ハイスクールB×B 蒼の物語 (だいろくてん)
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旧校舎のディアボロス
彼は自らの日常を愛す《Beautiful Life》



初めまして、物書き素人のだいろくてんと言います。
つい妄想が爆発して出来た作品ですが読んでくれる人に心より感謝します。
原作とは、かなり異なる設定があるので人によっては受け入れられないかもしれません。
そういったものを気にしない方は、是非ともそのままお進みください。



 

 ソレは天も地もない一色の世界。

 "蒼"以外の全てを排斥した広大な空間で少女が赤子のように体を丸めていた。

 十代にも届かない未熟な少女は、ただの一人で"蒼"のなかを(ただよ)う。

 ぴくりと(まぶた)が動き、うっすらと開く。

 蒼の世界の少女もまた蒼穹の目をしていた。

 

『──霊核損傷率97.2%。全権能 使用不可。本体意識同調率0.03以下と確認。同調を一時的に全カット、霊核と炉心の修復を最優先』

 

 (つぶや)くように紡がれた言葉は、幼い少女には似つかわしくない機械的なものだ。

 自身の状態を確認し終えると用は済んだと言わんばかりに再び蒼い瞳を閉ざす。

 

 ──"今はまだその時でない"。

 

 そう己に言い聞かせながら眠るように()がれるように目覚めの時をただ静かに待ち続ける。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 何処から来て、何のために生きているのだろうか。

 

 それは彼が常に考えている命題。

 

 己という存在を見失ったゆえ、答えを探し彷徨(さまよ)う。

 

 然れど夢幻(ゆめまぼろし)の如くに掴めず。

 

 やがて過去を置いて、未来への指標を求める。

 

 

 

 

 科学を光とし、異能を影とする世界。

 ここでは悪魔や天使、果ては神などの幻想の住人が存在している。

 蒼井 渚(あおい なぎさ)は、そんな人外とは無関係に……とまでは言わないが、せめて平和に暮らしたいと常々思っている高校二年生だ。

 しかし周囲の者がそれを許してはくれなかった。

 

「あぁもう! ふっざけんなぁ!!」

 

 殆ど悲鳴に近い声を上げて、渚は爆走(ばくそう)する。後ろは振り向きたくない。何がいるのか分かっているだけに止まれないのだ。

 

「肉ダ! ニクニクニクゥー!!!」

「肉肉、うるせぇ! あとで絶対ぶった斬るからなぁ!!」

「ヤレルナラナァアアアア!」

 

 妙にエコーの効いた低い声が聞こえる。

 追ってくるのは、"はぐれ悪魔"という人外。嬉々として人を喰う怪物である。何故、そんなものとデスレースしているのかは割合させてもらう。なんたって命の危機だ。人は希望に向かって走らなければ生きていられないと言うが、今の渚は(むし)ろ走らなければ死と言う絶望の(ふち)に落とされる。厳しい現実に泣いてしまいそうだった。

 

「マァテェエエ!!」

「寝てぬかせ!」

 

 背後から言い知れぬ殺意を察知する渚。反転して"はぐれ悪魔"に体を向けた、背中を見せたままでは死ぬと本能が警鐘(けいしょう)を鳴らしたからだ。

 渚の瞳に"はぐれ悪魔"の全容が映る。筋肉隆々とした肉体を持ち、右手が異様に発達したアンバランスな怪物。恐怖を(あお)る異形が鋭くも巨大な爪を振りかぶる。死の予感が強まった。

 

「クソ!」

 

 風を薙払(なぎはら)い迫る凶爪。当たれば人間など即ミンチにされるだろう。命の危機を前にして、渚は生き残るための演算を始める。

 まず爪を注視。決して目を離さず、軌道を予測。続いて回避のために必要な動きと最適な位置の把握する。

 一秒にも満たない見切りによって"はぐれ悪魔"の内へ(もぐ)り込む。達人が如く紙一重の"避け"によって爪は(くう)を切るも余波が渚の身体を打ち()えた。

 竜巻かと疑いたくなる暴風である。恐ろしい威力の風は、"はぐれ悪魔"を起点に凄惨(せいさん)爪痕(つめあと)を残す。

 かく言う渚も爪の外側にいたらミンチどころか粉々に消し飛んでいただろう。

  

「あんなの肉片も残らんわ! 食う気あんのかよ!?」

 

 あれだけ食べようとして吹き飛ばすつもりとは一体なにを考えているのだろうか。色々と抗議したいが、とりあえず隙だらけの"はぐれ悪魔"へ全力の打撃を放つ。

 

「……ち、硬い」

 

 手応えが鈍い。分厚い鉄板を殴ったような感触が手に残った。接触した拳から血が滲む。"はぐれ悪魔"の外皮が堅牢過ぎて渚が傷ついたのだ。

 怪物は(おの)が優位に(わら)う。

 

「残念ダッタナ、諦メ──」

「──る訳無いだろうがッ!」

「ガギャ!」

 

 "はぐれ悪魔"の顔面に踏みつけるような蹴りをお見舞いして思いっきり後方へ跳ぶ。

 そのまま舌でも噛んでくたばってくれ……と強く思うがそれぐらいで死なないのは分かっているので逃走を選択する。

 今は諸事情(しょじじょう)により"はぐれ悪魔"を倒す武器が手元に無い。素手で怪物の防御が突破出来ないのなら戦闘は回避すべきだ。

 逃げると決めた以上は決して振り向かない。相手は人間の三倍はある異形。捕まった瞬間、お陀仏なのが目に見えている。町外れの森に建てられた廃工場内を走りながら、渚は激しく舌打ちした。

 

 ──"アイツ"、武器も持たせずになんのつもりだ?

 

 "相方"に文句の一つでも言いたい気分だった。

 急に『今回は素手で"はぐれ悪魔"と戦ってください』などと要求し、本当にやらせる悪魔より恐ろしい奴から、せめて武器を取り戻すため外を目指す。

 やがて工場の出口から脱出する。

 暗い建物から月明かりに照らされた森へ出れば()びた鉄の臭いが鬱蒼(うっそう)とした森の匂いに変わる。

 数秒後、渚の通った出口が爆発四散した、お相手も獲物を逃がすつもりはないようだ。追っ手がそこまで迫っている。

 

「ステアァーー!! 武器! 武器プリーズッ!! コイツ、妙に堅い!! 刀をください!!!」

「ギャハハハハ!! 貰ッタゾ、人間!!」

 

 怒りの中に多大な懇願(こんがん)を乗せて渚は叫んだ。

 

「──聞くに耐えないですね。品性を疑います」

 

 囁く声は耳元から聞こえた。風が吹くと同時に仄かな花の香りが鼻孔を(くすぐ)る。横を振り向けば、"はぐれ悪魔"に殺されそうな原因を作った"相方"がすぐそこにいた。

 月の光に揺れる長髪は雪を思わせる白銀。魅惑的な笑みを浮かべる容姿は間違いなく美少女だ。切れ長なアイスブルーの瞳が、渚と一瞬だけ目を合わせるも次の瞬間には抜き去って"はぐれ悪魔"へ走る。

 

「ナンダ、キサマァ」

 

 "はぐれ悪魔"の鋭い爪が振るわれるも舞うような動作でひらりと躱す。重力を無視した動きは、もはや人間技ではなかった。

 

「他者へ問う前に自分から名乗るのがエチケットと知りなさい。──0点です」

 

 白雪を思わせる少女──アリステア・メアが"はぐれ悪魔"へ採点結果の懲罰を与えるために指先を綺麗に(そろ)える。あまりに頼りない華奢(きゃしゃ)な手刀を見るなり"はぐれ悪魔"はエサが増えたと言いたげに歓喜しながらアリステアへ文字通り牙を()いた。

 渚は内心で「まぁあんな見た目じゃ極上の餌だと思うよなぁ」なんて同情する。

 小さな風切りの音がしたと同時に"はぐれ悪魔"の首が宙を舞う。

 

 ──実に瞬殺である。 

 

 残された胴体から血液らしき紫の液体が噴水のように吹き出る。綺麗な顔して容赦無しなのはいつも通りだ。おっかない美少女もいたもんだと若干ビビる。

 アリステアの強さに対して(むな)しくなりつつも渚は森から離れようとこっそりと歩き出す。腕にしていた時計を見れば既に午前四時を回っていた。高校生が起きてて良い時間ではない。

 

「ナギ、無言で何処(いずこ)へ?」

「ぐぇ」

 

 服の首根っこをチョンっと掴まれた。それだけなのに痛いほど絞まる。

 ここで間違った答えを出せば0点()が待ってるんじゃないかと冷や汗が出た。

 

「数時間後には学校だし帰ろうかなぁと。……俺の成績知ってるだろ」

「それは理解しています。二年の進級、危うかったですしね」

「笑うな。あの追試地獄はかなり大変だったんだぞ……」

 

 クスクスっと口を抑える上品な笑みは綺麗なのだが、ちょっとイラつく。

 

『こっちの都合を知っていて、その態度はどうなんだ? 半分はお前のせいだよ? 夜中に悪魔ハントなんて危ない真似を何度もさせてる、お前のね!』

 

 ……なんて言葉は胸の奥へねじ伏せる。武力で勝っている相手に喧嘩を売るなど不毛だ。

 ただでさえ他人より勉学が遅れてる渚だ。異様な頻度(ひんど)の深夜徘徊のツケは授業中に如実に現れる。昼は眠くてたまらんのだ。うたた寝をしながらの授業など脳に残るはずもなく成績は常に下から数えた方が早い。

 この白雪系の美少女は、どういうつもりで"はぐれ悪魔"狩りなんぞに自分を連れ回してのだろうか?

 そんなことを問うたところで、はぐらかされるのがオチなのでいつしか理由も聞かなくなった。

 

「それはさておき。解散の前に一番の功労者を(ねぎら)うべきだと思うのです」

 

 自らの立派な胸に片手を置いて厳かに主張する白雪の美少女。渚は「功労者? 俺じゃないのか?」という疑問に駆られた。

 

「バカな事を考えていませんか? 私が居なければ貴方は"はぐれ"にやられてたのですよ?」

「お前が武器を取り上げなければ、どうにかなったぞ!」

「それでは返しましょう」

 

 マジックのように鞘に納められた刀を出現させるとポイっと投げてくる。それをキャッチしながら恨めしそうに渚はアリステアを睨む。これがあれば、あんな醜態(しゅうたい)(さら)さなかっただろうと視線で訴える。

 

「どうして非武装で突っ込ませたんだよ。高度な嫌がらせか?」

「嫌がらせ? なぜそんな事をする必要が? 私をなんだと思っているんですか?」

 

 悪魔より悪魔してる白い悪魔です……なんて言えねぇ。渚は喉から出そうになった言葉を飲み込んだ。

 

「あー、まぁ、あれだ、少し急だったから理由ぐらいは聞かせて欲しい。きちんとした理由があるなら文句はない」

「理由ならあります。そろそろ武器に頼らず素手で鎮圧可能と思いまして」

「無茶言うな! もうちょっと段階踏もうよっ!!」

「──私は出来ますが?」

 

 冷たく睨まれた。

 不条理である。

 自分が出来るからと他人に強要するのは如何(いかが)なものか。化物を相手にするだけでも危険だというのに武器まで取り上げて「では中に入って戦ってきてください」とか、まるで理解が出来ない。

 一体、何を求めているのだろうか。ちなみに渚は命を賭してエサ役を完遂した件の(ねぎら)いを求めている。

 

「ありませんよ? 当たり前じゃないですか」

「普通に思考を読むな。エスパーかお前は……?」

「いいえ。私はエスパーなどではなく、あなた様にお仕えする下僕です」

 

 どこの世界に主人を死地へ送り出す下僕がいるのだろうか? 

 勿論、渚とアリステアはそんな羨ましい関係でない。渚から見たアリステアは、何故か"はぐれ悪魔"狩りという厄介ごとを持ってきて、何故か勝手に同行させた()()、何故か自分を戦わせる白い悪魔である。

 

「……もっとご主人様を大事にしてくれませんかね?」

「世界の誰よりも大事にしていますよ?」

 

 それはもうイイ笑顔でアリステアは渚を見た。誰もが惚れてしまいそうになる美しい顔立ちに、不覚にもときめいてしまう。

 

「すごく便利ですし」

「……さよで」

 

 胸中の熱がすぐに鎮火した。どっちがご主人様だよ……とツッコむ気力もない。

 美人かつ頼りになる相方なのに、色々と残念な部分を見せつけられた渚はトボトボと帰宅を始めたのだった。

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 

()む……」

 

 渚は、昼休みのチャイムが鳴ると同時に大きな欠伸をして上半身を机に寝かせる。

 昨日の"はぐれ"狩りが完全徹夜だったせいで授業が身に入らなかった。というより、ところどころ記憶が飛んでいていつの間にか昼休みである。(ただ)でさえ悪い成績をこれ以上落としたら、来年も高校二年をやりそうで怖い。

 まだ四月だというのに、そんな心配をしている渚の席へ背後から近づく気配がある。

 足音を消しているが丸分かりだ。仕方なく身体を起こして振り向く。

 

「どした、桐生」

「お、相変わらず鋭いわね、蒼井」

 

 化物と戦ってる内に鍛えられましたとは言えない。

 声を掛けてきた女子を見る。

 眼鏡と三つ編みが特徴なのは、桐生 藍華(きりゅう あいか)だ。藍華はイタズラっぽい顔でポンポンと渚の頭を軽く叩いてくる。ワニワニパニックじゃないんだから、やめて欲しかった。

 

「気配にゃ敏感でね。それでなんの用? 昼休みは惰眠を貪ろうかと思ってるんだけど……」

「そりゃ残念ね。アッチ、お客さんよ」

 

 親指でクイクイっと教室の出口を指される。そこには女子で構成された人だかりがあった。こちらに背を向けていることから"渚のお客さん"が惹き付けたのだろう。

 

「一発で誰か分かる光景だな」

「だよねー」

 

 渚がげんなりして、藍華が苦笑。

 

「お前は行かないのか?」

「木場くんは競争率が激しいし、私は好きな人居るからねー」

「あぁそうだったな。……アイツとの橋渡し手伝おうか?」

「余計なお世話さま。ほら早く行きなって"王子"が待ってますぞ、お姫様」

「姫ってナリかよ、茶化すな。じゃあ行ってくるわ。伝言サンキューな」

「いってらー。それと生きた人間のフリくらいしなさいよ」

「意味が分からん。バリバリ生存中だ」

「その顔じゃ説得力皆無だっての」

 

 藍華に見送られながら、騒がしい女子たちに突っ込む。出来るだけ触れないよう配慮しながら待ち人の下へたどり着く。

 女子に包囲されていたのは木場 祐斗という男子だった。その王子に恥じぬ容姿と(たたず)まいで、異性から熱狂的に支持されまくる同じ学年の生徒だ。

 

「木場、待たせたか?」

「今来たばかりだよ……って大丈夫かい? 顔色が悪いよ?」

「…………まぁダイジョブさ」

 

 眠いだけなので問題はない。

 祐斗を追ってやってきたらしき他クラスの女子が、渚を見て表情を凍り付かせた。まるで幽霊にでも会ったようなリアクションだ。

 渚は引かれるほど容姿が歪んでる訳じゃない。ただ目が酷く据わっていて雰囲気は幽鬼に等しい。端的に言えば不気味が過ぎるのである。

 (かしま)しい空気が変わったのを悟った渚が逃げるように木場の背を押しながら速やかにこの場を去る。

 愛想と生気のない渚とは違い、女子たちにイケメンスマイルで手を振る祐斗。

 後ろから女子の黄色い声が渚の耳をつんざく。

 

「(流石は女子の比率が高い駒王学園で彼氏にしたい男子NO.1の"王子"だなー)」

 

 どうでもいい感想を(いだ)きつつ、静かな階段付近で祐斗を押すのをやめた。

 

「んで、呼び出しの理由は昨日の"はぐれ悪魔"討伐の件?」

「そんなところかな。詳細は部長からの聞いてほしい」

「りょーかい。旧校舎?」

「そうだけど、放課後にしてもらおうか?」

「あー。いい」

 

 本気で心配される。気配りが出来て容姿が抜群。この男がモテるのは当然である。だが普通の女子学生ではこのイケメンを射止めるのは難しいだろう。文字通り、住む世界が違うのだ。

 そんな事を考えながら、旧校舎へ向かう。

 旧校舎には新校舎を出なければ行けず、体育館を越えた先にあるので少し遠い。

 

「蒼井くん、今回の"はぐれ悪魔"は大変じゃなかった?」

 

 歩行中、渚の右手に巻かれた包帯を見て祐斗が聞いてきた。

 

「厄介だったけど、味方がより恐ろしかったな」

「味方ってメアさん?」

 

 アリステアの要求を思い出して身震いする。

 

「ああ。刀を直前で取り上げられた、そんで素手で()って来いって言われたよ」

「ス、スピルナを相手に無手で挑んだのかい!?」

 

 驚きの顔をする祐斗。いつも余裕のある顔が若干引き釣っている。

 

「スピルナって、あの"はぐれ"の名前か?」

「元"戦車(ルーク)"の上級悪魔スピルナ。ランクA+の大物でレーティング・ゲームに参加していた時は有名な悪魔だったらしいよ」

「戦車か、どうりで堅いわけだな。ところで木場、ランクA+って"はぐれ悪魔"の危険度だよな? その辺、疎いんだけどどれくらいの強さなんだ?」

「僕たちグレモリー眷属でもギリギリ、かな」

「え、ウソ」

 

 そんなヤバい相手に武器さえあれば勝てると思った自分が自意識過剰で恥ずかしい。

 

「事実だよ。どうやって倒したんだい?」

「アリステアが殺った。ちなみにスピルナさんの死因はエチケット不足だ」

「エチケット?」

 

 やがて目的の場所へたどり着く。

 旧校舎は木造建築で歴史を感じさせる建物だ。薄暗い昇降口から階段を登り、木で出来た長い渡り廊下を進む。

 祐斗が、ある一室の前で足を止めた。扉の前には"オカルト研究部"と書かれたネームプレート。

 怪しいが、ちゃんと学園からも許可を得ている立派な部活だ。

 

「さ、着いたよ」

「姫島先輩と搭城もいるな」

「君って気配に敏感だよね」

「さっき似たこと言われたよ。でも"悪魔"って、かなり独特の気配してるだろ?」

「僕らは基本、魔力を隠してるんだけどね」

 

 困ったような笑みで頬を指先で掻く祐斗。

 

「修行が足りませんぞ、"騎士(ナイト)"殿?」

「確かに……。これは精進しないとね」

「ア、ハイ。ガンバッテ」

 

 茶化した渚は「蒼井くんに心配されるほど弱くないよ」的なツッコミを期待したのだが真摯(しんし)に受け止められた。こう見えて祐斗は悪魔といういっぱしの人外、その身には常人とは比べものにならない戦闘力を秘めている存在だ。

 見当違いなリアクションに寂しさを覚えつつ祐斗に問う。

 

「入ってもいいか?」

「勿論」

 

 扉が開いたので渚が部室の中に入ると、三人の女子生徒が視線を同時に向けてきた。

 部室には似つかわしくないソファーに座る小学生かと間違うほどの小柄な搭城 小猫。

 奥ゆかしい笑みで挨拶するポニーテールの黒髪が特徴な姫島 朱乃。

 そして立派な机と椅子に腰かけて紅茶を飲むこの部活動の長であるリアス・グレモリー。

 祐斗を含めて綺麗どころしかいない謎の部活。四人の中にいる渚は色々と自分とは釣り合ってない気がしてならない。

 

「急に呼び出してご免なさいね、渚。……すごく眠そうだけど大丈夫?」

「あらあら、眠気覚ましの紅茶を入れましょうか?」

「……倒れそう。ソファー空いてます」

「ダイジョブです」

 

 順にリアス、朱乃、小猫が気遣う。

 そんなに酷い顔なのだろうか、と首を傾げる。 

 とりあえずリアスに座るように言われたので素直に従う。

 思った通り会話の内容は、"はぐれ悪魔"の討伐の件であった。

 

「とりあえず改めてお礼を言っておこうかしら。貴方たちの働きで"はぐれ悪魔"の被害が格段と減ったわ」

「それは俺じゃなくてステアに言うべきかと」

 

 渚はアリステア・メアに引き()られて仕方なく戦っているにすぎない。

 リアスの言葉は嬉しいが、大半はアリステアの意志なので自分の功績と数えるのは(はばか)られた。

 

「彼女の主人である貴方に礼を言うのは間違っていないと思うのだけれど」

「…………はい?」

 

 誰が誰の主人だって?

 

「違うの? 以前、聞いた話によるとイイ笑顔で貴方の下僕って言ってたわよ」

「嘘です、信じないでください」

「そ、そう?」

「そうです」

 

 至極真面目に誤解を解く。リアスが若干、臆するほどだった。

 内心は「あの女はなんて事を言ってやがるんだ。俺を世間的に殺すつもりか? 恐ろしいやつだ」などとゲンナリしているのだが……。

 

「この話には触れない方が良さそうね」

「そうしてください」

「じゃあ、もう一つの用件に移るわ」

「他にも何か?」

 

 リアスが懐からチェスの駒みたいな物を取り出して机の上に置く。

 

「"悪魔の駒(イーヴィル・ピース)"は知っていて?」

「えーと。確か、他の種族を悪魔に転化するアイテムでしたよね? 考案者は魔王アジュカ・ベルゼブブ、目的は人口が激減した悪魔社会の復興を目指す為……で合ってますか?」

 

 渚は冥界などの情報を多く提供されている。半ば強制的に頭に詰め込まれたといってもいいだろう。

 情報源は手製の紙媒体で、制作者はアリステア・メア。丁寧な日本語で読みやすく纏められた資料を指してアリステア・レポートと渚は呼んでいる。手製とはいえ、内包された情報量は凄まじく、悪魔だけでなく天使や堕天使、果ては"神 器(セイクリッド・ギア)"と言われる異能についても網羅した代物だ。お陰で本来は知るはずのない様々な事柄にも詳しくなった。

 正直、そんな知識よりも数学の方程式を一つでも覚えて学業への不安を解消したかったのが渚の本音である。

 

「そこまで知っているなら話が早いわ。ねぇ渚、私の眷属にならない?」

「…………えと、俺がですか?」

 

 それは驚きの提案だった。

 リアスが眷属候補を探しているのは渚も知っていたが、まさか自分に来るなど夢にも思わなかった。

 

「理由が分からないって顔をしてるわ」

「実際にないですよね? "神 器(セイクリッド・ギア)"……でしたっけ? 人間が持つ神様が造った異能を持っているならまだしも、俺はそんな大層な物は持ち合わせていない。端的に言えば力不足に思います」

 

 "悪魔の駒(イーヴィル・ピース)"は一人の悪魔につき決まった数しか支給されない貴重な物だ。それをアリステアならともかく自分に使うなどと酔狂にすぎる。しかしリアスは静かに首を振った。

 

「自己評価だけで自分を計るのは悪癖よ。それに貴方は自分を知らないじゃない。──半年よりも前の記憶がないのだから」

「…………まぁそうですね」

「少しでもいいの。考えて見てくれないかしら。返事は私が卒業する(まで)に出してもらえればいいわ」

「気長ですね」

「そうかしら」

「そうですよ。けど、そこまで言ってくれるんだったら考えさせて貰います」

 

 渚の前向きな言葉に満足したのかリアスはすんなりと引き下がる。それから世話話を幾つかすると、渚はオカルト研究部を去った。

 残った休み時間は、人がいない新校舎の屋上で買ったパンにかぶり付く。

 蒼い空と流れる雲を見つめながら自分について考える。

 

「先輩には世話になってるから、受けるべきなんだろうな」

 

 渚には記憶がない。半年前からすっぽりとエピソード記憶だけが消え去っている。

 家族が居るのかも、どうやって生きてきたのかも不明。最初の記憶はグレモリー御用達の総合病院の白い天井だ。

 何も覚えていない渚にとって悪魔化は悪い話ではない。後ろ楯も出来るうえ、将来も殆ど約束される。

 だが、やるべき義務も生じるのだ。

 "はぐれ悪魔"の討伐。

 天使や堕天使との抗争。

 レーティング・ゲームと言われる実戦染みた遊戯へ参加。

 平和な日常を"是"とする彼にとって、それはマイナスでしかないがリアスには返すべき恩も多い。衣食住や学園への入学、数えればキリがないほどだ。これを脅しに使わない彼女は主としても良心的なのだろう。

 とりあえず、アリステアに相談でもしようと思う。彼女は悪魔より悪魔みたいだが的確なアドバイスもくれる。

 

(ののし)られる可能性が大きいけどな」

 

 パンを食べ終わると強い眠気の襲われたので少しだけ目を閉ざす。

 春の風が気持ちよくて、気づけば小さな寝息を立てる音だけが屋上に残る。

 

 余談だが、五時限目は普通に遅刻した……。

 





アリステアさんはイイ人です、はい。


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渚の人生相談《Life of Dream》


二話になります。
物語作るのって大変ですね(汗)



 

 渚の家は住宅街より少し離れた場所に建つマンションだ。周囲に他の建物はない比較的静かな家である。

 ここはリアス・グレモリーが所有する別宅の一つで、記憶と共に行く宛も喪失した渚は恩情により六階の一室を使わせてもらっている。

 最早リアスには足を向けて眠れないほど厄介になっている身として、この負債をどう返せばいいか検討もつかない。だからこそ悪魔化も真髄に考えなければいけない問題だ。

 

「貴方の好きにすればいいじゃないですか」

「えぇ……」

 

 帰宅後、渚はリアスとの一件をアリステアに相談した。リビングのソファーで読書に(ふけ)っている彼女は適当とも思える投げやりな言葉を返してきた。

 将来にも関わるのだから、もう少し真面目に聞いて欲しいのが本音である。

 見ての通り渚とアリステアは同棲している──訳ではない。二人の部屋は本来は別々で隣が彼女の家だ、それなのに我がモノ顔で渚の部屋を占拠している。

 最初は勝手に上がるなと叱ってはいたが、一向に改善する気配がないので半ば諦め状態だ。

 アリステアのような美少女とプライベートで二人っきりになる時間が多い渚は羨望の的だろう。だが相手は悪魔をも易々と葬る強者。迂闊に手を出せば後悔するハメになる。……とは言ってもアリステアは理不尽な要求と罵倒で渚を困らせる事はあっても暴力で従わせる真似はしない。なんだかんだで上手くやっていけてるのが渚とアリステアのコンビだ。

(もっと)も渚自身は彼女に少しくらいの可愛いげが欲しいと思ってはいるのだが……。

 

「失礼な事を考えていませんか?」

「まさかぁ」

 

 本から瞳だけを渚へ逸らして鋭い指摘を跳ばすアリステア。アイスブルーの双眸(そうぼう)で内心を見透かされそうになるが(とぼ)け通す。

 リビングのソファーに腰かけているアリステアは小さな本を片手に珈琲を一口飲むと然して追求せずに読書へ戻った。

 彼女は読書家で本を読むときに限りメガネを着用する。そのせいか、ただでさえ知的で大人びた印象がより洗練され、同年代なのに2つか3つほど歳上に見える雰囲気を醸し出す。

 そんなアリステアが視線を本へ落としたまま、仕方がなさそうに渚へ意見を述べ始める。

 

「転生は多少のリスクこそありますが将来を考えれば悪い話ではないでしょう。今の貴方は、能無し、金無し、価値無しの持たざる者ですからね。……可哀想に、大丈夫ですか?」

「全部酷いが一番最後が一番傷つくなっ!」

 

 嘆く渚を無視してアリステアは淡々と言葉を紡ぐ。

 

「ナギの尻込みの理由は、"悪魔化すれば様々な理由により自らの危険が大きくなる"と考えているからでしょう? それは間違ってはいませんが正解でもありません」

「え? でもステアがまとめたレポートには悪魔を含む三大勢力は冷戦状態で危険とかレーティング・ゲームの内容は苛烈だとか、はぐれ悪魔の討伐の義務なんかが載ってたぞ」

 

 アリステア・レポートを読んだから渚は悪魔化を悩んでいた。もしも彼女から知識を分けて貰えなければ、その場で了承していたかもしれない。

 

「確かに全て事実です。……なら順を追って説明しましょうか。まず三大勢力の冷戦状態についてですが過去の資料から算出した結果によると開戦は難しいという結論に至りました」

 

 レポートから得た情報を脳内から掘り起こす。

 確か長く続いた大戦で天使、堕天使、悪魔の各陣営は衰退の一途を辿っていた筈だ。

 

「互いに消耗し過ぎて戦えないって事か……」

「最早、消耗の一言だけでは片付けられない状況ですよ。各陣営は生産の基礎たる人材にも余裕がない。最も好戦的だったと言われる冥界すら穏便さが目立つ。トップの魔王が代替わりしたのも大きいですが根本的な原因は大戦で"種族"を失い過ぎたからしょう」

 

 ゆえに冥界は"種族"を存続させるために転生悪魔というシステムを発案、決行した。それでも(いま)だ悪魔の絶対個数は乏しい。そんな地盤がしっかりしていない状態で戦争を仕掛ければ折角(せっかく)の転生悪魔を失う。だから戦争は避けたいのだとアリステアは語る。

 "はぐれ悪魔"とのエンカウトが連日ように続く生活のせいで気づかなかったが悪魔が絶滅の危機だというのを渚は失念していた。いや"はぐれ悪魔"については転生悪魔が増えたからとも言えるだろう。その殆どは主人から離れた者なのだ。嫌な因果だと思う。

 

「三大勢力は滅亡を避けるため慎重に()らざる得ない。もし今の現状を知っていて戦争を仕掛ける(やから)がいるのなら、余程の大バカか狂人の(たぐい)です」

「そんなバカ野郎が居ないことを信じたいな」

 

 大きな組織ほど内部が歪んでいるものだ。

 各陣営の恨みもあるだろう。

 

 ──憎悪を燃料とした復讐は人を狂気に走らせる。

 

 渚の奥でそんな言葉が浮かぶが振り払う。

  

「次はレーティング・ゲームの詳細ですね。あの競技は苛烈ですが死人が出たという記録はありませんでした。ある一定のダメージ又は気絶をした時点で自動的に最先端医療施設に転移される仕組みになっているようです。最悪、主人(チームリーダー)是非(ぜひ)を問わず、降伏も認められているので無理に戦わなくてもいいよう配慮されています」

「死人が出てないってすごいな」

「その辺はキッチリしていますよ。死人を出せば転生システムの本末転倒ですからね」

 

 渚はレーティング・ゲームを見たことがないものの、魔力をバズーカ砲並の攻撃力に変換して撃ち出すのが悪魔という種族だ。きっと戦場さながらの激しいモノだとは予想できる。それでいて死人が出ない医療技術の高さは驚くべき水準にあるのだろう。

   

「最後は"はぐれ悪魔"の討伐ですね。これは討伐相手を詳しく調査してからの眷属を使った多対一でのリンチが基本戦術です。余程、率いる者が無能でない限り死にはしません」

「基本リンチって言葉悪すぎやしませんか?」

「殺し合いなのですから、一向に構わないでしょう」

「……というか俺の場合、シングルプレーの場合が多いんですが?」

「ともせず上記の理由より悪魔化したからと言って急に命の危険にさらされるのは、ほぼゼロに近いはずです」

 

 渚の疑問はあっさり無視された。

 アリステアの説明で危険性が低いと分かった。それでも気に掛かることはある。

 理由──渚をわざわざ選ぶ部分が未だに不明瞭なのだ。いったい何処にメリットがあるのか一切わからない。

 

「一見して雑魚(ざこ)めいた貴方をリアス・グレモリーが欲しがる理由も理解は出来ます」

 

 常に本を向いてたアリステアの視線が持ち上がるとアイスブルーの瞳が渚を見つめた。

 

「俺が雑魚かどうかは置いといて、個人的に目的はお前にあると思うんだけどな」

 

 雑魚という単語に若干凹みつつも意見を言う。

 ──アリステアは強い。

 渚は半年の間、多くの戦いを共に過ごしてきたから分かる。彼女が戦闘を行う機会は数えるほどしかなかったが、戦い始めれば一撃かつ瞬殺で敵を殲滅している。その際、武器すら使わない。

 つまり本気のアリステアを誰も見たことがないのだ。

 

「私たちはセットで数えられていますが、そうなら私に直接話が来る筈ですよ」

「それもそうか」

「彼女は一部の"目撃者"なので仕方ないと言えばそれまでですが……」

「"目撃者"ってなんの?」

「こちらの話です。私からは、ここに根を下ろしたいのであれば好きにすればいいとしか言えません」

「俺が悪魔化したらステアはどうするんだ?」

 

 渚の質問が詰まらなかったのか、再び本へ視線を落とすアリステア。

 

「別に今まで通りですよ。貴方がいる場所で好き勝手させてもらうだけです」

「……なぁ、どうしてそこまで俺といようとするんだ? その実力なら何処でもやってけるだろ」

「私は誰かの下に()くなんてお断りです。自分の意思と考えでここにいる。それでは不満ですか?」

 

 上でも下でも無く対等な相方としてありたい、そう指し示すアリステア。公私共々、出来が良すぎるパートナーだと渚は常々思う。

 互いの有能さが釣り合ってない凸凹コンビな気もするがアリステア本人が良しとするなら有り難く頼りにさせて貰おう。

 

「ま、危険な場所に連れて行かなければ不満はないんだけどな」

「危険? 記憶にないのですが?」

「昨日の今日で、どの口が言うんだよ……」

「この口がですよ。さて無駄話をしたらお腹が空きましたね。今日はオムライスが食べたいのでお願いします」

「おい、朝はカレーが食いたいと言ってたろうが……テーブルに置いてる具材が見えんのか」

 

 帰り際に商店街で買ってきた野菜やらカレーのルーやらを指さす。

 

「あぁ、あのビニールの中身はカレーの具材ですか。しかし気が変わりました、明日にしてください」

「たく、上はデミグラスのでいいのか」

「ええ、チキンライスにケチャップは好みではありません」

 

 急な注文に辟易しつつも渚はキッチンに入り、オムライスを作り始めた。カレーより短時間でできる上、食材も冷蔵庫にあるので楽といえば楽である。アリステアの事だから手間や食材を計算してリクエストしたのだろう。

 可愛いワガママを受け入れた渚は手始めに熱したフライパンでバターを溶かすと鶏肉と玉ねぎを投下。程よく炒めるとご飯とケチャップを追加。香り立ったチキンライスが完全に終わろうとした時だ。渚の背中に柔らかい物体がのし掛かった。

 

「どわぁ!」

 

 たまらず驚く。見ればアリステアのアイスブルーの瞳がすぐ横にある。それこそ少し動かせばキスも出来てしまう距離だ。渚の首の後ろ付近からチキンライスを覗き込むアリステアはスンスンと可愛らしく鼻を鳴らす。

 

「食欲を駆り立てる香りですね」

 

 本を読み終わって様子を見に来たのだろう。気配に鋭い渚だが唯一アリステアの接近だけは気づけなかったりする。というよりも背中に当たる大きな二つの膨らみが気になるから退()いてほしい。スタイルの良さを自慢するように更に重みが加わる。

 この少し硬いのはブラジャーではなかろうか。

 

「ぅく!」

「どうしたんですか?」

 

 ニヤニヤと悪戯めいた声。

 男の理性を蝕む魅惑的な肉体に耳が熱くなる。それでも表情に出さないよう視線はフライパンにだけ集中する。

 

「料理中だ」

 

 渚の素っ気ない言葉に対して、コトンっと調理の邪魔にならない場所に中身のある容器を置くアリステア。

 

「知ってます。……卵を()いでおいたので使ってください」

「いつの間に」

「何事もスマートに、ですよ?」

 

 鈴のような心地の好い声音で耳元に囁く声。程よい背中の重みもあって気が気でなくなる。

 どうしたのだろうか。

 いつもはこんなことをしない筈のアリステアが、今日に限って妙なほど密着してくる。こんな恋人みたいな真似をされたのは初めてだったので対処に困る。

 

「どうです? こうしたら可愛いげがあるでしょう?」

「くそ、からかってんな」

 

 納得する。

 どうやら先程の思考も読まれていたようだ。だからといって、これは可愛げを色々と通り過ぎてしまっていないだろうか。

 

「たまにはアメもあげようと思いまして」

「ムチ打ってるって自覚があったのに驚きだよ。……にしても、らしくないぞ。お前ってこんな事するキャラじゃないだろう」

「ご褒美ですよ。悪魔化のことをキチンと相談した、ね」

「当たり前だ。お前は、まぁ……アレだ……家族みたいなモンだと思ってるからな」

「それは光栄ですが家族に興奮するのはどうかと思います。──顔真っ赤ですよ?」

「元凶が言うな。それに"みたい"って言ったろう」

「ふふ、そうムキにならないでください」

 

 愉快そうに笑みを浮かべるアリステア。渚は悔しくも照れつつ、最終的には彼女の底知れ無さに項垂(うなだ)れるしかなかった。フニフニした服越しの胸が心地いいのは内緒だ。認めたくはないが最上のアメである。

 

「それと夕飯後、"はぐれ悪魔"の討伐に向かうので用意しておくように」

「はぁああっ!?」

 

 そして最悪のムチも忘れないアリステア。渚は一気に絶望へと叩き落とされた。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

「蒼井、起きろ!」

 

 急に体全体をぐわんぐわんと揺らされた。

 惰眠を貪っていた渚は重たい(まぶと)()けて机から上体を起こす。

 ぼやけた視界全体に映るのは坊主頭の男子学生だった。

 

「……ふぁ~。なに慌ててんの?」 

「イッセーが狂っちまったんだ!」

「あばばばばばば、揺らすなぁー」

 

 坊主頭が冴える旧友、松田がトチ狂ったように渚の両肩を掴んで激しく動かす。

 昨日、というより今日は学校が始まるギリギリまでアリステアの"はぐれ悪魔"退治(渚のシングル討伐)に同行していたため、例のごとく学校の教室が寝室代わりだ。時計を見れば昼過ぎ。

 

「……笑える」

 

 我ながらこの時間帯に起きても動じなくなったな……と力のない笑みを浮かべる渚。少し前までは喪失した過去に向いていた不安や悩みが今や全て未来にある。……世話になりたくない知恵(アリステア・レポート)だけを得て、必要な知識(一般教養)がない渚は本当に将来が真っ暗になりそうで恐ろしい。

 とりあえず今は松田を冷静にさせて午後の授業に備えようと決める。つまり昼休みをフルに使って眠る。そうすれば午後はキチンと授業を受けられる、多分。

 

「兵藤が狂ったって随分な物言いだな。ま、ご愁傷さまって言っておいて。じゃあおやすみ」

「待つんだ、蒼井! これは由々しき事態だぞ!」

 

 今度は違う男子生徒に呼ばれる。

 格好付けて眼鏡を指先で上げるのは元浜。そいつも渚の眠りを妨げるように松田の隣に立つ。

 兵藤 一誠(ひょうどう いっせい)の脳内がピンク色で狂ってるのは渚も知っている。兵藤、松田、元浜はこの学園でもエロい事で有名人だ。オープンオタクとは似て非なるオープンエロ。女子の比率が多い学園で周囲に気遣わず、大声で生々しいエロトークを繰り広げる理解しがたい思考回路の持ち主たちだ。当然、思春期の異性を前にそんなことをすれば忌避(きひ)される。それを知ってか知らずか本人たちは彼女が欲しいなどとほざく面妖な一面を持つので始末におえない。

 まず、その性欲丸出しの私生活を見直さないと誰も振り向いてはくれないだろうと何度も忠告した渚にとって改善が見られない問題児だ。

 そして、この三人はクラスに於いて渚が最も親しい友人でもあった。友達選びが下手な自分に少し嫌気がさす。

 

「分かった、聞く、聞くから。顔を近づけるのやめろ、息が掛かってる」

 

 間近に迫った男二人の顔を押し退()ける。すると噂の兵藤 一誠が見たこともないような満面の笑みで渚へ近づいてきた。

 

「むふ、むふふふ~、あ・お・い~♪」

「お、おう?」

 

 一誠と友人になって数ヵ月しか経っていない渚だが、これは異常だと悟る。

 スマホを眺めながらニコニコとする一誠はご機嫌だった。今にもダンスを踊り出しそうなステップで渚の前に立つ。

 

「俺、彼女が出来ましたー!」

「え、は? ほんとに……?」

「うんうん♪ 蒼井はそこの坊主と眼鏡と違って頭から否定しないから好きだぜ☆」

 

 腕を組んで何度も頷く一誠。この態度から本当だと伝わってくる。幾らなんでも、すぐバレるような嘘を吐く友人ではないし、喜びの感情が津波のように押し寄せてくるから間違いないだろう。

 

「あー、これはマジっぽいな」

「「え? マジで妄想じゃないの?」」

「おい、松田、元浜。てめぇら、なんで本人の言葉は信じず蒼井だったら一発なんだ? ……ま、許すけどなー♪」

 

 一誠の態度は確かに狂っているように見えた。喜びのパラメーターが振り切れて有頂天になっている。それほど"彼女"の存在が嬉しく、可愛いのだろう。しかし少し浮かれ過ぎて教室中からの視線が痛い。昼休みとあって廊下にも人だかりもある。

 

「兵藤、お前さ、自分で気づいてるか? 今、物凄くテンションがおかしいぞ?」

「いやぁ~、それは理解してんだけどさ。初めて彼女持ちになった身としては、こう色々いきり立っちゃって。だって彼女持ちだぜ? あ、やべ大事な事だから二回言っちまった。テヘ☆」

「「「うぜ~」」」

 

 同時に言ったのは渚、松田、浜本である。そんな三人を見た一誠は、だらしのないニヤケ顔を余裕の笑みへと変えた。

 

「ふ、お前らも幸せになれよ? 俺は先にエンジョイライフに突入しとくから」

「腹立つわ!」

「爆発しろ!」

「……お幸せに」

 

 眠気もあり、割とどうでも良さそうに祝福する渚。対して松田と元浜は"彼女"の存在を認めるや否や嫉妬に狂って一誠に襲いかかる。そんな騒がしい日常に呆れつつも、蒼井 渚は小さく、それでいて噛み締めるような笑みでその光景を眺めていた。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

「昨日の話なんですが、やはりお断りさせてもらおうと思います」

 

 授業終了後、渚はオカルト研究部に訪れた。考え出した結論をキチンと言い渡すためだ。

 本来なら受け入れるのが一番だろう。リアスもそれを望んでいるから勧誘したのだと理解はしている。だがやはり眷属化してもリアスのメリットなる要素が見つからないので今回は見送らせてもらった。

 またとない機会であるものの、自分が納得出来ないのに流れに任せてしまうような選択はしたくない。

 リアスには自分よりも相応しい相手がいる。少し卑屈にも聞こえるが本当にそう思う。

 悪魔の駒(イーヴィル・ピース)も数に限りがある、余程の事情がない限り補充が効かない貴重品なのだ。それを踏まえて出した答えだった。

 

「そう、なら仕方ないか。急な申し出で驚いたでしょう。ごめんなさいね」

 

 いつもの机に座るリアスが小さくため息を吐く。今日は小猫と祐斗は不在のようで、部長のリアスと副部長である朱乃しかいない。

 残念そうなのが気にかかる。未だに渚を誘った理由が不明瞭でリアスの心の内は理解できないが、悪意から来た誘いではないのは分かっているだけに後ろめたさに似た感情が渚を責めた。

 

「眷属にはなれませんが、グレモリー先輩は恩人です。何か力になれることがあれば言ってください」

「頼もしいわ。けれど恩人というのは言い過ぎね、こちらも相応のものを貰っているからイーブンよ」

 

 リアスの言葉に嘘は感じられない。

 相応とは”はぐれ悪魔”退治の事なのだろうかと渚が疑問符を浮かべる。だとしてもそれはアリステアに対してであって渚でないだろう。どうにも”与えられる”ばかりで気持ちが良くない。

 荒事では役に立てそうもないが考えを凝らす。

 

「部活動で人手が要る時とか、手伝いますよ」

「あらあら、蒼井くんがオカルト研究部に入ってくださいますの?」

 

 リアスの隣に控える朱乃が上品に口に手を当てて笑う。

 

「え? オカルト研究部って悪魔じゃないと入れないんじゃないんですか?」

「そんな事はありませんわ。ねぇ、部長?」

「身内事情を知っているのが最低条件だけど悪魔だけという決まりはないわよ? どう、入る?」

「…………部の活動内容を聞いても?」

「心配せずとも明るい内は割と普通の部活よ。大体は学校行事に参加したりかしら。夜になると悪魔として活動するけど渚なら前者だけでも構わないわ」

「お役に立ちますかね?」

「体育祭とかになると人手不足が表立つのよ。ほら部活動対抗の競技とかあるでしょう? うちには男子が二人いるけど、内一人は幽霊部員みたいなものだしね。それだけでも部としては有り難いの」

「なら、やります。入らせてください。それと迷惑でなければ夜の部も手伝いたいんですけど……」

 

 借りを返すチャンスに渚は入部を決意する。

 

「いいの? "はぐれ悪魔"の討伐とかも行くわよ?」

「毎日では無いのでしょう?」

「ええ」

「うん、願ったり叶ったりです」

 

 そこには恩義に紛れた少しの打算があった。アリステアは毎日のように渚を"はぐれ悪魔"の討伐に駆り出す。ならばリアスたちと夜の部活動を行うことで行けない理由を作ろうという魂胆(こんたん)だ。流石のアリステアも世話になっているリアスとの行動であれば色々と配慮(はいりょ)してくれるだろう。しかもリアスの眷属は四人もいる。一人は会ったことがないが自分よりも優れた者が三人もいるというのは安心感が段違いだ。

 

「それじゃあ、この書類にサインをお願い致しますわ」

「はい」

 

 朱乃が書類を出して、迷い無くサインをする。

 

「色々あったから誘うのを躊躇(ためら)っていたのだけど、こうもアッサリと入ってくれたんなら直接言っておけばよかったわ」

 

 リアスが何処か嬉しそうに渚を見た。その言葉で前々から誘おうと考えていたと分かる。

 自分が何処までリアスの力になれるかは不安ではあるが貰った恩情の数十分の一くらいは返せるように頑張ろうと密かに決意する。

 

 こうして渚は悪魔だけで構成されたオカルト研究部の人間枠として部の一員となった。

 





リアスには一誠だと自分の中には刻まれている。


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見知らぬ相談者《Ms.Unknown》


原作一巻で色々やらかしたあの人の登場。
この作品では、かなり改編していますので原型がないです。




 

 ──蒼井 渚は夢を見ていた。

 

 暗雲が天を覆い、さめざめとした雨が空より落ちる寂しい夢。記憶にない景色は薄い(もや)が掛かったように不鮮明だ。

 その事から、これは夢だと悟った。

 しかし変な夢だと思う。見ている本人を無視して体が動くのだ。まるで映画を見せられているような感覚だった。

 歩くのは滅びた都市。(そび)えるオフィスビルは砕かれ、交通の要であった大通りは無惨に大地の底へ陥没。乱雑に激突した車両の群れが冷たい雨に打ちひしがられている。

 

 機能するはずの無い五感が漠然と寒さを伝えてくる。

 

 ふと一人の兵士と向き合う。迷彩服を着た二十代後半の白人男性。大きく引き裂かれた胸の傷からは赤い血が雨と共に流されて血溜まりを作っていた。

 血液を吐き出し続ける傷口が沸騰するように泡立つ。やがて不快な音を立てて異形に変異を始めた。皮膚が裏返り、血の色が変色し、体組織が無理矢理に造り変えられている様は、とても見ていられないほど(おぞ)ましい。

 激痛を伴っているのだろう。兵士は肩で息をしながら苦しむ。兵士が渚を見つけると最後の力を振り絞って手を伸ばしてくる。

 

「た、タスけテ……アイツらト同じには、なリたクナイ」

「──手遅れだ、諦めてくれ」

 

 極めて無感情な言葉が口から出た。どうやら夢の自分は相当に冷たい人間だと客観視する。それを肯定するように渚の体が勝手に動いて手刀が兵士の胸に穴を空けた。伝わるのは確かな鼓動。まだ生きていたいと言う意思。それを容赦なく握りつぶす。……嫌な夢である。

 

「ゴホッ! アレ、なンか楽に……アリガトウ」

「…………」

 

 苦痛から解放されたのか、安らか瞳を閉ざす兵士。

 侵食が止まるのを見て、腕を引き抜く。肘から下が真っ赤に染まるも雨が洗い流そうとしていた。

 背後を振り向く。

 歩いてきた道には同じような兵士の死体が大量に転がっていた。変異して人ではなくなった者たち全てが心臓を破壊されて倒れている。手口を見るに()ったのは自分だと分かる

 

「──ねぇ?」

 

 呼ばれて声の方へ顔を向ける。

 そこにいたのは一振りの刀を持った黒い濡れ髪が似合う少女。とても懐かしい感覚に渚は襲われた。

 そんな彼女が(そば)にやってくる。

 

「なんでこんな勝手をしたの?」

 

 静かだが(いきどお)りのある声へ対して気にした様子もなく返す。

 

「全員助からない。だから処理した、軽蔑したければ勝手に──」

「そうじゃないよ」

「だったらなんだ。お前はオレが多くの命を()んだ事に怒ってるんじゃないのか?」

「分からない? 一人で背負わないでほしいと言ってるの」

「こんなのは誰にも任せられない。けどオレなら大丈夫だ、なんてったって■■■だからな」

 

 そう言った渚の手に強く掴み掛かる黒い少女。

 

「平気なわけ無い。キミはとっても優しいから、なんでも一人でやろうとする」

「酷い勘違いだよ。変異対象はまだまだいるんだ、もう戻ってくれ」

 

 掴まれた手を冷たく振りほどくと渚は未だ変異に苦しむ兵士の元へ歩き始める。

 

「待って」

「処理が遅れればコイツらは仲間を襲うぞ?」

「私もやるわ、介錯」

「出来るのか、相手は"まだ"人だぞ?」

 

 その言葉に手に持った刀を鞘から抜き放つ事で返答する少女。

 一際、雨が酷くなる最中に一人の兵士へ近づく。折れた電柱に背を預ける黒人兵士もまた大きく開いた腹の傷から変異が始まっていた。

 兵士の首に刀を添える少女。

 

「…………貴方はもう助かりません。せめて人として私が送ります」

 

 言葉から痛々しいほどの迷いが感じられた。電柱に背を預けた兵士が急に笑い出す。

 

「あぁアンタらは確か例の独立部隊か。ちょうどいい、自分で始末を着けたいが体が上手く動かなくてよ。……願ってもない」

「残す言葉は……?」

「遺言は手紙に書いた。だから"アレ"を退(しりぞ)けたアンタらに言うことにするぜ。──人類を頼むわ」

「その願い、承りました」

 

 刃が閃く。流れるような太刀筋は見事に黒人男性の首を綺麗に切り落とした。

 黒い少女が瞑目し、表情を引き締めて自らが斬った骸に一礼した。

 

「まだまだいるぞ?」

 

 試すような口調で訪ねる。

 

「半分は私が受け持つ。斬らなくてはいけないモノは間違わないつもりだから安心して」

「そうか、頼む」

「ええ」

 

 渚が見た少女の顔は凛々しくもあったが、それ以上に悲しくもある。

 それはとても冷たい夢であった。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 ゆさゆさ。

 

 躊躇いがちに体を優しく揺らされるのを感じて薄く意識が浮上していく。

 微睡む思考で「あぁまた寝てたのか」などと酷く自嘲する渚だが、同時に感慨深いものが胸に宿る。まるで夢の中で懐かしい者と再会したような不可思議な感覚。

 

 ゆさゆさ。

 

 そんな思考の中、少しだけ揺れが強くなった。

 ここに来て、どうやら誰かに起こされていると気づく。

 

「…………あい?」

「『あい』じゃないでしょう。なんでこんな場所で寝ているのよ、バカなの?」

 

 重い瞼を開けた場所は夕暮れ時の公園のベンチ。

 今や完全に夜型となっている影響か、学校からの帰宅途中に耐えきれず座り込んで眠っていたようだ。

 

「あー、なんかすっげぇ晴れてる。…………何やってんだ、俺?」

「顔色が悪いけど頭も悪そうね。救急車よんだ方がいいかしら?」

「ダイジョブです。寝不足なだけだから」

「声掛けて損した」

 

 渚を起こしたのは見ず知らずの他人だった。長い黒髪の同い年か少し上の女性。ついでに言えば美少女だ。とりあえず歳が分からない以上、敬語で接しようと決める。

 

「ふぁ~。すいません」

「こんな場所で寝るなんて正気の沙汰とは思えないのだけど?」

「最悪、窃盗されますよねー。間抜けだなー。危機感が足りてないですねー」

 

 ゆらゆらと頼りない手つきで鞄やら財布やらのチェックをする。

 

「あなた、寝ぼけてるわね?」

「実はまだ意識が朦朧(もうろう)としてます」

「はぁ~」

 

 面倒そうに女性が渚の横に座る。

 

「ちょうど私も疲れてたから休ませて貰うわ」

「そうなんですか」

「そうよ」

 

 夢心地の渚だが暫く経てば眠気は覚めていく。

 そうなると、ふと思う。

 この人が起こさなかったら、ずっと眠りこけていたのではないかと。

 

「なんか、ありがとうございます」

「別に。気まぐれで起こしただけよ」

 

 トゲのある言葉だった。本当に気まぐれだったのだろう。

 女性の顔を何となく盗み見る。綺麗な顔立ちなのに何処か疲れを感じさせる……というより明らかに(やつ)れていた。

 目の下には隈があり、髪も少し痛んでいる。それでもある一定の美しさを保っているのは素材が良いからだろう。

 

「ジロジロと不躾な視線を向けないで欲しいわね」

「お疲れだなぁ、と」

「あなたには言われたくない。死人のような顔して気味が悪いったらありゃしない」

「生きてるフリじゃないですよ?」

「何言ってるの、知ってるわよ」

「友人に似たような指摘を前に受けたので、とりあえず誤解を解いておこうかと」

「あ、そ」

 

 隣り合う他人同士。今、知り合ったばかりなのに不思議と会話が弾む。

 ここに来て渚の長所の一つである第六感が初めて隣人の違和感に気づく。気配は人なのだが、そうじゃないような感覚に囚われたのだ。まるで人に擬態した"何か"だ。"はぐれ悪魔"だろうかと勘繰(かんぐ)るも特有の邪気も悪意もない。失礼だが草臥(くたび)れて今にも折れそうな枯れ木というのが正直な感想だ。

 

「いい病院知ってますけど、紹介しましょうか?」

「いきなり何?」

「体調が悪そうなのが気になりまして」

「他人のあなたに心配される(いわ)れはない。ほっといて」

「これも何かの縁ですから」

「しつこい、刺し殺すわよ」

「恐ッ」

「ふん」

 

 少しの間、沈黙が二人を包む。意外にも先に静寂を破ったのは女性の方だった。

 

「ねぇ起こしてあげたお礼をして欲しいんだけど……」

「すごい。善意で助けてもらったと思ったのに打算的だった」

「うるさい。いいから聞きなさい。キチンと答えれば殺すのは我慢してあげる」

「物騒な性格とか言われません?」

「聞け」

「……うす」

 

 渚が女性の重圧に飲まれて黙る。完全に聞く体勢で待つ。しかし女性はソワソワして話そうとしない。

 待つこと5分。流石に痺れを切らした渚が何かを言おうとするも意を決したように女性は話し出す。

 

「あ、ああ明日、デートというものをするんだけど、どうすれば……その、男性に喜ばれるか教えなさい」

「…………でーと?」

「まさか知らないの? 異性と二人で出掛ける事を言うのよ」

「知ってますよ。俺が驚いたのは、会ったばかりの人間になんでそんなこと聞いてんのって意味でです」

「し、仕方ないじゃない、相談する相手がいないのよ! 悪い!?」

 

 早口でガァーっと巻くしたてる女性。

 心なしか顔が赤い。きっと恥を忍んでの頼みなのだろう。見知らぬ他人だからこそ出来る相談。一風変わった"お礼"であるが、借りを作ったのは事実なので渚は出来る限り答えようと決める。

 

「分かりました。けど俺もデートの経験なんてないですよ?」

「チ、役に立たないヤツ」

「舌打ちしないでください。こんな俺でも男がデートの際に喜ぶ状況はわかります」

「聞くわ」

 

 呆れた顔から一気に真剣味を帯びる女性。男性に対しての気遣いが見てとれる辺りデートを失敗させたくないのが伝わる。

 

「デートのプランとか聞いても?」

「全部アッチが決めてくれるそうよ」

「そういう事なら貴方が楽しめば(とどこお)りなく進みますよ」

「言葉の意味が分からないわ」

「男がデートをプランするうえで最も重要視するのは、女性をいかに楽しませるかってトコに集約されると思います」

「そうなの?」

「どんなに詰まらなくても楽しそうにしてれば男は嬉しいんですよ」

「…………チョロすぎない?」

「そんなもんですよ、男は単純ですから。だけど男が一人で満足するのはフェアじゃない。俺だったら貴方が途中でしたくなった事を伝えて欲しいですね」

「せっかくデートプランを立てて貰っているのに?」

「意見を言い合うのもデートの醍醐味かと。そしたら男側も彼女の好みを知れて万々歳です」

 

 持論混じりだが自分の考えを伝えていく。全ての男性がそうではないだろうが女性は渚の意見を参考にしている様子だった。やがて茜色の空が夜の(とばり)に包まれる。

 ベンチ近くに設置された街頭が灯るのを合図に女性が立ち上がった。

 

「礼を言うわ。これで明日は何とかなりそう」

「いちおう言いますが、俺の意見だけを真に受けないでくださいね?」

「分かってる。これであの子に少しでも楽しんで貰えるなら……」

「彼氏さん、愛されてますね」

 

 女性をからかおうと発した言葉。

 顔を赤くするかと思ったが意外にも返ってきたのは──悲観的で力のない笑みだった。

 

「そんなんじゃないわ。これはせめてもの……いえ、他人のあなたに言うことじゃない。世話になったわね、さよなら」

「あ」

 

 声を掛けようとするが女性は早足で去っていく。その背中はとても小さく、まるで闇に溶けそうなくらいに弱々しかった。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 公園のベンチで居眠りした日の翌日。

 日曜だったので朝から夕方まで惰眠を貪った渚。朝早くに一誠から『デートに出陣してくるぜ!』なんてメールを受け取り、眠い思考で『がんばれー』なんて適当な返事を打った。

 それから時間が経ち、夜も遅くなった深夜1時。

 白い剣袋を担いだ渚がアリステアとマンションを出る。外では祐斗が待っていた。今日は"狩り"に彼が同行する日なのだ。

 

「今夜はよろしくね、蒼井くん、メアさん」

「なんか悪いな。明日は学校だってのに」

「蒼井くんだってそうだよ」

「……深夜徘徊、慣れてるので」

 

 不本意と刻まれた目の渚に困ったような笑顔を作る祐斗。

 

「ナギ、謝罪の必要はありません。悪いも何も(まれ)に眷属を同行させるというのがリアス・グレモリーとの取り決めです」

 

 不遜な言い様なアリステアに渚が顔をしかめる。

 

「こら、ステア。グレモリー先輩のお気遣いと木場の苦労にちっとは感謝しろ」

「それは失礼しました。木場 祐斗、度し難いほど失礼な渚に代わって謝罪します」

「おい、なんで俺が失礼な奴みたいに言うんだよ!? しかも声に反省が宿ってないぞ」

「ははは、相変わらずだね二人とも」

 

 そんな三人が夜の住宅街から商店街方面へ向かう。

 深夜とあってシャッター街と化している場所を奥へ進むと立ち入り禁止の看板が目に入る。

 

「許可は取ってあるから入って」

 

 先導する祐斗に続いた先は団地郡が並び立つ場所となっていた。

 ふと渚に違和感が走る。(ぬめ)りのある不愉快さが全身を包んだと思うと急に息苦しくなったのだ。加えて周囲の雰囲気が重々しく感じた。

 

「空気が変わった……か?」

「ええ、間違いなく。ナギ、周囲を見てください」

 

 アリステアに(うなが)されて周りを観察する。

 月明かりしか頼る光がない薄暗い所だ。人が生活する為に建てられた団地郡は何年も放置されてたのが分かるくらいに(さび)れている。

 

「おい、嘘だろ……」

 

 月明かりがアリステアの言葉の意味を証明する。

 コンクリートで構成された道は異様なまでに亀裂が入り、途中途中でミサイルでも落ちたのだろかと疑いたくなるクレーターが目に入る。上を見上げれば(そび)え建つ高い団地にも大きく円上に削岩されたような(あと)があった。これで何もなかったと言われれば誰もが嘘だと思うだろう。

 まるで戦場跡地であり、人が住む町にあってはならない光景だ。

 

「何があったんだよ……」

「悪魔同士の小競り合いにしては少々度が過ぎているように見えますね」

 

 アリステアが近くの地面に空いた半径十メートル以上はあるだろうクレーターを見下ろす。そんな彼女の前を歩く祐斗が背を向けたまま言う。

 

「……七~八年前くらいに、ここで教会と悪魔の間でいざこざがあったらしくてね。その影響でこうなってしまったんだ」

「うへぇ、それでよく戦争にならなかったな。この有り様だと結構な規模に見えるけど……」

「詳細は部長にも知らされていないみたいなんだ。町の前管理者であるバアル家の人がエクソシストとの戦闘で亡くなったらしい。……教会は本当にろくな事をしない」

 

 渚とアリステアに背を向けていた祐斗の雰囲気が変わる。最後の一言には明確な敵意が宿っていた。

 

「木場?」

「いや、ごめん。先を急ごうか」

 

 いつもの爽やかさと善性が消えた暗い感情に渚が思わず声を出すが祐斗は苦笑するだけに留まった。

 そして、ある団地の壁を見て足を止める。

 

「これは……」

「どうした?」

「蒼井くん、メアさん、僕たちより先に誰かが立ち入っている」

「貴方がそう思う根拠は?」

 

 アリステアが訪ねると祐斗が壁の一角へ近づき確かめるように触れる。そこにあったのは半径数センチ程度の小さな風穴だ。

 

「これは銃による弾痕、前に来たときは無かったものなんだ。そしてこんな得物も使う(やから)はアイツらしかいない」

「お、おい木場、顔が怖いぞ……。なんか怒ってんのか?」

 

 怨嗟に満ちた祐斗の声。

 まるで親の(かたき)にでも会ったような凄まじい怒気だ。いつも穏やかな祐斗がここまで負の感情を(あらわ)にしている状況に渚はたじろぐ。

 

「成る程、通常のモノ(弾丸)ではないですね。聖性が()て取れます」

 

 アリステアが告げると祐斗は顔を歪ませた。

 

「……祓魔弾(ふつまだん)。光を弾丸状に変えて撃ち込む対悪魔専用の聖具だ。二人ともごめん、今日は帰ってもらっていいかい? 魔力と邪気が払われた形跡がある状況から、"はぐれ悪魔"以外にも"悪魔祓い(エクソシスト)"がいるはずだ。──僕はそれを追う」

 

 珍しく有無を言わせない強さの祐斗に渚が言葉を返す。

 

「一人でか? 悪魔祓い(エクソシスト)って教会が悪魔を殺すために鍛えた人間なんだろう。せめてグレモリー先輩に知らせた方がよくないか?」

「……悪いけど時間が惜しい。もう行くよ」

 

 フッとその場から祐斗が消える。"騎士(ナイト)"の速さを駆使したのだろう。

 

「明らかに冷静ではありませんでしたね。悪魔祓い(エクソシスト)というより教会に何か思うことでもあるのでしょうか」

「ああ、全然"らしく"ない」

「帰れと言われましたが、どうします?」

「せっかく休みを貰えたんだから帰って朝まで寝るっていうのも悪くない」

 

 渚がスタスタと歩き始める。

 

「木場 祐斗が消えた方に向かって行く人間の言葉とは思えませんね」

「……まぁあんな木場を放っておく訳にもいかんだろ。仕方ないから追う」

「では仕方のない貴方に私は付き合いましょう」

「そりゃどうも」

 

 二人が祐斗を追う。

 流石は俊足(しゅんそく)(にな)うリアスの"騎士"だけあって見つけるのに10分ほど時間を有した。

 祐斗の前には白い神父服を着けた三人の男がいた。既に無力化は済んでいる様子でホッとする。しかし殺意を(まと)う剣気を納めない祐斗に渚は危ういものを感じた。そのまま無抵抗の人間を斬るのではないかと考えるほどに殺気立っていたのだ。

 神父の一人が尻餅を突いて祐斗に命乞いをすると残りの二人が走って逃げて行くのが見えた。

 

「逃げるな……。皆は、そんな機会すら無かったんだぞ。自由すらなく殺されたんだぞ!!」

 

 風に乗って聞こえたのは様々な感情の籠った祐斗の声。

 殺意の剣が目の前の神父へ走る。

 渚は反射的に不味いと駆け出す。

 祐斗と神父の間に割り込み、肩にあった剣袋を駆使して最悪の事態になるのを阻止する。

 

「ストップ……ってちょっと力込めないで!? 斬れる、押し斬られるから!!」

「蒼井くん? 敵かと思ったじゃないか……。危ないから邪魔をしないでほしい。僕はグレモリーの"騎士"として敵である悪魔祓い(エクソシスト)を排除しているだけだよ」

 

 瞳に憤怒の輝きを宿す祐斗に渚が目を鋭くして睨み返した。祐斗の言葉が気に入らなかったからだ。彼の行動に騎士らしさなど何処にもありはしない。

 

「おい、そりゃ無いだろう? バカな俺でもそれくらい分かるぞ」

「何がだい?」

「今、剣を振るってるのは私怨だろうが! リアス先輩を理由にすんな!!」

「そ、それは……」

「ちょっと様子がおかしかったから止めちまったけど、別に私怨だろうがなんだろうが正直どうでもいいわ! お前自身が納得できる理由で恨みを向けてんなら口は出せないさ。けど一つ言わせろ」

「……いいよ」

「俺にはお前が八つ当たりをしているように見える。コイツらはお前が──"騎士"じゃない"木場 祐斗"として斬るべき相手なのか?」

 

 剣を持つ祐斗の手が微かに震えた。

 渚は確証する。この神父たちは祐斗を怒りに狂わせた元凶じゃない。

 

「違うよ……。悪魔祓いエクソシストはリアス・グレモリーの"騎士"として斬るべき相手だ。木場 祐斗として斬るべき相手じゃない。君の言う通りこれは八つ当たりだ……」

「そうか。それでも斬るのか?」

「斬りたくない……と言えば嘘になる。僕にとって神父という存在は憎悪の対象だから。でも今回はやめておくよ。部長の"騎士"として君に無様(ぶざま)を見せられないからね」

「なら剣を退()けてくれ。正直、重くて敵わないんだ」

「そうだね、すまない」

 

 祐斗が剣を下ろす。

 黒い感情は(くすぶ)っているみたいだが冷静さも取り戻した祐斗に渚は安堵の息を洩らす。

 

「とりあえず神父を回収するか。(さいわ)い一人残ってるし」

 

 渚が神父を捕縛しようとした時だった。

 

「クケケ」

 

 嫌な笑い声と共にグチャリと肉が千切れる音がした。

 それは渚が捕縛しようとした神父が出した最後の音。神父の上半身に一匹の"はぐれ悪魔"が噛みついていた。傷を負っているところから、渚たちが到着する前から神父たちと戦っていた"はぐれ悪魔"なのだろう。その両手にはついさっき見た神父二つの死体が握られている。どうやら祐斗から逃げたはいいが"はぐれ悪魔"に捕まったようだ。

 

「何をやっているのですかお二人とも。神父は目的を吐かせる為に生け捕りがベストだったと言うのに、全員死んでしまいましたよ」

 

 アリステアが呆れた口調で言う。

 

「まぁナギが説教じみた事をしたのは笑えましたけど」

「やめて! 自分でもちょっと言ってて偉そうだなって反省してるから! ごめんね、木場!!」

「ううん。蒼井くんのお陰で頭が冷えたから感謝してるよ」

 

 渚が刀を、祐斗が魔剣を、アリステアは構えすらせず、血を(すす)る"はぐれ悪魔"を見据えた。

 

「ともあれ、アレを駆除しましょうか」

 

 アリステアの言葉が戦闘開始の合図となった。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

「つ、疲れたぁ……」

 

 明朝六時、ズタボロの服装で泥まみれの渚が自宅のマンション前でガクリと項垂うなだれた。鞘に納められた刀を杖にする姿は何とも貧相極まりない。隣には汗一つ流さしていないアリステアも一緒だ。"はぐれ悪魔"と戦ったというのに酷い落差がある両名。

 祐斗とは既に別れているのでここにはいない。因みに今日だけで五件の"はぐれ悪魔"を処理したのだが、祐斗(いわ)く「身体が持たないね」との事だった。

 毎度の事ながらまったく同意である。

 無理矢理に渚たちを引っ張って行ったアリステアは鬼。"はぐれ悪魔"の隠れた巣窟になっている駒王は魔境。そんな言葉が口から漏れそうになる。

 

「ナギ」

「なんだよ。……うぅ今日も授業に集中できそうにない」

女々(めめ)しいですね。お客さんですよ」

 

 マンションの自室前に辿り着くと冴える紅が渚たちを待っていた。

 

「グレモリー先輩?」

「おはよう、それとお疲れ様かしら」

「おはようございます、リアス・グレモリー。こんな早朝から何かご用ですか?」

 

 アリステアの言葉にリアスが頷く。

 

「少し渚に報告があってね。渚は随分とボロボロだけど大丈夫なのかしら」

「ダイジョ──」

「問題ありません。見るも間抜けなボロ雑巾のようですが大きなケガないので、今日も甲斐甲斐(かいがい)しく学校へ登校するでしょう」

「学生の義務に甲斐甲斐しくも何もないだろうが……」

 

 アリステアのシレッとした言い分。祐斗も実は渚に巻き込まれてボロボロだったのだが、リアスに言って良いものか迷う。

 

「相変わらず仲が良いわね」

「そうですか?」「そうでしょうか?」

「息もピッタリじゃない」

 

 渚とアリステアの声が重なるとリアスが微笑ましそうに笑った。

 

「それでグレモリー先輩、俺に報告ってなんですか?」

「実はね、貴方の友人──兵藤 一誠くんを眷属にしたわ」

 

 リアスの意外な告白に渚が目を見開く。身近の友人が急に悪魔化したという事実に理解出来ずにいるとアリステアがリアスへ問う。

 

「リアス・グレモリー、詳細を聞いても?」

「兵藤くんは神器保有者だったの」

「アイツに"神器"が……」

「読めました。その兵藤某なにがしとやらは神 器を狙われて死んだ……又はそれに近い状態に陥ったため"悪魔の駒(イーヴィル・ピース)"を使用して助けたという解釈で構いませんか?」

「相変わらず鋭い洞察力に感嘆するわアリステア」

「それはどうも。ナギ、いつまで(ほう)けているのですか? リアス・グレモリーは貴方の友人を助けただけで無く登校後に驚かないよう、わざわざ知らせにまで来たんです。礼の一つくらい言うのが筋でしょう」

「礼はいらないわ。ただ彼の友人である渚には色々と協力してもらう事になるから知らせておこうと思っただけだもの」

 

 アリステアの言葉にリアスが返す。だが渚はその心遣いに感謝することにした。

 

「いえ、わざわざ足を運んでくれてありがとうございます。登校して驚くよりもこっちの方が兵藤に自然と話しかけられますし……。ところで本人はどういった状態なんですか?」

「助けたときは意識が殆ど喪失(そうしつ)していたから悪魔化したという自覚はないと思うわ。こっちから時期を見て話すつもりではあるけれど」

「わかりました。困惑すると思うので、俺もその件は黙っておきます」

「お願いね。あともう一つ──この町に堕天使と思わしき侵入痕跡があったわ」

 

 人差し指を立てたリアスの言葉にアリステアは即答する。

 

「こちらからも報告をします。昨夜、私たちも神父らしき集団に遭遇しました」

「神父が……? 祐斗に変わりはなかった?」

「えーと」

 

 渚の仕草で察したリアスが小さく息を吐いた。神父が侵入していた事実より眷属の事が心配と顔に出ている。

 

「ごめんなさいね、二人とも。あの子にもいろいろあるのよ」

「謝罪は結構です。今は彼の事より街の状況が優先でしょう?」

 

 アリステアが正しいと思った渚も頷く。個人的には気にはなるが、これは他人ではなく本人に聞くべき事柄だ。

 

「堕天使と神父が悪魔領土に侵入ってやっぱりヤバイよな?」

「あまりいい予感はしませんね、戦争の火種になりかねない」

「アリステアの言う通りよ。今のところは目的は不明だけど兵藤くんを瀕死にしたのは堕天使で間違いない、もしかしたら神父も教会から堕天使側についた"はぐれ"かもしれないわ」

 

 アリステアが冷静な態度でリアスを見た。

 

「もし背後に"神の子を見張る者(グリゴリ)"が絡んでいれば危うい案件です」

「全くその通りね。管理者として頭が痛い話だわ」

 

 鋭い指摘にリアスが深い溜め息をこぼす。

 

「あぁー、話の途中で悪いんだけど"神の子を見張る者(グリゴリ)"ってアレだよな。確か堕天使を統括してる組織だっけ?」

 

 渚の言葉にリアスとアリステアが同意を示した。駒王町は日本の悪魔領土だ。もしも堕天使を牛耳る組織が駒王町に侵攻したのであれば悪魔領への侵攻と見なされて一気に戦争まで勃発する可能性が高い。

 こんな辺境の地で大戦勃発の危機に直面するなど夢にも思っていなかったリアスの胸中は穏やかではないだろう。

 

「二人も気をつけなさい。"はぐれ悪魔"と違って奴等は昼夜を問わず襲ってくる可能性があるわ」

「分かりました」

「それじゃあ私はもう行くわ。渚も遅刻しないようにね」

 

 リアスが颯爽(さっそう)と去っていくのを見送り、渚が部屋に戻ろうとした時だ。

 

「ナギ、刀を渡してください」

 

 素っ気なく杖代わりの刀を寄越せと言われる。唐突な申し出だが渚は文句を言わずに渡す。元々この刀はアリステアが何処からか持ってきたのを借りているのだ。本人が返せと言うのなら渡さない訳にはいかないだろう。

 

「ほい、何かに使うのか?」

「ええ、少々。ではまた」

 

 アリステアらしくない歯切れの悪い言葉。追求しようにも刀を取った彼女は自室へ籠ってしまった。

 

「……なんだかな、さて風呂でも入るか」

 

 渚も自室に戻り、服を脱ぎ捨て汚れきった身体を風呂で洗い流す。

 上がった後にリビングの出てテレビを付ければ時刻は7時前である。またもや睡眠時間が削られた一日の始まりが嫌になる渚。そんな中、玄関が開く。無断で入る(やから)など一人しかいないので朝食の卵焼きを作りながら彼女に声を掛ける。

 

「朝飯か? 簡単なものしか出来ないぞ」

「今日は違います。これの最終調整が終わったので渡しておこうと」

 

 作り終えた卵焼きを皿に乗せるとアリステアの方を向く。

 

「渡したいもんって?」

「どうぞ」

 

 アリステアが差し出したのは細長い剣袋。封を解くと黒い鉄拵てつごしらえの鞘に収まった刀が出てきた。これは一時間ほど渚の手からアリステアに渡ったばかりの武具である。

 

「随分、早い返還だな。……てゆうか刀の調整って何したんだ?」

「少し中身の炉に火を入れただけです。まだ完璧ではないので出来る限り持ち歩いてください」

 

 まさかの言葉に渚が面を食らう。賢いアリステアが日本の法律を知らない訳がない。

 

「真夜中ならまだしも日中に堂々と刀を持ち歩くと銃刀法違反で捕まるんだが……」

「袋に納めたままならバレませんよ」

「いや、普通に犯罪なんだが? 俺の経歴に立派な前科が付くんだが?」

「だがだがと喧やかましいですね。──いいですか、こんなモノは、バレなきゃ、犯罪に、ならないんですよ?」

 

 言い聞かせるようにわざわざ強い区切りを使うアリステア。綺麗な顔に対して考え方がアウトだ。どこからツッコめばいいのかもわからない。

 恐らく堕天使の襲来に危機を感じているのだろう。奴等は基本的に夜しか活動しない"はぐれ悪魔"と違い真昼でも堂々と徘徊している聞く。

 しかし剣道部でもない渚が急に剣袋を持って登校すればクラスメイトに変な目で見られるだろう。最悪、中身がバレれば危険人物に認定される。真剣を持ち歩く学生なぞ知れ渡ればお先が真っ暗だ。

 

「さっさと取りなさい。いつまで私に持たせておくつもりですか」

「あー、もう分かったよ!」

 

 仕方なく刀を手に取る。ズシリとした重み、凶器が手にあるという実感が沸く。

 刀身を少しだけ抜いてみる。

 

 ──あれ? 前よりしっくりくる

 

 手に持ってみれば妙な既知感が全身を巡った。頭の奥でこの刀を振るう自分ではない誰かの姿が映る……。

 

「アリステア、これってもしかして俺のじゃなくて──」

「いいえ、間違いなく貴方のものです。──大事に使うよう願います」

 

 念を押すようなアリステア。渚自身も何処かで、これはとても大事なものだと自覚があった。少なくとも家に放置しておこうと思わない程度には……。

 

「持っていくよ。何度も振るってるのに今さらになって手放すのが惜しい感じがする」

「貴方の意思が求めているのですよ」

「俺の意思、ね」

 

 白い布袋に刀を納める。

 最悪、中身がバレてもリアスに頼めば誤魔化しが利く。他力本願なところはあるが街が物騒になりそう状況だ。もしもの時は必ず役に立つからこそアリステアもコレを持つように指摘したのだろう。そう考えれば多少のデメリットは目を瞑るべきだ。

 

 そんな渚の予想通り、この刀の出番は早くやって来る事となる。

 

 





いったい、ナニナーレなんだ。

11/9 誤字を修正しました。


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兵藤 一誠の受難《Dead End Boy》


一誠視点の物語になります。


 

「ねぇイッセーくん」

 

 それは初デートも終わりに近づいた夕暮れの公園だった。人生で最高に楽しかった一日が幕を閉じる憂鬱さとこれからも続いていくだろう嬉しさの合間で兵藤 一誠は大事なガールフレンド──天野 夕麻(あまの ゆうま)の声に耳を貸す。

 

「なんだい、夕麻ちゃん」

 

 自分でも分かる優しい声。きっと松田や元浜の辺りは気持ち悪いというかもしれない。渚に限っては苦笑だけで済ませてくれるだろう。それでも大事な人の前で優しくありたいというのは男として当然と胸を張る。

 大好きな彼女がどんな顔をしているのか気になってしょうがない。三歩ほど前を歩く夕麻は腰まで届く黒髪を揺らすと一誠の願いを聞き届けたように振り向く。

 残念ながら逆光する夕暮れの光で夕麻の顔は見えない。

 そんな彼女は手を後ろに組んでこう言った。

 

「……キスしよっか?」

「え? き、キス?」

「そう、嫌?」

 

 嫌なわけがない。(むし)ろ自分から勝負を仕掛けようか迷っていた最中に誘いが来たのだ断る理由はない。

 

「いいの?」

「いいよ」

 

 即答だった。

 ここまでお膳立てされてヘタれる訳にはいかないと一誠が夕麻に近づいて柔らかい身体を抱き止めた。

 唇同士が近づき、やがて接触する。

 

「ん」

 

 夕麻の息づかいを目の前に感じる。それは触れ合うだけのキスだったが鼓動は(はや)り、脳が溶けてしまいそうな感覚に支配される。

 

「は、ははは。初めてだったから少し下手だったかも……」

 

 一誠が顔を真っ赤にする。それに夕麻は小さく首を振って返答する。

 

「下手じゃなかったわよ。ううん下手でも私には分からないわ、初めてだったし」

「そ、そうなんだ」

「色々とあったから」

 

 夕麻の口調が一瞬だけ大人びたような気がした。次に見た彼女の顔は一誠同様に頬を赤くした──モノではなかった。

 

「デートというのは悪くなかった。だけどもう終わりにするわ」

 

 声のトーン下がる夕麻。今まで楽しそうだった声音は変わり果てて悲哀さえ感じる。

 一誠は困惑した。夕麻の表情が余りにも悲しそうだったから。

 そして予想だにしないこの言葉が放たれる。

 

「──死んでくれる?」

 

 夕麻の背から黒い翼が広がった瞬間、腹部に焼けるような激痛が走った。見れば光が夕麻の手から伸びて一誠の腹を貫いている。

 

「ア、ガ……ゆ、夕麻……ちゃん?」

「……"摘 出(ミューティレーション)"」

 

 一誠の胸付近に白い細腕が入り込む。そこから心臓を鷲掴まれたかと思うほどの例え難い痛みが発生する。

 

「ガアアアアァァアアァァァ!!」

「"確 保(スナッチ)"」

 

 ズブリと夕麻の腕が一誠の胸より出てくる。その手に握られていたのは碧色の宝玉だ。

 

「これは"龍 の 腕(トワイス・クリティカル)"かしら」

 

 地面に倒れ込む一誠に聞こえたのは冷たい夕麻の声だ。遠ざかる意識に抗い、夕麻へ手を伸ばす。

 

「ゆ……ま……ちゃ」

「恨みなさい、そして……」

 

 彼女の目元が前髪で隠れて表情が見えなくなる。

 数秒の沈黙が二人の間に訪れ、再び夕麻が言う。

 

「せいぜいそこで空しく死んで逝きなさいな」

「う、そだ」

「さよなら」

 

 黒い翼が羽ばたくと暗い空へ夕麻の姿は消えた。

 幸せの絶頂から絶望の淵に落とされた一誠は訳が分からないまま涙する。

 何がどうなっているのか。夕麻はなんなのか。

 だが、それよりも強く思ったのは──まだ生きたいという事だった。

 血が流れ、混濁する自我が闇に呑み込まれる際、せめて誰かに危機を伝えようとスマホを取ろうとしてポケットにあった紙を握る。

 それはデート前に駅前で渡されたチラシだった。怪しげな魔方陣が描かれた『あなたの願いを叶えます』などとふざけたキャッチフレーズと共に渡された謎の紙切れ。

 

 ──死にたくねぇ!

 

 強く思うと手にあった紙が熱を帯びた気がした。そして強い光が周囲を照らす。気づけば夜の闇に屈することのない美しい紅の女が立っていた。

 

「貴方ね、私を呼んだのは」

 

 その声を最後に一誠は意識を手放す。閉ざされた(まぶた)の奥に夕麻の後ろ姿をしっかりと焼き付けながら……。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 けたたましい音で一誠は目が覚めた。見慣れた天井は自室のモノであり、耳元では目覚ましが激しく叫んでいた。それを乱暴に止める。

 気分があまり優れない。夢見が悪いとはこの事だろうかと再び目を閉ざす。

 どうにも気だるさが残る朝だ。昨日は夕麻とデートだったはずなのに途中から記憶があやふやで最後の方が特に思い出せなかった。

 不安になるはず記憶の欠損。だが不思議と安堵する自分もいた。深く考えないため理性がストップをかけているような違和感。

 

「なんか変だ」

 

 そんな事を言っていると遠くから呼び声が響く。

 一階のリビングから自身を呼ぶ母親の声だ。それが聞こえたのを皮切りに学校へ行く準備を始める。

 登校の支度と朝食を終え、いざ登校しようと外に出た瞬間、ますます体に変化が訪れた。昨日までは気にならなかった太陽光が妙に目障りに感じ、肌を刺すような小さな不快感に包まれる。

 自分でも分かるくらいにフラフラとした足取りに戸惑う。風邪にしては今までにない体調の変化だ。凄まじい倦怠感に全身がグラッと(かたむ)く。

 

「あれ、やべ」

 

 覚束(おぼつか)ない足取りのせいで小石に(つまづ)いてしまう。顔から地面にダイブする身体を止めようにも力が入らない。

 来るだろう痛みに耐えようと目を(つぶ)った一誠の腕を強く取る者がいた。

 

「あ、すいません」

「大丈夫か?」

「あ、蒼井か?」

「ん、おはようさん」

 

 聞き覚えのある声だ。見れば友人である蒼井 渚が腕を支えていた。いつもの鞄の他に何故か剣袋を担いでいる。

 あれ? コイツ、帰宅部だよな? なんて思いながら顔を見ると相変わらず目の下の(くま)が目立つ面持ちだ。こっちが大丈夫かと問いたくなる。

 

「なんでいんだ? 蒼井の家って逆方向じゃね?」

「近くに用があって偶然な。とりあえず行こう。体調悪そうだが歩けるのか?」

「おう、そっちの用事はいいのかよ」

「そりゃもう終わった」

 

 欠伸(あくび)をしながら答える友人がトロトロと前を歩き始めたので一誠が小走りで横に並ぶ。

 

 ──蒼井 渚。

 

 黒髪黒目、派手さはないが整った容姿を持つ彼は一誠の数少ない友人である。彼が転校してきたのは去年の10月頃、当初はそれなりの見た目もあり女子の中では密かに人気があった。だが転校してきて一ヶ月が過ぎた辺りから目に(くま)ができ始め、常に疲れた様子が彼のデフォルトとなる。不健全そうな印象が板についた結果、女子からは残念な方のイケメンとして認識されている始末だ。

 エロい事で問題児扱いされる一誠だが授業中に居眠りばかりする渚もまた違う意味での問題児だと周りから思われている(ふし)がある。

 

「兵藤、調子が悪いんだったら休んだ方がいいんじゃないか?」

「常に死にそうなお前が心配すんのかよ。逆にこっちが休めって言いたいくらいだっつの」

「そういえば最近よく顔色の事いわれるな。……俺ってそんなに顔ヤバイの?」

「ゾンビか幽鬼って言葉が人の皮を被ってるくらいには怖いな」

「……う、嘘だろ?」

 

 顔に触れながら唖然(あぜん)とする渚。

 結局、三枚に落ち着く渚だからこそイケメンを嫌う松田と元浜の二人とも上手くやれているのかもしれないと一誠は思う。

 

「お前のあだ名って"生きたゾンビ"か"生きたフリをした死人"だ」

「初耳っ! それにどっちも死んでるじゃないか!? あぁなんてこった!よく女子から距離を取られると思ってたけど、そんなにヤバイのか。悪いことしたな、俺の顔がトラウマになってないといいけど……」

「それって女子よりも引かれたお前の方が被害甚大じゃねぇの? ……男として」

 

 気にする箇所が微妙にズレてる渚に苦笑してしまう。

 

「つか蒼井、お前って授業中にいつも寝てるけど夜中何してるんの?」

「あー。ネットとか?」

 

 少し考えて答える渚。人に言えない事でもしているのだろうかと(かん)ぐりたくなる。

 

「もしやエロサイトか?」

「ま、まぁそれもあるかなぁー」

「ほう、そういや蒼井のフェチを聞いていなかったな。俺は巨乳、松田は競泳水着、元浜はロリ、お前はなんだ?」

「流石エロ三人組の一人だけあってこの話題になるとイキイキするな」

「まぁな。さぁ言え、己が(ごう)を告白しろ。大丈夫、どんな属性がこようと俺たちは受け入れる」

「俺の性癖をあの二人にバラす気満々じゃねぇか」

「だって──友達だろ?」

「そこでそれ言うのかよ……。わかったよ、教えればいいんだろ。フェチかぁ。多分俺は──」

 

 嫌そうな顔をしつつもこんな馬鹿話にも付き合ってくれる辺り、やはりお人好しなのだと一誠はしみじみ思う。

 

 あと渚の業は案外と深かった。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 放課後。

 何事もない平和な学校生活を終えて一誠は帰路に着いた。いや何事もないというのは嘘だ。違和感は確実に彼の日常へ入り込んでいた。

 その最たるモノが、"天野 夕麻"の消失だ。

 誰もが一誠に彼女が出来た事を覚えていなかった。松田と元浜が嫉妬していたのは一誠の記憶にも新しいのにだ。

 しかし、そんな素振りは夢だったように彼らは一誠の言葉を疑った。渚に関してはどうにも煮えきらない態度だったが彼もまた夕麻の存在を肯定してくれなかった。

 スマホに登録したはずの夕麻の連絡先も消えていたため存在証明すら出来ない有り様だ。

 まるで一人だけ違う現実を生きていたような気味の悪さを覚えて学校から逃げ出すように早々と帰宅する一誠。

 

 一人、道を歩いていると急に視線を感じて振り返った。

 

 そこには影を大きく伸ばした男が立っている。

 全身を包む漆黒のロングコートにシルクハットという奇抜な格好。

 一誠の身が(すく)む。あの男はまっすぐこちらを向いており、瞳は身体の芯まで凍りそうな冷たさを放っている。

 異様な雰囲気を纏う男が一誠に向けて歩き出す。

 

「こんな時間に悪魔との邂逅(かいこう)とはな。だが出会った以上は仕方ない」

「ひっ」

 

 駆け出す、少しでも男から離れるため全力で……。

 男は一誠に身も凍る殺意を飛ばしてきたのだ。あのままでは確実に殺されていた確信がある。

 身に覚えのない敵意からひたすら逃げる。

 気づけば夕暮れの公園に足を向け、一人(たたず)んでいた。

 胸の奥がギシリと軋む。

 

 ──ここで誰かに何かをされた。

 

 そんな漠然とした記憶がある。

 

「鬼ごっこは終わりか?」

 

 翼が羽ばたく音が聞こえた。

 振り向けばカラスのような黒い翼を生やした男。さっきの危ないシルクハットの男性だ。その手には鋭い槍状の光が握られている。現実離れした光景に一誠の記憶がフラッシュバックを起こす。

 

 ──死んでくれる?

 

「ッ!」

 

 それは夕麻の言葉。

 全て思い出す。彼女のまた目の前の男と同じ翼と光を携えていたことを。

 

「あ、あんた、夕麻ちゃんの仲間か」

「夕麻? それは確かレイナーレ様の偽名。なぜそれを貴様が知っている」

「やっぱり夕麻ちゃんを知ってるんだな! 彼女は今どこに──」

「黙れ」

 

 男が疾走し、一誠の横っ腹を光の槍で殴りつける。実体がないように見えた光は鉄パイプのように固く、内臓まで衝撃を与えた。ピンボールのように地面を転がる一誠。喉から熱いものが込み上げて吐き出す。

 

「ごほッ!」

「レイナーレ様の存在を知っている以上、確実に死んでもらう」

 

 男が槍を逆手に持ち変えると投擲する構えを取った。

 すぐに逃げようとするが腹部の鈍痛が身体の動きを阻害する。

 

「さらばだ、木っ端悪魔」

 

 男が一歩踏み出し槍を放とうとした。

 迫り来る死の恐怖から目を閉ざす一誠。そんな死と恐怖の合間に割り込む影があった。

 

「その喧嘩、混ぜろぉ!」

「ぐが!」

 

 ゴォンと鈍器で殴る音が響く。

 

「あ、蒼井!?」

 

 一誠を殺そうとした男の背後から現れたのは渚だ。手にあった剣袋でフルスイングするや男の後頭部を殴り付けたのだ。地面に倒れた男を追い越して目の前に駆けてくる。

 

「探したぞ、無事か兵藤?」

「あ、ああ」

「なら今はササっと逃げろ。ほら、いつまで寝てる」

「内臓が破裂しそうなくらい痛いんだよ!」

 

 腹に強烈な一発を喰らっている身に酷な事を言うなと一誠は声を大にする。

 

「なに言ってんだ、今のお前は悪魔……くそ、まだ自覚ないんだった。とにかくすぐ動けるようになるから、そうなったら学校に向かって死ぬ気で走れ」

「あ、蒼井はどうすんだよ!」

「もう少し粘る」

「バカ言うな! あれは見た目人間だけど、翼とかビーム兵器とか持ってるワケわからん生物だぞ!!」

「知ってるよ。ワケわからん生物の相手はここ半年でかなりこなしてる。……大変、不本意ながら」

 

 渚が遠い目でそう言うと一誠と男の間に立ち、白い剣袋の紐を(ほど)いて捨て去る。中から出てきたのは竹刀や木刀でなく黒い鞘に納まった刀だった。

 

「お前、それ」

「言いたいことは分かってるからあとで聞く。コレ()については、お願いだから警察には黙っていてくれ」

 

 こんな非常時なのに、かなり真面目に手を合わせてくる渚。

 

「殺してやるぞ。……人間風情がこのドーナシークに何をしたぁああ!!」

 

 倒れていた男が立ち上がり、憤怒を撒き散らす表情で怒鳴りを上げた。

 

「……堕天使か。聞いてその日に接触とはツいてないな、ちきしょう」

 

 嫌そうに吐き捨てる渚。

 相手の殺意は完全に渚へ向いていた。自分の代わりに友人が狙われる羽目になった事に気づき、逃げたいが逃げたくないという矛盾した感情に(さいな)まれる。せめて助けを呼ぼうとスマートフォンを取り出す。

 

「あ、蒼井、すぐ警察に連絡するから!!」

「ちょ、ちょっとそれ、俺も捕まるから! 前科ついちゃうから!」

「じゃあ、どうすんだよ! ありゃ俺らの手に追えるモンじゃないぞ!!」

 

 冷静さを()いた一誠に渚が背を向ける。眼前のドーナシークと対峙するためなのは明白だった。

 

「余計に死人が出るから警察はナシで頼む、俺がなんとかするから」

 

 渚の静かな声音に一誠は気負(けお)され、息を呑む。いつもの眠たげで頼りない声ではない。それは全てを任せたくなるような力強い宣誓(せんせい)にも聞こえた。

 渚が刀の束に手を当てて腰を落とす。

 友人の雰囲気が研ぎ澄ませるのを一誠は見た。決して素人ではない鋭利な構えは達人のソレだと錯覚する凄味がある。波のない水面が如く穏やかに敵を見据える渚だが冷たい底にあるのは鋭く研がれた戦意。

 その剣士と怪物の対峙に一誠はただ見ていることしか出来ない。

 

「く、くく、そんな剣一本で私を止めるのか? 笑わせる」

「自分で言うものなんだけど、それなりの修羅場は(くぐ)ってきてるつもりだ。そう簡単に()れると思わないでほしい」

「大した自信だ。微量たりとも異能力を感じさせない弱者が……!」

 

 男、ドーナシークが動く。

 手には光の槍。それを使って刺し殺そうとするため渚に肉薄した。踏み込みは大地に亀裂を産み、弾丸のようなスピードだ。そんな人間サイズの弾丸を真っ正面から受ければ渚なぞ接触しただけで()ね飛ばされるだろう。

 

「身体能力は流石に化物じみてるな」

 

 極めて冷静な渚の声。

 鉄がぶつかり合う音が響く。

 見れば渚が鞘に納めたまま刀で槍を止めている。

 

「なるほど、大きい口を聞くだけあって素人ではないな。差し詰めリアス・グレモリーに(かどわ)かされた傭兵と言ったところか!」

「いや全然違う。なぜそうなる?」

 

 そこから始まる刀と槍の応酬。だがドーナシークの槍が渚を防戦へと追いやっていく。ギリギリの紙一重で躱すのが精一杯の渚。今にも切り殺されそうな状況に戦いを見守る一誠の緊張が増す。

 

「くく、どうした? つまらんぞ、反撃はないのか? 出来る筈もないか。人間の細腕で堕天使の豪腕から繰り出される槍を止められるだけ誉めるべきだな」

「……ッと、よく喋るなぁ」

 

 懸命に避け続ける渚。横から来た大振りの槍が来るも受け流す。人間とは思えない腕力が風を巻き起こし、一誠が思わず手で顔を(おお)う。

 端から見てもドーナシークは尋常じゃない。腕力だけでも大型野性動物を凌駕するだろう。

 その重い一撃が渚の脳天に向かって降り下ろされる。

 渚はそれを(いま)だ鞘に納めたままの刀で受ける。しかし彼の靴が若干コンクリートに埋まった。

 

「蒼井ッ!」

「ほら、潰すぞ?」

(おも)っ……」

 

 槍の重さに耐えきれず渚の肩に光刃が食い込み始めた。微かに焼かれる肉。

 渚が殺されると一誠は思う。膂力(りょりょく)が違い過ぎる。速さと力が赤子と大人以上の差があり、渚の勝ちが想像できない。

 

「もういい! 逃げろ、バカ野郎!」

「言ったろうが、なんとかするって」

 

 攻撃を(ふせ)ぎながら渚は言葉を返した。

 

「"なんとかする"? 笑わせる、この状況で貴様に何が出来るのだ?」

 

 ドーナシークの嘲笑(ちょうしょう)(もっと)もだ。脳天から迫る槍はもうじき渚の体を寸断するだろう。だが渚は顔色一つ変えずに唇を動かす。

 

「アンタ、……ドーナシークさんだっけ? 年長者に向かってこう言うのもアレだけど色々と雑だよ」

 

 渚が刀を横から縦にすると同時に半歩後ろに退いて半身となる。鉄鞘(てつさや)沿()って光槍が激しく火花を走らせるとすぐ脇を通り地面へ先端を埋めた。綺麗に受け流した槍を渚が荒々しく踏みつけて動かないように固定する。

 

「こちとら初めての堕天使戦だから色々と見極めてたけど手加減しすぎじゃないのか? 踏み込みも、間合いも、武器の扱いも、全部がダメ過ぎて逆にビビったわ! 俺の緊張を返せ、背中なんか汗びっしょりになったんだぞ! やる気あんのか! これなら毎晩会ってる"はぐれ悪魔"の方が何倍も恐ろしいっつの!!」

 

 渚が苛立ちを吐き出すように好き勝手わめき散らす。そしてドーナシークの顔面に拳を突き刺す。クリーンヒットした攻撃は一撃でドーナシークを地面に沈めた。

 

 一誠が呆気(あっけ)に取られる。渚があっさりとドーナシークという怪物を倒したからだ。ついさっきまで負けると思っていたが、実際には武器すら抜かずの圧勝。たった一撃の決着だった。

 

「よし、人間サイズなだけにやりやすい」

 

 ガッツポーズを決めた渚が一誠に近づく。

 

「大丈夫か?」

「あ、ああ、さんきゅ。蒼井、お前って意外っつかなんつうか強い……んだな? 体育の時間とかいつもボォーとしてるから運動が出来ない奴だと思ってた」

「あー、あれは立ったまま半睡眠してるんだよ。重心を中央からブレないように注意するのがコツだ」

「……寝てたのかよ。まぁいいや、それよりもアイツどうすんだよ?」

「意識はないみたいだし、グレモリー先輩のトコまでしょっぴくさ」

「なんでリアス・グレモリー先輩なんだよ?」

「それは纏めて説明するから学校に戻るぞ」

 

 一誠が渚の言葉に頷く。

 どうやら全てを知るにはリアス・グレモリーに会うしかなさそうだ。

 そう思い、立ち上がると心臓が大きく波打つのを感じた。同時に何故かドーナシークへ視線が動く。本能が察知したとしか言えない緊張に全身が硬直する。一誠と渚の視線の先には、先程までなかった筈の"黒い闇"があった。

 

「……倒されたか。人間を舐めすぎたな、ドーナシーク」

 

 倒れ伏すドーナシークにそう言ったのは全身を黒い布で隠す謎の人物。

 黒ずくめの人物は一誠たちの方へ向いた。

 瞬間、左手が疼く。一誠に"逃げろ"と伝えるように激しく脈打つ。本来なら左手の異常に驚くべき所だがそれどころではない。

 あの黒い人物を認識しただけでドーナシークとは比べ物にならない戦慄が圧迫感となって全身を締め付けるのだ。

 一誠は呼吸すら忘れて相手の様子を窺った。下手に動けば"アレ"を刺激するかもしれないためだ。"アレ"は全てが違う。"アレ"は手を出してはいけない存在だと本能が叫ぶ。

 

「リアス先輩、聞いてないですよ。あんなヤバイのが居るって……」

 

 人外(ドーナシーク)を退けた渚の言葉である。

 危機感を宿した余裕のない渚が一誠を庇うように前へ出た。その横顔には冷や汗が見える。一誠と同様の戦慄を肌で感じているのだろう。それでも渚は小さく震えながらも言った。

 

「どちら様で?」

「この男の連れだ。悪いがコレは回収させてもらう」

「……こっちと戦る気はないと?」

「挑むなら応えよう。だが、その態度からして解らん訳ではないだろう?」

「ああ、自殺願望はない。とっとと連れてけ」

「気丈だな。全身を震わせてなお強気な態度。ならばある程度の敬意を(ひょう)そう。我が名はクラフト・バルバロイ。"アルマゲスト"に席を置く"砕きし者"だ。少年たちよ、お前たちとは(いず)れ合間見える時が来るだろう。それまでに我が敵対者となっている事を切に願う」

 

 黒ずくめの男が言い切ると、ドーナシークと共に景色に溶けるように消えた。

 夕暮れの公園に静寂が訪れる。

 クラフト・バルバロイと名乗る男が消えて十を数えると同時だった。

 

「「死ぬかと思ったぁ」」

 

 凄まじい圧力から解き放たれて二人が地面に座り込む。

 生きた心地がしなかった。むしろ生きているのが不思議な位である。そう思わせる"何か"があの黒ずくめ男にはあった。

 

「ドーナシークを倒した蒼井でも、やっぱダメなのか?」

「直に感じたんなら解るだろ? ありゃ無理だわ、絶対ドーナシークよりも強い……ていうか桁が違う。俺が気配を感じなかったのはアイツで二人目だ。見ろ、手もガクガク」

「俺も脚がやばい」

 

 渚が心底安堵している事からも非常に危うい状況だったのだろう。正に命拾いである。

 全てが終わったあと現実離れした体験に一誠は精魂つきたのか力なく項垂(うなだ)れるしかなかった。

 だが兵藤 一誠は頭の(すみ)で予感があった。今日より自身の日常は様変わりすると……。

 その考えに同意するように、一誠の左腕が再び疼く。

 

 ──目覚めの時は近い。待っているぞ、相棒。

 

 胸の奥で、そんな声を聞いた気がした。

 





ドーナシーク、君の出番は終わりだ。

11/9 誤字を修正しました。


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堕天使と白雪姫《Top of the Fallen》


白と黒。
あの方たちの登場です。
アリステアはバグキャラなのであしからず。




 

 白いノースリーブのブラウスとジーンズを着こなす少女が日暮れ時の街を一人歩く。夕焼けの光を反射して輝く白銀の長髪を風に(なび)かせた姿は幻想的な雰囲気を際立たせ、道行く人が振り返るのを義務付ける。

 少女の名はアリステア・メア。彼女は今、駒王町より遠く離れた日本の首都、東京のオフィス街に足を運んでいた。

 流石は首都とあって人口密度が駒王とは桁違いである。整備された交通機関、人の声や車が走る音、ビルに設置された巨大モニターから流れる宣伝広告。落ち着きのない大都市の全てがアリステアの五感を否応なく刺激する。

 そんな、ごった返す慌ただしい表通りを避けるように裏道へ入るアリステア。しばらく奥に進み、ある一角で足を止めた。

 

「"fallen(フォーリン)"。ここですか」

 

 視線の先には一件のバーの看板。

 

「清々しいくらいに捻りの無い店名ですね」

 

 店自体は地下にあるので階段を降りないと入店が出来ない作りになっていた。

 アリステアは店名に呆れながらも迷い無く地下にあるバーへ入る。中は小綺麗で大人が好みそうな静かで落ち着いた佇まいである。隠れた穴場という言葉が合いそうな店だ。

 バーのマスターらしき男が一礼するのを見てからカウンター席へ。

 

「お一人かい?」

 

 そう声を掛けてきたのは、数席ほど空けた場所に座る二十代後半くらいの男性だ。不良めいた独特の雰囲気と成熟した美形は、数々の異性が虜にされたでろう魔性を持ち得ていた。

 しかしアリステアは彼の容姿に然して反応せずに淡白に答える。

 

「いえ、人を待っています。マスター、オススメのカクテルがあればお願いします」

「お好みをお聞きしても?」

 

 アリステアの言葉にマスターが吹いていたコップを置いて訪ねた。

 

「アルコールは控えめに、甘くてサッパリとした……それでいて見た目の良い一杯を」

「畏まりました」

 

 サラサラと注文するアリステアに店のマスターは文句を一つ漏らさず酒を作り始めた。やがて銀のシェイカーが小気味良い音を店内に響かせる。

 そんな中、先の男性が意地の悪い笑みでアリステアを見た。

 

「お前さん、未成年だろう?」

「そうですが?」

 

 酒の入ったグラス片手にした男に、アリステアは平然と返す。堂々とした物言いは自身に過失はないと言いたげだ。

 

「最近の若者は進んでるねぇ。本当なら飲酒は成人になってからって言うべきなんだろうな」

「私の故郷(くに)では飲酒してもいい年齢なので問題はありませんね」

「ここは日本だとツッコんでほしいのか?」

「さあ」

 

 世話話をしていると注文の品が出てくる。蒼い海のような美しい色合いのカクテルだ。

 一口だけ頂くと味わい深いサッパリとした飲み心地にアリステアは満足する。

 

「美味しいです」

 

 マスターに賛辞を贈ると一礼が返ってきた。

 

「なるほど。飲み慣れてるな、お嬢さん」

「おじ様には敵いませんでしょう?」

「おい、俺の何処がおじ様だ? まだまだ若いだろうが」

「外身はともかく中身は色々と熟練した方とお見受けしますよ」

「面白いお嬢さんだな、名前を聞いてもいいか?」

「アリステアといいます。よろしく──堕天使総督のアザゼルさん」

 

 男、アザゼルの口元が意味ありげに弧を描く。

 

「へぇなぜわかった?」

 

 名がバレていたことなど気にせずアリステアはアザゼルの疑問に答えた。

 

「簡単ですよ。ここにいる者は()()()()()全員が堕天使です。その中で貴方の存在は一際大きく目立ちすぎる」

「生意気にも気配を読んだって訳か」

「似たような物と考えて貰って結構。私は招待状を貰ってここに脚を運びましたが、まさか組織のトップが直々に待ちかまえているとは嬉しい誤算です」

「さてどうかな、影武者かもしれねぇぜ? ウチもデカい組織だ、そんなのは幾らでもいる」

「これ程までに強い存在感を秘める輩がアザゼル以外の者だと考えにくい。それに護衛の質が真実を物語っていますよ」

 

 周囲の席に目配せするアリステア。客のフリをしているが一人一人が並の堕天使ではない。

 極めつけは裏に待機している者だ。姿は見えないが凄まじい力量を隠そうともせず、アリステアへ戦意を向けている。この過剰ともいえる戦力が、目の前の男を堕天使の総督だとアリステアに教えてしまっていた。

 

「まぁ外野は勘弁してくれ。仲間連中がどうしてもって聞かなくてな」

「たかが女一人に大袈裟ですね」

「はは、お前さんは人界の堕天使領域に侵入して色々とやらかしたんだ、()()()とは思わんさ。全く一体どんだけ負債になったか分かってんのか?」

 

 言葉の割りにアザゼルから怒り感じない、せいぜい苦言を洩らす程度だ。そんな彼に対してもアリステアはカクテルに口を付けてゆっくりと声を走らせる。

 

「生憎、そちらとのコネクションが無かったので、力で相応の者を引きずり出そうとしたんですよ」

「危険なやり方だ。その前に自分が殺されるとは考えなかったのか? お前さんの行為は宣戦布告に等しい、実際ウチの奴等はカンカンだぞ……」

「異な事を聞きますね。アザゼル総督、私が貴方に敵わない所は多い。知力、財力、統率力、経験、挙げればキリがないでしょう。ですが、一つだけ貴方にも後ろに隠れているだろう"彼"にも負けないモノを持っています」

「そりゃなんだ?」

 

 興味ありげにアザゼルは先を促す。

 

「──純粋な戦闘能力です」

「ハッ、小娘が言い切るじゃねぇか。おい、ヴァーリ……だそうだが?」

 

 アザゼルが呆れ半分と言った感じで店の奥に声を掛ける。するとアリステアと同年代らしき者がやってくる。アリステアよりも少し(くら)い銀の髪を持つ少年。お互い似た者同士であるがアリステアは白雪の妖精を思わせる清廉さに対してヴァーリは魅惑的な魔性を纏っているのが最大の相違点だろう。

 

「ああ、聞いていたよアザゼル」

「たく、嬉しそうな顔しやがって」

「これは仕方がない、それにアザゼルも気づいているんだろう?」

「まぁな」

 

 アザゼルが頭を掻く。

 彼はキチンと状況を把握している。十代半ばの少女であるアリステアの言葉は文字通り真実だと……。

 アザゼルの持論であるが戦闘能力の大まかな采配は経験にイコールする場合が多い。

 基本的に短命な人間が他の種族よりひ弱と揶揄されるのは、この要素が大きく影響しているのも事実だ。

 しかし稀にだが、経験を超越したイレギュラー(人間)が生まれてくる事がある。

 その者たちは経験というアドバンテージを才覚や異能によって補い、自らよりも強力な者を時として圧倒する。それらは長きを生きる者たちにとって天敵にも等しい存在、人の身で偉業を為す彼らを(みな)はこう(たた)えるのだ──英雄、と。

 間違いなくアリステア・メアはそれに分類される人種だ。

 数万の時を生きたアザゼルの蓄積された勘と経験が、この少女は今言った"化  物(イレギュラー)"に値する者だと告げていた。

 力量的にも未知な部分のあるアリステアは堕天使にとって危険因子に為り兼ねないが直接の戦闘は避けたい相手だ。

 総力戦ならまず負けないだろう。例えアリステアが魔王クラスを越えるとしてもアザゼル側には大戦を生き抜いた歴戦の猛者もいる。それを差し引いても切り札が二枚もあるのだ。

 

「悪い顔をしていますよ、総督? そう、まるで戦力の暗算をしているようなね」

 

 言いながら優雅に酒を(たしな)むアリステア。

 彼女自身も"神の子を見張る者"と正面から対峙して只で済まないの分かっているだろう。

 アザゼルの考えを肯定するように銀の少女はこう続けた。 

 

「これは未確定な情報ですが最上位の神器、"神滅具(ロンギヌス)"の所有者が二人もそちらに付いているとか。仮にそうであれば私の勝ち目は薄いかもしれません」

「中々に情報通じゃねぇか。そりゃ事実だ、つまり俺の指示一つで組織はお前だけを潰すために動く」

「やめた方がいいでしょう。──そうなった場合、堕天使という種族は確実に滅びます」

「根拠は?」

 

 断定とも取れる言葉にもアザゼルは怒りを見せなかった。ただ黙ってアリステアの言葉を待つ。

 

「貴方なら分かっているのでしょう? 仮に私と戦えば貴方が優勢です。ですが組織に致命的なダメージを必ず与えます、必ずね。さて、そんな疲弊した"神の子を見張る者(グリゴリ)"を狙うのは誰でしょう? 悪魔? 天使? もしかしたら他の神話体系が攻めてくるかもしれません。──その時、堕天使は生き残れますか?」

 

 アリステアの余裕と決意が混じる笑みは確実にそうなると告げている。

 バーの壁に背を預けて面白そうに話を聞くヴァーリ。恐らく、そうなったらそうなったらで構わないと考えているのが見え見えだった。

 アザゼルも今さら戦って死ぬのは恐れていない。そんな甘い人生ではなかった。だが堕天使の同胞たちが無惨に散るのは看過できない。

 

「危険因子として私を排除したいのであればどうぞ、今からでも相手になります。その場合、アザゼル総督には死を覚悟して頂きますが……」

 

 歴史なき英雄の宣言に、店内に潜んでいた堕天使たちが敵意を膨らませた。

 殺意の充満した空間に孤立無援なアリステアだが、その瞳に妥協はない。必ずや全員を討ち取るという気概すら感じられる。

 アザゼルが片手を上げて部下たちの戦意を納めさせる。若干、挑発めいた発言もしたが本気でアリステアと戦うつもりはない。彼女もそれは分かっているだろう。

 ここはあくまで話し合いの場だ。そういうスタンスなのをアリステアも自覚している。対話の呼び掛けに答えた時点でアザゼルまたは"神の子を見張る者(グリゴリ)"という組織に何らか望みあるのは明白だ。

 

「やれやれ、こっちは無駄死にはしたくないんでね。お前との戦闘は勘弁だ」

「そう高く評価してもらっては照れますね」

「何が照れるだか……。本当にそう思ってんならソレらしくしろ、可愛くねぇぞ」

「おや、ルックスでは人種(ひとしゅ)の中でも最上級と自信を持っているのですが?」

「中身の話だ、中身の」

 

 アリステアは堕天使のトップを前にしても億さない傲岸不遜な態度を貫く。

 

「お前やヴァーリみたいなモンが出てくるから人間ってのは恐ろしい種だと常々思うね」

 

 底が見えない人間の可能性に内心を吐露するアザゼル。

 

「お誉め言葉として受け取っておきます」

 

 まさかこの感覚を人生で二回も体験するなど夢にも思っていなかったアザゼルが、一回目にソレを味合わせたヴァーリに目配せして席に座るように指示した。小さく肩を竦ませて席に座るヴァーリ。

 アザゼルとヴァーリに距離を取って挟まれたアリステアが視線だけを流す。

 

「ヴァーリ・ルシファーだ」

「アリステア・メアです。貴方は人と悪魔のハーフですね。三つの気配と二つの魂。片割れは龍で相違ないですか?」

「驚いた。ハーフという事すら見抜いてアルビオンの存在まで当ててくるとは凄いじゃないか」

「それはどうも。しかしアルビオンときましたか。その内に宿す魔力色とルシファーの名から、さしずめ旧魔王の血筋といったところですね?」

「大した慧眼だ、恐れ入るよ」

「"魔王(ルシファー)"の血筋に"白龍皇(アルビオン)"の力、今代の赤龍帝には同情を禁じ得ません」

 

 興味なさげにアリステアは言う。それにヴァーリが笑みを溢す。

 

「だが君と言う難敵が現れたわけだ」

「戦闘に快楽を感じる方のようですが、あまり感心しませんよ」

「強い力を持った者の(さが)だと俺は思うけどね。君は違うのかい?」

「分からないとは言いません。ですが今日はアザゼル総督との対話に来ています。白龍皇と殺り合うつもりはない」

「それは残念だ。まぁ話の邪魔をするほど無粋じゃないさ。俺の人生に(うるお)いを与えてくれる者がいる、それが分かっただけでも意味はあった」

 

 満足げなヴァーリは視線でアザゼルに会話のバトンを渡した。

 

「若い者同士の紹介も終わったな? ……んで接触を図ろうとした理由を聞かせてもらうぜ、アリステア。戦争がしたいわけじゃないのは分かってる、何が目的だ?」

 

 アリステアが破壊した堕天使の施設は大きいモノだけでも30以上は下らない。それでいて軽傷者は出たが死者は皆無。しかも施設の重要箇所はワザと避けて襲撃している。多少、研究が遅れるが十分に挽回が可能な状況だ。破壊活動にしては(ぬる)すぎるやり方を繰り返すアリステアに"誘い"の疑惑を持ったアザゼルは直接コンタクトを取る事にしたのだ。

 だからアリステアはこの場にいる。

 

「欲しいモノがあります。個人で探すのは骨が折れそうなので大きな組織の力を借りたい」

「軽度にしろ、こっちは被害を受けてる。そんな輩と手を結ぶのは難しいと思わねぇのか?」

「勿論、理解しています。ですので今から私という危害を利益に変えます」

「ほう、俺に何をもたらす?」

「アザゼル総督は"神 器(セイクリッド・ギア)"がお好きですよね?」

「興味の対象ではある、それがどうした?」

「一つはその神器についての情報です。私は四つの上位神器所有者を知り得ています」

「上位神器ねぇ。物にもよるが?」

 

 アリステアの言葉は神器マニアであるアザゼルにとって悪い話ではない。しかしこれで頷いては組織のトップとして立つ瀬がないので我慢する。ヴァーリがアリステアの影で笑っているのが見えた。恐らくアザゼルが責任と欲望の間で葛藤しているのを見抜いているのだろう。

 だが次の言葉で責任が瓦解した。

 

「まずは"魔剣創造(ソード・バース)"、"停止世界の邪眼(フォービトゥン・バロール・ビュー)"」

「む!」

 

 アザゼルの握るグラスがあからさまに揺れた。思った以上にレアな神器だったためだ。

 

「次に竜王らしき神器。これは五つに別れた邪竜の一欠片だと思います」

「"黒 い 竜 脈(アブソーブション・ライン)"か!」

 

 更なるレア物にグラスをひっくり返すアザゼル。周囲にいた部下たちの視線が集まる。

 

「あー、お前ら悪い。なんでもねぇよ」

 

 あしらうように言葉を放つと全員が視線を逸らした。それと同時にアザゼルが興奮収まらぬと言いたげにアリステアのすぐ隣までズズッと移動する。

 

「おいおいおいマジかぁ。"黒蛇の竜王(プリズン・ドラゴン)"の分かたれた"神  器(セイクリッド・ギア)"の内、最後の一つの場所を知ってんのか? それだけが見つからなくて探してたトコだぞ、チキショウめ!」

 

 子供のようにはしゃぐアザゼルにアリステアが後退する。

 

「ヴァーリ・ルシファー、総督の具合がおかしいのですが?」

「これは病気みたいなものだ。気にしない方がいい」

「アリステア、最後のトリはなんだ? もうお腹一杯なんだが!」

「子供ですか。ちょっと顔を近づけないでください」

「アザゼル、周りの部下が混乱してる落ち着いてくれ」

「おっと悪いな」

 

 冷静さを取り戻したのかアザゼルが身を引いた。

 

「最後の一つ。これを教える前に私の有用性を示したいと思います」

「有用性?」

「ええ。……話は変わりますが私には神器の存在をある程度把握する体質が備わっています」

「ある程度とはどの程度だ?」

 

 神器を見つける術は堕天使側にもある。しかしそれは疑わしき人物を特定し、さらに詳しく調べて神器の有無だけを察知するというものだ。

 結局、発現までは何が出るか分からないのが正直なところだった。

 

「神器のおおまかな属性と大きさですね。それから昔の文献を調べ、今の三つともう一つの神器を推測しました」

「それが事実だとすれば凄まじいが本物か?」

 

 悠久の時を掛けて神器研究に没頭したアザゼルだからこそアリステアに疑いを向ける。神器はブラックボックスの塊だ。

 聖書の神が残した最高にして最悪の奇跡。存在理由も製造理由も不明。未知という言葉を形にした代物なのだ。

 その詳細を見抜ける体質などアザゼルの長い人生でも聞いたことがない。

 

「信じて良いんじゃないか、アザゼル? 実際、俺の内にいるアルビオンを見抜いた」

 

 考え込むアザゼルにヴァーリが口を出す。

 

「そうだが……」

「ならもう一つだけ確証を与えます。アザゼル総督、その胸の内にあるのはアルビオンに迫るほどの竜種を宿した神器でしょう?」

 

 アザゼルの着るジャケットの内ポケットにあるモノをアリステアが指差す。

 

「……人工神器に内封されたファフニールすら気づくか。いいぜ、全面的に信用してやる。最後の神器を言いな」

 

 アリステアがカクテルを上品に飲み干すとアザゼルの望み通りに言った。

 

「私が知る最後の一つは──"赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"です」

 

 この言葉にアザゼルが目を見開きとヴァーリが口を大きく弧の字に歪めた。周囲の堕天使もどよめく。

 それもそうだ、"赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"はヴァーリが持つ"白龍皇の光翼(ディバイン・ディバイディング)"の対であり、最も世界に被害をもたらしている"神滅具(ロンギヌス)"の一つだ。

 二つの神器に宿るのは"ドライグ"と"アルビオン"と呼ばれるドラゴン。最強と言われる種の中でも"天 龍"と評されるほど凶悪かつ強大な者たちだ。そんな二匹は宿命のように争う習性を持っているため出会えば殺し合う。天龍同士の戦いが極まれば人も国も瞬く間に滅びる。そんな危険性を孕んでいるのだ。

 

「そいつの場所を教えろ」

「ああ、俺も是非とも知りたいな」

 

 アザゼルが真剣な眼差しでアリステアを見る。そこには危機感すら抱かせるほどだ。これ以上引っ張る必要性もないとアリステアは求められた情報をあっさりと口にする。

 

「全て駒王町と呼ばれる地方都市に集結しています」

「よりにもよってそこか、なるほど俺の目が届かない訳だ……」

「問題のある土地なのか?」

 

 ヴァーリの質問にアリステアが答える。

 

「駒王は日本で唯一の悪魔領土なんですよ。管理者はグレモリー次期当主、彼女が何者かは知っているでしょう?」

「合点が言った。現魔王の妹君というわけか」

「加えてソーナ・シトリーも滞在中です」

「へぇすごいじゃないか。魔王の親族が二人も滞在する街なんて、これはアザゼルでも手を出しにくい」

 

 くつくつ小さく嗤うヴァーリの言葉にアザゼルが片手で頭を抱える。

 

「ああ、まったくだ。堕天使が悪魔領土に侵入するのもヤバいのに、魔王の妹が二人もいる街となれば大戦の時計針が一気に振り切れる」

「1947年の"世界終末時計"ですか。確かに今の状況はよく似てますね。それを踏まえて残念な情報があるのですが、お耳に入れても?」

「なんだ?」

「駒王には既に堕天使が侵入し、一般市民に危害を加えています」

「なん……だと……」

 

 ここに来てアザゼルが驚愕する。次に大戦が起これば三大勢力と呼ばれる悪魔、天使、堕天使は必ず共倒れになる。だからこそ部下たちに他の勢力は極力刺激するなと厳命していた。なのに自分の預かり知らぬ場所で事が進んでいる。組織のトップとして致命的なミスだ。いや、下っ端の者が勝手に動いたとしても必ず情報は上がってくるはずなのだ。厳命とは文字通り厳しく取り扱う命なのだから。

 それがないという事は上手く隠蔽されていると考えるのが妥当だ。アザゼルの目を盗める者などそうはいない。いるとすれば"神の子を見張る者(グリゴリ)"の内部情報をよく知っている幹部クラスでないと不可能だ。

 そしてアザゼルの脳裏に思い当たる人物が一人だけ浮かぶ。

 

「あの野郎……。ついにやりやがったか」

「どうやら元凶に覚えがあるようですね」

「ああ、駒王の件は"神の子を見張る者(グリゴリ)"の意思じゃねぇ」

「グレモリーはそう思わないでしょう。そこでですが、全て私が処理をしてもよろしいですよ」

「何?」

「堕天使討伐のために部下を送れば更なる混迷を誘い、"白龍皇"を送れば貴方の手札を晒すことになる。最悪、駒王に住む"赤龍帝"が共鳴して色々と危うい。しかし私なら問題はない」

「お前に借りを作れってことか?」

「まさか。これは私が行った負債の返済、そう思っていただければ(さいわ)いです。悪い話ではないでしょう?」

「確かに悪い話じゃねぇな。だが乗ってやる前に聞かせろ、お前の欲しいモノってのはなんだ? デカい組織を使うんだ、それなりのモンなんだろう?」

 

 アリステアが空っぽになったグラスの口を指で軽くなぞり、一息入れるとアザゼルへ身体ごと振り向く。

 

「私が欲しているのは最強の神滅具──"黄昏の聖槍(トゥルー・ロンギヌス)"です」

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

「災難でしたわね、蒼井くん。堕天使と交戦したとお聴きしましたわ」

 

 夜も暗くなった駒王学園。部活動の生徒も帰宅して学園は人から悪魔の時間へ様変わりする。

 つい先ほど堕天使ドーナシークを退(しりぞ)けたばかりの渚は蝋燭(ろうそく)が灯るオカルト研究部の部室でソファーに座っていた。そんな渚に紅茶を出してくれたのは副部長である姫島 朱乃だ。

 大和撫子を体現したような柔らかな笑みと仕草で渚の対面側に腰を下ろす。

 

「堕天使は苦労しませんでしたよ。あとから出てきた人がヤバかったですけど」

「その方は堕天使ではなかったのですか?」

「多分、違うと思います」

「堕天使側に寝返る神父もいますが、その類いでしょうか」

「人間と言われても首を傾げたくなりますね。それぐらい異常な存在だったので」

 

 夕暮れの公園で会った黒ずくめの男──クラフト・バルバロイ。

 あの時感じた戦慄に比べれば"はぐれ悪魔"との相対すらもマシと思える。

 それなりの修羅場を潜ってきた渚だったがクラフトと向き合った時は命を諦めかけた程だ。

 後ろに一誠が居なければ恐らく恐怖で動けなかっただろう。自分がやらなければ友人が死ぬという現実が結果的に精神的な支えになったのだ。

 その一誠だが、今はリアスと二人きりで会話をしていた。部長が使う席の前で立つ二人に渚は何となく目を向ける。

 

「アイツ、やっていけるかな」

「心配?」

「まぁ一応、こちら側の大変さはよく知っているつもりなんで……」

「うふふ、蒼井くんは特別大変ですからね。メアさんとほぼ毎晩"狩り"に出ているのでしょう? 貴方達の存在が私たちにとってどんなに助かっていることか」

 

 朱乃の称賛に少し照れ臭かったのか渚が頬を掻く。

 

「蒼井!」

 

 リアスとの話が終わったのか一誠が渚のもとへ駆け寄ってくる。

 

「ん、なんだ?」

「俺、悪魔になるよ」

「あらあら、随分と思いきりが良いですわね」

「はい! グレモリー先輩と姫島先輩の元で己を鍛えていきたいと思う所存です!!」

 

 ビシッと背筋を正して朱乃に挨拶をする一誠。

 存外にすんなりと受け入れた彼に渚は拍子抜けする。悪魔となれば今までの生活が一変すると分かって言っているのだろうか、と疑念すら沸いたくらいだ。

 

「……いいのかよ、そんな簡単に決めて」

「ああ、俺、決めたんだ。──ハーレム作る!」

「は?」

 

 いきなりの宣言に面を食らう。

 この男はハーレムを作るためだけに悪魔になると言うのだろうか……。

 

「悪魔は一夫多妻もありらしい。これを聞いたら頷くしかねぇだろうが!!」

 

 こう続ける一誠に、渚は頭を抱えた。

 悪魔になるという事がどんな意味を持つのか享受したくなった程だ。

 

「お前、公園で起きたこと忘れたのか?」

「勿論、覚えている」

「つまり、ああいう輩とこの先、命の奪い合いをする場面もあるんだぞ」

「そうだな、正直それは怖い」

「それでもハーレムのためって理由で悪魔になるのか?」

「つかさ、既に悪魔な時点でそれしかないだろ」

 

 道理だ。

 渚が苛立った所で一誠の取れる選択肢は酷く少ない。それを与えれない渚が幾ら(いきどお)っても無意味だ。

 そこで初めて、自分が兵藤 一誠に出来る事は何もないという現実を前に苛立っていただけだと気づく。

 友人だからこその怒りであったが、それをダシにして他人の人生に口を出すなど傲慢だと自嘲する。

 そして自らの考えと口に出た言葉の浅はかさを恥を覚えた。

 

「悪い偉そうなこと言った」

 

 一歩引いた渚に一誠が「それに」っと付け足す。

 

「夕麻ちゃんに会うにはこれが近道っぽいしな」

 

 恐らくそれが本命。証明するように一誠の表情が引き締まったから間違いない。

 会ってどうするのだろうか……。漠然とした勘だが殺すなどとは夢にも思っていない様子だ。

 しかし一誠は悪魔として生きることを選び、夕麻は堕天使だという。そんな両者が会ったところで始まるのは殺し合いだ。一誠にその気はなくても相手は確実にそうしようとする。

 リアス・グレモリーも夕麻を滅ぼすために動くだろう。渚もそれに殉ずることになるはずだ。

 一誠の後ろで立つリアスを見ると、渚の考えを肯定するような複雑な心境で新しい眷属の背を眺めていた。渚の隣に立つ朱乃も同様だろう。

 そんな夕麻に好意を持つ一誠に「あなたの彼女を殺す必要がある」と言えばどんな顔をするかなど想像に容易い。

 下手にリアスが夕麻を討てば、主人への不満から一誠が"はぐれ悪魔"と化す将来もあるかもしれない。

 それが分かっていて、言葉を発せないリアス()朱乃(女王)。この夕麻(堕天使)に対する一誠の好意がデリケートな問題だと十分に理解しているのだろう。

 だから渚が切り出すことにした。

 

「……兵藤、俺はこの町のために数えきれんほどの"敵"を斬って来た、多分これからも続けると思う」

「え、ああ、グレモリー先輩から聞いたよ。蒼井が駒王町の平和に貢献してるって……」

 

 貢献という単語には首を傾げたくなる渚だが、アリステアの下で"はぐれ悪魔"と戦っているのだから真実でもある。

 

「で、だ。天野 夕麻は()()敵だと思ってる。誰であろうと日常を脅かす奴は容赦なく殺す」

「渚!?」

「蒼井くん!?」

 

 リアスと朱乃の驚く声。

 それもそうだ。渚が自ら相手を殺すと宣言したのだ。これは渚と親交があるリアス達にとって耳を疑う物言いだった。

 前提として渚は荒事を嫌う。殺しに来る敵は倒してしまうが積極的に戦いに行く性格ではない。加えて自己評価が低い傾向にあるので、何かを実行する時にこうまで強く言い切る事など殆ど無いのだ。

 しかしこの言葉こそ一誠には必要だった。それが一誠にとっては決して許せないものだと知っていても……。

 予想通り、渚は一誠に胸ぐらを掴まれる。

 

「おい、あの子をなんだって?」

 

 低い声だ。さっきまでの親しさなど欠片もない怒りが瞳に宿っていた。対する渚は冷たい瞳だった、見下すような目で一誠の熱を受け流す。

 

「殺すって言った。天野 夕麻は俺にとって排除対象だ、見つけ次第──ぶった斬る」

「てめぇ!」

 

 一誠の拳が渚の横っ面に突き刺さる。

 頬が熱くなり、骨が軋む。本気で殴られたようだ。何歩か後退するも足を踏ん張り倒れるのを防ぐ。

 

「ふぅー、満足か?」

 

 切った唇から流れる血を指で払う。

 

「お前はそんな奴じゃないだろ! 女の子を……殺すとか似合わねぇよ」

 

 一誠の怒号。それは信じてた人間に裏切られた者が見せる悲しみでもあった。

 自分を信じているからこその一誠に怒り。胸がジクジクと痛むが今さら後には退けない。

 一誠には、ここで夕麻への認識をある程度変えて貰う。これは一誠の身の安全とリアスとその眷属に被害を出さないため必要な事なのだ。

 

「遊びじゃないんだ……。兵藤、忘れたのか? お前は天野 夕麻に殺されたんだ。また違う人が……無関係な人が被害に合うかもしれない。次は誰だ? 松田か? 元浜か? もしかしたら桐生かもしれない」

「そんなのは可能性の話だろう!」

「馬鹿かッ! その可能性が現実になった時、どう言い訳をする!! "運が悪かった"なんて言葉で片付けるつもりか?」

「だけど……」

()()()じゃないんだよ、()()()()。グレモリー先輩はただの悪魔じゃない、町の管理者だ。この駒王に住む人たちへの責任がある。お前の言葉で重い責任と眷属の想いの間で苦しむ。──それでも彼女(夕麻)を助けたいのか?」

 

 息苦しい沈黙が部屋を包む。リアスも朱乃も口を開かず一誠の言葉を待つ。

 

「俺は夕麻ちゃんにもう一度会う。会ってから決めたい」

「あっちは殺す気で来るかもしれない」

「それでも……──好きなんだ」

 

 渚は一滴の涙を見た、恥を惜しまず目元に潤ませる一誠。

 そこで自らの限界を悟る。これは一誠を責めらないという渚の救いようのない甘さ。本来なら夕麻は倒すべき者として自覚させるべきなのを渚は諦めたのだ。一誠の"心"と"命"を天秤に賭けて心を選んだ結果だ。優先すべきなのは"命"と分かっていても"心"を無下に出来ずにいる渚の口はこれ以上動かない。

 

「……分かったよ」

 

 それだけ言うので精一杯だった。

 きっと誰がなんと言おうと一誠は"心"のままに夕麻を探すだろう。

 説き伏せる事に失敗した渚に出来るのは精々その時に出る被害を最小限に止めるという役しかない。

 

 こうして互いが意見をぶつけ合った夜は何も解決せずに更けていくのだった。

 





神器大好き総督は理想の上司です。


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正しき悪行《Crim&Punishment》


金髪シスター良いものだ。良いものですよね?



 

「はぁ~~」

 

 初めて友人と喧嘩して殴られた。

 喧嘩相手である一誠の前では大見栄を切ったが所詮は小心者の渚だ。結構な精神ダメージを受けていた。

 拳を貰って腫れた左頬に触れる。殴った一誠の本気が見て取れる痛みはズキズキと全身に響く。

 

「入りますよ、ナギ」

 

 ガラガラと浴室を仕切る戸が躊躇なく横に開いた。

 渚がゆっくりと声の主の方へ振り向くと見慣れた白銀髪の少女が私服姿で立っている。

 三秒ほど二人が無言で見つめ合い、渚が異常事態だと気づいた。今は入浴中、つまり全裸なのだ。

 

「その頬……。喧嘩でもしたのですか?」

「きゃああああああ!!」

 

 思わず全身を抱き締める渚。

 

「気味の悪い声を出さないでください、千切られたいのですか?」

「ひぃいいいいいい!!」

 

 悲鳴が恐怖の絶叫に変わる。……どの部位が千切られるかは想像すらしたくない。

 

「え、何? なんでいるの? つか覗かれてんの俺!? 普通逆じゃないかッ!?」

「こんな堂々とした覗きがありますか。ただ入浴時間が長いので気になっただけです」

 

 まるで母親のような言い分だ。

 

「部屋を訪ねて既に一時間が過ぎました。いつまで待たせるつもりですか、貴方は?」

「いや、なぜに待ってんの?」

「なんとなくです、何か問題でも?」

「それなら自分の部屋、戻れよ!」

 

 ピシャリと渚がガラス張りの戸を閉めて大きく肩を落とす。一体、この状況は誰得なのだろうかと神に問い正したい。せめて逆なら目の保養にはなった。抹殺される未来がすぐ訪れるが……。

 

「……何かありましたね?」

 

 扉越しの鋭い指摘だ。黙秘する渚の態度を肯定と受け取ったのか彼女は続ける。

 

「早く上がりなさい。話ぐらいは聞いてあげますから」

 

 そう言い残してアリステアは浴室から出て行く。見送った渚が止まっていた入浴を済ませるため動き出す。

 少しして風呂から上がると食欲を誘う香りに気づく。思えば学校から帰宅して何も食べていない。

 空腹に誘われるままリビングに向かうとアリステアがキッチンに立って料理をしていた。白雪の髪を後ろで一つに束ねてエプロンをしている姿は新鮮だ。

 

「もうすぐ出来ます。座って待っていてください」

 

 言われるがまま、リビングにあるテーブルに座ると料理が出てきた。

 丁寧に置かれた皿が複数並ぶ。貝や海老、卵などで彩られた瑞々しいサラダ。食べやすいようにスライスされたチーズとハムが挟まれたパン。湯気を立てているのはコンソメのスープだ。そしてメインは、刻まれたマッシュルームとパプリカに特性のソースが乗るパスタだ。色とりどりの料理と食欲を掻き立てる匂い。食べる前から美味いだろうと分かる食事だ。

 渚とアリステアが手を合わせて食事を始める。

 

「切った口が痛い……」

「そんな傷は放っておいてもすぐ治ります」

「冷たい……」

「料理は温かいので、それで熱を取ってください」

 

 渚が言われるままにパスタを口に運ぶ。

 予想以上の美味が舌に広がり、痛さを忘れてがっつく。渚がガツガツと、アリステアは丁寧に料理を食べていく。こうして二人の食事は淡々と進み、やがて皿が(から)になる。不自然なほど会話がないのは落ち込んでいる渚にアリステアが合わせてくれているからだろう。

 

「ご馳走さま」

「お粗末様です」

 

 アリステアが食器を片付けて、再び渚の対面に座る。

 

「では、どうぞ」

「えと、言うの?」

「無理には聞きません。さして内容に興味がある訳ではないので」

「まぁいいか」

 

 そして渚が夕麻の処遇で友人と揉めたことを話す。

 堕天使である夕麻を殺すべきと偉そうな主張しながらも説得できず、果ては一誠のために殺したくない。そんな青臭いどっちつかずな心内をさらけ出すように吐露(とろ)する。結果、どうする事が最善なのかが分からず大いに悩んでいると……。

 話し終えた後、アリステアは「そうですか」と腕を組む。渚は彼女の言葉を静かに待つことにした。

 

「説教したのに相手を説き伏せられないという痴態を(さら)したので嘲笑(あざわら)ってほしいんですね?」

「ちげぇよ! 話し聞いてましたでしょうかっ!?」

 

 真剣さが一気に霧散した。渚の本筋はどうやったら穏便(おんびん)に全てを上手くこなせるかという事だ。罵倒して欲しいわけじゃない。

 

「冗談です。大体これは深刻な問題でもないでしょう。天野 夕麻を半殺しにして捕らえてしまえばいい。生かすか殺すかはリアス・グレモリーと兵藤 (なにがし)に任せれば良いのですよ」

「そう簡単にいかないだろう。夕麻側の戦力も拠点も不明。それに相手には強い奴がいる」

 

 ドーナシークは夕麻の事を知っている素振りだったのを渚は覚えている。ならば仲間と考えるべきだ。つまりクラフト・バルバロイもまた夕麻側にいることになる。アレは多分、渚では手に追えない怪物だ。思い出すだけで全身が寒気に襲われる。

 

「"強い"ですか、ならばその方は私が相手をしましょう」

 

 当然のように手を貸そうとするアリステアに渚は首を振った。

 

「ダメだ、ホントにヤバイ奴なんだ。ステアでも勝てないかもしれない」

「ふふ、面白い冗談ですね」

「冗談じゃない!」

 

 渚が本気で止めようと身を乗り出すがアリステアの細い指が唇に()えられた。

 柔らかな感触は言葉など無粋と言いたげに渚を丸め込む。

 

「ご安心を、この世界で私を殺せる相手などいません」

「そんな訳あるか。ここは化物みたいな連中がゴロゴロしてる。お前は神様相手でもそれを言えるのかよ」

「はい。なんなら首でも取ってきましょうか?」

 

 コンビニで買い物をしてくるような気軽さでとんでもない事を言う。

 罰当たりな自信と美しさすら覚える傲慢さは正にアリステア・メアらしい言い分だ。

 こうまで強気な態度に出られれば無碍にはできないだろう。その頼りがいのある相棒を前に渚もまた自分が望む未来を勝ち取ろうと決意する。

 リアス(恩人)一誠(友人)の助けになるために。

 

「たく、わかったよ。神様の首はいらない、代わりに手を貸して欲しい」

「承りました。──ともせず私、アリステア・メアが敗れる事など在りはしないと武力を以て証明しましょう」

 

 たった二人の小さな陣営はこうして堕天使への武力介入を開始する。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 ──欧州、教会本部ヴァチカン。

 

 

 四大熾天使が描かれたステンドガラスに囲まれる広い一室にて、罪を暴くための儀式が行われていた。

 罪人は年若いシスター。

 裁判官は礼服を纏う年老いた神父。

 それ以外にも多くの教会関係者が集っていた。

 懺悔のように中央の証言台へ立つシスターを周囲の神父たちは忌々しく睨む。

 そんな中で裁判長らしき老神父がシスターを見下ろしながら言う。

 

「罪人、アーシア・アルジェント。汝を主の名の下に刃にて浄殺する」

 

 シスターの少女、アーシア・アルジェントは足を震わせながらも頷くしかなかった。

 教会の教えに従い、神を崇めて生きてきた敬虔なるシスターは一つの正しい間違いを起こした。それは教会の主である神の敵対者、悪魔の救済である。生まれ持った癒しの神器──"聖母の微笑み(トワイライト・ヒーリング)"により()された悲劇と言っていいだろう。

 アーシアは治癒という分野で右に出る者はいない程のヒーラーである。教会は彼女の(たぐ)(まれ)なる能力に目を付け多くの者を救わせた。まるで信仰を集める道具のように……。

 教会の思惑はどうあれ懸命に人を助ける為だけに働き続けるアーシアは"聖女"とまで呼ばれるほど有名になった。

 しかし"聖女の癒し"が怨敵に向けられた瞬間、アーシア・アルジェントの評価は反転する。

 アーシアにしてみれば助けを()われたので傷を治したに過ぎない。

 だが教会は彼女の優しさを強く弾劾(だんがい)する。それは信徒としてあるまじき行動だと……。

 聖女の力が悪魔を救うなど信仰に陰りが生じる。そう考えてからの判断だろう。

 信仰は教会とその上にある天界にとっても重要な意味を持ち、決して失われてならない。それを揺るがしたアーシアは非常に許しがたい罪を犯したと断じられたのだ。

 こうしてアーシアの罪を問う異端審問が開かれる。審問に召集された彼女を待っていたのは複数の教会関係者たちによる激しい怒号と冷たい言葉により責め苦の嵐だ。審問とは形ばかりの心を犯す言葉の暴力に首が締まる錯覚に(おちい)る。

 そして今、判決が言い渡された。

 

 刃により浄殺とは──斬首に他ならない。

 

 反対する者はいない。死んで当然という総意がアーシアの精神を容赦なく叩き潰す。

 声無き悪意にアーシアが倒れそうになる。

 

(なげ)かわしいかな。貴殿(きでん)らは幼い少女に()って(たか)って血を流せと言うのか」

 

 重厚(じゅうこう)なドアが急に開き、(しぶ)い声が法廷を満たしていた悪意を散らす。

 審問の場がどよめく中、偉丈夫(いじょうぶ)の老人が堂々とした歩みでアーシアの隣までやってくる。

 大きな手が泣きそうな少女の肩に置かれた。

 威圧するような巨体さに対して優しい瞳だった。老人は周囲の者を見やると静かだが深く響いた声で席の中央に座る裁判長らしき男性に言う。

 

「審問中に失礼するぞ」

「ストラーダ猊下、何故(なにゆえ)ここに?」

「弁護人がいないなぞ不公平だと思って参上した、早速だが言わせてもらうぞ? ──聖女アルジェントの力は"神 器(セイクリッド・ギア)"である。主の創造物が悪魔を救ったのならば、これも神の意志と私は思う」

「バカな! 幾ら貴方でも言葉が過ぎるぞ、猊下!!」

「私の信ずる神は慈悲深き方。我が信仰の光たる父はこう告げている。"敬虔なる者とて時には間違える、であれば一つの罪で魂まで捧げよとは酷であろう"とな」

 

 一人の老人の言葉に場が飲まれる。彼はアーシアを擁護しながらも信徒として訴えているのだ。

 

「猊下はアーシア・アルジェントの罪を許せというのか……? 他の信徒たちはきっと納得しない、この娘が悪魔を助けた事実が知られれば信仰と共に教会は内部から崩壊するぞ」

「そうさな、ここがなくなれば多くが路頭をさまよい魔の者と戦う戦士も消える。民草も困るだろう」

 

 ストラーダと呼ばれた老人が顎に手をやって考える。

 

「このヴァチカンから離れた辺境の地で暮らさせるのはどうだ?」

「……辺境、辺境か。ふ、いいだろう。……アーシア・アルジェント」

「は、はい!」

「赴任先は後ほど伝える、それまでは待機だ。──閉廷」

 

 ストラーダの登場であっさりと異端審問が終わりを迎え、審問官たちが次々に去っていく。

 異議がなかったのはストラーダという人物が教会内でも重要な位置に座する存在だからだろう。

 最後に残されたアーシアは庇ってくれた老人に頭を下げる。初対面だが周囲の反応から、かなり偉い人物だとアーシアは思った。

 

「あ、あの、ありがとうござました」

「礼の必要はないぞ。確かに貴殿は教会の存続を揺るがす罪を犯した、しかし同時に教会のため真摯に働く姿も見てきたつもりだ。この程度しか出来ない老骨こそ許してほしい」

「命を救って頂いたのに、これ以上のご厚意はありません」

「ならば来た甲斐があった。癒しの聖女よ、ここを離れても健やかにな」

 

 もう一度、深く礼をするアーシア。きっとこの恩は忘れないだろう。

 後日、アーシアの移動先が決まった。

 そこは聞いたこともない辺境の地。

 日本の──駒王町という街だった。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

「ここにもいないか」

 

 駒王町の外れ、人が滅多に通らないだろう山道にある廃屋で渚は警戒を解く。

 山奥に建てられて屋敷から出て日の光を浴びる。

 埃っぽくなった学校の制服を手で払い、駒王の地図を広げて次の行き先を考えた。既に多くのバツ印が書かれた地図を見て悩む。

 天野 夕麻の捜索を始めて一週間たったが収穫はない。こういった普段は人が立ち寄らない場所こそ隠れ家には持ってこいだ。だから昨日の内に目星を付けて学校帰りに寄ったのだが空振りに終わった。

 

「結構、遠くまで来たんだけど無駄骨だな。こんな人里離れた場所に屋敷とか建てんなっつの」

 

 渚がボロ屋敷の壁に背を預けて文句を垂れると茂みの中から私服姿のアリステアが現れる。念のため周囲を確認してもらったのだ。

 

「どうだった?」

「その屋敷以外で拠点に出来そうな場所はありません」

「そっか。色々回ったが見つからないな」

「こうまでして発見できないとなると高位の隠匿術を敷いていると見るべきですね」

「隠匿か。仕方ない、一度街に戻ろう」

 

 樹木が茂る山を降りて舗装されたコンクリートの二車線道路に出る。

 周囲が緑に囲われた道には歩道がないので脇を歩く。

 ここから街の中心まで徒歩で二時間は掛かる。少し急ごうかとアリステアに言おうとした時だ。

 視界の隅に"何か"が目に留まった。ボロボロに朽ちたバス停の時刻表を前かがみになって見つめる人影だ。

 

「シスターですね」

「あ、うん。シスターだな」

 

 白いベールを被り、アタッシュケースを持ったシスター服の少女。

 海外の人だろうかと思いつつ足を進める。

 見るからに困っている様子だ。進行方向にいるので嫌でも近くを通る渚は臆しつつも声を掛ける事にした。

 

「何か、お困り事ですか?」

 

 渚に気づいていなかったのか、シスターはビクリッと身体を強ばらせた。

 恐る恐るといった感じで振り向く。

 綺麗で大きな碧眼が渚を写す。垂れ目気味の瞳は穏やかで優しげな印象を与える。

 しばらく見つめ合うこと数秒。

 

「Ti prego, aiutami!」

「え"」

 

 シスターがペコペコと忙しなくお辞儀をしてきた。

 急に何事かと思いつつ、聞きなれない言葉を前にたじろぐ。盲点だった、アリステアやリアスといった日本語が堪能な海外の面々と接し慣れたせいもあり、言語という絶壁があるのを失念していた。

 とりあえずコミュニケーションをとろうと必死になる渚。

 

「まい ねいむ いず なぎさ あおい?」

「???」

 

 あ、ダメだ、通じてねぇ。

 そう直感すると背後から盛大なため息がした。言うまでもなくアリステアだ。

 

「翻訳術式を使ったらどうですか?」

「あ、ああ! あったな、そんなモン、よし」

 

 ナイスなアドバイスを受けて異能を起こす。翻訳術は名の通り、あらゆる言語を術者の知る言語へ変える魔術だ。少し学べば拾得可能な初歩の術でもある。

 術の影響でシスターの言葉が鮮明に翻訳された。

 

「あ、あの、私、道に迷ってしまって、不躾なお願いで申し訳ないのですが道を教えて頂けませんか? どうしましょう、言葉が通じてないです、はぅ」

 

 ここでやっとシスターの目的を理解する。今にも泣き出しそうな必死さである。

 

「大丈夫、通じてる」

 

 渚の言葉に目を丸くし、感激した様子で胸の前で手を組むシスター。

 

「主よ、この出会いに感謝を捧げます」

 

 よく分からないが自分も捧げておこうとシスターの真似をするがアリステアに小突かれた。

 

「形だけの祈りなど捧げられても嬉しくないですよ」

「すまん、つい釣られて……。それで君はこんな場所でなぜ迷子になってるんだ?」

「私、実はヴァチカンからクオウという町に赴任することになったんですが、案内役の人が"ここまでしか行けない"と申しまして……」

 

 それは案内人としてどうなのだろうと思う。

 ここは駒王町とされているが距離的に外といってもいいだろう。しばらくは森に囲まれた山道が続き、人が居るところまでは一時間以上は歩く。土地勘の無い者を置いて行っていい場所ではない。

 渚がそんな事を考えているとアリステアが急に腕を引っ張って耳打ちしてきた。

 

「ナギ、彼女という存在に違和感を感じます」

「違和感?」

「ヴァチカンと言えば教会の総本山です。そして駒王は悪魔の領地、つまり彼女にとっては敵地にも等しい。戦闘のプロであるエクソシストなら理解は出来ます。しかし、あのようなシスターが単独で派遣されるのはおかしいかと」

 

 言われてみればそうだ。駒王に建てられた教会はずいぶん前から機能していないと聞く。建物自体はあるが殆ど廃墟状態だろう。

 今更そんな場所にシスターが一人来たところで何も変わらない。というより下手をすれば悪魔にあっさり処断されるのがオチだ。

 

「いや、ああ見えても恐ろしく強いかもしれない。見た目だけで油断したらダメ……」

「お二人とも、どうしたのです──きゃう!」

 

 シスターが自身のスカートを踏んで派手に転ぶ。立ち上がるが、その拍子に石ころを踏んで今度は背後にひっくり返る。長いスカートがめくれ、見えてはいけない布地を渚は見てしまった。──純白だった。

 すぐ近くからゴミを見るようなアリステアの視線を感じてシスターから目を逸らす。

 

「はぅ、恥ずかしいです」

 

 真っ赤になりがら慌ててスカートを直す純白少女。

 

「どうしよう、ステア。俺から見ても弱そうなイメージしか湧かない」

「実際、弱いでしょうねアレは。……あと不可抗力とはいえ対価は支払うべきかと、手ぐらい貸してあげたらどうですか?」

「な、なんのことかなー」

 

 涙目で伏せる純白のシスターに渚が手を貸す。

 

「ほら、立てる?」

「ご、ごめんなさい、私、昔からドジで」

「大丈夫、それは立派なステータスだと思う」

 

 可愛らしい外見でドジっ娘、そしてシスター。友人たちが知れば鼻息を荒くして悶絶する。実際、渚も彼女に萌えていた。薄ら寒いアリステアの視線が突き刺さるが努めて気にせずにシスターを立たせる。

 

「駒王に行きたいんだよな?」

「はい、行きたいです。あ、自己紹介が遅れました、私はアーシア・アルジェントと申します」

「蒼井 渚とこっちがアリステア・メアだ、よろしくアルジェントさん。じゃあ案内するよ。このバス停は機能してないから悪いけど歩きになる」

「そうだったのですか。では、よろしくお願いします」

 

 アーシアを引き連れて歩き始める。

 正直、本当に案内していいか悩ましかった。

 駒王は現在、堕天使も暗躍しているため安全とは言いがたい。いや、かなり不味いタイミングでの来日だと言わざる得ない。

 堕天使だけでなく天界関係者までの駒王に来たとあれば、間違いなく状況は混迷する。

 

「アーシア・アルジェント、質問があるのですがよろしいですか?」

「質問ですか? 私でよろしければお答えします」

 

 急にアリステアがアーシアへ声を掛けた。

 

「駒王に教会関係者はいません。複数の人間が同時に赴任してくるなら理解はできますが貴方一人というのは些か奇妙とも言えます、どういった経緯でここへ?」

「あ、その、少し本部の方でミスをしてしまいまして……」

「お聞きしても?」

「ステア、不躾(ぶしつけ)過ぎるぞ」

 

 妙に事情を探ろうとするアリステアを渚が止めようとする。

 

「ナギ、このままでは彼女は死にます」

「え、わ、私、死ぬんですか?」

 

 アーシアが困惑気味に足を止めた。いきなり死ぬと宣言されればそうもなる。当人ではない渚も初対面の子になんて事を言ってるんだと驚いてるくらいだ。

 アリステアを平然とした態度でアーシアに胸元を指さす。

 

「アーシア・アルジェント、貴方は神器保有者ですね?」

「な、なぜ、その事を!?」

「体質です。ナギ、貴方も彼女に感じる何かがあるでしょう?」

「え、そうなのか?」

 

 当然のように同意を求められても困る。渚は神器の気配など一切感じていないのだ。アリステアが「マジか、こいつ……」みたいな顔をする。読めて普通みたいな態度はやめろと言いたい。

 毎度の事ながら自分に色々求めすぎな相棒だと渚は思った。

 

「……あなた方は一体」

 

 小さな警戒心を持ったのか、アーシアは数歩だけ後ずさるも……「きゃ」っと可愛らしく叫んで背後に転倒する。どうやらまた(つまづ)いたようだ。その拍子に長いスカートが太股までめくれ上がった。──やはり純白だった。

 リプレイを見せられた気分になり渚は再びアーシアを起こす。

 

「俺らも一応ソッチ側なんだ……。人間だけど悪魔も天使も知ってる。けど君に危害を加えようとは思ってない、信じてくれないか?」

「信じたいです。でも死ぬと言われてしまったら……」

「ステア、キチンと説明してあげてくれ」

「最初からそのつもりです。まず貴方は駒王町がどういった場所か知っていますか?」

「いえ、ただ行けと言われたので来ました」

「それだけで思惑が透けて見えますね。理由は不明ですが、どうやら教会はアーシア・アルジェントを間接的に抹殺したいようです」

「そ、そんな筈は……!」

 

 悲鳴にも似たアーシアの叫び。信じられないと顔に出ていた。

 

「ここは日本で唯一の悪魔領土です。そんな場所へヴァチカンに籍を置く非力なシスターが護衛もなしでやって来る。──私から言わせて貰えれば極刑にも等しい扱いですよ、これは」

「きょ、極刑……。審問官の方々が私を抹殺?」

 

 フラッと目眩(めまい)を起こしたシスターを渚は無言で支えた。あまりにも細い身体は小さく震えている。(うつむ)いたままの顔は真っ青だ。

 

「自分がこんな扱いされる覚えはある?」

 

 出来るだけ優しく渚は聞くと無言でコクリと(うなず)かれた。

 ポツポツと自分の身の上を話し始めるアーシア。渚とアリステアはただ耳を傾ける。

 教会の信徒でありながら悪魔を助けてしまった事。異端審問に掛けられて処刑されそうになった事。一人の老人の弁護で死は免れたが駒王へ行かされる命令が下った事。

 全てを話し終える頃には陽が傾き、空は赤く染まっていた。

 

「……災難だったな」

 

 ありふれた言葉しか出てこない。

 渚の率直の感想は不憫(ふびん)過ぎるの一言だ。

 教会の為に身を粉にして働いた少女は一回の間違いで殺されそうになる。──いやアーシアの行いは渚からしてみれば善行だ。

 

「それで、これから貴方はどうするのですか?」

「教会に向かいます。私はシスターですから……」

 

 こうまで酷い扱いを受けても信仰心を失わない精神は悲しいほどに鮮麗だ。彼女の進む道に救いはない、それでも神のためと自らを省みず邁進(まいしん)する筈だ。

 アーシアの深い信仰心に胸を打たれつつも、渚は危うさも感じる。

 ともせず立場的に見捨てるべきでなのだろう。渚は駒王町の平穏を取り戻すために戦うと決めた。そしてリアスや一誠の為に茨の道を選んだ。これ以上は望みすぎだと分かりつつも純心な少女を切り捨てる事が出来ない。

 

「……ステア」

「分かっています、そうなると思ってましたよ」

 

 嘆息する白雪の相棒。

 渚の考えなどお見通しだと言わんばかりだ。本当に善い相棒である。二人の会話に付いていけないアーシアを渚は真っ直ぐ見つめた。

 

「俺は君を助けたくなった」

「助けるですか? どうして?」

「いつもの事ですよ、余計なお節介を焼いて自己満足に浸るはナギの得意技の一つです」

「自分も相手も損をしないワガママって素敵だろ?」

「よく言いますね、全く」

 

 言葉は辛辣だが満更でもない様子のアリステア。きっと彼女なりにアーシアに思うところがあるのかもしれない。

 

「……というわけでアーシア。──悪魔は嫌い?」

「あ、悪魔ですか? 嫌いというよりも怖いです。昔から狡猾で残虐と教わってましたから」

 

 それでも助けてしまうのは彼女が本当に優しい娘だからだろう。渚の決心が更に堅くなる。

 

「じゃあ今から怖くない悪魔を紹介するよ。悪いけど少し付き合ってくれ」

 

 こうして渚はやや強引にアーシアを引っ張って行く。

 目指すは教会でなく駒王学園。

 リアス・グレモリーにヴァチカンのシスターを紹介する為に……。

 





猊下を早く出したかった私なのでした。
早く参戦させたいです。


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聖女と悪魔《Tender Girl》


戦闘描写って難しいっす。
上手く書けてる自信がない……。



 

「それで彼女を連れてきたという訳ね……」

 

 オカルト研究部の部室でリアス・グレモリーはアリステア・メアの話を聞き終わる。話の内容は白雪の少女の隣に立つ可愛らしい金髪のシスターの事だ。

 リアスが視線を向けるとシスターは緊張でガチガチになる。

 

「アーシア・アルジェントさんで良かったかしら?」

「ひゃい!」

 

 教会に見放された()()に悪魔が支配する領地に放逐されたシスター。信じていた者に裏切られた不幸な少女だが(いく)つかの運には恵まれているようだとリアスは思う。

 

「渚とアリステアに出会えて良かったわね」

「お、お二人には感謝しています。道も分からず迷っているところを保護していただいて、なんとお礼を言っていいか」

 

 それもあるがアーシアに投げ掛けた言葉の本質はそこではない。

 もしもアーシアが黙って駒王に入っていたらリアスはなんらかのアクションを起こしていた。教会から送られてくる人材など放っておける案件ではない。命までは奪わないが拘束もしくは連行くらいはしただろう。

 少しやりすぎと思うかもしれないがリアスの考えた行動は比較的温情がある方だ。殆どの場合は即抹殺。最悪、朽ち果てるまで(もてあそ)ばれる場合もありえる。

 アーシア・アルジェントの幸運は二つだ。

 駒王に入る前に出会ったのがコッチ側の事情に精通した渚だった事と支配する悪魔がリアスだった事だ。

 

「リアス・グレモリー、私は彼女を保護するべきだと思います」

 

 アリステアの発案にリアスは再び白雪の少女へ向き直る。

 

「悪魔がシスターを保護するもの変な話ね」

「それでもやるべきです。教会がアーシア・アルジェントをただ抹殺させるために送ったとは考え難い」

「気になる言い方するじゃない、聞かせてもらえる?」

 

 リアスの言葉にアリステアは続けた。

 

「教会関係者が悪魔領土で亡くなったら相手に"大儀"も与えてしまう」

「そういう事か。つまりアーシア・アルジェントの死を"開戦の号砲"にしたい者がいる」

「あくまで推測です。各陣営のトップは戦争を()けている(ふし)がある。ですが三大勢力の中には自分たちの存亡を懸けてでも相手を滅ぼしたいと考える者もいるでしょう」

「……耳が痛い話ね。実際にウチ(冥界)でも戦争を仕掛けるべきという声は小さくないわ」

 

 長い間に渡り続いた三大勢力の戦争。

 威信と誇りを懸けた戦いは、いつしか怨みと憎悪だけを生み出す争いへ変化していった。威信よりも敵の首、誇りよりも殺戮の数が賞賛される血塗られた歴史は多くの遺恨を残した。

 だが現魔王たちは争いよりも種の存続のため動いている。リアスは魔王サーゼクスの妹として戦争だけは避けたかった。ならば例えアーシア・アルジェントが敵陣営の人間だとしてもを大局的に見れば保護すべきだろう。

 

「どうやら決めたようですね」

「背中を押してくれて感謝するわ」

「私は別に何もしてませんよ。アーシア・アルジェント、貴方はリアス・グレモリーに保護下に入りなさい」

「あ、あの、でも、いいのでしょうか? 私を助ければグレモリーさんにご迷惑が……」

「迷惑? 何を言っているの?」

 

 リアスの問いにアーシアが何かを思い出すように悲しく目を伏せた。

 

「私は教会のシスターです。そんな人に恩情を与えたら他の悪魔方からお叱りを受けるのではないでしょうか?」

 

 その言葉に呆然とするリアス。

 アーシアは純粋にリアスを想ってくれている。悪魔だからと関係なく自分のせいで同族から責められるかもしれないと本気で心配していた。

 きっと自分自身が同じような体験をしたからだろう。気づけばリアスはアーシアの頬に優しく触れていた。

 

「貴方はすごく綺麗なのね、アーシア。渚が助けたがる訳ね、悪魔の私ですら胸を打たれるんだもの」

「はぅ、いえ、き、綺麗だなんて滅相もないです! グレモリーさんやメアさんの方がお綺麗です!!」

 

 真っ赤にして顔をブンブンと横に振るアーシアを見てリアスが()む。外見じゃなくて中身の話なのだが気付いていないアーシアを妙に愛しく感じる。

 

「気に入ったご様子で」

「だって外も内も可愛いじゃない」

「気持ちは分かると言っておきます」

「素直に褒めればいいのに」

「うぅう」

 

 ますます赤くなるアーシアの隣でアリステアが、ふと窓の外に目をやる。

 

「さて、アーシア・アルジェントを私に預けたナギはどうなった事やら……」

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

「ごめんな、グレモリー先輩を借りちゃって」

「……別に気にしてないです」

「まぁ事情が事情だしね」

 

 渚の謝罪に小猫と祐斗が応えた。

 現在、渚はグレモリー眷属の"はぐれ悪魔"討伐に同行させて貰っていた。

 渚がリアスの代わりにグレモリーの戦列へ加わっているのには理由がある。

 夜の駒王学園へアーシアを連れて行くとリアスたちが丁度"はぐれ悪魔"の討伐に向かおうとしていたタイミングに出くわしたのが切っ掛けだ。アーシアの事を軽く相談したらリアスの方が詳細を知りたがり、"はぐれ悪魔"の討伐を先延ばしにしようとしたので渚が肩代わりしようと願い出て今に至る。

 自分がすべき事情説明はアリステアに一任した。彼女の実力なら同時に護衛役にもなれるからだ。

 

「でも驚きましたわ。いきなりシスターを連れてくるんですもの」

「事情は道中説明した通りです。急な話ですいませんでした」

「いいのですよ。蒼井くんが代理なら部長も安心でしょうし、それに……」

 

 朱乃がニコニコと笑みながら渚の隣に並ぶと誰にも聞こえないように、さりげなく耳打ちをする。

 

「イッセー君とお話したいのでしょう?」

「……うっ」

 

 後ろを歩く一誠に目を向けると目を逸らされた。

 そう、渚と一誠が喧嘩して一週間が経つが未だにギクシャクしている。

 自分のコミュ力の低さに嫌気がさす。

 

「これから命を懸けた戦いに行くのですから頑張って仲直りしましょうね?」

「……はい」

 

 朱乃に言われて一誠の横に並ぶ。朱乃が笑顔で見守り、祐斗が激励代わり頷いて、小猫が胸の前で両手を握りエールを送る。嫌味抜きで善い悪魔たちだとしみじみ思う。

 

「悪魔稼業、頑張ってるんだってな」

「お、おう」

「契約は取れたのか?」

「まだだけど」

「そか、兵藤ならきっとすぐ取れるさ」

 

 やはりというか会話が弾まない。ついこの前までバカ話で盛り上がったのが嘘のようだ。

 渚が懸命に言葉を探していると一誠の方から声を出してきた。

 

「その、悪かった」

「へ?」

「殴ったのはやり過ぎた、だから悪い」

「いや、あれは普通怒るだろ」

 

 大事な相手を殺すと言われれば誰だって怒る。渚は一誠の身を案じすぎて精神を軽視していたのだ。心の傷は時に体の傷よりも深く残るというのに……。

 

「……けど蒼井の言ってる事も間違いじゃない。夕麻ちゃんは確実に俺を殺しに来てた。もしもあれが俺の知り合いに起こるんだとしたら止めるべきだ」

「俺も考えたよ。やっぱり彼女は止めるべきだと今でも思う、でも絶対殺さない。友達の彼女だもんな」

「蒼井……」

「つ、つまりだな。お前の手伝いをするから俺の失言をチャラにしてほしい」

「いいのか? 俺は殴ったんだぞ?」

「もう治った、あとは兵藤が許せばオールオッケーだ」

「そっちが許してくれるなら、許すに決まってんだろ。だから改めてよろしくな、蒼井……いやナギ」

「ああ、コッチこそイッセー」

 

 (わだかま)りが解消されたタイミングで見守っていた三人が近づいてくる。

 

「よかったね、蒼井くん、それに兵藤くんも」

「……男の友情を見せてもらいました」

「あらあら、おめでとうございます、二人とも」

 

 有り難い言葉を受けつつも目的の場所へたどり着く。

 背の高い草木が覆い茂る場所にある洞窟。自然に出来たその穴の奥からは耐えがたい邪気と臭気が流れ込んでくる。

 

「……酷い血の臭いです」

 

 小猫が制服の袖で鼻を隠す。濃い血の臭いに混じり、腐臭もする。

 周囲は不気味なほど静かだ。だが渚はゆっくりと肩に担いだ白い布から刀を取り出す。

 経験から確証を得ていた、ここは敵の支配領域だ。侵入者に気づかない筈がない。

 

「姫島先輩、俺はどう動けばいいですか?」

 

 リアスから指揮を託された朱乃の指示を仰ぐため問う。今の渚はグレモリーの下にある戦力。いつものように動くべきでない。

 

「ではイッセーくんの護衛をお願いします。今日が初めてなのでしっかり守ってあげてください」

「わかりました、イッセーもいいか?」

「あ、ああ。なんかヤバいのは分かるから頼む」

 

 悪魔としての直感か、一誠もこの場が普通でないと感じたようだ。

 

「来る!」

 

 祐斗の声と共に洞窟から5メートルはあるだろう巨大な影が這い出てくる。

 上半身は人のソレだが、下半身は蛇。伝説上のメデューサを思わせる"はぐれ悪魔"だ。

 

「……甘いです」

 

 密集してた渚たちを一網打尽にしようとした奇襲は小猫によって阻止される。

 小さな体から繰り出される拳が、巨大な"はぐれ悪魔"の顔面を捉えて吹き飛ばしたのだ。

 それを合図に朱乃と祐斗が散開。渚も一誠を連れて背後に下がる。

 

「す、すげぇ、小猫ちゃん、あの化け物を吹っ跳ばしちまった」

 

 一誠が口を開けて唖然としていた。

 

「まぁビックリするよな。俺も最初はたまげたよ。あの外見で"戦車(ルーク)"だからな」

「"戦車(ルーク)"?」

 

 どうやら一誠はリアスから"悪魔の駒(イーヴィル・ピース)"について聞いていないようだった。やることもない渚は少しだけ知識を絞り出すことにした。

 

「現悪魔の眷属はチェスの駒を(かたど)った"悪魔の駒(イーヴィル・ピース)"っていうので成り立ってる。"(キング)"に始まり、副官の"女王(クイーン)"、それから"騎士(ナイト)"、"戦車(ルーク)"、"僧侶(ビショップ)"、"兵士(ポーン)"の六種の役割に分かれているのが特徴になる。お前を転生させたのも同じモンだ、見ろ」

 

 渚が指をさす方向では、小猫が"はぐれ悪魔"を腕力だけで圧倒している。拳を放つ度に重厚な打撃音が響き、相手が苦悶の顔を浮かべる。

 

「ぱ、パワフルだな、小猫ちゃん」

「駒には宿した者へ特性を付与する効果があるらしい。"戦車(ルーク)"は純粋な力の急増と屈強な肉体、そんでもって……」

 

 "はぐれ悪魔"が怒り狂いながら蛇の尾で小猫を打ち据えようとした。

 しかしその尾は目にも留まらぬ早業で切断される。

 

「木場の"騎士(ナイト)"は速度が増す。相変わらず恐ろしく速いな」

「え、あの尻尾は木場やったのか? てかアイツどこ?」

「ここだよ」

「ビックリしたぁ、いつの間に」

 

 一誠が驚きに祐斗が微笑む。

 祐斗の手には一本の禍々しい刃が握られていた。彼の神  器(セイクリッド・ギア)、"魔剣創造(ソード・バース)"により造られた剣である。

 

「こっち来ていいのか、まだ生きてるぞ?」

「大丈夫、もう終わるよ」

 

 渚の問いに祐斗が答えると、優勢だった小猫が大きく後退する。

 

「あ! 小猫ちゃん、なんで距離を取ったんだ? あのままでも勝てそうなのに」

「いや、あれで正しいよ。兵藤くん、上を見て」

「上?」

 

 一誠が空を仰ぐと月を背にした朱乃が翼を広げ、手を翳していた。

 同時に轟音と熱で辺りが目映い光に照らされる。

 稲妻だ。凄まじい雷撃が夜を切り裂いて降り注いだのだ。

 一瞬の輝きのあとに残されたのは、焼けた大地とそこに寝そべる黒焦げの元悪魔だけだった。

 

「な、なな、なんだアレ……? 朱乃先輩がやったのか?」

「トドメは姫島先輩の雷撃か。連携って羨ましいなぁ、(らく)そう……」

 

 遠い目で渚が呟く。基本的に個人プレー強要されるパターンが多いのでチームでの戦いに憧憬にも似た感情を持ってしまう。

 

「すげぇ……もうすげぇって言葉以外出てこねぇ。なぁナギ、朱乃先輩はやっぱり……」

「ん? あぁ勿論"女王(クイーン)"だ。"(キング)"の補佐官だけあって"女王(クイーン)"は破格でな? 全ての駒の特性を宿してる」

「な、なぁ俺は一体どの駒が使われてんだ?」

 

 期待するように渚を見る。

 聞く相手を間違っているような気もするが、どの駒を使用したかはリアスから事前に教えてもらっている。

 

「"兵士(ポーン)"らしいぞ?」

「だよな、だと思った!」

 

 チェスで言えば"兵士(ポーン)"は最も数が多い。印象的には一番の格下と取られても仕方がないだろう。

 しかし最弱にして最強の可能性を宿すのが"兵士(ポーン)"という駒だ。

 

「へぇ~君は"兵士(ポーン)"なんだね」

 

 茂みの奥から声が聞こえ、一誠以外の者が構えた。暗い木の間から出てきたのはボディコンのような際どい格好をした女性だ。端的に言うと胸の部分が開き過ぎである。

 

「な、なんてグッジョブな格好を……」

「胸が好きなのかな、少年?」

「す、好きです!」

 

 エロさがにじみ出る女に一誠が反応する。

 渚たちに合流した小猫がそれを見て一言。

 

「……空気読んでください」

「あの姿を見たら、つい」

「読んでください」

「はい」

 

 冷たい小猫の指摘に一誠がうなだれた。

 

「イッセーらしいな、まぁアレはちょっと目のやり場に──」

「渚先輩も静かにしてください」

「……了解っす」

 

 小猫の静かな圧力に渚もまた大人しく従う。

 正体不明の第三者が現れたのだから、気を引き締めろと言いたいのだろう。

 

「あらあら、どちら様で?」

 

 朱乃が空から降り経つと招かれざる者へ問う。

 いつもの淑やかな笑顔だったが、手の中で小さな雷を散らしつつ警戒している様子だった。

 

「自己紹介をしないとは我ながら失礼だった。初めまして、グレモリー眷属の皆様がた、私は堕天使カラワーナという」

 

 自らの言葉を証明するかの如く一対の羽を展開するカラワーナ。カラスを連想する翼は間違いなく堕天使のソレである。

 渚は彼女に妙な既視感を覚えた、姿でなく気配にだ。

 堕天使にしか思えないのに小さなズレを感じる。注意深く観察しているとカラワーナが一誠へ視線を流す。

 

「単刀直入に言う、そこの兵藤 一誠が欲しい」

「え、俺?」

「ああ、君だ。私と来れば天野 夕麻に会わせてあげよう」

 

 右手を一誠に向けて差し出すカラワーナ。その効果は抜群で一誠が前に出ようとする。

 

「待て、どうにも胡散臭い」

「な、ナギ?」

「カラワーナって言ったか? どうしてイッセーを連れていく? そっちのメリットはなんだ?」

 

 渚の言葉に、ニヤリと嫌らしい笑みを浮かべる。

 

「堕天使と悪魔の禁じられた恋を応援したくてね?」

「その顔でキューピットのつもりかよ。悪意が透けて見えるぞ?」

「君は渚……くんでいいのかな? 噂は聞いてる、クラフトが随分と気にしていたからね」

 

 心臓が大きく波打つ。どうしてあの男が自分なぞを気に掛けるのか見当も付かない。

 そんな渚の思考を知ってか知らずかカラワーナは瞳を好奇(こうき)に染めた。

 

「あぁ奴の言葉も分からんでもないな。君はどうもアレだ──」

 

 ククッと短く嗤いながら言葉の途中でカラワーナの姿が闇に溶けた。

 

「とても愉快な感じがするよ」

 

 そして、すぐ背後で声がする。

 

 ──速い!

 

 不意に間合いを詰めてきたカラワーナの速度は祐斗に迫る俊敏さだった。

 手には堕天使らしい光の槍。刀を盾代わりにするため光の切っ先が向いている部位を見切る。場所は斜め後ろからの心臓狙い。間に合うかは賭けだった。

 光の凶器が接触する寸前、横から伸びてきた小猫の手が槍を止める。

 

「……触らないでください」

「ハハ、驚いた。私の動きに反応するか。ところで手は大丈夫かな?」

「……お返しです」

 

 カラワーナを無視して拳が振るわれるが、体を反らすことで避けられる。

 

()しいな」

「そうかな?」

 

 流れるような祐斗の追撃。無数の剣閃がカラワーナを捉えるも機敏(きびん)な動きで間合いの外へ逃げられる。

 

「血が出てしまったじゃないか。まったく女性の皮膚に傷を入れるなんて"騎士(ナイト)"としてどうなんだ?」

「不意打ちを行う者が騎士道を語るものではありませんわ」

 

 容赦ない朱乃の落雷がカラワーナを襲った。

 直撃である、圧倒的な熱と光は堕天使を容赦なく焼きつくした。

 決まったと誰もが思う。だが煙の中で人影が立ち上がる。

 

「流石の血筋だ、凄まじい火力に感服する。方陣を張ったのに体の半分が消し炭になってしまったよ」

 

 半身を妬かれて尚、余裕の(たたず)まいの堕天使に言いしれぬ危機感を覚える。

 

「貴方は普通の堕天使ではありませんね?」

「普通の? 例えばどんなのが異常なのか教えて欲しいな。ああ、君のような者か姫島 朱乃?」

「……黙りなさい」

 

 朱乃から表情が消え、雷撃が苛烈に放たれる。虎の尾を踏んだかのような怒りが見え隠れする攻撃の中でカラワーナは(わら)った。

 

「なんだ、意外に(もろ)いな。それで"女王(クイーン)"とは恐れ入る。さて兵藤 一誠くん、そろそろ私と行こうじゃないか?」

 

 流石の一誠も今度は()く。朱乃に体を()かれるがまま誘うカラワーナはハッキリ言って狂人にしか見えない。

 

「朱乃先輩、僕と小猫ちゃんも行きます」

「分かったわ、左右から攻めて」

「……了解です」

 

 小猫と祐斗が雷撃の合間から強襲を仕掛けるため迂回(うかい)を始める。

 

小癪(こしゃく)だな」

 

 カラワーナが辟易(へきえき)したように移動中の二人に手を(かざ)すと目を見開いて邪悪な笑みを浮かべる。

 渚は嫌な予感がした。あのままでは祐斗と小猫が殺されると思ったのだ。

 気づけば最短距離を算出して駆け抜けていた。

 朱乃の雷撃による猛攻は今も継続中だ。急に止めるなど出来ないと渚も分かっている、予想通り(かわ)せず(いく)らか灼かれてしまう。

 

「──()ッ」

 

 右肩、左腕、背、腰、右太股、左(ふく)(はぎ)。あらゆる箇所に高熱の鉄を刺し込まれたような痛みが(ともな)う。

 背面から声が聞こえる。朱乃か一誠のどちらかだ。いきなり稲妻が飛び交う場所に突撃したのだ心配もするだろう。

 無謀な突撃もあって誰よりも速く、カラワーナを肉迫(にくはく)した。

 

(いかずち)が降り(そそ)ぐ道を走ってくるなんてイカレてるな。しかも(かん)がいいと来た」

 

 カラワーナの両手にあるのは朱乃と同様の雷の(ほとばし)り。

 しかし渚は目を剥く。それは只の雷ではなく高密度の光力が圧縮された特殊な稲妻だったのだ。

 

「初めて見るようだね、これは"雷光"という。悪魔にとって最悪の攻撃に部類される一つさ、詳細は君らの"女王(クイーン)"にでも聞くといい」

「それは──撃たせない」

 

 会話を放棄して渚が抜刀。

 転瞬二刃、カラワーナの右腕を根本から斬り裂いて、返す刀で左腕も貰う。

 カラワーナの両手に宿った光力が行き場を失って破裂するかの如く膨張するのを見た。

 ここで光力が四方に(はじ)ければグレモリー眷属に被害が出るだろう。

 

「──輝夜(かぐや)

 

 渚は鞘に刀を戻すと渾身の一撃を放つ。

 半月を描く薙ぎ払いは暴風を巻き起こして爆弾となったカラワーナの両腕を彼方へ無理矢理吹き飛ばす。

 次の瞬間、予想通りカラワーナの腕が炸裂するや光の奔流が激しく周囲を焼き散らす。

 渚の皮膚が焼ける。込められた光力の大きさに冷や汗が止まらない。これが悪魔に放たれれば消滅もあり得た。

 

「──ふふ、ははは、アハハハハハハッ! すごい、すごいよ渚くん!! ぜんっぜん見えなかった、この()()ともあろう者がだ! これは驚きという他無い。意外や意外、滅法強いじゃないか!!! ハハ、人畜無害そうな顔して修羅さながらとは実に()()」 

 

 目も開けられない光の中で賞賛(しょうさん)を贈られる。その口調はついさっきまでの尊大(そんだい)さとは打って変わり少々幼い印象を受ける。

 それでも渚は油断せず、反撃を警戒して気配だけを頼りにカラワーナへ刀を向ける。

 

「褒めても何もねぇぞ、今あるのは斬撃だけだ。──続けるか?」

「ううん、今日は帰るよ。腕も無くなっちゃたしねー」

「もう二度と来んな、狂人」

「じゃまた合おうね、狂刃」

 

 気配が光の中に消えた。

 やがて視界が夜に戻るがカラワーナの姿はない。

 本当に帰ったようだ。どうにも不気味な後味(あとあじ)が残る相手だった。何も得られず、半身を灼かれ、両腕をまで失くしたというのに最後の声は溌剌(はつらつ)としていた。精神に異常があるとしか考えられない。

 

「はぁ~……助かったぁー」

 

心底安堵する。強気な態度は言うまでもなくブラフ。

全身はバチバチで脚もガクガク、頭はグラグラだ。立っているのでやっとの状態だ。このまま戦闘を続行したとしても、まともに動ける自信がない。

 

「蒼井くん、大丈夫かい?」

「なんとか生きてる、そっちは?」

「無事だよ」

「……わたしも問題ありません」

「嘘付け。体中、火傷だらけじゃないか」

 

 祐斗と小猫を見れば、所々に火傷を負っていた。

 これは暴発したカラワーナの光力の残滓(ざんし)で付いたのだろう。悪魔にとって光力は毒に等しい。触れた部位から浸食されて消滅していくのだ。

 

「つか俺のせいか。……申し訳ない」

 

 渚が頭を下げる。

 二人を助けようとしたとはいえ、カラワーナの"雷光"を広範囲にまき散らしのは事実だ。

 光によるダメージは激痛だと聞く。きっと傷以上の痛みが二人を襲っているはずだ。

 

「蒼井くん、頭を上げてください」

 

 渚の側に寄って頭をあげさせたのは朱乃だ。彼女は防護壁で光を防いだのか無傷だった。

 

「貴方が居なければ祐斗君と小猫ちゃんがやられていました。もしも責められるとした相手の力量を見極められなかった私です。こんなに傷だらけにしてしまって、なんと言ったらいいか……」

 

 悔しそうな表情で訴える朱乃。

 渚もまた全身に凄惨(せいさん)な火傷がある。光によるものでなく雷撃の道を通った時の代償だ。本音を言えば気を失いそうなほど痛い。だが祐斗も小猫も似たような怪我を負っているのだ。自分だけ泣き叫ぶのは大変格好が悪い。

 男の見栄(みえ)だけで涙を流さぬよう耐える。

 

「これは自業自得みたいなモノですから……。イッセーは大丈夫ですか?」

「彼は私が防護したので無傷ですわ」

「流石です"女王"さま、じゃあとりあえず帰りましょうか」

 

 渚がフラフラと歩き始める。

 酷く痛むので、月明かりを頼りに改めて全身を見ると結構な割合で肉が焦げていた。

 あれ? 思ったよりヤバくないか、俺……と思った矢先だ。

 

「……えい」

「ぎぇああああああ!!」

 

 小猫がいきなり渚の傷へ触れてくる。思わぬ行動に奇声をあげて倒れてしまう。

 

「……やっぱり我慢してます」

「と、塔城、いきなり何すんの!?」

「……雷撃をバカみたいに浴びまくった渚先輩は一番重傷です、私が担ぎます」

 

 気持ちは嬉しいが、自分より頭二つ分以上小さな女の子に担がれるのはビジュアル的にもお断りしたかった。

 

「だ、大丈夫、ぜんぜん痛くないぞ?」

「……叩きます」

「やめてください、死んでしまいます」

 

 叩かれそうになったので渚が早口で懇願する。

 

「……どうぞ」

 

 背中を向けてしゃがみ込む小猫。正直、小さすぎる。渚が乗るか断るか考えていると思わぬ所から助け船が渡される。

 

「小猫ちゃんも怪我しているし、ナギは俺が運ぶよ」

「……む」

「イッセー、いいのかよ?」

「本当は女の子がいいけど仕方ないじゃん。お前の怪我、明らかに木場や小猫ちゃんより酷い。俺、今回なんもしてねぇから、これくらいさせろ」

「そっか。んじゃ頼むわ」

 

 有り難く一誠の背を借りるとする。

 何故か帰りの道中で小猫に恨めしそうな視線を向けられ続ける謎のハプニングもあったが渚の忙しかった一日は、こうして終わりを迎えた。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

「随分と機嫌がいいな」

 

 その男、クラフト・バルバロイは帰還したカラワーナの内心を見透かすように言葉を投げ掛けてきた。

 

「ふふ、分かる? とても素敵な出会いをしてきたんだよ」

 

 半身は黒く焼け、両腕を喪失したカラワーナは少女のような笑みで返す。

 

「兵藤 一誠を殺しに行くと言ってたが、どうやら仕損じたようだな」

「いやぁ、グレモリー眷属の思わぬ抵抗にあってねー」

 

 クラフトの痛い指摘をカラワーナが上手く躱していると、一つの足跡が近づいてくる。

 

「あんれぇ~、カラワーナ(仮)ちゃんとクラフトの旦那じゃないですか? こんな場所で密会? もしかしてナニしてんです?」

「フリード・セルゼンか」

「はいはい、フリードですよ。うわ、カラワーナ(仮)ちゃん、何? どして腕ないの? 半身消し炭じゃん、グロい!」

 

 舌を出して「うえぇ」とリアクションするのは神父姿の少年だ。年頃は渚や一誠に近い。

 

「見て見て、見事にぶった斬られちゃったよー」

「アハハ、ちょーウケる。瓶コーラみてぇにストレートになってるしぃ」

 

 愉快に笑い合うカラワーナとフリード。

 

「ところでフリードくんは、今からお出かけ?」

「そ、お仕事お仕事っすよ。この子を殺せって教会から依頼があって出撃フリードさん状態。もう"はぐれ神父"だからって汚い事ばかりさせたがるんだから、嫌になっちゃいます僕ちゃん! ま、お金と物資がいっぱい貰えるからやるけどね!!」

 

 一枚の用紙を渡されるカラワーナ。両腕がないので異能で浮かして覗き見る。

 

「わあ、可愛らしい子。アーシア・アルジェントちゃんかぁ。何々、"悪魔を癒す堕落した信徒である。抹殺されたし、報酬いつもの方法で支払う"。内容酷すぎて引くわー。教会が金で"はぐれ神父"を使ってるのにも引くわー。いい便利屋扱いだねフリードくん」

「だしょ? 駒王の悪魔に殺させるのが一番だけど、教会さんは確実にアーシアちゃんには死んで欲しいみたいなのよ。それでちょうど駒王にいる俺に殺れってさ。なんでかねー」

 

 フリードがオーバーなリアクションで首を傾げた。

 

「さしずめ戦争を始めるための生け贄だな。冷戦下の現状、魔王の血族が治める領土でシスターが死ねば大きな問題になる。教会は"冥界に戦争の意思あり"として動く可能性が高い。しかも仇討ちを正当な理由にした正義を語るだろう。この正義は大義となり、陣営の志気と団結力を肥えさせる餌となる。腹の膨れた状態で戦い望める奴等は強い」

 

 クラフトが低く答える。

 

「一人の人間の"死"が多くの戦火を産む、か。それってボクらの目的が完遂しない?」

「ああ、ヤツの思惑通りになる」

「そっか。じゃあアーシアちゃんには可哀想だけど死んでもらうとして。……フリードくん」

「あ、なんすかカラワーナ(仮)ちゃん」

「この子、頂戴♪」

 

 アーシアの写真が写る用紙を首で指しながらカラワーナは微笑む。

 

「幾らで買う?」

「教会が払う額の10倍」

「よし、売った」

「はい、商談成立ね」

 

 悪辣な商談を前にクラフトは詰まらなさそう問う。

 

「そんな娘をどうするつもりだ?」

「この子、面白い神器を持ってるんだ。フリードくん、クラフトに見せたげて」

「あいよー」 

 

 用紙を渡されて渋々といった感じで読み進めるクラフト。

 

「これは……愚かが過ぎるな」

「同意かなー」

「えー何がっすかね? 俺を仲間外れにしないでくださいますぅ?」

「"聖母の微笑み(トワイライト・ヒーリング)"。回復系の神器では最上の代物だ。これ一つで戦況を有利に進められる」

「多分、信仰を優先したんだね。教会はそういうのを重視するから」

「へぇそんなスゴい"神 器(セイクリッド・ギア)"なんだー。それでコレを手に入れてカラワーナ(仮)ちゃんはヒーラーに転職するの?」

「なわけないでしょ」

 

 フリードの質問を笑い飛ばすカラワーナ。

 

「当然、レイナーレ様に献上するのだよフリードくん」

「ハハ、()()()すんねぇ。アレ以上は中から破裂しちゃうよ、あの堕天使ちゃん」

「面白そうでしょ? じゃあボクは少し顔を見てこようかな」

「行くのは構わんが、その姿と素は戻しておけ」

 

 クラフトの指摘にカラワーナが「おっと、いけない」と足を止めると損傷したままだった肉体を瞬く間に修復。そして咳払いをする。

 

「ん、んん! ……では私はレイナーレ様の下へ行ってくる、二人とも勝手な行動は慎んでくれ」

 

 妙齢な外見に似合う大人びた声音になると近くにあった建物に入って行った。

 

「うへぇ~。俺も色々見てきたけど、アンタら二人はとびっきりにクレイジーだ。一体何者なんすかね?」

「知ったところで何も得られん」

「それもそうか。ま、雑魚シスターを高く買ってくれたんだから良いんだけどねー」

 

 神父の哄笑が駒王に木霊する。 

 深い夜の闇は悪意すらも隠しながら()けていくのであった。

 





クラフトはオリジナルですが、カラワーナはアニメにも少し出てきた堕天使です。中身は改造しましたが……。


*誤字を修正しました。


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信仰《Poison》


アーシアの心を切り開くお話です。
容赦のないアリステアさんを嫌わないでほしい作者です。



 

 朝、7時。

 4人ほどが座れるテーブルの上で渚は眠そうな顔で頬杖をついていた。

 隈が取れてない瞳の向く先はキッチンだ。いつもなら自分が立って朝食を作っている筈なのに今日は違う。

 腰まで伸びた金髪の少女がレシピを見ながら料理に勤しんでいるのだ。

 彼女の名はアーシア・アルジェント。

 昨日、アリステアの部屋に泊まったシスターで、訳あってリアスと共に匿っている。

 

「なぁステア」

「なんですか?」

 

 渚はすぐ隣に座るアリステアに問い掛ける。

 白雪めいた美少女は、驚くべき事に銀色の拳銃(リボルバー)を布で磨いていた。日本では中々見られない光景だろう。

 テーブルの上にも5発の弾丸が綺麗に整列している。言うまでもなくアリステアが持つ銃の物だ。

 思わず頭を抱えたくなった。

 

「色々と聞きたい事はあるけど、まず一つ」

「ええ、どうぞ」

 

 銃のシリンダーを横にスイングアウトさせると、空の弾装を一つ一つチェックしながらアリステアは先を促した。

 

「起きたらアルジェントさんがキッチンで調理をしている件について」

「お世話になるのだから何かさせてください……と(やかま)しかったので朝食の用意を提案しました」

「そか、いい子だな」

 

 どうして自分の部屋で作っているのかは聞かない。アリステアにとっては、ここ(渚の部屋)も自室とそう変わらないのだろう。

 

「もう一つよろしいか?」

「ええ、どうぞ」

 

 シリンダーの汚れを拭き取って1発1発、弾丸を込め始めたアリステアに戦慄を覚えつつも聞いた。

 

「その威力だけを重視したようなデカい銃は……?」

 

 アリステアが食卓に銃を持ち込んだ事も問題だが、その銃自体もおかしい。

 渚の知っているリボルバーよりも大きいのだ。絶対、人に向けちゃダメなタイプである。

 

「知っての通り、"S&WM500"です。さらに言うならば、これはコンペンセイターやマウントベースが付いた10.5inバレルカスタムになります。口径は50のマグナム弾。本体構成を霊 質 加 工(アストラルコーティング)する事で強度を上げつつ霊術付与にも対応。攻撃手法は、特殊な術式力場をチャンバーとバレルの双方に発生させ、弾頭へ超高密度のエネルギーを纏わせる魔弾錬成式を採用しました。物質と霊質を備えているので実体、非実体を問わずに相手をブチ壊せる化物狩猟用拳銃(ハンターモデル)。……そんな素敵(パーフェクト)な一品です」

危険(パーフェクト)過ぎて引くわッ!」

 

 淡々と難しい単語のオンパレードで渚をまくし立てるアリステアにツッコミをいれてしまう。

 全てを理解することは出来なかったが、相手を壊すと言ってる時点で威力はお察しである。

 我が家でなんて物を磨いているのだと訴えるが、アリステアはどこ吹く風と渚の言葉を受け流す。

 渚の刀といい、アリステアの銃といい、警察に家宅捜索されたら終わりである。

 

「出来ました!」

 

 キッチンでアーシアが声を上げる。どうやら調理が済んだようだ。

 渚が運ぶのぐらいは手伝おうとアーシアに近付く。ここで初めて渚の存在に気づいたのかアーシアが朝の挨拶をしてきた。

 

「蒼井さん、おはようございます!」

「ああ、おはよ」

「あの……勝手にキッチンをお借りしてしまいました、申し訳ありません」

「いいよ、ステアが使えって言ったんだろ? あ、もしかして俺の分もあるのか?」

「も、勿論です」

「ありがとな」

 

 皿に乗った三人分の食事を渚とアーシアが運ぶ。

 朝食らしい目玉焼きとベーコンだ。

 テーブルに皿を置いて席についた渚だったが、何故かアーシアが座ろうとしない。

 

「どした?」

「あ、いえ。私、ここに座ってもいいのでしょうか?」

 

 渚とアリステアが顔を見合わせる。

 言ってる意味が分からない。しかしアーシアは恐る恐るといった感じだ。

 

「アーシア・アルジェント、3人分の料理があって3人分の席がある。これでダメな理由があるのでしょうか?」

「もしかして俺たちに問題あった?」

「い、いえ。教会では1人だったもので、こうして他の人と並んで食事するのは、とても久しぶりなんです」

「久しぶりってどれくらいだ?」

「……7年ぶりです」

「な、7年……?」

「これはまた」

 

 7年も1人きりで食事を続ける環境など渚は想像できなかった。

 

「詳しく聞いてもいい話か?」

「はい、大丈夫です」

「とにかく座ってくれ」

「失礼します」

 

 アーシアが自らの過去は話し出す。

 彼女は欧州の貧しい村の生まれで、すぐに口減らしのため教会直属の孤児院に預けられたと語る。

 そして8歳の頃に傷を癒す神器に目覚めてからは、カトリック教会の本部ヴァチカンに移送されて"聖女"として扱われる。望んだ立場ではないがアーシアは全力で人々を治し続けた。

 それから数年の月日が経つ頃には"聖女"の噂は広がって有名となる。その間、世話をする者はいたが”聖女”という名が人を遠ざけていたようで個人的な交友は絶無だったという。

 優しくしてくれる人もいた、大事にも扱われた。けれど裏にあった真意にアーシアは気づいていた。

 

「理解はしていたのです。私は"人を治療できる生物"、そう見られているのだと……」

 

 異質とも言える治癒能力の高さから人間扱いされなかったのは悲しいと感じた。一人くらいは自分を見てくれる人が欲しかったのが本音だ。

 そんな小さな望みも心の奥底に仕舞い。"聖女"という人を癒す装置であり続けた。

 

「それが"力"を授かった私の使命だと思いました」

 

 アーシアは微笑みながら言う。想像以上に壮絶だったアーシアの過去に渚は黙り込む。

 教会は彼女を信仰を得るための都合の良い道具としか見ていないと想像に容易(たやす)い。

 勿論、アーシアの口からは教会への不満は一言も出ていない。

 しかし、そこに渚は危険さを(いだ)く。

 

「アルジェントさんは、今の状況に追い詰めた教会についてどう考えてるんだ?」

「……きっと今回の件も神の試練なのです。私がダメなシスターなのでもっと祈りを捧げなさいと仰ってるんです」

 

 アーシアは教会の悪意を受け入れてしまっている。

 その瞳は悲しいほどに(かげ)りがない。

 ふとアリステアの目が冷たくなるのを渚は見た。

 

「神とは乗り越えられない試練を与えるのですか?」

「決してそのような事は……!」

「ならば貴方は今の状態を自身で乗り越えて勝ち取ったというつもりですか? ……だというのなら軽蔑します」

 

 アリステアが無機質な視線を跳ばす。冷たい瞳を向けられたアーシアは肩を震わせた。

 

「アーシア・アルジェント。貴方は神でなく"人の意志"に助けられてここにいる。この街に巣食う堕天使は神器を集めている。ならば"教会の聖女(トワイライト・ヒーリング)"を見逃すとは思えません。さて戦闘力皆無なアーシア・アルジェントがどうやって乗り越えるのかをご教授願います。まさかただ死ぬつもりで?」

「そ、それは、きっと祈れば神の祝福が……」

「神に祈り続けた果てが、良いように利用されて都合が悪くなったら捨てられるという惨状なんですよ。いい加減、神を崇拝して己の気持ちを誤魔化すのは辞めなさい。──目障りです」

 

 アリステアの突き放した言い方にアーシアは意気消沈して言葉を返せなくなる。

 

「ステア、少し踏み込みすぎだ」

「ナギ、優しいだけでは助けられない事もあります。今はまだ少し度の過ぎた洗脳ですが、いずれ狂う時が来る」

 

 薄々感じていたアーシアの危うさにアリステアは踏み込もうとしている。しかしソレがアーシア・アルジェントの精神を揺るがす危険な(こころ)みであると渚は知っていた。そんな渚の心配を尻目にアリステアは続ける。

 

「信仰は救いとなると同時に命すら簡単に捨てさせる神の毒にもなり得ます」

「か、神の毒ですか……?」

「近い将来に貴方はソレに殺される」

「し、信仰は私を殺したりはしません!」

 

 アーシアには珍しい大きな声での否定だった。

 

「今回、貴方は教会に"処刑"されそうになった所を見逃されて"辺境"の駒王に来たと言いました。──では聞きましょう。その"処刑"を決断させた根底の理由はなんですか?」

「わ、私が……悪魔を助けてしまった、からで……」

 

 緊張したように呼吸が速くなるアーシア。彼女は自分を卑下するが本来は聡明だ、きっと今ので"何が自分を殺そうとしたのか"に気づいたのだろう。

 渚がアーシアの予想した言葉を口にする。

 

「違うよ、アルジェントさん。──教会は信仰を守るために君を殺そうとしたんだ」

 

 まさに渚の言う通りだ。

 アーシアを殺そうとしてのは信仰そのものだ。

 だが当人はそれを自覚せず、未だに信仰が絶対だと認識している。盲目的といっていいほどに……。

 

「このままでは死する瞬間ですら"神の試練を超えられなかっただけだ"と安易に命の損失を受け入れる。そこにアーシア・アルジェントの意志はあるのでしょうか? 私的な意見としては、どこまでも神を盲信した狂気の果てとしか思えません」

 

 アーシアが黙って俯く。

 言い返せないのは思い当たる節があるからかもしれない。彼女は信仰こそが絶対だと育てられた可能性が高い。それでも抗う術がない危機を"試練"として受け入れるのは人間として間違っている。それは信仰でなく、根底にあるのは"(あきら)め"に他ならない。

 

「──神を敬愛する行為を否定するつもりはありません。それが貴方の精神を形作る源泉だと分かりますし、今更無くせるモノでもないでしょう。しかし盲信には気をつけるべきです。その先には狂信という魂の牢獄しか無いのですから……」

 

 アリステアは信仰を捨てろと言っているのではない。盲目的に肯定して思考を停止させるなとアーシアに厳しく指摘しているのだ。

 他人の世話を焼くタイプじゃないアリステアがこうも干渉するのは、彼女自身がアーシアを好意的に見ているからだろう。

 

「……で、ですが、私にはそれ以外に何もなくて、そうしないと自分を保っていられなくて……独りは辛くて……だから……」

 

 アーシアは血を吐くように自身の心に溜まっていたモノを晒け出す。

 彼女の孤独が痛いほど伝わる。誰にも本心を言えず、神だけを心の寄り所にしていた。(むし)ろ良く信仰だけで己を(たも)ったものだ。

 その精神性は決して弱いとは思えない。

 

「アルジェントさん」

「……はい」

「一緒にいるよ」

「え……?」

「俺は気軽な気持ちで友達になろうなんて言えない。そういうのは積み上げた時間の中で作られると思ってるからな。けど、独りが辛いって言うなら近くにいる。誰かと話したいと思ったら俺が付き合う」

「居てくれるのですか? ……私の側に?」

「ああ、アルジェントさんみたいな良い人なら歓迎だ」

「おしゃべりもしてくれるのですか?」

「たくさん語り合って、それでいつか俺と友達になろう」

 

 宝石のような碧眼(へきがん)から(しずく)がこぼれた。小さな子供のように何度も涙を(ぬぐ)うアーシアを見かねたアリステアがハンカチを手渡す。

 二人のやり取りを黙って見守る渚。

 その後に三人で取った朝食は、長話もあって冷めていたが優しい味がした。

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 アーシアが渚の住むマンションに来て一週間ほど経つ。

 あれから彼女は少し変わった。控えめで信仰心が溢れる性格は健在だが、神に祈るだけでなく自らの行動で道を切り開くようになった。

 今では管理者であるリアスに教会を建てる許可を申請している最中だと渚は聞いていた。

 リアスにとっては遠慮したい案件だろうが"悪魔の要求は可能な限り受け入れる"という(珍妙な)理由でお願いしてくるアーシアに苦戦しているらしい。

 信仰を()り所にしつつ、意志を強く持つ事を覚えたアーシアは信徒としても人間としても間違いを起こす心配は無いだろう。

 

「アーシアさんとの生活はどうだい、蒼井くん?」

「賑やかになったな、それにアルジェントさんは掃除やら料理やらを積極的にやってくれるから助かってる」

 

 四角い盤上に並ぶ丸い駒をひっくり返しながら渚は祐斗の質問に答える。

 状況は3:7で渚の優勢だ。

 学校から帰宅した渚は、現在リビングで祐斗とオセロの対戦中である。

 テレビとソファーのある場所へ目を向ければ小猫と一誠がアーシアとジェンガで遊んでいた。

 これは一誠が、アーシアと親睦を深めようと企画した遊びで祐斗と小猫も護衛という指示の下で一誠に付き合っている。

 いつも渚の部屋で(くつろ)いでいるアリステアは外出しているようで今はいない。

 

「木場の番だぞ?」

「うん、じゃあこうかな。それにしても良かったよ」

「何がだ?」

「上手くやっていけそうで」

 

 安堵した素振りを見せる祐斗。

 渚は少し考えてから口を開く。

 

「正直、お前はアルジェントさんを匿うのに反対すると思ってたよ」

「それは僕が神父……いや、教会にいい感情を持っていないからだよね?」

「まぁ、ぶっちゃければそうなる」

 

 少し前に祐斗が神父に対して攻撃的な面を見せたのを思い出す。アレはちょっとやそっとの恨みじゃない。

 だから教会に連なるアーシアも恨みの対象になるのではないか、と渚は密かに懸念していた。

 しかし蓋を開けてみれば、祐斗はアーシアに友好的だ。杞憂に終わって良かったが少しだけ理由が気に掛かる所ではある。

 

「彼女はある意味、僕と同じだからね」

「……そうか」

「話せ、とは言わないんだね」

「お前の過去も重そうだ。今はアルジェントさんの分で懲りてるから、また今度聞かせてくれ」

「……機会があれば、ね」

 

 悲しげな目をする祐斗。

 その心の奥には渚の予想も出来ない感情があるのだろう。

 祐斗が話したいと思うまで、その領域には決して触れないで置く。

 

「さ、君の番だ」

「ああ、……って角が全部取られてる」

 

 盤上を改めて見ると白と黒が逆転していた。

 祐斗の性格上、ズルは有り得ないので狙ってこうなるように仕組んでいたいのだろう。

 

「すんなり勝てると思ったらコレか」

「悪いね、少し(から)め手で行かせてもらったよ」

「参った、降参」

 

 両手を上げて負けを認める。

 三勝五敗の負け越しだが、そろそろ飽きてきた。

 祐斗と一緒にジェンガ組の方を観察するとアーシアがプルプル震えた指先でブロックを引き抜いてる最中だった。

 

「はぅ、指の震えが止まりません」

「……あまり力まない方がいいです」

「は、はい」

 

 小猫の助言に頷くアーシア。それがいけなかった。

 白い指先が狂い、ジェンガのバランスが崩壊。

 床にブロックの残骸が飛び散る。

 

「た、倒してしまいました……」

「ドンマイだぜ、アーシア」

 

 一誠が落ち込むアーシアを慰めながらブロックをまた集める。

 そんな一誠を見た祐斗がジェンガ組に聞こえない声で言う。

 

「兵藤くんって意外と面倒見がいいんだね」

「学校じゃエロ関係で嫌われてるけど、根っこは真っ直ぐな善人だよ」

 

 小猫とアーシアの二人と遊ぶ一誠の姿はいい兄貴分に見える。

 今は天野 夕麻の事で異性に向ける煩悩が抑えられているのかもしれない。

 いつもの一誠を知ってる身としては少し寂しく思う。

 バカみたいにエロ方面に突き抜けた一誠の方が、なんだかんだで彼らしく感じるのだ。

 

「あ、あの、蒼井さんっ」

 

 アーシアがトコトコと渚に近づくと身体をモジモジさせながら上目遣いをする。

 可愛らしい態度に自然と笑みがこぼれる。

 

「なんだ?」

「よろしければ一緒にやりませんか?」

「ジェンガ?」

「はい。私、蒼井さんとも遊びたいです」

 

 そこまで言われて断る筈もなく、渚は祐斗の方を向く。渚が抜けるとなれば祐斗の相手が居なくなる。

 家主として客人を暇させるのは不味いと思うが祐斗は笑顔で渚に言う。

 

「僕の事は気にしないで。ゴメンね、アーシアさん。蒼井くんを独占しちゃって」

「いえ、そんな事はありません」

「なら全員でやるか」

 

 渚の提案にアーシアが表情を輝かせる。

 こうして五人でジェンガをする事になり、一同がブロックの塔を囲む。

 隣に座る一誠が渚を睨む。

 

「ナギ、アーシアとは随分と仲良さげだな」

「家も近いし、普通だろ」

 

 アーシアはアリステアの部屋に居候しているので実質、お隣同士だ。

 事実だけを述べたのに一誠が悔しそうな顔をする。

 

「金髪美少女シスターと睦まじいお前が憎い。……というわけでナギが負けたら罰ゲームな」

「お前もリスクを負えよ?」

「いいぜ、崩したら何を支払う?」

「一つだけ言うこと聞く。……でどうだ?」

 

 渚が適当に提案すると小猫とアーシアが目を見開く。

 

「……賛成です」

「が、頑張ります!」

「少し本気で行こうかな」

 

 小猫、アーシア、祐斗の順に参加を表明する。

 

「いや、君らは参加しなくていいからね。特に女子はその賭けに乗っちゃダメだかね?」

「アーシアと小猫ちゃんがなんでも言うこと聞くとか。……負けらんねぇ」

 

 そして一誠が妙にやる気だった。

 

「おい、お前は辞めさせる役だろ」

「ばっか! 小猫ちゃんは犯罪臭するけどアーシアだぞ? 見ろ、あの金髪美少女がなんでも言うこと聞いてくれるなんて日本中の高校生が羨ましがるぞ!?」

 

 渚の首に腕を回して小声で力説する一誠。さっき祐斗と話した煩悩云々(うんぬん)は気のせいだったようだ。そんなこと考えつつ視線をアーシアに向ける。

 アリステアの用意した白いワンピース姿のアーシアは、女の子らしい横座りで渚の視線を受け止めると「何か私に用ですか?」と可愛らしく首を少しだけ傾けた。

 

「くそ、可愛い」

「だろだろ。好きにしたいだろ? おっぱい触りたいだろ?」

 

 一誠の煩悩に汚染されつつ同意する。

 あんな美少女になんでもしていいなぞ夢のようだ。

 しかし良心で欲望を()き止める。

 

「いいか、アルジェントさん。女の子がな、簡単になんでもしちゃダメだ」

「なぜですか?」

 

 純粋すぎて説得が難しい。渚が頭を悩ませると祐斗が横から割り込んで来た。

 

「なら、ジェンガを倒した人に何をしてもらいたいかをハッキリさせて置けばいいんじゃないかな?」

「あー、なるほど」

 

 それなら変なお願い事を後から実行させる心配はない。

 

「それで行こう。じゃあ俺は飯関係で頼む、学校組が倒した場合は昼飯を奢ってもらう、アルジェントさんだったら夕飯を作ってもらう、かな」

「欲がねぇな、蒼井 渚。勿論、俺は倒した人の胸を──」

「……えっちなのは禁止です」

「こ、小猫ちゃん……?」

「禁止です」

 

 拳を握って脅す小猫にガクガクと肯定するしかない一誠。刃向かえば"はぐれ悪魔"が如くボコボコにされると理解したのだろう。そもそも願いの対象はジェンガを倒した者なので渚や祐斗が罰ゲームを受ける場合、一誠は男の胸を触るハメになる。

 

「塔城は?」

「私は、甘い者を一緒に食べに行きたいです」

 

 小猫の金色の瞳が、じいーっと渚を捉え続ける。

 対象が一誠と同様に限定されている気がした。

 

「へぇ、つまり小猫ちゃんとデートって訳か……負けても当たりじゃね?」

「……兵藤先輩。私、沢山食べるのでお金は多く用意してください」

「えと、どんくらい?」

「……破産させます」

「絶対勝つぜ!」

 

 一誠の態度が急変して勝利を渇望する。勿論、渚も青ざめる。小猫は小さい身体のわりによく食べるのだ。

 財布が本気で心配になった渚の服を小猫がちょんちょんと軽く引っ張ってくる。

 

「……渚先輩の場合は罰ゲームになっても安くしてあげます」

「俺とナギで扱い違いすぎない、小猫ちゃん……」

「……兵藤先輩は下心があるので。だから安心して負けてください、渚先輩」

「とりあえず安心したよ、搭城」

 

 "はぐれ悪魔"討伐の懸賞金でお金には不自由していないが色々と先行きが不安な渚にとって無駄な散財は避けたい……というのは建前でアリステアに叱られるのが怖い。最悪、今よりも"狩り"の頻度が上がる。そうなったら本当に将来が真っ暗だ。

 

「僕も対象は限定されるんだけどいいかな」

「こっち見て言うなよ……」

 

 祐斗もまた渚を見ていた。対象が女の子でなく渚であることからある程度予測は出来た。

 

「君と剣を合わせたい」

「模擬戦がしたいと?」

「そう(とら)えてもらってかまわない」

「なんして?」

「君が振るう剣術に興味があるんだ」

「適当に素人が刀をブン回してるだけだぞ……」

「何度も君の戦い方を見てきたけど。──巧いよ」

「不味いの間違いだろ」

「そんな事はない。君が時折見せる剣の冴えは素晴らしいよ。無駄を削ぎ落とした足運び、洗練された体裁き、先の先を読んだような見切りの良さ。その全てが宿った刀による一撃は同じ剣士として目標だ。……堕天使カラワーナに放った二連撃は見事だった」

 

 祐斗の過大評価ぶりに渚が唖然とする。

 まさか騎士から剣の腕を褒められるとは思いもしなかった。渚からしたら本能的に刀を扱ってるだけで技術も何もない。それでも同じ刃を使う者からの賞賛は嬉しい物がある。

 

「じゃあ木場のはソレで、アーシアは?」

 

 渚がアーシアに問うと意を決したように拳を作り、こう言った。

 

「私は、また皆さんでこうしてお喋りしたり遊んだりしたいです」

 

 無欲なシスターの要求に彼女以外の全員が自身の欲深さに苦笑するのであった。

 





はい、私はアーシアが大好きです。
だって可愛いじゃないですか。


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思想による死相《Deep abundance》


一章の終わりが近い気がする。



 

「お前は弱い、戦士として欠陥が目立つ。──去れ」

 

 それはかつて所属していた戦闘部隊を指揮する者から言われた言葉。才能がないだけなら、これだけで諦めていただろう。

 だが自らに流れる堕天使の血がそうはさせてくれなかった。不幸にも彼女の父と母は戦場で名を馳せた戦士だったのだ。多くの敵から味方を守り、最後は組織の大幹部を庇って死んだという。

 誇りだった。自分もそうやって生きて死にたいと憧れたし周り者もそう期待していた。

 しかし、どう歯車が狂ったのか少女に力と才能は受け継がれなかった。

 内包する光力は並以下、武術の才も同じく。

 戦場に出れば武勲を立てるどころか生還するでやっとだった。やがて周囲は彼女に期待しなくなり、孤独になった。だから力を求めた。必死で自らを高めようと努力した。

 それでも両親には遠く及ばない。劣等種とも揶揄される中、一人の同族がこんな話を教えてくれた。

 

『"神 器(セイクリッド・ギア)"って知ってるかい? あれはね後天的に移し変えられる異能なんだ。強くなりたければ、才能が無いのなら──奪えばいい』

 

 誇り高い堕天使がそんな真似できるかと反論したが同族は(わら)う。

 

『お言葉だが、誇りだけで何が出来る? 貴方には力が足りない、それでコカビエル様にどう(むく)いる?』

 

 同族の手が伸びる。

 

『さぁ選べ。誇りに(すが)って(みじ)めに()ちるか、力を求めて生を駆け抜けるか』

 

 この手を掴めば力が手に入ると甘美な(ささや)きが聞こえた。

 彼女の"誇り"は"力"への渇望により黒く染まる。

 同族へ名前を聞いた。どうして自分に手を差し伸べるのか、も。

 

「名前? そうだな、カラワーナという。助力の理由は──まぁなんとなく、だね」

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 

 薄暗い部屋の一室で天野 夕麻(あまの ゆうま)──レイナーレは目覚めた。懐かしい夢を見ていた気がする。

 身体をゆっくりと起こす。

 (さび)れた部屋だった。木製の床は所々が抜け、閉められたカーテンは虫食いの穴が目立つ。日光がこぼれている事から昼ぐらいだと(さと)る。

 レイナーレは()だるい身体(からだ)鞭打(むちう)ってボロボロのベッドから立ち上がった。

 目眩(めまい)と頭痛が酷い。

 最悪の気分で部屋の隣に備え付けられた洗面台を目指す。

 途中、ギシギシと鳴る汚い床が(わずら)わしかった。

 

「……ハ、何これ?」

 

 鏡に映る青ざめた自身の顔に笑う。まるで死人だ。

 瞳は充血し、目元は濃い(くま)。肌に色はなく唇も青い。いつしか公園で出会った"居眠り男"も酷かったが自分も相当だ。

 顔を洗おうと洗面台の水を出す。ふと水場に備え付けてある棚に化粧水や香水などと言った小物を見つけた。少し前に自分が(だま)した少年のために用意した物だ。今思えば女らしい事をしたのはアレが初めてだった。

 

「兵藤 一誠」

 

 自分が殺そうとして失敗した少年。

 神器の略奪(りゃくだつ)という名目(めいもく)で近づいて害を成した。

 思い出すと胸が痛むが、これは神器を取り込み過ぎた影響だと自分を納得させる。

 今回で七つ目、神器の同時所有は大きな負荷が掛かる行為だ。神器は魂に宿るため取り込めば取り込むほど魂を圧迫する。特に一誠を襲ってから急激に体調が悪くなった。天罰という言葉が一瞬だけ頭に浮かぶ。

 

「馬鹿馬鹿しい、堕天使が何を言うの……」

 

 忌々(いまいま)しく吐き捨てると部屋のドアが軽くノックされる。用が済んだ洗面台を抜けてドアを開けるレイナーレ。

 

「あ、おはようございます、レイナーレ姉さま!」

「ミッテルト、どうしたの?」

「いえ、ちょっと最近元気がないから気になったっつか……」

「問題ないわ。ドーナシークとカラワーナは?」

「ドーナシークは待機してるっす。カラワーナはよくわからないっす」

「そう、少し外に出てくるわ」

「ウチも行く! ……ご、護衛役でっ」

「勝手にしなさい」

 

 邪険に(あつか)ったのに満面の笑みで後ろから付いてくるミッテルト。

 堕天使ミッテルトはレイナーレにとって謎の存在だ。

 ドーナシークは"神の子を見張る者(グリゴリ)"の戦闘部隊にいた頃からの古い付き合いになる。カラワーナは神器の略奪方法を教えてくれた同志だ。そのカラワーナが連れてきたのがクラフトとフリードである。ミッテルトだけがこれといって接点がない。急に現れて部下にしてくれて頼まれたからなんとなく配下にしただけの存在。居ても居なくても困らない奴なのだ。

 

「わはぁ、今日はいい天気っすねっ。レイナーレ姉さま!」

 

 拠点から出て太陽を浴びる。

 何が楽しいのかゴスロリ服を着た堕天使(ミッテルト)が騒いでいた。

 レイナーレは黙って歩く。

 やがて小さな公園にたどり着く。

 いつぞやだったか一人の少年が爆睡していた場所だ。

 ベンチに腰掛ける。少し歩いただけなのに気分が悪くなった。しばらくは立つのもままならないだろう。

 ミッテルトがブランコで遊びながら手を振ってきたので無視する。護衛とはよく言ったものだ。

 

「身体の衰弱(すいじゃく)に加えて術式経路の縮小も始まっているか。……これは長くないわね」

 

 自分の生存限界を(さと)る。

 無理をして力を求めたのだから、こうなるだろうと覚悟はしていた。内から色々な物が砕けるのを感じる。

 

「……落ちこぼれが、よく持った方か」

 

 そろそろ計画の()めに入るべきかだと決断した時だった。

 

「ご気分が優れないのですか?」

 

 (やわ)らかな声音がレイナーレを包む。

 いつの間にかベンチの傍らに金色の髪を持った異邦人がやって来ていた。白いワンピースがよく似合う優しそうな少女だ。

 

「……誰?」

 

 表には出さないように身構えた。こんな状態で(悪魔)などに接触したら面倒になる。

 

「はぅ、急にお声を掛けて申し訳ありません! 私、アーシア・アルジェントと言います!」

 

 どうやら声の主は人間のようだ。

 レイナーレは静かに警戒を解く。

 

「あ、そ。私は大丈夫だから放っておいて構わないわ」

「で、ですが──」

 

 しつこいと苛立つ。

 

「あ、この間の"デートの人"」

 

 追い払う為、キツく当たろうとしたレイナーレの前に例の"居眠り男"が現れた。二本のジュースを手に寄ってくる。世間は狭いな、とレイナーレは少々ウンザリした。

 

「その"デートの人"って私のことかしら、"居眠り男"?」

「そう(にら)まないでくださいよ」

 

 ヘラヘラと笑いながらアーシアにジュースを渡す"居眠り男"。

 

「あ、ありがとうございます。蒼井さんは、この方とはお知り合いで?」

「少し前にね。よかったら貴方もどうですか?」

「いらないわよ」

「相変わらずトゲトゲしいですね」

「刺し殺すわよ」

「それ口癖ですか……?」

 

 一週間以上も前だというのに、よく覚えているものだと僅かに感心した。

 人と話せる気分ではないで立ち去りたいが(いま)だ立つこともままならないので我慢する。

 そんな中、ブランコで遊んでいたゴスロリ堕天使が驚愕(きょうがく)の表情でこちらを見た。それから何やら爆走して"居眠り男"へ飛びかかる。

 

「てめー、ウチの姉さまに気安く近寄ってんじゃねー!」

「──ぐぼあ!!」

 

 ドロップキックが"居眠り男"の(わき)に直撃し、回転しながらカッ跳ぶ。

 

「きゃああああ! 蒼井さぁぁん!!」

 

 アーシアが悲鳴を上げながら"居眠り男"に駆け寄っていく。体を張ったコントを見ているようで少しだけレイナーレは面白くなった。

 

「護衛完了ッす」

「ミッテルト、あまり目立ちたくないから控えなさい」

「うっすッス」

 

 レイナーレの隣に座るミッテルト。ソワソワとした様子でレイナーレをチラチラ見る。

 

「ご、護衛っす。また変なのが来たら大変だから」

「どうでも良いわ、好きにすればいい」

「えへへ」

 

 そんな会話しているとアーシアに支えられながら"居眠り男"もとい"蒼井さん"が戻ってきた。

 

「い、いいキックだったよ……」

「キショ! Mかよシネ!!」

「お、俺、君に何かした……?」

「あぁぁん? 自分の胸に聞いて見ろっす。あとその手にあるジュース寄越せ」

「えぇ……」

 

 横暴(おうぼう)なミッテルトに唖然(あぜん)としつつ、ジュースを与える蒼井。随分とお人好しな人間である。会話のドッジボールが続く中、レイナーレはアーシアへ目をやる。

 

「随分と可愛い彼女さんなのね、デート?」

「はぅ! で、デートなんて、そんな違います! 今日は町の案内をして下さっているんです……」

「ふふ、デートじゃないんですって、残念ね"居眠り"?」

「言われなくて知ってますよ」

 

 そういう割には微妙に気にしている口調だ。ミッテルトも「お前みたいに中途半端な顔じゃ釣り合ってねぇっすよぉ」とバカにしていた。蒼井はコメカミに青筋を立てていたが、年上の威厳で耐えている様子だ。ちゃんとケアをすれば、それなりの顔になるとレイナーレは思ったが胸に秘めておく。

 

「町の案内だったら早く行きなさいな。なにこんな場所で油売ってんのよ」

「もう一人とここで待ち合わせしてるんです、実はそいつが案内する事になってまして。俺はこの街に来て半年しか経ってないんでまだ細かい場所とか知らないんですよ」

「は? じゃあアンタがいる意味は?」

「この機によく街を知ろうかと……」

「役立たずなら帰れば?」

「"デートの人"がひどい!?」

 

 小者めいた良いリアクションだ。中々にからかい甲斐(がい)のある人材だと評価を改めるレイナーレ。

 だがあまり長い時間、外にいられる身ではないので帰ろうと立ち上がる。

 

「……病院、行きませんか?」

「またソレ?」

 

 生意気にも蒼井はレイナーレの体調を気にしてきた。アーシアとミッテルトも無言で心配そうな目を向けてくる。隠しているつもりでも他人からは丸分かりのようだ。

 

「その顔色、疲れとかじゃないですよね。もっと悪い何かでしょう?」

「余計なお世話よ、じゃあさよなら」

 

 レイナーレが歩き始めると公園の入り口から人影が小走り向かってきた。多分、蒼井とアーシアの待ち人だろう。顔も見ずに通り過ぎようとするが相手側が急に立ち止まる。

 

「ゆ、夕麻ちゃん……?」

「……え?」

 

 この名前を呼ぶのたった一人しかいない。

 顔をあげると目の前には自分が殺そうとした少年がいた。悪魔化したと聞かされていた元彼氏──兵藤 一誠だ。

 冷たく凍り付いた胸に熱が灯り、頭が真っ白になる。

 

「イッセー……くん?」

 

 思わず親しかった時の名で呼んでしまった。

 嬉しそうに笑う一誠。

 ──バカな、と思考が高速で回転し始めた。

 なぜ笑う。なぜ愛おしそうな顔をする。お前を騙して殺した女にする顔じゃない。

 

「顔色、悪いよ? 大丈夫?」

 

 優しい言葉が胸を刺す。

 痛い、どうしようなく痛い。この男に自分がこうも反応してしまう理由が分からない。

 何度か電話で話して、たかが一度だけのデートを楽しんだ仲だ。ただの一度だけ自分を価値ある少女として扱われただけだ。

 一誠の手が伸ばされる。

 不味いと危機感がレイナーレを襲った。あの手は自分にとって猛毒だ。触れれば大事な物が決壊する。

 

「さ、触るなぁ!」

 

 人目も(はば)からず光の槍で一誠の腕を振り払う。

 

「ぐあ!」

「あ……」

 

 光に焼かれた一誠を見て、さらに不快な気分になる。

 苛立つ。

 この感情は──罪悪感というものだったからだ。

 

「イッセー!」

「兵藤さん!」

 

 蒼井とアーシアが一誠に駆け寄る。

 

「だ、大丈夫、腕を掠めただけだ」

「隠すな! くそ、どこが掠めただけだ、骨までいってるぞ。──アルジェントさん、頼む!」

「は、はい!」

 

 アーシアが一誠の傷に手を当てると傷が癒える。

 

神 器(セイクリッド・ギア)……?」

 

 呆然と癒される一誠を眺めるレイナーレ。

 蒼井が立ち上がり、一誠とアーシアの前に立つ。

 

「まさか天野 夕麻とは思いませんでした」

「……私もあんたが兵藤 一誠の仲間とは思わなかったわ」

 

 光の槍が蒼井へ突き出された。

 

「消えなさい、一度は見逃してあげるわ」

「優しいんですね、殺されると思っていましたよ」

「暇じゃないのよ」

「嘘ですね。イッセーを殺したくないんじゃないですか?」

 

 確信めいた一言だ。レイナーレは蒼井を睨み付ける。

 

「何を根拠に言ってるのかしら?」

「イッセーを傷つけた時の表情です。驚きと後悔が隠せてませんでした」

「戯れ言を……。私は堕天使よ、ソレはもう敵──ゴホッ!」

「お、おい!」

 

 レイナーレが今までに感じたことがない目眩に襲われる。胃から生温かいモノが込み上げくるのを耐えきれず吐き出してしまう。吐瀉物(としゃぶつ)かと思ったが濃い鉄の臭いと味からして全て血だと思い(いた)る頃には世界が反転していた。

 

「……ちくしょ……こんな……タイミングで……」

「レイナーレ姉さま!」

「夕麻ちゃん!」

 

 ミッテルトが遠くで何かを言っていたがレイナーレの意識は遠くへ落ちていく。

 最後の瞬間、誰かに体を支えられる。抱き止めたのは知っている腕の感触だった……。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 時刻は夕方。

 渚の部屋にオカルト研究部の面々が集まっていた。急な集合理由は思わぬ形で捕らえる事に成功した堕天使レイナーレの件である。重たい雰囲気の中、来たばかりのリアスが渚に聞いた。

 

「堕天使レイナーレはどこ?」

「寝室です。今、ステアとアルジェントさんが看てます」

「そう。で、そこの渚の後ろに隠れている堕天使は何者?」

 

 鋭い声だ。いつもの優しいオカルト研究部の部長ではなく、グレモリー眷属の"(キング)"としての威厳がミッテルトにのし掛かる。

 

「う、ウチはミッテルトだ、覚えとけ!」

「口の聞き方がなってないわ」

 

 リアスから魔力とおぼしきオーラが流れ始める。力量の差を知ったミッテルトは渚の後ろから少し離れた一誠の背後へ待避する。

 

「ふん、男の後ろに隠れるしか能がないようね」

「は、はぁああ? 少し強いから良い気なんなよ!」

「や、やめろって、ていうか俺の後ろに来るなよ堕天使」

「うっせ! お前、レイナーレ様の味方じゃないのかよ! 身の程知らずにも惚れてんだろ!?」

「うっ……」

 

 ミッテルトの言い分に一誠が困り果てるのを渚は見た。

 半分正解で半分間違いなので応え難いのだろう。レイナーレに危害を加えたくないのは事実だが、リアスのまた一誠にとって大恩ある人なのだ。なんとも動きにくい立場である。

 

「あー、グレモリー先輩、これは放っておいて話をしませんか?」

「部長、私も蒼井くんの言葉に賛同しますわ」

 

 渚と朱乃の進言にリアスが魔力を収めた。

 

「そうね。小猫、祐斗、あの堕天使が妙な動きをしないように見張っててもらえる?」

「分かりました」

「……はい」

 

 リアスの"騎士(ナイト)"と"戦車(ルーク)"が目を光らせる。

渚の目算になるがミッテルトの戦闘力は二人に及ばない。悪魔に成り立ての一誠よりは強いだろうが、渚も負けないだろう。

 

「今回はお手柄だったわ、渚」

「手柄とは言えませんよ。戦う前に相手が倒れた訳ですし……」

 

 アレには渚も驚いた。

 戦闘に入ろうとした場面でレイナーレが大量の血を吐いたのだ。

 倒れる前に一誠が支え、ヒーラーであるアーシアに治癒を頼んだが効果は(かんば)しくなかった。

 だから渚の部屋まで連れて帰り、知識人であるアリステアに看てもらっている。

 そこにリアスが来て、今に至る訳だ。

 

「ミッテルト……でいいか? "デートの人"──レイナーレは、どうしてあんな状態なんだ?」

「……言えない。レイナーレ姉さまの情報は絶対渡さないからな!」

 

 (かたく)なだった。忠誠とは違う親愛を彼女から感じる。嫌いなタイプではないが、この駒王に()いてミッテルトは侵略者だ。侵略されたリアスが沈黙を許さない。

 

「黙秘権なんて期待しないことね。貴方たちはこの街を危険にさらしているわ。全て答えてもらうわよ」

「死んだって答えないっつてんだろ! 二度も言わすなっす!」

「良い覚悟ね」

 

 リアスが剣呑な瞳でミッテルトを見据える。一触即発な空気の中、寝室からアリステアとアーシアが出てきた。

 

「夕麻ちゃんは!?」

「レイナーレ姉さまは!?」

 

 一誠とミッテルトが同時に声を荒げる。

 二人に呆れ顔をしながらアリステアはキッチンの冷蔵庫へ脚を運ぶと、そこから紙パック牛乳を取り出して勝手に開けるや飲み始めた。まさかの1000mlをラッパ飲みするという家族がいれば非難を浴びる行動である。因みに渚の買ってきた物だ。買った本人を許可なくソレをやってのける彼女は暴君か何かなのだろうか?

 

「それ買ったばかりなんだが……?」

「いきなりやってきて堕天使の介護をさせたんです、これぐらい大目に見て下さい」

「だったらせめてコップぐらい使ってくれよ」

「私は気にしないので残りは差し上げますよ」

「だからそれ俺の……」

「おい! スかしてんじゃねぇっすよ!! ウチの言葉を聞いてたっすか、銀髪!! レイナーレ姉さまはどうなんだって言ってんすよ、ボケてんすか!!」

 

 マイペースなアリステアにミッテルトが大声で突っかかる。その言動を聞いたアリステアは、なんとも詰まらなさそうに視線を向けた。アイスブルーの瞳には殺気も怒気もない。だが確実に部屋全体の雰囲気を変異させた。

 蔓延するのは異様に冷たく、異常に深く、特異かつ巨大で強大な気配。異質な空気を醸し出す元凶は穏やかな口調で言う。

 

「一度は見逃しましょう。──意味は理解できますね、堕天使ミッテルト?」

「あぅ……あ、ああ……」

 

 子供にでも言い聞かせるような優しい声音。

 だが裏に隠れた死刑宣告は絶大な効果をミッテルトに与える。アリステアという人間がうまく認識できなくなっているのだろう。

 人の皮を被った"ナニカ"の片鱗に触れたミッテルトはガクガクと全身を震わせていた。リアス達も銀の"ナニカ"に釘付けになる。まるで別世界の存在に出会ってしまったという錯覚が圧し寄せるのだ。

 

「こら、なに怖がらせてんだよ。"イジメ、格好悪い"だぞ、ステア」

 

 そんな中で渚が疲れたようにアリステアへ言う。

 

「イジメとは心外ですよ、ナギ。これは礼儀を欠いた者への意趣返しに、少し洒落(しゃれ)()かせてみただけです」

「お前の洒落のセンスは最悪だ。この雰囲気を見ろよ、周り引いてるだろうが……」

「これは失礼。──堕天使レイナーレの件でしたか?」

「頼む、出来るだけ簡潔にな」

 

 渚の軽口で異質な気配が霧散する。

 アリステアにとってはイタズラ混じりの威圧だったのだろうが、遊ばれたミッテルトは本気で怯えていた。

 いい性格に辟易しつつも渚はアリステアの言葉へ耳を傾ける。

 

「彼女の不調は"神 器(セイクリッド・ギア)"を所持し過ぎたのが原因ですね。七つも保有していれば無理もありません。魂に多くの異物を(おさ)めた事による負荷が生命力の低下に繋がっています。あのままでは近い内に死ぬでしょう」

「治す方法は?」

 

 一誠とミッテルトに代わって、渚が重要な部分の説明を求める。

 

「生命力を何かしらの方法で維持し続ければ生き永らえるでしょうが穴の空いたバケツに水をくべるような行為です。根本的な解決をしたいなら取り入れた"神器"を剥離(はくり)するのが絶対です」

「"神器"の取り出す方法はあるの……ですか?」

 

 面識の少ないアリステアに一誠が慣れない敬語で聞く。

 

「以前、古い書物で似た術式を見た事があります。必要な知識と技術があれば剥離は可能です。というより既に六つは摘出しました。あと一つは少々時間が掛かりますが助けられるでしょう」

「──ッ! ありがとうございます、アリステアさん!!」

 

 バッと頭を下げる一誠をリアスが微妙な面持ちで見ている。敵である堕天使を気にかける姿に感じるモノがあるようだ。この件に関しては被害者側なので当然といえば当然だが……。

 

「礼には及びませんよ兵藤 (なにがし)。摘出した"神器"ですが、姿を隠す隠密系に始まり、炎、水、木、雷の攻撃系、あとは毒を操る特殊系ですね。リアス・グレモリー、どれも下位の"神器"なので頂いても?」

「ええ、好きにしていいわ。悪用はしないでね?」

「勿論です」

 

 ひとまず話が終わる。まだまだ聞かなければならない事もあるが、レイナーレが目覚めてからでもいいだろう。渚がそう考えていると服を強く引っ張られた。

 

「人間、その、レイナーレ姉さまを助けてくれたのは礼を言っとくっす」

「俺じゃなくてあっちな?」

 

 アリステアを指すとブンブンと頭を振って拒否する。どうやら相当怖いようだ。無理もないと渚が軽く同情する最中(さなか)、アーシアがトコトコと寄ってきた。

 

「良かったですね、ミッテルトさん」

「ま、まぁ、お前には感謝してるっす。一生懸命、治癒してくれたし?」

「私でお力になれたのなら嬉しいです」

「う、うん、ありがと」

「はい!」

 

 照れたミッテルトが顔を背ける。アーシアの真っ直ぐな好意に居たたまれなくなったらしい。

 

「部長、レイナーレはここから動かせないとの事ですがどうしますか?」

「そうね、今日は全員このマンションに泊まりましょうか。渚とアリステア以外の住人は居ないのだし」

「ではそのように、部屋割りは──」

 

 リアスと朱乃がこれからの話をしていた。

 

「……渚先輩は今日はどこで寝るんですか?」

「あ、そっか。ベッド使われてんだよな」

「……私達も泊まりになるようですから、お布団も持ってきましょうか?」

「頼めるか、塔城?」

「……お安いご用です」

 

 小猫が嬉しそうに頷く。

 妙に尽くしてくる小さな少女。

 好感度をあげるような真似をした覚えがないだけに謎である。

 勿論、嫌われているよりは何十倍もマシだ。

 渚が小猫から離れて祐斗に手招きをする。

 

「どうしたんだい、蒼井くん?」

「あのさ、塔城って人見知りだよな?」

 

 これは学校での印象である。

 小猫もまた学校では人気者だ。マスコットみたいな扱いを受けている。しかしオカルト研究部員の者以外と親しくしているのを見たことがない。壁と言えばいいのだろうか、他人にそういったものを敷いているように思えるのだ。

 

「そうだね、彼女も少し生まれが特殊だから色々あったんだよ」

 

 祐斗も同意してくれる。

 

「そんな娘が俺なんかと会話してくれてるのが謎なんだが……」

「それは僕からは言えないかな、ごめんね」

「やっぱ理由はあるのか?」

「あるよ。ただ君が忘れてるだけじゃないかな?」

 

 それ以上は祐斗も教えてくれない。謎は深まるばかりだった。

 

「ナギ」

「お、どした?」

 

 一誠に声を掛けられる。

 

「夕麻ちゃん、どうなんのかな?」

「こればっかりはグレモリー先輩の采配だな」

「殺されたりしたらどうしよう……」

 

 天野 夕麻(レイナーレ)はリアスにとって外敵でしかない。しかも七つの"神器"を所持していた事から少なくとも一誠を除いた六人の人間を殺している。端から見れば危険人物だ、渚だってそんな人外が敵であるなら斬る。だが、どうにも夕麻に関しては性根から悪と断ずることが出来なかった。

 あんなボロボロになってまで戦う理由が気にかかる。それに公園で初めて会った時も口は悪かったが、渚に情のある態度を見せた。

 

「なんらかの処罰はあるだろうけど、命だけは助けてもらうよう頼んでみよう、な?」

「……そうだな」

「なんつか最近、元気がねぇぞ? 色々あるのは分かるけど笑えよ。落ち込んでるなんてお前らしくない。……ほら、こんなに綺麗どころが揃ってんだから……なんだ、その、お胸を拝見して元気出せ?」

 

 最後の方が小声だった。

 無理をして元気づけようとする渚に一誠が苦笑する。

 

「まさか、お前からおっぱいを見ろと言われる日が来るとは思わなかったぜ」

「すまん、イッセーの好きなモノといえばこれしか浮かばなかった……」

「はは、まぁ好きだぜ? 確かに言われてみりゃとんでもない光景だ」

 

 リアス、朱乃、小猫、アーシア、ミッテルト、そしてアリステア。驚くほど容姿が整った女子しかしない。

 ふと一誠がアリステアを見た。

 アーシアとは紹介を済ませている一誠であるがアリステア相手にはまだなのだ。

 

「あのおっかな超美人、アーシアを連れてきた時もいたよな? お前とどんな関係なの? ……まさか彼女とかか?」

「そんな甘い関係ならどんなに良かったか……。手を出すどころか嫌らしい目で見ただけで危ないから、特に控えろよ?」

「き、肝に命じておく」

 

 さっきの恐ろしい雰囲気を思い出したのだろう。冷や汗を流して渚の言葉に同意する一誠。

 

「でもちゃんと話せばいい奴だから、そう恐がらないであげてくれ」

「ずいぶんと肩を持つのな?」

「アイツは家族……みたいなものだから」

「そういえば、お前とよくツルんでいるのにプライベートは詳しく知らないっけ……」

「色々と俺も訳ありでな、いつかお前にも話すよ」

「そっか。じゃあ俺、夕麻ちゃんのトコに行ってくる」

 

 寝室に向かう一誠を渚は見送る。

 ふと、部屋のチャイムが鳴った。

 セールスかと思い、早足で玄関へ向かってからドアノブに手を掛ける。

 

「──ナギ、そこから離れてください!」

 

 急にアリステアがリビングから声を張り上げる。

 瞬間、背筋に悪寒が走った。

 ──殺気だ。

 ドアの向こうから殺意が肌を刺す。

 反射的に防御体勢に入ると、目の前のドアが爆発した。

 衝撃で玄関からリビングまで弾き跳ばされる渚。

 

「──ガッ!」

 

 背中から落下し、爆発で飛び散った破片が身体の至る箇所に傷を作っていた。

 痛みに耐えながら風通しの良くなった玄関を睨む。

 そこに居たのは神父姿の少年だ。渚と同じくらいの歳だろう。

 大口径の銃と光る剣を両腕で持ちながら笑う。

 

「はっじめましてーん! 悪魔絶対殺すマンを自称してるフリード・セルゼン神父でぇす。チャイム押しても出なかったんで、ちょっと大きめのノックをさせて頂きましたー。用件? そんなの悪魔殺しのついでにウチのお姫様を取り返しに参上しましたに決まってんじゃんよ」

 

 それは宣戦布告にも等しい悪意のある自己紹介。

 邪悪な笑みを携えた神父が、悪魔とその関係者を殺しにやってきた。

 





ここから章の終わりまで一気に駆け抜けます。


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戦闘の宴は始まる《Battle Field》


戦いが始まる。



 

 玄関が消失して風通しの良くなった渚の部屋に神父が土足で上がってくる。

 頭から血を流す渚が全身の打撲に耐えながら、侵入者──フリード・セルゼンを睨み付けた。

 

「"お邪魔します"くらい言えないのかよ。人の部屋をこんなにしやがって神に訴えるぞ?」

「自分、"はぐれ"なーんで問題ナッシング。おやぁー、それはそうと痛そうな傷ですねぇ、頭からも血がドバドバしてまっせ。大丈夫? ねぇ大丈夫ぅ? ハハッ!」

 

 耳障りな声で渚を嗤うフリード。

 ──よし、ぶっ殺す。

 ここまでされて黙っていられるほど渚は温厚じゃない。

 刀は少し離れた場所に転がっているので殴り跳ばそうと決める。

 

「お、おい、今の音、なん──」

「中にいなさい、イッセー。緊急事態よ!」

「うぉ、わ、分かりました、部長!」

 

 一誠が寝室から出てこようとするが、リアスが無理矢理に押し込めた。戦いの予感を感じて避難させたのだろう。

 寝室の向こうに一誠を見送った渚が体を起こそうとする。

 ふと肩に優しく手が置かれた、祐斗だ。

 

「蒼井くんは治療に専念して、アーシアさんが泣きそうだよ?」

 

 神父を恨んでいる祐斗だが、シスターであるアーシアには親身に接してくれている。祐斗(いわ)く、アーシアは自分と似ているから敵とは思えないとの事だ。きっと過去に教会で何か合ったのだろう。

 やがて祐斗は冷たい怒りを込めた魔剣でフリードと剣撃を交わし始めた。

 渚も参戦しようとするが、無言で小猫に抑えられアーシアが傷を癒す。見事な連携に動きを封じられる。

 

「ハッハ! すごいじゃん、クソ悪魔。俺と剣で渡り合えるなんて褒めちゃうぜ?」

「ふざけた神父だ」

「爽やかな顔して怖い怖~い」

 

 足を止めての刃の応酬。闇と光の剣が互いを喰らい合う。

 全ての視線が祐斗とフリードに注がれる中で、アリステアがリアスに言った。

 

「外に注意してください。囲まれています、数は少なくとも50」

「朱乃、小猫、打って出る準備をして。祐斗、それは任せるわよ」

「僕もすぐ向かいます」

 

 頭を切り替えたリアスがすぐに指示を出す。大した防備のないここでは籠城は悪手だ。動きが制限されない屋外を戦場に選ぶ。

 

「ばぁーか、お前らは出れねぇよ。ここで仲良く、おっ()ね!」

 

 フリードが舌を出して嗤う。同時に渚は自分の背後でピシリという音を聞いた。

 後ろはベランダに続く窓ガラスしかない。ならば今のは……。

 渚がすぐ近くいたアーシアと小猫を抱き抱えてしゃがみ込む。

 

「窓から離れろ! 敵が来る!!」

 

 庇えない者達に叫ぶと、ガシャーンと耳を(つんざ)く破砕音が響き渡る。

 

「ぐぁ……!」

 

 渚の背中にガラスの破片が突き刺さる。

 

「おや、誰かと思えば渚くんじゃないか。そんな所にいるとは運がないね、背中がヤマアラシのようだよ?」

 

 聞き覚えのある声がベランダからした。

 ボディコン服を着た女性だ。忘れるはずがない、堕天使カラワーナ。二度と会いたくなかった不気味な奴だ。

 彼女と共に複数の神父らしき集団が部屋に侵入してくるとリアス、朱乃の双方が交戦状態に入った。

 

「クソ、最近こんなんばっかだな、俺」

 

 つい先日も重度の火傷をアーシアに治して貰ったばかりなのだ。

 

「あ、蒼井さん!」

「……渚先輩、背中から血が」

 

 立ち上がろうとする渚をアーシアと小猫が支えてくれる。

 無傷な二人を見て安堵すると渚は構えた。

 

「下がれ、二人とも」

「ふふ、女の子を庇うなんて男だな、渚くん?」

 

 カラワーナが面白そうに渚を見下ろす。

 すると赤い魔力弾と稲妻が横から跳んできた。リアスと朱乃の攻撃だ。足下には襲ってきた神父が倒れている。流石と言うべきか並の神父では彼女たちを止められなかったのだろう。

 

「話は聞いてるわ、貴方が堕天使カラワーナね」

「初めましてになるかな、グレモリーの次期当主さま」

「部長、お気をつけて。あの者、かなりの手錬ですわ」

「分かっているわ、"雷光"使いの堕天使に手加減は不要ね」

 

 リアスが視線だけで小猫に指示を出すと頷いて疾走。小さな拳でアッパーを放った。

 

「おっとそこから来るのか。当たれば首から上が失くなりそうだ」

「……じゃあ当たって砕けてください」

「それは御免だ」

 

 飄々と攻撃を躱すカラワーナが小猫の腕を取り、投げつけた。

 

「塔城!」

「塔城さん!」

 

 壁に激突するかと思いきや身を(ひるがえ)して軽やかに着地する小猫。

 

「……問題ありません」

「部長、玄関方面から新手です!」

 

 祐斗が魔剣を振るいながら叫ぶ。

 

「朱乃、小猫、押し返しなさい!」

「はい、部長」

「……行きます」

 

 祐斗とフリードを避けるように、玄関から来た神父を圧倒しながら外の廊下へ出る朱乃と小猫。豪快な戦闘音が向こうで(とどろ)く。

 

「派手だね。さて次はそっちのシスターとリアス・グレモリーの命を貰おうかな」

「カラワーナ、なんでアルジェントさんがシスターだと知っている……」

 

 今のアーシアはアリステアが用意した白いワンピースを着ている。リアスもまた戦争の火種になり得るアーシアの素性を隠していた。

 しかしカラワーナは看破した。であれば教会側からアーシアの情報が()れた……(ある)いはわざと流されたかのどちらかになる。もし後者なら最低最悪だ。

 

「教会から殺せって指令が下りたらしくね。汚れ仕事を任されていたフリード神父にお(はち)が回ってきたのさ」

「やはり、そうだったのね。……なんて奴ら!」

「ちくしょうが……」

 

 リアスの顔に不快さを浮かび、渚が唇を噛む。

 やはり教会はアーシアを消したがっている。

 渚には分からなかった。神を敬愛する信徒を殺そうとする教会の考えが……。

 ただ、そこにアーシアが宿す深い信仰とは違う(いびつ)な狂信は感じる。

 

「やはり私は許されていなかったのですね……」

 

 暗然(あんぜん)とした表情で目を伏せるアーシア。 その碧い瞳から流れる一滴の涙を渚は見た。怒りに似た感情が胸に宿る。

 

「そうだ、アーシア・アルジェント。この世界に君の居場所はもうない、大人しく──」

「くだらねぇ。居場所がないからなんだ? 大人しく死ねとでも言うつもりか?」

「あおい……さん?」

 

 馬鹿げた話だ。

 確かに一般的に言えば、敵を助けたのは間違いだったのかもしれない。

 だが罪に対して処罰が大きすぎる。

 教会にも事情はあったのだろうが、この際知ったことではない。渚からしたらアーシアの"助けたかったから救う"という想いの方が遙かに(とうと)い。

 

()()()()、居場所がないなら作ればいい。別に教会じゃなくても祈りは(ささ)げられる。だったら何処(どこ)でやっても同じだ。毎日続ければ神様だって"ご加護"を与えて下さるさ」

()(ごと)だね。祈るだけで"加護"を受けられるのなら世界はもっと幸せに満ちているよ」

「戯れ言? 結構じゃないか。信じるものは救われるって言葉を知らないのかよ、堕天使」

 

 言い切る。

 自分でも無茶を言っているのは分かっていた。

 神が実在すると知っていても会ったことはない。もしかたらアーシアを見捨てる奴かもしれない。

 だがアーシアの心にいる神だけは犯させないし、奪わせない。その神様こそがアーシア・アルジェントを形作った優しさの源泉だから……。

 

「命を救う行いは善だ。例え教会やお前が悪と断じようが俺は肯定する、アーシアを正義だと言い続けてやるよ。──誰が殺させるか」

「君は教会を敵に回す気かい? 個人で戦えるほど小さな組織ではないよ」

 

 カラワーナが愚か者を見るような目をする。

 そんな横から凛然(りんぜん)とした声が割り込む。

 

「個人では無いわ」

「何?」

「アーシア・アルジェントは私、リアス・グレモリーが預かる」

「バカかい? 悪魔がシスターを(かくま)うなど身内が黙っていない」

「私を舐めないでちょうだい。全て考えがあっての事よ」

「グレモリー先輩、カッコいいです」

「貴方もね、渚。さっきの言い返しは見事だったわ」

 

 互いを褒め合う渚とリアス。

 

「蒼井さん、グレモリーさん……」

「あとでゆっくり話しましょう、アーシア。私、貴方のこと結構気に入ってるのよ?」

 

 悪魔とは思えない慈悲の笑みを向けるリアスは惚れ惚れする"王"だった。

 

「……分かりません。私は馬鹿で泣き虫で治癒しか能のない役立たずです。……なのに、どうして蒼井さんもリアスさんも、こんなに優しくしてくれるのですか? こんなにも私と一緒に居てくれるのですか……? 私にはそれが全然分かりません」

 

 アーシアの顔が困惑に染まる。まるで理解できないといった様子だ。

 きっと他人から優しくされるのに慣れていないのだろう。だから自身へ向けられた無償の善意と好意を受け止めきれないのだ。そこから何となく彼女の人生が孤独だったと想像できてしまう。

 渚がアーシアの頭を撫でる。一人で頑張ってきた彼女を褒めずにはいられなかった。

 そして彼女が求めた質問の答えを口にする。

 

「それは君がアーシア・アルジェントだからだ」

「う……く……私……ふぇ……」

 

 知っている。彼女が今でも教会の神を信仰していると。

 知っている。見ず知らずの異国に送られても頑張ろうとしていた事を。

 知っているのだ。それが人だろうと悪魔だろうと救わずにはいられない優しい少女だと。

 そんな女の子に"死ね"と告げる悪意は決して許せない。

 

「カラワーナ、お前の好きには出来ると思うな」

「いや、悪いが彼女たちには死んで貰うよ。さ、聖女の血と魔王の血で新しい時代を祝おうじゃないか」

 

 カラワーナの手がアーシアへ伸びる。

 渚とリアスが触れさせないよう、迎撃体勢に入った時だ。

 

「──でしたら私からの祝砲を受け取って下さい」

 

 静かだが良く通る声にカラワーナの目が見開く。

 

「何っ!?」

「ステア!」

 

 カラワーナの不意を打つ形で横に現れたのはアリステア。その右手には銀のリバルバー拳銃──"S&W M500カスタム"が握られている。マズルブレーキまで装着した銃身は長く、無骨さと鋭利さを備える世界で最も威力を重視した一挺だ。

 その銃をカラワーナのコメカミに突き付けると同時に発砲。カラワーナの頭部が文字通り炸裂した。

 渚は傍らにいたアーシアを胸に抱いて目を塞ぐ。心根が優しい彼女に頭部が破壊された無惨な遺体など見せたくなかった。

 

「あ、なぎ……蒼井さん、私は大丈夫です」

「無理するな。これはアルジェントさんが見ていいものじゃない。あとナギでいい。友達、なってくれるんだろ?」

「はい、ナギさん! 私もアーシアと呼んでください」

 

 ほんのり頬を赤くしながら、ぎゅっと抱きつくアーシア。

 

「全く、見せつけてくれますね。純粋なシスターを(かどわ)かしに成功した感想はどうですか?」

「拐かすとは人聞きが悪いぞ、俺はただアーシアの助けになりたくてだな──」

「よく回る口です、縫いつけますよ?」

「なんでやねん!」

「あぅ……すいません」

 

 刺々しいリステアに何故か謝るアーシアは真っ赤だった。

 ニヤニヤと意味深に微笑むリアス。

 

「これは修羅場でいいのかしら、アリステア?」

「鉄火場の間違いですよ、リアス・グレモリー」

 

 リボルバー銃だけをベランダ側に向けて撃つアリステア。狙いは侵入するために一階から飛翔してきた四人の神父だ。放たれた四発の弾丸は見事に命中して神父を地上に叩き落とす。

 

「うわ、息するみたいにカラワーナ(仮)ちゃんとその他を殺しやがった。あの銀髪美人、ちょーおっかねぇ」

 

 アリステアに対してフリードが祐斗と斬り合いながらそんな感想をこぼす。

 

「次は貴方ですよ、フリード・セルゼン」

 

 シリンダーから空薬莢を排出して、慣れた手つきで迅速にリロードを終了させるとフリードに銃口を向けた。

 

「アハハ、その位置じゃあ仲間に当たちゃうかもよぉ? いいのかなぁー? ほれ、ほーれ、悪魔バリアー!!」

 

 至近距離で交戦中の祐斗の身体を盾にして煽るフリード。あれでは祐斗に当たる。

 

稚拙(ちせつ)ですね」

 

 その挑発を安易に切り捨てたアリステアは迷わず引き金を()いた。

 弾丸は祐斗の背に迫る。

 だが被弾の瞬間、祐斗がフリードの剣を避けるため身体をズラした。それにより彼のすぐ横を抜けたアリステアの弾丸はフリードの操る光剣に直撃。

 バキィンっと甲高い音を鳴らす刃が二つにへし折れる。これにはフリードは当然として祐斗も驚いていた。渚に至っては白目を剥いて真っ白になる

 

「はぁぁぁぁぁぁ!!?? 普通、今の当てますかぁ!? 超密着状態かつ超高速で動いてんですけどぉ!?」

 

 フリードが目を見開いて抗議した。

 接近戦をしている味方を飛び道具で援護するなど正気とは思えない。

 祐斗もフリードも常に人を超えた領域で動いている。そんな中で最も動きの激しい武器を破壊するなど不可能だ。しかしアリステアはやってしまった。

 両方の動きを寸分の狂いなしに予測して、確実なタイミングを狙い、フリードの剣が来る位置に弾丸を()()したのだ。恐るべき神技である。

 

「何を驚くのです。貴方も銃使いなら、これぐらい出来なくてどうするのですか?」

 

 アリステアがフリードの持つ銃を指して(あざ)(わら)う。いい腕と性格に渚も苦笑いしか出ない。

 

「ここまでお膳立てしてもらったら、負けるわけにはいかないな」

「チィ」

 

 剣を失ったフリードを祐斗が追いつめる。あのまま任せても問題は無さそうだった。

 

「お背中、治りました」

「ありがとう、アーシア」

 

 アーシアが治癒してくれた甲斐もあり、戦線に復帰した渚が刀を拾ってベランダだった場所から外を見渡す。六階ほど下の地上では神父たちが(ひし)めいていた。数では不利だがグレモリー眷属の質だったら問題ない相手たちだ。

 それでも油断は出来ない。

 カラワーナはいなくなったが、もう一人の厄介者がいる。

 

「……いた」

 

 少し離れた場所からこちらを見上げているのは間違いなく、あの男だ。

 ──クラフト・バルバロイ。

 あれが今回、最大の障害になる存在だと渚は思う。

 数十メートルほど上にいる渚の視線に気づいたクラフトがその場で腕を突き出した。

 

「いつまでそんな場所にいるつもりだ?」

 

 クラフトの口がそう動いたのを渚は見た。

 急に建物全体が立っていられないほど揺れ、壁、床、天井など次々と亀裂が入り砕けていく。

 間違いなくクラフトの攻撃だと気づいた渚はこの中で一番非力なアーシアを片手で抱きあげる。

 小さな悲鳴が聞こえたが、ここは我慢してもらおうと無視する。

 

「崩されるぞ、外に跳べ!!」

 

 自分以外の者に渚が叫ぶと十階建てのマンションが一階から順に倒壊を始めた。

 激震の中、アーシアを抱えた渚は寝室へ続くドアを蹴り破る。

 

「イッセー、ここを出るぞ!」

「な、ナギ!? で、出るってどうすんだよ!」

 

 みるみる崩壊が進む寝室で一誠が慌てふためく。

 

「レイナーレを抱いて外に飛び降りろ、同時に回収する」

「無茶言うな!」

「やらないと生き埋めだぞ!」

「ああ、もう、クソ、やるしかないのか!」

「レイナーレを絶対離すな! 幾ら堕天使でも当たりどころが悪かったら死ぬ高さだ」

 

 渚が寝室の壁を丸ごと刀で斬り飛ばすと、レイナーレを抱えた一誠を連れて外へ身を投げ出す。

 

「アーシア、しっかり掴まってろ!」

「はい……!」

「うおああああああ! 落ちる落ちる!! ナギィイイィイイイッ!!!」

「分かってる、手を──」

 

 レイナーレと一緒に落下する一誠の手を掴もうとするが、下から撃ち込まれた"赦魔弾"が邪魔をする。

 

「アイツら全員、銃持ちか!? 対空射撃とはやってくれる!」

 

 神父たちが(そろ)いも(そろ)って銃をこちらに向けていた。アーシアだけならともかく一誠とレイナーレの着地をサポートしなければならないのでこの攻撃はキツい。

 

「おい、レイナーレ姉さまと悪魔野郎はウチに任せろ」

「ミッテルトか、何処にいた!?」

 

 翼を広げたミッテルトが落下中の渚に並んでいた。

 

「き、キッチンのテーブルの下……」

「なんでだよ!!」

「あぁぁん!? いきなり戦闘が始まって、ちょっとビビって隠れてただけっすよ!? なんか文句あるんすか!!」

 

 あまりにも酷い言い分だったが任せる事にした。一誠とレイナーレを連れてミッテルトが離脱する。

 赦魔弾を払い退けながら見送り、足下に術式を展開して落下の衝撃を殺すと近くの神父を直ぐ様、斬り倒す。

 背後で我が家が盛大な土煙と轟音を上げて倒壊。

 渚の家だったマンションは住宅街から少し離れた場所にあるので余所様には迷惑が掛からないだろう。

 周囲を砂と埃が覆う中で渚は動き出す。砂嵐に襲われたような視界の悪さを利用するためだ。

 

「ここで数を減らすか」

 

 アーシアと一誠以外の仲間の心配はしていない。

 マンションの崩壊程度で死ぬ輩でないと信じているのだ。

 渚は必要のない救出よりも今すべき戦闘を選ぶ。

 アーシアに目を閉じて息を潜めるよう指示を出すと駆け出す。

 砂塵によって視界の悪くなった戦場では気配を読むことに()けた渚の独壇場だった。

 聖なる力をひけらかす悪漢達を一撃で仕留めていく。アーシアから付かず離れずの距離を保ったまま何十人もの神父を相手取るなかで渚の第六感が警鐘を鳴らす。

 

「この視界でよく動く」

 

 砂塵の奥から称賛と拳が跳んできた。ただの拳にしては余りにも高密度な異能力を宿したモノだ。

 渚は「来たか」と思うと同時に全力を防御に回す。降りかかる脅威を刀の腹で受け止めた。クラフトの打撃が刀を伝い腕にのし掛かると骨を(きし)ませる。

 

「随分と面白い武器を所持している」

「武器? 刀が気になるか?」

「ああ、砕くつもりだったのだがな」

「拳で鋼が砕けるかっつの」

「正論だが私に限っては例外だな。我が"砕き"は万物を粉砕する」

 

 嘘には聞こえない。事実、この男は何らかの方法でマンションを倒壊させた。

 

「……やはりお前は"特別"という訳か」

「ビックリするぐらいの過大評価をありがとう。ついでに、どこら辺が"特別"なのかをご享受(きょうじゅ)願いたいね!」

 

 渚とクラフトが激突する。

 刃と拳。互いに命を奪うやり取りを行う。

 クラフトの一撃を(から)くも避ける渚。直後、(くう)を切った拳の前方が派手に瓦解(がかい)した。凄まじい拳圧だ。あれだけでも人を殺せる威力がある。それを繰り出した拳となれば肉体など容易(たやす)く砕けるだろう。

 そしてクラフトの技量も高い。渚の刀をその場で動かず片手で全て(さば)いている。焦りを見せず、だが余裕も出さない。

 渚は笑いたくなる。実力に差が有りすぎるのだ。まるで自分が赤子のような錯覚(さっかく)にすら襲われるくらいだ。クラフトがその気なったら呆気(あっけ)なく終わる勝負を前に逃げ出したくなる。

 しかしここは逃げない。自分がこの男を相手取っている間、仲間は神父の掃討(そうとう)に集中ができる。

 ここでの役目は勝利でなく足止め。渚は自らの戦力を総動員して格上に食らいつく。

 

「この()(およ)んで出し惜しみか?」

 

 クラフトが呟く。

 渚にはその言葉の意味が理解できない。出し惜しむモノなど何もないからだ。今のこれが渚の全力なのである。

 

「何を期待してるか分からねぇが、これ以上は何もないっての!」

「そうだろうか? 私の勘が常に貴様と言う存在に警戒している」

「なら勝手に期待して勝手に失望してくれ!」

 

 渚がクラフトの頭上に刀を降り下ろすが(なん)なく掴まれる。真剣を握っているというのに手からは血一つ出ていない。しかも捕縛された刃はピクリとも動かなかった。直感的にヤバイと感じて刀の柄から手を離す。

 "砕き"がやってくる。破壊と言う結果を残す凶器。直撃は死に直結する必殺。

 それは受けるなと本能が告げてくる。

 

「うぉおおおおおおおお!!」

 

 烈迫の叫びと共に渚が掌打を繰り出して胸を強く打ち据えた。貫くような掌打にのけ()るクラフト。反射的に出した攻撃は思いの外にダメージを与えていた。

 

「ふ、やるな」

 

 口から薄く血を流すクラフトが不適な笑みを作る。

 だが攻撃の手は緩めない。防御は悪手、"砕き"に対して防戦など自殺行為に等しい。

 渚は攻勢を崩さないで前に出た。

 クラフトも拳で反撃する。

 二十ほど応酬を繰り返すもクラフトの打撃が渚を(とら)えた。先の仕返しと言わんばかりに渚の胸をノックしたのだ。決してダメージにはならない筈の攻撃は渚の肺と肋を同時に"砕く"。

 

「ガッ」

 

 渚が呻くと大量の血を吐きながら倒れる。

 クラフトをそれを静かに見定めていた。死んでしまってもおかしくない致命傷。

 明暗する視界。

 意識を失う瞬間、渚は視線である者を探す。

 こうなる事は読んでいた。蒼井 渚ではクラフト・バルバロイには勝てないと知っていた。

 だから"彼女"がクラフトと相対する時間を稼げれば良かった。

 そして見つけると痛みの中で笑みを浮かべる。

 自分と言う前座ではなく本命がそこにいたからだ。

 

「あと頼んだ、ステア……」

 

 白雪のような少女にそう呟くと今度こそ渚は深い闇の底に沈むのだった。

 





もう少しまとめたいですね、色々。


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立ち上がる者《Fallen Dragon》


読み返したら原作の名残がない……。
二章は大丈夫なはずです、多分。





 

 ──悪い、後を頼めるか?

 

 倒れ伏す前、蒼井 渚は確かにそう言った。口ではなく目で、だ。

 彼の戦いを見守っていたアリステアは白雪の長髪を風に靡かせて歩く。

 途中、アーシア・アルジェントが駆け出そうとしているのが見えた。負傷した渚を治すために動こうとしたのだろう。

 (こころざし)は立派だが現状を考えて行動してほしかった。渚の前にはクラフト・バルバロイという男がいる。彼らの目的は戦争を起こして世界を混迷させる事。その火種はアーシア・アルジェントとリアス・グレモリーの二人だ。

 飛んで火に入る夏の虫……そんな日本の言葉を思い出しつつもアリステアはアーシアを止める。

 

「待ってください、アーシア・アルジェント」

「な、なんで止めるんですか、メアさん!」

「止めますよ。貴方は死んではいけない人間ですので」

「でも、ナギさんがあんなに血を吐いています。お願いです、行かせてください!」

 

 強く懇願(こんがん)するアーシア。

 大局的(たいきょくてき)に見れば渚よりアーシアの命の方が重い。ここは行かせてはいけない場面である。個人のエゴで世界が炎に包まれるなど最悪に等しい。

 だがアリステアはそのエゴを良しとした。

 

「行かせないとは言っていないでしょう? 少し待ちなさい、アレを引き()がすので」

 

 アーシアを少し下がらせると面倒そうな表情を隠さず右手に握るリボルバー銃の弾倉から空薬莢を排出し、装填を済ませる。

 そして瓦礫(がれき)の山を踏み越えると数メートルの距離を開けて渚を倒したクラフト・バルバロイと相対した。

 アイスブルーの瞳で敵を観察する。

 

 ──なる程、少なく見積もっても"最上級悪魔"レベルですか。

 

 アリステアのソレは直感ではなく、確信だった。

 彼女の"眼"は"見る"のでなく"()る"。それは物事や事象を見通す事に特化した"魔眼"とも言えるだろう。

 大まかな相手のステータスを見抜く能力は戦闘に置いて恐ろしいアドバンテージを持たらす。

 何かを探られている事を察したのかクラフトが不適に笑みを浮かべた。

 

「グレモリーにもこんな隠し玉がいたか……」

「力量を見破りますか。ただの雑魚ではないようですね」

「敢えて聞こう、貴様は何者だ? この底が見えぬ圧力(プレッシャー)、これでただ者だとは言うまい?」

「その問いに答える必要はありませんね」

 

 二人の間に冷たい風が吹く。

 クラフトの視線が足元に落ちる。そこにはピクリとも動かない渚がいる

 

「そうか、コレは中々だった。貴様は更に楽しませてくれそうだ」

「この程度でですか、興冷(きょうざ)めですね」

 

 失望した様子で小さくため息を吐くアリステア。

 

「仲間に対して辛辣(しんらつ)だな、私を相手に二十は打ち合い、久方ぶりに傷も負わされた。ここまで戦える者はそうはいない」

「勘違いですね。そこで呑気(のんき)にも死にそうになっている人へ言ったのではありませんよ」

「であれば何に対しての幻滅だ?」

「ハンデありで勝った気になった貴方にですよ、クラフト・バルバロイ。──程度が知れます」

「やはりか。この男どうにも読めん。剣の冴えと先読みは一級品だが所々で動きが噛み合っていなかった。自らの高いスペックに振り回されている(ふし)がある」

絶賛(ぜっさん)物忘れ中なのですよ。まぁそれも貴方のお陰でクリアできそうです」

「どういう意味だ?」

「強めのノックで寝坊助が起きるという事ですよ」

 

 大口径のリボルバー──"S&WM500カスタム"。その剣のように鋭い銀色のバレルをクラフトに突きつける。

 銃口を向けられたクラフトが一歩でアリステアを肉薄。人の知覚を越えた踏み込みで瞬時にアリステアの頭部へ攻撃を打ち込む。

 刹那、一発の銃声が響いた。鼻先数センチにまで迫ったクラフトの拳が数メートル後ろに遠ざかる。立ち昇るは硝煙の匂い。

 

(ふせ)ぎましたか」

「速いな。一発の銃声の間に三発の弾丸か」

 

 クラフトの胸、心臓付近で三発の弾丸が高速回転している。心臓と弾丸の間に左手が無ければ即死だっただろう。クラフトは受け止めた弾丸を"砕き"と呼ばれる異能で握り潰す。

 アリステアは粉々になって落ちた弾丸を注意深く見つめた。

 今、放った弾丸はただの鉛玉ではなく、アリステアの霊力と特殊な金属で加工した特殊弾。世界最強の生物と言われるドラゴンの表皮を貫くというコンセプトで仕上げたスペシャルだ。

 それでも貫けなかった。一瞬、拮抗していたがクラフトが"砕き"の力を上げたのだろう。結果は此方(こちら)の性能負けだ。

 あの力は物理的な破壊だけでなく霊質にも作用する。触れれば有無を言わさず、対象を滅ぼす攻撃だ。

 恐ろしい能力だがアリステアは冷笑を浮かべた。"砕き"の本質を彼女の"魔眼"は捉えたのだ。

 

「何が可笑(おか)しい?」

「少し興味が()きました。その力は崩壊という概念を対象に押し付ける異能でしょう?」

目敏(めざと)いな、どんな"眼"をしている」

 

 アリステアの言葉を肯定するクラフト。

 

「さぁ。それにしても本気は出さないので? ──腕だけじゃなく全身にソレを(まと)えるのでしょう?」

「これで十分だ」

「そうですか。ならばこの勝負は終わりです」

「過剰な自信だ」

 

 クラフトがアリステアに接近戦を仕掛ける。

 重く、激しいラッシュ。一撃の必殺の嵐をアリステアは冷静に見破って避けていく。

 零距離を取られないように少しずつ下がる。間違っても受けてはいけない。あの拳の前では防御陣すらも(ちり)と化す。

 視界のすみでアーシアが渚へ駆け寄るのが見えた。人を癒やすという行為に使命感でもあるような少女へアリステアは、感心と呆れが半々の嘆息を(こぼ)す。

 

「余所見か? 油断は大敵だぞ」

「油断? これは余裕と言うものです」

 

 空気すらも分解する凶器を前にアリステアは観察を止めない。それから何度かの攻撃を()いたタイミングで逆にクラフトへ踏み出した。

 目を見開くクラフト。後退を続けていたアリステア(銃使い)が急に接近戦に手段を切り替えたのだ。アリステアは他人の独壇場に易々(やすやす)と踏み入れると"砕き"の拳をすり抜けて掌打をクラフトへお見舞いした。

 

「く……!」

「これは蒼井 渚からの一撃と知りなさい、クラフト・バルバロイ」

 

 渚によって打たれた場所を寸分たがわず打ち抜くアリステア。二度も同じ場所に強い打撃を受けた事によりクラフトは動きを止めざる得なかった。

 これをチャンスとアリステアが大きく距離を取る。

 銀の大口径銃を再びクラフトへ構えると銃身にスパークが走り、銃口内に光が宿る。

 電光に照らされてアリステアは笑顔を見せた。

 

「自慢の力、突破してあげましょう」

「来い!」

 

 体勢を立て直したクラフトが右手を前にした構えを取って走り出す。

 アリステアから流れ出るオーラから大技がくると感じたのだろう。正面から受けて砕くつもりなのが透けて見えた。

 回避など微塵も考えていない。それは自らの"砕き"に絶対の自身があるからだろう。

 

「勇猛と過信は紙一重ですね」

 

 トリガーが引かれる。荒れ狂う熱風と光が目を眩ませたがソレも直ぐに過ぎ去る。

 

「バカな」

 

 クラフトが驚愕した。

 彼の右手、アリステアの弾丸を受けた腕が原型を留めないほどに破壊されたのだ。

 "砕き"で止めた弾丸は手の平から肩までを貫いて抜けた。再起不能な腕がダラリと下がる。骨と肉が歪んで混ざりあった肉塊がボタボタと血を落としながら地を真っ赤に染めた。

 

「予測以上に威力が減衰しましたか。塵にするつもりでしたが上手くは行かないものです」

 

 アリステアが赤熱化した銃を引っ提げながら肩を(すく)める。

 

「我が"砕き"を貫くか。……凄まじい"魔弾"だ」

「全ては貴方の慢心が招いた事です。"砕き"とやらを限界まで絞り尽くして防御すればこうはならなかったでしょう」

「弾丸が砕けるよりも速く私の腕を貫いたという事か」

「ええ。貴方の異能は問答無用で対象を砕く訳ではない。自ら調整して引き出すタイプと()ました。なので全力で砕きに来る前にダメージを与えた……ということです」

「見切りの良さには自身があったのだがな」

「無理ですよ。()()9(),()5()9()3(),()3()4()4()k()m()()()()()()()()()()()()()()、回避は諦めた方がいいですね」

 

 それは光の凡そ32倍の速さだ。発射された時には既に命中している攻撃を避けるなど出来る筈もない。

 

「フッ、馬鹿げた話だ」

「さて解説も終えたので、お終いにしましょうか」

 

 ゆっくりと近づいて眉間に拳銃を突きつける。

 勝負は決した。最早、クラフト・バルバロイは満身創痍だ。

 勝者が引き金に指を掛けた時だった。

 二人の戦いを呑み込む重厚な気配が周囲を支配した。

 アリステアとクラフトが同時に同じ方向を見る。

 視線の先の瓦礫が派手に吹き飛ぶと嵐のような重圧を伴い真っ赤な巨龍が現れた。

 そして悲痛とも言える雄叫びを轟かせる。

 

「この波動は……」

「赤龍帝? しかしあの形状は……」

 

 アリステアが眉を潜めた。

 彼女の"眼"はあの龍の異質さが見えたからだ。

 赤き龍の心臓部にあるのは黒き者、それは堕天使レイナーレに他ならなかった。

 

 

 

 ○●

 

 

 

「アイツ、強かったんだ」

 

 クラフトに破れて倒れ伏す渚を見て堕天使ミッテルトは呟く。

 

「ナギ、嘘だろ……」

 

 隣にいる新人悪魔、兵藤 一誠の同様だった。レイナーレを抱え込んだ悪魔とミッテルトは隠れるようにして、渚とクラフトの戦いを見ていたのだ。

 ミッテルトが倒れた渚を食い入るように眺める。レイナーレにちょっかい出していた"居眠り男(蒼井 渚)"は想定以上の力を発揮した。予想通りクラフトの勝利で戦いの幕は閉じたが過程が予想を大きく外れたのだ。

 

 ミッテルトにとってクラフト・バルバロイは怪物だった。

 彼との出会いは一年ほど前まで遡る。カラワーナが連れてきた協力者であり、その身に宿す"砕き"はあらゆる強敵を葬る事でレイナーレの助けとなった。

 カラワーナ同様に得たいの知れない存在、身震いする魔人とミッテルトは認識している。

 実際、クラフトは人間とカテゴライズしていいかも疑問なほどに強い。

 ミッテルトは彼が単身でSSランクの”はぐれ悪魔”を殺害したのを見たことがある。運悪く敵対してしまった時の話だ。

 SSランクの"はぐれ悪魔"となれば戦闘力は最上級悪魔にも比肩しうる上位者だ。そんな相手を詰まらなそうに一撃で粉砕したクラフト。その圧倒的な力に度肝を抜かれたのは記憶にも新しい。

 だが怪物とも言える男は蒼井 渚との戦闘で傷を負った。(いく)えにも攻撃を交わし合い、固い岩石のような顔に笑みすら浮かべた。

 ミッテルトが知るかぎり、クラフトが感情を見せたのはこれが初めてである。

 二人は酷く短い間だったが最高の技量と力の激突を交わしたのだ。

 

「でも結局はやられた。あのクラフトに勝てる奴なんてそうはいないっすよ」

 

 忌々しそうに唇を噛む。

 しかし卑屈とも聞こえる彼女の言葉を否定するように"ソイツ"は悠然と歩いてクラフトと相対した。

 "ソイツ"を目に捉えた瞬間、全身が恐怖に包まれる。

 クラフトやカラワーナよりも異質で恐ろしい存在。

 ──"白い闇"

 そんな単語が頭を(よぎ)る。

 スラリとしているが女性らしくもある身体。銀白の長髪を風に揺らしながら現れた"ソイツ"は十人が見れば確実に美しいと答えるだろう可憐さがあった。

 ミッテルトは首を振る。

 冗談じゃない。アレは人の形をした"ナニか"であり、自分達とは一線を画す化け物なのだ。

 "ソイツ"、アリステア・メアとは一度しか話したことはない。それでも殺気とも戦意とも言えない重圧を感じた。

 深い海に沈んでいくような重々しくも苦しい対話だった。比喩ではなく、あのままだったら間違いなく陸で窒息死していただろう。

 ブルブルと身体を震わせてアリステアから目を背ける。

 

「おい悪魔野郎、レイナーレ様を返せっす」

「おわ、急になんだよ」

「こんな場所にいたら命が幾つあっても足らないんすよ、遠くに逃げる」

「仲間のところに戻るつもりかよ!」

「……違う。遠くに行くんすよ」

 

 そう、レイナーレを連れて逃げる。

 クラフトもカラワーナもいない場所へ。

 今は監視の目がない。連中がレイナーレを使い潰すつもりなのは知っている。バカみたいに神器を詰め込んだのもあの連中だ。カラワーナは死んだ、クラフトもあの白い化物と戦えば無傷では済まないだろう。神父はグレモリーの悪魔どもが駆逐中だ。この好機は逃せない。

 

「あらー、ちょっとどこ行くのー?」

 

 全身の鳥肌が立つ。

 ミッテルトは壊れた人形みたいに首を背後へゆっくりと回した。

 そこには死んだはずのカラワーナがいたのだ。いつもよりも砕けすぎた口調だったがソレが不気味さを際立たせる。

 

「あ、ああ……なんで、確かに頭を吹っ飛ばされて」

 

 口が乾く。

 やはり得たいの知れない怪物だったのだ。

 一誠が抱き締めているレイナーレを見る。今も肩で息をしていて苦しそうだ。

 

「……レイナーレ姉さま」

 

 ミッテルトにとってレイナーレは慕うべき存在。

 弱者という事実を受け止めつつも諦めずに強くあろうとした愚かにも素晴らしい堕天使。

 きっと言ったら怒るだろう。自分は弱くない、と認めないはずだ。そんな意固地な所も大好きだ。

 堕天使としては下級、特殊な能力もなく、武の才能もない。それでも進み続ける姿は鮮烈で美しい。

 猛烈に憧れた。同じ弱者でも全てを諦めて生きていた自分との違いに憧れた。

 この人の側にいれば自分だって頑張れる。弱虫で臆病だけど……きっと勝ち目のない戦いにだって立ち向かえる。

 

「悪魔野郎、お前、レイナーレ姉さまのこと好きなんだろ?」

「え、あ、まぁ」

「そっか。分かった。じゃあ後は頼むっす」

「何をする気だ」

「あのクソ女をはっ倒すんすよ! その間にレイナーレ様と逃げろっつの」

「なんでだよ。俺は悪魔だ、夕麻ちゃんの敵なんだぞ」

 

 一誠の混乱にミッテルトは腹立たしくも悔しそうに顔を歪めた。

 

「笑ってたんだ……」

「え?」

「お前とデートする時、見たことねぇぐらい自然に笑ってたんすよぉ!! バカヤロー!!!」

 

 ミッテルトがカラワーナに飛び付く。

 

「わお、ミッテルトちゃんってば裏切るの?」

「悪いか!」

「いや、悪いでしょ。コレはレイナーレ様が望んだことだよ?」

 

 組み付いたミッテルトを投げ飛ばすカラワーナ。

 地面を砕くほどに叩きつけられたミッテルトだったが涙目になりつつも立ち上がる。

 

「ウチはお前が嫌いだ……。知ってるんすよ、レイナーレ姉さまのためとか言いながら裏ではいつも笑ってる」

「よく見てるねぇ、だって笑えるでしょ? 弱いのにバカみたいに強くなろうとすんの、まるで喜劇だよ」

「ブチのめす」

「残念だけどミッテルトちゃんと遊んでる時間はないんだ」

 

 カラワーナがミッテルトの首を掴む。

 

「ガッ」

「よいっしょ」

 

 小さなの身体を片手で持ち上げるカラワーナ。

 バタバタと足を動かして抵抗するが、首は更に絞まっていく。

 

「苦しい? 大丈夫、窒息なんて悠長な事はしないからさ」

 

 ミシミシと首が嫌な音を経てた。

 このままへし折る算段なのだろう。意識が飛びそうになるが、ふとカラワーナの力が弱まった。見れば視線がミッテルトから反らされている。違うものに興味を持っていかれたという印象だ。

 その目線の先にあるのはクラフトとアリステアが戦闘している場所だった。

 

「へぇ意外な状況だ」

 

 クラフトの右手が破壊された風景を見てふざけた雰囲気が霧散した。

 

「あの女は色々とバグってるね。とりあえず今回はここまでか、あと一息だったんだけど……。とりあえず火種だけは残しとくかなー」

 

 アリステアに警戒した素振りを見せるカラワーナ。

 再び苦しむミッテルトを見上げると純粋な少女のような笑みを浮かべた。

 

「私がレイナーレ様を強くしてあげるよ、とってもね」

 

 興が乗ったと言わんばかりにミッテルトを地面へ落とすとレイナーレに近づくカラワーナ。

 彼女を抱いていた一誠が身構える。それを見てクツクツと嘲笑う。

 

「君の"神滅具(ロンギヌス)"も頂きたいけど我慢するよ」

 

 カラワーナがレイナーレに対して手を翳すと手のひらサイズぐらいの緑色の水晶体が現れた。

 

「な、なんだよ、ソレ」

「ふふ、これはボクが彼女をかけた術式。常に魂を侵す神器に対する枷であり檻だ。こんなものが必要になったのは君が原因なんだけどね、兵藤 一誠くん」

「お、俺?」

「そうそう、レイナーレ様は確かに限界が近かった。複数の神器所持による魂の圧迫は寿命は凄まじい勢いで削っていたよ。けどね、トドメを刺したのは君の神器だ」

 

 一誠がゴクリと唾を飲む。信じたくないのだろう。だがミッテルトはそれが真実だと知っている。兵藤 一誠の神器を取り込んだ時よりレイナーレは酷く消耗していった。元より死相が出ていたが、より一層に濃くなったのだ。

 

「う、嘘だ……」

「ホントさ。君の所持する異能は"赤龍帝の籠手(ブーテッド・ギア)"と呼ばれる最高位の神器の一つ。それは特別でね、他の神器なんて比べ物にならないぐらい強大な代物だ。だからレイナーレ様では完全に抜き取れなかった。だが一部だけは彼女に宿ったんだよ。大きすぎて彼女のキャパシティを軽くオーバーしちゃったけどね」

「俺の神器が強大……?」

「今からレイナーレ様の中に埋め込んだ枷を砕いてあげる、何が出てくると思う?」

「や、やめろぉ!」

 

 ミッテルトが悲痛な叫びで願う。

 

「やーめない♪」

 

 カラワーナが水晶体を壊す。

 すると眠っていたレイナーレが激しく痙攣を始める。

 

「レイナーレ姉さまぁ!」

「ゆ、夕麻ちゃん」

 

 もがき苦しむレイナーレが一誠を弾き飛ばした。彼女の肉体を禍々しい赤いオーラが包み、変異させていく。細い腕は太く、細やかな肌は堅牢な鱗へ……。

 それは人の姿を捨てた存在。

 

「嘘だ、ヤダ、ヤダよ!!」

 

 レイナーレが違う者に変貌する。

 ミッテルトはフラフラと嵐の中に足を進めようとしていた。

 その小さな手を強く引っ張られる。

 

「待てって! 今行ったらお前も吹っ飛ぶぞ、ミッテルト」

「離せ! 離せよクソ悪魔! ウチは行かなくちゃいけないんだ!!」

「行かせねぇ、あいつはお前が飛び込んでいくトコを見てぇんだ」

 

 ハッと気づくミッテルト。

 レイナーレの悲劇を喜劇として笑う女が残念そうに首を振った。

 

「あーあ、ざぁんねん。存外、赤龍帝の方は冷静かぁ、二人一緒に飛び込んでいくと思ったんだけどねぇ」

「てめぇ……」

「怖いなぁ、そう睨まないでほしいね。見なよ、愛しのレイナーレがすごい事になってるよ」

 

 ──グォオオオオオオオオオオ!!!

 

 咆哮が轟く。

 そこにいたのはレイナーレを核とした赤黒のドラゴンだった。

 

「さて駒王は彼女が破壊してくれるだろう。じゃあボクはシスターちゃんを殺すかな、天界側にも戦う理由をあげなきゃだしね」

 

 意気揚々とアーシアを探すカラワーナ。

 少し離れた場所で渚を治療しているシスターがそこにいた。

 

 

 

 ○●

 

 

 

 神父を駆逐し終えた同時に莫大なオーラがリアスを襲う。

 それは暴風のような力の本流であり赤黒い光を纏う龍だった。

 上級悪魔の自分を遥かに凌駕する怪物の降臨。

 瓦礫の山に立つ巨龍は軽く十メートル以上はある。細身の肉体だが両翼を広げれば圧倒されるシルエットになるだろう。

 

「(臆するな、リアス・グレモリー。アレと戦えるのは自分を置いて誰がいる!)」

 

 自らを鼓舞(こぶ)し、すぐに散らばった眷族を一つに集める。

 

「来たわね」

「部長、銀髪のはぐれ神父を逃がしてしまいました」

 

 祐斗が簡潔に伝えてくる。はぐれ神父の中でもあの男は別格だったようだ。

 リアスは首を振って祐斗を許す。

 

「いいわ、ご苦労様。今はアレの対処が急務よ」

 

 突如現れた龍種。

 タイミングからして堕天使の切り札で間違いない。放って置けばこの駒王にとって厄災となる。

 堕天使の目的は戦争の火種を作る事。魔王の親族である自分が堕天使に殺されれば冷戦状態などすぐ決壊する。

 ふと脳裏に危機感を覚えた。

 もう一人、リアス同様に死ねない人物を思い出したからだ。

 

「アーシア!」

 

 教会の聖女。

 真実を隠された信徒たちに彼女の死が悪魔領土で起きたと知られたら大変な事態になる。

 リアスはまず彼女の安全を確保しようとした。少し離れた場所で倒れ伏す渚に寄り添う彼女を見つけたが、既に行動が遅かったと知る。

 一人の堕天使が彼女に襲いかかっていたのだ。(みな)が意識を龍と言う巨大な存在に飲み込まれた隙だった。

 

「不味い!」

 

 リアスが悲鳴にも似た叫びと共に自らの手に魔力を帯びる。

 ──間に合え! 

 そんな彼女の願いを嘲笑うように堕天使が振り返った。

 

「な……!」

 

 思考が凍る。あの堕天使はカラワーナと名乗った者だ。

 アリステアの弾丸で頭を完全破壊されたのを目の前で目撃した。なのに生存している。傷や血の後すら見られない。

 魔性の笑みでリアスを一瞥すると光を槍に変えて切っ先をアーシアに向けた。

 致命的な隙だ。一瞬とはいえ動きを止めたリアスは、もう間に合わない。

 カラワーナに気づいたアーシアは怯えた表情を浮かべるが逃げるそぶりを見せなかった。むしろ意識を失っている渚を強く抱き締めながら庇ったのだ。

 決死の槍がアーシアに振るわれる。

 だがその槍が届く事はなかった。

 カラワーナの槍を持つ腕が破裂したからだ。

 攻撃の主はアリステアだった。離れた位置からカラワーナを撃ち抜いたのだ。

 

「イラつく女だなぁ! 真っ白ちゃんは!!」

 

 腹立たしいはずの場面で笑うカラワーナ。笑顔で殺意を跳ばす者などそうは居ないだろう。

 アリステアは首を小さく傾ける仕草で『それはどうも』と無言の挨拶する。

 そして残りの四肢を同時に撃ち貫く。

 

「クソ痛いよ、もう! でもボクの勝ちだね! ──"摘 出(ミューティレーション)"」

 

 辛うじて原型を留めていた片腕をアーシアの胸へ無理矢理に突き入れるカラワーナ。

 苦痛の表情を浮かべるアーシア。その苦しみに対して更に奥へと腕をねじ込む。

 

「う……あぁ……くぅ……」

「"確 保(スナッチ)"」

 

 抜き取られるカラワーナの手には淡く光る神器があった。"聖母の微笑み(トワイライト・ヒーリング)"と呼ばれるアーシアの力だ。神器を抜かれたアーシアに外傷はない、しかし魂と一体化した神器を取られたことによって内部が致命的なダメージを受けている。

 アーシアは糸の切れた人形のように倒れ込んだ。

 

「……ごめん……なさい」

 

 それは自分を守ろうとしてくれた者たちへの謝罪。

 意識を失う最後まで渚の手だけは放さないのは死を恐れているからだろう。

 リアスが怒りを露にしてカラワーナを睨む。

 

「はぁ……はぁ……リアス・グレモリー、あとは君の抹殺だけど今のボクでは少し荷が重い」

 

 アーシアから奪った神器を無造作に放り投げる。

 行き先は、龍に変貌したレイナーレの元だった。エサとでも思ったのだろう、禍々しい龍はその神器を丸呑みにする。すると龍の片目が赤から碧へと変色した。

 

「だからレイナーレに後を頼もうと思う」

 

 ケタケタと血だらけの道化が嗤う。

 耳障りな女を消し跳ばすため魔力を高めた時だった。

 一発の銃声が嗤い声を殺す。

 アリステアが心臓に弾丸を撃ち込んだのだ。

 

五月蝿(うるさ)いですよ」

「ちぇ、流石に……限界、か」

 

 カラワーナが倒れるが、その首根っこをクラフトが掴んだ。

 

「退くぞ」

「うん、ちょっと運んで、ダメージが深刻っぽい」

「それは私もなのだがな」

 

 軽口を叩き合うクラフトとカラワーナが去る前にアリステアへ視線を送る。

 そんな二人に弾丸を放とうとするが、次の瞬間には忽然と姿を消した。

 

「逃がしましたか」

「アリステア」

 

 リアスが悪魔の翼を羽ばたかせてアリステアの隣に降りる。

 

「アレを止めるわ、協力して」

「協力ですか……。私があの龍に対して出来るのは後片もなく消滅させるぐらいですが?」

 

 意図も容易く龍を滅ぼせると豪語するアリステア。

 だが嘘とも思えない。リアスの知る限り、彼女は最高レベルの戦力だ。

 隣にいると、まるで最強の"女王(クイーン)"と呼ばれる義姉と共にいるような安心感がある。

 アリステアの協力があれば、あの龍を滅ぼすことが出来る。

 そう確信したリアスは戦闘の協力を要請しようとしたが、脳の隅でストップが掛かる。

 アリステアはリアスの言葉に懐疑的だった。

 本当にそれでいいのか、と問いかけて来たのだ。

 

「ダメね、それではアーシアが助からない。今のあの子は"悪魔の駒(イーヴィル・ピース)"だけじゃ生き返らせられないわ」

「ええ、完全に神器を抜かれた者は魂を削がれた状態です。元に戻さないと目覚めないでしょう」

 

 下手に攻撃したらアーシアの神器を破壊する可能性がある。

 むしろアレほどの敵に対しては加減など出来るはずもなく、やるとしたら全身全霊の戦いになる。そんな中で龍に溶け込んだアーシアの神器を取り出すなど不可能に近い。ましてや後片もなく消し跳ばせば回収どころではない。

 

「加えて今の私はナギによりレイナーレを殺すなと釘を打たれています。約束した以上はアレを後片もなく殲滅する気はありませんよ」

 

 アリステアがそう言う以上、あの龍は殺さないだろう。

 彼女は実力がある分、プライドが高い。他人から指図を嫌い、自らの意思への介入を良しとしない性格だ。

 そんなアリステアが唯一従う人間が渚だ。

 彼の言葉なら文句を言いつつも受け入れる。そこからアリステアは渚に大きな信頼と信用を寄せているのが分かる。

 

「手詰まり……とは思いたくなないわ」

 

 リアスが思考をフル回転させる。

 何を捨てて、何を拾うか。

 様々なモノを天秤に乗せて考えていると……。

 

「リアス・グレモリー、そう頭を悩ませる問題でもありません」

「どういう意味かしら?」

「あの龍を攻略するピースは既に揃った、という事です」

 

 急に何を言い出したのか理解できなかったリアスはアリステアの目線を追う。

 

「……渚?」

 

 眠るアーシアを抱いて立ち上がる渚がそこに居た。

 傷を癒してもらった渚は、瞳を閉ざすアーシアの頬を優しく手の甲で撫でる。

 

「大丈夫、すぐに起こすからな」

 

 違う……とリアスは思った。

 先程までの渚ではない。感覚的で上手く説明できないが、今の渚からは言い知れぬモノを感じた。

 渚はゆっくりとアーシアを降ろして寝かす。

 そして落ちていた刀を拾うと暫く抜き身の刀身を眺める。

 

「"刻流閃裂(こくりゅうせんさ)"だったか……?」

 

 渚が一人呟くと当然のように龍へ走り出す。

 現状は把握していると言いたげに刀を一閃。その刃は龍の翼を軽々しく切断する。

 リアスは心底驚いた。明らかに堅牢な龍に傷を付けるどころかダメージを与えたのだ。

 何が起きたかは分からない。だが間違いなく今の渚は以前と違っていた。

 災害たる龍を両断する技量と太刀筋は並みの剣士とは掛け離れたモノである。

 

「やっとその気になりましたか、譲刃(ゆずりは)

 

 尋常ではない剣技を振るう渚を見て、アリステアが懐かしむように誰かの名を呼ぶ。

 知らない名だった。

 何にせよアリステアにとって渚の変化はそれほど驚くべき事ではないのだろう。

 しかしリアスにとっては嬉しい誤算であり、同時に戦意を取り戻すには充分な出来事であった。

 単身で龍に挑むを姿を前にして、臆していられるほど彼女は大人しくはないのだ。

 すぐに眷族たちに渚の援護を指示すると自身も魔力を高める。

 

「全く、渚には驚かされるわね」

 

 紅い少女が悪魔の翼を羽ばたかせて龍へ挑む。

 この戦いに終止符を打つために……。

 





最初に倒れて、最後に立ち上がるナギさん。
さすが主人公です。……え? ただのゾンビ? 立つのが遅い?


