プリンツR32 (草浪)
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1話

ヤーパンは好きな国だ。行ったことはないけど。

私が生まれ育ったこの町には大きくて有名なサーキットがある。世界中の色んな自動車メーカーがここにそのサーキットを攻略するための基地があるぐらいだ。その中でもお父さんがヤーパンはすごいって言っていた。けどドイツが一番だなって笑ってたけど。

そんな私は、この町で親が経営する民宿の看板娘をしていた。自分で言うのもあれだけど、私はかわいいと思う。お母さんが美人だから。お母さんは昔、ベルリンでいい暮らしをしていたらしい。だから立ち振る舞いもお上品だ。よく言葉遣いで怒られた。そんなお母さんが二年前にいなくなった。難病でこの町のお医者さんじゃ治せないと言われたらしい。そんなことはないと思ったけど、お母さんはそのまま旅立ってしまった。お父さんは何度も私に謝った。

悲しい話は置いておいて、お母さんが亡くなって暫くすると、民宿にスーツを着た人たちが泊まりにきた。いつも通り、受付で待っていた私を見るなり、その人たちは驚いたような顔をしていたのを覚えている。名簿に名前を書いてもらって、あらかたの説明をしたけど、上の空だったと思う。その日の夜、お父さんの部屋からお父さんの怒鳴る声が聞こえてきた。お父さんはしばらくうるさかったけど、次第に静かになっていく。私は疲れていたからそのまますぐ寝ちゃったけど、それがこんなことになるとは思ってなかった。

それから数ヶ月後、朝早くに民宿の前に高い車が止まっていた。

 

「私と一緒に来てくれませんか?」

 

一人のカッコいいお兄さんが私にそう言うと、車の後ろのドアを開けてくれた。

私もついに玉の輿に乗る時が来たのか! と少し浮かれたけど怖かった。こういうことはもう少し段階を踏んで欲しいからだ。しばらく躊躇していると、お父さんが出てきた。手には拳銃が握られている。お父さんは私に近付くと、その拳銃を私に握らせた。

 

「いいか? 何かされそうになったらこいつを使え。 躊躇わなくていい。責任は俺がとる。お前は何も悪くない。いいな?」

 

「お父さん? 何言ってるの?」

 

「この人たちはお母さんの親戚の人だ。お前に話があるらしい。話を聞いたらすぐに帰ってこい。嫌だと思ったらすぐに帰ってこい」

 

お父さんはそこまで言うと、涙ぐみはじめた。

 

「でも、もしお前が残りたいというのならここのことは気にしなくていい。荷物もすぐに送ってやる。電話一本、ここにかけてきてくれ……」

 

お父さんはそう言うと、すぐに背中を私にむけた。その肩がかすかに揺れているのがわかる。

 

「お父さん……わかった。すぐに帰ってくる」

 

私はそれだけ言うと、車に乗った。私が車に乗ると、さっきのカッコいいお兄さんがドアを締めてくれた。広い後部座席に、私一人。うちにある古いゴルフとは大違いだ。

 

「それではここからベルリンに向かいます……何かあればすぐに言ってください」

 

お兄さんは運転席に乗り込むと、ミラー越しに私を見てそう言った。

私は黙って頷いたけど、私のお腹が声をあげた。お兄さんは顔を咄嗟に伏せたけど、笑っているのはすぐにわかった。

 

「じゃあブラバスおばさんとこのカフェに寄って!!」

 

「はい……かしこまりました……」

 

恥ずかしい。これが私の運命の朝の出来事だ。

 

 

ーーーー

 

朝早かったことに加え、変わりばえしない景色、それに無音の車内。寝ないはずがない。いつの間にかフカフカのシートに横になって寝ていた。

 

「ここは?」

 

「あなたのお母様のお家です」

 

車は玄関の前に止まっていて、今度はメイドさんが扉を開けてくれた。

 

「お待ちしておりました。どうぞ」

 

「ありがとうございます」

 

メイドさんは可愛いってイメージがあったけど、このメイドさんは美人さんだ。

 

「応接間にて、お嬢様がお待ちです」

 

「おじょうさま?」

 

私が素っ頓狂な声をあげると、メイドさんは呆れたように私を見た。

 

「何も聞いてないの?」

 

急に砕けた口調になった。私はこの時、失礼だな、とか、不愉快になった、とかそういう感情は抱かなかった。むしろ安心したと言っていい。

 

「うん。何も」

 

私も砕けた口調で返すと、メイドさんはため息をついた。

 

「じゃあ応接間にいくまで距離があるからざっくりと話すわね」

 

メイドさんはそう言うと、私の横に立つと背中に手を当ててきた。あっちに歩けということだろう。

 

「あなたのお母様と、うちの奥様は姉妹だったのよ。それで、この前うちのが挨拶に行ったらあなたを見かけてお嬢様にそっくりだと言うことでここに連れてきたのよ」

 

「なんだ……玉の輿にのれるわけじゃないのか……」

 

「そんな甘くないし、そんな甘い考えじゃ玉の輿に乗れても長くは持たないわ」

 

「そんなぁ〜」

 

少し声が大きかったのか、メイドさんはわざとらしい咳払いをした。

 

「それで、お嬢様が今度艦娘になりたいと駄々をこねてね。あなたが連れてこられたわけよ」

 

「仰ってる意味がわからないのですが?」

 

少し丁寧な口調で言ってみた。お嬢様感を出してみたかったからだ。

 

「……まぁいいわ。つまり、お嬢様に似ているあなたが現場に立ってお嬢様の戦果をあげるってことよ」

 

「つまりカゲムシャってやつですか」

 

「カゲムーシャ? なにそれ」

 

「ヤーパンの文化です。主人のかわりに主人になりきって身代わりになるっていう」

 

「よくわからないけど、そんなものね」

 

「じゃあ帰ります。ありがとうございました」

 

私はそう言い踵を返した。だが背中に当てられた手がお腹に変わっただけだ。その手に力強く押されて、私は後ろ向きのまま歩くかたちになった。

 

「別にあなたを強引にカゲムーシャ? にしようとは思わないわよ。お嬢様と少し話して、美味しい珈琲飲んで、美味しい晩御飯食べて、それから帰りなさい。せっかくあなたの為に買った食材が駄目になるわ」

 

「そんな気を使わずに皆さんでどうぞ。私は用があるので……」

 

「玉の輿に乗りたいんでしょ? いいチャンスじゃない」

 

「おッ……降ろせ〜!」

 

メイドさんは私を片手で持ち上げると、そのまま肩に担いで歩き始めた。

 

「そんなジタバタすると、パンツ見えるわよ?」

 

ーーーー

 

「失礼します」

 

メイドさんは私を肩に担いだまま応接間と呼ばれる部屋の扉を開けた。

扉を丁寧にしめようとメイドさんが振り返ったことで、室内を見ることが出来た。

大きなシャンデリアの下に可愛らしいテーブルと椅子。テーブルの上にはこれまた可愛らしいお菓子が乗った高価そうなお皿がある。そしてお上品に座るお上品なお嬢様とその横に立つ可愛らしいメイドさん。二人は何とも言えない表情で私を見ている。

 

「アルピナ! 客人になんてことを!」

可愛らしいメイドさんがそう言うと、お嬢様が申し訳なさそうにこちらに会釈をした。アルピナさんは私を肩から降ろすと、私に一礼してテーブルの方に歩いていく。

 

「すいません。逃げ出しそうだったものですから。こちらにどうぞ」

 

アルピナさんは空いている席を引き、私に座るように促した。私は黙って頷くとその席に座る。

 

「急にお呼びたてして申し訳ありませんが、あなたにはここで少しご滞在頂いてすぐに帰っていただきます」

 

開口一番、お嬢様は私にそう言った。

 

「そうさせていただきます」

 

私はそう言って深々と頭を下げた。お嬢様はそんな私は不思議そうに見ていた。

 

「どういうことかしら? 私はあなたが自ら望んできたとお聞きしましたけど?」

 

「いえ。朝起きたらカッコいいお兄さんにナンパされて、美人のお姉さんに運ばれてきただけですから」

 

私はそれだけ言い、机の上のお菓子にフォークを刺して口に運んだ。

上品な甘さが口に広がる。けど、少し甘すぎるような気がする。横にあった暖かい珈琲を飲んでみる。これは高いやつだ。間違いない。苦味の中に深みがある。甘さと苦味が合わさって何ともいえない高級感のある刺激が味覚を刺激する。

 

「お昼。何食べたい?」

 

横に立っていたアルピナさんが珈琲を注いでくれた。

 

「せっかくベルリンに来たのだから、ここで食べられる美味しいものが食べたいです」

 

「じゃあハンバーグね。お店を予約しておくわ」

 

「高いところはお金がありません」

 

「心配しなくてもいいわ。こっちが出すから」

 

