込み具合だ。

 

 景朗といえば本音をいうと釣りそのものには興味がなかったので、予習してきたダーリヤにあれやこれやと糸の結び方などを教えてもらって、とりあえず釣り糸を水槽に垂らす塩梅だった。

 

 キラキラ輝く水面からの反射光が煩わしかった。

 景朗が能力で眼球の中身をちょいとイジくって光にフィルターをかけると、水中で蠢く魚群はすんなりまるみえになった。

 ダーリヤにはそれが見えていないらしく、おまけにドタバタと水槽のフチで騒ぐので魚が逃げているのに気づけていない。

 

「釣れない。釣れないわ。これつまんないわ」

 

「落ち着きなよ。というか静かにしな、静かに。音たてまくってるから魚が反応して逃げてる逃げてる」

 

「Shit. Bullcrap...」

 

「おいクチ悪いぞ」

 

 ギラギラした眼で魚を睨み続けるダーリヤは、はやく魚をいたぶりたくて仕方がないらしい。

 はぁーっ、とため息をついた景朗は、とっくの昔に餌を食われ尽してむき出しになっていた三又フック状の釣り針を、水槽の底に漂わせたまましばし息を潜め、ややして剛力で引っ張った。

 

 猛スピードで浮上した釣り針は、その途中で狙い通りに1匹の魚のエラに引っかかる。

 

 バシャバシャと泡立つ水面にピラニアのごとく反応したダーリヤは自らの釣竿をほっぽり、駆けつけてきた。

 

「あっ! 釣れた? 釣れたの?!」

 

「釣れたってより、引っ掛けたぜ」

 

 地面に揚げられた魚くんは猛烈な跳ねっぷりだったが、がしっと無造作に掴んだ景朗の手で抑えられると、その隔絶したパワー差であっという間にみじろぎできなくなった。

 

「わたしによこしなっ、ごほん。わたしがサバくわ! まかせてちょうだい! ハァハァ」

 

「いいけどできんの?」

 

「知ってるわ」

 

 ぷるぷるとダーリヤの手先のナイフは震えている。興奮で震えているのかどこを刺すのか迷っているのか、どちらなのか全くわからない。もしかしたら両方だろうか。たぶんそうだ。

 

「魚をさばいたことあるんだよな?」

 

 今はもういないダーリヤのマーマとやらと、一緒に料理したことでもあったんだろうか。

 

「ない」

 

「ちょ、それは知ってるってカウントしちゃダメなやつだろぉ?」

 

「ひゅわあ!」

 

「おーザクっといったな。おい、血はでてるけど全然身に刃先が入ってねえじゃん」

 

「はぁ、血が、生命(いのち)が……生命がこぼれていってるわ」

 

 ダーリヤにとってはまさしく法悦のひと時のようだ。

 

「なあコレ、はやくトドメをさしてあげないと可哀想じゃないか?」

 

「わかったわよ、ウル、ガローほど殺すのは上手じゃないのよ、仕方ないでしょう」

 

 ウソつけトリップするためだろ。

 

「はいはい……というか最初にシメてからとかじゃないんだっけ」

 

「おーい、みてらんねえよ兄ちゃんたち」

 

 わりとちかくで釣りに興じていたオッサンがみかねたのか、近寄って話しかけてきた。

 ノーネクタイ、シワの寄ったワイシャツは肘まで腕まくりしていて、くたびれた雰囲気がみごとに釣り堀の客層にマッチしている。

 

「こんくらいでけえなら脳天締め……はっはっは、これボラじゃねえか。アタマが硬ぇからサバ折りだな」

 

「プロレス技?」「なにソレ?」

 

 妙にひとなつっこいおじさんだった。人見知りするかと思っていたダーリヤまで話しかけている。

 

「まず止めを刺すんだよ。いつまでも暴れられちゃあ危なくて刃も入れられねえだろ?」

 

 おじさんはエラの下に両指をいれて、グキッと曲げて魚の背骨を折るようなポーズをした。

 

「やる! 私が! やる!」

 

「おう嬢ちゃん、やるならおもいっきりな! ボラはけっこう硬いぞ。でもまあ何ごともチャレンジだ」

 

「ふっ! ぬっ!」

 

 ダーリヤはボラのエラに指を突っ込んでひん曲げようとしているが、あきらかに角度が足りていないように見えた。

 

「できた?」

 

「ぜんぜんダメだ、もっとくの字に折り曲げるんだよ」

 

「くぬっ。ぬっ!」

 

 ダーリヤが何度か挑戦しているが無理そうである。

 おじさんは次の行動を促すように景朗をじっと見つめてきた。

 俺がやんのかよと表情に出すと、さらに見咎められてしまった。

 

「ったく。こういうのは釣った本人がやんなくちゃダメだろうそりゃあ」

 

「ダーシャ、ほら、俺がやるよ」「ええー」

 

 文句を言われたが、ともかくこのままではボラくんが可哀想なのは確かだ。

 景朗は気の進まない顔を浮かべたままでも、さくっとサバ折りを済ませてしまった。

 

「締めたら血抜きだ。バケツ用意してあるからホレ、ここに入れちまえ」

 

 結局、そのおじさんには頭が上がらなかった。準備も知識も不足し、何も用意ができてなかった景朗たちを咎めもせず、それからもいろいろと教えてくれた。

 

 締めたボラを自前の道具で刺身にしてくれたり、生き物系の知識には目がないダーリヤを相手にいけすのなかの魚の説明をしたり、釣り堀でのルールを教えてくれたり、等々。

 

「脳天締め……神経締め……」

 

 釣り上げた魚をどうやって仕留めるか、という講義に入るとダーリヤは際立って熱心に聞き入った。熱意ある生徒がいれば先生役にも気合いが入るのか、おじさんは自分が釣り上げた魚をお手本にしてまで手ほどきしてくれている。

 

「チッ。あいつこねーじゃねーか」

 

 ほのぼのとしたやりとりを続ける二人を尻目に、景朗は誰にも気取られぬようゆっくりと周囲に気を配っていた。

 この場所に呼び出したのは蒼月のヤツだが、一向に現れない。

 

 ダーリヤは生き物と触れられて(殺傷できて)最高潮のテンションであり、文句の一つもなさそうだが、景朗は不満たらたらである。

 

「兄ちゃん、鯛の刺身も食うか?」「あ、ありがとうございます」

 

 ダーリヤを見れば、今までロクに食べようともしなかった刺身にモシャついている。

 無理やり食わせたことはあったけれども、自発的に食べようとはしてくれなかったのに。

 

「むぐむぐ、ガロー! これ美味しいわよ」

 

「兄ちゃんと嬢ちゃんは仲良さそうだけど、兄妹にはみえねえよな」

「もちろん、まあ仲がいい友達っすよ」

 

 『んーっ!』とチビッコは不満そうに声を上げたが、食事中だったのでそれ以上行儀の悪いことはしなかった。

 

「つうことは、"うんどーかい"はサボりか?」

 

「まあ、いいじゃないっすか」

 

「ダハハ。まあ一週間近くあるもんな。子供だってずっと騒がしい奴らとワイワイやってられるほどみんながみんな元気じゃないよな」

 

「おじさんこそ、外の人でしょ? 子供さんに会わずにここで遊んでて大丈夫なんスか?」

 

 ツールボックスに掛けてある高級そうな彼のスーツの上着からは、これまた高級な葉巻の匂いがした。

 景朗はタバコを吸ったりはしないが、身分の高いターゲットをいくつか襲っているので、そういった場で嗅ぐタバコの匂いと安物との違いに気づけるだけの経験はある。

 

 何者なんだろう? とうっすら思ったりもしたが、そこに大した疑問は抱かなかった。

 すくなくとも暗部と関係していそうな危うい独特の気配を、この人は持っていない。

 人をひきつけるカリスマ性のなかにも、こういうのが普通の家庭の働く父親、ってやつなのかな、と。

 そう思わせるだけの懐の広さと人間的な温かさがあった。

 

「急な仕事でココ(学園都市)に立ち寄っただけでなぁ。競技の合間に娘とはちらっと顔みせしたんだが、それで追い払われちまった。残りの空き時間はせっかく学園都市に来たってんだから独り寂しく此処でリフレッシュってワケよ」

 

 ダーリヤはいけすのフチに立っている。

 握っているのは渡されたおじさんの竿で、今度は大物を狙うと意気込んでいた。

 

 『ビール飲みてえ』と愚痴をこぼしつつ、おじさんは日陰にいた景朗の隣に座ってきた。

 

「嬢ちゃん楽しそうじゃねえか。兄ちゃんも一緒に楽しんできたらどうだい?」

 

「いやぁおれは正直、釣りはそこまで。あいつが落ちないように見張ってます」

 

「はっは。もったいねえぞ? この街の子供はロクに外(学園都市外)に出ずに育つ子も多い。色んな施設で学外がどんなところか勉強できるようになっているが……こうして自然の生き物と実際に触れ合うことができる場所なんてのは限られてるんじゃないか?」

 

「ここは特段寂れてますけど、ほかのところはすごいっすよ。博覧百科(ラーニングコア)や天体水球(セレストアクアリウム)とか」

 

「他には?」

 

「えーっと……いや、他には……」

 

「兄ちゃんがそこで悩むってことは、ほかの子も似たり寄ったりなんだろう。この世界のことを知るのに、"博覧百科"とやらだけで十分だと、そう本心から思えるかい、兄ちゃんは?」

 

「そりゃあ、外からきたおじさんにそういわれると、てなりますけど」

 

「ま、この街の子はそもそもあまり"世界"ってもんに興味がないってところもあるんだろうな。俺はそう感じてならないんだ、みなが"内側"にばかり目を向けている」

 

「それじゃダメなんですかね?」

 

「もちろんダメじゃないさ。だが、大人が子供に、外の世界にも面白いことがたくさんあるんだぞ、って教えてあげられていない状況が"そいつ"を招いているんだとしたら。大人としてなんとかしてあげなくちゃな、って気にはなっちまう。"外"も"内"も十全に知り尽くして、そのあとでやっぱり内側にしか見るべきものがないな、って判断を下すなら、そいつは結構。俺はそう思っちまうんだが……間違ってるかな?」

 

「いや、間違ってないと思いますよ」

 

 からからと笑うおじさんは、景朗の皿にさらに刺身を追加して、醤油を注ぎ込んできた。

 

「で、兄ちゃんよ、ずっと聞きたかったんだが、夢はなんだ? 夢は?」

 

「いきなりっすね」

 

「俺の趣味みたいなもんさ。さっきの話は、もろに子供たちの将来の夢ってやつに影響が現れてくるもんでな。俺ってば仕事で世界中を回ってるんだが、あちこちでキッズの夢ってのを聞いて回るのが面白くて大好きなのよ」

 

「夢とか……ないっすよ」

 

「んだよ、照れるなよ。うまい刺身くわしてやってるだろ?」

 

「いやホント刺身は美味しいです、あざっす。ただもう、ホントに夢とかないんですよ、マジに」

 

「ふぅむ。じゃあ、将来は何がしたいこれがしたい、はないわけか。じゃあ……行ってみたい場所ってのはどこかあったりしないのか? 将来、自分が住んでいたい場所、と置き換えてもいい」

 

「行ってみたい、場所……」

 

 今度はぴくり、と景朗の琴線に触れるものがあった。

 その反応はおじさんにも見抜かれてしまったようだ。

 

「よく聞く話しさ。宗教・仕事・住処。こいつは結局、本人の意志でしか曲げられねえ。自分で選ぶ権利があるし、自分で選ばなきゃ人生うまくいかないもんだってことでもある。大人はな、住む場所は自分で選べるもんなんだ」

 

 大きな竿のせいでよたよたと歩くダーリヤの後ろ姿を見ながら、景朗はぼんやり考えた。

 以前、無理だと諦めてたちどころに消えた思いつきがあった。

 

 ロシア。ダーリヤはそこから来た。

 本人いわく、大した思い入れはないらしい。物心着く前に、すでに学園都市に渡っていたというのもあり、ダーリヤは咄嗟にロシア語ではなく英語がでてくるくらいである。もちろんロシア語がわからないわけではないらしいが。

 

 彼女の母親は、蒸発した。

 ダーリヤはもちろんプラチナバーグの暗部組織"デザイン"所属時にもその行方を探したらしいが、消息不明、しかし死体は確認されてはいなかったという。

 

 

 なんというか

 ダーリヤの母親をロシアに探しにいけないだろうか。

 母親でなくてもいい。親族はみつからないだろうか。

 そう思ったりもした。だが、その旅路がいかに実現不可能か。

 景朗はあっというまに、その思い付きを捨て去っていた。

 

 

「行ってみたい場所てわけじゃないけど……誰かを連れていきたい場所ってのは、ないわけじゃないっすね」

 

 それが今、ふわりと脳内に蘇ってきたのだった。

 

 景朗の歯切れの悪さから、おじさんはそれがどこかとは聞いてこなかった。

 

「じゃあ、それが兄ちゃんの"まだ見ぬ夢"への手がかりだ。失くすなよ?」

 

 景朗が返事をする前だった。どぼん! と音がはねた。

 

「おちた!」

 

 ダーリヤが重さを持て余し、ついに支えきれず、いけすのなかに竿を解き放っていた。

 

「あちゃー、係員さんを呼んでこなきゃな」

 

「すみません! 自分でとりますから!」

 

「んな無茶な」

 

 景朗が腕を伸ばして水底から竿を取り上げると、今度はおじさんのほうが『能力者ってすげえな!』とはしゃいでいた。

 

 

 

 蒼月の野郎がようやく現れたのは、釣りのおじさんが仕事だといって釣り堀から去っていったのと、ほとんど入れ替わりだった。

 

「釣れてますか?」

 

「見てたんじゃないんですか、どうせ」

 

「わたしは今来たところですよ」

 

 スンスン、とわざとらしく匂いを嗅ぐように鼻を鳴らす景朗に目もくれず、サングラスをかけた蒼月は景朗が借りた釣り具のタックルケースのすぐ真横に、自分が借りてきたケースを並べて置いた。

 

「ここは楽しかったですか?」

 

「さっきまで相棒はめちゃくちゃ楽しんでましたからね、まあ、来てよかったといえばよかったかも」

 

 疲れたダーリヤは景朗とは背中合わせに腰を下ろし、ウトウトと眠りについている。

 

「こちらも成果があるといいんですが」

 

 蒼月は置いたばかりのケースに一瞬だけ目配せした。わかった、とばかりに景朗はわざとらしく咳払いをやってみせた。

 

「それではごきげんよう」

 

 今しがた置いたタックルケースとは別の方、つまりは景朗が借りていたケースを手に取って、蒼月は別のいけすへと向かっていった。

 

「ダーシャ、帰ろう」

 

「……あふ」

 

 ダーリヤをおぶって景朗も帰宅の途につく。カウンターで釣り具を返却する前にケースの中を探ると、そこには数枚のインディアン・ポーカーが入っていた。これが蒼月からの連絡手段であるようだ。

 

 

 

 

 

 第六学区の基地に帰り、なお眠りこけたままのダーリヤの顔をみて、都合がよいかとばかりに景朗は蒼月から受け取ったインディアン・ポーカーをその額に置いた。つづけて自らも1枚とって、少女を寝かせたソファの近くで横になった。

 

 

 小一時間経って目が覚めたダーリヤと、情報を確認しあう。

 結論からいうと、蒼月からの頼みごとは3つほどあった。

 

 ひとつ。"能力主義(メリトクラート)"の紫雲一派の構成員はおおよそ掴んでいるが、"学舎の園"にも彼女の飼い犬が潜んでいないか調査してほしい。

 ふたつ。"メンバー"の査楽という男がインディアン・ポーカー市場でよく目撃されている。"悪魔憑き"の能力で彼が好みそうなインディアン・ポーカーを製作し、接触してほしい。有事の際は彼に瞬時に成り代わってもらうためである。他の暗部組織の構成員と接触した場合も同様の仕込みを頼みたい。

 みっつ。例の作戦(Homecoming作戦)への返答は早めに欲しいが、その是非にかかわらず、陽比谷少年にも接触し、交友関係を築いておいてほしい。有事の際は彼を使い、統括理事の軍事担当の潮岸を牽制する。(陽比谷は潮岸の又甥である)

 

 

 念の為に、"滞空回線"を排除できるよう設備を整えていたパニック・ルームでダーリヤと話し合う。

 

「"学舎の園"の調査の件は、まず"第五位"に頼んでみる。近々あいつに呼び出されるっぽいからな」

 

「"メンタル・アウト"……わかった。ウルフマンがそれでいいなら、それでいいわ」

 

「インディアン・ポーカーで調査しろ、って件は……ターゲット以外にも"ブロック"だの"アイテム"だの"グループ"だの……なんで俺に? 自分らでもやればいいと思うんだが?」

 

「あのね、たぶんウルフマンじゃないと"面白いインディアン・ポーカー"は作れないと思うわ」

「ふむ。それはどういう意味?」

 

「クサツキたちのツールでも情報伝達ができるインディアン・ポーカーは作れる。でも、インディアン・ポーカーの醍醐味である[夢の中の五感で感じる体験]を"面白く"するには、実際に誰かの夢の中の体験をとりだすのが一番手っ取り早いのよ」

 

「ほう?」

 

「クサツキのインディアン・ポーカーには"視覚情報"である文字しか封入されていなかったでしょう。情報伝達のツールとして使うならそのわずかなデータ量を入力すればこと足りるけど……娯楽として人気がでて、赤の他人が群がってくるような"極めて複雑に五感がリンクした体験"を0から設定して製作するのは、とてもとても割に合わない作業になるわ」

 

 

 誰かの夢からその体験をゴッソリ取り出すのではなく、インディアン・ポーカー製作機器によって"夢"を何もないところから組み上げるとなると、視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚の五感すべてのデータを加味し、カードを使った人間が快楽を得るような塩梅に整えなければならない。

 

 ダーシャに言わせれば、その作業は1から大作ゲームを作り上げるような極めて膨大な作業量になるのだという。

 

「でも、ウルフマンみたいに自由に"明晰夢"をみて、夢の中の体験を自在にコントロールして創造できる人がいれば、あっというまに"人間が快楽を得る程度に調整された体験"を作り出せる。ウルフマンが"面白い"と感じた夢を複写するだけで、"別人でも面白さが味わえる体験"がつくれるんだもの」

 

