幻想郷の悪魔さん (りうけい)
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紫の冬眠

 

 

「ふいーっ、なんだ、段々寒くなってきてるなあ」

 

 白黒の魔法使いは箒に跨って空を飛んでいた。高く空を飛ぶと吹き付ける風で自然と周囲の気温は低くなる。さらに、幻想郷は現在秋から冬へと移り変わっているため、腕に当たる冷気も強くなっているのだ。

 

 白い息を吐きながら、白黒の魔法使い、霧雨魔理沙は高度を落とした。眼下に広がる風景はこの前まで紅い葉が覆い尽くしていたが、今ではその殆どが地面に落ちてしまい、見るも寒々しい。あの威勢の良かった秋姉妹が縮こまり、生意気な氷精が調子に乗ってくるころだろう。

 

「こんな日は霊夢んところで茶をしばくにかぎるぜ」

 

 魔理沙は陰気な魔法使い、アリスからおすそ分けとして貰った紅茶を持っていた。基本的に霊夢のところへ行くと邪険にされるが、お土産があれば手のひらを返したように親切になる。博麗神社へ向かうときは賄賂、もしくは賽銭を持っていく。これは霊夢の知り合いには浸透した、いわゆる常識である。

 

 魔理沙は妖怪の山を迂回して、真っ直ぐ博麗神社へ向かった。

 

 

「おーい、霊夢ー、遊びに来たぜー」

 

 鳥居をくぐり、地面すれすれに飛行する。

 魔理沙は箒から飛び降りると、石畳にふわりと着地した。

 

「……? いないのか?」

 

 いつもこの昼下がりには縁側でのんびり日向ぼっこをしているはずである。何か急用で出かけているのだろうか。

 

「おじゃまするぜー」

 

 一応そう言ってから家の中に上がりこんだ。紅魔館の地下図書館では本を“借りる”ために黙って入るのだが、ここには魔理沙が借りたくなるような本は全くないため、きちんと断っておく。

 

 しかし家の中はおろか、境内にすら誰もいないようだった。

 

「ちっ、アテが外れたなあ」

 

 魔理沙は畳に寝転がった。霊夢は一体どこへ行ったのだろうか。

 

 手持ち無沙汰に寝転がっていると、ふと目に飛び込んできたものがあった。

 

「……お札?」

 

 床に無造作に置いてあったお札には見たことのない文字が書きつけられている。魔理沙は手に持ってためつ眇めつした。

 

 どうやら霊夢の新作のお札であるらしい。どのような効果があるかは分からないが、あの面倒臭がりだが最強の巫女が作っているものである。夢想封印のようなえげつない技なのかもしれない。

 

 どうにかして自分の研究にも組み込めないだろうか、そう思って熱心にお札を見つめていたため、後ろに立っていた霊夢に気が付かなかった。

 

「なんで勝手に上がりこんでるのよ…」

 

「悪い、居なかったから。ちゃんと入らせてもらうとは言ったんだけどな」

 

「それを聞く人がいなかったら意味ないでしょうに…まあいいわ。何の用?」

 

「紅茶持ってきたんだ。飲まないか」

 

 魔理沙がそう言うと、それまで迷惑そうにしていた霊夢は顔を輝かせて、

 

「それを早く言いなさいよ」

 

台所の方へ持って行った。

 

 

 

「茶菓子は用意できないけど、どうぞ」

 

 霊夢は急須から紅茶を注いだ。紅茶の淹れ方は紅魔館のメイド長に教わったもので、かなりうまい。注がれた茶から立つ香りも心なしか一段と良くなっているような気がする。

 

「おお、美味しいな」

 

「紅茶を淹れるのに急須なんて使ってたら咲夜にいろいろ言われそうだけどね」

 

 霊夢も湯のみで紅茶を飲んでいた。ティーセットは貧窮している博麗神社には手が出せないものであるらしい。

 

「しかし茶菓子を用意できないほど金が無いのか?」

 

「そうね、あんまり事件が起きないから。誰かまた異変を起こしてくれないかなあ」

 

「解決者が異変を求めるようじゃなあ…」

 

 実は事件が無いというわけでもない。この神社に住んでいたはずの針妙丸が一月前に姿を消しているのだ。姿を消す前に指名手配中の天邪鬼を目撃したという話があり、それがさらっていった、或いは針妙丸をだまくらかして連れて行ったのではないかとされている。

 

 しかし、霊夢はしばらく探してそれをやめてしまった。もう指名手配もされている大きな異変の準備をすることなど不可能だと踏んだらしい。そのため、今の幻想郷は平穏に浸かりながらゆっくり時を重ねている。守護者たる霊夢は平穏を歓迎しながらも、やはり退屈に感じているらしい。

 

「でもさっきお金はいただいたから、しばらく生活は出来るわ」

 

「お金?」

 

「さっき人里の方へいって悪霊をひとつ退治してきたの」

 