アルピナさんは携帯を取り出すと、どこかに電話をかけはじめた。

そんな私達を、お嬢様とメイドさんはポカンとした様子で私たちのやりとりを見ていた。

 

「ロリンザー。どういうことですか?」

 

お嬢様が横のメイドに話しかけた。ロリンザーさんはよくわからないといった様子で首を捻り、アルピナさんを見た。

 

「この子は何も知らずにここに連れて来られたんですよ。好き勝手に噂していた、艦娘になりたいからとか、ここの家に入りこむためとか、よく深い女だとか、そういうのは全部見当外れもいいところだったんです。だいたいそんな子が、こんな格好で、車の中で横になって寝ますかね?」

 

「私、知らないところでそんなこと言われていたんですかッ?!」

 

「そういうこと。それにあのお方の娘さんです。そんな卑しい心をお持ちのはずないでしょう? ロリンザーさんもあのお方のことはよくご存知でしょうに」

 

アルピナさんとロリンザーさんはしばらく黙って見合っていた。

二人とも私のお母さんについて何か知っているみたいだ。

 

「そう……ですね……失礼いたしました」

 

ロリンザーさんが私に謝ると、アルピナさんは勝ち誇ったかの様に喋り始めた。

 

「概ね、旦那様とその取り巻きが勝手に言い出したことでしょうね。それに付き合わされる身にもなって欲しいわ。今日一日、私がこの子の面倒見るからね。それと、賭けは私の勝ちよ。連休は頂いていくから」

 

「まだ……まだ、わからないわ……あなたに抜けられたらこの屋敷の機能が失われることになる……」

 

「ちょっと。賭けは私の勝ちよ! この子は艦娘になる気はない。その時点で私の勝ちでしょう!」

 

「いいえ。ここを出ていくまでに艦娘になりたいと思わせればいいのよ。説得してみせるわ!」

 

「ちょっと! 卑怯じゃない!」

 

「ウォッホン!」

 

ヒートアップするメイドさん二人に対して、お嬢様はわざとらしい咳払いをした。二人ともまだ何か言いたそうだったけど、黙り込んだ。

 

「客人の前です。失礼をいたしました……お菓子のおかわりをお持ちしましょうか?」

 

メイドさんのコントを見ていた私はいつの間にかお菓子を全部食べてしまっていたようだ。本当は遠慮すべきなのだろうけど、こんな高いお菓子は滅多に食べられない。

 

「お願いします」

 

「かしこまりました。他のものにいたしましょうか?」

 

ロリンザーさんがとても愛想よく私にたずねる。さっきとは全然違う。正直怖い。

 

「カステーラが食べたいです」

 

よく民宿にきてくれるヤーパンのお客さんから貰ったお菓子の名前を出してみた。あれは美味しかった。

 

「カステーラ? わかりました。ご用意いたします」

 

ロリンザーさんはアルピナさんに何かしらの合図を送った。けど、アルピナさんは首を横に振った。ロリンザーさんは私とお嬢様に一礼し、足早に部屋を出ていった。

 

「カステーラって何?」

 

アルピナさんが私にたずねた。

 

「アルピナ! 客人にそのような口のきき方……」

 

「私は大丈夫です。というより、こっちの方がいいです。気を使わないでください」

 

私は気を使えませんから。お客さん相手とは全然違う。普通に喋ってるだけでザ・貴族という雰囲気を醸し出すあちら側の人達と私は違う。

 

「そうですか……それで、そのカステーラとは何ですか?」

 

お嬢様は困ったように笑っていた。

 

「ヤーパンのお菓子です。とても美味しくて、珈琲ともあうんです」

 

「あなたヤーパン好きなの?」

 

「私の町はヤーパンから来る人が多いんです。そこでいろんな話を聞くうちに興味がわいてきまして……」

 

私がそう言うと、アルピナさんがガッと私の肩を掴む。

 

「ヤーパンなんてとんでもないわ! サムライとかニンジャとかが言われもない責任を押し付けられてハラキリするのよ!」

 

ものすごく必死にやめておけというアルピナさんにお嬢様はため息を漏らす。

 

「もうサムライもニンジャもいないみたいですよ?」

 

私がそう言うと、お嬢様は驚いたように目を見開くと恐る恐るといった様子で話し始めた。

 

「じゃあ……ゲイシャガールの?」

 

「最近はゲイシャガールじゃなくてキャバジョーっていうのがいるらしいです」

 

「「キャバジョー?」」

 

「今風のゲイシャガールのことらしいです」

 

私が聞いただけの知識を言うと、二人は興味深そうに聞いていた。しばらくヤーパンの話をしていると、アルピナさんがハッとした様子で首を横に振り始めた。

 

「そんなことよりも、艦娘になりたいなんて思わないで頂戴」

 

「何でですか?」

 

「なんでもよ」

 

アルピナさんが必死に私を説得しようとしていると、ロリンザーさんが戻ってきた。

 

「申し訳ありません。カステーラ? のご用意に時間がかかるので、ティータイムまでには用意いたします」

 

「いえ、ないのであれば他のものでも……」

 

ロリンザーさんはものすごくいい笑顔を浮かべている。

 

「私共メイド一同、あなた様のご要望には全力で答えさせていただく所存でございます」

 

「メイド一同って私も巻き込まないで頂戴。私はこの子に艦娘になられたらイタリア旅行がパーになるのよ!」

 

「あなたが勝手に組んだ旅行は知りません!」

 

「ズルいわよ! 旦那様の権力を使ってこの子を艦娘にするつもりでしょう!」

 

「やめなさい。みっともない」

 

お嬢様が何度目かわからないため息を吐くと、私の方を真面目な顔で見てきた。

 

「あなた。艦娘になる気はない? これまで聞いた話はすべて忘れてちょうだいな。あなた自身はどうしたい?」

 

「興味ありません。艦娘になるっていうことは軍人になるってことですよね? 私は小さな民宿の看板娘です。戦う力なんてありません」

 

「看板娘って自分で言うかね……」

 

真面目な会話だったのに、アルピナさんが茶化したせいでロリンザーさんもお嬢様も笑いだしてしまった。先に笑いがおさまったロリンザーさんは補足をはじめた。

 

「艦娘というのは誰でもなれるわけじゃありません。生まれ持った素質を持った人間だけがなれるものです。その素質を持った人間はこの国にはまだ数人しかいません。ですが、最近の検査で、大奥様……つまりはあなたのお祖母様にはその力がありました」

 

ロリンザーさんはそこまで言うと、困ったような悲しい顔をしました。どう続けようか悩んでいるように見える。

 

「あなたのお母様が亡くなったのはその遺伝のせいよ。強すぎる力に体の許容量を超えたの」

 

アルピナさんがはっきりとわかりやすく、そう言いました。

 

「何を言って……」

 

「あなたのお母様はここにいる私とロリンザーさんが殺したのよ……」

 

「アルピナ!」

 

ロリンザーさんが声を荒げた。お嬢様はただ黙って俯いている。

 

「本当のことを話さない方が酷だわ。話してもいいかしら?」

 

アルピナさんは私と目線を合わせる高さまで屈むと、優しく問いかけた。私は黙って頷くことしか出来なかった。

 

「あなたのお母様は、今のあなたと同じように艦娘になることを迫られていたの。でも、それは人として生きることを捨てて軍人として……いえ、兵器として生きることになる。そんな時、あなたのお父様と出会ってお母様はあなたを身篭ったの。当然、当時の旦那様や奥様……あなたのお祖父様とお祖母様は激怒したわ。けど、お母様はあなたを産み育てることにしたの。それも兵器としてではなく人間の母親としてね。私とロリンザーさんはお母様がここから逃れる為の手伝いをしたの。その時は私もロリンザーさんもそれが正しいと思っていたわ。けど、それが原因で亡くなるのがわかっているのであれば、意地でも止めていたわ」

 

アルピナさんはそう言うと、目から涙を流した。

 

「あなたはまだ若かった。責任はすべてこのロリンザーにあります」

 

「お父さんはこのことを知って……」

 

「それはありません。知ったのはお母様が亡くなってからです。昔のお母様は今のあなたにそっくりでした。自由で外の世界に興味を持っておられました。お母様には家柄に縛られず自由に生きて欲しい。それがこのロリンザーの願いでもありました」

 

「私のこんな性格もお母様は許してくれた。いえ、そのままでいて欲しいと仰ってくれた。返しきれなほどの恩があったというのに……」

二人はそれ以上、何も言わなかった。しばらくの沈黙が流れた後、お嬢様が話し始めた。

 

「お恥ずかしい話ですが、私の母は艦娘としての力を有していますが、戦いには出ていません。ただの父の妻として生きているだけです。妻として生きるということが楽だとは言いません。ですが、私にはそんなの我慢できない。力を持っている人間が戦わずして、何を守るべきなんだと。家柄を守ることがそんなに大事なのかと。私はそうは思わない」