 それはそうかもしれない。要するに、頭の中で思い描いているアイデアをそっくりそのまま"ゲーム"として現実世界にアウトプットできれば、これほどお手軽なことはない。

 現実では、CGを作ったり、音楽を作ったり、テキストを作ったり、など膨大な作業の積み重ねが必要である。

 バラバラのデータを集めてようやく一つの作品にできたところで、思ってたものと違う、予想より面白くなかった、結局売れそうにない、というオチに突き当たったりする。

 

 しかし、"実際にある人間が見た面白い夢"というデータは、その嗜好の方向性さえ間違っていなければ、ほとんどの他人にとっても"面白い体験"になることは疑いようがない。

 

 だれかが気持ちよくなった体験は、ほかの誰かも気持ちよく感じるはずであり。

 だれかが怖かった体験は、ほかの誰かも怖がる体験になるはずである。

 

 実際に自分が体験することなく数字だけイジって装った"体験"など、いっさい味見をしていない料理みたいなものだろう。

 適度に塩を振ったつもりが、しょっぱ過ぎてまともに食べられなくなった。

 イチから"夢体験"を形作ろうとすれば、そういった事態が制作過程で山ほど発生するに違いない。

 

 

「余計なことアイツ(蒼月)に言うんじゃなかった……こんな仕事まで回ってくるとは……」

 

「恩を売れるなら売ってたほうがいいわ! ウルフマンでも無理だったら仕方ないけど」

 

「あ、そうだ。陽比谷の件はめんどくせーけど、俺がそのうち会って話でもしとくよ」

 

「クサツキのヤツ、ヒビヤってヤツがウルフマンに関心を持ってたことを最大限に利用したいみたいね……」

 

「ダーシャに手伝ってもらうとしたら、インディアン・ポーカーの件だな……メンバーのソイツ(査楽)、どんなカードを集めてるんだって?」

 

 ふたつめの頼みごとは、ダーリヤが夢見たので詳細を尋ねてみる。

 

「えろいカードよ」

 

「はぁ?」

 

「えろいカード」

 

「……」

 

「えろカード。えろむぐっ」

 

 あけすけにえろ、えろ、と連発するチビッコがいたたまれなくなって、思わず手を伸ばしてクチをふさいでいた。

 

「むみむぶもぼっ」

 

 蒼月のヤツは言っていた。インディアン・ポーカーの人気は火の勢い、みたいなことを。でもそれって。そういうことでもあるのか。

 

 夢を見ている時に、その中で体験する出来事は現実とは区別がつかない。夢から覚めるまで夢だったと殆どの人間は気づかない。ある意味リアルそのもの。

 

 となれば。

 誰かが夢の中で得た"性的快感"は、現実世界で行うソレと遜色ないリアリティを持つのである。

 

 この街の半分は"ホルモン過多の思春期男子"である。

 女子をのけものにするなって? ならばそうしよう。

 この街の9割は"ホルモン過多のティーンエイジャー"である。

 

 お手軽に、しかも安全に、性体験ができるツール。しかも当局に規制されていない!

 そんなものがあれば、爆発的に広がるのも容易に納得できるではないか。

 

 

 

「あのなぁ。えろって意味わかってんの、ダーシャさんは?」

 

「ぷは。わかってるもん。ウルフマンのSSDのなかにはいってた"えろげー"みたいなヤツでしょ?」「ナニナニどういうこと? はい!? なんのハナシ?」

 

「ニウがこどもは絶対にひとりで見ちゃダメってしつこかったから仕方なく一緒にこのあいだ」「うあああああああああああああああああああああああ!!!」

 

(うそだろ……)

 

「ウルフマンどうし」「アッ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアア……」

 

(なんで?! クラッシュさせて証拠隠滅してたはず!)

 

「ハッ。おまえ"欠損記録(ファントムメモリー)"で復活させたな……っ?!」

 

 日常生活でさほど使える能力ではないので忘れそうになるが、このガキはこれでもLv3の念写(ソートグラフィー)能力者である。

 

「壊れてたからデータを復元してあげたのに」

 

「やめたまえ! 今後二度とやめたまえよそういうことは……ッ! 全人類(男性のみ)への敵対行為だぞ! ねえていうかなんで丹生さんがでてくるのねえなんで」

 

「元はといえばニマニマした丹生が壊れたSSDもってきて」「あッハイそういうことですか」

 

 かつてないほどにうなだれ、床に手をついて伏した景朗のよこに、ダーリヤはちょこんと座った。

 

「とにかく、ウルフマンは起きながらユメがみれるって言ってたわよね? それなら、どんな夢でも自分で作れるわよね?」

 

「あい……」

 

「えろいのつくって配れば、あっという間に拡散すると思うわ! だからむぶぅっ」

 

 えろ発言禁止、とばかりに景朗はまたぞろそのクチを塞ぐ。

 

 ダーリヤが無言でタブレットをつきつけてくる。

 表示画面をみる。

 

 とある掲示板に貼られたコピペ文章だった。

 

 『インディアン・ポーカーの可能性 ~至高のアダルト媒体~ 

  夢は五感を最大限に引き出す。昔から夢は自閉症や鬱病のセラピー用途としても研究されてきました――』

 

(ガ、ガチの研究者さんたちも目をつけていらっしゃる……)

 

 

 もう一度、ダーリヤがタブレットを突きつけてくる。

 表示画面をみる。

 

 今度のは、インディアン・ポーカー製作者の裏のランキングだった。

 

 『"天賦夢路(ドリームランカー)"番付 R-18版』

 

 なんということだ。R-18版の閲覧数は全年齢版よりも3,4桁も規模がでかい。

 しかも1日単位でランキングは激しく変動している。

 いったい、日々どれだけの参入者が現れているというのか。

 が、しかし。ここに載ることができれば、ほぼ確実に"査楽"っていうスケベ野郎の目にも届くだろう。

 

「はは……あはははは……いいぜ。いいだろう!」

 

 すでにダーリヤはおろか丹生にまでバレているのだ。これ以上怖いことなんてもう残っていない。

 

「テッペンとってやろうじゃねえか……ッ!」

 

 "査楽"ってやつがイッパツで釣れるくらいの、ドギツイやつを作ってやんよ!

 

「ウルフマン、かっこいい!」「それって皮肉?」

 

 これがのちの"BLAU"伝説の始まりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。大量の"例のカード"の試作品が完成し、誰ぞに試供品として配ろうかと思案する最中にピッタリで都合の良い人物を思いついた。

 

 その人物に連絡を取ったところ、すいすいあっさりと都合がついてしまった。

 

 つまり突然だが、今日の昼休みは陽比谷青年と回転寿司で飯でも食うぞ、ということになったのである。

 

 当初、ダーリヤにはお留守番をしてもらおうと思っていたのだが、連日迷惑をかけ続けた丹生がこの日は一日中忙しいらしく、誰もそばについていてやれない事態となっていた。

 さらにはチビッコ当人から、どうしても自分の目で陽比谷を見定めておきたい、と意欲的に説得され、陽比谷自体は特に怪しいところがないが彼のボディガードには一応気をつけろ、と蒼月からアドバイスをもらっていたこともあって、友人っぽくメシを食うだけなら大丈夫だろう、という結論に辿りついたのだ。

 

 

 経緯はこうである。

 

 

 連日いろいろとそれどころじゃない事件が多発していて忘れそうになるが、世間は、今なお学園都市は大覇星祭という長期間に渡っての大イベント中なのである。

 この大覇星祭のお昼休みは、とにかく長い。我が子の観覧のためにやってきた親御さんたちとゆっくりコミュニケーションを取りながらお食事休憩してね、というそもそもの目的を阻害しないために必要不可欠な措置であるといえよう。

 

 ところがこれは"置き去り(チャイルドエラー)"や両親と一緒に学園都市で暮らしている学生たちにとっては、ムダに暇を持て余す巨大な空白時間と化す。

 

 この例に漏れず、親族が学園都市のお偉いさんばかりの陽比谷くんも、わざわざ混雑するこのタイミングであえて母親とランチをするはずもなく、いきつけのダーツバーなるところでクダを巻いていたようだ。

 

 『いつぞやの謝罪とかお礼とかもろもろ兼ねてメシでも食うか?』とメッセージを送ってみれば、送った瞬間にノータイムで『イく!!!』と反応してきやがった。

 

 暇すぎて脳を腐らせていたらしく返事がすでに下品になっていて危うかったので、ダーリヤを連れていくか迷ったじゃねえかこの野郎、とウルフマンのコメカミはピクピクしていたらしい。(ダーシャ談)

 

 

 

 

 

『おや? だれかな?』と女児童を見た陽比谷青年の発言を無視して、さっそくとばかりに回転寿司屋のテーブル席に3人は座った。

 

「あのさぁ、紹介したくないのはよくわかったから、せめて名前くらい教えてくれないか? その子のこと、なんて呼べばいいんだよ……」

 

「理解しろ。呼ぶ必要がないことを」

 

「レベルファイブのお考えはわかりませんがね、いわせてもらいますよ。じゃあなんで連れてきてんねん!」

 

「チッ。じゃあほらダーシャ、偽名を名乗れ偽名を」

 

「ヒップスター・キラーです」

 

「ダーシャちゃんね、はいよろしく……クッソ大げさに心配してくれてるけど安心してくれ。僕はお宅みたいなロリコンじゃないんで」

 

「誰がロリコンじゃい! その発言は取り消さないと戦争案件ゾ!」

 

「いい加減もうそれもアリかなって思い始めてるよ……っていうかそもそも君が僕の姿で大食いテロ起こして記者にスッパぬかれた謝罪をするうんぬんで呼び出したんじゃなかったっけ?! なあ?! なにこの仕打ち?!」

 

 陽比谷の言い分は最もである。ひと月ともうちょっと前の夏休みでのこと。

 当時の景朗は回転寿司なら思う存分オカワリしても店員に不審な目で見られず済むことに味を占めていた。 さらなるタンパク質の大量接種を目論んだ彼は陽比谷になりすまし、とある寿司屋で暴食を貪ったのである。

 が、その姿がしっかりと目撃されており、プチ芸能活動をしている陽比谷のイメージに余計な尾ひれをつけるハメになったのである。

 

 やらかしてゴメンネ、の体裁で今回は昼ご飯を奢ることになったのであるが、呼び出してそうそうの舌戦は、いささか景朗の分が悪いのは否めない。

 相も変わらずのイケメンフェイスを見てると、つい身に着けた青髪の演技が景朗の行動にわいてでてしまうのだ。

 

「こほん。まあまあまあ。今日は全部オゴリだから。食べようじゃないか。ほら、お茶を注いだよホラ」

 

 ブルジョワ陽比谷くんは市井の回転寿司屋は初体験なのだそうだ。

 右も左もわかっていないので、率先してレクチャーを織り交ぜて試しにオーダーを取る。

 

「ウルfッ、ガロー、わたしがやるっ、やるわっ」

 

「あい。手始めにサーモン1ダース、鯛も1ダース、エビも1ダース……陽比谷も好きなネタ言っとくれ」

 

「最初はあっさりとしたやつから……コハダとかヒラメとかあれば」

 

「あったわ。こはだ1ダース……ひらめ1ダース」

 

 お寿司屋さんのテーブルに設置してあったタブレットの、その注文画面にズラリと並んでいく"12皿"の文字。

 現時点で60皿のご注文になっております。

 陽比谷くんもさすがに違和感を感じ始めております。

 

「ちょ、あの、気になってたんだけどこういうところってダース単位で頼むもんなの?」

 

「そうだぞ」

 

 心から信頼するウルフマンの指示なので、ダーリヤのポチリ具合には迷いがない。

 しかし、ダーリヤも初めての回転寿司であるので、勝手は知らない。それを陽比谷は知らない。

 

 これが多数決の魔力というやつなのだろうか。

 どうにもオカシイ事態なのだが、そもそも彼にとってはレベル5と一緒にゴハンという時点でちょっと非日常だった。

 最後までモゴモゴしていたが、結局ダーリヤの注文確定ボタンの猛プッシュを止めるには至らなかった。

 

 60皿の注文だが、学園都市製の寿司ロボット(お寿司を握ってくれる機械)は極めて高性能である。

 

「さあ食うか!」

「わーい、おスシいっぱい!」

「もうヤダ……ッ」

 

 十分後。

 表面がすべてお皿で埋め尽くされてコップを置くスペースすら無くなったテーブル。

 何事かとチラチラのぞき込んでくる余所の席のお客さんたち。

 集まった注目のせいで、陽比谷青年は恥ずかしさから真っ赤な顔を両手で覆い隠してしまいましたとさ。

 

 

 

 

 

 ちょっとからかい過ぎただろうか。

 

 わりと放心したようなカンジでチマチマお寿司をつついた陽比谷くんは、今でもかわらずチマチマとつまんでいる。つまみっぱなしである。

 ガリを。

 なぜかガリだけ。

 

 流れいくレーン上の皿をぼけーっとただひたすら見送り続けている。

 

 

 気まずい。もう少しばかり機嫌をとったってバチは当たらないだろう。

 「お前、何が好きなんだよ?」「ぇぁ? おっぱいかな」

 おそらく『ポカンと口を開ける』という慣用表現は今まさに使うべきフレーズだろう。

 寿司のレーンに伸ばしかけていた手を、景朗はのっそりと引っ込めた。

 

「そう、でしょうね……」

 

 おもわず敬語がでた。

 景朗の国語力が乏しかったせいだろうか。

 こちらとしては、あくまで好きな寿司ネタを尋ねたつもりだったのだが。

 

 あまりにも平然と自然な所作で答えられたものだから、ダーリヤは『あれ……? めにゅーに"オッパイ"てサカナがのってるのかしら?』ときょとんとテーブル横のスタンドを探っていた。

 

「ぅごほん! ぇホン! ちょっとボーっとしてたよ。ハハ、あんまり期待してた味じゃなかったからさ、ココ」

「うん、あのねダーシャ、このヒトってこういうビョウキのヒトだから。説明する手間が省けてよかったわ」

「めずらしいビョウキなの?」

 

 ダーリヤは新種のウミウシでも見つけたかのような、見様によっては純真無垢な視線を目の前の変態にぶつけている。

 

「まあまあ珍しいね。ごビョウキ、いつか治るといいね」

 

「不治の病なの?」「かもしれない……心のビョウキだから手術では治せないんだ」

「God bless you...」

 

 心底気の毒そうな幼女の追撃で、ついに陽比谷の心は折れた。

 

「ごめん。少し泣く」

 

 忘れていた。こいつは、男所帯ではつい下ネタを連発してしまう病気(自称)の持ち主だった。

 長年の男子校生活が原因だと言って責任逃れしているのだ、とダーリヤに説明すると、ウソ泣きの声がちょっと大きくなった。

 

「まあでも、ある意味、幼女は女だと認識する対象外ってことだから、これはこれで健全なことの証明なんじゃないッスか」

 

「ふふ……ははは」

 

「まあまあ。そんなキミにぴったりのアイテムを差し上げよう。詫びも兼ねて」

 

「んあ?」

 

 景朗がポケットから取り出したのは、完成したばかりの"スキーマー・ポーカー(えろポーカー)"だった。

 

「インディアン・ポーカーか? ってことはアレか! レベルファイブ独自の能力向上訓練法のエッセンスでも入ってるってことなのかい?!」

 

「あ、いや、そういうんじゃないッス……」

 

「えr」

 

 途中まで言いかけたダーリヤの口を塞いで、景朗は続けた。

 

「そういうんじゃないんだけど、コレはコレで極上のブツだぜ。全部ひとり占めするもよし。シェアして恩を売るもよし。俺としてはお前さんはインフルエンサーの知り合いとか多そうだからソッチ系の人たちにも多少は融通してくれると助かるけどね」

 

「……あっそう。"能力開発"関連の中身じゃないのか……」

 

 陽比谷は露骨に興味をなくし、またまたガリをぴりっとつまむ作業に戻った。

 

 

「別に深くツッコんで掘り出そうとは思わないんだけどさ、えらく"レベルアップ"にこだわってるよな」

 

「なんだい急に。理由を話せば助けてくれるとでも?」

 

「まあ、話した分くらいは。俺に手伝えることがあれば多少は。そう思ってはいる」

 

 夏休みのことである。陽比谷はその体を食蜂操祈に乗っ取られて、メッセンジャーとして景朗の前に現れた。

 その時、食鋒は陽比谷を信頼できるだのどうだのとちょろっと口にしていたが……。

 

「……ふぅー。よくよく考えれば、こんなこと聞いてくれた超能力者は君だけだ。素直に助力を求めてみるってのもアリか」

 

 ぐびっ、と湯呑のお茶で喉を潤し、そこから陽比谷は姿勢を正して話し出した。

 

「すっごい簡単にいうと"妹のため"ってことになるのかな」

 

「……あー、あの常盤台の前で見かけた、日傘の妹さん?」

 

「そう。"南天(なんてん)"って名前」

 

「教育熱心な親とか親族のためじゃなくて、あの子のために"超能力者"に? なんだそれ?」

 

「"南天(なんてん)"とは血がつながってないんだ。義理の妹ってやつ」

 

「へ、え」

 

「これを言えばうっすらドロドロとしたものを察してくれるだろ? 僕がまだ乳児だか幼児だかそのくらいのころ、親父が連れてきたらしい。まるで実験動物みたいに、どこからともなく、ね。必死に調べたけど南天がどこから来たのか僕じゃ付きとめられずじまいで。そんで、我が家の恥を晒すことになるけど、このまま僕が"大能力者"どまりじゃあ、ゆくゆくは。南天と結婚させられてしまう」

 

「はあ?!」

 

「今はただの養子縁組ってやつだけど、いずれ嫁養子ってやつに切り替わる」

 

「なんでそこまで?」

 

「当然の疑問だよな。なんでそんなことするんだって。僕だって何度親父を問い詰めたか覚えてないくらいさ」

 

 ブズズズズ、とダーリヤは空気も読まずにジュースをストローで啜った。だがかえってソレは父親への怒りを再燃しつつあった陽比谷を和ませ、気を楽にさせたようだった。

 

「そりゃ結婚は本人同士の気持ちだって重要だからさ。親父は少なからず説明してくれたよ。ようするに、その……"原石"って知ってるか?」

 

 

「まあ知ってる」

 

 

 "原石"。

 "開発"を受けずとも、それまでの生育環境の刺激により独力で"能力"を開花させた者たちをそう呼ぶ。

 かれらは科学的に解釈できる存在でもあるらしく、別勢力の能力者である"魔術師"よりも学園都市の"能力者"に近い存在であるという。

 

 

