名前を付けてくれた人 (プロッター)
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Incontro

incontro(インコントロ)[encounter]【男性名詞】
意:出会い、遭遇、邂逅


「アンツィオで一番美味いミネストローネだよー!」

「ヘイヘイ、そこの兄ちゃん!こんな天気のいい日にゃウチのアランチーニを食べな!元気出るよ~!」

 

 アンツィオ高校学園艦の一角、屋台街を歩いていると、そこかしこから客引きの声と、商品を買い求めるお客の声が聞こえてくる。それに混じって、肉や野菜を炒めたり煮込んだり揚げたりする食欲をそそる音も聞こえる。

 明るく声を張り上げて客を呼ぶ屋台主や、美味しい料理を食べて楽しそうなお客とは反対に、私は顔を曇らせ俯きながら歩いていた。

 

「はぁ・・・」

 

 多種多様の美味しそうな香りが私の鼻腔をくすぐるけれど、私はそんな周りの空気に似つかわしくない重苦しい溜め息を洩らしてしまう。

 それは美味しそうな匂いに当てられてお腹が空いたとか、何を食べようか悩んでいるとか、そんな軽い理由で溜め息を吐いたわけじゃない。

 むしろその逆。重い理由のせいだ。

 先ほどの戦車道の授業の最後に起きた、頭の痛い出来事のせい。

 今は戦車道全国高校生大会の真っ最中。1回戦の対マジノ女学院戦に辛くも勝利した私たちアンツィオ高校は、来る2回戦に向けて少ない燃料も惜しまず練習を重ねた。

 その2回戦の相手は、大洗女子学園。これまで全国大会に出たことはない、聞いたこともない学校だったが、西住流という戦車道の由緒ある流派の隊長が率いているという。その強さは、四強校の一角であるサンダース大学付属高校を破ったほどだ。

 それを踏まえて、統帥(ドゥーチェ)の名で慕われているアンツィオ高校戦車隊のアンチョビ隊長は、強敵を前にして新しい作戦と秘密兵器―――P40の投入を決めた。それについては不満はない。

 しかし気にするべきところは、その話をした時の隊員たちのことだ。それが私の頭を悩ませている。

 あくまで、ドゥーチェの推測でしかない私たちアンツィオ戦車隊の評価を聞いて一喜一憂し。

 P40を購入するために3度のおやつを2度に減らしたのに、その理由を忘れて。

 そのようやくアンツィオに来た秘密兵器を披露しようと思ったら昼休みに突入して、隊員たちはP40をそっちのけで我先に食堂へと突撃する始末。

 その様子を見てドゥーチェは、『自分の気持ちに素直な子が多いところがウチの良いところだ』と締めくくったが、私としては素直過ぎて考えものだと思う。

 皆、もうすぐ2回戦、西住流を相手にするということを分かっているのだろうか。

 つまり、緊張感がないのだ。こんな体たらくではとても勝つことはできないだろう。

 皆に流されることはなく、私は冷静にそう考えていた。

 

「魚介のリゾットいかがですか~?美味しいですよ~!」

 

 私は、ノリと勢いが名物のこのアンツィオ高校の中では、変わった方だという自覚がある。

 クラスの皆からは『落ち着いた感じだよね』『アンツィオっぽくない』『むしろ聖グロにいそう』なんて言われたことが何度もあるし、私自身そうかもとさえ思っている。

 はっきり言って、私のこの落ち着いている、冷静な性格はアンツィオの校風には合っていない。

 私が元々おどおどした性格で、アンツィオがそういう校風なのも入学する前から分かっていた。

 ではどうして、私はここにいるのか。

 

「美味しいマルゲリータピザだよー!通常350万リラのところ、今ならなんと300万リラ!」

 

 その理由は、私が自分の性格を直したいと思ったからだ。朱に交われば赤くなる、という言葉のように、ここに来れば私の性格も少し明るい方に変えられると思ったから。

 でも、実際はそうはならなかった。

 自分の性格と、アンツィオに通う皆の性格との間にあるギャップを感じ、2年生になった今でも私はここにいていいのかな、と自問自答する日々が続いている。

 さっきの戦車道の時間でも、その自分と皆との考え方の差を目の当たりにして、今は憂鬱な気分になってしまっていた。

 また1つ、『はぁ・・・』と溜め息を吐いたところで。

 

「そこのアンニュイな彼女!ウチのラザニア食べて元気出しなよ!」

 

 ラザニア、という料理の名前を聞いて、私の顔は自然とその声のした方へと向けられる。

 見ればそこには、こちらに向かって手を振っている同い年ぐらいの茶髪の男子が。彼が立っているのは、赤と黄色に塗られた鮮やかな色合いの屋台。離れていても、その屋台から漂うミートソースの匂いが私に届く。

 私は既に食堂で昼ごはんを済ませてしまったので、はっきり言えば食欲はあまり無い。

 でも、ラザニアだ。自分の大好物だ。その名を聞いただけで、その匂いを嗅いだだけで、無性にお腹が空いてくる。

 それに、このまま延々と思考の渦に嵌っていては、午後からの授業に身が入らない。

 ここはひとつ、自分の好物でも食べて気持ちをリフレッシュしよう。

 そう思って私は、茶髪の男子が手を振る屋台へと足を向ける。

 

「いらっしゃい!」

 

 茶髪の男子が愛想よく笑い、私は迷わず注文する。

 

「すみません、ラザニア1つください」

「はい、ラザニアね!250万リラ!」

 

 私はポケットに入れてある財布から250円を取り出し、茶髪の男子に渡す。

 アンツィオ高校は、なぜか1円=1万リラという認識がある。いつの為替レートなの、と私も最初に聞いた時は驚いたけど、今ではすっかり慣れてしまった。大阪辺りのおばちゃんが200円を200万円と言うのと同じなのかもしれない。

 

「はい、丁度ね!それじゃ、脇にずれてちょっと待っててね。オーダー、ラザニア1つ!」

「了解」

 

 私が脇にずれて、屋台の調理スペースの前に立つ。すると自然と、その調理スペースでラザニアを作っている、もう1人の男子と向き合うことになった。

 その男子は、やはり客引きをしていた男子と同じで、私と同い年ぐらい。白のコックコートを着て、頭にかぶる白いコック帽から黒い髪が覗く。

 客引きをしていた茶髪の男子とは反対に、この黒髪の男子はどこか落ち着いているような感じがした。

 

「・・・・・・」

 

 その男子と、目が少しの間だけ合った。その男子は私のことを見て、少しだけ動きを止めたけど、すぐに視線を逸らす。何か私の顔についていたのだろうか。

 だがその男子は、支給されたらしきオーブンに入れて温めてあった、ラザニアの盛られた耐熱皿を取り出す。そして包丁とターナーで丁寧に耐熱皿から切り出して皿に移し、脇の入れ物に挿してあったフォークと共に私に手渡してくれた。

 

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 

 茶髪の男子の明るい声とは違って、私に聞こえるぐらいの大きさの声で告げながら差し出してくるコックコートの男子。

 アンツィオでこういう男子を見るのも初めてかなと思いつつ、私は皿の上に載るこんがりと焼き目のつき湯気の立つラザニアを見る。手に取った瞬間から、チーズの匂いが、『ラグー』と呼ばれるミートソースの香りが、仄かに香る赤ワインの芳しさが、私の鼻腔を刺激してくる。

 うっかりすると、涎が垂れてきそうになるほど美味しそうだった。

 

「いただきます」

 

 フォークを手に取って、ラザニアを小さく切り取って口に運ぶ。少し熱かったので、咽てしまいそうになるけれど、どうにか堪える。

 そして、口全体にラザニアの味が広がっていくと、私は目を見開いた。

 

「・・・美味しい!」

 

 チーズは程よくとろけているし、ラグーに含まれている食用の赤ワインがアクセントになっていて、旨味を引き出している。

 控えめに言って、すごい美味しい。私好みの味だ。

 この屋台街でラザニアを提供している屋台は他にもあって、私はラザニアが好きだからその屋台にもほとんど行っていたつもりだった。

けれど、こんなに美味しいラザニアを食べるのは初めてだった。こんな屋台があるなんて、盲点だった。

 

「それはよかった」

 

 コックコートを着た男子が、私の感想を聞いて嬉しそうにそう言う。

 私は、ラザニアを食べる手と口を止めず、パクパクとラザニアを食べ進めていく。さっきまで考えていた悩み事なんて、今だけは忘れてしまっていた。

 早く食べたい、けれどすぐに食べ終えるのも勿体ないというジレンマを抱えながらも、10分ほどでラザニアを食べ終わった。

 

「ごちそうさまでした。美味しかったです」

「ありがとう」

 

 自分なりに笑顔を浮かべて、美味しいラザニアを食べさせてくれた男子に対してお礼を告げて、皿を差し出す。そして、空になったお皿を受け取った男子は、足下に置いてあるらしきゴミ箱に皿を入れながらこう告げた。

 

「・・・随分悩んでいたようですけど、笑ってくれてよかったです」

 

 その言葉は、明らかに私に向けられたものだと分かる。

 だって、ここのラザニアを食べる前の私は、客引きをしていた茶髪の男子にも分かるぐらいアンニュイで、落ち込んでいるような表情をしていたと自分でも分かっていたのだから。

 

「・・・やっぱり、そう見えましたか?私が悩んでるって・・・」

 

 恐る恐る聞いてみる。もしかしたら、あんな顔で店の前を歩いていたから気を悪くさせてしまったのかもしれないから。

 

「なんか、こう・・・俺と似たような感じがしたので」

「え・・・?」

 

 『似たような感じ』という突然の言葉に、思わず私は聞き返す。

 

「俺も・・・ここに入学してからしばらくの間は、さっきのあなたみたいな顔をしていたみたいでね。自覚はあったけど・・・それで少し気になったんです」

 

 そこで私は、改めてその男子のことを見る。

 今彼が着ている服は、他の屋台の人たちが着ているのと同じ白いコックコートだが、その雰囲気はどことなく他とは違う。さっき初めてこの男子のことを見た時や、ラザニアを差し出された時も、落ち着いているように感じた。

 周りがノリと勢いという熱気に満ち溢れているのに、私の目の前に立つこの人だけは、静かで落ち着いた雰囲気をしている。

 周りと違うのは、まるで今の私のようだ。

 

「・・・・・・私、悩んでるんです」

 

 親近感というのもあったのかもしれない。私は、初対面のその人に、ぽつぽつと話し出す。

 

「私の性格が・・・このアンツィオに合ってないんじゃないかって、そんな私がここにいていいのかなって・・・・・・悩んでいるんです」

「・・・・・・そうですか」

 

 その男子は悩む仕草を見せる。

 初対面の人からいきなりこんな話を聞かされても迷惑なだけだろう。それに今頃気づいた私は、すぐに謝る。

 

「あっ、ごめんなさい・・・急に変な話をして・・・」

「いやいや、気にしないでください」

 

 その男子は手を横に振って。

 

「俺も、同じです」

「?」

 

 続けてその口から出た言葉を聞いて、私は首を傾げる。

 

「俺も、自分の性格がここの校風とは少し違うなって、悩んでるんですよ。今も」

「・・・・・・」

 

 初めてだった。

 まさか、私と同じような境遇の人がいるなんて。

 

「・・・・・・あの」

 

 この人になら、自分の悩みを、私の心の中にある不安を、話せるかもしれない。

 そう思って話しかけようとしたところで、ポケットの中の携帯が電話の着信を告げる。画面を開くと、私が手伝いをしているジェラート屋台の店主からだった。

 

「もしもし?」

『もしもし?悪いんだけど、ちょっと今すぐ戻ってきてくれるかな?急に忙しくなっちゃって!』

「あ、うん。すぐ行くね」

 

 矢継ぎ早に告げられて、私はすぐに返事をして電話を切ってポケットに戻す。

 

「ごめんなさい、ちょっと呼び出されちゃって」

「ああ、気にしないでください」

 

 男子は別に気にしていないように、僅かな笑みを浮かべる。

 

「それでは、また」

 

 私はそれだけ言って、その場を離れてジェラート屋台へと向かう。

 けれど、そこまで向かう間、私はさっきのラザニアの屋台の落ち着いた感じの料理人のことを思い浮かべていた。

 多分、私はまたあそこへ行くだろう。

 だって、このアンツィオに来て初めて出会った、私と同じ境遇の人なのだから。

 この繋がりは、切りたくはない。私は素直にそう思っていた。




『カルパッチョが主役のSSって見ないな』
と言う思いから、書き出しました。

何度か推敲はしていますが、
それでもおかしいところはあるかもしれません。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。
これからも、よろしくお願いします。


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Anzio

Anzio(アンツィオ)[------]【名詞】
意:アンツィオ(イタリア共和国ラツィオ州のコムーネ)



 アンツィオ高校は、創始者がイタリア人ということもあって、芸術とファッション、食事に対してのこだわりが他校と比べると強い。特に食事については、料理を学ぶ家庭科の授業は毎日あり、食堂のメニューはイタリアンだけでも種類が豊富、さらに『屋台街』と呼ばれる街の一角では生徒主体の食べ物屋台が盛んと、学校全体が美食傾向にある。

 生徒主体の屋台が多く展開する屋台街は、13時から14時までの間の昼休みと、17時から19時までの放課後の二部に分かれて開かれている。

 今の時刻は、放課後の18時前。

 陽もすっかり傾いて、暗くなり始めた空の下で営業するアンツィオ屋台街の一角に、アンツィオ高校の2年生・楓隼介(かえでしゅんすけ)が料理人兼屋台主を務める屋台があった。

 

「オーダー、ラザニア2つ~!」

「了解」

 

 お客から注文を受けて、売り子の茶髪の男子がオーダーを告げ、楓は自慢のラザニアをオーブンから取り出して切り分けて皿に盛り付ける。

 ラザニアは一から作ると時間と手間がかかるため、1度ずつ注文を受けてから作り始めるというわけにはいかない。だから、基本的に作っていたものをオーブンで温めておき、注文を受けてからそのラザニアを切り分けて皿に載せて提供する。そして、作り置きのラザニアが切れたら新しく作り直すというやり方で、楓はこの屋台を営んでいた。

 売り上げの方はそこそこ高く、加えて客からの評価も他の屋台と比べると高い。リピーターも結構いるが、ここまでの軌道に乗せるのも苦労したものだ。

 

「ペスカトーレ、ラザニア1つ!」

「おっ、アマレット!」

 

 『ペスカトーレ』と呼ばれた売り子の茶髪の男子が、おでこの右側を広く見せた茶髪の女子―――アマレットを見て嬉しそうに声を上げる。

 今ここにいる楓とペスカトーレ、そしてアマレットは同じクラスに所属している。加えてアマレットは、アンツィオ高校戦車隊に所属している戦車道の履修生でもある。彼女は戦車隊の副隊長のペパロニという少女が乗る快足戦車CV33の操縦手を務めている、というのがアマレットから明かされた情報だ。

 

「戦車道は?今の時間って訓練のはずだろ?」

 

 ペスカトーレが訊ねると、アマレットは苦笑しながら肩を竦める。

 

「燃料が足りなくてねぇ。放課後練習は休み。近々全国大会の2回戦もあるし」

「そっか・・・」

 

 その答えを聞いてペスカトーレは少しシュンとするが、すぐに朗らかな笑みを浮かべる。

 

「ま、ラザニア食べて元気出すんだな!1つ250万リラね!」

 

 代金を請求するペスカトーレ。アマレットはポケットから財布を取り出し小銭を用意するが、何やら意地の悪そうな笑みを浮かべてくる。

 

「常連なんだし、まけてくれてもいいでしょ~?」

 

 自分のことを『常連』というのは些か妙だが、確かにアマレットは大体週に3~4日のペースでここに来てくれている。なのでその表現の仕方も間違ってはいない。

 

「だとよ、『アルデンテ』?」

 

 ペスカトーレが、楓を『アルデンテ』と呼びながら話しかける。が、楓は顔色一つ変えずオーブンで温めていたラザニアを取り出して切り取り、皿に盛り付けてアマレットに差し出しながらこう告げる。

 

「250万リラだ。これ以上は下げられん」

「ちぇっ、けちんぼ」

 

 アマレットが渋々250円を、差し出していたペスカトーレの掌に載せる。ペスカトーレは、ニタニタ笑いながらその250円を売上金を入れる箱に投入した。

 

「毎度あり~」

 

 ペスカトーレが営業スマイルを浮かべたところで、横から楓がラザニアの載った皿をアマレットに差し出す。それを受け取ったアマレットは、一緒に受け取ったフォークでラザニアを器用に切り取り一口食べる。

 

「んー!やっぱり、『アルデンテ』のラザニアは美味い」

「そりゃ何よりだ」

 

 アマレットから屈託のない笑みを向けられたのに対し、楓は片手を挙げながらコンロにかけられている鍋の中のラグーをかき混ぜる。そろそろ作り置きのラザニアが無くなりそうだったので、新しいものを用意しようと思っているのだ。

 ペスカトーレとアマレットから呼ばれたように、楓はこの2人に限らず知り合いからは『アルデンテ』と呼ばれている。だが、楓本人がそう名乗ったわけでもなく、周りが勝手に彼のことを『アルデンテ』と呼ぶようになったのだ。

 別に楓は、『アルデンテ』と名付けられたことも、そう呼ばれることも不満ではない。ただし、自分から『そう呼んでほしい』とは言わない。

 その理由としては、楓本人の性格もあるからだった。

 すると、そこへ。

 

「ごめんください」

 

 楓には聞き覚えのある、ふわりとした声が耳に入ってくる。

 声のした方を楓が見れば、そこには昼休みにラザニアを食べてくれた金髪の少女がいた。

 

「あ、昼の」

「さっきはどうも」

 

 楓が気付くと、少女はぺこりと頭を下げる。そこでアマレットも気付いたのか、少女の方を見ると『おっ』と声を出す。

 

「副隊長?」

「あら、アマレット」

 

 戦車道を履修しているアマレットが『副隊長』と呼ぶということは、この金髪の少女も戦車道履修生ということになる。それも副隊長ときた。こんな落ち着いた感じの子も苛烈なイメージがある戦車道を歩んでいるのか、と楓は心の中で驚く。

 

「いらっしゃい!ラザニア食べてく?」

 

 その少女を見るや否や、ペスカトーレがラザニアを勧めるが、少女は首を横に振りお腹に手をやる。

 

「ごめんなさい、今はちょっと・・・・・・」

「そっかー、残念」

 

 少女が断ってペスカトーレは肩を落とす。

 一方楓は、少女がお腹を押さえたのは単純に食欲が無いからというよりも、食べ過ぎて太ることを気にしているのだろうと思った。女の子は体重を気にしやすい傾向があるのを知っていたので、あまり深く踏み込まないようにして、楓はラグーをかき混ぜる作業に戻る。

 

「・・・・・・」

 

 だが楓は、金髪の少女が何かを話したそうにこちらの様子を窺っていることに気付いた。

 

「どうかしました?」

 

 楓が訊ねると、少女は『あ、ごめんなさい・・・』と少し萎縮したように謝る。別に謝ることなど無いのだが。

 

「ええと・・・実は昼休みに、話したいことがあったんです」

「話したいこと?」

「はい・・・」

 

 楓は、昼休みにこの目の前の金髪の少女がここを訪れたのは覚えている。そして、楓自身と同じような性格、境遇なのも少しだけ聞いた。その時は、この少女が電話で誰かに呼び出されて有耶無耶な感じで別れてしまったのだが、まだ話したいことがあったらしい。

 金髪の少女は目線を少し下に逸らし、何かを言い淀む。楓は煮込んでいるラグーをかき混ぜながら少女に目を向けて、しかし急かさず言葉を待つ。

 隣でペスカトーレとアマレットが何か楽しそうに話をしているが、今の楓と金髪の少女にはその話の内容も耳に入らない。まるで、この2人のいる空間だけが他と隔離されているようだ。

 

「昼休みにも言ったと思うんですけど・・・私、自分の性格がこの学校に合ってないんじゃないかって、ずっと悩んでるんです・・・」

「・・・・・・」

 

 楓は、ラグーをかき混ぜる手を止めて火を点けたまま鍋の蓋を閉じ、その少女の言葉に耳を傾ける。

 

「それで・・・あなたも同じように悩んでるって聞いて。それで、話ができたらって思ったんです」

「・・・そうでしたか」

 

 楓はこめかみのあたりを指で少し掻き、考える。

 

「話って言われても・・・俺はそんな・・・・・・」

 

 と、何かを言おうとしたところで。

 

「オーダー、ラザニア3つ!」

「っと、了解」

 

 突如、ペスカトーレからオーダーを告げられる。見れば、アマレットは屋台の中にお邪魔していて、カウンターの前には観光客らしき3人組がいた。楓は弾かれたようにオーブンからラザニアを取り出して素早く切り分け、皿に載せてフォークと共に渡す。それで、作り置きのラザニアは無くなってしまった。

 3人組のお客が去っていったのを見届けてから、楓は金髪の少女に向き直って申し訳なさそうに告げる。

 

「すみませんが、今はちょっと忙しくてゆっくり話すのは・・・。ですので、また後で落ち合って、それから話すという形でもいいですか?」

「あ、はい。大丈夫ですよ」

 

 楓の提案を金髪の少女は快諾し、この後19時半頃にトレヴィーノの泉の前で待ち合わせということになった。それが決まると、少女は『ではまた後で』と微笑みながらお辞儀をしてその場を離れた。アマレットもラザニアを食べ終えて、楓とペスカトーレと少し言葉を交わしてから、空になった皿とフォークを楓に押し付けて帰っていった。

 楓は、渡された皿とフォークをゴミ箱に突っ込み、鍋の蓋を空けてラグーがいい感じに煮込めたと思っていたところで。

 

「アールデーンテ~」

 

 薄気味悪い声と共に楓の首に腕を回すペスカトーレ。楓は心底鬱陶しそうにペスカトーレを見る。

 

「なんだよ」

「いやぁ、お前みたいなのがナンパするなんて珍しいこともあるもんだなぁ~」

 

 どうやらペスカトーレにも、先ほどの楓と金髪の少女の話は聞こえていたらしい。そしてコイツは、先ほどの楓と金髪の少女の落ち合う約束をナンパと受け取ったようだ。そんな雰囲気ではなかったのに、何ともお気楽なことだ。

 

「そんなんじゃねーよ。話がしたいって言われたから、それに付き合うだけだ」

「へー」

 

 全く信じていないような返事をするペスカトーレ。果てしなく面倒くさかったので、楓は顎で『離れろ』と訴える。

 

「バカなこと言ってないで客引きしろ」

「たまにはお前もやれよ」

 

 ペスカトーレが楓の言葉に反論する。だが、楓は失笑してこう言った。

 

「俺がそんなキャラに見えるか」

「うん、見えねーな」

 

 即答するペスカトーレが無性にムカついて、楓はペスカトーレの額にチョップをお見舞いしてやる。『いてー』と大して痛そうではない声を出しながら、ペスカトーレは額を押さえる。そしてペスカトーレは、楓の首から腕を離して客引きを再開する。

 

「ホイホイ、そこの熱いカップル!お熱いデートの時はウチの熱いラザニアがぴったりだよ!」

 

 まったく、とぼやきながら楓は新しい耐熱皿にバターとソースを塗り、ラザニアの生地を敷く。その上に鍋から掬ったラグーをかけてオーブンに入れ、新しいラザニアを準備する。同時に、オーブンに入れてあったもう1つの耐熱皿を前に出しておく。

 すると、ペスカトーレが呼びかけたカップルらしき男女2人がやってきた。

 

「すみません、ラザニア2つください」

「はい、合計500万リラね!オーダー、ラザニア2つ!」

「了解」

 

 楓は、声を張り上げるようなことは滅多にない。だから、客引きをするのは専らペスカトーレの方だ。

 ペスカトーレは、1年生の頃から同じクラスで、楓と席が近かったことでちょいちょい話す機会が多く、そして今では親友となっている。

 しかしその2人の性格は正反対と、アマレットは評していた。

 ペスカトーレはノリがよくていつも明るく、しかしちょっと抜けていて、それでも憎めないという標準的なアンツィオの生徒。

 しかし楓は、常に冷静で純朴、目立つことを好まず、周りのノリと勢いに流されることもない、アンツィオの生徒とは思えない性格の持ち主だった。周りのペースに流されない『マイペース』なところはアンツィオにピッタリではあるが、表立っている性格はおよそアンツィオのそれではない。

 そんな、目立とうとしない楓がアンツィオに入学して屋台を営んでいるのは、れっきとした理由と将来の夢があるからだ。それをこのアンツィオで知っているのは、親友と呼べるペスカトーレだけである。

 

 

 アンツィオの生徒がここで屋台を開くことができる条件は、さほど厳しくはない。学校側が定期的に行う審査と健康診断に合格して、自分の料理の腕に覚えがあれば、例え1年生であっても誰もが屋台を開ける。

 屋台を開いていると調理器具が貸与され、さらに学校から一定の補助金が支給される。その補助金を使って、屋台主たちは食材を購入して料理を作り提供するのだ。

 すごいのは、各々の屋台の売上金の用途が学校側から指定されていないことだ。自らが所属する部活動や委員会の活動費の足しにするもよし、学校に寄付するもよし、自分の懐に収めるもよし。意外にも、小遣い稼ぎのために開くという生徒はほとんどおらず、学校に寄付する生徒が多かった。かくいう楓も同じで、屋台の売上金は全額学校に寄付している。

 さらにアンツィオ高校は戦車道の授業もあり、戦車道履修生の中にも屋台を開く生徒が多い。売り上げは戦車の燃料や弾薬を買う費用に充てたり、新しい戦車を買うために貯金するという。ついこの間は、ようやく貯金を使って新しい戦車を買うことができたという話をチラッと聞いた。

 アンツィオ高校は他の学校と比べると資金が足りていない―――ぶっちゃけ貧乏なので、屋台街の売り上げの寄付だって例えそれが雀の涙ほどであっても、重要な学校の資金源となっている。

 しかし、屋台で提供される料理の値段そのものが安価すぎるため、学校への寄付金の合計額が屋台に支給される補助金とほぼ同額になってしまい、結果アンツィオ高校全体の利益としてはプラスマイナスゼロな状態が続いている。それに気付いている生徒はごくわずかしかいない。

 それでも屋台への補助金を少なくしないのは、やはりアンツィオの食に対するこだわりが強いからだった。

 

 

 時計塔の鐘が19時を告げると、屋台街の屋台も揃って店じまいとなり、それぞれの屋台の生徒たちは帰り支度を始める。

 

「ほれ、ペスカトーレ」

 

 楓は、鍋に残っていたラグーをタッパーに移すと、屋台の電気を消そうとしていたペスカトーレに手渡す。

 

「お、いつも悪いな」

「それはいつも客引きをしてもらってるこっちのセリフだ。バイト代だと思ってくれ」

「Grazie」

 

 渡されたタッパーを受け取り、ペスカトーレがイタリアのお礼の言葉を告げる。イタリア風の挨拶をするのも、イタリア人発祥のこの学校ならではのものである。楓はあまりそう言った挨拶はしないが。

 ペスカトーレはタッパーを手に、片手を挙げて『おつかれさん』と言いながら校舎へと戻っていく。楓はまだ、今日の売上金を集計しなければならないので残る。いつものことなので何も不満はない。

 楓は普段よりも電卓を叩くスピードを速め、売り上げの計算をサクサク終わらせようと努める。

 いつもより集計を早く終わらせようとしている理由は、このあと待ち合わせをしているからだ。アマレットが『副隊長』と呼んでいた、あの金髪の少女と。

 

「・・・・・・」

 

 電卓を叩く手を一度止めて、楓はあの少女のことを思い出す。

 彼女は、楓と同じように、自分の性格がアンツィオに合っていないんじゃないかと悩んでいる。

 楓も、まさか自分と同じような悩みを抱えている人が他にいて、その人に会えるとは思ってもいなかった。何しろ、自分と同じような性格の生徒はここにはいないだろうと思っていたし、いたとしても資金が乏しくても広いこの学校で会うことはないと思っていたのだから。

 ペスカトーレには若干厳しめなことを言ったが、あの少女から『話がしたい』と告げられたのは、正直願ってもいないことだった。楓だって、ペスカトーレやアマレットなどの友人がいても、自分と同じような性格、境遇の人がいなくて少し寂しさを覚えていたのだ。

 だから、自分と似た内面を持つその少女とは繋がりを保っていたいと思っている。

 それと思うのは。

 

(・・・・・・結構、可愛かったし)

 

 今日の昼休みに、初めてその少女を見た時、楓は生れて初めて『見惚れた』。

 艶やかな金髪も、深い緑色の瞳も、均整の取れた体つきも、楓の心に焼き付いている。

 

(まるで、一目惚れしたみたいじゃないか)

 

 アンツィオ高校は、芸術とファッション、食事に加えて恋愛の本場と称されることが多々ある。それぐらいアンツィオの生徒たちは恋愛に情熱的で、生徒間でのナンパなど日常茶飯事。それでいて、嫉妬に燃えることはなく、他人の恋路の成就は素直に祝福する優しい生徒が多い。

 楓はナンパなどせず、他人の恋路は応援したり祝福したりするタイプだ。いくら自分の性格がアンツィオの校風と違って、それに染まっていなくても、他人の恋路を素直に応援するぐらいの情はある。

 だとしても、自分はこのアンツィオで恋などしないと思っていた。自分は、アンツィオの生徒にしては恋愛に燃えることなく冷めきっているのだから。

 

(いやいや、まだ好きって決まったわけじゃないし)

 

 肩をすくめて、楓は電卓のキーを叩くのを再開する。

 売上金の集計も、もうすぐ終わりだ。




楓の名前がイタリア料理・食材ではない理由と、
まだカルパッチョが『金髪の少女』と表現される理由は、
次の回で明かす予定です。

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Nome

nome(ノーメ)[name]【男性名詞】
意:名、名前、名称


 アンツィオ高校学園艦は、全体的にイタリアらしいイメージがある。

 建造物はほぼ全てがイタリア風で、スペイン階段風階段、三神変形合体教会、パンテオン、コロッセオなど、実際にイタリアにある建造物を再現したものまである。その再現度の高さは、学園長が『ローマよりもローマ』と豪語するほどには高い。

 楓が学校でコックコートから制服に着替えて急ぎ足でやってきたのは、トレヴィーノの泉。ここもイタリアの名所をモチーフにした場所で、基になったのはもちろんトレヴィの泉。後ろに聳える宮殿風の建築物の壁と一体となったデザインで、泉には石膏像が何体も立っている。多分に漏れず、ここも忠実に基となった場所を再現していた。

 日没から大分時間が過ぎて泉はライトアップされており、幻想的な光景を見せてくれている。だが、楓は先ほども少しだけ言葉を交わした少女と待ち合わせをするためにここに来たのであって、見物をしに来たわけではない。

 泉の前に着いて辺りを見回すと、その金髪の少女はいた。両手で鞄を持ち、先ほどと同じアンツィオの制服を着て、ライトアップされた泉を眺めている。

 その姿を見ると楓はすぐに声を掛けようとするが、重大なことを見落としていた。

 

(名前、何て言うんだっけ・・・・・・)

 

 自己紹介をした覚えはない。アマレットが彼女のことを『副隊長』と呼んでいたのは覚えているが、面識もそこまで無い野郎がいきなり『副隊長』と呼ぶのも馴れ馴れしすぎる。かといって肩を叩くのも周りからすれば少々変に見えるかもしれないし、『あのー』と声をかけるのも何か違う。

 声をかける前に詰んでしまったかと楓が思ったところで、少女もまた楓に気付いたようだ。

 

「あっ・・・どうも」

 

 向こうから声をかけてくる。それは図らずも、どうすればいいのか分からず動けなかったので、楓としては助かった。

 少女は穏やかな笑みを浮かべながら楓の下へ歩み寄る。

 

「すみません、着替えていて遅くなってしまいました」

 

 この泉に来る直前に見た時計では、まだ約束の19時半にはなっていなかった。それでも、少女を待たせてしまっていたことには詫びなければならない。そう思って楓は先んじて謝った。

 

「いえ、そんな・・・。時間ぴったりですし、私も今来たところですから。謝ることはないですよ」

 

 そんな楓の謝罪を、少女はやんわりと否定して手を横に振る。知り合って間もないということもあるが、少女が気遣うような態度を見せたことに、楓も少し感心する。

 同じ状況で、相手がペスカトーレやアマレットなどの標準的なアンツィオ生であれば、『なんか奢って詫びてみせろ』とでも言ってきただろう。楓はそんな場面を何度か見たことがある。

 それにそもそも、アンツィオの生徒は基本的に大らかで、待ち合わせ時刻ぴったりに来るということがあまりない。きっちり間に合うようにしている楓や金髪の少女が、若干異質なのだ。

 

「さて・・・これからどうしましょうか・・・」

 

 楓が辺りを見回しながら呟く。

 待ち合わせ場所をこのトレヴィーノの泉としたが、恐らくこれから少女が話したい内容は、立ち話では済まないようなものだろう。なら、どこか腰を落ち着けることができる場所で話した方が良い。

 だが、生憎泉の周りのベンチは、夜の犬の散歩に来たおばあちゃん、イチャついているカップル、ライトアップされた泉をスケッチする少年など、様々な人が座っていて全て埋まっていた。

 金髪の少女も、困ったように形の良い眉を八の字にする。

 悩んだ末に、2人はトレヴィーノの泉近くにある和食レストランに入ることにした。

いくらアンツィオの創始者がイタリア人で学園艦全体がイタリア風であっても、店まで全部がイタリア風というわけではない。イタリアン以外のレストランはあるし、コンビニも24時間営業している。

 忘れてはならないが、アンツィオ高校学園艦はれっきとした日本国籍の学園艦であり、属する生徒も皆日本人である。だから、日本人らしく和食の味が恋しくなることだってある。そんな生徒のために、今楓と金髪の少女が入ることにしたような和食レストランがあるのだ。尤も、その店の外観はやはりイタリア風の石造りであったが。

 2人が店に入ると、客入りはそこそこでアンツィオの生徒らしき少年少女が何人かいた。だが、見た感じではその中に2人の知り合いはおらず、向こうも楓たちのことは特に気にしていないようだ。

 窓際のテーブル席に楓と少女は通されて、店員は水とおしぼりを2人の前に置くとお辞儀をして厨房の方へと行ってしまった。

 これで、残されたのは楓と少女だけである。

 

「「・・・・・・・・・・・・」」

 

 そこで、楓と少女は黙り込んでしまった。ここにペスカトーレやアマレットがいれば他愛もない話で場を盛り上げるだろうが、楓にはその手のスキルはない。こういう時は男の楓の方がリードするべき、ということは頭では分かっているのだが、現実はそう上手くいかないものだ。

 話すことは色々あるのに、何から話せばいいのか分からない。それが今の楓と少女の現状だ。

 しかし、このまま黙り込んだまま無為に時間を過ごすのも耐え難い。

 そこで先に口火を切ったのは、少女の方だ。

 

「あの、今日はすみません。突然お話がしたいなんて言い出してしまって・・・」

 

 少女が頭を下げるが、楓は男として、女の子に気遣わせてしまったことを後悔して自分も頭を下げる。

 

「いや、場を改めて話そうと言ったのはこっちです。こちらこそ、呼び出すような真似をしてすみません」

 

 ぺこぺことお互いに頭を下げ合う。それが少し可笑しかったのか、少女はくすりと笑う。釣られるように楓も小さく笑い、それでようやく緊張も解れて本題に移ることにする。

 

「それで、話とは・・・・・・」

 

 そこで少女は言葉を詰まらせる。

 楓は、少女を急かして言葉を無理矢理引き出させるようなことはしない。静かに、少女が言葉を纏められるまで待つ。

 

「・・・私、昔からおどおどした感じの性格で、友達もあまりいなくて・・・。親友って呼べる幼馴染の子は、別の学校に行っちゃって」

 

 少女は、楓と目を合わせようとはせず、テーブルの上に置かれた白いおしぼりを見ながら言葉を紡いでいく。

 

「このアンツィオに来たのは・・・自分の性格を変えたいと思ったからなんです。でも、ここにいる皆は陽気でフレンドリーで、私とは正反対・・・。変えようって思う前に、私なんかがここにいていいのかなって、悩むようになって・・・」

 

 楓は、その気持ちが分かるとばかりに頷く。

 だが少女は、重要なことを言い忘れたという風に、『あっ』と小さく声を上げて取り繕うように話す。

 

「でも、戦車道を通してアンツィオでも友達はできました。ペパロニっていう子なんですけど、その子もまた私と真逆の性格をしてて、まさにアンツィオって感じの子なんです・・・」

 

 『まさにアンツィオ』という評価を聞いて、楓はペスカトーレのことを思い出す。あいつも確かに、アンツィオの校風を体現しているような性格だ。だからそのペパロニという少女も、ノリがよくて明るいがどこか抜けていてそれでも憎めない子なのだろう。もしかしたら、ペスカトーレと気が合うやもしれない。

 それはともかくとして。

 

「アンツィオでも友達ができたのは嬉しいんですけど、やっぱりペパロニや皆は私にはない明るさを持ってるから・・・。なおさら皆との間にある『差』が気になって仕方がないんです。それで・・・アンツィオの空気とは違う性格の私がここにいていいのかなって、悩んでるんです」

 

 少女の言葉、その心の中にある悩みを聞き届けて、楓は頷き、言葉を発する。

 

「・・・分かります、その気持ち」

 

 少女がこのアンツィオで初めて聞いた、自分の中の悩みに同意するような言葉。思わず少女も、おしぼりから視線を上げて楓のことを見る。

 

「俺も元々・・・人付き合いが苦手で、今よりもずっと暗くて、友達と呼べる奴もあんまりいなかったんです」

 

 自嘲気味に楓が告げるが、少女は同じ境遇の楓の話に興味があるようで、少しばかり身を乗り出してくる。

 

「そんな俺がアンツィオに来たのは、この自分の性格をどうにかしたいっていうのもあったし、それに・・・・・・」

 

 楓がこのアンツィオに入学したのは、自分の性格を変えたいという理由の他に、もう1つの理由がある。だが、そのもう1つの理由については今は置いておく。

 

「とにかく、俺もあなたと同じで自分の性格を直したかったんです。明るくてノリのいいこの学校に来れば、変わることができるかもしれないって」

 

 今度は少女の方が、楓の言葉に同意するかのように強く頷く。やはり自分と同じ境遇の人がいるというのは、それだけで心強いし、何より親近感を覚えやすくなる。

 

「でも、やっぱり周りの空気になぜか溶け込めなくて・・・その理由に気付いたのは、結構最近でした」

「え?」

 

 楓はコップに入った水を一口飲み、喉を潤す。キョトンとする少女に向けて、楓は少し困ったような笑みを向ける。

 

「自分の心のどこかで・・・ストッパーがかかってたんですよ」

「ストッパー・・・?」

 

 少女が聞き返すと、楓は頷いて続けた。

 

「他のアンツィオの皆のように、明るくてノリがよくて、今が楽しければそれでいいっていう風にはなりたくないって、思っていたんだって気付いたんです」

 

 少女の手元のコップの中の氷が、カランと音を立てる。そして少女は、ハッとしたような顔をする。

 

「で、そのストッパーに気を取られ過ぎた結果、性格は昔とほとんど変わらなくて、今でもギャップを感じて悩んでいるわけです。ペスカトーレやアマレットと言った友達はできましたけど、それでもやっぱりそいつらとの間にある『差』を感じて悩んでる・・・。そんな現状です」

 

 少女は、びっくりしたような表情をする。

 不思議と、今の楓と少女のそれぞれを取り巻く状況も、アンツィオに入学した動機も、ほとんど一致していたからだ。

 そして、楓の言う『心の中のストッパー』についても、同じだ。

 

「・・・確かに、私もそうなのかもしれません」

 

 少女もまた水を飲んで、憑き物が落ちたように微笑む。

 

「私も本当は・・・心の中では、今が楽しければ良くて後先のことは考えない、という考え方を避けていたのかもしれません」

 

 少女は自分の目の前に座る楓と同様、アンツィオの中では冷静で落ち着いた性格をしていて、そんな自分は真面目な方なのかもしれないと思っている。

 だから、今だけではなくて先のこともちゃんと考えなければと無意識に考えていたから、その考えがストッパーとなって、性格が変わらないのだ。

 自分の性格が変わらず周りとの差を感じて悶々とし続けていたが、その理由に気づくことができた少女は。

 

「あなたと話ができて、本当によかったです。私自身気付けなかった、自分の気持ちに気付くことができましたから」

 

 穏やかな笑みを楓に向ける。楓はその少女の笑みを直視することができず、コップに残った水を飲むふりをして視線を逸らす。

 

「あ、何か食べましょうか?」

「そ、そうですね・・・」

 

 少女が思い出したようにスタンドに立ててあるメニューを手に取る。楓もまたもう1冊のメニューを開き、先ほど自分の心に浮かびかけた感情からひたすら目を逸らそうとする。

 先ほど少女が自分に向けてくれたあの笑みが、楓はとても可愛らしいと素直に思った。元々少女は可愛らしい顔立ちなのだから、その笑みも同じく可愛いと思うのはおかしなことではない。

 だが、楓は可愛いと思うと同時に、『その先』の感情まで芽生えそうになった。

 しかし楓はその感情が芽生えるのを抑えた。その気持ちを抱くのはまだ早すぎるだろうから。

 一方で少女は何を注文するのかを先に決めたらしい。楓も流石に『2度も』待たせるわけにはいかないので急いで何にするかを決めて、少女に確認を取ってから楓が先んじて店員を呼んだ。

 注文は、楓も少女も同じ日替わり定食だった。同じメニューを注文したことが何だか可笑しくて、店員が注文を確認して戻った後で、2人は思わず小さく笑う。

 

「・・・さっきの話の続きなんですけど」

 

 少し落ち着いたところで、楓が再び話を切り出す。

 

「ここの校風とは全然違う自分がここにいていいのか、なんて思わない方が良いです」

「え?」

 

 少女はどうしてそう言えるのかと、楓を見て無言で問いかける。

 

「アンツィオに来た以上はアンツィオの空気に合わせなくちゃならない、という決まりはどこにもありません。それに、例え自分の性格がアンツィオらしくなくても、自然と周りには溶け込んでいますから」

「溶け込んでいる・・・?」

 

 楓の言葉に対して、解せないとばかりに少女が首を傾げる。お互いに、自分を取り巻く環境や自分がどんな性格なのかを分かっているのに、どうして楓は『溶け込めている』と言えるのか。

 

「あなたにはそのペパロニという友達ができて、俺にはペスカトーレやアマレットという友達ができた。周りに溶け込んでいないと、友達なんてできません」

 

 その言葉に、少女も『あ』と小さく口を開ける。

 

「それに・・・・・・」

 

 その先のことを言おうとして、楓は逡巡する。

 少し格好つけ過ぎじゃないだろうか。

 クサいと思われないだろうか。

 そんな迷いが楓の中に現れて、僅かな沈黙を生み出す。楓が何かを言いかけて動きを止めてしまったので、少女は頭に疑問符を浮かべているような顔をする。

 しかし、言えるタイミングは今ぐらいしかない。

 言ってしまえ。

 そんなことを言うのは自分の性格ではないと分かっているが、言わずにはいられなかった。

 

「こうして話をして、俺とあなたは性格とか境遇がいろいろ似ていると分かりました」

「・・・・・・」

 

 少女は何も言わず、楓の言葉を待つ。

 楓は、意を決して言いたいことを告げた。

 

 

「俺たちは、お互いに境遇が似ているということで、俺とあなたには繋がりがあります。だから、浮いているなんてことはありません」

 

 

 それが、楓の言いたかったことだ。

 だが、結構踏み込んだことを言ったという自覚もある。今日会ったばかりの少女にこんなことを言って、馴れ馴れしいと思われるかもしれない。引かれてもおかしくはない。

 相手がペスカトーレやアマレットなど根っからのアンツィオ生であれば、先ほどの言葉を聞いても引いたりなどせず『嬉しいこと言ってくれるじゃないか!』と肩を叩いて笑ってくれるかもしれないが、相手は自分と同じく冷静で真面目な性格の持ち主の、しかも少女だ。

 反応が怖くて、恐る恐る楓は少女のことを見る。

 

「・・・・・・」

 

 少女は、少しだけ顔を赤らめていたが、少なくとも引いているようにも、嫌悪感を抱いているようには見えない。それだけでも本当に助かった。

 

「・・・ありがとうございます。そう言ってもらえて、嬉しいです」

 

 少女の言葉を聞いて、楓はホッとする。

 そこで店員が、頼んでいた日替わり定食を持ってきた。今日のメニューは鯖の味噌煮だった。

 

「・・・それでは、食べましょうか」

「そうですね」

 

 楓が提案すると少女は頷き、手を合わせて『いただきます』と挨拶をしてから食べ始める。やはり食へのこだわりが強いアンツィオでは、そう言った食前食後の礼儀も欠かさないのだ。特に、楓は常日頃から屋台でラザニアを作っている身であるから、食に対する礼儀もきちんとしている。

 食事をしている間、2人の間に会話はない。楓も、金髪の少女も、会話が無くても別に緊張はしないタイプなのだ。

 そうして2人が黙々と食事を進め、定食を食べ終えたのは食べ始めてから大体20分後だった。

 

「あ、ところで・・・・・・」

「?」

 

 食べ終わりおしぼりで口を拭いているところで、楓は肝心なことを思い出した。少女はキョトンとした顔で楓を見る。

 

「まだ、自己紹介をしてませんでした」

「あ・・・・・・」

 

 少女も今頃それに気付く。どうやら、お互いに相手と繋がりを持つことができたことが嬉しくて、大事なことに気付けなかったようだ。

 まず最初に、楓がぺこぺこと頭を下げる。

 

「すみません、名乗りもしていないのに色々偉そうなことを言ってしまって・・・」

「いえ、私の方こそ名前も言わずに話がしたいなんてお願いをしてしまって・・・」

 

 少女もまた、楓と同じようにぺこぺこと頭を下げる。

 閑話休題。

 小さく息を吐いて、楓は少女に向き直る。

 

「改めまして・・・。2年生の楓隼介です。皆からは、『アルデンテ』と呼ばれています」

「アルデンテ・・・?」

 

 楓のあだ名を聞いて、少女は小首をかしげる。

 アンツィオ高校の生徒に付けられるあだ名は、大体が『ペスカトーレ』や『アマレット』と言ったイタリアの料理やお酒、『アンチョビ』や『ペパロニ』等イタリア料理の食材の名前だ。

 しかし少女の記憶では、『アルデンテ』とはイタリアの言葉ではあるが、パスタの茹で上がる状態の目安を意味する言葉のはずだ。なぜ食材や料理の名前ではなくて、あくまでパスタの『状態』を示す名前を付けられたのだろう。

 

「さっき言ったように・・・俺は性格が変わってるって皆から言われて。だからあだ名も変わったものにしようってことで、普通の料理や食材の名前じゃなくてこの名前になったんです」

「なるほど・・・・・・」

 

 しかし、変わり者にもあだ名をつけると言うあたり、アンツィオの大らかさが窺える。

 

「私も2年生で・・・・・・」

 

 少女も同じように自己紹介をする。

しかし、楓と違うのはあだ名が無いということだ。

 

「あなたのような『あだ名』は・・・付けられていません」

「そうでしたか・・・・・・」

 

 本名を名乗った後で寂しそうに告げた少女の言葉に、楓は胸が締め付けられるような思いになる。

 『アルデンテ』というあだ名が付けられている自分とは違い、この少女はそのあだ名さえも名付けられていない。

少女からすれば、せっかく似たような境遇の楓と出会うことができたのに、その楓とも『差』があった。それで恐らく、少女は大なり小なり落ち込んでしまっているだろう。これが原因で、先ほど楓と話をしたことで少女の中に生まれた安心感が失われてしまうのは、何としても避けたい。

 だから楓は、多少図々しいと思われようとも、一つの提案をした。

 

「もし・・・よろしければですけど」

「はい?」

 

 寂しそうな顔を下げて、少女は楓のことを見る。楓はその少女の顔から今度は目を逸らさずに、告げる。

 

「俺が・・・・・・あなたのあだ名をつけてもいいですか?」

「えっ?」

 

 困惑したような声を洩らす少女。やはり出過ぎたことを言ってしまったと楓は自省して撤回しようとする。

 

「あ、すみません。変なことを言ってしまって、忘れてください」

「いえ・・・・・・あなたに付けてもらいたいです」

 

 だが、少女は首を横に振った。少女が楓の提案を飲んでくれたことが意外過ぎて、楓は言い出した身ではあるが思わず『えっ?』と聞き返す。

 

「あなたは・・・・・・」

 

 少女は、そこで少し恥ずかしそうに視線を下に逸らし、頬をわずかに紅く染める。その表情に、楓は釘付けとなってしまう。

 そして少女は視線を楓に合わせて告げた。

 

 

「このアンツィオで初めて会えた、私と同じ境遇の繋がりある大切な人ですから」

 

 

 その言葉に、楓は思わず顔を押さえて天を仰ぐ。

 大切な人だなんて、そんなこと言われたの初めてだ。

 胸が温かくなり、目頭が熱くなり、ともすれば血までも沸き上がりそうだ。

 

「だから・・・あなたに付けてもらいたいです」

 

 改めて少女が懇願する。

 楓も少女の言葉で昂っていた気持ちを落ち着かせて、少女のことを見る。

 

「・・・本当に、いいんですか?」

「はい」

 

 少女は力強く頷いた。迷いは無いらしい。

 楓は考え込む。下手な『名前』を付けることなど許されない。だから真剣に考える。

 恐らくは、人生で一番か2番目ぐらいに頭を使っている、と言えるぐらいには悩み、考えている。

 やがて、1つの名前を導き出した。

 

「・・・少し、変に聞こえるかもしれませんけど・・・」

 

 考え抜いた末に思いついた名前だが、その理由は適当や何となくなどという薄い理由ではない。ちゃんと考えてはいる。だが、名前の響きは楓も言った通り変に聞こえるかもしれない。

 それを前もって言って、少女の顔を見る。真剣な表情で楓を見つめ返していた。

 楓はそれを見て、自分が考えた少女の『名前』を告げた。

 

 

「『カルパッチョ』・・・なんてどうでしょうか」

 

 

 カルパッチョ、という言葉は少女も聞いたことがある。生の牛肉や魚にチーズやソースなどの調味料をかけて食べる、イタリア料理だ。ちなみに、楓の『アルデンテ』もそうだが、その『カルパッチョ』という名前は少女の本名とは一文字も合っていない。

 

「・・・・・・どうして、その名前を?」

 

 少女が問いかける。それはただ単にその名前にした理由が聞きたかったからだが、今の楓からすれば『どうしてそんな変な名前にしたのか』と責められるようなニュアンスを含んでいるようにしか聞こえない。

 少しそれが怖くて、楓は少女から目線をわずかに逸らしながら理由を述べる。

 

「・・・イタリア名物のパスタは大体茹でるし、リゾットは煮込んで、ラザニアもラグーを煮込んでオーブンで焼く。他の料理もそうですけど、イタリア料理は大体が火を通す者が多いです」

 

少女は頷き、楓は続ける。

 

「俺と同じように、あなたも他のアンツィオの生徒とは少し違う。だから、火を通す一般的なイタリア料理とは少し違う感じの名前にしようと思いまして」

 

 少女は真摯な目つきで楓のことを見つめ、その理由に耳を傾けている。

 

「それで考えたのが、火を使わないイタリア料理です。その中でも、響きが可愛らしいと思ったのがカルパッチョ、というわけです。えっと・・・生意気言ってすみません」

 

 踏み込み過ぎてしまったと、楓は思う。

 『カルパッチョ』という名前の響きは考えた時は可愛らしいとは思ったが、そう思うのが楓だけという可能性もある。人によっては変に聞こえるかもしれない。

 それを少女が気に入るかどうかだって分からない。『変な名前を付けるなんて』と憤慨するかもしれなかった。

 おまけに、途中で自分らしくもない『可愛らしい』なんてことを言ったものだから、拒絶された時のショックは相応のものだろう。

 けれど、その心配もいらなかった。

 

「『カルパッチョ』・・・いい名前ですね」

 

 微笑みながら、そう言ってくれた。

 社交辞令かもしれないが、それでもそう言ってくれるだけ安心した。

 

「ありがとうございます。そして・・・・・・」

 

 少女―――カルパッチョは頭を下げて、そして右手を楓に向けて差し出す。

 

「これからも、よろしくお願いします。アルデンテさん」

 

 彼女もまた、楓のことをあだ名で呼んでくれる。あだ名で呼ぶということは、相手と親しくありたいということ。そしてその証拠に、彼女は自らの手を差し出している。

 それを見て楓は―――アルデンテは、その差し出された手を見て少し迷ったが、おしぼりで手を拭いてからその手を優しく握る。

 

「こちらこそ、よろしくお願いします。カルパッチョさん」

 

 カルパッチョの手は、男のアルデンテからすれば少しだけ小さくて、そして温かかった。

 そしてなぜか、自分の心がわずかに高鳴っている。ただ、手を握っただけなのに、どうしてこうも心が躍るようなのか。

 それでもアルデンテは、このカルパッチョの手の温もりは覚えておこうと、心に決めた。

 

 

 それから少しして、2人は席を立ち店を出る。最初にカルパッチョは自分の分は払おうとしていたが、それよりも先んじてアルデンテが全額を払った。これはデートと言うつもりはないが、男女で食事をして女の子に財布を出させるわけにはいかない、という男の意地のようなものが働いた。

 外へ出て、ライトアップされた時計塔を見上げると、時刻は20時半過ぎ。随分話し込んでしまったから、1時間近くあの店にいたようだ。

 もう遅いので、アルデンテが寮まで送ると自分から告げて、カルパッチョはアルデンテの気遣いに感謝して一緒に帰ることになった。

 その寮までの道すがら、カルパッチョはアルデンテに話しかける。

 

「さっきつけてもらった『カルパッチョ』っていう名前なんですけど・・・」

「?」

 

 やはり気に入らなかったのだろうか、とアルデンテの脳裏に一抹の不安がよぎるが、そう言うことではないらしい。

 

「私と2人きりの時にだけ、そう呼んでもらえませんか?」

「え?」

 

 突然の申し出に、今度はアルデンテが首を傾げる。

 

「やっぱり、急に自分から『こう呼んでほしい』っていうのは少しハードルが高くて・・・。もう少し自分に自信が付いたら、皆にそう呼んでもらいたいなって思っています」

「・・・・・・なるほど」

 

 カルパッチョの言葉を聞いて、アルデンテも最初に自分がその『あだ名』で呼ばれた時のことを思い出す。その時は確か、ペスカトーレだかアマレットだかが勝手にそう呼んできて、それが自然とクラスの皆にも広まって、いつからか教師以外のほぼ全員から『アルデンテ』と呼ばれるようになった。今ではもう、本名で呼ばれることはほとんどない。

 しかし『カルパッチョ』は、ついさっきアルデンテ自身が付けた名前である。アルデンテの時とはわけが違った。いきなり自分からあだ名を名乗るのも勇気と覚悟を要するもので、カルパッチョにはまだそれが無いのだろう。

 

「分かりました。では・・・・・・その時以外はどう呼べば・・・」

 

 アルデンテの問いにカルパッチョは少し夜空を見上げて考えるが、やがてこう答えた。

 

「『ひな』で構いませんよ。さっき言った幼馴染の子も、私のことは『ひなちゃん』って呼んでいたので」

「・・・・・・『ひな』か『ひなさん』でいいですか?『ひなちゃん』は流石にちょっと」

 

 旧知の仲でもないのに、男が女をちゃん付けで呼ぶのは周りからの誤解を招きかねないし、馴れ馴れしい。それは避けたかったから、『ひなちゃん』と呼ぶのは控えさせてもらう。

 カルパッチョは頷いて、さらにもう1つの提案をしてきた。

 

「私たち、同じ2年生ですし・・・敬語は無しにしませんか?」

「・・・・・・」

 

 敬語は無し、つまりタメ口で話すということは、相手に対して良い意味で遠慮をせず、相手のことを信頼しているからこそできることである。

 だからカルパッチョの提案も、アルデンテを信頼しているからこそのことだろう。それにアルデンテは気付いて、その自分への信頼を無下にせず、そして裏切らないようにしようと決意して、少し笑って頷いた。

 

「分かった・・・カルパッチョ。これからもよろしく」

 

 すぐに敬語を外して、カルパッチョに話しかける。それで緊張が取れたのか、カルパッチョもふわりと笑ってアルデンテに告げた。

 

「・・・こちらこそ、よろしくね。アルデンテ」

 

 

 

 寮の前に到着すると、アルデンテとカルパッチョは別れた。恋愛に情熱的なアンツィオであっても、『女子寮に男子は入ってはならない』という規則はちゃんと存在する。逆もまた然り。

 なので寮の敷地内にまでアルデンテは足を踏み入れたりはせず、小さく手を振り合いながらカルパッチョと別れて、そのまま男子寮へと向かった。

 夏が近づいて夜になっても少し蒸し暑い感じがするが、その蒸し暑さも今のアルデンテは気にしていなかった。

 寮までの帰路でアルデンテが気にしているのは、カルパッチョのことだ。

 今日の昼休みに初めて会ったことが嘘であるかのように、彼女との仲は進展したと思う。

 お互い悩みを打ち明けて、似た者同士なのが分かって、『カルパッチョ』という名前を付けて、そして少しだけだがタメ口で話して。

 恐らくだが、この日はアンツィオに入学して以来一番色々あった1日だと思う。

 

「・・・・・・」

 

 歩きながら、先ほどカルパッチョと握手を交わした右手を見て、改めてカルパッチョのことを思う。

 今日の昼休みに初めて会った時は、その容姿に『見惚れた』。

 悩みを打ち明けられた時は、力になりたいと切に思った。

 自分と同じ悩みを抱いていると知った時は、とても共感できた。

 自分の考えた『名前』を気に入ってくれた時は、純粋に嬉しかった。

 お互いにタメ口で話そうと提案された時は、自分のことを信頼してくれているという事実に感動した。

 

(・・・・・・俺って)

 

 気が付けば、カルパッチョのことが頭から離れない。

 その可愛らしい姿も、ふわりとして澄んでいる声も、話したことさえも忘れられない。脳裏に焼き付いて、消えることはないだろう。

 そう考えてしまうのは。

 

(あの子のこと・・・・・・好きなのかも)

 

 だが、そう思ったところで頭を横に振る。

 初めて出会った時からその姿に惹かれていたような気がしたが、それはつまり一目惚れに近い。だが、そんなのは自分の性質じゃないし、そうじゃないだろうと冷静になる。アルデンテ自身も同じ境遇の人と出会えて浮かれているんだろう。

 思い上がり過ぎだ、と自分の頭を冷やそうとするが、それでもカルパッチョのことが頭から離れることはなかった。

 

 

 私は部屋に戻って、さっきまでの出来事を思い返す。

 

「カルパッチョ・・・・・・か」

 

 アンツィオに入学してから2年目にして、初めて私に付けられたあだ名『カルパッチョ』。

 そして、その『名前』を付けてくれたアルデンテ。

 あの人は、愚痴もこぼさず私の中にある悩みを聞いてくれて、そして共感してくれた。

 あの人も、私と同じような悩みを抱えていて、その根っこにある理由に気付かせてくれた。

 あの人は、私に可愛らしい『名前』を付けてくれた。

 

「・・・・・・ふふっ」

 

 まだ出会ってから1日しか経っていないのに、私はアルデンテに対して悪い印象なんて何も抱いていなかった。

 アルデンテの全てが、私には輝いて見えた。わずかに見せる笑みも、私の話を聞いている時の真剣な表情も、そして私に言ってくれた言葉も。

 

『俺たちは、お互いに境遇が似ているということで、俺とあなたには繋がりがあります』

 

 繋がりがある、という言葉だけで私の心は救われたようだった。

 そして、私と同じような人がいるだけで、私はここにいていいんだと思うことができる。

 アルデンテと交わした言葉と、短いはずの時間が、私の中にかけがえのない大切な思い出として積み重なっている。

 そして今日のアルデンテとの間に起きたことを思い出すと、私の心が温かくなるのを感じる。

 とても穏やかな気持ちになれるこれは一体、何だろう?