 

「……ん?」

 

私はあることに気がついた。

 

「アルピナさんとロリンザーさんはお父さんとお母さんが結婚する前からお母さんを知っている?」

 

「はい。存じ上げております」

 

「お父さん、今年60歳なんだけど、お母さんとは同い年って聞いてたけど、嘘だったってこと?」

 

「いえ、同い年のはずよ」

 

「アルピナさんはお母さんとはいつ出会ったの?」

 

「私が16の時。お母様はまだ27歳だったわ」

 

「……計算があわない」

 

「何の計算ですか?」

 

「アルピナさん。まだ三十代でしょ?」

 

私がそう言うと、アルピナさんはキョトンとした顔をしたと思ったら今度は不服そうな顔をした。

 

「失礼ね。肉体年齢は二十代よ」

 

「実年齢は?」

 

私がそう言うとアルピナさんは黙りこんだ。ロリンザーさんもそっぽを向いている。

 

「49歳ね」

 

お嬢様がかわりに答えた。私も指を折って数えてみる。

アルピナさんは悔しそうに私を見ている。

 

「ちなみに! ロリンザーさんは私の5個上よ!」

 

私は指を六回折ったり伸ばしたりした。

 

「55……?」

 

私はロリンザーさんを見た。肌の張りを見てもそんな歳には見えない。年齢が出る首元も手も、若い人のそれと変わらない。

 

「……ん〜?」

 

私は首を捻った。

お金持ちに仕えると、歳を取らないのか。いや、そんなことあるはずがない。老化は神様から平等に与えられるはずだ。そんな時、私はお母さんを思い出した。

 

「……言われてみれば、お母さんも見た目すごく若かった」

 

歳の離れた姉妹ですか? なんてよく間違えられた。

お母さんは嬉しそうに、母です、なんて言っていた気がする。

 

「そこの二人は艦娘よ」

 

お嬢様が探し求めていた答えを出した。

なるほど納得だ。艦娘。なんてすごい力があるんだ。

若い私だけど、老化が来てないわけじゃない。まず太りやすくなった。前はどんだけ食べても、一日受付で座っているだけで体型を維持できた。それが今は、食べた分だけ太る。それに洗い物をしているだけで手が荒れる。これが地味にめんどくさい。

 

「決めた……私、艦娘になる」

 

私がそう言うと、アルピナさんは膝から崩れ落ちた。ロリンザーさんはこれでもかと言わんばかりのガッツポーズをしてみせた。お嬢様はポカンと口を開けて私を見ていた。

 

「あなた……変わってるわね」

 

お嬢様は呆れたようにため息をついた。



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2話

 

私とお嬢様、そしてお世話係としてロリンザーさんとアルピナさんはキールという町に来ていた。お父さんには、艦娘になるからしばらく帰らない、と手紙を書いた。何故手紙なのかといえば、レスポンスに時間がかかるから。お父さんのことだから、あんなことを言っておいてきっと猛反対するに違いない。

 

「お嬢様。向こうでの手筈は全て整っています。何かありましたお申し付け下さいませ」

 

先程まで携帯でやりとりしていた、ロリンザーさんがそう言うと、お嬢様はため息を漏らした。

 

「皆と同じ待遇でいいと言ったのに……」

 

「つまり、私たちはVIP待遇ってことだね!」

 

心が踊る。それまで田舎暮らしをしていた私がご令嬢としてこのドイツを救う日が来ようとは夢にも思わなかったな。そんなウキウキの私の頭ををアルピナさんが平手で叩いた。

 

「何言ってんの。あなたは普通の扱いよ。ふ・つ・う・の」

 

アルピナさんがからかうようにそう言う。

いや、おかしいでしょ。私は今、お嬢様と向かいあって座っている。乗用車でだ。つまり、私はリムジンに乗っている。そんな私が普通なの? 冗談を言っちゃいけない。

 

「必要になりそうなものは全て向こうが用意してくれているので普通とは違いますね」

 

ロリンザーさんが困ったような笑みを浮かべている。ほら。やっぱり特別待遇じゃない。アルピナさんが何か言おうとした時、車が止まった。

 

「着きました。艦娘の養成所です」

 

運転手さんがそう言うと、外に軍服を着た男性と白い軍服を着た女性が立っていた。

ロリンザーさんとアルピナさんが外に出てドアを支えてくれる。私はお嬢様の後に続いて降りた。ロリンザーさんが軍服の男性と少し話すと、軍服の男性はお嬢様に微笑むと挨拶をし「こちらへ」と言う。私に対して挨拶が無かったことに不満を感じたけれど、歩きだすお嬢様の後に続いた。

 

「待て。お前はこっちだ」

 

突如、白い軍服を着た女性に腕を掴まれた。

 

「んぇっ?」

 

思わず間抜けな声が出てしまう。

 

「……お前?」

 

お嬢様にはとても丁寧な対応なのに私にはお前なの?

 

「貴様のほうがよかったか?」

 

女性は私に嫌らしい笑みを浮かべた。

あれ、もしかして私、歓迎されてない?

これからこの人に虐められるの?

 

「グラーフ。悪ふざけはそこまでにしなさい」

 

アルピナさんが助けてくれた。グラーフ? それがこの人の名前なの?

 

「アルピナさん。久しいですね。お元気にしてましたか?」

 

「あなたほどじゃないけど、それなりに元気にやってるわ」

 

アルピナさんとグラーフさんが談笑している。私は置いてけぼり。

 

「あぁ。すまない。私はこれから君の教育を担当することになった航空母艦、グラーフ・ツェッペリンだ。よろしく頼む」

 

グラーフさんはそういうと私に握手を求めた。差し出された手を握ると女性とは思えない握力で握り返される。

 

「痛い! 痛いよ!」

 

「……? アルピナさんの紹介ですよね?」

 

「そうだけど、この子は今の私の勤め先の関係者よ。根は知らないけど、外見はいい子よ」

 

アルピナさんの言葉に棘がある。

というか、意味がわからない。グラーフさんは納得したように頷いた。

 

「立ち話もなんだ。私の部屋に来てくれ」

 

ーーーー

 

グラーフさんの部屋に案内され、私とグラーフさんは向かい合うようにソファに座った。アルピナさんは私の後ろで立っている。

部屋は綺麗に整頓されていた。軍人だから、そういうところはうるさいのだろう。けど置いてある物が問題だ。

物を飾るためのラックには車の模型が並んでいる。この特徴的な豚の鼻のようなフロントグリルは私も知っている。

 

「なんだ。車に興味があるのか」

 

グラーフさんの声のトーンが少しあがった。

 

「私はニュルの出身です。シーズンになれば、そういう関係者で溢れかえりますからね」

 

「ニュルか! 一度あそこを走ってみたいと思っていたんだ。もし機会があれば私を紹介してくれ!」

 

グラーフさんは嬉しそうにそう言う。これだけ聞くとただの車好きのお姉さんにしか見えない。けど、問題はその横に飾ってある写真だ。

 

「懐かしい写真を飾っているわね」

 

アルピナさんが呆れたようにぼやいた。

そこには、ヤーパンのボーソーゾクみたいな格好をしたグラーフさんとなんとなく見覚えのある女性が肩を組んでこちらにサムズアップしている写真だ。後ろにはコッテコテの改造車が写っている。

 

「これ、アルピ……」

 

「私によく似ている人ね。彼女はもう亡くなったわ」

 

アルピナさんがフッと顔を逸らした。そんなアルピナさんを見て、グラーフさんは被っていた帽子を深くかぶり直した。どうやら言ってはいけないことを言ったのか。気まずい空気が流れる。

 

「あの……その……ごめんなさい」

 

私は少し俯いて謝った。しばらくの無言の後、フッという笑い声をグラーフさんが漏らした。

 

「気にしなくていい。そこに写っているのはアルピナさんで間違いない」

 

「……へっ?」

 

私が間抜けな声を漏らすと、それまで礼儀正しく立っていたアルピナさんは私の横にドカッと座った。

 

「昔、アルピナさんとはあれで遊んでてな。その時の写真だ」

 

「そう。それで私が半身不随になる大事故を起こしてね。私は艦娘になるしかなかったてこと」

 

「私はその後を追っかけて艦娘になったんだ」

 

二人の波乱万丈伝をあっさりと聞かされた私は脳の処理が追いつかなかった。

どうしてバッドガールだった二人がいいとこのメイドさんと艦娘さんなのか。私には理解できない。

 

「あなたのお母様とはその時知り合ったのよ。面白そうだから私も乗せて欲しいってね。お母様がいなかったら、私の今は無かったわ」

 

アルピナさんはそう言うと、グラーフさんに何かの合図を送りました。

 