「南天は"原石"なんだ」

 

 景朗は思い出していた。

 過去、陽比谷天鼓という少年にストリートで追い回され、彼が何者なのか徹底的に調べたことがある。

 そのとき、付随して彼の妹の能力もリサーチに引っかかっていた。

 

 "旱乾照り(ブレイズダウナー)"。太陽光のみを増強させる、トリッキーな能力だ。

 

「しかも"大能力(レベル4)"相当だから、"原石"としてはピカイチのね」

 

「じゃあ、もしかして」

 

「そう。なんのひねりもなく、その"能力者"としての優秀な血統を一族に取り込みたいのが主要目的なんだとさ」

 

「しかしそれ、意味あるのか? "原石"の子供が原石になるってわけでもないんじゃ?」

 

 遺伝情報がよく似た兄弟でさえ、全く異なる能力を発現し得る。

 当人が持っている資質と当人に適した開発をうけること、この二つは欠かせない。

 原石が誕生するメカニズムに詳しいわけではないが、原石の子が原石になる、という発想は安直だ。

 

「主要目的、っていったろ? あの子はただの"原石"ってわけじゃあないらしい。聞き出せなかったから自分で調べているんだけど、わかってることは少なくて。昔、南天のゲノムマップをこっそり調査してもらったんだけど、片親がアジアで、もう片方の親も色んな人種の混血で……でもたどっていくと最終的に北アフリカの血にたどり着いたんだ。"太陽"だけに強力に作用するチカラ。宗教的には権威を持ちそうだし、どこぞのシャーマンの末裔だったりするのか、なんて考えもしたけど」

 

「はぁー。その……歴史で習う欧州の貴族みたいなんだな。この街でもそんなことあるんだ」

 

「結局、権力が絡めば人間集団のやることなんて似たり寄ったりってことなんじゃないか……親父も入り婿で苦労して、いろいろあって一番いい方法がコレなんだ、って母親にはそう説得されたが……」

 

「納得できない、と」

「あたりまえだろ?」

 

 ボキッ、と陽比谷は持っていた割り箸を握りつぶして割っていた。

 

「"超能力者(レベルファイブ)"になって"頂点の才能"を示して、正面から親父をメタメタにブチのめして婚約を破棄させる。物心つくまえから妹とは一緒に育って、血がつながっていないだなんて気づきもしなかった」

 

「いつ気づいたんだ?」

 

「小学6年のとき、家庭教師の態度が妹と僕とで違いすぎてね。以前から違和感はあったんだけど、その時本気で調べて突き止めた。アイツは将来、僕と結婚するつもりでいる。そういう風に脅され、締め付けられ、針の筵で育てられてきたせいで。『家の役に立たないなら捨ててしまうぞ』ってプレッシャーの中でアイツは精神を捻じ曲げられて生きてこなきゃならなかった」

 

「ごめん、想像してたよりヘビーな話だった」

 

「はは、気にしないでくれ。普段はそんな事情おくびにもださないからな、僕だって。ま、そうさ……僕だって"兄貴"の端くれだし。妹には"幸せになってほしい"んだよ。でもあくまで兄妹愛っていうか、なんていうか。それは"自分の手で幸せにする"ってことじゃない。わかるだろ? 妹には最後の最後にはただただ"幸せになってほしい"だけなんだけど、それは"旦那"としてじゃなく"兄貴"として見届けてやりたいんだ。僕にとってコレはどうしても譲れないコトで、シンプルに家族愛だって認識してもらってもまあいいのかもな」

 

「家族、か」

 

「自慢だと受け取らないでほしいんだけど、母さんは"潮岸"の一族の出だし、親父だってこの街のお偉い官僚をやってる。だから僕ひとりが駄々をこねて結婚しない、だなんてひとりで突っぱねても、オトナのチカラで無理やり将来の道を決められてしまう。だから正々堂々"超能力者"になって、すでに一族には十分な"頂点の才能"が在るんだと示さなきゃならない。そうすればきっと南天との婚姻も考え直してもらえるし、僕にだって十分な発言力が手に入っているはず……なんだがそのタイムリミットが迫ってるワケで。焦らざるをえない現状なワケさ」

 

「そうだったのか。どうりで、今まであった中で一番"超能力(レベルファイブ)"に固執してる人間だな、って思ったワケだ」

 

「いっそ無能力者だったり低能力者だったりしたら、諦めがついたかもね。でも残念なことに、"大能力者"の中でも有力な"超能力者"候補にたどり着いてしまった。もはや多少のことじゃ諦められない。命を削ってでもこのまま突き進むつもりだし。その覚悟だってある、と誰にでも宣言してきたつもりさ」

 

 かつてない真剣な眼で陽比谷がこちらをみていた。

 

「これでも"わりかし"努力してるんだけどね、もうずーっと。"わりかし"寝る間を惜しんで勉強したり体を鍛えたり、いろんな会合には全部顔を出して、"能力主義(メリトクラート)"にはいってストリートで戦ってケガしても収穫はあるのかないのかわからない。僕に興味を持ってくれる研究機関にはすべて協力を申し出て時間が吸い取られていく……それでも、ここから先は何の手がかりも見つけてもらえていない。最後の壁を超える手段が見当もつかなくて、見つからないんだ」

 

「たとえ何を犠牲にしても? 悪事に手を染めてでも成し遂げたいか?」

 

「そこまで強がりは言えないけど……確実な"能力向上(レベルアップ)"への道を示してくれるなら、たとえ"法を破る"ような行為だって今は必要なのかもって思ってる。結果が手に入るなら手を汚すことも辞さないさ。もちろん、破ったならその償いはするつもりだけどね。僕は一族の誇りやらそんなものに興味はない。身近な家族の幸せだけだよ、求めるのは。途中で道を踏み外しても、誠心誠意償いをすれば、修復できない関係なんてないはずだから」

 

 

 景朗には、"不死鳥の血"を使って丹生を"強能力者"から"大能力者"相当の実力に引き上げた実績がある。

 陽比谷にも、彼専用に調整した"不死鳥の血"(というよりは[体晶]とその副作用を抑える機能を添加した血液成分)を開発すればその逆転の目はある、かもしれない。

 

 しかし、ここで即答して、彼にその餌をぶら下げるのは軽挙だろう。

 

「悪いけど、あんたの開発を担当してるエキスパートは相当な腕だろ? 彼らにわからないんなら、俺の手にも負えないんじゃないかって思うよ……」

 

 デザートのプリンに手を付けていたダーリヤの方を確認する。

 『ひとまずはそう答えたほうがいいわ』と彼女もうなずいていた。

 

「……そうかぁ。ま、何かいいアイデアや役立ちそうな情報を見つけたら教えてくれよ。頼む、礼は必ずするぜ」

 

「わかった。覚えとくよ」

 

 真摯な口調で陽比谷に返事をすると、彼も納得してくれたように息をついた。

 

 ポンポン、とダーリヤが景朗のわきばらをつっつく。

 ニマニマした少女は笑いをこらえて、アレを見ろ、と指さししている。

 

「おい、やめろよ」と小声で景朗は諌めた。しかし少女のニヤつきは収まらない。

 『笑ってやるなよ陽比谷のハナシはイイ話だったじゃん』と注意しようとしたが、少女の示した先をみて思考が停止した。

 

 

「ん? どうかした?」

 

 そう首をかしげる陽比谷のもう片方の手には、先ほど景朗が手渡した"えろポーカー"が強く握られている。

 

(まずいわ、真剣な話をされるほど握りしめられて湾曲したえろカードが笑わせてくるわ)

(おい、よせよ! かわいそうだろ)

(でもあんな大量のえろカードの束をもって力説されても身に入ってこないの)

(やめろ、おれをまきこむな。やめろっ)

 

 あかん。一度気づいてしまうとその光景のシュールさに景朗だってニヤつきそうになってきた。

 

 『えろカード何十枚も握ったままどんだけシリアスなハナシされますねん!』

 

 心の中の青髪が頼んでもいないのに追加攻撃をしてきやがる。

 

 

「ぅぅん、ごほん!」

 

「まあ、いいんだけどさ、いいんだけどさっ。そのチビッコそこはかとなく感じ悪くない? そんな笑える話しましたかね?」

 

「そんなことないって! こいつ空気読めないバカガキなんだよ、悪い、カンベンしてやってほしい、すまん」

 

 ペシッ、と景朗がツッコミを入れるも、ダーリヤは笑いをこらえようと変顔をつくるので精一杯な様子である。

 

「ふん! ま、いいけどさ!」

 

「まぁまぁ、怒るなよ陽比谷。家に帰ってそのカード使ったら機嫌も治るって! 保証する!」

 

「そういや、このカード結局なに?」

 

「"BLAU"ってドリームランカーが作ったヤツよ!」

 

 ダーリヤが威勢よく吠えた。なんでお前が胸を張るんだよ。

 

「ほ~ん」

 

 後日。もっとくれ、と陽比谷から連絡がきた。景朗は追加投資しておいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 陽比谷と寿司を食べた日の夜半。

 

 予期していた一報がついにやってきた。

 木原幻生の陣営からの呼び出しだ。

 

 

 幻生が起こした事件が解決した直後、景朗サイドからは人質を取られた旨と、学園都市に造反する計画だとは知らなかったと弁明を木原数多に送っている。

 "猟犬部隊"の人員は傭兵でもある。別の機関から外部協力者としてサイドジョブを貰うことは部隊内では珍しいことではないので、それ自体は叱責を食らうことではないはずだ。

 木原数多からはそれから音沙汰がないので、ひとまずこの件で景朗は責を追わなくて済んだようである。

 

 その一方で今回、幻生は特大の虎の尾を踏んだ。アレイスターのプランの崩壊を意味する、学園都市そのものの破壊未遂である。

 彼の立場は非常に重いので、ペナルティを執行されるのは理事会レベルでの議事や取調が済んでからとなるだろうと予想できる。

 とにかく、いずれにせよ最終的には間違いなく何らかのツケを払わされるだろう。

 

 しかし、現在はまだ事件から数日しか経過していない。

 その気になればまだ幻生は自由に動けるので、もしかしたら最後の悪あがきを企むかもしれない。

 『とことんアレイスター君に敵対するので君も仲間になれ』と提案されるかもしれない。

 

 返事はもちろんNOだ。幻生は完全に泥船に乗っている。

 景朗も今回で幻生一派とは袂を分かつ決断をしている。

 

 まだ手纏ちゃんの御父上は街に滞在していて、火澄もちょうど側にいる。

 丹生とともにダーシャは第六学区の基地に立てこもってもらっている。

 

 聖マリア園の知人は数が多すぎて守り切れないので、人質に取られていたら従うフリをしてアレイスターに救援を乞うしかない。

 

 

 "猟犬部隊"で扱っている端末でアレイスターに指示を乞う。通常は直接的にアレイスターと連絡を取れるわけではない。原則として、こちらから連絡しても返信がくることはない。

 だが、折よくこのときばかりは、たまたまヤツの気を引いたに違いない。

 

 送った文面は『幻生を始末してもいいのか』と暗に尋ねていたも同然だった。

 返ってきたのは『許可しよう』との一言だった。

 

 最悪の場合、幻生とその場にいる人員を皆殺しにしてもいい。

 少なくともそうした冷え冷えとした決意をもって、景朗は呼び出し地点へと出向いたのだった。

 

 

 

 

 結論からいうと、覚悟はまったくのムダになった。

 食鋒に敗北したときいていたが、幻生はピンピンしていた。

 彼は決して怪我を負っていたわけではない。

 まだ長生きしそうだったし、まだまだいくらだって戦えそうだった。

 

 ただし、その中身はすっかり変わり果てていた。

 

 

 

「やあ、久しぶりだね景朗クン。ボクを殺しにきてくれたのかい?」

 

「違いますよ。先生はいつも出会い頭に突飛なことを言われますね」

 

「それは残念だ。キミなら殺してくれると思ったのに。どうだい? この際、私に"キミとアレイスタークンの例の実験"を見せてくれないかね?」

 

「丹生を治すって約束はどうなるんです? 忘れてませんか?」

 

「忘れてたよ」

 

(忘れてんじゃねえよマジでぶっ殺すゾ! ってああもうそれじゃジジイの思うつぼだし。あいかわらずだなコイツ!)

 

「困ったなぁ、今のボクは色んなことを忘れてしまう。食蜂クンに"集中力"を奪われてしまったんだ。"幻想殺し"の使用許可もアレイスタークンに目をつけられていては降りそうもない」

 

「それだけは絶対にやめたほうがいいですね。先生が"幻想殺し"に近づこうとすればただでは済まないかと」

 

「忌々しい理事長殿だよ」

 

「何にせよ、あなたの願いをきくのはそれがどんなものであれ、丹生の一件を解決してくれた後です」

 

「そうかぁ。ところで景朗クン、ボクはキミに何をお願いしていたんだっけ?」

 

「『貴方を殺せ』とたった今言われたところですよ」

 

「そうだったか。それはいい。このカラダは煩わしいことこの上ない」

 

「丹生を救う研究を完成させてくれたら、貴方を殺してあげてもいいですよ」

 

「悪いね。こうなった今、それは不可能だよ。おや? それではキミは何をしにきたのだね? キミに殺されるのが叶わない状況で、ボクはなんのためにキミを呼んだんだい?」

 

「それはこちらが聞きたいですよ。ただ貴方に呼ばれて来ただけですし。俺に貴方を殺すよう、貴方は俺に頼み込むつもりだったのかもしれませんがね」

 

「なるほど。で、どうだい? ボクを殺してくれないかい? キミとアレイスタークンの"例の実験"に興味があってね。実際に自分の眼で観察してみたい」

 

 景朗は理解した。食蜂はずいぶんとえげつない呪いを幻生に吹っ掛けたらしい。

 かの老人の頭脳明晰っぷりは見る影もない。

 

 どうやっても、会話は堂々巡りとなってしまう。

 

 

「先生、丹生の治療法は今の貴方では研究できないんですね?」

 

「キミにはそれが可能だと思えるかね?」

 

「では……先生との"契約"はこれで終わりですね。違いますか?」

 

「おやおや……キミの言う通りだね。キミとの"契約"はこれで終わる。終わりだね。仕方ない、途中までの研究データは好きにしたまえ」

 

「では許可をください」

 

「そうしよう」

 

「先生、丹生の研究データだけでなく、俺に関わる研究全部のデータもくれませんか?」

 

 本当は"プラン"に関わるデータだってほしい。だが幻生が持っている確証はないし、それを堂々と要求する行為は危うい。

 幻生は理事会の監視下にあるはずだ。ここでのやり取りはすべて筒抜けだと思って行動すべきだ。

 自分に関わる研究データを要求するくらいは、不自然ではないはず。それで手を打とう。

 

「なぜだい?」

 

「俺のお願いを聞いてくれたら、先生のお願いをきいてあげてもいいからです」

 

「ボクがキミに? 何を頼んでいたのかね?」

 

「俺が貴方を殺してその状態から解放する、というハナシですよ。その時は"例の実験"を先生に披露できるかと」

 

「それは素晴らしい」

 

「で、俺に関わる研究データを渡してくれたら、と言ってるんです」

 

「全てはダメだ。キミに渡す気はない」

 

「わかりました。じゃあさっき約束してくれたとおり、丹生の研究データだけでも譲渡する許可を出してください」

 

「そのことなんだが。なぜキミに研究データを渡すことになっているんだね?」

 

「……貴方が食蜂との闘いで負傷し、企ては失敗して立場を追われ、もはや研究を続けられないからです。俺と貴方の協力関係は終わり、貴方は丹生と俺の研究データを渡す。でなければもう俺は貴方のお願いはきかない。そんな内容の会話をもう幾度も続けています。いい加減きめてほしいんですが」

 

「ボクはキミに何を要求していた?」

 

(このジジイ、俺の"悪魔憑き"を見たがるわりに何度も忘れてくれますね)

 

「貴方が俺と丹生の研究データを渡せば、俺は貴方を殺すという貴方の頼みをきく。先生が好きな方を選んでください。先生が決めてくださいよ」

 

 期待を裏切らずまた会話の内容を忘れたらしい幻生は、自分が操作したモニターの画面をみて状況を察したらしい。

 

「……フ、フフ。仕方ないね。こればかりは報酬を先払いで受けるわけにはいかない。殺された後では報酬を渡せない。どうせなら大好きなキミに殺されるチャンスを逃したくないなぁ」

 

 おや? と景朗は首を傾げた。幻生は意外にも、景朗の研究データまで渡す寸前で悩んでいたらしい。

 『キミに渡す気はない』などといいつつ、操作画面では許可を出すか出さないかの直前で迷っていた、ということなのだろうか。

 景朗の言葉は信じずとも、自分が操作した画面から、一度は自らがその許可を出しかけたのだと推察したのだろうか。

 

「では忘れる前に早く許可をだしてください。もうこのやり取りは勘弁ですよ」

 

「ほら、許可は出したよ。では約束は守ってくれたまえよ、景朗くん」

 

「では後日」

 

「許可はだしただろう?」

 

「内容くらい確認させてくださいよ」

 

「景朗クン、帰るのかね? 用事は済んだのかね?」

 

「終わりました。ところで先生は、理事長とは仲が悪かったんですか?」

 

「ああ。ボクはあの"犬"とは違う。"彼"の同志ではない」

 

(犬?)

