闇の中の不知火 (ゆずた裕里)
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第壱章 

 日没後の大海原は、見渡す限り一面の暗闇に包まれる。

 その中を、真っ白な髪の重巡洋艦がただひとり、満身創痍で進んでいた。左肩は砲撃を受けて大きく裂けており、血が絶えず流れ落ち航跡の中に溶けていく。

 彼女は痛みをこらえながら振り向くと、光る青い瞳で後方を見つめた。そこにあるとわかるのは航跡だけで、他は何も見えない。

 

 そうだ、あいつは確かにあの時の……まさか!いや、それよりも早くこの傷を治さないと……

 彼女が震えながら、そのような思いにとらわれる中。

 

 「DD25482、DD25482……」

 

 どこからともなく聞こえる呟き声に、彼女は艤装の砲を四方八方に向ける。声の主は姿を見せないが、読み上げは繰り返される。

 

 「DD25482、DD25482、DD25482、DD25482、DD25482」

 

 彼女は姿の見えない相手に向けて、悲鳴にも似た声をあげる。

 

 「どこなの、一体どこ!」

 「……因果応報」

 

 突然、彼女の左肩から先は無くなった。炸裂した砲弾の火薬と自らの肉の焼ける臭いが、かろうじて残っていた彼女の冷静さを失わせた。

 苦痛と恐怖の叫び声をあげ、四方の暗闇に向けて彼女はのたうち回るように砲を振り回す。水しぶきが上がる音、闇に響く叫び声の中に、何かが確実に彼女に迫っていた。

 その時、彼女の右足首から水柱が吹きあがった。彼女の足首を魚雷が打ち砕いたのだ。続いて二度、三度直撃を受け、がっくりと水上で跪いた彼女めがけて、白い航跡が四方八方から押し寄せてくる。敵の姿が見えない中、とっさに彼女は航跡の伸びてきた先に砲を向けたが、その砲から火が噴くことはなかった。

 この時ほど、彼女は自分のしてきたことを後悔したことはなかった。

 そして突き刺されるナイフのように、魚雷の一発一発は沈みゆく彼女の身体を貫き壊していった。胸元まで海中に没した彼女の空ろな瞳は、暗闇の中に浮かび上がった『敵』の姿を見た。腰から下、赤黒く染まったミニスカート、白い足と靴下……。

 

 「……沈め」

 

 その声を聞いた瞬間、彼女は左側頭部を至近距離から小口径砲で吹き飛ばされ、漆黒の闇の中に飲みこまれていった。

 

 

 

 

 

 夜間偵察から一夜明けたその日、休暇を貰った私たちはそれぞれの時間を思うように過ごしていた。私は旗艦の神通さんと一緒に練習巡洋艦の香取さんの手伝いに行き、それを終わらせて部屋に戻った。窓際の寝台にひとり退屈そうに寝そべっている淡いピンク色の髪の駆逐艦以外に、部屋には誰もいなかった。

 

 「あっ、不知火、いたんだ」

 「うん……陽炎は何をしに行ってたの?」

 「神通さんと一緒に、香取さんの手伝いでちょっと倉庫にね」

 「そうなの?不知火も呼んでくれたらよかったのに……香取さんには恩があるの」

 「じゃあ今度香取さんに手伝い頼まれたら、不知火も引っぱっていこうかな」

 

 不知火は、私と同じ艦隊の駆逐艦。元気で活動的な子が多いこの艦隊には珍しく、クールで物静かな性格の子だった。

 その性格のためか彼女は他の子たちとあまり話をしたがらず、話しても任務のことくらいだった。でも私はその数少ない例外だった。

 ちなみに戦闘能力は高く、先週の掃討作戦で出くわした旗艦の軽巡にとどめを刺したのも不知火だった。不知火は敵の深海棲艦にまったく容赦がない。不知火に砲を向けて生き延びた敵はいないんじゃないかしら。

 

 「そういえば先週の軽巡のことなんだけど、自分が仕留めた分くらい、自分の戦果として報告してもいいって思うのよね。調べてみたら、結構大物だったわよ」

 「あまりそういうものは自分の手柄にしたくない。それなら陽炎の戦果にするのが陽炎のためになるし、それが一番正しいのだから、それでいいんだ」

 「ふぅん、変なの!」

 

 不知火は先週、敵旗艦の軽巡を私が仕留めたと司令部に伝えていた。それより前に別の軽巡を仕留めた時も、私にその手柄を譲ってくれた。

 私は不知火がそうしてくれることがどうも腑に落ちなかったけど、実績を増やして出世したいとも思っていたからその好意に甘えていた。それでもいつかはその借りを返さなきゃ。借りっぱなしでは、この陽炎の名折れだもの。

 そんなことを考えていたその時。

 

 「陽炎はん、もしよろしかったらご飯食べにいきましょ!」

 

 同じ艦隊の駆逐艦、黒潮と朝潮がドアを開けて声をかけてくれた。時計を見るともう一二三〇時をまわったところだった。そろそろおなかも空いてきたころだし、一緒しようかな。私は黒潮に返事をすると、不知火にも声をかけた。

 

 「うん、ちょっと待って!不知火は?」

 「あまりお腹は空いていないけど、行こうかな」

 

 普段はあまり表情を変えない不知火が、珍しくニッコリと笑って答えてくれた。

 

 

 

 今日のお昼は、みんな一緒にハンバーグランチ。少しカロリーは気になるけど、午前中は手伝いで少し力仕事もしたし、午後からも演習があるから、ま、問題ないでしょ。それにカロリーが気になるのはみんな同じって考えると、ちょっと変な安心感もあるし。

 この日は黒潮が大阪に里帰りしたときの話をしてくれた。やっぱり大阪生まれだからかしら、話が上手。道頓堀や難波、千日前に遊びに行った時のことをとっても面白くしゃべってくれて、全然食事が進まなかった。

 そしてそこから、それぞれの生まれたところの話になって……

 

 「そういや、陽炎はんの生まれはどこでしたかいな?」

 「えっと、私は……舞鶴よ」

 

 あれ?そういえば不知火はどこの生まれだったっけ?それどころか、ここに来るまで何をしていたのかも分からない。私が知らないのだから、黒潮や親潮が知ってるはずないわよね……。

 私はそれ以来、不知火の過去が気になり始めた。一度お腹が空いたことに気付いてしまうと、何か食べて小腹を満たしたくなるのと同じで、知らないことに気付いてしまうと、それ以来気になってしまうもの。私は何度か不知火に昔のことを聞いてみたりはしたものの、いつも「気分が乗らない」とか「その話はよそう」と言われ、はぐらかされてしまう。そんな毎日が続いていた、ある日のことだった。

 

 

 

 「皆さん、次の任務についてお話しします」

 

 私たち駆逐艦は神通さんに呼び出され、作戦会議室で横一列に並んだ。

 神通さんはスレンダーで物静かな軽巡洋艦。怒ると本当に怖い人だけど、普段はひと一倍私たち随伴艦のことを思ってくれている。少し前に私の艤装の不調で作戦が一部完遂できなかった時も、私をかばって責任を負ってくれた。

 目の前では、神通さんが机に海図を広げ作戦内容の説明をしていた。今度の私たちの任務は敵水雷戦隊の迎撃作戦。ここ最近周辺海域で敵水雷戦隊の奇襲を受けることが多く、偵察を出したところある島が敵の前線基地になってることが分かった。そこで、私たちがその掃討を命じられた、というわけ。

 

 「……この島に停泊している敵水雷戦隊は二艦隊。先に出た敵艦隊を私たちが叩いて、残った艦隊を川内姉さんの艦隊が叩く作戦です。敵の内訳は、二部隊ともに軽巡二、駆逐四の水雷戦隊。敵深海棲艦の顔ぶれは偵察隊が写真に収めてきてくれました」