「昔と同じで?」

 

「そうね。久々にそれでいいわ」

 

「わかりました」

 

グラーフはソファから立つと、部屋の外に出ました。

 

「あなたのお母様に返しきれない恩があるっていうのはそう言うことよ。それに私はあの人のことが人として好きだったの。だからその娘であるあなたを悪く言われるのは我慢できなかった」

 

「そういうことですか……」

 

「グラーフのことは信用していいわ。けど真面目だし、今は実力もある。当然訓練は厳しくなると思うわ。建前上、あなたはお嬢様の身代わりということになっているしね」

 

「……つまり、艦娘にはなれるけど、出世は出来ないということですか?」

 

「極端に言えばそうなるわ。けど、そこから脱却するかはあなた次第ね。あのお嬢様は勝手に強くなるわ」

 

アルピナさんはそう言うとグラーフさんが消えた扉を見た。

 

「どういうことですか?」

 

私がそう言うと、アルピナさんは顔を私の耳に近付けました。

 

「あのお嬢様、あぁ見えてすっごく負けず嫌いでわがままなのよ。それに、今までに見たことがないほどの才能があるわ」

 

アルピナさんがそう言うや、すぐに扉が開き、グラーフさんがカップを三つ乗せたトレーを持っていました。

 

「お待たせした」

 

グラーフさんは机の上にカップを並べる。しかし、匂いがきつい。

 

「心配するな。お前のは普通の分量でいれてある」

 

グラーフさんはそう言うと、カップに口をつけました。アルピナさんも続きます。

 

「ふぃ〜〜……たまにはこれぐらい濃いのを飲まないと駄目ね」

 

おじさんっぽくアルピナさんが言うと、グラーフさんはジッと私を見ました。

「……しかし、この体格では戦艦クラスになるとは思えんな。一部分だけは戦艦クラスだが」

 

なに。この人たち。美人の皮を被ったおじさんなの?

私は思わず腕で胸を隠した。

 

「そうなの? あれって気合と根性で慣れるもんじゃないの?」

 

「昔はそうでしたけど、今は違います。その体格に見合った艦種が選ばれるはずです。お嬢様は恐らく何らかの無茶が働いて戦艦になるでしょうが……まぁ、さっき見た限り戦艦になることは何の問題もないでしょう。問題はお前だ」

 

グラーフさんはそう言うと舐め回すように私を見ました。

 

「中途半端だ……」

 

言い方にイラっとしたけど、グラーフさんが言わんとしていることがわからないわけじゃない。

私はこの国の女性の平均身長よりも少しだけ高い。けど、それもほんの僅かだ。

グラーフさんは体格と言った。身長じゃなければつまり私が太っていると。それは大きな間違いだ。民宿の看板娘も楽じゃない。宿泊客のご飯を作れば、それを運ばなくてはいけない。それが多ければ何往復もする。それに部屋の清掃もしなくてはいけない。意外と看板娘は肉体労働なのだ。

 

「私、脱いだら凄いんですけど」

 

僅かにだけど、腹筋は割れている。

 

「それはわかっている。肩と腕を見れば鍛えていることぐらいわな」

 

グラーフさんは私の自信に満ちた発言をあっさりと流しました。

 

「……じゃあ何ですか?」

 

「お前は艦娘とは何か知っているか?」

 

「海の上を走って戦う美人さんのことでしょう?」

 

だから私が選ばれたのよ。

 

「……貴様」

 

「ふざけられるのも今のうちだけよ。ほっときなさい」

 

グラーフさんの怒気とアルピナさんの呆れと、そんなに私悪いことしましたかね。

 

「大雑把に言えば、そうなる。だが、その判断基準はヤーパンの体格をもとにしている。お前はヤーパンの女性よりも背が高い。だが、戦艦クラスの艦娘ほど高くはない。だから中途半端だと言っているんだ」

 

「なるようにしかならないわよ。それにこの子はお母様によく似ているわ。どうなっても楽しくやろうとするわよ」

 

「そうですよ。私は艦娘になれればなんでもいいですから」

 

「貴様……何しにここに来た……」

 

「私たちの外見年齢に憧れてここに来てるのよ」

 

アルピナさんがそう言うと、グラーフさんは盛大なため息をつきました。

 

 

ーーーー

 

その後、私は工廠と呼ばれる場所に案内されました。

小難しい書類にサインをさせられた後、裸にされて変な液体の入ったバスタブのような物に入れられました。私の体を見たグラーフさんがペシペシと筋肉を叩くのが少し気持ち悪かったです。

 

その後のことは寝てしまって覚えていません。

だけどその間に見た夢のことは覚えています。ニュルの私の家の部屋で、ベッドに寝ている私の頭をお母さんがずっと撫でてくれていました。大丈夫。怖くないからと言いながら。

しばらくすると、扉が開き、黒い長髪のヤーパンの女性が姿を現しました。私は彼女を知っています。会ったことはないけど、記憶がそう訴えます。彼女は私の腕を取ると、凛々しい顔で私を覗きこみました。何故だろう。私は涙が止まらなくなりました。

 

「「もう起きても大丈夫(だ)」」

 

お母さんと彼女がそう言うと私が見ていたのは光景は光に飲まれました。

 

ーーーー

 

ゆっくりと目を開ける。あたりが眩しい。

 

「おはよう。プリンツ・オイゲン。よく寝れたか?」

 

「ぷりんつおいげん?」

 

私は名前のようなそれを口にしました。

そして何故か、それが私の名前であることがすぐにわかりました。

 

「三日も目を覚まさないから心配したぞ」

 

私の前に差し出された白い手。視線を手から腕に、肩、首、そして顔に移すと、そこにはグラーフさんがいました。

 

「グラーフ・ツェッペリン」

 

初対面ではないけれど、私には彼女が航空母艦のグラーフ・ツェッペリンであるということがすぐにわかりました。

 

「そうだ。そして君の教育担当艦だ」

 

私が差し出された手を取ると、強い力で引かれ、立たされました。

 

「制服は向こうに用意してある。着替えてこい」

 

グラーフさんはそう言うと欠伸を漏らしました。よく見ると目の下にクマも出来ています。きっと私の目覚めをずっと待っていたのでしょう。

 

「ビスマルク……いや、お嬢様はすぐに目覚めて訓練をされいる。お前が寝ていた三日間で差がついてしまった。着替えたらすぐに試験航行に移る」

 

まだぼんやりとしている意識の中で、私は少しずつ思い出した。そして実感する。私は艦娘になったのだと。

 

「いつまで寝ぼけている! 素っ裸で海に放り出されたいのか!」

 

「今はパジャマに着替えて、フカフカのベッドで寝たい」

 

素直な欲望を口に出す。グラーフさんは呆れたようにため息をもらした。

 

ーーーー

 

艦娘、プリンツ・オイゲンの制服に着替えてすぐに艤装が装着され、私は訓練用に使われるというプールのような場所にいた。

さっきから欠伸がとまらない。正直、見えてはいるけど目が開いているのかもあやしい。そんな私にグラーフさんがイライラしているのもわかる。

 

「シャキッとせんか!」

 

急に背中をドンッと強く押された。あまり力の入らない私はそのままプールの水面に足をついた。しかし、それまで私が経験したことがない感触だ。水面についた足がスーと滑る。私はバランスを崩さない為にもう片方の足を水面につけた。まるで氷の上を滑るように進んでいく。

 

「おぉ〜……これは少し面白いかも」

 

私はスケートをする要領で水面を滑った。眠たいけど、面白いから少しだけ目が覚めたような気がする。しばらく滑っていると、グラーフさんが信じられないものを見るような目で私を見ていることに気がついた。

しまった。これも訓練だった。

 

「……どういうことだ?」

 

「すいません! 寝ぼけていました!」

 

さすがにまずいと思った私はグラーフさんに近くに寄り、頭を下げた。

怒られるんだろうな……そう思っていたけど、グラーフさんは何も言わない。

チラッとグラーフさんの顔を見ると、未だに信じられないといった顔をしている。

 

「天才と言われたビスマルクでさえ水面に浮遊出来るようになるまで一日かかったのに……」

 

「はい?」

 

「どうしてお前が……」

 

「えっ? もしかして駄目でした?」

 

グラーフさんは自分の頰を何度か叩くと、期待に満ち溢れた顔で私を見ました。

 

「駄目なもんか。むしろいいぞ! これは面白いな! やっぱりお前は変わっている!」

 

褒められてるのか、貶されているのかわからないけど、とりあえず最後に失礼なこと言われた。

 

「よし! 次のステップに行くぞ!」

 

その後、主機をつけてまっすぐ進んだり、舵を切って曲がったりとと簡単なことばかりやらされた。これが訓練なの? と疑問に思ったけど、怒られたくないから何も言わなかった。