 

 "猟犬"である景朗のことを差しているのだろうか? しかし、今の幻生が相手ではまともな答えすら期待できそうにない。

 

「景朗クン、なぜ帰るのかね?」

 

「助手の人に全部伝えておきます。後で聞いてください」

 

「おや、悪いねえ。迷惑をかけたようだ。それではさようなら……ああ、そうか。自分のこの眼で、君の"羽化昇天(アセンション)"が見たかったなぁ」

 

 

 景朗は幻生の書斎から去る前に、見納めるつもりで老人へと振り返った。

 こんな終わりになるとは思わなかった。

 

 無論、約束を守るつもりなんてない。そうしてもこの男相手に罪悪感など抱きようがない。

 放っておいても、いずれ理事会から沙汰が下る。

 

 案外、"三頭猟犬(ケルベロス)"にその役目が回ってくるのかもしれないけれど。

 

 いつのまにか、そうならないことを祈っていた。彼を殺したいとは思っていなかった。

 つい数日前には、あれほど幻生を憎んでいたはずなのに。

 

 弱り切った老人の姿に騙されてしまったのかな、と景朗は複雑な感情を切り替え、その足で研究データを回収しにラボへと向かった。

 

 

 

「雨月景朗」

 

「あんたかよ」

 

 ラボで景朗の対応をしたのは、なんとあの現場から無傷で生還した木原無水だった。

 

「何しに……来た」

 

 ぶつぎりでボソボソと喋る。身構えていた景朗は拍子抜けすることになる。

 この男はサングラスをかけていないと極端にテンションが低いらしい。

 

「先生からの許可は貰ってきた。とっとと確認してデータを譲渡してくれ」

 

 "迎電部隊(スパークシグナル)"から援助してもらった、セキュリティの高い端末型デバイスを預けつつ、景朗は無水の様子を窺った。

 

「……どれ……だ?」

 

 テンションが低いという表現は大間違いだった。

 うつろな瞳で、覇気そのものが欠落している。

 景朗をみているようで見ていない。

 少なくとも景朗の顔面にはピントがあっていない。

 まるで、景朗の背後の幻影をみているかのような。

 

「水銀武装(クイックシルバー)と俺に関わる研究全てだよ」

 

「……ほかは?」

 

「他?」

 

「すべての研究が……許可の対象…だが」

 

(なにしてんだあのジジイ)

 

 機転を利かせるべきか。この咄嗟の判断で大きく今後の展開が変わるかもしれない。

 しかし、"滞空回線"はこの空間にも漂っているはず。

 それでも、ただならぬ無水の様子はチャンスであると思えてならない。

 

(いけるか?)

 

 できる、と直感があった。

 景朗は無水の耳に片手を当てた。手から細い神経を伸ばし、細心の注意を払って鼓膜の裏側の、3つの耳小骨につなげてしまった。

 

 予感は裏切らなかった。

 無水は無反応のまま、それが当然であるかのように景朗の行為を受け止めていた。

 

 無水はいまだ"悪魔"に魅入られたままなのかもしれない。

 

 まさしく景朗の命令を待つように、無水はじっと待っている。

 

 機密データを投げ渡すような、幻生のミス。罠かもしれないと疑いもした。

 しかし木原無水の自失状態は、景朗が訪れたことによって生じたイレギュラーである。

 

 誰かが狙ってこの状況を作れたとは思えない。

 

 

「いや、いい。十分だ」

 

 そう景朗は口に出したが、もちろん無水の耳に直接伝えた内容とは別だ。

 この場ですぐに渡せる機密情報を寄こせ。実際はそう命令している。

 

 例えば素養格付(パラメータリスト)などを。

 幻生ほどの大物が所持しているそれらは大いに役立つはずだ。

 

 

「耳に糸くずがついてたぜ」

 

 最後にデータのやり取りをした記録自体を消しておけ、とも命じて無水から離れる。

 

「わかっ、た」

 

 そのあとも無水はぼーっとこちらをみていた。

 

 景朗は一度として振り向かず、ダーリヤと一緒に中身を改めるために先を急いだ。

 

 

 

 

 

 

 景朗とダーリヤは第六学区の秘密基地で研究データを読み解く作業に没頭した。

 機密情報となるので、あいにくと時間が惜しいが2人っきりで地道に続けるしかない。

 

 

 

 真っ先に確認したのは[景朗に為された研究から"プラン"の正体を察する手掛かり]がないかどうかだ。

 

 今のところそれは見つかっていない。すべてのデータを確認するまで希望は捨てずにいたいが、無駄に終わる可能性も大きそうである。

 

 それはそれでいい。仕方がない。

 頭を悩ませたのは、続いてさらに別の問題が浮上してきたことだった。

 

 

 パラメータリストの食い違い、である。

 

 幻生が所持していた"雨月景朗のパラメータリスト"には、彼が"低能力者"相当のポテンシャルでしかないと表記してあったのである。

 

「俺のパラメータ情報とほかの"7人の超能力者"のモノを比較すれば、"プラン"の正体の予測に役立つと思ったけど……」

 

 景朗のパラメータリストの情報は"低能力者"どまりである。"低能力者"のポテンシャルと"超能力者"のソレを比べても、大した情報が浮かび上がってきそうにない。

 

「幻生が言ってのはマジだったっぽい」

 

「どういうこと?」

 

「俺が"超能力者(レベル5)"になれたのはジイさんにとっても想定外だったみたいなんだ」

 

 幻生は最初の予定では、景朗を"超能力者"にするつもりで引き込んだわけではなかったのだ。

 もともとは"プロデュース"や"学習装置(テスタメント)"製作のための研究材料だった。

 その過程で続々と能力強度(レベル)を上げた景朗への考察から、幻生はその秘められた"素養"に気づいたのだと。記憶の中の幻生はいつもそうした口ぶりだった。

 

 

「クソ、なんで"低能力者"なんだ? それなら一体Type:GDの一件は誰がやった? 誰が俺にちょっかいをかけてきたんだ?! パラメータリスト上では無価値の俺をどこの誰が学園都市最先端兵器を持ち出してまで調査しに来てたってんだ? "ヤツ"本人か? でも俺は"プラン"には関係ないんじゃないのか……」

 

 昨年の秋。"パーティ"との交戦時に、"電子憑依(リモートマニピュレート)"が使っていたType:GDはプロトタイプであり、傭兵まがいの暗部組織には入手できるはずもない。

 景朗のパラメータリストが"超能力者"であれば、利用価値を見出した理事会やそこにちかいポストにある研究者かとの予測も立つが、そうではない。

 あの当時、景朗の本当の価値を知っていたのは、180万人分のパラメータリストを作成したものか、研究データからソレを予測した木原幻生だけである。

 しかし景朗はもとより当時は幻生の部下であったのだから、幻生は隠れて"人狼症候"のデータを取る必要などない。どのみち彼の手にはすべての交戦データが渡されるのだから。

 

 

「ごめんなさいウルフマン。何も予測できないわ」

 

「こっちこそすまん愚痴って。謝らないでくれよ」

 

 ダーリヤはグレネード(エナジードリンク)をグビリと呷った。

 景朗もマネしてアイスコーヒーを飲み干した。

 

「そうだ。他にも幻生が行った研究のなかで、パラメータリストと開発結果が食い違っている事例はある?」

「調べてみる……あら、見つかったわ。その"発達齟齬"だけ別にしてファイルがまとめてある……」

 

「まじ? もうまとめてあったの?」

 

 木原幻生。彼はこの街では"能力開発"の権威と呼ばれている。

 つまりは、この世界トップクラスの能力開発の腕を持つ彼にかかれば、"素養(パラメータ)"を超える開発が可能だったということか?

 "レベル"の垣根を超えることは、そんなにも容易なことなのだろうか?

 

「幻生ですらパラメータリストの食い違い事例をリストアップしてたってことは……」

 

「疑問に思ってたのね」

 

 木原幻生にとっても謎だったのだ。

 

「ねえ、ウルフマン。このデータ郡の集められ方や比較のされ方からわかってきたわ……ゲンセイもきっと、パラメータリストがそもそも意図的に"本来の素養"より低く抑えられて作成されている可能性を疑ってたみたい」

 

 

 ゾクゾクと背筋が蠢くような、直感やひらめきが働いたときの感覚があった。

 景朗には、これが幻生からの何らかのメッセージであると思えてならなかった。

 

 幻生が所持していたパラメータリストの全データを試しに参照する。

 しかし、でてきたデータ数が極めて少なかったので、当然の疑問がそこに発生した。

 

「悪い、ダーシャ、リストのデータが全部参照できない。なにか操作ミスってる?」

 

「うーん? ううん、ミスってないわ。これでゼンブよ」

 

「はぁ? え、おかしくないか。これで全部?」

 

 数千人規模のデータだったので、一部のフィルターで選り分けられたリストなのかと勘違いするほどだった。

 

 学園都市の学生は180万人もいる。これは幻生個人の所持しているリストではない。

 文字通り、幻生一派の研究者が研究に利用しているリストなのである。

 リストの人数は一万人に足りていない。

 幻生ほどの研究者がこれだけしかもっていないのはあまりにも不自然ではないか。

 

 学園都市はこの街にいる180万人の全学生の"素養"をすでに測定し終わっているはずだ。

 景朗は"猟犬部隊"の任務でそうである証拠を実際に目にしてきた。

 処分される学生たちは、その潜在能力の差によって処遇が明確に分かたれる。

 高位の能力者になれる素養があるものは闇の研究機関へ。

 そうでない利用性が欠ける者は、想像もしたくない処分がなされることもある。

 

 彼らは"素養"をチェックされて選り分けられるわけでもない。

 開発が行われる前の幼い子供たちにすら、その場で選別が行われるのを目にした。

 

 学園都市の上層部はまちがいなく"あらゆる学生"の"素養"をすでに知っているはずなのだ

 

 

「ウルフマンの言う通りね。"レベル0"や"レベル1"のデータ数が少なすぎるわ。これではたしかに研究の効率が悪いはずなのに……」

 

 研究者は高位能力者のパラメータリストだけ持っていれば十分か?

 そんなはずはない。

 研究者の立場から言えば、最初からある程度当たり外れをつけられる大量の"見込み無しリスト"だって無ければ困るはずだ。

 なにより"持つ者"と"持たざる者"の"素養"を比較できずして、どうやって新しい発見を効率的に行えというのか。

 すでに180万人分のリストが完成しているというのに、それを現場で有効利用しないだなんて馬鹿げている。

 

 馬鹿げているのに、木原幻生一派ですら大量のリストは所持していない。

 おそらくは、どこの研究機関も一部の欠落したリストしか所有していないのではないか?

 

 なぜそのような状態になっているのだろう?

 

 ここは学園都市である。研究者のための街だ。研究のために作られた街だ。

 そこでこんな有様がまかりとおっている理由は?

 

 "プラン"。その正体について、蒼月と議論をしたことがある。

 あの男はAIM拡散力場の造成が"プラン"に必要な要素だと推測していた。

 つまり、高位能力者の数は選定されている、との疑念である。

 

 

「ダーシャ。蒼月はこう予想してるんだ。高位能力者のバリエーションや数はコントロールされている。AIM拡散力場の環境をなんらかの目的に適した状態にするために。それをガチで街のトップが主導している。いや、主導してきたんだとしたら……?」

 

「それなら。……たしかにリストはおいそれとは配れなくなるわね。理由としておかしくないわ」

 

「街の高位能力者の"構成"、あー、compositionを常にコントロールするために、レベルを上げたいヤツとレベルを上げてはいけないヤツのリストは研究者に渡して開発をさせなきゃならないから、そのリストは表に出るだろ?」

 

「将来的に高位能力者になる素養がある人間に対してはそうするわね。"リスト"に"レベル0"だと記載されている能力者をわざわざ研究するほど暇な研究者はいない。そこで諦めて次に行くわ。よほどの希少な能力でもないかぎり……」

 

「そうか。俺の能力系統、"肉体変化(メタモルフォーゼ)"は"書庫(バンク)"にも片方の指で数えられる程度しか載ってない希少っちゃ希少能力。だから……」

 

「ゲンセイはウルフマンにたどり着いたのかも」

 

「あ、丹生の情報はあった?」

 

 丹生の両親は幻生の部下として研究していたし、丹生本人もその実験に参加していたのだからリストに情報があってもおかしくない。

 

「ヒンニウはレベル3」

 

「それ絶対見せちゃダメなやつだからね。んでも、てことは丹生はレベル3まで開発すべき人材ではあるが、リストが偽物ならもっと上のレベルになってもおかしくない……?」

 

「たぶんふつーにレベル3どまりよ」

 

「なんでそんな辛辣なの?」

 

「わたしより上だなんてありえないわ」

 

 ダーリヤは謎の自信で胸を張ってふんぞり返った。

 

(そっか。キミ(ダーシャ)もレベル3だものね。マウントの取り合いで不利になるもんね)

 

「きっと余計な人間のリストを公開しないのは、ゲンセイが突き止めたような特異事例が増えてしまうからね。数が集まれば証拠としてチカラを持つし、そうなると大変なことになる」

 

「だよな。リストを有効利用しない理由が思いつかない」

 

「ちっとやそっとの理由じゃあ納得できないわ。どう考えても180万人分のリストを裏で使い回さないと研究が非効率的すぎるもの。そのコストは天文学的なものになるはず。……それに、リストが万が一露見しても、その"素養"が事実ならば訴える側もぐうの音も出ないけど……」

 

「改竄されたリストなら『どういうことだ?』って追及される」

 

 

 もし本物のリストが完成しているというのに、この改竄されたリストのほうが出回っているという状況なら。

 

 

「もちろん街全員分の"素養格付(パラメータリスト)"が存在すること自体が問題だけど、それが作為的に偽造されて出回っていると表沙汰になったらオゥチニ大問題よ。この街の180万人の能力者は、上層部の意図によって人生を操られてきたのだと理解する。実質的に、奴隷制にも匹敵する人権の侵害行為だわ。誰かの都合でレベル5になったものがいて、大多数は誰かにレベル0の烙印を押されたまま、そのことに気づきもせず歪められた一生を過ごしていく」

 

 学園都市では、学生期間中もその後の人生においても、"能力強度(レベル)"がなによりもモノを言う。

 レベルによって奨学金の金額が変わったり、受けられる教育レベルすなはち得られる教育費が天と地ほども違ってくる。

 その人生の屋台骨たる"レベル"が、よその誰かの都合で勝手に決められたものだと知らされれば暴動すら起きるだろう。

 

「まぁそうなったら、この街の存続も危ういよな」

 

「生徒も、その親も、大多数の研究者も、誰もかれも、この街を信用しなくなるわね」

 

「もし180万人分の、そうだな。"実測の素養格付(プライマル・パラメータリスト)"としようか。そいつを手に入れて世間に公表したら?」

 

「大暴動がおきるし、なんとかそれを抑えられても、能力を不当に低く調整した行政に状況を改善するように圧力がかかる。それはゼッタイにさけられない」

 

「けれども理事会はその要求を受け入れられない。要求をのんだふりをして拒否でもするしかない。場合によってはチカラで抑えつける選択もとるだろうな。

 そもそも、能力者の母数や種類のコントロールを行うことこそが、この街を作った目的の一部なんだ」

 

「統括理事会の?」

 

「大多数の無能力者は"どこかの誰かの都合で無能力者としての一生を身勝手にも押し付けられた者たち"。

 誰もかれもにレベル3やレベル4にでもなられたら、とてつもなく都合が悪いんだ。

 そんな状態の学園都市には……利用価値がなくなっちまう。

 だから"ヤツ"もそれだけは受け入れられない。どれだけ苦渋の選択を受け入れても、それをやっては全てが水泡に帰す。

 だが、民衆の要求を受け入れなければ街から人間はいなくなる。

 "ヤツ"は終わりだ」

 

「ねえ、ヤツって?」

 

「きっと"ヤツ"だよ……」

 

 逆さまに浮かぶ"もやし野郎"の顔が、ついに歪むのか?

 

 パキン、と景朗が握りこんだガラスのタンブラーが音を立てて割れた。

 

 お気に入りのタンブラーだったが、景朗の表情は愉悦で歪んでいた。

 

「だったら、一度でも世間にバレたらおしまいね」

 

「そうなる……。それじゃあ、真のリストを手に入れたヤツの要求を、理事会も理事長でさえも、聞き入れるしかないってことだよな?」

 

「だけど現実的な話じゃあないわ。脅迫者には、それこそ街が総力をあげてツブしにくるから。それをはねのけられる武力…いえ、もはや軍事力が必要なレベルになるわ」

 

「そう、だな。……なあ、それはそれとしてさ。"リスト"はどこにあるとおもう?」

 

「必ずどこかには存在するはず。危険だからといって破棄できるものでもないし、何かの計画に利用しているのならば現在進行形でリストは活用されているはずよ。この街の能力開発は途切れることなく続いている」

 

「よほど安全な場所に保管してあるか、それとも。この街で一番強いヤツのところにあるか、かな?」

 

「少なくとも、この街でもっともセキュリティの高い場所にあるはず」

 

 場所。だが、探しているのは情報だ。物理的な場所でなくとも。

 たとえば、誰にも立ち入りできない"ネットワーク"ではダメだろうか。

 垣根帝督曰く"アンダーライン"はそれひとつのエンタングル(ひもづけ)されたデータ群だ。

 故に、盗み見るといった行為はできない。

 誰かがそのデータを観測した時点で、データ群そのものに確定的に少ないながらも変化を与えてしまう。

 

「"リスト"なんだから要するに情報だろ? 物理的に存在しなくてもいい。"アンダーライン"は?」

 

「超期待できるわね」

 

「垣根が躍起になるワケか」

 

 "パラメータリスト"だなんてケチなものではなく。

 "アンダーライン"が織り成すデータ群には、ヤツの目的("プラン")そのものがまるごと入っている可能性すらあるのだ。

 

 もしその秘密を盗み出すことができたのなら。

 学園都市理事長を脅すことも不可能ではなくなる。

 

 

 木原幻生。あなたもついにアレイスターを敵だとみなしたのか?