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第一の目覚め《The First Awakening》


赤龍帝の目覚め。



 

「あれ……?」

 

 暗い意識が覚める。

 ぼやっとする視界と何処か嗅ぎ慣れた緑の仄かな香り。

 戦場の匂いとは程遠い優しさに違和感を渚は覚える。

 体を起こすと自分が芝生の上に寝ていたと気づく。

 妙だ……と渚は目を細めた。自分はクラフト・バルバロイに敗れて気を失った筈だと自問する。

 記憶と情景が合わないという謎が解けない。ここは瓦礫と化したマンションも、はぐれ神父などの敵も一切なくなった場所なのだ。

 柔らかな芝生から立ち上がる。すぐ側には大きな日本屋敷があった。古いが立派な造りの家だ。

 渚はその広大な屋敷の広い庭で寝ていた。

 何故、こんな所にいるのか……という疑問もあったが屋敷を見ていると心を打たれる懐かしさが胸を通り過ぎる。

 背後から風が吹く。その流れに誘われてた白梅の香りが渚の鼻を(くすぐ)った。

 

「起きた?」

 

 不意に声を掛けられた。白梅の香りが流れてきた方向だ。

 

「……君は?」

 

 見れば日本屋敷の縁側にいつの間にか座っている人物がいた。

 それは目を奪われる和服を着こなした黒髪少女。綺麗な顔をしているのに表情がないので人形のようだ。

 

「私の名前は譲刃」

「譲刃……」

 

 反射的に自分の中の何かが反応する。見た覚えのない顔、聞き覚えのない声、それでも自分は彼女を知っていると確信にも似た感覚があった。

 

「私は"蒼の少女"の代わりにキミに会いに来た者よ」

「"蒼の少女"?」

「その子の事は今は気にせずともいいわ。まず、ここが何処だかは分かる?」

「分からない、な」

「当然か、いきなり連れてこられて驚いているでしょ? ここは魂の座、キミの精神世界よ」

「…………うん、余計に分からない」

 

 自分の精神世界に何故、武家屋敷があるのだろうか……と渚は思う。

 そんな疑問に譲刃は「ああ」と頷いた。

 

「きっとキミと私の精神が干渉しあって形付いたのだと思うわ、この家は私たちにとって思い出深い場所なの。ともかくここは貴方の世界と認識していおいて」

「俺の世界かぁ……」

 

 少女が優雅に縁側から立ち上がると渚へ近づく。

 胸が高鳴る。彼女の端正な面持ちと雅な雰囲気は異性を虜にする魅力を持っているが、渚のソレは少し違う。

 

「泣いているの?」

「……え?」

 

 和風少女が渚の目元に触れる。

 本当に涙を流していた。渚は目から出て来る水滴に驚く。自分は何に対して涙をこぼしているのか分からない。ただ彼女を見ていると切なくて嬉しいという複雑な感情に苛まれるのだ。

 和服少女の無表情だった顔が変化した。困ったように眉を八の字に下げたのだ。

 

「もう涙することもないと言うのに。……でも嬉しい、ありがとう」

「……やっぱり俺を知ってるのか」

「そうね、キミのことはよく知っているのよ、ナギくん」

「ナギくん……か」

 

 親しみの籠ったあだ名はすんなりと受け入れられた。いや、どうしてか彼女からはそう呼ばれていたかった。

 

「色々と話して上げたいけど今は時間がない。……突然だけどキミには強さを取り戻してもらうわ」

「強さを取り戻す?」

「そのままの意味よ。今までは不要と思っていたから技術を返す真似をしなかった、けど私が思っている以上にナギくんの置かれた状況は切迫してると判断した」

「えーと技術を返すって意味が理解できないんだが……」

「キミは記憶と共に"蒼"を初めとした多くの戦う術を失っている。けど私の刀を通せば剣技だけは甦らせる事が可能なの」

 

 和風少女が胸の前に両手を持ってくると刀が現れる。

 いつも使わせてもらっている愛刀だった。この刀の本来の持ち主が彼女なのだろう。

 

「性能を引き出すための調整はステアちゃんが終わらせている。今のキミでも問題なく使えるわ」

「ステアの事も知ってるのか」

「大切な友だちよ」

「じゃあ俺との関係は?」

「同じ流派の同門。けど今の私は刀に宿る残留思念というのが正しいかしら」

「残留思念……。本物の君は死んでるのか?」

「その話は関係ないと思うのだけれど?」

 

 この懐かしさの源泉は何なのかが知りたかった。

 刀だけが残っていると言うことは死んだと考えるのが普通だろう。

 胸にある焦燥が記憶と結び付かない。彼女が自分にとって特別なのは漠然と分かるが忘却の霧が思い出を隠してしまっているのだ。

 

「刀は形見という事か」

「そんな悲しそうにしないで。これは選別の品よ、今ごろ本物の私は新たな人生を謳歌してるわ」

「本当に?」

「私、嘘は付かないわ」

 

 言葉には信憑性があった。直感が訴えてくる、譲刃という少女は嘘を付けないと。

 安心する。きっと本来の彼女は今も何処かで生きているのだろう。

 

「受け取ってくれる?」

「ああ、悪い」

 

 渚が刀を受けとると周囲の光景はボヤけた。

 何事かと渚が驚く。

 

「そろそろ起きた方がいいわ、外は思っている以上に大変のようだから」

「大変?」

「ええ、龍種が出てきたわ。それにキミが守ろうとした金髪の子もかなり危ない状況ね」

「アーシア!?」

「大丈夫、すぐ目覚める。そしたら剣を振るい方を……"刻流閃裂"を思い出しているわ」

「こくりゅうせんさ?」

「かつてキミが修めた剣術よ。今まで勘で使っていた技を完全に扱えるようになる分、戦闘力も増大するわ。──頑張って、ナギくんなら龍ぐらい容易く斬り倒せるわ」

「頑張る。それと……上手く言えないんだけど会えて良かったよ、譲刃」

「そう? なら出てきた甲斐があったというものね。……最後に一つ聞いていいかしら?」

「なんだ?」

「今、幸せ?」

 

 急な質問に考え込む。

 幸せというのは、どういった状況を表せばいいのか困る。

 昼は付いていけない勉学に勤しみ、夜は"はぐれ悪魔"との戦闘で命を懸ける日々。

 端から見たら幸福とは言えないだろう。それでも渚は笑った。

 

「幸せかは分からない。──でも、うん、楽しいよ」

 

 その答えに譲刃は満足そうに微笑んだ。

 

「その言葉を聞けて良かった」

「じゃあ行ってくるよ」

「はい、行ってらっしゃい」

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 

 渚が去り、一人残った和服の少女。

 そんな彼女が背後を振り返る。

 

「ここまで来たのなら会っていけばいいと思うのだけど?」

 

 屋敷の柱に話しかける。するとその裏から小さな影が出てきた。

 

『……否定。どのような顔で会えばいいか、答えが見つからない』

 

 譲刃の言葉を返したのは小さな少女だった。

 まだ十代になったばかりの体に、足元まで伸ばされた蒼髪と同じ色の瞳。

 "蒼の少女"は弱々しく、柱にもたれ掛かって体育座りする。

 譲刃が少女の隣まで歩を進める。

 

「ところで"蒼"の起動は出来そう?」

『まだ。"炉"の修復は23,1%しか終了していない』

「それだけあれば充分に廻せる。大抵の事はなんとかなるわ」

『否定。ナギサには完全な状態で使わせる』

「頑固ね。でもそれが良いかもしれないわ、"蒼"は間違いなくナギくんの日常を破壊する」

『そう、危険。あの者たちを滅ぼすには完全でないと不安。だからしばらくナギサには会えない』

「嘘ね。怖いんでしょう、ナギくんに会うのが」

『……なぜわたしがナギサに恐怖する』

「眠りを望んでいた彼を再創造したから」

 

 "蒼の少女"が下を向く。

 図星を突かれて落ち込んでいるのだろう。

 

『……わたしはナギサの意思に逆らった、全てを終えた者に生を強要した』

「私は悪い事とは思っていないわ。だって蒼井 渚はやっと自分の人生を再開出来たのだもの」

千叉 譲刃(せんさ ゆずりは)、これからどうすればいい? このまま奥に沈んでいた方がいい? わたしはナギサの人生に邪魔?』

「ナギくんが再び"蒼"を必要とする時は来るわ。だから望まれたら"力"を貸してあげて」

 

 譲刃が諭すように言うと"蒼の少女"が顔をあげる。

 

『承認。既に"蒼"の使用権限はナギサに委譲されている。私の役目は力と成して授けること。……"炉"の修復作業に戻る』

 

 "蒼の少女"が意気揚々と屋敷から姿を消す。

 少女は単純に存在を肯定されたかったのだろう。本来なら渚に言われたかった筈の言葉を譲刃が代弁したのだが、予想よりも効果があったようだ。

 

「昔は機械みたいだったのが嘘みたいな献身ぶりだわ、彼女。さてと私も帰ろうかな」

 

 譲刃もまた歩き出すも最後に屋敷を見上げた。

 

「ナギくんが幸せそうで良かった。もう死に向かうような生き方はしないでね」

 

 そう静かに言葉を紡ぐと千叉 譲刃もまた霧のように消える。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 渚が目を開けると同時に感じたのは胸に乗る小さな(ぬく)もりと全身を襲う大きな圧力だった。

 温もりの正体は自分に持たれ掛かるようにして倒れるアーシアのものだ。

 眠る彼女と密着しているからこそ緊張が走った。心音と呼吸音が途絶えている。間違いなくアーシア・アルジェントは死んでいた。

 暖かみの残る華奢《きゃしゃ》な体を強く抱き締める。これは誰のせいでもなく彼女の近くにいた自分の責任なのだと強く後悔した。

 だから、いつもなら震えているだろう巨大な気配に(ひる)まず(にら)みを付ける。

 巨大な赤黒い龍。圧倒的な生命力と霊力を撒き散らす災厄。今まで戦ってきた"はぐれ悪魔"を鼻で笑ってしまうほどの脅威。ちっぽけな人間では相手にならない存在だ。

 渚はアーシアを抱いて立ち上がると白い頬を撫でる。自分の傷が消えているのは彼女が懸命に治癒をしたからだろう。優しい女の子に、こんな仕打ちをした奴に怒りが()く。

 

「大丈夫、すぐに起こすからな」

 

 比較的安全な物陰にアーシアを下ろす。

 周囲に敵らしき存在が一つしかいない。アリステアやリアスたちの尽力(じんりょく)で神父やクラフトは退散したのだろう。

 アーシアの死因は分からないが生き返らせる方法はある。

 リアス・グレモリーの"悪魔の駒(イーヴィル・ピース)"だ。アレは死者すらも蘇生が出来るアイテムだと聞いている。アーシアの力はリアスにとって大きな力になるので使ってくれる可能性が高い。でなくても渚はリアスに頼み込むつもりだ。

 その為なら彼女の眷属になってもいい。

 だが全てを上手く進めるためには龍の排除は絶対だろう。

 地面に落ちていた愛刀を手に取る。

 

「"刻流閃裂(こくりゅうせんさ)"だったか?」

 

 自らが(おさ)めたという剣術の名を言葉にした。

 未だにその記憶はない。しかし譲刃という少女が嘘を付いているとも思えない。

 渚は目を伏せる。

 考えてもしょうがない。

 今の目的は障害の排除だ。余分な思考は切り捨てて走り出す。

 巨龍が迫る。人間など一噛みで潰す牙に鳥肌が立った。振るえば人体など容易くバラバラにするだろう爪が怖い。それでも刀を握る手が熱くなっていく。()()づく心を叱咤激励(しったげきれい)するような熱だった。

 そして想うがままに堅牢な龍の翼へ刃を立てる。

 渚が思っている以上に翼がすんなり切断される。先日まで同じ刀を使っていたのに切れ味に大きな違いがあった。

 

「やれる!」

 

 すぐに龍から距離を取る。

 ダメージが与えれるのなら勝てる可能性がある。

 再び攻めようとした時だった。

 龍が地に転がる片翼を取ると切断面に押し付ける。

 いったい何を……と渚が観察していると傷口に淡い光が灯り再生した。

 渚が驚愕していると龍が息を大きく吸い込む。

 こんな動作でしてくる攻撃などアレしかない。

 渚は大きく距離を取った。

 同時に龍が火炎放射器の要領で馬鹿げた総量の炎を撒き散らす。首を無造作に動かして周囲を炎熱の地獄に変える様は正に災害である。

 なんとか直撃は避けた渚だったが肌を()く豪熱は立っているだけで体力を奪う。

 

「火力もだが一番の厄介物は再生力だな」

「"聖母の微笑(トワイライト・ヒーリング)"ですね」

「ステア」

 

 炎熱地獄の中にいても涼しそうな顔でアリステアは渚の隣にやってくる。

 

「ご機嫌よう、ナギ。あの太刀筋からして譲刃とは話せたようですね」

「彼女については色々と分からん事だらけだけどな」

「でしょうね。さて、起きたばかりの貴方に情報を与えても?」

「頼む」

 

 アリステアが簡単に状況を説明してくれる。

 生きていたカラワーナが場を描き乱しクラフトと共に撤退。あの龍がレイナーレのなれの果てであり、アーシアの神器を喰らったという。

 寝ている間に様々な事が起きていた。だが思ったよりも悪くない状況でもある。

 要するにあの龍を止めれば、この一件はとりあえず片が着くのだ。そう思っていた矢先にアリステアから重大な情報が伝えられた。

 

「あの龍は赤龍帝の力を所持しています。放っておけば力は増し、手に追えなくなるでしょう。お早い討伐をお奨めします」

「は!? 赤龍帝ってアレだろ、徐々に力が倍加するヤツ。神器の中でも特にヤバイ、確か"神滅具(ロンギヌス)"だったか」

 

 アリステア・レポートの内容を思い出す。

 特にそこら辺は赤い字で書かれていたので目を痛くしながら読んだものだ。

 

「はい。よく覚えていますね、撫でてあげましょうか?」

「いらんわ。なんでレイナーレが赤龍帝の力を持ってんだよ」

「元々、"赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"は兵藤 一誠に宿っている神器です。アレはその一部を奪った結果のなれの果てですよ」

「イッセーが"赤龍帝"……? クソ、アイツ、とんだ大当たりを引きやがった」

「ええ、これからの人生がハードモードになるのが目に見えます」

 

 二人がそんな会話をしていると龍に雷が落ちる。

 朱乃の雷である。それを皮切りにリアスの眷属が攻撃を開始する。

 祐斗が一撃離脱を繰り返し、隙ができた所を小猫が拳で打つ。

 バランスを崩した龍にリアスの"滅び"を宿した魔力が直撃した。

 着弾の影響で噴煙があがる。

 渚が慌ててリアスの元へ駆け寄った。

 

「グレモリー先輩!」

「傷は大丈夫そうね」

「はい、アーシアのおかげで……」

 

 その名を口にした時、リアスの顔が曇った。

 

「渚、私たちグレモリーはアレを全力で排除するわ」

「それはつまり……」

「ええ、堕天使レイナーレの身柄は諦めて。アーシアの神器は回収を試みるけど優先順位は龍より下がる」

「それじゃあ戦争が……」

「今、やらないと町の人間が大勢死ぬわ。そしてあの龍は更に被害を広める。私は町の管理者として止めなければならないの」

 

 悲痛な覚悟だ。

 この選択が間違いだと思わない。戦争と言う大きな戦いは始まっていないが駒王もしくは日本の人々の命は今は脅かされている。

 無責任に「ダメだ」とは言えないだろう。

 渚は手にある刀を強く握る。

 

「待ってくれっす」

 

 声と共に駆けてきた人物が渚の袖を強く引っ張る。

 ミッテルトだ。その後ろには一誠もいる。

 

「部長、夕麻ちゃんを殺すんですか?」

「……ええ」

「そ、そんな……」

 

 いつもは凛としているリアスが視線を逸らした。

 

「お願いっす、何でもするからレイナーレ姉さまを助けて!」

 

 縋り付くミッテルト。敵味方などもはや関係は無いのだろう。がむしゃらにレイナーレの救いを求めている。

 涙混じり声を聞いているだけで胸にトゲが刺さったような痛みが走る。

 誰もが正しい。間違いなんかない。ただ自らが想う大切なものが違うだけ……。

 悔しさが渚を締め付ける。こんなにも無力な自分が腹立たしい。

 

「ナギ」

 

 重苦しい雰囲気の中、一人だけいつも通りのアリステアに名を呼ばれる。

 

「……なんだ?」

「暑いので、さっさと終わらせて下さい」

「終わらせる?」

「何を(ほう)けているのですか。レイナーレとアーシアを助けるのでしょう。……まさか出来ないとか言いませんよね?」

 

 まるで「貴方なら楽勝でしょう?」と言いたげな口調だ。

 無力だと感じていた感情に熱が宿る。その熱は心臓へ巡り、四肢へと伝わった。

 そうだ、何を諦めているのだろうか。

 手も足もまだある。やるべきことは何一つしていないのに諦めるなど()骨頂(こっちょう)だ。

 

「リアス先輩、一度だけ俺にチャンスをください」

「何をする気……って聞くのは野暮ね」

「俺なりのやり方で挑んでみます。やれることはやっておきたいので」

「許可できないわ。何があったかは分からないけど貴方は劇的に強くなったわ。けど……」

「いいじゃないですか、リアス・グレモリー。やらせてあげましょう」

「あ、アリステア、貴方まで……」

 

 何を言っているという顔をするリアス。アリステアは愉快だったのかクスリと笑った。

 

「ナギ、なんなら成功報酬の話もしておきましょう」

「そうだな。グレモリー先輩」

「え、な、何?」

「アレを倒したら"悪魔の駒(イーヴィル・ピース)"を一つ恵んでください」

「もしかしてソレで」

「アーシアを生き返らせます」

「それはいいけど、やれるの……?」

「絶対とは言い切れません。だから保険は懸けておきます」

 

 渚の言葉にアリステアが頷く。

 

「問題ありません。最悪の場合は私が綺麗に後始末をしますので。……ついでにそこの彼も参加させてはどうです、ナギ」

「イッセーをか、何かあるんだな?」

「最弱が時として強大な敵を打ち倒す切り札になる……と言うことです」

 

 一誠を指すアリステア。

 この中で一番弱いであろう彼は意外そうな顔をした。

 

「お、俺?」

「アレに限っては貴方との相性は抜群です。ここで見事な働きを見せればレイナーレの命を報奨にする事も考えてくれるでしょう、ねぇリアス・グレモリー?」

「無茶よ、イッセーにアレと戦えと言うの?」

「あの龍のオリジナルである彼は間違いなく急所になりますよ。……兵藤 一誠」

「は、はい」

「左手を貸しなさい」

「こ、こうですか」

 

 恐る恐る差し出された一誠の左手をアリステアは取ると文字を描くように手の甲をなぞる。

 

「ここに意識を集中してください」

「手の甲に何が……?」

「貴方にとって今必要な物です。さぁ早く」

「わ、わかった。……集中……集中……」

 

 言われた通りにすると、一誠の手が光る。

 光は手の平から肘までを多い尽くし、やがて刺々しくも荒々しい真っ赤な籠手となった。

 

「おわ! なんじゃこりゃ!!」

「"赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"という神器です。能力は時間経過による力の倍加になります」

「す、すげぇ」

「レイナーレを助けたいなら神器に()いなさい。()れは貴方にだけ尽くす最強の武器、宿主の為なら(いく)らでも力を貸すでしょう」

 

 一誠が「俺だけの……」と呟くと決心したように右手で籠手を掴む。大きく深呼吸すると自らの願いを神器に込めた。

 

「頼む、"赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"! 俺に夕麻ちゃんを助ける力を貸してくれぇえええ!!」

 

 力の限り叫ぶと籠手の甲部分に設置された碧い宝玉が光り出す。

 

『──Dragon Booster(ドラゴンブースター)!!』

 

 籠手から発せられた声と共に宝玉の中で紋様が描かれる。

 力がみなぎる。一誠は今まで感じたことない溢れる活力に驚きを隠せない様子だ。

 その様を見守っていた渚は一誠の肩をバシンっと叩く。

 

「やれるな、イッセー」

「ああ、行こう、ナギ」

 

 二人は同時に走り出す。

 迷いのない疾走でリアスの眷属たちと合流する。

 

「蒼井くん!? それに兵藤くんも!?」

「姫島先輩、この一瞬で勝負を決めます」

 

 渚の言葉に朱乃はすぐに状況を飲み込む。

 

「お気を付けて。既に何度か倍加している状態です、力の総量なら()の五大龍王に迫りますわ」

 

 ──龍王。

 強靭なドラゴンの中でも強力と言われる個体。

 天龍と称される本物の赤龍帝には劣るが、それでも国一つは滅ぼせる力を持つ存在だ。

 そんな(やから)に手が延びる龍。

 普通は戦いは避けるべきなのだが、渚は迷わず朱乃に言った。

 

「大丈夫。──斬って見せます」

 

 龍が馬鹿正直に真正面からやってきた二人を見下ろす。

 伝説にある五大竜王に迫る怪物が大きく口を開く。炎熱ブレスで焼き殺す気なのだろう。

 

「ナギ、ヤベェのが来るって俺の中の誰かさんが言ってる!」

「それは多分、神器に宿る赤龍帝さんの魂だ。ちゃんと挨拶しとけ」

「お、おう。……じゃなくてだな!!」

「攻撃は全部俺が(さば)く。お前は真っ直ぐ龍まで走れ。アレはお前の神器から生まれた子供みたいなもんだ、だから上位互換であるお前の攻撃は通る可能性が高い」

「なんか俺の中の赤龍帝さんも同じ事を言ってた。──力を貸すからとにかく殴れってさ!」

「心強いね。じゃあ炎の道をクリアするぞ!」

 

 全てを焼き尽くす炎が放たれる。広範囲に及ぶ火炎の回避は不可能だ。

 真っ赤な熱が死を運ぶ。

 死に際だからこそ心を落ち着かせる。思考を空に肉体を無へ……。そして刀の鯉口(こいぐち)を切る。あとは身体が勝手に動いた。

 俗に言う、居合い斬り。鞘から抜いた刀を横一閃に薙ぎ払う剣撃。炎なぞ斬れる筈もない一撃だ。

 しかし抜いたと思った渚の刀は次の瞬間には鞘に納まる。カチンと金属音が鳴ると炎が微塵に切断されて霧散した。

 広範囲の炎を斬り崩したのは(おり)を思わせる巨大な斬撃の乱舞。

 

「──刻流閃裂 輝夜(かぐや)貌亡(かたなし)

 

 自然と出たのは、その技の名称。炎を()(くぐ)った一誠もまた突進するが龍も静かに待っている訳ではない。その巨大な爪で矮小(わいしょう)な人間を潰そうとした。

 だが凄まじいスピードで鋭利な刃が飛翔する。

 

「簡単に取らせるかよ!」

 

 渚が龍の手の平に突進して刃を突き立てた。

 苦しみの咆哮が響く。渚は一誠に叫んだ。

 

「イッセー、狙いは分かるな!!」

「胴体一択! 夕麻ちゃんはそこにいる!」

 

 レイナーレがいる場所に狙いを済ませて一誠が左腕を構える。

 絶好の勝機と思った時だった。

 

 ──グオオオオオオオオオオ!!

 

 龍が翼を広げて天空へ舞う。

 一誠の拳を翼の羽ばたきによって邪魔をされ、(くう)を切った。

 悪足掻(わるあが)きだろう。直感的に一誠の左手に触れるのは危険だと判断したかもしれない。

 渚は舌打ちをする。ここで逃げられたら洒落(しゃれ)にならない。

 龍の手に刀を突き立てていた渚も振り落とされそうになった。

 

「くそ、落ちる!」

「僕らを忘れてもらっては困るよ、蒼井くん」

 

 龍の眼球に黒い魔剣が突き刺さり、動きを止める。

 

「祐斗か!」

「初めて下の名前で読んでくれたね」

 

 爽やかな笑みのイケメンが龍の肩に降りる。

 

「片方を頼めるか!」

「僕は君みたいに斬れないけど阻害は出来るよ」

 

 その言葉と同時に、龍の両翼を渚と祐斗が攻撃した。

 渚が切断し、祐斗は氷付けする。

 龍が落ちる。

 視線を下に向ける。映ったのは砲丸投げのような体勢で一誠を持ち上げている小猫だった。

 

「……先輩、発射します」

「くそぉ、やってくれぇ!」

 

 涙目の一誠を小猫が戦車の力で投げ跳ばす。

 龍が怒りの形相で一誠を睨み、ブレスを吐こうとする。

 

「そう何度も撃たせませんわ」

 

 朱乃が特大の雷を呼び出し、龍だけに落とす。

 ブレスを放とうとしたタイミングに鬱ち込まれた雷撃は火炎を暴発させた。

 口内で起こった爆発には、流石の龍も耐えきれないといった様子で苦しんでみせた。

 その隙に凄まじい勢いで龍の前まで飛翔した一誠が叫ぶ。

 

「これで終われぇええええええ!!」

 

 "赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"が龍の胸部を打つ。

 強固な表皮がまるで薄い氷のように脆く砕かれた。

 解き離れたようにレイナーレが一誠の胸に倒れ込んだ。

 

「やった! やったぞ、ナギィ!! ……って落ちる落ちるぅ!!」

 

 落下する一誠を拾ったのは朱乃だった。

 

「もう本当に無理をするんだから……」

 

 それは恐らく渚と一誠に向けられた言葉だろう。

 龍が派手に地面に落下し、レイナーレを抱いた一誠はゆっくりと朱乃に下ろされた。

 誰もが安堵し、勝利を喜ぶ。

 

「イッセー、まだ終わってないわ!」

 

 リアスの言葉に一誠が反応する。

 胸に大穴を空けた龍が最後の力と言わんばかりに牙を向けたのだ。

 這いずるような動きで一誠へ迫る。

 その牙が届こうとした時だった。

 

「悪いがこっちも返してもらう」

 

 渚が割り込んで龍の首を絶つ事で一誠を助ける。

 龍が動かなくなったのを確認してから渚は迷わず遺体に刃を入れる。解体というより慎重かつ丁寧に切り分けていく作業だった。

 探し物はレイナーレが居た場所の近くにあった。

 

「良かった、見つかった」

 

 淡い光を放つのはアーシアの神器、"聖母の微笑み(トワイライト・ヒーリング)"だ。

 渚は安堵したようにその場に座り込んだ。

 

「び、ビビったぁ。神器が無傷で良かったぁ。それにしても龍って怖ぇな」

「いや、普通に首斬ったお前も大概だぞ?」

 

 一誠が思わずツッコミを入れる。

 

「なんか身体が勝手に動いてなぁ。……俺は思っていた以上にヤバイ人間かもしれん」

 

 遠い目で呟いているとアリステアがやってくる。

 

「お疲れさまです」

「ホント疲れた」

「見事な輝夜(かぐや)でした」

 

 渚が放った人の技とは思えない絶技を褒めるアリステア。自分でもあんな馬鹿げた剣を使えるなど夢にも思わなかった。

 

「アレ、知ってるのかよ」

「何度か拝見したことがあるだけです」

「なぁ俺ってさ、なんなの?」

「なんなの、とは?」

「あの龍がすっげぇ強いのは肌で感じた。でも戦ってみたら割りとアッサリ勝てた」

 

 そう、渚はこの勝利に疑問を感じていた。

 もっと苦戦すると思っていた。確かに簡単では無かったが予想よりも遥かに龍が弱く感じたのだ。

 

「それは単に貴方が強かったというだけ。自覚は無いようですが間違いなく貴方は強者の部類です」

「俺が強者かぁ」

 

 釈然としない。

 自分が強いなどと今まで思ったことはない。むしろ三下辺りが妥当だとすら思っている。

 

「確かに初見では雑魚の骨ですからね」

「おい、雑魚の骨ってなんだよ」

 

 百歩譲って雑魚は許すが、その骨となると存在価値が無いのではないか?

 

「ですが良いと思いますよ、変に凄みを出すよりは親しみやすいじゃないですか。貴方の国の言葉にもあるでしょう? 能ある"雑魚"は爪を隠す、とね」

「"(たか)"な? たく雑魚キャラだったり強キャラだったり、ブレ過ぎだろ俺……」

 

 渚が背から地面に倒れる。

 全身が悲鳴を上げている。骨と筋肉が軋み、関節にも鈍い痛みが広がっていた。

 原因は(さっ)しているので痛みに身を任せる。

 

「疲れたな」

「急に刻流閃裂の大技を使ったんですから当然ですね」

「お見通しか、少し休んでいてもいいか」

「ええ。アーシア・アルジェントはお任せを」

「うん、任す」

 

 渚が神器をアリステアに託すと一足先に眠りに着く。

 きっと明日まで目を覚ます事はないと思いながら夢の世界へ旅立つのだった。

 





渚はレベルが一気に20くらい上がった。
そんぐらい強くなってます。


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危機は去り、そして……《Aiming for Happy Path》


一章のエピローグ的なお話です
最後に少し謎めいた発言もあります。



 

「あー、数式が頭の中で回っている……」

 

 午後の授業が終了するチャイムがなると同時に渚は突っ伏す。

 苦手科目の中でも尤も苦手な数学のせいで頭がオーバーヒートしそうだった。

 そんな渚を尻目に一誠が声を掛けて来る。

 どうやら部活のお誘いらしい。

 断る理由もない渚は誘いに同意し 二人は並んで新校舎を抜けてオカルト研究部のある旧校舎へ向かう。

 

「色々あったなー、最近」

 

 会話中の一誠の一言だ。

 堕天使騒動から既に四日である。

 渚の家だったマンション周囲は悲惨な事になったが、人が住む場所から離れた所だったので大きな問題にはなっていない。その辺りはリアスが隠蔽したのだろう。シトリーも動いたと聞いている。

 短い時間に様々な事が起きた。

 堕天使の襲来、一誠の悪魔化、アーシアの来日、龍との戦闘。

 どれも渚にとって忘れがたい出来事である。

 そんな事を一誠と話している内に、長い木造の廊下を渡り終えてオカルト研究部の部室へ入る。

 

「あ、ナギさん、こんにちは」

 

 そうで呼ぶのはアーシアだった。

 駒王の制服を身に付けた彼女はトコトコと渚のもとへやって来る。

 飼い主を見つけた子犬みたいで可愛らしい。

 

「こんにちは、アーシア。制服、似合ってるぞ」

「あ、ありがとうございます」

 

 頬を仄かに赤らめるアーシア。

 彼女は駒王の学園に編入することが決まっている。今日はそのための手続きの為にやってきたのだ。

 制服を嬉しそうに眺めている姿からも学校生活が楽しみなのが伝わってくる。

 

「学校はいつから?」

「明日からのようです」

「そっか、よろしくな」

「はい、私こそ色々とご迷惑をお掛けするかもしれませんけど宜しくお願いします」

「少しでも困ったことがあったら言ってくると嬉しい。俺でなくてもオカ研のメンバーなら助けてくれるよ」

「私はこんなにも良い人に恵まれました。これも主のお導きです……きゃう!」

 

 満面の笑みだったアーシアが神に祈りを捧げると同時に頭を抑えた。

 

「難しいかもしれないけど祈りは程々にな?」

「はぅ、気をつけます」

 

 アーシアの頭痛の原因は悪魔化による弊害だ。

 アーシア・アルジェントは一度死んだ。自らの持つ神器を摘出された事による死。

 だがリアス・グレモリーの"悪魔の駒(イーヴィル・ピース)"よって新たな生を得たのである。

 渚はそんなアーシアに対して罪悪感を覚える。

 彼女をこの姿にしたのは自分の願望からだ。リアスに頼み込んでアーシアに人を辞めて貰った。

 聖職者である彼女は祈りを捧げるのが日常と化している。しかし悪魔は聖なる物とは相性が悪い。それでもアーシアはどうしようもなく聖なる者なのだ。

 救った事に後悔はない。しかし正しいと断言するには重荷を背負わせてしまっているのも事実だ。

 

「……きっとステアは自己満足って言うんだろうな」

 

 誰にも聞こえないように言った声は、ある人物に拾われた。

 

「それでも善だよ、渚くん」

 

 渚の表情と声音から全てを悟ったのは祐斗だった。

 

「……祐斗」

「悪魔化が正しいとは僕も言えない、けど彼女の顔を見てごらんよ」

 

 祐斗に言われてアーシアを盗み見る。

 一誠とリアスの二人と会話するアーシアは楽しそうに笑っていた。

 間違っても今からの人生に憂いを感じている様子はない。

 

「笑ってるな」

「うん、彼女の人生は確かに大きく変わるだろうね、でも渚くんは間違いなくアーシアさんを救ったんだよ」

「そんな大それた事はしてないさ。グレモリー先輩のおかげだ」

「君らしい答え方だね」

「それ、褒めてんのか?」

「勿論だよ」

 

 渚が祐斗を疑わしそうに睨んでいると背後から人の気配が近づいてくる。

 

「退きなさいよ、"居眠り男"」

「おっと、すいません」

 

 不機嫌さを隠さない声。

 渚は振り返り様にその人物に挨拶をする。

 

「こんにちは、天野さん」

「刺し殺すわよ、私の名はレイナーレよ」

 

 ギロリと渚を睨むレイナーレ。

 敵意は剥き出しだが、襲いかかってくる気配ない。

 メイド服を着た堕天使にリアスが眉を潜めた。

 

「イッセー、使い魔の躾がなっていないわよ?」

「え、あ、すいません、部長。夕麻ちゃん、ナギを刺し殺すのは勘弁してくれないか?」

「チッ。ほら紅茶よ、居眠り男、兵藤 一誠も。さっさと飲みなさい」

 

 レイナーレが舌打ちをすると乱暴な口調のわりに丁寧な仕草でカップを置いていくのが妙に面白い。

 堕天使レイナーレはあの一件以来、兵藤 一誠の下僕となっている。

 理由は多々あるが最も大きいのはレイナーレの内に赤龍帝の力が未だに存在しているからだ。"赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"の一部を取り込んで龍化したレイナーレは堕天使でありながら"赤龍帝"でもあるというイレギュラーな存在になってしまった。

 こんな者を放っておくなど出来る筈もなく、どう対処しようか迷っている最中に一誠の言葉もあって今の状態に落ち着いている。

 先の戦いでもあったように力の一部しか持たないレイナーレでは"赤龍帝ドライグ"が宿る一誠には太刀打ちできない。

 加えて"赤龍帝"の子となったレイナーレには一誠に対して隷属術式と呼ばれる絶対服従の術式をドライグから掛けられていると聞く。最初は戸惑っていた一誠も彼女の犯した行為の大きさと新しい相棒の判断に納得せざる得なかった。

 

「紅茶、ありがとう」

 

渚がレイナーレに礼を言う。

 

「黙って飲めないの?」

「変わらずの刺々しさ」

「こんな状況で愛想よく出来ると思ってるの? あんたってバカなの?」

「確かにおっしゃる通りですね、はい」

「困った顔で笑うな、ムカつく奴。それになんでイチイチ奴隷に敬語よ、気持ち悪い」

 

 渚と話し終えたレイナーレが一誠を一瞥すると踵を返して部屋の隅に引っ込む。

 それを見送った渚が黙っている友人に声をかけた。

 

「イッセーは夕麻さんと話さないのか?」

「まぁちょっと話し掛け辛い。なんかアッチも話し掛けてこないし……」

「あー、確かにお前らの関係って二転三転してワケわからんからな」

 

 元恋人同士、被害者と加害者、悪魔と堕天使、同じ神器の所有者。

 これだけの要素を叶え揃えた組み合わせはそうはいないだろう。

 

「でもさ、夕麻ちゃんが生きていて俺は嬉しいよ。それに今の刺々しい感じも嫌いじゃない、アレが彼女の素なんだなって思えるからな」

「だったらまた距離を縮めなきゃな」

「だな、よし早速行ってくるぜ」

「頑張れ」

 

 一誠がレイナーレに堂々と近づく。

 渚はしばらく静観することにした。周囲も二人に意識を集中させている様子だ。

 

「そのメイド服、似合っているよ」

「ご主人様、忙しいので話しかけないでもらえます?」

 

 暇そうなレイナーレは敬意のない敬語で容赦なく一誠を叩きのめす。

 渚は思わず顔を抑えて「うわぁ~」と内心で呟く。主人を主人と思わぬ言動。苛立ちと敵意を隠そうともしないレイナーレに一誠が固まる。

 それを見たリアスが無言で魔力を高めた。一色触発のムードに渚が歯止めをかけようとした。

 しかしリアスが手を下すまでもなく、レイナーレが膝を突く。隷属術式が彼女を戒めたのだ。

 一誠が助け起こそうとするが手を振り払う、苦痛の中でも決して悪魔の手は借りないと言う意思表情だろう。

 ──反骨精神の塊。

 そんな言葉が渚の脳裏を掠める。

 

「さっさと殺せばいいのものを」

「それはしたくないんだ、夕麻ちゃん」

「なにそれ? 善意の押し付け? あんたのエゴに私を巻き込まないでほしいわ」

「ごめん……」

「謝罪するなら我を押し通すなんて事をしないで、鬱陶しい」

 

 重苦しい雰囲気が部室を包む。

 渚がどうしようか悩んでいるなかで二人に歩み寄る人影があった。

 アーシアだ。

 彼女はレイナーレに近づくと意を決したように声を張り上げる。

 

「あ、あの! 一誠さんはレイナーレさんを失いたく無かったんだと思います!」

「ハッ、シスターが堕天使に説教? いらないわ、私は戦って死ねるならそれで構わなかった」

「きっとその死を悼む人がいます、それは悲しい結末……だと思います」

「……ッ。私の死を悼む? そんなの勝手にさせておけばいい。私はこの生き方しか知らないもの」

「ならこれから探しませんか? レイナーレさんを心から想う人が居ます、その人たちとなら変われるはずです」

「言い切るじゃない」

「私は信仰する事こそが絶対の幸福だと考えていました。……でも今は違います。この町に来て本当の幸せがなんなのかが少し分かったんです」

 

 幸福の象徴とも言いたげにアーシアが渚を見た。

 真っ直ぐな碧の瞳が再びレイナーレに向けられる。その純粋な瞳にレイナーレは臆するように顔を背けた。

 

「祈り中毒者の元シスターが、ろくに祈りも捧げられない身体にされてよく言うわ」

「祈りは耐えれば捧げられます。失ったもの以上に私は素晴らしいものを知りました」

「素晴らしい? 温室育ちが何を吠えてるのかしら」

「初めて人として扱われたんです、アーシア・アルジェントとしての私を見てくれる人がいました。ただそれだけの事がこんなにも心を暖めてくれるます」

 

 レイナーレが小さな驚きを目に宿す。神器使いはその異能から疎まれる事が多い。温室育ちと思っていたシスターが『人を癒すだけの生物』として扱われていた事を漠然と察してしまったのだろう。

 

「……一つ聞くわ。何故、こうも(かま)うの? 私は貴方の死因となった奴等の仲間だったのよ?」

 

 他人であっても手を差し伸べてしまう優しい少女に堕天使は問う。

 渚からしたら、これがアーシアという女の子なのだと答える。

 しかしアーシアは『えっと』と前置きすると悪戯が見つかった子供のようにレイナーレを見た。

 

「実はミッテルトさんがよくレイナーレさんのお話をしていたので」

「あの子が……?」

「はい。とても格好いい方だと」

「目が腐ってんじゃないの。私はミッテルトに良いところなんて見せた覚えはないわ」

 

 アーシアは小さく首をふる。

 

「いいえ。きっとずっとレイナーレさんを見ていたと思います。不器用で意地っ張りで、でもそれ以上に努力家だと言っていました。……これからも一緒に居たい、とも」

「…………言いたい放題ね」

「ご、ごめんなさい」

「ふん。どいつもこいつも謝ってんじゃないわよ。自分がそうだと思ったら言い切りなさい」

「は、はい。が、頑張ります」

「もういい、調子が狂ったわ。敗者の私がどうこう言ったところで現状は変えられない、なら甘んじて受け入れるだけよ」

 

 言葉では否定的なレイナーレだったが声音からは刺々しさが若干取れていた。

 彼女の罪は簡単には許されない。だが一生を懸けて背負っていくには堕天使の生は長すぎる。

 渚はレイナーレがただの悪人ではないと知っている。言葉も態度も刺があるも所々に不器用な優しさを見せてくるのだ。

 

「あ、あの私はアーシアといいます」

「急に何?」

「じ、自己紹介がまだだったので」

「だから?」

「いえ、その、私、レイナーレさんとも仲良くしたいと思いまして」

「……は?」

 

 呆気にとれらるレイナーレ。少し間の抜けた顔に渚は笑いを(こぼ)しそうになった。

 

「私ではダメですか?」

「いえ、そうじゃなくてね? 堕天使よ、私?」

「わ、私は悪魔です」

「知っとるわ!」

「ひゃう!」

「あ、ごめん」

 

 びっくりしたアーシアに謝罪するレイナーレ。

 完全に毒気の抜かれた彼女に、小さな笑みを浮かべて紅茶をすする渚。

 時折、一誠に見せた甘さといい、レイナーレと言う堕天使は悪意のない人間に弱いのだろう。いや、もしかたら善意を向けられる事に慣れていないのかもしれない。

 ともあれ、これが彼女にとって転機になればいいと思う渚であった。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 渚たちが龍化したレイナーレと戦った跡地。

 かつては渚とアリステアの家であるマンションは今や瓦礫の山となっているため、"KEEP OUT"と書かれた黄色いテープが周辺を大きく囲んでは人の立ち入りを禁止している。

 所々に激しく燃焼した跡の見られる場所は、さながらミサイルの雨でも降ったような酷い有り様だ。

 そんな残骸の処理まで手が回っていない静かな所でアリステアは携帯端末を手にしていた。

 

「──という訳で事態は収束しました」

『そうか、ご苦労だったな』

「別段、苦労はしませんでしたよ、私は」

『どうあれ、助かった。礼を言うぜ、アリステア』

「レイナーレとミッテルトはこちらが預からせて貰いますがよろしいですね」

『ああ、アイツらの頭は予想は付いてる。そこから消えたドーナシークはソイツの元に戻ったんだろう。……気になるのはカラワーナとクラフト・バルバロイとかいう二人組だな』

「双方ともレイナーレとは比べ物にならない者たちでしたよ。最上級の天使や悪魔をも殺し得る実力者です」

『厄介な。それにしてもカラワーナ、か』

 

 アザゼルが電話越しに考え込む。

 腑に落ちない何かがあると伝わってきた。

 

「あの道化がどうかしましたか?」

『まぁ話してもいいか。カラワーナと言う堕天使は二年前に死んでいるんだよ』

「成る程、つまり私たちが交戦したのは偽物という訳ですね」

『そうなるな。話によれば"雷光"を使ったんだろ? あんなものを使える堕天使なんて数えるほどしかない』

「そもそもアレは堕天使なのでしょうか?」

『どういう意味だ?』

「カラワーナの姿を取ったという事は自身の素性を明かしたくなかったからでしょう。それは顔を隠すだけではなくレイナーレに容易く近づくために堕天使の皮を被ったとも考えられます」

『だとしても分からんな。なぜレイナーレだった? もっと使える奴もいたろうに』

「気紛れ、という可能性もあります。カラワーナを名乗った者は快楽主義者な一面を持っていました。レイナーレと言う些末な存在が世界を脅かす状況を楽しんでいたかもしれません」

 

 アリステアの言葉にアザセルが舌打ちをした。

 

『だったら終わってるな、ソイツ。世界を玩具にする腐った性根をぶっ潰しに行きたいぜ』

「苛立ちも分かりますが、少しレイナーレの件を話しておきましょう」

『分かってるよ、そっちも興味深い現象だ。一部とはいえ赤龍帝の力を宿した堕天使か。初めても事例だけにどうなるか分からんな、徹底的に調べた方がいい』

「……かと言って"神の子を見張る者(グリゴリ)"の研究施設に連れていくわけにもいかないでしょう?」

『なんだよなー。どうするかな』

「拉致しますか?」

『……お前って物騒な性格と言われるだろ』

「良い考えと思ったのですが?」

 

 アリステアが事も無げに言う。

 

『とりあえず保留だな。そっちは兵藤 一誠とやらがいるから心配ねぇだろ。上位存在である真の赤龍帝(ドライグ)が抑止力なる筈だ』

「その辺は私より貴方の方が詳しいでしょう」

『似たような事例を幾つか見た事がある、"神滅具(ロンギヌス)"での観測は初めてだが大丈夫だろうぜ』

 

 神器研究者としては世界で指折りのアザセル。

 彼が心配ないというのならそうなのだろう。

 アリステアはこの話題を切り上げることにした。

 

「"神滅具(ロンギヌス)"と言えば、私の目的に協力して頂けるでしょうか、総督?」

 

 アザゼルにアリステアは問う。

 電話越しの堕天使は数秒だけ黙る。

 

『"黄昏の聖槍(トゥルー・ロンギヌス)"か……。俺としては捜索事態は幾らでも協力してやる、こっちとしてもアレは最優先で管理下に起きたいからな。──だが』

「私に持たせるのは危険だと?」

『正直に言えばそうなる。お前さんの戦闘力は未知だが俺の予測ではヴァーリや鳶雄(とびお)以上だと推測している。そんなイレギュラーを越えるバグに最強の神器を素直に渡せるか?』

「私でしたら、そんな危険な(やから)は殺しておきますね」

『お前な……』

 

 呆れ声のアザゼル。

 アリステアはそんな彼を無視する。

 

「少し総督は勘違いをしている様ですので訂正をしましょう」

『あん? どういうこった?』

「私が槍を求めているのは、力が欲しいからではないのですよ」

『じゃあ何を求める?』

「聖書の神との対話。アレには神の意思が眠っているのでしょう?」

 

 アリステアの言葉にアザゼルの雰囲気が一変する。

 

『"覇輝(トゥルー・イデア)"の事か? お前、まさか聖書の神がどういう状況か知ってるのか?』

「貴方の雰囲気と声で今、確証を得ました。やはり対話の可能性はもうソレしかないようですね」

『クソ、俺としたことが相手に答えを出させちまった事かよ』

「殆ど答えは得ていましたのでそうお気になさらず。……以前まであったという教会関係者への加護の喪失。人間界から去った天使。悪魔や堕天使以上に守勢構えの天界。答えへと至るピースはこんなにも多い」

『普通は気づかんがな。全くどういう思考してんだ? まぁそうだよ、──聖書の神は死んでいる、死因は最後に起きた大戦での戦死ってことになってる』

()()()()とはハッキリしない言い方なのですね」

 

 まるでアザゼル自身も神の死んだ状況を把握していない言いぐさだった。

 

『あの件は色々と分からんことが多くてな。戦時中はゴタゴタでこっちも忙しかったんだよ』

「そうですか。何にしてもこれで私の目的は分かってくれたでしょう。用が済んだら槍は貴方の好きにすればいい」

『目的が聞けて大いに結構だが、お前さんの聞きたい事ってのは?』

「大した事じゃないですよ。この世界の在り方を少々訪ねたいだけです」

『在り方?』

「あの者しか知らない謎を問いただすといった方が正しいかもしれません」

『なんだ、歴史家にでもなるつもりか? 研究者気質だったとは驚きだ』

 

 アリステアの目的が存外に平和的だった事に拍子抜けするアザゼル。

 

「そろそろ切ります、あまり長いと傍受される危険性もあるので」

『了解だ。また何かあったら連絡を寄越しな』

「ええ」

 

 携帯端末のボタンを押して電話を切る。

 一人たたずむアリステアは快晴の空を仰ぐ。

 白雪の少女は、そのアイスブルーの瞳で遥か遠く、(そら)よりも彼方を見上げる。

 

「アザゼル総督、貴方は知っていますか? この世界は聖書の神によって踊らせれている。ただ一つの下らない目的のために……」

 

 そう問うアリステアだったが次の瞬間には風と共に姿を消す。

 そして誰もいなくなった瓦礫の山だけが静かに残るのだった……。

 





次から原作二巻になります。


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閑話休題
始まりの物語《Halfe Year Before Prologue》



蒼の始まり。
渚とリアスの出会い。
これは序章とも言える半年前の物語。



 

──戦いに於いて何が重要か?

 

 兄にそう問われたのはリアスが上級悪魔に選出され、『王』となる資格を得てから少し経った後だ。

 その時、彼女が出した答えが"人材"。

 知に優れた将、戦に秀でた武、統率する優秀な王。それらが揃えば負けないと頑なに信じていた。

 しかし兄は、まったく別の答えを提示する。

 

『リアス、戦いに於いて最も大事なのは情報だよ』

 

 敵を把握し万全の体勢を整えて的確な戦法で戦う。

 それが王者に必要な資質だと教えてもらった。

 そして、その言葉は重くリアスにのし掛かる。

 

 

 

 

 ●◯

 

 

 

 

 駒王町郊外、深夜。

 

 暗い森の奥に響くのはつんざくような爆音と奇声。

 木々は軽々と薙ぎ倒す巨体は、人為ならざる者。

 人が踏み入れることは許されない魔境がそこにはあった。

 

 月明かりに紅の髪を照らすリアス・グレモリーが舞う。美しさ際立つ少女の手に複雑な紋様を描いた陣が構成されると昏い波動を放つ。

 『滅び』の理を宿した魔力の波動は、軸線軸上にいる複数の"はぐれ悪魔"を纏めて消し飛ばした。

 

 だが終わりではない。

 

 森の合間合間から"はぐれ悪魔"が攻撃の隙を狙ってリアスに飛び掛かる。

 迫る脅威から『王』を守るため、彼女の『騎士』と『戦車』が立ちはだかった。

 『騎士』である木場 祐斗が手にある魔剣で切り裂き、『戦車』である搭城 小猫の拳が殴り打つ。

 

 鋭い剣と鉄壁の拳に怯んだ"はぐれ悪魔"の集団が動きを止めた。

 そこに狙ったようなタイミングで目映い電光が降り注ぐ。

 『王』の側近を勤める『女王』、姫島 朱乃による雷撃である。"はぐれ悪魔"を広範囲に渡って焼き付くした朱乃がリアスのすぐ横へ降り立つ。

 

 リアス、朱乃、祐斗、小猫が互いを守り合うように背を預ける。

 互いをフォローしながら戦う絶妙なチームワークは、"はぐれ悪魔"が何十いようと敵ではないだろう。──それでも、相手が何百となれば些か不安が残る。

 

「皆、ご免なさい」

 

 リアスの謝罪に誰も何も言わない。敵は凡そ五百を越える"はぐれ悪魔"の集団。

 決してリアスたちは弱くはない。……が戦力差が圧倒的過ぎた。

 このままでは、いずれ数に圧されてしまう。それでもリアスたちは、この軍団とも言える敵対勢力を排除する必要がある。

 彼女たちの背にある町には何も知らずに夜を過ごす人々がいる。

 こんな数えるのも馬鹿らしくなる異形たちが攻めいれば、瞬く間に平和な駒王の町は地獄という餌場となるが明白だ。

 

 リアスはギリッと唇を噛む。

 今日の討伐は、こんな大規模なものではなかった。

 

 いつものように"はぐれ悪魔"単体を滅ぼして終わる筈だったのだ。

 町の管理者であるリアスは自身の不甲斐なさに憤慨する。

 こんなにも大量の"はぐれ悪魔"が駒王近辺に潜んでいることを見過ごした。

 監視をかまけた訳ではない、常に"はぐれ悪魔"の動きにも注意を払っていた。

 

 ただ敵の方が情報戦で上手だっただけ……。

 

 リアスたちの監視網を徹底的に調べ、発見されないギリギリの場所に拠点を置き、見つからないように仲間を集めた。

 正直言って既に詰みである。

 これほどまでの戦力を集められていると知っていれば事前に救援要請も出せた。兄であるサーゼクスに頼み込めば最強の女王であるグレイフィア・ルキフグスを貸し与えたかもしれない。だがすでに後の祭りだ。

 最早、リアスに出来る事は少しでも派手に暴れて数を減らすしかない。

 

 即ち、ここはリアス・グレモリーにとって予期せぬ死地となったのだ。

 

 全ては自分の不徳とするところだ。今さら後悔しても反省する時間は与えられないだろう。

 ただ罪悪感が酷く自分を責める。自らのミスで愛しい眷属たちも死戦に巻き込んでしまった。

『逃げて』と言いたいが、一人でも欠けたらそれこそ瞬時にリアスの陣営は瓦解する。

 

 リアスは戦いながら葛藤していた。

 眷属だけでも逃がすか、それとも皆で戦って死ぬか。

 究極の選択。

 管理者ならば眷属を戦わせるのが正解だ。リアスと連なる以上、それは義務ともいえる。だが主としての"情"が『助けてあげて』と叫ぶ。

 

「朱乃、祐斗と小猫を連れてソーナの下へ走りなさい。彼女に現状を話して、冥界からの援軍を呼んで貰うの」

「リアス、貴方はどうするつもり?」

「責務を果たすわ。このままでは全てが終わる、だからお願いね」

 

 朱乃はリアスの言葉に一瞬だけ考え込み、答えを返す。

 

「はい、分かりました。では祐斗くん、小猫ちゃん。──二人は行ってください」

「朱乃!」

「『女王』が『王』から離れては格好が付きませんわ」

「朱乃先輩。それは『騎士』である僕も同じです。剣が無くなっては戦えないでしょう?」

 

 祐斗が言いながらリアスの敵を剣で両断する。退く気の全くない戦い様だ。放っておいたら敵陣へ一人で突っ込んでいきそうですらある。

 

「祐斗……」

「すいません、部長。僕はもう仲間の死を見過ごしたくないんです」

「本当に、それでいいの?」

「勿論です。けれどソーナ会長への伝言役は絶対に必要だと思います」

 

 祐斗の視線が小猫へ移る。

 

「……い、嫌です。私だけ逃げるなんて出来ません」

 

 小猫が首を横に振って断固拒否するようにリアスの服にしがみつく

 

「小猫、お願い。誰かがやらなければいけないの」

「……部長」

「リアス、敵が来るわ」

 

 鋭い朱乃の言葉。

 闇夜に染まった森が再び殺意に震える。時間はない、相手は悠長に待ってはくれないだろう。

 

「なら私たちを助けて? 貴方が帰ってくるまで決して負けないから」

「……本当ですか?」

「ええ、約束するわ」

 

 嘘だった。小猫がこの場に戻ってくるまで持つ筈がない。

 それでも小猫には行って貰いたかった。

 嘘を笑顔で隠すリアス。

 迷う小猫。わかっているのだろう。帰ってきてもリアスたちが生きている保証はないと。だがここで動かなければ確実に終わるとも理解している。

 小猫は意を決したように頷く。

 

「良い子。さ、行って!」

 

 走り出す小猫を守るように三人は構える。

 ここから先は誰も通さないとそう思った最中だった。

 

 ゾクリとリアスの肩が震えた。理性を削る気味の悪い気配が森の奥より近づいてくるのを感じたからだ。

 

「困ぁりますねぇえ~。こぉこでぇシラけさせるような事はしないでいただーきたい!」

 

 狂気を孕む声を伴い現れたのは、黒いローブを身に纏う男性。死人のように色ない肌、骨のように痩せた身体。

 教会の神父に似た格好だが、その姿は邪教の司祭と言った方がしっくり来るほど不気味だ。

 

「誰?」

「クヒ、わたくしぃ、『喰らい』のネクロ・アザードと申します。以後お見知りおきをぉ」

 

 "はぐれ悪魔"たちが静まる。

 そして気づく。まるでネクロが『王』と言わんばかり頭を垂れていた。

 主を持たない"はぐれ悪魔"の異様な行動にリアスが背筋が寒くなった。

 

 ──危険な男。

 

 率直な感想である。

 強いとかそういう次元では図れない異質さを持つネクロに強い警戒心を向けるリアス。

 そんな彼が歓喜に彩られた表情で手を大きく広げ月夜に仰ぐ。

 

「素晴らしい出会いだ……。あぁ美しい駒王の支配者よ。確か名はリアス・グレモリーと申しましたか。あなたの気高さに感銘いたしました、その美しさに免じて条件を二つほど飲んで頂ければ、町には被害を出さないと誓いましょう」

 

 いきなりの申し出だ。

 ネクロはリアスの答えを待たず、骨ばった指で祐斗をさした。

 

「一つ、そこの──呪われた少年の"自刃"」

「な!」

 

 リアスの驚愕を無視するネクロ。そして……。

 

「二つ、あなたとそちらのお嬢さんの方の魂と肉体の提供……クヒッ」

 

 リアスと朱乃に死ねというだけでなく、死体を寄越せと狂人染みた事を言ってのけた。

 祐斗が無言でネクロに迫る。疾風を思わせる踏み込みは他の"はぐれ悪魔"が何をするにも間に合わない速さ。

 主を貶めようとした狂人を祐斗の魔剣が捉える。

 

「なに!?」

 

 筋肉などないに等しい痩せた男が、祐斗の剣を掴む。

 肉が削げた片手で、血が吹き出すのを楽しむように、笑いながら、大切そうに、憎むように剣を握りしめる。

 

「いたい、痛いですねぇー。呪われた者は短気で怖い怖い。クヒヒ、我らが総主様も大変お怒りでしょう。このような……」

 

 急にネクロがうつ向くと、わなわなと身体を震わせた。

 

「こ・の・よ・う・なぁ!! このような物がぁ、世界中に分布してるなどぉ! お許しになるはずがないぃ!」

 

 血走った瞳と嘆くような叫びが森を震撼させた。

 狂気がいやでも伝わる。ネクロは目から赤い液体をこぼしながら祐斗を笑いながら睨む。

 強烈な危機感にリアスは反射的に声を荒らげる。

 

「祐斗! 逃げなさい!!」

「偽りの器めが、真の器足るわたくしの闇にィ、飲・ま・れ・な・さぁい」

 

 ネクロの背中から影を塗り固めたような巨大な両腕が這い出る。禍々しい翼にも見える巨腕が捕らえようと蠢くが、祐斗は間一髪のところで魔剣を身代わりにした。

 素早く離脱するとリアスを庇うように立つ。ネクロの黒い翼腕に囚われた魔剣が熱した氷のように朽ちた。もしも祐斗が判断を誤っていれば……そう思うとリアスは恐怖に駆られる。

 あの黒い翼腕は──マズイ。

 

「部長、悔しいですが僕らの手に終えるレベルじゃありません」

 

 祐斗が小さく震える声で言う。そんな事は重々承知だった。あの男は間違いなく自分達よりも強い。

 四本腕の邪教徒が道化のように小刻みな拍手を祐斗に送った。

 

「素早い! お見事! わたくし感激いたしまぁした。それでお美しいグレモリー嬢、さっきのお答えは?」

「バカにしているの? ここまでされてイエスと答える者はいないわ」

「おー、我らが総主よ! これも試練なのですね! 分かりました、ならば我が内にて"頂く"としましょう」

 

 禍々しい影の腕が延びる。

 その腕に触れたものが次々と溶けるのを見てリアスが自身の魔力で練った光弾で迎え撃つ。

 

「愚・か・し・い」

 

 魔力の光は意図も容易くもぎ取られると跡形もなく消えた。

 

「魔力も溶かすと言うの!」

「リアス、一旦引きます。不確定要素が大きすぎる」

「殿は僕が勤めます」

 

 『王』を守るため『女王』と『騎士』が動くが、

 

「お邪魔です」

 

 黒い腕から放たれた凄まじい衝撃波が三人がバラけさせた。

 ネクロは朱乃と祐斗に目もくれずリアスだけを見ている。

 

「では……頂きます」

 

 全てを溶かす黒い腕がリアスの眼前に迫る。

 どう動いても間に合わないと分かるタイミングで──背中を押された。

 後ろを見れば、小猫がばつの悪そうな顔でリアスを見ていた。

 

「え? 嘘……、小猫?」

「……ごめんなさい。やっぱり、皆といたいです」

「おや、小さいお嬢さんじゃないですか。食べ堪えのなさそうですが、前菜にはいいでしょう」

「──やめ」

 

 物が蒸発するような音が聞こえた。熱したフライパンに水滴を垂らすような音だ。

 搭城 小猫が黒い腕に捕まった瞬間、その存在は喪失する。

 漠然とだが分かる。小猫はあのネクロという男に"喰われた"のだ。

 

「ふぅむ、中々に美味。あとはゆっくり消化──」

 

 味わうような顔をしていたネクロの足が消えた。

 

「わ、わたくしの足がぁああああああああ!!」

「殺す……殺してやる!」

 

 のたうつネクロを涙に濡れた瞳で睨むリアス。周囲には光る魔方陣が複数同時展開されている。

 泣いて許しを乞うても決して助けてはやらない。

 塵一つ残さず消失させても、リアスの悲しみは晴れないだろう。

 

「おおおおおおおお! 足がぁ!」

「たかが足の一本ぐらい何よ、そんな物が無くなったくらいで騒がないで」

「足の一本ぐらいだと! 足の一本、たかが……うーん、言われてみれば、そうですね」

 

 背中にある腕を足がわりに立ち上がるネクロ。丸い目玉をギョロギョロと動かしながら最終的にリアスを見下す。

 

「ご助言、感謝します。確かに足一本ぐらいなら騒ぐこともありませんでした。あ、そうそう……オグェ」

 

 ネクロがいきなり自分の右手を口のなかに突っ込むという異常な行動に出た。

 奥へ、奥へ、上腕を全て飲み込んだ辺りで引き抜き始める。

 リアスは一瞬怒りを忘れて、その意味不明で不気味な行為に釘付けになった。

 

「オブェエ! はい、これはお返しします♪」

 

 べちゃりと地面に落とされたのは、黒い唾液にまみれた駒王学園の制服だ。

 いうまでもなく小猫のものだ。リアスの思考が真っ赤に染まる。

 

「大丈夫、ゆっくりと、吟味して、我が内で溶かし尽くすんで安心してください……クヒ」

「その腹部、裂かせて貰う」

 

 祐斗の斬撃がネクロを切り裂く。噴水のように血が吹き出す。

 

「クヒ、クヒヒ、ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!」

「何がおかしい」

「哀れだと思いまして。あの少女はすでに霊子分解されました、どう足掻いても物質になっては帰ってこない、奇跡でも起こさない限りねぇ!! どうです、我らの総主様に祈れば叶うかもしれま──」

「……黙れ」

 

 十を越える剣筋が走る。

 腕が跳び、脚が割れた。四肢を失ったネクロは痛みを感じていないのか狂ったように笑い続ける。

 

「甘美ぃなぁ、痛みです! そうだ、絶望と喪失は甘美ですか? 教えてくれませんか?」

「消えて無くなりなさい!」

「炭にしてあげますわ!」

 

 リアスが全霊の攻撃を浴びせるが背から生える黒い翼腕に溶ける。朱乃の怒り猛る雷も同様だ。

 

「く、異能の性質が読めない。いったい何をしているの!?」

「お、いい質問です。黒髪のお嬢さん」

 

 悔しそうに顔を歪める朱乃にネクロは上機嫌ぎみに言う。

 

「わたくしは、あなたがたより上のステージに立っているのです。悪魔? 天使? 下らない、我が総主様に比べれば塵芥に等しい。神を名乗る愚かしい連中もそうです。そしてその寵愛を承ったわたくしにとって──あなた達は"食料"にすぎない」

「朱乃、逃げなさい!」

 

 黒い手が朱乃へ延びる。

 その身体を包もうとした時だった。

 

 ──強烈な風が森を駆け抜けた。

 

 誰も彼が驚きに包まれる。

 リアスも、朱乃も、祐斗も、はぐれ悪魔も、そしてネクロすらも。

 暗い夜の空に割るように現れたのは蒼い太陽。

 煌々と輝く蒼に誰もが看取れる。

 蒼炎の太陽が徐々に砕けると中から出てきたのは"人"だった。

 

 白雪が如く少女を抱いた血塗れの少年。

 

 少年が地に降り立つと吐血する。

 明らかに死に掛けと分かる少年が白銀の少女の頬を撫でると安堵したように息を吐いた。

 

「何とかなったか……。いや、そうでもないみたいだ」

 

 満身創痍の少年が周囲を見渡す。

 皆が注目するなか、その姿が一瞬で掻き消えリアスの前に現れる。

 驚く間もなく、リアスの瞳を覗き込む少年。すると納得したように小さく頷いた。

 

「なるほど、こっちが良さそうだ」

「え?」

「状況は見えないが戦況は把握した。アンタらに助勢してもいい、条件を飲んでくれたらな」

「じょ、助勢ってあなた自分の状態が分かっていないの?」

 

 明らかに重症な少年を見て、リアスが寒気だった。傷がない場所を探すのが難しいほどボロボロの体なのだ。致命傷だと思える傷からは今も出血が続き、死へのカウントダウンが始まっている。

 戦うどころか今すぐに医療施設に連れていかなければ危うい。

 

「ご心配どうも。けど今ので決定だな、人間型以外の者を排除すればいいのか?」

「そんなことより」

「時間がないんだ。──いいから答えろ」

 

 瞬間、恐ろしい戦慄に襲われた。鋭い少年の瞳が刃のように心臓を貫く。死に体が放っていい覇気ではない。

 悪魔の本能が告げてくる。この少年に逆らうな、お前ではクビリ殺される……と。

 だが同時に「助けてくれる」という大きな安堵が胸に宿る。それはまるで魔王に、兄が目の前にいるような頼もしい感覚だった。そこからはリアスの思考は高速化する。この未知の存在に懸けてみようと決断した。

 小猫を奪ったあの狂人を殺せるかもしれない可能性に……。

 

「……イケるの?」

「なんとかする。助ける条件はそこで寝てる女の保護だ、いいか?」

 

 地面で人形のように眠る白雪の少女を指す少年。

 

「契約ね。わかったわ」

「よし」

 

 少年がゆっくりと立ち上がる。

 

「会って早々悪いがアンタの敵になった」

 

 (いびつ)だった笑顔は消え、ネクロは無表情だった。

 

「貴様、何者です。我が総主の寵愛が……貴様に、貴様を……!」

「総主? 寵愛? 知らんな、いま来たばかりでそっちの宗教には疎いんだ。──始めよう」

 

 少年が離れた場所にいたネクロの前に立つ。動く気配すら察知させない移動術。

 

「中にいるのは彼女(リアス)の連れだろ?」

 

 見透かすように言うと、ネクロの心臓付近に少年の腕が飲み込まれた。

 

「グゲガガガガガァ! わたくしの中にぃ、わたくしの中にぃ異物がぁあああ!」

「他者を飲み込み糧とする。……ソウルイーター(魂食い)(たぐ)いか? いい趣味とは言えねぇな」

「な、なななな、わたくしの中で何をしている! ()()()()()()()!?」

「造る? 酷い勘違いだ、オレはお前が奪って剥ぎ取った者を元に戻しているに過ぎない」

「戻す!? バカな! 霊子まで分かたれた者を復元するなど総主様にしか許されない行為──」

「うるさい、傷に響く」

「あ、ヴぇ、ひぎゃああああああああ!!!」

 

 四肢を千切られても嗤っていたネクロが断末魔の声で叫ぶ。

 少年がネクロの内から腕を引きずり出す。その腕には黒い粘液にまみれた小猫が掴まれていた。

 

「……思った以上に小さいな」

 

 少年が小猫に付着した粘液を吹き飛ばす。そして白い布地を造り出すと優しく小猫をくるむ。

 

「こ、小猫!?」

「生きてます、生きてますわ!」

「よかった。本当に……!」

 

 リアスたちがが気絶した小猫に近づくと頬を愛しそうに触れる。

 それをリアスに渡す少年。

 

「なんてお礼を言ったらいいか……」

「さっきの言葉を守ってくれれば、それでいい」

 

 そんな少年とリアス一行の会話をネクロが遮る。

 

「ギザマァアアアアアア! 寵愛を受けた子を! わたくしから取り上げたなあああああ!!」

「ああ、問題あったか?」

「殺します! 死に晒せ、この異分子を殺せなさい!! 死せよ、死ね、シネシネシネシネ」

 

 凄まじい勢いで周囲の"はぐれ悪魔"に命令を下すネクロ。

 そこに余裕はない。リアスはネクロの中に恐怖を見た。狂人が恐怖する少年が言葉を綴る。

 

「総力戦か……。見ての通り死に掛けなオレには時間がなくてね。戦う事が出来ないんだ。──だから、圧倒させてもらう」

 

 轟ッ! 

 

 少年を中心に輝かしい蒼い波動が渦巻く。

 魔力でも光力でもない圧倒的で理解不能な"力"。理解出来たのはただ一つ。それはひたすらに巨大だということ。

 

「引退戦だ、最後に大きな花火でもあげよう。──蒼獄界炉の剣(ゼノ・イクス)

 

 少年の言葉と共に蒼が全てを飲み込んだ。

 夜天すら貫く巨大な柱と化した光は"はぐれ悪魔"を滅却するには十分な破壊をもたらす。

 やがて光は収束へ向かう。

 破壊する光の中から生還者はリアス一行と白雪を思わせる少女。そして傷だらけの少年、後に蒼井 渚と名乗る少年だけだった……。

 





これが渚の評価が高い理由です。


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戦闘校舎のフェニックス
不真面目で真面目な男《Daily live》



日常回です。
ではどうぞ。



 

「誰か、ソイツを止めてぇ!」

 

 帰宅途中、声の主である女子は引ったくりにあった。

 夕暮れの商店街で背後から襲われたのだ。

 自分がターゲットにされたのは鞄を道路側に向けてしまっていたのが原因だろう。

 学生である自分の鞄を狙うなんて、どうかしてると思う。

 しかし世の中には女子高生の体操服などで興奮する者もいるくらいだ。

 気持ち悪いが相手はバイクに乗ったフルフェイス野郎であり、速度もかなり出ている。

 (さいわ)い、財布や身分証は制服のポケットに入れていたので女子はキッパリと諦めようとした。

 だが、ふと鞄に大事なものを納めていた事を思い出す。

 気づけば追いかけていた。

 商店街を抜けて大通りに抜ければ、既に多くの車に紛れたバイクの背中が見える。

 ナンバーだけでも見ようと視線を下げるが、嘲笑うように車と車の間を潜り抜けて去っていく。

 

「くそ! あの引ったくり、逃げ足が早い」

 

 悪態を吐いて追いかけるも相手は遠い。

 必死で走っていると後ろに視線を向けていた男子学生にぶつかる。

 

「おわ」

「あいた」

 

 女子は尻餅をついて男子は半歩だけ後ずさる。

 

「悪い、余所見してた」

 

 見上げれば眠そうな男子学生が手を差しのべている。

 

「……ありがと」

 

 気落ちした声だと自分でも分かる。

 それを読み取ったのか男子学生が眠たげな目で女子を見る。

 

「なにか困り事か?」

「へ?」

「いや、明らかに気落ちしてるから」

「鞄、盗まれたのよ」

 

 話しても無駄だと分かっていても、つい言葉が出る。

 きっとこれは文句を言いたかったからだ。

 男子学生の眠たげだった(まぶた)が少し開いた。

 

「もしかして、あの車と車の間をすごい勢いで走ってった奴?」

 

 どうやら余所見の原因はバイクの乱暴な運転に目を奪われたからのようだ。

 

「……そうよ」

「身分証とか入ってた?」

「もっと大事なもの」

「財布?」

「好きな奴から……幼馴染みから貰った小さいコンパクトミラーよ」

 

 平常心では無かったからか、少し口が滑った。

 

「…………好きな幼馴染みか、それは大事だな」

「もういいわよ、どうせ安物だしね」

 

 もちろん良くはない。

 それでも諦めるしかない。ナンバープレートの番号すら分からず、バイクもありふれた色と車種だ。

 警察に行ったところで、貴重品が入ってない学生鞄など真剣に探してくれるか微妙である。

 

「大切なモノは値段じゃ計れないだろ。警察に届け出を出した方がいい」

「忠告どうも。……じゃあ私、行くから」

 

 返事を待たずに歩いていく。

 

「ああ、またな桐生」

 

 男子に名字で呼ばれる。

 驚きはない。何せ自分と同じ学校の制服で、同じクラスの男子だ。

 直接話したことはない。一ヶ月ほど前、十月と言う妙な時期に転校してきたので覚えがあるだけ。

 悪いと思ったが、そんな彼の言葉を桐生 藍華は聞こえないフリをして歩いていく。

 今は誰とも話したくはなかった。宝物を無くして心が酷く沈んでいる。

 柄にも無く、瞳が潤んでいた。

 もしかしたら、目の前にいた男子に見られてしまった可能性もある。

 だから早足で去る。小さな手鏡ごときで少女みたいに泣きそうになっている自分を情けなく感じながら……。

 

 その次の日だ。

 自分とぶつかった男子学生が遅刻してきた。

 二時限目の始まりにやってきた彼は教室に入ってくるなり、こう言った。

 

「……えと、すいません、寝坊しました」

 

 気不味そうに目を泳がしたソイツ。

 先生とクラス中の人間は間違いなく嘘だと思っただろう。

 薄汚れた制服にボサボサの頭。それに目の下には大きな隈がある。間違いなく寝る間も惜しんで何かをやっていた様子だったのだ。

 

「……え?」

 

 藍華は驚く。

 遅れてきたソイツ……蒼井 渚の手には見慣れた鞄が握られていたのだ。

 目が合うと無言で『今は不味いから後でな』と席に着かれてる。

 疑問が頭を過る。

 何故?

 どうして?

 なんで?

 こんな事をして渚にメリットがあるのだろうか?

 頭が酷く混乱する。

 藍華が渚を注視していると近くの女子たちがヒソヒソと話すのが聞こえる。

 

「ねぇ蒼井くん、やばくない?」

「……というかなんか臭う? 酷いね、あの様子じゃお風呂もしてないわ」

「あーあ顔は良いのに、色々と残念なのよねー」

 

 小さな陰口は渚にも聞こえていただろう。一瞬だけ困ったような、謝罪するような苦笑を浮かべるも直ぐに授業を受ける準備をする。

 それからお昼の昼休みになったのを見計らって渚に声を掛けようとするが彼は一人で立ち上がり教室を出ていく。

 慌てて藍華も追いかける。

 小走りで捕まえようとするも渚は一定の距離を保ち続ける。

 おかしな現象だった。相手はゆっくりと歩いているのに追い付けない。

 角を曲がったり、階段を降りたりすると妙に距離が開くのだ。しかし見失う事はない。

 そんな不可思議な追い駆けっ子していると静かな校舎裏にたどり着く。

 

「この辺ならいいか」

「ふぅ。やっと追い付いた」

 

 藍華が渚に詰め寄った瞬間だった。

 目の前にふわりと四角い物体が跳んでくる。

 ポスンと胸の前にやってきた物体を両手で受け取った。

 

「これ、返しとく」

 

 誰もいない校舎裏でそう言うと渚は去ろうとする。

 

「ちょ、それだけ? コレ、どうやって取り戻したの?」

「帰り道に落ちてた」

「……あんた、嘘下手すぎでしょ」

「本当だ、運が良かったな」

 

 あぁコイツ、絶対ソレでやり過ごす気だ。

 用意されたような言葉を聞きながら藍華はそう思う。

 だが同時にその優しい嘘に乗っかるのが礼にもなる気がした。

 

「そ。じゃあお礼を言っとく。ありがとう」

「届けてよかったよ。……それと松田と上手くやれるといいな」

「──な!」

 

 渚は宝物をプレゼントしてきた人の名を当ててきた。

 確かに渚は同じクラスのエロ三バカ衆と交流がある。

 まさかと驚く藍華に渚は小さな笑みで返す。

 

「松田から聞いた事があるんだよ。桐生は幼馴染みで腐れ縁ってな」

「くぅ」

「言う気はないから安心しろって」

「……絶対よ」

「約束する、じゃあ俺は行くよ」

 

 こうして渚は颯爽と去っていった。

 授業中はぼんやりしてるか、居眠りの多い問題児である彼は思いの外にお節介でいい奴だった。

 藍華は心の中でもう一度礼を言う。

 バカでエロでどうしようもない松田という幼馴染みがいなければ惚れていたかもしれない。

 もし、あの不真面目で真面目な男の良さに気づく女子がいたら全力で応援してやろうと密かに我策するのだった。

 

 

 その藍華のお眼鏡に叶う少女が現れるのは、それから半年近く後の話である。

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 

「ねぇあんたらってさ。よく二人でいるけど、どういう関係なの?」

 

 昼休み、渚がアーシアと弁当箱を突っついてると一緒に食べていたクラスメイトの藍華が急に問い掛けて来た。

 眼鏡の奥にある瞳は興味津々といった感じである。

 アーシアが転校して来て、既に幾つかの日が過ぎている。

 控えめで容姿端麗、相手を不快にさせない品行方正の金髪少女は男女問わずクラスでも人気者だ。

 だからこそ成績落第の不真面目な居眠り魔である渚との関係性が気になったのだろう。

 自分の事ながら確かに組み合わせとしては可笑しくはある。

 

「私たちの関係、ですか?」

 

 アーシアが食べる手を止めて藍華の質問を反復する。

 

「そ。ちょっと気になってねー」

「なんで、そんな事聞くんだ?」

「だって、あんたらってかなり仲良いじゃない? 転校してきた初日からアーシアも妙に心を許してた感じがしたしね」

「えと、ナギさんには良くしてもらっているで……」

「ほら、蒼井のことも『ナギさん』って呼んでるし。……まさか付き合ってるの?」

 

 藍華の言葉にクラス中の視線が集まる。

 全員が昼御飯を食べるフリをして聞き耳を立てていたのだ。

 特に男子の視線が渚を貫かんばかりに集中する。最も恐ろしい目をしていたのは松田と元浜だった。友人二人の口からは『ウラギリモノー、ウラギリモノー』という呪詛が吐かれている。

 

「付き合うとはなんでしょうか? お買い物ですか?」

「ちゃうちゃう。用は彼氏彼女の関係かってことよん。純粋過ぎて可愛いわ、もう!」

 

 ガタンっと席を立ってアーシアに抱きつく藍華。

 

「あぅ前が見えません、藍華さん」

「あ~なんでこんな良い匂いがするの? もう色々と国宝級だわ」

「桐生。アーシアはあんまり苛めてくれるな」

 

 モグモグと弁当を食べながら渚は注意を促す。

 

「けど結構な噂になってんのよ?」

「噂?」

「転校してきた金髪碧眼美少女を手込めにした羨ましくも恨めしい野郎がいるって」

「冤罪過ぎて泣けてくるな……」

 

 確かにアーシアと渚は距離が近い。登校するときは一緒にいるし、昼も二人で食べている事が多い。

 さて、どう答えるのが正しいのだろうか。

 二人の関係性は特殊だ。

 説明するとなれば藍華が知るべきではない世界にも触れる事となる。

 

「アーシアが駒王に来たばっかの時に偶然知り合ったんだよ」

「そうなの?」

「はい、あの時はとても助かりました」

「道に迷ってたから声を掛けたのが最初だったな。それから何度か会ったりしてる内に仲が良くなったわけ」

「ふーん。蒼井ならそれもアリね」

 

 重要な部分の端は折ったが、渚の説明を受けた藍華は納得したようだ。

 随分とあっさりと信じられた事に疑問を感じる。

 

「俺ならってどういう意味だよ」

「あんたって不真面目だけど真面目じゃない」

「その二つの言葉は同時に成り立たないんだが……」

「あんたは授業中は寝るし、成績は芳しくない。でも誰かが困ってたら迷いなく手を差し伸べる奴よ。これは友だちやってないと分からない部分ね」

 

 饒舌に褒める藍華。

 否定しようとするが隣のアーシアがコクコクと首を縦に振っている。

 

「私もナギさんは素晴らしい人だと思います」

「……やめてくれ、少し困る」

 

 信頼に偽りはない。

 渚は照れつつも、ふと思った事を藍華に聞いてみるとした。

 

「……で? アーシアを手込めにしたってのは何処から流れてきたんだ」

「あぁそれ? 丁度あっちからよ」

 

 指をさされた方向にいたのは松田と元浜だった。

 どうやら酷い噂の出所はあの二人のようだ。

 渚は空っぽの弁当箱を閉めて袋に戻す。

 

「おい、片方はお前の幼馴染みだろうが……」

「そうねー。でも見てて楽しそうだから否定はしなかったわ」

「勘弁しろ、ちょっと行ってくる」

「いってら~」

「何処かへ行くのですか?」

「鉄槌を下しに。アーシアは桐生とゆっくり食べていてくれ」

「いってらしゃいです、ナギさん」

 

 こうして渚は友人二人に近づく。

 己の尊厳を取り戻すために……。

 

 

 

 ●○

 

 

 

 渚が去ったのを見送るアーシア。

 そんな彼女の事を見ていた藍華が人差し指でアーシアの頬に触れた。

 ぷにっとした感触に藍華は笑う。

 

「モチモチ肌ね、アーシアってば。なんでこんなに可愛い要素がてんこ盛りなのか研究したいわ」

「えと、ありがとうございます?」

 

 急な行動にアーシアは疑問符を浮かべる。

 

「もう浮かない顔しちゃって、私だけじゃ不満?」

「い、いえ、そんなことはありません。藍華さんとの食事も楽しいです!」

 

 藍華が『冗談よ』っと笑う。

 実際にアーシアは藍華に心を許している。転校してきて最初に話しかけてくれた女生徒も彼女なのだ。

 それから渚や一誠には頼れない女の子の悩みなども聞いてもらっているので感謝の絶えないクラスメイトでもある。

 アーシア個人としては親しい"お友だち"と思っているのだ。

 

「行って欲しくないなら、そう言わないとダメかと思うなー」

「……はぅ」

 

 見透かしたような言葉は心の奥にあった本心だった。

 ふと藍華が急接近する。肌がふれ合う距離で彼女は誰にも聞こえないように言う。

 

「蒼井の事、好きでしょ?」

「ど、どうしてですか」

「だって、アイツの近くにいる時が幸せそうだもの」

「うぅ」

 

 思わず唸る。

 恐らくその指摘は間違っていない。

 渚といると心が安らぐ。ずっと隣にいてほしいと言う欲が出る。こんな感情は初めてなだけに自分でも持て余してしまうのだ。それでも渚に迷惑を掛けたくないアーシアは本心を偽って奥に押し込めてしまう。

 

「アイツってさ、自分の事はわりと適当に済ますけど他人の事になるバカみたいに熱くなるのよ」

「藍華さんもナギさんに助けても貰ったのですか?」

 

 その問いに藍華は小さく笑みを浮かべた。

 

「……私、去年の冬頃にひったくりにあってね。そん時に借りを作っちゃったのよねー」

「そうだったんですか」

「相手はバイクでね、追っかけてる最中に偶然、同じクラスだった蒼井に出会(でくわ)したのよ。寝ぼけた顔で歩いてたアイツはなんも言わずに助けてくれた。諦めた私を他所に大事なモノを探し回ってくれたのよ。次の日、鞄を普通に返しやがったのは驚いたわ。恩に着せる訳でもなく、ただ渡して終わり」

 

 渚との交友はそこから始まったと藍華は語った。

 きっと本人は否定するが結局、渚という人間は困った者を見過ごせない善人なのだとアーシアは改めて実感する。

 

「素敵な人です」

「そんな嬉しそうに笑っちゃって、どんだけ好きなんだか。……まぁ詳細を知らないクラスメイトは絶句だったわ。乾いた汗の臭いから来る異臭と据わった目は完全にヤバイ人間よ。本人は気にしてなかったっぽいけどね。……でも助かったわ、鞄にはコレが入ってたし」

 

 ポケットから小さなコンパクトミラーを取る藍華。随分と古いものだった。

 

「あはは、ボロいでしょ? でも一応大切なものなのよ。本気で取り返してくれた蒼井には感謝してるわ」

「分かります。私の時も親身になってくれて……」

 

 ──命も救ってくれた。

 

 そう言おうとして言葉を止める。

 流石にこれを言ってしまったら藍華に神妙な顔をされるだろうからだ。

 ともせずアーシアが渚を異性として意識しているのは確かだった。

 しかし初めての感情だけに、どうすればいいのかが分からないのだ。

 

「はは~ん。もしかしてアーシアって初めて恋したの?」

「はぅ、おっしゃる通りです。前に居たところではこんな気持ちになったことはありません……」

「わお、こんな美少女の初モノを蒼井はゲットしたのね」

「はい。その……ゲットされちゃいました」

 

 もじもじと小さく体を(よじ)らせる。

 頬はもちろん耳まで熱い。

 

「初モノにツッコミがないくらい純粋なのね、アーシア」

 

 目の前の藍華が呆れ気味に微笑む。

 こうして昼休みは過ぎていく。

 

 

 

 ●○

 

 

 

 その日の夜。

 渚はアーシアと共に夜の駒王を歩いていた。

 今日はアーシアの悪魔契約デビューの日なのだ。

 駒王では密かに悪魔契約が行なわれている。悪魔は契約者の願いを叶え、対価を支払ってもらう。一見して危険そうなイメージだが中身はわりと平和的な内容が多い。

 昔は魂を対価にした取引が盛んだったのだが契約者からの受けが悪くなってきた現代社会では、金、物資、人脈、使えるものならなんでも対価に出来るとの事。(よう)は悪魔側が貰ってもいいと思うモノを差し出せば契約は可能だ。

 ちなみに今回の依頼人は元々、小猫の常連であったが彼女が外せない契約が入ったので急遽アーシアが担当する事になった。

 そんな悪魔のお仕事に渚が同行した理由は二つ。

 一つは純粋に心配だったから。

 二つはリアスに頼まれたからだ。

 

『この依頼人はサブカルチャーに染まった契約者だから、ある程度理解がある人が必要なのよ』

 

 ……とリアスの言葉だ。

 つまりゲームやマンガを知らないとダメと言うことらしい。

 渚も多少とは言えどゲームするし、マンガだって読む。

 それに小猫がサブカルチャーに詳しいのは知っている。

 だが、そういう客にはアーシアよりも適任な者がいたりする。

 一誠だ。

 あの男は渚以上にそういう知識も持っている。小猫の代行は彼にやらせるのが一番である筈のだが……。

 先方が断ったらしい。どうしても女の子がいいと……。

 ある意味、不安になるリクエストだった。

 

「私、きちんと出来るでしょうか」

「大丈夫と思ったからグレモリー先輩も任せたんだ、自信を持って行こう?」

 

 不安げなアーシアを励まして、契約者の家の前にやってくる。

 何て事はない普通のアパートだ。

 渚がチャイムを鳴らそうとしてアーシアに止められた。

 

「わ、私のお仕事なので!」

「そっか」

 

 渚はドアの前から退いて道を開ける。

 アーシアが前に出ると大きく深呼吸した。

 一度、二度、三度。

 彼女の緊張が伝わってくる。震える指でインターフォンのボタンを押す。

 ピン………ポーン。

 妙に間隔のある控えめの呼び出し。

 家の中からドタドタと騒がしく駆ける音がすると強くドアが開かれる。

 アーシアがドアに激突する所を渚が引いて避けさせる。

 随分と慌ただしい契約者だ。

 

「塔城さん、待ってた!」

 

 出てきたのは意外にも女子だった。

 部屋着なのだろう、ヤボったいジャージ服に大きな黒縁メガネ。前髪を上げているが髪はバサバサだ。

 可愛らしい顔をしているが色々な女の子(りょく)が足りていない。

 そんな契約者である女子がアーシアと目が合わせる。

 

「……アーシア・アルジェント先輩?」

「え! あ、はい!! アーシア・アルジェントです!」

 

 名前を呼ばれて背筋を正すアーシア。

 メガネ女子の視線がそのままアーシアの後ろに立つ渚にも向けられる。

 

「あ、あああ蒼井 渚先輩!? あわわわ、なんで? なんで二年でも噂の絶えない二人がいるの!?」

 

 何故か驚かれる。

 どうやら彼女は一方的に渚とアーシアを知っているようだった。

 渚はとりあえず用件を言う事にした。

 

「悪いが塔城が来れなくなって代理で来た。グレモリー先輩の話じゃ俺らでも出来る仕事って聞いてるんだが……?」

「嘘。二人とも悪魔なんですか!」

「あの、悪魔は私だけなんです」

「えぇ!? アーシア先輩は天使の間違いでしょ?」

「そ、そんな私なんか天使さまなんて恐れ多いです」

 

 ブンブンと首を振って否定する天使のような悪魔。

 

「俺は悪魔でも違和感なしってか」

「あ、すいませんすいません!! 謝りますから犯さないで!!」

「失礼すぎだろ、犯さねぇよ」

「ひゃ! ごめんなさいごめんなさい!」

 

 土下座する契約者の女子。

 オロオロと渚と女子を見守るアーシア。

 渚は、なにも悪いことをしていない筈なのに自分が悪いことをした気分になる。

 

「危害は加えないから普通に話そう、な? 急ぎの用事みたいだし、用件を聞かせてくれ」

 

 とりあえず刺激しないように(なだ)める。

 すると女子は弾かれたように頭を上げた。

 

「そう、そうです。こんな事をしてる場合じゃない。──アーシア先輩!」

「は、はい?」

「得意な武器はなんですか?」

「へ? 武器ですか?」

「武器です! 剣でも槍でも構いません」

「武器は、つ、使えません」

「……オゥ、ノー」

 

 メガネ女子が世界の終わりと言いたげに天を仰ぐ。

 アーシアが泣きそうな顔になる。役立たずな自分を情けなく思ったのだろう。

 見かねた渚が前に出る。

 

「剣なら少し使えるぞ?」

「ホンマ!」

「あぁホンマ。でも使えたら何があるんだ?」

「武術とかやってる人とのプレイはかなり参考になるんですよー。よしよし、入って入って!」

 

 家の中に招かれる。

 いったい何をさせる気かと思いながら室内に踏み入る、そこにあったのは一つのゲーム機だった。だがコントローラーが見当たらない

 

「これはVRか?」

「ご名答! 手を使わず脳内スキャンして動かすタイプ。じゃあゴーグル着けて」

「あ、こら、勝手に」

 

 やや乱暴に渚にゴーグルを着ける女子。

 

「一応、人数欲しいからアーシア先輩も」

「きゃ、ま、真っ暗です。ナギさん、どこですか?」

「これは新型のバーチャルリアリティゲームでね。すっごく面白いの、塔城さんとはパーティー組んでるんですよ」

 

 VRゴーグルを付けられた渚の視界にゲームらしいホーム画面が広がった。

 

「はぅ凄いです」

「蒼井先輩とアーシア先輩は初めて?」

「VRでのゲームは初めてだな」

「私はゲーム自体が初めてです」

「じゃあコッチで適当にキャラメイクしときますね。あと自己紹介しときます、わたしは天詩峰 羽黒(てんしみね はくろ)、駒王の一年生です。よろしくね先輩方」

 

 羽黒はサクサクと初期設定を済ませる。

 それから渚とアーシアはゲームの世界に旅立つ。

 最先端の体験型ゲーム機は恐ろしく現実に近い代物だった。

 

「これって現実のステータスが色濃く作用するんで頑張ってください。さぁゲームスタートですよ」

 

 こうしてアーシアの初仕事はVRゲームで遊ぶという悪魔らしからぬ内容で終わる。

 そして肝心のゲームは恐ろしく精密で凝った代物だった。

 あとで聞いたが自作との事らしい。自分よりも年下である女子に渚は大層驚かさせられるのであった。

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 静かな執務室。

 広い部屋に設置された立派な机に腰を駆けて書類に目を通す男がいた。

 年齢は二十代半ばと言った所だろう。

 腰ほどまで長い髪に美しい顔立ち。そして清潔感のある豪奢な服から身分の高い人間だと分かる。

 そんな部屋のドアが控えめに叩かれた。

 

「入ってくれて構わないよ」

 

 穏やかな声音で入室を許可する。

 彼の言葉に従うようにドアが開くと白いメイド服の女性が姿勢正しく机まで歩いてくる。

 灰色の髪をした妙齢の女性。男性同様に美しい容姿。

 主人と従者というに相応しい雰囲気の二人。ふとメイドが数枚の新しい書類を机の隅に置く。

 

「新しい書類をお持ちしました、サーゼクス様」

「ご苦労様、グレイフィア。けど今は二人きりだよ?」

「ですが職務中です」

「大丈夫だよ。今日はもう誰も来ないからね」

 

 サーゼクスと呼ばれた男性の言葉に観念したのか。

 メイドであるグレイフィアは肩の力を抜いたように姿勢を楽にする。

 二人は主従関係であると同時に夫婦でもあるのだ。

 

「ではサーゼクス、この書類から読んでほしいのだけどいいかしら?」

 

 メイドではなく妻としての口調で一枚の紙を前に出す。

 

「重要項目かい?」

「ええ、リアスの町の件よ」

「借りよう」

 

 サーゼクスはすぐに書類を手にとって目で文字を追う。

 

「これは……」

 

 その内容は予想以上に混沌としており、言葉を呑む。

 最愛の妹が監督する町で起こった騒動は錯綜(さくそう)の一言だった。

 神滅具を宿す人間と教会のシスターを眷属化、堕天使とそれに付き従ってきた最上級悪魔に匹敵する敵の襲来、そして赤龍帝の力を奪った堕天龍との戦闘。

 どれもこれも大問題であり、妹が死んでいてもおかしくない事案だ。

 

「すべて解決したんだね?」

「その様です。例の協力者の力が大きかったようですが……」

「よかった。……協力者というのは蒼井 渚くんとアリステア・メアさんだったかな?」

「はい。双方とも絶大な戦闘力を持つと報告が上がってきています」

「そうか。そろそろ直接挨拶にいかないと行けないな、彼らのおかげで駒王は平穏を保っているからね」

 

 サーゼクスが元から在った資料を一枚を引き抜いた。

 そして真剣な眼差しで目を通す。決して忘れられない忌まわしき物。

 半年前に起きた"はぐれ悪魔"の襲撃に関する記録だ。

 一晩で観測された総数は1984体。通常ではあり得ないほど統率の取れていた"はぐれの軍勢"。

 リアスはそんなものと対峙してしまった。

 彼女や眷属たちは素質の塊だが、あの時点では上級悪魔クラスの"はぐれ"一体だけでも精一杯だった。

 だがこの"はぐれ悪魔"の中にはSSクラスに分類される者も数体確認されている。単独行動を好む"はぐれ悪魔"を指揮していたのは"ネクロ・アザード"と呼ばれる存在。

 目的は不明だが危険な人間だ。優先して情報を洗っているが尻尾すら掴めていないのが現状だった。

 

「サーゼクス、駒王に強い"はぐれ悪魔"がやってくるのは、この"ネクロ・アザード"という男の影響だと思っているの?」

「可能性としては高い。アジュカもそう推測していたよ。マーキングに似た術……いや"呪い"じゃないかってね」

 

 この半年間、駒王町にはSランク以上の"はぐれ悪魔"が異常な頻度で訪れている。リアスの張った結界を掻い潜る力量を持った上位の"はぐれ悪魔"たちは、蜜に誘われる蜂のように駒王へやって来るのだ。

 しかし、そんな危険度の高い"はぐれ悪魔"は全て蒼井 渚とアリステア・メアによって討伐されている。

 

「ここ半年間での討伐総数、Aランク468体にSランク118体、SSランクすらも14体との事。討伐数が異常ね、この両人は寝る間も惜しんで戦っているのかしら……?」

「恐るべき戦果だ。リーア(リアス)が信頼するのも納得できる」

「少々危険とも言えます。この二人がその気になれば駒王は簡単に乗っ取られる」

「それはないよ、グレイフィア」

「どうして、そう言いきれるの?」

 

 即答されたグレイフィアが問い返す。

 

「妹の"人を見る目"は私を上回る」

「全く、根拠のない言い分だわ。……だから人界に行く予定があるから見てくるとしましょう」

「フェニックスの件もあったね」

「ええ、リアスは乗り気じゃないようだけどお義母様が納得しないでしょう」

 

 何かを思うように椅子に深く背中を預けるサーゼクス。

 

「ライザーくんもいい子なんだけどね」

「少々無鉄砲で乱暴な所はありますが……。それに今は時期が悪い気がするわ」

「そうだね、でもそれは彼が乗り越えなかればならない事だ。それでリアスの所には、いつ?」

「これが終わり次第行くわ」

「じゃあ行ってくるといい。私の方は大丈夫だから」

「なにかあれば直ぐに連絡を頂戴ね」

「そうしよう」

 

 微笑みで送り出す夫にグレイフィアは背中を向けた。

 一人になったサーゼクスは机の上で手を組む。

 

「蒼井 渚とアリステア・メアか……。妹も善き隣人に恵まれたようだね」

 





渚に迫るは最強の女王であるグレイフィア・ルキフグス。
その邂逅に立ち会うは最強の相棒であるアリステア・メア。
二つの最強に挟まれる渚の明日はどっちだ!?

次回 ハイスクールB×B 蒼の物語
 『蒼井 渚、雪原に散る』

お楽しみに!!


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不死鳥、来日《Queen of the Maid》


予告? はは、アレは嘘だ!(ノリで書いたとは言えない……)



 

 駒王学園が燃えている。

 轟々と広がる紅蓮の炎によって校舎は戦場と化していた。

 戦いの音が轟く学園。鬼神乱舞が如くの戦いの中心にいるのは渚だ。

 自身へ迫る相手に対して油断のない表情で刃を閃かせる。かつては龍と化したレイナーレを切り裂いたモノと同等以上の鋭い斬撃だ。

 

 ──ガキン。

 

 しかし硬い感触が手に伝わる。それは鋼鉄に刃を阻まれたからに他ならない。相手は赤い鎧を全身に纏う者。胴体に斬り口こそ入っているが攻撃が通っていないのは明らかだ。

 

「チッ」

 

 堅牢な鎧に舌打ちする。刀を通すには刃筋を更に立てる必要があった。

 渚は思考を直ぐに切り換えると力任せに大きく刀を振り回した。その遠心力を利用した投げは鎧を纏う者を派手に吹き跳ばす。

 

「まだまだぁああああ!!」

 

 鎧を纏う者が叫ぶ。

 

「これが"赤龍帝"か、厄介だな」

 

 渚が顔を歪ませる。

 相手は赤龍帝となった一誠。決して最弱の悪魔ではない鋼鉄の赤き龍が体勢を立て直すと雄叫びと共に突貫の構えを取った。

 

「行くぜぇ、ナギィ!!」

 

 鎧の背中部分が競り上がる。まるで推進ブースターのような部位が現ると盛大に火を拭く。

 渚に向かって拳を突き出す鎧姿は正に人型のドラゴンだった。

 一誠の闘争心に呼応した"赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"が光を帯びる。

 

Boost(ブースト)!』

 

 それは力を倍増させる神器。

 十秒ごとに自らの力を二倍にしていく"赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"を放置しておけば二倍、四倍、八倍と、再現なく力を上昇させ続けるだろう。

 脅威的な異能を持つ一誠に対して渚は躊躇いを捨てた。刀の柄を握り、鎧姿の一誠を斬り払おうと集中する。

 

「……こっちも見てください」

「──くっ!!」

 

 だが真下から鈴のような声と小さな拳が昇ってきた。

 不意を突いた一撃を紙一重で避ける。

 気配を読むことに長けた渚だからこそギリギリ気づけた遮断術による奇襲。

 全力で回避をする。攻撃が重い"戦車(ルーク)"の一撃など受けた時点で意識を奪われる。気配遮断に優れたパワータイプなど冗談が過ぎる。

 冷や汗ものの攻撃から逃げた渚だったが、すぐ背後から風を斬る音がした。

 

「──っと!」

 

 直感だけで横に飛ぶ。先程までいた場所に目を向ければ魔剣を持った祐斗がいる。剣を躱した渚に笑みを送ってくる。

 

「残念。次は当てさせてもらうよ」

「そんな危ないモンに当たって堪るか」

 

 一誠、小猫、祐斗。

 仲間である筈の存在が本気で渚を倒しに来ていた。

 三対一の状況に渚は笑う。

 余裕からくるものではない。こんな状況になった経緯を思い出した苦笑だ。

 そんな渚を前にして三人が戦意を高めた。

 

「流石に強ぇ、でも今の俺ならっ! やるぞ、ドライグ!!」

「……全力で叩きに行きます」

「僕も今回は取りにいかせてもらうよ」

 

 やる気満々のお三方。

 どうやら渚はまだまだ本気を出していないと勘違いしたようだ。

 正直、いっぱいいっぱいである。

 こんな状況なだけに渚はこう思ってしまう。

 

 ──どうしてこうなった?

 

 そう、それは今から十日前のあの日から始まったのだ。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 いつもの放課後のことだった。

 渚はオカルト研究部の部活でゆったりとさした時間を過ごしていた。

 新メンバーである一誠やアーシアも参加しているので、この部屋にはオカ研の全員がいることになる。

 少しピリついた雰囲気を感じる部室。

 原因は部長であるリアスだろう。机の上で指をトントンと叩いてる彼女は何処か落ち着きがなかった。

 その様子を一誠がチラチラと盗み見ている

 恐らく二人の間で何かあったのだろう。

 

「イッセー、ちょっと」

「ん、なんだよ」

 

 渚が気になって一誠を誘うと部室から出る。

 そして少し離れた廊下で誰にも聞こえないように一誠に聞く。

 

「グレモリー先輩と何かあったろ?」

「わ、分かるのか?」

「主にお前の態度でな……。話し難いことなら無理には聞かないけど?」

 

 その言葉に考え込む一誠だったが一人頷くと渚を見た。

 

「いや、言うよ。……昨日、夜中に部長が来たんだ」

 

 一誠いわくリアスから肉体関係を迫られたという。

 渚は驚くと同時に考える。あのリアスが一誠にそういうことを求めた理由が気になったのだ。

 彼女は悪魔だが身持ちが固い。一誠に対して好意的なのは確かだが、いきなりそんな行為に及ぶ女性ではないはずだ。

 渚の考えを肯定するように一誠もリアスが何かから逃れるために夜這いに来たと説明した。

 そして彼女を追って、謎のメイドまで現れたそうだ。

 

「お前、一晩のうちに凄い体験したな……」

「言うな。童貞を捨て損なって凹んでる」

 

 渚が感嘆(かんたん)すると一誠が悔しそうに視線を逸らす。

 ふと部室の方が騒がしくなった。同時に渚は異質な気配を感じ取る。

 一誠が何事か、と目を合わせてきた。

 

「部室に誰か来た。数は二人……人間じゃないのは確かだ」

「人間じゃない?」

「ああ、これは悪魔だ」

 

 人より魔が濃い雰囲気を(かも)し出す存在などそれしかいない。どうやら部室に知らない悪魔が転移してきたようだ。

 言い争うような声が聞こえ始める。それを耳にした渚と一誠は早足で部室に戻った。

 扉を開くとオカ研メンバーに混じって見慣れない男と女が立っている。

 ゾクリと背筋が凍る。

 

「(……なんだ、この(ひと))」

 

 男の後ろに立って瞑目(めいもく)するメイド服の女性。

 体内に宿す魔力の質と量は今までに感じたことのないほどに濃密で膨大だった。才気溢れるグレモリー眷族の全員を()しても届かない程である。

 驚愕する渚の視線に気づいたのか、メイドが瞳を開いて静かに見返してくる。

 何かを探られているような視線を一身に浴びる中で男の方が渚と一誠へ目を向けた。

 

「誰だ、コイツら?」

「彼らは私の仲間よ、ライザー」

「あ、そ。……じゃあ結婚式場の下見に行くぞ、リアス」

 

 興味なさそうな男の視線がリアスに戻る。

 

「行かないわ。前にも伝えたけれど貴方と結婚するつもりはないの」

「互いの両親が決めたコトだ、諦めな」

「……それでもよ」

「ワガママな女だな。いいから来い」

 

 ライザーと呼ばれた赤スーツの男がリアスの肩を強く掴んだ。

 リアスの顔が苦悶に(ゆが)む。

 渚を含むオカ研メンバーが止めようとしたが矢先に一誠が前に出る。

 

「待てよ! 気安く部長に触れるんじゃねぇ!」

「お前は関係ない、引っ込んでろ」

「あるに決まってんだろ! 俺はリアス・グレモリーさまの"兵士(ポーン)"だ、愛しのご主人様に手を出す奴は許さねぇ!」

「イッセー」

 

 リアスが感激の笑みを浮かべた。嬉しそうにするリアスに対してライザーが苛立つ。

 

「うるさい奴だ。……グレモリー家とフェニックス家の婚姻は互いの当主が望んだコトだ、お前みたいな雑魚の出る幕じゃないんだよ」

「部長は嫌だって言ってんだろ、お前は用無しだからさっさと帰れよ」

「……用無しだと? この俺が? ムカつく野郎だな、燃やし尽くそうか」

「やめなさい、ライザー!」

 

 リアスの叫びを無視して一誠を焼こうと右手を翳すライザー。

 炎が猛り、殺意が高まる。間違いなくライザーは殺す気だ。

 一誠も相手の本気に気付き、慌てて"赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"を装備しようとするが遅い。

 

「死ね」

 

 炎が荒れ狂う。肌を焼く熱は間違いなく、人の耐えられる温度を越えた領域にある。

 明らかな敵対行動だ。

 祐斗が魔剣を装備し、小猫が拳を構え、朱乃が雷を纏う。

 唯一戦う術を持たないアーシアですら誰かが炎に焼かれた場合を考えて治癒の光を溢す。

 だが誰よりも早く動いたのは渚だった。

 左手に刀を呼び寄せると鯉口を切る。

 鞘より放たれる銀の剣閃。

 ライザーの炎を掻き消した渚の剣は首筋を裂く寸前で停止する。

 

「動くな、出来れば穏便(おんびん)に済ませたい」

「き、貴様!」

 

 炎が霧散(むさん)するのを見てライザーが渚を(にら)む。

 内心で『……やっちまったよ』と渚は思うが後悔はしていない。ライザーは渚の身内を殺そうとしたのだ。刀を抜く理由などそれで十分だ。

 

他人(ひと)の庭で好き勝手やったんだ、相応の覚悟はしてるんだよな?」

 

 渚が冷徹に言い放ち、ライザーの首筋に刀を突き立てる。ライザーという悪魔がどのような(やから)かは知らない。ただ自身の身内に対して何か事を起こそうとするなら許してはおけなかった。

 渚が戦意で牽制する。どうライザーが動くか慎重に見極めていると彼は下を向いてブツブツと独り言を始めた。

 

「……クソ、クソ、一体なんなんだ? 誰も彼も俺の言うことを聞きやしねぇ」

 

 自問自答を繰り返すライザー。

 明らかに普通ではなくなった彼に渚は警戒する。まるで導火線がチリチリと火で焼かれるようにライザーの内にある魔力が燃焼するのが見えたからだ。

 

「……ぶざけやがって、何も知らない(くせ)に俺をバカにしやがる!!」

 

 ライザーが(よど)んだ瞳で渚を睨むと再び炎が放出される。周囲を燃え上がらせる火炎が背中に集まり、翼のような広がりを見せた。

 

「炎の……翼!?」

「俺は、俺こそがライザー・フェニックスだ! この名が何を意味するか、理解しているかぁ!」

「……フェニックス!? 不死鳥か!」

「物知りだな! 褒美だ、身を持って味わえ!!」

 

 ライザーが大きく飛び退きながら背中の炎から火球を放出して渚を攻撃する。本来なら回避すべきだが場所が場所なだけに(かわ)すことも(はじ)くことも難しい。

 やってくる火球を斬り捨てて無効化し続ける。

 (いく)つかのものを上手く消失させると僅かな隙が出来た。

 反撃のシミュレーションを開始する。

 

「(距離を取られた。"輝夜(かぐや)"を使うには遠い、極致(きょくち)の"貌亡(かたなし)"なら……いや(せま)すぎる。迂闊(うかつ)に使えば周囲も細切れだ)」

 

 最適な攻撃手段を算出していると刀からある"技"が伝わってくる。

 

「(これは……。分かった、やってみるよ)」

 

 遠くで譲刃が(うなず)いているのを感じた。

 渚は抜き身の刀を水平に倒すと弓のように刀の(つか)を引く。

 

「おいおい、なんだその構えは? 投擲か? まさかこの距離で"突き"とは言わねぇよな?」

「ご名答だ。──刻流閃裂(こくりゅうせんさ) 雷霆(らいてい)!!」

 

 轟音が如くの踏み込みと刹那の輝きを体現する刃先。

 雷光を思わせる突進は距離を無意味にし、真っ直ぐな突きがライザーの肩に命中する。

 

「がぁ!」

 

 ライザーが痛みに顔を(ゆが)ませた。

 鋭い突進力を(ともな)う渚の技は部室の壁を軽々と突き破って教室を三つばかり越えていく。

 黒板に張り付けになった状態でやっと止まるライザー。

 爆発的な突進による突きは間違いなくライザーの肉を貫き、骨を砕いた。

 

「──ッ!」

 

 しかし渚はすぐに距離を取る。

 肩から流れる筈の血液はなく、炎が傷口から吹き出ているためだ。

 

「クソ人間が。痛ぇじゃねぇか」

「……傷が消える?」

 

 深傷(ふかで)だった傷がみるみる塞がって行く。

 

「俺はなぁ、由緒正(ゆいしょただ)しきフェニックスの血を引く悪魔だ。不死鳥の名の下に、どんな傷だろうとこんな風に治んだよ!!」

 

 悪い冗談だ。

 つまり生半可な攻撃は無駄だということ。

 渚が距離を置くと炎の翼を生やしたライザーが攻撃を開始した。

 炎による猛攻は旧校舎を揺るがす。 

 

「チ、派手に燃やしやがる! 時間を掛けるとロクなことにならないってのに!」

 

 渚は自身の被害よりも未だ新校舎に残る生徒を心配する。いくら旧校舎が離れた場所にあるといっても同じ敷地内だ。百歩譲って目撃されるのは良い。だが人知を越えた悪魔との戦闘に巻き込んだりさたら最悪だ。

 選択肢は二つだ。

 ライザーに勝つか負けるか。

 渚は冷静に相手を測る。再生能力は脅威だが攻撃に関してはそうでもない。直撃は危ういが直線的な攻撃は避けるのは容易(たやす)い。既に思考が戦闘モードに移行している渚は相手を打倒する方法を模索(もさく)する。そして、この何ヵ月かで培われた戦闘経験が答えを導き出す。強靭な再生能力を持つ存在を殺す方法は大体決まっている。

 心臓を潰す、首を跳ねる、そして塵一つ残さず消滅させる。

 この三つが主な手段だ。

 アーシアなどには見せたくないが、幸いオカ研の部室からは離れている。

 

「……仕方ない、首を()ねるか」

 

 自分でもゾッとするような声だった。

 それでも躊躇がないのは、渚の本質がこういう事に慣れてしまっているからだろう。

 かつての自分が相当にヤバイ奴だったという予想が真実を帯びてきた。

 渚は頭を振って切り替える。今はライザーの処理が先だ。

 刀でライザーの首を狙う。戦闘技術という点では渚の方が数段勝っている。──落とすのはそう難しくはない。

 

「それは困ります、どうぞ再検討を」

 

 静かで冷淡な声が渚の耳に届く。

 瞬間、全身が巨大な物体に弾かれた。旧校舎を破壊しながら転がる渚だったが腕をバネにして飛び起きる。

 

()ぅ……」

 

 口の中で鉄の味がすると激しい鈍痛(どんつう)が肉体全体に広がる。

 何事かと視線を上げてライザーの方を見れば、彼を庇うようにメイド服の女性が立ちはだかっていた。

 彼女の魔力弾が直撃したのだろう。

 

「急な無礼を謝罪します、ライザーさまを任された身として介入させて頂きました。私の名はグレイフィア・ルキフグス、以後お見知りおきを」

 

 優雅(ゆうが)に一礼する。

 ライザーも彼女の背後で呆気(あっけ)に取られている。渚は痛みに耐えながら唇から流れた血を乱暴に拭き取る。

 巨大な魔力と存在感を秘める謎のメイド。戦えばどうなるか分からない強者だ。

 だが渚は心の中の恐怖を怒りで()()えた。

 

「貴方が何者かは知らない。けど、そこの男は俺の友人に害を()そうとした。それに加勢するのなら……斬るぞ」

 

 グレイフィアが構えを取ると背後より魔方陣が展開した。濃密な魔力の本流を身に受けながら渚は刀を納めて腰を低くする。

 相手は格上。手加減など考えてはいけない。渚は自身の霊力と刀をシンクロさせて力を解放する準備をする。

 繰り出すは最強の一つ、輝夜(かぐや)貌亡(かたなし)

 

「この力の奔流(ほんりゅう)は……。貴方は何者です?」

 

 厳しく問い詰める口調になるグレイフィア。

 

「ただの学生……のつもりだ」

「ただの学生が何故、あの者と同じ気配を(まと)っているのです」

 

 渚が意識を刀に集中するとグレイフィアの目が見開く、明らかに何かに驚いている様子だった。

 だが今は無駄な思考している余裕はない。ただひたすらに斬る事だけを考える。

 

「……問答は無用ですか、随分と好戦的なのですね」

「好戦的? ここまで好き勝手されたんだ、嫌でもそうなる」

「他人の危機になると力を振るうタイプの方ですか。……確かに礼を()いたのはライザーさまですね」

 

 魔方陣が消失すると戦意も消えた。

 

「やらないのか?」

「不確定要素も多いので退()かせてもらいます」

 

 グレイフィアが背後のライザーへ視線を向ける。たじろぐライザーは彼女の圧力に呑まれているのだろう。

 

「ライザーさま、リアスお嬢さまの眷族を亡き者にしようとしたのはやり過ぎかと」

「……ちっ、わかった。あなたに逆らうほど愚かじゃないつもりだ」

「ご理解頂き感謝します。……ですが婚姻の件は重要事項です」

 

 そう言って渚とライザーから離れたグレイフィアはコツコツと靴を鳴らしてオカ研の部室へ歩いてくとリアスの前に立つ。

 

「リアスお嬢さま。この件は悪魔らしい解決方法で決着をつけてはいかがでしょうか?」

「どういうこと?」

「悪魔の間で行われる"レーティング・ゲーム"です」

 

 その言葉を聞いて大きく反応したのはリアスだけではなかった。

 

「俺にリアスとゲームをしろと言うのか、グレイフィア殿」

 

 ライザーが妙に食いつく。まるでゲームに対して乗り気ではないと言いたげだ。

 だがグレイフィアは頷く。

 

「フェニックス家も同意なさるでしょう」

「……し、しかし」

「ご安心を。結果がどうあれ敗者を愚弄(ぐろう)することは私が許しません」

 

 敗者を馬鹿にした者は自らが誅するとグレイフィアは言う。その姿を見たライザーは顔を歪ませつつも頷く。

 

「……いいぜ、やればいいんだろ。リアスはどうなんだ?」

「グレイフィア、このゲームに勝ったら結婚の話は無くなるのね?」

「貴女が望むのならば、このグレイフィアが責任を持って」

「なら、やるわ」

「結構。では試合会場の用意などは私が進めておきます。なお敗者は勝者の言い分に対して絶対服従となりますが、よろしいですね?」

 

 試すような口振りにリアスは同意する。

 そしてライザーは渚を睨み付けた。

 

「お前はどうするんだ?」

「何?」

「お前が悪魔じゃないのは分かってる。だからこそフェニックスの悪魔が()()野郎(やろう)にコケにされたと知られたら評価が下がる、潰してやるから参加しろ」

 

 渚がどうしようか迷う。

 ライザーは渚をリアス側に付けてもいいと言っているのだろう。

 こればかりは采配者であるグレイフィアの判断に委ねるしかない。

 

「残念ですが、それではパワーバランスが(いちじる)しく(かたむ)いてしまうので許可は出来ません」

「な! グレイフィア殿、俺よりもコイツが強いと(おっしゃ)るのか?」

「はい。青井さまはライザーさまを倒せる領域にいます」

「……バカな、俺は上級悪魔だぞ?」

「事実よ、ライザー。渚は強いわ、人間だからと言って下に見ない方がいい」

 

 リアスの言葉にライザーが驚愕する。

 

「こんな野郎が俺よりも上だと? あり得ないだろ」

「ご納得いかれないようですね。……彼と戦いたいのですか、ライザーさま」

「無論ですよ、俺はこんな野郎に負けん」

「委細承知しました。──蒼井さま」

「なんですか?」

「リアスお嬢さまの関係者として、貴方にもゲーム参加して頂きます」

 

 丁寧な口調だったが、有無を言わさない圧力を感じる。

 端的(たんてき)に言えば(ことわ)ればあとが怖い。この女性は物静かだが怒らしたらダメなタイプの人物だと優れた第六感が告げてくる。目を付けられたのが運の尽きだ。渚は渋々であるものの了承することにした。

 

「……わかりました」

「では、詳細は後日お伝えいたします」

 

 こうしてライザーとグレイフィアが転位陣を使い去っていく。

 またとんでもない事に首を突っ込む羽目になる。

 二人の背中を見送った渚はそんな予感を抱えながら深い溜め息を吐いた。

 

「絶対にあのメイドさんには逆らわないことにしよう、少しステアに似てるところあるし……」

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 人間界より冥界に帰還したグレイフィア・ルキフグスはライザーと別れを済ませて一人廊下を歩く。

 自らの主であり夫でもあるサーゼクス・グレモリーに報告するためだ。

 魔王が使う執務室の前でノックをするとドアを開く。

 

「戻りました、サーゼクス。早速、例の件の報告を──」

 

 グレイフィアが夫が座っている筈の机に目を向けて言葉を失う。

 見慣れた場所に見慣れない者が居たからだ。

 机の前に出て、珍妙なポーズを取っている珍妙な存在。

 簡単に言えば特撮戦隊に出てきそうなタイツとフルフェイスメットを着けた真っ赤な"何か"。

 グレイフィアは無言で攻撃用の魔方陣を展開する。

 それに気づいた真っ赤なタイツ男が両手を大きく振って叫ぶ。

 

「待て、待ってくれ! 私だよ、グレイフィア!?」

「何を慌てているのですか? 大丈夫、理解してますよ、サーゼクス」

 

 極めて冷静に、全身真っ赤なタイツ姿となっている夫に言葉を返す。

 どうという事はない、サーゼクスは大事な魔王の仕事を怠けて特撮のコスプレに走っているのだ。

 ならばお仕置きも兼ねて一発お見舞いしてあげようと思っただけだ。

 更に魔法陣を増やすグレイフィア。

 

「誤解しないでくれ。こ、これも仕事だ!」

「これの何処が?」

「ほら、アレだ。人間界と比べて冥界には娯楽が少ない。だからこういうキャラクター性の濃いマスコットを作って反映させてはというアイディアだよ」

「素晴らしいですね」

「わかってくれるかい!」

「ええ、その考えは同意です。今の冥界は娯楽と言えばレーティング・ゲームに集約される。ですがこれはあくまで大人の娯楽、これから生まれてくるだろう子供たちから見れば理解できない物でしょう」

 

 グレイフィアの言いようにサーゼクスは大きく首を縦にする、全身タイツで……。

 

「そう、それなんだ。これからの事を考えればこれは必要なファクターだ。だからセラフォルーの真似をしてだな」

「全身タイツに走ったと?」

「カッコいいだろう? ──魔王戦隊サタンレンジャー、見☆参」

 

 全身を使った決めポーズが炸裂する。

 瞬間、爆発がサーゼクスを襲った。

 

「何故だ、グレイフィア!?」

 

 素で驚くサーゼクス。

 攻撃した意味はない。ある意味サーゼクスの言い分も合っている。だが自らの夫が全身タイツで決めポーズをする姿を見て、耐えられなかったのだ。

 

「魔力が滑りました」

「魔力って滑るのかい!?」

「はい、滑ります」

「聞いたことないのだが……」

「滑ります」

 

 笑顔で凄まじい威圧感を出してくるグレイフィア。

 サーゼクスがコクコクと同意する。逆らえば更に魔力が滑るだろうことが理解できたからだ。

 

「とりあえず着替えてください」

「この姿、結構気に入ってるのだけど……」

「着替えなさい」

「ハイ」

 

 有無を言わさずに魔王の正装へ着替えさせる。

 それから数分してから見慣れたサーゼクスが席に着く。

 その表情は些か落胆が見え隠れしていたがグレイフィアは無視した。

 

「リアスお嬢さまをライザーさまに会わせるおり、蒼井 渚さまと接触してきました」

「そうか。直接会ってどうだった?」

「駒王の残留する戦力としては優秀です。内面も仲間想いで好感を持てます、リアスお嬢さまの協力相手としては申し分ないかと。……ですが」

「何か思うところでもあるのかい?」

 

 サーゼクスが隠された真意を問う。

 グレイフィアは数秒だけ瞑目し、口を開く。

 

「……渚さまとライザーさまの間に小競り合いが起きたので止めたのですが、一瞬殺されると思いました」

 

 サーゼクスが顔をあげてグレイフィアを真っ直ぐ見た。

 自分の妻は強いという信頼があるからこその驚き。

 最上級悪魔の中でも更に上位に位置する戦闘者がグレイフィア・ルキフグスという女性なのだ。彼女に"殺されると思った"などと言われる存在などそうはいないだろう。

 

「蒼井 渚くんとは、そこまでの強さなのか?」

 

 サーゼクスの質問にグレイフィアがゆっくりと首を振って否定した。

 

「強さは最上級悪魔の手前といった所です」

 

 おかしな話だった。確かにあの若さで最上級悪魔に届くのは凄まじいだろう。

 だが、それでは格上であるグレイフィアに敗北はあり得ない。彼女は慢心などという言葉から遠い場所に立っている悪魔だ。相手を侮らず、常に己の全霊で対処する性格である。団体戦ならまだしも一対一で渚に殺されるなど想像できない。

 

「つまり潜在能力の高さが驚異という事かな?」

「少し違います。潜在能力も高そうですが、私が"死"を予感したのはもっと違う部分になります。……彼の持っていた剣……いえ刀ですね。あの刀が帯びていた気配を私を知っているのです、大分昔ですが貴方も感じたことがある」

「……刀?」

「ええ、あれは"聖書の神"が纏っていた気配によく似ている」

「それは事実かい?」

「感じたのは刀を抜こうとした一瞬ですが……間違いない。私が"聖書の神"の力を忘れるはずがない。あの圧倒的な暴力を……」

 

 グレイフィアが顔を歪ませる。

 彼女は歴戦の猛者だ。かつて起こった三大勢力の戦争にもサーゼクスと共に参加していた。

 だから知っているのだ。

 "聖書の神"の恐ろしさを……。

 未だに何故死んだのかが謎な天涯の怪物。

 数ある神の中で"最強"と言われるのが"インド神話のシヴァ"ならば"最凶"は間違いなく"聖書の神"だ。

 

「敢えて聞きたい。それは"神 器(セイクリッド・ギア)"だからではないのかな?」

「確かに"神 器(セイクリッド・ギア)"からも似た気配がするのは知っています。それでも蒼井 渚さまの刀から溢れていた物は更に濃い神氣です、いえ神格とも言える」

「そんな武器を所持している彼は何者なのかな」

「……以前、徹底的に素性を調べましたが"蒼井 渚"という人間は何処にも実在していませんでした」

「そして彼自身にも記憶がないときている、か。グレイフィアが警戒するものわかるね」

「はい。なので次はアリステア・メアさまという方に接触しようと思います」

「あまり無茶はしないように、これは魔王としての命令だよ?」

 

 真剣な口調のサーゼクスにグレイフィアが頷く。

 蒼井 渚という半年ほど前、急に駒王に堕ちてきた男。

 その時に大ケガを負っていたようだが理由は不明。

 彼の片隅にいるアリステア・メアという女性は凄まじい戦闘力を所持していると報告がリアスより上がっている。

 どうにも謎の多い二人組を警戒するなというのは無理な話だ。

 しかし駒王の為に尽くしてくれているのも事実である。

 サーゼクスは大きな興味に惹かれた。

 

「早く会ってみたいものだ。その少年と少女に……」

 

 まだその時ではないと自覚しつつも、紅の魔王は冥界の空を眺めながら人間界へ想いを()せるのだった。

 





データファイル


刻流閃裂(こくりゅうせんさ)』又は『刻流』。

渚が扱う戦闘式で主に刀を使った戦闘方法。
別名、”対霊決戦術零式(たいれいけっせんじゅつぜろしき) 千叉(せんさ)”とも言う。
剣の技術に合わせて霊氣と呼ばれる異能も操る必要がある超高難易度な異能剣術。
しかし渚は無自覚に霊氣を使っている。
極致と名称された奥義は概念を無視した攻撃を繰り出すため魔法じみた現象をも起こす剣である。


輝夜(かぐや)

超速の抜刀術。
”刻流”の中でも最も速く鋭い技の一つ。
極致は”輝夜(かぐや)貌無(かたなし)”。


雷霆(らいてい)

”刻流”の技の一つ。
脚力に霊気を纏う事で爆発的な突進を繰り出す。
貫通力に優れており、ちょっとやそっとじゃ止まらない豪快な技。
迅雷が如くのスピードにより、破壊力は”輝夜”を上回る。


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力への意思《Fight and Mind》


特訓、始まります……。
なお渚は放置な模様。



 

 ライザーとのレーティング・ゲームが十日後に決まり、リアス一行はその戦いに勝利するため、連休を使った合宿訓練を実行する事になった。レーティング・ゲームへの参加が義務づけられた渚も合宿への参加は当然の流れとも言える。

 合宿先は駒王からは離れた山奥の別荘になるらしく、渚は数日分の着替えと日用品をバックに入れて準備万端で集合場所に赴く。男の日用品など高が知れているので荷物は多くない。

 そう思っていたのだが……。

 

「重すぎる!! なんでだよ!?」

 

 リアスたちとは別行動で目的地に向かう最中、渚が遂にツッコミをいれた。自然溢れる山道で自分の体積を越える大荷物を(かつ)いでいたからだ。

 自身の荷物など、この中の一割程度にも満たないだろう。隣では渚と共に行動しているアーシアが心配そうにオロオロとしている。彼女の荷物も、渚の巨大すぎるバックの一部と化しているからだ

 しかしアーシアはまだいい。渚と同じく最低限の物しか持参していない。(むし)ろ女の子なのに少なすぎて渚が昨晩に詰め込んだくらいだ。

 問題はもう片方の荷物である。

 

「ナギ、ペースが落ちてますよ?」

 

 容赦のない言葉は勿論アリステアである。

 渚とアーシアとアリステア。たった三人で目的地に向かっているはずなのに荷の量がおかしい。明らかに渚の持つバックは三人分をオーバーしている。

 一歩進む(たび)、固い土の道に足の裏が数センチ沈むという重量は苦難の一言に尽きた。

 脂汗(あぶらあせ)を流しながら渚はアリステアを見る。この荷物の大半は彼女が持参したからだ。

 

「……お前、なに持ってきた?」

「本を七冊、着替えと日用品」

 

 そこまでは許容の範囲だ。アリステアも女子なのだ、お泊まりに必要なものが少々多くても文句は言わない。

 しかしそれだけでは、この量にはならない。

 そして次の言葉を聞いて渚は唖然(あぜん)とする。

 

「──加えて無使用の空薬莢と弾頭をそれぞれ1000、ガンパウダーを数種類、プレス用の機械、リサイジングオイル、パウダーメジャー、シャルホルダー、プライマートレー、ケーストリマーとタンブラー、ダイスセット、雷菅、SIG SG550、トーラス・レイジグブルくらいですよ」

「え、なんだって?」

 

 アリステアの言葉を聞いた渚は酷い立ちくらみに襲われた。

 この白雪の美少女は何を言っている?

 最初らへんの物は分かるが、後半になるにつれて聞いたことのない単語のオンパレードだ。こんな知らない単語が出てきた場合はロクなものじゃないのは理解している。……というか何故、山にプレス機? それに新品の空薬莢と弾頭? ガンパウダーって火薬じゃない? コイツは山奥で何をしようとしているのだろうか……。

 

「補充と研究です」

 

 渚の思考がパンクしそうになる。……なので考えるのをやめた。アリステアの方からアーシアに目を向ける。

 

「だ、大丈夫ですか? やはり私もお持ちします」

「──大丈夫だ、問題ない」

 

 この台詞を言うときは大体の場合が大丈夫じゃない。

 それでも華奢なアーシアに弾丸製造用プレス機なんて持たせれないし、よく分からない物も預けたくない。

 渚はアーシアの心配を受けながらも一歩一歩、山の奥へ進んでいく。

 土肌の山道はそれなりの坂道だ、いい訓練にもなる。

 そんな時だ、人影が見えた。

 

「ぜー、ぜー……」

 

 後ろより肩で息をした一誠が歩いてくる。どうやらグレモリーの眷属たちもやってきたようだ。

 

「うわ……」

 

 自分に勝るとも劣らない量の荷物を抱えている友人を見た渚はなんとも言えない気分になる。

 その両隣ではメイド服を来たレイナーレとミッテルトが渚と似たような顔をしながら並んでいる。

 ふとミッテルトが渚たちに気づいて大きく手を振った。

 

「おぉ! ナギサにアーシア、ウチも来たぞ!!」

 

 満面の笑みのミッテルト。

 どうやらピクニック気分を大いに楽しんでいるようだ。

 

「よ、ミッテルト」

「おはようございます、ミッテルトさん」

「オス! あはは、イッセーとおそろとか超ウケる! 何持ってきたんスか?」

「プレス器とか火薬とかが入ってる」

「え? なんに使うんス、ソレ?」

「さぁ、ステアに聞いてくれ」

「あぁー、イッセーがトロいんで押してこよう」

 

 そそくさと逃げるミッテルト。そして少し離れた場所でフラフラしている一誠の影に隠れた。

 

「嫌われたものですね」

 

 そんな事を言いつつもクスクスと笑うアリステア。

 

「お前な、笑うとこじゃねぇだろうに」

「面白いじゃないですか、小動物のように逃げる姿が」

「少しは歩み寄ろうぜ……?」

「彼女次第でしょう? 私は別段、どちらでもいいのですから」

 

 自分からは歩み依る必要がないと断言するアリステア。

 彼女は人に好かれる気がないのだろう。だから他人が自分をどう思うが関係ないのだ。

 

「あ、あの、私はアリステアさんとミッテルトさんに仲良くして貰いたいです」

 

 控えめに手を挙げるアーシア。

 元々、争い事が苦手で優しい性格だからなのだろう。

 共通の知り合いの仲が悪いというのに思うところがあるようだ。

 

「貴方がどうこう出来る問題ではないでしょう、これは私と彼女の問題なのですから」

「うぅ、やはり皆で仲良くというのは我が儘なのでしょうか」

「善意の押し付けですね」

 

 断言するアリステアに意気消沈するアーシア。

 渚がフォローしようとするが、その前にアリステアが一息ついて口を開く。

 

「──私に対する恐怖を克服(こくふく)させるのが初めにすべき事です」

「え?」

「ミッテルトと私の仲を改善する為の方法です。今のままでは、まとも対話が成立しない」

 

 アリステアの助言に表情を明るくするアーシア。

 

「は、はい、頑張ります!」

 

 トコトコとミッテルトの場所へ走り出すのを見送ると一誠を置いてきたのかレイナーレがやってくる。

 

「聞こえたわよ、アンタはもっと冷血なヤツかと思ってたわ」

「貴方に冷血と言われるほど親しんだ覚えはありませんが?」

「普段の態度に加えて色々聞いてるのよ、大体は察せるっての」

「そんなにやんちゃをした覚えはないですよ、私は」

「よく言うわ、クラフト・バルバロイとカラワーナとの戦闘、聞く限りじゃ容赦なく弾丸を撃ち込んだそうじゃない」

「頭や腕を破壊した事ですか? あの程度で冷血とは心外ですね」

「ふん、冷血な上に傲慢(ごうまん)とはムカつく女ね」

「ダメですよ? 冷血で傲慢な人間にそんな挑発をしては……。その達者な口を閉ざしてしまうかもしれません」

 

 不機嫌な顔の女と冷笑を張り付けた女が(にら)み合う。

 中々どうしてレイナーレは度胸がある、いや有りすぎる。

 明らかに"力"では負けているアリステアに反発している。アリステアがその気になればレイナーレの命など簡単に刈り取るだろう。

 

「俺を(はさ)んでの睨み合いは止めてくれ」

 

 二人の視線を断ち切るように前に出る渚。

 すると両者から殺伐とした雰囲気が消えた。

 

「少し大人げなかったですね」

()えたわ」

「レイナーレさん、一誠との同棲は慣れた?」

 

 レイナーレとミッテルトは一誠の家で暮らしている。

 色々と問題はあるがリアスが上手く根回しをして今に至っているのだ。

 

「慣れる訳ないっつの。なんで私が人間と悪魔が住む家で同棲しなきゃなんないのよ」

「それは貴方が"赤龍帝"の眷属だからでしょう。また勝手に暴走して龍にでもなられたら迷惑なのですよ」

 

 詰まらない質問をするなというニュアンスを含めたアリステアの言葉。

 レイナーレの中には"赤龍帝"の力が残留している。魂と完全に溶け合っているので切り離す事が出来ない。だからこそ親に当たる一誠の側に置いておく必要があった。

 真の"赤龍帝"と共にあれば力は安定し、暴走の危険性がなくなる。

 本来なら一般家庭にレイナーレを在住させるなど馬鹿な選択だが一誠の中にいるドライグの意思一つで無力化が出来るので今の状況で落ちついている。

 

「ご主人様の残りカスのせいで酷い日常になったわ」

「顔色は良くなったと思うぞ、前よりは暮らしやすい生活になった証拠じゃないか?」

 

 口では文句を言いつつも、レイナーレの見た目は変わっている。倒れそうだった歩調はしっかりしており、青ざめた顔も今は健康そのものだ。

 アリステアの施術で神器を剥がされたおかげである。

 自分では気づいてなさそうだが心の底から嫌悪している様子もない。

 

「……うっさいわね、刺し殺すわよ」

「うん、元気そうでなにより」

「会話が成り立っていませんよ、ナギ」

 

 そんな会話をしていると背後の一誠が渚たちに追い付いた。渚に勝るとも劣らない量の荷物を背にした一誠へ苦笑を浮かべる。

 

「大丈夫か? つかなんだその荷物は?」

「お、お前こそ」

「ステアの分が多くてな」

「お、俺は木場以外のオカ研メンバーの荷物」

「ん? リアス先輩たちが見当たらないが?」

「転移で行った。俺は訓練がてら歩きだとさ。……とほほ」

「まさに悪魔だな……」

「部長って、いつもは優しいけどたまに鬼になるから……」

 

 渚と一誠が互いの荷物を見合わせて言う。

 積載オーバーな二人組、なんというか言葉が見つからない。笑い合うには辛く、苦しみを愚痴る気にもなれなかった。

 

「……行くか」

「……おう」

 

 渚と一誠は黙ったまま山道を登り始める。

 それから的地に着くまで一時間以上も掛かったのだった……。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 今回の強化合宿の狙いはライザーとの戦いに勝利することに集約される。

 渚はグレモリー陣営として戦うつもりなので各部員との連携が訓練の基礎になると思っていた。

 しかし始まってみれば一誠のシゴキがメインで拍子抜けだった。朱乃から魔力操作の基礎を学び、祐斗とは竹刀で打ち合い、小猫に至っては怪力の打撃から逃げる鬼ごっこだ。

 何故か渚は訓練をせずに一誠が鍛えられるのを眺めているだけの時間が過ぎていく。

 

「ステア」

「どうしたのです」

 

 合宿先の敷地で一誠が祐斗と竹刀の打ち合いをしてながら渚はアリステアに話をは振る。

 アリステアは外だというのに隣で本を読んでいた。日本語ではない文字が並ぶので詳細は不明だ。

 

「俺、訓練してないけど大丈夫か?」

「他の部員がアーシアと兵藤 一誠に付きっきりなんで寂しいのですか?」

「確かにあの二人の訓練は必要な事だけど、俺を組み込んだ連携も重要になると思うんだよ」

 

 渚は個人での戦いに慣れすぎている。

 だから他人に合わせるのが極端に苦手だ。それを補うため、連携の訓練を学ぶ必要があるのだがリアスからは一向にその誘いが来ない。正直、無言の戦力外通告を受けている気分である。

 

「リアス・グレモリーもバカではないという事ですよ」

「どういう事だ?」

「彼女が貴方を訓練に参加させない理由は三つでしょうね」

「そんなにあるのかよ……、聞かせてくれ」

「一つは自らの力でフェニックス家の者に勝ちたいからですよ。貴方、単独で勝利を掴んでも意味はない。これは本来リアス・グレモリーの問題であってナギは関係ないのですから」

 

 突き放した言い方だが理解は出来る。

 渚はオカルト研究部の部員であるがリアスの眷属ではない。本当ならばレーティング・ゲームに参加する事も許されないイレギュラーである。

 そんな者を使ってもリアスの勝利とは言えないのだ。

 

「前提条件として俺が強いって事で話が進んでるな」

「ナギは自分がどれくらいの実力と自覚していますか?」

「自己評価は苦手なんだが……。少し自惚(うぬぼ)れが入るけど中級から上級悪魔の間くらいだと思っているぞ」

 

 龍すら斬り裂く実力を所有しながら下級悪魔レベルでは通らない。

 最近になって自分の戦闘力が高めだと気づいたからこその評価だ。

 

「そうですか。……木場 祐斗!」

 

 アリステアが急に本をパタンと閉じると祐斗の名を呼ぶ。

 何事かと一誠は渚たちの所を見た。

 呼ばれた祐斗は素早く反応して渚の前に直ぐ様やって来る。

 

「僕に何か用かな、メアさん」

「ええ。兵藤 一誠との訓練を一旦中止してナギと模擬戦をお願いします」

 

 祐斗が面を食らうような顔をする。

 

「いいのかい、渚くん」

「いや、良いも何も……」

「構いませんよ。ナギ、竹刀を受け取ってください」

 

 妙に強く出るアリステア。

 渚も断る理由もないので受けることにした。

 

「分かったよ。イッセー、それ貸してくれ」

「お、おう」

 

 アリステアと一誠が見守る中で渚と祐斗が竹刀を片手に向き合う。

 

「そういえば何だかんだで剣を合わせるのは初めてだな」

「そうだね、手心は無しで頼めるかい?」

「元からするつもりはねぇての」

「嬉しいよ」

 

 笑顔だった祐斗の表情が引き締まる。

 正眼に構える祐斗に対して渚は構えを取らずにいる。

 

「ルールは?」

「無しでいこう。けど一つだけ」

「なんだ?」

「実戦と思ってやってほしい」

「了解だ」

「じゃあ、早速始めよう」

 

 風が吹き、周囲の木々が揺れた。

 木の葉が舞う。その一枚が渚の視界を遮った瞬間に祐斗が忽然と消えると目の前に現れる。

 ──右だ!

 そう直感的に感じると、自らの右側を竹刀でガードする。

 同時に衝撃が手に伝わる。

 

「やっぱり見えてるんだね」

「いんや、けどここに来るのは分かっていた」

 

 祐斗は速い。

 騎士の特性を十全に活かすスピード特化型の剣士だ。その素早さは正に一陣の風であり、常人ならば肉眼で捉える事すら不可能だ。

 しかし渚には見えている、いや見えているというより"来る"という事が分かるのだ。

 それは一般的には"見切り"という。

 姿は見えなくとも気配が祐斗の位置を教えてくれる。

 どんなに速かろうと攻撃が来る場所が分かっていれば先回りして竹刀を設置できる。

 渚の強みは"刻流閃裂"という異能じみた技ではなく、この異常な危機回避能力と無駄を削り落とした身のこなしにある。

 祐斗が攻勢に出るが渚は冷静に全て(さば)き切った。

 

「速度でも勝てないと少し落ち込むね」

「何言ってんだ? 明らかにそっちが速いっての」

「それは違うよ、君はあらゆる攻撃に対して竹刀を先に設置している。それは見切りの速さと身体の速さが僕を大きく上回っていないと出来ない芸当だ。……はっきり言って神業だよ」

 

 全て止められる事を予期していたのか祐斗に焦りも落胆もない。

 渚も竹刀だからと気を(ゆる)めなかった。

 本気でやると言った以上は自身の全力で応えなければと渚は思うからだ。

 

「なら、これでどうだい!」

「……っと!」

 

 祐斗の力任せの剣撃で正面から交差する竹刀。

 

「このまま押し斬らせてもらうよ」

「そいつは……勘弁だ!」

 

 渚は手首を使って竹刀を返す。

 すると祐斗の竹刀が巻き上げられるように宙を舞った。

 

「竹刀を!?」

「ああ、取らせて貰った。……隙ありだ」

 

 渚の胴切りが祐斗を(とら)える。

 豪快な打撃音と共に吹き飛ばされた祐斗だったが危なっかしい足取りで着地する。

 

「ははは、これで僕の胴体がまっ二つかな」

「苦しそうな顔で笑うなよ……」

「ふふ、ごめん。でもこうまで実力差があるとね」

 

 その瞳にあるのは憧憬(どうけい)だ。

 祐斗のそんな視線に渚は戸惑(とまど)っているとアリステアが勝負アリと言いたげにパンっと両手を鳴らす。

 

「ここまでですね。どうですか、ナギ?」

「どうって何がだよ」

「少しは自分の強さが知れたでしょう。鈍感(どんかん)な貴方は気づいていないようですが、本来グレモリー眷属を全員相手にしても問題ないレベルなのですよ」

「全員は()りすぎだろうに……」

 

 流石に誉めすぎだろうと渚は断言しようとしたが、祐斗がアリステアの言葉に頷く。

 

「メアさんの言う通り、君の実力は最上級悪魔に比肩する。であれば僕が勝てる道理はない」

「いやいや俺が最上級悪魔に比肩(ひけん)する? それはないだろ」

「ううん、事実だよ。ここ半年で君が"僕たちの代わり"に相手してきた"はぐれ悪魔"は今のオカルト研究部の面々じゃ手に終えない者だったからね」

 

 祐斗の言葉に渚が呆けた。

 

「"代わり"? どういう事だ?」

「え? 聞いてないのかい?」

 

 祐斗が目を丸くしているのを見た渚は()まし顔のアリステアに視線を向けた。

 

「そう言えば話してなかったですね。私たちが相手をしていた"はぐれ悪魔"の大半はAランクを越える者達です」

「え"」

 

 衝撃の事実だった。

 今まで相手していた"はぐれ悪魔"の(ほとん)どがリアスたちの手に追えない怪物だったのだ。

 そして何故、自分がオカ研の者たちから信用されているかもここで初めて理解した。

 命の危険を伴う強敵との戦いを請け負っていた渚は文字通り命の恩人に等しい。

 

「し、信じらんねぇ。知らず知らずの内に上級悪魔クラスを斬りまくってのかよ、俺……」

「そんなに強くなかったでしょう?」

「いやいや! 何回か、妙に強いの混じってたよな?」

 

 渚の記憶では五回ほど殺されてそうになった事があった。アリステアの介入で助かったのが二回、死ぬ気で倒したのが三回、(にが)い記憶だ。

 

「確かに五体ほど最上級悪魔クラスの"はぐれ悪魔"もいましたね」

「やっぱりかよ!?」

 

 数が合うので間違いない。

 特に一回目と三回目の奴は強かった。アリステアがいなければ死んでいただろう。

 自分が危険な敵の相手役をさせられていた事に不条理さを感じる。

 

「ステア、なんで言わなかった?」

「必要が無かったので……」

 

 恐ろしい事をさらっと言う相棒。

 渚は顔をしかめるが怒りはない。

 彼女がなんとかなると思ったら大体の問題はことなく終わるのを知っているからだ。

 それに渚も、なんだかんだで自身の力で切り抜けている。これも計算の内なのだろう。

 だが、ふと思う。

 

「けど高ランクの"はぐれ悪魔"ってそんなにホイホイ居るもんなのか? 俺、数えるのも億劫(おっくう)なほど"はぐれ"を斬ってるんだが?」

 

 あまりにも数が合わない。渚は毎晩のように"はぐれ悪魔"と戦ってきた。多い日は三~四体は相手をしている。ランクの高い悪魔があまりにも多いのだ。

 

「リアス・グレモリー曰く、半年前に現れた存在からの置き土産だそうです」

「半年前?」

「うん。その時、駒王は大規模な"はぐれ悪魔"の集団に襲われたんだ」

「あれ? 祐斗、"はぐれ悪魔"って群れないよな?」

「本来はね」

 

 渚は多くの"はぐれ悪魔"と戦ってきた。

 しかしどれもが単独あった。複数の時もあったが、それでも二~三体が限度である。

 そんな渚の疑問に答えたのはアリステアだった。

 

「洗脳し、統率していた輩がいたようです。その者は冥界と駒王を直接繋げて大量の"はぐれ悪魔"を用意したとか……。その時に使われた出入り口は早急に閉じたとの事ですが道自体は残っているそうです。"はぐれ悪魔"達はそれを利用してやって来ているのでしょう。今の駒王は世界で最も冥界に近い場所なのかもしれませんね」

「"はぐれ悪魔"は居たんじゃんなくて来てるって訳か。奴等に比べたら人間は弱くて襲いやすいから流れてくるのにも納得だ。というか冥界と人間界って簡単に繋がるものなのか?」

「繋げた者が優秀だったのでしょう。両方の界域を(また)げる道を造るには相応の力量がないと不可能です」

「ソイツはどうなった?」

 

 祐斗に話をふると渚を真っ直ぐ見据えた。

 意味深な視線だ。

 何か言いたそうに口を開くも再び閉じて吟味(ぎんみ)するように言葉を放つ。

 

「死んだ……と僕は思う」

「思う?」

「うん。死体は見つかっていないんだ、でもアレで生きているとも思えない」

「どんな死に方したんだ?」

「地形を変えるほど攻撃を受けたんだよ」

「……そんな事が出来る奴がいたのか、駒王は魔境だな」

「……たまたまね」

 

 返答に困った笑み浮かべる祐斗。

 渚からしたら、まさにクレイジーな存在だ。

 きっと魔王の眷属を借りて戦ったのだろう。

 渚はそう決めつけると竹刀を一誠に返却する。

 

「しかしなぁ、あんまり釈然(しゃくぜん)としない」

 

 一誠と祐斗が再び剣を合わせ始めたのを見ながら渚は一人(つぶや)く。そんな渚の言葉をアリステアが受け止めた。

 

「何がですか」

「あ、いや、自分の強さがね」

「強いという事はそれだけで価値があるのですよ。ナギには力がある、それは喜ばしい筈です」

「嬉しいっちゃ嬉しいんだけど俺って何もしないで強くなってるだろ? 今、一誠がやっているような努力なしで最上級悪魔クラスって言われても違和感しかない」

 

 渚は自分の強さを自覚する。

 誰もが厳しい修業を経て辿り着く場所に自分は立っている。それは喜ばしい事なのだろう。天才という奴かもしれない。けれど実感のない強さが渚に与えたのは高揚ではなく戦慄だった。

 マトモではない、強すぎる。

 自分の戦闘力は一朝一夕で手に入るものなのだろうか……。自分は果たして何者なのだろうか……。自分はこんな技術を何者に対して振るっていたのだろうか……。もしかしたらこの力で悪を()したかもしれない。

 忘れた過去が渚を執拗(しつよう)に駆り立てる。緊張と焦燥(しょうそう)が込み上げるのを(おさ)え切れない。

 

「ナギ、失った過去に翻弄(ほんろう)されるのはやめなさい。貴方はどうしようもない善人です。私が誘った"はぐれ悪魔"との戦いがその証拠でしょう」

「それのどこが善人の証拠なんだよ?」

「では聞きますが貴方はどうして、この半年間を戦いに抜いたのですか?」

「俺には何故か力があった。だから成り行きで戦っただけだ」

「私の誘いを心から否定すれば無理には誘わなかった。きっと貴方にも成り行き以上の理由があった筈です」

「理由……?」

 

 脳裏に浮かぶのは知った面々だった。

 オカルト研究部のメンバーや友人たち、もしもそれらが不条理に亡くなってしまったら……。

 そう考えると全身が身震いする。

 渚は"死"が怖いのだ。自分の"死"もそうだが、もっと怖いのは置いていかれる事だ。

 大切な存在が手の届かない遠くに()ってしまうのが恐ろしくて(たま)らない。

 それは異常なまでの忌避感(きひかん)だった。

 

「今、貴方の脳裏に過った物が理由ですよ、きっと」

 

 見透かしたようなアリステアの言葉。

 

「善人どこか臆病者じゃないか、それじゃあ……」

「何故そうなるのです。真の臆病者は戦わないですよ。自分の為に戦い、その過程で誰かが助かる。不都合があるのですか?」

「むぅ」

 

 言い返せない。

 自分の知る限り、誰かに迷惑を掛けている訳でもないのだ。

 

「そもそも思い出せもしないで前の自分がどうだったなどと悩むのも馬鹿げています。過去に何があったとしても今を生きて未来に進むしかない。自分が異様に戦闘慣れしているのが怖い? そこは『俺って強いじゃん、ラッキー』ぐらいに思っておけば良いのです。どうして貴方は妙な所で真面目なのですか? うじうじ考えても仕方ないのですよ」

 

 アリステアが(まく)し立てるように言葉を紡ぐ。

 きっと慰めも入っているのだろう。

 

「ステアってさ、たまにすげぇ優しくなるよな?」

「失礼な人ですね。私はいつも貴方には優しいでしょう」

「そうかもしれないな」

 

 肯定したのは身に覚えがあるからだ

 だから渚もその慰めに甘える事にした。

 もっと気楽に考える。

 

「んじゃ、強くてラッキーな俺は不死鳥をサクッと倒すかなぁ」

「当然です。負ける要素など在りはしないのですから」

 

 確信を乗せたアリステアの言葉。

 やる気にスイッチが入り、覚悟を決める。

 どんな障害があろうとライザー・フェニックスは倒す。そう覚悟を決めると立ち上がる、今出来ることをするために……。

 

「ステア、自分の実力をもっと知っておきたい。……頼めるか?」

 

 渚の申し出に目を丸くするアリステア。

 余程、珍しかったのだろう。

 そしてポーカーフェイスを崩したことに気づいたのか、すぐに表情がいつものクールフェイスになると笑みを浮かべた。

 

「構いませんよ。こちらとしても試作品の弾丸が出来上がったので試し撃ちをしたかった所です」

「大荷物の原因は弾丸造りのためだったってか」

「ご明察。ここ数日は細かい作業が多かったので体を動かすのもいいでしょう」

 

 アリステアが眼鏡を納めて懐から銃を召喚する。服には銃を隠し持った膨らみはなかったのだが何処(どこ)から出しているのだろうか。

 ともせずリボルバー銃だが以前見た物と比べれば小さい。あくまで比べたらであるが……。

 

「……ていうか銃なんて持ってきてのか」

「当然でしょう。銃のない弾丸はただの鉛に等しい。トーラス・レイジングブルがある事は合宿初日に言いましたが忘れたのですか?」

「…………トーラスなんたらってのが銃だって今知ったよ」

 

 荷物の説明で最後ら辺に似たような単語があったのを思い出した渚が口を引く付かせる。

 

「では"譲刃"を装備してください」

「あいよ」

 

 渚が左手に集中して彼女(譲刃)を呼ぶと刀が装備される。

 それを見たアリステアが優雅に一礼する。

 

「では始めましょう。──全力で手加減してあげるので本気で掛かって来てください」

 

 同時に彼女の持つトーラス・レイジングブル(リボルバー)が火を吹くのだった。

 





データファイル


『トーラス・レイジングブル』

ブラジル製の大型リボルバー拳銃。
マグナムなどといったハイパワー弾仕様の銃であるが特殊素材をグリップなどに使用する事で他のハイパワー銃と違い、比較的撃ちやすいのが特徴。
レイジグングブルとは”怒れる牡牛”の意味である。


『SIG SG500』

スイス製のアサルトライフル。
数あるアサルトライフルの中でも高い耐久性と命中精度を誇り、特に発砲時の反動が少ないと言われており精密射撃に対するアプローチが行われた銃。


*アリステア・メアが使用する全ての銃は彼女によりカスタマイズされており、アストラルコーティングと言う霊的付与がされている。
その影響で強度も精度も純製とは比べ物にならない性能を叩き出す。


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蒼と白《Blade VS Bullet》


話が全然進まなくてすいません。
構成って難しいです。
では渚VSステア、始まります。



 

「アーシアちゃんは、やっぱり魔術に(ひい)でていますわ」

「あ、ありがとうございます」

 

 朱乃がアーシアの頭をよしよしと撫でる。リアスはそれを満足そうに見守っていた。

 アーシアの目の前には魔力で作り出された球状の光がプカプカと浮いている。やはり彼女は肉体を使う直接戦闘よりも魔力による後方支援が向いているのだろう。

 リアスは読んでいたレーティング・ゲームの本を一旦(いったん)閉じた。ここに来てずっと本の虫だったため悪魔と言えど目が疲れてしまう。

 

「あの、少しお休みになられた方がいいと思います」

「ありがとう、アーシア。でも出来ることはしておきたいのよ」

「戦力も経験も向こうが上。ゲームまで時間がない以上は多少の無理はしないといけませんわ」

「流石に理解できてるわね、朱乃」

「これでも貴女の"女王(クイーン)"ですもの」

 

 既に合宿も二日目に突入している。

 一誠もアーシアも(わず)かだが確実に訓練の成果が出てきており、ライザーとの勝負に(そな)えつつあった。

 だがリアスの胸中(きょうちゅう)に余裕はない。

 ゲームには特例で渚も参加する。味方となれば心強いが今回に限っては複雑だった。

 理由は三つある。

 彼の実力でライザーを倒してもリアスの勝利ではない点が一つ。

 共に戦うとしても渚の戦闘力は突出しているのでリアスたちが足を引っ張ってしまう、これで二つ。

 最後の一つは渚が敵になる可能性。

 レーティング・ゲームは多くの対戦方式が存在する。

 通常の対戦もあれば陣地(じんち)の奪い合いなど様々だ。中には三つの陣営が戦うというルールすらあったりする。

 今回は対戦当日にルールか発表されるのだが()(どもえ)が採用された場合、リアスはライザーだけでなく渚も攻略対象にしなければならない。

 初めてのゲームというのに自分の人生を()けているのだ。何があっても絶対に勝たないといけない。だが不確定要素が大きすぎるのも確かだ。

 

「……部長」

 

 リアスの部屋に小猫が訪れる。

 そろそろ祐斗と変わって一誠の訓練をする筈だ。

 

「どうしたの、小猫?」

「……渚先輩とアリステアさんが戦ってます」

「え、あの二人が?」

「はい。……多分訓練なんですけど止めるかどうか部長の指示が欲しいです」

 

 訓練ならばやらせておけばいいとリアスは思う。

 あの二人なら万が一という事もないだろう。

 リアスがそう思っていると小猫がアーシアの方に早足で近づく。

 

「えと小猫さん、どうしたんですか?」

「……お願いします、アーシア先輩は行ってください」

 

 アーシアを見上げながら小猫は言う。

 困惑するアーシア。

 リアスと朱乃も顔を合わせた。

 模擬線ならば多少の打撲はあれど死に至る怪我はない。三人はそう考えているが、小猫が見透かしたように首を左右に動かす。

 

「……二人とも真剣と実銃で戦っています。正直、訓練には見えません」

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 アリステアの持つリボルバー、"怒れる牡牛(おうし)"の異名を持つトーラス・レイジングブルが()える。大口径のマグナム弾が渚を撃ち抜こうと迫るも刀の剣閃で(はじ)き斬る。

 銃撃と斬撃の応酬が続く。アリステアの撃つ正確無比な銃弾を寸分(すんぶん)違《たが》わず斬り落とす渚。それは人という存在が、人の武器を使って戦っている人類を超越した戦い。

 

「音速を越える弾丸は斬れますか」

「的は小さいけど動きが直線的だ。それに祐斗の方が速い」

 

 渚の言葉に戦いを見守っていた一誠は息を呑む。

 祐斗は弾丸よりも速いという。

 

「お前、音速以上で動けんの?」

「速さを売りにしてる騎士だからね」

 

 謙遜した様子の祐斗に一誠は驚くが、その感情を渚とアリステアが吹き飛ばす。

 

「ならば少し趣旨(しゅし)を変えますか」

「何をする気だ?」

「こうするのですよ」

 

 カシャリと機械音が鳴るとアリステアの左手にアサルトライフルが装備される。

 

「ソレ、どっから出した? お前の(ふところ)って四次元か何かか?」

「秘密です。さ、この連続射撃を防げますか?」

 

 腰だめにアサルトライフルを構えると連射を始めた。

 轟音を伴う弾丸の嵐。渚は表情を(こわ)ばらせるも刀を両手に持ち変えて高速でやってくる無数の弾丸への対処を開始する。

 猛撃(もうげき)とも言える弾丸の一切を弾く刀は正に銀閃の結界だ。やがて一斉射が止まるとアリステアがアサルトライフルのマガジンをパージして地面に落とす。渚はその(すき)を逃さない。十メートル以上あった距離を一足(いっそく)()めた。

 

「どうだ!」

「当たりませんよ」

 

 渚の刃をヒラリと(かわ)すアリステア。

 そこから渚が攻め立てながら鋭い斬撃を繰り返す。

 加減はない、本当に斬ろうして振るわれる刃だ。

 

「お、おい木場、ナギもアリステアさんもガチ過ぎないか?」

「渚くんは本気だからね」

「ま、マジか、止めた方がいいんじゃね?」

「今回ばかりは難しいかな」

 

 冷静な祐斗。確かに同意してしまいそうだ。この戦いは竜巻のように周囲を巻き込んでいるのだ、その中に飛び込むなど自殺行為にすら感じる。

 しかし、このままでは血を見るのは明らかだ。

 一誠が声を張り上げようとした時だった。

 

「全くあの二人ったら何してるの?」

「ぶ、部長ぉ」

 

 リアスの登場に安堵する一誠。

 後ろからは朱乃とアーシア、さっき顔を見せた小猫もいる。

 

「あらあら、随分と危なっかしい模擬戦ですわ」

「……はい、アリステアさんも普通に急所を狙ってます」

「はぅナギさんとアリステアさんが戦っています。ど、どうしましょう」

 

 各々が心配を(あらわ)にするが二人の戦いはエスカレートしていく。だがリアスは呆れるばかりで、(あせ)りもしなければ止める素振りも見せない。

 

「止めようと思っても止めらないのだから好きにさせましょう。あの二人の戦いからウチの眷属も学ぶ部分は多いだろうし」

 

 鋭い斬撃は鎌鼬(かまいたち)を連想する突風で周囲の物を吹き飛ばし、苛烈な銃撃は単発ですら大木を軽々と薙ぎ倒す。

 周囲の森が更地(さらち)になってしまいそうな戦闘だ。さながら最上級悪魔同士の争いを見ている気分になる。

 渚は容赦は本気で戦っていた。これは模擬戦とは名ばかりの実戦である。持てる力の全てをアリステアを斬るために(つい)やしているのは表情からも明白だった。ただ、それは相手がアリステアだからだろう。誰よりもその強さを知っているからこそ手加減をしない。

 アリステアもまた同様で渚なら自分の攻撃を(から)すと思っているから銃弾を撃ち込んでいる。

 模擬戦の範疇(はんちゅう)を超えた死線を()()いながらも双方とも時折(ときおり)不適に笑んでいる。それは互いの信頼が垣間見(かいまみ)える優美な死の舞踊(ロンド)だった。

 

「はは! マジで斬れる気がしない!」

「ふふ、易々(やすやす)と肌に傷を入れるほど甘くはありませんので」

 

 渚が銃弾を()(くぐ)って"輝夜(かぐや)"を放つ。

 超速の抜刀術をアリステアは"眼"で追うと姿勢を低くして刃から逃れる。そしてお返しと言わんばかりに水面蹴りで渚の体勢を崩した。

 地面から脚を離された渚の全身が(かたむ)く。

 

「チェックメイトです、ナギ」

 

 アリステアが右手のリボルバーを渚の額に向ける。

 刀は振り抜かれ、身体は無防備かつ空中。

 もはや剣での防御は間に合わない。

 終わりを告げる指先がトリガーを掛けられた時だ。

 

「まだ終わりじゃない! ──刻流閃裂が崩し、輝夜(かぐや)月影(げつえい)

 

 黒い影がアリステアに襲いかかる。

 それは鉄拵(てつごしら)えの漆黒の鞘。アリステアはその攻撃を鼻先ギリギリで避けた。

 

「輝夜の派生技、隙の生じない二段構え。これが本命でしたか」

「いいや、ここからが本命だ!」

 

 渚が叫ぶ更なる一撃がアリステアを襲った。

 それは同じ軌道から来る()()()

 

「容赦しねぇぞ、吹っ飛べ!」

「──ッ」

 

 刀と鞘を振り抜いて事によって、加速のチャンスを得た渾身の"蹴り"。鋭さと重さを合わせ持った打撃がアリステアの華奢な身体を蹂躙した。

 耐えきれず後方に跳ばされるアリステア。

 

「……よもや三段構えとは驚きました。アストラルコーティング(霊質加工)式のアサルトライフル(SG550)を真っ二つするなんて非常識です、案外高価な銃なんですよ?」

 

 少し()ねた物言い。

 直撃の瞬間に左手にあったアサルトライフルでガードしたのだろう。アリステアに外傷はなかったがライフルは砕けて二つに割れていた。

 渚は苦笑いを浮かべる。倒すまでは行かなくともダメージは与えられると思っていたからだ。

 分かっていたがアリステアは強い。

 

「やっぱり簡単には追い付けないな」

「追い付く? 何にですか?」

「アリステア・メアに。……実はいつか超えてやろうと画策(がさく)していた」

 

 渚がそう答えるとアリステアはポカンとした見たことのない顔をする。

 そして肩を震わせ始めた。

 

「ふふ、あははははは!」

 

 何故か大爆笑だった。

 これには渚はおろか周囲の者達も驚いた。

 クールビューティーを()で行くアリステアが腹を(かか)えて笑っていた。

 あまりにも無邪気だがアリステアと言う少女を知っている人間からしたら異様な光景である。

 しかし本人からは狂喜や怒りを感じない。純粋に面白がっている様子だった。

 

「はぁ~、こんなに笑ったのは久しぶりです」

「いや、うん、よかったね?」

 

 初めて見せる相棒の姿に、そんな陳腐(ちんぷ)な返ししか出来ない渚。

 

「ええ。私を超えるですか。面白い事をいいますね、ナギ」

「む、出来ないと思ってるな」

「……いいえ、全く」

 

 嫌味のない穏やかな笑みだ。

 渚は妙な気分になる。出来ると思ってくれているは確かなのだろう。だがあの爆笑の意味が分からない。

 

「ナギ、笑い疲れたのでそろそろ終わらせますね?」

「……そうか」

 

 渚が本気で警戒する。

 アリステアがリボルバーのシリンダーを開放し、空になっていた薬莢を捨てて再装填を済ませる。

 カチャンとシリンダーを戻したのを見てアリステアの挙動(きょどう)(さぐ)っていると銃声が響く。

 

「──っ!」

 

 渚が(かわ)すも銃弾は(ほほ)(かす)めた。肉の焼ける匂いが鼻孔(びこう)を刺激するなかで渚の思考は別の所にあった。

 

「(銃声よりも早く弾丸が来やがった! しかも見えないぞ!? 弾速を上げてきやがったのか!!)」

「安心してください、貫通力の高いフルメタルジャケット弾ですので肉体の破壊は最小限に留まります」

「あ、安心という言葉の使い方がおかしくないか?」

 

 先程までハッキリと(とら)えていた弾丸が(わず)かにしか見えなかった。なんらかの方法で弾速に手を加えているのは明らかだ。

 

「見えなかったことがそんなに意外でしたか。では一つレクチャーしてあげます。……ナギ、速度には段階があります」

 

 銃口を向けたままアリステアが言葉を紡ぐ。

 

「まずは音速、これは通常の弾丸の速度です。次が光速、物理世界の最速がこれになりますが異能者たちの世界には更に上があります」

「それは初耳だな」

「では教えてあげましょう。今、私が放った弾丸は光速の上を行く"超速"になります、そしてコレがそれすら超える"神速"です」

「あ……」

 

 渚が熱いモノに貫かれる感覚を味わう。

 悲鳴を上げる暇すらない。見れば肩に風穴が空いている。流れ出る血液が渚の衣服を染めていく。

 

「な……?」

 

 気づけば……なんてレベルを()えている。認識したときには傷を受けていると言ってもいい。

 けれどマグナムという大口径の弾丸を受けた割りには傷は浅い。弾が上手く抜けたからだろう。

 弾丸の運動量で肉は裂け、骨まで砕かれたが死にはしない。

 

「これが神の速度。時間と言う概念すら置いていく領域(りょういき)です」

「ぅぐ、恐ろしいな……」

 

 あとからやって来た傷の痛みに脂汗(あぶらあせ)を流す渚。

 

「気づいていますか、貴方のその肩に私は五発の銃弾を撃ち込んだのですよ?」

「ご、五発?」

「上手く通してあげたのでダメージは一発分ですがね」

 

 アリステアがシリンダーを解放し、空薬莢を落とす。

 その数は六発。全ての弾丸が使い切られている。渚の認識では二発しか撃っていない。

 衝撃的な光景だった。

 (いわ)く同じ箇所に五発、傷は一つしかないのにだ。

 神速に驚けばいいのか、アリステアの銃技に感嘆(かんたん)すべきか迷うところである。

 アリステアが銃を仕舞(しま)う。

 

「驚く事でないでしょう。貴方だって神速の使い手です」

「……輝夜だな」

「ご名答。あの技の極致(きょくち)、"貌無(かたなし)"は多元遍在集束現象(たげんへんざいしゅうそくげんしょう)という概念で無限に斬撃を生み出す」

「たげんへんざい……なんだって?」

「多元遍在集束現象です。通常、速度重視の抜刀術である輝夜は鞘走りからの斬撃ゆえに一撃しか刃を振るうことしか出来ない、これは物理世界での絶対法則です。ですが光速を凌駕する神速は時間すら超越します。結果、最初の一撃目という可能性が集束し、斬撃は渚の放てる全ての方向から同時に相手を切り刻むという現象が発生する」

「あ、うん、すごいね?」

 

 やはり分からない。

 渚は専門用語が出てくる会話はどうにも苦手であった。とにかく"神速"は凄く速くて"刻流閃裂(こくりゅうせんさ)"もすごいという事で渚は納得するとした。

 自分でもバカっぽい解釈(かいしゃく)だと思うがどうしようもない。こちとら傷が痛くて思考力も落ちているのだ。

 

「解っていないですね?」

「あ、分かる?」

 

 アリステアにジト目で睨まれた。

 

「専門的な知識が必要ですからね。この辺にしておきましょうか、さっきからギャラリーが目障りなので治療を受けてください」

「助かる、正直倒れそうですらある」

「死にはしませんよ」

「そこは信頼してる」

「そうですか」

 

 アリステアが渚の前より去っていくとアーシアが飛び込んでくるように駆けてくる。

 渚の肩口に手を(かざ)すと当然のように治癒を始めた。

 

「すぐ治しますから」

「なんかゴメンな? 変な気を使わせて」

「お二人にとって必要な戦いなら私も微力ながらお力をお貸しします」

「ありがとな」

「お礼なんて。好きでやらせてもらっていることです」

 

 傷が癒えていく。重傷が数十秒で治った。流石の能力である。

 

「渚」

「リアス先輩? なんですか?」

「やっぱり貴方は強いわね」

「え?」

「改めて思ったのよ、貴方も攻略すべきだってね。これからイッセーと祐斗を交えた訓練をお願い出来るかしら?」

 

 攻略という意味が分からない。だが味方としてなく敵として認識されている気分だ。

 

「俺で良ければ」

「よろしくね、貴方とある程度渡り合えるくらい鍛えてくれると助かるわ」

 

 そう言うとリアスはヒラヒラと手を振りながら去って行った。

 

「えと姫島先輩、リアス先輩の様子が少し変な気がするんですけど……」

「彼女は常に最悪の状況を想定しているのよ。──半年前の失敗があったから」

 

 それはなんなのだろうか? 

 ふと祐斗が言っていた大量の"はぐれ悪魔"が駒王に攻めてきたという話を思い出す。確かアレも半年前だったはずだ。

 渚が心中で首を傾げると朱乃は意味ありげに微笑む。

 

「今回の最悪な状況ってなんなんですか?」

「それはゲーム当日に分かることですわ」

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 リアスが屋敷を目指していると前を歩くアリステアを見つける。

 その背へ追い付くと隣に並ぶ。

 アリステアはリアスを一別すると近くテラスに用意された椅子へ腰を掛けた。

 リアスもまたテーブルを挟んで椅子に腰をおろす。

 

「貴女が渚に弾丸を撃ち込むなんて思わなかったわ」

 

 渚は気づいてないがリアスには解る。アリステア・メアの行動原理は蒼井 渚を中心に回っている。

 きっと彼女が自分の味方でいる最大の理由は渚が居るからなのだ。

 どういう経緯でアリステアほどの存在が一人の男子に尽くしているのかは解らないが……。

 

「意外ですか? 私は必要ならばナギにも銃口を向けますよ。……気分は最悪ですがね」

「顔に出さないのは流石よ。忠臣も大変ね、アリステア」

「好きでやっていることです」

「もう少し渚の前で素直になればもっといい関係になれるわよ?」

「今の関係性で十分ですので」

「いいの? 貴女、彼のことを好いているでしょう?」

 

 リアスの言葉にアリステアは鼻で嗤う。

 

「今の関係性で十分ですので」

「あら、二度目」

「なんですか、その目は……。私がナギを愛してると言えば満足ですか?」

「愛してるとまで言い切るのね。なら聞くけど渚に好きな人が出来たらどうするの?」

「どうも? その女性が渚にとって有益ならば何も言うことはありません」

 

 驚くことにアリステアに嘘はない。てっきり物騒な発言がくるだろうと思っていたリアスは意外だった。

 しかし彼女がその気になれば渚は簡単に落ちるだろう。誰もが認める白銀の美女、あらゆる物事を冷静にこなし完遂する完璧超人。それでいて影ながら尽くす世話焼きな一面もある。

 ハッキリ言っていい女だ。性格上、浮気などもしないだろう。

 

「アーシアとあの子にとっては強大な壁だわ」

「簡単に越えることが出来ないから壁というのですよ、リアス・グレモリー」

「それもそうか」

 

 リアスが視線を下に向けて、アリステアの持ち物に目が行く。自分もつい先程まで同じ本を読んでいたからだ。

 

「それ、初期に発行されたレーティング・ゲームのルールブックね?」

「最近の書籍では簡略されてる部分があるので……」

「そんな物を読んでいるという事はやっぱり感付いてるのね」

「貴女もナギをゲームの頭数にいれていないということは悟っているのでしょう?」

「まぁそうなるわ」

 

 アリステアが持っているのは冥界の本だ。

 分厚い広辞苑のような書物は最も初期に発行された物だった。現在では殆どやらないようなゲーム内容が事細かに記されている。パラパラとその本をアリステアは(めく)ると目的のページで手を止めた。

 

「"トライデント"、三つの眷属によるバトルロワイヤル。今の公式戦では滅多に見ないルールだそうです」

 

 要するに三つ巴の戦い。

 ライザーと渚の戦力を(かんが)みて、グレイフィアは間違いなくこのルールを適応するはずだ。

 渚というイレギュラーを組み込んだゲーム、両陣営のパワーバランスを考えたらこの対戦方法がベストなのだ。

 

「複数の陣営と戦うのだから戦術がより多く必要になるわね。特に渚の行動が勝利の決め手となる」

「ナギはライザー・フェニックスを敵として行動するでしょうから漁夫の利を得るのが最適な解でしょう。確かあの男の眷属はフルメンバーだった筈です。グレモリー眷属は三倍以上の数を相手にするのだからナギを利用しない手はない」

「だけど何らかの制限もかかるわ、そうじゃないと渚は私の味方として行動する。グレイフィアもそこは分かっている筈よ」

「グレイフィア・ルキフグス。最強の女王の采配が楽しみですね」

「一つ聞きたいけどいいかしら?」

「どうぞ」

「私が渚に勝つにはどうしたら良いと思う?」

 

 リアスはバカな質問だと思いつつも問う。

 渚の味方に、渚に勝つ方法を聞くなど愚かに過ぎる。

 質問をされたアリステアは本を閉じると立ち上がる。

 やはり教えてくれるはずないと諦めた時だった。

 

「ナギの戦闘力はグレモリー眷属の総合力を上回る、しかし勝ち目がないわけでもありません」

「え? それはなに?」

「聞きますが、戦う場合は木場 祐斗(ナイト)をぶつけるつもりで?」

「加えて朱乃と私がバックアップにするつもりよ」

「それでは負けます。ナギを倒したければ木場 祐斗と共に兵藤 一誠を使いなさい」

「い、イッセーを? 確かに神器は強力だけど経験が無さすぎるわ」

「彼らが攻略の鍵です。そして搭城 小猫も参戦させることをお勧めします」

 

 グレモリーの接近戦担当をぶつけろと言うアリステア。

 しかしそれで勝てる未来は見えない。渚の得意とするのは刀を使った接近戦だ。そんな相手は近づかれる前に仕留めるのがセオリーである。

 だが、あのアリステア・メアの言葉だ。

 

「それで勝てるの?」

「この三人は今の渚にとって難敵になります」

 

 総合力ですら勝てない渚を前に難敵と言い切るアリステア。

 虚偽を言ってないのは確かだろう。彼女は嘘を言う性格ではない。

 

「編成の理由を聞きたいわ」

「神器があるからです、アレは今の渚とは相性が悪い」

「小猫はもっていないわよ」

「彼女は"私と同じ"ですので。……さて塩を送るのはここまでにします、私の言葉を信じるかは貴女次第ですよ」

 

 アリステアはもう話すことはないと一切振り向かずに去っていく。

 そんな彼女を見送るリアス。最後の言葉が胸に引っ掛かった。

 

「小猫とアリステアが同じか。気になる事を言ってくれるわね」

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

「搭城、そろそろ訓練を再開したんだけど?」

「……何を言ってるんですか? 渚先輩の訓練は禁止です」

 

 自分よりも小さな女の子にピシャリと叱られる渚。

 アリステアとの戦いを終え、アーシアに治療されたのだが、再び刀を握った瞬間に何故か小猫に取り押さえられた。

 小さな戦車である彼女の腕力に勝てるはずもなく、今は黙って隣り合って座っている状況だ。

 因みにアーシアと朱乃は魔力の訓練をするため屋敷に戻り、一誠と祐斗はひたすらに模擬戦を繰り返している。

 

「ほら、ライザー眷属攻略の為に俺も強くならないと━━」

「……渚先輩がこれ以上に強くなったら私たちが何も出来ないので自重してください」

「でも、その方がいいんじゃ━━」

「……これは部長が勝たないと意味がないです。渚先輩が無双したらグレモリー眷属の評価に繋がらないと思います」

「…………はい」

 

 ガクリと項垂れる渚。

 小猫の言い分が正論過ぎる。

 刀を置いて黙って座り続けていると小さな隣人が少し距離を詰めてきた。

 小猫は人見知りな性格だと渚は聞いている。そんな彼女がパーソナルスペースに他人を入れる事はまずない。

 だからいつも渚は困惑する。グレモリー眷属たちから聞いてる小猫と渚の知る小猫に差異があるからだ。

 渚の知っている小猫は少し遠慮がちだが渚の近くに良く依ってくる。

 嫌われるよりはマシだが好かれる事をした覚えもないのだ。

 

「……私、心配したんです」

「ん?」

「……アリステアさんとの戦いです。まるで殺し合いに見えました、実際に先輩は大ケガをしてます」

「ステアは俺よりもずっと強いかならなぁ。……この結果も当然と言えば当然だな」

「……敗北が当然ですか?」

「本気だったら肩じゃなくてココを一撃でやられてる」

 

 トントンと人差し指で眉間をつつく。

 実戦なら額に風穴が空いている。

 悔しさはない、渚はこの勝敗を予測していたからだ。

 今の蒼井 渚ではアリステア・メアには届かない。これは渚の中では絶対の理であり、だからこそ超えたい壁なのだ。

 

「……私は渚先輩がアリステアさんより弱いなんて思いません」

「ありがとな」

 

 慰めの言葉と受け取った礼に対して小猫は首を振る。

 

「慰めじゃないです。私は渚先輩の強さを知っています、先輩は誰よりも強い人です」

 

 渚の言い分に納得してない様子の小猫。

 あまり表情を変えない子だが余程信じているのだろう、声が落ち込んでいた。

 予想以上に想われていた渚は少し悪いことをしたと反省する。

 俯いた頭に自然と手を乗せる。ありふれた慰め方だが、これしか思い付かなかった。

 祐斗辺りならもっと気の利くやり方も出来るかもしれないが渚ではこれが限界である。

 

「信じてくれたのに、ごめんな?」

「……あ」

 

 小さな驚きを見せる小猫。

 不味かったかと渚は手の動きを止めた。

 

「勝手に触られるのは嫌だったか?」

「……こうして頭を撫でられるのは久しぶりで」

「撫でられたのはリアス先輩?」

「……姉です」

「お姉さんがいるんだな」

「……昔の話です」

「そっか」

 

 沈んだ口調。

 あまり語りたくない過去なのだろう。渚はゆっくりと頭から手を退けた、この手が思い出したくない過去を掘り起こしたと考えたからだ。小猫が撫でられた頭に自らの手で触れる。それは名残惜しげな行動にも見えた。

 

「……渚先輩の手は不快じゃないです、優しい感じがします」

「それは初めて言われたよ」

「……アーシア先輩も似たような事を言っていました」

「はは、少し照れるな」

「……だから、その、また触ってもいいです」

 

 顔を背けながら、そんな事を言われた。

 耳が赤いのは恥ずかしかったからかもしない。渚は恥を呑んだ小猫の言葉に報いるため再び頭を軽く手を乗せて撫でた。

 白いサラサラとした肌触りは本当に猫のような気持ちよさがある。

 こうして二人の時間はゆっくりと過ぎていくのであった。

 





データファイル


『神速』

物理法則を無視した領域。
速さと言うより概念に近く、その速度に達した攻撃は時間すら超越する。


多元遍在集束現象(たげんへんざいしゅうそくげんしょう)

本来は重なる筈のない出来事が同時に起こってしまう現象。
渚の場合は『神速』の”輝夜・貌無”が該当。
あらゆる可能性の斬撃が集束した結果、同時に重なり対象を細切れにするという結果が残る。


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合宿の終わりに《Bad or Good Hapuningu》


ウチの渚さんは謎が多い。
というわけで長かった合宿は今回で終わりです。



 

「終わったわ。ササッと立ちなさい、クソご主人様」

「痛ってぇ!」

 

 バチンと軽快な音が一誠の背中に響く。メイド姿のレイナーレに強く叩かれたからだ。

 一誠の腕には真新しい包帯が巻かれていた。

 これは渚に模擬戦を挑んで負傷した傷である。

 結果は惨敗(ざんぱい)だった。勝負にすらならない。いつも身近に感じていた友人は自分よりも高み立っている。

 リアスの眷属として一誠は一番役に立たないという現実を見せつけられる。戦闘力は低く、魔力も皆無。"赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"という神を超える"神器(セイクリッド・ギア)"の所持者であるも(いま)だに(にな)い手とは言い(がた)いのだ。

 

「はぁ~」

 

 酷く落ち込む一誠。

 周囲との歴然とした差が(あせ)りを生む。

 恩人であり、憧れの存在のリアスにとって大事な戦いが始まろうとしているのに、なんとも無力な自分が嫌になる。

 

「うざ」

「あっちぃ!!」

 

 首筋に熱を感じて跳び跳ねる一誠。

 レイナーレが光の槍をソフトに押し付けたからだ。

 悪魔にとって毒にも等しい光を受けた一誠は首をゴシゴシと手で(こす)る。驚きと抗議が混じった視線をレイナーレへ向けるが鼻で(わら)う彼女。

 

「ハンッ! 何よ、文句あるの?」

「あちちち! 俺、悪魔! 光に弱いの! 下手したら消滅だっつの!」

「……(ちり)に帰ればいいのに」

「夕麻ちゃん、ボソッと酷い事いうのやめてよ!?」

 

 一誠は涙目になる。

 最近、いつもに増してレイナーレが自分に攻撃的だ。身の回りの世話は『敗者だから……』と渋々(しぶしぶ)態度(たいど)(よそお)いつつもやってくれる彼女だったが少し前から妙に不機嫌な様子が続いている。

 思い当たる(ふし)がない訳じゃない。

 リアスが夜這いに来た日からだ。

 アレにはレイナーレも気づいている。次の日の朝に唇を引き釣らせながら青筋を立てていたのだ。正直怖かったが同時に嬉しくもあった、これは嫉妬されていると分かったからだ。少なくとも自分は好意的に思われていると自覚できた。

 

「何、笑ってんのよ」

「うわ! だから槍を(かま)えるのはやめない!?」

 

 過激な愛情表現。

 もしも仮に「嫉妬してるの?」などと言えば反骨精神(ツンデレ)のレイナーレは勢い余って一誠を殺してしまうかもしれない。嫌な愛の到着点である。

 素直に謝ろうにも一誠とレイナーレの関係は普通じゃない。今さら彼氏彼女といった物になるには色々と複雑すぎる、だからこそ簡潔な主従関係に留まっている状態だ。

 

「……あんた、リアス・グレモリーが好きなの?」

 

 急な質問に一誠はどう答えていいか少し考える。

 

「好きだよ、ずっと憧れていたし……」

「あ、そ」

 

 淡白に言うとレイナーレは光を納めた。

 気の多い男だと呆れたのだろうか……と一誠が彼女の表情を覗き見る。

 

「人の顔を盗み見る真似をやめろ」

「あ、ごめん。怒ってるかなって思って」

「そうね。アレだけ私を好き好き言ってた男に実は本命がいた。つまり私は二番手だった、腹が立つわ」

「そいうわけじゃ……」

「構わないわ。……不快だけどリアス・グレモリーがいい女ってのは分かってるし」

 

 リアスが他の悪魔と違うというのを身を持って味わっているのはレイナーレ自身だ。

 本来なら処刑されているはず彼女が一誠とこうして会話できていること事態が異常なのだから。

 

「今でも夕麻ちゃんの事は好きだ」

「レイナーレよ。……安っぽい告白ありがとう」

「……うっ」

 

 確かにリアスが好きだと言った後ではそう取られても仕方のない事だ。

 

「そんな事より立ちなさいな」

 

 ぐいっと腕を引っ張られる。

 一誠がよろめくが関係なしにレイナーレが距離を取って光の槍を装備する。

 よくわからない行動に一誠は困ってしまう。

 

「え、何?」

「あんたは雑魚よ、成り立てだから当然といえば当然ね」

「き、気にしてるのに」

「事実でしょ。つまり居眠り男は勿論、木場 祐斗にも手加減されている。だからわたしが相手をしてあげるわ」

「えと夕麻ちゃんが相手になる意味は?」

「わたしはあの二人と違って殺す気でやる。あんたに足りないのは技術だけじゃない、経験もよ。今の内に殺意のある攻撃に慣れておきなさい」

 

 槍を低く構えて先端を一誠に向けてくるレイナーレ。光を宿す槍には間違いなく殺気が(こも)っていた。

 

「殺意って、俺、死なねぇ?」

「中にいるドラゴン様がなんとかしてくれるでしょう」

「そんな適当な」

「うっさいわね、行くわよ」

 

 こうしてレイナーレとの模擬戦を始める一誠。

 悪魔に光の槍を平然と突き刺してくる彼女に対して改めて思う。自分の元カノのは恐ろしい堕天使なのだと……。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

「はぁ~、良い()だぁ」

 

 アリステアとの模擬戦を終えた渚は一日の疲れを癒すため風呂に入っていた。グレモリーの別荘とあって立派な大浴場である。

 天井を見上げていた視線を隣にいる一誠へ向ける。

 

「それで?」

 

 渚は本題に入る。

 一誠は生傷だらけで風呂に浸かっている。風呂に向かう途中で会ったのでアーシアの所に行くよう言った筈なのに何故か渚に付いてきて汗を流しているのだ。

 何か相談事があるのは間違いない。

 渚のそんな予想を肯定するように一誠が立ち上がった。

 

「俺を死ぬ気で鍛えてくれ」

「……急にどした?」

 

 余裕のない表情と声に思わず聞き返す。

 

「ここ来て分かったんだ。俺は弱い、それもとんでもなく。このままじゃライザーとの戦いで役に立てる自信がないんだ」

「そんな焦る必要もないぞ? イッセーはまだ悪魔に成り立てだ、弱くても仕方がないんだ」

「夕麻ちゃんにも似たようなことを言われたよ」

「あの人がねぇ」

 

 (はげ)ますつもりで言ったのだろうが刺々(とげとげ)しい性格だからもっと過激な言葉を(おく)ったのだろうと想像できる。

 

「夕麻ちゃんとも戦ったけど負けた」

「そうか」

「それでより強くなるには格上と戦い続けなければならないんだって気付いたんだ」

 

 確かに一誠の言うことは一理ある。

 ゲームじゃないが格上との戦闘はより多くの経験値を貰える。ただ相手が上過ぎると逆に何も得られない場合も多い。結局は一撃でやれてしまうパターンになるからだ。一誠にとって渚も祐斗も上過ぎる相手になる。

 渚はどうするかと頭を悩ませるも、すぐに良い方法を思い付いた。それは自分で実証済みのレベルアップ方法だ。

 

「イッセー、今から死ぬ気で修行するにしても期日が短すぎて身体を壊すだけで終わると思う」

「で、でもさ!」

「だから、とっておきの秘策を教えておく」

「あるのか、秘策!?」

「勿論。答えはソレだ」

 

 渚がピッと指をさす。

 それは一誠の左腕だった。

 

「左手?」

「そこには"赤い龍(ウェルシュドラゴン)"がいる、彼と話すのが一番いい」

「あ、あのドラゴンと喋るのかよ」

「話したことはあるだろ? レイナーレさんがドラゴン化した時に……」

「あるけどよ」

 

 一誠から恐怖が伝わってくる。無理もない相手は伝説のドラゴン、渚だって面と向かって喋れと言われればお断りしたい。

 だが強くなりたいと言うのなら、これは絶対に必要な事だ。渚が千叉 譲刃(せんさ ゆずりは)との邂逅(かいこう)で"刻流閃裂(こくりゅうせんさ)"に目覚めたように一誠にも何か得られるものはある。

 

「大丈夫だって。お前とドライグは(そろ)って赤龍帝だ、つまりアチラさんからしても仲良くしておきたい筈だ」

「本当か……?」

「信じろ。ドライグだってお前が強くなる事を良しとする。宿主が死ねばいつ目覚めるか分からない眠りに付く羽目(はめ)になるからな」

「そこまでいうならやってみる。……けどどうすれば会えるんだ?」

「眠る前に呼べば答えてくれる。俺の場合は……だけどな」

「わ、分かった。早速やってくるぜ!」

 

 怯え半分、期待半分と言った感じで一誠が(あわ)ただしく大浴場を出ていく。

 本当に強くなりたいのだろう。

 どうか良い結果になりますようにと心で祈りながら風呂を満喫していると浴室の扉が再び開く。

 ペタペタと足音が近づくの聞いた渚は浴槽(よくそう)にもたれ掛かった状態で首を後ろに倒す。

 

「なんだイッセー、まだ聞きたいことが……」

「え、ナギさん?」

 

 反転した世界で飛び込んできたのは一誠ではなく金髪の美少女、つまり全裸のアーシアだった。

 渚は視線を上から下にゆっくり移動させて彼女の肉体をガン見する。キュッと引き締まった腰。小ぶりなお尻。太くもなく細くもないふともも。極めつけは小さ過ぎず大き過ぎない程よいサイズの胸。

 

「……素晴らしい」

 

 思考回路がショートした渚は思わずプロポーションについて口に出してしまう。

 きょとんとしたアーシアの表情がみるみる赤くなっていく。下から見上げる状態なので大事な部分もしっかり見えてしまっている。

 渚は不味いと直感的に思うも下手には動けない。健全な男子にとってアーシアのヌードは刺激的すぎて体が反応してしまう。

 とりあえずゆっくりと首を起こして彼女に背を向ける。自制心を前回にして下半身に血が行かないように努力する。

 

「す、すいません!」

 

 アーシアに謝られる。

 はっきり言って悪いことなんて一切ない。謝りたいのはこっちだ。神聖な物を汚した気分ですらある。

 

「気にするな。次からは誰が入ってるか確認した方がいい」

 

 心臓がバクバクいっているが懸命に冷静を装い立ち上がる渚。

 そして風呂場から出るため歩き始める。出来るだけアーシアを見ないように真っ直ぐ出口に行こうとした時だ。

 三度目の扉が開く。

 そこに立っていたのは小猫だった。

 白い肌に小さな体。幼いと思っていた小猫は渚の思っていた通り細い体をしていた……とは言っても肉付きが悪い訳でなく、身長とのバランスは取れているので健康的である。……小さいながも胸もあった。

 

「な、なぎさ……せんぱい?」

 

 金色の瞳が全開になると視線が下に行く。

 渚は神に祈りたくなった。今、そこには女子に見せてはいけない凶悪なモンスターが空を見上げているのだ。

 

「にゃあ~」

 

 刺激が強すぎのかボンッと顔を真っ赤にして倒れ込む小猫。思わず渚は受け止める。全裸同士の抱き合いになるので小猫の感触を直に味わう。

 

「小猫さん! ──きゃ!」

 

 アーシアが慌てて小猫に駆け寄るが背後で聞こえた声に渚は嫌な予感がした。

 ぽよんと心地よい二つの膨らみが背中に当たる。柔らかさの中に小さな突起を感じた。理性が昇天しかける。前後から襲う美少女の裸体。もうどうすればいいか分からない。

 

「ご、ごめんな……ひゃう!」

 

 再び足を滑らせて渚を後ろからガッチリとホールドするアーシア。更に押し付けられる(ふく)らみ。脱出不可能な迷宮入りを果たした気分である。

 さまようアーシアの白い指が棒状の物に触れた。

 

「あ、あれ? これはなんでしょう?」

「クッ!! アーシア、落ち着いてゆっくりと立ち上がってくれ」

「え、あ、はい」

 

 欲望と理性の狭間で美少女二人を介護する。

 二人をキチンと介抱した渚は逃げ出すように浴場を後にする。

 全力で走りながら渚は顔を手で覆い心の中で叫ぶ。

 

 ──見られた、触られたぁぁぁぁぁぁ!!

 

 

 

 ○●

 

 

 

 お風呂騒動の次の日の朝。

 渚は(あて)がわれた自室にアーシアと小猫を呼び出した。三人は床に正座して1対2で向かい合う。

 

「まず昨日件について謝ります。アーシア・アルジェントさん、搭城 小猫さん、本当に申し訳ありませんでした」

 

 渚が深々と謝罪した。

 介抱するためとはいえ無作法(ぶさほう)に裸へ()れてしまったのだ。

 これについてはキチンと謝っておきたかった。

 二人は頬を赤くさせつつも黙って(うなず)く。

 

「あの、昨日の件は何もなかった事ですし、私も怒ってません」

「……そうです。ちゃんと確かめなかった私も悪いと思います」

 

 優しいお言葉に甘えたくなるがアレは非常に不味い出来事だ。

 一歩間違っていたら取り返しがつかなかった。

 アーシアと小猫のような美少女があんな姿になって男の前に出たら襲われてもおかしくないのだ。

 渚は首を振って二人の言い分を受け流す。

 

「二人ともそんな優しくしてはダメだ。……俺もあと一歩で理性が吹っ飛ぶところだった」

「ど、どうしましょう」

「……私に対してもですか?」

「当然だ。搭城だって立派な女子だ」

「……あ、ありがとうございます」

 

 アーシアが両頬に手を当ててリンゴのように赤くなり、小猫も白い肌を薄くピンク色に染める。

 予想外のリアクションだった。もう少し怒られると思っていたのに何やら嬉しそうですらある。

 渚はこれに危機感を覚えた。もしかしたら二人の貞操概念(ていそうがいねん)は渚が思ってるよりも低いかもしれない。

 アーシアは分かる。ずっと教会で隔離(かくり)生活を()いられていたのだから仕方(しかた)がない。

 だが小猫は意外だった。てっきりリアスが教育しているものだと思っていたからだ。……いや、彼女自身が一誠に夜這いをした事からも性的な方面では放任主義かもしれない。

 あまりにも無防備な二人に渚は男の危険性を教え込むことを決意する。

 

「いいか、二人とも男ってものは危険な生物だ」

「き、危険なのですか?」

「……はぁ」

 

 アーシアは目を丸くして驚き、小猫が首を(かし)げて気の抜けた返事をする。

 

「俺ぐらいの十代の男子は女の子に興味津々(きょうみしんしん)なわけ。かわいい女の子と話したいし触れたい。(しま)いにはエッチな事もしたいんだ」

 

 アレ、俺って何言ってんだ?

 物凄く恥ずかしいことを暴露(ばくろ)してないか?

 そんな疑問が脳内に()()うが、あくまで一般論だと強引に言い聞かせる。

 

「えっちなことですか?」

「そうだ、特にアーシアみたいな純粋な子を言葉(たく)みに丸め込んで襲うやつだっている! ……と思う」

「こ、怖いです」

「そう! 怖いんだっ!! アーシアは人を疑わないからもっと警戒心を持った方がいい」

「……すごい熱弁ですね、渚先輩」

「勿論、搭城もだぞ。外見が可愛らしいから物陰に連れ込もうとするヤツもいるかもしれない」

「大丈夫です、そんな人は天誅(てんちゅう)です」

 

 軽くシャドウボクシングをする小猫。

 小さな拳だがコンクリートを砕く力を持っているので問題ないだろう。ひとまず小猫よりも自衛手段が(とぼ)しいアーシアだ。

 渚が更に男の怖さをレクチャーしようとした時だ。

 

「ナギさんも興味津々なのですか?」

 

 思わぬ純真カウンターが()んでくる。渚は一瞬(おく)したが()えて(かわ)さず正面から受ける。

 

「…………うん」

「お、女の子に、え、ええ、えっちな事を、し、したいのですか?」

「えと、あのね、アーシアさん、これは一般論といいますかね」

「……渚先輩、焦り過ぎです」

 

 アタフタする渚に小猫が冷静にツッコミをいれてくる。だがこれでアーシアや小猫に欲情しないと言えば逆に失礼ではないだろうか?

 小猫は犯罪な感じだが魅力的な部分もある、アーシアに関しては立派な女子だ。

 色々と観念した渚は(なな)め上に吹っ切れた。

 

「したいさ! だって男子だからな!!」

 

 (あら)めて女の子を前にして自分は何言ってんだと頭を(かか)えたくなる。嫌われてもおかしくないがアーシアにはちゃんと教えなくてはならない。

 ここまで来たら変な使命感が()いてくる。もう気分は松田、元浜、一誠と同様のオープンエロだ。

 ──だが一向に構わん! こうなったらやれる所までやらなきゃならない。しかし、どうしてこうなったっ!?

 

「な、なら、えっちな事をしたくなった、わ、わわわ私に言ってください!」

「「…………は?」」

 

 渚と小猫の声がハモる。

 どうしてそんな答えに辿(たど)り着いたのだろうか。

 果てない疑問だった。

 

「な、ナギさん。勝手に女の人に触れるのは日本では犯罪だと聞きました。私、ナギさんが警察に捕まるのは嫌です」

「う、うん?」

「なので、どうしても我慢できなくなったら私の体を好きに使ってください」

 

 恐ろしいパワーワードだ。

 金髪碧眼の純真美少女から『私の体を好きに使ってください』などと言われたのだ。

 男殺しのアーシアと名付けよう。渚はそんな下らない事を考えていた。

 

「いやいやいや! ダメだろ、そんなこと言ったら!! もっと自分を大事にしよ、な?」

「私はそれ以上にナギさんの事が大事です!」

 

 言い切るアーシア。

 その瞳は純粋で渚は何も言い返せないほどだ。聖女パワーが色欲(しきよく)(おぼ)れ掛ける男を助けるために己を(ささ)げようとしている。

 

「……わお」

 

 なんとも棒読みな驚き方をする小猫。

 渚も困り果てる。まさかこんなことになるなど夢にも思わなかった。

 自分が思っている以上に好意的なアーシアに渚は戸惑(とまど)う。命の恩人に対して借りを返したいだけかもしれないが好意を向けられるのは嬉しいものだ。

 ふと眠そうな瞳の小猫と目が合う。

 

「ど、どした?」

「……(した)われてますね、すごく」

 

 フラットな口調に少しだけ(とげ)がある。何故か不機嫌な小猫に渚は更なる戸惑いを見せる。

 その後アーシアの問題は発言は渚の説得によりナシになった。純真な彼女を手込(てご)めにするほど鬼畜(きちく)ではない。

 アーシア自身は若干(じゃっかん)残念そうだったのだが……。

 

 

 

 ●○

 

 

 

 アーシアたちと別れた渚は一誠に誘われて別荘の外に出た。しばらく二人で歩いていると人気のない森の中で一誠の足が止まる。

 ここでやるのかと渚は刀を呼び出す。

 

「あ、悪い。今日はちょっと違うんだ、話いいか?」

「話?」

 

 てっきり模擬戦を頼まれると思っていたが違うようだ。

 一誠が"赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"を装備する。渚は黙ってそれを見守っていると籠手を前に差し出す。

 

「昨日の夜、ドライグと少し話をしたんだ」

「上手く言ったのか?」

「自分でもビックリするぐらい協力的だった」

「そうか。それで話ってのは?」

「ドライグがな、ナギと話がしたいって」

 

 まさかの一言である。

 あの伝説の天龍から対話を求められた。意外すぎる展開だ。

 

「赤龍帝ドライグが俺に?」

「なんか少し聞きたい事があるみたいだ」

「……まぁいいけど」

 

 "赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"が(あわ)く光ると手の甲辺りにある碧の宝玉が光を放つ。

 

『よう、初めましてになるか』

「そうですね、初めまして赤龍帝ドライグ」

『クク』

 

 天龍が苦笑する。

 

「何かおかしなことでも?」

『敬語を使われると背筋がゾクッとしてな。ため口でいい』

「そうですか。なら一体、俺に何のようだ?」

『単刀直入に聞く。蒼井 渚、お前は何者だ?』

 

 変な質問だ。

 渚は天龍に興味を持たれるほどの事をした覚えがない。だが聞かれたのなら答えるのが礼儀だろう。

 

「自分でもよくわからん。半年前から記憶が跳んでるからな」

「え? ナギ、お前って記憶喪失だったのか」

「まぁな。あんまり言いふらすなよ?」

「お、おう」

 

 騒ぎにしたくないので基本的に記憶の事は黙っている。知ってるのはグレモリーに関わりがある人物とアリステアぐらいだ。

 ともせず渚は思考をドライグに切り替える。

 

「俺の正体を知りたがった理由を聞きたい」

『目覚めたての俺は力が制限されている。普通は時間を懸けて宿主へ適合していく。しかし今回は最初から全ての力が使える状態だった。これは異常だ、俺が力を貸せば直ぐにでも兵藤 一誠を禁手化(バランス・ブレイク)へ誘える』

「な!」

 

 驚きの発言だった。

 禁手化とは"神器"の奥義のようなものだ。

 その領域に手を伸ばした担い手は通常の何十倍もの力を手にすると言う代物である。だが達するまでには多くの鍛練を積まないといけない。

 

禁手化(バランス・ブレイク)ってなんだ?」

「神器の力が進化した先だ。それを使えるようになったら今の一誠でも上級悪魔と正面から戦える」

「ま、マジか!」

 

 一誠が歓喜に震える。"神滅具(ロンギヌス)"の禁手化ならば間違いなくソレぐらいには(いた)れる。

 無力だと思っていた自分へ急に舞い降りた力だ。はしゃぎたくなる理由も分かるが懸念(けねん)もある。

 

『残念だが相棒、あまり喜んでもいられないぞ』

「へ? なんでだよ?」

「イッセー、禁手は修行の果てにたどり着くモノらしい。今のイッセーが使えば制御は勿論、肉体が持たない。違うか、ドライグ?」

『ああ、普通に考えれば10秒で限界だ。それ以上は相棒が中から破裂する』

「うそ……」

『本当だ』

 

 落胆(らくたん)する一誠だが成り立て悪魔が禁手化を10秒も維持(いじ)出来る時点で奇跡だ。

 しかしドライグから更に驚きの言葉が放たれる。

 

『だが時間を増やすことが出来るかもしれん』

「ど、どうやって?」

『蒼井 渚、宝玉に触れてくれ』

「宝玉に? 何故だ?」

 

 訝しげに渚が籠手を見る。

 

『お前が近くいると神器が活性化する。実際、龍化した堕天使(レイナーレ)との戦いで相棒は普段の数倍の力を発揮していた』

「そんなバカな。俺がいるだけで神器が強くなるってか?」

『まず触れてみろ』

 

 ドライグの言われるまま半信半疑で宝玉に触れる。

 

「うお! なんだ、これ!?」

 

 籠手から何かかが入ってくる感覚に見舞(みま)われた。そして渚との間にパスのような繋がりが出来る。

 

『やはりな』

「これはどうなってる、ドライグ?」

『それはこちらの台詞(せりふ)だ。可能性としては特異体質か、お前が神器と深い関係にあるか。そのどちらかだろう』

「特異体質ね。それで神器の具合は?」

『予想以上だ。これなら3分ぐらいなら相棒を神器の負荷から守ってやれる』

「どこかの光の巨人みたいんだな」

「でも10秒から3分ってかなり()びだぞ。サンキューな、ナギ」

「俺はなんもしてないけどな。お礼はドライグに言ってくれ」

 

 繋がりは一時的なものだったのか、今は感じられない。それにしても妙な異能を持ったもんだと渚は思う。

 あとでアリステアに相談しておこうと決めて刀を構える。

 

「早速、(ため)すか?」

「お、いいのかよ」

「ついでだからな」

「なら頼むぜ。ドライグ、行けるか!?」

『誰に言ってる? 気分のいい目覚めだ、跳ばせ相棒』

 

 瞬間、一誠が真っ赤に染まる。

 そのオーラの光の中で渚は見た。

 

「ヤベ、想像以上に凄いな」

 

 不敵(ふてき)(わら)う渚。

 赤い光に包まれる影は人の形をしたドラゴン。前に戦った龍化したレイナーレを超える龍気に戦慄(せんりつ)する。

 あの伝説の赤龍帝が相手だ、(ふる)えない訳がない。圧倒される渚だったが少しばかり安堵(あんど)もした。制限はあるが一誠は自衛(じえい)できる力を得た。もう誰も彼を雑魚などと呼べないだろう。

 そんな渚に応えるように巨大なオーラを宿した龍の拳が(とどろ)き、大地に激震(げきしん)が走る。

 

 

 

 ●○

 

 

 

 合宿、最後の夜。

 渚は山道から満天の空を(なが)めていた。

 (いま)だにチーム戦が苦手な自分に不安を覚えていると足音が近づいてくる。木々の間から出てきたのはアリステアだった。

 

「ナギ、何をしているのですか?」

「ステア」

「明日は帰宅です、準備は?」

「終わってるよ」

 

 当然のように渚の隣に立つアリステア。

 

「今日の昼、貴方と出掛けた兵藤 一誠が禁手化(バランス・ブレイク)(いた)りましたね」

「気づいたか」

「兵藤 一誠に関して今回で至ると確信があったので」

 

 言い切るアリステア。一誠の劇的な成長は予想済みだったみたいである。

 しかし一誠が至った禁手化(バランス・ブレイク)は"赤龍帝の籠手(ブーステッドギア)"本来の禁手(バランス・ブレイカー)より性能が劣る。

 ドライグ(いわ)く時間を()けて到達するはずの力を裏技みたいな方法で手に入れたのだから仕方ないとの事だ。(もっと)も一誠の成長で(いく)らでも神器は強くなるらしいので、いつか真の性能に近づくとも言っていた。

 

「いきなり禁手化(バランスブレイク)するとかデタラメすぎる」

「要因はありました」

「その要因ってのは俺か?」

「ドライグ辺りに聞きましたか」

「俺が近くにいると神器が活性化するとか言ってたよ」

「そうです。貴方は神器に干渉(かんしょう)してしまう体質……いえ能力を所持(しょじ)しています」

「干渉ね。ステアは俺がなんなのか知ってるんだよな?」

「蒼井 渚。それ以上の何者でもないでしょう」

「相変わらずの秘密主義な返事か。だけど、それでいいかもな」

 

 自分が何者かと知ったところで何も変わらないし、変えたくもない。今の渚は駒王の学生で、オカルト研究部の部員で、グレモリー眷属の協力者。

 普通とは違うが最近はこれでも(かま)わないと思いつつある。

 

「少し話題を変えても?」

「ああ」

 

 アリステアがそう言うと一枚の紙を渡してくる。

 月明かりを頼りに見ていくと何かの資料だと分かった。

 

「これは"トライデント"というレーティング・ゲームのルールになります」

「トライデント?」

「三つ巴の戦い。……高い確率で今回はこのルールが適応(てきおう)されます」

「待て、俺はライザー・フェニックスだけじゃなくてグレモリー先輩とも戦うかもしれないのか」

「ええ」

「納得した。これってグレモリー先輩も知ってるな?」

 

 それなら今回の合宿で渚との連携に重きを置かなかった理由も納得できる。リアスの言った『攻略対象』という意味もだ。

 

「それでどうしますか?」

「とりあえずライザー陣営へ仕掛けるのは決定事項だな」

「確かに理想系ではありますが……」

「何かあるのか?」

主催(しゅさい)が貴方にペナルティを()すかもしれません」

「ベナルティか」

 

 あり得る話だ。

 例え三つ巴とはいえ普通に考えれば渚はライザーの方から攻撃する。ならば構図的にはライザー対リアスのままだ。

 

「詳細が分からない事には対策も立てられない。当日、せいぜい頑張ってください」

「そうだな、せいぜい頑張るさ」

 

 考えても仕方がない。

 どうせ本番にならないと開示されないのが今回のルールだ。ならば待つしかないだろうと渚は覚悟を決める。

 ライザーとの戦いは(すで)にそこまで迫っているのだ。

 





思ったよりも長引いた合宿も終わり、ライザーとの戦いが始まります。
素人ながらも、もう少しスピーディーに話を進ませたいと思う作者だったりします。


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0時、開幕《Game Start》


始まるレーティング・ゲーム。
予想通りのゲームルールと予定外のゲームルール。



 

 ──試合当日。

 

 渚は自宅マンションで待機していた。

 時間は午後10時、試合開始は深夜0時の予定だ。

 服装は自由という事だったが渚は()えて制服を着用する。

 自分を落ち着かせようと努力するが、どうにも緊張してしまう。ただの"はぐれ悪魔"討伐とは違う。本物の悪魔同士の戦い、そこにはルールがあり戦術もある。不確定要素が入り交じる未知の戦場だ。

 

 ピンポーン。

 

 部屋のインターフォンが鳴る。

 ドアを開けるとアーシアが立っていた。

 

「こんばんは、ナギさん」

「こんばんは。アーシアはシスター服なんだな」

「はい、服装はなんでも良いとの事だったので」

「そうだな、やっぱりアーシアはその服装が一番似合ってると思うよ」

「ありがとうございます。……あの、ステアさんはいらっしゃらないのですか?」

 

 ()物顔(ものがお)でいつも渚の部屋に入り(びた)っている彼女は今日は私用で出掛けていた。たまにフラりと居なくなる事もあるので渚はあまり気にしていない。

 

「用事があるから今日は()ないってさ」

「そ、そうですか」

「試合まで時間もあるし、上がって行ってくれ」

「で、では失礼します」

「どうぞ」

 

 自室にアーシアを(まね)くとリビングのソファーに座らせて渚はキッチンでホットココアを作り始める。コーヒーよりもコッチが好きだからだ。

 少し甘めに作ったココアをアーシアに差し出すと渚も一人分のスペースを開けて隣に腰を下ろす。

 

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

 

 暖かいココアの入ったカップを両手で持って、ふぅふぅと冷ましながら飲むアーシア。小動物みたいで可愛らしいと自然と笑みを浮かべてしまう。

 

「あ、あのっ」

「ん?」

 

 カップを置いたアーシアが緊張した面持(おもも)ちで渚を見た。

 

「近くに行ってもいいですか?」

「構わないよ」

 

 渚が隣をポンポンと叩くとアーシアが寄ってくる。

 そして意を決した様子で渚へ腕を(から)めてきた。

 ふわりといい香りがした。何事かと心臓が高鳴る。

 

「少しだけ……少しだけ勇気をください」

 

 アーシアから小さな(ふる)えが腕に(つた)わってくる。

 元々争い事には無縁な()だ。そんな彼女が戦場に出るのだ。以前の"はぐれ神父"たちの襲撃は驚く(ひま)もないまま戦いに巻き込まれたが今回は違う。日時と戦う相手が指定されたせいで考える時間が出来て怖いのだろう。

 渚は(おび)えるアーシアの手を優しく取った。

 

「あぁ、やっぱりナギさんといると安心します」

「なら好きなだけこうしておくといい」

「いいえ、もう少ししたら学園へ向かいます。私もオカルト研究部の一員ですから……」

「アーシアは頑張り屋さんだな」

「ナギさんがいるから頑張れるんです。ですから、ずっと私を見ていてくれますか?」

「俺なんかで良ければ」

「えへへ、嬉しいです」

 

 向日葵(ひまわり)のような笑顔。

 寄り添う二人は静かに決戦の時を待つ。

 こうしている間に緊張も恐怖もいつしか消えていた。

 

 

 

 ●○

 

 

 

 ゲームが始まる10分前になった。

 渚はアーシアと共に駒王学園に入ってオカルト研究部の部室で待機中だ。

 祐斗は剣を壁に立て掛けて瞑想(めいそう)していた。小猫はマイペースに羊羮(ようかん)を食べている。その手には格闘家が着けるようなオープンフィンガーグローブを着用し、いつでもゲーム出られる状態にあった。リアスと朱乃はゲームの戦術を話し合いながらも落ち着いた様子でお茶を口にしている。

 一誠とアーシアが二人揃って深呼吸を繰り返しているのを見て渚は苦笑する。

 ふと部屋の中央にある部室の方陣が光を()びた。

 

「皆様、開始時間が近くなりました。準備はお()みでしょうか?」

 

 現れたのは最強の"女王(クイーン)"兼メイドのグレイフィア・ルキフグス。

 彼女の出現と同時に全員が席を立った。グレイフィアはそれを準備が出来たと認識(にんしき)すると(うなず)く。

 

「結構。戦闘フィールドはこの方陣より移動します。……そして今回のルールは"トライデント"が採用されました、極めて珍しいゲーム方式ですので詳細(しょうさい)の説明を(いた)します」

「三つの陣営によるバトルロワイヤルという点以外は、よくあるスタンダードなルールなのでしょう?」

 

 リアスがキッパリと答える。

 

「左様です。予測済みだったとはお見事です、お嬢様」

「お世辞はいいわ。三つ目の陣営は渚でいいの?」

「はい、その通りでございます。ですが更に条件が追加されます」

 

 グレイフィアが渚を見る。渚は黙って後へ続く言葉を待つ。

 

「ライザー・フェニックス様の眷属を一人だけ渚様の陣営へ参加させていただきます」

「ライザーの眷属を?」

「はい。この条件に乗っとり、渚様ともう一名の両方を王とします。これによりどちらが敗退しても渚様の陣営は敗北となります」

「……なかなか厳しいな」

 

 かなりのペナルティだ。

 リアスのために動こうにも間違いなくライザー陣営からくるだろう"相方"が妨害する。逆に"相方"がリアスたちを襲うのも防がなくてはいけない。

 そして最も面倒なのは"相方"がやられたら即退場というルールだ。

 今回リアスが相手にするライザーは経験も戦力も上である。それから勝利を掴むには渚の力が必要となってくる。

 これにより渚はすぐに舞台から降りるわけにはいかないのだ。つまり否応なく"相方"を守らざる得ない状況に身を置くこととなる。

 逆に"相方"は負けてもデメリットが少ない。ライザー陣営はリアス陣営の三倍、その中の一人を犠牲にするだけで渚という戦力を無効にしてしまうのだから……。

 

「……渚、やれる?」

 

 リアスが()うてくる。

 思った以上の難題(なんだい)に彼女も驚いてるのだろう。渚は内心で『いいえ、無理です!』と情けなく叫んだが口に出すわけにもいかず出来るだけ自然な笑みを作った。

 

「なんとかしてみます」

「そう、お願いね」

 

 重たい空気の中、グレイフィアが口を開く。

 

「今回のレーティング・ゲームはグレモリーとフェニックスの両家の方々も他の場所から中継でご覧になられます。更にリアス様の兄上である魔王サーゼクス・ルシファー様もこの一戦を拝見(はいけん)なされています。家の名に恥じぬ戦いを期待します」

「……お兄様も見られているのね」

 

 グレモリー眷属たちがざわめく。

 当然だろう。魔王が直接見ているのだ、驚きもする。

 特に度肝(どぎも)を抜かれたのは一誠だろう。リアスが魔王の妹だと初めて聞いたからだ。祐斗へ問い詰めてる様子からも間違いない。

 

「そろそろ時間です。一度、あちらに移動すれば勝者が決まるまで方陣の使用は不可能となります」

 

 グレイフィアの言葉に全員が方陣に集結した。すると方陣の紋様が目映(まばゆ)く光り出す。

 光が部屋を(おお)うと転移によって渚たちは姿を消した。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 渚が目を開けると駒王学園の正門に立っていた。

 さっきまでいたはずのグレモリー関係者もいない。

 たった一人で眼前の光景に首をかしげる。確か戦闘フィールドに転移した筈である。

 だがすぐに()()()()()()()()と気づく。

 今は午前0時、しかし空は真昼のようだ。同じ駒王学園でも確実に違う場所なのだ。

 

『皆様。このたびグレモリー家とフェニックス家の"レーティング・ゲーム"の案内役(アービター)(つと)めさせていただく事になりました、魔王サーゼクスの"女王"グレイフィアでございます』

 

 渚の考えを肯定するように校内放送が流れ始める。

 

『我が主、サーゼクス・ルシファーの名の下にご両家の戦いを見守らせて頂きます。どうぞ、よろしくお願い致します。早速ですが今回は特殊なルールが複数設けられているので説明を初めます。まずフィールドはリアス様とライザー様の意見を参考にリアス様の通う駒王学園のレプリカを異空間に用意しました』

 

 渚は良くできたレプリカだと感心する。どう見ても本物と見分けが付かない。

 

『そして競い会うゲームはトライデント・バトルロワイヤルとなります。このルールの採用によりグレモリー陣営とフェニックス陣営から一人ずつ選出し、この二人を第三勢力とします。ですがこの第三勢力は両人の誰かが倒れた時点で負けと判断させていただきます』

 

 この説明は遠くから中継を見ている者たちへ送っているのだろう。事前に話を聞いていた渚は放送を聞くのをやめて"相方"へ声を掛ける事にした。

 

「蒼井 渚だ。今日はよろしく」

「……よろしくお願い致しますわ」

 

 校門に背を預けていた少女に挨拶をする。

 淡いピンク色のドレスを着た渚より年下だろう彼女は一言で表すなら"お嬢様"だろう。

 口調もそうだが、両サイドで縦ロール(ドリル)を作っている髪型がより一層にそう思わせる。

 明らかに警戒されていたが、それは渚も同様だったので言葉にはしない。

 

「俺は前衛が得意なんだが君はどんなポジショニングなんだ?」

「どうしてそんな事を聞くんですの?」

「どうしてって、仮とはいえ俺たちはペアだ。戦いになった時の立ち回りは相談すべきだと思うんだが?」

「必要ありませんわ、あなたはただ(わたくし)の指示に従って貰えば結構です」

 

 挨拶も早々に"お嬢様"がそんな提案をしてくる。

 

「全然結構じゃないぞ、ソレ。まさか同意すると思っているのか?」

「いいえ。けれど(したが)いなさいな、でないと(わたくし)投了(リザイン)しますわ」

 

 最悪の状況だ。

 どう足掻(あが)いても渚に選択肢がない状況へ(おちい)った。可愛らしい顔をしてエゲツない交渉(脅迫)を迫る少女。

 逆らうことは出来ない。表面上だけでもイエスと答えないと先がないからだ。

 

「……わかった、今からアンタに従う」

「懸命な判断ですわ。──では行きましょう、ここでは両陣営から狙い撃ちにされますので」

 

 金のロールを揺らしながら歩いていく少女。

 渚はこんなやりにくい条件(ペナルティ)を出した主催者を恨まずにはいられなかった。

 黙って後ろから着いていく。前を歩く"お嬢様"は手にした端末らしき機械でマップを確認しながら移動する。

 やがて辿り着いたのは体育館だった。

 

「ここが初戦の舞台になりそうですわね」

「なぜそう思う?」

 

 渚がそう聞くと"お嬢様"は端末を見せつける。

 そこにあったのは駒王学園の全体図だ。ただ新校舎と旧校舎が敵対するように色が違っていた。

 

「見ての通りグレモリー陣営は旧校舎の部室が本陣ですわ。逆にフェニックス陣営は新校舎の生徒会室となっていますの。このゲーム、序盤戦は数で(まさ)るフェニックスの攻めから始まりますの。序盤から防衛戦を()いられるグレモリーはまず近くにある森にトラップを仕掛ける筈です、そうすることで奇襲は防げる。そして次に攻勢に出るため新校舎への潜入経路を確保する可能性が高い」

 

 "お嬢様"が両陣営の思惑を予想して渚に伝えてくる。

 

「校庭から入るのは避けるだろうな。新校舎から丸見えだ」

「あら、意外に賢いのですわね」

「意外は余計だ」

 

 可愛い顔して毒舌な少女である。

 

「そう、あなたの言う通り校庭から攻めるのは愚策(ぐさく)ですわ。けれど目立たない裏の運動場も簡単には通れないですわよ」

「確かに俺ならそこに戦力を置くな」

「ご明察ですの。だからグレモリー陣営がまず狙うのは体育館。そこなら旧校舎から近くにあり新校舎とも隣接しているのでルートも確保できる。牽制(けんせい)の意味合いも込めて間違いなくこの場所を取りに来ますわ」

 

 冷静に戦術を読み解く"お嬢様"。

 彼女が何をしに体育館まで行くのかを問わなければならないだろう。答えによっては敵対も()む無しだ。

 渚が"お嬢様"の目的を聞こうとした時だった。

 

「このゲームでのあなたの最終目的はライザー・フェニックスを打倒する事ですの?」

 

 "お嬢様"が目を合わせずに渚に問う。

 急な質問だ。正直答えていいか迷う。彼女はフェニックス側の人間だが、この状況でする質問にしては答えが解り易すぎる。

 渚の役割はライザーとその眷属を()()き回して消耗させることだ。最終的にリアスに勝ってもらえば最良の結果となる。

 だから"お嬢様"の質問に正直に答えた。

 

「そうだ」

「わかりましたわ。……(わたくし)たちはグレモリー陣営を利用しながらフェニックス側の戦力を(けず)るように動きますわよ」

 

 主人(ライザー)を倒すと言ったのに怒りすらしない少女。予想外の態度と提案に渚は酷く困惑(こんわく)した。てっきりフェニックスの眷属と結託(けったく)してリアスたちを攻撃すると思っていたからだ。これでは逆である。

 

「君はフェニックス側も攻撃するのか?」

「そう言いましたわ、耳が遠いんですの?」

 

 半目で(にら)まれた。

 彼女は自分でおかしい事をほざいている自覚はあるのだろうか。

 

(あるじ)の首を絞めるハメになるぞ」

「あらそれは大変ですわね。ライザー・フェニックスが負けては婚約が無かったことになりますわ」

 

 イタズラを仕出(しで)かそうとする子供のような笑みを浮かべる"お嬢様"。

 真意の見えない相方だ。彼女がどう動くか未知な以上は慎重になるしかないだろう。

 

「そろそろ侵入しますわ。あなた、気配ぐらいは隠せるでしょうね?」

「出来るさ」

「それはよかった。では両陣営の戦いが始まる前に潜入しますわ」

 

 気配を消して体育館に入るが誰もいない。

 どうやら誰よりも先に体育館へ着いてしまったようだ。

 

「計算内です。他の陣営は作戦を立ててから動くつもりなのでしょう。どの道、すぐに何者かがやってきますので待機ですの」

「ああ」

 

 渚と"お嬢様"は息を(ひそ)めた。

 しばらくすると四人組の女子が体育館に入ってくる。知らない顔ぶれだ、フェニックス陣営の眷属で間違いない。

 チャイナドレスの女性を筆頭に小猫と同じくらいの(こん)を持った小柄な少女、そして双子の女の子が警戒しながら体育館へと入ってくる。

 

「やはり先に来たのはフェニックスの方ですか。あの顔ぶれは"戦車(ルーク)"が一、"兵士(ポーン)"が三。室内戦を想定したメンバーの選出、王道を(わきま)えておりますわね」

 

 体育館は広いがそれでも限定された空間となる。機動力を武器する"騎士(ナイト)"よりも破壊力の"戦車(ルーク)"を選んだということだろう。

 渚が刀を構えると柄頭(つかがしら)(おさ)えられる。

 

「軽率な行動を許しませんことよ。(わたくし)の指示に従ってくださいな」

「……了解だよ、お嬢様」

 

 ここで下手に反論して口論になっても得することはない。だから主導権を握られている渚は"静観せよ"という命令に従う。

 

「グレモリー側も()たようですわ」

 

 フェニックス陣営とは逆の方向からやってきたのは一誠と小猫だった。

 フェニックスとグレモリーの眷属がにらみ合う。

 数ではグレモリー側が(おと)っているも、この勝負に関しては既に勝敗が見えた。

 渚が観戦を決めると同時に一誠が左手を突き出して叫ぶ。

 

「ブースッテド・ギア、スタンバイ!」

Boost(ブースト)!!』

 

 "赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"を装備すると同時に"倍加"が始まる。

 フェニックスの眷属たちは一誠が"神滅具(ロンギヌス)"の使い手だと知っているようで即座に攻撃に転じた。

 

「……兵藤先輩は"兵士"をお願いします、私は"戦車"を倒します」

「任せろ、小猫ちゃん。──行くぜ!」

 

 互いが敵と相対する。

 チャイナドレスの"戦車(ルーク)"が中国拳法の構えを取ると小猫を襲撃する。

 棍を持った子は一誠と距離を取って様子を窺う。

 そして最後に残った双子は小型のチェンソーを取り出してエンジンを()けた。

 ドゥルン、ギュルルルルルルルルルッ!!

 双子がエンジンの回転数を上げるとニコニコ顔で一誠へ向かって突進を始める。

 

「解体するね♪」

 

 小さな双子の少女が狂暴なチェンソーで襲いかかる姿は普通に恐ろしい。

 地面を切り刻みながら直進した双子は一誠へ刃を振り下ろすもギリギリで()わされる。

 

(こえ)ぇ!」

 

 一誠が叫ぶ。まったく同意である。

 戦々恐々(せんせんきょうきょう)としながらも一誠はカウンターの要領で双子の片割れにショルダータックルを食らわして距離を取った。(こん)を持った少女が一誠の脇腹を()かんとするが、これも避ける。

 思った以上に合宿の成果が出ている。粗削(あらけず)りだが()きた動きで攻撃は躱せていた。格上との訓練は確かに一誠をレベルアップさせていたのだ。

 

Boost(ブースト)!!』

 

 これで二度目。

 ひたすらに時間を稼ぐ一誠。渚や祐斗、小猫との模擬戦で培われた回避能力は並みではないと見せつけるように相手の猛攻(もうこう)(さば)く。

 

「木場に比べたら遅い! 小猫ちゃんに比べたら軽い! ナギと比べたら全部が物足りないッ!!」

Boost(ブースト)!!』

 

 三度目の倍加。赤龍帝が好機と言わんばかりに拳を作って吠えた。

 

「やるぞ、俺の"神 器(セイクリッド・ギア)"!!」

Explosion(エクスプロージョン)!!』

 

 一誠がチャージした倍加を解き放つ。

 通常時より八倍のパワーアップだ。そこからは一誠の独壇場(どくだんじょう)だった。双子がチェンソーを繰り出す前に接近して拳を打ち込む。つづいて棍を持った少女が仕掛けてきたので棍を手刀で砕いてそのまま喰らわせた。

 

「きゃ」

「うぅ」

 

 一誠と戦っているフェニックスの眷属が(うめ)く。これは決まりだと思い、渚は小猫の方を見るがそっちも終わっていた。

 無言で立ち尽くす小猫とうつ伏せに倒れるチャイナ服の女性。どう見ても小猫の圧勝だ。

 

「こ、こんなんじゃライザー様に怒られる」

「バラバラにしちゃんだから!」

 

 双子がチェンソーに再び火を入れる。

 

「私だって負けるもんか!」

 

 棍の少女も意気揚々と一誠を睨んだ。

 

「ふ、ふふふ」

 

 そんな三人を見た一誠が鼻の下を伸ばして(わら)うと左手を前に(かざ)す。

 

「俺はこの数日、地獄のようなシゴキに耐えた。そんな日々の中で"ある必殺技"を編み出す事に成功した。──さぁ発動条件は整った」

 

 "必殺技"という単語に渚は反応する。

 まさか禁手化《バランス・ブレイク》をもう使うのかと思った。

 

「あの"赤龍帝"の必殺技ですか、興味がありますわ」

 

 "お嬢様"も興味を惹かれたのか真剣に見守る。

 

「さぁ喰らえ! 必殺、"洋服崩壊(ドレス・ブレイク)"!」

 

 初めて聞く技だ。渚はその効力を見極めようと攻撃対象である、少女たちを注視した。

 パチンと一誠が指を鳴らす。

 瞬間──服が(はじ)ける。

 文字通り棍の少女と双子の服だけが見事にバラバラに吹っ飛んだ。下着すらも容赦なく剥がされ、丸みを帯びた裸体が晒される。

 渚は思いっきり見てしまった。あまりにも急な出来事に言葉を失う。

 

「「「イ、イヤアァァァアアアァァアァァァ!!」」」

 

 被害者三人の声が重なる。

 体育館に広がる悲鳴。大事な部位を手で隠そうと必死になる少女たち。

 

「アハハハハハハ! 見たか、これぞ"洋服崩壊"(ドレス・ブレイク)! 女の子の服を剥がすことを目的として作られた俺だけの異能!」

 

 堂々と自分の異能を自慢する一誠。

 渚は顔を両手で隠す。

 あんなにも真面目に強さを欲していた友人が裏ではこんな煩悩(ぼんのう)を極限まで突き詰めた能力に目覚めていたのだ。

 顔面を(おお)いたくもなる。

 

「さ、最低ですわ」

「すんません、ほんとウチの部員がすんません」

 

 こっちの"お嬢様"が真顔で驚いていた。

 申し訳ない気持ちでいっぱいである。

 

「……見損ないました」

 

 小猫にもこう言われる始末だ。

 渚が懸命に"お嬢様"へ弁明(べんめい)していると一誠と小猫の動きが止まる。

 

「あの様子。……通信が入ったようですわ」

「グレモリー先輩からの指示か何かか?」

「ですわね、内容が気になりますが……」

 

 すると急に後退を始める一誠と小猫。

 

「この状況で? ──そういうことですのね、出ますわよ!!」

「おわ」

 

 "お嬢様"が渚の手を強く引いて魔力で体育館の壁を派手に破壊して脱出する。

 隠密行動が台無しになったが次の瞬間、彼女の行動がどんな意味を持ったか理解した。

 光が体育館を吹き飛ばしたのだ。爆風で派手に跳ばされる渚と"お嬢様"。

 

「──撃破(テイク)

 

 空を見上げれば巫女姿の朱乃が雷を迸らせて体育館を見下ろしていた。

 

『フェニックス陣営の"兵士(ポーン)"三名、"戦車(ルーク)"一名、戦闘不能!』

 

 審判役(アービター)のグレイフィアの声がフィールドに響く。

 

「重要拠点である体育館を囮にした一網打尽の戦術。初ゲームでこの大胆な作戦立案と実行力。これがリアス・グレモリーですか」

 

 "お嬢様"が朱乃を見上げながら呟く。

 朱乃が渚の存在に気づくと悪魔の翼をはためかせて降りてくる。

 

「蒼井くんも体育館にいたのですね」

「はい、ちょっと"相方"の付き合いで」

 

 朱乃が"お嬢様"を見て目を見開く。

 

(わたくし)がなにか?」

「どうして貴方がそこにいるのか、お聞きしても?」

「ルール上しかたなく……などではありませんわ。(わたくし)の意思でここにいますの」

「貴方がフェニックスの支援するために裏方に回ると?」

「そう考えるのが普通ですが今回は違いますわ。それでグレモリーの"女王(クイーン")(わたくし)と戦いますの?」

「いいえ。蒼井くん、気を付けてくださいね。彼女は……」

 

 朱乃が忠告とも言える言葉を放とうとした時だった。

 渚が何かに気づいた素振りで上空へ目を向ける。朱乃と"お嬢様"もまた渚と同様の場所へ視線をやった。

 そこにいたのはフードを被った女性魔導師。

 魔導師がクスクスと笑む。

 

「気づかれてしまったわね。折角の奇襲チャンスだったのに」

「ライザー・フェニックスの"女王(クイーン)"、ユーベルーナですわね」

 

 朱乃を見下ろすライザー・フェニックスの女王が魔力で攻撃を開始する。

 狙われた朱乃は翼を広げてユーベルーナと対峙した。

 

「私と踊ってくれる? グレモリーの巫女さん?」

「少し荒っぽいダンスになりそうですわね」

 

 上空で魔力の塊がぶつかり合う。炸裂する魔力と雷が空を(いろど)る。

 

「行きますわよ。貴方ごときでは"女王(クイーン)"同士の戦いに参戦は出来ませんわ」

「問題ない、なんとかなる」

「聞こえませんでしたの? 許可できないと言ったのです」

 

 乱暴に手を引かれる渚。

 

「あ、おい!」

「敵はまだ多いですわ、二人しかいない(わたくし)たちは上手く立ち回らなければなりませんの」

 

 言ってることは正しいだろう。

 だが渚はあの戦いに干渉できる力を持っている。どうにか"お嬢様"を説得しようとした時だった。

 

「そこまでだ、レイヴェル」

 

 渚たちの前に人影が立ちふさがる。

 顔の半分を仮面で隠した女性だ。"お嬢様"が辟易(へきえき)したように嘆息(たんそく)する。

 

「貴方ですのね、イザベラ」

「キミがこのゲームでやろうとしている事に意味はない。だからリタイアしてくれレイヴェル、一人で戦況を(くつがえ)すなど不可能だ」

 

 イザベラと呼ばれた女性が"お嬢様"に手を差し伸べた。戦う意思はないのだろう。実際言い聞かせるような優しい声音である。

 

「それは友人としての忠告? それともフェニックスの眷属としても警告かしら?」

「無論両方さ。『両陣営から一人だけを選び第三勢力とする』。このルールを聞いた時から間違いなくキミは志願すると私は思ったよ」

「当然ですわ。貴方は分かっているのでしょう? このゲームの勝敗でライザー・フェニックスの将来が決まると」

「分かっている」

「なら絶対にフェニックスは勝ってはいけませんの!」

 

 イザベラに"お嬢様"は怒りの感情を向けた。

 "フェニックスが勝ってはいけない"という発言に渚は驚く。

 彼女はリアスでは無くライザーに勝とうとしているのだ。最初に言った『投了(リザイン)する』という言葉も渚を従わせるブラフだったかもしれない。

 

「イザベラ、貴方もライザー・フェニックスの"戦車(ルーク)"なら(あるじ)の未来を見るべきですわ!」

「そうだね、キミは正しいよ。今のライザー様は"逃げている"、あの日からずっと」

「そうですわ。あんなの許せませんわ」

「だけどねレイヴェル、私はあの方が幸福になれるのなら"逃げてもいい"と思っている。──だからここは勝ちに行くよ」

「……バカな考えですわ」

「今気づいたのか、私はバカなのさ。さて例えキミがライザーさまの"妹君"だろうと主の邪魔をする者は叩かせてもらう」

 

 イザベラがステップでレイヴェルを肉薄すると拳を打ち出す。

 ──バシィッ!!

 だがその鋭い拳がレイヴェルに届くことはない。渚が受け止めたからだ。

 イザベラが警戒し、"お嬢様"──レイヴェル・フェニックスが目を見開く。

 

「へぇ、やるじゃないか」

「い、イザベラの拳を止めた」

 

 拳を放すとイザベラが隙無く構えを取った。

 渚はヒラヒラと拳を受け止めた手を振りながらレイヴェルとイザベラを交互に一瞥(いちべつ)した。

 

「……全く話が見えなすぎて困る。けど相方を倒されると俺らがゲームセットになるから撃破させてもらう。いいよな?」

「出来ますの? イザベラはお兄さまの眷属の中でも上位に位置する実力の持ち主ですわよ」

「まぁ見ててくれ、なんとかする」

「解りました、貴方の実力を見ておくのも良いでしょうし許可します。負けたら許しませんわよ」

「OKだ、お嬢様」

 

 この"お嬢様"が何らかの理由でフェニックス陣営を倒そうとしているのは事実だろう。

 だがフェニックスの事情など渚の知ったことではない。自分の出来ることをするためだけに今日は刀を振るう。そう、例え女だろうと全力で排除する。

  

「悪いけど手早く終わらせる」

「ふ、なかなか大きな口を開く男だ」

「俺は強いらしいからな」

「らしい? 随分と曖昧な自己評価だな」

「自己評価じゃなくて人から見ての評価でね」

 

 そう言うと渚はイザベラとの距離を積め、刀の鯉口(こいぐち)を切るのであった。

 





新たな相棒はレイヴェル・フェニックス。
一時の間ですが彼女が渚の相棒になります。


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執念の拳《Battle Field of School Ⅰ》


久しぶりの投稿になります。




 

『ライザー・フェニックス様の"兵士"一名、リタイア』

 

 渚は、そんな放送を耳にする。

 体育館が消滅してからすぐのことだ。

 一誠と小猫は先程まで体育館にいたので祐斗辺りが撃破したのだろう。

 順調な友人たちの活躍を嬉しく思う渚だったが……。

 

 ──シュッ!

 

 そんな彼の顔面に風を切る拳が跳んでくる。

 ムチのような打撃はボクサーのジャブだ。

 思考を瞬時に戦闘へ切り替える。敵はフェニックスの"戦車(ルーク)"イザベラ。

 彼女はボクシングに類似したスタイルのファイターであり近接戦闘に()けた眷属だった。音速を超えたジャブが牽制となり反撃へ転じる暇を与えない。距離を取ろうにも素早いステップでピッタリくっついて来る。

 武器戦に慣れている動きだ。

 刀の内に入り続けて剣術が使えない様にする立ち回りは酷くやり(にく)い。

 ダメージ覚悟で強引に斬り裂こうにも"戦車(ルーク)"であるイザベラのジャブは無視はできない威力がある。ゲームはまだ序盤、(あと)(ひび)きそうなダメージは避けたい。

 

「上手く(かわ)す。ならギアは上げるぞ」

 

 イザベラの動きが変わる。顔の横にあった両手の内の一つが下がってユラユラと揺れ始めたのだ。

 瞬間、渚の顔面横を打撃が通りすぎる。頬を少し(けず)られた渚は血が出る。

 勢いに乗ったイザベラは打撃を繰り返す。

 

挙動(きょどう)が見えずらいパンチだ」

 

 拳から紙一重で逃げながら苦言(くげん)()らす。そんな渚にイザベラは笑みを浮かべた。

 

「すぐに終わらせる、とは誰の言葉だったかな?」

「うっせ。……フリッカーってヤツか」

「そうだ。キミみたいな剣を使う者は刃の内に入られると極端に弱くなる。近距離戦(クロスレンジ)が得意だと自負するがゆえの誤算だね。さぁ程度の低い剣術でいつまでモツかな?」

 

 脳裏に(よぎ)るのは譲刃の顔だ。

 自分の剣術が弱いと思われる事が彼女を馬鹿にされているような気がして胸中がささくれ立つ。

 簡単に言うと頭にきた。

 

「刃の内に入られると弱い? 程度が低い? あんま()めんなよ」

「何? ……クッ!」

 

 左手に持った納刀状態の刀を突き上げた。

 アッパーカットの要領で下から来た柄頭をイザベラはスウェーバックで避ける。渚は予想通りと言わんばかりに剣を返して柄を握ると上段の構えを取った。

 

「そら、俺の距離になったぞ?」

 

 納刀したままで真っ直ぐ振り下ろす。

 イザベラが腕をクロスさせて正面から刀を受けた。

 瞬間、巨大な物体同士が猛スピードで激突したような轟音が烈風と共に唸る。

 

「……重い一撃だ。それでも届きはしないけどね」

 

 ガシッと鞘の腹を掴まれる。

 渚の動きを封じたイザベラが叫ぶ。

 

「今だ、出てこい!」

 

 彼女の合図と同時に二人組の少女が渚の両サイドから急に現れた。

 

「これは……」

「熱を使った隠密術だよ。炎を(つかさど)る我らフェニックス眷属に教えられる異能だ、気づかなかっただろう? 君には悪いが、こうやって単体と思わせて奇襲するのも戦いには必要でね」

 

 イザベラの言葉に対して渚は顔色ひとつ変えずに言う。

 

「謝罪はいらない。アンタたちが三人組だって事は知ってたよ。姿はないけど気配だけはあったからな。刻流閃裂(こくりゅうせんさ) "輝夜(かぐや)小夜鳴(さよなき)"」

 

 相手の両腕に刀を押さえつけたままで抜き放つ渚。

 まさかこんな体勢から抜刀すると思わなかったのだろう。イザベラは慌てて回避に移るも上から円を描くように銀閃がフェニックス眷属をまるごと斬り裂く。

 

「うぁ!」

「きゃ!」

「くッ! だが詰めが甘いな!」

 

 三人の中の二人が戦闘不能になると『ライザー・フェニックスさまの"兵士(ポーン)"二名、リタイア』というアナウンスが聞こえた。残ったイザベラが舌打ちをする。彼女は"戦車(ルーク)"、堅牢な守りを持つゆえに仕留(しと)めるには(いた)らなかったようだ。

 すかさず二撃目を振るうも後ろに避けられた。

 

「見事な気配察知能力だが仕切り直しだ、人間!」

「離れたつもりか? そこはまだ攻撃範囲内だぞ」

「なに……!」

 

 イザベラの間合いから一歩下がった渚が刀を低く構えた。

 

「刻流閃裂 "雷霆(らいてい)(げき)"」

「ガハッ!」

 

 鋭い踏み込みを駆使した"突き"が直撃したイザベラは豪速とも言える速度で吹き飛び、やがて地面に落ちると(けず)るようにして転がって行った。

 技の威力にレイヴェルが口を押さえて目を見開く。

 

「刃じゃなくて(つか)で打つ技だ、安心しろ」

 

 刀の柄頭を指さして刀を納める渚。

 確かな手応えだった。例え"戦車(ルーク)"だろうが打ち崩す一撃を放ったはずだ。

 しかし……。

 

「まだだ、人間ッ!」

 

 よろりとイザベラが立ち上がると裂帛(れっぱく)の声を上げて突貫してくる。魔力の籠った左腕のフックを渚は納めたままの刀で受けた。

 彼女の頑丈さに驚くも動揺(どうよう)()み込む。一撃でダメなら倒れるまで打てばいいのだ。そう頭を切り替えて再び刀を抜くタイミングを(はか)るがイザベラを見て渚は(まゆ)をひそめた。

 

「アンタ、正気か?」

 

 イザベラは血反吐を撒き散らしながら拳を突き出している。渚の一撃で砕けたアバラが肺を傷付けたのだろう。即リタイアしてもおかしくない状態だった。

 

「グッ! 負けんっ! 負けられないんだ!! 私はライザー様に勝利していただく」

 

 全ては(あるじ)(ため)

 そんな執念(しゅうねん)にも似た信念が肉体を突き動かしていた。敗北は許されないとイザベラの瞳が(かた)っている。

 

「何がアンタを駆り立てる?」

「あの方は()()()()()()()()で全てを失ったのだ! あんな思いをさせないために私は戦う」

 

 血を吐きながらの拳が渚の刀を弾くと無理矢理体ガードを崩される。

 そしてイザベラが渾身の右ストレートを放つために目一杯(めいっぱい)拳を引く。右腕に魔力が集まり、紅蓮が宿る。フェニックスの眷属に相応(そうお)しい炎の打撃だ。

 

「我が拳は主が為に、──フェニックス・ブロウ」

 

 必殺の域に達した灼熱は優に二千度を越えていた。並みの人間では一瞬で骨まで灰になるだろう。

 熱気が皮膚をチリチリと焼く中で渚は炎熱の拳を見据(みす)えた。思考が急に加速する。

 理性が『どうすればいいか』という問いを投げ掛けると本能が『受け止めろ』と即答する。馬鹿げた答えだと心の何処(どこ)かで思いつつも身体は勝手に動く。

 左手は刀と共に弾かれて瞬時には使えない。

 右手を前に出すと真っ正面から炎熱を止める。

 紅蓮の拳を受けたのは蒼のオーラを(まと)()だ。

 

「ば、バカな、私の技をこうも簡単に!? いや、その右手に纏っている力はなんだ!?」

「"霊氣"っていう。魔力と似たモンだと思ってくれ」

「気? 噂に聞く仙術の類いか!」

「そっちとは別口らしい。俺も使えてはいるけどよく分からないんだ。知ってそうな相棒が秘密主義者でね」

 

 渚の"霊氣"がイザベラの炎を相殺する。

 自らが持つ最大の技を破られたイザベラが歯噛(はが)みするや()いた手で渚を殴ろうと挑み掛かる。

 そんな悪足掻(わるあが)きをする相手に渚は反撃を繰り出す。

 

「……もう寝てろ」

 

 握っていたイザベラの右拳を起点にしてぶっきらぼうに投げたのだ。

 ドガンっと炸裂する地面がクモの巣状にひびわれる。轟音を鳴らしながら叩きつけられたイザベラは衝撃でバウンドするも渚を真っ直ぐ睨み拳を振りかざしていた。恐るべき勝利への渇望だ。渚は刃を抜いて迎撃する。重い斬撃によってイザベラは新校舎まで弾き跳ばされコンクリートの壁を派手に破壊した。

 渚はイザベラを見失うが油断なく消えた方向を見据える。畏怖すべきは実力以上の執念だ。正直、あまり相手にしたくはない。追い詰められたら死に物狂いで相討ちを狙ってくるのが目に見えている。

 

「けど、まだ終わってないな」

 

 イザベラがリタイアしたというアナウンスは流れてこない。

 次はどのように動くか考える。リタイア寸前のイザベラをわざわざ追撃するか他のターゲットを探すか。

 とりあえずレイヴェルの意見も聞いておこうと彼女へ近づくと化け物を見るような眼をされた。

 渚は少し傷つく。

 

「は? え? なに引いてんの?」

「い、イザベラを、ああも簡単に倒してしまうのですね。正直、貴方の戦力を(あなど)っていましたわ」

「え、ああ、一応色々と修羅場は(くぐ)ってきてるからな」

 

 どこか見下していたレイヴェルの態度が変化する。

 イザベラの力を余程信頼していたのだろう。どうやら渚の戦いを見て評価が激変したようだ、悪くも良い方向に……。

 

「何故、力で私に(あらが)わなかったのですの? 従属するフリなんかしてまで」

「フリって……最初に投了(リザイン)するって言ったのは君じゃないか」

 

 そのせいで頭を悩ませていたのは記憶に新しい。渚からしたら首輪を付けられた気分を味わされたのだ。

 

「このゲームは貴方にとっても大事なモノですの?」

「そうだ。……じゃないと参加しないだろうに」

「本気でフェニックスに勝てるとでも? 相手は不死なんですのよ」

「やりようはあるさ。肉体が死なないんだろ? なら精神をダメにする」

「精神面を追い詰めるというのは良い着眼点ですわ。それでどうしますの?」

「そんなの決まってるだろ。──相手が、泣くまで、斬るのを、やめない」

 

 シンっと二人の間に沈黙が流れる。

 

「……本気で言ってますの?」

「割りとね。イケるさ、用は持久戦に勝てばいい。そっちだって勝たなきゃならない理由があるんだろ?」

「ええ、まぁ」

「じゃあお互い協力し合うのがいいと思うけど?」

 

 渚の言葉に目を丸くするレイヴェル。可愛らしいが指摘しても反感を買いそうなので黙っておく。

 代わりに双方にとって最適な条件を提示することにした。

 

「なら人間と悪魔らしく契約しないか?」

「け、契約?」

「ああ、今夜限り互いが手を取り合うってのはどうだ?」

 

 理由は不明だがレイヴェルはリアスではなくライザーの打倒を目指している。

 渚と言う戦力を目の当たりにしたのなら簡単には断らない、いや断れないだろう。

 狙い通り彼女は首を縦に振る。

 

「……いいですわ、その契約を受けましょう」

「契約書でも書こうか?」

「いりませんわ、今夜限りのモノですもの。それで、これからどうするおつもりで?」

「悪いけど赤点大王の俺に戦術とか期待しないでほしい。思い付くのは"兵士(ポーン)"を手早く撃破するくらいだ」

「確かにオーソドックスですが……」

 

 レイヴェルが頬に手の平を乗せて考える。

 レーティング・ゲームは"兵士(ポーン)"を減らす事から始まる。

 最弱であり数が多いと言う安易な理由ではない。敵対する陣地に侵入した時、兵士はプロモーションと呼ばれる能力が発動できるからだ。これを使った瞬間から兵士は英雄となり、"(キング)"以外の駒に成り代わる。

 最強の駒である"女王(クイーン)"を選べば全ての能力が格段に上昇するのだ。複数の兵士が女王になればパワーバランスは一気に傾き、勝敗は決する。

 

「とりあえずフェニックス眷属を探すか?」

「……いえ、お待ちになってイザベラを倒しましょう」

「死に体だぞ」

 

 レイヴェルが首をふった。

 

「フェニックス陣営には回復アイテムがありますの、すぐに止めをささないと面倒になりますわ」

「それを早く言ってほしかった」

「ごめんあそばせ、あなたの化け物っぷりに驚いていましたの」

「さよで。……イザベラは新校舎だな」

 

 渚の言葉にレイヴェルも頷く。

 結構大きな穴がぽっかりと空いている。もしかしたら向こう側に抜けているかもしれない。

 回り道をして確かめたいが回復アイテムを持っているのなら早急に対処すべきだろう。つまり相手の本陣を突っ切るのが正解だ。

 

「……相手の本拠地を正面から踏み入るは本来は愚策。ですが貴方の戦闘力の高さなら大丈夫かと。けれど間違いなくトラップは仕掛けられているのでご注意下さいな。ここでイザベラを撃破出来れば、グレモリーが付け入る隙を作れますわ、グレモリーの眷属はゲーム経験こそ皆無ですが戦闘に関しては有能だと聞きます。上手く利用すれば(わたくし)たちのプラスになるでしょう」

 

 つらつらと自分の考えを渚に伝えるとレイヴェルが(うかが)うようなに見上げてくる。

 まるで採点を待つ子供だ。不安と期待が入り交じった瞳に対して反対する理由もない。

 

「よし、それで行こう」

 

 レイヴェルの案に乗ることを決定すると新校舎に向かって走り出す。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 新校舎の裏手にある運動場を走る影が三つあった。

 一誠と小猫、そして体育館が無くなった直後に合流した祐斗である。因みに三人が移動を開始してから直ぐに祐斗を追ってきたフェニックスの"兵士(ポーン)"を一人撃破しているので相手は五名ほどリタイアしている。

 未だに脱落者のいないグレモリー眷属は新校舎を目の前にして立ち止まると物陰から様子を(うかが)う。

 

「体育館がなくなった今、運動場の部室棟が唯一の侵入ルートになるから油断しないでね」

 

 祐斗が注意を(うなが)す。

 ここは旧校舎側から攻めるグレモリー眷属にとって避けることのできない場所、つまり最前線となる。無闇に突っ込むのは得策ではない。

 

「……りょうかいです」

「分かってるよ」

 

 小猫と一誠が応えると新校舎側から一人の女性が現れた。

 剣を片手に甲冑を着た姿からしてフェニックスの"騎士(ナイト)"だろう。

 女性が躊躇(ためら)い無く、新校舎から運動場の真ん中へやって来ると剣を地面に突き刺す。

 

「居るのは分かっている。私はライザー・フェニックスさまに仕える"騎士"カーラマイン! 見ての通り腹の探り合いは(しょう)に合わない性格だ、正々堂々と勝負と行こうじゃないか!! この後に及んで臆する者でもあるまい!!!」

 

 勇ましい声だ。

 一誠と小猫がどうするか迷う。罠という可能性を考慮しているのだろう。

 だが祐斗だけは違った。

 

「あんな名乗りを挙げられたらグレモリーの"騎士"として黙ってはいられないな」

 

 物陰から一人出ていく祐斗。

 

「あ、おい」

「……行きましょう、きっと部長の"騎士"として誇りがあるんだと思います」

 

 一誠が止めようとするも逆に小猫から止められた。

 

「しょうがねぇな」

 

 祐斗に続いて二人も出ていくと隣に並ぶ。

 

「僕はグレモリーの"騎士(ナイト)"、木場 祐斗だ」

「俺は"兵士(ポーン)"の兵藤 一誠」

「……"戦車(ルーク)"搭城 小猫」

 

 名乗りを挙げた三人に前にしたカーラマインは笑う。

 

「まさか全員が堂々と出てくるなど驚きだぞ、リアス・グレモリーの眷属は本物の勇士のようだ。──そう思わないか、お前たちも!!」

 

 カーラマインが叫ぶと背後の新校舎から複数の人影が出てきた。

 

「まったく私はライザー様からレイヴェル様の捜索と言う任を与えられているのだがな」

「にゃ、にゃ、いいじゃん、いいじゃん」

「レイヴェルさまはイザベラが探してくれるにゃ」

「はぁ、さっさと終わらせましょう」

 

 ライザーの眷属が四人も現れる。

 背中に大剣を背負う女性、獣耳を生やした双子の少女、十二単を着た女子。

 グレモリー眷属は数で勝るフェニックス眷属に警戒する。

 

「おいおい、結構出てきたぞ」

「……全部、ぶっ()ばすだけです」

 

 小猫の強気な発言に不快げな顔をするフェニックス眷属。

 

「小さな体でよく吠える」

「なまいきー」

「わたしたちがぶっ跳ばすにゃ」

「少し不快ね」

 

 臨戦態勢になる両方の眷属。

 対戦が始まろうとした時だった。

 

『ライザー・フェニックス様の"兵士(ポーン)"二名、リタイア』

 

 そんなアナウンスにグレモリー眷属の各々が笑みを浮かべた。

 

「二人も!? ハハハ、もしかしてアイツか」

「……間違いないです」

「そうだね、彼しかない」

 

 朱乃は相手の"女王(クイーン)"と交戦中、リアスとアーシアは本陣にいる……だとすれば考えられる可能性は一つしかない。

 

「だ、誰にゃソイツは!」

「ミィ、下がれ」

 

 いきり立つ猫耳の女の子をカーラマインが諌めた。

 

「しかしカーラマイン。あの二人はイザベラに付いていた、アイツがいてこの有り様は不測の事態だ」

「シーリス、これは戦いなのだ。不測の事態などあって当然だ。そしてイザベラも戦っているのだろう、ならば我らがすべき事は目の前の敵を撃破する事じゃないか?」

 

 カーラマインが落ち着きのなくなった眷属たちに言う。

 

「余程の実力者なんだね、そのイザベラという人物は」

「ああ、"女王"《クイーン》であるユーベルーナに()ぐ強さだ。接近戦では恐らく眷属最強だろう。木場 祐斗、興味がてらに聞くがイザベラと戦っているのは第三勢力の者だな?」

「うん、僕の個人評価になるけど彼に勝てるものはこのフィールドにはいない」

「ほぅそちらの"(キング)"よりも強い、と?」

「むしろ君たちの"(キング)"よりも強いさ」

 

 祐斗の言葉にフェニックスの眷属たちが殺気を放つ。

 

「戯れ言としても笑えないな、ライザー様に勝てる人間などいない」

「……いいえ、あの人を止められる人こそいない」

 

 小猫が言い切った。

 これには一誠と祐斗も顔を見合わせる。

 流石にそこまでは思っていなかったからだ。彼の最も近い場所には"白雪の少女(アリステア)"がいる、彼女ならば容易(たやす)く止めてしまいそうである。

 しかし小猫の言葉には希望的観測ではない強い断定があるようにも見えた。

 

「まぁいい、お前たちを倒してソイツの首を取りに行けば分かることだ」

 

 カーラマインが剣を抜く。

 この場いる全員が標的を見据えた。

 一誠が獣耳の"兵士(ポーン)"二人、ミィとリィに対して戦意をぶつける。

 祐斗が"騎士(ナイト)"であるカーラマインに剣を向けた。

 小猫がもう一人の"騎士(ナイト)"シーリスと"僧侶(ビショップ)"の美南風(みはえ)へ構えを取る。

 

「来い、俺の神 器(セイクリッド・ギア)!」

 

 一誠の"赤 龍 帝 の 籠 手(ブーステッド・ギア)"が"倍加"を初めたのを合図に全員が動き出す。

 眷属同士が互いの相手に攻撃を仕掛けようとした……そんな時だった。

 耳を(つんざ)く破壊音が響く。全員の目が音の発生源に追う。見れば新校舎の壁が吹き飛んで、中から人影が現れた。ぐったりとしている様子から戦いに敗れたのだろう。

 

「イザベラか!」

 

 シーリスがボロボロのイザベラを受け止めた。フェニックス陣営に戦慄が走る。眷属でもトップクラスの実力者がやられたのだ。精神的な動揺は簡単には(ぬぐ)いきれない。

 

「どうやら先の言葉は()(ごと)と流す訳にもいかなくなったな」

 

 カーラマインのソレは一人言(ひとりごと)なのか祐斗に対してなのか。分かるのはイザベラをここまで痛めつけたであろう人間を許さないと言うことだ。

 

「木場、なんかナギがあの"騎士(ナイト)"さんにロックオンされてる気がするんだけど」

「恐らくだけど、あの倒された人はフェニックス陣営の最高戦力、つまりエースになるはずだよ」

「……エースが倒されたんです。間違いなく戦い(ゲーム)に支障がでます」

(あせ)りが怒りになったって事か」

 

 一誠がそう解釈すると新校舎で爆発が起きた。

 一階の全フロアが灼熱に(おお)われ、窓ガラスは残らず砕ける。黒煙が立ち昇ると続けざまに爆発が発生した。

 

「おわ、校舎の一階が火の海になったぞ!」

「これは爆破の術式、フェニックスの"女王(クイーン)"のトラップか、まさか蒼井くんは!」

「……新校舎を突っ切るみたいです。中から渚先輩の気配を感じます」

「なんだって! 助けねぇと!!」

 

 一誠が駆け出そうとする。

 だが次の瞬間、校舎全体に巨大な切り口が発生した。それはまるで巨大な刃物で切断したような跡だ。

 そしてゆっくりとスライドし、新校舎はたちまち崩れていった。

 

「あれは斬撃なのか?」

「……刻流閃裂(こくりゅうせんさ)の一つ、"天鐘楼(てんしょうろう)"です」

「刻流って事はナギの技かよ、やばすぎだろ……」

 

 渚がよく使う居合い"輝夜"。数ある派生技の中でも極致と呼ばれる最強の一つは規格外の威力だった。小猫が言う"天鐘楼"とやらは初めて見るが「凄まじい」と思う。フェニックス眷属に至っては驚異的な攻撃力に心臓を鷲掴みされる恐怖を残したほどだ。

 

「どうやら化け物が一匹、混じっているようだな」

 

 それがフェニックス眷属が渚に対する正直な感想だった。

 

 

 

 ○●

 

 

 

 ──駒王、郊外の森。

 

 煌々(こうこう)と輝く月の下で硝煙(しょうえん)と血の臭いが広がる。

 見れば50体以上の"はぐれ悪魔"が死んでいた。これらは繋がりやすくなっている冥界からの訪問者だ。勿論、観光などと言う生易しい目的ではなく、人間を喰らうためにやって来た者達である。

 その中で唯一生きていた最後の一体も身体中に弾痕(だんこん)を刻まれて虫の息だ。そんなボロボロな状態で倒れ伏す"はぐれ悪魔"の眼前に人影が立つ

 

「せっかく冥界から来たのですから、もう少し抵抗してみてはどうです?」

 

 そう言ったのは雪のような可憐さと氷のような冷徹さを合わせ持つ少女、アリステア・メア。

 何の感慨(かんがい)もなく、ベレッタ92F(拳銃)を"はぐれ悪魔"の鼻先に向ける。

 

「キサマ、コロシテヤル。ソノ キレイ ナ カオヲ クライツクシテヤル」

 

 呪詛(じゅそ)じみた"はぐれ悪魔"の声は聞くだけで呪われてしまいそうな程に恐ろしい。

 しかしアリステアは『くだらない』と一蹴するか如くトリガーを引く。額に一発の銃弾が直撃した悪魔は死亡。まるでゴミを処理するような迷いの無さだ。

 

「なんとも歯応えのない」

 

 銃を仕舞うとアリステアの背後で鳥が羽ばたくような音がした。夜の空から降り立ったのは光の槍を装備したメイド服の堕天使レイナーレとミッテルトだ、二人が周囲の惨状を見渡す。

 

「よくもまぁこんなに殺したわね」

「招かれざる客にはお帰り願うのが当然でしょう」

 

 ため息まじりのレイナーレにシレッと言葉を返すアリステア。

 

「か、帰るって普通に死んでんスけど」

 

 死骸の山に顔を青くするミッテルト。帰るどころか最早どこにも行けはしない。

 しかも死んでいるのは、どれもこれも上級悪魔クラスの怪物だ。そんなものをサクッとぶっ殺すアリステアはやはり化け物の類いだと再び認識したのだろう。

 

「送り先が冥界から地獄になっただけです。どっちも故郷みたいなものですよ」

「うわ、なんスか、その超理論」

 

 おっかない物を見るような目でアリステアへ視線を送るミッテルト。

 

「……ていうかなんでこんなに"はぐれ悪魔"が多いのよ、ここ」

 

 死体を光の槍でつつきながら愚痴を(こぼ)すレイナーレ。彼女の疑問も尤もだろう。毎晩のように処理しているのに()いて出てくる(さま)なのだ。

 

「半年前に頭のネジが跳んだ男が駒王と冥界の通路を作ったのが原因です。お陰さまで比較的少ない魔力で転移が可能なのだそうですよ」

「迷惑ね、結構な手練れも混じってるし。こんな面倒な事を毎日やってんの?」

「来るのだから排除しなければならないでしょう」

 

 すっぱりと答えるアリステアにレイナーレは疑いの目を向けた。

 アリステアは、かなりの知恵者だ。渚に神器やらの異能の知識を授けていると言う。

 ならばこの二つの世界を繋ぐ通路もどうにか出来そうではないか、とレイナーレを思うのだ。

 

「本当は(ふさ)げるんじゃないの?」

「解除には時間が掛かるのですよ、壊すことは今でも出来ますが」

「だったらやりなさいよ」

「無知ですね。考え無しで壊せば双方の世界に穴が空く、そうなれば次元の狭間を支配する"無"が流出し、悪い影響が出ます」

 

 次元の狭間とは世界と世界の間にある空間であり、なんの防備もなし飛び込んだ対象は消滅するほど危険な場所だ。

 

「ソレ、魔王も知ってるの?」

「ええ、最近の調査で判明したようです。だからこそ万全の体勢を整えるのに時間が掛かっていると思います」

 

 どうして塞げる物を塞がずにいるのかの疑問が解決する。つまり修復するまでに時間が掛かるので、それまでの露払いをさせられているのが渚やアリステアなのだ。

 しかし、それも終わりが近いだろう。

 魔王直属の臣下が修復に来るという話も挙がっている。

 レイナーレは興味を失ったようにアリステアに背を向けた。

 

「帰るわよ、ミッテルト」

「え? 帰るんスか?」

「当然よ。アリステア・メア、もう狩りは終わりなんでしょう?」

「ええ、帰って貰っても結構ですよ」

 

 ミッテルトが二人の顔を交互に見る。

 

「えと、レーティング・ゲームはどうするんス? ナギサとイッセー、アーシアだって出てるスよね」

「どうって私たちが見れるわけないじゃない。悪魔がやってる試合よ」

「ミッテルト、見たいのですか?」

「……ちょっと」

 

 その言葉を聞いたアリステアが人差し指で虚空に円を描く。

 

「千里眼とも呼ばれる遠目の術式です。今日の貴方たちはリアス・グレモリーの依頼で動いていた、ならば試合の観戦ぐらいは咎められないでしょう」

 

ミッテルトがアリステアに飛び付く勢いで近づく。

 

「まじっスか! すげぇ、こんなことも出来るんだぁ。アリステア、すげぇ、前から思ってたけどやっぱすげぇス」

「貴方の語彙力(ごいりょく)の無さの方が凄いですよ」

「あんた、本当に薄気味悪いくらいになんでも出来るわね」

「誉め言葉として取っておきます。──試合は佳境のようですね」

 

 虚空に映るのは駒王学園だった。

 現在、行われている戦いは三つ。

 一誠を含めたグレモリー眷属三名と五人のフェニックス眷属の戦い。もうひとつは体育館があっただろう場所の上空で激突している爆炎と雷だ、巫女姿の朱乃が対処しているところから敵の"女王(クイーン)"なのだろう。

 

「舞台は駒王学園のレプリカですか。見た限り、グレモリー眷属の本陣が旧校舎。フェニックス眷属の本陣が新校舎と言った所でしょう」

「おぉー、レーティング・ゲームってこんな感じなんだなぁ」

「かなり実戦に近い方式なのね」

「死にはしないというだけで大ケガなどは当然ありますよ。さてナギは……」

 

 一誠たちが戦っている場所とは新校舎を挟んで真逆の方向に渚はいる。

 隣にいるのは何らかのルールで行動を共にしている悪魔だろう。

 アリステアの言葉に堕天使二人も渚を注視する。

 接近戦が主体の戦いが行われるなかで、渚は相手の炎を纏う攻撃を受け止めて反撃していた。

 

「右手に蒼いオーラ? 居眠り男って異能を使えたのね」

「当然でしょう、でなければ人外などと渡り合えないですよ」

「……にしてもアレ何? 見た感じ魔力とも光力とも取れるわ」

「おや? なかなか目は良いのですねレイナーレ」

「嫌み? 魔力の光と光力の波は割りと独特よ、よく見れば分かるものよ」

 

 アリステアは素直に誉めただけである。目視だけで異能を種別するのは言うほど簡単ではない、かなりの観察眼が必要になる。

 

「大抵は気づけないのですがね。……あのオーラの名前は"霊氣"といいます」

「気って事は仙術とか類い?」

 

 レイナーレのそんな発言にアリステアはクスクスっと嗤う。

 

「──"霊氣"とは"蒼"より(こぼ)れた力です」

 

 意味深かつ聞きなれない単語にレイナーレが面白くなさそうな顔をする。文句ついでに問いたださそうとするがミッテルトが身を乗り出して興奮ぎみに叫ぶ。

 

「おー、ナギサ、敵っぽいやつをぶっ飛ばしたス!」

 

それから傍らにいる悪魔と幾つかの会話を交わすと走り出す。

 

「おりょ? なんか新校舎に走ってくっスよ」

「まさか居眠り男の奴」

「ええ、そのまさかです。校舎の反対側まで飛んだ相手を追うつもりですね」

「校舎はフェニックスの本陣よ。私なら避けるわ」

「急ぐ理由があるのでしょうね」

 

 レイナーレとアリステアの予想していた通り、渚は新校舎に突入した。

 そして次の瞬間、校舎内で幾つもの爆発がおきる。

 

「やっぱりね」

「な、何が起こってるんス」

「新校舎はフェニックスの本陣、備えは当然あります。ナギは侵入者用のトラップに掛かっただけです」

()()()()って」

 

 ミッテルトが戦慄する。仮に自分が引っ掛かりでもしたら粉々になる火力だったからだ。

 新校舎から炎と噴煙が広がる。

 炎のトラップは相手を燃やし尽くすかの如くだ。

 だが、その炎を斬り裂く刃が走る。斬撃が建物全体に走ると巨大なコンクリートの建物がスライドしながら崩れ落ちていく。

 

「は?」

「気のせいかしら、校舎が真っ二つになってるように見えるわね」

 

 ミッテルトが間抜けな声を出し、レイナーレが現実逃避行する。

 無理もない渚は炎ごと敵の本陣を両断したのだ。

 

「あの威力だけを重視した斬撃は"天鐘楼(てんしょうろう)"ですか。……(あい)も変わらず刻流閃裂は剣術の領域を逸脱(いつだつ)していますね」

 

 (あき)()じりのアリステア。

 当然だ、剣を振るえば駒王学園の新校舎を真っ二つにする力を剣術にカテゴライズしていい訳がない。

 

「ナギサ、パネェ……」

「……派手ね」

 

 豪快に倒壊した校舎の有り様にミッテルトとレイナーレが呟く。

 いつもは平和主義を装っている(くせ)(まれ)にとんでもない事を仕出かすのが蒼井 渚という人物だと再認識する堕天使二人なのだった。

 



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凶兆の兆し《Battle Field of School Ⅱ》


おれは人間をやめるぞ! ナギサァアアア!!




 

「……死ぬかと思った」

 

 新校舎が音を立てて倒壊していく。最早、全壊といっても過言ではない有り様だった。

 イザベラを追って新校舎に侵入したのは間違いだったのかもしれない。まさか踏み入れた瞬間にフロア全体が大爆発を起こすなど誰が予想できただろうか。

 校舎を切り裂いたのも生き残るためだ。ああでもしないと今ごろ丸焦げだった自信すらある。

 ある程度の防護トラップがあるのは覚悟していたが、まさかあんな殺す気満々のモノが仕掛けられているなど思いもしなかった。

 

「ひ、非常識すぎですわ」

 

 炎の翼を広げて渚の隣に降り立つなり非難の声をあげるレイヴェル・フェニックス。

 

「まったくだ。踏み込んだ瞬間に大爆発とかどうなってんだフェニックス陣営」

「いえ、ユーベルーナがいるのでそれは予想していましたわ。(わたくし)は本陣を一刀両断した貴方に言ったのですわ」

「俺ぇ!?」

 

 レイヴェルの中ではこの大爆発は折り込み済みだったようだ。渚が軽くフェニックス家の常識に戦慄する。

 確かに相手の本陣を力技でねじ伏せたやり方は戦術とは程遠い、頭の悪い脳筋だと思われても仕方ないだろう。

 しかし踏み入れた瞬間に大爆発するトラップは許されるのだろうか? 

 

「ユーベルーナですから」

 

 渚の意見は、その一言で圧殺された。ユーベルーナなる人物は余程の爆弾魔(危険人物)だと頭にインプットしておく。

 

「でもライザーの動きは封じられるんじゃないか」

「……眷属を倒す時間稼ぎが出来たと?」

「ダメだったか?」

「いいえ、()には(かな)っています。やり方が少々乱暴ではありますが……」

「言ったろ、俺は戦術を()る頭はないって。……動くぞ」

「ええ」

 

 渚がレイヴェルと歩き出す。

 イザベラはすぐに見つかる。新校舎を抜けた先で仲間に介抱されていた。どうやら新校舎の反対側でも戦闘が行われていたようだ。

 一誠と祐斗、小猫までいる。対してフェニックス眷属は地面で寝かされているイザベラを含めた六名。

 渚とレイヴェルが現れた瞬間、全員の視線が集まる。

 

「イザベラを(いた)ぶり、新校舎を破壊したのはお前か?」

 

 祐斗と対峙していた"騎士(ナイト)"らしき女性が乱入者である渚に対し剣先で威圧してくる。

 その瞳は静かだが確実に怒りを宿していた。

 痛ぶった覚えはないが戦いで大きな傷を負わせたのは事実なので渚は言い訳せずに肯定する。

 

「ああ」

「そうか。……木場 祐斗、勝手ながら少々勝負を預ける」

 

 "騎士(ナイト)"らしき女性、カーラマインが祐斗に断りを得て渚へ突進すると剣を向けてきた。

 いきなりの戦闘開始だ。

 渚は左手に持った納刀状態の刀をそのまま前に出して(つば)で剣を受ける。刀身と(つば)が競り合い、ガチガチと鋼が音を鳴らす。

 

「その格好と武器からして、フェニックスの"騎士(ナイト)"か」

「舐めた真似をしてくれたな、人間よ。我が(あるじ)の本陣を(くず)すとは万死に値する(おこな)いだ」

()めてなんかない、真剣にやったからこうなったんだ。あぁしなかったからコッチが灰になっていたんだよ」

 

 文句ならあんなメチャクチャなトラップを仕掛けたユーベルーナに言って欲しかった。

 そう思いながらもカーラマインの太刀筋を切り抜けて渚は拳を叩き込む。

 

「カハッ!」

 

 苦しそうに数歩下がるカーラマインの背後からもう一人の"騎士(ナイト)"シーリスが背中の大剣で渚を強襲した。それを身体を横にずらすだけの動作で(かわ)すと柄頭(つかがしら)でシーリスの腹を打って反撃する。

 

「私の剣を躱すか、やるな」

「なるほど……強い! イザベラが敗れる訳だ」

 

 "騎士(ナイト)"であるシーリスとカーラマインが渚を睨む。たったの一合で隔絶(かくぜつ)された技量の差に気づいたのだ。

 そんな事を知ってか知らずか渚が攻勢に出る。

 二人の"騎士(ナイト)"に刀で挑む。刃鋼(はがね)同士が重なり合うと幾度(いくど)も剣が()く。一対二と不利な状況でも優勢なのは渚だった。

 

「……手加減してるのか?」

 

 渚の一言にカーラマインとシーリスが怒りを()き出しにして剣を振るう。

 挑発めいた言葉は相手を(けな)した訳じゃない。"騎士(ナイト)"の二人を同時に相手できている渚はカーラマインとシーリスが本気を出さずに様子見をしていると考えていたのだ。

 だが真実は違う。渚の技量が二人を圧倒しているに過ぎない。

 やがて渚が大きく弧の字を描く斬撃で二人の"騎士(ナイト)"を切り払う。体勢を崩したカーラマインとシーリス。渚がトドメを仕掛けるため走り出そうとした。

 瞬間、すぐ前方で爆発が起きる。

 渚は爆風と熱風に襲われて地面を転がった。

 

「けほけほ、(あっち)ぃな」

 

 間一髪で()退()いたから軽い火傷だけでなんとか済んだ。何事かと見上げれば上空にフェニックスの"女王(クイーン)"ユーベルーナがいた。

 

「苦しそうね、カーラマインにシーリス。手を貸してあげるわ」

 

 空に浮かぶフェニックスの"女王(クイーン)"は渚を冷たく見下ろすと魔力による爆撃を開始した。

 爆発から逃げるため渚は地面を蹴る。

 

「間違いない、あの容赦ない爆発……。アイツが新校舎に爆弾を仕掛けたヤバイ奴だ」

「うふふ、まるで虫のようね」

 

 ひたすら周囲に爆発を撒き散らすユーベルーナ。渚が爆発に意識を持っていかれていると爆煙の切り裂いてカーラマインとシーリスが現れた。避けたつもりが制服を浅く斬られる。

 

「爆心地に来るとか、正気か!?」

「ユーベルーナが何も考えずに周囲を爆破してると思っているのか?」

「こういう状況は慣れっこなのさ」

 

 無差別と思っていた爆発だがピンポイントで渚の行動だけを阻害(そがい)しているようだ。大雑把に見えて味方を巻き込まないように爆発をコントロールして道を作るユーベルーナ、その破壊と衝撃の道を迷い無く走り抜けてくるカーラマインとシーリス。まさに信頼と経験から来る見事な連携だ。

 

「ちぃ」

 

 反撃しようと"騎士(ナイト)"を追うが爆発によって妨げられる。こうも上手いと非常にやり(ずら)い。

 渚が舌打ちをすると周囲が断続的に爆破された。まるで渚の動きを封じるような爆炎の檻に動きを止めてしまう。

 

「はい、終わり♪」

 

 ユーベルーナがそう告げると渚の足元に巨大な魔方陣が出現する。

 これが本命と気づいた時には術式は発動していた。

 

「しまっ──」

 

 魔力が(ほとばし)ると同時に今までとは比にならない程の大爆発が駒王学園を震わせる。

 グレモリー眷属が叫ぶ。

 渚自身も粉々になったかと思う爆発の中で何故か生きていた。すぐ近くで篝火(かがりび)のような暖かい熱を感じる。

 

「全く、誰も彼も(わたくし)の事を忘れていますわね」

 

 爆発を防いだのは炎の翼だった。

 その炎の主こそ渚の前に立つレイヴェル・フェニックス。彼女は兄の眷属に対して堂々とした(たたず)まいで対面していた。

 

「……レイヴェルさま、立ちふさがると言うのなら容赦は出来ません」

「ユーベルーナ、加減は無用ですわ。あなた方がお兄さまの為に戦っているように(わたくし)も戦う理由があるのですから」

「無礼を承知で言いますが、私とレイヴェルさまでは勝敗は見えているかと」

「お兄さまの"女王(クイーン)"を単体で倒せるなどは言いませんわ。……けれど、()めが甘くなくて?」

 

 レイヴェルがクスリと笑うとユーベルーナの頭上から雷が落ちてくる。

 

「く、雷の巫女か!」

「つれないですわね。幾ら本陣が崩れたとはいえ、いきなり戦いを放置して行くなんて」

 

 巫女装束の朱乃が雷を(まと)いながら笑顔で睨む。

 

「続き、しますか?」

「いいでしょう、ですがその前に……」

 

 ユーベルーナが魔力で新校舎を爆破する。

 破壊したのは瓦礫となった上層部分。狙いは生き埋めになったライザーの救出だろう。

 ガラリと音を立てて瓦礫が崩れた。

 そして炎が燃え上がる。

 

「ち、まさか生き埋めにされると思いもしなかったぞ」

 

 悪態を吐くのはフェニックス陣営の"(キング)"ライザー・フェニックスだ。

 無気力な様子でノロノロと眷属たちの前に歩いてくる。

 

「お前らだけか?」

 

 眷属たちに無感情のまま問う。

 その言葉に頭を下げたのは十二単を着た"僧侶(ビショップ)"の美南風(みはえ)だった。

 

「ライザー様、申し訳ありません。我らの(いた)らなさから半数以上も眷属を失いました」

 

 シンっとフェニックス陣営の者たちが黙り込む。

 渚はライザーがどう出るのかを静かに見ている。

 結果だけならライザー陣営はかなり押されているのだ。眷属たちに無能と罵声を浴びせる可能性もある。

 

「久方ぶりのゲームだ、仕方ない」

 

 だが予想を裏切り、眷属たちに優しい言葉を投げ掛けるライザー。これには渚だけではなくグレモリー眷属たちも驚いた。

 粗暴(そぼう)というイメージがあっただけに、こんなにも"(キング)"らしい事をするライザーの一面は斬新だった。

 

「さて、と。俺はこんなゲームは早く終わらせたい。だからこれからテメェらはさっさと狩る。覚悟は出来てんだろうな?」

 

 ()だるげな目で睨まれたグレモリー眷属が身構える。ライザーはまずグレモリーから処理するつもりだ。察した渚が前に出ようとするが……。

 

「眷属に告ぐ。ユーベルーナはグレモリーの"女王(クイーン)"を、それ以外の全ての者は──あの人間を足止めしろ」

 

 渚の行動を予測していたのか先手を打たれる。カーラマインとシーリスが同時に渚へ襲いかかる。

 そして驚くべきことにその二人に加えてイザベラも参戦してきた。渚から受けた傷が嘘のように消え失せている。

 

「……例の回復アイテムか」

「レイヴェルに"フェニックスの涙"の事を聞いたようだね」

 

 回復アイテムの存在は知っていた。

 しかし渚が考えていたよりも効力が大きい。

 まさか瀕死から完全回復するなど思いしなかった。

 更に"兵士《ポーン》"のミィとリィの双子の猫又、"僧侶(ビショップ)"の美南風(みはえ)までも渚へ攻撃を開始する。

 五対一の攻防は渚をその場に縫い付ける。阿吽の呼吸で互いをフォローする戦術は洗練されたモノで容易には突破できない。その間にライザーが動き出す。

 ライザーは炎の翼を広げると、まず祐斗を肉薄した。

 ジェット噴射のような急激な加速による強襲。

 だが祐斗は反応して見せた、魔剣でライザーの炎熱の拳を受け止める。

 

「へぇ、止められるとは思わなかったぞ、リアスの"騎士(ナイト)"」

「あなたよりも速い相手と斬り結んだことがあるんでね」

「そうかい。ならソイツはこんな真似はしたか」

 

 祐斗と接触していた拳が急に爆発炎上する。

 至近距離からの爆発を受けた祐斗は為す術もなく炸裂した炎の餌食になる。

 

「致命的なダメージは(ふせ)いだか。けどもう立てねぇだろ」

「木場ぁ!」

「他人の心配か?」

「ぐあ!」

 

 鋭い蹴りをお見舞いするライザー。その場に一誠は(うずくま)る。

 

「二人目。次はお前だ、可愛らしいお嬢さん」

「……(あなど)らないでください」

 

 小猫はライザーの炎を掻い潜り、小さな拳で反撃して見せる。ボディにいいパンチを受けたライザーが数歩、後ずさった

 

「驚いたぞ、どうやらお前は他の二人よりも"力"が数段違うようだ。……見た目に(だま)されたが、もう容赦しねぇぞ」

「……これは大切な貰い物です。あなたに崩せる程、弱くはないです」

 

 ライザーと小猫。

 二人を中心に爆炎があがる。

 小猫はライザーと互角の戦いを繰り広げる。

 炎を拳で相殺して殴る。意外な人物の意外な強さに渚を含めたこの場にいる一同が視線を奪われた。

 

「"戦車(ルーク)"にしても妙に固ぇな、()()使()()()()()()?」

「……教えません」

 

 小猫のパンチがライザーの顔面を捉えた。

 鉄砲玉のような勢いで跳んでいくライザーだったが、すぐに背中の炎を噴射して体勢を建て直す。

 

「認めたくはねぇがポテンシャルはそっちが上か。ほんと何者(なにもん)だ?」

「……ただの下級悪魔です」

「ほざけよ、リアスの"戦車(ルーク)"が。まぁいい、攻略方法は思い付いた」

「……攻略?」

「ああ、肉体スペックに物言わせて殴る蹴るしか出来ない幼稚な戦い方だ。確かに堅牢だが"中"はどうかな」

 

 ライザーがクイッと指を動かすと小猫とライザーを閉じ込めるように炎柱がそびえ立つ。炎は容赦のない灼熱を撒き散らす。

 

「……すぐに出させてもらいます」

「出さねぇよ」

 

 ライザーの炎翼から鋭い穂先の炎が大量に放たれる。一発、一発なら大したダメージにはならないが数が多い。小猫は自身の力を両手に集中させて迎撃すること選択する。

 順調に攻撃を防御しながらライザーとの距離を縮めて行く小猫だったが一発の炎が彼女の肩を(かす)めた。そこから小猫の防御に(かげ)りが見え始めた。

 

「そろそろか」

「……炎のスピードが変わった?」

 

 小猫の疑問をライザーは(わら)う。

 

「ハッ! 違うな、お前の動きが鈍くなったんだよ」

「……わたしが?」

「お前を密閉(みっぺい)しているのは炎だぞ。……で次に何が起こると思う?」

「あ、れ?」

 

 小猫が苦しそうに(ひざ)を突く。それを確認したライザーは炎により攻撃を止めた。

 

「火は酸素を喰う。酸素がなければ生物は欠乏症に(おちい)るんだよ。この炎の中であんなに動き回れば症状は加速の一途だぜ?」

「……くぅ」

「めまいが酷いだろう? 呼吸が嫌に難しくはないか? 筋力が低下している自覚あるか?」

「……ま、まだやれます」

「いいや、終わりだ。この炎の(おり)がお前の終点だ」

 

 右手に巨大な炎を溜め込むライザー。

 そしてそれを容赦なく放つ。

 不味いと小猫が悟った時には手遅れだった。灼熱は眼前まで迫り、小さな体を飲み込もうとしている。

 その刹那、炎の檻を切り裂いて渚が小猫を抱えた。

 

「間に合ったか!」

「なぎ、せん……ぱい」

 

 炎と言う炎から逃れた渚と小猫。

 

「五人相手に突破してきのかよ」

「突破しただけだ」

 

 全身から血と焼けた匂いがする。

 渚は無理矢理に包囲網を破ったのだ。その代償は少なくないダメージだった。

 

「ライザー様」

 

 イザベラを筆頭にフェニックスの陣営が集まる。

 

「申し訳ありません」

「ふん、いいさ。あの野郎は俺がブチ殺したかった。──ユーベルーナ、来い!」

 

 ライザーが自らの"女王(クイーン)"を呼ぶ。ユーベルーナは朱乃との戦闘を中断して"(キング)"の前に降り立つ。朱乃もまた渚と小猫を庇う位置に移動する。

 

「随分とやってくれましたわね」

「おやおや、リアスの"女王(クイーン)"がお怒りだ。お前たちとて俺の可愛い眷属を撃破している、その怒りはお門違いという物だぜ?」

 

 ライザーが朱乃を挑発する。

 祐斗はリタイア寸前、一誠も意識はあるが動けずにいる。小猫に限っては回復に暫く掛かるだろう。

 対して相手は七人。"(キング)"の登場でこんなにも形勢が変わってしまった。

 

「まぁよく頑張った方じゃないのか?」

 

 炎をちらつかせるライザー。絶対有利の状況と確信しているからこその言葉だ。だが彼に喜びはない、あるのは無気力な感情だった。

 渚は違和感を覚える。眷属たちは死に物狂いでライザーを勝たせようとしているが、そのライザーがゲームに意欲的ではない。端的にいえば面倒な事を早く終わらせたいという怠惰(たいだ)さすら感じる。

 

「それで? 負傷者だらけの状況でまだやるのか?」

 

 当然だと渚が言い返そうとした時だ。知った気配がすぐ近くに現れた。

 

「──勿論よ」

「なんだ、来たのか」

 

 ライザーの質問を切り捨てたのは凛とした声だ。

 その声の主は堂々と紅い長髪を揺らしながら漆黒の翼で戦場へとやってきた。

 

「ライザー、貴方は私の可愛い眷属を(あなど)りすぎね」

「リアス、この惨状を見ての言葉なら正気を疑うぞ」

 

 登場したのはアーシアと連れたリアス・グレモリーその人だ。決して浅くはない傷を負った渚を見たアーシアが目を見開く。渚は『大丈夫だから、グレモリー先輩のそばにいてくれ』と無言の合図を送ると伝わったのか、踏み出そうとした足が止まる。

 

「アーシア、祐斗からお願いね」

「は、はい」

 

 アーシアが申し訳なさそうに渚へ目配せするが頷いて指示に従うよう伝えた。

 祐斗の治療が始まるとフェニックス陣営がアーシアに注目した。自分達が持つ"フェニックスの涙"と同等の回復、しかも一回きりでなく無限に使えるアーシアは敵対する陣営からした厄介(やっかい)すぎる能力の持ち主だ。

 

「アレは優先的に倒すべきだな。──ユーベルーナ」

(おお)せのままに」

 

 ユーベルーナの手の平がアーシアに向けられる。

 渚が刀を手に走り出そうとした。だがリアスに止められる。抗議しようと声をあげようとしたが『大丈夫よ、貴方のパートナーが動いてるわ』という言葉で彼女の姿を探す。

 そして爆発が起きる。それは何度も見たユーベルーナの爆破の力だ。アーシアを吹き飛ばす為に放たれた力は衝撃となって破壊を広げていく。

 

「やらせませんわよ」

 

 迫る爆撃を燃え盛る炎の翼が遮断する。レイヴェルが炎の翼を広げながらユーベルーナの爆破からアーシアと祐斗を守るように立つ。その姿を見たライザーは眉間にシワを寄せた。

 

「……レイヴェル」

「やっと(わたくし)の方を見てくださいましたね、お兄さま」

 

 炎を宿す兄妹が相対する。

 どこか諦めぎみな兄に挑むような情熱的な妹。対照的な二人である。

 

「お前と戦う気はない、下がっていろ」

「……"両陣営から一人選んで第三勢力する"。それを聞かされた時に決めましたの。──(わたくし)が、その品曲がったお兄さまの性根を叩き直すと」

「それで志願したわけか」

「そうですわ、この結婚は断固として反対です」

「祝福してくれると思ったんだがな……」

 

 残念そうな兄に妹は悲しそうな顔をした。

 

「それがお兄さまの本心なら祝福しましたわ」

「何を言ってるんだ、これは俺の意思で決めたことだ」

「嘘。お兄さまは……ただ逃げているだけですわ」

 

 ライザーが黙り込んだ。薄気味悪くらいに表情から感情が消えていた。

 代わりに炎の翼が激しく揺らぐ。

 

「……もう一度言うぞレイヴェル。下がれ、俺はこのゲームに勝つ」

「否定しますわ、(わたくし)にも目的があるのですわ」

「目的? 初耳だな、俺の婚儀の邪魔以外に何かあるのか?」

「このゲームは魔王ルシファーさまがご覧になられている。きっと勝者はあの方から直接にお言葉を頂けますわ」

「栄誉なことだ。だが意外だったぞ、お前がサーゼクスさまのファンだったとは」

 

 ライザーの言葉に首を振るレイヴェル。

 

「そんな俗物的な考えではありませんわ」

「ふん、ならなんだ?」

「お兄さまをこのような腑抜(ふぬ)けにした(やから)がいたと魔王さまに直訴(じきそ)しますわ」

「……なんだと?」

「聞こえませんでしたか? (わたくし)は訴えるのです。あの──」

「その名を口にするな!!!!」

 

 ライザーが激情を(あらわ)にすると膨大な熱量を放出する。

 そこあったのは明らかな焦燥と恐怖だ。レイヴェルが口にしようとした名を無理矢理に閉ざすのは荒ぶる炎。

 紅蓮の暴風となったライザーの激情が駒王学園を支配した。凄まじい炎の魔力放出は上級悪魔に相応しい暴力を秘めている。

 

「もういい、喋るな。お前はここでリタイアしろ、今すぐにだ」

「……お兄さま」

「行くぞ、レイヴェル」

 

 ライザーの放出した魔力に指向性が宿る。

 狙いは実の妹であるレイヴェル。まともに受ければ致命的なダメージとなる炎が彼女を襲う。

 

「──何やってんだ、アンタは」

 

 そんな炎を渚が切り裂く。

 荒れ狂う暴炎は()()りになり、業火の地獄を産み出す。

 燃え盛る駒王学園。炎熱と化した戦場で渚は、鋭くライザーを見つめた。

 

「流石に今のは実の妹に向ける魔力じゃないだろ」

「部外者が黙っていろ。俺たちはフェニックス(不死)だ、死にはしない」

 

 ライザーの言い分に渚が「やれやれ」といった風な態度で大袈裟(おおげさ)に肩を(すく)めた。

 

「死なないから燃やし尽くしても問題ないってか。……バカだろ、テメェ?」

 

 呆れ顔が一変して怒気を含んだ声となる。同時に渚の姿が忽然(こつぜん)()き消えた。

 この場にいる全員が渚を探す。

 最初に渚を感知したのはライザーだった。いや(とら)えられたというべきだろう。彼の胸からは真っ赤な色に染まった白銀の刀身が生えていたのだ。

 

「ゴホッ、ぐぁ」

「妹の全身を焼こうとしたんだ、これぐらいはどうってことないだろ?」

 

 苦悶(くもん)の声をあげるライザーに冷たく言い放つ。

 そう、死なないだけで痛みは感じるのだ。なのにライザーはレイヴェルを焼こうとした。きっと二人の様子から渚の知らない深い事情があるのだろう。

 それでも(かん)(さわ)った。

 妹に手をあげる兄がどうしても許せなかったのだ。

 自分でも驚くぐらいにライザーに対して怒りを向けている。心の奥底で『この男の暴挙を許すな』と叫ぶ自分がいる。

 

「妹でもいたのかな、俺は……」

 

 自らの失くしたモノ(記憶)に問いかけながら突き刺した刀を一気に引き抜く。

 渚の救援されたレイヴェルが何故と問いかけてくる。

 彼女を助けた理由など一つしかない、()わした契約を遂行(すいこう)するためだ。

 

「貴様ッ!」

 

 ライザーの炎が巻き起こすが渚はすかさず回避した。

 そしてレイヴェルの隣に立つと目を合わせず刀を構えて言う。

 

「──勝つんだろ?」

「勿論ですわ!」

 

 同意の言葉が返ってくると同時に炎が渚とレイヴェルを襲う。

 本格的に容赦のない攻撃である。渚は炎を切り裂き、ライザーに刃を叩きつける。

 

刻流閃裂(こくりゅうせんさ) "輝夜(かぐや)"」

 

 名が(たい)(あらわ)し、(こと)()が式を()む。

 そんな言葉がある。

 異能を使う際、名を口にするということは無駄な行動に見えて実は必要な儀式だ。名を呼ぶことで技に霊が宿り、霊が宿ることで光速を超えた斬撃を叩き込むという本来なら不可能な事象を実現する。

 武の剣術だけではたどり着けない霊と武の混合術、それが"刻流"という戦闘術式である。

 渚の超速の刃はライザーの肉体を深々と切り裂く。

 本来ならこれで終わる。だが斬られたライザーは哄笑(きょうしょう)する。

 

「バカが! 俺はフェニックスだぞ、すぐに元通りだ!!」

 

 裂かれた肉体が炎と共に再生するとライザーは元の健全な姿へと戻っていた。凄まじいまでの治癒、確かにこのレベルの自己治癒力を持っているのなら不死を名乗りたくもなるだろう。

 ならば……と渚は両手で刀を握る。

 

「刻流閃裂 "門都(かどつ)"」

 

 一瞬十斬。

 (またた)きの間にライザーの肉体が千切(ちぎ)()ぶ。

 

「ははは、無駄だと──」

 

 不死鳥は修復するが再びバラバラになる。

 

「な、何ぃ!!」

コイツ(門都)は乱撃だ。お前が再生すると同時に切り刻む事が出来る」

「そんな事を繰り返しても、いつかはスタミナが尽きるだろうが!」

「ああ、最初からそのつもりだ。心配するな、案外とスタミナには自信がある」

 

 伊達(だて)に多くの"はぐれ悪魔"を狩ってはない。一夜に五匹以上などザラなのだ、そんなハードスケジュールを半年以上も繰り返せば嫌でも体力は付く。

 

「こんな程度で!!」

「肉体が無理なら精神を()つってな!」

 

 (ことごと)くライザーを斬りつける。

 ライザーも距離を離そうとするが渚はしぶとく追いかけては刃を振るう。

 

小癪(こしゃく)なぁ!」

「そうか? 正攻法だろ?」

「生意気な野郎だ!」

「顔が辛そうだぞ、不死鳥?」

「小僧が! 黙れよ!!」

 

 根比べは間違いなく渚が優勢だった。

 それもそうだ。

 渚は派手に動いて乱舞を繰り返すだけだが、ライザーは常に切り刻まれる激痛を味わっている。精神的にも追い詰められているのは間違いない。

 

「いい加減にしやがれ!」

 

 痛みに耐えかねたライザーが炎を爆発させた。

 これには渚も防御に回る。

 その隙に撤退するライザーだったが横から炎が飛んで来た。思わぬ攻撃に足を止められる。

 

「レイヴェル!!」

「お兄さま、(わたくし)は勝つと言いましたわ」

 

 悲痛な表情でライザーの動きを封じるレイヴェル。

 その隙を渚は逃がさない。

 

「足が止まってるぞ!」

「ぐぁ! くそ、クソクソクソクソクソ!!!!」

 

 渚とレイヴェルによって精神が磨耗(まもう)したライザーは狂ったように目を血走らせる。

 眷属たちに助けを求めようとしても、いつも間にかグレモリー眷属との戦闘に入っている。

 勝負はあった。

 もはや逆転の目はないだろう。渚のスタミナはまだ底を突く気配はなく、ライザーの精神力はレッドゾーンだ。誰もが渚の勝利だと思う展開である。

 

「また負けるのか? また俺を(みじ)めと(さげず)むのか? 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ!! そんなのは嫌だぁああああああ!!」

 

 感情の爆発が起きる。

 病的に何かを拒むライザーが光を放つと同時に自身を覆い隠す、まるで光輝く黄金の卵のようだ。

 フェニックスの炎よりも輝くソレは否応なく全ての者を釘付けにした。

 そんな中でも渚は心を強く掻き乱された。

 

「……ヤバい」

 

 ありふれた言葉だ。

 しかし内包された焦燥と恐怖は()(はか)れない程に大きい。あの美しくも恐ろしい色彩の降臨が良くない現象だと渚は知っている。だが何かは|解らない()()()()()()

 気づけば痛いくらいに刀を握りしめていた。

 

 ──ドクン。

 

 ライザーを取り込んだ黄金の卵が鼓動(こどう)を響かせて亀裂(きれつ)が入る。

 亀裂は広がり、黄金が砕けた。

 その中から出来てきたモノは渚の知るライザー・フェニックスではなかった。……いや人ですらない。

 影が地に(かぶ)さり、炎熱の羽ばたきが駒王学園に吹き荒れる。

 

「……フェニックス(不死鳥)

 

 レイヴェルが静かに空を見上げて呟く。

 天より地上を見下ろすのは空を覆う極炎の魔力と燃え盛る巨鳥。あまりに唐突(とうとつ)過ぎるライザーの変異にグレモリーだけではなくフェニックスの眷属たちですら驚愕している。

 この不死鳥の出現はイレギュラーなのだろう。

 ともせずライザー・フェニックスという悪魔は人の形を捨て、不死鳥という怪物に新生したのだった。

 

 

 





データファイル

刻流閃裂(こくりゅうせんさ)天鐘楼(てんしょうろう)”』

一撃に全霊を込めて放つ荒技。対象を斬り裂くのではなく、叩き斬るという破壊で討つ。
斬撃を放つ前に一瞬の”溜め”を要求するため乱発は出来ないが、その威力は段違いであり堅牢な防壁だろうが力で叩き潰す。
主に防護に優れた相手に使用する技である。


刻流閃裂(こくりゅうせんさ)門都(かどつ)”』

秒間十斬の素早い乱撃。その斬撃の全てが次に繋がるように放たれているので必ずしも十回で終わるとは限らないのが特徴。使い手に体力が多ければ多いほど斬撃の数を増やすことが可能。
”輝夜”とよく似ている速度重視の技だが一撃必殺の輝夜と違い、此方は手数に物言わせた連撃決殺。速度は輝夜に及ばないがライザーのような修復力に優れた敵を殺し続けられる殺尽剣(さつじんけん)の一つ。


『”不死鳥”』

ライザーが変異したモノ、詳細不明。




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ライザー・フェニックスの受難《Broken Soul》


これはレーティングゲームが始まる前のお話。



 

 ライザー・フェニックスは自分を最強と思ったことなどない。

 純潔の悪魔であり、その中でも不死の肉体を持つ彼は間違いなく強者だ。肉弾戦こそ不得手だが本来の悪魔は魔力による遠距離戦闘を(おも)にする種族なのでマイナス要素にはならない。むしろ内包する魔力は上質であり操作も得意な彼は生粋(きっすい)の悪魔とも言える。

 だが上には上がいるものだ。

 その最たる存在が魔王と呼ばれる四人の悪魔だ。何度か会ったことはある。どの魔王も自分では届かない領域にいる者だとすぐに悟った。

 彼らだけでない。最上級と呼ばれる悪魔たちも怪物だらけだ。そんな上位者たちが連なるレーティング・ゲームに出場している事は誇りですらあった。彼らと肩を並べるという夢も出来た。だから懸命にゲームの訓練を行い、勉学にも(いそ)しんだ。

 

 ──あの試合を行う前までは……。

 

 それは非公式に行われたゲームだった。

 相手は(いま)だゲームをしたことない新人悪魔。

 本人も含め、誰もがライザーの勝利を確信していた。いやこの試合を見繕(みつくろ)った者たちはソレを望んでいた(ふし)すらあった。

 どこかキナ臭いものを感じながらもライザーは新人に先輩としてゲームの厳しさを教えるつもりで戦った。

 レーティング・ゲームはゲームと名が付いているが実際は自らの戦力と知恵を使う実戦形式の試合である。大ケガをする者も珍しくない苛烈な遊戯だ。新人の中には所詮は"遊び"と舐めてかかる者も少なくない。だから手加減せずに挑んだ。

 しかし、そんなゲームの中で予想外の事が起きる。

 不死であるライザーが惨敗を(きっ)したのだ。無名の新人は身内からも無能と(さげず)まれた男だった。

 そんな者に負けたのだ。

 フェニックスの炎を砕いたのは魔力の宿らない一握りの拳。正面からの真っ向勝負に眷属は倒れ、自分もやられた。

 意味が分からなかった。

 なぜ自分が倒されたのか。

 相手は決して無能などではない。間違いなく強者だった。

 最初は騙されたと思った。誤った情報で仕組まれたゲームとも考えた。けれど外野の反応ですぐに状況を理解した。全員が驚いている様子だったからだ。

 ゲームを見学している者には冥界の重鎮(じゅうちん)もいる。そんな事を知ってか知らずか対戦相手の新人は深々と頭を下げた。

 

『良い経験をさせて頂きました』

 

 先人に対する敬意と感謝。傲慢な悪魔らしくない誠意のある態度。きっと彼に()があるわけではない。(むし)ろ被害者なのだ。()()()と言う無言の圧力に抗い、全力で挑んだのだろう。

 ライザーは黙って敗北を受け入れる。

 どう言い訳しようが結果は出てしまった。だから次に()かそうと心に決めた。満身は己を滅ぼすのだと、油断なくゲームと向き合わなくてはならない。

 そう胸に刻みながら……。

 

 だが彼の決意を捩じ伏せる地獄が始まる。

 

 試合を仕組んだ者たちはどうしても例の新人悪魔を認めたくなかったのだろう。何をおもったのか、敗北したライザーに対しても信じられない低評価と圧力を浴びせてきたのだ。

 

 ──無能に負けた不要な悪魔。

 ──フェニックス家の失敗作。

 ──悪魔の恥。

 

 どれもがライザーを(おとし)めた。彼のゲーム人生は一変した言ってもいい。

 ライザーが試合に勝てば"まぐれ"で済まされ、負ければ"やっぱり"という言葉が付くようになり多くの悪魔がライザー・フェニックスは"程度の知れた悪魔"という評価しかしなくなった。

 あの試合を仕組んだ悪魔たちは、それほどまでの影響力を持っていたのだ。

 上級悪魔であった彼のプライドは粉々に砕かれ、いつしか試合からも逃げるようになった。勝っても負けても最悪な評価しかされないのだから当然だ。

 家族や眷属は懸命に彼を支えたが最早どうしようもない。

 相手が悪いのだ。決して表には立たず、裏から徹底的に動く闇の権力者。それにライザーは目を付けられた。不幸中の幸いなのは権力者たちがフェニックス家ではなくライザー個人に圧力を向けたことだろうか。

 それでも誇りは風化し夢は()び付いた。もう何もいらない。ただ静かに暮らしたい。

 いつしかライザーはそう思うようになってしまった。

 

 そんな時だった、父から婚約の話を受けたのは……。

 相手はグレモリーの次期当主。

 性格も容姿も好みの女性だ。

 フェニックス家の者として父や母になんらかの奉仕(ほうし)をしたかった彼は婚約を受け入れた。

 ゲームで栄誉を得ることは出来なくなった。ならばと考えたのだ。

 最低かもしれないがフェニックスのためにグレモリーを利用させてもらおうと決めた。

 

「リアス・グレモリーか。いいさ、さっさと結婚して静かに暮らせれば……」

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

「そうか、ソレが君がこうなった経緯(けいい)なのだね」

 

 ライザーは寝室で一人の悪魔と会話をしていた。

 白衣を身に付けたメンタルセラピストの女性だ。

 レーティング・ゲームの重圧のせいで精神的に追い詰められたライザーに家族が用意したものだが大体はすぐ追い返す。

 どの医者もゲームに復帰させそうと躍起になっているのが透けて見えるからだ。六人目であるこの女性もどうせ同じだろうとライザーは思っている。

 

「初めに言っておくが俺はゲームに復帰する気はない、帰ってくれ」

「お兄さま!」

 

 付き添いの妹であるレイヴェルがライザーに詰め寄るも相手にしない。

 

「レイヴェル、もう決めた事だ。お前もさっさと母上の眷属になれ。俺の所に居ても益はないぞ。例のリアスとのゲームも本来なら断りたいところだ」

「お断りしますわ、私はライザー・フェニックスの下で自らを鍛えよと申し付けられていますの!」

「もうやめてくれ。俺は新人悪魔に負けるような男だ」

「あの新人悪魔はどうみても規格が違います! あの悪魔は魔力が使えないだけで間違いなく若い世代ではトップの実力を有してますわ」

「ふん、もういいさ。どう足掻(あが)いても俺の評価は変わらんからな」

 

 レイヴェルの必死なフォローを受け流す。

 話を黙って聞いていたセラピーの女性が「ふむ」と頷く。

 

「ライザー様、やりたくないのであれば辞めてしまえばいいのでは?」

「え?」

 

 意外すぎる一言に言葉を失うライザー。

 

「な、なんて事をおっしゃるんですの!? 貴女も悪魔ならゲームの大事さは分かるでしょう!! 今の時代、富や名声を自らで獲得できるのはゲームのみなのですよ!!」

「本人がやりたくないと言うのに強制するのはよくない思うのですよ、お嬢様」

「医者の先生、あんたは俺にゲームをさせようとしないんだな」

「はい。私の仕事は貴方様の不安や精神的負荷を軽くする事です。であれば次のゲームを最後にするという選択はアリかと思います」

 

 にこりと微笑む女性。

 

「いいのかよ、そんなこと言って」

「聞けば婚約を賭けての戦いだとか。個体数を減らしてしまった純潔悪魔にとって世継ぎをお作りになるのは急務です。ゲームよりも命を育む事こそ冥界には必要では?」

「そうだが……」

「やはりゲーム自体に乗り気ではありませんか」

「いや、あの生意気な人間を燃やせるのなら嫌でも出るさ」

「あの人間?」

「刀を使う奴だ。人間の分際で俺に痛みを与えた、必ず倍にして返す」

 

 ライザーの魔力が溢れ出す。

 よほどの屈辱だったのだろう。

 女医が笑みを浮かべた。

 

「よい傾向です、活力が魔力に変換されています。……レイヴェルお嬢様、ライザー様と二人きりにしてもらえませんか?」

「な、何故ですの?」

「医者と患者だけの会話があるのです。すぐに終わりますので」

「……けど」

「構わない。──レイヴェル」

「分かりましたわ、何かあれば呼んでくださいな」

 

 ライザーの一言で渋々という感じで部屋を後にするレイヴェル。

 

「それで話っていうのは?」

「実はわたくし、ライザー様のお話は前より知っていました」

「ハッ、俺が負け犬って分かっていたのかよ」

 

 自嘲するライザーに女医は首を左右に振る。

 

「そこまでは思っていませんよ。ただコレを贈呈(ぞうてい)しようかと思いまして」

「なんだ、それは?」

 

 女医が取り出したのは金色の液体が注入されている注射器だった。一目で通常の薬物ではないと分かる。

 

「悪魔の能力に対する活性薬です」

「バカな、こんなものを使用すれば即失格だ。ゲームである以上はルールも設けられている」

 

 レーティング・ゲームでは薬物などの外的要因(ドーピング)で強さを操作する行為は重大なルール違反である。そんなライザーの反論を女医は嘲笑うように注射器を前に差し出す。

 

「戦いの最中で追い詰められた悪魔の力が急増する例は幾つもあります。これは特殊な薬品なため上手く服用すれば()()()()()()()()()()()()。どうかライザー様、将来を考えての検討を」

「く、俺にルールを破れと?」

「あくまで保険ですよ。使わないまま勝てればそれが一番良いのですから」

 

 女医の助言は悪魔の囁きだった。

 ライザーは迷いながらも薬を手にする。直に見ているからこそ理解できるのだ、この薬は本物だと……。

 

「いつ使えばいい……?」

「試合前に使用するのが一番かと思います。ふふ、わたくしは貴方の勝利を願っていますよ」

 

 女医が一礼して何事もなかった様子で部屋を去る。

 まるでもう用はないと言いたげな行動だったがライザーは黙って見送るしか出来ない。

 寝室のドアが閉まって一人になる。

 かつて自分を動かしていた原動力は、今や錆び付き心に冷たい蓋を落としている。ライザーは思考を放棄し、渡された怪しげな薬を握り絞めた。

 これが良いものではないとは理解しつつも心の奥底で最後ならばルールを破っても構わないのではないかと自分を正当させながら来るべきゲームの日を待つ。

 

「誇りや夢などバカらしい。……勝てなければ意味がないんだよ」

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 ──冥界。

 この世界には太陽と言うものがない。

 昼と夜という概念はあるが、もっとも明るい時間になっても紫色の空が広がっている。光に弱い悪魔たちの楽園を白衣の女性がハイヒールを鳴らして歩く。

 その足でフェニックス領から出ると人が通らないであろう道を選んで奥に奥に進む。

 

「……遅かったな」

 

 低いが妙に耳に入る声。

 白衣の女性の前方、一人の黒ずくめの男が無愛想な顔を向けていた。

 女性が笑みを浮かべた。それは感情を隠すための笑顔であり心がない道化のようですらある。

 

「出迎え、ご苦労様」

「必要かは不明だがな」

「いやいや嬉しいよ」

 

 白衣を脱ぎ捨てると女性の姿が一変する。

 長身だった身体は縮み、ビッシリと決めていたスーツはカジュアルなフードつきのダボダボなトレーナー服と短パンになっていた。太ももまで延びる厚着のトレーナーから女性……いや少女は棒の付いた丸いキャンディーを取り出して口に加えた。

 口をモゴモゴしながら余分にあるキャンディーを差し出す。

 

「あ、クラフトも食べりゅ?」

「いらん」

 

 冷たく一蹴されるが気にした様子もなくキャンディーを納める少女。

 

「ところでさぁ、ウチの組織って人使い荒くない? この前まで重症だった二人に"冥界と魔界の通路を塞がれないようにしろ"なんて命令出してさぁ。アレはネクロっちが実験で繋げただけでしょ?」

「"協力者"が必要と言ってる以上は従うしかあるまい。元々は我らが失敗したせいでもあるのだろう」

「"戦争を起こす"ためねぇ。派手なのは好きだけど最近は()き気味なんだよねぇ」

 

 愚痴(ぐち)る少女をクラフトは無視した。

 

「ライザー・フェニックスに例の薬は渡したか?」

「もっちろん。打ちのめされたライザーくんの再起を願ってね」

「駒王町にはアリステア・メアがいる。上級悪魔程度でどうにかなるとは思えんがな」

「真っ白ちゃんの対策は出来てるよ。……組織が誇る戦力を出す予定」

「誰だ?」

「クラフトは会ったことないよ、すっごく強くて、すっごく怖い。けど制御が効かない子。ちなみに私は愛してるかなぁ」

 

 そして少女はクルクルと体を回しながら軽快なステップを踏む。

 

「随分と楽しそうだな」

「ふふ、当たり前だろう? レーティング・ゲームで起きた不慮な事故による魔王の妹の死! ライザー・フェニックスの真の不死鳥としての覚醒! そして不死鳥は人間界を震撼(しんかん)させる! 中々にドラマチックじゃないかい?」

「興味がない。たかだか不死鳥が一匹で国が滅ぼせる訳でもあるまい」

「いんや、滅ぼせるよ?」

「何?」

 

 ダボダボ服のフードを目深にかぶる少女。

 目を隠した状態で口が三日月を描く。

 

「クラフト、君は始神源性(アルケアルマ)って知ってる?」

「知らんな、それがどうした?」

「それは"個体"でありながら"世界"という特性を持つ存在を言うんだ」

「分かるように話せ。小難しい話は得意ではない」

「そうだなぁ、じゃあこう言おうか。このジャンルに当てハマる存在を二つは知っている筈だ。ヒントは君やボクよりもずっとずっと強い」

「二つだと? ……まさか」

「正解にたどり着いたようだね。そう──『龍神』と『真龍』がその始神源性(アルケアルマ)に数えられている」

 

 この世界で尤も強い存在は何か?