 

 神通さんは言いながら、黒板に数枚の引き伸ばされた写真を張り付けた。偵察機から撮影されたと思しき、粒子の荒い写真。その中に一枚、ひときわ目を引く深海棲艦の写真があった。黄色の瞳が輝き、粒子の荒い写真にもかかわらず妖しさを感じるものだった。恐らく、『鬼』クラスの軽巡だろう。

 

 「出発時刻は一九四五時。作戦の説明は以上です。質問のある方は?」

 「はい」

 

 神通さんの呼びかけに手を挙げたのは不知火だった。そのときの不知火の目は、妙にギラギラとしていた。あまり表に出さないように抑え込まれた感情が、その瞳にほとばしっているように見えた。

 不知火はそのまま黄色の目をした軽巡の写真を指さしながら、問い詰めるように言った。

 

 「神通さん、この軽巡は先に出る艦隊ですか。それとも基地に残る艦隊ですか」

 「それはまだ分かりません。しかし私たちの任務は基地を出た艦隊を叩くことですから……」

 「それでも不知火は、どうしてもこの軽巡を仕留めたいのです」

 「この作戦はあなた一人でするわけではありません。武勲を求めるのもいいですが、まずは自分の責務を全うしてからにしてください。それができない方はこの作戦には要りません。艦隊の皆が戦っている中、ひとりだけ部屋で寝ていてもいいんですよ」

 

 神通さんは柔らかい言葉で、しかしきっぱりと言い切った。その毅然とした態度に不知火は頭を下げ、申し訳ございませんでした、と謝った。ただ、不知火の瞳は部屋を出た後も獣のように鋭いままで、話しかけづらかった。

 神通さんは不知火があれほど軽巡にこだわる理由を武勲のためと言ったけど、私はそうじゃないような気がしていた。でもその理由を不知火に直接聞くのはなんだか気が引けた。聞いてもこれまでのように教えてはくれないだろうし、もし聞けたとしても、自分と不知火の間に大きな溝のようなものができてしまうような気がしていた。写真を見ていた時の、あの殺意に満ちた不知火の顔が私をそうさせた。

 

 

 そんな思いを抱えながら毎日は過ぎていき、ついに掃討作戦の日がきた。

 



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第弐章

 私たちの艦隊は、神通さんを旗艦に、黒潮、親潮、不知火、そして私の五隻。もうひとつの艦隊は、川内さんが旗艦で夕立、時雨、江風、山風、春雨が随伴艦の六隻編成。夜戦に強い艦娘をそろえたところをみると、どうやら司令部は基地に残った敵艦隊のほうが強力だと考えたみたい。

 

 羅針盤と夜空の星を頼りに、私たちは海上を進んでいった。その途中、敵艦隊の出発を夜偵がとらえたと連絡が入った。私たちは再度進路を敵艦隊に向け、夜の海を進んだ。しばらく進んでいると右舷前方に、月の薄明かりにぼんやりと影がいくつか浮かび上がった。目標の敵艦隊だ。

 敵艦隊を確認した神通さんが、ひらひらと動かした左手が作戦開始の合図。黒潮と親潮が左舷側、敵の進行方向に離れ、神通さんと不知火、私は敵艦隊の後方へと、回り込むように進路を変える。この後は、黒潮たちが探照灯で敵の注意を引き、敵艦隊が舵を切ったその先に迫り、はさみこむようにして討つ。それが神通さんの特訓を乗り越えた私たちの艦隊だからこそできる、十八番の作戦だった。

 

 私は振り向いて、後ろの不知火の様子を見た。不知火はじっと敵艦隊を見つめていた。こっちが切なくなるような悲しげな目で遠くを見つめていた。その様子にしばらく見とれていると、こっちに気づいたのか、私の目をちらりと見た。一瞬私を見たその眼は、ちょっと素っ気ないけど優しさを秘めた、いつもの不知火の目だった。

 

 「なにか?」

 「いや別に……」

 「シッ!」

 

 思わず話してしまった私と不知火を、するどい眼差しで神通さんが制止した。思えばもうすぐ敵の後方につこうとしている。その時、十一時方向はるか先に二つの明かりが灯り、敵艦隊を照らしだした。黒潮たちだ。同時にあの子たちが遠くから狙い撃つ砲撃音が聞こえてくる。さあ、ここから敵がどちらに舵を切るか。

 

 「全艦、面舵いっぱい!」

 

 私たちは面舵を切った敵艦隊に追いすがった。そして敵艦隊が黒潮たちに応戦を始めたその時。

 

 「突撃!」

 

 神通さんの号令一下、私たちは敵の単縦陣に切りこんだ。水雷戦隊は遠距離の砲撃戦よりも敵に肉薄して魚雷や砲を撃ちこむ接近戦が得意で、その様子は白兵戦みたいになることもよくある。なかにはそれを見越して、刀や短剣を準備する艦娘もいるみたい。

 それはともかく、神通さんの魚雷が命中すると同時に、私たちの砲が火を噴いた。同時に敵側もこちらに気付いて反撃を始める。

 神通さんは魚雷を命中させた駆逐艦にとどめを刺し、黒潮たちの援護のもとに次の駆逐艦に標的を定めていた。私も駆逐艦に狙いを定め、砲の一撃を命中させた。その時。

 

 「神通さん、不知火は旗艦を仕留めます」

 「任せました!」

 

 神通さんの指示を受け、不知火は進路を変えた。さらに神通さんは黒潮と親潮がこちらに加勢しに来たのを見て、

 

 「陽炎、不知火の援護を」

 

 と私に告げた。私は不知火の航跡をたどりながら敵を追った。

 

 私と不知火が追うのは、旗艦の軽巡とその護衛の軽巡。護衛の方は後ろを向き、私たちに絶え間ない砲撃を続けていた。私は砲弾の飛び交う中、なんとか不知火に追いついた。

 

 「不知火、無事?」

 「ついてきたの?」

 「神通さんの命令よ。やるんでしょ?旗艦を……」

 

 その時、ふたりの間に大きな水柱が上がった。

 

 「援護するわ!」

 

 お返しとばかりに私が砲を連射すると、不知火は全速力で敵軽巡のそばまでつっこんでいった。不知火と敵軽巡とが互いに目と鼻の先にまで迫った時、敵軽巡は標的を不知火に変え、すぐさま砲撃を加えた。

 だが一瞬だけ、行動が遅かった。

 そのころには、不知火が砲を腰だめで構えて撃ちこんだ弾が、軽巡の腹部に大きな穴を開けていた。普通ならばそのまま前のめりに海面に突っ伏して、海の藻屑と消えていくのだが、不知火はそれを許さなかった。倒れる軽巡の首元をつかむと、その陰に自分の身を隠した。

 その時、旗艦の軽巡が振り向いて砲を撃ちまくった。しかし不知火は動かぬ軽巡を盾にして全ての砲弾を防いだ。そして砲撃が途切れたその一瞬を見計らうと不知火は肩に取り付けた探照灯を、旗艦の軽巡に照射する。

 暗闇に敵旗艦のまぶしそうな顔だけが生首のように浮かび上がった、その瞬間。

  

 「沈め!」

 

 不知火の砲は闇に浮かび上がった的を撃ちぬいた。私は遠目に一部始終を見届けると、ぼろぼろの盾を解放した不知火にかけよった。

  

 「お見事ね、軽巡二隻をほぼ一撃ずつで仕留めるなんて」

 

 不知火は返事をしなかった。顔は険しいまま、海面を見つめている。私が不安を覚えたその時、不知火は震えた声で小さくつぶやいた。

 