 あんたもこの"発達齟齬(パラメータ・エラー)"に目をつけていた。

 その事実が、こんなにも心強い。

 

 景朗は、ついに対等に交渉を持ちかけられる"アレイスターの弱み"にたどり着いたのかもしれない。

 "実測素養格付"を探せ。

 

「何をすべきか、ようやくいっこ見つかったな」

 

 感慨深くつぶやく景朗には目もくれず。

 ぐびび、とダーリヤはグレネードを飲み干した。

 それがおかしくて、彼は今度は素直に笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。大覇星祭6日目。つつがなくその日の競技も終わり、景朗は秘密基地でダーリヤと合流した。彼女は連日、幻生から入手した研究データの解析に費やしている。

 

 

「すまん。連絡が来た。ちょっと出てくる」

 

 食蜂からの呼び出しだった。

 思い出さねばならない。木原幻生が食蜂に負けた日。

 その日に彼女から頼まれごとを引き受けたが、ずっと連絡待ちの状態だった。

 呼び出しの名目は救援要請。依頼はとうとう現実となった。

 

「ほんとに何もしなくていいの?」

「何もしなくていい。俺ひとりで十分。休んでていいよ」

 

 頼みごとには自分以外の誰も関わらせない。もとからそういう約束だった。

 

 指定されたコンビニの前で待機していると1台のタクシーが目の前に止まった。

 

 開いたドアはタクシーの助手席側だった。

 乗り込む前に、車の中に注意を払う。

 

 後部座席に、食蜂の金髪頭と初めて会う黒髪の誰か。

 

 運転手は一見どこにでもいる普通のおじさんにしか見えなかったが、景朗にも、誰に対しても無反応で、食蜂の能力でトリップ状態にあるのがあからさまだった。

 

 

 謎の少女がどんな危険人物であろうと、ここには景朗ひとりである。

 いざとなれども傷つくのは自分だけで済む。

 まったく恐れる風もなく、彼は助手席に腰を下ろした。

 

 

「ここで会話しても安全か?」

 

「当然じゃない」

 

「わかった。で、そちらさんは?」

 

「ドモドモ、"コウザク"ですよん」

 

「"コウザク"。それじゃあ、あの時の。ホントに生きて会えましたね」

 

「悪いけど、ナゴやかに話す気分にはなれないんだよネェ。キミが寄こした"猟犬部隊"、ぜんっぜん尻ぬぐいしてくれなかったんだよね。終わったこととはいえ、文句のひとつも出てくるよ」

 

「……もうしわけない。当てにはできませんよ、って十分忠告したつもりだったんですけど」

 

「あのザマで猟犬だなんて、ほんっとただのコケ脅しっすわ。"駄犬部隊"に名前変えたら?」

 

「ぷは。ふはははッ、大賛成だなぁソレ。上司に伝えておきますよ」

 

「ちッ」

 

 コウザクと景朗のやりとりでうっすらと笑っていた食蜂は、そこで口をはさんできた。

 

「安心して警策さん。こっちのワンちゃんは暴力のウデッぷしだけはピカイチの、"アマゾーン"にも劣らない"サーベラス"くんよ。劣ると言えばワンちゃんだから決断力がどうしようもないヘタレだけど、命令を聞くだけならそれも関係ないしぃ☆」

 

「……はぁ」

 

「はァ? サーベラス。ケルベロス。じゃあコイツが"理事長の執行人"? "猟犬部隊"の"猟犬"本人が、幻生と組んでいた、なんて……」

 

 短い期間だったとはいえ警策とて暗部組織で活動していたのだから、当然ウワサは耳にしていたのだろう。

 食蜂のヘタレ発言で黙らされた景朗とはまた別の理由で、考えこむように口を閉じてしまった。

 学園都市の裏世界でもTOP3にヤバいとウワサされる危険人物が、目と鼻の先にいたのだ。

 

「大丈夫、安心して。信じてちょうだい。ワンちゃんの弱みは完璧に握っているから大丈夫。意外に思うかもだけど、彼とは、彼が名前を売る前からの付き合いなのよ」

 

 食蜂になだめられても、それでも警策から完全に硬さは抜けなかった。

 僅かながらも油断を残していた己を悔いるように、ピリピリとした緊迫感をまとっている。

 

「あのー、すいませんが、そろそろワンちゃん呼びは勘弁してもらえませんかね?」

 

 高校生が、年下の女子中学生を相手にこの腰の低さでは、ヘタレ呼ばわりもいたしかたないかもしれないが。

 

「それじゃあ☆かっこよく理事長の刺客さんって呼ばせてもらいましょうか。アナタの通り名ってどれも物騒で困っちゃうわね☆」

 

「となりの方がいつまでも警戒されそうなんでやめたげてください」

 

「"犬"要素は外せないわよねぇ~?」

 

「どっかのBBA(薬味久子)みてえにしつけえなイヌイヌって……」

 

「あのさ、一般論的にヒトって真実をぶしつけに告げられると怒っちゃうもんだよ?」

 

 コウザクさんも絶妙にフォローできてないセリフである。

 

「カワイイの思いついちゃった☆まさに"犬の殺し屋さん"とか? 困ってしまってワンワン☆ワワーン♪」

 

 ついに歌われる始末。景朗にはこの言い合いで勝てるヴィジョンが見いだせなかった。

 

「アッハハ! おっ可笑しい~☆ そういえばアナタってば本当に『いっつも困ってる』わよね☆」

 

(てめえも原因のひとつだろ!)

 

「もうワンちゃんでいいです……」

 

 からからと笑う食蜂に対して『よく笑ってられんね』と警策の笑みは引きつっていた。

 彼女には憎き"アレイスター"の、直属の部下が目の前にいるという事実が重すぎるのだろう。

 

 猟犬部隊の猟犬とは。その辺に転がっている逸話をお粗末にかき集めても、相当な無敵で無差別で無体な殺しっぷりの実態が透けて見えてくる化け物である。

 そんなやつがよりにもよって街の権力の頂点に居座る男の比類なき忠犬でもあるのだから。

 然るにアレイスターへの報復を企てていた警策にとって、特大の警戒を設けていた存在である。 

 

「てぇことは……あのハゲッ」

 

 まさかソイツ相手に学園都市への反乱のつかいっぱしりを手配していたとは。

 あのつるっぱげカルマじじいが裏でニヤついていたと思うと、今でも警策の怒りは沸きたった。

 

「ところで、俺は何をさせられるんだ?」

 

「そうねぇ、簡単に言えばぁ、これからぁ……"とある研究施設"に乗り込むから、私たちの露払いをしてチョーだいナ☆ ってこと。静かに迅速に制圧したいのよね。ドンパチは厳禁だゾ☆」

 

「アンタの能力でも足がでそうな警備なのか?」

 

「念のため、よ。ビリビリさんと共闘したときに思ったのよねぇ。彼女の能力ってフィジカルが必要な場面では相当マルチな性能を発揮してくれるものだとタカをくくってたのだけれど、思いのほかガサツで脳筋アルゴリズムだったっていうかぁ☆」

 

「あのぉ、説明する気あります?」

 

「んふ。要するに貴方の方が、かゆいところに手が届きそうってコ☆ト。褒めてるのよぉ?」

 

「……」

 

「ちょっとぉ、返事くらいしなさいよぉ?」

 

「……わおーん。ハァ」

 

「可愛げないわねサイアクー」

 

 GGGGROOOOWWWWL!!!

 

 食蜂の愚痴をかき消すように、突如として景朗の喉奥から肉食獣じみた咆哮が鳴り響いた。

 それは気高き獅子さながらの、生理的な恐怖感を本能に差し込んでくるような、巨大な猛獣を思わせる重低音だった。

 和太鼓をすぐそばで力いっぱい叩かれたときのような、胸の芯から響く爆音。

 その振動は車を物理的に揺らし、2人の少女は反射的に身をすくめずにはいられなかった。

 

「うるっさいわねー! シャラップ!」

 

 無言の警策はというと、"液体人影(リキッドシャドウ)"の媒体を入れているアンプルに無意識に手が伸ばしていた。

 食蜂は安心しろというが、警策の能力は遠隔操作が主体であり、頼りのレベル5たる食蜂だって肉弾戦はからっきしだ。

 タクシーの車内という超近距離かつ逃げ場のない密閉空間で、噂に聞く"猟犬"がヘンな気を起こしたらと思うと。こちらには何も対抗策がない。

 

 弱みを握った、とて。この男が真にアレイスター側に寝返りでもしたら、一巻の終わりだ。

 

「ヒトツ確認なんだけど。ねぇ、コイツにも効くんでしょ? 食蜂さんの能力」

 

「それがねぇ、脳みそまでワンちゃんレベルだからか、効かないのよねぇ」

「絶対言うと思ったソレ。絶対いうと思いましたぁー。何度も同じこと言ってっけどホントはちょっと悔しいんだろ? 人間相手には無敵っていう看板に傷がつくもんね、認めたくないもんね、仕方ないね」

 

「悔しい? いいえこれは哀れみよ。アナタが人間辞めちゃった☆ってエビデンスを突き付けてしまう我がチカラ……なんて現実は残酷なのかしら」

 

「ジョーダンでしょ?! じゃあコイツがッ! もしものときどうやってコイツとめんだよ?!」

 

「ダァーイジョウブだってぇ。このワンちゃんってばホンット見かけ倒しで、幼馴染が意を決して告白したことにもぽけーっとして気づかずに」「おいストップ! ヤメロよ! こんなとこでやめろよ! 吠えるぞ、また吠えるぞ! 力の限り吠えるぞ!」「はいはいわかりましたぁ」「なんで知ってんだよ」

 

「オイ。握ってる弱みってまさかそんな……惚れた腫れたの恥ずかしい秘密とかそんなレベルじゃないよな? ちがうんですよね?」

 

「もっちろん☆ ……あっ、うーん……ええ、もちろんよ」

 

 パチパチ、と食蜂が怪物にウィンクしているのが丸見えだった。

 

「はぁ。もちろん。これでも結構な弱点を握られてるんすよ、そこの年齢詐称中学生には」

 

 景朗と食蜂の両方の顔を見比べて『やっぱレベル5ってイカレてんのね』って表情を浮かべつつ、警策さんはそこで諦めるように深い深いため息をついた。

 

 いたたまれなくなった空気がトリガーとなったのか定かではないが、景朗はそこで唐突に、ある記憶を思い出していた。

 コウザクさんのニオイをどこかで嗅いだことがある気がしていたのだが、それをやっと思い出したのだ。

 

「って、この髪のニオイ、あの時のクッサイッ! ……あ」

 

「は? クッサイ? な、なに、なに?!」

 

 幻生と最後に会ったのは、ツリーダイアグラムが破壊された7月。

 その時に、この黒髪の少女ともすれ違っている。

 拘束服を着ていた黒髪の少女だ。

 外見は見違えているが、匂いは一緒だ。

 少なくとも幻生は、当時からあの反乱を計画していたことになる。

 

 

「あ、申し訳ない。何でもない、なんでもないっす!」

 

「なによぉ突然。ホントにワンちゃんじゃない……」

 

 再三訪れる、沈黙。

 それを破ったのは、今度は警策からだった。

 

「ひとつ、いい?」

 

「なにかしら?」

 

「"ドリー"をコイツに合わせるのゼッタイ嫌だ」

 

「ワタシとしてはむしろ会わせておきたいのよ」

 

「ナゼ?! 断固反対だよッ。会わせておくメリットがわからない!」

 

「このヒト、これでも"妹達"とは浅からぬ縁があるの」

 

 景朗にとっても寝耳に水だった。

 以前会った時もそうだったが、なにゆえ食蜂のクチから"シスターズ"の名前が何度も飛びだしてくる?

 

 どうやらおふざけはここまでのようだ。

 食蜂はすでに笑みを浮かべてはいなかった。

 真剣な目つきを帯び始めた景朗に応えるように、声のトーンを下げて話始めた。

 

「心して。今回の依頼は"量産型能力者(シスターズ)"計画でも最初期に造られたイニシャルサンプルの奪還なの。シスターズの中で最も環境の変化にデリケートなはずだから、相手側に侵入の事実すら気取られずに、完璧に制圧し、磐石な安全を確保してから回収作業を行いたいの。ゆっくりと舐めるように、見分する時間だって必要になるはず。アナタの全力のサポートが必要だわ」

 

 景朗は思考の海に沈みこむ。

 "絶対能力進化(レベル6シフト)計画"からアレイスターの関心は離れているように思う。

 "量産能力者計画"にはまだ末端の使い道がどうにもあるような気配を感じるが、そちらにすら漏れるイニシャルサンプルのクローンとやらには、大した利用価値は残っていないはずだ、と。

 ならば食蜂らの企てに加担したとて、さほどアレイスターの怒りを買わずに済むだろう。

 

「……了解した。たっぷり救助時間を確保できるよう、全力を尽くすよ」

 

「アナタならそう言ってくれると思ってたわ」

 

 

 

 

 幻生と一緒にいたあのときの、ささくれだった警策の面影はまるでなくなっていた。

 

 "ドリー"と呼ばれたクローン少女は、予想を裏切らず御坂さんにソックリだった。

 

 意外だったのはあの食蜂が、3人で輪となってなって仲睦まじく涙を流していたことだった。

 

 能力以外はひ弱なあの少女が、あの木原幻生と真っ向から闘い、この光景をつかみ取った。

 

 なぜだか景朗は、己には彼女たちを見ている資格が無いような気がして。気が付けば少女たちから目を背けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大覇星祭が終わっての、翌々日。

 

 上条はなぜかイタリアへ飛んでいった。

 あの銀髪シスターちゃんも一緒に観光しているんだろうか。

 

 とはいえあのウニ頭さんが不在となれば、昼間から思い切り自由行動ができる。

 

 本当は土御門を捕まえて最近の出来事を根掘り葉掘り聞き出したかったが、ヤツはそんな青髪ピアスの思惑を知ってか知らずか学校を当然のごとくサボりやがった。

 

 これでは任務もないのに学校に顔を出した自分が馬鹿みたいではないか。

 先にウニ頭がイタリア旅行中だと説明すればいいものをと憤慨しつつも、小萌先生の授業は泣かれそうでサボれなかった。

 

 

 放課後。しかしまっすぐダーリヤの元へは帰らない。

 向かった先は同じく第七学区のとある喫茶店である。

 

 中学の頃、火澄や手纏ちゃんたちと何度もお茶をした、お馴染みのお店だ。

 

 フランスはパリ風の優雅な街並みを望める、"学舎の園"から最も最寄りのスポットでもある。

 

 

 勝手知ったる店内を進む。片手にはお気に入りの珈琲。ほぼほぼ特等席と化したテラス席へ。

 そんな己の行動をふと改めて省みる。

 この店に来たら毎回、このお決まりのルーティンをぶちカマしているかもしれない。

 

 しかし実はこの日ばかりは、ココで迎える"初めての行動"があった。

 

 

 そう。

 

 さも当然のようにテラスの一席で珈琲を啜るのは、景朗ではなく『青い髪の高校生』だった。

 

 そうなのである。今日はなんと、"青髪ピアス"としてやってきた。

 

 なぜ"青髪ピアス"なのか?

 

 周囲を見渡して、客の様子を観察しよう。

 理由なら簡単にわかるはずだ。

 

 

 その場での"彼"は、ただものではなかった。

 

 いつもは"お嬢様"のご尊顔目当てに一般の男子生徒もちらほら客として混じっているのだが、なんと彼らの注目は、彼女たちではなく、とある異端者に注がれている―――。

 

 

 珈琲の味をしたため、満足げにカップを置き。ニッ、と糸目の青年は不敵に微笑んだ。

 

「またせたね」

 

 今か今かと待ちわびていた少年たちは"青髪ピアス"に駆け寄った。いや、ちがう。ココでは彼はこう呼ばれている―――。

 

「「「"BLAU(ブラウ)"!」」」

 

 もはや学園都市中の男子中高生からリスペクトを集めるに至った"BLAU"としての、堂々とした佇まいがそこにはあった。。

 

 

 

 

 

 注釈を加えておこう。

 ここにきたのはスパイ活動のためである。

 前置きしておくが、決してアダルトグッズ配布のためではない。

 無論"えろポーカー"は懐にある。ブツは大量に持ち込んではいる、けれども。

 

 いやホントに決してそのような下衆の勘ぐりはしないでほしい。

 

 

 今朝、ダーリヤが景朗に報告してくれたのである。

 仕込んでおいた"BLAU"の無料配布会の事前登録者に、ついに"ホシ"らしきものが現れたと。

 (ちなみに『女子児童にアダルトグッズまがいの配布の手伝いをさせるな』というツッコミは景朗の心の中でもみ消されている)

 

 そう、事態はまちがいなく深刻だった。

 ついに"メンバー"の"査楽"が釣れたのかもしれないのだ。

 

 今回は実際に会ってみて"ホシ"が本物かどうか確認する。

 もちろん"クロ"であれば遺伝情報やらナニやらを回収しておく必要がある。

 

 

 ある、のだが……。

 青髪ピアスが横を向けば、目の前にあの"学舎の園"がある。

 

 

 そうだ。配布会はあえてここで行うのだ。

 

 "BLAU"とはそういう決断ができる漢なのである。

 

 あくまでこれは景朗の頭の中で想像する"BLAU"の行動原理なのであり、彼自身の欲求ではないので勘違いをしてはいけない、としつこく言っておこう。

 

 

「お会いするのは初めてですが、貴方の作品はすべて追いかけております! 光栄です!」

 

 

 "査楽"くんは普通に年上の可能性すらあるのだが、鍛え上げられた軍人のように丁重な慇懃さで、景朗はちょっと引きそうだった。

 

「そうかしこまらんでほしい。ボクらは"同志"や」

 

「BLAU...」

 

 そういいつつ手を差し出すと、感激も露わに査楽くんはあっさりと握り返して握手をした。

 

(バカなのコイツは)

 

 これで査楽くんの遺伝情報はガッチリ確保である。

 チョロすぎて逆トラップにかかっているのではないかといっそ不安になってくる。

 

(う、うぅーん。コイツが"メンバー"ってガセじゃないのかぁ?)

 

 むしろガセネタであってほしい気すらするのはどうしてだろう。

 

 ニヤニヤした口元にかすかな嘲笑を混じらせていた景朗だったが、自分も同類だということにはさっぱり気づいていないようだ。

 この場に丹生がいれば『"すけべポーカー"を大量に配り歩いてるヘンタイが"三頭猟犬"だなんてそっちのほうがやってられないんですけど』みたいな言葉のナイフで彼の心臓をズタズタにしていたに違いない。

 

 

 

 

 "査楽"の確認が取れたので、その後はつつがなく集まってきた同志たちに"BLAU"としてエールを渡していく。

 思ったよりノリがいい連中だったので、だらだらと毒にも薬にもならない会話を続けているのも、そりゃあ気分は悪くはなかった。

 

 

 

 これはその最中の、ふとした思い付きにすぎなかった。

 

 『もしかしたらいるかなー?』くらいの考えだった。

 突然始まりだす"BLAU"コールに調子づく己を自覚するとともに。

 店内の匂いや声に意識をトガらせる。

 

 その時の奇跡的な偶然に、景朗は衝撃を受けることになった。

 

 

 

『なんで御坂さんがいるのかしらぁ?』

『こっちの科白よ』

『この機会にお二人に親睦を深めていただこうかと……』

『『無理!』』

 

 

(あ、いる!)

 

 むすーっ、と景朗は荒くひとつの鼻息をついた。

 

(いるじゃん! "ふたり"とも!)

 

 "学舎の園"でのあの"ふたり"といえば、至極当然、彼女たちを差し置くわけにはいかない。

 

 食蜂操祈と御坂美琴がほとんど隣の席で中も悪くお茶を嗜んでいる!