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3話

 

これが訓練というのなら、私は幸せ者かもしれない。

訓練用のプールの水の上をただ滑る。言われた通りに右に曲がったり、左に曲がったり。

一緒に訓練している子、名前はレーベレヒト・マース、レーベちゃんは曲がる度に転けている。私が何度か起き上がるのに手を貸そうとすると、グラーフに怒られた。一人で起き上がれないやつに艦娘になる資格はないと。けど、レーベちゃんは既に艦娘だ。今更何を言っているんだろうか。

レーベちゃんはそう言われる度に唇を噛み締めて必死に起き上がろうとしている。けど、足は浮いているのに、状態は沈もうとする。私も一度転けた事があるからわかる。立ち上がろうともがけばもがくほど、レーベちゃんは沈んでいく。

私は見ていられなかった。レーベちゃんの近くまで航行すると、そのままレーベちゃんの腕を引っ張って起こした。水を飲んだのだろうか。むせる様に咳き込むと涙目になったレーベちゃんは申し訳なそうに私を見た。

 

「ごめんなさい」

 

「大丈夫?」

 

レーベちゃんの背中をさすってあげると、グラーフの怒号が飛んできた。

 

「何を二人で休んでいる! 訓練はまだ終わっていないぞ!」

 

「はいッ! すいませんッ!」

 

レーベちゃんは泣きそうな顔でグラーフに返事をした。けど、私はレーベちゃんの腕を離さなかった。

 

「ゆっくり行こう?」

 

私は主機のギアをリバースに入れると、レーベちゃんの両腕を取り、ゆっくりレーベちゃんを引っ張った。

レーベちゃんはそんな私に引っ張られながら必死にバランスを取っている。

 

「なッ……だッ……誰がそんなことを教えたんだッ!」

 

後ろ向きだからわからないけど、グラーフが驚いた様な声をあげた。

その声には怒っている雰囲気はなく、ただ驚いているようだった。

 

「プリンツさん! 怒られるから! 手を離して!」

 

レーベちゃんはそう言うと私の手を振りほどこうとした。けど、私は手を離さない。

 

「怒られるなら二人で怒られよ」

 

私はそう言ってレーベちゃんを落ち着かせた。

 

「そのまま右に回頭しろ!」

 

グラーフの指示が飛ぶ。私は舵を右に取った。けど、私の体は左に進もうとしている。対して、レーベちゃんは右に進もうとする。

 

「「えっ」」

 

私達は二人とも転けた。

私はすばやく立ち上がり、レーベちゃんを起こした。

後ろでグラーフがため息をつくのが聞こえた。

 

「才能はあっても、頭が弱いか……そこまでだ! 二人とも上がってこい!」

 

ーーーー

 

グラーフの長い説教が終わり、その日の訓練は終わった。

グラーフは報告があるからと先に帰り、私とレーベちゃんは訓練用のプールの清掃を命じられた。

 

「プリンツさん。後ろ向きに進めるなんてすごいね」

 

「アハハ……でも後ろ向きだと左右がわからなくなっちゃうけどね」

 

さっきグラーフに怒られた内容を思い出す。

後ろ向きに進んでいるのだから左右は逆になるだろうと。ニュルの出身なのにそんなこともわからんのかと嫌味を言われてしまった。

 

「ボクなんて真っ直ぐ進むだけでもいっぱいいっぱいだよ」

 

レーベちゃんは苦笑いをしながら答えた。

 

「ボクの妹はすごいんだ。艦娘になってすぐにビスマルクっていう戦艦と一緒に訓練しててね。同じ駆逐艦、姉妹艦なのに、ボクとは全然違うんだ」

 

「そうなんだ……じゃあ少しでもはやく追いつかなくちゃね」

 

私はそう言うと、艤装をつけてプールに飛び込んだ。体が一瞬沈み、すぐに浮力を得て水面に立つ。

 

「何してるの!? 勝手に艤装を使ったらグラーフ教官に怒られるよ! それに掃除もしなくちゃいけないし!」

 

「大丈夫、大丈夫。どうせ明日も水をはるんだからバレやしないって。レーベちゃんもはやく!」

 

レーベちゃんはしばらく悩んだ素振りを見せたけど、すぐに艤装をつけて恐る恐る水面に足をつけた。私はそんなレーベちゃんの腕を引っ張る。レーベちゃんは慌てた様子で私にしがみついた。

 

「こう言うのは思い切りが大事なんだよ。今はうるさい教官もいないし、ゆっくり練習しよう」

 

私はそう言い、さっきと同じように後ろ向きでレーベちゃんの手を引っ張った。

 

「……今度は左右間違えないでね?」

 

やっとレーベちゃんが笑った気がする。

 

「もちろん!」

 

私はレーベちゃんの手を引っ張りながら、日が暮れるまで練習を続けた。

しかし、練習に熱中するあまり気がつかなかった。報告を終えたグラーフがプールサイドで仁王立ちしていることに。

 

「貴様ら……誰の許可を得て艤装を使用している。清掃はどうした?」

 

ドスの効いた声ってこういうことを言うのね。レーベちゃんの顔が引きつっている。

私は怖くて振り返れない。

 

「「い……今からやりますッ!!」」

 

「プリンツ。どうせ貴様が言い出しんだろう? 清掃が終わったら私の部屋まで来い。一人でだ」

 

グラーフはそう言うと、カツカツと音を立てて歩いていった。

 

「……真面目に清掃しないと、怒られそうだね」

 

「はやく終わらせよう。それで教官に謝りに行こう。ボクも一緒に行くよ」

 

「本当に? 絶対だよ? 逃げないでね?」

 

一人で行くのは嫌だ。絶対に嫌だ。

もしレーベちゃんが逃げそうになったら引きずってでも連れて行こう。

 

ーーーー

 

清掃が終わった頃には就寝時間はとっくに過ぎていた。

まだ晩御飯も食べていない。けど、行かなくてはいけない場所がある。

就寝時間を過ぎているに、何を彷徨いているんだ! とグラーフにイチャモンをつけられそうな気がしたけど行かないわけにはいかない。

レーベちゃんは私の心配をよそに、ちゃんと一緒について来てくれた。グラーフの部屋の前まで来たのはいいけど、あと一歩が踏み出せない。

扉をノックする。名前を言う。入れと言われたら入る。

なんてめんどくさいんだ。

 

「プリンツさん。行こう」

 

レーベちゃんはそう言うと、扉をノックした。

ちょっと待って。私の心の準備がまだ終わってない。

 

「誰だ?」

 

「ぷ……プリンツ・オイゲンです!」

 

「レーベレヒト・マースです!」

 

「……入れ」

 

グラーフの返答に間があった気がする。

帰りたい。はやく自分の部屋で寝たい。

私の欲求を無視し、レーベちゃんは扉を開けて中に入った。

 

「失礼します!」

 

「……しつれーしますー」

 

真面目なレーベちゃんとは対照的な私の言い方にグラーフは呆れたようなため息をついた。

 

「一人で来いと言わなかったか?」

 

「自分にも清掃をサボった罰をお願いします!」

 

レーベちゃんは深々と頭を下げた。

 

「レーベには別の処分を与えるつもりだったが……まぁいいか」

 

グラーフはそう言うと、私とレーベちゃんの前に立つと、レーベちゃんに首から下げるバインダーとストップウォッチを渡した。

 

「これより二人には夜間演……」

 

「グゥ〜〜〜」

 

私のお腹はなんて間の悪いんだろう。グラーフの言葉を遮るなんて。

しばらく沈黙が流れたかと思うと、グラーフはキョトンとした顔で私を見た。

予想外の反応に顔が赤くなる。恥ずかしいんですけど。

 

「何も食べていないのか?」

 

「はい。清掃に時間を取られてしまいました!」

 

レーベちゃんが答える。

グラーフは呆れたように笑うと、私とレーベちゃんに椅子に座るように指示を出した。

 

「真面目なやつらだな……私なんて真面目に清掃したことなんてないぞ」

 

グラーフはそう言い、私たちに二つずつパンをくれた。

私は何も言わずそのパンにかぶりついた。

 

「頂いてもよろしいですか!」

 

レーベちゃんが焦ったような声でグラーフに言う。

もしかして私やってしまった?