 

「・・・・・・」

 

 ベッドに仰向けになって、白い天井を見上げる。

 部屋の照明が眩しくて、腕で目を隠す。

 

「・・・はぁ」

 

 それでも、目を閉じても、アルデンテのことを思い浮かべてしまう。

 それでも私の気持ちは、とても心地良いものだ。




ようやく、『カルパッチョ』の名前が出ました。
それにしても1日に3話かけると言う相変わらずのスローテンポぶり・・・。
ごめんなさい。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


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Cangiare

cangiare(カンジャーレ)[change]【自動詞】
意:変化する、変わる


 

「オーダー、ラザニア2つ!」

「了解」

 

 昼休み、アルデンテはペスカトーレと共に屋台を切り盛りしていた。ペスカトーレが客引きをして、アルデンテがラザニアを作りお客に渡す。それが普段からの2人の役目であり、今日も変わらず、明日からもずっとこのままだろう。

 例え、昨日の金髪の少女―――カルパッチョとの出来事が、アルデンテの人生の中で一二を争うほどのものであっても、アルデンテの日常に変わりはなかった。

 

「はい、どうぞ」

「ありがとうございまーす!」

 

 努めて優しくアルデンテが言いながらラザニアを渡すと、観光客らしき2人の女性がそれを受け取る。アルデンテなりの優しい雰囲気が伝わったのか、それともラザニアが美味しそうに見えたのか、2人ともいい笑顔だった。

 そして2人は、そこでラザニアには手を付けずにその場を離れていく。どうやら座れる場所で食べるらしい。この近くで座れる場所と言えば、コロッセオか、それとも一般的な公園か、あるいは普通にそこらにあるベンチだろう。

 しかし、料理を作るアルデンテからすれば味の感想を聞けないのは残念だ。料理を作り提供している以上、食べてもらった人には『美味しい』と言ってほしい。そう言ってもらえるかどうかが分からないから、それが気がかりだ。

 だが、そんなことをいちいち気にしていては、屋台営業などやっていられない。それに気を取られて、これから提供するラザニアの味に影響が出るのだって、あってはならないことだ。

 とにかく、客の流れが途切れたので、アルデンテは『ふぅ』と一息吐いて少しだけ休む。

 

「なぁ、アルデンテよ」

 

 そこでペスカトーレが話しかけてきた。

 

「なんだ」

「昨日、あの子とはどんな感じになったんだ?」

 

 またその質問か、とアルデンテは嘆息する。それは今朝、アルデンテが教室に着いた時も開口一番に聞かれたことだ。その時は、アルデンテは『別に』としか答えなかった。

 昨日カルパッチョと話したことは、他のアンツィオの生徒にはおいそれと言えるようなことではなかったし、何より昨日のことをアルデンテは他人に話したくはなかった。

 もっと言えば、カルパッチョとの思い出は自分の心の中にだけ留めておきたかった。それは、冷静であろうとも年頃の男子高校生らしい独占欲が働いたからである。

 その独占欲がなぜ湧いたのか、その理由についてアルデンテはあらかた想像ができていた。

 それは―――

 

「おっ、そこのカメラ持った彼女!取材ならウチの屋台に是非!ついでにラザニアも食べていきな!」

 

 ペスカトーレが突如客引きを始めたので、アルデンテも思考を一度切り替えて店先に目をやる。

 フリーのアンツィオ生、観光客と思しきカップル、学園艦の住人に混じってその少女はいた。着ている服はアンツィオの制服だが、随分癖っけのあるショートボブヘアーが特徴的で、手にはビデオカメラを持っている。新聞部か、あるいは生徒会の広報だろうか。

 

「あ~、すみません。私は今、戦車道の取材をしておりまして」

 

 少女は申し訳なさそうにペスカトーレにお辞儀をして、きょろきょろと辺りを見回す。

 

「あっ、戦車を載せた屋台があります!」

 

 そして少女は何かを見つけたのか、ある場所へと小走りに向かう。少女の言葉が正しければ、行先は戦車を載せたとある屋台だろう。

 その屋台は、この屋台街全体でも割と有名である。屋台のデザインもさることながら、店主を務めているのはアンツィオ高校戦車隊の副隊長。その副隊長の作る鉄板ナポリタンなる料理は絶品で、さらにその副隊長のフレンドリーな性格も相まって、屋台街でもトップクラスの人気を誇っている。アルデンテも1度その鉄板ナポリタンを食べたことはあるが、確かに美味かった。

 

「戦車道の取材かぁ・・・それじゃ仕方ないな」

 

 ペスカトーレが肩をすくめる。アルデンテもペスカトーレも男なので、当たり前だが戦車道を履修することはできない。だからこの屋台も、戦車とは一切の関係がない。

 

「俺も1回だけでいいから女になって戦車道やってみたいな~」

「気持ち悪いこと言ってないで客引きしろ」

「へいへい・・・」

 

 ペスカトーレの叶うはずもない妄言を聞き流して、アルデンテはクーラーボックスから新しいラザニアの生地を取り出して次のラザニアの準備に取り掛かろうとする。今日の売り上げもそこそこいい感じで、食材もそこそこ減ってきている。

 そこで、今度は屋台の外から声をかけられた。

 

「こんにちは」

 

 アルデンテは、その声を聞いて思わず顔を上げる。手にしたラザニアの生地を落とすなどという凡ミスはやらかさない。

 そこにいたのは、昨日自分が『カルパッチョ』と名付けた金髪の少女だ。

 そしてカルパッチョの隣には、明るい茶髪を肩まで伸ばした少女もいる。『ジェラート』という名前の彼女は、イタリア発祥の氷菓であるジェラートの屋台の店主でもあり、またアマレットと同様に戦車道履修生でもある。

 

「はろはろ~」

「いらっしゃい、ジェラート!」

 

 ジェラートが手を振りながら挨拶をし、ペスカトーレも営業スマイルとは少し違う本来の笑みを浮かべて挨拶を返す。

 ジェラートもまた同じ2年生でアルデンテ、ペスカトーレとも仲が良いが、クラスは別である。しかし、アルデンテとペスカトーレ、ジェラートの共通の友達であるアマレットを介して、お互いに屋台を開いていることを知ってから交流が深まり、いつしか友達になることができた。

 また、カルパッチョはジェラートの屋台で手伝いをしている身でもある。だと言うのに、今までアルデンテがカルパッチョのことを知らなかったのは、アルデンテがジェラートの屋台に行くことが無かったからだ。彼女の屋台はアルデンテたちの屋台から少し離れた場所にあるし、ジェラート屋台も近くにあったから。

 さて、ペスカトーレとジェラートが挨拶を交わしたので、アルデンテとカルパッチョも挨拶をすることになる。だが忘れてはならないのは、今はまだ『カルパッチョ』という名前は、アルデンテとカルパッチョが2人きりの時にだけ呼び合う名前である。今この場にはペスカトーレとジェラートがいるので、その名は呼べない。

 だから。

 

「やあ、えっと・・・・・・ひな」

「どうも、アルデンテ」

「「!?」」

 

 昨日も言ったが、ちゃん付けは少し馴れ馴れしいし、敬語は無しで話そうと決めたのだから、さん付けだと他人行儀が過ぎる気がする。だから、アルデンテはカルパッチョのことを本来の名前で呼ぶことにした。

 だが、それを聞いたペスカトーレとジェラートが首が折れるような勢いでアルデンテのことを見る。2人からすれば、いつも冷静で純朴なアルデンテが、あだ名ではなく下の名前で女の子を呼ぶことがあり得ないことだったからだ。

 

「ん、どうした?」

「い、いや・・・別に・・・・・・」

 

 だが、アルデンテからすれば逆にどこかおかしいところでもあったのかと疑問だったので、逆に聞き返す。ペスカトーレは、動揺を隠せなかったが、咄嗟に何もないように答えてしまう。

 

「な、なんでもないよ。それよりラザニア1つちょーだい!」

「お、おう!オーダー、ラザニア1つ!」

「ああ・・・了解」

 

 ジェラートも妙にソワソワしながら小銭をカウンターに置いて注文する。ペスカトーレが代金を受け取って、アルデンテがラザニアを準備する。最初の作り置きが切れて、オーブンの中の2つ目のラザニアを手前側に置く。最初の耐熱皿を洗って、次のラザニアを作るのだが、その前にまずはジェラートにラザニアを渡すのが先だ。

 

「はいよ」

「あ、ありがとう・・・」

 

 どこかよそよそしい態度で、ジェラートがラザニアを受け取る。ペスカトーレもそうだが、どうしたのだろうか。

 しかしそんなジェラートのいつもと違う様子も、ラザニアを一口食べて変わった。

 

「んー、美味っ!」

「どーも」

 

 満面の笑みでジェラートが告げて、アルデンテは小さく笑う。その言葉を聞いてから、アルデンテはオーブンの中のもう1つのラザニアの焼き加減を確かめていると、カルパッチョから声をかけられた。

 

「あの・・・・・・」

「ん?」

「昨日は・・・ありがとう」

 

 アルデンテが振り返ると、カルパッチョは頭を小さく下げる。

 カルパッチョは、昨日話をしたことに対してアルデンテに負い目を感じているらしい。

 それは無理もないことだと、アルデンテは思う。カルパッチョからすれば、昨日は初対面の男に対して、いきなり話がしたいと言って、悩みを打ち明けて、『名前』を付けてもらったりしたのだ。彼女の心の中に申し訳なさが残るのも仕方がないだろう。

 

「いや、そんなに気にしなくていい」

「でも・・・・・・」

 

 アルデンテはそんなカルパッチョを安心させようとできる限り優しく告げるが、それでもカルパッチョの不安は拭えない。

 どうしたものかとアルデンテは考えるが、ふとオーブンの中のラザニアを見て閃いた。

 

「・・・よかったら、ラザニア食べてく?」

 

 何か悩んだり不安な時は、美味いものを食べれば何とかなる。それはこのアンツィオの校風から学んだことだ。今のことばかりではなく先のことも考えるアルデンテだが、そのアンツィオ特有の考え方も一理あると思っている。美味しいものを食べれば、嫌な考えも幾分か晴れるから。

 それに、カルパッチョは初めてアルデンテの作ったラザニアを食べた時、美味しいと言って笑ってくれた。だから、ラザニアを食べさせてあげた方が良いと思ったのだ。

 

「・・・・・・そうね、1つ貰おうかしら」

 

 アルデンテの問いに、カルパッチョも笑って頷く。どうやら、アルデンテの気遣いに気付いてくれたようだ。

 

「おっ、食べてく?」

 

 そのカルパッチョの言葉をジェラートと話をしていながらも耳聡く聞き取った、ペスカトーレがカルパッチョに声をかける。カルパッチョも『はい』と答えた。

 

「おひとつ、いいですか?」

「はいよ!じゃあ250万リラ―――」

 

 ペスカトーレが代金を請求し、カルパッチョが財布を取り出す。

 そこでアルデンテが、『ああ』と言ってから。

 

 

「200万リラでいいぞ」

 

 

 そんなことを告げた。

 

「「何ィ!!?」」

 

 ペスカトーレとジェラートが揃って声を上げるが、カルパッチョも声は上げずとも少し驚いた表情でアルデンテのことを見る。

 

「そんな、値下げなんて・・・」

「いや、昨日話を聞いてくれたことのお礼ってことにしてくれ」

「でも、むしろ私の方が話をさせてもらったんだから・・・」

 

 食い下がるカルパッチョだが、アルデンテは首を横に小さく振る。

 

「俺も昨日、同じ境遇のひなに会えて、色々話すことができて嬉しかったんだ。だから、そのお礼がしたい」

 

 カルパッチョは、アルデンテの言葉を聞いて少しだけ考える。

 自分が話をしたことがアルデンテの負担になってしまったと思っていたが、そのアルデンテもカルパッチョと話せたことを嬉しく思っていた。そんなことは考えてもいなかったし、それが嬉しくないと言えば嘘になる。

 だからカルパッチョは、アルデンテの厚意に甘んじることにした。

 

「・・・・・・そうね、それじゃお言葉に甘えて」

 

 カルパッチョが財布から200円を取り出してカウンターに置く。

 

「・・・・・・まいど」

 

 ペスカトーレがその200円を抜け殻のような動きで回収し、対照的にアルデンテは張り切った手付きでオーブンから2つ目の作り置きのラザニアを取り出して、丁寧に切り取って皿に移し、フォークと共にカルパッチョに差し出す。

 

「熱いから気をつけて」

「ありがとう」

 

 カルパッチョはそれを受け取って、ラザニアをフォークで器用に小さく切り取って一口。

 

「うん、美味しい」

 

 カルパッチョが笑い、アルデンテも自然と笑みをこぼす。

 

「アルデンテ、ちょーっといいか?」

 

 だが、それも束の間で、唐突にペスカトーレが話しかけてきた。そして、返事も待たずにジェラートと共にアルデンテの肩を掴んで、好物のラザニアを美味しそうに食べているカルパッチョから距離をとる。

 

「おいおいおい、どういうことだよお前!」

 

 十分距離を取ってから、ペスカトーレがアルデンテの肩を掴んで揺さぶりながら問いただす。だが、アルデンテにしてみれば、一体何がおかしいのかが分からない。

 

「何が」

「何がって、あんた屋台を開いてこの方一度も値下げサービスなんてしたことないでしょ!」

 

 ジェラートも顔を至近距離まで近づけて捲し立てる。女の子が気安く男と顔を近づけるなよ、とアルデンテは明後日の感想を抱く。

 

「それがお前、いきなり50万リラもまけるなんて、どういう了見だ!?」

 

 そのことか、とアルデンテは今頃事態を把握する。

 

「聞いてたかもしれないが、昨日あの子とはちょっと話をしたんだ。それで俺も、自分と似たような感じのひなと会えて話ができたのが嬉しかった。だから、そのお礼ってわけで代金をまけたんだよ」

 

 アルデンテの弁明を聞くと、ペスカトーレとジェラートはアルデンテに聞こえないようにひそひそと何かを話し合う。

 

「・・・・・・・・・これ、どう思う?」

「・・・・・・・・・いやー、なかなか」

 

 そして話し合いが終わると、ペスカトーレとジェラートは不気味なほどの笑みを浮かべて、揃ってアルデンテの肩を叩きこう言った。

 

「「頑張れ」」

 

 そして2人は、何事も無かったかのように元居た場所へと戻っていった。何が何だかさっぱりわからないアルデンテは、とりあえず屋台の調理スペースに戻ることにする。

 戻ると、既にカルパッチョはラザニアを半分ほど食べ終えていた。

 

「何話してたの?」

「いや・・・・・・よく分からん」

「?」

 

 ペスカトーレとジェラート2人の反応が腑に落ちなくて、アルデンテもそう答えるしかない。カルパッチョはジェラートを見て真意を聞こうとするが、曖昧な笑みを返すだけで返答は望めない。ペスカトーレも、アルデンテとカルパッチョの方を見ないように客引きをしていて、本当に何なんだとアルデンテは思う。

 その時、何かのモーターの駆動音が聞こえてきた。

 アルデンテが顔をその音のする方向へ向けると、アンツィオの戦車CV33が迫って来ているのが見えた。目を凝らすと、アマレットが箱乗りしているのが見える。その隣には、ライオンのように跳ねた髪の少女が同じように座っていた。

 

「やっほー」

 

 アルデンテたちの前を通りがかると、アマレットがこちらに向けて声をかけてきた。ペスカトーレとジェラートが同じく『やっほー』と返し、アルデンテとカルパッチョは軽く手を挙げて答える。それを見てアマレットは、ウィンクを1つかまして行ってしまった。

 そのアマレットを見ながら、『あいつにも報告しないとな・・・』と、何だか嬉しそうな笑みを浮かべてペスカトーレが呟いたが、アルデンテはそれには気付いていない。

 

「じゃ、そろそろ戻ろうかな」

 

 カルパッチョがラザニアを食べ終わったところを見て、ジェラートが伸びをしながら告げる。カルパッチョは空になった皿とフォークをアルデンテに渡し、ジェラートと共に自分たちの屋台へと戻っていく。

 

「またな」

 

 アルデンテは、背を向けるカルパッチョとジェラートに別れの挨拶を投げかける。ジェラートはそれに対して振り返らず片手を挙げるだけで答えたが、カルパッチョはアルデンテの方を振り返り、小さく笑って手を振り返してくれた。

 アルデンテは、その反応を見て少しだけ嬉しくなる。

 

「それにしても」

 

 そこでペスカトーレが、感慨深そうに言葉を洩らした。

 

「まさかお前が、値下げサービスなんてするとはなぁ。アマレットとかジェラートみたいな常連に1万リラもまけなかったお前が」

「もうその話はいいだろ」

 

 乱暴に話を打ち切るアルデンテ。

 だが、50万リラも値引いたのは自分でも大したものだと思う。ペスカトーレの言った通り、アルデンテは屋台を開いて一度も値段を変えたことはない。常連相手にサービスをしたことだってない。

 それなのにカルパッチョに対してだけ値引きをしたのは、もちろん昨日話ができて嬉しかったのもある。それに加えて、カルパッチョに良い印象を持ってほしかったという、アルデンテの望みもあった。

 なぜ、そんな望みを抱くのか。

 その理由は、昨日カルパッチョと話をした後で別れてから考え始めていることだ。

 自分はもしかしたら、カルパッチョのことが好きなのかもしれないと。

 だが、その『かもしれない』という予想は、だんだん確信へと変わってきていた。

 

 

 屋台へ戻るまでの間、ジェラートは私のことをなぜかニコニコと笑顔で見つめていた。

 

「どうかした?」

 

 それがとても気になったので、思わず聞いてみる。ジェラートは、笑みを崩さないまま話し出す。

 

「知ってる?アルデンテって今まで、相手がお得意様とか友達でも一切値引きサービスなんてしなかったのよ」

「そうなの?」

 

 ジェラートの明かした情報に、私の目が丸くなったのを感じる。

 

「そうなの。だからね、ひなちゃんのラザニアだけいきなり50万リラもまけたのが驚きでね」

「・・・・・・・・・」

 

 ジェラートに言われて、私は少し考える。

 私は昨日初めてアルデンテの屋台を訪れて、そこで1回ラザニアを食べただけ、とてもお得意様とか常連とは言えない。

 けれど、昨日は学校の外で待ち合わせて色々話をしたから、もしかしたら常連以上に親しい関係だと思う。

 

「だから、もしかしたら・・・・・・と思ってね」

 

 ジェラートの言おうとしていることは、なんとなくわかる。

 このアンツィオは、食事と芸術、ファッションにこだわりを持っているが、それに加えて恋愛に積極的で情熱的でもある。生徒間でのナンパは割とよく見ることだし、他人の告白シーンに出くわしたこともある。さらにここには、他人の恋路は嫉妬することなく素直に応援し、それが成就すれば素直に喜ぶ優しい心の持ち主が揃っている。

 もっと言えば、恋愛には敏感だ。

 そんなアンツィオで、友達にも常連にも一切値引かない人が、私に対して『だけ』値引きをするなんて聞けば、誰だって『そういうこと』を期待するだろう。

 ジェラートが何に期待をしているのか、それは曲がりなりにも2年アンツィオにいる私にだって分かった。

 

「そんなのじゃないよ」

「ふーん?」

 

 ジェラートが頭の後ろで腕を組みながら天を仰ぐ。

 しかし私自身、もしジェラートの言っていること、思っていることが本当なら、とも思う。

 私は、アルデンテのことをもう赤の他人とは思っておらず、親しい人だと思っている。私と話をしてくれて、自分でも気付かなかったことに気付かせてくれて、そして『名前』を付けてくれたのだから。

 そんなアルデンテのことを、私は好意的に見ている。悪く思ったりはしていない。

 そして彼が、もしもそう思っていたら。

 本当に私のことを、『そう』思っているとしたら。

 

「・・・・・・っ」

 

 そんなことを考えようとして、私は自分の頬を小さくはたく。ジェラートが『どうかしたの?』と尋ねるが、私は『何でもない』と答える。

 今、私は何を期待していたの?

 私とアルデンテは、そう言う関係じゃない。

 なのに、相手が『そう』思ってくれていたらと考えるのは、思い上がりに近い。

 そして、どうしてそう言うことを考えてしまうんだろう?

 私は本当は、アルデンテのことをどう思っているんだろう?

 それが気になって、午後の授業はあまり身が入らなかった。



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Toccare

toccare(トッカーレ)[touch]【他動詞】
意:・・・に触る、触れる、(物が)・・・に当たる


 ある日の昼休み、アルデンテは観光パンフレットを片手に屋台街を歩いていた。

 彼が持っているパンフレットは、アンツィオ高校生徒会が発行しているものである。アンツィオ高校の校風や特徴に加えて、学園艦の名所はもちろん、さらには屋台街の各屋台の場所と提供する料理、屋台主の名前まで記載されている。アンツィオ高校は観光地としても有名なので、このパンフレットは観光客から重宝されている。

 アルデンテがその観光客向けパンフレットを持って屋台街を歩いているのは、目的地がアンツィオに来てから初めて向かう屋台だからだ。

 その目当ての場所は、コロッセオの近くにあるジェラート屋台だった。

 

「いらっしゃ―――って、あれ?アルデンテ?」

「おう」

 

 ジェラート屋台の店主であるジェラートが、アルデンテの姿を認めると驚いたように声を挙げる。アルデンテはいつものように片手を挙げて挨拶をするが、自分がここを訪れるのは初めてのことだし、驚くのも無理はないとも思った。

 そして、ジェラートがアルデンテの名を出したことで、そのジェラートの隣で在庫の準備をしていたカルパッチョが振り返り、穏やかな笑みを見せてくれる。

 

「アルデンテ、いらっしゃい」

「屋台はどうしたの?」

 

 カルパッチョの出迎えの挨拶にアルデンテも小さく頷いて返し、ジェラートが問いかける。今は昼休みで、どの屋台も営業しているはずだが。

 

「定休日」

「あ、そっか」

 

 アンツィオ屋台街の屋台主たちは、屋台を営んでいるとはいえ皆学生である。野暮用があったり体調が優れなかったりすると屋台を休むことは当然ある。

 しかし、アルデンテはその辺しっかりしていて、そう言った理由で休むことはほとんどない。ただ、しっかりしているが故に『休める時は休む』というモットーを掲げ、週1で定休日を設けてあった。客引き役のペスカトーレも、今はどこかの屋台にでも行って何かを食べているのだろう。

 

「今日は少し暑いし、ジェラートを食べようと思ってな」

 

 季節は6月に入り、気温は夏本番に向けて順調に上がってきている。学園艦も海を航行しているとはいえ、太陽の日照りが暑苦しく感じてしまう。なのでアルデンテは、冷たいものを求めてここに来たのだ。

 ちなみに、アルデンテの屋台の近くにもジェラート屋台はあったが、それでもここまで足を運んだ理由は、親しい者が営む屋台の方が色々と安心できるというのもある。だが、それ以外にも、アルデンテはカルパッチョのことが『気になっていた』ので、彼女がいるここまで来たのだ。

 さて、アルデンテもそうだが、カルパッチョとジェラートも額に少し汗を滲ませている。冷たいジェラートを提供しているから幾分か涼しいのかと思ったが、どうもそうではないらしい。

 

「ほいほい、それじゃ味はどうする?」

「アランチャで」

「よし、150万リラね」

 

 ジェラートに言われて、アルデンテは財布から150円を取り出してカウンターに置く。ジェラートがそれを回収し、手伝いのカルパッチョがアランチャ(イタリア語でオレンジ)味のジェラートを保存容器からディッシャーで掬い、カップに盛り付ける。

 最後にプラスチック製の小さなスプーンを添えて、アルデンテに差し出す。

 

「はい、どうぞ」

「ああ、ありがとう」

 

 アルデンテは、そのカップを受け取ろうとするが。

 

 

 カップを差し出したカルパッチョの手と、カップを受け取ろうとしたアルデンテの手が、僅かに触れた。

 

 

 

「「!!」」

 

 2人は慌てて手を引っ込めようとするが、それではカップを落としてしまう。なので、受け取ろうとしたアルデンテがまず手を離し、そしてカルパッチョから改めて受け取る。今度は間違っても手に触れないように、慎重に受け取った。

 

「・・・悪い」

「・・・ううん、気にしないで」

 

 アルデンテが不慮の事故に謝るが、カルパッチョは気にしていない風に言ってくれた。

 前に握手だってしたはずなのに、なぜ軽く手が触れただけでここまで動揺してしまうのか。アルデンテはジェラートを食べ進めながら思索する。

 日照りの暑さはこれで凌げそうだが、先ほどのカルパッチョとのことで別の意味で妙に熱い。

 

「・・・美味い」

「ありがとう」

 

 味の感想を素直に告げると、カルパッチョは静かに笑いそう答えてくれる。屋台主のジェラートはと言えば、『いやぁ~、熱いですなぁ~。暑くて熱いわぁ~』などとほざいていて、その意味が分からなくもなかったアルデンテは無視を決め込んだ。

 

「・・・ところでさ」

「?」

 

 このままの空気でいるのも耐えられないので、アルデンテはカルパッチョに別の話題を持ち出すことにした。

 

「ひなは、戦車隊の副隊長なんだっけ」

「ええ、そうよ」

 

 アルデンテとカルパッチョが最初に会った日に、アマレットがカルパッチョのことを『副隊長』と呼んでいて、それから気になっていたことだ。その日の夜にカルパッチョと話をした時も、『戦車道』という言葉が聞こえたのでそのことが少し話してみたいと思った。

 

「すごいな、あんな鉄の塊を動かして戦うなんて。俺にはできそうにない」

「私も最初は、私にできるのかなって不安だったわ。ましてや、自分が副隊長になるなんて、思っていなかったもの」

 

 カルパッチョが少し苦笑しながら答える。

 アンツィオ高校も戦車道の授業があって、大会に出場しているのは知っている。だが成績はあまり芳しくないことも、アルデンテは知っていた。

 とはいえ、カルパッチョはこのアンツィオの戦車隊の副隊長を務めているのだから、それだけでも立派なものだ。

 

「・・どうして、ひなは戦車道を始めようとしたんだ?」

 

 アルデンテはそんな質問をする。大きな鉄の塊を動かし、砲火を交える印象が強い戦車道は、正直言って厳しいイメージが強い。だから、カルパッチョのような穏やかな少女が戦車道を歩んでいるのが、少しだけ気になったのだ。

 

「・・・・・・・・・」

 

 すると、カルパッチョの表情に陰りが差す。それにアルデンテは気付いて、マズいことを聞いてしまったかと気付いた。

 

「あ、ごめ・・・・・・」

「いいの、大丈夫」

 

 咄嗟に謝るアルデンテだが、カルパッチョは小さく首を横に振る。

 

「あーあー、私ちょっとペパロニ姐さんの屋台手伝ってくるわ~。ひなちゃん、店番よろしくね~」

「あ、うん・・・分かった」

 

 そこでジェラートはわざとらしく声を上げて、カルパッチョの肩を小さく叩きアルデンテの来た道を歩く形で雑踏の中に消えて行ってしまった。

 ジェラートはどうやら、ペパロニという同じ戦車道履修生が営む屋台の皿洗いも掛け持ちしているらしい。料理を作るだけで手一杯のアルデンテからすれば、ジェラートは結構働き者だと思う。だが、アルデンテはジェラートが手伝いをするペパロニの屋台がどこにあるのかは知らなかった。

 そしてジェラートが急に手伝いに行ったのは、『いい感じの雰囲気になった2人をそっとしておこう』という恋愛に敏感なアンツィオ生特有の気遣いだということに、アルデンテとカルパッチョは気付いていない。

 そして残ったのは、アルデンテとカルパッチョのみ。アルデンテがカルパッチョの触れてほしく無いらしい部分を問うたから、若干気まずい。

 

「・・・何度も聞かれたことだったから」

「え?」

「私って、周りから大人しい子って思われてるみたいで、そんな私がどうして戦車道を?ってことは何度も聞かれてたし・・・。それでちょっと、ね」

 

 カルパッチョが、先ほどの陰りの理由を明かす。やはりアルデンテの抱いた疑問は、他の人も思ったことがあるものだったようで、カルパッチョは何度もそう聞かれることに疲れていたのかもしれない。

 

「・・・本当にごめん」

「ううん、大丈夫よ。もう慣れたから」

 

 その疲れるような質問をしてしまったことを改めてアルデンテは詫びる。

 カルパッチョは本当に気にしていない風に首を横に振り、戦車道を始めた理由を話しだした。

 

「・・・前にも言ったと思うけど、私って元々おどおどした性格をしてて。それを直すために、戦車道を始めたの。それは、アンツィオに来る前なんだけどね」

 

 アルデンテは、冷たいジェラートを食べる手を止めてカルパッチョの言葉に耳を傾ける。今だけは、周りの屋台の賑わいも聞こえない。

 

「戦車道は強くて逞しく、凛々しい乙女を育てる伝統的な武芸・・・。私も、そんな風な戦車道を歩む人たちみたいになりたいって思った」

「・・・・・・・・・」

「アンツィオに入学したのと・・・理由は大体同じかな」

 

 カルパッチョがアンツィオに来た理由は、おどおどした自分の性格を変えたいと思ったから。

 だが、その前からカルパッチョは、同じ理由で戦車道を始めていた。

 戦車道を始めたのと同じ理由でアンツィオに入学したのは、それだけおどおどしてて引っ込み思案な自分の性格を変えたかったと、切に思っていたからだ。

 アルデンテは、夏の気温で溶けかけている残りのジェラートを全て食べ、飲み込んでからカルパッチョのことを見る。

 

「ひなは、強いな」

「え?」

 

 アルデンテの、脈絡のない評価する言葉に、カルパッチョも聞き返す。

 

「ひなは・・・本当に自分を変えたいと思ってアンツィオに来ただけじゃなくて、決して楽じゃない戦車道まで始めるなんて。それは、強い意志があるからこそできることだと思う」

「・・・・・・」

「俺なんて、ただアンツィオに来れば自分も変われると思ってただけなんだから・・・・・・」

 

 手の中にある、空になったジェラートのカップを傍に置いてあったゴミ箱に放り込む。それでも、カルパッチョとは目を合わせたままだ。

 

「俺なんかと比べると、ひなはずっと強いよ」

 

 真っ直ぐな瞳を向けられながらそう告げられて、カルパッチョは少し顔が熱くなる。自分のことを面と向かって評価されるのが恥ずかしいのもあるが、相手が今までアンツィオでは見つけられなかった自分と同じ境遇で、親しい人だからだろう。

 けれど、恥ずかしさとは別に嬉しいと思う気持ちが自分の中にあるのを、カルパッチョは感じていた。

 たまらず、カルパッチョは少しだけ目を下に向ける。それに気づかず、アルデンテは言葉を連ねる。

 

「それに副隊長まで任されてるんだろ?それだって、本当にすごいと思う」

 

 そこでカルパッチョも、顔を上げてアルデンテを再び見る。

 

「副隊長は・・・統帥が直々に私を指名してくれたの」

「ドゥーチェが?」

 

 統帥(ドゥーチェ)こと安斎千代美―――アンチョビは、戦車道履修生の間だけでなくアンツィオ高校全体でも有名だ。なぜなら、衰退していたアンツィオ高校戦車隊を復活させるために愛知の学校からスカウトされて入学し、それからわずか2年で10名にも満たなかった戦車隊を今の数十名の規模にまで発展させたのだから。

 それにアンチョビの性格は、誰にでも分け隔てなく接するほど世話焼きで親しみやすく、しかも可愛い。これだけの才色兼備なら、アンツィオの男子たちのハートを鷲掴みにするのも必然と言える。アルデンテのクラスの男子も度々、『アンチョビ姐さんと付き合えたらなー』などとぼやいていた。

 話が逸れたが、そんなアンチョビのことは面識はないがアルデンテも知っていた。だから、そのアンチョビから副隊長に直々に任命されたカルパッチョのすごさが、よく分かる。

 

「・・・すごいじゃないか。あのドゥーチェから認められたってことだろ?」

 

 副隊長に選ばれた経緯は、戦車隊に属さないアルデンテには分からないが、相応の理由があるからだろう。何であれ、カルパッチョがアンチョビから認められたことは確かなのだから、それはすごいと思う。

 

「・・・・・・でも」

「?」

 

 だが、カルパッチョの表情が少しだけ陰る。

 

「やっぱり・・・私みたいなアンツィオには合わないような、皆とは違う性格の私が副隊長で良いのかなって、思うことは何度もある。これでいいのかなって、不安になることもある」

 

 副隊長に選ばれるということは、自分のことが認められたということであるが、同時に期待を背負わされるということでもある。

 カルパッチョは、その期待を背負うことに加えて、自分の性格が一般的なアンツィオの生徒とは違うことに悩んでいるから、迷うことがあるのだろう。

 前にアルデンテと食事を交えて話をした時に、『友達がいるのならこのアンツィオに溶け込むことはできている』とは言ったが、それはそれ。隊員たちの性格と自分の性格が違って、周りと違うのは自分の方だと分かっているから、疑問に思うことが何度もあるのだろう。

 その疑問と不安を払拭することは、悲しいことにアルデンテにはできなかった。アルデンテは戦車隊員ではないし、ましてや女でもないから、カルパッチョの悩みが理解できても具体的な解決策を提示することはできない。

 だから代わりにできることは、限られている。

 そしてその限られたことを、アルデンテはやると決めていた。

 

「・・・・・・ひな」

「?」

「俺は・・・ひなの力になりたい」

 

 アルデンテの言葉に、カルパッチョは目を見開く。

 

「俺は男で戦車道もできないから、何ができるかって言われると、それはすごい限られる」

 

 そこで、でも、と区切ってアルデンテはカルパッチョのことを見る。

 

「もしひなが・・・そういった悩みとか不安とかを抱えてるなら、遠慮とか我慢なんてしないで相談してほしい。話を聞くぐらいなら俺にだってできるし、何かアドバイスができるかもしれない。戦車道の履修生としてじゃなくて、1人の人間として」

 

 アルデンテの申し出は、カルパッチョからすれば嬉しいことだった。自分と同じような境遇の人に今まで会えなかったから、自分の中の不安や疑問を誰かに吐き出すことはできなかった。

 でも、今目の前にいるアルデンテは、その悩みや不安を受け止めると言ってくれた。

 それは確かに嬉しかったが、それでもカルパッチョは分からないことがあった。

 

「どうして・・・・・・そんなに私のことを・・・?」

 

 同じ境遇だからというのもあるだろうが、そこまで優しくできるのはどうしてなんだろう。それが、カルパッチョには分からない。

 アルデンテはそれを聞かれて、少しだけ頭を掻いてから恥ずかしそうに視線を逸らす。

 

「ひなは前に・・・俺のことを『大切な人』って言ってくれた・・・よな」

「ええ」

 

 自分に『カルパッチョ』という名前を付ける直前で、アルデンテのことを『同じ境遇の大切な人』だと、カルパッチョは言った。それは当然、覚えている。

 

「それを聞いた時・・・・・・俺はすごく嬉しかった」

 

 そして、アルデンテはもう一度カルパッチョに視線を戻して、そして多少の恥も飲み込んで、告げた。

 

 

「俺も、ひなのことは大切な人だと思っているから。その大切な人の力に、俺はなりたい」

 

 

 カルパッチョが、ほんの少しだけ、ハッとしたような表情を浮かべると、2人の間に風が吹いた。

 季節にしては涼やかな風が、アルデンテとカルパッチョの間を吹き抜けていき、地面に落ちた木の葉を軽く巻き上げる。

 風が止んだところで、カルパッチョは穏やかな笑みを、見ようによっては泣きそうにも見える笑顔をアルデンテに向けた。

 

「・・・・・・ありがとう、アルデンテ」

 

 

 

 その後、アルデンテはカルパッチョとアドレスを交換し、『何かあったらいつでも連絡してくれていい』と告げて、校舎へと戻ることにした。戻る途中で、皿洗いを終えたらしきジェラートとすれ違うが、挨拶も手短にアルデンテはすれ違って先へ進む。

 少し早歩きで屋台街を進み、やがて木陰のベンチに座って顔を押さえる。

 

「はぁ・・・・・・」

 

 ジェラートを渡された時に軽くカルパッチョと手が触れてしまって、アルデンテの胸はひどく高鳴った。握手をした時よりも遥かに緊張したのは、どうしてなのだろう。

 それは、前よりもアルデンテがカルパッチョのことをより意識するようになったからだ。

 

「・・・・・・・・・」

 

 カルパッチョが悩みや不安を打ち明けた時、アルデンテは『力になりたい』と迷うことなく告げた。その理由は自分で言ったように、カルパッチョが『大切な人』だからであって、その人の力になりたいと思ったからだ。

 力になりたい、という言葉にも、カルパッチョが大切な人だというアルデンテの認識にもにも嘘偽りはない。だが、なぜそこまでカルパッチョの力になろうとしたのだろう。

 それは、アルデンテがカルパッチョのことを『同じ境遇の親しい人』以上の存在であると思っているからだ。

 

「・・・・・・・・・」

 

 ここ数日でアルデンテは、自分の中に芽生え始めていたある気持ちを考えていた。

 最初にその気持ちの片鱗が見えたのは、カルパッチョと初めて会った日の夜。別れた後でカルパッチョとの出来事を鮮明に思い出していて、もしかして一目惚れでもしてしまったのではないかと思ったが、それは自分の性格じゃない、アンツィオで初めて自分と同じ境遇の人と出会えて浮かれているだけだと、否定した。

 その次の日に、アルデンテは屋台を開いて以来初めての値引きサービスを、カルパッチョに対して行った。その理由は、カルパッチョに対して良い印象を持ってもらいたかったからで、否定したはずの気持ちもだんだん確信へと変わりつつあった。

 

「・・・・・・・・・」

 

 だが、その気持ちもたった今、確信することができた。

 カルパッチョという少女を意識し、その人を『大切な人』と思い、その人の力になりたいと強く願う。

 それだけでなく、アルデンテはカルパッチョとの過ぎてしまった出来事を今も鮮明に思い出せる。彼女との時間は、アルデンテにとってはかけがえのないものとなっていた。

 それだけ、アルデンテはカルパッチョに惹かれていた。

 つまり、アルデンテは、カルパッチョのことが好きになっていたのだ。

 

 

 アルデンテが去った後も、私はあの人が去っていった方向を見つめていた。

 

「ひなちゃーん」

 

 すると視線の先から、ジェラートが手を振りながらこちらへ向かってきた。ペパロニの屋台での皿洗いを終えたのだろう。

 

「どうだった?アルデンテとのお話は」

 

 ジェラートがニコニコと不自然すぎるほどの笑みを浮かべながら、早速とばかりに聞いてくる。その意味ありげで、物知り顔の真意は掴めなかったけれど、私は答える。

 

「とても・・・楽しかった」

「・・・そかそか。それはよかった」

 

 ジェラートはそれだけ言って納得したように頷くと、客引きを再開した。昼休みは後30分も無いけれど、それでもギリギリまで営業はするつもりらしい。

 早速、観光客らしき男女2人がやってきて、ペスカ(イタリア語で桃)とチョコラータ(イタリア語でチョコレート)のジェラートを注文してくる。客の応対をジェラートに任せて、私はカップを2つ取り出しジェラートを盛り付ける。

 けれど私は、その間も先ほどアルデンテが言っていた言葉を考えていた。

 

『俺も、ひなのことは大切な人だと思っているから。その大切な人の力に、俺はなりたい』

 

 あの言葉が、ずっと私の頭から離れない。

 それが嫌ということはちっともなくて、むしろその逆。とても心地良い。

 ジェラートをお客に差し出して見送ったところで、私は自分の手を見る。さっき、アルデンテにジェラートを渡そうとした時、ほんの少しだけアルデンテに触れてしまった手だ。

 あの時は内心、すごくドキドキしていた。でも、どうしてドキドキしているのかはまだよく分かっていなかった。

 けれど、先ほどのアルデンテの言葉を聞いてから、私の心の中にぽっと浮かび上がった気持ちがある。

 その気持ちが何なのかを考えてみれば、ドキドキするのも仕方がないことだと思う。

 出会った時から、同じ境遇の人だと聞いて、私はアルデンテのことをその時から意識し始めていた。

 けれど、その『意識』の意味は途中からほんの少しだけ変わっていたのだ。

 『どんな人なのかが気になる』ではなくて、『異性として気になる』に変わっていたのだ。

 そして、最初に出会った日―――同じ境遇の人同士で話をして、アルデンテに『カルパッチョ』という名前を付けてもらった日の夜から、私はアルデンテのことを『異性として』意識しだしていた。

 この前、私にだけアルデンテがラザニアの値引きをしてくれたと知って、もしアルデンテが私に対してそう思っていたら、と淡い期待をしていたのも、やはりアルデンテのことを『異性として』意識していたからだろう。

 『異性として』アルデンテを意識しているからこそ、手が触れたことにドキドキしたのだと思う。

 つまり、そういうことなんだ。

 その、私の心の中にぽっと浮かび上がった気持ちの正体は。

 私から、アルデンテへの恋心だ。



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Carpaccio

carpaccio(カルパッチョ)[------]【男性名詞】
意:カルパッチョ(料理の名前)

あれやこれやと色々あって、
ブランクが開いてしまった上に低クオリティです。
誠に申し訳ございません。


 私がその子と初めて出会ったのは、小学生の時だ。いつもおどおどしていて、クラスの中では浮いている方だった私に声をかけてきてくれたのがきっかけだった。

 その子は私とは違って、いつも堂々としていて、自分の意見ははっきりと正直に言う、逞しい子だった。

 私にはないものを持っているからか、私はその子に対して友情はもちろん、憧れのような感情も抱くようになった。

 その子と知り合ってから、私も自分をどうにか変えたいと思って戦車道を始めて、さらに戦車道を学ぶことができる中学へと進学した。そこでその子とは学校が別々になってしまったけど、連絡はずっと取り合ってきていた。

 そして、今年の第63回戦車道全国高校生大会の2回戦で、私はその子と再会した。前もって聞いていたけど、その子も戦車道を始めたのは驚きだった。

 肝心の試合で、ある戦車のパーソナルマークが、その子がチャットで使っていたアイコンと同じだったことに気付いて、私はその戦車との一騎打ちを持ち掛けた。

 けれど、結果は相討ち。お互いの戦車は砲塔が回らず火力もほぼ互角だったから、装填のスピードで全てが決まる対決だった。

 試合の後の、アンツィオではお馴染みの食事会でその子とまた話をして、その子もまた装填手だったことが分かった。それで相討ちになってしまったのだから、私とその子の装填手としての腕もほぼ互角、ということだろう。

 私たちアンツィオは負けてしまって、少しだけ思うところはある。けれど、私としては全力で戦ったから悔いはないし、親しいその子とも再会して戦えたから中々楽しかった。

そして私は、その子とまた戦えることを願って握手をして。

 

「たかちゃんじゃないよ」

「え?」

「私は『カエサル』だ!」

 

 そう言ってその子―――カエサルは赤いマフラーを翻して、大洗の仲間たちの下へと行ってしまった。

 私は少しの間、カエサルの後姿を見つめる。

 彼女は歴史(特に古代ローマ)が好きで、それから大洗という新しい地で、同じ歴史好きの友達ができたという。そして、その友達と一緒に同じ戦車に乗っていたのだ。

 カエサルを含めて、その友達はお互いのことをそれぞれが尊敬する歴史上の偉人にまつわる名前―――ソウルネームで呼び合っている。そして、時に言い争いをする事があっても最後には仲直りをする。

 その関係は、アンツィオで少し浮いている私からすれば、少しだけ羨ましいものだ。

 

「・・・・・・そうね」

 

 彼女は、自らのことをソウルネームで名乗っている。堂々として、自分の意見ははっきりと言う彼女らしい。

 そして、そんな堂々とした逞しい姿に、私は憧れている。

 

「・・・・・・じゃあ」

 

 憧れているからこそ、その姿勢は見習いたい。

 だから。

 

「私は、『カルパッチョ』で」

 

 この『名前』を、名乗ろう。

 私が初めて恋をした、あの人がつけてくれたこの『名前』を名乗ろう。

 そして、少しずつでもいいから、変わっていきたい。

 

 

 

「そっか、負けちゃったか」

 

 全国大会から一夜明けた日の昼休み。今日も今日とてラザニアを作っては販売するアルデンテの屋台にアマレットが訪れていた。話題は昨日行われた全国大会での大洗女子学園との試合で、アマレットが告げた悲しい結果にペスカトーレがしょんぼりする。

 

「まあ善戦したと私は思うよ?相討ちだけどⅢ突は倒せたし。私の戦車はやられちゃったけど」

「大丈夫か?」

 

 アルデンテが、オーブンからラザニアを取り出して皿に盛りつけながら問いかける。戦車がやられたと聞いて、痛い目に合っていないかどうかがアルデンテも少し心配だった。

 

「大丈夫大丈夫、戦車の中は特殊カーボンでコーティングされてるから、中の人がケガしないようになってるし」

「そうなのか」

 

 ペスカトーレが初めての情報を聞いて頷く。やはり本物の戦争とは違って、戦車道は武芸であるから乗る人の安全もちゃんと考えられているのだろう。

 アルデンテもそれを聞いて安心したが、カルパッチョのことが気がかりでもあった。

 昨日の試合でアルデンテは、試合会場に直接行って応援することはできなかったけれど、それでも心の中で応援はしていた。

 しかしその結果は、アマレットの言った通り敗北。

 カルパッチョはアンツィオ戦車隊の副隊長だから、試合の結果を普通の隊員以上に深刻に受け止めなければならない立場にいる。

 だから、全国大会と言う大きな場での試合に負けたことで、カルパッチョが多かれ少なかれ責任を感じていることは確かだろう。

 アルデンテはカルパッチョに、何かあったら遠慮なく相談してほしいと言ったので、自分の中の不安や悔しさを1人で抱え込んでほしくないと思っている。しかし同時に、自分がそれを聞いたところでどんな助言ができるんだろうと、アルデンテ自身も不安になる。

 助言できるかどうかさえも分からないから、自分から『話してほしい』と言うこともできず、もやもやとした気持ちが頭の中で渦巻いていると。

 

「こんにちは」

 

 聞き覚えのある声がアルデンテの耳に滑り込んでくる。その声の主は、鮮やかな金色の髪と深い緑色の瞳が目を引く、カルパッチョだった。

 

「・・・やあ、ひな」

 

 アルデンテは、そのカルパッチョの姿を見ただけで、心の中に『嬉しい』とか『安心した』と言ったプラスの感情が湧き上がってくる。多幸感さえも抱く。

 それは、アルデンテがカルパッチョのことを好きだということに確信を持ったからだった。ただ自分の好きな人の姿を見ることができただけで、これほどまでに心が温まるとは。

 アルデンテはこれまで誰かを好きになったことが無かったから、初めての気持ちに少しばかり戸惑う。

 けれど、それは極力悟られないように平静を装って挨拶をする。

 

「試合、お疲れ様」

「ありがとう。負けちゃったけど・・・全力で戦ったから、後悔はしてないかな」

「そうか・・・・・・あ、ラザニア食べてくか?」

「・・・そうね、1つ貰おうかな」

 

 2人が話す様子を見て疑問を呈したのは、隣でペスカトーレと話をしていたアマレットだ。アルデンテたちが話をしているのはアマレットも前に見たことがあるが、その時はまだ他人行儀な感じがしていた。だが、今2人は結構砕けた様子で話をしている。

 

「あの2人、あんなに仲良かったっけ?」

「あー、それはな・・・」

 

 そこでペスカトーレが、アマレットに何かを耳打ちする。そしてアマレットは、何を吹き込まれたのか『ほっほーう?』と呟きながらにんまりとした笑みをアルデンテに向ける。

 当のアルデンテはそれに気づかず、カルパッチョから特別料金の200円を受け取って、ラザニアを渡す。普段は値下げなどしないアルデンテが正規料金よりも安い値段でカルパッチョにラザニアを提供したそれが、余計アマレットの興味を掻き立てる。

 そうしてカルパッチョが好物のラザニアを堪能してから少しすると。

 

「おお、カルパッチョ。ここにいたのか」

「アマレットもいるっすね」

 

 後ろから、女子の声が2人分聞こえてくる。

 アルデンテがそっちを見ると、そこにはアンツィオ高校の制服を着た2人の女生徒がいた。1人は灰緑色の髪を黒いリボンでツインテール状にし、さらにドリルのようにロールさせた特徴的な髪型の少女。もう1人は、黒髪で片方だけを三つ編みにしたおさげの少女。

 ドリルツインテールの少女が誰なのかは、アルデンテも知っている。彼女こそがアンツィオ戦車隊を率いる隊長であり、統帥(ドゥーチェ)の名でアンツィオの生徒たちから呼び親しまれている安斎千代美ことアンチョビだ。

 

「ドゥーチェ、ペパロニ」

 

 カルパッチョも2人に気付いて、挨拶をする。その挨拶でアルデンテも、おさげの少女の方がペパロニという少女だと分かった。そこから連鎖的に、彼女がカルパッチョが行っていた友達で、アンツィオ戦車隊のもう1人の副隊長でもあり、そして鉄板ナポリタン屋台の店主だということに気付く。

 

(・・・・・・ん?)

 

 するとここで、アルデンテの中に1つの違和感が生じる。

 だが、そんなアルデンテの中の違和感をよそに、ペスカトーレは真っ先に快活な挨拶を送る。

 

「アンチョビさん!こんなところで会えるなんて光栄っす!あ、自分は2年生のペスカトーレって言います!」

「ペスカトーレか。よろしく、アンチョビだ」

 

 ペスカトーレの日頃の客引きで身に着けた爽やかな笑顔と溌剌とした声に、アンチョビも笑顔で頷いて握手を交わす。続けて、ペパロニとも握手をしていた。

 

「私は副隊長のペパロニ!同じ2年生同士、よろしく!」

「おう、よろしく!」

 

 お互いに、威勢のいい挨拶を交わしているのを見て、この2人はすぐに仲良くなれそうだと、ペスカトーレとペパロニ以外のそこにいる全員が思った。

 そして、ペスカトーレとの挨拶が済めば、必然的にアンチョビとペパロニの視線が、カルパッチョと話をしていたアルデンテへと向けられる。俺も挨拶をするべきだな、とアルデンテはラグーをかき混ぜる手を止める。

 

「ドゥーチェ、ペパロニ。彼はアルデンテ、新しい私の友達よ」

 

 すると、先にカルパッチョから紹介されてしまった。自分から名乗ろうとしていたのだが、少し拍子抜けする。

 

「アルデンテ?何か変な名前っすね」

 

 率直な意見を述べるペパロニ。彼女はカルパッチョ曰く『まさにアンツィオ』な性格をしていると聞いていたから、彼女も結構ノリと勢いに任せて物を言うタイプなのだろう。そんなことを考えつつも、アルデンテは自分の名前の理由を答える。

 

「まあ、皆から性格が変わってるって言われて、この名前になった」

「へー。よろしくな、アルデンテ!」

「こちらこそ」

 

 ペパロニが納得したように相槌を打って右手を差し出す。アルデンテもそれに応じ、右手を差し出して握手を交わした。アルデンテもペパロニとは初対面だが、先のペスカトーレとの挨拶で大分砕けた様子だったし同じ2年生でもあるので、敢えてアルデンテも遠慮はしないで話すことにした。

 

「そうか、アルデンテっていうのか」

 

 ペパロニの隣でアンチョビがほうほうと頷いていたので、アルデンテはペパロニとの握手を解くとアンチョビの方へと向き直る。とはいえ、相手は年上でアンツィオの指導者のような存在だ。だから、相応の態度で挨拶をすることにした。

 

「初めまして、ドゥーチェ。お噂はかねがね」

「そんな堅苦しい挨拶なんてしなくていい。同じアンツィオの仲間だろ?」

 

 ところがアンチョビは、肩をすくめて苦笑しながらそう言った。そして朗らかに笑いながら、アルデンテに右手を差し出す。こういった飾らないところも人気の要因なんだろうなと思いながら、アルデンテも改めて右手を差し出し挨拶をする。

 

「初めまして、アンチョビさん。アルデンテです、よろしくお願いします」

「うん、よろしく!」

 

 固い握手を交わす2人。それを見て、ペスカトーレとアマレット、カルパッチョとペパロニが笑う。

 アルデンテとアンチョビが握手を解いたところで、カルパッチョがペパロニとアンチョビに話しかける。

 

「アルデンテは、私に『カルパッチョ』の名前を付けてくれたんです」

 

 カルパッチョのカミングアウトに、アンチョビとペパロニが『なんだって?』と言いたげにアルデンテのことを見る。アルデンテだって、自分から堂々と宣言する印象がないカルパッチョが自分からそれを明かすとは思わなかった。

 そして、さっき自分が抱いた違和感の正体に気付く。それは、カルパッチョが普通に周りから『副隊長』でも『ひな』でもなく、『カルパッチョ』と呼ばれたことだったのだ。

 だからたまらず、アルデンテはカルパッチョに聞いた。

 

「・・・大丈夫なのか?その名前を名乗って」

「うん、大丈夫」

 

 その問いに、カルパッチョは迷わず頷いた。そして、いつか見た穏やかな笑みをアルデンテに返す。

 

「昨日の試合の後で、私の幼馴染と会ったの」

「前に言ってた、親友の?」

「うん。その子は、私の憧れの人でもあってね。大洗で、歴史好きの友達同士でソウルネームで呼び合っていたの」

「ソウルネーム・・・」

 

 いきなりカッコよくもあるし同時に痛々しい感じもする言葉が出てきて、アルデンテも少し思考が躓く。

 

「私の『カルパッチョ』とか、あなたの『アルデンテ』と同じような名前。それを自分で堂々と名乗ってたの、その子は」

「へぇ・・・・・・」

 

 よく分からないが、その幼馴染の子もすごいとアルデンテは月並みな感想を抱く。

 

「逞しくて、堂々としているその子に私は憧れているから、私も名乗ろうって思ったの。あなたの付けてくれた『名前』を」

 

 アルデンテはその場にいなかったので、カルパッチョとその幼馴染がどんなやり取りをしたのかは知らない。けれど、その幼馴染との会話でカルパッチョが勇気づけられたのは事実だ。

 それならアルデンテは、あれやこれやと文句を付けたり追求したりもせず、その勇気を後押しするべきだ。

 

「・・・よかったな」

「うん」

 

 アルデンテの不器用な励ましの言葉にも、カルパッチョは笑って頷いてくれた。

 その2人の会話を、アンチョビは何やら神妙そうな面持ちで聞いていて、ペパロニは『そういやなんか話してたような・・・』とその時のことを思い出そうとしている。ペスカトーレとアマレットは、アルデンテとカルパッチョが微妙にいい感じの雰囲気になっているのを見てにやけるのを隠せなかったが、幸い当人たちは気付いていない。

 

「そっかそか。じゃあアルデンテはカルパッチョの名付け親ってことか」

「まあ・・・そういうことだな」

 

 名付け親、という表現は間違ってはいないが、それでも妙な気恥しさを覚える。

 

「でも、どうして『カルパッチョ』って名前を?」

 

 アンチョビから聞かれて、アルデンテはその理由を言うか言うまいか悩む。カルパッチョをチラッと見て『理由は言っても?』と聞くと、カルパッチョは頷き『大丈夫』と言外に言ってくれた。

 

「・・・カルパッチョは、アンツィオにしては結構珍しく冷静で、大人しい性格をしていまして。それで他の皆のような、イタリア料理で一般的な火を通す料理とは違う名前にしようと思ったんです。それで、火を通さないイタリア料理の中で、響きが個人的に可愛らしいと思った『カルパッチョ』にしたんです」

 

 アルデンテのその説明を聞いて、アンチョビもペパロニも、カルパッチョの性格に対して思うところがあったのか、『なるほど』と大きく頷いた。

 

「カルパッチョさんって、アルデンテと似てるんすよ。アルデンテもアンツィオの割に妙に落ち着いてるというか、周りに流されないっていうか、冷静で大人しい感じで」

 

 ペスカトーレが余計なことを吹き込んできたので、アルデンテはギロッとペスカトーレのことを睨む。が、ペスカトーレは即座に口笛を吹いて視線を逸らしどこ吹く風な態度をとった。隣に立つアマレットだってニヤニヤ笑っていて、アルデンテの味方をする意思は見せない。

 どころか、アマレットはさらなる追い打ちを仕掛けてきた。

 

「そう考えると、副隊長とアルデンテって、結構お似合いだよね~」

 

 それを聞いて、アルデンテは自分の顔が熱くなるのを感じた。それは決して、夏に近づく6月の気温のせいだとか、コンロの近くに立っているからだとか、そんな理由ではないのが分かる。

 単純に照れくさくて、恥ずかしいからだ。

 

「いいね!似た者同士でお似合いだ!」

「ぺ、ペパロニ?」

 

 ぱちんと指を鳴らし、何かを閃いたと体現するペパロニにカルパッチョが話しかけるが、そのペパロニはアルデンテを見ながらカルパッチョを指差す。

 

「アルデンテ、知ってるか?カルパッチョは美人だし、頭も良くって気遣いもできる、そんで料理も上手い良い子だよ~!」

「やめろペパロニ」

 

 やはりペパロニは、アンツィオ特有のノリと勢いに任せて物を言う傾向が強いらしい。

友達から見たカルパッチョの印象は確かに耳寄りではあるが、カルパッチョからすればこれは少々気まずいだろう。それを察したアンチョビが先んじてペパロニのおでこを鞭でぺちっと軽く叩く。ペパロニはそこで、『痛いっすね~』と大して痛くもなさそうに笑った。

 そして、それにつられてペスカトーレが調子に乗り出す。

 

「へぇ~。じゃあカルパッチョさん、ウチのアルデンテはどう?普段はぶっきらぼうだけどそこそこ顔は良いし、性格はまあ悪い奴じゃない。料理と勉強はピカイチで、おまけに将来―――」

 

 余計なことまで言おうとしたので、アルデンテは割と本気の拳骨をペスカトーレの頭に振り下ろして黙らせる。『うおぉ・・・』と呻きダウンしているペスカトーレの傍らで、アルデンテはカルパッチョたちに謝罪する。

 

「すみません、ウチの阿呆が騒ぎまして」

「いや・・・バカロニも迷惑をかけた」

 

 そのペパロニは、つまらなそうに頭の後ろで腕を組んでいる。

 ペパロニからすれば、恐らくは善意でカルパッチョの良いところをアルデンテに教えたのだろうが、それは本人のいるまで言うべきことではないと思う。

 カルパッチョがアンツィオらしい性格をしていれば笑って流すだろうが、彼女は普通のアンツィオ生とは違うのだ。だから、物事の感じ方も他と違う。

 カルパッチョは気を悪くしていないだろうかと、またしょげた顔をしているのではないかと不安になりながら、アルデンテは先ほどから黙りこくっているカルパッチョを見る。

 ところが。

 

 カルパッチョは、顔を赤く染めていて、ちらちらとアルデンテの様子を窺いながらも目線を合わせようとはせず、どこかもじもじとしていた。

 

 その姿を見て、アルデンテは何も言葉をかけることができなくなってしまった。何でそんな反応をするんだと、疑問に思ってしまう。

 それはアルデンテと同様に、カルパッチョもまたアルデンテに恋をしていることに気付いたばかりだからである。

 本当ならアルデンテと顔を合わせるのも恥ずかしくはあったが、それでもアルデンテと話をすると心が落ち着くから、ここへ来て話をせずにはいられなかった。

 ただ普通に話をしている分には恋心を強く意識することも無く済んだのだが、ペパロニやアマレットに囃し立てられて、それで否が応でもその『好き』という気持ちを意識せざるを得なくなってしまったのだ。

 一足先にラザニアを食べ終えたアマレットは、カルパッチョの様子が変わったことに気付いて『お?おお?』と嬉しそうな顔でアルデンテとカルパッチョのことを見比べている。

 アンチョビとペパロニも、空気が変わったことに気付いて2人のことを期待するような目で見ている。

 

「えっと・・・・・・」

 

 アルデンテもこのままの空気ではいたたまれないので、何か言葉をかけた方が良いと思った。だが、すっかり赤くなってしまっていたカルパッチョを見ると、その言葉さえも浮かばない。それに、うっかり下手なことを言ってしまえばアマレットかペパロニ辺りからまたからかわれそうだ。

 

「・・・私は、その・・・・・・」

 

 すると、今度はカルパッチョの方がぽつぽつと話し出した。視線はアルデンテとは合わせようとはせず、しかしチラチラとアルデンテの方を窺いながら、そして顔は赤いままだったが。

 そして、カルパッチョは視線だけをアルデンテに固定して。

 

 

「アルデンテのことは・・・嫌いじゃない、けど・・・・・・」

 

 

 アルデンテの呼吸が止まる。

 アンチョビの口がぽかんと開く。

 ペパロニの目が点になる。

 アマレットが『ほう・・・・・・』と興味深げに息を洩らす。

 ペスカトーレの呻き声が収まる。

 そしてカルパッチョは。

 

「あ・・・ご、ごめんね。変なこと言って、アルデンテ。それじゃ私、今日は失礼するわ」

 

 カルパッチョが挨拶も手短に、食べかけのラザニアを持ったままその場をそそくさと去って行ってしまった。アルデンテは、そのカルパッチョの後姿をただ見ていることしかできなかった。

 アンチョビは、先ほどのカルパッチョには劣るがそれでも顔を赤くして、さらには『うあぁ・・・』と声を洩らす。彼女以外のここにいる者は知らないが、アンチョビの趣味は恋愛小説を読むことだったりする。だからアンチョビも、他のアンツィオの生徒と同様に人の恋を応援するし、同時に他人の恋にも興味津々である。もっと言えば、自分も恋がしてみたいと思っていた。

 だからアンチョビは、アルデンテとカルパッチョの醸し出す甘い雰囲気を目の当たりにして、羨ましさや興味深さを抱いていた。

 だが同時に、この場にいる中での常識人もアルデンテを除けばアンチョビだった。だから、この何とも言えない空気を払拭しようと声を上げる。

 

「あ、あー!そ、そうだアルデンテ!私にもラザニアを1つ貰えないだろうか!」

「あ、はい。分かりました」

「私にも欲しい!」

「了解」

 

 アンチョビの計らいにアルデンテは内心でお礼を言って、アンチョビとペパロニから代金を貰ってラザニアを準備する。

 この時、普段のアルデンテであれば、アンチョビの様な人物から代金をいただくなど恐れ多くてできなかったはずだ。しかし、今のアルデンテも先のカルパッチョの発言に動揺してしまっていて、そこまで気が回らなかった。

 

「どうぞ」

「ありがとう、いただきます」

「いただきます!」

 

 アルデンテが2皿のラザニアを差し出すと、アンチョビとペパロニが挨拶をしてから躊躇いなくラザニアを食べる。瞬間、口を揃えて『美味い!』と言ってくれたので、アルデンテは『ありがとうございます』と返す。特にペパロニは、気に入ったのか食べるペースがアンチョビよりも早くて、食べ終えると『私も負けてらんねえや!』と空になった皿をアルデンテに渡して自分の持ち場の鉄板ナポリタン屋台へ戻っていった。

 アンチョビはゆっくりラザニアを味わって、食べ終えるとアルデンテに話しかける。

 

「ご馳走様、美味しかったぞ」

「それはどうも」

 

 アンチョビの様な人物から褒められて、アルデンテも恐縮とばかりに頭を下げる。

 

「・・・なあ、アルデンテ」

「はい?」

「さっきの話、の続きなんだが・・・・・・」

 

 そこでアンチョビが、少しだけアルデンテと距離を詰める。どうやら、他人に聞かれてはマズいことを話すつもりでいるらしい。

 

「『カルパッチョ』の名前を付けたと言ったな?」

「あ、はい・・・」

 

 改めてそう言われて、アルデンテは少したじろぐ。まさかその名前は、アンチョビのお気に召さなかったのだろうか。けれど、アンチョビの憂いを帯びた表情からして、どうもそうではないらしい。

 

「ちょっと、カルパッチョについて話しておきたいことがあってな」

「?」

 

 空になった皿をアルデンテに渡し、アルデンテはそれを足下のゴミ箱に放り込む。そして、アンチョビのことを見て話を聞く姿勢を取る。アマレットは、やっとダメージから回復したらしいペスカトーレとおしゃべりをしていた。

 

「カルパッチョは、お前も言ったようにアンツィオでも珍しく冷静で、大人しい子だ。だからこそ、ノリと勢いで突っ走りがちな我々アンツィオ戦車隊を冷静にまとめる副隊長になってもらったんだ」

「そうだったんですか・・・」

 

 カルパッチョからは副隊長になることができた経緯を詳しく聞いていなかったから、実力が認められたからだろうと思っていた。しかし、アンチョビからその経緯を詳しく聞いてアルデンテも驚く。実力もあったのだろうが、カルパッチョはその性格も買われていたのだ。

 

「でもな・・・やっぱりカルパッチョはああいう性格だからか、人一倍責任を感じやすいみたいなんだ。たまに憂鬱そうな顔をしてるのを、私はよく見る」

「・・・・・・・・・」

 

 アンチョビの悲痛を感じさせる表情を見て、アルデンテも自分の表情が暗くなっていくのが分かる。

 そしてアンチョビの言うことも分かる。カルパッチョは自分が周りとは違うことに苦悩していたのはアルデンテも当然知っているし、そこからカルパッチョも繊細な性格をしているんだろうとは思っていた。

 だから、アンチョビの話にも頷ける。

 

「けどここ最近は、カルパッチョがそんな表情をしているのもあまり見なくなった」

「?」

「その理由の一つは多分、アルデンテがあるんだと思う」

「え・・・・・・」

 

 アンチョビから名指しされて、アルデンテも少しばかり驚く。

 

「失礼かもしれないが、カルパッチョは多分同じような性格のお前に会えて、そして『名前』を付けてもらって、本当に安心しているんだし、嬉しいんだと思う」

「・・・・・・・・・」

「だから、戦車道でも憂鬱そうだったり不安そうな顔はしないで、明るく前向きになれたんだと、私は考えている」

 

 だから、とアンチョビはアルデンテとの距離を離して、そして小さく頭を下げた。

 

「勝手なお願いなのは分かっているが、これからもカルパッチョのことを支えていてほしい。私からのお願いだ」

 

 そのアンチョビからの願いに対するアルデンテの答えは、決まっていた。

 

「もちろんですよ」

 

 それは、アンツィオを代表するドゥーチェからのお願いだから、というわけではない。

 アルデンテは僅かに笑い、自分の決意を告げる。

 

 

「カルパッチョは俺にとっても、この学校で出会えた俺と同じ境遇の大切な人です。だから、カルパッチョの支えになれるのなら、俺は何だってやりますよ」

 

 

 その言葉に、アンチョビは僅かに動きを止める。

 だが、すぐに笑みを浮かべて。

 

「よく言った!」

 

 アルデンテの肩をバシッと叩く。

 そして最後には、また少し距離を詰めて周りに聞こえないように計らい。

 

「・・・応援してるからな」

「・・・ありがとうございます」

 

 何に対する応援なのかは、敢えて聞かないでおく。アルデンテが答えると、アンチョビは手を振りながらペパロニが去った方へと行ってしまった。

 

「「大切な人、ねぇ」」

 

 見事に揃った声にアルデンテが振り返ってみれば、そこにはニヤニヤと笑っているペスカトーレとアマレットのお気楽コンビ。

 

「なんだよ」

 

 若干不満げにアルデンテが問うと、アマレットが頭の後ろで腕を組みながら、アルデンテの物まねを披露してきた。

 

「『カルパッチョの支えになれるのなら、俺は何だってやりますよ』だってさぁ?くぅー!」

「いやぁ、すげぇなぁ。あのアルデンテがあそこまで言うなんて、変わったなぁ!」

 

 2人して盛り上がっているのがそこはかとなく面倒くさくて腹が立ったので、目元をひくつかせながらアルデンテは告げた。

 

「アマレット、割増料金貰うぞ」

「なんでさ!」

 

 アマレットの抗議を無視して、今度はペスカトーレに話しかける。

 

「ペスカトーレ」

「んー?」

「お前の好きな子、今ここでバラすぞ」

「そ、それだけは止めろ!頼む!」

 

 瞬間、ペスカトーレは血相を変えて割と本気の抵抗をしてきた。アマレットは何のことだか分からないようで、『?』な顔をしている。

 2人の反応を見て満足したアルデンテは、最後にペスカトーレに指を向ける。

 

「嫌なら仕事に戻れ、返事は?」

「Si!」

 

 敬礼をして客引きをするペスカトーレ。アマレットはアマレットで、『割増なんて御免だからね~』と、手をひらひらさせながら帰って行った。

 アルデンテは、2人のことを見て小さく息を吐く。

 

(それにしても・・・・・・)

 

 だが、アルデンテの頭には、先ほどのカルパッチョの言葉が今なお強く響いている。

 

『アルデンテのことは・・・嫌いじゃない、けど・・・・・・』

 

 あの言葉は、普通に考えればカルパッチョはアルデンテのことを悪くは思っていないという意味だ。アンチョビも言っていたように、自分と同じ境遇で、似たような性格のアルデンテに会えて安心しているのだから、その通りなのかもしれない。

 だが、あの言葉はちょっと考え方を変えれば、こうも取れる。

 アルデンテが好きだ、と。

 そこまで考えてアルデンテは、頭と心が一瞬で冷静になる。

 

(・・・自惚れ過ぎだ、バカ)

 

 額を小突き思考のスイッチを切り替えるアルデンテ。

 流石にそんなことを考えるのはまこと烏滸がましい。それに全て推測でしかないのだから、単なる妄想でしかない。

 下らないことは考えてないで、屋台に集中しようと思い、アルデンテは鍋の中のラグーをかき混ぜる作業に入った。

 

 

 

「はぁ・・・・・・」

 

 アルデンテの屋台から距離を取った私は、コロッセオの壁に背を預けて、大きく息を吐いた。コロッセオは石造りだから、壁も当然石を積み重ねてできている。その冷たい壁に背を預けて、夏前半の気温で暑くなっていた体がほんのわずかに冷えてくる。

 だけど、私の顔は熱いままだ。

 

(私・・・何てことを言ったのかしら・・・・・・)

 

 アルデンテのことは嫌いじゃない。

 それは紛れもない本心であったが、あんなことを、告白とも取れることをいきなり言われては、アルデンテだって困るだろうに。

 私らしくもなく、考え無しにあんなことを言ってしまった。

 

「はぁ・・・・・・」

 

 またしても溜め息を吐いてしまう。

 そこで、私の手にはまだラザニアの載った皿があることに今更気付いた。もちろん捨てるという選択肢は無いので、迷いなく食べる。

 出来立てから時間が経ってしまっていたので、少し冷めてしまっていたがそれでもまだほんのりと温かくて美味しかった。

 だが、その味と温かさを感じると、自然とこのラザニアを作ったアルデンテの顔まで浮かんでしまう。

 

「・・・・・・・・・」

 

 顔がまた熱くなってくる。ラザニアはそこまで熱くないのに。

 それだけ私の顔も、赤くなっているのだろう。

 私が、アルデンテのことが好きだと気付いたのは、何日か前のことだったのに、ここまで意識するようになってしまうなんて。

 

(これが・・・恋なんだ・・・・・・)

 

 まさか、自分をここまで変えてしまうとは。

 初めて抱いたこの気持ちに、私はほんの少しの恐ろしさを覚えた。




冒頭にも書きましたが、
ちょっと色々あって内容がおかしいかもしれません。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


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Appuntamento

appuntamento(アップンタメント)[appointment]【男性名詞】
意:(人と会う)約束、待ち合わせ、デート

筆者はグルメではないので、
味の表現はド下手です。
予めご了承ください。


 

『今度の日曜日に学園艦が寄港する港町に、美味しいイタリアンのお店があるみたいです。

 よろしければ、一緒に行きませんか?」

 

 アルデンテの携帯にカルパッチョからのそんなメールが届いたのは、全国大会から2日が経った金曜日の夜。男子寮の自室で風呂から上がり、今日出された課題を片付けようとしたところだった。

 そのメールを見たアルデンテはしばしの間沈黙し、このメールがどういう意味なのかを理解しようとした。そして、メールを見直すこと3回目で、このメールを送ってきた意図をようやく理解した。

 

(これは・・・・・・デートのお誘いか?)

 

 この世に生を受けて17年。女性からそんな誘いを受けるということはアルデンテにとっても初めてのことである。ましてや、その相手は生れてはじめて好きになった異性であるカルパッチョ。心躍らないはずがなく、断る道理もなかった。

 好きな人と休日一緒に出掛けるなんて、男なら誰もが一度は夢見るシチュエーションではなかろうか。

 自分らしくもなく、自分の中でテンションが急上昇しているのを実感しながらも、アルデンテは早速『もちろんです』とメールを返そうとする。

 だが、メールを送信する直前になって、アルデンテは冷静になった。

 

(・・・・・・大丈夫なのか?)