 そう問われれば大半の者がこう答える。

 無限の体現者(オーフィス)あるいは真なる赤龍神帝(グレートレッド)と……。あらゆる魔と神が恐れ、挑み、散っていた災害にも等しい最強を冠する二柱。

 決して挑んではならない君臨者。

 

「それとライザー・フェニックスの話の繋がりが見えんな」

「簡単簡単、ライザーくんに渡した薬が始神源性(アルケアルマ)の欠片なのさ」

「ほう」

「砂粒程度だけど十分さ。きっと駒王を滅ぼしてくれるよ、彼は真の意味で不死を得るのだからね。もしかしたら君でも砕けないかもしれないよ? "砕き"の……いや"惨壊"のクラフトさん?」

「小さな組織かと思ったが存外、面白いことをする」

「むふふー、確かに構成人数は少ないけど新参の君は"アルマゲスト"の深淵を知らないのさ」

「貴様らの頭である"総主様"とやらか?」

 

 ケラケラと悪戯めいた笑いをこぼす少女。

 詳細を話す気はないのだろう。かつてカラワーナと名乗ってレイナーレに近づいた彼女は冥界の空を仰ぐ。

 太陽のない空は暗かったが少女の心は健やかそのモノだった。

 

「ライザーくん、君のレーティング・ゲームが最高の物になるとボクは信じているよ」

 

 道化の少女──タブリス・フェイスレスが闇の中で一人嗤う。

 嘲るように、期待するように、願うように……。

 クラフトはただそれを無言で見据えるのだった。

 

 





データファイル


『クラフト・バルバロイ』

強者に挑む求道者であり、”砕き”という異能を持ちて”惨壊”の異名で呼ばれる者。
俗世に事柄に興味がなく、ただ己を高みへと至らせる事だけを考える生粋の戦闘者。
アルマゲストという組織にスカウトされて属しているが、新人なので組織の詳細は知らない。本人も興味がない模様。
戦闘能力は少なく見積もっても最上級悪魔以上である。


『タブリス・フェイスレス』

二年前に死んだカラワーナに成り代わりレイナーレに近づいたが、本来の姿は中学生くらいの少女。
クラフト同様、アルマゲストに所属しているが年期が違うのか内部の構造にも詳しい素振りを見せる。
性格は一見すると天真爛漫の快楽主義であるが、他人を平然と偽って傷つける残虐性も内包している危険な一面を持つ。
異様な不死性を持つ少女で、手足を切断されようが眉間に弾丸を撃ち込まれようが死なない。恐らく彼女の異能が関係していると思われる。


『アルマゲスト』

クラフトとタブリスが所属する組織。
『総主』と呼ばれる存在が束ねている事以外は一切不明。
アルマゲストとはラテン語で『偉大なる者』を意味する。


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不死を司る者《Battle Field of School Ⅲ》

 

「一体、何が起きたと言うの?」

 

 グレモリーとフェニックスのレーティング・ゲームの進行役であり審判であるグレイフィアが険しい表情で端末をタイピングする。彼女の前で浮くように存在する半透明のモニター全てがエラーの文字を映し出していた。最後に捉えた音声は耳をつんざく爆発音である。耳に掛けていた通信機に手を添える。

 

「グレモリーならびにフェニックスの方々、私の声が聞こえますか?」

 

 返事はない。有無を言わさず、強制退去のシステムを起動させるも誰も戻ってくる気配がない。

 本来ならあり得ない状況だった。

 通信が来る。リアスたちからの返事かと期待したが違った。

 異常を察知した観戦者たちだ。

 選手を心配する声もあるが、それ以上に『試合を見せろ』という横暴な態度の者が大半だった。

 礼節に欠いた言葉の数々を前にしてグレイフィアはオープンチャンネルにすると冷静な声音でマイクに声を当てた。

 

「観戦者の皆様ご安心を。このグレイフィア・ルキフグスが責任をもって事態の解決を致します」

 

 そうして通信を切った。

 グレイフィアは冷静だったが、危機感が無いわけではない。

 寧ろ、一刻も早くなんとかしないと不味いと感じているほどだ。

 あらゆる計器が機能停止するなかで生きている装置に目をやった。

 それは魔力観測値。駒王学園というバトルフィールドにいる選手の魔力を数値化する物だ。その計器が突然、急激な上昇を観測したのだ。魔力は悪魔の戦闘能力の基準の一つ。そして新しく表示された魔力総量は魔王クラスに迫る数値だ。

 何かが突然現れたのは間違いないだろう。ソレが出現した影響で計器が狂ったとすれば辻褄があう。

 グレイフィアはバトルフィールドへ転移するための抜け道を探すべく行動を開始するのだった。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 炎が焼き尽くす駒王学園。

 燃え盛る戦場には凶鳥が一匹。

 炎熱を支配する其れは炎を司る者。

 名をフェニックス。

 悪魔の遊戯に降臨した"不死"という概念の象徴である。

 

「ライザー……なのか?」

 

 一誠は声を震わせながら"不死鳥"を見上げる。

 おおよそ人であったとは思えない怪物だ。内包する魔力、存在感がライザーとは異なり過ぎていて別物である。

 グレモリー眷属もフェニックス眷属も"不死鳥"にどう対処して良いのか分からない様子だ。

 あまりのイレギュラーな出来事であるため、このままゲームを続けるべきか否かという疑問。敵として攻撃すべきか、味方として共に戦うかという困惑。炎熱のフィールドで誰もが混乱している。

 

「いや違う。もうアレの中にいるのはライザーだけじゃない」

 

 渚はこの"不死鳥"がなんなのかを知っている口ぶりだ。

 

「ど、どういう意味だよ、ナギ」

 

 一誠が聞くと渚は片手で顔の半分を覆う仕草をする。

 歯を食い縛りながら懸命に記憶の糸を辿っている姿だとすぐ気づく。

 

「分からないんだ。ただ、あの"不死鳥"を視界に入れると頭にノイズが走る。ザラ付いた不快な違和感、アイツの()()()を見ればより一層大きくなる。"不死鳥"の瞳の"黄金"には覚えがある。ノイズが警告してくるんだ。……アレは暴虐と破滅の色彩だってな、クソッ」

 

 あの凶鳥はライザー・フェニックスという悪魔ではなく、もっと禍々しい"ナニか""になっていると確信が渚にはあるのだろう。

 一誠は渚の言葉に冷や汗を流した。

 "不死鳥"が動き出す。双翼を大きく広げたのだ。

 転瞬、無数の太陽が現れて極太のレーザーが降り注ぐ。

 大地を焼き払う狂暴な閃光は無差別な破壊を撒き散らす。直撃すれば間違いなく塵も残らないだろう。

 そして、その攻撃には敵味方の識別はなかった。

 一誠は懸命に逃げながら仲間に目をやる。朱乃、祐斗、小猫は上手く躱し、一番心配だったアーシアはリアスが保護していた。

 ふとフェニックス眷属がどうなったか気になり、視線を向ける。

 

「なぜこのような事をなさるのですか!」

「お止めください! ライザー様っ!!」

「やめてにゃ、ご主人さまぁ!」

「このままでは我々も全滅します!!」

 

 ユーベルーナとイザベラを始めとした眷属が懸命に訴えかけるが"不死鳥"は聞く耳すらもたない。

 熱線がフェニックス眷属をターゲットにした。無数のレーザーが眷属たちを薙ぎ払おうと迫る。

 渚は舌打ちしながら跳躍する。そして"不死鳥"の巨大な片翼を斬り跳ばす。

 巨大な翼を切断した渚に全員が注目した。やはりこの中でもっとも戦闘力が高いのは彼なのだ。

 

「ボサッとするな、死ぬぞ!!」

 

 渚の大声でフェニックス眷属だけはなく、グレモリーの眷属も我に返る。

 まず動いたのはリアスだった。

 

「朱乃、明らかな緊急事態よ。義姉さん(グレイフィア)とコンタクト取って」

「ダメ、繋がりませんわ」

 

 不味いとリアスは目を細めた。どういうわけか審判にも連絡が取れなくなっている。このままでは離脱もままならない。それは瀕死の重症を負っても医療施設への転移が始まらないと同義だ。

 

「レイヴェル・フェニックス」

「な、なんですの」

「貴女の兄は、どうしてああなってしまったの?」

「存じあげませんわ。あんな姿になる者は一族におりません」

「じゃあこの件は置いておきましょう。……ユーベルーナ」

「何かしら、リアス・グレモリー」

「ライザーを止めるわ、協力して」

 

 リアスの提案に難色を示すユーベルーナ。

 

「敵である、あなたと?」

「"王"に眷属殺しをさせたいの!」

「……ッ、敵の助力はいらないわ」

 

 ユーベルーナがライザーに近づくと戦う渚を押し退けて説得を始めた。

 渚が「止めろ」と警告するが無視される。懸命にライザーに訴えかけるユーベルーナだが、その行為も空しく"不死鳥"は狂暴な光を放つ。悲しくも歯がゆそうな表情で炎に飲み込まれそうになるユーベルーナ。

 だがその炎にユーベルーナに直撃する事はなかった。

 

「……くっ、ご無事かしらユーベルーナ?」

「レ、レイヴェルお嬢さま」

 

 ユーベルーナを庇ったレイヴェルが地面に転落する。

 

「何故! そんな、私のせいで!!」

「お気になさらず」

「しかし!」

 

 ユーベルーナが倒れるレイヴェルを抱え込む。

 あり得ない事が目の前で起きている。

 フェニックスであるレイヴェルの左腕が焼失していた。再生する気配すらない。まるで完全に消し去ったと言わんばかりだ。このフィールドにいる全員が異常な出来事に注目した。

 

「妹に何してやがる。……二度も言わせんなよ、ライザー」

 

 怒りの声は渚に他ならない。

 実の妹の腕を消し去った"不死鳥"は更なる追い討ちを掛けようとしていた。

 巨大な凶鳥を一刀の元に叩き斬る。

 直ぐ様、再生しようとするが怒りに猛る渚は荒々しく刀を納めると再び抜刀した。

 

「千切れ消えろ。──刻流閃裂(こくりゅうせんさ) 輝夜(かぐや)貌亡(かたなし)

 

 文字通り、形が無くなるまで微塵に斬り裂かれる"不死鳥"。

 それを見送った渚がレイヴェルの前に直ぐ様、駆けつける。

 

「再生が始まらないのか?」

「……のようですわ」

 

 苦しそうに笑みを浮かべるレイヴェル。

 

「すぐに治療をする、アーシア!」

「はい、お任せを!」

 

 渚の呼び掛けた時、既にレイヴェルの前にやって来ていた。

 淡い癒やし光が包む。

 レイヴェルの表情から少しだけ苦痛が抜けた。

 残ったもう一つの手が渚の服を弱々しく掴む。

 

「……お願いがありますの」

「言ってくれ」

「お兄さまを止めてください。……やってくれますか?」

「了解だ、契約だからな」

「……ええ、契約ですわ」

 

 渚が立ち上がる。

 視線の先にいるのは微塵になった筈の"不死鳥"。完全に復活した"不死鳥"は炎熱を撒き散らしながら眼下の者を見下す。灼熱の視線に対し、渚は鋭く斬るような目で睨む。

 

「ユーベルーナさん、俺はライザーを倒す。……邪魔だけはするな」

 

 冷たく燃えたぎるような言葉。

 ユーベルーナは何も返さない、いや返せない。彼女が犯した行動でレイヴェルが重症を負ったのだ。ただ黙って渚を見送った。

 再び、渚が"不死鳥"と交戦を始める。

 

「ユーベルーナ、グレモリーと協力しよう」

 

 そう言ったのはイザベラだ。

 フェニックスの眷属たちも気づいているのだ、自分の主人が異常な事態に見舞われているという事実に。

 ユーベルーナが唇を噛み締める。だが仲間たちがライザーに向ける悲痛な視線に顔をあげた。

 

「……ライザー様を戦闘不能にするわ」

 

 ユーベルーナを含めた眷属たちが頷く。

 それはとても重要な意味を持つ決断だった。

 ライザーを戦闘不能すればゲームのルール上、敗北である。……だとしても反対するものは居なかった。

 主人のために敵の力になる。言葉では簡単だが悪魔という存在はプライドが非常に高い。それを捨ててまで敵の手を借りるのは単純にライザーを慕っているからだ。

 両眷属の協力体制が整ったと同時にリアスが前に出た。

 

「皆、アレを見て」

 

 彼女の指差す方向で渚が"不死鳥"を切断していた。けれど、すぐに再生する。

 一進一退の攻防。

 現在進行形で渚が"不死鳥"と戦闘を繰り広げているが勝機があるようには見えなかった。斬った次の瞬間には再生して傷が消えるなど反則的な治癒力だ。

 

「変異前より治るスピードが上がっている以上、生半可な攻撃では倒せない」

「つまり何が言いたいの? リアス・グレモリー」

 

 ユーベルーナの質問にリアスは即答する。

 

「……手加減なしの総攻撃。これが最良だと進言するわ」

「つまり殺す気で掛かれと言うこと?」

「ええ」

 

 フェニックス眷属に迷いが生まれる。主を助けるために主を殺す。そんな矛盾を突き付けられれば仕方ないことだ。

 

「やりますわよ、みんな。お兄さまには沢山文句を言わなければなりませんもの」

 

 片腕を失くしたレイヴェルが言う。

 真っ青な顔でアーシアの肩を借りて立つ姿は、痛々しいが眼には強い力が宿っていた。全員がその姿を見て鼓舞された。ライザーを助けるために矛盾すらも呑み込む。

 この場所に存在する異能が一斉に"不死鳥"に向けられた。『赤龍帝(ブーステッド・ギア)』の『倍加』、『魔剣創造(ソードバース)』による多彩な属性攻撃、雷による猛攻、滅びによる滅殺、小さな巨腕による重い打撃などといった多くの攻撃が"不死鳥"に降り注ぐ。

 

「ダメだ、足りない」

 

 渚が忌々しげに呟く。

 "不死鳥"は悪魔たちの総攻撃からも蘇生した。

 

「あんなのどうやって倒すんだよ」

 

 一誠が恐怖するように"不死鳥"を見上げた。

 それは泣き言だが間違いなく全員の本心でもあった。

 圧倒的な火力と再生力。

 そんな相手をどう攻略すればいいのか。誰もが活路を捜すが"不死鳥"はそんな時間を与えない。頭上の"不死鳥"が羽根で自身を包む。光が収束し、魔力が迸る。

 フィールドの空にヒビが入り、地面が崩れ始めた。

 渚の第六感が死を予感する。

 凝縮された魔力の恒星……それが今のアレだ。炸裂すれば駒王学園を模したバトルフィールドなど簡単に消し飛ぶ。阻止は不可能に近い。例え防御に回ったとしても無駄だろう。

 

「クソ!」

 

 渚が前に出る。

 膨張する太陽を切り裂くためだ。

 しかし"不死鳥"は嘲笑うように力を解放する。

 全てが強烈すぎる熱と光の炸裂に支配される。

 それは俗に言う太陽フレアと称された現象、核兵器の一億倍にも及ぶ暴力だ。

 灼熱の濁流は、まず戦闘に立つ渚へと降り注ぐ。

 そして、その一切を否定するかの如く燃やし尽くした。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

「ちょっと、これヤバイんじゃないの?」

 

 全てを見ていたレイナーレはアリステアに問う。

 

「ど、どうしよう。ナギサたちが死んじゃう……」

 

 ミッテルトも顔面を蒼白にしながらアリステアの服を引っ張っている。

 ライザーが変異した"不死鳥"は、かつて龍化したレイナーレよりも間違いなく強い。

 火炎による絶大な攻撃力、再生による不死性。どれをとっても死角がないのだ。

 実際、あの渚が手も足も出ていないのだ……勝つ可能性があるのは、その渚を超えるだろう実力を持つ白雪の少女くらいだろう。

 だが返ってきた言葉は意外なものだった。

 

「二人とも戦闘準備をしてください」

 

 アリステアが映し出された映像から目を背けると何もない方向を冷めた瞳で見る。

 何事かとレイナーレが文句を言おうとした時だ、足跡が近づいてくるのに気づく。

 月の光がその者を映す。

 

「こんばんは、いい夜ね」

 

 現れたのはレイナーレやアリステアと同じぐらいの歳の女だ。

 密編みされた長い黒髪が月の光に反射する。剣呑な雰囲気と眼鏡が特徴の女は絶世の美女といっても良いだろう。

 

「何者です?」

 

 アリステアが聞くと、女は会話に対して面倒そうにため息を吐く。

 

「分かるでしょ、"敵"よ。でも自己紹介が必要ならしてあげる、あたしはセクィエス・フォン・シュープリス。ああ、お前たちの自己紹介はいらないわ、そっちの堕天使がレイナーレで小さいのがミッテルト。……そしてアリステア・メア」

 

 深淵が如く黒い瞳でセクィエスはアリステアを見た。

 

「よくご存じで、誰からソレを?」

「そこの堕天使が世話になった"道化"よ。これで分かる?」

「……カラワーナ」

 

 レイナーレが答える。

 強くなる方法を提示した友であり、自分を利用した堕天使の名だ。

 

「カラワーナ? あぁ最近までそう名乗ってたわね、とにかくソレよ。──じゃあ話は終わり。構えなさい、迅速に終わらせてしまいたいから」

 

 殺気を感じる暇もなく、セクィエスがレイナーレの首を掴む。

 何が起こった理解できないレイナーレ。

 気づいた時にはもう遅い。

 

「ちょっと、これぐらいは反応しなさいよ。もしかして殺る気ないの?」

「く……ぁ……」

 

 ミシリと首が軋む。

 セクィエスの瞳には落胆が見られた。

 腹が立つ。

 いきなり現れた女に、こんな顔をされる筋合いはない。

 

「れ、レイナーレ様を離せ!」

 

 死を感じた時、ミッテルトが光の槍を手にして突貫してくる。

 勇敢な心意気だが蛮勇でもある。セクィエスはミッテルトを見ることもせず槍を奪うと彼女の小さな身体に突き刺した。

 

「きゃう!」

 

 太ももを刺されたミッテルトが地面に転がる。それでも涙を流しながらセクィエスの足を掴む。

 

「は、離せよ、レイナーレ様が死んじゃうだろうが!」 

「うざったい堕天使ね」

 

 セクィエスはミッテルトを一瞥すると頭を踏みつける。

 地面に広がるミッテルトの血を見たレイナーレの怒りが爆発した。

 

「調子に乗ってんじゃないわよ、クソ眼鏡ぇ!!」

 

 瞬間、レイナーレの右手の甲が光を帯びた。

 真っ赤な光を放つソレからこぼれ出るのは、堕天使の彼女には馴染みのないドラゴンのオーラだ。

 

『──Dragon Booster(ドラゴン ブースター)!!』

 

 赤い装甲がレイナーレの手首から指先に掛けて包む。

 その形状は、一誠の持つ『赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)』によくて似ていたが籠手ではなく手甲に近い。

 甲の部分にある碧の宝玉から放たれた閃光によってセクィエスの目が眩むのを見たレイナーレはすかさず光の槍を振るう。

 

「少し驚いた。……で、次はどうするつもり?」

 

 首を狙った光の槍だが、セクィエスは顔色一つ変えずに鷲掴みにする。

 

「こうすんのよ!」

 

 手甲に意識を集中する。

 もしもレイナーレの思った通りなら、あの能力が備わっている可能性が高いのだ。

 魂を込めて叫ぶ。

 

「私を高みへと導きなさい、『赤龍帝の欠片』!」

 

 彼女の言葉に宝玉が輝いた。

 

『Boost!!』

 

 槍の光力が高まる。

 熱を発する槍によってセクィエスの皮膚が焼け始めた。

 その状況でもセクィエスは表情を変えない、ただただ面倒そうな顔をした。

 

「へぇ赤龍帝の真似事ができるの……。でもこの感じからして上昇率は1,5倍ってところね」

「なに余裕ぶって解説してんのよ、ぶっ殺すわよ」

「余裕なのよ、実際。劣化した倍化を振りかざしている程度で勝てるつもり? 所詮は分霊、相手にならないわ」

「言ってなさい!」

 

 レイナーレが槍で猛攻を開始する。長いリーチを使った横薙ぎ、鋭い連続突き、叩き潰すような打撃。

 その動きは一級品であり、達人の領域にある技の冴えだ。今日昨日で身に付けた技術ではなく、端々に厳しい鍛練の成果が滲み出ている戦い方だった。

 

「意外。堕天使の槍は基本的に投げて使うと思ってたわ」

「勉強不足よ、人間」

 

 相手の質問を足蹴にするレイナーレ。

 しかしセクィエスの言葉はあながち間違ってもいない。

 光の槍の用途は大半が投げ槍として使われる。仇敵である悪魔と天使が遠距離を主にした種族だからだ。

 接近戦闘を挑むのは只のバカか、腕に覚えのある者だけだ。

 そしてレイナーレは後者である。才能がないから努力した結果とも言えよう。光力の総量では並みの堕天使以下の彼女だが、槍捌きでは並みの堕天使など相手にならない。

 

「悪くない技量ってのは認める。……けど飽きたわ」

 

 レイナーレの槍をセクィエスがガシッと掴む。

 

「……なっ」

「凡人が努力したトコで越えられないモノがあるのよ、堕天使。──例えばあたしとか、ね」

 

 片手で槍を持ち上げるとレイナーレを勢いよく投げ捨てるセクィエス。

 レイナーレが翼を広げて急ブレーキを描けると槍を逆手に持ち変えた。

 既に5回ほど倍化している。威力にしても、かなりもモノになっているはずだ。

 

「これなら……どう!」

 

 槍を投擲するがセクィエスは避ける素振りすら見せないどころか前に進み出す。

 

「5回の倍加ってことは大体7,5倍か。──選択ミスね、せめてあと50回はブーストして出直しなさい」

 

 迫る槍の刃先に人差し指を当てる。

 すると槍が飴細工(あめざいく)のように砕け散った。余りの呆気(あっけ)なさにレイナーレは言葉を失う。

 

「この程度で何を驚くの、バカ?」

 

 そんな彼女の右頬を冷たい指先が触れた。

 つい今まで数十メートル離れた場所にいたセクィエスが目の前に居たからである。

 

「──ッ!!」

「少し動きを速くしただけでこれか……。このまま目でも潰そうかしら」

 

 右頬に触れる手、その親指がレイナーレの瞳を覆い隠す。このまま突き刺されると思った時だ。

 

「さっきから楽しそうですね。私も混ぜてくれませんか」

 

 レイナーレの鼻先を弾丸が通りすぎる。その弾丸によってセクィエスから解放された。

 

「仲間にも当たるとこよ、アリステア・メア」

「ご心配なく、弾道の計算は完璧ですので」

「よく言うわ、仲間がやられてるのを黙って見てたくせに」

「折角ですので彼女たちにも経験を積んで貰おうと思ったのですよ」

「あたしがその気ならとっくに堕天使どもは死んでるわ」

「ええ、だからそうなる前に邪魔したのですよ」

「性格最悪ね、お前」

「せめてスパルタと言って欲しいものです」

「ああ言えばこう言うわね」

 

 セクィエスがアリステアを肉薄する。

 あまりのスピードに瞬間移動したとしか思えない程である。アリステアの細い首をセクィエスの手が狙う。

 

「遅いですね」

 

 だがその手が届く前にアリステアは華麗なハイキックでセクィエスを吹っ飛ばした。人間がサッカーボールのように飛んでいく威力だ。普通なら重症は避けられない。そんなキックを受けたセクィエスが猫のように回転して着地する。

 

「へぇ、びっくり。あの"道化"があたしを派遣するわけね。……全く本当に面倒だわ」

 

 そんなキックを受けたセクィエスが猫のように回転して着地する。距離を開けた敵にアリステアが銃口を向けた。

 

「面倒なら手早く済ませましょうか?」

 

 銃口から放たれたのは弾丸ではなく閃光。

 それはクラフト・バルバロイを戦闘不能した神速の銃弾だった。目視すら不可能な光がセクィエスを正面に捉える。

 誰もが直撃を予測した。

 しかし次の瞬間、光が消失する。

 

「こんなの避けるまでもないわ」

 

 見ればセクィエスの手の平に赤いビー玉に似た物質が浮いていた。

 アリステアが目を細める。

 

「それは"血"ですね」

「ふん、眼はいいようね。ええ、そうよ。お前の弾丸を私の血で包んで密封した」

「興味深い、霊気や運動エネルギーすら遮断するとは面白い術式です」

「そう? けれどお前の術は詰まらないわ、ただ異能で弾丸を速く撃ち出すだけ……。そんなの誰でも出来る」

 

 セクィエスが手を閉じて人差し指をアリステアへ。

 彼女の指に追従してた赤い玉。それが燃えるようなオーラを吹き出す。

 

「バァン」

 

 バカにしたような口調で言うと真っ赤な玉が弾丸となってアリステアへ飛んでいく。

 速度は一切変わらないままの攻撃だった。だがアリステアは首を少し動かすだけで避けてしまう。

 背後で爆発が起きる、真夜中を深紅に染め上げるほどの……。

 

「詰まらないという割りに同じ手を使うのですね」

「今のは嫌がらせ。神速に辿り着いたお前に対してのね」

「くだらない自尊心ですか。それともアレが私の切り札だとでもお思いで?」

「あら違うの?」

「相手の力量を測れない貴女を哀れむべきでしょうか?」

「じゃあ見せてくれない?」

「いいでしょう、私としても少々時間が惜しい」

「蒼井 渚ってヤツが心配? そんな気にしないでいいわよ。フェニックスが失敗したら、わたしが殺してあげるから安心して先に逝きなさい」

「殺す? 誰が誰をですか?」

「わたしがお前たちをよ」

 

 白い少女と黒い少女が笑みを浮かべる。

 それは互いを殺さんばかりの殺意の証明だ。

 そして深夜の森でレーティング・ゲームなどでは決してあり得ない。

 正真正銘の殺し合いが始まった。

 



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第二の目覚め《The Second Awakening》

 

 気づけば立派な武家屋敷の庭に渚は立っていた。眼前に迫っていた"不死鳥"の炎は消えて、嘘みたいに落ち着いた光景が現れたのだ。

 一瞬、あの世かと勘違いしたが()()も来た場所だったので、まだ生きているのだと考えを(あらた)めた。

 

「やっぱり落ち着くな、ここ」

 

 渚の到来を喜ぶように優しい風が舞う。

 つい最近訪れた場所だが、もうずっと前から知っている感覚が全身に包む。懐かしい匂いと風景は脳ではなく体の記憶だろう。

 ここは"魂の座"と名称された渚の精神世界、外の世界とは切り離された場所だ。大きく深呼吸してから後ろを向くと予想通りの人物が立っている。

 

「こんにちは、ナギくん」

「譲刃か」

「はい、千叉(せんさ)譲刃(ゆずりは)です」

 

 綺麗な黒髪を揺らすのは和服を着こなす少女。本人いわく"刀に宿る残留思念"との事である。

 相変わらず表情の読めない綺麗な顔で渚を真っ直ぐ見ていた。彼女が渚をここへ招く時は(なん)らかの手助けをしてくれる。他力本願で情けない気もするが、人の命が懸かっている以上はそんな事も言ってられない。

 

「ちょっと不味い状況なんだ、力を貸してほしい」

「キミの頼みなら(いく)らでも。……でもどんな形で力を貸せば良いのかな?」

 

 試すような視線。

 渚の目的は"不死鳥"の打倒だ。きっと譲刃も分かっているのだろう。

 だから即答する。

 

「あの"不死"を突破する力が欲しい」

「突破、ね」

 

 少し考えるような仕草を見せる譲刃。

 やはりあの馬鹿げた再生を超えるのは不可能なのだろうか。

 

「簡単には無理か?」

 

 だが渚の予想に反して譲刃は首を振った。

 そして手を(かざ)して刀を呼び出す。渚が使わせてもらっている刀だ、(めい)は彼女と同じ名の"譲刃"または"護神刀"とも呼ばれている。

 

「可能よ。この刀の特性は"千切(ちぎ)り"、あらゆる物を斬り(はら)える。ナギくんが決め手に()けているのは単に刀の出力が"不死鳥"に(おと)っているだけなの。私が力を貸せば負担は大きいけど斬れるようになるわ」

「本当か!」

「けど問題が一つ」

 

 ビシッと人差し指を伸ばす譲刃。

 

「問題?」

「その前に質問かな」

「あ、ああ」

「ナギくんはフェニックスの彼をどうしたいの?」

「……どうしたいかって言われれば倒さなくちゃならない」

「どんな形で? あのレイヴェルって子からお兄さんをお願いされてるんだよね?」

 

 それを聞いて譲刃の言いたい事を理解した。

 渚はレイヴェルからライザーの事を頼まれている。譲刃の力を借りれば"不死鳥"に対抗は出来るのだろう。しかし同時にライザーを殺すという意味も含まれる。

 あの兄想いのレイヴェルがそんな事を望むのだろうか……いや、きっと殺してしまっても渚を責めないだろう。渚よりもずっと賢い彼女が最悪な状況を想定しない筈がない。

 だから"兄を助けてください"ではなく"兄を止めてください"という言葉を使ったのだ。

 

「そういうことか」

「分かったみたいね、それでどうするかな? ──(とき)の流れさえすら閃裂(せんさ)く鬼の剣、与えましょうか?」

 

 譲刃が白い手を差し出す。

 この手を取ると力を得られる。

 あの"不死鳥"は渚だけでは絶対に倒せない。つまり手を取らなければあの場にいる全員が死ぬ。命を天秤で数えるならば選択の余地(よち)など有りはしない筈だ。ここで思い止まっている時点で馬鹿げている。犠牲者の中には渚の大事な人達が含まれているのだ。今日、出会ったばかりの兄妹を救う義理なんてありはしない。

 しかし、それでも……。

 

「そう、何人(なんぴと)たりとも斬り伏せる力は必要ないのね?」

 

 譲刃が手を下ろす。

 どうしても、その手は握れなかった。

 間違っている自分の愚かさに幻滅すらした。誰か優柔不断な自分を断じて欲しいくらいだ。

 けれど譲刃は嬉しそうに笑う。

 

「よかった、やっぱり私の知ってる蒼井 渚だったよ」

「……え?」

「誰もが見捨てる状況でも手を差し伸べる高潔な精神、私が憧れた蒼き信念はキミの中でも生き続けている」

「譲刃?」

「ただ斬るだけの剣鬼(わたし)では最善の未来を手繰(たぐ)り寄せる事は出来ない。だけど()()なら可能かな」

 

 譲刃が刀を抜くとヒュッと横へ()ぐ。

 すると次元が裂けた。

 急な展開に呆然とする渚。

 

「この先に求めてるモノがあるわ」

「俺の求めるもの? その()()って人物がいるのか?」

「行けば分かる。分からなくても解る筈よ」

 

 次元の裂け目からは蒼一色の世界が広がっている。

 渚は意を決したように歩を進めた。譲刃は決して嘘を言わない。この先に渚が必要としている物ないし人が待っているのだろう。

 

「なら行ってくる」

「うん、彼女によろしくね」

 

 こうして蒼の世界に飛び込む。

 

「あ、足元に気を付けて」

「へ?」

 

 瞬間、落下した。

 足を着ける場所などない、地面すらなくなった蒼の底にただ落ちていく。

 

「うそだろぉぉぉぉぉぉおおおおお!!」

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 目を覚ます。

 どうやら落下した時に身体を強くぶつけたようだ。

 渚は痛む腰を押さえながら立ち上がる。

 まさかあんな急降下ダイブをさせられると夢にも思わなかった。腰を振り回し、軽く運動をする。背骨がバキバキとなったのを確認してから冷静に周囲を確認した。

 

「あー、なんかすっげぇ燃えてるんですけど……」

 

 一言で(あらわ)すなら地獄が広がっていた。

 何処(いずこ)かの都心なのだろう。

 高層ビルが並び立つ大都市が壊滅していた。駒王でないのは確かだが余りにも酷い光景だ。

 燃え盛る建造物、断裂した道路、破壊された自動車の群れ、広大な街の全てが破壊という地獄に飲み込まれている。

 

 こんな場所に何がある?

 

 渚は一人、地獄を歩く。

 一歩踏み出すたびに気分が悪くなる。胸を()(むし)るは嫌悪、脳を焼くのは絶望だった。

 街を見ているだけで狂気に(おちい)錯覚(さっかく)に襲われる。

 これは恐怖に近い感情だった。

 何故(なぜ)、こうも(おび)えているのかを理解出来ないまま歩いていると瓦礫(がれき)の山に人影を発見する。

 

「アレか」

 

 譲刃が言っていた存在を確認する。

 瞬間、視線が釘付(くぎづ)けになった。

 それは無地(むじ)のワンピースを着た年端(としは)も行かぬ"蒼の少女"だった。

 目を引くのは小さな身長と同等までに伸ばされた(きら)めく蒼銀の髪。神秘と言う言葉を数千以上、(かさ)ねても足りない超然性を(まと)う少女が渚の存在に気づき、ゆっくりと蒼い双眸(そうぼう)を落とす。

 それだけで()み込まれそうな存在感が渚が(おお)う。果たしてアレは人間なのだろうかという疑問を抱く。渚には人の形をした全く別次元の存在にしか見えない。一見(いっけん)して渚よりも年下にしか映らない静かな雰囲気だが、(にじ)み出る圧力はまるで深くて重く、そして大きい。渚を砂粒として数えるなら彼女は大海そのものだ……いや、もしかしたらそれよりも隔絶(かくぜつ)している。

 しかしそんなモノは些細(ささい)な事だった。

 譲刃が言っていた通り、会った瞬間に解った。あの"蒼の少女"こそが自分にとって必要な存在だと……。

 だから彼女に畏怖(いふ)を感じつつも協力を頼もうとした。

 

『ユズリハがナギサを(まね)いた?』

「え、ああ」

 

 急な言葉に渚は気の抜けた返事をしてしまう。

 

『ナギサは、ここへ来るべきじゃなかった』

 

 ()めるのではなく心配するような言い方だった。

 

「俺の欲しいものがあるって譲刃から聞いてきた。それは多分、君だと思う。分からないがそんな気がするんだ」

『魂に刻まれた記憶。それがナギサの既知(きち)感の原因』

「魂、か。つまり俺は君と会うのは初めてじゃないって事だよな?」

『肯定。けれど今は情報よりも力が欲しいはず……』

 

 淡々(たんたん)とした口調。

 まさか相手から本題に入られるとは思ってもいなかったから驚くが好都合でもあった。彼女が全てを把握しているのなら話は早い。

 

「欲しい、倒す力じゃなくて救う力が……」

(いま)だ"蒼獄界炉(そうごくかいろ)"は不完全ゆえ蒼の全能は使用不可能。……けれど求めるモノは与えられる』

「"不死鳥"を倒してライザーを救えるのか?」

『肯定』

「それを俺にくれるのか?」

『肯定。そのために私はここにいる』

「なら君の力を貸してくれ」

『例え全能に程遠い私でも?』

 

 そんなものは決まっている。渚が欲しいのは今を乗りきれる力だ。

 

「全能なんて大層なモノはいらない。俺は手の届く範囲で誰かの力になれればいいと思っている」

 

 その言葉を聞いた瞬間、蒼の少女が瞑目(めいもく)する。何を考えているのかは分からない。けれどすぐに瞳を開けると渚を静かに見据(みす)えた。

 

『その命令(オーダー)受諾(じゅだく)。最終目標を"不死鳥"の殲滅(せんめつ)ならび(かく)となった生命体の救出に設定。最適解を検索……終了。──プロフィティエンの白騎士による攻略を推奨。洸剣(こうけん)の再演を開始』

 

 蒼の少女が両手を胸に当てると聖句を詠う。

 

『……洸天(こうてん)より(まばゆ)き光、()はあらゆる罪を浄化し正義を()す剣撃なり。そして()たれ純白なる執行者(しっこうしゃ)、──"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"

 

 詩の終わりと同時に渚は現実世界に引き戻された。

 眼前にいた蒼の少女は廃墟の街と共には消え失せ、炎熱に崩壊した駒王学園に戻ってくる。

 "不死鳥"が解放した炎が渚を飲み込もうとしている。回避は出来ない、激しい光と熱で全身が発火しそうだ。

 反射的に愛刀を振るおうとするが譲刃が何処にもない事に気づく。これには渚も慌てた。剣を探そうとするが消えていた。剣が無ければ対抗できずに一瞬で灰へと変えられる。

 

『──何故(なぜ)、剣を抜かない?』

 

 "蒼の少女"の声が頭に響く。

 どうやら彼女とは現実でもコミュニケーションが取れるようだ。

 しかし今はそんな事より聞きたいことがあった。

 さっきまであった刀の消失。そして呼び掛けても手に現れる気配もない。原因は分かっている、"蒼の少女"だ。彼女と会ってからこうなったのだから間違いないだろう。

 

「剣ってどこだ! 刀はどうした!?」

『ユズリハは創造の触媒(しょくばい)に使った』

「触媒ってなんの!?」

『──その背に無垢なる翼の聖剣を』

 

 後ろを向けば背に熱を感じる。見れば光り輝く翼を思わせる剣があった。翼のように展開された6本の光剣、それは幅広だが掴む筈の()がなく刃だけの存在、であれば手で使う武器でない。

 ならばどう使うか。

 簡単だ。剣自体が持ち主の意思を()んで動く。

 渚が炎を防ごうとすると光剣は背中から前方に移動、大きな花びらのように広がると力場を発生させて炎と熱を完全に遮断した。

 炎の嵐を前に揺るがない強固なシールドである。渚の背後にいた者たちも無論、無傷だった。

 

「これは……」

『"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"は展開して起点を造り、点を結ぶ事で防御フィールドを発生させる』

「盾にもなるのか」

 

 恐らく(なん)らかの異能が付与(ふよ)されている剣なのだろう。そんな炎を防ぎきった光の剣が力場を解除するとヒラヒラと渚を中心に旋回を繰り返す。まるで()()()()ような動きは生き物である。

 

「これはどうすりゃいい?」

『アレは意思ある剣撃。ナギサの主命(しゅめい)を待っている』

「主命?」

『思うままに(あつか)えばいい』

 

 言われた通り自分のやりたいようにやってみる。

 腰を落として投擲(とうてき)の構えを取ると浮遊していた剣が渚の周囲に展開。

 刃先の方向には再び炎を撃とうしている"不死鳥"。

 

「狙いはアレだ。──()って()いッ!!」

 

 光が発射される。

 目映(まばゆ)い粒子の(おび)を引っ張りながら剣は"不死鳥"へ跳ぶ。

 同時にレーザーのような炎も放たれるが、聖剣の刃先は熱線をモノともせず切り崩しながら真っ直ぐに飛翔して行く。

 6本の剣、全てが"不死鳥"に突き刺さる。

 "刻流閃裂"の一撃に比べれば針の一刺しのような攻撃だが"不死鳥"は過剰に反応し悲鳴をあげて悶え苦しむ。

 それは"輝夜・貌亡"で粉々に刻まれても聞くことが出来なかった"痛み"から来る叫びだった。

 

()いてるな、けどなんで?」

『あの個体は光という属性に弱い傾向にある、加えて"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"の特性は霊式によって()まれた"斥力"。名こそ人のいう()れと同じなれど(ことわり)の外にある力であり霊質すらも引き剥がす。──彼の者の不死性とて例外ではない』

 

 渚が知る"斥力"は物体を遠ざける力であるが"蒼の少女"が与えてくれた力は遮断に等しい。"斥力"という言葉を使っているが物理法則のソレとは全く違うものなのだろう。とにかく、あの光剣は不死殺しの能力が(そな)わっているという事だ。

 

「思った以上のおあつらえ向けの力だ」

『肯定。その為の私である』

 

 突き刺さった剣が不死を解体する。

 翼をもがれた凶鳥は墜落して地面を()う。

 形勢逆転。難敵だったはずの"不死鳥"は"蒼の少女"の介入よってアッサリと攻略できてしまった。新たな協力者に感謝しつつも渚は肝心なことを忘れていた。

 

「そうだ、名前を聞いてなかった。そっちは俺を知ってるみたいだし教えてくれないか?」

『ティスと呼ばれていた』

「わかった、ティス。色々と聞きたいことがあるけどあっちが先だな。……どうすっかなぁ」

 

 剣に()い付けれるように倒れ伏す"不死鳥"。

 どうやってライザーに戻せばいいのだろうか。

 渚が真剣に悩んでいるとティスが進言する。

 

『あの者を人間体に戻せばいい?』

「出来るのか?」

『肯定。あの変異は外的要因によるもの、ソレを取り除けば元に戻る』

「やり方を教えてくれ」

『既に終わった。独自判断した剣が彼の者と外的要因を引き剥がしている』

「働きモンだな、アイツ。……人じゃないけど」

 

 忠犬のような剣に少し愛着が()く。

 "不死鳥"に刺さっていた一本の光剣が渚の前にゆっくりと飛んでくる。刃先には米粒程度の黄金の塊が刺さっており、それを渚は手に取る。

 すると黄金は輝きを失い、黒い霧となって消えた。同時に6本の光剣も消失。代わりに刀が手元も戻る。

 

「お、消えた」

『……黄昏の残照(ざんしょう)

「この小さいモンを知ってるのか?」

『確証はない。ただ似ているモノが記憶データに存在する』

「そのデータって奴じゃあアレはなんだ?」

『かつて(ほうむ)ったはずの"敵"』

「敵、ね」

 

 渚がもう少し詳しく聞こうとした時だ。

 燃え盛る"不死鳥"が色褪(いろあ)せて灰となった。

 その中心に騒ぎの発端となった者、ライザーが倒れている。

 

『望みは果たした。私は奥に戻る』

「あ、ああ、そうか。助かったよ」

『礼は不要。存在意義を実行したに過ぎない』

 

 ティスに別れを告げて、ライザーを確かめようと近づくが背中からやってきたフェニックスの眷属が我先にと駆け寄った。

 

「……感謝する」

 

 過ぎ去り際に、そう言ったのはイザベラだった。

 渚は聞こえないと分かっていて「どういたしまして」と返すとアーシアの肩を借りているレイヴェルに歩み寄る。

 

「まさか、助けてくれるとは思いませんでしたわ」

「これが最善と思ってな」

「とんでもない人」

「最近、自分でもそう思う」

「でも、ありがとうございます」

「契約完了、だな」

「そうですね、とても良い仕事っぷりでしたわ」

 

 二人して笑い合う。

 これで渚の目的は達成だ。

 少し離れた場所でリアスが耳にある通信機に手を当てて喋っている。相手はグレイフィア辺りだろう。

 

「部長、何を話しているのでしょう?」

 

 アーシアが首を傾げる。

 

「現在の状況じゃないか?」

「ですわね。通信が不可能だった以上、運営側は状況が掴めていなかったでしょうし」

「ゲームはどうなのでしょう」

「仮に続行するようなら俺とグレモリー先輩が戦うことになる」

 

 渚がそう判断するもリアスが怪訝そうな表情をするのが見えた。やがて長い通信が終わり、フェニックス陣営の者が光に包まれた。渚がフェニックス陣営の転送を見送っているとリアスがやってくる。

 

「お疲れさま、渚」

「先輩も」

「あんな隠し玉があるなんて驚いたわ」

「ははは、自分もです」

 

 自覚はないが元から合ったものを引き出したというのが正しい。自分の中はまだまだ何かが有りそうな気がしてならない。

 きっと脳ではなく魂が覚えている記憶なのだろう。

 

「それでゲームは?」

「運営の方針で続行。私たちは戦う事になったわ」

「まぁですよね」

 

 当然と言えば当然だ。

 これは三つ巴であり、最後のチームが残るまで続くバトルロワイヤルだ。

 

「先に言っておくと私たちはライザーだけじゃなくて貴方にも勝つつもりで戦術を練ったわ」

「最初から俺は敵として見られていたと言うわけですか」

「訓練の恩を仇で返すようで気が引けるけど悪く思わないで頂戴。……それと投了(リザイン)も無しよ」

「リタイアも? 何か理由があるんですか?」

「ええ」

 

 リアスが言うにはゲームの詳細を見れなかった観客が不満を爆発させたようだ。

 グレイフィア曰く、魔王の妹の初試合は注目の的だったらしく非公式な試合にも関わらず観戦者は多いとの事。

 

「それに"赤龍帝"と"鬼神"の実力も見たいと言う声も多数あるみたいなのよ」

「鬼神? 誰です、それ?」

 

 "赤龍帝"は一誠だろうが"鬼神"というのは初耳だ。

 祐斗に小猫、朱乃を見るが微妙に合っていない気がする。悪魔より天使の方が似合っているアーシアに至っては絶対に違うだろう。

 しかし凄いあだ名だなぁ。なんて他人事のように思っているとリアスが渚を指差す。

 

「"鬼神"って貴方の事よ」

「…………え"?」

 

 まさかのお言葉に間抜け(づら)をさらす。

 いつのまにか意味不明なゴツイ称号が付いているのだから当然だろう。何故、そんな大層なあだ名がついてしまったのか疑問に持っているとリアスが少しバツが悪そうに(あやま)る。

 

「ごめんなさい、報告書に鬼神のような強さの協力者がいると書いてしまったの。きっとあだ名の出所はそこね。けど決して名前負けはしていないわ、貴方が討伐した"はぐれ悪魔"の中には冥界でも問題視されていた者がいるのよ。自信を持ちなさい、渚」

「ア、ハイ、ソーデスネ」

 

 嬉しくない。

 渚が目指すのは平和な日常。

 多少のいざこざは許容するが悪魔の上層部に名が知られると危険な予感がする。

 

「あらあら、蒼井君は有名人ですわね」

「あれだけの実力だからね。名を知られないのがおかしいくらいだよ」

「……当然です」

 

 渚の心情を知ってか知らずか褒め称えてくれる仲間たち。

 一誠が羨ましがり、アーシアが嬉しそうに笑む。

 とりあえず一旦、考えるのをやめる。

 

「聞くまでもないですけど、そっちは6人でいいんですか?」

「あら、更にハンデをくれるの?」

 

 違う、そうじゃない。

 圧倒的な数の暴力である。

 つまり渚は王の滅びと女王の雷撃を避けて、騎士の魔剣と戦車の拳を防ぎ、兵士の倍加と僧侶の治癒を阻止しなければならない。

 心が折れそうになる。

 "鬼神"なんてあだ名いらないから誰かもっと優しくしてほしい。

 今すぐリタイアしたいくらいだ。

 

「微力ながら力になりますわ」

 

 炎の翼を広げるレイヴェル。

 渚は「いや、なんでそんなやる気なんだ!? 君、片手がないんだよ? 早く転送して治療しな!?」と言おうする。

 

(わたくし)は貴方がたに勝って魔王様に会わなければならないんですの」

「個人的にはリタイアを宣言してもらいたいわ」

「お優しい王ですのね、ですがルールをお忘れで? (わたくし)たちは二人が王なのです、欠けた瞬間に敗北が決定しますわ」

「そうだったわね」

「ですので、推し通りますわ」

「悪いけど負けられないのは私もなのよ。初試合を情で捨てるほど甘くはないわ」

「上等ですわ!」

 

 完全に戦闘モードのリアスとレイヴェル。

 レーティング・ゲームの勝利を眷属に与えるため……。

 ライザーの名誉を回復するため……。

 両者とも譲れないモノがあるのだろう。

 ならば自分はどうすべきなのかなど考えるまでもない。一度、深く呼吸して頭を切り替える。

 

「イッセー」

「あ、おう?」

 

 戦意を込めた真剣な声で一誠の名を呼ぶ。

 

「加減は無しでいい、禁 手(バランス・ブレイカー)で来い」

「いや、でもよ」

 

 一誠がチラッとリアスを見る。

 

「許可するわ、元々は渚用の切り札にするつもりだったもの」

「りょ、了解です」

短期決戦(ブリッツ)にするのね、渚」

「ええ」

 

 理由は二つ。

 一つはレイヴェルだ。

 気丈に振る舞っているが片腕の損傷は大きい、設備の整った治療が必要なずだ。

 二つ目は渚自身ある。

 大技の連発に加えて、新しい力の発露。

 体力がいつまで持つか不確定だ。体には確実に疲労が貯まっている。

 

「アーシアに治癒をさせるわ」

 

 渚を気遣(きづか)うリアス。

 平然としているがフェニックス眷属や"不死鳥"との戦いで渚は軽くない傷の数々を受けている。

 肉体のコンディションは最善とは言い(がた)い。

 だが渚は首を振って断る。

 

「いえ、この方がいい」

「力量差からくる自信かしら?」

 

 リアスが苦笑した。そこに怒りといった感情は一切ない。そして渚も釣られて似たような顔をする。

 

「今は敵同士ですよ? 先輩こそ物量差からくる自信ですか?」

「そうね、そうだったわ。この状態をチャンスと思うべきね」

「非情になれない所は先輩らしいです」

「誉めてもなんもでないわ。じゃあ行くわよ」

 

 リアスの号令と共に燃え盛る駒王学園で最後の戦いが切って落とされた。

 渚はここで(さっ)した。

 リアスとその眷属たちにとって、ライザー撃破以上に蒼井 渚の打倒は大きいのだと……。

 まず動いたのは一誠だ。

 左手を高々に挙げて吠える。

 

「行くぜぇ、ナギ!! "禁 手 化(バランスブレイク)"ッ!!!」

 

 『赤龍帝の籠手(ブーステッドギア)』が光り輝くと全身を包み、中からフルプレート姿の竜人が現れる。

 

 ──赤 龍 帝 の 鎧(ブーステッド・ギア・スケイルメイル)

 

 "神滅具(ロンギヌス)"である"赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"の禁 手(バランスブレイク)

 正に圧巻である。

 真っ赤なオーラと鎧は最弱悪魔を自称していた一誠とは思えないほど猛々(たけだけ)しく雄々(おお)しい。幾重(いくえ)もの段階を超えた今の一誠は最早グレモリー眷属でも最上位の力を持っている。

 侮るなどしていたら一撃でやられてしまうだろう。

 

「さぁ"鬼神"狩りの時間よ」

 

 一誠を先頭にリアスが手を前に(かざ)す。

 どうやら加減する気はさらさらないようだ。

 渚はもう戦うと決めている。

 気持ち的には「どうしてこうなった!?」と叫びたい気分だが、そう思ってるのは自分しかいないので大人しく空気を読む(諦 め る)

 因みに"鬼神"と言う呼び方は本当に勘弁してほしい渚であった。

 





データファイル


聖天斬堺(せいてんざんかい)洸劔(こうけん)

”蒼の少女”が護神刀 譲刃を媒介に創造再現した聖剣。
柄のない剣であるため、手ではなく思考で操作する武器。展開時に背面へ広がるような現れ方をするので刃翼とも呼ばれる。
かつてプロフィティエンの聖騎士という者が使用していた武器で、その能力は”斥力”操作。ここで言う”斥力”とは物理に於けるソレとは一線を画すモノであり、物質だけではなく霊質も引き剥がす事が可能。
そのため異能すらも斥力フィールドによって弾くため攻撃だけではなく防御にも優れた武具と言える。


『蒼の少女』

渚の深層心理の奥、魂の座にいる幼い少女。
自身の身長なみに伸ばされた輝く蒼の髪と瞳を持つ。
浮き世離れした雰囲気を持ち、渚が大海よりも深く巨大と揶揄するほどの存在感を持つ。
蒼獄界炉(そうごくかいろ)と呼ばれるモノと密接な関係があるが、その全てが謎に包まれている。


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刃にて神器へ挑む《Power Game》


身体は傷つき連戦により精神力も磨耗している、加えて残された体力も僅かだ。
最大の敵だった”不死鳥”は葬ったが、渚の戦いはまだ終わらない。
最も信じた者たちとの最終決戦(ゲーム)が幕を開ける。



 

神滅具(ロンギヌス)か」

 

 赤い鎧を装着した一誠に渚は驚嘆していた。

 神滅具、赤龍帝の力。

 上級悪魔を超えるオーラを纏っているのは下級悪魔よりも更に最下級の悪魔だと誰が信じられるだろうか。

 恐るべき力の発露だが制限時間付きのパワーアップだ。

 この形態でいられるのは3分。

 よくある時間制限だと思うが、神 器(セイクリッド・ギア)に宿るドライグからしたら驚くほど長い時間らしい。

 現在の一誠のステータスでは肉体の一部を差し出して10秒が限界だと言う。

 何故、見返りもなく時間がこうまで延びたのかはドライグも正確には解っていない。

 確かなのは渚が関係していると事だけだった。

 そんな一誠が拳を構える。

 

JET(ジェット)!!』

 

 『赤 龍 帝 の 鎧(ブーステッド・ギア・スケイメイル)』が一誠の意思に答える。

 鎧の背中部分が展開して噴射口が現れると火を吹く。

 肉体に強烈なGによる負荷が掛かるが、渚との距離も一気になくなる。

 一瞬の出来事だが渚は冷静に刀を抜いて拳を受け止めた。

 しかし加速された拳圧は渚を大きく後退させる。

 

「……ッ! 最弱悪魔は返上だな一誠!」

「ああ、部長とナギのお陰だ!」

 

 インファイトでの戦い。

 鋼の拳と鋼の刀の応酬。

 やがて技術で劣る一誠が押されるが、その間に祐斗と小猫が乱入。

 1対3になった事によって均衡がグレモリー眷族に傾く。

 渚が小さく舌打ちすると距離を取った。

 そこに深紅の波動と目映い雷が落ちてくる。リアスと朱乃による砲撃だ。

 容赦のないグレモリー眷族。それを一身に受けた渚も本気となる。

 魔力の爆発によって巻き上がった噴煙を刀の一振りで吹き飛ばすと、その足で一誠を肉薄した。

 渚の速すぎる歩法に一誠は反応できない。

 

「刻流──」

「イッセーくんはやらせないよ」

「それは撃たせません」

 

 抜刀術 輝夜を放とうとする渚へ、鋭い魔剣と小さな剛拳が横やりを入れる。

 技をキャンセルしてスレスレで回避、体勢を崩した渚へ祐斗が迫る。

 一誠ほどのパワーはないが手数と速さがある剣の猛襲だ。

 渚も刃を刃で返す。刀と剣の嵐が吹き荒れ、火花が散った。真剣同士が交差する中で祐斗の魔剣が耐えきれずに砕ける。

 だが決してチャンスにはならない。祐斗の神器は『魔剣創造(ソード・バース)』、替えの剣など幾らでも存在するのだ。

 二刀流になった祐斗が炎と氷の魔剣を駆使して渚へ追いすがる。

 

「少しは追い付かせて貰う」

「構わない、けど速いだけじゃ足りない!」

 

 祐斗は速いが一撃が軽い。防御を固めれば崩されることはない。つまり祐斗では渚を打破は難しい。

 

「……これでも足りませんか?」

 

 小猫がラッシュで渚を追い立てる。

 攻撃は一誠に劣り、速さは祐斗に及ばない。だが接近戦で厄介なのは間違いなく小猫だ。端的言ってバランスがいいのだ。当たれば大ダメージを与え、渚の動きにもよく追い付いてくる。

 それでも渚にとって脅威なるかと言えば”否”である。

 危険な拳に対して渚は一歩下がった、すると拳は身体に届かずに停止。

 

「搭城は踏み込みが甘い。リーチの短い身体で相手を殴る時は、その背後を打つように踏み込むべきだ」

 

 『戦車(ルーク)』の拳を冷静に受け流し続ける。

 小猫に足りないのは実戦経験。正直過ぎる攻撃の数々は至極、見極めやすい。

 三人を相手取る渚がゆったりとした速度で上段の構えを取る。

 

「刻流が一つ、天鐘楼(てんしょうろう)

 

 剛剣とも言える唐竹割り。

 直撃を恐れた一誠、祐斗、小猫が飛び退くと同時に凄惨な破壊が大地を砕く。

 

「あっぶね」

「すさまじい威力だね」

「……いまの天鐘楼"、わざと外しました」

 

 駒王学園の敷地内に巨大な蜘蛛の巣に類似した亀裂が出来上がる。

 新校舎を一刀も元に斬り(かい)した技だ。

 押され気味のグレモリー眷族が集合すると渚の実力に戦慄する。

 そんな中で渚はレイヴェルへ視線を向けた、彼女は少し離れた場所ではアーシアに拘束されていた。拘束といっても力のない手でレイヴェルを至近距離で掴んでいるだけである。

 アーシアはレイヴェルの失った腕の付け根をずっと癒しているのだ。

 そんな彼女を邪険に出来ずに困るレイヴェル。

 渚は内心でホッとしていた、レイヴェルはやる気だったが片腕ない状況で戦われたら渚の方が気が気でない。レーティング・ゲーム的には問題のあるアーシアの行動だが、結果的に渚とリアスにそれぞれプラスになっているのだから大いに感謝したい。

 

「お、お退()きになりなさいな!」

「ご、ごめんなさい」

「いえ、謝罪はいいので! (わたくし)、蒼井さんの助勢に行かなくてはならないんですの」

「だ、ダメです。レイヴェルさんの腕は完治していません、私の側を離れないでください」

「今は治療なんてしてる場合ではないんですの!」

「お願いします、少しずつですが治ってはいます。まだ待ってください!」

 

 いつもは大人しいアーシアが僅かに語気を荒げた。

 レイヴェルの足止めをしている訳ではなく、純粋に傷を癒したいだけなのだろう。

 意味の分からない行動をするアーシアにレイヴェルは困惑する。

 

「敵の私を助ける、この行為の意味は?」

「痛いのは辛いからです」

「はい?」

「レイヴェルさんはナギさんのお仲間です。辛い目にあっていてその傷を癒せるのなら私は力を尽くしたいんです。ご迷惑かもしれないですけど……」

「どうしてそこまでするんですの」

「えと、なんででしょう? 多分、傷を見たら治さずにはいられない生き物なんだと思います」

 

 アーシアが「えへへ」と、はにかむ。

 レイヴェルは真髄なアーシアの言葉に呆れると同時に敬意を持つ。

 圧倒的なまでの善意。聖女と言う者がいるのなら彼女にこそ相応しい。

 やがて治癒が終わるとアーシアは渚を見た。

 

「……ナギさん、とても辛そうです」

「辛い? そうは見えませんわ」

 

 渚は油断なくグレモリーを見据えている。

 隙もなければ戦意も薄れていない。加えて決定打を持たないグレモリーは攻めあぐねている。

 それでもアーシアは心配そうに両手を胸に当てた。

 

「いいえ、すごく疲れているように見えます」

 

 レイヴェルは再び目を凝らす。

 

「……あ」

 

 そして気づく。

 渚の額に汗が滲んでいる事、刀を握る手が小刻みに震えている事。

 顔には出さずに懸命に疲労を隠しているのだ。

 今思えば疲れていない訳がない。

 フェニックス眷族の猛攻を防ぎ、"不死鳥"すらも単独撃破。

 かなりの負担が体に刻み込まれている筈だ。

 しかし退かない。

 燃える駒王学園で肉体に鞭を打ちながら、鬼神乱舞が如くの戦いの中心に立っている。

 自身へ迫る相手に対して油断のない表情で刃を閃かせる。

 

 ──ガキン。

 

 硬い感触を斬った音が響く。それは赤龍帝の鎧に刃を阻まれたからに他ならない。胴体に斬り口こそ入っているが攻撃が通っていないのは明らかだ。

 

「チッ」

 

 堅牢な鎧に舌打ちする。刀を通すには刃筋を更に立てる必要があった。

 渚は思考を直ぐに切り換えると力任せに大きく刀を振り回した。その遠心力を利用した投げは一誠を派手に吹き跳ばす。

 

「まだまだぁああああ!!」

 

 一誠が叫ぶと背中にある噴射口を使い、無理矢理な突撃を敢行した。

 赤い拳を突き出す姿は正に人の形をした荒ぶるドラゴンだ。

 一誠の闘争心に呼応した『赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)』の宝玉が光を帯びる。

 

Boost(ブースト)!』

 

 それは力を倍増させる神器。

 10秒ごとに自らの力を二倍にしていく『赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)』を放置しておけば二倍、四倍、八倍と再現なく力を上昇させ続けるだろう。

 脅威的な異能を持つ一誠に対して渚は躊躇いを捨てた。刀の柄を握り、鎧姿の一誠を斬り払おうと集中する。

 

「……こっちも見てください」

「──くっ!!」

 

 だが真下から鈴のような声と小さな拳が昇ってきた。

 不意を突いた一撃を紙一重で避ける。

 気配を読むことに長けた渚だからこそギリギリ気づけた遮断術による奇襲。

 全力で回避をする。攻撃が重い『戦車(ルーク)』の一撃など受けた時点で意識を奪われる。気配遮断に優れたパワータイプなど冗談が過ぎる。

 冷や汗ものの攻撃から逃げた渚だったが、すぐ背後から風を斬る音がした。

 

「──っと!」

 

 直感だけで横に飛ぶ。先程までいた場所に目を向ければ魔剣を持った祐斗がいる。剣を躱した渚に笑みを送ってくる。

 

「残念。次は当てさせてもらうよ」

「そんな危ないモンに当たって堪るか」

 

 一誠、小猫、祐斗。

 技量で遥か上を行く渚に喰らい付く三人。合宿中に行った幾度もの模擬戦で渚の行動パターンをある程度、把握しているからこそ出来る動きだった。

 思った以上の分の悪さに渚は笑う。

 余裕からくるものではない。三人の背後ではリアスと朱乃が魔力を高めている。隙あらば特大の一撃が襲ってくるだろう。

 そんな渚を前にして三人が戦意を高めた。

 

「流石に強ぇ、でも今の俺ならっ! やるぞ、ドライグ!!」

「……全力で叩きに行きます」

「僕も今回は取りにいかせてもらうよ」

 

 やる気満々のお三方。

 どうやら渚はまだまだ本気を出していないと勘違いしたようだ。

 正直、いっぱいいっぱいである。

 

「渚、そろそろ決めるわ」

 

 そういうと何故かリアスが一誠は目配せをして二人同時に下がった。前衛の一誠を下げた事に違和感を覚える渚だったが、魔力を高めるリアスへ危機感を覚える。

 急いでリアスと一誠の元へ駆けようとするが、朱乃の雷撃が行く手を阻む。

 

「あの二人の前に私を越えていきないな」

「姫島先輩」 

「うふふ、蒼井くんと争うのは初めてになるから頑張ろうかしら」

 

 バチバチと手に光を帯電させる朱乃。

 四方八方から稲妻が駆け抜ける。

 

「おいおい」

 

 避けるスペースが限りなく少ない範囲攻撃。

 あるときは避けて、あるときは斬る。立て続けに降る雷撃によりその場から動けなくなる。

 どれくらい防戦を続けたかは分からない。ただ短くはない時間が過ぎた。

 

「朱乃、もういいわ」

 

 リアスの合図で雷がやむ。

 魔力を最大まで高めたリアスが滅びの力を放とうとする。回避しようとしたが周囲の地面から渚を閉じ込めるように魔剣が()()()

 

「僕の神器にはこんな使い方もある」

「くそ、まるで剣の檻だな」

「……えい」

 

 そして魔剣の合間から小猫が攻撃を仕掛けてくる、閉鎖空間で小さな身体を上手く使った戦い方だ。

 なんとか攻撃を捌きながら邪魔な魔剣を切り払おうとした時だった。

 

『──Transfer(トランスファー)!』

 

 そんな声を聞く。

 鎧姿の一誠が滅びを撃とうとするリアスの手に触れていた。

 

「『赤龍帝からの贈り物(ブーステッド・ギア・ギフト)』、ナギには教えてない力だ」

「倍加した力の譲渡……!?」

 

 嫌な予感がする。つまりあの二人がしようとしているのは……。

 

「そう、これが私たちの切り札よ。渚、貴方は私たちよりも格上よ。だから手加減無しでいくわ」

 

 特大の滅びが渚に向かって放たれた。

 こんな状況なだけに渚は何度でもこう思ってしまう。

 

 ──ホント、どうしてこうなった?

 

 泣き言を漏らしたい気分だが、渚は刀を構えた。

 滅びが大口を開けてやって来る。

 宣言通り、全力で挑んでいるのだろう。

 自分の強さを高く評価していて、それにグレモリーの者たちが懸命に追い付こうとしている熱意が伝わってくる。

 避けると言う選択肢は元よりない。この攻撃こそリアス達が渚に寄せる信頼そのものだ。

 だから正面から挑まなければならないだろう。

 滅びを斬るため刃を振るう。

 触れた瞬間、全身が消し飛びそうな衝撃と熱が駆け巡った。ダメージを受け続けた肉体が悲鳴を挙げる。柄を握る手から血が(したた)り落ち、血液が渚の中から逃げるように傷口を通って流れ出ていく。

 少しでも気を抜いたら意識が跳びそうだった。

 

「うぅおおぉぉぉぉぉおおおおッ!!」

 

 壊れそうな肉体と途切れそうな精神を気合いだけで総動員する。余力なんぞ残したら滅びに呑み込まれて即終了だ。

 そして渚は全身全霊を以て、滅びを一刀の元に叩き斬った。

 魔力が行き場をなくして大爆発する。

 その炸裂でダメージを受けるが、加速にも利用する。

 疾風怒涛の勢いで突進すると、通り道にいた祐斗へ一太刀浴びせた。

 魔剣で防がれたので致命傷は避けられたが問題はない。この一撃で道を開けたからだ。

 次に小猫が拳を放ってきたので受け流すように投げた。そして朱乃が雷を撃つ気配を感じたが敢えて進路を変えずに直進する。

 ここでブレーキを掛けたらリアスまでは辿り着けないからだ。肉が焦げるなかで、がむしゃらに朱乃を肉薄し刀の柄頭で腹に一撃。トドメを刺す時間はないが、これで王までの道は開く。

 大地を一回だけ踏みしめて更に加速する。度重なる無茶のせいで限界が近い。

 倒した三人は、直ぐには立ち上がれない程度のダメージを与えている。

 動けるようになる前に勝負を決めるしか勝ち目はない。

 つまり今が最後のチャンスとなる。

 

 「させるかよ!」

 

 リアスの前に一誠が立ちはだかる。

 しかし倍加を使い切った状態なら問題はない。

 一誠を戦闘不能にするため攻撃するも刀が止められる。

 

「クソ、もう斬れないかッ!?」

 

 思った以上に力が出せていないようだ。疲労はピークで全身も軋む。こんなに頑張ったのだから「そろそろ寝ても良いんじゃないか」という考えが過るが自ら叩き伏せて「どうせ終わりなのだから行けるところまで行ってやろう」と思う。 

 刀を手放して一誠の顔面を思いっきり殴ってやる。

 兜が割れると渚の腕も砕けた。

 一誠が倒れると鎧が解除される。

 制限時間が過ぎたのを見て、渚は刀を拾いリアスへ歩み寄る。

 

「まさか切り札を使っても倒せないなんて驚きね、やっぱり貴方は強い」

 

 称賛が贈られる。

 光栄な事だ。

 その栄誉に答えようとリアスへ刃を向けた。

 

「……はぁ……はぁ……投了(リザイン)を」

「しない。まだ私は負けてないもの」

 

 だから私を斬れとリアスは言う。

 これはゲームであっても遊びじゃないのだ。

 彼女はゲームと真剣に向き合っている。

 自らが倒れるまで敗けを認めないだろう。

 覚悟を見せれた渚は彼女に刃を振るおうと決めた。

 

「部長ぉおおおお!」

「ぐっ!」

 

 横から跳んできた拳が渚の顔面を捉える。その反動で刀を手放してしまう。

 失態だと思いつつも体勢を立て直す。見ればリアスの前には一誠が立っていた。

 

「……イッセー」

「はぁ、はぁ、悪いなナギ。俺は部長を守るって誓ったんだ、だから勝つ!」

 

 鎧を失った一誠だった神器の輝きは強くなる。

 

Boost(ブースト)!』 

 

 勘弁しろよと渚は拳を叩き込む。

 返される拳。さらにそれを返す。

 数回ほど続く殴り合い。

 一撃ごとに強くなる打撃。

 これ以上、長引かせば朱乃たちが復活して危険だ。

 渚は強く大地を踏む。

 

「刻流閃裂、雷霆・戟」 

 

 本来は刀の柄頭で使う技を生身で使う。

 鋭い拳は一誠を身体へ貫くような衝撃を与えた。

 倒れ伏す一誠を越えて渚はリアスと対峙する。

 

「なんでかしら、ボロボロの貴方を前にしても勝てると言う確信が持てないわ」 

「気のせいですよ」

 

 二人が同時に動く。

 リアスが魔力を撃ち出して渚が避ける。足が一瞬だけ崩れそうになるが耐えて踏み込む。

 距離が縮まった瞬間に拳で打ち抜こうとする。

 絶妙なタイミング。

 全力でリアスを倒しに行く渚だったが、急に足をガシリと掴まれて動きを止められた。

 

「俺は……まだ……やられて……ねぇ」

「たくガッツがありすぎだ!」

 

 その不屈な精神に渚は拳を降り下ろす。

 一誠の意識を奪った事を確認した渚はリアスへ向き合う。

 だが既にリアスは攻撃体勢に入っていた。

 

「貴方は最高の『兵士(ポーン)』よ、イッセー。けれど、ここまでして紙一重なんて悔しいわ」

 

 リアスが苦笑を浮かべて渚へ魔力を放った。

 避けようにも脚が動かない。至近距離での爆発に防御も間に合わず、直撃を貰った。

 もう反撃は不可能だった。自我が暗闇に落ちていくのを感じる。

 

「……あーあ、もう少しだったんだけどなぁ」 

「渚、私たちの我が儘にここまで付き合わせてしまって本当にご免なさい、そしてありがとう」

 

 最後にリアスの謝罪と感謝を聞いて、渚は完全に意識を手放した。

 敗北も悔しいが、このあとにアリステアから何か言われると少々鬱になりがら地に倒れ伏す。

 こうしてレーティング・ゲームはリアス・グレモリーの勝利で幕を閉じたのだった。

 



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絶死の抱擁、救済の滅尽《Area of Destrction》


渚の戦いは幕を閉じた。
しかし、その裏でアリステアの戦いは続いていた。
セクィエスを名乗る謎の女はアリステアを容赦なく追い詰める。



 

 夜を白雪が駆ける。

 アリステアは木々が()(しげ)る森を縦横無尽に失踪していた。装備したベレッタ92Fの銃口を敵へ向けて発砲。数発の弾丸は狙った通りに敵であるセクィエス・フォン・シュープリスへ吸い込まれていく。

 

「弾の無駄でしかないわ」

 

 そんな一言と共に全ての弾丸が弾かれる。

 先程からこれの繰り返しだった。撃てば一瞬だけ赤い盾のようなモノが現れて防がれ、続けざまに目視不可能な斬撃が襲ってくる。

 堅牢な防御と鋭い斬撃、それこそがセクィエスの武器だった。そんな彼女が気だるげな横目でアリステアを見つめる。その視線に捉えられたアリステアは即座に距離を取った。すると今居た場所にあった木々の全てが広範囲に渡って細切れになる。

 

「外したか。中々にすばしっこいじゃない、アリステア・メア」

「残念ですか?」

「別に。そっちこそ攻撃を当てる気あるの? 程度の低い鉛玉じゃ百年撃ち続けても届かないわ」

 

 セクィエスがアリステアの持つベレッタを分断した。

 手から地面に落ちる銃のパーツにアリステアは一瞥もせずに言う。

 

「当てる気はありませんでしたよ、ただ少し貴方を()させて貰いました」

 

 ピクリとセクィエスが小さく反応した。

 

「へぇ、それで何を見たの?」

「見えない斬撃の正体です。貴方は自身の血液を極細の糸とし攻撃をしています。私の弾丸を防いだのは、その糸を重ね合わせて編んだモノです」

「正解、ハナマルでもあげようか? それとも斬首がお好み?」

 

 クイッと指先を動かすセクィエス。

 鮮血色の閃糸が風を裂き、アリステアの周辺に物を刻む。それは正に嵐が如く全てを根こそぎ消し去る暴力だった。

 岩、大木、大地、鋭い斬撃によってアリステアという存在以外が消え失せた空間となる。

 威嚇というにはやり過ぎな破壊だ。

 そして何もなくなった場所に赤い糸が張り巡らされる。蜘蛛の巣のような糸は少しでも動けばアリステアを真っ二つにするだろう。

 危機的な状況でアリステアは小さく笑った。

 

「結構。綾取(あやと)りがしたいのなら一人でやってください」

「その綾取りで殺される奴は、さぞかし滑稽と知れ」

「そんな人がいるのですか? 随分と間の抜けた方です」

「大層な自信ね、いつまで持つかしら?」

「当然、死ぬまでですよ」

 

 アリステアは糸に自ら触れた。

 指先に切り口を作ると血が流れて赤を更に濃く染める。だが鋭い切れ味など些細な問題と言いたげに束になった糸をガシッと掴み、ブチブチっと無理矢理に引き千切った。一つが切れた事により連鎖するように(ゆる)む蜘蛛の巣だったがアリステアの()はズタズタにされてしまう。

 血液によって真っ赤になる手の平、それでも涼しい顔でセクィエスへ接近。そのまま手刀を叩き込む。

 アリステアの手刀はセクィエスの眼前まで迫ったが、深紅の糸によって絡め取られてしまう。

 上腕から血が吹き出す。肉にめり込む糸は華奢な腕の奥へと侵入して骨まで達する。

 

「踏み込みが甘かったわね」

「いいえ、丁度良い間合いです」

 

 アリステアが手刀で虚空を掴むと一丁の拳銃が召喚される。

 最強のリボルバー拳銃の一つ、"S&W M500" 10,5インチバレルのハンターモデル。

 化物を殺す怪物が突如として眼前に現れ、火を吹く。

 セクィエスは唐突な出来事にも回避で対処するも頬を(かす)めた弾痕に対して目を細める。

 

「"物質の転送移(ア ポ ー ツ)"か」

「正解です、ハナマルの代わりを受け取ってください」

 

 アリステアが大口径の銃をスパークさせて発砲。

 神速の弾丸が来ると予測したセクィエスは糸を盾のように結んで結界を造る。この血糸で編まれた盾はその弾丸を通さない。実際に何度も防ぎ切っている。

 馬鹿の一つ覚えか……とセクィエスは落胆(らくたん)する。

 

「落胆はさせません、もうそれでは防げませんからね」

「何……?」

 

 ほんの数分前まで難なく防いでいた弾丸が糸を貫き、そのままセクィエスの肩を撃ち貫く。

 大穴の空いた肩から噴水のような血液が吹き出した。

 何故という疑問はすぐに解決する。

 アリステアは弾丸を更に高密度な霊力で覆って貫通力を飛躍的に高めたのだ。そうする事で疑似的な徹甲弾を再現して盾を攻略したのである。

 

「大口径による運動エネルギーと弾丸強度を高めて無理矢理、撃ち抜いたか。……自分の血を見たのは随分と久しぶりね」

「好きなだけ堪能させてあげますよ」

「上等じゃない。次はお前を血染めにしてあげる」

 

 セクィエスは辟易するような口調で血の着いた服の袖を引き千切ると捨てる。彼女もまた痛みを何処(どこ)かに置いてきたように平然さを(たも)っていた。

 だらりと下がっていた腕を前に翳すと大量の血が収束して剣を形作る。

 

「私を血染めにするための刃が血液ですか」

「お洒落でしょ? さて力を見せてあげるわ、──"鮮血の刃(ブラッドエッジ )"」

 

 天に血染めの刃を向けるとそのまま振り下ろす。

 力など一切込めてない斬撃だったが放たれた斬圧は大気を意図も容易く両断し、大きく大地を蹂躙した。

 ここで初めてアリステアが笑みを消す。

 セクィエスが戯れに放った一撃は平地に底の見えない幅広の谷を作った。その破壊力は地形を変える程であり、間違いなく"神滅具(ロンギヌス)"に匹敵する。

 

「……少し脅威度を上げておきましょうか」

 

 機械のような手つきで弾丸を再装填するアリステアに対して、どこまでも無気力で脱力したセクィエスがゆらりと歩き出す。

 

「とっとと終わらせるわ」

 

 血染めの刃が走る。

 脱力していたセクィエスだったが動き出した瞬間に別人のような動きを見せる。

 斬撃のスピード、身のこなし、その全てが神速の域に到達している必殺の剣を繰り出してきたのだ。

 アリステアは眼を凝らして刃を見切るとセクィエスと同等の速さで躱す。

 一撃、二撃、三撃、刃が振るわれる度に余りある剣圧が周囲の風景を変えていく。

 それは斬撃という名の圧壊を強制する暴風であり、地形に大きな爪痕を残す災害といってもいいだろう。

 

「よくやる、なら一本追加よ」

 

 セクィエスの余っていた腕に同じ刃が握られる。

 

「……更に速くなりますか」

 

 同時に動きが急激に変わった。踊るように刃を使い始めたのだ、無駄のように見えて一切の無駄がない乱撃。

 共に神速の身だが刃の速さが一歩先を行く。

 このままでは待つのは死だと悟ったアリステアが"眼"の力を使う。

 アリステアの真価は莫大な霊氣でも有能な知恵でもなく"真眼"と呼ばれる瞳術だ。ソレはあらゆる事象の観測しソコから導き出された解を見渡す神域の見界(けんかい)を持たらす奇跡の産物である。

 アリステアは身体的な速さでの戦いを捨て、"真眼"を(もち)いた予測回避でセクィエスの動きに対応する。相手が数段速かろうと来る攻撃を来る前に避ければ充分に間に合う。それでもセクィエスの攻撃に対して少しでもタイミングが間違えば即死だ。

 暴虐の刃を掻い潜りながら銃で応戦するも剣が難なく遮る。これでは百年撃ち続けても当たらないだろう。アリステアは、離れた場所でミッテルトを抱えているレイナーレへ声を跳ばす。

 

「レイナーレ、ミッテルトを連れて離れてください、出来るだけ遠くへ。ここにいると死にますよ!」

「言われなくとも、そうするわ!」

 

 冷静な指摘にレイナーレは有無を言わずにミッテルトを担いでその場を去る。

 あのままでは剣圧に巻き込まれてバラバラになるのは時間の問題だ。それに、ここに留まられては()()()()()()()()()()()()

 

「あら意外ね、仲間の心配するんだ? てっきり冷血な奴だと思ってたわ」

「その評価は改めたほうがいいですね」

「必要ない、お前はもう死に囚われているのだから」

 

 片方の血染めの刃から糸が延びる。その鮮血の糸はアリステアを瞬く間に拘束した。

 

「これは」

「どう? 動けないでしょう?」

「元々、液体ゆえに姿形も自由自在という訳ですね」

「ご名答。……それじゃあ死になさい」

 

 刃が首を跳ねようとする。

 だが危機的状況な筈のアリステアが嗤う。

 

「ふふふ」

 

 セクィエスの手が止まる。こんな状況で笑える人間など破滅願望者か凶人でしかない。

 

「何がおかしいの?」

「いえ、こうも追い詰められたのは久しぶりだったので」

「なら命乞いでもしてみる?」

「まさか。──しかし認めましょう、セクィエス・フォン・シュープリス。貴方は間違いなく私たちにとって脅威となる存在。ゆえにアリステア・メアの名において排除します」

 

 アリステアが宣言すると極大のオーラが発生した。

 それは拘束していた糸を消し飛ばし、セクィエスに距離を取らせる。

 

「"Last(ラスト) Embrace(エンブレイス)"」

 

 蒼銀の光が天を突くと弾け跳んだ。残照の光は粉雪となって地上へ落ちてくる。

 月に照らされた雪は銀に彩られ、幻想的で美しかった。

 

「雪?」

 

 セクィエスが白雪に触れる。

 その瞬間、触れた部分が溶け始めた。流石のセクィエスも驚く、自分の体が熱で溶けた氷のように分解されているのだから当然だろう。何が起きているのか理解できない。

 

「これは降り積もる殺戮の包容、命を崩壊される銀の葬礼です」

「ちっ!」

 

 セクィエスがアリステアに斬りかかるも、その鮮血の刃も死の雪が分解してしまう。

 

「残念ですが、この雪は私を殺しても止まりません」

「無差別の範囲攻撃とか随分とエグい術を使うのね」

「貴方を"禁種 第零特異個体"レベルの敵対者と認識したので使用しました」

「何、その意味不明な単語羅列。いいわ、上等よ。つまり私が崩れて消えるか、お前が私に切り殺されるかの二択って訳ね」

「まだやる気ですか?」

 

 アリステアの呆れたような声にセクィエスもまた嗤う。

 

「この程度で勝った気になっていたの? ナメるなよ、化物」

 

 セクィエスが両手を大きく広げると赤い鮮血のようなオーラが吹き出る。

 その量と質はアリステアに劣らない総量だ。

 

「──"血 殲 架 の 断 刀(ヴェルリオーズ・ルガンツィア)"」

 

 やがてオーラが巨大で禍々しい血の大鎌へと変質する。

 身体を崩されてなお圧倒的な死の気配を纏うセクィエスは正しく死を招く者だった。

 

「その覇気と異能力、肉体の崩壊は続いていると言うのに挫けぬ精神、貴方こそ大した化物ですよ」

「面倒なご託はいいわ、殺してやるからさっさと撃ってきなさい」

 

 万物を崩壊させる白雪が冥天を支配し、万象を絶つ鮮血の大鎌が大地を穿つ。

 小さな人間が持ち得るには強大すぎる力は世界を揺るがす。

 可憐な少女たちの苛烈な攻撃は災害レベルの破壊を繰り返して、互いの存在を抹消するためだけに最大の殺意をぶつけ合った。

 そんな二人の内のどちらかが倒れるまで続くはずの果てない死の饗宴がピタリと止まる。

 

「なにか来る」

 

 アリステアとセクィエスが同じ方へ視線を向けた。

 空間がねじ曲がり黒い穴が開く。二人は同時に警戒した。

 

「まさか、こんな凶悪な力を持った人間が居たとは驚きだ」

 

 空間が裂け、門が唐突に開かれると中から一人の男性が現れる。

 巨大な魔力の出現によって空気が変わった。その男はアリステアが降らせた死の雪を極細の魔方陣で一つ一つ無効化(レジスト)していた。凄まじい術式の操作だ、大規模な結界では雪の崩壊は防げない。しかし使い捨ての陣で相殺は出来る。ただ何万、何億と降り積もる細やかな雪の数々に対して、そんな芸当をするなど狂気じみた所業だ。

 アリステアとセクィエスが、その男性の正体に目を見開く。こんな場所になんでこの男がいるのか……そんな表情だった。

 

「魔王アジュカ・ベルゼブブ……!」

 

 そう彼こそは現冥界を統べる四人の魔王の一人。

 男は魔性の笑みを浮かべて両者を見据えた。

 

「説明はしよう。だが、まずその物騒な兵装を下げてもらいたい。流石に君達の攻撃は同時に受けたくないのでね」

 

 数秒の沈黙の後に武器を下ろしたのはアリステアだった。

 

「何故、魔王がこんな辺境の地に?」

「緊急事態だからね。それに今やこの地は世界の何処よりも危険な魔境だと俺は考えているよ」

 

 周囲を確認しながらアジュカが言う。そこは降り積もり雪と巨大な獣に引っ掻き回されたような死の絶景。

 アリステアがアジュカを観察する。

 降り注ぐ白雪の相殺……。かつてこれ程までに完全に防ぎ切った相手などいただろうか。

 

「私の力がこうも通じないのは初めてですよ」

「いや、どうだろう。この術式は完全には読めない。解析不可能な式が四割もふくまれている。足りない不足は魔力で補填してる有り様だよ。今も大量の魔力が喰われ続けているんだ。この状況での戦闘行為など自殺に等しい」

 

 何処か楽しげに言う、魔王。

 セクィエスがそんな彼に対して苛立ったのか、大地に大鎌を突き立てる。

 アリステアの雪でダメージを受け続けている以上、セクィエスは短期決戦で事を済ませる必要性がある。だからアジュカの出現など邪魔でしかない。

 

「……で? お前はあたしの敵な訳?」

「いや、そんなつもりはない。ただ戦闘行為は中断してもらえないか?」

「こっちは仕事できているのよ、はいそうですかって帰ると思ってるんだったら、相当な愚か者よ?」

「無理を言っているのは理解している。だがこちらも困っていてね。門を通じた君らの力が混在しながら冥界へ流れている。影響は凄まじく、近年稀に見る大嵐だ。……俺が直接出向く程度には甚大な被害が出そうな程のね」

「関係ないわ。終わってほしいなら、そっちの白い女に自害でも頼みなさい」

 

 セクィエスがアジュカに大鎌を向ける。

 どこまでも気だるげだが、纏う殺意は相手が魔王だろうと一切の曇りはない。

 対するアリステアは極めて冷静に対処する。

 アジュカは、冥界に直通する門がある領域で激突しているアリステアとセクィエスを止めに来た。

 彼ほどの存在が来る程だ、冥界は余程不味い状況なのだろう。

 利害を見極めたアリステアが言葉を紡ぐ。

 

「いいでしょう、アジュカ・ベルゼブブ。私は条件付きで戦闘を中断します」

「条件を聞こう」

「彼女の撤退。元々、仕掛けて来たのはあちらです。この町に滞在する身としては全てを無に帰すまで戦っても益がない。……この意味が理解できますね?」

「ふ、理解した。君がグレモリーの協力者と言うことは知っているからね」

 

 アジュカが魔方陣を展開する。アリステアは遠回しにアジュカにこう言った。

 

 ──戦いをやめてやるから、セクィエスを倒す手伝いをしろ。

 

 魔王に対して無礼を通り越して傲慢なまでの要請をしたのだ。アジュカも解っていて、その提案に乗った。魔王と名乗るには些か謙虚だが器の大きさは計れた。プライドなどを持たず、利となる選択を選べるアジュカは間違いなく名君なのだろうとアリステアが感服する。

 それに対してセクィエスは鼻で嗤う。

 

「魔王に助けを求めるとはね」

「助け? これは取引です。より確実に勝利を得るための、ね」

「まぁいいわ、どっちも殺せば問題ない」

 

 アリステアとアジュカ、超然的な強さを持つだろう二人に挑むなど無謀としか言い様がない。

 しかしセクィエスは勝つのは自分だと確信している。

 アリステアは、その事に関しては否定はしなかった。

 彼女の戦闘力は神の領域に至っている。魔王を越え、神すらも殺しかねない鮮血の担い手。

 それがセクィエス・フォン・シュープリスという敵の最終評価だ。

 そんな殲滅を掲げる血の大鎌が駆け抜けようとした時だった。

 

「あい、待ったぁ!!」

 

 更なる闖入者が現れる。

 ダボダボな服を来た中学生くらいの少女だ。

 口にキャンディーをくわえた少女が体操選手のような月面宙返りをしながらセクィエスの前に立つ。

 

「や。セッちゃん」

「タブリス」

 

 ニコニコとセクィエスに近寄るタブリス。

 馴れ馴れしいタブリスが鎌の間合いに入るや否や、セクィエスは細い首に刃を添える。

 

「このタイミング……。お前、覗き見していたな? それとセッちゃんと呼ぶな」

「うわ、なんでボクの首に鎌を突き立てるの!?  酷っ! 助けに来たんだよ? ……って何この雪!? 体が崩れてくんだけど!? でも呼び方は変えない!」

 

 一人で騒がしいタブリスに親しさなど欠片もない冷笑で返すセクィエス。

 

「笑えるわ、お前と肩を並べて戦えって?」

「バッカだなぁ、相手は超越者とイレギュラーだよ? 君はともかくボクは死んじゃうって」

 

 自慢げに無い胸を張るタブリス。

 

「それはそれで喜ばしいわ。今すぐ突撃でもして死ぬがいい、……やる気がないなら消えなさい」

「全く、普段は物臭なくせにスイッチが入ったら真っ直ぐにしか走れないF1カーみたいだね。──退くよ、超越者まで出てきた以上は任務を破棄する。今君を失うのは得策じゃない、これは総主からの命令でもある」

「アイツが? …………いいわ、退いてあげる」

 

 殺意をたぎらせたセクィエスがアリステアを睨む。

 

「アリステア・メア、次は殺すから」

「ご自由に。出来るものならですが……」

 

 アリステアが挑発的な物言いをすると、タブリスがひょこっとセクィエスの後ろから顔を出す。

 

「お久、真っ白ちゃん」

 

 屈託のない笑顔のタブリス。

 アリステアにとっては初対面の少女だが、その口調と雰囲気から何者かは気づいている。

 

()()使()()()()()()()()()ですか。本性は随分と可愛らしいのですね」

「ありがと…って、わお! 急に弾丸を撃ち込むの止めてよね!!」

「貴方の不死性は存じています、当たったとして致命傷になるのですか?」

「痛みは感じるんだよ?」

 

 褒めると同時に弾丸を叩き込むが紙一重で避けられた。

 馬鹿な道化を演じているが、やはり手練れだとアリステアは再確認する。

 

「貴方たちの今回の目的はなんですか?」

「戦争の勃発、前と変わんない。……あぁそれと手の傷は大丈夫かな? セッちゃんの"血咒(けっしゅ)"は厄介だよ? それはね──」

「道化、喋りすぎよ」

「あ、めんご」

 

 血が流れ続ける片腕を見て蠱惑的に嗤うタブリス。

 陶器のような美しさを誇ったアリステアの腕はズタズタに引き裂かれており、全然大丈夫ではない。

 タブリスの嫌味な問いにアリステアは呆れたようなため息を吐いた。

 

「貴方ぐらいなら殺せる程度には大丈夫ですよ」

「コワコワ。君なら本当に殺り()ねないな。また殺されるのは嫌だから、おいとまするよ。魔王様もバイバ~イ」

 

 銃を向けれたタブリスがヒラヒラと手をふって逃げるようにセクィエスを連れて転移した。

 あとにはアリステアと魔王が残される。

 

「厄介な者たちに命を狙われているな、君は」

「いずれ処理しますので心配は無用です」

「ならば言うことはない。猶予すべき事態は改善した、俺も帰るとしよう」

「来て間もないというのに忙しい人ですね」

「それほど君たちが冥界にもたらした影響が凄まじかったと言うことだ。今後は冥界に直通する場所での激しい戦闘は自重してほしい」

「時と場合によりますね。嫌なら速く門を閉ざすことです」

「サーゼクスには俺からも進言しておこう。では肉体が崩壊してしまう前に退散するよ。……確認なんだが、その傷は厄介な"式"が掛けられている、対処できそうか?」

「問題はありません」

「……そうか」

 

 魔王が目を細めるも直ぐに表情を変えて何事も無かったように去って行く。

 雪は止み、断刀の音も消え、静かな夜だけが残る。

 それは戦いの終わりを意味していた。

 アリステアは血塗れの腕を癒そうと回復の術式を編んで霊氣を回す。

 普通ならそれだけで修復が始まるはずなのに傷は治らない。

 恐らく"血咒"という術式の効果だろう。

 

「術式の構成把握、対する抵抗術の精製……治すのは存外に手間ですね」

 

 傷からポタポタと血を流しながらアリステアが雪原に立ち尽くす。

 戦闘で拮抗したのは随分と久しぶりだ。圧倒的な戦力を持った自分と対等に渡り合ったセクィエス。道化を演じながら常に相手を見極めようとするタブリス。そのタブリスと繋がっているだろう"砕き"という破壊を具現したクラフト。

 どの相手も危険な存在である。

 同時に疑問も過る。

 一体、あの者たちは何者か、と……。

 個人個人が魔王クラスかソレ以上の手練れ。そんな集団の目的が戦争の勃発だけとは限らない、その先があるはずである。

 しかし直ぐに考えるのをやめる。答えにたどり着くためのピースが足りないからだ。

 例え答えが分かっててもやることは変わらない。

 何者だろうと障害となるならば殲滅する、ただそれだけだ。

 そんな些細な問題よりも、今一番の課題をアリステアは熟考する。

 

「さてこの傷はナギに対してどう説明しましょうか、あまり格好の悪い所は見せたくないのですが……」

 

 珍しく憂鬱そうな表情をする。

 弱味を見せたくないという幼稚なプライドだと自覚しているが、こればかりはどうしようもない。

 これは自らに課した戒律でもあるのだ。

 

 ──最後に残った"蒼の守護者"として最強であるべき。

 

 それこそがアリステア・メアの存在意義であり、自身が持つ権利でもあるのだから……。

 





データファイル


物質転送移(アポーツ)

遠くにある物質を引き寄せる術。
逆に送る事も出来るが、生物は空間を跳ぶ際の余波で肉体に大きな負荷が掛かる。


Last(ラスト) Embrace(エンブレイス)

”絶死の包容”とも言われる。
霊氣によって自らの頭上に生成した粉雪を降らせる範囲攻撃。
幻想的で美しい雪景色を作り出すが、その効力は分解にして崩壊という見た目とは裏腹に残酷なもの。
触れた者は痛みを感じず氷が溶けるように、ゆっくりとこの世界から消え去っていく。
範囲攻撃なので回避は不可能、防御は可能だがアリステアが編んだ術なので彼女を上回る異能で対抗しなければ突破される。
つまり魔王クラスの実力者でないと物の数秒で消滅。対抗出来ても雪がやむまで常に防御に気をつかなわないといけないという強力すぎる術式。


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祝賀会《Play of the Kings》


今回でライザー編は終了です。
次からは聖剣と堕天使のお話になります。



 

 朝の日差しが目を眩ませる。

 遠くからは部活の練習をする学生たちの声。

 一日の始まりを感じる教室で、渚は死んだように椅子の背もたれに身体を預けていた。

 

「はぁ~、眠い」

「うわ、ゾンビが死んでる」

「うっせ、絶賛生存中だ」

 

 渚をからかってきたのは桐生 藍華だった。

 時間は朝の8時、まだ授業開始までは1時間近くある。生徒も(まば)らな教室で、悪戯めいた笑みを浮かべた藍華が渚と共に登校してきたアーシアを見る。

 

「アーシア、もしかして蒼井とお熱い夜を過ごした? 今日も一緒に登校してきたいみたいだし?」

「えと、その」

 

 返答に困るアーシア。

 危険が付き物の悪魔ゲームをしていたなどと言えないのだろう。

 

「はぁ~~」

 

 渚は大きな欠伸をする。

 確かに藍華の言う通り熱い夜を過ごした。冗談抜きで死ぬくらいの熱さだったのだから始末が悪い。

 ライザーとのレーティング・ゲームが終了したのがほんの数時間前だ。

 リアスからは出席日数は都合すると言われているが渚は甲斐甲斐しく登校している。

 自分でもバカなのかと思うが、登校したものは仕方がない。少し離れた席では一誠が机を枕にして寝ていた。この調子ではグレモリー眷属は登校しているのだろう。

 眠気に襲われている渚はアーシアを見た。同じく一晩中、起きていた彼女は平気そうだ。

 渚の眠たげな視線にも邪気のない笑顔で返してくる。眠気に対して異様な耐性のあるアーシアを若干気にしつつも、窓から空を眺めた。

 こうして考えるのはレーティング・ゲームのことだ。

 

「負けたなぁ」

「何によ?」

「ゲーム」

「あんた、それで夜更かししたの?」

「まぁな」

「しょうがいない奴ね。どうせアッチの兵藤も付き合わせたんでしょ?」

「そうなるかな」

 

 どっちかと言えば付き合わされたのだが、面倒なので藍華の言葉に同意する。

 リアスとの対決は渚の敗北で幕を閉じた。

 赤龍帝の力で倍加に倍加を重ね続けた滅びの力、間違いなく決め手はアレだった。

 倍加した力の譲渡など反則が過ぎる。なんとか滅びの力は耐えきったが、結局すぐに体力が尽きた。

 

「レイヴェルは大丈夫だといいけど……」

 

 今回の相棒だった少女を思う。

 フェニックスの再生でも元には戻らなかった片腕。

 言伝(ことづ)てを頼まれたリアス曰く『蒼井さんにお礼を伝えてくださいな』と笑みを浮かべていたという。タフな少女である。

 ともせずレーティング・ゲームは終わったのだ。少しの間くらいはゆっくりしよう。つまり眠らせてもらう。

 

「寝る、授業始まったら起こして欲しい」

「はい、分かりました」

「いや、桐生に頼んだんだよ? アーシアも少し寝た方がいい」

「大丈夫です。私、前に居たところでは一日中眠れない事もあったので慣れてます」

 

 成る程……と納得する。

 どうやら教会にいた頃に昼夜問わずに働かせていたようだ。あれだけの治癒能力だ、戦い以外にも使い道はある。

 故に彼女の様子からもブラック企業かソレ以上に酷使されていたのだろう。

 献身的なアーシアを使うだけ使っといて、都合が悪くなったら簡単に捨てる教会。

 かつて彼女が言われていた「人を治療できる生物」という言葉を思い出して苛立ちを覚えてしまう。

 次に教会関係者がアーシアに何かしようとしたら有無を言わずに刀を向けるかもしれない。

 

「大丈夫ですから」

 

 そんな渚の内心を感じ取ったのか、アーシアは穏やかに目を細めた。それがあまりにも幸せそうな表情だったので毒気を抜かれる。信じている物とは遠い場所に立っている今の生活がアーシアにとって最良かは渚には判別できないが、彼女の笑顔には嘘はないだろう。それがせめてもの救いである。

 

「あの、その……ですから私にナギさんを起こさせてはくれませんか?」

 

 両手の拳をギュッとして使命感に燃えるアーシア。どうでも良い事なのに大任を(にな)わせてくれと言わんばかりの真剣な顔で立候補する姿は可愛らしい。

 これを断れるほど渚は強くはなかった。

 

「じゃあ頼んだ、アーシア」

「は、はい! 頼まれました!」

 

 こうして元気のよい返事を聞いた渚は机の上に突っ伏して寝息を立て始める。

 

「ホント尽くすなぁ。いい彼女になるわよ、アーシアは……」

「はぅ! そ、そんな事はないですよ!」

 

 遠くでそんなガールズトークが聞こえた。

 こればっかりは渚も藍華に大いに同意するのだった。

 だがアーシアを任せられる男の厳選は渚が直々にするつもりだ、かなり厳しめに。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

「郊外にある西の森が消失か……」

 

 放課後、オカルト研究部の部室で昨日の夜に起きた出来事の報告を受けたリアスが頭を抱えた。

 自分の管理する土地の地形が森から不毛の大地に激変したのだから頭痛ぐらいする。

 詳細を報告しに来たのはアリステアとレイナーレの二人だ。

 アリステアが出された紅茶を口へ運びながら答えた。

 

「グレモリー関係者の抹殺が目的だったのでしょうね。もっとも一番の目的は私のようでしたが……」

「駒王の戦力で、もっとも厄介なのは間違いなくアンタだからね」

「見る目のない敵ですね」

「有りすぎでしょ」

 

 メイド服のレイナーレが皮肉めいた表情で言うが、アリステアは気にした素振りも見せずにカップを差し出した。

 

「もう一杯、頂きます」

「私はあんたの従者じゃないわ」

「その姿では説得力が皆無ですよ、堕天使メイド」

「レイナーレ、出してあげて」

 

 アリステアの言葉を無視しようとするレイナーレをリアスが言葉で制す。

 

「分かったわよ、リ・ア・ス・お・嬢・さ・ま」

 

 渋々といった様子でカップを取るレイナーレ。反抗的だが言うことを聞いてくれる辺りが少し可愛く見える。

 

「それにしても西の森か……。あまりいい思い出はないわ」

「貴方がナギと出会った場所もそこでしたね」

「そうなるわ、あの時はアリステアは気を失っていたわね」

「か弱い人なのですから気ぐらい失います」

 

 どの口がいうのだろうとリアスとレイナーレは思う。

 

「それとその腕、随分な変わりようだけど」

 

 リアスの視線が白い包帯が巻かれたアリステアの右腕におろされた。

 上腕部分は全て傷なのだろう、指先から肘辺りまで綺麗にくるまれている。リアスが懸念した原因は傷自体ではなく、もっと奥にあった。アリステアの上腕全てが見たこともないような強力な呪詛に覆われているのだ。

 あんな禍々しい呪いを受ければ直ぐに全身に広がり、魂までも蝕んだ挙げ句に死に至らしめる。それほどの厄介な代物を右手だけに納めているのはアリステアが自らの持つ霊力で押さえつけているだからだろう。

 

「大した事ではありません、ただ傷が癒えないぐらいですよ」

「……大した事あるじゃない。大丈夫なの、それ」

「痛みは耐えれますし、破れた血管や神経は霊力で編んでいるので日常生活は問題ありません」

 

 死の呪詛を飼っている人間とは思えないほどに平然としているアリステア。

 

「全く……。渚といい貴方といい普通じゃないわね」

「その普通じゃないナギに勝ったのは何処の(キング)ですか?」

「多くの幸運が重なった結果よ、普通のゲームルールなら負けていたわ」

 

 謙遜するリアスにアリステアは首を振った。

 

「世の中は過程よりも結果が重視されるものです。貴方は勝利した、それは偽りのない真実です。勝者として胸を張ってもらわないとナギが惨めですよ、リアス・グレモリー」

「まさか励ましを受けるとは思わなかったわ」

「私は当然の事を言ったまでです」

「そうね、じゃあせいぜい勝者として胸を張るとするわ」

 

 リアスがそう言うと二枚の白い封筒を差し出してきた。

 何かと思いながらもアリステアは受け取って封筒に目を落とす。

 そこにはアリステアと渚の名前が書かれていた。

 

「招待状ですか」

「祝賀会をしようと思ってね。勿論、くるわよね?」

「こういった催しには興味がありません」

 

 バッサリと断ろうとするアリステアにリアスはいい笑顔を作った。

 

「それでもお願いするわ」

「断っても連れていく気ですね?」

「勿論。最終的には渚に頼み込むわ、それなら断れないでしょう?」

「相手の弱点を突くとは中々に王らしくなってきましたよ」

「うふふ、ありがと」

「それでは帰ります」

 

 アリステアは渋々といった様子で招待状をしまうと薄暗い部室の窓まで歩を進める。

 

「冷血女、わざわざ入れてあげた紅茶はどうすんのよ」

「差し上げますよ、レイナーレ。暖かいうちに飲んでください」

「相変わらず勝手な奴、その性格を改めなさいよ」

「お断りです」

 

 そしてその窓を大きく開けた、風と共にカーテンが揺れ動く。

 リアスが外の光に一瞬だけ目を眩ませると、次の瞬間にはアリステアの姿は忽然と消える。

 

「少し強引だったかしら?」

「さぁ、招待状を取ったって事はどっちにみち来るでしょ。……存外、美味しいわね」

 

 レイナーレが自分で入れた紅茶を飲みながら言うと、リアスは窓に近づいて外を眺める。

 ちょうど旧校舎の入り口に人影が三つほど見えた。

 可愛い眷属である一誠とアーシア、そして頼りになりすぎる協力者の渚。

 普通の学生のような会話をしながらやってくる三人に小さな笑みを浮かべるリアスなのであった。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 レーティング・ゲームから一週間後の夜。

 渚は広い会場の隅でぼんやりと高い天井を眺めていた。

 目に入るのは大きなシャンデリアだ。リアスに招待されて祝賀会に参加した渚だったが予想以上のスケールに驚かされている。

 学校の校庭よりも広い一室には着飾った悪魔たちが多く訪れており、楽しそうに会話を弾ませる。

 何処かの国の王族が開く社交界と言えば想像しやすいだろう。

 金持ちって凄いな……などと思っていると小脇を突かれた。

 

「何を間抜けな顔をしているのですか」

「そう言うなよ。慣れていないんだ、こんなのは」

 

 両手にグラスを持ったアリステアが呆れたような口調で一杯差し出してくる。

 

「……酒か?」

「ジンジャエールです」

「さんきゅ」

 

 触れたアリステアの指に注意が行く。

 今は手袋で隠されているが、その中は痛々しい包帯がある。一目で尋常ない傷だと分かって言及したが、本人が『ただの負傷ですよ』と言い張るので深くは追求出来ていない。彼女に手傷を追わせる程の敵が駒王に来たという事実は警戒しなくてはならないだろう。

 

「いつまで手を握っているつもりなのですか?」

「あ、ああ、悪い」

 

 ずっと触れていたアリステアの指からグラスを取って喉を潤す。

 

「祝賀会って聞いてたけど、こんな大々的だとは思ってなかったな」

「リアス・グレモリーは魔王の妹ですよ? これぐらいは当然でしょう」

「たまに訝しげに見られるのは人間だからなんだろうな」

「悪魔の祝いに混じってるのです、こうなるのは目に見えていました」

 

 少し離れた所では綺麗に着飾ったリアスと眷属たちが悪魔たちに挨拶をしている。

 新人である一誠とアーシアを紹介してるが二人ともガチガチに緊張していてちょっとだけ微笑ましい。

 しかしリアスの初勝利を祝うのは結構だが、こうも大それたものだと場違いな気持ちになる。

 こんなパーティとは無縁だったため、どうやって時間を潰そうかと考えていると二つの人影が近づいてきた。

 

「ごきげんよう、蒼井さん」

 

 記憶に新しいドリル頭の彼女はレイヴェル・フェニックスだった。パーティ用のドレスに身を包んだレイヴェルは慣れているのかドレスの横を軽く摘まんで挨拶して来た。

 

「来てたのか」

「敗者が勝者を祝ってはいけない理由もありませんわ」

 

 渚がレイヴェルの異変に気づく。失ったはずの腕がきちんと着いているのだ。

 

「その腕……」

「義手ですわ。まだうまく動かせないので要訓練と言った所ですの」

 

 からくり造りの義手。無機質なマリオネットを思わせる腕である。

 

「そうか、とりあえず元気そうで良かったよ」

「冥界の技術に感謝ですわ、それで、そちらの方は?」

 

 レイヴェルがアリステアを見る。

 

「アリステア・メア、俺の仲間だよ」

「……随分とお綺麗な仲間ですのね」

 

 妙にアリステアの顔をマジマジと伺うレイヴェル。確かに美人だが、それを言ったらリアスや朱乃も似たようなものだ。

 

「貴方がフェニックスのお嬢様ですか」

「ええ、以後お見知りおきを」

「さて、知っておく価値があるのなら覚えておきます」

 

 初対面の相手に愛想笑いも浮かべないアリステア。分かっていたが、これでは良い印象は持たれないだろう。

 悪意はないが基本的にアリステアは人から好かれようとは思っていない節がある。だから言葉を着飾らないで自分が考えていることを口にする。それが誤解を招くと自覚していてやっているので、渚が注意してもあまり意味がないのだ。

 

「もうちょっと言い方があるだろうに……。レイヴェル、愛想はないし上から目線な奴だけど悪い奴じゃないんだ」

「気にしてませんわ。貴方の連れです、ある程度の問題は容認しますの」

「お優しいのですね、ならば私も貴方の無礼な視線に寛容になってあげますよ」

 

 嘲笑うようなアリステア。これでは挑発しているようなモノだ。

 渚は「うわぁ」と心の中で嘆く……というか言葉にも出していた。

 レイヴェルの目が鋭くなった。

 

「我が強くて結構ですわ。けれど、こういう社交の場では相手を立てませんとね?」

「結構。立てて得るものがないのでは意味がありません」

「失うものはあるかもしれんせんわ」

「程度は知れています」

 

 二人が牽制し合う。

 もしかして相性が悪いのだろうか。

 渚はギスギスした雰囲気を払拭するためにもう一人の人物、ライザー・フェニックスに話を振る。

 

「おいライザー、この状況を何とかしてくれ」

「お前の連れが吹っ掛けたんだろうが。……レイヴェル、この場では止せ」

 

 ライザーが面倒そうに吐き捨てる。兄に諫められてレイヴェルが退いた。

 

「失礼しましたわ。アリステア・メア、貴方の行動が蒼井さんの評価に繋がる事を頭に入れておいてくださいまし」

「良いでしょう、数分後には消去しますが」

「ステア」

 

 流石に不毛と感じた渚が強く言うとアリステアが黙って飲み物を口にする。

 どうしてこうも一瞬で仲が悪くなるのか不思議である。

 そんな渚の疑問に答えたのは意外にもライザーだった。

 

「こんな上物を(はべ)らせてるからだろうぜ」

「侍らしてない、ステアは相棒だ」

「……だそうだぞ、レイヴェル」

「どうして(わたくし)に振りますの?」

「なんとなくだ」

 

 ライザーの言葉にムッとしたレイヴェルが義手を抑えた。

 

「あー、なんだか急に義手の付け根が痛くなってきましたわ」

「そ、それは言わないでくれ。本当に悪かった」

 

 明らかに演技である。それでもライザーは負い目からか必死に謝っていた。

 そんなじゃれ合う姿は以前とは裏腹に良好な関係に見える。

 しばらく観察しているとライザーが渚へ顔を向けた。

 

「リアスとの結婚は白紙にしてもらった」

「聞いてるよ。それでこれからどうするんだ? 新しい花嫁探しか?」

「いや、今さらだが本格的にゲームへ復帰しようと思う。(さいわ)い今回やらかしたドーピングは魔王様の配慮で不問になったからな」

「アレを正直に話したのか?」

「ああ。薬を渡した医者は捜索中だそうだ。……まぁ全部があの医者のせいではないんだがな」

「かもしれないが、あの薬でアンタがとんでもない化物になったのも事実だ」

 

 ライザーが元々レーティング・ゲームに対して消極的だった。なぜそうだったのかの詳細をゲーム後に渚は聞いている。

 情報の出所はグレイフィアであり、リアスから又聞きする形で聞かされた極秘情報だ。

 ライザーは"バアル"という一族から迫害を受けている。

 "バアル"は魔王もおいそれと干渉できない程、大きな影響力を持つ影の権力者だ。

 そんな"バアル"が用意した次期当主との非公式レーティング・ゲームの対戦相手に選ばれて負けてしまったのが事の始まりだという。

 普通に考えればライザーは負けて"バアル"の顔を立てた事になる。

 だが"バアル"は自分の用意した悪魔を負けさせたがっていた。つまりライザーはバアルのお家騒動に巻き込まれて悲惨な評価を受け続けている。

 ライザーという悪魔は弱い、だから戦った者が勝つのは当たり前。

 そんな偽りを権力で広めていき、ライザーが行うゲームにも干渉して彼よりも強い悪魔を刺客として送り、対戦させるという細工もした。

 流石に渚も"バアル"のやり方に気持ちの悪さと怒りを覚える。

 結果、ライザーは精神的に病み、レイヴェルは腕を失くした。ライザーがリアスと無理矢理に結婚をしようとしたのもゲームが出来ない自分がフェニックス家のために何が出来るかを考え抜いた末の行動だったのだ。

 

「復帰はいいけど、大丈夫なのか?」

「なんだ? リアス辺りから俺の状況を聞いてんのか?」

「まぁな。そのバア……」

「やめな。名前だけは言うな、アイツらは耳がいい」

 

 ギロリと睨まれた。

 渚に対する不満ではなく、巻き込まれるなという不器用な気遣いだ。

 

「わかったよ。それで奴等の妨害は続くんじゃないのか?」

「間違いなくな」

「でもやるのか? 今までの話を聞いただけでも悲惨だぞ」

「……やらなきゃならん。支えてくる奴等もいるしな」

 

 ライザーが拳を強く握る。バアルとは余程の闇なんだろう。

 

「頑張れって言えば良いのかな?」

「ふん、応援なぞいらん」

「だよな」

「だがお前との一戦で色んな事が変わったのは事実だ。……感謝はしている」

 

 変わったな……と思う。

 レーティング・ゲームの時までのずっと纏っていた陰鬱な雰囲気はライザーから感じられない。死んだような目は活力という炎で満ちている。きっとこれが本当のライザー・フェニックスという男なのだ。

 

「ライザー殿」

 

 ふとライザーに声を掛ける者がいた。

 立派な体格の男性だ。歳は渚と同じか少し上だろう。悪魔では珍しい野性的な印象を受ける。

 男性は目線のあった渚とアリステアに礼儀正しく会釈するとライザーの前へ立つ。

 

「知り合いか?」

「……ああ」

 

 渚が聞くとライザーが頷く。

 レイヴェルが随分と険しい顔で男性を睨んでいた。

 

「バアルの者が兄に何用ですの?」

「……バアル」

 

 渚は目の前の男の正体に驚く。

 彼はライザーとレイヴェルを苦しめている一族だったのだ。

 

「偶然お見かけしたので挨拶に来ました」

「陰湿なバアルが何を言うんですの?」

 

 まるで仇を見るようなレイヴェルに男性は瞑目した。

 そして目を開くと真っ直ぐにライザーを見据えて頭を深く下げたのだ。

 渚は勿論、フェニックス兄妹も呆気に取られる。周囲もチラチラと見ているくらいだ。アリステアは無感情に男性を眺めている。

 

「ライザー殿、自分との試合で貴方に大変な迷惑を掛けているのは知っています。バアルの身でありながら何も出来ない自分を許してくれとは言いません。ただもう少し待ってください、我が身の全霊を以て貴方に振り掛かった出来事を払拭して見せます」

 

 その男性からは罪悪感、誠意、信念など決して軽くはない心を感じた。言葉には嘘を感じられないのだ。

 つまりこの男性がライザーの問題を重く受け止めているという事に他ならない証拠だ。

 

「頭をあげな、サイラオーグ・バアル。お前の立場は知ってる、人の心配を出来るような身分じゃねぇだろ」

「これはケジメです」

「いらん、お前はあの時のレーティング・ゲームを否定するのか? 少なくとも俺はあの一戦から多くを学ばせて貰った」

「それは自分もです」

「ならいいじゃねぇか。それに俺はお前さんトコの圧力を気にする暇が無くなっちまったんだ」

「……と申しますと?」

「妹の腕を治さなきゃならん。冥界には最上級悪魔の一部しか手に入れられない秘宝がある、中には普通じゃない傷にも効くモノがあるかもしれないんだよ」

「……お兄様、私は気にしていませんのに」

「これは俺の責任であり、我が儘だ。レイヴェルは俺の力で治すと決めている。……だからサイラオーグよぉ? これからは俺はゲームで出世せにゃならねぇ。次は勝つ、それは覚えておけ」

「はい、自分も負けません」

「は、生意気だが勝者は敗者にたいして、それぐらい傲慢の方が悪魔らしい。──そう思わねぇか、リアス?」

 

 そう言うとライザーはサイラオーグの背後に目をやる。

 

「ええ、そしてそれが糧になる試合なら敬意を持たなければならないとも思うわ」

 

 真っ赤なドレスを着こなすリアスが一誠とアーシアを引き連れてやって来た。

 アーシアが嬉しそうに笑みを渚へ向ける。今にも渚へ走りよって来そうだが、リアスの眷属として来ているので我慢しているのだろう。

 上級悪魔たちへの対応は朱乃たちが続けている。気を利かせて来てくれたようだ。

 

「リアス、今回のゲームは見事だった」

「ありがとう、サイラオーグ。色々とハプニングの多い一戦だったけどね」

 

 真っ先に称賛を贈ったサイラオーグに笑顔で返すリアス。

 随分と親しげな様子に一誠がムッと警戒した。好意を寄せる人が良い男と近い距離にいる事に嫉妬しているんだろう。

 祝いの席でそんな顔をされても困るので渚はフォローするため二人に声をかけた。

 

「グレモリー先輩のそちらの方とは知り合いで?」

「彼とは従兄弟なのよ」

 

 サイラオーグが渚とアリステアを見た。

 

「自己紹介が遅れてすまない、サイラオーグ・バアルという。君たちの噂はリアスから聞いてる、凄まじく頼りなる協力者が二人もそばにいるとな」

「流石に凄まじいは言い過ぎかと」

「そうですか、ナギ? 間違ってはいませんよ」

「……おい」

 

 澄まし顔のアリステア。

 謙遜くらい覚えようねと内心で呟く渚。

 サイラオーグが渚とアリステアの会話を聞いて笑みを浮かべると今度はリアスの背中にいる二人の眷属へ言葉をかけた。

 

「そして赤龍帝の兵藤 一誠。治癒のエキスパートであるアーシア・アルジェント。レーティング・ゲームは俺も見ていたが、どちらも素晴らしい立ち回りだった」

「え、あ、俺も?」

「あぅ、ありがとうございます」

 

 新人悪魔の二人組がサイラオーグの言葉にたじろぐ。

 

「特に蒼井 渚と兵藤 一誠。君らの戦う姿は実に良かった。叶うなら一対一で正面から覇を競い合いたいと心から思う」

 

 大きな拳を握って獰猛に嗤うサイラオーグ。

 戦うのならばあくまで正面から……。

 今まで見たことのないタイプだった。知略や策略を駆使する悪魔からは程遠い正面衝突を好む武人、それがサイラオーグ・バアルという男なのだろう。

 

「もうサイラオーグ、祝賀会で殴り合いなんてやめてよね?」

「ははは。(もよお)しの一つとしては悪くないと思ったのだがな」

 

 笑うサイラオーグにライザーとレイヴェルが複雑な顔をした。

 

「沈められた本人としては悪い冗談だ。テメェは自分の拳の恐ろしさを知ってんのかよ、たく」

「ええ、ウチの子達はしばらく食事が取れない程の被害を被りましたのよ」

「あの時は、格上のライザー殿に加減するなど無礼に当たると考えて全力で挑ませて貰いましたよ」

 

 かつてサイラオーグと戦ったフェニックス兄弟だけが彼の凄まじさを知っているからだろうか、全然笑っていない。

 

「貴方達、三人の内の誰が暴れてもこの会場が吹っ飛ぶんだから自重して」

「では次の機会にとって置くとしよう」

「そうして頂戴」

 

 残念そうなサイラオーグに肩を竦めるとリアスはライザーへ視線を向けた。

 

「それとライザー、復帰を決めたそうね」

「ああ、これから訓練の毎日だ」

「そう。今日は来れなかったお兄様から伝言があるわ」

「……サーゼクス様から?」

「そのまま伝えるわよ? 『君を守ってやれなくて済まなかった。君がレーティング・ゲームに復帰する際は正当に評価されるよう約束しよう。これはゲームの最高責任者であるアジュカも了承している決定事項だ。遅すぎる対応に怒りもあるだろう。ゆえに私たち魔王は全力でフォローする事を誓う』だそうよ」

 

 ライザーが身体を震わせた。

 魔王が直接保護してくれると言うのだ。特にレーティング・ゲームを取り締まるアジュカが付くとなれば"バアル"と言えど簡単にはライザーへ手を出せなくなる。

 

「魔王様が直々に、だと」

「お兄様……」

 

 レイヴェルが感極まってか口許を押さえた。それは彼女が望んでいた事だったからだ。

 あのレーティング・ゲームの勝者は魔王から栄誉を賜るため会う権利が発生する。レイヴェルは勝利を掴むことで"バアル"の悪事を魔王へ直接伝えようとしていた。結局はリアスが勝者となったので水泡と消えたが思わぬところで朗報が舞い降りたのだ。

 

「リアス、バアルである俺からも礼を言う。これは同じバアルの者が解決すべき問題だった」

「お兄様の力よ。けれど貴方たちが和解出来たなら良かったわ。……渚も、ね?」

 

 急に話を振られて「?」を浮かべる渚。

 ライザーとサイラオーグの仲が良い感じなったのは、めでたいが渚にとって良いことか言えば疑問だ。

 

「レイヴェルの望みを叶えてあげたかったのでしょう。あの時、ボロボロになってまで戦いを止めなかったのは彼女の望みを悟っていたからじゃなくて?」

「買いかぶり過ぎですよ。俺は場の空気を読んだだけです」

「そうやって自分の良いところを隠そうとするのは貴方の数少ない悪癖ね。……渚は決して自分の為に力を振るわない、いつだって誰かの為に尽力をつくす人間よ」

 

 リアスの言葉は的を射ている。

 渚はいつだって誰かの為にしか動かない。強い力を持っていると自負するからこそ自分の為に力を振るうのを極端に嫌っている。特に自分の中にある"モノ"は正体が不明過ぎて好き勝手に振るえば恐ろしい現象を引き起こすんじゃないかと理性がストッパーになっているのだ。

 鞘のない刀ほど危険なものはない。

 

「臆病なだけです。誰かの為という理由があって初めて戦えるなんて、責任を負いたくない弱い人間の言い訳ですよ」

 

 渚が苦言をもらす。

 誰かを斬るのが怖い、死を背負うのは嫌だ。

 けれど戦う力があって脅威が降りかかる。

 だから仕方なく戦っている。それが蒼井 渚という矮小な人間なのだ。

 自分本意な本性を知られるのは怖い。だが信頼されているからこそ自分と言う中身を知って欲しい渚だった。

 幻滅されたかと思い、皆の言葉を待っていると……。

 

「違うだろ」

「違います」

「違いますわ」

 

 一誠、アーシア、レイヴェルが同時に否定した。

 それは確信であり、迷いのない言葉だった。

 それぞれの表情が真剣そのもので逆に渚は驚く。

 

「ナギ、お前はいつだって命を張ってた。ドーナシークの時だって俺を助けてくれたぜ?」

「そうです! 私が死んでしまいそうな時だって危険を犯してまで助けてくれました」

(わたくし)も、貴方に手を差し伸べて貰ったのを忘れていませんわ」

 

 渚に詰め寄る三人。

 心なしか怒っているようにも見える。

 どうしてそうも反論してくるのだろうか……。

 そんな考え込む渚にアリステアが凸ピンをかましてきた。

 

「あいた」

「分からないのですか? この三人にとって貴方は英雄なのですよ」

「……え、英雄? いやそんな大層なモンになれる訳ないだろ」

「英雄とは、なる者でなく、なってしまった者です。救われた者が救った者に付ける敬称ですよ」

「……救われた者」

「命かそれと等価なもの拾い上げたのは貴方です。あの三人はそれを理解し、深く感謝している。貴方が自分をどう思おうと勝手ですが、彼らの想いまで無下にするのは感心しませんよ」

「……むぅ」

 

 渚が英雄かは納得していない。

 それでも三人の好意を足蹴にするのは良くないだろう。

 ここはアリステアの言う通りに感謝を素直に受け入れる。

 いつか自分でも誇れるような人間になれる事を望みながら渚は三人を(なだ)め始めたのだった。

 



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月光校庭のエクスカリバー
聖剣の呪い《Cruse of Holy Sword》


久々の投稿です。
今回から聖剣と堕天使と中心とした第三章になります。




 

 それは寒い冬の出来事だった。

 暗い無機質な部屋に多くの死が蔓延(まんえん)している。そこで行われているのは処刑ですらない、ただの処分だった。まるで不必要になった消耗品のように扱われていたのは年端(としは)も行かぬ子供たちである。その小さな身体は毒ガスによって無惨に殺されていた。

 毒ガスを排出する低い音が鳴り、しばらくすると止まった。そして室内にある唯一の自動ドアが"ピー"と高い機械音を経てながら横にスライドして開く。

 入ってきたのは複数の防護服を着た人間だった。倒れ伏す子供たちに近づくと足で蹴って生死を確かめている。非人道的な光景にも関わらず次々と作業をするように一つ一つの"死"を確認する大人たち。

 

「苦しい、よぉ、神さま、たすけて……」

 

 死に向かう中で一人の子供が祈る。

 一人の大人が近づき、厳つい防護服の胸辺りで十字を切った。

 

 ──神の御慈悲を、アーメン

 

 そう言うと、迷い無く瀕死だった子供の息の根を止めた。

 "アーメン"と言いながら、次々と大人が子供を殺す光景を苦痛に(さいなま)まれた表情で一人の少年が見上げていた。口の中から止めどなく不愉快な赤いものが出てくる。

 

「……く、そ」

 

 悔しさが胸を満たす。

 苦楽を共にした仲間たちが物言わぬ肉の塊となってゴミのような扱いを受けている。しかし声を()げて非難すること出来ない。少年もまた死を待つ身だからだ。

 ふと(うす)()く意識の中で手を握られた。とても暖かい手だ。少年は温もりを頼りに視線を動かす。その先には少年同様に血を吐いた少女が恐怖に(ふる)えながらも笑っていた。

 

「……ゴホ……ゴホ……イザイヤ」

「……ト、スカ?」

「えへへ。良かった、生きてる」

 

 ごほごほと血の泡を吹きながらも笑顔を絶やさない少女。だが怖いのだろう。握られた手は小さく震えている。

 

「何が良いもんか、どうせ死ぬよ」

「ううん、イザイヤ生きたいって言ってるよ。今も立とうと頑張ってるもん。……だからね、走ろ?」

 

 トスカがイザイヤの腕を取った。起き上がった子供に完全防備の大人たちは驚く。

 トスカの決意にイザイヤも触発されて走り出す。

 もはや助からないと分かっていた。でも、せめて行けるとこまでは行こうと出口を目指す。

 瞬間、肩を鋭い熱が通りすぎる。

 

「ガッ!」

「イザイヤ!」

 

 撃たれた。

 大人たちは銃を持っていたのだ。

 倒れたイザイヤに容赦なく銃を向ける大人。

 

「ダメ!」

 

 そんな銃を持つ手にトスカが掴み掛かる。

 イザイヤが立ち上がってトスカを助けようとするが……。

 

「行って!」

「行けるわけないだろ!」

「私の、私たちの分まで生きてぇ!!」

 

 トスカが殴り倒された。

 床に頭をぶつけたのか血が出ていた。駆け寄ろうとするが銃が火を吹き、イザイヤの頬を掠める。

 (とど)まれば両方死ぬ。行かねば待つのは死だけだ。選択の余地はない、それでも脚はまだ迷っている。

 どのみち死ぬのならば皆と……。

 そう決めた時だった。

 トスカが言葉なしに黙って向こう側を指差す。血だらけになりながらも"行け!"と強い意思でイザイヤの生を願う。

 

「お願い、死なないで」

 

 その言葉にイザイヤは涙を()らえて走り出す。

 

 ──そして遠くで数回の発砲が鳴り響く。それは念入りに命を奪う死の旋律。

 

 音が止む。……それはトスカを死んだ事を意味していた。声にならない声が心を引き裂く。血塗られた希望によって生き延びた少年は運良く出口を見つけて開け放つ。

 抜けた先は真っ白い世界だった。

 冷たい空気が死にかけの体に(むち)を打つ、しかしイザイヤはこの寒天(かんてん)の空の下で誓う。

 

「許さない……!」

 

 いつか"聖剣計画"という馬鹿げたモノ関わった全てを殺し尽くすと……。

 白銀の世界で少年の心は消えぬ怨嗟に囚われたまま重たい身体を引き()って前へ進んだ。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 晴天の空。

 渚はグランドでグローブをはめて立っていた。

 カキーンと金属音が響く。リアスがバットでボールを打った音だ。一誠が見事にキャッチしてリアスが親指でグッドのサインを送っている。

 旧校舎の裏にある少し()けた場所、そこでオカルト研究部の部員は野球の練習をしていた。来週から駒王学園は球技大会があるためだ。一日をかけてサッカーやバスケなどの競技を楽しむ競技であり我らがオカルト研究部も部活対抗戦に勝つため、こうやって熱を入れて練習に励んでいた。

 (ちな)みに部活対抗は内容が当日発表なので今日は野球の練習をしている訳である。

 

「さぁ次よ、渚」

 

 リアスが女性とは思えない強さのボールを打ってくる。真っ直ぐに顔面に飛んできたキラーボールを渚はバシンっと受け止める。グローブの中でボールが暴れ馬が如く激しくスピンして中々止まらない。こんな魔球を受け止める奴など人間を辞めている者だけである。

 

「……ウチらに勝てるやつなんているのか?」

 

 素朴な疑問である。

 普通の人間ではないオカルト研究部は身体のスペックだけで名門の野球チームを圧倒できる。果たして練習が必要なのかも疑問だ。

 渚がボールをバックホームすると小猫が取る。リアスと小猫が渚にグッドの合図を送る、実に楽しそうで結構だ。

 

「次は祐斗!」

 

 カキーンと高めのボールが祐斗に飛んでいく。これぐらいなら余裕だろうと渚はボールを目で追うがグローブを構える様子も見せない祐斗。

 そしてゴツンと頭に命中する。

 悪魔じゃなかったらタンコブくらい出来ていただろう。少し心配になった渚が駆け寄ってコンコンと自分の頭を叩いた。

 

「頭。なにしてんだよ……」

「え? ああ、ごめん」

 

 心ここに()らずといった雰囲気である。

 最近、祐斗の様子はおかしい。

 常に何かを考えているようでオカルト研究部の話し合いにも、どこか遠い目でボケッとしている場面も多い。

 

「もう祐斗しっかりしなさい、次はアーシア!」

「は、はい! 主よ、私に部長のボールを取るお力をお与えください! ()たたたっ」

 

 悪魔の身で祈りを捧げたアーシアが頭を抑えて痛みに耐えている。悪魔は聖なるもの弱い、祈りなど捧げれば痛みを伴うのだ。

 よろよろと頭を抱えるアーシアに渚は苦笑する。

 

「敬虔な悪魔も居たもんだ」

 

 この後どうなるか(さと)った渚はすぐ隣の祐斗の肩を軽く叩いて「ドンマイ」と言ってアーシアの下に向かう。

 祐斗からは気のない返事しか返ってこなかった。その態度に後ろ髪を引かれつつも、こっそりとアーシアの後ろに回る。

 案の定、リアスのボールを取りこぼすアーシア。運動能力が並みより下のアーシアにリアスの相手は辛いだろう。

 

「アーシア、取りこぼしたボールは自分で取りに行くのよ! あと祈りは程々にしておきなさい」

「わ、わかりました!」

 

 スパルタな部長の言葉にアーシアが振り向く。

 渚はこっそりとボールをキャッチするとアーシアに優しくパスする。

 

「ナ、ナギさん」

「ほら、部長に返さないと」

「はい!」

 

 思いっきり投げるが全然届かないボール。

 そこに一誠が駆け寄るとキャッチして小猫のミットに投げた。

 渚と一誠が互いにサムズアップする。アーシアがペコペコと二人に頭を下げた。

 そんな三人にリアスが両手を組んで、うんうんと頷く。

 

「いいフォローよ、じゃあ次よっ!!」

 

 こうして野球の練習は続いて行くのだった。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 数日後のお昼休み。

 ご飯を食べた渚はアーシアと一誠を連れて旧校舎の部室に向かっていた。

 球技大会の最終ミーティングを行う為だ。ライザーとのゲームを終えて勝負事に勝つ意欲が凄まじいリアスが念には念を入れて話し合いを設けたのだ。

 教室を出るとき、綺麗どころが揃っている部活へ向かう渚と一誠に対して悪友の松田と元浜が悔しそうにしていたが、こればかりはどうにもならない。悪魔になれば入れるんじゃないとも言えないだろう。

 渚が先頭立って部室のドアを開くと客人が居た。

 

「生徒会長?」

 

 ソファーに腰を掛けているのは支取(しとり) 蒼那(そうな)、駒王学園の現生徒会長で眼鏡の似合う女性だ。

 一誠とアーシアが顔を見合わせた。なぜこんな場所に生徒会長がいるか分からないのだろう。

 渚は会釈(えしゃく)して部屋の(すみ)に移動した。

 彼女からは悪魔特有の魔の気配がする。全体集会などで舞台の上に立つ事が多い彼女の気配は割りと馴染み深いのだ。

 リアスと悪魔同士の相談でもしていたのだろうと思い、気にせずいると……。

 

「蒼井くん、貴方は私がいることにあまり驚かないのね」

「えっと悪魔同士の大事な話し合いじゃないんですか?」

「私が悪魔だと貴方に言った覚えはないのですが?」

「流石に気配で分かりますよ、シトリーって有名ですから」

 

 彼女の本名はソーナ・シトリー。シトリー家と呼ばれるグレモリーに勝るとも劣らない名家の出だ。

 アリステア・レポートの知識から悪魔名家の72柱は把握しているので、その辺の知識は渚も持っている。

 そんな渚がソーナのそばに(ひか)えていた男子学生を凝視する。彼は少し前に生徒会書記として入った生徒だが名前までは分からない。

 

「な、なんだよ」

 

 男子学生が(いぶか)しげに渚を見返す。

 少し不躾すぎたと渚は反省する。ただ彼には一誠に似た物を感じたのだ。力の性質と言うべきか、纏っている気配が似通っていた。巨大で圧倒的な力の塊、恐らく──龍種かそれに近い神器を宿している。

 

「いや悪い、生徒会に新しく入った人だよな?」

 

 最近になって神器の気配を捉える事が出来るようになったがハッキリと分かる訳ではないため指摘はしない。

 

(さじ) 元士朗(げんしろう)、生徒会長の"兵士(ポーン)"だ、覚えてとけよ」

「よろしく、匙。蒼井 渚だ。眷属じゃないけどオカルト研究部に属している」

「確かに魔力は感じねぇな、ただの人間か?」

「まぁそうかな」

 

 今度は元士朗がまじまじと渚を見てくると一誠が興味深げにやって来る。

 

「へぇ、お前も"兵士(ポーン)"なのかよ。俺は兵藤 一誠、お前と同じ"兵士(ポーン)"をやってんだ」

「……気安く話しかけんな変態め」

「──なっ!」

 

 かなりパンチの聞いた返しに一誠が絶句する。

 

「変態三人組の一人と一緒にされるなんて御免なんだよ」

 

 ピキピキっと一誠が青筋を立てていた。

 これは少しフォローがしづらい。一誠が悪友の松田と元浜と一緒になって女子に対して覗き行為を敢行(かんこう)していたのは事実なのだ。

 最近は色々あって落ち着いたが、悪名は早々と廃れるモノでもない。

 

「て、てめ、こっちが歩み寄ろうとしてんのに……!」

「やんのか? こう見えてこっちは駒四つ消費だぜ? なんならそっちの蒼井もまとめてぶっ跳ばすぜ?」

「……なぜ、俺も標的に?」

 

 渚が自分を指して「うーん」と悩む、明らかにとばっちりな気がする。

 しかし駒四つとは中々に優秀な"兵士(ポーン)"だ。強力な神器を宿すと言う渚の直感も真実味を帯びる。

 元士朗の挑戦的な物言いに一誠がキレて応えようとしていたので、渚が「まぁまぁ」と(なだ)める。

 

「サジ。お止めなさい」

「か、会長?」

「この会合は私とリアスの新人を紹介するためのモノ。今日も目的は貴方と兵藤くんとアルジェントさんを会わせることです。あまり私に恥をかかせないように……」

「ですが」

 

 鋭い眼光で睨むソーナに元士朗は息を呑んで黙り込んだ。

 

「"ですが"ではありません。今、貴方が挑もうとしたお二人はこの学園でもトップクラスの力を持っているのです」

「……は? この二人が?」

 

 元士朗の質問に肩を落としてため息と吐くソーナ。

 

「まず兵藤くんは駒八つ消費で、噂では神器の禁手化(バランスブレイカー)に至っていると聞きます」

「ちょ、え? 禁手化!?」

「そして蒼井くんに至っては、その兵藤くんを含めたリアスたち全員を同時に相手出来る戦闘力を持っています。……リアス、この二つは事実?」

「補足すれば、一誠は時間制限があるけど既に至っているわ。渚に関しては正にその通りよ」

 

 その言葉に元士朗は絶句する。

 格下と思っていた二人が上だったのだ。元士朗が目元を引き釣らせて渚と一誠を交互に見やる。

 大ダメージを受けた元士朗に代わり生徒会長が言葉を紡ぐ。

 

「蒼井くんに兵藤くん、サジもまだまだ悪魔に成り立ててで実績がないの。色々と失礼な事を言ってしまったけれど仲良くしてあげてください」

 

 薄い微笑を浮かべる生徒会長。アリステアに似た氷のような笑い方だと思うが、わざとなアッチと違ってコッチは素なのだろう。

 

「俺でよければ」

「まぁ生徒会長が言うなら」

 

 二人の答えに満足げに頷くソーナ。

 

「サジ」

「うっ……よろしく」

 

 渋々と言った感じの挨拶に反応したのはアーシアだった。

 

「はい、私こそよろしくお願いします」

「あ、アーシアさんなら大歓迎だよ!」

 

 アーシアの手を取って渚と一誠の時とは違うテンションの元士朗。

 金髪美少女に下心が丸出しの姿がそこにはあった。

 一誠があまりに態度の違う元士朗に文句を言おうとするが……。

 

「──匙 元士朗」

 

 背後に鬼神を背負った渚が笑顔で立っていた。

 ゴゴゴゴゴゴっと炎が見えるほどの戦意と殺意に元士朗は真っ青になる。

 渚にとってアーシアは家族同然だ。シスコンだの彼氏面などどう言ってくれても構わない、ただ彼女には幸せになって欲しいのだ。だからやり過ぎと言われても彼女の人生に大きく関わる物事に妥協はしない、男関係なら尚更だ。

 つまり匙 元士朗では鬼神の合格点には到達していない……というか祐斗クラスですら決闘を申し込むレベルの厳しさなのでクリアは相当難しかったりする。

 

「アーシアには節度を持って接してくれ、な?」

「あ、はい、よろしくお願いします」

「なんだろう、言ってる言葉と表情は友好的なのに背後に鬼が見える気がする……」

 

 一誠が口許をヒクヒクさせながら、そんな事を言う。

 元士朗も渚の殺気に当てられてビクビク震えていた。

 怒りを笑顔で見繕った鬼神()にソーナは額を抑えた。元士朗の行動次第では学園が滅ぶのだから頭痛もするだろう。

 

「蒼井くん、お願いだからウチの"兵士(ポーン)"を殺さないでちょうだい」

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

「……たく、なんで私が夕食の買い出しに行かないといけないのよ」

「そー言わずに、もはや当番みたいなものッス。今晩はハンバーグらしいっスよ、レイナーレさま」

 

 商店街を歩くにはレイナーレとミッテルトだ。

 リアスの付き人として兵藤家のメイドとなっている二人は毎日のように夕飯の買い出しに駆り出されていた。

 今、兵藤家にはリアスとレイナーレとミッテルト、この三人がホームステイと形で居座っている。

 元々リアスは一誠を気に入っていたがライザーとの戦いを経て明確な好意に変わったようで押し掛ける形でやって来た。

 そのせいかレイナーレをライバル視している傾向にあるのだ。

 

「なんだか色々面倒くさいわ」

「あー、イッセーがリアスの(あね)さんに取られるのがいやッスか」

 

 察したミッテルトの頬をレイナーレは引っ張って戒める。

 

「いひゃい、いひゃいっスよ」

「ふん、生意気な事を言ってるからよ」

「あ、レイナーレのお嬢ちゃん、今日は大根が安いよ」

 

 顔馴染みの八百屋が大根を差し出してくる。

 レイナーレは手を払って合図をした。

 

「大根なんていらないわ、今日はハンバーグよ」

「なんだ、大根おろしをかけるとうめぇんだぜ?」

「へぇそうなの?」

「おうよ、和風ハンバーグっつてな」

 

 そんな感じで商店街を歩き回る。

 肉屋にはいい肉があると進められ、魚屋には次は魚類の飯にしろなど所々から声が飛んでくる。

 別段、レイナーレを特別視している訳ではなく顔馴染みには色々とサービスなどをしてくれる暖かい場所なのだ。

 最初は煩わしかったが今では慣れた。

 やがてサービスの野菜や肉で一杯になったエコバッグをミッテルトと二人で持って商店街を出る。

 

「いやぁー今日も大量ッスね」

「重くなっただけよ」

 

 そうは言うがレイナーレとミッテルトは堕天使だ。

 並みの人間よりは力があるため言うほど重くはなかったりする。

 二人が影を伸ばしながら歩いていると知った公園を通りかかった。

 時間は薄暗い黄昏時、子供は帰り、夜が始まる時間だ。

 かつてレイナーレが一誠を刺し殺した運命の場所で立ち止まる。

 胸の奥がざわつく。今の状況は腹立たしく思う場面も多いが後悔はない。自分が全力で戦い負けてこの有り様なのだ。

 人生にやり直しなどあるはずもなく、ただ堕天使としての誇りが風化しつつあるのが残念なだけである。

 

「……レイナーレ様」

 

 夜の風に乗って男の声がした。

 ミッテルトが構えるがレイナーレが片手で制す。

 知った声だ。またこの町に来るとは思いもしなかったが……。

 

「久しぶりね、ドーナシーク」

「はい」

 

 目深に帽子を被った男はかつて部下だった堕天使だ。

 

「あなたを迎えに来ました」

「……私を?」

「はい、もはや外部の協力者は宛にならない。"あの方"が直々に動く時が来たのです」

 

 ドーナシークの言葉にレイナーレは目を見開く。

 自分達がこの町に来る事を命令した"あの方"がとうとう腰をあげた。

 目的は分かっている。

 再び世界に戦禍の火を起こすためだろう。

 

「そう、そうね。こんなに失敗が続くんだもの、動くわよね」

 

 それは締感とも恐れともつかない複雑な表情だった。

 

「帰還しましょう、今ならあの方もお許しになられる」

「ま、待てッス! ドーナシーク、今さらレイナーレ様に戻れていくのかよ!」

「何を言っているのだ? 元々レイナーレ様はここ側だ」

「それは……、でも堕天使はレイナーレ様を捨て手駒にしたじゃないッスか! 神器を着けるだけ着けて魂まで圧迫して! それを救ったのは……!!」

「黙りなさい、ミッテルト」

 

 熱くなったミッテルトを冷たく黙らせる。

 

「私は今、悪魔に逆らえない首輪を掛けられているのよ、裏切った瞬間に首が飛ぶわ」

「難儀な事です。では今日は退くとしましょう」

「そうね、この会話を見られたら危ういわ」

 

 ドーナシークが背を向けて歩くが最終確認と言いたげに脚を止めた。

 

「──本当にその首輪がこちら側に来ない理由なんですね」

「……だと言ったわ」

 

 重い沈黙が数秒過ぎてドーナシークは暗い夜に溶けるように消えて行った。

 

「レイナーレ様、戻るんスか?」

「なんて顔をしてんのよ、戻れるなら戻るのが普通よ」

「だってアイツら、スッゲェいいヤツらっスよ」

 

 泣きそうなミッテルトを置いて歩き出す。

 今の生活に馴染みすぎたのだ。この状況がおかしいという疑問が無くなるほどに。

 どうして堕天使が悪魔といて幸せと感じているのか、普通は殺し殺されるのが正しい形なのだ。

 そう自身を言い聞かせながらレイナーレは胸に嫌なモヤモヤを胸に宿しつつも兵藤家を目指すのだった。

 

 



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競技大会《Dog Ball or But Ball》


可愛い女の子に惚れられると苦労すると言うお話。



 

「ふぁ~~……眠い」

 

 昨晩、徹夜をしてしまった渚は球技大会の始まりを告げる花火をぼんやりと眺めていた。

 更に頭上を見れば空を薄い雲が隠している。

 天気予報によれば今日から天気は下り坂で連日は雨が続くと言っていた。

 なんにしても雨は夕方からとの事なので、なんとか天気には持ってほしいと思う。

 球技大会は予定通り9時から開始され、様々な競技が次々と行われる。午前はクラス対抗での野球となった。

 渚は勿論、同じクラスの一誠やアーシアも特訓の成果を出し切って良い順位を獲得する。

 午後は部活対抗の試合になるので、適当に昼食を取った渚はオカルト研究部の面々と合流した。

 眠たげな渚と違い、やる気満々の様子で軽く筋トレを始める一誠。その近くではアーシアも朱乃にストレッチを手伝っても貰っている。小猫は球技のルールブックを読んで最終チェックをしていた。リアスは種目を確認しに行っている最中だ。

 渚は最近様子のおかしい祐斗を盗み見る。

 やはり、心ここに在らずと言った具合で考え込んでいた。

 

「悩みごとでもあるのか?」

「どうしてだい?」

 

 渚が祐斗に聞くが質問で返される。

 どうしても何もない。ずっとこんな調子で考え込まれたら気にもなると言うものだ。

 

「最近、ぼんやりし過ぎだと思ってな」

「……大丈夫。ここ連日、夢見が悪いだけだよ」

 

 嘘には聞こえない。

 しかし、そうなると相当な悪夢なのだろう。

 渚がもう少し踏み込んで質問しようとするがリアスが帰ってくる。

 

「種目はドッヂボールに決定したわ」

 

 ニヤリと不適に笑みながらピースサインを出す。

 渚は乾いた笑いをこぼす。

 リアスの目は優勝を狙っている、つまり彼女は勝ちを狙いに行くのだろう。

 悪魔の魔球を受ける羽目になる学生が哀れでしょうがない。

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 

「……マジか」

 

 部活対抗試合が行われる午後。

 午前から渚を襲っていた睡魔が吹き飛ぶ現象が起きた。

 渚の視線の先にはブルマ姿のアーシアが立っているのだ。

 寝ぼけて幻影を見ているのかと何度も瞼を擦って目の前の光景を確かめたくらいだ。

 対抗戦の直前までは学園指定のハーフパンツ姿だった筈のアーシアはいつの間にかブルマ姿に変身していた、一誠も「ぶ、ブルマ……」と驚いている。

 

「ど、どうしたんだ、アーシア?」

 

 渚の質問にアーシアは白い脚をモジモジさせながら顔を赤くする。

 

「そ、その、桐生さんが、ドッヂボールの正装はぶ、ブルマと言って……」

 

 周囲の男子はアーシアを凝視する。

 アーシアは美脚だ、いつもはスカートでも隠れている白い太ももが上まで見えているので嫌でも視線を奪われる。

 渚も男なので思わず注視してしまうくらいだ。急に我に返り、藍華へ顔を向けると「どう? 良いでしょう?」とドヤ顔をされた。

 悔しいが怒ることが出来ない。それくらいに今のアーシアは見映えするのだ。

 

「に、似合ってないでしょうか?」

 

 アーシアが恥ずかしそうな上目使いで渚へ聞いてくる。

 似合う以前に美少女がこんな格好をしているのだ、目は引かれる。

 しかし、きっと羞恥で逃げ出したいのだろう。

 元々、目立つ事を好まない控えめな性格だ。周囲の注目に晒されて嫌な筈である。

 渚がアーシアの肩に軽く手を乗せる。その目は彼女の間違いを訂正するために真剣だった。

 

「アーシア、ブルマはドッヂボールの正装なんかじゃない、だから学園指定の体操着でも問題ないんだ。嫌なら着替えてきても良いんだぞ?」

「で、でも、な、ナギさんが喜ぶと言っていたので」

「え"」

 

 大変な事が起きてしまった。

 そこは決して()()()()()()()()()()()

 金髪美少女が自分の為だけに恥を耐えてブルマ姿になる。

 これほどの奉仕行為が嬉しくない訳がない。

 こんな至福があって良いのだろうかとすら渚は思う。

 

「私ではダメでしょうか……?」

 

 悲しそうに目を伏せる。

 彼女の勇気を踏みにじってはダメだと魂が叫ぶ。

 渚はもう片方の手もアーシアの肩に乗せた。少し強く置いた手にアーシアが顔を上げる。

 

「凄く可愛い、そして俺はとても嬉しいぞ。──ありがとう」

 

 心の奥で歓喜のラッパが鳴り響く。

 なんだかんだで最高に渚は萌えているのだ。

 ふと、周囲からどす黒い気配がした。

 渚とアーシアの会話を聞いていた男子がスゴい目付きで睨んでいた。

 全員の目がこう言っている「「「アイツコロス」」」……と。

 すぐに視線をアーシアに戻す。

 

「ヤバい、アイツ等ヤバい」

 

 男子どものどす黒いオーラに冷や汗を流す渚、一誠にすら距離を取られた。

 この瞬間から渚は全校男子の敵となったのだ。

 

「気を引き締めなさい、貴方たち。私たちは勝ちに行くわよ」

 

 リアスがパンっと両手を叩いて眷属たちの気合いを入れる。

 

「オッス! 今日は部長のために頑張ります!!」

 

 一誠の元気な返事にリアスが笑みを浮かべた。

 

「良い返事ね。頑張ったらご褒美をあげるわ!」

 

 クワッと一誠の目が開く。

 

「うおおおおおお! おっぱいぃいいい!!」

 

 急に叫ぶ一誠。

 やはりそこに行き着くのかと渚は呆れた。

 一連の会話を聞いていた男子どもが更に騒ぎ出す。

 リアスは学園でも超の付く人気者だ。そんな誰もが憧れるお姉さまからご褒美を貰える一誠。

 渚は次にどうなるか予想した。

 

「「「アイツモコロス」」」

 

 渚同様、一誠もまた学園の絶対悪となった。

 男子の黒い視線のなかで渚は喜びの真っ只中にいる一誠の脇を肘で小突く。

 

「皆に渡すもんがあるんだろう」

「あぁそうだった」

 

 渚と一誠の会話に「?」を浮かべる部員たち。

 一誠が取り出したのはハチマキだった。

 ここ最近、渚と一誠は空いた時間を使ってハチマキを作っていた。

 言い出したのは一誠で渚はその手伝いをしたのだ。

 真っ赤な布に「オカルト研究部」と刺繍してある。

 赤いハチマキの一つをリアスが嬉しそうに取った。

 

「用意がいいのね、二人とも」

「誉めるなら一誠にしてやってください、俺は少し手伝っただけですんで」

「いや、ナギの手伝いも助かったぜ? 二人して指を刺しまくったもんな」

「いやいや俺が作ったのは字のバランスがおかしいだろ」

 

 渚が一誠の言葉に苦笑した。

 七つの内、三つを受け持った渚だったが完成度は一誠の方が高い、渚がやった刺繍は少し型崩れしているのだ。

 一つは渚が使うが、あと二つを使用する人に申し訳なく思っているとアーシアと小猫が迷わず取った。

 

「私はナギさんのを使います!」

「……気合いマックスです」

「さんきゅな、二人とも」

 

 朱乃もニコニコと笑ってハチマキを取ると迷う事なく額に巻いた。

 

「あらあら、私も本気になってしまいそうですわ」

 

 団結力を高めたオカルト研究部が出撃する。

 だがそんな中でハチマキを見つめながら難しい顔をする祐斗を渚は見逃さなかった。

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 

「コロセ! コロセ!!」

 

 オカルト研究部の対戦相手は野球部だった。

 豪速球のボールは怨念を宿しているのか嫌に鋭く速い。野球部と言うだけでは考えにくい速度を叩き出している。

 

「こわ! アイツら殺す気だぞ!?」

「と、とにかく避けろ!」

 

 渚と一誠が狙われる。

 ある意味こうなるのは目に見えていた。

 先程の出来事もあるが、それが無くてもオカルト研究部でボールを当てられるのはこの二人しかいないのだ。

 まずリアス、駒王学園が誇る二大お姉さまの一人、攻撃不可。

 朱乃、同じく二大お姉さまの一人、攻撃不可。

 アーシア、二年でも癒し系金髪美少女、攻撃不可。

 小猫、学園のマスコット美少女、攻撃不可。

 祐斗、攻撃したら学園の女子を敵に回す、攻撃不可。

 半数が攻撃できない以上、既にオカルト研究部の勝ちが決定しているという謎の状況である。

 しかし、その分だけ渚と一誠には容赦ない攻撃が降ってくるのだ。

 彼らの気持ちは分かる。要するに「なんで美男美女が揃っている部活に異物が二つもあるんだ? アレなら当ててもいいんじゃね? 寧ろ当てなきゃ気がすまん! ……ヨシ、コロソウ」という感じなのだろう。

 精神が肉体を凌駕したヘッドショットが渚と一誠をひたすら襲う。

 

「おらぁあああ!兵藤とよく知らねぇもう一人も死ねぇ!」

 

 せめて名前ぐらい覚えてから殺意をぶつけてほしいと思う。

 

「お願い、野球部! リアスお姉さまと朱乃お姉さまに近づく兵藤を討って! あとついでにもう一人も!!」

 

 一誠のついで、という理由は扱いが雑すぎて泣けてくる。

 

「うぉおおおブルマ姿のアーシアちゃんに肩を置いていた兵藤の近くにいる男子を滅ぼす!」

 

 いい加減に名前を言って欲しくなる渚。

 

「はぁ、はぁ、小猫ちゃん、最高!! 兵藤ともう一人はロリコン、殺せ!」

 

『どっちがだ!』と心から一誠と渚が叫ぶ。

 

「蒼井! テメェは俺を怒らした!!!! 死んでしまえ!!!!!!!!」

 

 おまけ扱いだった渚の名を誰よりも大きな声で読んでくれた男に軽く感激した。

 

「って松田かよ!」

 

 怒りの形相でボールを投げてきたのは悪友の松田だった。そういえば野球部だったのを忘れていた。

 とにかく渚と一誠にボールが集中する。

 それを見たリアスが閃いたような顔をすると手を前に出して指令を跳ばす。

 

「──この状況、サクリファイスの戦術が有効だわ! 二人ともこのまま敵の注意を引くのよ!!」

「うぉおおおおおお、部長の言葉なら俺はやれる!! ナギ、付き合え!」

「OK、どのみちデコイだからやるさ」

 

 火がついた一誠に渚も呼応して気合いをいれる。

 ボールをひたすらに避け続けていると渚の前に小猫が立ち塞がる。

 

「……渚先輩ばかり狙わないでください」

「俺の前に小猫ちゃんが! クソ、俺には……出来ない!!」

 

 悔しそうに野球部がボール投げた。明らかに手加減をした緩い速度だ。

 小猫が不服そうにキャッチして戦車の腕力で投げ返すと野球部は止めきれずにヒットする。

 次々と小猫に沈められる野球部。

 やがて追い詰められた一人の部員が自棄(やけ)になったのか、離れた場所で孤立していた祐斗に狙いを絞る。

 

「恨まれてもいい、イケメン王子は死すべし!」

 

 剛速球のボールが祐斗にめがけて跳ぼうとしていた。

 スピードの速い祐斗なら避けられるだろうと渚は高を括っていたが、当の本人がボールを見ていないと気づく。

 

「おい!」

 

 渚はダンっとグランドを蹴った。

 

「渚くん?」

 

 祐斗を庇うように立って構えたがすぐ正面にはボールが迫っていた。

「あ」と思った瞬間には豪速球のボールを顔面に食らう。

 

「ぐげぼ!」

 

 変な悲鳴が喉から出た。

 

「ナギさん!!」

 

 アーシアが駆け寄ってくる音がする。

 左手で顔面を押さえたままの渚がアーシアの気配のする方向へ右手を出して制止するよう(うなが)す。

 

「だ、大丈夫だ、アーシア。少し鼻を打っただけ……」

「きゃ」

 

 近くでアーシアが短い悲鳴をあげる。

 そして右手に柔らかいものが当たると渚はそのまま押し倒された。

 身体全体に柔い物体が覆い被さる。鼻孔にいい匂いが広がった。

 何事だろうと思いながら右手にある柔らかい物を握る。

 

「……ぁん」

 

 艶っぽい声が耳元でする。

 渚はさらに右手を動かす。妙にさわり心地の良い物体だったからだ。

 

「あ……ナギ……さん」

 

 ビクリと渚に覆い被さったものが小さく跳ねた。

 この声と右手の感触、そして匂い。

 渚の血の気が引く。

 視界を塞いでいた左手を退かすと目の前に碧色の宝石が映った。

 アーシアの瞳だ。息の掛かる距離にアーシアの顔があるのだ。というか唇のすぐ横にキスをされていた。

 状況は理解した。渚を心配して駆け寄ったアーシアが(つまず)いて渚を押し倒してしまったのだろう。

 

「ご、ごめんなさい! わ、わたし、そんなつもりは!!」

 

 アーシアが慌てて渚の上から退く。

 柔かな暖かさと心地よい匂いが遠ざかる。

 渚は右手と頬に忘れられない感覚を残して立ち上がる。

 

「あの、私、その!」

 

 トマトにみたいに真っ赤なアーシア。

 

「落ち着け、アーシア。今のは事故だ、ノーカンだ」

 

 自分に言い聞かせるように渚は言う。

 ふと回りが静かになっていた。

 渚は何事かと近くにいた松田を見る。

 

「お、お前、アーシアちゃんを押し倒して無理矢理キスしやがった」

「……へ?」

 

 コイツの目は腐ってるのだろうかと思う。事故ではあるが押し倒されたのは渚である。

 だいたいキスはしていない、ギリギリほっぺだ。

 渚が弁解しようとするが鼻から何かが流れて来た。

 

「こ、こいつ、アーシアちゃんに欲情して鼻血を出しやがったぞ!!」

「なんでやねん!!」

 

 思わずツッコむ。ボールが鼻に当たったから出た血である。

 リアスたちに助けを求めようと渚が振り向く。

 

「良かったわ、渚も男の子だったのね」

「はい、部長。女の子に対して興味があるというのは大切なことですわ」

 

 真剣に二人が安堵していた。

 一体、どんな目で自分を見ていたのかが気になる。

 

「……おっぱい、触ってました」

 

 ボソッと小猫が冷たい目で言った。

 事故だと言っても触ってしまったので有罪なのだろう。

 

「頭が痛いな」

 

 渚は頭を抱えて現実から逃避したくなるが、色々と手遅れな気がしたのでやめる。代わりに転がっていたボール拾って内野にいた松田に手加減なしで投げつけてやる。

 派手にブッ跳ぶ松田。

 遠くから藍華が大爆笑している声が聞こえた。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 雨が降りしきる。

 天気予報どおり夕刻から雨が落ち始めた。

 渚はオカルト研究部の部室で窓の外を見ている。

 強い雨だ。少し待ってから帰った方がいいだろう。

 

 ──パン。

 

 雨音に混じって乾いた音が部室に響く。

 頬を叩かれたからだ。

 渚ではない。リアスが祐斗を叩いていた。

 

「祐斗、なぜ叩かれたのか理解はしている?」

 

 リアスは怒っていた。

 球技大会はオカルト研究部の優勝で幕を閉じている。

 渚もそれなりに優勝に貢献したが、一人だけ一致団結の輪から離れている人物がいたのだ。

 それが祐斗だった。

 常にぼんやりと考え込み、皆とは違う方面に気を向けていた。

 片方の頬を赤くした祐斗は無表情でリアスを見ている。だがそれも一瞬、すぐにニコニコと笑う。

 

「部長、今日はすいませんでした。少し調子が悪くてぼんやりしていました。今日は球技大会の練習もないですし、もう休ませて貰います」

「木場、お前大丈夫か? 流石にちょっとおかしいぞ」

 

 一誠が声を掛けるが冷たい笑顔の祐斗。

 

「今回は(あるじ)の言うことを聞かなかった僕が悪かったと思っているよ」

「そうじゃなくて。何か悩みごとがあんなら言えよ、俺ら仲間だろ」

「仲間?」

「そう、仲間だ」

 

 祐斗が嗤う。だがその中に感情は空っぽだった。何もおかしくないのに、ただ笑っているフリをしている。

 

「最近、同じ夢を見るんだ」

「夢?」

 

 急に話を変える祐斗。

 

「そう、その夢が僕の生きる……戦う理由を思い出させてくれた」

「戦う理由? 部長のためじゃないのか?」

 

 一誠がそうであってくれと言わんばかりに祐斗に言葉を投げ掛けるが即否定された。

 

「違う、僕は復讐の為に剣を取った。そうあの忌まわしき聖剣──エクスカリバ─に関わるものを葬るために」

 

 笑顔の奥にあったのは凄まじいまでの怒気と憎悪、そして強い決意。

 祐斗が見せたのは復讐者としての顔だった。

 重い沈黙が部室を支配する。アーシアが不安そうに渚の服を掴んだ。

 一誠も祐斗の見たこともない顔に言葉が見つからない様子だ。

 

「……祐斗」

 

 リアスが手を伸ばすが、逃げるように祐斗は部室の出口へ歩き出す。

 

「今日は帰ります」

 

 ただそれだけを言うと祐斗は部室から出ていくのだった。

 



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雨は降り続く《Rainy Knight》

 

 雨が降っている。

 祐斗は傘も刺さずに一人、大雨の中で歩く。

 胸にあるのは後悔だった。

 ここ数日、過去の悪夢に襲われ続けて精神がすり減っていた。そのせいでリアスと喧嘩をしてしまった。いくら余裕がないからといって恩人であるリアスに反抗してしまった事への罪悪感が全身を(めぐ)る。

 だが聖剣エクスカリバーに対しての復讐心が大きいのも事実だ。

 家族とも言える大事な仲間を、命を懸けて救ってくれた少女(トスカ)を忘れない為に、この感情だけは絶対に手放すことは出来ない。

 どこに行くのか(さだ)かではない足取りで歩いていると前方に人影が見えた。その人影の正体に気づいた瞬間、頭の中が真っ赤に染まる。

 

「神父ッ……!」

 

 胸に十字架を着けた、神の代行人を気取る者。

 祐斗が尤も嫌いな人種が目の前に現れたのだ。憎悪の対象であるエクソシストならば魔剣で斬り殺そうと思った。

 

「た、助け……ごほっ」

 

 急に神父が口から大量の血を吐く。見れば腹部にも大きな傷がある。バシャンと雨で濡れた地面に倒れると地を血で染めた。

 誰だ? 何にやられた?

 祐斗が神父の背後に警戒する。同時に背筋にゾクっと寒気が走った。すぐに魔剣を造り出す。

 これは殺気だ。

 明確な殺意が乗った銀の閃光が祐斗を襲う。

 ガキンっと魔剣で殺意を受け止める。

 

「おろ、どこの誰かと思いきや、なんだなんだのグレモリーの騎士くんじゃあないですかぁ?」

 

 嫌な笑みで祐斗と刃を交えたのは少年神父であるフリード・セルゼンだった。

 アーシアを狙っていた一派と組んでいた"はぐれ神父"を祐斗は冷たい表情で見つめた。

 

「また()たのか。なんの用だい? 今の僕は機嫌が悪くてね、返答次第では殺してしまうかもしれない」

 

 祐斗の怒気を含んだ言葉をフリードは嘲笑う。

 

「依頼だよ、い・ら・い。そう言えばユーってば魔剣使いだったな、マジでグッド、いい相手だねぇ」

 

 ふざけた口調に祐斗が苛立つ。ただでさえ神父を憎んでいるのだ、刃に殺意が乗ってしまう。

 

「こわ、何そんなにイキリ立ってんの? 欲求不満? チミならこのへんの女を食い放題だろうに」

 

 汚ならしい口を止めようともう片方の手にも魔剣を造ろうとした時だった、急にフリードの持つ剣が輝きを放つ。

 

「まさか、ソレは……」

 

 知っている気配に魔剣を握る手に力が入る。

 あの光、あのオーラ、あの輝き。

 忘れるはずもない、アレこそが祐斗が探し求めていたモノなのだから。

 

「いえぇーい! さてさて俺さまのスーパー聖剣とそっちのチンマイ魔剣、どっちが強ぇか試してみようかぁ!」

 

 フリードが持つ剣こそ"聖剣エクスカリバー"、そのものだった。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 かつて"聖剣計画"というものが存在した。

 目的は最強の聖剣であるエクスカリバーを扱える者を育てる事だ。

 聖剣は対悪魔武器としては最高の兵器の一つで教会は常にソレを求めている。

 ただ聖剣は使い手を選び、適正がある者が現れるのは十年に一度あるかないかだ。だから教会は人為的に聖剣の適合者を造り上げようとした。

 それが"聖剣計画"だ。

 しかし計画は失敗、造られた子供たちは誰一人して聖剣に適合できなかった。

 適合できない存在を不要と見なした計画のトップは子供たちを全て処分。

 唯一、助かったのはイザイヤと呼ばれた少年であり、それが現在の木場 祐斗という悪魔だった。

 

「これが祐斗が聖剣を憎む理由よ」

 

 部室でリアスが祐斗の過去を話す。

 渚とグレモリー眷属は黙って聞いていた。

 瀕死状態で逃げていた祐斗をリアスが見つけて眷属にした……と最後に付け()す。

 

「くそ、なんつー話だよ」

 

 一誠が眉間にシワをよせる。

 確かに胸クソが悪くなる話だ。祐斗の怒りは(もっと)もだろう。同士とも言える者たちを下らない理由で殺されたのだ、その無念は推し量れないほどに大きいはずだ。

 

「まさか主に仕える教会がそんな事を……」

 

 アーシアが目を(うる)ませてショックを受けている。身体は悪魔でも心は敬虔(けいけん)なシスターのままのアーシアだ。信じていた物に次々と裏切られるのは心を裂かれるような思いなのだろう。

 リアスもまた()いを帯びた目をする。

 

「教会は私たちを悪と呼ぶけど、悪意を以て他者を貶める存在こそ救いようのない邪悪だと私は思うわ」

 

 悪魔だから悪と言うの勝手な言い分である。

 人間の中にも善人はいるし逆に悪人だっている。ならば悪魔でも善い悪魔がいてもなんらおかしくはない。

 実際、渚の目の前には()い悪魔が五人もいる。

 

「私が祐斗を眷属にした時は酷かったわ。いつも憎悪を振り撒いて狂ったように聖剣へ怒りを向けていたの。だから悪魔としての生活は有意義に過ごして貰いたかったのよ。聖剣なんて忘れて私の"騎士(ナイト)"として新たな生を謳歌してほしかった。──けれどダメだったわ」

 

 そう、祐斗は今も過去に(とら)われている。

 聖剣から生まれた怒りは教会に関わる全てに向けられているのだ。リアスの優しさに触れて表面的には(おさ)まった憎悪は今も心の深奥で(くすぶ)り続け、今に至る。

 

「部長、人の心は難しいものですわ」

 

 朱乃がリアスの(かたわ)らで(なぐさ)めるよう言葉を呟く。

 渚は雨が降り続く外を見る。

 ふと窓に反射した小猫と目があった。

 彼女の金色の瞳がジッと渚を(とら)えて離さない。少し気になって振り返った。

 

「どうした?」

 

 小猫は少し迷った素振りを見せるが視線を下げて()らされた。渚は首を傾げつつも、ゆっくりと小猫に近づいて腰を下ろす。ちょっと上になった小猫の顔を(のぞ)き込むような仕草で見上げる。

 

「俺に言いたいこと、ある?」

 

 渚の言葉に小猫は観念したのか静かに頷く。

 

「……祐斗先輩を助けてください」

 

 それは懇願(こんがん)だった。

 感情の起伏(きふく)が少ない小猫が寂しそうに言う。

 

「……私たちが何を言ってもダメなんだと思います。私たちはきっと祐斗先輩の苦しみを理解できない。復讐をしたいという気持ちが、誰かを本気で憎んだことがないから。だから誰にも話せずにずっと苦しんでいるんだと思います。でも渚先輩なら大丈夫だと思うんです」

「グレモリー先輩でもダメなのに?」

「上手く説明できないですけど渚先輩なら祐斗先輩を助けられると……思います」

 

 そこまで言って辛そうに再び目を伏せる。

 小猫は何故か渚に期待しているのだ。渚なら祐斗の気持ちが分かる……と。

 期待は嬉しいが解るわけがない。

 渚は復讐などしたことはないし、誰かを殺したいほど憎んだことは記憶にない。

 しかし可愛い後輩の頼みである。

 断る理由などありはしない。

 

「分かった。──なんとかする」

「……渚、先輩?」

「任せとけ」

 

 そう言って立ち上がると小猫の頭にポンポンっと手を乗せる。

 また面倒事に首を突っ込んだと思いつつも嫌な気はしない。

 祐斗に叩きつけてやるのだ。

 かつての仲間もお前を大切に想っていたかもしれない、だが今の仲間も負けないくらいの想いを向けているのだと……。

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 

「また面倒な事に手を出しましたか」

 

 夜、雨はまだ降り続いている。

 渚はマンションのリビングでテレビを見ながらアリステアに祐斗の件を話していた。

 (いく)ら考えても自分では祐斗を憎悪から解放する方法が思い付かないので、どうしたらいいのかを相談したが返って来たのが今の第一声である。

 

「自覚はあるけど仕方ないだろ。今のままじゃ祐斗が"はぐれ悪魔"になるかもしれないんだ」

「そうなれば討伐すればいいだけの話です」

 

 キッチンで料理を作りながら、とんでもないことを言うアリステア。

 

「思ってもないことを言うもんじゃない」

「私は冷血女らしいですよ」

「アホらし」

 

 アリステアは決して冷血などではない。

 確かに敵対者には容赦ないが、身内には厳しくも優しいのだ。

 そんなアリステアがリビングのテーブルに料理を運ぶ。

 とてもの香ばしい匂いが空腹を誘う。気になって料理を眺めると白い皿の真ん中に、程よい大きさの立方体の形をした卵焼きがあり、綺麗にカットされたトマトとキュウリが添えられている。どっかの高級料理を連想させる盛り付け具合からアリステアの技量の高さが垣間見(かいまみ)える。

 

「なんだこれ? 四角いオムレツ……いやオムライスか?」

「今日はナシゴレンを卵で包んでみました」

 

 エプロンを椅子にかけて、後ろで一つに纏めていた銀髪をスルリとほどくアリステア。

 

「なしご……なんだって?」

「ナシゴレンです。インドネシア版のチャーハンとでも思ってください」

「ふーん」

 

 渚がスプーンでサイコロのような卵を一刀両断する。

 出て来たのはよく見るチャーハンだった。細かく切られた肉と海老、玉ねぎもある。

 

「……ただのチャーハンだな」

「そう思うなら食べてみると良いですよ」

「じゃあ遠慮なく」

 

 卵と一緒にナシゴレンを口に運ぶ。

 モグモグと口を動かしているとチャーハンと違う部分にぶち当たった。

 

「か、辛い!?」

 

 とても辛かった。

 渚は用意されていた水を飲む。予想以上の激辛に汗が吹き出るほどで舌が熱い。

 

「当然です、唐辛子が入ってますからね」

 

 作った本人はパクパクとナシゴレンを食べていく。辛くないんじゃないかと疑うくらいの速度だ。

 

「それも辛いのか?」

「当たり前でしょう、同じフライパンで作った料理です。……なんですか、その目は?」

「……いや別に」

「いいでしょう、ならば証明しましょうか」

 

 疑いの目を持つ渚に対してアリステアは自分のナシゴレンをスプーンで(すく)って差し出す。

 

「なんだ、これ?」

「ステンレス製のスプーンですが?」

「違う、そうじゃない。お前、今自分が何をしようとしてるか理解できてるのか?」

「身の潔白の証明です」

 

 目がマジだ。

 本当にソレだけで他意はなさそうだった。

 だが非常に困る、これは間接キスになるとアリステアに気づいてほしい。

 

「俺がそのスプーンを使ったらダメだろ。信じるから戻せ」

 

 渚の言葉にアリステアがニヤリと嗤う。

 

「もしかして間接キスに照れているのですか?」

「……別に」

 

 視線を逸らした渚にニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべるアリステア。

 

「では問題ないでしょう? はい、あーんです♪」

「──くっ!」

 

 なぜ嫌がらない? 普通ならやらないだろう行動をアリステアは上機嫌でしてくる。

 渚はどうするか考える。

 ここで退くか、それとも攻めるか。

 アリステアが挑発的にスプーンを動かす。

 

「女性経験の少ないナギには少々難易度が高すぎましたね」

「上等だ、後悔すんなよ!?」

 

 バクッとナシゴレンを奪い取る。

 そしてよく噛んで飲み込んだ。体内が熱いのは辛いからだけではないだろう。

 そんな渚を見てアリステアは微笑む。

 

「はい、良くできました。どうですか?」

「やっぱ辛いな」

「いえ、そこではなくて私との粘膜接触です」

「そっちかよ! それと粘膜とか言うな、生々しいわ!!」

 

 渚の叫びに肩を竦めるとアリステアは何事もなかったかの態度で再び食事を始めた。

 あまりにも普通なので恥ずかしさが一周回って疲れに変わる。

 

「はぁ~」

 

 おちょくられたのだろう。やはりアリステアの方が上手らしい。

 渚も食事を再開する。

 何度か食べている内に辛さが旨味に変化していく。

 最終的には美味すら感じた位だ。

 食事を終えて渚が二人分の食器を洗っているとアリステアがソファーに移動して眼鏡を掛けて小さな本を開く。

 

「木場 祐斗の件ですが、聞いたところによると復讐心はどうにもなりません。完全に消すには心を折るか記憶を砕くしかない、どちらにしても精神に大きな負荷を掛ける。良ければ別の人格になるだけで済みますが悪ければ廃人か死です」

 

 読書をしながら、そんな事を言う。

 渚も洗い物を片しながら意気消沈する。

 結果が最悪すぎて笑えない。

 

「やっぱ自分自身で乗り越えて貰わないと無理か」

「当然の帰結ですね。心は本人の意思により存在する、外部から変えようなどと度し難い」

「ああ」

 

 祐斗の復讐心は心の根底にある問題だ。

 幾ら他人が言葉を重ねても変える事など不可能である。

 

「ならば答えは見つかっているのでしょう」

「一応。最善とはいえないけどな」

「最善よりも最悪を見ることが大事です」

 

 本から目を離さないアリステア。そんな彼女の為に飲み物を用意しようと渚は湯を沸かす。

 

「なぁステア」

「何か?」

「復讐は悪いことなのかな」

 

 ふと思った事を口にする。

 

「道徳的には悪です。復讐の限度にも依りますが、結果的には他者を傷付ける行為なのですから」

「道徳かぁ……」

「どうしてそんな事を?」

「なんとなく聞いてみただけだ」

「そうですか」

 

 相談に応じてくれた相棒にココアを入れるとソファーの前にあるテーブルに運んだ。

 

「少し甘めだ、いいよな?」

「ええ、頂きます」

 

 一人分のスペースを開けて渚も座る。

 

「腕の具合は?」

「聞き過ぎです。何十回、問うつもりですか」

 

 アリステアの右腕には指先から肘まで包帯が巻かれている。アーシアの神器ですら治せなかった決して癒えない傷。濃すぎる呪詛と複雑な術式によって刻まれたアリステアの腕は本来なら腐り落ちて肉体を壊死させる凶悪なモノ。

 こうして何事もなく読書が出来ているのは呪いをアリステアが霊力で抑え込んでいるからである。

 つまり(なん)らかで霊力が呪いを下回ればアリステアは死ぬのだ。

 

「心配するに決まってる、それだけの傷なんだ。霊力を消費する戦闘は避けてくれよ」

「敵が来るのなら倒しますよ、私は」

「ならその敵は俺が倒すさ」

「おや、私を守ってくれるのですか?」

「ああ」

 

 渚の即答に本を読んでいたアリステアが顔を向けた。

 目をパチクリさせたあと呆れたように笑み、渚の頬を優しく引っ張る。

 

にゃにしあがる(何しやがる)

「ふふ。嬉しくてつい」

 

 アリステアの手をゆっくり払う。

 

「なら素直に嬉しがっとけ」

「性格ですから。……しかしこの傷は嫌いではないのですよ? 痛みは生を実感させるスパイスです。()()()()()()私にとって、こうした刺激は有り難いのですよ」

「……たく可愛いげのない」

 

 渚がテレビのリモコンを取ってチャンネルを変えようとした時だった。

 ポスッと膝に重みを感じた。

 アリステアが渚の膝に頭を乗せたからだ。白雪のような長髪が花のように広がる。

 

「お、おい」

「可愛いげのある態度も存外、悪くないものです」

 

 いきなりの出来事に驚く渚に対して何処か楽しそうなアリステア。

 

「これって普通、女が男にやるんだが……」

「では一回、借りです。女性の膝に眠りたくなったら私に言ってください、今日の分で返済します」

 

 いつもはクールビューティーを素で行くアリステアなのだが、(まれ)にこうして甘えてくる時がある。

 こういう態度を取られると普段とのギャップもあり、素直に可愛らしいと思ってしまう。

 

「……好きにしてくれ」

「そうしましょう」

 

 だから要求に答えてしまうのだ。渚が絹のように柔らかいアリステアの髪を撫でるが抵抗はない。

 二人で静かな時間を過ごしているなか、ピンポーンと来客を知らせる音が鳴る。

 アリステアが「やれやれ」といった感じで、ゆっくりと体を起こす。どうやら"可愛いげのある態度"は終了のようだ。

 渚は玄関に移動してドアを開ける。

 ドアの前には知った顔がびしょ濡れで立っていた。

 

「ナギサァ」

「ミッテルト?」

 

 雨だというのに傘も刺さずにきただろうミッテルトがポタポタと水滴を落としながら情けない声で呼ぶ。

 

「ウチ、ナギサに話が──」

「聞かん」

 

 半泣き顔だったミッテルトの首根っこを掴むと部屋の洗面所へ閉じ込めた。

 ドンドンとドアが叩かれる。

 だが開けてはやらない。

 

「ま、待って。話があるんス!」

「まずは体を暖めろ。服は洗濯機に突っ込んどけ」

「でも!」

「風呂に入ったら聞いてやるから」

 

 出来るだけ柔らかく諭すように説得するとミッテルトは短く「……うん」とだけ答えた。

 少し間があってシャワーの音が響く。

 それを聞いて渚はリビングに戻った。

 アリステアが入れ替わりに洗面台へ行こうとする。その手にはいつの間にか用意していた着替えがある。渚の部屋に置いてある服なのでサイズは大きいが無いよりはマシだろう。

 

「うるさいのが来ましたね」

「とりあえず頼む」

「仕方がないですね」

 

 着替えを片手に洗面台へ行くアリステアを見送る。そして渚はリビングでミッテルトを待った。

 しばらくして二人がやってくる。渚のジャージを着てたミッテルトをテーブルに座らせてから、用意したココアを差し出す。

 

「飲みながら、な?」

「……さんきゅッス。アリステアも居たんスね。この部屋の隣が家じゃなかったッスか?」

「何か不都合がおありで?」

「ううん、丁度良かった。あとで行こうと思ってたから」

 

 マンションの左隣がアリステアの部屋だが、例の如く渚の部屋に居着ている。どうやらミッテルトは渚の(あと)にアリステアを訪ねる予定だったようだ。

 

「それで? こんな雨に日にわざわざ俺に何の用なんだ?」

「レイナーレ様を助けてほしいッス!」

 

 必死な顔で詰め寄るミッテルト。

 いきなりの救援要請だ。渚は先を促して聞き手に回る。

 

「今日の夕方、ドーナシークが会いに来たッス」

 

 ドーナシーク、懐かしい名である。

 一誠が悪魔に成り立てだった頃に襲ってきた堕天使。

 しかし何故、わざわざレイナーレに危険を犯して接触してきたのだろうか。

 あの堕天使は強くない。アーシアを除く今のグレモリー眷属なら単体で退けられる相手だ。

 

「それでソイツはなんて?」

「レイナーレ様に戻ってこいって言ったッス」

「助けに来たってトコか」

「多分。──でもウチは行かせたくないッス、アイツらはレイナーレ様を利用した、ナギサやイッセーがいなかったらって思うと……!」

 

 ミッテルトの全身が怒りと恐怖で震える。

 

「確かにナギが居なければレイナーレはグレモリーに処分されていたでしょう」

「だ、だから、今回も助けてあげてッス!」

「残念ですが、それは無理です」

「な、なんで?」

「まずレイナーレの意思がここにはない。戻る戻らないは彼女の決めることです」

「せ、説得してほしいッス!」

「それは私たちより貴方が適任です」

「ウチじゃ無理だからお願いに来てるんだよ!!」

「では諦めなさい。自分で努力もせずに他人を頼るなど言語道断です」

 

 アリステアが容赦なくミッテルトに言葉を浴びせる。

 だがこの件に関しては渚も無理だと思う。

 リアスは渚の恩人であり、レイナーレ個人のために裏切れない。彼女が裏切ってリアスに牙を向けば刃で応戦するだろう。

 

「アリステアはもういいッス! ナギサ、お願い。レイナーレ様を助けて!!」

「レイナーレがイッセーの下を去るって選択をしたら止められない。ミッテルト、お前が頼るべきなのは俺たちじゃなくてイッセーだ。アイツこそがレイナーレを繋ぎ止められる」

 

 渚の言葉にブンブンと強く首を振って否定するミッテルト。

 

「ダメッス、イッセーはグレモリーの眷属、眷属は王に逆らえない。きっとレイナーレ様と戦うッス」

「いや、イッセーはレイナーレの事が好きだし、大丈夫だろ」

「今のイッセーはリアス・グレモリーに夢中ッス。あの二人いつの間にか距離が縮まってて、レイナーレ様も黙って見てるだけだし……」

「バカだな」

 

 渚は思わず笑った。

 確かにリアスは一誠をとても気に入っている。

 渚や祐斗には向けない感情を抱いてもおかしくはないだろう……だとしてもだ、一誠がレイナーレよりもリアスが好きという事には疑問が残る。

 渚は知っているのだ、一誠がどれほどレイナーレに未練たらたらなのかを……。

 渚は、レイナーレが下僕になってからというもの多くの相談を一誠から受けている。

 (いわ)く、どうしたら仲良くなれるか?

 曰く、下僕ではなく対等に接する方法ないか?

 曰く、自分はレイナーレに好かれるだろうか?

 一誠はレイナーレと関係を懸命に修復しようとしている。それはまだ彼女の事を異性として意識しているからに他ならない。

 それでもミッテルトの不安も分かる。

 

「まぁイッセーも気が多いのは事実だ。実際、部長の事も好きなんだろ。自分でハーレム王を真剣に目指すって公言してるしな」

「そんなんじゃレイナーレ様が離れていくッス!」

「そうかな? レイナーレだってアイツに惹かれていると思うぞ? 実際、よく二人で歩いている所を見る」

 

 休みの時などは一誠はレイナーレと共にしている。

 その現場を渚は何度も見掛けた事があるのだ。一誠は勿論、レイナーレも憎まれ口を叩きながらも時折、笑顔を見せていた。

 きっと二人は想いあっている。

 だからこそ一誠が簡単にレイナーレを手放すとは思えない。

 

「イッセーは信頼できないか?」

「そんな事ないッス。ウチともちゃんと遊んでくれるし、悪魔のくせにイイヤツと思う」

「じゃあ信じてやれ、エロくてどうしょうもない奴だけど、お前の姉ちゃんを見捨てるような奴でもない」

 

 ミッテルトが黙って頷く。

 彼女もまた焦燥で周りが見えなかったのだろう。

 とりあえず落ち着かせる事に成功した渚は心の中で安堵のため息を吐いた。

 

「よし、話は終わりだ。ミッテルト、晩飯は食べたか?」

「……まだだけど」

「じゃなんか作るか。こんな時間と雨だし今日は泊まっていけ」

「……へ?」

「ミッテルトは部屋のベッドで眠ってくれ。いいよな、ステア」

「仕方ありません」

「え? でも」

「大丈夫だ、俺のベッドは殆んどステアが使ってるから安心してくれ」

「ナギサはいつも何処(どこ)で寝てるんス?」

 

 アリステアが、わざとらしく首を横に振って肩を竦めた。

 

「私と寝ているに決まっているじゃないですか」

「……お、大人ッス」

 

 ミッテルトがアリステアと渚を交互に見ると顔を赤くした。

 

「嘘だぞ? 俺はいつも別室に布団を敷くかソファーで寝てる」

「……だ、だと思った!」

「ホントかよ……。ステアも変な事を言うな」

「場を和ませるための小粋(こいき)なジョークですよ」

「ブラックジョークだっての、全く。俺は監督役のイッセーに電話してくるからミッテルトに一応部屋を見せてやってくれ。嫌ならステアの部屋に泊まらせるから」

「はい、(うけたまわ)りましょう」

 

 渚は寝室へ案内されるミッテルトを見送ってから電話を取った。

 本当に面倒な事になってきている……。

 ──"愛という感情は必ずしも幸福を持たらすと限らず、他者への愛が人を成長させるが、時として愛こそが人を狂気に走らせる"。

 そんな言葉を何かの本で見た事を思い出す。

 どっかの゙騎士(ナイト)"も、本当に大事なのがなんなのかに気づいてほしいと渚は思う。

 狂気に走る友人など見たくはないからだ。

 

「騎士の心は復讐に囚われたまま、か。だったら鬱憤を晴らす手伝いくらいはするさ」

 

 



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悪魔と信徒《Ugly Vices》

 

「おう、分かった。じゃあミッテルトの事、頼むな」

 

 そう言って一誠は自宅の電話を切る。

 相手は渚だった。

 ミッテルトが訪問して来たので今日は泊めていいか、との事だった。

 一誠はレイナーレ達と二ヶ月以上も監視という名の同棲をしている。理由はレイナーレの持つ赤龍帝の欠片への抑止だ。親であるドライグを宿す一誠ならレイナーレを簡単に無力化が可能だからだ。

 両親にはリアスが軽い暗示をかけてホームステイと言う形で納得を得ている。

 だが最近になって同居人が増えた。

 

「イッセー、電話は誰から?」

「あ、ナギです。ミッテルトが来たらしいんですけど大雨だから泊めていいかって」

「まぁ渚なら問題ないでしょう、それよりご飯が出来たわ。今日はカレーよ」

 

 一誠の会話相手はリアスだ。彼女はここ数週間前より一誠の家で暮らしている。

 ちょうどライザーとのゲームが終わってからである。あの戦い以降リアスの一誠に対する態度は変わった。

 レイナーレの友達という名目で兵藤家にホームステイを希望した……そんな無理がある設定を暗示で乗りきって住み込み始めたのである。

 一緒に住んで分かったが、リアスはかなり家庭的な女性だ。

 炊事、洗濯などお嬢様であるリアスにはほど遠いスキルをバッチリ身に付けている。

 今日のカレーも彼女の手作りだったりする。

 憧れの女性からの手料理に一誠は上機嫌でテーブルについた。

 

「美味い」

「なら作った甲斐があったわ」

 

 ガツガツとカレーを食べる一誠を愛しい目で見るリアス。

 

「スープもあるわよ、ご主人様!」

 

 ガンっとそんな二人の世界を壊すようにレイナーレがスープを乱暴に配膳する。

 

「レイナーレ、少し乱暴じゃなくて?」

「失礼しました」

 

 反省の色のない謝罪だ。

 一誠は不機嫌なレイナーレのスープを取る。

 これも手作りで、担当はレイナーレだ。

 口にしようとするとリアスが挑むような目でスープと一誠を見る。

 妙な緊張感が場を支配する中、一誠はスープを飲む。

 味は普通だった。

 リアスのカレーに比べたら味の質は落ちる。

 けれども心が満たされた。なんの変鉄もないスープだが、これをレイナーレが頑張って作ってくれたという事実が一誠を嬉しくさせる。

 

「いい味だよ、夕麻ちゃん」

「レイナーレよ」

「あ、ごめん」

 

 一誠はよくレイナーレを夕麻と呼んでしまう。

 きっとそれはまだ彼女に恋をしているからだろう。

 そんな一誠にリアスは肩を落とした。

 

「レイナーレ」

「なに?」

「すぐ貴方に追い付くから」

「……勝手にしなさいな」

 

 ツンッとした態度のレイナーレにリアスはクスクスと笑う。

 二人の中で争いが起きている。だが命に関わるような戦いじゃない。

 兵藤 一誠を取り合っているのだ。リアスは一誠を一人の異性として見ている。

 しかし今の一誠はレイナーレを見ている。だけどリアスは負けるつもりはないようだ。

 レイナーレとリアスを交互に見る一誠は何が起こってるのか、まるで理解していなかった。

 

「そうそう、イッセー」

 

 ふとリアスが一誠に話を振った。

 

「なんですか?」

「三日後、部室で教会の人間と会うわ」

「きょ、教会ですか!?」

「アンタ、正気なの?」

 

 とんでもない事を言うリアス。それは部室に敵を招く行為に等しい。

 

「あちらからコンタクトが合ったのよ」

「宣戦布告しに来たんじゃないの?」

「恐らく違う。町の管理者である私との対話が目的らしいのよ。対話に当たっては決して刃を向けないと"神に誓った"わ」

「それをアンタは信じるの?」

「信仰者が神の敵に誓うくらいだもの。相当な厄介事なのは確実よ。実際、私も嫌な予感がしているわ。ここ最近、町に潜入した神父が次々と惨殺されているしね」

「神父が?」

「潜入の目的は間違いなく私たちじゃなくて他のモノよ。彼らは私たちに近づくことすらしてない。むしろコソコソと何かを捜索しているようにも見えるわ」

 

 リアスは難しい表情で考え込む。

 はぐれ神父のフリードでさえ悪魔に対して嫌悪の感情を持っていた。

 本来の信仰者ならばその感情は更に大きいのではないか?

 その信仰者が悪魔と対話を望むのは、かなり切羽詰まっている状況なのではないだろうか?

 ──何かヤバイ事が起きる。

 そんな不安を残し、一誠は三日後を待つ事になる。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 ──三日後。

 

 話を聞かされた渚はオカルト研究部の部室にいた。

 部員は全員揃っている。ここ三日間、顔を出していなかった祐斗も今日は部活に参加していた。

 ソファーにはリアスと朱乃、それに相対するような形で二人の女性が座っている。

 渚はその二人を観察する。

 まず思ったのは二人ともかなり若いという事だ。

 歳は渚と同じくらいだ。だが六人もの悪魔に囲まれているというのに臆する様子もなく落ち着いている。

 若いからと(あなど)っては足元を(すく)われるだろう。

 近くに立っていたアーシアが怯えるように渚の服を掴んだ。何故か異様に彼女たちを……いや彼女たちが持ち込んだ布で覆われた長物を怖がっている。全体が隠されているので詳細は不明だ、しかし形状からして剣だと渚の予想する。

 小さく震えているのはアーシアだけではない。一誠もまた冷や汗を流していて、小猫も客人から距離を取っている。全員が布で包まれた物体に一種の忌避感を抱いているのを肌で感じる。

 リアスと朱乃も真剣な面持ちで相手を(うかが)っていた。

 そんな中で特に負の感情が大きいのは祐斗だ。教会関係者である二人を怨恨の眼差しで睨んでいるのだ。今にも斬り掛かって行きそうな雰囲気ですらある。

 渚が重たすぎる空気に辟易(へきえき)していると二人組の内の一人、栗毛のツインテールが特徴の少女が一誠を見るも()ぐにリアスヘ視線を戻して話を切り出す。

 

「早速、本題に入らせて貰っても?」

「構わないわ。わざわざ敵地にまで来たんだもの、厄介ごとなのは分かってる」

 

 栗毛の少女が短く咳払いをすると話題を切り出す。

 

「……先日、カトリック教会本部およびプロテスタント、正教会に保管されていた聖剣エクスカリバーが奪われました」

 

 ざわっと周囲が騒ぎ出す。最強の聖剣が奪われるなどと誰が思うだろうか。同時に渚は彼女の言葉に引っ掛かる。

 エクスカリバーはカトリック教会本部とプロテスタント及び正教会で奪われたと栗毛の少女は言った。つまり三ヶ所でエクスカリバーは奪われた事になる。

 まるでエクスカリバーが複数あるような言葉である。

 

「あの部長、エクスカリバーって三本もあるんですか?」

 

 渚の疑問を一誠が口にした。

 

「エクスカリバーは大昔に折れたのよ。その散りばめれた破片を集めて鍛え直し、七本の聖剣として生まれ変わった。……で間違ってないわよね?」

 

 リアスの言葉に返答したのはショートカットの女性だ。

 

「ああ、間違いない。今はこのような姿になっている」

 

 彼女が傍ら置いていた長い物体を取ると全体を覆っていた布を解き放った。それは一本の刀剣。聖なるオーラで周囲に浄化してしまいそうな見事な剣である。

 アーシアが渚の手を握る。汗ばむ手からも間違いなくあの剣に恐怖していた。悪魔を滅ぼす為の武器なのだから当然だろう。アレに触れたら問答無用で消滅させられるのだ。

 

「これがエクスカリバーだ。私が持つのは"破 壊(デストラクション)"の名を持つ一本になる」

 

 剣の紹介をすると再び布で隠す。

 普段はあれで封印しているのだろう。

 続くように栗毛の少女が長い紐のようなモノを取り出す。その紐は意思を持っているかのように動き、形を変えて刀に変化した。

 

「私のは"擬 態(ミミック)"の名前を(かん)するエクスカリバーよ。七本のエクスカリバーはそれぞれ特殊な能力を持っていて、私のは色んなモノに化けるの。そっちのゼノヴィアは文字通り破壊に特化した能力になるわ」

 

 意気揚々と喋る栗毛の少女にショートカットの方、ゼノヴィアが嘆息する。

 

「イリナ、悪魔に能力まで説明する必要はないだろう」

「ゼノヴィア、いくら悪魔でも今回は信頼関係は築かないと。それに能力を知られたからといって、この場にいる皆様に遅れを取るなんてことないわ」

 

 自信満々のイリナ。

 聖剣を持っているからなのか、絶対に負けないという自負が透けて見える。

 渚はその過剰なイリナの自信に対しての苛立ちはなかった。きっとそう言うだけの力をエクスカリバーは持つのだろうし、二人とも教会の戦士として修羅場も(くぐ)ってきているのだろう。

 ただすぐ近くで鬼のような形相で二人を見ている祐斗が気になってしょうがない。

 人生を台無しにされた聖剣が急に出てきたのだ、心中は察するがリアスは平和的に教会の二人組と話をしようとしている。ここで祐斗が飛び出せば全てが無駄になる。渚は危うい友人がポカを(おか)さないために何時(いつ)でも動けるようにしておく。

 

「貴方たちが聖剣所持者でエクスカリバーが何者かに奪われたというのは分かったわ。それでこの町に来た理由は?」

「簡単さ。エクスカリバーを奪ったの者が、この町にいるからだよ」

 

 ゼノヴィアの言葉にリアスが息を呑んだ。そんな事を知ってか知らずか、ゼノヴィアは続けた。

 

「カトリック教会には私のを含めて二本、プロテスタントの元にも二本、正教会も二本、そして過去の大戦で消息不明になった一本。そのうち各教会にある聖剣が一本ずつ奪われている」

「なんで私の管理地はこうも嬉しくない出来事が豊富(ほうふ)なのかしら。……それで奪った輩の正体は?」

「"神の子を見張るもの(グリゴリ)"だ」

「堕天使に奪われたの? なるほど、貴方たちが焦る理由にも納得ね。失態どころの話じゃないもの」

「相手の察しは付いている。奪ったのは堕天使コカビエル、"神の子を見張るもの(グリゴリ)"の大幹部だ」

「聖書にも名が出てくる古の堕天使か。随分な大物じゃない」

 

 リアスが苦笑した。

 それほどの相手なのだと渚はどことなく理解しながらも聞き耳を立てる。

 

「先日から秘密裏に神父を侵入させて捜索さているが、(ことごと)く抹殺されている。十中八九、奴等の妨害だろう」

「つまりこの町の管理者である私に協力を要請するということなのかしら」

「逆だ。こちらの依頼……いや要求は私たちと堕天使が行う聖剣の争奪戦に悪魔は一切介入しないでもらいたい」

 

 この言いようにリアスの眉がつり上がる。

 

「私の町での出来事に首を突っ込むなと? もしかして私たちが堕天使と通じていると思っているのかしら?」

「可能性がゼロではないと思っている」

 

 リアスの瞳が冷たくなる。

 彼女の怒りは正当だ。

 わざわざ話し合おう招いた敵が「今からお前のたちの領土で好き勝手暴れるから、大人しく見てろ」とほざいているのだ。

 (しま)いには堕天使と結託して聖剣を奪ったと疑われている。

 

「堕天使と手を組むほど落ちていいないわ」

「上層部はそうは考えていない。聖剣を教会から取り払えれば悪魔にとって大きな利益になる。もしも堕天使と通じているのが本当だった場合、容赦なく消滅させる。例え魔王の妹だとして、だ。──今日はこの言葉を言うために来た」

 

 淡々と告げるゼノヴィア。あまりの言いようにリアスが睨むも受け流される。

 これでは喧嘩を売りに来たのと変わらない。しかしリアスは一瞬だけ瞑目(めいもく)して深呼吸する。

 

「私は兄を……魔王の顔に泥を塗るような事はしない。これは絶対であり、グレモリーの名に誓ってよ」

 

 挑発に乗らず毅然と言葉を返す。

 

「それならそれでよしだ。こちらの都合を知って貰っておいた方が教会的にも後腐れがない。話ぐらい通して置かないと私たちを派遣した上が恨まれるからね。それと教会と悪魔が手を組んだとなれば三竦みに影響が出るだろうから協力は(あお)がない。あなたたちにとってもその方が良いだろう」

「まぁそうね。けれど一つ聞かせて頂戴。奪還者の規模はどれくらいなの? あまり教会関係者がゾロゾロと来られても困るのよ」

「安心するといい、派遣されたのは私たち二人だけだ」

「待ちなさい、二人でコカビエルに挑むの?」

 

 リアスの問いに今度はイリナが答える。

 

「そうよ。上層部は聖剣奪還よりもこれから始まる戦争に備えてる、だから回す人材も最低限なの。聖剣探索は私とゼノヴィアだけに任されてるわ」

「死ぬつもり?」

「そうよ」

「覚悟の内さ」

 

 二人は即答した。

 

「──っ! やはり貴方たちの信仰心は常軌(じょうき)(いっ)しているわ」

「私たちの信仰を(けな)さないでちょうだい。それは逆鱗よ、リアス・グレモリー。ね、ゼノヴィア」

「ああ、だが今回は奪還じゃなくて破壊も許可されている。堕天使に聖剣が渡るぐらいなという判断だろうな」

「それでも危険な事には変わりないわ」

「簡単に死ぬつもりはないとだけ言っておく」

「エクスカリバー以外にも何か切り札があるのかしら?」

「想像にお任せしよう」

 

 二人の会話が止まる。両者見つめあったまま言葉が途絶した。もう話すことはないと思ったのか、イリナとゼノヴィアが目で合図を取り合うと立ち上がる。

 

「そろそろ行くとする。イリナ」

「はーい、じゃあイッセーくん、おば様によろしくね」

「お、おう、言っとく」

 

 見知った様子で一誠に手を振るイリナ。

 さっきの視線を送った時といい、どうやら二人は顔見知りのようだ。

 

「お茶は要らないの? お菓子ぐらいなら用意させるけど?」

「いらない。あなたも言ったろ? 我々は敵同士だ、仲良くお茶を飲み合う仲ではない」

「あー、ごめんなさいね。ゼノヴィアってば少しピリピリしてて」

 

 リアスの好意に手を振って拒絶するゼノヴィア、その態度を片手で謝るイリナ。

 部室から出ていこうとした二人の視線が一ヶ所に集まる。その目は渚を向けられたものだ。ゼノヴィアが軽蔑、イリナが哀れむような視線をそれぞれ送ってくる。

 あまり良い気はしなかった渚が反射的に二人を見返す。

 

「なにか、用?」

「君は人間だろう?」

「そうだけど」

「なんてこと、イッセーくんと同様で悪魔に心を奪われたのね」

「何が言いたいんだ?」

「警告だよ。悪魔崇拝者はろくな死に方はしないぞ、経験則だ」

「そうね、ここからいち早く去った方がいいわ」

 

 イラッときた。

 ここにいる悪魔は渚にとって大事な人たちだ。

 まるで、ろくでもない生物のように扱っているこの二人に苛立ちを覚える。だが怒りを抑えた。リアスたちは、そう思われていると予想していたのか表だっての反論はない。

 ならば事を荒立てるのは良くないだろう。

 渚は感情に(ふた)をして怒りを抑え込む。

 

「アンタらには関係ないだろ。俺が誰といようと俺の勝手だ」

「確かに余計な世話だった」

「あ、ゼノヴィア。彼の隣にいる子……」

 

 渚の隣にいるアーシアに二人の視線が行く。

 

「ああ、もしやと思ったが"魔女"アーシア・アルジェントか」

 

 "魔女"と呼ばれたアーシアの体がビクリと跳ねた。

 イリナがまじまじとアーシア見る。

 

「へぇー、あの有名だった"聖女"さんが今は悪魔やってるんだ。悪魔や堕天使も癒せる力を持ってるんでしょ? 教会から追放されてどっかに流れたって聞いてたけど。そっか、悪魔になっちゃたんだ」

「えっと、私は……」

 

 イリナの言葉に悪意はない。それでもアーシアは返す言葉に困っていた。

 

「あ、心配しないで! ここで見たことは誰にも言わないから。"聖女"アーシアを慕っていた方々がショックを受けてパニック起こすからね」

 

 フォローのつもりなのだろう。しかしアーシアは複雑な表情で黙り込む。

 蓋をした渚の感情が少しだけ開く。

 まるでアーシアが悪いような言い方である。

 全て逆なのだ。なんの罪も犯していないアーシアを教会は戦争を起こすと言う目的のために利用して殺そうとした、いや実際一度死んでいる。悪魔にならなければ生きられない状況に追い詰められたアーシアこそが教会を弾劾できる立場なのだ。しかしそんな事はしない、アーシアは今でも神を(した)い、教会を信じているのだから……。

 

「君の噂はよく聞いたよ。しかし悪魔に堕ちてしまうとは。……まだ神を信じているのか?」

「もうゼノヴィア。悪魔になった彼女が(しゅ)を信仰してるはずないわ」

 

 呆れたと言いたげにイリナが言う。

 

「背信行為をする(やから)のなかには罪を犯しつつも信仰を捨てきれない者がいる。彼女からはそんな(たぐ)いの物を感じるよ」

 

 ゼノヴィアが目を細めて言うとイリナがら意外そうにアーシアを見つめた。

 

「アーシアさん、悪魔になった身で主を信じているの?」

 

 イリナの言葉にアーシアは悲しそうに頷く。

 

「……捨てきれていないだけです、ずっと信じて来たのですから」

 

 それを聞いたゼノヴィアが手に持ったエクスカリバーの布を解く。

 

「そうか。ならばこの場で私に斬られるといい。(しゅ)の名も下に、この聖剣で君を断罪しよう。例え罪深くともその浄滅を(もっ)て我らが主も救いの手を差しのべてくださる筈だ」

 

 渚の思考がフリーズする。

 コイツは何を言っているのだろう?

 怒りよりも先に来たのは疑問だ。

 アーシアがいつ罪を犯した? 確かに教会からしたら悪魔化は許されないかもしれない。だけれどそう仕組んだのは何処(どこ)のどいつだ? その仕組んだ奴等と同じところから来た女がアーシアの刃を向けて死ねと言っている。

 なんだこれは……。

 渚は感情が抑えきれなくなり、震えるアーシアを自分の背中に隠す。

 

「……な、ナギさん」

「なんのつもりだい? これは彼女の為でもあるんだ」

 

 それが救いと言いたげなゼノヴィア。信仰が絶対であり、神が本当にアーシアを救ってくれると思っている。だから迷いすらなくアーシアを殺すだろう。死こそが救いだと勘違いしているからだ。

 

「あと一歩だ」

「……何がだ?」

「アーシアに近づいたら、その自慢の聖剣ごと叩き斬る」

 

 渚の言いようにゼノヴィアが肩を竦めた。

 

「退くんだ。これは"魔女"が"聖女"に戻るための儀式だ」

「対価が命か? 随分と高くつくな」

「当然だ。彼女は犯してはならない罪を……信仰を裏切ったのだから」

 

 あまりにも可笑しさに渚は笑う。

 

「ハッ、それは笑いを取ってるのか?」

「笑う場所など何処にもないだろう」

「いや、あるさ。アーシアが信仰を裏切ったんじゃない、信仰がアーシアを裏切ったんだ」

「どういう意味だ?」

 

 ここで初めてゼノヴィアが殺気を纏った。だが渚は嘲笑うように言ってやる。

 

「知ってるか? アーシアはずっと祈り続けていた、教会から追放される前も後もだ、果てには悪魔になっても祈ってる。そんな一人の女の子に神は何をしてくれたんだ?」

「それは単純に彼女の信仰が足りなかったんだろう」

 

 ゼノヴィアは、文字通り全てを捧げたアーシアにまだ足りないと告げた。

 信仰の醜い裏側を見せられても信じようとするアーシアの心をどこまで踏みにじれば気がすむのだろうか? 

 一体どこまで(にえ)と捧げれば神は彼女の祈りに答えてくれる?

 渚には信仰という存在が、敬虔な者を食らい、骨の髄まで絞り尽くす化物にしか思えない。

 こんなモノにアーシアの心が犯されている事実に心が軋む。

 

「足りないか。……足りないなら仕方ないな」

「納得してくれたか?」

「あぁ納得した、よく分かったよ。これだけやっても何もしてくれないお前らの神様が──欲深い単なる木偶(でく)って事が、な」

「貴様ッ!」

 

 渚が敢えて馬鹿にした態度を取ると思った通りゼノヴィアは聖剣で斬りかかってきた。譲刃でその聖なる刃を受け止めてやろうとしたが渚の前に人影が乱入する。

 

「いい加減、調子づくのは()めてくれないか?」

 

 殺気を殺意で返す祐斗にゼノヴィアが眉を潜めた。

 

「誰だ、君は?」

 

 その問いに祐斗は不適に笑む

 

「君たちの先輩だよ」

「先輩だと?」

「"聖剣計画"を知ってるかい? その失敗作が僕さ」

 

 瞬間、威圧するように無数の魔剣が出現した。

 



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聖剣エクスカリバー《Holy Sword Excalibur》

 

 旧校舎の外にある広場。

 少し前に野球の練習をした場所に渚は立っていた。隣には剣呑な雰囲気を隠そうともしない祐斗、さらに対峙するようにゼノヴィアとイリナがいる。

 周囲には朱乃が展開した結界が張り巡らされていた。リアス、朱乃、アーシア、小猫、一誠は渚たちを黙って見守っている。

 

「グレモリーの力を見せてもらうとしよう」

 

 ゼノヴィアがそう言って白いローブを脱ぎ捨てるとイリナもそれに(なら)う。

 黒い戦闘服を(あらわ)すると聖剣を構える二人。

 今から始まるのは決闘。

 アーシアを傷つけたゼノヴィアを挑発した結果、渚は戦いを申し込まれた。

 それに祐斗が参戦の意思を伝えるとゼノヴィアは心良く了承した。自信満々に二人まとめて掛かってこいと言われたくらいである。もっとも二対一の構図に相棒のイリナが慌てて介入し、二対二というルールとなったが……。

 ともせず渚は教会の戦士と刃を交えることになったのだ。

 

「さぁ始めよう」

 

 祐斗が魔剣を周囲に展開する。地面に突き刺さる剣の数々は禍々しいオーラを放ち、祐斗の憎悪そのものだ。

 

「笑っているのか?」

 

 ゼノヴィアの言葉だ。

 そう、祐斗は笑っている。見慣れた爽やかな笑みではなく負の感情を押し込めた薄ら寒い微笑みである。

 エクスカリバーへの殺意と歓喜で高揚しているのだろう。

 

「やっと、やっとだ。ずっと壊したかった、消し去りたかった物が目の前にある。この日を夢見てやまなかった。ここからやっと始まるんだ。──嬉しくて堪らないよ」

 

 ゼノヴィアが同情するように祐斗を見た、彼女たちはも協会関係者だ。恐らく……いや間違いなく聖剣計画を知っているのだろう。

 

「"魔剣創造(ソード・バース)"か。自らの思い描いた剣を造り出す、創造系の"神 器(セイクリッド・ギア)"でも上位な存在。まさか"聖剣計画"の生き残りが魔剣の担い手になっているとは皮肉なものだね」

 

 彼女の言葉に祐斗は決して答えない。かわりに殺気を刃に乗せて威嚇した。

 これ以上の会話は無駄と思ったのだろう、ゼノヴィアも口をつぐむ。

 渚は大きく嘆息するのを我慢できなかった。

 ゼノヴィアと戦うのはいい。こうなることを覚悟して彼女の急所(信仰)を刺激したし、リアスに迷惑ならないようにゼノヴィアからも私的な決闘だと言質を取っている。

 ただ隣の祐斗が問題である。

 明らかに試合を死合と履き違えているのだ。ここでゼノヴィアとイリナに死なれでもしたら大きな問題となる。心情的に三体一を強要されている気分だ。

 

「祐斗、とりあえず……」

 

 作戦の立案をしようとした渚だったが言葉を切る。御神刀 "譲刃"が次元を斬り裂いて手元に現れたからだ。

 譲刃の声が届く。

 

 ──油断大敵、かな。

 

 見れば聖剣を振りかざすゼノヴィアが迫っていた。直ぐ様、手にある"御神刀"で防御しようと(かま)えるも祐斗が前に出て攻撃を止めるてくれる。

 

「不意打ちとは恐れ入る、教会の戦士が聞いて(あき)れるよ」

「何を言っている? ここは既に戦場だ、ならば始まりの合図などありはしないだろう?」

 

 祐斗の侮蔑(ぶべつ)の混じった言葉にゼノヴィアは当然のように言いきった。

 確かに結界が張られた時点で既に火蓋は切って落とされている。ならば油断した渚が悪いのも頷ける。聖職者を名乗る者が不意打ちを使うのもどうかと思うが……。

 

「グレモリーの"騎士(ナイト)"よ、退()いてくれないか? 私は(しゅ)侮辱(ぶじょく)した彼と刃を(まじ)えたいんだ。君はあっちのイリナと戦ってくるといい」

 

 渚を見る目が敵意と殺意に満ちている。余程腹が立っているのだろう、どうやらゼノヴィアも祐斗同様に死合いをご所望のようだ。

 

「もちろんそうするさ。そのエクスカリバーを粉々にしてからね」

「どうやら彼の前に君を倒さないといけないようだ」

 

 二人の剣士が刃を振るう。

 聖剣と魔剣の交差に渚は取り残されてしまった。

 構えていた御神刀の柄から手を離す。

 そして祐斗たちから目を()らしてイリナへ振り向くと笑顔で返された。

 

「ゼノヴィア、取られちゃったね」

「そうだな、とりあえず戦うか?」

 

 思わず問いを投げ掛けた。

 渚はアーシアを傷つけようとしたゼノヴィアには怒っているがイリナには良い感情を持っていないが悪感情も(いだ)いていない。彼女はアーシアに対して色々と不躾(ぶしつけ)だったが多少の心遣いも見せた聖職者だ。しかも一誠の知り合いときている。理由もなく斬りたい相手ではない。

 戦意の低い渚に対してイリナは聖剣に光を宿して意気揚々と天に(かざ)す。

 

「愚問ね、私はこれでも神の代行者よ。道を(あやま)った者に救いの手を伸ばすのが使命なんだから! おぉ悪魔に虜にされた不憫な魂よ、私の聖なる剣で罪を洗い流してあげるわ!!」

 

 胸の辺りで十字を切るイリナ。

 なんか良くわからん理由で斬られる事になった……。

 大体、人間は聖剣じゃなくとも斬られたら最悪命を落とす。

 罪を洗い流す=(イコール)大ケガまたは死という事実に気づいているのだろうか? いやもしかすると教会ではアレがスタンダードな対応なのかもしれない。

 やはり聖職者という存在はアーシア以外まともじゃない気がしてきた。

 はいそうですか、と斬られる訳にいかないのでいつでも抜刀できるように再び柄に指を添えておく。

 イリナが動く。しかし接近ではなく距離を離すようにだ。

 

「行くわよ!」

 

 イリナの持つエクスカリバーの刃が伸びてムチのように変形、渚を貫こうとする。刀を抜いてエクスカリバーを(はじ)くが再び軌道修正して襲ってきた。

 何度弾いてもすぐに戻ってくる様はまるで生物だ。

 

「ムチに擬態させた刃は柔軟かつ不規則。やりづらいでしょう?」

「そうみたいだな」

 

 確かに斬撃の軌道は読み(づらい)いし速さもある。だが所詮は一本の線で結ばれた武器だ。よく動きを見て先読みすれば問題はない。

 エクスカリバーの刀身を紙一重で(かわ)し、その切っ先を置き去りにしてイリナへ接近する。

 踏み込みの速度なら渚の方が速い。

 刀でイリナの聖剣を弾き飛ばす。……それで終わりにしようとした時だ。目の前に追い抜いた筈のエクスカリバーの切っ先が現れた。

 

「なっ!」

 

 渚は即座に攻撃から回避に転じた。すると四方からも攻撃がやってくる。

 思わぬ攻撃に距離を取る。頬が小さく切れた渚を見てイリナが得意気に胸を張った。

 

「甘くみないでね! 私のエクスカリバーの能力は"擬態(ミミック)"、変身と行ってもいいわ。こうして刀身を増やす事だって出来るの」

「おいおい」

 

 七つに増えた刀身が再び渚へと伸びる。

 流石は名高い聖剣とあって(さば)くのもかなりの苦労を()いられる。

 渚の制服の所々が切り裂かれた。

 生物的な動きをする刃というのは存外、厄介な代物だ。斬っても切れず、防いでも間髪いれずに再び襲ってくる。このまま続けてもただ体力を奪われるだけだ。七つの刀身は渚の動きを完全に止めている。三本で刀を抑え、二本で体捌きに牽制、残りを使って死角から攻撃。イリナは距離を開けて渚の刃が届かない位置を保っている。

 

「……隙のない戦い方をする」

 

 相手の長所を潰し、防戦一方に追い込んで徐々に削るスタイルなのだろう。

 力ではなく手数に物を言わせる技術での強襲。動けない渚に勝利を確信したのかイリナは無邪気な笑みを浮かべた。

 

「改心するなら、この辺で許してあげてもいいわ!」

「折角の誘いだけど宗教には興味がなくてね」

「大丈夫よ、私が面倒見てあげるから!」

「神を(けな)した俺に文句のひとつもないのか?」

「あるわ! けどそれは私たちを知らないからよ。知って初めて分かる事もあるもの」

 

 間違っていない道理だ。

 きっと信仰深い少女なのだろう。渚を悪魔崇拝者と断じているが軽蔑なしに救おうとしている。

 少しアーシアに似ていると思うが勧誘には(なび)かない。

 

「今の場所が気に入ってるんだ。その誘いは慎んでお断りする」

「残念ね、じゃあそろそろトドメを刺すわ」

「いいや今度は俺の番だ」

「この刃を切り抜けられると言うの? 考えなしに突っ込んだら死んじゃうわ」

 

 確かにそうだ。七本の刃は常に渚を狙っている、下手に動けば体を切り裂くだろう。

 だからこそ一歩踏み込んで、大地を思いっきり蹴る。

 渚が敢行したのは突進だった。刃の先にいるイリナへ向かって跳躍したのだ。

 防御を捨てた事で四肢の至るところが貫かれる。炎のような熱さが脳を焼く。

 

「い、命が()しくないの!?」

「惜しいさ、だから致命傷は避けてんだよ!」

 

 くれてやったのは四肢だけだ。防御箇所を急所だけに絞れば突破は出来る。

 痛みの代償によって予想通りイリナを肉薄した。

 勝ちを確信した渚だったが、耳をつんざく爆音と暴風で止めを刺し損ねる。

 

「なんだ!?」

 

 見れば祐斗とゼノヴィアが戦っていた場所に巨大なクレーターが出来ていた。

 ゼノヴィアが聖剣を使ったのだろう。

 

「これがあらゆる物を破壊する"破壊の聖剣(エクスカリバー・デストラクション)"。この通り加減が難しいんだ、間違えば君など一瞬で(ちり)にしてしまう。……白旗を挙げてはどうだい?」

 

 クレーターの上にいる祐斗へゼノヴィアが提案する。破壊に特化した聖剣だけあって威力が段違いだ。祐斗とてアレを正面から受ければ魔剣ごと体が圧壊するだろう。

 しかし渚の心配を余所に祐斗はエクスカリバーを持つゼノヴィアを忌々しげに睨んだ。

 

「七つに別れて尚、この威力……。全てを消滅させるのは修羅の道か」

 

 瞳の奥で燃え盛る憎悪はさらに激しさを増す。

 祐斗が一本の魔剣を造り出して正眼に構えると魔力を放出し始めた。

 

「その聖剣と僕の魔剣、どちらの破壊力が上か……勝負だ!!」

 

 魔剣が形を変えて巨大になっていく。

 あらゆる物を断絶する剛剣は二メートルを越えた。

 祐斗の持つ最強の一撃なのだろう。

 

「よせ、祐斗!」

 

 声が聞こえてないのか返事はない。

 渚はイリナを放置して走り出す。アレではダメなのだ。あの魔剣では絶対に聖剣に勝てない。

 だが渚が祐斗を止める前に巨大な魔剣を使ってゼノヴィアの下へ駆ける。

 

「……詰まらない選択をする」

 

 それはゼノヴィアの言葉。落胆したと言いたげに祐斗を見ている。

 破壊の聖剣と巨大な魔剣が正面から激突する。

 金属が砕ける音が響く。

 真っ二つに割れて宙を舞う自身の魔剣を祐斗は呆然と眺めていた。

 

「君の武器は俊足と多彩な魔剣による手数だった。しかし今のはどうだ? 俊足を殺し、筋力の足りない腕で身の丈に合わない剣を使った。──もしや手加減したのか?」

「バカな! 僕が聖剣に加減など──」

 

 祐斗の言葉を最後まで聞かずにゼノヴィアは剣の柄で腹を打つ。

 ただのそれだけ衝撃が空気を揺らした。彼女のエクスカリバーは斬撃だけではなく攻撃そのものに破壊の能力を備えているのだ。

 吐血した祐斗はその場に崩れ落ちた。

 

「当分は立ち上がれないだろう。これがリアス・グレモリーの"騎士(ナイト)"か? 少し拍子抜けではあるね」

「……ま、まて!」

「次は頭を冷やしてから立ち向かってくるといい。そんな剣じゃ私は決して倒せない」

 

 這いつくばりながら手を伸ばす祐斗にゼノヴィアは背を向けた。勝敗は決した。祐斗はエクスカリバーに届かなかった。

 祐斗を(くだ)したゼノヴィアは渚を真っ直ぐ見据えた。

 

「さて余興は終わりだ。無礼な異教徒に罰を与えようか」

「出来るんならな」

 

 祐斗の介抱に行きたいがゼノヴィアが邪魔だった。間違いなく背中を見せたら斬りかかってくるタイプだ。背後にはイリナもいる。

 状況は二対一になってしまった。

 

「行くぞ」

「さっさと来い」

 

 ゼノヴィアが聖剣を正面から降り下ろす。

 渚は刀を盾にして受けるが凄まじい衝撃によって派手に跳ばされた。地面を転がりながらも体勢を立て直すが既にゼノヴィアが迫る。

 ある程度の恩情を与えたイリナとは違い、完全に渚を潰す勢いである。余程、神を()()ろしたのがお気に召さなかったようだ。

 だがその方がいい。慈悲もなく、殺意を以て攻撃してくる奴ならば──手加減する必要もない。

 渚は超速の"抜刀術(輝 夜)"でゼノヴィアを首を斬った。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

「ゼノヴィア!」

 

 イリナの声が耳に届く。

 敵の少年から、いきなり距離を取って屈んだ自分を心配したのだろう。

 抑えていた首から手を離すと血が流れていた。あと数ミリ深ければ動脈のある場所だ。

 背筋に冷たいものが流れる。

 この男は危険だ。あの抜刀からの斬撃が全く見えなかった。そして敢えてここをあの男は狙ったのだ。

 

 ──いつでも首を落とせる。

 

 これはそんなメッセージだ。戦場であったなら今ので雌雄は決していた。

 幼い頃から悪魔払い(エクソシスト)として育てられ、多くの人外を滅して来たゼノヴィアは俗に言う天才だ。

 誰も彼も置いていく才を持つがゆえに、これほどの差を突き付けられたのは初めてだった。

 一人では確実に殺られると戦いの勘が告げてくる。

 

「イリナ、援護しろ」

「え? え? 手を出すなって目で言ったじゃない、いいの?」

 

 確かに渚と戦う前に、そんなアイコンタクトを送った。

 

「事情が変わった、加減したら此方がやられる」

「そ、そんなに強いの、彼?」

「私より戦ったお前が何故気づかない!?」

「し、知らないわよ! 私が戦ったときは強くなかったし」 

 

 イリナが七つの刀身であの男──蒼井 渚を攻撃する。

 ムチのような斬撃を躱す渚へゼノヴィアも突貫。

 破壊の力で攻撃するが避けられた。洗練された体捌きである。

 だがイリナとゼノヴィアのコンビは数年に及ぶため連携に関してはグレモリー眷属を上回る。

 ゼノヴィアの攻撃に意識を取られればイリナの刃が体を貫き、逆になれば一撃で終わってしまう。絶妙なコンビネーションを前に徐々ではあるが渚を追い詰めていく。

 

「くそ、手が足りない」

 

 渚がそう呟くと大きく刀を薙ぎ払って全ての刃を退けた。

 そして大きく距離を取った。

 ──勝てる。

 ゼノヴィアは確証する。個々の実力では負けているが連携を上手く使えば取れると思った。

 だが次の瞬間、渚は刀をゆっくり納めた。そして捧げるように前に差し出す。

 

「……洸天(こうてん)より(まばゆ)き光、()はあらゆる罪を浄化し正義を()す剣撃なり。そして()たれ純白なる執行者(しっこうしゃ)、──"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"

 

 それは詠唱だった。

 刀が消えて渚の背後に強烈な光が現れる。

 一瞬、天使の翼かと見紛うソレは展開された六本の光り輝く刃。

 

「第2ラウンドだ」

 

 不適に笑う渚に対してゼノヴィアは言葉を失った。

 見間違う筈がない、渚の召喚したアレは間違いなくゼノヴィアの持つエクスカリバーと同じ聖剣だったからだ。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

「くそ、手が足りない」

 

 渚はゼノヴィアとイリナの連携に苦戦を強いられている。

 かたや七つの刀身を持つ"擬態の聖剣(エクスカリバー・ミミック)"、かたや攻撃特化の"破壊の聖剣(エクスカリバー・デストラクション)"。個人の戦闘力なら渚が上だが高度な連携をしてくる相手と言うのは数倍もしくは数十倍の厄介さを持つ。ゼノヴィアとイリナは正に息がピッタリなのだ。恐らく二人は長い間の時を過ごしたのだろう、パートナーの長所を活かしと短所をカバーしてくる。攻撃力の低いイリナは手数で渚の動きを封じ、その隙をゼノヴィアが討つ。

 仮にイリナの牽制を無視すれば徐々に削れて負ける。ゼノヴィアの対処を怠れば一撃で終了。

 前衛と後衛が上手く機能している状況だ、対処するには文字通り手が足りない。

 渚は大地を強く踏んで自分に迫る聖剣を無理矢理、弾いて逃げるように距離を置く。

 アレ以上、組み合っていたら体力が尽きて破壊される。

 接近戦は不利、持ち込むなら二人の内のどちらかを倒してからだ。

 ならば使える手はアレだけだ。渚は自身の深奥に意識を落とす。

 

「(聞こえるか、ティス?)」

『聞こえる』

 

 自身の中にいる蒼の少女──ティスが感情の薄い声で即答した。

 相も変わらず正体不明の彼女だが力を借りるしか今の状況の打破は難しいだろう。

 

「(力を貸して欲しい)」

『何を望む?』

「(例のシュベアルトなんとかって言う光剣を使いたい)」

『それは"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"のこと?』

「(そう、それ)」

『私の力がなくても"詠唱(コード)"を(とな)えれば自動的に譲刃がコンバート(変換)するようになっている』

「(コードってなんだ?)」

『"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"をイメージすれば脳に浮かぶ、やってみる』

 

 ティスに急かされて譲刃を前に出す。

 あの刃翼とも言える武器を欲すると自然と脳に言葉が浮かぶ。

 

「……洸天(こうてん)より(まばゆ)き光、()はあらゆる罪を浄化し正義を()す剣撃なり。そして()たれ純白なる執行者(しっこうしゃ)、──"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"

 

 瞬間、手にあった譲刃が消えて背中に強い光が現れた。

 翼にように展開されたのは三対六の剣。

 渚が手を下に引く。すると柄が存在しない幅広の刃は腰の辺りまで高度を下げて頭を垂れるように刃先を地面に向けた。

 これを実戦で使うのは二度目になるが扱えないという事はない。

 渚は深呼吸するとゼノヴィアとイリナを見据える。二人は渚の武器の変化に驚いている様子だ。

 

「第2ラウンドだ」

 

 腰付近で待機状態の"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"を一本だけ手の側に来るよう操作する。

 そして腰を下ろすとアンダースローのフォルムでイリナに投げる。

 粒子の帯を散らしながら光速で跳んでいく刃はイリナの横に着弾して地面を爆砕。激しい暴風と衝撃が彼女を突き飛ばす。

 

「きゃあああ!」

 

 悲鳴をあげるイリナを確認した渚は残りの刃を率いてゼノヴィアに向かって走り出す。

 

「君のそれは聖剣か。驚いたよ、因子を持った者がいたのとはね」

「因子? なんの話だ」

「まぁいいさ。だが私の持つ聖剣は分かたれたとはいえ最強の聖剣だ。格の違いを見せてあげよう」

 

 ゼノヴィアが破壊の聖剣で渚へ斬りかかった。

 爆発にも似た轟音が響き、土煙が空高く舞う。

 あらゆる物を破壊する聖剣の一撃は渚に直撃した。

 だが……。

 

「な、なんだと!?」

 

 ゼノヴィアがあまりの驚愕に目を見開く。

 

「なんだ、大した事ないな破壊の聖剣も」

 

 渚は片手で聖剣をガードしていた……いや盾のように展開した洸剣が受け止めたというべきだろう。

 三本の洸剣が点となり渚の腕を守るように面となる力場で聖剣の破壊を(はじ)いたのだ。

 破壊が意図も容易(たやす)く防がれたゼノヴィアが狼狽(うろた)える。

 隙だらけの彼女に一撃お見舞いしようするが七つの刃先が空から渚を強襲した。

 

「ゼノヴィア、下がって!」

「い、イリナ」

「何を狼狽(うろた)えているの!」

「し、しかし聖剣の一撃がこうも簡単に……」

「馬鹿! 敵の前で弱気になるな、一撃がダメなら二撃目を撃っちゃえばいいのよ!!」

 

 叱咤激励するイリナが猛攻を開始する。擬態によって七つに増えた刀身に対して渚は五つの刃を空中で踊らせて対抗する。

 イリナの聖剣が蛇とするなら、渚の洸剣は騎士だった。光の刃は人間が振るうように空中を自在に駆け(めぐ)る。イリナの聖剣が圧され気味だ。

 

「嘘、数はこっちが上なのに!」

「ならばこれでどうだ!」

 

 ゼノヴィアの一撃。渚は再び洸剣を三つだけ呼び寄せてガードする。破壊は見事に弾かれて周囲にだけ被害を及ぼす。"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"の特性は斥力だ。物理だけではなく異能すらも弾ける。この武器は一見して攻撃的な見た目だが真髄は防御にこそある。

 攻撃を受けた斥力のシールドでゼノヴィアをイリナの近くに弾き跳ばす。

 

「イリナだっけ?」

「何よ!」

「ここまでだ」

「まだ私は──!」

 

 聖剣を持つイリナの動きが止まる。彼女の首下には渚の洸剣が突きつけられていた。

 これは最初にイリナに放った一本。爆発に生じて隠していたものだ。

 渚に意識を取られている内にこっそりと死角から首を狙わせた。

 

「続けるか?」

「……参ったわ」

「そっちのゼノヴィアは?」

「……いいだろう、このままではお前には勝てないようだ」

 

 妙な言い草に引っ掛かりを覚える。

 まだ手はあると言いたげだからだ。

 渚がイリナの首から洸剣を退ける、それを決着と見たリアスが朱乃に結界を解かせた。

 一誠とアーシアが渚に駆け寄る。

 

「やったな、ナギ!」

「ああ」

 

 自分の事のように喜ぶ一誠と軽くハイタッチを決めた。

 アーシアは聖剣によって付いた傷を治してくれる。

 

「良かった、本当に良かったです」

「心配してくれたんだな、ありがとな」

 

 まだ誰かが傷つくことに慣れていないのだろう。

 震えながら癒すアーシアの頭に手を置いてポンポンと優しく置く。

 それから渚は祐斗に近づく。アーシアに癒して貰った祐斗はゆっくりと立ち上がった。

 

「やっぱり君は特別だね」

 

 祐斗の目にあるのは憧憬と羨望、そして嫉妬だった。

 よろめく足取りで校舎の外へ歩き出す祐斗にリアスが声を張り上げる。

 

「待ちなさい、祐斗! 何処へ行く気なの?」

「この町にある聖剣を壊しに……。僕は"はぐれ悪魔"になってでも、この復讐をやり遂げます」

 

 少し間を置いて祐斗が背中越しに言う。その言葉にリアスは首を降った。

 

「今、私の下を離れる事は許可しないわ。命令よ、貴方は私の"騎士(ナイト)"なのだから言うことを聞いて。このまま"はぐれ悪魔"になることは許さない」

「僕は同士たちの命の上に生きている。だからこそ彼らの無念を晴らさなければならないんです。さようなら、リアス・グレモリー」

 

 それだけ言って祐斗はフッと消えた。祐斗の俊足に追い付けるのは渚くらいだが今の彼に何を言っても無駄だろうと思い、追わなかった。

 

「……祐斗」

 

 悲しそうに目を伏せるリアス。

 あまり好ましくない状況を前に渚は陰鬱な気分になる。

 そんな渚の肩に手が置かれた。

 

「あとで話がある」

 

 一誠が真剣な面持ちで言う。

 なんの話かは聞かなくても分かる。

 きっと祐斗の件を解決しようと動くのだろう。

 

「……渚先輩」

 

 小猫が心配そうに渚の制服を引っ張る。返事の代わりに頭を撫でてやる。

 分かっている。簡単ではないが渚も解決のために事を成そうと思っていた所だ。

 一誠が自分の協力を必要とするなら喜んで手を貸そう。

 祐斗を"はぐれ悪魔"なんかしてやる気は更々ないのだから……。

 



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堕ちた者たち《And He Will Come》

 

 駒王より数百キロ離れた地方都市の教会。その長椅子の一つに黒い男が座っていた。

 ウェーブ掛かった長髪に鋭い目付き、高い身長もあり威圧的な印象を与える。

 長椅子の背もたれに肘を掛けた黒い男は正面……祭壇の奥にある巨大な十字架を無感情に眺めていた。

 そんな教会の扉が開く。

 

「ここにいたか、コカビエル」

 

 入ってきたのは聖職者の格好をした初老の男性。

 コツコツと床を靴で鳴らしながら黒い男──コカビエルの隣へ座った。

 コカビエルは懐から葉巻を取り出して口にくわえると火を着ける。

 煙を吐き出してからゆっくりとバルパーに問いかけた。

 

「……定時連絡は数日先の筈だぞ、バルパー」

「勿論、分かっているさ。ただ少し耳に入れたい事があってね」

 

 コカビエルは言ってみろと顎を動かす。

 

「聖職者が二人、駒王に入った」

「下らんな、だからなんだと言うのだ?」

「聖剣エクカリバーの適合者の二人だ、それがリアス・グレモリーと接触した」

「ほぅ教会も聖剣を奪われて、なりふり構っていられなくなったか」

 

 くつくつと愉快げに嗤うコカビエル。バルパーはそんな笑いを無視した。

 

「コカビエル、悪魔が囲っている堕天使を救出しようとしたみたいだな?」

「だったらなんだ?」

「何故だ? その堕天使を調べたが何処にでもいる木っ端な存在だ。お前が欲しがる人材ではない」

「同胞を救いたいと思うのは当然だろう……といったら信じるか?」

「信じんな。お前ほど慈悲無き堕天使はいないだろう。もっとも多くの天使を殺した者だからな」

 

 コカビエルは神の子を見張る(グリゴリ)の中で最も天使を殺害した堕天使であり、最強と名高いバラキエルと並んで武力に(ひい)でた存在だ。

 戦うことで半生を駆けたコカビエルは多くの仲間を死地に送った堕天使でもある。

 そんな者が同胞を救いたいなどと思うだろうか。

 

「アレの両親はよく俺に尽くして散っていたからな」

 

 バルパーは面白いものを見るように嗤った。

 

「はははは! あのコカビエルが恩を返すと言うのか?」

「戯れに使いを出したに過ぎん。戻ってくるのなら居場所をやるが来ないならフリードを使って殺しておけ」

「そう、その情の無さだよ。これこそが教会が最も殺したがっていたコカビエルだ」

「貴様がどう思おうと構わん、だからさっさと教会の戦士からエクスカリバーを奪ってこい、聖剣の扱いはお手のものだろう、"皆殺しの大司教"」

 

 コカビエルの言葉にバルパーが笑みを止めた。

 

「その名で呼ぶな。私は崇高なる神の指示に従って"聖剣計画"を進めたのだ。教会の連中はソレを異端などと勝手に断じて追放した。実に愚かな事だ!」

「貴様の信仰など興味はない。俺が求めるのは戦力だ、聖剣は間違いなく強力な力になる。だからお前を引き入れた、俺を満足させなかったら──分かっているな」

「……ぐ」

 

 圧倒的な圧力をバルパーに押し付けると怯えた表情で部屋を去っていった。

 一人になったコカビエルは長椅子から腰を上げて出口へ向かうとドアに手を掛ける。

 

「始めるぞ、お前はどうする気だ?」

 

 それは他の誰かに対しての言葉だ、だがすぐに教会の空気に溶けて消える。

 次の瞬間、背中向けのコカビエルが祭壇の奥にあった巨大な十字架に光の槍を投げつけた。まるで挑戦状を叩きつけるような行為に十字架は粉々に砕け散る。

 やがて扉が開かれた。

 

 ──そこは地獄だった。

 

 頬を掠めるのは炎熱、天を焦がすは黒煙。

 それは即ち燃える街。

 紅蓮に包まれて崩壊している地方都市。

 全てコカビエルが単身で殺った。

 この街にはたった一人の堕天使によって終わりを告げたのだ。

 コカビエルは炎を踏み越えて悠然と一人歩いていく。

 目的はただの一つ。

 戦争という名の落日をこの世界に弾くため……。

 

「さぁ魔王の妹を殺しに行こうか」

 

 そう宣言するや堕天使は炎のなかに消えていったのだった。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 夕暮れ、レイナーレは夕食の買い出しに出掛けていた。

 ミッテルトは今日は留守番である。

 商店街に行く道は駒王学園を通る道と繋がっているので学生たち多い。

 すれ違う学生の何人かがレイナーレをチラチラ見てくるのが鬱陶(うっとう)しかった。やれ『美人』だの『モデル』だの、どうでもいい事ばかりを呟く。

 戦士として生きたかったレイナーレにとって容姿など不要であり、必要だったのは戦う"力"だ。

 しかし才能という名の壁が彼女の邪魔をした。生まれつき少ない光力に、鍛えても秀才レベルの戦闘技術。特に光力の低さが致命的で戦場ではゴミのように死ぬしかない。今も生きているのは奇跡の産物だとレイナーレは思ってる。

 だがそのハンデを突き崩す機会に最近巡り合った。

 それが兵藤 一誠であり、赤龍帝の力である。

 もっとも素直に喜べないのが現状だ。

 少しでも妙な事をすれば親であるドライグがレイナーレを殺す。そういう誓約に伴う"力"だからだ。

 到達したい場所には近づいたが理想とは遠い。そんなジレンマを、抱え込んでしまった気分だ。

 

「はぁ。世の中、上手くいかないものね。……ん? あの子、こんなトコでなにやってんの?」

 

 ふと、商店街へ入る前の通りで見知った少女が困った様子で複数の男に囲まれていた。

 ナンパだろうと一目で看破する。チャラい大学生風の男たちは逃がす気がないのかヘラヘラとニヤケた顔で少女の顔と体を舐め回すような目で見ている。

 レイナーレはナンパされている少女の周囲を見回す。いつもはいる筈のガードが今日に限っていないのだ。

 

「アイツ、どこほっつき歩いてんのかしら」

 

 レイナーレは大股でナンパされている少女の下に近づく。

 すると会話が聞こえてきた。

 

「へぇ可愛いねぇ、制服も似合ってるし……少しお話しない?」

「あの、その、すみません」

「そんな怖がらなくてもいいからさ、ちょっとだけ、ね?」

「いえ、私は」

「そう言わずにさ」

 

 男の一人が少女──アーシア・アルジェントの手を取ろうとした瞬間にレイナーレは声を掛けた。

 

「ちょっと」

「あ、レイナーレさん」

 

 レイナーレを見るなり、安堵の表情を浮かべる。

 この悪魔系シスターは自分を友達と勘違いしているハッピーな奴なのだ。

 

「あ、じゃないわ。何してんのよ」

「こちらの方々が少しお話をしたいと言ってきまして」

「やっぱナンパじゃない」

「なんぱ? それはなんですか?」

 

 純粋な瞳で聞かれてしまった。

 レイナーレは左右に首を動かす。

 渚はどういう教育をしているのだろうか。だいたい大事に思っている彼女を放って何処にいるのか疑問だ。

 

「あの居眠り男は何処よ?」

「居眠り男?」

 

 首を傾げるアーシア、どうやら通じないようだ。

 

「蒼井よ」

「えと、ナギさんは用事があるようだったので別々に帰宅しています」

「つまりアイツは一人でアンタをほっぽりだした訳ね。刺し殺せば?」

「いえ、桐生さんという友人と一緒に家へ帰るよう強く言われました」

 

 レイナーレの苛烈な一言に困った様子でアーシアは答える。

 なるほど保険は掛けていたようだ。機能していないので無意味だが……。

 

「……で、なんで一人な訳?」

「少し考え事をしたかったので一人にさせてもらいました」

「……ばか?」

「な、なぜですか?」

 

 この少女は理解していない。

 このままナンパにほいほい付いて行けば確実に傷物にされる。もしかしたらもっと悪いことになるだろう。

 レイナーレ的にはアーシアがどんな辱しめにあっても気にしない。だがミッテルトは悲しむ、ふたりはプライベートでも付き合いがあり、ミッテルトはアーシアを友人と思っているのだ。

 とりあえずアーシアの手を引っ張ってここから連れ出すことにした。

 

「待ちなよ、おねーさん」

 

 チャラい大学生の男がレイナーレの肩を強く掴む。

 

「あ?」

「おっと怒った? それにしても金髪ちゃんも美人だけどおねーさんもいいね、どうお茶でもしない?」

 

 レイナーレも体を品定めのように見ながらの誘いだった。

 下心が丸見えだ。この男は情欲の捌け口としてレイナーレとアーシアを見ているのだ、連れも同様だ。

 レイナーレの(一誠)も相当だけど、ここまで不快にはさせない。一誠はエロいが女を物のようには見ないからだ。

 レイナーレは肩から手を払い落とす。男は一瞬、苛立ちで顔を歪ませるが直ぐに笑顔になった。

 

「もしかして不機嫌?」

「そうでもないわ。今、捌け口を見つけたから。──奥に行かない?」

 

 ビルの裏、誰も入ってこなさそうな裏道を指すと男たちは歓喜した。

 

「話が速いね! じゃあ行こっか」

「いいわ、付いてきて」

「れ、レイナーレさん!」

 

 不穏な雰囲気を感じたアーシアが止めようとするがレイナーレは首を降った。

 

「ここから先は未成年は禁止。アンタはここにいなさい」

 

 そして奥へとレイナーレは歩き出す。

 人の気配のない暗い通りに入ると男の一人がレイナーレを壁に押し付ける。

 

「あの金髪の彼女も良かったがあんたも中々だぜ」

 

 気持ちの悪い笑顔だ、これなら一誠が自分に欲情してドレスブレイクを使おうとした顔の方がまだマシだった。

 女を支配したいという欲求が嫌でも透けて見える。

 レイナーレは自分に触れていた男の手を握り締めた。

 ニタリと口を歪める男、しかしレイナーレは無表情のまま力を込める。

 すると男の腕の骨が呆気なく砕けた。

 

「は? へ?」

「脆いわよね、人間って」

「ぎぃ、ぎゃああああああ!」

 

 不自然に垂れ下がる腕を押さえて痛みで転がり続ける男をレイナーレは無視した。

 レイナーレは人外であり、人とは一線を画す怪物だ。

 ただの人間など息をするように殺害できる。

 さっきまでレイナーレとアーシアを下に見ていた男どもが怯える。

 

「仲間が苦しんでるのを見て、怖じ気づいたの?」

 

 魔性の笑みを浮かべると男たちが明るい通りへ走り出した。

 レイナーレは黒い鳥のような翼を広げると男たちを追い越して立ちはだかる。

 

「逃がすと思って?」

「ば、化物!」

「そうよ、化物。まぁ最下級の落ちこぼれだけどね」

 

 驚異と畏怖の視線がレイナーレを見返す。

 悪くない感覚だった、これは弱者が強者に対して浮かべる眼だ。こういう顔をされるのは嫌いではない。

 靴を鳴らして歩み寄ると光の槍を造り出して邪悪な笑みを浮かべてやる。

 それだけで男たちは腰を抜かした。

 

「私を犯したいんでしょ? ほら来なさい、……じゃないと刺し殺すわよ?」

 

 裏通りで堕天使の制裁が行われる。

 殺したいが命は奪わない、流石にそれをやったらリアスから処罰が下るだろう。

 でも骨の一、二本は砕かせてもらう。

 女を物として見ない輩にはこれぐらいしないと気がすまない。

 こうしてレイナーレは槍を男たちへ振り落とした。

 

「ぐぎゃ! 骨が折れたぁ!!」

「ち、血が出てる!?」

 

 そんな悲鳴を聞き流して立ち去るレイナーレ。

 

「死にはしないわよ、うるさいったらありゃしないわ」

 

 明るい表通りへ出るとアーシアが駆け寄ってくる。

 

「レイナーレさん、あの方たちは?」

「コンビニ、行くって言ってわ」

 

 適当に濁しておく。

 すぐその裏通りで怪我して泣き喚いてると言えば彼女は治しに向かうだろう。

 それは双方の為にはならない。

 だからレイナーレはアーシアは遠ざけるため適当に引っ張って行くとこにした。

 

「アンタを放っておいたらウチのエロ主人に叱られるわ、だから送ってあげる」

「いえ、私は自分で……」

「言うこと聞け、世間知らず」

「うぅ、はい。……お願いします」

 

 レイナーレは歩きながらアーシアの顔を盗み見た。

 浮かない顔をしている。いかにも悩みがありますと言いたげに目を伏せているのだ。そんな隙だらけだから、さっきの男たちみたいな者に絡まれてしまうのだとレイナーレは思う。

 

「……で? 友人を遠ざけてまで何を悩んでんのよ?」

「え?」

「そんな顔で何もないって言ったら刺し殺すから」

「えっと、その、大した事じゃないので」

 

 隠すような笑顔。

 苛立つ。迷惑を掛けないようにと気を使っているつもりだろうが、ここまでやらせて秘密にされたら溜まったもんじゃない。

 

「どうせ普通の人間には言えない事でしょ? 私はアンタと同じ側だから問題ないっつの早く言え。あんま手間を取らせんな」

 

 レイナーレの言葉に迷ったアーシアだったがゆっくりと胸の内を話し始める。

 

「……先日、教会の方に会ったんです」

「それは聞いてる。聖剣が持ち込まれたとか言ってわね」

 

 先日、一誠から聖職者が学校に訪ねてきたとは聞いていた。どうやら聖剣が駒王に持ち込まれて裏で糸を引いているのは堕天使とのことだ。

 一瞬だけドーナシークを思い出す。もっと言うなら彼の背後にいるだろう者にだ。

 ともせず一誠から巻き込まれないようにと、余計な心配をされたので自分に気遣いは無用と言っておいたのは記憶に新しい。

 

「私は悪魔だから信仰を持ち続けるのはダメなんだそうです。……死だけが主のための奉公と言われて悪魔払いされそうになりました」

「ソイツの言ってることは分かるわ。悪魔が神を想うなんて冗談が過ぎる」

「……はい」

 

 真実を言っただけなのに暗い顔をされる。

 この胸にあるのは、さっきとはまた違う苛立ちだった。

 アーシアは体は悪魔でも心は聖職者のままなのだ。

 それが悪いというつもりはない。彼女は自分から悪魔になったのではなく、渚が生かすために転生させたのだ。

 もっともそうしなければ死んでいたのだが……。

 

「ねぇ気になったのだけど聖書には悪魔が神を敬ってはいけないと記されているの?」

「そのような事はないです」

 

 カウンセラーでもなんでもないレイナーレは単純に思ったことを口にする。

 

「だったらいいんじゃないの? 祈りを捧げたいのなら好きにすればいい、アンタはもっと欲に素直になりなさい」

「欲、ですか」

「好きに生きてから死ねってこと。自分の生き方を他人に指図されたくらいで悩んでんじゃないわよ」

 

 アーシアが天恵を得たような顔でレイナーレを見た。

 

「良いのですか? 私なんかが」

「その『私なんかが』っていうのは蒼井に対しての侮辱よ。アイツはアーシア・アルジェントという存在に価値を見出だしてリアス・グレモリーに頭を下げた」

「……あ」

「大体、アンタが祈ったくらいで誰かが死ぬ訳じゃあるまいし、真剣に悩む必要すらないわ。聖書の神だってアンタを助けなかった、だから腹いせに祈り続けてやればいいのよ」

 

 呆れ返ったレイナーレにアーシアが微笑む。

 さっきまでの曇った感情を吹っ切ったような笑顔だ。

 

「私、少しワガママになってみようと思います」

「そんぐらいがちょうどいいわよ、アンタの場合は」

「話を聞いてくれたのがレイナーレさんで良かったです、ありがとうございます」

「お礼は味醂(みりん)でいいわ、ちょうど切れそうなのよ」

 

 調味料を催促するレイナーレに小さく肩を揺らすアーシア。

 

「イッセーさんの為に、ですか?」

「今日は私が料理番なだけよ」

「その、頑張ってください」

「たかが料理に何を頑張るのよ」

「いえ、そうじゃなくて、部長に負けないように!」

「……ええ」

 

 何も分からないようで要点は分かっているアーシアに頬を染める。

 だいたい応援する相手は主人であるリアスだろうに……。

 

「レイナーレさんはお友だちですから」

 

 そう言ってアーシアは商店街へ足を向けた。

 どうやら本当に味醂を買ってくれるようだ。

 悪魔の癖に聖女のような少女である。

 

「……友達、ね」

 

 同胞とは少し違った絆の形。

 なんの繋がりもない他人同士が育んだモノを言うのだろう。

 アーシアの背中を眺めたながらレイナーレは友達という言葉を胸に刻むのだった。

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 

 ──夕暮れ。

 

 アリステアは駒王を離れて東京に来ていた。

 人がひしめくオフィス街から裏通りへ入ると一件のバーの扉を開く。

 "fallen(フォーリン)"。

 堕天使が経営する店である。

 慣れた様子でカウンター席に座ると会うべき人物は既にグラスで一杯やっていた。

 

「よぉ速かったな。まだ時間まで30分近くあるぜ?」

「急な呼び出しに応じてあげたのです、感謝してください」

「悪ぃな、今の駒王はちっとばっかアレでね。通信端末は傍受されそうだからしたくねぇんだ。誰かに付けられたりはしてねぇよな?」

「こう見えて隠密行動は得意です。仮に私を尾行した者がいたら天国まで案内してあげます」

「おっかないねえ」

 

 男──アザゼルから二つほど席を開けてカウンターへ座るアリステア。

 現在、駒王町はアザゼルとは違う思惑で動いている堕天使が潜伏している状況だ。きっと潜伏中の(やから)は"神の子を見張る者(グリゴリ)"の動きに注目しているだろう。

 そして恐らくアリステアもグレモリーの関係者としてマークされている可能性がある。

 だからこうして遠い場所まで来てアザゼルと情報を交換している。今のあの町は何処に耳があるか分からないのだ。

 

「飲むか?」

「今日は家で夕食を取るので結構です」

「蒼井 渚に酒の匂いを感付かれたくないか、案外と女をしてるなアリステア」

「どうとでも。さて直接会いたいと言ってきた理由をお聞きしても?」

「簡単さ。コカビエルが動いた、恐らく尖兵が駒王にも侵入している」

「それが私を呼んだ理由ですか。先日、駒王に来た悪魔払い(エクソシスト)から情報を貰っています。コカビエルが聖剣を盗んだと言ってましたか」

 

 アリステアは渚から(おおむ)ねの話は聞いている。

 その時、渚が喧嘩を売ったそうだが勝敗は聞いていない。

 聖剣ごときで止められるなどあり得ないとアリステアは確信しているからだ。

 

「じゃあもう一つ情報を下ろしておくぜ? 数日前にコカビエルと教会が直接戦った、日本支部の悪魔払い(エクソシスト)を総動員したらしい」

「結果は?」

「お察しの通り教会側が全滅、戦場となった地方都市は火の海になった。一応、報道では隕石の落下って事になってる」

「嘘のような報道ですが、それが本当と思える大惨事だったのですね」

「ああ、跡地を見たが巨大ハリケーンが襲ったような有り様だったぜ。──奴は直ぐに駒王に来るぞ?」

「邪魔ならば弾丸を撃ち込むとしましょう」

「奴は強いぜ? その手で戦えるのか?」

 

 即答するがアザゼルがアリステアの右手を鋭く見下ろす。

 包帯で隠されているが、その内では呪いが今も彼女を苦しめている。

 しかし当の本人は気にする素振りもなく、その手で長い銀髪を軽くかきあげる。

 

「問題ありませんね」

「シレッとしてるが、お前さん常に激痛が右手を襲ってるだろ? ソレは肉と骨を腐らせ、魂を喰らい尽くす呪いだ。こんなヤベェの誰にやられた? どっかの邪神にでも喧嘩を売ったのか?」

「私を抹殺しようとして来た輩がいたので追い返しただけです」

「殺せなかったのか?」

「その辺の神よりも手強い相手でしたよ、勿論相手にも手痛い傷をプレゼントしましたが」

「名は?」

「セクィエス・フォン・シュープリス。血液を自在に操り、高濃度の呪詛も使います」

「覚えておこう。あとよ、コカビエル件とは別の用件がもう一つある」

 

 帰ろうとしたアリステアはその一言で止まった。

 

「聖槍らしき神器の発現が確認された」

「場所と根拠は?」

「ここ、アジアだ。最近、アジアを中心に神性持ちが幾つか滅びている。少し調査させたが聖槍が使われた痕跡があった」

「宿主の居場所は掴めていないようですね」

「まぁな。目下、捜索中だ」

「聖槍の担い手が既に目覚めていると知れただけでも有意義です。有るか無いかのモノを闇雲に探すのは骨が折れますからね」

 

 アリステアが席を立つ。

 そろそろ夕食時という事もあり、帰ろうとした時だった。

 

「待て」

 

 アザゼルの言葉に振り返る。

 堕天使の総督はグラスを眺めながらが罰の悪そうな顔をした。

 

「もし、だ。コカビエルと戦うハメになったら生け捕りにしてくれねぇか?」

「理由によります」

「長い付き合いの奴が死ぬのは堪えるってんじゃダメかね?」

 

 本心を口にしたは良いが気まずいのか、そっぽを向くアザゼル。

 表情はアリステアの位置からは見えない、どんな顔をしているのかは定かではないが声のトーンで分かる。

 堕天使の総督ともあろう者が感傷に浸っていた。

 例え裏切りにも等しい行為をされたとしても、コカビエルはアザゼルにとって大切な仲間なのだ。

 そんな彼に対してアリステアは微笑をこぼした。

 

「頼む相手を間違っていますね、そういうのはナギの得意分野です」

「そうか、妙な頼みをして悪かったな」

「ええ」

 

 苦笑したアザゼルだったがアリステアを責める真似はしない。

 元より無理な願いと思っていたのだろう。

 こうして二人の会話は終わり、アリステアはバーを後にするのだった。

 



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騎士の心《A Friand Form Now on》

 

「真っ赤な空だ」

 

 拠点とした廃墟の屋上で祐斗は血のように赤い夕暮れを眺めていた。

 春にしては冷たい風が頬を撫でる。

 まるで彼の行動を避難しているような寒さだ。

 リアスの元を離れて二日、未だに聖剣には出会えていない。

 やった事と言えば聖剣探索の中で見つけた"はぐれ悪魔"を何体か斬ったくらいだ。

 今はそんな無駄な戦いをしている場合ではないと分かっていても見過ごせないのは、ここ何年かで着いた癖のようなものだ。

 リアスの刃であろうとする自分が、彼女の領地である駒王に被害をもたらす敵を討てと言ってくる。

 

「未練……なのかな」

 

 彼女に絶縁しても構わないと言って出てきたのだ。

 今さらリアスの元には戻れない。

 そういう道を選んでしまった祐斗だったが後悔はなくても罪悪感はある。

 とても善い主だったのだ。同士を殺した相手へ復讐することしか考えていなかった祐斗がここまで更正出来たのはリアスのお陰と言って過言ではない。

 自ら手放したものの大きさに祐斗は自嘲し、廃墟へ戻ろうと昇降口へ体を向けた。

 

「よ、イケメン王子は夕日も似合うな」

「……渚くん」

 

 いつからいたのか。

 渚がドアの前で挨拶してきた。

 祐斗に驚きはない。寧ろ二日も放置されてたのが不思議な位だ。

 彼は気配探知に優れた人物。きっと悪魔の気配を辿って来たのだろう。

 祐斗は連れ戻される事を警戒して身構える。

 だが渚は右手に下げていたビニール袋を見せつける。

 

「ふぁ~~。お腹、へってね?」

 

 渚は眠そうな顔で欠伸をしながら床に座るとコンビニのおにぎりを食べ始めた。

 黙って見ていた祐斗だったが渚は袋から出した新たなおにぎりを差し出してくる。

 急な食事の誘いだったがリアスと別れて何も食べていない。

 それを思い出すと空腹感が込み上げて来た。

 

「安心しろって部長の元に連れてこうなんて思ってないから」

「……何故?」

「今のお前を連れてっても意味がないかんな、どうせ直ぐに同じことになる」

「ならどうして僕に接触したんだい?」

「食べたら教えてやるよ」

 

 モグモグと口を動かす渚はこれ以上は話すつもりはいと黙り込む。

 祐斗は諦めた様子でおにぎりを取ると隣に座る。

 

「……いただきます」

(おご)りだからって遠慮すんな」

 

 丁寧にラッピングを解いておにぎりを食べる。

 妙に美味しく感じるは空腹だからだろう。

 一つ食べ終わると渚が次を差し出してきたので手にとって食事を続ける。

 それが何回か続いて渚がゆっくりと口を開く。

 

「祐斗、俺は駒王にあるエクスカリバーを追う事にした」

「君が? どうして?」

「そうした方が丸く収まるからなぁ」

「丸く収まる? 何を言ってるのか、分からないよ」

 

 祐斗は渚の行動の意味が分からない。ただ彼はお人好しだから自分の手伝いをしてくれようとしているのは解った。

 だが今からやろうとしてるのは復讐。

 自分のためにやる利己的な戦いだ、そんなものに他人は巻き込めない。だからリアスとも決別したのだ。

 説得しようとした祐斗だったが渚の言葉がそれを(さえぎ)る。

 

「復讐は悪かな、祐斗」

 

 突然の問いだった。

 復讐は悪かなど決まっている。なんであれ誰かを害そうとする行為は罪だ。

 自分の事を棚に上げて祐斗は頷く。

 

「悪だよ。大多数の人をそう思うに決まっている」

「そっか、ステアも道徳的には悪って言ってたな」

「どうして、そんな質問をしたんだい」

「んー、なんでかな。ただ俺が求めてた答えがソレじゃないからだと思う。なんにしても道徳的にアウトなら祐斗の味方は少ないって事だな」

「そうだよ。孤立無援の戦いだ、君まで付き合う必要はない」

 

 祐斗が言うと渚は遠い目で夕方の空を見上げた。

 どこか違う場所に馳せているような瞳が瞑目するが次の瞬間には視線を落とす。

 

「悪いけどお前の過去は聞いた。"聖剣計画"で大切な人を理不尽に奪われたんだって……」

「だからこそ僕は強くなった。あんな行為を平然と出来る者を葬るため、元凶になった聖剣を壊すために!」

「なら協力し合うのが効率的だな、とっ!」

 

 飛び上がるような勢いで渚が立ち上がる。

 そして驚くほど澄んだ目で祐斗を見てきた。

 

「復讐は悪かもしれない。けどさ大切な者を理不尽な理由で奪った存在に怒りを向けるのは当然であって間違いなんかじゃない。そこに関して正しいと俺は思う」

 

 心が震えた。

 復讐を、自分自身も悪と思っていた行為を肯定してきたのだ。

 正しい怒りだと、捨てる必要など無いと。

 目尻が熱くなる。

 全て承知で手を差しのべてくれる者がいるなんて考えてもいなかったのだから……。

 

「僕の助けになってくれるのかい、君は?」

「助けない。俺は俺のために動いている、進む道がお前と一緒なだけだ」

 

 下手な嘘だ。

 蒼井 渚はいつだって他人のためにしか動かない。

 一誠の時も、アーシアの時も、リアスの時も、彼の刃には常に他人への想いが宿っていた。

 きっと彼は自分も助けてくれるのだろう。

 ここに来て、渚が皆に慕われる理由を理解する。

 彼がいるだけでこんなにも頼もしい。

 そんな祐斗の気持ちを知ってか知らずか、渚は子供のような笑みを浮かべて手を差しのべてくる。

 

「それじゃあ、いっちょ復讐しに行こうぜ」

 

 後ろ向きな目的に対して、その姿があまりにも前向きだったので祐斗は思わず笑ってしまう。

 冷たかった心臓が少しだけ熱を持った事を自覚しつつ、祐斗は渚の手を取る。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 渚はここ二日間ほど寝ていない。

 答えは簡単でリアスの下を離れた祐斗を監視していたからだ。

 聖剣への復讐に囚われた祐斗は己を省みずに行動する恐れがあった。

 だからこそ遠くからバレないように、何かあればすぐに駆けつけられる体勢で祐斗に対して目を光らせていたのだ。

 おかげで学校は無断欠課である。加えていつも一緒だったアーシアを男にナンパされるという失態まで起こした。彼女を保護してくれたレイナーレから携帯越しに毒を吐かれたが感謝はしている。

 ともせず渚がこのタイミングで祐斗に声を掛けたのは理由がある。

 一誠からゼノヴィアとイリナに接触できたと連絡が来たからだ。渚と一誠は協力して祐斗の今の状況をなんとかしようと画策している。

 全ては彼をリアスの下に帰すためだ。

 

「ここだな」

 

 祐斗を連れて廃墟を出た渚は町のファミリーレストランに足を運んだ。

 

「この場所で何があるのか聞いても?」

「そうだな、会う前に言っておくか。……この中にはイッセーがコンタクトを取った例の二人がいる」

 

 その言葉を聞いて祐斗が殺気立つ。

 渚は一つため息をこぼすと更に大きな戦意をぶつけて殺気を押し潰した。

 

「くっ」

「悪い。けど町中でそう殺気を剥き出しにするなって。とりあえず話をする、聖剣に関して聞きたい事があるからな。急に喧嘩をふっかけるなよ?」

「……善処するよ」

 

 渚は入り口から店内に入る。

 探し相手はすぐに見つかった。

 一誠と小猫、ゼノヴィアにイリナ、そして何故か匙 元士郎までいる。元士郎の存在も気になったが、それ以上に聖職者二人の現状に愕然(がくぜん)とした。

 

「何してんの?」

 

 渚は一誠たちが座る席に近づくや問うてしまう。

 テーブルの上に置いてある食事を無我夢中で食べる聖職者がそこにいたからだ。

 

「町中で物乞(ものご)いをしてたとこを見つけてよ? 腹が減ったっていうから食べさせてる」

「なんでだよ……」

「イリナが騙されて高い絵を買わされたんだと」

 

 流石に呆れる。

 確かに聖職者二人の隣には妙な絵が置かれていた。

 あれを買うために予算を使いきったのというのか? 外国からの遠征だ、恐らくそれなりの経費を渡されているはずだ。もしかしたら紫藤 イリナは生粋(きっすい)のバカなのかもしれない。

 祐斗もあんまりにも状況にコメカミを抑えていた。

 確かに自分を負かした相手が物乞(ものご)いをしていれば頭痛もするだろう。

 

「それで匙はどうしてここにいるんだ?」

「兵藤に引っ張られたんだよ! ちくしょう、こんな厄介ごとに巻き込まれるなんて……」

「悪かったって、知ってる悪魔で協力してくれそうなのが匙くらいだったんだよ」

「だからって俺を巻き込むなよ! お前らのリアス先輩は優しいかもだけどよ、ウチの会長は怖いんだぞ!」

 

 どうやら無理矢理連れて来られたようだ。

 半泣きなところから本当にソーナが怖いのだろう。

 

「猫の手も借りたいんだよ。部長は町の管理者だから迂闊に動けないし朱乃先輩も同様だ。アーシアは顔に出るからな」

「……ありがとうございます、匙先輩」

「くそ、断れねぇ」

 

 小猫の感謝に元士郎が項垂(うなだ)れた。

 見えないように一誠と小猫がサムズアップし合っている、小猫の可愛らしさを使ったエグい攻略である。

 ともせず元士郎は諦めて協力してくれるようだ。

 渚はゼノヴィアを見る、食事を終えた彼女は渚の視線に気づいた。

 

「なんだ?」

「いや、以前の件を気にしてない様子だったから」

「気にはしているさ。だが今は目の前の事に集中するべきだと思っている」

 

 さっぱりとした性格なのだろう。

 今は頭を切り替えて問題に挑む姿勢は好ましい。

 凛とした表情だが、ほっぺに付いた米粒のせいで台無しだった。

 

「それで私とイリナを呼びつけた理由はなんだい?」

「アンタ達のエクスカリバー破壊に協力したい」

「私たちだけでは不安だからか?」

「ここは俺たちの町だ、戦わないって理由こそない。それに相手は神話の堕天使、戦力は多い方がいいだろう」

 

 渚の言葉を聞いてイリナがゼノヴィアに目配せする。

 

「どうするの、ゼノヴィア」

「……そうだな、ここは受け入れるのが賢い選択かもしれない。元々、コカビエルと三本ものエクスカリバーを排除するのは難しいからね」

 

 思いの外、あっさりとOKされる。

 

「いいの? いくら一誠くんだからって、相手は悪魔なのよ?」

「あぁ悪魔なら問題だろう。だから人間に協力を頼むのさ、()() ()()()()()()()なら問題はないだろう」

 

 ゼノヴィアが渚を見る。

 いい考えだと思う。

 協力申請したのはリアスの眷属ではなく、渚の仲間。

 それなら幾らでも誤魔化せるだろう。

 

「うーん、いいのかなぁ」

「私たちの任務は聖剣の破壊だ。最悪、それだけを達成して逃げればいい。それでも生還率は三割程度だけどね」

「分かっていてこの任務を受けたのでしょう」

「自己犠牲で任務達成もいいが、やれるならベストな形で終わらせたい。私の信仰は柔軟なのが自慢なのさ」

「あなたね、前々から思ってたけど信仰心がちょっとずれているわ!」

「かもね。だが考えて見ろ、戦いで散ってしまうよりも生き残って戦い続けるのが真の信仰者じゃないのか?」

「そうだけど……」

「だから悪魔の手を借りずに人間の手を借りるんだ。ほら目の前の男は私とイリナを撃破したんだ、戦力しては使える」

 

 渚を見た後に一誠へ視線を移す。

 

「それに悪魔になっているとはいえ赤龍帝もいるとなれば頼りたくもなるだろう? 倍加を高めていけば魔王クラスになれる。その力なら聖剣破壊も可能なはずだ。彼はイリナの顔馴染みなんだろう、信用できないのか?」

「うぅ分かったわよ」

 

 渋々といった感じで了承するとゼノヴィアが笑みを浮かべた。

 

「商談成立、かな。そっちの先輩もそれでいいのか?」

 

 ゼノヴィアが祐斗へ言う。

 一瞬考えて祐斗は了承した。

 

「問題ないよ、僕は聖剣が破壊できればそれでいい」

「私たちの聖剣はいいのか?」

 

 挑発的な言葉に祐斗は敵意を剥き出しにする。

 

「勿論、壊すさ……と言いたいけど渚くんが許さないだろうから(今回は)止めておくよ」

「そうか、彼がいるなら私たちも(今回は)君に刃を向けなくて良さそうだ」

「おい蒼井、なんかこの二人から黒いオーラが見える気がするんだが何かあったのかよ」

「前に少し揉めてな。今は大丈夫だ、多分」

 

 事情を知らない元士郎に渚が答える

 不穏な笑みを浮かべる二人の会話の裏にカッコがあった気がしたが渚は無視した。

 そんな友好的ではない状況でゼノヴィアが祐斗に言う。

 

「ところで君の憎悪の対象は聖剣なのか?」

「どういう意味だ?」

「こう言ってはなんだが所詮、聖剣は物に過ぎない。君が恨むべきは"エクスカリバー"でも"聖剣計画"でもなく、計画の責任者であるバルパー・ガリレイではないのか?」

 

 ゼノヴィアの放った名前に祐斗がピクリと反応した。

 冷たい憎悪が瞳に宿る。

 

「それが僕たちを処分した奴の名前なのか? 今は何処にいる?」

 

 祐斗の問いにはイリナが答えた。

 

「えっとね、彼は"聖剣計画"の被検体を虐殺した罪から教会から追放された身なの、"皆殺しの司祭"とも呼ばれていて教会も探しているんだけど何処にいるかは分かってないの」

「その情報は僕にとって重要な意味を持つ、感謝する」

 

 話が纏まったのを見計らって渚は手を叩く。

 すると全員の視線が集まった。

 

「聖剣破壊の共同戦線は結んだからには全力で事に当たろう」

「そうね、こうなっちゃたら存分にあなた達には働いて貰うんだからね!」

「……言われなくてもそうします」

「うぅ会長にバレないようにしないと……」

 

 イリナの言葉に小猫が賛同し、元士郎がぶるぶると震えた。

 

「共同戦線をするんだったら僕も一つ情報を開示するよ。君たちが部長と接触する前に僕はエクスカリバーを持つ者に襲われた」

「初耳だぞ、祐斗」

「僕が倒したかったから黙っていた、ごめん」

 

 祐斗の謝罪。

 気持ちは理解できるが少し無謀でもある、悪魔の身で聖剣に挑むなど危険だ。

 

「たく、それでソイツの特徴は?」

「いや、特徴というよりも名前をいった方が早い、相手はフリード・セリゼンだ」

 

 元士朗以外の者が表情を変えた。

 レイナーレの下にいた神父でアーシアを殺そうとした"はぐれ神父"。あのふざけた口調の神父は二度と会いたくない人物だ。

 教会も二人組も顔を難しくする

 

「フリード・セリゼンが絡んでいたのね」

「なんだ? イリナも奴の事を知ってんのか?」

 

 一誠がそう言うと複雑そうな表情を見せるイリナ。

 

「うん、有名人だからね。僅か13歳でエクソシストになってヴァチカンの法王庁の直属まで上り詰めた天才、多くの悪魔や魔獣を滅ぼした功績は大きかったんだけど……」

「そう、奴は実力はあった。だが異常なまでの戦闘執着と人外に対する敵意と殺戮衝動、加えて人を殺す事にも迷いがない。結果、教会からも異端扱いされ、討伐部隊が送られたが……」

「……失敗して"はぐれ神父"になった」

 

 小猫の言葉にゼノヴィアは頷いた。

 実力がある分、性格に難があるフリードは厄介者でしかない。

 あんな神父が駒王にいると思うだけでゾッとする。

 渚が預かり知らない所で知人が襲われてでもしたら後悔しか残らないだろう。

 特にアーシアは危険だ、フリードも彼女が生きていると知れば優先的に殺しに来るかもしれない。

 

「俺はフリードを追う、アイツは野放しには出来ない」

「そうか、では私たちもそうしよう。今のところは手かがりもないしね」

 

 こうして渚たちは動き出す。

 聖剣破壊という随分な罰当たりな目的を成すために……。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 渚たちが暗くなった道を歩く。

 一誠、祐斗、小猫、そして元士朗。

 これからの方針が決まって今日は帰宅する事になったのだ。

 黙って歩く五人だったが祐斗が急にポツリと口を開く。

 

「どうして君たちは僕のためにここまでしてくれたんだい?」

 

 急な質問に即答したのは一誠だ。

 

「部長が悲しむからだ。まぁ俺も既に迷惑かけちまってるけどお前が"はぐれ"になるよりはマシだろ」

 

 納得できない様子の祐斗。

 そんな時だ、小猫が小さく呟いた。

 

「……私は祐斗先輩がいなくなるのが寂しいからです」

 

 少しだけ寂しげな口調と表情。

 いつもは無表情なだけに誰もが驚く。

 

「お手伝いします、だから行かないでください」

 

 懸命な訴え。

 祐斗は真っ直ぐ見つめられて苦笑した。

 

「ははは、小猫ちゃんがそこまで言ってくれるんだったら無茶は出来ないな」

 

 そう言うと祐斗が渚へ視線を向けた。

 質問の答えが欲しいのだろう。

 

「俺は一誠とほぼ同じだ。ただ復讐を手助けしたいってのもある。だからこそお前の口から聞きたい、どうしてそこまで聖剣を憎むのかをな」

「ナギ、それは部長が話してただろ?」

「俺は祐斗の口から真実を聞きたい、俺の選択が正しいかを知りたいんだ」

 

 渚が祐斗の言葉を待つ。

 すると控えめな仕草で手をあげる元士朗。

 

「あのー、完全に俺が蚊帳(かや)の外なんだけど?」

 

 祐斗は観念したように脱力した。

 

「……なら少し話そうか」

 

 それはリアスから聞いた内容よりも生々しく凄惨だった。

 "聖剣計画"は聖剣を扱える人間を排出するためにカトリックが秘密利に(おこな)った実験。

 被験者は主に剣に関する才能と神器を持った幼い子供たちだったという。

 来る日も来る日も非人道的な手術と薬物投与が続く辛い日々を過ごした。その過程で命を落としたものも居た。

 それでも子供たちは命を懸けて夢を見ていたのだ、いつか来るだろう「その日」を……。

 いつか神様の祝福を受けて特別な存在、……聖剣の担い手なれると信じていたのだ。

 何年も幽閉され、自由なく体を(いじ)くられて(なお)、聖歌を口ずさみながら過酷な毎日に耐えた。

 そして行き着いた先が──処分という結末だったのだ。

 

「皆、殺された。救いなどなかった、何も悪いことなどしていない、『聖剣に適合できなかった』という理由だけで僕らは生きたまま毒ガスで殺処分さ。その後なんて瀕死の子供たちを足蹴にして生死を確かめていたよ。生きていた者を見つけたら『アーメン』なんて言いながら息の根を止めるんだ。血を吐いて、地面を這いつくばって、もがき苦しみながらも、みんなは神に救いを求めていた。……本当に馬鹿だよ、その神の手下が僕らを殺しているっての言うのにね」

 

 祐斗の話を渚たちは黙って聞く。

 何も言える筈がない。祐斗の目は怒りと悲しみ、そして後悔に染まっていた。

 

「僕だけが逃げた、いや逃がされた。最後に守ってくれた子がいてね、当時の僕よりも小さな女の子だったんだ。今でも覚えているよ、忘れられるはずがない。彼女を殺したモノを僕は一生忘れてはいけないんだ!」

 

 沈痛な面持ちの祐斗。

 ふと急に、すすり泣く声が聞こえた。

 元士朗だ、顔をクシャクシャにして泣いていた。

 

「うぅう木場ぁ、お前、大変だったんだなぁ! 辛かったんだなぁ! 俺は今、お前に同情している。酷い話だ! 聖剣を恨む気持ちもよく分かった! 俺にも是非手伝わせてくれぇ!!」

 

 うんうんと強く頷く元士朗。

 思った以上に良い奴なんだと渚は思う。

 祐斗も困ったように笑みを浮かべていた。

 

「祐斗、復讐は何も生まないって言うけど前に進むためにはお前の過去は重すぎる。その荷物が少しでも軽くなるなら手を貸したい」

「ナギくん、それに匙くんもありがとう」

 

 少しだけ困ったような笑みを浮かべた祐斗。

 それは久しぶりに見たいつもの爽やかな表情だった。

 



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彼女の場合《Fallen Angel Girl》

 

 堕天使レイナーレは自らの過去を振り返る。

 それは強さを求めて犯した罪の記録。

 光の槍を手に神器所有者を殺している血の残影。

 血の水溜まりが広がっていく様は今も覚えている。

 相手は毒と影を使う接近戦闘を得意とした相手だった。

 影を使って移動して毒を宿した剣で奇襲する、実力的には中級悪魔クラスだろうか。

 本来、下級堕天使であるレイナーレなど瞬殺される手合いだ。

 しかし結果は圧勝、レイナーレは自身の影から出てきた神器所有者が持つ毒の刃を光の槍で弾いて流れような仕草で心臓を一突きして絶命させた。

 簡単な戦いのように見えるがそうではない。

 相手がレイナーレの得意な接近戦を挑んで来た事、格下だと侮って油断していた事、様々な要因による薄氷の勝利でもある。

 元々、生まれつき光力が少ないレイナーレは光の槍をたった一本しか維持できない落ちこぼれだ。それが唯一の武器であるので軽はずみに投擲を行えば無防備になる。

 だからこそ努力で(おぎな)った。寝る間も惜しんで槍ばかり振った。人間が編み出した武術書にも手を出して槍術を磨き続けた結果、レイナーレの槍の腕は一流まで上り詰めた。だが皆伝には至れない、ここでも才能の壁が立ちはだかったのだ。努力の果てが凡庸なら、自分の生はなんとも無価値なものか……。

 クルクルと慣れた手つきで回転させながら槍を消す。

 

「お見事だね、レイナーレ様」

「……カラワーナ」

 

 際どいボディコンスーツの女がハイヒールを鳴らしながら近づくと死体を指差す。

 

「神器、取らないのかい?」

「取るわよ、そのために襲ったんだから」

 

 レイナーレは宣言通り、死体から神器を摘出をすると自らに取り込んだ。

 

「しかし勿体ないね、君は」

「何がよ?」

「槍捌きは一流なのに光力が三流。君がせめて普通ぐらいは光力を所持していたらと思うとね」

「無い物ねだりね、それにわたしは光力が三流だったからこそ槍を鍛えられたのよ。所詮は凡庸止まりだけど」

「だから力を欲している……か?」

「軽蔑でもした? けどね、わたしという存在の上限がここなの。自力で強くなれないのなら奪うしかない」

 

 言っていて心が痛む。

 かつて師と言える人物が言っていた言葉を思い出す。

 ──お前は命を奪う度に動作が鈍る、一対一ならば強いが集団戦に向かない傾向だ。

 自覚はあった。

 命を取り合っている間は、戦闘に集中しているので何も感じない。だが終わった瞬間に言い様のない罪悪感が肉体と魂を縛り付ける。

 そうなる原因は薄々わかっていた。

 レイナーレには信念とも言える指標がない、ただ強さを求めているだけの存在だ。

 強くなって守りたいものなければ、成さなければならない目的もない。

 あるのは自分という存在が弱くないと言う事を証明したいだけ……。

 この世は強きが弱きを淘汰する……などと割りきれたら良かったがレイナーレには出来なかったのだ。

 

「我ながら薄っぺらいわね」

 

 強さを求めて命を奪いながら罪悪感を拭えない自分に自嘲しながら記憶のスクリーンにフィルターをするレイナーレ。

 そして思考を現実へと押し戻していくのだった。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

「レイナーレ、聞いているの?」

 

 その言葉でハッとなった。

 視線を向ければ部室の椅子に座ったリアスが真っ直ぐ見ている。

 どうやら思考に(ふけ)っているタイミングで話しかけられたようだ。

 

「何よ?」

「やっぱり聞いてなかったのね」

 

 呆れ半分のリアスに対して隣の朱乃が静かに笑みを浮かべた。

 

「最近、イッセーくん達が部室に来ない原因を知らない?」

「さぁ。アンタらはなんか聞いていないわけ?」

 

 朱乃の質問を適当に躱す。

 するとリアスが腕を組む。

 

「小猫と一緒に渚と自主練しているとは聞いてるわ、ちょっと本当かは疑わしいけど……。今は駒王に聖剣があるから心配なのよ、内緒で聖剣を探しているとかは間違ってもないでほしいわ」

「どっちみち居眠り男が一緒ならイッセーくんの身も安全でしょ」

 

 一誠の嘘をレイナーレは知っている。

 以前、アーシアをほったらかしにしていた渚を問い詰めたら仕方なさそうに白状したのだ。

 祐斗の探索と聖剣の破壊。

 そんな事をしているとバレたら、リアスは間違いなく止めるだろう。

 ともあれ最悪な状況にはならないと思っている。一誠は既に禁手に至っているし、一番弱そうな小猫もかなり強い。何よりあの蒼井 渚が付いているのだ。簡単にやられるメンバーじゃない。寧ろ主力がいないこの場所こそ危険だとレイナーレは考えている。

 

「あらあら、アーシアちゃんも渚くんと帰りたいでしょうに……」

「わ、私ですか? いえ、ナギさんのご用事の邪魔をするわけには!」

「健気ですわね」

 

 慈しむようにアーシアを撫でる朱乃。

 ここ数日前まで渚はアーシアと行動を共にしていた。

 一途に渚を慕っているアーシアだ、笑顔で懸命に隠しているが一緒に帰宅できなくなって寂しいのだろう。

 

「もう、折角同じマンションにしてあげたのに意味がないわ」

「今の悪魔はキューピット役までするのね、リアス・グレモリー」

「可愛いアーシアの初めて恋よ、主として応援したいと思うのは間違っているのかしら?」

「うぅ、ありがとうござます」

 

 顔を真っ赤にしてアーシアが礼を言う。

 なんとも甘い主だとは思う。

 眷属の一人一人に愛情を注いでいる珍しい悪魔だ。本来の悪魔なら部下として扱うか本当に駒としてしか眷属を見ていない。渚がリアスを善い悪魔だと言っていたがレイナーレもそこは認めている。

 

「部長もアーシアちゃんの恋ばかり応援していた足元を救われますわよ?」

「わかっているわ。レイナーレ、私はいつか貴方を越えてイッセーの一番になるから覚悟していなさい」

「越える? 何を言ってんだか、既にイッセーくんの一番はアンタよ」

 

 言って胸が痛む。どうやらまだ一誠に対する未練がそうさせているのだ。今さらそんなモノを向ける資格さえないと言うのに……。

 だがレイナーレの内心を知ってか知らずかリアス、朱乃、アーシアがきょとんとした顔をする。

 なんだ、その顔は……。

 

「気づかぬは本人だけとはね」

「あらあら」

 

 肩を竦める駒王学園の二大お嬢様と真剣な表情のアーシア。

 

「一緒にいる時のレイナーレさんとイッセーさんはとても素敵です」

 

 アーシアが真顔でそんな事を言い出す。

 素敵とはどういう意味なのか。

 レイナーレからしたら、愛情と尊敬を一心に向けられているリアスこそが一誠にとって至高の存在に見える。

 しかし目の前の三人からしたらリアスよりもレイナーレの方が愛されているように見えるらしい。

 リアスが少し寂しげな表情でレイナーレを見た。

 

「レイナーレとイッセーはね、とても自然なのよ」

「自然?」

「ええ、何処にでもいるカップルと言えばいいのかしら」

「そうですわね、いつもツンツンしている貴女をイッセーくんが好意的になだめる、そして満更でもないように受けとめる。そこには普通だけど壊したくないような幸せがある」

「はい、イッセーさんはいつもレイナーレさんを想っています。同じ部屋にいるときはお優しい瞳で見ていますから」

「悪いけど、私はそうは思わないわ。だってアイツはリアス・グレモリーを見て顔を赤めている、憧れと言ってもいいのかしら」

 

 だからこの三人の言葉を鵜呑みにはしない。

 事実を知って落胆するのは嫌なのだ。

 

「頑固ね、確かにイッセーは異性として私も好いてくれているわ。けれどそれは敬愛が強い、対してレイナーレに向けるのは恋愛……恋心よ」

「恋心ってそれはアンタにも向けているでしょうに」

「なんて言っていいか難しいわね。そうね、例えるなら私のはテレビのアイドルに向ける感情でレイナーレに向けるのは学校にいる好きな女の子に向ける感情よ」

「ええ、部長と貴女では恋の純度が違うと言えばいいのでしょうか」

「何よソレ、言ってる意味が理解不能よ」

「簡単よ。つまり私よりも貴女が愛されている、ただそれだけ」

 

 嫌みなど見せない笑みのリアス。

 あり得ない、自分の方がリアス・グレモリーよりも愛されている? 