 

 隣の席といってもあちらは隣接するティーハウスの敷地内なのだが、互いの会話が丸聞こえの超至近距離である。

 

 我らと彼女たちを遮るものは敷居替わりのガーデンツリーのみ。

 

 なんというタイムリー。なんという偶然だろうか。

 

 正確には、彼女らのティータイムは3人で行われている。

 食蜂と御坂の間に挟まるように、3人目の少女もいた。

 今時ちっとやそっとじゃ信じられないくらい古風なクルクル縦ロールのツインというエレガンスさだった。

 

 

(なんということだ。こんなチャンスが転がり込んでくるとは……)

 

 

 なにせ今回"BLAU"が持ち込んだ"インディアン・ポーカー"の中身は……あの二人の。

 

 考える間もなく、カリスマSランカーのもとにまた一人、信者…もとい同志が馳せ参じてくる。

 

「"BLAU"! お会いできて光栄ッス!!」

 

 まるで人生初の面接でド緊張のさなかぶっぱなしたダミ声のような大声だった。

 

「もー声大きいなぁ」

 

 しかしこんなにも感謝や尊敬といった肯定的な感情の念を直接的に照射される経験など、景朗の人生でかつてなかったことである。

 自然と"BLAU"の演技にも熱が籠ってしまう。

 

「たッ足りないかもですがッ。これで自分にも譲ってもらえないでしょうか!!」

 

「ええよ…そんなものださんでも」

 

(カードにはトラップ仕掛けてあるし……こっちが気の毒に思うぐらいやで)

 

「自分の夢で幸せを皆に分け与えられる。それだけでボクぁ嬉しいんや」

 

「「"BLAU"…」」

 

「でもほんとたまんなかったッス! 女神っ子クラブ曖璃栖ちゃんのメイドカフェ!」

 

「"BLAU"の夢ならスーパーモデルからバーチャルアイドルまで」

 

「常人には想像することすら不可能な異次元のコミュニケーションが自由自在!」

 

「おお~」

 

「お天気お姉さんの雨月アナとスタジオで結婚発表したり!」

 

「ぽっちゃり系グラドルの富愚射華ちゃんと好みの衣装で濃厚なグラビア撮影!」

 

「あのようなカードを生み出してしまう"BLAU"はまさに神…!」

 

「今晩の事を思うと今から動機が止まりませんッ!!」

 

「学園都市中を"BLAU"の夢が席巻するのも時間の問題かと…ッ!」

 

 

(お前ら……お前らの"BLAU"はそんなもんじゃないんだぜ)

 

 懐にしまったとっておきの"ポーカー"。

 こいつをここで出さずしていつ出すというのだ。

 出し惜しみ? "BLAU"はそんな小さな器じゃないはずだぜ。

 

 景朗を責めないでやってほしい。彼は少々"BLAU"の演技にのめりこみ過ぎていた。

 

(やるんだな、今…ここで?!)

 

 景朗のためらいに勢いよく吠えたのは、心の中の小さな"BLAU"だった。

 

(ああ。勝負は今、ここで決める!)

 

 

「フッフッフ。芸能人だけじゃないんやでぇ。常盤台中学の超能力者二人――――広報CMで顔くらい見たことないか? 二人ともアイドル顔負けのごっつい美少女や」

 

 新たに"BLAU"が取り出した"カード"に、同志たちの視線は釘付けになる。

 

(ああ、これが……与えし者の優越感ってやつか)

 

「"BLAU"まさか…ッ」

 

「第三位の御坂美琴ちゃんは気ぃ強そうやけどな。

 逆にそれを従順に洗脳してネコミミと尻尾付けてからは飼い主としてナデ回し放題!

 食蜂操祈ちゃんはスク水に透明処理してな。

 中学生離れしたすごいスタイルがシースルーなってもうて桃源郷や!」

 

「な…なんという神をも畏れぬ所業……」

 

「怖しい人だ……」

 

「フッ、超能力者もボクにかかれば丸裸や。文字通りな!」

 

「「「うおおおおおーッ! "BLAU"! "BLAU"! "BLAU"! "BLAU"!」」」

 

 歓声を上げる同志たち。鳴りやまない"BLAU"コール。がさがさとガーデンツリーも盛大に揺れている?

 

「乙女の花園で堂々とサバトを繰り広げるなぁッ!」

 

 メキメキャァッ! と制服に葉っぱをくっつけた御坂美琴が庭木の間から飛び出した。

 直後。男子学生たちの目の前は発光で白く染まった。

 

「どあああぁっ!」「「「ぎょわあひぃーっ!」」」

 

 その場に残されたのは、電撃で焼かれたカードの焦げ臭さだけだった。

 

 

 

 

 

 

 しばらく待つと、予想通りに彼女はやってきた。

 

「……で、なんの用だったのかしら?」

 

 気絶して倒れている青髪でピアスの男子高校生に、食蜂操祈は無遠慮に言葉を放った。

 痺れたフリを続ける気の景朗はチカラなく手を振った。

 

「ほらぁ、さっさと立ちなさいよぉ。今日の貴方には本心から近寄りたくなかったのだけど、我慢力全開でこうして出向いてあげてんだからねぇ?」

 

「頼んでたアレは?」

 

「ああ、アレね。このワタシにかかれば朝飯前だったけどぉ、それでも約束通り貸しヒトツだゾ?☆」

 

「了解」

 

 調査結果を受け取ろうと青髪ピアスが差し出した手は空を切った。

 ただ背を向けて、淡々と少女は語った。

 

「答えは"ゼロ"よ」

 

 

 地面にへたりこんだままの景朗は、去っていく食蜂の背を眺めつづけた。

 見返り美人姿を期待する男子高校生にしか見えないようでいて、彼の思考はぐるぐると回っている。

 

 食蜂が答えた"ゼロ"とは、"学舎の園"に紛れ込む"能力主義の冷凍庫(フリッジ)"所属生徒の数である。

 さすがに"能力主義"と兼任できるほどお嬢様たちの派閥争いはヤワな務めではないらしい。

 

 "心理掌握(メンタルアウト)"の調査結果ともなれば、"迎電部隊"の蒼月も納得する報告ができそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 9月30日。10月から学園都市は一斉に夏服から冬服に切り替わる。その準備のためか、ほぼ全ての学校は午前中で終わる日だった。

 

 計画的に衣替えの用意をしているものばかりではないので、午後からは平時より人の行き来が増えて通りは賑やかになる。

 

 上条のアホが率直に肩を揉みたいといえばいいのに紛らわしい言葉使いをして吹寄さんにボコられ、なぜかそれに巻き込まれたりもしたが、わりといつものことなので特に印象に残らない日になるはずだった。

 

 しかし、夕方から事態は急変した。

 

 後から振り返れば。

 その日は、あらゆる人物の運命に激変を及ぼした切り替わりの特異点だったのかもしれない。

 

 

 

 

 正午すぎから放課となったのだが、景朗は下校中の土御門を捕まえて尋問に取り掛かった。

 しつこく食い下がったが土御門ははぐらかし続け、結果的に第七学区の街中を2人してブラつくような形になってしまっている。

 

「というかさ、あいつなんでイタリアでも怪我してんだよ?」

 

「あっちは治安が悪いからにゃー。観光客だからって容赦されるわけじゃないんだぜい」

 

「うそつけ、そんなんであいつが怪我までするタマかよ」

 

 悲しいことに学園都市だって治安は悪い。喧嘩沙汰への対処なら上条は心得ているし、そもそも絡んだの絡まれただのの小競り合いではあいつだって流石に怪我をするほどのムチャはしない。景朗とてそれくらいはウニ頭のことを信頼しているのである。

 

「あっちでも外の能力者とやらとやりあったってことでいいんだな?」

 

「船から落ちたらしいにゃー」

 

「前回のテロ騒ぎもなんだろ? というか、お前もそうなんじゃないのか?」

 

「何の話かさっぱりわからんな」

 

「オイ、いくらなんでもそれはないだろ。シラは切れねーぞ、ある程度はこっちもわかってんだからな。テキトーな嘘じゃいい加減、騙されねえぞ」

 

 

 まさに突然だった。

 景朗のポケットから、人間には聞こえない波長の音が鳴り響いた。

 それは暗部の仕事開始の合図である。

 

「くそ、お前といると任務の呼び出しばっかりだな」

 

「それはこっちのセリフですたい!」

 

 当然だが呼び出しに気づいたのは景朗ひとりだけだったが、いつもと同じ反応をした彼のその様子から土御門も察して理解したらしい。

 遅れて土御門のポケットからも振動音が続き、2人は互いに端末を取り出した。

 

「ほらな。やれやれ俺もか。これは来やがったか?」

 

 土御門にも招集がかかったらしいが、なぜ呼ばれたのか予想がついていそうな含みのある言い方だった。

 

「なんだよその反応はよ。何だよ何が来るんだよ? "知ってる"ならちょっとくらい説明しろよ」

 

 

 景朗は"猟犬部隊"の任務で扱っているものを。土御門のモノはおそらく"グループ"とやらのだろう。

 市販の携帯端末などセキュリティが恐ろしくて使えたものではない。

 

 

 <<作戦目標 標的の都市内への侵入を阻止せよ。

    標的 William Orwell(壮年のゲルマン系男性の画像が添付)

   作戦地 MGRS:54SUC78900975(伊豆諸島沖合約25km)

    支援 "剣魚部隊(ソードフィッシュ)"が迎撃地点まで護送する。

    詳細 外壁(カーテンウォール)より外部での迎撃を完了せよ

       兵装および能力の使用自由

       スライスを除く"猟犬部隊"の実働班には別の作戦指示が有り。支援不可。

 

(なんだコレは?)

 

 標的である"ウィリアム・オルウェル"なる恐らくは人間を迎撃するその場所は、アプリが示す地図上では海のど真ん中になる。

 伊豆諸島八丈島から離れた海上。まさしく何もないだだっぴろい海の上。

 謎のロケーションであるばかりか、驚きはそこだけではない。

 

 景朗にとってこれは、学園都市の外で行う初めての任務活動だ。

 

 学園都市の外。外部。外部の敵。一瞬でそこまでは理解する。

 

 

「聞いてもいいか?」

 

「聞くだけ聞いてやる」

 

「"ウィリアム・オルウェル"ってどなたかご存じ? 魔術師ってやつなの?」

 

 サングラスの奥底の瞳が、ぎょっとしたように収縮するのが見えた。

 

「……仕方ない、か。アドバイスくらいくれてやる。今回の任務は過去イチ心してかかれ」

 

「な、おい。もっと具体的にないのかよ。アドバイスになってねえよ」

 

「ふぅー……。強敵だと思え。"超能力者"よりも強敵だと想定して戦え。言っておくが、これは冷やかしなんかじゃないぞ」

 

「それって"第一位"サマよりもか?」

 

「ああ。"第一位"よりもだ」

 

「……」

 

「おい、返事はどうした?」

 

 突如として景朗は表情を豹変させた。青髪ピアスのようにヘタレた笑みを浮かべて、土御門の体に手をまわして肩を組む。

 

「いきなり何だッてんだ気持ち悪い」

 

「あいつが来た。ベストタイミング。なぁおい、どうせ今回も"ケガ"させちまうんじゃないだろうな?」

 

「……NO、とはいえないかもな」

 

 景朗の指さす先から、特徴的なツンツンウニ頭がやってくる。

 第七学区の地下街を真正面から、こちらへと、背中に幼女をのっけた上条当麻が真正面からやってくる。

 いつものシスターちゃんではない。あのウニ頭はまたしても別の女を引っ掛けている。

 

 

 任務の刻限は迫っているが、わずかな猶予はある。

 その前にウニ頭に今夜の予定を聞いておこう。

 

 どうせあの男は、なにか"とんでもないこと"をやらかすにちがいない。

 

 そんな予感が土御門にもあったのだろう。

 

 二人は何気ない態度を装って、上条の方へと歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 "剣魚部隊(ソードフィッシュ)"なる外洋で活動する暗部部隊と初めて接触したのち、そのまま景朗はUUV(無人潜水機)母艦たるHsSSNV-01「サイレントケープ」に搭乗させられていた。

 

『米国SOSUS(音響監視システム)から得られた情報では、ターゲットは伊豆諸島を経由して学園都市に向かうルートを取っています』

 

 ブリーフィング資料には、オーストラリア辺りから北上する小さな物体の影の進行ルートが地図上にカラーリングされている。

 

『DownWaverは使用許可が下りません。標的の質量が小さすぎるため効果が見込めません』

 

 どうにも信じられないことだが、標的は生身で海上か海中を高速で移動していることになる。

 もう絶対これは魔術師だ、と確信が得られた。

 景朗は持参した食料をガツガツとかきこみ、最後の栄養補給に神経を注いでいる。

 

『展開したHsUUV-02の重力波レーダー探知システムとデータリンク共有完了。"スライス"、発艦の準備をしてください』

 

 潜水艦の指定された区画に到着する。

 HsUUV-02が1機、減圧チャンバー内に用意されていた。

 SDV(潜水兵員輸送潜水艇)モデルにマイナーチェンジしてあるらしく、人間が捕まりやすいフォルムだ。がしっと取っ手のひとつを掴む。

 

「注水どうぞ」

 

 あっけらかんと言い切ると、最後の点検にやってきた"剣魚部隊"の隊員はやや戸惑っていた。

 景朗が本気で普段着のまま暗い海に飛び込んでいくのだと理解すると、彼は戦慄の眼で見送ってくれた。

 

 

 

 

 HsUUV-02はぐんぐんと水中を加速していく。

 景朗はエラを作り、水を吸い込み、"躰"をすこし大きくした。

 海はいい。

 ここは躰をデカくする材料で満ちている。

 

 燃料切れになることはない。

 

 己を鼓舞するためだった。

 誰もいない孤独な海の中で、景朗はわざとらしく不敵に笑った。

 

(外部の能力者め、海で俺に勝てると思うなよ! ここには生き物に必要な"全て"があるッ。ここでならいくらでも本気が出せる――――俺の独壇場になるかもな!!)

 

 

 

 

 海の中は時間の感覚に乏しかった。

 通りすぎていく美味しそうな魚を時たまつまみ食いをして、質量を稼ぐ。

 

 そんな退屈な時間は唐突に終わった。

 UUVがふわりと浮上を開始した。

 やっと敵とのご対面だ。

 

 

 

 

 水面下から海面を通してようやく見え始めたシルエットは、何かを振りかぶっていた。

 

 景朗はUUVを蹴って身を翻した。

 

 自動車サイズの金属塊と金属塊が猛スピードでぶつかったような、空気の軋み。

 猛烈な水しぶき。

 

 景朗が完璧に破壊されたUUVの上に着地する一挙手一投足を、どこぞの聖書でうたわれる救世主のように、"水面に直立する大男"はただ黙って観察していた。

 

 

「ウィリアム・オルウェル?」

 

「如何にも」

 

 どこか興味深そうに嗤う大男にもこれまた不敵な笑みが見受けられた。

 すくなくともそれは景朗のように、己を勇気づけるための空元気ではなさそうだ。

 

「あっそう。ところで俺は"猟犬"。あんたの敵だ。相手をしろ」

 

「……」

 

 今度はしっかりと景朗にも理解できた。男は楽しそうに笑っている。

 そこに殺伐とした緊張などどこにもない。

 なにか面白いおもちゃをみつけたかのような、純粋な発見と知的探究心だけがそこにあった。

 

 明確に舐められている。

 

「なんだよポロシャツ。怖気づいたなら白旗揚げろ。あんたにとってはラッキーなことに、殺せとは言われてないんでね」

 

「ふふ。大海を知らんとはこのことだな、小僧」

 

「大海は俺の味方だ。ここには何一つ不足がない。俺の言ってる意味があんたにゃわからないだろうけどな、ははッ! 今にわかるぜ、海では俺に勝てないってな」

 

「ふ、ふふははッ。貴様の飼い主は貴様に何を狩れと言ったのだ? 全く持って興味はないが、哀れを誘うのである」

 

(……確かに、こいつを殺せ、とは言われていない。……なぜ、だ?)

 

 直感ではっきりと悟る。目の前の男は一等級の危険人物だ。

 今となっては『殺せ』と命令されなかったのが不思議でしかたがなくなってくるくらいの。

 

「その身に宿る魔力、俺に匹敵するかもしれん。"天使の力(テレズマ)"ではなくとも、"聖人"に匹敵する魔力の持ち主がまさか学園都市に居ようとはな」

 

「わけのわからんこと言ってんなよ。警告はしたぞ。死にたくなきゃちゃんと命乞いしろよオッサン」

 

「坊主、私の"通り名"くらい教えられなかったのか?」

 

「そんな必要あるのかよ」

 

「教えてやろう。"後方の水(アックア)"である」

 

「水?」

 

 突如、不自然に大波が爆ぜた。遥か真下の海面から迫るが、たかが波だ。

 そんなものにいちいち構う必要はないとばかりに、景朗はUUVを蹴って反動をつけ空中を滑った。

 着水するわずかな間に能力を使ってヒレや水かきを生み出し、波の上を駆ける。

 

 まずは小手調べに大男に一撃をくれてやるつもりだった。

 

 だがそこで、ありえないことがおきた。

 "超能力者"となった景朗にとって、それまで水場はホームグラウンドも同然だった。

 やもすれば地上を疾駆するよりも居心地の良い空間たりえた。

 

 それほどのアドバンテージのはずだった。

 しかし次の瞬間。

 

 "悪魔憑き"は生まれて初めて、溺れるという体験を知ることになった。

 

 

 景朗は知る由もなかった。

 "アックア"はその名のごとく、直径2キロの範囲で質量5000トンの水を小手先で操る。

 海をホームグラウンドとするのは、"悪魔憑き(キマイラ)"だけではなかったのだ。

 

 

 大海に、途方もない"穴"が空いていた。

 暗い暗い深海へと真っ逆さまに流されていく。

 

 なにもワープやテレポートなどという魔法を使われたわけではない。

 アックアはただ"水"を操るだけで、瞬きをする間に景朗を、深海数千メートルの絶界へと叩き込んだのだ。

 

 

 

 

 

 

 "剣魚部隊"と連絡がつかなくなっている。

 

 さきほど"アックア"が生み出した数キロ四方の超巨大渦流は、周囲のUUVを根こそぎ破壊してしまったらしい。

 

 もしかしたら母艦のほうすらも。

 

(くそ! 追いつけない!)

 

 信じられない。奴は人間の形をしたその身一つで、航空戦闘機にも迫りそうな亜音速で海上を滑っていったのである。

 

(ふざけやがって、魔法かよ! ちがう、"マジュツ"か?!)