 「……違う、こいつじゃない」

 

 その時、別動隊からの無線が入る。川内さんだ。

 

 『こちら川内、湾内でも戦闘開始。敵の大物もこっちにいたわ、どうぞ』

 『こちら神通。現在先遣隊と交戦中です。援護は?』

 『特に必要ないわ』

 

 「やっぱりね……」

 

 不知火はそう言い残すと、突然全速力で離れていった。追いかけようとした私を、神通さんが追いついて引き留めた。

 

 「待って陽炎、不知火は?」

 「たぶん湾に向かったんだと思います、あっちの旗艦を沈めるために……」

 「追いかけましょう!」

 

 私と神通さんは、不知火を追いかけはじめた。その間神通さんは、黒潮たちと川内さんに無線を入れる。

 

 「『黒潮たちも湾に向かって。そこで合流よ。……姉さん、私の艦隊の子がそっちに向かってます、見つけたら保護してください!』……陽炎、不知火のことだけど、何か心当たりは?」

 「いえ……」

 

 私たちが湾に着いた時には、もう戦闘は終わっていた。私はそこまで広くない湾内の片隅に、数隻の艦娘が集まっているのを見た。よく見れば夕立と時雨、そして少し離れて不知火が立ちつくしている。だが様子がおかしい。

  

 「時雨、大丈夫?」

 「あっ、陽炎」

 

 私は時雨と夕立のもとに行った。夕立は時雨に介抱されているようだった。私はてっきり戦闘中の負傷かと思っていたけどそんなことはなく、どこを見ても傷ひとつない。でも夕立の顔をよく見ると、頬には大きなアザがあった。

 

 「いったい何があったの?」

 「夕立と一緒に敵旗艦の軽巡を追いつめていたら、急に不知火が現れて……」

 「助けに来てくれたと思ったら突然殴るなんて、どうかしちゃったっぽい!」

 

 私は夕立が指さした先を見た。暗闇の中で少しも動かず足元をじっと見つめている不知火の姿は、夕立と時雨の二人でなくても、どうも近づきがたい。私は二人に見守られながら、一人たたずむ不知火に近づいていった。

 

 「……不知火?」

 

 おそるおそる声をかけたけど、反応はなかった。私は不知火の足元に目をやった。

 そこには写真で見たあの軽巡が、夜空を見ながら口を開け、浮かぶとも沈むともいえない様子で漂っていた。どうやらすでにこと切れているようだ。そして不知火はただ、その様子を見つめていた。その表情からは何を考えているのか全く読み取れない。目の前の軽巡と同じく、まるで血の色を感じない……こんな不知火は、私も見たことはなかった。

 私が再び、不知火に声をかけようとすると、

 

 「何故だっ!」

  

 叫びとともに不知火の砲が、水しぶきとともに軽巡の亡骸を吹き飛ばした。そのまま不知火は、うめくような悲鳴をあげながら弾が切れるまで亡骸を撃ち続けた。

 そして。

 

 水しぶきに全身を濡らした不知火は煙草の煙を出すように長い息をつくと、空ろな、そして悲しげな目で遠くの夜空を見つめた。

 

 

 

 泊地への帰り道は、これまでにないほど静かなものだった。東の空が白み始めた頃、泊地に到着し上陸してはじめて、神通さんは口を開いた。

 

 「みなさん、おつかれさまでした。今日は一日ゆっくり休んでください。それと不知火。あなただけは〇九〇〇時に二番応接室に出頭しなさい。以上、解散」

 

 その後は皆疲れ切っていたので、シャワーを浴びるとそのまま仮眠をとった。私が目を覚ました頃には、もう不知火の姿はなかった。不知火が今どんな目にあっているか、私は考えたくもなかった。

 

 不知火が神通さんの呼び出しを受けている間、私は資料室に向かうことにした。どうして不知火はあんな行動をとったの?なぜ不知火は敵を、それも特定の敵を倒すことにこだわるの?きっと不知火は黙して語らない。なら私は、自分で調べ、解決し、納得する。

 

 私は朝の用を済ませると、資料室の利用申請をしに香取さんのもとに向かった。申請を済ませると、香取さんは私に尋ねた。

 

 「こんな朝早くから、何か調べものですか?」

 「はい、少し……あの香取さん、うちの艦隊の不知火について、何か知りませんか?」

 「えっ?不知火さん?」

 

 香取さんは一瞬戸惑ったように見えた。

 

 「いえ、特には……。不知火さんのことなら陽炎さんのほうが詳しいかと……」

 

 不知火は香取さんに恩があるって言っていた。でもそうだとしたら香取さんは、知らず知らずのうちに不知火を助けていたことになるのかしら……私は香取さんにお礼を言って資料室の鍵を受け取ると廊下に出た。

 

 朝の資料室は、静かで薄暗かった。部屋に入り、中央の机のスタンドの明かりをつけると、私はファイルの棚に向かった。背表紙を指さし確認して、取り出したのは自分の艦隊のファイル。この泊地に赴任した艦娘のデータは、みんなこの部屋のファイルに入っているはず。私は席に着くと、ファイルの表紙をめくった。

 

 まずは、旗艦の神通さん。いつ撮ったのか知らない、優しそうな顔つきの写真。この写真を見た限りでは、あの人の厳しさは分からないわね。

 続いて黒潮。あっ、身長と体重が書いてない。こういうのは不備があったら問題になるから、嫌でもちゃんと報告しなきゃダメよ。

 次に、親潮。しっかりライト当てて写真撮ると、黒髪が映えるわね。今度ピン止め貸してもらおうかな。

 そして私、陽炎。この写真もいつの間に撮ったのかしら。こうして改めて自分を客観的に見るのって、なんだか変な感じね……

 

 

 

 不知火のデータは?

 

 

 

 背中を冷たいものが走った。私はもう一度、一からファイルを見返した。神通さん、黒潮、親潮、私。不知火のデータは、ない。

 そんなはずはない。きっと、きっとどこかにある。そうだ、艦隊じゃなくて駆逐艦の一覧に同じ内容の控えがあるはず。私はこの胸騒ぎを静めたい一心で駆逐艦の一覧の棚にかけていった。そしてさ行の駆逐艦のファイルをとると、その場でファイルを開いた。

 

 皐月、五月雨、白露……ページをめくっていくと、すぐに不知火の名前は見つかった。私はすぐに中身の情報に目を通した。

 その内容は……

 

 

  駆逐艦 不知火

 

 

 これだけ。

 

 名前以外に何も書かれていない、ほぼ真っ白のデータ。

 生誕地も履歴も最初からないかのように、空白になっている。

 どうして?ただの記入漏れなの?それともなにか理由があって消されたの?それとも……

 

 

 

 「ナニカキニナルコトデモ?」

 

 

 

 心臓がひっくり返り、私は思わず振り向いた。

 不知火が机のそばに立っていた。いつの間にそこにいたのか、机の明かりに照らされたその表情は右半分しか分からない。だけど瞳だけが夜中にこちらを見つめる猫のように輝いている。

 

 「い、いやぁ何でもないわよ、ちょっと調べものをしてただけ……」

 「そう。できることがあったら手伝おうか?」

 「ううん大丈夫、大丈夫、今終わったとこだから……」

 

 私は早くここから離れたい一心でファイルを片づけると、そそくさと部屋を出た。

 こんな状況で動揺を隠すなんて、絶対無理。顔には出さなくても明らかに不知火は私を怪しんだだろうし、何か知ってはならないことを知ってしまったような気がした。隣にいる不知火に話しかけられないどころか、顔すら見られなかった。

  

 香取さんのもとにたどり着いて、ようやく私はホッとできた。

  