 

「構わん。そっちのみたいにそんなに気を使わなくていい」

 

そっち扱いですか。

 

「いただきます」

 

レーベちゃんは嬉しそうにパンを頬張った。

 

「食べながらで構わん。この後、プリンツには夜間演習をしてもらう。レーベは記録係だ」

 

「……了解しました」

 

ただでさえ朝早いのに、夜間演習なんて……さよなら私の睡眠時間。

 

「心配するな。二人共明日は休みにしておいた。レーベには明日買い出しという罰を与えようと思っていたのだが……その買い出しは私が行こう」

 

「いえ! 自分が行きます!」

 

レーベちゃんはどこまで真面目なんだろうか。

 

「疲れて明日は動けんだろう。気にしなくていい。食べ終わったか?」

 

レーベちゃんが食べ終わるのを確認すると、グラーフは帽子を被った。

 

「私も出来ることならはやく寝たい。さっさと終わらせるぞ」

 

 

ーーーー

 

揺れる。揺れる。

私の視界が上下に動く。けど暗くてよくわからない。

 

「よし。探照灯を点けろ」

 

グラーフの指示を聞き、私は探照灯をつけた。

本来は砲塔が装備されるそこに鎮座する大型探照灯四基。砲塔よりは全然軽いけど、正直かっこ悪い。けど、ものすごく明るい。

 

「プリンツ。今からこのテストコースを5周してもらう。レーベには各セクションの記録を取ってもらう」

 

「了解しました」

 

クルーザーの上に立っているグラーフとレーベちゃんが羨ましい。

海の上がこんなに揺れるものだとは思っていなかった。

晩御飯、食べなくてよかった。

 

「さっそく始めるぞ! 準備はいいか?」

 

「「大丈夫です!」」

 

主機の回転数をあげる。あとはグラーフの合図で繋ぐだけ。

「始めっ!」

 

繋いだ。スクリューが急激に回転する。乱暴に加速した私は一瞬で宙に浮いた。

波だ。海面の波をジャンプ台にして飛んでしまった。なんとか着水するも、またすぐに波に浮かされる。

思うように推進力を得られない。スクリューが浮いてしまう。海の上を走ることがこんなに難しいなんて思わなかった。

 

「こんのッ!」

 

海面を踏みつける。少しでも長くスクリューを海中に留めないと

 

 

ーーーー

 

すごい。

プリンツちゃんは海面を飛ぶように進んでいく。

ここからじゃ逆光で表情までは見えないけど、きっといつもと同じようにめんどくさそうな顔をしているんだろうな。

 

「レーベはプリンツのこと、どう思っているんだ?」

 

急に横にいるグラーフ教官に声をかけられた。

プリンツちゃんのことはすごい人。才能がある人。優しい人。そう思っている。けど、失礼がないように伝えるにはどうすればいいんだろうか。

 

「そう肩肘を張らなくていい」

 

「すいません」

 

「それで?」

 

「すごいと思います。ボクには出来ないことを簡単にやってのける。そんな人だと思っています」

 

「そんなことはない。お前にも出来るはずだ」

 

教官はそういうと、ボクの頭の上に手を置いた。

 

「あれは才能があるが頭が弱い。人に教えるなんて出来ないだろうな」

 

「そんなこと……」

 

ありませんとは言えない。現に二人で練習してる時も何度か左右を間違えてたし。

 

「だから見て学ぶんだ。体の使い方。重心はどこにあるのか」

 

「見て学ぶ……」

 

ボクはプリンツちゃんの動きをジッと観察した。

プリンツちゃんは着水の時に派手な水飛沫をあげている。そのせいで減速しているようにも見える。教官はボクにタイムを測れと言った。と言うことは、きっと時間が重要なんだろう。

三つに区切られたセクションのタイムを記録し、一周のタイムを計測する。

一周目は2分10秒。これが早いのか遅いのかはわからない。けど、基準にはなるはずだ。

一周すると、プリンツちゃんは急にペースを落とした。それまで上下に激しく揺れていた探照灯の光が比較的ゆっくりと上下している。

 

「ただ航行すればいいと考えたか……」

 

教官の声色に若干怒気がこもっている。ボクは目を逸らし、最初のセクションのタイムを計った。ほんのすこしだけ前の周よりも遅れている。

プリンツちゃん。真面目にやらないと怒られるよ……ボクは横に立つ教官の不機嫌なオーラを感じ取っている。どうしてこの人はこんなに怖いんだろう。

ボクは言われたらことをやればいいんだ。二つ目のセクションのタイムを記録する。今度は前の周とほぼ同じだ。よかった。真面目にやってくれている……わけでもなさそう。探照灯の光は穏やかに上下している。

 

「プリンツちゃん……」

 

もうプリンツちゃんが怒られるのは見たくないよ。

出来ないボクが怒られないのに、出来るプリンツちゃんが怒られる。

ボクが出来ないのがいけないんじゃないか。叱られるのはボクでいいのに。

 

「レーベ。余計な事は考えずに時間を図れ」

 

イライラを隠そうとしない教官の声にハッとした。

急いで、時間を記録する。二周目は1周目とほぼ同じ2分7秒だった。

プリンツちゃんは相変わらず穏やかに走っている。どうして出来るのに真面目にやらないんだろう。プリンツちゃんはなんの為に艦娘になったんだろう。

ボクはこの国の役に立ちたくて艦娘になった。プリンツちゃんもそうなのかな。

そんなことを考えながら、記録を取る。記録を取って驚いた。あんなに穏やかに走っているのに、タイムが1周目と2周目よりも速い。2個目のセクション、3個目のセクションもタイムを更新した。

3周目1分50秒。10秒以上縮めていた。

教官の不機嫌そうなオーラは消えない。けど、ボクはそんなの気にならなくなっていた。

四周目2分ちょうど。プリンツちゃんは何故かタイムを落とした。けど、最後のセクションだけタイムを伸ばした。と言うより、目に見えて速力をあげていた。探照灯の光跡が残るほど速い。スタートラインを出せ得る速力で抜けたプリンツちゃんはそのまま速力を落とすことなくテストコースを駆け抜けた。全てのセクションでそれまでよりも速いタイムを出している。気がつけば教官の不機嫌なオーラは消えていた。

 

「……すごい」

 

「……タイムは?」

 

「1分30秒です」

 

ボクがタイムを告げると、教官は押し黙った。ボク達の沈黙を破ったのはプリンツちゃんの悔しそうな声だった。

 

「最後の最後に失敗したぁ……飛んじゃったよ……」

 

教官が呆れたようなため息を漏らした。

ボクにはこのタイムが速いのか遅いのかわからない。けど、スゴいってことだけはわかった。



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4話

 

今日はヤーパンから先輩艦娘が二人、教官として来るらしい。

 いつもより早めに起こされ、会議室に集めさせられた。我がドイツ海軍の艦娘が横一列に並び彼女たちを待っていた。すごい人が来るのか。ヤーパンのスゴい船といったらヤマトやナガトだろう。もしかしたらアカギやカガかもしれない。少し浮かれていると、後ろから後頭部を小突かれた。

 

「オイゲン。お前のために言う。気を引き締めろ」

 

 振り返ると、グラーフが後ろに立っていた。その顔には少し引きつっている。珍しく緊張しているようだった。

 

「わかりました」

 

 よくわからないけど、とりあえず襟元を正し気を付けをする。しばらくその姿勢で待っていると、青い迷彩服を着た二人の女性が入ってきた。先を歩くのは栗色の髪をした女性、その後ろを歩くのは綺麗な銀髪の女性だった。その特徴的な髪の色のおかげで、二人が日本から来た艦娘だということはわかった。だが誰なのかさっぱり解らない。

 二人は私たちの前に立つと、栗色の髪をした女性が私たちに敬礼し、遅れて銀髪の女性が敬礼をした。それを受け私たちも返礼をする。

 

「日本から来ました那珂です。よろしくお願いします」

 

「同じく叢雲です。よろしくお願いします」

 

「「「ヨロシクオネガイシマス」」」

 

 先ほど、教わった日本語を大きな声ではっきりと言う。これが私たちに与えられた今日最初の任務だった。

 そして二人を観察してみる。たぶん怖いのは銀髪の人、ムラクモサンだろう。赤い目には鋭さがある。気を引き締めているのが見て取れる。ナカサンはどこか自然体に見える。それに彼女が先を歩いていたのだから、ムラクモサンはナカサンの部下になる。こういうものは二番目の人の方が厳しいものだ。私はナカサンの下で訓練を受けたい、そんなことを考えていた。

 

「名前を呼ばれた者は前に出ろ。他の者は退席」

 

 グラーフ教官がそう言い名前を呼び上げる。呼ばれたのは私と、ビスマルクことお嬢様、そしてマックスシュルツっていう知らない子だった。私たちは一歩前に出て指示を待つ。その間に集められた他の子達は敬礼して退席していった。その光景を見ていたナカサンが一瞬睨むように退席者を睨んだ気がしたけど、気のせいだろう。ムラクモサンは相変わらず気を引き締めている。

 

「グラーフ・ツェッペリン以下三名でこの後の演習を行いたいと思いますがよろしいですか?」

 

「構いません」

 

 グラーフ教官の言葉にムラクモサンが答えた。演習って何なの。グラーフ班からは私しか選ばれていない。レーベちゃんの名前はなかった。演習てことは、グラーフと私でお嬢様達の相手をするのかしらね。