 目の前の紅の女は間違いなく自分よりも良い女なのだ。

 愛する心と慈愛を持ち、姿も美しい。

 自らの欲で血に汚れた自分などと同列に並べるのもおこがましい。

 こんな純真潔白な女性から好意的なアプローチを受ければ自分など切り捨てるのが普通だ。

 気分が悪い。胸を巡る痛みがヘドロのように精神を苛む。殺しの記憶が神経を掻きむしる。

 過呼吸でも起こしそうなレイナーレに、ふと白い手が伸ばされた。

 

「レイナーレさんは素敵な女性です」

 

 そう言い切ったのはアーシアだった。

 聖女のような微笑みでレイナーレを包む。

 

「あなたは男の人に声を掛けられて困っている私を助けてくれました」

「違うわ、偶然よ」

「いいえ。レイナーレさんは、わたしを心配していつも学校帰りを見計らって通り道の商店街にいてくれてます。知ってるんです、いつも偶然を装ってわたしを待ってくれていること」

「それは……夕食の買い出しが偶々その時間になっただけよ」

「いいえ。だったら毎日はいないはずです。きっと世間知らずなわたしを心配してくれたんですよね? ありがとうございます」

「ち、違うわ! アンタには借りがある、アンタを悪魔にした発端は私よ! これは私が私を許すためにやってるだけ……そう自分のためにやっているの!! 勝手な解釈をするな!!」

 

 勿論、そんな事で罪を償えるとは思ってはいない。

 

「では、もう許してあげてくれませんか?」

 

 レイナーレは目を見開いて驚く。

 決して自分を許してはいけない者が許してあげろと言っている。

 正気を疑う言葉だ。

 だがアーシア・アルジェントは何処までも正気だった。

 感情が暴発する。今まで押し込めていた罪悪の想いが奥から溢れて止まらなくなる。

 

「……許せないわ、許せるはずがない。アンタだけじゃない、私はたくさん殺してきた。アンタは……アンタも私を許してはいけないのよ、怒るべきよ、憎悪するべきよ、私はそれだけの事をした」

 

 才能も(こころざし)もないのに自分という存在の証を立てるため強くなろうとした。そのために他人の血を啜り、蹴落とした。そして最後は罪悪に囚われる。

 なんという勝手な弱さだ。奪うだけで奪ったあとに、やらなければ良かったと後悔する。

 そんな吐き気すら覚える自分の本質を誰かが愛してくるれなどありはしない。

 

「ご自分が嫌いなんですね」

 

 アーシアはレイナーレの心を見抜く。

 そうだ、その通りだった。誰よりも何よりも嫌悪しているのは自分という存在だ。

 心の奥でずっと思っていたのだ。

 あの日、運命の日。渚と一誠に打ち負かされた瞬間、自分は死にたかった。

 現実は常に自分を苛み、死者が夢の中で許さないと叫ぶ。

 自分は死でしか許されないのかもしれない。

 

「何処にもいないはずの死者はね、夢には出てくるの。治らない傷のように私を許してはくれない」

「なら他の人が許さなくても、わたしは許します。レイナーレさんはいい人だって知っていますから」

 

 なんという慈悲だろうか。アーシアは疑うことなくレイナーレを信頼していた。

 一切の曇りのない微笑みだった、殺した相手に向けるモノではない。

 さらけ出した自分に対してこんなにも優しさを与えてくれる人物は初めてだった。

 

「泣いているのですか?」

「え? なんで?」

 

 なんだこれは?

 頬から溢れたのは一滴の涙。

 どうして泣く必要がある。こんなものは自分が流すべきでない。

 感情が追い付かず困っているレイナーレにアーシアは優しく傷つけないようにハンカチで瞳を拭いてくる。

 

「泣いた事がないんですね、奪うたびに心を苦しめているのに、泣く資格はないと言い聞かせて……」

「なんでアンタも泣きそうになってんのよ……」

「レイナーレさんは悲しすぎます。ご自分の為に泣く事が出来てない。今も涙を流している理由に疑問しか持っていません」

「同情のつもり? 私みたいな奴にするなんて大バカね」

「レイナーレさんに……友達に寄り添えるのなら大バカでも構いません」

「……いつから友達になったのよ」

 

 涙を拭きながら反論するとアーシアが慌てた。さっきまでの屹然とした雰囲気はどこにやらオドオドし始める。

 魂が、心が暖かい。陰鬱だった気分が晴れやかになる。

 確かにアーシア・アルジェントは聖女だった。

 弱い堕天使である自分を励まし、鼓舞してくれた。

 これは大きな、とても大きな借りだ。返済には一生を賭けないといけないかもしれない。

 

「す、すみません。わたしが勝手にそう思っていて……!」

「いいわよ、アンタが良いならそれでいい」

 

 レイナーレは腕で涙を拭う。いつまでも無様な姿は見せられない。

 

「ほ、本当ですか!」

「アンタになら素直に負けを認めても良いと思うから」

 

 どこまでも優しい聖女にはどう足掻いても勝てそうにない。

 レイナーレは心の底から敗けを認めた。

 けれど同時に決意した。アーシアには敗北した、だからもう一人には勝つ。

 見守っていたリアスにレイナーレは挑発的な目を向ける。

 

「リアス・グレモリー」

「何かしら?」

「私、アンタには負けないわ」

「いいわね、その顔。これでなくては越える意味がないわ」

 

 火花を散らす二人を見て「はわわ」と慌てるアーシアと「あらあら」と笑みを浮かべる朱乃。

 (わだかま)りが無くなって、お茶でも入れる雰囲気の部室。

 朱乃がカップに手を掛けた時だった。

 

 ──凄まじい圧力が駒王学園を襲った。

 

 リアスが立ち上がり、朱乃が驚嘆する。

 アーシアも学園に"何か"が来たと察して震えていた。

 誰よりも先に動いたのはレイナーレだ。

 

「リアス、すぐに渚かアリステアを呼びなさい!!」

 

 知っているのだ。

 この濃密な気配を彼女はよく知っている。

 部室のドアを開けて廊下に出る。

 時は既に黄昏から夜に移ろうとしていた。

 暗い廊下の奥から足跡が聞こえる。

 

「連絡は?」

 

 すぐ横に来たリアスに問うが首を振る。

 どうやら通信が阻害されているようだ。

 最悪だった。

 このメンバーでは絶対に勝てない者が目の前まで迫っている。

 闇の奥からゆっくりと現れたのは黒い男だった。

 荒々しく伸ばされた髪と歴戦の猛者を思わせる長身と肉体。

 レイナーレは単身で駒王に乗り込んだ存在に冷や汗を流した。

 

「久しいな、レイナーレ」

「……はい、お元気そうでコカビエルさま」

 

 そう、彼こそ聖剣を奪った張本人であり、レイナーレの師でもある伝説の堕天使コカビエルだった。

 



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聖剣探索《Quest for Sword》

 

 ──放課後。

 

 渚は小猫と一誠、元士郎を引き連れて祐斗と合流する。

 聖剣の破壊許可を貰って三日が過ぎているが未だにフリードの足跡を見つけきれずにいた。

 今日も公衆トイレを使って神父服に着替える渚たち。

 フリードは教会関係者を優先的に襲っているため一誠の案で神父姿で歩く事になったのだ。

 祐斗が微妙な顔をしていたが目的のために着てくれている。

 そろそろ収穫が欲しいところだった。

 リアスには自主訓練と言うことで部活は休ませて貰っているが明らかに怪しまれていた。

 バレるもの時間の問題だろう。

 聖職者の姿で人気のない場所へ行くが襲われる気配はない。やがて夕方が夜に変わる時間になる。

 表通りを離れた裏の道、ここで今日の探索は終了にする予定だ。

 少し歩いただけなのに別世界のようだ。

 暗く汚れたジメジメとした雰囲気。人の気配はなく姿を隠すなら持って来いの場所。

 

「はぁ今日も収穫なしか」

 

 落胆したように言ったのは元士郎だ。

 本来なら協力する義務がない彼だが思いの外、真剣に参加しているのは根が良いやつだからだろう。

 そんな元士郎の肩を一誠が軽く叩いた。

 

「しょうがないさ、今日は帰るか」

「待てイッセー」

 

 渚が歩みを止めた。

 同様に祐斗と小猫も同じ方向を向くとあるのは古い廃ビルの入り口だ。

 その暗い闇の奥から渚たちへ負の感情を跳ばしてくる存在がいる。

 どうやら当たりを引いたようだ。

 渚が入り口に歩を進めると祐斗も付いて来た。

 瞬間、背筋に寒いものが走る。間違いようもない殺気だ。

 ビルから弾かれたように白い物体が飛翔してくる。

 

「ひひ」

 

 嫌な笑い声が耳を撫でる。

 それだけで目標だと渚は察した。祐斗が先陣を切り、白い物体を魔剣で弾くが、ビルの壁を蹴った白いソイツは回転しながら落下。

 また仕掛けてくる。

 そう読んだ渚が刀に手を伸ばすと見慣れた外道な笑顔をしたはぐれ神父と目が合う。

 

「聖職さま方にご加護あれってね!!」

 

 白い物体──フリード・セルゼンが光の聖剣を上から振りかぶるも狙われた祐斗は魔剣でしっかりと受け止めた。鋭い金属音が風となって空気を弾く。

 

「あれま、誰かと思ったらグレモリーのイケメン君じゃん」

「フリード!」

 

 一誠が叫びながら聖職の服を脱ぎ捨てるとフリードが「あれま」という間抜けな表情をした。

 

「そっちも見た顔、確かグレモリーの雑魚だっけ? なんして聖職者の格好なんてしてんのさ?」

「お前を誘き出すためだ」

「いやん、全く目的が見えないわん、けどさー糞悪魔に好かれても嬉しくないんよ。つーわけで死ね」

 

 バリンっと祐斗の魔剣が砕ける音が響く。粉々になった欠片が祐斗の頬を掠めて血を見せた。

 心底、愉快と言いたげに口を歪めて嘲笑うフリード。

 

「なにソレ、雨細工かなぁー? なぁーんちゃって!」

「まだだ!」

「また造っちゃって、必死だねぇ? けど無駄無駄無駄ぁてね! ひゃはははは!!」

 

 やはり魔剣は伝説の聖剣に及ばない。

 忌々しくフリードの聖剣を睨む祐斗が二刀の魔剣を造り出して構える。まともぶつかってもキリがないと手数に切り替えて戦うスタイルに変更したのだろう。

 渚はそれに対して祐斗を庇うように立った。

 

「渚くん?」

「前衛は俺だ、祐斗は小猫と中衛、一誠と匙は後衛だ」

「僕は聖剣を!」

「落ち着けって。イリナとゼノヴィアの二人と戦ったんなら分かるだろ、アレ(聖剣)には固有能力がある、悪魔のお前じゃ危険すぎるんだ。だからまず俺が矢面に立つ。心配すんなって全部取ったりしねぇから、破壊はキチンと譲る」

「……祐斗先輩、渚先輩の言う通りにしましょう。相手は聖剣です、あの武器は私たちにとっては猛毒なんです」

 

 今にも飛び出しそうな祐斗の制服を小猫が付かんで止めた。

 

「……わかったよ。聖剣の威力は最近、身を持って味わったからね」

 

 渚と小猫の説得で祐斗は下がってくれる。流石に可愛い後輩の頼みは断れない様子だ。

 

「イッセー、匙、フォローは頼んだ。うかつに前に出るなよ」

「おう!」

「しょうがねぇ!」

 

 二人が神器を装備する。

 一誠はいつもの"赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"。

 元士郎は手の甲付近に蜥蜴の顔らしき物が装着された。

 渚はソレを確認してからフリードへ踏み込む。

 

「おやおや~君は以前、俺様にドアごと吹っ飛ばされた雑魚その2じゃないか」

 

 挑発を無視して譲刃を呼ぶと空間を裂いて刀が現れる。そのまま"輝夜(かぐや)"をお見舞いするが忽然(こつぜん)とフリードが持つエクスリバーの切っ先が消えて刀が通る筈の場所に現れた。

 剣と刀が激突して火花が散る。

 

「おーおー危ないねぇ。雑魚かと思ったけどやるじゃん」

コイツ(輝夜)を真っ正面から止められたのは初めてだよ」

「相手が悪ぅござんす。俺っちの持つのは"天閃の聖剣(エクスカリバー・ラピッドリィ)"、速さなら負けねぇのよ」

「らしいな。けど余裕かましていいのか、相手は俺だけじゃないぞ?」

「なんですと?」

 

 ヒュッと渚の後ろから黒いラインが跳んでくるとそのまま腕を絡め取った。

 

「うわ、何これ、キモッ!」

 

 聖剣で切断しようとするがラインは実態がないのか剣をすり抜けた。

 ラインは元士郎の神器へと続いていた。

 

「残念だったな、こいつはちょっとやそっとじゃ切れないぜ! そんでもってな!!」

「うお、力が抜ける?」

「俺の神器は"黒い龍脈(アブソブーション・ライン)"! コイツに繋がってる以上、おまえの力は吸収され続ける、とっととぶっ倒れろ!」

 

 神器が装着された腕を引っ張るとフリードも引き寄せられた。

 "黒い龍脈(アブソブーション・ライン)"、竜王に数えられる邪龍ヴリトラを封印した"神器"の一つ。

 直接の戦闘能力は一誠や祐斗の"神器"に劣るがその能力は侮れない。常に力の消耗を()いられるというのは命がけの戦いに()いては死活問題だ。フリードもそう感じたのか元士朗をターゲットにした。

 

「あぁクソうぜェ!! ぶっ殺すぞ、クソ悪魔……ブッ!!」

「悪いな、隙だらけ過ぎて蹴っちまった。──祐斗!」

「うん!」

 

 祐斗に目掛けてフリードを蹴り飛ばすと魔剣の一撃が放たれた。

 

「舐ぁめんじゃねぇよぉ!!」

 

 怒りの形相のフリードが祐斗の魔剣を聖剣によって斬り砕く。再び造り上げた魔剣で挑むが無情に一振りでガラクタにされてしまう。

 

「何回、同じことしやがるんで? いい加減、学べっつの、てめぇの貧相な魔剣じゃ無理だってさぁ! 頭、悪いんですかぁ?」

「くっ。それでも僕は聖剣に挑み続けなければならないんだ! ソレ(聖剣)は僕が破壊する!!」

「あ、そ。だったらさっさとおっ死ねや!」

「その前に自分の命の心配しろ」

 

 祐斗に斬りかかろうとしたフリードの背を渚が斬る。

 

「うぎゃ!」

 

 ゴロゴロと地面に転がるが苛立った顔で立ち上がると渚を睨み付けた。

 

「あー痛てぇ! なに、神父さまの背後を斬ってんの! 寄ってたかって卑怯モンが!!」

「どの口が言いやがる」

「俺がやるのは良いけど、やられんのはムカつくんだよ! クソ、さっきといい、テメェはぐちゃぐちゃにブッ殺す、二度とふざけた真似が出来なくしてやんよぉ!」

「奇遇だな。俺もお前を野放しにしておくつもりはないんだ、ここで斬らせて貰うぞ」

「かぁっこいい! じゃあ殺してみろ!」

「イッセー! 倍加が完了したら祐斗に譲渡だ」

「分かった!」

 

 一誠に指示を出すと渚は聖剣と斬り結ぶ。

 "天閃の聖剣"というだけあって剣速は随分と速い。

 だがそれだけだ。

 アリステアから受けた銃弾に比べれば遅すぎる。フリード自体が剣の速さに若干置いてかれている(ふし)があった。(わず)かなラグだが達人同士の戦いでは致命的な差が生まれる。

 渚は見えている聖剣の刃を(さば)いてはフリードにダメージを与えていく。

 

「なんだよ、なんだよなんだよ! この剣が見えてんのかよ!? お前、雑魚じゃないの!? なんで俺だけ斬られてるんですかねぇ!!」

「お前が雑魚その3だからなんだろ」

「俺っちが雑魚だと! 言ってくれるじゃん!! 決めた、お前は泣かす、てめぇの大事な者を殺してな! 全員プチっと斬り殺してやるよ! ひひひ!!」

 

 渚が(たも)っていた冷静さにヒビが入る。これは怒りという亀裂だった。

 アーシアが、藍華が、松田が、元浜が、この外道神父に蹂躙される光景が脳内に過る。

 この男なら確実にやる。渚の大事なものを探し出し、腹いせに殺しまわるだろう。この外道神父にとっては聖剣ですらも快楽を満たす道具に過ぎないなのだから……。

 渚は刀を強く握りしめた。

 そんな奴が日々の日常を侵すというなら、例え聖剣が相手だろうと容赦はしない。

 

「なら、その腕を落とそうか」

 

 ボソリっと小さく呟いた渚は()()()で"輝夜"を放っていた。初撃の牽制とは比べ物にならない殺意を纏った(わざ)の速度と鋭さは天閃すらも超えてフリードの右手を斬り跳ばす。

 

「ぎぃやああああああああ!」

「口は災いの元だ。覚えとけよ、外道」

 

 真っ赤な鮮血とは裏腹に氷のような冷たい声音(こわね)。このままで首でも落とそうかと思うが止めておいた。こいつには残りの聖剣の在処(ありか)を聞かなければならない。

 

「イッセー、祐斗、聖剣を任す。フリードは殺すなよ、まだ聞くことがあるから」

「俺は準備OKだぜ」

「四の五の言ってられないね」

 

 一誠の譲渡を受けた祐斗の魔剣が爆発的なオーラを解き放つ。数倍に膨れ上がった魔剣の力はエクスカリバーに見劣りしない剣と化していた。

 伝説(エクスカリバー)へと簡単に迫る事の出来る神滅具を頼もしく思いつつ、恐ろしくもある。

 フリードもまた危機感を抱き、地面に転がった腕から聖剣を拾うと迫る祐斗を迎撃した。

 ぶつかり合う聖と魔の剣。

 今度の魔剣は砕けず、逆に聖剣のオーラを呑み込んだ。

 聖剣の刀身に小さなヒビが入る。

 

「冗談だろ!?  天下のエクスカリバーが負けんのか! ふざけんなよ、おい!!」

「イケる!」

 

 砕けかけた聖剣に祐斗が歓喜の声を挙げた時だった……。

 

「まだソレを壊されては困るのだけどね」

 

 第三者の声が聞こえると同時に祐斗がいた場所を中心に破壊音が轟く。間一髪、祐斗はその場から跳び退いた。

 見れば立っていた所の空間から穴が開いて鋭い爪が伸びていた。出てきたのは十メートルはあるだろう三つ首の犬だ。ヨダレを垂らし、エサを眺めるように牙を()いてくる。

 

「……ケルベロスです」

 

 小猫が警戒心を向けて言う。

 地獄の番犬がなんでこんな場所にいるのだろうか。

 渚がそんな疑問を持っていると奥から人影が現れた、さっきの声の主だろう。初老の男性はフリードに近づくと"フェニックスの涙"をぶちまけて治療する。

 

「手痛くやられたか、フリード」

「腕が無くなっちまったよ。しかも逆の腕は変なラインつき」

「お前に与えた"因子"を使いこなせ。エクスカリバーであれば造作もない」

「んーこうか?」

 

 意識を集中させたフリードに聖剣が応えた。

 光は元士郎のラインを浄化して分解する。あんな事も出来るとは聖剣も侮れない。

 

「お。やっぱ俺っちって天才だねバルパーのじいさん」

 

 その名を聞いて全員が目を見開く。

 バルパー・ガリレイ、元聖職者で聖剣計画の責任者。

 祐斗にとっての真の仇が目の前にいるのだ、事情は知っている者は驚く。

 

「"聖剣計画"を()いたバルパー・ガリレイか……?」

「いかにも、おまえは誰だ?」

「イザイヤという名前に覚えは?」

「ないな」

「そうか」

 

 祐斗が殺気の剣でバルパーへ迫るがケルベロスが妨害する。

 

「邪魔を!」

「無駄だ、この魔犬は下級悪魔ごときでは勝てないぞ」

 

 ケルベロスの爪が祐斗へ迫った。

 刹那、白い外套を纏った二人が颯爽と駆け付けて、光を纏った剣を使いケルベロスの爪を足ごと切り裂く。

 白い乱入者たちは落胆したような仕草でバルパーを睨む。

 

「まさかケルベロスを飼っているとはね。元聖職者にしては趣味が悪いな」

「まったくだわ、そんなんだから追放されるのよ!」

 

 祐斗を庇ったのはゼノヴィアとイリナだった。聖剣と番犬の気配に誘われたのだろう。

 バルパーが、エクスカリバーを濁った目で恍惚と見据えた。

 

「ほぅエクスカリバーを所持しているな? なるほど教会の戦士か」

「"ほぅ"じゃねぇですよって、バルパーじいさん。めっちゃ囲まれてんぜ? 逃げたほうが良いんじゃね?」

 

 特に渚を見て言うフリード。どうやら(もっと)も警戒すべき相手と捉えているようだ。

 

「分かっている。行くぞ、目的成就も為にも損失は避けたいのでな」

「逃げるのか?」

「元々フリードを回収しに来ただけだ。だが安心しろ、()()()()()以上どうせ直ぐにお前たちとは戦うことになる。──結果は見えているがね」

「そいじゃね~、クソども」

 

 フリードが聖剣を光らせれるとバルパーと共に姿を消した。まだ遠くない、追えば間に合う距離だった。

 渚が気配を頼り、追おうとするがケルベロスが立ちふさがる。

 

「嫌な置き土産だ。これは俺が引き受ける、足の速いやつは追ってくれ!!」

 

 渚が叫ぶと祐斗が頷き、教会の二人も走り出す。

 

「逃がさないぞ、バルパー……」

「見失うわけにはいかない。イリナ、遅れるな!」

「うん、わかってる!」

 

 だが全員の動きが一瞬で止まった。

 夕暮れの空が一瞬だけ()()()水面(みなも)が揺れるような些細(ささい)(ゆが)みだ。

 同時に町が透明だが強固な箱に閉じ込められる。

 結界が張られたと気づくのに時間は掛からなかった。

 この現象は彼らの攻撃だ。駒王は今、逃げれない箱庭と化したのだ。

 更に驚きは続く。

 濃密な圧力が体を包んだからだ。背筋がゾクゾクと(こわ)ばる。

 その気配を感じたのは()しくも駒王学園の方だった。まさにそこに"何か"がやって来たのだ。

 

「うそ。なんで……?」

「そんなバカな。これは堕天使コカビエルの気配だ」

 

 イリナとゼノヴィアが戦慄(せんりつ)する。

 駒王学園に最上級の堕天使が降臨したのだ。その事実を聞かされた他の者も各々が緊張した。

 渚はすぐに幾つかの選択を脳内で弾き出す。

 このまま聖剣を追う。……渚が行けば追い付けるだろう。

 ケルベロスを倒す。……可能だ、刻流閃裂の極致でも使えば瞬殺だろう。

 だが上の二つは断念せざる得なかった。

 聖剣を追えばケルベロスと学園が(おろそ)かになる。ケルベロスを相手すれば消耗を()いられる。

 だから、ここでやるべきは一つだ。

 渚はハッキリと大声で仲間に指示を出した。

 

「別れるぞ! ゼノヴィアとイリナは聖剣を追え!!」

「いいのか?」

「そうよ、ケルベロスとコカビエルはどうするの!?」

「なんとかする。そして祐斗も聖剣の追跡をしてくれ」

「いや、僕は!」

「お前のこれからが()かってるんだ、それに聖剣を野放しにしてはおけない」

「でもッ!」

「行け! そんでもって過去を清算して部長に謝りに行こう」

「くっ……わかった!」

 

 考え抜いた結果、祐斗は教会組と共に走り出す。

 渚は続いて残った一誠、小猫、元士郎へ言葉を投げた。

 

「イッセー、搭城、匙はケルベロスを相手してくれ」

「コイツを俺が?」

禁 手(バランスブレイク)を使え。お前ならやれるはずだ、なんてったって赤龍帝だからな」

「ナギはどうすんだよ」

「学園に行く。だから──ここは任せていいか?」

 

 渚の言葉にイッセーが一瞬驚くも力強く(うなず)いた。

 守る者としてではなく戦友として戦いを(たく)す。いつも助けられて来た一誠にとってそれは大きな意味を持つ。

 

「う、嘘だろ、こんなのと戦えってか……」

「匙は後方支援だ、例のラインで足止めをしてくれればいい」

 

 渚は内心で謝罪する。本来なら自分が身を盾にすべきなのに元士朗へ危険を押し付けている。

 それでも指示に対して文句を言わずに「くそ、やってるさ!」と意気込む元士朗。

 本当にいい奴である。

 

「……すぐにやっつけます」

「頼む、二人を守ってやってほしい。終わったら学園にきてくれ」

「……はい、気を付けてください」

 

 渚が小猫に言うと彼女は拳を構えた。

 小さな少女は言葉少なく渚を送り出してくれる。

 そして渚は駆け出す。

 霊力を使って身体能力を限界まで高めると一足でビルの屋上へ上る。目指すべきは駒王学園、疾風のような速さで駆け抜けた。

 ビルとビルの合間を跳びながら町を見る。

 見た目はいつも通りだ。商店街には夕飯の準備をする主婦が多く、仕事帰りの人で道も混雑している。

 だが視力を強化して遠くの地平線を見れば半透明の大きな壁と天井が駒王を包んでいた。更に学園の方へ眼を向けると帰宅していない多くの生徒が倒れ付している。

 あそこは恐ろしい圧力の中心点だ、ただの人間では気に当てられただけで失神する。

 最短距離を周囲の物を吹き飛ばす勢いで移動をした渚は駒王学園へ到着する。

 そして砲弾のような勢いで巨大な圧力を撒き散らす存在へ突貫したのだった。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 ──空気が重い。

 

 いつもの学園の放課後は張り詰めた重圧によって危険な変容を見せていた。

 それはリアスにとって忌避すべき存在が駒王学園に侵入した事を意味する。

 先に飛び出したレイナーレに続き、リアスも部室の外に出た。

 彼女が焦った様子で渚かアリステアを呼ぶように助言したので念話を跳ばすが応答はない。魔力が遮断されている感覚に気づく。既に先手を打たれている事に歯噛みしつつ、薄暗い廊下へ出れば奥から一人の男がやって来た。

 重圧が増す。

 当然だ、現れたのは古より生きる堕天使の一人、コカビエルなのだ。

 このような場所に急に現れた難敵(なんてき)は先に出ていたレイナーレを見据えていた。

 

「久しいな、レイナーレ」

「お久しぶりです、コカビエルさま」

「こうして会うのは数年ぶりか、相変わらず無才の身で高みを目指しているようだな」

 

 リアスは違和感を覚える。

 名も無き下級堕天使のレイナーレと聖書にも記された最上級堕天使コカビエル、天と地よりも(へだ)たりのある両者の間にには妙な親しみを感じたのだ。

 実際、レイナーレは嬉しそうな、それでいて悲しそうな笑顔をコカビエルへ向けている。

 

「師がそう教育してくれたので」

「俺は戦い方の基礎と心意気を教えただけだ。だがお前は父と母ほどの強さには(いた)れなかった」

「不出来な弟子で申し訳ありません」

「構わん、最初から期待をしていなかった。槍を教えたのは俺を庇って死んだお前の両親への(とむらい)にすぎん」

 

 レイナーレが期待されていなかったと言う事実を聞いてを(まぶた)を伏せた。

 どうやら二人は師弟関係にあったようだ。

 レイナーレの表情は複雑で、その胸にあるのは不甲斐(ふがい)なさから来る悲しみだったかもしれない。

 師に認めてもらいたかったのだろう。そのために"神器(セイクリッド・ギア)"をかき集め、死にかけもした。

 そんな彼女の献身(けんしん)(うやま)いをコカビエルは一蹴(いっしゅう)する。

 

「俺の元に戻るなら勝手にしろ、戻らぬのならここがお前の墓場だ。選べレイナーレ」

 

 この状況でその言葉は脅迫に等しい。

 絶対強者から見逃してやると言っているのだ、普通なら従う。

 

「コカビエルさま、あなたの事は尊敬もしていますし感謝もしています。しかし私はここでやる事が出来てしまったので戻れません」

 

 だがレイナーレはリアスを一瞥しながらハッキリと自分の意思を示した。

 

「そうか。ならば今日でお前は終わりだ。さらばだ」

「はい。さようなら、敬愛する師匠(せんせい)

 

 刹那、コカビエルが穏やかな瞳をする。

 なぜそんな顔をするのか、リアスは理解が出来なかった。

 例え期待していなかった弟子だろうと裏切りに等しい行為だ。なのにコカビエルは責める気はないと言いたげにレイナーレから目を背けた。

 そしてリアスを獰猛(とうもう)な目で見下す。

 随分と雰囲気を変えてくるじゃない。

 リアスはそう思いつつ、魔力を全身に浸透させた。いつでも戦えるようにだ。

 

「リアス・グレモリー。お前を殺すのは後だ、安心しろ」

 

 予想に反して戦う気はないとコカビエルは告げる。当然だが信用はしない。

 

「お優しいのね、こんな登場をしたんですもの真っ先に襲ってくると思ったわ」

「戦争の仕方も知らんのか? これは宣戦布告だ、もっともお前たちの命はあと数時間でしかないがな」

「つまり今夜、仕掛けると言うの?」

「そうだ。助けを求めて無駄だ、冥界との接触を禁ずる術式を張った。異変に気づくのは速くて明日の朝だろう」

「わざわざ聖剣まで持ち込んで何が目的なの?」

 

 リアスがコカビエルを問う。

 

「知れた事。戦争を起こす、薄々気づいているのだろう? 半年以上前に駒王へ訪れた大量の"はぐれ悪魔"、レイナーレの時もそうだ。全て俺が糸を引いていたのだ。外部の人間を使ったせいか失敗に終わったがね」

 

 リアスの魔力が荒ぶる。

 彼女の怒りは尤もだ。この男は一連の事件の黒幕なのだ。一つ間違えば全て消えていた事件の首謀者を許しておけるはずない。

 そんなリアスにコカビエルは笑みを深くした。

 

「そよ風のような魔力で俺に挑むのか? 構わんぞ、(もっと)も大量の人間が死ぬがな」

 

 その言葉で悔しげに魔力を沈めるリアス。

 

「ふん、愚か者ではなかったか。では今日の0時に再び来る、せいぜい足掻(あが)くのだな」

 

 ふとコカビエルがリアスの横に(ひか)える朱乃を見た。その瞳にあるのは嫌悪感だった。

 待ちなさい、コカビエル。貴方が朱乃に何かを言うのは困る……。

 そんなリアスの嫌な予感を嘲笑(あざわら)うようにコカビエルは朱乃へ言葉を放った。

 

「堕天使でありながら悪魔に身を落とすとは愚かな。バラキエルもさぞ嘆いているだろう」

 

 朱乃にとっての地雷をコカビエルは踏む。

 リアスは悲鳴を上げそうになる。それは決して言ってはならない言葉だ。朱乃の目から光が消えるとバチバチッと周囲で雷が弾け始めた。

 

「……あの人の事を私の前で口にしないで!」

 

 いつもの大和撫子のような(たたず)まいと程遠い殺気じみた朱乃。

 

「デカイ口を叩くな。どっち着かずな半端者なぞ見るに耐えん、貴様のような自分を見失った者は過去に囚われ続けるだろう。俺が今、引導を渡してやろうか?」

「黙れ!」

「ダメよ、朱乃!」

 

 リアスが止めに入るが激昂した朱乃は感情のままにコカビエルへ雷を落とす。

 直撃を受けたコカビエルだったがダメージを受けた様子を見せずに光の槍を手にするとゆっくり歩いてくる。

 殺気を向け合うコカビエルと朱乃の間にリアスが慌てて割り込む。

 

「堕天使コカビエル、今夜という話ではなかったの?」

「それはお前(リアス)の死ぬ時間だ。アレ(朱乃)の事でない。何より攻撃されて黙っているほど寛容でもない」

 

 朱乃とて迂闊に触れてほしくない所に踏みいった堕天使を許す気はないだろう。

 リアスの考えを肯定するように朱乃も特大の一撃を放つために両手に雷を収束する。

 コカビエルがリアスに目もくれず朱乃を狙う。

 こうなっては仕方がない。リアスはここでコカビエルと一戦交える覚悟を決めた。

 

「不本意だけど好きにはやらせないわ」

 

 魔力を砲撃に変えて撃ち込むも槍の一振りで掻き消す。あまりにも呆気なく霧散する魔力。

 

「温いな、リアス・グレモリー。それでも魔王の血族か?」

「私の魔力を容易(たやす)く!?」

「これなら、どう!!」

 

 朱乃が怒りの感情を雷に変えてコカビエルへ放つもリアス同様に(むな)しく散らされる。

 

「児戯だな。バラキエルの娘とは思えん弱さだ」

「私の前でその者の名を口にするな!」

「いけない! 下がって朱乃!」

「もう遅い」

 

 歩くような速さで攻め込んできたコカビエルが邪魔だと言いたげリアスを波動で吹き飛ばす。

 

「リアス!」

「他人の心配をしてる場合か、貴様?」

「あ……」

 

 ゴミを見るような瞳。

 ここに来て目の前の男の強大さが身に染みて分かる。

 圧倒的な殺意と敵意が鋭利な棘となって朱乃の全身を貫く。

 眼前へ立ったコカビエルの圧力を前に朱乃は体を震わせて動きを止めてしまう。

 その朱乃の腹部を光が突き刺す。

 

「あぅ!」

 

 リアスが今度こそ本当に悲鳴を上げた。悪魔にとっての猛毒が親友を貫いたのだから当然だ。

 

「あれだけ(いき)がっておいて今さら恐怖に(おのの)くのか? ほら眼前に敵がいるのだからやってみせろ、バラキエルの娘」

 

 輝きのある刺突が朱乃の肉体を(むしば)む。

 傷口からゆっくりと消滅をしていく朱乃の横から手が伸びて光の槍に触れた。

 

「や、やめてください!」

 

 跳び出してきたアーシアが朱乃の刺さる光を抜こうと必死になるも、コカビエルの腕力には意味をなさない。

 それどころか手の平が光で焼け、肉の焦げる臭いが広がった。

 灼けた鉄を素手で握るよりも激しい苦痛。しかし光の槍を手放す気配はない。

 ただひたすら皮膚が焼け、肉を灼く、骨すらも溶かす浄化に必死に耐えている。

 

「う……うぅ……」

「アーシア……ちゃん、手を離し……て」

 

 同じ激痛を味わう朱乃が苦悶の表情で(さと)すが激しく首を振って否定する。

 

「出来ません! このままでは朱乃さんが死んでしまいます」

「自ら光に焼かれるか、酔狂な悪魔もいるものだ」

「お願い、やめて!」

 

 このままでは二人は死ぬ。

 そんな危機的状況がリアスを(あせ)らせた。だがコカビエルは唇を歪ませて邪悪に(わら)う。

 

「やめる? 何故だ? これは殺し合いだ、死人が出るのは同然だろう?」

 

 コカビエルがアーシアの傷を無視して朱乃の殺そうとした時だ。

 

「同意します、ですがこの子は殺されては困るのです」

 

 一本の槍を手にしたレイナーレが斬りかかる。

 コカビエルは槍を手放して距離をとった。

 

「貴様が俺に槍を向ける日が来るとはな」

「昨日まで敵だった者が味方になる、逆も(しか)りではありませんか?」

「言うようになったな小娘。だが真理でもある。しかし槍を向けた以上は容赦はせんぞ?」

「ええ、それにこっちも援軍が来ました」

「何?」

 

 瞬間、旧校舎の壁が爆散した。

 蒼井 渚が抜き身の刀を手に参上したのだ。

 

「渚! 来てくれたのね!」

「すいません、部長。遅れました」

「お願い、二人を助けて!」

 

 リアスが体をよろめかせながら渚へ懇願する。

 渚は朱乃とアーシアを見るなり、表情を険しくすると迷わずにコカビエルへ斬り掛かった。

 互いが互いを認識する時には刀と槍がせめぎ合っている。

 

「お前がコカビエルか?」

「そういうお前は誰だ?」

「蒼井 渚だ。早速だが──ここで死ね」

 

 本心を隠さずストレートに口に出す様子からも間違いなく渚はキレていた。

 

「この俺に死ねだと? この場で寝言を言えるとは面白い人間だ」

「ならもっと面白いもの見せてやるよ」

 

 渚が刀を振り抜いてコカビエルの体を校舎の外へと弾き出す。

 漆黒の翼を広げるコカビエル。

 十はある翼で浮かぶ堕天使に対して渚は刀を納めて腰を低くする。

 蒼いオーラが渚の全身から現れる。

 一誠(赤龍帝)を荒ぶる激しい炎とするなら、渚のソレは真逆のゆったりとした水のようなオーラだ。

 しかし内に秘める力は静かな暴威を思わせた。

 護神刀"譲刃"が渚の怒りに共鳴するように霊力の変換を開始。

 大気のマナすら刀へ収束され、"神滅具(ロンギヌス)"にも迫るだろうオーラを宿す。

 

「あれはアイツの十八番(おはこ)居合い(輝夜)!」

「いいえ、レイナーレ。あのオーラ、ただの"輝夜"じゃないわ……!」

 

 相手の危険性に気づいているのだろう。最初から全力でコカビエルを倒そうとする渚。

 

刻流閃裂(こくりゅうせんさ)が極致、"輝夜(かぐや)貌亡(かたなし)"」

 

 転瞬、渚がオーラと共に消えた。

 次に現れたのは少し離れた旧校舎の外。

 そんな渚が自身の体の前で刀をゆっくりと納めた。

 キンッと小気味良い音と共に(つば)鞘口(さやぐち)が繋がる。

 そして古の堕天使が座する空を無数の斬撃が斬り刻む。

 あの技はリアスの知る"刻流閃裂"という流派の中でも尤も理解が困難な技だ。

 この世界の理すらも置いて行く速さで、無数の斬撃を空間に設置する異能にしか見えない攻撃。

 あんなものは回避しようがない。

 今までがそうだったように神速の斬撃は古の堕天使すらも斬り裂いて地に落とした。

 

「コカビエルさま……!」

 

 レイナーレが口を押さえて師を案ずる。

 凄まじきかな、渚の攻撃によってコカビエルは腕を欠損し、翼も千切れて無惨な姿に成り果てた。

 リアスは唖然とする。

 渚は神話に名を残す堕天使すら斬り捨てたのだ。

 日に日に強くなっていると思っていたが、これ程までになっているのは予想外だった。

 旧校舎の外に着地した渚が倒れるコカビエルへ構えを取る。

 渚の目はまだ終わっていないと告げていた。

 

「く、くく、ふふ、はははははははは!!」

 

 ボロボロのコカビエルが哄笑(きょうしょう)しながら立ち上がる。

 人間なら失血死しているだろう量の血液で地面を汚すが堕天使は気にした様子もなく渚へ顔を向けた。

 リアスは初めてコカビエルに恐怖を覚える。

 どう見ても死に体の男が心底愉快そうに嗤っているのだ。

 渚もまた異常な精神を持つだろうコカビエルに警戒を敷く。

 

「くく、おい人間。驚いたぞ、この俺を一撃でこの様にするとは……。こんな面白いモノを見せてくれるとは夢にも思わなかった」

 

 まるで子供のようにケラケラと腹を抱えるコカビエル。何が面白いのかは彼しか分からない、こんなスプラッターな姿など本来は忌避する筈なのだ。

 

「俺は全然面白くないけどな」

「あぁ確か俺を殺す気だったな? いや気にするな、事実このままではあと数分で俺は死ぬから宣言通り殺した事なる」

「……のわりには余裕に見えるぞ」

「こうなる事は予測していたからな、備えはあるんだよ」

 

 コカビエルが懐から注射器を出した。

 その薬をコカビエルは躊躇(ちゅうちょ)なく自らの心臓へ打つ。

 コカビエルの傷口がボコボコと気味悪く泡立つと肉が盛り上がり、骨が構成される。

 やがて攻撃を受ける前の状態まで再生された。

 

「ぐぅ……おぉ……ふふ、この死と生の合間を行き来する感覚に脳が沸騰するな」

 

 腕の欠損まで治したコカビエルの薬にリアスは驚く。

 あの有名なフェニックスの涙でさえ肉体の欠損を治すの不可能だ。それを成した彼の持つ薬は万能とも言えるだろう。

 だが肩で息をしている所から余程の負担が掛かっているようだ。

 

「これか? コイツは昔、"神の子を見張る者(グリゴリ)"が造った薬でな、効果は抜群だが欠点もある代物だ。回復するのに体力を消耗し、激痛も(ともな)う、そして……いやこれは言っても意味がないな」

 

 そう言うとコカビエルは渚へ背を向けた。

 

「小僧……蒼井 渚と言ったか? ここはお前に免じて退こう、"ヤツ"の使いが来るまでの余興だったが存外楽しめそうな戦いだ。数時間後、再びここへ来る。その時は全力で殺し合うとしよう」

 

 堕天使が翼を広げて空へ飛び立つ。

 止める暇がないほどに隙のない退場だ。

 コカビエルが去ったことで常に感じていた圧力が消える。

 リアスは疲れたように壁にもたれ掛かり身体を預けた。しかし、こうしている暇はない。数時間後には総力を(もっ)て攻めてくるのだ。今までに味わったことのない酷い宣戦布告にリアスは気を重くするのだった……。

 



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本当の彼女《My True Self》

 

「出ないか……」

 

 派手な大穴が空いた旧校舎の廊下で渚は電話をかけていた。だが無情にもスマホから聞こえてくるのは出られない状況を知らせるアナウンスだった。

 相手はアリステアである。

 彼女は数日前から駒王を離れている、急にふらりと出掛ける事がある彼女なのだが今回は間が悪い。

 そういえば家に中国やらインドやらのパンフレットが転がっていた。もしかしたら思いの外、遠い場所にいるかもしれない。

 

「ステア……」

 

 リアスの頼みで連絡は取ったが渚自身、アリステアを戦いに駆り出したくなかった。

 万全の彼女なら渚も頼っただろうが今は右手に厄介な呪いを飼っている。それは凶悪な呪詛であり、アリステアという破格の霊氣を持つ存在でなければ瞬時に死んでしまう程の代物だ。

 もしも戦いで消耗し過ぎたら間違いなく呪いは侵攻してアリステアを殺すだろう。

 大事な相棒が死に晒されるリスクを考えるとリアスには悪いと思いつつも安心してしまう。

 ともせず渚はアリステアを呼ぶのを諦めて部室へ戻る。

 扉を潜って中に入るも雰囲気は暗い。

 状況は良くない、数時間後にはコカビエルが再び攻めてくるのに町は結界に覆われて連絡が取れない孤立無縁の状態。シトリーの眷属が町の外へ出て救援を呼ぼうと動いているが恐らくコカビエル側は何らかの対策を施している可能性が高いだろう。

 

「ん?」

 

 ふと渚のスマホが音を鳴らす、メール音なのでアリステアではない事は確かだ。

 画面を開くと搭城 小猫の名前がディスプレイされる。

 

『倒しました。兵藤先輩も匙先輩も無傷です』

 

 ケルベロス撃破の連絡に安堵する渚。

 あの番犬相手に無傷で勝利する仲間を頼もしく思う。 

 

『お疲れ、こっちも落ち着いたからイッセーと匙を連れて学園へ来てくれ』

 

 スマホをポケットに納めるとリアスが近づいてくる。

 

「アリステアは?」

「すいません」

「……そう」

 

 所在不明を知らせて落胆するリアス。

 だが力のない笑みを浮かべた。

 

「また……貴方に頼ってしまうわね」

 

 コカビエルに正面から相対出来るのは現状で渚だけである。(ゆえ)にリアスは自分の無力を感じながらも勝利のために渚を最大利用すると決めたようだ。

 正直、期待が重い。

 少しでも力を抜けば足が震えて逃げ出したくなる。

 相手は神話にも名を連ねる(いにしえ)の堕天使。

 一度退けたという実績はある。だがそれは油断という隙を突いたからだ。しかも初見の"輝夜・貌亡"ですらコカビエルは討てなった。渚が殺す気で放ったあの刹那の斬撃から生き延びたのだ。

 次は本気で来る。只でさえ最強の攻撃で倒せなかった相手だ。二度目は分が悪いだろう。

 それでも()らなければならない。ここで逃げれば大勢の人が死ぬ。だからそこ渚は自分に言い聞かせる……絶対に勝つ、と。

 

「気にしないでください、それに俺だけが戦う訳じゃない」

「そうね。ごめんなさい、ちょっとアッサリやられたせいで弱気になっていたみたい」

 

 気合いをいれるように両手で自分の頬を叩くリアス。

 そのタイミングを見計らったように生徒会長であるソーナ・シトリーがやってくる。二人はアイコンタクトすると作戦を立てるため部室を後にした。

 渚はそれを見送って、アーシアの座るソファーへと歩み寄る。アーシアは疲れた表情を隠すため力のない笑顔を作る。

 

「手、大丈夫か?」

「あ、はい。私は平気です」

 

 アーシアの両手には光を取り除く魔術が付与された包帯が巻かれている。

 本来の彼女ならすぐに癒せるだろう傷だが、重症を負った朱乃を治癒したことで体力が尽きてしまったのだ。

 だからこうやって神器の使える体力が戻るまで安静にしている。

 

「私もまだまだです、朱乃さんを治すのに時間が掛かってしまいました」

「光で重症を負った悪魔を治療したんだ。普通の傷を治癒するとは訳が違うよ」

 

 光は悪魔にとって猛毒だ。

 アーシアは傷の治療と平行して、汚染してくる毒と侵食する消滅を取り除いた。しかも光力の発生源はあのコカビエルだ、決して並みではない。この消耗は仕方ないとも言える。

 渚は朱乃を救ったアーシアの頭を撫でる。

 最近になって気づいたが、どうやら自分は女の子の頭を撫でる悪癖があるらしい。気安く異性に触るのはどうかと思うが、励ましたり褒めたりすると自然と頭に手が伸びるのだ。治すべきだろうと思うがアーシアは頬を赤くしつつも笑ってくれている。

 

「よく頑張った。アーシアのお陰で人が死ななかったんだ」

「あぅ……ありがとうございます」

 

 恥ずかしそうにしながらも渚の手を受け入れるアーシアは頭を撫でられるのが好きなのだ。こうして褒められるのが新鮮なのだろう。

 

「ナギさん、折り入ってお願いがあります」

「ん、なんだ」

「朱乃さんの所に行ってはくれませんか?」

「俺が姫島先輩の所に?」

 

 部室にはリアスの副官である朱乃がいない。

 リアスが気にした様子を見せなかったので渚もあまり意識していなかった。アーシアは心配そうな顔をすると包帯の巻かれた両手へ視線を落とす。

 

「この()を見た朱乃さんが何度も謝ってきました。その、なんというか、とても自分を責めているように感じて……本当は私が行くべきかもしれないですが逆に傷つけてしまいそうで会えないんです」

「話は分かったけど、俺が励ませるのかな」

「出来ます、ナギさん誰かを助けられる人です。体じゃなく心を救ってくださいます、だから朱乃さんに手を差しのべて貰いたいんです、勝手なお願い恐縮なんですが……」

 

 そこまで期待されて「嫌です」とは言えないだろう。

 渚はどうしてもアーシアの前では見栄が出てしまう。きっと彼女にカッコ悪い所を見せたくないという情けない理由だ。可愛い妹の前では、なんでも出来る兄を演じたいという感情によく似ている。

 

「いいよ、俺がなんとかする」

「あ、ありがとうございます!」

「じゃあ早速行って来る。アーシアはここで休む、いいな?」

 

 渚は疲れた彼女を休ませて部室を出た。

 瞑目して集中する、周囲の気配を探りながら目的の人物を見つけると歩き出す。

 

「姫島先輩は……一階の裏手か? なんでそんな場所に」

 

 朱乃は人気(ひとけ)のない旧校舎裏で一人になっていた。声を掛けようとしたが彼女を見て動きを止めてしまう。

 

「(マジか)」

 

 それは戸惑いから来る困惑だった。

 姫島 朱乃の印象は、頬に片手を添えて「あらあら」と言いつつ優しく眷属を見守る年上のお姉さんという感じだ。

 西洋の美女を体現したようなリアスとは対象に、大和撫子という言葉が似合う。

 実際に駒王学園ではリアスと並んで二大お姉様とまで言われているほどだ。

 だから今の彼女を見て渚は驚きに包まれた。

 旧校舎の壁に背を預けて足を組み、暗く(うずくま)る彼女は年上のお姉さんには見えなかった。いつものポニーテールをほどいているからか年下の少女のような錯覚さえ覚える。

 

「(どうするか……)」

 

 今、声を掛けても上手く励ませる自信がない。まさかあんなにも自分を追い詰めてしまうタイプだとは思いもしなかったのだ。

 渚が、どう声をかけるべきか考えていると朱乃が顔をあげる。視線がぶつかってしまう。どこか上の空の瞳の朱乃だったが数秒してから『……あ』と何かに気づいた顔をして罰が悪そうに渚から目を逸らした。

 バレてしまったからには逃げ出すわけにも行かないだろう。

 渚は朱乃へ歩み寄る。

 

「隣、いいですか?」

「……うん」

 

 いつもの令嬢めいた口調は成りを潜めていた。

 もしかしたらこれが姫島 朱乃という女性の姿なのかもしれない。

 

「こんな所で何を?」

「ちょっとね、反省してたんだ」

「反省ですか?」

「アーシアちゃんの手を見たでしょ? あれってね、私が相手の挑発に乗ってしまったからなの」

「そうですか」

 

 事もなく答えると朱乃は心底意外そうな顔をした。

 

「どうして?」

「何がです?」

「私のせいで貴方の大切な子が傷ついたのよ? 怒っていないの?」

「怒って無いですよ、それにもしここで姫島先輩を責めたら逆にアーシアから怒られそうだ」

 

 朱乃の表情を覗く。

 自己嫌悪という負の感情に苛まれ、どうしていいか分からず一人で考え込んでいたのだろう。

 だが彼女の場合は、きっとそのやり方では解決しない。今の状態からしても良い結果にならないのは見えている。最悪、このままコカビエルと合間見えれば死ぬ可能性もある。朱乃がどうしてコカビエルに無理してまで挑んだのかの予想が付いていた。しかし話せば彼女の心に踏み入る事になる。それでも渚は一歩だけ進むと決めた。

 

「姫島先輩は堕天使なんですね」

「やっぱり知ってたんだ」

 

 唐突な渚の質問に朱乃は驚かず、小さく頷く。

 グレモリー眷属の中には異質な気配を持つ者がいる。

 それは一誠と朱乃だ。

 魔力と同居するドラゴンのオーラが一誠なら、魔力と光力の力を同時に所持しているのが朱乃である。最初に会った時から朱乃が天使か堕天使の関係者なのは気づいていた。悪魔とは思えない異様に強い光力、相反する能力を持つ朱乃は印象によく残った。

 尤も本人がそれを隠しているので今まで言及はしなかった。

 

「あまり立ち入って良い話題では無さそうだったので黙っていました」

「優しいんだね」

「他人の過去を詮索しても、どうしようもないからです」

「そっか、でもバレてたんならいいかな」

 

 朱乃は(おもむろ)に立ち上がると背に翼を広げた。右に悪魔の翼、左には堕天使の翼が現れる。

 

「どう? これが姫島 朱乃の本性、悪魔でも堕天使でもない別の何か。……気味が悪いでしょ?」

 

 唇を噛んで忌々しそうな表情の朱乃。

 

「どこがです?」

 

 渚が本気でそう思って即答する。

 確かに片方が違う翼と言うのは不思議だが、それだけで気味悪がる理由にはならない。

 朱乃が渚の言葉に呆けている。なんでそんな顔をするのかすら分からない。

 

「よ、よく見てる? ほら、こことここの翼がね? 違うのよ?」

 

 あせあせと順番に翼を指差す朱乃が少し可愛くて笑いそうになった。

 

「大丈夫です、見えてます」

「こんな醜い姿見(すがたみ)なんていないでしょ」

「醜い? 姫島先輩は綺麗ですよ?」

 

 思わず即答する。

 彼女は醜いと揶揄するがそんな事では姫島 朱乃の美しさのマイナスにはならない。

 けれど、ここに来るまで嫌な体験をしてきたのは理解した。そうじゃないと自分を気味が悪いなど言わないだろう。

 

「へ? えと、ちょっと待って。今の私、いつもの私じゃないのよ」

「いつもの姫島先輩はなんと言うか凛として綺麗ですけど、今の方が俺は話しやすくて良いです」

「う、うそ? こんな子供っぽい私が?」

「確かに年下に見えますね」

「あ、ひどい。自覚あるからいつも演じてるのに」

 

 見るからにどんよりと落ち込む朱乃。

 お姉さまの仮面が外れたら自信のない一人の少女となるのだろう。本当の彼女は周囲が思ってるよりもずっと平凡なのだ。

 

「なるほど、こっちが素ですか」

「……う。誰にも言わないで、リアスの"女王(クイーン)"がこれじゃあ示しがつかないから」

「言いませんよ、約束です」

「……! ありがとう、蒼井くん。それとね、あなたの大切な子を傷つけてごめんなさい」

「それはアーシアに改めて言ってください。それと今日の戦い、頑張りましょう。──頼りにしてます」

「うん!」

 

 渚の言葉に朱乃は微笑んだ。

 いつもの彼女からは想像できないヒマワリのような笑顔は見ていて可愛らしい。

 朱乃にとっては誰にも見せられない顔を見てしまった以上は、これからもフォローを忘れずにいようと強く思ったのは内緒である。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

「やっぱり私に内緒で聖剣を破壊しようとしていたのね」

「俺が動く分にはいいかなっと。イッセーと搭城を巻き込んだのは申し訳なく思っています」

「それはいいわ。貴方の事だから全力で守るつもりだったでしょうし、けど相談くらいは欲しかったわ。私、一応この町の管理者なのよ?」

「すいません」

「イッセーや小猫と一緒にあとでお説教ね」

「祐斗も、でしょ?」

「……そうね、あの子にも沢山お説教してあげないといけないわ」

 

 朱乃を立ち直らせた渚は部室に戻った。

 そこでリアスに問い詰められて、聖剣を破壊しようとしていた事を話してしまう。

 彼女は怒り半分呆れ半分と言った表情だ。

 ともせず、もうすぐ戦いが始まろうとしていた。

 アーシアの手を癒え、朱乃も調子を取り戻した。一誠と小猫も既に合流し、レイナーレとミッテルトも戦うために準備完了済みだ。力を借りていた元士郎は既にシトリーの下に戻っている。ただ聖剣を追って行った祐斗、ゼノヴィア、イリナの詳細は不明だった。

 

「部長、コカビエルの結界は?」

「解呪は難しいわね。ソーナの眷属が出ようとして酷い目にあったらしいわ」

「酷い目とは?」

「結界に触れた瞬間に光力で焼かれたそうよ。恐らく悪魔に対しての備えね、そして結界は人間に軽い暗示も掛けている痕跡も見られるの。町から出ようとする人に作用する仕組みでしょうね」

「その結界、破れませんか?」

「私か朱乃の魔力をイッセーの倍加と譲渡で強化すればいけるわ。……けど」

「そうしたらコカビエルが動く、ですね」

 

 広域催眠による暗示と光力を纏った遮断を持つコカビエルの結界。

 奴の目的は戦争の勃発。それに必要なのは魔王の親族であるリアスの殺害だ。聖剣を奪ったのも天界への挑発と宣戦布告だろう。

 

「コカビエルは強敵だけど貴方がいるなら安心よ」

 

 リアスが期待に満ちた目を渚へ向ける。

 コカビエルを難なく退けた戦いを見たからこその言葉なのだろうが渚は余裕を感じてはいない。

 コカビエルは渚が持つ最強を受けて尚も嗤っていたのだ。

 数万の年月を生きただろう堕天使だ、渚の放った剣撃に匹敵する技を知っていたとしても不思議ではない。

 漠然とした大きな不安が胸に残る。もしも渚たちの予想を上回る切り札をコカビエルが所持していたらと思うとゾッとする。

 しかし今の渚が弱音を吐くことは許されない。

 この戦いに挑む者達の士気は渚の存在によって保っているようなものだ。

 自分が折れれば瓦解しかねない。

 だからこそ渚は虚勢と自覚しつつもリアスへこう言うしかない。

 

「大船に乗ったつもりでいてください。──なんとかしますから」

 

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 

 ──夜。

 

 コカビエルとの戦いが間近に迫るが、やることの無い渚は適当に新校舎を彷徨(うろつ)いていた。

 月明かりが照らす廊下から町を見下ろしていると窓を開けてボケッとしている元士郎を発見する。

 渚が近づくが気づいた様子がない。

 何か考え事をしているのだろうと思い、無言で立ち去ろうとしたが何故か放って置くことが出来ずにその肩を叩いた。

 

「何してんだ、匙」

「おぅお! びっくりしたぁ、なんだ蒼井かよ」

 

 体をビクリと震わせた元士郎だったが渚だと分かった瞬間、安堵の顔をする。

 

「なんだとはなんだ。一人で寂しく空を見上げて何やってんだ?」

「……ちょっとよ」

 

 歯切れの悪い元士郎。

 どうやら何かを考えていたのは間違いなかったようだ。

 渚はとりあえず内容を聞いてみる、元士朗には聖剣探索に付き合わせた借りがある。悩みがあるなら相談くらいには乗ってやりたかったのだ。

 

「話し(にく)いのか? なら無理には聞かないけど」

「あー、うーん、いや隠す事でもないんだけど……まぁいいか。実は──」

 

 元士郎が渚に話したのは一誠の事だった。

 (いわ)く、渚が去った後のケルベロス戦で元士郎は巨体と圧力に完全に怯えて何も出来なかった。しかし一誠は自分よりも遥かに巨大な番犬に立ち向かい、小猫のフォローがあったとはいえ禁手化(バランスブレイク)を使用して雄々しく戦い、それを倒したとの事だ。

 

「俺さ、どっかで兵藤を見下していたんだよ。学校じゃスケベで、覗きの常習犯で、女子からの嫌われ者、少し前に会長が兵藤は俺よりも上って言ってたけど負ける要素なんてないと思ってた。けど戦闘になったら勇敢で、ビビりまくってた俺なんかよりもずっと強くて……格好良かった」

 

 元士朗の悩みの原因は急に訪れた劣等感だ。

 下だと思っていた奴が実は上だった。その事実を聞くのと見るのでは大きく違う。だが落ち込むにしてもまだ早い。

 

「イッセーの場合は結構ヤバイ事件に巻き込まれているからな。匙だって今からだろ?」

「そう思うか? 俺も兵藤みたいに数ヵ月で禁手に辿り着けるか?」

 

 肯定は出来ない。

 一誠の場合は色々と特殊すぎたのだ。神器に宿るドライグが積極的に力を貸してくれているのに対して元士郎の神器の中にいる龍王は声を掛けてこない。

 それでも諦める理由にはなるかと言えば否である。

 

「匙が禁手へ辿り着けるかは俺には分からない。頑張ったら必ず自分の目指す場所に届くなんて理想主義者の短絡的な発想だと思う」

 

 項垂(うなだ)れる元士郎。

 落ち込む気持ちは理解できる。匙 元士郎と兵藤 一誠は共通点が多い。同じ時期に転生した悪魔、同じドラゴンの神器を宿す悪魔、あのリアス・グレモリーとソーナ・シトリーの"兵士(ポーン)"。

 これから二人を比較されるはずだ。しかも既に元士郎は出遅れている。このままでは差が開いていくのは明白だった。

 

「ははは、だよな。努力したって届かない事は多いもんなぁ」

 

 自信を無くした笑いが夜の廊下に木霊した。

 まさかケルベロスとの戦いで元士郎の精神がこうも追い詰められているとは夢にも思わなかった。

 それでも渚は厳しい現実を突き付けるが、自分が信じている現実も言葉にする。

 

「けど目指す意味はきっとある」

「え?」

「届く届かないは関係ないんだ。積み重ねた物は匙を裏切らない。努力はいつか経験になって必ず力になってくれる」

「……蒼井」

「だからさ、頑張ってみないか?」

 

 少し偉そうな事を言ってしまったかな……と反省するも記憶がないゼロからスタートした渚にとって努力は間違いなく糧になることを自身で体験済みだ。

 反省はしているが間違ったことを言ったつもりない。

 

「……あぁ、ああ! そうだよ、最初から諦めるなんてソーナ会長にも失礼だ! 俺はソーナ・シトリーの"兵士(ポーン)"、兵藤なんかに負けていられないよなッ!! 俺、頑張ってみるよ、蒼井」

「そっか。元気が出てくれて良かったよ」

 

 元士郎がやる気になったのを見て渚も安堵する。

 

「蒼井、俺は夢を叶えるために邁進(まいしん)するぜ!」

「夢?」

「聞きたいか? いや聞いてくれ、お前になら言っても良い」

「ど、どうぞ?」

 

 元士郎の妙な迫力とテンションに圧倒される。

 

「俺はな、会長と出来ちゃった結婚をする事だ!」

「…………ん? なんだって??」

 

 渚は一瞬、耳がイカれたかと錯覚した。

 

「会長と出来ちゃった結婚がしたいんだ!」

「あ、そ……」

 

 そんな気の抜けた返事しか出てこない。

 自分の力の無さを痛感して真剣に落ち込んでいた者とは思えない不純な理由。

 

「俺はやるぞ。いつか兵藤を越えてそこに辿り着く!」

 

 気合いMAXの元士郎。

 渚は素直に称賛出来ない目標を前にして、なんとも言えないような表情で見つめる。

 

「お陰で頑張れる気がする。ありがとう、蒼井」

「あ、うん、がんばれー?」  

 

 熱のない渚の声援と元士郎の煩悩な熱意。

 夜の校舎の片隅でその二つが虚しく交わるのだった。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 時が満ちる。

 

 渚は駒王学園に敵がやって来たのを肌で感じた。

 正門から堂々と歩いてきたのはフリードとバルパーだった。

 フリードが渚とグレモリー眷属を発見すると嬉しそうに嗤う。

 

「見ろよ、バルパーのじいさん。悪魔が雁首(がんくび)揃えてお待ちかねだ」

「ああ、すぐに儀式を始める。──いいな、コカビエル」

 

 バルパーが空を仰ぐと漆黒の翼を広げたコカビエルが駒王学園を見下ろしていた。

 その圧倒するプレッシャーのせいで息苦しくなる。

 

「──構わん、さっさとやれ」

 

 その言葉を受けたバルパーが魔方陣を展開した。

 

「いったい、何をするつもり!」

「喚くな、リアス・グレモリー。すぐに分かる」

「分かりたくもないわ、消し飛びなさい」

 

 リアスがバルパーに向けて魔力を放つ。

 だがその魔力は寸での所で光に両断された。

 

「儀式の邪魔はさせん」

 

 バルパーとフリードを庇うように立ったのはドーナシークだ。

 ドーナシークは光の槍の先端を一誠に向けた。

 

「赤龍帝、お前を殺す」

「……ッ!? 上等だ!」

 

 急に殺気を向けれた一誠だが臆さずに"赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"を装備して構えた。

 上空にいるコカビエルが椅子を召喚して座る。

 

余興(よきょう)だ、せいぜい足掻(あが)けよ。さぁ全てを守りきれるか、蒼井 渚?」

 

 挑発とも聞き取れるその言葉に渚は上空を見上げた。

 やはり渚を警戒しているが脅威としては感じていない。渚の戦闘力を認めつつも負けない自信がコカビエルにはあるのだろう。

 だからと言って臆する訳にもいかない。

 渚はコカビエルに対して指を刺すと挑発をそのまま返してやる。 

 

「すぐに出番が回ってくるぞ」

「それは楽しみだ。そう言えばここに来る前に悪魔と悪魔払い(エクソシスト)が徒労を組んで挑んできたぞ。お前たちの知り合いか?」

 

 間違いなく祐斗たちだろう。

 聖剣を追ってる最中でコカビエルと出会い、戦闘になったのだ。

 

「ソイツらはどうした?」

「クク、動揺を顔に出さないのは褒めてやろうか。一人を半殺しにしたら残りは虫のよう散って逃げたぞ。情けない、挑んだからには死ぬまで戦えと言うのに……。まぁいい、宴を始めるとしよう」

 

 コカビエルが手を(かざ)すと、空間がガラス細工のように割けてケルベロスが這い出てきた。

 その数、6体。

 渚達を取り囲むような陣形で牙を剥く番犬たち。

 

「嘘だろ、ケルベロスがあんなに!?」

「あらあら、どうしましょう」

「……飼い過ぎです」

「怖くは……ありません!」

「ええ、私たちならやれるわ!」

 

 リアスとその眷属が身構える。

 そしてリアス達と共にある堕天使の二人もケルベロスへ戦意を向けた。

 

「ミッテルト、邪魔だから隠れてなさい」

「イヤっす。ウチも戦う」

「相手はあのコカビエル様よ」

「関係ない。レイナーレさまが……姉さまが自分の生き方を決めた戦いの手伝いをさせて!!」

「ほんっとバカな子。じゃあせいぜいコキ使ってあげるから付いてきなさい!」

「はいッス」

 

 堕天使の二人が死地という戦場で笑いながら槍を構えた。

 ドーナシークが顔を曇らせた。

 

「レイナーレ様、やはり赤龍帝の下へ残るのですか? 師であるコカビエル様を見捨ててまで……」

「勘違いしているわ。今でもあの方の事は敬愛している、けど最初から私を必要とはしていない事も事実。これは私なりの師へ贈る成果よ、あなたのお陰でここまで強くなったというね」

「詭弁ですね、残念です。ではコカビエル様の名の下、赤龍帝共々に倒させていただきます」

 

 ドーナシークが槍の先端を低く構えた。

 

「おい、ドーナシーク」

「……なんだ、ミッテルト」

「素直になれッス」

「なんの事だ」

「お前とは付き合いが長かったから知ってる。お前はレイナーレ様のことを……」

「言わぬが花だぞ、小娘」

 

 ドーナシークの言葉の裏を察したミッテルトは黙り混む。

 渚は二人の会話の意味を理解した。

 恐らくドーナシークはレイナーレを好いていたのだろう。そうならば一誠に向ける敵概心も納得だった。

 

「行くぞ」

 

 ドーナシークの合図と共にケルベロスも動き出す。

 渚が斬り伏せようと譲刃を手元に召喚するも小猫に刀の柄頭を優しく抑えられた。

 彼女の金色の瞳が渚を見上げる。

 

「……渚先輩は温存です」

「待て、流石にあの数は危険じゃないか?」

「……余裕です。なのでここはわたし達に任せてください」

 

 小猫がいつもの眠たげな表情でピースサインを出す。

 どうしようか迷っている渚の肩にポンッと手を置かれる、振り返れば朱乃がニコリと優雅な笑みを浮かべていた。

 

「ここは私たちに……。蒼井君に無駄な体力を消費させては戦況に響きますわ」

「大丈夫なんですね?」

「……平気。元気、貰ったから」

 

 小声で返事をする朱乃。

 渚は彼女達を信じて下がる。

 

「小猫ちゃん、私は右から来る一体を引き受けますわ」

「……了解、私は左のやつをぶっ飛ばします」

 

 言って飛び出す小猫。

 ケルベロスと比べれば絶対的に小さな肉体、例えるならダンプカーと人が正面からぶつかったような光景だ。

 普通なら小猫が撥ね飛ばされた終わる。

 しかし現実はそうはならなかった。

 ケルベロスの三つある内の真ん中に小猫の拳は命中する。

 その瞬間、固い鈍器で殴った時に聞こえる壊音が轟き、ケルベロスの顔面が陥没して巨体が吹っ飛んだ。

 頭を一つ失ったケルベロスは痛みによって転がり回るが小猫はその尻尾を平然と掴む。そしてジャイアントスイングで弄ぶと地面へ叩きつけるように投げた。

 沈黙するケルベロス。

 まさに圧勝である。

 

「あらあら、私も負けていれないわ」

 

 朱乃が頬に手を当てて小猫の勝利を喜ぶ。

 その間にもケルベロスが大口を開けて迫っていた。

 危機的状況に朱乃は片手だけをケルベロスへ向けて雷を射つ。

 雷撃はケルベロスを貫き、ひれ伏せさせた。

 立ち上がろうとするが体が痺れているのか、ガクガクと距離を震わせるケルベロスを見えて朱乃は体を震わせた。

 恐怖ではなく歓喜。

 相手にまだ雷を落とせるという危険な喜びを携えて、再び攻撃を開始した。

 やがてケルベロスは灰となり動かなくなる。

 

「……残り4」

「ですわね」

 

 魔力のオーラで威嚇する小猫と朱乃。

 本能からかケルベロスが脚を止めて警戒の唸り声をあげる。

 渚が前衛に立つ二人を静かに見据えた。

 小猫が圧倒するのは予想できていた、あの小さな少女を見掛けだけで判断したら大変な事になるのだ。

 見た目と反比例する小猫の腕力は十数倍の大きさに達するケルベロスすら叩き潰す。決してケルベロスが弱い訳ではない、あの魔物は上級悪魔クラスの敵だ。ただ小猫が強いだけである。最早、下級悪魔にはカテゴリー出来ないほどに……。

 そして渚が気になったのは朱乃だった。

 彼女が強いのは知っているが、それは中級悪魔としては……である。だから格上に位置するケルベロスをこうも瞬殺したのに驚きを感じている。

 

「強いな」

「朱乃?」

 

 渚の独り言にリアスが答える。

 

「あ、はい。別に普段が弱いって訳ではないですけど今のは姫島先輩はいつもと違う気がします」

「そういえば渚は朱乃とあまり絡みがないから知らないのね。あの子は感情が強さに変わるタイプなのよ」

「つまり今は絶好調だからあんなに戦闘力が高くなった訳ですか?」

「そうよ。私や祐斗は理性で相手を攻略するけど朱乃とイッセーは感情を力とする。どっちが優れている訳ではないわ。前者は自らをコントロールして安定させることで戦うタイプ、後者は振れ幅が広くて呆気なく負けてしまう場面もあるけど高ぶった時は限界以上の強さを発揮するわ」

 

 つまり水と炎のような感じなのだろう。

 水は常に形を変えずにその場に存在するが、炎は燃料によって大きくも小さくもなる。

 理性で戦う者は安定しているため常に限界ギリギリの実力で戦える、本能で戦う者は不安定だが時として限界を大きく超えた実力を出せる。

 朱乃が本能で戦うタイプだったのは意外だが少し疑問が残る。

 さっきまで落ち込んでいた彼女に何が起きたのか。

 渚が朱乃の絶好調な理由を探しているとリアスがクスッと笑った。まるで渚の考えている事を悟ったような笑みだ。

 

「お願いだから、私の眷属を全部(さら)って行かないでね」

 



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祝福と別れ《Goodbye My……》

 

「行くぜ、"赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"!」

Boost(ブースト)!!』

 

 朱乃と小猫がケルベロスを倒した裏側では一誠がドーナシークと戦いを繰り広げていた。

 光の槍で武装したドーナシークは悪魔である一誠にとって天敵とも言えるが臆することなく"赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"で防ぐ。

 光の槍は怖い。実際に命を一度奪われているのだから恐怖を忘れられるはずがない。

 しかし一誠は光の槍よりも怖いものを多く見てきた。

 ドラゴン化したレイナーレ、ライザーの不死鳥、本物の聖剣。

 これだけの存在を知ってしまっては()()()()()()など我慢できる恐怖に成り下がる。加えてドーナシーク自身の動きも緩慢(かんまん)で遅い。

 

「これが悪魔になって、たった数ヵ月だと?」

「なんだよ、ビックリしたのか?」

 

 日頃から祐斗や小猫、そして渚と模擬戦を繰り返している一誠は既に下級堕天使では手に追えない実力を身に付いている。

 (いま)だに動きは荒さが残るも、しっかりと槍を見切って躱す。

 予想外の強さの一誠を忌々しそうに睨むドーナシーク。

 

「貴様さえ、貴様さえ居なければ、レイナーレ様は戻ってきていた!」

「お前、まさか夕麻ちゃんの事が……」

「無駄口を叩くな!」

 

 殺意の槍が無遠慮に跳んでくる。

 意識を集中させないと光に貫かれてしまう。

 

Boost(ブースト)!!』

 

 二度目の"倍加"が済んだ事を確認した一誠は力を解放してドーナシークに手を(かざ)した。

 

「食らえ、ドラゴンショットォッ!」

 

 赤いオーラの塊がドーナシークを吹き飛ばす。

 

「くそ……これが神滅具の力」

 

 ショットによってボロボロになったドーナシーク。

 一誠との間にある実力差を悔しいながらも認めた様子で立ち上がると二人の戦いを見ていたレイナーレへ視線を向けた。

 

「認めたくないが、これが持つ者と持たざる者の隔たりか」

「わかったでしょ? あんたじゃイッセーくんには勝てないわ、退()いて」

「少し変わりましたか、レイナーレ様。以前の貴方だったら逃げろとは言わなかった」

「少し甘く待った自覚はある。いえ余裕が出来たというべきかしら」

「その中にある赤龍帝の力ですか?」

「ええ。この胸の中にある神器の欠片はわたしを縛る鎖であり、絆でもあるのよ」

「良い顔をするようになりました」

 

 目を伏せてドーナシークは涙を流した。

 

「ドーナシーク?」

「私の敗けだ、赤龍帝」

 

 敗北宣言をするドーナシークに一誠は困惑したような表情を浮かべる。

 

「降参? 敗けを認めるってのか?」

「そうだ。ドーナシークという個人は私闘を挑み、完敗した。(ゆえ)にここから先はコカビエル様の部下としては戦わせてもらう」

 

 ドーナシークが翼を広げて飛び立つ。

 彼が目指したのは空中に浮かぶコカビエルの玉座、そこにたどり着くと頭をさげる。

 

「このような不出来な堕天使をお側で仕えさせて頂き、ありがとうございます」

「アレを使うのか?」

「はい」

「ならば勝手にするがいい、貴様は不出来な部下であまり役には立たんかったが俺に仕えた最後の堕天使としてその名を魂に刻んでおく。──()らば、堕天使ドーナシーク」

「光栄の極み。ではお()らばです、偉大なる堕天使コカビエル様」

 

 ドーナーシークが上半身の服を破り捨てた。

 その筋肉質な胸部には深々と(なん)らかの装置が埋め込まれており、中心の水晶が光を放ち始めた。

 ドーナシークの体が黒く染まる。

 手足の爪は鋭く、筋肉が膨張し、翼も堕天使よりも禍々しく変異した。

 

「な、なんだよ、あれ。胸にある機械にみたいのがあるけど」

「ウソ! まさか"咎堕ち(トランスフォール)"!?」

「トランスフォール? 夕麻ちゃんはアレがなんか知ってるのか?」

「堕天使が開発した戦力増強装置よ。あの装置を埋め込まれた堕天使は通常の数十倍の力を得られるわ」

「そ、そんなに!?」

「だけどデメリットがあるのよ。理性が喪失(そうしつ)して戦うだけの化け物に()り下がる。なにより装置を発動させたら数十分で死ぬわ」

「はぁ!? 数十分!? メチャクチャじゃないか!」

「だから堕天使で使おうとする者はいない、あんなの手の込んだ自殺よ。……ドーナシーク、どうして」

 

 レイナーレが唇を噛む。悔しそうに悲しそうに人の形を捨てていくドーナシークを見上げていた。

 仲間として過ごした時間がそうさせるのだろう。

 ドーナシークの変異が完了する。

 それはカラスに良く似た人型怪物。

 均等の取れた大きな体躯を持つ人でありつつ、黒い体毛が両手両足を包む。翼もより一層巨大化している。三メートルはある鳥人と言えばいいだろうか。

 

「イクゾ、セキリュウテイ」

 

 残された理性でドーナシークが宣言すると黒い凶鳥が急行下してくる。

 ──速い! 

 驚く一誠だったが、表情に出す前に拳を貰って派手に吹き飛ぶ。

 校庭を何度もバウンドしてやっと止まるが、ダメージが深刻で立ち上がれない。

 黒いカラスはレイナーレを見下す。

 

「コカビエルサマ ノ テキ ハイジョ……」

「ドーナシーク、そんなになってまで強さを得ても意味がないわ!」

「オォオオォォオオオオ!」

 

 理性が無くなってきているのか、ドーナシークがレイナーレに襲いかかる。

 レイナーレが光の槍でドーナシークの鋭い爪を受けるも純粋な腕力の差で徐々に圧され始める。

 

「このバカ!」

 

 爪を受け流して反撃するがレイナーレの槍はドーナシークの体を貫くことはなかった。

 

「表皮が堅い!? ……もう堕天使ですらないのね」

 

 人の姿を捨て去ったかつての戦友を沈痛な面持ちで見据えると右手の構えた。

 

「来なさい、"赤龍帝の欠片"」

 

 レイナーレの手首から指先を赤い装甲が包む。

 中央にある碧い宝玉が光を放つと真っ赤なオーラが彼女を包んだ。

 

Boost(ブースト)!!』

 

 最初の"倍加"。

 欠片に過ぎないレイナーレの持つ倍加は1,5倍だ。

 それでも赤龍帝の力は凄まじい。

 "倍加"を行った力を解放してドーナシークの堅い表皮を槍で突き刺す。動物的な悲鳴をドーナシークがあげるが理性のない怪物の瞳がレイナーレを捉えた。

 

『アァァアァアアァアアアアアッッ!!』

 

 ドーナシークの黒い腕が異様に肥大化した。

 あまりにアンバランスな姿のまま腕をハンマーのように叩き落とす。

 地面がガラス細工のように砕け散った。

 足場を崩されたレイナーレは翼を広げて跳ぶが巨碗に掴まれてしまう。

 ギシギシと華奢な肉体を閉めてつけてくる。

 

「かはっ!」

 

 アバラが砕けて喀血(かっけつ)する。

 このままでは握り潰されて死ぬ。

 レイナーレは危機感と共に"倍加"した力を槍に乗せてドーナシークの片目を突き刺す。

 眼球を抉られたドーナシークは耐えきれないと言わんばかりにレイナーレを地面に叩きつける。

 

「ぐッ……このっ!」

 

 激痛に晒されて朦朧とするレイナーレだったがまだ終わってはない、ここで眠れば一生目覚めることがないと分かっているのだ。

 最早知らない怪物となった戦友に槍を向けた。

 ボコボコッと深いな音が聞こえる。見ればドーナシークの顔が変異して新しい顔へと造り直されていた。

 もはやドーナシークは別のモノへと完全に変異してしまっている。

 

「見てられないわね……」

 

 満身創痍のレイナーレにドーナシークは容赦なく攻撃を浴びせる。

 槍を上手く使って捌き続けるが、徐々に体力が減り、傷が付く。

 着々と死が迫る。

 レイナーレは「当然か……」と納得してしまう。

 今のドーナシークは命を燃やして力を得ている。

 それが弱いはずはない。恐らく上級悪魔は軽く越えた戦闘力だ。

 下級堕天使のレイナーレが勝つためには"倍加"を突き進めてから攻撃する方法しかないのだが、相手は時間がないと本能的に自覚しているため全力で殺しに来ているのだ。

 

「させるかよぉ!!」

 

 レイナーレの危機に一誠が立ち上がる。

 ドーナシークを睨み、烈迫の気合いを携えて叫ぶ。"赤龍帝の籠手"に埋め込まれた宝玉が応えるように光を放つ。

 

禁 手 化(バランス・ブレイク)!!」

Welsh(ウェルシュ) Dragon(ドラゴン) Over(オーバー) Booster(ブースター)!!!!』

 

 真っ赤なオーラが一誠を包むと全身を覆う鎧が形造られる。"赤 龍 帝 の 鎧(ブーステッド・ギア・スケイルメイル)"を装備した一誠が駆け抜ける。

 

「突撃だ、ドライグ!」

『いいだろう、舌を噛むなよ相棒』

 

 ドライグが呼応すると鎧の背中から噴射孔が現れた。

 

J E T(ジェット)!!』

 

 荒々しく超加速し、突撃するとそのまま拳を打ち抜く。

 ドゴォンと豪快な音を鳴らす拳打にの首がへし折れた。一誠は相手を死に至らしめた恐怖と戦いに勝った歓喜を同時に感じた。

 

「やった!?」

『まだだ、油断するな!』

 

 首の折れた怪物が一誠に手を伸ばす。

 慌てて受け止めると力比べのような体勢になった。

 

「ぐぐぐ! 重てぇ!」

「シ、シシシシ、シネ、ワタシ カラ レイナーレ ヲ ウバッタ ニクキモノ」

「やっぱり夕麻ちゃんの事が好きだったのかよ」

「ヨコセ」

 

 本能が暴走し、怪 物(ドーナシーク)が血の涙を流す。肉体の崩壊が始まっているが殺意を宿す精神は収まるどころか膨らむばかりだ。

 

「誰が渡すか、夕麻ちゃんは俺の彼女だ! ドライグ、10秒なんて待っていられない、"倍加"の速度を速められないかッ!?」

禁 手(バランス・ブレイカー)に至ったこの姿ならその制約はない。だが急激な倍加は肉体に大きな負荷を与えるぞ』

「やってくれ! こいつは絶対に倒す!!」 

『いいだろう、ならば加減は無しで行く。一撃に全てを賭けろ、相棒』

「おう!」

 

 "赤 龍 帝 の 鎧(ブーステッド・ギア・スケイルメイル)"の各部位に存在する宝玉が輝くと音声が幾重も響く。

 

boost(ブースト)boost(ブースト)boost(ブースト)boost(ブースト)boost(ブースト)boost(ブースト)boost(ブースト)boost(ブースト)boost(ブースト)boost(ブースト)boost(ブースト)boost(ブースト)boost(ブースト)boost(ブースト)boost(ブースト)!!!!!!!』

 

 タイムラグなしに"倍加"した"神 器(セイクリッド・ギア)"により一誠のオーラを瞬く間に巨大にさせた。猛る炎が如く揺れるオーラを纏いながらドーナシークに歩み寄る。

 一歩踏み込む度に龍が歩いたような亀裂が地面を割った。

 

「ドーナシィィィィィクゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!!」

「セキリュウテェエエエエエエエエエエイッ!!!」

 

 互いの拳がぶつかり合うがドーナシークの腕が裂けてそのまま胸を貫かれる。

"倍加"を重ね続けた一誠の方が圧倒的に強いのだ。

 しかし装置が砕けても理性を失ったドーナシークは怯まずに一誠へ跳び掛かった。

 

「しつけぇ! だったら、もう一度……」

 

 狂暴なオーラを乗せた拳で迎撃しようと構えた。

 勝機を確信した一誠だったが次の瞬間、信じられないような目眩によって動きを鈍くしてしまう。

 ドーナシークの攻撃の直撃を貰い、口から熱いものを吐き出す。

 

「ゲホッ! 急に力が……?」

『──一撃と言ったろ。ただでさえ禁 手 化(バランス・ブレイカー)で出来上がっていない肉体に無理をさせているんだ。今の相棒ではこれが限界だ』

 

 嘘だろ……と一誠は愕然とした。

 さっきまであった力の放出が一気に消えていく。

 全身に力が入らず、膝を突くと世界がグルグルと回った。

 致命的な隙だ。すぐそこでドーナシークの殺意を感じる。

 ──立て。

 そう命令するが石のように重くなった体は動いていくれない。

 

「シ、ネ」

 

 死刑宣告の憎悪が落ちてくる。

 抗う(すべ)のない一誠、1秒先に死が迫る。

 懸命に肉体を動かそうとするがガクガクと震えるだけだった。

 

「イッセーくん!」

 

 生死の狭間で一誠を庇ったのは光の槍だ。

 レイナーレがドーナシークの巨腕を受け止めたのだ。

 

「レイナーレ……サマ ドウシテ」

「ドーナシーク、アンタの気持ちはよく分かったわ、だからせめて私が殺してあげるわ」

 

 レイナーレが一誠の前に立って応戦するも、ドーナシークの化物じみた膂力(りょりょく)に押し負け始める。正面から受け止めるには攻撃が凶悪過ぎたのだ。

 だが動いたら一誠が標的にされてしまう。レイナーレは死ぬ気で槍を振ってドーナシークの豪腕を捌き続けるしかない。

 

「ドライグ!」

『全く。今回の宿主は余程、無茶が好きなようだ』

 

 一誠の叫びにドライグが呆れと喜びを足したような笑いで返答した。

 再び"神器"の"倍加"が始まる。

 

Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)!!!!!!!!』

 

 真っ赤なオーラが炎のように燃え上がる。

 しかし無理をしての"倍加"だ。負担の上に更なる負担を掛けた一誠はすぐには動けない。

 

「けどなぁ、手がない訳じゃない!」

『ああ、その通りだ』

 

 手を(かざ)す。

 狙うのはドーナシークではなく、自らの盾になって戦っている女性だ。

 

Transfer(トラスファー)!!』

 

 赤龍帝の力は"倍加"だけじゃない。"倍加"した力を他に移す事が可能な能力も秘めている。

 大事な人を助けるために限界を更に超えて『倍加』した力を譲渡する一誠。

 

「あとは頼む、夕麻ちゃん!」

「最後に女頼みとは情けない。でも悪くない援護よ、イッセーくん」

「へへへ」

 

 二人が笑い会うとレイナーレの神器も光り出す。一誠から譲渡された力が槍に伝わると『赤龍帝の鎧』に似た一本の槍が構成された。

 

Deformation(ディフォアメーション) Dragon Lance(ドラゴン ランス)!!』

「槍が変形した? 上等よ! 赤龍帝からの贈り物、使わせてもらう!!」

 

 装甲が展開して光の刃が発生する。

"倍加"を重ねた結果なのか、槍から放出される光は膨大で最早、巨大な大剣だ。

 力のまま槍を降り下ろすレイナーレ。

 

「アアァァアアァァァアァアアアアアアアア!!」

 

 最後の足掻きとドーナシークが槍を受け止める。

 霧散していく光力と崩壊していく体が互いの存在を賭けてぶつかり合う。

 

「あと少しってのに! どこにそんな力があんのよ!!」

「ギ、ギギギギギ」

 

 もう言葉も痛みも忘れてしまったのか、ドーナシークは殺戮本能を剥き出しにして光に抗う。

 これだけの力の爆発の放出だ。レイナーレの肉体も悲鳴を上げ始めた。

 しかし次の瞬間、ドーナシークの胸部から鋭い光が生える。

 

「ギ?」

「ごめん、ドーナシーク。けどもう終わりッス」

 

 背中からミッテルトが奇襲を掛けたのだ。

 ミッテルトがレイナーレへ叫ぶ。

 

「姉さま!」

「弱っちぃ癖に無理するわね」

「弱っちぃからこうも気づかれずに済んだんスよ」

「そうね。お手柄よミッテルト。──離れなさい!」

「了解ッス」

 

 レイナーレが渾身の力で槍をねじ込む。

 光槍は胸の装置を破壊し光の粒子を周囲に散布した。穏やかな光が駒王学園を照らし、その輝きに呑まれたドーナシークは分解されていく。

 

「ここまでして敗けたか、だが愛した人に葬られるのも悪くない……」

「とんだ迷惑よ、ばか」

「申し訳、ありま、せん。あなたの恋が……成就する事を……願って……」

 

 最後にそんな遺言を残してドーナシークと言う堕天使は光に溶けて逝く。かつての同志は敗北したと思えない笑みを浮かべて消えたのだ。

 後悔も反省もない。残ったのは少しばかりの(むな)しさだった。レイナーレは込み上げてきた感情を隠すように天を仰ぐ。

 

「さよなら、友よ」

 

 色々な感情が口から出そうになったレイナーレだが結局出たのは短い言葉だけであった。

 



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真なる聖剣《Holy Orders》

 

「たく、ヒヤヒヤさせてくれるよ。けど三人ともナイスファイトだ」

 

 渚は自然と称賛を贈っていた。 

 一誠とレイナーレ、そしてミッテルトが変異したドーナシークを相手取り勝利を掴んだ。所々危ない場面もあったが、肩を貸し合う三人を見て渚は安堵の息を洩らす。

 周囲にいたケルベロス達も朱乃と小猫が全て駆逐してしまった為、渚は十分な余力を残せていた。

 頼もしい仲間たちである。

 だが、ここからが本番だ。油断なく残った敵へ視線を向ける。

 空に座するコカビエルは(いま)だに動く気配はない。手駒を失ったのに随分と悠長だと思うが好都合なのでしばらく静観を願いたい。

 そうすれば魔法陣でなんらかの儀式を行っているバルパーとフリードの二人に集中できる。

 

「ドーナシークめ、所詮は木っ端堕天使か。時間稼ぎ程度にしか使えんかったが役には立った。……く、くく、こうして()()()のだからな!!」

 

 バルパーが両手を空に掲げて哄笑(きょうしょう)すると膨大な聖なるオーラが駒王学園を駆け巡る。

 何が()()()のか?

 魔法陣に意識を集中させると複数からなる聖剣のオーラを感じる。渚は何が起こるのかを漠然と予測した。バラバラだったエクスカリバーという聖剣を魔方陣でひとつにする気なのだろう。

 そしてバルパーが陶酔した顔で術式の完成に歓喜した。

 

「四本のエクスカリバーが今、一つになったのだ!」

「四本? ……取られたか」

 

 渚は眉を潜めて状況の悪さに舌打ちをこぼす。

 コカビエル側にある聖剣が()()()()。コカビエルが教会から持ち去った聖剣は三本。だがバルパーは四本と言った。確かコカビエルはここに来る前に祐斗達と戦闘を行ったと言っていた、つまりゼノヴィアかイリナの聖剣のどちらかが奪われている。彼女たちに同行していた祐斗の安否を気にしていると、夜の闇に紛れて駒王学園に近づく気配があった。

 

「バルパー・ガリレイ!」

 

 夜を裂こうかという俊足と殺意を(もっ)て、校庭にやってきたのは祐斗だ。そのすぐ後ろからは少し遅れてゼノヴィアもやって来る。どうやら無事だったようだ。

 バルパーを睨む祐斗に対してゼノヴィアは焦った様子で周囲を見渡す。そしてアーシアを見つけるや否や、慌てた様子で駆け寄った。

 

「アーシア・アルジェント、助けてくれ!!」

 

 ゼノヴィアの背には血まみれでぐったりとしたイリナが持たれ掛かっていた。

 明らかに虫の息で今にも死んでしまいそうな深傷だ。ゼノヴィアは両方の膝を突いて懇願するようにアーシアを見上げた。うっすらと涙の後も見られる。

 

「頼む! 以前の事を許さないと言うなら幾らでも償う!! だから──!!」

 

 痛々しいほどの懇願だった。

 ゼノヴィア自身もアーシアをあれだけ罵倒したのに虫の良い話だと思っているのだろう。

 それでも死に瀕しているイリナを助けるためにプライドも恥も殴り捨てて頭を下げる。イリナを抱える手が震えている。とても見ていられなかった。

 そんなゼノヴィアに対してアーシアはイリナの症状をしっかりと観察していた。何も言わなくても助ける気だった彼女を渚は誇らしく思う。やはりアーシアは優しいのだ。

 

「酷い。この右胸の大きな傷は裂傷ですね……。ゼノヴィアさん、他の傷は?」

「た、助けてくれるのか……?」

「私にやれる事はしますから早く! 今なら間に合います!!」

「わ、分かった」

 

 アーシアに圧される形でイリナを地面にゆっくりと寝かせるとイリナの体を見聞する。

 

「君の言う通り右胸の傷が一番大きい、あと動脈からも出血している。秘薬を煎じた薬草で止血しているが止まる気配がないんだ」

「いいえ、応急処置は完璧です。ゼノヴィアさんがいなければ失血死していました。良かった、イリナさんは単純に傷が深すぎるだけです」

「何が良かったんだ!」

 

 ゼノヴィアが声を張り上げるがアーシアは傷を見聞しつつ返事を返す。

 

「私の神器は、呪詛や毒などの治癒に時間を要します。でも単純な深傷なら……」

 

 アーシアが傷に手を当てると淡い光が怪我を消していく。

 余りの速さにゼノヴィアが息を呑んだ。

 やがて荒かったイリナの呼吸が安定したが目覚める気配はない。

 

「すいません、傷は癒せても体力までは戻せないんです」

「そんなことはない。ありがとう、イリナを助けてくれて本当に……」

「か、顔を上げてください。わたしは出来る事をやっただけですから」

 

 ゼノヴィアの感謝に顔を赤くするアーシア。

 そんな彼女たちを上空から冷徹な瞳で見るコカビエルがいた。アーシアの治癒能力の高さを疎ましく思ったのは明白だった。何をしてきてもいいように渚は刀の鍔に指をかけて警戒する。

 

「面白いくらいに傷が治る神器だな。……バルパー」

「分かっている。フリード、陣のエクスカリバーで聖女もろとも全員殺せ。四本分の聖剣だ、やれるだろう?」

「いいねぇ、聖剣使って悪魔狩りってチョー最高!」

 

 狂気染みた笑顔でエクスカリバーを握るフリード。

 聖剣が抜かれた瞬間、陣から莫大なエネルギーが放出されて駒王学園を大きく揺らす。

 その光景を見たコカビエルが不適に嗤うとエネルギーを巧みに操作して手のひらサイズに圧縮した。

 何をするかは分からないが嫌な予感はする。

 

「それで何をする?」

「高密度のエネルギーだ、色々な選択肢がある。擬似的な聖剣因子を産み出す事も出来れば、ここいらを焦土と化す……というのも可能だ」

 

 コカビエルの宣言にリアスが憤怒の形相で前に出た。

 

「なんてことを! そんな行為に意味はないわ!!」

「意味はある。貴様の領地が聖なるエネルギーで破壊されれば状況証拠が残る。ほら戦争に一歩また近づくだろう?」

「この戦争狂め!」

 

 リアスが怒りの目でコカビエルを罵倒する。

 そんな中で渚は冷や汗を流す。

 コカビエルの左手に浮かぶ光球のエネルギー総量からして町が丸ごと消えても不思議じゃないレベルの爆発が起きる事と第六感が告げているのだ。どうにかして暴発だけは防がないと大変なことになる。

 渚は目標をフリードからコカビエルへ変えると走り出す。

 

「おーっとと、渚くーん? 俺ちゃんを無視するなんてイケずだねぇ」

 

 聖なるオーラを宿した聖剣が斬り込んできた。

 邪魔な奴だと思いつつ聖剣を刀で打ち払う。

 一定距離でフリードと睨み会う、相手にしている暇はない。一刻の早くエネルギーをコカビエルの手中から引き離す。コカビエルを戦いに引き込んで使う余裕を無くしながら奪うのが考える限りのベストな策だ。あとはリアスか朱乃の手でゆっくりと霧散させれば問題はなくなる。

 

「渚くん、フリードは僕がやるよ」

 

 祐斗が渚の隣で魔剣を抜く。

 

「私もやるぞ。最早アレは聖剣ではない、悪の手に落ちた異形の邪剣だ。破壊するのに躊躇はない」

 

 イリナの介抱をアーシアに託したゼノヴィアも渚の隣に立った。

 

「任せる。こんな状況だから無理をするなとは言えない、けど気を付けてくれ」

「うん」

「ああ」

 

 三人が同時に駆け出す。

 祐斗とゼノヴィアは聖剣に真っ直ぐ向かっていった。

 渚は脚に霊氣を送り込み飛翔すると玉座に座っていたコカビエルに刃を降り下ろす。

 

「オラぁ!」

 

 荒い口調で繰り出された斬撃は玉座を一刀の元に断ち斬った。

 

「残念だがハズレだ」

 

 渚の攻撃を回避したコカビエルが右手に光の槍を装備して襲いかかる。

 刀と槍が空中でぶつかり合う。

 常人には軌跡しか見えない刃の応酬。

 渚は顔をしかめた。繰り出される一撃が重く鋭い。

 動きは大雑把だが速さとパワーが桁違いだ、何よりコカビエルには隙がなかった。粗削(あらけず)りに見えて効率的な槍を繰り出して来る。

 "(かた)"とは違った()()()()()を駆使した技術に徐々にだが防戦を強いられる。

 剣を一度ぶつける度にコカビエルの戦闘経験の高さが明らかになっていくが負けられない。

 

「"輝夜(かぐや)"」

 

 超速の居合いでコカビエルの胴体を狙う渚。だが音速を超えた剣閃ですら届かない。

 

「褒めてやろう、このコカビエルが相手ではなかったら当たって──むッ!」

 

 刀が通った道に沿ってもう一撃が迫る。これは鞘による二撃目だ。

 コカビエルが目を見開くが冷静に槍で受け流す。

 

「刀と鞘による二連撃か、だが──」

 

 そのまま反撃の構えを見せるコカビエルに渚は静かに告げた。

 

「まだ終わりじゃねぇぞ」

「ガッ!」

 

 (ごう)っと風を押し潰すような音でやってきた三撃目がコカビエルの横っ腹を打ち据えた。

 骨が軋む感覚が伝わる。

 渚が使ったのは"刻流閃裂"が技の一つ、輝夜の派生技である"月影"。

 刃、鞘、蹴りの順番で繰り出す隙の生じない三段構えの技だ。

 刃に劣らぬ殺傷能力の蹴りを受けたコカビエルは転落していく。

 

「味な真似を!」

 

 地面に衝突する瞬間、翼を使って綺麗に着地するコカビエル。

 大きなダメージを受けた様子はない。伝説級の相手だけあって流石の耐久力だ。

 しかし駒王を破壊する術の動きが緩慢になった。時間を稼ぐ事は成功しただけ渚は良しとする。

 落下する中で渚は刀を上段に構えてコカビエルが立つ場所に真っ直ぐ見据えた。

 

刻流閃裂(こくりゅうせんさ)" 天鐘楼(てんしょうろう)"」

「ぬぅうう!!」

 

 落下速度に威力重視の技を加えてコカビエルに叩きつけると学園の校庭が蜘蛛の巣状にひび割れ巨大な爪痕を残す。

 コカビエルが光の槍で受けるも砕け散り、胸を切り裂かれた。

 確かな感触、コカビエルの顔が苦痛に歪む。

 目の前の強敵と渡り合えると内心で安堵する。

 それが油断と気づくと同時にコカビエルから反撃が跳んできた。

 

「小僧が!」

「ぐッ!」

 

 鋭い蹴りが渚の腹を打ち据える。

 内蔵が悲鳴をあげると血と吐瀉物を地面に吐き出す。

 猛スピードの自動車に突っ込まれたかと錯覚する攻撃で足元がふらつく。

 しかし痛みと気持ち悪さを無理矢理に抑え込んだ渚が口許を拭き取って立ち上がる。

 

「くそ、吐いちまった。ダッサイなぁ、みんなが居るのに」

「軽口とは余裕だな、蒼井 渚」

「まぁな。第一ラウンドで倒れたら、それこそダサすぎて死んじまう」

「ふん、まぁいいだろう。この俺と斬り合えるその技量に免じてその無礼は許してやろう」

「それは、ありがとよ」

 

 渚がコカビエルと睨み合う。

 お互い痛み分けの第一ラウンド。次に備えて刀を納めて抜刀術の構えを取る。

 そんな渚に対してコカビエルは聖剣の方を見た。

 

「グレモリーの"騎士"(ナイト)は聖剣が憎いらしいな?」

「だったらどうした?」

「果たして伝説の聖剣を超えられるか見ものだと思っただけだ」

「見るのは勝手だが余所見して斬られないように注意しとけよ」

 

 フリードと打ち合う祐斗の魔剣は、やはり聖剣に砕き斬られている。

 二人に大きな力量差はない。ただ武器の性能が違いすぎるのだ。

 祐斗は伝説の聖剣を超える一振りが造れない。(かろ)うじて剣を合わせられるのは同じエクスカリバーを持つゼノヴィアだ。

 それでもゼノヴィアのエクスカリバーに対してフリードは四本のエクスカリバーを一つにしたモノ。内包される力は単純に一対四だ。それを示すようにゼノヴィアのエクスカリバーも刃こぼれを始めた。

 

「くそ! 僕では聖剣を砕けないのか!」

「気付くの、おっそ! チミじゃ俺の超エクスカリバーは折れないっての! そんでもそっちのクソ聖職者のエクスカリバーでもだ! ははははははは!!!!」

「いい気になるな、背信者が! その聖剣はお前のような存在が持っていてはいけないと理解しろ!」

「おー怖い女。けど、そんなしょぼいエクスカリバーで俺のエクスカリバーに勝てるわけねぇだろうがぁ!!」

 

 フリードが聖剣を輝かせるとオーラで二人を薙ぎ払う。

 奇しくも渚のいる方向にだ。

 挑発と嫌がらせだろう。フリードは渚に向かって中指を立てているので間違いない。

 祐斗は上手く体勢を立て直しているが、ゼノヴィアはまだだった。あのままでは受け身を取れずに落下する。

 渚はコカビエルに注意しながら後方へ跳ぶとゼノヴィアを回収する。

 

「受け身も取らずに何やってんだ」

「す、すまない」

 

 俗に言うお姫様抱っこという奴だ。

 頬を赤めるゼノヴィア。

 こんな程度で狼狽する人間とは思っていなかっただけにリアクションに困る。

 渚は祐斗がいる場所に着地するとゼノヴィアを下ろして再び剣を構える。

 コカビエルは襲ってこなかった。どうやら待っていたようだ。

 渚は背中合わせの状態でフリードと対峙する祐斗に声を掛けた。

 

「お互い上手くいってないな」

「……そうだね」

「どうした? 覇気がないけど?」

「そうもなるよ。ここまで多くの魔剣が砕かれている。その度に聖剣との距離を見せ付けられる気分だ」

 

 弱気な発言。

 それも仕方無いと渚は思う。

 祐斗はエクスカリバーに何度も剣を砕かれている。

 どれだけ魔力を注ごうが、伝説の聖剣と言う壁は高い。

 

「いけるさ。伝説だろうが何だろうが、お前なら超えられる」

「根拠は?」

「信頼だな」

「全く、君と来たら……」

 

 この数日、渚は祐斗の"神 器(セイクリッド・ギア)"、"魔剣創造(ソード・バース)"が活発に活動しているのを肌で感じていた。

 "神 器(セイクリッド・ギア)"の気配を読む事が出来るからこそ分かる"魔剣創造(ソード・バース)"の想い。神器も宿主に応えようと必死なのだ。

 渚はその宿主と神器が一心になる姿を見ながら祐斗の背を()す。

 

「行ってこい、()()()ならやれる」

「渚くん? 今、何を?」

「祐斗の相棒にもエールを贈っただけだ」

「この感覚。……胸から妙な感じが」

 

 祐斗が魔剣を創造するが黒いモヤが剣の型を造るだけで形を成さない。

 それを見たバルパーが嘲笑した。

 

「遂に魔剣すら造れなくなったか。確か貴様は聖剣計画の被験体と言ったな? もしやあの時に逃げ出した個体か? まさか生きていようとな」

 

 嗤うバルパーに祐斗の憎悪が膨らむ。

 

「何がおかしい」

「私の計画の被験者がこのザマで呆れているのだ、慈悲をくれてやっていいぞ?」

「慈悲だと? 僕がお前から受けとると思うのか」

「ああ、受けとるとも。コレがなんなのか、分かるか?」

 

 バルパーが取り出したのは光輝く球体。

 聖剣とよく似た雰囲気を持つアイテムだった。

 

「なんだ、それは?」

「これは聖剣因子と呼ばれるモノを凝縮した結晶だ。そして貴様たちが残した成果でもある」

「成果? 僕たちは失敗作としてお前に処分された筈だ!」

「失敗? 違うな、成功だよ。聖剣は適正因子がないと使いこなせない。だから人工的に産み出そうとして世界中から因子を持っている子供を集めていた。しかし誰一人して人工的な聖剣使いに至れなかった。因子は存在するが足りな過ぎて聖剣が反応しなかったのだ。だが、だがだよ? 私はある日、こう思ったのだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……待て、まさかその因子は」

 

 祐斗が目を見開く。

 その有り様を前にバルパーは愉悦の笑みを浮かべた。

 

「あの時、殺処分した子供から抜き取ったモノだ」

「貴様ぁああああああ!!!!」

 

 祐斗の感情が爆発する。

 不味い状況だ。冷静さを失った時の祐斗はいつも通りに立ち回れない。ゼノヴィアとの戦いもそれで為す術もなく負けてしまっている。

 渚はコカビエルと相対している。次も見逃して貰える保証はないので動けない。

 このままではバルパーの前に立つフリードヘ突貫するだろう。

 渚が言葉で止めようとしたが意外な事にゼノヴィアが立ちはだかる。

 

「よせ、木場 祐斗」

「そこを退()け!」

「ダメだ、今の君は私に敗れた時の君だ」

「……クッ!!」

 

 負の感情を理性で押し込める祐斗。

 留まる事は出来たがバルパーを殺意の籠った瞳で射抜く。

 

「そう怖い顔をするな。この研究のお陰で教会は聖剣を使う方法を見つけた。そうだろ、そこな教会の戦士よ?」

「本当、なのかい?」

 

 ゼノヴィアが歯軋りすると悔しそうに頷く。

 

「……あぁ本当だ。聖剣エクスカリバーに適正するために私たちに因子が埋め込まれている。その方法の雛形になったのがバルパーの研究と聞いた」

「……なんて事だ。僕の同士たちは死んでも尚、利用され続けているのか」

 

 祐斗が膝を突くと声を震わせて人目を(はばから)らずに涙を流す。

 

「私の研究に役立ったのだ、寧ろ喜ぶべきだろう」

「なんでコイツ泣いてんの? 笑える、超バカっぽいんですけどぁー」

 

 バルパーとフリードが絶望する祐斗の心を踏みにじった。

 渚の脳内が一気に沸騰する。

 友が戦場で動かなくなる程の苦悩を叩きつけられたのだ。

 

「あー、イラつく」

 

 決して怒っているようには聞こえない渚の声。

 だがそれは余りの怒りで感情が止まってしまった事による弊害だった。

 灼熱の怒りは冷徹な理性で加工された。

 渚の脳内にあるのは、どうやってあの腐った外道の嗤いを止めてやろうかという算段だけだ。

 一秒にも満たない思考のあと渚は迅速に行動を開始した。

 

「コカビエル。悪いな、少し席を外す」

「貴様、いきなり動きが──」

 

 まずコカビエルに瞬きの間に接近し殴り飛ばす。不意打ちのような攻撃だが殺し合いなのだから問題はない。

 コカビエルの動きを止めた渚はフリードを肉薄した。

 

「おいおい、何だよ急に! そんな怖い顔しちゃってさぁ!」

「その汚い口を閉じてろよ」

「ゴホッ!」

 

 渚の行動が予想外だったのだろう、驚きながら聖剣を使ってくるが無視して膝で腹を抉るように打ち付けて黙らせると次はバルパーの前に無言で立つ。

 

「ひっ! コカビエルとフリードをこうも簡単に!? な、なんだ、貴様は!!」

「人のダチを嗤う野郎に名乗る名なんかねぇよ」

 

 無感情で殺意を飛ばす渚に、外道の嗤い顔が戦慄に染まる。

 このまま微塵に刻んでも良心は痛まないが、それは自分の役目じゃないと刀を握る手を緩める。

 それを見たバルパーが明らかに安心したので顔面に刀の柄頭を叩き込む。ここまで来て無傷で済ませる訳がない。

 

「ぎゃ! わだじの顔がぁ!」

五月蝿(うるさ)い。鼻を砕いただけで死にはしねぇよ。けどコイツは貰っていく。お前が持っていいモンじゃないからな」

 

 腫れ上がった顔で倒れるバルパーから結晶を奪い取る。手に取った結晶から日溜まりのような暖かさが伝わってくる。

 この温もりを、すぐに祐斗へ届けようとした時だった。

 

 『──ありがとう、お兄さん』

 

 手にある結晶から小さな子供たちの声が届く。

 因子には祐斗の同士たちの心も宿っていたのだ。

 渚はこんな姿になって利用されていた子達を不憫に想いながら首を振った。

 助けられた訳じゃない。全て終わった事で、どう足掻いてもこの因子を持っていた子供たちの未来は戻らないのだ。

 だからこそ、せめて祐斗に彼らを託す。

 

「祐斗、手を出せ」

「ダメだ、渚くん、僕にはそれに触れる資格がない」

「ばか。これはお前の大切だった人達が残せた唯一のモノなんだぞ? それを受け取らないでどうする、きっとこの世界の誰よりもお前が持っているのが一番だ」

 

 優しい声音で祐斗へ結晶を差し出す。

 渚の言葉を受けた祐斗は泣きながらも両手で大事そうに結晶を受け取ってくれた。

 ゴメン、ゴメン……と何度も謝罪を繰り返す。結晶を悲しそうに愛しそうに何度も優しく撫でる。

 すると結晶にヒビが入り、砕け散った。

 駒王学園をホタル火のような光が包む。雪のように無数の光が地面に落ちると形を成して行く。

 それは小さな人型の形をした光だ。

 祐斗を取り囲むように多くの子供たちが現れる。きっとこの子たちが祐斗と共に"聖剣計画"へ身を投じて──処分されてしまった者たちなのだろう。

 

「皆……なのか」

 

 子供たちが頷く。

 祐斗は悲哀の表情で子供たちに顔を向けた。

 

「ずっと、ずっと後悔していた。あの時、自分だけが逃げてしまった事に……僕より大きな夢を見ている子もいた、僕より生きたいと願っていた子もいたんだ。なのに僕だけが幸せになるなんておかしいと思っていた」

 

 懺悔するような祐斗に一人の少年が近づくと微笑む。

 

『──こんなにもボクたちを想ってくれてありがとう。けれどもういいんだ、君は君のために生きてほしい、それがボクたちの願いだよ、イザイヤ』

 

 同士の心を聞いた祐斗の双眸から涙が止めどなく溢れてくる。

 そして霊魂となった子供たちが口を一斉に動かすと何らかの歌を口ずさむ。

 

「これは聖歌」

 

 アーシアがそう呟いたのを渚を聞いた。

 美しくも胸を閉めつられるような歌だった。

 ずっと辛い実験を強いられ、果ては夢と未来を奪われた子供たちは唯一の生き残りであるイザイヤ(祐斗)の為に"希望"を謳う。

 子供たちが無垢な笑みを浮かべながら次々と光に帰っていく。

 

『──イザイヤ、ボクたちの夢と未来を君に受け取ってほしい』

 

 祐斗は涙ながらも力強く頷く。

 答えに満足した子供たちの魂が光となって祐斗へ降り注ぐ。

 聖剣の苛烈な光とは違う穏やかな光。

 友を想う優しい心が彼らを一つにした。

 

「皆の想い、確かに受け取ったよ」

 

 祐斗の手にあった形を成せなかった魔剣が光を放つ。

 

「もう大丈夫か?」

「うん、ありがとう。渚くんが皆を僕の元へ連れてきてくれた。だからもう大丈夫」

「そうか、なら聖剣を超えてこい!」

「うん、今から僕は本当の剣になる! "魔剣創造(ソード・バース)"よ、僕と同士たちの魂に答えてくれ!!」

 

 祐斗の神器と聖剣の因子が混ざり合う。

 聖と魔が融合して一振りの剣を産み出す。

 これは昇華。

 本来ならあり得ないモノが一体となり、極致へ至る。

 

「──禁 手(バランス・ブレイカー)、"双覇の聖魔剣(ソード・オブ・ビトレイヤー)"」

 

 禍々しい魔剣と神々しい聖剣の融合した聖魔剣が夜天を切り裂く。

 

「行ってくるよ」

「ああ。()()()()のカッコいい所、見せてくれよ」

 

 渚は祐斗と神器、そして共にある同士たちへエールを贈る。

 そして祐斗はフリードヘ走り出す。

 "騎士(ナイト)"の特性である俊足は直ぐにフリードを間合いに捉える。

 フェイントを織り混ぜてフリードを翻弄(ほんろう)すると視界から消えて死角から斬る。

 だがフリードはエクスカリバーの特性の一つ"天 閃(ラピッドリィ)"を使用して祐斗の動きに付いてくる。

 スピード特化の"騎士(ナイト)"の速さを越える天 閃(ラピッドリィ)

 フリードがニヤリと余裕を見せた。

 しかし次の瞬間、エクスカリバーの聖なるオーラが祐斗の聖魔剣にかき消される。

 

「はぁ!? なに、本家本元の聖剣の力を消してくれてんの! そこはいつも通りに砕けとけよ!! なんなの、そのクソ剣ッ!!」

「仮に君の持つエクスカリバーが完全だったらこうはならなかった。でも不完全なエクスカリバーでは僕の……僕たちの想いは砕けない!」

「くそったれが!」

 

 フリードが後方に跳ぶと聖剣の切っ先を祐斗へ向けた。

 

「伸びろぉぉぉぉぉ!」

 

 刀身が真っ直ぐ伸びて祐斗を刺し貫こうとする。

 イリナから奪った"擬態の聖剣(エクスカリバー・ミミック)"の能力が祐斗に迫る。

 聖魔剣を構える祐斗。

 瞬間、エクスカリバーの刀身が七つに分裂した。

 

「ははは! 躱せるかぁ? "擬 態(ミミック)"と"天 閃(ラピッドリィ)"の同時併用だ!」

 

 目にも止まらない速さの刃が祐斗に斬りかかった。

 四方八方、上下左右、あらゆる方向から来る刀身だったが祐斗は全て叩き落とす。

 例え刃が速くても殺気が強すぎて来る方向が見え見えなのだ。

 

「なんで落とせるんだよ! 俺が使ってんのは最強の聖剣だぞ!? こんなバカがあるかっての!! じゃあこれならどうよ!」

 

 焦るフリードが更に聖剣の力を引き出す。

 "透 明 の 聖 剣(エクスカリバー・トランスペアレンシー)"。

 姿を消してしまう聖剣、初めて見る能力だ。

 フリードの剣が周囲の風景に溶け込んで消失する。

 確かに凄まじい能力だが、殺気を抑えていないままのフリードでは使いこなせない。

 祐斗は剣ではなく殺気を見ているのだ。つまり結果は変わらず、フリードの攻撃は当たらない。

 

「おい、ふざけんなよ!」

 

 目元を引き釣らせて怒り狂うフリードもバルパーが叫ぶ。

 

ぜいけん(聖 剣)だ! あのせいじょくじゃ(聖 職 者)からも奪え! 五づ目を|取り込め!」

「合点!」

 

 フリードが地面をエクスカリバーで叩いて煙幕(えんまく)代わりにするとゼノヴィアを狙う。

 

「ソイツを寄越(よこ)せ、クソアマ!!」

「いいぞ」

 

 ポイッとフリードに聖剣を投げるゼノヴィア。

 目の前に突き刺さったエクスカリバーを前にしたフリードが呆気に取られる。そんなフリードにゼノヴィアが言う。

 

「どうした、取らないのか?」

「てめえ、どういうつもりだ?」

「なに、先輩たちの勇姿を見てしまった以上はコチラも本気を出すだけだよ。いくぞ、未完の聖剣。真の聖剣がどういう物かを見るがいい」

 

 右手を宙に広げると空間が歪む。

 

「この刃、セイントの御名に於いて解放する。──"デュランダル"!」

 

 現れたのはフリードの持つ聖剣を上回る聖剣だった。

 バルパーはゼノヴィアの手にある剣を見るなり驚嘆する。

 

「ばがな! デュランダルだと!! 完全体のエクスカリバーと同格である聖剣が何故貴様のような小娘にぃ!」

「お前はこう言いたいのだろう? 今の時点での人工聖剣使いは分裂したエクスカリバーまでしか扱えない、と……。確かにデュランダルを扱える人工聖剣使いはいない」

「づまり、貴様は……」

「天然物だよ」

 

 ゼノヴィアの言葉にバルパーもフリードも絶句する。

 彼女は最高級の聖剣使いだったのだ。

 

「もっともデュランダルは相当な暴君でね。触れたものはなんでも切り裂くし、私の言うことは聞かないわで、危険極まりない。だからいつもは異次元に収納しているのさ。──さてフリード、その未完成の聖剣でデュランダルに挑む勇気はあるか? こうして抜いてやったんだ、一撃で終わるなんて事にはなってくれるなよ」

 

 オーラの質が違いすぎる。

 デュランダルの聖なるオーラは万物を切り裂かんとするほどに鋭い。

 フリードの持つ不完全なエクスカリバーでは届かない。

 戦意が無くなったフリードがゼノヴィアから逃げるため背を向けた。

 

「こんなヤバイ奴等を相手にしてられるかっての!」

 

 だが逃走しようとしたフリードに一人の男が立ちはだかる。

 

「何処へ行く?」

「こ、コカビエルの旦那」

 

 コカビエルだ。

 壁のような不動な姿でフリードを冷たい目で見下す。

 

「まだ戦いは終わっていない」

「終わってるっつの! 見ろよこの状況をよ!! 化け物みてぇな奴に、禁手に至った悪魔、デュランダル使いもいやがる。それ以外の奴も手強いと来た、もうすぐ赤龍帝野郎だって動き出すかもしれない。こうなったら詰みだろう!」

「ほう、つまりお前は俺が負けると思っているのだな?」

「たりめえだろうが!」

「ふ、確かに状況は悪いな。だが打開策が無いわけでもない」

 

 コカビエルがフリードの聖剣を取り上げる。

 

「おい旦那、そりゃ俺の……」

「貴様にはもう必要あるまい」

 

 そう言うと聖剣でフリードを斬りつけた。

 大量の血を流しながらもコカビエルから距離を取るフリード。

 

「てめぇ」

「外したか、やはり剣は向いていないな」

 

 ビュンとフリードに向かってエクスカリバーを振るうコカビエル。すると光の奔流が全てを薙ぎ払う。

 フリードが跡形もなく消え去った有り様を渚たちは黙って見ているしかなかった。

 

「バカな、堕天使が聖剣を使えるだと!」

「聖剣は人間にしか扱えないと思ったのか、デュランダルの娘よ」

 

 ゼノヴィアの言葉にコカビエルが聖剣を撫でながら答える。

 

「堕天使は元を言えば天使。同じ聖なる者だから使えると言うこと?」

「その通りだ、リアス・グレモリー。尤も天使と言えど聖剣因子を所持していない身では十全に扱えんがな」

「そんな不十分な聖剣で私たちに勝てるとは思わないことね」

 

 リアスの強気な発言にコカビエルは鼻で笑う。

 

「滅びの力、雷光の血筋、白き小さな巨腕、赤龍帝、癒しの聖女、聖魔剣、デュランダル、背徳の同胞、そして蒼井 渚。よくもここまで多種多様な敵が揃ったものだ、誰一人殺せずに俺が出る羽目になるとは思わなかったぞ。……だとしても、ここからは死の時間だ」

 

 コカビエルが右手に浮かべていたエネルギーを再び操作する。

 

「その力で周囲を吹き飛ばす気!?」

「更に面白いモノだ、黙って見ているがいい」

 

 コカビエルは狂暴に笑みを浮かべるとエネルギーを収束させて自身に取り込む。そして聖剣を逆手に持上げると己の胸に突き刺した。

 

「ぬぅぅぅぅぅぅん!!!」

 

 表情を苦悶に染めながらも聖剣を深々と刺し込んでいくコカビエル。

 全員が困惑して現状を見守っていると胸にあった聖剣が砕けて消える。

 最初に気づいたのは渚と小猫だった。

 

「アイツ、聖剣を喰いやがった……!」

「……はい。大量のエネルギーを使って聖剣の核を取り込んでます、危険です」

「不味い! コカビエルを止めなさい!!」

 

 渚と小猫の言葉を聞いてリアスが叫ぶ。

 弾かれたように疾走した渚に祐斗とゼノヴィアも続く。

 三人が一斉に斬りかかるもコカビエルは周囲に六つの光の槍を展開して三人を攻撃を跳ね返した。

 

「聖剣の力、このコカビエルが確かに頂いたぞ」

 

 禍々しいほどの光力で威圧するコカビエル。

 聖剣を喰らった堕天使が翼を広げる。

 渚の背筋に悪寒が走り、やがて警鐘に変わり、五感から第六感に掛けてこう告げるのだ。

 本当の戦いはこれから、だと……。

 



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絶対強者《Strong Oppress The Weak》

 

 形勢逆転という言葉がある。

 文字通り劣勢側が優勢に変わる事を意味する。渚はその言葉を現在、全身で感じていた。

 失神してしまいそうな聖なるオーラが暴力的なまでに大気を威圧する。

 その中心にいるのは聖剣を体内に取り込んだコカビエルだ。

 

「ふむ、これが聖剣か」

 

 自身の両手を見ながら呟くコカビエル。

 外見に大きな変化はないが、渚の第六感は危険を告げていた。

 今までのコカビエルと思っていたら確実に負ける。

 瞳を凝らして見れば、取り込んだであろう聖なる力が溢れているのが分かるのだ。

 まるでコカビエルという存在がエクスカリバーへ変質してしまったような錯覚さえ覚える。

 

「力の配分が分からんな、少しやり過ぎてしまうかもしれん」

 

 注視していた筈のコカビエルが渚の視界からフッと消え、次の瞬間には目の前に現れる。

 驚く暇もないノーモーションの移動に刀を抜く事すら不可能だった。

 

「ただの"天 閃(ラピッドリィ)"だ、既に何度も見ているだろう?」

 

 目を見開いている渚の頬をコカビエルが殴打する。

 先のお返しと言わんばかりの攻撃に()(すべ)もなく校舎まで跳ばされた。

 視界が明暗を繰り返す。脳が揺れて視点も合わない。

 瓦礫を支えに立ち上がるも黒い影はすぐ側まで迫っていた。

 

「どうした? 目の焦点があっていないぞ、たったの一撃でそれか?」

「ぐ……かっ……」

 

 だらしがないと言う変わりにコカビエルは渚を地面へ叩きつけた。

 ただでさえ速かったコカビエルに"天 閃(ラピッドリィ)"が加わった事で完全にスピードでは上を行かれている。

 探知はギリギリ可能だが、気づいたと同時に攻撃が跳んでくるので回避をしている余裕がない。

 立とうとするがコカビエルから濃厚な殺気と光力を感じる。

 ──殺す気だ。

 渚は慌てて体を動かそうとするが、脚で押さえ付けられた。

 

「ジッとしていろ、案ずるな一撃で心臓を壊してやる」

「く、そ」

 

 槍が振りかざされる。

 絶体絶命のなかにいた渚だったが、それを助けるように雷撃が落ちる。槍を持ったコカビエルの腕をピンポイントに狙った攻撃だ。

 雷を落とした朱乃は静かに憤慨していた。

 

「彼に触らないで」

「バラキエルの娘か」

 

 雷撃を受けて平然とするコカビエルだったが、小さな影が突進してパンチを繰り出す。

 ドゴンっと鈍い轟音が響く。

 

「……その脚を退けてください」

「ふん、退けてみろ」

 

 小猫の拳を受け止めるコカビエル。

 二人が力比べをするように制止する。

 

「コカビエル! 僕の聖魔剣であなたを討つ!」

「不浄なる者を切り裂け、デュランダル!」

「四人同時か! 面白いが今の俺に正面から挑むのは無謀だったな。──"擬 態(ミミック)"!!」

 

 動けないコカビエルは五対からなる十の翼を広げると鋭い刃に変化させた。

 聖魔剣とデュランダルが翼によって受け止められる。

 ピシリっと聖魔剣にヒビが入った。

 

禁 手(バランス・ブレイカー)に至り、神の理さえ超えた聖なる魔剣。その存在は凄まじいが、まだまだ使い手が付いて行ってないようだな、強度がまるでなってない」

「くッ」

「デュランダルも同様だな。先代の担い手ならばこうも容易く受け止めるなど出来なかったぞ!」

「好き勝手なことを!」

「事実だ、でなければこうはなるまい」

 

 剣に擬態した翼が薙払うように小猫、祐斗、ゼノヴィアを同時に切り裂く。祐斗とゼノヴィアは余波で間合いの外に弾かれ、最後まで耐えた小猫もその場で膝を突く。

 

「よくも渚くんだけじゃなくて後輩たちもやったわね!!」

「貴様もだ、バラキエルの娘」

 

 雷を放とうとしていた朱乃の真上に突如、多数の光槍が現れた。何もなかった空間から次々と姿を見せる槍の大群に驚きの表情を浮かべる朱乃。

 

「"透 明 の 聖 剣(エクスカリバー・トランスペアレンシー)"で迷彩を施した槍だ、大したマジックだろう?」

「全部、迎撃すれば!」

「その不出来な雷では到底無理だ」

 

 雷が槍を襲うが槍は砕けず、朱乃へ飛来した。全身を刺された朱乃が悔しげにコカビエルへ敵意の目を向ける。

 

「まだ、まだよ。私はまだ負けてはない! 貴方には負けられないの!!」

「下らんな、俺を通してバラキエルを見るなど……。自らの存在を否定する貴様には勝利ではなく、これが似合いだ」

 

 コカビエルが指を鳴らすと光の槍が爆散した。

 炎を纏いながらドサリと朱乃が倒れ伏す。

 渚は仲間たちがやれている状況に我慢の限界が超えた。

 未だに揺れ動く視界の中で全身に力を入れて肉体に動けと命令する。

 

「コカビエルッッ!!!!」

 

 怒りの怒号でコカビエルの脚を退けた渚は拳を打ち据えた。

 コカビエルが血を吐くも大きく口を開けて嗤う。

 

「はははははは! なんだ、まだまだ元気じゃないか!」

 

 嬉々として十の翼の切っ先を渚へ向けてくる。

 躱すことは不可能だ。脳震盪で世界はまだ揺れており、すぐそばでは渚を庇って倒れてしまった小猫もいる。

 させてやるか……と小猫を強く抱き止めて鬼気迫る表情で"御神刀(ごしんとう) 譲刃(ゆずりは)"を大地に突き立てた渚は自身が持ち得る最高の防御を展開する。

 

洸天(こうてん)より(まばゆ)き光、()はあらゆる罪を浄化し正義を()す剣撃なり。そして()たれ純白なる執行者(しっこうしゃ)、──"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"

 

 詠唱終了と同時に真っ正面に突き立てた"譲刃"が分解され、光り輝く六枚の刃として顕現する。

 直ぐ様、花が開くように展開させるとコカビエルの翼刃を防ぐ。

 間一髪だ。あと少し遅ければ小猫と一緒に串刺し状態だ。

 

「この感覚、聖剣か? そんな芸当も出来るとはな、貴様は本当になんだ?」

「行くぞ」

 

 無駄口を叩く暇すら惜しみ、"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"でコカビエルの翼を弾く。

 衝撃で後退したコカビエルの着地点を予測して全ての刃を走らせる。

 

「舞い降りろ、洸劒(こうけん)

 

 洸劍をコカビエルの頭上に配置して突き落とす。

 連鎖した破洸の爆音が駒王学園の校庭に轟く。

 

「……渚、先輩」

「大丈夫か、搭城!」

「まだ……です」

 

 小猫の警告を聞いた渚が砂ぼこりの中心に目を向けると光が真っ直ぐ延びてきた。

 

「ちぃ!」

 

 レーザーのような攻撃に横っ腹を貫かれる。飛び道具と思ったそれは光線ではなく、伸びた光の槍だった。

 槍が引き抜かれると痛みを認識するよりも速くコカビエルが飛び出して来る。

 所々に血の後が見られるが獰猛な笑みで光の槍を巨大なトマホークへ擬態させた。

 

「今の効いたぞ。擬態で全身を硬質化しなかったら危うかった」

洸 劒(フリューゲル)!」

 

 渚が"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"を呼び寄せる。

 コカビエルを抜いて来た"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"を使って斥力フィールドを張る。

 圧倒的な波動を収束させたコカビエルのトマホークと洸剱のフィールドが接触すると激しい衝突音を撒き散らす。

 

「ふははははははは!! 今の俺が放った渾身を防ぐか。中々の強度じゃないか、蒼井 渚!」

「話し掛けんな、気が散る!」

 

 少しでも気を抜いたらフィールドが破られそうだ。

 渚は"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"に霊氣を送って強度を維持する。

 そんな渚にコカビエルが口を釣り上げた。

 

「これが何か分かるか?」

 

 片手でコカビエルが渚に見せつけたのは"破 壊 の 聖 剣(エクスカリバー・デストラクション)"だった。

 ゼノヴィアが投げ捨てた聖剣をコカビエルは回収したらしい。

 渚は戦慄した。この堕天使が何を使用としているのかが理解できたからだ。

 聖剣が砕けると核がコカビエルに吸い込まれた。

 

「勘弁しろよ……!」

「"破 壊(デストラクション)"」

 

 膨れがる光力にズンッとコカビエルのトマホークが重くなった。

 斥力の盾が悲鳴をあげ、亀裂が入る。

 

「悪い、搭城」

 

 破られるのを確信した渚は反射的に小猫を遠くに放り投げた。怪我人などと言ってる場合ではない。実際、投げた直後に盾は砕かれる。触れるだけで肉体を破壊する光のトマホークが眼前に迫った。

 

「まだだ!」

 

 盾によって速度が落ちたトマホークを身体能力を駆使して間一髪で避ける。

 地面が()ぜる。暴風と飛来石に襲われるが直撃よりは遥かにマシだ。

 渚は直ぐにコカビエルを目で追うと洸 劔(フリューゲル)の切っ先で反撃する。

 

「なっ!」

 

 しかし不可解な現象が起きた。

 洸 劔(フリューゲル)がコカビエルを貫いた矢先、その姿が消失したのだ。手応えもない、まるで霧に攻撃したような感覚だ。

 

「不可解か? そうだろう、貴様が撃ち抜いたのは虚像なのだからな」

 

 コカビエルの声がすぐ後ろから聞こえた。

 渚は振り返りながら不覚を取ったと焦る。

 これは間違いなく聖剣の力だ。恐らくコカビエルが教会から奪った"天 閃(ラピッドリイ)"、"透 明(トランスペアレンシー)"に続く三本目の聖剣の能力。

 そこまで考えながら振り返った渚は、鋭い刃に体を斬り付けられる。

 

「そうだ。これは"夢 幻 の 聖 剣(エクスカリバー・ナイトメア)"、幻覚を作り出す。尤も"擬 態(ミミック)"と"透 明(トランスペアレンシー)"を併用した撹乱だがな。気配のある虚像、勘の鋭い貴様でも見破れなかっただろう?」

 

 トマホークが渚の肩口から腹に掛けて深々と斬り裂く。鎖骨は割れ、(あばら)すら砕いた一撃は、肺を両断して内臓をも破壊した。信じられないような血液が吹き出す。感覚が喪失し、世界が反転するままに渚は大地に沈んだ。

 "聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"が粒子となり、元の刀の姿に戻る。

 

「まだ息があるな。その強靭な生命力……なんらかの加護を受けているのか?」

「ぎ……ぐ……」

 

 声の代わりに出たのは血の泡だ。右半身を見れば無惨な事になっている、だらしなく外側に垂れた状態で今にも剥がれてしまいそうだ。コカビエルの言う通り、生きているのが不思議でたまらない有り様だった。

 

「リアス・グレモリー、貴様の最強は倒れ伏したぞ」

 

 コカビエルが重体の渚をリアスに向かって蹴飛ばす。

 なんてザマだと薄れる意識で強く唇を噛むが同時に圧倒的すぎるとも思う。仲間の声が遠くで聞こえる、特にアーシアと一誠が叫んでいた。

 

「やってくれるわね、ならこれはどうかしら。──イッセー!!」

「うぉぉぉぉおおおお! "赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"!!」

 

 一誠がリアスに神器を向ける。

 

Transfer(トラスファー)!!』

 

 赤い光がリアスへと降り注ぐ。

 "赤龍帝の贈り物(ブーステッド・ギア・ギフト)"によってリアスに倍加が譲渡されたのだ。

 リアスの魔力が数十倍に膨れ上がり、巨大な魔方陣を展開する。

 

「はははははは! いいぞ! 赤龍帝の力を得た"(ほろ)び"か。──来い!」

「消し飛べぇえええええ!!」

 

 "滅び"を宿した魔力が打ち出される。

 駒王学園の校庭を深く抉りながら進む巨大な魔力弾。

 一度や二度の倍加ではここまでにはならない。きっと渚たちが戦っている間に限界まで高めた力を譲渡したのだろう。

 コカビエルが翼を前に閉じて真っ向から"滅び"に挑む。

 

「これは? ……そうか、ここまで」

 

 "滅び"を防御する中で静かな驚きを示したコカビエル。そして大爆発が起きる。駒王の敷地内が噴煙と砂ぼこりで包まれる。爆心地にいる者は間違いなく消し炭であろう破壊力だ。

 

「この程度か?」

 

 しかし、その中心にコカビエルは立っていた。

 無傷ではない。所々に傷はあるが致命傷には程遠いダメージだった。

 あり得ない。あの攻撃であの程度の傷なんて普通でない。リアスの放った"滅び"の力は最上級悪魔を超えた魔王に匹敵するだろう破壊力を秘めていた。

 

「どうやらエクスカリバーが俺に持たらした力は想像以上らしい」

「……嘘」

「もう品切れのようだな。ならば死んでもらうぞ」

 

 リアスが殺されると感じた渚は膝立ち状態まで体を起こすと庇うようにしてコカビエルを睨む。

 自分で分かる程に死が近くにある。無事な片手で負傷した半身を抑えていないと冗談抜きで千切れてしまう。

 妙に寒く感じるのは血が急速に流れてしまっているからだ。

 

「諦めろ、そんな体のお前では俺を止める事は出来ん」

 

 言い返したいが事実だった。今の体勢を維持するだけで精一杯であり、戦うなどしようものなら直ぐにでも死んでしまうだろう。

 それでも立ち上がろうと足掻く渚の前に二つの影が現れる。

 

「コカビエル様。ここからは私が相手をさせていただきます」

「夕麻ちゃんだけを戦わせたりはしない」

「折角、回復したのだからイッセーくんは"譲渡"に回りなさい」

「俺だってナギをあんな目に合わした野郎をブッ飛ばしたい気持ちがあるんだ。それにアイツは譲渡を使える俺を優先的に狙ってくる筈だ、なら前に出て壁になる」

 

 怒りの形相でレイナーレと一誠が立ち塞がる。

 

「勝てると思っているのか?」

「負けられない理由があります」

「……変わったな、レイナーレ」

「生きていれば変わりもします」

「そうか。ならばその"負けられない理由"と共に殺してやろう」

 

 そう言ってコカビエルが一誠を翼で攻撃しようとした時だった。

 駒王学園の空に大きな亀裂が入る。

 そして襲い来るコカビエルとは全く別の大きな力の波動。

 

「──これ以上は見てられないな」

 

 謎の声が駒王学園に響くと同時に空が割れた。

 シトリー眷属が張った結界を砕いて空から一筋の光が落ちて来たのだ。

 舞い降りたのは輝く翼を持つ白き鎧。その姿は一誠の禁 手(バランス・ブレイカー)に類似していた。

 渚は白き乱入者に戦慄する。

 感じ取れるあらゆる力が異常な存在だった。

 魔力の総量、纏うオーラの質、そして体内に存在する神器の巨大さ、狂暴なまでの闘志。

 今まで会ってきた者の中でも最上位に位置する実力者だとすぐに理解した。

 誰もが乱入した存在に驚く中、コカビエルだけは我が知り顔で白き者を見据えた。

 

「来たか、遅かったな」

「少し様子を見ていた。ここは色々と興味深い存在が多いんでね」

 

 短いやり取りだ。

 だがコカビエルはレイナーレに背を向けて白き者と相対する。

 それだけで空気が重くなり、大気が破裂しそうな緊張感が覆う。

 

「ヴァーリ、貴様一人か?」

「何か不服があるのかい?」

「"狗"も来ると思っていたのでな」

「彼は来ない、俺だけだ」

「侮られたのものだ」

「ふ、君こそ侮り過ぎだな、コカビエル。──"白龍皇"であるこの俺を!」

 

 渚は白き者が白龍皇と聞いて納得した。

 ──白龍皇(バニシング・ドラゴン)

 一誠の赤龍帝(ウェルシュ・ドラゴン)と対になる存在。

 双方とも神を殺す神器、"神 滅 具(ロンギヌス)"の一つであるため格は同じなのだろう。

 だが使い手が違うだけでこうも差がある。

 白き者からアリステアに近い一定の強さを持った存在だけが持ち得る超然性を感じるのだ。

 ふと白龍皇が一誠と渚を一瞥する。

 なぜか観察されている、こんなボロボロの人間を見て何が目的なのだろうか。

 渚は緊張を隠しつつも光るツインアイを黙って見返す。

 

「どうした、白龍皇。このコカビエルを前に余所見か?」

「何、少々噂を聞いていた人物がいたのでね」

 

 コカビエルと白龍皇の間から会話が消える。

 そして次の瞬間、両者は激突した。

 なんの合図もない戦闘開始だ。

 エクスカリバーを取り込んだ太古の堕天使と世界から天龍を称される最上級のドラゴンの戦いは駒王学園を蹂躙する。

 地上、空中を問わずに激しい攻撃が繰り返され、渚たちは逃げることも隠れることも許されず、ただ見ているしかない。

 コカビエルが槍で大地を貫けば大穴が空き、白龍皇がオーラに指向性を持たせて放てば空を切り裂く。

 まさに人外を超えた災害だった。矮小な存在などここにいるだけで簡単に潰されてしまうだろう。

 

「不味いわ、こんな規模の戦いだと結界が持たない!」

 

 白龍皇の降臨など誰が予想しただろうか。

 突然の来訪者はコカビエルと戦闘を始めたのだが、体験したことのない上位者の戦いはリアスを恐怖させるは充分だ。このままあのレベルの二人が戦いを続ければ結界が壊される。そうなれば、次は町全体を舞台にした戦いになるだろう。いま止めないと駒王町が未曾有の被害に合い崩壊しかねないのだ。だが、あの二人との力の差は歴然であり干渉は死を意味する。

 

「部長、朱乃さんの治癒が終わりました。あとをお願いします!」

 

 渚以外の全員を治したアーシアがリアスから離れる。それを慌てて止めようとするリアス。

 

「なっ! アーシア、私の結界から出てはダメよ!」

「ナギさんが危険です、すみません!」

 

 リアスの結界を出たアーシアが渚に向かって走ってくる。

 それを薄れていく意識のなかで見ていた渚は、戻れと大声を出そうとするも代わりに血を大量に吐く。その状態を見たアーシアが涙ぐみながら渚の名を呼ぶ。余計に心配させてしまったと後悔する。

 そんな二人を他所に世界は(きし)み続けた。

 渚たちなど塵芥(ちりあくた)と言わんばかりに凄絶なまでに暴れ回る。そんな中でコカビエルの攻撃を白龍皇がいなす。その狂暴な閃光は容赦なく駒王学園へ降り(そそ)ぐ。

 

「……あ」

 

 その光の一つの着弾点にいたのはアーシアだった。

 渚は痛みなど忘れて走り出そうとするが力が入らず前のめりに倒れてしまう。

 爆発が起きる。

 アーシアが爆風で紙のように宙を舞うと落下した。

 叩きつけらたアーシアは頭部から血を流しながらも生きていた。

 普通の人間なら致命的なダメージだったが人間よりも頑丈な悪魔の体に助けられたようだ。全身の鈍痛に耐えて立ち上がるアーシアだったが直ぐに倒れてしまう。

 頭部を強打して意識が朦朧としているアーシアは「え、なんで倒れたのでしょう?」と言いたげの様子だ。

 

「あ、アーシアぁあああああ!!」

 

 誰かが悲鳴をあげ、渚は言葉を失った。

 金髪の美しい髪が真っ赤になるほどの血を流すアーシア。

 本来ならそれだけでも渚は胸を掻きむしってしまうだろう。だが渚の視線は血を流す頭部では無く、彼女の下半身に向けられていた。

 ──アーシア・アルジェントは左脚が途中から消え去っていたのだ。

 肉体を欠損させたアーシアは自分の片脚に気づくと少し驚いた表情しただけで、這いつくばりながら渚の元へやってきた。彼女が辿ってきた道には血の跡がべっとりと線が描かれている。明らかに血の流しすぎだ。

 

「よいっしょ。えへへ、なんか疲れました」

 

 照れるような笑顔で渚の元にやって来たアーシアはボロボロの渚を抱き抱えた。

 アーシアは凍えるほどに冷たかった。渚は少しだけアーシアを引き剥がす。

 そしてゾッとした。

 瞳に生気がなく、桜色の唇は薄い紫色に変色している。

 まるで死人だ。脚をそうだが頭部の傷も深い。未だに血が止まらず、ポタポタとアーシアのシスター服を汚す。

 

「ジッとしていて下さい、すぐに治しますから」

 

 命の危機を前にしているのにアーシアは聖女のような笑みで神器を使おうとする。

 

「よせ。こんな……状態で使っ……たら余計に……消耗する……」

 

 血を吐く渚。アーシアは神器を止めずに、はにかむ。

 

「へっちゃらです、ナギさんを助けられるのなら頑張れます」

「自分の……状態を分かって……いるのか!」

「足、なくなっちゃいました」

 

 困ったように微笑む。

 そこに壮悲観はない。ただ渚を癒したいと言う慈愛だけがあった。

 

「すぐ……病院に……」

「喋っては傷に障ります」

 

 優しく渚の唇に触れるアーシア。

 そして神器の光を大きく裂けた渚の傷口に当てた。

 光が弱いのは彼女の生命力が弱っている証拠だ。

 

「あ、れ? おかしいです、いつもは、すぐに治る、のに」

 

 そう言うとアーシアは滑り落ちるように地面へ身を落とす。

 

 ──グシャリ。

 

 嫌な音を聞いた。

 ゆっくりと血溜まりが広がっていく。

 ピクリとも動こうとしないアーシア。

 美しい金髪は真っ赤な花を咲かせている。

 なんだこれは……? 

 なんだ、この理不尽は? 

 渚が自問する。

 いきなりやってきた白龍皇と、ソレと当然のように戦い始めたコカビエル。

 結果、巻き込まれてアーシアが動かなくなった。

 全てが意味不明だ。

 渚たちは町を守るために戦った。だが今や蚊帳の外だ。外からの破壊者たちによって日常が破壊されていく。

 勝手に来て、勝手に殺し、勝手に壊す。

 懸命に積み上げた物を簡単に崩壊させる存在が目の前にいる。

 発狂しそうな激情が精神を汚染する。守ろうと誓った者が血に塗れてしまった……。

 

「……う」

 

 思考が定まらない中で声を聞いた。

 今にも消え入りそうなアーシアの声だ。

 まだ生きている。辛うじてだが息があった。

 思考が戻る、アーシアを生存させるための方法を脳内で組み立てる。

 まず一刻も早くアーシアを助けるために必要なのは障害の排除だ。今の状況では治療も何もない。だからこそ力が必要だ。渚はそれが可能な存在を呼ぶ。

 

「来い、ティス!!!!」

 

 忽然と全ての景色から色は消えて時が静止した。

 白黒の世界に唯一の"色"が現れる。

 自らをティスと名乗る"蒼の少女"だ。

 

『汝が声に応え参上した。我が器して我が君よ、命令(オーダー)を』

 

 時すら止める超存在は、灰色の世界で優雅に頭を下げながら渚の言葉を待つ。

 いつもの"魂の座"という蒼い空間に連れて行かれると予想していたが今日は違った。まさかティスが自らやって来るとは思わなかった。

 けれどそんな些細な事は置いておく。

 渚はティスを強く見つめて"願い(オーダー)"を言う。

 

「力が欲しい。今すぐ堕天使と天龍を排除できるだけの力が……!」

 

 高望みとは分かっている。

 片や最強の聖剣を飲み込んだ古の堕天使、片や神すらは葬る伝説の天龍だ。

 簡単に倒せる相手じゃない、実際に負けている。それでも渚は求めた、あの二人を止めるためなら何を差し出してもよかった。

 

命令(オーダー)を受諾。目標の脅威度を確認……終了。"上級 第一種異能個体"と判定。最短で達成するには"蒼"に直結した"プロフィティエンの黒騎士"をプログラムとして使用することを推奨。──その是非を問う』

「なんでも構わない。()りようがあるなら全て任せる」

『警告。現在の状態で蒼を起動した場合、精神及び肉体に掛かる負担は大きい」

「ご託はいい。アイツらを倒せてアーシアを助けられるなら(なん)だって構わない。……やれ!」

「了承。"魔拳の再造"と"炉"への接続許可を確認。目標をアーシア・アルジェントの生存および眼前敵の完全沈黙に設定。……"蒼 獄 界 炉(クァエルレース・ケントルム)"、20%限定起動──開始』

 

 ティスが渚の胸に触れて粒子となって消えると何かを起動した。

 その変化を最初に感じたのは渚の第六感だ。自分の心臓より奥にある、極めて近く限りなく遠い何処かで扉が開く。重厚な音でゆっくりと……。

 扉の奥にある"ソレ"は間違いなく渚の奥で脈動して、次の瞬間には濁流となって押し寄せた。

 体の中から炎が如く猛るオーラに吹き出す。

 あまりの強大な力に驚くが次の瞬間、渚は全身を丸めて黙りこむ。

 

「─────────」

 

 言葉など出なかった。『負担は大きい』とは言っていたが、予想を遥かに上回る激痛だった。コカビエルに裂かれた半身の痛みなど比べ物にならない苦しみが全身を掻き回す。

 真の激痛とは声を出す暇もないと渚は知る。

 身体中の肉や骨、毛細血管に至るまで焼けたドリルを突っ込まれたようなショック死しかねない程の痛み。

 渚の肉体を内部から喰い破ろうとする力はひたすらに容赦なく精神を蝕む。

 意識が破裂して死ぬ、そう思った時だった。

 

『──そんな体の状態で"蒼"を使うなんて無茶し過ぎよ、ナギくん』

 

 譲刃の声が響く。

 

「ゆ、ずり、は」

『扉から来る"蒼"を分散するから(わたし)を心の臓に刺しなさい! このままじゃ肉体が出来上がるよりも先に精神が霧散して消えてなくなるわ、だから躊躇わないで!』

 

 声のままに辛うじて地面に突き立っていた"譲刃"に手を伸ばすと刀が独りでに向かってきた。

 そのままキャッチして途切れ研ぎれの思考で心臓へ刃を押し込む。

 胸に鋭い痛みが走るも、全身の灼けつく激痛は幾分か減る。それでもまだ耐えきれる領域にはない。

 

『とんでもないタイミングで"炉"を再起動させたわね、もっと時と場合を選んでほしかった』

 

 少し焦った様子の譲刃。

 こうも焦燥しているのだから本当に不味い状態なのだろう。実際、渚の心と体はズタズタだ。どうしてこんな痛い目をみているのかすら忘れそうな程だった。

 脳ミソに高圧電流でも流されてんじゃなかと思う。今にも頭が吹き飛んで脳食をブチ撒けそうだ。

 

『気をしっかり持って! アーシアさんを助けるのでしょう!! キミがしっかりしないと彼女も死ぬのよ!!』

 

 アーシアが死ぬ。

 自分の終わりがアーシアの終わりだと再認識した。

 崩れ落ちそうだった精神を無理矢理にでも繋ぎ止める。

 

「(そうだ、終われない。これだけの力を使えばアーシアだけじゃない、リアス部長やイッセーも助けられる)」

 

 "譲刃"の柄を強く握って根元まで刺し込む。

 心臓に刀を刺してる自分に気づいて笑ってしまう。普通なら死んでしまう行為なのに恐怖ない。この(譲刃)が自分を殺すなど有りはしないと断言できるからだ。

 苛む痛みに曝されながら意識は刀に向けた。

 そして死にそうな声で譲刃へ謝罪する。

 

「ごめ、ん。また、面倒をかけた」

『いいわ、慣れっこだもの』

「そっか、俺は、随分と前から、譲刃に助けて、貰っていたんだな……」

『そうね。でももう大丈夫でしょ?』

 

 燃え盛っていた"蒼"が沈静化すると肉体の破壊も収束していく。

 そして次に始まるのは再生だ。

 割れた骨を、千切れた肉を、断裂した内蔵を、焼けた血管を、ありとあらゆる物を"蒼"が()んで修復していく。

 より柔軟に、より強固に、より強く、かつての渚よりもさらに高みに昇らせるため極短時間で進化とも言える変異だ。

 

「……はぁ……はぁ……何が起きているんだ」

『肉体の崩壊と再生による再構成と言えばいいのかな。今のナギくんでは"蒼"は強力すぎて使えないの。だから肉体の強度を上げる必要があった。無傷でやってもツラい最適化を深傷でやるんだから心配したわ』

「……だから……慌てて出てきてくれ……たのか。確かにティスの……言った負担ってヤツを軽く……見すぎていた」

『いい、よく聞いて。ティスはキミが思っているよりも巨大な力を有しているわ。良い子だけど、まだまだ人間とは違う感性の持ち主だからナギくんがしっかりしないと痛い目に合う』

「気を付ける」

『うん。じゃあティスもナギくんの奥で"やっちゃった?"みたいな顔をしているから怒らないであげて』

「……忠告は……してくれたんだ、聞かなかった俺が悪い」

『ふふ。じゃあ変わるわね』

 

 譲刃の声が消えると違う気配がすぐ側にあがってきた。

 

『問い。わたしはまた間違った?』

 

 ティスの(うかが)うような声。ハッキリと理解していていないが、やってしまったかもしれないという疑問の籠った声だ。

 確かに死にかけたが、ティスを責めるのは筋違いだ。例えリスクを聞いたとしても間違いなく同じことをした。

 

「……いや問題、ない。むしろ、よくやってくれた」

 

 肉体の損傷は完全に終わっている。"蒼"は外ではなく内部を血液のように走っていた。

 千切れかけた半身も嘘のように回復済みだ。

 なにより体が羽のように軽いし、みなぎる活力が凄まじい。

 ただ精神の磨耗が激しい。

 肉体は健全を通り越しているが意識が今にも飛びそうで明暗を繰り返す。

 

「……"蒼獄界炉"ってのは上手く動いたのか?」

『"炉"は正常に起動した。ナギサの肉体も最適化が完了している。稼働率は以前よりも低いが"上級 第一種異能個体"ならば問題はない』

 

 肉体以外は深刻なダメージを受けているがティスにとって問題ないようだった。

 けれど欲しいものは手に入った。気絶するのは敵を倒してからにすればいい。

 渚は途切れそうな意識を気合いで繋ぐ。

 

「準備万端って事か。……じゃあ、()ろう」

『了解。時間結界を解除する』

 

 そして時が動き出した。

 色褪せた灰色の世界が色を取り戻す。

 "蒼"を手にした渚は再び伝説に挑む。

 体の内部に走る霊気は今までの比ではない。肉体のコンディションは万全を超えた場所にあり、負けれない理由もある。

 胸にある譲刃を引き抜く。血など一切出ない、傷口も逆再生のように消え失せる。

 異様な再生力に異常な霊気の量。これではもう人間とは言えないだろう。

 だが、それでいい。

 人の身で勝てないのなら、人の身で救えないのなら、人間という枠組みなど喜んで捨てよう。

 

「さぁ行くぞ。聖剣だろうが天龍だろうが、()()の前に立ち塞がるならブチ殺す」

 





データファイル


『コカビエル(聖剣)』

五本の聖剣を取り込んだ堕天使。
その力の領域は魔王クラスすら凌駕し、神クラスにも届き得る。
エクスカリバーを統合した際に発生するエネルギーを使い、擬似的な聖剣因子を生成して自らの体に馴染ませた事によって聖剣の力を使えるようになった状態。
単純な光の力の増幅だけでなく、各々の特性扱えるため戦い方に関しては相当な選択肢があるため、非常に手強い。
バルパーの研究を参考にしてコカビエルが編み出したオリジナルの術式があって成功した荒業であるため、他の誰かには真似が出来ない。


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蒼、輝き穿つ闇《Geo Impact》


 蒼の解放──。
 その圧倒的な力で、渚は堕ちた聖剣と白き天龍に挑む。
 聖剣を巡る戦いは完全決着する。



 

「……ナギ?」

 

 一誠は、いつの間にか立ち上がっていた渚を見て驚いていた。さっきまで血塗れだった服もズタズタだった筈の体も何事もなかったように綺麗になっていたのだ。

 渚だけ時間が巻き戻ったような妙な感覚だった。

 

「でも元に戻ったんなら良かったんだよな」

「アンタにはそう見えるのね」

「夕麻ちゃん?」

「レイナーレよ。あぁもういいわ、それで気づかないの? 今のアイツからは不気味なほど何も感じないわ」

 

 まるで異常事態だと言いたげなレイナーレだが、一誠はよく事態が飲み込めてない。

 ただ霊氣を使っていないだけではないのか? 

 一誠の疑問に相棒のドライグが答えてくれる。

 

『相棒はまだ気配と言う概念に慣れていないから分からないんだろう。生物にはそれぞれ気配がある、特にこう言った直接戦闘ではかなり濃くなるのが常だ。戦意、殺気、闘志、魔力、光力、神器、なんにだって気配は発生するものだ。だが今の蒼井 渚からは戦うために必要なモノが全て欠けている』

「待てよ、じゃあナギは諦めちまったのか?」

「いいえ、違うわね」

『いや、アレは違う』

 

 その言葉をレイナーレもドライグも否定した。

 

「一流の暗殺者は気配を殺すと言うけど、蒼井はそういうタイプじゃないわ。──つまりアイツの中に私たちが知らない何かがある」

『レイナーレの言う通りだ。俺には分かる、漠然とだが微かに覚えがあるぞ、この感覚は……クソ、どうして思い出せない。いや"聖書の神"がわざと俺の記憶に蓋をしているな』

 

 苛立つドライグ。知っている筈の事が記憶の層に封印が掛けられているようだ。

 

『相棒。悪いが詳しくは説明出来そうにない』

「いいさ、ナギが立ち上がってくれたんだ」

「でも勝てるとも限らないわ。実際、コカビエル様に大敗しているのよ」

 

 レイナーレの言い分も最もだ。ならばと一誠が渚の加勢に向かおうとするも、小猫が立ち塞がりそれを止める。小さな少女は決して退こうとはしない。

 

「……ダメです。今の渚先輩は"アレ"を使っています。私たちじゃ邪魔になる」

「アイツがどんな状態か知っているように言うわね」

 

 小猫はレイナーレの質問に瞑目すると言葉を選び取るように呟く。

 

「……アレは"蒼"、レイキの果てに出来るモノ」

「小猫ちゃん、その目……」

 

 一誠は小猫の変化に気づく。

 瞳がいつもの金色から蒼色に染まっているのだ。

 指摘された小猫は瞳に手を当てるも、すぐに渚の方へ視線を向けた。この戦いを蒼の瞳で見守るために……。

 

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 渚は"蒼"が起動した事によって自分に著しい変化が起きた事を知る。濁流が如く押し寄せていた巨大な力は清流のように全身を巡っていた。"蒼"と呼ばれる力によって新しく造られた肉体は高純度の霊氣を余すこと無く循環させて力が(あふ)れ出る。それは造り変えられたといっても過言ではない劇的な変容だ。

 研ぎ澄まされた第六感はより鋭くなっており、360度に至る全方位に眼があるような冴えを見せる。活性化した肉体も凄まじく、白龍皇によって割れた結界の外に浮かぶ夜天の月すらも今なら殴れそうな気分だ。

 しかし決して完璧なコンディションではない。

 自我が酷く消耗している。

 "蒼"による肉体改造で何度もショック死しかねない激痛に苛まれた結果、意識を繋ぎ止めていられるのが不思議なくらいに精神がすり減っているのだ。今も脳が幻覚痛に(むしば)まれており、じきに動けなくなるだろう。

 だからその前に全てのケリを着ける必要があった。

 

「……アーシア」

 

 目の前で倒れる鮮血の少女を抱き寄せる。

 静かだが鼓動を感じた。

 まだ生きている、生きようと足掻(あが)いている。

 死の(ふち)に立たされているアーシアを助けるため、静かに彼女の軽い体から手を離す。

 

「必ず助ける、だから死ぬな」

 

 覚悟を決めて大きく息を吸うとアーシアから距離を取る。

 邪魔する奴は誰であろうと何であろうと叩き潰す。立ち塞がる者は何人であれ滅殺する。迷いはない、ただ大事な者を救うために渚は鬼となる。

 

「……ティス、オレの状態は把握しているな?」

『"蒼"の発現によって起こった断続的な痛覚刺激による意識レベルの低下を確認している、戦闘行動に大きな支障をきたすと推測』

「ああ、体は快調なのに今にもぶっ倒れそうなのが正直なトコだ。だけどな、好き勝手に暴れるアイツらは死んでも潰す」

『問題ない。ナギサの命 令(オーダー)は遂行する。詠唱(コード)の発動許可を求む』

「許可する、始めてくれ」

『発動許可を承認。これより"プロフィティエンの黒騎士"をプログラムとする』

 

 渚の四肢が黒い闇に包まれた。

 そして脳内に必要な言葉が刻まれる。

 それは力を顕現するために必要な言霊だった。渚とティスの声が重なりあう

 

『「深淵より昏き闇、其はあらゆる罰を弾劾し悪を討つ拳撃なり。そして来たれ漆黒の断罪者。──"冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)"」』

 

 漆黒が形を()す。

 それは美しい装飾が成された闇色のガントレットとグリープ。四肢を覆うのは黒曜石のように鈍く光る武具。禍々しいが邪悪と言うイメージはない、あるのは悪を滅するという強大な意思だけだ。

 漆黒に包まれた右手を見ていると"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"を思い出す。全く違う武器なのに何処か近いものを感じるのだ。

 

『"冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)"は"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"の対となる武器であり、共にプロフィティエンという国の守護者であった黒騎士と白騎士が使っていた神 器』

 

 何故そんなものを使える……なんて聞くつもりはない。そんな質問は無駄だ、今必要なのは"力"だ。聞いたことのない国も知らない騎士にも興味はない。

 ()るのだから使う、それだけだ。

 

「それでどう使えば良い?」

『簡単。殴るか蹴る』

「シンプルだな。とりあえず気を抜いたら失神しそうだから、とっと済ませよう」

 

 渚の戦意を感じ取った"冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)"が装甲を展開して黒い粒子を噴出。

 

『ナギサは何も考えずに抹殺対象を討つ事を考えればいい。この"魔 拳(ゲペニクス)"は今までの武具とは違う。初見では制御を誤る恐れがある。だから力の配分を私に委任してほしい』

「分かった」

 

 コカビエルと白龍皇は遥か上空で超高速で激突していた。

 リアスたちは急に無傷で立ち上がった渚に驚いているが説明している暇はない。

 

『機動力を活かした戦闘ではこちらが圧倒的に不利と判断、よって対象の脚を止める』

「コイツには、それが出来る機能が付いているのか?」

『ある。術式の選択ならび選定範囲の計算終了……詠唱破棄(コードキャンセル)。──"重 獄(アトラクター・シャワー)"、発動』

 

 漆黒のガントレットが唸るとコカビエルと白龍皇を中心に凄まじい重圧領域が発生する。

 黒い領域は大地を陥没させて圧壊を広げていく。

 相対する堕天使と天龍が動きを止めて、急に出現した力場を警戒する。

 

「ぐ、なんだ! 体が重く!?」

「空間に干渉する術、いやこれは!」

 

 コカビエルと白龍皇が黒い領域に囚われた瞬間、空から地に堕ちた。

 渚は"冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)"の特性を理解する。

 それは引力および重力の操作。

 光である"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"の斥力と相反する闇の"冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)"。

 不意を付いた形だがコカビエルも白龍皇も為す術なく地面に縫い付けられて動きを止めていた。

 

「すごいな、あの化物レベルの奴等が完全に動きを止めてる。本当に"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"の対なのか、これ?」

 

 明らかに洸劍よりも強力に見える。

 

『"護神刀 譲刃"を依代にした事で制限を受けている"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"と違って"冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)"は直接、蒼に繋がっている。単に出力に大きな違い出ているだけ。……さぁ討滅を』

「あの空間に入ったら俺も潰れないか?」

『"冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)"で発現した重力場は担い手であるナギサに影響を与えない』

 

 ティスの言葉を信じて重力の中へ進む。

 大気が揺れ動き、地面が悲鳴を挙げているのに渚自身を押し潰そうと力は働かなかった。

 コカビエルの前に近づくと胸ぐらを掴む。

 

「立てよ」

「貴様、この力はなんだ? そして傷はどうした?」

「治ったよ、お陰で気分は最悪だ」

「"聖母の微笑み(トワイライト・ヒーリング)"の娘は、俺とヴァーリの戦闘に巻き込まれ、治療できる状態ではない」

「なんだ……戦闘だけに意識が行ってると思ったら案外と周りを見てるんだな」

 

 渚が上から振り上げるようにコカビエルの顔面へ拳を突き落とす。

 

「"擬 態(ミミック)"!」

 

 コカビエルが聖剣エクスカリバーの異能で肉体を硬化させる。

 その強度や否や、間違いなく地球上に存在する全ての物質よりも硬く堅牢だろう。たが気にせず拳打を押し込む。

 

「うおらぁ!!」

 

 拳がヒットのする瞬間、ティスが"冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)"の力を発現させた。装甲の合間から闇色の熱のある粒子が噴出する。

 ドゴンっと重低音が轟くとコカビエルの体は地面に叩きつけられてバウンドした。

 全身が痺れる。恐ろしく堅い物質を殴った感覚が振動となって巡る。

 コカビエルが空中で体勢を立て直す。

 その顔を苦痛に歪んでおり口から血を流しながら驚いていた。

 

「ぐッ!! "滅び"すら受け止めた俺にダメージだと!? まさか擬態による効果を破ったのか!?」

「みてぇだな」

 

 離脱はさせない、この距離で潰す。

 渚が再び攻撃を打ち込むと、黒き一撃にコカビエルの足がふらつく。

 

「貴様ぁ! 良い気になるよ!!」

 

 余程、効いたのか激昂するコカビエル。

 酷い勘違いだと渚は自嘲する。

 気分なんて最悪でしかない。視界は回るし、アーシアの命も刻一刻と死に近づいている。だがそれすらも顔に出している暇はないのだ。

 そんな渚に対してコカビエルは自身と聖剣の光を束ねた巨大な槍が出現させた。

 天を貫く巨大な光槍は重圧領域を消し飛ばす。

 高まる光の力、全霊を込めて全てを壊すつもりなのだろう。

 渚は襲い来る破壊を打倒するため、ありたっけを"魔 拳(ゲペニクス)"へ送る。

 解放されたコカビエルの光と凝縮された渚の闇が正面から相対する。

 

「闇なぞ光の前では無力と知れ!」

「光が闇よりも優れているなんて誰が決めた?」

 

 圧倒的な光量が落ちてくる。視界は目が潰れるほどの輝きに覆われていた。

 

「"堕 天 の 聖 剣(エクスカリバー・ダウンフォール)"!」

 

 それがコカビエルが手にした聖剣の真名なのだろう。

 心も体も浄滅してしまう聖なるオーラが渚の存在を否定するために振るわれた。

 ──死の光。

 そうとしか例えようのない必滅の槍。

 逃げるにしても逃げられれない。

 あの槍は学園どころか町そのものを焼き尽くす力だ。

 回避は不可能、防御なんて(もっ)ての(ほか)である。あれは爆弾と等しく、触れればその瞬間に爆散して駒王町を更地にするだろう。

 やるなら迎撃だ。あの槍ごとコカビエルを打ち負かす。

 渾身の踏み込みで膨大な光の槍へ闇色の拳を叩きつけた。

 光より膨大な熱が溢れて渚を灼く。

 肉の焦げる臭いが鼻孔を刺激する。光槍の圧倒的な質量を前に体を支える両足が大地に沈む。

 

「終わりだな、蒼井 渚!」

 

 更に膨れ上がる光力。

 渚の右手が軋む。鋼鉄よりも硬く強化された骨格ですら亀裂が入る。

 放った拳が押し返されていく。

 重い、今すぐ逃げたくなる程に重たい。

 熱い、心が溶かされる程に熱い。

 それでも闘志だけは揺るがず、思考は常に冷静だ。

 逃げることは許さないと砕けそうな体に力を込める。

 負けることは認めないと挫けそうな心に渇を入れる。

 

「ティス、オレを勝たせてくれるんだろう!」

『肯定。敵性術式の打破を実行する。"冥 天 核(アトラクト・コア)"起動。単一指向性重力圏を展開』

 

 絶対の死を乗り越える為、渚はティスを通して"魔 拳(ゲペニクス)"の術式を発動させる。

 

『術式解放──"漆黒の焉撃(ジオ・インパクト)"』

 

 ガントレットの装甲がスライドして蒼い宝玉が展開すると蒼黒い光りを放ち、圧縮された闇が吠える。

 それは狂暴なまでの暴食の体現。

 光が闇に呑まれる、飢餓状態の獣が餌を貪るが如く聖剣を宿した槍を噛み砕いたのだ。

 巨大な槍が二つにへし折れて光が霧散する。

 

「なん……だと」

「堕天使コカビエル、()ったぞ」

 

 渚の拳はコカビエルの肉を打ち据え、骨を叩き砕くと魂すらも貫く。

 魔拳の一撃はコカビエルだけでは物足りぬと強力な衝撃波となって背後に立っていた駒王学園さえも、くり抜いて全壊させる。

 意識を無くしたコカビエルが事切れた人形のように前のめりに倒れて動かなくなる。

 渚がトドメを刺そうと拳を振り上げた瞬間、白い閃光に襲撃された。

 

「……白龍皇」

「悪いね、連れて帰れと言われてるだけに殺させる訳にはいかない」

「連れて帰れるのかよ? オレはお前もタダで帰す気はないぞ」

 

 渚は白龍皇の襲来を予期していたので攻撃を受け止める。渚は殺気を込めた瞳で睨むが白龍皇は涼しげに受け流す。

 

「いい殺気だ。コカビエルは横取りされたが今の君なら充分に楽しませてくれそうだ」

「あぁ楽しんでいけよ。生憎とあまり時間が取れないからさっさと終わらせるけどな」

 

 黒の拳と白の拳が激突する。

 同時に渚に変化が起きた。

 全身から力が抜けたのだ。

 全力疾走した後のような倦怠感、理由はすぐに分かった。

 白龍皇の力だ。

 赤龍帝が"倍加"ならば対となる白龍皇の能力は明白である。

 

「相手の力を"半減"させる能力」

「やはり知っていたか。けど対処は出来ないだろう?」

「ちぃ」

 

 苦し紛れに蹴りを放つが白龍皇は光の翼を広げて遥か上空に離脱した。

 

「改めて名乗ろう。我が名はアルビオンを冠せし者──ヴァーリ」

Divide(ディバイド)!!』

 

 白龍皇の鎧から発せられた音声と共に渚の力が更に半減する。

 

「君は博識のようだが"白龍皇の光翼(ディバイン・ディバイディング)"の力は"半減"だけじゃない。奪った力は俺に返ってくる。つまり時間は君の敵だ、早く倒さないと状況は悪くなるぞ?」

 

 安い挑発だが事実でもある。

 反則的な能力だ。

 白龍皇に触れたが最後、距離を離しても半減は永久に続く。

 真正面から対抗するには一誠の"赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"のような"倍加"が必要になってくる。

 渚がどうするか攻め手を決めかねていると白龍皇が音速を超えて空から襲撃してきた。

 人間なぞ簡単にミンチに出来る威力の拳が渚に落ちてきた。

 動体視力と運動神経を駆使して避けるが、次々と連撃を繰り出す白龍皇のヴァーリ。

 

「安心してくれていい。距離を取っての様子見などはしない、折角なのだから全力で相対させてもらう」

「そいつはどうも」

 

 接近してくるのなら願ってもない。タイムリミットが近づいてきているのだ、渚は次の一撃に全てを賭けるため力を貯める。

 ヴァーリの鋭く速い攻撃を浴びながらも防御に徹する。相手は全身鎧に対して此方は四肢以外の守りははないが、"蒼"によって得られた肉体は霊氣を通すだけで鋼を上回る鎧と化す。

 だがそう何度も受けていれば限界が来る。

 本当なら避けたいところだが白龍皇は神器だけではなく、本人も稀有な才に高度な訓練を受けているのだろう。無駄のない動き、渚の行動を先読みして退路を塞ぐ立ち回り、全てが戦士として完成の域にあった。

 不利な状況である。回避もままならないのに、永遠と半減させられ続ければ間違いなく敗北するのは渚の方だろう。

 だからこそ"機"を待つ。

 

「大技を狙っているようだが甘いな」

Divide(ディバイド)Divide(ディバイド)Divide(ディバイド)Divide(ディバイド)Divide(ディバイド)Divide(ディバイド)Divide(ディバイド)Divide(ディバイド)Divide(ディバイド)Divide(ディバイド)Divide(ディバイド)Divide(ディバイド)Divide(ディバイド)!!!!!!!!』

 

 白龍皇の鎧の各部に設置された宝玉が光ると連続で"半減"を行使された。

 鋼だった肉体が人のソレ以下に落とされる。

 龍の鉄槌が渚の顔面を捉えた。数秒後には頭蓋が砕け散るのが見える、咄嗟に片手を前に広げるとヴァーリが笑う。

 

「それでは無理だ」

 

 そう言いたいのだろう。

 大分部の力を失った渚は、それでも手で防ごうとヴァーリの拳を待ち受ける。

 やがて龍の拳と渚の手のひらが激突した。

 渚の手の先から肘までが炸裂する。

 

「オレの勝ちだ」

 

 勝利宣言をしたのは渚だった。

 ヴァーリの拳は渚の"手"に止められている。

 

「止めた……いや、なんだこの全身を包む感覚は!?」

「簡単さ、コイツ(魔 拳)の力は引力だ。引力とは重力、つまり手と拳が触れた瞬間、お前の周囲を軽くした」

「そうか、重さが無くなれば打撃の威力は減衰する。……だが"半減"で残り少なくなった異能をこんな事に使うとは……!」

「所詮"半減"じゃあ完全なゼロには出来ない。残りカスの力でもお前の周囲くらいは軽く出来る。本当はもっとスマートにいきたかったんだけど上手くはいかないモンだ。──さてオレはお前を捉えたぞ、ヴァーリ」

 

 渚がヴァーリの周囲に張った重力フィールドを反転させて重くするとヴァーリを拘束する。

 

「ティス、蒼獄界炉を廻せ。この一撃で終わらせる!!」

『了解。"冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)"へ"蒼"を装填』

 

 蒼が魔拳に注がれる。1だった力が10となり100となり1000を超えた。

 漆黒の拳が猛々しいオーラを纏う。禁手の赤龍帝に迫ろうかと言う力の上昇率にヴァーリも驚愕していた。

 

「……君の力は無限なのか?」

「知らねぇよ、俺が聞きたいくらいだ」

『術式解放』

 

 ティスの言葉と同時に渚は膝を大地に付けたヴァーリへ拳を叩きつける。

 

「堕ちろ、天龍。──"漆黒の焉撃(ジオ・インパクト)"」

 

 両手をクロスして渚の拳を受けるヴァーリだったが、鎧はひしゃげて亀裂が広がっていく。

 ──勝ちを確信する。

 あと少し腕を押し込めば鎧の中身を圧砕できる。

 そんな渚の考えを、嘲笑するように地面が砕けた。

 渚の放った全力の一撃は駒王学園を激震につつみ、校庭を崩落させたのだ。

 直撃を受けたヴァーリは渚の拳打によって作られた奈落に落ちていく。

 白龍皇の気配が小さくなるのを渚は感じる。

 命までは届いていないが意識は奪えた。戦闘不能なのは間違いないだろう。

 

「終わった」

 

 駒王学園は見る影もない荒地である。瓦礫の山と化した校舎に、底無しの奈落となった校庭。隕石が落ちたような惨状に、やり過ぎたと思うが今はただ眠い。

 謝罪は後にして瞳を閉ざそうとする渚。

 しかし限界だった渚を笑うように黒い影が立ち上がっていた。

 

「……しつこいな、アンタも」

 

 辟易しながらも黒い影に声をかける。

 黒い影──コカビエルは立っているのもやっとな状態で槍を片手に渚を睨んでいた。

 

「ヴァーリも倒したか。……ふん、貴様のせいで全てが台無しだ」

「誉め言葉として取っておくよ」

 

 骨は砕け、肉も潰れた体でまだ戦おうとするコカビエル。

 渚も今にも倒れそうな気分の悪さを押し隠して待ち構える。

 先手を取ったのはコカビエルだ。瀕死とは思えない速さで渚を肉薄すると槍を突き落とす。

 

「っと! いきなりだな!」

「お互い時間がないのだろう? 俺ももうすぐ終わる身だ、ならば戦場で魂を燃やし尽くすのみだ」

「ちぃ!」

 

 コカビエルの猛攻に防戦一方に追い込まれる。

 信じられないがコカビエルは死を待つ肉体で、渚を上回っていた。

 渚が漆黒の拳を打つ。直撃して骨がひしゃげるも、それでも怯まず槍で反撃する姿は本当に命を捨てる覚悟で挑んできている証拠だ。

 とんでもないコカビエルの執念に、体術のキレが鈍くなっていくのを感じている渚。

 だがそんな二人の間にレイナーレの声が割り込む。

 

「もうおやめください、先生」

「やめる? バカなことを言うな、この俺の背には幾つの命があると思っているのだ! 散っていた部下たちが目指した願い……()()使()()()()のために俺を止まらん!!」

 

 余裕のないコカビエルが怒号をぶつけるがレイナーレはそれを悲しそうに受け止める。

 この場にいるレイナーレ以外の者たちが驚く。

 コカビエルが病的なまでに戦争を求める根底にあったのは執念ではなく信念の為、()いては死んでいった部下のためだった。多くの死が望んだ勝利を掴むために、たった一人になっても進み続ける男がそこにはいたのだ。

 そんなコカビエルの信念をレイナーレは正面から否定する。 

 

「そんなの"願い"ではありません、呪いです! 戦争が起きればまた多くの者が死ぬんですよ!!」

「だとしても部下の……いや同胞たちの死を無意味な物にするのは許容出来んのだ! 未来を夢みて戦った者の意志をなかったことにしろと言うのか、貴様も!! アザゼルも!!」

「なぜ死者の未来は見てくださるのに、生きている者の未来は見てくれないのですか!!」

「だまれぇ!」

 

 コカビエルがレイナーレに斬りかかるが一誠が槍を"赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"で受ける。

 

「今、お前部下を殺そうとしたぞ。そんなんで部下たちの為とか言ってんじゃねぇぞ!!」

 

 一誠の指摘にコカビエルの動きが止まった。

 

「おい、どこ見てる」

 

 すぐ背後から渚が声を掛けるとコカビエルが慌てて正面を向く。

 しかし遅い。渚は既に拳を構えていた。

 

「アンタと会ったときから違和感はあった。戦争を起こすと言いつつも(ぬる)いと感じてたんだ。初めて駒王学園に来たときもリアス先輩を見逃し、戦いが始まってもケルベロスや部下と一緒に戦わず高みの見物に回ったのか。答えはこうだ、──アンタ、負けたかったんだろ」

 

 コカビエルが明らかに動揺した。

 最初からおかしい部分はあった。やり方が回りくどいうえにリスクもある方法を敢えて選んでいる節があったのだ。戦争などコカビエルが本気を出せば起こせた。極端に言えばコカビエルが直接リアスを暗殺して"神の子を見張るもの(グリゴリ)"を(よそお)えばよかっただけだ。悪魔陣営が大きく動けば天使も黙ってはいられない。なし崩し戦争が始まる可能性は大いにある。

 だがソレを選ばなかったと言うことは他にも狙いがあったからだと考えられた。

 それが渚のいうコカビエル自身の敗北。どうしてソレを求めているのかは分からない。ただ漠然とそう感じてしまうのだ。

 

「ふふ、ははははは!! 俺が敗北を求めるなどありえない。……死ね」

 

 ビンゴだと渚は思う。引き釣った笑いと懸命に嘘を隠そうとする目。

 要するに自分達はコカビエルの大それた自滅に巻き込まれたのだ。

 

「いいや、アンタが一人で死ね」

 

 きっとこの堕天使の本質は仲間思いなのだろう。ドーナシークの散り様の会話といい、誰かのために戦える心を持っている。

 だが、どんな理由があろうと渚はコカビエルを許さない。この男は駒王に災厄をもたらした元凶だ。

 それだけで討つに十分な理由となる。渚はコカビエルの槍を受け流して渾身の一撃を叩き込む。

 立っているのがやっとだったコカビエルはそのまま地に堕ちた。

 懸命に立ち上がろうとするが、上手く体を動かせずに仰向けに倒れる。

 

「まだだ、まだ俺は倒れん! 多くの祈りを叶える為に負けられんのだ!」

「それでも倒れてもらう。亡霊たちの"祈り(過去)"に俺たちの"望み(未来)"を奪わせる訳にはいかないんだよ」

「貴様、我が同胞たち求めた勝利の先を愚弄するのか!!」

「アンタの部下のことは知らない。けどソイツらが求めていたのは"勝利"じゃなくて戦いの先にある"平和"だったんじゃないか」

「な……に?」

「そんなことも分からないのかよ。勝利の先にあるのは平和だろうが」

 

 コカビエルから戦意が霧散した。そして何かを悟ったような表情で空だけを見つめる。

 

「まさか……そうだったのか? アイツらの求めたのは誇りでも優位性でもなく、勝利の先の"平和"。それを託して死んでいったのか? ……くく、ふふふ、はははははははははは!! 傑作、傑作だ、アザゼル。まるで道化だ、貴様はそれに気づいていたのだな? 己が物差しだけで計ったがこの始末とは!!」 

 

狂ったように笑い出すコカビエル。

その姿は自身の全てを笑い飛ばしていた。

致命的で根本的な間違い。散って逝った同胞の意志を自分が踏みにじっていた事実に気づいたが最後。コカビエルは戦う理由を見失ってしまう。

 

「……すまんな、我が散っていた同胞たちよ、どうやら俺ではお前たちの"祈り"を成就できそうにない」

 

 最後に懺悔するよう呟くと以降は動かなくなった。

 呆気ない幕切れだったが、意識を無くしたコカビエルの表情はどこか穏やかで悪逆の堕天使とは思えなかった。

 

「なんだよ、自己完結して逝きやがった。まぁ終わったんならそれでいいか」

 

 渚が糸の切れた人形のように地面へ倒れる。

 最早、限界だった。薄れる意識の中でアーシアの無事を祈る。

 ふと視界を完全に閉ざす瞬間、見慣れた白銀が渚を見ていることに気づく。

 

「居たなら手伝ってくれてもよかったんじゃないか、ステア」

 

 頼れる相棒の遅い登場を非難しつつも、あとを任せられると安堵しながら完全に意識を消失する渚であった。

 





データファイル


冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)

悪しきを討つ闇。
両手両足に装備される漆黒の武具で、その能力は『引力』ないし『重力』の操作。
攻撃性能に特化しており、重力を纏った一撃はひたすらに重いため、加減が非常に難しい武器。
実際、余波のみで駒王学園を完全崩壊させた災害兵器。
渚は、その特性を防御にも転用して対象周囲の空間を軽くする事で敵の攻撃を減衰させた。
コカビエルやヴァーリ相手に互角以上にやりあえたのは、『蒼』に直接接続した状態だったためである。
余談だが、防御に勝れた『聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)』の対であり、今まで使用していた洸劒は『蒼』に接続していないので、こちらにはまだ上がある。


『蒼』

──詳細不明。


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堕天使コカビエル《Get away from it all》


最近は忙しくて久しぶりの投稿になります。
この章はこれが最後です。
初心者が書いた(つたな)い小説ですが読んでもらえると幸いです。



 

 駒王町の遥か上空。

 雲を突き抜け、夜の月を背後したアリステアが白雪の髪を風で揺らす。

 強風が吹き荒れている上空に立つ彼女だが、その姿は流麗かつ不動。長い睫毛に縁取(ふちど)られた美しいアイスブルーの瞳が見下ろすのは、コカビエルの施した町を覆う結界。外部からの干渉を防ぎ、内部の者を閉じ込める堅牢な術式だ。

 そんな古の堕天使が張った結界をアリステアは一瞥しただけで砕き、無効化する。

 白龍皇が力ずくで破壊したあとだったこともあり、少し霊氣で干渉するだけで事足りた。

 簡単な作業を終わらせたアリステアは事態の把握に意識を()く。

 

「終わったようですね」

 

 戦いは既に終わりを迎えていた。渚がヴァーリとコカビエルを撃破しての勝利だ。

 しかし、それを見届けたアリステアに歓喜も称賛もない。あの伝説の堕天使と天龍を倒した偉業に対して、さも当然の結果だと言いたげな涼しげな表情である。

 そんなアリステアが駒王学園の()()()()()()()に降り立つ。

 そこは大きく抉れ、底の見えない奈落が口を空けた谷と化していた。校舎も原型を留めないほどに崩壊しており、何かしらな災害に襲われたと聞かされても納得してしまうだろう。

 荒れ果てた学校の正門を(くぐ)るとコカビエルを倒して疲労困憊となった渚と一瞬だけ目があう。

 彼女を視界に捉えた途端、どこか安堵したような顔をして気を失う渚。

 

「全く、どこまで私を信用しているのですか」

 

 呆れた言葉を口にするも悪い気はしない。

 他の誰かに勝手な期待をされるのは気に入らないが蒼井 渚ならば話は別だ。

 彼のためなら神すら撃ち殺す事も躊躇わない。

 それほどにアリステア・メアは渚という存在に親愛と忠誠を捧げている。だがアリステアがこの感情を渚の前で出すことはない。

 自分の性格はよく知っている。

 冷徹かつ傲岸不遜で合理主義。

 恋愛などに興味はないが、本気で愛を向ければ重すぎて笑い話にもならないのは目に見えている。

 だからこそ常に一歩引く。それくらいの距離感がちょうど良いし、心地が良い。

 

「ただの少女でもあるまいし、愚かな思考をしたものです。後始末をして置きましょうか」

 

 くだらない事を考えたと自分を戒めたアリステアがクイッと指を動かす。

 それだけで駒王学園を巨大な術式の陣が覆う。

 

「空間座標を固定、事象の干渉を開始」

 

 アリステアはそう言うと術式が稼働し、崩壊した駒王学園が逆再生のように元の姿を取り戻していく。

 これはただの修復ではなく、結果を否定して破壊された事実を無かった事にする大禁呪。

 術式の正体に気づいたのか、リアスたちは目を見開いて言葉を失っていた。事象への干渉または拒絶という行為は神の領域であるためだ。この力をうまく使えば世界を自分のいいようにねじ曲げる事も不可能ではない。

 やがて神ごとき力は校舎を破壊される前に戻すと校庭の巨大な断裂を閉じようと動き出す。

 

「流石に生き埋めにしては問題になりますか……」

 

 奈落に向けて言い放つアリステア。

 地の底にある異質な気配、悪魔であり人間であり龍でもあるヴァーリがボロボロな姿で鎧の修復に魔力を割いていた。

 このまま奈落を閉ざすの簡単だが、殺してしまってはアザゼルになんと言われるか想像に容易い。

 駒王学園周囲の土地の破壊跡を拒絶しつつも、片手間にヴァーリとコカビエルを霊子でマーキングするアリステア。

 その間にヴァーリへ念話を送る。

 

『最強の白龍皇ともあろう者が手酷くヤられたものです』

『アリステア・メアか。あぁ手酷くやられたよ、流石は君が認めた男といったところだ。しかし喜ばしい事だ、戦いとはこうあるべきだと再確認できた』

 

 嘲笑うアリステアに対してヴァーリもまた鎧の奥で嗤う。本気で嬉しいのだろう、肉は断たれ骨を砕かれも尚、闘志は未だ衰えていない。底知れない闘争本能である。

 

『それは結構なことです。ではさっさとご退場を願います』

『霊氣が俺を包んでいるが、どういうつもりだ?』

『強制的に"fallen"まで跳ばします』

『あの店にか。拒否権はなさそうだな。俺としては赤龍帝とも挨拶をしておきたいのだけどね』

『却下です、サービスでコカビエルも付けてあげるので大人しく退きなさい』

 

 アリステアの提案にヴァーリは意外にも反論する。

 

『コカビエルを倒したのは彼だ。そんな功績を俺が連れて帰って良いものか』

『ナギはそんな物に興味はありません。あちらのリアス・グレモリーには私から言っておきます』

『なぜそこまでする? コカビエルの首はあったほうが色々といいんじゃないか?』

『そちらの総督は生きたままがご所望なのでしょう。──仲間との別れぐらいはさせてあげます』

 

 コカビエルは渚に霊核を大いに打ち抜かれた。それは魂の根元とも言えるコアで、破損は死に繋がる。

 つまりコカビエルはどう足掻いても死ぬのだ。

 少し感傷的なアリステアに、ヴァーリは意外なものを見たと言わんばかりに言葉を返す。

 

『優しいんだな。あれだけ君の慕う男を痛めつけた相手を許すとはね』

『面白い冗談ですね、私は総督に恩を売っているだけ。無駄話はその辺にしてください、途中で貴方に死なれてはアザゼル総督に私が恨まれてしまう』

『やれやれ俺も信用がないな、体は頑丈な方だよ』

 

 若干拗ねたような声音。

 ボロボロの姿で信用うんぬんとは、よく言うものだとアリステアは肩を竦めた。

 

『立っているのがやっとの体でよく言います。下手に動けば死にますよ、貴方」

『ふ、これでも負けず嫌いでね。宿敵の龍がいる前で無様はさらせない。では俺は退くよ、蒼井 渚によろしく言っておいてくれ』

『お断りです』

 

 アリステアがヴァーリを追い払うように転移させるとコカビエルも跳ばす。

 急に消えたコカビエルにグレモリーたちが慌てるも無視しておく。

 これで全て終わり。

 半年以上も前から続いたコカビエルの戦争を起こすという陰謀も空想の彼方に消え去った。晴れて駒王が狙われる事も無くなったという事だ。

 アリステアが事後処理を終わらせると、腕を組んだリアスが目の前に立ちはだかる。コカビエルと白龍皇を逃がした痕跡は残していないのでバレてはいないだろう。

 ここは適当に本人たちが勝手に転移をしたと誤魔化そうと決める。

 

「コカビエルが逃げてしまいましたよ?」

「そうね」

「あまり悔しそうではありませんね」

「あの傷じゃ長くないわ、助からない」

「ではなんですか?」

「貴女、いつから見ていたの?」

 

 リアスは眉を潜めてアリステアに質問を投げ掛けた。

 嘘を吐く必要性を感じなかったアリステアは正直に話す。

 

「最初からです」

「渚は、貴方とは連絡が取れないと言っていたのだけど?」

「取らない方が良かったので敢えて取りませんでした」

 

 そう短く答えて歩き出すと渚の元へ近づくアリステア。

 安らかな寝息を立てる顔を見て小さく頷く。

 

「どうやら成功のようですね」

「成功? いったい何がかしら?」

「渚の覚醒ですよ。いつまで経っても"蒼"を使ってくれないので強敵とブツけてみました。"蒼獄界炉の剣(ゼノ・イクス)"の使用はまだ不可能ですが最初にしてはまずまずな結果です」

「渚を鍛えていたの? あの二人を使って?」

「勿論です。生半可な相手では無理なので」

「──ふざけないで!」

 

 リアスが怒鳴る。

 確かに一歩間違えれば渚は死んでいた。いやリアスの眷属もだ。実際、アーシアは今も死にそうなのだ。

 だがアリステアはリアスに対して冷めた瞳を返した。

 

「貴方が契約しているのは渚であって私じゃない事をお忘れですか? 私が助けに来なかったから責めるとは、なんともまぁ他力本願ですね。──何より、まず自身の力の無さを恥じるが先と知りなさい」

 

 大事そうに渚の頬を撫でるアリステア。

 リアスは言葉が出てこない。

 確かに甘えていたのだ、アリステアと言う戦力に……。

 リアスは渚に沢山の物を押し付けてまだ物足りないと言っている。アリステアは渚を安く見られて不快な気持ちになるも表には出さない。

 リアスも自分が言った言葉を振り返って気まずそうに視線を逸らした。

 

「…………悪かったわ、少し感情的だった」

「分かってくれたのならこれ以上は言いません。ではアーシアを治療します」

「出来るの!?」

「さて。無機物の修復と違って専門外ですが知識はあります」

 

 アリステアがアーシアに手を(かざ)すと見たこともない複雑な術式陣が展開され、卵のようにアーシアを包みこむ。

 

「肉体の破損よりも血液が問題ですね」

 

 アリステアの張った術式が動き出すと複雑な紋様が絶えず動き回る。

 アーシアの顔に生気が戻り始めた。しかし今度はアリステアの細く白い右手が赤く染まる。

 呪いによる出血だ。アリステアはかつて受けた高濃度の呪詛を己の霊氣で封殺している。つまり霊氣を大量に使用すれば呪いは進行するのだ。そんな自らを死に追い込む行為と引き換えにアーシアの生命を編成していた。

 

「アリステア、貴方の腕が……」

「お静かに。人体錬成は初めてなので少々集中させてください。少し間違えばアーシア・アルジェントはミンチになります」

「人体錬成!? それって死者を甦らせる錬金術の秘奥じゃない! 誰もが成功してない術よ!!」

「別に死者を生き返らせる訳じゃないので不可能ではありませんよ。私が錬成しているのは失われた脚と血液、そして破壊された脳の一部。全く、どうしてこうも治癒師が傷を負っているのでしょうね」

 

 辟易(へきえき)した表情だが術式は常に動き続ける。大きく割けた頭部の傷は塞がり、消失した片足も光によって再構成されて顔色も良くなってきた。

 やがて復元はあっさりと完了する。傷ひとつない姿のアーシアはすぐに瞳を開けると周囲を見て少し呆けたように自分の身体を確認した。

 

「あれ? 私、なんで寝ていたのでしょう?」

 

 ぽけぽけな言葉を聞いたリアスはアーシアに抱きついた。急に飛び込んできたリアスに対して困惑の表情を浮かべるアーシア。

 

「え? ど、どうしたのですか?」

「よかった。アーシア、ごめんなさいね、私、貴女を守れなかった」

「いえ! そんな謝らないでください」

 

 ぎゅっとアーシアをいつまでも離そうとしないリアスを黙って見ていたアリステアだったが、そんな彼女にレイナーレが寄って来た。なんらかの嫌味でも言いに来たのだろうと勘ぐるも、その顔を見て違うと分かった。

 

先 生(コカビエル)を転移させたのはアンタね」

「さて、なんのことです」

「言えない理由があるのならいいわ。けど、ありがと。ここにいたら安らかに……とはいかないから」

 

 今にも泣きそうなレイナーレ。

 懸命に涙を(こら)えているが気を抜けば溢れてくるだろう。きっと彼女にとってコカビエルは、それほどまでに特別な存在だったのだ。

 それでも敵対を選んで槍を向けた。アリステアはその理由に興味を引かれる。

 

「貴方とコカビエルの関係性は知りませんが、そんな顔をするくらいに親しかったのは理解しました。何故戦ったのですか?」

「アンタだって渚が間違えば指摘するでしょ」

「けれど殺そうとは思いません」

「わたしはアンタと違って非才なのよ。これしか先生を救う方法がなかった」

「難儀なことですね」

「そうね、ままならないわね」

 

 アリステアはレイナーレに背を向ける。

 彼女の目に光るものがあったからだ。きっと誰にも見られたくないだろう顔を見続ける趣味はないし、慰められるのは一人しかいない。

 

「夕麻ちゃん」

「……イッセーくん」

「俺は何も見えてないし、聞こえないよ」

 

 レイナーレを抱き寄せる一誠。

 小さな嗚咽が聞こえる。今まで押さえ付けていた感情が決壊したレイナーレが一誠の胸を借りて涙を流す。

 

「先生が……死んじゃうみたい。わたし、すごくお世話になったのに……恩を(あだ)で返して、お別れしちゃったよぅ、最低だ……」

「最低なんかじゃない。夕麻ちゃんが頑張ったから俺たちが生き残れた。だから助けてくれてありがとう」

 

 そこまで聞いてアリステアは二人から離れた。あまり立ち入って良い場面じゃないのは重々承知だ。あとは一誠に任せればレイナーレは大丈夫だろう。

 

「それにしても……」

 

 ズキズキと右手が痛む。セクィエス・フォン・シュープリスが施した"(しゅ)"は確実にアリステアの全能を抑え付けていた。

 苦痛には慣れているが何かをする度に出血してしまうのは不快だ、いちいち服が汚れる。

 赤く染まった右手に左手を添えると拭き取るようにシュッと滑らす。

 それだけで血の跡が消えた。駒王学園を修復したように出血を()()()()()にしたのだ。だがこの"事象の拒絶"を使っても"咒"の元は取り除けない。

 恐ろしきかな、セクィエスは神の領域にある力すらも意に介さない呪いをアリステアに与えているのだ。

 自力での解呪はほぼ不可能。呪いから解放されるためには大元を絶つが正解かもしれない。

 要するに……。

 

「次会ったときに殺せば良いだけです」

 

 なんて事はないと言いたげに右手の呪いから意識を外す。

 激痛を伴う死へ至らしめる呪いは、常に死神の鎌が首を捉えている恐怖をも生む。常人では耐えきれない程の近くに死があるのだ。

 右手の傷が開く度にアリステアは、とある感情に支配される。

 悲観ではない怒りでもない、ましてや絶望ですらない。

 あるのは必殺の誓いだけだ。

 夜天の下で白雪の女は美しくも冷たい微笑を浮かべる。

 このアリステア・メアにケンカを売った女をどう殺してやろうかと策略を練るのが楽しくて仕方がないと言いたげに……。

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 

 この世に生を受けて数万年の男がいた。

 人とは一線を画したその男はコカビエルと言う名を持った堕天使である。

 多くの戦場を駆け抜けた。多くの敵を滅ぼした。そして多くの部下を死地へと追いやり殺した。

 両手を血で塗らし、沢山の命を奪う忌まわしい怪物が彼だ。

 時として味方からも恐れられたコカビエルだったが気にも止めなかった、これまでの戦いは友に捧げた成果であるからだ。血も涙も何処かへ置いてきた自分と違い、何処までも人情的で仲間を見捨てないソイツの為ならば、幾らでも血を流そうと思える。古き友、唯一(ゆいいつ)心を許した同士とも言えた。

 だからこそ何人であろうと殺せる。それ以外の絆など不要で余計な物だとコカビエルは常に思っていた。

 

「先生!」

 

 夜の森で焚き火を静かに眺めているコカビエルの耳に騒がしい声が入る。

 幼い少女だ。

 かつて自分の側近を長く勤めた男女がいた。優秀であり信用もしていた。だが重要な作戦を成功させるためにコカビエルが死地へ送って勝利のため犠牲にした。

 その二人の忘れ形見が目の前の少女である。

 名をレイナーレ。両親と違い、戦う才能が一切ない堕天使。

 気まぐれに拾って駒使いにしてやった少女だが引き取るなり、強い堕天使にしろと懇願されたのは予想外だった。

 すぐに諦めるだろうと了承したは良いが、存外しぶとくコカビエルのシゴキに耐えている。

 そんなレイナーレが生傷だらけの体で討ち取っただろう小動物を自慢げに見せてきた。

 

「ふぁ、ファングラビットを狩って来ました」

「これがお前の夕飯だ、捌いて食べろ」

 

 目すら合わせずにコカビエルが言う。

 幼いレイナーレは緊張した様子で頷くと、何度も教えた獣の捌き方を四苦八苦しながらやり始めた。

 物覚えの悪い娘だと常々思う。才能なんて有りはしない。このまま成長しても並み以下の戦士にしかならないだろう。

 さっさと見限ってしまうのがベストな選択だ。

 だが……。

 

「出来ました!」

 

 十数分と掛からない解体作業に数時間かけたレイナーレが寄ってくる。どうやら下ごしらえもやっていた様子で、鉄串に肉が突き刺さっている。どちらにしろ時間が掛かり過ぎて呆れるほかなかった。

 

「遅い。それでは食事もままならない戦場に出た時にすぐ死ぬぞ、馬鹿者が」

「す、すいません」

 

 冷たく叱られたレイナーレがしょぼくれる。

 やはり何をやらしても不器用な堕天使だ。

 ふと、コカビエルがある事に気づく。よく見るとその両手に串刺しの肉を持っているのだ。だがバランスがおかしい、片方が妙に多いのだ。

 

「あの、これは先生の分です」

「俺の分だと? 頼んだ覚えはない、勝手な真似をするな」

「ご、ごめんなさい」

 

 更に落ち込んだ様子のレイナーレが肩を落としながら焚き火で肉を焼く。

 その間もコカビエルの顔を盗み見てくる、ウザったい視線にコカビエルが睨みを落とす。

 

「何を見ている」

「先生はお腹が空いてないのですか?」

「お前ほどじゃない」

「せ、先生の分もあります!」

「いらんと言った、くどいぞ」

「け、けど……」

 

 解体を始めて、レイナーレの腹からは空腹の合図が鳴っていた。やっと聞かなくて済むと思った矢先に、この娘はいちいち小さいことを気にして食事を取ろうとしない。

 コカビエルがさっさと食えと言うもレイナーレは食べようとしない。いやに頑固な娘に辟易してくる。このままではこの娘も倒れてしまうだろう。

 コカビエルは色々と面倒になり、小さい方の串を奪って肉を口に入れた。

 

「あ、それは私の……」

「これで満足だろう、いい加減にその腹の虫を黙らせろ」

「はい! いただきます!!」

 

 そしてガツガツと肉を貪るレイナーレだったがすぐに食べ終わる。

 小さな獣だ、しかも下手くそな解体で食べられる部位も削ぎ落としている始末。レイナーレが名残り惜しそうに何もない鉄串を眺めていた。余程、腹が減っているのが伝わってくる。

 そんな顔をするなら何故分け与えた? 

 苛立つコカビエルが立ち上がるとレイナーレがキョトンとした顔で見上げてきた。

 

「ここを動くな」

 

 コカビエルは漆黒の羽を広げてその場から飛び立つ。

 レイナーレは少ない肉を施した。それは借りであり負債だ。コカビエルはこの負債を返済するために気配で感じた大型の魔物を刈り取りに行く。

 やがて戻ったコカビエルは物の数十分で先程よりも遥かに上手い肉をレイナーレに食べさせた。

 

「ありがとうございます、先生! とっても美味しいです!!」

 

 笑顔でお礼を言われた。

 

「ふん、借りを返したに過ぎん。もう寝ろ」

 

 言うとレイナーレはモジモジしながらコカビエルに近づいてくる。

 何事かと冷めた感情で見ていると……。

 

「近くで寝てもいいでしょうか?」

「理由は?」

「ひ、一人は寂しくて」

 

 実に下らないと内心で一蹴する。

 取るに足らないレイナーレの望みだったがいい加減に一人で考え事をしたかったコカビエルは黙って横を空けた。

 ぱぁっと笑顔になるレイナーレがコカビエルのすぐ隣で丸くなった。

 疲れていたのだろう、少しして寝息が聞こえる。

 どうしてこの使えそうにない幼女を拾ってしまったのか。

 戦場において絶対に役に立たない無能である。身寄りのないレイナーレなどいっそ殺してやった方が幸せかもしれない。

 

「うぅ……おとーさん……おかーさん……どこ? ……さむいよぉ」

 

 身体を震わせるレイナーレ。いくら焚き火からあると言っても夜の森は冷える。

 煩わしい寝言だと思いつつも収めていた翼を広げて小さな体に被せてやる。

 

「……あったかい」

 

 ぎゅっと羽を握ると安心したように呟くレイナーレ。

 コカビエルは黙って焚き火を見つめている。

 炎に照らされたその横顔は少しだけ安らかな笑みを浮かべていたのだった。

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 香ばしいコーヒーの匂いに釣られてコカビエルは目を覚ます。

 随分と懐かしい夢を見た。あれはレイナーレを引き取って間もなくの記憶だ。

 夢の名残を噛み締めながら周囲を見渡す。

 そこは"神の子を見張る者(グリゴリ)"の本部、数十年は帰っていないコカビエルの自室だった。

 懐かしい部屋の真ん中にあるソファーで腰を掛けていた自分。ボロボロの衣服を着ている事からも駒王での戦いから、そう時はたっていない。

 しかし蒼井 渚に敗れた筈の自分が何故ここにいるのだろうか。

 幸い、その疑問に答えられそうな人物が目の前にいる。

 

「……アザゼル」

「よう、コカビエル」

 

 かつての友がガラス造りのテーブルを挟んで座っていた。

 

「コーヒー飲むか?」

 

 アザゼルが用意していただろうコーヒーを差し出す。

 

「俺はどうしてここにいる?」

「協力者がいてな。ソイツが堕天使の支配領域にお前らを跳ばしたんだよ」

「成る程な。それで? こんな死に損ないをどうする?」

「とりあえず聖剣のコアは抜き取らせてもらった」

「当然か。聖剣は有用性のある兵器だ、再利用をしない手はない」

「何言ってんだ、これは教会に返品する。こんなの俺が持ってたらミカエル辺りが喧嘩を吹っ掛けてくるだろうが。つか聖剣因子を無理矢理作って取り込むとか馬鹿だろ? 寿命をどんだけ削った思ってやがる」

 

 ツラツラと説教を始めるアザゼル。

 しかしあれだけのエクスカリバーを返品とはなんとも勿体ないことをするものだ。奪い取るのに結構な労力を割いたコカビエルにとってあまり嬉しい行為ではない。

 やはりアザゼルは、あの聖剣を組織の物にする気はないようだ。

 

「…………戦争はしないか」

「やらんさ。臆病だの腑抜けだの好きに罵ればいい。こんな状況で戦争を起こせば堕天使は滅ぶ、それだけは避けなきゃならん」

「死んでいった者の(こころざし)を捨ててまでか?」

「……俺は死んでいった者たちより、今を生きている奴を助けたい。逝っちまった連中には、くたばった後に謝りに行くさ」

 

 コカビエルが自然と笑いをこぼした。

 レイナーレと同じ言葉での返答に可笑しさを覚えたからだ。

 数奇なこともあるものだ。こうも身近だった者たちが自分とは正反対の考えを持っている。以前なら怒りを覚えただろうが今となっては逆に清々しいものを感じてならない。

 

「お前らしくない随分と穏やかな笑みじゃねぇか。てっきり苛立つと俺は思っていたよ」

「いや、つい先程も似たような事をバカ弟子に言われてな」

「確かお前の副官だった奴の子供だったか、名前は……」

「レイナーレだ。曰く生者を無視して死者の為に戦うのは"呪い"だそうだ」

「ハハ、中々キツいこと言うな。効いたろ?」

 

 ニヤニヤと悪戯めいた顔で嗤うアザゼル。

 

「俺は戦う事しか知らん。平和などに唾棄すべき対象だった、だが……」

「今は違う、か?」

 

 アザゼルがコーヒーを一口飲むと真面目な顔でコカビエルを見た。

 

「かもな。どこかの青二才が説教をたれてきやがった、しかも俺自体が何処かで納得していたのだ」

「あんだけの事をしておいてそれかよ、今後の事を考えただけで頭が痛いってのに迷惑な野郎だ」

「許しは乞わんよ、後悔はしていないからな」

「このバカ野郎が……」

「くくく」

「ははは」

 

 アザゼルが憎まれ口を叩きつつも、懐からタバコを取り出すと差し出してきたので受けとる。

 口にくわえて火をつけると安っぽい味がした。やはり吸うなら葉巻に限る、どうしてこの男はコレで満足しているのだろうか。今度機会があれば上等な葉巻でもくれてやろうと思う。

 

「ふん、もう少し良いのを吸え」

「吸えれば構わんのさ」

「総督の肩書きが泣いているぞ」

「ハン、ほっとけよ。趣味趣向は人それぞれだ」

 

 二人の会話が途切れた。

 こんな静かで穏やかな時間はいつぶりだろう。ここ数年は忙しかったコカビエルは友との語り合いを満喫していた。

 だがそれももうじき終わりだ。名残惜しくも感じながらもコカビエルは口を開く。

 

「アザゼル」

「なんだ?」

「オーフィスが組織を立ち上げたのは知っているな」

「ああ、最重要項目として捜査を続けてある。急にどうした?」

「その組織と並んで"アルマゲスト"という組織も警戒しておけ」

「初めて聞く名だが……」

「俺も直接コンタクトを取ったのは数回だ。恐らく大きな組織ではない」

「それを警戒する理由は?」

「俺が会ったのは三人だけだが個々の戦力が魔王を越えている。恐らく神に匹敵するだろう」

 

 コカビエルの言葉を偽りと断ずる事もせず、アザゼルが厳しい表情に警戒を灯すと問う。

 

「容姿と能力は?」

「一人は邪教徒のような格好をしたイカれた神父だ、ソイツはあらゆるものを食らう暗黒の両腕を持っている。二人目は黒ずくめのローブを羽織った求道者じみた男、能力は触れた物を破壊する力だ。そして三人目は自分をカラワーナ(堕天使)と偽った女だ、特にコイツは危険だと俺は思っている。限りなく不死に近く、雷光も扱える究極の愉悦犯だ、自らの欲を満たす為ならばあらゆる犠牲を伴わん」

「数年前に死んでいる筈のカラワーナに擬態した奴の情報は掴んでいる。レイナーレが赤龍帝の力を取り込んだ時に行動していたみたいだからな」

「不愉快極まる、勝手に人の弟子をたぶらかし壊そうとした輩だ」

 

 冷たい殺気を放つコカビエルだったが、すぐに収めてソファーに背中を預けた。

 

「……だがその事があったからアイツは変わった、堕天使の誇りの為に命を投げ出さなくなったのだ。惰弱と思う反面、嬉しくもある。アザゼル、この気持ちは何なのだろうな?」

「知らねぇのかよ?」

 

 先の緊張感はどこへやら、急にククッと笑うアザゼル。

 

「知っているのならとっと教えろ」

「親バカ」

「ヤツとの血の繋がりはない」

「ここが繋がっているだろうに」

 

 アザゼルがトントンと自身の心臓を叩く。

 "心"とでも言いたいのだろうか? 

 科学者の癖に随分と馬鹿馬鹿しい答えを出してくるものだ。自分がいつ親らしいことをしたのか? 

 気まぐれで拾い、しつこくせがまれたから戦い方を教え、そして放り出した。

 そんな者が親であるはずがない。

 

「お前は戦い以外は、てんでダメだからなぁ」

「……自覚はしている」

「かかっ、大の大人がしょげんなよ」

「しょげてなどいない。ただ納得が出来ないだけだ」

「そうかい、親バカ二号」

「俺をバラキエルなどと一緒にするな!」

「はは! コイツ、ほんとに自覚してらぁ!」

「貴様ぁ!!」

 

 子供のような口論をしばらく続ける二人。

 滲むように胸に広がるのは懐かしき日々だった。昔はこんな風にバカな話で笑い合いケンカもした。シェムハザやバラキエルなども巻き込んで大いに好き勝手やったものだ。

 辛い思い出も楽しい記憶もいつまでも心に刻まれている。

 ──素晴らしい人生だった。

 コカビエルは心底そう思う。

 

「アザゼル、迷惑を掛けたな」

「気にすんな……とは言えんが特別許してやるよ」

「スマンな、それと……」

「わぁってるよ、レイナーレの事も俺が見守るさ」

「感謝する」

 

 この男(アザゼル)は、いい加減でトラブルメイカーなとんでもない奴だが信頼は出来る。なんだかんだで期待を裏切らない。

 コカビエルは、随分と短くなったタバコを灰皿に乗せた。

 

「少し休む、お前といるといつも話し込んでしまうな」

「……次起きた時にでも続きを話そう。逃げんなよ、文句が沢山あんだからな」

「もう何処にも行かんさ、もう、な」

 

 コカビエルがゆっくりと項垂れると瞳を閉じる。

 その顔は走りきったランナーのように穏やかで満足げな笑みを浮かべていた。

 数秒の沈黙を経て、アザゼルが腕時計の形をした通信機をオンにする。相手は副総督を任しているシェムハザだ。

 

『アザゼル、コカビエルは?』

「今、寝た」

『……そうですか、待機させていた刃 狗(スラッシュ・ドッグ)の戦闘配置を解きます』

「必要ねぇって言ったのに心配性な奴だな」

『例え同士だろうと貴方と(たもと)を分かった者、警戒はしておくべきです』

「悪かったな、損な役割を押し付けて」

『良いですよ、どちらも大事な友人ですから』

「たくよ。いい顔で寝てやがる、さんざんやっといてコレだぜ?」

『……泣いているのですか?』

「タバコの煙が目に染みただけだ」

 

 そう言ってタバコを灰皿に置くアザゼル。

 二つのタバコが燃え尽きるその時までアザゼルがその場を動くことはなかった。

 





次回はキャラのステータス表みたいな物を投稿しようと思います。
ではありがとうございました。


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データファイル
ステータス


簡単にステータスをまとめてました。




蒼井 渚(あおい なぎさ)

 

《パーソナルステータス》

 

パワー(力) C

ディフェンス(耐久力) C

マナ(霊力)C

スピード(敏捷) C

テクニック(技量) C

アビリティ(異能) A~EX

 

 

本作の主人公。

流麗な日本刀、柄のない洸剣、漆黒の拳。多くの武装を使いこなす多種武器使い(マルチウェポン)

刻流閃裂という流派を主軸に戦う強者……なのだが記憶を失くしているので詳細な経歴は不明。本人いわく普通の男子高校生とのこと。

生来のお人好しかつ争い事は好まない性格だが、戦うことでしか解決できない物事もあると弁えているので、必要な時(他者が理不尽にお追いやられた時など)は迷いなく力を振るう勇敢な一面も持ち合わせている。

しかし自己を評価するのが非常に下手で自分の実力を二回りほど低く見てしまいがち、そのため周囲からの憧憬や好意に戸惑っている辺りどうしようもなく常人的な感性の持ち主。

魔力や光力は扱えないが霊氣と呼ばれる異能で異形へ立ち向かう。

彼の内にはティスと名乗る少女が宿っており、彼女を通すことで霊氣よりも強力な『蒼』という未知の異能を扱える。その時の戦闘力は通常時とは比べ物にならないほどで正に鬼神の名が相応しい。

将来の夢は戦いと関係ない場所で普通に暮らすこと。

 

 

固 有 能 力(アビリティ)

 

御神刀 譲刃(ごしんとう ゆずりは)《ランクA》

 

一見してなんの変哲のない刀だが同じ名を持つ少女の残留思念が宿っている。

上位の魔剣や聖剣のみが使える空間を絶ち斬る能力を備えていることから、かなりの業物。

特質すべきは霊氣の収容率の高さ。渚から流し込まれた霊氣を込めれば込めるほどに強力な斬撃に転用できる(一振りで校舎を両断するなど)。この刀以外で霊氣を扱えば武器が持たずに破壊される。霊氣を使う戦い方──刻流閃裂を使用するのに必須な武器であり、この刀でなければ十全に技を出せない。逆に霊氣を扱えなければ異様に頑丈な只の日本刀である。

 

聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)《ランクA+》

 

柄のない輝く陽光の剣。

常に浮遊している複数本からなる刃。翼のように渚の背中に待機している事から刃翼とも呼ばれる。

光の属性と斥力の異能を内包する。

刃に極薄の斥力を纏わせて対象を引き裂く。そして一本一本が意思のあるが如く飛翔するので渚との連携も可能。

しかしその真髄は防御にあり、花のように広げる事で協力な斥力フィールを発生させて攻撃を弾くというのが本来の使い方。

 

冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)《ランクS+》

 

両手と両足に装備される漆黒の武具、聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)とは対となる。

駒王学園の校舎を真っ二つにした刀や不死鳥を張り付けにした洸劒すら霞む程に攻撃力が高いのが特徴。

闇属性と引力の異能を内包する。

戯れに放った一撃で駒王学園の敷地を崩壊させる。とにかく扱いが難しく、下手に使えば味方も巻き込む災厄武装。特に『蒼』を装填した打撃は加減をしていても地形を変える威力を叩き出す。

 

蒼 獄 界 炉(クァエルレース・ケントルム)《ランクEX》

 

『それは"蒼"と呼ばれし原初の霊核』

『門より(きた)る外なる力』

『世界の炉であり禁忌の源泉』

『触れられざる()の遺産』

 

現在確認されている効力は渚の全能力の向上。聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)などの武装錬成。神 器(セイクリッド・ギア)への干渉などが挙げられる。

 

 

 

 

━━━━

 

 

 

 

 

アリステア・メア

 

《パーソナル・ステータス》 

 

パワー(力) E《D》

ディフェンス(耐久力) C《B》

マナ(霊力) A《SS》

スピード(敏捷) C《B》

テクニック(技量)S《 SS》

アビリティ(異能) A《SS》

 

*《》は本来のランク

 

 

白 雪(スノーホワイト)と呼ばれる美少女で雪のような長髪に氷のような瞳、常に冷静でクールビューティーを素でいく大人びた性格をしている。

趣味は読書と銃弄り、最近は紅茶にも嵌まっている。

気品と自信を同時に合わせ持つ才女であり、あらゆる方面に才能を発揮するタイプで大抵のことは人並み以上にこなす天才。

戦闘の際は、現存する銃器を卓越した技量で扱う。加えて体術も極めて高いレベルで使いこなすうえ高位の魔術も行使可能なため一切の隙がない戦い方をする。その実力は凄まじく、彼女と相対した者は高確率で死ぬか肉体に重度な損壊を負っている。とにかく敵を無傷で帰さないので敵対者には同情を禁じ得ない。

その敵対者を容赦なく殺しにかかる冷徹な内面から恐ろしい人物だと思われがちだが冷血ではないので、なんだかんだで色々な人間に世話を焼く二面性をもつ。

初対面の人間からは、見下すような態度と口調から傲岸不遜な印象を与えるが決して傲慢な訳ではなく単に相手に好かれようとしてないため言葉を選んでいない結果だったりする。

現在、右手に呪いを受けてしまい霊氣で侵攻を抑えているため弱体化中である。

 

 

固 有 能 力(アビリティ)

 

真 眼(プロヴィデンス)《ランクSS》

 

アリステアの持つ特殊な眼。

その効力はあらゆるものの『真』を見破るというもの。

対象の大まかな戦闘力、異能、体内の魔力ないし光力、霊氣の流れの把握。上下左右360度に至る超視野の獲得。動体視力の強化による擬似的な時間延長(自分の思考以外の全てがスローモーションになる)。超絶的な空間認識などなど見破る事に特化した能力で、これでもかというほどの様々なアドバンテージを与える破格の力。

しかし常時発動している訳ではなく不意を突くのは可能、もっともアリステア・メアはこの眼を使える道具の一つ程度にしか考えていないので強さの秘訣には直結していないのが彼女の恐ろしい所である。

 

物質の転送移(ア ポ ー ツ)《ランクS》

 

遠くの物体(無機物)を転移させる術式。

この能力により武器の損失という現象が一切無くなる。

範囲は術者の力量に左右される。

ランクSともなれば最早範囲など無いに等しい。

 

Last(ラスト) Embrace(エンブレイス)《ランクSS》

 

別名、『絶死の包容』。

自らの頭上に打ち上げた霊氣を大気に織り混ぜ、粉雪を降らせる超広範囲攻霊術式。

幻想的で美しい雪景色を作り出すが、その効力は触れた存在を(ことごと)くに分解にして崩壊せしめる。

痛みすら感じず溶けるように、ゆっくりとこの世界から消え去っていく。

それは優しくも凄惨な死の残雪。

 

 

 

 

━━━━

 

 

 

 

兵藤 一誠

 

《パーソナルステータス》

 

パワー(力) E《A》

ディフェンス(耐久力) E《B》

マナ《魔力》F《F》

スピード(速力) F《B》

テクニック(技量) F《F》

アビリティ(異能) A《S》

 

*《》は禁手化時のランク

 

 

赤龍帝ドライグという伝説の天龍を封印した神器の担い手。

おっぱい大好き高校生なのは相変わらずだが渚と言う目指すべき背中があるので若干エロ方向は改善されている。しかしエロいのには変わりない(渚も多少影響を受けている)。

現状のステータスは非戦闘員であるアーシアを除けば眷族最下位。

しかし既に禁手発動可能ため、使えば驚異的な上昇率を誇る。時間制限は5分程度だがドライグ曰く、これでも異常な長さだと言う。渚との接触で神器が活性化したのが原因と睨んでいるが詳細は不明。

 

 

固 有 能 力(アビリティ)

 

赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)《ランクA+》

 

神すら滅する神滅具(ロンギヌス)の一種で発動時は一誠の左手に宿る刺々しいガントレットとして現れる。

10秒ごとに能力を倍加する能力を持つ。

倍加の流れは以下の通り。

溜める→解放→発現。

溜められる量に上限がないため永遠に自らを強化できるというデタラメな能力だが。やり過ぎると一誠の肉体が持たない。最悪の場合は中から倍加に耐えきれず破裂する。もっともそこらへんはドライグが調整しているので滅多なことでは死にはしない。

もう一つの能力が倍加の譲渡であり、溜めた分の倍加を他人や道具に移せると言うもの。

自分や仲間を強化できるため汎用性が非常に高い、この力もあり一誠はグレモリー眷族のなかでも中枢を担う存在になりつつある。

 

赤龍帝の鎧(ブーステッド・ギア・スケイルメイル)《ランクS》

 

赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)禁 手(バランス・ブレイク)

左手だけだった神器が全身を包む真っ赤な鎧になる。

人の姿をした龍を模しており、攻撃、防御、速さが劇的に上がる。

そして倍加のクールタイムであった10秒と言う制限が消え失せ、ノータイムで連続増幅(ブースト)が可能になる驚異の代物。

 

 

 

 

━━━━

 

 

 

 

リアス・グレモリー

 

《パーソナルステータス》

 

パワー(力) D

ディフェンス(耐久力) D

マナ(魔力)B

スピード(速力) D

テクニック(技量) C

アビリティ(異能) A+

 

名門グレモリー家の時期当主、美しい紅髪のお嬢様。

基本的に傲慢で他種族を見下す悪魔と違い、気さくで思いやりのある華やかな女性。

その身には”滅び”という強大な異能を持ち、冥界でも有数な貴族の出身と言うこともあり、上級悪魔の位にいる。

そんな上級悪魔の称号を持つ彼女だが、強者との実戦経験が浅いため実は戦闘力はそう高くない。しかし才能はあるのでこれから伸びる可能性は大いにある悪魔である。

かつて渚に助けられた経験をしていて、記憶を無くした彼と相棒であるアリステアに借りを返すべく手厚く保護している。二人に対して善意で面倒を見ているが駒王のトラブルに駆り出すことが多いので引け目に感じていると同時に深く感謝している。

現在、一誠に惹かれているのでレイナーレに対抗心を燃やす恋する悪魔でもある。

 

 

固 有 能 力(アビリティ)

 

・滅びの力《ランクA》

 

本来はバアル家の固有能力、魔力に消滅という概念を付与させるのが特徴。

リアスは母方がバアルの血縁なので継承している。

あらゆる物を消滅させるため防御陣も意味をなさないが、格上にあたるコカビエルや不死鳥などといった手合いは存在力がリアスの魔力を大きく上回っているため消滅させることが出来ずダメージを与える程度で倒せなかった。それでも隔絶とした差があった敵対者にダメージを与えている事から非常に強力な力である。

 

 

 

 

━━━━

 

 

 

 

姫島 朱乃

 

《パーソナルステータス》

 

パワー(力) D

ディフェンス(耐久力) E

マナ(魔力)B+

スピード(速力) C

テクニック(技量) C

アビリティ(異能) B~??

 

グレモリー眷族の女王(クイーン)

おっとりとした和風気品を纏う大和撫子で戦闘の際には巫女服で戦う。これは彼女が神社の生まれなためである。

魔力の扱いが得意であり、特に雷の力で相手を消し炭する。

穏やかそうな見た目と性格だが、実はSっ気があり敵対者には苛烈な攻撃を笑顔で繰り返し行う場合が多々ある。もっともその性癖が仲間に向けられる事はない、寧ろリアスと並んで二大お姉さまと呼ばれるほどに優しい人物。

常に余裕がありそうな彼女だが、実際は精神的に脆い面があり、失敗すると一人で抱え込んでしまう悪癖がある。これは女王として弱味を見せられないという配慮であるためリアスにも隠している(リアスは薄々気づいている)。

だが最近になって、そんな弱い自分を受け入れてくれる人物に出会ったので改善方向に向かっている様子。

 

 

固 有 能 力(アビリティ)

 

・雷光《ランクA》

 

雷に光を織り混ぜた悪魔殺しの力。

父親譲りの能力らしく、かなり希少な部類に入る。

特に朱乃の場合は悪魔の魔力と堕天使の光力が融合しているのでかなりの高出力を発揮できる模様。

本人は堕天使を嫌っているため易々と使わないので宝の持ち腐れ状態になっている。

 

 

 

 

━━━━

 

 

 

 

木場 祐斗

 

《パーソナル・ステータス》

 

パワー(力) D

ディフェンス(耐久力) D

マナ(魔力)D

スピード(速力) B

テクニック(技量) B

アビリティ(異能) A

 

 

グレモリーの騎士(ナイト)

優しげで整った容姿、爽やかな性格を持つ少年。

駒王学園の王子とも呼ばれ、女子からは絶大な支持を誇るも本人は特定の人物を付き合うつもりはなく告白は全て断っている。

聖剣計画というプロジェクトの披検体であり、幼い頃から過酷な実験の日々を送っていた。家族同然に思っていた仲間共々処分されそうになった所を運よく脱走。その過程でリアスに拾われて転生悪魔になった経歴を持つ。

聖剣が駒王に現れた事件の際は復讐心に取り憑かれて独断かつ命を捨てる覚悟で聖剣を追うが渚や一誠などといった仲間たちからの説得により協力して事件を解決した。事件を通して精神的に成長し、ついには禁手に至る。

事件後はリアスや仲間のために剣を持つと改めて誓う。

 

 

固 有 能 力(アビリティ)

 

魔剣創造(ソード・バース)《ランクB》

 

自身が思い描いた魔剣を造り出す上位神器。

炎や氷は勿論、光や闇の属性を刀身に宿す魔剣を創造できるため汎用性が非常に高い。

難点は、あくまで剣しか造れないので戦闘力は担い手の技量に依存する所だろう。

だが祐斗は俊足を活かしたクニックタイプかつ剣士なので非常に相性が良い。

 

聖剣創造(ブレード・ブラックスミス)《ランクB》

 

後天的に発現した二つ目の神器。

エクスカリバー事件の際に、同士たちの聖剣因子を取り込んだことで魔剣創造が共鳴して生み出したモノ。

これにより悪魔の身でありながら聖剣を扱う事が出来るようになった、また魔剣同様にも聖剣の創造も可能になり、下記の力に目覚める事となる。

 

双覇の聖魔剣(ソード・オブ・ビトレイヤー)《ランクS》

 

祐斗が至った禁 手(バランス・ブレイカー)

魔剣と聖剣、混じり合う事のない力が融合して誕生した禁忌の禁手。

禁手だけあって祐斗の造る剣の中でも最高の切れ味と強度を誇る。

強力ではあるが発現したばかりなので、真のエクスカリバーやデュランダルといった最強の剣には性能で劣る。

しかし祐斗が強くなれば自ずと神器の性能も上がっていくのでスペック的に追い付くどころか特性も鑑みれば越えてしまう可能性もゼロではない。

 

 

 

 

━━━━━

 

 

 

 

 

搭城 小猫

 

《パーソナル・データ》

 

パワー(力)A

ディフェンス(耐久力) A

マナ(魔力)D

スピード(速力) D

テクニック(技量) E

アビリティ(異能) E《A》

 

 

グレモリーの『戦車(ルーク)』を務める寡黙な少女。

小学生と見紛う身長と華奢な体から非力なイメージを抱かされるが、実際は恐るべき腕力と圧倒的な耐久力で正面から敵を叩き潰す超インファイター。

脚を止めての殴り合いでは眷族内で最強であり、禁手化(バランス・ブレイク)した一誠とも戦える小さな巨人。

明らかにオーバースペックな肉体を持っている小猫だが、これは半年以上も前に起きた事件が関係している。

かつて”はぐれ悪魔”を率いて駒王を襲ったネクロという男によって小猫の肉体を完全分解されて朽ち果てていく運命だった。しかし戦いに乱入してきた渚によって小猫は再構成、新しい肉体を与えられる。

必然か偶然かは不明だが、その際に使われたのは『蒼』と呼ばれた異能で、小猫の肉体は悪魔とは違う存在へ昇華されたため別物に変成化した。この事実を知っているのは小猫とリアスだけであり、誰にも話してはいない模様。

余談だが渚と小猫はパスが繋がっており、夢という形で渚の過去を断片的に垣間見ているので漠然とではあるものの渚の正体を知っている。

 

 

固 有 能 力(アビリティ)

 

・仙術《ランクA》

気という独特な異能を扱う珍しい術。

気とは自然エネルギーの事を言い、生命力そのものを指す。仙術は直接的な攻撃力は低いが、生命の流れを読むことで鋭い察知能力や広範囲な探索能力など優れる。また相手の気の流れに干渉して生命力が循環する気脈を乱すという戦い方も出来る。気という力は希少なため対処法が限られており、生命体に対しては非常に有効……なのだが小猫は今日に至るまで仙術を封印している。

 

・蒼の霊器《ランクS+》

 

渚により与えられた肉体の名称。

新造された肉体は物質でありながら霊質という特性を持ち合わせており、心臓からは血液ととも霊氣も精製される。

内部構造は人と変わらないが、高濃度な霊氣が全身を常に巡って肉体を極限まで強化している。

すでにパワーは最上級悪魔を葬る事が出来る、彼女が実戦を多く積み技量を鍛えれば真の意味で小さな巨人となるだろう。

 

 

 

 

━━━━

 

 

 

 

 

アーシア・アルジェント

 

 

《パーソナル・ステータス》

 

パワー(力)F

ディフェンス(耐久力) F

マナ(魔力)C

スピード(速力) F

テクニック(技量)F

アビリティ(異能) A

 

元教会のシスターという変わった経歴を持った金髪碧眼の転生悪魔。

控えめかつ健気な少女。癒しの神器により多くの者を救った事で”聖女”という称号を得た過去を持つ。

誰かが傷ついてのを見過ごせない優しい性格で他者を治すためなら自身の危険や立場などを放り投げて全力で助けに行く人格者なのだが少し世間知らずなところがある。

戦闘に不向きな彼女だが、回復要員という重要な役割を担うので実戦は勿論、レーティング・ゲームでも欠かせない立ち位置になると思われる。

渚に命と心を救われた事から淡い恋心を抱いているが、恋愛経験が皆無なので進展はしていない。その事を少なからず気にしており友人である桐生 藍華によく相談に乗ってもらっている。

 

 

固 有 能 力(アビリティ)

 

聖母の微笑み(トワイライト・ヒーリング)《ランクA+》

 

アーシアの持つのは希少な回復系神器であり、聖母の微笑みはそのなかでも上位に位置する。

ただ現時点では傷を癒すことしか出来ず、失った体力や血液は戻せない。

担い手の性格と神器の特性が上手く噛み合っているため非常に高い効果を発揮し、重傷だろうとすぐに治してしまうのでアーシアがいるだけで戦闘による死亡率は大きく下がる。その回復能力は冥界随一と言われるフェニックスの涙に匹敵する。

しかし、この力は敵対勢力にとっては脅威となるため能力を知られた場合は優先して狙われる。アーシア自身は非常に非力なため、今後の課題となっていくだろう。

 

 

 

 

━━━━━

 

 

 

レイナーレ(天野 夕麻)

 

《パーソナル・ステータス》

 

パワー(力) E

ディフェンス(耐久力) D

マナ(光力)E

スピード(速力) D

テクニック(技量) B

アビリティ(異能) B

 

 

堕天使もといドラゴンな女性。

光力の低い堕天使なのだが、最上級の堕天使であるコカビエルにより鍛えられた過去から体術と槍術に関しては一流である。

その性格は反骨精神の塊で必要なら命すら懸ける。危険と理解しながらも多くの神器を取り込むし、実力に大きな差があるアリステアにだって噛みつくなどなど無茶が多い。

育ての親であるコカビエルを先生と呼び慕っていて、彼が戦争を起こすため躍起になっていると聞くや個人で駒王に乗り込み火種を作ろうとした。

だが一誠と運命的な出会いを果たし、改心を経てコカビエルと敵対する道を選ぶ(過去に囚われてるコカビエルを助けたいという意思もあった)。

現在は妹分であるミッテルトと共に下僕として兵藤家にお世話になっている。なお一誠の両親からはミッテルトと合わせて好かれている模様。

 

固 有 能 力(アビリティ)

 

赤龍帝の光槍(ブーステッド・ギア・ランス)《ランクA》

 

レイナーレに宿る赤龍帝の欠片が変質して彼女に適した形へ成ったモノ。

赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)に似た形状の槍であり、この形態に移行した事で劣化していた倍加の性能がオリジナルと同等になった。

つまり彼女は二人目の赤龍帝である。

 

 




SS(神)
S(魔王)
A(最上級悪魔)
B(上級)
C(中級)
D(下級)
E(最下級)
F(常人)
EX(測定不可)

※リアス・グレモリーとその仲間はソシャゲで言えばURであるため異能力のランクが異常に高い。

※異能のランクは暫定で、これからの成長で上昇する可能性あり。


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停止教室のヴァンパイア
偉大なるもの《The Almagest》



新章、開幕です。
初っぱなからオリジナルキャラたち会義ですが、これからのストーリー進行に必要なのでぶっこんでみました。


 

 白い大理石の廊下を絶世の美女が慣れた様子で歩く。気だるげな瞳を眼鏡で覆うも、それすら彼女の優美さを損なう要素にはならない。艶のある長い黒髪を三つ編みしてユラユラ揺らす彼女の名はセクィエス・フォン・シュープリス。

 かつてアリステアと激闘を繰り広げた女性だ。

 コツコツと反響する足音。黒のロングコートをなびかせながらセクィエスは周囲を観察した。

 ゴシック建築と言えばいいのだろうか。もっとも近い造形なのは教会の聖堂だろう。柱は傷ひとつない石柱であり、窓の周囲にも手間が掛かっただろう装飾が見られる。神聖さを伴う建造物だが、美術に興味がない彼女にとっては無駄に金を貢いだ成金どもの道楽にしか感じられない。

 セクィエスの前にしっかりとした木製の扉が現れる。

 中へ入ると巨大な円卓が一つと背もたれの高い椅子が七つ備え付けられており、数人の顔見知りが座っていた。

 

「やっほ。セッちゃん」

 

 気安く手を振ってきたのは、ダボダボの服を着けた中学生くらいの少女だ。

 口にくわえたキャンディの棒を器用に上下させながら挨拶してくる彼女を視界に捉えたセクィエスは舌打ちした。

 

「え!? 今、舌打ちしたっしょ!!」

「したけど?」

 

 不機嫌さを隠さずにシレッと白状する。1秒にも満たない高速な返事だ。

 

「悪びれない!? もう、ボクはずっと会いたかったのにぃ」

「お前は少し黙れないの、タブリス。……あとセッちゃん言うな」

 

 殺気を込めて睨むが当のタブリスは「にひひ」と嗤うだけで反省の色はない。

 からかわれるのが嫌いなセクィエスの機嫌が更に悪くなる。

 それすらも楽しそうに眺めるタブリスが、セクィエスの顔をマジマジと見つめてくると新しい話題を振ってきた。

 

「それよりさぁ、その髪型と黒眼鏡やめたら? 全体的に黒っぽいし、なんか地味? 別に拘りもないでしょうにナチュラルなセッちゃんはもっと超絶美人だよ?」

「その超絶美人とやらになってどうするのよ?」

「男を作る」

 

 思った以上に下らない答えで、ついつい鼻で嗤ってしまう。

 

「特別に聞いてあげるわ、ソレを見てどうするの?」

「笑う、超笑う。人間にも悪魔にも天使にも興味がなくて、気にくわない奴は片っ端からぶっ殺すキレたギロチンみたいなセクィエスちゃんが男とイチャイチャするなんてスンゲェ面白そう!」

「あ、そ」

 

 想像だけで円卓を叩いてバカ笑いするタブリス。ガキっぽい奴だと冷めた目で軽蔑する。このまま本当に断頭してやろうと思った矢先だ。

 

「その辺にしてはどうだ」

 

 円卓の一つに座る男が止めに入る。彼はもっとも新しい七人目のメンバーだった、会ったのは1度だがタブリスと違い比較的まともな人種なためよく覚えている。

 

「お前も来たの、クラフト・バルバロイ」

「無論だろう、セクィエス・フォン・シュープリス。私は新参だ、こういう集まりに出ないわけに行くまい」

「ただの求道者かと思ったけど思いの外、俗物ね」

「元より求道者を名乗った覚えはない。だが俗物というのは言い得て妙だ、私はただ己がどの程度まで昇り詰められるのかを知りたいだけな詰まらん男だ」

 

 今の台詞の何処が俗物なのだろうか。まさに求道者の言葉である。

 なんにしてもクラフトが俗物なのか求道者のなのかは心底どうでもいい。

 セクィエスは円卓で決められた自分の席に腰をかける。彼女が座ったのは背もたれに【II】という番号がふられた椅子だ。

 

「……で? この召集はなんなの? さっさと帰りたいから手短に済ませてほしいわ」

「そう言わずにね、今日はネクロっちもいるよ」

 

 タブリスが両手の指を銃のようにすると「ズビシッ!!」なんて効果音が鳴りそうな素振りで新たな座席を指す。

 そこにはブツブツと独り言を言っている頭がおかしそうな男性が座っていた。

 ──ネクロ・アザード。

 邪教徒や狂信者という言葉がこれほど似合う男もいないだろう。

 趣味の悪い独特の神父服に血色の悪い皮膚と焦点のあっていない瞳。見ただけで普通ではないと分かる異常者だ。

 セクィエスが耳をすませば……。

 

「おぉ……美しきかな美しきかな、この世の黄昏が私には愛しくも恐ろしい……我が至高の御身よ、おぉ……」

 

 耳を傾けてしまった事を大いに後悔した。完全に自分の世界に入っている異常者の言葉など聞いたせいで不愉快になる。このまま聞き続けていれば思わず手が滑ってネクロの口に刃を突き入れてしまいそうだ。

 

「にひひ。今、ネクっちをブチ殺そうとしたでしょ、おーこわこわ」

 

 目敏く察したタブリスはケラケラと嗤う。

 どうしてこうも自分の周りには目障りなのが多いのかと愚痴りたくなる。まぁ愚痴を聞かせる程に親しい者もいないのたが……。

 ともかく今日はアルマゲストの狂人どもが四人集まったことになる。あと三つほど空席があるが残りの連中は理由があってこういう集まりには殆ど出ない。

 どうせ今日もタブリスが総主の代わりに仕事の割り振りをして終わりだろう。そう予測するがドヤ顔で指を振ってくるタブリス。まるで違うと言いたげな顔だ。

 気にくわない態度にセクィエスが殺気を込めて血の刃を投げつけようとした時だった。

 

「──静粛に。この場に於いて他者を血で染める行為は慎んでください。リース、その人を嘲笑う物言いは控えるように。セクもすぐに怒る癖を治すようにと言ったはずですが?」

 

 急に声が円卓内に響く。全員がその声の方へ顔を向ける。

 それは七つある席の上座、円卓の始まりの【I】の席。

 空白だったはずのセクィエスとタブリスの狭間の椅子。そこにいつの間にか座っていたのは凛とした女性。年は二十代には届いてないだろうが、少女と言うには雰囲気が大人びている。

 彼女の登場によって部屋全体の空気が変わる。全てを浄化してしまうような荘厳が円卓を包み込んだのだ。

 真っ白に染まった装飾の少ないドレスを着こなし、厳粛な面持ちで周囲を見渡した。

 

「リース……いえ、ここではタブリスと呼んでおきます。彼女に(みな)様を集めるよう頼んだのは私です。忙しい中で時間を割いて下さった事へ心よりの感謝を伝えたく申します」

 

 女性が優しげな声音で礼を言いながら小さく頭を下げた。

 まさに凛然かつ超然。ただ美しいというには彼女は色々と浮き世離れし過ぎている。

 神秘という単語をそのまま形にしたような少女は年相応な笑顔でクラフトへ視線を移す。

 

「初めましてですね、クラフト・バルバロイさん。私がアルマゲストを率いているマスティマ・テトラクティスです。こうして挨拶が遅れた事を謝罪したいのですが受け取ってくれるでしょうか?」

 

 組織のトップとは思えない謙虚さと彼女の存在感はあまりにも解離が激しくクラフトも困惑している様子だ。

 

「構わん、だが……」

 

 その返事にマスティマは首を傾げた。

 

「"だが"、なんでしょう? 一瞬だけ言葉を出し惜しんだようにお見受けします、何か気になることでも?」

「いいや、総主というわりに若いので驚いただけだ」

「それだけなのですか? 私には少しだけ違うようにも思えますが?」

「……お見通しか。ならば言おう、私の人生でお前ほど神々しい存在を見たことがない。何処(いずこ)の主神と言われても納得するだろう。敢えて聞くが何者だ?」

 

 下心など一寸もないクラフトの世辞にマスティマはクスリと笑む。

 

「お上手。嬉しい評価ですが私は神などではありません。気軽にマスティマとお呼び下さい」

 

 虚偽(きょぎ)の混じらない心髄な瞳でクラフトを見るマスティマ。これで偽りを述べているのなら相当な役者だろう。クラフトはジッと瞳を覗き(えかが)うがマスティマの真意を()として飲み込んだ。

 

「嘘ではないようだ、無駄な時間を使わせた事を謝罪しよう」

「いいえ。総主らしかろうと場の空気に干渉して登場した私にも責はあります。どうかご容赦を、こう見えて私は見栄っ張りなので」

「組織のトップとは相当に大変と見える」

「それはもう。肩が凝ってしょうがありません」

 

小さく笑い合う二人。

それから急に真面目な顔になったマスティマがセクィエスへ目を向ける。

 

「さてセクィエス、その体はどうしたのです? 霊子レベルで崩壊しかけている様子。……大丈夫なのですか?」

「大丈夫じゃなかったら、いちいちここにいないわ」

「愚問でした。そんな愚かな私にどうしてそうなったのかを聞かせてもらえると嬉しいです」

「……あのアホの頼みを聞いた結果よ」

 

 セクィエスが顎でタブリスを指すとマスティマの瞳も動く。

 

「聞きますがタブリス。セクに何を頼んだのですか?」

「アリステア・メアって女の抹殺だよー」

 

 その名を聞いたマスティマの目が驚きで見開かれる。

 

「アリステア? それは白雪のような髪を持つ銃使いではありませんか?」

「ビンゴ。あれ? そーしゅ様は真っ白ちゃんと知り合いなん?」

「……あの"魔弾の射手"がいるのですね」

 

 考え込むマスティマ。

 放っておいたらそのまま熟考しそうな雰囲気だったのでセクィエスは声を掛ける事にした。

 

「マスティマ、悪い癖が出てるわよ。タブリスに返事したら?」

 

 ハッとなって思考の海から帰ってくるマスティマ。この女神様は一度深く考え込むと周囲の声が聞こえなくなる短所を持っているのだ。

 

「あぁごめんなさい、治そうと思っていても中々に出来ないものですね。タブリスの質問についてですが確かにあの"魔弾の射手"は知っています」

「わぉ。思わぬ接点だね、ちょっとコカビエルの依頼を受けた時に邪魔だったから消そうと思ったんだ」

「そうでしたか。ではタブリス、アリステア・メアの近くに東洋人の少年はいなかったですか?」

「んー。東洋人の少年かぁ。私が会った中では蒼井 渚っていうのが一番親しそうだったけど。その渚くんも強いっちゃ強いけどアリステアほどは脅威じゃないよ? ボクは結構好みだけどね」

 

 タブリスの発言にマスティマは背を深く椅子に落とすと真剣な表情で円卓に両肘を着いて手を組んだ。緩やかだった空気が急に重くなり、肌がピリつく沈黙が円卓を包む。これは深刻な事案が迫ったときに見せるマスティマの一面だ。瞳を鋭くした顔から察するに、これから言うことを絶対に守れと厳命するつもりだろう。

 

「皆さん、その両名を最重要人物と判断しました。油断ならない相手と胸に刻んで置くよう厳命します」

「へぇ殺すの?」

「いずれはそうなるかと。しかし今は手を出しません」

「なんして? 今は片方がセッちゃんの"血咒"で呪われてるから全力出せない。まぁセッちゃんも万全ではないけど、ここにいる全員でやれば潰せるよ?」

 

 タブリスが尤もな事を言う。

 セクィエスも同意件だ、残りのメンバーも召集すればアリステア・メアごと駒王の連中を駆逐できる。

 だがそれをやらないというのは何らかの情報をマスティマが握っているからだろう。

 

「セクィエスの状態が万全じゃないというのは関係ありません。タブリス、貴方には幾つか指令を出しておきます。まず一つはあの者を呼び戻しておいて下さい」

「え? 呼び戻すの? 折角上手く潜伏してるのに?」

「時が来たのです。クリスタは私が直接迎えに行きます」

「うわ、あの子も? たくさん死ぬなぁ」

「お前、その言葉を本人の前で言うんじゃないわよ。……確実に泣くから」

「たくさん殺すのに直ぐ泣くのか? どういう人物なのだ……?」

「おぉ、あの者こそ純粋なる虐殺の使徒。もっとも黄金の近くにいる非力なる者なり……」

 

 アルマゲストのフルメンバーが揃うのはいつぶりだろうか。

 ともせずマスティマが本気なのは確かなのだろう。つまりあの二人は相当にヤバい奴等という事だ。

 

「マスティマ、お前がそんな警戒するってことはアイツらが何か知ってるのかしら? 確かにアリステア・メアの実力は認めなくはないけれど」

「あー確かにバカ強いよね、アレ。ボクの目から見ても異常だよ。ねぇ?」

 

 悪戯めいた視線を【VII】の席に送るタブリス。その椅子に座るのはクラフトだった、彼は小さくため息を吐く。

 

「私に振るか」

「お互い苦渋を舐めさせられた同士だかんね~」

「返す言葉もないな」

 

 タブリスとクラフト。

 この二人もまたアリステアの被害者だ。ともに重症を負わされて大変な目にあったのだ。

 

「警戒するなっていうのが無理な話か」

 

 セクィエスが呟く。

 アリステアは、いけ好かない女だが自分と同等なのは戦ったがゆえによく分かっている。

 あの女と正面切って戦えるのはアルマゲストでも限られてくるだろう。

 

(みな)様の勘違いを訂正しておきます」

 

 マスティマは全員に聞こえるように威厳を込めて言う。

 

「真の危険なのは蒼井 渚です。"蒼獄界炉の門にして鍵"、"鬼神"、そして"真器(じんぎ)"。数知れずの異名を持つイレギュラーが彼という存在です。無闇に挑んでは私たちが全滅する。彼は"真なる神"を殺している本当の神殺しなのですから……」

 

 なんとも聞き捨てならない台詞だ。別に最強を名乗ったことなどないが、こうもアッサリと言われると反論もしたくなる。実際セクィエスは神を何度も討ち殺している実績がある。

 

「"神殺し"程度にわたしが敗けると思っているの?」

「セク、彼が殺したのは貴女が滅した神とは異なる存在──"始神源性(アルケ・アルマ)"なのです」

 

 セクィエスが絶句し、タブリスも口に加えていたキャンディを落とす。ネクロは会話が聞こえていないのか一人ブツブツと何かを呟き続けている。そんな中でクラフトが訝しげにマスティマを見た。

 

「マスティマよ、私は前にタブリスから、その"始神源性(アルケ・アルマ)"というモノを聞いたことがある。記憶が確かならソレは"無限"と"夢幻"を指す言葉だったはずだが?」 

「勿論、その二つとは異なる個体です。詳しく話しても良いですが本題から逸れてしまうから別の機会にしましょう。今、認識してほしいのは蒼井 渚とアリステア・メアがアルマゲストにとって到底無視できない存在だということです」

「ふふふ、随分とすごい男の子だったんね、渚くんは」

 

 セクィエスは全てではないがとりあえず信じてやる。マスティマがこうも警戒する相手は希少だからだ。現存する神話体系の主神にすら恐れを抱かない賢しい女が、ただ一人の男を危険視するのは中々に面白い現象だ。

 その(すみ)でタブリスが目を輝かせている。話が終わったら直ぐにでも蒼井 渚の家に行くなりインターフォンを鳴らし兼ねない。それを察したのかマスティマが咎めるように視線を送る。

 

「リース、いけませんよ?」

「は~~い」

 

 マスティマに心を読まれたタブリスが不服そうに返事した。

 ここまで止められれば流石に自重するだろう。

 セクィエスもタブリス程では無いにしろ蒼井 渚に関心を抱く。しかし自ら動く要素にはならない。せいぜい「そんな奴もいるのね」程度の感想だ。

 

「でもさー、渚くんってクラフトに完敗してるよね? そこんトコどうなの?」

 

 タブリスがクラフトに問いを投げ掛けるとマスティマも言葉を待つ素振りを見せた。

 

「私が戦った時点での話ならば、ここにいる者たちで難なく勝てる実力だった。……だが、どうやら私はハンデを与えられていたらしい」

「ハンデってなによ?」

「そこまでは分からん。だがアリステア・メア(いわ)く蒼井 渚は手を抜いていたとの事だ」

「大した奴ね、格上を舐めているなんて余程の馬鹿者よ」

 

 吐き捨てるようにセクィエスが渚を非難した。

 それに対してクラフトは「……いや」と否定する。

 

「本気ではあったのだろう。それは戦った私がよくわかっている、ただ全力ではなかった」

「具体的には?」

「蒼井 渚の中には何かがいる。あの戦いの最中に感じた異様な気配と視線は蒼井 渚の目を通して常に私を観察していた。アリステア・メアの言うハンデがソレだとしたら納得だ」

 

 なんだ、その抽象的すぎる説明は……。 

 そんな風に思いつつ、セクィエスは自らの三つ編みの先端を手に取ると弄って遊び始める。こういう会議みたいな話し合いは性に合わないのだ。早く終わらせて帰りたいというのが本音である。

 そんなセクィエスの隣でマスティマがクラフトに返事を返す。

 

「それは恐らく彼の内包する蒼の管理者、ピスティス・ソフィアと呼ばれている存在です」

「マスティマ、問うがピスティスというのは邪悪な存在か?」

「……? いえ、決して博愛主義ではないが邪悪というほどではないかと……。例えるなら人工知能(A.I)、無感情な人形というのが近いですね」

「では違うな」

「どういう事ですか?」

「私に向けられていたのは闘争心と憎悪、それも信じがたいほどの怨念めいている。──あれは人工知能というより"獣"だ」

「おかしい、そんなデータはないですね。しかし"獣"ですか。……まさかピスティス・ソフィアと共に"アレ"も飼っているというの? だとしたら彼は本当に━━いいえ、憶測でしかない現象を考えるのは得策ではありませんね……」

 

 考え込むマスティマ。脳内の記憶を検索しているのだろう。

 長くなりそうだと思ったセクィエスが席を立つ。直接に合間見えていないセクィエスにとって蒼井 渚など今はどうでもいい存在に過ぎない。殺せと言われれば殺そう、放って置けと言うならわざわざ近づくこともない。

 

「セク?」

「帰るわ、私は蒼井 渚なんかに興味なんてないし、好きな奴が好きなようにすればいい」

「なんて言いつつ渚くんに興味津々なセッちゃんなのでした」

 

 いい加減、我慢するもの飽きてきたセクィエスが鮮血の刃を手に造るとタブリスの席を一閃した。

 背後の壁が斜めに大きく裂ける。

 狙った人物は宙返りして斬撃から逃れていた。

 セクィエスは刃を握る手とは逆の五指に極細の血糸を這わすと糸使いのような手付きでタブリスを簀巻きにして捕獲。そのまま自分のいる場所へ引っ張ると刃を構えた。

 絶体絶命のタブリスと目が合う。こんな状況だと言うのに心底楽しそうだ。

 

「わぁ本気で刺すつもりだ?」

「こうなるって分かっていた筈よ」

「うん!」

 

 満面の笑みで刃に心臓を貫かせるタブリス。

 胸を刃で刺された状態でも笑みを絶やさない気味の悪い女だ。どうやら危険を知らせる痛覚すらも彼女にとっては享楽の一部らしい。

 血の刃を真っ赤な鮮血が伝う。

 

「うふふ、痛い痛い。痛くて脳みそが溶けちゃいそうだぁ」

「随分と余裕ね。私の"血咒(けっしゅ)"で編んだ刃よ。あんたでも直ぐには治らない」

「いやぁー、"血咒"って厄介だね? けどさセッちゃんも無理しない方がいいよ?」

 

 タブリスがそう言った瞬間、セクィエスの刃を持っていた逆の手がボロっと崩れ始める。皮膚が剥がれ、肉が削げて、骨が露になる。

 

「……ちッ」

「ソレ、真っ白ちゃん(アリステア)から貰った傷でしょ? あんまり無理すると雪のように溶けちゃうよ?」

「知ったような口を聞く奴ね、試そうか?」

「あはぁ! 超殺る気ぃ!! ボクはそんなキミが大好きぃ!!」

「私は嫌いよ、今すぐ死ね」

 

 タブリスの挑発に敢えて乗るセクィエス。

 この女を殺すのは難儀だが不可能じゃない、本気でやれば塵一つ残さずに消滅させてやることも出来る。

 セクィエスが刃に更なる殺意を乗せようとしたときだ。

 

「━━ここでの争いは(つつし)むようにと言いましたが?」

 

 包む込む優しさと咎めるような鮮烈さが合わさった声が響くと、アリステアとタブリスの双方が鋭く重い衝撃を受けて吹き飛んだ。

 二人は引き離されるように吹き飛ぶも体勢を立て直して着地。

 席に着いたままのマスティマが円卓の上で手を組みながら二人を見据えていた。穏やかな笑顔なのに目だけが笑っていない。有無を言わせない威圧感が重圧となって押し寄せる。

 

「どうして貴女たちはこうも仲が悪いのですか?」

「好きだからに決まってるじゃん」

「嫌いだからに決まってるでしょ」

 

 噛み合っていない二人が視線を合わせた。

 セクィエスが殺気、タブリスが親愛という全く逆の感情を乗せて見つめ合う。

 マスティマが眉間に触れて「やれやれ」なんて呟く。

 

「とにかく喧嘩はお辞めなさい。……これは命令ですよ?」

「いえす、まむ!」

 

 威圧感を一層重くしたマスティマに背筋を伸ばして敬礼するタブリス。その顔は若干引き釣っている。

 セクィエスが調子のいいタブリスにイラッとしているとマスティマがニコニコ顔で見据えてくる。笑顔なのに、とんでもない重圧を発するなどなんとも器用な事である。これ以上マスティマの怒りを買っても得はない、だからセクィエスは首肯する。

 

「…………了解したわ」

「よろしいです♪ では話は終わりにします。それと体の具合はどうですか?」

「全快よ、勝手なことをしてくれるわね」

「傷だらけの貴女を見ているのは辛いですから、勝手をしちゃいました」

 

 重圧を消して、テヘッと小さく舌を出すマスティマ。 

 セクィエスを蝕んでいた崩壊が消えている。自分ではどうにもできなかった術をマスティマは意図も容易くディスペルしていたのだ。あれだけ複雑な術式を一瞬で解呪するなど神業である。

 ともせず会議が終わり、セクィエスは扉へ向かう。早く帰って寝たい気分だった。

 

「じゃあ皆さんで焼き肉を食べに行きましょう!」

 

 パンと両手を叩くマスティマ。扉を少し開けたセクィエスが懐疑的な顔でマスティマを見る。

 このアルマゲストの総主様は何をほざいているのだろうか? 

 そんな感情を隠そうともしないセクィエス。するとマスティマが軽やかなステップで近づき、その腕に手を絡めた。

 

「クラフトさんの歓迎祝いです。そう心配することはないです、店も既に予約をとってあります。──アルマゲスト御一行で!」

「心配しかないわよ! 忍べよ! 一応ウチって秘密結社でしょう!?」

「大丈夫ですよ、龍神のいるあそこに比べれば私たちなんか弱小組織ですから。冥界や天界ましてや他の神話体系のような勢力の目はあっちに向きますよ♪」

「なに『♪』ってるのよ。単体で神を殺せる戦力がいる時点で弱小じゃないわよ」

「うわー自分の事を自慢ですか。セッちゃん先輩、パネェ~わ」

「うっさいわよ、チビ。お前とマスティマも含まれてるわ!」

「まぁまぁ。折角久しぶりにあったのだから付き合ってください、セク」

「あ、こら、引っ張るな! ちょっとマスティマ!!」

「まぁまぁ、いいからいいから」

「どこも良くないわ!」

「うっしゃ、焼き肉焼き肉♪ れっつごー、ぱーりぃ。ほらネクロっちもバルバルもいっくぞー?」

 

 ズカズカとマスティマに引っ張られていくセクィエス。

 そんな中で、ずっとブツブツと独り言を言っていたネクロがわなわなと震えると急に立ち上がる。

 

「肉! 肉を食べるのです! おぉそれは甘美なる天の恵み……」

 

 ガリガリの癖に肉が好きなのかよ……。

 セクィエスは焼き肉に狂喜乱舞する邪教徒にげんなりした。

 

「…………バルバルとは私のことか? どうすればそんな名に変換されるのだ?」

 

 セクィエスたちを珍妙な歩き方で追うネクロの後ろではクラフトが一人で首を傾げていた。

 あの集団のなかで肉を食べるのかと思い、セクィエスは顔を引き釣らせた。

 セクィエスとタブリスは普通の格好だが、残りが悪目立ちする。

 片やボロボロのマントで身を包むクラフト、片や邪教徒のような趣味の悪い神父服、片やどこかの物語から飛び出て来たようなドレスのマスティマ。

 どう見ても目立つ、どうしても隠しきれない。本気なのだろうか? 

 

「マスティマ、お前とクラフトとネクロは着替えてほしいのだけど」

「はて、なぜです?」

「いやいやいや、男どもは放浪者か聖職者(?)で片付けられるかもしれないけど、お前のその格好はアウトよ、そんなパーティードレスみたいな服で町中に行くべきじゃない」

「問題ありません。このマスティマ・テトラクティス、例え人様から変人と言われようと皆様の胃袋の為なら屈辱すらも呑み込めます!!」

「お前はどっかの女神か!?」

「いいえ、ただの、アスティマ、です!」

「なんで、こうも、話が、噛み合わないの!!」

 

 どうしてマスティマは聡明なのに、たまにこんな馬鹿になるのだろう。

 

「ねぇねぇ! ボクさ、タコ食べたい!」

 

 マスティマにそんなお願いをするタブリス。

 ここにも馬鹿がいた、焼肉屋にタコなんてあるわけもなかろうに……。

 

「いいですとも! 行く途中で買うとしましょうか。店には話を通しておきます、私は今から行く店の常連なのです、タコぐらい焼いても問題ない」

「きたー! 流石は総主マスティマ!! パネェ~」

「ただの迷惑な客じゃない……」

 

 深淵なみに理解不能な思考回路にツッコむ気力さえも失う。

 

 余談だが、行きたくないパーティーに誘わたセクィエスは変人集団に普通服で混じっているため逆に目立った。

 羞恥の中で黙って肉とタコを食べる彼女は、珍妙さなど気にしないタブリスにからかわれ続け、結果的に焼肉とタコが嫌いになったのだった……。

 





渚に対するカウンターとして作ったオリジナルの敵たちの会議です。
仰々しくも、どこか茶目っ気のある存在を目指して作りました。
このメンバーでのボケはマスティマとタブリス。ツッコミ役はおもにセクィエスさんになります。


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封印されし眷属《Cute Vamp》


投稿がおそくなりました。
少し短めです。



 

 コカビエルとの一軒が済んで2週間ほどが過ぎた。

 一時は戦争の爆心になり得た事件の後処理も終わり、日常が常になりつつある。

 そんな中でアリステアは駒王学園の旧校舎に来ていた。時刻は夜、暗い闇の帳に包まれた古い木製の廊下を歩く。

 

「悪いわね、付き合わせて」

 

 そう言ってきたのは、呼び出した張本人であるリアスだ。アリステアは気にした素振りを見せず返事を返す。

 

「構いませんよ、私も貴女の"僧侶(ビショップ)"に興味があります。しかし他の眷属はいないのですか?」

「気が弱い子でね、大人数で行くと怯えるのよ」

「惰弱な事です」

 

 アリステアがストレートに思った事を口にするとリアスは苦笑を浮かべる。

 

「あの子に会ったらもう少し優しくしてあげてね」

「そういうのはナギにでも頼んでください。実際、この件はナギに頼もうとしたのでしょう?」

「そうね、本当なら彼が適任だと思うのだけど」

「寝こけている人の代わりが私ですか」

「気を悪くした?」

「言ったでしょう、個人的に興味があると。ナギが居ても付いてくるつもりでした」

 

 談笑をしている二人はやがて大きな扉の前に辿り着く。厳重に施錠された部屋であり、目視は出来ないが幾重もの封印術式が組み込まれている。

 これが今回、アリステアが呼ばれた理由だ。

 この部屋にはリアスのもう一人の"僧侶(ビショップ)"が圧し留められている。眷属を大事に思うリアスからは考えられない対応だが、"(キング)"である彼女すらも抑えきれない能力なため魔王がそうするように命令を下したとのことだ。

 何度も解放するように直訴していたが、最近の活躍もあってやっと許可が出たのだ。

 だが何かあったらまた封印されるので保険として強者であるアリステアに付き添いを頼んでいる。

 

「10分くらい時間を頂戴、堅い封印だから解錠するのに手間が掛かるのよ」

「確かに幾重にも巡らせた強固な封印術式です。中にいるのは狂暴な魔獣と言われても納得します」

「そう言わないで、私の可愛い眷属なのだから」

「これを見たら誰でもそう思います。封印は誰が?」

「お兄様よ」

「なるほど魔王が直々(じきじき)にとは恐れ入りますね」

 

 アリステアは物理的に施錠している南京錠に触れた。

 どうせ外すのだから壊しても構わないだろうと無理矢理に自分の霊氣を流し込んで魔力を暴発させる。

 空間が弾けてドアが派手に爆砕して粉塵が舞う。

 乱暴な開け方に咳き込んだリアスが、恨めしそうな眼でアリステアに不満を訴えてくる。手っ取り早い方法を選んだのだが不服なようだ。

 

「時間は有用に使った方がいいかと」

「けほ、だからって壊していい理由にはならないわ」

「覚えておきましょう」

 

 破壊された扉の向こうに足を踏み入れると生活感のある部屋が広がっていた。

 簡易コンロにカップ麺の残骸、パソコンに着替え。ここが学校だと忘れてしまいそうにある一室である。

 その部屋の隅で頭を押さえてブルブル震える人影をアリステアは見た。

 

「リアス・グレモリー。もしやと思うのですがコレですか?」

 

 想像していた人物像を(くつがえ)すあまりにも情けない姿にアリステアはリアスへ確認する。

 

「言ったでしょ、気が弱いって」

 

 リアスが(うずくま)る人影に歩み寄ると腰を落とす。

 見るからに非力な悪魔だった。肉体もさる事ながら覇気もなく気力も欠如している、アレなら銃なぞ不要であり素手で一捻りだろう。

 

「ギャスパー、私よ。こうして会うのは随分と久しぶりね」

「ぶ、部長? 僕、てっきり敵が来たのかと」

「そうよね、あんな風にドアを壊されたらそう思うわね」

 

 リアスが流し目で訴えてくる。

 

「謝りませんよ?」

「全く、貴女と来たら。渚が起きたら言うわよ?」

 

 確かに少し派手に壊してしまったのは事実だ。もしもリアスの眷属に無礼を働いたと渚が聞いたらなんと言うだろうか。渚は責めないかもしれないがアリステアの居ないところでリアスに借りを返そうと動く可能性もある。それは本意ではない、だからここで貸し借りはなしにしようと思う。

 

「それは面倒です。ああ見えてこう言った事には厳しい人ですからね」

「なら(あらた)めなさい」

「貴女の頼みごとを聞くという事で手を打ちましょうか」

 

 シレッと言うアリステアがギャスパーと呼ばれた小柄な人影を見下ろす。

 なんとも華奢な体である。細い腕に足、小猫並みの小ささだ。肌も白く容姿も可愛らしい女の子をしていた。

 しかしアリステアの"眼"は見逃さない。

 

「随分と可愛らしい男の子ですね」

「あら、ギャスパーの性別が分かるの? 最初はみんな女の子と勘違いするのに」

「その見た目ならしょうがないでしょう」

「ぶ、部長、この人は?」

「アリステア・メア。私の友人よ」

 

 チラチラとアリステアの顔を窺うギャスパー。

 卑屈さが見え隠れする赤い瞳にうんざりするアリステアだったが黙っておく。

 

「そ、そうですか。それで、ぼ、僕のところになんで来たんですか?」

「貴方をここから出そうと思ってるいるの」

 

 こんな暗く狭い部屋に一生いるよりは遥かにマシだろうとアリステアは思ったが、その考えは外れた。

 ギャスパーは見るからに青ざめて震え出したのだ。

 何事かと静かに観察する。

 

「い、嫌です。僕はここから出れない、出ちゃダメなんです!」

「大丈夫よ、怯えないで。私たちが付いているわ」

「ダメ、絶対に僕は出ない。もう嫌ですぅ」

 

 両手で顔を覆うギャスパー。

 こんなにも外を嫌がる理由はなんだ? この異様なほどの怖がり方は明らかに普通ではない。

 ついには泣き始めるギャスパー。それをリアスが(なだ)めるもあまり効果はないように見える。

 しばらくは静観していたアリステアだったが、いつまでも終わりが見えない二人の様子にとうとう痺れを切らす。

 

(らち)()きませんね。リアス・グレモリー、彼を外に連れ出せばいいのですね?」

「やめて、やめてぇ!」

「待って、あまり乱暴はしないであげて」

「しませんよ、そんな事をやったらナギになんと言われるか分かったものではないでしょうに」

 

 アリステアが面倒そうに手を軽くふった瞬間、景色が忽然と変わり果てた。

 風が吹き、木々の揺れを五感が教えてくれる。目の前には巨大な建造物。そこはなんらかの工場だったのだろうが、かつての名残(なごり)は既に無く、人の手が離れて随分経っている。その周囲にある乱雑に育った木々が工場全体を呑み込もうとしている有り様だ。

 

「強制転移? アリステアはここはどこかしら?」

「駒王学園から北西へ17キロに進んだ山の中に立てられた廃棄工場です」

「どうしてこんな場所に?」

「ちょっとした用事があったのでマーキングしておいたのです。手っ取り早く連れ出したかったので使いました」

「ちょっとした用事? それは何?」

「アレです」

 

 ボロボロの工場の一番高い屋根に異形の影が鎮座していた。

 それは狼のような魔獣にも見える。

 

「"はぐれ悪魔"? いえ違う」

「魔物ですよ。どこから来たのかは分かりませんが最近からここを根城にしているようです。色々あって放置していましたが、そろそろ刈り取って置こうと思いまして」

「ちょっと、この魔力、アレってランクはどのくらいなの!?」

 

 魔物が放つ尋常では魔力量に気づいたのかリアスが後ずさる。

 

「実力は"はぐれ悪魔"でいうランクS~SS程度です」

 

 アリステアが不適に嗤うと同時に魔物が吠えた。いきなりやってきた美味そうな肉に歓喜しているのだろう。

 本来ならグレモリー眷属が一致団結してやっと戦える相手だ。リアスが魔力を練ってアリステアも銃を抜いて魔物へ向けた。

 大気を震わせながら襲ってくる魔物の狙いはギャスパーだった。

 

「ひぃぃぃぃぃぃいい!!」

 

 ギャスパーが魔物を前にして震える。アリステアは臆病者は放っておいて銃の引き金へ指を添えた。

 いつも通り一発お見舞いして射殺してやろうとしたときだ。体の動きが鈍くなるのを感じた。その感覚はすぐに大きくなると、やがて(なまり)のように重くなる。

 

「……これは」

 

 最初は渚の使う"冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)"と同様の重力操作かと思ったが、すぐに違うと気づく。これは抑え付けられるのではなく硬直に近い。

 つまり重力干渉ではなく空間干渉だ。

 アリステアの"眼"は力の発生源を即座に特定する。

 その"眼"が捉えたのは真っ赤な瞳に怪しげな光を灯すギャスパーの姿だ。

 彼の"神 器(セイクリッド・ギア)"がどんなものかは下調べが済んでいた。しかし常に高濃度の霊氣で外からの概念攻撃に対策を練っていた自分にまで効果を発揮するのは予想外だ。

 アリステアがギャスパーの潜在能力の高さに目を張る中でアリステアは完全に制止した。

 

「ま、また()めちゃった……」

 

 風が止み、木々が静まった空間は雲の動きすらも許さない。

 彼の神器は"停止世界の邪眼(フォービトゥン・バロール・ビュー)"。もっとも扱い難い力の一つであり、その異能は魔眼による時間操作だ。

 静止した時の中で一人(むせ)び泣くギャスパー。

 

「どうして、どうしてこうなっちゃうのかなぁ、ヴァレリー……」

 

 どうしようもない絶望の声が停止世界に響く。

 何も動いてないし、誰も動けない。時が止まった世界では自分以外が死んでいるも同義だ。主人であるリアスも、自分を食べようとした魔物も、誰かは分からない白い人も時間の檻から逃れられない。それが絶対のルールだとギャスパーは一人で制御不可能な力を前に屈していた。

 いつ動くか分からない世界で泣くことしか出来ない自分がより情けなく感じる。

 

「──時間を停止させたくらいで大袈裟な。なんですか、その世界の終わりみたいな情けない表情は……」

「へ?」

 

 さっきまで停止していたアリステアが平然とギャスパーを見下す。

 何が起こっているのか分からない様子で見上げるギャスパーを無視してアリステアは停止しているリアスの顔に触れた。まるで停止の具合を確認しているような仕草だ。

 

「固有時制御ではなく、時流制御の(たぐ)いですか。しかし成る程、確かにこの眷属は貴女の手に余る」

「ど、どうして、動けるんですかぁ!」

「簡単ですよ、貴方の邪眼を解読して対策を()っただけです」

「対策を練った? 今の一瞬でですか!?」

 

 あのコンマ数秒しか時間がなかったのだから当たり前だろう。

 アリステアはギャスパーの時間停止を受けつつも、対策術式を即座に組み上げて発動させた。

 言うのは簡単だが僅かな時間で対策を済ませるなど他の人間にやれと言われても絶対に不可能な荒業である。奇襲攻撃に対する的確な判断と超速とも言える思考に瞬間的な術式構成からの反撃など人間業ではない。

 

「時間を扱う(やから)とは事を構えた経験があります。その応用ですので造作もない行為ですよ」

「ぼ、僕の力が通じない人を初めて見ました」

「割と居ますよ。神々やどこぞの魔王や大天使、堕天使の総督にも通じないでしょう。世界の広さを知りなさい」

「あなたは僕が怖くないんですか?」

「ふっ」

 

 面白い質問に思わず笑った。

 ギャスパーの最大の武器は時間停止だ。それが通じないのに何処を恐れればいいのだろうか。むしろ圧倒的な戦力を持つアリステアこそ恐れられる存在だろう。

 

「貴方の何処(どこ)を怖がればいいのか、ご教授(きょうじゅ)願いたいのですが?」

「ぼ、僕、時間を()められるんですよ? 化け物ですよ?」

 

 この程度で化け物とは……。

 彼は知らないのだろう。片手間で地殻ごと国を滅ぼせるモノ、戯れに放った一撃で数十万もの人間を塵に還す事の出来るモノなどを……。

 ギャスパーがそう呼ばれるには脅威度が全然足りていない。せめて日本という国の全てを停められるようになってから名乗るべきである。こんな軟弱な時間停止で化け物とは(はなは)だしいにも程がある。 

 

「化け物? どこがですか? 残念ですがそう名乗るに貴方はまだまだ弱過ぎる。自意識過剰という言葉をプレゼントしますよ」

 

 少し刺がある言い回しをするも目の前にいるギャスパーはポ~っとアリステアを見上げていた。

 

「本当に停まらないんですか?」

 

 確認するようなギャスパー。アリステアはため息をするように言い聞かせる。

 

「私は動いています、貴方は決して化け物ではない」

「う。うぅ、うぅええええええええん!」

 

 急に腰に抱きつかれた。反射的に離そうとするが余りにも必死でしがみついてくるので仕方無しにそのまま放置する。

 するとギャスパーの精神が安定したためか時間が動き出す。それは目の前に迫る魔物が動き出す事を意味していた。アリステアはギャスパーを抱え込むとその場から跳び上がる。

 

「うひゃあ!」

「時間が動き出しました、しっかりと掴まってください」

「は、はいぃぃぃ!」

 

 ぎゅっとアリステアの服を掴むギャスパー。リアスはなんとか無事なようで魔力で応戦を初めていた。

 流石にランクが高い魔物だけあってリアスの魔力弾をものともしていない。魔物はリアスを無視してアリステアの方を睨む。

 

「狙いをこちらへ(しぼ)りましたか、どうやらアレは余程に貴方が好みのようですよ」

「ぼ、ぼぼぼ、僕ですか!」

「良かったですね、高級な肉か何かに見られてますよ」

「いやぁああ! 食べられるの、いやぁああああ!」

 

 可憐な笑みで祝福するアリステアに対して恐怖の絶叫を上げるギャスパー。

 鼓膜を破るつもりなのだろうか?

 

五月蝿(うるさ)い人です」

 

 魔物が飛翔してくるのを確認したアリステアが銃口を向けて数発ほど撃ち込んだ。

 全弾が命中するも物ともせずに魔物は突貫して来る。アリステアの持つ漆黒の銃はベレッタ92またはM9とも呼ばれる自動拳銃。そのベレッタに装填されているのは9mm程度の弾丸だ。人間ならばともかく強靭な肉体を持つ巨大な魔物相手には火力不足が否めない。

 

()いてない、()いてないですよぉ! もっとおっきい物じゃないと無理ですぅ!」

 

 泣き叫ぶギャスパーを無視して大口を開けてきた魔物の牙を身を(ひるがえ)して(かわ)すアリステア。そのまま着地したアリステアは銃を仕舞う。その背後では魔物が跳び掛かろうと構えていた。

 

「ど、どうして仕舞っちゃうんですぅ!? 仕舞っちゃう病の人ですかぁ!? き、来ます、来ますよぉ!!」

(なん)ですか、その馬鹿みたいな未知の病気は? 単に無駄弾を使いたくないだけです」

 

 瞬間、魔物が爆炎に包まれて炎に消えた。

 アリステアが撃ち込んだ弾丸は霊氣が込められた物で、それを爆弾と化し内部で炸裂させた。

 バラバラになった魔物の肉片がボタボタと地上に降り注ぐ。まさにスプラッターなグロさである。

 

「ひぃいいいいい! 何したんですかぁ!?」

「弾丸はあくまで霊術の依り代に過ぎません。本命は炸裂術式ですよ。大体はこれで死にますからね」

「ア、ボク モウ ダメ……」

 

 ギャスパーがむせるような血のと肉の()げる臭いに当てられて失神する。

 

「瞬殺とは相変わらずね、アリステア」

 

 呆れ半分のリアスだったに肩を竦めるアリステア。

 

「当然ですよ。さてこの惰弱な吸血悪魔はどうしましょうか?」

「とりあえず帰りましょう」

「了解しました」

 

 ため息を洩らしつつもギャスパーを背中に背負って歩き始めるアリステア。

 その頭上には満天の月が輝いていた。

 



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残影《Visit Form Heaven》

 

 戦場に屍の山が築かれていた。

 夜が近い黄昏の空は命を吸い上げたが如く真紅に(いろど)られ、終わりの静けさが支配する大地も鮮血に染まる。

 多くが死に包まれる中で唯一の生は十代にも届かない白雪の少女だけだった。

 幼い身体に比べ、表情はあまりに"無"が過ぎる。

 なにも感じない。こんなのはただの作業だ。()れと言われたから()った。

 言葉にせずとも、それを如実に体現する姿は余りにも機械的だ。

 熱のない冷たい姿見を体現した少女が真っ赤な世界に立っていると二つの影が伸びる。

 最初からいたのか、それとも今やって来たのか。その男と女は白雪の少女を見た。二人は変わった風貌であり、一見して魔女と魔王を思わせる。

 ふと、この死山血河の惨状を前にして魔女めいた女が満足げに男へ笑みを向けた。

 

『ふふふ。どうだい、彼女は? 自慢になるが、かなりの物だと自負してるのだけどね』

『……詰まらんよ、実にな』

 

 偉丈夫な魔王は意外にも魔女の言葉を一蹴した。

 

『おやおや。初の戦闘にしては上々じゃないかな? この戦場には上級 第一種 異能個体を1000程を用意したんだよ? 国一つ攻め落とせる軍勢に勝利したという結果では不服なのかい?』

『個体値の高さは認めよう。しかし感情がない、精神に宿る火こそ魂に熱をもたらす。アレはただの殺す事に特化しただけの人形だ、真の強者には届かんよ』

『では彼女はあなたの後継機としては不満?』

『いや不満はない。アレの心に火を着ける何かがあれば評価は変わる』

『ふふふ。"プロフィティエンの聖王"や"千叉(せんさ)の剣王"が聞いたら卒倒するよ」

「何故だ、アンブローズ?」

「簡単さ、人類の天敵たる"不死王"さまが心を語っているなんて夢に思ってないはずだからね』

「少なくともお前よりは知っている、"魔王"よ」

「魔女って言いなよ、これでも女の子なんだがね」

 

 魔女が帽子をかぶり直すとコツコツとハイヒールで屍を踏みつけながら少女へ歩み寄る。

 

『試験はおわったよ。帰ろうか、()()

『めあ……?』

 

 いつものシリアルナンバーではない呼び方に疑問を抱いたのか、少女はルビー色の瞳で魔女を見上げた。魔女は演説家のように両手を広げると、誇らしいと称えるように、哀れだと(もてあそ)ぶように嗤う。

 

『完成品には、その称号を与えると決めていたんだ。今日からそう名乗るといい。世界の"悪 夢(ナイトメア)"にして私たちの"救世主(メシア)"から取った名だ』

 

 黄昏の終わりが来る。空が赤から黒へ移り変わり、太陽が闇に落ちた。暗き死の世界で何よりも誰よりも雪のように純白な幼女は"メア"として生まれ堕ちた。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

「……ん」

 

 窓から差し込む朝日で目が覚める。

 胸の上にある小さな小説の重みを感じながらアリステアは体を起こした。

 どうやら本を読みながら寝ていたようだ。少しズレてしまった眼鏡を直して安堵のため息を吐く。こんな隙だらけの状態で寝るなどいつもならあり得ない。少しだけ心労が貯まっているのを自覚しつつ、時計へ視線を向ければ時間は七時半、随分と寝坊をしてしまったと思いつつベッドの代わりをしてくれたソファーから立ち上がった。

 

「最悪としか言い様がありませんね」

 

 夢の内容は覚えている。かつての記憶の焼き増しだ、思い出したくもない過去である。

 夢見の悪さにウンザリしつつも洗面台に向かい、顔を洗う。タオルを取ろうとして目の前の鏡に自身の顔が映る。

 その瞳はいつものアイスブルーではなく真っ赤なルビーのような色だった。

 ()()()()()()が鏡の向こうから見つめてくる。

 

「やはりギャスパー・ヴラディとの交流が切っ掛けですか。……全く仕方の無い」

 

 直ぐに意識して瞳の色を戻す。

 そしてタオルを投げ捨ててリビングへ出るや箱買いしていた大量のゼリー飲料に手を伸ばすとちゅーっと飲み始める。五秒ほどで食事を終えたアリステアは空になった容器をゴミ箱に捨てた。

 我ながら質素だと自嘲してしまいそうだ。

 アリステアは料理が出来ない訳じゃない。むしろ一流料理人に匹敵するだろう技量を持つ。

 だが作るのが好きかと言えばノーだ。彼女にとって食事は栄養補給に過ぎないので自分の為には決して作らない。

 何もなければアリステアの主食は簡易栄養食品になってしまうのだ。彼女にとって食事に時間を潰すなど愚の骨頂で、その時間を読書などに回した方が有意義と言ってしまうくらいだ。

 そんなアリステアなのだがエプロンに手を伸ばすなり、冷蔵庫から卵とベーコンを取り出して慣れた手つきで調理を開始する。

 ボールに片手割りをした卵を投入すると小気味良くかき混ぜ、パッパと流れるように軽く塩をふり、サッと油を引いて熱したフライパンで狐色に鳴るまで混ぜた卵に焼く。次に白いペーパーでフライパンを軽く拭くとピンク色のベーコンを軽く焦げ目が出るまで熱を通す。そしてパチパチと弾けるベーコンをBGMに食パンを二枚ほど袋から抜き取ると表面に網目上の切れ込みを入れてバターを乗せる。そしてトースターにセットしてタイマーを回す。

 やがてスタンダードな朝御飯が完成した。きつね色の卵焼きにこんがりと焼いたベーコン、トースターは表明に入れた切れ込みにバターが浸透してより美味しそうである。

 そんな朝御飯をトレイに乗せて、ある一室のドアを無遠慮に開く。

 

「おはようございます」

 

 部屋に入ったアリステアが挨拶するも返事はない。

 整頓こそされているが、ゲーム機や漫画が転がる普通の男部屋。その部屋にあるベッドでは渚が眠っていた。耳を澄ませなければ寝息すら聞き逃してしまう程に静かな吐息。かなり深い眠りだろう事が予測できる。ベッドのそばにある棚に朝御飯を置くとアリステアは渚の横に座る。

 

「全く、いつ目を覚ますつもりなのですか?」

 

 アリステアの言葉に一切の反応を示さない渚。

 そんな彼に怒るでもなく、呆れるでもなく、アリステアは渚の頬に優しく触れるも起きる気配がない。

 渚はかれこれ2週間も眠り続けている。原因は"蒼"による強制的な肉体変性の負荷。肉体的にも精神的にも消耗仕切った渚は回復のため深い眠りについているのだ。

 

「早く起きないと唇を奪ってしまいますよ」

 

 渚に覆い被さるとアリステアがゆっくりと顔を近づけた。彼女の美しい白雪のような髪がサラリと渚にかぶる。あわや数ミリの所まで唇同士が接触するが寸での距離で止まった。

 コツンと額が触れた。数秒後、アリステアは渚から離れる。

 

「ふむ、熱は大分下がりましたか」

 

 ふと強烈な光がアリステアの目を眩ます。

 それはベッドの横に立て掛けられた刀。アリステアに自らの存在を主張するかのように太陽の光を反射していた。

 

「こんな不意打ちのような真似はしませんよ、驚きましたか?」

 

 不適に笑いながら刀へアイスブルーの瞳を向ける。

 渚の愛刀である"御神刀 譲刃"は当然ながら無言だ。しかし間違いなく担い手の目覚めを待っていた。

 

「それでは出掛けます、()い夢をナギ」

 

 そう言ってアリステアは渚の部屋を後にする。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

「どう? それなりに良い茶葉を選んだのだけど」

「悪くはありません」

「それならよかったわ」

 

 午後、アリステアは駒王学園の旧校舎に来ていた。

 ギャスパーに邪眼のレクチャーをするためだ。リアスも同伴しており、少し離れた所ではギャスパーが念じるように時計の針の動きを"神器(セイクリッド・ギア)"で止めていた。

 

「すごいわ、今まで自分以外は停止させてしまっていたのに……。流石はアリステアね」

「コツを教えただけです。あれは才能の塊ですね。彼、間違いなく潜在能力は眷族一です。操作のコツ掴んだだけで時流操作に手を伸ばしている。とんでもない存在を身内にしたものです。しかしなんですか、彼の格好は……」

 

 ギャスパーはなぜか女子の制服を着ているのだ。小さな身体に可愛いらしい容姿も相まって非常に似合っている。男だと見抜ける者はそうはいない。

 

「ふふ、可愛いじゃない」

 

 あの格好についてはリアスも了承済みのようで平然とギャスパーを称賛していた。着ている服はおかしいが能力の高さは同意せざる得ない。扱いが難しい時間停止を操れている時点で規格がちがう。このまま成長すればグレモリー眷族でもトップクラスの実力者になるだろう。

 そんな事を思いつつ古い机をテーブル代わりに紅茶を頂くアリステア。

 

「冥界で何か面白いことは起きていないですか?」

「急にどうしたの?」

「ただの世間話ですよ。指導対象が優秀過ぎてやることがありません。美味しい紅茶があるのです、暇潰しに付き合ってください」

 

 ギャスパーの訓練ついでに情報収集もしておく。

 リアスは魔王の妹だけあって鮮度の高い冥界情報を持っている。これは彼女の兄である魔王サーゼクスがそうさせているようだが、アリステアにとっては貴重な情報源なので利用しない手はない。情報は多ければ多いほど良い。情勢の動き、立ち回り、対策、全ては情報があってこそのものだ。

 堕天使の総督アザゼルと魔王の妹であるリアス。この二人へのパイプを持っているアリステアは冥界陣営の情報には強い。欲を言えば天界とのパイプも欲しいがアチラは基本的に引き篭ってるので手の出しようがないから諦めている。

 三大勢力の情報は常に握って置きたいのがアリステアの本音だ。自分の知らない場所で戦争でも起きたら後手に回る可能性だってある。それはあまり宜しくないのだ。

 そんな事情は口にせずカップにある紅茶を優雅に飲む。仄かな紅茶の香りが吐息に混じり気分を柔らかくしてくれる。この感覚はこの飲み物でしか味わえないだろう。

 アリステアが紅茶を吟味しているとリアスが思い出したように話を振ってくる。

 

「そうそう、最近人間が冥界に"強制召喚"される事象が勃発しているらしいわ」

「"強制召喚"、ですか?」

 

 リアスとテーブルを挟むアリステアがカップを置く。

 悪魔の名家であるグレモリーの出身だけあってリアスが扱う茶葉は高級だ、それこそヘタな店で出されるよりも美味しい物が楽しめるのだ。一緒に出されたスコーンに手を伸ばすと口へ運ぶ。美味な紅茶に負けず劣らず菓子も絶品だった。お茶と菓子を楽しみつつもリアスの言葉に耳を傾ける。

 

「アリステア、"強制召喚"がどういったものかは知っている?」

「本来、召喚とは何らかの誓約によって力を貸してもらう術式です。比べて"強制召喚"は相手の意思や都合など関係なしに呼び出して隷属させる物だと認識しています」

「流石に博識ね。その通りよ、しかも強制的に召喚するだけあって魔力の消費も大幅に増える傾向がある、何より無理矢理召喚させれた方も協力したいと思える筈もなく大体が失敗に終わるわ」

「一見してリスクしかない。余程の愚か者か力を持つ存在か、どちらにしても酔狂な事です。それで事件の犯人は?」

「目星も着いていないみたい。同一犯というのは確実らしいわ、拐われた人たちは同じ召喚陣を覚えていたようだし……」

「陣に術者のクセが出るのでは? そこから逆算すれば自ずと犯人は特定できるはずです」

「いいえ。上手く隠蔽しているから解析は不可能、しかも戻ってきた人たちは記憶を消されているわ」

「お優しい事ですね。わざわざ連れ去った者を帰すなんて」

「この事件の面白い所をソコよ。連れ去られた者は全員が魔法使いや英雄の子孫の関係者で素質が高い者が選ばれてるの、強力な神器持ちも含まれるわね」

「誘拐犯は余程戦力が欲しいと見ました。話を聞くにかなり厳選しているように聞こえます」

「けれど全員が三日以内で元の場所に帰されているわ」

「外傷及び後遺症は?」

「記憶の欠如以外は一切なし」

 

 可笑しな話である。

 魂を奪うわけでもなく、神器を盗るでもない。わざわざリスクの高い"強制召喚"を繰り返して何がしたいのだろうか? 

 目的が不鮮明すぎて予測が難しい。アリステアはすぐに考えることを放棄する。こんな事でわざわざ脳を働かせるなど労力の無駄だ。だから適当に答えを出しておくとした。

 

「お茶会にでも招待しているのでしょう」

「ふふふ。貴女も冗談が言えるのね」

 

 真面目に考えろと言われると思ったがリアスは優美な笑みだけを返した。彼女にとって軽い世間話し程度の話題だったのだろう。

 

「私をなんだと思っているのですか?」

「親愛なる隣人かしら」

「それはどうも。ギャスパー・ヴラディ、時計の針が僅かに動いてます、集中してください」

「うぅう。が、がんばりますぅ、ししょー」

「その師匠というのはやめてください」

 

 ギャスパーの集中力が低下した事を指定すると紅茶を啜る。リアスが肩をすくめるも次の話題に移った。

 

「ねぇ渚の具合はどうなの?」

「前に伝えた通り、休眠状態が続いています」

「長いわね、もう2週間よ?」

「当然でしょう。白龍皇とコカビエルを同時に相手をしたのです、それだけ力を酷使した……それだけですよ」

「もう、いつもながら冷静ね。ウチの子達なんて全員が気が気でないようよ」

「知っていますよ。毎日誰かが渚の家を訪ねてくるので落ち着いて読書もできません」

 

 物憂(ものう)げだと言いたげなアリステアにリアスは肩を揺らして笑った。含みのあるリアスを見たアリステアは目だけで問うも笑みを絶やさず答えてくる。

 

「貴女だってずっと渚の家にいるじゃない。折角部屋を用意したのにこれでは意味がないわ」

「護衛ですよ。流石にあの状態では無防備が過ぎる」

「ふふ、素直じゃない。違うわね、照れ屋……なのかしら」

「なんの話か解りかねます」

「ま、それがアリステアのスタイルならしつこくは言わないわ。嫌われてしまうものね」

「そうですね、もっと面白い話題を提供することをお勧めしますよ」

「じゃあアリステア・メアにとって蒼井 渚はどういったものなのかを聞かせて?」

 

 色恋の話は苦手だ。

 アリステアは恋愛をしたことがない。確かに渚を特別扱いしているのは認めよう。だが自分にとって渚が何かと言われれば恋人や想い人という答えになるのだろうか?

 少し考える。いったい渚という存在は一番何に近いのか? 

 存外と答えは直ぐに出た。

 

「空気です」

「く、空気?」

 

 呆けた顔をするリアス。

 

「そうです。在って当然であり無くては生きていけない、私にとってナギは空気そのものなのです」

 

 それが妥当だ。

 自分の行動指針が渚に片寄っているのは自覚しているし改める必要性も感じない。これはずっと昔に決めたことであり、誰がどう言おうと変える気もない。

 自嘲してしまうほどに重い女だ。まぁ軽いよりは良いだろう。渚に直接被害を加える訳でもなく、彼が他の女性を愛するなら許容も出来る。パートナーとして隣に立っていればそれでいいのだ。

 他者から見れば異常にしか思えないかもしれない……がアリステアにとっては他人の考えなどどうでも良い事柄に過ぎないので気に止めるなどバカらしい。

 

「まぁ貴女たちの関係が深いことは十分理解しているわ。ちょっと独特な解釈に驚いたけどね」

「人それぞれという言葉は便利ですね」

「さっぱりしてるわね」

「ドロドロよりはマシではありませんか」

 

 リアスが肯定するように頷く。

 こうして話をしていて常々思うがリアスは会話が上手い。人の気持ちに入ってくるが不快さがないのだ。身分を差し置いて他人と視線を合わせる気遣いがあるからだろうか。それは一種にカリスマ性といってもよい。

 口を開けば相手を苛立たせる自分にはない才覚である、尤も全く羨ましいとは思わないだが……。

 

「し、ししょ~、僕、もう限界ですぅ」

 

アリステアは自身の腕時計に眼をやる。持続時間は30分46秒といったところだ。半径15センチの限定空間とはいえ、結構なタイムである。

 

「前よりも1分02秒伸びてますね。いいでしょう、今日はここまでとします」 

「ふぇえ、やりましたぁ」

「これを食べてください」

「うわぁチョコレートですかぁ」

 

 チョコの入った菓子袋を取り出すと子犬のようにアリステアへ寄ってくるギャスパー。

 

「見たこと無いチョコね。綺麗な形をしているけど何処のもの?」

「手作りです。眼と脳は親密な関係にあります、それは異能も変わりません。疲れた脳には甘いものが良いでしょう」

「私も一つ貰ってもいいかしら」

「構いませんよ」

 

 リアスがサイコロのようなチョコを一つ摘まんだ。

 

「あら美味しいじゃない、もう一つ。絶妙な甘さが口に広がるわ、レシピは自分で考えたの?」

「様々なチョコを食べてから良いと思った部分を自分なり抽出して掛け合わせで作った模造品ですよ」

「模造品って……。それはもう貴方のオリジナルよ」

「もぐ、もぐ、おいしいれすぅ」

「ギャスパー・ヴラディ。口が汚れています」

 

 ハンカチを取り出してゴシゴシとギャスパーの口を吹くアリステア。

 

「えへへぇ」

「なんですか、急に。気持ち悪いですね」

「ししょーは怖いけど優しいですぅ」

「……その二つは両立するのですか?」

「わかるわ、貴女って身内には存外甘々なのよね。渚しかりアーシアしかりってね」

「なら優しいという評価だけにしてほしいものです」

「だって貴女って雰囲気と言動が物騒だもの。特に敵対者には恐ろしいほど情けがないわ」

「殺しに来る相手に情けをかけてどうするのですか」 

 

 そんな談笑をしつつもギャスパーの状態を”眼”で確認する。時間操作のオンとオフがしっかり出来ているが、それは今が平時だからだ。精神を揺さぶられることがあれは勝手に発動する。強靭な精神力を持たせれば解決だが、臆病が服を着て歩いてるような彼を鍛えるのは時間が掛かる。こればかりは外部からどうにかするしかないだろう。

 ともせず上等な紅茶を頂いて満足したので、そろそろ帰ろうかと考えた時だ。アリステアの第六感が反応を示した。

 

 ──キィィィン!! 