 「香取さん、どうもありがとうございました」

 「早いですね、もう用は済んだのですか?」

 「はい、大したことじゃなかったので……不知火にも手伝ってもらいましたし!」

 

 私はここでようやく不知火の姿を見ることができた。不知火も香取さんに向かって少し笑っていたおかげで、私の不安は幾分か楽になったような気がした。

 

 「それでは、失礼します!」

 

 不知火が香取さんに向かって深々と頭を下げる横で、私は妙なテンションで頭を下げて部屋を後にした。

 

 

 一旦落ち着いても、どうにもそこから不知火に話しかけられない。変に話を蒸し返すわけにもいかないし、別の話をするのもどうかとは思う。私より半歩先を歩く不知火のうなじをちらちら見ながら、私がそんなことを考えていると……

 

 「ここの資料室、かなり不備があるの。ちゃんと確認をとりたいなら、横須賀に問い合わせてみたら?」

 

 頭が真っ白になった。再び不安が広がってきた、その時。不知火は振り向き、私の目をじっと見た。改めて見た不知火の瞳は、まっすぐで宝石のような綺麗な瞳だった。

 

 「陽炎、変に誤解されるのは好かないわ。だからあなただけには話しておこうと思う」

 

 

 

 「不知火があいつらを狙って沈めるのは、復讐のためよ」

 

 澄み切った青空の下、倉庫街のかげで不知火は私に言った。ここはあまり艦娘が来ることはなく、こういう秘密の話をするなら一番だ。

 

 「復讐……一体誰の?」

 「それは私事よ、あまり詳しく言いたくないわ。一番大切にしていた者、とだけ言いましょう」

 

 自分から話しておこう、なんて言っておいて結局肝心なことは言わないんじゃない……なんて一瞬思ったけど、それも仕方ないか。私がそう思う間にも、不知火は続けた。

 

 「彼女は傷だらけの身体で、奴らの前に跪き命乞いをした。どうか助けてほしい。故郷に帰してほしい。……だが、その願いは聞き届けられなかった。不知火は、どうすることもできなかった」

 

 話すほどに、不知火の言葉が熱を帯びてきた。このあと不知火は「まず奴らは笑いながら……」と、その子がどのような末路を迎えたかこと細かに話してくれたけど、正直なところあまり思い出したくない。聞いていた私の方が気分が悪くなってくるような内容だった。

 

 「もういいわ、不知火」

 「……すまない」

 

 私は滅入った気持ちを吐きだすように、長い溜息をついた。その間、不知火は下を向いてずっと黙っていた。不知火もたぶん、誰にも話せずにずっと抑えこんできたのね。そう思うと少しだけ、自分が優しくなれるような気がした。

 

 「いいわ、続けて」

 「ありがとう。その非道に関わった『鬼』や『姫』クラスの深海棲艦は五隻。不知火はその全員がこの海域で艦隊を指揮していると知り、この手で奴らを沈めるためにここの泊地に来たの」

 「……それで、これまで何隻沈めたの?」

 「昨日沈んだ軽巡で四隻目。残りはあと一隻よ。『姫』クラスの重巡。艦娘ならば泊地で指揮をとっているような、かなり位の高いやつよ。他の深海棲艦はともかく、何があっても奴だけはこの不知火が仕留めなければ……死んでも死にきれない」

 

 不知火の考えが間違っているのか、合っているのかは私には分からない。私自身、敵に対して何か感情を抱いて戦ったことなどなかったからだ。いや、考えないようにしていた、という方が正しいかしら。

 そもそも、私たちはなぜ深海棲艦と戦っているのかしら。みんながなんとなく言っているのは、「海の平和を守る」とか、「深海棲艦が今の文明の脅威になる」とかそんなこと。その中で、「復讐」のために戦う不知火の考えはどこか異質な気がした。

 

 私がそう考えているうちにも、不知火は続ける。

 

 「だから、奴のもとに乗りこんで暗殺しろと言われれば、どんな危険な任務だろうと喜んでするつもりよ。志願だってするわ。これだけは何年、いや何十年経っても、必ず成し遂げなければならないの。この手で……」

 

 不知火は決意を新たにするように、震えた声で言い放った。でも、もし復讐を果たしたら、不知火はそれからどうするつもりなのかしら。私は尋ねたかったけれど、あまりにも真剣な不知火の様子に何も言えなかった。

 

 「あいつと再会を果たすその日が来れば、不知火はもとの不知火に戻れるのよ」

 

 不知火は最後に、ダメ押しのように言った。きっと何年も先のことを考えているのか、その時の不知火の目は、まるで遠くを見ているかのようだった。たぶん私も、その時までは一緒に生きることになりそう。

 

 

 

 しかし。その日はそこまで遠くないうちに、私も不知火も予想しなかった形でやってきた。

 

 

 

 



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第参章

 その日私たちは工廠の掃除をしていた。工廠はかなりの広さがあって、まるまる一日で終わるか分からないくらい。神通さんは書類仕事で香取さんのもとに行っていたので、残りの私たちみんなで地道に箒で掃いていった。

 

 「ふぅ、それにしても、こないにも広かったら、今日一日で終わるか分かりゃしませんなぁ」

 「本当にそうね。でも出来なかった分は明日別の隊に引き継ぎなんだし、少しくらいさぼってもいいんじゃないかしら」

 「だめですよ陽炎姉さん。さぼろうものなら神通さんにすぐにばれてしまいますよ」

 「親潮は真面目よね……」

 

 私たちが駄弁っている間にも、不知火はひとり、箒で地面のごみを掃き続けていた。

 

 「あっ、真面目があともう一人いた。不知火!」

 「んっ?」

 「このへんで少し休憩しない?」

 「いや、もう少し続けようと思う。神通さんにまた怒られてはかなわないもの」

 「きっとこの前のが効いてるのね……」

 

 その時だった。工廠を横切って、埠頭の方角に艦娘たちの一団が走っていった。体力作りのジョギングにしては列を組んでいないから違うし、そもそも工廠を横切ってジョギングすることは事故防止のため禁止されている。なにかただならぬものを感じた私は、その一団に続いて埠頭に向かっていた駆逐艦、嵐を呼び止めた。

 

 「嵐、みんなして埠頭に向かって、どうかしたの?」

 「川内さんたちが、敵の重巡を捕虜にしたんだってさ!」

 

 そう聞いた不知火は目を見開くと、箒を手にしたまま突き動かされるように駆けだしていった。嫌な予感を感じた私は黒潮、親潮と共にその後を追うように埠頭に向かった。

 埠頭には艦娘たちの人だかりができていた。私はその最前列に不知火の姿を見つけると、近づいてその手を握った。

 

 「不知火」

 

 振り向いた不知火の目は驚いたように丸く見開かれていた。それでも私だと分かると少し落ち着きを取り戻したのか、いつもの不知火の目に戻った。

 遠くの海に続く階段には、憲兵や戦艦、正規空母の皆さんが集まっていた。そして階段を昇ってくる人影が見え、その一団が動き始めると、私は再び、不知火の手をしっかりと握りなおした。不知火が復讐心に突き動かされて行動しないように。そして不知火に、私がいつだってそばにいるって感じてもらうために。

 先を進む憲兵が、道を開けるためにひとだかりをかき分ける。そして戦艦の先輩と、川内さんの艦隊に続いて現れたのが、白い髪をした敵の「姫」クラスの重巡だった。青く輝く瞳で、まわりを蔑むような視線を投げかけながら歩いている。少し気になるのは、彼女は手錠と言った拘束具の類を着けられていなかったこと。つまり捕虜として拘束されたんじゃなくて、自ら投降したってことかしら。