 

 海の中で大王イカやクジラを捕食して海面にあがる。

 いつまでも海水が景朗にまとわりつく。

 空を飛んで追いかけようとするが不可能だった。

 

 大きなシャチになってアックアを追跡する。

 超能力者のプライドにかけて、筋肉を動かす。

 取り込んだ水をジェット機のエンジンのように噴き出してスピードを上げる。

 

 気が付けば、肉体と海水の激しいぶつかりによって周りに気泡と衝撃が絶えず発生し始めている。

 キャビテーションが発生し、水との摩擦による抵抗力は薄れていくが、同時に生じる壊食で肌が壊れていく。

 すぐさま再生させているが、これではまだ効率よく水中を進めていない。

 

『鱗を纏え』

 

 それは突然頭の中に現れた発想だった。そう、すぐ隣で誰かが教えてくれたような。

 

 自力で思いついたアイデアなのかどうかもわからない。

 そこに意識を割く余裕などなかった。

 

 このままでは任務に失敗する。そうなれば大切な人が見せしめにあう。

 その恐れが、"囁き声"を受け入れる抵抗感を失わせていた。

 

 "囁き"に従った。

 壊れない鎧のような鱗を、躰中にまとわせる。

 

 背びれ、尾びれ、胸びれ、口先、動きを阻害させることなく、しかし体表の全てを覆わせていく。

 

『泡を纏え』

 

 囁き声が、だんだんはっきりと大きくなる……。

 水中で高速移動する。そのために、スーパーキャビテーションを、利用する。

 

 暗闇の中でも、その異音だけは響き渡った。

 

 "竜鱗を持った大鯨"は爆発さながらの気泡に包まれながらも、深海を切り裂いた。

 

 空を席巻するミサイルにも負けぬ轟音で、水中を自由に潜行している。

 

 

 "悪魔憑き(インヴォケーション)"が呼び出すは、海の怪物たる地獄の大侯爵。

 

 アレイスター・クロウリーが名づけたるは"甲鱗の鯨(フォルネウス)"。

 

 招いたものに、知恵の大海を垣間見せる。

 

 そもそも[キャビテーション]という言葉も知識も、景朗は最初から知らなかったのだ。

 

 実際に、スーパーキャビテーション魚雷というものがある。

 従来の魚雷より数倍の速さで水中を進む兵器だ。

 

 キャビテーションというのは、水中で高速移動する物体の周りでみられる、圧力変化によって気泡が生じる現象だ。水の摩擦よりも空気の摩擦のほうが弱いので、うまく利用できれば、水中でより高速に移動できる可能性がある。

 だが、デメリットも当然ある。激しい気泡の動きは極めて破壊的であり、それに晒された箇所は、たとえ金属の装甲でもボロボロに壊れる場合がある。

 

 このデメリットを克服し、活用する技術はスーパーキャビテーションと呼ばれている。

 

 

 "アックア"が水上を飛ぶのであれば、"フォルネウス"は彼を打ち落とすミサイルになればいい。

 

 直に近づく。近づいている。あの男の背に、到達する。

 

(そうだ……)

 

 近い。いつになく、悪魔のささやきは近くで感じられる……。

 

 "使う"たびに、"降ろ"すたびに、"憑く"たびに。

 

 "彼ら"の"息づかい"が、背中から距離を詰めて忍び寄ってくる……。

 

 この恐怖は、気のせいなんかじゃない。

 

 悪魔を降ろすと、集中を維持するのが困難になる。

 気を抜けば"乗っ取られる"。

 本質的に、奴らのほうが存在が巨大なのだ。

 

 

 だめだ。集中しろ。任務を達成しろ。

 

 まだ奴に見限られるわけにはいかない。

 血も涙もないアレイスターの猟犬に成り下がってしまったのだと、もはや自分は認めている。

 そこから脱するために。今、あのもやし野郎に切り捨てらるわけにはいかないんだ。

 

 そのために、あの男を、アックアを、殺せ。殺せ。殺せ。

 殺すのは好きなんだろう? 悪魔!

 

「Vmoooooooooooooooooooooooooooooooooooooo....!!!!」

 

 

 水中から急浮上し、"甲鱗の鯨"は文字通り魚雷となって"アックア"の背に突撃した。

 海獣の額には、怪しく輝く一角獣のごとき鋭い角がそそり立っていた。

 

 

 直後。巨大な"爆発"が闇夜に響き渡った。

 

 はるかな重さを持つ物体同士が、真っ向からぶつかったのだと誰しも一瞬で悟れるような。

 まるで空をゆく2台の旅客機が、正面衝突して爆散したかのような、身のすくむ轟音。

 

 火花こそ散ったが、その"爆発"には炎がなかった。

 しかし爆音と衝撃波だけは、その質量と質量のせめぎあい、運動エネルギーのぶつかりあいの大きさを周囲に知らしめている。

 

 "アックア"はまったくもって無事そのものの姿で、海面に足をつけた。

 機敏に反応し、どこからともなく取り出した巨大なメイスで"甲鱗の鯨"を薙ぎ払っていたのである。

 

 ブゥゥゥゥゥゥゥン、と今なおたわみと振動を残し、にぶい音を立てるソレを大男は構えなおした。

 金属の塊でできたメイスは、彼自身の体躯よりもよほど巨大だった。

 そいつが軽々と振り回されるその構図は、大真面目に説明するほうがいっそばかばかしくなるほどのアンバランスさだった。

 

 

「第二ラウンドだな、小僧」

 

 返事などなかった。

 人間を相手に投げかけたつもりの言葉だったが、それを言い切らぬうちに海獣の咢が"アックア"の目前に迫っていた。

 大型ナイフほどもある乱杭歯でフチどられ、しかしてぽっかりと空いた口腔は、"神の右席"随一の偉躯を誇る"アックア"ですら小さくみえるほどだった。

 

 

 

 

 

 景朗は"悪魔の力"を過信していたのかもしれない。

 "魔術師"の男はこれまで戦ったものの中でも、アレイスターを除いて随一の戦闘能力と戦闘経験を兼ね備えた傑物だった。

 

 おまけに、海上での戦闘が得意なのは相手も同じだったらしい。

 

 いくつかの衝突で、男はメイスを攻撃に使うのをやめた。

 純粋な力比べでは劣っていることを把握し、メイスの堅牢さを頼りに景朗の牙や角を防ぐだけにとどめていた。

 そのかわりに男は巧みに水を操って時間を稼ぎ、何かしらの"細工"をした魔術で、悪魔の能力を得ているはずの景朗を痺れさせてきた。

 

 その事実に驚愕して焦燥を募らせる景朗に対し、一方で男のほうも幾度"光の輪"を受けても未曾有のタフネスを見せて追従する海獣に、歯がゆさを感じてはいたようだった。

 

 

「マ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛デエ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛!」

 

 であるものの、奴が何よりも優先したのは"学園都市"へ向かい続けることだった。

 わずかばかりに稼いだ時間で、"アックア"はその度に学園都市へと距離を詰める。

 どうやら景朗との戦いの決着よりも、時間を気にしているようだった。

 

 

 大男は"甲鱗の鯨"から受ける攻撃をときおりメイスで、ときに変幻自在に形を変える水で防ぎ続けた。

 

 遠くにちらちらと灯台の明かりが見えだしたことから焦っていたが、今ではすでに都市の細やかな光が視界に入っている。

 

 "悪魔"に意識を半分ほど占有されてしまった脳ミソでは、どれほどの時間を追跡に費やしたのかおぼろげだ。だが陸地までの近さは、すなはち学園都市までの近さだ。

 景朗の任務はアックアを街へ入れないこと。任務失敗の文字が浮かびつつある。

 

 

(水を操る。水流操作に似た能力。今まですべて水しか操っていない。それなら、水じゃなくてコレなら!)

 

 景朗は水中移動する間にも、小さなプランクトンなどを捕食し続けていた。

 ある物を体内で生成するために、もっともっと栄養が必要だったのだ。

 その成果が、ついに結実した瞬間に。

 

 Vmoooooooooooooooooooooooo!

 

 "甲鱗の鯨"は潮を吹くように、無色透明の油液を射出した。

 それは海水でもなく、彼の血潮でもなかった。

 

 びらん剤(化学兵器)として有名なものにマスタード・ガスがある。

 炭化水素は微生物から取り出し、硫黄も塩素も海中から必要量は確保できる。

 

 景朗はこれを体内で精製した。

 

 必要な知識はどこからともなく湧いてきた。

 存在すら知らなかったものを、まるで歴史ごと頭に刻み込んだかのように。

 

 毒ガス史上1番多くの命を奪ったことから化学兵器の王様とも呼ばれているこの殺傷兵器は、水中で分解される。

 今なら、まだ、周囲にあの男ただ一人。

 

 "アックア"の生死などかまうものか。

 任務を達成できなければ、景朗の知人はおぞましいペナルティを受ける。

 

 

 

 噴出されたマスタードガスを、"アックア"は無数の水の分身を作り出して回避した。

 

 景朗が奥の手を使ってきたのだと、その鋭すぎる戦闘経験から理解したのかもしれない。

 だからこそ、あの男にとっても奥の手である水の分身で対応してきたのだろう。

 

 大男の形をした水の塊は、目の前に数百を超える。

 

 その時、まさしく。"甲鱗の鯨"の眼の色が変わった。

 

 赤外線をたどれ。可視できる光の波長域を拡大し、サーモグラフィーに変える。

 

 

 数えるのもばからしい数百の分身は、しかし海水の温度と対して変わらない。

 そのなかに唯一、人肌の温度で映る立体があった。

 

(オマエカ)

 

 

 Voooooooooooooooooooooooooooooooooooo!

 

 

 

 吠えた鯨は、額の噴出孔だけでなく喉奥からも大量のマスタードガスの油弾を放った。

 上空で爆発したそれは大量のしぶきをバラマキ、一部が確実に"アックア"に命中した。

 

 

 仕留めた、と思った。しかし、たったひとつの"本命"かに思えたそれすらもデコイだった。

 "アックア"は景朗の能力など知らないはずである。

 温度をエサに罠をはったその読みの鋭さはいったいいかなる術をつかったのだろう。

 この相手の戦闘勘の良さは、今まで戦った中で随一だ。

 

 

 不意をつくように、真上に位置どっていた"ただの水塊"が突如として色づき、男の姿を取った。

 振り上げられたヤツのメイスの先からは、不自然なほどに虹色の火花が散っている。

 

(カウンター!)

 

 "鯨"は反射的に迎撃した。それはすばらしい反応速度であり、アックアの攻撃よりわずかに先んじて、全身の筋肉を使って曲げられた尾ビレは圧倒的な破壊力で迎え撃った。

 

 "アックア"の口元にゆがんだ笑みがあったきがしたのは、気のせいではないだろう。

 

(舐めるなッ死ね!)

 

 

 これほど"アックア"と接近できたチャンスを逃すわけにはいかない。

 もうひとつ用意していた罠を炸裂させる。鯨の岩肌のような鱗には棘が無数にあるが、これは飾りではない。

 パァンパァンパァン、と。

 鯨の体表のあらゆる箇所から、拳銃の発砲音にも似た小さな爆発が無数に生じた。

 それらは毒液が滴る鱗の棘が全方位に射出された音だった。

 

「ちッ!」

 

 "アックア"は苛立ったようだ。おそらくはいくつかがヤツの体に刺さったはず。

 しかし男は驚異のタフネスさを見せた。

 倒れない。一般人なら一瞬で昏倒していなければおかしい。そういう毒を使ったのに。

 

 針衾を抜けた"アックア"は器用に体を動かした。

 ぶつかる直前でメイスは横に倒され、男はそこに足を乗せた。

 

 轟音。さりとてそれは、残念ながら男を討ち取った音ではない。

 

 打ち上げられたホームランボールのように、人影は勢いよく空中を飛んで行く。

 無数の明かりの方へ。すなはち陸地へ。

 

 

(逃げられた)

 

 VGaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!! Moooooooooooooooooooooohhh...

 

 いらだちまぎれに鯨は吠えた。

 "追いつくころには、ヤツは陸地にたどり着く。

 

 

 ヤツは何者!? ヤツは何者だ!? ヤツは何者なんだ?!

 

 そのあまりの移動スピードに、"悪魔憑き"を成したままでなければ景朗の能力だけではきっと追いつけなかった。

 

 外部勢力にもあれほどの能力者がいたのか。

 その事実に景朗は混乱する。

 そんなやつらが学園都市に何をしに向かう?!

 

 口惜しい。もっとこの"鯨"のチカラを使いこなせていたら。

 

 

 景朗も"アックア"に続き、全速力で陸地に身を乗り上げた。

 

 遠くなる意識と軋む躰を無視して、"甲鱗の鯨(フォルネウス)"を"羽狼蛇尾(マルコシアス)"に無理やり切り替える。

 

 街に近づいたせいだろうか。うっすらとどこか遠くから、人の叫び声がいくつもいくつも聞こえてくる。小さな悲鳴は数えきれないほど多様にあって、なぜだかそのどれもが景朗を無性に惹きつけた。

 

 かぶりを振った。

 ここで一息ついてしまったら。

 そこで自分は動けなくなる。

 

 無理がたたっていることを自覚しつつも、それでも景朗は押し通した。

 

 さきほどアックアに食らわせた毒の棘には、追跡用のトレーサーになるニオイ分子がたっぷり付着している。

 ヤツがそのことに気づいても、適切に処理できなければどれだけ逃げようとも無駄だ。

 かならず追いついてみせる。

 

 祈りが通じたのか、海岸で"アックア"の臭いをつかむことはできた。しかし、男の姿はどこにもない。逃走した形跡が海岸には残されていた。

 

(毒が効かない。治した? 魔術はこんなにも簡単に、初見の毒にすら対処できんのか?!)

 

 手がかりとなるニオイは繁華街へと向かっている。

 繁華街にでも逃げ込まれていたら、短時間での追跡は困難である。

 

(街で俺を巻くつもりか? だがそれは遠回りだぜ)

 

 ヤツの目的地はとうにわかっている。

 

 学園都市で待ち伏せてやる。

 

 先回りすべく、背中の羽をはばたかせた。

 大地と中空を駆けて、"悪魔"は亜音の速さで故郷へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 音速に並ぶ。

 羽ばたく音すら置き去りとなる。

 

 aaaaaahhhh...

 

 だというのに、なぜか聞こえる声があった

 気のせいではない。はっきりと聞こえるのだから。

 

 必死で否定したくとも、やはり難しかった。

 

 学園都市に近づくほど、つまりは景朗が殺人を犯した場所へと近づくほどに。

 

 かすかな悲鳴たちははっきりと存在感を増して、景朗の脳に届いてくる。

 

 聞き覚えはあるか? そう自問自答したのが間違いだった。

 

 聞き覚えはあった。

 

 ああ。悲鳴はどれも、かつて、1度は自分が耳にした声なのだ。

 

 

 死者の悲鳴だ。

 

 すでにこの世にいない人たち。

 自分が手にかけた人たち。

 

 だからこそ、"分かる"。

 

 直観はもはや確信に変わりつつある。

 

 

 しかるに事実として受け止めたあとには、"なぜ?"がやってくる。

 

 

 なぜ、悪魔と一体化したときにだけ、悲鳴が聞こえるのか?

 なぜ、悪魔と一体化するたびに、悲鳴は鮮明になっていくのか?

 

 

 脳内で創り出した幻聴か? 

 音をつかむ神経を失活させても、世界は無音になってはくれない。

 これは現実の音ではない。

 

 

 悪魔はどこからやってくる?

 悪魔はどこにすんでいる?

 

 

 悲鳴の正体に気付いたからこそ、その疑問の行先に見当がつく。

 

 

 "悪魔"の住処は、この無数の"悲鳴"と同じ"場所"なのではないのか?

 だから悪魔を降ろしたときにだけ、悲鳴がきこえるんじゃないのか?

 

 

 

 

 だとすれば。

 だとすれば、このチカラ(悪魔憑き)はもう使っちゃだめだ。

 

 俺は近づいている。

 あの"場所"に近づいている。

 

 使い続けて、使い続けて、もし、もし。

 

 悪魔と一体化していないときにも、あの声が聞こえるようになってしまったら……。

 

 

 

 

 

 

 

 学園都市が眼下に迫る。帰ってきた故郷は異様な空気が立ち込めている。

 街の中心からだろうか? 街はいつもとはちがう光を帯びている。

 

 その正体は知らない。魔術師がしでかした攻撃なのかもしれない。

 

 わからなくとも、飛び込んで、守らなくちゃ。

 街にはあいつらがいるんだから!

 

 声など気にするな! 今は気にかけなくていい!

 

 危機に陥っているあいつらを助けるほうが先決だろう?!

 

 

 

 

 "羽狼蛇尾"は空を走りぬき、外壁を超える。

 

 "アックア"はすでに中に侵入してしまったのだろうか?

 

 自分は間に合ったのだろうか?

 

 この眼で確認しなくては。

 

 そう思ったからだ。

 

 

 

 だが"街に入ろう"とした。

 

 その景朗の判断は、結果的に重大なあやまちとなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻。

 

 木原数多はすでに打ち止めにウィルスを注射しおえており。

 

 学園都市では、前方のヴェントと上条当麻の戦いが佳境を迎えていた。

 

 風斬氷華は天使の羽を生やしていて。

 

 むしろこの状況の説明ではヒューズ・カザキリと呼ぶべきか。

 

 

 ヒューズ・カザキリ。人工天使。これが景朗にとって最悪をもたらした。

 

 顕現した人工の天使は、存在そのものが"界"全体に術的圧迫を加えており、魔術師は魔力の循環不全を引き起こす。

 

 この"界"の影響により、学園都市周辺に展開していたローマ正教の魔術師たちのほとんどは昏倒しており、魔術師の最高峰たる"神の右席"ですら思うように魔術行使ができなくなっている。

 

 

 "界"は景朗にももちろん影響した。むしろ凶悪に作用した。

 

 景朗は"悪魔憑き(インヴォケーション)"という魔術を行使しているが、魔術師ではない。

 魔術を使っているという意識もなければ、魔術体系の知識すらもっていない。

 

 されど、アックアが述べたように、彼にはその隔絶した生命力から生み出され、聖人すら凌駕しうる大量の魔力があった。

 

 "悪魔"はこの大量の魔力を活用している。それが空想の力の原動力だ。

 

 しかし、ここに来て景朗はなんのプロテクトも持たずしてヒューズ・カザキリの"界"に被爆してしまったのである。

 

 

 "悪魔"が利用していた魔力。体に充満していた魔力。瞬間的にその全てが循環不全を起こした。

 

 景朗の躰は膨大なエネルギーの開放を抑えきれず、無様に爆散した。

 

「ぷごぁッ!」

 

 

 いくつかの肉片へとバラバラに分解して、それまでの勢いのままに。

 第二十三区の高層ビルに衝突して、血まみれの染みをつくった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぁ、ぅああッ!」

 

 がばりと飛び起きた。かつて忘れていた感覚だった。

 意識を失うなど、"超能力者"になってからは無縁の感覚だったのだから。

 

「おわっ、大丈夫かスライス」

 

 身体はすでに再生されている。

 猟犬部隊の同僚ヘンリーが近づいてきたので、無意識に覚醒しただけらしい。

 

「どう、なった? どうなった、どうなってる!」

 

「おちつけ。全部終わった。事態は一段落ついてる」

 

「おわった? おわった? おわっちまったのか……」

 

 任務に失敗した。

 アレイスターの指令に、応えられなかった。

 

 最悪の状況だ。

 

 

「ヘンリー、貸してくれ、お前の端末、俺が渡したやつ、貸してくれっ」

 

「あぁもう、ほらよ」

 

 

 ダーリヤに急ぎ連絡を取る。みんな無事か。それが知りたい。

 メッセージは、なぜか丹生から返ってきた。

 

『ダーリヤが気絶しちゃったんだけど、ひとまずみんな無事だよ!』

 

 丹生はなんの事を言っているんだ? ダーリヤが気絶? 襲われたのか?