 

 それに遅れて数秒後、学園に張っていた侵入者用の結界が独特の念波を鳴らして異常を知らせる。人ではない何かが駒王学園へ侵入者してきたのだろう。

 

「侵入者!?」

「正面からとは豪気なことですね」

「ふぇ?」

 

 リアスとアリステアが言うと同時に魔方陣が展開されて人影が現れる。光が消えるとソコには四人の男女が立っていた。

 真っ昼間からとは中々に肝の座った真似をするものである。アリステアはテーブルに肘を立てて頬杖にすると相手を見据えた。

 

「ゼノヴィアに紫藤 イリナ?」

 

 リアスが眉をつり上げて困惑する。現れたのは以前コカビエルを追っていた二人組の聖職者だ。あの戦いが終わって早々と退却した筈の者が再び駒王を訪れていた。その二人に囲まれているのは長身で様々な装飾の着いた服を着た優男と全身をローブとフードで隠した少女だ。招かれざる客を鋭く観察する。その気配は人ではない。アリステアの"眼"が全てを見通す。

 

「天使ですか、見るのは初めてですね」

「天使!? そんな気配はしないのだけど」

「わわわ、眩しいですぅ、吸血鬼にはきびしいですぅ!」

 

ギャスパーが逃げるようにアリステアの後ろへ隠れた。主人(リアス)の敵になり得る(やから)に対して、それでいいのかと嘆息(たんそく)する。

 

「そこの方、我々の正体がよく分かりましたのね。光力は隠している筈ですが?」

 

 優男の方が若干の驚きを見せた。

 何を驚くのか、正体を隠したいのなら天使の気配をもっと上手く消すべきである。リアスは(だま)されているようだがアリステアの"眼"はしっかりと内部を(とらえ)えていた。それは人間では持ち得ない強大な光力、もはや「私は天使です」と自己紹介してしまっているようにしか見えない。自分を騙したいのなら隠行術をもっと鍛えろと言いたい。

 

「そこの聖職者。コレらはなんですか?」

 

 アリステアがゼノヴィアとイリナに問う。彼女たちにとってアリステアは、ほぼ初対面に等しい。いつもの上から目線で喋りかけられた二人は眉を釣り上げた。

 

「あなた、蒼井くんが倒れた時に現れた人ね! その上から目線な所は直した方がいいわ!」

 

 騒がしい少女である。知りたいのはこの天使達の名と目的であり、お小言ではない。聞いた相手を間違えたか。

 アリステアはイリナを無視して視線をゼノヴィアへ移す。はっきりと自己紹介はされていないが、この聖職者二人の調べは付いているので今さら彼女たちの情報はいらない。将来有望な使い手と揶揄される若い悪魔払い(エクソシスト)との事だ。その有望さを少しはここで見せてもらいたい。

 

「このお方達はラグエル様とイオフィエル様、偉大なる大天使のお二人だ」

「ひぇえええ、おしまいですぅ。僕みたいな木っ端吸血鬼悪魔なんて瞬殺されちゃいますぅ」

 

 欲しかった情報を提供するゼノヴィア。歯向かってくると思っていたが中々に話の分かる少女だ。イリナが下げた悪魔払い(エクソシスト)の評価を上方修正するアリステア。それにしてもギャスパーがいちいち五月蝿い。

 

「ラグエルにイオフィエルですって!? 四大熾天使(セラフ)に最も近いとされる智天使(ケルビム)が何故ここに!」

 

 リアスの驚嘆の納得である。

 智天使とは最上級の熾天使に次ぐ天界の重役だ、それが急にやって来たのだから心中穏やかではいられないだろう。警戒するリアスに柔和な笑みを浮かべたのは男性、ラグエルだった。

 

「急な訪問は謝罪します。今日は天界の代表という形でお邪魔しました」

「……天界の代表が駒王になんの用? まさか宣戦布告の代わりに私を殺しに来たのかしら」

「それこそまさかです。なんの事はありません、聖剣紛失の是非を問うためです。アレは私たちにとっても重要な物なので教会に返却しておきたいのです」

「聖剣? それはコカビエルが取り込んでそのまま消えたわ」

「なるほど。戦士ゼノヴィアの報告通りなのですね、確認とは言え、疑ったことは謝罪します」

 

 ラグエルが頭をさげる。

 やけにあっさり引いた。いや、最初から聖剣など無いと解っていた節がある。恐らく聖剣の有無など口実かこじつけ、そのどちらかだろう。

 

「リアス・グレモリー、貴女に感謝を。悪魔が教会の戦士を助けた事は僥倖です」

 

 アリステアの背後に隠れるギャスパーがちょんちょんと控え目に肩を指で突っつく。

 

「し、ししょー、ぎょうこうってなんですかぁ?」

(たな)から牡丹餅(ぼたもち)という意味です」

「も、もちぃ? おやつの話をしてるんですか! 余計わかりませんよぉ!」

「落ち着きなさい」

「で、ででで出来ません! 光で妬かれる未来しか見えませんよぅ!」

 

 泣き顔でグイグイと服を引っ張れる。服が伸びるからやめてほしいアリステアはギャスパーを安堵させる意味も込めてラグエルへ言う。

 

「悪魔に対して随分と友好的ですね。争う気は無いのでしょう?」

「はい。私が来た本来の目的は、礼を言わせて頂くためです」

「天使が悪魔に礼ですって?」

「お互い歩み寄ることも必要だと思っています」

 

 リアスが今度こそ信じ難いと疑いの目を向ける。

 なんの脈絡もなく歩み寄るなど信じられるはずもない。悪魔と天使はそれ程までに血みどろの闘争を繰り返し続けたのだ、今は冷戦状態まで落ち着いているが、少しの火種で再び爆発してもおかしくない。

 しかしアリステアは冷静な心境でラグエルを見つめる。

 

「(狙いが見えましたね。わざわざ名のある天使を遣わせて争う気がないとアピールしている。リアス・グレモリーを通して冥界もしくは魔王にも和平を可能性を抱かせるつもりでしょうか。……天界は余程に戦争は避けたいと見えます)」

 

 遅かれ早かれ天界は何らかの行動を起こすだろうとは思っていた。

 天上の主たる神は不在。その事実は一部を除いて教会関係者にも伏せられている。知られれば信仰が失われてしまうからだ。トップが消え、戦争で疲弊した天界が苦渋の決断とはいえ悪魔に歩み寄るのは理解出来る。

渚が喜びそうな話題である。起きたら三大勢力が仲良しになっているのだ。自称、日常を愛しているらしい男には朗報だろう。

 

「それで貴方はどうなのです? 彼同様、因縁の相手と仲良くなりたいのですか、可愛らしい天使さん」

 

 中学生くらいに見える智天使をアリステアは見下す。さっきからこのイオフィエルという天使はアリステアに対して冷たい視線を送っていたからだ。どうにも嫌われているようだとアリステアはせせら笑いを浮かべる。瞬間、イオフィエルが力を隠すのをやめる。そして重圧で部屋全体がミシミシと軋みをあげた。

 空気中であっても溺死してしまいそうな息苦しさにリアスとギャスパーは冷や汗を流すがアリステアは涼しげに受け流す。

 

「可愛いなんて誉め言葉なのに、あなたから言われると怖気がすごいよ」

「それは失言でした。以後、気を付けましょう」

 

 面白いくらいに嫌悪を隠さない。ここまで来ると清々しさすら感じてしまう。 

 

「質問に答えようか。悪魔と仲良く出来るか否か、だったね。答えは()()()だ」

「神の敵を前に邪な考えを抱いた天使の行き先は堕天ですよ」

「ならないさ。わたしにとって悪魔も天使も同じでね。黒が悪で白が善など幼稚な考えはしていないのさ。だから悪魔を敵だと思ったことはない。あちらが手を差し出せば握り返すし、憎悪を以て害を成すなら暴力で返礼する。……あなたは違うのかい?」

 

 飽きたように圧を納めるイオフィエル。

 小さな体にしては尊大で芝居の掛かったイオフィエルの声。その顔はフードで隠れているが間違いなく嗤っている。

 

「存外、マトモなようでよかった。貴女から少し物騒な気配を感じたので」

「あぁ悪かった。これは個人的な感情でね、あなたが嫌いなんだ」

 

 その言葉にざわっと周囲の空気が変わる。

 急な告白だ。まさか初対面で嫌われるとは中々に自分も罪なものだ。

 ラグエルがワザとらしく肩を竦める。

 

「意地悪な笑顔ですね、イオフィエルさん。それにしても失礼が過ぎますよ」

「仕方ないだろ、性格だ。ほら挨拶が用件なら早く帰ったほうがいいぞ、ラグエル。あなたは暇な身ではないと自覚すべきだな」

 

 イオフィエルが嘲笑う口調で言う。

 旧知の仲なのだろう、気安い雰囲気が二人の間にはあった。

 

「彼女の言う通り、今日は顔見せで済ませようと思っています。リアス・グレモリー、また近い内に会いましょう」

「今度はアポイントを取ってからの訪問にしてちょうだい、大天使ラグエル」

「それは失敬。次からはそうさせていただきます」

「失礼する」

「さよなら。そこの可愛らしい悪魔ちゃんも」

「ひぃぃ、悪魔払い(エクソスシト)が笑って手を振ってますぅ! 殺されますぅ!!」

 

 イオフィエルが天使特有の陣を紡ぐとラグエルがリアスに会釈して転移する。追うような形でゼノヴィアとイリナも消えた。

 最後に残ったのはイオフィエルなのだが一向に立ち去ろうとしない。それどころかフードを後ろに倒すと素顔を露にする。天使の名に相応しい美しさと可愛らしさ同居した容姿。そんな彼女が蠱惑的に目を細め、軽く手を払って陣を破壊する。

 

「な、何をっ」

「グレモリーの娘。あなたの隣にいる彼女と少し話がしたい」

 

 光が粉々に砕かれて粒子だけを残す。キラキラとガラス細工のような陣の残骸を背にイオフィエルは立つ。その顔は何か言いたそうに真っ直ぐアリステアを見ている。

 

「用件があるのでしょう? 聞いてあげますから言って下さい」

 

 自分を嫌いだと(のたま)う天使が何を問うのか、アリステアは誘うようにイオフィエルの言葉を待った。するとイオフィエルは口元が不気味な三日月を描く。

 

「──黄昏時のメア。あなたは世界にとって"悪 夢(ナイトメア)"? それとも"救世主(メシア)"?」

 

 (つむ)がれた言葉にアリステアは目を見開くとイオフィエルを睨む。

 それは、かつてないほどに殺気を満ちた瞳だった。

 彼女にとって絶対に聞くことがないと思っていた単語の羅列。アリステアの過去に触れる行為だったからだ。

 

「その名を何処(どこ)で?」

「はて、昨日見た夢かもしれないし、天界の大書庫かもしれない。もしかしたら今思い付いた冗談という線もあるかもな」

 

 真面目に答えるつもりは無さそうだ。

 メアという名に隠されたアリステアの二つの"真名(ルーツ)"をイオフィエルは的確に当ててきた。かつて存在意義を思い出させる忌み名を前にアリステアは視線を更に鋭くする。

 

「どこまで知っているのですか?」

「その問いにはこう答えようか。──大概だ」

「まさかそんな言葉を投げ掛ける人がいるとは思いませんでした。けれど貴女という天使のお陰で"聖書の神"の正体が分かりましたよ」

「それは良かった。では返礼がてらに、あなたも答えろ」

「大概の事を知っている貴女が何を問うのです?」

「あなたなら即答できる簡単な問いだ。──蒼井 渚はいるのか?」

 

 アリステアが銃を抜いて引き金に指を掛かる。

 二人の間の空間が淀む。

 

「ちょっと、アリステア!」

「ひぃいい、このししょーは怖いししょーですぅ」

 

 敵意、殺意、疑念、それは負の感情をぶつけ合う互いの牽制。取り残されたリアスは訳がわからないと言いたげな表情だ。

 

「所在を訪ねただけで銃を向けるとは無礼な人だな。まぁどうやら、わたしはあなたが嫌いなようだしお互い様か」

 

 何処か楽しんでいるような声音のイオフィエル。

 

「天使様に嫌われる事は何もしていないと存じていますが?」

「今しているだろうに……。けどそれは理由じゃない。言葉にするなら存在かな。あなたとは相容れない。……そんな感じだよ」

「辛辣ですね。ですがこういう真っ直ぐな敵意も珍しい」

「敵意か。こんなにも負の感情が溢れ出たのは初めてかもしれない」

「ならばその感情のままに私を討ちますか?」

 

 アリステアの挑発を鼻で笑うイオフィエルが首を振った。

 

「あなたの強さは予測の外にある。しかしわたしが負けるという予想も出来ない。……ゆえに過信は己を滅ぼす諸刃の剣と互いに自覚した方がいい」

「私が過信をしていると言いたいのですか?」

「そうだ。あなたの思考は読んで取れるぞ。『たかだか天使ごときが勝てると思っているのか』だろ?」

「おっしゃる通りですよ」

 

 智天使(ケルビム)と呼ばれようともその実態は神の下僕だ。その力が神に届くはずもない。対してアリステアは神すら殺し得る規格外。天使程度では相手にすらならないのは目に見えている。

 

「確かにあなたの戦力は凄まじい。それこそ熾天使(セラフ)が相手でも片手間に首を取ってしまうのだろうね。だがしかしね、わたしを()れるというのは正しくないな」

 

 イオフィエルの左手に雷華の光が迸る。

 

「投げますよ、ギャスパー・ヴラディ」

「へ? ふぇえええええ!!」

 

 臨戦態勢に入ったと判断したアリステアは残った片方の手でギャスパーをリアスに投げつけると霊氣を込めた弾丸を叩き込む。

 瞬間、アリステアの額に刃が向けられた。空中に浮いた一振りの剣は静止状態で動く気配はない。だがあと少し押し込めば脳を貫くだろう。

 

「ほら一回死んだ。吸血鬼くんなんかに気を割くからだよ?」

 

 アリステアの放った弾頭を軽く摘まむイオフィエル。そしてスピンを繰り返す弾頭を菓子細工のように潰して砕く。

 

「紹介する、我が"剣兵"アドナキエルだ」

 

 空中に浮いた剣の柄に手が現れる、それから腕が現れ、胴体、足、頭の順で剣の持ち主が実体化した。

 隠していた姿は神々しい甲冑に身を包んだ白騎士だ。全身鎧のソレは無言でアリステアへ剣を突き付けている。召喚というには速すぎる、モーションどころか異能が発動した痕跡すら見えなかった。まるで今の今までそこに居たような錯覚すら覚える。

 

「ご立派な従僕をお持ちなんですね。ですが届いていませんよ」

 

 アリステアが宣言すると甲冑の白騎士の剣が真っ二つに折れた。

 出てきたタイミングも攻撃手段も見逃したがアリステアはキチンと反応していた。自らに迫る凶刃を迎撃していたのだ。

 

「……二発目の銃声は聞こえなかったな」

「私を簡単に出し抜けるとは思わないことです」

「それでもあなたが死んでいることに変わりないよ」

 

 冷たい金属がアリステアの首に添えられる。

 背後から鋭い爪が伸びてきたのだ。見れば両手に長い爪を持った異形の白き暗殺者が死へと(いざな)っていた。

 その存在はアリステアの既知の外にあり、間違いなく不意を突かれた形である。

 

「彼は"暗殺者"ガムビエルという、まだやるかい?」

 

 手を差し出して降伏を促すイオフィエル。アリステアよりも小さい体の少女だ、だがその力は想像を越えている。

 屈辱ともいえる敗退にも関わらずアリステアは頬を愉快そうに歪ませた。

 

「不意打ちとはいえ私を一度殺すとは素晴らしいですね。貴女、本当に天使ですか?」

「こんなに可愛らしいわたしが天使以外に見えるのかね? それで死んでみた感想は?」

「ご自分で味わってみては?」

 

 意味不明な回答だ……と言いたげなイオフィエルだったが咄嗟にその場から跳び退く。

 しかし遅い。一発の弾丸が華奢な彼女の肩に命中する。苦痛に顔を歪ませるイオフィエル。見れば純白だった服が血に染まっていた。

 

「これはアドナキエルの剣を破壊した弾丸。生きていたか」

「特殊な魔弾です、これは音も光も匂いもしない。ただ無言で相手の肉を食い破る。尤も心臓を破壊するつもりでしたが外しましたね、いえ躱したと称賛を贈るべきですか?」

「ただの勘で体を逸らしたに過ぎないから世辞はいらない。実際にあと少し遅れていたら心臓だ、死んでもおかしくなかった」

「ですが敗北は認めてあげます。あなたがその気なら私の首は無事ではありませんでした。良くて相討ちとは我ながら情けないものです」

「意外だね、あなたはプライドが高そうだから敗北は認めないと思っていたよ」

「慢心していたのは事実です。この敗北を糧にするだけです。……続きは?」

「やめておく。それをしたら、リアス・グレモリーが憐れだ。これはわたしとあなたの問題だろ? ──バキエル」

 

 剣兵と暗殺者が炎のように燃え上がり、痕跡一つ残さず消えたと思うとイオフィエルが側にシスター服を着た人形らしきモノが現れ、肩の傷を治す。

 騎士に暗殺者、果ては僧侶。自立行動をしている様子からも恐らく召喚に近い能力なのだろう。

 傷を癒したイオフィエルが再び聖なる陣を展開する。今度こそ帰るようだ。

 

「──殺した詫びに教えておこうか。わたしにあなたの忌み名を教えたのは"エル・グラマトン"だ」

 

 その名を聞いた瞬間、アリステアは胸がざわつく。

 

「やはり、ですか」

「残念かい?」

「ええ、とても」

「それは良かった。ではそろそろいくよ、ではまた近い内に会おう。白雪の魔弾、そして紅の滅殺姫」

 

 

 ヒラヒラと手を振りながら光の中へ消えていくイオフィエル。

 アリステアはそれを黙って見送る。

 

「渚といい貴女といい、のっけから私のホームを戦場にしないでほしいわ。部屋が散らかったじゃない」

「トラブルメイカーですね」

 

 他人事のようなアリステアにリアスは頭を抱える。まさかこんな急に戦闘紛いな事が起きるなど考えてもいなかったので結界を張り忘れていたのだ。異変を察知した者たちがもうすぐやって来るだろう。

 

「騒がしくなる前に帰ります」

 

 グレモリーの眷属やシトリーの関係者たちが駆けつけてくるのを予感して旧校舎の窓から飛び降りた。瞬間、扉が開いて悪魔が雪崩れ混んでくる。

 上から「ちょっと、逃げないでちょうだいっ!」とリアスが怒り、「ひゃあああ。人です、人がいっぱいいますぅ、助けてぇえええ!!」とギャスパーが悲鳴をあげるがアリステアを敢えて無視して立ち去ったのだった。

 



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訪問者 イオフィエル《Max Anxiety》


この章は渚が不在なので、いつもより群青劇みたいに視点がよく変わる予定です。
読みにくかったらすいません。



 

 ──駒王、郊外。

 

 転移陣が消失し、イオフィエルだけが駒王学園に残されて少し時間が経つ。

 

「どうしよう、ゼノヴィア! イオフィエルさまの転移陣が消えちゃったわよ!」

「そうだな」

 

 イリナがこれでもかと慌ただしい。対してゼノヴィアは静かに(たたず)む。冷静に考えても魔法知識に(うと)い自分ではどうしようもないからだ。

 緊急事態ではあるものの慌てる必要もない。あのリアス・グレモリーがイオフィエルに危害を加えるとは思えないからだ。彼女は悪魔だがゼノヴィアの知る悪魔像からは程遠い精神の持ち主だった。

 傲慢(ごうまん)ではなく高潔(こうけつ)、残忍さとは程遠い人格者だ。コカビエルとの戦いでもリアスとその眷属たちには助けられたし、彼女たちの尽力が無ければ死んでいただろう。だからだろうか、ある種の信用というものが芽生(めば)えている。

 そんなこともあり、イリナのように悲観はしていない。ただ途方(とほう)に暮れるしかないのは事実だ。

 ゼノヴィアが徒歩で学園へ戻ろうかと迷っていると虚空に聖なる紋章が浮かび上がり陣を形成していく。光り輝く新たな陣から何事もなかった風体でイオフィエルが転移してきた。

 

「イオフィエルさま!」

 

 合流地点に転移してきたイオフィエルにまず詰め寄ったのはイリナだ。顔は安堵(あんど)の表情を宿している。悪魔の支配する地で智天使(ケルビム)に何かあれば教会の戦士として(しゅ)に顔向けできなくなると懸念(けねん)していたのだろう。

 

「急に転移陣が機能不全を起こして何事かと慌てましたよ、イオフィエルさん」

 

 続くラグエルの問いにイオフィエルが答える。

 

「陣の式が甘くてね、次からは気を付けよう」

「本当ですか、イオフィエルさま?」

「ほぅ。デュランダルは疑っているのか?」

「少し違和感を感じたので言葉にしました。無礼であれば罰は受けます」

 

 ゼノヴィアは不敬を自覚しつつも疑問を投げ掛けるがイオフィエルは口許(くちもと)の笑みを深くするだけで責める様子はない。

 

「ふふふ。それは知性あるものとして評価するよ。だけどわたしだって完璧ではない、たまには失敗もするさ」

 

 嘘だな……とゼノヴィアは確信する。天界第二位の座に位置する智天使(ケルビム)ともあろう者があんな些細(ささい)なミスをするわけもない。この智天使様は故意に自分だけ残って(なん)らかの事を()したのだ。

 

「戦士ゼノヴィア、その辺りにしてあげてください。彼女だって(まれ)に失敗もするでしょう」

 

 ゼノヴィアを(いさ)めるラグエル。間違いなくイオフィエルの嘘を見抜いてくるのに言及しない彼に習い、これ以上の問答は()めておくことにした。

 

「ラグエル」

「はい、なにか?」

「わたしは少し寄り道をすることにした、あとは一人で頼むよ」

「寄り道? 元々エクスカリバー捜索の任に()く私のお目付け役として来た貴女がですか? 一体に何をするのか聞いても?」

「観光だよ。あなたも分かってるだろう? エクスカリバーの捜索なんて無意味さ。大方、アザゼルが回収しているよ。闇雲に動いても成果はあがらないんだ、仕事なんて放り出しても構わないだろう」

熾天使(セラフ)の面々にはどう説明するおつもりで?」

「わたしにそう言われたと言えばいい。でなくともミカエルには後から直接言うとするさ」

「アザゼルの手にエクスカリバーがあるのは見過ごせないのでは?」

「近い内に戻ってくるから問題ない。あんな戦争勃発の地雷みたいな代物を彼が手元に置くはずがない。まぁ聖剣じゃなくて神器だったら分からなかったがね」

「……アザゼルを信頼しているのですね」

「信頼? 違うな、これはプロファイリングだ、彼の思考を読んだに過ぎない」

「信じても?」

「返って来なかったら、わたしが直接出向いても良いよ」

 

 納得はしていないラグエルだが諦めたような顔をする。

 

「分かりました。イオフィエルさんの自由行動を認めます。ですが警護は付けてください」

「必要ないな」

 

 ()らぬ世話だという雰囲気のイオフィエルにラグエルは首を振って譲らなかった。

 

「今の貴女は熾天使(セラフ)に続く智天使(ケルビム)(おさ)です、一人で出歩かせるなどあり得ない」

「心配性だと自覚すべきだね」

熾天使(セラフ)の全員が動く可能性を考慮していますか? 貴女こそ替えの利かない存在と自覚すべきかと……」

「……わかった、あなたの意思を尊重しよう。それに、あの子達を無駄に働かせるのは忍びないしね。デュランダルを連れて行く。()の最強の聖剣が護衛ならば問題ないだろ」

 

 まさかの指名にゼノヴィアは体を(こわ)ばらせた。イオフィエルはそんな彼女に気づいてか顔を傾げる。

 

「不服かな?」

「いえ、光栄です」

「良い返事だ。では行こうか、デュランダル」

 

 スタスタと歩き始めるイオフィエルに早足で並ぶゼノヴィアだったが気づいたように後ろを向く。

 

「イリナ、ラグエルさまを頼むぞ」

「あ、うん。そっちもね」

 

 急なイオフィエルの独断にイリナも困惑している様子だが快くゼノヴィアを見送る。

 これが最強の聖剣が持つゆえの信用なのだろうかと思うゼノヴィア。なんにしても智天使(ケルビム)(おさ)から護衛を言い渡されたのだから全力で挑むしかないだろう。

 こうしてゼノヴィアはイオフィエルの観光とやらに付き合うハメになる。

 イリナとラグエルの二人と別れたイオフィエルはその足で、人のいない郊外から駒王の繁華街へ向かう。観光と言っていたのだから、そこに疑念はない。だが何をするのかには大いに興味があった。

 

「その……イオフィエルさま、どちらまで?」

「これから人に会いに行く。その土産を買おうと思ってるんだ」

 

 その時のイオフィエルは、いつもの尊大さを一切()いており、まるで想い人の下へ向かおうとしている見た目相応の少女にしか見えなかった。

 

 

 

 

●○

 

 

 

 

 時間は夕暮れ近くだと言うのに空は明るく日が落ちる気配がない。

 夏がもうすぐやってくるのだろう。

 

「ふぅ日本はとても暑いです」

 

 額から流れる汗を吹きながらもアーシア・アルジェントは帰宅した。

 直ぐ様、お風呂場へ向かい制服を脱ぐと暖かいお湯で身を清めてリビングへ出た。

 キラキラと光を反射する金髪をタオルで拭きながら静まり返った室内を見渡す。

 自分一人で使うには広いマンションの一室は人の気配がなく寂しさを感じる。いつからだろうか、一人がこんなに心細いと感じるようになったのは……。教会にいた頃は誰も自分に話しかけず、職務以外では放置だった。だから孤独には慣れているつもりはずだった。

 

「(いいえ、きっと違ったんでしょう)」

 

 少し考えてすぐに答えを見つけてしまう。

 もともと自分は人一倍寂しがり屋だったのだろう。教会にいた頃は「これも神の試練」と(いつわ)り、無意識で耐えていたのだ。しかしそれは盲信であり本当の信仰とは程遠い心を壊す毒のようなものだ。

 渚やアリステアに出会わなければ心が死んでいたかもしれない。この胸にある熱を取り戻してくれたのは渚であり、アリステアであり、リアスたちのおかげなのだ。

 この大恩を返すにはどうすればいいのかをずっと考えているが(いま)だ答えはアーシアの中にはなかった。

 少し前だったら愚かな自分を(なげ)いていただろうが今は違う。

 

 ──そんなの、ゆっくり考えればいいんじゃないか? 

 

 自然と胸に熱が宿る。心の支えである想い人の声はアーシアの迷いを和らげてくれるのだ。

 思考停止ではなく、(あせ)らずに長い人生を懸けて見つける。それがアーシアの出した今の答えだった。

 だから今出来る事をやろうとアーシアは少しオシャレな普段着で家を出る。その足で向かったのは隣の部屋だ。チャイムを鳴らし、ゆっくり10秒数えてから玄関ノブを回す。ロックが掛かっているのを確認すると懐から鍵を出して中へ入った。

 

「お邪魔します」

 

 靴を綺麗に並べてから室内用のスリッパに履き替え、慣れた足取りでリビング近くにある部屋の前に立つと優しくノックをする。返事がないので控えめにドアを開く。どこにでもありそうな普通の男部屋。

 その部屋のベッドでは渚が小さな寝息を立てていた。そのままベッドに近くに近づくとちょこんと座るアーシア。

 

「今日もお休みですか、ナギさん」

 

 聖女のような微笑みで渚へ話しかける。

 触れることなく、ただ彼の目覚めを待ち続けるアーシア。

 本心では早く起きてほしい。たくさんお喋りもしたいし、学校へも一緒に通いたい。それでもアーシアは起こそうとはしない。彼はきっと疲れている、多くを守るために命を懸けた渚には休んでほしいのだ。

 彼が眠り続ける今日までの二週間、アーシアはずっと渚の家に(かよ)い続けていた。

 起きたときに「おはよう」と言いたいが(ため)だけに……。

 

「あ、ステアさんが用意した朝食も片付けた方がいいですよね」

 

 ベッドの横の棚の上には、すっかり冷えてしまった朝食が置かれてある。以前、料理を作るのは好きじゃないと言っていたのに毎日()かさず用意しているアリステアは、やはり優しい人なのだと親愛を向けつつ、朝食の乗ったトレイへ手を掛けようとした。

 そんな時だ、とある物が目に入る。

 ベッドの横に立ててあった一本の刀。

 アリステアと同様、常に彼と共にあり強敵と斬り結んだもう一人の相棒。アーシアの手が自然に刀へと伸びた。

 渚が何を考えて戦っていたのかを知りたかった。少しでも渚に近づきたい。それはアーシアが初めて抱いた欲望。この刀を取れば分かる……などと幻想めいた考えが脳裏に(よぎ)った。

 鞘に両手を添えてしっかりと握る。

 世界で(もっと)も美しいと言われる剣はアーシアが思っていたよりもずっと重い。きっと自分では満足に振れないだろうとも思う。恐る恐る刀の柄に指を絡めると少しだけ引き抜く。

 チャキっと短い金属音が鳴り、鞘口と刀の鍔に狭間に白刃が銀色の輝きを放つ。

 その瞬間だった。

 知らないの誰かとアーシアの精神が繋がり、大量の何かが流れ込んで来た。

 

「え? あ……うッ!!」

 

 それは指を通って、肩を通過し、心臓にも達すると脳髄までも侵食する情報と言うの名の濁流。神経に電撃で流されたような痛烈な感覚に全身が大きく跳ねた。

 何かが、誰かが、自分と言う存在を塗り潰そうとやって来る。とても抗えるものじゃないと悟ったアーシアは耐えきれずに刀だけではなく自らの意識も手放すとそのまま床に倒れ込むのだった……。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 イオフィエルが繁華街に到着するなり、人差し指をあごに添えつつお土産を探す。こうしていればただの可愛らしい中学生である。

 

「むぅ~、これが無難かな」

 

 イオフィエルのお土産はケーキが選ばれた。

 支払いの際、ガマ口財布を出してキチンと日本円で購入する天使の姿に違和感を感じつつ、結局は夕方まで付き合わされることになったゼノヴィア。

 やがて二人は夕暮れの住宅街へ向かう。

 ゼノヴィアが自分より小さな背中を眺めながら歩いているとイオフィエルが急に振り向いた。

 

「暇だね。少し会話でもしようじゃないか、デュランダル」

「はぁ……会話ですか?」

 

 脈絡のない申し出に気の抜けた言葉で返してしまった。無礼だったかもしれないとゼノヴィアは少し焦る。しかしイオフィエルは気にしていないようで、そのまま口を動かし続けた。

 

「そう難しい顔をしないでくれたまえ。ただわたしの質問に答えるだけでも良いさ」

「わかりました。それで質問とは?」

「あなたは、これからも神の代行者として戦うのかい?」

 

 まさか、そんな質問が飛んでくるとは思わなかった。幼女期より教会に引き取られたゼノヴィアにとって信仰とは絶対だ。天上に神が存在する限りは剣を捨てる日は来ないだろう。

 

「この身が朽ち果て、(しゅ)の下へ召されるまでは戦い続けます」

「そうか。主の下へ召されるまでは、か」

 

 即答したゼノヴィアに何処か哀れみの視線を向けるイオフィエルだったが、それも一瞬でいつもの試すような笑みを浮かべた。

 

「少し話題を変えるとしよう。ずばりだ、アリステア・メアをどう思う?」

 

 まるで突拍子のないイオフィエル。あまり関わりのない人間を評価するのは難しい。

 あの白雪めいた少女を一言でいうなら「美しい」だ。高い鼻梁に雪のように儚げで長い睫毛に縁取られたアイスブルーの瞳。絹のように白く滑らかな長い髪、モデルのような肉体。どれをとっても人型としての完成体で正に女と男の理想を体現したような女性だ。

 だがイオフィエルが聞いているのはこういった外見ではないのだろう。求めている答えは内面にこそある。ゼノヴィアはゆっくりと言葉を選ぶ。

 

「凄まじい使い手です。──命を賭さないと勝てないでしょう」

「ふーん」

 

 それで? という表情でゼノヴィアに続きを促すイオフィエル。

 

「初めて見たときはコカビエルとの戦いが終わって()ぐです。まるで当たり前のように瓦礫の山と化した駒王学園を修復した。あんな芸当を出来る術者はそうはいない。私の戦士としての感覚が彼女に対して強く警戒をしています」

「その感覚は正しいな。ふふふ、デュランダルがあなたを選ぶわけだ。まぁアレも色々バグっているからね。右手の傷のせいで全盛期は程遠いのだろうが。……さて着いたな、詰まらない話に付き合わせたね」

 

 どうやら目的地に着いたようだ。

 いかにも高そうな高級マンションである。イオフィエルはあごに人差し指を添えた。恐らく考え事をする時の癖なのだろう。

 

「ふ~~む」

 

 可愛らしく唸りながら一階の端から一つ一つの部屋を目で追う。

 そして、とある一室で視線を止めると嬉しそうに笑みを作る。

 

「見つけた……! さ、行くとしよう!」

 

 言うや否や迷いのない足取りでマンションへ入るとエレベーターを使って上がる。ゼノヴィアは黙ってイオフィエルを追っていくと、やがて目的であろう部屋の前にたどり着く。

 イオフィエルがチャイムを鳴らす。

 数秒後、扉が開くとゼノヴィアを我が目を疑う。

 

「あ、アーシア・アルジェント?」

「確か、えと、ゼノヴィアさん……でしたか?」

 

 部屋から現れたのは元シスターで今は悪魔のアーシアだった。

 意外な人物の登場にゼノヴィアはしばらくアーシアと見つめ合うのだった。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

「あ、アーシア・アルジェント?」

「確か、えと、ゼノヴィアさん……でしたか?」

 

 教会の戦士であるゼノヴィアが目を見開いていた、アーシアも同様だ。

 イオフィエルは複雑な関係にある二人を見て内心で楽しんでいた。

 片や教会の戦士でデュランダル使いの聖職者、片や聖女であり今は悪魔の元シスター。

 本来ならすぐに殺し殺されの殺伐とした再会になるはずなのだが、この両名に限ってそうではなかった。

 ゼノヴィアはアーシアに友人(イリナ)を救って貰った借りがあり、アーシアはそもそも戦いなどとは無縁の性格だ。こんな二人は仲良くとはいかないまでも殺し合う間柄でもない微妙な関係だった。

 立場の違いはあれ、ゼノヴィアとアーシアは共通して神を(しゅ)(あが)めている。今の立ち位置で無ければ気の合う友人になれる可能性もあったかもしれない。

 ともせず中々に面白い組み合わせであるとイオフィエルは思う。

 

「ここは君の部屋なのか?」

 

 ゼノヴィアが困惑ぎみな顔で訪ねるがアーシアは少し考えて首を左右に動かした。

 

「いいえ、ここはナギ……蒼井 渚さんの家で私はお見舞いに来ているだけです」

「彼の? そうだったのか」

 

 ゼノヴィアが窺うような視線をイオフィエルに向けた。渚を訪ねて来たのが、余程に不可解なのだろう。

 

「ま、そういう事さ」

 

 イオフィエルがゼノヴィアの困惑を受けながらアーシアを見た。互いに初対面だがアーシアは天界でもそれなりの有名人だった。癒しの聖女とまで言われ、遠くない未来に天界から(なん)らかの声が掛かるだろう人物がアーシア・アルジェントという存在だ。もっともその前に追放されたのだが……。

 イオフィエルは少し前に目を通したアーシアの資料データを脳内から引き出す。

 確か、自己主張が少なく流されやすい……だが(とうと)いまでに献身的な性格と書かれていた。それでいて有用な"神 器(セイクリッド・ギア)"を所持していたのだから周りから良いように扱われていたのだろう。

 確かに資料だけを見れば危険性のない人畜無害な少女だ。

 しかし目の前にいる少女からは一切の隙がなく、瞳は穏やかながら力があった。さながら鞘に納められた一本の剣を思わせる佇まいである。利用しよう物なら一刀両断されそうだ。まるで歴戦の猛者(もさ)みたいな聖女である。

 

「ふむ」

 

 資料とは違うアーシアの印象に若干の興味を抱くイオフィエル。

 

「ゼノヴィアさんは、どうしてこちらに?」

「私は……付き添いだ」

「この方が用がある」

「そちら方ですか?」

「あなたがアーシア・アルジェントか。かつての教会の聖女がいるとは予想外だね。ふむ、こうして見るに中々信仰深い人間のようだ」

 

 イオフィエルが冗談混じりに言いながらアーシアを見上げる。小さな体には似合わない尊大な口調にも驚いた様子も見せずにまじまじと見つめられる。

 

「貴女は……アンブローズさん?」

 

 はて、初めて聞く名だ。それは誰の事を指しているのだろうか。彼女の交友関係は把握していないので返答に困る。予想外の返しに沈黙しているとアーシアが小さく首を振った。

 

「いえ。申し訳ありません、人違いでした。私はアーシア・アルジェントと申します、以後お見知りおきを」

 

 落ち着き払った会釈で詫びるアーシア。自分のような人物が二人もいるとは思えないが世界は広いのだから否定もできないだろ。イオフィエルは改めて自己紹介をすることにした。

 

「おっと申し訳ない、自己紹介が遅れてしまったね。わたしの事はイオと呼んでほしい。このデュラダル……じゃなくてゼノヴィアの上司に当たる者と認識してもらって構わない」

 

 とりあえずイオフィエルとは名乗らない。こんな姿でも智天使(ケルビム)の長だ。元とはいえ教会関係者であるアーシアならば名前ぐらいは知っていてもおかしくないからだ。

 

「教会の偉い人という認識でよろしいのですか?」

「まぁそうとも言えるだろう。けれど身構えなくてもいい、今日は蒼井 渚さんに会いに来ただけだ」

 

 イオフィエルの言葉にアーシアは瞳が少しばかり細くなる。やはりというか警戒されている。

 

「わざわざご足労頂いて恐縮なのですが渚さんは今、人と話せる状態ではなくて……」

「構わない。ただ本人に直接会っておきたい。……ダメかな?」

 

 アーシアが考え込む。見ず知らずの者を眠る渚に会わせるのかを迷っている様子だ。

 当たり前の判断だがイオフィエルは諦めずに攻める。

 

「彼には一切危害を加えないと我らが()()()()。私もゼノヴィアも、だ」

 

 それは天界および教会の関係者にとって誓約にも等しい言葉。聖職者や天使が決して犯してはならない禁忌の一つに軽々しく神に誓うというものがある。覆すことがあれば(しゅ)に背いた大罪人の烙印を押される程に重い誓いだ。元シスターであるアーシアだからこそ言葉の重みが理解できるはずだ。加えて彼女がわざわざ訪ねてきた者を突っぱねる人柄ではない事も承知している。イオフィエルは打算的にアーシアの根強い信仰心を利用する。

 

「そこまで言っていただけるのならどうぞ」

 

 やはり上手く行った。

 しかし、ここでがっつかずに謙虚な所を見せようとイオフィエルはニヤつきそうな頬に力を入れて口を横に結ぶ。

 

「いいのかな? 君はこの家の主ではないのだろ?」

「もう一人の家主さんであるアリステアさんも私の判断で通したと言えば許してくれると思いますから」

「へぇ、あの傲岸不遜な女がねぇ。あなたは相当に信頼されているのだね。あの手の者は、てっきり誰も彼も下に見ているだけと思っていたよ」

 

 イオフィエルの言葉にアーシアはどこか遠い目をした。

 

「アリステアさんは一人で何でもしようとする悪癖がありますが優しい人ですよ」

「面白い見解だ。……っと長話しが過ぎたね、お邪魔するとしよう」

 

 イオフィエルが靴を脱いで部屋に入るがゼノヴィアが立ったままだ。

 

「何をしている、ゼノヴィア。あなたはわたしの護衛なのだから付いてくるといい」

「分かりました」

 

 ゼノヴィアが言われたままに室内へ入った。何故かアーシアを見つめながら顔に疑問符をつけたままだ。

 どうしてあんなに訝しげな表情をするのだろうかとイオフィエルは思いつつもトントンとアーシアの背を人差し指で叩く。彼女がイオフィエルに振り向いたと同時に洒落(しゃれ)た紙袋を差し出す。

 

「土産の品だ。多めに買っておいたから後で食べるといい。ちなみにアリステア・メアの分は残さなくてもいいぞ♪」

 

 イオフィエルの言葉からアリステアがあまり好きでないと理解したアーシアは困ったような笑みを浮かべつつも土産を丁寧に受け取った。

 

「ありがとうございます。ですが私も頂いてよろしいんですか?」

「気にすることはないさ。ここが蒼井 渚の部屋かい?」

「そうです」

 

 アーシアが冷蔵庫に土産を置きに行くのを確認してからイオフィエルは渚の部屋のドアノブに触れた。

 早速、入ろうとした時だった。

 視界の横から白い指が現れてイオフィエルの手に乗せられた。

 

「……っ!」

 

 音も気配もなく伸びてきた腕に流石に驚く。

 

「寝ているのでお静かに入室してくださいね」

「……あぁそうしよう」

 

 イオフィエルは今しがた自分を襲った驚きを黙殺した。

 彼女が黙殺したのは不意を打たれた事である、イオフィエルはアーシアが冷蔵庫からこの扉に前に来る瞬間を完全に見逃したのだ。

 

「(偶然か? ……いや)」

 

 動く気配どころか息づかいさえも殺した移動術、こんなものを使えるのは生粋の暗殺者か武を極めた者だけだ。しかも人間を遥かに凌ぐ五感を持つ天使にも感づかれない程となればそのまま脅威に繋がる。

 アーシア・アルジェントに危険性は一切ないというデータは最早アテに出来なくなった。

 

「どうぞ」

 

 アーシアが扉を開けるとサッと渚への道を開けてくれる。誘われるがままイオフィエルは渚に近づき寝顔を覗き込む。

 

「──やぁ親愛なる君。見たところ全盛期には程遠いな。これでは彼女たちに呆気なくやられてしまうね。でも安心してくれ、あの分からず屋どもからはわたしが守ってあげようじゃないか。勿論、報酬は頂くがね」

 

 イオフィエルが何を言っているか、アーシアもゼノヴィアは意味がわからないはずだ。ただ黙っているしかないだろう。実際ゼノヴィアはキョトンとしている。

 

「全盛期には程遠いですか?」

 

 イオフィエルが立ち上がってアーシアへ体を向ける。

 

「盗み聞きとは趣味が悪いね、聖女アーシア?」

「すいません、そんなつもりは」

「いいよ、怒る理由もないからね。……って、おいおい、もう帰って来たのかい」

 

 イオフィエルは玄関先に目を向けるなり肩を竦めた。

 そして、それは突然とやって来た。

 身が凍えるような殺気が全身を襲ったのだ。

 それは、この近くにとんでもない存在が現れた事を意味している。

 

「どうもこうもタイミングが悪いね。──やぁ、さっきぶりだね」

 

 辟易した表情でイオフィエルは部屋の入り口を見つめた。

 そこには無表情なアリステアが氷のような瞳で立っていたのだった。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 死を告げる警鐘が頭の中で鳴り響く。

 ゼノヴィアは絶死の包容とも言える苦行を味わっていた。

 

「あ……あぁ……」

 

 それは突然に現れた酷寒(ごっかん)の気配。

 我が身が凍り付いてしまったのではないかと思うほどの圧に体が動かない。すぐ背後から発せられる冷厳の意思はゼノヴィアという少女の指先ひとつまで支配していた。危機感なんて言葉でも生温(なまぬる)い、それは確実な死の予感であり、抗えない恐怖そのモノだ。

 いったい何が起こったのか。困惑する中でイオフィエルは芝居()かったように手を広げた。

 

「意外かな? わたしはさっき"近い内に"と言ったよ、アリステア・メア」

「数時間で再開とは思いませんでしたよ。しかし場所が悪いですね、イオフィエル」

 

 アリステアの丁寧な口調の裏には果てしない殺気が込められている。一言一言が刃のように突き刺さっては精神を殺していく。理由は分からないが今、アリステアは非常に怒っているのだろう。

 ゼノヴィアは初めて理解する。過ぎた恐怖は心を殺すのだと……。

 背後の白い死神が動くのを感じる。一歩、また一歩と後ろから迫る圧倒的な存在感に息が詰まり、首を絞めらているような息苦しさでヒューという妙な呼吸音が漏れる。ゼノヴィアは|震えを抑え込み身体を無理やり動かすが、ぎこち無さもあり壊れた人形のようだ

 殺意の源であるアリステア・メアを初めて視界に入れる。

 そこで後悔した。

 

 「(……なんということだろう)」

 

 そんな言葉を内心に宿したゼノヴィアは自分の勘違いを恥じた。

 

 ──命を()さないと勝てない。

 

 ここに来る前にイオフィエルへ放った発言が如何(いか)にうぬぼれだったのかをアリステア・メアの姿と殺意を前にして初めて気づいてしまった。

 最強の聖 剣(デュランダル)を使えば勝てる?

 否、断じて否だ!! 

 こんな存在に勝てる訳がない。今、アリステア・メアが発している威圧感はコカビエルや白龍皇すら超えているのだ。

 勝ち負けではない。強い弱いでもない。

 単純に恐ろしいのだ。怖くて(たま)らない、少しでも彼女の反感を買えば即死する未来が見える。

 最早、ゼノヴィアの瞳はアリステアを可憐な少女とは映さない。"白い闇"もしくは人の形をした全く別の"ナニか"であった。

 そんな意味不明な存在に対して一切の恐怖を抱いていない者もいる。

 イオフィエルだ。彼女はあろうことか愉悦(ゆえつ)を含めた笑みすら浮かべていた。とても正気とは思えない。

 

「おやおや、そんなに怒る事もないだろうに。見たまえよ、君の友人も怯えている」

 

 アーシアはただ動かずにアリステアを見据えていた。当然だ、これだけの殺意を()き散らされたら発狂してもおかしくないのだ。指先ひとつ動かすのに相応の覚悟がいる。あの白雪の怪物は人間の理性を消し飛ばすような邪神の所業(しょぎょう)をやっているのだ。

 

「ご忠告痛み入ります。危うく過ちを犯すところでした」

 

 全身を縛り付けていた恐怖が(やわ)らぐ。アーシアを気遣ったのだろう。

 しかし冷たい汗は流れ続けた。

 殺意は消えたわけではないのだ。アリステアは奥の奥に納めただけで未だに殺す気なのは変わりはない。深淵よりも深い絶望がイオフィエルヘ歩を進める

 ゼノヴィアは己の矜持(ぎんじ)に懸けてアリステアを前に身構えた。

 

「止まれ。私たちは戦うために、ここへ来たのでは……」

「──邪魔です」

 

 瞬間、ゼノヴィアの身体は粉々に砕かれた。

 床に散らばる自分だったパーツを呆然と見ながら首が有らぬ方向へ転がっていく。

 死んだ、確実に今自分は死んだのだ。

 

「気をしっかり持て、ゼノヴィア……! あなたはまだ生きている」

 

 イオフィエルの冷静な叱咤によって意識が覚醒する。

 死んだと思ったはずのゼノヴィアは生きていた。血の跡も無ければ身体の四肢も繋がっていて何処にも異常はない。

 

「さ、殺気だけで殺されたのか……?」

 

 全身に走った戦慄はゼノヴィアの気力を根こそぎ刈り取る。糸の切れた人形のように膝から崩れ落ち、息は荒く、心臓が破裂しそうなほどに波打っている。

 

「酷い事をするね。危うく私の護衛は精神が殺されていたよ?」

「彼女の命に興味がありませんね。さて用件を聞きましょうか?」

「そう恐い顔をしないで欲しいのだが? わたしが蒼井 渚に近づいたのが余程に嫌なのかい?」

「"エル・グラマトン"の関係者を今のナギに近づけるのは本意ではありません」

「やれやれ。あなたからは相当に嫌われているな、あの人……。けれどもね、わたしの行動にいちいち苛立たないでくれないか?」

 

 一色触発。

 緊張感漂う空気の中だった。少しでも切っ掛けあればアリステアは動くだろう。ゼノヴィアは何もできずに沈黙するしかなかった。

 

「……ステアさん」

「何か?」

 

 ギロリっと厳寒の蒼い瞳がアーシアを捉えた。

 

「ナギさんが寝ています」

「知っています」

 

 殺意に当てられても揺るがないアーシアはアリステアの重圧には決して(おく)していない。強い意思の碧い瞳(アーシア)と殺意に染まる蒼い瞳(アリステア)の視線が(まじ)わる。あんな途方もない殺意を放つ相手に真っ直ぐな顔を向けられるアーシアにゼノヴィアは畏敬の念を抱く。

 

「ナギさんが寝ているんです。こんな場面で目を覚ましたら驚いてしまいますよ?」

 

 残酷なまでに極寒な瞳のアリステアを(いさ)めるアーシア。 

 今の状況でアリステアに意見するなど自殺行為だ。鋼の精神なんてものじゃない。アーシア・アルジェントに恐いものはないのだろうか。

 

「嫌われちゃいますよ?」

「アーシア?」

「なんですか、ステアさん」

「何かありましたか?」

「いいえ、なにも。あるとしたらステアさんが怒ってます」

「……分かりました」

 

 フッと重圧が消失し、意外にもあっさり折れるアリステア。それを見てアーシアも安堵の表情を浮かべる。

 

「良かったです」

「確かに大人げなかったですね。アーシア、感謝します。私としたことが寝不足が祟って短気を起こしてしまいました」

「いいえ、ステアさんはナギさんのために怒っているのですよね? それを責めるなんて出来ないですから……」

 

 そんな二人に小さな影がわざとらしく声を掛けてきた。 

 

「ふむ、寝不足なのかい? わたしはこう見えて子守唄が得意でね、一曲いかがだろうか?」

 

 筋違いの提案にアリステアの瞳が再び冷たくなる。

 ゼノヴィアの心臓も凍りつきそうになった。

 もうこの智天使には黙っていて欲しい。口を開く度にアリステアを苛立たせるというのを理解できないだろうか? お願いだから目の前にいる怪物の機嫌損ねるのだけは心の底からやめてほしいと叫びたかった。

 

「冗談だよ、さてアーシア・アルジェント」

「なんでしょう?」

「折り入って頼みたいことがあるのだが?」

「頼みごとですか?」

「簡単さ、リアス・グレモリーの連絡先は知っているね? 彼女にここへ来てもらいたいんだ、さっきは出来なかった話があるんだ」

 

 イオフィエルは悪魔のような天使の笑顔が見え隠れしてるのを自覚する。バレないために自然な仕草で口を手で覆う。

 

「私がリアスさんにですか……?」

 

 何故か気乗りしないと言いたげなアーシア。眷属の仲は良好なはずなのにどうしたと言うのだろうか?

 

「おや、何か不都合があるのかな?」

「色々ありますが、一番はコレになります……」

 

 アーシアが気まずそうに取り出したのはスマートフォンだった。リアスから支給されただろう最新の携帯端末を前に出す。

 

「コレが携帯電話の(たぐ)いなのは知っているのですが、衝撃的な事にボタンがありません。どうやって電話をするのですか?」

「……使い方を分からないまま、持っているのですか?」

「せ、説明書があれば使えますよっ」

 

 この科学が闊歩する時代で、スマートフォンが扱えないお婆ちゃん女子校生の存在に全員が絶句するのだった……。

 





ゼノヴィアの心労がMAXになったお話。


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水と油《Danger Zone》


渚の前に現れたイオフィエル。
その会合を目にしたアリステアは平静さを()く。
そして不適なイオフィエルは再びリアスとの会談を望むのだった。



 

 一誠はリアスの召集により渚の家へ招かれていた。

 時間は午後8時過ぎ。

 夕飯を食べ終わり、ゆっくりするはずの時間帯だった。

 グレモリー関係者で集まったのはリアスを初めとした一誠、小猫、そしてアーシアの四人であり、何故か朱乃と祐斗がいない。こんな場には必ずいるだろう眷属が欠席しているのは疑問だ。

 加えて渚の家のリビングにはグレモリー眷属以外の客がいた。

 アリステアが居ることに違和感はない。彼女は渚の相棒、この部屋が集まりに使われると聞いた時点でいるだろう事は予想していた。

 問題は、その他二人の人物だ。

 

「(ゼノヴィアがいる……)」

 

 コカビエルとの戦いでも共闘した悪魔払い(エクソシスト)が当然のようにいた。そんな彼女を従者のように付き従わせているのは中学生くらいに見える美少女だ。何故か彼女を見ていると悪魔の本能が警鐘を鳴らして身震いが止まらない。

 外見では判断できないが彼女がテーブル席に座り、ゼノヴィアが立っている所から上司か何かなのかな、と一誠は推測する。

 

「(……ていうか、なんか雰囲気が重っ!)」

 

 内心で部屋の異様さに萎縮する一誠。

 リビングにあるテーブルを囲むのは我が主であるリアス・グレモリーと渚の相棒であるアリステア・メア。そしてゼノヴィアの上司(?)らしき美少女だ。ともあれ妙に雰囲気が重いのはアリステアが不機嫌だからだろう。

 彼女らしくないなと思う。

 一誠の知るアリステアは常にクールで余裕のある大人びた女性だった。しかし今の彼女は苛立っているのが目に見えて分かる。

 アリステアをこっそりと観察しているなかで、ふと例の美少女と目が合う。年下とは思えない優雅な仕草で手を振ってくる。

 

「イオフィエルだ、よろしく赤龍帝くん」

 

 その天使のような可憐さもあり、ドキドキしてしまった。だらしない笑顔をリアスにバッチリ目撃されてしまう。

 

「イッセー?」

「はい、ごめんなさい、もうしません」

 

 リアスから面白くなさそうに睨まれて即謝罪する。いつも可愛がられている自覚があるので反論はしない。そんな一誠とリアスを見てイオフィエルがクスクスと悪戯めいた表情で笑う。

 間違いなく彼女はサディストだ。可憐さと妖艶をあわせ持つ変わった少女だと一誠は思う。

 

「失礼します。イオさんからのお土産です」

 

 アーシアがリアス、アリステア、イオフィエルの順にケーキを置くと立っていたゼノヴィアにも渡そうとする。

 

「座ってはどうですか?」

「いや」

 

 アーシアの言葉に短く返事を返すゼノヴィア。

 

「美味しいですよ」

「今は仕事中なんだ」

「こらこら、人の善意は無下にしてはならないよ」

「……イオフィエルさま。わかりました、頂くよアーシア・アルジェント」

「ではテレビの前のソファーでどうぞ」

 

 ゼノヴィアをソファーに案内したアーシアは一誠や小猫にもケーキを配っていく。

 ケーキに瞳を輝かせる小猫。小柄に見えて食べ物に目がないのだ。

 クスッとアーシアが笑うと小猫の頭を撫でる。

 

「ゼノヴィアさんと一緒にね」

「……はい、いただきます」

 

 そう言って小猫もソファーへ座らせた。

 

「一誠さんも食べてくださいな」

「お、おう。さんきゅ、アーシア」

 

 流れる動作でソファーへ座らされる。

 そんなアーシアに一誠は少し違和感を感じた。動きに無駄がないというか隙がない。いつもならもう少し足元が覚束ないはずだが、まるでプロのメイドのように配膳を行う。

 アーシアの動きを観察しているとイオフィエルが口を開く。

 

「まずグレモリーの姫。わざわざのご足労に感謝するよ」

「全くね。しかもイッセーと小猫()()を連れてこいなんて、どういうつもり?」

「説明したいが、デリケートな話題なのでアリステア・メアがなんと言うか……彼女は秘密主義のようだからね」

 

 挑発もしくは試すような口ぶりの少女にアリステアは冷たく睨む事で返事をした。とてもイオフィエルのやろうとしている行為に賛同してるようには思えない程に冷厳としている。

 しかしイオフィエルは不適に笑った。

 

「結構。では初見の者も居るようだし改めて自己紹介しておこう。わたしの名はイオフィエル。一応、智天使(ケルビム)の階級で長をやっている者だ。何か質問があれば聞こうかな?」

 

 一誠は呆けたように口を開けた。悪寒の理由は彼女が天使だからだ。

 事前情報がなかっただけにビックリだ。悪魔の敵である天使がやってきたのだから当然だろう。

 リアスが軽く手を挙げる。

 

「じゃあまず、なぜワザワザ時間を置いて話し合いの場所も設けたか聞こうかしら。さっき駒王学園で会った時でも良かったのではなくて?」

「あの時はラグエルがいたからね。彼にはあまり聞かせたくない内容なんだよ」

「天界には知られたくない情報という事?」

「それだけではないが間違ってはいない。話を長引かせるもの面倒だし本題に入ろう。わたしがここに来た本当の理由を話す」

 

 テーブルで腕を組むイオフィエル。見た目は中学生なのに、常に余裕めいた笑みを浮かべる彼女はどこかの秘密結社のボスみたいである。

 

「それは今後、君たちの前に現れる危機……つまり敵の情報だよ」

「敵? 天使や堕天使の事を言っているのかしら」

「もっと厄介な連中さ。リアス・グレモリー、あなたはこの話を聞いた後に決断してもらう」

「私に何を決断させると言うの?」

「蒼井 渚、そして兵藤 一誠と塔城 小猫を切り捨てるか否かという決断だ」

 

 ざわりと周囲が騒ぎ出した。

 一誠とて驚いた。急に自分が話題に挙がったのもそうだが、一番は眷属を心から大事に思うリアスへそんな提案をしたことに対してだ。この少女はリアスに喧嘩を売っているのだろうか。相当な理由がないと眷属や渚を切り捨てるなどしないだろう。当然、リアスは瞳に静かな怒気を含ませた。

 

「私がそんな簡単に身内を捨てると思うのかしら?」

「あなた達、グレモリーの悪魔が情に厚いというのは知っているさ。だからこうして話し合いをしている。他の悪魔連中ならしないさ」

「お褒めに預かり光栄よ。それを知っていての提案というのね、理由を聞かせて貰える?」

「もちろんさ、その敵が間違いなくこの三人を狙うからだよ。──ネクロ・アザード、聞き覚えがあるはずだ」

「ッ!?」

 

 リアスと小猫が目に見えて反応を示した。

 

「ね、ネクロ……アザード……」

 

 小猫が全身を抱くとガタガタと小さく震え始めた。

 明らかに怯えている。

 圧倒的な腕力で多くの敵を沈めた小猫の見たことのない一面に一誠は困惑した。

 

「あの部長、そのネクロって誰なんですか?」

「ネクロ・アザード、貴方が眷属になる前に現れた男よ。私の知る限り最悪の敵だわ」

 

 不快さを含めたリアスの声音。嫌悪感と緊張を顔に張り付けている事から相当に最悪な敵だったのだろう。

 

「どうしてあの男の名が出てくるのかしら?」

「またアレがやってくるからだよ」

「……あの男は半年以上も前に渚が倒したわ」

「いいや、生きているよ」

 

 イオフィエルが懐から何枚かの写真を取り出すとテーブルに投げ捨てる。

 

「うわ、気味悪ぃヤツ」

 

 散らばった写真を見た一誠が顔を引き釣らせた。

 その写真の一枚には趣味の悪い邪教と見紛うような服の男が写っている。一目見ただけで異常だと分かる。血走った瞳に異様に細い腕、しかもキッチリカメラ目線で嗤っているのが気持ち悪さに拍車を掛けている。

 

「嘘でしょ……」

 

 リアスが眉を潜めた。余程、信じたくないようだ。

 

「事実さ。これは偶然だがごく最近に得られた写真でね、アイツらこんな大ポカをやらかすのは非常に珍しい。場所は何処だと思う?」

「この風景は、まさか!」

「日本だよ」

「──ひっ」

 

 小猫の小さな悲鳴が木霊する。

 リアスがネクロの写真を魔力で燃やした。少しでも早く小猫の目から遠ざけたかったのだろう。

 そんな事を無視してイオフィエルは続ける。

 

「次にこれだ」

 

 燃やされなかった写真の上に指を置く、イオフィエル。

 今度は見覚えのない少女が写っていた。イオフィエルと同じくらいの歳に見える。ずいぶんとフランクな格好でダボダボな服に棒つきの飴玉をくわえている無害そうな美少女だ。

 

「初めて見る顔ね、何者なの?」

「あなた達にはこういった方がいいな、堕天使カラワーナの中身だ」

「カラワーナだって!?」

 

 一誠が思わず叫ぶ。その名前は聞き覚えがあった、レイナーレと行動を共にしていた堕天使だ。あの美女の正体がこんな小さな美少女とは世の中分からないものだ。

 

「彼女は他者へと姿を変える。性格、能力、全てをコピーできる厄介なやつさ。一度化けられたら簡単には見つからない」

「この二人は繋がっているの?」

「ふたりは"アルマゲスト"という組織に属していてね、どいつもこいつも一線を画すバケモノ連中の集まりさ。アリステア・メア、あなたの腕に呪いを残した女もいるぞ」

「セクィエス・フォン・シュープリスですか」

「彼女は組織の中でも一際優秀でね、随分強かっただろ? 既に多くの神を殺している戦闘レベルはぶっちぎりのデンジャーゾーンだよ」

「冗談……という訳ではないようね」

「残念ながら事実さ。だろ、アリステア?」

「ええ、あれほどの実力者なら神を殺せても不思議ではありません」

 

 神というワードにリアスが青ざめた。確かにスゴそうではあるが、実際どれくらいスゴいのかを理解できない一誠は驚くことも出来ない。

 

「神は魔王すらも超えた存在だ。あの聖剣を取り込んだコカビエルより強い者もいる。それを単体で倒すなんて普通じゃないぞ」

 

 そばにいるゼノヴィアがコッソリと教えてくれる。あのコカビエルよりも強い奴なんて悪夢でしかない。世界の広さを思い知った気分だ。

 一誠は再びリアスたちの会話へ耳を傾けた。

 

「そのセクィエスという人物、神を殺していると言ったわね? そんな連中なら有名のはずよ」

隠蔽(いんぺい)してるんだよ。各神話体系は信仰という名のエネルギー資源を独占したいと考えている。端的に言えば敵同士だ。ゆえに最大戦力の一つである神が殺されたなんてバレれば他所の神話に弱味を見せる事になる。特に三大勢力になんて絶対知られたくないだろうさ」

「え? そんなに仲悪いの?」

「おや、赤龍帝くんは神話体系の関係性に疎いと見える」

 

 上目使いで蠱惑的(こわくてき)に一誠を見上げるイオフィエル。自分より明らかに年下なのに一つ一つの動作が一々エロいのは彼女が悠久を生きる大天使だからだろう。一誠は改めて背筋を正す。

 

「あ、すいません。急に入ってきて」

「いやいや、あなたも無関係じゃない。疑問に思ったことは口にしてくれても構わないよ。……悪魔、天使、堕天使が属するのが三大勢力と言ってね。他には北欧神話やギリシャ神話などもある。名前くらいは聞いたことはあるだろう?」

「名前くらいは……オーディンとかゼウスとか」

 

 ゲームやマンガをやる一誠にとってはよく知る名だ。大抵はボスだったり、重要な位置にいるのでおぼえている。それが実在するなど夢にも思わなかったが……。

 

「ご明察。彼らは最大の神話体型である三大勢力をよく思っていない。人の信仰というのは神やそれに連なる存在に力を与えるから、より多くから信仰を得ている三大勢力は邪魔以外の何者でもないからね」

「初めて知りました」

「知らないのも無理はないさ、あなたは悪魔になって日が浅いと聞いている。まぁここで重要なのは危険人物が駒王に攻め込むという点だよ」

 

 最も発言力のない一誠にも丁寧答えてくれるイオフィエル。悪魔に対して嫌悪感の全く見せない小さな天使に好感を抱く。だからだろうか、続けて質問を投げ掛けてしまった。

 

「あの、どうしてここにそんな危険人物が攻めてくるんですか?」

「敵の狙いは渚くんが宿している"蒼"、もしくソレに準ずるモノだ」

 

 その質問を待っていたと言わんばかりにイオフィエルの表情が笑みを深くした。対してアリステアがピクリと眉を動かす。アリステアは"蒼"を知っている感じがする。

 

「"蒼"って(なん)なんですか?」

「何、か。ん~一言では説明し難いな。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()といえば分かるかな。因みに赤龍帝くんと白猫ちゃんは、より濃く"蒼"と結びついているよ」

「俺と小猫ちゃんにも……!?」

「ちょっと待ちなさいっ。小猫は分かる、渚に助けてもらって変化があったから気づいていたわ。でも一誠もなの?」

 

 リアスが困惑を疑問に乗せる。小猫のことは、ある程度事情を察したらしいが一誠については把握していないようだ。

 

「正確には彼に宿るウェルシュ・ドラゴンの方にだね」

「ドライグに?」

「待ちなさい、智天使。どこまで話すつもりですか?」

「大概だよ、アリステア・メア。寧ろ何故今まで話さなかったのかが不思議だよ」

「知ってどうなるのですか? 彼らでは何も得られません」

「知識は時として力になるものだ、無知ほど危険なものはないというのが私の持論なのだよ」

 

 こめかみをトントンと指先でつつきながらアリステアを批判するイオフィエル。

 

「貴女の持論など興味はない」

「ならば黙ってくれないか? いい加減、邪魔に思えてきているのだがね」

 

 口元は笑っているが目には敵意が表れている。一誠と話している時とは裏腹にアリステアに対する態度からは冷たさを感じる。

 

「ではお引き取りを願います、出口はあちらですよ」

「あなたはアレだね。よく人に"他人をイラつかせる天才"とは言われないか?」

 

 二人の間に不穏な空気が漂う。敵意を隠そうともしないで睨み合うと、重力が10倍以上に跳ね上がったのかと錯覚するほどの重圧がリビングを支配する。

 このまま殺し合いが始まってもおかしくない。それほどまでにアリステアとイオフィエルの目は本気だった。だが悲しいかな、一誠は止めることが出来なかった。小動物が大型の猛獣に萎縮するように体が動かないのだ。それはリアス達も同様だ。

 この最悪かつ険悪な殺意の坩堝(るつぼ)を一掃できそうな奴に心当たりはあるが、ソイツは残念ながら隣の部屋で安眠している。異常事態を察知して起きてこないかと内心で懇願する一誠だったが、意外な人物が二人の間に入った。

 

「お茶のお代わりを入れますね」

 

 よく知った声だが一瞬、聞き間違えてしまった。こんな凛とした口調で言葉を放つ少女ではなかった。

 全ての視線が声の主、アーシアへ注がれた。こんな事をする娘じゃないと知っているだけに驚きは大きい。あの重圧を物ともしないで平然と二人の殺意の応酬に割り込むなどリアスでも出来なかった。

 大人しい彼女とは思えない行動である。

 

「リアス部長から頂いた茶葉を使っています、落ち着きますよ?」

 

 剣呑な二人を(なだ)めるアーシア。

 

「大事な話をしています。下がりなさい」

「そうだね。あなたがここに立つ必要性はないよ、聖女さん」

 

 アリステアとイオフィエルも口調は穏やかだが、外野は黙っていろという意思がある。本来なら怯えながら退くはずのアーシアは姿勢よく立つとアリステアへ視線を向ける。

 

「ステアさん、イオさんも争うのですか?」

「だとしたら?」

「わたしも自衛ぐらいはさせてもらうさ」

 

 微笑(ほほえ)みつつ紅茶を注ぐアーシア。

 

「私にはお二人が何故こうもいがみ合っているのかは解りません。ただ、争うと言うのであれば……」

 

 ざわりと一誠の全身が強ばった。

 なんだろうこれは? 

 アリステアでもイオフィエルでもない。全く別のものが部屋全体を支配している。

 二人の殺気を凌駕する何かをアーシアが放っていた。

 

「へぇ、これは驚いたな」

「……まさか貴女は」

 

 そんな彼女をイオフィエルは興味深げに観察し、アリステアは訝しげに見つめる。

 誰もがアーシアの次の言葉を待っている

 

「──ケーキを没収します!」

 

 ズルっと一誠はコケた。まさか、こんな雰囲気でケーキなんて予想外すぎる。なんか凄いことが起きると思っていただけに肩透かし感が酷い。

 

「ふふふ、それは困るな。甘党のわたしとしては没収されるのは避けたいね」

「なら平和にいきましょう、アリステアさんも!」

 

 ぐっと可愛らしく拳を握るアーシア。アリステアも毒気を抜かれたのか、殺意を収める。

 

「……確かにナギが起きた時、家が消滅していたら驚くかもしれません。休息から覚めたばかりの人間に心労を背負わせるのは私とて心苦しい」

 

 何事もなく血を見なくてよかったと安堵する一誠。

 しかし家が消えたら驚くだけじゃすまないだろうとツッコミたかったが黙っておく。

 

「貴女に(めん)じて、この場では戦闘を禁じます」

「ありがとうこざいます!」

 

 ポンッと両手を叩くと安堵の笑顔となるアーシア。

 誰もが彼女に視線を向けていた。まさかアーシアがアリステアとイオフィエルを(いさ)めるなど考えてもいなかったからだ。

 

「アーシア、先も聞きましたがもう一度聞きますよ。──私が留守をしている間に何かありましたか?」

「えと、特にありませんよ?」 

「そうですか……」

 

 そんなアーシアにアリステアが何か言いたげにアーシアを見据えた。その表情は彼女らしくない曖昧(あいまい)でどう言葉にしていいか迷っている様子だ。

 

「話も丸く納まったし、そろそろ良いかな?」

 

 イオフィエルがマイペースにケーキにナイフを入れながら訪ねる。ナイフとフォークを使いこなして丁寧に食べている様は品の良い令嬢のようだ。

 全員が言葉を待つ姿勢になると同時に最後の一口を食べ終わるイオフィエル。

 

「話を中断させてすいません、イオさん」

「構わないさ、しかしアレだね。アリステア・メアを黙らせるとはやるじゃないか」

「黙らせるなんてめっそうもありません。ステアさんは、お優しいですから」

 

 大したこと無さそうなアーシア。顔に似合わず豪気なことだ。

 

「優しいかな?、まぁ話を戻すよ。(くだん)の"アルマゲスト"は渚くんを懐柔するか消そうとする。勿論、"蒼"に連なるアリステアや一誠くんに小猫くんもだ。それでさっきの話になるがリアス・グレモリーは渚と縁を切る気もなければ眷属も手放すつもりはない。……で間違いないだろう?」

「愚問ね。"蒼"というモノの価値は分からないわ。けれどここにいる人たちの価値は知っている……」

 

 言い切るリアス。

 一誠は素直にカッコいいと尊敬の眼差しをリアスへ向けた。

 だが……。

 

「ク……クク。ハハッ! アハハハハハ! 本当に分かっていない。無知蒙昧(むちもうまい)とは正にこの事だね!」

 

 リアスの言葉が心底愚かしいと言いたげに天井を仰いで大笑いするイオフィエル。流石にムカッと来た一誠が文句を言おうと前のめりになる。

 そんな時だ、顔をあげたままのイオフィエルが瞳だけをギョロリと動かして一誠を見下したのは……。

 

「赤龍帝、今はわたしが話している──」

 

 瞬間、全身が動かなくなった。凄まじい悪寒が背筋に走る。

 イオフィエルは一誠の怒りを殺意で容赦なく()いだのだ。今まで見せなかった智天使としての圧力。コカビエルや白龍皇ともまた違うプレッシャーである。あの二人からは格の差は感じたが、こうも恐ろしくはなかった。違いはあれど、やはり彼女も絶対強者の一人なのだ。

 

「(う、動けねぇ!?)」

『相棒、アレとは絶対()るな』

 

 今まで黙っていたドライグが声を描けてくる。心なしか焦りが混じった声だ。

 

「(ド、ドライグか!? ウチのリアスさまが笑われてんだ、引けるかよ!)」

『その気概は褒めるが相手が悪い。ヤツは"アカトリエル ヤ イェホド セバオト"、単身で他の神話に挑める"禁軍"と言われた天界のイレギュラーだ。まだ現白龍皇に挑む方が勝ち目がある』

 

 最強の白龍皇がマシなんてどんな化物だよ。外見からは考えられないが、今受けている圧力を(かんが)みれば理解してしまう。あの少女もまた天涯の怪物なのだと……。

 

「イオフィエル、そこまで言い切るのなら無知な私に"蒼"とやら重要性を説明しなさい」

 

 リアスが一誠を庇うようにイオフィエルへ言葉を重ねた。頬に冷や汗が流れている様からも一誠と同様の戦慄を感じているのがわかる。

 

「重要性ね……。なら分かりやすく説明するよ? "蒼"を使えば新たな"神滅具(ロンギヌス)"を精練出来る」

 

 イオフィエルの言葉に周囲がどよめく。世界バランスを崩し、神々すらも恐れる力が造れるなど信じられる(はず)がない。

 

「……それは本当なの?」

「そこな猫又少女を見なよ。少し前までただの下級悪魔だったはずだ。"蒼"によって再錬成されてどうなった? 能力値の異様な変動を知らないはずがないよね、リアス・グレモリー?」

「確かに小猫の力は増大したわ。魔力でも妖力でもない未知のエネルギーも確認済みよ」

「それは"蒼"から(こぼ)れた膨大な霊氣さ。搭城 小猫の血肉は"蒼"によって構成されている。その真価は()()()()()()()()()()。この特性を持つ存在はあなたも知る所だろ?」

 

 よく知っている。

 一誠は左手を強く握った。

 術者の想いに反応して強くなる……いや進化するソレは"神 器(セイクリッド・ギア)"と呼ぶ。 

 

「いずれは、あなたの兄君であるサーゼクス・ルシファーにも迫る日が彼女にも来る。しかも遠くない未来だ。つまり冥界に於ける第四の"超越者"の誕生だよ。‥‥失礼を承知で言うが、あなたでは荷が重いと自覚した方がいいな」

「ご助言、痛み入るわね。だから敢えて言わせてもらうわ。──余計なお世話よ。神滅具が創れる? 魔王と同格になる? だからなんだと言うの? 私は友も家族も手放さないわよ」

 

 リアスの答えに、恐ろしかったイオフィエルの表情が穏やかモノに変わる。

 

「大した人徳者だ、気に入った」

「もしかして、試したの?」

「まぁね。少し脅しただけだよ。因みにわたしが何かしようとしたらソッチの奴が黙ってないだろうしね」

 

 アリステアに目を向けるイオフィエル。

 

「勝手をする人には出て行って貰うだけですよ」

「おや、優しいね。帰してくれるんだ?」

「何を言ってるのですか。貴女はこの世から出て行くのです」

「物騒な奴‥‥。さて、リアス・グレモリー、急ではあるが私と個人的な同盟を組まないか?」

「同盟? 貴女は私に何を望むの?」

「"アルマゲスト"排除の支援。それと駒王への顔パスかな」

「聞くわ、どうしてこうも"アルマゲスト"という組織を排除したいの?」

「道を踏み外した愚か者に鉄槌を下したいだけさ。悪い話じゃないだろう? 結局、奴等はあなたの前に現れる、わたしはこう見えて使えるぞ? 戦闘、偵察、情報収集、なんでもござれだ。それに今ならこのデュランダルをあなたに贈呈(ぞうてい)しよう」

「イオフィエルさまっ!?」

 

 ゼノヴィアが立ち上がる。

 そりゃそうだ。教会の戦士である彼女を悪魔の手下にしようとしているのだ、文句がないの方が可笑しい。

 しかしイオフィエルは本気のようでゼノヴィアの抗議を無言で圧殺した。

 

「流石にそれは出来ないでしょう? 聖剣デュランダルを悪魔に譲渡するなんて気が触れているとしか思えないわ」

「そうでもないさ。寧ろ悪魔側に置いておいた方が色々と好都合なんだよ」

「冗談でしょ?」

「本気さ。実際、長く続いた三大勢力の冷戦は近い内に終わるからね」

「……何を言ってるの?」

「少し考えれば分かることだ。長い戦争で三大の勢力は共に絶滅が見えている。こんな状況で戦おうとするのは自己顕示欲が強いか、戦いたいだけの大バカだ。だが幸い問題児だったコカビエルはあなた達に討たれ、徹底抗戦の構えを見せていた旧魔王の血筋は現政権に糾弾され権力の座から転落した。よって今の三大勢力のトップ陣は良識的だ。冥界を支配する新しい四人の魔王は悪魔社会の再建に勤しみ、堕天使の総督アザゼルは種の絶滅を避けようと努力している、そして天界の神も戦える状態じゃない。ならば次はどうするか?」

 

 イオフィエルは長々とした言葉の後に質問を投げ掛けた。「簡単だろ?」と言いたげなイオフィエルに対してリアスは中々答えが出ない様子だ。

 

「どうするって……」

「和解だよ、リアス・グレモリー。それ以外に最早、道は無いと言っても指し違いない」

「あ、あり得ないわ」

「ならばもう少し説明しよう。あなたの兄君であるサーゼクス・ルシファーは和解の道を探しているのではないか? わたしは彼とも面識があってね、随分と立派になったと思うよ。魔王が彼ならわたしは喜んで冥界と手を組むぐらいにはね。アザゼルもそうだ、アレは破天荒な事を仕出かすトラブルメイカーではあるものの、本質は仲間想いの男だ。存外に話の通じる輩だよ」

「百歩譲って天界はどうなのよ? 神が悪魔を許すなんて想像も出来ないわ」

 

 リアスの質問にイオフィエルは楽しそうに体を揺らす。

 何が面白いのだろうか。

 一誠は少しだけ彼女が不気味に見えてくる。

 

「ふふふ、その心配が一番ないな。──何せ、天にましめし神は既に死しているのだから……」

「な!」

 

 イオフィエルの発言に驚くリアス。

 今、彼女は"聖書の神"が死んだと言ったのだ。

 アーシアやゼノヴィアが敬愛していた存在は既に亡く、天の座は空席だと断言した。

 

「嘘だ!!」

 

 ゼノヴィアが悲鳴に似た怒声を上げてイオフィエルへ詰め寄ると、その華奢な肩を掴む。

 

「イオフィエルさまと言えど口が過ぎる。冗談にしては──」

「事実だよ、受け止めたまえ。あなたが信仰していた神は当の昔に死んでいる」

 

 打って変わって厳粛に言い放つイオフィエル。部外者である一誠でも本当の事を言ってるのだと分かる。それほどまでにイオフィエルの口調は真実めいていた。

 ゼノヴィアが助けを求めるように周囲を見渡すも、誰もが彼女の望む一言を発せずにいた。誰もが神の死を疑ってはいないのだ。

 ゼノヴィアは全身を震わせながら両膝を突いた。

 

「昔から疑問だった……。どんなに祈っても神の加護は得られず、命を賭して戦っても主は何も答えない、それが試練だと思って見ないふりをしていた……」

「やはり察してはいたか、デュランダル。加護が得られないのは当然だ。そのシステムの全容は神のみが把握している、ミカエルも頑張ってはいるがね」

「ならば私は……私たちは何の為に戦えばいいのですか!! 祈りは届かず、虚像への信仰になんの意味がある!!」

 

 糾弾するような叫びが木霊する。だが無情なまでの即答が出された。

 

「ないな。だがあなた達の信仰は天界の存続に大いに役立っているとだけ言っておく」

「……くっ」

 

 ゼノヴィアが力無く項垂れる。誰も声をかけきれない中で一人だけ彼女の手を取った者がいた。

 

「しっかりしてください」

「……アーシア・アルジェント」

「さ、ソファーへ戻りましょう」

「君は大丈夫なのか? 仮にも元シスターだろう? 私たちの信じていたものが崩れ去ったのだぞ?」

「とても悲しいことです。ですが信仰だけが生きていくための指標ではありませんよ」

「強いな、羨ましいくらいだ。悪魔になればそんなになれるのか?」

「心は悲しみで砕けてしまいそうです。けれど今は信仰だけではないと同じ心が言っています」

 

 見ればアーシアも泣いている。信じていたものが崩れて行ったのだから当たり前だろう。それでも絶望せずに現実を受け止めていた。

 

「羨ましいよ、私はもうどうすればいいか分からない」

「自分の心に従ってはどうです? きっと信仰以外にも求めている物があると思います」

「心、か」

 

 それっきり黙り混むゼノヴィア。

 痛々しいまでの悲壮感である。けれど誰も励ます事はしない。どんな言葉も今は届かないと分かっていたからだ。

 

「惨い事をするのですね」

「おや。アリステア・メアともお方が同情かい?」

「それぐらいの良心はあるつもりです」

「面白い冗談だね。まぁともせずこんな感じで和平に進むというわけだ、分かってくれたかな、リアス・グレモリー」

 

 部下の心を平気でへし折って罪悪感はないのだろうか。

 一誠は溜まらずイオフィエルへ口を出す。

 

「何か言ってあげたらどうっすか? ゼノヴィアが落ち込んでる」

「彼女には知る義務と権利があった。私に対する怒りは尤だが神の不在はいずれは知ることになる。早いか遅いかの違いだよ」

「そ、それは……」

「言い返せないのならばこの件には首を突っ込まないことだ。彼女が居ない者に信仰を捧げる姿は滑稽でいて哀れだから道を選ばせた。例え残酷だろうと誰かが言わなければならないんだ。少しでもそれが理解できるのならば怒りを抑えてほしい」

「……わかりました」

「すまないね。あなたがゼノヴィアを心配したのは分かっているが、わたしはどうもこういう性格なのだよ」

 

 少し罰が悪そうに謝るイオフィエル。彼女はきっと他人の気持ちを汲み取るのが苦手なのだろう。一誠も謝罪されて責めるほど子供じゃないので退いた。

 

「イオフィエル、私は貴女を信頼できないわ。どうにも裏がある気がするの、申し訳ないけれど」

「謝る必要ない。あなたの懸念は尤もだ。実際わたしだって目的があるからね」

「見繕わないのね」

「誠意のつもりさ」

「分かった。ならその誠意を以て受けるわ、その同盟」

「ほぅ。胡散臭(うさんくさ)いわたしと手を組む理由は?」

「貴女の持つ情報は有益と思ったから。何よりこうして正面から挑んできた相手よ、無下にはしないわ」

「嬉しいが、その熱い情は諸刃の剣だと忠告しておくよ」

「諸刃といえど剣。武器というのには変わりはないでしょう?」

「ふ、どうやら兄と同じで侮れないな、あなたも」

「当然よ。グレモリーをあまり舐めないでほしいわ」

 

 凜然と言い放つリアスは鮮烈で美しい。

 心底、彼女の眷属で良かったと感動に打ち震える。

 天使との同盟によって何が持たらされるかは不明瞭だが、和平に近づけることなのは確かだ。。

 それにイオフィエルは"赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"について何か知っている節がある。

 ドライグ(いわ)く渚は"神 器(セイクリッド・ギア)"に強く影響を与えている。一誠や祐斗の禁手化にも少なからず関係しているのは間違いないだろう。今までの話を聞く限り"蒼"というモノが関係している。そしてイオフィエルは疑問の答えを持っているのだろう。

 渚本人も喪失してまった情報を持つイオフィエルの存在は渚は勿論、神器持ちに有益になる。

 こうした意味では同盟は結ぶべく結ばれたと言っても良い。

 悪魔と天使の密会は今後に()いて重要なものになっていく。

 だから一誠は、イオフィエルとリアスの会話をさらに真剣に聞く事から始めるのだった。

 





イオフィエルの目的はまだ見えない……。


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ギャスパーの日常《Cut off the Devil》

 

 ギャスパーの生活はここ数日で劇的に変化していた。薄暗い旧校舎の一室で引きこもる毎日がアリステアの出現によって変貌したといってもいい。

 彼女はギャスパーの生活範囲に容赦なく侵入した挙げ句、外へ連れ出して様々な指導を始めたのだ。

 忌まわしき邪眼を使いこなすための抗議から、戦闘技術を向上させる実戦を模した特訓。

 抗議では邪眼を操るために必要な知識を叩き込まれ、特訓では実弾を撃ち込まれる。(はた)から見れば(いじ)めを通り越して命を狙われているんじゃないかと勘違いしてしまう程に厳しい指導だ。

 少し前まではパソコン越しに契約へ(じゅん)じていたというのに、そんな日々が遠くに感じる。

 今日もまたアリステアに連れられて"神器(セイクリッド・ギア)"を扱う練習をしていた。

 神器を操るための抗議は難しいが解るまで付き合ってくれるし、苛烈な特訓も恐怖こそあるが怪我などはしていない。

 アリステアとの交流は、なんだかんだでギャスパーの(かて)になっている。更に言えば、ここ数日間は充実していると言っても良かった。

 そして今日の指導も終わりに差し掛かった時、アリステアが急に質問を投げ掛けてくる。

 

「何故、邪眼は扱いが難しいのか知っていますか?」

「えとえと、目というのは肉体の部位の中でも重要な感覚の一つだからですぅ」

「そうです。普通、異能を扱う者はココに意識を向けます」

 

 アリステアが自らの胸、心臓がある部位を指す。

 

「ここは人間が持つ魂の門であり、異能の殆どは魂から発生するのです。……ですが眼に関しては違う、分かりますか?」

「め、目は脳に直結しているからでしたよね? 前に聞きましたぁ」

「よく覚えていますね、感心です。魔眼や邪眼の扱いが難しいと言われるのは脳を媒介にして異能が発現しているからです。脳は心臓と同様に重要な部位ですが決定的に違うのは思考を(つかさど)る点です。つまり恐怖や怒りという強い感情に支配された場合、直結された"眼"に否応なく作用してしまう事でもあります」

「む、難しいですぅ」

「簡単に言えば貴方が強い恐怖を感じれば脳は貴方を守るために異能を無理矢理にでも発動させるのです。それが何を引き起こすかは分かりますね?」

「ぼ、暴走ですか?」

「正解。貴方の場合は感情の発露と神器の発動がリンクし過ぎている、それを改善します」

「どうやってですか?」

「死ぬ思いをしても揺るがない精神に鍛えあげます。とりあえず、上級魔物の巣にでも行ってみますか……」

「うぇ──!! それって確実に死ぬやつですよぅ!!」

 

 本気の涙を目元に溜めるギャスパー。

 冗談でもそんな事をされたら脳が異能を発動させる前に心臓が止まる自信がある。

 恐怖に怯えるギャスパーに対してアリステアは大きくため息をこぼす。

 

「……ならば時間をかけるとしましょう」

 

 流石は"ししょー"なだけあってギャスパーの性格も把握している。厳しいが不器用な優しさで接してくれるのはアリステアの魅力だとギャスパーは思っている。

 

「しかし貴方の臆病すぎる。……才能はあるのに性格が残念過ぎです」

「ご、ごめんなさい」

「死ぬ思いをするたび神器を発動されたら周囲に迷惑極まりないのでこれを身に付けておいて下さい」

 

 アリステアが懐から小さなケースを取り出して差し出す。

 

「これはなんですか?」

「魔眼殺しの術式を付与した眼鏡ですよ。これを着けていれば神器の異能は発動しません」

「す、すごい! そんなのあるんですか? それに貰っていいんですか?」

 

 ギャスパーが嬉々としてアリステアの手にある眼鏡ケースを取ろうとするがサッと躱された。

 

「あれ?」

「条件がひとつあります」

「はい! なんでしょう!!」

「……妙に威勢がいいですね?」

「し、ししょーからのプレゼントなんて僕感激なんですぅ!」

「はぁそうですか。では条件を言います。眷属たちの集まりにちゃんと顔を出すことです」

「分かり……えぇええええええええ!! 無理ですよぉ、僕、引きこもりですよ? コミュ症ですよぉ!!」

「では、これは持って帰ります」

「ダメですぅ! ほ、欲しいですぅ!」

「……泣くほど欲しいのですか? よほど神器に苦しめられたのですね」

「そうですけど、違いますぅ! ししょーからの贈り物が嬉しいんですぅ!! 僕、頑張りますから、ください!」

 

 敬愛するアリステアからの贈り物だ。喉から手が出るほど欲しいに決まっている。すがりつく勢いでねだるギャスパーに若干引くアリステア。

 

「滅多なことでは壊れない強度ですが大事に使って下さい」

「一生の宝物にしますぅ!!」

 

 こうしてギャスパーはアリステアから魔眼殺しもとい邪眼殺しを入手する。

 このときの彼はまるで懇意の相手からプレゼントの貰った少女のようにはしゃいでいた。その舞い上がり過ぎた様子を見ていたアリステアが密かに心配していたのは秘密である。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 夜、ギャスパーは久々にオカルト研究部の部室やってきた……とは言っても駒王学園に入学して数えるほどしか来ていないで懐かしいとは思わなかった。

 アリステアに言われて参加した部活だったが、皆が驚いた様子でギャスパーを見る。

 急に引きこもりだった自分がやってきのだから当然だ。こんなに注目される事に慣れていないので萎縮しながら一緒に来てくれたアリステアの背中に隠れる。

 だがアリステアは呆れた視線で背後のギャスパーに問う。

 

「何をしているのです」

「うぅ~」

(うな)ってもダメです、さっさと前に出なさい。初対面の人もいるのでしょう? 先輩にあたる人への自己紹介を(おろそ)かにするなど減点ですよ」

「……はいぃ」

 

 アリステアに言われてギャスパーが恐る恐るといった仕草で前に出ると一誠とアーシアに体を向けた。

 

「…………ギャスパー・ヴラディ……です。小猫ちゃんと同い年です。"僧侶(ビショップ)"です。吸血鬼と人間のハーフで今は転生悪魔です。よろしくです」

 

 "です"が異様に多い下手くそな言葉の羅列。

 言っておいて嫌になるが緊張で皆に顔を合わせられない。下斜めに視線をおとしながら立ち尽くすギャスパー。きっと変な奴だと思われたと羞恥にかられる。

 

「び、美少女眼鏡っ娘だ……」

 

 ギャスパーを見るなりそんな事を言ってきたのは一誠だ。

 余談だが、イオフィエルが初めて駒王学園に来訪した天使襲来の際は人が来る前に時間操作を使って上手く逃げおおせたので一誠とはこれが初対面である。

 ともせず興奮している様子の彼はズカズカと目の前にやってくる。迷いない足取りに逃げ出したくなるが後ろから両肩を掴まれた。

 

「し、ししょー!」

「大丈夫ですよ。彼は駒王学園でも生粋の変態です」

「全然、大丈夫じゃないですよぉ~!?」

「き、生粋の変態……」

「違うのですか? 女性の胸ばかりを注視するのは当たり前。裸を見るために更衣室に侵入した前科があり、果ては衣服のみを剥ぐ異能をも開発した色欲の悪魔。……もはや屑龍帝ですね」

「さ、最近はやってないですよ!? あぁドライグが嘆いているぅ!」

 

 一誠がたじろぐがアリステアは軽蔑する視線をやめてはくれない。

 

「さ、この屑もとい変態に挨拶をしなさい」

「どれも罵声だ!」

「は、はは、はいぃ! はじめまして、さっきも言いましたが、ギャスパーといいますぅ。よろしくお願いしますぅ!」

「うわ、なにこれ超可愛いぞ」

 

 ブンブンと素早く首を縦に振るも世界が縦に震えて頭がクラクラする。

 

「こんな場所でヘッドバッドしないで下さい」

「あ、挨拶ですぅ!」

「ほら次が来ましたよ」

「無視しないでくださいよぉ、ししょー!」

「お二人とも仲がよろしいんですね」

 

 笑みを浮かべながらやってきたのはアーシアだ。

 優しそうな先輩に安堵するギャスパーだったが、アリステアは訝しげにアーシアを見ている。

 まさか仲が悪いのだろうか。邪推するギャスパーの視線に合わせるためかアーシアは屈むと手を差し出してきた。

 

「アーシア・アルジェントと言います。よろしくお願いします、ギャスパーさん」

「は、はははははじめまして!」

「……焦りすぎ」

 

 小猫が遠くでツッコミを入れるが本人は一生懸命なのか聞こえていない様子だった。

 

「こうして皆が揃うなんて今日はいい日ですわね、部長」

「そうね、朱乃。やっとフルメンバーが集ったわ。ありがとう、アリステア」

「礼など不要です」

 

 リアスの感謝にクールに対応するアリステア。

 その姿に見惚れるギャスパー。どうやったらあんなにカッコ良くなれるのかを是非問いたい。

 

「や、ギャスパーくん。久しぶりだね」

「ギャーくん、眼鏡になったの? ゲームのしすぎ?」

「お、おおお、お久しぶりです祐斗先輩! 小猫ちゃん、これは僕とししょーの絆の証だよぉ」

 

 小猫が珍妙な物を見る目を向ける。何か変な事でも言ったのだろうか? 

 祐斗は王子さまを彷彿(ほうふつ)させる(さわ)やかな表情をしている。最後に会ったのは随分と前だが彼の周囲にあった"怖いオーラ"がなくなっていた。

 

「あれ、怖くない?」

「ん? どうしたんだい、ギャスパーくん?」

「ひゃう! ごめんなさいぃ! 前に会ったときにあった"怖い雰囲気"が祐斗先輩からなくなっていたのでぇ!」

「驚いたな、君は僕の復讐心を察していたんだね。上手く隠していたのにすごいよ」

 

 祐斗は怒るどころか感心した表情を浮かべている。そして誇らしげに言う。

 

「ギャスパーくんがアリステアさんに救われたように僕を救ってくれた人がいるんだ。彼にはとても助けられた、恩を返したいと思ってるんだけど、情けないことに今の僕では何もできないんだ」

「祐斗先輩」

「ごめん、ちょっと愚痴を言ってしまってね。ギャスパーくんとは僕も仲良くしていきたいからよろしくね」

「はい、こちらこそぉ!」

「……ギャーくん、相変わらず人見知りなんだね」

「うぅ治そうと思ってるんだけど難しいよ、小猫ちゃん」

「……そんなことはない。今日も部活に参加してる」

「小猫ちゃん!」

 

 友人に褒められて感激するギャスパー。

 そういえば、きちんと部活に参加するのは初めてなので何をするかを分かっていない事に気づく。

 ギャスパーは控えめに手を挙げた。

 

「あの、今日は何をするんですか?」

「今夜の予定? 朱乃、ギャスパーに説明を」

「はい、部長」

 

 リアスもそうだが、やはり朱乃もお姉さまという感じである。

 弟を慈しむ大和撫子のような笑みで前に出るや、「今日の予定は……」と前フリをした。

 

「冥界に赴いてランクSの"はぐれ悪魔"の討伐ですわ」

「ぴぃいい!」

 

 変な悲鳴が出てしまう。

 今、朱乃は"ランクS"と言った。それは上級から最上級の悪魔に該当する強さを持つ。

 グレモリーの中で上級悪魔はリアスのみであり、他は下級だったはずだ。そのリアスも貴族だから上級悪魔の称号を貰ったのであって実力でなったわけではない。そんなメンバーでS級の"はぐれ悪魔"に挑むなど無謀に思える。

 だがグレモリー眷属の中で悲観しているのはギャスパーだけであった。むしろ、やる気に満ち溢れているくらいだ。

 果たして怖くないのだろうか。

 

「ギャスパー、安心しなさい。貴方の知る頃の私たちじゃないのよ、これでも前よりも少し強くなっているのよ?」

 

 リアスがギャスパーの不安を拭うように笑いかける。

 それでも怖いものは怖い。いつからグレモリー眷属はそんな強敵を相手するようになってしまったのだろう。

 やはり来るべきでは無かったかもしれない。

 冷や汗を流して後悔するギャスパー。逃げたいという衝動に駆られてしまう。

 

「逃げることは私が許しません。貴方は行くべきです」

 

 退路を塞いだのはアリステアだ。

 "はぐれ悪魔"よりも恐ろしい冷たい目には逆らえない。

 ギャスパーは怯えながらも覚悟を決めた。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 頬を撫でる独特の生ぬるい風。

 大気に濃い魔力が混じっているため生じる違和感をアリアステアは感じていた。

 空を仰げば紫色の空。

 ここは冥界。地球とは異なる位相に存在する別世界の一つだった。

 今回の標的は駒王ではなく冥界に潜む"はぐれ悪魔"なのでわざわざ(おもむ)いている。

 本来、駒王学園にあるような転移陣では直接冥界に行くことは不可能だが、今回は魔王からの直接依頼なので特別な陣を使わせてもらっている。

 

「アリステア、今回の戦いなのだけど……」

「極力手は出しませんよ。魔王の出した条件にはグレモリーだけで倒せと示されたのでしょう」

「悪いわね。けれど……」

「死者が出そうな場合は横槍をいれます……それでいいですか?」

「お願い。貴方や渚ならランクSの"はぐれ悪魔"でも問題ないだろうけど、今の私たちにはギリギリのラインなの。それでも死者は出したくないわ」

「"ギャスパー・ヴラディを扱えるだけの力を見せろ"でしたか。貴女が彼を私に鍛えるように言ったのも、このためですか」

 

 今回の目的は"はぐれ悪魔"の討伐ではなく魔王にリアスの力を示す事だった。ギャスパーの潜在能力は才気溢れるグレモリー眷属の中でもトップクラスだ。それは指導したアリステアも感づいている。高い魔力値に吸血鬼としての能力、そして時間を支配する"神器(セイクリッド・ギア)"。その実力が発揮されれば主であるリアスすらも優に凌駕する。

 だからリアスはランクSの"はぐれ悪魔"を倒して自らの成長を条件にギャスパーを解放する事にした。ギャスパーを含む眷属を使いこなし、"(キング)"としての力量を見せ付けて魔王に認めさせる。それがわざわざ冥界に来た理由だ。恐らくここいら周辺にも魔王の監視が付いているのだろう。

 

「これでも譲歩されていると思うわ。本来ならギャスパーはもっと後に解放されるはずだったの。それをワガママ言ってお兄様から半ば無理矢理に許しを得た。……少し勝手すぎたかと反省しているのよ、私だって」

「ですが彼を助けたかったのでしょう?」

「辛い思いをしてきたから手を差しのべたいと考えるのは同情からくる欺瞞になるのかしらね」

「それが欺瞞であっても手を取った者が感謝すれば善行です」

「ふふ、ありがとう。気が楽になったわ」

 

 未熟者たちの監督役は本来なら渚がやるべき立ち位置なのだが彼が動けない以上は自分がやるしかない。

 唐変木かつ自己評価が著しく低い本人は気づいていないが、渚はグレモリー眷属たちの戦力的かつ精神的な柱になっている。日常を求めていながら非日常のトラブルに首を突っ込むからこうなるのだ。

 人に面倒を押し付けて気楽に寝続けている渚には代行を引き受けている自分を労ってほしいとつくづく思う。

 

「ここね」

 

 岩盤に囲まれた道無き道を進んでいくとやがて巨大な洞窟が見えてきた。

 奥から周囲とは比べ物にならない魔力が洩れていることからも目標の住みかで間違いない。

 そして殺意を隠さない視線がこの場にいる全員を射抜く。

 

「どうやら感づかれたようですね」

「問題ないわ。ここはアイツのテリトリーよ、最初からバレているわ」

 

 殺意に対抗するように各々が魔力を高めた。ヤル気満々のようで結構である。リアスは弱音こそ吐いていたが並みのランクSなら問題なく片付くだろうとアリステアは踏んでいる。

 一誠と祐斗は禁手状態を限定するなら上級悪魔を倒せる戦闘力を持っているし、小猫だってスペック的にはその二人を劣らない。残りのメンバーも支援砲撃や回復など十分すぎる能力を持つ。上手く連携すれば最上級にも届くだろう。

 そんな事を考えつつもアリアステは一歩引いて戦いを見守ることにする。

 

「やるわよ、皆。祐斗と小猫が前衛。朱乃は二人の援護を。一誠は"神器(セイクリッド・ギア)"を装備していつでも"倍加"出来るようにしておいて頂戴。アーシアとギャスパーは後方から全体のサポートに入るわ」

「分かりました」

「……叩き潰します」

「はい、部長」

「よし、行くぜ。"赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"!」

「みなさん、ご武運を」

「が、ががが頑張りましゅ!!」

 

 全員が臨戦体勢に入ると同時に洞窟の入り口が爆散した。

 リアスが容赦なく魔力弾を放ったのだ。牽制にしては派手である。豪快に崩れる洞窟。崩落は中まで続き、普通ならこれで生き埋めだ。

 ギャスパーが安堵するが、アリステアを含めたグレモリー関係者は臨戦態勢を解かずにいる。ランクSの"はぐれ悪魔"が崩落に巻き込まれて死んだなどあり得いないと分かっているからだ。

 予想通り、崩れた岩に巻き上げれた砂塵から人影が現れる。

 

「ひどいのぅ、ワシの住みかが瓦礫(がれき)になってしもうた」

 

 出てきたのは白髪の老人だった。

 

「部長、あれが"はぐれ悪魔"ですか?」

「……恐らくね」

 

 枯れ木のように細い体は、とても戦えるとは思えない。あれが標的なのは間違いないが今までの相手と違って非力に見えるためグレモリー一行は肩透かしを喰らっている様子だった。

 しかしアリアステだけは老人が持つ異様さに気づいた。そして嫌悪するような目で老人を見据えた。

 

 「……まさか、こんな場所で対面しようとは」

 

 アリステアはこの不快な気配の正体を知っている。

 ──かつて"昏きモノ"と呼ばれた災厄があった。

 その残滓たる黄昏が魔力の底に隠れている。

 ソレは彼女の知る最悪だった。懐かしいというには忌々しい記憶。それと連なる力が、あの老人から零れ出ていた。

 生かす理由もなかったが殺す理由は出来た。

 今すぐにでも塵一つ残さず消滅させたい衝動に駆られるが、リアスに手を出さないと約束したばかりなので表面上は冷静を装う。

 

「ひぃ、ふぃ、みぃ。ひひひ、中々の大所帯、結構結構。腹が空いていた所だわい」

「……部長、あの人、危険です」

「どういう事、小猫?」

「……前のレーティング・ゲームで姿が変わったライザーさんに似てます」

「じゃあアイツも例の薬をやっているというの?」

「……多分。ですけどあんな気の流れはあり得ません。魔力循環が早すぎます、あれじゃあ体が持たないはずなのに……」

「ほぅほぅ。"始源の霊薬"を知っているのかえ? ありゃあ良いもんだった。副作用で姿は見繕えなくなったが代わりに得られた物が大きくてのぅ。ほれ、感じんか、若いの?」

 

 枯れ木のような声で不気味に嗤う"はぐれ悪魔"。静かだが怖ましい魔力が風に混じる。どうやら魔王はランクを一桁間違えていたみたいだ。

 

「部長、僕が斬り込みます」

「分かったわ。行きなさい、祐斗」

 

 魔剣を装備した祐斗が老人に斬りかかる。

 受けようとした枝のような老人の腕は簡単に切断される。出血と共に腕が宙を舞う。

 

「良い。実に良いのぅ。──枯らし甲斐がある粋の良さ」

 

 老人が残った片方の手で祐斗の手首を取る。

 

「力が抜ける!? くそ!」

 

 祐斗が驚きの表情を浮かべると力付くで後退した。

 

「おい、木場。お前、その手!!」

「どうやら不覚を取ったようだね」

 

 掴まれた祐斗の手は老人のように(しな)びれていた。これでは目の前の老人と同じである。全員が祐斗の状態に釘付けとなった。

 

()ます。手を貸してください」

 

 アリステアが自身の"眼"で祐斗の腕を見る。

 外傷はない。ただ骨、筋力、細胞、魔力に至るまで劣化していた。これでは衰弱死の寸前である。

 

「搭城 小猫、貴女の力が必要です」 

「わ、私ですか?」

「木場 祐斗の腕は生命力の減衰による変化です。傷を癒す"聖母の微笑み(トワイライト・ヒーリング)"では戻りません。……枯渇した生命力を戻す方法を貴女は知っているはずです」

「で、でも、アレは……」

「このままでは木場 祐斗の腕を切り落とす事になりますよ」

「……分かりました、やってみます」

 

 小猫が祐人の腕に触れると生気が戻り、腕が元に戻っていく。

 

「どうかな? ワシの"衰退"は?」

「それが貴方の能力ってわけね」

「その通りよ、紅いお嬢さん。──万物には終わりがある、悪魔だろうと天使だろうと、ましや神だろうといつかは消え去るが宿命。ワシは触れた存在を弱らせ、衰えさせ、静かな老いと共に死へと落とす……とか言っておったの」

「まるで誰かから聞いたような口ぶりですね」

「実際、聞いたんじゃからな」

 

 ゆらりと体を動かしながら近づく老人。

 その姿は死神すら見える。予想以上の手合いにリアスは歯噛みする。

 

「部長、戦い方を変えるべきですわ」

「ええ、触れて不味いならそうしなければいい。距離を保つわ」

「こんのかい?」

「能力がバレた事を後悔なさい!」

 

 リアスと朱乃が遠距離から老人を乱れ射つ。

 爆音に続く爆音。過剰な連続放射だが相手を確実に倒すために手は抜かない。

 砲撃を一旦やめるリアスと朱乃。弾着の煙で前方を確認できないため朱乃が前に出た。

 

「まだじゃぞぅ!」

 

 濃い煙を目眩ましに老人が躍り出てくる。

 その細腕が朱乃の首を狙う。

 

「あまり甘く見ないで! ──雷よ!」

 

 バチバチ雷が(ほとばし)ると朱乃の体を守った。触れれば電撃を食らうと察した老人は慌てて腕を引っ込める。

 

「こりゃ不味い。誘いとはやるのぉお嬢さん」

「ありがとうございます、お爺さま」

「ほほ、おっかいのぅ」

 

 朱乃が電撃を放つが蜘蛛のような動きで逃げる老人。

 意外に素早いが朱乃の電撃も鋭い。確実にダメージを与えていた。

 

「ふむふむ。今の若いのはこうもやり手なのかのぉ。痺れてたまらんわ」

「降参するなら今の内だぜ、爺さん」

「ホッ!」

 

 一誠が"赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"の力を解放して老人に殴りかかる。

 

「当たらんぞい! よく狙らえぃ」

「そりゃ本命じゃねぇからな。──小猫ちゃん!」

「……隙あり」

「ごっ!」

 

 小猫の拳が老人を捉えると周囲の岩を粉砕しながら地面を滑っていく。

 

「ほほほ! 痛いのぅ。お嬢ちゃん、ただの悪魔じゃないねぇ」

 

 血まみれになった老人が舌なめずりをして小猫に興味を示す。

 あれだけボロボロな姿でなんとも元気な事だとアリステアは呆れ返る。

 だが何処か余裕があるのも事実だろう。

 この程度で終わるはずがない。あの枯れ木のような老人からは見間違えるはずのない"黄昏"の霊威が()える。

 ここであんな代物を直視する羽目になるとは夢にも思わなかった。

 

「そこの枯れ木のような老いぼれ、一つ質問があります」

「なんじゃい、美しい白のお嬢さん」

「その"衰退"の力は何処(どこ)で? 見たところ後天的な異能に思えます」

「おぉこれか? これはのぅ、ちょっと前にの"きゃんでーのお嬢ちゃん"に貰ったのよ。実に良い出会いじゃった。始神なんたらの欠片を使った霊薬とか言っとったの」

「──"始神源性(アルケ・アルマ)"」

「おう、それじゃそれじゃ」

「その"きゃんでーのお嬢ちゃん"の名は?」

「知らん」

「居場所は?」

「知らん」

「ではもう結構」

 

 老人との会話を終えたアリステアはリアスへと顔を向ける。

 

「リアス・グレモリー、早急な決着を望みます。アレは私の抹殺対象になりました、ここで殺します」

「わ、分かったわ」

 

 アリステアの顔を見るなり、青ざめるリアス。

 どうやら少し殺気が洩れていたようだ。アリステアはギャスパーに近付くと小声で耳打ちする。

 

「貴方の力が役に立ちますよ」

「ふぇ?」

「あの悪魔の"衰退"という能力。恐らくまだ上があります」

「ど、どいういうことですか!」

「私の知っている"黄昏"の力を使っているならこんな程度ではない。次は空間全体を"衰退"させる筈です。ですので少し早いですが貴方にも上にあがってもらいます。──時流を操作してください」

 

 ──"時流干渉"。

 自らの肉体を超加速させる固有時制御とは一線を画す超々高異能術。人ひとりの(とき)ではなく、世界の(とき)を操作するのでは難易度が違う。

 それは世界の摂理に挑む業であり、大禁呪にも数えられる。

 

「えぇええええ! 僕、固有時制御も完璧じゃないのに無理ですよぉ!」

「別に全世界を停止させろなんていいません。範囲も半径150メートル以内で結構です」

「無理ですよぉ!」

「可能です。私が出来ると言っているのです。いつもは内に向けている力を外へ向ける……それだけです」

「で、ででも、それじゃ、ししょー以外が停まっちゃう」

「他の人は私が保護します」

「うぅう」

「ギャスパー、もう一度言います。貴方なら出来る、私が言うのです。──間違いはありません」

「うぅぅぅ」

「出来なければ、ここにいる全員が木場 祐斗のような姿に変わり果てるでしょうね」

 

 ミイラのように枯れ果てた祐斗の腕を見たギャスパーの瞳が恐怖に染まる。

 

「や、やってみます」

 

 ギャスパーは強く頷いて集中を始める。

 全く世話の焼ける教え子だ。再びアリステアは戦いを見守るスタンスに戻った。

 予想通り老人が力を貯めて"衰退"を使うと場にあるモノ全てが廃れて行く。

 

「ほほほ、では全員の命を刈り取るとしようか。──"死への逆行(デカデシア)"」

 

 木々は枯れ、岩は砂に、大気は薄く、生命は絶命へ。

 グレモリーの眷属が苦しそうに膝を突いた。

 生命力が減衰し、内蔵の動きが急速に衰え、魔力も枯渇に向かう。膨大な悪魔の寿命に対して彼方にある死が逆走して向こうからやって来る。

 

「命すらも簡単に衰退させるというの!」

「魔力もよ、リアス! 上手く術式が編めない!!」

「嘘だろ! 体に力が入らねぇ」

「これは不味いかな」

「……みんなの命が小さくなっていく」

「これは治癒のしようがありませんね」

 

 動く余裕すらないグレモリーに老人は満足そうに大笑いする。

 

「ほほ! あと数分の命じゃ。ほれ、せめて最後に生を懸けてかかってこんか」

「舐めんなよ、クソジジィ!」

『Boost!』

 

 一誠が立ち上がり、老人を威嚇する。

 "倍加"によって持ち直すが"減衰"の方が早い。現状を打破するには10秒ある"倍加"のタイムラグを消す必要がある。禁手を使おうとする一誠だったが、次の瞬間、老人が飛び掛かって来た。

 

「くっつくな! 離れろ!」

「御主、よもや赤龍帝か!? 素晴らしいなぁ、食べ甲斐がありそうだ」

 

 老人の頬が裂けると大きな口が現れた。

 一誠の頭を噛み砕くために牙を剥く老人。

 

「ちょっ! マジかよ!」

「や、やらせません!」

 

 瞬間、時の流れが遅くなる。老人の動きだけがスローモーションになるのを間近で見ていた一誠は慌てて離脱する。

 

「助かったぁ!」

「や、やった! やりましたぁ、ししょー! 兵藤先輩の頭を守りましたぁ。これって時流干渉が出来たってことですよね!」

「敵は健在です、集中しなさい」

「ご、ごめんなさい」

「次は邪眼による"衰退"への干渉を。距離はグレモリー眷属から半径150メートル、"衰退"の効果を時間停止で上書き。味方が戦えるフィールドを形成することだけを考えなさい」

「は、はい!」

 

 ギャスパーの瞳が光ると"衰退"が効果を失う。

 

「ギャスパー、貴方、異能を停める事ができるの?」

「や、やり方はししょーに教わりました。……い、一誠先輩、今です。トドメを刺してくださいぃ!」

「ナイスアシスト、ギャスパー!!」

「がぁ!」

 

 一誠が"倍加"したドラゴンショットで老人を撃つ。炸裂するドラゴンのオーラの直撃を受けた老人は苦しそうな悲鳴を響かせる。

 

「ぎぃぃい!! 馬鹿な、なぜワシの"衰退"を前に動ける!? 数万の寿命すら十数秒で奪える力じゃぞ!」

 

 激昂する老人にアリステアは嘲笑を浮かべた。

 

「十数秒で奪える? そこは笑うところですか?」 

「なにぃ?」

「貴方が相対したのは時間そのもの。この小さな悪魔の前では貴女は遅すぎるのです」

「時間操作か。面倒な……」

「詰めです。ここにギャスパー・ヴラディが存在する限り、貴方の勝ちはない」

「まだじゃ!」

 

 老人がスピードで走り出す。

 まるで昆虫のような動きでアーシアに狙いを定めたのだ。

 

「悪いが人質になって貰うぞぃ」

 

 枯れ木のような腕がアーシアを捉えると盾にしながら逃走を計る。

 

「アーシア!」

「おっとやめておけぃ。この可愛い娘に当たるぞぃ?」

「くっ」

 

 リアスが顔を歪めるのを見た老人は愉快そうに笑いながら去っていく。

 

「ほ、ほ、ほ! 次からはキチンと当てられるように腕を磨いておくのじゃな!」

 

 勝ち誇った声が遠ざかる。

 この場にいる全員が慌てた様子で追いかけようとするが絶対に間に合わない。このままではアーシアは連れ去られて何をされるか分かったものではない。

 そんな喧騒の中、ただひとりアリステアが静かな動作で懐に手を伸ばした。

 

「次などありませんよ」

 

 一発の銃声が響く。

 その弾丸は真っ直ぐ跳んで行くやアーシアを上手く避けて老人の肉体に(えぐ)る。

 

「ぬぅう!」

「──命中」

「小癪な。じゃがその程度では倒れんよ!」

 

 老人は血を流しながらもアリステアたちの前から姿を消す。

 

「大した逃げ足です」

「何をしているの! 追うわよ!!」

「そう(あせ)らなくても、すぐに会えますよ」

 

 くるくると拳銃を回しながら納めるとゆっくりと歩き始める。

 慌てる必要はない、既にあの老人の行く末は既に決まったのだ。

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 

 疾走とはよく行ったもので老人は風のような速さで駆け抜けていた。

 今回は失敗だった。

 相手が悪かったといってもよい。

 まさか多くの手練れを葬ってきた"衰退"がこうもあっさりと破れるなど思ってもみなかった。

 時間操作によって生じる空間停止を使った異能の封殺。最上級悪魔ですら難しい荒業をあんな矮小な下級悪魔がやって退けるなど予測出来るはずもない。

 しかし逃げる事は出来た。スピードには自信がある。簡単に追い付かれることもないはずだ。

 傷こそ負ったが連れ去った少女──アーシアを食らえばなんの問題もなく傷も癒えるだろう。

 しかし美味そうな少女だ。恐怖で口を開けないのか、ずっと黙っているが魔力も中々高く、匂いからして処女ときている。さらには容姿も優れているとくれば最高の素材だ。楽しませて貰ったあとにゆっくりと咀嚼(そしゃく)するとしよう。

 

「──罪花(ざいか)が咲いています。アナタ、相当な数を(あや)めていますね?」

 

 初めて口を開くや面白い事をいってくる。"ザイカ"とは初めて聞く単語だ。恐怖で頭がイカれたのだろうか。戯れに言葉を返してやるとした。

 

「そうじゃ。お主も奪い尽くしてやるからのぅ」

「それは叶わないでしょう」

「なぜじゃ」

「死ぬのですから」

「ほ! 面白い冗談じゃ!」

「信じませんか……。けれど始まりましたよ」

 

 淡々と話すアーシアが宣言するや、強烈な痛みが老人を襲う。

 

「ぎぃ!!」

 

 アリステアから受けた弾痕が焼けるように熱い。激痛によって堪らず地面に転がる。その間に少女を投げ捨ててしまったがそんな事はどうでもいい。

 血管や神経、魔力回路に至る全てのモノが灼熱を帯びて暴れまわり、苦悶の叫びをあげる。

 

「アナタが撃ち込まれた弾丸は"災霊浄滅呪法(シャウール・ルミュエール)"という浄化と滅却の術式を基礎として編まれた特別製よ。それはやがて全身を巡り、浄滅作用によってアナタという存在を焼き尽くす」

 

 投げ捨てた筈のアーシアが平然と苦しむ老人の前に立っていた。

 老人は苦し紛れに、その華奢な体を爪で刺し貫こうと攻撃するが()()()()()()()()()()()

 

「あまり血で汚したくはないのだけれど」

 

 感情を映さない冷めた碧い瞳。

 そんなアーシアのか細い手刀が老人の爪を砕き、肩まで斬り貫いたのだ。

 

「な、なにぃ!?」

 

 血液が舞う。見事なまでに割られた自らの腕に驚きを隠せない老人。

 

「その状態で襲ってくるなんて大したものね」

 

 ピッと手刀の血を払うアーシア。柔らかそうな彼女の指には傷一つない。

 

「き、貴様、何者じゃ」

「リアス・グレモリーの"僧侶(ビショップ)"ですよ」

 

 無感情だった少女が一転して刃のように鋭い殺意を老人の喉元へ向けてきた。

 

「ほざけ! 素手でこんな芸当が出来る"僧侶"がいるわけなかろう!」

「固定概念に囚われすぎではない? 魔力は砲弾に使うのが主流みたいだけど、こうやって五指の先に集中させて鋭いイメージを纏わせば手刀を作ることも容易い。あとは技術の問題ね」

「おのれぇっっ!!」

「そう怒らないで。弾丸から発せられた霊氣はアナタを溶かすようにゆっくりと焼き尽くす。もう助からないのだから心静かに逝くべきじゃないかな」

 

 老人の皮膚がひび割れ、体の崩壊が本格的に始まる。

 

「ぐおぉぉぉ! 馬鹿な、体が崩れるっ!? あ、あの一発にこんな力が」

「ステアちゃんは殺すと決めた相手には慈悲も容赦もない。罪花の芽からして、アナタは苦しんで死ぬべきだと思う……だけど"彼女"が憐れんでるから一太刀で送ってあげる。──アーシア・アルジェントの優しさに感謝しなさい」

 

 自身の胸に手を置いて淡々と語るアーシア。

 自分に感謝しろなど、顔に似合わず傲慢な娘だと老人は腹立たしくなる。

 

「お優しい娘っ子じゃわいッ!!」

 

 焼かれながらも老人が怒りに任せてアーシアに飛び掛かる。完全に不意を付いた奇襲。その細い肉体へ牙を剥くがヒラリと避けられる。

 

「たわけ者が!」

「口の悪いご老体ね」

 

 再びアーシアに食らいつこうとしたが、またも届くことはない。しかし問題はないと老人は内心で嗤う。既に"衰退"は発動済みだ。あと数秒でこの少女は力尽きる。爪によって裂かれるか、枯れ木のように(しお)れるか、どちらにしてもアーシアは終わりだ。

 

「一刀裁断。罪花(ざいか)(ごう)を刈り取るは、(きよ)め払えば()が魂が輪廻へ還すゆえ」

 

 瞬間、老人の世界が急に傾く。

 

「ひょ?」

 

 スパッとアーシアの手刀が老人の首を絶った。

 目にも止まらぬ刀捌きを前に老人は死んだことにも気づけないだろう。

 転がる首を一瞥するアーシア。

 未だに胴体は燃え続けている。首を落とさなければ、さらなる苦痛と生き地獄を味わっていただろう。

 

「主よ、この憐れな悪魔に安らかな救済を。……キミだったらそう言うのかな」

 

 魔に断刀、死者に黙祷を捧げたシスター服の少女。

 残心を済ませ、小さな深呼吸をしてから「さて……」と頭を切り替える。

 

「リアス部長はどの辺りでしょうか?」

 

 剣呑だった雰囲気を納めるとリアスたちへ合流するために、暗く不気味な道のりを物ともしない足取りで一人歩き出すアーシアなのだった。

 



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天敵《Class Observation Day》

 

 これと言ってやることのない平日。

 必要な情報収集も"はぐれ悪魔"討伐も済ませてしまったアリステアは暇を持て余していた。

 いつまでも寝ている渚を眺めているのも悪くはないが、これでは体が鈍ってしまうだろう。無駄に1日を消費してしまうのも本意ではない。(さいわ)い気になっていた本の発売が今日からだった筈だ。

 どうせ、やることないのだから買いに行くか。

 そう決めるや渚の自宅を出て、繁華街を目指す。

 刺すような日差しが降り注いでいた。もう夏がやってくるのだ。

 暑さこそ満ちるが(いた)って平和な町並みだ。

 ()()()()()()()とは大違いで気を張る必要すらない。

 

「──っ」

 

 アリステアの右手に鋭い痛みが走ると呼応する様に瞳が赤く染まる。

 刹那、視界がボヤけると目の前に魔女を(かたど)った人影が現れた。

 その全身を黒影で覆われた魔女の口が三日月を描く。

 

『おやおや右手に厄介な呪いを貰ってるみたいじゃないか、メア?』

 

 (いたわ)るフリをしているが、その影がアリステアに向けているのは幻滅したと言わんばかりの(あざけ)りである。

 

「魔王 アンブローズ・センツェアート」

『やだなぁ、魔女と読んでくれたまえよ。もしくは、お母さんでも構わないよ?』

「母親? 脳内に残った令属術式のバグが良く喋る」

『そう、今のわたしは只の幻。愛しい娘の中にあるアンブローズの霊氣が残骸。──けれど、こういう事ぐらいは出来る』

 

 転瞬、町が炎に包まれた。燃える家、焼ける人、噴煙に隠れる太陽。この世の地獄が顕現した風景が広がる。

 

『やはり()()がメアの日常に相応しいね』

 

 血肉、骨、脳髄、果ては遺伝子にまで刻まれた殺戮本能が『戦え』と叫ぶ。

 自らの生まれた意味を示せと狂乱の感情が闘争本能となってアリステアを呑み込もうと暴れ出す。

 それは戦うことを宿命付けされた者にとって死ぬまで逃れられない魔女王からの呪いの残影だ。

 

「消えてください。過去の異物はただ(もく)すれば良い」

『異物はメアも同じなだろ?』

 

 アリステアの瞳がアイスブルーに戻ると炎の町並みも幻のように消えた。

 

「貴方と話すことはありません」

『それは残念だ、ふふふ』

 

 魔女もまた不気味な笑い声を残して塵となる。

 白昼夢ともまた違う光景はアリステアの中にある魔女の残骸が見せたモノだ。それを強靭な理性で圧殺する。

 他人にインプットされた命令(コード)に従うほどお利口ではないのだ。アリステア・メアは己が信念にのみ殉ずる。

 

『──オレは穏やかに安らげる日々を願っている』

 

 今は遠い、かつての渚が言った言葉。

 誰よりも強く、何よりも殺戮に長けた男は常に平和を求めていた。

 闘争が人を強くし、高みへ(いた)らせる。平和な世界など堕落でしかない……そう思っていた。

 しかし今は少し違う。戦いでしか得られないモノがある中で平和でしか経験できない事も多い。

 それが読書であり、知人との交流であり、寝坊助の看病だ。

 命を軽く見ず、(はぐく)み、繋いで行くのは、その中だからこそ出来る祝福なのだ。

 かつて渚が求めていた穏やかで安らげる日々といのは、アリステアの現状を言うのかもしれない。

 そしてアリステア自身も、こういう時間も嫌いではなくなってきている。

 そんな平和ボケした思考をしながらも、よく使っている書店で買い物を済ませる。

 家でゆっくりと読もうと帰路に着いた時だ、とあるものが目にとまった。

 目を閉じて小さく咳払いをするや心を落ち着けて眼鏡をクイッとあげる。

 

「……幻覚ではないようですね」

 

 今しがた似たような経験をしたので祈るように目を開けたが、やはりそれは実在していた。

 派手な配色の服に短いスカート、そして謎のステッキ。

 俗に言う魔法少女という者がいた。テレビであんなアニメが流れていた気もする。ともせず、余りに場違いなファンシーな服装(パンモロ)だが着ている本人が美少女なので周りには人だかりだが出来ていた。……主に男性だが。

 

「すげぇミルキーだ!」

「か、可愛いでござるぅ」

「写真いいっ!?」

「いいよー☆」

 

 わいわいと賑わうギャラリーにも嫌な顔をせずファンサービスもとい握手を()わす魔法少女。

 まるでアイドルの握手会だ。

 あのような(もよお)しには関わりたくない一心でアリステアはコスプレ少女を中心とした謎空間から離脱する。

 

「あ、ちょっと待って☆」

 

 魔法少女が誰かを引き留める声がした。

 どうせ誰かが握手を忘れたとか何かだろうとアリステアは無関係を決める。

 

「あー無視しないでぇ☆ じゃ私は行くねぇ、ばいばいみんな☆」

 

 握手会は終了するみたいだ。

 人通りのある町中であんな騒がしくしたら迷惑なので手早く切り上げたのは評価に値する。非常識な格好のわりに常識的な考えも出来る魔法少女のようだ。

 しかし、さっきからトコトコと小走りで足音が近づいてくる。それでも無関係だろうと言い聞かせて気にせず歩くアリステア。

 

「だから待って~☆ そこの真っ白い髪の美少女ちゃん☆」

 

 珍しいこともあるものだ。自分と似た人物がもう一人いるみたいである、偶然とは恐ろしい。

 

「ねぇ、わざと無視してるでしょ☆」

 

 魔法少女がアリステアの前に立ちはだかる。ぷくーっと頬を膨らませる様子は拗ねた子供のそれだ。

 やはり用があったのは自分なのかと諦めの胸中で魔法少女と視線を交わす。

 

「…………何か?」

「うわぁ☆ 全く歓迎されてない感じ?」

「分かっているのならば道を開けてもらえますか?」

「正直な子なんだね☆ じゃあ頼みにくいかな☆」

「察して頂いて何よりです、では失礼します」

 

 流し目でチラチラと(うかが)う魔法少女の横をスタスタと通り抜けるアリステア。

 

「ちょ、ちょちょちょっと待ってぇ行かないでぇ☆ お願い、助けてよぉ☆」

 

 背後から腰に抱き付かれた。

 ズルズルと引きずる形になる。なんともしつこい魔法少女にアリステアは観念する。このままでは家まで着いてきそうだ。

 

「話を聞くから離して下さい」

「やったー☆」

 

 本来ならば、適当にはぐらかしてサヨナラなのだがこの魔法少女に限ってはそうはいかない。逃げたら地獄の果てまで追ってくると鋭い観察眼が訴えてくる。随分なハズレを引いてしまったものだ。

 

「それで、どう助ければ良いのですか?」

「うん☆ それはね──私を駒王学園に案内してほしいの☆」

「……何のためにそこへ?」

「そこに私の可愛い妹が通ってるんだよ☆ そして今日は授業参観っていうイベントらしいの☆」

 

 そもそも授業参観とは普通は親が参加するものであって姉であるこの人が行く必要はない。そこは家庭の事情というものだろうか。まぁ百歩譲って姉が出向くのは良いとして、その姿で本当に授業参観に出るつもりなら、彼女の妹には同情は禁じ得ない。魔法少女の姿をした姉が高校生の授業参観に来るなど拷問よりも酷い公開処刑になるはずだ。 

 しかしアリステアは彼女の妹ではないので願いを聞き入れる事にした。さっさと案内しないと厄介払いが出来ないためである。

 

「分かりました、案内しますよ。……不本意極まりないですが」

「ありがとー☆」

 

 彼女にその胸を伝えると目を輝かせながら抱きついてきた。なんとも馴れ馴れしい、少しはパーソナルスペースというものを考えてほしい御仁だとつくづく思う。相手が彼女でなければ顔面を吹き飛ばしていたところだ。

 

「優しいね☆ 私はセラフォルーというの、あなたは?」

「アリステアです」

「アリステアちゃんかぁ☆ すごい逸材を発見したかも☆」

 

 何故か嬉しそうな顔をしてはマジマジとアリステアを観察するセラフォルーを尻目に、辟易としながらも駒王学園へと歩き出すアリステアなのだった。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

「ねぇねぇ☆ アリステアちゃんって髪綺麗だね☆ お手入れはどうやってるのかな☆」

 

 道中、黙っていられないのか魔法少女は常に話し掛けてくる。駒王学園に向かってる間までの辛抱だと思っていただけにこの異様なまでのコミュ力の高さは少し辛い。

 内容も、やれ『彼氏はいるの☆』やら『お人形さんみたい、お持ち帰りしたいよ☆』やら『モデルさんのような体型してかっこ可愛い☆』やら『魔法少女に興味ないかな☆』など、どうでも良い内容ばかりだ。最初は適当に返事をしていたが疲れてきたので無視を決めると『クールビューティーさんなんだね☆』とポジティブに受け取るセラフォルー。姿だけじゃなくて、頭の中もお花畑のようだ。

 嵐のような会話を背にアリステアは駒王学園にたどり着く。

 どうやら今は休み時間らしくチラホラ生徒が歩いていた。流石に関係者じゃない自分が堂々と入るわけにはいかないので電話を掛ける。相手はリアスだ。数回のコール音のあとに応答が返ってきた。

 

『──もしもし、どうしたの、アリステア?』

「貴方に届け者があります、正門に来てください」

『届け物? 何を届けにきたのか聞いても良い?』

「はい。魔王セラフォルー・レヴィアタンを拾いました、至急引き取りに来てもらえると幸いです」

『せ、セラフォルー様ですってぇ!? なぜ駒王に!?』

「町で野良の撮影会していました。どうやら授業参観とやらにお越しになったようですよ」

『うそ!? お兄様だけじゃなくてセラフォルー様までいらっしゃってるの!? すぐ行くわ!』

「お待ちしてます」

 

 魔王サーゼクス・ルシファーまで来ているらしい、なんとも魔境な事である。

 

「私が魔王って知ってたんだ☆」

「ええ、眼がいいので……」

 

 そんなもの一目で見抜いている。だからここまで付き合ったのだ。

 

「ふーん☆ やっぱり頼って良かったよ☆」

「なぜ黙っていたかは聞かないんですか?」

「細かい事は気にしない性格なんだよ☆」

「貴方の場合はしたほうがいいですね」

「心配してくれるんだ☆」

「はい、特にその頭と妹さんの心労を……ですが」

「ぶー☆ バカにしてる?」

「ほら、迎えがきましたよ」

 

 セラフォルーを無視して昇降口を指差す。

 呼び出したリアスとは他に二人の男女が共にやってきた。

 

「あぁ☆ ソーナちゃんだぁ!」

 

 パタパタと手をふる魔王少女。対する妹のソーナ・シトリーは顔を真っ赤にしている。

 

「姉さん、どうして来たのですか!」

「可愛い妹の授業参観だよ、来るよ~☆」

「それにその格好はなんですか! 来るとしても普通の姿で来てください!」

「普通? これ正装だよ?」

「どこがですか!? だから内緒にしていたのに……」

 

 全く持ってソーナに賛同するアリステア。あんな姿で身内が授業参観など来てみろ、自分だったら迷い無く弾丸を撃ち込む自信しかない。例え相手が魔王だろうが関係無しにだ。

 

「そ、ソーナ、落ち着いて? セラフォルー様も悪気があるわけじゃないし」

「だから困ってるんですよ」

 

 リアスが言葉に力無く項垂れるソーナ。だんだんと哀れに思えてくる。

 

「ははは。君も来ていたんだね、セラフォルー」

 

 そう声をかけたのは紅色の髪の青年、サーゼクス・ルシファーだ。こうして直接見るのは初めてだが冥界の"超越者"を(かん)するだけであって大した魔力量だ。しかも器用に隠しているのだから実力の高さが窺える。

 

「サーゼクスちゃん☆ うん、来たよ☆ サーゼクスちゃんだけリアスちゃんと会うなんてズルいよ☆」

「妹の晴れ舞台を見れるんだ、来るしかないだろ?」

「そうだよね☆」

 

 冥界のトップを誇る四大魔王の半数が暢気に授業参観になど参加していていいのかと思う。そんなアリステアの心配を他所に二人の魔王は和気藹々としていた。以前に会ったアジュカは魔王()()()()()が、この二人は随分と軽い印象を受ける。

 

「ところでそっちのお嬢さんは?」

「あ☆ この子はアリステアちゃん。私が困っていたら手を差し伸べてくれた良い子だよ☆」

 

 差し伸べた覚えはない。どちらかと言えば引き込まれたが正しい。どうせ訂正を求めて無駄だと感じたので敢えて言葉にはせず黙るアリステア。

 

「──っ! なるほど君がリアスの言っていた協力者だね。サーゼクスだ、今後とも妹共々よろしくしてくれると嬉しい」

「アリステアです、まさか魔王とこうしてエンカウトするとは夢にも思いませんでしたよ」

「そうかい。君とはもう少しゆっくりと話をしたいのだがね」

 

 妙に食い気味の魔王に若干の違和感を感じた。妹の近くにいる絶対強者への不安だろうか。

いや……少し違う。

これは純粋な興味から来る感情だ。どうやら彼からは悪くは思われてないようだ。

 

「そういうわけにもいかないでしょう。そろそろ授業がはじまるのでは?」

「そうだね。では後ほどとしようか」

「ではこれで──」

「じゃ行こっか、アリステアちゃん☆」

「ん?」

 

 サヨナラをしようとしたアリステアの手をガシッとセラフォルーが掴む。

 はて、この魔王少女は何をしようとしているのだろうか? 

 急な奇行に不覚にも理解が追い付かない。その間に風のようなスピードで校舎まで引っ張られてしまう。流石は魔王だけあって高速移動もお手物らしい。

 しかし昇降口まで来て理性が『待て待て』とストップをかけた。

 

「セラフォルー・レヴィアタン、何故私がここに連れて来られているのですか?」

「へ☆ そりゃ勿論、ソーナちゃんの授業を見るためだよ? あと私の事は『レヴィアたん』って呼んでね☆」

 

 誰が呼ぶものかとアリステアは内心で冷静にツッコミを入れた。

 いやいやそうじゃない、話が脱線してしまっている。

 アリステアが聞きたいのは、どうしてソーナ・シトリーの授業を他人である自分が見なければならないのかという事だ。

 

「君を見たときビビッと魔法少女アンテナが反応したの☆ この子はきっと逸材だ、仲良くならなければならないって☆ だからあのソーナちゃんの晴れ姿を見て仲を深めようよ☆」

「凄い。仲を深めたい理由に一切の説得力がないうえに、その方法が論理的に逸脱し過ぎています」

「魔王が敷いた魔法少女ルールです☆ 私、前から欲しかったんだ、相棒の魔法少女☆」

「………………は?」

「ソーナちゃんを含めた三人でチームを組もう☆ アリステアちゃんは白を基調とした服がいいかな☆」

 

 アリステアは初めて目の前の魔王少女を恐ろしい怪物だと思った。

 不可解な服装に、不可解な☆付きの言葉に、不可解な思考。何を取っても不可解だ。本当に同じ人種なのだろうか? 言葉を交わせても一生、解り合えない気さえする。この魔王少女と二人きりでいるくらいなら、あのイオフィエルと笑いながらお茶でもしているほうが良いと一瞬考えてしまうほどだ。

 セラフォルーの思考を理解しようとする程に脳がスパークしそうな錯覚を覚える。このままでは深淵よりも暗い考察に呑み込まれそうだ。

 命題は『魔法少女と魔王の関連性について』で決定だ。

 いやいや、どうして自分がここで変なレポート書かなければならないのだ。そもそもセラフォルーが意味の分からない行動をした事が原因だろうに……。何よりも自分がセラフォルーみたいにファンシーな服装かつヒラヒラで短すぎるスカートを履いてパンツ丸出しでステッキを振る姿を想像してみる。

 

『魔法少女ステアたん☆ 今日も邪悪を射殺します☆』

 

 寒気がした……。

 

「だから魔法少女なってよ☆ アリステアちゃん☆」

「──よし、ならば戦争ですね」

 

 おぞましすぎる物を想像したアリステアは思考を単純化させて自己防衛を計る。

 解り合えないのなら滅ぼそう。そうすればこんな意味のわからない生物に付きまとわれる事もないし、脳髄がスパークするような事もない。

 うん、そうしよう。

 人間、未知と遭遇した時の行動は割りと突拍子がなかったりする。

 

「ちょ、ストップ、ストップよ、アリステア!?」

 

 急にリアスがアリステアを羽交い締めした。

 

「どうしたのですか、リアス・グレモリー?」

「どうしたのって、その手にあるのは何?」

「S&W M500 10.5インチバレル、通称ハンターモデル兼ハンドキャノンとも呼ばれる拳銃ですよ?」

「そ、それで何をどうする気か聞いてるんだけど?」

「私を邪道に引き込もうとする魔がいるのでちょっと狩っておこうかと」

「まさかそれって……」

 

 リアスが冷や汗を流しながらセラフォルーを見た。

 大正解である。自身の尊厳のため戦わないといけない日がきてしまったのだ。

 そんなセラフォルーは興味深そうにアリステアの持つ殺傷能力抜群な巨大拳銃を眺めていた。

 

「うわぁ☆ おっきい鉄砲だね、そっか、アリステアちゃんはそっち系か☆ 大丈夫、最近の魔法少女は銃器もOKだよ☆」

「そーですか」

「助けて、ソーナ! アリステアの目から光が消えたわ!! 完全に殺る気よ、これ!!」

「姉さん、こっちへ来てください! これ以上、人様に迷惑を掛けないで!!」

「何言ってるのソーナちゃん☆ 今、聞いたでしょ、アリステアちゃんも(魔法少女を)やる気だって☆」

「もう! 日本語って難しい!!」

 

 必死なリアスとソーナに、言葉の意味を履き違えたセラフォルー。そして考える事をやめたアリステア。

 最早、しっちゃかめっちゃかである。

 そんな混沌とした場所に苦笑いでサーゼクスが割り込んだ。

 

「やれやれ、魔法少女の件になると暴走するのはセラフォルーの困った所だね。……よいしょっと」

「サーゼクスちゃん、ちょっと襟首を持たないでぇ☆ あ、どこ行くのぉ☆ アリステアちゃんを勧誘できそうなのにぃ☆」

「はいはい。これ以上は学校にもアリステアさんにも迷惑だから大人しく授業を参観しようね」

「あぁ~☆ 逸材が遠ざかっていく~☆」

 

 サーゼクスがセラフォルーを連れていく。

 嵐が去り、アリステアの正気も戻る。正直、肩の荷がおりた気分だった。

 

「……恐ろしい敵でした」

「あの姉が大変ご迷惑をお掛けしました」

「貴方も大変ですね」

「はい、とても……」

 

 ソーナの目が死んだ。

 今しがた体験したアリステアがこうなのだ。姉妹である彼女の心労は想像を絶すると言う他ない。これ以上踏み込んでも益はないとアリステアはリアスへ話を逸らす。

 

「あれで魔王なんて務まるんですか?」

「えと、一応優秀な外交官なのよ?」

「外交? あれが? 私が国の代表だったら即戦争です。人選を誤っていますよ?」

「相当に貴方を気に入ったのね。ソーナ以外であんな暴走するなんて初めてだわ」

「私が何をしたというのですか……」

「ごめんなさい。本当に姉がごめんなさい」

 

 本気で途方に暮れる。

 魔法少女に勧誘されるなど誰が予測できただろうか。あの魔王にはもう近づかないで置こうと決めるアリステア。

 

「さて、じゃあ私はもう行くわ。またね、アリステア」

「本当に大変ご迷惑をお掛けしました」

「もういいですから」

 

 リアスとソーナと別れ、いい加減に家に戻ろうとした時だった。

 

「ししょー?」

 

 ギャスパー・ヴラディと会ってしまった。

 まさか昼の学校で彼を見るとは思っていなかったアリステアは驚く。

 

「何をしているのですか?」

「へ? あ、授業に出てます。最近からですけど昼の学校にも通ってるんです」

「貴方が?」

 

 あの引きこもりだったギャスパーが普通に登校しているなど一体、何があったというのか。

 

「だって、ししょーも出てほしいんですね」

「そうですね。いつまでも引き込もっているのはどうかと思っていました」

「だ、だから頑張ってます! 僕、偉いですか!!」

「ええ、とても。しかし、その姿でですか?」

 

 ギャスパーの制服は男子用ではなく女子用だった。

 彼の女装を見慣れたアリステアは気にならないが普通の学校でその姿は不味いのではないのだろうか? 

 

「一応、女子として見られてます」

「いいのですか、それで……」

「か、かわいいは正義って兵藤先輩が言ってました!」

「悪魔って変わり者が多いですね」

「あ、あれ? ししょー、なんか疲れてます?」

「ええ、ついさっき理解しがたい怪物に出会ってしまったんです」

「か、怪物!?」

「あぁ大丈夫ですよ。紅い方の魔王が持っていたので」

「よ、良かったですぅ」

 

 本気で安堵するギャスパー。相も変わらず気が小さいことだ。

 

「そろそろ授業だそうですが行かないのですか?」

「……う」

「なるほど、嫌な授業なのですね」

「なんで分かったんですかぁ!?」

「顔に出過ぎです。早く授業に戻りなさい」

「うぅでも次の科目の先生が苦手なんですぅ」

「そんな理由で単位を落とすつもりですか」

「じゃあ、ししょーも来てください!! ししょーが一緒なら僕、頑張れます!!」

 

 懇願するような顔で迫るギャスパー。

 すぐにでもあの魔王少女がいる領域から退散したいアリステア。

 しかし教科ではなく先生が苦手というギャスパーの言い分が少し気になったので付き合うことにした。

 兄や姉が参加しているのだ、自分がいても問題はないだろうとギャスパーの教室へ向かう。

 少し歩いて一年の教室の扉の前に立つ。

 外からでも騒がしいのが伝わってきた。あまり得意ではない空間だったが付き合うと決めた以上は入るしかない。

 アリステアは教室へ足を踏み入れる。

 瞬間、教室にいた全員の視線がアリステアに降り注ぐ。

 

「……誰かの家族か? しかし若いな」

「ウチの娘とあまり変わらないわよね?」

「うわ、すっごい美人」

「モデルさんなのかな」

「やっべ、惚れた」

「あとで名前を聞こうっと」

 

 生徒と親がアリステアを見てコソコソと好き勝手言ってくる。

 アリステアは他人の言葉を気に止めず親たちに混じって授業を眺める事にした。

 すぐに始業の鐘が鳴る。

 そのタイミングに合わせたかのように女教師が入室してきた。

 歳は三十代くらいでインテリ気質かつプライドの高そうな女性だ。

 

「日直」

 

 短く言うや日直に始業の挨拶をさせる。

 独特な緊張感が教室を包んだ。生徒は喋らず、親たちも黙る。

 それは彼女が発するオーラだろう。一目で分かる、あの女教師は授業の邪魔をするなと教室にいる全員に無言の圧力を跳ばしているのだ。

 

「あの先生、有名な数学者らしいわ」

「まぁすごい。駒王に息子を入れてよかったわ」

 

 母親同士が小声で喋ってるのを聞く。なるほど高名な先生らしい、確かにプライドも高そうだ。

 

「そこの保護者二名。授業の邪魔をしないように」

 

 ピシャリと責めるような声が教壇から発せられた。

 喋っていた母親たちは罰が悪そうに謝罪する。

 保護者も関係なく威圧する様は、まるで女帝である。

 

「ギャスパー・ヴラディ。わたしが出した課題は終わらせたかしら?」

「や、やってきました」

「出しなさい」

「は、はい」

 

 ギャスパーからプリントを受け取る女教師。どうやらギャスパーだけ宿題を出されていたようだ。

 そのプリントを上から目で追う女教師だったが、やがて幻滅した顔をするや急に破り捨てた。一瞬だけ教室がざわめく。

 

「え?」

「15問中14問しか当たってないわ。わたしは満点を取れと言ったはずよ?」

「ご、ごめんなさい! どうしても最後の問題が分からなくて……!」

「あなたは授業にも出ずに怠けていた。その無為に過ごした分を取り返す努力をするのが当たり前よ。そんな事も理解できないの?」

「……ごめんなさい」

「謝罪で物事が解決すると思っているのかしら?」

 

 クドクドとギャスパーに説教をする女教師。過激かつ神経質な性格でもあるらしい。

 しかし気づけば5分は過ぎている。無為な時間を取り返せという割りには無駄な時間を使う教師だと思う。我が身を振り返る事が出来ない人間のなんとも醜いことか。

 

「あなたのせいで時間を無駄しました。立って、みなさんに謝罪をしなさい」

「え、えと」

 

 なんとも勝手な台詞にアリステアは眉をピクリと動かす。

 あのコミュ力が極端に低いギャスパーに難度の高い要求をする。

 プライドもそうだが気も強い。いや、これは支配欲が高いと言うべきか……。

 

「早くなさい!」

「そ、その、ご、ごめん、なさい」

「あなたはきちんと挨拶も出来ない? 引きこもり生活でコミュニケーション能力も無くしたの、将来が不安よ、先生は……」

「ご、ごめんなさい」

 

 もはや半泣きである。

 しかし、こんな人が大勢いるなかで引きこもりを暴露し、生徒をなじるなど下手をすれば苛めに発展する。教員としては下の下である。

 

「ギャスパー・ヴラディ、そもそもあなたは──」

「……先生、そろそろ授業を初めてください」

 

 手を挙げてギャスパーに助け舟をだしたのは小猫だった。

 どうやら同じクラスのようだ。顔に若干の苛立ちが見てとれる事から女教師に対して良い感情を持っていないのは明らかだ。

 

「ふん。確かに無為な時間ね。では教科書の89ページを開きなさい」

 

 ピリ付いた雰囲気の授業が始まる。クラスメイトや親たちもギャスパーに同情しているが女教師の迫力に気負わされて黙っている。暴君の教室とはこの有り様を言うのだろう。

 アリステアは関与せずにひたすら授業内容を見ることにする。

 

「このaをbに代入することで三方の答えが出ます。よってxはこうです」

 

 プライドがあるだけあって授業の内容は高レベルで教え方も悪くない。ひとつおかしいところを挙げるとすれば()()()()な所だろう。黒板を書きながら説明して終わるとすぐ次に行く。なまじ教え方が上手いので付いて行ければ為になる。だが生徒の半分は恐らく付いて行けていない。まるで(ふる)い落とすような授業だ。

 実際、付いていけない生徒など気にも留めていない。優秀な者だけが自分の授業を受ける権利があると言いたげなやり方である。

 ギャスパーは一生懸命に食らいついているが徐々に追いてけぼりにされている。

 ふと女教師がギャスパーを見て、細く笑んだ。

 

「ではギャスパー・ヴラディ、この問題を解きなさい」

「へ?」

「授業を聞いていれば分かる問題よ。早く来なさい」

 

 苛立った様子で黒板を指し棒で叩く女教師。

 どうやら完全にギャスパーは女教師にマークされている。確かに自己主張が苦手で従順な彼だ、多少なり理不尽な要求をされても歯向かう事はない。扱い安さはピカイチなのだろう。

 そんなギャスパーはビクビクしながら黒板の前に行くと『えとえと』と(つぶや)きつつもチョークで答えを求め始める。

 クラス中の視線を浴びるなど、人見知りの彼にとって凄まじいプレッシャーだ。小さな体が震えている。小猫も心配そうに見守っていた。

 

「これをこーして。それでこれをここに……出来た!」

 

 それでも見事に正解に辿り着く。

 女教師が面白くなさそうに眉を潜める。正解するとは思ってなかったのだろう。

 席に戻るギャスパーに向かって小猫が小さくグッジョブと親指を立てた。

 

「えへへ」

 

 それに嬉しそうにするギャスパー。するとアリステアに向かって笑顔を向けてきた。まるで良い点をとった子供みたいな顔をする。

 アリステアは呆れつつも誰にも聞こえないように拍手をしてあげた。少しだけ胸がスッとしたのは内緒である。

 その後の授業は苛烈を極めた。ギャスパーのファインプレイによって機嫌を損ねた女帝が更にスピードを上げたのだ。

 

「(チンケなプライドですね)」

 

 つくづくそう思う。

 授業とは生徒を育てるための教育だ。なのにあの女教師は自身の優秀さを見せつけるために行っている。それなら教師ではなく数学者になるべきだ。間違いなく教員としては失格である。

 ふと、あることに気づく。今、女教師は何問か問題を黒板に書いているのだが一つだけ異様に難しいものがある。間違いなく高校一年生では習うものではない。

 

「では指名された人に問題を解いてもらうわ」

 

 次々と指名される生徒。そして最後にある難問を指名されたのはギャスパーだった。

 それにしても嫌らしい人選をしてくる。全員が(ふる)いから落ちなかった優秀な生徒だったのだ。間違いなくギャスパーだけを間違わせてやろうという魂胆が透けて見える。しかも難問を難問と気づかせないために巧妙に上手く問題を調整している。あれでは普通の生徒は気づかないだろう。

 本当に教師なのかアレは……? 

 沸々と苛立ちが募る。

 案の定、ギャスパーは答えを導き出せずに書く手が止まった。

 

「どうしたの? その程度が解けないとは言わないわよね?」

 

 ひっそりと嗤う女教師。

 先の意趣返しのつもりなのだろう。大変ご満悦の様子だ。

 

「はぁ。ずっと学校をサボっていたからこうなるの。これはあなたが怠けていた結果よ」

「それは……その……」

「だいたい──」

 

 長くも詰まらない説教が続く。

 生徒たちは女教師に目を付けられたくないのか、黙っていた。授業参観にきている親たちも彼女の雰囲気に呑まれている。

 この教室において女教師は一種の支配者。自身の知識を分け与えているのだから、有り難く教授せよと言わんばかりの傲慢さが目立つ。そしてどうやら支配者にとってギャスパーは(てい)の良いオモチャらしい。

 あの女教師はギャスパーを貶めて精神的快楽を貪っているのだ。ギャスパーがこの教師を苦手とする理由が分かった。

 

「──いつまでこんな下らない説教を続けるつもりですか、授業をするつもりがないなら教師は辞めたほうがいいですよ」

 

 傍観者でいたアリステアはついに言った、最高級の侮蔑を乗せて……。

 女教師は数秒沈黙するが言葉の全てを把握するや睨みを効かせてアリステアへ視線を向ける。

 

「わたしの授業に何か文句があるの?」

「無いとでも? ──14分27秒。貴方の言う無為な時間です、授業参観に来ていたはずが個人的な自尊心を満たすお言葉を長々と聞かされる身にもなってほしいものです」

 

 女教師が怒りの表情を見せた。この程度の挑発で感情を剥き出しになるくらいなら黙って授業を進めるべきだ。

 

「随分と若い保護者だけど、もしやギャスパー・ヴラディの関係者?」

「そうですが、何か?」

「いえいえ、見たところ十代のようですが学校はどうしたのかしら? まさか抜け出して来たなんて言わないわよね?」

「まさか。学校という場所には縁がないだけですよ」

「ハッ! 中退でもした? それはそれは将来が不安ねぇ」

 

 嘲笑を向けられた。

 全く今日は本当に運がない。魔王少女には不可解な勧誘をされて今度は学校に通ってないという理由だけでバカにされている。

 

「……本当に無為な時間とやらが好きなのですね。貴方ごときに将来を心配されずとも問題ありませよ」

「ふん。大したこと学歴もない癖に!」

「学歴?」

 

 今度はこっちが笑ってしまった。

 こんな程度の事で人を見下せるとは恐れ入る。女教師にとってそれが絶対的なステータスのようだ。

 アリステアはコツコツと前の黒板に脚を運ぶとチョークを取る。

 ギャスパーが解けなかった半端な式に数字をスラスラと付け足して問題の答えを導き出すアリステア。

 チョークを置いて女教師へ近づく。

 

「補足説明としてb=-a2ー2aー8/aのaが√3の場合、b=ー3ー2√3ー8/√3=5±2√3/√3=(5±2√3)(5ー2√3)/√3(5ー2√3)=13/5√3-6になります、以上。……確かに私の学歴はないに等しい。ですがこの程度なら容易く解ける。貴女の価値観(学 歴)が全てではありませんよ」

「ただの馬鹿ではないようね」

 

 女教師は顔を歪めてい吐き捨てる。苦虫を噛み潰したような顔とはああ言うのを指すのだろう。

 

「おやおや、そんな言葉を使ってはいけませんよ、先生?」

 

 そう言って教室の後ろにもどる。女教師がアリステアへの嫌悪感を隠さないまま授業が再開される。

 今度は黙って静観する気はない。

 授業の進行を細かく目で追う。

 

「先生。そこの式はaから求める方が良いと思います。その解き方では式を二つも増やす事になりますよ?」

 

 その過程で女教師の小さなミスを発見してわざと報告する。

 

「……ちっ。私のやり方に指図しないでほしいわね」

「どうしてそんな遠回りをするのですか? 貴方、有名な数学者なのでしょう?」

 

 女教師は優秀だが完璧ではなかった。当然だ、完璧な人間などいるわけがない。

 本来ならこんな細かな事への指摘をするなどナンセンスだ。しかし女教師が他人に完璧を求めるのならばせいぜい完璧を振る舞ってもらわないとギャスパーに対しての仕打ちは許されない。だから少しでも非効率な数学式を並べれば容赦なく声にさせてもらう。

 なんせ今日は授業参観なのだ。散々好き勝手してきただろう女帝に対してはモンスターペアレントとしてを対応する。

 

「無学歴でも分かる式です。ちゃんとしてもらって良いですか?」

「~~っ!」

 

 優秀だからこそアリステアの指摘が正しいと分かり、反論できない。

 そうやって腐った性根が育てたプライドを叩き潰す。何度も何度も指摘されて明らかに疲弊していく女教師だったが、アリステアは攻撃の手を休めない。人をバカにしたのだから当然の報いだ。

 

「授業はこれで終わりよ!」

 

 やがて授業終了の鐘が鳴ると女教師はアリステアから逃げるように去っていく。

 

「こんなモノ(数学)、将来になんら役に立ちはしないというのに」

 

 アリステアは学園で教わった知識の殆どは忘れられると思っている。偉そうに授業をしていた女教師の数学も例外じゃない。だがそれでも学園生活で残る物はある、その生徒の中で育まれたものこそ本当の教育と言う名を持つのだ。

 ともせず、あの教師の素行は目に余るのでリアスに報告しておこうと決める。

 敵として捉えた者にはどこまでも厳しいアリステア。

 こうして不本意な形で来てしまった授業参観は終わりを迎えた。

 





アリステアに天敵が現れる。


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記憶の地平にて《Speculative Fiction》


彼女が強靭な肉体を得た代償は悪夢だった。



 

 "私"、塔城 小猫は奇妙な夢を見る。奇妙というのは断続的で物語なような夢だからである。

 それは冒険談であり英雄談、そして最も新しい神話だった。

 ある少年を主人公にした蒼の物語を初めて見たのは半年ぐらい前だ。

 "蒼"との出会いから始まり、"戦鬼"と巡り、"白雪"と歩き、"魔導の王"に認められ、"白い騎士"と"黒い騎士"から忠誠を誓われて、"究極の覇"を連れて歩いた記憶。

 

 ──記憶。

 

 そう、これは"私"の夢ではなく"彼"が、かつて進んだであろう記憶なのだろう。

 常に戦いの光景しかなく、常に死が転がっている。

 世界の終わりに続いているような悪夢。

 "私"は決してこれが現実に在ったことを認められない。

 知らない巨大な怪物に、知らないおぞましい化物。

 "はぐれ悪魔"ですらない異形の群れが街を、国を、世界を侵している。気が狂いそうなほどに、この夢の世界は終わっていた。怪物に喰われた人間は糧となり、化物に殺された人間は同じモノにされる。

 

 ──人の力ではどうにもならない。

 

 そんな真実で嘲笑うように人間は次々と駆逐されて逝く。

 今日もまた"彼"が何処かの国で怪物たちを殺す夢なのだろうと思った"私"はいつも通りに静観を決めた。

 "私"の体が勝手に動く。あくまでその眼を借りているに過ぎない"私"は記憶の主である"彼"の行動に黙って追従するしかなかった。

 今回は瓦礫と化した都市だった。冷たい雨がコンクリートを打つ音が聞こえる。

 "私"……いや"彼"がそんな終わる世界を一人歩く。

 やがて"彼"の前に人影が現れた。外見からして女だろう。

 後ろを向いて空を仰ぐ女に一歩進むと怪物と化物が守るようにして"彼"へ立ち塞がる。

 余程に女が大事なのだろう。見た目は怖ましいが、まるで姫君を守る騎士である。

 

『──ある日、地の底から神様がやってきました』

 

 異形たちの姫君は"彼"に背を向けながら物語を綴るように喋り出す。"彼"はその言葉に耳を傾けながらも進む。

 

『──とても綺麗な神様でした。大きくて金色な誰もを魅了する、そんな神様です』

 

 "彼"は手に持った刀を真横に払う。斬るというより、なぞるような一閃。

 だがその刀により自分より遥かに強大な怪物の群を一刀の下に両断する。まるで邪魔をするなら斬り殺すと言わんばかりだ。

 

『──でも、その真は破壊を司り、あらゆるものを破滅させ、奪い、貪り、糧とする邪神でした。その神様はとても強く、人間の武器や兵器では殺せません』

 

 怪物の死体を越えて人間だったおぞましい化物が彼に襲い掛かる。

 

『──時を同じくしてもう一柱の神様が空から現れました。今度は蒼く尊い神様です』

 

 謳うような言葉を無視して"彼"は化物をひたすら斬り刻む。

 

『──しかして、その真は創造を司り、あらゆるものを昇華させ、与え、育み、享受する女神でした。その神様はとても強く、怪物の爪でも化物の牙でも殺せません』

 

 化物たちを全て駆逐した"彼"はとうとう女まで数メートルの前に立つ。

 

『──ならどうすれば良いでしょうか? 答えは簡単です、神様同士で殺し合って生き残った方が世界を手にすると良い』

 

 女が振り向く。

 金色の髪に金色の瞳。

 彼の眼を通して"私"が見たのは可憐な少女だった。

 しかし、その美しいはずの双眸(そうぼう)は異質にして異様。一切の輝きをもたない闇色の黄金──黄昏。

 幼さ残る綺麗な容姿が両手を広げて彼の事を招く。

 "私"はその姿に恐怖した。あの手に包まれば死ぬと予想できたからだ。目に映るのは抱き締めようとする可憐な少女でも、纏う気配では天をも凌駕(りょうが)する巨大な(けもの)が大口を開けているようにしか見えない。

 

『であれば開演にて終焉の幕開け。これより最後の詩で世界の全てを満たしましょう』

「詩的な言葉が多過ぎて付いていけないな。けどよ、お前との因縁にはオレもうんざりしていた所だ。ここらでキッチリと清算しておく」

 

 愉快そうな彼女の宣言に、"彼"は不愉快そうに顔を歪めると刀を強く握る。

 

『あは。やっと顔を見て喋ってくれた。私、嬉しいです』

「せめてもの手向(たむ)けだよ」

 

 少女を見る少年の心が軋むのを感じる。鎖で心臓を縛られて圧迫されるような苦しみに"私"はない腕で胸を押さえてしまう。それは嘆きとも言える感情だった。"彼"の心を知ってか知らずか彼女は蠱惑的に笑みを浮かべる。

 

『うふふ、照れ屋さん』

「……もう喋るな、そろそろ抑えが効きそうにない」

『ええ、ええ! この(とき)こそを待ちわびていました……!!』

 

 "蒼獄"が刀を構えて戦意を高ぶらせ、"黄昏"が胸に手を当てながら愉悦に誘う。

 

「さぁ殺してやるぞ──神様よぉ!」

『さぁ愛してあげます──兄さん!』

 

 瞬間、世界が弾ぜた。大規模な力の暴風と光により空を厚く覆っていた雨雲が消し飛ぶ。

 そして彼と彼女は泡沫のように閃光の中へ消え去る。

 白い世界で最後に垣間見たのは彼の決意と憎悪、彼女の殺意と愛。

 相反する感情の衝突を焼き付けながら"私"──搭城 小猫はもう何度目になるか分からない悪夢から現実世界へと浮上していく。"彼"──蒼井 渚の胸を裂くような嘆きによって目に一杯の涙を流しながら……。

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 

 とある日の放課後、小猫はグレモリーの訓練施設にいた。駒王学園がすっぽりと入ってしまいそうな大きな空間。ここは一誠の家に造られた地下施設だ。 

 一誠の家で暮らし始めたリアスが兵藤家を魔改造した結果、なんの変哲もない2階建ての一軒家は4階建ての西洋屋敷になり、地下には広大なトレーニングルームが出来上がったのだ。

 ともあれ、いつまでも旧校舎の空いたスペースで訓練するよりは便利だ。いちいち結界なんか張らなくても造りが頑丈でちょっとやそっとじゃビクともしない。加えてグレモリー関係者なら直通転移で訪れる事が出来るため小猫も足繁(あししげ)く通っている。

 そんな地下に広がる訓練場は眷属の特性に備えた場所もあり、小猫のスペースにはボクシング事務を思わせるトレーニング装置が多く設置されていた。

 その一つであるグレモリー特製の重硬度サンドバッグを前にボクシングスタイルで構えを取る小猫。

 魔力を練り込んだサンドバッグの砂は非常に重く、並みの悪魔では決して動かすことの出来ない強度だ。

 

「すぅうう、はぁぁぁあ」

 

 息を大きく吸って吐き出すと左へ重心を傾けせながら円を描くように踏み込む。

 

 ゴォオン! 

 

 吊るされたサンドバッグが重厚な音を響かせて小猫の左フックを受け止める。

 サンドバッグが勝ち誇ったように小猫の前で僅かに揺れた。

 しかし小猫はまるで解っていたと言いたげに右のフックを叩き込む。次は左、更に右、繰り返される拳打は徐々に加速して連撃となる。

 呼吸を止めての連続攻撃。

 サンドバッグは段々と揺れを大きくして最終的には90度近くまで跳ね上がる。

 さらに小猫が一歩踏み込むと腰を落として右手を背後に引っ張った。

 

「……えいっ」

 

 ボソッと力のない言葉とは裏腹に撃ち出された拳はサンドバッグを無惨に千切る。大量の砂を撒き散らしながら跳んで行くサンドバッグ。

 小猫はトドメを打った右手をワキワキさせながら、次のサンドバッグを片手に取ってズルズル引き摺って「よいしょ」と掛け直す。

 そして再びドス、ドスと重低音を響かせて殴り始めた。

 自分よりもずっと重くて大きいサンドバッグを相手にする様子はなんとも凄まじい。

 

「はぇえ、小猫ちゃんはすごいですぅ」

 

 声を掛けて来たのは下手な女の子よりも女の子をしている男の娘こと同級生のギャスパーだった。

 

「……ギャーくんも訓練?」

「う、うん。出ないとししょーに怒られるから。あ、ししょーっていうのはアリステアさんの事だよ」

「……そう。怖いもんね、アリステアさん」

「怖いけど優しいよ?」

「……それどっち?」

 

 人見知りのギャスパーがテレテレと笑いながら話す。

 小猫とギャスパーは眷属内でも同い年とあってか気が合う。彼が旧校舎に封印される前はよくプライベートでゲームやアニメなどを見ていた仲だ。だからこそギャスパーの性格もそれなりに知っている。気弱かつ内向的で他人に対して酷く警戒心が強い。そんな彼が、あのアリステアとここまで良好な関係を築けるとは意外であった。

 

「あのね、ししょーはね、僕が化物でも良いって言ってくれたんだ」

「……どういう意味?」

「僕がずっと家族から化物扱いされてたって話したよね」

「……聞いた」

 

 吸血鬼は悪魔以上に傲慢で自尊心が高い種族と聞く。

 ギャスパーはその吸血鬼でも異常なほどに才能に恵まれたうえ、人間とのハーフなため強力な"神 器(セイクリッド・ギア)"も所有している。誰かれ構わずに時を止めてしまう力があってか同じ種族からも(うと)まれて酷い扱いを受けていた過去がある。

 

「化物と言われるのは力を扱えていない未熟さのせいなんだって、だからちゃんと制御して僕を忌避していた奴等を見返せる程度にはしてやるって言ってくれたんだ」

「……あの人がそんな事を?」

「うん!」

 

 理解した。

 ギャスパーは自分の力が通じないアリステアだからこそ恐れていないのだ。彼が一番我慢ならないのは自分の力の暴走で相手を傷つけしまう事。だがアリステアがいればその考えは杞憂に終わる。

 依存に近い形なのかもしないが、こうして外に出れるまでに持ち直した所を見るに悪いことばかりではないのだろう。

 

「……これからギャーくんがまともなってくれるとうれしい」

 

 小猫が旧友の成長を内心で喜んでいるとトレーニングルームにセットされた転移装置から誰かがやってきた。

 リアスだろうと思いきや意外な人物に小猫は驚く。

 

「ししょー?」

「その師匠と言うのはどうにかなりませんか?」

「で、でも色々と教えてくるのでこれがいいですぅ」

 

 アリステアは呆れた様子で肩を落とすもギャスパーの前に重箱を置いた。

 

「なんですか、これ?」

「貴方は華奢過ぎる、食べなさい」

「わぁあ、ししょーが作ったんですかぁ」

 

 蓋を開ければ、これでもかと盛られたおかずやおにぎりの数々だ。だし巻き卵、エビフライ、ハンバーグ……どれもが美味しそうで食欲を駆り立てる。ギャスパーも小猫も弁当に釘付けになった。

 

「……けど、なんでお弁当?」

「ですです」

 

 小猫の疑問にギャスパーが何度も頷く。

 

「まず答えてください。ギャスパー・ヴラディ、昨日は何を食べましたか?」

「昨日ですか? カップヌードルです」

「で、その前は?」

「えと、カップヌードルです」

「では最近食べたカップヌードル以外の食べ物は?」

「…………カップ焼きそば」

「でしょうね。貴方の食生活が乱れているのは顔色と肉体を見れば一目瞭然です。体の状態は魔力にも影響を及ぼします。同じものを食べ続けるなら栄養補助食材にしておきなさい」

「えぇえ! あの飲み物ゼリーやらパサパサのスティックですよね、美味しくないですよぉ」

 

 あんな物は食べ物じゃないと言いたげなギャスパー。もっとも目の前に放っておくとずっとソレで栄養を補給する人間がいるのだが小猫が知る由もない。アリステア自身も強要する気はないのでこうしてキチンとした食べ物を作ってきているのだろう。

 確かにギャスパーの言う通り優しいのかもしれない。

 

「引きこもりで人見知りなダメ吸血鬼がワガママとは随分と良いご身分ですね」

 

 なんて言いつつもお箸をギャスパーに渡した。

 

「うぅ、でもでも、食べるなら美味しいものがいいですぅ」

「ならば黙って食べてください」

 

 アリステアの持ってきた弁当は作りたてなのか、どれもホカホカに湯気を立ち上らせている。食欲を誘う匂いにギャスパーは魅了されている。

 そして小猫もまた和洋中の様々な料理に惹かれていた。察したアリステアが重箱の内の一つを差し出してくる。

 

「余分にあります、欲しければどうぞ」

「……いいんですか?」

「リアス・グレモリーから今日ここに貴方がいることを聞いています。そこのダメ吸血鬼だけに食べさせると私の料理が悲しみますので」

「ひ、酷いです。僕、そんなにダメですかぁ?」

「さ、食べて下さい、搭城 小猫」

「……じゃあ、いただきます」

「無視しないでくださいよぉ~」

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 小猫たちが食事を終えた後、ギャスパーがうたた寝をしてアリステアに持たれ掛かった。

 一瞬だけ緊張が走る。あのアリステア・メアに無遠慮が過ぎる。彼女にどこか壁を感じていた小猫はギャスパーを起こそうとするが、意外にもアリステア本人が小さく首を振って止めた。

 

「……あの、ごめんなさい。ギャーくんが迷惑をかけて」

「なぜ貴方が謝るのですか? 指導役をリアス・グレモリーから頼まれた以上は多少の無礼には目を瞑ります」

 

 リアスの事は別にしてもアリステアは妙にギャスパーに優しい気がした。

 小猫が知る彼女は圧倒的な戦闘力を持つ天涯の者。その真眼(まがん)と銃で幾多の敵対者を葬った白き闇だ。

 こうしてすぐ近くにいるだけで緊張してしまうのにギャスパーからそんな様子が一切感じられない。人一倍臆病なくせにアリステアにだけは心を開いている。ある意味、旧友の斜め上にある図太さに感心する。

 

「こうして二人きりで話すのは初めてですね」

「……はい」

「私が怖いですか?」

「…………はい」

 

 少し言葉を選ぶも正直に答える。恐らく、リアスを含めた眷属の中で一番にアリステアに怯えるているのは自分だと小猫は自負している。誰も知らない彼女を見てしまったせいだろう。

 

「やはり、貴方とナギは繋がっているのですね」

 

 ドクンと胸に衝撃が走った。

 それは誰にも言ってなかった秘密。

 一度はネクロ・アザードによって死に瀕した自分が渚の手によって再び塔城 小猫として生を受けた時より始まった。

 小猫は記憶にない筈の夢を見る。

 最初はただの夢と気にしていなかったが鮮明で感情的で胸が裂ける程の悪夢だった。それが渚の記憶なのかもしれないと思ったのは夢の登場人物にアリステアがいて、自分を指して"ナギ"と呼んでいたからだろう。

 しかし小猫はアレが本当に現実にあったのかは信じきれていない。

 彼女()の見る夢はいつも死が転がっており、街も山も海も例外なく破壊された場面が多い。もしも本当にあったことなら今ごろ世界は……。

 認められない夢の記憶を確認するために、恐らく当事者であろうアリステアへ胸の内をさらけ出す。

 

「……夢を見るんです。全て違う光景なのに同じ夢だと分かるんです。アリステアさんもいました、多分これは渚先輩の……」

「記憶だと証明できますか?」

 

 鋭く言葉を重ねられた。小猫はアリステアが信用できそうな夢の場面を思い出す。

 あるにはある。ただこれは間違いなくアリステアにとって地雷だ。

 彼女の出生にも関わった人物。──メアという姓に籠めれた願いと呪いの発端とする二人の名を挙げれば信じざる得ないだろう。言ったらどうなるか分からないが小猫は意を決してその名前を口にする。

 

「……"魔王" アンブローズ・センツェアートに"不死王" ユーリエフ・クレヴスクルム」

 

 その名を聞いた時、アリステアの目に驚きが写された。

 やはりこの二人に良い思い出はないのだろう。

 だがそれも一瞬、次には元の冷めた瞳に戻っている。

 

「イオフィエルに続いて貴方もですか。しかし出所がハッキリしている分、マシと思うべきですね」

 

 アリステアが額を抑えた。頭の痛い悩みに直面したと言いたげである。

 

「……すいません」

「私が強要したのですから謝る必要ありません。しかしナギの記憶が貴方に転写されているのは驚きました。いえ、零から肉体を構成されたのだからあり得ないこともない……ということでしょうか。まぁ良いでしょう、分かってると思いますがその記憶については他言は無用で願います。──ナギにも、です」

「……やっぱりアレは先輩の記憶なんですか?」

 

 小猫が見ているのはあくまで断片的なシーンばかりだが生々しい光景の数々は今でも脳裏に刻まれている。それでも到底現実に起きただろうとは思えない。

 渚が戦っていたのはこの世のモノとは思えない"ナニカ"。その戦場は多岐に渡る。時には日本、ヨーロッパ、ロシア、アメリカまであった。どれもが都市を瓦礫の山とするスケールの大きい戦闘だと記憶している。

 しかし小猫が知る限り、そんな情報は存在しない。

 例えば夢の中での"ナニカ"との戦闘で日本列島を大きく両断された記憶を小猫は見た。そんな事をすれば全世界の勢力が黙ってはないのだが、現実の日本は無傷だ。

 記憶だと断言する自分と絶対にあり得ないと否定する自分が小猫の中にはいるのだ。

 そんな彼女を見たアリステアは記憶の真意を肯定するように首を縦に振る。

 

「それは私と渚の過去に確かにあった現実です。あなたのように困惑する者がいるから伏せているのですよ」

「これはいつの話ですか?」

「さて」

 

 適当にはぐらかされる。これが遠い過去なのか最近なのかは分からない。ただ本当にあったことなら恐ろしい隠匿術式を使っている。世界を騙すなど神ごとき所業だ。

 本来なら嘘だと笑っている。アリステア・メアと出会っていなければ……。

 彼女は小猫の知る理の外に存在だ。誰もが不可能と思う事柄も普通にやってしまいそうである。

 

「渚先輩には?」

「貴方自身も理解できているはず、あれは()()()()()渚にとって不要なものです」

 

 アリステアの言葉に小猫は眉を潜めた。

 

「……先輩はいつだって人間でした。たくさん失って、たくさん泣いて、たくさん助けた」

 

 夢の渚は自分のためと偽り、誰かを助けるために力を振るう偽悪者だった。

 疎まれつつも退かず、呪詛を吐いた相手を背に庇って、泣きそうなほど痛い思いしながらも戦いをやめない。

 彼の"蒼"とは強大無比な力だ。それこそ"神滅具(ロンギヌス)"以上の厄災を招く。使い方次第では多くを奪い、欲を満たせる。

 そんな力を手に入れたのに人間として正しくあり続けた渚の精神は気高いものだと小猫は思っている。

 

「知っています。私が言っているのは客観的な意見ですよ。誰にも到達できない破壊の臨界者であり、頂きに座する守護の君臨者。──もはやそれは人ではない」

 

 重たい沈黙が二人を包む。

 小猫は反論したかったが言葉を見つけられない。きっとアリステアは小猫以上に渚を理解している。

 小猫は渚の記憶と想いを知っているから彼の側に立っているに過ぎない。

 これがアリステアだったらどうだろうか? あいにく小猫の中にアリステアの記憶はない。何を思って、何のために戦うのかが分からない。だからこうして緊張してしまう。彼女は小猫にとって巨大な戦闘力を持つ未知の存在なのだ……。

 力ある者を人を恐れる。自らより上位の存在に対して生まれるのは基本的に二つの感情だ。

 恐怖か、畏敬か……。

 どちらにしても人間として扱わない。つまりアリステアが言っているのはこういうことなのだろう。

 渚の中身を知る由がない人たちにとってみれば簡単に自分を殺せる怪物としか映らない。

 歯がゆいが、これも真実だ。

 

「この話は終わりにしましょう。さて塔城 小猫、私から一つ質問を良いですか?」

「……どうぞ」

 

 アリステアは小猫に答えを求めなかった。

 助かったと思う反面、情けないと項垂れながらもアリステアの質問を待つ。

 

「貴方はリアス・グレモリーと蒼井 渚、どちらにするつもりです」

「え?」

「どちらを主として仰ぐのか、と聞いているのですよ」

 

 急な質問に呆気を取られた。

 今まで考えたこともない。自分はリアスに救われて悪魔となったが一度死んで渚に救われて生き返った。

 こうして考えたら自分はアリステアと同様に渚と寄り添うべきなのだろうか。しかしリアスも大事な主だ、裏切る事は出来ない。

 

「はっきり言いますが貴方はもう悪魔ではない。表面上はそうですが中身は私と同様に蒼に連なる者となっています。いずれは魔王を越えて神すらも討ち滅ぼせる力を秘めている。……その力で何を為すのですか?」

 

 アリステアのアイスブルーの瞳が鋭く小猫を貫く。

 自覚はある。もはや小猫の力は最上級悪魔に比肩しえる。未熟な今でもこうなのだから成長していけば更に上を目指せるのだ。

 自らの内を覗き込めば魔力でも妖力でもない、もっと純度の高い力が巡っているのが分かる。

 気づけばアリステアに助けを求めるような目を向けていた。

 

「……私は選ばないといけませんか」

「最終的にはそれがいいかと。しかし別段、こちら側になることを強制している訳ではないのでゆっくりと考えて下さい。……もう渚に()()()は必要ないのですから」

 

 アリステアは悲しげな瞳で小猫を七人目と言った。

 小猫は知っている。

 かつては渚の元にいた蒼で結ばれた六人の仲間の記憶はある。しかしその仲間はアリステアを残して渚のそばにはいない。

 記憶を見ているといっても、全てではなく断片的にしか知らない小猫には渚の仲間たちがどうなったのかはわからない。

 ただアリステアの様子からして無事ではないのだろう。

 

「そろそろ訓練を始めましょう。……起きなさい、いつまで私を枕代わりにするのですか」

「あいた」

 

 アリステアがビシッと凸ピンをギャスパーに加える。

 

「ししょー、痛いですよぉ」

「勝手に寝る人が悪いのでは?」

「うぅうう」

 

 半泣きで抗議を訴えてくるギャスパーがアリステアを恨めしそうに見つめていると再び転移装置が起動して新たに人影がやってきた。

 

「……あ、部長」

「朱乃さんもいますぅ」

 

 やってきたのはリアスと朱乃だ。恐らく学校帰りだろう二人は剣呑な雰囲気で小猫たちに方へ歩いてくるやアリステアの前で止まった。

 

「アリステア、戦争へ行くわ。力を貸してちょうだい……!」

「色々と言いたいことはありますが敵対勢力は?」

「堕天使 アザゼルよ」

「あー、彼ですか」

 

 憤怒に燃えるリアスに対してアリステアは気のない返事を返すだけだった。

 あのアザゼルが動いたというのに、大事に(いた)らないと解っているような素振(そぶ)りに見える。

 そう感じた小猫はアリステアの余裕に首を傾げるのだった。

 





果たして渚は何と戦っていたのだろうか……。


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漆黒の天使、来たりて《Azazel》


神器を求める堕天使の襲来。



 

 一誠は深夜の住宅街を自転車で走っていた。

 時刻は0時を過ぎている。本来なら寝る時間なのだが悪魔の仕事があるので働かなくてはならないのだ。

 しかし眠気はない。悪魔に転生した影響で夜になると体の調子が良いくらいだった。逆に太陽の前では気だるさが酷い。リアス(いわ)(じき)に慣れるらしいので、しばらくは我慢の日々が続くだろう 。

 そんな一誠だが悪魔特有の悩みがあった。

 それは颯爽(さっそう)と転移を使って契約者の所へ行けないことだ。本来は呼び出した人間の下へ転移陣を使って移動するのだが一誠は魔力が少ないため使えないのだ。

 下級の身で中級悪魔は倒せるのに魔力が底辺というヘンテコな悪魔が今の一誠である。

 だから現在はママチャリを使っての通勤が続いていた。悲しいが将来、上級悪魔(けん)ハーレム王になるための下働きだと頑張っている。夢はまだ遠いが諦めるつもりはない。自身に宿るエロスを力に変えて夜の住宅街でキコキコとペダルを回す。

 ふと左手に目を向けた。

 

「聞こえるか、ドライグ」

『なんだ相棒。あの天使(イオフィエル)が言っていた俺と"蒼"とやらの関係が気になるのか』

 

 ずっとドライグに聞こうとしていた事を改めて言葉にする。

 

「一応な。俺と小猫ちゃんはソレが原因でアルマなんとかっていう奴ら狙われるみたいだしな」

『すまないが"蒼"と俺がなんらかの繋がりがあるという話は信じきれていない』

「そっか」

『……だが』

 

 歯切れの悪いドライグ。何かを思うことがあるようだ。

 

「なんかあんのか?」

『俺自身が蒼井 渚に妙な懐かしさに似た物を感じたのは事実だ。かつて失われた記憶の中にはあったのかもしれん』

「かつて失われた? もしかしてお前も記憶喪失なのか?」

『"聖書の神"が俺を"神 器(セイクリッド・ギア)"に封印した際に幾つか能力を切り取られた。その時あるいは記憶もだったかもしれん。加えて相棒が禁手に至った経緯にも疑問が残る。通常は宿主の成長で"神 器"(セイクリッド・ギア)は覚醒するにも関わらず、相棒は至った』

「確かになぁ。弱っちぃ俺がいきなり"神 器(セイクリッド・ギア)"の奥義みたいなもの使えるのもおかしい話だ」

『いや、不可能ではない』

「マジ!?」

『俺が本気で手を貸して相棒が四肢を(にえ)にしたら10秒くらいなら使える』

「贄って怖いこと言うなよ……。でも、それだけして10秒なのか。じゃあ今、5分以上使えてるのは俺たちの力じゃないって事だ」

『外的要因が大きいだろうな。目覚めた時から"神 器(セイクリッド・ギア)"が異様に活性化していたのは確かだ。こんな現象は今までは無かった』

「やっぱ、ナギが関係してんのかな?」

『あぁ、蒼井 渚と相棒が近くにいれば俺の力が増大する。あの男が"神 器(セイクリッド・ギア)"になんらかの影響を与えているのは間違いない』

『じゃあイオフィエルさんの話もまんざら嘘じゃないって事か』

『可能性の話だがな』

 

 どっちみち真実は分からないという事である。

 一誠は(ちゅう)ぶらりんの情報に踊らされながらも契約者さんの待つ家へ自転車をこぎ始めた。

 

「うっし! 今日こそ本契約をとってやるぜ!!」

 

 悪魔の仕事である契約。

 これは力を貸す代わりに(なん)らかの報酬を受け取る悪魔ビジネスを指すのだが一誠には残念な事に顧客がいないので売り出し中の身だ。

 幸い自分を使った客の受けは良く、リピーターとして仮契約は続いているので近い内にもしかすると本契約も取れるのではないだろうか期待をしている。

 そして今日は初めて会う客なので少し緊張していた。

 契約には色々あって、例えば悪魔の能力を見せて欲しいや契約者の個人的な悩みの解決など内容は多岐に渡る。

 とにかく客の求める物を与えれば成功と言える。

 さて今日のはどんな依頼が待っているのだろうか。

 

「ここ……だよな?」

 

 やって来たのは、そびえ立つ立派なマンションだった。渡されたメモに書いてあった部屋の入り口に近づくとインターフォンを鳴らす前にドアが開く。

 タイミングの良さに驚く一誠を前に男が笑顔を迎えてくれた。

 

「おう待ってたぜ、悪魔くん」

「あ、グレモリーから派遣された兵藤 一誠です。今日は依頼の件でよろしくお願いします」

 

 心臓が緊張を帯びた。

 その依頼主の男を一言で言えばワルそうなイケメンだろうか……。見た目や雰囲気などが悪党っぽく見えるので無理な注文をされないか不安になる。

 バレないように注意深く相手を観察する。

 歳は二十後半か少し上。黒い髪に浴衣姿なのだが風貌が日本人離れしているので外国人なのは間違いなだろう。

 

「そんな警戒するな、別に取って食らったりはしねぇよ」

 

 内心を完全に読まれてドギマギする。

 これがリアスの評価を下げる結果になったらと思うと別の緊張感に襲われた。

 

「ふーん、へぇー。なるほどねぇ」

 

 マジマジと一誠の頭から足の爪先を見る依頼主。

 探られているようで、あまりいい気分はしない。

 そんな一誠を見るなりニヤつくと手招きをしてくる。

 

「ま。入れよ、悪魔の仕事をやってもらうとしよう」

「……はい、お手柔らかに」

 

 ビクビクしつつも彼の後に付いていくとテレビの前に案内される。

 

「さ、これが依頼したい内容だ」

「……え?」

「どうしたよ? 鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔して」

「いえ、えと、なんと言っていいのか」

 

 なんだ、コレ……。

 一誠は意外な場所に意外な物が転がっている事に気づく。

 

「俺はゲームが好きでね。トランプやボードゲームなんかは昔から良くやったもんだ。そんでもって最近はテレビでやる奴にチャレンジしてんだよ。それで今日はコイツをやろうと思ってんだが相手がいなくてね」

 

 そこにはゲーム機と二つのスティックコントローラーが用意されており、画面には一誠がやり込んだ格闘ゲームのタイトルが映されている。

 まさか今回の依頼はこれなのだろうか……。

 

「あの、もしかしてですけど……」

「そうだ。俺とゲームをしてもらう、人気のタイトルなんだろ? ならやっとくべきと思ってな。ほら、時間が惜しい、さっさと始めるぜ?」

 

 二人分の座布団を敷くと依頼主が余った席を手で叩いて一誠を急かす。

 まさかこんなワル系の大人からテレビゲームの対戦を依頼されるとは思ってもみなかった。

 

「……俺ってこの手のゲーム強いですよ? 初心者さんですよね?」

「あぁ、んじゃ軽く頼むわ」

 

 そして戦いは幕を開ける。

 所謂コンボーゲームと言われるソレは初心者と経験者ではまず戦いにならない。

 キャラごとに繋がる攻撃が違うしタイミングも合わせないと簡単に抜けられる。経験と感覚が物言うゲームだ。

 実際、依頼主は一誠のキャラにボコボコにされてしまう。

 初戦でやり過ぎたと思った一誠は、次から少しだけ手を抜きなら対戦を繰り返す。

 しかし……。

 

「なるほどキャラによって得意分野が違うのな」

「ええ、このゲームはキャラの個性が強いですから」

 

 5戦を越えた辺りでキャラ特性を見極めると無闇な攻撃を止めて防御を使いこなし始めた。

 

「お、この攻撃は繋がるか」

「うわ、それのキャンセルタイミングってシビアなんですよ」

 

 10戦を超えた所からダメージ効率がやたら高いコンボを構築する依頼主。恐ろしいことに一度やったコンボは正確に決めて来る。

 

「この隙はチャンスってことだろ?」

「げ、直ガからの反撃かよ!」

 

 15戦からは実用的なコンボを完成させて一誠の体力ゲージを確実に削って来た。

 

「そこでの必殺技は分かってたぜ」

「げ! モロに喰らった!?」

 

 20戦にもなれば確実な防御と攻撃を繰り出して一誠を押し始める。

 

「はは! どうしたどうした、もう少し考えてゲージは吐け!」

「ちょっと、なんでそれが見えるの!」

 

 25戦目には逆に一誠の敗けが多くなった。

 

「うぉおおおおお、また負けた!! 上達、速すぎないですか!?」

「中々どうして格闘ゲームっつうのは楽しいもんだな。それで終わりにするかい?」

「何をいってんですか、コレからですよ!!」

 

 26戦目が開始された。一誠は相手のキャラの挙動を見逃さないと目を離さずに集中する。

 

「いいねぇ。気合いのある奴は嫌いじゃない、流石は赤龍帝だ」

「それは関係ないで……すよ」

 

 依頼主の言葉に一誠の手が止まり、ゆっくりと画面から依頼主へ視線を向けた。

 今、なんと言った。

 背中に冷たい汗が流れた。何故、人間がその名を知っている……。もしかしてこの男は此方側の存在なのだろうか。

 一誠が生唾を飲み込んで依頼主から少し距離を取った。

 

「あんた、誰だ?」

 

 依頼主は画面を見つめつつも不適に嗤う。

 

「──アザゼル。堕天使の頭をやってる。よろしくな、兵藤 一誠」

 

 動きを止めた一誠のキャラがフルコンボで一気に倒される。

 対戦が終了すると同時にアザゼルが自分の存在を証明するように十二枚の黒い翼を広げるのだった。

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 

 一誠とアザゼルが邂逅した翌日。

 

「アリステア、戦争へ行くわ。力を貸してちょうだい……!」

「色々と言いたいことはありますが敵対勢力は?」

「堕天使アザゼルよ」

「あー、彼ですか」

「朱乃、盤上の駒は揃ったわ。──出陣よ」

「はい、部長。徹底的に叩きましょう」

「堕天使と戦う理由を聞いても? いきなり戦うのは性急に過ぎます」

「アザゼルが私のイッセーに接触してきたのよ……!」

「ついにここまで堕天使の魔の手が来ているのですわ!」

「……堕天使の総督が眷属に接触したくらいで戦争とは大袈裟です」

 

 アリステアは呆れる顔を隠そうともせずにグレモリーのツートップを見た。揃いも揃って堕天使に対し宣戦布告を告げたのだからそうもなる。

 たった数人の悪魔だけで堕天使の軍団に挑むなど喧嘩にもならない。今の状況で挑めばあるのは数による虐殺だ。とりあえず、二人には現実を見てもらいたい。

 

「戦いにならないですよ。まず落ち着くことをお勧めします」

「落ち着く? あのアザゼルがこの駒王にいるのよ」

 

 アザゼルが一誠に接触した事柄はリアスの危機感を相当に(あお)っているようだ。

 しかしだ、あのアザゼルがこんな簡単に悪魔領地へ侵入するという危険行為を犯すとはアリステアも意外であった。下手を打てば冗談抜きで戦争ものである。あとで連絡を入れる必要がありそうだ。

 

由々(ゆゆ)しき問題よ。あの堕天使の総督(アザゼル)はきっと私からイッセーを奪いに来たと考えるべきね。あの男が"神 器(セイクリッド・ギア)"に強い執着心を持っているのは有名な話よ。"神滅具(ロンギヌス)"ともなれば力づくで来るかもしないわ。あぁ"聖魔剣"という(ことわり)を無視した祐斗も狙われるかもしれない! いいえ、アーシアだってそうよ。不味いわ、ギャスパーが(さら)われる可能性も……!」

 

 世界の終わりみたいな顔をするリアス。

 こう言っては失礼だが少し面白い。自分の眷属をああまで大切にする悪魔も珍しい。

 

「部長。すぐに冥界に連絡を入れるべきではないでしょうか? 相手は組織のトップです、今のままでの戦力では危険があると進言しますわ」

 

 朱乃が強い意思で推奨した。

 

「けれど、いきなり魔王の権威を振るうのは……」

「相手はあのアザゼル総督。全力で挑まないと奪われてしまいます。堕天使に何かを奪われるなどあってはならない」

 

 怨念めいた口調の朱乃。この彼女らしくもない態度から個人的な私怨も混じっているのが透けて見える。堕天使と人間のハーフという過去が関係しているのはアリステアにも想像に容易(たやす)い。

 少し度が過ぎている気もするが、いつもは大和撫子の朱乃が今は夜叉に見える辺り相当に堕天使を恨んでいるのは間違いないだろう。

 とりあえず暴走しがちな二人を止めるためにアリステアは動く。自分はあくまでギャスパーの面倒を見るためにいるのだ、勝ち目のない戦争に付き合うためではない。

 

「そこまで(あせ)る必要はあるのですか。ただの偵察と思いますが?」

「アリステアさん、堕天使の狡猾さを舐めてはダメですわ、きっと何かを企んでるに違いありません」

「くっ、まさかアザゼルが直接やってくるなんて予想外ね。もう駒王は堕天使の軍勢に囲まれていると考えた方がいいわ」

 

 聞く耳持たずとは今のリアスと朱乃のことだろう。

 麻酔弾でも撃ち込んで黙らせるほうが簡単な気がしてきた。

 (はた)から見れば他人事だが、アザゼルというのは三大勢力だけではなく他の神話体系に名前が知れている大物だ。そんな人物に目を付けられて気が気でないのだろう。

 (もっと)も彼が戦争を望んでいないと知っているアリステアからすれば杞憂(きゆう)でしかない。一見して破天荒な男だが、その実は慎重かつ冷静な性格だ。何も考えずに戦争に(おちい)るような真似はしない。

 それを説明するには自分がアザゼルと内密に交流していると白状しなければならないので、どうにも説明が難しい。

 麻酔は最終手段に取っておくとしてリアスをどうやって(いさ)めるかを考えていると……。

 

「これは随分と嫌われているね、アザゼルも」

 

 耳障(みみざわ)りな声が聞こえてくる。

 見ればイオフィエルが訓練場に立っていた。

 急に現れた智天使(ケルビム)(おさ)に嫌悪感を覚える。勝手な感情だと分かっていても彼女といると思い出したくない人物を思い出すのだ。この天使と接している自分は相当に嫌な女だと自覚していても治せない辺り、まだまだ未熟者だと痛感させられる。しかし、なぜこのグレモリーの訓練場の転移装置から天使がやって来れたのだろうか。

 

「わわわ、あの時の天使さんです。こ、小猫ちゃん、ど、どど、どうしよう!?」

「……ギャーくん落ち着いて」

「無理ぃ! 神々しさで溶けちゃうぅ! 悪魔で吸血鬼な僕にとって天敵さんですぅ!!」

「ははは。やはり面白いな、彼。さて、わたしがここにいる理由だったかい。それは、わたしが、凄いからさ!」

 

 後光が見えそうな位のドヤ顔で自慢げに言い放つイオフィエル。

 何を偉そうにしているのかとアリステアは冷めた視線を送る。こんな悪魔濃度が高い場所なのだ、少し集中して探知を行えば嫌でも見つけられる。

 

「ひぃぃい! この天使さま、凄いけど怖いぃ!」

「……ギャーくん、うるさい」

「いたい!」

 

 (わめ)くギャスパーに制裁を加える小猫。

 情けない、自分を師匠と仰ぐぐらいならこんな程度で狼狽えないでほしいとつくづく思うアリステア。

 ギャスパーの惰弱(だじゃく)さに辟易(へきえき)しているとリアスがイオフィエルに声をかける。

 

「貴女は天界に帰ったのではないの?」

「しばらくは人界に身を寄せるつもりさ。わたしとあなたは同盟しているのだから駒王の滞在を許可してもらいたいのだがね」

「それは構わないのだけど……」

 

 歯切れの悪いリアス。悪魔の領地に天使がいるということ事態が何らかの問題に発展しかねない。それでも同盟を組んでしまった手前、無下にも出来ないのだから心境は複雑だろう。

 

「自らの立場を考えきれないで智天使(ケルビム)の長とは、なんとも嘆かわしい事です」

 

 だからアリステアが代わりに不満は請け負う。

 最も顔を会わせたくない存在が自分のテリトリーを侵そうとしているのだからリアスの分も文句を言ってやろう。

 けれどイオフィエルはニヤッと嗤う。

 

「いたのか? わたしは少し残念な気分になるよ」

「それは居て良かった。貴女がいると世界問題になりかねません、大人しく天に帰ってはどうです?」

「既に手は打ってある、問題にはならないさ」

「それは良かった。ではお引き取り願います」

「聞いていたかい? 問題にはならないんだよ?」

「ええ、ですが私が不愉快なので消えてくださいと頼んでいるのです」

「ははは。それが人に物を頼む態度なのかな?」

「強制送還をお望みで? 魂だけになりますがよろしいですか?」

「やはり物騒な人だな、あなたは」

 

 剣呑な雰囲気。

 今にも殺し合いが始まりそうな部室。

 自分とイオフィエルは相容れない存在だと互いが自覚し合っているだけに両者が歩み寄ることはない。感情が先走って相手を認めきれないのだ。

 しかし、もう一人の冷静な自分が合理的でないと訴えてくる。

 イオフィエルは信用できないが何も用がないのにわざわざアリステアがいる場所へ足を運ぶとは考え難い。なんらかの情報を持ってきたと見るべきだろう。

 それに、会うたびに反目しあっては何も得られない。だから感情を理性で押し潰す。

 

「用件を聞きましょう」

「おや、聞いてくれるのかい? 一体どういう心境の変化かな?」

「私の癇癪でリアス・グレモリーに迷惑を掛ければナギになんと言われるか分かったものではないで」

「ふーん。まぁいいさ。リアス、あなたに紹介したい人物がいるんだがいいかな」

「私に? 天界の関係者かしら」

「そうとも言えるのかなぁ。取り合えず勝手ながら駒王に来てもらう事になっているから付いて来てくるといい」

 

 そう言うとイオフィエルは手招きしながら転移陣を造り出す。

 

「折角だからここにいる全員を紹介するとしようか」

 

 転移の光が全員を包むと駒王学園の旧校舎裏に出る。

 

「駒王学園?」

「以前にマーキングしてね。悪いが勝手に選ばせてもらったよ」

 

 飄々(ひょうひょう)とした口調のイオフィエルに案内されてやってきたのは少し広場になっている場所だ。そこへとやってきたアリステアたちを待っていたのはゼノヴィアだった。まるで生気のない顔色をした彼女にリアスと朱乃が顔を見合わせる。

 神の不在を聞いてからずっとあの調子なのだろう。信じるべきものがいないと知った信徒の行く末がアレでは誰も救われない。

 

「最近はこの調子でね、どうにか出来ないかが目下の悩みだよ」

「原因は貴女でしょうに……」

 

 イオフィエル、リアスの各々がゼノヴィアを見て言った。

 ゼノヴィアがアリステアたちに気づくと小さく会釈する。その動作もぎこちなく戦士とは思えないほど足取りも危うい。アリステアは、そんなゼノヴィアなど無視する。

 

「それで誰が来ると言うの?」

 

 腕を組んで訪ねるリアスに空を指すイオフィエル。

 

「漆黒の天使は来たりて」

 

 突然、空から疾風が舞い降りる。

 巻き上がる砂塵に顔を隠す面々。

 何かがリアスたちの前に落ちて来たのだ。

 アリステアはその姿を見るなり、げんなりする。

 ここで来るのか……と頭痛を抑えるように顔半分を手で覆う。

 砂塵を弾き飛ばす黒い羽が舞う。

 

「おっと遅れちまったか、イオフィエル」

「良い時間さ、アザゼル」

 

 イオフィエルが招いたのさっきから話題に挙がっていた堕天使の総督アザゼルだった。

 アザゼルは洋服の(ほこり)を払うとリアスへ真っ直ぐ歩いてくる。

 

「突然だが邪魔するぜ、リアス・グレモリー。知ってると思うがアザゼルだ」

「あ、あ、アザゼル!?」

 

 恐れると言うよりも驚愕しているリアス。

 急にこんな大物が現れればそうもなる。

 事前に連絡を寄越さなかったアザゼルに目で文句を跳ばすアリステアだったがニヒルな笑いで返された。

 

「イオフィエルから聞いてると思うが俺は三大勢力をまとめる為に動くことを決めた。その前にグレモリーには挨拶しておこうと来てやったわけよ」

「それは和平を結ぶという話?」

「そうだ。お前さんのトコの兄貴にも既に書状は送ってある。おいイオフィエル、ミカエルはなんて?」

「愚問だね。天界の近況を知っていての質問かい?」

「じゃあ問題ねぇな。日取りは互いの都合で決めるとしよう。……それじゃリアス・グレモリー、赤龍帝と聖魔剣に会って来て良いか?」

 

 自分の都合でガンガン進めていくアザゼル。

 言うことは言ったからもう良いだろ……と言わんばかりに一誠と祐斗を探そうとする。

 

「だ、ダメに決まっているでしょう! なんで堕天使の総督にかわいい眷属を会わせなければいけないの!?」

「どうせ和平すんだから固いこと言うなって。こっちは結構楽しみだったんだぜ? それに損はさせねぇよ」

 

 ケラケラと笑うアザゼル。

 "神 器(セイクリッド・ギア)"が見たくて(たま)らないという感じである。

 病気が始まったと、ため息を吐くアリステア。

 

「僅か数ヵ月で禁 手(バランス・ブレイカー)に至った赤龍帝に、聖と魔の理を無視した聖魔剣。──そそられるぜ。んで居場所を教えな」

「い・や・よ!」

「なんだよ、ケチくせぇな。わかった、会いに行くのはやめる」

「わかれば……」

「ほいさ」

 

 小気味良く指を鳴らすアザゼル。

 すると転移陣が開いて中から一誠と祐斗が出てくる。

 ──強制召喚だ。

 召喚された本人たちは何が起こった分からずに呆然としていた。

 

「あれ? 俺、昇降口を歩いてたんだけど?」

「僕は廊下だ……一体何が?」

「おぉ来たな!」

 

 相手の意思を無視した召喚を繰り出したアザゼルは二人を見るなり、楽しそうに笑う。

 

「あんたはアザゼル!!」

「なんだって!」

 

 一誠と祐斗が神器を装備して構えた。

 アザゼルは臨戦体勢に入った二人に感心する。

 

「おっと急にか。だが構わんぜ? ちょっと揉んでやるから"神 器(セイクリッド・ギア)"を見せな」

 

 12枚もある漆黒の翼をはためかせるアザゼル、まるでラスボスのような風格と威圧感で場を支配した。

 一誠と佑斗が危機感を感じて禁手を使おうとする。

 待っていましたと言わんばかりにアザゼルが挑発的に手招きした。

 

「さぁ、初め──」

「いい加減にしてください、ラスボス気取りですか」

「がっ!」

 

 アリステアはヤル気満々なアザゼルへ銃口を向けると迷いなくトリガーを引く。マズルフラッシュと共に発射された弾丸は狙った通りの箇所へ直撃した。そう、アザゼルの額へと……。

 硝煙は立ち上ぼり、薬莢が地面に落ちる。

 鉛玉を撃ち込まれたアザゼルだったが、悶絶するだけに済んでいる辺り、やはりただの堕天使ではない。

 

「お、お前、普通撃つか!?」

「これが普通ですが何か?」

「とんでもねぇ女だな!」

「大袈裟な。なんの付与もない只の弾丸です。この程度では死なないでしょう?」

「何が只の、だ。その弾丸自体がお前が精製した特注品だろが、それだけでダメージは入るんだよ。おい、イオフィエル、お前も笑ってんじゃねぇ」

「いやぁ弾丸を受けた時の顔が面白くてね、くくく」

「マジで性格が悪いな、お前ら」

「「一緒にするな」」

 

 アリステアとイオフィエルの声が心底嫌そうに重なってしまう。

 こればかりは仕方ない。

 性格の良し悪しは関係なしに並列にされるのが単純に嫌だった。

 要するに互いが根本的なまでに相性が最悪なのだ。きっと渚がこの場にいたのなら『仲良くしろよ、お前ら……』と疲れた顔で呆れ果てていた事だろう。

 

 

 

 ●○

 

 

 

 ──日曜日。

 

 一誠は部活に出ていた。

 オカルト研究部の活動は契約や"はぐれ悪魔"の討伐に集約されるので基本的に明るい時間にはやることはない。

 ならば何をするのかというと単純に戦闘訓練である。

 いつもは旧校舎の裏にある広場で人払いの気配を張りながら祐斗や小猫と模擬戦を繰り返すのが常だった。

 けれど最近は違っていた。

 場所は広大な地下施設。ここは一誠の自宅地下に造られた訓練場。自分ん()の地下にこんなものをぶっ込まれた時は開いた口がふさがらなかった。リアスのやることはスケールが大き過ぎて(いま)だに慣れない。いつか慣れる日がくるのだろうか。

 ともせず、一誠は今日もこの広大な空間で己を鍛えあげていた。

 

「ちくしょう、全然歯が立たねぇ」

「そうだね、悔しいけどレベルが違う」

 

 大の字で倒れて激しく肩を揺らす一誠。隣では祐斗が聖魔剣を杖代わりにして片膝を突いている。

 

「当然だ、ガキんちょに負けるようなら堕天使のトップなんてやってないっつの」

 

 そうは言うが、対戦相手であったアザゼルは満足気だ。

 どうしてアザゼルと模擬戦をやっているかというと毎日のように押し掛けてくる彼にリアスが根負けしたからだ。尤もアリステアとイオフィエルの薦めがあったのが大きかったのだろう。

 ともあれ一誠と祐斗はアザゼルの指導を受けている。

 最初は不安もあったが神器研究の第一人者であるアザゼルの教え方は意外にも解りやすく特訓に大いに貢献していた。

 

「木場 祐斗は聖魔剣は強度をあげた方がいいな。並みの魔剣や聖剣よかマシだが伝説級には、まだ及ばなねぇ」

「どうしたら上げられるのか聞いても?」

「慣れだな。お前は聖魔剣をどれくらい維持できる? 数本の上限は?」

「一本なら一時間。二本目もなんとか」

「そりゃ何もしてない状況だろ? 戦闘時はどうだ」

「時間は半分で一本です」

「短すぎる。最低二本同時の半日を目指せ。スタミナを着けつつ、出来る限り禁手化でいるようにしろ。無理して戦闘をする必要はない、取り合えず持続させることを念頭に置け」

「わかりました」

 

 祐斗から一誠へアザゼルの目が移る。

 

「赤龍帝はこのまま基礎トレーニングを続けろ。お前は禁手に至っているくせに体の作りが足りていない。チグハグ過ぎて鎧の中で肉体がバラバラになりかねん」

「ば、バラバラって……」

「つか制限時間があるとはいえ禁手化に至れるレベルじゃないんだよ。あのヴァーリよりも速いなんてあり得ねぇぞ。どんな裏技使いやがった?」

 

 そんなことを云われても困る。

 自分もどうして至れたのか聴きたいくらいだ。

 可能性があるとしたら、やはり……。

 

「蒼井 渚か……」

 

 一誠の思考とアザゼルの言葉が重なる。

 

「その話は誰から……」

「アリステアからだよ。外部から神器の進化を促すなんて眉唾な話だと思ってたが、今のお前らを見ていると信憑性が高くなるな。……調べたいぜ」

「構いませよ。──命を懸けて頂けるなら」

「うお、いたのかよ。今日は休日だぜ? 一体なんのようだ、アリステア?」

「リアス・グレモリーからの眷属の一人を鍛えるように頼まれているのですよ」

 

 明らかに面倒そうなアリステア。

 

「なぁ木場、アリステアさんが部長に頼まれてる人って確かギャスパーだったよな?」

「うん、同じ"眼"を使う能力者同士らしいからね。似た系統だから部長もお願いしたんだと思うよ」

 

 アリステアと言えばライザー・フェニックスとのゲーム前に行った合宿を思い出す。あの時、渚へ容赦なく実弾を撃ち込んでいたイメージしかない。女装癖のある可愛い後輩が死んでしまわないか不安である。

 

「おいおい、そんなのに付き合うなんて暇なのか?」

 

 からかうように笑うアザゼル。

 

「どうしても……と頼まれたからです。"邪眼"を扱う能力者ですからね。"魔眼"の力を持つ私が指導してるのですよ」

 

 アリステアの言葉が聞いている内にアザゼルの目にだんだんと輝きが灯る。

 

「"邪眼"と来るか。そりゃ"アレ"か?」

「ご想像の通りの"アレ"です」

「よし、俺も付き合おう」

 

 興味津々な様子を隠そうともしないアザゼル。

 一誠たちの訓練を放り投げてしまいそうな勢いだ。

 

「神器バカと言わざる得ませんね……。さて約束の時間まで5秒を切っていますね」

 

 時計を見ながらそんな事を呟く。

 

「5秒ってどう考えても遅刻じゃないか?」

 

 一誠が回りを見渡す。旧校舎の広場に人影はない。あのアリステアを前に遅刻など恐ろしいことをする奴だと感心しつつも同情する。アリステアの恐ろしさはリアスの比ではない。一誠にとって怒らしたらダメな人物のトップランカーだ。

 

「時間通りですね」

 

 ふとアリステアが奇妙な事を言う。

 何が時間通りなのか? 一誠はよくわからない言動をする彼女を見た。

 

「え?」

 

 アリステアの前にはギャスパーが立っていた。

 

「よ、よろしくお願いしますぅ!」

 

 気弱そうな雰囲気でアリステアへお辞儀するギャスパー。物凄く可愛い女の子だが実は男である。

 最初は一誠も度肝を抜かれたが今になっては慣れてしまった。

 時間停止を使う事は知っていたが、こうして急に現れるとビックリしてしまう。

 そんな事を思っていた一誠の肩に腕が回されるとアザゼルがニヤつきながら教えてくれた。

 

「"時 間 停 止 の 邪 眼(フォービトゥン・バロール・ビュー)"を良く制御してやがるな、数ある"神 器(セイクリッド・ギア)"でも扱いの難しさはトップクラスだってのに先生がいいのか、はたまた才能か」

「"時間停止"ってチート能力ですよね」

「チートって永遠と"倍加"出来る奴が言えた事かよ。まぁしかし現グレモリー眷属で一番厄介なのはアイツかもしれん」

 

 回された腕がほどかれる。

 アザゼルは意気揚々とギャスパーに近づく。

 

「よぉ、お前さん、中々神器を使いこなせてるじゃねぇか」

「ひ! ししょー、この人は誰ですか」

「堕天使の総督 アザゼルです。因みに捕まったらバラバラに解剖されますよ」

 

 一瞬のギャスパーの動きが止まる。そしてぷるぷると全身が震えるや叫び出す。

 いや、なんで驚かすんだよと一誠が内心で呆れた。

 

「いぃぃぃやぁぁぁぁぁぁああああ!!」

「うぉびっくりした。なんだよ、こいつ」

 

 アザゼルに一誠も同意した。いきなり叫びだすとは何事だろうか。

 

「ギャスパー・ヴラディは極度の引きこもりで人見知りです。そして恐ろしく臆病でもある。そこに神器マニアの総督が襲来したのです、こうもなります」

「嘘こけ、お前が勝手に付け足した解剖ってのに反応してんだろ、コレ」

「こないでぇえええええ」

 

 ギャスパーの瞳が赤く光るとアザゼルを捉えた。

 

「おっと残念だが下級悪魔の力じゃ俺は止めれない──」

「いいえ。かなり良い線は行ってますよ」

 

 ピタリとアザゼルが動きを止めると右腕に視線を落とした。

 

「驚いたな、右手がまったく動かないと来た。部分的にとはいえ俺すら止めるか」

「中々でしょう?」

「わざとアイツを追い詰めてけしかけたな?」

「貴方に通用するか知りたかっただけです。謝罪しますか?」

「バカ言うな、こんなに興奮したのは久々だっての!」

 

 何かが割れる音がするとアザゼルの腕が動き出す。まるで停止させた空間を砕いたように見える。

 そして目に怪しい光を宿したアザゼルが両手をわきわきさせながらギャスパーに迫る。

 

「ひぃええええええええええ! 動きましたぁ! 解剖されるぅぅぅぅぅ!!」

「しないよぉ。少しだけ、すこ~しだけ、そのお目めをお兄さんに見せてくれないかなぁ」

 

 妙な迫力にギャスパーは泣きながらアリステアの後ろに待避した。

 

「怖い、怖いですぅ。あの人、間違いなく兵藤先輩くらいの変態さんですぅ」

「おい、なんで俺が変態扱いなんだよ!」

 

 ()せない。

 ギャスパーとはごく最近知り合った仲だ。そんな子から変態扱いは理不尽である。しかしギャスパーは捲し立てるように口を動かす。

 

「だって兵藤先輩って女の子の着替えは覗くし、胸ばかり見てるし、挙げ句は女性の衣服を問答無用で剥ぎ取る異能力を開発してると聞いてますぅ。そんなの変態さんじゃないですかぁ!」

 

 どれも的を射たお言葉の数々で、どれ一つとして偽りがない。アリステアを盾にしながら言いたい放題である。

 

「おいぃ! 引きこもりのお前が何故そこまで知っている!」

「ひぃ! い、今はネット社会ですよぉ!」

「俺ってネットに乗ってるのぉ!」

「駒王学園の裏掲示板では兵藤先輩が常にトップにいますよぉ!」

「マジで? 因みにスレッド名は?」

「えと最近のだと……『変態三人集(特に兵藤)は死すべし』とか『兵藤一誠抹殺計画』だったかな?」

「ぐぇ」

 

 精神的なダメージを受けて倒れ込む。

 まさか裏でそんな事になっていようとは……。

 少しは自重しているつもりだったがそうでもないようだ。

 多分これからも書かれ続けるだろうと思いつつ天を仰ぐ一誠。

 

「こっちへおいでぇ。大丈夫、怖くない、怖くないよう」

「いやぁあああああああ、堕天使のラスボスが手をわきわきしながら近づいてきますぅ! ししょー、うわぁああああん!!」

 

 ギャスパーの叫び声を聞きながら、一誠は空の青さと世間の厳しさに涙を流すのだった。

 



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新時代への足掛かり《Peace Talks》


渚が不在の中で会談が始まる。
果たして、平和の先に何が待っているのだろか。



 

 アザゼルがグレモリー眷属たちに顔を出すようになってから少し時間が経つ。その間に三大勢力の和平会談が正式に決まった。堕天使側からは総督のアザゼル、悪魔側からは魔王サーゼクス、天使側からは熾天使(セラフ)(おさ)であるミカエルが出席する。場所は駒王学園。その事からリアスとその眷属たちも出席を求められているとの事である。

 そして、その運命の会談の前日になってアリステアに一本の電話が掛かってきた。

 

「会談? 私は出席しませんよ」

『おいおいマジかよ。三大勢力の和平が実現する奇跡みたいな日だぜ?』

「必要性を感じませんからね。……それと今は部屋の掃除中なので切っても?」

『掃除だぁ? なんでまた?』

「気分です」

 

 部屋の掃除をしている途中でアザゼルから電話が掛かってくるや、いきなり和平会談へ出席しろと言ってきたのである。

 なぜそんな面倒なイベントに自分が脚を運んでやる必要があるのか(はなは)だ疑問でしかない。今はそんな雑談よりも部屋の埃を一つで多く抹殺する方が先決だというのに……。

 そんなアリステアの心情を無視してアザゼルは話を続ける。

 

『ミカエルやサーゼクスに名を売るチャンスだと思うんだがな』

「興味がありませんね」

 

 名を売るなど笑わせる。金や地位が欲しいなら、どこぞの神話体系に魔王や熾天使の首を持っていけば嫌でも上がる。

 アリステアが求めているのは、そんなものじゃないのだ。

 

「それで? そろそろ私を誘う本当の理由を話したらどうです」

 

 電話越しでガリガリと頭をかくアザゼル。それなりの付き合いでアリステアの性格は多少なりとも分かっている彼である、今のは話の前ふりに過ぎないのだろう。

 

『あー、お見通しか。今回の会談が騒ぎになるのは確実だ。他神話の刺客かそれ以外の奴かは分からんが来るだろうぜ。敵の予測が出来ない以上は戦力は確保しておきたい』

 

 アザゼルは観念した様子で白状する。

 やはり三大勢力が手を取り合うのは他所からしたら危険と見なされるようだ。滅びかけとは言え、世界最大の神話体系と呼ばれるのだから当然と言えば当然か。

 この和平で再び三大勢力が再び勢い付くのを危惧している者の多いのだろう。

 だからリスクを無視しても妨害してくるとアザゼルは踏んでいる。だがそれが誰か分からないから出来る限りの最大の備えで迎え撃つ気なのだ。

 

「総督もあろうものが弱気ですね」

『なんとでも言いな、俺はこの会談に懸けてんだよ。こっちからはヴァーリも出す予定だ』

「ルシファーの白龍皇……。彼は危険ですよ」

『どういう意味だ?』

 

 まさか解らないというつもりなのだろうか。ヴァーリ・ルシファーの本質は戦争を求めている。しかしアザゼルが作ろうとする未来では実現しないのは明白だ。……となればどうなるのかは眼に見えてくる。

 

「魔王の因子、龍の力、人の業、まるで戦いの申し子です。そんな彼が和平を望むでしょうか?」

『アイツには十分に言ってある』

「信頼だけで止まる人物には見えませんがね」

『俺が目を光らせているから大丈夫だ……』

 

 段々と声に覇気がなくなっている。

 聡い彼の事だ。そうなる可能性も示唆しているのは間違いない。だがそれ以上にヴァーリを信じたいのだろう。あの戦犯であるコカビエルの殺害も躊躇(ためら)ったくらいなのだ。

 

「心を鬼にするべきですね」

『仮にお前さんの思った通りになったとしたらケツは持つ』

「出来るのですか?」

『しつけぇぞ?』

「……ならこれ以上はやめておきましょうか」

 

 身内には甘いと思っていたが予想以上だ。

 アリステアは十中八九、ヴァーリは和平を良しとしないと思っている。

 駒王学園でコカビエルと戦っている姿からも、闘争を是としている節が多く見られた。元来(がんらい)、龍とは何人(なんぴと)にも従わない勝手気ままな生物。その強大な力の化身ゆえに災害にも数えられる。

 それでもアザゼルはヴァーリを制御出来ると言い張る。

 信頼なのか、情なのかは不明だ。だが相手は二天龍の片割れ。そう簡単に御せるなど考えが甘い。

 最悪、白龍皇が裏切るという事態を考慮しなければならないのだが、アザゼルを宛にするには不安が残る。

 

「もう切ります」

『掃除中とか言ってたけど本当かよ?』

「何が言いたいのですか?」

『いや、お前さんが掃除しているトコなんて想像出来んわ。魔術で適当にゴミを吹き飛ばして終わりじゃないのか』

「そんな事をすると色々なものが破損してしまいます。あとで怒られるのはゴメンです」

『……誰に?』

「誰でもいいでしょう。……貴方の望み通り、会談には出席してあげますから掃除に戻らせてください」

『急に意見を変えて、どうしたんだ?』

 

 よくよく考えれば会談でリアスに何かあれば今の生活は終わる。それが見過ごせないのも事実だ。やっと手に入れたかもしれない安寧の地が脅かされるのは避けたい。

 

「大事なパートナーがおやすみの最中でしてね。騒がしいものは取り除くのは当然でしょう」

『……お前、誰かのために動けるのかよ』

「動けますよ」

『面白い冗談──』

 

 驚愕を含んだアザゼルの電話を今度こそ切る。

 

「失礼な堕天使ですね。……そう思いませんか?」

 

 そう言いながら振り返ったアリステアの視線の先には渚が眠っていた。

 ここは渚の自室。

 現在、アリステアは眠りこける彼に変わって掃除をしている。しかもエプロンを着こなし、三角巾までかぶる気合いの入った姿だ。

 もしも誰かが今のアリステアを目撃したら驚嘆するだろう。一見して炊事洗濯を全てやってしまいそうな新妻である。

 

(ほこり)というのは時間だけで()まっていくものですね」

 

 もう一ヶ月は()とうとしてるのに(いま)だに静かな寝息を立てるだけの渚。

 アリステアは掃除を中断して彼に近づいて腰を下ろすと力のない笑みを浮かべる。

 

「そろそろ貴方の寝顔にも飽きてきましたよ」

 

 少しだけ毒を吐いて立ち上がろうしたときだ。

 

「……なんて顔をしてんだよ」

「ナ、ギ?」

 

 急に声を掛けられた事で面を食らう。

 頬に触れる手の感触。

 渚がうっすらと目を開けてアリステアを見ていたのだ。

 

「起きて──」

「またイジメられたのか? 大丈夫、兄ちゃんが守って……」

 

 渚の視線はぼやけており、遠くを見ている。

 どうやら意識はまだハッキリしていないようだ。きっとまだ夢の中にいるのだろう。

 その証拠にアリステアをキチンと認識していない。

 それでも彼が目覚めたのは嬉しい出来事だ。アリステアは幸せそうな渚の夢に付き合ってやることした。

 

「大丈夫ですよ。私はイジメられてなんかいませんからもう少し眠って下さい」

「……そうか、良かった。じゃあ、もう少し、寝る……よ」

「はい、お休みなさい」

 

 "蒼"による強制的な肉体変成は負荷が大きい。

 渚が次に目覚めた時、彼の世界は変わっているだろう。

 蒼の継承者であり、真器(じんぎ)であり、ヒトの守護者であり、世界の敵であり、蒼獄の鬼神とまで呼ばれた。

 様々な仇名(あだな)を持ち、多くを奪い、多くを奪われた彼がいつか安寧に安らげる場所は自分が探す。かつて救いの手を差し伸べてくれたかけがえのない愛しい人のために……。

 

「私、もっと頑張るからね。──兄さま」

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 

 三大勢力和平会談、当日。

 深夜の駒王学園にアリステアは脚を運ぶ。

 会談は新校舎の会議室を使うと聞いているが、基本的に旧校舎にしか用がない彼女は場所を知らない。だから旧校舎へ向かう。部室には誰かしらいるだろうと思ったからだ。

 予想通り、グレモリー眷属が全員揃っていた。

 

「アリステアさん、今日は随分とご機嫌がよろしいんですのね?」

 

 そう問うてきたのは姫島 朱乃だ。確かに彼女の言う通り機嫌は悪くない。一瞬とはいえ、やっと渚が目を覚ましたのだ。あの調子なら近い内に完全に回復するだろう。

 

「顔に出ていましたか?」

「いいえ。雰囲気……でしょうか。今日はとても柔らかく感じますわ」

「少し受かれているのは事実です。気をつけましょう」

「ししょー!」

 

 気分を落ち着けようとしているアリステアに、ギャスパーが子犬のように走ってくるや腰に抱きつこうとする。

 どうしてこの悪魔吸血鬼は自分に対してこうも好意的なのか謎であるが飛びかかって来るものを受け入れるほど甘くはない。アリステアは半歩引いて避けようとした。

 

「今こそ僕の訓練の成果を見せるときですぅ」

 

 そう言うや"神 器(セイクリッド・ギア)"を使ってアリステアの脚を停めるギャスパー。

 一瞬だがアリステアの脚を中心とした時間が停止して動けなくなる。

 

「ほぅ……」

 

 見事な時間操作にアリステアは感心する。

 停止空間を限定し、一極集中させて効力を高める。これなら短時間とはいえ格上相手に動きを阻害できる。自らの訓練の成果を身を持って感じられるのは嬉しい限りだ。しかし抱きつく為にここまでするとは誰の影響だろうか? 

 

「どうだ! ギャスパー、俺の作戦通りだろ!! やっぱりお前は凄い! 時間を停めて女子に抱き付く、男の夢の一つを叶えてしまった!!」

「はい、ありがとうございます、イッセー先輩にししょーの攻略法を聞いて正解ですぅ!」

「……ギャーくん、相談の相手間違ってる」

「まぁかなりいい作戦だと思うよ、僕は……」

 

 テンションの高い引きこもり吸血と鼻息の荒い赤龍帝にツッコミを入れたのは小猫と祐斗である。

 なるほど、元凶はどうやら一誠のようだ。

 人見知り吸血鬼は眷属となら作戦を立てられる程度には成長したらしい。

 そう呆れていたアリステアはギャスパーに捕まる。あまり体を他人に触れられたくないが裏のない好意を無下にするほど冷たくはない。褒美も兼ねてポンポンと優しくギャスパーの頭を叩く。

 

「今日のししょーはいやに優しいですぅ。はっ! まさか熱でもあるのでしょうか!」

「ふっ」

「いひゃい、いひゃいれすよぉ、ひひょ~」

 

 生意気な口を聞く弟子を引き剥がすと左右同時に頬を引っ張ってやる。男子とは思えない弾力性だ。

 他の眷属たちはそんな師弟のコミュニケーションを微笑ましそうに眺めていた。

 

「私に攻撃を当てたことは褒めてあげます。次は攻撃を避ける訓練を始めますか」

「うぅ、頑張りますぅ」

「精進してください」

 

 ギャスパーの頬から手を離して自由する。

 アリステアは部屋にいる人物に目をやる。

 ギャスパー、リアス、朱乃、小猫、祐斗、一誠、アーシア、付き添いでミッテルトとレイナーレまでいる。何故かアーシアが笑顔で手を振ってきたので返しておく。そういえば最近は彼女と話していない気がする。渚の家には来ているようだが、どうにも時間帯が合わないのだ。いや、避けれている(ふし)すらある。アーシアには少し聞きたいことがあるので、この会談が終わったら食事にでも誘おう。

 そんな事を考えていたアリステアが意外な人物を目撃する。

 

悪魔払い(エクソシスト)が随分と様変わりしたのですね」

 

 アリステアの言葉の先にいたのはゼノヴィア。彼女は罰が悪そうに目を背ける。

 

「……色々考えた結果だ」

「その結果が悪魔となった、ですか」

 

 今、ゼノヴィアから感じるのは悪魔特有の魔力だ。間違いなく彼女は転生悪魔となっている。経緯は不明だがリアスの眷属になったのだろう。

 アリステアの言葉に自嘲を返すゼノヴィア。

 

「……背徳の罪人と笑えばいい」

「どこか可笑しいのですか? 貴方の選んだ道です、誰も笑う権利はないでしょう」

 

 ゼノヴィアの顔を見れば葛藤(かっとう)があったのは想像に容易(たやす)い。自分の信じていたものが虚像だったと突きつけられて、それに命を懸ける事が出来ない自分を恥じているのだ。

 他の教会関係者が今のゼノヴィアを見れば(ののし)るだろう。信じていた物を捨てた咎人(とがびと)となじるだろう。しかし、あれだけ強かった信仰心を持った彼女の決断だ。きっと断腸(だんちょう)の思いだったに違いない。

 無責任な逃避ではなく、自分の人生を初めから見つめ直せたゼノヴィアをアリステアは決して笑わない。

 何かにすがるのを辞めて、自身の足で歩き初める行為は自由だが辛い道のりでもあるのだ。

 

「しかし今日の会談に出席して大丈夫なのですか? 最強の聖剣の一つが悪魔側に渡るのです。問題になりますよ」

「大丈夫よ。ゼノヴィアを私の眷属にするように提案したのはイオフィエルなの。彼女が"熾天使(セラフ)"たちを説得する手はずになっているわ」

「あぁアレが手回しをしているのですね」

 

 リアスの言葉に納得するアリステア。

 あの小賢しい"智天使(ケルビム)"なら"熾天使(セラフ)"の説得も出来るだろう。これは勘ではなく確信だ。あの女は恐らく天界の重鎮(じゅうちん)だ。どういったポジションかは不明だが天界のルールに(しば)られている様子もない。

 

「そうですか。ではそろそろ会談場所に案内をしても貰っても?」

「ええ、小猫とギャスパーは残って頂戴。皆、行くわよ」

 

 リアスの号令に皆が返事をする。

 三大勢力の会談がついに始まろうとしていた。

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 

「学校の会議室にしては大袈裟な装飾ですね」

 

 アリステアが会議室のドアに入るやリアスに問う。

 扉一枚の隔たりなのに、そこは別世界だった。豪邸にでもありそうな絢爛で巨大なテーブルと荘厳な空気。明らかに学校にそぐわない見た目の一室にリアスは苦笑した。

 

「魔力でちょっと弄ったのよ。大事な会談だから頑張りすぎたわ」

「確かにそうですね」

 

 アリアステアは周囲を観察する。

 大きなテーブルを囲むように陣営で席が分かれている。

 天使サイドには天使長であるミカエルらしき人物とイオフィエル。

 堕天使サイドには総督のアザゼルと懐刀である白龍皇のヴァーリ。

 悪魔サイドには魔王サーゼクスと給侍を(おこな)っているグレイフィア・ルキフグス、そして……。

 

「あー☆ アリステアちゃんだ~☆」

 

 元気に手を振る魔王少女セラフォルー・レヴィアタン。彼女を見るなり、アリステアの目から光が失われる。

 

「──帰ります、さようなら」

「待って、お願いだから待って! 今日の会談には、お兄様も貴方に参加してほしいって言ってるの!」

 

 リアスが踵を返したアリステアを必死に止める。

 魔王の頼まれ事を断れないのは分かるが自分の心境も理解してほしいと思わずにはいられないアリステア。

 

「リアス・グレモリー。私にも耐えきれないものがあります。イオフィエルぐらいは我慢しましょう、アレはいつでも()れる。しかし四大魔王も一角を相手にしようものなら双方にとって大変な事になる。分かってください。……貴方は私を冥界と戦わせたいのですか?」

 

 憂鬱(ゆううつ)さを(あらわ)にしたアリステアの話を聞いていたセラフォルーは腕を組んで何度も頷くと沈痛な面持ちで口を開いた。

 もう嫌な予感しかしない。

 

「そう、今冥界では魔法少女が何故かムーブじゃないの☆ だから二人で盛り上げるために戦おうよっ! 打倒ミルキーだよ!」

 

 ほら、やっぱり……。

 セラフォルーの斜め上に天元突破した思考に頭が痛くなる。

 アリステアの言葉を思いっきり曲解したセラフォルーが拳を握って勧誘してくる。そんな魔王少女を諌めたのはサーゼクスだった。

 

「セラフォルー、アリステアさんが言ってる『戦う』の意味はそうじゃないと私は思うのだが……」

「え? じゃあ、どういう意味なのかな☆」

 

 可愛らしく首を傾げるセラフォルー。

 そのままの意味で受け取ってほしい。

 

「わたしはいつでも()れるそうだけど、これは間違いなくケンカを売られているよ、ミカエル。是非とも買って、利子を付けて返してやろうじゃないか」

「ケンカをするなら、どこか遠い場所でお願いします。大変迷惑なので」

 

 笑顔で青筋を立てるイオフィエルから話を振られたミカエルは穏やかな笑みで受け流していた。

 会談とあって誰もが装飾の利いた服を身に付けている。ふとアザゼルがアリステアに目配せしてニヤニヤとからかうように笑う。

 

「そこの真っ白美人さんはレヴィアタンのお嬢さんが苦手と見た。いやぁ完璧超人っぽいヤツにも弱点があって結構だな。そう思わんか、ヴァーリ?」

「あれは弱点なのか? 確かに相性はあまり良くなさそうに見えるが?」

「アザゼル総督、あとでお話があります」

「おい、無表情で言うのはやめろ。……マジ、怖いから」

「質問しますが、なんでアレがいるのですか?」

 

 アリステアが苦い顔で見たのは、元気よく手を振っているセラフォルー・レヴィアタンだ。今日はコスプレではなくキチンとした正装だ。流石に場を弁えているようだ。なら何故、授業参観の時は魔法少女の姿だったのだろうか。やはりこの魔王は不可解である。

 

「アリステアちゃんも会談に出るんだね、感激だな☆」

「いえ、もう帰ります」

「き、気持ちは分かるけど本当に待って、ね?」

 

 リアスが一生懸命引き留める。

 アリステアの腕を取りながらリアスが会場に対して会釈した。

 

「お待たせしてしまったようで申し訳ありません」

「まだ開始時刻ではないし構わないさ。……我が妹とその眷属たちだ」

 

 サーゼクスが各陣営のトップにリアスたちを紹介する。

 

「報告は受けてあります。始めまして私はミカエルと申します。聖剣の件は大変お世話になりました」

 

 ミカエルの言葉にも冷静にお辞儀をして対処するリアス。小さく震えている所からも緊張しているのが微かに見て取れる。眷属たちの手前、強がって緊張を見せないよう努力しているのだろう。

 

「さ、席に座りなさい」

 

 サーゼクスの言葉に従ってグレモリー眷属も席に座る。

 セラフォルーが、おいでおいでしているが完全に無視する。適当な壁にでも背を預けておこうと決める。あくまで自分の依頼された仕事は護衛であり、会談に参加することではない。部外者として静かに終わりを待つのが無難だ。

 

「アリステア・メア、あなたはあっちだ」

 

 部屋の隅にでも行こうとしていた時だ、イオフィエルが妙な事を言う。この会談に自分の席などあるはずがない。アリステアはとりあえずイオフィエルが指す方角に視線を向けた。

 確かに三陣営の間にはもうひとつ空間があった。わざとらしく空いた最後の一区画にあるネームプレートにはアリステア・メア……ではなく蒼井 渚と書かれてある。会談との関係が薄いにも関わらず特別扱いされているような待遇に違和感しか感じない。だが渚の名前を出された以上はアリステアはあの席を使わなければならない。あの椅子を用意したのが誰かは分かる。犯人と思われる堕天使の総督に目配せするがドヤ顔で返された。勝手をされて苛立つと同時に関心もした。この椅子に座らせるというのは今いる三大勢力のトップ陣が同格と認めているようなものだ。

 渚の解決した数々の問題に対する敬意と礼のつもりなのだろう。

 

「本来は彼のための席だが座ることを許可してあげよう、感謝したまえ」

 

 偉そうにもイオフィエルが見下してくる。

 

「貴方の許可が必要で?」

「用意したのはアザゼルだが、名前はわたしのアイディアだ」

「虫酸が走りますね」

「あなたの席を用意するなんて、わたしだってごめんだったさ。それとも座らないのかい?」

「ナギの席ならば座りましょう」

 

 イオフィエルはともかく各陣営の渚に対する礼節には誠意で返さなければ筋が通らない。

 アリステアが席に着くと小さな本を取り出して読み始める。最低限の誠意は見せたが元より真面目に会談に参加する気などない。終わるまでは読書で時間を潰す算段だ。

 そんなアリステアを他所に口を開いたのはアザゼルだった。

 

「よぉバラキエルの娘、元気してたか?」

 

 アザゼルが朱乃に手を挙げながら声をかける。親しみのある口調に対して朱乃は嫌悪しているような瞳を向けた。

 

「普通ですわ。それとその名を私の前で出さないで」

「そんな怖い顔をしなさんな。せっかくの和平会談が台無しだぜ?」

「"王"が望む以上、和平に賛同します。ですが私個人が堕天使をどう思おうが勝手ではなくて?」

「まだ許してはやれないか?」

「堕天使は……嫌いです」

「……そうか」

 

 アザゼルは一瞬だけ目を伏せるが次に瞬間にはレイナーレへ視線を移動させる。

 

「そっちはレイナーレにミッテルトだったな。お前らがコカビエルの為に戦ったのは知っている」

「罰なら如何様にも。あの方のために貴方の願う未来を壊そうとした身です。ですがミッテルトはお見逃しください」

「れ、レイナーレお姉さま!? ウチが罰を受けますから姉さまこそ見逃してくれッス!」

「あほ。道を違えたといえどアイツはダチだ。そいつが遺したモンをどうして裁ける。加えてお前らはアイツを止めるためにも戦ってくれた。礼代わりって訳じゃねぇが何か困ったことがあれば相談しろ」

「アザゼル様……」

 

 深々とアザゼルへ頭を下げるレイナーレとミッテルト。

 流石に堕天使のボスとなれば、いつもの反骨精神は身を潜めるようだ。

 本に目を通しながらも殊勝なレイナーレの声に小さく笑ってしまうアリステア。

 

「レイナーレ、お前は赤龍帝の欠片を宿した堕天使でありコカビエルの遺産だ。──期待してるぜ?」

「はい!」

 

 真面目に話していれば、こうしたカリスマ性を発揮できるのだから堕天使のトップをやっているのだろう。

 いつもふざけた所しか見ていないので珍しいものを見せてもらった。

 

「やぁまた会えたね、アリステアさん。今日は私のわがままに付き合わせてしまって申し訳ない」

 

 アザゼルの話が終わったのを見計らって悪魔サイドに座るサーゼクスが挨拶をしてくる。

 名指しで挨拶されては無視も出来ずに本から目を離して返事をするアリステア。

 

「なぜ私を誘ったのですか?」

「君と蒼井 渚くんには興味があったんだ。妹に力を貸す強者がどんな人物かがね」

「貴方の奥方に渚がお世話になったそうで……。しかし一方的にやられた人を強者扱いとはバカにされている様にも聞こえますよ」

 

 サーゼクスの隣に立つグレイフィアに目配せする。

 ライザーと初めて接触した際に渚とグレイフィアは小競り合いを引き起こした。一誠を殺そうとしたライザーに渚が横やりをいれてグレイフィアが介入した。結果だけを見れば渚が魔力弾で吹き飛ばされて完敗。

 その辺はどう考えているのか。アリステアは冥界最強の"女王(クイーン)"と名高いグレイフィアが、どう答えるのか少し気になった。

 

「彼は紛れもない強者でした。あのまま続けていれば私の方こそ危険だったかと……」

 

 グレイフィアの発言に会場が静まる。

 サーゼクス・ルシファーの"女王(クイーン)"は冥界でも指折りの実力者。そのグレイフィアが渚を認めている。

 アザゼルやミカエルが懐疑的な表情をしているのはグレイフィアの強さをかつての大戦で味わったからだろう。対してヴァーリとイオフィエルは肯定するように小さく笑む。

 そしてアリステアにとっては満足な答えだ。どうやらグレイフィアは物事を正しく捉えれる人物のようだ。少しでも渚を弱者扱いをしたら目に物を見せてやろうと思ったが必要はなそうだ。

 

「最強の"女王(クイーン)"にそう評価されてナギも鼻が高いでしょう」

「左様ですか」

「ええ、それだけでも来た甲斐はありました」

「グレイフィアを連れてきたのは正解だったようで良かった」

「貴方の噂も聞いています」

「私の? それはどんな噂だい?」

「賢王と呼ばれる冥界の超越者。その実力は神をも凌駕するとも……」

「いやぁ困ったね。そこまで持ち上げれると照れてしまうよ」

 

 なんとも軽い印象の男だ。

 本当にリアスの兄なのだろうか? もう少し魔王としての威厳を持った方が良いと思うアリステア。

 

「きゃー☆ サーゼクスちゃん、アリステアちゃんに惚れちゃったの? グレイフィアちゃんがいるのにやるぅ☆」 

「いいんじゃねぇの? 悪魔は一夫多妻だろ?」

 

 独特のイントネーションのセラフォルにケラケラと笑うアザゼル。

 緊張感のない組織のトップである。

 

「ははは。確かに美しいお嬢さんだ、妻がいなかったら放っては置かなかっただろうね」

「サーゼクスさま、今は職務の全うしてください」

 

 おおらかに笑うサーゼクスにグレイフィアは冷静に指摘する。

 悪魔と堕天使が冗談を言い合う。そんな二人をアリステアは鋭く観察した。

 

「なるほど、貴方たちにとっての会談は終わっているのですね」

「どうしてそう思うのかな?」

「随分と昔から和平の話は進んでいたのでしょう? 貴方とアザゼルの間には親愛にも似た情を感じます。些か無駄な話し合いなのでは?」

 

 アリステアがジト目でアザゼルを睨む。

 こんな事ならもっと早く和平を結んでおけと言いたい。

 

「そんな訳にもいかないのだよ」

 

 割り込んできたのは会議室の一席に座っていたイオフィエルだ。

 彼女は何故か席の全てが見渡せる中央に座っている。アレではまるで話し合いの中心人物である。

 

「はぁ」

「なんだい、そのため息は? あなたはわたしが話すたびに嫌な顔をするね」

「よく分かっていますね」

「やはりあなたの事は好きになれそうにないね」

 

 実際、アリステアにとってイオフィエルは過去の亡霊を思い出させる。

 演劇めいた口調、探るような視線、ふてぶてしい態度。どれもがアンブローズという人物と重なる。エル・グラマトンの縁者となれば尚更である。

 

「イオフィエルさんがこうも言い攻める人も珍しいですね」

 

 イオフィエルから比較的近い位置に座るのは金髪の男。恐らくアレが熾天使の長であるミカエルだ。こうして見てみれば確かに徳の高そうな顔をしている。

 

「ミカエル、彼女には気を付けなよ。見た目は美しくても必要となれば君の首を獲り掛かる抹殺者(イレイザー)だからね」

「そうですか、気をつけておきましょう。アリステアさん、イオフィエルさんがご迷惑をおかけしているようで申し訳ありません」

 

 熾天使のトップだけあって礼節を弁えている。

 ミカエルは天界の代表であり注意すべきは部下にあたるイオフィエルなのだ。ここでアリステアを侮辱しようならその権威は地に落ちていただろう。

 

「おやおや、そっちに付くのかい、あなたは」

「和平を志す会談で揉め事をよくありませんよ。天界の代表として貴方の無礼をたしなめるのは当然かと。……もっとも代わってくれるのならば、どうとでもしてくださって結構ですよ」

「お断りだ、その席はあなたが相応しい」

 

 イオフィエルが露骨に嫌な顔をするからに余程、上には立ちたくない様子だ。

 アリステアはこの会話から一つの真実を知った。

 イオフィエルは智天使(ケルビム)であり熾天使(セラフ)よりも位の低い階級だ。しかし他の熾天使と同様に長の代役を務められる程の存在であること示している。いやミカエルの言葉や口調からも彼女こそ相応しいと言っている風にも聞こえる。

 

「そろそろ会議を初めてはどうでしょう?」

 

 今まで黙っていたグレイフィアがそう言う。

 アリステアも大いに賛成だ。再び本に目を落とす。

 

「じゃあてめぇら会談すっぞ」

 

 パンパンと手を叩いて全員を黙らせるアザゼル。

 リアスたちには重要な案件だがアリステアにとって退屈な時間が始まる。

 どんな議題から入るのかと思い耳だけを傾けておく。

 

「アザゼル、本題に入る前に私から悪魔の方々にお礼を言わせて貰っても良いですか」

「構わんぜ。友好的な行動は大歓迎だ」

 

 ミカエルが挙手して意見するとアザゼルは快諾した。

 

「天使と堕天使の問題であったエクスカリバーの一件は大変ご迷惑をお掛けしました。紫藤 イリナからの報告は読ませて貰っています、リアス・グレモリーとその眷属、そしてここにはいない蒼井 渚さんにも心より感謝を」

 

 リアスたちに礼を言いながらもアリステアへ頭を下げた。渚のことを含める辺り好感が持てる。

 

「それで是非とも受け取って貰いたいものがあるのです」

 

 ミカエルが指先で小さく陣を描くと悪魔サイドの席に一本の剣が現れた。

 アリステアは"真眼"で剣の真意を覗く。

 

「これが彼の有名なアスカロンですか」

 

 ミカエルが少しだけ驚きを見せた。

 

「貴方には一目で分かるのですね」

「眼は良いので」

「恐ろしい方だ。……そう、これはゲオルギウスまたは聖ジョージと呼ばれる者が使用していた"龍 殺 し(ドラゴンスレイヤー)"の聖剣"アスカロン"です」

 

 一誠がアスカロンから一歩だけ遠ざかる。

 

「すっげぇ嫌な気配なんだけど……」

「イッセー。貴方は絶対に触ってはダメよ。あれは龍を殺す事に特化した聖剣。悪魔と龍、二つの特性を持つ貴方には最悪の代物よ」

「りょ、了解ッス、部長」

「ご心配なく、これは特殊な儀礼によって悪魔でも触れられるように施しました。この聖剣を蒼井 渚さんにグレモリー眷属にはデュランダルの所持権をお譲りいたします」

「……ミカエル様、私は──」

「良いのです、戦士ゼノヴィア。元は私たち天界に落ち度がありました。責められる事はあっても責める事などあり得ません。貴方の意思を尊重します」

「ありがとうございます」

 

 涙ぐむゼノヴィア。天界のトップからの許しだ、胸あった罪悪の念は薄れて当然だ。

 それにしてもアスカロンとデュランダルを渡すとは随分と思い切ったことをする。どちらも高名な聖剣で天界の持つ強力な武器だ。それを交渉材料にしたミカエルの本気が分かる。

 

「有り難い申し出ですが聖剣は結構です」

 

 アリステアの返答に、この場に集まっていた全ての人物が驚きを表す。

 まぁその顔にも納得だ。無償で強力な聖剣を貰えるのに断っているのだ。そんな事をするのは余程の大バカか、無欲な善人である。尤もアリステアはどちらでもない。

 聖剣アスカロンを渚が貰ったところで活躍の場はないと分かっているからだ。渚は"蒼"の特性のひとつで多武装使い(マルチウェポン)の側面がある。しかもどれもが真の力を解放すれば強力無比な武器だ。今さら龍殺しの聖剣など必要ない。

 

「ナギは既に数多くの武器を所持しているので宝の持ち腐れなってしまいます。しかし折角ですのでグレモリーの眷属に渡すというのはどうですか? 個人的には赤龍帝へ渡したいですね」

「私としては構いませんが……」

「ならば決まりです」

「木場じゃなくて俺にですか?」

 

 一誠の疑問も尤もだ。グレモリー眷属の中で剣の適正があるのは祐斗とゼノヴィアだ。しかし祐斗は過去に聖剣の実験で苦しめらているし、ゼノヴィアも既に最強の聖剣を持っているのだから必要あるとは思えない。加えて使いこなせるかは問題ではない。重要なのはアスカロンの特性にある。対龍、対悪魔に特化した力は将来的に一誠へ大きなアドバンテージとなる。

 

「龍殺しを持つ龍か、面白い。貰っておけ、兵藤 一誠」

 

 アリステアの視線に気づいたヴァーリがアスカロンを受け取るよう強く推す。

 彼とて宿敵となる赤龍帝を少しでも自分と同じ高みに誘おうとしているのだろう。

 

「いいのかよ、この力がお前に向けられる事もあるんだぜ」

「だからだよ。俺と君では戦力差が大きい。それぐらいが無いと張り合いがないというものさ」

 

 ライバルに対して不敵に笑うヴァーリ。

 確かに兵藤 一誠とヴァーリ・ルシファーでは実力に大きな隔たりがある。例え強力な龍 殺 し(ドラゴンスレイヤー)であるアスカロンを用いたとしても差は埋まらない。だが、万が一という可能性はある。倍加を付与し続けたアスカロンを使えば歴代最強の白龍皇でもただでは済まない。

 そこにヴァーリも期待しているのだろう。

 清々しいまでの戦闘マニアだ。宿敵になる者が必殺の武器を得て嬉しがるなど普通ではない。

 

「へぇへぇ、雑魚で悪かったな。部長、俺が貰ってもいいんですか?」

「アリステアが良いと言うのだから貰っておきなさい」

「じゃあ、ありがたく。──後悔すんなよ、最強の白龍皇」

「しないさ。──君の成長を願うよ、最弱の赤龍帝」

 

 侮蔑とも取れるヴァーリの言葉に一誠は熱い闘志を込めた瞳を向けた。

 何時まで経っても赤白の龍は闘争心の塊だと辟易するアリステア。

 

「じゃあ持って帰るか」

「待て、そのまま持っていくのか?」

「んだよ、今さら怖じ気ついたなんて言わねぇよな?」

「違う。折角のアスカロンを神器に取り込まないのかと言っているだ」

「出来んの?」

「君のパートナーに聞いてみると良い」

 

 ヴァーリの指摘を疑いつつも一誠が自分の左手と会話を始める。周囲には赤龍帝ドライグの声が聞こえないので、かなり奇っ怪な光景だ。

 

「……出来るだってさ」

「なら、するといい。左手と話す君は少々間抜けに見えたよ」

「うっさい」

 

 一誠が左手で聖剣に触れると光の粒子になって消えた。

 

「おー」

「"赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"に取り込まれたか」

「なんでもありだな、神器って……。とりあえずアドバイス、ありがとよ」

「構わないさ、今の君では張り合いが無さすぎる」

「人が素直に礼を言ってんのに嫌な態度だな」

 

 赤龍帝と白龍皇がバチバチと睨み合う姿を興味無さそうにアリステアは見ていた。

 今の状態では、どう転んでも一誠はヴァーリに勝てない。喧嘩を売るだけ無駄と言いたい。

 ともせず早く会議を終わらせたいアリステアが手を挙げる。

 

「一つ、質問があります」

「お、アリステアか。なんだよ?」

「三大勢力は血で血を洗う戦いを繰り広げた仲だと認識していますが間違いないですね?」

「ああ、そうだ。俺もサーゼクスもミカエルも多くの仲間や友を互いに奪い合った間柄だ」

「しかし端的に言って、あなた方は仲が良すぎです。この和平は前々から計画されていたと見受けられますがどうなんです?」

「その事については、わたしが話そうじゃないか」

 

 イオフィエルがアリステアの疑問に答える。

 

「アリステア・メア、和平は随分と前から計画されていたんだ。さらに時期を言えば三大勢力の最後の決戦後に提案されたのさ」

「骨肉の争いの経て、すぐに手を取り合おうなど常軌を逸していますね。提案者は余程の大物かバカなのですか?」

「始まりはイオフィエルだよ。コイツから俺は提案された。サーゼクスにミカエルはどうだ?」

「ええ。和平の始まりは彼女からです」

「私に魔王になるよう薦めたのはイオフィエルだったね」

 

 アザゼルの問い掛けに対してミカエルが肯定するとサーゼクスも頷く。

 こんな悪魔みたいな天使が和平を提案したなど信じられない。

 

「これに関しては裏はないよ」

「では何故です、博愛主義には見えませんが?」

「わたし自身が三大勢力に潰れてもらっては困るというのはあった。だがそれ以上に平和を望んだ人がいた。わたしはそれに少し協力したんだよ」

「誰です?」

「わたしからは教えない。これは約束であり誓約だ。死んでも言うつもりはない」

 

 断固とした決意で答えるのを拒むイオフィエル。

 大方、"エル・グラマトン"だろうとアリステアは思っている。イオフィエルを使って和平を実現させたあとに何を得るかは不明だが目的もなしに動く奴ではない。

 

「どうして今のタイミングかと言えば、ちょうど各勢力の力が戻り始めたからだ。戦後の間もなく和平を結べば他の神話系統の奴等が潰しに来るのは分かっていた。だから表向きは仲が悪いと見せつけて、裏では手を取り合う準備をしていた訳だ」

 

 ツラツラと台詞を並べるイオフィエル。

 種族の存命が懸っているとはいえ、なんとも狡猾で豪胆なトップ陣である。

 天使、堕天使、悪魔が手を取り合う。確かに良いことのように聞こえる。

 しかしだ、歪み合って潰しあう事を望んでいる者達からしたら由々しき事態なのも事実。

 この期に三大勢力を争わせたかった輩たちが動き出すだろう。内部からは和平を認めない者、外部には三大勢力を疎んじている神話体系など敵は随分と多い。アザゼルが警戒しているのはそこなのだろう。

 

「(和平を結んだ先は更なる戦いの始まりとは皮肉ですね)」

 

 このトップ陣も新たな戦いの兆しに気づいているはずだ。

 だからこうして手を取り合うための会談を実施した。結束とは良く言ったものだが、少なくともこの会談に出席したトップ陣は本気なのだろう。アザゼルは各陣営に積極的に働きかけ、サーゼクスやセラフォルーは自らよりも大事な妹がいる場を会談に選び、ミカエルは最上位の聖剣を複数も差し出した。

 やり方は違えど各々(おのおの)の誠意が見え隠れしている。

 

「(さて、こうなると決まれば最初に手を出してくるのは何処の誰やら……)」

 

 致し方ないとは言え、少々面倒でもある。

 魔王の妹が管理する駒王町は間違いなく狙われるだろう。サーゼクスには、おいそれと手は出せないがリアスは違う。"超越者"の急所である妹ならば利用価値など幾らでもある。人質、交渉、脅迫、挙げればキリがない。

 

「(主神級の存在に襲撃してもらえば見せしめに出来るのですがね)」

 

 そんな物騒な事を考えた時だった。

 アリステアは急な魔力の増大を感知するや時間が凍結した。体の動きが鈍くなるのを感じる。これは時流操作による空間固定だ。

 そんなことを出来る者はギャスパー・ヴラディの神器の他にはない。

 つまり彼の身に、ここまでの力を発現してしまう程の何かが起きた。

 

「全く以て世話のかかる弟子です」

 

 アリステアはパンっと片手で本を閉じるとギャスパーのいるだろう旧校舎へ向かうため立ち上がるのだった。

 



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招かれざる者たち《Reason for Betrayal》


和平会談に迫る闇。
暗影は静かに、だが確実に手を伸ばしていた。
そう魔刻(まこく)という名の(くら)い影が……。



 

「ししょーたち、まだかなぁ」

 

 ギャスパーがアリステアの帰りを待ちながら部室の天井を仰ぎつつ呟く。

 いつからだろうか、他人を怖がっていた自分がこうも誰かを待ち()びるようになったのは……。

 自分でも変わったなと思う。それほどまでにアリステアはギャスパーの精神的な支えになっていた。

 

「……気が早い、まだ始まったばっかり」

 

 ソファーで携帯ゲーム機をしながら小猫が答える。

 

「そ、そうだけどぉ。小猫ちゃんはここにいていいの? 世界の行く末を決める大事な話し合いだよ?」

「……別に興味ない。ギャーくんのお()りの方が大事だから」

「うぅ~、留守番くらい一人でできるよぉ」

 

 本当ならギャスパーも小猫と一緒に会談へ参加するはずだったが重度な人見知りを考慮されて部室待機を命じられている。リアスの心遣いを有り難く思うと同時に情けない気持ちになる。

 アリステアは反対こそしなかったが、(いま)だ他人を(こば)むギャスパーに落胆したかもしれない。

 もしそうだったらと思うだけで怖くなる。アリステアに見捨てられたら今度こそ立ち直る自信がない。どうやったら彼女に必要とされるのだろうか……。

 

「ねぇ小猫ちゃん」

「……ん?」

「蒼井 渚さんって、どんな人?」

 

 ずっと気になっていた。

 リアスたちグレモリー関係者に随分と慕われているのは知っている。だが面識のないギャスパーでは人となりを知る由はない。あのアリステアからも信頼されているのだから余程の人格者だろう。

 少しだけ胸がチクッとする。

 ギャスパーは知っている。渚の話をする時のアリステアは柔らかく笑うのだ。

 あれは親愛やら恋慕やら情愛などに近い。

 アリステアからそんな想いを向けられる蒼井 渚が羨ましい。

 

「……気になるの?」

 

 小猫は携帯ゲーム機を膝に置くとギャスパーを見る。

 

「うん、ししょーや部長が話してるの、よく聞くから。……強いの?」

「……うん、強い。渚先輩は強くて優しい人」

 

 そんな評価をする小猫が困ったように小さく笑う。その表情から内心までは読み取れない。ただ小猫は渚の強さを手放しで喜んではいなかった。

 珍しいモノを見たとギャスパーは思う。

 彼女は基本的にフラットで感情の起伏(きふく)が少ない。相当な揺らぎが無ければ顔に出ないのだ。それがこうも表に出ている。小猫が渚の何を知って、そんな瞳をするのかは分からない。だが小猫にとって渚が特別な存在というのは分かった。

 

「そっか。すごい人なんだね」

「……ん」

 

 ギャスパーがアリステアを(した)う感情に近いのかもしれない。もっと話を聞こうとした時だった。

 小猫がいきなりギャスパーの頭を押さえると床に伏せる。顔面を強くぶつけたギャスパーは小猫に「何をするんだ」と文句を言おうとした。しかし、その言葉は部室内に吹き荒れた暴風に邪魔される。どこからともなく現れた風に机は飛ばされ、窓ガラスが砕け散り、部室はメチャクチャに()き回される。

 何が起きたか理解出来ず、ギャスパーは悲鳴を上げる事しか出来なかった。

 

「いけないな、少し派手に過ぎましたか」

 

 風がやむと柔らかな男性の声が聞こえる。ギャスパーはこの声の主に覚えがあった。目の前に転がっていたソファーから恐る恐る顔を出しながらその名前を呼ぶ。

 

「ラグエル……さん?」

 

 それはかつてイオフィエルと共に駒王へやって来た天使。もしかしたら会談に出席するためにやって来たのだろうか? そう訪ねようとして小猫に服を引っ張られる。

 

「……知り合い?」

「うん、いちおう。前に駒王学園に来た天使さんだよ」

 

 ラグエルは柔和に微笑む。敵意なんて欠片もない穏やかな雰囲気にギャスパーは安心しながら返事を返した。

 

「お久しぶりです、ギャスパーさん」

「あ、はい! な、名前を覚えていてくれて感激ですぅ!」

「貴方は面白い方ですから」

「え、面白いんですか、僕?」

「それはとても。改めて宜しくお願いします」

 

 ラグエルが握手を求めて近づいて来たのでギャスパーも失礼の無いように手を差し出すが小猫が遮るように立ち塞がる。

 

「あなた、なんですか?」

 

 小猫がギャスパーを背に(かば)いながら問い掛ける。その言葉や口調には警戒心、いや敵意に近い感情が込められていた。

 ギャスパーは意外な小猫の反応に慌てる。それなりの付き合いだが彼女が天使を特別毛嫌いしている様子は無かったし、リアスたちもそんな事は言ってなかった。なのにどうしてこうもラグエルを目の(かたき)にするのだろうか。

 とにかく小猫を諌めようとフォローを入れる。

 

「こ、小猫ちゃん? 確かにこの人は天使だけどイオフィエルさんのお友達で悪い人じゃないよ! 部室をこんなにしたのも何かの間違いだと思うッ!」

 

 早口でラグエルの事を説明するが効果はない。(むし)ろ段々と戦闘モードに移りつつあるようにすら見えた。

 どうしたらいいか分からず途方に暮れるギャスパー。

 

「か、勝手に天使と戦ったりしたら会談に悪い影響を与えちゃうよぉ」

 

 最後の手段として和平会談を口にするが小猫はラグエルから視線を離さず首を小さく左右に動かす。

 

「……違うよ、ギャーくん。この人、天使の殻をかぶってるだけで天使じゃない。もう一度聞きます。──あなた、誰ですか?」

 

 その発言にラグエルが動きを止めると穏やかな表情を消す。

 

「あのアリステア・メアすら見抜けなかった擬態が見破られとは"蒼"によって高められた"仙術"を(あなど)り過ぎたようだ。"真眼"への対策を万全にゆえ別のベクトルからのアプローチには若干の穴が出来たという訳ですね。……とはいえ生半可な者が相手ならばバレないのですが流石は()()()だ。若いからと見誤っていましたよ」

 

 恐らく小猫を称賛しているのだろうが、言い知れない薄ら寒さを感じて背筋から冷たい汗が流れる。はっきり言って今のラグエルは少し……いや、かなり怖い。一瞬、本当に同一人物か疑ったくらいだ。

 

「本来はギャスパーさんだけだったのですが、塔城 小猫さん、貴方も連れて行くとしましょう」

 

 瞬間、ラグエルが距離を詰めて小猫の首を掴んだ。

 余りの速さにギャスパーは勿論、小猫も為す術もなく間合いへの侵入を許してしまう。

 

「ぐっ!」

「こ、小猫ちゃん!」

「抵抗はお()しなさい。──出来れば五体満足で持ち帰りたい」

「……こ、のっ!」

 

 苦しそうに顔を歪めながらも小猫は拳を叩き込もうとする。しかしそれを嘲笑うように突風が吹き荒れ、小猫の身体を斬り刻みながら鮮血を巻き上げる。

 ギャスパーは風圧によって身体を弾かれて床を転がった。

 

「痛……」

 

 鋭い木片が腕に刺さり血が出る。死にはしないが怪我に慣れてないギャスパーは身体を震わせた。

 (うずくま)って泣きそうになるギャスパーだったが、小猫の叫びに反応して顔をあげる。

 

「うぅ……あぁぁあぁああっ!」

 

 視線の先で小猫が血塗れになりながらも拳を放つのが見えた。

 

「愚かな」

 

 しかしラグエルは軽く受け流すと、小猫を乱暴に床へ投げ捨てる。しかもそれだけでは終わらない。立ち上がろうとする小猫の顔を掴むと何度も床に叩き付けたのだ。淡々としながらも容赦のない暴力に小猫が苦痛の(こも)ったうめき声をこぼす。

 

「や、やめてぇ!」

 

 耐えかねたギャスパーはラグエルの腕に組み付き小猫を救出する。そして"魔眼殺し(眼鏡)"を外すとラグエルの時を停めた。

 上手くいったと喜んだのも束の間、ラグエルは平然とギャスパーを見下ろす。

 力が効いていない!? 

 ギャスパーの心が恐怖に染まる。だが微かな勇気を振り絞って小猫を庇う。

 

「……心配せずとも"蒼の霊器"である彼女は簡単には壊れませんよ」

「ひっ!」

 

 ラグエルが穏やかな声音で喋りかけてきた。小猫にした仕打ちを見たあとだ。もうどんなに優しくされても信用は出来ない。

 

「こ、ここ、小猫ちゃんを、い、苛めないてくださいぃ!」

「説明は無意味ですか」

「……ないす、ギャーくん」

 

 ドゴンっと重厚な音を経てながらラグエルが壁まで跳ばされ、派手な破壊音を撒き散らす。ギャスパーに気を取られていたラグエルに小猫の打撃がクリーンヒットしたのだ。相変わらず凄まじい腕力に(なか)呆然(ぼうぜん)とするギャスパーだったが、すぐ正気に戻って小猫を介抱しようと動き出す。

 

「小猫ちゃん!」

「……ふぅ、ギャーくん、大丈夫?」

「大丈夫は小猫ちゃんだよ!!」

 

 肩で息をする全身血だらけの少女の言葉とは思えず、ギャスパーは少しの憤慨と多大な心配を胸にしながら叫ぶ。

 

「……私は頑丈だから」

「でも、たくさん、血が出て、す、すぐにアーシア先輩を呼ぶからね!」

 

 渡されていた魔力通信機を取り出して不馴れな手つきで操作していると小猫が心配そうな目で見てくる。

 

「……呼べるの? ギャーくん、電話とか苦手そうだけど?」

「うぅう、苦手だけど頑張るっ!」

 

 人見知りが、どうこうなんて言ってられない。自分がやらなくてはダメだ。明らかに重傷な小猫は安静にさせておくべきだし、ここで臆したらアリステアにも幻滅されてしまうだろう。

 だが通信機のスイッチをオンにしても繋がらずノイズしか流れてこない。

 操作を間違ったのかと思いギャスパーはまた通信機を弄り出すが視界の隅っこに人影を見て指が止まる。

 

「良い打撃でした」

「う、うそ……」 

 

 平然とした態度で立っていたラグエルに戦慄する。

 グレモリー眷属の中でもトップクラスの攻撃力を持つ小猫の一撃でも倒せない化物にギャスパーは腰を抜かしてしまう。

 

「通信は出来ませんよ。これから来る方たちが妨害しているのでね」

 

 小猫が再び拳を構える。戦う気のようだが得体の知れないラグエルを相手に重傷の身で勝ち目があるようには思えない。ギャスパーが不安な面持ちで小猫の表情を覗く。よく見れば冷や汗を流してラグエルと対峙している。平静を装っているが、やはり厳しい状況なのだ。

 

「……足止めはするからギャーくんは走って!」

「だ、だめ。ぼ、僕も戦うよ!」

「素晴らしい友情だ。同時に枷でもありますがね」

 

 ラグエルが目を細めるやギャスパーと小猫は動けなくなる。体の自由が奪われ、困惑する。多分、異能を使われた。だが何かまでは分からない。ただ状況が悪い方向へ傾いたのは確かだ。

 

「ひっ。う、動けない!」

「一体、何が」

 

 石像のようになった二人にラグエルは近づくと小猫を見た。気を許してしまいそうな穏やかな表情とは裏更に瞳だけは物を見るように冷たい。それはモルモットや家畜に向けるべき目だ。

 

貴女(小猫)は彼女に与えますか。……しかし今は席を外してもらいます」

 

 言うや風を使って壁に激しく打ち付けた。先のお返しと言わんばかりだ。小猫に駆け寄ろうとするギャスパーだが完全に腰が抜けて足が動かせない。

 

「さてギャスパーさんは私のモノになって貰いましょう」

 

 そして怪しげな注射器を取り出すラグエル。中の黄金色からなる液体を一目見てギャスパーはさらに恐怖した。本能がアレだけは体内に入れられては不味いと警鐘を鳴らす。

 

「い、いや、いやだぁああ!」

「心安らかに受け入れなさい」

 

 首に注射器を突き刺された。

 痛いと感じる暇もなく身体に侵入する黄金。首から熱い液体が脳を巡り、心臓を廻り、全身へ……。

 

 ──ドクン。

 

 心臓の鼓動が響き、魂が(くら)い欲望に汚染されていく。

 

 ──ドクン。

 

 1回鳴る度に脳が熱くなり思考が塗り潰される。今まで感じたことのないソレは"破壊衝動"だ。自身を虐げる者を壊してしまえと誰かが吠える。

 

「ぎ……ぐ、がぁ、なに、これ……?」

 

 あぁダメだ。考えてはいけない事ばかりが頭に(よぎ)る。力を振るいたくてたまらない。なんでもいいから壊したい。

 そして何よりもアリステアをボクノ モ ノニ シタイ。

 

「誰カ 僕ヲ 止メテ……」

「ギャスパー・ブラディ、初めて会った時から貴方には興味があった。吸血鬼としての格、才能、時を停める力、そして神憑き。タブリスから贈り物でその真価を見極めさせて貰いましょうか。──さぁ汝が獸性の解放を……!」

 

 ラグエルの宣誓を機を()に世界の停滞が始まる。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 ハッと一誠は顔をあげる。身体を縛り上げるような不愉快さに襲われたからだ。

 それに少し身体が重い。手足の動きが固いと言えばいいのか、とにかく万全な調子ではないのは確かだ。

 そんな違和感を肯定するかの如く会議室の雰囲気が変わる。特に各陣営のトップ陣は何かに気付いたように周囲に気を張っていた。

 

「全く以て世話のかかる弟子です」

 

 アリステアが席を立つ。誰もそれを(とが)めず、ミカエルは窓の外を見ており、サーゼクスとセラフォルーが真剣に話し合う。リアスたちも各々(おのおの)が事態の変化に戸惑(とまど)っていた。

 一体、何が起きたのだろうか……。

 

「アザゼル総督。現状は分かっていますね?」

「あぁ。学園……いや駒王町全体にまで(およ)んでやがるな。後処理が面倒だぜ」

「原因の究明に向かいます」

「取り敢えず待ちな、アリステア。動く前に立ち回り方は相談しておきたい」

「指図ですか?」

 

 アリステアがアザゼルを冷ややかに見据えた。

 堕天使の総督に対して、あんな顔が出来る人間はそう多くないだろう。

 

「お前さんに指図出来る奴がいるなら是非紹介して欲しいモンだ。貴重な戦力は上手く使いたい。……頼む」

「あまり時間を掛けないよう願います」

 

 どうやらアザゼルやアリステアは一誠が感じている違和感の正体に辿り着いているようだ。

 やはり何かが起きているという読みは正しいようだ。

 一誠は近くにいる祐斗に声を掛ける。

 

「木場、様子が変だ。分かるか?」

「詳細は分からない。多分、攻撃を受けているんだと思う。身体が異様に重く感じるのは何らかの異能によるものじゃないかな」

 

 祐斗は真面目な顔で答えてくれた。

 一誠は攻撃を受けていると言う発言に気を引き締める。

 しかしこの全身に重りが付いているような状態は(なん)とかならないだろうか。この不調は間違いなく戦いに支障が出る。

 払拭(ふっしょく)出来そうにない気持ち悪さに困り果てているとアーシアが周囲を注意深く観察している事に気づく。

 

「アーシア、どうした?」

(とき)が止まっています」

「え、とき?」

「はい。これは恐らくギャスパーさんの力によるものです」

「ギャスパーの力? 分かるの?」

「私はそういうのに強いですから」

 

 そういうのって、どういうの? 

 アーシアの言っている意味が分からないが、どうやらギャスパーが時を()めたらしい。誰一人として停止してないから気づけなかった。

 

「イオさんが止まっている筈の人も保護してるんですよ。──それにしても厄介な人に目を付けられてしまったわね、ナギくんも……」

 

 アーシアが一誠の疑問に答えてくれる。

 最後らへんが小声だったのでよく聞こえなかったがイオフィエルが頑張って守ってくれているのはわかった。……というかアーシアはこの状況に取り乱した様子がない。下手をしたらこの場にいる誰よりも冷静な風にも見える。こんなクールな()だったかな、と新たな疑問を覚える一誠。

 

「しかし"時流操作"を利用してきたか」

「なかなか面白いアプローチだね」

 

 アザゼルがため息混じりに言うとイオフィエルが感心したように笑う。

 

「あの……何がどうなってるんですか? これってギャスパーがやったみたいですけど?」

「ん? あぁ只の襲撃だ。ギャスパー・ヴラディを使った、な」

「──っ! なぜギャスパーを?」

 

 リアスが顔に驚愕を浮かべながら問うとアザゼルが答えた。

 

「ある一定の方向性を決めた"時"の干渉は強力だ。例え俺でも動けなきゃ簡単には殺されるしな。しかし時を止める神器の存在が洩れてやがるな」

 

 アザゼルが言うや駒王学園の外から閃光と爆音が轟く。

 

「きゃ、何事!」

「おわ! なんだなんだぁ!」

 

 一誠が揺れる校舎に足元をふらつかせ、アザゼルが窓に向けて笑いをこぼす。

 

「お出でなすったぜ、せっかちなヤツらだ」

 

 一誠が外を見るや校庭や空中に至るまで沢山の人影が取り囲んでいる。魔術師みたいなローブで全身を隠した集団は学園を破壊するつもりなのか、容赦のない砲撃魔弾を撃ち続けていた。完全に殺す気なのが伝わってくる。

 

「悪魔や天使じゃないのか、何者だ?」

 

 イオフィエルが「ふむ」と前置きして語り出す。

 

「あれは魔法使いだね。悪魔の魔力体系を独自解釈して最適化した集団だよ。魔力量からして一人一人が中級悪魔クラスかな」

「ようするに悪魔みたいな力を使える人間さ。もっとも進歩し過ぎて悪魔にも出来ない事も体現させちまう奴らだ。ま、俺とサーゼクスに加えてミカエルも結界を張ってる。簡単には手を出せないだろうぜ」

 

 同意を求めるようにサーゼクスとミカエルを見るアザゼル。陣営トップが守ってくれるとは心強すぎる。

 

「その影響で我々は動けないのだけれどね」

 

 サーゼクスの一言でまた不安になる一誠。つまりトップ陣の方々は戦えない。

 自分たちがなんとかしないといけないのかと少し緊張する一誠だったが、察したミカエルはアザゼルに話を振る。

 

「若い方々を駆り出す前に1手くらいはあるのでしょう、アザゼル?」

「なんで俺なんだよ」

「策略や謀略はお手の物な貴方ですからね」

「おい、普通に本音が駄々漏れだぞ」

「隠す気ないので。今までやらかした事柄を数えれば妥当な評価だと思いますが?」

「へいへい、どうせ俺は悪の総督ですよ、と。しかしだ、俺がやるより、そっちのが動いてくれれば1発だぜ?」

「だそうですよ、イオフィエルさん」

 

 アザゼルとミカエルがイオフィエルを見た。

 そんなに彼女は強いのかと一誠は思う。中学生くらいのブロンド美少女があの魔法使いの群れを蹴散らしている絵を想像するのは難しい。

 当の本人であるイオフィエルは呆れたように肩を竦める。

 

「アザゼルはともかくあなたもかミカエル。まさかこんな幼気(いたいけ)な少女を戦場に出すのかい?」

「幼気? 過剰戦力の間違いだろ」

 

 アザゼルが断言した。

 そんな彼に眉をピクリと動かすや面白くなさそうな口を尖らせるイオフィエル。

 

「あなた達全員がわたしをどう思ってるのか聞いてもいいかい?」

「は? 戦場の殺戮者(ジェノサイド)だが?」

「偉大なる死刑執行人(エクスキューショナー)です」

「天界の最終兵器(リーサルウェポン)だね」

「可愛らしい智天使(シャイニーエンジェル)ちゃん☆」

 

 順にアザゼル、ミカエル、サーゼクス、セラフォルーである。

 3対1で答えがマトモじゃない。特にアザゼルのジェノサイドってあだ名が酷すぎる……。何をしたらそんな風に呼ばれるのだろうか? 

 

「くたばれ、男ども。しかしセラフォルーは良い観察眼を持っている、友人になれそうだ」

 

 腕を組んで口をへの字にするイオフィエル。

 一誠はこっそりとゼノヴィアに話しかける

 

「なぁ、イオフィエルさんってそんなにスゴいのか?」

「私も詳しくは知らない。しかし知り合いのシスターから絶対に逆らうなと念を押されたことがある。……優しくも恐るべき方だとな」

「マジかよ、あんなに可愛いのにな」

 

 美しさと可愛いらしさが同居した天使さまは思ったよりも凄まじいようだ。

 

「ふざける時間は終わりだ。ほら、わざわざ敵さんが挨拶にきてくれたぜ」

 

 アザゼルが言うや会議室の中央に転移陣が浮かぶ。

 急な光に一誠は驚く。

 

「な、なんだ!?」

「あの紋様はヴァチカンで見たことがある、あれはレヴィアタンのものだ」

 

 レヴィアタンって言うからにはセラフォルーさまのご家族だろうか。

 一誠が困惑しているとゼノヴィアが警戒するように身構えた。

 

「僕の知っているレヴィアタンの紋様とは随分と違うけど」

「佑斗くん、恐らくゼノヴィアさんが言っているのは旧魔王の方ですわ」

 

 朱乃が陣を睨みながら説明するとサーゼクスもまた厳しい表情をする。

 

「そうか。今回の黒幕は君たちなのか」

 

 陣から現れたのは女だ。一誠好みの巨乳かつスリットの入ったドレス。その身には高濃度の魔力を纏わせている。それは敵が悪魔だという確固たる証拠だ。

 

「ごきげんよう、偽りの魔王と陣営トップの皆さま方。私はカテレア・レヴィアタンと言います」

「か、カテレアちゃん!?」

 

 セラフォルーが驚いた様子で名前を呼ぶもカテレアは一瞥しただけで無視した。何か因縁でもありそうな態度だ。

 

「先代レヴィアタンの血を引く者がこの場に何の用だ?」

 

 サーゼクスの質問に深々と頭を下げるカテレア。

 

「和平、おめでとうございます。祝盃代わりに、こちらも宣言をさせてもらおうと思いまして」

「宣言? 何をするつもりだい?」

「聞きなさいサーゼクス・ルシファー、セラフォルー・レヴィアタン。我々は現政権に反旗を(ひるがえ)し"渦の団(カオス・ブリゲード)"に(くみ)する」

「"渦の団(カオス・ブリゲード)"?」

 

 カテレアから発せられた聞き慣れない言葉にサーゼクスは眉を潜めた。そんな彼にカテレアは愉悦気味に答える。

 

「今、ここを襲撃している組織です」

「よりにもよってソコかよ」

 

 アザゼルが口許を緩めた。だがその笑みとは裏腹に目には焦燥が見え隠れしている。

 知ったような口振りのアザゼルにサーゼクスは目を向ける。

 

「アザゼル、"渦の団(カオス・ブリゲード)"とやらを知っているのか?」

「最近、裏で動いている組織だ。そいつら三大勢力の危険人物を集めてやがる。中には禁手に至った神器持ちもいる。"神滅具(ロンギヌス)"もいくつか確認されていた筈だ」

「なんてことだ。その組織の目的は?」

「破壊と混乱。平和が気に入らない最大級に迷惑なテロリストだよ」

 

 アザゼルの挑発をカトレアは嗤った。

 

「テロリストとは随分と卑下してくれたものですが我々には"無限の龍神(ウロボロス・ドラゴン)"が付いている。テロ程度では済みませんよ?」

「……そうか。()の者、オーフィスがバックにいるのか」 

 

 オーフィスと聞いてトップ陣が絶句する。

 "無限の龍神"って名前だけでもヤバそうなのに、周囲のリアクションからそれ以上の危機感が伝わってくる。

 

「馬鹿な、あのオーフィスが動くと言うのですか!?」

(こうべ)()れれば口添えぐらいはしてあげますよ、ミカエル」

「どうして、カテレアちゃん!」

 

 困惑と悲哀の混ざった声でセラフォルーが問いもカテレアは憎々しげな睨みで返す。

 

「私からレヴィアタンの名と座を奪ったあなたがそれを聞くの? ずっと前よ、ずっと前から嫌いだったのよ! 私が魔王に相応しいのになんであんたなんかがソコにいる!」

「わ、わたしは……」

「セラフォルー、あなたたち(現政権)は私たちが粛清します。寂しくはありませんよ、和平などとのたまう愚かな者共も一緒に殺してあげますから」

 

 カテレアの強気な発言にアザゼルが鼻で笑い飛ばす。

 

「ハッ、調子に乗んな、小娘。お前ら程度がオーフィスを操れるとでも思ってんのか?」

「オーフィスは象徴です。我らはその力で間違った世界を滅ぼし再構成するのです」

「その言い様、旧魔王派の全員がオーフィスに付くのか」

「無論です。貴方のような偽りの魔王ではなく私たち真なる魔王が冥界を初めとした全てを支配します」

 

 演説するように両手を広げて大々的に公言する。

 一誠は一種の狂気を見た。もう目がヤバいくらいに血走っている。まさに目先の目標に向かって走る狂人だ。

 あれではまさに……。

 

「まさに危険分子だね、怖い怖い」

 

 一誠が思っていた事を代弁したのはイオフィエルだった。クスクスと口許を隠しながらも流し目でカテレアを見つめる子供のようなイオフィエル。

 それを馬鹿にされたと取ったカテレアが睨みを効かせた。

 

「なんですか、あなたは?」

「あぁ失礼した、わたしはイオフィエルだ。一応、智天使をやっている」

 

 丁寧に自己紹介をするイオフィエルだったがカテレアはゴミを見るような視線を向ける。

 

「智天使? 随分と場違いな格下がいるのですね」

「いやいや、これでも高くて困ってるんだ。ミカエルがクビにしてくれなくてね、こっちも困ってる」

「自覚があるのはいいことです。ならば身の程を(わきまえ)た発言をすることです」

「では、そんな格下天使から警告だ。……あなたは我々の大事な会談を台無しにして宣戦布告まで(おこな)った。驚くぐらいに礼節を欠いている」

「だからなんだと言うのですか?」

「サーゼクスやミカエルのように優しい人ばかりではないと自覚した方がいい。後ろを見たまえよ、自称 魔王どの」

 

 カテレアが指された方向に顔を向けると銃声が鳴り、眼前に弾丸が迫る。

 

「なにぃ!」

 

 慌てた様子で回避するカテレアだったが次の瞬間、鈍い音が響く。銃のグリップで殴られたのだ。突き抜けるような衝撃に溜まらずといった様子で膝を突くカテレア。その額に銃口を向けたのは勿論、アリステアだ。

 

「うわぁ容赦ねぇ」

 

 思わず声にする。相も変わらずな()り様に一誠は顔を引き釣らせた。

 

「先程から長いのですよ。いい加減、手短に願います」

「貴様ぁ! 私が魔王の血筋と知っての無礼かっ!!」

 

 激昂するカテレアに嘲笑を向けるアリステア。最上級の悪魔に対して全くと言っていいほど脅威を感じていない。いつもの事だがどんな人生を歩めばあんな剛胆になれるのかが疑問だ。

 

「襲撃者が事欠いて無礼とは笑わせる。それに魔王と言いますが旧魔王(あなた)の時代は終わっています」

「殺す!」

「減点です。王を名乗るなら品性から磨くべきでしたね」

 

 アリステアは殺意の返答に弾丸を撃ち込んだ。

 しかし、その弾丸はカテレアのすぐ横を跳んで行く。

 アリステアは銃をそのままに静かな声でその名を呼んだ。

 

「──ヴァーリ・ルシファー」

 

 横やりを入れたのはヴァーリだ。弾丸が発射される直前にアリステアの手を取って銃口を逸らしたのだ。

 なんでアイツがカテレアを庇う!? 

 一誠は訳も分からずただ驚く。

 

「なんのつもりですか?」

「そのままの意味だよ」

「残念です」

 

 短く答えるとヴァーリの手を払って彼へ発砲する。しかしカテレアを担いだヴァーリは大きく飛び退いて回避した。

 

「あなた、もう少し丁寧に出来ないのですか!?」

 

 カテレアが抗議するがヴァーリは聞こえないフリをして放す。

 

「流石に狙いが鋭い」

「それはどうも」

 

 銃口をヴァーリに向けたままのアリステアだが、それをアザゼルが制した。

 

「アリステア、少し話をさせろ」

「アザゼル総督。以前の忠告、覚えていますね?」

「言うな、分かってる。あの言葉を撤回するつもりはねぇ」

「ならば良いでしょう」

 

 アリステアが1歩下がるとアザゼルは眉間にシワをよせる。今まで保っていた不適な態度が成りを潜めている事からアザゼルにとってヴァーリの行動は余程に衝撃的なのだろう。

 

「……裏切るのか?」

「そうなるね」

「いつからだ」

「コカビエルの騒動が終わってすぐだ。オファーがあって受けることにした」

「何故だ、何が気に入らない。お前がバトルマニアなのは知ってるさ。戦いから遠ざかる平和を認めたくないのも理解してるつもりだ。だが戦いはまだ続く。他の神話も襲ってくるし、ソイツら(カテレア)みたいな輩も多い。わざわざテロリストになる必要はない」

 

 アザゼルの説得にヴァーリは小さく頭を振って否定した。

 

「俺もバカじゃない。三大勢力が手を組んだ瞬間から次の戦いは始まるのは予想出来たさ。だが戦いたい者が味方にいるのならこうするのが手っ取り早い」

「それは赤龍帝か?」

「お、俺?」

 

 ヴァーリは一誠を見て幻滅したような目をする。かなり失礼な奴だと思う。

 

「一応、宿命のライバルだ……いずれは倒すさ。だが今のままではダメだ、倒しがいがない」

「ならアリステアだな?」

「そうだ……と言いたいが今の彼女には然程(さほど)興味はない。例え強敵だろうが弱体化した相手に勝っても喜びなんて感じないからね」

「今の状態の私を倒してから言って欲しいモノです」

「キミが俺より弱いとは言っていないよ、勘違いしないで欲しい。勝っても負けても何も得られないだけさ。気に障ったなら謝ろう」

 

 強い者と戦うのが現白龍皇の目的だという。

 現状のアリステアでも足りない。ならば何が彼を動かしたのか。

 

「わかった……」

 

 一誠は天啓が降りてきたように閃く。彼の裏切る理由が分かってしまった。それは一誠もいずれは通る道。ヴァーリもまた一誠と同じ人間を目標としているから分かったかもしれない。

 

「お前、ナギと戦いたいんだろ?」

 

 その答えにヴァーリは不敵な笑みを浮かべた。

 どうやらビンゴらしい。

 

「正解。流石は同類だな、兵藤 一誠。キミの言う通り蒼井 渚が目下の標的だ。敗北したままなのは悔しいからね」

「ナギに負けたから裏切るのかよ!」

 

 渚を超えたいと思う気持ちは解る。一誠も現在進行形でその背中を追いかけているのだ。だが仲間を裏切ってまでやることではない。

 しかしヴァーリは、そうだと頷く。

 

「俺にとっては重要なんだよ。最強の白龍皇なんて言われているが蒼井 渚は簡単に超えて行ってくれた。最強の名が泣くなんて言わない。ただずっと待っていたんだ、なんの(しがらみ)も無く、全力で俺が挑める好敵手をね。本来ならキミがそうなるはずだったんだけど、それは高望みのしすぎだったよ」

 

 一誠はその言葉に安心している己を恥じた。自分と戦う前に渚がヴァーリを倒してくれるかもしれないと期待してしまったのだ。それは渚への信頼であり、押し付けでもあった。

 本来なら白龍皇を止めるの対である赤龍帝でなければならないのにだ。二天龍の因縁なんて真っ平だが渚が巻き込まれるのは本意じゃない。

 

「いいね、その目。怒りを感じているのか。見所があると知れて嬉しいよ、赤龍帝。蒼井 渚を打倒するまでにここまで昇ってくるといい。俺……白龍皇と正面から相対出来る者は大歓迎だ」

 

 一誠は何も言い返せない。自分の弱さは自分がよく知っている。赤龍帝なんて持ち上げられていても凄いのはドライグであって一誠ではないのだ。一誠はどうしようもなく凡庸でヴァーリは生まれながらの天才。この差はどう足掻いても縮まることはない。

 そんなヴァーリの言葉に表情を険しくするアザゼル。

 

「そんな相手、幾らでもいるだろうが!」

「……いないさ。俺が特別なのは俺自身がよく知っている。最高の悪魔の血に最上のドラゴンの力。そんな異質な生物が俺だよ、アザゼル。そんな怪物と戦うリスクを背負うヤツなんてそうはいない」

 

 笑うヴァーリの瞳に揺らぎが見える。自身の出生に思うところがあるのだろう。もしかすると強者を求めるのは自らに根ざす孤独を埋める為かもしれない。

 

「馬鹿野郎、お前は俺の……!」

 

 アザゼルが何かを言おうとしたがヴァーリは言葉を重ねた。

 

「やめよう、アザゼル。ここまで育ててくれたんだ、感謝はしている。陣営のトップたちよ、俺が『渦の団』に与するのは独断であり、堕天使は関与していない。だが決めた以上は俺はこの覇道を行く。今後は旧魔王派のルシファーとして貴方がたに牙を()く。サーゼクス・ルシファー、真の魔王が誰かを決めるとしよう」

 

 ヴァーリの高らかな挑戦にサーゼクスは目を伏せた。

 なんだかんだでアザゼルを気遣う姿に一誠はやるせなさを覚えた。

 この二人には間違いなく絆がある。それを捨ててで強さを求めるなんて理解できないし、したくもない。

 

「本当にそれでいいのかよ。俺にはお前がルシファーの称号に拘っているようには見えない。まだ迷っているんじゃないか?」

「案外鋭いな、兵藤 一誠。確かに迷いはある、アザゼルには申し訳ないとも思っているさ。だがドラゴンとは身勝手な生き物。決めた以上、俺は修羅の道を行く。キミもそうなってくれると嬉しいんだがね」

「誰がなるか」

 

 ハーレム王にはなりたいが修羅王にはなりたくない。

 ふと一誠は不思議なことに気づく。ヴァーリもまた強者なのに超えたいとは思えないのだ。渚は超えたいのにヴァーリは超えたくない。その要因を一誠は探せずにいた。

 

「残念だ、ならば精々頑張ってくれ」

 

 ヴァーリ・ルシファーが光の翼が出現する。あれが奴の神器をなのだろう。一誠の『赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)』も共鳴するように展開された。

 それを見たヴァーリがゆっくりと言葉を紡ぐ

 

「──禁手化(バランス・ブレイク)

Vanishing Dragon(バニシング ドラゴン) Balance Breaker(バランス ブレイカー)!!!!!!!!』

 

 音声が響き、ヴァーリの体が真っ白なオーラに包まれる。光が止むと白く輝く全身鎧(プレート・アーマー)の姿になっていた。最後にマスクが顔を覆うと目が光って一誠を威圧した。

 ──ここまで違うのかよ……。

 同じ二天龍の禁手化(バランス・ブレイク)なのにレベルが次元違いだ。鎧の強度、魔力量、闘志、何もかもが上に行かれている。ハッキリ言って化物だ。渚はこんな奴を倒したのかと今更ながらに驚嘆する。

 

「さぁ初めようか」

 

 ヴァーリはリアスへ殴りかかった。まさかの人選に全員が驚く中で一誠は反射的に前へ出た。

 大切な人を脅かす敵に感情が爆発する。

 

「させるかよ! ドライグゥ!」

Welsh Dragon(ウェルシュ ドラゴン) Over Boorter(オーバー ブースター)!!!!!!』

 

 赤いオーラが一誠を覆うと真っ赤な全身鎧(フルプレート)を装備する。ヴァーリとは対となる力でその拳を止めた。一誠はぶちギレ状態でヴァーリを睨む。

 

「てめぇ、部長を狙うとはどういう了見だ!」

「たまたま目についてね。しかし、いい動きだった、まさかキミが反応するとは思わなかった」

「たまたまだぁ? ふざけんな!」

 

 称賛されたのを無視して一誠は怒号混じりの拳を放つもヴァーリは軽くいなして一誠を弾き飛ばした。

 

「がはッ!」

 

 壁に大穴を開けて倒れ込む。とてもじゃないが勝てる気がしない。だが立ち上がって構えを取る。一誠のその姿を見て嘆息するヴァーリ。

 

「挑むのか? 力の差は歴然だぞ」

「…………うっせ」

「キミはまだ俺と戦えるレベルじゃない」

 

 ヴァーリが手を翳すと鎧の所々に設置された宝玉が光る。

 

Divide(ディバイド)!』

 

 体が重くなり、"赤龍帝の鎧(ブーステッド・ギア・スケイルメイル)"が放っていたオーラが小さくなった。

 

『気を付けろ、相棒。奴は"半減"を使う、俺"の倍加"の対となる厄介な力だ。放置してると禁手化(バランス・ブレイク)状態でもいつもの相棒並みにされるぞ』

「そりゃ洒落になんないな!」

 

 倍加で押し返そうとするが『Divide(ディバイド)』という音声が響き、更に力が奪われた。

 

「倍加の時間など与えない」

『DivideDivideDivideDivideDivideDivideDivideDivideDivideDivideDivideDivide!!!!!』

 

 畳み掛けるように半減を繰り返すヴァーリ。立て直す隙がない。本当に洒落じゃ済まなくなってきた。スタートで付けられた差が倍加を間に合わなくしてしまう。

 ──ヤバい。

 こんな状態で攻撃されたら一溜まりもない。

 一誠が打開策を考えているとヴァーリに向かって飛び掛かる人影があった。

 

「やらせないよ」

「覚悟」

「その人から離れろ!」

 

 佑斗にゼノヴィア、そしてレイナーレだ。

 三人を難なく迎撃しようとしたヴァーリだが天井を突き破ってナニかが飛来した。

 

「来ましたか……増援です、ヴァーリ・ルシファー」

 

 カテレアがそう言うやヴァーリは懐疑的な口調で言った。

 

「増援? それは味方なのか?」

「えぇ。恐らく協力者が送ってきた刺客でしょう」

「随分と抽象的だな。大丈夫なのかい」

 

 降りてきた人影が立ち上がる。

 それは端正な顔立ちの人物だった。全身を影のような黒い衣服を纏い、歳は一誠に近い。線の細い身体で男か女か判別がつかない。

 そいつはゆっくりと全員を見渡した。

 ゾクリっと鳥肌が立つ。背筋が寒くなるほど無機質な瞳。

 瞬間、一誠の意識は凍結した。

 

『相棒!』

 

 ドライグの呼び掛けに反応して顔をあげる。

 

「な……!」

 

 気づけばすぐ(そば)を例の乱入者が横切った。

 かなり離れていたのに一瞬で距離を詰めてきた!? 

 

『違うぞ。奴は目視できる速さで普通に歩いたんだ』

 

 どういう事だ。だって現に今、自分に気づかれず横を通って行った。

 だがドライグは言う。

 

『相棒が気付けなかったんだ。奴は俺ですら数秒ほど完全に停めた。恐らくここにいる全員が時を奪われた』

 

 それはつまり乱入者はギャスパーと同様に時を止められる奴で、各陣営のトップや白龍皇、そしてアリステアにも干渉できるヤバい奴と言うことになる。

 周囲を見れば敵味方関係なく乱入者を見ていた。力あるトップ陣は警戒を、それ以外のグレモリー関係者は困惑を浮かべている。

 一体、アイツはなんだ? 