 ぼんやりとそんなことを考えていると、ナカサンが一つ大きなため息をついた。

 

「了解しました。こちらの編成は私、那珂を旗艦として随伴艦に叢雲をつけます。装備に関しましては追って連絡します。ウサギ、いくよ」

 

 ナカサンはどこか機嫌が悪そうに思えた。退出者に失礼があったのか、そんなはずはないと思う。みんな私よりもお行儀がいい子ばかりだし。なら私が何かしたんだろうか。でもナカサンは退出者を睨んだような気がした。

 ナカサンとムラクモサンは足早に会議室を出て行った。こちらに一礼をして扉が閉めたムラクモサンの声が漏れて聞こえたような気がした。

 

「ごめんなさい」

 

 これがいったい何の謝罪なのか今の私にはわからなかった。

 会議室に残された私たちは教官から演習の内容と作戦を聞かされた。演習というのは、私達四人で日本の教官二人に挑むというものだった。けど、数は二倍、私は経験ないけど、お嬢様の班は既に他の班と海での演習を経験している。そして全勝らしい。私が海に出たのは深夜の特別訓練のあの一回だけ。後は訓練用のプールでの航行演習と砲撃演習だけ。そしてグラーフ教官は何度も海に出ているし、実戦の経験もあるらしい。つまり、足手まといは私だ。

 

「オイゲンはお嬢様の護衛を頼む」

 

 教官にそう言われても仕方ない。グラーフ教官の艦載機で二人を追い込んで、私とお嬢様で砲撃、マックスちゃんとグラーフ教官の艦載機で撃ち漏らしを片付ける。つまり私の仕事は適当に発砲するだけでいいということだろう。当たればラッキー、相手は軽巡と駆逐艦だから当たれば勝てる。相手の射程外から一方的に撃ち込めるとわけだ。

 

「気を締めてかかるように。特にオイゲン。相手はヤーパンで選ばれて来られた二人だ。演習とはいえ、ナガト型を手玉に取り、空母をいとも簡単に沈めたらしい。怪我をするなとは言わん。必ず生きて帰ってこい」

 

 訓練用の模擬弾で沈まないことは知っている。一度グラーフ教官の爆撃を味わったことがある。訓練の合間の休憩で遊んでいたら怒られたときに。

 この時の私は、とても気楽に構えていた。

 

 

ーーーー

 

 艤装を装備して指定された海域に向かう。海風が気持ちいい。そんなことを考えながら航行しているとマックスちゃんが私の横に並んだ。

 

「レーベは元気にしている?」

 

「レーベちゃん? うん。元気にしてるよ」

 

「君に話はレーベから聞いている。いつも迷惑をかけていると言っていたけど」

 

「全然。むしろ私の方が迷惑をかけてるぐらいで」

 

「私もあなたの噂は聞いているわよ」

 

 先頭をいくお嬢様、ビスマルクが私の方を見た。怒られるのかなと思ったら、ビスマルクは笑っていた。

 

「なかなかの逸材らしいじゃない。さすがは私の家系の血が流れているだけのことはあるわ」

 

 あれ。お嬢様ってこんな高飛車な感じだったけ。以前お話したときは謙虚な方だと思ったけど。

 

「私もお嬢様のご活躍を耳にしています」

 

「ビスマルクでいいわ。海の上じゃ階級なんて関係ないわ」

 

 この場合の階級は海軍の階級ではなく、貴族的な階級だろう。あれ。私って階級は何なの? 考えたこともなかった。てことはグラーフ教官の階級は何なの。もしかして、私、海軍的にはだいぶまずいことしてたんじゃないだろうか。

 

「おしゃべりはそこまでにしておけ」

 

 海に出てからずっと黙っていたグラーフ教官が口を開いた。教官は出撃からずっと機嫌が悪い。眉間に皺をよせて何かを考えこんでいるようにも見えたけど、確実に機嫌が悪い。ここまで機嫌が悪い教官は見たことがない。どこか重たい空気が流れる。

 

「グラーフ教官。相手の装備はわかりましたか?」

 

「水を満載したドラム缶と木の棒だ」

 

「「「は?」」」

 

 さっきまでまずいことをしたんじゃないか。口のきき方には気を付けようと思った私の口が素直に反応した

 

「だから水と木の棒だ。砲も魚雷も積んじゃいない。それにこちらの無線は向こうには聞こえないが、向こうの無線はこちらが聞けるようにしてくれるそうだ」

 

「欺瞞? こちらを油断させて叩こうっていう」

 

「私もそれを考えた。だから出撃時間をギリギリまで遅らせて向こうが出てから確認もした。向こうの出撃ドックには砲も雷管も置いてあったし、整備員にも確認した。二人はそれだけ装備して出て行ったらしい。全員で止めたらしいが、何を勘違いしたのか、木の棒を置いていこうとしたらしい。何を考えているのかさっぱりわからん」

 

「……もしかしてボクトーってやつ?」

 

「ボクトーって何?」

 

 ビスマルクが私に尋ねる。昔、ヤーパンのお客さんからお土産でもらった事があるのを思い出した。そこそこ重量があって、あれで叩かれたらもの凄く痛いだろうなって思ったことがある。

 

「昔のサムライが練習で使う刀の形を模した木の棒のこと」

 

「サムライソードでどうこうなる話じゃないぞ。こっちは砲も魚雷も、艦載機もあるっていうのに」

 

「楽な演習になりそうだね」

 

 

ーーーー

 

『私、木刀なんて使ったことないんだけど」

 

『大変だったんだよ。長刀型の木刀なんてないんだから。それに、バランスもあわせないと振り回せないだろうと思って、叢雲ちゃんの長刀と同じ重さとバランスにするのにいろいろ調整してもらったんだから』

 

『いや。だったら素直に私の艤装使わせなさいよ』

 

『それはいくら何でも危ない』

 

 指定された海域に近づくと教官二人の無線が漏れて聞こえてきた。最後のナカサンの声のトーンが微妙に真面目なものに聞こえたけど、どうやら二人はリラックスしているらしい。それに対して、こちらはグラーフ教官を筆頭に口数も少なくなり、五分前からは遂に誰もしゃべらなくなった。いよいよ始まるそんな感じだ。

 

「こちらグラーフ。指定された海域の到着した」

 

 こちらの無線が向こうに聞こえない今、グラーフ教官は別途に用意した無線で向こうに連絡をいれた。

 

「了解。じゃあ始めるわよ」

 

 ムラクモサンが答える。ビスマルクが驚いた様子でグラーフを見ていた。いきなり始めるか。私はスッとビスマルクの前に立つ。グラーフも少し慌ててはいたが、そこは最年長、馴れた手つきで発艦を始めた。艦載機がけたたましいエンジン音をあげて次々と空にあがる。その時、私の電探が以上を知らせた。私が気がつくのだから、他の子が気がつかないわけがない。

 

「速い!」

 

「後退して距離を取る! 攻撃隊は随時攻撃を開始しろ! 二人は射程に捉えたら発砲して構わん! マックスはすれ違い様に雷撃を頼む! 乱戦になる、こちらの弾にも気を付けてくれ。模擬弾でも当たると痛いぞ」

 

「「「了解!」」」

 

 グラーフ教官を守るように私とビスマルクは陣形を取り、マックスちゃんは突っ込んでくる敵影二つに対して右側に回り込む航路をとった。私の頭の上をグラーフ教官の艦載機が次々と通り過ぎていく。そのけたたましいエンジン音のせいで何も聞こえない。これで私よりも射程が長いビスマルクの砲撃が始まったらと思うと……こんなことなら耳栓を持ってくればよかった。自分の砲撃に集中出来る気がしない。

 遠くの方で水柱が立った。遂に艦載機の攻撃が始まったのだろう。これで勝負がついてくれた方がありがたい。

 

『Feuer!』

 

 その攻撃にあわせてマックスちゃんも攻撃を始めた。艦載機と駆逐艦による同時攻撃。考えただけでも怖い。自分が向こう側にいたらすぐに被弾していたと思う。

 

『『速い!』』

 

 グラーフ教官とマックスちゃんの声が被る。舌打ちが聞こえたかと思うとグラーフ教官が私たちに更なる後退命令を出した。

 

『一隻は軽巡洋艦と聞いていたが……この速力はなんだ!』

 

『こちらマックス! 二隻連なって、全ての攻撃をかわしている。私にも目もくれずにそっちにむかっている!』

 

 時折見える派手な水しぶきはなんなのだろうか。爆発のそれとも違う。昔見たことがあるようなそんな気がするけど何かはわからない。けど、あれだけの攻撃をかわしているということは何度も強烈なターンを繰り返している事になる。私の電探上では二人は最短距離をまっすぐこちらに向かってきている。とすれば、後ろを走る人はどうやってそれに続いている? 艦種が違う以前に人が違う。どれだけ意思の疎通が出来ても見知らぬ海を全く同じラインで駆け抜けることなんて出来るのだろうか。プロペラがかき乱す波がある以上、絶対に後続はラインを外す。