 そんなことをなんとなく考えていると、握っていた不知火の手に違和感を覚えた。さっきまで温かかったその手は氷のように冷たくなり、小刻みに震えていた。そして不知火はその重巡を、あの遠くを見るような目で追いながら、過呼吸を繰り返していた。

 

 「不知火、ねえ不知火!」

 

 私が呼びかけたその時、不知火は箒の房を踏みつけ、竹の柄を引き抜いた。そして私の手を振りほどくと、竹の柄を手に一団に向かって歩きはじめた。

 

 「不知火!」

 

 私は不知火を後ろから抱きしめるように動きを封じると、黒潮と親潮を呼んだ。

 

 「黒潮、親潮、不知火を止めて!」

 

 二人が私のもとに来る間にも、不知火は振りほどこうと必死だった。親潮は振り上げた不知火の手を抑え、黒潮は前に回りこみ肩を抑える。私たちは不知火に呼びかけながら三人がかりで抑えこみ、人ごみの中に不知火を引き戻した。

 

 「不知火、待って!落ち着いて!」

 「一体どうしちゃったんですか!?」

 「不知火はん、落ち着いてえな!」

 

 人ごみの中に入ると、不知火は急に力が抜けたようにぐったりと倒れこんだ。私たちは不知火の身体をゆっくりと支えながら地面に下ろした。それでも不知火の呼吸は発作を起こしたかのように荒く、目は見開かれたまま、瞳孔が完全に開いていた。

 

 「一旦救護所に連れていくわよ。黒潮、親潮、手伝って」

 

 

 

 不知火は救護所に着くと症状は軽くなったものの、大事をとって鎮静剤を打ち、休むことになった。ベッドですやすやと眠る不知火の横で、私たちは寝顔を見ていた。不知火が眠りについて一時間くらいたった頃、書類を手に神通さんが現れた。

 

 「みなさん、おつかれさま。不知火の様子は?」

 「鎮静剤を打ってもらって、今はぐっすりと眠ってます。疲れでてんかんに近い発作が出たんだと、明石さんは言ってました」

 「そう……それで陽炎、掃除はどれだけ進んだ?」

 「えっと……まだ半分もやってないです」

 

 私は怒られるのを覚悟して正直に告げた。本来なら大半を終わらせていないとおかしい時間だ。しかし。

 

 「わかりました。残りの掃除は明日の班に任せましょう。陽炎は私と一緒に、二人は不知火のそばについてあげてください」

  

 意外な反応だった。それでも、私だけ連れて行かれるのはどういうことかしら。もしかして別件での説教?それだけはあってほしくないけど……。それでもついていかないわけにはいかなかったので、神通さんに続いて救護室を後にした。

 

 「陽炎、川内姉さんたちが重巡を捕虜にしたことは知ってますね?」

 「はい」

 「あの重巡、調べてみたらこの海域の深海棲艦の指揮をとっていた、かなり位の高い重巡だったの。だから上層部は大騒ぎで……そこで私たちも、この件の手伝いを任せられました。私たちは香取さんのもとで情報の整理をします」

 

 神通さんは説明を終えると、取調室の隣のドアをノックし、ドアノブをひねった。

 

 部屋の中では香取さんが椅子に座ってメモを取っており、川内さんは腕をくみながら隣の部屋との間に張られたガラス窓を見ていた。ガラス窓の向こうでは、重巡の妙高さんと机を挟んで、あの敵重巡が座っていた。椅子に座る妙高さんの隣には、那智さんも立っていた。

 香取さんはメモを取る手を止め、頭を下げた。それに応えて私たちも敬礼する。

 

 「香取さん、お疲れ様です。何か分かったことは?」

 「はい。あの重巡は川内さんに投降するとき、確かに深海側の情報を提供する、と言って投降しました。しかし今になって、ある要求を突き付けてきたんです」

 「それは?」

 「日本本土に送り身の安全を保障してくれればそこで全てを話す、と言ったのです。その件はいま赤レンガの返答待ちです。それに同時に敵の情報を少しだけ話しましたので、その確認も取っています」

 

 そこまで香取さんが話したその時。私たちの部屋に隣の部屋からの怒号が響いた。

 

 「そんな腐りきった情報などいるかっ!貴様みたいな奴はすぐにでも魚雷で処分してやる!」

 「やれるのならやってみなさいよ。いろいろな国の艦娘が出入りするこの泊地で私を沈めたら、そのことは他国の艦娘にも伝わるでしょう。そうなったらどうなると思う?日本の艦娘は捕虜を虐待して処分する野蛮な連中だって世界中に知れ渡るのよ」

 

 胸ぐらをつかんだ那智さんに、あの重巡は深海棲艦とは思えないはっきりとした声で言い返した。

 

 「それとも私が間違ったことをしてるって言うの?あんたらがどんだけ這い回っても得られなかった情報を、私の身の安全と引き換えに全部教えようと言っているのよ。少しでもまともな頭を持っているなら、私の要求を受け入れるのが普通じゃないの?」

 

 そう言われた那智さんは突き飛ばすように手を放した。そしてどうにも悔しそうな表情をして、襟元を正す重巡を睨みつけた。そんな那智さんとは対照的に、穏やかな口ぶりで妙高さんは話しかける。

 

 「あなたの処遇はいま上層部にかけあっています。できるだけ善処するようにしますから、少しお待ちください」

 「だったら今わたしが言ったことも、その上層部ってのに言っておいてよ。あんたたちなんか私の情報が無きゃ、この海域すら占領できないんだから。こんなんだったら、アメリカの艦娘に投降すればよかったわ」

 

 要求を盾に繰り返される挑発に、私も冷静ではいられなくなってきていた。とてもこちらに自分から投降してきた者の態度とは思えない。その時、一連の流れをずっと黙って見ていた川内さんが口を開いた。

 

 「それでも変な話よね、神通?」

 「何がですか?」

 「あの重巡、どうして私たちに投降したのかしら?交戦中に自分以外が全滅して、っていうのはよくあるんだけど、あの重巡は単独で私たちに接触してきて投降したの。私たち艦娘との戦いが嫌になったのかなって思ったんだけど、あの態度を見る限りそうとも思えないし」

 「もしかしたら、深海側で内部抗争でも起きているのでしょうか?」

 「かもしれないわね……」

    

 不快な気分を紛らわすようにふたりが話をしていた、その時。

 

 「失礼します」

 

 ガラスの向こうで、取調室の扉のノックとともにメガネをかけた軽巡洋艦、大淀さんが書類をもって入ってきた。そして妙高さんに書類を渡すとそそくさと部屋から出ていった。妙高さんは書類をさっと見て、そのまま脇においた。

 

 「上層部からの返事がきました。『情報の確認が取れ次第、佐世保まで護送する』。あなたの要求は上層部に認められました」

 

 この場にいた誰もが、信じられない、というような顔をした。ただ、当の重巡だけが、不敵にほくそえんでいた。

 

 「やっぱり、偉い人は物わかりがいいわね。ここの連中とは大違い」

 「……今日の尋問はここまでです。明日までに、先ほどあなたから聞いた一部の深海側の情報が本当かどうか確認します。それが済むまで護送は決まったわけではありません。以上です」

 

 妙高さんが重巡の挑発を無視するように言うと、扉から入ってきた駆逐艦たちが重巡の後ろ手を回し、外に連れ出した。その後に那智さんと妙高さんが、何とも言えない顔で続いて、部屋の中はからっぽになった。

 

 「あ~あ、やっぱりこうなっちゃったか……」

 

 川内さんは一見あっけらかんと、それでもどうにも納得いかなさそうに言った。

 