 

『街で暴れてたテロリストのことだけど、ほんとに知らないの? 警備員が無力化されてて大パニックになってるでしょ?!』

 

「なんだそりゃ、ヘンリー、教えてくれ! 何が起きてる!」

 

「だから落ち着けって! その前にお前は今すぐいかなきゃならない。"呼び出し"だよ! "上"からのな! 急いだほうがいいんじゃないか?」

 

 

 ヘンリーが持つ"猟犬部隊"の方の端末には、"猟犬"を回収して連れてくるように指示が下っている。

 すなはち、"アレイスター"のもとへ。

 

「……わかった。今すぐ行こう」

 

「車に乗れ」

 

 "猟犬部隊"の車両で、第七学区、窓のないビルの近くまで急行する。

 道すがら、ヘンリーは状況の説明をしてくれた。

 

「"猟犬部隊"のウェットチームは壊滅。木原数多も"第一位"と交戦して死亡……なんじゃそりゃ……」

 

「オレはこないだのお前のまきぞいでついに裏方に降格しちまってたから、逆に命拾いしたんだよ」

 

 しかし、ヘンリーの会話は頭に入ってこなかった。

 

 結局のところ、"アックア"ことウィリアム・オルウェルは学園都市に侵入してしまっていたようである。

 

 アレイスターは、任務に失敗した景朗をすぐさま呼び出した。

 どんなペナルティが待ち受けているのだろうか。

 

 ことによっては、命掛けの交渉になる。

 

 第七学区、窓のないビル。指定のポイントには座標移動(ムーブポント)の結標淡希が先に待っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「申し訳ありませんでした」

 

 土下座などこの男に意味があるとは思えなかった。それでも景朗は頭を垂れて、深い謝罪を口にした。

 

「もういちどチャンスを与えよう」

 

 水槽の中で逆さに浮かぶ男は、表情もなく淡々と告げた。

 

「ありがとうございます」

 

「"猟犬部隊"は解体する。だが君には継続して作戦についてもらう」

 

「了解、しました」

 

「第一級の秘密作戦だ。君をわざわざここへ呼んだのはその説明のためにほかならない」

 

「秘密作戦ですか?」

 

「今回のテロで宗教サイドとの戦争が確定的になった。君には戦争開始時に、極秘裡の作戦を遂行してもらう。君に拒否権はない」

 

 

 景朗の眼前にホログラムが浮かび上がった。

 外部に持ち出すことすら禁じる汚れ仕事(BlackOps)だということだ。

 

 

 表示された資料をみて、景朗はこぶしを静かに握り締めた。

 

 

 作戦内容は、ロシア国内への潜入工作。

 ロシア各地の原子炉の破壊。

 ロシアの内政を崩壊させ、戦争の中止を助長する。

 宗教サイドとの戦争が勃発すれば、直ちに実行される。

 

 

 民間人の推定被爆者数および被害者数は、数万を余裕で超えていた。

 

 

 

「任務の委細、承知したかね?」

 

 

 アレイスターは静かに尋ねた。さも、景朗がYESかNOか、どちらを答えても興味など向けていないかのように。

 

 

「はい。承知しました」

 

 ペナルティを受けずに済んでホッとした。

 景朗はそう見えるように、うっすらと微笑んでみせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第六学区の遊園地区画。ダーリヤと丹生の待つ秘密基地にやっと帰り着いた景朗は、すでに目を覚ましたダーリヤの姿をみて、安堵のため息をついた。

 

「丹生は?」

 

「おフロ入ってる」

 

「そっか」

 

 ダーリヤはまだ本調子ではなく、ソファに座ってぐったりとしている。

 

「ウルフマンは何があったの?」

 

「あー、まあ、長くなっちまうぜ。体は大丈夫か? 明日にしようぜ?」

 

「いまきく」

 

「わかったわかった。じゃあまず、なにか飲みものでももってくるよ」

 

「こーらがいい」

 

「あいよ」

 

 

 改造した喫茶スペースへ。

 バーカウンターへと移動して自分用に珈琲を淹れつつ、ダーリヤのものも用意する。

 

 ビーカーに入れた水。沸騰させると浮かぶ泡が、さきほどのアレイスターの水槽と重なった。

 

(俺が喜んでYESと答えると思ったのか?)

 

 屈辱だった。

 理不尽の積み重なりが、もはや怒りを通り越して思い出すたびに躰を震わせてくる。

 

 原子炉を破壊したら、周辺の民間人は被爆する。

 数万という規模で。死人だって、生き延びた人だって永劫に苦しむ。

 ダーリヤのような親のいない子供だって沢山できる。

 

(馬鹿だった。馬鹿すぎる。どうやって償えばいい)

 

 今まで数百人を殺してきた。

 それでもこうしてのうのうと生きている。

 だけど数万人を殺すのは良心が痛むからやりたくない?

 

 その差はなんだったんだ。

 

 数万人の命は惜しむけれど、数百人の命は虫けらのように扱っていいのか?

 

 間違いだったんだ。

 

 もうこれ以上間違いは犯せない。

 

 何があっても。

 

 何があっても。

 

 

 珈琲を入れるために、ずらりとならんだコーヒーサイフォンの一つに手を伸ばす。

 

 ガラスの容器は、何度だってあの時の屈辱を景朗に思い出させてくる。

 

(俺はへらへらと笑って、あいつにYESと言ったんだ……)

 

 

 

 

 

 

 ガラス類が大量に割れる、すさまじい破壊音が吹き荒れた。

 

 近くにいたダーリヤは驚きで飛び跳ねて、すぐさま駆けつけてきた。

 

 ウルフマンが好き好んで集めていた、コーヒーを淹れるための道具が軒並み壊れて散らばっていた。

 

「どうしたのウルフマン!?」

 

「あ、いや、その。飽きたから全部新しいのに買い換えちゃおうかなって」

 

「そんなことのために? まったくもう、うるさいわよ!」

 

「ごめんごめん……」

 

 じーっと、疑うようにダーリヤは見つめてきた。

 さすがに不自然さは隠しきれていなかった。

 

「なぁ、ダーシャ、あれ、やってもいいぜ」

 

 ごまかすように、そして明暗を思いついたかのように、景朗は表情をコロコロかえて言った。

 

「アレって、何?」

 

 景朗は何かを持って、すいっすいっと動かすジェスチャーをする。

 

「ぶらっしんぐ!? いいの?」

 

「なんか気分がのってな。特別に許可する!」

 

「わーいわーい!」

 

 大覇星祭のときにダーリヤは大型犬用のブラシを購入していたのだが、景朗は動物扱いがイヤで、頑として少女にブラッシングをさせたりはしなかった。のだが。

 

「どう? ウルフマン、どう?」

 

「まあ、悪くないかな」

 

 今ではマスティフ犬にも似た大型犬に変身した景朗は、少女の気の向くままに躰を預けて、なされるがままである。

 

「むふふ。ウルフマンのお世話……」

 

 うっとりと毛並みを整え続ける少女の手つきは、景朗の心を落ち着かせてくれる。

 

 

「ダーシャ。俺、決めたよ」

 

「え? 何を?」

 

 

 それから先は、犬となった景朗はほとんど口を開かなかった。

 目をつぶって、ゆらゆらと尻尾を揺らして。

 ダーリヤのブラッシングを心から楽しんでいた。

 

 少女にとっても一日千秋の願いだったのか、飽きもせずにウトウトするまで景朗の躰をなでてくれた。

 ぽつり、とその終わり際に、彼は静かに呟いた。

 

「いい思い出になるな」

 

 すぅすぅと眠りこけていたダーリヤから、返事はなかった。

 

 その優しい息遣いを、記憶に刻み込むように。

 大型犬はいつまでも聴き続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 あくる日。

 

 景朗は朝一番に、"迎電部隊(スパークシグナル)"の蒼月に連絡を入れた。

 

 内容は簡潔だった。

 

 ただ一言。

 『俺を使え』と。

 

 憎しみの炎で、彼の両眼は熾火のように輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




感想へのお返事を随分と待たせてしまっております。

返信していきますので、気が向いたらご覧下さい。



次の投稿は一週間後くらいに考えてます。
とはいえやれるかわからないので、一週間たって投稿してなかったら
ああいつものか、って思ってください・・・(土下座)


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統一年表らしきもの



  ※すっごいネタバレ含んでます。
   そしてその割に面白くも何ともない代物です。
   途中まで暗闘日誌を読んでて、しばらく読んでなくて内容どうだったっけ?って方に読んでほしくて、作りました。

   初めて読んでくださる方は、どうかここは読まずに本編をお楽しみください!


 

 

 

○原作開始5年前

 

/とある秋の夕暮れ

  ・苛められっ子の雨月少年(小5)が、木原幻生のスカウトを受ける

   以降の4年間、中学3年生となるまで、幻生の人体実験に付き合うことになる

 

/11月某日

  ・"プロデュース"に参加した雨月景朗が、Lv3"戦闘昂揚(バーサーク)"を発現する

 

 

 

 

○原作開始4年前

 

/初夏

  ・仄暗火澄(小6)がLv4"不滅火焔(インシネレート)"を発現する

 

 

 

 

○原作開始3年前

 

/新学期初日

  ・雨月景朗(中1)は霧ケ丘付属中学へ入学

   同日、布束砥信が主導する"学習装置"開発の被験者となる

 

  ・仄暗火澄(中1)は常盤台中学へ入学

 

/初夏

  ・雨月少年が、仄暗火澄のルームメイトである手纏深咲(中1)と出会う

 

/12月某日

  ・クレア先生が三十路になり、暴れる

  ・手纏深咲(中1)がLv4"酸素剥離(ディープダイバー)"を発現する

 

 

 

○原作開始2年前

 

/4月の半ば

  ・"学習装置"開発が終わり、雨月景朗(中2)は布束砥信と別れ、再び幻生の元へ

 

/10月某日

  ・雨月景朗は幻生の謀を受け入れ、"暗闇の五月計画"へ参加する

   同時期に、雨月は絹旗最愛と黒夜海鳥と出会う

 

  ・丹生多気美(中2)がLv3"水銀武装(クイックシルバー)"を発現する

 

 

 

 

○原作開始1年前

 

/4月某日

  ・食蜂祈操が雨月・仄暗・手纏の3名をカフェテリアで発見する

 

 

/5月某日 『VS 窒素爆槍(ボンバーランス)』

  ・"暗闇の五月計画"は、黒夜海鳥によって崩壊する

  Lv4"人狼症候(ライカンスロウピィ)"へと覚醒した雨月景朗(中3)は黒夜海鳥の両腕を握りつぶし、幻生へ決別を告げる

 

/5月の暮れ

  ・丹生多気美(中3)が暗部へと堕ちる

  ・雨月景朗が突然、聖マリア園を去る

 

 

/9月の初め 『VS 粉塵操作(パウダーダスト)』

  ・暗部の小部隊"ユニット"に所属した雨月は初任務に望み、"童貞"を喪失する

   任務中、雨月は丹生とニアミスする

   任務中、雨月はケータイを壊して落ち込む

 

/大覇星祭1日目

  ・雨月は仄暗火澄と手纏深咲の後輩である御坂美琴(中1)と面識を持つ

 

/大覇星祭2日目 『VS 群蟲扇動(インセクトスウォーム)』

  ・雨月景朗が"ユニット"司令部の命令を受け、トマス・プラチナバーグ氏の護衛に臨む

   "ユニット"は壊滅し、雨月は新たに"ハッシュ"という部隊に配属になる

 

 

/10月の初め 『VS 撞着着磁(マグネタイゼーション)』

  ・部隊"ハッシュ"で丹生多気美と再会

 

/10月の半ば 『VS 百発百中(ブルズアイ)』

  ・傭兵部隊"パーティ"の襲撃を受け、施設警備にあたっていた"ハッシュ"が壊滅する

   任務中、雨月はまたケータイを壊して落ち込む

   雨月は丹生多気美に誓いを立てる

 

/10月の暮れ 

  ・雨月がミサカ2201号と遭遇する 

  ・"ユニット"時代のオペレーターから、新部隊への加入を進められる

 

 

/11月の初め 『VS 暗黒光源(ブラックライト)』

  ・雨月が丹生とともに、プラチナバーグ子飼の"スキーム"へ移籍

 

/11月の半ば 『VS 螺旋破壊(スクリューバイト)』

  ・一端覧祭にて丹生と仄暗・手纏が顔を合わせる

  ・"スキーム"と"ジャンク"が衝突する

   雨月はケータイを壊すが、落ち込んでいる余裕すらあらず

   "スキーム"は壊滅するも、雨月景朗が土壇場でLv5へと目覚め、逆転する

   丹生は負傷するも景朗が移植した細胞で一命を取り留める しかし……

   雨月景朗は手のひらの上で遊ばれていたことを悟り、再び木原幻生の飼い犬へと戻る

 

 

/12月24日 『VS ????』

  ・木原幻生に命令され、雨月景朗はアレイスター・クロウリーの殺害を試みるも、失敗する

   以降、幻生とアレイスターの両名に命じられるがまま、手を汚していくことになる

  ・"悪魔憑き(キマイラ)"と"三頭猟犬(ケルベロス)"の誕生となる

 

 

 

○原作開始同年

 

/3月某日

  ・雨月景朗はアレイスターに"幻想殺し"の監視任務を命じられ、同僚の土御門元春とともに対策を練り始める

 

/3月の暮れ 『VS 第七位』

  ・木原幻生から依頼を受け、雨月景朗は薬味久子の元へ出向く

   そこで雨月はLv5の面々と戦うように頼まれ、交換条件を出して承諾する

   その帰り道、彼は偶然にも、路地裏で不良に絡む"第七位"の姿を見つけてしまった……

 

  ・雨月景朗は"三頭猟犬"として"猟犬部隊"に従事し、学園都市への反乱分子を粛清する

 

 

/4月の初め 『VS 第四位』

  ・雨月景朗は樋口製薬支社の裏取引に乗じ、"アイテム"の"第四位"を偵察する

  ・長点上機学園へと入学した雨月景朗(高1)は、仄暗火澄・手纏深咲・丹生多気美の3名のドッキリに感動し、土御門元春との約束をブッチする

  ・雨月景朗が上条当麻と出会う

 

/4月の半ば 『VS 第二位』

  ・垣根帝督に先手を打たれ、雨月景朗は仄暗火澄・手纏深咲を人質に取られてしまう

   絶体絶命の最中、雨月は"能力"に依らない"力"を見出す

   結果的に、仄暗・手纏に雨月が実はLv5であったことが露見する

 

/4月の暮れ 『VS 第三位』

   後日、番外編"ExtraEp04:空間移動(テレポート)"にて、みさかみこーとちゃんとの1シーン+etcをお送りします!

 

 

/5月の暮れ

  ・雨月は街中でミサカ9174号と出会い、美味しい珈琲を振舞う約束を一方的に押し付けた

 

 

/6月の初め

  ・雨月に対する木原幻生の命令に、"絶対能力進化実験"の警護任務が含まれ始める

 

/6月の暮れ 『VS 幻想殺し(イマジンブレイカー)』

  ・土御門の協力要請により、雨月は"リコール"の捜索に取り掛かる

   しかしその直後、"第五位"だと名乗る者が現れ……

 

  ・猟犬部隊の任務中、雨月は"リコール"と対峙する

 

  ・"カプセル"掃討の任務中、雨月景朗は上条当麻と遭遇し、戦闘となる

  ・任務を終えて帰宅した雨月の目の前に、手纏深咲が現れ……

 

 

/7月の初週

  ・雨月は仄暗火澄との待ち合わせ場所にたどり着く前に、"能力主義(メリトクラート)"の一派、"火薬庫"メンバーに襲われる

  ・"能力主義"の内輪もめに巻き込まれた仄暗火澄を、"先祖返り"として雨月が助ける

 

  ・丹生さんが能力の過剰使用で"一方通行"化しかける

 

/7月20日

  ・上条当麻とインデックスとの邂逅 ついでに言うと陽比谷が昏睡状態に

 

/7月24日

  ・レベルアッパー事件解決

 

/7月28日

  ・上条当麻が記憶喪失となり、ツリーダイアグラムが破壊される

 

 

/8月8日

  ・雨月景朗がインデックスと出会う

   その後、上条はアウレオルスによって再び病院送りへ

 

/8月21日

  ・上条当麻が一方通行を撃破

 

/8月28日~8月29日

  ・たぶん上条さんの右手に青ピ(中身はインデックス)はボコボコにされてるのですが、インデックスin青ピのあまりの醜さに上条さんはほとんど直視できなかった。故に気づかなかった。というオチでよろしいでしょふか?(あと、土御門がその辺こっそりフォローしてたとか) てか、えんぜるふぉーる編はなかったことにしてもいいでしょうか? はひぃ…

 

/8月31日 夜半

  ・雨月景朗は猟犬部隊の任務でひとりの少女を預かる事になる

   しかし、その少女は自らを○○○だと名乗り……

  ・一方通行が打ち止めと出会う



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