 

『敵艦補足! Feuer!』

 

 遂にビスマルクの砲撃も始まった。そろそろ私の番も近い。私は遠くに見えた敵影をジッと見た。ボクトーを頭の上に構えたムラクモサンが見える。その後ろにナカサンがいるはず。相手の航路を予測して砲を操作する。ビスマルクが放った砲弾が見えた。初弾にして直撃コース、そう思えたけど、弾は二人の頭の上をかすめていった。

 

『確かに速いわ!』

 

『そう言ってるじゃない!』

 

 二人の横を並走するマックスちゃんが叫ぶ。マックスちゃんに余裕はなさそうだ。その瞬間、ムラクモサンがスッと消えてナカサンが現れた。二人が前後を入れ替えたのだろう。ナカサンの後ろになびく銀髪が見える。

『次は外さない! Feuer!』

 

 前後を入れ替えたことで、相手の速力が落ちた。チャンスと言わんばかりにビスマルクが砲撃する。けど、どうしてこのタイミングで入れ替わったの? その疑問が解けぬまま、ビスマルクの砲弾はナカサンに吸い込まれていく。直撃する。向こうはビスマルクの砲弾など関係ないと言わんばかりに突っ込んでくる。これがカミカゼってやつなのかしら。そんなことを考えていると、ナカサンがニッと笑った気がした。その瞬間、本能的に危ないと何かを察した。

 

「マッ……!」

 

 マックスちゃんの名前を言おうとした。けど言葉が出なかった。ナカサンが一瞬消えて、ムラクモサンと目があった。その目は私なんか見ていない。けど真っ直ぐ透き通った目だと思えた。ナカサンが再びムラクモサンの前に現れる。その手はマックスちゃんの方を差していた。一瞬の間があって、マックスちゃんが大破判定をだした。その時、私の横でビスマルクが短く悲鳴をあげた。横目でビスマルクを見ると、信じられない、そんな顔で口元を手で塞いでいた。

 

『マックス・・・・・・大丈夫?』

 

『大丈夫・・・・・・何が起きたのかわからないけど。ナカサンが一瞬消えたかと思ったら、目の前に砲弾があった』

 

『ごめんさい。私の砲撃で・・・・・・』

 

 ビスマルクの砲弾がマックスちゃんに当たった? そんなはずはない。ビスマルクの砲弾は確実にナカサンに吸い込まれた。離れていたマックスちゃんに当たるはずがない。軌道が急激に逸れたとでも言うの?

 

『大丈夫・・・・・・生きてるわ・・・・・・』

 

 マックスちゃんは息も途切れ途切れに答えた。死んじゃうほど痛かった? 私のイメージではゲンコツで思い切り殴られたぐらいの痛さだと思ったけど。もしかして初めてだったのかしら。

 

『攻撃隊から入電・・・・・・効果は認められず・・・・・・全てかわされたそうだ・・・・・・』

 

 グラーフ教官からの悔しそうな入電。あれだけの艦載機での攻撃を全て避けきったというの。なら砲で仕留めるしかない。私の射程に二人が入った。

 

「主砲・・・・・・よ~く狙って・・・・・・砲撃開始!」

 

 一番砲塔、二番砲塔のそれぞれ二門を発射。できればこれで仕留めたいけど、まぁ、当たらないだろうな。動く目標を撃つのは初めてだし、それにあんな高速で動く人間サイズの目標だ。当てられるわけがない。だから適当にあたりをつけて撃った。精度の高いビスマルクの砲撃を当てさせるために。着弾予想地点はあの二人ならわかるはず。そこを避けて通れば自ずと航路は一つしかない。ビスマルクも私の下手な砲撃は見ていただろう。そして勘も鋭い。すぐにその航路を見つけ出して狙いを定めていた。

 

『ちゃんと狙ったんじゃないの?』

 

「狙ってあそこらヘンに撃ったの! そういうことにしておいて!」

 

 ビスマルクに余裕が感じられる。あとはタイミングを計って撃つだけ。そう思っていた。けど、あの二人は当たり前のように私が砲撃した地点に突っ込んでいく。自分からあたりに行くように。一瞬自分の目を疑ったけど、目の前の光景は変わらない。

 

「まずい・・・魚雷発射!」

 

 慌てて魚雷を放つ。すっかり存在を忘れていた。だって撃ったことないんだもん。適当に二人の進路に向けてばらまく。けど彼女たちは航路を変えなかった。近くでみてわかった。最小の動きでこちらの攻撃をかわしていた。ギリギリのはずなのに、二人の表情には余裕があった。まだ詰めれる。そう言わんばかりに。二人はもうすぐ側まで来ている。ナカサンが握っていたボクトーを振りかざした。そこからは私もビスマルクも無茶苦茶に砲撃した。装填されていた砲弾を撃ちきったとき、目の前にとても楽しそうなナカサンの顔があった。

 

「チェストォッ!!」

 

 ナカサンが跳んだ。そのままビスルマクの砲塔めがけ、思いっきりボクトーを振り下ろす。バキッという木が折れる音と同時にナカサンがビスマルクの頭の上を飛び越えて行ったように見えた。

 

『何なのッ!?」

 

 私にも訳がわからなかった。けど身体が反応していた。

 後ろにはムラクモサンがいる。攻撃目標は私じゃない。ビスマルクだ。もうムラクモサンは槍みたいなボクトーを振りかざしている。ビスマルクとムラクモサンの間に立った私は、ムラクモサンの困惑した顔が見て取れた。もしかしたら、この人の方が優しいのかもしれない。そんなことを考えながら振り下ろされたボクトーを見ていた。私の顔めがけて降りてくる。思わず両手が出た。手のひらが熱い。両手に収まったボクトーが私の顔の目の前で止まった。

 

「白羽取りッ!?」

 

 昔からお父さんにやれば出来る子だと言われていたけど、まさか私にこんなことが出来るとは思わなかった。そして背中がスゴく痛い。手のひらで挟んだボクトー越しにムラクモサンの驚いた顔と空が見える。ものスゴく私の背中は反っているのだろう。必死で気がつかなかった。一瞬だったけどゆっくり時間が流れているように思えた。思わず安堵のため息が漏れてしまう。

 

「あなたねぇ。スゴいことやったことは褒めてあげるけど、まだ終わってないわよ? そのまましっかり支えてないさい」

 

 ムラクモサンの呆れたお言葉を頂いた後、私の背中に更なる負荷がかかった。

 

「ちょっと! それは無理!」

 

 ムラクモサンは私が掴んだボクトーを支点にして、そのまま私の上を跳んだ。棒高跳びみたいに。おかしい。私の知っている艦娘っていうのはこんな動きはしない。空になびく銀髪を見ながら私は背中から海に倒れ込んだ。それと同時に手のひらからボクトーの感触がなくなった。

 

『ぐぅっ!!』

 

 ビスマルクのくぐもった声が聞こえた。仰向けに倒れた私は顔をあげてその様子を見ていた。私を飛び越えたムラクモサンがそのままボクトーでビスマルクの頭をボクトーで叩いたのだ。更にその奥で、グラーフ教官がナカサンに投げ飛ばされている。当然のように二人は大破判定。残ったのは私だけだ。

 慌てて立ち上がったけど、遅かった。後ろからゴンッと頭を叩かれた。

 

「いッ・・・・・・たぁッ!」

 

 頭を抑えて振り返る。ボクトーを肩に担いだムラクモさんがこちらを見ていた。

 

「仕切り直す?」

 

 本来ならお願いしますと言うべきなのだろうけど、グラーフ教官もビスマルクも呆然と私たちを見ていた。戦意なんてもうない。

 

「いえ。大丈夫です。参りました」

 

「そう。じゃあこれでお終いね。那珂ちゃん。終わったわよ」

 

「ちゃんととどめ刺しなよ~」

 

「私には背中から斬り付ける様な趣味は持ち合わせていないわ」

 

「ブシドーセーシンってやつですか?」

 

 私の問いかけにムラクモサンは大きなため息をついた。

 

「なるほど。あなたね。重巡の問題児っていうのは」

 

 問題児? 何のこと?

 えっ、私って海の向こうでも有名になるぐらいの問題児だったの?

 

「どういう・・・・・・ことですか?」

 

「こっちの話よ。さぁ、引き上げましょう。一服つけたいわ」

 

 ムラクモサンは大きく伸びをした。優しい人っぽいことはわかったけど、これから大変なんだろうな。

 よくわからない状況を理解することを諦め、私は大きなため息をついた。



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