 「それで香取さん、あの重巡の護送はどうします?」

 「まだ確定ではありませんが、おそらく水雷戦隊のなかから選抜して護衛艦隊を組むことになりそうですね。護送が決まった時点であの重巡はただの捕虜から、機密を握る最重要人物になるわけですから」

 「うーん、夜戦するにしても、あの重巡の護衛はゴメンしたいかも。連れてきたときと全然態度が違うんだもん」

 

 ひとり言のように川内さんはつぶやく。香取さんはそんな川内さんに苦笑しながら、

 

 「神通さんも陽炎さんも、もし護送が決まれば招集をかけるかもしれませんから、その時はよろしくお願いしますね」

 「はい」

 

 私ははっきりと答えた。声だけは。

 

 

 

 今回の件に関する書類を運び終えて救護室に戻ったころには、もう外は夕暮れに染まっていた。

 

 「おかえり、陽炎」

 

 茜色の西日に包まれた静かな部屋の中で、不知火はひとり窓の外を眺めていた。

 

 「ただいま。黒潮たちは?」

 「那珂さんに別の用事を頼まれて、少し出かけてるみたいね」

 「なるほど……またコンサートの準備ってとこかしら?」

 「そうかもね」

 

 少し休んで、だいぶ不知火も落ち着いたみたい。私はベッドのそばの椅子に座り、不知火に話しかけた。

 

 「いま何をしてたの?」

 「暇だから、少し窓の外を見てたの。忘れてたわ、夕陽ってこんなに綺麗だったのね」

 「そっか。本かなにか持ってきてあげようかって思ったけど、だったら必要ないわね」

 「……うん、もう少しゆっくり見ていたいわ」

 「変わった趣味を見つけたわね」

 「うん。次に夕陽をこんなにゆっくり見れるのは、いつになるか分からないし……」

 「えっ?」

 「だって夕陽って、見ようと思えば毎日見れるけど、見ようとしないかぎり絶対に見ないもの」

 

 私はつとめて、あの重巡のことは言わないようにした。なんだか不知火に余計な負担がかかるような気がしたし、不知火から聞きたくないことも聞かなきゃいけなくなりそうで辛かった。それなのに。

 

 「陽炎は何を?敵の重巡の件って聞いてたけど」

 「うん……ちょっと書類の整理を手伝うようにって」

 「そう……」

 

 私は不知火を少し恨んだ。でも不知火が自分から言い出したってことは、それについて話したいことが、聞きたいことがあるんじゃないか。そう思った私はほんのちょっと勇気を出して、不知火に聞いてみた。

 

 「ねえ不知火、あの重巡が……」

 「そうよ。前に話した、最後の仇。まさかこんな形で会うことになるなんて……」

 「……まだなんとかして、復讐を果たそうって考えてる?」

 「そのつもりよ」

 「でも不知火、あの重巡は捕虜よ。それに深海棲艦の情報と引き換えに日本本土に送られることになったの」

 「そうなの?ふん、あの外道らしいわ。自分の直属の部下が次々と沈んでいくのを見て、どんな手を使ってでも逃げようなんて考えてるのね……でも逃がさないわ。あいつのしたことは、必ず償わせる」

 「不知火、もう諦めて。捕虜は条約で攻撃できないって知ってるでしょ。それにここで仕留めたら重巡から深海側の情報を聞きだせなくなるの。もし復讐を果たしたとしても、その後不知火がどんな目にあうか分からない……最悪の場合、雷撃処分になるかもしれないのよ」

 「大願が成就できるなら本望よ。そのまま処分されても構わないわ」

 「そんなこと言わないでよ!」

 

 その瞬間、私の中で何かがあふれた。  

 

 「お願い不知火、もう復讐は諦めようよ……そしてこれからずっと、私たちと一緒に生きていこうよ。確かに大切な人を失ったことは、忘れられないくらい辛いことかもしれない。だけど、そんな時はいつだって私たちがいるから!もう絶対に、悲しい思いはさせないから!だから……」

 

 感情とともに一気に言葉が口をついた。たった今感じた気持ちじゃない、初めて不知火から復讐の話を聞いたときから感じていた、でも言葉にしなかった、できなかった気持ちがとめどなくあふれ出してきた。だけどなんだか、わきあがる思いを言葉にするたびに、なぜか切なくなって苦しくなっていくような感覚がして、もう何も言えなくなってしまった。

 

 「陽炎……泣いてるの?」

 「えっ?」

 

 不知火に言われ、私はまばたきを繰り返した。何かが頬を伝って落ちていくのを感じた。

 私の目元に不知火は手を伸ばすと、その細い指で私の目じりをぬぐった。そのまま不知火は私の手元に自分の手をやり、涙に濡れた指を私の指にからませた。

 

 「ありがとう、陽炎は優しいのね。不知火は、陽炎に会えてよかったわ」

 

 そう言われて、私は嬉しさと切なさの入りまじった思いでいっぱいになった。不知火の言葉からは、まるで私の前から消えてしまうような含みを感じた。不知火はきっと、本心とは裏腹にそういう言葉を無意識に選ぶ傾向があるのね。いや、きっとじゃない、絶対そう。

 

 「そこまで言うのなら不知火も……少し考えようと思う」

 

 私はそう言った不知火の手をぎゅっと握りしめた。この手はどうしても、離したくなかった。

 だから不知火も、お願いだから私の手を離さないで。

 

 

 

 その翌日、私は司令部から召集を受けた。もちろん、あの重巡の護送の件だった。私の他に集まったのは、川内さん、夕立、時雨、島風、綾波。みな実績のある精鋭の駆逐艦たちだった。

 

 海図を張った黒板の前に全員集まると、香取さんは指揮棒を振るって説明を始めた。

 護衛作戦はこの泊地からトラック、フィリピン、沖縄を経由して佐世保に送るルート。私たちの任務は、あの重巡をトラックまで護衛し、引き渡すところまで。ルートとしてはほかの護衛艦隊より距離は短いけど、その分深海艦が多いとされる海域を通って行かなければならない。それにこの泊地は規模が小さく、あまり多く艦娘を使うこともできない。一応途中でトラック側の艦娘と合流する手はずだけど、危険な海域なのは変わらなかった。

 出発は三日後の二〇三〇時。旗艦に川内さんが選ばれたのは、夜戦するからってわけね。

 

 作戦内容の説明が終わり、川内さんが他のメンバー全員に声をかける。

 

 「みんなくれぐれも用心してね。あの重巡は自分の保身のためにかつての仲間を売った裏切り者。きっと深海側も情報を漏らさないために、そして裏切り者を始末するために護送の最中に襲ってくるわ。でも大丈夫。私たちなら絶対この任務は完遂できる。まあ、なんといっても夜戦だしねっ!」

 

 いろいろと不安ではあったけど、他のメンバーも頼もしい艦娘ばかりだしなんとかがんばれそう。私はこの任務に選ばれてよかったと思った。

 

 

 

 不知火はあの日以来、私ともあまり話さなくなった。一人でいる時も、何か考えこんでいるように俯いている。私はいまになって、なんだか不知火に申し訳ないことをしたような気がした。

  不知火はもう復讐を果たせない。でも不知火はまだ、気持ちの整理が出来ていないのかもしれない。復讐を諦めることは不知火にとって、辛い過去に永遠にけじめをつけられないことになるんだから。私が一方的に感情的に言ったことが、不知火の気持ちを傷つけてないといいけど……



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最終章

 ついに作戦決行の時間が近づいてきた。私たちは集合場所の応接室に一九〇〇時に集合し、次の指示を待った。その間私たちはもっぱら、護衛対象の重巡について話をしていた。

 