 

 大丈夫、というのはカルパッチョの状態が、である。

 カルパッチョが副隊長を務め、大洗女子学園と戦い、そして負けてしまった全国大会からまだ2日しか経っていない。

 カルパッチョは幼馴染―――カエサルというソウルネームらしい―――と話をして自信がつき、正式に自らを『カルパッチョ』と名乗るようになった。

 しかしそれでも、アンツィオが負けてしまったことに対するショックは、少なからずとも感じているだろう。それに、カルパッチョは副隊長というそれなりに上の立場である以上、責任も感じていることも十分あり得た。

 そしてそのショックや責任感は、1日2日で解消されるほどのものではないことは、戦車道履修生でも副隊長でもないアルデンテだって分かる。

 アルデンテが屋台を始めて間もない頃に、観光客らしきお客から『あまり美味しくない』と言われた時は、ショックのあまり3日ほど凹んだものだ。それほどの時間悩んだのは、アルデンテが真面目過ぎて評価を深刻に受け止めてすぎたからでもあるが。

 ともかく、カルパッチョはアルデンテと似たような性格をしている。だから、今回の敗北に対するショックや責任感を短期間で忘れることはできないだろうと、アルデンテは思っていた。

 そのタイミングでカルパッチョからこうして誘いが来たということは、恐らく自分に何か相談をしたいのだろうと、アルデンテは冷静に考え直した末に思い至った。

 

(・・・これは、デートじゃない)

 

 先ほどまで浮かれていた気持ちを押さえて、メールを打ち直す。誘われて嬉しいことは確かだが、それだけではなくカルパッチョが話をしやすいように、こちらも話を聞くつもりでいることを伝える。

 

『俺でよければ、ご一緒させてください。

 休みの日なので、ゆっくり過ごしましょう。

 お話も、よければ聞かせてください』

 

 送った直後で、少し直球過ぎたかなと自省したが、アルデンテはとりあえずペスカトーレに、次の日曜の屋台は休みだということをメールで伝えた。

 

 

 迎えた日曜日。待ち合わせの10分前に、アンツィオ高校の校門前にアルデンテは立っていた。アルデンテの服装は、深い青のポロシャツにグレーのカーゴパンツと、ごく一般的な男子高校生の佇まいだ。アンツィオ高校はファッションにもこだわりを持ってはいるが、アルデンテのようにそこまでファッションを追求しない生徒もいるにはいる。

 アルデンテは、カルパッチョとの待ち合わせの時間までの間、ショルダーバッグに入れていた『調理師免許』の本を読んでいる。

 するとアルデンテの耳に、何だか妙に響く靴音が聞こえてきたので、本を閉じてその音のする方を向く。その目に映ったのは、白のブラウスと青いフレアスカートを纏った、ドリルツインテールの少女がこちらに向かってきているところだった。

 

「アンチョビさん?」

「おお、アルデンテか。休日なのに珍しいな」

 

 その人物が誰なのかは独特の髪形で分かったので、アルデンテが先に声をかける。アルデンテの読み通りアンチョビが、片手を挙げて気さくに挨拶を返してくれた。

 

「友達と待ち合わせをしているので」

 

 誰と、とは言わない。カルパッチョが自分を誘ったことについては、口外しない方が良いとアルデンテは思っていた。

 というのも、恐らくは戦車道のことについてカルパッチョが相談を自分に持ちかけたことをアンチョビが知れば、アンチョビだって心配するであろうことは容易に想像できたからだ。この前、アンチョビはカルパッチョのことを心配していたことも分かっていたから、なおさらだ。

 

「そうか、奇遇だな。私も待ち合わせなんだ」

 

 アンチョビはアルデンテの回答に納得したようで、深入りはせずに頷いてくれた。

 そして、アルデンテの隣に立って、その待ち合わせをしている誰かのことを待つ。もしかしたらアンチョビの待ち合わせの相手は、友達や、あるいは彼氏なのかもしれない。

 アルデンテはそんな身にならないことを考えていたが、その予想は大きく外れた。

 

「アルデンテ、ドゥーチェ」

 

 耳に滑り込んでくる、忘れるはずのない澄んだ声。アルデンテがそちらを見れば、こちらに歩み寄ってくるカルパッチョの姿が目に入った。彼女は、水色のワンピースに白のアウターを羽織っている。

 

「ごめんなさい、待たせてしまって」

「いや、大丈夫だ。今来たところだから」

 

 ところが、カルパッチョの謝罪に答えたのはアンチョビ。そして、カルパッチョが最初にアルデンテとアンチョビ両者の名前を呼んでいたので、何かがちぐはぐだ。

 

「あれ、アンチョビさん?待ち合わせって・・・・・・」

「あ、言ってなかったな。カルパッチョと待ち合わせしていたんだ」

 

 思わずアンチョビに聞いてみると、アンチョビが『言い忘れてすまない』と言った感じの顔をするが、問題はそこではなかった。

 

「カルパッチョ、今日は一体・・・」

 

 次にアルデンテは、誘った張本人であるカルパッチョに聞いてみることにした。カルパッチョは、少し申し訳なさそうな表情を浮かべてアルデンテに顔を近づけて耳打ちする。

 

「ごめんね、言い忘れてたけど、今日はドゥーチェとペパロニも誘ってたの」

「ああ、そう言うこと・・・」

 

 カルパッチョはどうやら、あの食事のお誘いのメールをアルデンテだけに送ったわけではなかったようだ。

 アルデンテは少し、ほんの少しだけがっかりした。今日はデートではなく、恐らくは戦車道についての相談を受けるだけなのだとは思っていたが、それでも好きでいるカルパッチョと2人きりになれるのを心のどこかで望んでいたのだから。

 

「ん、アルデンテも一緒なのか?」

「ええ、まあ」

「なんだ、それならそうと言ってくれたらよかったのに」

「はぁ・・・すんません」

 

 アンチョビに言われて、アルデンテは曖昧な答えしか返せない。

 アルデンテが1人で勝手に内心落ち込んでいると、『おーい!』という呼び声と共にこちらへ駆けてくる少女の姿が見えた。イタリアの国旗が刺繍された青いTシャツに、七分丈のスキニーパンツに身を包んだその少女はペパロニだった。

 

「珍しいな、ペパロニが時間通りに来るなんて」

「そりゃひどいっすよ、姐さん。私だって、ちゃんと間に合うようにすることもあるっす」

「それを普段からするように心がけなさいよ・・・」

 

 アンチョビの言葉からして、ペパロニは大らかなアンツィオ生の例に漏れず時間にルーズなところがあったようだ。ペパロニが抗議するが、カルパッチョが少し呆れたように苦笑しながら注意していた。

 

「ん、アルデンテ?」

 

 ペパロニがアルデンテの姿を見て首を傾げる。アンチョビ同様、ペパロニもアルデンテが一緒なのは知らされていなかったらしい。

 

「私が誘ったのよ」

「ふーん。ま、飯は大勢で食った方が美味いし、いっか」

 

 カルパッチョの言葉に、にぱっと笑うペパロニ。その陽気な感じを見ると、彼女もやはりアンツィオの生徒だなと思う。

 

「それじゃ、そろそろ行こうか」

 

 時計を見てアンチョビが告げると、アルデンテとカルパッチョ、ペパロニが頷く。

 時刻は当初の待ち合わせ時刻の11時半。4人はアンツィオ高校の校門前から移動を始め、学園艦を降りる階段へと向かう。

 目指すは、今現在アンツィオ高校学園艦が寄港している港町で一番と噂のイタリアンのお店だ。

 

 

 カルパッチョが下調べをしていたそのイタリアンの店は、一軒家を改装した見た目小ぢんまりとしたお店だった。けれど、中に入ってみると調度品とテーブルの配置のおかげか結構広い感じがする。

 

「さて、何にしようかな」

 

 4人掛けのテーブル席に通されて、アルデンテとカルパッチョ、アンチョビとペパロニがそれぞれ隣同士で座る。アンチョビは実に楽しそうにメニューを広げて、ペパロニがアンチョビにひっつくように身を寄せて一緒にメニューを見る。

 一方アルデンテはもう1つのメニューを開くが、カルパッチョも読みやすいようにお互いん真ん中あたりにメニューを置く。カルパッチョは、そのアルデンテのさりげない気遣いが少しだけ胸に響いた。

 メニューを読み終えて、アンチョビはマルゲリータ、ペパロニはボロネーゼ、カルパッチョはラザニア、そしてアルデンテはヴォンゴレを注文した。さらに追加で、アンチョビは皆で分けることができるシーザーサラダも注文した。

 

「アンチョビさんは、ピッツァが好きなんですか?」

 

 注文し終えたアルデンテがアンチョビに聞くと、アンチョビは少し恥ずかしそうに目を逸らしながら笑う。

 

「いや、皆で食べたかったから・・・」

 

 どうやら、アンチョビは仲間想いなところがあるらしい。その言葉に真っ先に反応を示したのはペパロニだ。

 

「さっすが姐さんっす!私らのことも考えてくれるなんて感激っすよ!」

 

 アンチョビに抱き付くペパロニ。アンチョビは『やめろよー』と言いながらも満更でもないような顔をしている。店の中なので少しは静かにしてほしくもあったが。

 アルデンテは、アンチョビとペパロニの様子を尻目に改めて店内を見回す。

 天井に設置されたシーリングファンが回っており、壁の隅に掛けられたスピーカーからは静かなジャズが流れている。

 壁には、ここを訪れたであろう有名人のサインが書かれた色紙がいくつも飾られている。中には、アルデンテも知っている芸能人のサインも飾られていて、このお店がそれだけ有名で味も確かなのだと分かる。

 そこでアルデンテは、壁際に置かれている調度品の上に写真立てが置かれているのに気付く。そこに収められている写真には、この店の主人であろう男性が写っているが、背景は日本ではない。しかし、アルデンテにはどこか見覚えのあるような背景で・・・

 

「それは、主人がイタリアに修行に行った時に撮った写真ですよ」

 

 突然声をかけられて、アルデンテはびっくりする。だがその声の主は、先ほど注文を聴きに来ていた女性の店員。恐らく、写真を見ていたアルデンテが気になったのだろう。

 

「そ、そうでしたか・・・」

 

 急に声を掛けられたので、アルデンテは面食らう。だが、イタリアと言われてアルデンテは合点がいく。何か既視感があると思ったが、自分たちの暮らすアンツィオ高校学園艦が、同じイタリア風の街並みだったからだ。

 

「ご主人は、イタリアで料理の勉強を?」

 

 アルデンテの隣に座るカルパッチョが、興味深げに女性―――店の主人の妻に聞く。

 

「ええ、そうなんです。私が主人と結婚したのは、主人がイタリアから戻って半年ほど後なんですけどね」

 

 女性が、厨房で調理をしている主人のことを見ながら感慨深そうに主人との馴れ初めを簡単に話す。

 女性はこの店が開いた当初からその味に一目惚れし、弟子入りを志願したという。そして主人も自分の味を気に入ってくれたことを嬉しく思って弟子入りを認めて、一緒に店を切り盛り。次第にお互い惹かれ合って、遂には結婚したとのことだ。

 アンチョビはその話を聞きながら、『へぇ~』とか『いいなぁ』と相槌を打っていた。どうやら彼女も恋愛願望があるらしい。

 話し終えると、まず最初にシーザーサラダが届いた。レタスとクルトンと、ベーコン、その上に白いドレッシングとチーズがかけられていてとても美味しそうだ。

 アルデンテが先んじて取り分けようとするが、それよりも早くアンチョビがトングを手に取り4人分の取り皿に手際よく取り分ける。それに対して当然ながら、アルデンテたち3人はお礼を告げる。

 そして、揃って『いただきます』をしてから一口。

 

「美味いっす」

「うん、確かに」

 

 ペパロニとアンチョビが頷く。アルデンテとカルパッチョも小さく頷いてから、さらに一口食べる。チーズの甘さとレタスのシャキシャキとしか食感が癖になる。

 主人の妻はサラダを運び終えると厨房に入り、パスタのソースを準備し始める。一方で主人は、パスタを茹でながらも窯でピザを焼く。今更ながら本格的なピザ窯が設置されていることに気付き、アルデンテはすごいなと思う。

 メインの料理が来るまでの間、アルデンテたちはサラダを傍らに談笑に興じる。しかし、大体はアンチョビがアルデンテたちにこんな質問を投げかけてくる。

 

「授業の方はどうだ?」

「友達とは仲良くやってるか?」

「ちゃんとご飯を食べて温かい布団で寝てるか?」

 

 どこかお母さんらしさを感じさせる質問だ。アルデンテとカルパッチョは言葉に出さず『お母さんみたいだなぁ』と同じ印象を抱き、ペパロニは『おかーさんみたいっす!』と率直に告げてアンチョビを赤面させた。

 けれどアルデンテは、戦車道に関する話題は出さないようにした。

 今この場にいるのは、アンツィオ戦車隊を率いる統帥(ドゥーチェ)アンチョビと、それを支える2人の副隊長。いくらアンツィオ生でノリと勢いだけはあると言っても、この3人はアンツィオ戦車道に深く携わっているから、試合に関しても深刻に受け止めているだろう。

 だから、この和やかな食事のムードを戦車道の話題で壊すわけにはいかなかった。それに、自分は男で戦車道には疎いから、戦車道の話題を出すのも畑違いだ。

 なのでアルデンテはひたすら聞きに徹し、そしてアンチョビの説教じみた話が終わったところで、遂に4人の頼んだ料理がやってきた。中でも一番目を引いたのは、アンチョビの頼んだものだった。

 

「美味しそう・・・」

 

 アンチョビが、目の前に置かれたマルゲリータピザを見て声を洩らす。結構サイズが大きくて、女性が1人で食べるにはいささか量が多いと思う。

 他の3人が頼んだメニューも実に美味しそうで、特にアルデンテのヴォンゴレは、あさりとトマトの色合い、バランスがとても良い。それを見たペパロニも『私もそれにすればよかったなー』とぼやいていた。

 

『いただきます』

 

 4人は改めてもう一度手を合わせ、それぞれの料理に手を付ける。

 アルデンテはパスタをフォークで絡めとり、口に運ぶ。

 

「・・・美味い」

 

 鷹の爪のピリリとした辛さと、塩コショウのあっさりした味が相まって、全体的にさっぱりとした味がする。

 すぐにアルデンテは二口目に移り、それを食べ終えたところで、アンチョビがピザを一切れアルデンテの取り皿に分けてくれた。

 

「ほら、アルデンテ」

「どうも、アンチョビさん」

「礼には及ばん」

 

 アルデンテがお礼を告げると、アンチョビはニコッと笑う。アンチョビ自身も、自分の分のマルゲリータを食べて、『美味しい!』と顔を輝かせた。

 そこで。

 

「アルデンテ~」

「どうした?」

 

 ペパロニが話しかけてきたので、アルデンテはそちらに顔を向ける。

 

「一口でいいからちょーだい」

 

 ペパロニの頼みに、アルデンテは『そんなことか』と考えながら苦笑し、ペパロニの取り皿にヴォンゴレを分ける。もちろん、トマトとあさりも分けた。

 

「ほら」

「Grazie!」

 

 ペパロニはそれをすぐに食べて、『うーん、美味い!』と実に幸せそうに笑って頷く。

 

「よし、私の分もあげる」

「おお、悪いな」

 

 そう言いながら、アルデンテは自分の取り皿をペパロニに差し出す。

 だが、ペパロニは自分のフォークでボロネーゼを巻き取り、それをアルデンテの顔の前に差し出してきた。

 

「ほい、あーん」

 

(なんだと・・・・・・?)

 

 同性間でもキツイが、男女でこの行為に及ぶのは相当ハードルが高い。

 だが、ペパロニは特に恥じらいもせずアルデンテにフォークを差し出している。やはりペパロニは、『まさにアンツィオな性格』の通り、こういったことに関しては特に何の恥じらいも遠慮も感じない気さくな人物のようだ。

 つまり、今恥ずかしいと思っているのはアルデンテだけで、そう思うと馬鹿らしくなってくる。

 アルデンテは仕方なく、差し出されていたボロネーゼを口を開けて食べる。

 

「ん、こっちも美味いな」

「だろー?」

 

 ペパロニが得意げな笑みを浮かべる。やはり、ペパロニは恥ずかしさを感じていないようで、アルデンテはもうさっきのことは忘れようと思った。

 ところが、アルデンテの正面に座るアンチョビはなぜか顔が赤いし、隣に座るカルパッチョに至ってはジト目でアルデンテのことを見ている。特にカルパッチョの視線は妙に痛かったので、アルデンテはヴォンゴレを食すことでその視線から逃げることにする。

 だが、その視線がやはり気になってしまって、ヴォンゴレの味に集中することは叶わなかった。

 

 

 4人全員が料理を食べ終わり、口直しの御冷を飲んで一休みしてから、そろそろ店を出ようということになった。

 そこでアルデンテは財布の中を確認して、全額を払おうとした。

 

「女性に払わせるのも、男として格好がつかないので」

 

 多少の冗談を織り交ぜてそう言いながら伝票を掴むが、今度はその手首をアンチョビが掴んできた。

 

「いいや、後輩に払わせるなんてドゥーチェとして見過ごせない。ここは私が払おう」

 

 少しの間、アルデンテとアンチョビの間で睨み合いが発生する。しかし、アンチョビの真摯な視線を受けてアルデンテが先に折れてしまった。

 

「・・・ご馳走になります」

「うむ!」

 

 アルデンテの言葉に、アンチョビは嬉しそうに頷いてレジへと向かって行った。

 

「姐さん、奢るのが好きなんだよね~」

「そうね、私たちに財布を出させたことなんて一度も無いかな」

 

 会計を終えるのを待つアルデンテの横で、ペパロニとカルパッチョが支払いをするアンチョビを見ながらそう言う。それを聞いてアルデンテは、アンチョビは結構義理堅い人なんだなと思った。

 アンチョビが会計を終えて、店を出て時計を見れば今は13時過ぎ。このまま学園艦に戻るのも何だか面白くないので、せっかくの寄港と休日なのだしどこか見て回ろうとアンチョビが提案した。

 だが、そこでカルパッチョが動きを見せる。

 

「あ、すみませんドゥーチェ」

「どうした?」

 

 そしてカルパッチョは、即座にアルデンテの手を掴む。その突然のことに、アルデンテは驚く。

 

「アルデンテと約束をしていたので、少し外してもいいですか?」

「え?」

 

 声を上げたのはアルデンテ本人だ。そんな約束を交わした覚えはない。この前のメールも、結局はアンチョビとペパロニにも送っていたのだから、個人的な約束はしていないはずだ。

 だが、アンチョビは疑いもせず『大丈夫だぞ』と笑って許可した。アルデンテは未だどういうわけか分からなかったが、カルパッチョがアルデンテにだけ見えるようにウィンクをすると、そのアルデンテの手を引いてカルパッチョは港とは反対の方へと歩き出す。

 そのまま残ったのは、アンチョビとペパロニのみ。

 

「それにしても」

 

 遠ざかっていく2人の後姿を見ながら、アンチョビは顎に手をやり考える。

 

「カルパッチョとアルデンテ、2人だけで約束をするとは本当に仲が良いんだな」

「そっすねー。まあ似た者同士、ってのもあるんじゃないっすか?」

 

 ペパロニが頭の後ろで腕を組みながら、何の気なしに呟く。が、直後にピンと閃いた表情になった。

 

「もしかして、もう付き合ってたりして」

 

 アンチョビの肩が、ペパロニの言葉を聞いてビクッと震える。

 

「ま、まさか。そんな」

 

 アンチョビが慌てたように顔をわずかに赤らめて否定するように手を振る。

 ちょっと動揺したが、改めてアンチョビは2人の去って行った方を見つめる。

 

(あの時とは変わったな・・・・・・)

 

 アンチョビは、カルパッチョを副隊長に任命した時のことをふと思い出した。

 

 

 

「お前に、副隊長をやってもらいたい」

 

 アンチョビがそう言った時のカルパッチョは、自分の実力が認められたこと対する嬉しさと、自分に副隊長が務まるだろうかという不安の入り混じったような顔をしていた。

 その顔を見て以来、アンチョビはカルパッチョのことをできる限り気にかけてきた。副隊長に任命したのは自分で、だからこそカルパッチョのことを見守る責任があると思ってのことだ。

 副隊長になったカルパッチョは、ノリと勢いで皆の士気を上げてまとめる、アクセルのようなポジションの同じ副隊長のペパロニと違い、そのノリと勢いに流されがちな皆を冷静に、ブレーキのようなポジションでまとめていた。今ではその役目を確固たるものにして、アンチョビの片腕とも言える重要な存在になっている。

 しかしカルパッチョは時折、寂しそうな、憂鬱そうな顔をすることがあった。

 その理由は恐らく、静かで落ち着いた自分の性格が周りとは違うと分かっていて、その差に悩まされているからだろう。アンチョビ自身、カルパッチョの性格は知っての上で副隊長に任命したのだから、それは概ね予想ができた。

 しかしアンチョビは、それが分かったうえで自分に何ができるだろう、と自問自答し答えに詰まってしまう。

 何か美味しい料理を食べさせて気持ちを上向きにさせる、というのはその場しのぎにしかならず根本的な解決にはならないので、得策ではない。

 カルパッチョの悩みを直接聞いて負担を減らすという手もあったが、アンチョビ自身どちらかと言えばアンツィオ寄りの性格をしているという自覚はある。だから、悩みを聞いても一緒になってそれを解決したり、その不安や悩みを真に理解することもできそうになかった。

 どうしたものか、とアンチョビが悩んでいるところで、カルパッチョはアルデンテという少年と出会った。

 どうやら、アルデンテもカルパッチョと同じくアンツィオの生徒の割には落ち着いた性格をしているらしい。

 そして、カルパッチョが全国大会以降自らを『カルパッチョ』と名乗り始めたが、その名前はアルデンテに付けてもらったものだという。ということは、カルパッチョはアルデンテとも『話』をして、自分を取り巻く環境や自分の中の不安、悩みを聞いてもらって、さらには本当の意味で理解してもらえることができたのかもしれない。

 そんなアルデンテと出会えたからか、全国大会の大洗女子学園との試合の時に、カルパッチョはいつか見せていた悩みを抱えているような、不安そうな表情はしていなかった。代わりに、凛とした表情で、不安や恐れを感じさせず、立派に副隊長としての責務を全うしていた。

 試合の結果は負けてしまったが、カルパッチョは小学校以来の憧れでもある幼馴染と会って話をして、それで自分の中の不安や悩みは解消されたようだ。

 けれど、同じような境遇のアルデンテと出会わなければ、カルパッチョも今のように明るく振る舞うことはできず、今もまだ自分の中にある不安や葛藤と戦って暗い表情をしたままだっただろう。その状態で幼馴染と再会して勇気づけられたとしても、今のようにはならなかったに違いない。

 いわばアルデンテは、カルパッチョの生き方を、人生を変えた人物だ。統帥である自分にはできなかったことをやってのけた、アンチョビからすれば偉大な人物だ。

 誇張が過ぎたかとアンチョビは思うが、そう評価するに相応しい人物だとも思う。

 

 

 

(お前のおかげだな、アルデンテ)

 

 アンチョビは心の中でそう思う。

 

(・・・ありがとう、カルパッチョを助けてやってくれて)

 

 心の中で、アンチョビはアルデンテにお礼を言った。

 だが、そんなアンチョビのことなどつゆ知らず、ペパロニはお気楽に言った。

 

「姐さん、先越されたっすね」

「どういう意味だ?」

 

 ペパロニの脈絡のない言葉に、アンチョビは聞き返す。

 そしてペパロニは。

 

「だって、先に後輩の副隊長が彼氏持ちになっちゃって、自分は―――」

 

 そのペパロニの言葉はアンチョビの叫び声によってかき消された。



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Dialogo

dialogo(ディアーロゴ)[dialog]【男性名詞】
意:対話、対談、会話

軽度のスランプに陥って、
クオリティがおかしなことになっています。
あらかじめご承知おきください。


 カルパッチョに手を引かれ、アルデンテがやってきたのは親水公園だった。公園の中心には噴水が設けてあり、そこから川のように小さな水路が引かれている。その水路の脇には砂利が敷かれた緩やかな川辺のような場所があった。恐らくは、子供たちが遊びやすいようにするための工夫だろう。

 その水路の脇にある小路を、アルデンテとカルパッチョの2人は並んで歩いていた。

 カルパッチョの手は既にアルデンテから離されてはいるものの、2人の間に会話はない。

 いきなりカルパッチョに『約束をしていた』と言われ手を掴まれ連行された時は何事かと思ったが、いざこうして2人きりになってもカルパッチョは話をしてこない。

 カルパッチョは恐らく、アルデンテに何かしらの話をしたいと思ってわざわざアンチョビたちと別行動を取ったのだろう。それはアルデンテにも分かる。

 だが、アルデンテはカルパッチョを急かすようなことはしない。あくまでアルデンテは、カルパッチョの意思を尊重して、話をしてくれるのを待つだけだ。

 そんな風に、お互い黙って小路を歩く時間がどれだけ続いたか、やがてカルパッチョが口を開いた。

 

「ごめんね・・・アルデンテ」

 

 まずカルパッチョは、最初に謝ってきた。

 

「急にこんなところにまで連れてきちゃって・・・」

 

 確かに最初は驚いたが、それについて怒ってなどいない。むしろそれなりの理由があるのだろうと分かっていたから、アルデンテは笑って首を横に振った。

 

「気にしなくて大丈夫だ。カルパッチョも、何か話したいことがあったんだろ?」

 

 アルデンテが確認するような形でそう言うと、カルパッチョはどうしてか恥ずかしそうに顔をわずかに赤く染めて、また口ごもってしまう。まだ、すぐに話すのは難しいらしい。

 とりあえずアルデンテは、カルパッチョに丁度いいところにあったベンチに座るよう促した。さらに近くの自動販売機でオレンジジュースを2つ買い、1つをカルパッチョに差し出す。カルパッチョは『ありがとう』と言ってそれを受け取るが、プルタブを開けて飲みはせず、手に持ったままだ。アルデンテはそのカルパッチョの隣に座り、バッグを自分の脇に置く。

 腰を下ろしたことで緊張が少し解れたのだろうか、カルパッチョが口を開く。

 

「実は、アルデンテに少し・・・聞いてもらいたいことがあったの」

「?」

「戦車道のことで・・・少しね」

 

 ある程度、そんなことだろうというのは読めていた。この前のメールを受け取った時から、そうなのかもしれないと考えていたのだから。

 戦車道の話をするためとはいえ多少強引な形でアンチョビたちから距離を取ったのは、自分より年上で隊を率いる統帥(ドゥーチェ)アンチョビと、同じ副隊長で友達のペパロニに心配と迷惑をかけさせないためだろう。

 だが、どうして戦車道とは無縁のアルデンテにその話をしようとするのか。

 それはこの数日で、カルパッチョとアルデンテは同じような感性を抱き、また性格も似ていることは分かっている。だから、自分の抱えている悩みや不安を一番理解してくれるのは、そのアルデンテだとカルパッチョは思い至った。アルデンテはそう考えている。

 そして、それは別にアルデンテとしても問題はない。戦車道のことに関しては知識が無いためアドバイスは難しいが、話や愚痴を聞くことぐらいはできる。

 それに、カルパッチョがこうして話をしてくれるということは、それだけアルデンテが彼女にとって気の置けない親密な仲になれたということ、とアルデンテは思う。無意味にポジティブになるのはアルデンテはあまり好きではないが、ネガティブに考えてもマイナスにしかならない。

 

「迷惑だったり・・・する?」

 

 カルパッチョが確かめるように聞いてくる。

 だが、アルデンテは。

 

「いや、そうは思わない」

 

 優しく否定する。

 その言葉を聞いてカルパッチョは安心したらしく、手の中のオレンジジュース缶のプルタブを開けて一口飲む。アルデンテも同じく缶を開けてオレンジジュースを一口飲む。

 そして、一息ついてから、カルパッチョは言葉を選ぶように話し出した。

 

「この前の、大洗との試合で・・・・・・」

 

 

 

 カルパッチョから、アルデンテは試合についてのことを大まかに教えてもらった。

 アンツィオ戦車隊は、試合会場の山の中で戦車が描かれた看板を使って大洗戦車隊を一か所に足止めし、背後から回り込んで包囲するという作戦に出た。

 カルパッチョはセモヴェンテに搭乗し、アンチョビの乗るフラッグ車のP40の護衛を務め、さらにその作戦―――マカロニ作戦の指示を出していた。実際に作戦を遂行したのは、CV33部隊を引き連れ、自分もまた同じCV33に乗っているペパロニだと言う。

 しかしそのペパロニは、当初設置する予定の看板に加えて予備のものまで余分に置いてしまったのだ。それで、戦車の数がレギュレーションを越えたことに疑問を抱いた大洗側が作戦に感づいてしまい、マカロニ作戦は失敗に終わってしまった。

 その結果、アンツィオ側は数の上では有利なものの、性能面では不利であるのにもかかわらず、大洗との正面からの交戦を余儀なくされてしまった。

 カルパッチョのセモヴェンテは、幼馴染のカエサルが乗るⅢ号突撃砲と交戦。だが、その間にフラッグ車のP40は相手のⅣ号戦車に撃破されて敗北。カルパッチョのセモヴェンテも、結局はⅢ突と相討ちになってしまった。

 看板を使う欺瞞作戦も認められるとは、戦車道の試合も中々奥が深いな、とアルデンテは頭の隅っこで思った。

 

 

 

「・・・・・・そのマカロニ作戦、ドゥーチェとペパロニ、そして私で考えた作戦なの」

「そうなのか」

「うん・・・。だから、今回の作戦が失敗したのも、ペパロニが全部悪いとは思ってない。責任は、その作戦を一緒に考えて、実際に指示を出した私にだってあると思う」

 

 膝の上で小さく手を握るカルパッチョを見てアルデンテは、カルパッチョは真面目なのだな、と思う。

 アルデンテもそうだが、全くの事情を知らない一般人がその話を聞けば、主にペパロニが悪いと思うことがほとんどだろう。何せ、作戦を考えた身でありながら、その作戦をミスしてしまったのだから。実際、これにはあのアンチョビもご立腹だったらしく、無線越しに大声で『アホ』と言い放ったらしい。

 

「まあ・・・アンツィオらしい失敗だとは思うが・・・」

 

 アルデンテがフォローするように言うが、それでもカルパッチョの表情は晴れない。小さく握られた手も解かれない。

 

「でも・・・もっと他にやりようがあったと思う。予備を少なくするとか、忘れないように戦車の中にメモを貼るとか・・・・・・作戦を間違えないようにする方法は、いくらでもあったはずなのに・・・」

 

 缶を握るカルパッチョの手に、小さく力が入る。

 

「もっと、私がしっかりしていれば、ああならなかったって思うと、悔しくて・・・」

 

 カルパッチョの肩が小さく震えている。作戦を成功させることができなかったことに対する後悔や、情けなさ、さらには自分に対する怒りを覚えているのだろう。

 アルデンテは、そんなカルパッチョの肩に優しく手を置いた。カルパッチョは、少し驚いたように肩を震わせて、アルデンテの方を見る。

 

「・・・・・・やっぱり、俺は男で、戦車には乗れないからどうこう言えないけど・・・」

 

 断りを入れてから、アルデンテはカルパッチョに優しく話しかける。

 

 

「カルパッチョは優しいよ。それだけは言える」

 

 

 カルパッチョは、キョトンとした顔でアルデンテのことを見返す。

 言葉の意図が分からない、どうしてそんな結論に至ったのか、とその表情は雄弁に語っている。

 

「あくまで部外者として言わせてもらうと、作戦が失敗した主な原因はカルパッチョじゃない。ペパロニのことを悪く言うつもりはないが、大きな原因はペパロニにあると思う。でも、カルパッチョはペパロニを責めないで、自分も悪いって考えてる」

 

 カルパッチョから目をそらさず、アルデンテは続ける。

 

「失敗を他人のせいにしないで、素直に自分も悪いと思っている・・・そう認めたカルパッチョは優しいんだと、俺は素直に思った」

 

 そして、アルデンテはカルパッチョの肩から手を離す。

 

「失敗を忘れようとしないで深く反省しているのも、真面目だと思う」

「・・・・・・・・・」

 

 カルパッチョが呆けたような顔をしているので、アルデンテは少し出しゃばり過ぎたと気付いた。

 

「あ、これはあくまで俺みたいな一般人の意見だから、それが正しいとは言えないけど・・・」

「ううん」

 

 だが、カルパッチョはアルデンテの弁解を遮って首を横に振る。

 

「そう言ってくれて、嬉しい」

 

 カルパッチョは、視線をアルデンテから目の前を流れる水路に移す。穏やかな水の流れは先ほどとは変わっていない。

 

「・・・・・・どうして、その戦車道の話を俺に話そうとしたんだ?」

 

 その理由は、大方予想はできている。

 けれど、その理由をカルパッチョの口から聞いておきたかった。

 

「・・・私と境遇や性格が似ているあなたになら、自然と全部を話せるような気がしたから」

「・・・・・・・・・」

「少しだけでも、誰かに話したくて・・・そうしないと自分を保てそうになかったから・・・」

 

 その理由は、アルデンテの予想していた答えだった。

 カルパッチョは、言った直後にアルデンテの方を向いて頭を下げる。

 

「ごめんなさい、こんな勝手な理由で話して・・・」

「いや、気にしなくていい」

 

 アルデンテは、その理由を聞いて不快な気持ちになったわけではない。

 その逆の気持ちになれたことを、本心をアルデンテは告げることにした。

 

「むしろ、カルパッチョがそう言う本心を告げる相手に俺を選んでくれたことが、嬉しい」

「え?」

 

 カルパッチョからの視線を一層強く感じて、アルデンテは天を仰ぐ。

 あんなことを言ってしまったのだから、その理由を聞くまでカルパッチョは納得しないだろう。

 しかし、その本心を包み隠さず話すとなれば、自分らしくもなくクサいことを言ってしまうだろうことが予想できる。

 だが、それだけ言って何も言わないというのもまた格好がつかない。

 だから、多少の恥は忍んでその本心を言うことにした。

 

「それだけ・・・カルパッチョが俺のことを信頼してくれているってことだと、思うから・・・」

 

 言っていてすごく恥ずかしい。カルパッチョの顔など見ることもできない。だから、思わず顔を逸らしてしまった。

 

「・・・・・・・・・」

 

 そのカルパッチョも、顔を赤くして視線を手の中にあるオレンジジュースの缶に落としていた。

 

「・・・変なこと言って、ゴメン」

「大丈夫・・・」

 

 先にアルデンテは謝るが、それでも妙な雰囲気は拭えない。

 アルデンテはオレンジジュースを呷るが、この雰囲気をどうにかしたかった。

 何か手はないかと悩むが、そこでアルデンテの脇に置いてあったショルダーバッグがずり落ちて、中身が地面に散乱する。

 

「『調理師免許』・・・?」

 

 アルデンテが中身を拾おうとするが、そこでカルパッチョがバッグから出てきた本を拾い上げて、そのタイトルを口にする。アルデンテは『しまった』と思ったが、もう手遅れだ。

 

「アルデンテ・・・・・・調理師を目指してるの?」

 

 カルパッチョは先ほどまでの恥ずかしさを忘れて、アルデンテに向かって問いかける。アルデンテは頭を少し掻いて考えてから、ずっと言わなかった自分の夢、そしてアンツィオに来たもう1つの理由を話すことに決めた。

 

「将来な・・・・・・そうなりたいと思ってる」

「そうなんだ・・・・・・」

 

 どうやらカルパッチョは、その理由にも興味があるようで、まだアルデンテから目線を逸らそうとはしていない。

 

「俺がアンツィオに来たのには理由が2つあって、1つは前言ったように、自分の性格を変えたかったから」

 

 アルデンテは落ちたバッグの中身を全て回収し、そして残ったオレンジジュースを飲み切る。

 

「それともう1つは、料理人を目指すためだ」

 

 アルデンテは、視線を穏やかに流れる水路に向ける。水路の向こう岸の小路を子供連れの母親らしき女性が歩いている。しかし、その女性も子供も、対岸のベンチに座るアルデンテとカルパッチョには目もくれず歩いていく。

 

「最初に料理を作ったのは今よりずっと小さい頃・・・小学生ぐらいの時。一品だけ作った料理が家族から『美味しい』って言われて、それがすごい嬉しくって、気付けば料理が趣味になってた。で、いつか料理人になるんだって将来の夢が決まった」

 

 その夢が決まった時の、自分の中に芽生えた希望や嬉しさ、目的を成し遂げようとする決意を思い出して、アルデンテは小さく笑う。

 

「アンツィオは料理の授業が多くて、それに自主的に屋台を開くことができるって話を聞いた。だから、性格を変えるだけじゃなくて、料理の腕を上げるために、アンツィオに来たんだ」

 

 カルパッチョから『調理師免許』の本を受け取り、それもバッグに仕舞う。

 

「将来は、そうだな・・・・・・今日行ったあのイタリアンのお店みたいな、小さな店を開きたいと思ってる」

 

 そこまで言って、ペラペラ1人でしゃべり過ぎたと自省する。場の雰囲気に流され過ぎて、将来の夢まで明かしてしまった。

 

「・・・って、1人で喋り過ぎた。悪い」

「気にしないで」

 

 考えてみれば、アルデンテが将来の夢を―――小さな店を開きたいと話したのは、家族と、親友のペスカトーレぐらいだった。

 アルデンテの中で、料理人になって店を開くという夢は、不安定と認識していた。実現する可能性はゼロではないが低い。そんな夢をぺらぺらと語って実現しなければ、その夢を聞いた人は落胆するだろうから。

 だから、アルデンテはこの夢をあまり人には話してこなかった。

 しかし、今カルパッチョにその夢を話してしまったのは、調理師免許の本を見られて隠し通すことができないと悟ったからだ。

 それと共に、カルパッチョには自分の全てを知ってほしいという心理が働いてしまったのもある。

 

「そうなんだ・・・料理人に・・・」

 

 カルパッチョがアルデンテの夢を聞いて、何を思っているのかは分からない。

 彼女の目は、穏やかな水路に向けられていたが、やがてアルデンテの方を見て、そして安らかな笑みを見せてくれた。

 

「頑張って、アルデンテ。私は、あなたならその夢を実現できると思うわ」

 

 シンプルで、それでいて心に響く真っ当な応援を受けて、アルデンテもつられるように笑い、そして頷く。

 

「・・・ありがとう」

 

 カルパッチョの応援してくれる気持ちを無駄にしないためにも、この夢は絶対叶えなければ、とアルデンテは胸の中で決意を新たにした。

 一方でカルパッチョは、夢を語ったアルデンテを見て、1つだけ言わなければならないことができてしまった。

 

「・・・あのね、アルデンテ」

「ん?」

 

 残っていたオレンジジュースを飲み干したカルパッチョは、少しだけ恥ずかしそうに話を切り出す。

 

「今日、実は・・・」

「?」

 

 既に中身は全て飲み終えた缶に視線を落とすカルパッチョ。

 アルデンテは、何も言わずに言葉の続きを待つが、そのカルパッチョの顔がわずかに紅く染まっていることに気付く。一体、どうしたんだとアルデンテが少しだけ心配し始めたところで。

 

「・・・最初は、ドゥーチェとペパロニは誘わないで、私とあなたの2人だけであのお店に行こうと思っていたの」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」

 

 予想外の告白に、アルデンテが声を洩らす。恐らく今の自分の顔は、みっともないぐらいに口が開かれていて、目も真ん丸に見開かれているだろう。

 

「でも、2人だけで出かけるって思うと、恥ずかしくなっちゃって。それってなんだか・・・・・・」

 

 カルパッチョが、チラッとアルデンテの顔を見る。やはりカルパッチョの顔は、赤くなっていた。

 

 

「デート、みたいで・・・・・・」

 

 

 アルデンテが、ハッとしたような表情になって、すぐにカルパッチョから視線を逸らして、水路を見る。カルパッチョも同じ方を向いた。

 自分とアルデンテの2人だけで出かけるのがデートのようで、それが恥ずかしかったから、カルパッチョはアンチョビとペパロニも誘ったのだ。

 自分とアルデンテは『まだ』そう言う関係ではないから、2人だけというのが無性に恥ずかしく思えてしまい、またアルデンテももしかしたら迷惑と思っているんじゃないかと、不安になったのだ。

 だからアンチョビたちも誘ったのだが、カルパッチョは先ほど夢を語るアルデンテを見て、それを隠し通すことに妙な罪悪感を覚えてしまった。

 それで、どうして誘ったのかを正直に白状した。

 けど、これもまた恥ずかしい。

 

「「・・・・・・・・・・・・」」

 

 またしても気まずい沈黙が2人の間に訪れるが、先にその沈黙を脱したのはアルデンテ。ショルダーバッグを肩に提げ、そして先に立ちあがって。

 

「・・・・・・そろそろ、戻ろうか」

 

 カルパッチョを見て、そう言った。その顔は、太陽の逆光でよくは見えなかったけど、赤くなっているようにカルパッチョは見えた。

 

「・・・うん」

 

 カルパッチョも立ち上がる。そしてアルデンテは空になった缶をカルパッチョから受け取り、自分のものと合わせてごみ箱に捨てると、水路に沿った小路を公園の出口に向かって歩き出す。

 もちろん、アルデンテとカルパッチョは隣同士で歩いていた。

 

「「・・・・・・・・・・・・」」

 

 先ほどのカルパッチョの『デートみたい』という言葉を意識してしまって、お互いに顔を合わせることも、言葉を交わすこともできなくなってしまう。

 私服姿で同い年ぐらいの男女2人が並んで歩いている今の状況は、客観的に見ればデートと捉えられるかもしれない。

 それに気づいたアルデンテは余計に恥ずかしく、気まずくなってしまい、この空気をどうにかしようと考えて意を決してカルパッチョに話しかけることにした。

 

「・・・・・・カルパッチョ」

「・・・・・・なに?」

 

 話題を探す。まずアルデンテの目に入るのは、当然ながらカルパッチョの姿。そして次には、その服が目につく。

 

「本当に、本当に今更だけど・・・・・・その服」

「?」

「すごく、可愛い」

 

 見たままの感想を、今日初めてその姿を見た時の感想を述べたのだが、言った直後でアルデンテは『バカなことを言ってしまった』と後悔する。確かにカルパッチョの服は可愛いが、今言うべきではなかっただろう、せめて会った時に言うべきだっただろう、と。

 カルパッチョの顔は一気に赤くなってしまい、気まずい空気がより濃くなってしまった。

 何を言っても気まずい空気になってしまいそうだと思ったアルデンテは、もう何も言うまいと口を閉ざしてしまった。カルパッチョも、先ほどのアルデンテの唐突な褒め言葉に動揺したのか、何も言葉を発しない。

 そして2人は、黙々と歩き続けることしかできなくなった。

 だがその途中で、カルパッチョの手が隣を歩くアルデンテの手と不意に触れてしまった。

 指先がほんの少し触れた程度だったのだが、熱い鍋に触れた時のようにカルパッチョは素早く手を引っ込める。一方でアルデンテは、その触れてしまった手を見て、さらにカルパッチョを見て、そしてまた恥ずかしくなったのか足下に視線を落とす。

 だがカルパッチョは、手がわずかに触れてしまって、胸の内に『もっとアルデンテに触れていたい』という想いが込み上げてきてしまった。

 その想いに抗えず、カルパッチョはアルデンテの左手を優しく握る。握ってしまう。

 

「・・・・・・っ」

 

 アルデンテがびっくりしたようにカルパッチョを見るが、カルパッチョもいっぱいいっぱいだった。カルパッチョは、前を向いて歩いたまま口を開く。

 

「嫌だったら・・・迷惑だったら、離していいから。振りほどいていいから」

 

 だが、カルパッチョの言葉を聞いても、アルデンテは手を離そうとはせず、むしろその手を握り返す。それに驚き、カルパッチョはアルデンテのことを見る。

 アルデンテは少し恥ずかしそうに目の下が薄く赤く染まっているが、それでも静かに笑ってカルパッチョを見て告げた。

 

「・・・嫌なんかじゃない」

 

 

 

 アンチョビ、ペパロニと合流したのは、港近くの噴水広場だ。

 だがアンチョビたちは、アルデンテとカルパッチョの2人が手を繋いで向かってきたのを見て、目の玉が飛び出るほど驚いていた。

 

「お、お前たち・・・まさかそこまで進展していたのかっ!?」

 

 アンチョビが指差して尋ねると、そこでアルデンテとカルパッチョはようやく手を離す。そしてお互い恥ずかしくなって、アンチョビやペパロニに顔を向けられない。

 

「アツアツだねー」

 

 ペパロニが、目線を逸らすアルデンテたちに追い打ちをかけるが、アルデンテもそう見えても仕方がないと思っていたので、反論できない。

 カルパッチョはと言えば、先ほどまでアルデンテと繋いでいた手を愛おしそうに握っていて、瞳が海のように揺れている。

 

「アルデンテ、ちょっと来い」

 

 そこでアンチョビが、何を思ったのかアルデンテを手招きして、噴水の裏側まで誘導する。そして、恐らくカルパッチョたちに声が聞こえないであろう距離まで来たところで、アンチョビがアルデンテに向けて人差し指を突きつける。

 

「何ですか?アンチョビさん」

「・・・まだ、気が早いとは思うが・・・・・・」

 

 アンチョビの表情は真剣そのもの。一体、何を言われるのだろうか。

 

「・・・・・・お前とカルパッチョが、どんな関係なのかは分からない。けど、それなりに親しい関係だってことは、私にも分かる」

「・・・・・・」

「だから・・・・・・カルパッチョを泣かせたりしたら、絶対に許さないからな」

 

 アンチョビがそう告げて、アルデンテも目を閉じる。

 アンチョビも、カルパッチョのことを心配していたのだ。それは自分がカルパッチョのことを副隊長に任命したからであるし、同じ戦車隊の仲間でもあるからだろう。

 そして、その言葉に対するアルデンテの答えは、もちろん決まっていた。

 その答えを、アンチョビの目を真っ直ぐに据えて、そして小さな笑みと共に答える。

 

「・・・もちろんです、ドゥーチェ」

 



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Amico

amico(アミーコ)[friend]【名詞】
意:友達、仲良し、支持者


 

「おはよー・・・」

 

 朝、眠そうな挨拶をしながらペスカトーレが教室にやってきた。

 アルデンテは、机に向かって課題を確認しながらも、ペスカトーレの方は見ずに『おう』と挨拶をする。ペスカトーレは、アルデンテの隣の自分の席に座り、あくびを1つ洩らす。

 そんな眠気が引いていない様子のペスカトーレに、アルデンテは話しかける。

 

「今日の屋台は忙しくなるぞ」

「え、どうして?」

 

 ペスカトーレが急に話しかけられて、首を傾げる。

 

「今日は戦車道の履修生が全員本土に行ってて、屋台の半分ぐらいは休みだからな」

 

 アルデンテに言われて、ペスカトーレは教室を見回す。確かに、もうすぐホームルームが始まるというのに、若干空席が目立つ。いつもならこの時間には教室に来ているアマレットの姿も無い。

 どうやら、アルデンテの言う通り、今日は本当に戦車道履修生は揃って欠席らしい。

 

「なんで本土に?」

「全国大会で、大洗女子学園の試合を応援しに行くんだと」

「大洗の?」

「アンチョビさんが『戦いを見届けたい』って言ったらしい」

 

 カルパッチョから聞いた話によれば、アンツィオ戦車隊は戦車道の試合終了後に、試合に携わった選手とスタッフを労うために食事会を開く仕来りがあるらしい。例え、その試合でアンツィオが負けてしまっても。

 当然、今回の全国大会で戦った大洗女子学園ともその食事会は行った。

 しかし、大洗女子学園を率いていたのは西住流という由緒ある戦車乗りの流派の娘・西住みほ。アンツィオ戦車隊はこれまでそのような人物が率いるチームと試合をしたことが無かったので、今回の試合もアンツィオにとっては貴重な経験となった。

 さらにその西住みほは、勝っても奢ることは決してなく、砲火を交えた相手に対しては純粋な尊敬と称賛を示す、とても心優しい人物だった。

 さらに、大洗の戦力は(アンツィオが言えたことではないが)十分とは言い難いにもかかわらず、戦車道四強校の一角であるサンダースを破った。その戦い方は、数が多いものの同じく戦力が不十分と言えるアンツィオ戦車隊も見習うべきところがある。

 だからアンツィオ戦車隊は、戦車道の様々な面において見習うべきところがある大洗女子学園を全力で応援させてもらうと宣言し、明日の決勝戦の応援に行くことを決めたのだ。

 これらのことは、全てアンチョビから話を受けたカルパッチョから聞いた話であり、アルデンテからすれば又聞きである。けれど、ペスカトーレに何も説明しないというのは気が引けたので、簡単に説明をした。

 説明を聞き終えたペスカトーレは、一応は理解したのだろうがそれでも解せない点があるようで、それを聞いてきた。

 

「どこでそんな話を?」

「カルパッチョから―――あ」

 

 アルデンテは素直に答えてしまったが、その直後に後悔した。ペスカトーレが、実に面白いおもちゃを見つけた子供のように『おっ』と嬉しそうな顔をしているのだから。

 

「へえ~、お前ホントにカルパッチョさんと仲良いんだな~、へえ~」

 

 ペスカトーレの茶化す気満々な言葉に、アルデンテは小さく舌打ちをして課題のノートに視線を落として無視をしようとする。

 

「ねぇどんな気持ち?愛しのカルパッチョさんに会えないのってどんな気持ち?」

 

 課題のノートを読むアルデンテの横から、明らかに小ばかにしている声が聞こえてくる。つくづくこいつは人を茶化すことに長けているとアルデンテは痛感する。

 

「愛しのとか言うなバカ」

 

 アルデンテはそこを否定する。

 確かにアルデンテは、カルパッチョのことが好きでいる。それにもう狂いはない。

 だが、それを吹聴することはしない。それに人に聞かれたくもない。恥ずかしいし、告白してフラれた時のショックが大きすぎる。さらに周りが同調して煽ってくるのも分かっていたからだ。

 しかし。

 

「俺が気付いていないと思ったか?」

 

 その言葉は、なぜかふざけた様子もない真剣なトーンだった。思わずアルデンテは、ペスカトーレを見る。

 その表情は、飄々とした笑顔でありながらも、その目は真剣だ。正直言って、こんな表情は見たことが無い。

 そして顔を近づけて、周りには聞こえないような声量で告げる。

 

「あの人のこと、好きなんだろ?」

 

 その初めて見るペスカトーレの表情から真剣さが伝わってきて、アルデンテも観念する。

 

「・・・・・・気付いてたのか」

「お前がラザニアを50万リラもまけた時からな」

 

 カルパッチョと初めて会った日の翌日、アルデンテが値引きサービスをしてペスカトーレとジェラートを大層驚かせたあれか。確かにあれは、後になって結構踏み込み過ぎたなと、アルデンテ自身も思っていた。

 

「それと、普段の休み時間は基本教室で勉強のお前が、ジェラートとカルパッチョさんの屋台に行ったのを見て『あ、これは気があるな』って思った」

 

 そこまで言われて、アルデンテは顔を押さえる。

 やはり、1年以上の付き合いがある親友にはバレてしまうほど露骨だったのか、とアルデンテは後悔と諦めに近い感情を抱いていた。

 

「誰にもばらすなよ?」

「俺がそんな軽薄に見えるか?」

「見える」

 

 いつも通りな感じの冗談を言い合って、お互い静かに笑い合うアルデンテとペスカトーレ。落ち着くと、ペスカトーレは学習道具を鞄から机に移し、アルデンテは腕を組んで自分の行動を顧みる。

 

「・・・アプローチが露骨過ぎたか?」

「普段のお前を見ていれば、さっき言った行動は考えられないことばかりだったよ」

 

 普段のアルデンテは、屋台でラザニアを1万リラもまけることはなく、定休日の昼休みは大体教室で勉強と決め込んでいる。

 そんな奴が、いきなりラザニアを50万リラもまけるだの、休み時間にカルパッチョの良る屋台へ赴くだのすれば、異常と見られるのも致し方ない。あまり付き合いのない人からすれば『単なる気の迷いだろう』と思うだろうが、1年以上の交流があるペスカトーレからすればそれはイレギュラーだ。何かあると勘づくのも当然と言える流れである。

 そして、その異常全てにカルパッチョが絡んでいると来れば、そこから答えを導き出すことは簡単だ。

 

「ぶっちゃけお前、分かりやすいんだよ」

 

 結論を言われて、アルデンテも苦笑する。全く持ってその通りだと、頷く。

 

「・・・・・・俺も、頑張らないと」

 

 学習道具を仕舞うペスカトーレがそんなことを呟いたのを、アルデンテは聞き逃さなかった。そして、先ほどのお返しとばかりにこう言ってやる。

 

「なぁどんな気持ちだ?愛しのアマレットに会えないのってどんな気持ちだ?」

 

 ペスカトーレが筆箱を床に落とし、中身が散乱する。談笑していたクラスメイト数名がこちらを見るが、すぐに興味が失せたのかそれぞれの談笑に戻る。

 

「・・・お前、本当にイイ性格してるな」

「お前ほどじゃない」

 

 肩を震わせ下唇を噛みながら怨嗟の言葉をかけるペスカトーレに対して、アルデンテは肩をすくめて笑う。

 つまり、ペスカトーレはアマレットのことが好きなのだ。

 その事実は、アルデンテが自分で気付いたとわけではなくて、意外にもペスカトーレが自分から明かした。曰く、『誰かに話さなきゃ息が詰まりそうだった』とのこと。

 ペスカトーレが言うには、アマレットのあの竹を割ったような性格と見た目が好みで、たまにCV33を箱乗りして屋台街を走る姿がカッコよくて惚れたらしい。

 アルデンテも、ペスカトーレの言い分には納得こそできる。だが、アルデンテの好みは落ち着いた雰囲気の子(まさにカルパッチョがドンピシャなのだが)だったので、アマレットを恋愛対象と見ることはできず純粋に友情しか感じていない。

 無論、アルデンテはそのペスカトーレの中にある想いをアマレットには明かしていないし、他の誰にもその話はしていない。親友として、それだけは守っている。

 だが、恋愛経験が疎いアルデンテはアドバイスをすることなどできず、ただ静かにアマレットとペスカトーレの恋の行く末を見守っている。過干渉はしないが、応援はするという感じだ。

 2人がニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら睨み合っているところで教師が入室して来て、2人は視線を切って前を向く。

 

 

 昼休みになって、アルデンテとペスカトーレが屋台に立つと、危惧した通り客入りはいつも以上に多かった。

 

「オーダー、ラザニア2つ!」

「了解」

「すみません、ラザニア2つください」

「はーい、ちょっと待っててね~!」

 

 ペスカトーレが客引きの声を上げる間もなく、新しい客が続々とやってくる。屋台を開けてラザニアの準備ができてから、注文が途切れない。

 アルデンテは、ただひたすらにラザニアを切り分けて皿に盛り付けて客に渡し、ラザニアを切り分けて皿に盛り付けて客に渡して、もうどうにかなってしまいそうだ。

 そこで、早くも最初のラザニアが切れてしまって、2つ目のラザニアをオーブンの中で前側に移す。だが、その2つ目のラザニアまで切れてしまって、新しいラザニアの準備をしなければならなくなった。

 それができるまでの間は、『準備中』の札を出して、休憩となる。

 

「あー・・・まさかこんなに忙しくなるとは・・・」

 

 ペスカトーレが溜め息に疲れを乗せながら、支給されたパイプ椅子に座り水を飲む。アルデンテも深呼吸をしながら、額に浮かんだ汗をタオルで拭く。

 ここまで忙しくなるのも無理はない。戦車道履修生のほとんどは屋台を開いているらしい。だが、その履修生も今日はいないから、普段その屋台を使っていた客がこちらに流れてくるのも仕方がないのだ。

 アルデンテが、じりじりとオーブンで焼けつつあるラザニアの様子を見ながら、肩の力を抜いて休憩する。

 

「朝の話の続きなんだけどさ」

「・・・・・・ああ」

 

 唐突に朝の話題をペスカトーレが蒸し返そうとして、アルデンテも心の中で身構える。朝の話と言えば、アルデンテがカルパッチョが好きだということにペスカトーレが気付いたことだから、その続きで話すことなんてたかが知れている。

 

「告白とかする気はあるの?」

 

 そう言うと思っていた。

 だが、そればかりは、自分の中の想いを包み隠さず相手に全て伝えることは、恋をした以上避けては通れない道である。

 

「するよ」

 

 アルデンテとてそれは分かっていた。だから、その意思があることだけは嘘偽りなく伝える。

 ペスカトーレは、アルデンテがそう答えることはある程度わかっていた様で、対して驚いた様子も見せない。

 

「ま、そうだよな。俺もそのつもりだ」

 

 ペスカトーレもまた、アルデンテと同じくいつかはアマレットに自分の恋心を伝えるつもりのようだ。

 

「問題は、いつするかだ」

「だよな・・・・・・」

 

 アルデンテが口にした懸念事項に、ペスカトーレも神妙な面持ちで頷く。

 告白するタイミングとは案外重要なものであり、それを間違えてしまうと自分の気持ちが伝わらないことだってあり得る。特に、アルデンテはこの問題がネックだ。

 ペスカトーレがアマレットに対する恋心に気付いたのは、2年生に進級した時。

 そして、アルデンテがカルパッチョに対する恋心に気付いてから、まだ1月も経っていない。アルデンテの方が、カルパッチョに出会ってから恋心に気付いて今に至るまでの日数が短いのだ。

 その日数が短いからこそ、いきなりアルデンテが告白してもカルパッチョが素直に受け入れてくれるとは思えない。むしろ、疑われるかもしれなかった。

 だからと言って、信じてもらえるような日数が過ぎるまで待っていると、もしかしたらカルパッチョが別の誰かから告白されて付き合いだすかもしれない。それだけは嫌だった。

 ではどうすればいいのか。アルデンテは、それがまだ分からなかった。

 

「アルデンテ」

「ん?」

「ラザニア、焦げそうだぞ」

 

 そんなことを考えていると、ペスカトーレに指摘されてアルデンテはオーブンの中を見る。確かに、いい感じに焼けているというか焦げ目がちょっとつきすぎな気もする。

 

「おお、悪い」

 

 慌ててオーブンの蓋を開けてラザニアを取り出す。それを見計らってペスカトーレが、『準備中』の札を片付けて客引きを再開する。

 アルデンテは、屋台の前を行き交うアンツィオの生徒や観光客の姿を見て、ふと思った。

 

(そうだ・・・・・・今日はいないんだよ)

 

 自分でも言ったが、戦車道履修生は大洗女子学園の応援に行ったため、今このアンツィオ学園艦にはいない。

 当然ながら、カルパッチョも今ここにはいない。その事実を改めて認識し、アルデンテは小さく息を吐く。

 胸が詰まる思いだった。

 近しい人物に会えなくなるのはとても心が苦しくなる。中学校へ入学して、親元を離れて一人寮生活を始めた当初も、確かに寂しかった。だが、次第に親がいないという状況に慣れてしまって、今ではそんな寂しさも感じない。

 親しいペスカトーレが風邪で学校を1日やそこら休んだこともあったが、こんな気持ちにまでは至らなかった。

 しかし、カルパッチョに1日会えないだけで、どうしてここまで心が焦がれるような思いになってしまうのだろうか。

 それほどまでに、自分はカルパッチョのことを想っているということなのだろう。

 

(・・・・・・まったく)

 

 ちょっと前の自分からすれば、アンツィオの校風に疲れて、周りとは違いどこか冷めていた自分からすれば考えられないことだった。

 そこでまた新たにオーダーが入ったので、アルデンテは考えることを止めてラザニアを切り分けて皿に盛り付け、カウンターの前で待つお客に差し出した。

 

 

 19時になって、屋台街の営業が終了する。

 アルデンテとペスカトーレからすれば、今日は恐らく屋台を開いて以来屈指の忙しい日だったと思う。それほどまでに訪れる客が多くて、繁盛はしたが忙殺された。

 自炊する気も起きないほど疲れたアルデンテとペスカトーレは、トレヴィーノの泉の近くにある和食レストランで夕飯にすることにした。この店は、アルデンテとカルパッチョが初めて会った日に話をした場所でもある。

 

「疲れた・・・・・・」

 

 絶えず声を張り上げて客引きをしていたペスカトーレは、注文を終えるとすぐにテーブルに突っ伏す。声も少し枯れ気味で、最初に店員が用意した御冷をすぐに飲み干したぐらいだ。アルデンテは、いつも客引きをしてくれていることに対しての感謝を込めて、水を注いでやる。

 だが、アルデンテ自身も疲れているので、肩を落として大きく息を吐く。うっかりするとすぐに意識を手放してしまいそうだ。

 と、そこでポケットの中の携帯が震える。振動の回数からしてメールだった。のっそりとアルデンテはポケットから携帯を取り出し、画面を開く。

 

『新着メール:カルパッチョ』

 

 疲れ果てていた意識が一瞬で覚醒し、姿勢を正してアルデンテはメールを開く。ペスカトーレはそのアルデンテの様子を見て、『ん?』と怪訝な顔を向けてくるが、アルデンテはそんなペスカトーレには目もくれない。

 しかし、こんな夜にメールとはどうしたことだろう。そう思いながらメールを開く。

 

『こんばんは。

 私たちアンツィオ戦車隊は、今東富士の演習場に着きました。

 休憩を何度か挟みましたが、朝早くからの長距離移動でとても疲れました・・・。

 それでも、明日の試合は全力で応援したいと思っています』

 

 現在アンツィオ高校学園艦は、東北地方付近を航行している。

 今朝早くに学園艦を発ったアンチョビ率いるアンツィオ戦車隊は、まずは連絡船で岩手県の港まで向かい、そこからバスに乗り換えてアンツィオ高校本籍地の栃木県まで移動。さらにそこから、本籍地で管理していたアンツィオ高校が所有する自動車に乗り換えて、戦車道全国大会の決勝戦を行う東富士の演習場まで移動したのだ。

 岩手から静岡の富士までノンストップで移動すれば、およそ9時間半らしい。だが、メールの通り休憩を挟んで、途中で乗り換えていれば、これだけ遅くなるのだろう。

 1日かけてそこまで大移動をするなんて、アルデンテからすれば考えられないことだ。

 メールをスクロールしていく。

 

『今日は戦車隊の皆の屋台は閉まっていたので、

 アルデンテの屋台は忙しくなったのかなと思います。

 ごめんなさい』

 

 謝る必要なんてないのに、とアルデンテは思う。やはりカルパッチョも、根は真面目なのだろうから、そう言わなければ罪悪感に押し潰されてしまいそうだったのだろう。

 

『帰ったら、またアルデンテの作ったラザニアが食べたいです。

 それでは、おやすみなさい』

 

 最後の文章まで読んでからアルデンテは、なるべく優しく、カルパッチョのことを気遣うようなメールを書いて送信する。

 そして送ってから、メールの最後の『ラザニアが食べたい』と書かれていたのを思い出す。

 あのように書いてくれたということは、それだけカルパッチョがアルデンテのラザニアを気に入ってくれているということだろう。

 料理を作り提供する側としては、『美味しい』とか『また食べたい』と言ってもらえると、嬉しくなるものだ。それに、その相手が自分の好きな人であればなおさらだ。

 よし、カルパッチョが帰ってきたら、ラザニアを1つサービスしてあげよう。

 そう決意したところで、アルデンテとペスカトーレの頼んだとんかつ定食が届いたので、2人は手を合わせて『いただきます』をし、割り箸を割いて食事を始めた。

 

 

 瞼に優しい光が当てられる。

 私はその光を受けて、ゆっくりと瞼を開く。すると、山の向こうから昇り始めている太陽の光が、私の目に飛び込んできた。

 

「っ・・・・・・」

 

 あまりの明るさに思わず目を閉じて、横にしていた体を起き上がらせる。そしてもう一度ゆっくりと、徐々に光になじませるように瞼を開く。そして周りの様子が目に入ってきた。

 今私たちがいるのは広い草原、少し離れた場所は森、そして周りには死屍累々とばかりに寝転んでいる同じ戦車隊の仲間たち。

 

(そうだった・・・)

 

 昨日は陽が昇る前に私たちはアンツィオ学園艦を出発して、丸一日かけて東北からこの東富士演習場まで辿り着いた。けれど、大移動で疲れているにもかかわらず、統帥の『お前ら宴会だ!』という掛け声とともに前夜祭を始めて、どんちゃん騒ぎを繰り広げた。そして日付が変わった辺りで疲れのあまり全員が眠りに就いた、と記憶している。

 改めて周りを見てみる。前夜祭の中心辺りには焚き火の跡が残っており、その周りには誰かが持ってきた大洗女子学園の応援グッズが散乱している。

 その近くで、ドゥーチェは自分のマントに包まり丸まってすやすや眠っている。ペパロニはその近くで、片手にぶどうジュースの瓶を持って涎を垂らして眠りこけていた。アマレットとジェラートはなぜか肩を組んで寝ているし、アマレットに至ってはシャツが捲れてお腹が見えてしまっている。

 他の子たちも、無防備な格好で幸せそうに眠っていたけれど、みんな年頃の女の子としてどうなんだろう。

 

「はぁ・・・・・・」

 

 かくいう私も、こんな外で無防備に眠ってしまっていたなんて。ちょっと前の自分が見たら卒倒してしまうだろう。たかちゃ・・・カエサルも、腰を抜かしてしまうかもしれない。

 それに昨日の前夜祭でも、場の空気に流されて色々飲んだり食べたりしてしまったし、私も大分アンツィオの校風に毒されてきているなぁ、と思う。

 

(・・・・・・それにしても)

 

 涼やかな風が吹き、草木の香りが私の鼻腔をくすぐる。風に揺られて、髪がなびく。

 演習場である程度人の手が行き届いているとはいえ、自然の中にいるのはとても心地が良い。朝の太陽の光が照らす広大な自然は、とても絵になる。

 

「気持ちいい・・・」

 

 思わず声に出る。

 わずかな時間、自然の光と風、空気と匂い、風景を堪能していると、ふとアルデンテのことを思い出す。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 昨日から、アルデンテの顔を見てはいない。未明に学園艦を出発したのだから、当たり前だ。

 けれど、自分の親しい人、それも恋している人に会うことができない、顔を見ることさえもできないのは、胸が締め付けられるかのようだ。

 自分が、少し悲しげな表情をしているのが分かる。か細い息が口から漏れ出す。

 そこで、少しだけフラッと身体が揺れ、睡魔が襲ってきた。やはり、昨日の丸一日かけての大移動の疲れが抜けていないのだろう。加えて、昨日の前夜祭と屋外で眠ったことで余計疲れが溜まってしまったのもある。身体が少し重い気がした。

 私はまた地面に座り込んで、腕時計を見る。時刻は7時。決勝戦の大洗女子学園対黒森峰女学園の試合が始まるのは10時。まだ3時間ぐらいある。

 

(・・・・・・寝直すかな)

 

 肝心の試合中に眠ってしまい重要な場面を見逃したなんてことになったら、応援に来た意味も無くなってしまう。

 だから、後1~2時間ぐらいでも眠って、試合中はしっかり起きていられるようにしよう。

 そう考えて私は、携帯のアラームを2時間後に設定して、もう一度草原に寝転がる。太陽の光に背を向けて。

 けれど、私の脳裏には、アルデンテの顔が浮かんだままだ。

 会えなくて辛い、悲しいという気持ちが心の奥底から込み上げてくる。だんだん大きくなってくる。

 私はそんな暗く悲しい気持ちから逃げようとして、瞼を閉じる。

 涼やかな風と、太陽の光をその背中に感じながら、私は意識を手放して眠りに就いた。

 

 

 

「で、寝過ごしたと」

「・・・・・・うん」

 

 全国大会決勝戦から2日後の放課後。大洗女子学園の応援から戻ってきた戦車隊の面々は、いつも通り屋台を開いていた。

 そして今、アルデンテとペスカトーレの屋台には、カルパッチョとアマレットが訪れている。それで、アルデンテが気になった件の決勝戦の感想を聞いてみたら、まさかの『寝過ごして試合を見逃した』という報告だ。

 アンツィオ気質のペパロニやアマレットはともかくとして、戦車隊を率いる隊長としてきっちりしているはずのアンチョビや、知っての通りしっかり者のカルパッチョまでもがそうなってしまうとは思いもしなかった。

 

「アラームは・・・かけたんだろ?」

「うん・・・。でも、寝返りを打った時にポケットから落ちちゃったみたいで・・・」

「マナーモードだったのか・・・」

「切り替えるの忘れちゃってた・・・・・・はぁ」

 

 心底後悔しているのが分かるカルパッチョ。憂鬱そうな顔を浮かべている彼女は、本当に試合が観れなくて残念だったのだろう。それは痛いほど伝わってくる。

 アルデンテもまた、少々肩を落としながらもラザニアをオーブンから取り出して切り取り皿に盛り付け、そしてフォークと共にカルパッチョに差し出す。

 

「はい、カルパッチョ」

「え?」

「サービス」

 

 カルパッチョが、キョトンとした様子で差し出されたラザニアを見る。

 

「『ラザニアが食べたい』ってメールに書いてただろ?」

「書いたけど・・・でもタダなんて・・・」

 

 カルパッチョが食い下がり財布を取り出そうとするが、アルデンテは掌を見せて待ったをかける。少しだけカルパッチョは迷ったが、アルデンテが柔和な表情をしていたのを見て、根負けした。

 そしてフォークでラザニアを小さく切り取り、一口サイズにしてから口に含む。

 

「・・・美味しい」

 

 顔がほころぶカルパッチョ。ラザニアが好物と言っていたし、やっぱり好きなものが食べれて嬉しいのだろう。

 

「ありがとう」

 

 アルデンテも笑って頷く。

 だが、そこで2つの視線を感じた。

 

「「いやぁ、熱いですなぁ」」

 

 案の定、その視線の出どころはペスカトーレとアマレットだった。

 カルパッチョはすぐに頬を赤く染めて顔を背け、アルデンテは小さく舌打ちをしてオーブンの中のラザニアに視線を移す。

 息ぴったりでセリフを合わせてくるあたり、この2人もお似合いだなと、アルデンテは心の中でだけ思った。




カルパッチョみたいな子が寝過ごすとは思えなくて・・・・・・
お気に召さないようでしたら申し訳ございません。

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Costume da bagno

Costume(コストゥーメ) da() bagno(バンニョ)[swimsuit]【名詞】
意:水着

完全に作者の趣味な話です。
なお、アンチョビたちのコスチュームは、もっとらぶらぶ作戦を参考にさせていただきました。


 いろいろな意味で衝撃的な結末を迎えた第63回戦車道全国高校生大会から2週間ほどが経過し、アンツィオ高校は夏季休業期間に突入した。陽気で、ノリと勢いは確かで、悪く言えば目先の欲に囚われがちな、ペスカトーレやアマレットをはじめとした模範的なアンツィオ生は、早くもレジャー方面の夏休みの計画を立てている。

 しかし、一般のアンツィオ生とは少し感性が違うアルデンテとカルパッチョは、堅実に宿題を片付ける算段を立てていた。

 いくらノリと勢いが売りだろうが、中学生が進学したい高校ナンバーワンだろうが、宿題はきっちり出される。各教科はもちろんのこと、自由研究や読書感想文などの表現力を求められる課題も普通にある。

 だがペスカトーレから聞いた話によれば、戦車道の強豪校として知られるお嬢様学校・(セント)グロリアーナ女学院は、夏休みの期間が1カ月ほどしか無いにもかかわらず、宿題の量が普通の学校とほぼ同じらしい。その話を聞くと、アルデンテはアンツィオでよかったと思える。

 アルデンテも、宿題は面倒だし苦しいとも思っている。しかし、何か計画を立てて順番にそれをコツコツと片付けていくのもアルデンテは好きだった。だから夏休みの宿題も、計画を立てて順番にこなしていき終わらせると、得も言われぬ気持ちになる。

 故にアルデンテは、一概に宿題は嫌いとは言い切れなかった。

 だがアルデンテには、宿題の他にも留意するべきことがある。それは、自分が開いているラザニアの屋台だ。

 世間一般で言う夏休みの間は、当然ながら外部からの観光客もいつも以上に多く訪れる。それは絶好の稼ぎ時、あまり休んでもいられないのだ。

 だが、夏休みの宿題もあり、屋台と宿題を両立させなければならず、実家に帰省する暇も惜しい。なので、今年もアルデンテはアンツィオ学園艦に留まっている。

 それは他の屋台を経営している生徒たちもほぼ同じで、屋台を開くアンツィオ生たちは学生の身分でありながらも、時間の融通が利かない社会人のような気持ちを味わっていた。

 

 

 そんな夏休みが始まってから1週間が過ぎた、ある日の昼下がり。

 