 この面子の時を止めるなんてギャスパーでも出来ない。

 乱入者はアリステアの前で歩みを止めた。

 無言で視線を交わし合う二人。やがてアリステアが小さくため息をする。

 

「随分と様変わりしましたね、ギャスパー・ヴラディ」

 

 一誠は耳を疑った、いや彼を知る全員がだ。

 あの長身の美しい人物が、自分の知る泣き虫吸血鬼だとアリステアは言ったのだ。

 



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始神源性の欠片《Fragment of the Beginning》


蛇になりし魔は堕天の王に挑み、吠える。
時狂いの鬼は白雪の愛を求め、狂喜する。
修羅なる龍は自らの糧を望み、邁進する。


 

 アリステアを見返すは赤い瞳。

 つい先程まで見下ろしていた筈のギャスパーを見上げるアリステア。

 教え子だった小さなギャスパーはアリステアの身長を越えるまで急成長し、美しい微笑みを浮かべていた。

 

「やっぱり師匠には僕が分かるんですね」

「えぇ」

 

 感激するギャスパー。

 随分と立派になったものだが外見の変貌など些細な事だ。問題は内包する膨大な魔力。その総量だけなら二人の魔王すら凌駕している。

 

「そこの貴方、私達の援軍で間違いないわね?」

 

 アリステアとギャスパーの間に入ってきたのはカテレア。

 そんな彼女の言葉を無視してアリステアを見続けるギャスパー。端から見れば恋人たちの会瀬(おうせ)にも見える。

 カテレアはギャスパーの対応に苛立ちつつも「まぁ良いでしょう」と前ふりするとアザゼル達へ振り返り、胸の谷間から小瓶を取り出す。

 

「これはオーフィスの"蛇"。無限からの加護を得られる素晴らしいものです」

 

 アリステアは視線だけをカテレアの持つ小瓶へ向ける。

 "始神源性(アルケ・アルマ)"の欠片。

 "黄昏"がそうであるように、あれが"無限"の眷族を作るモノなのだろう。

 しかし"無限"とやらは随分と優しい神のようだ。"蛇"を観察しながらそう思う。

 アリステアの知っている"始神源性(アルケ・アルマ)"は相手の都合などお構いなしに魂と肉体の全てを変性、変容させた挙げ句、隷属を()いていた暴君そのものだ。

 "始神源性(アルケ・アルマ)"にマトモなのはいないと断じていたが、生命体を()()()()()()()()()()オーフィスは存外話せる奴かもしれない。(もっと)もただの可能性の話なのだが……。

 アリステアはとりあえず"蛇"とやらの効力を確かめるためにカテレアの密かに観察をすることを決める。

 見せびらかせるように小瓶を掲げたカテレアはそのまま体内へ"蛇"を投与した。カテレアの魔力が器から溢れるようにオーラとなって炎が如く噴出されると大気と地面が呼応して震え出す。自慢するだけあってカテレアの魔力が異常なまでに膨れ上がる。魔王を殺すというのは誇張ではなく本当らしい。

 

「あははは! 素晴らしいわ、力が(あふ)れてくるッ!!」

 

 喜びにうち震えるカテレアに対してアザゼルが立ち上がる。どうやら彼が直々に相手をするようだ。

 トップが先陣を切るのもどうかと思うが今のカテレアにグレモリーをぶつけるのは危険だと判断したのだろう。

 アリステアの個人的な要望としてはイオフィエル辺りが当て馬になって欲しかった。実力的にも問題はないし、死んでもちょっと位の高い天使が消えるだけ、何よりアリステアが喜ぶ。

 まぁそれを進言するほど空気が読めない訳じゃないので黙ってはおく。

 

「要するにドーピングか、そんなモノを使ってまで勝ちたいかね」

「いくら私でもこのメンツを相手に勝てるとは言えません。しかし"蛇"を使えばどうです? 今なら貴方がたをくびり殺せます!」

「面白え。ヴァーリ、コイツの後に仕置きしてやるから大人しくしてろ」

「約束はできない。俺はもう敵だからね」

「そうかよ。……赤龍帝!」

「は、はい!」

「相手は白龍皇だ。お前が戦え」

「お、俺が!?」

「時間稼ぎでいい、やれるか?」

「やります、俺が戦います」

「勿論、僕も手伝うよ」

「なら私も先輩たちに付き合うとしよう」

 

 佑斗とゼノヴィアが一誠に並ぶ。

 その光景にアザゼルは笑むとカテレアと共に屋外へ飛び立った。

 ヴァーリよりも先にカテレアの処理を優先したのはオーフィスの"蛇"とやらの力を見極めるためだろう。

 アリステアはアザゼル考慮を理解しつつ、再びギャスパーと視線を交わす。

 

「師匠、今の僕なら貴女に相応しいと思います」

 

 世の女性を魅了してしまいそうな微笑。

 だがアリステアは表情を一切変えない。絶世の美少年程度では白雪の心は溶かせないのだ。

 

「そうですか。それで? 何があったか答えてください」

「何も。ただ導かれた、自らが在るべき本当の姿に」

 

 正気じゃないのは目を見ればわかる。その瞳の奥には狂気が見え隠れする。本来の彼ではあり得ない行動と台詞からしてギャスパーは何かしらの洗脳あるいは精神汚染を受けた可能性が高い。

 

「異物を混入されましたね。今の貴方はライザー・フェニックスと同じモノが()えます」

 

 魔王とグレモリー関係者がざわめく。ライザーが謎の医師から渡されたという薬。それは彼を"不死鳥"と昇華変性させた代物だ。以前に戦った"衰退"の"はぐれ悪魔"といい、薬は冥界を中心に配られているかもしれない。

 

「ど、どうしてギャスパーがそんなものを。それに今の姿は……」

 

 驚嘆するリアスだが別に驚く事でもない。この襲撃の背後にはライザーに薬を……"黄昏"の因子を与えた存在もいる、それだけだ。肉体の急激な成長もライザーの変異に比べれば可愛いモノだ。

 

 「(破壊したはずの"黄昏(たそがれ)"の欠片があるのは()()()()()()()()から許容範囲。ただ以前の"衰退"の"はぐれ悪魔"といい、出回りすぎているのは気になります。故意に配っている輩がいるようですが危険性を考慮してないのでしょうか? 仮に分かってやっているのならより深刻です。そしてそんな事が出来そうな人は……)」

『わたしは関係ないよ』

 

 脳内にイオフィエルの声が響く。アリステアの思考を読んで念話を跳ばしてきたようだ。

 

『イオフィエル、やはり"黄昏"についても知っているのですね?』

『"蒼"を知っていて"黄金"を知らない訳がないだろう? アレらは実に近しいモノだ。ちなみにだがギャスパー・ヴラディが打たれたのは"始神の霊薬"。奴らの製造した薬だ』

『奴ら?』

『"アルマゲスト"。奴らもまた"黄昏"について知ってるのさ』

『滅ぼす理由が増えましたね』

『あぁ是非そうしたまえ』

『一つ聞いても?』

『聞こうじゃないか』

『"黄昏"はここに健在なのですか』

『ははは。そんなの一目瞭然じゃないかな』

 

 念話を一方的切られた。

 完全に信用したわけじゃないが、イオフィエルの言葉にアリステアは顔を歪めた。一目瞭然とは、つまりギャスパーがその証拠だと言いたいのだろう。エル・グラマトンが気まぐれでサンプルから造ったと言ってくれればどんなに安堵したか。

 どうやら本体もいると考えた方がよさそうだ。

 アリステアはギャスパーに視線を向ける。

 

「ギャスパー・ヴラディ。部室で何があったのか、教えてください」

 

 アリステアはもう1度だけギャスパーに問うた。犯人にを知るには、やはり被害者に聞くのが確実だ。

 

「その前に僕の質問に答えてください。今の僕は貴女に──」

「力をひけらかす子供に興味はありません」

 

 バッサリとギャスパーの告白を両断する。

 その言葉に表情が凍りつくギャスパー。

 

「どうしてですか? 見てください、この時流操作をっ! 今の僕なら魔王も天使長も堕天使総督だって倒せる! こんなに強いんだ、師匠だって守れる! 蒼井 渚なんかよりも僕といた方が幸せになれるんだ!!」

 

 (いびつ)な笑いを浮かべると、すがるようにアリステアへ歩み寄ろうとする。

 

「力に溺れた輩に言われても嬉しくありませんね」

「違う! 僕は本当の自分になれたんだ。もう何かに怯えることもない」

「今の貴方と話すことはありません。その不純物を取り除いてあげます」

 

 ギャスパーに手を伸ばすが乱暴に払われた。

 

「貴方も僕を見捨てるのか! 裏切ったな、僕の気持ちを裏切ったな!」

 

 ガリガリと頭を掻きむしるギャスパー。

 

「落ち着いてください。貴方は"黄昏"に精神を呑まれている」

 

 情緒が不安定なのは人格が"黄昏"に付きまとう狂気に侵されているからだ。"黄昏"の力は下位存在の肉体にも人格にも影響を与える。破壊衝動から始まり、狂気に囚われ、最終的には獸へ墜ちる。そうなったらもうアリステアでも救うのは困難だ。更に言うならギャスパーは既に狂気の段階に入っている。獸になるのも時間の問題だ。

 

「──そうだ。なら師匠は僕が飼ってあげます。そうすればずっと僕のモノだ」

 

 取り乱していたのが嘘のように静まったと思いきや狂気に染まった眼でギャスパーが嗤う。

 支離滅裂になった馬鹿弟子はどうやら自分が欲しいようだ。しかし飼うとは些か言葉を選ぶべきである。

 

「まさかペット扱いとは女性に対してのエチケットが()っていませんよ」

「僕に血を吸われれば師匠は僕の(とりこ)だ。うん、凄くいい」

 

 本気で隷属させる気のようだ。本来なら絶対にやりそうにない事をしようとするギャスパー。ここまで人格をねじ曲げる"黄昏"の悪辣さを改めて実感する

 

「その狂気に染まった思考を叩き潰してあげますよ」

「大丈夫。優しくしてあげます」

 

 噛み合わない会話と共にギャスパーが姿を眩ませ、アリステアの背後に現れるや体を抑えて首へ噛みつこうとした。

 

「私の血がお望みですか。……色々と高く付きますよ?」

 

 ギャスパーの頭を掴むとそのまま投げつけるが、地面に落ちるタイミングで無数の蝙蝠へ姿を変えると再び身体を再構成して着地する。

 

「ふふふ。やっぱり一筋縄じゃ行かないなぁ。じゃあ本気でいきますね」

 

 ギャスパーの瞳を光らせる。その色彩が赤から黄金に変色するやアリステアの四肢が硬直した。

 凄まじい時流操作にアリステアの抵抗術式が突破されつつある。驚くべき事に防げない。"黄昏"によって増幅されたとはいえ、こうまで圧されるとは思わなかった。完全に停止するのも時間の問題だろう。歯痒いが今のアリステアの霊氣で防ぐのは至難の技だ。

 アリステアは"真 眼(プロヴィデンス)"を発動してギャスパーの現状をステータスとして垣間見る。

 

 

 ──

 

・ギャスパー・ヴラディ

 

《パーソナルステータス》

 

パワー(力) ■『上昇中』(通常時E判定)

ディフェンス(耐久力) ■『上昇中』(通常時D判定)

マナ(魔力)■『上昇中』(通常時B判定) 

スピード(敏捷) ■『上昇中』(通常判定D相当)

テクニック(技量) B(D ) 

アビリティ(異能) ■『上昇中』(通常時B+相当)

 

 

固 有 能 力(アビリティ)

 

・吸血鬼《ランクA+》

 

伝承にある能力のすべてを付与される。

高度な影術、蝙蝠化、吸血による眷族編成、重度の魅了、不死性などが含まれる。

 

 

混合種(ハイブリット)《ランクA》

 

人間との混血であるため生まれた突然変異。

太陽に強く、水も渡れ、鏡にも映る。

雑種強勢とも言える個体であり、伝承にある吸血鬼の弱点を克服している。

 

 

・黄昏の欠片《ランク■》

 

■■の■■により生命体としての個体値が逸脱する。

凄まじい力を与えるが対象を最適化するため肉体が変容する。加えて致命的な精神汚染が発生する。

 

 

・■■■■の■眼《ランク■》

 

■■■■■による干渉を受けて能力に補正が掛かっている。

 

 

・■■の■■《ランク■■》

 

詳細不明

 

 

 ──

 

 

 今の状態でも厄介だというのに技量以外の能力はまだ上がるようだ。それに虫食いみたいにジャマをする■の羅列にも辟易(へきえき)する。ひ弱な吸血鬼が何回限界を突破したらあんな風になれるのだろうか……。

 あのライザー・フェニックスとて、こんなにはならなかった筈だ。

 あのまま力が上昇を続けたら最終的に"禁種個体"へ匹敵する可能性すらある。

 ──しかし合点がいかない。

 いくら"黄昏"の力を受けたとは言え、所詮は砂粒程度の加護だ。アリステアを肉薄するまで強くなるのは流石におかしい。だが実際に"真眼"は抵抗(レジスト)されてギャスパーの全ては見抜けない。

 アリステアは"黄昏"と並列した()()()があると判断して■で隠された部分を注意深く探った。

 次々と空白を解明していく。

 

「"時流支配の神眼"に"永劫の霊器"ですか」

 

 やはりギャスパーの神器、"停止世界の邪眼"が変異している。さらに奥に隠されていた能力は何処か"蒼の霊器"を思い出させる。"蒼"によって昇華された生命体を"蒼の霊器"と呼ぶ。

 永劫……時間を司る言葉。これがギャスパーの神器の能力に馬鹿げた増幅している可能性が高い。"真 眼(プロヴィデンス)"で詳細を確かめるが、厳重なフィルターが掛かっているようで上手く把握出来なかった。ただこの"永劫"とやらは"黄昏"とは別物だ。アリステアの知らない"ナニか"が彼に影響を与えている。霊気の出力を上げて覗き込もうとするが戒めるように右腕の"血咒(けっしゅ)"が浸食を始めた。

 

「(限界ですね、これ以上は喰われる)」

 

 セクィエス・フォン・シュープリス、全く(もっ)て面倒な呪いを(ほどこ)してくれたものだ。

 右腕から流れるアリステアの血を見たギャスパーは恍惚(こうこつ)な笑みで舌舐めずりをする。

 

「師匠の血、綺麗です。それに今の僕なら師匠ですら止められる!」

「借り物の力で粋がらないで下さい」

 

 アリステアはギャスパーの懐に入ると腹に拳をぶつけた。壁を破壊して外まで跳んでいくギャスパー。それを追うため歩き出す。

 

「アリステア、あの子を助けてあげて!」

 

 リアスが懇願するが即答は出来ない。

 助けたくないわけではない。多少の被害ならアリステアも目をつぶってギャスパーの命を優先した。それぐらいの情はあるつもりだ。だがギャスパーを一刻も早く止めなければアリステアを含めた全員が近いうちに停止する。止まればそれで最後だ。あとは何故か時間停止の影響を受けていないカテレアや魔法使いになぶり殺されるだろう。

 リアスには悪いが最悪な状況も覚悟してもらわなければならない。

 

「……善処はしましょう」

「らしくないな。そこは『いいえ、殺します』じゃないのかな?」

 

 イオフィエルが口出ししてくる。アリステアは冷たく睨むがイオフィエルは涼しげに受け流す。

 

「イオフィエル、ギャスパーは私の眷属よ!」

 

 鋭い口調はリアスだ。しかしイオフィエルもまた微笑を消すと光のない暗い瞳で見返す。

 

「知ってるさ。だがね、アレは少々危険だ。リアス・グレモリー、あなたたちが今動けているのはわたしが各々に干渉して術を施しているからだ。消せばグレモリーは即座に時間凍結に呑まれる。そして術も徐々に時流操作に侵されている。サーゼクスたちとて例外じゃない。全員が物言わぬ人形になるのにそう時間は掛からんさ」

「……っく!」

 

 唇を噛み締めるリアス。彼女は眷属を愛しすぎている故に残酷な決断が出来ないのだ。

 

「手はわたしが下そう、存分に恨めばいい。だがこの会談は必ず成功させる。サーゼクス、ギャスパー・ヴラディの殺害を許可しろ」

「イオフィエルさん」

「ミカエル。誰かが殺らなければならないのなら喜んで受けよう。始めたのはわたしだ、それ(和平)を成す義務があり、そしてやり遂げる権利がある」

「待ってくれ」

 

 イオフィエルが立ち上がるとサーゼクスが止めるに入った。

 

「まさか殺すなとか言わないだろうね?」

「いや妹の眷属だ。ならば私がやろう」

「お兄さま!」

「リアス、このままでは全てが終わってしまう。王ならば時に決断しなければならない……分かるね?」

「で、でもギャスパーは……」

 

 トップ人は流石に事の重大さを理解しているようだ。

 今のギャスパーは間違いなく魔王を殺せる領域にいる。合理的に言えば殺害が一番リスクの少ない選択だ。

 

 ──それでいいのですか? 

 

 心の隙間からそんな声が聞こえた。

 何を今さら……。情に絆されるなど自分らしくもない。

 これが最善だ。このままでは時間停止の檻に閉じ込められて死ぬ。元凶である狂ったギャスパーの説得も難しい。ならば処分しなければならないだろう。終わらせるなら自分が最適だ。イオフィエルの出る幕はない。

 アリステアは冷徹に優先順位を組み立てる。最優先はトップ勢の命、その他は二の次である。

 いつも通りにやればそれで終わり。

 アリステアは会議室から出て、心を凍てつかせ冷たい殺意でギャスパーへ銃を向ける。

 そんなアリステアに頬を赤めるギャスパー。

 

「師匠、僕が勝ったら言うこと聞いてくれますね?」

「勝てたならどうぞ」

 

 歓喜かつ狂喜。

 ギャスパーの魔力が膨れ上がる。

 余程、アリステアが欲しいようだ。そんな歪んだ愛情を撃ち抜くためにアリステアは教え子へ発砲するのだった。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

「……っち」

 

 アザゼルが光の槍を片手に舌打ちをした。

 また体が重くなったのだ。下を見ればアリステアがギャスパーに向けて弾丸を撃ち込んでいる。

 ギャスパー・ヴラディが異常な程に力を付けているせいで時間が肉体を蝕む。誰が何をしたら無害だった悪魔をあんな災害に出来るのか。

 アザゼルはギャスパーの精神が弄られているのは分かっている。誰かが裏で糸を引いているのは会談に参加した全員が気づいているだろう。時間を掛ければ正気に戻せるかもしれないが今はその時間がない。

 早くギャスパーを止めないと時間停止の餌食なる

 

「動きが悪いわねぇ!」

 

 カテレアが悪魔の翼を広げて攻撃を加えてくる。重い攻撃に圧される。思っている以上に『蛇』とやらの効力が大きい。

 こっちは時間停止で動きづらいのにドーピングしたカテレアは影響を受けている様子はない、学園を囲む魔法使い達もだ。目に見えて正気じゃないギャスパーが敵味方を判別しているとは思えない。ならば誰かがギャスパーの異能に干渉しているはずなのだ。尤もその誰かを排除しても時間停止が消える訳じゃないので結局はギャスパー自身をなんとかするしかないのだが……。

 これはかなり不味い状況だとアザゼルは苦笑した。

 

「あははは! 私は今、あのアザゼルを圧しています!」

 

 ウザったいカテレアに少しだけイラッとする。

 自分は強化しといて相手は弱体化させる。己の実力ではないのに得意になっている。

 少し驚かしてやるか。

 アザゼルはゴソゴソと懐を探ると短剣らしきモノを取り出す。

 

「まさかそんなもので私を倒すつもりで?」

「そのまさかさ。取って置きを見せてやるよ」

 

 瞬間、短剣が光の塊となって弾けた。光は鎧を思わせるパーツに変異するとアザゼルの肉体に次々と装着されていく。

 

「俺が神器研究に(いそ)しんでいるのは知ってるな。その過程で自分で神器を製作してるだが聖書の神には一向に届かなくてね。けど最近、偶然にも出来ちまったのよ」

「まさか造ったというの!? 聖書の神が創造した奇跡であると同時に犯した禁忌でもある神器を!!」

「まぁな。紹介するぜ、白龍皇をベースに他のドラゴン系列のデータに組み込んだ俺の傑作。()()()() "堕天龍の閃光槍(ダウン・フォール・ドラゴン・スピア)"、そいつの疑似禁手だ」

 

 金色の鎧に包まれたアザゼルからは凄まじいドラゴンのオーラが溢れている。

 それを見てカテレアは冷や汗を流す。『蛇』を使った自分を肉薄する力を秘めているのが分かったからだ。

 

「天使風情(ふぜい)が神の領域に手を出しますか」

「必要ならなんだってするさ。そっちも似たようなモンだろ」

「面白い、歯応えがなくて落胆していた所です!」

「後が控えてんだ、軽く捻ってやるから掛かってこいや」

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 

 一誠は外が更に騒がしくなったのを肌で感じていた。

 アザゼルとアリステアが各々に戦闘を始めたからだ。これで厄介な奴はヴァーリだけになったが外の魔法使いが野放し状態だ。それにギャスパーと一緒にいた小猫の安否も気になる。

 

「さて兵藤 一誠。退くつもりは無いのか?」

 

 それは嘲りであり、慈悲でもあった。

 

 ──キミはまだ俺と戦えるレベルではない。

 

 こっちの都合などお構いなしにヴァーリが光の翼を広げて一誠に忠告する。

 相対するだけでヴァーリの龍圧に呑み込まれそうだが脚をふんばり腹に力を込める。

 レベルが違うのは最初から解っていた事だ。だけど、ここは逃げていい場面じゃない。

 一誠に並ぶように佑斗とゼノヴィアが立ち、後ろでは朱乃が雷を迸らせている。レイナーレやミッテルトも光の槍を構えている。心強き仲間たちが白龍皇へ戦意を(たぎ)らせる。ただリアスだけはギャスパーの方を見て焦燥に駆られていた。

 

「部長!」

「い、一誠?」

「ギャスパーの事はアリステアさんに任せましょう。今はコイツと外の魔法使いをなんとかしないと!」

「……そうね!」

 

 一誠の気迫にリアスの士気が上がる。

 その状況を見守っていたサーゼクスが命を出す。

 

「リアス、君の眷族の何人かは外の魔法使いに対処してくれ。私たちは結界維持で動けない。グレイフィアを援護に回す」

「わかったわ。一誠と私、アーシア以外は敵の掃討後、小猫の安否確認を! グレイフィア義姉さま、共に戦ってくれますか?」

「畏まりました」

 

 グレイフィアが優雅に一誠の前に降り立つ。そして冥界最強の"女王(クイーン)"として歴代最強の白龍皇へ礼儀正しく頭を下げた。

 

「魔王サーゼクスの"女王(クイーン)"グレイフィア、お相手致します」

「最強の"女王(クイーン)"か。相手に取って不足はない!」

「皆、行くわよ!」

 

 リアスの合図でグレイフィアがヴァーリへ魔法弾を撃ち込むと各々が散る。

 佑斗とゼノヴィアが先導して会議室に砲撃を続ける魔法使いを次々と斬り倒し、朱乃が二人を狙う者に雷撃を落とす。レイナーレとミッテルトも上手く立ち回っていた。

 一誠は仲間たちの活躍を頼もしく思いながらヴァーリと対峙する。

 

「兵藤様、少しよろしいですか?」

 

 グレイフィアがヴァーリに砲撃を加えながら声を描けてきた。

 

「は、はい!」

「白龍皇の力は触れた対象への半減です。距離に制限のある室内では接近された場合の対処が難しい。ですので赤龍帝である貴方さまには前衛をお願いしたいのです。勿論、無理のない程度で結構です」

「了解しました!」

 

 グレイフィアの放った魔力弾にヴァーリがよろけた。一誠は千載一遇のチャンスだと思い、駆け出す。

 

「行きます!」

 

 一誠が鎧の背中から噴出口を展開させると倍加を重ねた拳を翳して突貫した。

 グレイフィアの援護はその間も続く。魔力弾は意志があるように一誠を避けてヴァーリに降り注ぎ、防御に専念させていた。あまりの手数に流石のヴァーリもその場からは動けない。あの一発一発が駒王学園を消し飛ばすに()る威力がある。誘爆しないのはグレイフィアの魔力操作の賜物だろう。

 ヴァーリが身動きの出来ない絶好のチャンス。

 一誠はこの一撃で終わらせようと倍加を加速させて解き放つ。

 

「……俺を侮ったな、グレイフィア・ルキフグス。そして兵藤 一誠」

 

 魔力弾に曝されながら一誠と視線をだけを合わせるとヴァーリは不適に笑う。

 

「兵藤様!」

「いけない!」

 

 グレイフィアとサーゼクスが叫ぶや幾重もの防御陣を展開する。瞬間、ヴァーリを中心に場が炸裂した。

 激しい衝撃に一誠は何が起きているか分からず、喉から駆け昇ってくる熱を吐き出す。それは自分でも驚くほどの血液だった。鎧も砕けて身体中に致命的なまでダメージを受けている。

 何が起こったかなど聞く必要はない。

 ヴァーリが魔力と龍のオーラを爆発エネルギーに変換しただけだ。しかしその破壊力は一誠を戦闘不能にするには十分過ぎる。

 閃光と轟音がやむと地面が抉れ、会議室の半分は消し飛んでいた。

 もう半分が無事なのはサーゼクスのおかげであり、爆心地にいた一誠以外の者に被害はない。

 

「今ので大半はいけると思ったが俺もまだまだのようだ」

 

 嘆息するように言うヴァーリだが彼も無傷ではない。グレイフィアから受けた攻撃で鎧の至る所に少なくないダメージを受けた跡がある。それでもまだ余裕があり、戦闘は可能だ。

 しかし一誠はそうではない。

 見れば損傷した鎧の合間から血がボタボタと冗談のように零れている。

 これは死ぬ。出血が洒落になっていない。世界が歪み、とにかく意識を保っていられない。

 ヴァーリからしたら戯れの一撃だったのだろう。それでこの様だ。悔しさと情けなさで泣きたくなる。

 遠くでリアスとドライグが何かを言っているがまるで聞こえなかった。

 そう言えばナギも何回か死にかけていたのを思い出す。血塗れで誰もが戦えないと思った時も立ち上がった。そして強敵を打ち勝ったのだ。

 

「うおあぁああ!」

 

 気合いで一誠も立ち上がった。

 辛い、痛い、苦しい。陳腐だがその三つしか考えきれない。けれど一誠はヴァーリに殴り掛かる。

 ヴァーリにとって一誠の行動は予想外だったらしく呆気に取られていたがそれも一瞬、すぐに一誠の攻撃に対処して反撃を加えてきた。

 天地が引っくり返る。全身強打で体が悲鳴をあげた。

 

「少し驚いたがこの程度──」

 

 最後まで言わせるか、と一誠は噴射口を使いをヴァーリに体当たりをする。

 学園の校庭を飛び抜けて体育館に大穴を開けながら突撃するが、拍子にヴァーリのホールドを解いてしまった。

 体育館の内部を破壊しながら転がる一誠は壁に激突しながらも立ち上がった。

 

「どこを見ている」

 

 痛烈な蹴りが鎧を貫く。

 

「がぁ! くそ、まだまだぁ!」

「……何がキミを駆り立てる? 勝ち目がないのは解るだろ? 俺は今のキミと戦うつもりはない。退けば命は助けるつもりだ」

「あぁそうさ、俺はお前となんか戦いたくない。けどよ、追いかけてる奴が同じなら退けないんだよ」

「なに?」

 

 これは単なる意地だ。

 ずっと女にしか興味がなかった只の高校生が、初めて抱いた男への意地。アイツがやれたのに、自分が出来ないなんて格好が悪過ぎる。そんなチンケだと笑われそうな信念が一誠を支えていた。

 

「ナギを超えたいのはお前だけじゃないって言ってんだよ。お前がいたら俺の事をアイツは見ないかもしれないだろ」

 

 渚は強い。

 常に仲間を守るために人知れず頑張っていた。一誠が強くなりたいと思ったときも親身になってくれた。無理に無理が重なって今は眠りについているが、それも仲間のためにそうなった。

 こう言っては誤解を産みそうだが漢として惚れている。憧れとも断じていい。

 だから一誠は、いつかはアイツと並び立ち、超えたいと夢想しているのだ。

 そして渚は既に目の前のヴァーリを一度退けた。何も渚が出来たなら自分がやれるなんて驕るつもりはない。自分に出来るのは精々が渚みたいに諦めず立ち上がるまでだ。けれど一撃くらいは入れる。それぐらいしなければ渚に置いて行かれそうだ。

 意地もあれば、誓いもある。愛しのご主人様と約束したのだ、最強の"兵士(ポーン)"になると……。

 ならば立って進むしかないだろう。超えるべき壁は大きい、だが挑む価値はあるはずだ。

 

「俺を倒せないキミが蒼井 渚を超える? 冗談……ではないな」

 

 一誠の雰囲気からヴァーリは真意を読み取ったようだ。

 

「ったりまえだろ」

「ならここで現実というのを教えておこう」

 

 ヴァーリの雰囲気が変わる。

 これは遊ぶのをやめて一誠を敵として倒すという宣言でもあった。

 一誠は(かま)えも取れずにヴァーリを迎え撃とうとする。

 

「どっからでも──」

 

 来い……という前にあらゆる方向からの打撃に襲われた。骨は砕け、肉が千切れ、鮮血が舞う。ただでさえ瀕死の一誠はこの攻撃に耐えられない。最後の足掻きで前へ進むが鋭く重い一撃を顔面に食らった。

 フルフェイスの兜が無惨に砕け散る。

 素顔を露にした一誠は倒れながら、こう思う。

 

 ──ナギに追い付けなかったな。

 

 最初は隣にいた筈だった。なんの変哲もない友達の筈だったのだ。

 だが気づけば、その背中は遠くにあった。

 沢山助けてもらった。

 レイナーレの時、ライザーの時、コカビエルの時だっていつも最終的に体を張ったのは渚だ。

 自分の為になんて言いながら、結局誰かの為にしか戦わないカッコつけしい。普通に暮らしたいと裏でぼやきながらも命を懸けてまで非日常を駆け抜ける考え無し。もうダメだと諦めていたら『なんとかする』なんて適当な言葉で濁しながら本当になんとかしてしまうトンデモ野郎。何度も死に追いやられても復活する生きたゾンビ。

 しかし、それが、そこが、堪らなくカッコ良かった、憧れた。だからその背中を全力で追いかけたのだ。

 一誠はもう少ない意識の中で手を伸ばす。

 

「追い……付き……たかった、なぁ……」

 

 これがナギだったら立ち上がって皆のために戦うんだろうな。

 一誠は死に掛けても立ち上がる渚を何度も見てきた。この度に強敵を倒す姿に何度魅せられたか……。

 届かなかった背中に手を伸ばすが力抜けてガクリと落ちる。たがその手を誰かに取られた。

 

「おい人を勝手にゾンビ扱いして死ぬなよ、俺に失礼だ」

「(なんだ、来てたのか)」

「まぁ、アレだ、その、誉められるのは嬉しいけどな、俺はイッセーを追い抜いてないぞ?」

「(嘘つけ、俺がどんなに一生懸命だったか、分かってないだろ)」

「それはわからなかった、俺はどうも自己評価が苦手らしいんでな。……悪かったよ」 

「(別にいい。ナギが来てくれたなら安心だしな)」

「それでいいのか?」

「(俺じゃ届かなかったんだ、色々さ)」

「届かないなら俺が引っ張るよ。諦める前にもう少しやってみないか? 何より俺が先にいるって思うなら、俺を追い抜きたいなら──()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 照れるように、誘うように、ソイツは笑った。

 それは目標()からの激励であり、挑発。一誠は諦めかけた自分に渇を入れてその手を強く握り返す。

 

「なんなら足踏みして待っとくか? いいぞ、俺はのんびりが好きだしな」

「(言ってろ、すぐ俺の背中を拝ませてやるよ)」

 

 心臓が大きく鼓動し、神器に魂を込める。──もっと力を、と。

 瞬間、警報音のようなけたたましい音が響いた。

 

『──警告(Warning)赤の炉心へ不正接続を確認(Unauthorized access confirmation)

 

 うるさいほどにハッキリと聞こえる声はドライグではなく機械音だ。その声が続ける。

 

『アニムスコード認証中……エラー。コードの差異により不正アクセス者の侵入と認定、回路強制カット。炉へ霊気隔壁、展開。不正接続者への魂絶プログラム起動。ルート逆算終了。目標の霊子核を確認。不正接続者への攻撃開…………中断。最上位機関(メインコア)より緊急伝令を受信、不正接続者への攻撃を中止および炉心へのアクセス権を要請。……最上位機関(メインコア)、"クァエルレース・ケントルム"の要求を受諾。不正接続者、兵藤 一誠にアクセス権を発行……完了。兵藤 一誠をユーザー登録、アニムスコードより申請を確認、承諾完了。封印回路により30%の限定起動。──Mode(モード) active(アクティブ) Supreme Ruler(シュプリーム ルーラー).』

 

 一誠の神器が眩く光る。何が起きたかわからない。ただ渚をすぐ近くに感じた。

 

「頑張れよ……」

 

 渚の声が遠くなる。

 背中を叩かれた気がした。あんな軽口を叩いていた奴は最後の最後で優しげに言ってから行きやがった。

 だが確かに自己評価が下手な奴だ。渚は自分がどんなに凄い奴か、まるで理解してない。

 あんな適当な応援で一誠はこんなにも活力に溢れ、ヴァーリにも勝てそうな気すらしてしまうのだから……。

 次会ったら大活躍劇を自慢してやろうと一誠は誓うのだった。

 




手違いで同じ話を続けて投稿してしまいました。
困惑させた事を深くお詫びします。


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まつろわぬモノ《Other world》

 

 ドライグは既に諦めていた。

 自分の宿主である兵藤一誠は白龍皇に挑んで今死にかけている。

 この結末は最初から分かっていた。自分の相棒は歴代最弱の赤龍帝であり、対する相手は歴代最強の白龍皇。巡り合わせが悪かったと言うには些か理不尽が過ぎる。

 ドライグは一誠を最弱と表したが、決して軽んじている訳ではない。寧ろ宿主としては好感を持っていた。自らの最弱を受け入れ、慢心せずに努力し、力の扱い方もドライグに相談してくる。歴代の赤龍帝がドライグに語りかけるなど滅多に無かったので中々に良好な関係だったと思っている。

 それに今回に限っては面白い事象が確認された。外部からの触発で神器が異様なまでに活性化し、一誠を禁手化(バランス・ブレイク)まで至らせたのだ。これならば鍛え方次第で白龍皇にも勝てると踏んでいたドライグだが相手も相手で素のステータスが馬鹿げている宿主だった。

 現白龍皇のヴァーリが言った通り、挑むには早すぎたのだ。

 致命傷を受けて消えていく一誠の命を見つめながらドライグは終わりを悟る。

 

『……おわら、せるの?』

 

 ふと小さな呟きが聞こえた。

 一誠ではない。ましてや神器に内包されている歴代赤龍帝の残留思念かと思ったが違う。

 声は女で、か細いが確かにドライグに語りかけていた。見ればドライグの足元に一人の少女が立っていた。歳は一誠と同じか少し下に見える。そんな少女だが初めて見る顔なはずなのに魂が震えた。この感情がなんなのかドライグにもわからない。

 

『俺の許可なしにここに来るとは何者だ』

『……わから、ないの?』

 

 妙に癖のある喋り方だ。しかも歳のわりに幼い印象受ける。誰かと話しなれていないのか声は今にも消え入りそうだ。

 だが不思議と不快感はない。逆に心地いいと感じている自分に疑問を抱くくらいである。本来なら不審者として排除するのだが、どうしてもそんな気にはなれなかった。

 

『……だから聞いたのだが』

『そう。どらいぐ、あのひと、すき?』

『相棒の事か? 確かに今までの宿主に比べたらマシな奴ではある』

『たすけ、ないと』

『無理だ。既に死に体、そして敵は強大な白龍皇だ』

『はくりゅうこう? はくりゅう……あるびおん?』

『そうだ』

 

 女が小さく笑った気がした。

 

『またけんか、してる』

『喧嘩か。そうだな、俺たちは理由も忘れて争っている』

『……ごめんなさい』

『なぜ謝る』

『しってるから』

『俺たちが忘れた記憶をお前は持っているのか?』

『おしえる?』

『いらん。知ってもやめられん。今回は敗けだが次は俺が勝つ』

『そう。……どらいぐ、あるびおんに、いじめれて、る?』

『ふ、"白いの"が着いている奴の性能がおかしかったからな、確かに一方的ではあった』

『どらいぐ、ついているひと、いいの?』

『仕方がないさ。欲を言えばもっと語り合いたかった。もしかしたら戦友(とも)になれたかもな』

『わかった。どらいぐ、たすける。ともだち、だいじだから』

『助けるだと? いったい何をするつもりだ』

 

 少女がドライグに触れる。

 

『わたしがどらいぐ、なぎさが宿主』

 

 瞬間、ドライグの周囲が"蒼"に染まり、聖書の神が施した楔が崩れていくのを感じる。神器が脈打ち、ドライグの力を少しずつ紐解(ひもと)かれ、一誠との繋がりがより強くなっていく。

 これなら自分の力を存分に相棒へ送れる。生命力を活性化させて助けることも出来るかもしれない。

 

『お前は何者だ?』

 

 もう一度、ドライグは聞いた。

 今度は言葉の一つ一つに重みを効かせて相手から答えを聞き出すように。

 少女はドライグを見上げると淡い光に包まれた。

 

『──"はおう"』

 

 それだけ呟くと少女は儚く笑うと、光の粒子となってドライグの前から消えるのだった。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

「終わったか」

 

 ヴァーリは一誠の顔面に拳を入れて呟く。フルフェイスの装甲が砕け晒される素顔。欠片が宙を舞い、意識を失いながら倒れて逝く一誠をヴァーリは見下ろす。

 気合いと根性だけは認めるが肝心な力が足りていない。

 意地だけ倒せるほどヴァーリ・ルシファーという存在は容易(たやす)くないのだ。

 

『ヴァーリ、グレイフィア・ルキフグスによって与えられたダメージが大きい。自己修復に入らせてもらう』

「全力で防御をしていたんだが、流石は最強の"女王(クイーン)"と言ったところか。修復時間は?」

『本来なら撤退を推奨したいが……』

 

 それは戦闘に支障が出るレベルのダメージということだろう。

 だが退く気はない。ここには三大勢力の中でもトップレベルの実力者が揃っているのだ。こんな機会は中々ないのだからもう少し楽しみたい。

 

「撤退はしない」

『無理はするな』

「分かってるさ。最悪、"覇 龍(ジャガーノート・ドライブ)"で乗り切る」

『それを無理と言うのだ、決して使うな』

「やれやれ」

 

 相棒であるアルビオンの言葉に従う事にする。口煩いこともあるが多くの場面で助けてくれたパートナーだ。無下にはしない。

 さて次は誰を狙おうか。近いのは魔法使いと戦っている聖魔剣とデュランダルだが、あの二人もまだ自分と戦えるまで強くはない。やはり本命のサーゼクスにするか……いや、あのイオフィエルというのも気になる。

 

「アルビオン、あのイオフィエルという天使は何者だ? 智天使(ケルビム)と聞いているが、どうも実力者たちから一目置かれているような気がするんだが?」

『あの女は三大勢力の決戦時に尤も多くの敵を殺害した天使だ』

「殺戮性能に特化した天使か、是非とも手合わせ願いたいね。それに、この時間停止を行っている彼もかなりのモノだ」

『見境がない奴め。戦いを楽しむのも良いが引き際は間違うな。目的を果たす前に死ぬのはお前も本意ではないだろう?』

 

 呆れるアルビオン。

 より強い者と戦うためにアザゼルと袂を分かったのだ。狂っている自覚はあるがこればかりは変えられない。

 ヴァーリが次の獲物を探していると仰向けに倒れていた一誠が空に向かって手を伸ばしていた。

 

「あのダメージでまだ生きているのか……」

 

 今にも力が抜け落ちてしまいそうな震える一誠の左腕。その手は死に瀕しながらも懸命に何かを掴もうと足掻いている。

 ヴァーリが、その光景を黙って眺めていると一誠の震えが止まり、何かを掴み取るように強く握り拳を作った。

 

Welsh Dragon(ウェルシュ ドラゴン) Supreme Ruler(シュプリーム ルーラー)!!!!!!!

 

 "赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"の宝玉が輝き叫ぶ。すると炎のように蒼いオーラが一誠を包む。

 ヴァーリは驚きに目を見開きながら距離を取った。

 一誠がゆっくりと、だがしっかりと立ち上がる。

 燃え盛るような蒼いオーラがボロボロでひび割れの酷い"赤龍帝の鎧(ブーステッドギア・スケイルメイル)"を修復していく。

 より強く、より固く、より高みを目指すが如く損傷箇所を燃やしながら鎧は生まれ変わる。

 ヴァーリの頬から一筋の汗が流れた。

 

「なんだ……?」

 

 一体、何が起こっている? 神器の隠された機能か……? 

 思考を巡らせていると警戒色の強い声音でアルビオンが語りかけてきた。

 

『ヴァーリ、気を付けろ。今まで赤龍帝とは違うと思え』

「何かわかるのか?」

『いや……だが、この感覚は……』

 

 アルビオンもまた何が起こった解りかねているようだった。やがて赤龍帝の鎧は修復が終わり、一誠がヴァーリを睨み付ける。

 

「最強の白龍皇。……ここは俺がなんとかさせて貰うぜ」

 

 大胆不敵な勝利宣言をするやフルフェイス装甲が一誠の頭部を格納し、カメラアイが呼応するように光を灯す。同時に蒼いオーラは真っ赤に染まり、更に密度を高めてヴァーリを威圧した。

 ヴァーリはふと一誠のすぐ背後にもう一つの気配と幻影を見た。それは彼が求めてやまなかった好敵手。超えるべき壁、打倒すべき人間の姿に他ならない。

 

「──蒼井 渚かッ!」

 

 アザゼルから蒼井 渚は神器に干渉できる能力を持つと聞かされている。彼に近しい一誠が(なん)らかの助けを受けたとしてもおかしくない。

 ヴァーリは体を震わせながら歓喜する。

 

「そうか、これがキミからの条件という訳か! 自分に挑む前に赤龍帝を倒せと言いたいんだな!」

 

 ──面白い! 

 

 侮るなとは言うまい。一度破れた身だ、それがリベンジマッチのチケットになると言うなら甘んじて受けよう。相手が格下だろうと再び挑めるならば容赦なく赤龍帝を叩き潰す。

 

「兵藤 一誠、悪いがここからは本気で行かせて貰う。彼との再戦を果たすためにね!」

「手加減されて勝ったんじゃアイツに合わせる顔がねぇ! とっと来やがれ、ヴァーリ・ルシファー!」

 

 二つの龍が己が野望と信念を胸に互いへ喰らい付く。

 宿命された対決はここより始まる。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 アリステアの放った銃弾が(ことごと)()められる。まるで見えない壁でもあるように弾丸はギャスパーの目の前で制止して小気味良い金属音を鳴らしながら地面に転がった。

 ギャスパーを(おお)っているのは時間という絶対の障壁であり、例え核兵器の爆発でもダメージは与えられないだろう。

 時間を操る手合いとの戦いで(もっと)も厄介なのは防御力だ。時間停止はあらゆるエネルギーの働きをゼロにするからだ。それが魔力でも光力でも関係はない。高度な時間操作はソレらの働きにすら容易(ようい)に干渉する。

 アレを突破する方法を模索して再び銃を構えた。

 銃口の奥で高密度な霊気エネルギーが収束して稲妻を(ほとばし)らせる。

 

「まずはこれからですね」

 

 閃光と轟音が轟く。

 それは光熱量の弾丸だった。ギャスパーが知覚するよりも速く彼を滅そうと飛翔する。

 しかし弾丸は時間の壁を突破できず、膨大な光と熱を消失させた。

 アリステアは落胆(らくたん)の色を見せず冷静にこの結果を受け入れた。全て予想通りだったからだ。

 難しい理論は(はぶ)くが、単純に時間の壁を抜けるなら光の速さを越えさえすれば撃ち抜ける。だがそれは一般常識の範疇(はんちゅう)でしかない。

 今放ったアリステアの弾丸のスピードは秒速9,593,344km、光で加算すればの凡そ32倍の超々速度の弾丸だ。

 光を遥かに超えた速さでもギャスパーに傷一つ付けられないという事は通常の時間停止ではないと見るべきである。つまり力押しでは攻略できないのだ。

 時流操作に対抗する術式もあるにはあるが正面から挑む気はない。魔力総量の上限が上がり続けるギャスパーに、限定された霊氣しか行使出来ないアリステアでは物量差で押し負ける。やるならばギャスパーの魔力量を(くつがえ)す突出した異能が必要だ。

 

「対時流に特化した力ですか」

 

 一人だけそれが可能な人物に心当たりがある。だがこの状況で頼んでいいか迷う。

 アリステアはコンマ3秒の合間に数々の思考を重ねた結果、その人物を頼るには不確定な要素があり過ぎて現実的ではないとして自分が行える最善で打開すべきと判断する。

 ギャスパーを狂いに狂わせている異物──"黄昏"の欠片。あれをアリステアの術式で取り除ければ正気には戻せる。しかし流石に直接触れないと術は行使できない。

 せめて意識を刈り取れればベストなのだが今となってはソレすら難しくなっている。

 

「("永劫の霊器"とやらがここまで強力とは……我ながら判断が甘かったですね)」

 

 アリステアは最初の判断を誤った。

 ギャスパーがこれ程までに強くなるとは予想外だったのだ。現れた直後だったら対処は簡単だったが、時が経つに連れて力を上昇させている"永劫の霊器"とやらのせいで収集がつかなくなっている。

 どうするか悩んでいるとギャスパーが拍手をしながら称賛してきた。

 

「すごい攻撃でビックリです、普通なら終わってました。それじゃあ次は僕の番でいいですよね!」

 

 ギャスパーが地面に手を置くと彼の影が伸び、駒王学園の敷地内全体まで広がる。果ては影が光を求めるように立ちあがり、空を飲み込まんと光を遮る。吸血鬼の使う影術だろう。

 影の牢獄は駒王学園を闇に包む。

 ピシリっと意識が一瞬だけ固まる。空間を密閉することによって時間停止がさらに強くなったのだ。

 

「そろそろ決断しないといけませんか」

「さぁ行きますよぉ!」

 

 暗い地面から影が形を()した。黒い影が見るも(おぞ)ましい魔物となってアリステアを襲う。100は越えるだろう影の魔物を前にアリステアはもう一丁の拳銃(M92F)を装備する。

 

「(ただの魔物ではありませんね。しかし吸血鬼の能力というには少々逸脱(いつだつ)し過ぎている。神器に秘められた能力かもしませんが、今は観る暇も考えてる場合でもありませんか)」

 

 上下左右からやって来る魔物の群れを神懸かった照準と正確な位置予測で迎撃。マズルフラッシュの光の中でアリステアは舞うように次々と弾丸で魔物を千切っていく。だが魔物もまた影から這い出て際限無く襲い掛かってきた。

 終わりの見えないギャスパーの猛襲に対して左右の銃が同時に弾切れを起こさないように銃撃のリズムをずらして対応する。

 片方の銃がスライドを後退させて弾切れを知らせるとすかさず"物質の転送移(ア ポ ー ツ)"で弾装を取り寄せる。文字通り手が空いてないので弾装は空中に転送して銃本体を巧く振って空中で装填、同時にスライドが前進して初弾が薬室にセットされるのを確認して魔物へ向けて発砲、その身を撃ち貫く。

 

「(魔物の巣穴にでも放り込まれた気分ですね)」

 

 先が見えない持久戦は体力的にも精神的にも難儀だ。弾丸だって無料じゃないし、時間を使えば使うほど危機的状況に追い込まれる。

 活路を見出だすため銃撃しながら思考を高速化する。

 何を捨て、何を拾うのが合理的で、何をどうすれば最善か。しかし何度やっても出る"答え"はひとつだった。

 ──まだ早い。

 アリステアはその"答え"を保留し、また最初から考え始める。

 

「時間切れだ、アリステア・メア」

 

 アリステアの思考を遮るように少女の声が届く。

 転瞬、爆風がアリステアを囲んでいた魔物たちが粉々に吹き飛ばした。

 空から重厚な出で立ちで白き者が着地して魔物を殴り払ったのだ。

 それは大木のように太く、岩石よりも固そうな四肢。その手足に恥じぬ巨人を思わせる巨躯。三メートルは越えるだろう長身。立っているだけで誰もを威圧してしまいそうな白き者はさながら太古の戦士である。

 その姿は人型であるが人ではない。全身が彫刻のように白く石像と言われても納得するだろう。だが鎧の中で彼は息づいており、生命体として存在していた。

 そんな彼の肩からふわりと柔らかく降り立ったのはイオフィエルだった。

 彼女が手で伏せるように指示すると白き巨人は片膝立ちで(こうべ)()れる。

 アリステアは"真眼"で巨人を覗く。流石にアリステアの"眼"を警戒してか何重にも隠匿されている。

 深く見るのは労力の無駄と悟ったアリステアは巨人から"眼"を逸らす。

 しかし使い魔というには混在する力が大き過ぎる。かと言って何処(いずこ)の神話体系から召喚した魔物にしては神話特有のクセもない。

 ただ1つ見えたのは"蒼昏の巨腕(そうごん かいな)"という仇名(あだな)らしき(めい)だ。"蒼"と関わりがあるのは予想していたので驚きはない。

 今は、何故この天使がら乱入してきたのかが問題だ。

 

「何か用ですか?」

「あなたには失望したよ。まさか情に(ほだ)されて(みな)を危険に合わせるとは思わなかった」

 

 軽蔑するようなイオフィエルの視線にアリステアは不快さ隠さずに冷たく返す。

 

「言ってる意味が分かりません。邪魔をしに来たのなら消えてください」

「あなたは陣営のトップたちよりギャスパー・ヴラディの命を優先している。本気で戦っていない事ぐらいお見通しだ」

 

 苛立った口調のイオフィエルは敵意さえ(にじ)ませてアリステアを睨む。

 

「彼が私の予想を越えたのも事実です」

「取れる手段を限定しながらよく言うものだね。時間停止の障壁は確かに厄介だ。だがあなた程の実力者なら突破は可能だろう。既にその"眼"はギャスパー・ヴラディを倒す未来を観測している、違うかい?」

 

 イオフィエルの言っている事は正しい。

 アリステアはギャスパーを止める方法を既に幾つか考えてある。ギャスパーを守る障壁は強固であるが所詮は数ミリの厚さに過ぎず内側は通常の時間軸だ。

 アリステアの術式の中には空間に越えて認識した場所で弾丸を炸裂させるモノもある。これなら問題なくギャスパーに攻撃ができる。

 では何故しないか? それは単にギャスパーを本当の意味で止められないからだ。今のギャスパーは正気じゃない。精神を狂わされた状態で中途半端に傷を負わせれば録な事が起きないとアリステアは分かっているのだ。手負いの獣ほど危険なものはない。

 

「あなたの考えている懸念は尤もだ。しかし時間がないと解った上で行動に移さないのは愚かでしかない。わたしには殺害を躊躇っている風にしか見えないよ」

 

 アリステアの思考を読んだイオフィエルが的確な状況判断で非難してくる。

 確かにやり方を変えるなら殺害事態は可能だ。

 先に説明した術式を頭部か心臓に撃ち込めば終わる。それを理解しながらアリステアはギリギリまでギャスパーを救う手段を脳内で何度もシミュレートを繰り返している。要するにイオフィエルの言うことは図星だった。

 

「まぁ良いさ。あなたが出来ないのならわたしがやろう。──行け、ウェルキエル」

 

 (こうべ)()れていた巨人がイオフィエルの命令を受けて走り出す。巨躯にも関わらずその脚は速い。

 下の影から出現する魔物たちを次々と踏み潰し、上から襲う魔物の群れは腕の一振りで粉々にする。

 見た目通り肉弾戦に特化しているようで魔物の攻撃を歯牙にも掛けていなかった。

 

「イオフィエルさん、邪魔しないで下さいよぉ」

 

 白けた様子で立ち尽くすギャスパーが手を前に出すと影が収束して肥大化する、やがて巨人の体躯を上回る魔物となって現れる。

 巨獣が咆哮と共に大口を開けて飲み込もうするが巨人は上下を抑えて阻止する。

 

「あはは! そのまま噛み砕けぇ!」

 

 拮抗しているように見えた両者だが巨人がその豪腕で巨獣の口ごと身体を引き裂く。荒々しく両断された魔物は地面の影に還る。

 

「あ、負けた」

 

 ギャスパーが魔物の敗北を詰まらなさそうに認識した直後に巨人の拳な叩き付けられた。隕石でも落下したような衝撃に学園の校庭が隆起し、大地が砕ける。

 しかしギャスパーは無傷で巨人を嗤う。

 

「ダメでしたね」

 

 余裕のある態度で挑発するギャスパーだったが、イオフィエルの口は三日月に歪んでいた。

 それを見ていたアリステアはまだ攻撃が終わっていない事に気づく。

 痛烈な死の予感。

 それはアリステア自身ではなく、ギャスパーに対してだった。アリステアは即座に1発の弾薬を"物質の転送移(ア ポ ー ツ)"して薬室に直接装填する。

 ──"認識座標強襲型衝裂弾(インベイジョン・ゼロポイント)"。

 これが先に言ったギャスパーの時間障壁を無効にする回答だ。この弾丸はアリステアの"真 眼(プロヴィデンス)"とリンクしており、彼女が読み取った座標に直接跳躍して炸裂という結果のみが現れる。つまり弾道という概念を取っ払った防御不可な弾丸であった。

 アリステアは"認識座標強襲型衝裂弾(インベイジョン・ゼロポイント)"をギャスパーへ向けて撃つ。

 マズルフラッシュと火薬の匂い。たが発射された筈の弾丸の軌跡はない。代わりに炸裂音だけが響く。

 

「あぅ!!」

 

 アリステアの銃撃は時間停止の障壁を飛び越えてギャスパーの脚に命中していた。

 その炸裂によってふともも辺りの肉を焼き削がれたギャスパーは体勢を崩して横に倒れて行く。

 瞬間、背後から何者かに突き刺された。

 ギャスパーは右胸から生えるのは3本の鋭く太い刃だ。彼が背後を見れば異様に長い爪を持つ白き人型の異形が立っていた。

 白き異形の爪が引き抜かれる。ギャスパーは出血に困惑しながら両膝を突いた。

 

「な……んで?」

 

 息苦しそうに血を吐きながら咳き込むギャスパーにイオフィエルが軽やかに歩み寄る。

 

「彼、ガムビエルは生粋の暗殺者でね。高い機動性と隠密能力が自慢なんだけど特質すべきは"爪"なんだよ。彼の"爪"はあらゆる守りや加護を無効化するんだ。それが時間でもね」

「あ、あり、えない……」

「時間障壁が絶対だと思っていたようだが、あんなもの少しその気になれば突破できるんだよ? 現に『ししょー』もあなたの脚を削いだ。手加減されていると気づけないなんて哀れだな、少年。──彼の心臓を()()け」

 

 ガムビエルに命令するイオフィエルはゾッとするほど無感情だった。そんな彼女に対してアリステアが銃撃する。その弾丸はイオフィエルの耳先数センチを通り抜けてギャスパーの心臓を狙っていたガムビエルの爪を弾き、処刑を中断させた。イオフィエルは冷めた目でアリステアの方へ振り向いた。

 

「さっきギャスパー・ヴラディを助けたね? あなたが彼を撃っていなければ心臓を貫けたというのに、なんのつもりだい?」

「これは私の仕事です。横やりは許しませんよ」

「仕事ね。出来れば穏便に済ませたかったんだけど邪魔をするなら仕方ないか。──打ち砕け」

 

 アリステアの背後で巨人が巨碗を振り落とす。

 その不意打ちを回避して太い腕を伝って駆け登ると至近距離から顔面に銃弾をお見舞いする。

 

「堅いですね」

 

 白き巨人ウェルキエルはアリステアの弾丸を受けて平然としていた。並の悪魔なら容易く撃ち抜いている威力なのだが巨人相手には火力不足のようだ。

 ウェルキエルの頑強さに辟易していると横から鋭い爪が伸びてきた。アリステアは後方に宙返りをしながら校庭に降りてガムビエルへ発砲。弾丸は暗殺者の顔面に真っ直ぐ飛ぶも鋭い爪に防がれてしまう。

 "暗殺者(ガムビエル)"と"拳闘士(ウェルキエル)"がアリステアに死を与えようと機を窺っており、その後ろではイオフィエルがギャスパーにトドメを刺そうとしていた。

 

「ゲホッ! な、治らない、僕は、吸血鬼なのに、傷が回復しない……!?」

「時間障壁を無力化したように吸血鬼の不治性もガムビエルの"爪"には意味を失くす、諦めたまえ」

 

 甚大な負傷で障壁が解除されている今のギャスパーなど簡単に殺せるだろう。

 ギャスパーの顔に怯えが混じる。それに対してイオフィエルは慈しむ笑顔で手を高くあげた。

 彼女の手に光の剣が握られる。

 アリステアは霊氣を全開に解放し、立ち塞がるイオフィエルの下僕を無理矢理に突破するため走り出す。

 ウェルキエルがアリステアを叩き潰すため拳を繰り出して来るも回避する。直撃した校庭は地割れを起こして大量の岩石を巻き上げるがアリステアは速度を落とさずにウェルキエルの巨体の下を潜り抜るように駆けた。

 しかし()いでガムビエルが凄まじい速さで迫り爪を突き出してくるがこれも躱す。

 頬を小さく裂かれたが脚は止めない。このままイオフィエルの下へ行けると確信する。だが思いも()らぬ方角からガムビエルが奇襲してきた。見れば巻き上げられた岩石を利用して忍者のような駆け抜けている。

 四方八方から次々とアリステアを爪が襲う。油断無く対処したが予想を越えた(はや)さと(うま)さに身体に爪を受け始める。

 

「(闇雲に力を振るうだけでなく、私を討つ為に知恵も使っている。ただの雑兵と侮ると狩られますね)」

 

 恐らくウェルキエルは意図的にこの状況を作った。いくら攻撃力が高いとは言え巨人の彼ではアリステアを捉えきれない。だが迅さが武器のガムビエルならば追いつけると判断したのだろう。加えて平坦な2次元ではなく高さも含む3次元の戦闘にすることでガムビエルの特性を更に高めた。結果、加速を続ける殺し屋の完成である。

 ガムビエルの動きを予測して弾丸を撃ち込むが庇うようにウェルキエルの巨碗が割り込む。

 アリステアの表情が僅かに歪んだ。

 ──思った以上に手強い……。

 特化型の個体が互いの弱点を補い合っている。それは高度な訓練を受けた兵士にも似通った連携だ。

 ガムビエルの爪を上手く避けたつもりなのに腹を裂かれた。そのひるみを見逃さずウェルキエルは重い一撃を入れてくる。攻撃は届かず、こちらは少しずつだが削り取られていく。このままでジリ貧でしかない。

 打開する案を探そうにも、まともに相手をしていたらギャスパーが殺される。

 

「(こういう手段は好かないのですがね)」

 

 内心でぼやきながらアリステアはウェルキエルの攻撃をわざと受けた。

 限界まで硬度を高めた防御陣を展開するが飴細工のように簡単に砕ける。左腕を強化して盾代わりにするがウェルキエルの一撃は凄まじく、アリステアの華奢な腕をあらぬ方向にへし折った。砕けた骨が内側から筋肉を千切り裂いて外まで飛び出る。左手から血飛沫を流しながらもアリステアはイオフィエルまで辿り着く。そしてそのまま振り下ろされた断頭の刃を右手の銃を止めた。

 

「(ふぅ。今のは危うかったですね……)」

 

 ギリギリ間に合わせた自分をこっそり褒めるアリステア。そのファインプレーにイオフィエルが怒気を孕ませつつ言う。

 

「いい加減、怒るよ?」

「そうですね、貴女にはその権利がある。非は私にあります。判断ミスや決断の遅れ、数々の要因が重なったのは確かです」

 

 不機嫌になり描けていたイオフィエルの表情が僅かに驚きが混じる。今回、間違ったのは自分だとアリステアも痛感している。冷静さも欠いてたし、身勝手な理由で味方全員を危険に陥れている自覚もあった。

 見るも無惨に壊れた左手はイオフィエルの責任ではなく、自分が持たらした結果だとすら考えている。

 

「へぇ。認めるんだ」

「全てを終えたあと弾劾するなり好きにしてください」

「それまで生きていたらね。ほらギャスパー・ヴラディの"黄昏"が表に出てきたよ。──獸化(けものか)だ」

 

 ギャスパーが悶え苦しむなかで体に変化が起きる。

 背中から赤黒い血のような腕が生えてくるとアリステアとイオフィエルへ爪を立てた。寸での所で距離を取る二人。

 ギャスパーの肉体が血を流しながら"黄昏"によって獸へ堕ちていく。影がギャスパーを食らうように侵食して呑み込もうとしていた。華奢な肢体は強靭に、姿は人を保っているが最早、魔物と言っても差し支えない。

 ギャスパーの肉体が徐々に変異し、進む度に時間停止が強く作用する。

 そして遂にその時が来た。

 獸化により更に高められたギャスパーの力がイオフィエルの術式を上回り、一誠を除いたグレモリー眷属を停止させたのだ。

 

「半端に傷つけるからこうなる。どう責任を取るんだい?」

「……責任を果たします」

「それをもっと早くしてほしかったね」

 

 もう猶予はないとアリステアはギャスパーの殺害を決める。

 

「(……らしく無いことをして失敗するとはなんとも無様この上ない。やはり感情に流されると録な目に遭わないですね、私の場合は特に)」

 

 アリステアは猛省しながらギャスパーに銃を向けた。

 そして引き金へ指を掛ける。

 刹那、ギャスパーと目が合う。

 自分が自分ではない"ナニか"に変わる恐怖が狂気から一瞬だけギャスパーを正気に引き戻したのだ。

 それを見てしまったアリステアは引き金に掛かっていた指の力をほんの僅かだが緩めてしまう。

 

「た、助け──」

 

 ギャスパーがそこまで言い掛けるが慌てて手で口を抑える。自分がやっている事を思い出して自らを戒めた。

 

 ──ここまでやって助かるのは都合が良すぎる。

 

 その瞳が映すのは怯えだ。死への恐怖もあるが、何よりも助かった後の生に向けられている。多くの人に責められるのなら、恨まれるくらいなら、このまま消えてしまった方がいい。そんな考えをする者の目だ。

 ギャスパーはアリステアに向けて謝罪するように笑う。そして遂には肥大化した"黄昏"の欠片に肉体は呑まれて漆黒の異形に成り果てる。

 新たに生まれた獸が生誕を喜ぶように雄叫びをあげた。

 

「成ってしまいましたか」

 

 そう言いながらアリステアは呑み込まれる直前のギャスパーの顔を思い出す。

 唇なんて真っ青で目には涙まで浮かべて震えているのに絶対に笑顔は崩さなかった。

 その事に苛立ちを覚える。

 余裕など無いくせに、泣き虫が歯を食いしばって終わりを享受した。

 

「少しは改善したと思ったらまた引きこもりに逆戻りですか。良いでしょう、ならばその居心地が悪そうな場所を徹底的に破壊してあげます」

 

 意地でもギャスパーを引きずり出す、アリステアはそう決断する。

 しかし今のアリステアでは獸化したギャスパーを救えない。やるのなら"血咒(けっしゅ)"の侵攻の抑えに割いている膨大な霊氣リソースを解放する必要がある。

 下手をすれば死。上手く行っても寿命を大幅に削ることになる。渚以外のために死ぬつもりはないので必ず生還する。生きていればピスティス・ソフィアの力でどうにでもなる。

 アリステアは右腕に集中させていた霊氣を使うため包帯を解こうと結び目に触れた。

 

「駄目よ、それは駄目」

 

 そっと横から右手の包帯に手が乗せられた。静かに語りかけてきた声に引っ張られるよう視線を向ける。

 

「……アーシア?」

 

 隣に居たのはアーシアだ。彼女は目を細めながらアリステアの白い髪を撫でると前へ出る。アリステアは優しく触れられ、懐かしさに囚われた。思わずその場に立ち尽くしてしまったほどだ。

 

「アーシア・アルジェント、なぜあなたは動いている?」

 

 イオフィエルの疑問も(もっと)もだ。アリステアやイオフィエルですら時間停止の影響を幾ばか受けている。

 そして聖魔剣やデュランダルなどの使い手が停止されているなかでアーシアは平然としているのだ。

 

「時間関係の異能に強いんです。本来なら私の出る幕なんて在ってはいけないのだけど頼まれては仕方がありません」

 

 それはアリステアやイオフィエルに言ったようで自分に言い聞かせている口調だ。

 アリステアは前々から感じていたアーシアへの違和感が確信に変わる。

 アリステアの"真眼"でも異常はなかったから気のせいだと思っていたが、やはり彼女は……。

 

「何をする気なんだい?」

「そんな怪訝そうにしなくて大丈夫ですよ、イオさん。ギャスパーさんは時間を操るんでしょう? なら私が適任かと想います」

 

 金色の髪を振り返ると無表情だが自信と余裕さを感じさせる。

 アリステアは最後通告のようにアーシアに確認した。

 

「……やれるのですか?」

()()()()()()はケガしてるんだから下がっていて。あとは任せなさい」

「貴女はやはり、ゆず──!」

 

 アリステアの言葉に「しぃー」と唇に人差し指立てるアーシア。そしてギャスパーへ視線を向けて立ちはだかる。その目はギャスパーではない何かを見ているようだった。

 

「いい加減に出てきたらどう? この界域にまつろわぬ者同士、名乗りぐらいはしておきませんか?」

 

 アーシアがギャスパーに向けて言うや、ギャスパーの背後で何者かが嗤う。

 そして世界の時が容赦なく凍結した。

 



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我、目覚めるは……《Be Oppose to 》


なにも考えずに書いていたから長文になっていました。
文字数の調整が難しく思う今日この頃です。



 

 人工神器を禁化(バランスブレイク)させたアザゼルとオーフィスの"蛇"を取り込んだカテレアの戦いは熾烈を極めた。駒王学園がギャスパーの影に包まれようが関係なしに力と力がぶつかり合い、影から出てきた魔物など意に介さない勢いで消し飛ばす。

 

「どうした、真の魔王とやら。でけぇのは口だけか?」

「舐めるな、堕天使が!」

 

 今やどちらも魔王もしくはそれ以上の実力を有している。

 太古から多くの戦いを生き抜いたアザゼルは歴戦の猛者であり、堕天使の頂点に立つ実力者だ。そんな男が最上級悪魔程度に負ける道理はない。加えて人工神器に宿っているのは五大龍王に数えられる"ファーブニル"だ。決して扱い易い龍じゃないがアザゼルは時間を掛けて龍王と向き合ったため力を十全に使いこなしていた。

 対するカテレアは魔王の血筋なだけに素質は高く、最上級悪魔の力はある。更に最強を冠するオーフィスの"蛇"により無尽蔵の魔力を得ている事もあり、その恩恵を使いこなせば"ファーブニル"と共にあるアザゼルだろうと充分に打倒が可能だ。

 だが戦いの天秤はアザゼルに傾きつつある。

 カテレアは明らかに力を持ち余しているのだ。

 "無限の龍神"とまで言われたオーフィスの力は一朝一夕で制御できない程に強力であり凶悪だった。

 

「く、なぜ圧されているのです! あのオーフィスから得た力なのに!」

「だからだよ。急に得た力にお前自身が振り回されてんのがわかんねぇのかよ」

 

 アザゼルが無数の光の槍を顕現させてカテレアに投擲する。カテレアも魔力を槍上に変形させて撃ち出すが、魔力は光に食い破られて腹を貫かれる。

 

「ぐぅ! あなたは私が弱いと言うのですか!」

「ちげぇよ、逆だ」

 

 悪魔にとって光は耐え難い痛みを伴う猛毒だ。本来なら苦痛で戦闘どころじゃない。しかし受けた痛みを怒りが上回ったカテレアは腹に刺さる槍を激情のままに引き抜く。

 大した胆力だと呆れ半分でカテレアの評価を上へ修正するアザゼル。しかし……。

 

「オーフィスの"蛇"に引っ張られ過ぎだ。俺でも龍王の力を御するのに長い時間とそれなりの対価を支払ってる。龍神ともなりゃどれほどかかるやら」

「黙りなさい! 私は真なる魔王、龍神の力を得て最強になる者です!」

「力量と采配を見謝れば、龍神の力はお前を喰い殺すぞ」

「これで消えてなくなれ、堕天使アザゼル!」

「年長者の警告は聞いとくモンだぜ、たくよ」

 

 カテレアが特大なオーラを纏いアザゼルへ手を向けた。

 アザゼルは光の槍を手にカテレアへ突撃する。

 放たれる魔力にアザゼルが槍を振るう。

 二人が光力と魔力が激突するがアザゼルの光の槍はカテレアの魔力を斬り裂き、そのまま片腕を両断した。

 苦痛の表情でカテレアが出血する腕を抑える。

 

「こんな……私は、レヴィアタン、魔王の後継者なはずです」

「お前は急ぎ過ぎた。仮に"蛇"とやらを完全に制御したら結果は変わっていたかもな。なんにしてもこれで(しま)いだな」

「戯れ言を! 私はオーフィスすら支配下に置ける器、堕天使風情(ふぜい)が私を下に見るな!」

「そうか、ならじゃあな」

 

 救い様の無い自尊心。

 アザゼルは槍をカテレアに突き立てようと振りかざす。カテレアは負けじと魔力を収束させる。

 ──遅い。

 アザゼルが終わらせるために槍を繰り出す。カテレアの魔力攻撃が繰り出される前にアザゼルの槍が心臓を貫いて終わり……の筈だった。

 決着の瞬間、邪魔が入る。

 それはギャスパーの時間停止。

 アザゼルが使う人工神器には黄金龍君の異名を持つ"ファフニール"の魂が込められた逸品だ。その鎧は堅牢かつ強固であり、時間侵食すらも羽跳ね除けていた。しかし守られている筈のアザゼルに再び干渉してきたのだ。

 

「(時流侵食がファーブニルの守りを上回っただと!?)」

 

 驚嘆すべき事象だ。

 それは堕天使の総督アザゼルと五大龍王ファーブニルを越える力だと言うことになる。今の今で問題なく動けていたのに何が起きた……? 

 アザゼルの疑問、彼の計算を狂わした劇的な何かとはギャスパーの獸化である。それが成った事により時流干渉に凄まじい増幅が重なったのだ。

 結果、時間という牙がアザゼルを捕らえる。

 アザゼルの槍の一撃は停止へ収束する時間によって減速したのである。

 時流侵食とも言えるギャスパーの間接的な攻撃はアザゼルとカテレアの立場を逆転させた。

 アザゼルの先手が後手となりカテレアの攻撃が先に命中したのだ。

 炸裂と爆炎、そして衝撃。

 カテレアの攻撃を受けたファーブニルの鎧の一部が砕け散った。爆煙の尾を引いて墜落するアザゼルだったが翼を広げて体勢を立て直す。

 受ける筈の無い一撃はアザゼルに大きなダメージを与えている。鎧がなければ戦闘不能も有り得ただろう。

 

「流石はオーフィスの力ってか」

 

 本来ならカテレア程度の攻撃なぞなんなく防げた。それが出来ないほどオーフィスの『蛇』が強大なのだ。ギャスパーの訳が分からん程に強い時間停止もあり、一瞬でかなり追い詰められた。

 

「自慢の人工神器もその程度ですか!?」

 

 規格外(オーフィス)の強化と既知外(ギャスパー)の支援を受けてよくも言う奴だとアザゼルを思う。だが口には出さない。

 これは試合やゲームじゃなく一種の戦争であり、カテレアは勝つために前段階で多くを準備した。

 アザゼルも仕掛けるなら念入りに策を練るタイプだ。(ゆえ)にカテレアを褒める事はあっても卑怯と貶す真似はしない。今回はアザゼルの警戒が足らなかっただけだ。反省しながらも槍を構える。勝敗の天秤は分の悪い方へかなり傾いたがまだ敗けじゃないのだ。

 

「さぁどんどん行きますよ!」

 

 カテレアが馬鹿みたいに魔力の砲弾を撃ってきた。

 数で押しきろうという考えだろう。

 

「こりゃヴァーリまで()つかねぇ」

 

 軽口を呟くとアザゼルの前方に颯爽と現れる影があった。魔王セラフォルー・レヴィアタンだ。彼女はカテレアの魔力を相殺しながら懇願する。

 

「カテレアちゃん、もうやめよう!」

「セラフォルーですか」

「お願い!」

 

 セラフォルーを見たカテレアはその表情を怒りに染めた。

 

「やめる? それで大人しく投降して処刑されろと? 頭が可笑しいのね」

「そんなこと言ってない!」

「国家反逆をした私を許すの? 馬鹿げてます。素直に戦いなさいな!」

「……出来ないよ!」

「今まで沢山殺して何を言うのですか、偽善者め!」

 

 カテレアの言葉にセラフォルーは黙ってしまう。

 現魔王は戦争の功績で選ばれている。それは多くの同胞を救うと同時に数えきれない敵を殺害してきた実績があるという事だ。

 平和を愛するセラフォルーだが、戦闘を忌避している訳じゃない。戦争という悲惨な戦いを知ってるからこそ、武力による敵根絶の必要性も重々承知だ。

 だがそれでもセラフォルー・レヴィアタンという女性の性根は善良なのだ。

 懸命にカテレアを説得するセラフォルーにアザゼルが声を掛ける。

 

「奴が友だからか?」

「……うん」

「アイツはお前の命を狙っているんだぞ?」

「分かってるよ」

 

 アザゼルからしたらカテレアはただの危険人物だ。だがセラフォルーが殺害を躊躇う理由もわかる。友を大事に思う気持ちはアザゼルにもあるのだ。かつての大罪人であるコカビエルが脳裏に(よぎ)る。アザゼルは彼を助けるために色々とやった。結果、命は助けられなかったが最後に語り合う事が出来たのだ。それが、どんなに救いだったか自分自身が知っている。

 

「あははは! ならこれでも戦えないの?」

 

 セラフォルーの願いとは裏腹にカテレアが転移陣を展開する。中から出てきたのは一人の女子学生だ。首を掴まれた女子学生は時間が止まっているせいでピクリとも動かないが身体中には傷があった。そんなボロボロの女子学生を見てセラフォルーが悲鳴を上げる。

 

「ソーナちゃん!」

「襲撃前に拾ったのよ? あぁ学園を守護していたのかしら? 眷属もそこら辺に転がっているでしょうね」

「放してあげて!」

「イヤです。あら、いい目だわ。とても悔しそうな目……それが見たかったのです!」

「カテレアちゃん!」

 

 セラフォルーの魔力が鋭い氷を作り出す。

 

「いいですよ! やっと私と戦う気になったのですね、セラフォルー!!」

 

 カテレアがソーナを空中で磔にしてゲラゲラと笑う。

 

「もっと、もっとよ。──オーフィス、無限の龍神よ! この身にその力を捧げなさい」

 

 カテレアが言うや、切断された腕から黒いオーラが噴き出して形を成した。

 それは無形の蛇、形なき蛇の口が動く。

 

『これ以上は形が変容する』

 

 無機質な声にアザゼルとセラフォルーは身を凍らせた。重圧にすら生温い龍圧。本能が怯え理性が削られる。心臓が嫌に速く鼓動するのは目の前にある絶対強者たりえる存在感のせいだった。

 "無限の龍神"が今まさに"蛇"を通して現れたのだ。

 影とはいえ、まさかの本人登場に緊張が走る。

 ただの声だけで力の差が見えてしまうほどに強烈なプレッシャーを放つ天涯の怪物。数々の神を超える存在。この学園にある戦力なぞ無限の前では塵芥(ちりあくた)に過ぎない。奴がその気になれば全滅だ。魔王に熾天使? そんな程度では指一本弾くだけで蒸発する。

 あの龍神を倒すとしたら、それこそ他の神話体系と手を組んでの総力戦しかないだろう。

 つまりオーフィスと正面からぶつかるなど自殺行為に等しいのだ。

 アザゼルは、そんなオーフィスとの直接戦闘を避けるため頭を働かせる。

 

「オーフィス、コイツらに力を与えてどうする?」

『アザゼル、久しい』

「なんだ、俺の事は覚えていたのかよ」

 

 アザゼルが時間稼ぎの為に会話を広めようとするが、オーフィスの影は周囲を窺う。

 

『"源性(アルケー)"が空間を支配している』

 

 そこにあるのは警戒色。

 神すら気に留めない無限の龍神が見せたのは敵意だった。そんな感情を向ける相手は同格である"夢幻の真龍"──グレートレッドぐらいだろう。しかしオーフィスは違う存在を見ている。

 その事にアザゼルは驚きを隠せなかった。

 

『カテレア、アレは手に余る、直ぐに処理すべき』

「あ、アレとはあの悪魔の事ですか?」

 

 ギャスパーを指すカテレアにオーフィスが頷く。

 

『そう。アレは"源性(アルケー)"の欠片。成長すれば我の静寂を乱す。なぜアレと手を組んだ?』

 

 責めるようなオーフィス。口調は淡々としているが暴れ出るオーラにカテレアは勿論、アザゼルとセラフォルーも戦慄する。どうやらカテレアは触れてはならないものに触れてしまったようだ。

 

「アレは協力者が持ち込んだものです!」

『そこにカテレアの意思はない?』

「そ、そうです!」

『分かった。なら許す』

 

 あっさりとカテレアを許したオーフィス。

 アザゼルは、あのオーフィスが警戒するアレとやらの正体に危機感を覚える。

 

「随分と優しいな。あんたにとって"源性(アルケー)"とやらと組むのは許せないんじゃないのか? いったいアレはなんだ?」

 

 基本的に何者にも無頓着なオーフィスが僅かと言えど敵愾心を向けた。その反応を見る限り、"源性(アルケー)"とやらは余程にヤバイものだ。アザゼルは少しでも情報を得るため消し飛ばされる覚悟で龍神に問うた。

 

『"破滅の神獸(アルキゲネドール)"。アレは世界を喰らうモノ』

 

 言葉だけで非常に不味い存在だとわかる。しかも世界最強の龍神からの言伝(ことづ)てとなれば偽りとも言えない。

 

『アザゼル、我に(くだ)れ。望むもの与える』

「龍神からのお誘いとは嬉しいね。けど一番欲しいものはあんたの下じゃ望めないんでね、お断りだ」

『……そう。ならばカテレア、あと任せる』

「力をくださるのですか?」

『約束は守る』

 

 それだけ言うとオーフィスの気配が消失する。

 そしてカテレアに変化が現れた。片腕が再生し、目から黒い液体を流し始めたのだ。明らかにマトモじゃない姿にアザゼルが眉を潜めて、セラフォルーが口を押さえる。カテレアの身体は力を得ると同時にオーフィスの"蛇"に喰われているのだ。

 

「あははははははは! すごいわ、力が溢れる、これがオーフィス ノ ヂカラ!!」 

 

 狂ったように笑いだすカテレア。身体を"蛇"に捧げて尚、戦意の揺るがないカテレアはまさに狂っている。血すら黒く染めて自らを喰らう蛇に歓喜していた。

 もう少し"破滅の神獸(アルキゲネドール)"とやらの情報が欲しかったが会話どころでは無くなってしまう。

 

「か、カテレアちゃん……!」

「セラフォルー、残念だが手遅れだ。奴は自分で望み、オーフィスの力に呑まれた。……あとは分かるな?」

 

 セラフォルーの顔が悲痛に染まる。それを見たカテレアは笑いながら襲い掛かる。

 

「そうだ、戦エ、誰ガ真のレヴィアタンか決めマしょう!!」

「ダメだよ!」

「ち、どけ!」

 

 アザゼルが戦おうとしないセラフォルーを突き飛ばす。

 槍で応戦する。カテレアは知性が落ちているのか、動きが単調だ。力が上がっても戦い方がお粗末すぎる。

 アザゼルは攻撃を掻い潜りカテレアを槍で袈裟斬りにする。しかし切断した部分が直ぐに再生した。

 

「再生力に目覚めたか」

 

 悪魔が光を克服するなどあってたまるかと内心で文句を垂れるが龍神の力を得ているので何処か納得してしまう。

 

「痛くナイでスよ? 今度は私ノ番デスカ」

 

 カテレアが全身を震わせて仰け反る。すると腹が裂け、蛇の頭が生まれた。

 蛇が大口を開く。そこから放たれたのは闇を織り混ぜたレーザーだ。アザゼルは防御陣を使ってレーザーの軌道を曲げた。

 防御陣に亀裂が入り、余波だけで全身が軋む。まともな戦闘は既に困難だ。ギャスパーの時間停止のせいでセメントの海にでもいるように全身が時間に侵食されつつある。

 仕方がないとアザゼルは人工神器の力を槍に一転集中させた。鎧が解かれ、光の槍に装甲が装着された。

 それを槍投げのように翳す。

 

「カテレア・レヴィアタン、小娘と侮ったがお前は強い。俺に切り札を使わせるんだからな」

 

 アザゼルの槍に装着された装甲が展開して凄まじい力を放出する。アザゼルの光力とファーブニルのオーラが織り混ぜり、激烈とも言える光となって顕現したのだ。しかし人工神器に亀裂が走る。膨大な龍光力とも言える力に人工神器が耐えきれずに自壊を始めたのである。

 ──流石に耐えきれんか。

 アザゼルが造り上げた最高傑作と言えど所詮は紛い物。出力重視で色々なモノを削ぎ落とした試作品だ。

 改良の余地ありだな……と苦笑しつつカテレアヘ最高の一撃をくれてやろうと更に力を込めた。

 砕けながらも高まり続ける槍にカテレアが身体を異形に変異させながら向かってくる。

 ギリギリだな、間に合うか?

 アザゼルは最高値まで槍の力を高めながらカテレアと対峙していた。

 

「ワタシ ハ シン ナル マオウ!」

「はっ、プライドもそこまで行ったら立派だよ」

 

 加速してアザゼルに飛び掛かろうとしたカテレア。

計算よりも速い動きにアザゼルは覚悟を決める。

 

「(これは良くて相打ちだな)」

 

 死中に活つを見出だそうとした時だ。

 カテレアの四肢が急に氷付けになった。決して砕けぬ氷はカテレアを決して離さない。

 こんな真似が出来るのは現状一人だけだ。

 

「セラフォルゥウウウウ!!」

「……っ!!」

 

 動きを封じたセラフォルーが身を切られたような顔をしていた。色々なものを天秤に掛けて考え抜いたのだろう。セラフォルーは迷いながらも魔王の勤めを果たすために濃密な魔力を纏う鋭い氷をカテレアへ向ける。

 アザゼルは魔王として友を止める決意をしたセラフォルーに敬意を表する。だからここから先は自分がやる。カテレアを友と思うセラフォルーには重荷を与えない。

 

「セラフォルー、手を出すな! コイツは俺の獲物だ!! "堕 天 龍(ダウン・フォール・ドラゴン) の  超 烈 槍(オーバード・シャイニング・スピアー)"!!」

 

 アザゼルはカテレアに称賛(しょうさん)を贈りながら槍を放つ。

 膨大な光を撒き散らす槍をカテレアは防御陣で弾こうとするが問答無用で貫く。

 

「ガガガガガガガァアアアア!」

「……ま、強度に難はあるが威力は及第点だな」

 

 アザゼルが残骸になりがら飛翔する槍を眺めながら満足げに呟く。

 その圧倒的な光の槍に為す術なくカテレアの胸から下を容赦なく吹き飛ばされた。力無く失墜するカテレアをセラフォルーが慌てた様子で抱き留める。

 アザゼルは敢えて何も言わずに二人を見守った。

 

「カテレアちゃん! カテレアちゃん!」

「……捧ゲラレル、全テヲ出シ尽クシテモ勝テナイ。流石ハ堕天使ノ総督デスね」

 

 悔しそうに歯噛みするカテレアの上半身が崩れ始める。"蛇"はカテレアを構成する全てのモノを喰い付くしたのだ。最早、回復は望めないだろう。

 乾いた土のようにボロボロと無に還るカテレアはセラフォルーへ視線を向ける。もう見るも無惨なクシャクシャな泣き顔だ。カテレアが不快そうに表情を歪めた。

 

「ナンで泣いてルンですか?」

「友達だからだよぉ」

「ナラ、ナンで私から魔王の座を奪ったのですカ?」

 

 カテレアが(うら)み顔でセラフォルーを睨む。

 

「バカか。セラフォルーは奪ったんじゃねぇよ。周りがそうさせたんだよ。現魔王は戦争の功績で選ばれたのはお前も知ってるだろうが」

 

 アザゼルがタバコに火を着けながら「それによ……」と続ける。

 

「レヴィアタンの名を選んだのは、お前と同じ名前だったからだろうに」

「…………え?」

「私、私ね、カテレアちゃんの名前だから魔王も頑張れたんだよ? 魔王なんて忙しくて好きなことも制限されて楽しくなかった。けど戦犯呼ばわりされてる旧魔王派が……カテレアちゃんが誰からも悪く言われない世界を作りたかったの」

「私のため……?」

「だって親友が悪く言われるのは悲しいよぉ」

「しん……ゆう?」

 

 カテレアの頬にセラフォルーの涙が落ちた。

 困惑するカテレアに対して畳み掛けるように泣きながら言葉を捲し立てるセラフォルー。

 

「カテレアちゃんが、こんなに怒るんだったら魔王なんてやらなかったよぉ!」

 

 わぁーんと子供のように泣くセラフォルー。

 そんなセラフォルーをカテレアはしばらく呆然と眺めていたが、やがて小さく鼻で笑う。

 

「……バカみたいです」

「ばかじゃないもん!」

「いいえ、ばかよ。私を信じたあなたも、あなたを信じられなかった私も……」

 

 肩から先が外れてて落ちた。

 セラフォルーが一生懸命繋げようとするが腕は砂となって消えた。カテレアは無感情で崩れる身体を眺めていたが自らの最後を悟り、初めてセラフォルーに真っ直ぐで真摯な瞳を向けた。

 

「凄まじい拘束でした、あれが敗北の要因だった」

「今は傷を治さないと……!」

 

 必死に助けようとしているセラフォルーにカテレアは呆れた。なんでこんな愚か者が自分より優れているのかが悔しかった。だが負の感情の押し付けはもうやめる。

 どんなに嫌ってもこの精神年齢が残念な女は側に在ろうとするのだ。自分の死でレヴィアタンの血は終わる。後悔はないが残念ではある。

 だから最後に残せるものを残しておこうと思う。

 無様な友を強く見つめて、その表情に覇気を宿らせると死に向かう者とは思えない口調で叫ぶ。

 

「セラフォルー・レヴィアタン!」

「は、はい!」

「泣くな。凜としなさい。そして立派な魔王になってください。──私の名を貶めたら絶交ですよ?」

 

 一拍置いてセラフォルーが涙をぐしぐしと袖で吹いた。真っ赤な目は今にも涙が溢れそうだが風格と品位はある。懸命な作り顔で今にも悲しみで決壊しそうなセラフォルーに対してカテレアは初めて心から微笑んだ。

 

「まだまだ不細工です。精々頑張ってくださいな、魔王セラフォルー・レヴィアタン」

 

 最後にそう言ってカテレアは塵となって消えた。

 濡れていた目元にまた涙を浮かべるセラフォルー。アザゼルは黙って背を向けると空中に囚われていたソーナを解放して抱き上げる。

 最後の最後までカテレアはソーナを盾にしなかった。卑怯だが卑劣ではなかった。カテレアは敵だったが悪魔としての誇りに殉じたのだろう。

 

「どうしてこうも好き勝手して逝っちまう輩が多いのかね、まったくよ」

 

 それは誰でも無く自分自身に対するボヤキだったのだろうが、セラフォルーは泣きながら返事を返す。

 

「ほんと、勝手だよぉ」

 

 慰めの言葉を探すアザゼルだったが、どうやら口に出す暇はないようだと思う。

 

「残った奴等に期待だな、こりゃあ」

 

 ついに自分も時間の監獄へと落とされると直感的に分かったからだ。

 その予想は正しく。次の瞬間、氷結した時間の牢獄が二人を捕らえるのだった……。

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 

 時間停止という概念が侵食する世界で2体の龍が喰らい合っていた。二天龍と呼ばれる赤と白は一歩も引かずその場で殴り合いを続ける。

 

「(なんかすげぇな……)」

 

 一誠は拳を繰り出しながら思考の(はし)でふと思う。下級悪魔で一般人だった一誠と魔王に血筋で戦闘センスの抜群なヴァーリでは力に()いて天と地ほどの(へだ)たりが存在する。

 しかし今現在、一誠はヴァーリと同格いや若干だが上回った戦いを見せていた。

 

「(ナギの使ってた霊氣だったか? あれが際限無く溢れ出てくる)」

 

 そのお陰で体が羽のように軽く、力が(みなぎ)る。

 やはりイオフィエルは正しかった。"赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"は渚が持つという"蒼"と繋がりがある。こうして恩恵を受けているから間違いない。だからどうと言う話ではないが、こんな事が出来る奴が目標とは中々に険しそうだと苦笑してしまう。

 

「……ちっ」

 

 足を止めて近距離で殴り合う最中にヴァーリが小さく舌打ちをするのを一誠は耳にした。初めて見せた焦りだが優越感に浸る余裕はない。相手は格上、仕留めるまで拳を繰り出す。

 

「おぁあああ!!」

『Boost!』

「はぁあああ!!」

『Divide!』

 

 終わらぬ螺旋のように繰り返される倍加と半減。激しい拳の応酬のなか、一誠はヴァーリの拳を受けながら突き上げるようなボディーブロウをお見舞いしてやる。

 

「うらぁ!」

 

 拳を振り抜いてヴァーリを上空に打ち跳ばす。その威力は凄まじく、時間結界の届かない遥か彼方までヴァーリを追いやる。あんな一撃をまともに受ければ最上級悪魔でもただでは済まないだろう。

 しかしまだ終わりではないと一誠は確信している。

 手応えが小さかった。アルビオンの半減とヴァーリの受け流しにより威力が減衰したのだ。ならばどうするかなど決まっていた。

 

「飛ぶぞ、ドライグ!!」

 

 鎧の背中から噴射口が展開させる。

 今までも普通に使っていた噴射口だが一誠は細かな操作は出来ない。だからドライグに飛行のフォローを頼む。

 

『舌を噛むなよ!』

 

 ドライグが言うや背中から放射される熱と炎。そのまま眩い光の塊になって飛翔する。

 駒王学園が直ぐ様、米粒程度の大きさになった。

 (そら)(そら)の狭間でヴァーリは既に体勢を立て直しており光の翼を広げていた。そのまま突貫しようとする一誠だったが様子がおかしいことに気付く。脱力するようにヴァーリが構えないのだ。

 少し迷いつつも停止する。ヴァーリとの距離は10メートルといったところだろう。

 

「諦めたのか?」

『違うな。奴の空気が変わった。油断するな、相棒』

「わかった」

 

 最弱が最強に挑んでいるのだ。負けるのが当たり前の状況をひっくり返そうとしている一誠に慢心などしている余裕は無い。

 

「格下という言葉は撤回だな」

 

 それは苦言だったのだろう。

 ヴァーリは一誠にやられた自身の白い鎧を眺めながら呟く。静かに一つ一つの損傷を確認するや視線をあげて一誠を見る。

 

「僅かだが確実に圧されている。アルビオン、どうやら俺は思いの外、弱かったようだ」

『なにを言っている! あらゆる部分で我らが勝っているはずだ。……答えろ、赤いの。お前の宿主はこのヴァーリに迫る何かを持っているのか?』

『何を焦っている、白いの。今回は互いに良い相棒に出会えた、それでは駄目なのか?』

 

 自慢げなドライグ。誉めてくれるのは嬉しいが、あまり相手を挑発しないでほしいものだ。

 

『あり得ん。ヴァーリは魔王と人間のハーフという奇跡のような存在。いずれは間違いなく歴代最強になろう白龍皇だ!』

『ならば俺の相棒も奇跡の存在なのだろう。いずれ歴代最高の赤龍帝になるかもしれんな』

 

 一誠の強さが分からないと言うアルビオンをからかうドライグ。

 

『バカな。こんな巡り合わせがあり得るのか……?』

 

 一誠はアルビオンの疑問も尤もだと思いながらヴァーリと同じように鎧を見た。復元したはずの鎧は致命的なダメージには遠いが所々が割れている。さっきまで新品だったのが嘘のようだ。

 互いの鎧は損傷が激しい。そう、()()にだ。だからアルビオンは納得がいかないのだろう。技術、経験、魔力に劣り、動きは素人よりマシ程度の体捌きでしかない。

 ならば何故ヴァーリを僅かとはいえ上回っているのか? 

 答えは単純な神器の出力だ。

 ドライグとアルビオンの確かに互角である。

 それは全盛期の事をいい、神器に封印されてからは力を制限されている。

 だが今の"赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"は超活性化の中にあるのだ。その間欠泉が如く溢れ出す霊氣にはドライグですら驚いてるほどで全盛期に限りなく近い力を発揮している。

 要するに一誠は圧倒的な力押しで技術や経験を勢いで(くつがえ)していた。

 

「本気で駄目なら死力を尽くすしかないな」

 

 ヴァーリが(わら)う。

 思わぬ強敵の出現に魔力が狂喜乱舞している。傷だらけなのに、とても嬉しそうだ。まだまだ戦うつもりなのだろう。戦闘狂を前にして一誠は身構える。

 しかし死力とはどういう意味なのだろうか? 

 

「アルビオン、これは使いどころじゃないか?」

『駄目だ』

「何を躊躇(ためら)う? 相手は赤龍帝、宿敵だぞ?」

『時期早々だと言っているのだ! いかにお前でもどうなるか分からんのだぞ!?』

「死ぬ気はない、だからやらせてもらう。──信じてほしい」

『…………わかった』

「では行くぞ。──我、目覚めるは覇の理に全てを奪われし、二天龍なり

 

 急にヴァーリとアルビオンが言い争って何かを決めたようだ。さっきから感じていた嫌な予感が更に強くなる。

 

「アイツら何をする気だ?」

『正気か!? 相棒、白いのの宿主は"覇 龍(ジャガーノート・ドライブ)"を使うつもりだ、止めるぞ!』

「ジャガーノート? なんだかヤバそうだな!」

 

 一誠はドライグの警告に従い、攻撃を加えるため接近する。それでもヴァーリは動かず言葉を紡ぐ。

 

──無限を妬み、夢幻を想う。我、白き龍の覇道を極め……

 

 意識を集中しているのか、ヴァーリが動く気配がない。

 詠唱らしきものが進むたびに底知れない恐怖を感じる。だからだろか、無防備なままのヴァーリを殴り付ける事にも迷いは生まれなかったのは……。

 

「これで終わりだぁ!」

 

 直撃すると確信したトドメの一撃を繰り出す中でフルフェイス装甲に隠されたヴァーリが笑った気がした……。

 

──汝を無垢の極限へと誘おう!!

Juggernaut Drive(ジャガーノート・ドライブ)!!!!!

 

 白いオーラによって一誠の攻撃は弾かれて身体ごと後方へ跳ばされた。

 ヴァーリの纏う鎧が変化する。より鋭利に、より威圧的に、より禍々しく。龍のオーラの増幅に呼応する鎧は膨張し、人よりも龍に近いフォルムへ変化していく。

 

「な、なんだありゃ……」

 

 愕然とする他ない。

 長くなった腕に、巨大化した光の翼、顔は牙を持つ獣のような形に変質。もはや人とは言えない龍がいた。

 

『あれが"覇 龍(ジャガーノート・ドライブ)"だ』

「ウソだろ……。禁手化(バランス・ブレイク)の上があるのかよ」

『上というよりも暴走だな。自らを神器に喰らわせることで限界を超えた力を発揮する自爆技だ』

「なっ……! そんな事が出来るのか?」

「ああ、だが命を代償にする大技だ。相棒、気を引き閉めろ」

「命ぃ!? アイツ、バカなの──」

オォオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッッ!!!!!!!!!!

 

 "覇龍"が吼える。

 それは大気の震撼などと言うには生温い。物理的な衝撃を伴う咆哮に一誠は腕を交差して防御する。

 

「(なんだ、これっ!?)」

 

 "赤龍帝の鎧(ブーステッド・ギア・スケイルメイル)"が軋む。少しでも気を抜けば鎧だけでは無く心も砕けてしまいそうだ。

 白い"覇龍"と目が合う。

 戦慄が走った。本能的が理性に逃げろと叫ぶ。アレは全てを破壊する。あれこそが天龍であり、赤白の二天龍が辿る成れの果て……。

 "覇龍"が翼を大きく広げる。

 

「来る!」

『相棒、集中しろ。今のお前なら鎧を通して俺の……ドラゴンの超感覚を扱える。全力で相対しろ、ここが正念場だ!』

 

 ドライグが言うや"覇龍"に一瞬で距離を詰められた。

 本来なら反応すら出来ない筈であろうスピード。しかし楔から解放されたドライグと今までに無いほどシンクロしている一誠は対応して見せた。"覇龍"の爪を腕を盾にして受け流すや顔面に反撃まで繰り出したのだ。

 "覇龍"の顔に傷が入る、予想よりも脆い。重圧なイメージがあっただけに拍子抜けする一誠。

 

『アスカロンの力を鎧に浸透させた。少し時間が掛かったが、これなら白いのの"覇龍"にもダメージを与えられる』

「"龍殺し(ドラゴン・スレイヤー)"ってヤツか!!」

『あぁ運が良かった。いかに"覇龍"とはいえ最上位の"龍殺し(ドラゴン・スレイヤー)"には耐えきれん』

 

 逆に言えばアスカロンがあるからこうして戦えているとドライグは付け足す。

 一誠は怯んだ"覇龍"のボディに拳は叩き込む。装甲を貫くが巨大化した白龍皇の鎧は厚みが増しておりヴァーリまでは届いていない。しかし……。

 ──大丈夫、戦える! 

 ドライグの超感覚で攻撃を避ける事もアスカロンのお陰でダメージも与える事が出来ている。力の差は思ったよりも大きくはない。

 アスカロンを用意してくれたミカエルと譲ってくれたアリステアにお礼をしなきゃな、と心から思う。

 

『油断はするな。力の総量はあっちが上だ。攻撃をまともに受ければ今の鎧でも致命傷になりかねん。だが勝ち目がない訳じゃない。全く、"覇龍"を前に大した相棒だ!』

「ありがとよ。おっしゃあ!! やってやんぜ!!」

 

 勝機がある。その可能性は一誠の士気を高めるには十分だった。軽口を叩きながらも攻撃を捌き続ける一誠。感覚は鋭くなっている。相変わらず"覇龍"の攻撃は見えていないが攻撃する場所が漠然とわかるのだ。不思議だった。頭ではなく体が勝手に反応しているようにも感じる。

 

『その感覚に逆らうな。目で追えない相棒は龍の超感覚に身を委ねろ』

 

 神器の超活性化の恩恵は凄まじい。

 ドライグとより深くシンクロしている影響で赤龍帝が得ただろう数々が経験が憑依して一誠を歴戦の猛者と渡り合える能力を貸し与えていた。

 これならいける! 

 そう思いつつあった時だ。"覇龍"の瞳が怪しく光る。

 ゾクリ、と寒くなるのを感じた一誠はその場から大きく飛び退()く。

 

Hafl Dimension(ハーフ ディメンション)!』

 

 瞬間、一誠がいた場所が捻れて圧縮した。

 信じられないことに"覇龍"は空間を半減してあらゆる物を半分にしたのだ。

 

「そんなのありかよ!」

 

 ドライグと感覚を共有してなかったら確実に当たっていただろう。"覇龍"は逃げる一誠を追うように空間を半減させてくる。当たれば潰れたトマトようになるだろう。

 

「遠距離ならコイツをくらえ! ──ドラゴンショット!」

 

 手から放たれたのは"覇龍"を丸ごと呑み込むような赤い気弾だ。撃った一誠も驚くほどデカイ。真っ赤な光に"覇龍"は突進して行く。

 

「避けないのか!?」

 

 "覇龍"が片腕を前にして気弾に触れる。

 

『DivideDivideDivideDivideDivideDivideDivideDivide!!!!!!』

 

 気弾が消失するや"覇龍"の光翼が輝きを増す。すると顔の傷が治り、更に強力な体へと変異を始めた。

 

「はっ!? なんでアイツ進化っぽいことしてんだ!?」

『ヤツは半減した力を自らに取り込める。相棒の撃った気弾が食われたな』

「じゃあドラゴンショットはダメじゃねぇか!!」

『遠距離から仕留めるならヤツが取り込めるエネルギーを上回る力が必要になる』

「んなのねぇぞ?」

『ならば直接叩き込むしかない』

「結局、殴り合いしかないってか」

『やるしかないだろうな。大丈夫だ、俺がお前を死なせん。──行くぞ』

「おう! (あて)にしてるぜ、相棒!!」

 

 ドライグから伝わる超感覚を受け入れる。 

 "覇龍"の空間半減を大きく旋回しながら回避し距離を詰める。こうして接近すると"覇龍"がいかに強大か分かる。肌を刺すような悪寒。奥歯がガチガチと震える。

 "覇龍"の爪が迫る。恐ろしい速さだ。

 たがしっかりと見る。目を逸らせば死ぬ、退いても死ぬ。どうしてこんな馬鹿げた命のやり取りをしているのか……。ハーレムを目指すためとは言えリスクが大き過ぎじゃないのかと思う。

 爪をギリギリで避け、拳で"覇龍"の体を砕く。

 確かな手応えを感じた。しかしもう片方の爪が一誠を切り裂く。衝撃と断裂。激しく錐揉(きりも)み回転しながら痛みに耐える。

 本当に痛い。死ぬんじゃないかってくらいに胸が焼けるほどに熱かった。

 

「くそ痛ぇ、ドライグ……!」

『胸部装甲を持って行かれた。止血と修復をするから耐えろ!!』

「こなくそ!」

 

 "覇龍"が目の前にいた。どうやら待ってはくれないようだ。痛みのなか一誠は生きるために抗う。しかし一撃が重くダメージは蓄積されていく。勝てると思ったらこれである。第2形態とかラスボスなのだろうか? 

 思考を切り替える。

 愚痴を言っても仕方がないと文句を呑み込み一誠は懸命に勝機を探り始めた。

 まず渚のサポートでヴァーリの半減は越えられたがデタラメに強化された"覇龍"には届かない。力の総量で劣っている現状、倍加だけで半減を上回る事をないだろう。しかし悪いことばかりじゃない。"覇龍"になってから相手は動きが単純になった。ヴァーリにはあった戦闘技術がまるで活かされていないのだ。フェイントなども無いため冷静に見極めれば回避は出来る。尤も腕力が凄まじいので防御していてもダメージは蓄積される。つまりこのまま続けば負けが明確だ。

 "倍加"、"禁手"、"龍殺し"、"蒼"。

 これだけ揃ってもまだ足りない。"覇龍"を倒すにはあと1つ何かが必要だ。

 

『──なら、あるびおん、つかう』

 

 ドライグではない誰かの声を聞いた。すると鎧から膨大なオーラが発生して腕を形作ると"覇龍"を殴り飛ばす。

 

「なっ!」

 

 オーラの塊がゆっくりと消えると"覇龍"の体にあった宝玉の1つが一誠の前に落ちる。思わず受け取ってしまう。

 ──幻聴か? しかも今のオーラはなんだ!? 

 

『またヤツか……』

「今の声、知り合いか?」

『さぁな。ただ俺たちに協力してくれるらしいぞ。恐らく蒼井 渚の関係者だ』

「ナギの……」

 

 一誠が手の中にある宝玉を見た。

 これを渡してきたと言うことはそういうことなのだろう。神器は可能性の塊だ。アスカロンを取り込めたのならコレも出来る。

 

『それを取り込むのは本来なら反対だ。俺と白いのの力が反発して相棒が死ぬ』

「あの可愛らしい声の人は大丈夫そうだから渡したと思う。多分、あの人は味方だ』

『……勝手に死ぬなよ?』

 

 強く反対しないのはドライグも一誠と同じ考えだからだ。ならば懸けるとしよう、この白龍皇の欠片に……。

 

「まだ何も成してねぇから死なねぇよ。……やれるんだろ?」

 

 謎の声が頷いた気がした。得たいの知れない存在だが渚の知り合いなら信じても良いだろう。

 一誠は右手の甲に"覇龍"から奪った宝玉を捻り込んだ。

 ミシミシと"覇龍"の宝玉が"赤龍帝の鎧"を(むしば)む。

 白龍皇の力が赤龍帝に反抗するように鎧を作り替える。腕が千切れてしまうのではないかというほどの激痛だった。

 

『「うおぉおおおおお!!」』

 

 ドライグも同じ痛みに耐えている。

 一人じゃ心が折れていたかもしれない。だが相棒が一緒なら耐えられる。

 

 ──だいじょうぶ。うまく、いく。

 

 背中を押された気がした。

 耐え難い痛みが熱さに変わり、反発していた白龍皇の力が収まると"赤龍帝の鎧"に浸透していく。

 

Vanishing Dragon(バニシング ドラゴン) Power is taken(パワー イズ テイクン)!!

 

 鎧の右腕部分が赤から白へ染まる。"白龍皇の籠手(ディバイディング・ギア)"とでも呼んでおこうか。

 取り敢えず、なんとか出来たようだ。少し不恰好だが贅沢は言えない。肩で息をしながら"覇龍"に右手を(かざ)す。

 

「ヴァーリ、お前の力貰ったぜ!」

『Divide!』

 

 取り込んだ白龍皇の力によって"覇龍"が弱体化する。

 上手く機能しているようで安心した。あれだけ痛みに耐えて何も得られませんでしたじゃ目も当てられない。

 

『成功だな。まさか白いのを取り込めるとはな。どうやら俺の相棒は相当に馬鹿みたいだ』

「褒めんなよ」

 

 これで最後のピースが揃った。

 もはやあの化物が相手でも負けはしない。

 一誠は倍加と半減を駆使して"覇龍"の討伐へ動き出す。

 前人未到の大物狩り(ジャイアントキリング)を為すために……。

 

「ドライグ、次だ。次で終わらせる!」

『分かった』

 

 右手に"倍加"を左手に"半減"を構えて覇龍に飛び込む。

 

「行けぇぇええ!」

『BoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoost!!!!!』

 

 まずはアスカロンの力を右手に集中させて打ち込む。

手応えあり、"覇龍"の身体が大きく傾く。

 鎧ごと一誠をバラバラに出来るオーラを宿した爪が跳んでくる。

 

「コイツで!」

『DivideDivideDivideDivideDivideDivideDivideDivideDivideDivideDivideDivideDivideDivide!!!!!』

 

 "白龍皇の籠手(ディバイディング・ギア)"で"覇龍"の力を奪い、相手の攻撃力を下げまくる。

 本来ならあり得ない永遠倍加と恒久半減の共存。

 究極のバフとデバフを使いこなす今の一誠は神々すら恐れる世界のバランスブレイカーだ。

 その力を前にすれば例え"覇龍"と言えど敵わない。

 一誠はひたすらに乱打を繰り出して"覇龍"を一方的に追い詰める。優勢だからと攻撃の手は緩めない。相手が完全に動けなくなるまで叩きのめす。

 やがて"覇龍"が大きく怯んで隙を晒した。

 "倍加"を重ねた"龍殺し(ドラゴン・スレイヤー)"の一撃でトドメを刺そうとした瞬間だった。

 

「……見事だ、兵藤 一誠」

「てめぇ、ヴァーリッ!?」

「悪いが痛み分けにさせてもらう」

 

 ヴァーリの声が響き、"覇龍"が大爆発を起こす。思わぬ反撃に一誠は回避も防御も間に合わず、熱と光に呑まれてしまう。

 

『"覇龍"の持つエネルギーを解き放ったのか!』

 

 ドライグが叫んでいるが、あまりの衝撃に返事をしている余裕はない。激しく回転する身体を立て直そうとするが強烈なGと遠心力により上手く行かない。

 さらにだめ押しと言わんばかりにヴァーリが強大な魔力の塊で一誠に追撃を喰らわして落下速度に拍車をかける。三半規管が悲鳴をあげて身体も潰れそうだ。

 

「のぉおおおお!! 野郎ぉ、やりやがったなぁああああ!!」

 

 こんなの有りかよ!!

 なんて悪態を吐きながら一誠は大気の空を転げるように墜ちていった。

 




データファイル


『赤龍帝 一誠(神器超活性化)』

『蒼』のバックアップを受けて一時的にパワーアップした一誠。
神器は勿論、身体能力や魔力、あらゆる面で強化されているが本人に自覚はない。
その力は凄まじく、白龍皇から奪った半減能力も溢れ出る霊氣を消費して事実上デメリットなしで乱発出来る。つまり倍加と半減という本来なら合わさる事のない力を無尽蔵に使えるという意味であり凶悪なバフ&デバフで敵対者を容赦なく追い落とす。この状態の一誠は神々とすら戦えるためバランスブレイカーの名に相応しい。


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刃意六業《Eternity Murder》


一振りの刃では何も変わらなかった。
血に染まり、屍を築く姿は悪鬼そのもの。
それでも"彼女"は斬る事をやめない。
斬って、斬って、斬って、何かが変わるまで斬りつづける。
やがて美しき鬼は摂理すら劔理にて斬り捨てた。



 

 金色の髪をなびせた"彼女"が前に出る。

 背後にいる白雪の少女(アリステア)可憐な少女(イオフィエル)が真っ直ぐこちらを見ているのが解る。敵意ではなく疑念が多く含まれた視線だろう。

 色々と聞きたいことがあるのは"彼女"とて理解しているが先に片付ける案件があるので説明は後にさせてもらう。

 誰にも悟られぬよう小さく息を吸って吐いてみた。

 久々に肌で感じる戦場の空気。生命の息吹が消えた領域は未だ戦いの中にある。

 

 ──静止する世界。

 

 その静寂は広がり、駒王町を越えて世界を侵し始める。死という概念を無視した終焉は魔王を止め、天使長を黙らせ、堕天使の総督さえ沈めた。

 この停止領域で動いてるのは味方は自分と後ろの二人だけだろう。

 "彼女"はソレを見た。

 闇夜のような黒い全身。背中から翼とも腕とも見えるものが生えており、下手な魔王よりも魔王らしい。

 まさに時流支配の魔神である。

 生物とは思えない昏い金色の目は怪しく光を灯す。

 並々ならぬ圧は物理的までに肌をひりつかせ、刺激してくる。

 

「いい加減に出てきたらどう? この界域にまつろわぬ者同士、名乗りぐらいはしておきませんか?」

 

 この惨状を作り出した魔神へ問う。シスター服の"彼女"が魔神と相対している姿は聖職者が悪魔と対峙しているように映る。

 

『ほぅ。私を知覚しているのですね。ただのシスターかと思っていたのですが中々に興味深い』

 

 ギャスパー・ヴラディの声なのに決して彼とは思えない言葉。それに気づいたアリステアとイオフィエルが僅かに反応する。"彼女"は最初からギャスパーに憑いているアレに感づいていたから驚きはない。

 

「確かにそちらにとって私は異様な存在なのでしょうね」 

『アーシア・アルジェント。なぜ貴方はこの領域で活動できているのですか?』

「体質ですよ」

 

 大方、予想通りの質問。

 アーシアの名を知っているようだが不思議はない。ギャスパーを取り込んだ輩だ。グレモリー眷属の名を把握していても違和感はない。(まと)は外しているがもう少しだけ黙っていよう。

 

「お名前、御聞きしても?」

『知っても意味はないでしょう』

 

 教えてはくれないようだ。こっちも自ら名乗っていないのだし責める真似はしない。だからギャスパーの声を使うアレを"彼女"はその見た目から魔神と呼ぶ事にした。

 

「では"魔神"殿とお呼びします」

『お好きにどうぞ』

「それでは魔神殿。どこぞの神の一柱とお見受けしますが何故(なにゆえ)彼を……?」

『彼と私は相性が良い。だから使った、それだけですよ』

 

 使える道具があったので使った。魔神は律儀にそう答える。答えてくれたのは友好からではない。これは決別の手向けから来る施しであり、魔神は間違いなくこちらを殺す気なのだ。

 

「凄まじい神氣。まさか禁種クラスの相手と合間見えるとは最悪この上ない。……けれど」

 

 力だけ言えば正に怪物。神の領域とはあのような者を指すのだろう。

 "彼女"が知る限り最上位の敵だ。

 絶望的な力を前に瞑目するが、凛とした表情で戦意を高ぶらせた。

 あの魔神に成長限界という概念はない。今も自身を強化、いや進化させながら成長を続けている。"彼女"の目算になるが現在の戦闘力は全盛期のアリステアに迫るだろう。バグった……もとい全盛のアリステアを止められる存在など世界でも数えるほどしかいない。それこそ最強と名高い龍神と真龍くらいだ。そんな輩と戦うなど正気ではないと誰もが思うはずだ。

 しかし"彼女"は臆した様子も無く華奢な左手を前に出す。強大な敵に対して自分は不完全な魂に戦闘向きではない身体と言ったハンデがある。しかしそれを踏まえても勝ちを確信している。なぜなら()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 自身の魂に刻まれた殺理(せつり)を示すため言霊を(うた)う。

 

心虜神刀(しんりょしんとう)荒神刀滅(あらがみとうめつ)(ちぎ)千切(ちぎ)るが戦の刃摂(じんせつ)なれば乾坤一擲に劔理(けんり)を為さん

 

 これは宣誓の祝詞。

 神でも魔でもなく己に課した命題。

 魂が鼓動して霊氣が解放される。緩やかな頬を撫でるような静かな波動。だがこれは嵐の前の静けさだ。揺らめく霊氣は研ぎ澄まされた刃のように魔神を牽制している。彼女がその気になった瞬間、暴風のように牙を剥く。

 さぁここからは独壇場だ。

 眼の前にいる魔神は己が負けるなどと(つゆ)にも思っていない。そんな戯け者に目に物見せてやろうではないか。力の差を物ともしない相剋(そうこく)が存在することを……。

 あぁそうだ。自分から名乗り合おうと言った手前、義理は果たそう。

 

「さて始める前に一つだけお詫びを……。(ひとえ)に私は高尚さなどない人斬り。アーシア・アルジェントに潜むが悪辣な羅刹にて血染めの悪鬼。改めて名乗らせて頂く。真名、千叉 譲刃(せんさ ゆずりは)。今や残骸なれど御身がお相手(つかまつ)る」

 

 "彼女"……いや千叉 譲刃が名乗ると空間を裂いて刀が現れた。自らと同じ銘を刻まれた御神刀。今は渚の愛刀となっている武具を取る。

 

 ──認証接続。千叉 譲刃の名に於いて所有権を蒼井 渚からアーシア・アルジェントに移行。

 

 刀を手に取り、刃を晒して魔神へ切っ先を向けた。

 シスター服に日本刀の組み合わせは一見するとおかしく見えるが刀を構える譲刃があまりに堂に入っているので違和感がない。

 

『……千叉、何処かで聞いた名ですね。しかし、まさか勝つおつもりで?』

「さも問題なく」

『大した自信だ』

 

 魔神がせせら笑いを浮かべる。

 当然だ、人が戦って良い相手じゃない。逃げに徹するのが賢い方法なのかもしれないが譲刃は鋭利な戦意で嗤う魔神に告げた。

 

「これより先は力のみで語りましょうや」

『では私もそうしますか』

 

 魔神が術式を展開する。

 譲刃の時間を延長して自らの時間を圧縮する。延長された者は限りなく鈍重となり圧縮対象は加速する。この理により、速さに於いて魔人を上回るのは不可能だ。時間を超えた神速にて譲刃を肉薄する。

 たが譲刃は既に動いていた。

 

刃意六業(じんいりくごう)(すべ)にて(はら)う。──まず一つ」

 

 (つか)の間、閃く銀光は魔神の知覚を凌駕する。

 まず背中の生えた腕のよう翼を千切った。

 魔神からは譲刃の姿は見えていない。

 故に驚く暇もなかった。

 

「──二つ」

 

 刹那、続け様に右腕を斬り刻む。

 痛みを感じる暇も与えず、体のバランスを崩す。

 やはり魔神に譲刃が見えていない。

 

「──三つ」

 

 転瞬、左脚を絶つ。

 音すら届かない静かな剣撃。

 魔神は動けずにいる。

 

「──四つ」

 

 寸刻、左腕が消失する。

 魔神の目が譲刃を追うも既にそこにはいない。隙だらけの部位が斬る。

 

「──五つ」

 

 瞬間、最後に残った右脚も宙を舞う。

 何が起きているか解らないのだろう。次々と取られていった四肢に魔神は為す術もない。

 速さという概念で魔神を上回るのは不可能なのにソレを平然と為す譲刃に理解が追い付いていないのだ。

 疑問に苛まれた魔神の正面に譲刃が姿を現す。

 四肢を失った魔神を見る目は酷く淡白だ。

 ここに来て初めて魔神は現状を把握して狼狽えた。

 

『まさか時間に影響されていない!?』

 

 それを説明する舌を譲刃は持ち合わせていない。ただずっと前からこうだったからだ。

 ──(いわ)く、千叉(せんさ)は悠久を生ける妖魔を(とき)(なが)れごと(せん)にて()く一族らしい。

 "龍を殺す理(ドラゴン・スレイヤー)"があるように、"時を殺す理(クロノ・スレイヤー)"があった。(ゆえ)に着いた名が"刻流閃裂(こくりゅうせんさ)"、時を殺す人外殺傷の鬼刃。

 その理に従い譲刃は一意専心の構えで精神と肉体を極限まで研ぎ澄ます。両手で刀の柄を握り、ゆっくりと引き絞るように横へ振りかぶる。

 

刻流閃裂(こくりゅうせんさ) 天鐘楼(てんしょうろう)身無衝(みなつき)

 

 溜めを要した六つ目の斬撃で魔人を横一文字に斬りつけた。流麗さや鋭さを捨てたひたすらに破壊力を重視した技により魔神の外皮は粉々に弾け飛ぶ。残ったのは敢えて傷つかないようにしたギャスパー・ヴラディくらいだ。

 譲刃は残心を胸に刀を払って鞘へ納める。

 

「よいしょ、と」

 

 ふらりっと倒れそうになったギャスパーを譲刃は素早く受け止めた。ギャスパーに息があるのを確認して、ひとまず結果は上々だと満足する。本格的な戦闘でアーシアの肉体に懸かる負担が不安だったが、そこは技術と霊気でカバー出来た。多少の筋肉痛はあるが後遺症は残らないだろう。

 

『……まさかこれ程でとは誤算でした』

「やれやれ殺し損ねてしまったのね」

 

 魔神の残骸が言葉を放つ。やはり本体は死んでいないようだ。既に操り人形だった魔神は核となったギャスパーが救出されたので先程までの力はない。裏で操っていた声の主も斬らせて貰った。これ以上は何もしてこないだろう。

 

『怖い人だ。時の流れを意に(かい)さない馬鹿げた存在がいるとは、計算外にも程がある』

「こうまで相性が良い相手は初めてです。アナタは概念に近い存在のようだ。……面妖な」

『力の総量を無視して一方的な蹂躙(じゅうりん)する貴女に面妖呼ばわれとは心外です。しかし恐れ入りました。まさに相剋。まさに時流が人に牙を剥いた場合の抗体。千叉 譲刃、私にとって貴女はアリステア・メアよりも脅威だ。まともに相対すれば勝ち目がない。次は策を以て相手をさせて頂く』

「ならば、その(ことごと)くを斬り捨てるだけ……」

『ふふふ』

 

 魔神の残骸が放っていた声が笑みと共に消えた、どうやら去ったようだ。とりあえず天鐘楼で魔神ごと時間結界も断ち斬ったから停まっていた人たちも直ぐに動き始めるだろう。

 自分の役割は終わり。あまりアーシアの身体で好き勝手するのも良くない。あとは刀の所持権をナギくんに返しておかないといけないなぁ。

 そんなこと考えているとアリステアが歩み寄ってきた。

 

刃意六業(じんいりくごう)。四肢を千切り、首を跳ね、心臓を穿つ。対象を確実に殺す千叉の戦闘技法ですか、些かアレンジしたようですが……」

 

 その通りだ。"刃意六業(じんいりくごう)"とは必殺の型である。……かと言って胴体や頭を(きざ)んでは中にいるギャスパーが無事では済まないのだから自重した。

 アリステアが気を失っているギャスパーの頬に触れて、ぐにゅっと(つね)る。

 

「うぅ~」

「こらこら、あまり苛めない」

「人様に迷惑を掛けたのです、これくらいの罰は当然かと。……譲刃、ギャスパーの救出、ありがとうございます。貴女がいなければ更なる被害もあり得ました」

 

 褒めてくれるのは嬉しいが、骨やら肉やらが飛び出ている左手の治療ぐらいしてほしいと譲刃は思う。本人は気にしていないが見てるこっちは気が気でない。

 

「お礼は受け取るけど、まず左手の治療しない?」

「痛覚は遮断しました。問題ありません」

 

 見るも無惨(むざん)な左手をブラブラさせているアリステア。心配ないと主張しているが振り回す度に血やら肉やらが大変な事になっている。

 

「こらっ」

「はて何か問題が?」

 

 アリステアの頭に軽くチョップを食らわせてバカなことを止めておく。

 

「見てる方が痛いから自重ね」

「こんな程度では死ねませんよ」

「そういう問題ではないの。痛みが無いだけで応急処置にもなってないから。本当ならアーシアさんに変わりたいけど今は難しいのよ?」

「その件はしっかり聞かせてもらいます」

「後でね。イオさん、お願いしたいのですが?」

 

 イオフィエルが窺うように見つめてくる。まぁそうだろう。脆弱だと思っていたシスターが刀を振り回して大立回りをしたのだから警戒ぐらいする。

 しかしイオフィエルは少し考えてから頷く。

 

「……ふむ、いいよ。しかしわたしも話に参加させてほしいかな」

「勿論です。私もイオさんには二、三聞きたこともあります」

「交渉成立。仕事だ、バキエル」

 

 イオフィエルが指を鳴らすとシスターのような白い人型が現れる。シスターめいた白い人形はアリステアへすぅーっと足音なく歩み寄ると傷に手を当てる。淡く青い光が灯る。やがて肉塊だったアリステアの腕が徐々に人の形へ戻っていく。

 

「回復というより復元に近いのね。すごいわ……」

「あの魔神を圧倒したあなたに誉められるのは、こそばゆいね。察しの通り治療速度は遅いが体力や霊気も戻せる。流石に"血咒(けっしゅ)"は取り除けないがね」

「使えませんね」

「ステアちゃん?」

 

 治療をして貰っているのにその態度はない。譲刃は叱りつける口調でアリステアの名前を呼ぶ。

 

「……はぁ、感謝はしておき──」

「ありがとうございます。……でしょ?」

「……ありがとうございます」

「うん、素直な方が可愛いよ」

「不本意ですよ」

 

 素直にお礼を言わないアリステアに言葉を重ねると渋々という形だが合わせてくれた。色々と知り過ぎているイオフィエルに苦手意識を向けるのは仕方ないが礼を欠くのは頂けない。

 

「あなたにも頭が上がらない人がいたんだね」

「あまり触れてほしくないものです」

「まぁ治療費までは取らないさ。仕方なしとは言え、わたしがやったのだから」

 

 愉快そうなイオフィエルに面白くなさそうな顔をするアリステア。端から見たら無表情だが少しだけ口元がへの字に曲がっているのを譲刃は見逃さなかった。

 相変わらずな妹分に懐かしく思っていると空から校庭に何かが墜落してきた。落下の衝撃で砂塵が舞う。

 敵かと一瞬身構えるがすぐに解いた。

 

「あれは一誠さんだね」

 

 落ちてきた一誠が立ち上がる。

 堅牢な鎧は鋭い爪で引っ掻かれたみたいな傷やら黒ずんで焼けた焦げた痕やらでズタズタかつボロボロだ。

 彼は一体何と戦ってきたのだろうか? 

 確か相手は白龍皇ヴァーリ・ルシファーだったはず……。あの有り様を見たら巨大な魔獣にでも襲われたようにしか見えない。

 そんな一誠がヨロヨロと頼りない足腰で立ち上がる。

 

「く、そ。……トドメを刺し損ねた」

『いや、上出来だ。"覇龍"状態の奴を退けたんだ、これ以上は……』

 

 心底、悔しそうな一誠を励ますドライグ。

 

「あぁ、その通り。今回はキミらの勝ちだ」

 

 一誠を追ってきたのか、ヴァーリが姿を現す。こちらも一誠に劣らず鎧に多大なダメージを受けている。自慢の光翼が片方しか無いことから余程の激闘だったのだろう。だが肉体より精神が消耗しているように感じる。

 どうあれ、あの状態なら問題なく処理出来る。少し様子を見るとしよう。

 譲刃はアーシア・アルジェントの皮を被りつつ、いつでも割り込める姿勢で待つ。

 

「……殴られ過ぎて目が覚めたのか?」

 

 戦闘能力を極限まで削がれたヴァーリを見た一誠が安堵(あんど)しながらも呆れたように愚痴(ぐち)る。

 

「お陰さまでね。まさか精神的な負荷がこれ程とは思わなかった。俺としたことが完全に呑まれてしまったよ。キミが止めてくれなかったら歴代の残留思念と覇龍の力のままに暴れ続けていただろうから、そこは感謝している」

「ざまぁねぇの」

「"覇龍"を甘く見積もっていたのは事実だ。問題も色々とあるが解決策も立てられる。有意義な体験だった」

 

 一誠の皮肉にヴァーリは素直に頷く。有意義というのは本心のようだ。

 

「んで、寝起きの白龍皇さまはまだやるのかよ?」

「勿論……と言いたいがこれ以上は流石に無理だな。ここは素直に退()くとしよう」

「なら、ささっと行けよ」

「あぁそうしよう。それと兵藤 一誠、キミは俺の好敵手に相応しい。侮った物言いは訂正させて貰うよ」

 

 そう称賛を残して白龍皇が空の彼方へ消える。

 どうやら彼らの戦いも終わったようだ。

 

「ちぇ、カッコ付けやがって。……はぁああ!! もうダメだ~!」

 

 一誠が叫ぶも力尽きたように倒れた。限界だったのか、直ぐに寝息が聞こえてくる。鎧が解除された身体は傷だらけだが顔は何処か満足げである。口では悪態を吐きつつもヴァーリに認められたのが嬉しいのだろう。

 イオフィエルが心底意外そうに一誠を見た。

 

「へぇ~。あの白龍皇に食い付いたようだね。中々にやるね、彼」

「大方、ナギが力を貸したのでしょう」

「それと彼女……"覇王"も来てくれたよ? 一誠くんとドライグさんに肩入れしてくれたわ」

「あの人が……? 白龍皇が勝てないわけです」

 

 納得したようなアリステア。

 ……覇王。かつて譲刃やアリステアスと共に渚と戦った女性。彼女は"双覇龍(シュプリーム・ルーラー)"とまで呼ばれた覇王であり祖龍。あの女性が赤龍帝に力を貸したならば、とてつもないアドバンテージを与えたに違いない。それこそヴァーリの血や才能、努力や経験すら凌駕した筈だ。だからこそ譲刃とアリステアは一誠ではなくヴァーリを評価している。

 

「……"覇龍"の名残があるね。あれは自爆技なのだが、お互い無茶をする」

 

 イオフィエルの言葉からは何を考えてるかは分からない。しかし深く疑問に思っている様子もない。多分、覇王についても何か知ってるかもしれない。彼女がどこまで知っているのかキチンと聞く必要がある。

 

「今はギャスパーさんと一誠さんを運んであげよう?」

 

 残る敵は魔法使いだが、グレモリーの眷属たちに駆逐されてほぼ全滅している。色々と大変だったが会談は無事に進むだろう。

 幸い、アリステアとイオフィエルにしか自分の姿は見られていない。しばらくはアーシア・アルジェントの振りをしておこうと思う。

 

「アーシアさん自身が戻るつもりがない以上、ナギくんが頼りなんだけど……早く起きてくれないかなぁ」

 

 

 

 

 ●◯

 

 

 

 

 人の喧騒から離れた小高い丘。

 駒王の住宅街を見下ろせるその場所にラグエルは立っていた。人の気配がないのを確認してラグエルは少しだけ全身の力を抜く。

 瞬間、ボトリっと片腕が勝手に落ちる。

 やれやれ、と腕を拾って再び繋げるも上手く結合できずため息を吐いた。片腕だけではない全ての四肢が千切れてダルマのようになりかねない。

 

「まさかギャスパー・ヴラディではなくリンクしていた私のみを斬るとは中々どうして常識外れな事をやるものです」

 

 己の身体を改めるとその凄まじさが分かる。

 四肢だけではない。六つ目に放たれた技によって中身も相当なダメージを受けた。内臓なんてレベルではない、存在の要たる霊核まで及んでいる。もしも破壊されていたら再生や復元など意味を為さず、問答無用で消滅していたところだ。

 確かに千叉 譲刃だったか。自らを"時流を司る者"とするなら彼女は"刻流を斬る者"。まさかあんな隠し玉が居ようとは……。

 しかし、あそこまで相性が悪いと悔しさよりも愉快さが上回る。自分にここまで手傷を負わせる者はそうはいない。

 アリステア・メアに並ぶ蒼の眷属、千叉 譲刃──"刻殺しの修羅"。やはりあの蒼に連なる者は理を無視した異常者だと再度、自覚する。

 愉悦に顔を歪ませつつ崩れそうな肉体を支えていると人影が現れた。

 

「おっすおっす。もぉ探したぞー?」

 

 なんとも軽いノリで挨拶してきたのはフード付きのダボダボの服を着た少女だ。ウサギの耳のようなモノが生えたフードを被り、口には棒つきの飴を含んでモゴモゴさせている。

 

「おや、タブリス。久しぶりですね」

「二億年ぶりくらい?」

「さて、昔過ぎて数えてませんので。しかしいきなり接触してくるとは何かありましたか?」

「そ。【III】の席に戻っておいで。アルマゲスト全員集合だぞ、と」

「全員? 穏やかではありませんね」

「物知りな君ならもう分かってるんでしょ?」

「"蒼獄界炉"の出現ですか」

「ご明察。そーごくかいろの門にして鍵? みたいな人がこの駒王にいるらしい。しっかし、やっぱり君は色々と知ってたんだね? そーしゅ様が警戒するわけだ」

 

 フードの少女、タブリスがラグエルを見るなり楽しそうに嗤う。口が滑るとはコレを言うのだろうな。"蒼"について知っている者は少ない。それこそ数えられるくらいだ。だから()()に近しい者に触れて気分が舞い上がっていたようだ。

 

「別に君がそーしゅ様しか知り得ない情報を持っていても責めないから安心しなって。こういう謎は自分から知りにいくのが楽しいしね」

「貴女の言う通り私は"蒼獄"を知っている。ここにあると分かったのはアリステア・メアを見たからです。あの者が駒王にいる以上、蒼井 渚も共にあると確信しました」

「聞いた話だけど渚君はそれで"始神源性(アルケ・アルマ)"をコロコロしたらしいじゃん」

「確かな情報ですよ。逆に言えば"蒼獄"に対して切れるカードはそのレベルでないとなりません。なので同じ"始神源性(アルケ・アルマ)"であるオーフィスが率いる"渦の団(カオス・ブリゲード)"と接触して手を貸したのですよ」

「勇気あるねぇ。あの龍神様と直接交渉とはタブリスちゃんもビックリだぜ?」

「実際にあの無関心のオーフィスが興味を持ちました。だからこうして駒王は襲われた」

「三大勢力の和平を邪魔したいだけじゃなかったわけね」

「それはカテレアさんたちの事情です」

 

 今回の騒動は自らが所属するアルマゲストの意思はない。個人的な興味で動き、失敗した。

 天界には情報召集およびイオフィエルの監視という任で潜入していたが、今回は派手に動き過ぎた。

 抜けるには丁度良い機会だ。まぁアルマゲストの面々からはお叱りがありそうだが……。

 

「もしかして派手に動いた事を警告とかされるって思ってる? 嫌だなぁ、ボクらんトコは基本的に自由ってスタンスだよ? そーしゅ様は優しいから、空いてるなら手を貸してねって感じ」

「前から思っていたのですが組織として成り立つのですか?」

「なるよ? ボクやセクィエスがいるだけで大抵のことは出来るし、そーしゅ様がその気になったら誰も逆らえない。──例え君でもね」

 

 傲慢とも思える自信だが苛立ちはない。タブリスは嘘を言っていないのだ。世界の深淵に潜み、誰からも認識されていない"偉大なる者(アルマゲスト)"、それがマスティマ・テトラクティスなのだ。

 

「解っていますとも。ならば私も微力ながら力になれるよう勤めましょうか」

「もう勤めてるって。オーフィスさんトコ(渦の団)とのパイプも作ってくれたし感謝だよ。独断専攻も怒らないよ、きっと♪」

 

 グッジョブっとサムズアップするタブリスがラグエルの周りを歩きながらマジマジと全身を眺めて笑みを浮かべる。

 

「何か?」

「ふふ、酷い傷を負ったんだねぇ?」

「今回は相手が悪かったのです。土産物も用意したのですが見ての通り持ち運ぶには不自由になりましてね。お陰で手ぶらでの合流ですよ。マスティマさんにはどう詫びたらいいか」

「ん~。気にしないじゃね? そーしゅ様が求めたのは君がアルマゲスト(ウチら)と合流することだし? ま、長い間の潜伏、ごくろーさんぐらいは言われるだろうねぇ。そんで天使の振りはどだったよ? 君から言わせると()()()()の真似は絶え難かったかなぁ?」

 

 意味深な目でタブリスが嘲笑した。敵愾心はない、ただ興味と僅かな不快感が向けられる。

 ラグエルは相容れない瞳だと感じつつ答える。

 

「思いの外、有意義でしたよ。世界をよく知る事が出来た」

「ふーん。案外と俗物だね。──異世界の旧神(かみさま)も」

「はて、貴女ほどではないかと。──新世界の異神(かみ)よ」

 

 二人が笑い合う。だが言い知れぬ異空間がそこに形成される。敵意もなく悪意もない。なのにお互いを飲み込もうとする圧がある。異質な空間のなかでタブリスが「あは」と笑いを溢す。

 

「いやぁ。いくらボクが超絶美少女だからって女神扱いはテレるー、そういうのはそーしゅ様が担当なのにぃ」

 

 空気が弛緩(しかん)する。二つの神性が感情的になればそれだけで世界に影響を与える。タブリスはわざとおどけて話題を変えたようだ。

 確かに美少女というのは間違っていないがもう少し真面目に出来ないのかともラグエルは思う。

 

「誰もそこまでは言ってませんが?」

辛辣(しんらつ)だね。まぁいいや。そう言えば新入りに紹介する時、ラグエルって名前のままでいいわけ?」

「私にとって名はあまり重要ではないですが……。そうですね、アブラクサスと紹介していただければ幸いです」

「ok、略してアブラね」

「それはやめてください」

 

 悪意のあるニックネームを他所にラグエルの姿が変わる。天使の姿は崩れ、白いスーツを着こなすビジネスマンのような人間となる。ラグエルだった頃の名残を失った姿にタブリスが「おぉー」とわざとらしく拍手をした。

 

「イメチェン?」

「あの姿は目立ちます。何よりイオフィエルさんにもバレますからね」

「あぁ納得した。んじゃ帰る前にちょちょい、とさ」

 

 タブリスが何らかの術式を展開した。

 小さい呪いのようだが、あまりにも弱い。

 

「呪術ですか? それにしてはか細い」

「殺す気ないしね。そんなのやったら真っ白ちゃんが殺しに来そう。ま、ちょっちしたマーキングさ。今、人間を強制転移で冥界に拐う事件が起きててね? それに選ばれやすいよう細工した。色々試してこれが限界なんだね。ま、ただの嫌がらせ」

「どちら様に?」

「秘密ぅ。──わぉ! ほらほらグッドタイミング! 早速、お呼ばれしてるよ! やっぱり運命力が高いなぁ、彼は……」

 

 ケラケラと嗤うタブリスはとても楽しそうだ。

 術式が展開された方に目を凝らす。そこは高級マンションが立っており、中で一人の少年が寝ている。

 その人物が誰か解るや「なるほど」っと納得した。

 

「タブリスに気に入られるとは貴方もツイてませんね、蒼井さん」

 

 転移陣の中に消えたその少年に同情するラグエルもといアブラサラクスだった。

 





たぶりす は 呪いを つかった。
なぎさ は どこかへ とばされた。

寝ぼすけ主人公の受難は続く……。


11/10 キャラの台詞を訂正しました。


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次なる課題《Next Difficult Problem》


誤字を修正しました。



 

 "渦の団(カオス・ブリゲード)"の襲撃から数日。

 新たな火種は生まれたが、長きに渡る三大勢力の因縁に終止符が打たれた。

 この三大勢力の和平成立は歴史的な快挙であると同時に否応なく世界に変化を強いるだろう。

 他の神話たちが動き始めるのは明白であり、敵となるか味方となるかはまだ分からない。

 だが今だけでも束の間の平和が訪れたのは事実だ。

 

「ちゅ〜」

 

 放課後の部室。

 ソファーに座るギャスパーはトマトジュースを飲む。大好物なのに味気がないのは自分が落ち込んでいるからだ。隣には小猫がいて朱乃が出して来たショートケーキをチマチマと食べていた。

 

「「はぁ」」

 

 ギャスパーと小猫が同時に溜息を吐く。

 ここ数日に渡ってこんな調子だ。

 会談の最中に起こった襲撃であまりにも役に立たなかったのを気にしているのだ。

 しかしギャスパー自身、小猫はまだマシだと思っている。なんせ敵にやられただけだ。

 当の自分はどうだ? 

 時間停止に利用された挙げ句、周囲に洒落にならない迷惑をかけたのである。ダンボールの中にでも入って引きこもりたい気分だ。

 本来なら何らかの罰則もあり得た。

 だがリアスが庇い、アリステアとイオフィエルも弁護に回った結果、"神器(セイクリッド・ギア)の制御訓練を今以上に厳しくするという温情で許されたのだ。

 利用された時の記憶はある。夢のようにあやふやで所々が欠けているが……。

 特に自分と小猫は拐おうとした人物を誰だか()()()()()()のだ。不自然なほどにソコだけ記憶が抜け落ちていた。

 ただあの事を切っ掛けに神器の力が強くなっている。

 アリステアから貰った眼鏡(魔眼殺し)に触れる。これがなければ瞬く間に停止が発動するようになった。しかも以前よりも強力な時間停止だ。自分の中に得たいの知れない何かがあるような錯覚がする。

 

「ううん。頑張らないと……」

 

 そう、頑張らないといけない。

 自分は色々な人に助けて貰った。ならば恩を返すために努力すべきだ。もうウジウジするのはやめよう。怯えて引き篭もっても何も解決しないし、そうさせてくれない人もいる。ならば少しずつでも前へ進むべきだ。

 そんな風に考えて表情を引き締めるギャスパー。

 

「ギャーくん?」

「小猫ちゃん、僕はたくさん迷惑を掛けた分の恩返しをしたい。だから会談での失敗で落ち込むのはやめるよ」

 

 いい加減に吹っ切って今日からまた時間操作の訓練する。決意して言い切ったギャスパーに対してゼノヴィアが嬉しそうに笑う。

 

「ふ、ならば私も協力するぞ」 

「え、えとゼノヴィア先輩? なんでそんな嬉しそうなんですかぁ……」

 

 獣のような眼光にギャスパーは後ずさる。

 

「時間停止にやられた身として思うところがあってね。これからグレモリーの騎士としてやっていく以上は自分を売り込まなければならないと思うんだ」

「別に私は今の貴女に不満はないわよ、ゼノヴィア?」

「主からの嬉しい言葉だ。しかし悪魔としての初陣で停められた自尊心の問題もある。ギャスパー、私はグレモリー眷属では若輩だ。胸を借りるぞ?」

「ひぃ! この先輩、目がマジですぅ! 絶対、デュランダル抜いちゃう前提で話してますぅ!!」

 

 男らしく堂々と進もうとした矢先だが、ビッグ過ぎる聖剣ルーキーから変な対抗心を燃やされて早くも心が折れそうになるギャスパー。

 隣の小猫がジト目で睨んでいた。

 

「……少しだけカッコいいと思ったのに」

「ご、ごめんなさいぃ、調子に乗りましたぁ!!」

 

 ギャスパーが謝罪していると乱暴に部室の扉が開く。

 入ってきたのは凄い剣幕の一誠だった。そのすぐ後に佑斗が少し慌てた様子で追ってきた。

 一誠はズカズカとリアスの座る部長席に向かう。

 

「なんでですか!?」

「ぴぃ!!」

 

 苛立ちを含む怒鳴り声にギャスパーはビクリと肩を震わせた。声の主は一誠であり、向けられたのはリアスだ。凄く珍しい光景にギャスパーは目を見開く。リアスを慕っている一誠が彼女を怒鳴るなど相当な怒りだろうからだ。

 

「祐斗から聞いてるでしょう? 捜索するには情報が少な過ぎるの。今は無闇に動かずに待つべきだと思うわ」

「ジッとしてるなんて出来ませんよ……!」

 

 一誠の震える肩に祐斗が手を乗せると諌めるよう言う。

 

「落ち着いてイッセーくん。部長だって好きでこうしてる訳じゃない」

「……分かってる、けどよ!」

 

 リアスから引き離すよう祐斗がソファーへ引っ張っていく。ギャスパーの対面に一誠が座るもその表情は固い。

 一誠が荒れている原因は渚だった。コカビエルとの戦いで眠り続けていた彼は和平が実現した日を境に行方を眩ませたのだ。鑑識をした際に強制転移による物だと判明したが他は何も分かっていない。結果、グレモリーは渚の探索から手を引いた。ただそれは自分たちより上が動いてくれているからであって渚を見捨てた訳じゃない。けれど一誠は納得がいかないのだろう。感情を抑え切れないほどに心配なのが伝わって来る。

 本当に慕われているんだなとギャスパーは内心で呟く。

 一誠だけじゃない。止めた祐斗は穏やかに見せて陰がある。小猫もいつも以上に静かだし、ゼノヴィアだって気落ちしているみたいだ。朱乃ですら無理やり笑顔を作っていて、リアスに至っては最近ため息が多い。

 この部室で、いつも通りなのは渚との関係が薄いギャスパーくらいだ。

 そんな雰囲気の中でも朱乃が一誠の前に紅茶を置いた。

 

「気分を落ち着かせる紅茶ですわ」

 

 ソーサーに触れる手は小さく震えている。

 一誠がハッとしながら朱乃を見ると見繕うように笑顔を向けられた。

 

「すいません。心配なのは俺だけじゃないのに……」

「大丈夫。部長も一誠くんの気持ちは分かってくれますわ」

「えぇ、イッセーたちの気持ちは理解しているつもりよ」

「……一誠先輩が騒いでもしょうがないです」

「そうだけどさ」

 

 小猫のツッコミに居たたまれなくないのか、バツの悪そうな顔になる一誠。

 バカみたいに明るい一誠が項垂れているのに耐えきれなくなったギャスパーはなんとか元気付けようと躍起になる。

 

「し、ししょーが動いてるから大丈夫ですよ!」

「ギャー助……。この野郎、後輩の分際で心配か?」

「あわわわ! 頭が爆発しますぅ」

 

 ガシガシとギャスパーの頭を撫でる一誠。感謝に照れ隠しが混ざるせいで少し乱暴になるがギャスパーはされるがままにする。

 少しだけ元気になったみたいでホッとする。

 

「しかし困ったな。彼には色々と相手になって欲しかったのだが……何処にいるのやら」

「見つかるよ、きっとね」

 

 ゼノヴィアも呟きに祐斗が返事を返す。

 

「アリステアが捜索するのは分かるんだけどね」

 

 ふとリアスの瞳に疑問が宿る。その関心はここにはいない眷属に向けられていた。

 

「アーシアちゃんですか?」

「えぇ」

 

 朱乃が問うとリアスは頷く。

 アリステアは何故かアーシアを手元に置きたいと言ってきたのだ。渚の捜索に果たして彼女が必要なのだろうか? (もっと)も彼女にも借りが有るため受け入れたのだが……。

 ギャスパーからしたら少しでも渚を発見する助けになるのを祈るばかりだ。

 

 

 

 ○●

 

 

 

「おーす。来たぞ、部員ども」

 

 ガラガラと部室のドアを開けて入ってきたのはスーツを気崩した姿のアザゼルだ。

 いきなりの堕天使の総督が登場したのに部員たちに驚きはない。彼は現在、駒王学園の教師をやりながらオカルト研究部の顧問を兼任しているからだ。

 

「茶をくれよ、茶」

「新入りの癖に太々(ふてぶて)しいわね」

「当たり前だろ。俺は顧問でお前は部長、つまり偉いのは俺だ」

 

 アザゼルは空いた一誠の隣にドカッと座り、手に持っていたクリアファイルをテーブルに置く。傍若無人な態度にリアスは青筋を浮かべた。 

 三大勢力の重鎮が、どうしてこんな真似をしているのかには理由がある。

 リアスの周囲には"赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"を初めとした多くの高位神器が集まっている。暴走したギャスパーの監視と"聖魔剣"と呼ばれる未知への指導を任せられる人材は神器の第一研究者であるアザゼルが適任なため選ばれたのだ。

 総督の仕事と兼用なのだが本人は乗り気であっさり引き受けた。神器マニアの心が疼いたのだろう。

 

「兵藤 一誠」

「な、なんだよ」

「蒼井 渚なら心配ないさ。(やっこ)さんは()()()()()()()()()()()()()()()。呼んだからには何かを求めている。簡単には害は加えないだろうぜ」

「ナギは寝たきりなんだぞ!」

「アリステアは、いつ目覚めてもおかしくないと言ってたぜ。それにアイツ自身が慌てた様子がなかったし、案外余裕があるんじゃねぇの? 知らんけど」

「知らんけどって……」

「なんせ面識がなくてね。俺に出来んのはアリステアの態度からの予想までだ。……つか蒼井 渚よりもお前は自分の事を第一に考えろ」

 

 アザゼルがテーブルの上にあった菓子の包みを開いてから、むしゃむしゃ食べる。

 

「俺?」

「ヴァーリから聞いたぜ? お前、不完全とは言え"覇 龍(ジャガーノート・ドライブ)"を退けたんだろ?」

 

 周囲の空気が驚愕色に変わる。

 ──"覇 龍(ジャガーノート・ドライブ)"。

 二天龍を宿す"赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"と"白龍皇の光翼(ディバイン・ディバイディング)"にのみ許された禁 手(バランス・ブレイク)を超える力だ。

 "覇龍"とは本来、どうしようもなくなった場合に使う神器の暴走技に近い。ドライグやアルビオンの力を無理矢理引き出して使う諸刃の剣だ。担い手の命すら糧とする覇龍は神を超える圧倒的な力を持たらすが、その暴力は時として敵だけでは満足せず人々と共に国も呑み込む災害となる。

 

「"覇龍"って確かなの!?」

「間違いねぇな」

 

 リアスが驚愕を乗せた口調でアザゼルに聞く。

 可愛い一誠がヴァーリと戦い抜いたのは知っていたが、よもやそんな危険な橋を渡っていたのは予想外だったのだろう。

 

「あわわわ、変態さんかと思ったら超変態さんだったですぅ!」

「おい! 元々失礼だな!?」

 

 ギャスパーに一誠がツッコむ。

 

「上手い言い回しをするじゃねぇか、吸血小僧。ヴァーリの"覇龍"を退けたんだ、確かに超変態だわな」

 

 わはは、と笑うアザゼル。

 

「まぁ俺も昨日、本人から聞いて驚いたがな」

「ちょっと待ちなさい。本人ってヴァーリ・ルシファーの事?」

「あぁ。アイツってば裏切った事の詫びとか言って"渦の団(カオス・ブリゲード)"の情報を流して来やがってよ。こんなスパイみたいな事していいのかって話だ」

「裏切り者よね?」

「まぁな。こっちと()り合う気満々でもう独自のチームを作ってる。ただ単純に敵と判断するには困るトコだ。ヴァーリから兵藤……いや一誠をちゃんと鍛えて欲しいと頼まれた。アイツはお前をちゃんと好敵手と見てるぜ、熱烈にな」

「男からの熱烈なアピールとか勘弁なんだけど……」

 

 一誠が微妙な表情になる。ライバルとして認識されるのは嫌じゃないが本気で潰しに来る準備はして欲しくない。

 

「イッセー、何をしたの? 二天龍の"覇龍"は世界でも最高レベルの災害よ?」

 

 リアスがちょっと変なものを見る目になった。

 最弱の一誠が歴代の最強の白龍皇から認められて驚いているのだろう。

 (うるわ)しのご主人様からの耐え難い視線に一誠は危機感を覚える。慌ててあの時の状況を伝えた。

 渚と彼の知り合いだろう少女の助力により神器が異常なまでの活性化、結果的にヴァーリを圧倒する。それで一誠を認めたヴァーリが嬉々として"覇 龍(ジャガーノート・ドライブ)"を発動。

 手強い相手だったがアスカロンの龍殺しや白龍皇から略奪した半減、更には研ぎ澄まされた龍の超感覚を使って食らい付いた。

 最終的には痛み分けに終わったが、もう二度とやりたくないと疲れた表情をする。全てを話し終わった一誠にリアスが急に近づいてくると優しく包容する。

 

「ぶ、部長?」

「ごめんなさい。私たちが動けない間、貴方は頑張っていたのね。流石は私のイッセーね」

「あ、ありがとうございます!」

 

 よしよしと頭を撫でて褒められながらリアスの胸を堪能する一誠。

 二人を生暖かい目で見守りながらアザゼルが言う。

 

「やっぱ蒼井 渚について調べなきゃなんねぇだろうな」

「必要かしら、彼は味方よ?」

「味方にしては謎が多いのも問題だぜ? 神器に外部から干渉して禁手化(バランス・ブレイカー)に至らせただけで驚嘆する事象だってのに"赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)"の力を全盛期の二天龍近くまで押し上げたとくりゃ無視出来んさ」

 

 警戒というより興味が優っている。嬉々として語るアザゼルの顔は新しい玩具を見つけた子供である。

 悪意はないがアリステアはアザゼルに渚を渡さないだろうとリアスは考えている。

 アリステアという少女は詮索される事を余り良しとしない。特に渚の情報は一切洩らさないのだ。

 アリステアがリアスの頼みを聞き入れてくれるのは、そう言った暗黙の了解に深く踏み入れないからだ。これはリアスの配慮であり、アリステアなりの感謝の印なのだろう。……とは言え気にならないかと言えば気になるのが本音だ。

 

「アザゼル、渚への詮索はオススメしないわ。最悪、アリステアと敵対するわよ?」

「実はもうした」

「あ、貴方ねぇ」

 

 頭を抱えるリアス。そういえばこの堕天使、急に一誠に接触するわ、駒王学園にご降臨したりと妙にアクティブなのを忘れていた。

 

「まぁ無駄に終わったがな。"神の子を見張る者(グリゴリ)"の情報網ですら出生から来歴までサッパリなのは異常だった」

「私も彼らが来た時期に調べたけど一切が不明だったわ。だから最初は警戒していたのだけど予想を越えて尽くして来たから毒気を抜かれた。実際、今まで私を何かしらの事に利用する気配もなく、逆に負担を代わりに背負って利益も与えたのよ。どうして、こうも良くしてくれてるのか」

 

 ()いて言うなら人柄だろう。渚は少しだけ偽悪的だが基本的に他人の為にしか戦わない。彼が自分本意な人間ならリアスとて信用しないし、眷属たちも慕っていないはずだ。

 

「案外欲しかったのは居場所かもな。あのアリステアが付き従ってる辺り蒼井 渚も相当なんだろうぜ。力は在りすぎると孤立するもんだ。だから居場所ってのは結構大事だ」

「そうね。ここが彼らの安住の地になれば幸いなのだけど……」

 

 あれ程の良き隣人は得難(えがた)いものだ。どうか末永(すえなが)く付き合って行きたい。

 渚の行方を追っているのはアリステアだけではない。サーゼクスやミカエル、目の前のアザゼルも動いてくれている。だからいずれは見つかるだろう。

 リアスがそう思っているとアザゼルが持ってきたクリアファイルから資料らしき用紙を取り出す。

 

「なんすか、それ?」

 

 一誠が興味ありげに用紙を指した。

 

「サーゼクスから貰った調査書のコピーさ、蒼井 渚のな」

「今、何も分からなかったって言いませんでした?」

「駒王に来てからの記録だ。しっかし成果がスゲェな。何々、魔王クラスの不死鳥を"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"と呼ばれる洸剣で討伐? 洸剣ってのはなんだって話だ、神器か違う異能なのかの報告を出せっつの。聖剣取り込んだコカビエルと白龍皇ヴァーリ・ルシファーを"冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)"による漆黒の打撃で退(しりぞ)く? 漆黒の打撃だぁ? 誰だよ、こんな書き方したのは……」

 

 アザゼルが調査書にケチを付けながらリアスへ目を向ける。これのオリジナルを作成したリアスだったからだ。

 

「仕方ないじゃない、全部が理解を超えていたのよ。渚は斥力の応用やら重力の力らしいなんて曖昧だし、アリステアは何も言わない。情報が少なかったの。察しなさい」

「まぁいいさ。(さいわ)いどっちも学園内で起こった戦いだ、記録映像くらいあんだろ?」

 

 リアスが少しだけ考える素振りを見せるが諦めたように手の平にUSBを召喚する。

 

「一応、極秘資料よ」

「いいね、話の分かる奴は嫌いじゃない」

 

 リアスが机の上にあるノートパソコンにUSBを接続するとアザゼルの方へ向けた。

 映画のようなに流れるシーンの数々はライザーとコカビエルの戦いを鮮明に映す。

 それを真剣に見ていたアザゼルだったが映像が終わるや笑い出す。

 

「ははは。やべぇ、何だこれ? 一撃で新校舎を瓦解させやがったぞ。コイツも変態だな!」

 

 愉快痛快と言わんばかりに再び映像を再生し始める。

 その目は珍しい神器を前にした時とよく似た輝きをしていたのだった。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 人里離れた山脈地帯。

 そこに二人組の人影が転移で降り立つ。

 姿隠しのフード付きマント。

 強風がマントを派手に揺らすと片方の人物のフードが後ろに倒れた。

 流れる白雪のような銀髪にアイスブルーの瞳、アリステアだ。彼女は隣に立つ人影に声をかけた。

 

「分かりますか?」

 

 問われた人影が風でバタつくフードを両手で後ろに持って行く。金髪碧眼の彼女は広い大地を見渡しながら言う。

 

「いる。……けれど詳細は掴めない。時間が掛かるかも知れないわ」

「強制転移による拉致ですか。リアス・グレモリーから聞いていましたが、まさかナギが巻き込まれるとは思いもしませんでした」

 

 少し前、イオフィエルと初めて会った日の会話をアリステアは思い出す。

 冥界に強制転移される事件。対象は人間であり、英雄の血族か強力な神器持ちが主だという。拐われた人物は帰ってくるという話だが動かないわけにはいかない。

 座して待つのは性に合わないという理由もあるが、一番は目の前にいる譲刃が強く捜索を願ったからだ。

 

「私がアーシアさんと一緒にいる時に行方不明になるなんてね」

「何を焦っているのですか? 貴女がいなくても"蒼の少女"がいます。寝ているナギに悪意が近づけば黙っているはずがない」

「そこではないの。心配なのは私とティスで縛っていた子がナギくんと接触することね」

「縛っていた? ……待ってください、ナギの中にまだアレがあるのですか? "蒼の少女"が駆除したのでは?」

 

 アリステアが口調を鋭くする。

 

「いるよ。……というよりもあの子は取り除けない。だってあの子はティスよりも早くナギくんを依り代にしたんだから。ある意味、ティスや私よりもナギくんの魂に定着してる。ステアちゃんもある程度は分かってたんでしょ?」

「……稀にですが微かに残滓を感じていました。余りに小さいので問題視していなかっただけです」

「奥の奥に潜んでいたし、私でも充分に抑えられたわ。けど妙にナギくんに会いたがっていた。一概に悪い子とは言えないけど元が元だからティスが酷く警戒してるの。私もあまり外に出すべきじゃないと思ってるしね」

 

 困ったような顔をする譲刃。個人的には擁護したいが出来ない理由があるのだろう。

 

「それに、ナギくんが記憶を失ってから理性的になったのも少し問題がある。彼……ううん、彼女は学習したわ。既に一個の自我ある個体と言っても過言じゃない」

 

 アリステアが僅かに顔を歪めた。

 

「笑えない冗談です。自我がある以上は危険過ぎます。手早く排除しないとナギが内から喰われる。アレは生きとし生ける者にとって害悪です。まさか貴女が忘れたとは言いませんよね?」

 

 強く非難するアリステア。排除は難しくても対処は出来たはずだと言う。対して譲刃も曖昧な笑みを浮かべた。

 

「そうなんだけど、ちょっと変な方向に育ったのよ」

「変な方向?」

「私が話し相手になっていたのも原因かな。……ごめんなさい」

「貴方らしくない軽率な行動です」

「そうね」

「その"変な方向"とはなんですか?」

 

 余程の理由だろうと問うが譲刃は少し口籠(くちごも)る。だが観念したように白状した。

 

「……ナギくんの忠実な下僕になるって張り切ってるのよ、割と本気で」

「…………は?」

 

 今、なんと言った? 

 アリステアは呆気に取られてしまう。

 

「だからね? あの子ったら自分の危険性を考慮して、私にもティスにも気を使って、ナギくんには迷惑掛からないように、魂の座の深淵(しんえん)に閉じこもったのよ」

「ソレ、何も出来なくなるやつでは?」

「責任を感じてるのでしょうね。一応、彼女は()()()()()なのだし……」

「仮にも"始神源性(アルケ・アルマ)"ですよ? しかもあの"黄昏"の分体が人に隷属したのですか?」

 

 酷く困惑しているアリステア、譲刃もまた同様だ。

 

「私も信じられなかった……あの"黄昏"から生まれた怪物があんなヘンテコ存在になるなんて……。理性的になってもう直ぐ一年ぐらい経つけど日に日に自身に対する戒めが凄いことになってるわ。けどそこが怖いのよ、ナギくんに直接接触したら愛が爆発しそうで……」

 

 愛が重い……とはこの事かもしれない。

 ある意味、色々と危険だ。

 アリステアは(いま)だ信じられないと思うが譲刃が嘘を吐くなんて考えられない。

 

「取り敢えず動きましょう。最初は首都リリスからでいいですね?」

 

 そう言って二人は冥界の山を降り始めた。

 地球と同じサイズの世界でたった一人を探すために……。

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 

 渚は気づくと暗い闇の中を漂っていた。

 いや、感覚的には沈んでいると言っていい。やがて底まで落ちたのか、地に足が着く。

 

 ──金属の擦れる音が聞こえる。

 

 鎖だろうか? 甲高(かんだか)()れる音に導かれるように闇を進む。

 暗いと思っていた場所だがただの闇ではなかった。自分の手と歩く脚が見えている。

 変な夢だと苦笑しながら誘われるように歩を進めた。

 

「これはアレだな。魂の座とかデンデンの夢だな……」

 

 感覚的に間違いない。譲刃とティスに会った時と同じだ。現実離れした光景なのに意識がハッキリしている。ティスが招いたのか、譲刃が送ったのかは不明だが何かにあるに違いない。いつもは誰かがいるのに今回は留守だ。これは初めての事である。

 

「ティス〜、譲刃〜」

 

 流石に闇の中に一人ぼっちはイジメではないだろか? というより随分とバリエーションが豊かな心象風景の数々に辟易する。

 最初は武家屋敷、その次は瓦礫の街。今度は真っ暗闇と来た。このまま進めば何か出てくるのかと不安になりつつ進む。

 やがて、ある物を発見して足を止めた。

 

「これは予想できなかったな」

 

 現れたのは巨大な鉄格子の壁だ。

 上は天まで横は果てしなく。まるでここから先は立ち入るなと言わんばかりである。

 誰もいないし、早く覚めないかなぁ。

 なんて考えていると声が聞こえる。

 

「どなたか、いらっしゃるのでありすか?」

 

 金属が擦れる音と心地の良い声が耳に入る。

 渚は人の腕が一本入るかという狭い隙間から中を覗く。

 そこに居たのは異様に長い黒髪の女性。歳は渚より2〜3歳ぐらい上で少女から女となる手前という印象だった。一番目を引くのはその格好だ。手と足、更に首には鎖の付いた拘束具。着ているのはボロボロの布で、端的(たんてき)に言って痛々しい姿だ。奴隷のような彼女は鎖を引き()りながら鉄格子の前にやってくる。 

 

「ユズリハさん?」

 

 落ち着きのある理性的な声に渚は返事を返した。

 

「え? あ、違います。俺は渚といいます、初めまして?」

 

 長い前髪の隙間から見え隠れする黒い瞳が渚を見るなり大きく開かれた。こうして容姿を確認すると、かなりの美女っぷりだ。

 

「──あぁ来て下さったのですね」

 

 嬉しそうに頬を染めると黒い美女は涙を流す。

 

「泣いた!? な、なんで!?」

「も、申し訳ございん……ございません。ワタクシとした事がつい感激で胸がいっぱいに!」

「もしかして前に会ったことあるのか?」

 

 あり得る話だ。

 渚は記憶は忘却の彼方だ。ティスや譲刃が自分を知っているのなら彼女もそうである可能性が高い。

 しかし、拘束された少女は静かに頭を振る。

 

「いいえ。ワタクシは初めてあります」

「あ、そうなんだ」

「ワタクシはユズリハさんとよく話しておりな……まして。アナタ様の事はよく存じてございます」

「譲刃には俺も世話になってるよ。あー、ーつ聞いてもいいか?」

「どうぞ。アナタ様のお声を拝聴頂けるのなら罵詈雑言でも至福の内に果てまするゆえ」

 

 果てまするゆえって死んじゃダメだろ……。

 妙にへりくだる美女だ。変わった人だと感じつつ疑問を投げかけた。

 

「なんでこんな場所にいるんだ?」

 

 四肢に装着された鎖に首輪。更には二人の間に立つ鉄格子の壁。まるで囚人だ。

 自分ならこんな光のない奈落みたいな場所は御免だ。

 目の前の少女は(うつむく)く。

 

「ワタクシはナギサさまには相応しくない下卑(げひ)た畜生。本来なら存在を表に出してはいけないのであります。しかして自ら命を絶つことも叶わず、だからこそ不浄な身であれどアナタさまの魂の深淵にて隠れ住まわせて頂いてる身でございます」

 

 下卑たなんて言っているが彼女自体は美しい。奴隷スタイルだが髪は艶があるし、肌も傷一つない。顔は長過ぎる前髪でよく見えないが隠れてない部分を見るに綺麗だと思う。それに何処かピスティスに似ている気がした。

 彼女は更には言葉を続ける。

 

「そして何よりワタクシはアナタさまに住み着いた絶望の象徴。戦うための力を与える者なれど寄り添うのは不届きと戒めております」

 

 力を与える者……。

 譲刃は刻流閃裂という"技術"。

 ピスティスは蒼という"武器"。

 どちらも力を持たらす存在だった。

 三人目である彼女もまた同じだと言う。

 

「君は一体、どんな力を与えるんだ?」

 

 これ以上の強みが欲しいわけじゃない。ただ興味本意で聞いてみた。自分にとっての絶望と断言した彼女が気になったからだ。

 少女は自らな首輪に手を伸ばすと渚に微笑みかける。

 

「ワタクシは純然たる"暴力"を(つかさど)る者……。やっと相見(あいみ)える事が叶いもうしんした、愛しの飼い主さま(マイマスター)

 

 誇るように媚びるように自身を"暴力"と言い切る美しい少女。

 その黒かった瞳は恍惚と歓喜に染まると黄金に怪しく輝くのだった。

 

 





四章はこれで終わりです。
挑戦したけど主人公不在の話は書き難いですね(反省)

渚と会話している女性の口調を変えました。


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進路迷走のヘルロード
起床、別世界にて《He Got Lost》



新しい章が始まります。



 

 光が網膜を焼くように熱く、視界が酷くぼやけている。まるで久しぶりに光を受けたような眩しさに目蓋を閉ざした。片目だけを薄く開いて光を調整する。

 

「あー、どこだ、ここ?」

 

 見知らぬ天井だ。

 寝そべっているベッドも天幕付きで渚の部屋にある物じゃない。サイズといい質感といい、王族などが使っていそうな寝具である。

 体を起こすが異様に重くてならない。すると額からパサリと湿(しめ)ったタオルが落ちる。

 熱でもあったのだろうか? 

 どうやら誰かに看病されていたみたいだ。

 ゆっくりと周りをみれば学校の教室くらいはある広さの部屋にいる事が分かった。

 

「西洋造りだな……」

 

 ボヤっとした思考でそんな感想をこぼす。

 家具や間取り、カーテンなど豪華絢爛(ごうかけんらん)な物々が目に入る。明らかに自室ではない。

 

「リアス先輩の持ち家か? 違うな、グレモリーの魔力気配が一切感じない。……おいおい、どんな状況だよ?」

 

 全くと言っていいほど置かれた状況が分からない。

 最後の記憶はなんだったか。渚は脳内に検索をかけた。

 確かコガビエルとヴァーリを倒して気を失って……。

 天井を眺めながら考えていると部屋の扉が開く。

 入って来たのはトレイを持った一人の少女だ。

 銀白の長髪からアリステアかと思ったが違った。同じ髪色だがストレートヘアーなアリステアとは異なり、眼の前にいる彼女は少しウェーブが掛かっている、何より気配が人間ではなく、悪魔だった。

 白いブラウスに黒のボックスプリーツスカート。清潔感と清楚さを併せ持つ服装のお嬢様。そんな印象を受ける少女と目が合う。

 

「ふーん、起きたんだ」

 

 どうでも良さそうな口調。

 可憐な見た目から令嬢を彷彿させるのに、冷めた態度が台無しにしている。

 令嬢が渚のいるベッドまで来る。

 小棚にトレイを置くと渚の額から落ちたタオルを回収して近くにあったタライに浸ける。

 渚はその令嬢を覗き見た。

 初めての見る顔だ。品のある美少女で目を奪われる。

 しばらく視線を外せずにいると真っ赤な瞳が怪訝そうに細まる。

 

「……なに?」

 

 不機嫌な声音で問われる。

 渚は不躾な目を向けた事に罪悪感を感じて慌てて話題を探す。

 

「あー。君は?」

「シアウィンクスよ」

 

 それだけ言って黙ると令嬢──シアウィンクスは膝にトレイを載せてお粥らしき食べ物をレンゲで掬うと差し出してくる。

 

「食べて」

「くれるのか?」

「じゃないと持ってこない。……バカなの?」

 

 キレイな顔して結構な毒舌家らしい。

 

「じゃあ、ありがたく……」

 

 レンゲを取ろうとすると避けられた。

 なぜ……? 

 

「なんでそうなるの? レンゲの向きから食べさせるに決まってるじゃない。だからあたしの膝にお粥があるのよ? やっぱりバカなの?」

「いや、いくらなんでも……」

「黙って口を開ける事すら出来ないとか……」

 

 なんか呆れられた。

 渚は観念して口を開ける。すると黙ってレンゲをツッコんできた。……少し熱い。

 

「よく噛んで」

「……あい」

「食べながら喋らない、汚いから」

「……」

「ほら、ボケッとしてないで飲み込んだら口開ける。残しでもしたら、その無礼な食欲に無理矢理叩き込むから」

「(アンタは俺のおかんか)」

 

 見ず知らずの他人に超怒られる。

 お粥が熱いのを察して、わざわざフゥ~フゥ~と冷ましながら食べさせてくれる辺り、悪い人じゃないのかもしれない。

 この状況の説明がほしいが今は黙って従う。

 やがてお粥がなくなる。かなり美味しかったと思う。

 

「食べ終わったね、じゃ少し寝て」

 

 有無を言わさず寝かされそうになる。まだ少しだけ熱があるようで体はダルいがそうも言ってられない。ベッドから離れようと動く。

 

「もう大丈夫だ。だから状況の説明──おぅ!?」

 

 ビチャリと額にタオルが押し付けられる。ダラダラと流れ出た水がすごい勢いで顔面を濡らす。

 シアウィンクスがタオルを強く抑えながらニコリと笑う。

 

「寝て?」

「うん、分かった。だから、せめて(しぼ)ってね?」

 

 今度は絞ってくれた。

 どうやら逆らえれないようだ。仕方無しに寝るとした。

 その間、銀白の少女は渚をジッと見ていた。

 視線を感じつつも眠気に逆らえず渚は目を閉じるのだった。

 一体、この人はなんなんだ? 

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 

 丸一日も経てば熱は下がった。

 渚はベッドから出て背伸びする。どうにも体が訛っている気がしてならない。

 ガチャリとドアノブが開く音がする。

 立ち上がっていた渚を見るなり、シアウィンクスは何故か目付きを悪くして大股で近寄ってくる。

 凄い迫力に半歩ほど後ずさる。シアウィンクスの手が渚の額に当てられた。

 

「……まぁ許す」

「あ、ありがとう?」

「少し待ってて」

 

 (きびす)を返して部屋を出ていくシアウィンクスだったが、すぐに帰ってきた。その手には衣服がある。

 

「着替えよ、はい」

 

 ほいっと優しく投げ渡してくる。

 渚は寝間着である黒いジャージ姿だ。そのままでも良かったが、服を貸してくれるようだ。

 渚は服を見る。

 白いYシャツに黒いズボン。生地やら肌触りといい高価な衣類じゃないかと勘ぐる。本当に使って良いのだろうか。

 いつまでも動かない渚にシアウィンクスは嫌そうな顔をした。

 

「……手伝わないわよ?」

「そこまでさせねーよ」

 

 思わずタメ口を使ってしまい不味ったかと思う。

 

「そ、なら早くして。あたしは部屋の外にいるわ」

 

 シアウィンクスは気にした様子もなく再び部屋を出た。

 

「着替えるか」

 

 待たせても悪いし、ジャージを脱いで高そうな服に袖を通す。なんとも着心地の良い衣服に感動した。

 着替えを終えて部屋を出ると待っていたシアウィンクスが歩き出す。

 

 ──付いてこい。

 

 シアウィンクスの背中はそう言っている。

 その後ろ姿を追う。長い廊下に石造りな壁。屋敷と思っていた場所はまごうこと無き城だった。廊下の窓から城壁が見えているから間違いない。しかも空が紫色で空気に浸透する魔力密度が嫌に高い。

 渚は背中に嫌な汗をかいた。使わせてもらっていた部屋の窓から見た外の風景が妙に薄暗いのは気づいていたが、まさか駒王町ではなく冥界にいたとは思いもしなかった。一体、我が身に何があったのだろうか?

 

「……意味が分からん」

 

 ますます置かれた環境に困惑する。

 やがて一際立派な扉が見えてきた。シアウィンクスは真っ直ぐの前に歩を進めるや両手で押した。

 開かれた扉の奥な現れたのは玉座だ。そばには一人の少女が立っており、渚へ会釈してきた。

 

「魔女?」

 

 服装こそ何処(どこ)かの学生みたいだが、とんがり帽子とマントのせいで物語の魔女もしくは魔法使いみたいである。

 現実離れした光景の数々に渚が呆然(ぼうぜん)としている中で、シアウィンクスはコツコツと靴を鳴らして誰もいない玉座の前に立つと反転して座る。

 そして足を組み、片腕で頬杖を作ると至極冷めた様子で渚を見つめた。

 

「改めて名乗らせて貰おうか。私はシアウィンクス。旧魔王であるルシファーの血を継ぐ者。ようこそ、我が城へ」

 

 シアウィンクス・ルシファーが尊大な口調となり、不敵に笑う。

 

 ──なんだ、これ……。

 

 目の前にいるシアウィンクスの(まと)うオーラが変わる。その全てが先程とはまるで別人であり、対面するだけで足がすくみ、目を合わせれば背筋に冷たいものが流れる。あまりに馬鹿げた威圧感はコカビエルやヴァーリすらも軽く上回っており、正に強者のソレでしかない。

 これには流石に色々と驚かされた。

 旧魔王のルシファーと言えばあのヴァーリと同じ血だ。年齢的にはヴァーリの姉か妹だろうが妙な奇縁である。

 渚は困惑を一度捨ててシアウィンクスを見返す。

 なんとも強烈な威圧に膝を折ってしまいそうだが耐えきる。威圧に萎縮してしまうのは気が弱いからだ。なるば気を強く持てば問題はない。

 瞑目(めいもく)して直ぐに目を開ける。

 よし、もう大丈夫だ。シアウィンクスの威圧に苦労しつつも質問をする。相手は王族、出来るだけ礼節を弁えるよう努力した。

 

「俺、……自分は何故、ここに?」

「説明を」

 

 シアウィンクスが言うと隣に立つ魔女が前に出た。

 柔らかな印象を受ける魔女だ。穏やかな雰囲気はアーシアによく似ている。

 

「初めまして。私はルフェイ・ペンドラゴンと言います。一応、魔法使いです」

「蒼井 渚です。よろしく、ペンドラゴンさん」

 

 丁寧にお辞儀するルフェイに習い、渚も頭を下げた。

 クスッと可愛らしくルフェイは笑む。

 

「長いのでルフェイとお呼び下さい。敬語や敬称もいりません」

「あー、うん。なら俺も渚でいいよ」

 

 物腰がとても丁寧で品があるルフェイ。いいトコのお嬢様なのだろうか。

 

「では渚さまと呼ばせてもらいますね。早速ですが本題に入ります。私たちは、とある事情のため城に人を招いています。渚さまもその内のお一人です」

「あ、そう。へぇ……」

 

 なんかルシファーさん()は変な事をしてるみたいだ。起きたら異世界に拉致(らち)られてるとかヤバくないか?

 

「俺以外の人もいるのか?」

 

 ここまでで会った人物はシアウィンクスとルフェイだけだ。今思えば人が居なさすぎる。こんな立派な城だ、給仕係の一人や二人いてもおかしくないのに見ていない。

 

「いいえ。現在のところ、人間は私と渚さまの二人です」

「招いたんじゃなかったのか?」

 

 渚が疑問をぶつけると玉座にいるシアウィンクスが頷く。

 

「ルフェイ以外の人間には帰ってもらった。適正が無かったからな」

「適正?」

「戦力と人格がそれに当たる。私たちは強制転移による召喚で人を集めていた。味方が少なくてこのような形を取っているが悪意はない」

 

 渚は口を引くつかせた。悪意はないと言うが、やってることは正真正銘の拉致(らち)である。

 渚の表情から察したのかシアウィンクスが弁明する。

 

「強引なのは重々承知している」

「もちろん、適正がない人や協力を拒否した人は元の場所に帰しています」

 

 いきなり拉致られて協力するのは抵抗あるだろう。まぁアフターケアもしているようだから強くは言わない。

 

「ルフェイ……も召喚されたのか?」

 

 一瞬、さん付けで呼ぼうとしたがやめた。この子の事だから敬称もいらないと言いそうだ。

 

「彼女は私が呼んだ第一号の人間だ。もう直ぐ一ヶ月ほどになる」

「一ヶ月って。……大丈夫なのか、ほら家族とか」

「多分、探してます。けどこっちも放っておけなくて」

 

 言いにくそうに笑うルフェイ。

 

「帰れない理由があるのか?」

 

 ルフェイがシアウィンクスを見た。目で話して良いか訪ねている。シアウィンクスは視線を逸しながら肯首した。

 

「えーと、召喚に使用された転移陣がなんと言いますか……」

「取り繕う必要はない。要するに私が組んだ術式が酷かったんだ。一歩間違えば城ごと周辺が消え去っていたそうだ」

「何それ、怖い」

「本来なら地域や人物を限定する強制召喚の陣をシアさまは地球全土を対象にしていました。魔法は条件を大きくするほど失敗の反発も大きくなります。あのまま陣を行使していたらと思うと……」

 

 そこまで言って濁したルフェイが「あはは」と笑う。

 あぁこれ本当に笑えなかった話なんだと渚は思った。ルフェイという少女は結構面倒見が良い方なのだろう。

 

「そういうこともあってルフェイには転移陣の操作と術式改善を頼んだ。最初は完全ランダムだったが今はある程度は相手を絞れる」

 

 ルフェイは魔女っぽい見た目の通り魔法関連に明るいようだ。

 

「最初にルフェイが来てくれて良かったですね……」

「……感謝してるわよ」

 

 シアウィンクスの威圧感が(ほど)けて砕けた口調になる。どうやらコッチが素のようだ。

 

「今までどれくらいの人が来たんですか?」

「渚で158人目だ」

「やたら多いですね」

 

 初めての召喚が一ヶ月前としたら一日5人は召喚している計算だ。

 

「ルフェイの術式で問題点が改善されたから最初の内は一気に数人呼んだの。失敗したけど……」

「失敗?」

「呼び過ぎたんです。シアさまは強い人間をお望みだったので術式に英雄の子孫や神器持ちを選ぶように細工しました。……成功はしたんですが英雄の子孫などは我が強くて危うく反乱されちゃうトコでした」

「よく無事だったな……」

「それに関してはルフェイ様々って感じね」

「召喚された人はいつでも強制送還出来るようにマーキングしてあります。それに記憶も消える仕様ですから復讐も出来ません」

 

 勝手で申し訳ないですが……とルフェイは付け加えた。

 安全対策もバッチリだそうだ。この子、かなり凄い子なのでは……? 

 恐らく年下であろう魔女の有能ぶりに感心する。

 

「そんな訳で量より質を求めたけど良い人材がこなくてね。あんたの少し前に来たヘラクレスの子孫は中々良かったんだけど荒くれ者だったから帰した」

「実力はあったんですけどね」

 

 相当暴れたのか、シアウィンクスとルフェイは困り顔だった。

 

「あれは良質だが人格に問題アリね。だから今回は更に厳選して特定の人物を呼ぶことにしたんだけど……」

 

 チラリとシアウィンクスが渚を見る。どこか落胆混じりの視線。渚自身を軽んじている様子はないが少しだけショックだ。

 

「あんたはこちら側のようだが戦えるの?」

 

 不安げに尋ねられた。

 

「戦力が必要だから呼んだんですよね?」

「こう言ってはなんだけど召喚された者も全てが戦える訳ではなかったのよ」

 

 あ、これ、ハズレだと思われてる。

 

「いや、その、ね? 召喚時に倒れていた相手は初めてだったから病弱か病持ちなのかなぁて。……熱、あったし」

 

 後ろに行く度に声が小さくなるシアウィンクス。

 どうやら虚弱体質と見られているようだ。まぁいきなり熱出して看病されていたんだから、そう思われても仕方ない。

 さてどう答えるか……。

 ここで違うというのは簡単だ。しかし彼女たちは戦力を求めている。つまり何かと戦わされる。正直、あまり関わりたくないのが渚の本音だった。

 考え込む渚の態度を肯定と取ったのかシアウィンクスは深い溜息を吐いた。

 

「申し訳ないことをしたわ」 

「シアさま、私のミスです。確実にあの方を呼べるように陣を書き直したのに慢心していました」

「元々ランダムで召喚する陣を無理矢理改造したんだこら仕方がないわ」

「本命がいたのか?」

 

 興味本意で聞くと、ルフェイは渚の表情を窺いながら口する。

 

「……私の兄、アーサー・ペンドラゴンです」

 

 なんか凄いビッグネームが出てきた、しかも兄と来た。

 

「アーサー王かぁ。それなら知ってる。英雄の子孫のなかでもとびきり優秀だって資料で見た。すごいな、ルフェイってアーサー王の血縁者なのか」

「はい。だから陣を調整して血まで触媒にしたのですが」

「それで結果がこれじゃな」

 

 渚が自分を指して苦笑した。伝説の英雄を呼んだと思ったら冴えない高校生がきたんだ、さぞ落胆しただろう。

 それでもルフェイは嫌な顔をせずに頭を下げた。

 

「巻き込んですいません」

「別に帰れるんだったら構わないさ。それにもう一回召喚してルフェイのお兄さんに来てもらえばいいんじゃないか?」

 

 渚の案に二人の顔が曇る。

 

「実は渚さんの召喚時に陣が壊れまして……」

「はい?」

「原因もわからない。いきなり陣の魔力が暴走して耐えきれず自壊したの。元々が急造品だし、いつかこうなるのは分かってた……」

「(え、笑えないんだが?)」

 

 深刻そうな二人の顔から修復は出来ないのだろう。

 こ、壊したから弁償とか言わないよな? 家にいくらあったかな? 

 渚は被害者なのに加害者のような気分になる。

 

「気にしないで。こちらの不手際だし、無理に戦力扱いはしないから安心してほしい。ただ……」

「ただ……?」

「転移陣が破壊されたから簡単には帰れないわ」

「あの、こっちにも生活があってですね? あまり離れると面倒になると言いますか……」

 

 あまり長い時間の滞在はしたくない。冥界にいる間、学園は欠席扱いになる。やっと地獄の"はぐれ悪魔"討伐マラソンから開放されて普通の学園生活を送れるようになった身としてはキチンと授業は受けておきたい。

 最悪、徒歩でも帰るつもりだ。出来るかは不明だが……。

 渚がその(むね)を伝えようとした時だ。

 

 ──玉座の壁が爆発した。

 

 壁だった残骸の数々がシアウィンクスとルフェイへ真っ直ぐ跳んでくる。当たれば怪我では済まない物もある。

 考えるよりも先に体が動いた。

 渚は二人の前に立ち、迫る残骸から守るため霊氣を込めた拳で床を殴り付ける。その一撃によって床から霊氣が間欠泉のように吹き上がり、残骸を粉々に砕く。その威力は凄まじく玉座の天井辺りまで伸びていた。

 

「……加減を間違ったか?」

 

 やっておいてなんだが渚は驚く。

 本当はもっと威力が小さくなる筈だったからだ。霊気の扱いに慣れてきたから分かる、これは異常だ。

 

「(そういえばコカビエルに殺され掛けた時、ティスが"蒼"を使うため肉体を最適化したとか言っていたっけ)」

 

 その影響だろうか。

 気になるが今は襲撃者へ意識を向ける。

 崩れた壁を見れば複数の悪魔が入ってきた。

 全員が白いローブで姿を隠した怪しい集団であり、友好的な雰囲気ではない。

 

「へぇ〜。なかなかいい駒を見つけたね、ルシファーどの?」

 

 そう言ったのはリーダーらしき中性的な顔立ちの子供。仮面のような愛想笑い浮かべているが渚は警戒する。

 幼い見た目に惑わされそうだが尋常じゃない魔力を内包していた。量と質から考えて最上級悪魔だ。

 なんだコイツらは? 

 渚が謎の集団に警戒しているとシアウィンクスが再び威圧感を身に(まと)い乱入者を忌々しそうに見た。

 

「……エルンスト・バアル」

「やぁ遊びに来たよ」

 

 エルンストと呼ばれた悪魔が玉座に歩み寄るとルフェイの前で足を止めた。そして下から上まで眺めると目を細める。

 

「君がルフェイ・ペンドラゴンだね。英雄の血統らしい上質な魔力、それに……。ねぇ君、シたことある?」

「した? なんのことですか」

 

 ルフェイが眉を潜めた。

 

「うんうん、今ので納得したよ」

 

 嬉しそうに頷くとエルンストは更にルフェイへ近づく。その様子を見たシアウィンクスが玉座から立ち上がり、鋭く叫ぶ。

 

「エルンスト!」

「服、邪魔だね」

 

 エルンストがルフェイの服の襟元(えりもと)に掴むとそのまま下に切り裂く。あらわになる下着と腹部。

 

「え?」

 

 いきなりの事にルフェイは一瞬固まる。

 その姿を見て舌舐めずりをするエルンスト。ローブの集団も嗤っていた。

 

「成長具合も悪くないね」

「……っ!」

 

 ルフェイは叫ばなかった。ただマントで体を隠してエルンストを涙目で睨む。その見た目に合わない気丈な態度を気に入ったのかエルンストは愉悦を口に浮かべる。

 

「悲鳴も上げないのかぁ、ますます可愛いなぁ。ほら次は下だよ、マントから手を離すんだ」

「……おい」

 

 エルンストが声の方を見ると渚の拳が叩き込まれた。

 だが防御壁に阻まれる。なんとも硬い魔力の壁に腕全体が痺れてしまう。

 

「チッ!」

「やめてよね、今は見聞中(けんぶんちゅう)なんだ。あぁもしかして君も彼女(ルフェイ)を抱きたいの? じゃあ僕が飽きたら譲ってあげるね」

 

 無垢な笑いで下衆(げす)めいた事を言う。

 渚が無言で霊氣を更に込めて防御陣を砕く。

 エルンストは「へぇ」と無防備なままで動かない。しかし気にせず首根っこを掴んで投げつけた。

 渚はルフェイを背に庇うように立つ。

 

「ごめん、ルフェイ」

「いえ、渚さまが謝ることでは……ない、です」

 

 男たちの前で恥を()かされたにも(かか)わらず健気に耐えている。あんなヤツをルフェイに近づけた自分の迂闊(うかつ)さに苛立つ。

 元凶のエルンストは身を(ひるがえ)し着地すると歪んだ服の(えり)を直していた。

 

「乱暴だなぁ」

「事案だと思ったからな」

 

 悪びれずに言ってやる。また変な事に首を突っ込んだ気がしないでもないが震えるルフェイを見たら殴りたくもなる。

 渚の行動に対してエルンストの取り巻きどもが殺気立つ。渚も間違ったことをした覚えが無いので軽蔑混じりで見返してやる。

 エルンストは投げられた事に怒りは無いようで笑っていた。仮面のような笑みを崩さない薄気味悪い子供だと思う。

 シアウィンクスがルフェイに寄り添い、エルンストへ嫌悪の目を向ける。

 

「なんの用だ、敵情視察か?」

「敵? ははは、馬鹿だなぁ。君は勝てない。負けてバアルの所有物になる。だから僕が来たのは提案だよ。シアウィンクス、君は僕のものになりなよ。他の兄弟たちより可愛がってあげるよ?」

「ふざけないで」

「真面目さ。君は美しい、僕のものになる資格がある、そこのルフェイも一緒に飼ってあげるよ」

 

 今まで色んな悪魔を見てきた渚だったが、ここまで嫌悪した奴は初めてだった。あのエルンストはシアウィンクスとルフェイを性欲を満たす物としか見ていない。

 こんな場合はこう言ってやるのがベストだろう。

 

「0点だな、出直せ」

 

 アリステアに(あやか)って採点してやる。エチケット不足どころか人生やり直しを(すす)めたい。

 告白にしてもエルンストの言葉は下の下だ。

 とりあえず、あの色情魔にはお帰り願おう。

 

「なかなかやるようだけど、君は少し無礼だよ?」

「特大のブーメランかましてんじゃねぇよ。迷惑がられてるのを察して帰れ」

 

 エルンストが笑顔で手を(かざ)すと黒い波動が放たれた。

 渚はその魔力の気質を見抜き、目を見開く。ソレがなんなのか知っていたからだ。

 ──"滅び"。

 リアスと同じ能力。

 リアスは母方がバアルの血を引いているから使えると言っていたから本筋はエルンストの方なのだろう。

 その威力を間近で見てきた渚は刀を召喚しようとするが反応がない。

 

「譲刃?」

 

 いつもは空間を裂いて手元に来るはずの"御神刀(ゆずりは)"が来ない。刀で受け止める気だったので回避が間に合わず"滅び"の直撃を受けてしまう。

 爆発が轟く。

 

「くっ!」

 

 反射的に左腕でガードしたが受けた上腕は血塗れだ。苦悶に歪む渚の顔を見てエルンストが感心した素振りで見下す。

 

「頑丈だなぁ」

 

 渚自身も驚いている。

 肘から先が消し飛ぶと覚悟していたからだ。さっきの残骸を吹き飛ばした時といい体の頑強さといい、間違いなく今までの渚ではない。"蒼"への最適化でかなり霊氣が上がっている。異様なパワーとタフさもソレが原因だろう。また少し人間離れしてしまったようだ。

 

「別にいいか」

 

 後悔はない。望んだ結果がこれなら受け入れる。

 お陰で負傷した腕も動く。痛みはあるが付いてるだけマシだ。

 渚が痩せ我慢しつつエルンスト見る。それを挑発と受け取ったのか、笑みを深くして次々と"滅び"の波動を撃ち込んで来た。恐ろしい子供だと内心で悪態(あくたい)()きながらシアウィンクスとルフェイから距離を取るよう逃げ始める。

 渚が1秒前にいた場所が消し飛ぶ。止まれば餌食になってしまうので動き続ける。

 

「クソ、遊ばれてるな」

 

 じわじわと殺すつもりなのか、威力が低い。敢えて弱めているのだろう。一撃必殺には遠いが連続での被弾は避けたい。"滅び"で手加減するなど間違った使い方だと思う。

 ともせず状況を打開するため自身の深奥にいるピスティスを呼び起こす。

 

「(ティス──)」

 

 心臓辺りが小さく脈動すると彼女の存在を知覚する。

 

『──汝が声に応え参上した。我が器して我が君よ、命令(オーダー)を』

 

 渚の呼び掛けに即答するピスティス。

 

「その前に一つ聞く。刀が来ない、なんでか分かるか?」

『譲刃の判断。予測するに御神刀の所有権が他者へ移っている』

 

 まさかの言葉に少し焦る。

 

「もう使えないのか?」

『譲刃が永続的かつ簡単に所有権を移したとは思えない。理由があるのは明白であり、恐らく一時的な処置。ただ現状で"譲刃"の使用は不可能』

 

 なんでそうなってるのかは分からないが、とにかく今は刀が使えないというのは分かった。慣れた武器が使用不可能となれば不安も大きくなるものだ。

 

「なら残りの2つはどうだ」

『"洸剣"と"魔拳"の使用可能」

「なら"洸剣"を使う」

『了解。譲刃不在のため媒体を使わず"蒼"による鍛造を選択。顕現現象を付加するための"言霊詠唱(コード)"入力へ移行。──謳え、光を求めんとする者よ。汝が信念に応え、刃は羽ばたき舞い降りる』

 

 渚は思考を切り替える。ここからは戦いの時間だ。

 

"洸天(こうてん)より(まばゆ)き光、()はあらゆる罪を浄化し正義を()す剣撃なり。そして()たれ純白なる執行者(しっこうしゃ)、──"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"

 

 渚の詠唱により、3対6の輝く洸剣が展開される。

 洸剣は騎士のように前面に出て、降り注ぐ"滅び"を次々と斬り伏せた。

 その光景にエルンストは笑みを消すと注意深く"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"を観察する。

 

「僕の"滅び"を斬った? 特殊な金属もしくは祝福を受けている? ……そうか、その武器は悪魔、いや魔に属する者へ対しての特攻持ちなんだね。つまり──」

「──聖剣?」

 

 シアウィンクスが驚いた顔をしている。

 力を見せてしまったな、と渚は内心で肩を落とす。

 これで無能だから帰してくださいとは言えなくなった。

 

「いや、今はアイツらをなんとかしないとな」

 

 宙を自在に舞う洸剣の一つを手元へ手繰(たぐ)り寄せて"蒼"を込めた。

 

「……ん?」

 

 (わず)かな違和感に渚は首を(かし)げた。

 全身を巡る霊氣の流れが激しい。かなりの速度で霊脈経路を循環(じゅんかん)していた。

 

「"最適化"ってすげぇな。前の三倍くらいのパワー出せるぞ」

 

 別に悪いことではない。寧ろ戦闘中ならば都合が良い。循環率の高さは戦闘力の向上と同義だからだ。

 しかし渚は本当の意味で"蒼"に最適化された己が身を見謝った。常に側にありながら楽観的な観点でしか見ていなかったのだ。

 瞬間、手の中にある洸剣の力が渚の予想を遥かに超えて増大した。渚の"蒼"を吸い上げて光と熱の塊になって行く。余剰なエネルギーは稲妻となり、天井や壁を切り裂くように走る。玉座全体を破壊し尽くす勢いだ。

 

「ちょ、まっ!! えぇ~っ!?」

 

 こんなものを解放したら大変なことになる。

 

「ティ、ティス、なんか暴走してないかっ!?」

『……? 出力は()()()()()。やはり"炉"の不完全さが露呈している』

 

 この幼女、なんて言った!? 

 解放してない状態で周囲に破壊を()き散らしているのに不足と断言したぞ。

 渚と違って気にしていない様子のピスティスは平然と言う。

 

『以前の洸剣は渚の負担を考えて御神刀 "譲刃"を媒介にした。その副産物として譲刃が"蒼"の制御を肩代わりしていた』

「お、おい。それじゃあこの状態は……」

『譲刃の不在によるモノ』

 

 驚嘆の事実だ。

 前までは譲刃が出力調整をしていたようだ。

 強力な武器の力を渚の身の丈にあった力に抑えてくれていた。かなりのおんぶに抱っこである。

 渚が唖然とする中、ピスティスは更には続けた。

 

『本来なら"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"は堕天使コカビエルとの戦闘で扱った"冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)"と同格の力を発揮する。──これが通常状態に近い』

「理由は分かったから、もっと弱められないのか? 流石に、これは不味い」

 

 情けないが無知な渚は"蒼"を上手く使えない。(しぼ)り出すのが精一杯で抑えるなど出来る気がしない。"蒼"初心者の|バカ(自分)よりはマシだろうと提案してみる。

 

『元々"蒼"は個人に対する力じゃない。出力を上げるは容易(ようい)く下げるは難解』

 

 諦めんなよ! お前が出来なかったら誰が出来んだい!?

 渚は外面は冷静な素振りを見せるが内心では焦りまくりだった。

 

「なら、せめて前の"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"ぐらいにはならないか?」

『あれは譲刃の上手さによるモノ。"蒼"をあそこまで細かくして制御出来るのは恐らく彼女くらい。私がやればこの玉座ごと弾き消すので精一杯』

「玉座を消し去るのは手加減とは言わない」

 

 もうヤダ、このパワー系幼女……。

 

『6本使えばこの城を3つ程は簡単に消し炭に出来る』

 

 なんだ、その歩く火薬庫みたいな!例《たと》えは……。

 使っているのは剣なのにミサイルか何かに見えてくる。なんにせよ、洸剣をどうにかしないといけない。

 だがどうするか悩む。

 

「そろそろヤバイか。てかエルンストのヤツ、嬉々として攻撃を(ゆる)めないな!?」

 

 雷光が迸る爆弾みたいな洸剣を振り回して"滅び"を切り伏せる。その斬擊は渚の意思を無視して光を放ち玉座を大きく割いた。

 城が衝撃で轟く。

 自衛のために振っただけで馬鹿デカい斬撃を跳ばすなど迷惑(きわ)まりない。下手をしたらシアウィンクスとルフェイを傷付けてしまう。

 扱い難くなった洸剣に舌打ちする。

 

「加減が出来ねぇ! 厄介だな、なんとか出力を落とせないか!?」

『コップという器に海の水を全ては入れられない。出来るのはコップと言う器を巨大に変えるか、細かく分散してコップにあった分量を適切に入れること。私は前者で譲刃は後者。私は手加減が苦手……』

 

 譲刃は"蒼"という莫大なエネルギーから丁寧に使うだけの分を抽出していたらしい。

 それは酷く難しいようでピスティスには出来ないようだ。譲刃に頼っていたのは確かだが居なくなって更に()(がた)みを感じる。

 戦うだけで余分な破壊を撒き散らす迷惑野郎とか全然笑えない。けれど今は絶え間なく"滅び"を浴びせてくるエルンストもなんとかしたい。色々と辛くなってきた。

 

「シアウィンクスさん、ルフェイ! 身を守れぇ!」

 

 渚は残った洸剣を防御に回して二人を保護した。

 そしてエルンストへ視線を向けると制御困難な洸剣を投げた。着弾点に誰もいないように祈りながら……。

輝く剣は高熱を吐き出しながら城を破壊する。剣の走った場所は(えぐ)り取られて、切っ先が触れた物は引き裂かれながら蒸発する。

 暴虐とも言える光は玉座を間から外へ抜けるや遥かに遠方にある山の天辺に直撃して大爆発を起こした。

 衝撃波が城を襲い、激しく揺れる。

 こうして光は彼方へ去り、音も消えた。ただエルンストたちが開けた穴よりも遥かに大きい空洞と廃墟さながらの玉座の間が残る。

 

「……まだやるか?」

 

 渚がエルンストへ言葉を投げ掛ける。

 あれだけの威力に関わらず死者はいない。わざと大きく外したからだ。

 エルンストが笑みを消すとマジマジと渚を眺めた。

 

「わざと外したね?」

「悪いかよ?」

 

 別に命を奪うことに臆した訳じゃない。

 喧嘩は売ったが殺すのは得策ではないと判断した。仮に殺したとして相手は冥界の名家中の名家であるバアルだ。後が面倒になる未来しか見えない。現状が既に面倒なのだが……。

 

「殺されたくないなら帰れ」

「まさか勝ったつもりかい?」

 

 エルンストが嗤うと魔力が高まり、全身から"滅び"の力が沸き立つ。

 

「え、エルンストさま、どうかお気を沈ませ──」

 

 そう言った悪魔の上半身が消し飛んだ。

 エルンストから溢れた"滅び"の余波が取り巻きを襲い始めたのだ。死んでいく悪魔たちを気にしない様子から仲間意識はなさそうだ。

 リアスよりも強大な"滅び"が渚を押し潰そうとしていた。

 退()いたら殺されるな。

 確信がある。笑ってこそいるが目が本気だ。

 どうやら手加減されたのが余程腹に据えかねたらしい。

 こっちの都合もお構い無しである。

 勝手に来て、勝手に暴れて、気を使いながら反撃したら勝手にキレて仲間を殺す。しかもシアウィンクスやルフェイを欲の捌け口にしようとする。

 勝手過ぎて腹が立つ。 

 

「少し良い玩具を持ってるからって調子に乗らないで欲しいな」

「別に続けても良いぞ。次は4倍でいかせて貰う。──城ひとつは簡単に消し炭になる玩具だ、精々楽しめよ」

 

 2本の洸剣をシアウィンクスとルフェイの守りに付けて、残り4本を集結させて切っ先をエルンストへ向けた。

 

「彼女たちが死ぬよ?」

「下手な脅しだな。どうせアンタが残れば録なことにはならんだろ」

「短絡的だね。少なくとも死なせはしないよ」

「生き地獄にはするんだろ? なら渡せない」

 

 睨み合う。

 渚は一歩も引かずに戦意だけを高めた。

 するとエルンストは小さくため息を吐く。

 

「あーあ。簡単に行くと思って抜け駆けしたのに思いっきり損だよ。いいよ、今日は退いてあげる」

 

 エルンストの魔力を四散させると外へ続く穴へ向かい、足を止めて振り返る。

 

「名前、聞かせてよ」

「蒼井だ」

「覚えておくよ。またね、蒼井さん」

 

 そう言ってエルンストは去って行った。

 背筋に悪寒が残る。

 エルンストが去り際に向けてきた表情が余りに人間離れした顔だったからだ。

 それは今までの仮面のような笑みとはまるで違う。薄暗く粘つくようなモノだった。元々気味の悪い子供のだったが、より一層怖気が走る。ターゲット・ロックされた気分だ。

 

「ふぅ~。行ったかぁ」

 

 強張っていた体から力を抜く。

 どうやら助かったと安堵するが周囲の惨状に顔が青くなった。

 風通しのよくなった壁、地割れしたような床、穴だらけで無数の瓦礫が転がる廃墟みたいな光景。

 冷や汗が止まらない。あまりにやり過ぎである。

 まず土下座から始めようか。

 他人の家であるこの場所で好き勝手やった渚はルフェイと寄り添うシアウィンクスの元に行くと膝を折ろうとした。

 

「……やっと見つけた」

 

 ポツリとシアウィンクスが呟くと手を取られた。

 薄く濡れた瞳が見上げてくる。

 

「えっとシアウィンクスさん?」

「望みのものを与える。だからどうか力を貸して……!」

 

 ギュッと強く握られた手から熱が伝わる。

 渚は訳が分からずルフェイに助けを求めるが彼女もまた頭を下げていた。

 どうせよと……? 

 



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嘆き悲しみ、少女は願う《Trample Down》


シアウィンクス・ルシファーの受難。



 

『旧ルシファー領およびシアウィンクス・ルシファーの身柄の譲渡を求める。これは大王であるバアル家の勅命である』

 

 その書状を読んだシアウィンクスは「手の込んだ悪戯ね」と切り捨てて気にしなかった。

 旧ルシファーには結構な割合で憂さ晴らし染みた手紙が届く。魔王として慕われたのも過去の話、今や冥界の嫌われ者が旧ルシファーなのである。要するに旧魔王の名を疎ましく思っている権力者も多いのだ。

 しかし如何(いか)にバアルが魔王に次ぐ大王の地位だからと言って、こんな紙切れ一枚でルシファー側が従う義務はない。

 だから適当に断りを入れて終わり。

 こんな下らない返事を書くよりも城下町へ遊びに行ったほうが数百倍は楽しいなどと考えたくらいだ。

 

「アルン、疲れたわ」

 

 小さく嘆息するシアウィンクス。

 机にはウンザリするほどの書類の山々。一人で捌ける量じゃない。シアウィンクスは辟易するようにメイドであるアルンフィルへ目を向ける。

 

「おやおやですね〜」

 

 するとアルンフィルは微笑んで頭を撫でてくる。優しい手つきには慈愛があった。

 

「……それ、やめない? 子供扱いされてるみたいで嫌だわ」

「うふふふ~。むくれちゃって可愛い子♪」

 

 拗ねるシアウィンクスにアルンフィルは手を止めない。

 アルンフィルはおっとりとした口調でふわふわとした雰囲気の女性だ。ニコニコと笑顔の絶えないメイドだがシアウィンクスにとっては母のようで姉のような大事な人であり家族だと思っている。

 そんなアルンフィルはルシファー家に仕える名家の出で、教養、品格、容姿、更には炊事洗濯をこなすパーフェクトなメイドだ。

 だが一つだけ欠点がある。

 シアウィンクスにとても甘いのだ。書類作業を投げ出そうとしている主に対して困った笑みを浮かべるだけで、続けるようには言わない。

 

「ならここまでにしましょう。シアちゃんは今日も城下に?」

「うん。カナリアおばさんの新作が出来てる様だし顔を出す」

「では僭越ながら続きは私がやっておきます」

「ありがと」

「あまり遅くならないように〜」

「お土産買ってくる」

 

 そう言って部屋を出るシアウィンクス。

 アルンフィルはただ笑顔で見送っていた。

 

 城を出る前、給仕係の人や兵の人たちがシアウィンクスを見るたび笑顔で挨拶をしてくる。

 

「シアウィンクス様、今日もお出かけかい?」

「あ、ククル。カナリアおばさんの新作が出来るのよ、ちょっと行ってくる」

「はいよ、いってらっしゃいな」 

 

 初老のメイドであるククルが笑顔で手を振ってくる。

 

「お嬢、今日も城下へ行くんですかい? せめて護衛を付けてくだせいな」

「大丈夫よ、カルクス。城下の人たちも良い人ばかりだから」

「しかしですなぁ」

 

 壮年の兵士長、カルクスが困り顔で懇願してくる。やんわりと断ってシアウィンクスは城を出た。

 門番も笑って見送ってくれる。

 

「今日もいい天気だ」

 

 シアウィンクスには親はいない。

 母は既に他界し、父は全てを捨てて消えた。

 だが健やかに彼女は成長した。

 寂しさを明るく包む人達に囲まれていたからだ。

 心優しい人々と活気にあふれたルシファー領を愛していた。これからもこの日常が続くようにと心から願うくらいに……。

 

 

 しかし、その一週間後にバアルがルシファー領土へ侵攻を開始した。バアルは本気でルシファーの全てを奪いに来たのだ。多くの人々が亡くなり、シアウィンクスの日常は悪意に蹂躙されて脆くも崩れ去る。

 こうして始まった血に塗れた日々は、否応なく彼女の心に爪を立てる。

 積み重なる死が、嘆き呪う人の声が、ゆっくりとだが確実にシアウィンクス・ルシファーを壊していったのだ。

 

『誰か、助けて……』

 

 その涙に濡れた祈りを叶える者は遂に現れなかった。

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 

「半年前からあたし達は戦いを続けてる。けど、もう限界が来ているの」

 

 荒事を終えたルシファー城の一室でシアウィンクは静かにそう語った。

 全ては半年前、バアルがなんの脈絡もなしに旧ルシファー領の管理権とシアウィンクスの身柄を明け渡せと一方的な要求をしてきた事から始まった。

 廃れた旧魔王のルシファーと今も大王としての地位を維持するバアルでは武力も権力も比べ物になる筈もない。

 戦いで領内は荒れ果て、民から多くの死者も出た。なんとか持ち(こた)えているがルシファー側の戦力は徐々に削られ敗北は時間の問題だという。

 シアウィンクスはバアルの凶行を強く非難して周辺領土に助けを求めたが既にバアル側に懐柔されて孤立無援状態となり味方はいないとの事だ。                 

 

「だから無理をしてでも戦力を集めていた、ですか」

「うん」

 

 長い架台式テーブルのある部屋。

 その長椅子の一つで渚は負傷した腕の治療を受けていた。シアウィンクスが丁寧に包帯を巻いてくれる。

 その間にバアルの凶行を聞かされていた。

 ライザーの件もあり、バアルが碌でもないのを再認識する。かつて祝賀会の場でライザーに謝罪したサイラオーグという例外もいるが、やはり権力を持ったロクデナシの家と言う印象が強い。

 

「冥界では他の領土を侵略するのは日常茶飯事なんですか?」

「新政権に移っては禁止されてる。けど裏では大きな家が小さな家を取り込もうと手を回しているわ」

「禁止されてるなら新政権に訴え掛けるとかは?」

 

 シアウィンクスは首を振る。

 

「旧ルシファー領から新政権の本拠地まで遠すぎる。しかもあたしが相手をしてるのはバアルよ。その権力は現魔王に匹敵するの。バアルの問題に介入すれば政権に大きな軋轢が生まれる。だから魔王は絶対動かない、それが冥界全土の安定に繋がるから」

「魔王サーゼクスは良識のある人だと聞いた。なら……」

 

 面識こそないが、その妹であるリアスを知っているからこそ信頼できる情報だ。

 そんな渚の訴えに対してシアウィンクスの顔色は暗い。

 

「良識なんていう問題じゃない。あたしは悪魔を絶滅まで追い込んだ旧ルシファーの直系よ。今も多くの悪魔から憎悪されてる。そんなヤツに手を貸したら魔王サーゼクスの信頼は失われる。あなたはあたし達のために全てを捨ててくれるの? 出来もしないのに他人にソレを求めるのは傲慢よ」

 

 冷めた口調だが強い否定だった。

 確かに旧魔王の面々のやらかし具合は酷い。

 闇雲に戦争を続けた結果、悪魔を絶滅の間際まで追い詰めたのだ。種の存続すら無視して戦いを止めなかった旧魔王は戦犯とも言えるだろう。

 だからと言ってシアウィンクスに責任はないと渚は思う。寧ろ領民の為に身も心も磨り減らしている姿は上に立つ者として立派だ。

 

「それでも手紙は出しましょう。駄目かどうかは魔王が決める事です。シアウィンクスさんはルシファー領の責任者なんだから、まず領土の安全を考えないとダメなんだ」

「でも……」

「打てる手は打っておかないと後悔しますよ?」

 

 玉座に居た時はあんなにも覇気があったのに今は自信なさげに俯いているシアウィンクス。

 

「人を拉致する度胸はあるのになんで手紙を出す勇気がないんですか?」

「確率の問題。外部の人間である英雄を呼んだ方が手っとり早い」

「その英雄も使い潰すどころか直ぐに帰してますけどね」

 

 ギロリと睨むシアウィンクスだったが渚は真剣に見返す。彼女は色々と半端だ。領民を守りたいのは伝わってくるが折角の英雄召喚を上手く使えていない。

 迷いと躊躇(とまど)いを強く感じてならないのだ。渚の問い掛ける視線に観念したのか、シアウィンクスはポツポツと話し始めた。

 

「怖いのよ……。あたしの判断で人の命が左右されるのが凄く怖い。皆、あたしが冷静だと思ってるけど勘違いなのよ。無能だから何も出来ないから有能のフリをしてるだけなんだ。アルンフィルやルフェイが支えてくれるけどあたしの命令で皆が死んでいくのは辛い。本当なら逃げちゃいたいよ。……ごめん、今のは忘れて」

 

 恐怖に抗うように顔を俯かせるシアウィンクス。

 彼女は冷めた性格ではなく感情を押し込んでいるようだ。

 

「……もっかい、ごめん。やっぱ少しだけ(すが)らせて。ルシファー領の人には見せられないから、もう少しだけ」

 

 ポツリと小さな声で謝罪するシアウィンクス。

 見知らぬ他人だから弱味を見せられる彼女は(いびつ)だ。そう思いながらも何処か救いを求めて彷徨(さまよ)う手に触れる。

 安心したように肩の力を抜くシアウィンクス。

 本当は渚という戦力を自営に取り込みたいのだろう。

 無理強いをしないのは果たして罪悪感か、それとも優しさか。

 しばらく手に触れていたシアウィンクスだったが立ち上がると気まずそうに背中を向けた。

 

「あなた、ルフェイに似てる。こんな他人を受け入れてくれるトコとか。あの……ありがと」

 

 早足で出ていくシアウィンクス。

 彼女が戻ってこないのを確認して大きく息を吸う。

 

「はぁ〜〜」

 

 コトンと机に頭を乗せる。

 冥界のいざこざに巻き込まれるとは思わなかった。

 シアウィンクスの必死さを見る限りでは今もギリギリなのだろう。

 けれど参戦すべきかと言われれば『しない』が正解だ。

 相手は冥界72柱が筆頭のバアル家。

 ライザー曰く敵に回すのなら相応の覚悟が必要な相手であり、敵対者を容赦なく叩き潰す大王。

 そしてグレモリーと同じ新政権側の権力者。

 対するシアウィンクスは現政権の仇敵である旧魔王のトップだ。彼女自身が新政権をどうこうする様子はない。しかし旧ルシファーという肩書きがある以上は渚も慎重に決断せざるをえないのだ。

 仮に渚がバアルと戦って勝ったとしよう。

 

「そうしたらリアス先輩に何かしらの迷惑は掛かるのは確実か」

 

 渚がバアルと戦えば旧政権に味方し、新政権と敵対したとも捉えられる。

 身バレすればリアスの関与が疑われて、兄の魔王サーゼクス・ルシファーにも飛び火する。

 なら派手に動かなければ良いのでは? 

 なんて思うがシアウィンクスは戦力不足を補う為に強制召喚を行っていた。どう考えても渚の行き先は最前線だ。

 譲刃のいない渚では目立つなと言うのが無理な話である。

 

「……どうすっかなぁ」

 

 グルグルと良いアイディアがないか思案するが見つからない。

 

「何かお悩みですか?」

 

 急に声を掛けられて体を起こすとルフェイが立っていた。破かれた衣服は修繕されており、初めて会った時の魔法使いスタイルである。

 エルンストに酷い目に合わされたルフェイだったが気落ちした様子なく笑顔だった。

 その事に少し安堵する。あれは女の子だったらトラウマになりかねないと思ったからだ。

 ルフェイは渚に寄ってくると顔を覗き込んできた。

 心を解す不思議な目をする子だ。

 渚は正直に悩みを打ち明けることを選択する。

 

「俺がバアルと戦えば周りに迷惑を掛けそうなんだ。だからどうするか悩んでいる」

「相手はあのバアルですから仕方がないかと思います。しかし渚さまは悪魔の方に知り合いがいるのですね、しかも新政権側に。……違いますか?」

「正解だ。よく分かったな?」

「渚さまがここに召喚された時、微弱な魔力を纏っていましたから」

「お見通しだった訳か。ルフェイの言う通りだ、俺には親しい悪魔がいてその人はそれなりの地位がある。だから先を考えるならバアルと敵対するのは良くない。けどこのままっつのも性に合わないんだよ」

「──分かりました、付いてきて下さい」

 

 ルフェイが渚の手を取ると歩き始める。

 渚をグイグイと引っ張って行く。

 

「え、あ、る、ルフェイ?」

「かつての私みたいに渚さまも迷っている。だから全部見せます。それでどうするか決めてください」

 

 城を抜け、城下に広がる町へ連れて来られる。

 かつて賑やかだっただろう城下町は荒れに荒れ果てていた。全ての建物は焼け崩れ、道や壁には砕けた武器が煩雑しており、血の跡らしきモノも多く残っている。

 ここが戦場となったのが嫌でも分かってしまう。

 渚は顔をしかめる。町中に血と生き物の焼けた異臭が広がっていたからだ。

 最早、ただの領土争いではなく戦争にしか思えない。

 

「半年前は素晴らしい町だったとシアさまは言っていました」

「ここまで攻められてよく無事だったな……」

「とても優秀な家臣が頑張ってくれたそうです。でもこの戦闘で……」

「そうか」

 

 渚は自分の故郷がどんな場所だったか分からない。

 だがこの眼下の惨状は他人である自分の目からしても心に来るモノがある。

 

 ──ふと鎖の擦れる音が聞こえた。

 

 視界が急に灰色へ染まり、ノイズが入ったようにざらつく。

 瞬間、炎の燃え盛る世界が広がった。

 熱が頬を撫で、人々の悲鳴が木霊する。

 目の前で鮮血が舞う。

 虐殺を楽しむ兵が嗤い、逃げ惑う人々が断末魔の叫びを上げる。

 

 ──なんだこれは? 

 

 渚は突然に現れた惨劇の開幕に困惑して周囲を見渡す。

 小さな息子を抱き抱えて(うずくま)る母がいた。

 幼い娘を背に庇い立ち向かう父がいた。

 自らを囮に家族を逃がそうとする老人がいた。

 泣き叫びなから親を探す姉妹がいた。

 諦めて呆然気質な状態で立ち尽くす男性がいた。

 動かない恋人を引き摺って逃げようとする女性がいた。

 だが全て殺された。

 生を否定するように、死を強制するように、それがお前たちの運命だと促すように、ルシファー領の人々はバアルの兵に理不尽にも命を刈り取られて逝く。

 

『誰か助けて……』

 

 悲しみに満たされた小さな声が耳に届く。

 渚は釣られるように後ろを向くと、すぐ横を虚ろな目で涙を流したシアウィンクスが通り抜けた。その足取りはヨロヨロと殺戮の場の中心を目指していた。

 

『お願い、やめて。やめてください……』

 

 その身を斬るような嘆きに渚は我を取り戻す。

 すぐに炎の中へ行こうとするシアウィンクスを止める為、手を伸ばした。しかし手が届く前に熱風が吹き荒れる。眼球が乾き、一瞬目を閉ざしてしまう。

 そして再び目を開けると熱は無くなり、炎と人々も消え去って元の廃墟が広がる街並みに戻っていた。

 

「……幻覚?」

 

 熱さを感じていた頬を撫でる。

 赤く染まった世界に理解が追い付かない渚。白昼夢でも見た気分だった。

 

「今のは……なん、なんだ?」

『疑問に答える。あれは魔力の残留思念による映像』

「(ティス、今の現象がわかるのか?)」

『ナギサは目覚める前に"黄昏"に会っている。その時にパスを繋がれて影響が出た。アレは"喰らい尽くす者(ヴォア・アエテルヌス)"を所持している分霊であり、霊質、物質を関係無しに糧にする。渚は今、無意識に残留する魔力を記憶ごと取り込んでいた』

「(分霊? あの鎖で繋がれた女性か。あの人と繋がったからボアなんたらとかいうヤバそうな力を使った、ていう解釈でいいのか?)」

『概ね正解。アレは全てを喰らい成長する、好きにさせれば人智を越えた怪物となって危険。今後は私が止めておく』

「(頼んだ。流石にそんな力を垂れ流すのは不味い予感しかしない)」

 

 どうやら知らずに"喰らい尽くす者(ヴォア・アエテルヌス)"とやらを使っていたようだ。

 つまり今見たのはここに残留していた死者達の記憶。

 あんな地獄が繰り広げられていたと言うことになる。

 英雄を求めるのも無理ないか。

 

「渚さま?」

 

 ルフェイが横から心配そうに声を掛けてきた。

 渚は色々見ていたがルフェイからしたら、ずっと黙り込んでいたようにしか映らなかったのだろう。

 流石に魔力の残留吸って幻覚を見てましたとは言えない。それではまるで変なクスリをキめてるヤバいヤツである。

 

「大丈夫。酷い有り様だったから少し呆然としただけだ」

「そうですね。ここが戦場になったとき、私は何も出来ませんでした。沢山の人が亡くなっています。本当に酷い戦いでした」

「ルフェイも戦ったのか?」

「ここがこうなったのは3週間ぐらい前です」

 

 確かルフェイが来たのは1ヶ月前と言っていた。

 ならばこの惨状が出来る有り様を見ていたのだろう。

 何処か陰鬱な雰囲気が(ただよ)い、二人は黙り込む。

 

「あの時ほど無力な自分を呪ったことはありませんでした」

 

 ルフェイの言葉に渚は何も言えなかった。

 この町並みを目の当たりにして気の利いた声を掛けられない自分を情けなく感じた。

 

「次に行きましょう」

「……あぁ」

 

 ルフェイが弱々しい笑みを浮かべると歩き出した。

 渚はその小さな背に付いていく。

 今度は兵舎のある場所へ連れて来られた。

 ルフェイに連れられ入った瞬間、大声が響く。

 

「放せ! バアルのやつが玉座に乗り込んで来やがった以上はお嬢を直接護衛せにゃ気がすまん!」

 

 包帯だらけの壮年の男性が甲冑をガシャガシャと鳴らしながら暴れていた。それを部下らしき若者たちが抑えている。

 

「カルクス兵士長、動かないで。重症なんだからベッドに戻って下さい!」

「あーもう、包帯も変えなきゃいけないのに。いい加減鎧は脱いでください!」

「やかましい! いつバアルが来るか分からんのだ、休んでなどいられんわ!」

 

 ドタバタとする兵士たちだったが全員が傷だらけだ。

 中には四肢が欠損しているモノもいる。

 そんな兵士たちに抑えられたカルクスと呼ばれた男性が渚たちに気づく。

 

「ルフェイ嬢か。どうした、こんな場所に……ってそっちの小僧は誰だ?」

「私のお友達の蒼井 渚さまです。どうやら私の行方を探してくれていたみたいで遠路遥々来てくださったんです」

 

 ルフェイが嘘を吐いた。

 渚がシアウィンクスに招かれた事を隠してくれたのだ。

 正直に言えば彼らは渚に期待するし未だ立ち位置を決めかねている渚とて困る。ルフェイの気遣いに感謝する。

 

「渚です、よろしく」

「あーカルクスだ。一応、兵士長をやってる。しかし、こんなご時世によくここまで来れたもんだ」

 

 感心した様子のカルクス。

 幾つか言葉を交わすと急に真面目な顔をして両膝を突く。そして床に頭を擦り付けた。いきなりの行動に渚は勿論、ルフェイも驚く。

 

「頼む! ルフェイ嬢を連れて行かねぇでくれぃ! 今のこの人に抜けられたらお嬢の拠り所が無くなっちまう!」

「ちょ、カルクスさん!?」

「分かるぜ、あんたにとってルフェイ嬢は恋人なんだろ? じゃなきゃこんな場所まで来ねぇさ! だが恥を忍んで頼む! 俺たちが不甲斐ないばかりにお嬢は強ぇ人間を集めてる。その中でもルフェイ嬢は特別なんだ! 力だけじゃなくて心も支えてくれたからお嬢は折れてない。お嬢、いやルシファー領にはルフェイ嬢が必要なんだ!!」

 

 床を砕かんばかりの土下座である。しかも妙な勘違いをしているらしく渚は慌てた。

 

「とりあえず立ってください!」

「いんや、いい返事貰えるまで立たねぃ!」

 

 渚はカルクスを掴むと立たせようとするが頑なに動こうとしない。シアウィンクスにとってルフェイは必要不可欠な存在なのはよく分かった。

 困り果てる渚だったが奥からズカズカとメイド服を着た初老の女性が現れる。片目を包帯で隠した老メイドはカルクスの頭をどつく。

 

「いい加減するさね、バカちん!」

「あだぁ! 何するクル婆ぁ!!」

「頭を下げる暇があるなら治療しな」

「しかしだなぁ!」

「だまらっしゃい! 連れていきな」

「おい、待てよ、おめぇら、まだ話は……あいたたた!」

 

 若い兵士に引きずられていくカルクス。パワフルな御仁だと呆れる渚。

 

「悪かったね。あいつはどうもシアウィンクス様の事になると回りが見えない悪癖があるんだよ。あたしゃククルっていう。こんなババァだがよろしくね」

「渚です。こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 渚が会釈するとククルは片方しかない目を優しげに細めた。渚は彼女の片目に巻かれた包帯に目をやる。その視線に気付いたのか、笑みを浮かべながらトントンと包帯を指差す。

 

「前の戦いでね、ドジを踏んで潰れたのさ。ま、もう片方あるし問題ないさね」

 

 ふふん、と腕を組んだククルに後悔はなく名誉の負傷と言いたげに胸を張っていた。だがその顔に小さな陰りが出来る。

 

「シアウィンクス様は元気かね、ルフェイちゃん」

「元気……ではないですね」

「そうかい。城からは出てくる様子は?」

「ありません。皆さんに合わせる顔がないと……」

「こうなったことを誰も後悔しちゃいないのに責任を感じるなんてね」

「責任とは?」

 

 沈痛そうなククルに渚は尋ねた。

 ククルは言うか迷っている様子だ。そんなククルにルフェイが手を置いて無言で頷く。

 やれやれと前置きした後に喋り出す。

 

「侵攻中にシアウィンクス様はね、一度だけバアルと和平交渉をしたのさ。その時、付き添ったのは私とカルクス、ここにはいないがアルンフィルっつうシアウィンクス様の姉のような子だった。バアルは存外あっさり交渉の席に着いたよ。こっちは明らかに劣勢だから出来る限りの条件は呑むつもりだった」

 

 ククルの片方しかない目が鋭くなる。

 その目に映すは怒りだった。

 渚はその感情を受けながら黙って先を聞く。

 

「そん時の大将はガイナンゼっていうバアルの次男坊だった。奴は交渉が始まるなり、シアウィンクス様を見てこう言ったのさ。"私のモノになれ"ってね」

 

 確かにシアウィンクスは見目麗しい。ガイナンゼという悪魔が欲しがる理由も分からなくはない。

 

「その要求は折り込み済みだった。私たちは反対したがバアルは元々シアウィンクス様を欲しがっていたからね。だからシアウィンクス様はソレと民の安全で手を打とうとした。だがね、奴は表情一つ変えずにこう言ったんだよ。"まずはお前が私の物であるとルシファー領に知らしめるため、民の前で犬のように犯して孕ませる"ってね。最初は何を言ったのか理解が出来なかったよ」

 

 ギリッて奥歯を噛む音が聞こえた。

 余程、許せなかったんだろ。ククルが怒りで全身を震わせている。

 渚とて何を言っているのか理解出来なかった。

 

「奴は本気だったよ。あの目は、人を物でも見るようなソレだったのさ。思い出すだけで殺したくなる」

「それでシアウィンクスさんは断ったんですね」

「違うよ。その言葉を聞いてアルンフィルがキレたのさ。それはすごかったよ、あの子はいつもは大人しいけど怒ると怖くてね。シアウィンクス様が止めなきゃガイナンゼを殺していたね」

「こう言ってはアレですが、殺せるなら殺してしまった方が良かったのでは?」

 

 そんな外道は死んでしまっても良いんじゃないかと思う。

 

「そうもいかなかった。こちらから交渉を(うなが)して相手を殺せば完全に悪者になる。バアルはソレをダシにして魔王すらも動かすやもしれん。あの場は怒りを噛み殺しての撤退が正解さね。ただこれを機にバアルの侵攻がより残虐になった。主要都市だけじゃなく小さな村も容赦なく襲い始めたのさ。死体はわざと見せしめに並べられた。……シアウィンクス様は後悔してんだよ。あの時、自分を(ささ)げなかった事にね。ホントにバカな娘だよ」

 

 それから渚はククルと少し話をして兵舎を出た。最後に「シアウィンクス様を頼むよ」なんてルフェイに言っていた。家臣たちは傷付く姿を見せてはシアウィンクスが耐えきれなくなると判断して会うのは遠慮しているとの事だ。渚は思うこともあったが、深い付き合いの人達がそう判断したのだ。部外者が口を出すべきではないだろう。

 渚は妙な()(たま)れなさを感じながら無言で歩く。ルフェイも黙って付いてくる。

 

「和平の話、知ってたのか?」

 

 小さく頷くルフェイ。

 

「私が来たばかりの時点でシアさまの周りは戦いと死で溢れていました。しかも勝敗など決まり切っていた争いです。双方の戦力比は(およ)そ1対10000。だから詰め寄ったんです。どうして無駄に命を消費する戦いをするのかって……」

「そうか」

 

 聡明な子だからシアウィンクスに直訴したんだろう。渚だって状況だけを見れば止めたかもしれない。

 ルフェイの歩みが遅くなっていたのに気づく。やがてその足が前に出なくなった。

 渚は後ろを向いてルフェイに歩み寄る。

 ルフェイは唇を強く噛んで、とても後悔していた。

 

「──泣かれました。何度も謝られて、とても辛そうに話されたんです。本当に馬鹿なことをしたと思っています」

 

 顔を歪ませるルフェイ。全身を震わせて自責に耐えていた。余程シアウィンクスの姿が心に残っているのだろう。

 

「そうだな」

 

 酷い話だ、もう全てが酷い。

 責任感に潰されながら戦い続けるシアウィンクスも酷い。

 重症で死ぬまで戦おうとするカルクスも酷い。

 シアウィンクスを案じ過ぎて会いに行かないククルも酷い。

 自己嫌悪に囚われて、いつまでも協力を惜しまないルフェイも酷い。

 誰もが優しすぎて自分の首を絞めているのが酷い。

 けど一番酷いのは、ここまで事情を聞いても手を差し伸べない自分だ。

 決断しようとすれば、リアス、一誠、アーシア、小猫、祐斗、朱乃の顔が浮かぶ。

 

 ──でも少しぐらいなら……。

 

 そう考える。シアウィンクスと打ち合わせして最小限の動きで最大の成果を出せば或いはなんとかなるかもしれない。

 

『否定。この領土は終わっている、助けられない』

「(ティス)」

『既に本拠地が壊滅。兵力も著しく損耗、兵糧も少なく、援軍もなく周囲は敵だらけ。現状、降伏か壊滅かの二択しかない』

「(降伏か。仮にもしたらこの領土はどうなる)」

『情報を統合した結果、シアウィンクス・ルシファー以外の民が助かる可能性は2.7%。高確率で根絶やしにされると判断』

「(それでは降伏する意味がない)」

 

 今のルシファー領土は詰んでいる。これを覆すのは難しい。権力を黙らせ、数を物ともしない力が必要だからだ。話し合いが無理な以上は圧倒的な暴力などがあれば……。

 

『ナギサ、ここを出ることを推奨する』

 

 急にピスティスがそんな提案を口した。

 

『ここは死のニオイが濃すぎる。長居すべきじゃない。悪い影響が出る』

「(悪い影響?)」

『"黄昏"の分霊が檻から出る状況になりかねない。あれは死を好む獣、ここは餌場として場が整い過ぎている』

「(そんなに危なそうには見えなかったけどな)」

『……変質して知的になったのは認める。しかし──』

「(分かった。ティスが言うなら気を付ける。彼女が何かしようとしたら言ってくれ。一緒に解決しよう)」

『私を信じる?』

「(当然。今まで助けられたんだ、ティスがヤバいと言うんなら警戒はする。……けどここを直ぐに離れるっていうのはナシだ。わがまま言って悪い)」

 

渚がピスティスに謝罪する。すると僅かながらも熱のある感情の波が伝わってきた。

 

『……いい。ナギサの指示に従うのが私の使命。分霊が勝手をしないように抑えるのも不可能じゃない。だからナギサは私を信頼してくれればそれでいい。仮にシアウィンクス・ルシファーと共に戦う選択をしても問題はない。いざとなれば私が"蒼 獄 界 炉(クァエルレース・ケントルム)"を開放して、ありとあらゆる敵を撃滅して見せる。ナギサが望むのならば幾らでも力を与えるのが役目、遠慮は無礼と理解して欲しい。ナギサが苦慮するバアルの"滅び"など所詮は魔力の突然変異であり霊氣にも及ばない派生。真なる霊威による本当の力を理解させてやるには丁度良い機会と判断する』

「お、おう」

 

 凄い早口で淡々と言葉を並べるピスティスに怯む。こんなに連続で彼女の声を聞いたのは初めてかもしれない。若干、様子がおかしいピスティスだが協力的なので良しとしておく。

 

「1対10000の戦力差か。……ステアがいれば何らかのアイディアくれるんだけど俺の頭じゃ普通に勝てるが気がしねぇよ」

 

 負けが当然。

 だからルシファーは助けを求めているのだ。助けたいとは思う。放置するのも後味が悪い。

 だがどうしてもグレモリーと天秤に掛けてしまう。それらを失ってでも助ける価値はあるのか……と。

 渚は決断出来ない事に足を重くしながら城へ戻るのだった。

 





誤字を修正しました。

ガイナンゼの一人称を『俺』から『私』に変更しました。


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自責の果て《Crybaby》


誤字を修正しました。



 

 シアウィンクスはふと目を覚ます。気づかぬ内に少しだけ寝てしまったようだ。

 突っ伏していた机から体を起こす。窓からは月明かりが射していた。

 憂鬱(ゆううつ)な気持ちを(かか)えながら立ち上がる。

 

「このまま次の戦いが始まったら間違いなく全滅か」

 

 こちら側には、もうマトモな戦力はない。

 主力だったククルやカルクスは負傷、アルンフィルは戦闘不能、他の家臣も疲弊しきっている。ルフェイは有能だが戦闘が得意な訳じゃない。

 打てる手どころか戦いに出せるカードすらないのだ。

 降参は出来ない。最早、バアルはシアウィンクスの全てを捧げても止まらないだろう。

 死ぬ、絶対に死ぬ。

 自分の誤った判断で民や兵が皆殺しにされる。

 

「……うッ」

 

 胃から競り上がるモノを意識したシアウィンクスは耐え切れず床にぶちまけた。

 

「げほ、けほ、あぁやっちゃった。ルフェイに気づかれる前に片付けないと……」

 

 シアウィンクスは慣れた手際で吐瀉物(としゃぶつ)を片付け始める。

 頭がガンガンする。喉も焼けるように熱い。お腹の中が気持ち悪くて息も苦しい。

 全身を襲う苦痛に震えながら耐える。

 

「このまま死ねば楽になれるのかな……」

 

 目頭が熱くなり視界が(にじ)む。

 責任感に追い立てられた惨めな自分が情けなく感じる。

 シアウィンクスは忌々しいと言わんばかりに目尻に溜まる水を乱暴に拭くが次々と(あふ)れてくる。

 泣くな、泣いた所で何も解決しない! あたしはルシファーの代表なんだ! 

 必死に言い聞かせながら自分を追い詰める。

 まだやれる事を探さなければと己を奮い立たせた。

 

「今度こそ上手くやるのよ、シアウィンクス」

 

 シアウィンクスは決意を胸に頼りない足取りで部屋を出る。

 

 

 

 

 ◯●

 

 

 

 

 (あて)がわれた部屋のベッドに寝転ぶ渚。

 見慣れない天井を眺めながら、これからどうするかを悩んでいた。

 恩人であるグレモリーを無視してバアルと戦うか否かを……。バアルの容赦なさを知っている渚はあまり乗り気になれない。

 自分一人なら良い。

 だが誰かに迷惑を掛けるとなれば話は変わってくる。

 

「……でも」

 

 それで良いのか、自分の中の何かが問うてくる。

 ルフェイは今のルシファー領土の有り様に心を痛めて味方した。英雄の血筋なだけはある誇り高い選択だ。

 

「俺の手は小さいなぁ」

 

 手を顔の前に翳す。

 渚は英雄ではない。多少の力はあるが中身は一般的な感性しか持たない学生である。

 渚にとって今の仲間たち以上に大切なものはない。

 ならばどうして、こんなにも揺れてしまうのだろうか。

 

 コンコン。

 

 部屋のドアが遠慮がちに叩かれる。

 こんな時間に誰だ? 

 渚はルフェイかと思いながらもドアを開く。

 目の前にいたのはネグリジェ姿のシアウィンクスだった。風呂でも入ってきたのか、髪がほんのり濡れており、頬も蒸気させている。

 

「シアウィンクスさん?」

「遅くにごめん、少し話したい」

「それは構いませんが……」 

 

 渚は取り敢えずシアウィンクスを部屋に招いた。

 シアウィンクスはベッドに進むと腰を落とす。

 そして自分の隣をポンポンと叩いた。

 

「こっち、座って」

「はぁ」

 

 意図が分からないので渚は大人しく従う。

 隣り合う二人。

 

「(ち、近いな)」

 

 シアウィンクスからいい匂いが漂ってくる。隣に座ったことを後悔する渚。どこか色気のある風呂上がりの美少女に心臓が高鳴ってしまう。

 しかし平静を装いシアウィンクスに目を向ける。

 

「それで用件は?」

「……やっぱりあなたの力を貸してほしい」

「バアルと戦えと?」

「あたしたちが生き残るには、あなたの力が必要なの。もうそれしか方法がない。……もちろん、ただなんて都合の良いことは言わないわ」

 

 シアウィンクスが渚の前に立ち、ネグリジェを脱ぎ捨てるとショーツだけの姿になる。

 露になる白い体は月明かりに照らされて幻想的にまでに魅力的だ。慎ましくも自己主張する双丘に、引き締まった腹、足だって細くしなやかだ。

 一種の芸術品とも言える美は男性を惑わす魔性を放っているが、その持ち主は顔を真っ赤にして俯き、胸とショーツを隠していた。

 

「な、なにを!?」

「……対価よ」

 

 声を震わせながらもシアウィンクスは渚に詰め寄るとベッドに押し倒す。銀白の髪が渚を撫でる。正面にはルビー色の瞳が渚を無感情に見下ろしていた。

 

「あたしを好きにしていい。メチャクチャしてもらっても構わない。前に望むものを与えるって言った、アレはあたしの体も含まれてる。なんだってする。だから……」

 

 ──だから助けてください。

 

「……っ」

 

 無表情だったシアウィンクスの顔が歪み、ポロポロと涙を流す。その滴が渚の頬に当たる。

 

「お願い、お願いします。助けて……あたしの全部をあげます。だから、だからどうか……」

 

 泣き落とし……なんて生易しい物じゃない。彼女からは後悔、懺悔、嘆き、哀愁、あらゆる悲哀が伝わってくる。

 その細い体は小さく震えていた。こんなこと本当はしたくないのだろう。

 全てはルシファー領の為に……。

 かつてバアルに自分を捧げなかった自分を罰するように渚へ全てを捧げようとしている。

 

「シアウィンクスさん」

 

 渚は彼女の肩に触れる。

 ビクリ、と体を反応させるシアウィンクスに苦笑した。怖がりながらも頑張った彼女を座らせる。

 そして決意する。

 

「──助けるよ」

「ほ、ほんと?」

「あぁもう決めた」

 

 返事は自然と口から出た。

 シアウィンクスはずっと耐えてきたのだ。多くを殺し、多くを死なせた重責に……。

 一見して冷めた性格に見えるが、どうも性根は真面目すぎる。言動の端々から精神がズタズタなのが分かってしまった。彼女が今も(こぼ)している涙は心が流す血と同様なのだ。

 もういい加減に腹を括る。

 泣き虫な彼女が泣かなくていい様になる程度の力は貸そう。そんな考えになるくらい彼女の涙は渚の心を動かした。

 涙は女の武器なんて言うがその通りだ。渚は思い知らされながらも悪い気はしない。寧ろモヤモヤが晴れる気持ちだった。

 

「俺はバアルと戦うよ」

 

 渚の言葉を聞いたシアウィンクスは目にいっぱいの涙を溜めると手で拭いた。

 そしてベッドの上で姿勢を整えるや深々と頭を下げた。

 

「……ありがとうございます」

 

 色々と忙しくなりそうだ。

 渚は明日からの事を考えて寝ることにした。

 シアウィンクスも協力を得られると分かったなら部屋に戻るだろう。

 そう考えていたが、顔をあげたシアウィンクスは四つん這いで渚に近寄るとズボンに手を伸ばして脱がそうとする。

 

「え、ちょ、な、なに?」

「その、奉仕を……、助けてもらうから。あの、あたし、経験ないから気持ち良くないかもしれない。けど、好きに、シて? 乱暴にされても頑張るから」

 

 この娘、なんでまだ抱かれようとしてるの!? 

 今、助けるって言ったのにまだ何か求めてるのか? 

 お願いだから、もう許して欲しい。流石にこれ以上は理性が炸裂する。

 ガリガリと削れる理性を総動員して言葉を選ぶ。

 

「最初ってのは大事なものだと俺は思うんです。だからそんな風にシていいものじゃない。少なくとも俺は怖がってる人にスるのは嫌だ」

 

 渚の言葉にシアウィンクスの手が止まる。

 

「あたしって魅力ない?」

「ある。こんなキレイな子と出来るのは興奮する。でも初めてはお互いが想い合ってがいい。シアウィンクスさんを抱かないのは俺の勝手な我が儘です」

「渚って童貞なの?」

 

 グサリと鋭い言葉を刺してくるシアウィンクス。

「おぐぇ!」と内心で吐血、心が瀕死の重傷を負う。

 記憶がないからハッキリとは言えないが多分そうだと思う。しかしなんか情けない事を暴露した気分だ。

 

「わ、悪いか?」

「別に。そんな変な顔しなくてもいいよ、あたしも処女だし」

「とにかく、そんなことしなくても俺はシアウィンクスさんに協力しますから」

「……ホントにいいの? あたし、頑張るよ?」

「傷心の女性に乱暴するほど落ちてないですよ」

 

 渚はシアウィンクスに服を着せる。

 そして部屋に送ろうとするが断られた。

 代わりに手を取られる。

 

「シアウィンクスさん?」

「ルフェイのように喋って欲しい。少し距離を感じるから」

 

 寂しそうに言うシアウィンクスに渚は肯首する。

 

「わかった、シアウィンクスさん」

「……シア」

「ん?」

「長いからシアでいい」

「了解だ、シア。それじゃおやすみ」

「……うん」

 

 返事とは裏腹に立ち去ろうとしないシアウィンクス。

 渚が首を傾げているとシアウィンクスに握られていた手が引っ張られた。

 

 ──むにゅん。

 

 恐ろしく柔らかいものに手が包まれた。

 あまりの触り心地に渚は呆気に取られる。

 

「……んっ。こ、これはお礼。男の人はこーいうのが好きって見たから。じゃまた明日……!!」

 

 手を離すと小走りで去っていくシアウィンクス。

 渚は未だ残る胸の感触に顔を真っ赤にする。

 シアウィンクスの勇気ある行動に、完全にスイッチが入る渚。健全な青少年は完全に魔王に拐かされていた。

 

「な、なんつう奴だ……」

 

 流石は魔王の血筋、まさに魔性だと想い知らされる。

 もはや煩悩に悩まされて眠気など消し飛んでいた。

 

「惜しい事をしたかな。……いや、あんな悲壮感たっぷりで来られたら互いのためにならんか」

 

 そんな言い訳めいたことを呟きながらベッドにダイブするも、結局悶々としたまま朝まで眠れない渚であった。

 

 

 

 

 ◯●

 

 

 

 

 空が明るくなってから少し経つ。

 窓から見える空は地球とは違う紫色だ。

 別世界に来たんだと感慨深いものを感じながら渚は身の内に声を向ける。

 

「ティス、いるな?」

 

 ピスティスに問い掛ける。いつもは魂の座とか言う渚の奥深くにいる彼女なのだが、エルンストとの戦いから浅い表層と言えばいいのか、とにかく近い場所にいた。

 彼女なりに今の渚の状況を心配して気を張っているように思える。悪いと思うが、強く意識して呼ばなくて良いので有難くもある。

 

『いる』

 

 淡白な返答はいつもの事だから気にしないで渚は続けた。

 

「知ってるかもしれないけど、ここの陣営で戦う事にした。けど俺は戦闘は出来ても戦術はからっきしだ、知恵を貸してほしい」

 

 ピスティスは恐らく戦術の心得がある。

 ルシファー領の状態から兵力や兵糧なども見抜き、撤退を推奨した。例えそうでなくとも、とんちんかんな自分よりは絶対にマシだ。

 

『了解。勝利条件と敗北条件の提示を願う』 

 

 渚の期待にピスティスは即答した。なんとも頼れる幼女である。

 しかし勝利条件と敗北条件か。

 渚は頭を悩ませる。

 敗北はルシファー領の壊滅だと思ったが、既に首都であるここが半ば終わっている。言ってしまえば勝利は絶対にない。

 

暫定的(ざんていてき)なやつでいいか?」

『構わない。けれど状況から考えるに必ず死者は出る、味方全ての生存は不可能だと断言する』

 

 それは一瞬だけ考えた。けどすぐに諦めた勝利条件だ。戦争をするんだから人は死ぬ。全てを救えるほど渚は万能じゃないし、(おご)ってもいないつもりだ。

 

「……優先順位を付ける。第一がシアウィンクスとルフェイ。第二が非戦闘員、第三が戦闘員の生存。最悪、シアウィンクスとルフェイが助かれば勝利にする」

 

 そう言っている自分に胸クソ悪くなる。けれどこれはハッキリと線引きしなければダメだ。欲張れば全て失うのだから……。

 

『その条件を前提に戦術を組む。しかし最初にやらなければならない事がある』

「シアのケアだろ? トップが家臣を避けるなんておかしいからな」

『肯定。あの者の精神は非常に不安定だと推測する。元より争い事に向かない人格なのを考慮しても改善すべき』

「戦いには出てるから勇気はあるんだよな。ただその結果で誰かが傷付いたり死んだりしたら自責を募らせるタイプだ」

『その自己否定的な精神は改めるべき』

「本人次第だろ、それ。とにかくシアの自責癖を治すとこから始めるかな」

 

 渚が部屋から出ると、丁度ルフェイがやってきた。

 どうやら朝ごはんの誘いに来てくれたようだ。

 渚はルフェイのお誘いに乗って一緒に朝食を取ることにした。

 ショボショボする目を擦る。寝不足だが慣れているから問題はない。トロトロと廊下を歩く渚にルフェイが一瞬だけ何か言おうとするが直ぐに前を向いた。

 

「どした?」

「シアさまから渚さまが共に戦ってくれると聞きました」

「もう聞いたのか。まぁこれからよろしく」

 

 渚が手を差し出す。

 彼女の性格なら笑って握り返してくると思った。

 しかしルフェイは渚の手を見つめるや真剣な顔をした。

 

「申し訳ありません、渚さま。実は私はこうなると予想していたんです」

「ん?」

「渚さまが情に厚い人なのは玉座の戦いで分かっていました。だからルシファー領の状況を見せて味方をしてくれるように誘導したのです。……けれどこれは私の独断でシアさまは関係ありません」

 

 渚の次の言葉を待っているようだ。

 まさか怒られると思っているのだろうか? 

 渚は差し出した手を小さく震わせる。

 

「手が寂しいんだけど?」

「あ、ごめんなさい」

 

 少し慌てた様子で放置していた手を取る。

 握手完了だ。

 

「よしよし、じゃあこれからは仲間な」

「ふぇ?」

 

 してやったりと笑う渚。呆気に取られるルフェイ。

 

「変に気に病む事もない。俺が戦うのはルフェイとシアウィンクスのためだけじゃないんだ。この事を見て見ぬ振りをしたら傷になる。そんなの痛みを背負うのはゴメンだ。だから全部俺の為でしかない」

 

 どうせ帰れないのだ、出来ることをやろうと今は決めている。ルフェイとシアウィンクスの転移陣を壊した負い目もある。二人を助けるのは少しでも自分の罪悪感を払拭する為の代替行為だ。

 

「バアルとは戦いたくないんですよね?」

「もうエルンストに睨まれてるから今更だ。バアルのやり方は気に入らないし、知り合いも酷い目に逢わされた。そんな奴らの顔色を窺うのはやめる」

「……そうですか」

 

 目を伏せるルフェイ。

 どうやら完全に渚を巻き込んだと思っている。確かに最初はそうだったが戦うと決めたのは渚の意思だ。

 この娘もシアウィンクスに劣らず真面目で優しすぎる。

 渚はルフェイの両頬を引っ張る。もちろん軽くだ。

 

「にゃぎしゃしゃま?」

「さっきみたいに笑え~、とにかく笑え~」

 

 彼女は笑っている顔が一番だ。渚は塗り固まったルフェイの感情を(ほぐ)すように頬を(もてあそ)ぶ。

 

「にゃ、にゃにお」

「はは、面白い顔」

「ひ、ひろいれひゅ〜」

「知らなかったのか、俺は割りと酷い人間だぞ?」

「うぅ~、お兄さまにもされたことないのに」

「そんな顔をするルフェイが悪いな」

 

 不満げなルフェイを解放してやる。

 

「ぬぅ〜」

「ルフェイ、二人でシアを助けような」

「あ……。はい!!」

 

 渚の言葉にポカーンとするが強く頷いた。

 そこからいつものルフェイに戻ってくれたので世間話に花を咲かせながら渚は朝食が並べられた部屋にお邪魔した。

 昨日の今日でどんな顔でシアウィンクスと会おうかと考える渚。

 

「来たの」

 

 渚が来ても気にした様子なく料理を並べるシアウィンクス。一切こちらを見ないで次々と料理の乗った皿を配膳する。妙に手慣れている動きのシアウィンクスを目で追う。そこでシアウィンクスがエプロンを身に付けていると気づく。

 

「もしかしてシアが作ったのか?」

「そうよ」

 

 やはり目を合わせないで答える。

 なんか怒ってるのかとルフェイに目で訪ねるが何故か苦笑していた。

 

「座りましょうか」

 

 ルフェイに促され、席に着いた。香ばしいパンの匂いがする。バスケットに入ったパンは焼き立てなのか、湯気が出ていた。その他にはスープやスクランブルエッグ、サラダなど正に朝ごはんという顔触れだ。シンプルだがどれも旨そうだ。

 

「これ、あなたの」

 

 エプロン姿のシアウィンクスが置いたのはローストビーフのような食べ物だ。シアウィンクスやルフェイにはない料理。

 

「二人の分は?」

「歓迎の品だと思って」

「ありがとう」

 

 シアウィンクスの横顔に素直に礼を言う。

 料理を配り終えたシアウィンクスも席に座った。

 渚は両手を当てて「いただきます」と呟く。

 

「それ知ってる、日本の儀式でしょ」

「儀式ってほどのもんじゃないよ」

「そ。『いただきます』」

 

 シアウィンクスが渚に合わせて食事を取り始めた。

 ルフェイも真似をするとシアウィンクスを見た。

 

「……なに?」

「いえいえ、とても楽しそうで嬉しいです」

 

 楽しそうか? 

 渚はシアウィンクスの横顔を覗くが冷めた態度で黙々と食事していた。

 渚は会話のない食卓に居心地が悪くなり話題を探す。

 

「シア」

「……なに?」

「美味しいよ」

 

 コミュニケーションを始めるため絞り出すように料理を褒めた。無論、嘘は入ってない。本当に美味い。

 渚がシアウィンクスの返答を待つと彼女は小刻みに震える。

 

「……黙って食べられないの? バカなの?」

 

 顔を真っ赤にして睨まれる。

 なんか凄い怒っていた。昨日の夜に見せたしおらしさは何処かに置いてきてしまったようだ。

 とにかくシアウィンクスはマナーに厳しいと脳内にインプットした。

 ルフェイがクスクス笑っている。

 そんなに笑わなくても……。

 怒られた渚は少ししょぼくれた。

 ひたすらに渚と目を合わさないシアウィンクスと終始機嫌の良さそうなルフェイに挟まれて食事を済ませる。

 食器などの片付けは3人でやった。

 

「さてとシア。現状を詳しく聞かせてくれるか?」

 

 渚はテーブルの席に着いて尋ねた。

 ティスの予測では兵糧なし兵力なし陣地は崩壊寸前という三大苦らしいが、やはり本人からも聞いておかなければならない。

 ルフェイもシアウィンクスの言葉を待っている。

 

「戦える人数は300よ、食料もあと2週間で尽きる。首都の防衛機能も陥落して使えない」

「なるほどな」

 

 概ねティスの予想通りだ。

 

「シア、兵士以外の人はどこにいるんだ?」

 

 渚は首都に住む人々を一切見ていない。兵士は沢山いたが民間人らしき人が見当たらないのだ。

 皆殺しにあった可能性もあるがシアウィンクスの性格から逃がしていると渚は考える。

 

「首都から東に行ったところに"ルオゾール大森林"と呼ばれる場所がある。民間人はそこへ避難させてる」

「敵に見つかる可能性は?」

「大丈夫だと思う。あそこは冥界で最も古い樹海で普通は誰も近づかない」

「バアルでもか?」

「あの樹海は強力な魔力スポットだから生息する魔物は強力なのが多い。最上級悪魔でも命を落とすわ」

「またすごい場所を選んだな」

「特殊な結界を張る魔具を使ってるし、奥には近づかないように厳命してある。でも出来るだけ早くに出したい、凄く危ないから」

 

 100%安全な訳ではないとシアウィンクスの態度が表している。なら早速、行動するべきだ。

 椅子から立ち上がり、シアウィンクスに近づく。いきなり寄って来た渚に落ち着きを無くす。

 

「……な、なに?」

 

 そわそわとしながらも目を合わせず言う。

 なんで視線を横に逸らすのだろうか。まぁ多分、昨日の事が尾を引いているのだ。クールなくせに初心(うぶ)過ぎるだろ、この魔王様……。

 こうまで、あからさまだと渚の方が引っ張らなくては……と思ってしまう。

 状況も切迫している。次に襲われたら終わりと言っても過言じゃない。バアルが攻めてくる前に動かないと不味い。渚は予想し得る最悪を回避するために遠慮というのを捨てる決意をした。

 

「行こうか」

「あ、ちょ、手を……!」

「ルフェイも」

「……あ、分かりました!」

 

 察したようにルフェイも立ち上がった。

 渚はシアウィンクスの手を取って大股で歩く。戸惑うシアウィンクスは小走りだ。

 

「ね、ねぇ、どこ行くの? それと手を」

「兵舎だ。カルクスさんとククルさんも含めて、これからどうするか話し合う」

 

 シアウィンクスが真っ青になる。

 カルクスとククルに会わせる顔がないと言いたげだが遠慮はしてやらない。既に詰みの状態に片足を突っ込んでいる。いい加減にトップであるシアウィンクスにはちゃんとしてもらう。

 

「待って。あたしは戦術に疎い、だから必要──」

「ある。昨日、兵舎を尋ねた時に確信した。兵の士気はまだまだ高い。それはあの人たちにとってシアウィンクス・ルシファーが命を懸けて戦えるほどに大事だからだ。だからきっと良い鼓舞(こぶ)にもなる」

「う、ウソ……。あたしは我が身の可愛さにバアルの要求を突っぱねた臆病者よ、大事なんて思うはずがない」

 

 まるで信じられないと言いたげだ。

 

「だから戦い以外の時は城に引き込もって英雄を召喚しようとしたのか?」

「そうよ、成功すれば皆を助けられると思ったから……」

「努力の方向性が間違ってる」

 

 行動力はあるのに進むところが明後日(あさって)すぎる。

 彼女がすべきは話し合いだ。自分が悪いからと他人を遠ざけるなど支えてくれたカルクスやククルの気持ちを勝手に決めつけているにすぎない。それはある種の傲慢とも言える。

 

「違わなくない。ルフェイと渚が来てくれた! ルフェイは助言者としてあたしを助けてくれたし、一緒に戦場にまで出てくれたわ。あなただって──」

「まだ何もしてない、だから今からする。いい加減、自分を許してやれよ。誰もシアを悪く思ってやしない」

「違うの、違うのよ。あたしは自分が領主失格と知ってる。交渉の時、アルンフィルがバアルを殺そうとしたのを見て安心した、してしまった。これで酷いことをされずに済むって……! これからバアルが攻めてくると頭の隅でわかっていながらよ!!」

 

 息を荒くして胸を押さえるシアウィンクス。

 その苦渋とも言える顔から、まるで魂を削りながら喋っているようである。

 渚はそんなシアウィンクスを一瞥して再び前を向いた。

 

「だから?」

「……え?」

「自分が大事なのは当たり前だろうに、何をそんなに騒いでんだ。シアは悪魔だろ? だったらもっと欲を持て。俺の友人なんかハーレムのために命懸けてる色欲の塊だぞ。そんな小さな欲で自分を嫌いになるとか。……もしかして天使にでもなりたいのか?」

 

 心底、呆れたように渚は言う。

 領民の前で犬のように犯すと言われたんだ、嫌に決まってる。なのにそうした方がマシだった? 馬鹿げている。そんな要求を飲むなど正気の沙汰じゃない。

 どうしてこうも真面目にネガティブなんだろうか。

 

「人を思いやるのも程々にしておけ、見てらんない」

「何よ、それ。あなたがそんなこと言うの?」

 

 キッとシアウィンクスが睨んできた。何か間違ったのだろうか? 

 

「俺が言っちゃ悪いかよ」

「欲を持て? 笑わせないで。自分は他人を無償で助けてるじゃない!」

「怒るなよ。俺、何かしたか?」

「何もしなかったわ。対価を渡そうとしても受け取らなかった……!」

 

 顔を真っ赤にしがら睨みを効かせるシアウィンクス。

 昨日の夜の事を掘り返すなよ……。

 ああ言えばこう言うシアウィンクスに渚もイライラしてきた。

 

「怯えてる人を襲う趣味はない。それに酷い顔だった、襲われる気があるなら目の下の(くま)ぐらい隠せ」

「なっ!」

 

 シアウィンクスはメイクで隠しているが目元にはうっすらではあるが疲れが見えた。それも最初からずっとだ。不眠症か徹夜かは知らないが録に眠れていないのだ。

 もっとも元の顔立ちが良いので気にならないレベルだ。ただ今は苛立ちがソコを誇張して言葉を走らせてしまう。

 渚の指摘に目元を隠すシアウィンクス。

 

「み、見たら叩く。とっても叩くから」

「両手を使えない状態でどう叩くんだよ?」

 

 右手は渚に左手は退かす気配のない目元だ。

 

「ああ言えばこう言う人……!」

「お前が言うか……?」

「うふふ。仲良し、ですね」

「「どこがっ!?」」

 

 口喧嘩のような口論を続ける二人を見るルフェイは嬉しそうだった。

 そんな事をしている内に兵舎までやって来た。さっきまで元気の良かったシアウィンクスは渚の後ろに隠れて目立たないようにしていた。

 余程、人に会うのが怖いらしい。

 こんな無理強いはあまり好きじゃないが、今は仕方ないと渚はシアウィンクスを引っ張りながら兵舎へ入る。

 

「おう、ルフェイちゃん。今日はどう……し、シアウィンクス様!?」

 

 兵がルフェイに声をかけようとして顔を驚きに染めた。

 

「えらいこっちゃ!」

 

 兵士は渚たちに会釈すると奥へ走って行った。

 

「当然ね、あたしの顔なんか見たくもないはずよ」

 

 自嘲混じりに言葉を吐き捨てるシアウィンクス。

 渚はバレないように嘆息する。あの兵士にあったのは嫌悪ではなく喜びだった。きちんと顔を見れば分かる。

 

「ルフェイ、ククルさんかカルクスさんの居場所って分かるか?」

 

 その名を聞いたシアウィンクスが渚の手を強く握りしめた。最後の抵抗というより、少しでも恐怖を紛らわしたいのだろう。

 

「はい。ククルさんが近くにいます」

「まずはそこだな」

「案内しますね」

 

 ルフェイに付いて行き、とある一室の前にやって来る。

 

「ククルさま、ルフェイです」

 

 ルフェイがノックすると「開いてるよ」という許可が出たので入る。

 中では椅子に座ったククルが顔の包帯を外していた。片目を中心に焼け爛れた傷跡。瞳は白く染まり光を写している様子はない。

 

「すまんね、丁度包帯を変えてるとこなのよ。少し待っとくれ」

 

 ククルが渚たちに振り返ると椅子から立ち上がった。その顔は先の兵士同様に驚きに満ちている。

 

「し、シアウィンクス様? どうしてここへ?」

「渚に連れて来られたの。ごめん、驚いたよね、すぐ帰るから……」

 

 泣きそうになりながら踵を返すシアウィンクスをククルは慌てて止めた。

 

「後生だ、お願いだから待っとくれ」

「ククル……」

「シアウィンクス様、顔を見てもいいかい?」

「……うん」

 

 ククルに顔を向けるシアウィンクス。

 

「酷い顔だよ。メイクで誤魔化してるけど疲れてるね。それに少し痩せた。ちゃんと食べてるのかい」

「食べてるよ」

「相変わらず人の為なら平気で嘘を吐くねぇ」

 

 ククルが破顔してシアウィンクスを抱き締めた。

 

「ど、どうして?」

「ずっと謝りたかった。ウチらはバアルに勝つつもりで戦ったんだ。けど結果はこのザマ、シアウィンクス様の期待に応えられなかった」

「ち、違う。あたしがバアルとの交渉でちゃんとしなかったから……」

「いんや。シアウィンクス様は悪くない。ここにいる連中は皆そう思ってるさ。なぁカルクス?」

 

 ドアが開いて鎧姿のカルクスが膝を突いて頭を下げた。

 

「我らシアウィンクス・ルシファー様の矛にも盾にもなれなかった愚臣なれど忠誠が揺らいだことはありませぬ。首都防衛の失敗は兵士長であるこのカルクスの責です。どのような罰でも受けます」

 

 深々と謝罪するカルクスからシアウィンクスへの不平不満は感じない。

 

「か、顔をあげて、カルクス。あたしが悪いの、戦い方を知らないで、ただ戦場で嘆いていた。役立たずでごめんなさい」

「お嬢……。そんなことはねぃ、そんなわけが! いつだってお嬢は必死だったのを知ってる。……なぁお前たちぃ!!」

「「「「「おぉーー!!!!!!!」」」」」

 

 カルクスの言葉に応じたのは兵士たちだ。

 扉の外で片膝を突いて礼をする鎧の音が反響した。かなり集まっているようで多くの者たちがいるのが分かる。本物の忠誠というものを肌で感じた渚は圧倒されて鳥肌が立つ。

 

「みんな……」

 

 やはり誰もシアウィンクスを恨んではいない。

 ただ罪悪感から自分が悪いとして相手を見ていなかっただけだ。一度開いた溝は勘違いを肥大化させて、やがて埋めるのが難しくなる。

 ともせず無理矢理ではあるがシアウィンクスの自責の念はある程度は取り除けた。

 渚がルフェイに目配せをすると彼女は頷いて口を開いた。

 

「皆さん、これからの話し合いを致しましょう」

 



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極光の旗印は深淵の狼煙にて《Rebellious》


──反撃開始。



 

 旧ルシファー領の首都から南へ数百kmほど行った平原にバアル兵たちの駐屯地がある。

 何千と並ぶ天幕。象や虎によく似た魔物。鎖で繋がれたワイバーンの群れ。攻城兵器の数々。確かにあれだけの人員と装備を整えればルシファー領の首都を陥落させられるだろう。

 しかしバアル軍の兵である悪魔達からは緊張感が感じられなかった。敵領土であるというのに朝から酒をあおり、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎを繰り広げていた。まるで勝利を祝う祝賀会である。

 そんな勝利気分に酔いしれる駐屯地の様子を渚は遠くから(うかが)っていた。

 

「ざっと一万は越えるか」

『悪魔12762、ワイバーン3756、その他の魔物2000を確認』

「よく分かるな」

 

 双眼鏡にも似た魔具を目から放す。

 距離にして8kmぐらい離れた小高い山からバアル軍を見下ろす。あれは首都から1番近いバアル軍であり、侵略部隊だ。

 悠長に構えている様子からも進軍はまだ無さそうだが動き出せば終わりだ。ルシファー側の首都は防衛機能が破壊されたまま働いていない。もし今の状態で攻められでもしたら数で圧倒される。だからこそ早急にあの軍勢を排除する必要があった。

 

「よし、やろう」

『了解。"蒼 獄 界 炉(クァエルレース・ケントルム)"、20%限定起動。霊氣廻転率の上昇率を確認』

 

 渚は頭を切り替える。命を奪う覚悟と誰かを守る決意を抱いてゆっくりと伏せる。

 俗に言うクラウチングスタートの構えだ。

 

"洸天(こうてん)より(まばゆ)き光、()はあらゆる罪を浄化し正義を()す剣撃なり。そして()たれ純白なる執行者(しっこうしゃ)、──"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"

 

 言霊詠唱(コード)を読み上げると洸剣が降臨する。渚がなにも言わずに目配せすると、浮遊していた6本の洸剣は閉じた翼のように背中で待機状態になった。

 

『闇にて祓わんとする者よ。汝が覚悟に応え、鋼は轟き打ち砕く。さぁ更なる(うた)にて力を願え』

 

 渚の中の"蒼"が力を生む。純粋な力の塊に飲まれないようにしながら言葉を(つむ)ぐ。

 

深淵(しんえん)より(くら)き闇、()はあらゆる(ばつ)弾劾(だんがい)し悪を討つ拳撃(けんげき)なり。そして来たれ漆黒の断罪者。──"冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)"

 

 黒曜石を思わせるガントレットとグリープが渚の四肢に装着された。

 禍々しくも美しい闇色の顕現。

 "洸剣"と"魔拳"が互いに共鳴して力を高め合う。流石に二つ同時は体に掛かる負担が大きく体が軋む。

 

「ティス」

『"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"を特定位置にセット』

 

 背中の洸剣が光の帯を引っ張りながら飛翔して渚の後ろに花開くように展開された。するとキュイィィンと甲高い音を立てながら刃たちが光を強める。

 

『演算照準0.75及び6.33修正。弾道軌道、動作予測、角度調整、オールクリア。"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"、指向性斥力領域を形成……準備完了(レディ)』 

 

 ピスティスの言葉に渚は項垂れた。

 

「最後に聞くけど、これしかないんだな?」

『私は戦術効果の最大を提示している』

「死なないよな?」

『発射時の反動は重力で遮断する。空気抵抗も斥力で調整可能。今のナギサの肉体なら充分に耐えられる』

 

 渚は観念したように"冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)"に"蒼"を装填する。

 黒々とした波動が噴出して超重力の塊に大地が悲鳴を上げる。

 肺に大量の空気を送り込んで思いっきり吐き出すと顔をあげた。

 

「始めろ」

斥力解放(アクティブ・リバルシブ)……発射(ゴー)

 

 地面を蹴ると同時に突き抜けるような圧力が背中を推す。渚はそのまま真っ直ぐバアル軍に向かって飛翔した。一瞬、体がバラバラになったと思ったがなんとか五体満足だ。自分の頑強さに驚異を覚える。

 

「────────」

 

 しかし殴り付けるような大気の壁が口を開く事すら許してくれない。

 やるんじゃなかった!! 

 今さら後悔するがもう遅い。

 "聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"の力を応用した斥力カタパルトは第三宇宙速度並みの速さで渚を弾き飛ばす。

 意識が飛びかねるが根性で耐えた。もうバアル軍が目の前にいるのだ。

 渚は右手を引いて拳を作る。

 

冥 天 核(アトラクト・コア)、起動。単一指向性重力圏を展開』

 

 ガントレットの甲部分がスライドして青い宝玉が現れる。"蒼"を取り込んだ"魔拳(ゲペニクス)"が暗闇を模した波動を噴出させた。渚は構わず更に力を流し続ける。

 

『術式解放──"漆黒の焉撃(ジオ・インパクト)"』

 

 バアル軍の頭上を通り抜けるタイミングで超重力の塊を叩き落とす。

 漆黒が膨張して唸りをあげると空は鳴き、地は震える。

 巨大かつ強大な黒き一撃は最早災害とすら見紛う破壊の渦となりバアル軍を容赦なく蹂躙する。

 天幕は壊れ、魔物は吹き飛び、ワイバーンは捻り切れ、悪魔は押し潰されていく。

 次々と命を吸い上げる嵐のような闇にバアル軍は阿鼻叫喚(あびきょうかん)となった。

 そんなこの世の地獄を産み出した渚だったが、バアル軍の事を考えてる余裕はなかった。地面が目の前に迫っていたからだ。

 対処法を考える前に派手に激突。その衝撃で天を突かんばかりの高い砂塵がそびえ立つ。それから投げ出されるような形で豪快に転がる。

 口に鉄の味が広がり、額から流れてきた液体が片目を赤く染めた。

 

「このッ!」

 

 かろうじて体勢を立て直すもスピードが一向に落ちない。左手で大地を掴み、両足を突き刺すようにしてブレーキを掛ける。幾分かの減速するが、それでも地表を大きく掘削しながら進む。このままでは遥か彼方まで跳ばされるだろう。三半規管をイカれさせながら、冗談ではないと頭を働かせる。

 

「"洸 劒(フリューゲル)"!!」

 

 "聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル) "の斥力で逆方向へ自身を押す。

 圧迫されてサンドイッチになるかと思ったが、なんとか止まることが出来た。

 

「ふぅ──」

 

 酸素と一緒に緊張も吐き出す。

 しかし静止するためとはいえ結構な距離を使ってしまった。バアル軍の駐屯地も目視不可能なまで離れて状況が掴めない。

 仕方ないと渚は抉れた地面を目印に逆走する。

 その間に体を改めると結構血だらけなのに気づく。着地に失敗した時の傷みたいだ。見た目は痛そうだが骨も内臓も無事だ。洸剣と魔拳の併用(へいよう)で多少の疲れはあるものの、ある程度なら戦いに影響もないだろう。

 けれど……。

 

「やらない、もう二度とやらない。死ぬかと思った」 

 

 うぅと呻き声を出しながら作戦を振り返る。

 1.バアル軍の駐屯地に素早く移動(第三宇宙速度とは聞いてない)

 2.頭上から攻撃して相手の戦力を削る(多分、被害甚大)

 3.奇襲で混乱してる間に殲滅(生きてるかな?)

 つまり渚は人間爆撃機というアホみたいな事をしたのである。本当にアホだと本人も思っている。

 最小のコストで最大のリターンを得るとの言い分だったのだが、最小のコストというのが渚のトラウマに成り兼ねないのだから始末に追えない。

 やがてバアル軍のいた場所まで戻る。

 そこにあったのは底の見えない大穴だ。バアル軍どころか地表すら消え失せていた。

 

完 璧(パーフェクト)

「完璧過ぎて引くわ! というかコイツ、ヤバさに拍車掛かってないかっ!?」

 

 どこか覚えのあるやり取りをしながら叫ぶ。

 "冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)"さんが()り過ぎて引くレベルだったのだ。コカビエルの時より明らかに威力がアップしてる。

 ますます扱い所が難しいヤツだと辟易(へきえき)しながらガントレットを眺める。その黒光りする刺々しい"魔拳(ゲペニクス)"は渚の気持ちとは裏腹に自慢げに見える。錯覚だと思いたい。

 

「まぁ悪いとは言わないけどな」

 

 もう一度だけ大穴に視線を落とす。

 一万以上の悪魔が死んだのだろう。

 渚は手を合わせて黙祷する。大量殺人に心は痛んでいない。自覚はないが恐らく慣れているのだろう。こういう自分の異常性を垣間見る度に自身の過去が怖くなる。だから記憶を戻そうと努力しないかもしれない。

 

「帰るか」

 

 無駄な思考をしたと思いつつ苦笑する。

 渚にはバアル軍の命を奪う理由があった。今はそれで良い。しかし軽んじず、その重さを噛み締めながら歩き出す。

 

 こうしてルシファーからの反撃はバアル軍の消滅という結果から始まる。

 

 

 

 

 ●◯

 

 

 

 

 渚はルシファー領の首都へ戻ると兵舎を目指した。

 今は昼時、朝イチから出たので腹が鳴る。加えて無理をした代償に倦怠感が酷くなりつつある。恐らく『蒼』を使った反動で疲れているのだろう。重い体を引き摺るように兵舎へ入るとカルクスに出会う。

 

「あ、こんにちは」

「やけに早いな、ルフェイ嬢からバアル軍の偵察任務に行ったと聞いたぞ? というかよぉ傷だらけじゃねぇかぃ、魔物にでも会って引き返したんか?」

「任務は終わりましたよ。これは()けました」

「はははは! ドジなヤツだぃ!」

 

 バンバンと背を叩かれる。

 カルクスは大柄なだけに力が強いので、もう少し手加減してくれと内心で思う。背中が痛くてならない。

 渚がシアウィンクスの自責を拭う手伝いをしてからと言うものカルクスを初めとしたルシファー領土の兵達が妙に気安く話し掛けてくる。仲間だと思ってくれているのだろうか? 根が善人な悪魔ばかりなので、上手く付き合えたのは嬉しく思う。

 

「とりあえず報告してから飯を食べたいですね」

「まず治療しろぃ。足取りはしっかりしてるから強くは言わんが次から俺に相談しろ。護衛の兵ぐらいつけてやるぞ」

「了解です」

 

 カルクスと共に歩きながら渚は兵舎の会議室へ向かった。扉を開けるとシアウィンクス、ルフェイ、ククルが一斉に渚を見た。

 

「ただいま」

 

 軽く手を挙げて挨拶をする。

 ルフェイが微笑み、ククルが呆れ顔をした。

 シアウィンクスは何故か大股で寄ってくると不機嫌そうに睨んできた。

 

「ルフェイに聞いたわ、勝手にバアル軍の偵察に行ったそうじゃない」

「勝手じゃないぞ? ルフェイに伝言は頼んだ」

「せめてあたしにも相談しに来てほしかった」

「行ったさ。けど眠ってたみたいだからな」

 

 渚の言葉にシアウィンクスは気まずそうに黙り込む。

 別に責めてる訳じゃない。今まで気を張り続けたシアウィンクスは録な睡眠を取っていなかった。昨日、カルクスやククルの気持ちを聞いてから精神的なゆとりが持てたのだろう。顔色だって今日が一番良い。

 

「別に起こしてくれても良かった」

「俺は休んでほしかったんだ」

「……ごめん」

「謝んな。急ぎだったから事後報告になるけど、こっちこそ勘弁な」

 

 渚は旧ルシファー領周辺地図が置かれた台に近づく。

 青い駒と赤い駒が各地に置かれており、青は味方、赤は敵である。昨日の内でこの会議室へ案内されていたので敵の位置などは把握していた。尤もこれは首都侵攻直後の配置なので正確ではない。

 渚は首都から一番近かった赤い駒を手に取ると斜め後ろへ移動させた。

 

「首都を襲ったバアル軍はここまで撤退してた。3週間も大人しかったのは損耗した兵や物資を補給していたからかもしれない」

 

 渚の言葉にルフェイが頷く。

 

「加えて司令官の復帰を待っているのかもしれません。首都侵攻のおりに重症を負ってるので」

「ガイナンゼのクソガキは首都の戦いで戦線離脱したようだからな。しかし兵だけ残してアタマがトンズラとかあり得ねぇだろ、なに考えてんだかよ」

 

 カルクスから嫌悪感がヒシヒシと伝わってくる。相当嫌っている様子だ。

 

「ウチらは首都が陥落寸前で防衛機能は修復不可能。兵も激しく損耗して、周辺領土は全てバアルに掌握済みと来てる。戦う術のない孤立無援な状態と高を(くく)ってんのさ。抵抗されるとすら思っていないよ、コイツらは……。それに周辺領土の悪魔が見張ってるからどこにも逃げられない。だから兵は悠々とガイナンゼを待ってられるんさ」

 

 実際、渚はパーティーみたいな馬鹿騒ぎをしているバアル軍を見ている。彼らは勝利を確信していたからあんな事をしていたのだろう。軍としてどうなんだと思うが……。

 

「周辺領土が大王の権威に(ひざまづ)いたのは嬉しくないね。前までそれなりの交流してた領土もある、間違いなくウチらの情報は洩れてるだろうさ」

 

 ククルが忌々しそうに周辺領土へ赤い駒を置く。

 地図に配置された駒は殆どが赤だ。

 青の駒は旧ルシファーの首都と東にある"ルオゾール大森林"と書かれた場所のみである。

 

「見事に敵ばかりね」

 

 シアウィンクスが目を細めて地図を見下ろす。

 戦力差1対10000を肌で感じているのだろう。

 

「やはり第一関門はこのバアル軍です」

 

 ルフェイが指差したのは渚が下げた駒だ。一番大きくて場所も近い。シアウィンクス達が表情を曇らせたので渚が声を上げようとする

 

「あ、コイツらなんだが──」

 

 しかしカルクスの声が重なる。

 

「奴等はいつ来そうだ?」

「そんなの決まってるさね、ガイナンゼが戻ってきたら直ぐだよ」

「やはりバアルの司令官が不在の内に手を打つべきです。逃げるか、戦うかの選択も重要になるかと……」

「けど一万を超える軍勢よ、戦える数じゃない。逃げるにしても"ルオゾール大森林"はダメ。非戦闘員が多すぎるうえに血の臭いを辿って中心部から強い魔物がやって来る可能性がある。バアル軍と"ルオゾール"の魔物に挟撃されたら間違いなく生き残れない」

 

 真剣に今後を相談する4人に割り込めず、渚は恐る恐る手を挙げる。大事なことを言っていなかったのだ。

 全員の視線が集まると目を泳がせながら悩みの種であるバアル軍の駒を取り上げた。

 渚の行動は訝しげに見られる。

 

「これの心配はないよ。もう居ないから」

「「「「はい?」」」」

 

 疑問がハモる。

 まぁそうだろう。何せルフェイにも偵察してくるとしか言ってない。だから本当の事を言うことにした。

 

「さっき壊滅させてきた」

 

 その駒は、今朝がた人間爆撃機と化した渚の手で滅んだ軍勢を示す物なのだ。

 

 

 

 

 ◯●

 

 

 

 

「幾らなんでも非常識。一人でバアル軍に挑むなんて有り得ないから」

 

 渚は何故か正座をさせられて説教を食らっていた。

 これが戦術効果の最大なやり方だと説明するが無視された。腕を組んだシアウィンクスは静かながらも凄い剣幕だ。

 

「あなたがここまで危険を侵すとは思わなかったわ……」

「と、当面の危機は去ったからもっと喜ぼう、な?」

 

 シアウィンクスが凄く怒っている。冷ややかな瞳とは裏腹に背後ではメラメラと怒りの炎が燃えていた。

 渚だってやりたくてやった訳じゃない。

 やれるのが自分だけで時間も有限。ピスティスのお墨付きだったので実行した。結果的には大成功だ。そんなに(たけ)らなくていいんじゃないかと思う。

 

「ククル」

「あ~いよ」

 

 シアウィンクスが言うやククルが会議室を出て行った。

 何処に行くのだろう。

 その背を目で追っているとシアウィンクスが更に睨んできた。迫力に負けて背筋を伸ばす。

 

「偵察に行くと言ったらそうして。無理に動いて命を落とされたら溜まったもんじゃない」

「い、威力偵察なんていう言葉がありましてね?」

「絶対それだけで済ますつもりじゃなかった」

 

 鋭いな。

 ピスティスと相談して無力化を前提に動いていたのは事実だ。偵察と言ったのは一人で万を超える軍勢と()り合うと言えば止められると思ったからだ。

 

「シアさま、どうかその辺りにしてあげて下さい」

「ルフェイ?」

「渚さまが単独で動いたのは勝算があったからと思います。結果的に状況はかなり好転しました。目前の脅威が払われたんです、これは間違いなく喜ばしい事じゃないですか?」

 

 優しく諭すルフェイ。

 渚に直接騙されたルフェイからは怒りを感じない。寧ろ「やっぱり……」と納得している雰囲気だった。どうやら彼女には見透かされていたようだ。可愛い顔ながら底の知れない魔法使いである。

 

「そうだけど渚に何かあったら……」

 

 心配してくれるのは嬉しいが、そのせいで渚という強い駒を出し惜しみされては困る。寧ろ、もっと前へ押し出さなければダメだ。

 シアウィンクスが他人の命に敏感なのは知っている。だから渚は敢えて強気の言葉で彼女の不安を取り払う事にする。

 

「俺は"今"を覆すために召喚されたんだろ? だったら気にせず使え。俺も納得して闘ってるんだからシアはもっと頼れ」

「その気持ちは嬉しい。でもね、あなたやルフェイを死なせたくないの。こんな酷い場所に呼んでおいて何を言ってるかと思うかもしれない。矛盾してるのも分かってる、けれど無茶だけはやめて。全てを押し付ける為にあなたを呼んだんじゃない」

 

 懇願するように(さと)すシアウィンクス。

 他人をそれだけ想えるのは美徳である。だからリアス達を天秤に掛けてまで助けたいと思ったのだ。彼女の優しさにはそれだけの価値がある。既に関わってしまった以上は全力でやるつもりだ。

 

「俺はシアとルフェイが召喚されたんだぞ? バアルの軍勢なんて本気を出せば、ちょちょいのちょいよ」

「何よ、ちょちょいのちょいって」 

「余裕ってことだ」

「変な言葉」

「違いない」

「渚、あのね……」

「悪いけど必要なら無茶をする。けど必ず生きて帰るよ、シアの重荷になりたくないからな」

「ホントに?」

「ちょちょいのちょいさ」

 

 シアウィンクスがクスッと笑う。言葉のニュアンスが面白かったのだろう。

 ククルが帰ってくる。その手には救急箱らしき物が握られていた。

 

「貸して、あたしがやる」

「あいさ、優しくしてやんな」

 

 シアウィンクスが言うや正座する渚の前に伏せた。

 

「椅子に座れば──」

「ダメ、正座して」

「ア、ハイ」

 

 どうやら渚の反省はまだ続くようだ。

 大人しくするとシアウィンクスは渚の全身を看る。

 

「ケガだらけね」

「かすり傷だよ」

「そうね。でも痛みはあるし(あと)だって残る」

 

 傷口を消毒するシアウィンクス。

 渚は()みる感覚に顔を歪ませた。

 シアウィンクスは渚の表情を見て少しだけ俯く。

 

「痛む?」

()みただけだ」

 

 チョンチョンと控えめに消毒が再開される。

 シアウィンクスは(いたわ)るみたいに傷を診てくれた。第一印象は冷めた少女だった。しかしその実、感情表現が不器用なだけで性根は優しく繊細だ。

 真剣な顔から見るに責任を感じているのだろう。

 律儀と言うか、真面目というか。戦っているんだから怪我ぐらいする。いちいち気にしないで欲しい。

 

「自己責任だ」

「……何も言ってないわよ」

 

 ツンケンして隠そうとしてるが下手すぎだ。その顔は絶対に気にしてる。

 

「気にされると俺が困る」

「……」

 

 沈黙は答えなり、とは良く言ったものだ。

 

「図星って顔に書いてるぞ」

「うるさい。そうよ、また勝手に責任感じたけど悪い? あたしは一応トップなんだから心配ぐらいさせなさいよ」

「するな……とまでは言わないけど程々にな」

 

 渚がそう言うとシアウィンクスは小さく肩を落とす。

 

「その、さっきは勢いで怒っちゃったけどあなたの働きには感謝してる」

「シアってさ感情表現が苦手だろ?」

「いきなり、なに?」

「クールだと思ったら妙に熱くなりやすいし見てて面白い」 

「そ。楽しんで貰ってるみたいで、う・れ・し・い・わ!」

 

 グイッとガーゼを押し付けられた。

 消毒液が容赦なく雑菌を殺戮する。その反動が鋭い痛みとなって渚に返ってきた。

 

「あだだだだだだ!」

「うるさい」

「いや、痛いよ! あ、ちょっと、そんなグリグリしないで!? あだ! 滲みる滲みるぅ!! つか傷が広がるから!!」

「かすり傷なんでしょ? ならちょっとくらい開いても問題ないわ」

「鬼か!?」

「悪魔よ」

 

 冷めた目で荒々しく治療してくる。

 落ち込ませるよりは良いだろうと少しからかったが大きな代償を払う結果になった。

 

「渚はカッコいい時とそうじゃない時の落差が激しいねぇ」

「見てて飽きねぇし良いじゃねぇの、ルフェイ嬢もそう思わんかぃ?」

「はい、とても素敵な殿方とは思います」

 

 その答えにニヤついたのはククルの方だ。

 目に皺を増やしながらルフェイとシアウィンクスを交互に見やる。

 

「おやおや、渚も隅に置けないねぇ」

 

 

 

 

 ●◯

 

 

 

 

 ──バアル領。

 

「♪」

 

 エルンストは嬉々として大理石の廊下を歩いていた。

 古き良き旧ルシファー領とはまた違った(おもむき)の城は、数ある領土の中でもトップクラスの巨大さと絢爛さを誇る。

 目的の部屋に近づくと微かに甘ったるいお香のような匂いが鼻孔を(くすぐ)った。

 

「エルンスト様。ここからは通すなと命を受けております、お引き取りを」

 

 そう言って立ち塞がったのは二人の衛兵だ。中々の魔力に胆力、そして主に言われた仕事を忠実にこなす精神。とても良い兵だとエルンストは感心した。

 

「兄上に大事な知らせがあるんだけどダメ?」

 

 美少女のような可憐な笑顔で通すように頼むが首は横にしか動かない。

 

「重要事項ならば伝令役を通して頂きたい」

「我らは何人(なんぴと)も通すなと厳命されてるゆえ、ご容赦を」

 

 頑として譲らない衛兵たち。

 あくまで主人だけに従う忠誠心は素晴らしいものだ。

 しかし困った。

 今から伝令役を探すの手間が掛かる。

 

「あ、そうか」

 

 ポンと手のひらを拳で叩き、笑みを深くした。

 瞬間、衛兵の上半身が消滅する。残った下半身から噴水のように血が吹き出して廊下を汚した。

 

「な、何を!!」

 

 あは、驚いてる驚いてる♪ 

 エルンストはイタズラが成功した子供のように内心ではしゃぐ。

 

「何って殺しただけだよ? 僕はここを通りたい、でも君らは通したくない。話が通じないなら片方が居なくなれば良いだけだと思わないかい?」

 

 自分は話し合いで解決しようとしたと言い張るエルンストに残る衛兵は表情を強張(こわば)らせた。

 

「貴方のソレは暴論だ。話が通じない相手は殺すのか!」

「邪魔ならね」

 

 エルンストが衛兵を一瞥すると首から上が吹き飛ぶ。

 倒れた体を通り越して首だけを無惨な死体へ向けて目を細めた。

 

「お仕事、ごくろーさん♪」

 

 理不尽な殺人を当たり前のようにしたエルンストは床に血の足跡を着けながら目的の部屋まで辿り着く。

 中へ入ると甘い匂いが一層強くなった。

 エルンストはニコニコしながら部屋の更に奥にある扉を開ける。

 その先にあったのは酒池肉林の世界だ。全裸の女が部屋中に転がっており、ビクリとたまに痙攣するだけで薄く開かれた目には光がなく焦点も合っていない。まるで壊れた人形のようで不気味である。

 エルンストは正気を失った女たちには目もくれず奥に向かう。

 目的の人物はベッドで上で行為に及んでいた。肌と肌を叩きつけるような音と肉欲に濡れるあえぎ声。

 男は女を暴力的なまでに犯している。

 エルンストは気にした様子も無しに薄いレースカーテンを開く。

 女と目が会う。酷い有り様だ、それなりに整った容姿は涙と鼻水でグチャグチャになっていて下の恥部からは乙女の証が流れてベッドを赤く染めていた。

 

「エルンストか」

「や、ガイナンゼ兄さん。ケガの具合はどうだい?」

「問題ない」

「良かったね。ソレ、新しい玩具かい?」

「旧ルシファー領土の村で見つけた。顔と体の品質がよかったから拾ってやったのだ」

 

 女はボソボソと誰かに謝りながらガイナンゼにされるがままだ。

 

「なんか言ってるね」

「婚約者の名だ。目の前で私が殺してやったな」

「やるじゃん」

「……して何のようだ? 首でも献上しに来たか?」

 

 女に腰を打ち付けながら太く鋭い声で聞いてくる。

 

「首はガイナンゼ兄さんが勝ったらあげるよ。今回は報告。ルシファー領に置いてきたそっちの兵たちね、全滅したよ?」

「……なんだと?」

 

 ガイナンゼの動きが止まった。

 そして顔をエルンストへ向けるや巌のような顔に険が広がる。

 

「あの領土に戦う術はない筈だ」

「だから首都を崩壊させたのに放置してたの? ダメだよ、追い詰めた奴は死に物狂いになる。ちゃんと最後まで徹底的にやらなくちゃね」

「女が溜まってきたのでな、連れて帰って消費する必要があった」

 

 療養しながら女を抱く悪魔などガイナンゼぐらいだろう。

 

「まるで戦利品扱いだね。部屋中にいる壊れた女の子たちって全員ルシファー領土の人?」

「そうだ」

「相変わらず精豪だなぁ」

「全ての雌は私に犯されるための道具だ」

 

 素晴らしい価値観だとエルンストは肩をすくめた。

 美しい者を抱きたい欲求は理解できるが、ガイナンゼは女を本当に性の捌け口としか思っていない。バアルの子を成すというより自身の快楽を満たす事を優先させているのだ。

 別にそれが悪いとエルンストは思わない。元来、悪魔とは邪悪なモノだ。殺戮と色欲に酔うのも悪辣な証である。だがルシファー領を中途半端にしているのは見逃せない。いつでも潰せると慢心した結果、噛みつかれるのは馬鹿みたいだ。

 

「ガイナンゼ兄さんが忙しいなら僕が引き継ぐけど?」

 

 エルンストの何気ない言葉にガイナンゼは魔力を(たかぶ)らせた。濃厚な殺気が充満して当てられた女たちが泡を吹いて気絶する。

 

「シアウィンクス・ルシファーは私のモノだ。よもや横から掠め取るつもりか?」

「掠め取るも何も、これはバアルの後継者を決めるゲームの一つだ。僕だって当主を狙う者としては得点を稼いでおきたい。けど最初に兵をあげたのはガイナンゼ兄さんだから、こうやって確認に来てるんだよ?」

「良く言うものだ、既に手を出しているのではないか?」

 

 ガイナンゼの怒気を笑顔で受け流すエルンスト。

 ルシファー領土侵攻はバアル家次期当主を見定める為に仕組まれた継承者争いの一つだ。

 五人いるバアルの子供たちは当然のように互いを貶め合っていた。

 

「エルンスト、私は貴様らを殺す。不出来なマグダランも殺す。そして無能な癖に兄貴ぶるサイラオーグは、より惨たらしく殺す」

「あぁ勿論構わないさ。ガイナンゼ兄さんにはその力がある。だから存分に争おう? 悪魔らしく貪欲な欲望のまま相手を潰し、自分も潰されようじゃないか。このエルンスト・バアル。此度(こたび)の破滅遊戯、心から楽しませてもらうよ」

 

 暗い歓喜に身体を震わせるエルンスト。

 その顔は真なる悪意と悦楽に染まり切っていた……。

 





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未踏の地《Undeveloped Land》

 

 旧ルシファー領、東の果て──。

 そこには"ルオゾール大森林"と呼ばれる広大な樹海がある。冥界で最も古い森でありながら、その探索領域は10分の1にも届いていない未開の地だ。

 旧ルシファーがまだ政権を握っていた時代に大規模な調査隊が何度も派遣されたが帰還した者は数えきれる程しかいない。

 ただ生存者は語る。

 

 ──あの森は冥界であって冥界ではない、と。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

「んで、その"ルオゾール大森林"にやってきた訳だが……」

 

 渚は荒地と森の境界線に立っていた。

 背後は乾いた大地、正面は青々と覆い茂る自然。なんとも差のある光景たちだ。

 ピスティスと"蒼"を頼りに半日掛かけてルシファー領の避難場所である"ルオゾール大森林"へやって来た理由は下見だ。ここは今後の戦況によっては重要な場所となる。だから自分の目でどんな所なのかを見ておきたかった。

 シアウィンクスからは案内人を付けると押されたが人員に余裕がないので単独で行動させて貰っている。ただ先方には渚が来ることだけを(あらかじ)め伝えて貰ったので、いきなり見慣れない人間が訪ねても攻撃される事はないだろう。

 

「行くか」

 

 木々の間をひょいひょいと奥へ進む。

 渚は移動する中でこの森の異常性を知る。魔力濃度が濃すぎて探知が意味を為さないのだ。森に漂う魔素が魔力を隠してしまっている。 

 これでは得意の気配察知も役に立たない。

 取り敢えず、勘を頼りに歩き続ける。

 

「しかも木がデカイな」

 

 入口辺りは普通のサイズだが少し入れば大樹と呼ばれても不思議はない木々が空を隠していた。これでは上から捜すのは無理である。しかも森と言うのは似たような風景が続くので方向感覚が鈍る。これ以上、闇雲に歩くのは危険だと判断して裏技を使う。

 

「ティス、ルシファー領の避難民を見つけられそうか?」

『問題ない。魔力ではなく生命力を追う。……発見した、ここから(およ)そ一時間ほど進んだ辺りに大量の生命反応を確認』

「流石、頼りになる」

『テレた』

 

 なんとも可愛らしい返しである。

 そうして一時間ほど行った辺りで魔素に紛れる微弱な悪魔の気配を感じた。

 それを追っていると槍に似た棒が一定感覚で刺さっている区域を見つけた。恐らくアレが魔物用の結界なのだろう。数十メートルおきに刺さる鋭い棒の間は見えない壁があるようで進めない。

 渚は棒の位置を沿うように移動する。

 

「あ、いたいた」

 

 何個目かの棒を越した先に何人かの人影を発見する。

 どうやら見張りをしているようだ。渚は隠れる理由もないので堂々と姿を(さら)す。

 

「何者だ!」

「用事があって首都から来た者なんですが何か聞いてませんか?」

「来客があるのは聞き及んでいる。名前と事前に渡された書状を拝見したい」

「蒼井 渚です、あとこれが書状になります」

 

 言われた通りにシアウィンクスから預かった直筆と印章の入った書状を見せる。

 

「確かに。先程は無礼を働きました」

「仕事ですから仕方ないですよ」

 

 見張りが待機していた兵に指示を出すと結界の一部を解いて中へ招く。

 

「ようこそ、この先をまっすぐ進んで下さい。貴方の訪問が良き物になるよう願っております」

 

 渚は挨拶もそこそこにして目的地へ辿り着く。

 そこは森の表層と中層の間を開拓して作られたコロニーだった。首都から避難した悪魔達が森の中で助け合って一つの集落を作っているのだろう。足りない物資に不便な環境。それでも懸命に生きようとする営みがあった。

 渚は活気に吸い寄せられるようにコロニーへ足を進めた。

 

「アンタ、新顔かい?」

 

 コロニーを見渡していると声を掛けられた。

 渚が振り返ると(ふく)よかな熟年の女性が人好きそうな表情でこちらに近づいてくる。

 

「あなたは?」

「アチキかい? アチキはカナリアって言う料理人さ! アンタは首都の子じゃないね。襲われた村からの難民って感じでもない」

「流れ者という意味では間違って無いですよ。偶然、領土争いに巻き込まれて、ルシファー領の人達からここに避難地域があると聞いてきました」

「災難だね。アンタみたいな子は……食べな!」

 

 カナリアは持っていた篭からパンを取り出すと次々と渡される。

 いや、いきなり、何? って多い多い! 