 「……それでその重巡というのは、どんな人物なのですか?」

 「正直言って、あまり褒められた人ではないね。僕は川内さんの手伝いで見たんだけど、ずっと偉そうな態度だったよ」

 「うん、私が見た時もそうだったわ。なんだか嫌な感じでね……」

 「そうなの?敵だけど一応偉い人なんだから、立派な性格だって思ってたっぽい!」

 「待ってるだけじゃつまんなーい……川内さんまだかなー?」

 

 その時、扉を開けて川内さんが入ってきた。ついに出撃かと、全員起立して敬礼した。川内さんも敬礼を返すと、静かに話し始めた。

 

 「とりあえずみんな、いったん待機ね。出撃の時は香取さんが連絡しに来るってさ」

 

 私たちは再び座っていた席に戻った。誰も文句の一つも言わなかったけど、私を含めてみんなうんざりしていたと思う。正直言って、出撃前に待たされるのはかなりしんどい。戦いの前の異常な緊張感が待ってる間ずっと続くんだもの。

 しばらくの間、私たちは応接室で香取さんを待ち続けた。しかし時間だけが過ぎていき、出撃準備どころか出発時間の二〇三〇時を過ぎても、香取さんの来る気配はなかった。

 ちょこんと行儀よく座って待っている時雨と綾波はともかく、夕立と島風はかなり待ちくたびれているみたい。私もしびれをきらし、川内さんと最近の音楽について雑談を始めた。それにしても、時雨も綾波もこの状況で落ち着いていられるのはすごい。趣味で座禅とかしてるのかしら。

 

 「おっそぉーーい!まだなのぉ?」

 「島風、待つのも任務のうちよ。私だって、早く夜戦したくてウズウズしてるんだから」

 「それにしてもおかしいですね。もう出発時間もとっくに過ぎているのに、何も連絡がないなんて……」

 

 時雨がつぶやいたその時。

 ノックとともに開いた扉から、香取さんが顔をのぞかせた。

 

 「皆さん、お待たせしました」

 「いよいよ出発ですか?」

 

 元気いっぱいの川内さんとは逆に、香取さんは静かに答える。

 

 「いえ、護衛には別の艦隊が出発しました。今日はこれで解散です」

 「どうしてです?直前に、しかも私たちに連絡もなしに変更するなんて!」

 「ごめんなさい、その……実は敵を攪乱する作戦として、別動隊をあらかじめ組んでおいたんです。それで……」

 「待ってください!香取さん……それ本当ですか?」

 

 川内さんはそのまま、香取さんに問い詰めるように続けた。

 

 「もし最初からそういう作戦だったのなら、戦力から考えてその別動隊をダミーにして、私たちを護衛につけるのが普通じゃないんですか?実際この前の掃討作戦でも、そのようにやりましたよね?この交代には他に何か理由があるんじゃないですか?香取さん、本当のことを言ってください」

 

 香取さんの視線が一瞬カーペットに落ちる。そして再び川内さんの顔を見つめて、静かに話し始めた。

 

 「……実は、護衛対象の重巡からメンバーに物言いが入ったんです。『姫』や『鬼』の深海棲艦を沈めた駆逐艦は絶対に入れないように、と。調べたらこの艦隊の駆逐艦全員が当てはまりましたので、急遽新しく編成した艦隊を護衛につけました」

 「チッ、またですか!」

 「ごめんなさい。そうしないと絶対に行かない、機密も提供しない、と怯えたように言い張るので……きっと感情として受け入れられないところでもあったのでしょう」

 

 川内さんは先ほどまで明るく元気いっぱいだったのが嘘のように、苦虫をかみつぶしたような表情をした。ただ、私は香取さんの説明に、川内さんとは別の意味で引っかかることがあった。

 

 「……香取さん!」

 「陽炎さん?」

 「いま、『この艦隊の駆逐艦全員が『鬼』や『姫』を沈めた』って言いましたよね?」

 「はい……?」

 「私、一度も『鬼』や『姫』を沈めた記憶はありませんが……」

 「そうなのですか?その、資料を見た限りでは陽炎さんは一度も沈めていないどころか、夕立さんや時雨さんをぬいて一番多く沈めていたのですが……」

 

 そう言われて私は思い出した。その戦果は全部不知火のもので、不知火自身がそのすべてを私の名前で報告していたということを。

 

 「香取さん、出発した護衛艦隊のメンバーは?」

 「えっと、神通さんを旗艦に、嵐さん、萩風さん、春雨さん、江風さんに……不知火さんです」

 「そんな!」

 

 この時ばかりは私も、不知火にしてやられたような気がした。ただの偶然かもしれなかったけど、不知火はこうなることを分かっていてわざと私の名前で戦果を報告していたような気がした。

 

 「どうかしたのですか?」

 「は、はい、実は不知火が……」

 

 私ははじめて他の誰かに、不知火が一部の深海棲艦を自らの復讐のために沈めてきたこと、そしてあの重巡が最後の一隻だったことを告げた。夕立や時雨も、この前の件はそれで納得してくれたみたい。

 

 「……そういうことでしたら、一度神通さんに連絡して、不知火さんだけ泊地に帰すようにさせましょう」

 「よろしくお願いします」

 

 私がそう言ったその時。

 

 「香取さん!」

 

 扉を開けたのは大淀さんだった。香取さんを呼んだ声は、妙に上ずっていた。

 

 「護衛艦隊が敵の襲撃を受けました!しかも九艦隊分の大部隊です!」

 「なんですって!?」

 

 香取さんが悲鳴にも似た声を上げる。大本営も香取さんも、護衛中に敵の襲撃を受けることは織り込み済みだっただろう。でも一度に九艦隊なんて普通じゃない。これじゃまるでビスマルク追撃戦だ。敵も確実に裏切り者を沈めるつもりでいる。

 

 「水雷戦隊三部隊に至急出撃命令をかけてください。あとトラックにも増援を出すように連絡を!川内さんたちもすぐ出撃してください。私も同行します!」

 「了解!」

 

 香取さんの号令一下に艦隊メンバーの士気は一気に上昇した。そして私たちと香取さんは、準備をする他の艦娘たちより一足先に泊地を出発し、一路護衛艦隊が救援連絡を発信した海域に向かった。

 海上を進んでいると、しだいに砲火で水平線が赤く染まっているのが見えてきた。それを見て私たちは砲や魚雷の安全装置を外し、すぐにでも撃てるよう準備を始めた。

 

 「香取さん、神通たちをお願いします。戦闘は私たちに任せてください」

 

 川内さんも手にした魚雷の安全装置を外しながら言った。香取さんはええ、と答える。

 そして戦火に敵の姿が浮かび上がったその時、川内さんが手に持った魚雷を投擲した。魚雷はその存在に気付かぬままの敵艦に航跡をあげて突っこみ、一気にその影を吹き飛ばした。

 

 「全員散開!待ちに待った夜戦よ!」

 

 夕立や島風が次々と敵を始末する中で、私は川内さんの指示で香取さんの援護に回り、神通さんたちの捜索に同行した。ただ、そうしているうちにも、

 

 「こちら江風。危ない状況だったけど、まだ戦えるぜ」

 

 といった護衛隊の艦娘からの連絡や、

 

 「こちら綾波です。駆逐艦春雨、発見しました。大破しているので随伴しながら交戦海域から脱出します」

  

 といった護衛隊を発見した艦娘からの連絡が入り、大半の駆逐艦は沈むことなく全員無事であることが確認された。どうやら奇襲により全員散り散りになってるみたい。

 残るは神通さんと、不知火だけ……

 

 

 倒しても倒しても湧いてくる敵を排除しながら海域を進んでいると、右舷側にこちらに向かってくる艦娘が見えた。私たちが近づこうとするとその艦娘は突然振り向きざまに魚雷を放ち、後続の敵を三隻一気に葬った。彼女は再びこちらに振り向くと、