「すみませーん、ラザニア3つくださーい」

「はいはい、ありがとね~!オーダー、ラザニア3つ!」

「了解」

「注文いいですか?」

「少々お待ちください!」

 

 予想通り、アルデンテとペスカトーレの屋台には多くの客が訪れていた。

 この時期の客は大体、暇を持て余したアンツィオ生か、成人以上の外部から来た観光客、もしくは自分たちより少し幼い雰囲気のする少年少女たち。

 この年下らしき子たちは見た感じ中学生で、恐らく夏休みを利用してアンツィオ高校学園艦の見学に来たのだろう。学校説明会は既に夏休み前に行われていたので、この子たちは今は『学校』ではなく『学園艦そのもの』を見に来たのかもしれない。

 

「そこの少年!ウチのリゾット食べていかない?美味いぞ!」

 

 はす向かいのリゾット屋台を開く男子が、アルデンテの屋台で順番待ちをしている少年に声をかける。

 すると今度は、アルデンテの屋台の隣に構えるミネストローネ屋台に立つ女子が。

 

「はー?アンタこの間の家庭科の評価3だったじゃない!そんな奴のリゾットより、8評価のウチのミネストローネの方が美味しいって!」

 

 先に声を掛けられた少年は、2つの屋台の間でどうしたらいいのか迷っている様子。

 そしてリゾット屋台の店主は、売り言葉に買い言葉と声を荒げる。

 

「言ったなお前!なら教えてやるよ、料理は成績だけじゃないってなぁ!」

 

 そして始まる両屋台の小競り合い。だがこれもアンツィオ屋台街ではよく見られることなので、今さらだった。

 『どっちの屋台が美味いか勝負だ!』と些細なきっかけで喧嘩、というよりもいさかいが起こるのは日常茶飯事。それに客は特に嫌がりもせずに巻き込まれて『どっちも美味い!』という結果になり、『両方美味いんじゃしょうがないな!』と両屋台主が納得するまでがワンセットだ。

 しかしアルデンテは、今のところそう言った小競り合いに巻き込まれたことはない。客引きをするペスカトーレの人当たりが良いのもあるし、アルデンテとペスカトーレが他の屋台の文句を一切言わないからだろう。また、アルデンテたちの屋台の客入りは他と比べるとそれなりに多く、人気の店にいちゃもんを付けていると周りに思われたくないのかもしれない。

 だが、流石に他人の屋台に並ぶお客にまで客引きをするのはどうかと思うが。

 そんなことは考えていても、アルデンテの手はてきぱきとラザニアを焼き、切り取って皿に盛り付けて、そしてお客へ差し出している。受け取ったお客はそこでラザニアを一口食べて、『すごく美味しい!』と顔を明るくして言ってくれる。それだけで、アルデンテの心は報われるのだ。

 そして、満足そうに去って行くお客に向けて『ありがとうございます』と感謝の言葉を告げて、次のラザニアを準備する。夏休みで宿題と屋台を両立していて忙しくても、客が多くて天手古舞でも、アルデンテはそのスタンスだけは決して曲げなかった。

 そんな感じで客をさばくこと数時間。作り置きのラザニアが切れてしまったので、新しいラザニアができるまでの間、アルデンテとペスカトーレは休憩する。

 

「まったく、今年も夏休みは客が多くて参るな・・・」

 

 ペスカトーレが、近くの屋台で買ってきたカッフェ(イタリア語でコーヒー)のジェラートを食べながらぼやく。アルデンテは、オーブンの近くに置いたパイプ椅子に座って、アランチャ(イタリア語でオレンジ)のジェラートを食べて頷き、答える。

 

「まあ、客が多ければ多いほど売り上げは伸びるし、それだけウチのラザニアが人気ってことだろ」

「そうだけどさぁ・・・」

 

 一応はアルデンテの言葉にペスカトーレも納得するが、それでもまだ不満そうだ。

 

「だからって、忙しすぎでしょ」

 

 まだ今日は半日しか過ぎていないが、用意した食材の半分以上を既に消費してしまっているし、他の屋台も恐らくそうなのだろう。

 しかしペスカトーレとアルデンテが屋台の外を見てみれば、そんな事情など知らずに多くの観光客やアンツィオ生が『次何食べる?』とか『あれ気になる!』など話しながら屋台を練り歩いている。アルデンテたちの屋台が『準備中』の札を出しているのを見ると、他の屋台へと流れていく。

 

「仕方ないだろ、戦車隊の皆はプールに行ってるんだから」

 

 今日、ここまでアルデンテたちの屋台が忙しいのは、戦車隊の面々が開いている屋台が閉まっているからである。

 そしてそれは、アンツィオ戦車隊を率いる統帥(ドゥーチェ)アンチョビが、戦車隊のメンバーを連れて学園艦のリゾート施設へと遊びに行っているからだ。なんでも、全国大会で頑張った皆を労うためらしく、それを抜いてもアンチョビだって夏休みは少し遊びたい気持ちなのだろう。

 それに誘われたアマレットやジェラート、ペパロニは喜んでいたし、カルパッチョも露骨にではないがそれでも顔は嬉しそうだった。

 この時、アルデンテとペスカトーレも、アンチョビやカルパッチョ、アマレットたちから『一緒にどう?』と誘われたのだが、アルデンテは丁重に断らせてもらった。

 アルデンテとしては夏休みという稼ぎ時に屋台を放っておくのは少し気が引けるし、戦車隊のメンバーを労うつもりなら自分はお呼びじゃないと思う。そして何より、水着女子ばかりのプールへ行くなど尋常じゃない度胸と覚悟を要する。それらを踏まえた上で、アルデンテは断った。

 逆にペスカトーレは『絶対行きます!』と最初は力んでその意思を示したが、アルデンテはそれをを全力で阻止した。と言うのも、ペスカトーレは去年の夏休みに、宿題のことを考えずに遊び呆けた結果、期日までに課題が終わらず最後にはアルデンテとアマレットにSOSを求めたことがあるからだ。そのことを覚えていたアルデンテによって、今回ペスカトーレが皆と一緒にプールへ行くのは却下となった。

 

「なんで止めたんだよ~。俺だってプール行きたかったんだぞ」

「なら宿題をさっさと片付けてから行けばいいだろうが。去年俺に泣きついたのを忘れたとは言わせないぞ」

 

 至極当たり前の正論をアルデンテがぶつけるが、ペスカトーレはそれに噛みついてきた。

 

「バカ野郎!せっかくアマレット達に誘われたんだぞ!それを断るなんて・・・・・・」

「それが―――」

 

 どうした、と言おうとしたところでアルデンテは気付いた。

 ペスカトーレは、アマレットのことが好きでいる。だから、そのアマレットからプールに誘われて、ペスカトーレだって嬉しかったのだ。好きな人と一緒にいられる時間が作れると、喜んでいたのだ。

 だが、アルデンテはその時間を自らの手で潰してしまった。

 それでアルデンテも流石に罪悪感を覚え、素直に謝罪する。

 

「・・・・・・悪かった。俺、無神経だった」

「ホントだよ!」

 

 そしてペスカトーレが宣言する。

 

「せっかくアマレットやアンチョビさん・・・・・・その他戦車隊の水着が拝めるチャンスだったのに、ひどいぞお前!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」

 

 呆れたように口を開けるアルデンテをよそに、ペスカトーレは腕に力を入れて頭を掻きむしる。

 

「ちきしょう、見たかったよ水着・・・。それで水着女子と一緒に戯れたかったよ・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・とりあえず、俺の謝罪と反省の気持ちを返せ」

 

 真剣にものを考えていた自分がバカ臭くなったので、アルデンテは白けた目でペスカトーレのことを見る。だが、ペスカトーレにはその視線も言葉も感じないし聞こえない。

 

「普段は見れない水着姿が見れるなんて、そそるだろ?」

「そそらないからその口閉じろ」

「あわよくばポロリも期待したいけど欲張りかなぁ~」

「本気でぶっ飛ばすぞボンクラ」

「おっと、メールだ」

「俺の話聞けよ」

 

 アルデンテの辛辣な言葉など右から左に聞き流すペスカトーレが、ポケットに入れていた携帯を取り出す。画面を見ると『アマレットからメールだ!』と小学生のように喜んで声を上げる。こいつはどうしようもないな、とアルデンテは諦めかける。

 そしてペスカトーレが、メールを開いた直後。

 

「ふおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

 歓喜の雄たけびを上げた。その声に、屋台の前を歩いていた観光客と、近くの屋台の店主がびっくりした様子でこちらを見る。アルデンテは椅子から立ち上がり、『すみません』とばかりにぺこぺこ頭を下げながら、ペスカトーレの頭を割と強めにフライパン(洗浄済み)ではたく。

 

「いきなり叫ぶな、周りが驚くだろ」

「これ見ろ!」

 

 ペスカトーレが携帯の画面をアルデンテに突き出すように見せる。

 その画面に映っていたのは、1枚の写真。もっと言えば、プールをバックに水着姿のアンチョビ、カルパッチョ、ペパロニが写っている。

 その写真の中央に立つアンチョビは、オレンジのタイサイドビキニを着ている。水着姿で写真に写るのが恥ずかしいからか、顔がわずかに赤く染まっている。

 その右隣には、黒の三角ビキニを着たペパロニ。アンチョビと違って恥ずかしくないのか、いい笑顔にウィンクでヤンキーピースを決めている。

 そして、アンチョビの左隣にはカルパッチョ。黄緑色のバンドゥビキニを着て、カメラに向けて控えめにピースを向けている。

 ペスカトーレの意見に賛成というわけではないが、確かに仲が良い人の普段見ない水着は新鮮な感じがした。

 

「見ろ、これ・・・・・・」

 

 しかし、ペスカトーレが注目しているものは別らしい。ペスカトーレが指差したのは、ペパロニ、の胸元辺り。

 

「・・・デカい」

 

 アルデンテは、ペスカトーレの男子高校生らしい超直球なコメントを聞いて、『はあああ』と大きくため息を吐く。

 確かにペスカトーレの言った通り、アンチョビやカルパッチョと比べると、ペパロニの“それ”は標準以上に大きい。いや、アンチョビもカルパッチョも標準もしくはそれ以上はあるが、ペパロニのは大きい。

 だが、アルデンテはそんなことは決して口には出さない。ムッツリだとかそう言うわけではなくて、モラルとかマナー的によろしくないからだ。

 しかし、平常心を保とうとしても、長時間露出度の高い女性の写真を見ているのは目に毒なので、アルデンテはオーブンの中のラザニアに視線を逃がす。丁度、いい感じに焼けていた。

 

「おい、そろそろ再開するぞ」

 

 オーブンの火加減を弱めながらペスカトーレにそう言うが、当の本人は今なお気持ちの悪い笑みを浮かべながら、その水着写真を穴が開くほど眺めている。

 

「・・・・・・柔道で一本背負いって技を習ったんだが」

「ハイハイそこの彼女!ウチのラザニアおひとつどうですか!?」

 

 アルデンテのボソッと呟いた脅しとも取れる言葉に、ペスカトーレは素早く携帯をポケットに仕舞って弾かれたように客引きを始める。早速、声をかけたアンツィオの女子生徒が1つ注文して、アルデンテはラザニアを切って皿に載せて差し出す。

 その女子が去って行った後で。

 

「・・・ペスカトーレがペパロニの水着姿に鼻の下を伸ばしてた、なんてアマレットが聞いたらどう思うだろうな」

「言わないでくれ!頼む!」

 

 必死に懇願するペスカトーレを見て、アルデンテは『言わないからさっさと仕事しろ』と言うと、ペスカトーレは休憩前よりも明るく客引きを始めた。

 アルデンテも、まったくと思いながら新しいラザニアの準備を始めようとする。

 と、そこでアルデンテのポケットの中の携帯が震える。回数からしてメールだった。

 

「?」

 

 ラザニアの残量を見て少し余裕があるのを確認してから、携帯を開く。さっきのバイブレーションの正体はやはりメールで、『新着メール:アマレット』の文字が。メール本文には『プレゼント♪』としか書かれておらず、さらに添付ファイルが1件。

 ペスカトーレに届いたのと同じ写真だろうな、と特に深く考えもせず、身構えたりもせずに一応と添付ファイルを開くと。

 

 

 目に飛び込んできたのは、さっきも見た黄緑色のバンドゥビキニに身を包んだカルパッチョの写真。背景もさっきと同じプールだが、写っているのはカルパッチョだけである。

 だが、彼女の表情は少しだけ恥ずかしそうで、困ったような顔をしている。

 それどころか、彼女は前屈みの体勢を取っていて、右手を右ひざに、左手をお尻に添えている。その体勢を取っていることで、さっきのペスカトーレの写真でも分かっていた、カルパッチョのそこそこある胸が強調されている。

 端的に言うと、セクシーポーズを取った水着のカルパッチョの写真だった。

 

 

 その写真を見た直後、アルデンテの思考は停止した。

 しかしすぐに復旧し、目と脳が写真を認識する。

 そして認識し終えると。

 

「・・・・・・はっ!?」

 

 変な声が出た。

 

「ん、どうした?」

 

 ペスカトーレが不安そうな顔でアルデンテのことを見るが、アルデンテは反射的に画面を閉じて『何でもない!』と首を横に振って、ラザニアの様子を窺う。

 しかし、頭の中には先ほど見たカルパッチョの写真が焼き付いて離れない。

 だが、アマレットが写真を撮ってそれをアルデンテに送ってきたのはアルデンテをからかうためなのは確定として、カルパッチョがどうしてあんなポーズを取っていたのかは分からない。カルパッチョの性格を考えれば、あんなポーズは無意味にしないだろうに、しかもそれを他人にその写真を撮らせるなんて絶対ないはずだが。

 悶々と考えていると、今度は手の中の携帯が電話の着信を知らせた。画面には『着信:カルパッチョ』と表示されていて、丁度いいのであの写メールの真意を訊ねようと思い、ペスカトーレに一言断りを入れてから応答キーを押す。

 

「もし―――」

『もしもしアルデンテ!?』

 

 だが、こちらの挨拶が終わる前に、いつになく取り乱した様子のカルパッチョの声が耳に入ってくる。

 

『アマレットから変な写真送られてこなかった!?』

「え?あ、まあ・・・カルパッチョの写真が送られてきたけど、別に変じゃ―――」

『今すぐ消して!』

 

 アルデンテが割と本心から来る感想を述べようとしたが、それを遮るようにカルパッチョが懇願してくる。やはり、あのポーズと写真は本意ではなかったらしい。

 そこで割り込むように、聞き慣れた少女の声が割り込んでくる。

 

『消しちゃダメだよ~?パッチョ姐のセクシーショットなんて誰もお目にかかれない超貴重な写真なんだから~』

「・・・・・・やっぱお前の仕業か、アマレット。っていうかパッチョ姐って」

 

 実に愉快そうなアマレットの声に、アルデンテの瞼がぴくぴくと震える。ついでに、カルパッチョが妙な呼び方をされていることにもツッコミを入れておく。

 要するに、あのカルパッチョのポーズもアマレットが唆し、隙を突いて一枚撮ったのだろう。カルパッチョも元来のおどおどした性格から、素直に断れなかったのかもしれない。

 

『ありゃ、お気に召さなかった?』

「お気に召すとか召さないとか言う問題じゃなくてだな・・・」

 

 そこでまたカルパッチョの声が聞こえてくる。

 

『と、とにかくさっきの写真は消してね!お願い!』

「あ、ああ」

 

 それで電話は切られた。どうやら、本当にあの写真を消してほしくて電話をしてきたようだ。とんだ災難だ、とアルデンテはそう思う。

 アルデンテは、カルパッチョに言われた通り写真を消そうと、さっきのメールを開く。

 が、メールを消す直前になって、アマレットの言葉が脳裏によぎった。

 

『パッチョ姐のセクシーショットなんて誰もお目にかかれない超貴重な写真なんだから~』

 

 確かに、カルパッチョはその性格ゆえにあんなポーズをあんな恰好でとることなどあり得ない。そしてこの先、カルパッチョは頼んでもそのポーズはしないだろう。

 とすれば、今この手の中にあるその写真は大変貴重なものではないだろうか?

 それに、アルデンテはカルパッチョのことが好きでいるから、カルパッチョの写真はできるだけ手元に収めていたい。

 そう思うと、この写真を消すことが惜しくなってくる。

 アルデンテの指が震え、消去キーから離れ出す。

 いくらアンツィオの校風からかけ離れた性格だろうと、周りと比べて冷めた性格だろうとも、所詮アルデンテも健全な男子高校生の1人に過ぎない。こういった写真に興味があるか無いかを問われると、あると答えてしまう。

 だが、アルデンテは今一度冷静になって考える。

 さっきの電話でカルパッチョは、切実に『消してほしい』と訴えていた。それだけ彼女にとっては恥ずかしいものだったからだろう。

 そこでもし、この写真を消去せずに保存していることがカルパッチョにバレてしまえば、カルパッチョはひどく悲しむだろう。そしてアルデンテは間違いなく失望され、軽蔑される。最悪、縁を切られてしまうかもしれなかった。

 そうなれば、アルデンテがカルパッチョに想いを告白することなど不可能、未来永劫できない。想いを受け入れてくれる可能性だって塵芥ほども無くなる。

 その上で、選択肢が浮かび上がる。

 恐らく今後一切見ることはないカルパッチョの写真を保存するか。

 カルパッチョを悲しませず傷つかせないためにこの写真を消去するか。

 

(消去っと)

 

 選択の余地などなかった。

 アルデンテは消去キーを押して、写真がメールごと消される。

 好きな人を悲しませ、傷つけることなど、アルデンテ自身が許せなかった。カルパッチョが悲しんでいる姿など、見たくない。アンチョビとも、カルパッチョを泣かせないと誓ったではないか。

 だから、この写真をとっておく価値など無いも同然。

 

「オーダー、ラザニア2つ!」

 

 現実に引き戻すかのようなペスカトーレの声。アルデンテは軽く手を挙げてそれに応え、オーブンの中にある耐熱皿を取り出してラザニアを切り出し、皿に盛り付ける。

 もうさっきの写真のことは忘れて、これからの仕事に専念しよう。

 アルデンテはつま先で軽く地面を蹴って、そう意識を切り替えた。

 

 

 翌日の11時過ぎ。昨日同様観光客たちで賑わう屋台街の一角で、アルデンテとペスカトーレの屋台は今日も繁盛していた。

 そこに、昨日はアルデンテにとっては傍迷惑でペスカトーレにとっては生きる希望となる写真を送ってくれたアマレットと、カルパッチョがやってきた。

 

「うおおアマレット!昨日はマジでありがとうな!あんな写真送ってきてくれるなんて!」

 

 アマレットの姿を認めた瞬間、ペスカトーレはアマレットの手を取りブンブン上下に振っている。

 

「いいっていいって。あんた、プールに行けなくてがっかりしてるだろうと思ったし。せめて、ってね」

「アマレット・・・くぅ、マジでありがとう・・・泣きそうだ」

 

 泣きまで見せるペスカトーレ。

 さて、そのペスカトーレがペパロニの水着を見て鼻の下を伸ばしていたというのは、昨日ペスカトーレから口止め料として夕飯を奢ってもらったので、アルデンテは言わないでおく。

 すると今度は、アマレットがアルデンテに対してニヤニヤと底意地の悪い笑みを向けてくる。

 

「アルデンテは?昨日の写真どうだった?」

 

 カルパッチョはそれも気になったようで、顔を赤くしつつもアルデンテのことをチラチラと窺っている。

 

「あんなのカルパッチョの電話の後で速攻で消したぞ」

 

 アルデンテが肩をすくめて言うと、アマレットは『えー?』とつまらなそうにぶーたれて、カルパッチョは胸をなでおろす。ただアルデンテも、消すか消さないかで僅かな葛藤が生まれたことについては黙っておいた。

 

「何で消すのさ?パッチョ姐のあんなポーズ、もう2度と見れないかもしれないのに」

「カルパッチョが嫌がってただろ。っていうか『パッチョ姐』ってなんだ」

「副隊長のニックネーム。呼びやすくていいでしょ?」

「ニックネームにさらにニックネーム付けるのか」

 

 アルデンテがアマレットと話をしながら、ラザニアを切り出して皿に盛り付け、フォークと共にカルパッチョに差し出す。カルパッチョは財布から200円を取り出して、アルデンテに渡した。

 全国大会が終わってから、もう何度もペスカトーレはカルパッチョに対して『だけ』ラザニアの値引きサービスをしているが、アマレットとペスカトーレはそれについてはもう何も言わない。

 アルデンテとしては、好きなカルパッチョのためであればタダでもよかったのだが、カルパッチョが『無料は流石に申し訳ない』と言ったので、仕方なく値引きで妥協した。

 

「っていうか、アルデンテってあのパッチョ姐の写真見て何とも思わなかったの?もしかして、男が趣味の人?」

「何でそうなる」

 

 アマレットがふざけたことを抜かしてきたので、とりあえず鋭い視線をアマレットに向けて放つ。

 だがカルパッチョは、心底ショックを受けたような顔をしているのにもアルデンテは気付いていたので、変な誤解を招かないように弁明をする。

 

「俺は至って普通だよ。恋愛は女の子に対してだけだし、あの写真についても・・・・・・まあ、思うところは・・・・・・あったけど」

 

 最後の方は言うと引き返せないと思って掠れるような感じになってしまったが、それよりもアマレット達が気になったのは『恋愛は女の子に対してだけ』という言葉の方だ。

 

「もしかしてアルデンテって、今好きな子とかいたりするの?」

 

 アマレットが面白そうな笑みで聞いてくる。昨日カルパッチョの写真を送ってきたのもそうだが、まさかアマレットはアルデンテのカルパッチョに対する想いに気付いているのだろうか。人の変化―――特に恋愛による変化に対しては敏感なアンツィオ生ならではか。

 ペスカトーレが『さー、どーなんだろーなー』と棒読みでそんなことを宣うが、それは却って疑惑を加速させるものでしかない。

 

「いや、俺は・・・・・・」

 

 適当に誤魔化そうとするが、カルパッチョが真っ直ぐな瞳でアルデンテのことを見つめている。

 その瞳にわずかにたじろぎ、思わず本音が出そうになるが。

 

「どうも~、広報でーす」

 

 アンツィオ高校生徒会の広報らしき男子生徒が、軽い挨拶と共にやってきた。どうも、ラザニアを食べに来たわけではないらしい。

 

「これ、皆さんに配っている書類です」

「あ、どうも」

 

 アルデンテがお辞儀をしながら、その差し出された書類を受け取る。

 

「下半分が申込書になってるので、参加する時は切り取って生徒会まで送ってくださいね」

「分かりました、ありがとうございます」

「いえいえ。それでは、アリヴェデールチ~」

 

 イタリア風の別れ言葉と共に、広報はその場を離れる。そして向かい側の屋台の店主にも、アルデンテ動揺に何かの書類を渡して二言三言何かを話している。

 

「もしかして、あれか?」

 

 ペスカトーレが、アルデンテの受け取った書類を横から覗き込む。

 

「何それ?」

 

 アマレットが訊いてきたので、アルデンテはその書類を見えやすいようにカウンターに置く。カルパッチョも覗き込んでくるが、その時カルパッチョの髪からふんわりと甘いシャンプーの香りが漂ってきて、アルデンテは思わず目を瞑る。

 そんなアルデンテをよそに、カルパッチョが書類の表題を声に出して読んだ。

 

「『屋台総選挙の案内』・・・?」

 




感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。

ペパロニって、もしかして頭に行く栄養が全部胸に(ドゴォ


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Determinarsi

determinarsi(デテルミナルスィ)[determine]【再帰動詞・代動詞】
意:決意する、決心する、腹をくくる


 夏休みのある日の夜。今日の宿題のノルマを終えたアルデンテは、寮の自分の部屋で机に向かって座り、1枚のA4プリント用紙をじっと見ていた。

 その紙の表題は、『屋台総選挙の案内』。

 屋台総選挙とは、毎年夏休み期間中の8月頭からおよそ1週間の間、アンツィオの屋台街運営委員会が開催するイベントだ。

 内容は手っ取り早く言えば、屋台街を訪れて食事を楽しんだお客さんに、どの屋台の料理が美味しかったかを投票してもらうというもの。この投票の結果、上位5位になった屋台は学校からの補助金が割り増しとなり、1位に輝いた屋台には『屋台マエストロ』の称号が与えられるらしい。

 『らしい』というのは、この屋台総選挙が毎年開催されている恒例行事ではあるが、去年アルデンテは参加しなかったために詳細を知らないからだ。アルデンテが初めて屋台を開いたのは去年の7月辺りで、この総選挙はそれから1カ月程度しか経っておらず、味について不安な面があったのだ。

 今年もまた、その総選挙の開催が決定した。

 本来であればアルデンテは、こういったイベントにはあまり進んで参加しない。やはりそれは、アルデンテが冷静でいて周りに流されない性格をしているからである。それと、この総選挙の結果は掲示され、これに参加したことで周りとの差を嫌でも数値化されそれを晒されるのが嫌だったからだ。

 このプリントを受け取った時、ペスカトーレは『今年も不参加か?』と聞いてきた。ペスカトーレも屋台を開いた時からずっと客引きをしてくれているため、アルデンテの事情も知っている。

 だが、そう聞かれた時アルデンテは、すぐに『参加しない』とは答えなかった。

 参加するかしないかで、悩んでいるのだ。

 

(・・・・・・・・・・・・)

 

 アルデンテが今考えていることは、カルパッチョのことだ。

 アルデンテは、カルパッチョのことが好きだ。友達としてではなく、1人の異性として。それはもう揺るぎはしない。

 そして恋心を抱いた以上は、その想いを告げるのは必然とも言うべき流れである。だから、アルデンテもいつかはカルパッチョに好きだと伝えるつもりだった。

 だが、アルデンテは同時に不安も感じていた。果たして自分のような男が、カルパッチョのような魅力的な人と釣り合うのか、と。

 カルパッチョは、自らのおどおどとした気弱な性格を変えるために厳しいことが分かっていても戦車道を始めて、さらには自分の性格とはまるきり逆の校風であるアンツィオにまでやってきた。そして今では、アンツィオ高校戦車隊の副隊長で、あの統帥(ドゥーチェ)アンチョビの片腕とも言うべき存在だ。この数年でそれだけの成長を重ねてきたカルパッチョのことを、アルデンテは素直に尊敬していた。

 一方でアルデンテは、自分の性格を変えるためにアンツィオに来たと言う点ではカルパッチョに通じているところはあるものの、料理と勉強がそれなりにできるだけで他に秀でたところはない。

 カルパッチョの悩みや不安に耳を傾けて、同じ境遇の者として自分なりのアドバイスをして、さらには彼女に『カルパッチョ』という名前を付けた。それで彼女との距離は縮んだだろうが、それだけでカルパッチョが自分の告白を受け入れてくれるかと言うと、それは無い。

 こんなどこにでもいるような凡庸な自分など、カルパッチョは受け入れてはくれないだろう。今のカルパッチョなど月とすっぽん、どころか比べるのも厚かましい。

 

(・・・・・・・・・・・・)

 

 そこでアルデンテは、再び手に持つ『屋台総選挙の案内』の紙を見る。

 この総選挙に参加して首尾よく1位になることができれば、アルデンテに実績がつく。そすれば、カルパッチョに相応しい人に少しでも近づけるかもしれない。カルパッチョが理想とする人がどんな人なのかは知らないが。

 とにかくアルデンテは、この総選挙に参加するつもりだった。

 だが、当然ながら屋台を手伝ってくれているペスカトーレの意思も尊重する。

 明日ペスカトーレに会ったら話をして、総選挙に参加するかどうかを決めよう。そう決めるとアルデンテは、プリントを挟むファイルにその紙を挟んで、部屋の電気を消して眠ることにした。

 

 

 

「いいんじゃね?」

 

 翌日、その話をペスカトーレにしたところ、あっさりとそう答えた。

 

「・・・・・・そんな軽く決めていいのか」

「俺は所詮お前の手伝いで、屋台主はお前だ。俺はお前の意思に従うよ」

 

 割と素直にペスカトーレが従ったことにアルデンテは驚くが、ペスカトーレの言うことにも一理ある。せっかく親友が背中を押してくれているので、それなのに自分がいつまでも悩んでいてはダメだと思って、アルデンテは感謝の気持ちを告げる。

 

「ありがとう、ペスカトーレ」

「おう、気にするな」

 

 そこでオーダーが入り、ペスカトーレが料金を受け取って、アルデンテがラザニアを用意してお客に差し出す。

 それを見届けると、ペスカトーレはアルデンテに話しかけた。

 

「で、またどうして急に参加しようと思ったんだ?イベントとかあんまり好きじゃないお前が」

 

 ペスカトーレはあくまでも手伝いであるため、アルデンテが総選挙に参加するのを止めはしない。だが、それでも理由だけは聞いておきたいのだろう。それは当然の権利だ。

 もちろんアルデンテもそう聞かれることは予想していた。だが、その理由がカルパッチョに認められたいという私的なもののせいで、言い淀んでしまう。

 ところが、ペスカトーレは小さく息を吐いて。

 

「ま、大方カルパッチョさんと関係あるんだろうけど」

 

 そんなことを言ってきた。思わずアルデンテは持っていたおたまを落としそうになるが、かろうじて持ちこたえる。

 ペスカトーレの顔を見てみると、まるで『全部知っているぞ』と言わんばかりに笑っていた。

 

「・・・前も言ったけど、やっぱお前分かりやすいな」

「・・・・・・自分でもそう思う」

 

 アルデンテが苦笑する。ペスカトーレはその上で、改めて視線でその参加する理由を問いかける。

 

「・・・・・・カルパッチョは戦車隊の副隊長で、アンチョビさんの片腕だ。一介の屋台主の俺なんかじゃ、釣り合わない。だから何か、釣り合うような実績を作りたい。それで、総選挙に参加したいと思ってる」

「なるほどなぁ」

 

 ペスカトーレもアルデンテの言い分は分かるようで、大きく頷く。

 そして、肝心なことを聞いてみた。

 

「目指すは?」

「1位だ」

 

 躊躇も、遠慮も無く、アルデンテは答える。これには流石に、ペスカトーレも驚かざるを得なかった。

 

「・・・・・・また、大きく出たな」

「そうでもしなくちゃ・・・多分認められない」

「確かにそうだな」

 

 カウンターに置いてあった自分の分の水を、ペスカトーレは一口飲む。

 

「でもいつも通り売ってたんじゃ、1位は難しいぞ」

「分かってる。だから・・・・・・」

 

 アルデンテは、何としても1位を取るためにやろうとしていることを、ペスカトーレに伝える。最初、ペスカトーレはその話をうんうんと頷きながら聞いていたが、次第に顔を顰めていき、話を聞き終える頃には冷や汗をかいていた。

 

「・・・・・・本気か?」

「ああ、至って本気だ」

 

 顔を押さえて大きく息を吐くペスカトーレ。しかし、顔を上げると嬉しそうな表情をしていた。

 

「ホント、変わったなお前」

 

 

 

 昼過ぎになり、昼食を終えたアルデンテは一度屋台に『準備中』の札を出して、ある人の下へ向かう。記憶を頼りにその人がいる屋台へ向かうと、その人はいてくれた。

 

「ジェラート」

「おっ、アルデンテ。やっほー」

 

 アルデンテに気付いたジェラートが手を振ってくれる。アルデンテも小さく手を挙げて、その挨拶に応える。

 ジェラートの傍には、手伝いのカルパッチョもいた。

 

「こんにちは、アルデンテ」

「や、カルパッチョ」

 

 カルパッチョが、気持ち少し嬉しそうに挨拶をしてくれる。アルデンテも、カルパッチョの姿を見ることができて、ホッとしていた。

 しかし、今アルデンテが用があるのはカルパッチョではない。

 

「ジェラート、少し話があるんだけど、いいか」

「ん?いいけど、何?」

「ここじゃ話しにくい。場所を移そう」

「???」

 

 突然のアルデンテの呼び出しに、ジェラートは少し驚いた様子だが、とりあえず『準備中』の札を出す。そしてアルデンテの言う通り、場所を移して話を聞くことにした。

 そこで、アルデンテとジェラートの後ろにカルパッチョも付いていこうとするが、アルデンテは手でそれを制した。

 

「悪い、カルパッチョ。ちょっと、ジェラートと話したいことがあるから」

「え、うん・・・」

 

 アルデンテの申し訳なさそうな言葉に、カルパッチョはしょんぼりとしつつも頷いた。仕方なく、支給されたパイプ椅子に座って待つことにする。

 一方でアルデンテは、ジェラートを引き連れてコロッセオの近くまで移動し、人目につかないところで足を止めた。

 

「何々?愛の告白?」

「アホ抜かせ」

 

 ジェラートがにやっと笑ってからかうが、アルデンテはそれをスルーして早速本題に移る。そこでアルデンテの目つきが変わったことに気付いたジェラートも、口を閉ざす。

 

「ジェラートに、頼みたいことがある」

「頼み?」

「ああ。その前に1つ聞いておきたいんだが・・・」

 

 その頼みごとをする前に、アルデンテは確かめたいことがあった。それの返答次第で、ジェラートへの頼み方も変わる。

 

「今度、屋台総選挙があるだろ?」

「あー、そう言えばウチにも来たよ。そのお知らせ」

「ジェラートのとこは、参加するか?」

「しないよ」

 

 アルデンテの問いに、ジェラートは即答する。そしてその理由を淡々と述べていく。

 

「ジェラート屋台なんて他にいくつもあるし、私は少しでも戦車道の足しになればいいやぐらいの気持ちでやってるからねぇ。本気でトップ目指そうなんて思わないし」

「・・・そうか」

「でも、それがどうかしたの?」

 

 ジェラートが頭の後ろで手を組んで問いかける。

 一方で、アルデンテはここに来て頼みごとを言うか言うまいかを渋ってしまう。自己主張があまり強くないことをアルデンテは自覚しているし、相手に負担を強いるような自分の意見を述べる際にはどうしてもどもってしまうことは分かっていた。

 だから、その頼みごとをするのには覚悟が必要だったが、それでもアルデンテは思い切って口にした。

 

「・・・・・・俺の屋台は、今年の総選挙には出る」

「え、マジで?」

 

 ジェラートが目を見開いて、アルデンテを見る。

 だがアルデンテは、さらに続ける。

 

「1位を目指そうと思う」

「・・・・・・本気?」

「ああ、本気も本気だ」

 

 そのアルデンテの真剣な目と声に、ジェラートも肩をすくめて目を閉じる。

 ジェラートはアルデンテとかれこれ1年ほどの付き合いになるが、こうした真剣な表情はあまり見ない。普段からアルデンテは感情を表に出す方ではないが、今の表情は真剣さを帯びている。さっきの言葉は嘘ではなく、半端な覚悟で言ったのでもないのだろう。

 

「・・・で、どうしてそれを私に?」

 

 屋台総選挙に参加するのであれば別に止めはしないが、なぜアルデンテはそれをわざわざこんなところまで連れてきて話したのだろう。ジェラートはそう思って聞いてみると、アルデンテは頬を掻いてジェラートに目を向ける。

 

「実はな・・・・・・」

 

 そして、アルデンテはそこで『頼み』を伝えた。それを聞いたジェラートは、ぽかんと口を開けた。

 

「・・・・・・」

 

 話を聞き終えたジェラートの顔は、『まるで意味が分からない』と言っているようだった。

 

「・・・・・・無理なお願いなのは分かってる。でも、ジェラートが頼みなんだ」

 

 アルデンテは自分が無理を言っているという自覚はある。だから、頭を下げて懇願する。

 そのアルデンテの普段見せない態度を見て、ジェラートも無下に断るほど非情ではなく。

 

「・・・分かった、協力するよ」

 

 溜め息を吐きながらそう言うと、アルデンテの表情が明るくなった。

 

「・・・けど、ちゃんとお礼はしてもらうよ?」

 

 ジェラートがにひっと笑いながらそう言うと、アルデンテは頷いて、そしてもう一度頭を下げた。

 

「ありがとう、ジェラート」

 

 

 

 ジェラートと別れてアルデンテが自分の屋台に戻ると、アマレットとペスカトーレが談笑をしていた。

 アルデンテが近づくと、アマレットは気付いて手を振ってくれた。

 

「やっ。聞いたよ、屋台総選挙に出るんだって?」

「ああ、ペスカトーレから聞いたのか?」

「別に隠す話でもないだろ?」

「まあな」

 

 で、とアマレットがアルデンテの方へと身を乗り出して、何てことの無いようにキリ出してくる。

 

「で、1位も狙ってるんだって?」

「・・・大それた目標だとは思ってるけど・・・どうしても1位にならないと」

 

 自分の手に力を籠めて握ると、アマレットは腕を組んでニヤッと笑う。

 

「いいねえ。好きな子に認めてもらうために努力するなんて、王道じゃない」

「・・・ちょっと待て、どうしてそれを知ってる」

 

 その言葉に、一瞬遅れてアルデンテが反応する。

 問いただそうとして、アマレットが先ほどペスカトーレと話していたのを思い出し、まさかこのバカが全部話したのかと考えてペスカトーレを睨む。だが、ペスカトーレは違う違うと首を横に振る。

 

「わたしゃとっくに気付いてたよ?アルデンテがパッチョ姐のこと好きだって」

 

 そんなアルデンテを宥めるように、アマレットが明かす。

 

「だって、あんな分かりやすい態度とってたら、ねぇ?」

 

 同意を求めるようにアマレットはペスカトーレを見て、ペスカトーレも『なあ?』と答える。

 分かりやすいというのは、カルパッチョがまだその名前を名乗れなかった時にアルデンテが彼女を下の名前で呼んだことや、ラザニアを値引きしたり、タダでサービスしたこと。中にはアマレットがその場にいなかったのもあるが、誰かから聞いたのだろう。

 そして、アマレットはこの前のカルパッチョの水着写真事件でも、アルデンテの気持ちに気付いているような振る舞いだったし、薄々感づいていたようだ。

 アルデンテは溜め息を吐くが、それは逆に話が早いと捉えるべきだ。

 

「・・・・・・まあ、知ってるんならいい。だから、アマレットにも1つ頼みがある」

「何?」

「総選挙の間、屋台を手伝ってくれ」

「・・・・・・ほほう」

 

 アルデンテの頼みに、ペスカトーレが『!』と顔を明るくするが、それに2人は気付かない。

 アマレットは、アルデンテを試すようにニヤニヤ笑っていて、それが恐らく見返りを求めているからだとアルデンテは思う。アマレットがそう言う奴だということは分かっていたので、アルデンテもその見返りを提示する。

 

「1週間、屋台の飯を奢ってやる」

「よし、乗った」

 

 アマレットが指をパチンと鳴らして、ウィンクを飛ばす。そしてペスカトーレにも『当日はよろしくね~』と手を振りながら告げて去って行った。

 さっきジェラートに頼みごとをした時も、それなりのお礼をすることは約束している。

 だが、ジェラートは元々屋台総選挙に参加するつもりはなかったし、アマレットも急に頼んでしまったので申し訳なく思っている。

 何としても勝たないとな、と思いながらラグーを煮込んでいる蓋を開けようとすると。

 

「アルデンテェ!!」

 

 後ろからペスカトーレに抱き付かれた。これが女性、特にカルパッチョだったらアルデンテもまだよかったのだが、男となるとすこぶる気持ちが悪い。

 

「なんだ急に」

「まさか、アマレットと一緒に屋台を開けるなんて!誘ってくれてありがとう!マジ感謝!!」

 

 ペスカトーレはアマレットのことが好きである。そのアマレットと一緒に屋台に立てることが嬉しいのだろう。

 現金な奴、とアルデンテは思うが、図らずも2人の距離を縮めることに成功しペスカトーレが喜んでいるのを見ると、アルデンテも少しだけ嬉しく思う。

 

「ああ~、これは頑張って1位を取らないとなぁ~」

「妙にやる気が出てきたな」

 

 先ほどよりも目に見えて気の入れようが変わったので、アルデンテは少し気になった。

 

「だってお前、ここでいいとこみせておけばポイント稼げるだろ?」

「ポイントって・・・」

 

 安っぽい物言いにアルデンテも苦言を呈するが、ペスカトーレは聞く耳を持たない。

 

「よし、決めた」

「何を」

「俺、1位になったら告白する!」

 

 アルデンテは遠い目をする。それは、フラグという奴だと知っているからだ。

 しかし、それぐらいの覚悟を背負わなければ1位を目指すことは難しいだろう。目標を立てて、自分に火を点けるのだ。

 ペスカトーレの言葉が嘘か本当かは分からないが、アルデンテの前で宣言したということは恐らくは本気だろう。

 こいつがアンツィオの校風に染まり切っていて、ノリと勢いに任せて物事を進める傾向があるのはアルデンテも知っている。だが、そんなペスカトーレも自分の人生を左右するであろう恋愛については、流石に真剣に考えているに違いない。

 真偽のほどはまだ定かではないが、アルデンテは親友として応援はする。

 

「まあ、頑張れ。応援してるよ」

「何言ってるんだ。目玉のラザニアはお前の腕にかかってるんだぞ?お前が一番頑張らなくちゃ」

「・・・・・・そうだったな」

 

 ペスカトーレに当たり前の事実を思い出されて、アルデンテも小さく笑う。そのアルデンテの微笑を見て彼が本調子に戻ったことを確認すると、ペスカトーレは『準備中』の札を片付けて客引きを再開した。アルデンテも、ラザニアの準備に取り掛かる。

 一先ず、協力者は確保することができた。

 後は、参加する申込書を提出し、そしてアルデンテが考える『手段』が認められれば、本当にアルデンテが戦う準備は整う。

 

 

 その日の夜、アルデンテはトレヴィーノの泉を訪れていた。

 眠れなくて出歩いているとか、考え事をしている中での気分転換のためだとか、そんな理由ではない。ただ単に、人から呼び出しを受けたからだ。

 アルデンテは待ち合わせ時刻の10分前にここに到着し、泉を囲むように設置されているベンチに座る。そして隣に鞄を置いて、待ち合わせをしている人のために席を取っておく。

 待ち合わせをしている人が来るまでの間、アルデンテはライトアップされた泉をぼうっと眺めていた。やはりここのライトアップはアンツィオ高校学園艦の観光スポットの1つとして有名で、今も多くの観光客が泉に向けてカメラを向けシャッターを切っていたり、デッサンをしている少年もいる。

 特に、泉から滾々と湧き出ている水は、夜の照明に照らされてキラキラと反射している。芸術に疎いアルデンテでも、この光景はとても幻想的だというのは分かる。

 そんな風に泉を眺めていると、その待ち合わせをしていた人物が視界に入った。

 

「こんばんは、カルパッチョ」

「ええ、こんばんは」

 

 その人物の顔を見上げて、アルデンテは真っ先に挨拶をする。待ち合わせをしていた相手―――カルパッチョも頭を下げて、アルデンテの隣に座った。

 カルパッチョの着ている服は、白のブラウスに水色のゴアードスカート。手には茶色のショルダーバッグ。とても上品でお洒落な印象がある。

 対してアルデンテの服は、青のTシャツにグレーのカーゴパンツ。ファッションに疎いアルデンテは、基本的な服のパターンが大体似ている。だから今日着ている服も、カルパッチョにはアンチョビたちと一緒に出掛けた時と同じような服に見えた。

 けれど、今重要なのは服ではない。

 

「・・・驚いたよ、まさか急に呼び出されるなんて」

「ごめんなさい・・・・・・でも、話がしたくて」

 

 今この場でアルデンテとカルパッチョが待ち合わせをしていたのも、全ての発端は今からおよそ20分ほど前にカルパッチョから送られてきたメールだ。

 

『少し、話がしたいです。

 8時半にトレヴィーノの泉の前で会えませんか?

 ダメならそれでも大丈夫です』

 

 ダメなはずが無かった。

 アルデンテはすぐさま了解のメールを返信し、部屋着から着替えてトレヴィーノの泉へと急行したのだ。

 

「・・・それで、話って?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 アルデンテが尋ねるが、カルパッチョは俯いてしまう。

 そのカルパッチョの様子と見て、自分と似ているなとアルデンテは思った。自分に限った話ではないが、話しにくいことを話す際は相手が親でも先生でも親しい人でも、会話を切り出すのが難しい。元来大人しい性格のカルパッチョであればなおさらだ。

 アルデンテは急かさず、カルパッチョが話をしてくれるのを待つ。たとえ夜が明けることになろうとも、待ち続けるつもりだ。

 泉から湧き出る水の音が、周りを行き交う人々の喧騒が、より大きく聞こえる。

 ふと、アルデンテがカルパッチョの膝の上に置かれている手を見ると、その手は小さく震えていた。

 そんな震える手に、アルデンテは静かに自分の手を重ねる。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 カルパッチョは、その自分の手にアルデンテの手が重ねられたのを見て、縋るような目でアルデンテのことを見る。アルデンテは、カルパッチョに向けて自分なりに微笑んで見せた。

 カルパッチョも、その笑みを見て覚悟が決まったのか、口を開いた。

 

「・・・・・・お昼過ぎに、ジェラートと何話してたのかなって。わざわざ私と距離を取って・・・」

 

 ここでアルデンテの思考が2つに分かれた。

 

(なんだ、そんなことか)

(ヤバイ、どうしよう)

 

 ジェラートと話していたこととは、屋台総選挙に参加するにあたっての頼みごとだ。それは当然、アルデンテの屋台が1位になるためだ。

 

「・・・ジェラートから、何か聞いていないのか?」

「聞いてみたら、『ちょっとイイコト♪』って」

 

 アルデンテはカルパッチョの答えを聞いて『あのバカ・・・』と心の中で毒づく。ある人から距離を取って2人だけで話をして、挙句にそんな言い方をすれば誰だって誤解するだろうに。

 また、アルデンテは気付いていないが、ジェラートもアルデンテのカルパッチョに対する気持ちには気づいている。加えてアルデンテは、ジェラートにどうしてこの総選挙に参加するのか、その理由を建前も無しに正直に伝えてしまっているので、仕方がない。

 だからジェラートも、敢えて意味ありげなことを言って、カルパッチョがアルデンテに対してどんな形であれどアプローチを仕掛けるように仕向けたのだ。

 

「・・・今度の屋台総選挙に俺たちも参加することになってな。それで、出るからには1位を目指したいと思って、ジェラートの屋台に協力してもらいたかったんだ」

「協力?」

「ああ、それでその協力っていうのは・・・・・・」

 

 アルデンテが、カルパッチョと少し距離を詰めて声を潜め、具体的にどんな協力をしてもらうのかを教える。なぜ総選挙に参加するのかはともかく、どんな頼みごとをしたのかは教えておいても大丈夫と判断したからだ。

 カルパッチョは聞き終えて一応頷きはしたものの、まだ疑いの目をアルデンテに向けていた。

 

「・・・でも、どうして私には教えてくれなかったの?」

 

 そう言われてアルデンテは言葉に詰まる。今の話は、確かにカルパッチョに聞かれても別に何の不都合も無いようなものだ。だが、なぜアルデンテはカルパッチョに聞かれないようにこの話をしたのか。それがカルパッチョは気になって仕方がないのだろう。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 アルデンテは知恵を絞るが、打開策が見つからない。

 ここで自分の想いを全て伝えてしまうと、結果の是非に関わらず総選挙に出る理由がなくなる。そもそも、今の状態で告白したところで成功する確率は皆無に近いだろう。

 かといって、このまましらを切り通せる自信は無いし、強引に話題を逸らすという手も不可能。

 迷った末にアルデンテは、自分の気持ちを全てではなく一部だけを明かすことにした。

 

「・・・俺のことを、認めてほしい人がいるんだ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 カルパッチョは続けてほしいと目で訴える。

 

「俺は特に何の取り柄も無い・・・ちょっと料理ができるだけ。アンツィオでは異端な奴だ」

 

 ライトアップされたトレヴィーノの泉に視線を移す。だが、それでもカルパッチョの視線は感じ続けている。今のカルパッチョの顔は、どんなものなのか。

 

「けど、その認めてほしい人は・・・俺と同じで、アンツィオで浮いていた。でもその人は、弱気な自分を変えるために厳しい戦車道を始めて、このアンツィオにまで入学した」

 

 隣に座るカルパッチョが息を呑んだのが分かる。

『弱気な自分』とか『戦車道』とか、その言葉で気付いてしまっただろうか。だが、構うものかとアルデンテはさらに続ける。

 

「俺は初めてその人に会った時・・・可愛くてつい見惚れた。それで、俺と同じように自分を変えるためにここへ来て、他にも俺と似たようなところがいくつもあって・・・。自然と俺はその人に惹かれて・・・・・・気づけば好きになってた」

「・・・・・・・・・・・・」

「でも、今の俺とその人は釣り合わない。だからその屋台総選挙に出て、1位になって、その人に認められるようになりたい」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 言い終えて、アルデンテは視線を泉からカルパッチョに戻す。

 カルパッチョの瞳は、海のように揺れていた。頬は、わずかに紅くなっていた。いつの間にか、アルデンテが重ねていた手は、カルパッチョの胸の前で握られていた。

 ここまで言って、ジェラートの屋台に協力してもらうことをなぜカルパッチョには聞かせなかったのか。

カルパッチョは賢いから、その理由、アルデンテの気持ちに気付いた。

 

「・・・・・・・・・・・・そうなんだ」

 

 カルパッチョは、唇を震わせながら告げる。

 そして、無理やりにでも笑って、静かに一筋の涙を流し、アルデンテの手に自分の手を重ねる。

 

「・・・・・・ありがとう、教えてくれて」

 

 だが、アルデンテはカルパッチョの今の気持ちが分からなくて、はっきり言って怖かった。

 

「・・・・・・・・・・・・ごめん」

 

 そのアルデンテの口から出たのは、カルパッチョに対して何も言わなかったこと、そして不完全な『告白』をしてしまったことに対する後ろめたさからくるものだった。

 

「・・・・・・悪い、今日はもう遅いから。また」

「あ・・・・・・・・・」

 

 アルデンテはカルパッチョの手を振りほどいて、立ち上がる。カルパッチョの手が、アルデンテを求めるかのように伸ばされるが、アルデンテはそれには気付いていながらも足早にその場を離れ、トレヴィーノの泉の前から去って行った。

 

 

 アルデンテは、泉から少し離れたところで路地に入り、壁を拳で思いっきり殴った。

 

(・・・・・・やっちまった)

 

 まさか、あんな形で告白してしまうなんて。しかも、言うだけ言って無理矢理立ち去るなんて、言い逃げなんて最悪だ。

 十中八九、カルパッチョはアルデンテの気持ちに気付いてしまっただろう。

 しかし、最早それを撤回することはできない。

 ならどうするべきか。

 それは決まっている。絶対に、屋台総選挙で1位になって、今度はしっかりと逃げないでカルパッチョに自分の気持ちを伝える。さっきみたいな婉曲な告白ではなくて、はっきりと、面と向かって伝えるのだ。

 

(絶対・・・・・・絶対だ)

 

 

 

 アルデンテが去った後も、カルパッチョはトレヴィーノの泉から離れられずにいた。

 

(・・・・・・・・・・・・)

 

 アルデンテの言葉を聞き届けた。

 アルデンテが総選挙に出て、1位を目指す理由も聞いた。

 そして、アルデンテが誰かのことを想っているということも、分かった。

 

(・・・・・・・・・・・・)

 

 その想っている人物が誰なのか、カルパッチョにはすぐにわかった。

 自惚れているわけでも、自慢をするつもりでもないが、アルデンテの言っていた人物には心当たりがあったからだ。

 この陽気でお気楽なアンツィオで、アルデンテのように落ち着いた性格で周りとは浮いていて、戦車道を嗜んでいて、弱気な自分の性格を変えたいと思っている人。

 そんな人は、カルパッチョの知る限りでは1人しかいない―――

 

「っ・・・・・・」

 

 その1人が誰なのかを意識した瞬間、カルパッチョの顔が熱くなる。鼓動が早くなってしまう。

 思わず、顔を両手で覆い、身体をかがめてしまう。隣のベンチでデッサンをしていた少年がびっくりしたようにカルパッチョのことを見るが、今のカルパッチョには何も見えない。

 今のカルパッチョの頭にあるのは、アルデンテのこと、アルデンテの言葉、アルデンテとの思い出。

 その上で、カルパッチョは思う。

 

(アルデンテの、好きな人って・・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

(・・・・・・私?)

 

 

 



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Festa

festa(フェスタ)[festival]【女性名詞】
意:祭、祭日、パーティ

・どこで話を切ればいいのか分からなかった。
・書き終わっても話の内容に納得がいかず何度も書き直してしまった。
主にこの2点が原因で、今回の話はすごい長く、また投稿も遅れてしまいました。
誠に申し訳ございません。


 8月2日、日曜日。今日こそが、アンツィオ屋台街の屋台総選挙の初日だ。

 現在の時刻は午前10時前。屋台街の営業が始まる時間、つまり屋台総選挙が始まる時間は10時なので、今はどの屋台もそれぞれが提供する料理の準備をしているところだった。

 しかし、総選挙に参加しない一部を除いたほとんどの屋台の店主は、その表情は真剣そのもので熱意が感じられる。

 なぜそこまで熱が入っているのかを聞けば、彼らは皆一様に『総選挙に参加するから』と答えるだろう。

 何度も言うが、アンツィオの生徒たちは陽気でお気楽で、祭りや祝い事などのイベントは大好きだった。だから、今回の屋台総選挙にもほぼ全ての屋台がこぞって参加することになった。去年のアルデンテやジェラートのように、参加しなかった屋台は結構少ない。

 そんな総選挙に参加する屋台主たちの思惑は様々だ。単純に楽しそうだから、自分の料理の腕がどれほどなのかを知りたいから、1位になってモテたいから、など色々ある。

 今自分の屋台で準備を進めているアルデンテも、この総選挙で1位になるために念入りに準備をしている。だからその表情も目つきも、彼を知る者であれば『今までで一番険しい』と評するだろう。

 

「気合入ってんな」

 

 手伝いのペスカトーレが、アルデンテを見ながらボソッと呟く。だが、アルデンテはラザニアをオーブンに入れながら反論する。

 

「お前こそ、普段は下準備の手伝いなんてしないくせに」

 

 ペスカトーレは今、ラザニアの生地に載せるラグーの具材である野菜を包丁で切っている。本来この作業はラザニアを作るアルデンテの仕事だった。だが、先に来て準備をしていたアルデンテの下にペスカトーレがやってきて、『手伝うぞ』と言ってきたのだ。

 

「多分総選挙の間は多分いつも以上の人が来るだろうし、ラザニアの作り過ぎで倒れられたらどうしようもないからな」

 

 ペスカトーレなりの気遣いをアルデンテは素直に受け入れて、材料を切る作業をお願いした。だが、煮込みや焼き加減についてはアルデンテしか分からないので、それは普段通り自分でやる。

 

「お待たせ~」

 

 そこで、アルデンテにとっては聞き慣れた声で、ペスカトーレにとっては忘れるはずのない声が聞こえた。そこにいたのは、買い物袋を両手に提げるアマレットだ。

 

「いきなり使い走りなんて、中々に人使いが荒いねぇ」

「なら、野菜を切る方が良いか?」

 

 アマレットが皮肉りながら買い物袋をテーブルに置く。トマトの缶詰などはともかく、肉や野菜などの食品は外に放置するとダメになるため、支給された小型の冷蔵庫に保存する。

 

「まあそっちの方がいいかもね~。この炎天下、スーパーまで行くのもしんどいし・・・」

 

 ブラウスの首元をパタパタと揺らして、風を少しでも服の中に送ろうとするアマレット。どうでもいいが、男の目があるし、色々際どいしで、そういうところには気を遣ってほしいとアルデンテは思う。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 現にペスカトーレは、野菜を切るのそっちのけでアマレット、の胸元をまじまじと見ていた。こんな時も自分に正直な親友を見て、アルデンテは『この節操無しめ』と心の中で呆れる。

 屋台に立つ人物は、コックコートかアンツィオ高校の制服を着ることが義務付けられている。私服などはご法度で、特に料理をする者はコックコートを着ることが常だ。だからアルデンテはいつもコックコートを着ているし、ペスカトーレもこれまで一度も私服で屋台に立ったことはない。アマレットも、それを事前に聞いていたので制服だった。

 アマレットがようやく、ペスカトーレの自分への―――具体的には胸元に向けられている視線に気付き、ペスカトーレの頭をバシッと叩く。そしてパイプ椅子に座って、下準備をする2人の様子を眺めることにする。

 

「でも、まだ始まってもいないのにこんな買い込んで良いの?」

 

 アルデンテから買うように言われた食材の量が気になったので、アマレットは聞いてみる。

 

「今日はいつも以上に客が増えるだろうし、買っておいて損はない。それに余っても、冷蔵庫で保管しておける」

「ふーん・・・」

 

 すると、アンツィオ高校の制服を着た何人かの男女がやってきて、屋台1つ1つに小さな木箱を置いて行く。その木箱はアルデンテたちの屋台のカウンターにも置かれ、その木箱には『23』と数字が刻まれていた。

 

「「なにこれ?」」

 

 ペスカトーレとアマレットが声を揃えてアルデンテに訊く。アルデンテは、ラザニアの焼き加減を見ながら説明をした。

 その木箱は、屋台総選挙の投票券を入れるためのもので、刻まれている数字は各屋台に振り分けられている番号を示している。その各屋台に振り分けられている番号は、アンツィオ高校学園艦が発行しているパンフレットにも反映されている。

 総選挙期間中、この屋台街を訪れたお客には5枚綴りの投票券が1組ずつ渡される。投票券を持つ人たちは、自分が美味しいと感じた屋台の投票箱に投票券を入れていくというシステムだ。その投票券にも各1枚ずつナンバリングがされていて、同じ数字の札が複数あるということはない。

 ただし、投票の仕方については定められておらず、屋台を1つ1つ回って熟考した上で投票する屋台を選ぶ人物もいれば、1つの屋台に満足して手持ちの投票券を全て投入する人もいる。投票の仕方まで縛ってしまっては、窮屈だ。

 

「ジェラートの所には?」

「もう行った」

 

 アマレットに聞かれてアルデンテは即答し、先ほどジェラートの屋台に顔を見せに行った時のことを思い出した。

 

『約束は守ってもらうからね~』

 

 ジェラートに挨拶をした時、彼女はそう言っていた。約束とは、アルデンテがジェラートに協力を申し出た際に向こうが提示してきた交換条件だ。わざわざ無理を言って協力してもらうのだから、アルデンテとしてもその約束は守るつもりでいた。

 

『・・・・・・・・・・・・』

 

 だが、ジェラートの傍にいたカルパッチョは、アルデンテに対して何も言ってこなかった。

 どころか、アルデンテと1度も目を合わせようとはせず、言葉を交わそうともしなかった。

 アルデンテも、カルパッチョが視線を合わせようとはせず、そして少し恥ずかしそうな顔をしていたので、結局アルデンテはカルパッチョと何も話さずその場を去ってしまった。

 カルパッチョの態度も、仕方ないことだとアルデンテは思っている。

 アルデンテは先日、カルパッチョに対して『不完全な』告白をした。不完全というのは、アルデンテは直接カルパッチョの名を出したわけではないが、カルパッチョのことを匂わせるような発言をして、そして『好きだ』と言ってしまったからだ。

 カルパッチョからすれば、あんな唐突に認めてほしい人がいるだのなんだのと言いだして、遠回しに自分のことが好きだと言われて、終いには何も言えずに立ち去られ、どうすることもできなかったのだから。そしてその相手が、後日平然とした顔で自分に会いに来たのだから、やるせない気持ちになっているのだろう。

 だが、アルデンテも表向きは平然としていたが、内心ではひどく焦り動揺していた。

 あの日を境に、アルデンテはカルパッチョとはメールや電話を交わすことはおろか、顔を合わせることさえも無かったのだ。

 しかし、それにどこか安心している自分がいるのも事実である。

 自分があんな告白をしてしまったせいで、間違いなくカルパッチョはアルデンテの中の想いにいた。そして、どんなことを言われるのか、カルパッチョは自分のことをどう思っているのか、それが気になり、そして怖かった。

 怖かったからこそ、アルデンテはカルパッチョと少し距離が置かれている今に安心しているのだ。

 しかし、いつまでもこんなことではダメだということもアルデンテは分かっている。

 だから、この総選挙で1位を取って、あの時不完全な告白をしたことを謝り、本当の告白をする。この前みたいな中途半端なものではなく、自分のカルパッチョへの想いを、誤魔化したりぼかしたりせず、正直に伝える。

 そう決意したところで、時計塔の鐘が10時を告げた。

 

「よし、締まっていこう」

「「よし!」」

 

 アルデンテが気合いを入れると、ペスカトーレとアマレットは声を揃えて、ぐっと腕に力を籠めた。

 

 

 普段の日であれば、屋台街が営業を開始してからおよそ1時間―――つまり11時過ぎぐらいまではそこまで客は来ない。10時前後だと朝食時と昼食時の中間ぐらいの時間帯で、お客のお腹もいい感じに満たされているからだ。この時間帯に来るのは朝食を食べ損ねた人か、食べ歩きを目的とする人ぐらいだろう。

 しかしこの時期は違う。世間は夏休みで観光客は普段よりも多く、屋台総選挙という一大イベントによってどの屋台も料金割引や増量セールを実施している。そうした時期とサービスが重なって、ついつい財布のひもを緩めてしまう人は大勢いた。

 さらに、夏休みで暇を持て余したアンツィオ高校の生徒も、友人や恋人へのやっかみ、応援などで屋台街を訪れることが多い。アンツィオ高校全体がお祭り好きな風潮もあり、屋台街を訪れる者は多い。

 それに加えて、アンツィオ高校学園艦はローマ風の建築物が点在しており、この学園艦で暮らす(一部を除いた)生徒や教師、一般人も陽気で快活なイタリア人気質だ。この場所も、そこに暮らす人もイタリア風なので、巷では日本にいながらイタリア観光ができると話題だった。旅行会社でもアンツィオ高校学園艦のツアーが組まれるぐらいに。

 最後に、今現在アンツィオ高校学園艦は母港の清水港に停泊している。よって、外部からの観光客も連絡船を使うことなく、アンツィオに訪れやすくなっていた。

 これらのことを統括すると。

 

「いらっしゃいませ~!朝はお腹に優しいリゾットをどうぞ~!」

「暑い日にはアイス・カフェ・ラッテは如何ですか~!」

 

 屋台営業開始からわずか10分ほどで、屋台街は多くの観光客とアンツィオ生で賑わっていた。

 どの屋台主たちも声を張り上げて、必死に呼び込みをしている。やれ『15%オフ』だの、やれ『増量サービス実施中』だのと自分の店の割引や増量サービスを売りにして、少しでも多くの客を呼び込み投票券を獲得しようと躍起になっている。

 アルデンテたちの屋台も、何もしていないというわけではない。むしろ、一番躍起になっているのはアルデンテたちだと言える。

 何しろ、彼らの屋台のサービスは他では見られないようなものだからだ。

 

「いらっしゃいませ~!今なら期間限定、ラザニアが100万リラ引きの150万リラ!」

 

 ペスカトーレが呼び込みの声を上げる。

 普段値引きを一切しない、カルパッチョに対して50万リラ値引きしただけで驚かれたアルデンテが、いきなり100万リラも値引きした。しかし、割引自体は何処もやっていることなので大して珍しくもない。

 しかし。

 

「今なら提携店のジェラート割引中!美味しいですよ~!」

 

 アマレットが笑顔で宣言した売り文句に、周りの屋台主たちは揃って頭に『!?』と感嘆符を浮かべる。

 

 

 今回の総選挙の間だけ、アルデンテはジェラートと手を組み、ラザニアとジェラートを安く販売しているのだ。これこそが、アルデンテがジェラートに告げた『お願い』である。

 アルデンテの屋台でラザニアを買うと、ジェラートの屋台でのジェラートが50万リラ引きになるのだ。逆にジェラートの屋台で先に買い物をすれば、アルデンテの屋台でのラザニアが50万リラ引きになる。ジェラートは元々150万リラで販売されており、アルデンテの屋台も今だけは150万リラで売られている。どちらかの屋台で買い物をすればもう一方の屋台が50万リラ引きになるため、ラザニアとジェラートが合わせて250万リラで味わうことができるのだ。

 2つの屋台が提携するということは前例がないことだったらしく、運営委員会にこれを具申した際は判断を迷わせた。だが、最終的には運営委員長の『楽しければいいじゃない!』の一言で通った。アルデンテは、アンツィオ高校の大らかさに救われたとも言えるし、感謝している。

 そしてジェラートは、今回アルデンテに協力することの交換条件として、この期間中のアルデンテの屋台での売り上げは全額アンツィオ高校戦車隊に寄付することを約束した。

 アルデンテは元々売上金は全て学校に寄付していたのだが、この場合の売上金のようとは学校の行事の予算や、備品の調達などに充てられる。つまり。どう使うのかは学校の自由だった。

 しかし、今回アルデンテとジェラートは売り上げを『アンツィオ戦車隊のために使ってほしい』と明記したので、学校側に寄付するのは同じであっても、こちらは用途が明確に決められている。

 間接的にアルデンテは、アンツィオ戦車隊に協力することになっていたのだ。

 

 

 ラザニアとジェラートが合わせて250万リラで食べられるというのは、他では見られない。何よりラザニアは割とボリューミーな料理であり、それを150万リラで食べられるというのは、全体的にリーズナブルな屋台街の中でも結構目を引く。

 そこで、観光客らしき女性2人組がアルデンテたちの屋台に近寄ってきて、注文をしてきた。

 

「すみません、ラザニア2つください」

「はーい!オーダー、ラザニア2つ!」

「了解」

 

 アルデンテがラザニアを用意する傍ら、応対をするペスカトーレはカウンターの脇に置いてあった緑色の小さなチケットをお客に渡す。

 

「じゃあこのチケットを、14番区画のジェラート屋台に持って行ってください。50万リラ引きになりますんで」

 

 14番区画は、ジェラートの屋台に割り振られた番号である。

 ペスカトーレが説明し終えたのを見計らって、アルデンテがラザニアとフォークを2人に差し出す。手渡された女性2人は、その場でラザニアを一口食べて顔を輝かせた。

 

「美味しい!」

「えっ、これで150円?安い!」

 

 もう1人の観光客も、笑顔でパクパク食べている。誰かが笑顔で自分の作った料理を食べている姿は、いつ見ても心地良いものだ。

 この総選挙期間で、アルデンテは値下げをしたからと言ってラザニアのクオリティを下げるような真似は断じてしない。ちゃんといつも通り、いやいつも以上に丹精を籠めてラザニアを作っている。とはいえ、ただでさえ安いラザニアをいつもより値引きし、さらにはジェラートまでセットにするなんて採算度外視、出血大サービスもいいところだった。

 と、ラザニアを食べ終えた女性観光客2人は、それぞれ持っていた5枚綴りの投票券を1枚ずつ千切って投票箱に入れ、ジェラートの屋台の方へと向かって行った。

 

「「「ありがとうございました!」」」

 

 去って行く2人の観光客に向けて、アルデンテたち3人は頭を下げてお礼の言葉を告げる。すると今度は、若い男性のお客がやってきた。

 

「あの、この券を見せれば割引になるって聞いたんですけど」

 

 そのお客が見せたのは、先ほど女性客2人に渡したものと同じ緑色のチケット。ジェラートの屋台でも、買った客に対してこのチケットを渡すように言ってあるので、この男性客は恐らく先にジェラートの屋台に行ったのだろう。

 

「はーい、ラザニア50万リラ引きで100万リラでーす!」

 

 ペスカトーレが溌剌とした表情と顔で接客をする。

 一方、周りの屋台主たちは『くっ』と苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。まさか、アルデンテたちの屋台が他の屋台と提携して客を集めるとは思わなかったからだ。2つの屋台が協力するというのは前例が無かったから、その方法に気付けなかったのも仕方がないが。

 だからと言って、他の屋台主たちがアルデンテたちの屋台に向けて『ズルい』と声高に叫ぶことも、ねちっこくいびるようなこともしない。アンツィオは妬みや嫌がらせとは無縁の学校だ。

 だから、他の屋台主たちもペスカトーレやアマレットに負けないほどの声の大きさで客引きをしたり、さらに増量サービスをしたりして何とか対抗しようと試み始めた。

 

 

 アルデンテの屋台から少し離れた場所にある屋台のペパロニも、アルデンテたちの屋台の提携サービスに驚いていた。

 

「あいつ、あんな手を使ってくるなんてなぁ・・・」

 

 ペパロニの屋台の近くにあるラザニア屋台の主は、普段から1万リラもまけない、それでいてラザニアの腕は確かな変わった奴だ、という噂だったのは知っていた。

 そのラザニア屋台の主―――アルデンテと初めて会って挨拶をしたのは、全国大会で大洗女子学園との試合に負けた日の翌日で、その時のアルデンテの第一印象は『アンツィオらしくない奴』だった。アルデンテとは1年来の付き合いだというアマレットも、『あいつは自己主張をあまりしない、ここじゃ珍しく大人しいマイペースな奴』と評していた。

 だが、まさかそのアルデンテが、あのカルパッチョの名付け親だとは思わなかった。

 おまけに、そのアルデンテとカルパッチョは、前の休日に何らかの約束を交わしていた上に手まで繋いでいた。割と本気でペパロニは、2人は付き合っているんじゃないかと思っている。

 そんなことはともかく、そんなアルデンテがいきなり100万リラも値引きしてその上ジェラート屋台とも手を組んだというのは、予想外だった。

 もちろんペパロニも、この屋台総選挙には参加している。祭りやイベントなど楽しいことが好きなアンツィオ生の例に漏れず、ペパロニもこういう行事が好きだった。楽しいことなら生徒も教師も全力で乗っかる、それがアンツィオの流儀だ。

 

「しっかし、どうするかねー・・・」

 

 だが、ペパロニの屋台の客足はそこそこいいものの、アルデンテたちの屋台と比べると少しばかり少ない。やはり、鉄板ナポリタン1つ300万リラは少々高い方だからだろうか(それでも料理の手間暇を考えれば十二分に安い)。それにペパロニは、どこか別の屋台と提携しているわけでもない。

 

「ペパロニ姐さん、どうします?これじゃ1位になれないっすよ?」

 

 皿洗いとしてヘルプに来てもらっている、ライオンのような髪型の少女・パネトーネが、件のアルデンテたちの屋台を見ながら話しかける。ペパロニは、ナポリタンを調理しながら少し考えた。

 どうすれば客が入る?どうすればもっと売れる?