 手には溢れんばかりのパンが乗せられ胸を使って抱える形になる。

 慌てる渚にカナリアは満足げだ。近所の気の良いおばちゃんみたいな人だ。

 

「お腹が空いたら、いつでもアチキのトコに来な。大体はアッチの屋台にいるからね」

 

 人だかりのある場所を指すカナリア。

 屋台の前には簡易テーブルと椅子が並び、客らしき人たちが飲み食いしていた。新参感丸出しの渚を気に掛けてくれたみたいだが店の方は大丈夫なのだろうか。

 そんな渚の心配は客たちの「また始まったよ」なんて言う笑いで消える。カナリアが人に世話を焼くのは毎回恒例のようだ。

 

「なんと言いますか、ありがとうございます?」

「いいよいいよ。宿は決まってるかい?」

「大丈夫です。知り合いのツレがここにいるんで」

「そうかい。じゃアチキは店に戻るよ」

 

 体格とは裏腹に軽やかに屋台へ戻るカナリア。

 

「いい人たちなんだろうな」

 

 渚はパンを抱え込んだまま歩く。

 周囲の人から視線を感じる。

 そりゃそうだ。物資が不足してる最中(さなか)、こんな食べ物を沢山持っていれば目立つ。カナリアなりの歓迎が逆に渚の居心地を悪くさせていた。

 ふとこちらを特に強く見つめる集団がいた。全員が子供で年齢もバラバラだ。しかも誰一人として笑わず無表情である。

 

「あれは……」

 

 渚は、多分()()()()()()()と思いながら子供へ近寄る。

 いきなり寄ってきた大人(高校生)から逃げようとする子供達だったが呼び止める。

 

「食べるの手伝ってくれないか?」

 

 出来る限りの笑顔で提案する。

 やはり子供たちは心を開かず警戒してくる。

 パンは欲しいが渚は信用できない、そんな感じだった。

 めげずに近くにいた少年へパンを一つ渡す。

 

「誰か助けてくれないかなぁ。重くてたいへんだなぁ」

 

 わざとらしく言うと子供たちは渚からパンを奪っていった。感謝はないが警戒は解けたようで渚を見ずに夢中でパンを食べる子供たち。

 けれどその目は暗い。

 やはり、この子たちは……。

 

「この子たちは孤児なんですよ~」

 

 渚の疑問が明確になる。

 答えをくれたのは、おっとりとした声だ。

 振り向けば婦人帽(モブキャップ)(かぶ)ったメイド姿の美女がいた。

 

「(……ん?)」

 

 何処(どこ)かで会ったように気がする。しかし何処だったか思い出せない。

 アルンフィルを(いぶか)しげに眺める渚を他所(よそ)に、子供たちは(すが)るものを見つけたように彼女へ抱きつく。

 動き難そうだがメイドは穏やかな笑みを浮かべて子供たちを一人一人の頭を丁寧に撫でた。

 

「怖い目に合って心に傷が残ってるのです」

「バアルの仕業ですね」 

「はい、この子たちはバアルに襲われた町や村からの避難者なのでございます」

 

 余程、酷いものを見てきたのだろう。

 本来なら喜怒哀楽が激しい年頃なのに一切の感情が抜け落ちている。

 子供たちを見ている渚にメイドが微笑む。

 

「初めまして、蒼井 渚さん。私はアルンフィル、シアウィンクス・ルシファーに仕えるメイドです。首都では色々と世話になったようで、その節は感謝に絶えません」

「こうなったのは成り行きです。だからそんな畏まらないでください」

「うふふ、聞いた通りの方ですね~」

 

 なんて話したんだ、シアウィンクスは……。

 渚は妙なことを吹き込んでないかを一瞬疑うもシアウィンクスがするわけないなと改める。

 

「話をしたいんだけど良いですか?」

「はぁい。みんな~、私はこのお兄さんとお話があるからまた後でね~」

 

 アルンフィルが言うや子供たちは名残惜しそうにメイド服から手を放す。

 

「ごめんな、皆のお姉ちゃんを少しだけ貸してくれ」

 

 渚が謝ると子供たちが黙って頷く。

 献上したパンが効いてるようだ。しかし子供たちが頬張るカナリアのパンはとても旨そうだ。一つくらいは食べておけば良かったと思う。

 そんな渚の袖が引っ張られた。最初にパンをあげた少年がパンを半分に千切って差し出してくる。

 

「くれるのか?」

「ん」

 

 断ろうとしたがタイミング悪く腹が鳴る。

 子供たちが一斉に渚を見た。

 気恥ずかしさを誤魔化すためにパンを受け取って食べた。

 

「(これは美味い)」

 

 あまりの美味さに目を剥く。

 それが面白かったのか、他の子供たちも千切ったパンをどんどん渡してくる。

 渚は「君らが食べな」と断りを入れてアルンフィルを追うが、子供たちは普通に付いて来る。意地でも食べさせるという気概すら伝わってきた。やってることは逆だが、まるで親鳥の後を追う雛鳥達である。

 

「あららぁ。随分と好かれちゃいましたね~」

 

 渚への餌付けはアルンフィルの天幕まで続くのだった。

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 

 アルンフィルの天幕は自室というより軍議室に近かった。一際目立つ大きな立て掛けボードには周辺地図が張られていて点在する町や村に×マークやら○マークが付けられている。これは今も無事かどうかの印なのだろう。渚が考えていたより×が多く顔を歪める。

 

「お茶を入れましたから、どうぞ~」

「ありがとうございます」

 

 渚はカップを受け取り、紅茶に口をつける。

 茶葉の良し悪しは分からないが癖がなく飲みやすい。

 

「本題に入る前に少しだけ伺いたいことがあります」

「答えられる事なら幾らでも答えますよ」

 

 アルンフィルから穏やかな雰囲気が消えた。

 お日様のようにポカポカしていた表情は冷徹な悪魔のように冷たくなる

 随分と風変わりする女性だと驚く。

 

「渚さんはシアの英雄召喚に巻き込まれたと聞いています。現状を理解している前提でお話して宜しいですか?」

「はい」

 

 アルンフィルは「では」と前置きをして喋りだす。

 

「この戦い、ルシファー領に真の意味での勝利は有り得ません。例え憎き相手と言えどバアルは潰せない……いえ潰したらいけない。長い歴史と多くの人脈を持つ大王は新参魔王より強い影響力を持つ。今の政権の舵取りはバアルがいるからこそ上手くいっている。もしもそれが無くなればクーデターへの足掛かりになるでしょう。言うなれば我々は冥界全土の敵となっているのです」

 

 全体の事を考えれば渚たちは勝ってはいけない。

 バアル打倒は冥界の混迷を招き、最悪魔王に取って変わろうとする輩も現れる。現魔王が簡単に落ちると思わないが、その過程で多くの被害は出るだろう。

 それは種の存亡が危ぶまれる悪魔たちにとって由々しき事態となる。

 

「だからこそ問わせて頂きます。あなたは……いえ、あなた達(渚とルフェイ)はそれでもシアの為に戦えますか?」

 

 シアウィンクスの為に悪になる覚悟はあるのか? 

 アルンフィルはそう問うてきた。

 迷いがないと言えば嘘になる。アルンフィルの言った言葉を(かんが)みればリアスたちにも大きな迷惑をかける。

 しかし情に厚く、人のために動けるシアウィンクスが不幸に会うのは見過ごせない。

 悪と言われても仕方ない利己的な行動かもしれない。けれど他人ではなく自分がそうあるべきと思った正しさで渚は動きたいのだ。

 リアス・グレモリー、兵藤 一誠、姫島 朱乃、木場 祐斗、塔城 小猫、アーシア・アルジェント、そして千叉 譲刃にアリステア・メア。ここにはいない大事な仲間は渚の行動を知ったら「余計な事に首を突っ込んでる」と呆れるかもしれない。

 しかし間違いなく背中を押してくれる。そんな連中だと信じているからここにいる。

 

「戦います。今のバアルにシアを渡したくありません。俺は冥界全体よりも、この領土に住む人たちを取る。それを脅かすなら大王だろうと戦ってやりますよ」

 

 この状況で無関心を通せるほど大人じゃない。だから、やれることはやっておきたい。理由としては弱いかもしれないが紛れもない本心だ。

 渚の言葉を聞いたアルンフィルが目の前に寄ってくる。何を言われても不動を貫こうと彼女の言葉を待った。

 

「きゃ──♪ カッコいい──!」

「!!!!!!?????」

 

 黄色い声で渚の背中に手を回すアルンフィル。

 あまりにも突然な動きに渚の思考は混乱した。

 アルンフィルは隙だらけな渚の後頭部を掴むと、その大ボリュームな胸に渚を埋めて頭に頬摺(ほおず)りを繰り返す。

 

「わしゃわしゃ~♪」

「こばばばばっ!!!!!」

 

 ……息が出来ない。 

 ヤバい、胸の中で窒息とか笑い話にもならん。こんなのは一誠の死に方だ。

 振りほどこうと足掻くが想像したよりも力が強い。

 そんな細い腕でなんつう力だよ!? 

 渚は変死を避けるため『蒼』を起動させようか本気で迷う。

 

「……あなたがシアちゃんの側に来てくれて本当に救われたわ」

 

 アルンフィルが大人びた声で囁くとパッと解放される。

 後ろによろめきながら足りなかった酸素を懸命に補充する渚。アルンフィルはそんな渚を満足したような顔で眺めていた。

 恨めしそうに睨むが彼女は笑顔で受け流す。

 

「にこにこ」

「何がにこにこですか……」

「じゃあ、にまにま?」

「もう良いです、本題に入りましょう」

 

 真面目だったり不真面目だったり、何かと読めないメイドだと諦めて話題を切り替える。

 渚は立て掛けボードに張り付けてある地図の前へ移動する。

 

「今回の一件、俺は魔王に相談すべきだと思っています」

「魔王に? 助けてくれますかね?」

 

 呆気らかんに答えるアルンフィル。シアウィンクス程に魔王を警戒した様子はない。

 

「このまま戦いを続けるのは不可能です。物量差が有り過ぎて押し潰されます。……かと言って逃げ回るのも無理がある。シア一人ならなんとかしますが、彼女は領民を見捨てられない」

「そうですね~。しかし旧ルシファー領土から新政権の本拠までは距離があります」

 

 アルンフィルが棚から一枚の地図を出すとテーブルに広げた。冥界の世界地図だ。広さは地球と同じぐらいと聞くが海というものが存在しないので陸地の割合が断然大きい。

 

「旧ルシファー領土はここです。そして新政権の本拠であるリリスは~」

 

 すぅーっと指が世界を横断する。

 

「この辺りです」

「本当に遠いですね」

 

 見た感じ日本からアメリカぐらいの距離はある。

 歩いて行ったら一ヶ月や二ヶ月でも足りない。

 

「それに周辺領土はバアルに付いています。一度、私個人で抜け出せる穴がないか調べに行きましたが、何処(どこ)彼処(かしこ)もネズミの一匹すら通さないほどに厳しく見張られていました。団体での脱出は不可能ですね」

 

 アルンフィルは世界地図からルシファー領土の地図へ視線を向けるや、ペンを突き立てて北、西、南に順に×マークを着けた。

 渚はジッと旧ルシファー領土の地図を見つめる。

 

「やっぱりこれしか無いよな」

『肯定。想定通り』

 

 ピスティスの頷きを聞いた渚はテーブルに転がる赤いペンを取って東側に○を付けてそのまま真っ直ぐに線を引いた。これはここに来る前にピスティスと相談して出した案だ。

 それを見たアルンフィルが目を見開く。

 

「渚さん、あなたはまさか……」

「はい。俺たちはこの"ルオゾール大森林"を踏破して、その先にあるフェニックス領を目指します」

 

 渚が引いた線は前人未踏の地を横断していた。

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 

 ──"ルオゾール大森林"を越えようと思う。

 

 渚が出した突拍子もない案は大いにルフェイたちを揉めさせた。

 "ルオゾール大森林"は旧ルシファー領とフェニックス領を跨ぐように存在する太古の樹海だ。

 冥界でも魔境と呼ばれるほどの禁止区域であり、その中心部までの踏破率はゼロという驚異的な危険度を誇る。

 

「"ルオゾール大森林"……か」

 

 そこは魔法使いなら一度は聞いた事のある冥界屈指の魔力密度を誇る樹海だ。

 ルフェイとて魔法使いの端くれ、興味は大いにある。

 太古から存在する未踏区域には未だ発見されてない薬草や生物が生息していて、それらは新たな霊薬や魔法の開発にも繋がる代物だ。

 しかし異様に濃い魔素で満ちた"ルオゾール"は外とは隔絶した環境を持ち、独自の生態系で成り立っている。異常総量の魔力に適応した動植物は劇的なまでに姿を変異させて生命の系譜すら嘲笑う進化を遂げるからだ。嘘か誠か魔王に匹敵するだろう怪物の噂もある。

 どうあれ未知なる危険とは対処がとても難しい。

 そんな場所を横断しようとしているのだから普通に考えれば余りにも荒唐無稽だ。

 しかも立案者()は既に可能かどうかの下見を兼ねてアルンフィルへ挨拶しに行くと意気揚々と首都を後にしている。

 最早、恒例と化しつつある兵舎での会議室でルフェイを含めた4人が頭を悩ませていた。

 

「流石にアルンフィルも賛成しねぇだろ。俺は表層に民を隠してる今でも不安でならねぇってのによぉ!」

「そうだねぇ。前回の調査隊は全滅、その前は300人中の2人しか帰って来なかった。あそこは不味いさね」

 

 否定的な意見はカルクスとククルからだ。

 年の功から"ルオゾール大森林"の危険性を知ってるゆえの判断だろう。シアウィンクスは何やら考え込んでいる様子で口を開く様子はない。

 

「しかし一度は敗退したバアル軍は次こそ本気で攻めてきます」

 

 今までの侵攻は荒さがあったから生き延びられた。

 バアルは何処かゲーム感覚でルシファー領を襲っていたとルフェイは考えている。

 でも今度からは違う。

 ルシファー領は明確な敵意を以てバアルの軍隊を潰した。これは負ける筈のない戦いでの敗北であり屈辱を舐めさせられたに等しい行為だ。

 必ず本腰を入れて攻めてくる。十万もしかしたら二十万かもしれない。多分、次の軍勢は渚一人では全てを相手取れない。

 

「(少し未来を計算してみましょう)」

 

 ルフェイは瞑想しながら最適解を探すため占星術(せんせいじゅつ)の予知を応用した演算魔法を使用した。

 人、物、事象、あらゆる出来事を自らの脳内宇宙に散りばめた高速思考によるシュミレーションは直ぐ様、35通りの選択肢を瞬時に立ち上げた。

 一つ一つ試していく。

 バアルと正面から挑み全滅。西の領土を攻めるが全滅。北の領土に奇襲を掛けるも全滅。南を懐柔しようとするが全滅。全滅全滅全滅全滅全滅全滅全滅滅滅滅滅滅滅滅!!!!!! 

 

「────ッ」

 

 似たような状況で違う選択を取っても結果は変わらない。それが運命だと言われてる気がして胸が締め付けられる。

 失敗に失敗を重ねたルフェイは意気消沈させた心持ちで渚の考えた36通り目の選択を試してみた。

 

 ──第36ーA、魔法演算スタート。

 

 舞台は一見変わって"ルオゾール大森林"。

 すぐに死者が出た、けど終わらない。

 更に死者が増えた、それでも生き残りはいる。

 生存者がどんどん消えていく。かなりの速さだ。

 これもダメかと諦めかけた。

 

「……え?」

 

 思わず魔法と瞑想を解いてしまった。

 多くの死者こそ出したたが、それでも助かったのだ。比率は全体の0.35%程度に過ぎないが初めて全滅以外の結末を迎えるルフェイは慌てて同じ状況で再演算を開始した。

 

 ──第36ーB、魔法演算スタート。

 

 次は0.6%の命を救えた。

 そこから繰り返す。何度も何度も隔絶された思考の宇宙で"ルオゾール大森林"に挑み続けた。

 何百何千とリトライした結果、最終的に生存率を40%まであげられた。0%に比べたら快挙とも言える数字だ。現実がシュミレーションとは違うのは自覚している。"ルオゾール大森林"は未開の地だ。ルフェイの予知演算も完璧ではない。なのでより一層の危険も充分にあり得る。

 たがルフェイの案では助からなかった命を渚は助けた。魔法使いは合理的でなければならない。だからルフェイはシアウィンクスに振り返る。

 

「シアさま、渚さまの案で行きましょう。それ以外は全滅です」

「……そうね。あたしもそう思うわ」

 

 シアウィンクスが賛同する。

 その意外な答えにカルクスとククルは唖然としていた。

 

「ちょっと待てよ、お嬢。あの"ルオゾール大森林"だぞ? 踏破した奴はいねぇ魔境に挑むのかよ」

「みすみす死にに行くようなもんさね。そんな無謀に挑むよりはバアルの奴等を一人でも道連れにしたいね」

 

 シアウィンクスはそんな二人を睨み付けて黙らせる。

 あまりに迫力のある姿にルフェイも息を呑んだ。

 そして座っていた椅子から悠然と腰をあげる。

 

「どうせ負けたら皆は殺される。ならあたしも命を賭けるわ。カルクス、ククル、死ぬのならあたしと一緒に死になさい。アルンフィルの説得はこっちがする。カルクスは兵と馬を率いて周辺の村や町を周りなさい、生き残りに事情の説明をして参加させるの。ククルは武器や食料の確保よ。悔しいけど領地は捨て置くわ。必要になりそうな物を優先しなさい。……超えるわよ、あの"ルオゾール"という未踏の魔物を!」

 

 完全に場の支配者となったシアウィンクス。

 魔王としての彼女の姿にカルクスとククルは歓喜したように唇を噛んで腹を決めた。

 

「ち、しょうがねぇのぉ! この歳になって伝説を作るたぁ、なかなか長生きはするもんだわな! え? ククル婆」

「何をイキッとるのさ、若造。だがやるからには為して見せるさね!」

「バアルは直ぐに動くわ。時間との闘いになる、急ぐわよ」

「応よ!」

「おうさ」

 

 カルクスとククルが威勢良く部屋を出ていく。

 それを見送ったシアウィンクスはフラッと身体を揺らして倒れ込む。ルフェイは慌てながらもしっかりと支えた。全身を奮わせて冷たい汗を流すシアウィンクス。

 

「ルフェイ、あたしやっちゃったよ。あんな危険地帯に沢山の人を行かせようとしてる」

 

 綺麗な桜色の唇を青くさせて声を震わせるシアウィンクスにルフェイは抱きついた。

 そして胸の鼓動を聞かせてあげる。

 心臓の音に人を安心させる効果があるのは生きている命を近くに感じられるからだ。

 未だ見ぬ死を、今ある生で優しく包む。

 冷たくなったシアウィンクスを暖めるように寄り添うルフェイ。

 

「英断でした。きっと渚さまも褒めてくれます」

「そうかな」

「きっとそうです」

「ありがと、ルフェイ。あなたの鼓動、安心する」

 

 キュッと更に締め付ける。弱いのに強くあろうとする王はなんとも美しくも儚い。少しでも不安を溶かせるよう柔らかに語り掛ける。

 

「渚さまが言ったように、余りご自分を責めないで下さい」

「……誰もあたしを責めないからクセになってるの。周りが優し過ぎるのも辛い時がある」

「なら私がシアさまに厳しくします」

「ほんと?」

「はい。それはもうキビキビしてしまいます!」

「うふふ、何それ。でも良かった。あたしをちゃんと叱ってくれる人がいて……」

「渚さまもキチンと叱ってくれます」

「そうかな、魔王の血筋だからって遠慮しないかな」

「バアル家にケンカを売る御仁ですから大丈夫ですよ!」

 

 小さな暖かさが部屋に満ちる。

 シアウィンクスはルフェイに短く感謝を伝えるとゆっくり離れた。その顔に最早不安はない。

 

「面倒な女でしょ?」

「そうですね」

「手厳しい子になった」

「だめですか?」

「いいえ、悪くない。ルフェイ、多くの命を助けるわ。だから手伝って」

 

 決意を以て堂々と言うシアウィンクス・ルシファーにルフェイ・ペンドラゴンは礼を尽くす。

 

仰せのままに(Yes your majesty)

 





誤字を修正しました。


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黄獄獸鵺《Inferno in Hell》


そこは地獄の中にある地獄だった……。



 

 渚はシアウィンクスに力を貸すと約束した。

 しかし今回は規模の大きい戦いになる。それは渚にとって不安材料にもなる事柄だった。戦闘は得手でも、戦争に関しては未経験だからだ。ただ目の前の敵を倒せば終わるわけではない。圧倒的な力を持っていようと所詮は一人。闇雲に立ち向かえば何処かで(ほころ)びが(しょう)じて取り返しの付かない状況に発展しかねないのだ。

 最悪、シアウィンクスはバアルの手に落ち、民は鏖殺(みなごろ)される。防ぐには知恵──即ち戦略が必要だと思い当たる。

 そして幸運にもソレを持つ者は渚の近くにいた。

 蒼の少女、ピスティス。

 渚の中に息づく謎の存在の一人。彼女は"蒼"と密接な関係にあり、色々と力を貸してくれるアリステアに並ぶ相棒。

 幼く機械的で稀に感情的な彼女は力だけではなく、意外にも戦術にも通じていた。

 バアルからシアウィンクスを救うにはどうすべきかピスティスに問うた時、彼女は情報を求めた。

 バアルの大まかな戦力、周辺領土の関係性、旧ルシファー領土の総人口、冥界全体の地理、"ルオゾール大森林"の先にある領土。

 

『まず領土は捨てる。シアウィンクスの身柄を優先させるのなら一ヶ所に留まるのは下策、守りきるには戦力不足。例えナギサと私が善戦しようと分断されれば終わる。数で大きく劣る以上、戦うべきではないと判断。今やるべきは"次"に繋げること……即ち戦略的撤退。推奨する行き先は"ルオゾール大森林"を抜けた先にあるフェニックス領。あそこはライザー・フェニックスの件でバアルと確執があり、その件で魔王に庇護を受けている。何よりライザー・フェニックス及びレイヴェル・フェニックスはナギサに恩がある。それを盾にすれば交渉は可能と判断する」

 

 様々な情報を与えたピスティスが出した結論がこれだ。

 渚は幾つかの質問を挟み、ピスティスの案を採用した。実現可能なアイディアがこれしかないと思ったからだ。渚がそれを伝えるとピスティスは最後にこう言った。

 

『ここからは時間の勝負。バアルは既に動いている』

 

 その話を聞いた渚は次の日には計画の(きも)となる"ルオゾール大森林"へ向かう事にする。

 カルクスやククルには無謀だの(なん)だの言われたが他に代案は無さそうだから行動に移させてもらった。

 今ある手札でしか戦えないうえに時間は敵だ。

 なので渚はこの計画を進めると決めた。例えどれ程の危険が待ち受けようとも……

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 

 ──ルオゾール大森林。

 

「いい加減、体が持たないぞ」

 

 渚は疲労に染まった顔で苦笑する。

 そこは嵐の真っ只中にあった。吹き荒れる風は魔素、猛るは魔力、迫り来る魔物たち。

 殺意が雨のように降り注ぐ魔境で死の舞踏が繰り広げられる。"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"が引き裂き、"冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)"が射ち砕く。

 殺戮の権化となった渚に魔物は次々と命を賭け金に飛び掛かってくる。

 2mはあるオオカミが音速を越えたスピードで渚の肉を噛み千切ろうとするが頭を叩き潰す。返り血が全身を汚すが気にしている暇はない。飽きずにやって来る魔物は多種多様の一言に尽き、次はカマキリのような奴がキシキシと耳障りな音を()らしつつ両手の大鎌を振り抜いてくる。両サイドに洸剣を設置して受け止めるとそのまま自慢の両鎌ごと滅多斬りにして絶命に追いやる。

 渚は積み重なる疲労に耐えながら魔物を駆逐し続けた。そうしている内に死屍累々の光景が出来上がる。

 やがて最後の魔物を倒し切った渚は大樹にもたれ掛かり、肩で大きく息をする。明らかに疲労困憊だった。

 

『ナギサ、これで最後。コロニーへの帰還を推奨する』

「……何体倒した」

『小型5453体、大型は1227体。周辺に魔物の反応なし。ナギサ、連戦による疲労で体力の限界が近い。このままでは表層に帰れなくなる。想定ルートA~Hは開拓済み、悪くない進行具合』

 

 ここは"ルオゾール大森林"の中層にして深奥への入口付近。渚は近く行われる領民の大移動に備えて、魔物を狩りながら道を放り開いている最中だった。

『蒼』を駆使した一方的な乱獲による安全ルートの確保。かれこれ丸2日は森を狩り続けている。

 "ルオゾール大森林"は未踏の地なだけあり、小型の魔物でも強く、大型の強個体となれば"不死鳥"クラスも闊歩している。"蒼"の力とピスティスの的確なフォローがなければ100回は死んでいる自信がある。

 

「カルクスさんやククルさんが反対するわけだ」

 

 一瞬の油断が命取りだ。こんな場所を横断するなど正気じゃないなと渚は苦笑した。

 

「ティス、深奥を覗いておきたい」

『これ以上の戦闘は推奨しない』

「そこで"蒼"が通じるなら迂回せず深奥を真っ直ぐ通る。多少の無理はしてでも調べたい」

『分かった。しかしコンディションが万全じゃないと自覚して挑む。無理だと思ったら撤退を』

「あぁ」

 

 そこまで言われたら納得するしかない。

 渚は切り開いた道へ振り返った。その有り様は切り開いたというよりは破壊である。この森は木々が邪魔なうえ凹凸が激しく歩くだけでも苦労する。だから大木を薙ぎ倒し道を平たく潰しながら団体が通れるように道を大きく作った。地球の環境保護団体が見ればギルティ宣告は受けるだろうやり口だが、幸いここは地球じゃない。

 

「ここからフェニックス領までの距離は?」

(およ)そ1100。深奥は半径100程になる』

「反対側のコロニーが大体900だったか。遠いな2000kmの大移動になる」

 

 これは直線距離での話だ。深奥を通れないとなれば迂回が必要になり、距離は大きくなる。

 バアルは既に動いている、ならば無理を通してでも深奥の危険度は調べるべきだ。

 渚は疲れた体にムチ打ちながら魔境の中枢へ脚を踏み入れる。

 今までの魔物は確かに強かった。

 しかし想定以上ではあっても想像は上回っていない。冥界屈指の危険スポットと揶揄されるのだから、もっと手こずると渚は考えていたのだ。警戒しながら戦う渚だったが、どの魔物もコカビエルやヴァーリ程じゃない。充分に対処が可能であり、このレベルならば『蒼』さえあれば問題ない。どうか想像を上回らないでくれと祈りながら歩き出す。

 

 だが渚の願いを一蹴するように全身が恐気立(おぞけだ)つ。

 たった数km進んだだけのソコはまるで別世界だったのだ。空を隠す木々はより太く、より高い天幕となり、果てなく森全体を薄暗く染めていた。

 一切、人の手が入っていない天然自然の場所に道などある筈もなく、ひたすらに悪路で陰鬱かつ冷たい空気は進むほどに強くなる。

 

 ──気持ちが悪い。

 

 体じゃなく魂が汚染されるような苦しさがじわじわと全身へ広がっていく。

 ここは何かが致命的にズレている。魔素が濃いとかそう言うものではなく、根本的に何かが違う。

 

『……ナギサ、撤退を推奨する。ここは先とは別世界、"異界"と化している。真の意味で外界とは(ことわり)が違う。長居は精神を病む』

 

 ──異界。

 その名を耳にして納得する。

 構成しているあらゆる(ことわり)が独立化した世界と言えばいいのか。とにかく普通ではない。

 通り抜ける? 何をバカな事をほざいたのだろうかと先の自分を殴り付けてやりたい。

 外の生命はここでは生きられないのだ。この世界は在り方そのものが魂を削り、正気を侵す。こんな場所に生息するモノがマトモなはずがない。

 渚は大量の脂汗を流しながらピスティスの言う通りに引き返すことにした。

 来た道に戻ろうと背後を振り向く。

 

「クゥン」

 

 可愛らしく首を傾げる犬みたいな生物がいた。

 大きくはない、チワワくらいの小さな小型種だ。

 気配を全く感じなかった。

 

『ナギサ、回避!』

 

 瞬間、死の気配に襲われた。

 渚は反射的に横へ飛ぶ。同時に立っていた場所が隆起して鋭利な地柱が突き上がる。留まっていたら串刺しどころか粉々になっていた。

 

「敵!?」

 

 渚が周囲を窺う。

 どこから狙われた? 異能が発動する際に発生する魔力すら検知出来なかった。

 

『ナギサ、敵はあの小型種』

「あの子犬がやったのか!?」

『凄まじい気配遮断。森の魔素と一体化していると言っても過言ではない。逃がせば厄介、すぐに倒す』

 

 返事代わりに"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"を投擲する。

 洸剣を前に子犬は地面を押し上げて壁を造り上げた。

 光の剣と大地の盾が激突する。

 衝撃による突風と爆音で森がざわめく。

 

「……ウソだろ」

 

 "聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"は壁に深々と刺さっていたが止められていた。

 まさか貫けないと思っていなかった渚は一瞬だけ意識を驚愕に染めてしまう。

 それは隙となり、子犬は牙を剥き出しにして可愛らしい顔を(おぞ)ましいモノへと変貌させながら渚を見た。

 

 ──攻撃が来る。

 

 そう思った瞬間、渚の左肩から鮮血が舞う。

 背後で軽快な着地音がする。

 少し離れた場所に子犬はいた。可愛らしく尻尾を振りながらクチャクチャと肉を咀嚼(そしゃく)する音をさせている。

 

()ぅ、喰われたのか……?」

 

 見えなかった、速すぎる。

 子犬はトテトテと渚へ体を向けた。その口は真っ赤に染まっており、狂喜する瞳は肉を喰わせろと訴え掛けていた。

 渚は肩の出血を抑えながら前方に"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"を展開して斥力フィールドを発動させた。

 間一髪、子犬はフィールドにブチ当たり跳ね返されて地面に転がる。

 その隙は逃さない。すぐに追い討ちを掛けるため駆け出すが邪魔するように地面から円錐形の巨針が突き上がる。

 

「邪魔クセェ!」

 

 行く手を阻む円錐形を洸剣で薙ぎ払う。

 その間に子犬は体勢を立て直して距離を取った。

 小さく舌打ちしながら油断なく子犬を見据える。見た目にそぐわず戦い慣れている。

 

『ナギサ、あの魔物は"ルオゾール大森林"を覆う魔素を身体能力の強化及び異能の発現に使用している。恐らく戦闘力はコカビエルやヴァーリ・ルシファーに匹敵する、油断は禁物』

「言われて納得だ。……ティス、肩の出血が不味い。止められるか?」

『生命力を活性化させる。完全な治癒は難しいが血は止まる』

「頼んだ」

 

 渚は"蒼"を解放して子犬と対峙する。

 "聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"を展開して"冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)"を装備。今ある全力で自らよりも小さな犬に挑む。

 両者は命を奪い合うため地を駆けた。だが、そんな二人の間に真っ赤な光と灼熱の疾風が割り込んでくる。

 

(あつ)ッ、なんだ!?」

 

 いきなり出てきた熱波から離脱する。同時に正面の子犬が消えて、代わりに巨大な影が現れる。ソイツは子犬を丸飲みにすると横目で渚を見下ろした。

 それは溶岩を引き連れた恐竜(ティラノサウルス)だった。彼が現れたのを皮切りに周囲の風景が一変する。深い森林が煮え滾る溶岩地帯へ変貌したのだ。

 

「なっ……!」

『固有境界の流出を確認』

「ティス、何が起こってる!?」

『有り余る莫大な森の魔素で自らに適した環境──"異界"を造り上げている。ナギサ、アレは魔物というより自然災害が形になった神性生物に近い。今までの相手とはレベルが違う』

 

 煮え滾るマグマが大樹を焼け溶かす。

 焦熱地獄の権化が渚を見て舌滑(したな)めずりをする。

 どうやら極上の餌と認識されてしまったようだ。

 強烈なプレッシャーに全身が強張るが、動かなければ間違いなく死ぬ。

 渚は全力で死から逃れるため拳に力を込める。

 

「術式!!」

『了解』

 

 "冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)"に"蒼"を装填すると装甲がスライドして冥 天 核(アトラクト・コア)が露出。赤黒い波動が吹き出す。

 

『術式解放』

漆黒の(ジオ)……焉撃(インパクト)ォ!」

 

 渚は迫り来る脅威に対して最高の一撃で反撃する。

 指向性のある重力の塊は正確に"溶岩の恐竜"を捉え、超重力の中へ呑み込む。

 

 ──決まった! 

 

 万の軍勢を押し潰した最強の一撃だ。直撃して無傷はありえない。

 そう思っていた。

 "溶岩の恐竜"が造り上げたマグマが活発にうねりを上げて熱光が漆黒を超重力を焼き千切る。

 

「グォオオオオオオオオッッッッ!!!!!!!!」

 

 怒れるは"溶岩の恐竜"。

 恐るべき暴威を以て暗黒を捩じ伏せて雄叫びを上げる。

 

「耐えただと? 今出せる最強の一撃だぞ……」

『問題ない。一撃でダメなら二撃目で仕留めればいい』

 

 コカビエルやヴァーリすら倒した一撃に耐えた化物だが流石に無傷とは行かず半身が潰れて重傷だった。

 

「アレを受けて生きてる時点でおかしいだろ」

『大した生命力。けれど倒せない敵じゃない』

「だな!」

 

 渚は二擊目を繰り出そうとすると駆け出す。対して"溶岩の恐竜"は大地を踏み締めて吠える。大気を轟かせた咆哮は物理的な一撃となって渚をぶっ飛ばす。

 

「がぁ!」

 

 酷い耳なりに苛立ちながらも上手く着地する。

 

悪足掻(わるあが)きを……!」

 

 悪態を吐きながら顔をあげた。睨んだ先で驚愕の光景を目にする。マグマが"溶岩の恐竜"に吸い寄せられると欠損した半身を再生させていたのだ。

 

「厄介な!」

 

 再び攻撃を与えようと動き出すが遅かった。

 "溶岩の恐竜"の半身はより強靭となって生まれ変わる。ならば次は再生が間に合わないくらいのダメージを与えるだけだ。もう一度、だが次は確実に討ち倒す。

 渚は"魔拳(ゲペニクス)"に"蒼"を装填する。"溶岩の恐竜"は攻撃がくると察したのか、地面からのマグマを噴出させて津波のように操る。視界全体にマグマの壁が広がる、渚を呑み込む腹積もりらしい。

 

「丸ごと消し飛ばす! 漆黒の焉撃(ジオ・インパクト)ッ!!」

 

 前方のマグマを宣言通りに消し飛ばす。そして二撃目を撃とうとした。

 だが"溶岩の恐竜"の姿がない。

 

 「(──倒した? いやだとしても残骸くらいは残っていても良いはずだ。なら何処に……?)」

 

 渚が"溶岩の恐竜"を探していると上空から巨大な物体が落下して地面を踏みつけて隆起させた。小さな渚は空中に投げ出される。

 

「上かよ!」

 

 マグマを隠れ(みの)に上空からの奇襲。脳ミソまで筋肉みたいな外見で中々に考えている。

 渚は天地がひっくり返った体勢で、(なお)も構えた。"溶岩の恐竜"と視線と死線を交わす。互いに狙うは相手の命だ。

 "魔拳(ゲペニクス)"が渚の意思に呼応すると冥 天 核(アトラクト・コア)が黒く輝いて闇の波動を(まと)った。腰を捻り、肩を上げて、腕を引いて拳を作る。あとは解き放つだけだ。

 

「(こっちが速い)」

 

 (いま)だに相手は攻撃態勢に入っていなかった。何かされる前に拳を繰り出そうとする。しかし次の瞬間視線の先にいた"溶岩の恐竜"が液状に変化して崩れた。足元にマグマ溜まりが残る。

 

「……は?」

 

 溶けた……?

 急な出来事に呆気に取られているとマグマ溜まりが盛り上がり、後ろに"溶岩の恐竜"が現れる。フェイント攻撃だと気づいた頃には鋭い牙に囲まれていた。

 

 ──不味い、死ぬ! 

 

 渚の確信はピスティスの横やりで回避される。

 

『斥力フィールド、展開』

 

 6本の"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"が花開くように展開。斥力フィールドが大牙を受け止める。

 ガキィンッ!!!! 

 硬い物同士がぶつかり合う音が耳に轟くと同時に強烈な浮遊感が全身を襲う。

 フィールドごと噛みつかれ口の中に拾われたのだ。

 堅牢な斥力フィールドに阻まれて口の中にいる()を噛めない苛立ちからか半狂乱状態になって暴れまわる"溶岩の恐竜"。痛みを知らないのか容赦なく首を使って木々に体当たりを繰り返す。

 

 ──ギシリと嫌な音がした。

 

 恐ろしい事に斥力フィールドが軋みをあげている。気を抜いたら防御ごと噛み潰されるだろう。

 しかし"溶岩の恐竜"はそれだけでは済まさない。口内の奥が火の粉を散らす。まさか……と思った時には炎が吐き出された。光に目が眩み、熱が肌を妬く。フィールドが更に悲鳴をあげて崩壊を始める。

 渚は生と死を(わか)つ"洸剣"に手をかざすと"蒼"を装填。

 

「ティス、全力だ!!」

『力の解放を承認。"蒼 獄 界 炉(クァエルレース・ケントルム)"の出力25%まで上限解放。──聖 天 核(リパルション・コア)、起動』

 

 全ての洸剣が形状を変化させて宝玉を展開。

 "溶岩の恐竜"が放つ炎光に劣らない聖光を放出する。

 

詠唱破棄(コード・キャンセル)、"聖域・削(ペネトレイト・ルミナス)"』

 

 フィールドを展開する洸剣たちが回転を始めると切っ先を"溶岩の恐竜"へ向けた。

 転瞬、今までとは比べ物にならない斥力が槍のような鋭利さで"溶岩の恐竜"の首を抉り跳ばす。

 その反動で口内から脱出する渚。死地からの生還に安堵しつつ立ちあがるも恐るべきものを目にする。"溶岩の恐竜"はマグマを吸収して新しい頭を生み出していたのだ。まさに悪夢のようだと顔を歪める。

 

「不死身かよ……!」

 

 6本の洸剣を手腕で操り脚を斬り跳ばす。"溶岩の恐竜"が倒れ込むがマグマが集まり修復を始めた。……キリがない。

 

『ナギサ、対象は魔素を取り込んで再生する模様』

「みたいだ、どうやって殺す……?」

「原子レベルまで消滅させる。溶岩地帯全域を"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"で囲むように設置してほしい』

 

 渚は返事をせずにピスティスの指示に従う。

 "溶岩の魔物"を中心に六方へ"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"を突き刺す。

 点となった洸剣たちが線を結び、地面に複雑な陣を描く。渚は暴れ出る霊氣に危機感を覚え、その場から大きく跳び退いた。

 再生を終えた"溶岩の恐竜"が渚を追うが取り囲むように設置された"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"が結界となり、閉じ込められている。

 

『術式解放──"審擊の聖柩(ディバイン・クルセイド)"』

 

 凄絶な聖光が"溶岩の恐竜"を呑み込む。

 光は大樹の傘を突き抜け、空を貫かんばかりに昇る。その威力たるや周囲の魔素ごと"溶岩の恐竜"を分解して消滅させた。

 渚は光と暴風に為す術もなく森の中を転げ回って大樹に背中を激しくブツけて悶絶する。

 やがて光が無くなり元の薄暗い森へ戻る。

 

「なんとかなったか……」

 

 背中を預けていた大樹から立ち上がり、よろめきながらも歩き出す。

 消耗が半端ない。また同じ事をやれと言われたら断固拒否だ。

 

『離脱を推奨。力を使い過ぎた、これ以上の"蒼"の使用は生命維持に関わる』

「あれだけ暴れたんだ、当然だな」

 

 頭がクラクラするし、身体も思う通りに動かない。

 渚は木々に身体を預けながらズルズルと引き摺るように森の外側へ急ぐ。

 今回の事でハッキリした。

 "ルオゾール大森林"の深奥は突破不可能だ。戦ったのはたった2匹の魔物だが、どれも強すぎた。

 あんなのが複数で襲ってきたら他人を守る余裕など無くなる。遠回りになるが迂回しなければならないだろう。

 渚は自嘲気味に嗤う。

 

「慢心してたかな」

 

 "蒼"があるからと何処(どこ)か楽観していた。

 コカビエルやヴァーリを退(しりぞ)けて調子に乗っていたのかもしれない。渚は世界の広さを痛感しながら前へ進む。

 次に何か会ったら笑えないな……なんて思ったのが災いしたのか。木々の影から魔物が現れた。

 

「グルルッ……」

 

 喉を鳴らす唸り声に身の毛がよだつ。

 今度は6mは越えようかという巨大熊のような奴だ、しかも"溶岩の恐竜"に勝るとも劣らないプレッシャーを放っている。恐らく同格の魔物だろう。

 

「そりゃ冗談キツいぜ……」

 

 思わず笑いがこぼれた。全身に巡る疲労と激痛で頭が可笑しくなっていたのかもしれない。

 巨大な熊は渚を見るなり爪を伸ばして襲い掛かってきた。

 満身創痍な肉体に鞭を打って紙一重で躱す。

 ここから逃げるために走り出そうとする渚だったが、雷撃が身体を貫いた。

 

 ──"稲妻の魔熊"。

 

 そう形容して良い魔物は先の"溶岩の恐竜"と同様に周囲の魔素を自らの適した環境へと変異させる。溶岩地帯から生き残ったと安心したら、今度は荒れ狂う稲妻が降り注ぐ危険地帯にいる。

 全く運がない。

 稲妻の直撃で動けずにいる。鋭い痛みと痺れが駆け巡り、立てないのだ。

 不味いと思うが既に状況は詰みである。

 渚は這いずるように身体を動かすが、魔熊は爪を振り下ろす。

 

「キシャアアアア!!!」

 

 その爪は渚を貫かなかった。

 新たな魔物が魔熊に襲い掛かったのだ。

 今度は大蛇だった。胴回りだけでも渚が両手を広げても足りやしない。

 大蛇もまた環境を侵食する。出来たのは毒の沼だ。あらゆる物を溶かす(ぬめ)りのある液体が溢れかえる様は見ていて恐怖を煽る。

 

──"猛毒の大蛇"

 

 陳腐(ちんぷ)だが、そんな名前が脳裏を(よぎ)る。

 渚は毒沼から逃れるため痺れる体を(もが)くように引き()って待避する。

 片や周囲に雷を落として炸裂の中心にいる魔熊、片や周囲に毒を撒き散らして溶かす大蛇。

 膨大な魔素が、稲妻の(ほとばし)る地獄と猛毒が支配する地獄を造り上げる。全く違う世界の(ことわり)同士が衝突し合っている異様な光景だ。

 どう足掻いても助かる未来が見えない状況だ。

 稲妻に壊されるか、猛毒に侵されるか二つに一つしかない。

 

「とんだ動物園に来ちまったな」

 

 渚は再び笑った。先とは違う生きる意思を示す生者の笑みだ。シアウィンクスに死なないと約束した。だからあの2匹をぶっ殺して生還しなければならない。

 

「ティス、状況を打破する」

『"蒼"はナギサの肉体が持たない。これ以上はやるならあの者を使う必要がある──』

「あの者……? なるほど"鎖の人"か。ティス、この場を切り抜けられるなら彼女を呼びたい」

『危険。きっとナギサは後悔する』

「ティスが言うならそうなんだろうな。けど俺は死ねない、やらせてくれ」

『……分かった、"黄昏"を呼ぶ』

 

 ヨロヨロと死に損ないの姿で立ち上がる。

 その弱々しい渚を魔物たちが同時に見た。余程、美味そうに見えるのか、双方逃がしてくれそうにない。

 

「何、ガンくれてんだよ。……文句があるなら掛かってこい!」

 

 渚が"黄昏"を使おうと立ち上がるも力が抜けて前のめりに倒れそうになる。

 

「ち、カッコ悪いのな。……ティス!」

『"蒼獄界炉"が(くさび)にて、深蒼なる深淵へ囚われた古き(けもの)を解き放つ。解錠──"黄 獄 獸 鵺(クレプスクルム・アウルムレオス)"』

 

 渚の前に黄金の物体が現れる。これを鍵にも剣にも見える奇っ怪な物だった。触れれば"黄昏"と呼ばれる者がやって来るのだろう。

 

「ガァアアアアア!!!!!」

「キシャアアアア!!!!!」

 

 魔物たちが脇目も振らず渚へ突進してくる。どうやら本能で渚が呼ぼうとする者に危機感を覚えたようだ。

 鍵を手に取って柄を廻す。

 

『「来い(来たれ)、"喰らい尽くす者(ヴォア・アエテルヌス)"」』

 

 黄金が砕け、次元が裂ける。

 鎖の擦れる音と共に現れたのはボロい布切れを着た奴隷のような黒髪の美女だ。

 ふわりと長い黒髪を広げて爪先から地面を踏みしめる黒髪の美女。ゆっくりとした動作で迫る魔熊と大蛇を一瞥するが気にした様子もなく渚へ振り返った。

 

「ば、ばか、避けろ!?」

 

 彼女が危険に対してあまりにも無防備に背中を向けたので警告する。まさかこの状況でこんな暴挙に出るとは予想していなかった。焦る渚を他所に彼女は笑顔で(ひざまづ)く。

 

「アナタ様に呼ばれる日が来ようとは、まさに恐悦至極でございます。……しかし深蒼よりやって来たばかりのワタクシでは現状を把握できておりません。どうかこの卑しき愚か者に何を為せば良いかをご教授くださ──」

 

 渚に質問を投げ掛ける彼女が魔熊の爪に貫かれて電撃を浴びる。渚は衝撃で弾き飛ばされてしまう。

 そんなバカな──! 

 魔熊の爪に突き刺さった彼女は電撃を浴び続けていた。あんな状態では生きてはいられない。

 大蛇もまた標的を渚から彼女へ切り換え、魔熊へ襲い掛かる。

 2匹が(もつ)れ合い、稲妻と猛毒が周囲に広がった。争いの中心にいた彼女は稲妻に続き猛毒に全身を溶かされる。もはや筋繊維が剥き出しになり美しかった名残(なごり)はない。

 

「なんとも邪魔な……」

 

 凍てつくような声が冷たく響く。

 決して大きくはないのに、渚の耳にはあらゆる雑音を越えて彼女の声が届いた。

 瞬間、魔熊が悲鳴にも似た叫びを上げる。彼女の細腕が丸太ような魔熊の腕を引き千切ったのだ。

 

「軽く()でる程度の力で抜けるとは(もろ)(はかな)きこと……」

 

 魔熊の爪に貫かれたまま着地すると獸のような眼光で睨み付ける。その圧力を前に魔熊だけではなく大蛇も(ひる)んで動きを止めた。

 その間に深々と刺さる爪を荒々しく抜き取ると焦げ溶けた体を見る見る内に再生させていく。

 そして魔熊と大蛇を交互に見るや真っ赤な舌で唇を小さく舐めた。

 

「どうやらワタクシはお腹が減っているようでありんす。ナギサ様の(めい)を受ける身であれ万全を()すが為、食と(いた)しんしょう」

 

 渚と話す時とは違う口調。

 何処か妖艶さを感じさせる様子で彼女が左手を前に出す。細い指先には一切の力が入っていないが渚には獰猛な(あぎと)に思えた。

 彼女が(あで)やかに微笑む。

 

()いしとうござりんす。愛でるべき肉体、無垢なるや魂、その儚きし()さえも……」

 

 それは一瞬の出来事だった。

 彼女の細腕が昏い炎のようなオーラを放つと影のような(けもの)に変容して魔熊の上半身を噛み砕いたのだ。

 血の雨が森を赤く染める。噴水のように鮮血を降り注がせる下半身が何歩か後ろに後退りして倒れると痙攣しながら地面に内臓を散撒(ばらま)いた。

 大元が絶命しても未だにバチバチと炸裂する稲妻を物ともせずに肉ごと骨を喰らう。いや稲妻すらも糧にしていた。血の一滴すら溢さなかった(けもの)がぬるりと鎌首(かまくび)をもたげて大蛇を見た。

 その瞳のない(あぎと)は無言でこう言う。

 

 ──ツギ ハ オマエ ダ。

 

 危機感からか大蛇は周囲の魔素に干渉して更なる環境変化を強要する。地面から泡立つ紫色の液体が噴火したように舞い昇り、大気すら致死量の毒へ変貌する。触れただけで溶解してしまう領域は生きとし生けるものを否定する毒沼そのものだ。

 渚は動くようになった体で地を蹴ると大樹の上に避難する。毒沼は津波が如く辺り一面に広がり、瘴気で満たす。あの中に入って生き残れるヤツは渚の知る限りいない。例え不死のフェニックスでも精神ごと全てを侵され溶け消えるだろう。

 あまりにも理解の外にある力だ。犬、恐竜、熊、蛇といい。どれが人間界に現れても災害レベルに匹敵する被害を与えるだろう。被害を考えればヴァーリやコカビエルの相手をしてる方がマシと思える。

 

「キシャアアアア!!!!」

 

 死ねと呪詛(じゅそ)を吐くように大蛇が彼女を威嚇する。渚と違ってその場を動かずにいた代償は大きく、毒という毒に包囲されて逃げ場が塞がっている。

 彼女が諦めたように顔を俯かせた。その身で表すのは憤怒か絶望か……。渚は救出しようと身を乗り出すが瘴気を吸ってしまい吐血する。

 

「がっ!」

 

 少量で肺がダメージを受けた。凄まじい毒素だ、"蒼"によって常人とは比べ物にならない肉体強度を持つ渚ですら容赦なく殺される。これでは近づけない。

 

「ガハッ、ゴホッ! クソッ!!」

 

 咳き込む渚を彼女が見上げていた。

 

「主さまが血を……?」

 

 二人の視線が交差する。

 渚は心臓が止まるかと思った。彼女の目は深淵の空洞みたいな暗黒色だったからだ。光のない目は何故か驚いたように見開かれていた。

 彼女が小さく肩を揺らす。

 

「よくも……よくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくも……ヨクモォ!」

 

 闇閻(あんえん)たる憎悪が禍々しいオーラの帳となり、彼女自身を喰い尽くさんと覆う。

 

()()()()()()()()と思い、苦しまずに喰らうてやろと思ったが気が変わりんした……」

 

 オーラの帳が弾けて中から実態のない闇色の獸が現れる。首だけしかないにも関わらず大蛇を一呑みにしてしまいそうな大きさだ。

 

「マズハ……コレカラ」

 

 獸が呻くと周囲の毒沼が吸い寄せられていく。闇色の獸は毒を取り込んで実態のない体を更に巨大化させたのた。

 

「毒の領域が消えていく?」

『世界を異境へ変質させる力は凄まじい。しかしそれは膨大な魔素が在ってこその所業。今アレは"ルオゾール大森林"の魔素を喰い荒らしている。あの様子だと数秒で周囲の魔素は消失する。そうなれば猛毒領域の維持ができない』

 

 簡単には言うが実際はとんでもない事をしている。

 この"ルオゾール大森林"の魔素は常軌を逸したレベルの量と質を(あわ)せ持つ。一握り程度ですら上級悪魔クラスの魔力量を優に越える。

 それだからこそ、ここの魔物はどれもが強靭かつ強力なのだ。

 

「魔素をそんなに取り込んで大丈夫なのか?」

『問題ない。アレは元よりああいう者、あらゆるモノを糧とし破滅を体現する界滅の窯。"蒼 獄 界 炉(クァエルレース・ケントルム)"とは似て否なる対存在──"黄 獄 獸 鵺(クレプスクルム・アウルムレオス)"』

 

 漆黒の(あぎと)が大蛇に噛み付くと荒々しく振り回しながら肉と魔素を啜る。まさに暴力そのものが大蛇を削り取り、糧にされて逝くさまは弱肉強食の世界そのものだ。

 

「凄いな。流石にここまではとは思わなかった……」

 

 顔を引き釣らせる渚。

 初めて会ったとき彼女は自分を指して暴力と言ったが、ここまで凶悪だと納得せざるえない。

 

『アレは蒼に属する御神刀(ユズリハ)洸剣(フリューゲル)魔拳(ゲペニクス)とは全く別の力。だから私でも完全に制御が出来ない。いずれナギサを内部から支配する可能性もある。……とても危険』

「大丈夫さ。そうならないようにしてくれるんだろ?」

『楽観視は良くない。今のナギサはアレの恐ろしさを理解していない』

「見ていて分かるよ。彼女の力は普通じゃない。あの魔熊や大蛇を圧倒してるんだ。ただ俺とティスなら彼女を押さえて上手くやれるって信じてる。ま、勝手な信頼かもしれないけど、かなり頼りにしてるんだぞ?」

 

 大蛇を(なぶ)る獸を侮っている訳じゃない。

 ただ彼女以上に頼れる者がいる、だから渚は平常でいられるのだ。

 

『ほんと? 私、ナギサに大切なことを話してない』

「記憶の事か? そこは割りと、どうでもいいさ。思い出せない過去よりも今から作る未来が大事だろ。俺の未来設計に力を貸してくれないか。なんか色々面倒そうな俺だ、ティスがいれば心強い」

『絶対、力になる』

「助かる」

『うん』

 

 そんな会話をしている内に大蛇が喰い尽くされた。

 渚は大樹から降りると、それに気づいた揺らめく実体のない影が寄ってきた。その体は徐々に小さくなり、やがて元の美女姿に戻ると小走りで駆け寄ってくる。

 

「お体はご無事でありんす!?」

 

 ペタペタと身体中に触れられた。

 

「あぁこんなにも傷だらけ……。誰がやり申した?」

 

 ビリビリと殺意を滾らせる彼女に渚は冷や汗を流す。

 

「今、食べた奴だ」

「なんという! ならばもっと徹底的に殺せばようござりんした」

 

 こうして話して思うが妙に個性的な言葉を使う人だ。

 

花魁(おいらん)が使っていた言葉に近い言語』

「おいらん? なんでまた?」

 

 渚の疑問に彼女は恥じるように顔を背けた。

 

「ゆ、ユズリハさんの影響でありんす」

「譲刃が?」

 

 意外な人物だ。譲刃は普通に標準語を話していた。花魁語なんて譲刃の口から聞いたことがない。

 まぁ、別に不快じゃないから良いんだが……。

 

「話し方は良いとして、一つ大事な事を聞きたいんだけどいか?」

「なんなりと」

「名前、何て言うの?」

 

 これから仲良くやっていくのに名前ぐらい知っておくべきだろうと聞いた。

 

「名はありません」

「無いのか?」

「はい」

「不便だな、付けていいか……?」

「主様が直々に!?」

「わ、悪い、嫌ならいいんだ」

「め、滅相もなしでありんし!」

 

 食い気味に彼女は答える。何かと恐ろしい人だけど案外話しやすい。

 

「そ、そか。とりあえず考えとく」

「はい!」

 

 "ルオゾール大森林"の脅威を身をもって味わった渚だが"黄昏"を得たのは大きい。この力は間違いなくここの魔物に有効だ。それに森の中層までは安全に移動できることも確認できた。死にそうになったが中々の快挙ではないだろうか。

 しかしまだまだやることは多い。森へ籠っていた間にバアルが何らかの動きを見せた可能性もある。

 渚はズタボロな身体で急ぎ帰還するだった。

 



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目指すべき場所《Turning Point》


誤字を修正しました。



 

 ──蒼井 渚によりガイナンゼ・バアルの軍勢が瓦解した時とほぼ同時刻。

 

「アーサー、感じたか?」

「えぇ。微細ですが力の波動を感じました。かなり遠くからのようですが大規模な戦闘があったのは確実です」

 

 荒れた広野で語るは、ヴァーリ・ルシファーとアーサー・ペンドラゴン。二人は同じ方向を見ていた。一見して何もない場所だが、その遥か彼方には目指すべき旧ルシファー領土が存在する。

 

「黒歌の怪しげな占いも役に立つ。彼女の言った通りだ、ルフェイ・ペンドラゴンは間違いなく旧ルシファー領土にいる」

「早計では? 今の力はルフェイとは関係ない。どうして貴方は確信を持って言えるのですか?」

 

 その質問にヴァーリは笑みを浮かべた。

 

「この波動は間違いなく蒼井 渚のモノだ。直接受けたことがあるから間違いない」

 

 アーサーが興味深そうに眼鏡をクイッと直す。

 

「貴方程の人が敗北を(きっ)したという方ですね」

「ああ、いつかリベンジマッチをさせてもらう人間さ。しかもアザゼルからの情報で彼は今、強制召喚により行方不明らしい。奇しくもアーサーの妹と同じと言うわけだ」

「成る程。ルフェイは強制召喚により行方を(くら)ませた。ならば同じ場所にいる可能性が高い」

「最近起こっている誘拐騒ぎは悪魔絡みという黒歌の読みも正しかったようだ」

「彼女には礼をしなければなりませんね、紹介してくれた貴方にも……」

「キミの妹の捜索と救助が俺のチームに入る条件だ。お互いにフェアな契約さ」

「契約ですか。悪魔らしい言葉です」

「お気に召さないかい?」

「いいえ。冥界に来る手段がない私にとっては益のある契約ですよ」

「俺もこんな形で里帰りするとは思わなかった」

 

 肩を竦めるヴァーリにアーサーは問いかける、

 

「貴方はその力ゆえに旧ルシファー領土から追われたと聞きます。今さら戻って大丈夫なのですか?」

「それこそ今さらだ。俺はルシファーと言う名を誇りに思っていない。魔王ではなく白龍皇として生きると決めているからね」

「フッ、無用な問答でした」

「知り合ったばかりだ、無用なんて思わないさ。それよりも急ぐか? 妹が行方不明となって一ヶ月は経っているのだろう?」

「いいえ。あの子は聡明で魔法の実力も高い。慌てる必要はないでしょう」

 

 冷静さを崩さないアーサーだったが、その足取りは先程より速かったのをヴァーリは見逃さなかった。なんだかんだで妹が心配なのだろう。

 

「俺も異母姉(あね)に会うのだが、果たしてどうなることやら」

 

 ヴァーリとしては微妙な心境だ。

 異母姉は失踪した父と祖母に代わり、旧ルシファーを支えているという。領土について秘密裏に調べた所、領民からは好かれているそうだ。

 恐らく母側に似たのだろう。

 ヴァーリが知る限り父と祖父の性格は最悪だ。傲慢かつ卑劣で弱者を痛ぶる事で愉悦に(ひた)る悪魔らしい悪魔、他者など自らの踏み台としか考えていない生粋の下劣。そんな奴が領民から支持を得られるわけがない。ヴァーリも幼少期は随分と可愛がられたものだ。出会えば殺してしまうほどの借りがある。

 異母姉に会ってしまったら自分はどうするのだろうか? 

 温室で育った彼女を恨むかもしれないし、案外どうとも思わない事もあり得る。

 

「どうしました、ヴァーリ?」

 

 歩みを止めていたヴァーリが首を振った。

 

「いや、気にしないでくれ。どうやら会えるのを楽しみにしていたようだ」

 

 シアウィンクスだけではない。その背後に見え隠れする蒼井 渚もだ。

 旧ルシファー領で彼が既に暴れていると言うことに争いの予感がしてならない。

 ヴァーリは戦いの予感に胸を踊らせながらアーサーに追い付くのだった。

 

 

 

 

 ●◯

 

 

 

 

 蒼井 渚によりガイナンゼ・バアルの軍勢が瓦解した翌日。

 

 ──バアル城。

 

 白い玉座の前にはバアルの兄弟たちが集っていた。

 バアル家当主である大王は玉座の隣に立つ補佐を見る。

 美しい妙齢な女性は開いた扇子で口辺りを隠しながら頷くと前へ出てバアルの兄弟達を見下ろす。

 

「ガイナンゼ」

「ハッ」

 

 女性に呼ばれ、頭を深く下げる。

 

「旧ルシファー領に送った兵が全滅した事に対する弁明は?」

「ありません」

「……だ、そうですよ。大王」

「う、うむ。しかしガイナンゼは怪我を負って療養していたのだろう? 聞けば副官も置いて来たらしいではないか。レギーナ、そう責めることもあるまい?」

 

 宰相(さいしょう)の顔を色を窺うような姿はバアルが誇る大王としては頼り無さが目立つ。

 だが4人の息子は馴れた様子で何も言わない。

 この男は無能ではないが決定能力に欠けており、誰かに意見を求めてしまう癖があるのだ。今も隣に立つ宰相(さいしょう)、レギーナ・ティラウヌスの顔を気にしている始末だ。

 

「なりませんよ、大王。部隊の失態は指揮官の責任。副官に指揮を預けていたとは言え、トップはガイナンゼです」

「療養しながら女遊びしてたしねぇ」

「……」

 

 エルンストがニヤニヤと笑いながらガイナンゼを見るが巌のような顔は瞑目するだけで何も言わない。ここで争うつもりはないようだ。

 

「ノリが悪いなぁ。いつもみたいに『黙れ、殺すぞ』くらい言いなよ、寂しくて泣いちゃうぞぉ」

「御前だ。見苦しい真似はせん」

「ガイナンゼの言う通りだ。エルンスト、ここは悪ふざけをする場ではないぞ」

「サイラオーグ兄さんはガイナンゼ兄さんの味方かぁ」

「エルンスト。あまり軽口は……」

「えぇ~マグダランもぉ。随分と嫌われちゃったね、因みに"兄上"を忘れてないかい。無礼な弟は粛清するよ?」

 

 緩やかな"滅び"の気配にサイラオーグがエルンストを鋭い視線で射抜く。

 

「マグダランに何をする気だ」

「何って、そりゃあ、ね?」

「やめろ」

「なんでサイラオーグ兄さんが止めるのさ? これは僕とマグダランの問題だ」

「兄だからだ」

「……無能が」

 

 黙っていたガイナンゼが小さく呟く。その顔には苛立ちが含まれていた。サイラオーグはガイナンゼの悪態を聞いても凜然と胸を張る。

 

「それでも兄だ」

「ふん」

 

 だからなんだ、と鼻で笑いながらガイナンゼは控えた。サイラオーグと無駄な口論をして場を乱したくないからだ。バアル兄弟で最も粗暴な彼こそが、この場では一番大人の対応を見せた。

 

「サイラオーグ、過度な干渉はやめて頂きたい」

 

 マグダランはサイラオーグに目を合わせずハッキリと答える。

 

「だがエルンストは──」

「貴方に庇われる方が屈辱だ」

「ふふふ。"滅び"を持たないサイラオーグ兄さんは次期大王の椅子をマグダランを倒して用意させたからね。そのお陰でマグダランは誰よりも大王から遠くなった。可哀想だよ、実にね」

 

 クスクスと小馬鹿にするエルンストにサイラオーグが顔を歪めた。大王になるための素質がなかったサイラオーグは"滅び"とは違う力を誇示する必要があった。だからマグダランと御前試合を行い、打ち勝ってこの継承者争いに参戦した過去を持つ。マグダランが嫌いなわけではない。しかし大王という称号を得るためには倒さなければならなかった。結果、マグダランがバアルに相応しくないと(かろ)んじられようともだ。

 

「サイラオーグ、貴方は後からやって来てバアルの内情を踏み荒らしている。俺は貴方が嫌いだ、あの時の試合がエルンストやガイナンゼだった方が遥かに救われたと思う。例え殺されていたとしても」

「……マグダラン」

「ふっ」

「無能と低能は苦労するね」

 

 ガイナンゼが口で弧を描き、エルンストが笑顔で貶す。

 

「いつまで無駄話をするのですか?」

 

 レギーナがパンっと扇子を閉じると兄妹達を黙らせる。

 その瞳は冷たく重い。女性でありながら、この場の誰よりも巨大な圧力を放っている。

 バアルの大王もレギーナの剣呑さに身体を小さく震わせていた。

 

「ガイナンゼ、もう一度だけ聞きますよ? バアルの軍勢を無駄にした貴方はどう責任を取るのですか?」

「旧ルシファー領の侵攻は私が始めこと、必ずやシアウィンクス・ルシファーは物にします」

「だから兵を貸せと?」

「私の私兵の半数は死んだようなので」

「継承者争いに大王の威光を借りるのは容認できません」

「一人で行けと言うのならそうします。しかし我が軍勢を滅ぼす程の力が旧ルシファー側にあるならば念には念を押しておきたくあります」

「確かにそれは懸念材料ではありますね。ガイナンゼ、貴方に兵を貸し与えます。大王、宜しいですね?」

「う、うむ。レギーナが言うのならそうせよ」

 

 その言葉にサイラオーグとマグダランが眉を潜めて、エルンストがバレない程度に肩を竦める。大王が宰相に決定権を委ねている様子に思うところがあるのだろう。

 だがガイナンゼだけは、不気味なほどになんの感情も見せない。ただレギーナへ向けてこう言った。

 

「それで私は何を差し出せば宜しいので?」

「では戦況と戦力を見謝った眼を捧げなさい」

「分かりました」

 

 余りにも自然な流れでの不自然な会話。

 ガイナンゼは迷う素振りもなく片目に指を突き入れた。ブチブチと眼球を抜き出すと繋がる視神経を引き千切る。眼孔から真っ赤な血が流れて顔の半分を染めた。

 

「……これを」

 

 大王とレギーナに光を失った眼球を差し出す。

 余りの光景に誰もが驚いている。

 サイラオーグは表には出さないが内心で……。

 エルンストはサプライズを用意された子供のように。

 マグダランは顔を畏怖と驚愕を隠せずに目を見開いている。

 大王もまたマグダランと同様だ。

 しかしレギーナだけは何一つ変わらずガイナンゼに歩みより眼球を受け取る。

 

「確かに受け取りました。対価を払った以上は私から言うことは何もありません」

「ハッ」

 

 カツカツと靴を鳴らしながら大王の隣に戻るレギーナ。

 

「大王、次の議題を」

「が、ガイナンゼの治療を──」

「人間ではあるまいし、あの程度なら1日放っておいても死にません。これはバアルに恥を掻かせたガイナンゼへの罰でもあるのです。さてエルンスト、例の件を話しなさい」

 

 大王すら意に介さず話を続けるレギーナ。

 ガイナンゼも大人しく従っている異様な光景。

 この場を支配しているのはバアルではなく美しくも恐ろしいレギーナ・ティラウヌス。彼女こそ大王すら逆らわない女帝なのだ。

 そんな彼女を強く見つめるサイラオーグ・バアル。

 まるで挑むような目付きに気づいたレギーナは扇子を広げて口元を隠す。その唇は細く笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 ●◯

 

 

 

 

 大王への謁見が終わってからレギーナはバアル城の自室で資料にまとめていた。

 机の上にある膨大な用紙に目を通しては羽ペンで修正を入れてかなりの速度で仕分けしていく。こうして見ると宰相として優秀である。

 ふと、その手がピタリと止まる。

 

「入りなさい」

 

 そう言うと扉が開いて顔に包帯を巻いたガイナンゼが現れる。

 

「何の用かしら。貴方には旧ルシファー領を落とす準備があるでしょう?」 

 

 机の上で手を組むレギーナにガイナンゼが歩み寄ると片膝を突いた。

 

「此度の件、誠に申し訳ありません」

 

 誠心誠意の謝罪だ。

 傲慢な彼を知っている者がいたら驚愕に(おのの)く姿だ。

 レギーナは静かに席を離れると(ひざまず)くガイナンゼを立たせた。

 そして優しげに笑うと頭を撫でる。

 

「何を言うかと思えばそんな事? ガイナンゼ、貴方は良くやっています」

「治療を早めに切り上げて直ぐに戻るべきでした」

「女遊びをやめて?」

「そ、それは……」

 

 罰が悪そうな顔のガイナンゼに対して慈悲の溢れた顔をするレギーナ。

 

「冗談です。あの状況からひっくり返されるなど誰もが予想出来ないわ。ケガだってアルンフィルから受けたモノと聞きました。あれほど彼の者とは直接戦うなと念を押したのに悪い子です」

(くだん)のメイドはレギーナ様が危険視していたので排除したかったのです」

「それで死に掛けては意味がないわ。ガイナンゼ、貴方はいずれサーゼクスやアジュカをも超える才能を秘めている。けれど未だに道半ば、アレ等と並ぶには経験と研鑽が必要になる。わかりますね?」

「……はい」

 

 母親のように言い聞かせるレギーナに頷くガイナンゼ。

 

「よろしい。それと目の件は謝ります。新しい物を用意させましょう」

「いいえ。この目は誓いです、もう二度と貴方の期待を裏切らないための」

「嬉しいわ。ならばもう行きなさい。あまりここに長居していると要らぬ噂を流される」

「はい。……では最後に一つ聞きたいことがあります」

「何かしら?」

「私が大王になっても隣で支えてくれますか?」

「馬鹿な子ね、当たり前じゃない」

 

 その言葉に満足したのかガイナンゼは満足げに部屋を出て行くと入れ替わるようにエルンストが入ってくる。

 

「や、来たよ」

 

 その瞬間、慈悲のある聖母から冷たい石像のような顔になるレギーナ。

 

「すごい変わり身。僕には笑い掛けてくれないの?」

「必要ないでしょう」

 

 再び資料に目を通し始めるレギーナ。先のガイナンゼの時とはまるで別人のようだ。

 

「怖い人だなぁ。じゃ報告するね、レギーナさんが言った奴は多分まだ現れてない。ただイレギュラーが4つ、旧ルシファー領土に近づいてる」

「イレギュラー?」

 

 気になったのか視線だけをあげるレギーナ。

 エルンストは立てていた4本の指を2本に減らしてニヤつく。

 

「実際には2組だね。どっちも面白いよ?」

「詳細を語りなさい」

 

 聞くべき案件と判断したのか姿勢を正してエルンストに身体ごと向き合う。なんとも覇気のある姿にエルンストは微笑を深くする。

 

「一つ目は白龍皇と聖王剣だね。まだ離れてるけどコイツらは間違いなく旧ルシファー領に来る。なんてたって聖王剣の妹がシアウィンクス側にいるからね」

「ルフェイ・ペンドラゴンですか」

「そ。凄く可愛い娘だよ、しかも魔法にも精通してるし頭もいい。白龍皇はアレかな里帰り?」

 

 レギーナが思慮に耽る。  

 

「厄介な者が敵になりますね。それにしても、この広い冥界で良く探し当てたものです」

「捜索能力の高いヤツでも囲ってるんじゃない? あと厄介って言うならもう一組もだね。目的は不明で最初に痕跡が確認されたのは現政権の首都リリスからだ。何故か真っ直ぐ旧ルシファー領に向かってる謎存在」

「目的は?」

「分かんないなぁ。コイツらは本当に旧ルシファー領にくるかも不明だね。ただ強いよ、文字通り直線距離で目指してるから危険な魔物スポットすら蹴散らしながら驀進してる。間違いなく最上級悪魔以上の実力がある。だから一応報告しておいた」

「仮想敵と考えて行動すべきですね」

「コイツらと()り合えば、あのガイナンゼ兄さんでもキツくない?」

「でしょうね」

「見捨てる?」

「シアウィンクスと旧首都ルシファードは手に入れたいのであり得ませんね」

「シアウィンクスねぇ。確かに可愛いけど、そんなにあの娘って重要なの?」

 

 後継者争いに旧ルシファー領土の攻略をねじ込んだのは他の誰でもなくレギーナだ。表向きは危険思想を持つ旧魔王派の筆頭を管理下に置くと言う題目だが真の目的は首都ルシファードとシアウィンクス・ルシファーの確保だった。

 レギーナはエルンストの質問には答えない代わりに手を翳すと魔方陣から妙な玉を取り出した。

 

「エルンスト、新たな指示を出します」

「ん~なに?」

「私が求めたら"ルオゾール大森林"へ向かいなさい」

「なんで? シアウィンクスがこっそり避難させた民を殺せばいいのかい?」

「そんなモノはガイナンゼが処理します。貴方が行くのは深奥にある霊廟です」

 

 レギーナの言葉にエルンストから笑みが消えた。

 

「流石に死ぬよ? "ルオゾール"の深奥は最上級悪魔すら餌にする"侵魔生物"たちの宝庫だ。あんな世界法則のねじ曲った場所から生きて帰れるのは相当のイカれだけだ」

「なら適任ではないですか?」

「うわ、ひどっ」

 

 レギーナが玉をエルンストへ投げてきた。

 

「これがあれば森が霊廟まで導きます」

「霊廟? なんなのさ、この玉?」

「"始神源性(アルケアルマ)"の(コア)と思われるモノです」

「あるけあるま? 何ソレ?」

「無事に戻れたら話します。霊廟に眠るソレの身体に返せば途方もない力が目覚める、それだけです」

「行きたくないなぁ」

 

 玉を(もてあそ)びながらごねるエルンスト。

 

「私の指示に従えば面白いものが見られますよ」

 

 レギーナの意味深な台詞にエルンストの動きが止まる。

 

「どのくらい?」

「冥界の歴史に残ります」

「本当に?」

「間違いなく」

「それ、いいね♪ そういうのは大好きさ。じゃあ僕も命を掛けようかな。──楽しみだなぁ」

 

 相変わらずの快楽的破滅思考のエルンスト。

 

「エルンスト、行くのはこちらに向かいつつある4つのイレギュラーの力を見てからです。勝手なことをすればあなたの首を跳ばします」

 

 喜気として部屋を出ようとしたエルンストにレギーナが指先一つで呪いをかけた。首に紋様が浮かぶと脈動する。

 

「げっ、ガチのやつじゃん、何すんのさ?」

「こうでもしないと勝手をするでしょう。あなたに託したソレは下手を打てば冥界を滅ぼす代物、私の指示以外で使うことは許しません」

 

 エルンストは呪いをかけたレギーナに憤慨するどころか満面に愉悦を浮かべた。

 

「冥界を滅ぼす? ふふふ、最高だね。ただ僕の期待を裏切ったらレギーナさんでも殺しちゃうから」

「使えば間違いなく期待には答えられるでしょうから黙って従いなさい」

「了解了解♪ じゃ、しばらくは大人しくしてるねぇ」

 

 バタンとドアを閉めて去るエルンスト。

 レギーナは瞳を一度瞬かせて術式を発現させた。それは映像を投影する物見の術。その中では"ルオゾール大森林"の深奥で魔物同士が戦う姿が映されていた。

 それは奇っ怪な映像だった。

 森林を見ているはずなのに暴風と荒波が支配する光景が広がっているのだ。その中心で翼竜と鮫が互いに喰らい合っている。嵐と津波が苛烈な環境となり別世界同士が潰し合っているようにも見える。

 彼らは膨大な魔素を使い、世界を侵食する特別な魔物。レギーナは"侵魔生物"と呼んでいる。これらはどれもが神話級の力を持ち、最上級の悪魔ですら圧倒する怪物たちだ。ソレらの戦いをレギーナは静かに見ていた。

 

「真魔の白龍皇、最強の聖王剣、至高の滅び、原罪の王魔、まだ見ぬイレギュラー。これだけ揃ったのです。貴方を満足させられるかしら──ルオゾール・ディ・ベネディクシオ」

 

 

 

 

 ◯●

 

 

 

 

 蒼井 渚によりガイナンゼ・バアルの軍勢が瓦解した翌々日。

 

 ──現政権の首都リリスと旧ルシファー領の首都ルシファードのほぼ中間地点。

 

 乾いた風が吹き抜ける尾根を二人組の少女が歩く。

 外套とフードで隠されている肉体は華奢(きゃしゃ)ではあるも双方とも険しい道を気にした様子もなく進んでいた。

 ふと尾根が大きく揺れて地面から巨大なワームが出現する。目のない顔に縦線が現れるとヌチャリと滑付(ぬめつ)いた音を鳴らして口を開く。不揃いな牙は見るも(おぞ)ましい。

 

「これが例の魔物かな」

 

 金髪の少女が地面から現れた巨大な魔物を見上げながら隣の銀髪の少女に問う。

 

「そうですね。こうまで大きいと確かに人がエサになるのも頷けます」

 

 この魔物はキリングワームと呼ばれる人食いミミズだ。

 立ち寄った(ふもと)の村では恐れられている害獣である。

 

「取り敢えず退()かしますか」

「もう()っといたよ」

 

 スパンッとキリングワームが斬り跳ばされた。

 同時に刃が鞘に収まる金属音。

 目にも止まらぬ居合いを放ったのはアーシア・アルジェントに憑依中の千叉 譲刃だ。

 斬撃の強風でフードが倒れるも、譲刃はすぐに被り直す。あまり素顔を晒さないためだ。本来のアーシア・アルジェントは戦えない。なのに刀を振り回して大立回りしている姿を見せれば何処かで勘違いさせてしまう。そうなれば色々と不味い。

 アリステアも承知しているので戦闘は任すよう言ったのだが害意を前にすると譲刃は反射的に刀を抜く。

 ここに来るまでも戦闘はあったが全て譲刃が処理していた。彼女の気配察知は渚のソレを越えており、アリステアよりも先に敵を発見してしまうので自然と迎撃してしまうのだ。

 アリステアは反撃機能付きの索敵レーダーみたいな譲刃に呆れと感心を持ちつつ歩き出す。

 

「では先を急ぎましょうか」

 

 アリステアと譲刃が冥界にいるらしい渚を探し初めて数日が過ぎている。

 手懸かりは2日前に遥か南西に感じた"冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)"の(わず)かな残滓(ざんし)のみ。だが渚は既に目覚めて"蒼"を使用している。それだけで充分だった。

 問題は今分かっているのは渚がいた方角だけで居場所じゃない事である。どれだけ進めばいいのか、果てはどこまで進んでいいのかが不明なのが心配の種だ。渚がいるのに素通りなんて可能性もゼロではないのだ。

 そんな考えを胸にしながら悠然とキリングワームの死骸を乗り越えるアリステア。

 そのアイスブルーの瞳が遠方を眺めた。

 尾根を降りた平原で誰かがキリングワームに襲われていたのだ。

 

「人が襲われてますね」

「どこ?」

「あそこです」

 

 指をさすと譲刃が疾走して瞬く間に蟻のように小さくなる。アリステアはその後ろ姿に眺めて面倒そうな顔をするが後を追う。

 

刻流閃裂(こくりゅうせんさ)の使い手はどうしても人を救いたがる(さが)でもあるのでしょうか……」

 

 アリステアが追い付くとキリングワームの群れと譲刃が戯れていた。キリングワームが譲刃を丸飲みにしようとする度に刻まれて行く様を見て助太刀は無用と判断し、アリステアは襲われていた者に近づく。その旅商人風な男は頭にターバンを巻いた優男だ。目は眼鏡のレンズで隠れていて、どうにも顔の印象を掴み辛い。

 

「こんな場所で何をやっているのですか、貴方は?」

 

 声を掛けられた優男は返答に困ったような素振りを見せる。

 

「あわわわわ、助かりましたぁ。ありがとうございます!」

 

 平伏(へいふく)する優男にアリステアは(いぶか)しげな視線を返すが直ぐにを()らして譲刃を見た。彼女は刀に付いた血を払い飛ばしながら寄ってくる。

 

「終わったようですね」

「うん。その人は大丈夫?」

「問題ないでしょう」

 

 ドライな物言いに譲刃が苦笑した。優男はペコペコと頭を下げる。

 

「私、カージャと言います。一応行商人をやっております」

「カージャさんですか。私は……譲刃と言います。こっちはアリステア。今は人探しの旅をしています」

「ほぅ人探しですか?」

 

 キラリとメガネを光らせる。

 

「こう見えて私は様々な町を歩く商人、それなりの情報通でもあります。何か助けになるかもしれません、探し人の特徴を聞かせてもらっても?」

 

 譲刃がアリステアを見た。見られたアリステアは小さく頷く。

 

「髪は黒。身長は175、年齢は10代後半」

「ん~。身体的特徴以外のヒントはありませんか。異能などがあれば、それなりに絞れますよ」

「黒い波動を放つ籠手と光り輝く浮遊する剣を使います」

「あぁ~。なら最近聞いた話にありましたよ。確かバアル軍を殲滅した反逆者です」

「反逆者?」

「はい。2日ぐらい前にバアル軍を黒い波動で蹴散らした人がいるらしいんですよ。表向きには自然災害によるモノと発表されてるんですけどね。噂では6本の光る剣も使っていたとかなんとか」

 

 譲刃とアリステアが顔を見合わせる。漠然とした気配だけの探索は終わりに辿り着いたのだ。

 譲刃はカージャに詰め寄る。

 

「な、なにか?」

「それはどこですか?」

「ここから遥か南西に向かった場所──旧ルシファー領です」

 

 冥界に来て数日。

 やっと手に入れた有益な情報にアリステアと譲刃が顔を見合わせる。こうして二人の目的地が決まった。

 



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悪意再来《Devil's Feast》


最悪を引き連れたバアルが動き出す。



 

 かつて旧ルシファー領は冥界最大の領土だった。

 地球の広さで言えばユーラシア大陸をも上回る規模だ。しかし支配力と影響力を持ったのは過去の話。今やその力は失われて領土の大半は他の悪魔に渡り、その大きさは日本の四国程度まで縮小している。しかも"ルオゾール大森林"のある東を除いた三方には大王(バアル)側の息が掛かった悪魔が見張りのように領土を構えている始末だ。いや、()()()ではなく確実に警戒していた。それを証明するかの如く旧ルシファー領と外を繋ぐ要所には城塞じみた関所が多数存在している。

 その一つ、南の領土にある関所からガイナンゼ・バアルは旧ルシファー領土に入った。片目を眼帯で隠す巨漢は、馬に跨がり軍勢を率いて再び侵略にやって来たのだ。

 

「ここからは休み無く、旧ルシファー領土を蹂躙する。──出来るな?」

 

 隣にいる男を睨みを利かせるガイナンゼ。男はレギーナの部下であり、この数万規模の軍勢を(まと)める悪魔だ。立場は副官とされているが威圧された男は気にした様子を見せずに答えた。

 

「我らはレギーナ様に仕える者。あの方が貴方の為に死力を尽くせと申した以上は(じゅん)ずるのみ」

 

 淡々と伝えるやガイナンゼへ反論せずに離れていく。伝令に行ったのだろう。若輩のガイナンゼに負の感情を見せないのはレギーナへの忠誠心からか。気に入らないが利用価値のある奴だ。

 

「来たか」

 

 ガイナンゼを迎えるように上空から巨大な存在が降り立つ。

 それはバアルが持つ戦術魔導飛空挺、全長2000mを越える空飛ぶ巨大な戦艦だ。

 ガイナンゼは船に乗り込みながら旧ルシファー領土の彼方を見据えた。

 一度目は遊び感覚だったが今度は違う。

 確実に滅ぼす、バアルの名に懸けて……。

 レギーナへの想いを胸にガイナンゼ・バアルは虐殺の風となる。

 

 

 

 

 ◯●

 

 

 

 

 300からなる兵団が街道を掛ける。その先頭を走るのはシアウィンクスであり、直ぐ後ろからはカルクス、ククル、ルフェイが続く。

 シアウィンクスは馬を急がせる。ガイナンゼが旧ルシファー領に入った知らせを受けたからだ。

 寝る間も惜しんで領土を駆け回り、領民たちを"ルオゾール大森林"へ避難させていたが最早、時間はない。

 戦う兵を持たない旧ルシファー領の町や村は悉く蹂躙される。幸いなのは、避難が済んでいない町があと一つということだ。

 

「見えた、ウェルジットよ!」

 

 旧ルシファー領の中でも巨大な街、それがウェルジットだ。この街は商会が牛耳っており、金と商談で成り上がった欲望の都である。その活気は首都であったルシファードすら上回る程だ。

 つまり裏を返せば旧ルシファー領の民が多くいる事を意味する。ここが襲われた時の死傷者数は想像したくない。

 シアウィンクスは町の中央にあるウェルジット商会本部まで走り抜ける。

 街は出店や商店で賑わっており、兵団の馬が猛烈に走り抜ける様子を懐疑的な目で見ていた。

 シアウィンクスは違和感を覚え、周囲に目配せした。ルフェイもまた顔を(くも)らせる。

 

「シアさま、かなり不味い状況です……」

 

 カルクスが困惑した表情を浮かべる。

 

「あぁコイツはどうなってやがんだ?」

「金の亡者どもが、何を悠長にやってんだい……」

 

 カルクスが困惑の表情を浮かべるとククルは忌々しそうに語尾を強めた。

 

「書状は届いているのに、なんの準備もされていないわ」

 

 避難が必要だという書状は現存する町や集落には送ってある。だからシアウィンクスたちが来る頃には出る準備をするように領主権限で指示してある。……なのにその準備がされていない。街は平常運転であり、ガイナンゼの部隊がやって来ている危機感すらなかった。

 これでは直ぐに移動と言うわけにはいかないだろう。

 

「……商会本部に急ぐわよ」

 

 その一言だけを絞り出すのが精一杯だった。

 商会が何を考えているのかは不明だがガイナンゼの侵略は知っているはずだ。村や町を無慈悲に焼いて民を見せしめにした挙げ句、女は連れ去る。拐われた女がどうなったなど想像に容易い。そんな悪漢が攻めてくるのに何故こうも平和を享受出来るのか。

 シアウィンクスは苛立ちと疑問を胸に商会本部へたどり着いた。

 馬から飛び降りると早足で巨大な建物の入口を潜る。

 商会の窓口に責任者を出すように言うと渋られたのでシアウィンクスはルシファーの名を出す。

 効果は覿面(てきめん)で受付担当は慌ててシアウィンクスを奥へ案内した。

 書斎のような一室に迎えられると椅子に座った小太りな男性が嗤う。彼の名はロスルト、この街の最大権力者だ。明らかに協力的ではないのが伝わってくる。

 

「これはこれはシアウィンクス・ルシファー様、今日はどのような御用件で?」

 

 舐め回すような目付きで下から上まで全身を品定めするようにシアウィンクスを見るロスルト。

 恐らく癖なのだろう。武力ではなく金で成り上がった男だ。物だけではなく人すらも商品的な価値でしか見れない欲望に満ちた目に鳥肌が泡立つ。

 だがシアウィンクスは頭を切り替えて魔王の仮面を被る。

 

「──貴様は()が出した書状を見なかったのか?」

 

 高圧的な如何にも魔王な自分を演じる。

 不機嫌そうな圧力を出すのも忘れない。威圧感には自信がある。アルンフィル、カルクス、ククルの三人を含めてルフェイからも合格を貰ったシアウィンクスの数少ない特技だ。

 ()き目は抜群で初対面の小娘から出る禍々しい圧力にロスルトは顔色を変えて数歩引き下がる。顔を真っ青にして身体中から冷たい汗を流している姿に同情はしないが、少しだけ複雑な気分だ。

 そんなに怖いの……? 

 すぐ側にいるルフェイは困った笑みを浮かべ、ククルは満足げに笑う。カルクスは何故かこちらを見ようとしない。

 どうやら相当凄いようだ。このなんとも言えない悲しみをロスルトにブツけてやろう。

 シアウィンクスは目を細めてロスルトの近づく。まるで化物に詰め寄られたように腰を抜かすロスルト。流石に驚き過ぎだと少し不機嫌になるシアウィンクス。

 

「今すぐウェルジット全体に避難勧告を出せ」

「ひぃ! し、シアウィンクス殿。我らはバアルと密約を交わしております」

「……なに?」

「以前の侵略時に結んだもので、物資や食料を与えるならウェルジットには手を出さないと言う約定です!」

 

 その言葉にシアウィンクスだけではなく他の者も目を見開いた。

 

「ざけんなぁ!」

 

 カルクスがロスルトの胸ぐらを掴んで持ち上げた。

 

「てめぇ何やったのか、わかってんのかぃ! 攻めてきた敵への幇助(ほうじょ)とはぁ、どういう了見だぁ!」

「ぐふっ。は、放せ! ガイナンゼ殿は交渉をしたが旧ルシファー側が受け入れなかったと言っていたぞ!? 元々、現政権の最高位にいるバアルと争うことが間違いではないのか? 私から見れば、この領土を戦禍に巻き込んだのはあなた方だ!!」

 

 軽蔑するようにカルクスを睨むロスルト。

 

「……降ろせ、カルクス」

「お嬢!?」

「降ろせ」

「ちくしょうが!!」

 

 カルクスが毒づきながらも解放する。床に尻餅を突いたロスルトは忌々しくシアウィンクスに言う。

 

「ゴホゴホッ!! 既に貴方たちの信用は地に落ちている。勝手に戦いを始めて街を棄てろなど度し難い言い分だ! どれだけ殺せば気が済むのか、是非聞かせてほしいものだよ!!」

 

 半狂乱で怒鳴り散らすロスルト。頭に酸素が回らず朦朧としながら言いたいことを口にしている。

 悪態以外の何物でもないが彼の言い分も間違ってはいない。この戦いは初めてはならないモノだった。民は殆どが殺され、集落や街も焼き払われた。どう足掻いても敗けであり、勝ちはない。そんな不毛な争いに不満が出るのは当たり前だ。

 

 ──分かっている。

 

 己の無能さが招いた最低のシナリオが現在進行形で進んでいるなぞ宣告承知だ、言われるまでもない。それでもやれることはしなければならないのだ。

 シアウィンクスは知らずの内に唇を噛む。口内に血の味が広がる。

 

「ひっ!」

 

 余程、凄い顔をしていたらしく、ロスルトが正気に戻って尻を床に付けたまま後退(あとずさ)る。

 シアウィンクスは逃がさずに彼の服を掴むと魔王さながらの狂気に満ちた目を見開く。

 

()いたい事はそれだけか? なら早く動け、私は気が短いんだ」

「は、話を聞いていたのか? 私はあなた方に協力する気は……」

「協力? あぁ書状の文が綺麗すぎたから勘違いしたのだな。私は頼んだのではない、命令したのだ。邪魔だから去れとな」

「お、横暴な! 我らにも生活がある!!」

「貴様は誰に意見している? 一介の商人風情が魔王ルシファーに意見するとは己が分を弁えろ。言うことを聞かないのであれば仕方がない。貴様の首を(さら)して住民には出て行ってもらうか」

「そ、そんな!」

「黙れ、そして五秒で選べ」

「わ、私は──」

「時間はないぞ? その商人思考で早々に勘定をしろ、自らの命の価値とやらを……」

 

 シアウィンクスの圧倒的な王の覇気にロスルトは観念して(かしず)く。

 

「(ごめんなさい)」

 

 シアウィンクスが内心で謝罪するが脅威が迫る可能性がある以上は動いてもらわなければならない。手遅れになったときの悲惨さは身に染みているのだから……。

 ともせず、一悶着あったがウェルジットの掌握には成功した。

 

 

 

 

 ●◯

 

 

 

 

 人通りがない商会本部の片隅でシアウィンクスは膝を抱えて座っていた。先の覇気ある姿は見る影もなく随分と落ち込んでいる。ロスルトが避難勧告を出したお陰で退去が始まったが彼の言葉はシアウィンクスを(へこ)ませるには充分だったのである。

 

「……効いたなぁ」

 

 意気消沈、まさに今のシアウィンクスを言うのだろう。

 ロスルトは痛い部分を突いてきた。

 この戦いはシアウィンクスが立ち回りで下手を打ったから悪化した側面もあるからだ。

 顔を俯かせて罪悪感に耐える。

 

「何にこんな場所で油売ってんだい、シアウィンクス様」

 

 そう言ってきたのは初老のメイドのククルだ。

 彼女はシアウィンクスの前に立つと静かに見下ろした。

 

「避難は?」

 

 膝の上で組む腕に顔を俯かせながら問う。

 上から溜め息が聞こえた。

 

「まだ時間が掛かるさね。いい加減に立ちな、パンツ見えてるよ」

「……見ないで」

 

 頬を染めながら立ち上がる。

 はしたない姿を晒したとおもうがククルは「けけけ」と笑っている。どうやら嘘をつかれたようだ。

 意地悪と思うが励ましてくれてるのは理解出来たので文句は言わないでおく。

 

「分かってる、拗ねるのはお終いにするわ」

「そいつは重畳(ちょうじょう)だねぇ」

「ルシファーなのに頼りなくて悪いとは思う」

「そうさね。けどもウチは好きでシアウィンクス・ルシファー様に仕えてる、後悔はしてないさ」

「そ。ならルシファーらしく振る舞うとするわ」

 

 シアウィンクスが商会を出ると街は混乱の最中にあった。十万近くの人々が動いているのだから当然だ。

 ガイナンゼとの密約は上だけの秘密らしく、住民たちは暴動を起こさずにひたすら荷造りをしていた。

 

「ロスルトさんが素直に言うことを聞いてくれて良かった」

「あれは単にシアウィンクス様にビビっただけさね」

「ねぇククル、あたしってそんなに怖いの? カルクスみたいに強面じゃないし大柄でもない。前から結構気にしてるんだけど……」

「圧力が段違いさ。私ゃ初代魔王様を見たことあるけど、他者に与えるならプレッシャーだけならシアウィンクス様が歴代No.1だ」

「なんだろう、嬉しくない……」

 

 それはつまりハッタリが冥界一に得意な悪魔だと言いたいのだろうか。この迫力に強さが付いて行ってないのが空しい。

 取り敢えず人が沢山いる場所では強者の仮面を被るとしよう。

 シアウィンクスは気持ちと表情を引き締めた。

 

「ククル、必要最低限の荷物だけを持たせろ。ガイナンゼがいつ来るか分からない以上、時間は掛けられない」

「奴はルシファー領に入ったばかりだ。ここは領土の東側、首都ルシファードに向かうなら来ないと思うけどねぇ」

 

 尤も言い分だ。この街はガイナンゼたちの進行ルートからズレている。狙いがシアウィンクスであるなら寄り道などせず真っ直ぐ首都へ向かうだろう。

 だがシアウィンクスは嫌な予感がしてならなかった。

 

「カルクス兵長より伝令、シアウィンクス様とククル様は何処におられますかッ!」

 

 そんな心配を肯定するようにシアウィンクスが率いていた兵士の一人が人混みから駆けてきた。

 焦りを顔に滲ませる様子からただ事ではない。

 ククルに顔を向けると頷かれた。シアウィンクスは早足で兵士の下へ向かう。

 

「どうした?」

「シアウィンクス様、直ぐに待避を!」

「なんだい、騒がしいね。具体的に説明しな!」

「ガイナンゼです! ヤツの軍勢がウェルジットに現れました!」

「そんなバカな! わざわざ回り道をして来たというの!?」

 

 何故だと思考が困惑に染まる。

 ここを攻めて何になる? 拠点として使うつもりなのだろうか? だが首都は陥落寸前で防衛機能が動いていない。それは破壊したガイナンゼも承知の筈だ。ならば、そのまま首都を侵攻した方が時間も効率も良い。

 渚の力を警戒している? いや違う、ガイナンゼはそんな事で臆するヤツじゃない。邪魔者は手早く処理してしまう性格だ。

 

「伏せな!!」

 

 ククルがシアウィンクスに覆い被さる。

 瞬間、街中で爆発が起きた。

 轟音爆砕。

 炎と衝撃が至るところで発生して多くの悲鳴が上がる。

 

「うそ……」

 

 既知感がシアウィンクスの脳髄を貫く。

 立ち昇る焔と黒煙、老若男女の断末魔。その光景は余りにも似ている、自らの故郷が終わってしまった日に……。

 呼吸が速くなり、心臓が緊張で早鐘を打つ。身体も震えて足元から崩れそうになる。

 あの地獄が再び繰り返されそうな場面にトラウマが甦り、シアウィンクスを苛む。

 だがそれでも心が全てを(くつがえ)す。

 思い浮かぶのは非力な自分を信じてくれた人たちだ。アルンフィル、カルクス、ククルを初めとした家臣であり家族の兵団のみんな。そして勝手に巻き込んでしまったのに惜しみ無い献身をしてくれるルフェイと渚。

 こんなにも多くに支えられているのに倒れるわけにはいかない。

 シアウィンクスは戦慄を振り払い王らしく振る舞う。

 

「ククル、無差別破壊の攻撃からしてガイナンゼの目的は制圧じゃないわ」

「あぁ間違いなく殲滅だねぇ。しかし戦うのかい? 数で()しきられるよ、ウェルジットは諦めな」

 

 逃げろとククルは言う。

 それが正解だ。シアウィンクスが居なくなれば旧ルシファー領の戦力の士気は致命的なまでに落ちて戦えなくなる。"ルオゾール大森林"に避難した民も道標を失うだろう。

 しかし心が叫ぶのだ。

 ここで一人で逃げ出すのは間違っている、と。

 

「ククル、聞いて。誰かを見捨てた先には良いことなんて何もなかったわ。だから怖いけど試すよ。ルフェイや渚がそうであるように、誰かを助けられるのかを……」

 

 一度は何も出来ずにアルンフィルに押し付けて逃げたのだ、二度目はない。ここで戦わなければシアウィンクス・ルシファーは弱いままで立ち直れない。

 

「けど一人じゃ出来ない。お願い、ククル。あたしに命を預けて」

 

 不退転。退くわけには行かないが犠牲なしには切り抜けられない。シアウィンクスはククルに死力を尽くして欲しいと訴える。

 その言葉に老メイドはニヤリと笑う。侍女としての顔ではなく戦士としてのソレだ。

 ククルは嬉しそうな表情を隠そうとせずに頭を下げた。あのシアウィンクスが命を賭けろと言った。今までは『死なないで』やら『帰ってきて』など命を大事にする命令しか出せなかったのにだ。

 他の誰かが言えば反論するが誰よりも敬愛する主の命令なら断る理由もないし、やっと旧ルシファー領で好き勝手した不埒者ども全力で殺せる。ククルはシアウィンクスには見えないように凶悪な笑みを浮かべる。

 今の言葉を聞けば300からなる兵団は万を越える大群にも引けを取らないだろう。

 主の成長に喜びながら殺意を胸の内で研いでおく。

 

「このババァも死力を尽くそうかね」

 

 シアウィンクスはククルの忠義に感謝しながら空を仰ぐ。ウェルジット上空には巨大な飛空挺が浮かんでいる。アレが砲撃を浴びせたのだろう。

 

「大層なモンを持ち出しおってからに」

 

 呆れた様子のククルが言うや再び砲撃が始まる。

 降り注ぐ砲弾。

 直撃すれば上級悪魔の障壁ごと爆砕する暴力が豪雨のように降り注ぐ。地上はパニック状態である。逃げ惑う人々だが逃げ場などない。ガイナンゼはウェルジットを火の海にする気なのだ。

 

「それじゃ、やろうかね」

 

 ククルが手をゆっくりと真横に払うと全ての砲弾が動きを止めて空中で制止した。

 そしてシアウィンクスへ視線を向ける。

 

「いいんだね?」

「……墜としなさい」

 

 シアウィンクスは覚悟を以て敵を殺せと命令を下す。

 ククルが敬意を示すように会釈して頭上の飛空挺へ目を向け、クイッと指で上に刺す。その合図により制止していた砲弾が反転して飛空挺へ突っ込んで行く。

 

「魔王様の御膳だ、頭が高いよ」

 

 ククルは唇を歪めて飛空挺に対して地面を指す。

 着弾と炸裂による業火が飛空挺の至る場所で発生するとゆっくりと降下を始めた。

 

「ククル」

「あいあい、流石に街中は不味いさね?」

 

 2000メートルを越える巨大な物体が街中に落ちれば大変な事となる。シアウィンクスの懸念をククルも理解している。

 

「少し小さくなりな」

 

 グッと拳を握ると飛空挺がひしゃげて圧迫されて潰された。その圧縮は凄まじく飛空挺は最終的に十数メートルの塊まで小さくなった。

 ゴトリと塊がシアウィンクスとククルの前に転がる。

 

「相変わらず凄いわね」

「デカくても所詮は鉄の塊、私の力との相性を考えれば大したことないさね」

 

 そうは言うが並みの悪魔では不可能だろう。

 しかしこれでバアルの脅威を払えた。

 安堵するシアウィンクスだったがククルは庇うように後ろに下げた。同時に二人の前に人影が現れる。

 

「なんだい。大層な船を持ってきながら降りたのかい、成金小僧」

「貴様がいるのに鉄の塊で胡座(あぐら)をかいているほど愚かではないぞ、老害」

 

 ククルと言葉を交わしたのはガイナンゼだった。立派な体躯の彼は以前と違い片目を眼帯で隠している。アルンフィルとの戦いで重傷を負ったのは知っていたが片目を失ってはいなかった。何かあったのは間違いないが敵の内情を察してやるほどの余裕はないし、ガイナンゼも気にした様子もなく片方の目だけでシアウィンクスとククルを見下していた。

 シアウィンクスは背筋に冷や汗を流す。

 彼の背からは気迫や執念を思わせる気配がしたのだ。今回は本気というのが嫌でも分かる。気圧される自身の弱さを隠しながらシアウィンクスはガイナンゼを鋭く睨む。

 

「寄り道か、ガイナンゼ・バアル? 真っ直ぐ首都を落としに来ると思ったのだが?」

「ふん、落とすとは笑わせるな、シアウィンクス・ルシファー。あんな廃街の何処を落とすとな? 私は旧ルシファー領土の潰すために来たのだ。貴様以外の全てをな」

「やらせると思うのか?」

 

 ガイナンゼに敵意をぶつけるシアウィンクス。その圧力は並みではなく、側にいるククルすらも呑まれた程だ。魔王の威圧を前にしたガイナンゼは油断はしないが挑発をやめなかった。

 

「先の軍勢を滅ぼしただけに威勢が良いな。余程、自慢出来るだけの駒を見付けたか」

「自慢だけに今度は骨だけでは済まんぞ?」

 

 シアウィンクスの嘲笑にガイナンゼがピクリと小さく反応を見せる。遊び半分で侵略してきて重傷を負わされたのだ、余程苦い思い出なのだろう。

 

「冥界四姫が一人、()()()()()()()()()()()()と同等の手勢か、ならば粋がるのも理解出来る。"磁界奏者"のククル・バクスといい、"孤人城塞"のカルクス・ナインズといい、没落した旧支配者の割には手駒の質は中々だ」

「褒め言葉として受け取ろう。我が家臣はどれも一騎当千の強者だからな」

「調子に乗るな。ソレらが一騎当千だろうと所詮は兵力の桁が違う。貴様こそバアルを舐めるなよ?」

「そちらこそ、私達を侮るな?」

 

 シアウィンクスが言うや遥か後方から砂塵を巻き上げながら人影が爆走(ばくそう)してくる。あっという間に距離をゼロにしたその影は巨大な鈍器のような大楯をガイナンゼへ叩き落とす。

 

「お嬢に近づくんじゃねぃ、バアルの糞餓鬼がぁ!」

 

 真っ直ぐな敵意をそのままに繰り出された大楯の一撃はウェルジットを激震させた。攻撃したのはカルクス、しかしその顔は歯痒そうに歪む。

 

「ちぃ」

「ふん、鈍器を振るうしかない脳筋め」

 

 ガイナンゼは障壁でカルクスの重い一撃を受け止めていた。

 

「その脳筋の攻撃に対してよぉ、そんなちんまい壁じゃあ足んねぇなぁ」

 

 カルクスは巨体と巨楯を軽くも重い体捌きで操り、障壁を殴り付けた。ガラスが砕けるような音ともにガイナンゼとカルクスを隔てる壁は消失した。

 

「なんだ? 存外、魔力の練りが甘ぇなぁ。もっと気張れやバアルのお坊ちゃんよぉ?」

「貴様……!」

「おらぁ!」

「ぬぅ!」

 

 カルクスから大楯の横殴りを受けるガイナンゼ。その体は撥ね飛ばされるが悪魔の翼を広げて着地する。

 

「(勝てる? いえ、まだよ。完全決着を見届けるまで気を抜くな、あたし)」

 

 カルクスも合流してククルも万全な体勢でいるのに対してガイナンゼの救援はまだ姿を見せていない。ククルの力で全滅したと考えるのが普通だがシアウィンクスの直感がまだ()()()()()()と告げている。

 

「2いや3対1か。田舎悪魔とは言え最上級の悪魔でも上位の貴様らの相手は骨が折れるな。腐ってもルシファーの召し使いという訳か」

「泣き言さね? 今さら遅いよ」

「全くだぜぃ。てめぇは殺り過ぎた、ガキだから許せるって範囲はとうの前に抜けちまってる。首は置いていってもらうさ」

 

 ククルとカルクスの死刑宣告を聞いたガイナンゼは耐えきれないと言った様子で笑う。巌のような顔は緩みシアウィンクスたちを哀れと虐げる。

 

「愚かにも程がある。私の用意した物が飛空挺一隻だと思っているのか? ならば見せよう、貴様らとの格の違いをな」

 

 その言葉に応じて空の至る場所が歪み、次々に巨大な飛空挺が姿を現す。迷彩で隠れていたのだろうが規模が凄まじい。10や20でも足りない。まるで艦隊戦でもやらかすような船団だ。あんな集団から一斉砲撃を受ければ街は塵一つ残らない更地になる。

 

「ククル婆ぁ!」

「わぁちょる。撃たれる前に墜とすさね!」

 

 ククルが先と同じに船団全てを磁力で無効化しようと手を掲げるが今度は何も起きない。

 

「な、これは魔力が──!」

 

 驚愕するククルにガイナンゼは得意気に手を広げた。

 

「無駄だ。貴様らへの対策を(ほどこ)させてもらった」

「何をした?」

「ククル・バクス、貴様の前にはどんな火力を持つ船でも鉄屑に成り果てる。過去の戦争で"戦艦潰し"とまで言われた悪魔なだけはある。しかしそれは凶悪なまでの"磁力操作"の異能があったからだ。それを"無価値"にした」

 

 ガイナンゼのその一言にシアウィンクスを初めとした3人の表情が凍り付く。

 今、ガイナンゼは"無価値"と言った。

 わざわざそんな台詞を使ったのは"彼"がガイナンゼに与しているのだと誰もが察したのだ。

 冥界で"彼"を知らない悪魔はいない。

 まさかとシアウィンクスは身震いすると空から翼をはためかせた一人の悪魔が降り立つ。

 

「よくやった」

 

 ガイナンゼは不遜な口調だが"彼"を労う。

 

「レギーナとの契約だ。だが協力するのは今回だけと理解して貰いたい」

「構わん。しかし全力で事に当たれよ?」

「手は抜かんさ」

 

 "彼"が現れるだけで周囲の魔力が呑み込まれる。この場にいる誰よりも質が違う。圧倒的な強者の気配が満ちていく。

 "彼"こそは冥界で間違いなく最強格に分類される悪魔であり、最上級の中の最上に立つ一人であり、レーティング・ゲームの現王者、名をディハウザー・ベリアル。あらゆるものを"無価値"と断ずる最悪の存在だった……。

 



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燃ゆる街の悪鬼《Flame of Slaughter》

 

「ねぇ、これってどんな状況だと思う?」

 

 アーシア・アルジェントに憑依している譲刃。

 その碧い瞳(エメラルド)に確信を持ちつつ、敢えて白雪が如くの美しい少女へ問うた。

 

「観光に使うしては些かご立派な船ですね。自己顕示欲が透けて見えます」

 

 戦艦に皮肉を混ぜるアリステアらしい返答だと譲刃は苦笑する。

 

「あ、あれ、バアルの船ですよ。ほ、本格的に旧ルシファー領を墜としに来てますよ」

 

 慌ただしく狼狽えるのは、途中から旅のお供になったターバンとビン底メガネが際立つ自称商人のカージャだ。アリステアもこれぐらい素直になってくれれば可愛げがあるのだが今さら求めるのも無理な話と譲刃は諦める。

 

「穏やかじゃないわね、状態は分かる?」

 

くだらない考えは即座にシャットアウトして必要な思考に意識を()く。

 

「動力炉の熱量からして各機関がフル稼働しています。あれは砲撃準備と見て間違いありませんね」

 

 アリステアの『真 眼(プロヴィデンス)』が飛空挺の内部情報を読み取って聞かせてくれる。

 譲刃たちがいるのは旧ルシファー領にある商業都市ウェルジットから数km離れた街道だ。

 そんなウェルジットが目に入るなり上空には武装を展開している船、しかも似たような大型飛空挺がステルス機能を使って姿を隠している。

 穏やかに安らげる日々を過ごすには物騒な空である。

 瞬間、冥界の空に轟音が轟いた。飛空挺が街に砲撃したのだ。

 

「……始まった」

「容赦の無いことです」

「ま、街が!」

 

 相次ぐ爆砕により、炎と黒煙がウェルジットを支配し譲刃が目を細めた。あんな砲撃が続けば間違いなく街にいる人々の命は絶えるだろう。

 

「見るからに対空迎撃機能がないあの街では空爆の前に成す術もありませんか。まさかこうして客観的に制空権の大事さが学べるとは思いませんでした。やはり戦争の仕方は悪魔も人間も変わりません」

 

 燃え盛る街にアリステアは淡々としている。

 一見、冷たいとも思わせる発言だが譲刃は何も言わなかった。

 

「相変わらず価値観が揺るがないね」

「数多い長所です」

 

 事も無げに言い切るアリステアは基本的に渚の為にしか動かない。彼女の中にある天秤は常に渚の方へ傾いているのだ。

 個人を尊重して数万を見捨てようとする行為は一見して冷酷な見える。しかし他人よりも身内を大事にするのは人として当たり前の考えだ。

 アリステアは、その()()()がハッキリとしてるだけにブレない。

 絶対的な信念を持つアリステアを譲刃は羨ましく感じる時がある。

 

「私も芯が強ければ良かったのだけど……」

 

 譲刃の中からは声無き訴えが込み上げてくる。借り物の身体の主──アーシアだ。

 無駄な戦いをする必要はない。見て見ぬ振りが賢明な状況にも関わらず、譲刃の心情とアーシアの良心は重なった。

 

「……仕方ない。ステアちゃん、フォローをお願い」

 

 譲刃の言葉を聞いたアリステアは「やっぱり」と言いたげに眉間へ指を添えた。

 悪いとは思うがこればかりは性分なので許してほしい。

 

「行くのですか? 冥界の事情に首を突っ込むのは賛成しかねます」

 

 気乗りしないアリステアを他所に譲刃は歩き出す。その歩みは今も爆発が轟くウェルジットへ進む。

 

「この一件、ナギくんが関わってる可能性が高いわ。なら私たちも動かないと、ね?」

「どういう理由でバアル軍と交戦したかは分かっていませんよ」

「意図的に蹴散らしているのだからバアルは私たちの敵。──違う?」

「単純に考えればそうですが……」

 

 あまりに安易過ぎないだろうか? 

 口には出さなかったアリステアの逡巡(しゅんじゅん)を察した譲刃だったが既にやると決めたので止まらない。渚がバアルと戦うならば譲刃とアリステアは剣と銃を使う。それが自分達の義務であり、与えられた権利だ。尤もあんな光景を見過ごしたくないと言う私情も混じっているのだが……。

 

「ならもっと単純にしましょう。私はあの船の暴挙を止めたい。その私をステアちゃんが助ける。それでどう?」

「『どう?』とは全く……。貴女たちはいつもそうなんですから」

 

 譲刃の提案にアリステアは諦めたように肩を竦めた。

 生粋の剣士である譲刃は斬ることでしか誰かを救えない。彼女が一度、戦場に降り立てば鬼と()りて殺尽(さつじん)()す。それが()い方法でないのは本人がよく解っている。

 けれど理不尽を前に奪われる人々を思えば刀を抜くことに躊躇(ちゅうちょ)はない。

 鬼が正義の味方にはなれないのは宣告承知。しかし悪の敵にはなれる。

 悪を以て悪を討つ、それが千叉の名が持つ宿業なのだ。

 少しずつ遠ざかる譲刃の背中にアリステアの呆れ半分の声が届く。

 

「いいでしょう。ならば殲滅と救命、どちらを優先に?」

「無論、救命。やり方は任せる。じゃあ()ってきます」

「急いだところで貴女が活躍する暇はありませんので、ごゆっくり」

 

 アリステアの遠回しかつ不器用な気遣い。

 譲刃は羽織っていた外套のフードを笑顔で被り直すと忽然(こつぜん)と姿を消す。

 流石というか譲刃は既にウェルジットの街中である。瞬間移動のような速さは(まさ)に縮地が如くの脚力だ。

 

「さてエセ商人、この領土で十数万規模の人を避難させられる場所はありますか?」

 

 その姿を見ながらアリステアはカージャに問うた。

 

「エセとは失礼ですな!」

「早くしてもらっていいですか?」

 

 カージャの反論をアリステアは冷徹に流す。

 

「うえぇ、なんで睨むんですか!? 言っておきますけどバアルが本気になったら、この領地で安全な場所はないですよ! あ、いや、そう言えば旧ルシファーの人たちは"ルオゾール大森林"に避難しているとか……。そこなら、ていうかそこしかない? いやでもあそこかぁ」

「決まりです。その"ルオゾール大森林"とやらの地図、もしくは座標。なければ(およ)その方角と距離を教えて下さい」

「ちょっと待って、確か地図があったかと!」

 

 カージャから渡されたのは精密な旧ルシファー領の地図だ。アリステアは一瞥しただけで"ルオゾール大森林"の場所を把握する。距離はウェルジットから数百km、方角も確認した。ならば問題はないと術式の準備を始めた。

 

「あの、アリステアさん、何をしようとしてるんです?」

「ギャザリングと呼ばれる術式です。本来の使い方とは異なりますが術式特性を拡張および拡大してウェルジットに住む者を全て"ルオゾール大森林"へ強制転移させます」

「正気かい、何人いると思ってるんだ?」

「たかが十数万。私の"眼"と"霊氣"があれば造作もない」

「それが本当なら恐ろしいよ」

「なら精々恐れては?」

 

 アリステアの周囲に術式の光が展開されて、光文字が描かれ始める。その光景をカージャは真剣な瞳で見守っていた。

 

 

 

 

 ●◯

 

 

 

 

 爆砕音が轟き、砲弾がウェルジットを蹂躙する。

 建物は衝撃で吹き飛び、人々は爆発の業炎によって燃え尽きる凄惨な光景にシアウィンクスは言葉を失う。さっきまで賑やかな街並みは断末魔と炸裂音に支配されて死の活気に包まれている。

思考が停止して呆然とするなかで急に手に痛みが走った。自分でも気づかぬ内に血が滲み出る程の拳を作っていたのだ。流れる血と共に恐れが抜けて、心臓から出る新たな血と共に怒りが全身を巡る。

返ってきた思考が別行動を取ったルフェイの安否を気にするも最悪の考えは振り切る。見た目は可愛らしくてもシアウィンクスを助けてくれた最高の魔法使いだ、きっと無事でいてくれる。

今はこの砲弾の雨を防ぐのを優先しなければダメだ。

 

「ククル、カルクス、迎撃体勢ッ!!」

「カルクス、あんたの城塞を展開しぃ!」

 

 磁力を封じられたククルの言葉に間髪入れずカルクスは答えた。

 

「わぁたい!! うらぁ、『不動の城塞(フォート・イミュータブルネス)』ッッッ!!」

 

 カルクスが怒号を鳴らして大楯を空に構えると魔力で編まれた城塞が砲弾を防ぐ。圧倒的な火力を前にカルクスは一人で全てを防ぎ切っていた。

 これこそカルクスの異能。彼の大楯を起点とした巨大かつ強固な防御を可能とする力。その領域は最上級悪魔の攻撃すら弾くという代物だ。

 シアウィンクスの知る限り、カルクスの城塞が展開されて破られたことはない。

 ルシファーの誇る不動堅牢の"孤人城塞"、どんな攻撃であろうと守り抜く盾はあらゆる害意を退く。

 

「あれだけの砲撃を一人で止めるか、"孤人城塞"とはよく言ったものだ。これを抜ける者は冥界にもそうはいない。良い駒だと言っておこう、シアウィンクス・ルシファー。だがこちらは更に凶悪だぞ?」

 

 ガイナンゼが黒煙と爆発の広がる空を仰ぎ、大半の呆れと少し称賛を贈る。その余裕の表情にシアウィンクスは内心で苛立ち焦っていた。

 この城塞の強固さには何度も救われた。普通なら安堵している場面だ。

 けれど今回ばかりはそうは出来なかった。

 シアウィンクスの焦燥はガイナンゼではなく彼の側に立つ悪魔によるものだった。

 ディハウザー・ベリアル。

 魔王と同様に皇帝の称号を与えられた王の悪魔。恐らく冥界でも五指に入る実力者だ。こんな強力なカードを切ってくるなど誰が予想出来たか。

 

「出番だ、皇帝(エンペラー)磁界奏者(コンダクター)と同様に孤人城塞(フォートレス)の価値を奪え」

「この状況で盾を奪えば街は滅ぶ。……よろしいか?」

 

 懐疑的なディハウザーをガイナンゼは冷たく突き放す。

 

「レーティング・ゲームの皇帝(エンペラー)が下らん質問をする。従わないならレギーナ様にそう報告するだけだ。あの方となんらかの契約を結んだのだろう? 履行しなければ無効となるが?」

「威を借りた傲慢は己を滅ぼす事になる」

「今のはバアルに向けての言葉となるがいいのか?」

「失言だった、謝罪しよう」

「そう思うのなら力で示せ」

「仰せの通りに」

 

 ディハウザーの"無価値"がカルクスから絶対防御という価値を奪う。理不尽なまでの力に抗う術は無く、城塞は砲弾に撃ち抜かれた。

 

「王者ベリアルの"無価値"、これほどなの……」

 

 シアウィンクスは絶大な力に全身を強張らせた。

 あらゆる力の効力を消す"無価値"。こうして見るのは初めてだが数ある悪魔の異能の中でも際立って特異な能力だ。この力が作用する以上、カルクスの"城塞"が如何に強固だろうが"価値"を失ってしまう。

 これが最上級悪魔の中の最上。シアウィンクスの家臣が優秀でも今回は相手が悪過ぎる。

 

「畜生がぁ、なんつうデタラメな力だぃ!」

「貴方がた旧ルシファー側の力は既に解読した。いくら魔力を練ろうと磁力が発生することも城塞が建つこともない」

「てめぇ……!」

「旧ルシファーの者にもウェルジットの者にも謝罪はしよう。だが私は止まらない」

 

 ディハウザーの懺悔をガイナンゼは鼻で笑い飛ばしてシアウィンクスへ言い放つ。

 

「カルクス・ナインズという城塞は価値を失ったぞ。ほらどうした、私を止めるのではないのか?」

「くっ!」

 

 悔しいが打つ手がない。

 ククルにカルクス、この二人の力があれば防げる虐殺だがディハウザー・ベリアルの"無価値"が全てを阻害していた。

 砲弾を止められるククルの"磁力"も圧倒的な防御を誇るカルクスの"要塞"も完全に無効にされているのだ。

 王者、皇帝(エンペラー)とまで言われたディハウザーにシアウィンクスは吠えた。

 

「ベリアルの王者よ、確かに私たちはバアルに牙を剥いた! だが貴方ほどの方がこの殺戮を良しとするのか!?」

 

 これは非難であり懇願だ。

 ここで"無価値"という異能を何とかしないと全てを焼き払われる。シアウィンクスはディハウザーがこれを良いと考えているとは思えない。彼の表情は明らかに強ばっていたからだ。

 しかし……。

 

「ルシファーの姫君よ。バアルは……冥界はこのやり方を"是"としました。私は冥界に生きる悪魔として従うまでです」

「馬鹿な! バアルの言いなりになって無辜(むこ)(たみ)を殺す手助けをするというのか!! 狙うなら私だけをしろ、皇帝(エンペラー)ッ!!」

 

 シアウィンクスの糾弾にディハウザーは表情を変えない。ただその瞳は揺らいでいた。

 目は口よりも真実を語る。

 これが誇りや(ほま)れのためにあるレーティング・ゲームとはかけ離れた悪辣な殺戮だと分かっていて彼はバアルに付いている。

 不本意なのだろうが、なぜディハウザーのような悪魔がこんな行為に手を貸しているのかがシアウィンクスには理解できなかった。そんな疑問にディハウザーは感情を殺した声で答えてくれた。

 

「その怒りも尤もだ、私は大量殺人に手を貸している。しかし、それでも私にはやらねばならない理由があるのです。()()()()()()()を知るためなら……古来の悪魔らしく振る舞う覚悟でここに馳せ参じた!! ルシファーの姫君、悪鬼と罵りたければ好きにしてくれても構いません。私はその憎しみを受けて尚、貴殿と相対しなければならない」

 

 葛藤はあっても迷いのない強い言葉だった。

 その返答を聞いてシアウィンクスはディハウザーの説得を諦めた。彼は彼の目的のためにバアルに着いた。ならばこれ以上の問答は無意味だ。

 

「なら……!」

 

 シアウィンクスは隠していた魔力が付与されたナイフを取り出してガイナンゼへ走り出そうとした。

 あのアルンフィルに手傷を負わせた奴だ、自分程度が勝てるなんて思い上がりである。けれど刺し違えてでも止めなければならない。決死の覚悟で特攻しようとした時だった。

 

「見過ごすには少し目に付きすぎるかな」

「……え?」

 

 凛々しさと可愛らしさが同居した不思議な声と共にふわりシアウィンクスとガイナンゼの間に何者かが降り立った。全身を外套で隠しているが声と背格好からして女なのは確かだ。

 その頭上には砲弾が迫っていた。

 

「逃げなさい!」

 

 シアウィンクスの悲鳴にも似た声を背に受けた彼女は外套を翻すとシアウィンクスを庇うように、ガイナンゼへ挑むように、威風堂々と立つ。

 それは心配無用と断言した小さくも大きな背中だった。

 

「大丈夫」

 

 フードで隠れた顔が笑った気がした。

 そんな彼女の外套から一本の刀が姿を現す。

 破壊の弾頭が迫るなかで、ゆったりとした動作で中腰に居合いの構えを取る外套の少女。

 

 「刻流閃裂(こくりゅうせんさ)輝夜(かぐや)極致(きょくち)──貌亡(かたなし)

 

 ブワッと一陣の風が吹き、刀が鞘に納まる短い金属音。

 シアウィンクスが五感で感じられたのはこの二つだけだ。しかし空から降る(おびただ)しい巨大砲弾は数ミリサイズまで細切れになって無害な鉄の粉となり、風に拐われて行った。

 シアウィンクスは何が起きたか理解出来ずに立ち尽くす。静かな一時(ひととき)が支配し、外套の少女に皆が注目する。

 

「何者だ。もしや貴様がルシファーの切り札か?」

 

 ガイナンゼの言葉にシアウィンクスはハッとしながら外套の少女へ視線を向けた。

 違う、シアウィンクスは彼女なぞ知らない。

 

「切り札? なんの事か分からないわ、私は完全部外者よ」

「部外者だと? 英雄気取りの大馬鹿か」

「英雄を名乗れるほど立派じゃないわね。今もただ自分の"感性"で物を斬ろうとしているわ」

「ただの辻斬りか」

「ふーん。冥界にもその言葉があるの、意外だわ。でもいい線いってる。前いた所では"剣鬼"なんて呼ばれていたしね」

 

 ガイナンゼの嘲りに外套の少女は気にした様子もなく言い返す。

 

「ところで話は変わるけれどアナタが空に浮かぶ船の責任者?」

「そうだ」

「理由は分からないけど今の行動はどうかと思う」

 

 無差別の爆撃に関して物申す外套の少女。

 

「部外者を名乗るなら口を挟むな、死にたいのか?」

「簡単に死を為す、か。将来はさぞ立派な"罪花"を開かせそうな御仁ね」

 

 シアウィンクスは鳥肌が立った。

 こちらに背を向けている外套の女性の声のトーンが下がったからだ。そこから感じられるのは研ぎ澄まされたような鋭い圧力。

 ガイナンゼも一瞬だけ目を見開くが直ぐに魔力を高めた。

 

「この私がガイナンゼ・バアルと知って刃を向けるか。滅ばすぞ、女」

「へぇ、バアルの人なの? 丁度良いわ、魔であれ神であれ"厄"ならば斬るのが家訓なの。アナタこそ鬼を前にしてるのだから食べられても知らないわよ?」

「大王を前によく吠える!」

「あら、王様だったの。これは失礼いたしました」

 

 ビュンっと風が鳴る。

 外套の少女は一足俊迅(いっそくしゅんじん)の速さでガイナンゼを肉薄して刀を抜き放つ。

 シアウィンクスの目には残像すら映らない。

 

「ふん!」

 

 ガイナンゼは刀を紙一重で躱すと魔力を解放して少女の外套を鷲掴みにする。外套に隠された彼女の顔が感心した素振りを見せた。

 

「中々やるじゃない」

「潰れろ、小鬼がッ」

 

 魔力を込めた打撃が打ち下ろされ地面が破裂する。

 千切れた外套が宙を舞う。シアウィンクスは悲鳴を上げそうになるが懸命に押さえた。

 そして気づく、外套は既に脱ぎ捨てられていたのだ。

 

「逃げ足は速いな」

「アナタも巨躰のわりによく動くかな」

 

 外套を脱ぎ捨てた彼女は片手で顔を隠すと何かを被るように手をスライドさせる。すると晒されていた素顔を隠すように仮面が現れる。それは鬼と武者を合わせたような作りをしていて、彼女の(なびか)かせる綺麗な金髪とは相反した禍々しさを放っていた。

 

「危なかった。もう少しで可愛い顔を晒してしまう所だったわ」

 

 冗談のような言葉を至極真面目に言う彼女。

 

「顔も見せないか、臆病な奴め」

「お好きにどうぞ。けど仮面(コレ)を被らせたからには──斬るわよ」

 

 更に加速した斬撃がガイナンゼの首へ走る。

 今度はガイナンゼも反応できていない。そんな音すら斬り裂く刀に誰もが首を断たれたと思った。しかし絶命の刃はディハウザーが割り込んだ事で防がれる。

 

「割り込むとはやるね。アナタが王様のボディーガード?」

「キミこそ鋭い。幾層もの防御壁が紙切れのように裂かれた挙げ句、肉も絶たれた。若いのに末恐ろしい素質だ」

「お褒めに預り光栄です。アナタみたいな人からの称賛は特にね」

 

 濃密な魔力を迸らせた左手を盾にして刀を防いだディハウザー・ベリアルだったが腕には刃が深々と刺さっていた。

 

「そこの雰囲気ある人!」

 

 急に外套もとい仮面の少女が背中越しに誰かを呼んだ。彼女の様子からもシアウィンクスの近くにいる者に声を掛けているようだ。

 シアウィンクスが右を向くとククルが首を降り、左を向くとカルクスが目を泳がせた。

 まさか自分のことか!? 

 少し間を置いて自身を指差すとククルとカルクスが頷いた。取り敢えず誰かが答えなければならないので人違いと願いつつシアウィンクスが返事をしてみた。

 

「…………なんだ?」

「今からちょっとした()が起こるけど、終わったら皆を落ち着かせる手伝いをして欲しいの」

 

 当然のように言葉が返ってくる。

 やはり自分が"雰囲気ある人"のようだ。

 雰囲気ある人とはどんな意味なのか気になってしょうがないが、彼女のハプニングとやらは更に気になる事柄だったので前者は流す。

 

「どういう意味だ、何が起きる?」

「説明する前に始まるわよ」

 

 仮面の少女が言うやシアウィンクスの立っている場所に魔法陣らしき光が現れる。それはククルやカルクスも同様でウェルジットのあちらこちらで確認できた。

 

「転移陣……いや構成術式が違うか」

 

 ディハウザーが呟くと仮面の少女は刀を鞘に納めた。彼女の足元にもまた陣が輝いていたのだ。

 ガイナンゼは面白くなさそうに顔をしかめる。

 

「私を殺すのではないのか?」

「確かに斬るとは言ったけど殺すなんて言ってないわ」

 

 仮面の少女が自身の眉間をトントンと指先で軽く突く。瞬間、ガイナンゼの眉間が小さく裂けて出血する。

 ガイナンゼが指先で傷に触れる。

 

「最初の一合でか」

「あら、驚かないのね」

 

 意外にもガイナンゼは愉快げな表情を見せる。

 それは敵への賛辞と怒りが混在した顔だ。

 シアウィンクスは獰猛な野獣を思わせるガイナンゼを見て密かに身震いする。

 

「貴様、この傷は貸しにしておいてやる」

「挑むならやめておきなさい。アナタに私は倒せない」

「その言葉、覚えておく」

「さよなら、裸の王様。果たして私と再戦出来るかは分からないけど精々頑張りなさいな」

 

 2人の会話を聞いている内にシアウィンクスは光に包まれながらウェルジットから消えた。

 

 

 

 

 ●◯

 

 

 

 

 光の先に辿り付いたの見たことのある風景だった。

 バアルの艦隊も業火に包まれたウェルジットもない。

 そこは"ルオゾール大森林"の入り口、広野と森の狭間にシアウィンクスは立ち尽くしている。

 何が起こった? 

 困惑するシアウィンクス。

 

「大丈夫?」

「(ぴゃあっ!?)」

 

 困惑していると視界の横からひょっこりと鬼の顔が現れた。変な声を出しそうになったシアウィンクスだったが(なん)とか心の中で留める。ここで間抜けな悲鳴をあげようならメッキが剥がれてしまう。表情の筋肉に力を入れて平静さをアピールする。

 その時に険しい顔をしたらしく、鬼の面をした彼女はシアウィンクスを怒らせたと勘違いしたのか頭を下げた。

 

「ごめんなさい、驚かせるつもりはなかったの」

 

 柔らかな声で謝罪される。

 シアウィンクスも取り繕うように咳払いをして切り返す。

 

「いや、先程は助かった。こちらこそ礼を言おう」

「好きでやったことだから気にしないで。私は千叉 譲刃、アナタは?」

「シアウィンクス・ルシファーだ」

「ルシファー? 貴女が?」

「見えないか?」

「逆、納得した。これだけの圧力(プレッシャー)を与えてくるんだもの。さっきのいかつい彼よりも断然に王に見えるわ」

 

 "いかつい彼"とはガイナンゼの事だろう。

 しかし、あのガイナンゼを差し置いて王に見えるとは心外だ。その辺の木っ端悪魔にすら負けると自覚しているだけに譲刃の評価は過剰である。シアウィンクスの魔王を装う仮面と演技が凄いと誇るべきか悩ましい所だ。

 

「無事ですか、シア様っ!!」

 

 小走りでシアウィンクスへ駆け寄るのはウェルジットで別行動だったルフェイだ。避難誘導を頼んでいたが、あの砲撃の中でも生きていてくれたようだ。

 安堵と感激でルフェイに抱き付きそうになるのを押さえて威厳を保つ。けれど自然に笑みがこぼれてしまう。

 

「そちらこそ怪我はないか?」

「はい、咄嗟に防御陣を展開したので」

「相変わらず優秀な魔法使いだ」

「えへへ」

 

 可愛らしく笑うルフェイにシアウィンクスも釣られて笑みを深くする。

 そんな二人にカルクスとククルも周囲の状況を訝しげに確認しながら近づいてきた。

 

「何が起こったかサッパリだがベリアルとバアルから逃げ切ったのかぃ?」

「"ルオゾール大森林"が目の前と来た以上は転移だろうね。ウェルジットの住人も一緒なのが驚きさね」

 

 ルフェイが笑みを消して真剣な表情を作る。

 

「この場所に来る直前に術式の展開を確認しました。転移とは違う感触でしたが意図的に私たちをここまで運んだのは確かかと。……ただこれだけの人数を霊脈や高位触媒なしで転移をさせられるとしたら人間業でありません」

 

 ルフェイが魔法使いの視点で答える。

 その言葉にシアウィンクスたちは譲刃へ視線を移す。彼女はガイナンゼと戦いながら"別れ"の挨拶をしていた。つまりこの事を事前に知っていた節がある。

 譲刃はシアウィンクスの疑いに肯首で答えた。

 

「察した通り、これは私の仲間によるものよ」

「なぜ」

 

 助けたのか? 

 シアウィンクスの疑問に鬼の面をしたまま譲刃が笑った……気がした。

 

「アナタたちに何かを求めた訳じゃない。ただ情報収集に寄ったウェルジットがあんな状況だったから成り行きで助けただけよ」

「成り行きでウェルジットの住人を全て拾い上げたのか?」

「──全員ではありませんよ。集めたのは生存者とそれが可能な者だけです」

 

 譲刃の背後から静かで良く通る声が割り込む。声の主はゾッとするほどの美人だった。その白雪のような彼女は背筋の良い歩みで譲刃の隣まで来るとシアウィンクスを下から上まで見た。品定めされているみたいで、あまりいい気はしない。

 

「……貴女は誰だ?」

「問う前に名乗ったらどうですか? エチケット不足で0点です」

 

 急に残念な点数を付けられたと思ったら拳銃を抜く白雪美人。

 驚き一色に内心を染めたシアウィンクスだったが近くにいたルフェイを慌てて腕の中に庇う。カルクスとククルもまたシアウィンクスの壁になるように立つ。

 

「仲がよろしい事で」

 

 暖かい言葉とは裏腹に声音は極寒の極致だ。

 ガイナンゼよりも深く冷たい圧力がシアウィンクスの精神を締め上げる。殺意でも敵意でもない無情なナニかに呼吸が上手く出来ない。庇っているルフェイの温もりがなければ気を失っていただろう。

 初対面の人からまさかこうまで負の感情を向けられるとは思いもしなかっただけに対処法が分からない。

 確かなのは一つ、あの白雪の怪物はシアウィンクスの大切な人を容易く殺せる。

 実力差なんて知るものか。理解するのに本能や直感なんていらない。きっと子供にだって理解できる。それほどまでに彼女の冷たい表情の下には底知れぬ深淵が広がっていた。

 

「貴女ですね?」

 

 刺すような問いにシアウィンクスは全霊で己を奮い立たせる。ルフェイの愛しい体温を手放しつつ、カルクスとククルを退かして前に出る。止めようとする家臣を目で黙らせた。

 

「質問はもっと具体的にしたらどうだ? それと私はシアウィンクス・ルシファーと言う。ようこそ我が領地へ、可憐さと鮮烈さを兼ね備えた客人」

 

 シアウィンクスは懸命に唇を吊り上げた。

 白雪の怪物は一瞬だけ眉を潜めるも笑い返した。美しさが余計に恐怖を駆り立てる。

 もう誰か助けて……。

 

「ルシファーの血筋なだけはありますね。紹介にお答えします、私はアリステア・メアと言います」

「では互いに名前も知った。知り合いとなった記念に私に聞かせてくれ。どうして貴女から銃口を向けられているのだろうか?」

 

 アリステアから笑みが消えた。

 怖い、人をこれほど怖いと思ったことはない。

 逃げてしまいたいが、アリステアの狙いが不明瞭だ。

 彼女の銃が自分以外に向けられる可能性があるならば目的を知る必要がある。

 

「シアウィンクス・ルシファー。私から奪ったものを返して下さい」

「奪った?」

「シラを切るのはお勧めしません。私は気が長い方ではありませんので」

「顔に似合わず激情家なのだな。残念だが貴女からは何も奪っていない」

 

 アリステアが無言で引き金に指を掛けた。

 銃口の奥で凶悪な光が輝く。

 

「殺しはしません。ただ四肢の一つくらいは貰います」

 

 殺す気はない? 四肢の一つだけ? 絶対、嘘だ。あんなの喰らったら塵も残らない。

 この人、冷静に見えて全然冷静じゃない。

 シアウィンクスはせめて後ろにいる大切な人だけは守ろうと銃へ飛び掛かろうとする。

 

「ウェルジットでもそうだったけどルシファーちゃんは少し向こう見ずな所があるね。──アリステア、やめなさい」

 

 譲刃が横から銃身へ手を伸ばして少し下げさせた。

 アリステアは冷たい目を譲刃へ向ける。

 

「邪魔をしないで下さい」

「そんな殺気立ってどうしたの?」

「彼女がナギを拐った元凶です」

「それは『真 眼(プロヴィデンス)』から導いた答えね? 信用に値する理由だけど、ここまでする必要はあったのかしら?」

「危険ですよ、彼女は?」

「知ってる。"眼"のあるステアちゃんほどじゃないけどね。でも彼女は多分()い人よ。それにナギくんが今のステアちゃんを許すと思う? 彼、怒ると怖いわよ?」

 

 譲刃の説得で渋々といった様子で銃を仕舞うアリステア。どうやら危険は去ったようだ。

 シアウィンクスは未だに分からない銃を向けられた理由を聞いた。

 

「アリステア・メア、私は貴女からは何を奪った?」

 

 アリステアは冷静さ取り戻したのか。圧力を消してくれた。

 会話をしてくれる気になったみたいで安心する。あとは身に覚えのない冤罪に弁明すればアリステアも大人しく帰ってくれるはずだ。

 シアウィンクスはアリステアの言葉を余裕の心持ちで受け入れる準備をした。

 

「返してほしいのは貴女が強制転移で連れ去った蒼井 渚です」

 

 ピシリっと全身が石化した……ような気がした。

 転移の痕跡は念入りに消したのに彼女たちは人間界から渚を探してここまで辿り着いた人たちだった。シアウィンクスが冤罪と思っていた件は普通に有罪になってしまう。つまりアリステアの怒りは勘違いではなく、正当性があるものだったのだ。

 シアウィンクスは表情を凍らせながら言った。

 

「そうか、彼の知り合いか。なら正義はそちらにある。謝罪するよ、千叉 譲刃にアリステア・メア。すぐ彼に会わせよう。──カルクス、ククル、ルフェイ、森のコロニーへ向かう。ウェルジットの住民も連れて行く」

 

 魔王モードのせいで随分と上からになってしまったのを心底恥じた。素直にごめんなさいも出来ないとは本当にどうしようもない。

 しかし渚にあんな美人な恋人たちがいようとは……。

 

 シアウィンクスは誰にも気付かれないように静かに(へこ)むのだった。

 



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再会《Promised Reunion》


最近、忙しくて投稿が遅れてしまいました。
独自設定が多々ある本作ですが生暖かく見守ってください。



 

 ──たまに夢を見る。

 

 特別な家に生まれず、ただの平民として育つ夢を……。

 父は農夫で、母は専業主婦。

 わたしは質素な服を身に付け、どこにでもあるパンやスープを食す。

 毎日、夕暮れまで友達と遊んで泥だらけになった自分を母は怒り、父に笑われる。

 豪華とは程遠く、贅沢とは言えない生活の夢。

 

 ──たまに夢を見る。

 

 時には服屋の娘、時には菓子屋の娘。

 毎日、毎日、眠れるようになってから楽しい夢が(さいな)む。

 それは争いからは遠い平穏な日々。

 心から望んだそうなりたいという願望。

 これまでも、これからも望めない幻想。

 

 ──たまに夢を見る。

 

 最近は同じものばかり。

 地獄のような町で途方に暮れる中、一人の男性が出てきて助けてくれる。ヒロインのような甘い夢。

 届かない星を掴もうとする子供みたいな妄想に自分ではない自分がせせら嗤うのが聞こえる。

 

『なんだ、その憐れな願いは? あの人間がほしいのならば傲慢のままに望めよ、シアウィンクス・ルシファー。"私"は何時でも良いのだぞ』

 

 それは悪魔の囁きそのものだった。

 

 

 

 

 ●◯

 

 

 

 

 "ルオゾール大森林"の表層にあるコロニーはアルンフィルの主導で作られた広大な避難場所であり下手な町より充実、発展している。

 だが魔物が蔓延る危険地帯に旧ルシファー領の民を住まわせるのは愚かな行為だ。しかも総人口は数十万に達するのだから自然と使う土地も広大になってしまう。

 リスクを背負ってまで"ルオゾール大森林"なんて場所を選んだのは魔物の目なら誤魔化せる手段を有していたからだ。なんの備えもなしでここにコロニーを築いた訳ではない。

 

「ん? これって隔離空間の一種かな?」

 

 譲刃がコロニーの敷地に入るや否や周囲を見渡して呟いた。それに反応したのは近くにいたルフェイである。

 

「本来は小さな村落ぐらいの土地に特殊な魔具を使用して空間歪曲させています。必要ならば国に一つ程に拡張できるようなので人口密度は問題にならないみたいです」

「凄いわね、これならウェルジットの人達も収容できそう。それにこの安定性、その魔具ってかなり上等な物じゃない?」

「はい。旧ルシファー城の宝物庫にあった貴重な物です。他にも音や光景を歪める高位魔具がフル稼働しているので魔物も簡単には侵入できません」

「それは紛失やら破損が怖いわね」

「構わない」

 

 譲刃の疑問にシアウィンクスは馬鹿馬鹿しいと言いたげに手をひらひらと振った。

 

「所詮は城が幾つか程度の価値だ。それ一つで金で買えないものを取り零さないのだから惜しくはない」

 

 失われた命は取り戻せない。それを実感しているシアウィンクスはルシファーの宝物など湯水の如く使い潰していた。既に宝物庫にあった魔具はバアルに対抗するため七割は使い潰している。中には世界に二つとない国宝級にも数えられる魔具もあったため歴代のルシファー達が見たら泡を吹くかもしれない。

 

「(けれど知るもんか、居ない奴のご機嫌伺いなんてしてやらないわよ)」

 

 今いない人達に文句を言われる筋合いはない。生きるか死ぬかの瀬戸際にケチ臭いことをしている余力はない。シアウィンクスにとっては宝よりも領民が大事なのだ。

 それを生かすためなら魔具や宝など喜んで捨てる。

 

「立派かな。敬意を(しょう)する位にね」

「敬意を持ってくれるなら相方をなんとかしないか?」

 

 シアウィンクスは譲刃の隣にいるのはアリステアだ。

 さっきから無言でシアウィンクスに視線を固定しているのだ。なぜか監視されてるようで、圧力こそないがこうして見られ続けるのは息苦しい。

 

「だそうよ、ステアちゃん」

「そんな細かいことを気にしてるんですか、魔王の血筋が呆れます」

「銃を向けて来た相手にジロジロ見られていたら警戒もするだろう?」

「向けられるような事をしたのですから因果応報ですよ」

 

 ダメだ、この超絶美人。顔は綺麗なのに中身が全然可愛くない、(むし)ろ怖過ぎる。

 シアウィンクスは内心でアリステアにビク付きながら賑わいのある区画まで辿り着く。

 

「ククル、連れて来た領民たちを居住区の所まで案内してくれ。この大人数だ、カルクスたちも手伝うように。負傷者はすぐに手当てに回しておけ」

「あいさ」

「おうよ」

「ルフェイ、アルンフィルに会いに行くから付いて来い。譲刃とアリステアもだ」

「わかりました」

「ナギくん、驚くかな」

「ええ、貴女は特に驚かれますよ」

 

 シアウィンクスはルフェイを引き連れてアルンフィルの天幕までやってくる。

 こうしてアルンフィルに直に会うのは久しぶりだ。ガイナンゼとの戦いで負傷した彼女に対して要らぬ罪悪に囚われた事で臆していたせいで避けていた。けどもう自己嫌悪を盾にして逃げないと決めたのだ。

 

「私が入って事情を説明するから待っていろ」

 

 天幕からは何も聞こえないし、人の気配も感じない。それは盗聴などを防ぐ結界が張られているからだろう。

 さて、どんな顔をして会えば良いのだろうか。まずは謝罪からしよう。

 そう決めてからシアウィンクスは深呼吸をすると天幕の入口へ手を掛けて中に入る。

 

「アルンフィ──」

「ふがふがぁー!」

 

 意を決したシアウィンクスの目の前に全身包帯だらけのミイラ男が目を血走らせて突っ込んでくる。

 

「ダズゲデェ~!」

「──ッ!!!!!!!!??????」

「ふべぇええええしっ!」

 

 急な恐怖と驚愕から反射的にミイラ男の顔面へ張り手を叩き込む。

 ミイラ男は意味不明な奇声を上げながら吹き飛んだ。地面に転がったミイラ男は首が変な方向に曲げて白目を向いている。

 

「へ、え、なにっ!! これ、なにっ!!!???」

 

 ピクピクしながら倒れるミイラが恐ろしいと言わんばかりに後退るシアウィンクス。

 

「あ、シアちゃ~ん、久しぶり~」

「あ、うん、久しぶりね、アルンフィル」

 

 アルンフィルがミイラ男を引きずって椅子に座らせる。首が斜めに傾いているのはシアウィンクスのビンタのせいだ。

 

「ま、まさか折れた? でもなんでこんなクリーチャーがいるの?」

「大丈夫大丈夫。よいしょ~」

「げぅ!」

 

 ボキンッ! 

 

「あ、アルンフィル!!!???」

 

 アルンフィルが後ろからミイラの(あご)と頭を掴むと笑顔で首を元の位置に戻す。その有り様はネックツイストで首をへし折る暗殺光景にしか見えない。ミイラ男の口から魂みたいのが出てるのはきっと気のせいだと目を逸らす。

 

「起きてくださいな~、渚くん」

「え! ソレ、渚!?」

 

 まさかの真実にシアウィンクスは目を見開く。

 

「はい。治療していたのに逃げられたんです」

「治療? もしかして怪我したの!?」

 

 何をしたらこんなクリーチャーめいた姿になるまで包帯を巻かれてしまうのだろうか?

 

「"ルオゾール大森林"の深奥に踏み行って怪我したのですよ」

「深奥に!? なんでそんなことをっ!?」

「大森林の移動ルートを選出していたみたいです。表層を迂回するより深奥を抜ける方が早いと考えたんでしょうね~。それで怪我して帰ってきたんで、休んでくださいと懇願したのに聞いてくれなかったから簀巻(すま)きにしちゃいました」

「あ、そう……」

 

 うん、もう意味が分からない。

 冥界屈指の危険地帯に挑んだ渚もそうだがソレを簀巻きしたアルンフィルも大概だ。

 取り敢えず息が出来なそうなのでスルスルと包帯を解いていくと虚ろだった渚の目に光が戻る。

 

「はっ! なんか上から自分を見下ろしていた気がする」

「あらら~?」

「き、気のせいよ?」

「あれ、シア、なんで目の前に……? ていうかアルンフィルさんにグルグル巻きにされてから記憶がない。けど酷い目にあった気もする」

「治療を受けずに逃げようとするからですよ~」

「ほっとけば治ります。一応、人より傷の治りは早いんだ」

 

 アルンフィルが渚の頭を撫でている。

 妙に仲が良い二人にシアウィンクスは不機嫌な気分になる。

 

「むぅ」

「痛てて、つねるなよ」

「あらら~」

「あげないわよ」

「意味が分かんないぞ?」

「もう、なんでもない……!」

 

 プイッとそっぽを向く。

 アルンフィルが微笑ましそうに笑っていた。

 何が面白いのだろうか? 

 ムッとするシアウィンクスに対して満足げなアルンフィルに胸がざわつく。

 

「うふふ~。さておきシアちゃん、外に人を待たせてない?」

「そうだった。渚、あなたに尋ね人がきてるわ」

「俺に?」

 

 困惑する渚を見て少し機嫌を治るシアウィンクス。

 取り敢えず、色々と予定外な出会いがあったので説明することにした。

 しかし、その前にやることがあったのを思い出す。

 

「……アルン」

「はぁい?」

「そのね、今までゴメン……」

「なんに対しての謝罪ですか~? 私はシアちゃんを悪く思ったことはありませんよ。だからあまり自分を卑下したり責めたりはしない下さいね~」

 

 優しく頭を撫でられた。

 柔らかな声に手のひら。

 それは妹をあやす姉のようでシアウィンクスは目尻が少しだけ熱くなったのだった。

 

 

 

 

 ◯●

 

 

 

 

 "ルオゾール大森林"の深奥を探索していた時、シアウィンクスはバアルの軍勢と一悶着あったようだ。

 深奥に住む桁違いに強い魔物に遭遇した渚もそうだが、避難を(うなが)すために行った街でガイナンゼが率いる艦隊に遭遇したシアウィンクスも相当に運が悪い。

 身近で起きた事を軽く説明すると渚とシアウィンクスは同時に溜め息をこぼした。

 

「大変だったな」

「あなたもね」

 

 妙な親近感を抱いたのはお互い様のようだ。

 

「それで俺に尋ね人がいるとか言ってなかった?」

「千叉 譲刃とアリステア・メア、聞き覚えある?」

「ある。信頼できる人だ」

「招いて正解だったわけね」

「でも、やっぱ来たか」

 

 あのアリステアなら遅かれ早かれ自分を見つけてくれる、そんな予感はあった。

 そこまで考えて「……ん?」と違和感に襲われる。

 シアウィンクスは譲刃の名前も挙げた。

 アイツ、刀だぞ。アリステアが渚の為に持ってきたのだろうがシアウィンクスを見る限り譲刃を人として見ている節がある。

 

「もしかして譲刃って(刀の状態でも)喋れるのか?」

「え、何言ってるの? 普通は(人なんだから)喋るでしょ」

 

 驚愕、冥界では剣が喋るのが普通らしい。

 やはり世界は広いなと自身の常識の稚拙さを反省する。

 

「あんまり待たして良くないし入れるわよ。アルンフィル、いい?」

「どうぞどうぞ~」

 

 シアウィンクスが客人を天幕に招いた。

 ルフェイに続いてアリステアが入ってくると渚を見るや彼女らしくない早歩きで詰め寄る。

 

「来ましたよ」

「あぁ待ってた」

 

 頼もしい相棒の到着に喜んでいると、その相棒がジト目で睨んできた。

 

「ナギ、今週のゴミ出し当番は貴方です」

「ん?」

「貴方が居なくなったせいで当番制だった生活が崩れています。一週間の内、月水金はナギが食事当番の筈です」

「あ、うん、ごめん?」

「謝って済む問題ですか」

 

 そう言われても冥界に来たのは不可抗力なので勘弁してほしい。

 それにしてもお小言を並べる割にはさっきから身体をペタペタと触って怪我の具合を改めている。心配してくれたのは嬉しい。けれど頭の天辺から足の爪先までを調べる様は転んだ子供の怪我を調べる母親みたいで恥ずかしい。

 

「す、ステア、あのさ──」

「チッ、ここにも怪我がありますか」

 

 今、舌打ちしたぞ、この娘。

 

「裂傷、打撲、火傷、壊死。酷い有り様で笑いも出来ません。ナギはZAKO of the ZAKO(クソ弱ゾンビ野郎)なのですか? 雑魚を決めるグランプリがあれば優勝できますよ。良かったですね」

 

 凄く酷い言われようだ。こんなボロクソなのは久しぶりだった。

 

「素直に"心配したんですよ"って言えば良いのにね」

 

 (あき)れたように言ったのは声に釣られて目で追うと見知った金髪の少女がいた。しかし口調や雰囲気がまるで別人だ。

 

「アーシア……じゃないな」

「うん。久しぶりだね、ナギくん」

 

 御神刀 譲刃を携えた彼女を見て渚は色々と納得した。

 瞳が映すのはアーシアでも第六感は譲刃だと訴えかけてくる。どうしてこうなったかは理解できないが目の前にいるのはアーシア・アルジェントの肉体を持った千叉 譲刃だ。

 

「なるほど、譲刃か」

「あんまり驚かないのね」

「驚いてるよ。まるで意味が分からないから逆に冷静になっただけだ」

 

 確かにこの状態ならシアウィンクス達とも普通に会話出来るだろう。説明は欲しいが、この場でして貰うには少し一身上の都合が過ぎる。今は旧ルシファー領の問題を何よりも優先すべきだ。

 

「譲刃」

「分かってる。説明するから私たちは後回しでいいよ」

「アーシアは大丈夫なんだな?」

「それは保証する。アーシアさんも納得してるわ」

「わかった、なら俺から言うことはない」

 

 シアウィンクスが渚と譲刃の話を聞いて訝しげにしている。

 

「渚、アーシアとは誰の事だ?」

 

 魔王モードのシアウィンクスが話に割り込んできた。どうやら譲刃やアリステアの前ではこれで行くみたいだ。

 

「譲刃が使ってる体の所有者だよ。なんか俺の知り合い同士が融合(?)してるんだ。彼女は譲刃であって譲刃じゃないって話」

「なんだ、それは?」

「まぁ気にすんな、こっちの問題だから」

「ふん、そうか」

 

 睨まれた。何か怒らせることを言った覚えはないのだが……。どうにもシアウィンクスが不機嫌に見える。魔王モードの彼女は圧が半端ないので素を知らないと臨戦態勢を取っていただろう。実際、周囲を知らぬ内に威圧していた。アリステアが目を冷たく光らせているので落ち着いてほしい。

 

「ステア、大丈夫だから」

「これだけ威圧。殺し合いを吹っ掛けられているのと同じですよ」

「そうなんだけどやめといてくれ、危ないから」

「私が負けると……?」

 

 アリステアが妙にシアウィンクスを気にしている。こんなにも他人を警戒する彼女はかなり珍しい。

 けれど、らしくない勘違いだ。アリステアが本気になったらシアウィンクスの方が危ない。シアウィンクスの威圧は確かに他を圧倒する凄まじいモノだ。渚の主観になるがコカビエルやヴァーリの方が可愛く見えるレベルである。だがこの()、戦闘力は並みだ。これを言っても多分信じてはくれないだろう。

 シアウィンクスが魔王の仮面を被ったらそれぐらい強者に見えるのだから色々とバランスが崩れた悪魔だと思う。

 いっその事、もうバラすか……? アリステアには例の"真眼"もあるし、その内にシアウィンクスは化けの皮を剥がされる。

 

「ステアちゃん、シアウィンクスさんの"罪花(ざいか)"は問題ないわ。この子は善人よ」

「今から悪人になるかもしれません」

「決め付けはいけないかな。あなたに何が見えていようとね」

「……そうですね」

 

 譲刃の説得を受け入れたアリステアは静かに引き下がる。どうやらアリステアは譲刃に弱いらしい。

 渚が大人しくなったアリステアに安堵していると、何を考えてかシアウィンクスが口を開く。

 

「お前は余程、私が嫌いと見える」

「嫌いとは違いますね、危険と思っているのです」

「よく言われる言葉だ。この威圧感に関しては許せ、それと危険に思うなら撃て。私がお前にやった事を思えばそれくらい許す」

「ほぅ」

「シア!!」

 

 渚が声を荒げる。

 アリステアは既に銃を構えていた。

 ──速い、間に合わねぇ。

 渚が動くよりも早く引き金に指が掛かる。そんな事を言えば撃つのがアリステアという人間だ。

 渚の言葉通り、銃弾が発射される。

 光と硝煙の名残を残す天幕。

 

「それで満足なのか?」

 

 シアウィンクスが表情を変えずに問う。

 弾丸は彼女の頬の数cm横を通り抜けて行った。

 アリステアは返事をする代わりに銃を収める。

 

「今の言葉に(いつわ)りはないようですね、ならば私は退()きましょう」

 

 緊張感が霧散する。

 来た早々に変なトラブルを起こしたアリステアに詰め寄る。

 

「やり過ぎだ」

「必要な事です」

「どこがだよ」

「貴方がこうならない為にですよ」

 

 アリステアは包帯の巻かれた右手を渚に見せつける。

 まるでその傷を負わせた者と同じぐらいにシアウィンクスが危険だと言っている。

 否定するのは簡単だ。渚はシアウィンクスの優しさと脆さを知っているだけに誰かを害する者じゃないと確信がある。けれどアリステアはそういう冗談は言わない。

 渚はアリステアの肩に手を置くと耳元で(ささ)く。

 

「一応、(とど)めておく」

「信じるのですか?」

 

 意外だったのか、珍しく目を丸めるアリステア。

 今まで助けてくれた相棒を信じれないわけがない。未だに疑問は残るが、万が一という言葉もある。

 

「ステアがそう思うんなら無下(むげ)には出来ない」

「そうですか」

 

 アリステアは小さく笑う。久しぶりに見る裏のない綺麗な笑顔だ。

 これでシアウィンクスに妙な因縁を付けるのをやめてくれたら良いのだが……。

 ともせず今はルシファー領の問題を解決したい。増援として期待していたアリステアに加えて譲刃まで来たのは予想外だったがそろそろ計画を進めるために渚は気を引き締めるのだった。

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 

 ガイナンゼが再び兵を率いて再侵攻を始めた。予想していたよりもかなり早い動きだったので渚たちの計画であるフェニックス領への退避も早まる事になった。

 

「ちょっとアレ、どういうことよ……?」

 

 シアウィンクスのために用意された天幕に呼ばれるや文句を言われる渚。

 

「アレ?」

「多分、アリステアさんの事じゃないかと」

 

 シアウィンクスに背中から抱きつかれたルフェイが困ったような笑みを浮かべて答えてくれた。

 シアウィンクスも恨めしそうな目で頷いている。

 

「あ~」

 

 素のモードのシアウィンクスはムスッとしつつも、ベッドに腰掛けて小さくプルプルしていた。ルフェイも成す術がないのか黙って抱き枕にされている。

 

「(ステアに怯えていたミッテルトを思い出すなぁ)」

 

 妙な懐かしさを感じているとシアウィンクスが(うめ)く。

 

「あの人、怖すぎよ。常にブリザードみたいな目で見てくるの。確かにあたしが悪いけど……」

「いえ、それを言うなら転移陣に手を加えた私も同罪です。もしもアリステア様がシア様を断罪するのなら最後までお付き合いします」

「ルフェイ、ありがと」

 

 何やら反省会が始まりそうだ。

 アリステアに裁かれる前提で話しているが、渚からしたらそうさせるつもりはない。シアウィンクスに危害を加えたらアルンフィルたちが黙ってはいないのは目に見えているからだ。今の状況で内輪揉めなどしたら色々と台無しになる。

 渚は自陣の平穏のため二人をフォローすることにした。

 

「ステアは冷たく見えるけど話は分かるやつだ。俺からも手は出さないように言っとくから」

 

 素のシアウィンクスを見せれば異様に高いアリステアの警戒心も薄れるかもしれない。けれどシアウィンクス本人は嫌がるだろう。

 シアウィンクスが素を見せるのは本気で信じている相手だけだ。渚はそこに自分がいることを疑問に思うが喜ばしくもあるので有り難く好意と信頼を受け取っている。

 

「……ねぇ」

「なんだ?」

 

 シアウィンクスが上目使いで聞いてくるが、口をモゴモゴさせるだけで言葉を発しない。聞き難い質問でもするのだろうかと思いつつ渚は黙って待つ。

 

「あの、立ち入った事だけど、その、アリステアさんと譲刃さんとはどういう関係なの?」

「ステアは相棒で譲刃は師匠かな」

「…………恋人なの?」

「違うな」

「違うの!?」

 

 食い気味に返された。

 残念だがそんな甘ったるい相手はいないし、しばらく作るつもりもない。

 理由は単純に自分がどんな人間だったか分からないからだ。渚は記憶を無くす前は危険人物だった可能性がある。"蒼"なんていうヤバい能力を持ち、"敵"を殺す事に最初から抵抗すらない。アリステアも過去を語らないと来た。そして何よりも渚自身が本能的に過去の詮索を避けているフシがあるのだ。

 最初から普通じゃない自覚はあった。それでも日常を送れると言い聞かせていたが微かな違和感は常に残り続けていた。そしてコカビエルやヴァーリなどの怪物めいた相手を制した事で己の力と過去に恐怖と興味を覚え始めている。そんなんで呑気に女の子と付き合っている余裕などない。

 

「家族……に近いと思う。俺は多分肉親がいないと思うから」

「ごめん、変な勘繰りした」

 

 シュンと分かりやすく落ち込むシアウィンクス。

 

「いいよ。俺はな、人に恵まれたんだ。住む家もあれば学校にも通えている。今は割りと幸福だよ。だからそんな顔をするな」

「うん、でも学校か……」

「学校がどうかしたのか?」

「話には聞いたことあるから。若い子たちが集まって勉学をする場所なんでしょ」

「そうだな。あとは年に何回か催しもある」

「催しって?」

「クラス同士でスポーツを競いあったり、お店なんかをしたりする」

「……楽しそう」

「シアウィンクスは学校に通ったことがないのか?」

「冥界に教育機関はないわ、習い事の大体は"家"で学ぶのよ」

 

 家庭教師とかそんなのだろう。

 なるほど、義務教育ない悪魔にとって人間社会の教育機関は珍しいようだ。少なくともシアウィンクスは興味があるように見える。

 

「じゃあウチ来るか?」

 

 自然とそんな言葉が出た。

 

「へ?」

「フェニックス領に脱出したらシアウィンクスは領主じゃなくなる。なら身の振り方も考えた方がいい」

 

 恐らくこの件がどんな結末を迎えようとも旧ルシファーの領土はなくなると渚は考えている。悪いのはバアルだとしてもシアウィンクスたちは現政権に歯向かった。

 どんなに弁明しても旧政権の指導者が起こしたクーデターとでっち上げられるだろう。

 首都ルシファードが陥落した地点でシアウィンクス・ルシファーの役目は終わっている。いや、勝ち目のないバアルとの戦いが始まった瞬間から旧ルシファーの滅亡は確定していた。

 領民は苦労はするだろうが違う場所でも生活できる。

 しかし旧ルシファー直系のシアウィンクスはそうはいかない。バアルがいる限り冥界に彼女の安寧はないのだ。

 リアスに迷惑は掛かるだろうが、行く場所がない彼女を放っておくのも後味が悪い。渚は何とかしてやりたいと思うくらいにはシアウィンクスに情が湧いている。

 

「一人が不安ならアルンフィルさん達も連れてくるといい。三人か四人くらいならなんとかしてやる」

「……っ」

 

 シアウィンクスが顔を伏せた。

 やはり彼女は領民の安全を確保した"後"のプランは無かったようだ。旧ルシファーの血筋を善意だけで匿う酔狂な輩などそうはいないだろう。

 

「あ、有り難い提案だけどやめた方がいい。あたし、かなりの地雷女よ」

「だな。旧ルシファーの悪魔だ。利用したい奴も殺したい奴も幾らでもいる」

「そうよ、だからね……」

 

 やめておこう?

 寂しそうに笑うシアウィンクス。気丈に振る舞うその顔に耐えかねたのはルフェイの方だった。

 

「渚さま」

 

 優しい魔女は期待するように懇願するように渚と目を合わせる。

 そんな顔しなくてもやれることはやるよ。乗り掛かった船なんだ、嫌と言われても次の場所まで付き合うさ。

 下を向くシアウィンクスの前に立つと彼女の柔らかな両頬に手を添えて上を向かせた。

 目と目が交差する。

 

「くだらないったらありゃしねぇ」

「な、なにを……」

「その遠慮が本当にくだらない。俺は"どうすべきか"じゃなくて"どうしたいか"が聞きたいんだ」

「そんなの行きたいに決まってる!」

 

 シアウィンクスはハッとした様子で口を閉じた。

 今さら慌てても遅い。渚は悪っぽく嗤い、ルフェイも嬉しそうに何度も頷く。

 

「決まりだ。今回の成功報酬として旧ルシファー領からシアウィンクスを貰い受ける」

「ちょっ!」

「それぐらい良いよな、ルフェイ?」

「はい、相応の報酬かと」

 

 いい笑顔だ。

 シアウィンクスが顔を赤めて渚とルフェイを交互に何度も見て口をパクパクさせている。

 それが面白くて渚とルフェイは同時に吹き出す。

 

 頑張ったシアウィンクスには安寧と平穏を享受させるため渚は力を尽くすと決めた。

 

 

 

 

 ●◯

 

 

 

 

 旧ルシファーの集落コロニーの外。

 "ルオゾール大森林"の表層にアリステアはいた。

 その瞳は深奥に向けられており、一切の淀みもない。

 

「気になる?」

 

 背中から声を掛けるのは譲刃だ。

 音も気配もなく、眼で視認しないとそこにいることが分からない程の隠匿術である。

 アリステアは忍者のような侍に対して頷いた。

 

「中央から半径50kmに渡って"異界"が形成されています。あの中は混沌としているでしょう」

「まさかここに来てお目にかかるとは思わなかったわ。……やっぱりいるのね」

「"異界"は人智を越えた超存在が降臨した時に現れる世界を侵す侵食領域を()します。ムゲンやケモノと同じ、けれど全く違う"始神源性(アルケ・アルマ)"に近い"ナニカ"がいるのは間違いありません」

 

 アリステアの言葉に呼応するように森の奥から風が吹き荒ぶ。まるで二人の会話を森自体が聞き耳を立てているような不気味な感覚。

 深奥に誘う禍々しい呪いの風を頬に感じた譲刃は刀を抜いた。

 その刃は呪力を帯びた風の一切を斬り捨てる。

 

「言葉には"(しゅ)"が乗る。あまり迂闊な言動はすべきじゃないわ。異界が近いこの場では特にね」

「この程度の"(しゅ)"なら問題はないですよ」

 

 アリステアは事も無げに言うが常人なら発狂していてもおかしくない呪いだ。未踏区域だけあって、やはりこの森は普通ではない。

 

「やれやれね。ナギくんって"始神源性"に呪われてるのかな? 一つでも厄介極まりないモノが五つも存在している。この世界、いつ滅んでもおかしくないわね」

「どうせ、エル・グラマトンのせいでしょう」

「そうやって何でもエルくんに責任を押し付けるのはよくないわよ?」

 

 諌める譲刃にアリステアは無言で一冊の古い本を差し出す。辞書かと錯覚するほどに分厚い本だ。譲刃は首を傾げつつも受け取ってページを捲る。

 

「これは冥界の歴史書?」

「数ある物の一つです。暇潰しにコロニーの書庫を覗いたのですが、中々に興味深い内容だったので借りてきました。特に最後の章になる2421ページがオススメです」

 

 アリステアの言われるがまま譲刃はパラパラとそのページまで読み飛ばす。

 

「なになに、『遥かな遠けき時代。偉大なる者が新たな大地を創造し、繁栄を築き上げた。しかして無空の天より厄災の星が墜つ。厄災の星、大地に根差して喰らう脅威となり世に仇なす。偉大なる者はその所業を前に御使いと龍を統べて厄災の星を封印したり。その星の名こそ"ルオゾール・ディ・ベネディクシオ"』なり。……これは?」

「昔からある冥界のお伽噺だそうです。悪魔が生まれる前、冥界という土壌が出来上がって間もなく現れた"侵略者"を偉大なる者、御使い、龍の三組が倒したのだとか」

「"ルオゾール"ね。まさにこの森の名前って訳か」

「所詮は未開の地である"ルオゾール大森林"に(あやか)った子供騙しと思っていましたが、そうではないようです」

「"異界"が発生する事案だしね。冥界政府はどうして放置してるのかしら、"異界"が発生してる時点でかなり深刻よ」

 

 譲刃やアリステアにとって"異界"というのは世界に厄災を持たらす要因に成りうる現象だ。それこそ優先的に対処すべき事案である。

 放っておくなど破滅を受け入れているようなものだ。

 

「恐らく"異界"の研究が進んでいないのでしょう。加えてこの"異界"による侵食は異常なほどに遅い、放置されているのも納得します」

 

 確かに、と譲刃は納得する。

 この"ルオゾール大森林"は太古の昔から存在していると言う。譲刃とアリステアが知る限り、こんな大人しい"異界"は初めて見る。彼女たちにとって異界侵食は津波のように問答無用で全てを飲み込む害悪でしかない。

 つまりこルオゾールの"異界"はかなりイレギュラーと言うことだ。

 

「どうするの?」

「いずれは解決しなければならない問題ですが、今は下手に触らない方がいいでしょう。渚の"蒼獄界炉(クァエルレース・ケントルム)"が不完全な手前、戦闘は避けたいですね」

「避けられなかった場合は?」

「私と貴女が命を捨てれば二割くらいの可能性は出来るかもしれません」

「今の私たちじゃ、それが精一杯か」

「申し訳ないですが"もしも"の場合はナギを優先します」

 

 真剣なアリステアに譲刃は含み笑いを浮かべた。

 

「案外、助けられるのは私たちかもしれないわよ。土壇場のナギくんの爆発力は知ってるでしょう?」

「それは"蒼"があってこそです」

「"蒼"なんて力の一つに過ぎないわ。人の真髄は意思と心よ」

「精神論で勝てるなら苦労はしません」

 

 アリステアはキッパリと切り捨てたが譲刃は気にした様子もなく笑うだけだった。

 

 




データファイル


『異界』

この世の理をねじ曲げる現象。
始神源性(アルケアルマ)と呼ばれる存在による世界の上書きが主な原因、その摂理は多種多様だが総じて人が生きていける環境ではない。大抵は気は狂い、果ては怪物に変貌する。


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行進、前日談《the previous night》

 

 旧ルシファー領から北にある領地の街中をヴァーリ・ルシファーとアーサー・ペンドラゴンは歩く。賑やかな街の喧騒を背にヴァーリが怪訝(けげん)な面持ちで言う。

 

「さて、どうしたものか」

「目的地は目の前だというのに歯痒(はがゆ)いですね」

 

 これより南下して旧ルシファー領に入ろうとしたの二人だったが予定外の足止めを喰らっていた。

 ここまで来て、旧ルシファー領に繋がる全ての街道や関所が通行禁止になったのだ。今や旧ルシファー領は陸の孤島である。

 原因は何となく察している。

 

「これはバアル軍が動き出したかな」

「……かもしれません。あまりゆっくりはしていられないようです」

 

 戦いの匂いに敏感なヴァーリが不敵に笑う一方でアーサーは眼鏡を上げて真剣な声音だ。

 彼らの目的は拉致された思われるアーサーの妹、ルフェイの奪還だ。事の始まりは実家を出て渦の団(カオス・ブリゲード)に身を寄せている最中にアーサーに届いた密書からだった。送り主はアーサーが最も信頼する実家のメイドからだ。

 

 ──ルフェイ様が行方不明になりました。捜索が難航しています。

 

 文はそれだけだったがアーサーは妹の救出を決意する。ただ如何(いかん)せん手掛かりがなかった。そんな中で優れた捜索能力者の使い手を有したヴァーリに協力を(あお)ぎ、今に至るのだ。

 

「人目を避けて侵入するしかないようです」

「いや、あれを見てくれ。旧ルシファー領を囲むように結界が張られている。触れたものに反応する(たぐ)いのものだ。時間があれば対抗術を組めるんだが……」

 

恐らく正規ルートを通らないと警報がなり、冥界の軍隊が直ぐに駆け付けてくる。

 

「しかし時間はありません、強行します」

「そうなるな。良い手じゃないが嫌いじゃない」

 

 アーサーの案にヴァーリが同意を示す。

 

「──もう一つ、手がありますよ。異邦人の御二方」

 

 そこにいたのは全身黒ずくめの女だ。喪服のようなドレスに顔を薄暗いベールで隠している。

 急に声を掛けられたヴァーリとアーサーは警戒心を高めた。気づけば人が一人もいない。あれだけ活気が静まり返り、生命の息吹すら無くなっていた。まるで箱庭に閉じ込められた気分だ。

 恐らく結界に閉じ込められたのだろう。ヴァーリとアーサーは各々が同じ結論に辿り着く。襲撃する時によく使われる手なのでそこは警戒に値しない。しかし閉じ込められたのに全く気づけなかったのは驚きだった。

 相手は相当な術師なのは明白だ。

 

「何者だ?」

「私はバアルの宰相(さいしょう)を務めるレギーナ・ティラウヌス。以後お見知り置きを、白龍皇ヴァーリ・ルシファー、聖王剣アーサー・ペンドラゴン」

「これは随分と偉い方が来たようですが、私たちになんの御用です?」

「取引……いえ、契約を結ぶ為に脚を運びました。条件付きになりますがルフェイ・ペンドラゴンの身柄確保の手伝いが出来るかもしれない」

「こちらの目的もお見通しと言うわけか。だがいきなり現れた貴女に俺たちが素直に頷くとでも思っているのか?」

 

 レギーナからは感情が窺えない。

 ただヴァーリの第六感は彼女に対して警鐘を鳴らしていた。そんな得体の知れない人物を前にするヴァーリを手で制したのはアーサーだ。

 

「聞きましょう」

「アーサー、彼女は──」

 

 危険性を指摘しようとするがアーサーは短く頷いた。彼とてヴァーリと同じ気持ちなのだろう。

 

「貴方の懸念は理解しています。しかし折角現れた手掛かりです。ここはどうか……」

「元々は俺はキミのサポートだ、指示に従うさ」

「配慮に感謝します、ヴァーリ。ではレギーナ・ティラウヌスさん、お話を(うかが)いましょう」

 

 黒いベールで隠された女の顔が細く笑んだのをヴァーリは見た気がした。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

「明日、フェニックス領への移動を開始します」

 

 渚はアルンフィルの天幕で彼女の言葉を黙って受け入れた。ここにいるのは渚とルフェイ、そしてシアウィンクスを初めとした旧ルシファー領の主メンバーだ。アリステアと譲刃は新参ということもあり遠慮して貰った。

 ウェルジットの住民を避難させてまだ半日しか経っていない急な決定だが誰も反論はしない。バアルが動き出した以上は猶予はないからだ。

 全員が無言の賛成を促すとアルンフィルは一息入れてから天幕の奥へ歩を進めた。

 

「その前に()()に挨拶をしておきたいと思いま~す」

「先方?」

「はい~。これです」

 

 アルンフィルが引っ張り出したのは等身大の鏡だった。大層な魔力を放っている所からみて魔具の一種だろう。鏡がうっすらと光を帯びると人の姿を写し出す。

 

『やっと繋がったか。急に使者を送ってきたと思ったら今度は中々に待たしてくれるとはやるじゃねぇか、旧ルシファーの皆々様はよ』

 

 鏡の中に写し出された者が悪態を吐くが本気で怒っている様子ではない。聞き覚えのある声に渚は唖然(あぜん)とする。

 

「ら、ライザー?」

『よう、久しぶりだな。面倒な事に巻き込まれてるじゃねぇか、渚』

 

 気安い雰囲気で片手を挙げるライザー。

 

「どうしてアンタが……」

『俺もフェニックスだぜ、おかしくはないだろう。……って言いてぇが仕組まれた様だな』

 

 ハッと短く笑い飛ばしたライザーは親指で後ろをさす。その先にいたのは、またもや意外な人物だった。

 

『俺がライザー殿に頼んだのだ』

 

 落ち着きの中に覇気がある声。

 その主に天幕内が更に騒がしくなる。特に旧ルシファー領の面々は度肝を抜かれた気分な筈だ。

 

「おいおい、どうなってんだぃ」

「こりゃまたたまげたねぇ」

 

 まずカルクス、ククルがどよめく。

 その表情は固く、まるで理解できないと言いたげだ。

 

「パイプがあるからアルンに任せたけど……」

「はい、これは驚きです」

 

 シアウィンクスとルフェイはポカンとしている。

 渚も同じだが、すぐに正気に手を伸ばして口を回す。

 

「サイラオーグ・バアル……さん」

『あのパーティー以来だな。リアスから行方が分からないと聞いていたが元気そうで何よりだ、蒼井 渚。……少し痩せたか? 疲れ見える、余り無理をするなと進言したいところだが俺にそれを言う資格はないか』

 

 大柄な男がなんとも爽やかに笑う。

 優しいぞ、この人。本当にバアルの血筋なのだろうか? 

 いや、そんなことよりもだ。

 

「あ、アンタ、バアルでしょ? 何してんですか?」

『アルンフィル殿には色々と世話になっているのでな、無下には出来なかった』

 

 気にした様子を微塵たりとも見せないサイラオーグに全員の視線がアルンフィルへ向く。しかし本人はただただ笑顔だった。このメイド、案外と侮れない。

 

「私は旧政権であるルシファー側の者。そんな私が新政権のフェニックスと交渉するなど不可能ですよ~。だから持ってる手札で勝負しました~」

 

 だからと言ってバアルの人間を使うなどアリなのだろうか? 

 

「サイラオーグ君はバアルでありながらフェニックスを擁護した人物なので関係も良好です。それにライザー君を説得するのに最適な人物もいましたので~」

「こっちにそんな人いるんですか?」

「何言ってるんですか~。渚君ですよ、ライザー君だけでなく妹君も救ったという情報を仕入れたのでサイラオーグ君を介して利用させて貰ったんですが、予想を越えた効果を発揮して逆に驚かされましたよ~。……名前だけで数十万の移民をすんなり受け入れてくれる程です。フェニックス家でのあなたの評価はある意味恐ろしい」

「……は?」

 

 渚が唖然とする。そんな大層な恩を売った覚えがないからだ。

 

『本来なら借りがある俺だけが動く予定だったんだが話を聞いたレイヴェルが張り切っちまってよ。両親を巻き込んで全面的に協力する事になった。難民の受け入れ体制は母上とレイヴェルが主体になって組上げっちまってる。我が妹ながら見事な手腕だよ』

「なんか、ありがとう?」

『いいさ。ただこの案件が落ち着いたらレイヴェルと話してやってくれ、アイツ、かなり頑張ってるからよ』

「わかった」

 

 レイヴェルにも大きな借りが出来てしまった。どうやって返したらいいか分からないな。あとでじっくり考える必要がある。

 

『……と、まぁ俺らが出来るのは()()()()だけだ。話を聞いた限りじゃあ"ルオゾール大森林"を抜けるんだろ? あの場所は長時間いると()()()()って話もあるし、何より森の魔素粒子が濃すぎて長距離転移も邪魔される、そんな中で数十万の規模の移動とか大丈夫なのか?』

「移動の目処は付けてあるし、魔素が酷い奥は避けるから大丈夫だ」

『そうかよ、なら待ってるからさっさと来い』

「そうするよ」

『蒼井 渚、身内が仕出かした事に巻き込んですまない』

「いやいや、何も悪い事をしてない人に謝られても困る」

『それでも奴は俺の弟だ』

 

 下の兄弟がやったことに怒りを覚えているのかサイラオーグは固く握り拳を作っていた。

 

「そっか、兄ちゃんか。アンタは良い兄貴なんだな」

 

 不思議なほどに自然と喉から出た言葉。

 これは親近感と同情が混じった感情だった。なぜそんな想いをサイラオーグに感じたのは不明だ。

 

『不出来な兄だ、だからこんな事態になってしまった』

「俺が言うのは違うかもだが気にしない方がいい」

 

 渚が苦笑するとサイラオーグも似たような顔をする。

 そんな中、シアウィンクスが前に出た。

 

「ライザー・フェニックス、今回の件に礼を言う」

『あんたが旧ルシファーの頭か。若いと聞いていたが……』

「若輩な自覚はある。あまり言ってくれるな?」

 

 緊張してるのか、威圧的な態度のシアウィンクス。彼女の素を知らないライザーの顔が引き釣る。これはライザーが臆病なのではなく、シアウィンクスから出る雰囲気が純粋に強烈なためだ。

 

『……ッ。そんなガンを飛ばすなよ』

「悪い癖でな、謝罪しよう」

『チッ、いいさ。互いにバアルに苦しめられた側だし、そっちに余り余裕がないのも聞いている』

「そうか。それとサイラオーグ・バアルにも礼を……」

『私は貴女方を苦しめているバアルです。礼など言われる資格はありません』

「言わせてくれ。バアルではなくサイラオーグという個人に向けての感謝だ」

 

 シアウィンクスがライザーとサイラオーグを見つめて礼を述べた。

 

「此度の件、本当にありがとうございます」

 

 その誠意と善意にシアウィンクス以外の者もライザーとサイラオーグに頭を下げる。

 精一杯の感謝を込めて……。

 ここに全ての準備が完了した。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 今回の作戦で最も困難だったのは"ルオゾール大森林"から数十万規模の集団をフェニックス領へ移動させる事だった。本来なら転移を使うのが正攻法だが"ルオゾール大森林"は特殊な魔素溜まりであるため神秘による術式を反発する性質がある。

 だからと言って徒歩で行くには遠すぎるし危険も大きい。それでもこの計画を推奨したのは()()()()()()()()()()

 

「"冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)"と"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"を使う、ですか」

「随分と思い切りがいい案ね」

 

 渚がアリステアと譲刃に移動手段を話すや二人は半ば呆れ顔をされた。

 渚とて似たような心境なので自然と肩を竦めてしまう。

 

「まぁティスからの案なんだけどな」

 

 ティスが言うには引力を超圧縮すれば空間が歪む。そこに穴を穿てば距離を無視した移動が出来るそうだ。歪曲空間に(くさび)を打って次元と空間に干渉するとかなんとか……。

 詳しい話は学のない渚にはチンプンカンプンだ。要約すると引力の"冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)"と斥力の"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"をセットで使えば大勢の人を運べるとの事。

 

「正直、歪曲空間(?)とやらに人を入れるとか危険だと思うんだが……」

 

 何故かシアウィンクスやルフェイからは許可が降りた。寧ろルフェイの食い付きが凄かった。神秘ではない奇跡にもは等しい現象に興味を惹かれたようだったのでティスの言葉をそのままトレースして答えてあげた。因みに渚にとっては一欠片も理解できなかった話である。

 ともせず、あの二人ちょっと自分を信用しすぎじゃないかと渚は心配になる。

 

「なぁ俺がやろうとしてる事って転移と何が違うんだ? ティスがこの方法なら問題ないって言ってたがワケわからんだ」

 

 遠くに素早く移動するのだから結果は同じだ。だからこそアリステアは渚は問うた。

 

「結果は同じでも至る過程が違います。転移は魔力や光力などで対象を移動させる神秘の具現です。対して貴方がやろうとしているのは自然現象の延長線上にある時空干渉に該当します。要は空間をねじ曲げて作るトンネルですね。これは科学現象になりますから神秘に属する魔素で阻害できないでしょう」

「お、おう……」

「ステアちゃん、ナギくんがオーバーフローしてるわ。簡単に言えば、"ルオゾール大森林"に蔓延(まんえん)してる魔素は悪魔や天使が使う神秘に属する力なの。だから同じ側にある以上は干渉されしまう。けれどナギくんのやろうとしてるのは神秘とは全く違う超科学の果てにあるワープよ。これは神秘にならないから魔素に干渉される心配はないって解釈で良いわ」

 

 成る程、オカルトの転移ではなく科学のワープを使ってるから問題ないか、それなら分かりやすい。

 譲刃は案外と説明が上手いな。

 

「あ、そうだ。譲刃、帰ったら"蒼"の制御法を勉強したいんだ、手伝ってほしい」

「急にどうしたの?」

「俺はド素人、ティスは手加減を知らないって思い知った。刀を使ってた時は譲刃が力をコントロールしてたって聞いてさ。それにおんぶに抱っこもどうかなって」

「う~ん。必要かな、それ?」

「"蒼"を使った力は強力過ぎるんだ。制御できないといつか大変な事になりそうで怖い」

「"蒼"の加減かぁ」

 

 頭を捻る譲刃。なんというか反対はしないが渚の言っている言葉にどう返すか悩んでいる様子だ。

 

「難しいのか?」

「太陽を電池くらいの器に詰め込むようなものかしら」

 

 意味の分からない例えをされたがニュアンスだけで難しそうである。

 そもそも太陽を電池になんて出来ない。どんな高性能な未来電池だ、それは……。

 

「ナギくん、前提が違うんだよ。"蒼"というのは制御するんじゃなくて必要な分を汲み取って使うのが正解。感覚的には砂粒よりも極少の粉を使うのに近い。それだけでも人ひとりが持つには膨大な力が手に入る」

「じゃあ譲刃は制御が上手いんじゃなくて……?」

「そうよ。私は"蒼"から汲み取った力を削り落として限りなく"蒼"に近い高純度霊氣として扱っている。簡単に言うなら"蒼"をわざと劣化させてるの。だから厳密に"蒼"の制御は出来ないわ」

「むぅ」

 

 (あて)が外れたか。

 "洸剣"や"魔拳"を安全に扱う為の相談だったのだが上手くはいかないものだ。

 渚が悩んでいると譲刃が肩を叩いて微笑む。

 

「?」

「ナギくんの悩みは"冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)"の力が強すぎる点よね?」

「あぁ」

「なら別に"蒼"を制御する必要はないんじゃない。ね、ステアちゃん?」

「どういう意味だ?」

 

 黙っていたアリステアが話を振られて、言いたくなさそうなジト目で口を開いた。

 

「……初めに言っておきますがナギの武具は"蒼"を装填して使うのが正しい運用方法です。わざわざ威力を落とす必要があるのですか?」

「そうしないと他所様と連携できないんだよ。味方を巻き込む奴と一緒に戦いたくないだろ」

「私は問題ありません。勿論、譲刃もです。第一、ナギが群れる必要は無いでしょう」

「お前は俺を孤高の戦士か何かにしたいのかよ……」

「私と譲刃がいますが?」

 

 二人だけとか勘弁して欲しい。

 グレモリー眷属たちと戦うなかで連携の大事さは身に染みているのだ。以前の"はぐれ悪魔"討伐マラソンみたいなソロプレイはもうやりたくない。確かに単独かつ周囲の被害を考えなければ渚は易々と負けないだろう。だがあの戦い方は危険だ。一つのミスで死ぬし、自分が犠牲者を出してしまう可能性もある。それは決してダメだ。

 

「それでも必要だ。例えばイッセーたちと一緒に狭い空間で戦わないといけない場合もあり得る。加減の有無は必須だよ」

 

 アリステアは諦めたように首を小さくふる。どうやら渚の意見が正しいと納得したようだ。譲刃がアリステアから見えないように笑顔で「よく言った」と控えめにピースをしていた。ちょっと可愛いと思っているとアリステアが喋り出す。

 

「ナギの使う武具は高密度の霊氣でも機能はします。元々、"蒼"とは霊氣の最果てにあるものだからです。動力の質が落ちれば自ずと威力は減衰するでしょう」

 

 漠然とだが答えを見つけた気がする。

 要は何処からか無限に流れてくる滝のような"蒼"じゃなく、自らの霊氣を装填すれば出力を調整しやすいということだろうか。威力は自分の霊氣次第という課題はあるが必要なら鍛えるだけだ。

 

「少しアプローチを変えて霊氣を使うやり方を試してみる。ありがとう、ステアに譲刃」

「世話の焼ける人です」

「まぁまぁ。役にたったら(さいわ)いと言うことでね ……ところでナギくん、"彼女"とは会ったようね?」

 

 空気が若干重くなるのを感じた。

 覗き込むような視線で譲刃が問うとアリステアの気配が鋭くなる。

 一瞬、誰の事かと聞きそうになたったがすぐに気づく。譲刃の言う"彼女"とは、渚の中にいる自称"暴力"を司る牢獄美女のことを指すのだろう。

 アッチも譲刃を知っていたし、隠す必要もないと素直に答える

 

「牢屋のいた人か?」

 

 渚の返答に譲刃とアリステアがほぼ同時に嘆息した

 

「その感じ、使ったのね」

「あぁ。……不味かったか?」

「あまり良くはないかな」

「確かに恐ろしい力だったけど……」

 

 ──"黄 獄 獸 鵺(クレプスクルム・アウルムレオス)"。

 渚が持つ数ある力の一つであると同時にティス(いわ)く唯一"蒼"に属さない反存在。渚の意思で振るわれる武器ではなく、自らの意思で敵を喰らい尽くした(けもの)だ。残虐なまでの暴力とはあのようなモノを言うのだろう。

 だが、その力を司る彼女は自分を卑下にするところはあったが害意は向けてこなかった。

 

「彼女自身は悪い者には思えないんだが?」

 

 意外にも譲刃は渚に同意するように頷く。

 

「性格じゃなくて性質の問題だね。彼女はティスよりもナギくんに深く繋がっているの。きっと何かしらの影響が出るわ」

「怖いぞ、影響ってなんだよ」

「アレは人が持つ衝動や本能のタガを外して魂を狂わせます」

 

 身震いする渚にアリステアは"彼女"を非難するような冷ややかな声音で言う。

 ティスも危険性を示していたが改めて聞くと相当にヤバそうだ。

 

「魂を狂わせる、か」

「少し"彼女"を擁護するけど、前とは随分違ってるから利己的にナギくんをどうこうしようとはしない筈よ。ただ注意はしてね」

「まぁティスも力を貸してくれるみたいだし、今は様子見かな」

「何かあれば対処はしてあげますよ、不本意ですが……」

「あぁ頼む」

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 

 移民のために必要な全ての準備を終えた。

 シアウィンクス達から休むように言われた渚だったが中々寝付けず、コロニーの外れまでやって来ていた。

 ふと空を見上げる。

 人間界とは違う色の満月が森の天幕から顔を覗かせていた。こうして見ると遠い場所に来てしまったと自覚する

 

「後先考えずに随分と顔を突っ込んだもんだ。大丈夫かよ、俺……」

 

 今さらながらに苦笑してしまう。けれど不思議と後悔はない。(むし)ろやる気に満ち(あふ)れているくらいだ。

 

「ん?」

 

 誰かが近づいてくるのに渚は気づく。

 姿は闇に紛れているが見知った気配なので警戒心を解いて名前を呼ぶ。

 

「……ルフェイ?」

 

 木の影から現れたのは年下の魔女っ娘だ。

 渚と顔を合わすや困ったような照れるような笑いを浮かべる。

 

「あはは、こんばんは」

「こんばんは。どした、こんな夜遅くに?」

「少し寝付けなくて。ちょっと外の空気を吸いに来ました」

「こんな場所に一人は危ないぞ」

 

 自分の事は(たな)にあげる渚だがルフェイは女の子だ。同列には扱えないだろう。

 

「いえ、渚さまがいるのは分かっていました」

「森に入るの見てたのか」

 

 首を左右に動かすルフェイ。

 

「私は渚さまの召喚者なのでパスが繋がっているんです。だから繋がっているラインを辿れば会えちゃいます」

「あれ? 召喚者ってシアじゃないのか?」

「召喚の完成度を高めるには術者を私に変更する必要があったんです。あ、これ、シアさまには言わないでくださいね? (にな)うリスクも私に移しているのでバレた場合、あの方は責任を感じてしまいますから……」

「シアは責任を負い過ぎるきらいがあるからな」

「真面目と言ってあげてください」

 

 ルフェイが「ダメですよ」と前置きしてからシアウィンクスを庇う。別に責めていた訳じゃない、寧ろそういう所があったから手を差し伸べたのだ。

 

「まぁ真面目が悪いとは言わないけど誰かが諌めないとな」

「それもそうですが……」

 

 ルフェイは何処まで行ってもシアウィンクスを肯定する立場にある。だからこそ渚は安心して逆の方向に立っていられる。

 気づけばその頭にある魔女のとんがり帽子のつばを下げた。

 

「はわっ。な、何を……?」

「いやぁルフェイもシアに似て真面目だと思ってな」

「ま、真面目ですか?」

「あぁ。シアとルフェイ(主従)が揃ってそうだと潰れちゃうだろ? 俺くらいは不真面目な方がバランスがいい」

「それもどうかと思います」

「いざって時には本気を出すさ」

 

 渚が茶化すように言うとルフェイは怒るわけでも呆れるわけではなく真剣な顔を見せた。

 

「やっぱり渚さまは変わってますね」

「え、何が?」

「とてもお強いのに、そうは見えないんです」

 

 なんかかなり酷い言われ方をしてる気がする。

 そう言えばアリステアからはZAKO of the ZAKOなんて不名誉な渾名を付けられたのを思い出す。

 俺ってそんなに雑魚っぽいのだろうか? 

 渚が遠い目をしているのに気づいたルフェイが慌てる。

 

「あ、あの、違うんです! 決して悪い意味では無いのです!」

「え? ならどういう意味なんでしょうか、ルフェイさん」

「なんで敬語なんですか?」

「ナントナクデス」

「もう、真剣に聞いてくださいっ」

「あ、はい」

 

 ルフェイが頬を膨らませた、素直に可愛い。

 

「渚さまの纏う雰囲気はとても暖かいんです」

「暖かいとは妙な例えだな」

 

 お日様か、俺は? 

 

「──それに言動に嘘がない」

 

 ルフェイの瞳が一瞬だけ光った。

 月の光りが反射したかと思ったがルフェイは首を振ると再び輝きを見せた。あまりに幻想的な淡い光に心を魅了されそうになる。ルフェイは魔眼持ちなのだろうか。

 

「これは"妖精眼(フェー・プリュネル)"。人の内面を映し出す最上級の幻想眼の一つです。ペンドラゴン家には妖精の因子も混じっているので先祖返りの一種と聞かされています」

 

 揺らめく瞳は自慢する所か自嘲が含まれている。

 ルフェイにとってあまり良いのじゃないのが今ので分かった。

 

「人の心が読めるって解釈で構わないか?」

「はい」

「それはいつも見えてるのか?」

「……はい、基本的に眼球が開いてる間は見えてしまいます」

 

 相手の思考が読める。

 それは便利な能力だ。

 日常、非日常を問わずに他者の行動を把握できる力は優位に働く。相手が何を望み、何を嫌がるのかを知れれば常に上手く立ち回れるだろう。

 ルフェイが大人びて見えたのは、その目があったからかもしれない。

 一見して素晴らしい力だが渚は逆に心配になった。

 

「今までよく無事でいられたもんだ」

 

 渚がそう言うとルフェイは少し驚いた表情を見せた。

 

「無事、ですか?」

「人の中身が見えるなんて恐ろし過ぎるぞ」

 

 人の心には誰にも見せられないモノが潜んでいる。黒い情欲を初めとした醜い感情がソレに値する。そんなものを見せられたら人間不信になりかねない。

 

「貴方は理解してくださるんですね……」

「理解なんて出来ないよ。その悩みはルフェイにしか持てないもんだ。だけど想像はしたら怖いと思った、それだけだ」

 

 現実と想像の苦しみを比べるなど馬鹿げている。自分のイメージなどルフェイが持つ苦しみの足元にも及ばない。だから、分かったふりなど出来る筈がないのだ。

 

「気味が悪いとは思いませんか?」

「へ、何が?」 

「こうしてる間も私は渚さまの考えを読んでいます。実際、この力を知った人たちは上辺では褒め称えつつも、思考の奥底では()(きら)っていました」

 

 微笑みながら問い掛けるルフェイの顔はよく見る笑顔だった。その穏やかな笑みが仮面だと気づく。本心を笑顔で覆う様は魔王のフリをして弱さを隠すシアウィンクスによく似ている。

 今、彼女が望んでいる答えはなんだろうか? 

 優しい慰めか、厳しい激励か。

 いや……と静かに前置きして渚は考えずに反射的に答えた。

 

『ルフェイは可愛いッ!!』

 

 とりあえず渚がルフェイをどう思ってるかを心のなかで叫んでやった。

 

「ふぁ!」

『可愛い! 超可愛い!! めっちゃ可愛い!!!』

「あ、ああ、あのっ!」

『頭も良い! 性格も良い!! 料理も旨い!!!』

「な、ななななっ!?」

『清潔感もある! 品性もある!! 炊事洗濯も出来る!!!』

「あわわわっ!」

『最高! 俺の召喚者さまは超最高!! 気味が悪いって言った奴にはいつか"漆黒の焉撃(ジオ・インパクト)"で制裁します』

「そ、そこまでは求めてませんっ!!」

 

 とにかく褒めちぎる。バグったような思考をルフェイに叩き付けた。渚の故意的な暴走でルフェイが纏っていた不穏な空気もなくなっている。

 

「──というのが俺がルフェイに対して向けてる感情だ」

「……もう、あんなにうるさい心の声は初めてですよ」

「ははは」

 

 はにかんだ笑顔を見せるルフェイ。

 恥を忍んでヘンテコな事をしたかいはあったと渚も満足げに笑い返す。

 

「もしも、もしもですよ? 私が……」

「ルフェイが大変な目にあったら駆け付けるよ」

「あ……」

「俺とルフェイは繋がってるんだろ? ならピンチの時は絶対に呼べ。逆に呼ばないと怒るからな?」

「……いいんですか?」

「なんでダメなんだよ。……アレだ、恥ずかしい話だが俺はもうルフェイを友人と思ってたりする。そっちが良ければそうなってくれ」

「わ、私、変な子ですよ」

「いや多分、変な具合では俺も負けてない」

 

 記憶がない上に中身は色んな謎存在が詰まってるのだ。相当、変である。

 そう考えたら敬遠される人間なのかもしれない。自分で言っていて少し凹む。

 

「まぁ嫌ならいいんだが……」

 

 渚が身を引こうとするがルフェイに止められた。

 

「い、嫌なんて滅相もない! 私は故郷でも親族以外で親しい人がいないので嬉しいです!! 末長くよろしくお願い致します!!」

「なんか結婚みたいだぞ、それ」

「──っ!! では明日も早いので私は休みます、渚さまもあまり遅くならないようにお願いしますね!」

 

 顔を背けて早足で逃げるように渚の下を去るルフェイ。

 

「どうしたんだ、一体……? まぁ元気になったみたいで安心した」

 

 ルフェイの慌ただしい行動に首を傾げる渚。そんな呑気な彼を他所に夜は更けていくのだった。

 



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激突《3 on X00000》


絶対的な相対比率。
挑むは無謀な比率。
(くつがえ)すは理の外にある比率。



 

 ──行軍が始まる。

 

 "ルオゾール大森林"の上空にバアルの船団が終結していた。紫雲の天空を覆う魔鉄の戦艦は既に武装を展開しており、森を焼き尽くすだろう砲口はソレがまだかと待ち続けていた。

 

『一番から三番艦、主砲発射だ』

 

 ガイナンゼ直々の命令が出されると先頭に配置された三隻の船が焦熱レーザーを放射する。目映い熱線は避難コロニー周辺を一瞬にして消滅させた。天より全てを焼き払う光景は、神が下す天罰さながらである。

 だがコロニーは無事だった。巨大な城塞が如く障壁が焦熱を防ぎ、焦熱を弾いたのだ。

 ガイナンゼは不快げに舌を打つ。

 ──カルクス・ナインズ。

 シアウィンクス・ルシファーの側近にして、三大勢力の戦争時には冥界最高の守護者とまで称えられ、"孤人城塞(フォートレス)"の異名を持つ悪魔。よもや個人で戦艦の主砲を弾くなど強固が過ぎる。正攻法では拉致が空かないとガイナンゼは切り札を出す。

 

「"皇帝(エンペラー)"を出せ」

 

 異常には異常で対応する。ガイナンゼはディハウザー・ベリアルを再び戦場へ送って終わらせようとした。

 例えカルクスの"城塞"が堅かろうが、ディハウザーの"無価値"の前では紙切れと化す。ウェルジットの焼き増しである。ただし、今回はそう簡単には行かなかった。

 

 ──先頭にいた戦艦が急に爆砕して墜落したのだ。

 

 それから次々に戦艦が炎を吐き出しながら地に落ちていく。驚きは一瞬、ガイナンゼは怒声をあげた。

 

「何事だ!」

 

 オペレーターが忙しなくコンソールを叩く。そんな中でも戦艦は落とされていく。

 そして悲鳴のような声で報告した。

 

「こ、攻撃です。恐らく狙撃されています! ピンポイントで動力炉を破壊された模様ッ!!」

「狙撃だと!? バアルの戦艦はドラゴンのブレスすら耐える障壁を展開しているのだぞ!」

「間違いありません。ガイナンゼ様、12番艦より狙撃地点を捕捉したとの連絡が入りました!!」

「映せ」

「主モニターに回します!」

 

 メインモニターが映したのは森の一区画だ。

 キラリと小さな光が走る。

 その直線上に浮かぶ戦艦が血を吐き出すように火を吹いた。映像がそこを更に拡大すると大木に背を預けて座る白雪を思わせる女がスコープ越しに銃口をバアルの戦艦に向けている。

 モニターに映された女の顔が不適な笑みを浮かべた。まるで見られている事に気づいたような素振りと同時に映像が途絶える。

 

「12番艦、轟沈ッ!!」

「あんな物で落とされたのか?」

 

 ガイナンゼが見たのはバレットM82という大口径スナイパーライフルを構えるアリステアだった。彼女の携えたライフルは人ではなく戦車などに使われる代物だ。確かに普通の銃に比べたら強力な部類に入る。しかし所詮は人間が作り出した携帯火器の一つである。冥界の戦艦は重装甲であり、その周囲を堅牢な魔力障壁で包まれている。撃ち抜こうと思うなら街一つを焼き払う火力が必要だ。矮小な鉛の弾丸で落とせる道理はない。なのに次々と巨大戦艦は小針のような弾頭の前に沈んでいた。

 個人兵装が戦略兵器を蹂躙するなど悪夢を見ているようだ。世の理を無視している光景は理不尽などという生易しい物ではない。

 

「流石は本筋のルシファー、このような戦力を温存していたとはな。客人を飽きさせぬ趣向を知っている」

 

 だがガイナンゼは笑みを浮かべた。その顔に恐怖ではなく歓喜に満ちていた。

 容易く滅ぼす筈が中々に食い下がるシアウィンクスをガイナンゼは打倒すべき敵と認識した。

 

「白兵戦を仕掛ける。奴等にも準備をさせろ」

 

 これだけの力を見せられてもガイナンゼは臆さない。むしろ高揚している。彼にとっては一方的な蹂躙よりも肉薄した(いくさ)こそが求めてやまない物だからだ。

 今のガイナンゼ・バアルは己が血と力のままに欲望を発散する悪魔らしい悪魔そのものだ。

 ただ彼は気づいていない。これから相手をするのは文字通りの天災に等しい存在である事に……。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 金色の薬莢が宙を舞い、バレットM82のスコープから目を離すアリステア。

 

「動き出すのに72秒ですか」

 

 渚から頼まれたのは時間稼ぎだったのだが、気づけば撃墜の嵐である。アリステアに慈悲はなく、淡々とした作業のように戦艦の心臓(メインエンジン)を撃ち抜く。

 堕ちた艦の悪魔が生き残っている可能性は低い。

 だがアリステアにとっては心底どうでも良い事だ。

 

 ──敵対する者は殺しても問題ないでしょう? 

 

 まさに口ではなく行動が全てを物語っていた。

 空を支配する大型戦艦の群れは、(ただ)のライフル弾を恐れて荒野に不時着して行く。情けないとアリステアは嘲笑うが少しだけ感心もした。敵の指揮官は、たった一挺のスナイパーライフルが脅威であるという非現実な状況を受け入れて柔軟に対応したのだ。どうやらガイナンゼ・バアルは思いの外、優秀なようである。

 

「さてナギ、"真 器(アーネンエルベ)"無しで何処(どこ)までやれますか?」

 

 アリステアがバレットM82を肩に(かつ)ぐと優雅(ゆうが)なステップで木々を飛び越えながら移動を始める。

 向かうのはバアル軍勢の中枢(ちゅうすう)。今頃、戦艦が着陸した場所で待ち伏せをしている相棒(ナギ)がガイナンゼに喧嘩を売っている頃だろう。

 それを特等席で見てやろうと歩き出すアリステアだったが思い出したように通信機をオンにする。

 

「カルクス・ナインズ、貴方の役目は終わりです。"城塞"への魔力供給は私が引き継ぎます」

『待ちなぃ、アリステア嬢ちゃん。確かに初撃だけを防ぐ算段だったが戦力は必要だろうがぃ!』

()りません、戦力は充分です。貴方を残したのは"城塞"を張る事でコロニーにまだ旧ルシファーの民がいると敵に誤認させる為です。加えてシアウィンクス・ルシファーとこれ以上離れれば"ルオゾール大森林"の魔素妨害により合流できなくなります。さっさと護衛に戻ってください」

『けどよぅ』

「──跳ばしますよ」

 

 マーキングしていたシアウィンクスの下へカルクスを跳ばすアリステア。短距離の転移なので問題なくアチラに移動させられただろう。

 現場からカルクスが消える前に"城塞"を自分の霊氣で(おお)い術式を奪い取るもの忘れない。

 

「では行くとしますか」

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 

 "ルオゾール大森林"の前に広がる荒野にバアルの軍勢が終結していた。

 アリステアの狙撃を留意してからか、空中からの爆撃を止めて数による進撃に切り替えたようだ。

 数ある戦艦からバアルの軍勢が隊列を成して続々と降りてくる。軍隊らしき足並みの揃った素早い隊列形成。流石はバアルの軍隊だと殿(しんがり)を勤めていたカルクスは感心と警戒を同時に抱く。

 しかし、それ以上に味方である白雪の少女に冷や汗を流す。

 

「綺麗な顔しておっかねぇな」

 

 羽虫のように叩き墜とされた戦略兵器の残骸を見ながら、果たして自分の"城塞"で彼女の弾丸を受けきれるのか、などと考えてしまう。

 

「いや、今はそんなことをどうでもいいか」

 

 お嬢(シアウィンクス)が信頼する渚のツレだ。

 臣下である己も信じるのが筋である。カルクスは"城塞"を展開しながら一際高い大木へ飛翔した。

 

「流石に歩兵だけじゃないか」

 

 あれはグリフォンだろうか。鋭い眼光と(くちばし)、立派な四肢に強靭そうな翼。大柄であるカルクスの三倍はありそうな体躯を持つモンスターは背に騎手らしき悪魔を乗せて整列していた。

 グリフォン部隊だけでも数えるのも馬鹿らしい大群なため、その他を含めれば間違いなく万単位は越える軍勢だ。全員が厳しい訓練を受けた屈強の兵団。

 

「初撃を受け切ったら俺は撤退させるって話だが流石に退けないわなぁ」

 

 予定では渚、アリステア、譲刃の三人だけで殿(しんがり)を勤めることになっているがカルクスとて退く気はない。

 しかし多勢に無勢である。"城塞"は戦艦の主砲すら弾くほど強固だが、あくまで盾という存在の延長線にある力だ。一方向なら兎も角、多方面から攻められたら弱い。つまり小回りが効く手合いには少々不利となる。

 どうやって戦うかを考えていると耳の通信機から声が届く。

 

『カルクス・ナインズ、貴方の役目は終わりです。"城塞"への魔力供給は私が引き継ぎます』

 

 通信はアリステアからだ。冷淡かつ簡潔に言うとそのまま切られてしまいそうだったので少し慌てて返事をする。

 

「待ちなぃ、アリステア嬢ちゃん。確かに初撃だけを防ぐ算段だったが戦力は必要だろうがぃ!」

『要りません、戦力は充分です。貴方を残したのは城塞を張る事でコロニーにまだ旧ルシファーの民がいると敵に誤認させる為です。加えてシアウィンクス・ルシファーとこれ以上離れれば"ルオゾール大森林"の魔素妨害により合流できなくなります。さっさと護衛に戻ってください』

「けどよぅ」

 

 それじゃ納得いかない。カルクスの言葉にアリステアの声が重なる。

 

『──跳ばしますよ』

 

 城塞の供給ラインがアッサリと奪われる。見事なまでの簒奪に舌を巻く暇もなくカルクスは光に包まれてシアウィンクスが目の前に現れる。景色も先よりも深い森に変わっていることから跳ばされてしまったと直ぐに把握した。これもまた見事な強制転移である。

 しかし人の気配が凄い。シアウィンクスを先頭に大量の移民たちが並んでいるのだ。

 

「来たか、カルクス。では第三ゲートを開くぞ」

 

 シアウィンクスが腕にある黒い籠手で巨大な空洞を作ると周りに浮かぶ光る剣に触れた。すると黒い空洞が裂けて向こう側が映し出される。

 

「あと七つ抜ければ森を抜けられる。しかし、ここからは魔力転移が使えなくなる。ギリギリだったぞ、カルクス」

「別に間に合わなくても良かったんだがねぃ」

 

 カルクスが言うとククルが寄ってきた。

 

「あんたは護衛さね、表層だからって油断してんじゃないよ、バカちん」

「わぁちょる。だが若いのだけを残すってのはどうなのかって話だぃ」

「大丈夫ですよ~。あの三人は間違いなく普通じゃないので~。ね、シアちゃん」

「そうね、アルンの言う通りよ。ルフェイ、ゲートは安定してるわね」

「はい、魔力と似ている制御方法なので問題ありません」

 

 シアウィンクスが作ったゲートにルフェイが魔法で干渉して安定させると移民たちが次々とそのトンネルへ入って行く。

 カルクスはその光景に圧倒されながらも戦場に残った渚たちに意識を向けた。

 

「死ぬなよ、渚」

 

 

 

 ●○

 

 

 

「はぁ~」

 

 渚は大きく息を吐く。

 別に今の状況に辟易(へきえき)した訳じゃない。ただ少しだけ現実逃避したかっただけだ。

 眼前に広がるバアルの軍勢。次々と着陸した戦艦から蟻のようにワラワラと出てくる。

 正直、こんな奴等の前になんて出たくない。出たら最後、本気で魔力弾の雨が降るだろう。

 

「不安なの?」

 

 横から憂鬱そうな渚を譲刃が覗き込んでくる。この一切の緊張が見られない少女の精神は鋼で出来ているのかもしれない。

 

「普通するだろ。しないのか?」

「私はあんまりね」

 

 すげぇや、この()。とんでもないメンタルモンスターだ。

 ドラのような楽器が戦場に(とどろ)く。どんな素材を使ったらこんなにも響くのだろうかって位にうるさい。

 辟易する渚に比べて譲刃は興味深そうな表情でバアル軍を眺める。

 

「士気高揚の儀式だね、悪魔って言うわりにやることが昔の人間みたいで面白いわ」

「どこら辺が面白いのかが分からない……」

 

 バアルの悪魔どもが武器を片手に雄叫びを上げていた。

 とことん殺る気で渚は心底ゲンナリした。

 瞬間、砲撃が避難コロニーを襲う。戦艦は艦砲射撃に専念するようだ。

 カルクスが残して行った"城塞"が爆音と衝撃で揺らぐ。傷一つなく健在なのはアリステアが魔力の代わりに霊氣で制御しているからだ。つまり渚がジッとしているだけアリステアに負担が掛かる。

 

「しょうがねぇ」

 

 領民の避難のために時間を稼ぐ必要があるので()らなければならない。今も戦艦からは砲撃が続き、アリステアが懸命(?)に受け止めているのだ。自分だけコソコソとするのはナシだ。

 クシャリと前髪を右手で無造作に(にぎ)り、三秒数えてから森を抜けて荒野へ出る。

 多くの視線を感じてならない。見晴らしの良い荒野で目立つのは当たり前だ。

 

「さて、と」

 

 事をおっ(ぱじ)める前に森へ意識を向ける。

 シアウィンクスに()()()()()が遠ざかるのを感じて懸念材料が消えた。どうやら避難は順調だ。ならば役目を果たすため渚は構える。

 

「待った。ここは私に任せてくれない?」

「譲刃?」 

 

 身バレを防ぐ為か、鬼のような面を被る譲刃。

 どこに持ってたんだよ、ソレ……。

 

「戦争を始めるんだから、やることはやらないとね」

 

 譲刃が前に出る。そして堂々と進んで行くや渚とバアル軍の中間あたりで脚を止めた。

 何をする気か分からないが黙って見守る。

 

「それじゃまず"一閃"っと」

 

 鞘から刀を抜くと地面を真横に斬り付けた。

 軽快な声音とは裏腹に刃は凄まじい衝撃と共に左右へ長大な切り口を地面に作る。

 それは警告だと渚はすぐに知る。

 ここから先は"不可侵領域"だと目に見えるようにバアルヘ示す行為に他ならない。

 譲刃は満足そうに斬痕(ざんこん)を眺めると納めた刀を大地に立てて鬼気迫る声を張り上げた。

 

「聞けッ! これより先は通るに(あた)わず、蛮勇を(しめ)したくば、この千叉 譲刃が冥府の最果てまで案内(つかまつ)る」

 

 その高らかな宣戦布告だ。

 渚だけでもなくバアル軍も一瞬だけ()まれる。

 それを見て譲刃は凄絶な笑みを浮かべた。

 

「あら臆したの、バアルの軍勢さん?」

 

 渚は風に流れ来た声に表情を引き釣らせた。バアル軍に声は届いてないが譲刃の姿は挑発的に見えていたのだろう。怒号と共に戦いが始まるや津波のように押し寄せる軍勢。

 

「──いざ」

 

 短く言うと押し寄せる敵軍を迎撃する。

 譲刃の小さな身体が呑み込まれた瞬間、血の旋風が吹き荒れた。譲刃が悪魔を斬殺したのだ。一振りで五~六人は斬り殺している。それがひたすらに繰り返された。

 刃鋼(はがね)の軌跡が残す(あと)(かばね)のみ。

 

「……凄ぇな」

 

 譲刃が強いのは分かっていたが、これは尋常じゃない。

 悪魔たちは彼女に一切触れられずに一方的な殺戮の餌食(えじき)になっている。果たしてアレは戦いと呼んでいいのだろうか。

 譲刃は刀一本で戦場を完全に支配していた。一騎当千という言葉ですら現せない異様かつ異常な強さに渚は身体を震わせる。

 本当に、あれはなんなのだろうか……。

 

『アリステアと譲刃は"臨界領域"にまで昇り詰めた単体生命。人を越え、獣を超え、蒼の真境に触れてなお自らをヒトと名乗る存在。その魂の根幹たる霊核は他の生命とは格が違うゆえ悪魔程度では相手にならない。あれこそが神すら屠る"真滅俱(ディー・サイド)"』

 

 "真滅俱(ディー・サイド)"、何処(どこ)か"神滅具(ロンギヌス)"を連想させる。どうやらアリステアと譲刃は渚が思っているより凄い人のようだ。

 だからと言って任せっぱなしは不本意だ。

 

「ティス、俺らも行こう」

『我が器して我が君よ、命令(オーダー)を』

「譲刃の邪魔をせずに、あの軍勢を相手する。……()()()()()がやれるよな?」

『問題ない。渚自身に"蒼"を纏えば徒手空拳ですら他を圧倒する』

「そっか。なら全面的なフォローをよろしく頼む」

『了承。殲滅対象の戦闘レベルを算出……完了。"蒼 獄 界 炉(クァエルレース・ケントルム)"を10%の限定起動』

 

 心臓と重なるように存在する魂が脈動する。

 ここではない極めて近く限りなく遠い場所と繋がる感覚。流れくる力の奔流は血液に溶けて渚の全身を巡り廻る。

 瞬間、荒野は轟き、大気が吹き荒ぶ。

 渚から蒼いオーラが放出されるや火柱が如く冥界の天を貫く。

 怖いくらいに力が溢れる。今なら素手で戦艦を殴り壊せそうだ。自分の大概だなと呆れ果てるには充分な力である。

 

「さぁどうする」

 

 力は得た。それこそ強大過ぎて何が出来るか分からないくらいだ。その力を使い、どう立ち回るかを模索する渚にティスが口添えしてきた。

 

『初撃にて敵陣の勢いを削ぐ。"蒼"を霊氣変換して右腕に収束する』

 

 纏うオーラが右の掌に集まると閃光へ変換された。そして撃てと言わんばかりに荒れ狂う。

 分かったよ、やればいいんだろう。

 閃光を強く握り潰す、光は焔となり右腕を包んだ。

 渚は右腕とバアル軍へ交互に視線を送る。

 

「加減は出来ない。訓練する時間をお前らがくれなかったからな」

 

 もうどうなっても知らんからな。

 

『"事象観測(フェノメノン・オブザメーション)"を視界に適応』

 

 攻撃の意思を明確にするとティスがフォローを始める。

 渚の視界に文字や数字、計器などが現れた。まるでロボットのメインモニターである。幸いどの文字も半透明なので邪魔にはならない。ただ急にマシンみたいな視界に戸惑う。

 

「こいつは……」

『"事象観測(フェノメノン・オブザメーション)"という網膜に必要な情報を直接映すための術式。──これより最も攻撃が有効なポイントをマーキングする』

 

 ピピピッと機械チックな音が脳に届くと小さな赤い逆三角形が複数見えた。どれも数百メートル先にあるバアル軍の戦艦だ。眼を凝らすとズームが掛かってよく見える。

 

「狙えってか」

『今のナギサの腕は龍の息吹に等しい。その焔で敵を薙ぎ払う』

「腕から息吹とか訳わかんねぇ」

 

 そう吐き捨てて蒼焔を解き放つと猛々しい衝烈となり、燃えながら地を走った。

 渚の雑な一撃はバアルの軍勢を蹴散らして戦艦に直撃。堅牢なずのソレは飴細工みたいな脆さで溶けて爆発四散した。

 

「ハッ、マジ引くなぁ!」

 

 悪態を吐きつつも大雑把に"蒼"を振り回し続ける。

 大出力の霊氣によって大地が裂けて軍勢と戦艦が沈む。何も気にせずに暴れまわるのなら莫大な力の塊である"蒼"は最適ようだ。

 ホントに引くわ、これ……。

 

「自分でも少ないと思うくらいでこの威力か……」

 

 譲刃のアドバイスを受けてやってみたが上手くいった。"蒼"を指先で掬うイメージで霊氣に変換して使ったが威力は申し分ないうえ疲労も少ない。"蒼"を直接装填した"冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)"が如何にオーバーキルかつ高燃費だったかが良く分かる。

 だがコレだけで勝てるとは思っていない。

 

「流石に防御に回られたら防がれるか」

 

 魔力による防御陣が渚の霊氣の波動を弾く。

 軍勢だけあって大規模な攻撃に対する備えもあるようだ。

 バアルの軍勢から魔力砲弾が発射される。その反撃の豪雨に対して渚はティスへ叫ぶ。

 

「懐に飛び込むッ」

『霊氣を推進力へ変換する』

 

 ティスの戦術が直接脳で受け取った渚は重心を前へ傾けて身体を弾くように前へ跳ぶ。転瞬、脚部から霊氣を放出されて急激な加速が全身を襲う。正にロケットスタートとも言える豪快な突進だ。蒼いオーラを引き連れながらバアルの防御陣を破壊して一軍に自身を滑り込ませる。

 

「チッ」

 

 目の前にいた悪魔を腕で払い除ける。邪魔だったから退かそうとした渚に対して暴虐とも言える霊氣は蒼い焔となって、その悪魔ごと十数名を巻き込んで塵に帰す。

 

 ──身体が強張(こわば)る。

 

 蒼い(ほむら)に包まれて消失する悪魔たち。

 燃えながら散った命に対して思うことはない。ここは戦場、殺し殺される場所なのだ。知り合いなら()(かく)、死地で殺しに来る奴の命など気にしていたらコチラが死ぬ。

 渚が気分を害したのは明らかに危険な相手に勝てると思って襲う悪魔たちの内面にだ。

 

「今のを見て、勝てると思ってるのか?」

 

 苛立ちが募る。

 "蒼"は圧倒的だ。渚本人とてこの力の巨大さに恐れ(おのの)いている。疾走すればソニックブームが巻き起こり、腕を振るえば蒼焔が焼き尽くす。まさに命を容易く葬る怪物である。そんな単騎で大軍を相手に怪物に挑むなど普通は躊躇(ちゅうちょ)するはずである。しかし悪魔たちは自らが負けるとは(つゆ)にも感じていない。傲慢から来る慢心か、バアルへの忠誠か、なんにしても異常な精神性なのは確かだ。

 恐らく彼らに撤退はない。改めてこの戦いが殲滅戦だと渚は認識した。

 

「嫌になる、徹底的にやるしかないのかッ」

 

 向かってくる悪魔の一人が魔力の砲弾を跳ばしてきた。

 それを無造作に蹴り上げて返すと爆発霧散して吹き飛ぶ。その混乱とした場所に突撃した渚の眼球が世話しなく動いて悪魔の位置情報やらを確認する。

 

『眼前の21体をマーカー1からマーカー21と表示する。撃破順は3、5、9、15を推奨。厄介な異能を持っている、使われる前に排除すべき』

 

 眼球の中で21人の悪魔がマーキングされる。

 一秒にも満たない時間で位置を把握すると考えるより先に体が動く。ティスに(なら)いマーカー番号が3、5、9、15の悪魔から潰した。"蒼"によって強化した身体能力が残りの悪魔も効率良く蹴散らす。

 驚愕に目を丸める悪魔たちは為す術もなく沈黙。

 やはりというか圧倒的であった。

 渚は自身の強さに疑問を持たなかった。"蒼"を使い初めてから気づいたことがある。この力は一誠の"神滅具(ロンギヌス)"に匹敵する異能なのだ。一度、起動したら渚の個としての力は規格外にまで昇華される。

 

 ──それだけに恐ろしい。

 

 だからこそ迫ってくる悪魔が理解できない。

 敵を殺戮しながら、心の隅で『諦めて逃げろ』と思う自分がいる。だが悪魔は渚を嘲笑うように押し寄せてきた。

 

「死にたがりかよッ」

 

 吐き捨てる渚。

 これだけの強さを見せつけてもダメなのか。やはり罪悪感を捨てて純粋な殺戮者と成るしかない。心に蓋をして命を刈り取る選択をしようとした時だった。

 

『──強さだけでは相手の心を折るのは難しいで()()()()

「君か……」

 

 鎖の音を伴う"彼女"の声が聞こえる。

 肉体を悪魔と戦わせながら"彼女"の言葉に耳を傾けた。

 

『──必要なのは()()()()()()()にて。戦えば死ぬという真実でなく、挑めば恐ろしい結末になるという事実でありんしょう』

 

 君なら出来るのか? 死の恐怖を物ともしない、この狂人たちの戦意を折ることが……。

 その問い掛けに"彼女"は頷く。

 

『──アナタ様が望めば最上の恐怖で敵の命を救いましょうや』

 

 渚は直ぐに決断した。

 

「ティス、"彼女"を使う。──いいな?」

『それがナギサの選択ならばわたしはYesと応える』

「いいのか?」

『使える武器がない以上、アレの使用も想定していた。……危険があれば止める』

「じゃあ、それで」

 

 渚はバアルの軍勢から距離を取るように大きく跳ぶ。すると偶然にも譲刃の近くに着地した。

 

「やるじゃない、ナギくん。上手く"蒼"を使えてる」

 

 渚以上に暴れ回っている譲刃は汗を流す所か、息一つ乱してない様子だ。

 

「そりゃどうも。そっちこそ思ってた以上の武者ぶりにビックリだ」

「それ、褒めてる?」

「すんげぇ頼りにしてる」

「任せなさいな」

「譲刃、"彼女"を呼ぶ」

「……そう。ティスはなんて?」

「俺の判断に任せるってよ」

「なら私から言うことはないわ。……見せてキミたちの可能性を」 

 

 それだけ言うと再び敵陣に斬り込む譲刃。

 余裕そうだがアーシアの身体だというのは忘れてないか? そうツッコミをいれようにも譲刃は戦場で生き生きとしていた。

 止めるようにも止まらない気がしたので、コッチはコッチが出来るフォローをするとしよう。

 

()ぶぞ!!」

詠唱開始(コードコネクト)。"蒼 獄 界 炉(クァエルレース・ケントルム)"が(くさび)にて、深蒼なる深淵へ囚われた古き獸を解き放つ。解錠──"黄 獄 獸 鵺(クレプスクルム・アウルムレオス)"』

 

 渚の前に黄金の物体が現れる。これを鍵にも剣にも見える奇っ怪な物だった。触れて廻せば"彼女"がやって来るのだろう。

 

『「来い(来たれ)、"喰らい尽くす者(ヴォア・アエテルヌス)"」』

 

 輝く"蒼"を糧に(くら)い"(けもの)"が目覚め、光が闇へ落ちるように力の性質が一気に反転する。

 

「行ってくれ」

御心(みこころ)のままに。──(いくさ)に狂う悪魔を更なる狂気を(もっ)て正気へ(いざな)いんしょう』

 

 甘ったるい声が脳に伝わった瞬間、渚の影から実体のない牙が(おど)り出た。その首は蛇のように伸びて数体の悪魔へ上から噛みつく。

 肉が潰れ、と骨が砕ける音が響いた。

 

 ──グチャ、ピチャ、ボキッ、クチャ、ボリ……。

 

 形容し難い禍々しい"(けもの)"が悪魔を喰らう姿はなんとも(おぞ)ましい。

 ソレは内臓を(すす)り、血液を浴び、喰い散らかす。そして見せびらかせるよう残虐に悪魔を痛ぶり尽くした。欠損した手足が獸の牙から零れ落ちる。悪魔だった()()達が凄惨(せいさん)な悲鳴をあげながら絶命して()く。

 恐怖に駆られた悪魔たちが"(けもの)"に魔力を放つも一切のダメージを与えずに(はじ)かれる。

 "(けもの)"は嵐のように降り(そそ)ぐ魔力弾を物ともせずに次々と悪魔を喰い殺す。

 

「なんだ、こいつはッ!?」

「攻撃が効かないぞ!」

「ぎぃやあああ、腕が、腕がぁ!」

「に、逃げ──クペッ!」

「だ、誰か……助け、て」

「あぁあああ!  撃て撃て撃てぇ!」

「何も見えない、何が、何が起こったんだ?」

 

 そこに尊厳や誇りを示す戦いはもう無い。あるのは狂い喰らう一匹の"獸"が支配するエサ場だけだ。()てる先はエサか肉塊か違いである。

 

 ──あんな死に方は嫌だ。

 

 戦場の誰かがそう言った。

 その言葉は感染するように伝播(でんぱん)して狂気の中にいた悪魔達を正気へと引き戻す。

 そんな中でも"(けもの)"は容赦などしなかった。

 

『──ギュィアァアアァアアアッッッッッ!!!!!!!!!!!!』

 

 恐怖を振り撒く咆哮が轟く。空気が破裂し衝撃となって周囲を破砕する。血飛沫と共にバラバラにされるバアル軍の悪魔。端から見れば暴虐を為した"獸"こそ悪魔に相応しい。不気味に喉を鳴らす"獸"に戦場は凍り付いた。

 あんな光景を見れば嫌でもそうなる。元凶である渚もまた"獸"に恐怖しているのだから分かる。

 これで進軍を止められると思った矢先、"獸"が攻撃された。

 

「ふん、品性の欠片もない」

 

 一人の男が手を翳しながら言う。

 他の悪魔とは違う質の良い服装から身分の高さが伺える。そして今、放たれたのは間違いなく"滅び"の力だった。だとするならあの男こそが倒すべき敵だ。

 

「アンタがガイナンゼ・バアルか」

「私を知るか。いいだろう、この身を走る恐怖の褒美に聞いてやろう。……貴様はなんだ?」

「蒼井 渚。ただの高校生だよ」

 

 ──ガイナンゼ・バアル。

 話に聞いていた旧ルシファー領をメチャクチャにした悪魔。

 エルンスト・バアルと同様に人格破綻者かと思ったが少し違う。ガイナンゼは"獸"に恐怖しながらも渚を殺すつもりだ。全身に回る戦慄を自我の強靭さで抑え込んでいるコイツは本当の意味で死を恐れていないのだ。残虐に痛ぶられようが凄絶に殺されようが気にしちゃいない。あらゆる事態を許容する器、大王とは良く言ったものだが渚からしたらエルンストとはまた違う異常者である。

 

「このプレッシャー……。私の軍勢を滅ぼしたのは貴様で間違いないな、渚?」

「だったらなんだ、怒ってるのか?」

「くくく。いいな、貴様。本来なら刀使いの女を相手をするのだが辞めだ。まず貴様からにしよう」

 

 ガイナンゼの一つしか無い目が渚を射抜くと"滅び"を渚へ放つ。

 "獸"がすぐに渚の壁になったが"滅び"を受けた顔面の半分が削り取られる。

 

「コイツ、"獸"をッ!?」

「実体がない影とはいえ、私に滅ぼせないものはないぞ!」

 

 豪語しながら嗤うガイナンゼ・バアル。

 強い、思っていたよりもずっと。少なくとも手を抜いて勝てる相手ではない。

 渚は顔の半分が欠けた"獸"に問う。

 

「(まだやれるか?)」

『勿論でありんす。よたろうは頭から噛み千切ってやりんす』

 

 よたろうってなんだろう……。ニュアンスからして、あの野郎とかだろうか? 

 ともせず一瞬で"獸"の顔が復元し、ガイナンゼへ牙を剥く。

 こっちもまだまだ戦る気のようだ。お互い殺す気満々で結構な事である。

 渚は深呼吸して大王を倒すために身構えた。

 

「行くぞ、大王。──その傲慢な精神ごと噛み砕かせて貰う」

「来るがいい、高校生。──その(ことごと)くを滅ぼしてやろう」

 

 



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例外なる者たち《Outbreak of War》

 

 真っ正面からガイナンゼを迎え撃つ。

 渚の体格(ウェイト)を上回るガイナンゼが"滅び"の魔力を纏って迫り来る。

 その迫力は凄まじく、繰り出される拳は人ひとりなど容易く消し飛ばす威力を誇る。渚はそんな凶器をスレスレで掻い潜り、ボディにパンチを突き入れる。

 

「ぬっ!」

「まだ終わりじゃねぇぞ!」

 

 続けざまに前のめりとなったガイナンゼの顎を打ち上げた。

 純血の悪魔は魔力を使った中遠距離戦を得意とする。だから対峙する際は距離を詰めるが基本戦術だ。

 しかしそれは基本であり例外も存在する。

 

「軽いぞ、その程度かぁ!」

「がっ!」

 

 渚の顔面に拳が突き刺さる。

 腰の入った技術のある打撃に身体がふらつくが、なんとか踏ん張りを効かせて耐えた。

 

「悪魔に接近戦を挑むのは確かに正しいが情報が古いわ、愚か者め!」

「……コイツ!」

 

 流れるような連撃が繰り出される。なんとかガードで防ぐもダメージを殺しきれない。霊氣の防御膜を張って"滅び"を相殺していなければ今ごろ後片もなくなっている。

 とは言え全身に鈍い痛みを走り、肉体が悲鳴を上げていた。渚は隠しきれない動揺にガイナンゼを忌々しく睨む。

 

 ──格闘術。

 

 ガイナンゼが使っているのは間違いなくソレだ。

 接近戦闘を得意とする悪魔。

 一誠や小猫がソレに当たるのだが純粋な悪魔では目の前の相手が初めてだ。

 悪魔を相手にするなら接近戦という固定概念に囚われ過ぎたと後悔するがもう遅い。

 ひたすらにサンドバッグにされた渚は気付けば全身に打撲痕を負わされてフラフラだ。

 

「くはは、見謝ったな。私は接近戦にこそ真価を発揮する。……潰れろ」

 

 密度の濃い"滅び"を拳に宿す一撃が目の前に迫る。"獸"すら削ぎ落とした力だ。当たれば渚とて無事でいられる保証はない。このままでは挽き肉のように潰されてしまう。

 

 ──冗談じゃない。

 

 渚は"(けもの)"の力を解き放つ。

 本能に身を任せて腕を乱雑に横へ()いだ。

 その手から一瞬だけ遅れて巨大な爪が現れ、ガイナンゼへ振り抜かれるも手応えはない。勘が良いのか、上手く後退したガイナンゼは胸を浅く裂かれた程度で済んでいた。

 デカイのによく動く奴だと渚は舌打ちする。

 

「ふぅ~」

 

 大きく息を吐く。

 全身が痛すぎて倒れ伏したい気分だ。

 

『ナギサ様、お怪我が……! 申し訳ありんせん、ワタクシともあろう者が不甲斐なく──』

「(謝罪はいい。少し戦い方を変える、相手は接近戦を得意とするから今みたいに俺の動きに合わせて牙や爪を出してほしい。各個撃破される前に一緒にやるぞ)」

『──ッ。分かりんした!』

 

 自分の迂闊さが招いた結果なので"彼女"を責める気はない。それに今は目の前にいる厳つい片眼系ファイター悪魔を倒すために力を注ぐべきだ。

 

「ふん、あのまま終われば良いものを……。だがまぁ目的は達した」

「目的……?」

「バアルの軍勢よ! "(けもの)"なぞこの通り、ガイナンゼ・バアルが打ち負かそう。──恐れず進軍せよ」

 

 "獸"を操る渚をガイナンゼが圧倒した事によってバアル軍の士気が戻る。

 

「(ガイナンゼが直接出てきたのはコレが狙いか!)」

 

 一見して野蛮そうな奴だが中々に頭がキレる。あの男は自ら危険な相手に挑んで"獸"に負けない自分をわざと演出して見せた。悔しいが崩れ掛けた軍勢を立て直したガイナンゼは上に立つカリスマ性を持っている。

 

「ガイナンゼ殿」

 

 ガイナンゼの隣に皇帝(エンペラー)、ディハウザー・ベリアルが現れる。

 一目で分かる、あの悪魔とガイナンゼを同時に相手するのは不可能だ。流石にアレまで出てこられたら手に追えない。厄介な援軍に冷や汗が頬を(つた)う。

 

皇帝(エンペラー)か」

「貴殿から初めて王の気質を感じ得た」

「今さら何を言うのかと思えば……。やるなら早くしろ、でなければ下がっていろ」

「レギーナとの契約は貴殿に従うことだ」

 

 皇帝ベリアルが魔力を高めて渚を見た。

 

「(不味い、戦る気だ)」

 

 ガイナンゼが求めるのは勝利だ。目的のためなら一対一に拘る必要がない。つまり軍勢やベリアルと共に渚を叩き潰しに来る。

 

「随分と見窄(みすぼ)らしいご様子で。よもやお困りですか?」

「もう。そうやって意地悪してはだめよ」

 

 ふわりと寄り添う声。

 渚の両隣にアリステアと譲刃が凛然と立ち並ぶ。

 たった二人の援軍だが、どうしてかこんなにも頼もしい。

 

「こんな状況だがやってくれるか、二人とも」

 

 渚の問い掛けにアリステアは詰まらなそうに嘆息する。

 

「譲刃、こんな状況とはどのような状況を指すのでしょう。今現在、何か不味いのですか?」

「万を優に越える軍勢に魔王クラスの悪魔、それを統括する大王。対してこっちの戦力はたったの三人、一般的に見れば詰みかな」

「それは大変ですね」

「そうね。けれど──」

「ええ。けれど──」

 

 アリステアと譲刃は不適な笑みを浮かべながらバアル軍を指差す。

 

「「私たちにとっては大した問題にはならない」」

 

 荒野の地面が光り輝くと戦場の全てを呑み込んだ。

 なんだ、これ……!? 

 眩しい光に思わず目を塞ぐ渚。

 

「これはギャザリング。対象を特定の場所に集める術式です。今からその効果を利用して敵を三つに割ります」

 

 アリステアの声が聞こえる。

 次に目を開けるとガイナンゼ・バアル以外の敵が消えていた。いや遠くに軍勢が見える。

 渚を挟んで逆側にディハウザー・ベリアルの気配もある。綺麗にガイナンゼ・バアル、ディハウザー・ベリアル、バアル軍勢に(わか)たれていた。

 

「小賢しい、分断したつもりか」

「どうやらそうらしい、仕切り直しの第二ラウンドってトコだ」

「足掻くな、苦しみが長引くだけだぞ」

「なに勝つ気でいやがる。ここまで御膳立てして貰ったんだ。負けたら後が怖いってのッ!」

 

 渚がそう言うや威勢良くガイナンゼへ跳び掛かる。

 二人の拳が激突するや"獸"と"滅び"が周囲を暴風と激震の渦へと変えるのだった。

 

 

 

 

 ●◯

 

 

 

 

「ふむ、こういう分け方をするのね」

 

 譲刃が渚とガイナンゼが真っ正面から殴り合う光景を手で(ひさし)を作りながら覗く。距離にして10kmといった所だ。彼女がその気になれば一瞬で距離を詰められる絶妙な間合い。

 

「ステアちゃんは皇帝(エンペラー)さんか。そうなると私が残った有象無象の担当になるのは必然かな」

 

 譲刃が後ろを振り向くと数万に昇るバアル軍の総勢が真っ直ぐ睨み付けていた。『ほぅ中々に大群かな』と感心していると兵士たちの背後から戦艦が現れて空を陣取り、砲口を展開する。

 

「へぇ対応が早いのは流石だけど、()()()()()

 

 細く笑みながら納めていた刀を抜くと逆手持ちだった鞘を翻して順手に持ち変えた。

 

「私はステアちゃんみたいに銃は使えないけど、戦艦を堕とすくらいはやってのけるわよ」

 

 鞘が淡く光を帯びる。

 ソレを遥か上空を飛ぶ戦艦に向けて振ると真っ二つになって墜落した。

 鞘が握られていたはずの左手には一本の刀が握られている。御神刀より少しだけ短い鍔の無い刀を一瞥して敵を見据えた。

 

「右銘 "御神刀 譲刃(ごしんとう ゆずりは)"、左銘 "御祓刀 鞘禍(みそぎとう さやか)"。双刃にて斬り捨て(たまわ)る」

 

 両手の刀を携える譲刃。

 

刻流閃裂(こくりゅうせんさ)天鐘楼(てんしょうろう)が極致、──断空(だんくう)

 

 譲刃が腰を落として平行に双刀を構えると右へ斬り上げた。

 空へ離れた斬撃は凄まじい剣風が巻き起こして雲に覆われていた空を大々的に斬り開く。その衝烈は獣の爪のような鎌鼬(かまいたち)となるや次々に戦艦を八つ裂きにする。割れた空から無惨に解体されたスクラップが降り注ぐ。

 アリステアが行った超精密射撃の(わざ)とは対照的な超絶剣技による(わざ)の撃墜。

 

「少しだけ雑が過ぎたかな? でもこれで空が静かになった。はてさて相手どう出るやら」

 

 御祓刀 "鞘禍(さやか)"を肩に(かつ)いで地上にいる軍勢に視線を落とす。戦艦は全部斬り堕とした以上、あとは悪魔だけになる。

 

「ん?」

 

 軍勢から一人の悪魔が突出した。

 他の悪魔たちとは違う装飾のされた服からして立場が上なのが分かる。譲刃は警戒をそのままに構えを解いて悪魔を待つ事にした。そして声が届く場所に降り立ったのを見計らって声を掛ける。

 

「降伏する気になったのなら嬉しいのだけど?」

「ガイナンゼ・バアルを支援するのがあの御方からの命ぜられた使命。降伏はないとお考えを……」

「その言い分、ガイナンゼ・バアルの部下ではないようね」

「そうだ……とだけ答えよう」

「わざわざ敵である私の前にあなたが来た理由は?」

「最後に一つ、お聞きしたい」

 

 敵意ではなく敬意の籠った瞳に譲刃は即答する。

 

「どうぞ」

「貴女と先の白い女性が使う異能は"蒼"に殉ずる力ではありませんか?」

「どうして悪魔がそれを知っているのかな?」

「言えません。ですが合点がいった、勝てないわけだ」

 

 悪魔が自嘲的な笑みを浮かべると懐から一本の注射器を取り出す。怪しげに光る黄金色の薬を見た譲刃は目を見開く。

 

「この感じは"黄昏"? まさかライザーくんが使っていた薬か──!!」

「全軍、(うけたまわ)った霊薬に身を捧げよ。──さぁ我らの意地をあの御方の御見せしろ、同胞たちよ!!!」

「やめなさいッ」

 

 譲刃の制止など聞く筈もなく首に黄金の霊薬を突き刺す名も知らない悪魔。

 彼の体を形作る全ての細胞が死滅して新たに生誕する。全身の筋肉は膨れ上がり、骨格は肥大しながら変異を始めた。

 

「我ラニ、勝利ヲ与エタマエ」

 

 その言葉を皮切りにバアルの軍勢が化物に変性する。全軍が目の前にいる悪魔だった人の声に呼応して薬を打ったのだ。

 一瞬にして人とは程遠くなる悪魔たちの姿に譲刃は目を鋭くする。

 

「……馬鹿な選択をした。それは忠義なんかじゃない、盲信の類いよ」

 

 その憂いを帯びた言葉は化物たちの咆哮にかき消された。強大な力を帯びた見るも悲惨な化物たちの()れが本能のままに襲いかかって来る。

 

「もはや問答すら出来ないのね。ならば──」

 

 譲刃は諦めたように目に閉ざし、全身から殺気を放つ。

 

「"心虜神刀(しんりょしんとう)荒神刀滅(あらがみとうめつ)(ちぎ)千切(ちぎ)るが戦の刃摂(じんせつ)なれば乾坤一擲に劔理(けんり)を為さん"」

 

 その祝詞を皮切りに一匹の小さな鬼が巨大な化物たちに斬り掛かるのだった。

 

 

 

 

 ●◯

 

 

 

 

 敵の分断を実行したアリステアは皇帝(エンペラー)と呼ばれる悪魔、ディハウザー・ベリアルと対峙していた。

 ディハウザーに驚きはない。急に風景が変わり、ガイナンゼもバアルの軍勢も居なくなった異常さを前にして冷静さを保っている。そんな王の貫禄を崩さないディハウザーがアリステアに軽く一礼する。

 

「初見になる、ディハウザー・ベリアルだ」

「初めまして、アリステア・メアです」

 

 アリステアは礼を尽くしてきたディハウザーに礼を以て返す。しばらくの沈黙を挟んだ後にディハウザーは感嘆した様子でアリステアに言う。

 

「私も様々な者と戦ったと自負しているが君は異質に()える。どうやら手加減して勝てる相手ではなさそうだ」

皇帝(エンペラー)ともあろう者が弱気なことです」

「その称号を誇りには思うが自身で語ろうとは思わないものだ。……早速だが始めよう。バアルのご子息の手助けが課せられた盟約でね、あの少年と戦わせるのは避けたい」

「大王バアルの血筋が人間如きに負けると思っているのですか?」

「脅威に価すると考えている。しかし君も心にも無いことを言う。その目は(くだん)の少年の勝ちを疑っていないでは?」

「さぁどうでしょう」

 

 アリステアがスナイパーライフルの銃口をディハウザーへ向けてから引き金を引く。マズルフラッシュが広がり、射出された鋭い弾頭が真っ直ぐに跳んで行く。

 

「バアルの戦艦を沈めた特異な弾丸か、防御壁をも貫く力を感じるが……」

 

 ディハウザーが言うと広げた(てのひら)で弾丸を受けた。回転する弾丸だったが、やがて推力を失って地面に落ちた。

 

「それが"無価値"ですか」

「その通りだ。君の力は既に把握してある」

 

 ディハウザーの姿が消えるとアリステアのすぐ背後に現れる。

 アリステアは振り返らずにスナイパーライフルのグリップから手を話すと左手を引いてストックでディハウザーを打つ。

 

「狙撃主とみて距離を()めたが、いい判断ではなかったようだ」

「貴方こそ悪魔のわりには近距離攻撃への心得があるようですね」

 

 ストックを片手で防ぐディハウザー。

 余裕のある対応からして接近戦の心得があるは明らかだ。悪魔は遠距離主体の戦いをするという情報はもう古いようだ。

 

「悪魔の中には距離を選ばない手練(てだ)れも存在する。(もっと)も転生悪魔というシステムが出来た影響で若輩にも多くはなった」

「レーティング・ゲームの覇者でいるのは苦労しそうですね」

「そうでもない」

「大した自信です、ならば少しだけ試してあげましょう」

 

 アリステアが身を(ひるがえ)しながら右の裏拳を繰り出す。華奢(きゃしゃ)な拳とは思えない力強い一撃だがディハウザーは優雅(ゆうが)(かわ)す。

 

「もう一つ如何(いかが)です?」

 

 左手で銃のバレルを握ると棒術のような二擊目を振るうが、それも腕でガードされた。

 

「二段構えの攻撃か……」

「残念、ハズレです」

 

 斬撃のような蹴りがディハウザーの腹を打った。

 

「三擊目だとッ!」

「刻流閃裂が崩し、輝夜(かぐや)月影(げつえい)……だそうです」

 

 アリステアが放ったのは、かつて自らが受けた渚の技だ。見よう見まねだが譲刃が()れば「お見事」と称賛(しょうさん)するに違いない。自画自賛するアリステアだがそれを裏付けるように今まで顔色一つ変えなかったディハウザーが僅かに苦悶の表情を浮かべて後方へ吹き跳ぶ。

 

淑女(しゅくじょ)の蹴りとは思えないな」

「それはそれは、ごめん(あそ)ばせ」

 

 アリステアはライフルを構え、弾丸による追撃を加えた。

 

「それは()たと言った」

「そうでしょうか?」

 

 ディハウザーがアリステアの貫通弾を"無価値"にしようとする。

 しかしソレが成される前に弾丸が炸裂して爆風を起こした。致命的なダメージを避けたディハウザーだったが目に驚きを宿していた。

 

「先程とは違う、しかし一切効力を減衰出来ないとは……」

「"無価値"を"無力化"にしました。()()が分かれば対策は造作もありません」

「よもや私の"無価値"の特性を見破ったか」

「眼が人より良いのですよ。さて私は強いですよ、それを知ってなお挑みますか?」

 

 子供に言い聞かせるような優しい声音のアリステアだがその体からは凄まじい霊氣が吹き荒ぶ。

 戦う気持ちを削ぐ圧倒的な重圧を前にしたディハウザーは魔力を猛らせた。

 

「──素晴らしいな」

 

 可憐でありながら化物じみた白雪の少女(スノーホワイト)に君臨者である皇帝(エンペラー)は怒りではなく歓喜を以て応えた。

 

「人生とは時に思いがけない贈り物をくれる。まさかバアルの尖兵に成り下がった私に本気を出さざる得ない敵を与えるとは……」

 

 ディハウザーがアリステアを"無価値"にするため牙を剥く。高められた超魔力がアリステアの霊氣と衝突した。余波によって炸裂した魔力と霊氣がヤスリのようなザラついた痛みを叩き付けて来る。

 

「大した闘争本能です」

「悪いが初めての本気だ。加減は期待しないで貰いたい」

 

 常人なら立っていられない痛みを前にしたアリステアは砂埃を払う素振りを見せた後に冷ややかな微笑を浮かべた。

 

「加減? 愉快な物言いをするものです。良いでしょう、私という"価値"を否定出来るか採点してあげますよ、Mr.皇帝(エンペラー)

 

 

 

 

 ◯●

 

 

 

 

 深い森林をシアウィンクスは歩く。

 辺りは薄暗く、空気も重い。本能がこの森に忌避を感じていた。恐らくソレはシアウィンクスだけでは無く、この場にいる全員が胸の中にある。

 馬に跨がるシアウィンクスは背後を見た。深い森の中とは思えない程の人だかりの集団が付いて来ている。最後列など遥か彼方で視界に映すことすら不可能だ。

 

「ククル、最後列はどうなっている」

「問題ないさね、兵団が付いてる。シアウィンクス様は前進しな、あんたが行かないと後ろの連中がつっかえる」

 

 渚の案でワープトンネルを作ったは良いがウェルジットの住人を急遽受け入れた事で移動に時間が掛かっている。ルートは渚が森を大きく斬り(殴り?)開いてくれているので乱雑ではあるも道がある。子供や老人でも十分に歩ける快適さだ。千を越える人が横一列に並んでも余裕があるのでかなり広いと言えた。とはいえ移動する領民は数十万であり、トンネルは一つしか維持できない。だからこうして危険な森を歩いているのだ。

 

「(渚にはお世話になりっぱなしだなぁ。どうやってお礼をすればいいんだろ……)」

 

 シアウィンクスはロザリオのような首飾りに触れ、手足に装着された漆黒の籠手に目をやる。これらは渚から与えられたモノで、この大移動の要だ。ロザリオの名が"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"、漆黒の籠手が"冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)"というらしい。

 見ただけで強力な武具だと分かる。最初はこんなものを渡してきた渚に対してシアウィンクスは急に使えと言われても無理と反論した。

 

『大丈夫、(ティスが)シアウィンクスでも扱えるように最適化した(らしい)から』

 

 この時の渚は妙に目を泳がせていた気がする。

 しかし蓋を開ければ割りとマトモに扱えている。ワープゲートを作る時はシアウィンクスの望みに応えるように勝手に展開してくれるし、進行方向に魔物の気配を察したらロザリオが剣の姿になって自動迎撃を行う。

 優秀な武具に至れり尽くせりでかなり助かっていた。

 

「ん?」

 

 ロザリオみたいな待機状態になった"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"が急に(あわ)(かがや)いて浮遊する洸剣に変化すると同時にアルンフィルが小声で耳打ちしてくる。

 

「シアちゃん、ここから3kmくらい先に魔物を発見したわ~。命令をくれたら片付けてくるわよ~?」

「いや、剣に任せる。危険性の排除をしてくれ」

 

 短く言葉に出すとて洸剣は光の帯を引きながら"ルオゾール大森林"の奥へ消えた。

 シアウィンクスが緊張を胸に隠しているとアルンフィルが感心した顔で声を掛けてくる。

 

「すごいですね、あの武器。まるで生きてるみたいです」

「あぁ。随分と助けられている。ルフェイ、今はどのエリアだ?」

 

 ルフェイは手に地図を出すとマーキングされたエリアに目を通した。

 

「第八エリアです」

「あと二つか」

「はい、深奥を監視している使い魔も動きがありません。かなり順調かと思います」

「……そうね。でもここからは違うみたいですよ」

「アルンフィル?」

 

 急に真剣な声音になるアルンフィル。

 

「シアちゃん、どうやら追っ手が来たみたい」

「バアルは渚たちが足止めしてる筈、まさかやられたのかッ?」

「違いますね、これはガイナンゼ・バアルとは別口です」

 

 アルンフィルがシアウィンクスの前に出ると馬から降りた。すると岩影から素顔をベールで隠した黒ドレスの女性が現れる。

 

「こうして直接に顔を会わせるのは久しいですね、アルンフィル」

「まさか貴女が直接動くとは驚きですね~」

「なんです、その間延びしたふざけた喋り方は?」

「はてさてなんの事でしょう~」

「まぁ良いでしょう。簡潔に用を伝えます、大人しくシアウィンクス・ルシファーを渡すように」

「寝言は寝て言ってくださいね~」

 

 シアウィンクスはアルンフィルに寄って素顔の見えない黒い女性の正体を聞いた。

 

「アルン、あの人は誰?」

「バアルの宰相(さいしょう)、レギーナ・ティラウヌスです」

「あれが大王の側近(そっきん)……」

 

 シアウィンクスがレギーナと視線を交わす。

 

「シアウィンクス・ルシファー様、お初に御目掛(おめにか)かるレギーナ・ティラウヌスです」

「そうか。こんな場所まで何用か?」

「知れたこと、私と来ていただきます」

「民の無事を保証するなら考えよう」

 

 シアウィンクスの言葉に各々がリアクションを見せた。アルンフィルはダメだと首を振り、ククルが目を見開く。ルフェイは無言だが目で撤回するように進言していた。勝手なのは重々承知だ。命を懸けている臣下たちには悪いが出来る限りの手は尽くしたい。自らの身を捧げて血が流れなくなるのなら戦いなんかしない方が良いに決まっている。例え皆に恨まれようと皆に生きていてほしいと心から思うから……。

 シアウィンクスの覚悟の一言にレギーナは短く返した。

 

「何故?」

 

 感情のない声にシアウィンクスの内心は薄ら寒くなる。

 

「それはどういう問いだ?」

「そのままの意味ですが? 何故、ルシファー領の民を助けなければならないのですか? 難民など他の領地から言わせればイナゴのようなもの。その土地の食物を食い荒らす害悪に他ならない。生かしておく必要性は皆無です」

「──なっ!?」

 

 ルシファー領の民をイナゴ()と断じただけでなく、死ねとまでレギーナは言った。

 幾らなんでも酷すぎる言い分である。

 

「それが人の上に立つ者の言葉か!」

「上に立っているからの言葉です。この領民が消えれば丁度良い"間引き"に出来ます。今の冥界が抱える人口危機は食料問題も含む。人口が少ないと言うことは生産力も低いにイコールする。……分かりますか?」

 

 どこまでも冷厳なレギーナ。

 シアウィンクスはあまりに血の通っていない考えに怒りを覚える。

 

「今は人間界との交易も始まっている。食料問題は大丈夫なはずだが?」

()()です。疲弊した冥界の経済力は綱渡りを繰り返しています。そこを交易相手に突かれれば侵食されますよ」

「だからと言って民を犠牲にするなど馬鹿げているぞ! それでよくバアルの宰相をやっているものだな、レギーナ・ティラウヌス!」

 

 シアウィンクスの罵りにレギーナは寸分も揺らぐ気配がない。不動の人形じみた女である。

 レギーナは一呼吸おいてシアウィンクスへ言葉を投げ掛けた。

 

「随分と立派なことをおっしゃられますが、交渉できる立場とお思いで?」

「貴女とて無益な殺生は望まないだろう」

「無益? 彼の者たちの目をご覧なさい。私に向けているのは憎悪です。バアルに故郷を焼かれ、親しい者が殺されたのでしょう。──十分な危険分子です」

「何を言う!」

「奪われた者が奪った者を簡単に許せるなどと考えないことです。その恨み辛みが芽吹く前に摘んでしまうのが正確かつ正解です。貴女がどのような選択をしようとルシファー領の者には未来を与えない」

 

 レギーナはシアウィンクスの後ろにいる者達を皆殺しにすると言った。

 交渉できる相手ではなかったと後悔する。シアウィンクスは戦う道を選ばざる得ない。

 

「ならばその未来、我らは勝ち取る」

「──抗いますか。純血の魔王がどの程度かを見るには良い機会です」

 

 レギーナはいつの間にか持っていた鴉羽の扇子を広げる。それを合図に転移陣が出現して人影が現れた。

 

「転移陣!! "ルオゾール大森林"の魔素に阻害されるはずなのに何故!?」

「この程度の妨害など苦ではない。さぁ契約履行の時間です。──来なさい」

 

 レギーナの転移陣から現れた二人組だ。

 

「出番か、随分と人がいるな」

「移民ですか、あまり興味はありませんね」

 

 ヴァーリ・ルシファーとアーサー・ペンドラゴンが各々呟く。

 

「お前、まさかヴァーリか?」

「久しぶりだね、義姉(ねえ)さん。随分と苦労してるみたいじゃないか」

「お、お兄様」

「ルフェイ、迎えに来ましたよ」

 

 思わぬ再開に驚きを露にするシアウィンクスとルフェイに対してヴァーリとアーサーは穏やかに返すのだった。

 



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白き闇《The Arch enemy》

 

 アリステアは幼かった頃、一度だけ魔物に肉を喰われたことがある。それは戦闘力を計る実験での出来事であり、敵はその地において災いと恐れられていた人狼に似たモノだった。確かに強い方であったが、それでも産みの親である"魔女王"アンブローズ・センツェアートや血縁と言われている"不死王"ユーリエフ・クレヴスクルムに比べれば塵芥(ちりあくた)に過ぎないレベルだ。それを戦う前から感じていたアリステアは油断し、初撃の牙を躱し損ねて肉を幾分か喰い千切られたのである。

 肩から流れる赤い血液。初めて感じる痛みに少し驚くもそれだけである。直ぐに対象を抹殺しようとするが人狼はアリステアが手を出す前にもがき出す。

 泡を吹いたかと思うや直ぐに血を吐き出した。そして背中の筋肉が皮を突き破り膨張すると卵が割れるように新たな()が天へ伸びる。それは枯れ木または老人みたいな細いモノだ。()は背中から必死に抜け出そうとするも次の瞬間、人狼が炸裂して血飛沫を撒き散らす。アリステアは血の雨を受けながら顔色一つ変えずに呆然と立っていた。蒸せるような血の臭いが充満するなか、ふわりと黒衣の女がそばに降り立つ。

 

「相手が格下だからといって油断したね? まぁいいか、初めての実戦だし許そう」

「……戦う前に死んだ」

 

 アリステアの独り言のような声に黒衣の女──アンブローズ・センツェアートは不気味に嗤う。

 

「不死王たるユーリエフ・クレヴスクルムの血を受けた結果だね。()の者の血は選ばれし者にしか力を与えない。君はその後継機だからその要素も受け継がれたのだろうね」

 

 幼いアリステアに魔女めいた魔王、アンブローズはそう語る。人として未熟なアリステアは感情を出さずに短く問い返す。

 

「……血?」

「クレヴスクルムとは"黄昏"を意味する名前だ。その名の通り()の血は神獣の力を強く継いでいる。ユーリエフと君は特別の因子を持つから精神や肉体になんら異変はない。けれど因子がない者がその血を取り込めば、あの始末さ」

 

 邪悪な笑みとは今のアンブローズを言うのだろう。魔女王は肩から血を流すアリステアの顔を些か乱暴に持ち上げてその瞳を覗き込む。

 

「戦闘と呼べるものじゃなかったが霊脈回路もいい感じに回ってるから問題ないね。しかし時間と手間を考えると量産性は劣悪、材料も理論も術式も完璧なのに完成が運任せとは兵器としての実用性も皆無だな」

 

 アリステアは光のない瞳のままだ。まるで人形のような少女を楽しそうに見ろす女。

 

「肩の傷は直ぐに治るよ。さて更なる実験を開始しよう。君には"真域"まで至って貰わなければならないからね」

 

 アリステアはそこで初めてアンブローズの目を見た。

 それは情愛などなく観察対象としてしか見ていない。まさに最悪ともいえる絆だった。

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 

 魔力の塊と霊氣の弾丸が衝突する。

 二つのエネルギーは激しい爆発を繰り返して荒野を揺らす。アリステアとディハウザーの戦いは遠距離からの撃ち合いにシフトしていた。

 冥界の空で暴力的な光と音が交差するなか、アリステアの弾丸の光が弱まるとディハウザーの魔力弾が降り注ぐ。"無価値"による異能無効が行われたのだ。

 

「ふっ」

 

 アリステアは口許を緩めると身を低くして荒野を駆けた。次々に大地を爆殺する魔力弾を躱しきり、すかさずスナイパーライフルの弾装を引き抜いて再装填する。放たれた鋭い弾頭はディハウザーの魔力を貫いて彼の頬を掠めた。

 小さく裂かれた傷に触れるディハウザー。

 

「"無価値"は確かに発動している。だが君の銃撃に対して効き目は薄い。実に興味深いな」

 

 "無価値"を否定するアリステアの弾丸にディハウザーは穏やかに笑む。長く生きた経験か、自慢の"無価値"に対応されても余裕がある。

 大いに結構な態度のディハウザーに対してアリステアは返事代わりに銃口を向けてやった。

 

「私が相手した者たちは為す術がないと嘆く事が多かった。今、その気持ちが分かった気がする、正にこのような状況を言うのか。しかし残念ながらコレ以外の能はなくてね」

 

 嘆きなぞとよく言ったモノでディハウザーは"無価値"をアリステアに放つ。

 同じことの繰り返し……などではない。

 スナイパーライフルの弾丸から異能が消えるのが見えた。アリステアは装填したばかりの弾装を取り出す。

 

「まだ弾は充分な筈だが?」

「分かっていて言うとは存外、人が悪いのですね」

「それは悪魔に対しての正当な評価だな」

「本来なら、その軽口に撃ち込んでいる所ですよ」

 

 アリステアは抜き取った弾装を見る。弾頭に宿した異能力どころか錬金術で施した霊的強化すら"無価値"にされている。もはやこの弾丸は人間界にある唯の鉛弾と同等の力しかない。悪魔や天使などは当然として低級の霊存在すら殺せない不良品だ。

 

「対応が早いですね。この弾装には貴方の知らない術が組み込まれていたのですが……」

「君はその弾丸を使っただろう? 頬に貰ったが一度見れば術式を読み解く事は出来る」

「この短時間で私の弾丸に"無価値"を組み込むとは思いませんでした」

「大変だがね。君の術式は一から全く別物に変わる。宿す能力も光力、魔力、気など様々だ。どうしたらこうも多芸になれるのか疑問しか沸かない。恐ろしい若人(わこうど)だよ」

「全てに対応しておいて良く言います」

 

 アリステアは"真 眼(プロヴィデンス)"によってベリアルの異能がどういうものかを理解している。彼らの異能は強力に見えるが分かりやすい弱点があるのだ。

 "無価値"はその効力を発揮する為に対象の力を知る必要がある。例えば消したいものが炎だった場合、発火が起こるプロセス、使用されたエネルギーの詳細と質と量、追従する特殊能力など、ありとあらゆる事細かな情報を網羅する事で初めて発動する。

 アリステアのような"眼"があるなら兎も角、普通は能力の詳細など知り得る筈もない。

 本来なら使用もままならない非常に使い勝手の悪い力だ。だが目の前のディハウザーはさも当然のように"無価値"をアリステアへ押し付けてくる。

 アリステアが弾丸に込めた術式は一朝一夕で見切れるほど単純じゃない。それを解読するなど一流の術士でも難しい。

 

「そういう事ですか。貴方は見えているのですね、私の術式が……」

 

 合点が射ったとアリステアはディハウザーを見た。

 何も難しく考えることではない。アリステアが"眼"を持っているようにディハウザーも似たようなモノを使っている。そう考えれば異様とも言える術式への対応力も説明がつく。

 

「見えている訳ではないが、ほぼほぼ正解だ。私は周囲に自らの魔力を散布することで広範囲に渡って相手の情報を読み取っている。それを"無価値"へ転用しているのだよ」

「秘密裏に魔力を使って相手の特異性を暴くとは、まるでクラッキングですね」

 

 小馬鹿にしたようなアリステアだが内心ではディハウザーの力を侮っていたと小さく反省する。

 アリステアの探知を逃れるほどに大気へ浸透させた魔力といい、知らぬ内に術式を理解されていた事といい、どれもが緻密に積み上げられた果てない努力の産物。全ては"無価値"というベリアルの力を最大に生かす為に極めたモノだろう。

 アリステアの"眼"を以てしても散布された魔力を見るのにかなりの注視を要した。このミクロの世界よりも微細な魔力を戦いながら見つけるのは不可能に近い。

 見事にしてやられている訳だ。

 もはや術式を全く別にしても意味はない。ディハウザー以外のベリアルならば事足りたが、ここまで暴かれるのならば術式を見せるのは得策じゃない。最終的にあらゆる術が"無価値"にされ、戦うという行為すら不可能となる。皇帝(エンペラー)の名を持つだけあって一筋縄ではいかないようだ。

 

「"無価値(コレ)"以外の能がないと良く言えたものです。活かすために独自の術式を開発しているではないですか」

「使えるようにするための付属品みたいなものだ。……いや、ここは君を騙すために吐いた嘘というのが悪魔らしいか」

「その発言が既に悪魔らしくないかと」

 

 アリステアが辟易(へきえき)するとディハウザーは優美に苦笑した。誠意の塊のような男である。どうしてバアルの虐殺に手を貸したのか疑問しか沸かない。

 アリステアは口から出そうになった質問を呑み込む。理由はどうあれディハウザーは敵だ。ならば撃滅するのが使命である。

 

「戦えば戦うほど弱体化を強いられるのは些か不条理ですね。……少し戦い方を変えますか」

「まだ手札があるのか」

 

 見せてみろ……と言わんばかりの挑発の籠った言葉だ。本来なら傲岸不遜に返してやるところだが許すことにした。ディハウザー・ベリアルは確かに強敵だからだ。彼の前では如何に強大な異能も全て読み取られて価値を(うしな)う。"無価値"という価値のなかったベリアルの特性を昇華させ、ある種の極みまで上り詰めたこの男は間違いなく悪魔という種族を凌駕する化物だ。

 しかし、とアリステアは自らに言う。誰よりも何よりも知っているのだ。

 

 ──本当の化物がどんなモノかを……。

 

「ディハウザー・ベリアル。悪魔の(きわ)みに達してなお凌駕(りょうが)しつある貴方へ一つ(うかが)います。貴方にとって"力"とは(なん)ですか?」

 

 急な質問にディハウザーは一瞬の間をおいて答えた。

 

「目的を為す(すべ)であり、辿り着く為の手段だ」

「面白い答えです」

「質問を返そう。君にとってはなんなのだ?」

「──神です」

「神?」

「ええ。……ですが貴方の知る神とは違います。神性や魔性など関係なく存在するだけで他を圧倒しる"力"。それこそが私の言う"神"を指します」

「随分と抽象的だな」

「ならば見せてあげますよ、私の(カミ)を……」

 

 アリステアが武器であるスナイパーライフルを何処(いずこ)へ消すと(うた)(つむ)ぎだす。それは静かだが風に乗ってディハウザーにも届く。

 

God is force.(神とは力である)

 

 それは神語りの歌。この世ならざる外のコトワリ。

 

All falls by my hand,(全ては私の手で墜ちて逝く)the only thing I can do is that,(それが不変にして唯一の真実)therefore will lie flat on you equally.(ゆえに汝等へ安らぎが訪れん)and death comes as end.(されど最後には死がやってくるだろ)

 

 それは理の顕現。カミをも殺す忌まわしき言の葉。

 

It's a messenger from the void……(其の者、彼方より来たりて……)Declare.(告げる).

 

 それは力を為して世に轟く厄災にして白き天恵。

 

Connect(真域接続).

 

 それは審判を下す者、断罪の降臨。

 

Arch-enemy.(白夜ノ血脈)

 

 瞬間、獣が咆哮の如く轟音を轟かせながらアリステアの体から美しくも(くら)いを黄金のオーラが爆発のような閃光を(ともな)い周囲を蹂躙した。

 そして眩い光の中から変化したアリステアの姿が現れる。

 第一に目を奪われるのは王族のようなドレスを思わせる純白の服装、しかし戦うにも適するという矛盾を孕む洗練された戦闘服。

 次は流れる白雪の長髪、その永遠に溶けないであろう雪の糸は後ろで一つに束ねられていた。

 最後は瞳、そのアイスブルーだった双眸(そうぼう)は黄昏を思わせる黄金色に染まる。

 その(くら)い輝きがゆっくりとディハウザーを捉えた。

 

「この力は(いささ)か狂暴なので全身全霊で抗う事をお薦めします」

 

 アリステアは様変わりした自身に対して内心で嘆息した。

 全く嫌になる。"蒼"の者で在ろうとしても結局、"黄昏"に連なる者だと自覚してしまう。

 アリステアは嫌悪感を吐き出すようにトンっと地面を足で軽く叩いた。歩くよりも更に優しい踏みつけだったが次の瞬間、周囲の地面が悲鳴を上げながら大きく割れる。ただの足踏みだけで荒野に深い谷を作り上げたのだ。急に現れた自然災害にディハウザーは翼を広げて空へ離脱する。

 

「……信じられん」

 

 皇帝(エンペラー)が初めて見せる焦燥。

 当然である。アリステアは一切の異能を使っていない。眼下に広がる巨大な谷は彼女の身体能力だけで作り上げた災害なのである。

 

「異能に対しては非常に強い"無価値"も純粋な腕力には干渉し難いのでは?」

 

 ディハウザーを見上げながら言い切るアリステア。

 人知を越えた者ほど異能に依存している。神であれ悪魔であれ神力や魔力が在るからこそ人間を遥かに越える能力を持つ。それも無しでここまで破壊を持たらすアリステアは明らかに異常とも言える。

 

「この馬鹿げた力は"血"に刻まれたモノ。私の血縁者は腕力一つで山を砕き、脚力だけで大海を割る化物でした。荒野を谷へ変えるなぞ序の口です」

 

 アリステアの姿が忽然と消えるとディハウザーの背後に現れる。瞬間移動さながらの運動性能を肉体の膂力のみで行うなど人間業ではない。

 

「くッ」

「遅い、0点」

 

 パンっと乾いた音がする。アリステアが攻撃を行ったのだ。それは凸ピンと言われる挨拶めいた軽い一撃。けれど受けたディハウザーの骨は砕けて彗星のように地面へ墜落した。火山の噴火を連想する爆音と砂塵が吹き荒ぶなかでアリステアは僅かな忌々しさを目に自らの手を見下ろす。

 

「嫌気がさす野蛮な力です。軽く触れるだけでも気を使う」

 

 この術式の効果はアリステアの中に眠る"血"の解放。

 星の中心、"黄昏"より生まれ出た最強の一柱、不死王ユーリエフ・クレヴスクルムの後継機であるアリステア・メアの真髄が今の状態だ。究極の肉体を持つこの状態のアリステアは人の形をした怪獣にも等しい。迂闊に何かに触れば必ず壊す。まさに生きた災害である。

 

「……ふっ、素晴らしいではないか。敗北を知らないと息巻いていた皇帝(エンペラー)が全力を出しても勝てない者がいる。愉快かつ痛快だ、私の下にいるゲームのランカー達が見たらさぞかし喜ぶだろう。何せ私自身が嬉しさに打ち震えているのだからね」

 

 全身ボロボロな姿で砂塵から姿を現すディハウザーにアリステアは呆れた様子を見せた。

 

「貴方は死にたいのですか?」

「いいや。ただ私は余りに敗北を知らない。勝利を得ているだけでは見えない世界もある。その先に新たなモノがあると感じてならないんだよ、漠然とだがね」

「貴方は哲学者にでもなったらどうです?」

「柄ではないよ。……話し過ぎたな、そろそろ再開としよう」

「退くなら追いませんよ。貴方が最初から私に誠意を示していたのは知っています。なので──」

「有り難い申し出だが私も理由があってこの場にいる。戦わずして終わりは来ない。所詮は手の平の上で転がされている身ではあるが、君との出逢いは幸運だと思っている。だから無粋な事は言わないで貰いたい」

 

 力の差は歴然。

 "無価値"を無視する圧倒的な物理攻撃力を持つアリステアを倒すには真っ向から撃ち合って勝つしかない。

 しかし今のアリステアは純粋に強い。銃は使えないが、あの身体能力で体術を繰り出せばそれだけで大地を砕き、空を割る。

 だが一向に戦意を鈍らせない皇帝(エンペラー)。それは折れる事のない信念から来る退かぬ心に他ならなかった。

 

「失礼しました。そこまで言うのでしたら遠慮せずに叩き潰してあげましょう。──Advent Altar(雪月夜の祭壇)

 

 アリステアを中心に白雪が形成されてディハウザーを呑み込む。地は雪原、空は凍曇な異界が二人を包む。

 

「結界? ……いや違う」

「異界化という現象です。ここは私の世界、私が理であり、私こそが絶対の隔絶した異世界。さぁ掛かってきなさい、貴方の目の前にいるのは始神の(わざ)すら再現する化物です。加減などしようものなら後悔する暇もなく跡形も無くなりますよ?」

 

 アリステアの右腕に巻かれた包帯が血で(にじ)む。

 正直、かなり無理をしている。"Arch-enemy.(白夜ノ血脈)"はアリステアの潜在能力を100%まで引き出す荒業だ。

 本来なら兎も角、呪いを受けて弱体化している時に使うものではない。長期戦になれば右腕に刻まれた呪いが命を刈り取るだろう。ゆえに迅速で勝ちに行かなければならなかった。

 

「血が騒ぐとは今の状況を言うのだろな。行くぞ、アリステア・メア」

「来なさい」

 

 アリステアは心臓から四肢に伸びる体内の霊力経路へ力を注ぎ込む。そして前へ出た。大胆な正面突破、本来ならディハウザーの砲撃の餌食になる愚かな選択だ。しかし音もなく加速したアリステアはコンマ一秒すら掛からずにディハウザーを肉薄し認識される前に細い指を熊手のように広げて斬り掛かる。その指先は鋭利な獣の爪のように鋭く最上級悪魔の防壁が軽々と引き裂く。

 

「なんたる膂力(りょりょく)!」

「こういうのは品がないので(この)まないのですが他に()くリソースが少ないので腕力にて失礼します」

「ならば忠告通り、全力で抗うとしよう!」

 

 ディハウザーが魔力を高めた。収束されていく膨大な魔力は周囲の魔素すらも取り込んで戦場に熱破を振り撒く。冥界トップクラスの悪魔だけあり、"無価値"による相手の無力化だけが強みではなかった。攻撃に関しても恐るべき力を秘めている。あの出力の力を受ければ神クラスであっても甚大なダメージを与えるだろう。その一撃が放たれる。人間など簡単には消し炭に出来る極太の波動はアリステアを呑み込もうとする。

 

()りませんね」

 

 顔色すら変えずに裏拳一つで自身より巨大な熱線を弾き跳ばすアリステア。遠い背後で爆発が起きて白雪の髪が激しく揺れた。

 

「……これ程か」

 

 攻撃を難なく防がれたディハウザーは表情こそ変わらないが頬には一滴の汗が頬を流れていた。あまりにも大きな隔たりが二人にはあった。ディハウザーが本気で放った一撃でも傷を負わせられないアリステアは正に怪物である。目の前に現れた理解の外にある"ナニか(アリステア)"が近づいてくる。

 

「抵抗は無意味です」

「あぁそのようだ」

 

 言葉とは裏腹にディハウザーはアリステアの攻撃を避けていた。紙一重で躱したのに肉が幾らか削げた。避けてこの様とは理不尽でしかない。直撃したら間違いなく一撃必殺だ。

 

「だがッ!」

 

 構わず反撃する。アリステアの顔面に手を(かざ)して魔力を叩き込む。爆発が起き、黒煙が(おお)うもそのベールは腕の一振りで消える。

 

「言った筈ですよ、"無意味"だと」

 

 ディハウザーは距離を取ろうとするが拳打が彼を打ちのめす。凄まじい衝烈はディハウザーの肉体を突き抜けて背後に広がる大地をも蹂躙した。

 

「グッ……ガッ! ──それでも、挑ませてもらうッ!!」

「タフですね」

 

 魔力が爆発してアリステアを襲うが空と大地を支配し、粉雪が唸りを上げながら集まり相殺した。

 

「さて、こちらの番です」

 

 雪原が震え、無数の雪花の槍が現れるや鋭い先端がディハウザーを補足して弾丸のように飛翔する。

 直撃は危険と判断したディハウザーは悪魔の翼を広げ、音速を越えて雪原世界を縦横無尽に飛び回る。その後ろを雪花の槍が容赦なく追い立てていた。

 

「……私のスピードに付いてくるかッ」

「そんな体でよく動く。しかし無駄ですよ」

 

 その言葉に呼応するようにディハウザーがバランスを崩して雪原へ墜落した。本人も何が起きたか分かっていないようだ。そんな彼をアリステアは雪花の槍で滅多刺しにして雪原に拘束する。

 

「かはッ、翼が溶けている……?」

「この異界に降り積もる雪々はあらゆるモノを冷たく溶かす絶死の抱擁。自慢の翼はもう使えません」

 

 ディハウザーの翼は大部分が虫食いのように消失している。これは広域殲滅術式のひとつ、絶死の抱擁──"Last(ラスト) Embrace(エンブレイス)"。触れたものを痛みすら無く死に至らしめる優しくも残酷な術だ。

 

「まさか知らず内にここまでダメージを追わされているとは……」

「余裕ですね、塵一つ残さず消えるというのに」

 

 無数の槍が体を貫いているうえ、"Last(ラスト) Embrace(エンブレイス)"もゆっくりとだが確実にディハウザーを溶かし続けている。

 この異界は敵対者を確実な死へ至らしめる屠殺場(とさつじょう)そのもの。取り込まれた時点で死のカウトダウンが始まっている。

 そんな死に際にも関わらずディハウザーはアリステアを睨んだ。

 

「この期に及んで気づいたことがある」

「なんです?」

「私は自分が思っているよりもずっと負けず嫌いらしい」

 

 凄まじい魔力放出が熱波を引き起こして周囲を焼き払う。アリステアも防御に翳した手に小さな火傷を負った。

 

「(全盛ではないといえ、この状態の私にダメージを与えた?)」

 

 ディハウザーの攻撃力が上がっていると悟ったアリステアは"真 眼(プロヴィデンス)"でディハウザーの変化の原因を探る。やはり魔力値が異様な()()を見せていた。それもかなりの上昇率で魔王クラスなんてレベルではない、これでは神にも届く。

 

「(戦いの中で成長している?)」

 

 恐らくディハウザー・ベリアルは本気を越えた全力を出した事がない。

 相手を無力化する圧倒的な異能と悪魔のなかでも突出した魔力総量となれば、まともに戦えるのはサーゼクス・ルシファーやアジュカ・ベルゼブブなどといった超越者クラスぐらいだろう。しかし幸か不幸か、現魔王であるその二人はレーティング・ゲームには参加できないと聞く。

 そして今、初めてディハウザーは自身よりも強い相手を前にして追い詰められている。その絶望こそが彼に潤いを与え、死に物狂いで勝利を掴もうと()()(うなが)した。アリステアという強敵を糧に更なる高みへ登り出したのである。

 死闘という呼び水がディハウザーの(かせ)を崩す。その成長というには速すぎる力の躍進(よくしん)は再びアリステアを"無価値"で(むしば)み始める。悪魔よりも上位存在になる"黄昏"にすら影響を及ぼす渇望にアリステアは驚きを通り越して感嘆した。

 異能だけではなく、物理的な力にも干渉をし出したこの男はまだ伸び代があると……。

 

「どうした、動きが鈍くなっているが?」

「えぇ、貴方の"無価値"が効いています。身体能力が幾分か下がっているようです」

「多少は勝ちに近づいたか」

 

 手応えを感じているのだろう。それもそうだ、アリステア自身がディハウザーの"無価値"によって徐々に侵食されていくのが分かるほどだ。

 だがしかし──。

 

「期待以上の抵抗ではありましたが、予想外ではありせん」

 

 シレッと言うと右手辺りの空間が酷く歪む。

 

「私が異界を作った最大の理由を示しましょうか。──審判の時です、来なさい」

 

 歪みから出てきたのは装飾された白銀の双銃。

 ソレをアリステアが握った瞬間、異様とも言える圧力が空間を揺るがす。

 まるで意志があるように重厚な存在感を撒き散らすソレをアリステアは冷たく見下ろした。 

 

(ひか)えなさい」

 

 ピタリと圧力の伝搬(でんばん)が止まる。飼い慣らされた猛獣のような武器にアリステアは嘆息(たんそく)しつつもディハウザーへ銃口を向ける。

 

「それは銃か?」

「剣や槍に見えるなら眼科に行っても手遅れですね」

「私にはその銃口が巨大なアギトに見えてならんよ」

「いい線いってます、コレには確かに意志がある。今の私が唯一壊さないで使える専用の"真 器(アーネンエルベ) "、()を"審 銃(ユーディキュウム)"。撃てるモノは一つだけという芸がない残念な代物ですよ」

 

 "審 銃(ユーディキュウム)"が煌々(こうこう)と輝く(くら)き闇を集束していく。あらゆるモノを否定する虚無が広がる。

 

「生に飢えし飽く無き胎動よ 汝が名は"混沌(ケモノ)"なり」

 

 アリステアが言葉を紡ぐと同時にトリガーを引いた。

 その弾丸は狂暴な光を纏い、世界を(えぐ)り裂きながら疾駆(しっく)する。白き異界が魔弾に喰らい尽くされるように歪む。宇宙の秩序すら揺るがす恐るべき光は獣のようにディハウザーへ牙を剥く。

 

「なんだ、この感覚は。"無価値"が効かない……いや取り込まれているのか?」

 

 "無価値"で対抗するが、まるで効き目はない。むしろ光はより強くなって纏う力も大きくなっていた。

 ディハウザーは魔力を収束させると、小さな島なら軽く破壊出来るレベルの砲撃を放つがアリステアの弾丸はソレを容易く噛み千切った。

 流石のディハウザーも圧倒的な差を見せつけられて目を見開く。その瞳にあるのは恐怖というには生易しい畏怖であった。死をも越えた破滅が迫る。

 

「アレは"喰らい尽くす者"。干渉したモノの全てを糧とします。貴方の"無価値"どころか私の"異界"すら吸収して強大になる」

「アリステア・メア!」

 

 驚異の弾丸に意識を向けていたディハウザーの不意を突く形で背後にアリステアが現れる。

 弾丸が囮だと気づくがもう遅い。隙というには僅かな時間だが充分だった。アリステアの蹴りがディハウザーの腹部を鋭く捉える。えげつない壊音が響き、悲鳴すら許さない激痛と衝撃を受けながら超高速で雪原を割くディハウザー。

 

「おっと」

 

 アリステアが顔をずらして自身の放った弾丸を避ける。その2秒後、背後で弾丸の力が暴発して雪原の異界を消し飛ばす。

 景色が雪原から元の荒野へ変わった。

 

「誰が異界まで消し飛ばせと言ったのです。相変わらず使い勝手が悪い」

 

 アリステアが叱り付けるように二つの銃をガンと強くぶつけ合う。双銃が機嫌を損ねたみたいに禍々しい気配を(かも)し出すが無視して異空間へ雑に放り込む。

 そして戦いの終わりを悟ったアリステアは黄金のオーラを霧散させた。束ねられていた白い長髪がパサリと広がり、ドレス姿から普段着へと戻る。

 そのままディハウザーの倒れているだろう場所へ歩を進めた。

 

「さて少し強く蹴りましたが、ディハウザー・ベリアルは生きていますかね」

 

 声に反省の色はない。あの状態の膂力は悪魔からしても化物じみている。凸ピン一つで最上級悪魔の障壁を貫通して重いダメージを与えるのだ。その蹴りを受けたとなれば、例えディハウザーが強靭だとしても致命的なはずだ。

 

「本当にタフな方です」

 

 呆れと感心が半々といった表情を浮かべるアリステア。ディハウザーは地面に倒れ付していた。意識こそあるが、その口元を血で汚しながらも苦悶の表情でアリステアを見上げている。

 

「完、敗……だな」

「戦う相手を間違えましたね」

「……その、よう、だ」

 

 今にも死にそうなのが分かる。骨は砕け、臓器も潰れているのだ。よく見れば上半身が千切れ掛けており、すぐ治療をしないと助からないのは明白だ。……とはいえこうなったのは自業自得の面もある。

 アリステアはディハウザーの誠意さに対して一度は退くこと勧めた。それを聞かなかったのは彼自身だ。

 

「……最後に一つ良い、かな?」

 

 血を吐きながらディハウザーは問う。

 

「聞くだけなら」

「……ふ、君は、その力をなんの為に使う? それだけの強さだ。地位も栄光も手にする事が出来るぞ」

「下らない。私が力を振るう理由など一つしかない」

「それ、は?」

「愛する人のためです」

 

 アリステアの言葉が意外だったのかディハウザーは呆気に取られた顔をするが、すぐに憑き物が落ちたような穏やかな笑みを浮かべた。

 

「愛する者の為、か。ふふふ、君に、敗れるのなら、それはそれで良いかも、しれんな。……なぁ、クレーリア」

 

 ここにはいない誰かに想いを馳せてディハウザーは瞳を閉ざす。どうやら意識を失ったようだ。彼はそのまま死ぬだろう。アリステアとて助ける気は更々なかった。

 ディハウザーはこの戦いの結果に納得して受け入れているのだ。アリステアにとっても彼は倒すべき敵であり、障害でしかない。おいそれと助けるには立場が違い過ぎる。

 

「早くしないと彼は死にますよ?」

 

 誰もいない空間を一瞥するアリステア。

 なんの返事もないまま10秒ほど時が経つ。

 

「まぁそれもいいでしょう。あとは好きにして下さい」

 

 倒したディハウザーへ視線を落として直ぐに別の方向へ歩き出す。その脚が向かうのは渚がいる戦場である。

 

 

 

 

 

 アリステアが去ったあと何もない空間から人影が現れる。頭にターバンを巻いた商人風の青年──カージャが小さく笑う。初めてアリステアや譲刃に出会った頼りなさはない泰然とした雰囲気を背負いながら彼方に去った白雪へ言葉を贈る。

 

「なんでもお見通しとは恐れ入るよ、アリステア・メア。ただ彼を見逃した事に関しては借りにさせて貰う」

 

 魔性の微笑を浮かべるカージャは、指ひとつ動かさずにディハウザーを何処かへ転移させると自らも何処へと姿を(くら)ませるのだった。

 



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戦鬼、抜刀《The Demon bane》

 

 血の臭いが蔓延する戦場を美しい戦鬼が駆け巡る。刀は鋭く、その(わざ)(もっ)て怪物と成り果てた悪魔の首を次々に跳ね跳ばす。首元から鮮血が吹き出し、地を真っ赤に染め上げていく。

 効率的かつ容赦のない殺戮は()むことを知らず、まだまだ足りないと言わんばかりに首だけを落とす譲刃は正に飽くなき鬼そのモノだ。

 疾風迅雷を素で行く彼女は、人にして首を刈るための機械じみている。

 やがて万を超える敵の首を刈り終えた譲刃は両手の刀を納めることなく自らが作った屍山血河(しざんけつが)の惨状に目を向けた。

 

「やっぱり首を跳ねただけじゃダメみたいね」

『ギギ、ギヂヂヂッ。ギャギュキガガガガ!』

 

 死体の山が立ち上がり、首を無くした(むくろ)達の声なき怨嗟の(うめ)きが戦場に響く。そして気味の悪い音を立てて首が生え変わり、肉体も忌まわしく変貌した。筋肉は肌を千切りながら膨張し、骨は鋭さを増して身体を突き破る。最早、元が人の姿とは思えない。怪物ですらない異形の群れが大地を汚す。

 退廃的な新生を終えた異形の内の一体が譲刃へギョロリと目を向けた。

 

『ギィシャアアアァアアッッ!』

 

 理性のない咆哮と共に異形が四つん這いとなって襲い掛かってくる。それは獣というよりは虫を連想させる気味の悪い疾走だった。

 

「巨体のわりに速い」

 

 口から零れたのは嫌悪ではなく称賛(しょうさん)の一言。そう表現できる程の俊敏さだから出た言葉だ。ダンプカーのような巨体を誇る異形が(またた)きの間に距離を詰めるや、鋭い牙で華奢な譲刃を噛み砕こうとした。理性なき戦法に譲刃は顔色一つ変えずに左の"御祓刀(みそぎとう)"で受け、流れるような動作でもう片方の"御神刀(ごしんとう)"で斬りつけた。

 

 ──ガキン。

 

 刀を通して伝わってきたのは鉄を叩いたみたいな硬い感触。譲刃は「ほう」と小さな感心をもらす。

 

「皮膚が異様に硬質化してる、これはキミの特性?」

 

 異形の肉体へ幾度(いくど)か刀を振ってみるが全身が信じられないくらいに硬い。

 その一体を相手取っている間に背後から違う異形の奇襲を受けるが多対一を想定していた譲刃にとっては十分に対処が可能な襲撃である。

 

「奇襲にしてはお粗末。気配遮断くらいした方がいいよ?」

 

 冷静さ失わずに一体目をいなして二体目へ反撃の刃を繰り出すも当然のように弾かれた。先と同様にコチラも硬い表皮を持っているらしい。

 

「(また通らない、か)」

 

 流石にこれはおかしい。

 譲刃の霊氣と刀の切れ味が合わされば大概のモノは断ち斬れる。それこそオリハルコンやアダマンタイトなどいった伝説級の鉱物すらも両断してしまう。

 けれど自慢の斬術を二度も、しかも違う相手に跳ね除けられた。よくよく考えれば譲刃は戦場にいる異形達の首を一つ残らず刈り取っている。つまり今、斬擊を弾いた二体の異形も一度斬られている筈なのだ。

 少し考えて可能性を二つに絞る。

 斬擊に対する防御を隠していたか、甦ったときに習得したかのどちらかだ。譲刃は後者だと直感的に思う。似たような特性を知っているゆえの判断だ。

 

「高純度霊氣による自発的秩序形成(じはつてき ちつじょけいせい)かな。でもまさか"真域"の権能を使えるなんて恐れ入るわ」

 

 ──自発的秩序形成。

 

 "蒼"や"黄昏"といった古神(いにしえがみ)に連なるモノのみが辿り着ける力の領域を譲刃やアリステアは"真域"と読んでいる。

 "蒼"と"黄昏"が持つ霊氣は、純度が増すと霊気を超えた何にも属さない超エネルギーへと変貌する。それは無色だが巨大な力であり、霊質でありながら物質にもなる未知と可能性を秘めた代物だ。一度、手に入れれば願望すら具現化させてしまう力は、自己の中に新たな秩序を生み出す事すら出来る。簡潔に言ってしまえば新たな概念を付与する自己変成、さらに言えば昇格に近い。

 "黄昏"の力で異形と化したバアルの軍勢は(いのち)を絶たれ、偶然か必然か全員が同時に刀へ脅威を覚えた。結果、刃物に対する恐怖ないし驚異から耐性を得たのだ。(すなわ)ち譲刃の圧倒的な強さが敵を強化してしまったのである。異形の軍勢は斬擊という概念を否定したモノへと自身を定義、再構築して刃を通さないという秩序で武装したのである。もはやどんな名刀だろうと断ち斬るのはほぼ不可能だ。

 

「厄介かな。斬擊を否定した秩序を押し付けてくるとは"始神源性"らしいデタラメさね。けど剣士に対する礼が欠けてると思うなぁ」

 

 本当に厄介な……。

 譲刃は眉を潜めながら異形の攻撃を(さば)き続けた。

 斬擊耐性だけでない。力や速さも並みでなく、まともに受ければアーシアの身体はトマトみたいに潰される。更に異形たちは各々が独自の変貌を遂げているので特殊能力も様々な筈だ。

 

「(ここまで"黄昏"の権能を再現してくるとは意外だった。コレを造った人は間違いなくコチラ側の知識を持ってるわね)」

 

 長期戦は不利だ。

 譲刃は圧倒的な戦力を持つが十全に使える訳じゃない。もし全力なんて出したらアーシアの身体が譲刃の力に耐えきれず中から弾け飛ぶ恐れがあるのだ。

 異形の群れが嗤いながら譲刃へ飛び掛かってきた。どうやら余程に血を好むと見える。

 残虐なまでの猛攻から逃げ続ける譲刃。如何に霊氣で強化しているとは言え、アーシアの肉体が堪えきれる筈もなく、一度でもマトモに受ければ終わるだろう。

 防戦は悪手と判断して攻勢に移る。

 

「刻流が一つ、雷挺(らいてい)招来(しょうらい)

 

 刀の切っ先が蒼白い稲光(いなびかり)を帯びると落雷が真横に走って戦場を貫いた。

 凄まじい電撃と膂力による一撃は異形の全てを根刮(ねこそ)ぎから焼き穿つが異形たちは死なない。焼けた肉は時間が戻るように復元し、穿った穴はボコボコと気味が悪い音を鳴らしながら塞がる。

 ふりだしに戻った。けれど譲刃の表情に恐れなど微塵もない。

 

「ナギくん風に言うなら『まだ終わりじゃねぇぞ』かな?」

 

 瞬間、異形たちの体の一部が轟音を立てながら弾けた。

 連鎖する爆発音と苦痛による叫びが戦場の至る場所から沸き上がる。

 異形たちを襲ったのは肉体の中から迸る電撃だ。譲刃の攻撃はまだ続いたのだ。斬った部位から稲妻が発生して忌まわしき体を破壊する。

 これこそ雷挺・招来の真髄。雷光が如く突きを躱そうが電撃に変換された霊氣を受けたが最後、永遠と稲妻の洗礼を受ける事になる。

 二刀の切っ先を下ろす。

 

「そんな穴だらけの"接続"じゃ私に勝てないよ」

 

 譲刃は異形たちの"接続"が不完全なものと見抜いていた。力の大半は斬撃耐性に偏っており、その他の攻撃にはあまり効果が出ていない。つまり斬撃以外の力に対しては弱いと推測したのである。

 結果は大正解だ。異形達の体は鋭い稲妻に焼き裂かれていく。本来の"真域接続者"である自分が付け焼き刃みたいなニセモノに負けるなど有り得ない。

 

「千叉 譲刃の残滓だからと言って舐めないでね。一応、本物に限りなく近い存在なんだから」

『──ふふふ』

「…………え?」

 

 急に譲刃が呆けたような声を漏らした。

 視線の先にあり得ないのものを見てしまったからだ。死に行く異形たちの中にソレはあった。それは見惚れる程の黄金色の髪と瞳を持った幼さが残る美しい少女。年の功はアーシアと同じか少しだけ下に見える。

 こんな地獄にはそぐわない無地のワンピースを着た少女から譲刃は目を離せない。

 夢か幻か、それはかつて相対した大敵に他なら無かったからだ。

 

「……真滅者"アルキゲネドール"」

 

 絞り出すような声で譲刃が名を呼ぶ。

 アルキゲネドールと呼ばれた少女は譲刃の声に気づいたのか真っ直ぐ黄金の双眸で見つめ返してくる。そして返事の代わりに蠱惑的な笑みを浮かべるとゆっくり両手を広げて口を小さく動かす。

 

『━━The wheel of fortune is turning.(黄昏の時は来たりて)

 

 黄金が言うや異形の者らが狂ったように叫ぶと互いの体に牙や爪をめり込ませた。一瞬、喰らい合っていると譲刃は勘違いしたが実際は違った。

 異形たちは結合していたのだ。体を絡ませ、より巨大に、より禍々しく、それは見るも(おぞ)ましい蠱毒のような配合に見えた。

 真滅者"アルキゲネドール"はその中心で優雅に踊っていた。血と肉が飛び交う惨劇を舞台に両手を広げながら狂狂(くるくる)(たの)しいと言わんばかりに廻り続ける。

 

「……まさか、またその顔を見るとは思っても見なかったわ」

 

 譲刃が"時流を操る魔神"や"衰退を宿した悪魔"を前にした場面ですらなかったソレを解き放つ。

 戦うために必要な戦意ではなく、殺すと決めた意思表明の殺意をアルキゲネドール(黄金の少女)へ向けていたのだ。

 左手にある御祓刀(みそぎとう) "鞘禍(さやか)"を鉄拵(てつこしら)えの黒鞘に戻すと御神刀(ごしんとう)"譲刃(ゆずりは)"を納めた。

 精神を統一して今も躍り続ける敵に刃を閃かせる。

 

刻流(こくりゅう)極致(きょくち)輝夜(かぐや)貌亡(かたなし)

 

 次元断裂の斬撃が世界を斬り裂く。

 万物を絶ち、時流すら両断する月の名を持つ刃。

 刻流閃裂の中でも屈指の技が黄金の少女を微塵に(きざ)もうとした瞬間、巨大な何かが斬撃を空間ごと叩き潰した。

 

「……へぇ、そう来るんだ」

 

 それはお伽噺にでも出てくるような巨大な"鬼"だった。

 只でさえ強力だった異形たちが集合した結果の成れの果てが"鬼"とは中々笑える。戦鬼と揶揄された自分に対する皮肉が利いて愉快である。

 しかし譲刃は笑みを消して刀を構えた。

 目の前の"鬼"は強い。研ぎ澄まされた直感と死線を潜り抜けた経験から分かる。この"鬼"は唯の鬼にあらず、宿す力は災害に等しく、人の手どころか異能力者ですら手に余る領域に達している。

 

 "鬼"が吼えた。

 

 それは威嚇ではなく攻撃。口から放たれたのは大気と大地を同時に()ぜるソニックブームだ。

 刀で防御するが突き抜ける衝撃に全身が打ちのめされた。譲刃が施していた防壁など意味を成さず、膝から崩れそうに揺らぐと目の前に"鬼の"拳が現れた。ダメージの抜けきらない体を無理矢理動かして刀で受けるが刃を通さない凄まじい剛力に力負けする。

 荒野を無様に転がりながら刀を杖代わりに立つ。

 

「やっちゃったな、これは」

 

 上手く受け身を取ったので無傷で済んだと思っていたが刀を握っていた手の皮が裂けているのに気づく。手の平を伝って柄頭からポタポタと血が流れる。

 アーシアの体に傷を付けた事に罪悪を感じながらも意識は"鬼"へ向ける。

 斬撃無効の特性があるのに斬り掛かったのは単純なミスだ。剣士である譲刃は常に刀と共にあり、斬殺こそ唯一許された行為。ソレをしてしまうのはもはや(さが)であり(ごう)なのだ。

 しかし困ったものだと譲刃は頭を傾げる。自慢の武器が効かないとなればどう対処するか。

 手がない訳じゃない……が、今の状態では極力使いたくない(たぐ)いの手段だ。

 

「使うにしても少し様子を見てからかな。取り敢えず、やれることはやっておかないと」

 

 刀を鞘に戻し、無手で構えると徒手空拳のままで"鬼"の間合いへ侵入する。

 

「ガァアアァアアアアア!!!!!!!!」

 

 譲刃を潰そうと大木のような脚を落として来た。直撃は避けるが破片と言うには大き過ぎる岩石が重力に逆らって空を目指す。まるで豪雨のような岩撃を霊氣で強化した四肢で叩き落として、そのまま水面を蹴るように大木のような"鬼"の脚を払う。

 軸である脚が地面から離れると呆気なく"鬼"は転倒する。仰向けになった"鬼"の胸、心臓があるだろう部位に譲刃は手刀を突き刺した。

 

 ──手応えあり。

 

 上腕を丸ごと突き入れた譲刃はそのまま心臓を破壊するために手刀に纏わせた霊氣を一気に高めて解き放つ。

 臨界を迎えた霊氣は暴走して爆発。内部から"鬼"は炸裂して胸部から腹部にかけてが焼失。

 譲刃は『やはり』と内心で己の推測が正しかったと確信した。所詮は異形たちの集合体に過ぎない"鬼"は刃物以外の攻撃は無効に出来ないなのだ。例え手刀といえ刃に有らず、ならば通じるのは道理だ。

 背骨らしきモノまで露出した"鬼"が血反吐を吐く。

 戦闘どころか動くこともままならないだろう。間違いなく致命傷だ。譲刃が霊核を砕いて終わりにしようと霊氣を高めるが"鬼"がニィと不気味に嗤う。次の瞬間、体の前面を喪失した巨躯が譲刃に殴り掛かってきたのだ。

 まさか、あんな状態では動くなど思ってもみなかっただけに度肝を抜かれる。

 "鬼"が幽鬼のようにユラリと立つと戦場に寒く冷たい風が吹き、苦悶の声が流れた。

 それは異形たちの魂の声。バアルの悪魔たちのだった者の嘆きだ。怒り、苦しみ、悲しみ、あらゆる負の感情が"鬼"の中から沸いて消える。それに並び深傷が塞がっていく。いきなりの超速再生を前にした譲刃は一瞬で何が起きたかを理解して不快さを表す。

 

魂喰らい(ソウルイーター)か」

 

 "鬼"は失われた骨や肉、霊氣ですら瞬時に取り戻す。内包する何十万という悪魔の魂を使って(喰らって)傷を癒したのだ。

 とうとう"黄昏の獣"めいてきたと溜め息をこぼす。今ので使った魂は(いく)らだろうか? 百か千か、けれどバアルの総勢を考えればまだまだ余裕があるはずだ。

 

「参ったなぁ……」

 

 アーシアの肉体に負荷を掛かり過ぎている。元々、戦闘員じゃない者を無理矢理使っていたからだが、これ以上の戦闘行為は避けたいのが本音だ。

 けれど現実はそうはいかない。眼前の"鬼"は健在で、あと何回殺せば殺し尽くせるのか皆目見当もつかないという状況である。

 "鬼"が攻勢に出た。筋肉が盛り上がり、背中から二つの腕を出すや獣のような疾駆で迫る。その速さと力といったら疾風迅雷の如くだ。

 全神経を回避だけに割り振る。そうしなければ死ぬと直感が告げていた。

 回避の度に荒野に大穴が作られ、鋭い破片が飛び交う。四本の腕による猛攻は譲刃ですら反撃不可能と断ずる隙のない連擊だった。紙一重で躱そうもの背中の豪腕に捕らえられて終わる。そんな剛力無双かくやと言う攻撃を前に逃げに徹し続けて数分、荒野はまるで月のような凄惨な地表と成り果てる。

 ふと急に譲刃の動きが悪くなる。遂に体が限界を迎えようとしていたのだ。

 そして"鬼"はその隙を逃さない。豪腕を容赦なく小さな人間へ振り下ろした。

 譲刃は表情を強張らせて、すかさず納めたままの刀で受けて直撃は避ける。

 

「くっ」

 

 それでも無視できないダメージが刻まれた。刀を通してバラバラになりそうな衝撃が全身を痛め付ける。回避に支障が出るレベルのダメージに肉と骨が悲鳴をあげていた。

 譲刃は悟る。

 最早、"鬼"の攻撃から逃げるのは難しい、と……。

 

「ここまでね」

 

 明らかに譲刃の表情が悔しそうに歪む。

 "鬼"を睨む。正直、相性もあるがソレを抜きにしても強敵だ。単純な膂力(りょりょく)だけで破壊を撒き散らす災害。その強さは一国すら転覆させるに足るだろう。

 そんな敵に(かせ)をしたままで勝とうなど慢心が過ぎたというものだ。

 

 ──アーシア・アルジェントの肉体と魂。

 

 何より、それを最優先にした。

 当然だ、譲刃は体を間借りしている不純物。そんな(やから)がアーシアを傷つけるなど外道が過ぎる。

 並大抵の敵なら無傷で勝てると踏んでいたがこのザマだ。正に恥の極みであり、自分を斬り付けてやりたい衝動が止まらない。

 そして更なる恥の上塗りを行おうとしている。

 目の前の"鬼"は絶対に殺さなければならない。放置などしたら冥界を厄災を陥れるのは明白であり、多くの死者を出す。そして真滅者"アルキゲネドール"が関与しているならば決して渚には会わせられない。

 過去の幻影が今を生き初めた者を侵すなどあってはならないのだ。

 

「アーシアさん、申し訳ありません。私はあなたを酷使します」

 

 心からの謝罪。

 返事を期待したわけではないが自身の奥から包み込むような声が届く。

 

 ──一緒にナギさんを助けましょう。

 

 呆れと共に微笑みが零れた。

 聖女とは、やはりアーシアにこそ相応しいと譲刃は思う。そんな彼女の言葉に決意する。

 今出せる全てを次の一撃に込める、と。

 譲刃は静かに(まぶた)を伏せた。

 これは黙祷。悪魔だった彼らは譲刃が首を跳ねる事で死んだ。人としての死に哀悼を捧げて冥福を祈ったのだ。

 そして、ここから先は命の終わりを経て"黄昏"の尖兵へ身を堕とした怪異を祓う千叉の生業(なりわい)

 

「生を逸脱し、"黄昏"に魅入られた残り身よ。我が刃にて払い清めたもう」

 

 目には目を、歯には歯を……。

 刃を否定する秩序を盾にするならば、その戯けた理をごと斬り捨てる秩序を用意しよう。

 

神とは力である(God is force)

 

 それは真域に根差す言の葉であり、(みずから)に捧げる祝詞。

 

ゆえに我が身を切り裂きながら悪を斬る(It doesn't matter if I die if it is to protect you)それが悪鬼の所業であろうと誓いを果たす(fight one evil with another)この世に絶対的な正義など在りはしない(Justice does not exist )。……ならば(that's why)

 

 譲刃の纏う霊氣が噴出して体を包む。

 全体的に炎を思わせる霊氣が形を帯びる。

 

私を魔を絶つ剣とする(I take the sword that cuts off the Demon)

 

 燃え盛る霊氣が半透明な羽衣のようなに変異し、譲刃の両肩に深紅の巨大な装甲が現れる。頭には実態のない角が延びていた。その姿は鬼そのもの。

 

真域接続(Connect)、──修羅絶刀(Demonーbane)

 

 戦鬼になった譲刃を(たた)え、もしくは忌避するかの如く冥界が震えた。

 深紅の装甲が展開、空いた隙間から霊氣が噴出して形を造る。それは輝く瞳に反立つ一本角、そして鋭い(てのひら)。即ち鬼の顔を持つ巨大な双腕(かいな)だ。片方の腕には鞘に納まった巨刀が握られている。

 譲刃が刀を持っていない方の手甲を動かす。まるで生物のように五指を握り開く。

 

「久方ぶりだけど問題は無さそうね。……待たせたかな。さ、()ろうか?」

『ぐぅるるぅ……』

 

 二柱の"鬼"の間で戦意と殺意が交差する。

 先に動いたのは"鬼"だ。変貌した譲刃へ雪崩(なだれ)のような速さで迫った。呑み込まれたら少女の身体など粉々に磨り潰されるだろう。

 しかし譲刃は動かずに平然と立ち尽くしたままである。

 "鬼"が譲刃に爪を立てようと腕を伸ばす。

 

「はてさて今の私は見た目通り鬼強だよ?」

 

 ガシリと"鬼"の爪を深紅の手甲が正面から受け止めた。

 浮遊しているとは思えない力強さの譲刃の手甲。それを巧みに操って"鬼"をぶん投げる。地面を破砕しながら倒れる"鬼"の隙を逃さず腰を落とす。

 

「刻流閃裂 零式……」

 

 譲刃の姿が幻のように消え失せ、研ぎ澄まされた疾風が吹き荒れた。

 それは縮地とも呼ばれる神速歩法と無駄のない動きによる攻撃だ。手甲の握る巨刀が"鬼"を容赦なく斬りつける。

 譲刃が再び現れたのは"鬼"を越えた先だった。

 

「──彼岸花(ひがんばな)閻魔殲辿乱叉慙迦(えんませんてん みだれさざんか)

 

 巨大な刀から繰り出された(わざ)は初擊の首断ちに比べれば掠り傷ひとつ負わせていない。与えたダメージなど小突かれた程度あり、命には全く届かないレベルだ。生命を逸脱した"鬼"は、せせら笑うような呻きを口からこぼした。

 そんな中で譲刃は巨刀を鞘に納めるや、静かな動作で自身の空いた右手を横に伸ばして中指と親指を合わせる。

 

「罪花は塵逝(ちりゆ)くが(さだ)めにて」

 

 パチンッ。

 小気味よい指鳴らしを合図に"鬼"の肉体が千切れ飛ぶ。吹き出す鮮血は乱れ咲く彼岸花を描き、例外なく命を散らしていく。再生を始める筈の身体は沈黙して"鬼"は死んだ。

 

「果たし合いに於いて斬られた者が骸となるは必定。剣の理に矛盾する世界など(とき)(なが)れの如く(せん)にて()く」

 

 譲刃が斬ったのは寿命。

 (きた)るべき遥かな天命を呼ぶ剣閃は鬼の王たる閻魔の所業である。

 霊氣で作られた羽衣と角が霧散する。ジャスト一分、それが奥義の限界だった。

 戦鬼から人に戻る。肩で息をする譲刃だったが刀をいつでも抜けるように構えた。

 

『──クスクス』

 

 "鬼"の死骸から聞こえる笑い声に譲刃を言葉を放つ。

 

「失せなさい、アルキゲネドール。この世界に"黄昏"は来ないわ」

 

 返事はない、ただ声は聞こえなくなった。完全に消滅したのを確認した譲刃はゆらゆらと地面に座り込む。身体が小刻みに揺れて頭がクラクラしている。肩で息をしながら汗で濡れた額に手を置く。

 譲刃は顔を苦痛に染めて苦笑する。

 予想よりもだいぶ強かった。

 まさかこんな場所で切り札である刻流閃裂 零式の技を使うハメになるとは思いもしなかった。

 

「でも余所様のところ(身体)で使うもんじゃないね、零式は……」

 

 アーシアの肉体が悲鳴をあげていた。霊氣で保護していたは言え、筋繊維や骨、脳や魔力回路までダメージが来ている。

 

「バアルに"黄昏"の力を利用している人がいるのは確かめるまでもないか。これは調査しないと不味いかなぁ。……ここまで来て、亡霊みたいに因縁が付きまとうのは勘弁してほしいよね、ナギくん」

 

 立ち上がって渚の方へ歩き出すが霊氣が体の内から沸き上がる。それは譲刃の魂から出る"蒼"であり、非力なアーシアの体を勝手に作り替えようとする変性行為だ。

 かつて渚がコカビエルとの戦いで行った肉体の超強化が行使されようとしている。

 

「……く、大人しくしなさい!」

 

 本来なら身を任すべきだが譲刃は必死に抑えた。

 強化とは聞こえは良いが"蒼"が行っているのは"変性"だ。つまりアーシアの肉体を譲刃の肉体へ作り替えようとしているに他ならない。

 そうなったら間違いなく譲刃とアーシアの立場が入れ替わる。アーシアは永遠に譲刃の中に閉じ込められて表に出てこれない場合もある。

 懸念が現実になった。これこそ譲刃が全力を出せなかった理由だ。奥義である修羅絶刀は"蒼"を行使する譲刃の切札。莫大な力に肉体が持たないと察した"蒼"は勝手な変性を行う。

 冗談じゃない、アーシアの体を乗っ取るなど愚の骨頂。そんなことをしてまで生き長らうなど馬鹿げている。"御神刀"へ手を掛ける。自らの魂を斬ればアーシアは助かるだろう。

 逆手に持ち、刃を振りかざす。

 瞬間、強烈な襲撃が胸を貫き、荒ぶる霊氣が砕け散るように消えた。

 

「──っ」

 

 刀はまだ突き入れてない。それに衝撃を受けた筈の胸にも外傷はなかった。

 

「切腹を生で見られるチャンスですが次の機会に取っておきましょう」

「……ステアちゃん」

「"蒼"の変性は今ので止めました。わざわざ貴女がいなくなる必要はありませんよ」

 

 銃を納めると譲刃に歩み寄るアリステア。

 そして何も言わずに譲刃の口へ丸い何かを押し込む。

 

「んっ!?」

エリクシル(回復薬)です」

「こほこほ。無理矢理だなぁ」

「その体で"修羅絶刀"を使う人に言われたくありません。アーシアを殺す気ですか?」

「うっ、返す言葉もない」

「どうせアーシアも()き付けたんでしょう。でなければあり得ない」

「ありがとう。ステアちゃんが居なかったら危なかった」

「構いませんよ。どうやら今回は二人揃って"大当たり"だったようですしね」

 

 楽な敵を任せたと思ったら厄介な敵を押し付けてしまった。ギャザリングという術式で譲刃をここへ回したのは他でもないアリステア自身だ。責任の一株でも感じているのか、無謀な行為を行った譲刃を責めるような事はしなかった。

 

「回復が利き始めるには少し時間がありますが、ナギの元へ向かいますよ」

「ん、委細承知」

 

 譲刃が差し出されたアリステアの手を取るとそのまま肩を貸す形で歩き始めた。そこでアリステアの霊氣が思いの外、少ないことに気づく。

 

「ステアちゃんも結構消耗してるでしょ?」

「えぇ。悪魔も中々やるものです」

「そうだね、私たちは以前の私たちじゃない、慢心な己を滅ぼす。今日は良い教訓になったわ」

 

 心底、そう思いながら新たな戦場を目指す譲刃なのであった。

 




 

 譲刃の修羅絶刀のモデルは某ソシャゲの雷の律者です。名前は憎悪の空から来る魔を断つ剣から拝借しました。
 アレ、カッコいいよね?