 

 「あっ……香取さん」

 

 と小さく言って、こちらに近づいて来た。神通さんだった。さすが神通さん、数体の敵を相手にしても引けをとらない……と思ったけど、よく見れば神通さんの額当ては赤黒く染まり、そこから二筋ほど頬まで血が垂れていた。さらに服もボロボロで、敵の返り血らしきものでドス黒く染まっている。表情もかなり疲れているように見えた。

 

 「神通さん!大丈夫ですか!?」

 

 思わず私は叫んだ。こんな状況ではとてもじゃないけど不知火のことなんて聞けない。

 

 「大丈夫ですよ……香取さん、他の子たちは……?通信機がきかなくて」

 「みんな無事だって連絡が入ってます。もうすぐうちの泊地とトラックから増援も来ますよ」

 「そう、よかった……」

 

 そう呟いて、神通さんは自分の身体を支えるように香取さんの肩に身を預けた。香取さんとふたりで神通さんを支えながら、私たちは砲声の聞こえない方向へと進みだした。そんな中で、香取さんは疲れ果てたような神通さんに尋ねる。

 

 「それで、護衛対象は今、どうなってますか?」

 「はい……私たちが敵の奇襲を受けた際に、不知火が護衛して先に行くと言いましたので……彼女に任せました。捜索に行くなら気をつけてください。かなりの数の敵があの二人を追いかけていきましたから……」

 

 その瞬間、私の中で不安が再び大きくなった。やっぱり不知火はそのつもりだった……。

 でも、不知火は誰のためにそこまでして……?

 私が神通さんと香取さんの会話をよそにそのことを考えているうちに、私たちは那珂さんを旗艦とする増援の艦娘たちと合流できた。

 

 「あぁっ、お姉ちゃん大丈夫!?」

 「那珂さん、神通さんをよろしくお願いします。私たちはそのまま不知火さんの捜索に向かいます。他の皆さんも敵の掃討を終え次第、不知火さんの捜索に加わってください」

  

 こうして私たちは神通さんを預け、進路をトラック泊地のある方角、西に向けた。

 

 

 

 

 交戦海域を抜けた私と香取さんは、ほぼ真っ暗闇の中で不知火を探し始めた。探照灯も点けられず、遠くの照明弾の明かりと電探、そして無線の呼びかけを頼りに、かすかな反応でさえも私たちは追い求めた。しかし手がかりすら得られぬまま、時間だけが過ぎていった。

 

 「陽炎さん」

 

 心の折れかけていた私に、香取さんは優しく話しかけてくれた。

 

 「トラックの皆さんも捜索してくれているようですし、不知火さんはきっと見つかりますよ」

 「ええ、だといいんですが……」

 

 そう励ましてくれた香取さんは、そのまま続けた。

 

 「実は不知火さんと関係あるか分からないんだけど……あの子のことを考えると、思い出すことがあって」

 「えっ?」

 

 香取さんは、普段以上に落ち着いた、静かな声で話しはじめた。

 

 

 

 私たちのいる今の泊地がまだ敵の手にあった時、そこの攻略作戦が大々的に行われました。夜明け前の水雷戦隊による夜襲と、明け方の空襲との二段攻撃で作戦は成功し、大きな損害もなく泊地を奪還しました。

 その作戦で私も、観測員として参加していました。夜襲と空襲で泊地が炎に包まれたのを双眼鏡で眺め、敵の損害を確認していたその時、炎の中から、一団の艦隊が移動していくのが見えました。

 その旗艦にいたのは一隻の駆逐艦、それも『姫』クラスの駆逐艦でした。当時の敵泊地には他に特殊な深海棲艦は確認できなかったので、泊地を指揮していたのはきっと彼女だったのでしょう。

 彼女は全身にやけどを負いながら、片手でも数えられるくらいの随伴艦を引きつれて朝焼けの方角に進んでいきました。

 私はその時の全ての悲しみを背負ったような姿が目に焼き付き、どうにも忘れられませんでした。

 

 それから数日経った日のことです。私は演習航海と近海警備を兼ねて、攻略した泊地周辺の海域を駆逐艦を連れて進んでいました。予定した航路を半分ほど過ぎたので、その途中の島で休憩をとることにしました。

 その時でした。随伴の駆逐艦のひとりが、砂浜に何かを見つけました。

 呼ばれて行ってみると、遠くにぼろぼろのゴミ袋のようなものが打ち上げられていました。私は大きなゴミか動物の死骸かと思い、大きなゴミ袋を準備して近づいてみました。

 

 それが何か分かったとき、私は言葉を失いました。

 小さな蟹が山のようにたかっていたそれは、泊地から撤退していたあの『姫』クラス駆逐艦の成れの果てだったのです。

 

 火傷の跡や髪型など、確かに泊地から撤退していた、あの駆逐艦に間違いありませんでした。最初は撤退途中で力尽きたのかと思いましたが、遺体の損傷の激しさと異臭にも慣れてくると、不可解な点がいくつかあることに気付きました。

 遺体にはいくつもの大きな傷痕があり、その中に砲弾を受けた痕もありました。でも私が最後に見た時、彼女は火傷はしていましたが砲撃は受けていませんでした。

 泊地攻略後に『姫』クラスの駆逐艦と交戦したという報告も聞いていませんし、そもそもこの海域を巡回したのは私たちが初めてでした。さらに砲弾の痕は、艦娘の砲を受けたそれとは明らかに違っていました。

 

 つまり……彼女は同じ深海棲艦に殺されたのでしょう。泊地防衛に失敗した彼女を上官は許さず、耐えがたい苦痛をもって償わせたのでしょう。

 

 そう気づいた瞬間、私は胸が痛くなりました。襲撃を受け命からがら戻ってきた先に待っていた、自身のすべてを否定されるというあまりにも悲しい最期。何もかもが終わったとしても、深海で眠ることも許されず砂浜にさらされ、無残な姿のまま朽ち果てていく……。

 いたたまれなくなった私は、備品のブルーシートで遺体を包むと、泊地に戻る途中の海に投じました。せめて深い海の底で、誰にも会うことなく静かに眠ってくれることを祈って。

 

 不知火さんが来る少し前にそんなことがあったからでしょうか、あの子を見ると、そのときのことを思い出すんです。なんだか不思議ですね……。

 

 

 

 私はもう、何も言えなかった。

 

 そんなはずはない。そんなこと、あるわけがない。私は脳裏によぎった考えを全力で否定しようとした。でも不知火とのいろいろな出来事を思い出しながら、納得してしまう自分がいた。

 私は不知火のことを知っているつもりでいて、何も知らなかった。だけど、闇の中を手探りして、もし不知火のあの細い手に触れたら、もう一度強く握りしめたい。すべてのことを知ったうえでまた握りしめたい。

 ふと、私は目元に手をやろうとして、途中で止めた。もしかしたら誰かにまた、この涙をぬぐってもらいたかったのかもしれない。

 

 たぶんあの重巡は、日本本土どころか、トラック泊地にさえ着くことはないと思う。

 不知火もたぶん、私たちのもとには帰ってこない。もしかしたら、艦娘側にもつかず、深海棲艦側にもつかず、ずっと海を彷徨い続けるのかもしれない。

 時々見せてくれた、あの切なそうな眼をして。

 

  

 

 

 

 

 陽炎が思ったように、この日以降その重巡と不知火の姿を見たものは、誰もいない。

 

 ただ陽炎だけは香取と泊地に戻る途中、水平線に自分たちとは逆方向に進む白い影を見た。彼女はしばらくその影を見つめていたが、ふと報告を、と思った時にはすでに闇の中に消え失せていた。

 

 

 

 

 

《了》



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