 うーん、と呻きながら考えていると、真正面から声を掛けられた。

 

「どうした?真剣そうに悩んで、お前らしくもない」

 

 その声をかけてきた人物は、ペパロニが敬愛してやまない人物であるアンチョビだった。

 そしてアンチョビの姿を見た瞬間、ペパロニの頭に妙案が閃いた。

 

「そうだ!これだ!これっすよ、アンチョビ姐さん!」

「うぇ!?な、なんだ急に!?」

 

 突然ペパロニに両手を掴まれて距離を詰められ、アンチョビは赤面して狼狽する。

 そんなアンチョビにペパロニは、今現在の自分の屋台の状況と、自分が考えついたアイディアを語る。それを聞き届けたアンチョビは、ぽかんとした顔でペパロニのことを見ていた。

 

 

 時計塔の鐘が19時を告げると、屋台は全て店じまいとなり、屋台街で料理を楽しんだお客もそれぞれ帰っていく。

 一方、屋台主たちは今日の疲れを溜め息という形で吐き出して、椅子に座ったりカウンターにもたれかかったりしている。

 

「「つ、疲れた・・・・・・」」

 

 ほぼ1日中客引き(と買い出し)をしていたペスカトーレとアマレットもそれは同じで、まるで溶けるかのように項垂れている。

 ずっとラザニアを作り提供していたアルデンテも疲れていて、ふぅと息を吐く。

 

「まさか、こんなに疲れるなんて、思わなかったぞ・・・・・・」

 

 アマレットが買い出しの際に買って来てくれたアイス・カフェ・ラッテを飲みながら、ペスカトーレが捻りだすように呟く。

 

「観光シーズン、屋台総選挙っていうイベント、ラザニア100万リラ引き、ジェラート割引なんてすれば、こうなるのも当然だよね・・・・・・」

 

 アマレットが額に浮かんでいた汗をタオルで拭きながら、ペスカトーレを労わるように肩を軽く叩く。

 そこでアルデンテは、2人に声をかけた。

 

「今日はまだ初日で、明日どうなるかはまだ分からん。でも、手伝ってくれてありがとう」

 

 アルデンテの素直な感謝の言葉に、ペスカトーレとアマレットはニッと笑う。

 

「ちょっと、ジェラートの屋台に行ってくる」

「ああ、行ってこい」

「片付けは先にやっとくよ」

「悪い」

 

 片手を挙げて挨拶をしながら、アルデンテはジェラートの屋台へと向かう。営業時間を過ぎ、訪れるお客もいなくなった今では昼に喧騒を欠片も感じさせないほど静かだ。

 やがてジェラートの屋台に着くと、店主であるジェラートは、自らの腰を手で叩いている。カルパッチョの姿は無かった。

 

「お疲れ、ジェラート」

「あぁ、アルデンテ・・・・・・」

 

 ジェラートが、疲れ切っていると体全体で表現するかのようにゆらりと振り返る。

 

「疲れた・・・・・・」

「そっちもか」

 

 カウンターにもたれかかるジェラートは、アルデンテを見ながらぶー垂れる。

 

「そりゃ提携サービスなんてやったからねぇ。過去一だよ、お客の数は」

「そうか・・・・・・すまなかったな」

「いいって。それより、そっちはどうだった?」

「まあ、こっちもいつも以上に忙しかったな」

 

 そこでアルデンテは、気になっていたことを訊ねる。

 

「・・・カルパッチョは?」

「あー、たった今タッチの差で帰っちゃったよ」

「・・・・・・そうか」

 

 ジェラートが言ったように過去最高の数のお客を相手にしていれば、カルパッチョも疲れていただろう。

 アルデンテは、ジェラートの屋台を自分の都合で巻き込み忙しくさせてしまったのだから、気まずいとか自分も疲れているとかそう言う事情は抜きにして、攻めて労いの言葉の一つでもかけたかった。

 

「・・・・・・会いたかった?」

 

 ジェラートがアルデンテのことを見上げながら訊く。

 ジェラートは、アルデンテが屋台総選挙に出て協力を申し出た際に、アルデンテの素直な気持ちを聞いている。それで分かっているから、試すようにジェラートはそう訊いたのだ。

 アルデンテもそれは覚えているので、隠すことも無く自分の気持ちを正直に明かした。

 

「・・・・・・会いたかったよ」

 

 

 

 2日目、アルデンテたちの屋台からさほど離れていない位置にあるペパロニの鉄板ナポリタン屋台で動きがあった。

 

「アンツィオ名物鉄板ナポリタン!今ならなんと100万リラ引きの200万リラ!200万リラだよー!」

 

 ペパロニの鉄板ナポリタンも、普段の300万リラから200万リラに値下げをしてきた。これについては、アルデンテたちもやっているし、他の屋台でもやっていることなので物珍しくはない。

 だが、変わったのは客引きをしている人の方だ。

 

「今ならこの統帥(ドゥーチェ)アンチョビが増量サービスをしてやるぞ!」

 

 あのアンチョビがコックコートを着て客引きをしている。

 アンチョビは言わずと知れたアンツィオ戦車隊を率いる統帥で、アンツィオ高校でもマドンナのような存在だ。故に、学校内での男女の信頼や人気は厚く、皆がアンチョビのことを慕っている。

 また、アンチョビ―――安斎千代美の名は、西住流や島田流など由緒ある流派には劣るが戦車道界隈では有名である。中学時代はブイブイ言わせていて、その功績を認められてアンツィオにスカウトされ入学。遂には衰退していたアンツィオ戦車隊を今の規模にまで復活させたのだから、そのリーダーシップと功績は戦車道連盟の一部からは注目されている。

 さらに、アンチョビの容姿はドリルツインテールと特徴的な髪型で、人の目も引きやすい。

 そんな総じてすごい人が客引きをしているのものだから、アンツィオ生と一部の戦車道に造詣がある者、そしてアンツィオに入学することを考えている中学生たちは自然とそちらに流れていく。

 そしてアンチョビがコックコートを着ているということは、いずれはアンチョビも鉄板ナポリタンを作るだろう。そうなれば、『あのアンチョビが作ったナポリタン』というブランドがついて客足はさらに増えることとなるだろう。

 

「くっ・・・・・・まさかアンチョビ姐さんを味方に付けてくるとは・・・!」

 

 アマレットが握り拳を作って苦しそうに告げる。ペスカトーレも客引きの合間にペパロニの屋台を見るが、今や訪れた者たちによってドゥーチェコールが上がっているのが分かる。

 

「これじゃ勝てないぞ」

 

 ペスカトーレもアルデンテに注意を促すが、アルデンテはさほど焦ってはいない。

 

「落ち着け。アンチョビさんが人気なのは確かだが、それはアンツィオ生と戦車道関係者の間でだけだ。ならこっちは、一般の観光客をターゲットに絞ればいい」

「なるほどね」

 

 アルデンテの言うように、ペパロニの屋台の前に集まっているのは大半がアンツィオ生だ。外部からの観光客や、戦車道にあまり関心が無い人は置いてけぼりを喰らっている。アンツィオのノリと勢いにほだされて、完全にノリでドゥーチェコールをしている人もいるが。

 

「おっ、そこのお似合いのカップル!ウチのラザニアどうだい?今ならジェラートもセットで割引になるよ!」

 

 アルデンテの言葉を理解したペスカトーレが、早速観光客らしきカップルに声をかける。

 これまでペスカトーレは、とにかく屋台の前を通る人には手当たり次第に声をかける感じだったが、アルデンテの言葉を境に声をかける相手をある程度選ぶようになった。正確には、観光客らしき家族連れやカップル、そしてペパロニの屋台に向かうことなくどの店にしようか悩んでいるアンツィオ生らしき少年少女などだ。

 結局その日の売り上げは、昨日と比べると落ちてしまっていたが、それでも普段と比べれば多い方だった。

 

 

 3日目。今日も天気は快晴で、そんな空の下でアンツィオの屋台街は今日も今日とて賑わっている。

 昨日に引き続き、ペパロニの屋台ではアンチョビが客引きをしていて、今日からは鉄板ナポリタンを作る側にも回るらしい。そしてアンチョビが作り始めると、アンツィオ生たちはこぞって鉄板ナポリタンを買い求めていた。

 そして、鉄板ナポリタンを買った人たちがどんどん投票箱に投票券を突っ込んでいるのを見て、アルデンテもさすがに焦りを覚える。

 アンチョビフィーバーはせいぜい1日ぐらいしかもたないだろうと思ったが、アンチョビが屋台入りして2日目になってもその勢いは収まらない。これがノリと勢いの本場アンツィオの真髄か、とアルデンテは戦慄する。

 アルデンテの屋台にも客は来ているし、投票券も割と獲得できてはいるが、ペパロニ性質の屋台とは明らかに数が違う。

 ペスカトーレの言った通り、『勝てないか』とアルデンテが弱気になったところで問題が発生した。

 

「Извините, пожалуйста, дайте мне одну лазанью.」

 

 日本語じゃないのは聞けば分かる。しかし英語ではない。

 そんな謎の言語を話す、ニットのワンピースを着た金髪碧眼で色白な少女が、アルデンテたちの屋台を訪れたのだ。

 どう見ても外国人な少女を前にして、アルデンテ、ペスカトーレ、アマレットの3人は顔を突き合わせてひそひそと話し合う。

 

(え、何語・・・?)

(いや、分からん・・・・・・アルデンテはどうだ?)

(イントネーションからしてロシア語だろうけど、何を言ってるのかはさっぱりだ)

(おいおい何やってんだ学年3位!)

(ロシア語の授業なんぞ無いから分かるか)

(アンチョビ姐さんならワンチャン分かったかも・・・・・・)

 

 そんな感じで3人が悩んでいる様子を見て、ロシア少女(仮)は、『あっ』と気付いたように声を上げて、申し訳なさそうに笑みを浮かべながら話しかける。

 

「ごめんなさい。日本語、話せます」

 

 その言葉を聞いて、3人は胸をなでおろした。

 

「つい癖で、母国のロシア語が出てしまって・・・・・・」

 

 アルデンテの『ロシア語だろう』という言葉の通り、どうやらこの少女はロシア人らしい。夏休みを利用して観光に来たのだろうか?

 

「改めて、ラザニアを1つください」

「あ、はいはい!150万リラね!」

 

 ペスカトーレがロシア少女から150万リラを受け取り、引き換えに緑色のジェラート割引券を渡す。ペスカトーレがその券の使い方と、券が使えるジェラート屋台の場所を教える傍らで、アルデンテはラザニアを準備する。説明が終わると、アルデンテはラザニアを少女にフォークと共に差し出した。

 そのロシア少女はラザニアを受け取って、フォークで一口食べると、ぱあっと顔を明るくさせて。

 

「Вкусно!」

 

 またロシア語が出ている。だが、顔と口調からして喜んでくれているのだろうなとアルデンテたちは思った。

 

「日本には観光で?」

 

 ペスカトーレが少女に話しかけると、少女は首を横に振った。

 

「いいえ、ロシアから日本の高校に留学に来ました。今は夏休みなので、日本観光をしたいと思いまして」

 

 日本観光とは言うが、どうしてイタリア風のこのアンツィオ高校学園艦を訪れたのかは分からない。偶然目に付いたから来ただけかもしれないが、深くは聞かないでおくことにした。

 ラザニアを食べ終えて満足したのか、そのロシア少女は。

 

「Это был праздник.」

 

 と手を合わせて告げて、投票券を3枚千切って投票箱に入れて。

 

「До свидания.」

 

 と言ってジェラートの屋台の方へと向かって行った。最後は怒濤のロシア語で何を言っているのかはさっぱりだったが、喜んでもらえたみたいだったのでアルデンテたちは満足だった。

 ただ、ペスカトーレは去って行くロシア少女を見て『可愛い人だったな』と愚直な感想を呟き、アマレットから頭をはたかれた。こうして明確にアマレットが手を出すのも珍しいなとアルデンテは思う。

 そしてアルデンテは、ペパロニたちの屋台は気にせずに、今まで通りに票を堅実に集めていこうと思った。自分たちのペースを守って、これ以上の客引きを目的としたアピールは止めておくべきと、結論付けた。

 さしあたり、まずはジェラートに『ロシア人の女の子がそっちへ行ったから注意しろ』と連絡することにした。

 

 

 4日目は午後から雨が降り出してしまい、運営員会から中止勧告が出されたため、午後2時で屋台街は急遽休みになってしまった。

 続く5日目。天気は回復したものの、気温が高い上に昨日の雨で地面が湿っていて、全体的に蒸し暑かった。

 しかしそんなことは些末な問題と、屋台主たちは昨日半日潰れてしまった分を今日取り返そうと躍起になっていた。先日以上に、どの屋台も声を上げてお客の興味を引こうとしている。

 それはペスカトーレとアマレットも同じで、他の屋台に負けず劣らずの溌剌とした明るい声で客引きをしていた。

 だがそんな中で、お客から注文を受けてペスカトーレが代金を受け取り、料金箱に入れようとしたところで。

 

「おっとと・・・・・・」

 

 チャリンと音を立てて、ペスカトーレは小銭を地面に落としてしまった。ペスカトーレは『失礼しました』と言いながらお金を回収して料金箱に入れるが、その動きもどこか鈍い。

 アルデンテはラザニアを渡し、『美味しい』というコメントと投票券を1枚貰ったことにお礼を告げて、ジェラート屋台に向かっていくのを見届けてから、ペスカトーレに話しかける。

 

「大丈夫か?」

「どうにか」

 

 口ではそう言うが、見るからにペスカトーレは疲れている。それはアマレットも気付いていたようで、ペスカトーレの肩に優しく手を置いた。

 

「大丈夫?疲れたんなら無理せず休んだ方が良いよ?」

 

 アルデンテもアマレットと同意見で頷くが、ペスカトーレはいやいやと首を横に振った。

 

「アルデンテもアマレットも頑張ってるのに、俺だけ休むってのも悪いからな。頑張るよ」

 

 アルデンテは、ペスカトーレがこの総選挙の前に『総選挙で1位になったらアマレットに告白する』と言っていたのを覚えている。

 だから、ペスカトーレのその言葉の裏には『好きなアマレットがいる前で弱音は吐けない』という意味があるのを、アルデンテはペスカトーレの親友として理解していた。

 

「・・・無理せず、休んでいいからな」

 

 そのペスカトーレの意思を尊重して、アルデンテは頭ごなしに『休め』とは言わない。無理はするなとだけ忠告する。

 ペスカトーレはそれに対して『分かってる』とだけ答えて、再び客引きを再開した。

 

 

 6日目にして、恐れていた事態が起きた。

 ペスカトーレが体調を崩したのだ。

 恐らくこの総選挙での長時間の客引きによる疲労と、昨日一昨日の急激な天候の変化にやられてしまったのだろう。

 朝起きて、すぐにペスカトーレからのSOSメールに気付いたアルデンテは、急いで朝食を掻き込んでペスカトーレの部屋へ向かう。

 ペスカトーレは、起き上がれないほど具合が悪いという状態ではなかったが、呼吸は若干乱れているし、しゃがれた声で喋るあたり具合が悪いことに変わりは無いようだ。この状態では、客引きなどできないだろう。

 まずアルデンテは、ペスカトーレを布団に寝かせて手早くおかゆを作り、ペスカトーレの下へと持って行く。

 

「屋台は・・・?」

 

 おかゆを食べ終えたペスカトーレは、痛んだ喉が温かいおかゆである程度回復したのか、少し掠れるような声で訊く。

 

「まだ間に合う」

 

 時刻はまだ8時半前。ダッシュで行って速攻で着替えればラザニアの準備をする時間は十分に確保できる。

 

「・・・悪い、迷惑をかける」

「気にするな。俺だって結構ギリギリだし、いつ倒れるか分からん」

「そうか・・・・・・」

 

 そしてペスカトーレは、少しだけ悲しそうな顔をして告げた。

 

「アマレットにも・・・ゴメンって伝えておいてくれ」

「・・・・・・分かった」

 

 この状況でもアマレットのことが気になっているあたり、ペスカトーレもアマレットに入れ込んでるなとアルデンテは思った。

 その言葉を最後に、ペスカトーレは目を閉じて寝息を立てて眠りに就いた。

 アルデンテはペスカトーレが眠りに就いたのを確認すると、音を立てないように部屋を出る。そして駆け足で学校へ向かい、コックコートに着替えて自分の屋台へと向かう。すでにアマレットは準備を始めていた。

 アルデンテが到着すると、アマレットが問いかける。

 

「遅かったじゃない。どうしたの?」

「ペスカトーレが体調崩した」

「え・・・・・・」

 

 アマレットが信じられないと言った表情になる。

 

「昨日、一昨日の急な天気の変化と、疲れが溜まってたっぽいな。今日は休ませたよ」

「そっか・・・・・・」

 

 露骨にがっかりしているアマレット。アルデンテはそれを見て、少しでも元気づけようとペスカトーレからの伝言を伝える。

 

「アマレットにもゴメン、だって」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 アルデンテは、ラザニアの準備を進めながらアマレットの表情を窺う。

 アマレットは料金箱を取り出したり、投票箱をカウンターの前に置いたり割引チケットを用意しているが、アマレットの表情は今なお晴れず、曇ったままだ。

 はっきり言って、こんなアマレットは初めて見た。

 

「・・・・・・どうかしたのか?」

 

 アルデンテが気になったので訊ねると、揺れる瞳をアマレットはアルデンテに向けた。

 

「・・・・・・ペスカトーレがいないのって、なんか寂しいね」

 

 予想外の言葉に、アルデンテは言葉を失う。

 普段のアマレットはそんな気弱なことなど言わず、いつも明るく振る舞っている印象がある。戦車道でだって、ペパロニと同じ戦車の操縦手として抜群の腕を振るっているという噂だ。

 そんなアマレットが、物憂げな表情で『寂しい』だと?

 

「・・・最近ね、あいつのことが輝いて見えるんだ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 アルデンテは言葉を挟まず、ラグーの材料を手際よく切って鍋に入れる。

 

「この総選挙の間、私はペスカトーレの傍で客引きしてて。ペスカトーレは誰に対しても笑顔で、明るい声で挨拶して、客引きしているのを間近で見て・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「そのペスカトーレが、すごい輝いていて、頭から離れないんだ」

 

 具材がいい感じに焼けたので、トマトソースと塩コショウ、そして調理用の赤ワインを頭に叩き込んだレシピ通りの分量で混ぜて煮込み始める。

 

「最初の日の夜に、あんたがジェラートの屋台に顔見せに行った時にペスカトーレに聞いたんだ。『よくそんな風に、誰にでも笑顔で客引きできるね』って」

 

 初日が終わりアルデンテがジェラートたちを労うためにジェラートの屋台へ行ったのだが、その間にそんなことを聞いていたとは。アルデンテは少しばかり驚く。

 

「そしたらあいつ、『アルデンテのラザニアが美味いのは俺が一番知ってる。だから、その美味さを皆にも知ってもらいたいんだよ』って答えたんだ」

 

 それについては、アルデンテも初耳だった。

 アルデンテにとっての親友であるペスカトーレが客引きをしてくれているのは、アルデンテがダメもとで頼んでの結果だった。だがペスカトーレは快諾したのだが、その理由をペスカトーレは教えてはくれなかった。大方、楽しそうだからという理由で引き受けたのかと思ったが、まさかそんな理由だったとは。

 

「その理由を聞いてさ、私あいつのことを見直したんだ。ペスカトーレはただ、ノリと勢いに任せて、楽しいから客引きをしてるんだと思ってたから」

「・・・・・・・・・・・・」

「で、さ・・・。その理由を言った時のペスカトーレが、すごい私にはカッコよく見えて・・・。それから、その・・・・・・」

「・・・・・・?」

「・・・・・・・・・・・・意識しだして」

 

 おっ、とアルデンテは声を洩らしそうになるが口をつぐむ。

 

「それで、あいつの顔が、笑顔が頭から離れなくって・・・・・・」

 

 ラグーをかき混ぜるアルデンテは、必死で笑いをこらえていた。

 

「・・・・・・気づけば、ペスカトーレのことが好きになってた」

 

 言った。

 アマレットはたった今、自分の気持ちを正直に告白した。

 アルデンテは、ラグーをかき混ぜる手を止めて一度蓋をし、アマレットのことを見る。

 

「・・・今の言葉、ちゃんとペスカトーレに直接言えよ」

「い、言えるわけないじゃない!そんな・・・・・・恥ずかしいし・・・」

 

 とりあえず、今目の前で恥じらうアマレットの姿は実に貴重なので写真にでも撮っておきたかったが、今は調理中なのでそれも叶わない。

 

「その言葉を聞いたら、あいつも絶対嬉しいに決まってる。飛び跳ねて喜ぶだろうよ」

「え、それって・・・・・・」

「おっと口が過ぎた。黙りま~す」

 

 軽口を叩くと、アマレットは顔を真っ赤にして料金箱をドンッとカウンターに置き、ついでにアルデンテの肩をバシッと強く叩く。どうやら調子が戻ってきたようだ。

 それにしても、朝からいい話を聞けたとアルデンテは思う。まさか、アマレットがペスカトーレに惚れたとは思わなかった。そう考えると、一昨々日のロシア人少女を接客した後でペスカトーレをアマレットが叩いたのも頷ける。

 これは、告白した時にお互いどんな反応をするのかが楽しみだ。

 だがアルデンテは、ペスカトーレに『アマレットがお前のこと好きだってよ』とは死んでも言わない。そう言う愛情や友情などの感情は、当事者が言ってこそ伝わり心に響くもので、何より嬉しくなれるのだから。アルデンテは、ペスカトーレとアマレットの関係の中ではあくまでも第三者なので、あれこれ言うわけにはいかなかった。

 そこでふと思う。

 

(他人の応援してる場合じゃないだろ)

 

 結局アルデンテは、初日の朝にジェラートの屋台へ挨拶に行った時以来、カルパッチョとは会っていないし、連絡も取っていない。

 会いに行ってはいるのだが、カルパッチョがいないのだ。

 店主のジェラートは、『飲み物買いに行った』とか『急いで帰っちゃった』など上手い具合にアルデンテをはぐらかす。しかもその顔はどこか嬉しそうだったので、絶対にジェラートは1枚噛んでいる。

 避けられている、という可能性ももちろん考えられた。その理由はむしろ思い当たるとものしかない。

 だが、アルデンテも屋台を長い時間空けられないし、急いで追いかけるのも何か違うと思ったので、大人しく引き下がる結果に終わってしまっていた。

 電話やメールなどの手段も考えたが、電話だとどもって上手く言葉も紡げないのは分かるし、メールを書こうとしても何を書けばいいか分からず開いては閉じるを繰り返している。

 しかし、会いたいという気持ちは増幅していく。けれど自分からはなかなか動けない。何とも自分勝手だとアルデンテは自虐する。

 そんなネガティブなことを考えながらラザニアの準備を続けていると、時計塔が10時の鐘を鳴らし、屋台総選挙の6日目がスタートした。

 

「美味しいラザニア如何ですか~!今ならジェラートと合わせて250万リラ!この機会に是非どうぞ~!」

 

 やはり訪れる観光客は多く、ジェラートとのセットに目がくらんでラザニアを買い求める客も大勢いる。

 それでもアマレットは、今朝アルデンテにこぼした自分の気持ちは一先ず頭の片隅に置いておき、ペスカトーレに負けないぐらいの笑顔と明るい声で客引きをし、お客をさばいていた。

 ここで、アルデンテは気になっていたことを客の流れが落ち着いたところで聞いてみた。

 

「アマレットは疲れていないのか?」

 

 体調を崩したペスカトーレと同様に、アマレットも買い出しと客引きを6日続けてやっているから、いつ体調を崩してもおかしくないと思ったが故の質問だ。

 しかしアマレットは、何てことの無いように笑って答える。

 

「私は伊達に戦車道をやってはいないからねぇ。戦車道やってると、自然と体力がついてくるし、人によっては結構が良くなって低血圧が改善されたってのもあるらしいよ?」

「ほう」

 

 それは知らなかった。そう言えば、以前カルパッチョも『戦車道はダイエットにもなる』と言っていたし、健康管理に役立っているとは戦車道様様だ。

 そうして営業を続けて、昼前に差し掛かり。

 

「あ、野菜が切れそうだな・・・・・・」

 

 アルデンテが支給された冷蔵庫の中を見て呟く。それを耳聡く聞き取ったアマレットが、肩を回しながらアルデンテに話しかける。

 

「買ってくるよ。何が足りないの?」

「悪い。足りないのは・・・・・・そうだな。ラグー用の野菜と、ミンチの牛肉だ」

「オッケー、分かった。すぐに買ってくるよ」

「助かる」

 

 アマレットが財布をポケットに突っ込んで屋台を出て、アンツィオ屋台主御用達のスーパーがある方へと向かって行った。

 だが、そこでアルデンテは致命的なことに気付く。

 

「・・・・・・しまった」

 

 客引きをする人がいなくなってしまったのだ。

 それならどうするべきかは、誰がどう考えても分かる。アルデンテにも分かる。アルデンテが客引きをするしかないのだ。

 だが、アルデンテは屋台を開いてから一度も客引きをしたことはない。いや、ラザニアを準備する片手間で小さな声で『いかがですかー』などと言ったことはあるが、先ほどのアマレットやペスカトーレのように声を張り上げて客引きをしたことはない。

 もっと言えば、体育祭や文化祭などの催しでも、大声を上げたことなど無い。

 その理由は、やはりアルデンテがアンツィオの校風とはズレていて、冷めきっている自分が声を上げるのが恥ずかしいと思っているからだ。

 しかし、やらなければと思って腹を決めて声を上げようとするが、喉が引っ付いたように声が出なかった。アルデンテの喉は、大声を出すことに慣れていなかった。

 

(マズい、どうする・・・・・・)

 

 周りの屋台は、売り上げを伸ばしていたアルデンテたちの屋台が客引きをしなくなったのを見て『これ幸い』とばかりに、声を上げて客を呼び寄せる。アルデンテの前を行く観光客も、こちらをチラッと見るだけで他の屋台に流れてしまっていた。

 100万リラ引きやジェラート割引と、どれだけ魅力的なサービスを銘打っていても、そのサービスを提供する人物が明るくなければ誰だって訝しむものだ。

 アマレットが戻ってくるまで営業を停止するか。いや、いつ戻ってくるかは分からないし、それでは売り上げと投票券が得られなくなってしまう。

 でも、だが、しかし、けれど・・・・・・

 

「アルデンテ・・・?」

 

 グルグル頭の中で思考が渦巻いていたところに、その声は聞こえた。

 その声がした方を見れば、そこにいたのは艶やかな金髪、緑の瞳、白いブラウスと黒のプリーツスカートを身に着けて、黒のベレー帽を頭に被ったアンツィオ高校の制服の少女がいた。

 カルパッチョだ。

 

「・・・・・・や、カルパッチョ」

 

 会いたいと思っていたのに、いざ会ってみるとろくな挨拶もできない。しかも大声で客引きもできず、アルデンテは自分の不器用さを呪うほかなかった。

 

「ペスカトーレと、アマレットは・・・?」

 

 カルパッチョは、屋台にアルデンテしかいないことに気付いて心配そうに訊いてみると、アルデンテは苦笑しながら答える。

 

「アマレットは買い出し、ペスカトーレは体調を崩して休みだ」

「えっ・・・大丈夫なの?」

「ああ、寒暖差と疲労にやられて。でも、そこまでグロッキーって程じゃなかった」

「そう・・・・・・」

 

 会話が途切れる。

 アルデンテは、やはり先日の件があってカルパッチョの顔を見るのが怖くなり、オーブンに目を移す。変な告白をしてしまったせいで、顔を見ることも、言葉を交わすこともままならない。

 しかし、直後にふわりとした優しい香りをアルデンテは感じ取り、横を見ればカルパッチョがオーブンの傍に立っていた。

 アルデンテはびっくりするが、せっかくカルパッチョが近くに来てくれたので何か話の一つでもしなければならないだろう。腹の中が煮えたぎっているような感覚になるが、それでも言葉を発する。

 

「・・・・・・ジェラートの屋台は、手伝わなくていいのか」

「・・・うん、少し気になることがあって」

「?」

 

 カルパッチョは一度目を閉じて、そして決心したようにアルデンテを見据える。

 

「あなたのことが、気になって」

 

 その目で見据えられて、その言葉を告げられて、アルデンテは動きを止める。

 今、カルパッチョは何て言った?

 

「・・・・・・俺が?」

「・・・うん」

 

 カルパッチョも自分で言って恥ずかしかったのか、頬を朱に染めてアルデンテから目を逸らす。

 

「・・・ジェラートが、『アルデンテがカルパッチョに会いたがってた』って聞いて、それで・・・」

 

 語弊がある言い方だと思ったが、実際そう言っていたのでアルデンテは何も言えない。

 しかし、会いたかったのは事実なので、それは正直に言っておく。

 

「・・・確かに、カルパッチョには会いたかった」

 

 カルパッチョが息を呑んだように感じる。

 

「元々、ジェラートの屋台は総選挙に参加しないつもりだった。それなのに、俺が1位を取りたいからって頼み込んで協力してもらって・・・・・・。それで忙しくなったから」

「・・・・・・」

「そのせいでカルパッチョも大変だと思って、謝りたかったんだよ」

 

 カルパッチョは、自分が手伝うジェラートの屋台のことを思い出す。確かに、総選挙という催事とアルデンテの屋台との提携サービスをしているから、普段の比ではないぐらい屋台は忙しい。

 それでも今こうしてアルデンテの屋台を訪れることができているのは、ジェラートから『少し休んでいいよ』と言われたからだ。もちろんカルパッチョは最初、忙しいのにジェラートを1人にさせてしまうので休めないと断った。

 しかしジェラートは。

 

『アルデンテのとこに行っておいでよ。あいつ、会いたそうにしてたから』

 

 その言葉を聞いて、カルパッチョは意を決してアルデンテに会いに来たのだ。そして来てみれば、ペスカトーレもアマレットもおらず、アルデンテが1人しかいなかったので声をかけてみたわけだ。

 

「でも・・・会いたかったんだけど、中々タイミングが合わなくてな」

 

 アルデンテが苦笑しながら告げるその言葉に、カルパッチョは胸が痛む。

 実際の所、カルパッチョはアルデンテから逃げていた。

 カルパッチョは、トレヴィーノの泉の前でアルデンテの本音を聞いて、“誰か”に恋をしているのを知った。

 そしてその“誰か”とは、カルパッチョ自身だということにも気づいてしまった。

 それ以来、アルデンテのことをさらに意識するようになってしまい、会話をすることすらままならなくなってしまった。

 総選挙初日の朝にアルデンテがジェラートとカルパッチョの下を訪れた時も、何を離したらいいのか分からなくなって、結局一言も発することはできなかった。

 その後も、ジェラートによればアルデンテは何度かカルパッチョに会いに来ていたらしいが、カルパッチョはアルデンテと面と向かって話をすることが怖くて、恥ずかしくて、逃げてしまっていた。

 

「・・・・・・ごめんなさい、アルデンテ」

「?」

 

 その逃げていたことが果てしなく後ろめたくて、罪悪感を抱くほどのことだったから、カルパッチョはアルデンテに謝った。

 

「本当は・・・あなたから逃げていたの」

 

 アルデンテの顔から、一切の感情が抜け落ちる。

 

「トレヴィーノの泉で、あなたの話を聞いて・・・それであなたがどうして、この総選挙に参加して1位を取ろうとするのか知って・・・・・・」

「・・・・・・」

「それで、あなたには好きな人がいるって、私は―――」

「カルパッチョ」

 

 カルパッチョの言葉を遮るように、アルデンテは口を挟む。その先の言葉は聞いてはならないと、アルデンテの本能が警鐘を鳴らしたからだ。

 

「その話は・・・・・・後で聞く。今は、忙しいし」

 

 アルデンテは強引に話を打ち切って、ラザニアの準備に戻る。

 しかし、肝心なことを思い出した。

 

「そうだ、客引きがいないんだ・・・・・・」

 

 悔しそうにアルデンテが呟く。周りの屋台の客引きの声が、余計大きく聞こえてくる。

 

「・・・・・・」

 

 カルパッチョは、少しだけ屋台の中を見渡して、考え込むような仕草を取る。

 そして何を考えついたのか、ペスカトーレやアマレットがいた場所に立つと。

 

 

「ラザニア如何ですか~!美味しいですよ~!」

 

 

 突然、カルパッチョが声を上げて客引きを始めたのでアルデンテはびっくりする。

 屋台の前を歩いていた観光客も、急に客引きを再開したので驚いているようだった。

 

「今ならジェラートも割引ですよ~!」

 

 しかし、そんなアルデンテと観光客の視線など意にも介さず客引きをするカルパッチョ。すぐにアルデンテはショックから立ち直って、カルパッチョに話しかける。

 

「カルパッチョ、何を・・・?」

「客引きがいないんでしょ?私がやるわ」

「いや、でも・・・・・・」

 

 アルデンテは引き留めようとする。

 客引きができていないのは、アルデンテが声を上げるのが恥ずかしくてできないせいである。つまり完全にアルデンテ1人の責任であるため、カルパッチョを巻き込むわけにはいかなかった。

 それにカルパッチョには、ジェラートの屋台の手伝いだってある。

 そう思っていたのだが、カルパッチョはアルデンテに向けて振り返り、小さく笑いかけてこう言ったのだ。

 

「アルデンテ、1位になりたいんでしょ?」

 

 そう言って、カルパッチョは再び客引きを始める。

 先ほどまで興味なさげに通り過ぎていた観光客たちも、興味を示してこちらに歩み寄ってくる。そして、やってきたお客に対して笑顔で接するカルパッチョ。

 

「ジェラートが割引になるんですか?」

「はい、総選挙中は普段よりもラザニアは100万リラ安くなっています。そして、提携している屋台のジェラートが50万リラ引きでいただけます!」

 

 しかも説明の仕方まで完璧だった。おまけにカルパッチョの笑顔が綺麗だったので、気をよくしたお客は早速財布を取り出した。

 アルデンテはそれを見て、思い出したようにラザニアをオーブンから取り出して、皿に盛り付ける。アルデンテからラザニアを、カルパッチョからジェラート割引券を受け取ったお客は、投票券を1枚千切って投票箱に入れ、ジェラートの屋台に向かって去って行った。

 カルパッチョとアルデンテはそのお客に向けてお辞儀をして、そしてカルパッチョはまた客引きを始めた。

 そんなカルパッチョを見て、アルデンテは自分が情けなく思えた。

 自分は恥ずかしくて大声が出せないというのに、今自分の目の前では好きな人であるカルパッチョがアルデンテに代わって客引きをしている。それでアルデンテも『じゃあ客引きはカルパッチョに任せればいいや』と割り切れるほど考え無しではない。

 元々客引きのペスカトーレは、アルデンテに頼まれて、そしてアルデンテの性格を理解した上で客引き係を引き受けてくれた。この総選挙期間中だけ客引きをしてくれているアマレットもまた、アルデンテが頼んで承諾してくれたからだ。

 だが、カルパッチョはアルデンテが頼んだわけでもないのに、自分から進んでやってくれている。

 そのカルパッチョと反対に自分が何もできないのが、アルデンテは情けなかった。

 自然とアルデンテの手に力が入る。歯を食いしばり、目を瞑る。

 そして、アルデンテの口が開いた。

 

 

「いかがですかーッ!今ならラザニア100万リラ引きですよーッ!」

 

 

 多分、数年ぶりぐらいに大声を出した。慣れない大声を出したせいで、少し裏返った。すごい恥ずかしい。

 これには流石に周りの屋台主も驚いたようで、ぎょっとした顔でこちらを見ている。何しろ、アルデンテは屋台に立ってから一度も声を張り上げたことなど無かったのだから。静かな店員が声を上げたものだから、何か事件でも起きたのかと勘違いしそうになる。

 しかしカルパッチョだけは、少しだけ驚いたような顔をしたが、すぐに笑って客引きを再開した。

 

「美味しいラザニアは如何ですか~!」

「今ならジェラートと合わせて250万リラですよーッ!」

 

 2人が客引きを始めたことで、流れていた客もこちらへと意識を向けてくる。

 アルデンテは、カルパッチョが自分と同じで大声を出すことにはあまり慣れていないのかもと思った。だがカルパッチョは戦車隊の副隊長で、声を張り上げて指示をすることが多いので、今回のような客引きで声を上げることも慣れっこだった。

 それと、カルパッチョは通りやすい澄んだ声をしている。だから、他の屋台の客引きと雑踏の喧騒が入り混じった中でも聞こえやすい。

 何よりも、カルパッチョの容姿は可憐と表現するに相応しいため、これもまた注目を集めるのに一役買っている。

 そのいくつかの要素が相まって、客足は再び回復してきていた。

 

 

 少し離れたペパロニの鉄板ナポリタン屋台から、アンチョビはアルデンテたちの屋台の様子を見ていた。

 そのアンチョビの目には、アルデンテとカルパッチョが一緒に客引きをしている様子が映っている。それは、見ていてとても温かい気持ちになれるものだった。

 というのも、カルパッチョは普段副隊長として大きな声で指揮をすることはあれど、普段の生活で大きな声を上げるのを見たことはなかったからだ。ジェラートの屋台で手伝っている時も、専ら商品を渡すぐらいだとジェラートは言っていた。

 加えて、カルパッチョが屋台に立っている時は、大体作ったような愛想笑い、営業スマイルとも言うべき笑顔しか浮かべていなかった。

 だが、今のカルパッチョは積極的に声を上げて客引きをしていて、それも心の底から楽しそうな笑顔を浮かべて屋台の営業を楽しんでいるように、アンチョビは見える。そのカルパッチョの隣に立つアルデンテもまた、楽しそうな表情だ。

 2人とも、今の状況を楽しんでいる。売り上げを伸ばさなきゃ、1位にならなきゃ、投票券を1枚でも多く貰わなきゃ、という“雑念”が感じられない。

 

「ドゥーチェ!ぼさっとしてないで客引きしてくださいっすよ!」

「お、おお!悪い悪い!」

 

 ペパロニに急かされて、アンチョビは意識を目の前にいる客たちに向ける。そして客引きをする傍らで、鉄板ナポリタンを作る。

 ただし、アルデンテとカルパッチョの2人のことは意識したままだ。

 

 

 アマレットは、買い出しから戻ってきたところでその光景を目にした。

 あのアルデンテが、普段から冷静で声を張り上げることなど無いアルデンテが、客引きをしている。そんな中でもオーダーを受ければラザニアを準備して、次のラザニアのためのラグーをかき混ぜて調理して、客引きをしている。

 その傍には副隊長のカルパッチョがいて、彼女もまたアルデンテと一緒になって客引きをしている。そして、アマレットが務めていた接客もこなしている。

 2人とも、今を楽しんでいるように笑っている。

 アマレットやペスカトーレもそうだったが、いい具合に役割分担ができていて、実に仲が良さそうだ。

 その様子を見てアマレットは。

 

「・・・・・・お似合いだねぇ」

 

 アマレットは2人に気付かれないように、手に提げていた食材の詰まったレジ袋を2人の後ろのテーブルに置き、今は1人で切り盛りしているであろうジェラートの屋台へと向かった。

 

 

 アルデンテはお昼のピークを過ぎた辺りで、買い出しに行ったアマレットがいつまで経っても戻ってこないことに疑問を抱いた。

 トラブルにでも見舞われたのだろうかと思ったが、後ろに置いてある支給されたテーブルにレジ袋が置いてあるのに気付いた。その袋の下には、レシートと1枚のメモも挟んである。

 アルデンテは、客が切れた頃合いを見てそのメモを見てみる。

 

『なんかパッチョ姐と仲良さそうなんで、邪魔しないようにジェラートの屋台へ行ってます♪』

 

 そのメモを読み終えたところで、アルデンテは『!?』と声にならない声を出して周りを見る。

 

「どうかしたの?」

 

 カルパッチョがそのアルデンテの奇妙な動きに気付き、心配そうに声をかける。

 

「いや、何でもない」

 

 アルデンテは心配させないようにそう返し、メモを片手で握りつぶしてゴミ箱に放り込む。

 とりあえず、食材の補充はできたし、アマレットもカルパッチョが抜けて大変であろうジェラートの手伝いに行ったので、文句はない。

 だからアルデンテは、再びカルパッチョと一緒に客引きを再開した。

 

 

 そしてあっという間に19時を迎え、今日の屋台街の営業も終了となった。

 

「今日はゴメン、カルパッチョ。急に手伝ってもらって・・・」

 

 アルデンテが売上金の集計をしながら、カルパッチョに感謝の言葉を伝える。その横でカルパッチョは、調理器具を洗いながら、なんてことないとばかりに笑顔をアルデンテに向ける。

 

「大丈夫よ。私も楽しかったし」

 

 その笑顔に少しばかりアルデンテも救われたような気持ちになるが、それでも申し訳なさは拭えない。

 

「でも・・・・・・何かお礼をさせてほしい・・・」

 

 そんなアルデンテの言葉は本心から来るものである。

 カルパッチョは最初、恥ずかしくて声が出せなかったアルデンテに代わって客引きをして、その上に今日が終わるこの時間まで手伝ってくれた。

 ここまでしてくれた相手にお礼の一つもしないなんて、男が廃る。それ以前に人としてどうなんだと思う。

 

「・・・・・・そうね・・・」

 

 カルパッチョは、調理器具を洗う手を止めて、少し考える。

 アルデンテと同じような性格をしていれば、アルデンテの言ったような言葉を受けても遠慮するかと思ったが、意外とすんなりと聞き入れた。そのことにアルデンテは少し引っかかったが、それでもこれでちゃんとお礼ができるので良しとした。

 やがて、何かを考えついたカルパッチョは、椅子に座っているアルデンテと目の高さを合わせるように少し屈む。アルデンテがカルパッチョを見ると、こう言った。

 

「じゃあ・・・・・・今日の夕飯、一緒に食べに行かない?」

 

 そのお願いにアルデンテは小さく笑って、『分かった』と答えて電卓を叩くスピードを速くする。カルパッチョも少しだけ嬉しそうに再び調理器具を洗い出す。

 そして、アルデンテが集計を終えて、カルパッチョも洗い物を全て片付けると、2人は最初に出会った日に行った和食レストランへと向かった。

 それは、20時前の出来事だった。

 

 

 7日目にして、遂に屋台総選挙も最終日になる。

 最後の追い上げとばかりに、どの屋台も必死になって客引きをしていた。来場者もまた、大きなイベントの最終日ということで人数が多い。

 そんな中で、アルデンテの屋台からは3人分の客引きの声が聞こえていた。

 

「今なら250万リラでラザニアとジェラートがセットでいただけまーす!いかがでしょうか~!」

 

 アマレットが笑顔を振りまいて客引きの声を上げる。

 

「本日限り!本日限りのラザニアとジェラートの提携サービスいかがですか~!」

 

 昨日休んだ分を挽回するとばかりに、いつも以上に声を上げているペスカトーレ。

 

「ラザニア如何ですか~!割引サービス最終日でーす!」

 

 そして、まだ慣れない様子ではあるが、それでも声を張り上げて客引きをするアルデンテ。

 ペスカトーレは、最初にアルデンテが声を上げて客引きしているのを見て大層驚いていたが、アマレットから何かを吹き込まれると納得したように頷いて、自分もまた客引きを始めた。

 そのペスカトーレだが、今日アルデンテと最初に顔を合わせた時に、昨日休んでしまったことを謝ってきた。その謝罪をアルデンテとアマレットは聞き入れて、その上で『今日取り返せばいい』と諭すと、ペスカトーレは火がついたように客引きをしてくれている。

 

(よかった・・・・・・)

 

 アマレットは、口には出さなかったがペスカトーレが来てくれてホッとしていた。何せアマレットは、昨日アルデンテに『ペスカトーレのことが好きだ』と告白している通り、彼に惚れている。好きな人の元気な姿を見ることができて、アマレットは嬉しくもあり安心もしているのだろう。

 それ以外で昨日と違うところは、今日はカルパッチョは手伝いをしてはいないというところ。カルパッチョは本来の仕事であるジェラートの屋台のお手伝いに戻っているのでそれは仕方がないが、分かっていてもアルデンテは少し残念だった。だが、嘆いていても仕方がないので目の前のラザニアに集中する。

 ラザニアに集中しながらも、アルデンテはなお声を上げて客引きをしている。そして注文が来れば、アルデンテはラザニアを準備してお客に差し出す。

 その傍らで、アルデンテはペパロニたちの屋台をチラッと見る。今なおアンツィオフィーバーは続いているが、その人数はざっと見た感じでは昨日と比べると減ってきている。流石に、アンチョビの人気もそろそろ打ち止めといったところだ。

 

「よし、向こうの勢いが落ちてる。この隙に巻き上げるぞ」

「「Si!」」

 

 アルデンテの言葉に、ペスカトーレとアマレットが大きく頷きイタリア風の返事をする。そして客引きの声を一層大きくした。

 当然アルデンテもラザニアの調理をしながらも客引きの声を上げて、総選挙最終日を頑張る。

 

 

 今週7回目の、19時を告げる時計塔の鐘。

 遂に、1週間に及ぶ屋台総選挙が終わったのだ。

 屋台主たちは、後片付けそっちのけで『終わったぁ~!』と万歳をしながら地面に座り込んだり、カウンターに突っ伏したりしている。

 アマレットとペスカトーレも疲れてしまったようで、椅子に座ってそのまま眠ってしまった。しかもこの2人、お互いよりかかるように眠っているので、それを見てアルデンテは小さく笑った。

 アルデンテは片づけと売上金の集計を終えると、2人を起こさないように静かにジェラートの屋台へと向かう。だが、ジェラートもやはり疲れてしまっていたのかカウンターに伏せて眠っていた。

 

「・・・お疲れさん」

 

 起こさないように、アルデンテが静かにジェラートにそう告げると、しゃがんで片づけをしていたカルパッチョが顔を上げてこちらに気付いた。

 

「お疲れ、アルデンテ」

「ああ、お疲れ。悪いな、この1週間忙しくさせて」

「大丈夫、気にしないで」

 

 カルパッチョが静かに笑うと、蒸し暑い真夏の夜にしては涼しい風が吹く。

 

「・・・・・・1位になれると良いね」

 

 カルパッチョが静かに告げて、アルデンテは口をつぐむ。

 屋台総選挙は終わり、後は投票結果を待つだけとなった。

 アルデンテは営業中も自分の周りの屋台がどれだけ繁盛しているかを観察していたが、やはりアンチョビとペパロニの鉄板ナポリタン屋台が盛り上がっていた。ほとんどのアンツィオ生がそちらに流れていったように見えたから、あの2人の屋台は脅威だとアルデンテも思っている。

 そして投票の結果、1位になれればアルデンテはカルパッチョに告白をする。

 だが1位になれなければ、全てが水の泡となる。上位5位に入れれば周りはすごいと言うだろうが、アルデンテからすれば2位や3位は中途半端だ。明確に、説得力がある実績は1位だと。

 だからアルデンテは、1位に固執していた。

 

「・・・・・・なれるかなぁ」

「なれるよ、きっと」

 

 アルデンテの零した言葉に、カルパッチョは微笑みながら寄り添うように告げる。

 その言葉だけで、アルデンテは1位が取れそうな気がした。




作中に登場したロシア語は、Google翻訳を参考にしました。
間違っていたりしたら申し訳ございません。


感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


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Dichiarare

dichiarare(ディキアラーレ)[declare]【他動詞】
意:告白する、打ち明ける、宣言する

前回ほどではありませんが今回も長いです。
ご了承ください。


 屋台総選挙が終わってから、各屋台の投票券を集計し結果を発表するまでには3日ほどかかる。まずは各屋台に設置していた投票箱を回収し、次にそれぞれの屋台の得票数を手作業で2度確認し、最後に結果を表に記す。

 その結果が出るまでの間、屋台街の総選挙に参加していた屋台は休業となっていた。これは自主的なものではなく、運営委員会からの指示である。

 観光シーズンに加えて大規模なイベントという要素が重なって、年間を通しても屈指の繁忙期となる1週間だった。だから屋台主たちも疲れているだろうから、休ませようという屋台街運営委員会とアンツィオ高校の気遣いによるものだ。

 ちなみに、屋台を運営しているのも学生なので課題も片付けなければならなかったので、このつかの間の休息は屋台主たちの間でも重宝されていた。

 アルデンテも、この1週間はろくに宿題に手も付けられず、自分に課していた1日当たりのノルマさえクリアできていなかったので、何とか遅れた分を取り返そうとしていた。もちろん、今回のイベントに向けてある程度課題は進めていたのだが、それでも全部終わるまではまだ遠かった。

 しかし、課題を進めているアルデンテの頭を占めているのは総選挙のことだ。この総選挙の結果によって、アルデンテの今後の進退が決まるからだ。

 1位になれれば、返事はともかくカルパッチョに告白し、2位以下ならそれで終わり。

 その事実を改めて思い出し、アルデンテのシャープペンを持つ手に力が入る。その拍子に、ボールペンの芯が折れた。

 アルデンテはシャープペンを置いて手を組み、心の中で願う。

 

(絶対に、1位になりたい。そして、告白したい)

 

 最後の日にカルパッチョは、『1位になれるよ』と言ってくれた。

 そう信じてくれているカルパッチョを裏切らないためにも、アルデンテは1位になりたいと切に願う。

 

 

 迎えた総選挙の投票結果を発表する日。時刻は朝の10時で、空模様は生憎の曇りだ。

 結果発表を行う場所は、屋台街からほど近い場所にあるイタリアのパンテオン神殿に酷似している建物の中だ。

 このパンテオン神殿風神殿は、イライラした時にホールで大声で叫んでストレスを発散する場所として、学園艦の住人に親しまれている。中には愛を告げるためにここに来て、大声で告白をする人もいるという話だ。

 その神殿のホールに、大きなホワイトボードが用意されていた。そのホワイトボードの前では、総選挙に参加した屋台の屋台主たちが結果発表を今か今かと待っていた。

 その屋台主たちの中には、ペスカトーレの姿もあった。そして彼より前の方にはアンチョビとペパロニもいる。だが人が多いせいで、アンチョビたちからはペスカトーレの姿は見えていない。

 まだ何も書かれていない、紙も貼られていないホワイトボードを見るペスカトーレの顔は、まさに真剣も真剣だ。

 その表情は、ペスカトーレがこの総選挙に参加するにあたって決意したことによるものだ。

 この総選挙で1位になれたら、アマレットに告白するという、奇しくもアルデンテが自分に課したものと同じようなことだった。

 だから、今日の結果発表で今後のペスカトーレの身の振り方が変わる。

 と、そこで後ろから声を掛けられた。

 

「やっほー、ペスカトーレ」

「どもども~」

 

 人波をかき分けてペスカトーレの下へとやってきたのはアマレットとジェラート、そしてその後ろにはカルパッチョもいた。カルパッチョは、小さく頭を下げて挨拶をする。

 

「皆も来たんだ」

「そりゃ、私たちがあれだけ頑張ったんだもの。その結果を見なくてどうしろって言うのさ」

「そうそう。いつも以上にメチャクチャ働いたんだから結果を見なくちゃ後味悪いって」

 

 ペスカトーレの言葉にアマレットとジェラートは、当然とばかりに頷いて笑う。カルパッチョも口には出さなかったが、優しく笑って小さく頷いていた。

 

「アルデンテだって、普段大声なんて出さないって言ってたのに、1位になるために頑張って声を出して客引きしていたんだもの」

 

 カルパッチョが、アルデンテのことを思い出すかのようにおもむろに話す。そこで言葉を切って目を瞑り、ペスカトーレたちの顔を見て告げた。

 

「アルデンテの頑張りと努力の成果を、見届けたいの」

 

 その言葉に、ペスカトーレとアマレット、ジェラートの3人がカルパッチョの方を一斉に見る。そして、3人が揃ってニンマリと笑ったので、カルパッチョは嫌な勘が働いて額から一筋の汗が垂れる。

 

「今のパッチョ姐・・・すっごい乙女な顔してたよ」

 

 アマレットが自分とペスカトーレとジェラートの気持ちを代表して伝えると、カルパッチョは顔を赤くして俯いてしまった。その様子が可笑しくて、微笑ましくて、ペスカトーレたちは笑みをこぼす。

 

 

 そんなやり取りが後ろの方から聞こえてきたので、アンチョビはそちらの方を見て静かに微笑んでいた。

 カルパッチョは戦車隊に入隊し、自分が副隊長に任命してからも、例え自分が辛くても弱音を吐かず自分1人で抱え込んで頑張っている様子があった。その性格もあって、あまりアンツィオの空気に馴染めず、友達もそれほどできなかったカルパッチョは心が不安定だった。

 そのカルパッチョは、ここ最近ではとても生き生きとしているように見える。以前までのようなどこか物憂げな様子は見受けられない。

 その理由はやはり、アンチョビ自身も分かっている。

 彼女に『カルパッチョ』という名前を付け、アンツィオの中でも彼女に一番近い境遇を持っている、アルデンテという人物と出会ったからだ。

 アンチョビはその事実を思い出し、そして目線の先にいるカルパッチョの姿を見て、安心していた。

 

「そろそろっすよ、姐さん」

 

 傍に立つペパロニに言われて、アンチョビは目の前にあるホワイトボードを見る。両脇には、いつの間にか屋台街運営委員会の人物らしき2人の生徒が立っている。さらに大きな模造紙を抱えた生徒が3人やってきて、模造紙をボードに貼り付ける。結構模造紙は大きいので、貼るのに苦労していた。

 

 

 ペスカトーレたちも、遂に結果が貼りだされるということでそちらに注目する。

 そこでカルパッチョが、ペスカトーレに訊ねた。

 

「ところで、アルデンテは?」

 

 肝心のアルデンテの姿が見えない。

 カルパッチョが訊くと、ペスカトーレは残念そうに笑って告げた。

 

「体壊して寝込んでる」

 

 

 

 昼の12時過ぎ、アルデンテは自室のベッドの上で呻いていた。

 起き上がれない身体が重くて、頭が熱い。

 1週間の屋台総選挙の疲れが今になって出てきたのだろう。加えて、総選挙の結果が不安で仕方がないから、疲れを助長させて熱という形で身体に現れた。

 

「・・・・・・はぁ」

 

 そんな感じで体調を崩していても、心配しているのは総選挙の結果だった。あれで、自分の今後の生き方が変わると言っても過言ではないからだ。

 結果が発表されるのは10時過ぎぐらいだから、もう結果は発表されてしまっているだろう。枕元に置いていた携帯を見ても、結果を見に行ったペスカトーレからのメールや電話は来ていない。

 

(1位になれたか・・・)

(どうなったんだ・・・・・・)

(負けたのか・・・・・・)

 

 頭の中で考えていると、携帯が震えてメールの着信を告げる。身体が重いのも今は忘れて俊敏な動きで携帯を開くと、『新着メール:ペスカトーレ』。さらにそのメールの件名は『投票結果』だ。

 ここまでやっていて内容が全然違うものだったら、アルデンテは割と真剣にペスカトーレとの絶縁を考えていたが、ペスカトーレはそこまで考え無しで薄情ではない。それにペスカトーレも、アマレットに告白するという自分の目標のために頑張って屋台での仕事をしていた。それは傍にいたアルデンテも分かっている。

 だからペスカトーレも、冗談ではなく本当にその結果を送ってきたのだろう。

 早速アルデンテはそのメールを開こうとするが、そこで逡巡する。

 

(もし、1位じゃなかったら・・・・・・?)

 

 その可能性はもちろんある。何しろあの屋台総選挙には実に30以上の屋台が参加していたのだし、特にペパロニの屋台は結構繁盛していたのでその可能性を考えてしまうのも仕方がない。

 だが、そう思うことは別に恥じるべきことではない。お気楽に『絶対1位だぜ!』と後先考えずに楽観的になるよりはマシだ。

 それでも、アルデンテはメールを開くことが怖かった。恐ろしい現実を、どうしようもない絶望を突きつけられそうな気がしたから。

 呼吸が荒くなる。目が見開かれる。背中に冷や汗が滲む。指が震える。

 しかしこれは、後回しにはできないことである。このメールを、結果を見なければアルデンテは前にも後ろにも進めない。

 だからアルデンテは、腹を決めて指を無理矢理動かして、メールを開く。

 そして、そのメールを読んだ。

 

 

『投票総合結果

 1位:27番区画・ペパロニ・・・253票

 2位:23番及び14番区画・アルデンテ&ジェラート・・・247票

 3位:11番区画・マラスキーノ・・・201票

 4位:5番区画・リコッタ・・・196票

 5位:19番区画・パンナコッタ・・・183票』

 

 

 

 

 総選挙結果発表の翌日。屋台街のほぼ全ての屋台は営業を再開し、総選挙の間ほどではないが忙しさを取り戻していた。まだ夏休み期間で観光シーズンは過ぎていないのだから、仕方がない。アルデンテたちの周りの屋台も、元気な声を上げて客引きをしている。

 だが、そのアルデンテの屋台は暗澹たる暗い空気に満ち満ちていた。

 今ここにいるのはペスカトーレ、アマレット、ジェラート、そしてカルパッチョの4人。肝心のアルデンテはここにはいない。

 ここにアルデンテがいないのと、彼女たちの空気が重いのは、昨日の夜にアルデンテからペスカトーレに送られてきた1通のメールが原因だ。

 

『しばらく屋台を休ませてほしい。

 今は、誰とも会いたくない』

 

 ペスカトーレはアルデンテとは1年半ぐらいの付き合いになるが、こんな周りを拒絶するようなメールは初めて見たし、それだけの状態に陥ったアルデンテも初めて見る。

 だが、こうしてペスカトーレはここへ来て、さらに事情を知っているアマレットとジェラート、カルパッチョもここに自然と集まった。

 けれど全員の顔は、アンツィオには似つかわしくないほどに淀んだ表情である。今の4人には、周りの屋台の客引きの声すらもどこか遠い別世界から聞こえるように感じた。

 

「・・・・・・」

 

 普段は明るいペスカトーレも、目が少し充血して赤くなっている。誰がどう見てもやつれていると言えるぐらいにはひどい有様だ。

 アルデンテが『1位になったらカルパッチョに告白する』と自分に課していたように、彼もまた『1位になったらアマレットに告白する』と決めていた。

 その目標を叶えることができなくなってしまったのだから、ペスカトーレもアルデンテと同じぐらいには失意と絶望に囚われてしまっている。

 

「・・・・・・」

 

 アマレットも同様に、悲しい表情で口を閉じたまま俯いている。

 アマレットは、昨日の総選挙の結果が発表された後で、ペスカトーレたちが沈んだ表情をしていたので、場を盛り上げるためにこう言った。

 

『ま、まあアンチョビ姐さんもペパロニ姐さんも手強かったもの。それに、ほら!3位との差なんて40以上もあるじゃん!すごいって!』

 

 そんなアマレットの言葉も。

 

『1位じゃなきゃ意味無いんだよ』

 

 アルデンテに総選挙の結果を書いたメールを送って、携帯持ったままのペスカトーレが告げたいつにない冷酷な一言に切って捨てられてしまった。

 アマレットも、アルデンテがなぜこの総選挙で1位を目指していたのかは知っている。全ては、カルパッチョと釣り合うように、認めてもらえるようになるためだ。

 しかしそのための全ての努力が否定されてしまったのだから、アマレットも励まそうとして無責任なことを言ってしまったと後悔した。

 そして今も、また自分が不用意な発言をしてしまったらと思うと不安になって、何も言えない状態になってしまっている。

 けれどもアマレットは、なぜペスカトーレまでもが1位になれなかったことに非常に落胆しているのかは分からなかった。アルデンテの親友だから、アルデンテが悔しがっているのが自分にも伝わる、だけではないというのは分かる。でも、どうしてそんなに悔しいのかは分からなかったし、それが自分に関係しているとは全く気付いていない。

 

「・・・・・・」

 

 ジェラートもまた、自分に協力を求めた時のアルデンテの顔を思い出していた。

 あの時のアルデンテの顔からは、絶対に1位を取るという執念が見て取れた。その顔で、アルデンテがどれだけ真剣にそう思っているのかは、ジェラートにも分かっていた。

 そのアルデンテの執念と、カルパッチョに対する気持ちを分かっているからこそ、この結果は残酷だと思った。

 けれど結果はもう変えられず、どうすることもできない。

 だからこそジェラートは、どうにもできない今が悔しくて拳を強く握っている。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 そして重い気持ちで、悲しくて、そしてどうしようもできないことが悔しいのはカルパッチョも同じだ。

 アルデンテが総選挙に参加し、そして1位を目指す理由を、カルパッチョはトレヴィーノの泉の前でアルデンテの口から直接聞いていた。

 その理由をアルデンテは『好きな人に認めてもらいたいから』と言っていたが、その好きな人がカルパッチョであるということに、カルパッチョ自身は気付いていた。

 それを思い出して、カルパッチョは俯く。

 もし、私の存在が、私に認めてもらいたいというプレッシャーが、アルデンテを追い詰めてしまっていたとしたら。

 アルデンテが今、誰とも会いたくないと言うぐらいに塞ぎこんでしまっているのは、私のせいでもあるとしたら。

 私という存在が、アルデンテの足かせとなってしまっているのだとしたら。

 そう考えてしまうと、胸が詰まり、締め付けられるように苦しくなる。

 

「うっ・・・・・・」

 

 カルパッチョの目に涙が浮かぶ。堪えようとしてもできなくて、涙が溢れ静かに泣き出してしまう。

 カルパッチョがすすり泣く声を聞いて、ペスカトーレも、アマレットも、ジェラートもそちらを見る。

 

「・・・・・・うぅっ・・・うぅ・・・・・・」

 

 アマレットはそんなカルパッチョを見かねて、優しく肩を抱く。ジェラートも、カルパッチョの頭を優しく撫でた。

 だが、ペスカトーレは何もできずに腕を組んで地面を見る。

 アルデンテが自らに『1位にならなければ告白はできない』と課していたが、結果は2位。

 彼はアンツィオの中では人一倍真面目だから、自分に課した目標や決まりを曲げることは絶対と言っていいほどない。『1位は無理だったけど、2位でも十分頑張ったし、これでいいか』などとは天地がひっくり返っても言いはしないだろう。

 そんなアルデンテの心にあるのは、誰もが罹るであろう恋という名の病だ。自分の人生を大きく変えてしまうほどの気持ちを簡単に切り捨てることなんて、その想いを見て見ぬふりなんて、できるはずがない。

 だから、アルデンテはどうすることもできない気持ちに囚われてしまって、そしてその想いを告げられないことがショックで、今こうして塞ぎこんでしまっているのだ。

 いかに親友と言えども、恋というデリケートな心の問題にまで足を踏み入れることは難しい。そんな状態の自分にペスカトーレはむかっ腹が立つ。

 

「・・・・・・?」

 

 だがペスカトーレは、1人の人物がこちらに向かってきているのに気付いた。

 その人物は遠慮も謙遜も無く、ずかずかとアルデンテたちの屋台に足を踏み入れて、座ったまま今なお泣いているカルパッチョの前に仁王立ちをする。

 その目の前に立つ誰かに気付いたカルパッチョが顔を上げると、その人は口を開いた。

 

「おい」

 

 

 

 アルデンテは、自分の部屋のベッドの上で、膝を抱えて座り込んでいた。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 その手の中には、携帯がある。画面には昨日ペスカトーレから送られてきた、屋台総選挙の結果を書いたメールが表示されたままだ。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 その結果は、何度見ても、何十回見ても、何百回見ても、何千回見たって、変わりはしない。

 アルデンテは1位ではなく、2位だった。

 この1週間の努力も、全て水泡に帰してしまったのだ。

 カルパッチョに認められるような結果を修めることは、できなかった。

 結局、アルデンテの初恋は、想いを告げることすらできずに終わってしまうのだ。

 この恋は、諦めるしかなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はぁ」

 

 乾いた溜息が口から洩れる。

 ペスカトーレにアマレット、ジェラートに協力を求めた結果がこれだ。あの3人に合わす顔も無い。アルデンテの気持ちに気付いているであろうカルパッチョに会うなどもってのほかだ。

 今のアルデンテは、自分がこのアンツィオにいる意義を失いかけていた。

 今すぐにでも、消えてなくなってしまいたかった。

 そこで、手の中の携帯が震えた。

 虚ろな目でその画面を見ると、『着信:カルパッチョ』と表示されている。

 だがアルデンテは、電話に出ようとはしない。拒否することもしない。手の中に携帯を置いたままで何もしない。正直言って今カルパッチョと話をするのは避けたかったし、拒否してしまうとカルパッチョは傷ついてしまうだろうから何もしない。こんな時でもカルパッチョのことを考えているあたり、未練が残っていると言える。

 だが、1分経ってもバイブレーションは止まらない。向こうも諦める気が無いらしい。

 カルパッチョと話すのは憚られたが、相手を長時間待たせるのも悪いので、手早く『今は放っておいてくれ』と言って電話を切ることにしよう。

 そう思ってアルデンテは、ようやく通話ボタンを押す。

 

「もし―――」

『アルデンテ』

 

 だが、電話越しの声は聞き慣れたカルパッチョの澄んだ声ではない。だが聞き覚えのある女性の声。そして、その口調と声量は威圧的で、顔を見なくても怒っているのが分かるぐらいだ。

 

『今すぐ船尾公園に来い。話がある』

 

 それだけ言って、向こうから電話は切られた。

 至極端的な言葉であったが強制力を伴う口調。これだけ言われてしまって行かなければ、アルデンテは本当の意味でアンツィオの居場所を失ってしまいそうだ。

 それにさっきの相手は、間違いなく、確実にアルデンテに対して怒っている。そんな人を放っておいたらどうなることか。自分の部屋に突撃して来て怒号を浴びせるかもしれない。

 アルデンテは乗り気ではなかったが、この先の身の振り方を考えて、適当な私服に着替えて、ある程度の身だしなみを整えて外へ出る。

 部屋のカーテンを閉め切って、時計もろくに見ていなかったから今が何時なのかも分からなかったが、太陽の傾き具合と空の色で、もう夕方なのだということが分かった。

 

 

 アルデンテは呼び出された場所である船尾公園に向かいながら、先ほどの電話の相手のことを思い出す。

 

(何でアンチョビさんが・・・・・・)

 

 さっきの電話の相手は、ここ最近で接する機会が増えたアンツィオ高校の統帥(ドゥーチェ)であるアンチョビだった。

 アンチョビは、総選挙の間だけペパロニの屋台を手伝っていた。そのペパロニの屋台が1位になってしまったのだから、見方によってはアンチョビとペパロニがアルデンテの目標を撃ち砕いたともいえる。

 だが、アルデンテは腐ってもそんなことは考えていない。アルデンテが1位になれなかったのは事実だが、それは決して誰かのせいだとは微塵も考えてはいない。ペパロニやアンチョビを恨むのはお門違いで、全ては自分の力量不足だとアルデンテは思っていた。