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禁忌の霊薬《 Medicine which was forbidden》

 

 渚は"(けもの)"の爪を繰り出してガイナンゼの拳に乗ったバアルの"滅び"を受け止める。互いの力は反発し、衝撃波を撒き散らしながら相殺された。

 

「簡単にはいかないか……」

 

 大した力だと驚嘆しつつ攻撃を開始した。一歩も退かないゼロ距離での殴り合いが展開される。拳に伝わるのは障壁を砕く感覚と肉と骨を潰す手触りで、なんとも不快極まるものであった。

 

「くくく。楽しいなぁ、蒼井 渚ぁ!?」

「どこがッ!!」

 

 殴り、殴られる両者の浮かべる表情は対極にある。ガイナンゼは存分に振るえる暴力の歓喜に(つづ)られ、渚は心底遺憾(いかん)と言わんばかりに顔を歪めていた。

 

「喜べ、私の力で滅びなかった敵はお前が二人目だ!」

「会話する気ないなら黙ってろ、すぐに()してやるから!」

 

 渚が腕を薙げば追従するように暗闇色の爪や牙が現れ、ガイナンゼが魔力を駆使すれば"滅び"の風が吹き荒ぶ。

 人外同士の衝突が大気と大地を激しく揺らす。両者とも揃って最上級悪魔クラスの実力を発揮しているのだ。こうなるのは必然とも言えるだろう。

 

「チッ、意外に難しいな。まるで扱い方が違うってか」

 

 渚は激烈な魔力を浴びながらぼやく。

 "蒼"で防御して"(けもの)"で攻撃する戦術。

 予想はしていたが"獸"は"洸剣"や"魔拳"と大きく違う。今まで世話になった武器たちは体の延長線にあるように扱えるが"獸"は生物としての意志がある。端的に言えば息を合わせる必要があるのだ。

 今の渚の戦い方は、戦士(ウォーリアー)というより獣使い(テイマー)に近く、初めての感覚に振り回され気味で制御に難ありだった。しかし(さいわ)いな事に、この闇色の"(けもの)"は"彼女"を大元しているらしい。甲斐甲斐(かいがい)しく渚の動きに合わせてくれる。

 それもあり徐々にであるものの、二人三脚の戦いもサマになってきた。

 

「次は……こうだ!」

 

 試行錯誤(しこうさくご)をしながらガイナンゼ・バアルへ突撃するが渚の拳は簡単に止められた。

 (いか)つい片眼野郎がニヤリと頬を釣り上げる。強者の余裕というヤツか、とにかく腹立たしい笑みだ。

 

「どうした、先よりも力の圧が弱いぞ。ひよったか?」

 

 ガイナンゼから反撃の蹴りを受けるが"蒼"で強化した腕で防御する。踏ん張りを効かせた渚の脚がザザザッと後ろへ流される。渚は苦痛を我慢しながら不適に指を差す。

 

「いんや、本命は()()だよ」

 

 ガイナンゼの背後で地面が盛り上がり昏い炎が噴出する。出てきた龍にも似た"獸"の顎だ。

 闇色の炎はギチギチと引き千切るような音を立てて口を開くや背中から噛み付く。肩から腹部にかけて上半身の殆どを飲み込まれたガイナンゼだったが腕力で牙をこじ開ける。

 

「ぬぅうん……ッ!! 小癪だな、渚ぁ!」

「なんとでも言えや!」

 

 したり顔で霊氣を収束させてガイナンゼを打ち据える。両手が使えないガイナンゼはガードすら出来ずに攻撃をマトモに受けて手を放す。再び噛み付いた牙はガイナンゼを容赦なく地面に押し倒し、全てを喰らい尽くさんとばかりに蠢く。それは空腹の肉食獣が脇目も振らず血肉を(むさぼ)るような光景だ。なんとも(おぞ)ましい。

 

「ぐぉおおおおッ!!」

「ほら笑えよ、楽しいんだろ?」

 

 そう言ってやると渚は後方へ跳びながら(てのひら)を上向きにして差し出す。

 

「闇に喰われろ。……なんてな」

 

 広げていた指をギュッと握り締めた。

 渚の霊氣に呼応した"(けもの)"がガイナンゼへ食らい付いたまま熱を()びたように泡立つ。瞬間、その実態のない体が炸裂した。昏い炎と噴煙が周囲に破壊を撒き散らし、渚は爆風で木の葉みたいに打ち上げられる。

 我ながらアホみたいな火力だと辟易しながらなんとか着地に成功。

 

「ふぅ~」

 

 疲労を吐き出すように大きく呼吸する。

 肺から全身に酷い痛みが広がった。

 一歩も退かない殴り合いをしたのだから当然の代償だ。くの字に降り曲がった体を支えるように両膝へ手を置いて立つ。痛みに耐えながら首だけを上げて"獸"が作った凄惨な破壊跡を眺めた。

 流石に無事じゃないだろう。これで消し炭になっていれば終わる。

 しばらくして舞い上がった煙のなかで立つ人影が見えた。……どうやらまだ続くようだ。

 渚が口の中に溜まった血をプッと吐き出してガイナンゼへ向かって歩き出す。

 

「一応、聞いとく。まだ()るつもりか?」

 

 渚はガイナンゼの状態を見て問い掛けた。立ってこそいるが戦闘が出来る状態じゃない。渚同様の全身打撲、鋭い牙による深い咬傷(こうしょう)、爆発による火傷、内臓だって無事か分からない姿だ。

 しかしガイナンゼは片方しかない目で渚を見ると不気味に口許を釣り上げた。

 

「当然、()るとも……」

 

 息も絶え絶えな短い答えが返ってくる。

 気は進まないがトドメを刺すしかない。

 渚がガイナンゼへ歩み寄ると、その手に見たことのある注射器が握られているのに気づく。

 

「お前、ソレ……」

 

 渚が目を見開く。それはライザーが使った霊薬によく似ていたのだ。

 

「ほう、"禁忌の果実(フォビドンフルート)"を知っているようだな。どこかで使われたか? ん?」

「アンタには言いたくないね」

 

 知っている。ライザーを"不死鳥"に変えた恐るべき薬だ。あの注射器の中にある黄金色の液体を見るだけで嫌な気分になる。まるで神経が逆撫でされるような不快感が込み上げて来るのを止められない。……それは脳からではなく魂から来る嫌悪感だ。

 どうしてアレがこうも嫌いなのかは分からない。しかし蒼井 渚の全てが否定するのだ。

 ともせず、バアルがあの薬と関係があるとは驚きだった。渚は低い声でガイナンゼに問い掛ける。

 

「ソイツの出所はどこだ?」

他者(ひと)に教える気はない分際で問うとは傲慢だな」

「ソレの危険性は解ってるのか。使えばよく分からんモノになって正気を失うんだぞ?」

「くくく、正気を失う? とんだ笑い草だ、貴様は何も解っていないようだ」

 

 渚の忠告に対してガイナンゼは気にした様子もなく首筋に霊薬を打ち込む。

 

「ガイナンゼッ」

(わめ)くな。()せてやろう、この霊薬の真価をな」

 

 ガイナンゼの瞳が黄金色に染まるや"滅び"の魔力が溢れ出す。近づくだけで滅されてもおかしくない力に渚は表情を凍らせる。

 ガイナンゼ・バアルから感じていた膨大な魔力が消失した。代わりに研ぎ澄まされた霊氣を纏い始める。

 

「ふふ、ははは、はぁはははははは!!!!!!」

「おいおい、聞いてねぇぞ。なんで魔力が霊氣になりやがる?」

 

 これは予想外だ。

 かつてのライザーみたいに何らかの怪物に変異すると思っていたが変わったのは外見ではなく中身だった。

 

『不思議なことはない。魔力に限らず、この世界に存在する異能の起源は霊氣をルーツとしている。あの悪魔は超圧縮した魔力と"黄昏"の因子を混ぜ合わせて逆行生成を行い、霊氣を造り出した』

 

 渚の疑問にティスは冷静に答えた。

 

「霊氣が全てのルーツか。ティス、ガイナンゼの危険性は?」

『油断は大敵、命取りになる』

 

 頬に冷や汗を流しながら渚は思わず笑ってしまう。

 ガイナンゼの外観に大きな変異はない。ただ巨大な霊氣が"滅び"と絡み合って信じられない重圧を放っている。中身がまるで別物なのだ。もはやアレを悪魔と言って良いかも疑問に感じてしまう。

 

「ククク、"禁忌の果実(フォビドンフルート)"は魂へ直接的に力を与える劇薬だ。通常であれば凶悪な外部刺激に耐えきれずに精神ごと人格が崩壊する。やがて急激に魂へ作用した力はひたすらに増殖して肉体の変容を引き起こす。恐らく貴様が戦ったのは、そういう不適合者であろう」

「聞くにアンタは違うみたいだな?」

「当然だ。この霊薬に適合した存在を()()()と呼ぶ。今の私は冥界の()()()に限りなく近い存在だ」

「超越者か、神すら葬る悪魔の中のイレギュラーに近いとか本当ならシャレになってないな」

 

 渚の知る限り、絶対戦ってはダメな相手だ。

 魔王を越えた魔神とも呼べる化物みたいな輩に与えられるのが超越者という称号である。そんな者らと同格なんて考えただけで眩暈を覚える。

 

「これが最終ラウンドにならんよう祈るぞ。──では抗えよ」

 

 仕掛けてくる!! 

 渚は全力で"蒼"で応戦しようと隙なく構えた……が次の瞬間、腹部から激痛が登ってきた。何が起こったかを目にすることは叶わなかった。空が幾分か近くなっている、どうやら宙へ舞い上がっていたようだ。少し遅れて喉の奥から鉄臭いものが競り上がって吐き出す。

 鈍痛に(さいな)まれながら頭の上に地面を見つけた。

 

「くっ、このまま落ちてたまるか……!!」

 

 頭からの落下は避けようと空中で体勢を立て直そうとするが脚を掴まれた。

 

「そう言うな、手伝ってやろう」

 

 ガイナンゼが渚を引き摺るようにして凄まじい速度で急降下すると地面に叩き付けた。

 あまりの衝撃に全身をバラバラにされたと思った。信じ難いパワーに防御障壁の上からですらダメージが伝わってくる。最早、巨大な魔物の腕力に匹敵する力だ。そこから何度も何度もハンマーみたいに叩き付けられる。大地が激震する度に蜘蛛の巣みたいな亀裂が拡がっていく。

 

「──がッ」

 

 視界が赤一色になった。

 ろくな受け身も取れない状態で頭から落とされたのだ。

 文字通り、頭が割れた。そのせいで大量の血液が流れ出て眼球を真っ赤に染める。

 それでもガイナンゼは止まらない。ひたすらに渚を大地へと打ち続けた。挽き肉にでもするつもりなのだろかと思考の隅で思いながら、流れ出る血と共に体が壊れていくのが分かる。視界が赤から黒へ落ちようとした瞬間にガイナンゼは言った。

 

「どうした、もう死ぬつもりか? まだまだ楽しませろ!!」

「──うらあぁあぁあああああ!!!!!」

 

 "獸"の爪を出してガイナンゼを斬りつける。障壁に邪魔されて小さな傷しか残せなかったが脚を掴んでいた手は緩む。渚は自由だった逆の脚でガイナンゼを蹴り飛ばして何とか脱出に成功した。

 ──世界が揺らぐ。

 頭を初めとした身体中からボタボタと落ちる赤色の液体が血溜まりとなって渚の影を隠す。

 出血の激しい頭に手をやれば、パックリと()けており頭蓋を通り越して触れてはダメな柔らかいモノに指が届く。

 

「クソッタレ。……これで死ぬなとか無理があるぞ」

 

 危機的状況に苦笑してしまう。

 "蒼 獄 界 炉(クァエルレース・ケントルム)"が起動していなければ間違いなく立っていない。"蒼"の不思議パワーに生かされているのを感じながらも冷たい死が一歩ずつ迫るのも感じる。痛みと寒さで体が上手く動かせなかった。

 

『敵の攻撃力と異能力が急激に上昇。こちらの肉体も過度なダメージも確認。展開している"蒼"を治癒に回す事を推奨する』

「ダメだ、"蒼"は現状維持だ。少しでも出力を落としたら殺される……!」

 

 ガイナンゼが膨大な"滅び"を引き連れて渚を再び肉薄する。死にそうな体に鞭を打ちながら攻撃を捌き続ける渚だが"蒼"を使って強化した障壁が(ことごと)く滅ぼされる。その度に新しい障壁を用意して対抗するが一切気の抜けない防衛戦となってしまう。

 こんなギリギリな状態で"蒼"を回復に回せば推しきられるのは明白だ。

 どうすればいいのかを悩む渚の中で声が響く。

 

『防御が甘いでありんす! ナギサ様を殺す腹積もりですか、蒼獄の!!』

『これは相手の特殊能力による弊害、他意はない。そちらこそ攻撃が手緩い。黄昏が聞いて呆れ果てる』

『ワタクシの特異性を知って、その言い様。"叡智"の名が泣いていましょうや』

『……そちらこそ"暴力"と言うわりに大したことはない』

『生意気な。舌を引き千切ってやりんしょうか』

『沈黙を要求する。獣は黙って首輪に繋がれておくべき』

 

 中で二人が(やかま)しく揉めている。渚が注意しようとするもガイナンゼが嬉々として邪魔をしてきた。

 

「もっと、もっとだ。せっかく"禁忌の果実(フォビドンフルート)"まで使ってやったのだ。簡単には死ぬことは許さん。私が更なる高みへ到達する糧となれ!」

 

 ちくしょう、クソ五月蝿(うるさ)い。

 人が生きるか死ぬかの瀬戸際にいるのに中も外も騒がしくて考え事の邪魔をする。

 渚は半ばヤケクソ気味に声を張り上げた。

 

「いい加減にしやがれぇ!!」

 

 ガイナンゼの拳を頬のスレスレで受け流して自身の拳を振り抜く。

 俗に言うクロスカウンターである。その一撃は障壁を砕いてガイナンゼの脳を存分に揺らす。一歩、二歩とフラつき、やがて膝をついた。

 渚はこのチャンスを逃しはしない。伏せるガイナンゼの横っ面に霊氣でブーストした猛烈な蹴りをお見舞いする。

 

「が、はッ」

 

 流石に効いたようでガイナンゼの目の焦点は合っていない。やっと掴んだ千載一遇の瞬間に全てを賭けるため渚は二人に叫ぶ。

 

「行くぞ!」

『敵の行動パターンを算出する』

『噛み千切ってやりんす』

 

 "蒼"の拳が貫き、"獸"が噛み砕く。

 ガイナンゼの肉は弾けて骨は抉られた。右の手足は欠損し、左半身には大穴が空いている。

 あとはトドメを刺せば終わりだ。

 渚は必殺の一撃を繰り出すため霊氣を高めた。

 

「……ク、クククッ」

 

 死の間際、ガイナンゼは血塗れの肉体を小さく揺らして嗤っていた。

 なんだ、何かがおかしい。

 異様な雰囲気のガイナンゼから嫌な予感がする。渚は千載一遇のチャンスを前に脚を止めた。

 

「どうした? 折角(せっかく)の好機を無にする気か、渚?」

 

 わざとらしく手を広げて挑発するガイナンゼ。

 渚は警戒しつつ、動かずに黙っていると詰まらなさそうな顔をする。

 

「ふん、流石に掛からんか」

 

 片足だけにも関わらず、すんなりと立ち上がるガイナンゼ。その顔は不自然なほどに平然としたままだ。まるで痛みを感じていないような態度に渚は冷や汗を流す。

 

「どんな造りしてやがる……?」

「"覚醒者"の力を見せてやろう、今の私をな」

 

 ガイナンゼの片眼を隠していた眼帯がパサリと地面に落ちると塞がっていた瞼が開かれた。それは異質な輝きだった。黄金色に輝く片眼の瞳孔は縦長の爬虫類を思わせる。そして髪は逆立ち金色に染まる。

 

「……黄金の獣」

 

 渚は強い既知感に目を見開く。"獣"ではない人型のソレに使う言葉ではないのは分かっている。だがガイナンゼに対して渚はそう見えてならない。

 胸の奥から言い様のないザワつきが込み上げる。

 ガイナンゼの欠損した部位と胴体に空いた大穴が泡立ちながら再生していく。

 

「──これが"覚醒者"だ。加減はするな、でなくては直ぐに終わるぞ」

 

 渚は返事をする代わりに全力でガイナンゼへ突進した。

 これは予感と確信による行動だ。

 もしも先手を許せば負ける。傷だらけにも関わらず身体の状態を無視した一撃を放つ。

 加減など考えない"蒼"をガイナンゼの顔面に叩き込む。

 

「ぬるいなぁ?」

 

 ニヤァと嗤うガイナンゼ。

 まさか効いてないのか? 

 驚きながらも距離を取る。今出せる全霊を受け止められた。

 

『敵個体の霊氣反応、増大。──戦力対比、凡そ我らの244%』

 

 ウソだろ、2.5倍近くも霊氣出力が違うッ!? 

 渚は身震いした。"蒼"を起動した自分はバアルの軍勢すら容易く葬られる力を持つ。だからこそ、その倍を超える力を秘めたガイナンゼの恐ろしさは、よく理解できる。つまりは──勝てるビジョンが見出(みい)だせない。

 

『敵、接近』

「考える時間もナシか!」

「何を呆然としているッ!!」

 

 ガイナンゼの攻撃をガードするが吹き飛ばされた。まるで防御など意味をなさずにダメージを受ける。

 あまりにも衝撃的な一撃に受け身すら取れずに石ころように地面を転げ回った。

 

「チッ!」

 

 左手が有らぬ方へ折れ曲がっていた。

 叫ばなかったのは"蒼"が既に治癒を始めていたからだ。相も変わらず妙な力だ。強力な力と思えば、武器も造り出して傷も癒す。便利だが()()()()()

 

「いや、今はそんなことはいい」

 

 渚は焦燥に追い立てられる。これまで数いる強敵に勝てたのは力の総量で上回っていたからだ。今の渚は経験というハンデを有り余る霊氣で補って戦い抜いてきた。

 しかし今回はそうはいかない。

 

「こりゃ死地ってヤツかな」

 

 全く笑えないとは、この事だ。どうして自分はこうも分の悪い敵に当たるのだろうか。何かに呪われてしまっていると言われても否定できない。

 

「愚痴ってもしょうがない。やるだけやってやるだけさ」

「そうだ、それこそが貴様の義務だ」

「独り言だ、アンタに言ったんじゃねぇよ。だいたい覚醒して髪型と色が変わるとか、どこぞの戦闘民族かよ」

「まだ余裕があるようだな、私は嬉しいぞ!」

「ねぇよ、そんなモンはなぁ!!」

 

 勝ちは見えない。けれど負けてやる義理もないのだ。

 渚は嬉々として迫り来るガイナンゼを迎え撃った。

 

「「うぅおおおおおおおぉぉぉ!!!!!!」」

 

 互いの拳が重なる。

 渚の"蒼獄"とガイナンゼの"黄昏"が互いを喰らい合う。拮抗は一瞬、すぐに"黄昏"が"蒼獄"を圧倒した。

 "黄昏"の力を帯びた"滅び"が濁流のように押し寄せる。防御壁は簡単に崩壊した。今のガイナンゼの"滅び"を直接受ければ如何に"蒼"で強化されていようと只ではすまない。

 渚は回避できないと悟り、自身を巡る"蒼"の霊氣をわざと暴発させて自らの周囲を消し飛ばす。

 天を突く光と爆砕が轟く。

 

「うらぁッ!」

 

 爆煙を目眩ましに奇襲を仕掛ける。

 しかし、そんな浅はかな考えなど当然のように読まれていた。

 

「隠すなら最も上手くするのだなぁ!」

「かはッ!!!!」

 

 ガイナンゼが黒煙を払い除けて渚の腹を殴り付けた。肺の中にあった酸素を根こそぎ奪われた()()、息をする間もなく首を鷲掴みにされる。

 ミシミシと脛椎が圧迫されて呼吸を阻害する。窒息させるつもりかと思ったが違う。このままへし折る気だとすぐに分かる。苦しいなんてレベルじゃない、眼球や頭蓋骨が破裂しそうな怪力に渚は身体をばたつかせる。

 酸素が足りない。呼吸を封じられた渚は陸で溺れる。

 

「やはり粋が良い、ならばこういうのはどうだ?」

 

 ガイナンゼが嗜虐的な顔をすると首を掴む手から"滅び"を放つ。それは渚の首を徐々に削り千切るような仕打ちだった。

 

「──ッッ!!!!????」

 

 声なき悲鳴が木霊する。

 "蒼"によって頑丈になった体だけに即切断とはいかないが削られていく苦しみのせいで思考が痛みに支配される。叫びをあげる暇もない激痛に耐える。分かっていたが正面からでは歯が立たない。

 

「素晴らしいな、この力を受けてなお存在しているか」

 

 "滅び"と"黄昏"の力が渚の存在を否定するように身体を蝕む。弾けた肉も流れる血すらも滅ぼされて為す術もなく蹂躙される。なぜまだ首が付いてるのか渚自身も不思議なくらいだ。

 

「貴様が終わればシアウィンクス・ルシファーはどんな顔を見せてくれるのだろうな?」

 

 俺が死んだらシアがどう思う……だと? 

 渚は手放そうとした意識のなかでシアを想う。

 素っ気ない態度を取りながらも性根は優しい少女、魔王の血筋という理由で狙われた運のない少女、過去のトラウマから自己の犠牲を良しとするようになった哀れな少女、弱い自分を隠すため理想の魔王を演じ続ける強い少女。

 

 ──お願い、お願いします。助けて……あたしの全部をあげます。だから、だからどうか……。

 

 そんな少女が渚に助けを求めたのだ。それを承諾した以上は完遂する義務がある。

 シアウィンクス・ルシファーは身内の死に敏感だ。ここで渚がそうなれば彼女は罪悪感の刃で自らを傷付けるだろう。だからガイナンゼ・バアルに殺されてやる訳にはいかない。

 

「──そろそろ離せや、コラ」

 

 渚は奥歯を噛むと首を絞めていたガイナンゼの腕を取る。ミシリと骨が軋む感触が指に伝わる。

 

「ぬ!?」

 

 流石に危機感を感じたのかガイナンゼは渚を解放した。渚は酸素をめいいっぱい吸いながら瞑目する。

 煮え滾る怒りに"蒼"が呼応して霊氣がとめどなく溢れ出して生命力となり怪我や痛みをカバーしてくれる。完治とまではいかないが戦闘には支障はない程度に持ち直す。けれど勝つには全然足りていない。

 どうすれば良いのかなど考えるだけバカらしい。足りないのなら足せばいい、それだけだ。

 

「("蒼 獄 界 炉(クァエルレース・ケントルム)"を出力を上げる!)」

『許可できない。現状のナギサでは25%以上は反動で予期せぬ事態が発生する可能性がある』

「(でも、やるんだ。やらなきゃ死ぬぞ。もう記憶はないけど、前は100%で使ってたんだろ?)」

『しかし』

「いいからやれッ!!」

『ッ!?』

「(怒鳴って悪い、ティス。──けど、やらせてくれ)」

『…………分かった。出力を30%まで解放する』

 

 重い沈黙のあとティスは渋々といった様子で同意した。渚は寄り添ってくれたティスに内心で感謝しつつ、話を続けた。

 

「(解放したら"蒼"を"(けもの)"に喰わせろ)」

『──危険すぎる。"獸"がナギサにどんな影響が与えるか予想が出来ない』

「(やるんだ、ガイナンゼは今まで戦ってきたヤツらよりヤバい。ここで確実に倒す。……"獸"の"喰らい尽くす者(ヴォア・アエテルヌス)"は物質や霊質を問わずに取り込んで肥大化するならば"蒼"ほどのエネルギーをエサにしたら必ず攻撃性能でガイナンゼを上回る筈だ。──キミも出来るか?」

『勿論でありんす』

「(ティス、いいな?)」

『……承認する』

 

 ティスの承認を受けた瞬間、焼き尽くすような"蒼"が稲妻となって体を駆け巡る。

 血管が弾け、神経が千切れる。眼球も破裂して視界の半分が闇に染まった。だが使い物にならなくなった部分を"蒼"が治す。

 "蒼"が壊して"蒼"が造る。

 地獄の痛みが無限サイクルのように繰り返されるなかで脳内も掻き乱された。

 見たことも聞いたこともない大量の情報が記録となって次々と渚の自我を押し潰そうと流れてくる。

 

「……くッ、意外に、キツいな」

 

 意識も肉体も巨大な力の奔流に呑み込まれる。

 少し粋がったかな……と無意識に手を伸ばす。

 

『──やれやれダナ、アオイ 渚?』

 

 懸命に耐えていると誰かが自分を呼ぶ。ティスや"彼女"じゃないノイズが混じった不可思議な男の声だ。

 

「誰だ?」

『そんなコトはどうデモいい。今、肝心なノはテメェが相対してるモンのことだ。ガイナンゼとか言っタな。野郎は少し踏み込み過ぎダ。胸糞悪くなる顔が見エル』

 

 顔? 一体なにを……? 

 男がガイナンゼに舌打ちをしながら言う。

 

『"蒼 獄 界 炉(クァエルレース・ケントルム)"の30%起動カ。コッカラは肉体ダケじゃなく精神にも影響が出る領域だ。テメェにもコッチの領域に入るンダ。嫌でも見ル羽目にナル。……精々、楽シメヨ』

 

 嘲笑うようで言い聞かせるような言葉の意味を問う事は出来ない。なぜならガイナンゼが目前に迫っていたからだ。

 

 ──()えている。

 

 渚はガイナンゼを"滅び"を片手で軽くいなした。

 不思議と焦りはない。先程まで熱く煮え滾った感情は何処までも冷めて冷静だった。自分という存在が世界に広がるのを感じてならない。大いなる意思に渚の意識は溶けていき、ティスや"彼女"と深く混ざり合う。

 万能感が渚を満たしていく。

 

「──よし」

 

 確かな手応えに渚は呟く。

 脅威的だったガイナンゼまで今なら手が届く。身体能力、五感、霊氣脛脈の全てがそう語る。

 今までよりも遥かに強い力の奔流が自身の中を駆け巡り、解き放たれる瞬間を待ち望んでいた。

 かつてない優越感を胸に自分でも気がつかぬまま口が動く。

 

「『『蒼獄の炉が満ちて黄昏の灯が照らす。祝福と災厄が今、汝が世界へ下る……』』」

 

 ──お前を倒す(守る)

 ──蒼の(いただき)にて全てを超越する。

 ──黄昏の時、来たれり。我が爪牙にて闇に誘いましょう。

 

 人と蒼と獸が宣言した。

 三つの意志が完全に一つとなり、目的遂行の為だけに力を解放する。

 

 



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アルキゲネドールの呼び声《Voice of the abyss》

 

 ガイナンゼは渚との戦いを(たの)しんでいた。

 優れた戦いのセンスと大王の血筋に相応しい魔力量。若輩にも関わらず、既に上級悪魔の位にいる彼は並みの悪魔なら歯牙にもかけない強さ持つ。

 しかし、そんな彼が初めて地面に膝を突いたのは記憶に新しい旧ルシファー領の首都での一戦だった。

 

 ──アルンフィル・ルキフグス。

 

 シアウィンクス・ルシファーに仕える筆頭悪魔の名だ。

 思い出すだけで忌々しい戦いだった。悪魔の頂きとはあのような者を言うのだろう。ガイナンゼが如何(いか)に恵まれた戦闘センスを持っていたとしてもアルンフィルは年季が違う。現四大魔王と共にかの大戦を生き抜いた強者はレベルが違ったのだ。

 レギーナより(たまわ)った"禁忌の果実(フォビドンフルート)"のお陰で痛み分けとなったが無ければ恐らく死んでいた。格の違いをまざまざと見せられたガイナンゼは自らの強さに自信があっただけに屈辱という苦渋を味合わされたのだ。

 だが同時に新たな発見もする。

 

 ──極天へ至るための"悦"を覚えたのだ。

 

 圧倒的な力で他者を踏みにじる快楽よりもギリギリの所で命を削り合う方が(かて)となる。ソレが更なる高みへ至らせると実感できる。

 そして"悦"を覚えて間もなく蒼井 渚という極上のエサが現れたのだ。これぞ運命と言わずなんと言えば良い。

 それが愉快で堪らなかった、()()()()()()

 

蒼獄の炉が満ちて黄昏の灯が照らす。祝福と災厄が今、汝が世界へ下る……

 

 それは先の渚とは一線を画す口調と台詞だった。

 呪われたように耳と脳を巡り、さざ波のように静かでありながら天雷のように響く言の葉。まるで神が人に語り掛けるような隔たり。

 嫌に残る渚の声にガイナンゼは僅かに顔を強張らせる。

 これまで余裕のなかった渚が凄絶に笑ったのだ。獣のように歯を剥き出しに唇を歪ませたソレが渚だと認識出来たのは目の前にいたからに他ならない。ガイナンゼは愚かしい行為と自覚しつつも改めて確証を得るためその顔を睨みつけた。

 

「……貴様」

 

 渚は蒼く染まった瞳が返ってくる。

 ゾクリ、と背筋が凍る。

 こうして視線を交わしただけなのに頬から一滴の汗が流れる。焦燥しているような自身にガイナンゼは困惑する。渚へ向けていた歓喜は消えて、薄ら寒い感情に支配されると足が勝手に一歩退()く。

 

 あり得ん、何故退いた? 

 

 自身と渚の戦いの天秤は既に傾きつつある。"禁忌の果実(フォビドンフルート)"に適応したガイナンゼの前に、渚は(エサ)としての役目を終えようとしていた。そう、ガイナンゼの暴威は渚の"蒼"を上回っているのである。今さら何を恐れる必要があるというのか!! 

 

「今の今にも死にそうな者がなんの小細工を(ろう)したッ!」

 

 大量に血を流す渚を怒鳴(どな)りつける。

 骨を砕いて臓物も潰した。

 そんな死に体へ一時でも恐怖を覚えるなどプライドが許さない。ガイナンゼは霊氣を(たかぶ)らせて渚を打ちのめす。猛攻ともいえる乱撃により、肉が裂けて血が舞う。

 

「ど、どういう事だ!?」

 

 ガイナンゼが狼狽える。裂けたのは渚を殴打していた彼の両拳だ。血に染まった自らの拳に一瞬だけ気を取られるが斧のような蹴りで薙ぎ払う。

 大木すら容易くへし折る蹴りは強烈な打撃音を響かせて渚の横腹に直撃した。

 そう、確かに直撃したのだ。本来なら上半身と下半身が別たれて千切れ跳んでいる。……しかし渚は微動たりともせず立っていた。

 

「貴様は……なんだ?」

 

 口から出たのはそんな台詞だった。

 最早、確信に変わる。ガイナンゼの目に映る渚は()()だけであり、中身は恐らく違う"ナニカ"になっている。

 渚の瞳がガイナンゼへ向けられた。瞬間、今までとは比較にならない量の霊氣を纏い始める。燃え盛るような蒼いオーラは苛烈でありながら荘厳の一言だ。

 

……我が身を喰らいて我が力と()せ、"黄 獄 獸 鵺(クレプスクルム・アウルムレオス)"

 

 渚の背後、虚空より闇色の牙が現れた。

 アレに襲わせるつもりか……。

 ガイナンゼは構えを取る。しかし闇色の牙は渚の方を丸飲みにした。

 グチャグチャと肉が潰される音が響く。余りの意味不明さに言葉を失う。自害を選んだかと思ったが直ぐ間違いだと気づく。

 "獸"が収縮して食い破るように渚が現れたからだ。

 

 ──外見が変わっている。

 

 髪は腰まで伸びて、皮膚は死人のように白く、手足も細くなっている。ボロきれにも見える黒いローブを身に付けた姿は一見して少女であった。

 

……不味いな

 

 変貌を終えた渚が狂ったように霊氣を撒き散らす。

 神々しかった蒼いオーラは禍々しい闇色となり、ニタリと口を歪ませた。ガイナンゼの背筋に悪寒が走る。

 

殺戮したくて堪らねぇ

 

 渚が(わら)う。その口元に悪鬼のような邪悪な笑みを浮かべながら手を(かざ)して黒い闇を放つ。その凄まじい漆黒の波動はガイナンゼを容赦なく闇の中へ誘うのだった。

 

 

 

 

 

 ●◯

 

 

 

 

 

殺戮したくて堪らねぇ

 

 大切な何かが壊れて行くのを感じる。同時に笑いが止まらない。沸き出る衝動はひたすらに渚の信条に反するものばかりだ。

 

 ──殺セ。滅ボセ。根絶ヤシニシロ。破壊シテマエ。

 

 物騒極まりないドス黒い感情が津波のように押し寄せてくる。しかもそれは渚の精神を悦楽の海と(いざな)う。内なる声が牙を鳴らしながら叫ぶ。

 目の前の敵を喰い千切れ、と。

 

 なんだ、コレ……。

 

 苛烈とも言える殺意が無尽蔵に沸き上がり、自我を汚染していくのが分かる。

 少しでも気を抜いたら流されてしまう。負の濁流とも言える快楽の中で自分という個を繋ぎ止めるため意識を強く保つ。

 

『──クスクス』

 

 笑い声? 

 少女の笑い声だ。嘲笑の中に愛しさを含めた(いびつ)な声。知らない筈なのに聞き慣れた声。不可解な矛盾を抱きつつ声の方へ瞳を向けた。

 そこにいたのはガイナンゼ・バアルともう一つ……。

 ガイナンゼに重なるようにして少女の姿が見えたのだ。半透明で今にも消えそうな幻影めいた少女は、黄金の長い髪と瞳を携えて魅力的な微笑で渚を見返す。

 

「(女……?)」

 

 ──ズキリッ。

 

 急に頭と心臓が刺すような痛みに襲われた。ズキズキと不愉快な鈍痛が続く。

 黄金の少女に何かされたんじゃない。自らの記憶と魂が悲鳴をあげているのだ。

 アレがなんのなのか、全く分からない。記憶にノイズが掛かって何も情報が得られなかった。

 役に立たない脳の代わりに心臓の奥、魂よりも更に奥、全ての果てにある"門"から流れる"知識"と渚自身の奥に眠る"本能"が答えを示す。

 

 ──アレなるは真滅者"アルキゲネドール"……と。

 

 それがガイナンゼに巣食う怪物の名。『禁忌の果実(フォビドンフルート)』の原料となったモノ。そんなこと知らないはずなのに間違いなく正しいと分かってしまう。だが今はそんな事はどうでもよかった。

 あの黄金の少女を破壊したくて堪らない。

 

『──クスクス』

 

 黄金少女が妖艶に笑う。

 

 ──あぁなんと美しいものか、この世の者とは思えない神の芸術を目の当たりにしているようだ。

 魅了されたように渚の理性と自我が一色の感情に支配される。ただ、その胸を焦がすのは愛や恋慕などとは程遠いモノ。渚の胸にある熱は煮え滾る怒りと憎悪だった。

 

 ──早く殺さねば……。

 

 怒り狂うか如く、渚が黒い霊氣の波動を撃つ。瞬く間に闇の中へ消えるガイナンゼ。

 

「蒼井 渚ぁ!!」

 

 渚の放った霊氣を咆哮を交えて消し飛ばすガイナンゼ。見るからに必死だ。だが彼と重なるように存在するアルキゲネドールは渚の殺意を心地良さそうに受け入れていた。黄金の幻影が抱き止めると言わんばかりに渚へ手を広げる。

 

何、笑っている?

 

 美しい姿の少女に対して渚は嫌悪感に支配される。

 正直、渚も何が起きているのか分かっていない。ガイナンゼに重なる少女を殺したい理由も理解の外にある。ただ底の無い殺意の源泉が自らの魂から流出したモノであるのは確かだった。他の何にでもなく、他の誰でもなく、蒼井 渚が殺さなければならない"大敵"があの黄金の少女だと魂が狂ったように叫ぶ。

 

「凄まじい、凄まじいな、こんな隠し玉があったと恐れ入ったぞ!!」

 

 こんな状況で喜びに震えるガイナンゼを渚は無視した。

 会話などする気はない。今はガイナンゼの中にいるヤツを殺したくて堪らないのだ。渚は淡々と三体の"獸"を闇より引き摺り出す。這い出たモノは空を飲む影となり、ガイナンゼへ迫った。

 城壁さながらの質量を持つ闇は"獸"の(かしら)と蛇の身体を持つなんとも身震いする怪物だ。アレらは軍勢すらも押し潰される闇の大河である。

 押し寄せる闇の濁流にガイナンゼは自らの力、"滅び"を纏う。逃げ場はない、防御も無駄、ならば挑むしかないと正面から大蛇の城壁の受け止める。()れど悲しいかな、質量と重量からくる圧倒的な差は埋まらず小さなガイナンゼは瞬く間に呑まれた。

 

「いいぞッ! いいぞッ!!」

 

 高笑いしながら闇を引き千切るガイナンゼを渚は静かに見下す。ガイナンゼの"黄昏"が大蛇を蹂躙した。流石に無傷とはいかないが、それでも未だ健在だ。

 

「その状態が貴様の全力というなら応えて貰おうかぁ!!」

 

 ガイナンゼが両手を上げて天を仰ぐと霊氣が収束して巨大な"滅び"の塊が生成される。

 ソレに黄金の少女が触れるや力の質と量が数段上がった。

 

「見ろ、貴様との戦いで更なる高みへ登ったぞ!」

道化が……

 

 悪態が自然と口からこぼれる。

 ガイナンゼはまるで気付いていないからだ。自らの力と思っているあの尋常じゃない力は所詮、借り物なのだ。アルキゲネドールにとってガイナンゼ・バアルなど遊びの道具以下の依代でしかない。

 それが分かっていない玩具が喜びに打ち震えている。

 

「くくく、ははははは! 力が溢れる、私はまだまだ強くなれるのだ! 渚ぁ、貴様を糧とし更なる上を目指すとしよう!!」

 

 余波だけで大地を裂き、空を轟かせた。絶大な力の顕現。戦略兵器にも分類される破壊は周囲を一片も残らず消し飛ばす威力が秘められている。

 だが、やることは変わらない。

 

いいぜ、後悔はさせない。大いに潰し合おうか

 

 渚が人差し指を上へ伸ばす。すると指先に3センチ程度の黒い球体が現れる。

 それを軽く押すように手首を捻るとフワフワと頼りない様子でガイナンゼへ跳んでいった。

 

「終わりだ、渚ぁ!!」

 

 彗星が如く暴威の嵐がガイナンゼより放たれた。触れば塵も残らない殲滅の理。"黄昏"を注ぎ込まれた"滅び"は既に摂理すら葬る域までに高められている。

 

"喰らい尽くす者(ヴォア・アエテルヌス)"

 

 渚の手を離れた矮小な黒い玉が震え出す。卵の殻が割れるように小さな亀裂が入ると黒い玉を中心に空間が歪む。

 それはガイナンゼの渾身の一撃を吸い込み、風船が膨らむように大きくなった。人間ひとり分ぐらいで成長は止まるが、今度は不気味に脈動を始める。

 あの小さな球は必滅を貪欲なまでに喰い尽くしたのだ。

 

「バカな、我が"滅び"を……!」

アルキゲネドール、お前という存在はオレが抹消する

 

 ガイナンゼの"滅び"を食らった球体の()が砕ける。(あらわ)るは金色の焔を思わせる猛々しい獸の頭だ。龍とも見紛うアギトが上下に開くと口内に鈍い光が収束する。

 膨大なエネルギーを発する光は間違いなくガイナンゼにとっての脅威となるだろう。だが今は別の所で驚愕する。

 

「なぜ貴様が()()を使えるッ」

 

 渚の"獸"が放とうとしているのはバアルの異能たる"滅び"。大王の血にのみ宿る至高の力が意図も容易く使われようとしている。しかも悪魔ですらない人間にだ。

 何がどうしたら、こうも巨大かつ強大な"滅び"を扱えるのだろうか。

 そんな疑問の答えにガイナンゼが辿り着くことは無かった。

 

……滅べ、アルキゲネドール

 

 それが誰なのか分からない。理性のない殺意だけが機能する渚は本能のまま名を口にしたに過ぎない。

 "獸"の口内の暗黒めいた光は肥大化し放たれた。暗黒が冥界の空を斬り裂きながらガイナンゼへ襲い掛かる。

 

「こんなものでぇッ!!!!!!」

 

 ガイナンゼは全てを()して(あらが)うも、余りにも力の隔たりが大き過ぎた。

 ガイナンゼという存在を食らうようにして渚の霊氣が更に肥大していく。

 

叫んだところで防げやしねぇよ。その"黄昏"に抱かれて消えろ

 

 この力を前には誰もが塵芥(ちりあくた)に等しい。

 何人たりとも触れられぬ暴虐の神域が自らの強さの証明。暴力こそがこの世で最も強い。巨大な敵を圧倒する力は何とも言えない快楽をもたらす。

 暗い喜びが心を染める。

 

今日、初めて殺し合いを楽しいと感じた。ガイナンゼ、どうやらオレもテメェと同類らしい

 

 あまりにも狂暴な獸の吐息(ブレス)は荒野に大きな爪痕を残しながらガイナンゼを彼方に吹き飛ばす。

 渚は闇を引き連れて"獸"の息吹により出来た巨大かつ長大な掘削跡を辿る。

 やがて敵だったものを見つけた。

 ガイナンゼは渚の"滅び"を受けてなお生きていた。いや生かされていたというのが正しいだろう。内包する"黄昏"──"禁忌の果実(フォビドンフルート)"が欠落した四肢や内臓を復元しようと蠢いていた。

 しかし上手くは行っておらず、放置すれば間違いなく死ぬだろう。

 

終わりだな

 

 倒れたガイナンゼの横に立つ黄金の少女(アルキゲネドール)は虫を見るようにガイナンゼを一瞥すると渚に信愛を乗せた笑顔を向けてくる。

 

『──また殺す?』

 

 初めてまともに声を聞く。それだけなのに渚は胸を締め付けられる。殺意よりも透明なのに、より深い衝動は哀愁に近いモノだった。急に到来した感覚に戸惑いながらも本能がままに言い返す。

 

お前が何かは知らん、だが消えるべきだと強く思う……

 

 アルキゲネドールはひたすらに(たの)しげだ。どんな最低な言葉だろうと渚が放ったものならば良しと言わんばかりだ。

 

『ふふふ、その狂ったような殺意が何かも解らず、ただ思い出の残骸に振り回されるなんて酷く滑稽です。でもいいよ、貴方になら食べられてあげる。──さぁおいで』

 

 可愛らしく微笑む幻影は渚の殺意を逆撫でする。

 渚の長い髪が揺れ、纏う黒いオーラが"獸の"頭を(かたど)り、ガイナンゼを前に大口を開ける。その鋭い牙が黄金の少女もといガイナンゼに触れようとした時だ。

 二つの神速が駆け抜けてくる。

 神速の風の一つは渚の側頭に銃身が当て、もう片方は首筋には刃を添えてきた。

 

「随分と変わり果てたものです」

「ホントね。ナギくん、私たちが分かる?」

 

 渚を止めたのはアリステアと譲刃だ。左右から武器を片手に渚の身体を拘束する。

 

ステアに譲刃か

「どうやらまだ私たちを認識可能なようですね」

「それは重畳(ちょうじょう)かな。……聞いて、ナギくん。キミは現状、精神に異常をきたしてるわ」

今のオレは確かに異常だな

 

 こんなにも人を殺したい状態が普通である筈がない。けれどやらなくてはならない。これは渚に課せられた義務であり当然の権利。理性ではなく本能が告げている。己が存在意義を証明せよ、と。

 渚らしくない軽薄な笑みに譲刃の表情が一瞬だけ曇るが意を決した様子で言葉を紡ぐ。

 

「ナギくんは二つの"源性"から流れ出た膨大な霊氣と同化して溶け合おうとしているの」

溶け合う? そんなことはない、オレはオレだ

「自覚がないのは自我境界線が薄くなっているからよ。今のナギくんは、蒼井 渚であり、ティスであり、獸の彼女なの。人の身で真域存在である"蒼 獄 界 炉(クァエルレース・ケントルム)"と"黄 獄 獸 鵺(クレプスクルム・アウルムレオス)"そのモノになっているわ。急激に"炉"の出力を上げたから天上の視点を得たんだね。人格と肉体に変質が起きたのもその影響だよ。……でも運が良かった」

 

 譲刃が刀を納めるとアリステアもそれに習って銃を仕舞う。『何が良かったのか?』という疑問の目を譲刃に向けた。声なき問いに答えたのはアリステアの方だ。

 

「ナギ、最悪なパターンとして蒼井 渚の自我が消え去る可能性もあったのです。"蒼"の無彩色の力と"黄昏"の破壊衝撃は自我こそありませんが意思はある。ソレに取って変わられたら機械あるいは獣のように破壊を撒き散らす怪物が出来上がっていたでしょう」

 

 傑作だ、今の自分は破壊の権化らしい。

 あらゆる知識が、溢れる力が、渚の心を塗り潰す。

 世界が(てのひら)にあるように小さく感じてならない。何もかもが些事に思えてくる。目の前にいる黄金の少女(アルキゲネドール)を除いてだが……。

 

それでもいいさ。今はソイツを殺せればなんだって良い

『アリステアさんや譲刃さんなんて気にしないで。私も貴方に殺されるなら構わない』

 

 魅惑的な黄金の少女に劣情が止まらない。それは殺意という名の衝動で、渚の顔を獰猛に染める。

 もう少しでコイツを目の前から消せる。邪魔をするなら例え誰であろうが……。

 ドス黒い感情が爆発する寸前に、ふわりっと暖かいものが体を包む。

 

「よしよし、ナギくんにそんな顔は似合わないかな」

 

 優しく譲刃に包容された渚は頭を撫でられる。

 遥か遠い過去に同じされた事がある気がした。

 脳裏に映像が映る。それは木漏れ日の下、長い髪をした女が渚の髪を撫でる記憶。

 

 ──あぁ。

 

 感慨深く確信した。顔は靄が掛かったかのように見えない、けれどこれは母親だ。頭ではなく心が理解した。その暖かさが負の感情を散らしていく。

 そして自分がどれだけ道を踏み外しそうとしたか気づいた。

 意識が覚醒して行く。渚が人間性を取り戻すのとは逆に超然とした"力"は遠ざかる。

 

『──下らない結果……』

 

 ガイナンゼの隣にいた黄金の少女が呟く。そして幻影のように消える。最後に見せた顔は全てを見下す果てない"無"の感情だった。アレがヤツの本性なのかもしれない。

 彼女が姿を隠したからか渚の殺意もまた急速に収縮していく。

 

オレは……俺は何を──?」

「良かった、戻ってきたんだね」

「頭がボヤけて変な感じがする。たださっきのはなんだ?」

「深く考えちゃダメ。さっきのはキミではないんだよ」

「いや、確かにアレは俺だった」

 

 確かな憎悪、明らかな怒り。

 あれは渚の底にあったものだ、完全に無関係じゃない。

 しかし譲刃は首を振る。

 

「……だとしても今は忘れて」

「アレをか、無茶言うな。……譲刃、"アルキゲネドール"ってなんだ?」

「……ナギくんも会ったんだ」

「顔も姿も覚えがない、ただ見た瞬間に漠然とした確信があった。あの()と俺の間には何かがある」

「よりによってあの姿で見たんだね。彼女はキミの宿命だった存在よ」

「譲刃……!」

 

 珍しく語気を荒げるアリステアに譲刃は静かに首を振る。

 

「ステアちゃん、ナギくんは知りたがってる。だから言おう」

「今のナギには必要ない事です」

「そうだね。けど教えるべきだと私は思うんだ。ステアちゃんも分かってるでしょう? "黄昏"の災禍はまだ終わってない。そして"蒼"の担い手であるナギくんは必ずこの戦いの中心になる。……だから、ね?」

 

 アリステアは少し考える素振りを見せるが諦めたようにヒラヒラと手を振る。

 

「……分かりました。ここまで"黄昏"が世界に蔓延(はびこ)っている以上は仕方ありません」

 

 あのアリステアが譲刃の言う事はすんなりと受け入れる。唯我独尊を行くアリステアの意見を曲げる譲刃は相当に信頼されているのが渚にも分かる。どういった関係性なのだろうか。

 

「ナギくん、"アルキゲネドール"には色々な名前がある。"黄昏"、"黄金"、"獣"、"破滅"、そして"神"、沢山有りすぎて数えるのも馬鹿馬鹿しいかな。そのアルキゲネドールだけど一度、キミの手で倒されている」

「俺が?」

「"蒼"と"黄昏"は対存在。創造と破滅、理性と本能、あらゆる意味で対極になる。創造の"蒼"を司るピスティス・ソフィアはナギくんを器に選び、破滅を司るアルキゲネドールはキミが見た少女を模した。キミたちは幾度も戦い、果てに"黄昏"は倒されたけどナギくんも多くを無くした。記憶もその一つになるかな」

「そうだったのか……」

「ステアちゃんが(かたく)なに昔話しをしないのは、その戦いが余りに凄惨だったからナギくんに良い影響を与えないと悟ったからよ。だからあまり悪く思わないでね」

「知ったところで意味がないと感じたから言わなかっただけです」

 

 ぶっきらぼうなアリステアに譲刃は小さく笑う。

 

「さてこの話はおしまい。ナギくんはわたしが見てるからステアちゃんは彼の修復をお願いね」

 

 譲刃がガイナンゼを指差す。

 治療ではなく修復。つまりガイナンゼの体の損傷はソレほどまでに酷い有り様なのだ。我ながらやり過ぎだと思う渚だったがあれくらいしなければ勝てなかったのも事実だ。

 アリステアがガイナンゼを一瞥(いちべつ)して嫌そうな顔をする。

 

「そこに転がっている木っ端悪魔が死のうが心底どうでも良い事です」

 

 本心からアリステアを言っている。動く気の無いアリステアに譲刃は人差し指を立てて「駄目だよ」と前置きしてから言葉を重ねた。

 

「ガイナンゼくんが死んだらバアルに宣戦布告するようなもの。ナギくんの将来を考えたら生きててもらう方がいいわ」

「ここまで争った以上、どちらでも変わらないと思いますが?」

「これはあくまで旧ルシファーとバアルの争いよ。ナギくんはシアウィンクス・ルシファーに()()()()()()()ガイナンゼ・バアルを退けた。仕方なく駒として戦い抜いた……と言う具合に脚色すればリアスさんもナギくんを庇える口実になる。……ステアちゃんも分かってて言ってるでしょ?」

「"将"であるだけで死罪に処されるのは戦争の常です。そんな半端な言い訳が利く相手なら旧ルシファー領もこんな有り様にはなっていないでしょう。邪魔ならばバアルだろうが(なん)だろうが叩き潰せばいい」

 

 アリステアの過激な発言に譲刃は小さく頭を揺らした。

 

「ステアちゃんは頭脳明晰なのに、なんで力で解決しようとするのかなぁ」

「正面から殴って黙らせる方法が一番有効だからですよ。手を出したら終わりと相手に思わせれば抑止にもなります。小細工を(ろう)するより、その方が楽でしょう?」

「またまたぁ~。正直に言っても良いんだよ?」

「何がです?」

「大好きな()()がやられてキレてますってね」

 

 兄様とはなんの事だ? 

 渚がアリステアに問い掛けようとするが氷極な目で『何か?』と睨みを効かせてきた。無言で頭を左右に動かして追及をやめる。純粋におっかない、聞かなかったことにしよう。

 そんな渚にアリステアは小さく息を吐く。

 

「戯れ言です。……ガイナンゼ・バアルを修繕します」

 

 顔を背けるアリステア。その背中を可愛いものを見るように優しく微笑む譲刃。

 

「素直じゃないね」

 

 それだけ言って譲刃が渚へ顔を向ける。

 

「それにしても、そんなに髪なんか伸ばして女の子かと思ったわ」

「は? 女の子って……うわ、手が細いっ!? 髪も長っ! 身体も少し縮んでねぇか?」

「ちなみに顔も変わってるよ」

 

 譲刃が何処からか鏡を出して見せた。

 ソコに写っていたのは渚のようにも見えなくもない美少女だった。

 

「きぇええええええええっっ!!!!!?????」

 

 美少女が決して上げてはいけない悲鳴を出しつつ、ムンクの叫びのような顔をする渚。

 そう美少女なのだ。渚をベースにしているがティスや獸の彼女が融合して影響を受けた身体は女よりに変化している。彼女たちはどちらも人間離れした美貌の持ち主だ、間違いなくソレらが強く影響している。

 

「な、なななな、なんだこれぇ? 俺-(ティス×獸の彼女)っつう意味の分からん方程式レベルで意味が分からんくらい美少女になってるぅ~!?」

「面白いよね。スッゴい美少女なのに絶妙にナギくんって分かるように変化してるのが芸術的かな」

「源性の影響を受けて肉体が変異する事は多々あります。ピスティス・ソフィアと例の分霊は女性型なのでしょう。そう変異してもおかしくはないかと」

 

 感心する譲刃と冷静に分析するアリステア。

 

「も、戻るよな?」

「ステアちゃん、どう?」

「少し()ます」

 

 ガイナンゼを修復しながらアリステアは渚に対して眼を凝らす。渚の中を"真眼(プロヴィデンス)"で見ているのだろう。

 

「やはり融合の影響ですね。恐らく二人はまだ渚と分かれ切っていない。暫くはその姿のままですが元には戻るでしょう」

「そか。良かったよ」

「ナギくん、さっきまでの状況は覚えてる?」

「あぁ、少しボンヤリしてるけど大体はな。妙な感覚だったよ。俺なのにオレじゃないような……」

 

 まるで夢を見ていたような曖昧さと現実である確信が混じったのような色々と入り交じった(なん)とも言えない感覚に渚は戸惑うも直ぐに気を持ち直した。

 例え美少女になってしまったとしても、結果的にガイナンゼを倒せたのだから良しとする。

 

「これでバアルとの戦いも終わりだな」

 

 頭を倒して軍勢も止めた。だからこれ以上の戦闘はないだろう。

 渚が万事解決と安堵するが急に足元に魔方陣が現れて身体全体を光が包む。それは渚だけを対象にしておりアリステアや譲刃には発生していない。

 光が強くなる度に見知った気配が強くなる。

 

「……ルフェイ?」

 

 それは渚を召喚した魔法使いの少女の術式。

 渚が作戦実行中なのは彼女も重々承知の筈だ。なのに呼び寄せようとしている。つまりイレギュラーな事態が起こったという事に他ならない。

 渚は嫌な予感が頭を過り、アリステアと譲刃に言う。

 

「ルフェイが呼んでる。多分、アッチでヤバイ事が起きた可能性がある」

「特定の人物だけに作用する転移陣だね。なら一緒には行けないか」

「あそこの中で転移は無理な筈ですが……。いや、これはナギの"魔拳"と"洸剣"を使った触媒魔術。繋がりを持つ本体を引っ張るだけなら不可能ではない。成る程、良い発想力と魔法の腕です」

 

 アリステアが解析するように魔方陣を注視していた。

 

「取り敢えず行ってくるよ」

「分かりました、では早急に私たちも後を追います」

 

 真剣な声音にアリステアは答えた。

 転移が為されようとした瞬間、棒状の物体が譲刃の方から飛んで来たのでキャッチする。

 それは彼女(ゆずりは)と同じ()を持つ御神刀だった。

 

()っていって」

「いいのか?」

「その御神刀は、わたし自身でもあるからナギくんが持っていれば迷わず追えるわ」

 

 GPSみたいな役割らしい。

 けれど使いなれた得物が手に有るのは頼もしくもある。有り難く使わせてもらおう。

 渚は軽く礼を言ってから転移に身を任せる。

 次の瞬間、渚は光の中に消えていった。

 

 ──戦いはまだ続く。

 



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光と闇の戦い《Clash of Light and Dark》


最悪にして最強の光が立ち塞がる。
闇の少女は全てを奪う光へ真っ向から抗う。
消え去る前に打ち砕かんが為に……。



 

 "ルオゾール大森林"という場所は過去に数々の調査団を根絶した魔境である。そんな冥界未踏の地を数十万の移民を引き連れて踏破するなど最初は不可能だとシアウィンクスは考えていた。

 しかし、その道のりは意外なほどに順調だ。

 

「渚、深奥に行った時、こんなモノを作ってんだね」

 

 本来なら歩くだけで苦労する森の木々は根こそぎ消し飛ばされており、決められた進行ルートには草木の一本もない更地となっている。巨大な力で森を破壊したのが分かる。しかも数十万の悪魔が移動しても余裕がある程だ。これは渚が独断で"ルオゾール大森林"の深奥を調査した祭に作った道であり、シアウィンクスの下に来た最初期から踏破を考えていたという証明でもある。

 

 比較的危険性の低い大森林の外周を移動する。

 

 言うのは簡単だが"ルオゾール大森林"は広い。外周なんて歩いてたら数ヵ月は掛かるし、護衛の人数も足りない。しかも背後からはバアルが追い立ててくる。

 問題だらけの計画だが渚はそれすらも解決した。

 まずは基本にして一番重要な移動方法の確率だ。大森林の決められた位置にマーキングを(ほどこ)し、"魔拳(ゲペニクス)"と"洸剣(フリューゲル)"による短距離ワープ用トンネンを作って莫大な人数を一斉に運び距離を稼ぐ。

 入口用にマーキングされた幾つかの場所は"ルオゾール大森林"に充満する魔素干渉を防ぐため多少離れた位置にあるものの数キロ程度だ。しかも道は渚によってやり過ぎなぐらいに整形されおり、木々を初めとした障害物がないので徒歩による移動も可能である。何より懸念材料のバアルも渚とその仲間が足止めしてくれている。

 

「渚さんが来てくれて本当に幸運でした。こんな作戦、本来なら成立しませんから」

 

 隣を歩くルフェイは言う。それに関してはシアウィンクスも同意せざる得ない。本来ならこんな数十万人の大移動など成立するはずもなく、彼一人が来た事で可能となったのだ。最早、至れり尽くせりの状態だ。どうすれば渚に恩を返せるか考えも付かない。皆をフェニックス領へ送り届けた後の難題になりそうだが、そういう問題ならば楽しく解決できそうだとシアウィンクスは思う。

 

 このまま辿り着けますように……。

 

 そう願うシアウィンクスを嘲笑うかの如く、それは急に目の前に現れた。

 

──敵襲である。

 

 来るはずのない敵が現れたのだ。

 シアウィンクスは身震いする。

 信じ難い事に"ルオゾール大森林"は魔力による転移が出来ないという常識を覆して襲来してきたのだ。数は三人。バアルの宰相と眼鏡の青年、そして十数年ぶり会う義母弟(おとうと)

 

「お前、ヴァーリだな?」

「一目で分かるなんてすごいな。なら久しぶりと言っておくよ、義母姉(ねぇ)さん。随分と苦労してるみたいじゃないか」

 

 シアウィンクスは成長したヴァーリの登場に思考が止まり疑問だけが支配する。だが、それ以上に驚きの顔を見せたのはルフェイだった。

 

「お、お兄様」

「ルフェイ、やっと見つけましたよ」

「どうして、ここへ?」

家の者から(エレイン)から行方知れずだと密書が届きました。まさか冥界のいざこざに巻き込まれているとは思いもしませんでしたよ」

 

 柔和な声と紳士的な素振りを見せた眼鏡の青年が前に出るや剣を抜いた。それは光り輝く猛毒、名を聖剣。

 シアウィンクスがヤバいと思った瞬間、青年──アーサー・ペンドラゴンが剣を振るう。

 極光が旧ルシファーの人々に迫る。

 

「くッ!」

 

 シアウィンクスが首にかけたアクセサリーに触れると彼女の背に"洸剣"が現れて飛翔する。それは花のように広がり、聖剣の一撃を弾き飛ばす。

 

「カルクス、ククル!」

「応よッ」

「あいよ!」

 

 家臣がアーサーへ攻撃を仕掛けるが、義母弟(ヴァーリ)が前に立ちはだかる。

 

「懐かしい顔だな」

 

 ヴァーリを見るなりカルクスとククルの動きが鈍る。

 

「ヴァーリ坊」

「アンタ……」

「覚えていてくれたのはうれしい……が、その隙を逃すほど彼は優しくないぞ」

 

 聖剣が走り、鋭い剣閃が容赦なくカルクスとククルを襲う。

 

「……嘘だろぃ、俺の魔力障壁がこうも、簡単に」

「……ちぃ、ウチらを物ともしない聖力、この感じはエクスカリバーかい」

「違います。だが惜しいと言っておきます」

 

 障壁ごと斬り裂かれたカルクスとククルが苦悶の表情と共に沈む。僅かな隙を狙われたとはいえ、やられた二人の姿に悲鳴を上げそうになるが噛み殺す。今、自分が狼狽えれば民たちの精神にも悪い影響が出る。手に爪を食い込ませながらも冷徹な魔王の顔を維持する。

 どうすれば事態の悪化を防げるか考えているとアーサーが少し不満げにヴァーリを視線を向けた。

 

「ヴァーリ」

「余計な世話だったかな?」

 

 何かを言い掛けてやめるアーサー。

 

「……いえ、まともに戦えばそれなりの消耗を()いられたでしょう。尤も次は正面から相対したいものです」

「だから殺さなかったのか?」

「急所を狙いましたが見事に外されましたよ。かなり戦い慣れてる手合いです」

「この二人は大戦でも活躍した古い悪魔だ。アーサーが倒しきれないのも分かる。まぁ聖王剣を持つキミが負ける要素もないと俺は思うよ」

「聖剣があるから勝てると?」

「少し違うな。聖王剣コールブランドを扱えるというのはアーサーが持つ才能、いわばソレも含めて君自身の力と言いたいのさ。俺が二天龍を宿しているようにね」

「貴方には敵いませんよ、ヴァーリ」

 

 緊張感のないヴァーリとアーサーにバアルの宰相──レギーナは冷厳に言う。

 

「聖王剣、契約を果たしなさい」

「動けない者に剣を向ける趣味ではないのですが……」

 

 アーサーが仕方無しとカルクスとククルに刃を向けた。

 シアウィンクスに緊張が走る。コールブランドと言えば最強の聖剣と呼ばれる一振だ。

 

「(不味い不味い不味いッ! あれは厄タネだ。あの剣だけはダメだ!! なんであんなのが来るの……!!)」

 

 あれは"デモン・スレイヤー(悪魔殺し)"とも言われる聖剣の中でも頂点に座する一振だ。そのオーラに晒されるだけで力のない悪魔は消滅するだろう。実際、非戦闘員である民たちは身体に変調をきたして苦しそうにしている。シアウィンクスも全身の汗が止まらない。死神の鎌が首筋に添えられているような気味の悪さと危機感が常に身体と精神に負荷をかけてくる。

 

「さて、コチラヘ来なさい、ルフェイ」

 

 聖なるオーラを放つ武器を片手に手招きするアーサー。

 

「この人たちは見逃してくれますか?」

 

 ルフェイトの問い掛けにアーサーは一瞬考えて首を振った。

 

「出来ません」

「どうしてですか!?」

「旧ルシファー領の悪魔を狩り、シアウィンクス・ルシファーをレギーナ・ティラウヌスへ渡す。それが彼女との契約です」

「なぜ……なぜ、そちら側なのです」

「貴女の安全が条件です。魔術誓約によりバアルはこれからルフェイ・ペンドラゴンへの報復を初めとした害のある行動を禁じると誓わせました。……ですので諦めなさい」

 

 アーサーが鋭くシアウィンクスを睨む。

 彼にとってシアウィンクスは妹をタブらかした諸悪の根源ようだ。きっと逃がしてはくれないだろう。ならばやるしかない。アーサーが最強の聖剣使いというのなら、ただの悪魔をブツけるわけにはいかない。

 空に鎮座する光の刃──"聖天斬界の洸剣(シュベアルト・フリューゲル)"に目をやる。

 アレなら魔を払う聖剣にも対抗出来るだろう。借り物だが存分に頼らせてもらうつもりだ。

 それでも恐怖で泣きそうなのを懸命に取り繕う。

 自分は非力な悪魔だがルシファーなのだ。臣下にだけ命を懸けて戦わせていた頃の辛さと情けなさを思い出せ。もう無力を言い訳にはしないと誓った。

 シアウィンクスは恐怖に抗い、力強く前に歩き出す。

 

「私が相手をしよう」

「まさか魔王の直系と戦えるとは人生とは分からないものです」

「手を抜いても構わんぞ、直ぐに終わってしまうからな」

 

 シアウィンクスが唇を引き釣らせながら懇願混じりに言うとアーサーから膨大なオーラと戦意が立ち昇る。

 心が折れそうになる。少し会話しただけでフルスロットルな英雄の子孫に愕然する。

 

 ──(ちり)一つ残さない。

 

 そんな意気込みすらヒシヒシと伝わり、更に泣きそうになるシアウィンクス。そんなことを知る(よし)もないアーサーは聖王剣を煌めかせて威圧する。

 

「貴女以外の魔王の直系にお会いしたことがあります」

「ほぅ、……で?」

 

 他の直系とは恐らく旧魔王の人たちだろう。

 もしかしてソイツらと戦って酷い目にあったから、こうも全力なのだろうか? 

 

「他の方々からは脅威性は全く感じませんでした」

 

 え、どういうこと? だったらなんでアンタはこうも最強の聖剣の力を高めているの? 蟻だろうと(なん)だろうと全霊で潰すのが性分なのだろうか? 

 数々の疑問が浮かび、混乱するシアウィンクスにアーサーは言う。

 

「だがヴァーリだけは格が違います。彼は間違いなく将来、世界でも最高位の実力者になる」

 

 まるで意味が分からない。ヴァーリが強かったから姉も強いと勘違いしているのか。

 なんだ、その超理論は……? 

 ヴァーリの特別性は知っている。あの子は幼い頃、父親から大変恐れられていた。子供の時点で大人顔負けの魔力、そして人間とのハーフゆえに神器らしき強力な力を持ったまさに奇跡の存在。

 本来なら息子の可能性に喜ぶべきだが、あの毒親は自身の脅威と認識して愛ではなく憎悪を以てヴァーリに接した。実の子を痛めつけて死の淵に追いやるようなクズがシアウィンクスとヴァーリの父親なのである。ヴァーリが旧ルシファーに良い印象がないのは明白で、敵になるのは仕方のない事だとシアウィンクスは思っている。

 少し話を戻す。

 ヴァーリが普通じゃないのは分かる。だが同じ血筋だからと期待されても困るというものだ。

 

「言っておくが私よりもあっち(ヴァーリ)の方が出来の良いぞ。私は神滅具(ロンギヌス)なぞ所持してないからな」

「だそうですが、ヴァーリ?」

「謙遜だな。ヤツ()は俺なんかより貴女をずっと恐れていた」

「……なに?」

 

 恐れる? あたしを? 

 目の敵にされていたのは分かっていたが、恐れられるなんて言い過ぎだ。ヴァーリのような暴力こそ振るわれなかったが空気みたいな扱い方をされていたのは事実だ。どうせ政略結婚などロクでもない事に使うから傷物にしなかったとシアウィンクスは考えている。

 

「覚えているかい? 昔、貴女は俺がヤツになぶり殺されそうになった時、よく庇ってくれた。そうなったら決まって暴力を振るうのをやめたんだ。ずっと、どうしてか気になっていたんだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が歯向かってきたのに何もしないなんてクズであるヤツらしくない。けれど今になって理解したよ」

 

 ヴァーリはシアウィンクスを見据えて嗤う。

 

「──シアウィンクス・ルシファーに手を出したら終わると知っていただけなんだ、てね」

 

 挨拶代わりと言わんばかりに魔力の光弾を放つヴァーリ。我が義母弟(おとうと)ながら凄まじい魔力量だ。威圧感だけしか取り柄のない自分が防げるはずもない。

 だが今日だけは違う。

 強烈な魔力に一本の洸剣が飛来して上から串刺しにして炸裂する。

 あぁ、渚は本当にいいモノを預けてくれた。感謝の念が絶えない。

 

「合図くらいしたらどうだ? 心臓が止まるかと思ったぞ」

「涼しい顔でよく言う」

 

 た、助かった……。

 いきなり攻撃してくるとは恐ろしい子に育ったものだとシアウィンクスは頭を悩ませる。

 分かっていたが感動の再会とはいかないらしい。

 シアウィンクスは五月蝿(うるさ)いくらいに早鐘を打つ心臓を胸に前へ出た。

 

「いきなり王が出るのかい?」

「不満か?」

 

 不遜に返すがシアウィンクスはヴァーリの言葉に少しカチンときていた。

 こっちだって出たくて出たわけではないのだ。

 内心でイラつきつつ、シアウィンクスはアーサーをみる。

 聖剣、しかも最強と言われるコールブランドなんてモノがある限り下手な悪魔を戦わせるなんて犠牲を増やす悪手である。

 聖剣に即殺されないだろうカルクスとククルは戦闘不能でアルンフィルは元々ケガ人。他の兵士ではまず滅せられる。現状で対抗できるのはルフェイなのだが彼女は優秀ではあるものの戦いには不向きだ。

 ならば取れる手段は一つ、シアウィンクスが渚の武器で戦うという事だけなのだ。

 

「随分と力を付けたな、ヴァーリ。ならそこの聖剣使い共々、相手になろう」

「へぇ」

「私達、二人を同時に相手すると?」

「そうだ、すぐ終わらないように気をつけるとしようか」

 

 自分を強く見せるためワザと相手を見下すように口調を作る。二人の戦意やら敵意やらがシアウィンクスを突き刺す。

 ここがあたしの墓場になりそうね……。

 そんな後ろ向きな事を考えてしまうには充分な戦力差に辟易する。しかし逃げる気はない。ここで戦わなければ色々な物を裏切る結果になる。それだけは死んでも嫌だった。

 

「面白い方です」

 

 気づけば聖剣が目の前にある。悲鳴すら上げる暇もない一閃を洸剣が弾く。すかさず反撃が始まり、アーサーと剣撃を交わす。まるで生物ように舞う洸剣。

 

「これは聖剣ですか。なぜ悪魔が扱えるか気になりますが、──これはこれで味わい深い」

 

 舞うように洸剣と対峙するアーサー。その表情は何処か楽しそうだ。渚よりも前にアーサーと同じ英雄の子孫であるヘラクレスを呼んだことがあるが、彼も戦いを好んでいた。

 やはり力があると戦いを好むのだろうか。無才な自分には理解できない思考だ。

 

「次だ。……闇の拳を打ち砕け」

 

 シアウィンクスの右手に闇が集う。

 轟々と蠢く黒き波動を振り抜く。技術なんてない戦いを知らぬ女の非力な拳打。しかし闇は地表を抉りながら突き進む。その破壊力にヴァーリとアーサーは目を見開く。

 

「やるじゃないか、姉さん!!」

 

 ヴァーリの全身が輝くと光る翼を持った白銀の鎧を纏う。

 

『Divied!!』

 

 闇が小さくなり、白い鎧に弾かれる。

 

「……白龍皇の光翼(ディバイン・ディバイディング)ッ!」

「ご明察、見せるのは初めてだったね」

 

 またとんでもない代物が出てきた。

 強い神器を持ってるとは思っていた。

 だが、まさか神器の中でも最上級の神滅具(ロンギヌス)を所持しているなんて予想外過ぎだ。

 言葉が出ないとは今の状況を言うのだろう。

 

「しかしその力、似ているね」

「なんのことだ?」

「以前、戦った人が洸剣と魔拳を使っていたんだ」

「そうか。だがそんなことは今はどうでもいいだろう?」

 

 どうする、勝てるビジョンが浮かばない。

 白龍皇に聖王剣、伝説にも語られる存在が相手だ、渚の武具があっても使い手が自分ではダメだ。

 そんな結論を出しつつもシアウィンクスの心は未だに折れない。

 

「旧ルシファーの民よ! 止まるな、お前たちは何故ここにいる! 生きるためであろう!? 案ずることはない。必ず生かしてやる、だから止まらず進め!! ──これは王命であるッ!!!」

 

 シアウィンクスの叱咤に人々が歩みを初めた。

 

「命を懸けるほど彼らが大事なのかい?」

 

 ヴァーリがそんな疑問をブツけてくるが答えなど決まりきっている。

 

「私はこれでもルシファーの名を持つ悪魔だ。民を守る義務がある」

「ルシファー、ね。そんなのは俺にとってはただの記号だ。父も祖父も尊敬に値しない下劣なヤツだったんだが貴女にとっては違うのか?」

 

 違わない。

 初代のルシファーは偉大だったとは聞くが、その血筋を引くシアウィンクスの祖父と父は王というには余りに低俗だった。自分よりも弱きを虐げ、見下し、ソレらで欲を満たす。ヴァーリが毛嫌いするのも無理はない。

 

「しかしルシファーという称号は魔王にのみ許されたものだ。お前の持つ膨大な魔力も恩恵の一つだと自覚しろ。そして与えられたからには相応の責任も発生する」

「大いなる力には大いなる責任が伴うか……。育ての親に言われたことがあるよ」

「わかってはいるのだな。なら記号と吐き捨てる割りには未だに何故ルシファーを名乗る?」

 

 シアウィンクスに対して呆れたような笑みを浮かべるヴァーリ。

 

「ただのヴァーリだけではカッコが付かないだけさ」

「嘘を吐くなら上手く吐け。なら母方の姓でも名乗ればいい。わざわざ忌々しいモノを使う必要もない。どうやらお前は私と似て素直じゃないな。自ら血を誇らしく思っているのだろう?」

「何をバカな──」

「ヴァーリ、お前がルシファーに牙を剥こうとも、私が恨みを抱く事はない。お前を捨てたのは他でもないルシファーだからだ。しかし傲慢なだけの者にはなるな、常に誇りを持ち、凛然と生きろ。それこそがソレを持ち得なかった父と祖父への報復となる」

 

 シアウィンクスは内心で自嘲する。誇りなどから一番遠い自分が何を偉そうに言葉を放っているのだろうか。

 だがルシファーの名が相応しい(義弟)を見てると口が回ってしまう。

 

「勝手な言い分だね、義姉(ねぇ)さん」

「そうだな、勝手だ。久しぶりの再会に舞い上がっているんだろう、許せ。では始める前に言っておこう。──元気そうで嬉しいぞ、ヴァーリ。それからアーサー・ペンドラゴン、謝罪をしておく。すまなかった、そして妹には良くして貰った。私が敗北した時は連れて行くと良い」

「面白い話を聞かせて貰いました。王の血筋でありながら放棄した私には耳の痛い話です」

 

 洸剣を払い除けたアーサーがヴァーリの隣に立つ。

 シアウィンクスの言葉にアーサーからの敵意が薄まる。けれど戦意は下がらない。

 シアウィンクスは直ぐに地面や大木に突き刺さった洸剣を自らの近くに引き戻す。

 

「アーサー王も楽ではないか?」

「そう、とだけ答えておきます」

「王か。ルシファーの名については少しだけ考えることにするよ、姉さん」

「あぁ、そうしてくれ」

 

 シン、と三人の間に音が消える。

 シアウィンクスは防衛の型を崩さない。背後には数十万規模の命がある。ゆえに先手は相手側だった。

 アーサーが忽然と姿を消す。(まばた)きに合わせた奇襲、斬り込む気配を感じるが何処からかはシアウィンクスには読めない。

 

「(お願い、アーサーの剣を(ふせ)いでッ!!)」

 

 だから迎撃は洸剣に全て任せる。光の帯を引き連れた洸剣がコールブランドを受けた。顔面の真横で刃同士が火花を散らす様は冷や汗ものであるが気に留めている場合じゃない。アーサーが来たからにはヴァーリが来る。

 

「貴女の誇りとやら見極めさせてもらう」

 

 正面から光となって突っ込んでくるヴァーリ。

 もし(はね)ねられたらシアウィンクスの肉体などヒシャゲて即死しかねない。

 使い方などわからない"魔拳"に祈りを捧げる。

 

「(力を……力を貸してッ!!)」

 

 両手を前に出して踏み(とど)まる。両手に漆黒の手甲が現れて実態のない闇色の球体を生み出す。空間が歪み、闇が轟く。

 シアウィンクスは推し出すように闇を解き放つと球状のソレは"ルオゾール大森林"を蹂躙しながら彼方へ消えていった。

 

「流石に直撃していたら戦闘不能だったな」

 

 上空から光となった白龍が落ちてきた。シアウィンクスの攻撃を回避したヴァーリの拳が迫る。

 人の頭なぞ簡単に吹き飛ぶ拳打とシアウィンクスの顔の間に洸剣が割り込む。

 六本の洸剣はシアウィンクスを鉄壁なまでにガードする。

 

()ったと思ったのですが、やりますね」

「まさか一歩も動かないで防ぎ切るとは恐れ入る」

「からがらだ。やはり2対1は大見得を切り過ぎたと反省している」

 

 誇張でもなんでもない、命からがらの攻防だ。実際、シアウィンクスはアーサーの動きなんて追えてないし、ヴァーリの突進をいなす事も不可能だ。洸剣や魔拳が騎士の如く守ってくれるから今も生きている。

 

「──もう結構」

 

 戦闘中の三人に割り込む冷徹な声。

 瞬間、暴風が吹き荒れてシアウィンクスを()ぎ払う。弾き飛ばされて大木に身体をブツける。全身の鈍痛に耐えながら立ち上がり、切れた唇から流れる血を拭う。

 

「レギーナ・ティラウヌス……!」

 

 シアウィンクスは冷徹な声の主を睨み付けた。視線の先にいるのはレギーナ・ティラウヌス。女帝のように佇む彼女が手に持った扇子をパチンと小気味良く閉じた。

 

「全く取るに足らない」

 

 何処まで冷たい声を向けられる。

 

「く、まだだ」

「反抗的な目だ、戦意は途切れんとなれば仕方無し。──四肢の一つを斬り捨てなさい」

「それは私に言っていますか?」

「横槍とは感心しないな、レギーナ・ティラウヌス」

 

 アーサーが答えるとヴァーリも口を挟む。

 

「黙りなさい。これは譲歩、誓約を破棄するのは本意ではないでしょう?」

「……分かりました」

 

 アーサーがシアウィンクスに斬りかかる。朦朧(もうろう)とする意識のなかで自身に迫る聖剣から逃れるため洸剣に頼ろうとするが遅すぎた。

 聖剣は既に眼前にある。狙いは左腕だろう。

 これは避けられないわね……。

 腕の一本を諦めたシアウィンクスだったが、ドンッと横から突き飛ばされる。

 

「……えっ」

 

 見なれた魔女の帽子が宙を舞い、蜂蜜色の髪が揺れる。目の前で赤が乱れ咲く。

 それはシアウィンクスを庇い、兄の剣を受けたルフェイの姿だった。

 

「ルフェイ!!」

 

 シアウィンクスが叫び、アーサーが愕然とする。

 倒れるルフェイの小さな身体をシアウィンクスは慌てて受け止める。生暖かいドロリとした不快な感触が手に伝わり、見れば真紅に染まっていた。

 

「……ダメですよ、戦いに不向きなのに前線へ出るなんて」

「どうして住民と行かなかった!! もしもの時は先導を言い渡しただろう!」

「人々の先導はアルンフィルさんがしてくれてます」

 

 柔らかな笑みを浮かべながら苦しそうに息をするルフェイ。肩から腹に掛けてバッサリと斬られており血が止めどなく流れていく。

 

 どうしよう、どうしようどうしようどうしよう! 

 

 脳内が恐慌状態に(おちい)る。自分の服を破いて傷口に押し当てるが直ぐに真っ赤となって濡れる。

 

 誰か、誰でもいいから、この子を助けて!! 

 

 必死に懇願するシアウィンクスの手を取るルフェイ。ゾッとするほどに力がない。

 

「うっ、計算……通りです。これだけの血を、触媒すれば……喚べます」

 

 血で濡れた手で地面に紋様を描く。激しい呼吸の中でスラスラと描き終える。

 

「うっ……。私の……私たちの"剣"を()びます」

「今はそんなことはどうでもいい!!」

「……ダメです、聞いてください。私はこの術式を最後に脱落します。だからお願いします、お兄様を許して……」

 

 そう言ってルフェイは術式を発動させた。

 血の紋様に光が走り、目映く周囲を照らす。

 

「ルフェイ!」

「お兄様、ルフェイは初めて自分の意思を貫かせて頂きます」

 

 強い決意を最後に手の中のルフェイは力無く意識を失う。シアウィンクスは懸命にルフェイに呼び掛けるが反応しない。

 

「渚ぁあああああッ!!!」

 

 魂の慟哭に光の召喚陣から人影が現れる。

 それは漆黒の長髪を風で流した少女。しかしその瞳はシアウィンクスのよく知る少年に良く似ていた。

 

 



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黒き者《Dark Side》

 

 召喚に応じ、参上してみれば召喚術の主であるルフェイがシアウィンクスの手の中で血塗れ状態で倒れていた。

 考える前に体が動く。

 顔色が真っ青な二人の少女に素早く身を寄せた渚はルフェイの傷を()る。

 そして一瞬、息をするのも忘れた。

 ルフェイは肩口から胸まで綺麗かつ深々と斬り裂かれていて、ぱっくりと開いた胸部からは血に染まったアバラらしき骨が見え隠れし、呼吸する(たび)に肺から血液が押し出されていた。

 

「……あまり動かすな、シア。この出血は命に関わる」

「な、渚なの?」

「こんな時に何を言って……。いや、そうだった」

 

 自分のナリを思い出す。美少女もどきな今の姿では渚とは分からないだろう。

 

「見た目はこんなんだが正真正銘の蒼井 渚だよ。シア、どうしてルフェイが傷を負っている?」

「て、敵が来たの。それで戦ったけど、あたし、全然ダメで……」

 

渚は直ぐに周囲を観察すると白龍皇のヴァーリを発見する。他の二名は始めてみるが、アレらがシアの言う"敵"なのだろう。

悔しそうに拳を作るシアの手を優しく開いてやる。

 

「よく頑張ったな」

 

 カルクスやククルが動けない中、一人で戦い続けたのだろう。

 渚がルフェイの応急処置を進める。この手の知識はアリステアから学んでいる。その知恵と技術に感謝しながらもルフェイを看るが、かなり不味い状況だ。

 出血も問題だが、肋骨と肺が綺麗に裂かれて呼吸が出来てないのが相当にヤバい。出血死よりも先に呼吸困難で窒息死になる。

 

「(クソ! 普通の処置では間に合わない!!)」

 

 聖母の微笑(トワイライト・ヒーリング)やフェニックスの涙といった一級の回復手段があれば別だが生憎そんな都合のいい物は手元にない。

 

「(何か速急に治療できる手段は……ッ)」

 

 ふと渚は自分の体を振り返る。人とは思えない強靭さと生命力。それは"蒼"によって変成した事で得た。その血肉を他者に与えれば渚と同じ性質を習得させられるのではないのだろうか? 

 突拍子もない考えだが、その考えが正しいと漠然とした確信がある。自らの中にいるティスが肯定している気すらした。危険がないとは言えないが何もしなければルフェイは確実に死んでしまう。

 考えている暇はない。

 渚は手にある鞘から刀を抜いて、その刃を強く握り絞めてから引き抜く。(てのひら)に熱い痛みが広がる。そのままルフェイの口許に血を流すが飲み込んではくれなかった。

 

「(意識がないせいか)」

 

 一刻の猶予もないと渚は迷いを捨てる。自らの掌から出る血を口に含むとルフェイの中へ流し込んだ。

 血の味と匂いのする接吻は何処かで儀式めいていて蠱惑的だ。ルフェイの喉がゴクリと渚の血を飲み込む。その血を媒体に"蒼"を発動させてルフェイの生命力を活性化させるが小さな身体が激しく痙攣する。

 

「あっ……あぅ、ぐぁ、あぁ!」

 

 ガクガクと苦しむルフェイを渚は押さえ込む。

 シアウィンクスが心配そうに渚を見るが構わず意識をルフェイの中にある"蒼"に集中して彼女の肉体を殺させないため操作する。

 "蒼"は劇薬に等しい。下手するとルフェイの肉体を破壊してしまう。だからルフェイの全てを渚が支配する。

 魔力回路、血の巡り、臓器の動き、神経経路を乱さないように"蒼"をルフェイへ浸透させる。

 時間にして1分くらいだろうか。ルフェイは、やがて落ち着きを取り戻す。

 

「……よし」

 

 随分と危険な賭けをしたがなんとかなった。

 渚はルフェイを見下ろす。傷はふさがり掛けており、呼吸も落ち着いている。これなら大丈夫だろう。

 ルフェイの頭を優しく撫でた後に嬉しさで涙ぐんでいるシアウィンクスの肩へ手を置いてから立ち上がる。

 

「さてと」

 

 ルフェイの件が無事に片付いた。ならばと渚は動き出す。爆発のような轟音、渚は怒りを発散するように力を全解放して呆然と立ち尽くす眼鏡の青年──アーサーの首を掴む。仲間を傷つけられた以上、ただで帰すつもりはない。

 

「ルフェイを斬ったのはテメェだな?」

「くっ」

 

 青年が刃を振るう。

 怒れる渚は闇の炎を思わせる獣の牙を出現させて、振るわれた聖剣ごとアーサーを地面へ叩き落とす。

 この青年が強いのは一目で分かった。まとも戦えば苦戦するだろう。だから本気を出す前に潰す。

 獣の牙を禍々(まがまが)しい豪腕に変えて敵の頭を掴んで持ち上げる。

 

「ルフェイとシアの痛みを思い知れよ」

 

 憤怒を隠さず地面に打ち据える。猛攻は続き、アーサーを徹底的に叩きのめす。殴り、蹴り、ひたすら怒りのままにアーサーを痛め付ける。

 血だらけになったアーサーを見ても怒りは収まらない。ギチギチと闇の豪腕が拳を造る。

 襲ってみて理解できた。この男は強いが()()。悪魔や天使に比べれば肉体強度は脆弱だ。渚が本気で殴れば粉々になって砕け散る。

 

「──死ね」

 

 こんな痛みすら生温い。コイツはルフェイを殺し掛けたのだ、だから殺してしまおう。一点の曇りの無い殺意がそう判断させる。

 視界の隅で光る翼を持つ白いのが動く。(わずら)わしいので獸を呼び出して相手をさせておく。

 絶対に息の根を止めてやる。

 

「やめて、渚ッ!」

 

 シアウィンクスが渚に飛び付く。

 何故、邪魔をする? 

 困惑する渚にシアウィンクスは背中に抱き付きながら早口で言う。

 

「彼はアーサー・ペンドラゴン、ルフェイのお兄さんよ!」

「兄さん? コイツは兄貴なのに妹を殺そうとしたのか!!」

「きゃ!」

 

 火に油が注がれたように渚の怒りが膨れ上がる。

 怒りを通り越して憎悪すら覚える。

 シアウィンクスが背中から回された腕に力を入れた。

 

「ルフェイは彼の死を望んではいない!! 許してあげてと言ったくらいよ! あんたは彼女の想いを踏みにじるの!?」

 

 殺意が一瞬揺らぐ。それでも許せずにいるとアーサーと目が合う。その瞳に写すのは後悔と懺悔、そして諦観だった。

 

「なぜ抵抗しない?」

「……剣を握る手に力が入らないんです。こんなのは初めてですよ」

 

 傷だらけの顔のわりにハッキリとした物言いをするアーサー。戦う気があるなら手にある聖剣を構えている筈だ。

 

「妹を傷付けた罪悪からか?」

「……これが罪悪の念ですか。まさか妹一人にこうも掻き乱されるとは私も人間だったようだ」

「クソッ!」

 

 アッサリと答えるアーサーに渚は苛立ちながらも手を離す。戦る気のない自殺願望に付き合う義理もない。

 

「意外だな、殺すかと思ったよ」

「ヴァーリか」

 

 渚とアーサーの間に白い龍が立ちはだかる。獸は倒されたようだ。そこに驚きはない、ヴァーリは世界から恐れられる二天龍の片割れ"白龍皇"であり、魔王ルシファーの血を継ぐイレギュラーだ、突破されて然るべきである。ただアーサーを庇う素振りを見せたのには少し驚きだ。孤高かと思った最強の"白龍皇"にも仲間意識があるのは意外だ。

 

「キミとは何処かであったか?」

「こんな姿じゃ分からないか、蒼井 渚だ」

「……すごいな、女にもなれるのか」

「おい、そんな目で見るな」

 

 ヘンテコな物を見る視線を感じる。

 

「言いたいことはあるが、まぁいいさ。俺はキミが半殺しにした彼を連れて帰りたいんだが?」

「治す宛があるのか?」

「まぁそれなりの組織に属しているからね。死んでいなければ、どうとでもなる」

「いいだろう、見逃す。だが彼女(ルフェイ)も一緒に連れて行け」

「元々彼女を迎えるのが目的だから断る理由はない。……だが良いのかい?」

 

 ヴァーリが怪訝そうな声で聞いてくる。そんな渚の提案にシアウィンクスが目を見開く。

 

「渚、何を!?」

「シア、ルフェイは早く治療しないといけない」

「傷は治したッ!」

「塞いだだけだ。血と体力までは戻せなかった、このままだと衰弱して命に関わる」

「で、でも……」

「勿論、保険は掛ける」

 

 渚は自分の肩に刀を突き立てて一気に切り裂く。ボタリと片腕が地面に落ちた。

 

「渚!?」

「大丈夫だ」

 

 驚愕するシアウィンクスを残った腕で制する。

 切断面を闇が包み、出血を止めた。今の渚はティスと獸の彼女、その双方と混じり合った超存在だ。人であり、獸であり、神に等しい。腕の一本無くなった所で何も問題はない。

 

「幾らなんでも無茶のしすぎよ!」

 

 シアウィンクスの悲鳴に似た怒鳴り声を受け流しながら渚は切り落とした左腕に自身が持つ"獸"の因子を注ぐ。すると凄まじい圧力を放つ闇の狼が形成された。

 ヴァーリの口が弧に歪む。渚の人外めいた力を見て喜びが隠せない様子だ。複雑な心境だが今はそれでいい、力の一部を見せ付けることで更なる関心を引ければヴァーリを利用できる。

 

「その身が朽ちてもルフェイを守れ」

 

 渚が言うと左腕を媒介に誕生した2メートル程の闇狼はルフェイを丁寧に背に乗せた。

 あとはヴァーリにダメ押しをしておく。

 

「ヴァーリ、これは借りにする。ルフェイの命と引き換えに俺個人が出来うる限り、一度だけアンタの望みを聞く」

「──ッ! それは魅力的だ。その取引、慎んで受けよう」

 

 そのイイ笑顔から何を考えてるから大体分かる。

 本来なら戦闘狂であるヴァーリとそんな取引は真っ平ご免だ。ただそれでルフェイの命が助かるならヴァーリの勝負だって受けてやるさ。

 

「行ってくれ。俺は最後の一人と話をする」

「あの狼も担ごうか?」

「いらない。アイツはアンタの匂いを覚えた、何処までも付いていく」

「なら行くとしよう。アーサーも良いな?」

「願ってもない状況です。私よりもルフェイをお願いします」

「いい番犬が付いてるから問題ないさ」

 

 アーサーを連れてヴァーリが飛び立つと闇狼も疾風のように駆け出す。その姿は一瞬で見えなくなった。

 シアウィンクスが渚にしか聞こえないように呟く。

 

「行っちゃった」

「悪い、勝手に決めて」

「ううん、いいよ。ルフェイのお兄さんもいるし、一応ヴァーリは弟だし信用したい」

「ルフェイになんかあったらキッチリ殺すさ」

 

 渚が言い切るとシアウィンクスは渚の服を控え目に摘まむ。

 

「……渚、ちょっと変わった?」

「見た目は原型がほぼ無いな」

 

 冗談めかして言うがシアウィンクスの顔は不安に染まる。

 

「そうじゃなくて、その、殺すとかあんまり言わない人だと思ってたから」

「俺だって怒るし、感情のままに悪口ぐらい叩く……と思う」

 

 煮えきらない言葉は渚が自身の発言の物騒さに違和感を覚えたからだ。無抵抗のアーサーを嬲った事といい、かなり自分らしくない行動だ。

 ティスたちが指摘していた"獸の彼女"から来る影響とやらか。"獸"には怒りや殺意といった負の感情を増幅させる特性がある。しかも使っている間はそれが当然のように考えてしまう。さっきも危うくアーサーを殺してしまう所だった。明らかに戦意を喪失していた彼を容赦なく襲ったのだから全く厄介だ。

 

手綱(たづな)をしっかり握っとけってか」

「手綱?」

「こっちの話だ、気にすんな」

 

 疲れたようにため息を吐いた後、シアウィンクスを下がらせてレギーナへ振り返る。

 

「それでまだやるか?」

 

 漆黒のドレスのレギーナは顔をベールで隠しており表情は窺えない。渚は油断なく構えるとレギーナは優雅に歩き出す。しっかりとした足取りでドンドン距離を詰めてくる。右手にある抜き身の刀を突き出して無言の警告をするが気にした様子も見せず、遂に刃の切っ先から数センチの場所で足を止めた。不思議と敵意は感じない。

 

「腕、簡単に捨てるのですね」

「それだけの価値はある()なんでね」

「理解に苦しみます」

 

 刀を細い指が撫でる。峰をなぞり、そのまま渚の耳元にレギーナの顔が寄る。あまりにも殺意や敵意がなかった事もあり更なる接近を許してしまう。気づけば体同士が触れ合う程に二人は近づいていたのだ。

 流石に不味いと感じて刀を返す。だが遅い、後手に回った渚を嘲笑うようにレギーナは言う。

 

「残った右手は私に捧げなさい」

 

 ゾワリと背筋が凍る。渚の第六感が危険を告げていた。

 瞬間、レギーナは手にある閉じた扇子で渚を横殴りした。脇腹に信じられない衝撃が走り、吹き飛ぶ。(あばら)が悲鳴を上げている。間違いなくヒビが……いや砕けて肺に突き刺さった。

 

「(──ッ!! ウソだろ、あの化物めいたガイナンゼの一撃よりも重い!?)」

 

 痛みの中で驚愕しつつ体勢を立て直して背後にあった大木に脚を付けた。足下から這い上がる衝撃で口の中を赤く染めながらも大木を蹴ってレギーナヘ飛翔する。

 

カルクエルス スティーダ エグプラー

 

 聞き慣れない言語が渚の耳に届く。恐らく目前に迫ったレギーナが発したものだろう。渚は構わずに刀を振るうが地面から半透明四角い物体が出現して刃を受け止めた。

 なんだ、これは? 魔力が一切感じられない。

 

「──"虚空暗漆(マテリアル・ウンブラ)"。この世には存在しない虚構物質です」

「そうかよ、でもこのまま絶ち斬って──」

「許すとでも?」

 

 すぐ真横の空間が歪み、立ちはだかる柱と同じ物体が勢い良く生えて渚の身体を()ね飛ばす。

 そこから猛撃が始まり、四方八方から空間を突き破って出てくる半透明の柱に滅多打ちにされる。

 速すぎて回避が出来ない。重すぎて強靭な筈の肉体が軋む。普通の状態なら間違いなくミンチになっていただろう。だが今の渚は人から逸脱した存在だ。傷の修復は"蒼"に任せて、見えない攻撃は"(けもの)"に託す。

 渚を破砕しに来た全ての柱を"獸"を使って噛み砕く。

 

「行ってこいッ」

 

 "獸"が走る。

 目の前の敵は予想の遥か上の強さだ。だから手加減の余裕はない。その身体を喰らい尽くす。女一人など簡単に呑み込む牙が届く瞬間だった。

 

「無礼な、(しつけ)てあげましょう」

 

 上から振り下ろした扇子で文字通り叩き潰した。

 ドォンと豪快な音ともに森が揺れる。

 

「……笑えねぇぞ」

 

 あまりの光景に表情が強ばる。

 何をどうしたら魔力を使わず、あんな力が出るのか疑問である。なんにしても戦えなさそうに見た目に反して随分と強い。さてどう攻めようか。

 渚が攻め時を窺っているとレギーナが閉じた扇子を斜めに薙ぐ。同時に虚空から円錐型の物体が渚を貫こうと斜め上から落ちてきた。刀で受け流して事なき得たが、目の前にレギーナが迫っていた。

 刀と扇子の打ち合いが繰り広げられる。

 

「貴方は何を想い、シアウィンクス・ルシファーに(くみ)するのです?」

 

 武器同士の激しい応酬の中でレギーナが質問を投げ掛けてくる。渚は答えるか迷うが会話を選択した。

 

「助けを求められたからだ」

「随分と安い行動理念です」

 

 愚かと言いたげに切り捨てられる。会話を振ってきながら随分と辛辣……いや冷たい。レギーナからは人間味が感じられない、まるで機械のようだ。

 

「じゃあ逆に聞くが、なんでバアルはコッチを執拗に襲う?」

「冥界の存続のためです」

「ルシファー領を滅ぼす事が冥界の為だと?」

 

 自然と口調に怒気が混じる。まるで意味が分からないからだ。そんな渚の怒りを意に介さずレギーナは冷たく返す。

 

「かつての戦争で今や悪魔は存続も危ういのは知っていますね?」

 

 無言で頷くとレギーナは扇子を広げて口許へ持ってくる。

 

「ならば、それ以上に資源が限りなく枯渇しているのは?」

「資源?」

「食料を初めとしたあらゆる資源は近い将来に底をつく」

「そんな話は初耳だ」

「冥界の極一部のトップしか知らない機密です。無能な旧魔王が無理な戦争を続けた結果、土地は荒れ、食料を生産していたプラントも破壊された。医療器具も薬も足りない。表面上は問題なく見えても我々は薄氷の上に立っているのが現状です。そして他勢力を侵略して略奪する力もない」

 

 冥界のかなりヤバイ裏側は理解できたが質問の答えになっていない。

 

「俺が聞きたいのはルシファー領を狙う訳だ」

「既に答えましたが?」

「何?」

「無能な魔王の領地から私は削減しているに過ぎない」

「アンタは責任を何もしてない子と領民に取らせるってぇのか?」

「何か問題でも? 冥界が滅び掛けているのは旧魔王の責任です。ソレらに連なる者から切り捨てるのは妥当な考えでは? 加えて旧魔王は冥界を捨てて"渦の団(カオス・ブリゲード)"というテロリストへ寝返り、現政権を脅かしています。シアウィンクス・ルシファーにも、その嫌疑が掛けられている」

「だから滅ぼすのか?」

「そうです。危険因子は徹底的に潰します。私は大を生かすためなら小を躊躇いなく殺す」

「冷徹だよ、アンタ……」

「決断の時、感情は邪魔になる」

 

 チリっとコメカミに苛立ちが(よぎ)る。

 思考に気を取られて肩辺りにレギーナの突きを喰らう。衝撃で肩甲骨が爆ぜて中から肉を突き破るが逆再生のように復元する。

 

「回復ではなく復元ですか。制すのに手間が掛かるか」

「俺も言葉ではアンタを制せそうにない」

「政治に疎そうな貴方では私と言葉は交わせない。だから合わせます、力で語りなさい。小を生かすため大に害を為す判断を否定はしません。しかし自覚しなさい、世はソレを"悪"と呼びます」

「ハッ、上等! 救えん"善"なんざコッチから願い下げだッ!!」

 

 熱の籠った渚の一閃が扇子を弾く。回転しながら地面に転がる得物に気を取られたレギーナの首元に刃を押し当てる。

 

退()け、俺の勝ちだ」

「甘い、私なら即刻首を跳ねています」

「知るか、俺はアンタじゃない」

 

 追い詰められているのに冷静さを無くさないレギーナ。

 渚は漆黒のベールに包まれたレギーナの目を睨む。

 するとレギーナは渚へ顔を近づけてきた。刃が首を薄く裂く。

 

「死にたいのか?」

「殺したければどうぞ。その鋭利な刃を前へ押し出すだけで私は終わる」

 

 レギーナは挑発するように更に顔を近づける。渚は刀を引くことも押すこともしない。ついには鼻先が触れ合うまで二人は近づいた。レギーナの血が刃から渚の手へ暖かく(つた)う。

 

「甘さが目に付きますが私を制した強さは認めてあげます」

 

 褒めれたのか? この(ひと)、いったい何を考えてる。

 レギーナの不審な行動を訝しげに観察していると小さな口調で告げてくる。

 

「褒美を一つ。シアウィンクス・ルシファーに気を付けなさい」

「何?」

「ルシファーは特殊な悪魔です。彼女は中でも選りすぐりであり、冥界どころか世界を震撼させる」

「あり得ねぇよ」

「信じろと言うのが無理な話ですか、当然の反応です。もう少し対話を楽しみたいのですが時間切れのようだ」

 

 スッとレギーナが渚から離れたタイミングでアリステアと譲刃が駆け抜けてくる。

 二人は渚を見るなり、顔をしかめながらもレギーナを警戒する。

 

「あの人は?」

「バアルの関係者だ」

「悪魔ですか、アレは?」

「多分な。気を付けろ、かなり強いぞ」

「今のナギくんに倒されていない時点で察しは付くかな」

 

 珍しくアリステアが笑っていない。

 譲刃も渚を支えながら油断なくレギーナを見据えていた。

 

「そこの二人。──名乗りなさい」

 

 レギーナがアリステアと譲刃に問う。女帝のような凍てつく覇気が身体を冷たくする。

 これは敵意か? 渚には無感情だったのにここで感情らしきモノを発露するレギーナ。

 

「名を聞くなら先に名乗るのが礼儀です。0点ですよ、バアルの宰相」

「私を知るか、白き魔性。本来、その不遜な物言いと傲慢な態度に無礼討ちをする所だが許そう。お前たちの持つ異様な力を鑑みれば増長もする」

「増長ですか。その趣味の悪いベールを剥ぎ取って泣きっ面を拝見してあげます」

「無理だな」

 

 アリステアが銃を構えるがレギーナは背を向けた。

 

「お前から"無価値"の残滓と重度の呪力を感じる。見るにディハウザーと戦ったようだが消耗具合は推して知るべしだ。もう片方も同様だ、かなり上質な魂を持っているが器が付いていけてない。戦えばお前たちも無事で済むまい」

「それでもナギがいる以上、確実に貴方は殺せます」

「そうだな。その超存在なら私を殺せるでしょう。けれど風向きが変わったようだ」

 

 レギーナが言うと渚が膝から崩れ落ちた。

 

「なんだ、力が入らない……」

「ナギくん、しっかり!」

「このタイミングでですか」

 

 譲刃が渚を支え、アリステアが僅かに目を細めた。

 渚の姿が再び変わっていく。艶のある長い髪が短くなり、華奢だった少女の身体から元の体格に戻る。同時に自らの中にあった超然性も消失した。

 

「先の可愛らしい姿より、今の方がお似合いです」

「なぜ元に戻ると分かった?」

 

 渚にレギーナは平然と答えた。

 

「気付いてなかったのですか? 私との戦いの最中、貴方の力は急激な減衰が見られました。その力は強力ですが制限ありの無理なバースト状態であったのでしょう。そういう力はピークが過ぎれば今の貴方のように著しく弱体化する」

 

 身体が戻ったのは嬉しいが、今の状態は不味い。力が入らず譲刃に支えられなければ立つことも難しい。まるでフルマラソンを走り終えたような重度の疲労感に襲われる。

 

「消耗著しく、烏合の衆に成り果てた貴方達なぞ敵ではない」

「試してみますか?」

「まだ絶対者を気取るか。弱り堕ちた半端者風情が思い上がりも甚だしい。お前の首を落とすなど造作も無いのだぞ?」

 

 フワリと涼やかな風が吹く。

 気付けばレギーナがアリステアの口下に指を添えていた。

 まただ、またレギーナの接近を知覚出来なかった。これは速いというレベルじゃない。

 実際、あのアリステアも反応できなかった。一瞬だけ彼女のアイスブルーの瞳が驚きに染まるが、直ぐにレギーナの手を弾いて銃を向けるが、その右手をレギーナはガシリと掴む。血の滲んだ包帯が更に赤く染まっていく。

 

「聞き分けのない。理知的に見えても中身は狂戦士(バーサーカー)のようだ」

「……ちっ」

「ほう、これは"血咒(けっしゅ)"だな? 既に"極死の断頭台"と相対したか。しかし本来なら魂すら残さず断絶してるだろうに一体どんな手品を使っ──あぁ、成る程。お前は"蒼"に連なりし者か。ならば納得だ。殺す事に特化した血咒の呪いにも抗える存在力を持つのも理解出来る」

「触らないで下さい」

 

 渚の全身が寒気に泡立つ。

 アリステアの殺意が膨れ上がり一歩も動けない。

 右手からポタポタと血を流すアリステアは空いた左腕で銃を引き抜く。

 銃声が響き、アリステアの放った弾丸はレギーナを顔面を捉えるが薄く小さな虚空暗漆(マテリアル・ウンブラ)が受け止めていた。だが弾丸はその壁を撃ち貫く。

 レギーナは間一髪避けるも頬に薄い傷を貰う。

 

「……消耗していてコレか。ベリアルは良い仕事をしたな。全快なら顔に風穴が空いていたかもしれん」

 

 レギーナがアリステアから離れる。

 アリステアが二射目を撃とうして引き金から指を放す。その背後にはシアウィンクスがいたからだ。

 

「撃たないか。シアウィンクス・ルシファーを盾にすれば容易いことを証明できたな」

「容易いとは言ってくれますね」

 

 何が? とは聞く必要はない。

 多対一ではあるが殆どが戦闘不能なルシファー側に比べて、強力かつ未知の力を持つ万全なレギーナ。戦えばどちらが不利かなど火を見るより明らかだ。

 

「事実だろう? だが潰すには惜しくもある」

 

 レギーナが言うと"ルオゾール大森林"の空に(おびただ)しい数の"虚空暗漆(マテリアル・ウンブラ)"が展開して槍のような形状となり切っ先を大地に向けている。狙いは渚たちではなく移動中の領民たちだ。正に槍の雨が降ろうとしているなかでレギーナはシアウィンクスへ問う。

 

「これで難民の命は私の手の平の上だが、シアウィンクス・ルシファーに聞く。──民を助けたいか?」

「……何が望みだ?」

 

 当たり前だとシアウィンクスはレギーナを威圧する。

 

「お前と蒼井渚の身柄。それで許そう」

「最初は皆殺しにするといっていなかったか?」

「状況が変わった。イレギュラーである彼らと争えば勝てるにしても私も無事ではすまない」

「容易い相手に随分と警戒するのだな?」

「若いな、シアウィンクス・ルシファー。まるで解っていない。容易いと評したのはお前という枷があるからだ。この者達が負けない為ではなく勝つために襲ってきたら私もただでは済むまい。特に蒼井 渚、アレは混沌としていて何が出てくるか予想も出来ん。死に物狂いになれば中身が暴れ出る可能性もある。闇雲に未知へ挑むより多少の譲歩を選ぶ方がリスクを少ないと判断したにすぎん」

「ルシファー領を破壊し尽くした貴様を信用すると?」

「信用など無用、私とお前に必要なのは妥協と誠意だ」

 

 シアウィンクスの凄まじい圧力を受け流しながらレギーナは手元に紙切れを召喚して投げた。風に流された紙切れをシアウィンクスは受け取る。

 

「これは……」

「契約書です。結んだ者同士を縛り、破った者は死ぬ。内容は蒼井渚とシアウィンクス・ルシファーが降れば、それ以外を害さずに見逃す」

「本物ね」

「当然です、返事は?」

「私だけならば──」

「決裂だな」

 

 レギーナが失望したように言うや空を覆う槍が殺意を帯びる。あと数秒で発射されそうなタイミングで大地から鋭い斬撃が伸びて空を支配する虚空暗漆(マテリアル・ウンブラ)を全て粉々にした。

 

「俺を無視して話を進めるなよ」

 

 今のが正真正銘の最後の力だった渚は刀を杖代わりにしてなんとか踏ん張り、レギーナを真っ直ぐ見つめた。

 

「勿論、当事者である貴方にも口を挟む権利はある。何を望むのです?」

「アンタの要求、受けてもいいが俺からも条件を付け加えさせろ」

「聞きましょう」

「シアウィンクス・ルシファーの安全の保証だ。ガイナンゼやエルンストは勿論、バアルが危害を加えないと確約しろ」

「貴方の安全は含まれないのですか?」

「それは二の次だ」

「良いでしょう」

 

 納得など出来ない。悔しいが、それでもこれが現状の最善だ。敵に降るのは本意じゃないが無理をすれば守るべきものが全ての失われる。

 冷静にメリットとデメリットを天秤に乗せて渚はレギーナの契約を受けることにした。

 

「ナギ」

「ステア、頼む。時間が経てばティスたちも目を覚ます、そうなったらどうにでもなる。あの人は強い。消耗しきった俺たちじゃ移民たちを助けれない」

「……共に行きます」

 

 渚とアリステアの会話を静かに眺めていたレギーナのベールが小さく揺れた。

 

「お前の同行は許可しない」

 

 アリステアが少し項垂れると目が前髪で隠れた。

 第六感を初めとした全身から警告が発せられる。それは殺意にしては重く、憎悪にしては無機質なナニかだ。

 渚は慌てて止めようと手を伸ばすが、その前にアリステアの肩に触れた者がいた。──譲刃である。

 

「ならわたしはどうかな、女帝さん?」

「私は蒼井 渚とシアウィンクス・ルシファーの身柄と言ったはず、それ以上は必要ない」  

「妥協と誠意を見せないとステアちゃんだけじゃなく、わたしも本気になっちゃいますよ?」

「何もかもがアンバランスなお前が私を害せると?」

「あれま、弱いと思われてる? まぁしょうがないか、実際欠陥だらけの譲刃さんだからねぇ。でも一つだけ貴女に対して出来ることがあるんですよ」

「言ってごらんなさい」

「──天獄への水先案内人」

 

 轟ッ!! と譲刃が霊氣を高めた。

 アリステアの言い知れない気配をも消し飛ばす純粋な"武"が降臨するや戦意を滾らせた。強力なんて言葉じゃ表せない重厚かつ鋭利な力の奔流が暴風となってレギーナを威圧する。

 敵意のない純粋な戦意を纏う"武"の化身が朗らかな笑みを作る。

 

「さ、やるかな?」

「……素晴らしい。お前の刃は私にも届き得る」

 

 レギーナは譲刃を見て呟く。感情と呼べるものこそ読み取れないが純粋な称賛を贈ったようにも見えた。

 

「それはどうもな事だよ」

「侮った謝罪に同行を許可する」

「ふぅ安心した。ステアちゃん、これならどう?」

「譲刃。……良いでしょう」

 

 アリステアは渋々といった様子で譲刃に頷く。

 余程に信頼しているのだろう。アリステアの意見を曲げれる人間がいるとは驚きである。

 キレそうだったアリステアが落ち着いたのを見た渚は彼女に言う。

 

「ステア、ルシファー領の人たちを頼む」

「不本意ですが引き受けます。終わり次第、迎えに行きますので」

「穏便に、な?」

「約束はしませんが努力はします」

 

 不安である。正面からバアルの領地に喧嘩を売るような真似だけはして欲しくない。

 そんな嫌な想像をしながら渚は譲刃に支えられてシアウィンクスの側に行く。

 

「悪い。これが精一杯だ」

「いい。誰も死なないならこれでいい」

 

 そうは言うも手が小さく震えている。

 当然だ、今から行くのは敵地のど真ん中。怖がるなというのが無理な話である。

 渚は戒めと誓いを胸にシアウィンクスの震える手を取った。

 

「絶対守ってやる。……このナリじゃ説得力ないかもだが信じてくれ」

「そんなことはない。あたしの命、渚に預ける」

 

 そんな二人を譲刃は交互に見やると納得の感情を見せてポンッと手を叩く。

 

「あ、もしかして新しい現地妻?」

「「──なっ!?」」

 

 ニマニマと笑う譲刃。

 お願いだから、その顔をやめろ。アーシアはそんな変な笑みは浮かべない。

 

「手が速いなぁ、ナギくんは」

「譲刃ぁ!?」

 

 なんて言葉を使うんだ! てか新しいって何さ!! そんなもの作った覚えがないんだが!? 

 シアウィンクスだって顔を赤くして怒ってるぞ。

 

「な、何を言うか貴様!?」

「あはは、真っ赤だね、魔王様。いい青春してるかな」

……赤くなんてなってない赤くなんてなってない赤くなんてなってない

「ふふ、冗談よ。……ほぐれた?」

「あんまりからかうなよ、譲刃」

 

 ほら、シアが顔を赤くして怒っているじゃないか。ただ譲刃の冗談で確かに幾分か気が楽になった。

 どうやら渚自身も大分緊張していたようだ。譲刃に感謝を伝えようとするも首を振られた。気にするなという事らしい。渚は感謝をしながらレギーナに歩み寄る。

 

「あまり思い通りに出来ると思うな」

「留めておきましょう。交渉成立の握手を」

 

 レギーナが手を差しのべる。渚は迷うことなく、だが挑むように取った。無言の握手を終えた瞬間、レギーナを中心に地面から光が放たれる。転移陣だ、渚は招くレギーナに対して力強くその中に踏み込む。そしてその身は光の中へ消えていくのだった。

 

 

 



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契約《Devil's Contract》


新たな契約は守るのではなく倒すこと……。



 

「……先輩、ナギ先輩」

 

 ユサユサと体を揺さぶられる。ボンヤリとした意識が覚醒する。そこは見慣れたオカルト研究部の部室だ。どうやらソファーで寝ていたようだ。

 

「ふぁ~。お早う、搭城」

「……寝坊助です」

 

 思わず大きな欠伸が出る。小猫の可愛い小言に苦笑する渚。ふと目の前のテーブルにティーカップが置かれた。顔を上げれば朱乃が微笑みを浮かべながら手にあるトレーからお菓子の入った器を渚の前に差し出す。

 

「姫島先輩?」

「あらあら、そんな物珍しそうに見つめられては照れてしまいますわ」

「あ、いや、すいません」

 

 渚の謝罪に朱乃はクスクスと上品に笑っていた。

 

「お、ナギじゃん、どうしたよ?」

「何かあったのかい?」

 

 部室のドアが開き、一誠と祐斗が入ってくる。

 ヒョイっと渚の前にあったお菓子の一つを口にする一誠。

 

「お、美味(うま)っ」

「来て早々に取んな。あ、確かに美味い。ほら搭城も物欲しそうにしなくてもいいから。祐斗も貰っとけ?」

「……いただきます」

「じゃあ、僕も」

 

 モグモグと並んでお菓子を楽しむ。

 なんかホッとする。幸せとは少し違う安堵感に心が安らぐ。

 

「渚、随分とお疲れのようね」

 

 部長専用のデスクからリアスが優しく声を掛けてくる。酷く懐かしく感じるのは、ここ数日が怒濤の日々だった反動だろう。

 

「なんか忙しかった……気がします」

「貴方はただでさえ無茶しがちなのだから自身を(いた)わりなさい」

「そうします。ところでアーシアが見当たらないんですけど……」

「アーシアなら、そこにいるじゃない」

「え?」

 

 ソファーの後ろにアーシアは立っていた。

 全然気付かなかった……。というか様子がおかしい。声も出さず、下を(うつむ)いて顔を見せてくれない。

 

「どうした、そんなトコで突っ立って」

「……」

「アーシア?」

 

 返事はない。いつもなら笑顔で挨拶してくるアーシアに違和感を覚えた渚はソファーから立ち上がってそばに歩み寄る。

 

「大丈夫か? 気分でも悪いのか?」

「…………ない」

「ない? 何がないんだ?」

 

 心配になり顔色を覗き込もうとした瞬間、腕をガシリと掴まれた。(あと)が残るんじゃないかって位に強い力だ。

 

()ッ」

「下らない。こんなのがアンタの望みか?」

「お前、誰だ!」

 

 悪意のある笑みを向けてくるアーシアに渚は表情を強張らせた。声は同じでもアーシアは絶対にそんな顔をしない。

 

「誰かだって? よく見ろよ、節穴」

 

 刹那、アーシアの姿が歪むと別のものになる。

 長い黒髪に蒼い瞳。それはガイナンゼと戦った時になった自身の成れの果てだ。

 

「オレはお前だよ」

 

 鳥肌が一気に全身に広がる。

 見た目はティスや彼女が混じってるだけに美しいが、どうしても生理的に受け付けない。絶妙な精度で渚へ寄せてるから他人とは思えないのが原因だ。双子よりもっと近い存在。言ってしまえば極めて近く、限りなく遠い(いびつ)な自分である。どんな形であっても己がもう一人いるというのは気分が悪くなるものだ。

 

「お前、ガイナンゼとの戦いで声をかけてきた奴だな?」

「察しがいいな。こんな姿での顕現とは気が滅入(めい)る」

「コッチのセリフだ。大体、俺がお前ってどういう意味だ、訳が分からんぞ」

 

 (わめ)く渚に対してソイツは冷めた表情をした。

 

「そんな小さい事でいちいち騒ぐなよ、鬱陶しいうえ心底どうでもいい。──オレはアンタに言いにきてやったんだ」

「……何をだよ」

 

 寒気を我慢しながら言うとソイツは背後を指さした。すると部室内に強烈な風が吹き(すさ)ぶ。そして、いつの間にか部室は消失してに広野に立っていた。

 

「なっ! 皆は!?」

「そんな奴ら最初からいない」

 

 様変わりした風景の背後にはぽっかりと大きな穴が口を開けていた。地獄の底まで届いてそうな大穴から人らしき者が大量に這い上がってきて渚の足を掴む。

 

「なんだ、コイツら!!」

「忘れたのか? つい先日にご自慢の真っ黒い武具で殺し尽くしたバアルの尖兵たちだ」

 

 言われて気づく。

 ここは冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)を使ってバアル軍を壊滅させた広野。眼前に広がる大穴は渚の一撃で出来たもの、つまり大量殺戮の現場だ。

 死者たちは怨嗟の言葉を発しながら渚を穴へと引きずり込もうとする。

 

「相当にお怒りようだ。しかしアレだな、これだけ殺しておきながら当然のように表の世界で生きられると思っている思考回路は異常と言わざるえない。流石だ、流石だよ。──殺戮犯 蒼井 渚」

 

 自分の面影があるソイツはクツクツと嗤う。

 死者の冷たい手が次々と身体を絡め取り、最後には後ろから顔を掴まれて穴へと転落した。

 

「く、放せ、放せぇ!!」

 

 深淵に吸い込まれて憎悪と怒りが肌を焼く。

 断罪のように悪魔の呪詛が魂を苛む。

 顔を塞ぐ死者の手の拘束が若干(ゆる)んだ。指と指の間から見上げるとソイツは落ちる渚に対して冷たく言い放つ。

 

「蒼井 渚、聖なる罪人。神為らざる身で始源へ至った最も新しき古き(カミ)。其は無にして全。祝福されし破壊者であり呪われた創造者。──アンタに"安息"は二度と訪れない。その血肉、魂までも塵と化すまで止まることは(ゆる)されないんだよ」

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

「……はぁ」

 

 目覚めは最悪だった。

 そう暑くないのに全身から汗を流している。

 妙な夢を見たのは疲れているのだろうか。

 渚はノソノソとベッドから降りて窓に近づく。見えるのは連なる自然の山々だ。

 心の底から帰りたい気持ちになる。

 

「こんな場所に城なんか建てんなよ」

 

 ここは険しい山脈を城塞としたレギーナ・ティラウヌスの居城だ。招かれたのは二日前だが今のところ待遇は悪くない。風呂にも入れて食事も提供されている。譲刃やシアウィンクスとも部屋が隣り合っているので普通に会って話もした。牢屋にブチ込まれる覚悟をしていただけに少し拍子抜けである。ただ同時にレギーナから何かを要求されないのが逆に不気味でもあった。

 

 コンコン。

 

 部屋のドアが叩かれて開かれる。

 コツコツと靴を鳴らして現れたのは顔のないメイド服姿の人形だ。これはレギーナに仕える従者だ。彼女の城には不思議なくらい人がいない。城の雑務は全て人形たちが行っているのだ。

 無口なメイド人形がスッと両手に持った衣類を差し出してくる。着替えろとの事らしい。渚は訝しげに服を取るとさっさと着替えた。すると人形が頭を下げて丁寧な仕草で扉へ招く。口を聞けないだけで凄く礼儀正しい人形である。

 

「付いてこい、てか」

 

 どうやら休息は終わりのようだ。

 黙って人形の後ろから付いていく。

 歩きながら渚は内心に意識を跳ばす。

 

「(……居るか?)」

『いる』

 

 声をかけるのは久しぶりだが、いるのは分かっていた。だが一言くらい欲しいと思うのは勝手だろうか? 

 

「(起きてたんなら、一声かけろよ)」

『渚なら感知出来る。必要性を感じない』

 

 相変わらずドライな反応だ。それでも安堵したのはティスらしいからだろう。

 

「(それでも心配するさ。"彼女"は?)」

『奥に引き篭ってる。今回の件を大きく反省すると言っていた』

「(反省?)」

『ガイナンゼ・バアルとの戦いで起きた私たちの融合は"獸"の力によるもの。私と渚を喰らい糧として進化したのが先が"アレ"』

 

 "アレ"って例の美少女化事件のことだろうか? 思い出しただけでも身震いする。力は()(かく)、あの姿は鳥肌が立つ。女体化とか妙な属性が付きそうなので出来れば二度となりたくない。

 

『"アレ"はとても危険。力は莫大に上がるが渚の自我を私たちが押し潰しかねない。あの"獸"も分かっているから表に出ないように隠れた』

「(自我を押し潰す、か)」

『その気になれば"獸"は渚に取って変われた』

「なら、その気が無かったって事だろう」

『……肯定』

 

 ずいぶんと不服そうな肯定に苦笑が出てしまう。超然とした機械みたいなティスが、こうも感情的になるのは珍しい。余程、"彼女"とは反りが合わないと見える。

 ともせず彼女たちと融合した際の事は覚えている。

 酔いしれるほどの圧倒的な力。アレを使いこなせればシアウィンクスも完璧な形で救えただろう。ただティスが言うようにあの時の渚は人ではなかった。

 渚は自分の左肩を見た。そこには在る筈の先はない。腕は丸ごとルフェイに預けたからだ。

 

「あの時は腕くらいは別にいい。……なんて考えていたんだよなぁ」

 

 今になって自分が怖くなる。断言してもいい、あの時の自分は普通ではなかった。表面上では蒼井 渚だったが中身は人とは遠いモノだったのだ。まるで飴を与えるような軽率な感覚で四肢の一部を捧げる行為になんの疑問もなかった。

 狂っていたと本気で思う。

 例えルフェイを救うためでも自身を腕を根本から躊躇いなくバッサリ落とすなどマトモじゃない。人間性が超然的な思考に呑まれた結果がこのザマだ。後悔はしていないが反省はするべきだろう。今回の件でティスたちが人とは違うと再認識できた。

 

「("彼女"に程々にな、て伝えてくれ)」

『……許すの?』

「(あれは俺が求めて二人が答えた結果だ。反省するべきは"彼女"じゃなくて俺だよ)」

 

 しかし"彼女"、か。そろそろ名前をあげないといけないと思う。色んな行事が津波のように押し寄せたせいで後回しにしてしまったが、いい加減に"彼女"というのも不便きわまりない。

 

「名前なぁ」

 

 いざ付けるとなると悩んでしまう。犬や猫なら兎も角、人となれば難しく感じるのは自分だけだろうか……? 

 そんな事を考えてる内に人形が、とあるドアの前で立ち止まり道を開けた。

 "入れ"と言われている気がしてドアの先へ進む。

 そこは異様に長いテーブルが置かれた部屋だ。大金持ちが使うような食卓にはレギーナが座っており、食後なのか、静かにティーカップを口にしていた。何かを口にするときぐらいは顔を隠す黒いベールを外したらどうなのかと渚は思う。

 そして……。

 

「おはよ、ナギくん。少し顔色が優れない、悪い夢でも見たの?」

 

 出された高級料理を手際よくナイフとフォークで優雅に食しているアーシアもとい譲刃。すぐ近くのレギーナも気にした様子もなく紅茶を(たしな)んでいる。

 なんかすっごい馴染んでるよ、この剣鬼(ゆずりは)さん。

 

「(……うわぁ)」

 

 そんな彼女のお隣には恐ろしく剣呑な圧力を(恐らく極度の緊張から)(かも)し出すシアウィンクス様がいた。

 

「(怖っ)」

 

 なんか凄く黒いオーラが見える。シアウィンクスの中身を知らなかった直ぐにでも臨戦態勢になっているくらいだ。渚が混沌とした食卓に現れるやシアウィンクスはドス黒いとオーラとは程遠い歓喜と悲哀を宿した目を向けてくる。

 

「(た、助けなさいよ!)」

 

 魔王様が声無き声で悲痛に訴えて来る。

 いや、どうせよと? 

 素直じゃない彼女が人に助けを求めるまでに成長したのは嬉しいが状況を動かすには情報が足らない。

 取り合えず席に座ることから始めよう。

 渚は冷静になるためゆっくりと椅子を引いて腰を落とす。座ったのはレギーナと真逆、即ち三人から一番離れた場所だ。少しでも理解不能な雰囲気から遠ざかりたいと体が勝手に選択したと自分に言い訳をしておく。

 瞬間、三人が同時に渚へ顔を向けた。各々から感じたのは、疑問(レギーナ)、呆れ(譲刃)、絶望(シアウィンクス)だろうか。三者三様な者たちに渚は項垂れるしかなかった。

 

「(やっぱ、ダメかぁ~)」

 

 どうして、そこへ? 

 そんな視線が突き刺さる。根負けしたように三人に近寄ると負の視線から納得、賛成、安堵に変わった。

 渚がレギーナの側に腰掛けると人形がキビキビと配膳して料理を置いて去る。ここに来て何度が食事はしたがレギーナの前では初めてだ。

 譲刃やシアウィンクスが食べているから妙な細工はしていないと思う。

 

「警戒する必要はない、毒など入ってはいません」

「そうそう、美味しいから食べた方がいいよ」

「お前は警戒心が無さすぎだろう、譲刃」

「そういうシアウィンクスさんだって結構食べてるじゃない」

「いや、食べるけどさ」

 

 仲間二人が食べているのだから臆するわけにはいかないとフォークを握る。一口目は恐る恐るだが、絶品な味わいに次々と食が進み、あっという間に完食する。

 食事を終えて渚を見てレギーナがテーブルの上で腕を組む。

 

「さて、では始めましょう」

「……何を?」

「私と貴方の関係性の模索と結論を決める対話です」

「関係性って捕虜じゃないのか?」

 

 渚はそう思っているのだがレギーナはそれを読んだように否定する。

 

「繋ぎ止めるのを困難な者を捕虜とはいいません。蒼井 渚、貴方は少し自分の異常性を理解した方がよろしい」

「今さら普通の高校生ですとは言わないけど異常は言い過ぎだろ?」

 

 すっごく不本意だが"蒼"がとんでもないモノなのは理解しているつもりだ。けれどレギーナは「何も分かっていない」と言いたげに僅かだが肩を落とす。

 

「貴方を少し調べました。興味深い武勇伝が数知れず、なかでも冥界全土の問題に発展するであっただろう堕天使コカビエルの討伐は特に顕著です」

 

 あー、あれは確かに大変だった。コカビエルは聖剣を取り込んでパワーアップするし、空からヴァーリが結界をぶち抜いて乱入してくるわで、てんやわんやだった。

 渚がトラウマを思い出すように苦い表情をするがレギーナは話を続けた。

 

「あの戦いには白龍皇も介入してきたとあります。かなり混沌とした戦場だったのは想像に容易い。そんな難易度の高い戦闘を貴方は見事に終息させた。素晴らしい実績です。片や聖剣エクスカリバーを取り込んで神に近づいた堕天使、片や歴代でも最強になると名高い白龍皇。その両名相手に勝利するなど異常でしかない」

 

 嫌に評価が高いが、あれは渚だけの手柄ではない。レギーナはそこら辺を勘違いしているみたいなので訂正させてもらおう。

 

「勘違いすんな。あれは俺一人がやった訳じゃない。仲間に恵まれたからだ」

「……正気ですか?」

 

 なんだコイツ、正気かとはなんだ、失礼な。充分正気である。

 

「そこは許してあげて欲しいかな。ナギくんは自己評価がかなりズレてるのよ」

 

 譲刃が何故かフォローした。まるで間違ってるのは自分であると言われた気がする。解せぬ……。

 レギーナは小さく「成る程」と前置きしてから続けた。

 

「単身で万を越える軍勢を滅ぼす"個"。それは人の形を災害に等しい。そしてあのガイナンゼすら退けたとなれば戦う以外の道を模索するのが妥当です」

「その"戦い以外の道"っていうのが今の状況ってことか」

「そうなります。私にはシアウィンクス・ルシファーと彼女の連れていた難民の命を好きに出来るという優位性があった。それを材料に戦後処理の交渉をしたいと考えています」

「待て、レギーナ宰相。私を好きにするのは構わないが彼を巻き込むな」

 

 ピシリとレギーナのカップに亀裂が入る。

 シアウィンクスが怒りの顔を見せていた。魔力のない威圧感だけで水中に投げ出されたような息苦しさと恐怖による束縛が全身を襲う。

 シアウィンクスが凄まじく怒っている。渚を思っての行動を嬉しく思う反面、これではダメだと焦燥に駆られる。こんな怪物じみた重圧を向けれた相手は間違いなく危機感から反撃に移る。シアウィンクスの放つ威圧感は、あのアリステアですら即抹殺しようとする程に凶悪なのだ。

 

「シア、落ち着け。ここまで来たら最後まで付き合うさ」

「そこまでは求めていない」

「求めろよ。じゃないとここまで来た意味がない」

 

 レギーナの強さを直に味わった渚は敵対行為がどれだけ危険か分かっている。しかしレギーナはシアウィンクスの凄まじい圧を前に警戒すらしない。それ所かゆっくりと椅子へ背を預けるに留まった。

 そして感情が窺えない声音をシアウィンクスに向ける。

 

「それでどうする? 私を殺すか、魔王(ロードオブダークネス)

「渚を利用するなら、そうするしかないだろう」

「シア……」

 

 出来る筈がない。誰よりも死を意識する彼女が自らの意思で殺しなど不可能だと渚は思った。

 けれどその瞳に迷いはない。良い意味でも悪い意味でも覚悟が決まっている。今までの戦いがシアウィンクスを強くしたのだろう。

 

「良い気概だが、それを()すに見合った実力はあるのか?」

「私はルシファーの直系だぞ、侮るな」

「ヴァーリ・ルシファーならば納得も出来たがお前ではな」

「何が言いたい?」

「虚勢を張るな、シアウィンクス・ルシファー。持ち前の威圧感で武装し、口調を尊大に変えてもお前が歴代魔王でも最弱なのを私は知っている」

「な、に?」

「放つプレッシャーは他の追従を許さない程に凶悪だ。だからこそ全てを計り違える。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とな。しかし私には通用しない。……何故か分かるか?」

 

 確信めいた口調から間違いなくレギーナはシアウィンクスの実力を知っている。アリステアやガイナンゼすら勘違いさせた凶悪な威圧感が張りぼてだと正しく理解しているのだ。

 シアウィンクスは顔を強ばらせて動かない、いや動けないのだろう。唯一の武器が通用しないのだから内心では震え上がっているはずだ。

 

「どうしてシアが虚勢を張っていると断言できる?」

 

 シアウィンクスを庇うように渚が聞くとレギーナは静かに告げた。

 

「簡単です。過去に()いてシアウィンクス・ルシファーの力を(はい)したのは他でもない私なのだから」

「…………え?」

 

 呆気に取られるアウィンクス。渚も一瞬言葉を失ったのだから当然の反応だ。詰まる所、ルシファーである筈のシアウィンクスが並み以下の力しかないのはレギーナが原因だったのだ。ただそうした理由が分からない。

 

「アンタは(なん)のためにシアの力を(はい)したんだ?」

「シアウィンクス・ルシファー、お前は五つより前の時の記憶がないでしょう?」

「それがどうした。それぐらいの記憶など無くてもおかしくはないだろう」

 

 魔王の仮面で口調を尊大にしているが僅かに震えているシアウィンクス。

 

「だからこそ気付かないし気付けないのだ。お前こそは先祖返りならぬ真祖返り……初代ルシファーの"原罪(ザ・シン)"を持った真なるサタン。その再臨は新政権に取って脅威だ。それを排除するため無力化を遂行した。ルシファーの真血でありながら非力な自分に疑問を持たなかったのか?」

 

 シアウィンクスが椅子を激しく倒しながら立ち上がった。

 

「持たなかった訳ないじゃないッ! それでも自分に力がないと納得させて生きてきた!! ルシファーの力を廃した? 今さら何を言うの!?」

 

 シアウィンクスとレギーナが言い争うのを渚は黙って見続ける。シアウィンクスを擁護したいが所詮は部外者であり、何を話そうにも軽くなってしまう。すると譲刃が渚に声を掛けてきた。

 

「そうか。ステアちゃんが()ていたのはシアウィンクスさんでも気付いてない"原罪(ザ・シン)"とやらだったようね。ソレがどんな代物かは分からないけどレギーナさんがバアルを使っても確保しようしたくらいだもの相当危険というのは予想できるわ」

「……だとして、どうして今なんだ? シアがヤバい存在だったとしたらもっと前に動くことも出来たんじゃないか?」

 

 渚の質問に譲刃は「あー」と前置きしながら答える。

 

「三大勢力の和平が実現したからだよ」

「…………ん?」

 

 三大勢力がなんだって? 

 耳を疑うような台詞を聞いた渚は首を傾げた。ついこの間、堕天使の幹部であるコカビエルが魔王の妹リアスを襲ったばかりだというのに和平なんぞ出来るわけがない。

 

「それを容認出来なかった旧魔王派は冥界から離脱して龍神オーフィスさんトコの組織に入ったみたいなのよ」

「ほ、ほう?」

「そこが全神話に喧嘩を売るテロリストみたいでね。旧魔王派筆頭のルシファーであるシアウィンクスさんも寝返ったと思われたんじゃないかしら?」

「お、おう?」

「結果は白だったけどルシファーの真血は色々と利用できるから危惧して動いた……そんな感じだと思うわ」

 

なるほど、俺が知らない間に色々起きてたんだなぁ……じゃないっ!!

 

「待て、待て待て待て。和平っていつ結ばれたんだ? つか俺がコカビエルと戦ったのって一週間くらい前だよ?」 

 

 悪魔、天使、堕天使のトップが集まり、会談をして議論して決まる重要な問題が簡単に決まるわけがない。コカビエルの件から三大勢力の関係はより(こじ)れると思っていただけに渚は酷く混乱していた。

 そんな中、譲刃は困ったように苦笑する。

 

「ナギくん、実はコカビエルの一件からもうすぐ二ヶ月になります」

「……………………What?」

 

 何故か使い慣れない英語がでてしまう。

 あれから二ヶ月? え? 二ヶ月って言った? 俺、二ヶ月も寝てたの? 一学期終わってない? 期末テストを受けた記憶がない……。もっと言うなら中間テストの時、(はぐれ悪魔討伐マラソンのせいで)赤点取ったペナルティ課題も途中だった。駒王って進学校だよな、これ不味くないか? 

 

「な、ナギくん? おーい、大丈夫?」

 

 譲刃が渚の顔の前で手をヒラヒラと揺らすが反応はない。今、渚の思考を塗りつぶしているのはこの文字だった。

 

留年だぁあああああ!!!!!!!

「わ、びっくりした」

「きゃ」

「……何事だ?」

 

 金切り声な絶叫にシアウィンクスとレギーナも言い争いをやめてしまった。冷や汗まじりで真っ青な渚がガタガタ震えだす。

 

い、いや、まだだ! まだ大丈夫だ。つ、追試というモノがある。それをクリアしてペナルティで出されるだろう課題をこなせばまだ取り返しが着く。……着くはずだ!!

 

 ブツブツと早口で自分を鼓舞する渚にシアウィンクスが寄り添うように近づく。

 

「どうしたの? リュウネンって何? 心配事があるならあたしで良ければ聞くわよ?」

 

 魔王さまが優しい。

 仏頂面なのに目だけは慈しみ満ちている。本当にアンバランスな娘である。いつもなら強がって見せるが今は心に余裕がない。渚はシアウィンクスに手で「心配するな」と告げてレギーナへ大股で歩み寄る。そしてテーブルにバンッと手を置く。

 

「時間が無くなった。アンタは俺たちに何を求める? 要求を聞くからさっさと帰してくれ」

「話が早くて助かります」

「無理難題だったら張っ倒すからな」

「難題ではありますが無理ではありません。まず旧ルシファー領土の利権を頂きます」

「利権って言うと?」

「旧ルシファー領をバアルが貰い受けて運営します。譲歩として出ていった民を受け入れましょう。どうです、シアウィンクス・ルシファー?」

「民を虐げないと確約するなら譲り渡そう」

「結構。これがシアウィンクス・ルシファーへの要求です」

 

 漆黒のベールで隠された顔が渚の方を見た。

 

「俺とシアは別個ってわけか」

「当然です。私たちから見れば貴方こそ戦犯だ。全てをひっくり返されそうになったのです。私の持つ軍勢は壊滅し、使える人材の大半が失われました。随分と暴れたものですね、異邦人」

「へ、へぇ。それは大変だなぁ」

 

 ヤバい、超嫌な予感がする……。

 目を泳がせているとレギーナが長方形の紙を渚の前に差し出す。その小切手のような紙を手に取ると数字が書いてある。端から数を追って行きながらソレが何かの値段だと気付き、桁を数えてみた。一、十、百、千、万、十万、百万、千万、一億……まだまだ続く。なんだろう、これは? 国家予算か何かの値段か?

 

「この戦争での被害総額です。蒼井 渚、貴方にはコレを支払ってもらいます」

「…………嘘やん」

 

 人生、オワタ。

 嫌だって、コレ、個人が払える額じゃないぞ! 全身切り刻んでも売り払っても全然足りない。

 

「お、おい、流石にこれは……」

「分かっています。誰も一括で払えとは言いません」

「払うの前提で話を進めんな!? おかしいだろ、明らかに国がするような借金額じゃねぇか!! 何をどうすれば返済できんだよ!?」

「問題ありません。返済方法は考えてあります。貴方には依頼という形で私の仕事を手伝ってもらいます」

「依頼?」

「リアス・グレモリーから"はぐれ悪魔"の討伐を依頼された事はありますね? アレと似たようなものです。定期的に私が頼む仕事をこなして頂き、成功報酬を返済に使う。何せ人手不足になってしまった身です。貴方なら戦力的にも問題はない。無論、依頼内容が気に入らないのであれば断ってくれて構いません」

「死ぬまでコキ使われるのかよ」

 

 借金の額が額だけに返済する前に人生が終わりそうだ。いや確実に終了する。諦めたら試合終了? こんなん諦めなくても終了だよっ!! 

 

「良い値で雇います。成功の有無の関係無しに金額は発生します。そうですね、最低でもコレは出しましょう」

 

 レギーナが五本の指を広げた。五千円……いや五万か? 確かに失敗してもいいって言うんなら破格の値段だ。

 

「五万か。普通なら喜ぶんだけどな」

「何を行ってるんですか。一回、五百万です」

「ごひゃく!?」

「貴方にはそれだけの価値がある。どうです、これなら全額返済も不可能ではない。仕事の結果次第では更に上乗せします」

 

 旨い話には裏があるものだが、そんなことを言ってる場合じゃない。もし渚が断れば、この多額な借金はシアウィンクスに行く可能性がある。バアルから逃れるために、あらゆる財を使い尽くしたシアウィンクスに返済の宛はない。それこそ自らをバアルに売るしかないだろう。対する渚はレギーナからの依頼を受けてこなせば最低でも五百万の金が入る。しかも依頼は断ることも可能だ。破格の待遇とも言えるレギーナの提案を断る理由はない。戦争の敗者は勝者に何かを捧げなければならいのは世の常だ。ならば少しでもデメリット少ない方を選ぶべきだろう。

 

「受ける、ただ条件がある。俺は駒王から離れるつもりはない。そしてシアもバアルには残さない」

「問題ありません。貴方がたは私の保護下に置きますが束縛はしない。勿論、バアルにも手を出させません。依頼も駒王へ出しましょう。ですがシアウィンクス・ルシファー、貴女以外の旧魔王の血筋はテロリストに成り果てた事を考えて領地への帰還は禁じ、監視を付けます」

「シア」

「うん、いい。もうあそこに戻れなくても気にしないから……」

 

 嘘だ、故郷には帰れないのが辛くて悲しいはずだ。表情は変わらないが目の感情が豊かなシアウィンクスは(うれ)いを見せている。しかし、それは直ぐに消えてて小さな微笑みに変わった。

 

「渚が連れてってくれるんでしょ?」

「あぁ報酬だからな」

「誰得なんだかね」

「少なくとも俺とルフェイは得する」

「……ばかね、もう」

 

 渚とシアウィンクスの会話をニコニコと見守っていた譲刃が切り出す。

 

「さてレギーナさん。ナギくんはあなたに何をさせられるのかな?」

「気になるか、千叉 譲刃」

「それはもう。私見になるけど、あなたはそう簡単に決定を変える人じゃない。なのにナギくんの願望に()ってシアウィンクスさんの意に叶った方針にした。つまり其れ程までにナギくんを評価し、その評価に見合う代価を支払わせるつもり……というのが私の考えよ」

「その通りだ。私が蒼井 渚に出す最初の依頼は力を()してあるモノを討って貰う事だ。何、一度は通った道だ。二度目も問題ないでしょう」

「要領を得ないな、もう少し分かりやすく言ってくれ」

 

 よく分からない言い回しのレギーナに渚は表情を歪ませた。

 二度とはなんなのか。なによりさっき難題とか言ってたよな? もしかしてそういうツッコミ待ちなのだろうか? 

 渚がそんな下らない事を考えているとレギーナの顔を隠す黒いベールが小さく揺れた。

 

「では簡潔に答えます」

 

 笑ったのか? 

 そう感じさせる雰囲気だ。だが次に発せられた言葉に渚は凍り付く。

 

「近々冥界が滅ぶ可能性があります。それを阻止する案件に参加してもらいます」

 

 ……冥界が滅ぶって何さ。

 

「原因は貴方たちも知る所の(くだん)の"大森林"にあります。あそこに根差すは"無空の天星"またの名をルオゾール・ディ・ベネディクシオという神話よりも旧き者。それが近い内に目覚める。私が貴方がたに求めるは真神(カミ)と戦い、果ては無力化です」

 

 あ、声がマジだ。どうやら俺はまたヤバい事に首を突っ込もうとしているらしい。

 

 



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襲撃者イオフィエル《Max Nervous》


可憐な智天使(ケルビム)(不良)再臨。



 

 レギーナ・ティラウヌスの居城。

 城主から(あて)がわれた一室でシアウィンクスは鏡と向き合っていた。写し出される顔は仏頂面を絵に書いた女子、つまり自分自身だ。

 

「……難しい」

 

 シアウィンクスは苦手のものが多い。中でも笑顔というのは壊滅的だった。硬い表情筋を操作して笑顔を作ってみた。

 すると、まるで悪の親玉みたいな邪悪な笑みの自分がいるではないか。

 

 ──ピシリッ。

 

 鏡にヒビが入る。

 

「……あり得ない」

 

 笑っただけで鏡を壊すなんて非常識だ。というより威圧感が凄いのは知っていたが自分のソレに物理的な力が働くのは認めたくはない。笑顔が攻撃になるなんて誰も近寄らなくなる。こんな自分を恐れずに接していた者たちは余程の物好き達なのでは……。

 

「カナリアおばさんのパンが恋しいな」

 

 残してきた皆は無事だろうか。

 その場にいたカルクスやククルには別れを言ったがアルンフィルには挨拶すらしていない。

 レギーナが"ルオゾール大森林"から旧ルシファー領の者達を安全に出す手筈だったが、ちゃんとやってくれただろうか。渚は「ステアもいるし、大丈夫さ」とか言っていたが心配である。

 

「渚、か」

 

 たった一週間くらいの付き合いだが物凄くお世話になった人。勝手な召喚に文句を言わず、こんな所まで付き合ってくれた恩人。そして先の無かったシアウィンクス・ルシファーに未来を与えてくれるお人好し。

 絶対に口には出さないが、一緒にいるだけで安心するし、どうしようもなく胸が高鳴る。

 顔を思い出すだけで頬が熱くなる。我ながらチョロいと思うが心と体を救ってくれた異性に好意を向けるなというのも無理な話だ。

 

「……はぁ」

 

 だが渚の周りには彼を好意的に見ている美人が多い。アリステア・メアに千叉 譲刃、そしてルフェイだって恐らくそうだ。

 鏡を見る。容姿は負けていないと思う。ただ生まれついての仏頂面がよろしくない。こんな不機嫌そうな女に男が(なび)くなど有る筈もなく、シアウィンクスは頑張って笑顔を練習する。頬をゆっくり吊り上げて微笑みを浮かべた。

 イメージするは最高に可愛い笑顔の自分。

 しかし出来上がったのは最恐に(おぞ)ましい笑顔の自分。

 どうしてこうなるのっ!? 

 思わず心の中で激しくツッコミを入れてしまう。

 

「なんでニッコリじゃなくてニチャアみたいな邪悪な笑みになるのよぉ」

 

 泣き言のような呟きだった。何度やって結果は同じになるのだから泣きたくもなる。

 ガクリっと項垂れるシアウィンクス。

 聞き分けのない表情筋をヤケクソ気味に両頬を手でムチャクチャにした。

 

「この、ころ、こりょお!!」

「……何してんの、シア?」

「ふぁっ!?」

 

 鏡越しで渚と目が合う。微妙に顔が引き()っているのは両方の手で圧迫されたシアウィンクスのマヌケ面のせいである。誰にも見られたくない変顔を一番見られたくない男子に見られたシアウィンクスの内情は推し量るべきだ。

 

「あー、一応言い訳させてくれな? ちゃんとノックもして名前も呼んだぞ? なんかあったと思って入っちまった。……ごめん」

 

 片方しかない手で謝罪する渚。

 謝られても困る。

 渚は悪くはない。部屋に居るはずの者がなんの反応もしなければ心配になって入ってしまうだろう。シアウィンクスとて同じことをする。だからシアウィンクスは羞恥(しゅうち)を隠すように澄ました声で言う。

 

「……で、何?」

「そんなに怒んなって」

「別に怒ってないし」

 

 そう本当に怒っていない。けど渚にはそう見えているのだろ。この仏頂面のせいで気を使わせてしまって申し訳なく感じる。

 シアウィンクスが自己嫌悪に(おちい)ってると渚が親指でドアをさした。

 

「良かったら気晴らしに行かないか? こんな山脈の中にある城の(ふもと)にも、ちょっとした町があるらしくてな。一緒にどうだ?」

「……それって」

 

 デートでは……? 

 一瞬だけ舞い上がるような気持ちになるが『イヤイヤ』と(たかぶ)りそうだった自身に抑え込む。

 きっと譲刃さんも一緒だろう。そう考えて少しだけ落ち込むが、こんな自分を誘ってくれただけ感謝すべきだと思い返す。

 中々、返答をしないシアウィンクスに対して渚が「ふむ」と小さな頷きを見せた。

 

「嫌なら別段断ってくれても──」

「行くっ」

「そ、そか」

 

 食い気味に答える。折角の誘いだ、例え二人きりじゃなくても断るなんて選択肢はない。

 しかし、この城から出られるのだろか。簡単には出歩ける身分じゃないのはシアウィンクス自身が分かっている。その疑問に渚は答えてくれた。

 

「これを腕に付ければ外出してもいいんだとさ」

 

 銀のブレスレットを渡される。渚は既に同じものを付けていた。

 

「これって何?」

「強制転移装置。レギーナが呼び出したい時に起動するみたいだ。さらに位置情報をバラされるっつう有り難くない代物だ。無理矢理外そうとしてもここに戻されるってさ」

「まぁ当たり前か」

 

 シアウィンクスはブレスレットを着ける。いい気はしないが、これだけで外出できるのだから待遇としては破格だ。

 

「そいじゃ、いつ行く?」

「今じゃないの?」

「いや、用意とかはいいのか?」

「用意も何も私物はないし、この服なら外出しても問題ないわ」

 

 敵地で寝間着でいるほど図太くはない。いつでも動けるようなハイキングタイルのシアウィンクス。それは豪華ではないが一般的に小洒落た服装でもある。

 

「確かに外出する姿と言っても違和感はないな」

「そういうことよ」

「なら行きますか。転移陣がある部屋は下だったな」

 

 渚と部屋を出ると譲刃とバッタリ合う。慌ててシアウィンクスは魔王の仮面を被る。威圧感のあるシアウィンクスに対して金髪碧眼の美少女は正に理想的な微笑みを浮かべて恐怖を撒き散らす魔王(人見知り)に近づいてきた。恐怖どころか警戒すらしていない様子にシアウィンクスもビックリする。

 こ、この()の心臓って鋼か何かで出来てるのかしら?

 強者であればあるほどドツボにハマる魔王の覇気を受け流す譲刃にシアウィンクスは背筋が寒くなる。唯一の武器が効かないのだ。そう言えば先日、レギーナと感情的に言い争った時にも彼女はいた。

 もしかして素を出し過ぎて本来の惰弱な自分の正体に気づかれた? ……だとしたら由々しき事態だ。

 譲刃はシアウィンクスなど一瞬で殺せる技量がある。敵対すれば命はない。思わぬ天敵の登場に身が(すく)む。だが当の譲刃は敵意の欠片なく話し掛けてきた。

 

「あ、ナギくんにシアウィンクスさん。もう行くの?」

「おう、譲刃。行ってくる」

「うん、楽しんできてね」

「楽しめるかは行ってからだな」

「それもそうだね。しっかりエスコートしてくるんだよ?」

「努力はするが期待に応えられるかは分かんないな」

「弱気だね~。シアウィンクスさん、ナギくんが下手を打っても許してあげてね」

「あ、ああ」

「じゃあ私は少し用事があるから行くね」 

 

 軽く手を振って去る譲刃。シアウィンクスはその背を安堵しながら見送ってから「ハッ」と我に返る。

 

「ゆ、譲刃さんは行かないの!?」

「行かないぞ?」

「二人きりなの?」

「い、嫌なのか」

 

 微妙に傷付いたような渚の表情。

 

「あ、ゴメン、違うの。てっきり三人かと……」

「城を探索したいってさ」

「そ、そう」

「譲刃も一緒が良かったのか?」

「そんなことないわ! さ、行くわよ!!」

 

 顔が赤くなるのを見せないために前へ出るシアウィンクス。嫌に高鳴る鼓動の音が渚に聞こえないかと心配しながらも城の転移室を目指す。部屋に着くまでに顔色だけでも戻そうとするが熱は全然抜けてはくれなかった。

 

 

 

 

 ●◯

 

 

 

 

「この街、イアルダだったか。結構デカイ……というか大き過ぎないか?」

 

 城から麓の町まで来た渚は感嘆する。険しい山脈に寄り添う町は寂れていると思っていただけに驚きの感情が口調に混じる。

 イアルダと呼ばれる町は予想以上に(さか)えていた。多くの人が行き交い、立派な建物が並び立ち、道路も綺麗に整備されている。レギーナの城はあんなにも寂しいのにまるで対極だ。

 世話しなく人々や乗り物が動いており、出店の呼び込みが所々から届く。一言でいうなら町というより都市である。村寄りの町をイメージしていただけに意外であった。隣にいるシアウィンクスもまた渚と同様のようだ。

 

「ウェルジットよりも大きいわ、この街」

「ウェルジットってシアの領土で一番栄えた街だよな?」

「うん。多分だけどイアルダの街は冥界の現首都リリスくらいの規模だと思う」

「一日じゃ全然周りきれないな」

「一応ガイドを貰ってきたわ」

 

 折り畳まれた縦長の紙を広げて見せるシアウィンクス。

 

「いつの間に……」

「街の入口に案内場があったじゃない」

「シアが寄ったあそこって案内場だったんだ」

「なんだと思ってたのよ」

「休憩所みたいな?」

「なんで着たばかりのあたしが休憩所に行かなきゃならないの?」

「……トイレかと」

「最低な答えをありがとう」

 

 ジト目で睨むのはやめて欲しい。

 渚はシアウィンクスが開いている縦長の紙──パンフレットを覗き込む。

 中々に丁寧な作りだ。区画ごとに何があるのかが分かりやすく書かれておりオススメのポイントも丁寧にピックアップされていた。これなら迷わずに楽しめそうだ。

 

「ち、近いわ」

 

 シアウィンクスが避けるように半歩だけ体を遠ざけた。

 確かにいきなり近付きすぎたと渚は反省する。少しだけ傷ついたのは内緒だ。

 

「わ、悪い。取り敢えずこの店に行ってみよう」

「うんわかったここね」

「ちょ、早っ」

 

 スタスタと早足で去っていくシアウィンクス。

 なんだか今日のシアウィンクスは少しおかしい。情緒が不安定というか落ち着きがないというか。

 深読みしようにもシアウィンクスとの距離が離なされるので先に脚を動かす事にする。渚が少し慌てながら後を追っていると体が傾く。

 

「あ、いっけね」

 

 何も考えずに歩き出したせいで重心の位置を誤った。

 今の自分は片腕を丸ごと無くしているため腕一本分半身が軽い。意識していればなんて事ないが無意識だと慣れてないのもありバランスを崩してしまうのだ。

 転倒まではいかないがヨロヨロと体が思惑とは違う方向へ進む。

 

「ほら、掴まって」

 

 するりと腕を絡め取られた。いつの間にか戻ってきたシアウィンクスだ。寄り掛かって支えてくる姿からは先程までの不機嫌さはなく、労りと優しさが伝わってくる。

 

「助かった、けどもう大丈夫──」

掴まって?

「ア、ハイ」

 

 凄まじい威圧感。無害と分かっていても悪寒が全身に広がる。逆らってはダメだという本能に従い、首を縦にふる。

 

「無くなった手の事、気を使うべきだった」

「気にするなよ」

「無理よ。元はあたしが呼んだせいなのだし……」

 

 片腕を捧げた事は反省するが後悔などありはしない。懸念があるならリアスたちから問い詰められそうな事ぐらいだろう。だからシアウィンクスも今まで通りでいてほしい。無くなった腕を気にされて顔を曇らせてしまうのは渚の本意ではないのだ。

 

「こうなったのは俺が選んだ結果だよ。シアのせいじゃない。それにさ、俺の決断も否定しないでほしい」

「そう、だね。悪い癖が出た」

「心配してくれるのは素直にありがたいよ」

「ならしばらく有り難さを身に受けてもらうわ」

 

 腕同士を組まされるとシアウィンクスが支えながらもリードしてくる。

 

「さ、行こ」

「あ、歩き(にく)くないか?」

「そんな事より誰かさんがスッ転ぶのを阻止するほうが先決でしょ」

「もう大丈夫だから」

「今のを見て信じろと?」

 

 返す言葉もない。渚は諦めて主導権をシアウィンクスを渡す。

 

「あー」

「何よ?」

「いや、そのな?」

 

 シアウィンクスがジィ~と渚を窺う。

 

「困ったな」

 

 腕をキツく絡まれてるせいでシアウィンクスの柔らかな胸が当たっている。しかも本人は気付いていないときた。渚も男だ。普通は触れられない美少女の胸の感触に思考がピンク色に染まる。どうにか離れないと色々と不味い。どう言い訳しようかと考えているとシアウィンクスが俯いた。

 

「……ごめんなさい、嫌だったよね」

 

 意気消沈と言った具合に腕が離れた。渚の望んだ結果だが、どうにも勘違いがあるような気がした。

 

「嫌というかだな」

「解ってるから大丈夫。迷惑かけてごめん」

「え、なんの謝罪?」

「あたしみたいのが触っちゃった事のよ」

「どゆこと?」

「こんな可愛げのない仏頂面の女に引っ付かれた嫌でしょ」

「????」

 

 え、何言ってるの、この子? 可愛げがないとは誰の事を指してるのだろうか。

 

「シアさん、鏡見たことある?」

「当たり前じゃない、今日も見た」

「眼の病院、行く?」

「どうしてよ、両目とも2.0だよ」

「じゃあ何故にそんな結論に至る?」

「見ての通り可愛げは無いくせに威圧感だけは立派な悪の親玉みたいな女よ。近寄られるだけで迷惑じゃない」

「シアは結構可愛げあるぞ?」

「……嘘つき。こんな仏頂面がデフォルトの奴にあるわけない」

「あるって」

「ないっ」

 

 (かたく)なである、なら説明するしかあるまい。

 まずシアウィンクスが仏頂面なのは認める。容姿が優れているのも相まって近づき難いのも理解できる。けどアルンフィルやルフェイと話しているときは穏やかな表情だってする。仏頂面な場合が多いから勘違いしているだろうが、そこ以外は割と感情表現が豊かだ。照れれば頬は赤くなるし怒れば口調に出る。シアウィンクスへの恐怖感や警戒心がフィルターとなって大多数は気づかないが、素を知っている者からしてみれば声や態度に考えてる事が出るので簡単に読めてしまう。そこが可愛らしいと思う時があるのだ。

 

「──ってわけだ」

 

 一通り説明するとお得意の仏頂面が赤面していた。やっぱり分かりやすい。

 

「あ、あたしってそんなに分かりやすいの?」

「魔王さまじゃない時は特にな。あとシアが威圧感を出すのは気を張ってる時だから今とか全然怖くないからな?」

「ほ、ほんと?」

「ほんとだ。周りを見ろ、シアを怖がるドコロか気にもしてない」

「でもさ、やっぱり嫌じゃない? あたし、全然笑わないし、いても楽しくないよね」

 

 シアウィンクス特有のネガティブ思考が炸裂する。渚は目の前の困ったちゃんの腕を取るとネガティブ思考を吹っ飛ばすためストレートに攻める。

 

「楽しいよ。シアは美人だからな、男として嬉しくもある。さ、何時までウジウジしてないでデートしようぜ」

「デ、デート!?」

「折角だし、そう思わせてくれ。俺の気分が舞い上がるから」

 

 あたふたとするシアウィンクス。これの何処に可愛げが無いのだろうか。

 

「わ、分かった。今日だけ付き合ってあげる」

「ありがとさん」

「うふふ」

「なんだ、笑えるじゃないか」

「あ、え? あたし笑ってた?」

「可愛かったぞ」

「か、かわ!? ば、馬鹿!」

「正直な感想だよ」

「もう、無理しちゃって顔が真っ赤よ」

「慣れてないんだ、勘弁しろ。それにお互い様だ」

「えへへ、そうだね」

 

 初々しいカップルのように身を寄せ合う二人。

 腕を組み合いながら大通りに出る。瞬間、騒がしい悲鳴が聞こえた。

 

「なんだ、騒がしいな」

「な、なにアレ?」

「嘘だろ、なんでこんなモンがあるんだ?」

 

 誘われるようにその方向を見ればスポーツカーらしき自動車が猛スピードでこちらに目掛けて突っ込んでくる。まるで標的を見つけた猛獣が如くの運転に渚は絶句する。一体、運転手は何を考えているのだろうか。

 

「シア!!」

 

 渚はシアウィンクスを体の内に隠すと容赦のない暴走スポーツカーを蹴り穿つ。敢えて運転席を外しながら繰り出した渚の脚はボンネットへめり込み、フロント部分の大半を弾き跳ばす。スポーツカーは思ったよりも派手に大破した。

 

「なんとか止まったか」

 

 渚にこれと言ってダメージはない。むしろガイナンゼと戦う前より頑丈になった気がする。自身の肉体強度がドンドン人間離れしている事実に呆れ果てる。

 こりゃもう人間じゃなくないか……? 

 そんな感想が零れてしまうが今はシアだと思い直す。

 

「シア、無事──」

「大丈夫、渚っ!?」

「あばばばばッ」

 

 いきなり肩を強く掴まれて激しく揺さぶられた。焦燥感に染まったシアウィンクスが体のあちこちを改める。少し前にステアに似たようなされた事を思い出す。

 

「怪我はしてないから」

「なら良かった」

 

 シアウィンクスの瞳が震えていた。最悪の状況を想像したのだろう。これの何処が可愛げのない仏頂面な少女なのだろうか。

 

「それにしても、コレどうしよう」

 

 大破したスポーツカーに目を向ける。モノの見事にフロントが丸ごと潰れていて修復は困難なのが分かる。一応、運転手を殺さないように気を使ったので死者はいない。

 

「渚、これって車なの?」

「あぁ、スポーツカーに分類されるヤツだ。見るのは初めてか?」

「う、うん。あたしの知ってる物とは、かなり形が違うわ」

 

 実は冥界にも車はある。ただあまり出回ってはいない。同じ人間が開発した飛空艇や機関車は独自に進化、発展している中で車だけはその傾向が無かったりする。それは単に個人で移動するのにわざわざ自動車を使わなくても自前の翼がある事に加え、ワイバーンやグリフォンなどと言った車以上に便利な魔物を使えるからだ。

 だから悪魔は自動車という物に興味を示さない。ただ例外として現首都リリスだけは人間界の車を積極的に取り込んでいる。少し前にリアスから直接聞いた話だが、サーゼクスやセラフォルーは人間の技術力に惚れ込んでいるかららしい。

 ともせず、ここは首都リリスから遠く離れた街だ。そんな場所に新品のスポーツカーがあるのは大変珍しい。

 

「しかしアレだな。よくこの道で走ろうと思ったな」

 

 道は馬車などが通るため広いが車道や歩道の区別など存在せず、信号もない。勿論、優先道路なんて有りはしないのだ。通りの真横から人や馬車なんて来ようものなら大事故に繋がる。少なくとも人間界のような整備されていない道を時速180オーバーで走るなど誰かを殺しに来ているとしか考えられない。いや、むしろ今殺されそうだった。

 

「ホント、普通なら死んでるぞ」

 

 渚が大破したスポーツカーの持ち主に一言文句でも言おうとした時だ。

 

「よっこいしょー!」

 

 ドォンっと運転席側のドアがすごい勢いで蹴り飛ばされて少し離れた壁に突き刺さる。渚とシアウィンクスはドアが刺さった壁を数秒ばかり凝視して示し合わせたようにスポーツカーへ視線を戻す。

 ノソノソとスポーツカーの中から人が出てくる。

 

「参った参った。今の自動車は凄いね。まさかあんなスピードが出るとは意外だった。我ながら慣れないことをしたよ。さて轢き殺そうとしてなんだが無事かい、お二人さん?」

 

 スポーツカーから出てきたのは恐らく中学生くらいの少女だ。意外な物から意外な者が出てきて言葉を失う。呆ける渚を見た謎の少女は軽やかな足並みで渚に近寄ると小さな紙箱を差し出して来た。

 

「(いきなりなんだ?)」

 

 困惑気味な渚に少女はニッコリと笑う。

 

「ケーキだ。是非とも食べてくれたまえ」

「えっと……」

 

 どうせよと? 

 

「ふむ。成る程、順序を間違えたな。申し訳なかったね。他意はなかったが故意ではあった。いやはや運転とは存外難しかったよ」

「ア、ハイ」

 

 謎の少女は、ひたすらにニコニコと渚の顔を見上げていた。よく見ると凄い綺麗な顔だ。そんなエキセントリック美少女の視線が渚の片腕に流れた。すると何故か僅かに目を細める。だがそれも一瞬、すぐに太陽のような笑顔を変わった。

 

「しかしルシファーの姫君がいるとはね。随分と面白いことになっているじゃないか」

 

 その言葉を聞いた渚はシアウィンクスを隠す。

 どうして、それを知っている? 

 

「おっと争う気はないよ。ここで暴れたら君よりもわたしが捕まってしまうからね」

 

 渚の疑念に少女は無害を主張するように両手を上げた。

 

「どういう意味だ?」

「感覚を研ぎ澄ましてごらん。そうすれば解るさ」

 

 言われて注意深く少女の気配を探ると、とんでもない事に気づく。悪魔特有の魔性がないのだ。それどころか全く逆の聖性を持っている彼女は悪魔とはかけ離れた存在、光に属する者だと渚の感覚が伝えてくる。堕ちていない本物に会うのは初めてだが、こうも神聖さが違うものなのかと思う。

 

「……この感じ、天使なのか?」

「ご名答。わたしは天界で最も可憐な智天使(ケルビム)さんだ。イオフィエル……いやイオちゃんと呼んでくれて構わないよ?」

「なんでそんな位の高い天使が冥界にいるんだ?」

 

 素直に驚きだ。この少女は最高位である熾天使(セラフ)に次ぐ智天使(ケルビム)らしい。容姿は兎も角として口調や態度から天使さが感じられない。まぁ本物は初めて見たから渚の勝手なイメージなのだが……。

 

「おやおや、一番重要なニックネームはスルーかい。まぁこれはこれで新天地を開拓する材料になりそうだね。しかしこんな美人に塩対応とは随分と目が肥えている」

 

 ウンウンと両手を組んで頷くイオフィエルとやら。

 しかし、こんなナルシストかつ不真面目そうなのがホントに智天使(ケルビム)なのだろうかと渚は内心で首を傾げる。

 天界の上位天使が冥界でスポーツカーをかっ飛ばし、人間へ直接攻撃(ダイレクトアタック)をかます。まるで与太話のような現実に当事者である渚は辟易するしかなかった。これが天使を敬愛する教会にでも知られれば信仰が軽くハルマゲドンを起こすのではないだろか。

 ともせず、この娘と関わるのはよろしくない気がする。渚は早々と立ち去ろうとするが智天使(ケルビム)さんはそんな考えを見通してか立ち塞がった。

 

「こらこら、逃げようとしないでくれよ」

「えっと、まだ何か?」

 

 まさか車を弁償しろとか言わないよな? 車には詳しくないが目の前で派手に大破した真っ赤なスポーカーは絶対ウン千万単位の高級車だ。そんなん高校生が払える額じゃない。寧ろ轢き殺されそうになったんだから許してほしい。渚が目を泳がせるが智天使はニヤリと笑う。まるで渚の懸念を悟ったように顔を寄せてきた。

 

「こう言ってはなんだがアレってかなり高いよ?」

「だ、だから?」

「別にぃ? わたしは弁償しろとは言わないさ。ただ……」

「ただ?」

「そう警戒する必要はないよ。ただ良き友人になってくれないかい?」

「それだけか?」

「ふふ、意外かな?」

「まぁ」

「そう訝しげな顔をしないでほしい。元々わたしが原因なのだし、責を求めるのは道理から外れるだろう?」

 

 フッと顔を寄せて耳元で囁く。中学生くらいの少女なのに魅惑的な声だ。心臓が高鳴り、我を忘れる。

 すると急に体が引っ張られて腕を強く絡まれた。シアウィンクスが不機嫌そうに渚を睨み付ける。

 

()()()()()()()()()()()

 

 魔王モードの口調と凄い威圧感から一瞬で魅了され掛けた精神が叩き直された。てか、マジ怖いんですけどシアウィンクス様? 

 

「いや、忘れてた訳じゃ……」

「言い訳などするな、見苦しい」

 

 ヤバい、なんかスンゲェ怒っとる。怖い、黙っておこう……。

 

「これはこれは驚いた。現当主は穏健と聞いていたが、その(じつ)誰よりも魔王らしいじゃないか」

「貴様、イオフィエルと言ったな? 何が目的で渚に近づく?」

「他意はないよ」

「だが貴様は先ほど故意とも言った。その馴れ馴れしい態度といい。渚に何かを求めているのではないか?」

 

 妙に刺々しいシアウィンクスに口を挟めずにいるとイオフィエルがニヤリと口元を釣り上げる。

 

「へぇ面白い考察だ。あなたは、わたしが彼を追ってきたと?」

「"凄まじい前例"が既にあるのでな。今さら高位の天使が追加されたとて驚きはしない」

「あ〜」

 

 その"凄まじい前例"とは間違いなくアリステアだと渚は思う。シアウィンクスとアリステアの初会合は殺伐としたものだったのだ。

 渚が微妙な思い出に耽っているとイオフィエルが不適な笑みを浮かべた。

 

「凄まじい前例ね。けど(おおむ)ね当たりだ。わたしは蒼井 渚を追ってきた。ある情報筋からバアルの宰相に囲われていると聞いてね、急遽やって来たわけさ。ここで会えたのは幸運だったよ。しかし若いのに随分と観察眼に優れているね、シアウィンクス・ルシファー」

「やはりか」

 

 素直に称賛するイオフィエルにシアウィンクスは静かに「フン」と警戒心を鳴らす。

 

「俺、君と初めて会ったんだけど?」

「……わたしはリアス・グレモリーと個人的な同盟を組んでいるが如何(いかん)せん日が浅くて信用度は低いんだ」

 

 イオフィエルが人差し指と中指を合わせると古い紙が現れた。それを渚に見せつけるイオフィエル。内容はリアスとイオフィエルが同盟を結ぶための約定だ。リアスの魔力が刻まれている事から本物と見て間違いない。

 

「本物だな」

「当然だとも。リアス・グレモリーとその眷属(けんぞく)たちは君を大層心配している様でね。それをわたしが連れ戻せばどうなると思う?」

「つまりリアス先輩から信頼を得るために俺を迎えに来たってことか」

「まぁそうだね。彼女と上手くやれば色々なメリットが発生するからポイントは稼いで置きたいのさ」

 

 イオフィエルが手を差し出す。これを取れば駒王町へ帰れるのだろう。なんとも魅力的な提案だ。

 ふと絡まれたシアウィンクスの腕に力が入るのが感じられた。そんな心配しなくて置いては行かない。

 

「悪いがやることがある。今は帰れない」

 

 あのレギーナを裏切ったら何をされるか分かったもんじゃない。彼女の望みを叶えることがシアウィンクスの自由に繋がるなら渚はやり遂げなければならないのだ。

 さてイオフィエルにはどうお引き取り願おうか。素直に引いてくれると嬉しいんだが……

 渚が説得しようと口を開くが、イオフィエルは自身の唇に指を当てる。

 

「あなたが帰らないというなら無理強いはしないよ。わたしは話の解る女だからね」

 

 そう言ってウインクするイオフィエル。

 

「それなら助かる。ついでにリアス先輩たちに俺は大丈夫と知らせてほしいんだけど、いいか?」

「いいよ。貸しにしとく」

「高く付きそうで怖いな」

「安くしとくさ、わたし基準でね。ではもう行くといい、ギャラリーが凄いことになってきてるよ」

「ソレはどうするだ?」

 

 車を見る渚にイオフィエルは(なん)でもないように言う。

 

「超天使パワーで適当に片しとくさ」

「超天使ってなんだよ」

 

 そのニュアンスが少し可笑しくて笑みが零れた。

 

「やっと笑い掛けてくれたね」

 

 イオフィエルも渚に釣られて笑う。その時、若干の違和感に気づく。常にどこか胡散臭い笑顔の彼女だったが、この瞬間だけは邪気のない少女のように微笑んだのだ。

 

「あー、それがどうした?」

「なんでもないさ、聞き流してくれ。さぁもう行きたまえ。またシアウィンクス・ルシファーが癇癪を起こされては敵わない」

「癇癪とは言ってくれるな、イオフィエル」

「違うのかい? てっきりお気に入りを横取りされそうになったからと思ったがね」

「知ったような口を聞く奴だ」

「おや、怒ったかい?」

 

 なんかシアとイオフィエルの間の空間が歪んでいる? とにかく嫌な感じがして冷や汗が止まらない。二人は引き離した方が良さそうだ。

 

「よし行こう、シア」

「あ、ちょっと」

「じゃあまたな、イオフィエル」

「うん、またね。渚くん」

 

 最初に渡そうとしたケーキの入った小さな紙箱を握らせるイオフィエル。……くれるのだろうか?

 

「これは(いわ)いの品だよ、受け取ってくれると幸いだ」

「祝い? お詫びじゃないのか?」

「いいや、祝いで間違いない」

「なんの祝いだよ」

 

 立ち止まった渚の質問にイオフィエルは答えず、ただ背中を優しく押す。呆気に取られていた渚だったがシアウィンクスが腕を組み、グイグイと引っ張って歩き出す。

 

「行くのだろう?」

「え、あ、シア」

 

 残したイオフィエルが少し気になり視線だけを後ろに向けると彼女は笑顔で小さく手を振っていた。口を開かなければ確かに天使だと納得できる愛らしさだ。

 

 ──再会のだよ。

 

 街の喧騒と人々の雑音に掻き消されたイオフィエルの言葉が渚に届くことは無かった。

 

 



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暗躍《You cannot go home》


蒼の物語、その裏側を知る者たちの密会。
それはまだ語られていない世界の秘密。




 

 昔、ある魔女にこう言われた事がある。

 

刻流閃裂(こくりゅうせんさ)か。死を越えたモノすら斬殺する鬼の剣。人は戦鬼と畏怖するが私からすればソレは可愛い評価だ。

 千叉 譲刃、あなたは鬼なんて可愛いものじゃない。その在り方は命を刈り取るモノであり輪廻へ堕とす退還刀(たいかんとう)だ、正に閻魔の裁定者そのものだよ。

 だからこそ蒼井 渚は、あなたを(そば)に置いてるのかもしれないね。そう……』

 

 ──自らを殺せる刃として。

 

 せせら笑い浮かべた魔女王の言葉が今でも忘れられない。それは事実だったからだ。蒼井 渚は自らの危険性を理解し、自身を殺す刃として譲刃をそばに置いた。

 全く失礼な人である。私をなんだと思っているのか? 誰彼構わず斬り捨てる外道になったつもりは無いというのに……。

 かつての私は魔女王へこう言った。

 

「例え蒼井 渚の求める者が介錯の刃だとして何を嘆く必要があるの? この身は一振の刀なれば斬る事こそが唯一の奉仕、刃者(はもの)にそれを求められるのは至極当然よ」

『へぇ、なら蒼井 渚が求めたら迷い無く斬殺するんだ?』

「それはあり得ない」

『おやおや少し会話の流れがおかしくないか?』

「"蒼"を斬れる刀と認められたのなら喜びもする。千叉としては栄誉よ」

『つまり仲間としての考えは違うわけかい?』

 

 相変わらず理解が早い。譲刃は薄く笑みを浮かべて魔王が如くの魔女に言う。

 

「渚の願望(斬殺)は私の信念に反する。彼が千叉に求めるのが"死"という裁定だとしても知ったことじゃない。勝手に役割を押し付けるのなら、こちらも我が道を進ませて貰うわ」

『なんともまぁ自由な発想だ』

 

 クックッと愉快げに肩を揺らす魔女は煽るような態度だ。そんな挑発的な物言いには正面から斬り込もう。

 

「魔女王 アンブローズ・センツェアート、貴女が何故こんな話をしてきたのかは知らない。何か思惑が有るでしょうけど私には読み取れないわ。けれどこれだけは覚えておいて?」

『聞こうじゃないか、言ってごらん』

「蒼井 渚が自身を殺せと言えば千叉 譲刃は斬ってでも殺さない」

 

 己が信念を高らかに宣言すると軽薄な笑みだった魔女王は特徴的にとんがり帽子のつばを掴んで目深にかぶって顔を隠す。

 

『その歳で覚悟が決まり過ぎだね。……あなたは大物になるよ』

 

 それは千叉 譲刃が今の譲刃になる前の話、取るに足らない過去の回想である。

 

 

 

 

 

○●

 

 

 

 

 レギーナの古城。

 渚とシアウィンクスのデートを見送った譲刃は、レギーナの書斎へ向かっていた。

 約束した時間より少し早いが待たせるよりは良いだろう。

 人の気配がない長い廊下に靴音が響く。豪華な装飾品の数々を照らす蝋燭の灯火は譲刃を惑わせる鬼火のようである。そんな絢爛さと不気味さが同居した異様な城の中を臆せず、しっかりとした足取りで進む。

 

「はてさて私程度の会話力で何処まで聞けるやら……」

 

 自嘲しながら薄暗い道を歩く。

 所詮、自身は刃でしか物事を解決できない人斬り。知的な交渉の真似事なぞ荷が重い。それでも自らが戦場で葬った例の"鬼"の正体……つまりはバアル軍が使った"黄昏"の力を持つ霊薬について問わなければならないと強く思う。

 正直、会ったばかりの小娘に時間を作ってくれるとは思っていなかったがレギーナはあっさりと対談を許可してくれた。簡単すぎて肩透かしを喰らった気分ではある。もしかするとレギーナも譲刃に対して言いたいことが有るのかもしれない。

 目的の部屋へ辿り着く。一枚の扉越しに人の気配を感じながら譲刃はある事に気づく。

 

「(妙ね、全然魔力を感じない。気配遮断してるのかな? いつも顔を隠してるし、もしかして意外に"しゃいがーる"?)」

 

 レギーナに多少の違和感を持ちつつ、扉をノックしようとするが勝手に開く。

 

「少し待て、すぐ終わる」

 

 部屋の奥、小綺麗な机でレギーナは積まれた書類を処理しながら譲刃へ言う。慣れているのか、次々と右から左へ用紙が動く。やがてその手が止まると漆黒のベールで隠された顔をあげた。

 

「何を突っ立っている、入りなさい」

「では失礼します。私の為に時間をいただき感謝します、レギーナ宰相(さいしょう)

 

 入室するや譲刃は頭を下げる。

 

「千叉 譲刃。人として生まれながら人の理から外れた"刻流閃裂"の戦鬼。お前の"格"を考えるに敬語は不要だと知りなさい」

 

 刻流閃裂(こくりゅうせんさ)の名を出されて顔を上げる。(はた)から見れば田舎流派でしかない千叉の剣を警戒ないし称賛するなど、その()()を知っている者くらいだ。

 

「どうやら此方側(こちらがわ)についても詳しいようね」

「そんな話の為に来た訳ではあるまい。尋ねた理由はコレだろう?」

 

 レギーナが何処からともなく小瓶を出すや放ってきた。譲刃がそれをキャッチすると中身を覗く。間違いなくバアル軍が使っていた薬だ。

 どうやら目的はお見通しらしい。譲刃が言葉を発する前にレギーナが口を開く。

 

「欲しいのなら受け取りなさい」

 

 まるで興味無さげな声音のレギーナに譲刃は少々呆気に取られながらも直ぐに質問を投げ掛ける。

 

「コレの開発者は宰相?」

「精製したのは私だが原型は違う。私は古の知識を元に再現、改良したに過ぎない」

「古の知識ね。それは誰のもの?」

 

 さてどう出るか。

 譲刃の考えが正しければ知った名前が上がる筈だ。そして、それはレギーナが()()()について詳しい理由にもなる。

 譲刃が沈黙という刃を向け続けているとレギーナが遂に喋り出す。

 

「"聖書の神"。いや、ここは敢えてお前たちが良く知る言葉で呼ぶとしよう。彼の者は世界をこの姿に定めた賢人にして狂人、真名を"エル・グラマトン"」

 

 その名を聞いた譲刃が深い溜め息を吐く。正に予想のど真ん中を射抜かれたからだ。

 

「やっぱりエルくんが"聖書の神"だったか。けれど宰相は、どうしてソレを知ってるのかしら?」

「エル・グラマトンによって"蒼"と"黄昏"の知識を授けられた者たちがいるとだけ言っておく」

「そういうことか。それでこの霊薬で宰相は何をしようとしているのかな?」

「知れたこと軍事力の強化だ」

 

 即答するレギーナに譲刃は真面目な表情を向けた。それが本当と仮定しても無謀な行いだと知っているからだ。

 

「経験則から言うけれどその道は破滅と隣り合わせだよ?」

「危険性は承知だ。しかし歩みを止めるつもりはない、辞めさせたければその刀を振るえばいい。千叉 譲刃、お前は()()()()()()()()()()で命を奪うと聞く。その(ごう)を為すために来たのだろう?」

「ふーん。"罪花"……私だけが()えてるモノの事も知ってるんだ?」

 

 両者の間に緊張が走る。

 譲刃という存在の格を認めつつも挑発する物言い、それは即ち勝つ算段があると言うことだろう。しばらく視線をぶつけ合う二人だったが譲刃の方が剣呑な気配を解いた。

 

「困ったなぁ。どうも宰相は知り過ぎてる」

 

 これはアリステアが殺しに掛かりそうである。彼女(アリステア)は自分達の過去にとても敏感なのだ。かつてのイオフィエルの時が良い例……いやあれは悪い例になるのか。

 ともかくレギーナと直接会わせるのは避けた方が賢明だろう。

 ウチの可愛いステアちゃんを、あまり刺激しないで欲しいと譲刃は僅かに肩を落とす。そんな時だ、レギーナが質問を投げ掛けてきた。

 

「罪の花か。私のは、さぞ大きく花開いてるだろうな」

「別に罪花があるからって無差別に斬るわけじゃないかな」

 

 生きてる限り罪を犯し続ける者がヒトという生き物だ。(すなわ)ち罪花を持たない知性体は存在しない。それを全て(さば)いていたら出会うものを次々と斬り殺す大量殺人者になるのは明白である。だから罪花があるだけでは命を刈り取らない。その花を斬り落とすと決めるには条件があるのだ。

 そしてレギーナはその条件をまだ満たしていない。

 

「私は私のルールで命を斬ると決めているの。あなたはソコには至っていないわ。──今はね」

「随分と利己的な判断基準だが、その信念あればこそ斬った者よりも多くの者を救ったというわけか。ならばこそ刃を収めるべきなのか? お前はこの霊薬の危険性を理解しながら私を見逃そうとしている」

 

 試すような物言いに譲刃は真っ直ぐ答える。

 

「確かにソレの存在は"罪花"の在処(ありか)以前の問題でもあるから斬る理由にもなるわ。だけど早まって迂闊な行動をすれば取り返しの付かない状況になる可能性も否めないでしょう?」

 

 お互いの立場や現状を考えれば衝突は悪手である。最悪、渚にも飛び火してロクな事にならない。しかし譲刃の答えにレギーナは納得しておらず、更に問いを投げ掛けた。

 

「不可解な言い分だ。お前にとって霊薬は唾棄(だき)すべきものだと思っていたのだが?」

「間違ってないかな。ただコレがエルくんの作ったモノなら何か存在理由があるはずよ」

「随分と信頼してるのだな」

「あの人の行動はある程度予測できる。本当にある程度だけど……。それじゃあ聞きたい事も聞いたし退散退散っと」

 

 譲刃がレギーナに背を向けて部屋の扉へ向かう。

 

「待て。私を斬らない理由の説明を聞いていない」

「あれ? 今話したよ?」

「エル・グラマトンの話は建前であろう」

 

 いやはやバレていたか。

 そうエル・グラマトンの行動は善悪を(かえり)みない場合が多々ある。そして黄昏の霊薬という存在については完全に悪だ。それこそソコに触れてしまったレギーナは斬殺するに値する。

 しかし譲刃は見逃した。レギーナはそれを目敏く悟ったらしい。

 

「もう一度問う。千叉 譲刃が私の首を取らない真の理由なんだ?」

 

 そんな質問に脚を止めると譲刃が閻魔裁定の人為らざる瞳でレギーナへ告げた。

 

それは(ひとえ)(なれ)罪花(ざいか)(けが)れきってない(ゆえ)だよ、レギーナ・ティラウヌス

 

 "罪花"。

 ソレが見えない者からしたら幻覚に踊らされたような馬鹿げた理由。だが譲刃にとってはソレは斬る為の確固たる真理の一つなのだから……。

 

 

 

 

 ●◯

 

 

 

 

 譲刃が去り、部屋が静寂に沈む。

 周囲に人の気配がない事を悟ったレギーナは顔を隠した漆黒のベールを机に置いて素顔のまま窓へと近づいた。

 

 ──千叉 譲刃。

 

 見た目と言動に騙されたがアレもまた"蒼の眷属"の一柱、常人では見えていないモノを()ている。油断出来ない相手だ。譲刃が去り際に残した言葉がレギーナの頭を(よぎ)る。

 

「果たして罪の花とはどう穢れるのか、実に興味深い。しかし"蒼"に連なるモノが随分と良いタイミングで現れてくれたものだ」

 

 今から始まる戦いは本来は数十年は先になる筈だった。敵は"聖書の神(ヤハウェ)"──エル・グラマトンですら滅ぼせなかった存在。その力は龍神オーフィスや真龍グレートレッドにも並ぶ怪物だ。挑むなど無駄の極致でしかない。恐らく、魔王を筆頭に冥界の全勢力をブツけても敗色が濃厚な相手だ。

 ならば、どうしてそんな戦いに今から望むのか? 

 

 答えは二つある。

 

 一つは予測される復活時期が非常に不味いからだ。"ルオゾール"と呼ばれるアレは何もしなくても目覚めてしまう。そして猶予は遠くても三十年と判明している。そう、遠くともだ。その時間が早まる場合も有り得るのだ。

 世界を揺るがす問題であるならば早急に解決しておきたい。これは"渦の団(カオス・ブリゲード)"とかいうテロ組織にも言える。

 

「オーフィスも余計な者らに(かつ)がれたか。まぁいい、運命は私に良いカードを配ってくれた」

 

 そんな事を呟くレギーナは二つ目の理由に思考を向けた。

 

 ──蒼井 渚。

 

 彼はシアウィンクス・ルシファーを冥界から連れ出そうとしている。"原罪(ザ・シン)"を持つ悪魔を手元に置きたいレギーナだが難題(ルオゾール)へ対処できる『真滅倶(ディー・サイド)』の力を手中に納められるならば妥協はしよう。

 

 ──(いわ)()の者こそ真性の抹殺者であり、神滅具(ロンギヌス)の『原型』である真滅倶(ディー・サイド)

 始神源性(アルケアルマ)と呼ばれる正真正銘の真神(かみ)を葬る救済者であり破壊者。人ならざる者にして神ならざる者が蒼井 渚という存在なのだ。そんなジョーカーがなんのイタズラかアッチからやって来た。しかも交渉を有利な条件で行える得点付きである。

 

「……ふっ」

 

 レギーナが人間らしい微かな笑みをこぼす。

 ここまで心が踊るのは久しかった。それ程までに実に容易く良い仕事だった。

 しかし自身がいつもより熱くなっていると気づいた彼女は胸の内を戒めるように笑みを消す。

 

「おやおや、悪い顔をしているね」

 

 レギーナしかいない部屋に彼女ではない声が静かに響く。どうやら招かれざる客人がやってきたようだ。本来なら不法侵入に罰を与える所だが、残念なことに目の前のコレは相手にするだけ時間が無駄になる。だからレギーナは客人を冷淡に見据えるだけに(おさ)め、少女の名を読み上げる。

 

「イオフィエルか。珍しいな、お前が直接会いに来るなど」

「なぁに、ついでだよ」

「ついで? あぁ成る程、もう彼に会ったか。確か連絡を入れたのは二時間ほど前だったが世界の壁を超えてくるには(いささ)か早いな。一応、智天使(ケルビム)の長なのだろう?」

「あなたのトコに渚くんいると聞いたら居ても立ってもいられなくてね。ミカエルの目を欺きアザゼルから転移装置付きの自動車を拝借して来たのさ」

 

 いつの間にか部屋の壁に背を預けて腕を組んでいるイオフィエルは随分とご機嫌だ。

 

「転移装置付きの自動車とはアザゼルも相変わらず妙なものを造る。それでその転移車は何処に?」

 

 アザゼル特製の転移装置に興味を惹かれたレギーナが問い掛けるとイオフィエルは首を横に振る。

 

「さっき事故で大破した。メイン動力が完全に壊れて再起は不能だよ」

「……アザゼルになんと説明する気だ?」

「説明なんてしないよ。だってそんな事をすれば、わたしが彼の愛車をパクッ……借りたとバレるじゃないか」

「まさか堕天使から物を奪うとは流石は叡知の近親たる天使だ、悪知恵も相当なものらしい」

「まぁね」

「褒めてはいないが?」

 

 どや顔のイオフィエルにレギーナが即答する。どちらが悪党か分かったものではない。少しだけアザゼルに同情する。相変わらず人を食ったような態度のイオフィエルにレギーナは怒りもせず只々(ただただ)呆れてしまう。

 

「それで蒼井 渚に会って何をした?」

「"軽く"挨拶だけしたよ。ルシファーの姫君とデート中だったんでね」

 

 "軽く"の部分が妙に強調されている事から普通の挨拶じゃないだろうとレギーナは悟る。きっと渚の度肝(どぎも)を抜く挨拶だったに違いない。天界に属しながら堕天してないのが不思議なくらいの不良が彼女なのだ。

 尤も今回は渚へのちょっとしたアピールも含まれていたのだろうと推測出来る。だがそれは無駄に終わったとレギーナは確信していた。

 

「大方、初対面のような態度を取られたか?」

「……へぇ、良く分かったね」

「私を見てもなんのリアクションを起こさなかったんだ。お前に対しても同じだと推察した」

「リアス・グレモリーから記憶喪失だと聞いていたけど他人の振りをされるのは(いささ)かね」

 

 落胆混じりの声。やはり覚えられていないことには多少なりとも思うところがあるようだ。

 なんだかんだでイオフィエルの乙女な部分を垣間見るレギーナ。

 しかし記憶喪失か……とレギーナは納得した。実はイオフィエルとレギーナは過去に渚とちょっとした接点がある。つまり久方振りの再開なのだが揃って覚えられていないとは滑稽である。

 

「愁傷様だな」

「む、含みのある言い回しじゃないか」

「知らない顔をされて随分と(こた)えたのでは?」

 

 レギーナの最後の一言に、やたら態度の大きかった天使がピクリと反応を見せた。

 

「酷い人だ、相変わらず。あなたは平気なのかい?」

「記憶喪失が無くとも過去など忘れられるものだ。そんなものに意識を()くほど暇ではない」

「出た出た鋼鉄発言。あなた精神は鉄みたいに冷めすぎて哀れだよ」

「お前は気にし過ぎだ。いったい(いく)つになる? 精神年齢も見た目に引っ張られてるのか? 嘆かわしいにも程がある」

「嘆かわしい? どこが? 執着は生物が持つ当然の欲望だよ」

「ならば一言だけ忠告を。我々にとってはそうでなくとも蒼井 渚から見たら我々は見知らぬ他人だ、お前は色々とやり過ぎるきらいがあるから距離の詰め方を誤って避けられんように注意することだ。尤もそうなったら、そうなったで見物だがな」

 

 冷徹な口調に対してイオフィエルは含み笑いを返してきた。

 

「意地が悪いね。そんなだから"冷鉄の魔女"とか言われるのだよ?」

「底意地の悪さはお互い様だろう。さて下らん談笑は終わりだ。ここに来たということは伝達は見たな? ならば私の提案に協力すると取っても?」

「久しぶりのラブレターにしては刺激的だったよ。ルオゾールの完全無力化だったかい? 本当はお断りしたい案件だよ。それにリミットまであと三十年近くはある計算だ」

 

 イオフィエルは「やれやれ」と言いたげにレギーナを見た。

 

「あくまで予想計算に過ぎない。期限が確実に分からない以上はすぐに対処すべき案件だ。なんの備えもなしに戦えるほど甘くはない相手なのは承知の筈だが?」

「説教はやめてくれたまえよ、アレの事はあなたよりも知っている。だが時期が悪い。オーフィスがテロ組織を率いて動き出した。三大勢力はその対処を優先するだろう」

 

 イオフィエルの言葉にレギーナは事も無げに言い返す。

 

「トップ陣は好きにさせれば良い。こちらには"蒼"がある。動くには十分な材料だ」

「やはり今動く理由は渚くんだったんだね」

「既に本人の承諾も得た。蒼井 渚が戦うならば(おの)ずと有用な駒も付いてくる」

「アリステア・メアと千叉 譲刃を駒扱いとは畏れ多い人だ。仮にも我らが創造主と同格存在だぞ」

「私には関係ない。使えれば使う、それだけだ」

「蒼の眷属が()()通りなら頼もしい。けれども揃いも揃って不完全だよ。そう言えばレギーナ、不完全と言えば渚くんの片腕が欠損しているのだけど、まさかあなたでは無いよね?」

 

 イオフィエルから一切の熱が消える。

 今までの機嫌の良さが嘘のように霧散し、奈落の底よりも暗い凍獄の瞳孔がレギーナを射殺さんと見つめて来た。死神が如く物騒な天使はレギーナの返答を待つ。答えを間違えば即戦闘になりかねない中、レギーナは殺意を正面から受け止め無感情に対応した。

 

「あれは自ら落とした。仲間を救う為にな」

「ははは、実に彼らしいね」

 

 アッサリと信じたイオフィエルが再び笑顔を見せる。嘘と言わないのはレギーナを信用しているからではない。これは渚に対しての信頼の現れだ。イオフィエルにとって彼ならそうするという確信がある。それだけの話だ。

 何にしても揉める必要が無くなったと思うレギーナ。

 

「話を戻すぞ。ルオゾールを攻略する当たって重要なのは戦力だ」

「戦力ねぇ。確かに今の渚くんに"ルオゾール"の相手をさせるのは酷かな」

 

 威圧的なレギーナにイオフィエルは考え込むような仕草で視線を流した。

 

「蒼井 渚は私との戦闘で(くだん)(つるぎ)を使用しなかった。やはり使えないのか?」

「みたいだね。記憶が関係しているのは間違いない」

「そうか」

「"蒼獄界炉の剣(ゼノ・イクス)"が使えないとなれば戦力不足は否めないよ、大丈夫なのかい?」

「足りない部分は補強すればいい」

「簡単に言うなぁ。君んトコの秘蔵っ子も出すの?」

「ガイナンゼか、それもいいだろう。加えてあと数名は確保できる」

「ふーん。他に宛があるようだけど半端モンは勘弁だよ。下手な雑兵じゃ死体が増えるだけだからね。むぅ~、数はわたしがいるからいいけど、もう少しちゃんとしたのが欲しいな。……ん? 渚くん、渚くんか」

 

 イオフィエルが「あっ」と何かに気づいた素振りで顔を上げた。

 

「何か妙案でも浮かんだか?」

「レギーナ、ちょうどリアス・グレモリーが冥界に来る予定があった筈だ。──巻き込まないか?」

「足手まといは必要ない」

 

 イオフィエルの提案をレギーナは一蹴する。

 リアス・グレモリーの血統が優れているのは認めるが、それだけの上級悪魔に用はない。そんなレギーナの判断をイオフィエルは嗤う。そして考えが浅いと言いたげにこう続けた。

 

「彼女の眷属には赤龍帝がいる。中々に面白い素材でね、渚くんのお供には相応しいだろう」

「面白いか。今代は白の圧勝と見ていたが赤の方もイレギュラーなのか?」

「いいや、赤龍帝は一般の学生だったよ。転生悪魔ではあるが白龍皇とは比べ物にならないくらい弱い。歴代最弱と言っても良いだろうね」

「片や最強、片や最弱とは運命とは時に非情だな。……してお前が面白いというのはどの辺りだ?」

「その最弱の赤龍帝は最強の白龍皇 ヴァーリ・ルシファーを退(しりぞ)けたんだ」

「ほう?」

 

 レギーナの口調に僅かな興味が宿る。

 

「赤龍帝となった兵藤 一誠は渚くんと親密な関係でね。恐らく世界で最も"蒼"の恩恵を受けている一人だ」

 

 レギーナはイオフィエルの狙いを()っした。

 聖書の神が造り上げた神器(セイクリッド・ギア)、その極限は世界の均衡を崩壊させる禁手(バランスブレイカー)に至る。これは知る人ぞ知る神器の真理だ。だがなぜそうなるのかを知る者は非常に少ない。

 神器の真理は謎に満ちている。その深奥の秘密をレギーナは口にする。

 

「"蒼"による神器(セイクリッド・ギア)への干渉を利用する気か?」

「そう。近縁種たる神器は"蒼獄界炉(クァエルレース・ケントルム)"からバックアップを受けられる。それこそ最弱が最強を圧倒するようなね。……で、どうする?」

 

 最強の白龍皇ヴァーリ・ルシファーを退(しりぞ)ける力を持つ赤龍帝。それが事実なら利用しない手はないだろう。レギーナは合理的に思考してイオフィエルの案を是とした。

 

「よろしい。リアス・グレモリーには冥界を救う一翼を担って貰うとしよう」

 

 暗躍の会合が進む。

 世界から害悪を排除する為、あらゆる者を踏み台にする悪辣で正々とした二人の策略が冥界に敷かれようとしていた。

 

 負けは全ての終わり、勝てば……。

 

 無感情が常であるレギーナの唇が僅かに弧を描く。けれどそれも一瞬だけだ。

 戦いに勝つために思考を加速させる。

 

「さて使える駒を増やすか。まずはそうだな、フェニックス領から手を着けるとしましょう」

 

 そう言ってレギーナは再び漆黒のベールで素顔を隠すと部屋から出て行く。

 

「レギーナ・ティラウヌス。祖と為る神(ソトナルカミ)の心臓を引きずり出そうとする漆黒の背徳者か」

 

 残されたイオフィエルが悠々と詩的に語り、去ったレギーナの背に向けて優雅に一礼した。

 

「だが、それでこそ我が共犯者だ。汝の歩む未来に神の祝福あれ」

 

 そう言い残して可憐な天使は姿を消した。

 

 

 

 

 ◯●

 

 

 

 

 渚です。

 突然ですが冥界の危機を救うことになりました。聞くところに拠れば"ルオゾール大森林"にいるトンデモ存在が目覚めて世界を滅ぼすらしいです。

 話が大き過ぎて笑ってしまいそうになるが、あのレギーナ・ティラウヌスさんの態度を見る限り本当にヤバい案件のようで、何故かそんな奴と戦わなければならなくなりました。もう気分はオーマイガーです。

 絶対に関わりたくない案件に身体が拒否反応を起こして胃がキリキリしています。そんな危ないヤツは四大魔王とか腕利きの最上級悪魔が相手をしてほしいのが本音です。

 けれどレギーナ・ティラウヌスさん(いわ)く「世界最強の龍神が動き始めて魔王はその対処に追われています」との事。なのでルオゾールの一件は大王バアルの管轄になったとかなんとか。どうやら冥界は思っている以上に平和からは遠いようで驚愕しています。

 もっと頑張れよ、魔王様がた……。ちょっと戦える程度な高校生が冥界の危機に見事に巻き込まれてますよ?

 さて今の心境を言ってしまうとこうです。

 

 ──ガッデム、マジふざけんなっ!!

 

「……って訳らしい」

 

 心で現実逃避しながら、口ではレギーナから知らされた情報を目の前にいる人達に伝える。

 とりあえず周囲を確認するが、聞かされた人達のリアクションはバラバラである。唖然とする者、訝しげな者、考え込む者、平静な者などなど様々だ。

 まぁ急に冥界が近い内に滅ぶと説明されても困るだろう。どうしようかと頬を掻いて、ある人物へ歩み寄る。

 

「信じられないよな?」

 

 話しかけられた人物は常に平静だったアリステアだ。

 今現在、レギーナの使者としてフェニックス領まで来ているのだが、いきなり現れた自分にライザー達は驚きつつも快く迎えてくれた。その際に自身がレギーナからの使いと説明して今に至るわけだ。

 この場いるのはフェニックス代表のライザーとレイヴェル。旧ルシファーのアルンフィル、ククル、カルクス。個人的な支援者であるサイラオーグと来て、相棒のアリステアだ。

 

「急に帰ってきたと思ったらそんな事ですか。信じる信じない以前にレギーナ・ティラウヌスの話は事実です」

 

 周囲がどよめく。

 

「あ、アリステアさん、何を言ってるんですの? 冥界が滅びる。まさかそんな話があるわけが……」

「仮に真実としても魔王が動かなきゃならんだろうぜ」

「お兄様の言うとおりですわ。話が飛躍しすぎていると思わざる得ません。アリステアさん、あなたは何を知っていますの?」

「そいつは俺も気になんな。渚の言葉を確信してる口振りから、それなりの情報を持ってんだろ?」

 

 訝しげに質問を投げ掛けるのはレイヴェルとライザーのフェニックス兄妹(きょうだい)だ。

しかしアリステアは返事をする気配がない。

 得意の秘密主義が発動しているのだろうが、今回は先を(うなが)す事にした。

 

「ステア、喋りたくないのは分かるけど譲ってくれ」

「安易に洩らせる情報ではありませんので」

「──頼む。成り行きでこうなったけど"ルオゾール大森林"は、なんつーか胸騒ぎというか妙に気に掛かるんだ。一度、あの森の深奥に立ち入ったけど違和感だらけの場所だった。口では上手く言えないけど放置は不味い予感がする。もしも何か知ってるんだったら教えてくれ」

 

 強めの口調で言うとアリステアは一つは息を吐いて説明を始めた。どうやら折れてくれたようだ。

 

「"ルオゾール大森林"に入った時、ある存在に類似したものを感じました。私たちはソレを"始神源性(アルケマルマ)"と呼んでいます。その力は星を破砕し、(そら)すら焼き尽くす深淵(しんえん)または天涯(てんがい)の者。貴方達に分かりやすく言えば"龍神オーフィス"や"真龍グレートレッド"に匹敵ないし上回る化物です。十中八九、"ルオゾール大森林"にいるのはそんな(たぐ)いのモノです」

 

 そんなバカな、アリステアが語った龍は世界最強のツートップだぞ! そんなヤツらと同格な(やから)が"ルオゾール大森林"にいる? しかも自分たちは、そんなのに喧嘩を吹っ掛けようとしている? 冗談抜きでヤバいじゃねぇか……。

 

「あの鉄仮面の宰相(さいしょう)、無茶を言いやがるッ。難題どころのレベルじゃねぇぞ!」

「面倒事に自ら進んで首を突っ込むのは最早ナギのお家芸ですね」

 

 イイ笑顔ですね、アリステアさん。こちとら不本意が限界突破だよ、ド畜生っ!!

 

「仕方ないだろ、向こうからトラブルがやって来るんだよ……」 

 

 日常を送りたいのは事実だが見過ごせない異変があるのなら対処するのは当たり前だ。放置してなんらかの被害が出て後に後悔する方がバカらしい。

 アリステアが呆れ半分で肩を竦めるとアイスブルーの瞳が片腕に向けられる。

 

「新しいのを生やしたのですか?」

「おい、人を植物みたいに言うな」

 

 さも当然と言いたげな口調のアリステアに物申す。失われていた片腕は元に戻っている。これはレギーナが作成した義手であり、見た目や触り心地も生身の腕そのものだ。いきなり付けられた腕だが実に見事な代物だった。霊氣を吸って動くので普通の腕のように動かせるし、鈍いが触覚も存在する。今は慣れない感覚もあって上手く動かせないが訓練を続ければ元の腕と大差ない操作も可能だそうだ。

 難点は霊氣でしか動かせないという点だ。個人的に一番残念な箇所でもある。魔力で動けば同じ義手仲間であるレイヴェルにも使えたというのに実に惜しい。何故レギーナは霊氣でしか動かない物を作ってしまったのかと勝手な不満があるのは胸に秘めておく。貰っておいて不満をブチまけるなどただのワガママだ。

 

「おう、渚よぉ。お嬢は大丈夫なのかぃ?」

 

 カルクスにガシッと肩を掴まれた。心配からか、カルクスの太い指が強張ってめり込む。

 正直、少し痛い。

 

「お馬鹿。渚が痛がってんだろに、この筋肉ダルマ」

「あいて。ちょ、叩くことねぇだろ、ククル婆」

「渚、悪いさね。こいつは見たまんま脳まで筋肉なのさ」

「心配なのは理解できますから。それとシアは割りと元気ですよ。レギーナ宰相も客人と扱ってくれてますんで安全です」

 

 カルクスとククルが安堵の表情を見せる。だが対照的にアルンフィルは笑っていない。

 

「渚くん。あなた~、レギーナ宰相と取引したんじゃありませんか~。例えばルオゾールの対処に成功したらシアちゃんを自由にするとか~」

「はい、しましたけど?」

 

 瞬間、場の空気が変わる。

 これはなんだろうか? 困惑と驚愕が入り交じった妙な雰囲気である。

 

「お前、マジかよ」

「なんだよ、ライザー。俺、なんかおかしいか?」

「いや、おかしいだろうが。お前、女一人のために冥界を滅ぼすかもしれねぇ災厄に挑むのかよ」

 

 本当にそうなら、どんなにカッコいいだろうか。

 シアを自由にしたいというのもあるが、実は人間界に早く帰って留年対策をしたいという超個人的などうしようもない目的もあったりする。ただ、これだけは口に出したくない。自分の情けない姿を他人に晒す精神力など持ち合わせていないのだ。ついでに言えば標的が世界最強クラスなど今知った。もう生きて家に帰れるのかすら怪しくなってきている。

 もしかしてレギーナさん、間接的に殺しに来てないか?

 

「……別にシアだけの為じゃ──」

「あ、蒼井さんはシアウィンクス・ルシファーと恋仲なんですの?」

 

 胸を抑えつけて訴えてくるレイヴェル。

 

「何故そうなる?」

「そうであれば納得が出来ます。愛する人のためなら(わたくし)だって災厄に挑めますもの」

 

 すげぇな、言い切ったよ。この()……。

 あれ? なんか目が潤んでないか? もしや愛する人の為に命を懸けた戦いに挑む人間に感極まったのだろうか? 流石に勘違いが過ぎる。そんな上等な理由じゃないのに感動しないで欲しい。仕方ない、ここはストレートに正論で誤魔化すとしよう。

 

「俺と彼女は恋人なんかじゃないよ。けど誰かが困っていたら手を差し伸べたい。……だろ、レイヴェル?」

「……あっ」

 

 ふらぁとレイヴェルが倒れそうになる。それをライザーが慌てて支えた。

 

「れ、レイヴェル! しっかりしろ!!」

「え、どした? レイヴェル、大丈夫か?」

「これが大丈夫に見えるのか、えぇ!? お前は不死鳥殺し(フェニックススレイヤー)の称号でも欲しいのか、クラスター爆弾ばりにヒデェもん落としやがる!!」

 

 ライザーが凄いキレた。え、なんで?

 

「爆弾!? なんの話っ!?」

「キメ顔でイケメン発言してんじゃねぇ! あぁクリティカルヒットしてんぞ、コレ。なんつーことしやがる、ウチの妹はこれで純情なんだぞっ!」

「キメ顔イケメンって誰だよ!?」

「テメェだよ!」

「はぁ!? 寝言は寝て言えよ! 学園じゃあ"生きたゾンビ"やら"生きたフリをした死人"と揶揄(やゆ)されたこの俺がイケメンだと!? いいかぁ、よく聞けよ。基本的にゾンビってのは顔が崩れて見られたもんじゃないんだよ。わははは、はい論破ぁ!! ……くぅ」

 

 コンチキショウ、目尻が熱いぜ。言ってて気づいたが、どっちのあだ名も結局ゾンビじゃねぇかっ!!

 

「仲がよろしいようで何よりです。それでどうするのですか?」

 

 アリステアが全体に問い掛ける。レギーナの申し出を受けるか否かだ。彼女が求めているのは戦力だ。大戦を生き延びた古強者の旧ルシファーの臣下たちに不死のフェニックス。それらを取り込みたいのだろう。

 フェニックス兄妹には断って欲しいのが本音だ。"ルオゾール大森林"の深奥を知ってるだけに危険さは身に染みているのだ。シアウィンクスの自由にしたいという明確な目的があるルシファーの者たちとは違う。わざわざ巻き込まれる必要もない。

 

「私達は受けますよ〜。ねぇ〜?」

「しかしよぉ、バアルの言いなりってのは気に入らねぃ」

「レギーナか。バアルの宰相は冷徹だが契約は守るヤツって聞くからね。気に食わんのはカルクスと同じだが、あたしゃアルンフィルに賛成さね」

 

 アルンフィルを初めとした旧ルシファー組は渋々ではあるがレギーナの計画に参戦するようだ。元凶であるバアルに思うところはあるが上手く行けばシアウィンクスは様々な(しがらみ)から解放される。

 

「俺らも参戦だな。"ルオゾール大森林"は旧ルシファー領ほど近くはないが一応フェニックス領に隣接してるからな。そこから災害が起きると分かっていて無視は出来んだろ」

「ライザー、かなり危険な相手だぞ」

「そういう手合いこそフェニックスの領分だ。他の奴等よりも死ににくいからな」

「えぇ。話を聞いたからに黙ってるなんて出来ませんわ。(わたくし)たちだけ除け者は許しませんわよ、蒼井さん」

「……分かったよ、けど危なくなったら逃げてくれよ?」

「残念だが、もう逃げないと誓ったんでね」

「最善を尽くしますわ。不退転の気持ちで!」

 

 意気揚々なライザーとレイヴェルの返事に頭を抱えたくなる。そんな中で一人の男が前に出てきた。

 

「俺も噛ませてもらうぞ、蒼井 渚。冥界の危機と聞いては黙ってはいれんな」

 

 サイラオーグ・バアルが参加を表明した。

 あのバアルの長兄、本来なら信じられないと一蹴するところだがサイラオーグの人柄は短い付き合いながら知っている。バアルでありながらバアルらしくない悪魔、剛健実直であるが誠実さもある。しかし瞳の奥には揺るがない野心が見え隠れしている。ただ悪意とは程遠い場所に立っている不思議な男。

 

「(サイラオーグ・バアルか。個人的には信用したいが……)」

 

 彼は多分、強い。実際、相対していないため実力の詳細は分からない。だが少なくとも並の悪魔などではないと第六感が告げてくる。

 どうしようか迷うなか、アリステアが耳元に唇を寄せた。

 

「ナギ。彼は使えますよ」

「ステア?」

「戦力としては悪くない、悪魔としては三流ですけど」

 

 サイラオーグを褒めたと思ったら、急に失礼な事を言ってくるアリステア。

 けれど、あの辛辣なアリステアが使えると言うのだから相当な戦力と見ていいだろう。

 

「渚よ、バアルの俺は信用出来ないか?」

「バアルには、色々とお世話になったんで……」

「正直な男だ」

 

 サイラオーグが嫌味のない笑いをこぼす。

 正直、バアルは最も嫌いな悪魔だ。けれど目の前の男はガイナンゼやエルンストとは違うのも知っている。バアルに苦しめられ、精神的に追い詰められたライザーが嫌悪感を無しに接している所からもサイラオーグが善い人柄なのが良くわかる。

 

「サイラオーグさん、俺はバアルが嫌いだ。俺の友人を酷く傷付けて今も付け狙っている」

「そうか、だが当然だ。バアルがやったことを考えれば、その感情は当然とも言えるだろう」

 

 バアルに対する感情を口にするが、サイラオーグは正面から受け止める。

 今にも頭を下げてきそうな雰囲気だ。そういう所を見せてくるのはズルいと思う。敵意をブツけ(ずら)いったらありゃしない。やっぱり一人や二人ぐらい悪いバアルの悪魔を見たからといって全てのバアルを悪者と決めつけるのは良くないな。

 

「けどアンタは良い悪魔だと信じたい」

「何故だ?」

「勘だ。アンタは少しだけリアス先輩に似ている」

「お前が慕うリアスに並べるとは光栄だな。素直に嬉しいぞ」

「……器、広すぎだろ。さっきから俺は大王候補者に随分と生意気言ってんだぞ?」

「リアスから色々と武勇伝を聞かされているのでな。いつかその力を間近で見たいと思っていたのだ」

「お手柔らかに」

 

 すごい期待されている。そういうのはあまり得意じゃないからやめて欲しいんだけど……。

 

「では渚、これからどう動きますか?」

「それはコイツに書いてある。レギーナが交渉に成功したら開けろと言っていた密書だ」

 

 渡されていた密書を開くと、この場にいる全員が覗き込む。そこには誰がどのように行動すべきか事詳しく書かれていた。

 

「あの女、マジかよ」

 

 色々な文章の中から特に目に入ったのはこの二つだ。

 

 ──"赤龍帝"と"白龍皇"への協力要請の必要あり。

 

 更に頭を抱えたくなる。

 宿敵同士の二天龍は過去に何度も周囲に多大な被害を出す激闘を繰り返している。そんな二体が肩を並べるなど想像出来ない。

 そして何よりイッセーを巻き込むとはどういうつもりなのだろうか。アイツは自分以上に平凡な高校生だ。いくら神滅具を宿しているからと世界を滅ぼしかねない怪物と戦わせるなどあり得ない。

 ともせずレギーナが協力を求めるべきは二天龍ではなく魔王だろう。

 

「はぁ~、帰りたい……」

 

 波乱に満ちた冥界の救済が始まろうとしていた。

 

 



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冥界合宿のヘルキャット
マヨイネコ《Stray cat》



小さな少女は自らの存在意義を問う。



 

 ──ピンチの時に助けてくれるヒーローはきっといる。

 

 理不尽から人々を救う存在はいる。

 邪悪から弱い者を守る正義の味方はいる。

 叫べば颯爽と登場して背に庇ってくれる人は居てくれる。

 

 それが滑稽(こっけい)な妄想と理解したのは何時(いつ)だっただろう。有りもしない夢物語に希望を抱き、己の幼さと愚かさを知った時には全てが遅かったのだ。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

「明後日から冥界に行くわよ」

 

 夏休みに入って数日、一誠の実家の地下に作られた訓練場でリアスは眷属たちに言う。

 自分用に用意されたサンドバッグを叩くのをやめた小猫はピクリと身体を反応させる。

 

「……冥界」

 

 あまり良い思い出のない場所だ。正直言えば行きたくはない。だが主が行くと言うのなら仕方がないだろう。

 汗を流していた眷属たちがトレーニングを中断してリアスの元に集まる。それに習い、小猫も自分の訓練スペースから離れた。

 

「四日後、若手の中でも実力がある者達が集まる(もよお)しがある。私は勿論、皆も参加するのよ?」

「ライバル同士の顔合わせみたいなモノっすか?」

 

 一誠がそう聞くとリアスは頷く。

 

「魔王様も出席するからそのつもりでね」

 

 その言葉に眷属たちの表情が引き締まる。

 

「わわわわ、ど、どうしよう、僕、人前に出たくないですぅ」

「何を言っているんだ、ギャスパー。君の力は素晴らしいものがある。自身を持て、無理なら私が鍛えてやる」

「ぜ、ゼノヴィア先輩? なんで剣をコッチに向けてるんです?」

「死線を潜れば度胸も付くだろう?」

「いやぁあああ!? ししょー、助けてぇ~!」

「安心しろ、アリステアからは許可は取ってある」

「なんの許可ですかぁ!?」

 

 ゼノヴィアはニッコリと笑うと剣を振りかざしたままギャスパーを追いかけ回す。ギャスパーも時間停止を利用して上手く逃げていた。

 教会の戦士だった彼女も随分と打ち解けている。

 朱乃や祐斗もそんな二人を微笑ましく見ていた。

 

「もう、話の途中だというのに」

「あらあら、元気があっていいではありませんか」

「あれは放っておいて良いんすか、部長……」

「けど中々の避けっぷりだよ、イッセーくん」

「木場、ギャスパーの奴は半泣きだぞ」

 

 小猫はそんな風景をボッーと眺めていた。すると上に繋がる転移装置から人影が現れる。

 アザゼルとその半歩後ろを歩く夕麻(レイナーレ)だ。訪ねてきたアザゼルを客人として夕麻が案内してきたのだろう。

 

「よっ、来てやったぜ」

「アザゼル先生!」

 

 一誠がアザゼルの元に駆け寄る。あの二人は波長が合うのか妙に仲が良い。

 

「アザゼル、今日も指導に来たの?」

「まぁな。サーゼクスに頼まれた手前、サボるわけにはいかねぇんだよ」

「意外に真面目ね」

神器(セイクリッド・ギア)が関わってんだから真面目にもなるさ。さて誰から見てやるか」

 

 アザゼルがグレモリー眷属を見回す。

 

「ふむ、それじゃあ朱乃から──」

「結構です」

 

 明らかな拒絶。いつもは柔らかな笑みを浮かべる朱乃が無表情になりアザゼルヘ背を向けて自分のトレーニングスペースに去って行った。

 

「ちょっと待ちなさい、姫島 朱乃!」

「いいさ、気にすんな」

「アザゼル様、しかしッ!」

「アイツにも色々あるのさ」

 

 夕麻(レイナーレ)が声を荒らげるがアザゼルに止められた。

 

「なぁ先生って朱乃さんになんかしたの? 明らかに嫌われてないですか?」

「イッセーくん! アザゼル様に失礼よ!!」

「ご、ごめん。夕麻ちゃん」

「あー、やめやめ。俺が原因で痴話喧嘩すんな。……アイツのあの態度も無理はねぇ。"神の子を見張るもの(グリゴリ)"は朱乃の大事なモンを奪った。だから嫌われてんのさ。詳細は聞くなよ? 女の過去をベラベラと喋るのは趣味じゃねぇからな」

 

 ヒラヒラと軽薄な笑みで笑うアザゼルだったが小猫だけはその目が一切笑ってないと気づいた。

 そんなアザゼルがリアスに近づく。

 

「リアス、お前の里帰りにゃ俺も同行するからな」

「えぇ、お兄様から聞いてるわ。"渦の団(カオス・ブリゲード)"の件でしょう?」

「まぁな。旧魔王派がオーフィスに降った事についても話し合わなならん。旧ベルゼバブ、旧レヴィアタン、旧アスモデウスが寝返ったのは確実だが旧ルシファーが不明なままだ。なんか聞かされてないのか、リアス」

「私に入ってきてる情報は多分貴方より少ないわ。旧ルシファー領に監査が入ったのは確かだけど情報が統制されて回ってこないのよ」

 

 リアスの言葉に一誠が手をあげる。

 

「旧ルシファーってヴァーリの実家ですよね?」

「彼は血筋はそうだけど幼い頃からアザゼルと一緒だったらしいから殆んど旧ルシファー家とは関係ないと聞くわ」

「間違えねぇよ。ヴァーリはあの家から疎まれていたからな。小せぇ頃に俺が拾ってからは帰ってねぇよ」

「そうなんだ。じゃあヴァーリ以外のルシファーがいるんですか?」

 

 一誠の質問にリアスは頷く。

 

「シアウィンクス・ルシファーという女性が当主ね。一応、ヴァーリ・ルシファーの義母姉(あね)に当たるわ。まだ若い悪魔だけど恐ろしい人よ。昔、遠目に見たことあるけど威圧感は強者のソレだったわ。正直、気を張っていないと相対するだけで意識を失いかねない」

「こ、こわ……。流石、ヴァーリの姉貴、只者じゃねぇ」

「シアウィンクス・ルシファーか。俺も直接の面識はないが時代が時代なら歴代最恐の魔王になっていたと言われてる悪魔だ。ヴァーリの奴も"強い"と認めていたから相当なんだろうぜ」

「だから彼女(シアウィンクス)に対してはバアルの宰相(さいしょう)が動いているの」

「さ、宰相……?」

 

 一誠には聞きなれない単語ようで困惑している。

 小猫は小声でフォローする事にした。

 

「……トップの右腕みたいなものです。バアルの宰相は、それ以上とも聞きますけど」

「ほへぇ、小猫ちゃん、物知りだな」

「……別に普通です」

 

 小猫がぶっきらぼうに言うと一誠が苦笑する。

 

「へぇ、レギーナ・ティラウヌスが動いたのかよ?」

「先生も知ってる人なんですか?」

「冥界でも有名な奴だよ。旧魔王の振る舞いでメチャクチャになった悪魔の社会を一代で立て直した現政界の立役者。新魔王や初代バアルすらティラウヌスの言葉は無視できないほど多大な影響力を持つと聞く」

「その通りよ。お兄様いわく絶対に敵対したくない相手だそうよ。厄介な者同士が激突している旧ルシファー領にだけは私も近づきたくないわ……」

 

 リアスが本心から言っている。

 小猫は興味がない話から逃れるようにトレーニングスペースへ戻ろうとする。

 

「おっと、ちょっと待ちな」

 

 アザゼルが去ろうとした小猫を止める。

 

「……なんでしょうか?」

「お前、俺が用意したリストバンドを何個着けてる?」

 

 小猫が押し黙る。

 アザゼルは指導にあたって眷属全員に特製のリストバンドは配っている。これはデバフ盛り沢山の超負荷を装着者に()いて能力を向上させる道具だ。体力減少、精神疲労、身体能力低下、異能阻害などなど……。用意したアザゼルも片腕かつ日に1~2時間という制限を設けている相当ヤバい代物だ。無論、複数着ければそれだけ効果も跳ね上がる。

 

「……二つです」

「嘘が下手だな。俺の見立てでは両手両足に着けてるだろ」

 

 鋭い指摘が飛んでくる。

 その言葉を聞いたリアスを初めとしたグレモリー眷属のメンバーは愕然(がくぜん)とした表情を小猫に向けて来た。それ程までにアザゼル特性の負荷リストバンドはキツいのだ。

 

「大したもんだよ。普通なら動ける筈のねぇ負荷に耐える頑丈さは認めるが四つは張り切り過ぎだ。下手すると肉体と精神の根幹から狂いかねんぞ? その歳でベッドに寝たきりの生活が送りたいのか?」

「……強くなるためです」

「はぁ。リアス、お前からも言っとけ。俺の発明は優秀だが用法を間違えば効果がマイナスに可能性がある。お前の眷属を再起不能にしたら間違いなくサーゼクスと揉めるからな」

「……小猫、無茶は()めて頂戴(ちょうだい)。これからゆっくりと強くなって行けばいいじゃない。何を焦っているの?」

「……ごめんなさい」

 

 リアスが悲しそうに懇願する。主人にそんな顔をされてはもう反論はできない。小猫は両手両足に着けていたリストバンドを取り外す。

 

「……少し頭を冷やしてきます」

「待ちなさい、小猫ッ」

 

 制止を振り切って逃げるようにトレーニングルームから出る小猫。

 転移装置を経て外に出ると(あて)もなく走り出す。真夏の日差しが肌を()くのを感じながらもペースは緩めない。

 

「……ゆっくりじゃダメなんです、部長。私は何も出来ない。そんなのが近くに居ても迷惑なだけです」

 

 そう、これまでがそうだったように()()()()()()()()()()()()。小猫は何かしらの期待されているからこそ良くされている。もしもソレに応えらなければ無能の烙印と共に捨てられるかもしれない。

 

()()()()()()()()()()()()()()

 

 自分の前から消えた姉の顔が脳裏を(よぎ)ると古傷が開くように幻痛が全身に広がる。

 誰よりも大好きだった姉、愛されていると思っていたが違った。姉は何も言わずに自分を地獄に等しい場所へ置いてけぼりにして消えたのだ。リアスに拾われていなかった確実に生きていなかっただろう。

 ズキズキと胸の奥が痛み、指先が震え出す。愛していた者に裏切られた傷は(いま)だに心を(さいな)んでいる。

 

 リアス達がそんな事をするなど有り得ない。

 

 そう否定するには過去という裏打ちされた実体験があるだけに万が一という危機感が根付いていた。

 心の奥にある誰にも見せたくない疑心暗鬼な自分が言うのだ。

 

 ──また捨てられたいの? 

 

 この言葉が少女の胸の内を掻き乱す。

 リアスがいい人なのは分かっている。ただ一度捨てられた身として、あの時の恐れがトラウマとなって深く内面に刻み込まれている。

 

「……私はどうしたらいいのかな」

 

 搭城 小猫は、誰よりも孤独を忌避するなかで他人の温もりを恐れている。

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 気付けば夕暮れ時になっていた。

 小猫は見慣れない海岸沿いの道から海を眺める。駒王町から随分と離れてしまったようだ。

 思考を止めて走っていたので一体どれぐらいの距離を駆け抜けていたのか分からない。アザゼルのリストバンドを外したせいか疲労はあまり感じれなかった。

 

「……そろそろ帰らなきゃ」

 

 来た道を引き返した小猫がトボトボと歩き出す。ふと頭上にあった青い道路標識を見上げる。駒王町のある県まで150kmと白い文字で書いてある。思ったよりも遠くに来てしまったようだ。

 小猫は長くなった自身の影を見下ろすと全然疲れていないのにその場にしゃがみ込む。

 

「……弱い、全然弱い。せっかくナギ先輩から力を貰ったのに活かせてない。本当ならもっと強い筈なのにまるで"蒼"を使いこなせてない」

 

 小猫は知っている。

 "蒼"により新生した自分は猫又や悪魔とは違う生命になりつつある。最近では光に対する嫌悪感や危機感も無い。それが致命的な弱点ではなくなっているからだ。

 猫又を捨て、悪魔を捨て、次はなんになるというのだろうか? ただ確かなのは生命体としては猫又や悪魔を凌駕する"ナニか"に変貌するということ。

 アリステアも小猫を指して神も殺せる器と断言していた。それだけのポテンシャルがある肉体なのに持て余しているのが現状だ。

 

 もっと頑張らないとダメなのだ……。

 

 背後から追われているような(あせ)りを感じる。

 早く強くなって役に立つと証明したい。

 (ねじ)れた承認欲求と焦燥感の間で精神が擦り切れそうだった。

 

「……ナギ先輩、私、頑張るから。見限られないように頑張るから」

 

 ここにはいない少年に誓うように拳を握る。

 そんな自分を追い立てる努力を蒼井 渚が見たら顔を歪めて止めるだろう。だがその渚は小猫のそばにはいなかった。

 

「気分が優れないのですか?」

 

 (うずくま)る小猫に優しげな声が届く。顔を上げれば一人の女性がすぐ目の前にいた。

 思わず目を奪われた。

 その容姿たるや女神を思わせる美貌であり、優しそうな瞳は心配からか少し陰りを見せている。日本人離れした容貌からして海外の生まれなのが分かる。

 だが小猫が驚いたのはそこではなかった。その女性の纏う雰囲気が余りにも似ていたのだ。

 

「ナギ先輩?」

 

 顔どころか性別すら似ても似つかないのに反射的に名を呼んでしまう。

 

「……申し訳ありませんが私はその方ではありませんね」

「あ、ごめんなさい。雰囲気が似ていたので……」

 

 罰が悪そうに謝罪するが女性は気にした様子もなく笑みを浮かべて手を差し伸べてきた。

 

「ふふふ、構いませよ。他人の空似という言葉もあります」

 

 スッと手を取られて立ち上がらせられた。

 女性と目が合う。こうして見ると不思議な人だ。神秘的というか浮世離れした独特のオーラがある。だからと言って近寄り難いという訳ではなく、寧ろ包み込まれるような心地よさを感じてならない。

 

「やはり顔色が良くないですね。あそこで休みましょう」

 

 手を軽く引かれて歩道の脇にあるベンチに座らされた。

 

「……私は大丈夫なので」

「まぁまぁ、そう(おっしゃ)らず」

 

 見知らぬ他人と肩を並べて座る。

 会話がないまま時間が過ぎていく。ギャスパー程ではないが小猫も人見知りをする。本来なら苦手なシチュレーションだ。やはりここは何か言い訳を考えて立ち去ろうとした時である。

 目の前に白い物体が現れる。見れば女性の手には肉まんが乗っていた。さっきまで何も持っていなかったのどこから出したのだろうか? 

 小猫が少し警戒するが女性は笑みを深める。

 

「よろしければお食べ下さいな」

 

 美味しいですよーと言いたげにグイッと突き出される肉まん。そう言えば昼から何も食べていなかった。そう自覚すると空腹感が大きくなる。

 

「……ありがとうございます」

 

 一言礼を言って受け取ると女性も逆の手に持っていた肉まんを頬張る。上品かつ美味そうに食べる人だと思う。小猫も小さい口でモグモグと肉まんをいただく。

 

「良ければお話、聞きますよ?」

「……え?」

 

 肉まんを包んでいた包装を丁寧に(たた)みながら女性は言う。

 

「何かお悩みがあるご様子。見知らぬ他人だからこそ話せる事もありましょう」

「……どうして、そこまで?」

「ただのお節介です。気になると勝手構ってしまう性格でして、尤も身の程も(わきま)えろと思われれば無理にとは言いません。しかし言葉にするだけでも楽になる場合もあります」

 

 他意はないのだろう。だが相談するしても小猫の悩みは人間離れしたものだ。この女性に解決できるとは思えない。だから(だんま)りを決め込んでいると女性は小猫の目を覗き込むように視線を合わせてきた。

 彼女の瞳は虹色に輝く不思議な色彩を放っている。

 

「ふむふむ、なるほどなるほど」

「……あの」

 

 急に納得したような顔をされて困惑してしまう。

 

「最初に謝罪を……。申し訳ありません、少し貴女を()させて貰いました。──可愛い悪魔さん」

 

 その言葉を聞いて勢いよく立ち上がり身構える。しかし女性は柔らかな笑みを浮かべたままだ。

 

「……あなたは何者ですか?」

「そう警戒なさらずに。勝手に貴女を()たお詫びに微力ながら力になります」

 

 女性は何もない空間に手を右手を差し伸べる。すると一冊の本が手元に現れる。小猫の中にある()()(おのの)き、その本に釘付けとなった。

 何らかの魔道書なのは間違いない。だが内包する力は小猫の理解できる範疇の外にある。本能と理性が警鐘を鳴らす。アレは小猫など一瞬で消せる力がある。

 

「──TOC(真性目録) Unlock(開錠)

 

 その持ち主である女性は本に命じるように呟く。

 

「──Touch wood(我、汝の幸運を祈る)

 

 更に続く言葉に本のページが目紛(めまぐる)しくパラパラと(めく)れる。そしてとあるページで止まると女性は紙片をビリっと破った。

 

「はい、どうぞ」

 

 正体不明の紙切れを渡された小猫は思わず手に取ってしまう。

 

「……あの、これは?」

「贈り物です。貴女は自らの価値を示すため"強さ"を欲しているのでしょう?」

「……なんで、それを」

 

 女性は笑みを携えたまま小猫の頭を撫でた。

 

「強く望めば"紙片"は力を与えるでしょう。必要な時にご利用下さい。そしてその先に貴女の救いがある筈です、白音さん」

 

 名前を呼ばれて驚く。

 どうして自分の事を知っているのか問おうとした。瞬間、強い風が吹きつけた。その刹那の合間に女性は小猫の真っ正面に立っていた。真横に座っていたのにいつの間に移動したのだろうか? 

 

「あなたは一体……」

 

 警戒、困惑、畏怖が混じった小猫に対して女性はロングスカートの横を摘まんで小さく頭を下げる。

 

「名乗り遅れました。私はマスティマ・テトラクティス、以後お見知りおきを。……あら、どうやらお迎えがきてしまったようです」

 

 女性──マスティマが視線を送った先に小さく人影が見えた。

 恐らく女の人だ。

 長い黒髪を風に靡かせながら不機嫌そうにマスティマを睨んでいるように感じる。

 

「セクが怒ってるので失礼しますね」

 

 最後まで穏やかな笑みを浮かべたままマスティマは颯爽と去って行った。

 小猫は黙ってその背中を見つめ続ける。やがて迎えの女性と合流したマスティマはコチラへ振り返って小さく手を振った。

 そして瞬きの間に忽然と姿が消える。

 夢か幻、そう思えるほどに忽然と居なくなった。けれど間違いなく彼女は存在した。それは小猫の手にある謎の紙片が物語っていた。

 

 

 

 

○●

 

 

 

 

 夕暮れを背に波の残響を聞く。

 気分がとても良い。偶然とはいえ"蒼"に近い者と会合したのだ。とても良い子であった。自らを無力と断じて他人の為と力を欲する。強欲だが純粋な心の持ち主だった。だから"紙片"まで託してしまったが後悔はない。

 

「随分とご機嫌じゃない? さっきの悪魔との会話がそんなに楽しかったの?」

「もしや()いてらっしゃるのですか?」

「な訳ないでしょ」

「相も変わらず素直じゃないですね。それじゃ彼氏の一人も出来ませんよ?」

「そんなのいらんわ」

 

 隣を歩くのは同胞──セクィエス・フォン・シュープリス。伊達メガネの奥にある目は不機嫌そのモノだが別に機嫌が悪い訳ではない。この娘はこれがデフォルトなのだ。綺麗な薔薇には棘があるを素で行く美しい人である。

 

「それにしても、なんて事してんのよ。……らしくない」

「はて何を()してのお言葉でしょうか?」

「"紙片"を渡したでしょうが……。あの子、()()()()()()。──まさか殺したいの?」

「殺すだなんて滅相もない。あ、肉まん食べます?」

「それもいらんわ。勝手にフラフラと食べ歩き漫遊するのは良いけど"本"の力を振り撒くの止めなさいよ。その力に耐えれるヤツなんて、そうそういないっつの」

「そうですかね? まぁ白音さんなら大丈夫でしょう」

「根拠は何よ?」

「女の勘です」

「なんたるアバウト。……て言いたいトコだけどお前の事だから確信があるんでしょうね」

「秘密です。あ、そうです! 折角だから焼き肉でも行きます?」

「絶対に、絶対に行かないわ」

 

 嫌そうに顔を歪められた。以前の焼き肉パーティー(アルマゲスト御一行)をまだ根に持っているようだ。

 

「今日の私は普通の格好ですしタコも出ませんよ? あ、皆も呼びます?」

「やめろ、それを一番にやめろ。アイツらは確実にいつもの格好でくるから。嫌な事を思い出せないで……。秘密結社を名乗ってるくせに堂々とし過ぎなのよ。真っ直ぐ帰りなさい」

「セクは不良さんみたいで真面目ですね」

「お前は真面目そうに見えてフリーダムね、マスティマ」

 

 説得は無理そうなので肉まんで我慢することにした。

 ふとマスティマは沈みかけた太陽に見る。赤く血のような不気味な星に笑みを消す。

 

「セク」

「何よ?」

「冥界で不穏(ふおん)な動きを感じます」

「魔王の血筋がテロリスト落ちしたんだから不穏にもなるわよ」

「それとは別件です。恐らく"ルオゾール"が目覚めます」

 

 セクィエスの不機嫌さに拍車が掛かる。

 

「もうそんな時期か、面倒ったらありゃしないわね。……それでどうするの?」

「私が出向きます」

 

 マスティマの言葉にセクィエスが「はぁ~~」と深く長いため息を吐く。

 

「そこは"私たち"だろうに」

「あら? いいのですか?」

「お前に死なれたら就職先に困る。私、社会府適合者だし……」

「ふふふ、そうですか。なら守って下さいね?」

「別に守る必要ないでしょ。戦闘力お化けのアルマゲスト総主なんだから」

「そう言わずに~♪」

「コラ引っ付くな、暑苦しいっ」

 

 マスティマがセクィエスの腕に手を(から)める。嫌そうにされるが振りほどく力は強くない。仲の良い姉妹のように戯れる二人。

なんだなんだでマスティマに甘いセクィエスであった。

 

 



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懇談会《Chaos Fes》

 

「くそ、眠い……」

 

 薄暗い森の奥。

 渚は一人で草木を掻き分けながら歩く。

 "ルオゾール大森林"に比べれば幾分(いくぶん)かマシな道だが、それでも悪路なのは間違いない。鬱蒼とする木々にため息を吐きたくなるのを我慢してひたすら足を動かした。

 

「レギーナの奴、俺を過労死させるつもりかよ」

 

 レギーナへの借金返済のため色々とお遣いを頼まれているのだが休む時間がない。フェニックス領まで行かされた後から様々な雑務を押し付けられた渚はとにかく忙しい。寝る間も惜しんで働かせているので正直ベッドが恋しかった。

 ふと森の中に小さな光を発見する。近づくと焚き火が燃えており人がいた形跡がある。

 

『背後に敵反応。反撃の是非を問う』

 

 ティスからの警告を受けて霊氣を繰り出そうとするがやめる。それから数秒と待たずに敵意がやってきた。

 

「はい、捕まえたにゃん」

 

 ふわりといい香りがしたと同時に後ろから首に手を回された。気づけなかった事に驚くが平静を装う。振り向こうとすると硬い金属の棒を頬に突き付けられた。

 痛いんだが……。

 

「んで? 誰だい、あんた?」

 

 見知らぬ女と男に背後を取られながらも渚は手を挙げて降参の意思を見せる。

 

「争うつもりは無い。俺はヴァーリ・ルシファーに会いに来ただけだ」

 

 ピリッと背後の両人から殺気が放たれる。どうやら返答を間違えたらしい。

 

「ふぅん、ヴァーリの追手(おって)ね。面白いにゃん」

「あぁ、だな。オイラ達は秘密裏に冥界に来たつもりなんだがよ? どうやって見つけたんだい?」

 

 レギーナに言われてきた、で通用するだろうか? しないだろうなぁ……。ヴァーリがいると思いきや知らない顔が出てくるとは全く運がない。

 

「二人ともその辺にしておけ。下手に刺激すると火傷では済まない。何より俺が先約だ」

 

 ヴァーリが出てきて二人を止める。有り難いがコチラから手を出すつもりは無いのに危険人物みたいに言わないでほしい。

 

「("先約"、ね)」

 

 やはりヴァーリとは(いず)れはバトらないといけないようだ。ルフェイの件で約束してしまった手前、受けないわけにはいかないだろう。……憂鬱である。

 

「アーサー以外にも仲間がいたんだな」

「"渦の団(カオス・ブリゲート)"にも色々あってね」

「大変そうで何よりだよ」

「あぁそれなりに充実はしているよ。こうも様々な方向から敵意を向けられるのも中々に悪くはない」

「……そーですか」

 

 どんな思考回路をしているのだろうか? 流石は戦闘狂である。

 

「さてなんの用だい? ルフェイを取り戻しに来たんなら遅かったと言わざる得ない。彼女なら治療した後にアーサーが連れて言ってしまったよ。実家辺りに連れて行ったんじゃないかな?」

「心配ではあるけどルフェイの事じゃないんだ。別件というかレギーナからの依頼を持ってきた」

「へぇ、依頼というからには報酬があるのかい?」

「アーサーにはルフェイの無罪放免。受ければシアウィンクスに加担した事に目を(つぶ)るそうだ。あー、そんでアンタにはだな。──死闘を捧げるだとよ」

 

 こんな報酬があるだろうか? なんのメリットもない。少なくとも自分なら間違いなく蹴る。だがヴァーリは興味深いと言いたげにニヤリと口元を歪ませた。

 

「聞こうじゃないか」

 

 もうヤダ、コイツ。なんでこんなに楽しそうなのさ……。

 

 辟易しながら渚はレギーナの計画を口にする。

 

「このままじゃ世界が滅ぶらしくてな」

「世界が滅ぶとは大袈裟だな。全神話体系が最終決戦を始めるか、オーフィス(無限の龍神)グレートレッド(夢幻の真龍)が直接対決する位の出来事が起こると言いたいのか?」

「らしいぞ。なんでも"聖書の神"と"二柱のムゲン(オーフィスとグレートレッド)"が手を組んでも倒せず封印した怪物がいるみたいでな。その厄介モンが近い内に目覚めるって話だ」

 

 一柱でも世界を滅ぼす最強の龍種二体と神器(セイクリッド・ギア)なんていう世界のバグ技を産み出した神様ですら滅ぼせず封印する他なかったっていう冗談みたいな相手だ。そんなのがホントにいるのか今でも半信半疑であるがいたとしたら絶対に関わりたくない。けどやらなきゃ家に帰るドコロか家のある世界が消える。

 なんという理不尽なのだろうか……。

 

「俺たちは戦力が足りずに困ってるから使えそうな人材を探すために奔走している訳だ」

「そんな者がいるなんて聞いたことがないね。いたらとしたら神話に残っていそうだが……」

「コイツは神々も生まれていない遥か彼方の過去の化物だそうだ」

「神話より古き者か。……興味深いな、受けよう」

「アッサリだな。普通は考えるだろうに」

「楽しそうだからね」

 

 不適に笑うヴァーリの横で彼の仲間も似たような顔をしていた。

 

「へへへ、どれほどのもんかなぁ。ワクワクすんなぁ」

「ん〜、冥界旅行のいい思い出になりそうだにゃん」

 

 まるで臆した様子がないヴァーリの仲間たちだった。

 ちなみに男の方は美猴(びこう)、女の方は黒歌(くろか)というらしい。

 とりあえず軽く自己紹介してから三人と別れた。別れ際にヴァーリが嬉々として渚の戦闘力を褒めたせいで質問攻めにあった。

 

「アイツら類友かよ。……理解できねぇ」

 

 疲れ果てた様子で渚は森を後にする。まだまだする事は多いのだ。

 

 

 

 

 

 ◯●

 

 

 

 

 

「……気が重い」

 

 ヴァーリたちと別れて数時間後、渚が表情を引き釣らせながら街中を歩いていた。胃がキリキリ締め付けられている。両サイドから剣呑な重圧を飛び交うのを肌で感じている為である。そんな渚の心労を知ってか知らずか元凶が口を開く。

 

「よもや貴様と肩を並べて歩く事があるとはな。……虫酸(むしず)が走る」

 

 左から高圧的の言葉が通り過ぎるが、これは渚に対する台詞じゃないので黙って見送った。

 

「仕方あるまい、全ては冥界のためだ。不快だろうと我慢しろ、ガイナンゼ」

 

 今度は逆から力ある声が通り過ぎた。

 

「指図か? いい気になるなよ、サイラオーグ」

 

 バアル家の兄弟が渚を挟んでバチバチと火花を散らしている。合間にいて気まずい自分の事も考えてほしい。

 

「人を挟んで喧嘩すんな。仲良くしろよ、アンタら兄弟なんだろ……?」

 

 渚が左右にいる大王(バアル)家の方々へ物申す。

 雰囲気のあるサイラオーグとガイナンゼが喧嘩なんかしたら目立つ。こんな街中で言い争いなんて辞めてほしい。ほら、周りの人たちが勝手に道を開けて避けて行くじゃないか。自分も逃げたいのに(あいだ)に立っていて身動きが取れない状態を哀れと思うのは過剰な反応だろうか? ……多分、違うだろう。

 渚が殺伐サンドイッチの具材になっていると嫌悪感を剥き出しにした声が飛んで来た。

 

「仲良く? あり得んな、いつか殺す相手だ」

 

 左にいるガイナンゼ・バアルが(いか)つい顔を更に(いか)つくした。

 

「ちょ、殺すって兄貴だろ?」

 

 確かサイラオーグが長男でガイナンゼは次男だったから間違いない。けれどガイナンゼの言い方はあまり良くない。渚が反論するも右隣にいたサイラオーグが手で(せい)した。

 

「構わんさ、渚。我らはこういう家に生まれたのだ」

「こういう家ってバアルはどんな場所なんだよ……」

 

 おいおい(いく)らなんでも笑えな過ぎてヤバいぞ。大丈夫か、バアル家よ。

 確かにガイナンゼといい、エルンストといい、ロクな奴じゃないが家族同士で殺し合うのは何処(どこ)か切なく感じてしまう。

 他人事なのに気にし過ぎだろうか。

 渚が深く考え込んでいるとサイラオーグが(ほが)らかに笑う。

 

「ふ、お前は優しいのだな」

「お、お、おぅ?」

 

 ガシガシと頭をグシャグシャにされて変な声が出る。

 力強く大きな手だった。まさか撫でられるとは思わなかった渚は面を食らった。

 

「あぁ、すまん。昔はよく弟にこうしていたのだ」

「……お、弟?」

 

 渚がお化けを見るみたいにガイナンゼに視線を向けた。

 コイツとエルンストがサイラオーグに頭をナデナデされてる光景は中々に刺激的だったからだ。

 

「こっちを見るな。やられていたのは(すえ)のマグダランだけだ。……この男に触れられるなぞ不快(きわ)まる」

「ですよね~」

 

 渚とガイナンゼの会話を見ていたサイラオーグが苦笑した。

 

「さて、そろそろ会場だ。あまり粗相(そそう)はするな、ガイナンゼ」

「ぬかせ。貴様こそ他の者に(あなど)られぬことだな、無能が……」

 

 渚は目的地に到着して建物を見上げる。ここは新人悪魔の懇談会(こんだんかい)の会場だ。サイラオーグはそれに参加するため、渚はリアスと再開するため、各々(おのおの)が目的のためにここへ足を運んでいる。ガイナンゼはレギーナの指示で来ているので良く分からない。

 ともせず渚にとっては場違いな所だ。

 

「では眷属を待たせているので先に行くぞ。渚、ガイナンゼを頼む」

「荷が重すぎるんだが……」

 

 この男の戦闘力と狂暴性は戦った渚が一番理解している。一緒にいて(ぎょ)せるなど思えない。

 

「お前なら大丈夫だろう」

 

 サイラオーグが自信ありげに言う。

 

「嫌に確信的だな」

「自信を持て。あのレギーナ・ティラウヌスの(たくら)みを阻止した手腕は見事だった」

 

 渚の肩に手を置いて去って行く。

 残された渚はガイナンゼを一瞥して疲れた表情をした。

 

「今はそのレギーナの企みに巻き込まれてる最中なんだけど……」

「何をボサッとしてる、貴様は行かんのか?」

「はいはい、行きますよ」

 

 歩き出すガイナンゼへ付いて行く。

 しかし分からないものである。本気で命を奪い合い、相容れないと思っていた奴とこうして歩いている。

 渚はガイナンゼにあまり良い感情を抱いていない。シアウィクスに対する行為や態度からして仲良く出来るとは到底考えられないのだ。

 

「(それはコイツも同じだと思ってんだけど……)」

 

 意外な事にガイナンゼから渚に対して敵意や害意を感じない。サイラオーグには凄まじい嫌悪感を()き出しにしていたのに渚へは不自然なくらいに負の感情を向けてこないのだ。

 

「なぁ、アンタは俺に文句の一つくらいないのか?」

「意味の分からん問いだな」

「あんだけ()り合ったんだから思うことあるだろ。殺したいとかブッ潰したいとかないん?」

「貴様に負けた事は(かて)になった。思うことはない、それにレギーナ様から貴様との戦闘は禁じられた」

 

 驚きである。

 唯我独尊の狂犬みたいな奴と思いきや忠犬タイプらしい。一体、何をどうやってレギーナはこんな怪物みたいな男を飼い慣らしているのだろうか。

 ともせずガイナンゼに付いて行く。中々に広い建物で一人では迷いそうだ。

 

「貴様にこれを渡しておく。レギーナ様より(たまわ)った代物だ、粗末に扱う事は許さん」

 

 ガイナンゼが後生大事に腕に抱えていた暗い色の衣服を渡してくる。綺麗に畳まれた布を渚はバサッと広げる。

 

「ロングコート?」

「これは認識阻害の術式が()まれた衣服だ。悪魔のイベントに(ただ)の人間が紛れてもバレない為の配慮だそうだ。あの方のご厚意を有り難く教授するが良い」

「……気遣い痛み入るね」

 

 渚は歩きながらレギーナより渡されたフード付きのロングコートを羽織(はお)る。レギーナのセンスなのか、漆黒に近い紺色のロングコートは中々に良いデザインをしている。

 

「フードを使えば声にも阻害能力が乗り、効力自体も飛躍的に高まる仕様だ。さっさと被れ、ここは上位の悪魔が集まる場所だ。鋭い奴は貴様の正体に気づく」

「あいよ、仰せのままに」

 

 フードを目深(まぶか)(かぶ)り、怪しいナリになった渚がため息を吐いた。ズカズカと先を歩くガイナンゼの背中を眺めながら進んで行く。

 エレベーターを使い、上層へ移動した後も更に移動が続く。広過ぎだろと呆れつつも黙って足を動かす。  

 通りすがり何度か扉を見たが、どれもこれも大きさといい、デザインといい、同じ物ばかりだ。

 

「着いたぞ」

「ここか?」

「そうだ。──行くぞ」

 

 ガイナンゼから殺意が駄々漏れて渚の肌をビリビリと刺激する。

 え、なんでそう殺気立ってんの、急にどうしたんだ? もうコイツの感情スイッチがどうなってんのか訳分からん。

 困惑しながらも渚は危ない気配をさせたガイナンゼの背中に"待った"をかける。

 

「待て待て、なんでそんな敵意満々なんだよ。この中に(かたき)でもいるのか?」

「ここから先は権力のある悪魔の巣窟だ、私ですら簡単には手を出せん。──なんとも不愉快な場所だ」

 

 だから何なんだ? 自分よりも偉い奴が嫌いなのか? ……あり得る、ガイナンゼとの関係は薄いがシアウィクス(がら)みの一件からして普通の悪魔じゃないのは身に()みて理解している。

 自分みたいな貧相な一般ピープルは敵意の対象外ですか、そーですか。……助かります!! いや、そうじゃなくて、このまま入れていいかを考えろよ、俺。

 まるで今から戦争に行って敵を殺戮してきそうな巨漢をなんとか(なだ)めようとする渚に気付いたのか。危険な雰囲気を収めるガイナンゼ。

 

「ふん、貴様の考えは杞憂(きゆう)だ。私はレギーナ様の(めい)でここへ来ている。あの方の顔に泥を塗るような蛮行はしない」

「ア、ハイ」

 

 し、信用出来ねぇ~。せめてその(くすぶ)ってる殺気を(おさ)えてから言ってくれ。

 渚の心配を他所(よそ)にガイナンゼは扉へ入っていく。

 

「はぁ~。なんかすげぇトコだな」

 

 そこは二階層の広い劇場と言えばいいのか。

 舞台を取り囲むようにバルコニーが設置されており上から見下ろせる形になっている。

 渚が今いるのはバルコニーだ。そこには食事が出来そうなテーブルが並んでおり、高級そうなボトルやグラスが上に置かれている。周囲では上流階級の身なりをした悪魔たちが軽い食事や談笑に花を咲かしている様子だ。

 しかしコチラを見るや悪魔たちはチラチラと盗み見しながら耳打ち声で話し始めた。

 渚は好意的ではない悪魔たちの視線に刺されながら指定席へ椅子を腰を下ろす。

 

「なんだ、随分と不躾(ぶしつけ)な視線を感じるぞ。もしかして正体がバレたか?」

「有り得ん、レギーナ様の作品に不備などない。大方、私がここにいるのが余程珍しいのだろう」

 

 お前、レギーナ様の事、好き過ぎだろ……。

 その言葉が口に出そうになるが違う台詞を被せて発言を改める。

 

「アンタ、有名なのか?」

「私はレギーナ様直属の"エリミネーター"だ。本来ならこのような退屈かつ無意味な舞台へ顔を出さん」

「えりみねーたー? サイボーグか何かの仲間?」

「……粛清(しゅくせい)生業(なりわい)にする部隊の名称だ。"エリミネーター"はレギーナ様の名の下に秩序を乱す悪魔を葬る役割を(いただ)いている。要するに殺し屋だ」

「あ、そう」

 

 粛清部隊(エリミネーター)ってマジかよ。そんなのあるなんて聞いてねぇよ。あ、俺まで変な目で見られてる……。ありゃガイナンゼの部下かなんかだと思われてるな。確かに今の姿はアサシンにも見えなくもない。

 明らかに変な誤解をされている様子に渚は肩を落とす。

 

「部長に会うためなら、わざわざここじゃなくて良かったろうに」

「私に言うな。レギーナ様からの頼みでなければこんな場所に来なかった」

 

 互いにとって嫌な場所なようだ。渚は周囲から来る嫌な視線に耐えきれず用意された席を立ち、(きびす)を返す。

 

「疲れる。悪いけど少し席を外すぞ」

「勝手にするがいい」

 

 短いやり取りをしてから部屋から逃げるように去る。あんな空気の中にいるなんて我慢ならない。ガイナンゼと違って自分は神経が図太くないのだ。

 適当に時間を潰してイベントが始まってから戻ろうと決める。

 

「さて、少しブラつきますか」

 

 渚はそう一人で呟くと適当に足を進めるのだった。

 

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

「うん、やらかした」

 

 気晴らしに探検を始めたのは間違いだった。

 似たような廊下に似たような扉。加えて人通りもない。適当にブラついた結果、完全に迷子である。

 取り敢えず近くの扉を開くが何もない部屋だった。この建物、大きい割りに何故か窓がないので更に迷ってしまってる。

 さて、どうしようか。

 そう頭を悩ませていると下に繋がる階段が現れた。

 

「下かぁ」

 

 行くだけ行ってみる事にした。もしかしたら人がいるかもしれない。そんな願望も空しく下の階も似たような風景が広がるだけで上とあまり大差ない。やはり戻ろうと階段に足を掛けた時だ。

 奥から派手な破壊音と地響きが届く。

 

「……っと、なんだ?」

 

 何事かと音の方へ素早く駆け出すと壁に大穴が空いていた。大穴の中は何かしらの部屋らしく、言い争うような声が聞こえてきた。どうやら揉めてる内に誰かが魔力で壁を撃ち抜いたようだ。

 空いた穴から剣呑な気配が伝わってくる。経験則から面倒ごとだと分かってしまう。

 

 行くべきか迷う。

 

 渚の手元には武器がない。御神刀は譲刃、魔拳と洸剣はシアウィンクスに預けている。もし戦闘になったらどうするか考えて「あっ」と思い付いたように自らの内に声を届けた。思い浮かべるのはティスでは無くもう1つの超存在だ。 

 

「(戦闘の可能性がある。力を貸してくれ)」

『分かりんした、(ナギサ)さま。今回はワタクシがお供をさせて(いただ)きんす。万全を()するため牢より()で、具象化を行う勝手を許しておくんなし』

 

 渚の申し出に"彼女"は意気揚々と返事するとドス黒い霊氣が内から放出されて人の形になった。初めて会った時の色気がヤバい美女の姿だ。渚が慌てて目を逸らす。頑丈そうな首輪に両手足には重そうな鎖。極めつけは色々と布面積の足りないボロ切れ同然の服である。少し動いただけで見えてはイケない部位が(こぼ)れ落ちそうだ。

 

「どうしんした、(ナギサ)さま……? ハッ!? やはり、ワタクシの具象化がお気に()さないのでありんす!? ごめんなんし、()ぐに消え()せす!」

「あ、違う違う! ちょっと驚いたが消えなくていい! ただ目のやり場に困るというか……」

「はい?」

 

 渚の顔を覗く"彼女"。胸の谷間どころか先端が見えそうだ。更に視線を逃がすが"彼女"は疑問符を浮かべながら「(ナギサ)さまぁ〜?」と渚の目を追跡する。

 そんなに揺らすな、見えちまうよ……。

 

「だぁー! 服を着ろぃ!! なんでその姿なんだ!? なんとかなんないのか?」

「ワタクシは(いや)しい雌犬でありんす。この見窄(みすぼ)らしい姿が似あいんす」

 

 ドヨーンと重く肩を落とす"彼女"に渚はたじろぐ。

 

「いやいや、なんでそんなネガティブなん?」

「大罪人なので。しかし(ナギサ)さまがお許しゅうださるならば姿見は変えられんす」

「分かった、許可する。だから普通の服に着替えてくれ」

(ナギサ)さまのお望みのままに」

 

 "彼女"の首から下が闇に(おお)われるとボロ切れだった衣類から着物姿に変わる。

 ゴクリと生唾を呑み込む。それ程までに隔絶した美しさだった。露出を無くしてなお妖艶(ようえん)さが隠しきれていない。危うい魔性を放つ"彼女"だったが渚の視線に気づくや体を小さくモジモジさせ始めた。

 

「どう、でありんす?」

「あ、うん、凄くいいと思う。……多分、細長いキセルとか似合いそう」

 

 思ったことをそのまま口にする。"彼女"は闇色の長髪を揺らしながら瞳をふやけさせて顔を赤くした。

 

「……(うれ)しんす」

 

 なんだ、これ? 可愛いぞ……。

 妖艶さを(まと)いつつ初心(うぶ)な反応を見せてくる。あまりにアンバランスな姿に一瞬だけ"彼女"の危険性を忘れた。

 

「…………そろそろ動こう。それとバレると面倒だから俺の名前は極力呼ばない方向で頼む」

「ではこの場では(ぬし)さまと呼ばせて貰いんす」

「まぁいいけど」

 

 渚は頭を振って思考を切り替える。無駄話も早々にティスが何も言ってこないのなら大丈夫だろうと"彼女"と共に行くことにした。

 

「(こっから先は出来るだけ穏便(おんびん)にな? 間違っても食べるなよ?)」

了承(りょうしょう)しんした。ワタクシ、純然たる"暴力"を(つかさど)る身ゆえ力無き者は霊圧だけで戦意を(うしな)いんす。よもや無血で済むやもしれんせん」

「(期待してる。じゃ行こうか、──"レイセン")」

 

 "彼女"の名を呼ぶと霊氣の出力が急激に上昇した。鈍い渚でも分かる。これは歓喜から来るものだ。

 "彼女"は分霊とはいえ、"蒼獄"のピスティス・ソフィアの対である"黄昏"のアルキゲネドールだ。(いま)だにソレが(なん)なのかを理解している訳じゃないが霊氣を司る存在なのは分かっている。ピスティスもアリステアも口を揃えてこう言うのだ。──霊氣の果てに辿り着くモノ、と。

 だから、そこから取って霊辿(れいせん)と名付けた。

 色々考えたが本人が気に入っている様子なので渚も密かに安堵している。

 

「さぁ(ぬし)さまの信頼に応えるため、逆らう愚者は喰らい尽くして()りんす」

 

 ふんすっと気合い入れがちなレイセン。

 微妙なすれ違いを感じる……。あ、あのレイセンさん? 俺が期待してるのは"暴力"の部分じゃなくて無血で済ますってトコですよ? 俺、穏便って言いませんでした? なんで殺る気満々なんですかね? 

 

 やはり超常存在の思考は分からないと渚は不安になるのだった。

 

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 

 渚が部屋に入るとレイセンも後ろに控えるように着いてきた。随分と派手にやったようで元は小綺麗だった大広間はテーブルや装飾品やらが破壊されており床も砕けていた。

 

「(結構な数がいるな)」

 

 ぱっと見て二十人以上はいる。それぞれが複数のグループに別れていた。それを見てサイラオーグが参加している若手悪魔たちの会合なのだろうと悟る。ならばリアスもいる筈だと渚は顔見知りを探す。

 だが渚の視線を轟音が奪い去った。フードの奥にある瞳で音の元凶を追う。

 広い部屋の中央で二つのグループが苛烈な殺意を(もっ)て睨み合っていた。どうやらあの二つが対立した結果がこの部屋の惨状らしい。

 

「(うわ、殺し合いが始まりそうだよ……)」

 

 予想はしていたがロクな状況じゃなかった。

 

「ゼファードル。こんな所で戦いを始めても仕方なくて? 死ぬの? 死にたいの? ここで殺しても問題ないかしら」

 

 対立していた片方、眼鏡を掛けた女性悪魔が冷たく言い放つ。すると相対していた柄の悪い男性悪魔が口元を歪めた。

 

「ハッ! 言ってろよ、クソアマァッ! 名家の女ってぇのはどいつもこいつも処女くせぇたらねぇぜ。だから俺が直々に開通してやろうってんだから泣いて感謝しろっつの。なぁ、シーグヴァイラちゃんよぉ!?」

「そんな下品な誘いに乗ると思って?」

「弱ぇくせに吠えんなや! けどよぉ、テメェやアッチのシトリー、今から来るグレモリーは顔だけは上玉だ。(まと)めて仕込んでやんよ!」

 

 渚はゼファードルと呼ばれた柄の悪い悪魔の言動に「うわぁー」と引く。少し前にシアウィンクスやルフェイに迫ったエルンスト・バアルの顔が思い浮かぶ。言葉や態度こそ違うが根底にあるのは己の欲を満たしたいという濁った願望だった。

 渚は少し不快になり歩を進めた。そしてシーグヴァイラとゼファードルの間を割るようして入る。

 

「話の途中に失礼する」

 

 周囲の悪魔たちが「なんだ、アイツ?」的な目で見てくる。全身を青黒いロングコートで隠した男が急に現れたのだから当然な反応だろう。

 レイセンも後ろから静かに続く。気配を殺し、音もなく瞳を閉ざし何も言わない。

 

「あ? んだ、てめぇ? どっかの眷属か?」

「いや、ただの通りすがりだったんだが、ちょっと見過ごせなくてね。失礼だがアンタはもう少し言葉を選んだ方がいい。そんな女性軽視の態度じゃ彼女が怒り出すのも無理はない」

 

 渚がそう言うと場が静まり返る。

 あれ? なんだこの空気? 

 

「あなた、そんな事を言うために私たちの間に割り込んだの? なんの得にもならないのに?」

 

 近くにいるシーグヴァイラが(いぶか)しげに言う。

 はて? 何か変なことを言っただろうか? 

 

「それもあるが放っておくと死人が出そうだったんでな。これから冥界のお偉方に会うアンタらが死んだら何の為の集まりか分かったもんじゃない。……違うか?」

「確かに少し思慮が足りなかったわ。魔王様も来られるのに軽率な行動は慎むべきだった。助言、感謝します」

 

 冷たい殺意を収めるシーグヴァイラ。

 案外と物分かりが彼女の態度に渚は内心でため息を吐く。対するゼファードルの小さく肩を揺らすと大笑いをして渚を見下す。

 

「はははははっ!! どこの木っ端悪魔かは知らねぇが俺に説教かぁ!? 余程、死にてぇらしいな!!」

「ただの助言のつもりだったんだが……」

「俺に抱かれるってのはなぁ、女として最高の待遇なんだよ。こちとら童貞臭いテメェと違って女の扱いは嫌ってほど知ってんだよ、バカが。……しかし、へぇ、イイの連れてんな? ソレを寄越すなら半殺しで許してやるぜ?」

 

 後ろにいるレイセンをイヤらしい目で見るゼファードル。(うるわ)しい見た目だけで判断しているようだがまるで分かっていない。彼女はアリステアや譲刃といったデタラメな戦闘力を持った者たちから危険物扱いされてる暴力装置だ。迂闊(うかつ)に手を出して良いものじゃない。

 

「彼女はやめとけ。手に余るぞ?」

「オイオイ、俺が誰か分かってんのかよ、三下ぁ?」

 

 残念だが分かるのは盗み聞いたゼファードルという名前だけだ。目の前の男が何者かなどサッパリである。

 ゼファードルは渚に近づくと胸ぐらを掴んだ。見た目といい行動といい、絵に書いた不良みたいな奴だと渚は思う。

 

「死んだぞ、テメェ? ブチ殺す前に教えてやるよ。俺はゼファードル・グラシャラボラス様だ。じゃ消えな、三下悪魔ちゃんよぉ?」

 

 ゼファードルが渚は突き飛ばすと間髪入れずに魔力を撃ち込んで来た。(さいわ)いギリギリ回避が間に合う。背後でつんざくような炸裂音がし爆風が轟く。

 壁に空いた大穴からして、並みの悪魔なら粉々にする威力の魔力弾だ。

 まさかあのレベルの魔力弾を平然と撃ち込んでくるとは……。

 グラシャラボラスはどんな教育を行っているのだろうかと問い正したい。

 普通なら死んでる攻撃をされた渚は驚きよりも呆れが(まさ)る。アレが将来有望されている悪魔とは冥界の未来(さき)が不安になってしまう。

 

「暴れん坊だな。グラシャラボラスってのはアンタみたいのだらけなのか?」

「ハッ! 雑魚にしてやるな。次はどうだぁ?」

 

 第二撃が放たれた。明らかに一撃よりも大きい魔力弾だ。下手に避ければ周囲に被害が行くだろう。

 渚はダメージ覚悟で受けようとする。

 刹那、背中から恐ろしい重圧を感じた。空気が水中にいるように重く体に(から)まり、酸素が少なくなったと錯覚を起こすぐらいに息が上手く出来ない。

 圧倒的な存在感と死の前兆が否応なく襲ってくる。

 何事かと振り返ろうとする。するとレイセンが渚の前に出て魔力弾を軽く握り潰す。

 

「……(おの)が身の程を(わきま)えれ、金茶金十郎(たわけ者)

 

 低い声で呟く声が聞こえた。その瞳は闇より(くら)く感情がない。レイセンの下にある影からギチギチと奇っ怪な音……いや()()が聞こえた。

 本能が見るなと訴えるが吸い寄せられるように目が行ってしまう。

 そして激しく後悔した。

 それは影というには余りにも恐ろしいモノだったのだ。流動し(まばた)く眼球、生まれ出ようとする(あぎと)、立ち上がる暗爪。獲物を探す舌。

 人の形をした黒い海の中には理解できないモノらがいる。まるで混沌を人型に押し込めたような恐怖が(うごめ)いている。それが()だか()だかとレイセンの影の中で解き放たれるのを待っていた。

 渚の第六感が告げる。

 

 ──ヤバい、死人が出る! 

 

 レイセンの中にあるモノはこの場にいる全て者にとって害悪だ。外に出たが最後、魂さえも喰らい尽くされる。

 

「おい、何する気だ?」

「コレは我が主さまに大層なご無礼を働きんした。──万死(ばんし)(あたい)しんす」

 

 渚は恐る恐るレイセンの顔を(うかが)う。光のない(くら)い瞳は渚の知る何よりも魅力的で美しく、同時に精神の均等が崩れそうな程に禍々しくも(おぞ)ましかった。

 

 ──誰がこんな馬鹿げた存在を止められるのだろうか? 

 

 喉が渇き、指先が恐怖で冷たくなる。

 しかし止めなければない。自らの力であるレイセンが殺しを行えば渚が殺したも同然だ。ゼファードルの事は好きになれないが、だからと言って周囲を巻き込んだ虐殺をするなど馬鹿げている。

 

「おいおい、さっきから熱烈な視線を送ってくるじゃねぇか。その全身黒っぽいゴキブリ野郎から俺に乗り換える気になったのか?」

 

 まるで状況を理解していないゼファードルに渚は唖然とする。火に油を注ぐとはこの事を言うのだろう。

 案の定、レイセンがスゥーと目を僅かに細めた。瞬間、彼女の影が()ぜる。混沌の影から伸びたのは巨大で鋭い闇色の五指、それがゼファードルを鷲掴(わしづか)みにする。それはまるで腕の形をした暗黒そのものだ。

 

「ぐがっ! な、なんだ、コイツ!?」

「おのれは我が主様を侮辱しやしたね? 金茶金十郎(たわけ者)、その身を八つ裂きにして塵芥(ちりあくた)(かえ)すとしんしょう。──さぁ最後の(とき)でありんす、可愛らしい悲鳴(こえ)で泣いておくんなし」

「ちょ、調子にぃ……乗んじゃねぇよ!」

 

 ゼファードルがゼロ距離で魔力弾をレイセンに浴びせた。大広間を轟かす爆発が起きる。かなり強力な魔力攻撃で上級悪魔にも通用する威力はある。確かに若手でアレだけの力があれば増長もするだろう。

 けれど今回は相手が悪い。

 

「そよ風など起こして、なんのつもりでありんす?」

 

 攻撃を受けたレイセンは全くの無傷であり、本当にそよ風に撫でられた程度にしか思っていない。

 そして返礼と言わんばかりに鋭い"獸"の五指にゆっくりと力を込め始めた。ミシミシと生々しい音をさせながら体を圧迫するレイセンの影にゼファードルが焦りだす。

 

「はな、放せ、放しやがれ!!」

 

 そんな要求が通る筈もなく、ゼファードルの全身は強烈に圧砕されて肉が千切れ、骨が軋む。

 

懺悔せよ、後悔せよ、嘆き、苦しみ、そして身を捧げろ。優しき主の名の元に我が"暴力"の全てを()して生き地獄へ誘なう事を誓う

 

 レイセンが狂ったように"暴力"を()そうと殺意を撒き散らす。あまりの異様な変化に渚は付いていけず、驚愕と悪寒にされるがまま言葉を発せずにいた。

 

「ぐ、が、あ、たす、たすけて……」

 

 ゼファードルも"獸"から逃れようと抵抗するが解放される気配は一切ない。やがて締め付けに耐えきれずガクリっと動かなくなる。血と泡を吹いて動かなくなったゼファードルをレイセンは(くら)い瞳で見据え続ける。

 

起きろ、起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ

 

 狂気が乱舞する。レイセンはブツブツと呪詛のようにゼファードルに言う。

 渚は密かに身を震わせた。

 レイセンから滲み出るソレは人や悪魔を超越した存在が放つ攻撃性のある神威とも言えるものだ。まともに受ければ狂気が伝搬して生きとし生ける存在の精神を害する。

 まさかここまでの激情を胸に秘めているとは渚にも予想外だった。確かにアリステアやピスティスが彼女を危険と言うのも今なら頷ける。幸いその狂気を帯びた神威はゼファードルにのみ向けられているがいつ周りに広がるか分かったもんじゃない。

 渚の焦燥を他所にレイセンが指先を優雅に泳がせた。瞬間、空間を喰い破って闇一色の"獸"の(かしら)が現れる。そしてブチブチと引き千切るように大口を開けて霊氣を収束し始めた。

 渚は目を見開く。

 この"獸"が放とうとしている霊氣は、かつてバアルの一軍を消し去った"冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)"の"漆黒の焉撃(ジオ・インパクト)"に匹敵ないし凌駕する威力を内包している。下手をすると建物どころか街ごと消し飛ぶ。

 

 ──どうやったら止まる? 

 

 怒れる厄災となったレイセンに渚は手を伸ばす。肩に触れられたレイセンが振り向き、深淵よりも昏い瞳をギョロリと渚へ向けた。心臓が潰れてしまいそうな戦慄に気圧されるが腹に力を入れて声を出す。

 

「やめろ」

「何故で?」

 

 レイセンは首を傾げた。殺してしまうのが当然だと言いたげに見つめ返す。本能のままに殺戮をしようとする"獸"に渚は顔を歪めた。

 どう説得すれば良いのだろうか。

 渚が言葉を選んでいると見慣れた紅い髪が視界の端に映る。

 

「……あっ」

 

 思わず声が溢れる。

 それはリアス・グレモリーだった。隣には先ほど別れたサイラオーグもいる。二人は並んで部屋へ入って来るやレイセンに半殺しにされているゼファードルを見て、驚いた表情を浮かべた。

 リアスの後ろから一誠や朱乃、祐斗や小猫も入ってくる。グレモリー眷属を見るや妙な懐かしさを感じる。その中に何故かゼノヴィアがおり、彼女の隣には眼鏡を掛けた小さい女の子もいる。誰だろうか? 

 再会の嬉しさを噛み締めていると直ぐに現実に舞い戻る。レイセンによって消滅させられそうな場所に大事な仲間が来てしまったのだ。

 

「ちっ」

 

 渚は危機的な状況を終わらせるため霊氣を拳に込めてレイセンが()び出した"獸"の(かしら)を容赦なく殴り潰す。渚の霊氣はそのままレイセンの影に落とされて中に潜む混沌の怪物すら鎮圧した。

 案外なんとかなるものだなと安堵しながらレイセンへ静かに言い聞かせる。

 

「……誰がここまでやれと言った?」

 

 緊張しているせいか、いつもより声が低くなってしまった。レイセンはそれを怒りから来るものと勘違いしたのか。顔を青ざめさせて全身を震わせた。

 

「こ、この者は我が主を愚弄(ぐろう)しんした。殺さないまでも再起不能にするが当然でありんしょう……?」

 

 チラチラと渚の感情の機微を伺うレイセン。怒られないように言葉を選んでいるようにも見える。まるで子供だ。

 

「こんな場所でレイセンの力を使えば周囲に被害が出るとは思わなかったのか?」

 

 責められた思ったのかレイセンは「ひゃうっ」と身を強張らせた。

 

「う、有象無象などどうなろうと問題ないかと……」

「本気で言ってるのか?」

「あ、う、その……」

「もう一度言うぞ? やめろ、まだやるって言うなら俺は許さん」

 

 渚の言葉にレイセンの顔は青褪めた。

 

「も、申し訳ありんせんッ! まさか()(よう)な下等生物らに偉大なる御身がお心を()くとは思わず勝手をしんした!!」

 

 ガバッと頭を下げて土下座するレイセン。

 カタカタと小さく体を震わせている。これでは自分が苛めている様にも見えてしまう。しかし悪魔たちを下等生物と断じて丸ごと滅ぼそうとするなど(なん)とも危険な考えだ。

 まぁそうなるのも少しだけ理解できる。

 レイセンは形こそヒトだが根本的な部分ではヒトではない。だからあらゆる基準が違う。けれど自分に合わせてくれる知性を持っている。そこに訴えかければ無闇やたらと命を奪う行為は止めてくれるはずだ。

 

「レイセンがスゴい存在なのは分かっている。だから周囲の生物を取るに取らないものに見えるかもしれない。けれど簡単に"暴力"で解決しないでほしい。俺の心臓に悪いからな。……出来るか?」

「お望みのままに。不快な思いをさせた事の罰は如何様(いかよう)にもしておくんなんし……」

 

 化物じみた力の持ち主が床に頭を着けて許しを()うている。先ほどまでレイセンに(おのの)いていたが、ここまで下手(したて)に出られれば恐怖は薄まる。むしろ主人に従順な大型犬に見えてきてた。

 渚は床に伏するレイセンの頭をポンポンと優しく叩く。

 

「罰なんていらないさ。俺のために怒ってくれたレイセンを責めるわけないだろう」

「か、寛大な処置に感謝を。このレイセン、誠心誠意尽くさせて貰うでありんす」

 

 レイセンが立ち上がる。さっきまで危うかったとは思えないほど穏やかな表情だ。

 

「大袈裟だよ。けど……」

「このレイセンの"暴力"、我が主の意思により振るう事と誓いんす」

「それで頼む」

 

 取り敢えず全部が消し飛ぶという最悪の事態は避けられた。半殺しにされたゼファードルは気の毒だが犬(最狂)に噛まれたと思って諦めて貰う。これで周囲に迷惑を掛けないように改心してくれれば良いのだが、こればかりは渚の裁量ではどうにもならないだろう。

 

「見ている限り俺たちごと滅ぼされると思ったんだかな」

「仲間がやり過ぎて悪いな、サイラオーグさん」

 

 話しかけてきたサイラオーグが僅かに目を見開く。

 なんだ、そのリアクション? 

 まるで名前呼びが意外みたいな表情である。

 

「……何者だ?」

「え、俺だよ?」

「会ったことがあるのか?」

 

 ふざけているという訳では無いようで真面目に問うてくるサイラオーグ。そこで渚は自身が認識阻害のロングコートで武装していたことに気づいた。

 

「渚だよ。ガイナンゼから人間ってバレないように認識阻害のコートを貰ったんだ」

「渚だったか。しかし凄まじいものだ、一切何者か分からんぞ」

「レギーナ様々が作ったらしい。粗末にしたらガイナンゼがキレる代物だよ」

「そうか。……それでどうする? 目的の人物(リアス)は近くにいるが?」

「……すんげぇ、警戒されてるよ」

 

 リアスたちは渚に対しては距離を取っていた。ゼファードルを半殺しにしたレイセンの主人なのだから当たり前過ぎるリアクションだ。同じ危険人物と判定されても仕方ない。取り敢えず、それなりの言い訳を考えてから話し掛けよう。

 

「どうすっかな」

「少し間を置いたらどうだ? あれだけの騒ぎを起こしたのだ、リアスだけじゃなく他の者も警戒している」

「そうする。周囲の目もあるし、なんか身バレしたくない状況だ。あとでコッソリ話し掛けるよ」

「なら近くにいろ。周囲の者には俺の関係者と説明する。正体不明の何者かよりは(いささ)かマシな対応をしてくれるだろう」

「助かる」

 

 渚が礼を言うとサイラオーグが小さく笑む。

 

「お前といると飽きんな」

「ソレ、褒めてるのか?」

「そのつもりだ」

 

 どうにも納得いかない渚は肩を落とすが、取り敢えずレイセンがボロボロにしたゼファードルの治療をするため(ふところ)から効き目抜群の回復薬を出す事にした。

 

 



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