 しかし、アンチョビから呼び出されるというのは予想外だった。何を言われるのか、何をされるのかは分からない。でも一発は叩かれそうだと思う。あんな本気で怒っているのが分かるアンチョビの声なんて聞いたことが無かったからだ。戦車隊のカルパッチョやアマレットは聞いたことがあるのかもしれないが。

 やがてアルデンテは、船尾公園に足を踏み入れる。

 するとすぐにその目に飛び込んできたのは、1輌の戦車だった。アンツィオ高校の校章がプリントされている乗用車ほどの大きさしかないその戦車は確か、CV33だったか。

 アルデンテが何でこんなところに、と思っていると上部のハッチが開いて1人の人物が姿を現した。

 ドリルツインテールが特徴的なその人物は。

 

「・・・・・・アンチョビさん」

 

 そのアンチョビが着ている服はアンツィオの白い制服ではなく、戦車隊のタンクジャケットだ。その目は据わっていて、威圧的な雰囲気でアルデンテを見下ろしている。

 着ている服が違うということは、それだけ真剣な話をするつもりなのだろうか。

 アンチョビが声を上げることも無くCV33から軽やかに飛び降りて、アルデンテの下に歩み寄る。

 そして十分に距離を近づけたところで、アンチョビが口を開く。『来てくれてありがとう』とも、『急に呼び出して済まない』とも言わず、開口一番。

 

「お前、今まで何をしていた?」

 

 そう聞いてきた。アルデンテは『苦手なパターンだ』と心の中で嘆く。

 アルデンテが苦手とするのは、問い詰める感じで怒るタイプだ。質問を繰り返して自供強要させて問題点に気付かせ、反省を促す効果的な怒り方とされているがこれがアルデンテはすこぶる嫌いだった。

 

「・・・・・・自分の寮にいました」

「そこで何してた?」

「・・・・・・別に、何も」

 

 今のアルデンテは、誰がどう見てもぶっきらぼうと言える感じだ。

 それは無理もないことだと、話しているアンチョビも思う。アルデンテが1位を目指していたことは既に他の人から聞いていたから。そしてアンチョビが手伝っていた屋台がそのアルデンテを差し置いて1位になってしまったのだから、心苦しくもある。

 しかし今は自分のことは置いておき、本題に入る。

 

「・・・覚えているか?前にカルパッチョとペパロニも入れた4人で出かけた時に、お前に言ったこと」

 

 アルデンテが返事をする前に、アンチョビは持っていた鞭をアルデンテの顔に向けて突き付ける。だがうっかりぶつけて怪我でもしたら危ないので、顔には当てないように努めている。

 

「『カルパッチョを泣かせたら許さない』って」

「・・・・・・それが何か」

 

 アルデンテが今なお憮然とした態度を崩そうとしないので、アンチョビは一つ『はぁ』とため息をついて、話す。

 

「さっきカルパッチョ・・・泣いてたんだよ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 アルデンテは、小さく鼻で息を吐いて目を閉じ、俯く。そんなアルデンテに向けて、アンチョビは話し出す。

 

「いいか。カルパッチョはアンツィオに入学してすぐに戦車道を始めて、頑張ってた。それで、アンツィオでは珍しく冷静で、温厚で、真面目な性格と実力を鑑みて、私はカルパッチョを副隊長に任命したんだ」

 

 アンチョビの言葉に、アルデンテは多少の頷きを交えて静かに聞いている。これでアルデンテが、アンチョビの話など右から左に聞き流すような態度を取っていたら本気で頬をひっぱたくことも考えていた。しかし、一応話を聞くぐらいの礼儀は残っていたようなので、アンチョビは続けることにする。

 

「それでもカルパッチョは・・・分かるだろ?落ち着いた感じで真面目ではあるが、1人で抱え込みやすい性格なんだ。だから不安定なところがあったんだよ」

「・・・・・・まあ、分かります」

 

 アルデンテはアンチョビの意見に同意する。

 初めて屋台街でアルデンテがカルパッチョの姿を見た時も、カルパッチョは考え込んでいるような、思い悩んでいるような顔をしていた。

 あの時カルパッチョは、アンツィオの校風が自分の性格と合っていなくて、自分はここにいていいのだろうかと言っていた。その悩みは誰にも相談できず、ずっと1人で抱え込んでいて、とても苦しかったのだろう。

 

「そこでアルデンテ、お前の登場だ」

「?」

「お前が同じ境遇だからってことでカルパッチョの話を聞いたことで、カルパッチョの中にある不安や悩みは大分軽くなった。いや、完全に解消されたと言ってもいい」

 

 アンチョビはそこで、小さく息を吐く。そしてアルデンテの顔をキッと見つめる。

 

「お前と出会ってから、カルパッチョも心なしか明るくなったような感じがする。戦車道でも、普通の学校での生活でもだ。それまでは笑っていてもどこかしら悲しそうだったり、胸に引っ掛かりがあるようだったが、今はそうは思えない」

 

 あくまで私目線だけどな、とアンチョビが付け加える。

 だが、それだけカルパッチョの変化に気付けていたということは、それだけアンチョビがカルパッチョのことを気にかけていたということだ。それは、以前話していたと思うのでアルデンテは頷く。

 

「それで、私は思ったんだよ」

「?」

 

 

 

「カルパッチョはお前のこと、すごく信頼してるんだって」

 

 

 アルデンテは、ぐっと口を閉じる。

 

「信頼しているからこそ、カルパッチョはお前に相談できて、色々と話をすることができる。カルパッチョにとってのお前は、心の拠り所になってたんだ」

「・・・・・・・・・・・・」

「今やお前は、このアンツィオで、一番カルパッチョに近しい人だ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 アンチョビの手が、アルデンテの肩に優しく置かれる。

 

「お前があの総選挙で1位になれなくてものすごく落ち込んで塞ぎ込んで、その辛さは手伝っていたペスカトーレにアマレット、ジェラートだって分かっているだろうし、そしてカルパッチョだってもちろん知ってる」

 

 肩に置かれたアンチョビの手が静かに握られる。

 

「知っているからこそ・・・信頼していて、心の拠り所になっているお前がひどく落胆して、塞ぎ込んで・・・・・・。それなのに何もできない、声の一つもかけられないカルパッチョは、悔しくて泣いてしまったんだ。分かるか?」

 

 つくづくアルデンテは、自分が情けないと思った。

 自分はカルパッチョにとってどんな存在なのかは分からなかったが、まさかそこまで重要な存在になっているとは思わなかった。

 アルデンテからすれば、自分は同じ境遇の人間としてカルパッチョの話を聞いて、同じ境遇の人間だからこそできるようなアドバイスをしただけだったのに。

 そこからカルパッチョも変わっていって、さらに自分に信頼を置いてくれるほどになったなんて。

 このアンツィオで、自分が一番カルパッチョに近しい人となれたなんて。

 それは純粋に、嬉しかった。

 だが、そのカルパッチョを泣かせてしまい、信頼を全て失ってしまったと思うと、本当にやるせないし、情けない。

 

「・・・・・・聞いてくれますか、アンチョビさん」

「なんだ?」

「俺は、あの総選挙に参加する前に・・・・・・決めてたんです」

「?」

「1位になったら・・・・・・カルパッチョに告白するって」

 

 アンチョビがその言葉を受けてわずかに目を見開き、顔を赤くする。

 こんなことをアンチョビに言ってしまうのは、今までの話―――カルパッチョがアルデンテのことをどう思っているのかを聞いて理解した上で、今の自分の状況を知ってもらいたかったからだ。

 

「確かに俺とカルパッチョは、似た境遇の人同士で何度か話をしました。カルパッチョからの相談に乗ることもありましたし、戦車道の話をしたこともありました」

「・・・・・・」

「その中で俺は、カルパッチョから不安とか悩みを聞いた時はその力になりたいと思うようになって、手が少し触れた時は緊張して・・・・・・いつしかカルパッチョのことが好きになってました」

「・・・・・・」

 

 冷静で真面目なイメージがあるアルデンテからは想像もつかないような言葉に、アンチョビは顔が赤くなる。だがそれでも、表情は至極真面目で話を聞いてくれている。目で『続けろ』と言ってくる。

 

「でもカルパッチョは、『自分を変えたい』と思っていただけでアンツィオに来た俺とは違いました。本当に自分を変えたいと強く思っていて、厳しい戦車道を始めて、それにこうしてアンツィオに来て、戦車隊で副隊長っていう重要なポジションについてる」

「・・・・・・」

「とても今の俺なんかじゃ釣り合わないなと思ったんですよ」

「・・・・・・」

「だから俺は、あの総選挙で1位になれば、カルパッチョに相応しい人になれる・・・・・・そう思って総選挙に参加しました」

 

 でも、とアルデンテは区切って地面を見る。

 

「・・・・・・結果は知っての通りです」

「・・・・・・」

「カルパッチョに相応しい人とは・・・・・・なれなかったわけです」

「そうか・・・それで落ち込んでいたと」

「はい・・・・・・」

 

 もう一度小さく息を吐いて、アルデンテは小さく笑う。

 

「あの総選挙に参加する前に・・・カルパッチョに聞かれたんです。『どうして急に参加することにしたのか』『どうして1位を目指すのか』って」

「・・・・・・」

「その時俺は、カルパッチョの名前は出しませんでしたが『好きな人がいて、その人に認められるようになりたい』って言いました。でも、多分カルパッチョはそこで気付いていたんだと思います。俺の好きな人は、カルパッチョだってことに」

「・・・・・・」

「だから、です。俺は1位になれなくて、カルパッチョの相応しい人にもなれなくて。告白する資格も無くなったわけです。正直言って・・・・・・カルパッチョに会わす顔が、無いです」

 

 嘲るように笑うアルデンテに対し、アンチョビは真剣な表情のままだ。

 

「カルパッチョが泣いてしまったのも、多分ですがカルパッチョ自身が俺の足枷になってしまったからと思ってるからかもしれません。そんなことは全然ないんですけど」

 

 そこまでアルデンテが言うと、肩に置かれていたアンチョビの手が離れる。だがその手には力が入ったままだった。

 そして、おもむろにアンチョビは後ろのCV33を振り返って。

 

「だとさ、カルパッチョ?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・へ」

 

 アンチョビの声の後、CV33のもう片方のハッチが開く。

 そこから姿を見せたのは、タンクジャケットではなく通常のアンツィオ高校の制服を着たカルパッチョだった。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 アルデンテの顔が、ひきつる。笑っているんだか泣いているんだか、分からないような顔になってしまう。

 カルパッチョは静かにCV33から地面に降りて、アルデンテに歩み寄ってくる。

 アルデンテからすれば、ものすごく気まずい。

 CV33の中にカルパッチョがいたなんて思わなかったから、ついアンチョビに本音を語ってしまった。

 恐らくその本音は、カルパッチョにも聞かれてしまっている。カルパッチョが好きということも、総選挙で1位になったらカルパッチョに告白するという決意も、全て筒抜けだったのだろう。

 カルパッチョの目は、アンチョビの言った通り泣いていたせいか少しだけ赤くなってしまっていたが、頬はそれよりもさらに赤い。その表情が、カルパッチョが全て聞いていたということを裏付けている。

 

「後は、お前次第だ。アルデンテ」

 

 アンチョビはそう言いながらCV33に乗り込み、ハッチを閉じてエンジンを始動させる。そして軽やかなターンを決めて、公園の外へと走り去ってしまった。

 後に取り残されてしまったのは、気まずさのあまり背中がじんわりと汗で湿ってきているアルデンテと、カルパッチョのみ。

 この状況、一体どうしろと。

 アルデンテが頭を掻きながら周りを見るが、手助けしてくれそうなものは何も見当たらない。

 

「・・・・・・アルデンテ」

 

 カルパッチョが口を開いて名を呼んで、アルデンテはカルパッチョのことを見るしかなくなる。

 何を言われるのだろうかと、アルデンテは怖くなる。そのカルパッチョの口から出てくる言葉が恐ろしくて仕方がない。

 

「アルデンテの気持ちは・・・・・・どんな気持ちだったのかは、聞き届けた」

「・・・・・・」

 

 聞き届けたということは、アルデンテがカルパッチョのことを好きだということもやはり聞かれてしまったなと思った。

 

「1位になれなかったのは・・・・・・とても残念だと思う」

「・・・・・・」

「でも、1つだけ言わせて」

「?」

 

 カルパッチョが自らの両手を重ね合わせてぐっと握り、真剣な瞳で―――さながら戦車道に挑む時のような顔で告げる。

 

「例え1位になれなかったとしても・・・・・・()()()()()()()()()()は、あなたが頑張っていたのを、1位になるために努力していた姿をちゃんと見ていたと思う」

 

 カルパッチョは、十中八九アルデンテの好きな人がカルパッチョ自身だということに気付いている。だがそれでも、カルパッチョはその人物を『アルデンテの好きな人』と表現し、あたかも自分が気付いていないように語る。

 それは、好きな人が聞いていたと知らず本音を語り過ぎて気まずくなってしまったアルデンテに対する、カルパッチョなりの気遣いだった。

 そのことに気付いたアルデンテは、ハッとしたように目を見開く。

 

「あなたの好きな人は・・・・・・例えあなたが1位になれなくても、自分に相応しい人になるために自分から動いて、一生懸命頑張っていた姿を見て、それで十分なんじゃないかなって、私は思う」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 アルデンテの目頭が熱くなってきて、自分は泣きそうになっているのだと分かる。

 

「誰かが自分のことを好きになって、そんな自分のためにその人が変わろうとしている姿を見れば、誰だって嬉しいわ」

「・・・・・・・・・・・・」

「きっと、アルデンテが好きなその人も、喜んでる。嬉しいって、思ってるよ。きっと」

 

 アルデンテが堪え切れず、遂に目尻から涙が零れる。

 カルパッチョは『気付いている』。それでも第三者になりきって、カルパッチョ自身の気持ちを、別の誰かがそう思っていると装って告白している。そして、アルデンテのカルパッチョに対する想いをこの場で引き出そうとしている。

 カルパッチョは、涙を潤ませたままアルデンテから目を逸らしたりはしない。

 アルデンテは、自分の涙を自分で拭う。

 涙が収まるのを待って、カルパッチョの顔を今度は真剣に、逃げることなく見つめる。

 

「・・・・・・カルパッチョ」

「・・・・・・うん」

「・・・・・・ありがとう」

「・・・・・・うん」

 

 自分のことを、1位になれなくて絶望していた自分のことを救ってくれたことに対して。そして1位になれなかったことを赦してくれたことに対して、アルデンテはお礼の言葉を告げる。

 

「そして・・・・・・カルパッチョは気付いてるかもしれないけど・・・・・・改めて、言わせてほしい」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ここまでカルパッチョに導いてもらって、その気持ちを言わないわけにはいかない。

 だからアルデンテは、例えカルパッチョが気付いていようとも、告げる。

 自分の正直な気持ちを。

 

 

 

「俺は、カルパッチョ・・・・・・君のことが好きだ」

 

 

 

 カルパッチョは、笑ってくれた。その潤んでいた瞳から、涙が流れ落ちた。

 

「こんな・・・・・・俺でよければ・・・・・・付き合ってください」

「・・・・・・」

 

 カルパッチョは俯いて、その涙を手の甲で拭って、顔を上げる。

 夕陽に照らされたその顔は、輝いているように見えて、そしてカルパッチョは穏やかな笑みを浮かべて、返してくれた。

 

 

 

「・・・・・・はい・・・喜んで・・・っ!」

 

 

 

 その返事を聞き、その顔を見て、アルデンテの中でカルパッチョが愛おしいという気持ちが押さえきれなくなって、アルデンテもまた涙を流す。

 そして、たまらずカルパッチョを強く抱きしめた。

 その直後。

 

「「「「Evviva!!!」」」」

 

 近くの茂みから、イタリア風の4人分の歓喜の声が聞こえてきた。

 アルデンテはびっくりして、思わずカルパッチョを離して声のした方向を見る。するとそこには、茂みから顔を出しているペスカトーレ、アマレット、ジェラート、そしてペパロニの4人がいるではないか。

 そしてカルパッチョは、さほど驚いた様子は無い。まさかカルパッチョは、そこに4人がいることを知っていたということか。

 というか、この4人もこれまでの一連の流れを見て聞いていたと思うと、余計恥ずかしさがこみあげてくる。

 

「やったなアルデンテ!!」

「おめでとうアルデンテ、カルパッチョ!」

 

 ペスカトーレがアルデンテの肩を抱き、ペパロニはアルデンテの背中をバシバシと叩く。地味に痛い。

 アマレットとジェラートも、カルパッチョを祝う気持ちをハグで表現している。カルパッチョは少し苦しそうだったが、それでも満更でもなさそうな笑みを浮かべていた。

 

「よーしお前ら!今日はめでたい日だし、盛大に祝うぞー!」

「「「おー!!」」」

 

 ペパロニの高らかな宣言を聞いて、ペスカトーレとアマレット、ジェラートの3人が拳を天に突き上げて嬉しそうに答える。

 アルデンテとカルパッチョは成されるがまま、アンツィオ特有のノリ、そして他人の恋路を素直に応援し、めでたいことは祝福しようという風潮に流される。

 カルパッチョは、実に愉快で楽しくて可笑しいとばかりに、笑みを浮かべている。そのカルパッチョの笑みを見て、アルデンテも小さく笑う。

 アンツィオの校風とは離れた性格の2人ではあったが、今この時だけはその校風さえも心地良いものだと思っていた。

 ただ、観光客らしき通行人が、異常に盛り上がっているペパロニたちを見て怪訝な顔をしていたのは、流石に見えないふりをしたが。

 

 

 この後、アルデンテたちはペスカトーレたちに連れられて屋台街に戻ってきた。

 まずは『とりあえず屋台を回ろうか』とアマレットが言い出して、ペスカトーレたちがそれに諸手を挙げて賛成した。主役であるアルデンテとカルパッチョは、どうにでもなれと大人しく付いていくことにした。

 アルデンテは、アマレットとジェラートには手伝ってもらった身であるのでこの2人の分はアルデンテが支払うことになった。特にアマレットには、事前に『屋台のご飯を1週間奢る』とアルデンテが約束していたので、どのみち奢るつもりだった。

 だが、酒が入っていないはずなのにペパロニがアルデンテとカルパッチョに『馴れ初めを教えてくれよ~!』と肩を抱いて絡んできた。最初は無視しようとしたが、今度は場の空気に流されてしまったカルパッチョが細大漏らさず全てを赤面しながら話してしまった。

 そのカルパッチョの話を聞いて、アマレットとジェラートは『ヒューッ!』と口笛をアルデンテに向けて吹いて、ものすごい居心地の悪さを感じている。

 加えて、アマレットとジェラートは意外にも食べる方なので、容赦なくアルデンテの財布を圧迫してくる。屋台の売り上げを少しの間自分の懐に収めたくなってきた。

 そこでアンチョビが祝賀会に合流。テンションがさらに上がっていく。

 アンチョビが『特製パスタをご馳走するぞ!』と宣言すると、アマレットとペスカトーレがスーパーに食材を買いに行って、その間今度はアンチョビから『アルデンテとカルパッチョの話』を聞かれた。アンチョビには先ほどアルデンテが色々話したはずなのだが、それでももう一度聞いてみたいらしい。ただ、アルデンテも先ほどアンチョビには背中を押してもらったので、断ることはできずに全てを渋々と話した。

 ペスカトーレたちが帰ってくると、アンチョビはペパロニの屋台で特製パスタを作りだす。ソースを1から作りその傍らでパスタを茹でるアンチョビの手際の良さに、アルデンテたちも舌を巻く。

 そして出来上がったのは、ドゥーチェの名前にちなんでトマトとアンチョビのパスタだった。その味は、控えめに言ってすごく美味しかった。

 その後再び屋台街の食べ歩きを再開。これで文字通り、アルデンテの財布の中身はすっからかんとなった。見かねたアマレットが、『めでたいもの見せてもらったし、奢りは今日だけでいいよ~』と言ってくれたのは僥倖だった。これが1週間続いたら、間違いなくアルデンテは破産していただろうから。

 

 

 

「・・・疲れたな」

「そうだね・・・」

 

 陽も完全に落ちて、時刻は21時に差し掛かろうとしている。

 アルデンテとカルパッチョがそんな言葉を交わしているのは、先ほども訪れていた船尾公園。2人は公園の端、眼下に海が広がる柵に寄り掛かっていた。

 なぜ2人はここにいるのかと言うと、半分は2人の意思で、もう半分はアンチョビの計らいによるものだった。

 先ほどの祝賀会という名の食べ歩きの最中、宴もたけなわと言ったところでアンチョビがアルデンテにそっと耳打ちをしたのだ。

 

『色々話したいこともあるだろうし、少し2人だけになってこい』

 

 そのアンチョビの厚意に甘えさせてもらって、アルデンテはカルパッチョと共に2人だけでここまで来たのだ。アンチョビはペスカトーレたちを上手いこと誘導していたので、恐らくここに皆はいない。それに陽も落ちて大分時間が過ぎたことで、見る限りこの公園にはアルデンテたち以外誰もいなかった。

 空を見上げると、海の上ということもあって空気が澄んでいて、月が綺麗に輝いている。三日月の光は、ベンチや木、噴水に弱くはあれど光りを落として影を作っている。

 

「・・・あんなにはしゃいだのって、初めてかも」

「ああ、俺もだ。あんなに騒いだことなんて、ほとんどないな」

 

 カルパッチョがうんと背伸びをして、アルデンテも首を動かして凝りをほぐす。

 

「「・・・・・・・・・・・・」」

 

 2人の間に、出会ってから何度目かの沈黙が訪れる。しかし、これまでのような気まずさは無く、晴れて恋人同士となれたことで、むしろ安心感すら覚えている。

 カルパッチョがそっと、アルデンテの方に身体を寄せる。それに気づいたアルデンテも、そのカルパッチョを決して離さないように、肩を優しく抱き寄せる。

 

「・・・・・・よかった」

 

 カルパッチョの安心したような言葉を聞いて、アルデンテはカルパッチョの横顔を見る。遠くの公園の街灯と少し弱めの月明かりで顔はくっきりとは見えなかったが、穏やかな表情を浮かべているのは分かる。

 

「今日、初めて公園でアルデンテのことを見て、すごいやつれてるように見えたから・・・」

 

 あの時のことか、とアルデンテは思い出して恥ずかしくなってくる。

 あの時のアルデンテは、1位になれなかったことでカルパッチョに告白する資格を失ってしまったと思い込み、この世の全てに絶望してしまっていた。

 その顔はどれほどひどいものだったのか、部屋を出る前に鏡を見た時は別に何とも思わなかったが、人からすれば相当なものだったのだろう。

 

「でも、今はすごい生き生きしてるように見える」

「それは、カルパッチョのおかげだ」

 

 アルデンテは、カルパッチョを抱き寄せる力をほんの少し強くする。

 

「あの時の俺は、1位にならなきゃカルパッチョに告白できないって思い込んでた。それで1位になれなくて、そりゃもうひどく落ち込んだよ」

「・・・・・・・・・・・・」

「でも、カルパッチョが俺のことを認めてくれて・・・そして告白をして、頷いてくれて・・・それで、報われた」

 

 アルデンテはカルパッチョに向けて微笑みかける。

 

「カルパッチョのおかげで、俺は立ち直れたんだ。だから、改めて言わせてほしい」

 

 カルパッチョがアルデンテに顔を向ける。海風にカルパッチョの艶やかな金髪がなびいて、アルデンテはそんなカルパッチョの頭の横に手を添えて、優しく髪を押さえる。

 

「本当に、ありがとう・・・・・・俺のことを認めてくれて。カルパッチョ、大好きだ」

 

 そのアルデンテの言葉に、カルパッチョの瞳が潤む。

 涙が溢れ出そうになってしまい、思わず目を閉じてしまう。

 アルデンテは、少しカッコつけ過ぎたなと悠長なことを考えていたが、カルパッチョがわずかに目を開けてアルデンテの顔に自分の顔を近づける。

 そして、月明かりの下で2人の唇は静かに重なり合った。




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余談
もっとらぶらぶ作戦10巻、面白かったです


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Al dente

Al(アル) dente(デンテ)[------]【名詞】
意:(歯ごたえがある)麺の中心部に僅かながらに芯が残っている茹で加減。



 夏休みも残り1週間とわずかになってしまった。改めて振り返ってみれば、今年の夏休みはアルデンテにとっては激動の夏休みと言っても過言ではない。

 そんな夏休みのとある日曜日。アンツィオ高校学園艦は港町に寄港している。だが、母校である清水港ではない。

 アルデンテは、屋台街へと向かっていた。だが、今の服装は学校の制服でもコックコートでもない。盾のような刺繍が施された濃い青色のポロシャツに黒のチノパンと、まさしく私服だった。

 それ以前に、今日は学校側が指定した屋台街の全面休業日なので、屋台街に言っても屋台はどこも開いていない。

 しかしアルデンテは、迷うことなく屋台街へと足を進めている。なぜそこへ向かうのか、それはそこで待ち合わせをしているからだ。待ち合わせの時刻は10時丁度であるが、今はその20分前。少し早すぎな気がしないでもないが、これからの予定を思うと逸る心が抑えきれずに寮を出てしまったのだ。こういうところで、アルデンテも年頃の男子だということが窺える。

 それに恐らく、待ち合わせをしている相手も予定よりも早く待ち合わせ場所に来ているはずだ。相手を待たせてしまうことも男にとってはマイナスだったので、アルデンテはこうして早めに出発している。

 やがて、待ち合わせの10分前に、屋台街のアルデンテたちが普段いる屋台の前に到着した。ここが、待ち合わせ場所である。

 そして読み通り、すでにそこには待ち合わせをしている相手が待っていた。

 薄い水色のブラウスとクリーム色のブルームスカートに身を包み手には白のトートバッグを携えていた。

 

「おはよう、カルパッチョ」

「うん、おはよう」

 

 待ち合わせをしている相手―――カルパッチョは穏やかな笑みを浮かべて、アルデンテを迎えた。

 

「まだ時間前なのに、早いね」

「それはこっちのセリフだ。カルパッチョこそ」

 

 カルパッチョが腕時計を見ながら、予定の時間前に着いたアルデンテを褒める。だが、その言葉はそっくりそのままカルパッチョに返させてもらうことにした。

 しかし、カルパッチョが時間前に着いていることについては予想通りのことである。

 アルデンテが初めてカルパッチョと出会った日の夜に、トレヴィーノの泉の前で待ち合わせをしていた時も、カルパッチョは時間の前にあの場所にいた。だから、今日という日にも遅れるような真似はしないと思っていたからだ。

 

「今日が楽しみで・・・つい早く来ちゃった」

 

 おどけるようにカルパッチョが言うと、アルデンテも小さく笑う。

 

「俺も同じだ」

 

 その言葉で嬉しくなったのか、カルパッチョがナチュラルにアルデンテの手を握る。

 そのカルパッチョの姿には、初めて会った頃の暗い雰囲気、思い詰めたような表情はない。

 今アルデンテの目の前にいるのは、多くの重圧や悩みから解放された、とても可愛らしく笑う自らの恋人・カルパッチョだった。

 そしてカルパッチョに手を引かれてアルデンテは歩き出すが、すぐに歩調を合わせて並んで歩き、階段を下りて、学園艦から延びるタラップを渡って港町に足を踏み入れる。

 空を見上げれば、雲一つない晴れやかな空が広がっている。

 アルデンテとカルパッチョ、2人の一番最初のデートに相応しい天気だ。

 

 

 今日デートをするに至ったのは、3日前にジェラートから『2人とももっと恋人らしいことしたら?』とからかい交じりの茶々を入れられたのがきっかけだ。

 夏休み期間中で観光客も多くて屋台が忙しく、中々自由な時間、カルパッチョと二人きりになれる時間が作れなかった。

 そのジェラートの言葉を聞いて、アルデンテとカルパッチョは『今度、デートする?』『うん、いいよ』の会話だけでデートが成立。さらに、学校側が設けた屋台街全面休業の日が近かったのでその日にデートをすると決まった。それに加えて、学園艦も丁度寄港するのでデートにはもってこい、港町を2人で回ることにしたのだ。

 

「結構大きい町らしいな」

「そうね、お店も色々あるみたい」

 

 アルデンテが呟くと、カルパッチョも同意する。2人とも、この日のために港町のことは調べていたのだ。

 学園艦が寄港できる港は限られており、その港町は規模が大きいところが多い。規模の大きさに比例して、その港町にある店の種類も増える。食事、洋服、装飾品、日用品、娯楽といった具合に。

 今アンツィオ高校学園艦が寄港している港町も、2人が言ったように規模は大きい方だ。なので、店の種類も結構ある。

 10時を過ぎたことで多くの店が開き始めて、活発な街の喧騒が聞こえてくる。

 逆に、アンツィオ学園艦に乗り込む観光客も大勢いた。アンツィオ学園艦は全体的にイタリア風の雰囲気であるため、日本にいながらイタリア旅行の気分が味わえると人気だった。だから、寄港すると一定数の観光客が乗艦するということも多々ある。

 

「さて、どこから回る?」

 

 アルデンテはカルパッチョに聞く。とりあえずは、自分の意見を通すよりもまずカルパッチョの意思を尊重しようと思ったのだ。

 カルパッチョは顎を指でトントンと叩いて考えて、やがて名案が思い付いたようで『あっ』と声を洩らす。

 

「じゃあ、服を買ってもいいかしら?」

「もちろん」

 

 アルデンテは端から断るつもりなどない。そして、今度は自分からカルパッチョの手を取って、歩みだす。

 ここは正真正銘の日本なのだが、この港町はイメージアップも兼ねているのか西洋風のデザインで統一されている。歩道の一部は石畳になっていて、街灯もどこかヨーロッパのような形状だ。

 アルデンテとカルパッチョが入ったのは、そんな街並みの一角にあるレディース専門店。

 ちなみにこの店の正面にはメンズ服の専門店が構えている。提携しているわけではないだろうが、いい配置をしているなとアルデンテは思った。

 店に入る前にカルパッチョがそのメンズ服店を見ていたので、もしかしたらこの後はあの店に入ることになるのだろう。そうなれば何が起きるかは想像に難くないので、一応覚悟は決めておく。だがその前に、まずはレディース専門店だ。

 店に入って少しの間は、色々な服を見て回る。

たまにカルパッチョが、

 

「これとか、似合うかな・・・?」

 

 と聞いてくれば。

 

「似合ってると思う、可愛いよ」

 

 と、アルデンテは恥ずかしげもなくそう返す。カルパッチョはその言葉に顔を赤くしてしまい、とりあえずキープをする。

 アルデンテだって、普段から『可愛い』とかそんな言葉は自分から進んで言うような性格ではない。だが、今日は楽しみにしていたデートであるから、気分が浮かれているのだ。それは自覚している。

 そのあと何着か見繕ってから、カルパッチョは試着に入る。カルパッチョが着替えている間、カーテンの向こう側から衣擦れの音が聞こえてくるが、その音に意識を向けすぎると大変心によろしくないのでアルデンテは何も聞こえないふりをして、試着室の反対側を見る。

 やがて、カルパッチョがカーテンを開けた。アルデンテが確認をしてから振り返ると、彼女はニットのワンピースを着ていた。ふわりとした色と材質のその服はカルパッチョのイメージに合ってはいるが、すらりと伸びる手足が眩しくて直視できない。

 

「・・・ちょっと、露出が多い気がする」

「・・・・・・そっか」

 

 そのことに今更気づいたカルパッチョは、恥ずかしくなって速攻でカーテンを閉めて、着替え始める。

 次に着ていたのは白のシャツに黒のデニム。大人っぽい、カジュアルな雰囲気ではあるが、どことなく清楚な容姿のカルパッチョとはミスマッチな気がする。

 それを伝えると、カルパッチョは少しシュンと落ち込んでしまい、カーテンを閉めて再び着替え始める。アルデンテは、その反応を見て配慮が足らなかったと自省し、次は気を付けようと肝に銘じる。

 そして、最後にカルパッチョが着て見せてくれた服は、裾の長い白のワンピースだ。

 

「どう、かな・・・・・・」

 

 ほんの少しの不安を見せるようなカルパッチョの問い。

 そのカルパッチョを見て、アルデンテは『さっき失敗したから気をつけよう』だとか、『何か気の利いたこと言わないと』とかそんな考えが頭から抜け落ちて、飾り気のない感想がアルデンテの口から告げられる。

 

「すごく、可愛い」

 

 その言葉を聞いて、カルパッチョの不安も消えて、それとは打って変わって花が咲いたように笑う。

 

「・・・ありがとう、アルデンテ」

 

 そして元々着ていた服に戻ると、最後に着た白のワンピースだけをレジに持っていき会計をしようとする。そこでアルデンテが財布を取り出して払おうとしたが、今度はカルパッチョがそれを手で制する。最終的に2人で割り勘という結果に落ち着いて、2人はちょっとだけ吹き出した。

 その後はアルデンテの予想通り向かい側のメンズ服店に入った。

 それだけならいいのだが、今度はカルパッチョのようにアルデンテの試着という名のファッションショーが開かれた。自分が服を着替えている様を誰かに見られるというのは相当に恥ずかしい。それもカルパッチョが素直に褒めてくるので、恥ずかしさは倍増だ。

 そんな恥と格闘しながらファッションショーを終えて、カルパッチョに褒められた服を買うことにする。ここでも、どっちが払うかの小競り合いが発生したものの、結果はレディース専門店と同じだった。

 そして店を出ると、人通りが多くなった気がする。今日は日曜で、さらに学園艦も寄港しているので自然とそうなるわけだ。

 アルデンテは、カルパッチョの手を優しく、離さないように握る。さっきも手を握っていたが、今は人が多く周りの目もあるのでそれなりに緊張する。

 

「・・・はぐれないようにな」

 

 カルパッチョは、そんなアルデンテの気持ちを理解して、その上でさらに行動に出る。

 ぎゅっと、カルパッチョはアルデンテの腕に抱き着いた。

 

「・・・・・・」

 

 アルデンテは心臓が跳ねてどぎまぎするが、カルパッチョは決してその腕を解こうとはしない。

 そしてカルパッチョが嬉しそうな、幸せそうな、楽しそうな顔をしているのを見て、アルデンテには振りほどく気も起きない。それに、こうして自分が好きな人と接することができるのは心地よかったので、しばらくはカルパッチョのなすがままにしておくことにした。

 ただ、アルデンテの腕に当たる柔らかい何かの感触は、アルデンテの心臓に悪かったが。

 

 

 少しの間ウィンドウショッピングを楽しんでいると、時刻が正午を回り、いい感じに空腹感を抱く。普段よりも時間の流れが速いと思ったが、それは、それだけアルデンテたちが今を楽しんでいるということの証明になる。

 どこのお店で昼食にするかを悩んだが、目に入ったイタリアンの店を見て2人は『そこにしよう』と即決した。そこまで待つこともなく、2人は席に着くことができた。

 イタリアンとは老若男女に一定以上の需要があるもので、割と津々浦々に店がある。中には山奥にある隠れ名店がテレビの特集などで紹介されているのを、アルデンテは度々目にしていた。

 アルデンテとカルパッチョが入ったこの店は、以前アンチョビたちと訪れた店と同じで個人経営らしく客入りもそこそこ多かった。表に出してあるボードには『本場イタリア仕込み!』と書いてあったので、それが集客力アップに繋がっているのだろう。

 2人掛けのテーブルに通されたアルデンテとカルパッチョは、メニューを広げてどれにするかを考え、その末にアルデンテはアラビアータに決めた。辛い物も割と好きなアルデンテは、この機会に挑戦してみようと思ったのだ。カルパッチョは、ラザニアだった。

 注文を終えると、アルデンテはカルパッチョに尋ねた。

 

「やっぱり好きなんだ?ラザニア」

「ええ、とても」

 

 ゆったりと笑うカルパッチョを見て、アルデンテもラザニアを作っている身として嬉しくなる。ラザニアが得意料理で本当に良かったと、アルデンテはそう切実に思った。

 

「でも・・・」

 

 そこでカルパッチョは、アルデンテのことを見て。

 

「あなたの作ったラザニアが、一番好き」

 

 よくもまあ、そんな恥ずかしいセリフが臆面もなく言えるものだ。

 アルデンテなんて、そんなセリフを受けた今では恥ずかしさのあまりカルパッチョを直視できず、水を飲んで誤魔化すぐらいしかできないのに。

 そしてカルパッチョは、さらなる追い打ちとばかりに。

 

「毎日でも、食べたいぐらい」

 

 思わずアルデンテは水を噴き出しそうになる。その言葉が、聞き方によってはプロポーズととれるような言葉だったからだ。

 しかし、アルデンテは冷静に考えてみる。

 カルパッチョと付き合うことになった日以降、アルデンテは屋台の営業を再開している。そしてそれ以来、カルパッチョは毎日アルデンテの下を訪れて、お手製のラザニアに舌鼓を打っている。完全な常連+アルデンテの恋人ということで、完全に50万リラ引きになっている。

 毎日食べたいというカルパッチョの願いはかなっているも同然なのだが、何も言うまいとアルデンテは口を閉じる。

 

「それにしても・・・」

 

 カルパッチョは料理が来るまでの間、グラスに注がれた水を見ながら感慨深そうにつぶやく。

 

「アマレットも付き合うことになるなんてね」

「・・・ペスカトーレも、嬉しそうだった」

 

 アルデンテとカルパッチョがその話を聞いたのは、2人が恋人同士になれたあの日の翌日。アマレットから実に嬉しそうな報告を受けて、アルデンテも『やったじゃないか』と親友として心から2人を祝福をした。聞けば、アマレットから告白をしてペスカトーレがそれを受けたという。

 けれどペスカトーレは、アルデンテに対して。

 

『ごめん・・・・・・1位になれなかったのに、告白して』

 

 謝ってきたのだ。

 アルデンテからすれば、自分の無茶な目標にペスカトーレを付き合わせてしまった上に結果があの通りだったので、むしろアルデンテが謝りたい気分だった。しかしその時は、アルデンテは親友として2人の幸せを祝福させてもらった。

 あの2人も今日はデートだと言っていた。以前カルパッチョやアンチョビたちも行った学園艦のリゾートプールやテルマエ(温泉のことだがアンツィオ生は全員そう呼んでいる)でデートを楽しむらしい。

 2人も恋人同士の青春を謳歌しているようで何よりだ。

 

「まあ、良かったよかった」

 

 そうアルデンテが締めくくったところで、アラビアータとラザニアがやってきた。アラビアータは、『ペンネ』という短くて太く中心が空洞になっているパスタを使っていた。

 2人はナプキンを膝の上に広げて、お互いに『いただきます』とあいさつをしてから一口食べる。

 

「ん・・・うまい」

 

 アルデンテは一口食べて、味を堪能してから言葉を洩らす。唐辛子のピリリとした辛さとがアルデンテ好みだった。

 そこでアルデンテが、ラザニアを食べているカルパッチョを見ると、彼女は穏やかな笑みを浮かべてアルデンテを見ている。

 

「うん、美味しい・・・」

「それはよかった」

「でも・・・私はアルデンテの作ったラザニアの方が好きかな」

 

 その言葉はアルデンテとしては嬉しい限りだが、店の人が聞いたら泣くんじゃないだろうかと思った。

 ちなみに、このお店での食事代も割り勘で落ち着いてしまった。

 

 

 そのイタリアンのお店を出た後は、当てもなく気ままに街を散策することにした。あまり『あそこに行きたい』『ここがよさそう』と言ってしまうと相手を振り回してしまうような感じがするからだ。

 再びウィンドウショッピングを楽しみ、気になったお店に入って商品を見て、日向ぼっこをしていたお店の看板猫とじゃれあって、移動販売のソフトクリームを食べたり、食べさせ合ったり。

 アルデンテもカルパッチョも、今日初めてデートというものをした。知識としてそういうものがあると知っていても、実際にそれを自分が行うのは初めてだったので、どうすればいいのか分からなかった。

 だが、他人からどう言われようとも、2人は楽しくこの時間を過ごすことができたのだから、アルデンテもカルパッチョも、胸を張ってこの日のことはデートだと言うことができる。

 ふとした瞬間、アルデンテとカルパッチョの目が合う。

 カルパッチョは、楽しいと言わんばかりににこりと笑って。

 アルデンテは、まったくだとばかりに小さく笑って頷いた。

 

 

 陽も傾き始めた頃に、最後に2人が訪れたのは小ぢんまりとした書店だった。相当年季が入っているのが分かる佇まいだが、中は温かみのある明かりで照らされており、どこか安心感を覚える。

 カルパッチョはそこで戦車道に関する書籍を買ったが、どうやらこの書店の店長らしき女性も昔戦車道を嗜んでいたらしく、カルパッチョと話が盛り上がっていた。

 そしてアルデンテも2冊ほど本を買って、店を出る。

 まもなく日没ということで、昼間と比べると外を歩く人も少なくなってきている。西洋風の街並みも、喧騒が引くと少しばかり寂しさを覚えるものだ。

 

「何の本を買ったの?」

 

 歩きながらカルパッチョに聞かれて、アルデンテは袋から2冊の本を取り出しタイトルを見せる。

 片方は『調理師学校過去問題集』、もう片方は『イタリア語入門』。

 調理師学校のものについては、カルパッチョも買った理由は分かる。以前アンチョビたちと出かけて2人きりで話をした時、アルデンテ自身は自分のお店を開くことを夢だと言っていた。その時も調理師免許の本を持っていたので、やはりアルデンテは本気でその夢を実現しようとしているのだ。

 だが、イタリア語の本については、カルパッチョも少し頭に引っ掛かりを覚えた。

 

「イタリア語の本は・・・」

「前にアンチョビさんたちと行ったお店も、今日行った店もそうだったけど、お店の人はイタリアで修行してきたんだって」

 

 アンチョビたちと行ったお店では店主の奥さんが教えて、今日行ったお店では表に出されていたボードに書かれていた。

 

「何の実績もない個人経営の店だと、中々ブランドがつかないから経営が厳しいっていうのは、俺でも分かる。だから本場のイタリアで修行をして、それで箔をつけるって言うかな。少しでも、皆の気を引けるようになりたい」

「じゃあ、アルデンテも・・・・・・?」

「ああ」

 

 少しだけ、不安そうなカルパッチョを見て、アルデンテは告げる。

 

「将来、イタリアで修行をしようと思ってる」

 

 そのアルデンテの顔は、覚悟を決めたという気持ちが表れている。その自分の決めたことを曲げるつもりがない、強い意思を持った顔だ。

 カルパッチョは、アルデンテがどういう人間なのかを改めて知る。アンツィオ生らしからず冷静で堅実な性格をしていて、自分の行動と発言には強い責任を持つほど真面目だ。

 自分が“こう”と決めたことは絶対に守り、成し遂げられるように最大限努め、できなければ深く後悔する。そして決めたことを曲げたりは決してしない。それは、カルパッチョへの告白の件で分かっていた。

 だからアルデンテが口にした、『自分の店を開く』という将来の夢も、『イタリアで修行する』という目下の指針も、決して曲げることはないはずだ。

例えその道のりが厳しく、辛く、険しいものであろうとも、アルデンテは迷うことなく、へこたれることもなく歩んでいくのだろう。

 それがカルパッチョは分かるからこそ、自分はそのアルデンテを支えていきたいと思う。

 

「・・・・・・アルデンテ」

「ん?」

 

 カルパッチョが足を止める。アルデンテも、少し歩いたところで振り返って立ち止まり、カルパッチョのことを見る。

 アルデンテの夢を聞き届けた今、カルパッチョは自分の夢も、伝えたいと思っていた。

 前から抱いていた夢と、新しくできた夢を。

 

「私ね・・・・・・」

 

 最初に告げるのは、前から抱いていた夢。

 

「中学の頃から続けてる戦車道・・・・・・これからも、続けていこうと思ってるの」

「・・・・・・そうか」

 

 アルデンテはそのカルパッチョの1つ目の夢を聞いて、笑ってくれた。その笑みは、決して失笑や嘲笑などではなく、柔らかい笑み。そのカルパッチョが告げた夢を応援すると、言外に告げている。

 カルパッチョは、自分自身を変えるために戦車道を始めたのだ。その中で積み重ねてきた知識と経験は何物にも代えがたいものであり、その戦車道のおかげでアンチョビやペパロニ、そしてアルデンテと出会うことができた。そして、自分のあこがれでもある親友もこの戦車道をしていると知ったのだ。その戦車道に背を向けるなど、考えられない。

 だからカルパッチョは、この先も戦車道を続けるのだ。

 

「そして・・・・・・もう1つの夢・・・」

「?」

 

 カルパッチョの背には、夕日が輝いている。そんなカルパッチョの頬は赤く染まっていて、瞳は静かに揺らいでいる。だがそれでも、カルパッチョはアルデンテのことを見据えて、言葉を紡いでいく。

 

「夢に向かって進み続けるあなたを・・・・・・」

 

 そこでカルパッチョは、違うと首を横に振る。そしてもう一度アルデンテのことを見て。

 

 

「あなたのことを、これからもずっと・・・・・・ずっと、支えていきたい」

 

 

 街の喧騒が、聞こえなくなる。人の話し声も、歩く音も、草木のざわめきも、今の2人には聞こえない。

 アルデンテも、今のカルパッチョの言葉にはどんな意味が込められているのか。それは恋愛経験に乏しくても分かる。

 

「・・・アルデンテ」

「・・・」

 

 次にカルパッチョの口から告げられる言葉を、アルデンテは絶対に聞き逃したりはしない。聞き逃すことなど、許されるはずはない。

 

 

 

「私と、将来―――」

 

 

 

 カルパッチョの告げた、もう1つの夢。それは、アルデンテに対するお願いともいえる。

 それに対するアルデンテの返事は、ただ1つ。

 その返事をアルデンテは、これまで見せてきた微笑や、ときに浮かべる失笑や苦笑とも違う、心からの笑顔で告げた。

 

「・・・もちろん、いいよ」

 

 この日、アルデンテとカルパッチョは、将来結ばれることを共に誓い合った。

 

 

 突如聖グロリアーナからもたらされた、大洗女子学園が廃校になるという情報。

 第63回全国戦車道高校生大会2回戦で、大洗女子学園と砲火を交えたアンツィオ高校の統帥アンチョビは、聖グロリアーナの隊長であるダージリンからの『大洗女子学園を助けたくはない?』という問いに、2つ返事で協力することを決めた。

 アンツィオ高校があの西住流と戦ったのは、あの時が初めてだった。あの試合はアンツィオの皆にとっても学ぶべきところが多かったものであり、全力で戦った上で敗北した大洗のことを、アンツィオ戦車隊は全力で応援することに決めていたのだ(応援できたかどうかはさておいて)。

 それに、大洗女子学園は同じ釜の飯を食った戦車道の仲間だ。それだけで、助けるには十分な理由になる。

 ダージリンから具体的にどうするかを聞かされたアンチョビは、大人数で大洗の援軍に向かおうとしたが、戦力が貧弱すぎるので1輌でいいと言われてしまった。

 『貧弱』と言われてアンチョビは地味に凹んだが、それよりもまずは大洗の増援だ。

 最大戦力の重戦車・P40は、その大洗女子学園との試合で致命的なダメージを負い、加えて修理資金が足りず使い物にならない。なので必然的にCV33かセモヴェンテのどちらかに絞られたのだが、アンチョビとペパロニは火力の高いセモヴェンテを持っていこうとした。

 だが、冷静なカルパッチョはそこで待ったをかける。

 

「おそらくこれから戦う相手は、黒森峰やプラウダなんて目ではないぐらい強い相手だと思います。正直な話、セモヴェンテを持って行っても敵に白旗を揚げさせるかは微妙なところかと」

 

 そこで血気盛んなペパロニが『やってみなきゃ分かんないっすよ!』と抗議するが、アンチョビはそんなペパロニを宥めて、カルパッチョに続きを促す。

 

「それならば私たちは、敵を倒すことを目的とはせず、皆さんのサポートに徹するべきだと思います」

「ふむ」

「ダージリンさんの言葉の通りなら、大洗には他にも増援が多く加わって大所帯になるでしょう。そうなれば、戦況を偵察する役割が必要となるはずです。私たちが小型のCV33でその役目を負えば、大洗の勝利に貢献することができます」

 

 やはり、カルパッチョを副隊長にして正解だったとアンチョビは思う。冷静かつ客観的に物事を見ることができる人物は、大人数を率いる上で重要だからだ。

 そのカルパッチョの意見にアンチョビが賛成し、あまり小難しいことを考えるのが苦手なペパロニも同意して、3人はCV33に乗り込んで大洗の増援へと向かった。

 そして肝心の試合では、全国大会の決勝戦のように寝過ごして試合に間に合わなかったなどというミスは犯さず大洗の増援として参戦。カルパッチョの言った通り偵察と、戦線攪乱の役割を果たして大洗女子学園の勝利に多大な貢献をすることができた。

 帰り道はCV33をトラックに積んで、各地の色々な名物を楽しみながらアンツィオへと帰った。大洗女子学園を救えたことが嬉しかったあまり、トラックの中で3人でフニクリフニクラを歌ったのは、3人にとってもいい思い出だ。

 

 

 そして夏休みも終わり、その試合からすぐの日に、アンツィオ高校学園艦ではアンチョビ主催で『大洗女子学園存続記念祭』が開催され、屋台街の全品割引セールが実施されていた。

 お祭り好きなアンツィオ生たちは盛り上がって、屋台街を賑やかにしている。

 ペパロニの鉄板ナポリタン屋台は特に賑わっているが、日本戦車道の歴史に残るような試合に参加していた張本人だから仕方がない。彼女の語る武勇伝を聞きたくて、皆訪れているのだ。

 アルデンテの屋台も、屋台総選挙以来の100万リラ引きセールを実施しているので、お客はいつも以上に多かった。

 

「今だけ100万リラ引きだよ~!」

「美味しいラザニアだよ~!」

 

 ペスカトーレとアマレットの客引きが効いているのか、多くのお客がラザニアを求めて屋台を訪れている。

 あの総選挙以来、アマレットも屋台を手伝ってくれている。どういう風の吹き回しだと思ってアルデンテは聞いてみたが、それに対してアマレットは恥ずかしそうに顔を赤くしてペスカトーレを指差した。それでアルデンテも、詮索するのはよそうと思って聞くのは止めた。

 カルパッチョはジェラートの屋台を手伝っているが、アルデンテは寂しくはなかった。全く寂しくないわけではないが、会いたくて仕事に手がつかないとまではいかない。

 なぜなら、もうお互い将来結ばれることを誓い合っているのだから。

 そのことを考えると、らしくもなくアルデンテの口元が緩む。それを目敏く見つけたペスカトーレが、いつかのアルデンテのように『気持ち悪い笑みを浮かべるな』と軽く頭をはたいてきた。アルデンテは『はいはい』と答えてラザニアを取り出し、お客に差し出す。

 今頃はカルパッチョも、試合に参加した身であるからジェラートの屋台で色々聞かれて忙しいだろう。

 そんなことを考えていたら、カルパッチョが姿を見せた。

 

「お疲れ様、カルパッチョ」

「ただいま、アルデンテ」

 

 その大洗女子学園の決戦後、2人は今ここで初めて顔を合わせる。

 アルデンテは金銭面の都合で直接応援に行くことはできなかったが、せめてもと思い、試合会場に赴く前にカルパッチョとキスを交わした。

 それを思い出して無性に恥ずかしくなってしまうが、将来のことを考えるとこれぐらいのことでいちいち恥ずかしがっていてはいられないなと思って、ラザニアを1つ無料でサービスする。

 

「どうぞ」

「・・・ありがとう、アルデンテ」

 

 カルパッチョは一瞬戸惑うが、アルデンテの顔を見て小さく笑い、受け取る。そしてフォークで小さく切り取って一口食べる。

 

「うん、美味しい」

「それはよかった」

 

 カルパッチョの言葉に、アルデンテも嬉しくなる。『美味しい』という言葉は、たとえ何度聞いたとしても飽きることはないし、鬱陶しくもならない。相手が好きな人であればなおのことだ。

 

「あのアルデンテが、ラザニアをタダでサービスするなんてねぇ」

「だな。ちょっと前までは考えられなかったのに」

 

 アマレットとペスカトーレが客引きの合間に、随分と変わってしまったアルデンテのことを見て感慨深そうに見て呟く。

 

「誰にでもこうするってわけじゃないんだが」

「それでもすごいんだよ。今まで一度も値引きなんてしたことなかったのに」

 

 アルデンテは反論するが、その上にペスカトーレはもう一度強調するように告げる。

 

「カルパッチョだけにっていうのが、また何ともね」

 

 アマレットの言葉に、カルパッチョはラザニアを食べることに意識を集中することにした。これ以上何かを言おうものなら、確実に自分が恥ずかしいことになってしまう。

 

「・・・ところで、試合はどんな感じだったんだ?観てないからわからないんだが・・・」

 

 アルデンテが、そんなカルパッチョに助け舟を出す形で聞く。カルパッチョは、上手い具合に話題が逸れたので、内心で『よし』と思う。

 そしてカルパッチョはざっくりと、試合の流れを説明した。最初から敵の激しい攻撃にピンチになって、自分たちは偵察の役目を担っていた、カール自走臼砲と真正面から渡り合った時は怖かった、最後は大洗のルノーB1bisという戦車と協力して敵を倒した、と戦車道履修生ではないアルデンテとペスカトーレにも分かりやすいように、かみ砕いた表現で教えた。

 カルパッチョの話を聞いて、アルデンテはやはり戦車道の世界とは厳しいものだと再認識する。相手がどれだけ強大であっても戦いから逃げることなどせず、不安や恐れを乗り越えて勝利を目指して邁進する。そんな熾烈な世界に放り込まれたら、アルデンテも生きていける自信はない。

 そして、そんな世界で懸命に戦うカルパッチョはもちろん、アンチョビやペパロニ、アマレットを、アルデンテは素直にすごいと思い、尊敬する。

 そしてアルデンテは、そんな世界を生きるカルパッチョを労う形で、その頭を優しく撫でる。

 

「・・・本当に、お疲れ様。カルパッチョ」

 

 その手を受け入れたカルパッチョは、優しく笑った。

 それを見ていたペスカトーレとアマレットは『全くこの2人は・・・』という表情を浮かべながら客引きを再開した。

 

 

 アルデンテとカルパッチョは、将来結ばれることを誓い合った。

 カルパッチョは、夢に向かって進み続けるアルデンテを、そして夢が実現したその後もずっと支えていくと言ってくれた。

 もちろんアルデンテも、この先も戦車道を続けて厳しい世界で戦い続けるカルパッチョを支えていくつもりだ。

 そしてカルパッチョは、自分の夢が実現するように応援してくれている。そのカルパッチョの思いは裏切りたくないから、絶対にその夢を自らの手で叶えようとアルデンテは決意した。

 その夢に至るまでの道は果てしなく遠くて、険しいものだということは分かっている。

 だが今は、自分のことを支えてくれる人が傍にいる。

 だから、その道のりが険しくても、その夢を実現させることがどれだけ難しくても、決して諦めたりはしない。

 それに、アルデンテもまたカルパッチョのことを傍で支え続ける。

 いかなる時も、どれだけの困難が立ち塞がろうとも、共に支え合い前に進んでいく。

 お互いに結ばれることを誓い合った時から、その覚悟を決めていた。



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おまけ
Dichiarare Due


due(ドゥーエ)[two]【男性名詞】
意:2


 夜空に浮かぶ月の光が、アンツィオ高校学園艦のローマ風建築物を照らし、薄っすらと影が地面に伸びている。

 ペスカトーレが腰掛けているのは、スペイン階段風階段。この学園艦でも比較的高い位置にあるため、アンツィオの街並みを見渡すことができる。階段の下には船首まで伸びる大通りが、階段の上にはパンテオン風神殿がある。

 

「ふぅ・・・・・・」

 

 その階段の上あたりにペスカトーレは腰かけて、街並みを見下ろしながら先ほどまでの祝賀会のことを思い出す。

 今日、ペスカトーレの親友・アルデンテは、想い人であるカルパッチョとめでたく恋人同士となって付き合うことになった。

 それは親友としても喜ばしい限りだ。何しろ、総選挙で1位になれず失意のどん底に沈んでいたアルデンテが、恋心を抱いていたカルパッチョと無事に付き合うことができ、輝きを取り戻したのだから。そうでなくとも親友に恋人ができたのは、それだけでも喜ばしい。

 アルデンテがカルパッチョに告白した後、ペパロニ主体で祝賀会という名の屋台街の食べ歩きをして、統帥アンチョビ特製のパスタをご馳走になって、ついさっきアンチョビから解散を告げられたのだ。そしてペスカトーレは、なんとなく夜風に当たりたい気分だったのでここに来ている。アルデンテとカルパッチョは一緒にどこかへ行ってしまったので、今は2人だけの時間を静かに楽しんでいるのだろう。

 そこまで考えて、ペスカトーレは思う。

 

(俺は、どうするかな・・・・・・)

 

 ペスカトーレもアルデンテ同様、好きな人―――アマレットに告白することを目標に掲げて、屋台での客引きを懸命にやってきた。

 そのアマレットも総選挙期間中、アルデンテが頼んだことでペスカトーレと共に客引きをしてくれていた。アマレットが傍で見てくれていたものだから、ペスカトーレは良いところを見せようと思っていつも以上に明るい笑顔と声で客引きをした。

 総選挙の前にペスカトーレは、アルデンテに『1位になったらアマレットに告白する』と宣言した。アルデンテにはそれが真剣なものには聞こえなかったかもしれないが、ペスカトーレは至極真面目に宣言していたのだ。

 そしてその宣言を現実のものとするために、実際の総選挙で頑張ってきた。

 しかし結果は、言わずもがな。

 アルデンテはカルパッチョと直接話をして認められるまで、1位になれなかったことを悔やみ絶望して、告白することを諦め塞ぎ込んでしまっていた。

 親友がそんなことになってしまったのだから、ペスカトーレだけが『頑張ったから悔しくないし、2位でも別にいいよね』と割り切って告白するなどできるはずもなかった。それは違うと、ペスカトーレでも分かっている。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 そして正直言って、ペスカトーレも心の中では落ち込んでいた。

 あの『総選挙で1位になったら告白する』という言葉には、もちろんちゃんと意味もあった。

 ペスカトーレは、自分がアンツィオの校風であるノリと勢いに染まりきってしまっていて、ちゃらんぽらんな性格をしているという自覚はある。

 そんな自分が例え真剣に告白をしたとしても、相手は信じずに疑い、受け入れてくれない可能性が高かった。

 ましてやその相手は、付き合いが長く、軽口を幾度となく叩き合ってきたアマレット。冗談と流されることの方が十分考えられた。

 だから『この総選挙で1位になったら告白をする』と自分を追い詰めて、そして1位になって自分がどれだけ真剣なのかを知ってほしかった。

 アルデンテが、2位以下では自分には実績がつかずカルパッチョには釣り合わないだろうと思っていたように、ペスカトーレも1位でなければ信用性が無いと思っていた。

 だから1位になれなかった今、告白できないアマレットへの想いが胸の中で燻り、消化できていないのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・はぁ」

 

 何度目かの溜め息を吐くペスカトーレ。

 これから自分は、どうするべきなんだろう。

 この想いはどうすれば、どこにぶつければいいんだろう。

 アマレットへの想いは無かったことにして、またいつものように接するのが賢明なのだろうか。

 だが、それはこの恋心を忘れるということになり、それには膨大な時間を要するだろう。もしかしたら、アマレットへの恋心など一生忘れられないのかもしれない。

 なら、大声でもあげれば少しでも軽くなるだろうか?

 そんなとりとめもないことを考えて、叫ぶならパンテオン風神殿だと思い立ち上がる。そして階段を見上げると。

 

「やっほ~」

 

 そこにいたのは、いつものように気さくに手を挙げて挨拶をしてくるアマレットだった。

 ペスカトーレは内心でひどく焦ったが、どうにか同じように手を挙げて挨拶をし、平静を装う。そして再び、階段に座り直した。今までずっとアマレットのことを―――アマレットへの恋心をどうするか考えていたから、その本人が急に姿を見せて気持ちの準備ができていなかったのだ。

 

「隣、いい?」

「どーぞ」

 

 アマレットはペスカトーレに許可を貰ってから隣に座る。

 ペスカトーレは知らないことだが、アマレットはペスカトーレのことを意識していて―――ぶっちゃけ好きだったので、隣に座ることですら恥ずかしかった。けど、それを悟られてはならぬと肝に銘じていて、何でもないように振る舞っている。

 

「楽しかったねぇ、祝賀会」

「ああ、そうだな」

 

 とりあえずアマレットは、他愛も無い話をして気持ちを紛らわせることにする。ペスカトーレも一応は反応を示してくれたので、ひとまず安心した。

 

「アルデンテ、パッチョ姐と付き合うことができて本当によかった・・・・・・」

「そうだなぁ。カルパッチョさんが認めてくれて、ホントに安心した。やつれたアルデンテなんて、見たくないからな・・・」

 

 ペスカトーレの言葉を聞いて、アマレットは先ほどアルデンテを今日初めて見た時のことを思い出す。とてもやつれていて、どう見ても只事ではないということが分かった。あんなアルデンテは、今まで見たこともない。

 そのアルデンテの姿を思い浮かべて、アマレットはふと思う。

 

(ペスカトーレは・・・どうなんだろう・・・?)

 

 アルデンテはアンツィオでは人一倍真面目だったから、あの屋台総選挙の投票結果を受けて人との繋がりを一時的に断ち切るほどに落胆していた。カルパッチョがあの時、アルデンテのことを認め告白を受けていなかったら、もしかしたらアルデンテはアンツィオを去っていたかもしれない。

 そしてペスカトーレもまた、あの結果を見て落ち込んでいたのはアマレットも見ていた。その落ち込んでいる理由は、親友たるアルデンテが塞ぎ込むぐらい絶望してしまっているから、だけではないとアマレットは思う。

 加えて、総選挙期間中はペスカトーレもいつも以上に明るく、そして真剣で真面目に客引きをしていたから、ペスカトーレも何らかの目標を持って1位を目指していたのだと思う。

 しかし結果は知っての通り2位だった。だから、今目の前のペスカトーレも普段のように振舞ってはいるが、心の中ではアルデンテのようにひどく落胆しているのかもしれない。

 今は大丈夫だとしても、いずれは後悔の念や悲しさに、そしてショックが増していって、いずれはアルデンテのようになってしまうかもしれなかった。

 そうなった時のことを想像すると、アマレットの背中に寒気が走る。

 そんなことにだけは、絶対にさせたくなかった。

 アマレットは、客引きをしている時に見たペスカトーレの笑顔が好きだった。いつも陽気な性格のペスカトーレのことが好きだった。

 だから、あの時のアルデンテのように、ペスカトーレが落ち込んでいる姿など見たくない。

 そう思ったアマレットは。

 

「・・・ねえ、ペスカトーレ」

「ん?」

「ちょっと、いい?」

 

 『何に対する許可だろう?』とペスカトーレが思う間もなく、アマレットがペスカトーレの手を優しく握った。普段から竹を割ったような性格で、大胆なところがあるアマレットだが、そっと優しく握るその行動は普段のアマレットからは想像できないものだ。

 手を握ったアマレットとて何も思わないわけではない。自分が意識している人といきなり手を繋いでしまって、緊張しているし、恥ずかしいが、それでも逃げたりなどせずに、アマレットは口を開く。

 

「・・・ちょっと、聞いてくれる?私の話・・・」

「・・・・・・ああ」

 

 ペスカトーレは今なお、アマレットの突然の行動に対して驚きを隠せない。おまけに、恋をしているアマレットと手を繋いでいるという今の状況に心臓は高鳴っていて、放っておくとどうにかなってしまいそうだった。

 その昂る気持ちから目を背ける形で、ペスカトーレはアマレットの話に耳を傾けることにした。

 

「私さ、総選挙でアルデンテから頼まれて・・・初めて屋台に立ったんだよね」

「ああ・・・そういや、アマレットって誰かの屋台を手伝ったりしたことはなかったか」

「うん、そう。営業スマイルとか、料理とか、そんな得意じゃなかったし・・・。でも、アルデンテから真剣に頼まれて、それで断らないわけにもいかなかったから、引き受けたんだ」

 

 アマレットは、ペスカトーレの手を握りながら夜空を見上げて、続ける。

 

「それから、ペスカトーレと客引きをして・・・覚えてる?最初の日にペスカトーレに聞いたこと」

「・・・なんで俺が、あんなに誰にでも笑顔で接客できるのか、ってやつ?」

「そうそれ。でさ、『アルデンテの作ったラザニアの美味しさを、皆に知ってもらいたい』ってペスカトーレは答えたでしょ?」

「ああ」

 

 それは紛れもない事実だ。カッコつけるために言ったわけではない。

 そもそも、ペスカトーレが一番最初にアルデンテが作ったラザニアを食べたのは、1年生の頃の調理実習の授業の時だ。まだペスカトーレとアルデンテはそこまで接点が無かったが、アルデンテの作ったラザニアにペスカトーレは感銘を受けて、そこから交友関係を築き始めて、親友にまで発展した。

 そのアルデンテが、将来の夢のために屋台を開きたいと言った時は、背中を押してそれを応援した。それに、アルデンテの作ったラザニアの美味しさを皆にも知ってもらうために、ペスカトーレも客引きとして協力した。

 けれど、ぶっきらぼうな顔で宣伝しても客は寄ってこない。だからペスカトーレは、どんな時でも笑顔で、はきはきとした声で客引きをしている。人の緊張感をほぐすには明るい声と表情と思ってのことと、そしてマナーとしてでもあった。

 

「それを聞いた時、ペスカトーレって本当に友達思いなんだなって、私は思った」

「・・・・・・」

「友達の・・・親友の良さを知ってもらいたくてそこまで行動できるのは、純粋にすごいと思う」

 

 皮肉でも、比喩でもない、そんなのよりもずっとストレートな言葉。

 普段とは違うような状況で告げられたその言葉に、ペスカトーレは少しばかり恥ずかしくなってくる。いかにノリがよくて陽気なペスカトーレでも、面と向かって女の子から褒められるのは恥ずかしいので、アマレットから目を逸らしてしまう。

 

「それでね・・・。そんなペスカトーレはずっと笑顔で客引きしてて、それで明るく声を張り上げていて・・・・・・。それが、私には輝いて見えた」

 

 いつになく、ややつっかえ気味なアマレットの言葉を、ペスカトーレは静かに待つ。

 

「いつからか・・・・・・ペスカトーレの笑顔が頭から離れなくなってね。それで、意識しだしたんだ・・・・・・」

 

 ペスカトーレが勢いよくアマレットの顔を見る。

 そのアマレットは、恥ずかしさと嬉しさを共に孕んでいるように見える。その顔も、ペスカトーレは一度も見たことがない。

 

「ペスカトーレ」

「・・・・・・」

 

 アマレットは、真っ直ぐな瞳でペスカトーレを見つめる。

 そして、口を開いた。

 

 

 

「私は、あんたのことが好き。友達思いなところも、笑顔が素敵なところも、全部好き」

 

 

 

 その自分の中の想いを、アマレットは間違いなくペスカトーレに告げた。

 その想いを聞き届けて、ペスカトーレは天を仰ぐ。

 少し前のペスカトーレなら、飛び跳ねて、迷うことなく『もちろん!』と返事をしていただろう。

 だが、今は少し状況が違う。こちらから告白しようと決意していたのにそれが打ち砕かれて、どうすればいいんだと悩んでいたところだったのだから。

 

「・・・・・・返事をする前に、ちょっと俺の話を聞いてほしい」

 

 だが、その悩んでいたことをアマレットに対して隠し通し続けるのは難しい。それに、隠しながらアマレットと付き合うのは、罪悪感がとてつもない。

 だから包み隠さず、全てを打ち明けることにした。

 

「俺・・・あの総選挙に参加する前に決めたことがあったんだよ」

「?」

「アルデンテが1位になったらカルパッチョさんに告白するって決めた風に、俺も1位になったら『ある人』に告白するって決めてた」

 

 そのペスカトーレの言葉に、隣に座るアマレットが息を呑んだのには気づいている。だが、それでも続ける。

 

「俺はほら・・・いつもちゃらんぽらんな感じだから、告白したところで信用してもらえないんじゃないかって思ってた」

「・・・・・・」

「だから、総選挙で1位になって、俺がどれだけ真剣だったのかって知ってもらって、それで告白しようと思ってたんだよ」

 

 結果はあの通りだったけどな、とペスカトーレは肩をすくめて苦笑する。

 

「俺だって、1位になるためにでも多くの人から投票券を貰おうとして、いつも以上に頑張って客引きをしたよ」

 

 ペスカトーレが寂しげに、階段の下に広がる街並みを見下ろす。

 

「アルデンテは、1位じゃないって知ったら告白することを諦めた。それで、俺だけ2位でもいいから告白するっていうのは、なんかフェアじゃないって思って、告白は止めようと思ってた」

 

 そう言ってから、ペスカトーレはアマレットのことを改めて見る。

 

「・・・・・・でも、まさかその『好きな人』の方から告白されるとは、思わなかったぞ」

「・・・・・・え」

 

 ペスカトーレの言葉に、アマレットの口がぽかんと開く。だが、ほどなくしてその言葉の意味を理解して、アマレットの顔がぼっと赤くなる。

 

「本当は・・・・・・1位になってから言うつもりだったんだけど、言うよ」

 

 ペスカトーレは自分で言ったように、目標を達成して、達成感を抱きながら自分から告白したかった。

 だが、今ここでアマレットから告白された以上、答えないわけにはいかなかったから、ペスカトーレはアマレットの告白に対する返事を告げる。

 

 

 

「俺も、アマレットのことが好きだよ」

 

 

 

 アマレットの思考が、ペスカトーレの言葉を理解することだけに集中して、脳を動かす。

 だが、そこまで小難しく考えずとも、ペスカトーレの言葉は十分すぎるぐらい真っ直ぐな言葉だった。

 アマレットは、熱くなる頬を軽く掻きつつも、静かに笑う。

 

「本当は1位になって、俺の方からって思ってたけど・・・・・・アルデンテには悪いことをした」

 

 1位になれなかったにもかかわらず、おまけにアマレットに認められたかどうかもわからないのに告白をしてしまったことで、アルデンテを裏切ったような気持ちに苛まれるペスカトーレ。思わず、頭を抱えて大きく息を吐いてしまう。

 そんなペスカトーレの肩を、アマレットは優しく抱き寄せた。

 またしてもペスカトーレは困惑する。今まで意識していなかった柔らかい感触とか甘い香りとかが一気にペスカトーレを包み込んだのだから。

 

「大丈夫・・・大丈夫だから」

 

 安心感の溢れるアマレットの言葉に、ペスカトーレの心の中にある緊張や罪悪感が緩む。

 

「そこまでペスカトーレが考えてくれていて、私のことを真剣に考えてくれて1位を目指してたっていう気持ちだけで、私は嬉しいよ」

 

 言い聞かせるように、あやすように告げるアマレットの言葉に、ペスカトーレの涙腺が緩む。頭の中で堰き止められていた悔しさや悲しさ、情けなさが一気に涙という形で溢れ出す。

 

「ありがとうね、ペスカトーレ」

 

 その言葉に、ペスカトーレも堪えが利かなくなって、アマレットに身体を預ける形で涙を流した。

 夏休みで観光客も多い中、今この時だけ、このスペイン階段風階段に誰も来なかったのは、幸いだった。

 だからペスカトーレは、好きな人の前で、みっともなく泣いた。

 

 

 多分、アンツィオに入学して以来、初めて泣いたと思う。

 ペスカトーレは涙が収まったところでアマレットから身体を離し、涙で濡れた顔を拭く。

 

「・・・悪い、変なところ見せて」

「いいって。それにしてもあんなに泣くなんて、あんたも結構子供っぽいとこあるんだねぇ」

「ほっとけ」

 

 いつものように軽口を叩き合うペスカトーレとアマレット。総選挙以前はずっと交わしていたようなやり取りだったのに、なぜか新鮮に思えてしまって2人して笑う。

 

「・・・・・・私たち、恋人同士ってことなんだよね」

「あー・・・多分」

 

 今度はお互いに自らの想いを告げて、ストレートに『好き』と告げたことを思い出し、2人して顔を赤くする。

 ペスカトーレはアマレットの方を横目に見てみるが、彼女は手をもじもじと動かして地面に視線を落としている。ペスカトーレと目を合わせようとはしていなかった。

 

「・・・・・・でも、俺は」

「?」

「前みたいな友達みたいなノリで、付き合いたいと思ってる」

 

 ペスカトーレの少し遠慮気味な言葉に、アマレットは頭に疑問符を浮かべる。

 

「俺が好きなアマレットは・・・こう・・・普段みたいにさっぱりとした性格だから。俺と付き合ってるからって変に意識したり気を遣ったりしないで・・・普段通りの感じで付き合いたい」

 

 そこでペスカトーレがもう一度アマレットのことを見ると、彼女は呆けたような顔だった。それでペスカトーレも、アホなことを言ってしまったと後悔した。

 

「・・・なんか、自分の理想押し付けてるみたいで感じ悪いな。ごめん、忘れてくれ」

 

 恥ずかしそうに、そして申し訳なさそうに顔を逸らすペスカトーレの肩を、アマレットはバシッと叩く。その力が地味に強かったので、ペスカトーレは抗議の声と視線を向ける。

 

「何するんだよ・・・」

「いやぁ、ずいぶんと可愛らしくて嬉しいことを言ってくれたから、そのお礼ってことで」

「これがお礼ってどういう―――」

 

 ペスカトーレがさらに追及しようとするが、その前にアマレットが唇を重ねてきたことで阻まれてしまった。

 月明かりの下で、2人はしばしの間キスを交わす。

 やがて、アマレットの方から静かに顔を離す。その顔は、初めてのことで恥ずかしかったのがわかるぐらい、真っ赤だ。

 

「・・・それじゃ、これからはいつも通りってことで」

 

 そしてアマレットは立ち上がり、『おやすみ~』と言って手を振りながら階段を下りていく。

 そんなアマレットの後姿を、ペスカトーレはただ呆然と眺める。やがて、自分の口に手をやり、先ほどのアマレットとのキスを思い出す。

 

「・・・・・・・・・・・・あー」

 

 嬉しかったり恥ずかしかったりという気持ちがない交ぜになった、ため息交じりの声を洩らす。今の自分の顔は、みっともないぐらい緩んでいるのだろう。

 自分で言っておいてなんだが、ペスカトーレは果たして明日から今まで通りアマレットと接することができるのかどうか、不安でならなかった。

 思わず空を見上げてみれば、輝く三日月がそんなペスカトーレのことを笑っているように見えた。




今更ですが、学園艦内のイタリア風建築物のそれぞれの位置は、
完全筆者オリジナルです。当てにしないでください。


感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


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Altro

altro(アルトロ)[another]【形容詞】
意:もう1つの、別の、他の



 アルデンテとカルパッチョが、屋台街でデートの待ち合わせをしているのと同時刻。

 パンテオン風神殿の前で、ペスカトーレはそわそわと腕時計を見たり足を組んだり腕を組んだりしながら、待ち合わせをしている相手のことを今か今かと待っていた。

 着ている服は白のシャツにデニムジャケット、履いているのは黒のカーゴパンツ。人生初のデートだったので小一時間ぐらい服に悩んでいたが、『普段通りの関係で付き合いたい』という自分の言葉を思い出して、いつも通りの服に落ち着いた。

 さて、相手はどんな服装で来るのだろうか。そんな期待に胸を膨らませている中で、時計塔が待ち合わせ時刻である10時を告げた。

 

(さあ・・・・・・心の準備は万全だ・・・!)

 

 心の中で身構えていると、肩をちょいちょいと指で叩かれた。

 ペスカトーレはびっくりして、深く考えず反射的に後ろを振り返るが、頬がぷにっと人差し指でつつかれた。

 

「引っかかった♪」

 

 白い歯を見せてニッと笑うその少女は、オレンジのポロシャツに白のアウター、デニムスカートに黒のタイツを着こなすアマレット。

 他ならない、ペスカトーレと付き合っている少女だ。

 

「・・・引っかけられた」

 

 心の中で準備していたにもかかわらず、こんな古典的な手に引っ掛かってしまうとは。初デートだからとやはり浮かれてしまっていた。

 ペスカトーレは別に武道を極めているわけではないので、他人の気配や視線、雰囲気に敏感というわけではない。だからこうしてアマレットが背後にそーっと近づいてきたことに気づけなかったのは仕方がないが、それでも好きな人が近くにいるのなら男として気づいておきたかった。

 

「・・・おはよう、アマレット」

「うん、おはよう。ペスカトーレ」

 

 改めて2人は挨拶を交わす。

 それにしても、とペスカトーレは思う。

 

「時間ピッタリなんて、珍しいな」

 

 アンツィオの生徒は基本おおらかであるため、待ち合わせの時間に遅れるということもしばしばである。だから、今日みたいにお互いに揃って時間きっかり、もしくはそれよりも前にそこにいること自体が珍しいことだった。

 ペスカトーレがそう思って聞いてみると、アマレットは視線をペスカトーレから外して、少し恥ずかしそうに告げる。

 

「その・・・あんたとデートだって思ったら、楽しみで・・・」

 

 実を言うと、ペスカトーレもアマレットと同じ気持ちだった。

 これまでアマレットと出かけることは度々あったが、それはアルデンテやジェラートも一緒だったし、あるいはまだお互いに相手のことを好きだと認めていなかった時だ。

 けれどこうして、互いに恋心を自覚し、晴れて恋人同士となってから2人きりで出かけるのは、告白し手告白された日以来初めてのことである。

 自分の恋人とデートをするというのは、誰しもが夢見るシチュエーションである。健全な男子高校生のペスカトーレも例外ではなく、今日のデートに緊張し、そして何より楽しみで、先ほどのように待ち合わせの時間前に来ていたのだ。

 それはアマレットも同じだということを知って、ペスカトーレは思う。

 

(俺たち、本当に付き合ってるんだな・・・・・・)

 

 しみじみとペスカトーレが思っていると、アマレットが時計を見て『そろそろ行こうよ』と言ってペスカトーレの手を取り、目的地に向けて歩き出す。引っ張られる形になったペスカトーレは、すぐに歩調を合わせてアマレットの隣を歩く。

 だが、横に並んだからと言って手を離したりはせず、むしろ逆に手を優しく強く握った。

 

 

 夏休みも残りわずかに差し掛かったこの日は、屋台街の全面休業日。

 この日までアルデンテの屋台を手伝っていたペスカトーレとアマレットは、まだ一度もデートをしたことがなかった。それを見かねたジェラートが、『アルデンテたちもそうだけど、あんたらもデートの1つぐらいしたら?』と言ってきた。それを受けて、どうにか宿題を終わらせたペスカトーレとアマレットは、このお休みの日に2人でデートを決行することにした。

 今日は、屋台主のアルデンテとその彼女であるカルパッチョも、本土にデートに向かっている。あの2人の性格からして静かなデートを望んでいるだろうし、ダブルデートなどという考えは毛頭ない。

 極力アルデンテたちと顔を合わせないことを考えて、ペスカトーレたちは本土ではなく学園艦でデートをすることにした。

 そんな2人が訪れたのは、全国大会の後でアンチョビが戦車隊の仲間を連れてやってきたというリゾート施設。平たく言えばプールと温泉が併設されている大型の娯楽施設で、プールの方には流れるプールや体が浮かぶプール、ウォータースライダーや結構な高さの飛び込み台などもあって実に興味深い。

 そんなプール施設の更衣室前で、トランクスタイプの水着に着替えたペスカトーレはベンチに座り、アマレットのことを待っていた。

 

(そういや、アマレットの水着って見たことないな・・・・・・)

 

 以前、アマレットから送られてきた写メールには、アンチョビやペパロニたちの水着が写っていたが、写真を撮ったであろうアマレットの水着は写っていない。

 なので、どんな水着を着てくるんだろうという想像に胸を膨らませていると、ぺた、ぺたという裸足の足音と共に、更衣室から1人の少女が近づいてきた。

 

「・・・お待たせ、ペスカトーレ」

 

 ペスカトーレにとっては聞き間違えるはずのない声を聞いて、ペスカトーレはその声を発した少女を向く。

 そして息を呑み、目を見開いた。

 

 

 ペスカトーレの目の前に立っていたのは、コバルトブルーのクロスホルターネックビキニを着て、恥ずかしいのか自分の体を隠すように腕を組んでいるアマレットだった。

 大きすぎず小さすぎずの美しい胸や、くびれている腰、すらっと伸びている奇麗な脚。彼女の全てがペスカトーレにとって魅惑的に映る。

 だが、当のアマレットは恥ずかしいようでペスカトーレと視線を合わせようとはせず、内股になってしまっている。その恥じらいが、普段の勝気なアマレットとのギャップを引き出して、可愛らしさが倍増だ。

 

 

 自分の恋人とのデート、さらにはその水着姿を拝むことができた今この瞬間、ペスカトーレは人生の勝利者と相成ったのだと確信した。未だ水着デートをしたことがないであろうアルデンテを含めた、クラスの男子どもを出し抜いたことによる優越感のあまりガッツポーズまでしてしまう。

 さらには声高らかに『よっしゃあああああ!!』と叫びたかったが、ここは公共の場であるしアマレットが傷つきかねないのでそれは控えた。

 だが、何もコメントをしないというのも男として褒められたことではないので、一言だけ。

 

「その・・・・・・奇麗だ。うん」

 

 瞬間、アマレットの顔が熟れたサクランボのように真っ赤に染まり、ペスカトーレの背中をバシッと強く叩く。ペスカトーレからすれば想像以上に痛かったので、背中に手を回す。

 

「褒めたのになぜ叩くよ・・・?」

「うっさい!いいから早く泳ぐよ!」

 

 素直じゃないアマレットの反応にペスカトーレは『やれやれ』と呟きながら、アマレットに続いて準備運動を始める。

 準備運動を念入りに行ってからプールに浸かる。程よい冷たさがペスカトーレとアマレットの身体全体に伝わり、その心地よさに思わず溜め息が出る。

 まずは最初は肩慣らしとばかりに自由に泳ぐことにした。

 ペスカトーレは体力馬鹿というほど自信があるわけではなく、クラスでも中の上ぐらいでしかないのでゆったりと泳ぐ。アンツィオ高校にプールの授業はないため、泳ぎも鈍っているかと思ったが意外とそうでもなかった。

 一方アマレットは泳ぎ慣れているのか、すいすいと泳いでいる。得意なのかと聞いてみれば、トレーニングでよく泳ぎに来ているからだそうだ。戦車道で体力をつけるために、こうして水泳をしている者も少なくないと言う。

 そして止めておけばいいのに、ペスカトーレはアマレットに泳ぎの対決を申し出た。アマレットが自分よりスイスイ泳いでいるのを見て、男特有の負けず嫌いな面が出てしまったらしい。アマレットも絶対に勝てる自信があるからか、その勝負を受けて立った。

 そして負けた方が相手にジュースを1杯奢るという条件の下、対決は行われた。

 結果は、ある程度予想できていたがアマレットの勝ち。ペスカトーレは『ちくしょー』と悔しそうな声を洩らしながら一旦プールを上がり、売店でフルーツジュースを買って勝ち誇った顔をするアマレットに渡す。

 プールから上がったアマレットの身体は水に濡れていて、纏められた茶髪からは水が滴り落ちている。そして、ニッと笑うアマレットにペスカトーレはつい見惚れてしまう。

 やっぱり自分は、その元気そうに笑うアマレットが好きだな、と。

 このアマレットの笑顔が好きだな、と。

 

「何見てんのさ?」

 

 ペスカトーレの視線を感じたアマレットは、ジュースのストローから口を離して訊く。

 

「いや、そういう笑顔が俺は好きだなって」

「んなっ!?」

 

 ポロっと本音を口にするペスカトーレ、そしてその不意打ちの言葉にアマレットは赤面する。そしてアマレットは恥ずかしさを忘れようとジュースを思いっきり啜り、中身がなくなっても少しの間『ズズズズ・・・』と啜っていた。

 ペスカトーレも、ちょっとクサいことを言ったなという自覚はあったので、『次は流れるプール行こうか』と何事もなかったかのように話しかける。アマレットは、空になったジュースのコップを捨てて、ペスカトーレの肩を軽く小突いた。

 そして流れるプールに入り、2~3週ほど流れに身を任せてプールを楽しんだ後で、2人はプールから上がる。そしてアマレットが『次はあれやろう』と指差したのは、このプールに足を踏み入れた瞬間から目に入っていた、結構な高さの飛び込み台だった。

 その直後、ペスカトーレの顔が青くなる。

 

「・・・よし、ちょっと俺はあっちで待ってるから」

 

 先手を打って踵を返そうとするペスカトーレ。だが逃亡叶わずアマレットに腕を掴まれて飛び込み台まで連行されてしまう。やはり一回の高校生のペスカトーレ程度の力では、日々戦車道で鍛えているアマレットに敵うはずもなかった。

 

「・・・マジで飛び降りんの?」

「マジよ、マジ」

 

 飛び込み板に立つペスカトーレの横に、アマレットは大して怖くもなさそうに立って呟く。『なんでちっとも怖くなさそうなんだ』とペスカトーレが目で問うが、アマレットは笑うだけ。余計怖い。

 

「大丈夫大丈夫。ドゥーチェも1度飛び降りたけど、気絶程度で済んだから」

「『程度』ってなんだ!?ってか、あのアンチョビさんが気絶って相当なもんだぞ!」

「さあいっくよー!」

「え、ちょっと―――」

 

 珍しい気もするペスカトーレのツッコミもスルーして、アマレットがペスカトーレの腰を掴み、さらにペスカトーレの右腕を自らの肩に回させて、ぴょんと跳ぶ。

 アマレットと身体が密着している状態では、逆らうこともできずペスカトーレも共に飛び降りることになってしまう。

 

(・・・・・・生きよう)

 

 目を瞑って『キャー!!』と楽しそうに叫ぶアマレットの横で、ペスカトーレは切にそう願い落下する。

 無事に着水し、気絶もどうにか免れたが、精神力と体力をごっそり削り取られたような感じがする。ペスカトーレがベンチで萎えている傍らで、アマレットは。

 

「いやー、楽しかったねぇ!」

 

 と、実にいい笑顔で話しかけてくる。戦車道履修生だから肝が据わっているのだろうか。だとしたらなぜアンチョビは気絶してしまったのか。

 そんなことはさておき、こうなってしまうとペスカトーレも仕返しがしたいという対抗心が芽生え、仕返しとばかりに『次はあそこにしよう』とウォータースライダーを指差す。

 

「いいね、行こうよ」

 

 だが、この程度でアマレットは怯みはしない。それはペスカトーレも想定済みだったので、不意を突けるかどうかは分からなかったがさらにこう言った。

 

「一緒に滑ろう」

「・・・・・・え」

 

 その反応で、アマレットの虚を突いたとペスカトーレは確信することができ、心の中でほくそ笑んだ。

 そして今、ウォータースライダーの入り口でペスカトーレとアマレットは手を繋いだまま並んでいる。このウォータースライダーは、子供が保護者と一緒に滑ることを許可しており、2人で一緒に滑ることも可能となっていた。

 やがて2人の順番が回ってくると、係員の指示に従って準備に入る。

 まず最初にアマレットが座り、アマレットを挟むように足を伸ばしたペスカトーレが後ろに座る。

 

「・・・・・・ん・・・っ」

「・・・・・・」

 

 アマレットの口から色っぽい声が洩れて、ペスカトーレの心が揺れる。

 そんな声が出るのも、ペスカトーレがアマレットにくっつくように座り、おまけに係員の指示でアマレットのお腹に手を回すように言われたので仕方なく後ろから抱きしめるような体勢になってしまったからだ。係員の女性が楽しんでいるように見えたのはペスカトーレの見間違いと信じたい。

 無論、抱き着かれているアマレットは恥ずかしいし、抱き締めているペスカトーレはもっと恥ずかしい。程よく引き締まったアマレットのお腹の感触が腕を通して伝わって、さらにペスカトーレの眼前にはアマレットのうなじがあって、心臓が痛いくらいに脈打っている。

 

「・・・・・・今更なんだけど」

「・・・・・・なに?」

 

 ペスカトーレがアマレットに話しかける。

 身体が密着している状態なので、ペスカトーレが声を発する度に口から漏れ出す吐息がアマレットの首あたりにかかってこそばゆく、アマレットは自分の顔が上気していくのを感じる。そうして真っ赤になるアマレットの顔を、ペスカトーレが見ることはできなかったし、気づいてもいない。

 

「・・・・・・めっちゃ、恥ずかしい」

「・・・・・・私もだよ」

 

 そして滑り出した。その時間は数十秒程度だったのに、体感時間ではそれ以上のものだった。

 

 

 ウォータースライダーで妙な気分になってしまった2人は、それを紛らわせるためにとにかく遊んだ。自由に泳いでまた対決をしたり、フリースペースで水の掛け合いをしたり、水鉄砲で撃ち合ったり、どちらが長く潜っていられるかの我慢比べをしたり。

 結果。

 

「・・・・・・う、動けん・・・」

「・・・・・・もう、だめ・・・」

 

 燃え尽きたようにベンチに座り込むペスカトーレとアマレット。休憩も挟まずに遊び通していたのだから、当然の結果と言える。周りを行く他のお客たちは2人を見てくすくす笑っているが、2人はそんなことも気にしていられない。

 

「・・・・・・なあ、アマレット」

「・・・・・・なに・・・?」

 

 だけど、彼らの顔は笑っていた。疲れがにじみ出てはいるが、それでも達成感を抱いているかのような、心地よい笑みだった。

 こうして動けなくなるほど遊び通して、それでも笑っていられるのは。

 

「・・・・・・楽しいな」

「・・・そうね、ホントに」

 

 楽しいからだ。

 それも、自分の恋人と一緒に過ごすことができたのだから、楽しいのは2人にとっては当たり前だった。

 だからその疲労感さえも、心地よい。

 

 

 水着から着替えてフードコートで遅い昼食を済ませた2人は、食休みを挟んでプールに併設されている温浴施設『テルマエ』を訪れた。

 テルマエとは、古代ローマにおける公衆浴場を指す言葉であり、イタリア風のこの学園艦ではその温浴施設も『テルマエ』と名付けられている。一時期、その古代ローマのテルマエをテーマにした映画が流行ったことで、このアンツィオのテルマエも映画の気分を味わえるということで話題になった。

 時期の関係もあって利用客もそれなりに多い。ペスカトーレとアマレットは、プール利用で割引となった料金を払い、16時に休憩室で待ち合わせることにしてそれぞれ男湯と女湯に別れる。

 本格的な古代ローマのテルマエは今でいうサウナや温水プールのような、いわば健康ランドのような造りの代物だったが、このアンツィオのテルマエは普通の温浴施設と言っていい。中の造りこそ石造りで本場のテルマエに似せているが、温泉の種類は豊富でバイブラ温泉や炭酸泉、ハーブの香り漂う風呂や泉のようなオブジェクトが設えてある広い温泉、塩サウナなど飽きない造りになっている。しかも規模が広いので、2人が待ち合わせの時刻を少し遅めに設定したのはそれもあったからだ。

 

「はー・・・・・・いいお湯・・・・・・」

 

 その中の一つ、炭酸泉に浸かっているアマレットは、全身の疲れが抜け落ちているのを実感し、思わずそんな声を洩らす。腕を伸ばすと『パキ、ポキ』と小さな音が聞こえてきて、凝りが解れているのが分かる。やはりアマレットも、日本人らしく温泉が好きだった。

 そうして温泉の効能にほだされて、気持ちよさそうに声を洩らし、一息ついたところで思う。

 先ほど、ペスカトーレと一緒にプールで遊んだのは本当に楽しかった。スピード対決も、流れるプールを共に流れたのも、高いところから飛び降りたのも、一緒にスライダーを滑ったのも、全てが楽しかった。

 それらのことは傍から見れば、彼氏彼女のやり取りそのものだろう。特にスライダーを滑る際に密着した時の緊張感やドキドキなんて、普通の友達同士では抱けないような気持ちだ。

 その気持ちを覚えると、自分とペスカトーレはやはり付き合っているんだという実感が湧いてくる。

 けれど、とアマレットは思う。

 今は夏休みで、しかも寄港中なので、もともと観光地のアンツィオ学園艦は外部からの観光客も多い。だから、先ほどのプールにも、今このテルマエにも多くのカップルや親子連れのグループが至る所に見受けられた。

 それを見て、アマレットは思うのだ。

 

(いつか・・・・・・私も・・・・・・?)

 

 男と付き合っている以上、女のアマレットが彼氏彼女よりも先の関係になることを望むのは何もおかしなことではない。

 アマレットも、ペスカトーレが相手であれば『そうなりたい』という願望があった。ペスカトーレの本音を聞き、自分のことを想ってくれていたことを知ってから、その願いはアマレットの胸に根付いていた。

 屋台でも見ていたペスカトーレの笑顔をずっと傍で見ていたい。

 友達思いで優しいペスカトーレとずっと一緒にいたい。

 そう考えたところで、アマレットの額から汗が零れ落ち、ぴちょんと音を立てて湯船に落ちる。その音を聞くと、アマレットの中にある憶測が生まれる。

 もしそう思っているのがアマレットだけだったら?と。

 ペスカトーレは、今のような恋人同士の関係に満足しているとしたら?と。

 そんな憶測に、アマレットは恐怖する。

 浸かっているのが温めの炭酸泉とはいえ、温泉に入っているにもかかわらずアマレットは身震いした。

 

 

 一足先に上がっていたペスカトーレは、自動販売機で買ったコーヒー牛乳を飲んで一息つく。火照った身体が冷えたコーヒー牛乳で内側からじんわりと冷えて心地よくなる。プールで消耗してしまった体力も、回復してきていた。

 よっこいせ、と畳張りの床に座りながら、休憩室に設置されているテレビを何の気なしに眺める。テレビに映っているのは、日本ではないどこかの国のパレードの様子が中継されている。どうやら、どこかの国の王子が結婚式を挙げているようで、これが俗にいうロイヤルウェディングという奴か。やはり一国の王子ともなれば、結婚式も国を挙げるほどの一大イベントとなるらしい。

 そこでペスカトーレは、ふと思う。

 

(アルデンテとカルパッチョさんも・・・・・・結婚したりするのかな・・・)

 

 アルデンテは真面目な人間だということを親友であるペスカトーレは当然知っている。自分の言葉には責任を持ち、好きな人の横に立つに相応しい人となれるように努力をする、真っ当な人間だ。

 そんなアルデンテが、努力の末にカルパッチョに認められて恋人同士となることが叶ったにもかかわらず、『やっぱり結婚はしない』と言うとは考えにくい。真面目だからこそ、付き合うだけ付き合って終わりとはならないだろう。

 ならば当然、その先のことだって考えているに決まってる。今テレビに映っている王子と妃のように、結婚式を挙げるのだろう。さすがにあそこまで派手な結婚式にするはずはないだろうが。

 だが、その問題もペスカトーレにとっては他人事と言える問題ではなかった。

 自分だって、アマレットという恋焦がれていた女性と付き合うことができているのだから、結婚の問題についても我関せずというわけにはいかない。

 それについてペスカトーレはどう思っているのかというと―――

 

「あ、先上がってたんだ」

 

 そんなことを考えていたところで、ペスカトーレは後ろから声をかけられた。振り返れば、髪を下ろしている湯上りのアマレットがいた。風呂上がりで髪が少し湿っていて、顔が上気しているのが妙に色っぽかったが、艶やかな印象もある。

 ペスカトーレは手を挙げて返事をし、先に買っておいたコーヒー牛乳の瓶を差し出す。アマレットは『ありがとね』と言いながらそれを受け取り、蓋を開けてグイっと呷る。

 

「かーっ、美味いっ!」

 

 男らしく、実に気持ちよさそうに告げる。その様子を見てペスカトーレも可笑しくなって、思わず吹き出す。

 アマレットはコーヒー牛乳を飲み終えると、先ほどまでペスカトーレが見ていたらしきテレビを見る。今なおテレビには、某国の王子と妃の結婚パレードの様子が映されていた。

 

「・・・・・・あ」

 

 それを見てアマレットは、風呂で考えていたことを思い出してしまう。

 この先のこと―――結婚のことを。

 

「どうかしたか?」

 

 ペスカトーレがアマレットの異変に気付いて声をかけるが、アマレットは取り繕うような笑顔を浮かべて『何でもない』と首を横に振った。

 だが、アマレットはペスカトーレが自分と同じようなことを考えていたことについては知る由もない。

 そしてペスカトーレは、アマレットとこの先どうなりたいかを既に考えて決めていることも、知らなかった。

 

 

 そうして2人が風呂上がりの休憩をしてからリゾート施設を出ると、時刻は17時に近かった。

 夕日が学園艦を照らす中で、ペスカトーレとアマレットは並んでローマ風の街並みを歩く。太陽も傾き山に重なるかどうかの高さになっているので、もう少ししたら陽も沈んでしまうだろう。

 この後は特にどこかを回る予定もなかった2人は、自然と屋台街を訪れていた。普段は何十人といる屋台主たちが声を上げて客引きをし、美味しい料理を求めて多くの観光客やアンツィオ生で賑わうこの場所も、全面休業日の今日は静まり返っている。営業が再開される明日からまた騒がしくなるのだろう。

 

「静かだな・・・」

「そうだねぇ・・・・・・」

 

 それぐらいのぽつぽつとした言葉しか交わさずに、2人は屋台街を歩く。ポップアートが施されている屋台も、色鮮やかに塗られた看板も、人っ子一人誰もいないせいで不気味に感じる。

 やがて2人はいつも手伝っている、23番区画のアルデンテたちの屋台の前にやってきた。

 そこでペスカトーレが不意に立ち止まり、アマレットも『どうしたの?』と尋ねながら振り返る。

 

「・・・・・・なあ、アマレット」

「・・・何?」

 

 ペスカトーレが、おもむろにアマレットに話しかける。アマレットは、これから告げるペスカトーレの言葉を待つ。

 ペスカトーレは一度深呼吸をして、考えていたことを告げる。

 

「今日は、本当に楽しかった、ありがとう」

「・・・・・・私も、楽しかったよ」

 

 何を畏まって言い出すのか、とアマレットは思ったがそこで気づく。

 ペスカトーレの表情が、雰囲気が、今までとは違っていた。いつものへらへらしたような、ちゃらんぽらんな感じが全くない。かといって、屋台総選挙の結果発表直後のような、どんよりとした感じでもない。

 ペスカトーレの真剣そうな表情に、アマレットも心の中でぐっと構える。

 

「でも、今日だけじゃない」

「え?」

「俺は・・・・・・これからもずっと、アマレットと楽しい思い出を作っていきたい」

 

 将来のことは、もちろんペスカトーレも考えていた。

 

「この先、ずっと・・・・・・いつまでも、アマレットと一緒にいたい」

 

 ペスカトーレは本当のところ、アマレットとずっと一緒にいたかった。それは、アマレットに恋心を抱いた時からの願いだった。

 

「俺は、アマレットのことが好きだ。これはもう、絶対に変わらない」

「・・・・・・」

「この先も、ずっと・・・・・・いつまでも」

 

 それほどまでに、ペスカトーレはアマレットに恋い焦がれ、魅了されてしまっていた。

 心奪われるほどにアマレットのことが好きで、アマレット以外の人と添い遂げるなんてことは考えられなかった。

 

「・・・・・・俺の言いたいこと・・・分かる?」

 

 アンツィオの空気に染まっていて、ノリと勢いは十分備わっていて、ペスカトーレとは1年生の頃から親友とも悪友とも言えるような関係だったアマレットにも、そのペスカトーレの言葉の意味は掴めた。

 自然とアマレットは笑っていて、頬が薄桃色に染まっていて、瞳は潤んでいた。

 

「・・・・・・分かるけど、聞かせて?」

 

 おどけるようなペスカトーレの質問に、アマレットはいつものような笑みを浮かべてそう返す。

 ペスカトーレはくっくっと笑う。

 アマレットは、ペスカトーレが何を言っているのかを分かっていても、ペスカトーレから

『その言葉』を直接聞きたかった。

 アマレットはこの時、安心していた。テルマエでアマレットが考えていたこと―――この先のことを、ペスカトーレもまた考えてくれていたのだ。

 ペスカトーレは、今の関係だけで満足してはいなかった。ちゃんと、先のことを考えてくれていた。

 

「アマレット」

「うん・・・・・・」

 

 今この場には、ペスカトーレとアマレット以外誰もいない。

 ペスカトーレは息を吸って、覚悟を決めて、告げる。

 

 

 

「俺と、結婚しよう」

 

 

 

 心の中で待ち望んでいたアマレットの返事はただ一つ。

 

 

「うん・・・・・・いいよ」

 

 

 

 

 陽もいよいよ沈みかけ、地面の影が伸びていく中でペスカトーレとアマレットは手を繋いで歩いていた。

 先ほどのプロポーズの後、ほんのわずかな時間だけ2人の間に沈黙が訪れた。だが、どちらからともなく吹き出してしまい、さらには周りに誰もいないのをいいことに、お互いに笑い合った。

 涙が出るほど笑い合った後は、示し合わせたように手を繋ぎ、もう少し歩こうということになった。

 そして陽が沈み、街灯に明かりが灯り始める。

 ライトアップがきれいだろうし、せっかくだからトレヴィーノの泉に行こうと2人の意見が一致し、早速そこへ向かう。

 そして泉に着くと。

 

「「「「あ」」」」

 

 4人分の声が重なる。

 出くわしたのはペスカトーレとアマレット、そしてアルデンテとカルパッチョだ。考えることは同じだったらしい。

 アルデンテとカルパッチョも、今のペスカトーレたちと同様に手を繋いでいる。

 そしてカルパッチョの顔は、どことなく嬉しそうだった。それは、好きな人と手を繋いでいるから、好きな人とデートと言う形で一緒に過ごすことができたから、というだけではない、別の要因があるような気がするのはペスカトーレたちの錯覚だろうか?

 

「お2人とも、楽しそうだねぇ」

「お互いにな」

 

 アマレットが楽しそうに言うと、アルデンテも小さく笑いながら返す。アルデンテも心なしか嬉しそうで、やはり何かあったんだなとペスカトーレたちは勘づいた。

 トレヴィーノの泉は、まだライトアップはされていない。

 4人とも目当てはライトアップされるこの泉だが、ペスカトーレとアルデンテはお互いに自分の恋人と2人だけの時間を少しだけ欲していたので、それぞれアマレットとカルパッチョを連れて距離を離す。

 

「・・・・・・ペスカトーレは、何か将来なりたいものとかあるの?」

 

 ライトアップを待つ間、アマレットがペスカトーレに問いかける。

 ここから離れた場所でカルパッチョと共にライトアップを待つアルデンテが、将来個人でお店を開くことをアマレットは知らないが、料理人を目指しているということは聞いている。だから、そのアルデンテの親友のペスカトーレも何か目指しているものがあるのではないかと思って訊ねてみたのだ。

 

「特には・・・無いかな。ただ堅実に働いて、ささやかな娯楽と生活ができればそれでいいって感じ」

「へぇ~、意外」

 

 楽しければそれでいいが風潮のアンツィオでは珍しく、将来も堅実に働くことを考えているのは珍しいといえる。

 

「・・・・・・遊んで暮らすわけにもいかないし」

 

 そう言いながらペスカトーレはアマレットのことを見る。

 その視線に多くの意味が含まれていることにアマレットは気づき、少しだけ恥ずかしくなる。

 

「アマレットは?やっぱり戦車道を?」

「そうだねぇ」

 

 アマレットは考える素振りも見せず、答える。

 

「私が戦車道を始めたのって、ペパロニ姐さんに誘われたからなんだよね」

「アンチョビさんじゃなくて?」

「そう。ペパロニ姐さんが『とにかく楽しい!面白い!』って言って、『お前もやってみようぜ?』って誘われて、実際にやってみて楽しかった。CV33は小さいけど、戦車を操縦できるっていうのは楽しかった。最初に攻撃受けてひっくり返った時なんて泣きそうになったけど、それもいい思い出だよ」

 

 戦車道を始めるに至った経緯が、実にアンツィオらしいとペスカトーレは思った。

 言葉なんていらない、ただ楽しければいい。

 アンツィオの校風を体現しているペパロニらしかった。

 

「だからまあ・・・ペパロニ姐さんには恩義を感じてる。辛いこともあるけど、楽しいことだってある戦車道の世界に私を誘ってくれたから」

「・・・・・・」

「ペパロニ姐さんが戦車道をやめない限り、私もやめないよ」

「・・・・・・そうか」

 

 ふっと笑って、ペスカトーレは泉を見上げる。

 泉から滾々と湧き出す澄んだ水は、止まることはない。

 

「じゃあ、アマレットを支えられるような男になれるよう、俺も頑張りますかね」

 

 その言葉の少しあと、アマレットがペスカトーレの頬に口づけをする。

 そして、泉が色とりどりのライトに照らされた。




たかちゃんの出てくるおまけもいずれ出す予定です。


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Fine

fine(フィーネ)[end]【女性名詞】
意:終わり、おしまい


 戦車道のプロ選手となってから、アンツィオ高校で統帥として皆を率いていた時など比べ物にならないぐらい、アンチョビは忙しい日々を送っている。戦車道の試合はもちろんだが、他にもメディアのインタビューを受けたり、プロ選手として戦車道のニュースや新聞で解説とコメントをしたり、さらには月刊戦車道の表紙の写真撮影、果てはコラムの作成まで、とにかく忙しかった。

 そんな忙しい日々の中で、今日は戦車道の世界から解放される貴重な休日だ。戦車道が嫌いになったわけではないが、忙しさから解放されるという意味で嬉しい日だった。

 時刻は昼前。

 今アンチョビが歩いているのは、大きな港から伸びる大通り。この街には学園艦が寄港できる大きな港があるので、規模が大きく店も多い。

 そして向かっている場所は、そんな街の一角にある1軒のイタリアン専門店である。緩やかな上り坂の途中にあるので、振り返ってみると港とその先に広がる海が見える。

 目的のお店の前にたどり着くと、既に何人かのお客が並んでいた。割と繁盛しているようで何よりだ。アンチョビは最後尾に並んで、静かに順番を待つことにする。

 

「アンチョビ姐さん、早いっすね!」

 

 その声の主である女性は、アンツィオにいた頃と同じで黒いおさげが特徴のペパロニだ。背丈は伸びたが、昔と変わらない爽やかな笑みを浮かべ挨拶をする彼女の左手の薬指には、銀色の指輪が嵌められている。

 アンチョビは『先を越されたか・・・』とちょっと残念がるが、それは決して顔に出さず、腕時計を見て待ち合わせより少し遅れているのに気づく。

 

「遅かったじゃないか」

「ウチの子が一緒に行くって駄々こねて聞かなくって。旦那にちょっと頼んでたっすよ」

 

 口では不満そうに言うペパロニだが、その顔は全く嫌そうではない。むしろ楽しんでいる節さえ見える。

 アンツィオにいた時は、(失礼かもしれないが)ペパロニが結婚して家庭を持つというビジョンがあまり想像できなかった。だが、平穏無事に暮らしているあたり、それも杞憂だったと今は思える。

 かくいうアンチョビ自身も、もうすぐ結婚する予定だ。もしかしたら、自分よりも早く結婚したペパロニに色々と教えてもらうところがあるかもしれない。アンツィオの時は自分が導く側だったというのに、おかしな話だ。

 

「それにしても、ずいぶん久しぶりな気がするっすね」

「ああ、そうだな。お前はどうだ?」

「順調っすね。まー、ちょいちょいへこたれそうになる時もあるっすけど、そんな時は・・・旦那が支えてくれるっすから」

 

 今のアンチョビ同様、ペパロニもプロの戦車道選手となっている。

 所属はアンチョビとは違うが、ペパロニは新天地で切り込み隊長として活躍している。また、ノリと勢いで仲間たちを引っ張っていく、ムードメーカーのような存在になっていた。

 そしてペパロニもアンチョビと同じで、プロになってから何かと忙しくてスケジュールが合わなかった。だから電話をすることがあっても、直接顔を合わせるということも中々できなかった。

 

「2人とも・・・元気にしてるかな?」

「それは今に分かることさ」

 

 数組のグループが店を出て、入れ替わるように順番待ちをしているグループが入店していく。

 そして十数分ほど待って、ついにアンチョビとペパロニの番になった。

 扉を開けて中に入ると、全体的に木をイメージした店の内装が目に飛び込んでくる。店内に設置されたスピーカーからは、落ち着いた雰囲気を壊さない程度の音量でイタリアの舞曲・タランテラが流れている。スペースは広すぎず狭すぎずの、ちょうどいい具合だ。

 

「いらっしゃいませ―――あっ、ドゥーチェ、ペパロニ!」

 

 2人が中に入ると、テーブルを拭いていたエプロンを付ける金髪の女性が、アンチョビたちに気づくと嬉しそうな声で笑いかけてきてくれた。

 

「ドゥーチェと呼ぶな、今の私はアンチョビだ」

「あっ、失礼しました」

「久しぶりだな、カルパッチョ」

 

 その女性―――カルパッチョはテーブルを拭き終えると、改めてアンチョビとペパロニに正対する。

 

「久しぶり~」

「ええ、久しぶり」

「本当に久方ぶりだなぁ」

「そうね。皆忙しいから・・・」

 

 カルパッチョが苦笑しながら言っているが、アンチョビはカルパッチョもまたプロの戦車道選手だということを知っている。

 カルパッチョもペパロニと同じで、アンチョビと同じチームには所属しておらず、3人ともそれぞれ別々のチームだ。カルパッチョはその所属するチームでは、アンツィオで副隊長を務めていた経験と、その冷静で真面目な性格を買われて、今も副隊長を任されている。

 挨拶もほどほどにして、カルパッチョが2人を席に通そうとする。が、アンチョビから『あいつの顔も見たい』という言葉を受けて、厨房に面したカウンター席に案内する。

 このカウンター席からは、厨房の中が見えるようになっている。アンチョビとペパロニがちょっと体をずらして中を覗いてみると、その人はいた。

 白いコックコートを着て、フライパンでパスタのソースを手際よく作っているその人は、調理に集中しているようでアンチョビとペパロニに気づいていない。

 美味しそうなオリーブオイルやトマトソース、チーズの匂いが漂ってきて、アンチョビとペパロニの食欲を掻き立ててくる。

 水とおしぼりを持ってきたカルパッチョに、アンチョビが尋ねる。

 

「イタリアで修行したんだって?」

「はい、3年ほど」

「すげーなぁ」

 

 ペパロニが心底感心したように呟くが、カルパッチョは少し寂しそうな顔を浮かべる。

 

「あの人がイタリアに行ってる間は・・・寂しかった」

 

 だろうなと、アンチョビは思う。当たり前だよなぁと、ペパロニは頷く。

 3年もの間、顔を合わせることも、姿を見ることもできなかったなんて、辛すぎることこの上ない。手紙や電話でやり取りはしていたものの、それでも寂しさを埋めるには至らなかった。

 その時の辛さや寂しさを埋めるように、結婚してからはずっと一緒にいるという。

 すると、白いコックコートの男が、香ばしいソースのかかったパスタの盛り付けられた皿をカウンターに置く。

 

「ひな、3番卓さんにカルボナーラ。ラザニアはあと少しでできるって伝えてくれ」

「はぁい」

 

 カルパッチョがカウンターに置かれたカルボナーラの皿を持って、テーブルへと向かう。

 そこでようやく、そのコックは目の前のカウンター席に座っているアンチョビとペパロニに気づいた。

 

「ああ、アンチョビさんにペパロニ。お久しぶりです」

「おお、久しぶり。元気そうで何よりだ」

 

 アンチョビがコック―――アルデンテのことを見上げながら挨拶をする。ペパロニも『おっす!』と軽く手を挙げて挨拶をした。

 

「中々いい店じゃないか」

「ありがとうございます」

「儲かってる?」

「だからお前はそうやって明け透けにものを聞くなって・・・」

 

 アンツィオの時のように、あまり頭でものを考えずに率直な疑問をぶつけてくるペパロニ。アンチョビはそれを咎めるが、アルデンテは昔と変わってないなと思うだけで不快な気持ちにはならずに質問に答える。

 

「まあ、ぼちぼちってところだな」

「でもこの前、雑誌に載ってたっすよ?」

 

 そう言いながらペパロニは、バッグから1冊のグルメ雑誌を取り出して、ある見開きのページをアルデンテに向けて広げる。確かにそこに載っているのは、この店だ。

 

「『本場イタリアの味がリーズナブルな価格で楽しめる話題のお店』か、ほう」

 

 アンチョビがその記事のタイトルを興味深げに読み上げる。

 

「確かに取材も来たし、有名人も割と何人か来てるな。ほら」

 

 アルデンテが、ラザニアの準備をしながら反対側の壁を指差す。アンチョビたちが見るとその先には、確かに芸能人らしき人物のサイン色紙が何枚か飾られていた。

 

「『とても美味しかった』って言ってくれたよ。ひなも喜んで握手してもらってた」

「やるじゃないか。それだけお前の料理の腕が確かだってことだよ」

「いやいや、まだまだですよ」

 

 アンチョビが褒めるがアルデンテは『そうでしょ?』と傲慢な態度をとらずに謙遜する。こういったところも、昔とは変わっていない。

 

「まあ、それ以来客は増えて、特に土日祝日は忙しいです」

「大丈夫なのか?」

「まあ、そういう時はペスカトーレとアマレットに手伝ってもらってます」

「あの2人に?」

 

 アンチョビたちはもちろん、ペスカトーレとアマレットのことを覚えている。

 あの2人はアンツィオ在学中もアルデンテの屋台を手伝っていたよしみで、休日の忙しい時間帯にこの店を手伝ってくれている。

 ペスカトーレは軽薄だが根っこのところはまじめなので今は堅実に働いている。アマレットはそれを支える主婦兼戦車道選手だ。もちろん、そんな2人をタダで働かせているわけではないので、ちゃんと気持ち程度で申し訳ないが日給は払っているし、夕食をご馳走したり、ねぎらいと称して店が休みの時は4人で出かけたりもする。

 その話を聞いて、アンチョビは『ほー』と納得したような声を洩らして、改めて聞いてみる。

 

「イタリアで修行したんだろ?」

「ええ。そうでもしないと、個人経営のイタリアンはやっていけないと思いましたから」

 

 アルデンテはそう告げると、ラザニアの準備があるのでと断りを入れて、オーブンが設置されている厨房の奥へと引っ込む。

 カルパッチョが戻ってくると、アンチョビはぽつりと少し寂しそうに言う。

 

「もう、『カルパッチョ』とは呼ばないんだな」

 

 先ほど、アルデンテはカルパッチョのことを『ひな』と呼んでいた。

 

「・・・結婚して夫婦になったのに、あだ名で呼び合うのも変かなって」

「そうか・・・ちょっと寂しいな」

「カルパッチョはアルデンテのことなんて呼んでるの?」

「うーん・・・基本『あなた』かな?」

「おー」

 

 ペパロニがカルパッチョの言葉に反応するが、アンチョビは少し考えこむ。

 アンチョビも、自分にとって馴染みのある名前で呼ばれないことが寂しいと思う。今アンチョビが付き合っている男性も、アンチョビのことを『千代美』と呼んでいる。勿論、相手に悪気がないのは分かっているが、アンチョビは皆から『アンチョビ』と呼ばれることが多かった。だから、その名で呼ばれないことがこそばゆく、寂しい感じがするのだ。

 だが、カルパッチョはすぐに明るい表情を浮かべる。

 

「それに、名前で呼び合った方がもっと仲良くなれると思ったんです」

 

 カルパッチョの笑いながら告げたその言葉に、アンチョビはふっと小さく笑う。

 これはアルデンテとカルパッチョの間での話だ。2人とは親しい仲ではあれど、夫婦間のやり取りにどうこう言うことはできない。これ以上言うのも無粋だ。

 それに、今こうして2人で普段から店を切り盛りしているだけで、2人とも仲良くやれているのが分かる。というか、アルデンテとカルパッチョが夫婦喧嘩をする様子が想像できない。

 お互いに、自分たちが同じ境遇で、同じ性格をしてて、他にもいくつもの共通点があるが故に惹かれ合い、そして添い遂げたのだ。簡単にその仲が拗れることはないだろう。

 

「でも、『カルパッチョ』ってあいつから付けられた名前なんだろう?結構思い入れがあると思うが・・・」

「ええ、もちろん思い入れはあります」

 

 その『カルパッチョ』という名前は、アンツィオでの自分の現況に悩んでいた彼女に、アルデンテが真剣に悩んだ末に付けたものだ。他人からすれば『たかがあだ名』と思うだろうが、カルパッチョからすれば思い出の詰まった大切な名前で、たかがあだ名とは思っていない。

 故にカルパッチョはその名前を未だ捨てることができず、プロ選手に登録する際も芸名のような感覚で『カルパッチョ』と登録している。ペパロニも同じく『ペパロニ』で登録してあり、それぐらいの寛大さを戦車道連盟は持っている。

 それに、名付けた本人からその名前で呼ばれなくても、カルパッチョは大丈夫だった。

 

「それでも、ウチのおすすめメニューを見れば分かると思いますよ」

「え?」

 

 いわれてアンチョビとペパロニが、メニューを開く。

 メニューの1ページ目は『当店のおすすめ』というタイトルで、写真付きのメニューが載っている。

 その中身を見て、アンチョビは『あっ』と声を洩らし、ペパロニも『おっ』と声を上げる、

 

「・・・向こうでラザニアは一番最初に極めて、ほかにパスタとかピッツァとか色々修行して」

 

 アルデンテが出来上がったラザニアをカウンターに置き、メニューを見て笑みを浮かべるアンチョビたちに話しかける。カルパッチョは先ほどカルボナーラを運んだ3番卓にラザニアを持っていく。

 

「それでまあ・・・ひなにとっては重要なその料理も、修行しました」

 

 そのアルデンテの言葉が聞こえていたのか、カルパッチョは戻ってくると、柔らかい笑みを浮かべてアンチョビとペパロニに聞く。

 

「ご注文はお決まりですか?」

 

 アンチョビはペパロニの方を見て、ペパロニは頷く。今ここで食べたい料理は2人同じのようで、アンチョビはメニューを指差しながらカルパッチョに注文を告げた。

 

 

「この『当店おすすめ』の、『ラザニア』と『カルパッチョ』を2つずつ頼もうかな」

 

 

 




これにて、カルパッチョとアルデンテの物語は終わりです。
長い間ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

前作以上に試行錯誤した末に完結しましたが、
いかがでしたでしょうか。

今回も、このような作品に評価をしてくださった方、感想を書いてくださった方、
本当にありがとうございます。とても嬉しかったです。

次回作を出すのはいつになるかは分かりませんが、
次の主役は赤星小梅か、レオポンさんチームの誰か、あるいはサンダースの誰かになると思います。
その時は、また応援してくださるとうれしいです。よろしくお願いいたします。

改めてもう一度。
読者の皆様、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
また次の機会にお会いしましょう。


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カルパッチョ誕生日記念
Ti amo


ti(ティ) amo(アーモ)[love]【他動詞】
意:愛してる

カルパッチョ誕生日おめでとう!

という思いから書かせていただきました。
長めですが、最後まで読んでいただけると幸いです。


 12月になり、本格的な冬の到来で寒い日が続いている。

 学園艦は常に海上を移動しているが、台風や暴風雨などの異常気象が起きてもその区域を避けて航行することができるため、天候や気候に左右される事は比較的少ない。だが、学園艦のような超大型船舶が航行できるルートは限られており、行こうと思っている先に別の学園艦がいてはそこは通れない。

 何が言いたいのかと言うと、温かい南半球のルートには既にほかの学園艦がいるのでそちらの方にアンツィオの学園艦は行けず、日本近海を航行していて本土と同じように寒気をもろに受けていた。

 けれどアンツィオ高校学園艦の屋台街は、そんな寒さなど吹っ飛ばすと言わんばかりに屋台主たちが客引きをして声を上げている。

 

「寒い日はミネストローネが一番だよー!」

「温かいエスプレッソは如何ですかー?」

 

 この時期になると、リゾットやミネストローネなどの元々温かいものを提供していた屋台は重宝される。夏場はアイス・カフェ・ラッテを販売していた屋台も、この時期は温かいエスプレッソに切り替えて客足を伸ばそうとしている。

 そんな屋台街の一角で、アルデンテたちのラザニア屋台も賑わっている。元々味が良いうえに、焼き立てのラザニアが冷えた体を温めてくれるので、売り上げは上々だった。

 

「オーダー、ラザニア2人前!」

「はいよ」

「お野菜買ってきたよ~」

「サンキュ」

 

 ペスカトーレが客引きをし、アマレットが客引き兼買い出し、アルデンテがラザニアの調理。屋台総選挙の時からこのようなスタイルになった。アマレットが手伝いをするようになったのは夏休みの終わり頃からだが、もう買い出しも客引きも十分慣れていた。

 そして今、この屋台には他にももう2人いる。

 

「オーブンの近くは温かいわね」

「ほんとにね~。ラザニアのいい匂いもするし」

 

 オーブンの横に置かれている支給されたパイプ椅子に座る2人の少女は、カルパッチョとジェラート。

 今は放課後で、屋台街も活気にあふれている時間帯だ。だが、ジェラート(食べ物の方)屋台の店主とその手伝いであるジェラートとカルパッチョがどうしてここにいるのか。

 その理由は、冬場はジェラート(食べ物の方)の売り上げがどうしても落ちてしまうからだ。アイス・カフェ・ラッテの屋台のように、提供するものを温かいものに切り替えるということもできない。

 さらに、ジェラートは元々少しでも戦車道活動費の足しにするために屋台を営んでいたのであって、屋台の売り上げが生命線と言うほどのものでもない。だからジェラートとカルパッチョは、こうして屋台を休んでアルデンテの屋台にいられるのだ。

 だが、ただここに屯っているわけではない。

 

「あら、もうこんな時間。交代するわね」

「あんたらはゆっくり休んでなよ~」

「お、悪いね2人とも」

「あー、寒い・・・手がかじかむ・・・」

 

 カルパッチョとジェラートが入れ替わるように店先に立ち、ペスカトーレとアマレットが椅子に座る。

 カルパッチョとジェラートは、この冬場の間だけはアルデンテの屋台を手伝う事にしていたのだった。

 元々、屋台が休みになって暇を持て余していた2人だが、自然とアルデンテの屋台にやってきて、最初は普通に椅子に座っておしゃべりに興じていた。

 しかしある時、カルパッチョが。

 

『アルデンテのお手伝いがしたい』

 

 と言ってきたのだ。

 アルデンテは当初、無理はしなくていいと言ったのだが、アルデンテの手を優しく握ってカルパッチョが『どうしても、手伝いたいの』と懇願してきた。これにアルデンテが折れて、とりあえず野菜を切ってもらったのだった。

 そこからジェラートも、『ただ休むのも後ろめたい』ということで客引きを手伝うようになって、今のようにペスカトーレとアマレット、カルパッチョとジェラートが交代でアルデンテの手伝いをしているのだ。もっとも、ラザニアを作れるのはアルデンテだけなので、店主たるアルデンテは休むことができないのだが、それは別に気にしてはいない。

 

「アンツィオで一番美味しいラザニアはいかがですかぁ~!」

「この時期にピッタリ、温かいラザニアだよーっ!!」

 

 カルパッチョの聞きやすい澄んだ声と、ジェラートの溌剌とした声が合わさって、行き交う多くの観光客たちの興味を惹きつける。

 あの夏休みに行われた屋台総選挙で、アルデンテの屋台は全体2位という形になってしまったが、ラザニア屋台としては全体で1位だったので、カルパッチョの『アンツィオで一番美味しいラザニア』という売り文句は間違っていない。なのでそれは存分に活用させてもらっている。

 最初にこの売り文句を言いだしたのはジェラートで、アルデンテは最初は恥ずかしいからやめてほしかった。けれどもそこでカルパッチョが、『アルデンテのラザニアの美味しさを皆に知ってほしい』と言ってくれたので、不承不承と言う形になった。

 けれど、総選挙の好成績とその売り文句も相まって、売り上げは夏休み前と比べると比較的増えている。時期を問わず観光客の多いアンツィオの中でも、かなりの売り上げを誇っていた。なので、言い出しっぺのカルパッチョとジェラートにはお礼を言っておいてある。

 

「あちっ!」

 

 なんて事を考えていると、後ろから声がした。振り向いてみれば、その声の主アマレットが右手をブンブン振っていた。どうやら暖を取ろうとしてオーブンに直接触れたらしい。いくら寒くても、オーブンの温度はかなり高いから当たり前である。

 

「何やってんだよ」

「いや、温かいかなって」

「ったく・・・火傷とかしてないだろうな」

 

 隣に座るペスカトーレが、さらっとアマレットの右手を握る。アマレットは顔を少し赤らめるが、ペスカトーレは気にしない。そして、どうやら応急処置が必要な火傷とまでは行かなかったようで、ペスカトーレはひとまずほっと息を吐く。

 

「暖を取りたいなら・・・・・・」

「?」

「俺が・・・・・・手繋いでいてやるから」

「・・・・・・ありがと」

「・・・・・・」

 

 他人の店でイチャつくバカップルを目の当たりにして、少しイラっと来るアルデンテ。だが、よく考えてみればペスカトーレもアマレットもアルデンテの手伝いをしているので、部外者じゃなかった。

 この2人、既に付き合っていると知ったのはアルデンテの初めてのデートの日だ。トレヴィーノの泉の前でペスカトーレとアマレットが私服姿で手を繋いでいたのを見て、直感で付き合っていると察した。それ以来、この2人は割とべったりしている。だから目の前のような状態に出くわす事も、ざらだった。

 ため息をついたところで、隣にいるカルパッチョから声を掛けられた。

 

「アルデンテ、オーダー。ラザニア3人前よ」

「ああ、分かった」

 

 皿を3枚用意して、オーブンの中で温めていたラザニアを取り出し、切り分けて皿に盛り付けカウンターの前で待っている3人の観光客らしき人たちに手渡す。

 その人たちを見送ったところで、

 

「!?」

 

 突如アルデンテの左の頬に何か冷たく柔らかい感触が襲ってくる。何事かと横を見れば、カルパッチョが掌を見せていた。先ほどの感触は、カルパッチョの手だったらしい。

 

「・・・・・・急にどうした?」

「・・・・・・アルデンテって、温かそうだなぁって」

 

 カルパッチョが少し恥ずかしそうに言ってくる。確かに、鍋とオーブンのすぐ近くにいるアルデンテはさほど寒さを感じていないのだが、だからと言って触れる場所のチョイスが謎過ぎる。

 と言っても、自分の頬に触れられるとは思わなかったし、少しの間とは言えカルパッチョと接することもできたので、不満ではない。それに、少し恥ずかしそうにするカルパッチョの姿も可愛らしいので、それが見れただけで良しとしよう。

 

「ああもう、ここにはバカップルしかいないのかね」

 

 ジェラートが少し離れた場所から今の状況を俯瞰して不満げな現状を愚痴ったところで、カルパッチョとアルデンテは我に返り、客引きと調理を再開した。

 

 

 時計塔の鐘が19時を告げて、屋台街の営業が終了する。陽が落ちるのが遅い夏休みとは逆に、今の時期は陽が落ちるのが早いので、日没後の営業時間が夏と比べると長くなっている。

 日没を過ぎると、ライトアップされた建築物目当ての観光客や、手早く屋台で夕食を済ませようとするアンツィオの住人以外の客がほとんどいなくなる。加えて気温もまた下がって客足も少なくなり、日中と比べると日没後は売り上げが落ちてしまうが、こればかりはどうしようもなかった。

 

『お疲れ様~』

 

 アルデンテの屋台も営業を終えて、全員で労いの言葉を発する。屋台主のアルデンテは売り上げの集計をするために残る必要があるので、他のメンバーは先に帰らせることにした。アルデンテと気心が知れている仲のペスカトーレとアマレットは、その言葉に甘えて先に帰らせてもらうことにした。当たり前のように2人は手を繋いでいたので、この後どこかで夕食を共にしたりするのだろう。

 だが、カルパッチョとジェラートは帰ろうとはしない。アルデンテと付き合っているカルパッチョは分かるが、ジェラートも残っているというのが少し気がかりだった。

 とにかくそれは一度置いておき、売り上げの集計を急ぐ。2人ともアルデンテの事を待ってくれているのだろうから、この寒空の下長い時間待たせるわけにもいかないからだ。

 すぐに売り上げを集計し終え、教室に戻ってコックコートから制服に着替え、売り上げ金を屋台街の運営委員会に渡す。なるべく速足でこれらを済ませて、カルパッチョ、ジェラートと一緒に帰路に就く。

 だが、その帰ろうとする直前でジェラートがアルデンテに歩み寄ってくる。

 

「どうした?」

「いや~、多分アルデンテの知らないであろう耳より情報を」

「?」

 

 そう言ってジェラートが、アルデンテの耳元に顔を近づけて。

 

「もうすぐカルパッチョの誕生日だよ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、アルデンテの目が見開かれる。それは確かに、アルデンテも今まで知らなかった情報だ。

 アルデンテは、同じように小声で聞き返す。

 

「・・・・・・いつ?」

「19日。だから後2週間ちょいってとこだね」

「・・・・・・分かった。教えてくれてありがとう」

 

 アルデンテがお礼を告げると、ジェラートは『いいって事さ』という感じに小さくを手を振って、アルデンテから顔を離し歩き出す。

 アルデンテもそれに続こうとしたところで、カルパッチョがアルデンテの右腕に抱き付いてきた。

 

「?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 アルデンテが、唐突で随分と珍しいアクションの真意を訊ねようとするが、カルパッチョはつーんとそっぽを向いている。

 ただ、流石にもう何カ月もカルパッチョと付き合っているので、大体カルパッチョがどうしてそんな態度を取っているのかは分かってきた。

 多分これは、嫉妬だろう。

 ジェラートが何かをアルデンテに耳打ちしたのを見て、少しだけ自分がのけ者にされている気がしたのだ。加えて、ジェラートがアルデンテに急接近したのを見て、少しばかりモヤッとした気持ちが芽生えたのだと思う。

 少し前までは、まさか自分が女の子から嫉妬される身になるとは思わなかったが、この状況も随分と慣れてしまったものだ。嫉妬に慣れるのも複雑な気持ちになるが。

 カルパッチョが拗ねているのは少し可愛らしいが、このまま放っておくわけにもいかない。

 だからアルデンテは、優しくカルパッチョの頭を撫でて、少しでもその嫉妬の気持ちを無くそうとした。

 カルパッチョは、少し吐息を洩らしてアルデンテに身を寄せる。

 2人は決して離れずに、暗くなった帰り道を歩く。

 前を歩くジェラートは、2人が仲睦まじく歩いている姿を見るのが嫌だったのかやたらと早歩きだった。

 

 

 夏休みに、アルデンテはカルパッチョから大きな告白―――将来結ばれる未来を伝えた。

 2人で本土の港町でデートをした時、調理師学校の過去問集とイタリア語の本を買った後でのことだった。

 アルデンテがイタリアへ行って修行し、自分の店を持ちたいと告げてからだった。

 カルパッチョが、そんな自分の夢のためにぶれることなく研鑽を積み、カルパッチョ自身のことを大切に想うアルデンテの事をずっと支えていきたいと告白し、そしてプロポーズされた。

 カルパッチョは、アンツィオでずっと独りで悩み苦しんでいた。そんな中で自分と似た性格・境遇のアルデンテと出会い、さらに“カルパッチョ”と言う名前も付けてもらって、そしてアルデンテはカルパッチョに相応しい者になるように屋台総選挙で奮戦した。

 カルパッチョは、アルデンテが自分の事を真に大切に思っていて、そして好きでいてくれていることを痛感した。そして、アルデンテの夢を聞き、自らもまたアルデンテの事を好いているから、アルデンテを支えていきたいと思い、プロポーズをしたのだった。

 それに対するアルデンテの答えは、『もちろん』だった。

 アルデンテだって、カルパッチョの事が本当に好きだった。認められるために総選挙で1位になろうと奮戦し、なれなかった時は絶望し、カルパッチョがアルデンテの努力を認めてくれた時は嬉しさのあまり涙を流しそうになり、そして告白した。

 思い慕っていた者と恋人同士になることができて、アルデンテは本当に嬉しかった。おそらく、人生でこれほどまでに嬉しいと思った事も無いだろう。

 そして、カルパッチョからプロポーズをされた時は、一瞬都合のいい夢でも見ているんじゃないかと思ったものだ。

 けれど、アルデンテはカルパッチョの言葉が嬉しかった。

 アルデンテはカルパッチョの事を心から好きで・・・いや、愛していた。

 だからこそ、カルパッチョのプロポーズは受ける以外の選択肢が無かった。

 だが、同時にアルデンテは少し後悔もしている。

 

(俺の方から、言いたかった)

 

 プロポーズとは、男性が女性にするものだとアルデンテの中でイメージがあった。映画やドラマでも、大体そうだった。女性からするというのはあまり見た事がない。

 だから、カルパッチョからプロポーズを受けた際は嬉しかったのだが、それでも自分から言えなかったことを少し悔やんだ。

 アルデンテは、自室のベッドの上で横になりながらそんな事を考える。

 いつかは、自分から改めて言いたいと思っていた。

 しかしそれは、タイミングを誤ってはならないものであるために、いつ言うかを決めあぐねていたのだった。

 クリスマスなんてベタすぎるし、年末年始は忙しいので少しムードに欠けている。バレンタインは女から男にものを渡す日なので少し違う。ならばホワイトデーか、でもそれだと随分と先過ぎる気もする。

 なんて考えているところで、ジェラートから有力な情報を手に入れたのだ。

 カルパッチョの誕生日がもうすぐだという。

 なら、その時に言うのが一番いいかもしれない。

 

 

 屋台が定休日の日、アルデンテはアンツィオ特有であるローマ風の街中を歩いていた。石造りの建物が多く、ローマに実際あるような観光建築物を除けば、5階以上の建物があまり存在しないため、他の学園艦と比べると空が広く見える。

 アルデンテの方針は決まっている。カルパッチョの誕生日に、こちらから正式に改めてプロポーズをする。

 だが、誕生日プレゼントも別に用意しなければならない。

 けれども、アルデンテは家族、しかも母親以外の女性にプレゼントを贈る事など初めてだ。女性の流行や趣味などまるで分らないので、何を送ればいいのか皆目見当もつかない。

 まず食べ物という選択肢は真っ先に除外。当たり前だが食べ物は、食べてしまえば無くなってしまう。できれば形として残るものの方がいい。

 ならば、何だろうか。そんな風にあれこれ悩みながら歩いていると、アクセサリーショップが目に入った。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 何の気なしに入店するアルデンテ。販売しているものは、宝石がついた指輪や真珠のネックレスなどの“本物”ではなく、学生がちょっとしたオシャレ気分で身につけるようなアクセサリーだ。

 だから売っているものもほとんどがリーズナブルな価格で、ちょっと趣向を凝らしてあるものはそれなりに値が張る。

 アルデンテはしばらくの間販売されているアクセサリーを見て、アクセサリーはどうだろうかと考える。そして、悪くはないのではないかとアルデンテは思った。

 例えば今目の前にある銀のブレスレットは、それほど自己主張も激しくないので、ちょっとしたオシャレ感覚で身につけるにはぴったりだと思う。

 ダイヤの形をしたプレートがついたネックレスも、悪くはないデザインだ、とアルデンテは思う。カルパッチョの知的なイメージにもあっている気がするし。

 その隣にある指輪のコーナーに移ろうとしたところで、誰かとぶつかってしまう。ショーケースに集中しすぎて周りを見ていなかった。

 

「あ、すみません―――」

「いや、こちらこそ―――」

 

 だが、お互いにそのぶつかった相手を見た瞬間。

 

「「あ」」

 

 声が重なった。

 そのぶつかった相手とは、ペスカトーレだったからだ。

 

「・・・・・・こんなところで何してんだ」

「そりゃこっちのセリフだよ」

 

 アルデンテが、警戒心最大レベルで訊ねる。ペスカトーレは少し驚いてはいるものの、アルデンテが今この場にいる事を責める気は別にないらしい。だが同時に、アルデンテがこの場にいる事を意外に思っているようだったので、それについては弁明しておく。

 

「・・・・・・カルパッチョの誕生日がもうすぐ近いから、プレゼントを買おうと思って」

「ああ、なるほどね」

 

 アルデンテが正直に話すと、ペスカトーレはなるほどと手を打つ。

 

「お前はどうしてここに?」

「もうすぐクリスマスだろ?だからプレゼントを早めに買ってあげようと思って」

「お相手は?」

「・・・言わなくても分かるだろ」

 

 確かに、聞かずともペスカトーレがプレゼントを贈る相手は分かり切った事だったので、愚問だった。

 見る限り、ペスカトーレもこのような店に入った事はあまりないようで、店の中をキョロキョロと見まわしている。

 

「アルデンテは何贈る気なんだ?」

「迷ってる・・・こういう小物系のヤツとかにしようと思ってるんだが」

 

 アルデンテが指差したのは、先ほど見たようなブレスレットやネックレスだ。

 だが、ペスカトーレは首を縦に振りはせず、首をかしげてきた。

 

「どうかな・・・カルパッチョさんって、そう言ったのには縁遠い気がするんだけど・・・」

 

 言われて、アルデンテはハッとする。ペスカトーレの言う通り、カルパッチョがアクセサリーを身につけて喜ぶ様がイメージできない。

 アルデンテとカルパッチョは似たような感性を持っていることは既に分かっているので、アルデンテがこういったものに疎いように、カルパッチョもまた同じなのではないか、と思ってしまう。

 なんてことだ、と言いそうになり、さらに跪きそうになる。

 

「それと、ブレスレットとかネックレスとか、輪っかの形の贈り物って『あなたを独占したい』っていう、まあ考え方次第では悪い意味があるらしいし、慎重に選ぶべきだな」

 

 豆知識を披露するペスカトーレに、アルデンテは素直に驚く。

 

「よくそんなこと知ってるな」

「そりゃまあ・・・・・・失敗したくは無いし」

 

 ペスカトーレが苦笑し、肩をすくめて伝える。分かってはいたが、ペスカトーレもなんだかんだで真面目な奴なのだ。

 

「まあ、特別も特別、一世一代の時は、良いんじゃないか?」

 

 そう言われて、アルデンテは視線を上げる。

 ペスカトーレの言う特別も特別、一世一代の時というのは大体人生で一度か二度ぐらいしかない。

 そしてそんな時とは恐らく、愛の告白をする時。

 将来を共に生きたいと、誓う時。

 ペスカトーレは、『何が似合うかな~♪』などと鼻歌交じりでブローチや髪飾りなどのコーナーへと向かって行く。

 一方でアルデンテは、見ようとしていた指輪のコーナーを見始めた。

 

 

 迎えたカルパッチョの誕生日。幸運にも今日は学校自体は創立記念日と言う事で休みだ。しかし、屋台街は通常通り営業する。

 アルデンテは、普段と同じように皆より早く屋台を訪れて下準備に取り掛かる。

 頭の中に保存してあるレシピ通りに野菜を切り、具材を煮込んで、金属のトレーに出来上がったラグーとチーズを敷いてオーブンで焼く。今日は休日なのと気温が低い事で客も大勢訪れるだろうし、ラグーは多めに作っておく。

 最初のラザニアをオーブンに入れたところで、カルパッチョがやってきた。

 

「おはよう、アルデンテ」

「ああ、おはようカルパッチョ」

 

 誕生日という記念すべき今日も、カルパッチョはアルデンテの屋台を手伝ってくれるらしい。アルデンテが『手伝ってほしい』と頼み込んでいるわけではなく、カルパッチョが自主的に手伝いに来てくれているのだ。ジェラートもまた同じである。

 そして、カルパッチョとジェラートが手伝いをしている期間中、朝にアルデンテの次にやってくるのは大体カルパッチョだった。少しでもアルデンテの手伝いがしたいのと、アルデンテと2人きりで過ごしたいという考えがあるのだろう。それは決して、カルパッチョの口から告げられたことではないが、なんとなくアルデンテには分かった。

 だから今日も、カルパッチョには少し手伝ってもらおうかな、と思いかけたがその前に大切なことを忘れてはいけない。

 

「カルパッチョ」

「何?」

 

 カルパッチョの事を呼び、そして持ってきた鞄に入れておいた、綺麗にラッピングされた袋を取り出す。

 そしてそれを、カルパッチョに差し出した。

 

「誕生日、おめでとう」

「・・・・・・えっ?」

 

 カルパッチョは、心底信じられないという顔でアルデンテの事を見つめる。カルパッチョには、アルデンテに誕生日を明かした記憶がないからだ。

 

「ジェラートに聞いて・・・それで、その・・・・・・恋人として・・・・・・」

 

 はにかみながら袋を差し出すアルデンテ。サプライズが過ぎてしまったか、とアルデンテは一抹の不安を覚えたが、それもどうやら杞憂だったらしい。

 カルパッチョは、僅かに頬を赤く染め、そしてその袋をゆっくりと受け取った。

 

「ありがとう・・・・・・開けてもいい?」

「どうぞ」

 

 カルパッチョが骨董品を扱うかのように、丁寧に包装を解いていく。中から出てきたのは、オレンジの革製のグローブだった。

 

「・・・・・・これ」

「・・・・・・アマレットに、カルパッチョは装填手だって聞いて。それで、手を傷つけないためにと思って買ったんだけど・・・」

 

 アルデンテが、否定されるのではないかと恐れるように目を逸らしながら告げる。

 カルパッチョは既に、装填用のグローブを学校側から支給されていたのだが、その支給されたグローブと、このアルデンテからプレゼントされたグローブ、どちらが価値あるものかなどわざわざ問うまでも無い。

 

「・・・ありがとう。大切にするね」

 

 カルパッチョは、そのグローブを胸の前で愛おしそうに抱きしめて、笑顔でそう告げた。

 アルデンテはその笑顔を見て、安心する。自分の選択は、間違っていなかったようだったから。

 けれど、アルデンテは実はもう1つプレゼントを用意していた。

 だがそれは今は渡さない。そしてカルパッチョにも言わない。

 もっと、場を整えてから渡すべきだ。

 なんて事を考えていると、はきはきとした声が聞こえた。

 

「おはよう、カルパッチョ、アルデンテ!」

「おっす!」

「あら、ドゥーチェ、ペパロニ。おはようございます」

 

 アンツィオ高校戦車隊の総帥、安斎千代美ことアンチョビと、カルパッチョと同じく戦車隊副隊長のペパロニだ。アンチョビはアンツィオの制服に総帥特有の黒いマント、ペパロニは白のコックコートを着ている。そして2人とも、揃って何かラッピングされた袋や箱を持っている。考える事は、アルデンテと同じだったようだ。

 

「誕生日おめでとう、カルパッチョ。私からのプレゼントだ」

「ありがとうございます。ドゥーチェ」

「私からもあるっすよ」

「ありがとう、ペパロニ」

 

 2人からそれぞれプレゼントを受け取り、断りを入れてから中身を見る。アンチョビからのプレゼントはニットの帽子、ペパロニからのプレゼントは可愛らしい色合いのブックカバーだ。

 それにしても、ペパロニのプレゼントのチョイスが少し気になる。

 

「カルパッチョって、よく本を読んでるイメージがあったから、あると便利かなーって」

「そうね・・・確かに本はよく読むから・・・。うん、大切に使わせてもらうね」

 

 カルパッチョが笑い、ペパロニもにかっと笑った。ペパロニも意外と、周りにちゃんと目を向けていたようだ。

 そこで、アンチョビがアルデンテに話しかけてきた。

 

「アルデンテはもう渡したのか?」

「ええ。さっき」

「一番最初に貰いました」

 

 カルパッチョが2人の話を聞いていた様で補足すると、アンチョビも満足そうにうなずいた。

 アルデンテは、ラザニアの準備をしながらアンチョビたち3人が楽しそうに言葉を交わしているのを見て、この光景ももう少しで見られなくなるのだなと、少しばかり寂しく思った。

 

 

 アンチョビは3年生であるので、来年には卒業してしまう。そして同時に、アンツィオ高校の戦車隊を率いる総帥の座も別の者に譲ることになる。

 次代の総帥が誰になるのかはついこの間発表された。それは、ペパロニである。

 その理由は、やはりこのアンツィオ特有のノリと勢いを体現しているからであり、臆することなく隊員たちを率いることができるから、だった。

 ペパロニは次期総帥に任命された時、『お任せくださいッス!』と胸を叩き、二つ返事で了承した。

 カルパッチョは今のまま副隊長となる。ペパロニが細かい作戦を考えるのが苦手であるために、カルパッチョは参謀として作戦を考え、そして勢いに乗りすぎた時にブレーキ役として隊員たちを纏める役目を担う事になる。要するに、アンツィオ戦車隊とペパロニを支えていくということだ。

 副隊長だった以上、カルパッチョにも総帥になるチャンスもあったのだが、カルパッチョ自身ははあまり悲観しなかった。自分の性格がアンツィオとは少しズレたものであるという自覚はあったし、自分が総帥として皆を率いるというのが自分には少し荷が重いと感じていたので、絶対総帥になるんだというそこまで強い意志は無かったという。

 アルデンテは、アンチョビが後継者を決めた日にカルパッチョからその話を聞いたし、カルパッチョ自身がそこまで悔しがっていなかったので、『頑張ればいいのに』などとは言わなかった。ただし、一言だけは言わせてもらった。

 

「カルパッチョがこれからアンツィオの戦車隊を支えていくのなら、俺はカルパッチョを支えていく。どうなろうともだ」

 

 そう告げると、カルパッチョはアンチョビたちの前というのも忘れて、アルデンテと抱擁を交わした。

 そういうクサいようなカッコいいような言葉を告げたアルデンテといい、自分の気持ちに正直になってアルデンテを抱きしめるカルパッチョといい、2人とも、アンツィオの空気に染まりつつあったのだ。

 

 

 その時の事を思い出していると、アンチョビがアルデンテに話しかけてきた。

 

「今日はカルパッチョの記念すべき日だ。だからなるべく、カルパッチョの傍にいてやれ」

「・・・もちろん、そのつもりです」

 

 そのアルデンテの返事を聞いて満足したのか、アンチョビは大きく頷いた。そしてペパロニと共に、ペパロニの屋台の方へと戻っていく。

 それと入れ替わるようにアマレットやペスカトーレたちがやってきたので、店の準備の最終段階に入る。

 そろそろ、かき入れ時が始まる。

 

 

 

 幼馴染に彼氏ができたらしい。

 いや、彼氏ができたとはまだ断定できない。あくまで、私の周りにいる人の推測だ。

 その幼馴染とは、小学校の頃は一緒だったけれど、中学からは別々の学校に進学してしまった女の子だ。というのも、その子は自分の性格を変えるために自分から戦車道を歩み始めて、戦車道を続けるために、戦車道をすることができる学校へと進学したのだ。

 それで離れ離れにはなってしまったけれど、それでもメールやパソコンのメッセージソフトを使って、連絡は取り続けてきた。

 そして中学進学以来初めての再会は、今年の夏の戦車道全国大会の2回戦。突如として大洗女子学園で復活した選択科目の戦車道を“同志”と共に履修したが、まさかいきなり全国大会に出場し、しかもその2回戦で戦ったのが、その幼馴染が通っているアンツィオ高校だったとは思わなかった。

 けれども、図らずも再会することができたのでそれに関しては文句はない。まあ、その時の私のキャラがいつもと違って、“同志”からはしばらくの間いじられてしまったけれど。

 しかし、それはどうでもいい。

 その時その子は、背丈の違いはあれど性格は昔と別に変ってはいないように思えた。

 けれど、夏の終わりの大洗女子学園の存続を賭けた大学選抜チームとの戦いでも、アンツィオ高校は助けに来てくれた。その幼馴染の子も、駆けつけて来てくれた。

 その試合の後で2人で話をした時は、少しだけ変わったように見えた。

 そして決定的な事は、今から大体2カ月ぐらい前。

 いつものようにパソコンのメッセージソフトで会話をしていた時の事だった。

 

(何か、顔文字とかが増えたような気が・・・)

 

 前まではあまり、というかほとんど顔文字とか記号の類を使った事がなかったのに、最近になってやたらとそれが増えた気がする。私も倣って使ってみてはいるが、中々使うのが難しい。

 

「どうした、そんな辛気臭い顔をして」

 

 そのメッセージソフトが映されたパソコンをじっと見つめていると、頭の上から声を掛けられた。

 はちみつ色の髪をしたそいつは、エルヴィン。私の所属するカバさんチームの戦車・Ⅲ号突撃砲の車長と通信手を務める、欧州史に詳しい歴女だ。

 

「いや、ちょっと気になる事があってな・・・」

 

 私はパソコンの画面を指差す。エルヴィンは、私の横に腰かけて画面をのぞき込む。

 

「?別に変なところはないように見えるが・・・」

「実はひなちゃ・・・カルパッチョが最近顔文字をやたらと使ってくるようになってな」

「この、『ひな』と書いてある方か。って、カルパッチョってアンツィオの?」

「そう」

 

 私とエルヴィンが話していると、後ろから人影が近づいてくる。

 

「お茶入ったぞ~・・・って、2人とも何見てんの?」

 

 湯呑茶碗をお盆に載せて、とてとてとやってきたのは左衛門佐。よく手入れされているのが分かる黒のストレートの髪と、瞑っている左目が目立つ。Ⅲ突の砲手を務める、戦国時代に詳しい歴女。

 

「んー・・・どうしたぜよ?」

 

 柱に背中を預けて昼寝をしていたのはおりょう。ぼさぼさの黒髪とメガネが特徴で、Ⅲ突では操縦手を務める幕末史に詳しい歴女だ。

 

「カエサルの幼馴染のカルパッチョさんの様子が変わったらしい」

「変わったってどんな風にぜよ?」

「このメッセージソフトのメッセージに、顔文字が増えたとか」

「そんな些細な事、気にする必要はないんじゃないか?」

「でもつい最近になって急に使い始めたんで、不思議に思っているんだそうだ」

「良い事でもあったぜよ?」

 

 未だパソコンの前で唸る私に代わって、エルヴィンが大体の事情を説明する。説明を聞いた左衛門佐が緑茶をテーブルに置きながら率直な意見を述べる。私は、緑茶を啜るおりょうの方を振り返りながら問う。

 

「良い事ってどんな?」

「テストでいい点とったとか?」

「そのぐらいで顔文字使うようになるか?」

「じゃあ戦車道でいい成果を挙げたとかぜよ?」

「うーん・・・考えにくい・・・」

 

 色々考えてみるが、どれもいまいちピンとこない。そこで、エルヴィンがこう言った。

 

「もう実際に聞いてみた方が早いんじゃないか?」

 

 満場一致でその意見に賛成し、早速メッセージソフトで返信をする。

 

『最近、ご機嫌みたいだけどなにかいい事あったの? たかこ@大洗』

 

「こんな感じでいいか?」

「まあ、大丈夫なんじゃない?」

「為せば成る、ぜよ」

 

 エンターキーを押してメッセージを送信する。『ピローン』と甲高い電子音と共にさっき私が打ったメっセージが表示される。

 すると、『ピローン』と言う電子音と共にカルパッチョからのメッセージがすぐに返ってきた。

 

『ナイショ♪(*⌒∇⌒*) ひな@伊太利』

 

「「「「・・・・・・・・・・・・・・・」」」」

 

 後ろにいる3人の顔がぽかんとしているのが見なくても分かる。私自身、口がだらしなく開いているのだから。

 

「・・・・・・どう見るぜよ?」

「絶対、さっき言ったみたいなことじゃないと思う」

 

 テストでいい点とったとか、戦車道で成果が出たとか、そんなんじゃないというのは流石に分かる。

 それ以上に、もっと嬉しい事に違いない。

 だが、そうなると一体どんなものだ?

 そこで、エルヴィンが顎に指をやりながらこう言った。

 

「となると・・・・・・男か」

「「それだ」」

 

 左衛門佐とおりょうが声を合わせてエルヴィンの方を指差す。

 だが、私は信じられないと思う反面、あり得るかもしれないと思っていた。

 アンツィオは大洗と違って共学で、出会いの機会は圧倒的に向こうの方が多い。あんこうチームの通信手・武部さんが聞いたら喜びそうな情報だ。

 加えて、カルパッチョは幼馴染の私から見ても容姿端麗で、性格も悪くない。ノリと勢いは確かでその上愛に情熱的なアンツィオでは、引く手あまたな存在だろう。

 だから彼氏の1人でもできていても何ら不思議ではない。

 

「彼氏・・・彼氏か・・・・・・うーん・・・う~~~ん・・・」

「カエサルが知恵熱出してるぜよ」

「別に気にすることは無いだろう、彼氏ぐらいできても」

 

 左衛門佐が話しかけてくるが、その通りだとは思う。

 だけども、気がかりなことがある。

 

「カルパッチョって、昔からあまり自己主張しない大人しい子で・・・そんなカルパッチョの弱さに付け込んで悪い輩に引っ掛かったりしてるんじゃないかと思うと・・・・・・」

「深読みしすぎぜよ・・・」

「保護者か」

 

 おりょうとエルヴィンが呆れたように言うが、私はそれが気がかりだった。

 元々、私がカルパッチョと交流を持つようになったきっかけは小学校の時だ。クラスでいつもおどおどしていて、あまりクラスに溶け込めなかったその子に話しかけたのがきっかけだ。

 話しかけてみると、心優しい子だというのが分かり、気づけばその子と過ごす事が多くなった。お互いに仲良くなり、親友になるまでそう時間はかからなかった。

 だからこそ、カルパッチョの事が心配ではあるのだ。

 

「そんなに悩んでるなら、実際に会いに行けばいいだろ?」

 

 左衛門佐の言葉を聞いて、私は振り返る。エルヴィンとおりょうは、まさしくその通りだと言わんばかりに大きく頷いていた。

 確かに、実際に会いに行けば分かるかもしれない。もし本当にカルパッチョが付き合っているのだとすれば、その相手がどんな人かを確かめることができる。付き合っていないにしても、どうして上機嫌なのかを聞く事だって可能だ。

 それに、カルパッチョの誕生日が2カ月後だ。カレンダーだとその日は平日だけれど、戦車道履修者の特典で通常の3倍の単位が私たちには与えられている。まだそれも残っているので、休んでいけばいい。

 去年まではこのメッセージソフトか電話ぐらいでしか誕生日を祝えず、プレゼントをあげることもできなかったので、プレゼントを渡す事だってできるじゃないか。

 

「・・・・・・そうだな。行ってみよう、アンツィオへ」

 

 と言うわけで現在、私たちカバさんチームはアンツィオ高校学園艦を訪れている。たまにカルパッチョから送られてくる写メールと、アンツィオ高校ホームページから分かっていたが、やはり建築物はローマ風―――というかローマそのものだ。ローマ史に深い造詣がある私自身、気持ちが昂るのを感じる。

 だが、今日の目的はあくまでもカルパッチョの誕生日祝いと彼氏の存在を確かめるためであり、観光がメインではない。

 しかして、問題が1つ起きた。

 この広い学園艦で、カルパッチョをどうやって探すかだ。

 

「え、知らないのか?」

 

 隣に立つエルヴィンが、呆れたように言う。

 カルパッチョを驚かせるために、今日ここに来ることを伝えてはいない。だから『今どこにいるの』なんて聞いたら即バレてしまう。

 

「となると、まずは情報収集ぜよ?」

「やれやれ・・・」

 

 左衛門佐が肩をすくめてため息をつき、おりょうが当たりをきょろきょろと見まわす。

 別に私1人で来ても良かったのだが、なぜかこの3人は『私たちも行く』と言って聞かなかった。3人とも、カルパッチョの真意を知りたかったからなのかどうかは分からない。が、別に断る理由も無いので同行は許可した。

 さて、おりょうの言った通りまずはカルパッチョがどこにいるのかを調べるのが先だ。

 聞くところによれば、屋台街なる場所に、アンツィオ戦車隊の副隊長―――ペパロニさんが経営している戦車を乗せた屋台があると、あんこうチームの装填手・秋山さんから聞いている。その副隊長に聞けば、カルパッチョがどこにいるのか分かるかもしれない。だから私たちは、まずは屋台街を目指すことにした。

 その道中、私たちは妙に注目を集めているような気がする。

 今、私たちは大洗女子学園の制服、さらにそれぞれ赤いマフラーに緑の軍帽とコート、胸当てに羽織と、大洗ではいつも通りの恰好だ。どこかおかしなところでもあるのだろうか。

 そんな事はさておき、観光案内所でパンフレットを手に入れ、屋台街の店の配置を確認する。そのペパロニさんの鉄板ナポリタン屋台は27番区画だ。

 

「・・・・・・出店者の名前がみんなニックネームぜよ」

「タレント名鑑見ている気分だ」

 

 後ろからパンフレットを覗き込んだおりょうと左衛門佐が苦笑交じりに呟く。確かに、このパンフに載っている屋台主の名前はほぼ全てイタリア料理の名前、あるいは食材の名前だった。アンツィオ戦車隊の総帥からして名前がアンチョビ、副隊長がペパロニとカルパッチョなのだから、面白いものだ。聖グロリアーナの隊長はダージリン、プラウダの隊長はカチューシャとこれもニックネームなので、戦車道界隈ではニックネームをつけることが流行っているのだろうか?

 私たちは、注目を集めながらも屋台街を練り歩く。

 だがその途中、美味しそうな匂いがそこかしこから漂ってきて、私たちの食欲を全力全開で掻き立ててきた。

 

「ご主人、1つ欲しいぜよ」

「毎度あり!270万リラね!」

 

 匂いに打ち負けたおりょうが早くも屋台で、ハムや野菜を挟んだ二つ折りのパン―――ピアーダと言うらしい―――を買い求めていた。

 

「ヘイ、そこの帽子が似合うクールな彼女!ウチのパニーノどう?」

「へ、わ、私か?」

 

 すると今度はエルヴィンが、同年代の少年からの客引きを受けた。

 学園艦、しかも女子校で暮らしているせいで同年代の男性とあまり面識のないエルヴィンは、異性から褒められたことで気を良くしたのかそのパニーノの屋台に向かう。

 

「そ、そうだな。1つ買おうかな」

 

 懐から財布を取り出していた。そしてパニーノを買い求めると、何やら店主の男子生徒と話が盛り上がっている。あの声掛けで、もしかしたら出会いの一つや二つ生まれるのかもしれないと思うと、改めてアンツィオは凄いと思う。

 一方で左衛門佐はと言うと。

 

「そこの彼女、コインのバンダナ素敵っすね~!」

「ほう、このバンダナの良さが分かるか。これは真田家の六文銭をモチーフにしてだな・・・」

 

 左衛門佐の六文銭バンダナを褒めたアクアパッツァの屋台主らしき少年と話が盛り上がっている。

 仕方ないので、そろそろピアーダを食べ終えたであろうおりょうに話しかけようとしたが。

 

「へー、坂本龍馬好きなんだ」

「坂本龍馬と言うよりも、幕末が好きぜよ。あの時の日本の情勢の変わりようを見ているのが楽しいぜよ」

「ふーん・・・あ、そう言えばうちのばーちゃん、実家が高知だったな」

「ほう!」

「龍馬って確か高知の人でしょ?ああ、だからばーちゃんの実家近くもフィーチャーしてたんだな・・・あの時は今よりずっとチビだったから気付かんかった」

「もったいないぜよ!せっかく龍馬ゆかりの地だというのに・・・」

「いやー、君の話聞いてたら龍馬も幕末も面白そうだなって思って。久しぶりにばーちゃんの実家に行こうかな」

「是非そうするぜよ!ついでに龍馬の事とか幕末の事とか私がもっと教えるぜよ!」

「おお、そりゃありがたい」

 

 ・・・・・・エルヴィンは。

 

「WW2かぁ・・・どうもあの辺りは色々複雑で苦手だなぁ」

「まあ、確かにそうだな。WW2に限らず世界史とは、色々な国の情勢が入り混じっていて一見理解しづらいように見える」

「君もそう思うんだ?」

「私も最初はそうだった。だが、その奥深く複雑な歴史さえも私には魅力的だった。自分の国とは違うような文化や歴史を学ぶことができたから、どれだけ複雑でも私にはそれを学ぶのが苦痛とは思わなくなった」

「へぇ・・・・・・」

「それに温故知新という言葉があるように、昔の事から学べることもたくさんある。だから、私は歴史が好きなんだ」

「なるほど・・・うん、でも、キミみたいな可愛い子が歴史好きなら、俺もちょっと勉強してみようかなぁ」

「なっ・・・!そういうことを軽々しく言うなっ!」

 

 ・・・・・・左衛門佐は。

 

「へぇ~!戦国時代って面白いんすね~」

「だろうだろう?特に私のお勧めは真田幸村!」

「俺なんて戦国時代と言えば信長と家康と秀吉だけしか覚えてないっすよ~。それに徳川は“家”ばっかりだし、平家は“盛”だらけで、顔もみんな同じに見えるし」

「その認識はあんまりだ・・・あと平家は戦国時代よりずっと前だぞ」

「あと、何だっけ。鳴かぬなら、鳴かせてみよう・・・・・・平城京?」

「違う!平城京はウグイスで、鳴かすのはホトトギス!時代が全然違うわ!」

「あ、そうだったそうだった。いやぁ俺って歴史がてんでダメで・・・・・・」

「ダメってレベルじゃない!ええい、そこに直れ!この私が戦国時代を一から教えてやる!」

「うっす!お願いするっす姐さん!」

 

 オタク談議に火がついてしまった。これはもう梃子でも動かないだろう。

 というかエルヴィンに限っては何だか甘い雰囲気になってしまっているし、愛に情熱的なアンツィオの片鱗を思い知った気がする。

 そして私は1人、完全に置いてけぼりを喰らっている。

 このまま土地勘のない3人を置いて行くわけにもいかなかったので、私も何かを買って時間を潰そうかと思ったところで。

 

「アンツィオで一番のラザニアは如何ですか~!」

 

 ふと、聞き覚えのある声が耳に滑り込んできた。

 この透き通るような声の主は、忘れるはずも、間違えるはずもないカルパッチョだ。

 その声のした方向は、この先。だが、人混みのせいでカルパッチョの姿は見えない。

 気づけば私は、その声のした方向へ向けて足を進めていた。エルヴィンたちの事は、今だけは忘れてしまった。

 人波をかき分けるように、声のした方向へと進んでいき、やがてラザニアを売っている屋台の前へとやってきた。

 

「・・・・・・ひなちゃん!」

 

 

 

 聞き覚えのある名前が聞こえたような。

 アルデンテが周囲に目を配ると、屋台の前にどこかの学校の制服らしい緑色のセーラー服、首に赤いマフラーを巻いている少女が立っていた。

 その少女の姿を認識した瞬間。

 

「えっ、たかちゃん・・・?あ、たかちゃんだぁ!久しぶり~!」

 

 隣で客引きをしていたカルパッチョが、嬉しそうな表情で先の少女へと手を振っている。その赤いマフラーの少女もカルパッチョへと駆け寄り、2人で手を合わせる。

 

「どうしてここに?」

「ひなちゃん、今日誕生日だったでしょ?お祝いに来たよ~!」

「ありがと~!でも言ってくれればよかったのに~」

「ごめんねぇ、驚かせたかったんだ~」

 

 ラザニアの具材を調理していたアルデンテと、カルパッチョと同様に客引きをしていたジェラート、そして後ろで休んでいたペスカトーレとアマレットが呆然と、カルパッチョと赤いマフラーの少女のやり取りを目にしていた。

 恋人のアルデンテも、同じ戦車隊所属のジェラートとアマレットも、このようにテンションの高いカルパッチョの姿を見た事はない。普段から大人しいイメージがあるからだ。

 今目の前にいるのは、本当にあのカルパッチョなのか、と誰もが疑問に思っていた。

 そこで。

 

「おー、やっぱりこうなったか」

「いやぁ、愉快愉快」

「その顔が見たかったぜよ」

 

 後ろから珍妙過ぎる出で立ちの少女が3人も現れた。軍帽を被っていたり、黒い羽織を着ていたり、弓道の胸当てをつけていたり。

 どうやらその3人は、赤いマフラーの少女の知り合いのようで、赤いマフラーの少女は恥ずかしそうに顔を逸らしていた。

 そして、カルパッチョもまたその3人と面識があったらしい。

 

「あら、カバさんチームの皆さん。こんにちは」

「やあ、カルパッチョさん」

「久しぶりぜよ」

「大学選抜チームとの戦い以来だな」

 

 そこで、後ろに座っていたアマレットと、客引きをしていたジェラートが『あっ』と声を上げた。

 

「誰かと思ったら、大洗の人か」

「制服だったから気付かなかった・・・」

 

 アマレットとジェラートも、戦車道履修生だ。夏の全国大会で砲火を交え、試合後の食事会にも参加したのだから、覚えているのも当然と言える。大洗の少女達も、カルパッチョたちの客引きの声を聞いて場所がわかったのだろう。

 だが、カルパッチョたち戦車道履修生が訪問者との話が盛り上がっている中で、戦車道とは関係の無いアルデンテとペスカトーレは、完全に蚊帳の外だった。

 アルデンテはラザニアの準備に戻ることにしようとしたが、そこでカルパッチョが話しかけてきた。

 

「アルデンテ、この人たちは大洗の戦車隊の、カバさんチームっていうチームの人なの」

「大洗?」

「ええ。この子がたかちゃ―――カエサル。私の小学校からの幼馴染」

「カエサル?」

 

 先ほどまでカルパッチョと話をしていた、赤いマフラーを首に巻く少女がアルデンテにぺこりと頭を下げる。

 だが、アルデンテはカエサルという名前に違和感を覚える。カエサルは『ブルータス、お前もか』の言葉で有名な古代ローマの政治家だったはず。それを名前にしてるとは、一体?

 

「私の事は、エルヴィンと呼んでくれていい」

「私は左衛門佐」

「おりょうと呼ぶぜよ」

 

 緑の軍帽を被った少女、弓道の胸当てを付けた少女、黒い羽織を纏う少女がそれぞれ名乗り出たが、どう聞いても本名じゃないのは分かる。特に左衛門佐とか、語感的に女性の名前ではない。

 

「皆、歴史が好きな歴女なのよ」

 

 カルパッチョの言葉を聞いて、アルデンテは『そう言う事か』と理解した。赤いマフラーの少女の名前が歴史上の偉人・カエサルと同じのように、他の3人の名前も恐らくは歴史上で尊敬する人物の名前なのだろう。アルデンテ自身が“アルデンテ”と呼ばれているのと同じように、あだ名のようなものだ。

 

「改めまして、お誕生日おめでとう。カルパッチョさん」

「ありがとう。わざわざ来てくれるなんて、嬉しいです」

 

 エルヴィンが帽子を脱ぎ、頭を下げてカルパッチョの誕生日を祝う。それに対してカルパッチョは、笑顔で返事をしてくれた。

 

「はい、プレゼント」

「わぁ、ありがと~。嬉しい!」

 

 カエサルが、白い紙に包まれた箱をカルパッチョに差し出す。

 カルパッチョは嬉々としてそれを受け取り、包装を解いていく。箱を開くと、中から出てきたのは。

 

「あっ、手袋・・・・・・」

 

 薄い白とピンクの、毛糸の手袋だった。

 

「ひなちゃ―――カルパッチョに似合うと思って」

「・・・大切にするね。カエサル」

 

 そう言ってカルパッチョは箱に手袋を戻し、屋台の中にあるテーブルの上に置く。

 そこでカエサルが、テーブルの上に置かれていたいくつもの箱や袋を見つける。

 

「他にも貰ったんだ?プレゼント」

「うん。ドゥーチェやペパロニ、それから戦車道の皆と・・・・・・」

 

 今朝、アンチョビとペパロニの後で、アマレットとジェラートからもカルパッチョはプレゼントをもらった。戦車の中にも持ち込めるような魔法瓶やマフラーなどで、カルパッチョは後ろのテーブルの上にとりあえず置いていた。

 

「そして、アルデンテからも」

 

 最後にカルパッチョは、アルデンテの方を見てにこりと笑う。アルデンテは、少しこそばゆくなってしまい苦笑するしかない。

 だが、それが妙に見えたようでカエサルがアルデンテの方を見た。

 

「悪い、被ったな」

「ううん、アルデンテが謝る事無いわ」

 

 アルデンテはグローブを贈り、カエサルからは毛糸の手袋を受け取った。アルデンテの贈ったものは主に戦車道で使うもので、カエサルからのものは普段の生活で使うようなものなので、用途で言えば別だった。が、大まかに見れば同じものをあげてしまったので、少しアルデンテは申し訳ない気持ちになる。

 と、そこでアルデンテはカエサルたちから自己紹介をされたにもかかわらず、自分は自己紹介をしていないことを思い出した。

 

「失礼。俺はアルデンテ。カルパッチョと同じ2年生で、この屋台でラザニアを作ってる。それで―――」

 

 そこまで言ってアルデンテは、恐らくはカルパッチョの幼馴染であろうカエサルと他の3人に、カルパッチョとの関係を言おうか言うまいか悩んだ。

 だが。

 

「私と・・・付き合っているの」

 

 カルパッチョの方が先に暴露してきた。

 幼馴染の前という事で緊張感が緩んでしまっていたのか、はたまた誕生日で少し舞い上がっていたのか、まさか自分から言ってくるとはアルデンテの想定外だった。

 そして、それを聞いたカバさんチームのメンバーは。

 

「なん・・・・・・だって・・・・・・?」

 

 カエサルが、たじろぐように一歩引く。口元に手をやっているのを見るに、相当ショックだったらしい。

 

「ほう、エルヴィンの言った通りぜよ」

「やはりな」

「アンツィオは噂通りの出会いの場だったか」

 

 おりょうがエルヴィンを見て感心したようにうなずき、エルヴィンは帽子を被りなおしてちょっと誇らしげに笑っている。左衛門佐は、何かに納得したかのように腕を組んで両目を瞑っている。

 

「え、それ・・・・・・ホントなの・・・・・・?」

 

 カエサルが確認するかのようにカルパッチョに問うが、カルパッチョはただ大きく頷き、本当だと言外に告げる。

 続いてカエサルはアルデンテの方にも目を向けるが、アルデンテは少し苦笑しながらも、小さく頷く。

 この2人の態度で、2人は本当に付き合っているのだとカエサルは知った。

 

「そう・・・・・・なんだ・・・・・・」

 

 カエサルは、小さくはないショックを受けているだろう事が態度で分かる。

 いきなり彼氏の存在を告げられて胸中は色々とごちゃ混ぜになってしまっているだろうし、一度じっくりと話をした方がいいだろう。アルデンテはそう思い、カルパッチョの肩を小さく叩く。

 

「カルパッチョ。久しぶりに会ったんだし、少しカエサルさんと話をするといい。それと、エルヴィンさん達にもアンツィオの案内を」

「・・・・・・そうね」

「エルヴィンさん達は、私が案内するよ」

 

 後ろに座っていたアマレットが立ち上がり具申する。アルデンテはそれに頷き、エルヴィン、左衛門佐、おりょうの3人はアマレットに任せる事にする。

 カルパッチョがカエサルと共に屋台を去り、アマレットがエルヴィンたちを連れて雑踏の中へと消えていく。

 残ったのはジェラート、ペスカトーレ、そしてアルデンテの3人だけ。

 

「いいんだ?カルパッチョと一緒じゃなくて」

 

 ジェラートが聞いてくると、アルデンテは頷く。

 

「多分カエサルさんは、カルパッチョの言っていた小学校からの幼馴染って人なんだと思う。だからこそ、カエサルさんはカルパッチョの事をずっと気にしていてて・・・それで彼氏ができたって知ってすごいショック・・・なんじゃないか」

「・・・・・・」

「少し話をしてきた方が、気持ちも落ち着くんじゃないかと思ってな」

「なるほどねぇ」

 

 ジェラートも納得したようにうなずく。そして、ニヤッと笑いアルデンテの肩に手を置く。

 

「すっかりカルパッチョの理解者だね」

「・・・・・・・・・」

 

 それについてコメントするのは少し恥ずかしかったので、アルデンテは何も言わないことにした。

 

 

 カルパッチョとカエサルが訪れたのは、人気の少ない公園だ。ここは観光客もあまりおらず、アンツィオの住民の憩いの場として知られている。

 2人は屋台で買ったエスプレッソを片手にベンチに並んで座り、しばしの間何も言わない。

 やがて、言葉を発したのはカエサルの方だ。

 

「・・・・・・本当に、彼氏ができてたんだね」

「?」

「ひなちゃんからのメッセージ、最近顔文字が多くなったなぁ、って思ったんだ。それで聞いてみたら、ひなちゃん『ヒミツ♪』って返してきて、余計に気になってたんだ。何かあったのかなぁって」

 

 言われてカルパッチョは、確かに前にそんな事を聞かれたなあと思い出す。

 

「で、エルヴィンが『男でもできたんじゃないか』って言ってきて。ひなちゃんの誕生日祝いも兼ねて、確かめに来たんだ」

「・・・そうだったんだ」

 

 別に隠す事でもなかったのだが、メッセージソフトで彼氏ができたと告げるのも少しおかしかったので敢えて言わなかった。だが、それが逆にカエサルの不安をあおる形となってしまったらしい。カルパッチョは『ごめんね』と小さく言う。カエサルは気にしていないと首を横に振って、そして改めてカルパッチョの顔を見て聞いた。

 

「あの人の事、好きなんだ?」

 

 改めて問われると少し恥ずかしいのだが、その気持ちに嘘偽りはない。

 

「・・・ええ。とても」

「・・・・・・・・・」

「もう、あの人以上の男の人には会えないって断言できるぐらい」

 

 そこまで言われては、カエサルも強くは言えない。

 その代わりに、昔の事を少しだけ話したくなった。

 

「・・・・・・・・・覚えてる?私たちが最初に会った時の事」

「?」

 

 カエサルが空を見上げながらゆっくりと話し始める。カルパッチョはそのカエサルの横顔を見る。

 

「クラスで浮いてたひなちゃんが気になって、私が声を掛けたんだ。それで、何度か話したり遊んだりするうちに仲良くなっていって・・・」

「・・・・・・そうね。あの時私はたかちゃんのこと、自分の意見は正直にはっきりと言う、カッコいい人だなって思ってた」

「照れるなぁ・・・。それはともかく、ひなちゃんとはそれなりに付き合いが長いから、気になってたんだよ。特に、中学から離れ離れになった時は。ちゃんと元気でやっているのかな、いじめられたりしてないかな、って」

「お母さんみたいね」

「それは言わないでよ」

 

 くっくっとカエサルが笑い、そして続ける。

 

「・・・・・・それで、自分を変えるために、そして戦車道の勉強をするためにアンツィオに行くって聞いた時は、そりゃもう驚いた。だって、あのひなちゃんが、あんまり自己主張とかしない大人しいひなちゃんがアンツィオに行くなんて、驚いたよ」

「もー・・・そんなにおかしい?」

「あの時は私も思ったよ。でも、今年の全国大会で再会した時は、副隊長だったからすごい驚いたよ。それで、ちゃんとアンツィオでも上手くやっているんだな、って安心した」

「・・・・・・・・・・・・」

「そして、そんなひなちゃんが・・・・・・付き合ってるなんて、思わなかった」

 

 カエサルがそう告げると、カルパッチョは空を見上げる。その顔は独りだった昔のことを思い出したが故の少しばかりの哀愁と、その時とは違う今を思う嬉しさを孕んでいるように笑っていた。

 

「・・・・・・確かにそう。私も最初アンツィオに来た時は、悩んだよ。私みたいな地味で大人しい子が、こんな場所にいていいのかなって。1年生の間はずっと悩んでた」

 

 そしてカルパッチョは思い出す。あの日、あの時、アルデンテと出会った時の事を。

 

「でも、私と同じように、アンツィオの空気に溶け込めなかった人と出会って。だけどその人は、『友達ができているのなら、それはもう十分に溶け込めている』って言ってくれた」

「・・・・・・」

「友達っていうのは、ペパロニとか、戦車道で知り合うことができた皆・・・その人自身もそうだって言ってくれた。そしてその人は私に、“名前”の無かった私に“カルパッチョ”って名前を付けてくれた・・・」

 

 カエサルは、あの全国大会での食事会以来自らをカルパッチョと名乗りだしたと認識している。だが、その前からカルパッチョと言う名前を貰っていたとは、これには少し驚いた。

 

「・・・・・・その人が、アルデンテさん?」

「ええ、そうよ。何度も話をして、優しいアルデンテと一緒にいる内に私は・・・アルデンテの事が好きになっていたの」

「・・・・・・そっか」

「屋台総選挙っていうイベントで、私に認められたいと思って参加して、認められようと自分で変わろうとしたアルデンテの姿に、私も心を打たれた・・・」

「・・・・・・」

「そのアルデンテが告白してくれて、私はその告白に、もちろん頷いた。だから今は、アルデンテとは恋人同士なの」

 

 カルパッチョの言葉に、偽りはない。それは親友だから、分かる。

 どうやら本当に、カルパッチョはさっきのアルデンテのことが好きなようだ。

 

「それでいつかは・・・・・・」

 

 カルパッチョは頬を赤くし、少し俯く。

 どうやらもう、将来のことまで考えているらしい。

 ここまでアルデンテに惚れこんでしまっているカルパッチョの事を、カエサルは止めるような真似はしない。

 自分の気持ちを認め、将来の事をも考えているカルパッチョに、親友であるカエサルができる事は1つだ。

 

「・・・・・・良かったね、ひなちゃん」

 

 背中を押して、親友の新たな決意、気持ちを祝福する事。

 

「・・・・・・うんっ」

 

 

 

 やがて、カエサルとエルヴィンたちはほぼ同時にアルデンテの屋台まで戻ってきた。

 カエサルの顔はもう曇っていない。もう、頭に残る悩みや不安は晴れたようだ。

 一方でエルヴィンたちは土産物店を回っていたらしく、彼女たちは手にどこかのお店のビニール袋をいくつか提げていた。もしや彼女たちは、これが目当てでカエサルについてきたのかもしれない。

 

「アルデンテさん」

 

 そこで、カエサルが一歩前に出て来て、アルデンテに向かい合う。ただ事ではないようなカエサルの声と態度に、アルデンテも調理の手を止めてカエサルの事を見る。

 直後カエサルは、頭を下げてこう言った。

 

「・・・・・・これからもひなちゃんを・・・カルパッチョを幸せにしてあげてください」

 

 その時アルデンテは、すぐにその言葉に対する答えを見つけられた。

 

「もちろん。それは絶対、どんな事があっても」

 

 固い決意を告げた。

 傍に立つカルパッチョも、少し涙ぐんでいたが、それでも笑ってくれた。

 エルヴィンたちも、静かに笑い、アルデンテの決意を聞いて頷いてくれた。

 

 

 それからしばらくの間、カバさんチームの面々はアルデンテの屋台裏で、他の屋台で買ってきた料理を食べて盛り上がっていた。せっかく幼馴染と久しぶりに会ったのだし、それに今日は誕生日なので、カルパッチョを労う形で彼女は少し休ませる事にした。

 屋台に立つアルデンテやペスカトーレ、そしてジェラートたちは、後ろで繰り広げられるカルパッチョとアマレット、そしてカバさんチームの会話に時折耳を傾けながら仕事を続ける。文化祭は今なんて比じゃないくらい盛り上がるとか、総帥アンチョビの誕生日の時は全屋台半額セールなんて暴挙に出たとか、色々とアンツィオの情報を披露してはカバさんチームの面々を驚かせた。

 一方で大洗の情報も聞かせてもらった。あの島田愛里寿が転校すると聞いたのに白紙撤回されて落胆したとか、大洗初の留年生が出るという噂があるとか、こちらは女子校で出会いが無いとか、色々と話題は尽きない。

 ただ、カエサル以外の3人は先ほどの屋台街の少年達とそれぞれ連絡先を交換するまでに至ったと言う。アンツィオの毒牙(?)にやられたか、とアンツィオ在学生たちは納得に似た安心感を得た。

 だがそんなカバさんチームも、日没前にはお暇してしまう。やはり、大洗女子学園艦までは遠いのだから帰るのにもそれなりに時間がかかる。

 

「また来年も、戦車道やろうね・・・カエサル」

「・・・ああ、また来年会おう。カルパッチョ」

 

 全国大会の時とは違う、お互いにソウルネームで呼び合って、そして別れた。

 

「・・・面白い人たちだったなぁ」

 

 夕暮れの中帰っていくカエサルたちを見て、ペスカトーレがポツリと呟いた。その言葉に関しては、アルデンテも同感だ。

 彼女たちは歴史が好きだという。そして彼女たちが名乗っているソウルネームは、それぞれが尊敬する歴史上の人物の名前、もしくはその人物に関係のある人の名前だ。

 恥じらいもせず、ソウルネームを堂々と名乗るところはかっこよくて心惹かれるものがあった。そして自分の趣味を恥ずかしがらず、疑う事も無く、自分のスタイルを貫く姿は、アルデンテも嫌いじゃなかった。

 

 

 今日も今日とて時計台の鐘が19時を告げると屋台街の営業が終わり、観光客たちも帰っていく。長かったアンツィオ高校創立記念日も終わりだ。

 売上金を集計すると、休日と言うのもあって売り上げは上々だ。別にその売上金は自分の懐に入るわけではないのだが、それでも懐が温まるのを感じながら運営委員会に報告する。

 だが、アルデンテにはまだやるべきことが残っている。

 それにはまず、場を設けるのだ。

 

「・・・・・・カルパッチョ」

「どうしたの?」

 

 撤収作業を終えたところでカルパッチョを呼び止める。そして小さく、決して周りには気づかれないように声を潜めて話す。

 

「ちょっと、船尾公園に来てほしいんだ。大事な、話がある」

「・・・・・・・・・・・・分かった」

 

 アルデンテの真剣な感じの言葉を聞き、カルパッチョもただ事ではないと判断して静かに頷いた。

 その後は、お互いに何事も無かったかのように撤収作業を続けて、それが終われば教室に戻って着替えて、売上金を運営委員会に渡す。

 そして、カルパッチョと2人で船尾公園へと向かった。ペスカトーレやアマレット達は、何かを感じ取ったのか2人についていこうとはせず、それぞれ自分の寮へと戻って行った。

 相も変わらず空気の澄んだ星空はとても綺麗で、降り注ぎそうなくらいだ。

 

「話って?」

 

 その星空の下で、船尾公園の端、目の前に海が広がる柵の前に来ると、カルパッチョが問いかけてきた。

 アルデンテは、ここに来る前、学校を出る前に鞄の中にしっかりと“入っている”のを確かめてある。

 

「カルパッチョ、改めて、誕生日おめでとう」

「・・・ありがとう。でも、もうお祝いの言葉は十分よ?」

 

 笑いながらカルパッチョは応えてくれる。確かに普通の人からすれば、既に一度会ってお祝いの言葉を告げ、その上プレゼントまで渡したのだから十分と言えるだろう。

 だが、それでもアルデンテは、まだ今日という日を終わらせるつもりはない。

 

「実はな・・・もう1つ、プレゼントを用意してるんだ。あの、グローブとは違うやつを」

「え?」

 

 そして鞄を降ろし、小さな紙袋を取り出す。それは、今朝渡したグローブとは全然サイズの違う袋だ。むしろ、何か小物・・・アクセサリーの類が入るぐらいの大きさだった。

 

「カルパッチョ」

「?」

 

 だが、そのプレゼントを渡す前にアルデンテが静かに話しだす。

 

「最初に、夏休みにデートした時の事、覚えてるか?」

 

 忘れるはずはない。だってあれは、人生で初の2人だけでのデートだったし、そして何より重大な告白をした日でもあって、その“未来”を2人とも望んでいると分かった日なのだから。

 

「・・・覚えてる、もちろん」

 

 そう答えると、アルデンテは小さく笑い、目を閉じる。

 

「でも正直、あの時は少し悔しかった」

「え・・・・・・?」

 

 どういう事だろう、重大な告白―――プロポーズをして、アルデンテも頷いてくれたのに、“悔しい”と思ってしまうとは、いったいどうしてなんだろう。

 

「ああいう重大な言葉は、男の方から言うのが当たり前だと思ってたから。先を越されたなぁ、って少し悔しくもあった」

「・・・・・・・・・・・・」

「要するに、カッコつけたかったって事だ。アンツィオの空気に、俺も大分染まってきてるのかもしれないな」

 

 苦笑するアルデンテだが、カルパッチョはだんだんと話が見えてきた気がする。

 こうして夜、人気のない公園に呼び出して、もう1つのプレゼントを取り出し、そしてあの時の事を思い出して話す。

 これから、アルデンテが何をしようとしているのか、カルパッチョはおおよその見当がつく。だけどそれは、口には出さない。

 

「カルパッチョ」

「・・・うん」

「改めて、言わせてほしい」

「・・・・・・うん」

 

 一歩近づき、カルパッチョと距離を詰めるアルデンテ。そして、紙袋を開けてると、小さな白い箱が姿を現した。

 

「俺は、カルパッチョに出会えて、本当によかった」

「・・・・・・・・・・・・」

「自分を変えたいと必死に思い願って、自分から決して楽じゃない道を突き進むカルパッチョの事が、どうしようもなく好きだ」

 

 改めて告白をするアルデンテ。

 アルデンテは、どれだけ料理が得意でも、勉強が多少できていても、愛情表現は不器用だった。カルパッチョと付き合い始めてから今日に至るまで、こうしてストレートな恋愛感情を言葉にしてぶつけるという事は、不器用だったからあまりできなかった。だから、自分にとっても重要な言葉を伝える今、ありったけの気持ちをアルデンテはカルパッチョに伝える。

 カルパッチョとしても、こうして今改めて自分の事を『好き』と言ってくれて、アルデンテの嘘偽りない気持ちを聞くことができて、とても嬉しくなっている。その証拠に、自分の顔は熱くなっていて、視界も少しぼやけてきている。

 

「そして、もうこの先・・・・・・俺はカルパッチョ以上の人に会えるとは、思ってない。もう俺は、カルパッチョと結ばれる未来しか、考えられない」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 多分、カルパッチョはこの日のアルデンテの言葉を、一生忘れはしないだろうと思う。

 何しろ、ここまでアルデンテがこうしてストレートな言葉をぶつけてくる事なんて今まで無かったし、あまり感情を表に出さず、そこまで多くを口にはしないアルデンテがこうして感情を表に出す事だって滅多にないから。

 

「・・・・・・・・・カルパッチョ・・・愛してる。ずっと、愛してる」

「・・・・・・」

「だから、こんな・・・・・・あんまり愛想もない俺で良ければ・・・・・・」

 

 少し自虐的なことを言うアルデンテだが、今カルパッチョが意識を向けているのは、アルデンテが差し出した白い箱だ。

 そしてその箱の蓋を開けると、そこにあったのは。

 

 

 

「将来、結婚しよう」

 

 

 

 銀色の指輪だった。

 カルパッチョは、アルデンテと話している途中で、アルデンテがなぜここにカルパッチョを呼んだのか、何をアルデンテは言おうとしているのかに薄々気付いていた。

 だが、だからと言ってカルパッチョが全く感動しないと言うのは、まったくの嘘だ。

 

「・・・・・・うん。いいよ・・・っ」

 

 カルパッチョの瞳からは涙があふれ、頬は赤く染まっていて、差し出した左手は小さく震えている。

 その全ての所作は、カルパッチョが嬉しくて、安堵していて、そして何よりアルデンテの事が愛おしいから、という想いを表していた。

 アルデンテは、優しくカルパッチョの左手を握り、そして薬指に指輪をはめる。

 そこでアルデンテは、少し苦笑した。

 

「・・・と言っても、これはあくまでアクセサリーなんだよな」

 

 この今嵌めた指輪は、学園艦のアクセサリーショップで学生向けに売っていたものだ。だから、本物とは全然違う代物だし、これで済ませてしまおうというほどアルデンテも薄情ではない。

 

「だから・・・・・・いつか、“本物”を渡すから」

「・・・・・・・・・・・・」

「それまでは、取っておいてほしい」

 

 アルデンテが、苦笑いを引っ込めて真っ直ぐにカルパッチョを見つめて告げる。するとカルパッチョも、うんと頷いた。

 そして、静かにゆっくりとアルデンテの首に腕を回して、そっと自分の方へと抱き寄せて、2人の唇が触れ合った―――

 

 

 

 

 

「ほーう、中々にロマンチックじゃないか」

「まるでドラマみたいぜよ」

 

 そんな、アルデンテと付き合い始めて最初のカルパッチョの誕生日の話を聞いて感想を述べたのはエルヴィンとおりょう。エルヴィンは腕を組み、背もたれに寄り掛かるように椅子に深く座っており、おりょうはテーブルに肘をつき、顎に手をやりながらにんまりと笑っていた。

 

「憧れるなぁ、そんなプロポーズも」

「よかったね、ひなちゃん」

 

 左衛門佐が自分もそんなプロポーズがされたかったとばかりに大きく頷き、その話をするカルパッチョが本当に嬉しそうだったのを見ていたカエサルも、本当によかったとばかりに頷いている。

 

「・・・・・・おや?どうしたご主人」

 

 そこでエルヴィンが厨房の方を見て、頭を押さえているアルデンテを見て問いかける。だが、エルヴィンの顔がにやけているあたり、アルデンテがなぜそんな状態なのかは分かっているだろう。

 

「・・・いや、今思い返すと、俺すごい恥ずかしい事言ったなって思って・・・」

 

 アルデンテの言葉は、エルヴィンの想像と同じだった。大人になった今、学生の頃の発言を思い出して、今さらながらすごいことを言ったのだと気付き恥ずかしさがこみあげてきたのだ。

 

「『いつか、“本物”を渡すから。それまでは、取っておいてほしい』か」

「やめてくれ左衛門佐」

 

 セリフを真似されて余計にダメージを喰らうアルデンテ。左衛門佐の真似が随分と上手いから余計に恥ずかしい。

 

「『カルパッチョ・・・愛してる。ずっと、愛してる』」

「「くぅ~~~っ!!!」」

 

 エルヴィンが乗っかって真似をし、左衛門佐と2人で盛り上がる。

 人の傷口を蹴り上げるような真似には流石にカチンときたので、アルデンテもささやかな仕返しをする事にした。

 

「・・・摘まみ出すぞ。松本、杉山」

「エルヴィンだっ!」

「左衛門佐と呼べぇ!」

 

 名字で呼ぶと、エルヴィンと左衛門佐が立ち上がって抗議の声を上げたので、アルデンテも満足する。

 

「2人とも、あまりアルデンテをからかうな」

「ぜよ」

 

 カエサルとおりょうが窘めて、アルデンテも小さく息を吐きとりあえず落ち着く。この2人はまだ良心的だったので良かった。

 さて、改めて“元”カバさんチームのメンバーを見る。やはりあの時からは大分時間が経っているので、雰囲気は変わっていた。彼女たちが着ている服も少し大人びたものであり、ファッションセンスはそこそこあるのだと窺える。

 だが、高校生だったころの装飾品の名残は捨てていないらしい。

 カエサルは、かつてと同じような赤いマフラーを首に巻いていた。

 左衛門佐はあの六文銭のバンダナをリボンにして髪をポニーテールに纏めている。

 エルヴィンもこの店に入ってきた時には軍服の様なジャケットを着ていた。

 中でも一番目を引くのはおりょうであり、まさかの紺の着物だとは思わなかった。しかもその胸辺りには高校の頃に羽織っていた紋付にも染められていた八芒星の模様が入っている。おまけに髪がぼさぼさではなく整えられていて、普段からそうすればよかったのにと思う。失礼かもしれないが残念美人みたいな感じだ。

 

「でも、あの時は本当に嬉しかったのよ?あの時みたいなストレートな言葉を貰ったのって、本当にあまりなかったから」

「そうだったんだ?」

 

 確かに、最初に好きだと告白をして以来、あそこまでカルパッチョに対する愛情をそのままぶつけた事も無かったようなと、アルデンテは記憶している。となれば、少し寂しい思いをさせてしまったのかなと、今頃になって申し訳なくなってしまう。

 

「・・・まあ、俺はあんまりそう言った愛情表現を言葉でするのが少し苦手な感じがしてな・・・・・・ごめん」

「謝ることはないわ。私はそう言うところも好きだから」

 

 謝るが、カルパッチョはそれを受け入れて、それすらも好きだと言ってくれた。痘痕も靨、と言う奴か。

 

「いいよなぁ、こういう夫婦も」

「こうして仲良く夫婦で経営するって、意外とすごい事だよね」

 

 カエサルが、そんな2人のやり取りを見て羨ましそうに呟く。左衛門佐も、今さらになってアルデンテとカルパッチョが仲良く店を経営する事の貴重さに気付いた。

 

「あれ、カエサルのとこって仲悪いの?」

「いや、そんな事は無いさ。けど・・・・・・隣の芝生は青く見える・・・みたいな」

「「「それは言えてる」」」

 

 カエサルの言葉に、エルヴィン、左衛門佐、おりょうが頷く。

 元カバさんチームの面々だが、全員既婚済みである。それぞれにはそれぞれの夫婦生活があるのだから、こうして自分以外の事も聞くと、そっちの方が良い感じに聞こえるのだろう。

 

「・・・・・・ところで、アンチョビさん達はまだ来ないのか?」

「もうすぐ来るはずなんだけど・・・・・・」

 

 エルヴィンが問うと、カルパッチョが首を傾げながら答える。今日のような祝い事の日にアンチョビともあろう人物が遅れてくるとは珍しい。

 

「あまり遅くなるのもあれだし、先に始めようか?」

「そうね・・・・・・ドゥーチェには申し訳ないけど・・・そうしようかしら」

 

 アルデンテとカルパッチョが相談し、先に始める事にした。アルデンテも、カルパッチョ繋がりでアンチョビとは割と親交があるので、どんな人物なのかも大体分かっていた。だから、アンチョビが何らかの理由で遅れてしまい、そのせいでエルヴィンたちが不都合を受けていると知ったら悲しむという事も想像できたので、先に始める事にした。

 

「じゃあひな、サラダできてるから持ってって」

「はあい」

 

 カルパッチョが返事をして立ち上がり、カウンターまで行ってアルデンテから差し出されたサラダの大皿を受け取る。

 そこでカルパッチョが。

 

「ちょっといい?」

「?」

 

 そこでカルパッチョがちょいちょいと手招きする。何か秘密の話でもあるのだろうか、と思ったのだが。

 近づいたところで、カルパッチョから触れるような小さなキスを仕掛けてきた。

 

「・・・!?」

 

 不意打ち気味なそれにアルデンテは驚きを隠せないが、カルパッチョが小さくウィンクをして、サラダをカエサルたちの下へと持って行ってしまう。

そして、そのカエサルたちはどうやら先ほどの一部始終を見ていたらしく、ニヤニヤと笑ってアルデンテの方を見てくる。

 女三人寄れば姦しいという言葉は本当だなと思い、そして今この場に女は5人いるのだから、唯一の男である自分は不利でしかない。買い出しに行ったペスカトーレが早く戻ってきてくれることを祈るしかなかった。

 それにしても、やはりこう言った事には自分は慣れていないものだと思う。

 

「そう言えば、普段2人は何て呼び合ってるんだ?」

 

 左衛門佐が、アルデンテがカルパッチョの事を『ひな』と呼んだので興味本位で聞いてみると。

 

「ええっと・・・・・・“あなた”とか、“隼介さん”とか。“あなた”の方が多いかな?」

「俺は基本的に“ひな”って呼んでる」

「“アルデンテ”“カルパッチョ”とは呼ばないのか?」

「そうね・・・・・・少し変な感じがするし、名前で呼び合った方が仲良くなれるし」

「“カルパッチョ”はメニューにもあるから混同しやすい」

 

 カルパッチョが、それでも十分幸せだと言いたげに笑うので、左衛門佐達もそれ以上深くは尋ねはしなかった。

 そして、カルパッチョがテーブルに食器を置く。

 

「シーザーサラダぜよ」

「美味しそうだな」

「私のソウルネームのカエサルとは関係ないぞ」

「そうなのか?」

 

 カエサルは英語読みでシーザーであるのだが、このシーザーサラダとは関係は無い。その由来は、イタリアのレストランのオーナーだと聞く。

 さて、由来についてはさておき、5人分の取り皿も用意して取り分けようとしたところで。

 

「すまん、遅れた!」

「いやー、申し訳ないっす」

 

 タイミングがいいのか悪いのかは分からないが、ドアを開けてアンチョビとペパロニが入ってきた。

 

「ああ、アンチョビさん。今始めようとしたところです」

「ああっ、私らを置いて始めるなんてズルいっすよ!」

「いや、お前が寝坊したのが悪いんだよ・・・」

 

 アルデンテが大丈夫だと伝えたところでペパロニがブーブー言ってきた。だがアンチョビの言う通り、ペパロニが久々の休日で寝過ぎたのが原因なのでペパロニの抗議は筋違いに近い。

 

「・・・・・・あ、アンチョビ殿か。髪型が全然違うから気付かなかった」

「私を髪型で判断するな!」

 

 今のアンチョビの髪形は、アンツィオ高校の総帥の頃、そしてプロ戦車道選手として戦う時のようなドリルツインテールではなく、サイドテールでしかもロールがかかっていない。アンチョビの普段を知らなければ、『アンチョビによく似た誰か』な認識で終わってしまうだろう。ちなみにペパロニだが、普段と変わらず片方は三つ編みのおさげだ。

 

「すまないな、遅れて」

「いえいえ」

 

 カルパッチョがアンチョビの謝罪を聞き入れて、カエサルがサラダを取り分けていく。そこでペパロニが、厨房にいるアルデンテの方を振り返りながら問いかけた。

 

「これで全員っすか?」

「いや、まだペスカトーレとアマレットがいる。今は買い出しに行ってるけど、そろそろ戻ってくるだろ」

 

 その言葉の直後、狙ったかのようにいいタイミングで再び店のドアが開いた。

 

「あっ、アンチョビ姐さんにペパロニ姐さん。もう来てたんですね」

「久しぶりです、ドゥーチェ。ペパロニ」

「ドゥーチェじゃない、今の私はアンチョビだ」

 

 買い物袋を提げたペスカトーレとアマレットが入ってきた。ペスカトーレは、アンチョビをつい昔の癖でドゥーチェと呼んでしまい、アンチョビから優しく指摘される。

 

「食材はこれでいい?」

 

 ペスカトーレがレジ袋を掲げながらカウンターに置く。その中身を大体確認して、アルデンテは頷いた。

 

「問題ない。悪かったな、いきなり頼んで」

「いいって事よ」

「2人も座っていていい。後は料理だけだ」

 

 ペスカトーレとアマレットも座らせて、食材は冷蔵庫に保管しておく。今日は色々飲んだり食べたりするだろうし、これだけ買っておけば問題ないだろう。

 

「大学の方はどうなんだ?」

「やっぱ問題児とか多いっすか?」

「いやー、良い子が多いんだが、どうも自主性が少ないというか・・・」

「私たちみたいに歴史上の偉人をイメージした服を着ていればなおいいのだが」

「それ、周りから見れば相当に変人だよね・・・・・・」

「勇者とも言う」

 

 アンチョビとペパロニ、カエサルとエルヴィン、そしてペスカトーレとアマレットが談笑している。

 元カバさんチームの面々は、趣味の歴史好きが高じて、大学で歴史の教授になったと聞く。好きこそものの上手なれとはよく言ったものだ。ただ、カエサルの言う通り中々自分たちのように熱心な生徒はそんなにいないらしい。比較対象のレベルが高すぎる、とはちょっとだけ思うのだが。

 さて、出す料理についてだが、一応決まっている。1つは先ほど出したシーザーサラダ。後はこの店の自慢のメニューである、ラザニアとカルパッチョ。カルパッチョは種類がいくつか作れるので、飽きは来ないと思う。いや、来させはしない。

 丁度、ラザニアもいい感じに焼き上がっているので、アンチョビたちが来たのと、ペスカトーレたちが買い出しを終えたのは偶然にしてはいいタイミングだと思う。

 ラザニアの焼き加減を見ながら、アルデンテはその傍らでカルパッチョの準備を始める。最初の具材はサーモンだ。

 そこでふと、アルデンテは思う。

 こうして自分が店を持ってラザニアを焼いているのも、自分の愛する人の“名前”の由来となった料理を作っているのも、今思うと感慨深いものだ。今もこうして料理人として厨房に立っていられるのも、恐らくはカルパッチョが自らを支えてきてくれたからだろう。

 もし、カルパッチョと出会えなければ、自分はこうして店を持つことはできなかっただろうし、持つことができたとしても途中で心が折れてしまったかもしれない。

 辛い時があってもカルパッチョは自分の事を支えてくれたし、嬉しい時は共に喜び笑った。だからこそ、今日までアルデンテはこうして店を持っていて、そして料理人を続けられている。

 そう思うと、やはりカルパッチョに出会えたこと、カルパッチョがいてくれることに、感謝するしかない。

 

「おっ、何かいい匂いが」

 

 カエサルが厨房の方を向いてそんなことを言う。アルデンテは、オーブンの中を見て焼き色が十分についているのを確認して取り出し、切り分けて皿に盛り付ける。

 さらに用意していたサーモンのカルパッチョと合わせて、テーブルに運ぶ。

 

「当店自慢のラザニアとカルパッチョです」

 

 一応、普段営業している風に言いながらテーブルに並べると、座っていた全員が『おおー!』と声を上げる。特にアルデンテが作ったラザニアが好物のカルパッチョと、(食べ物の方の)カルパッチョが好きなアンチョビは目を輝かせている。

 

「じゃあ、乾杯と行こうか」

 

 アルデンテが白いトック帽を脱いだところで、アンチョビが声をかける。既に全員は飲み物を準備していて、アンチョビとペパロニ、カルパッチョ、ペスカトーレとアマレット、そしてカエサルはワイン。エルヴィンはビール、左衛門佐とおりょうは地元・大洗の有名な酒蔵から取り寄せた日本酒だ。どれも皆が持ち寄ってくれたものであり、いい感じに値の張る一品らしい。大事に飲むとしよう。

 

「はい、どうぞ」

「ありがとう」

 

 ワインの入ったグラスをカルパッチョがアルデンテに渡してくれる。アルデンテはそれを受け取り、カルパッチョに笑いかける。

 

「・・・カルパッチョ」

「うん?」

 

 アルデンテは、カルパッチョの名を呼んで、そして告げた。

 

「・・・・・・ありがとう。そして、これからもよろしく」

「・・・ええ、もちろん」

 

 少し言葉が足りなかったかもしれない、と言った後でアルデンテは思ったが、カルパッチョには通じたようで、カルパッチョは笑ってくれた。

 その様子を、ペスカトーレたちも笑って見守り、そして準備が整ったところでアンチョビが告げた。

 

「よし、全員飲み物は持ったな?じゃあ、行くぞ!」

 

 アンチョビの掛け声で、全員がグラスを、ジョッキを、升を持ち、立ち上がる。

 

「音頭はアルデンテがとれ」

「そこまでやって・・・?」

 

 アルデンテが抗議の声を上げるが、アンチョビがニッコリと笑顔を張り付けたままなので、逆らえはしない。

 仕方ないとばかりにアルデンテは腹を決めて、そして言う。

 

「えー・・・それでは。ひな―――カルパッチョの誕生日と、皆の再会を祝って・・・・・・」

 

 本当の名前を言ってしまったところで言い直して、左衛門佐に笑われる。元カバさんチームからすればカルパッチョの方が聞き慣れているのでそうしたのだが、言い直したせいで却って格好悪くなってしまったかもしれない。

 そしてアルデンテは、一度言葉を切って、そして笑みを浮かべ、高らかに告げた。

 

「Salute!」

『サルーテ!!』

 

 全員がまるでそう言う事を分かっていたかのように声を上げて、そして思い思いの器をぶつける。

 アルデンテも一番最初にグラスをぶつけるのは、隣にいるカルパッチョ。2人とも、穏やかに笑い、グラスをぶつけ合う。

 そして、滅多にない全員が集う、カルパッチョの祝福するべき誕生日会の始まりだ。




これにて、カルパッチョとアルデンテの物語は本当に完結です。
長い間、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

物語を完結させた後で、誕生日の話は書きたいなと前々から思っていて、
プロポーズも男であるアルデンテの方からすればよかったかな、とも少し思っていたので、
今回の話でこういう形にしました。

前に投下したペスカトーレとアマレットの番外編のあとがきで書いたように、今回はたかちゃん及びカバさんチームのメンバーを登場させました。
カバさんチームは個人的に好きなチームなので書いていて楽しかったです。アンツィオ高校学園艦でエルヴィンだけ良い雰囲気になっていたのは、筆者の趣味(エルヴィンが好きだから)です。
アンチョビの次の総帥(ドゥーチェ)も恐らくはペパロニになるんだろうなと思い、その辺りも少しだけ書かせていただきました。

アッサム生誕日記念とは違い、大勢で誕生日を祝ったのは、
アンツィオの賑やかで明るい感じをイメージしてみたからです。

重ねて書きますが、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
感想を書いてくださった方、評価をしてくださった方、
本当に、ありがとうございました。

次回作は恐らく年明けになると思いますので、
もしよろしければそちらの方も応援していただけると、
筆者としては嬉しい限りです。
それではまた、次の作品でお会いしましょう。


最後にこの言葉で、締めさせてください。
ガルパンはいいぞ。
カルパッチョは魅力的だぞ。


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