 妖怪は人里に入ってはならないが、元が人間である悪霊などはそれを無視して人里に潜り込んだりそもそも死んだのに気が付いていないものもいるのだ。

 

「私ゃあいつら苦手だな。大体人に取り付いてやがるから、魔法を撃ちにくいんだぜ」

 

「あんたがパワーにより過ぎなのよ。搦手も用意したら?」

 

「弾幕はパw…」

 

「あんたの信念は何度も聞いたわ」

 

 霊夢はそう言って再び紅茶をすすった。

 

「そういえば退治した霊ってどうなるんだ?」

 

「永遠に消滅よ。あいつら魂そのものだから、魂が死ねば天国にも地獄にも行けない。審判を受けることもできずにその場で消滅する。存在を回復できるのは紫くらいじゃないかしら」

 

「割とキビシイな」

 

「いいのよ。それぐらいで。そうじゃないと今頃あの世は亡者でいっぱいだわ」

 

 魔理沙は空になった湯のみを盆の上に置いた。

 

「そういえばあの札は何だ?」

 

 魔理沙が指差したのは、先程までじっくりと見ていたお札だった。

 

「ああ、それは私の“搦手”よ。引っ付いた敵に霊気を送り込んで操り人形にするの」

 

「おいおい、冗談キツイぜ」

 

「そうね、少々適当に言い過ぎたかしら」

 

 霊夢は少し笑って盆を片付けようとした。

 その時、独特の重低音が響いて空間に切れ目が入った。

 

「……紫か」

 

「当たりよ魔理沙、そして霊夢」

 

「何の用?」

 

 霊夢が尋ねる。

 紫は持っていた扇子をパチンと閉じた。

 

「実はそろそろ冬眠しようかと思ってるの」

 

「へえ、何で私らにわざわざそれを言いに来たんだ?」

 

「いつもは隠岐奈に私の寝てる間の管理を任せてるんだけど、今は用事で幻想郷にいない。もしものことがあったら、あなた達が何とかしてほしいの」

 

「うーん、引き受けてもいいけど……」

 

「何?霊夢は乗り気じゃないの?」

 

「これがたくさん出るなら」

 

 霊夢は指で輪っかを作った。要するに金くれ、ということだろう。霊夢がマネーにがめついことは今に始まったことではない。

 紫はため息をついた。

 

「まあいいわ。報酬は約束しましょう。私はきっかり1ヶ月は何が起きても目が覚めないから。何かあったら藍に言って」

 

 紫は冬眠中無防備であるためスキマ空間の中で眠る。その間、藍だけがその空間の入り口を作り出せるのだという。もし藍が裏切りでもしてその入り口を作らなかったら紫は一生スキマ空間の中で過ごすことになるだろう。

 しかし、紫はそんなことを微塵も心配せず藍を信用しているらしい。

 

「じゃ。私は寝るわ」

 

 紫はスキマの中に入ると、たちまちいなくなってしまった。

 

「まあ、多分何もないでしょ」

 

 霊夢は湯のみの載った盆を持って、今度こそ台所へ片付けに行った。

 

「そうだな」

 

 外は相変わらずのどかな景色が広がっていた。

 




初投稿です。まだ拙いところもありますが、これから読んで楽しんでいただければ幸いです。途中まではミステリー風で進めていこうかと思っているのであとで矛盾のご指摘などありましたら教えていただけると嬉しいです。


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永遠亭にて

 

 

 紫が冬眠してから3日。再び神社に遊びに来ていた魔理沙が阿吽とお喋りに興じていると、新たな来客が現れた。

 

「すみませーん、霊夢さん居ますか」

 

「いるわよ。……それにしてもあなたが来るのは珍しいわね。鈴仙」

 

 やって来たのは永遠亭の薬売り、鈴仙・優曇華院・イナバだった。いつもは人里で薬を売るか、永遠亭に居るので、神社に来ることは滅多にない。よく見ると、背中に薬の入っている籠を背負っていないので、人里へ薬を売りに行くついでというわけではなく、何か特別な用事があるのだろう。

 

「気持ち良くなるクスリを秘密裏に売りに来たのなら出て行ってもらうけど」

 

「永遠亭を何だと思ってるんですか。ちゃんとした頼みですよ」

 

「頼み?」

 

 霊夢の目が鋭く光った。

 

「はい。いつもならこういうことは紫さんに頼んでいるのですが、冬眠中とのことで」

 

「で、頼みって何よ」

 

「実は永遠亭に入った泥棒を捕まえてほしいんです」

 

「泥棒?」

 

 鈴仙は頷いた。霊夢がその説明を続けるよう促す。

 

「昨日のことなんですが、私は師匠の指示で薬を貯蔵している倉庫に入ったんです。目的の薬はすぐに見つかったんですが、どうも他の薬の配置がおかしくて、最初はイナバたちの悪戯かなって思ってたんですけど、よく考えてみたら師匠の渡す鍵が無いと入れない倉庫なので、それは無いってことに気づいたんです」

 

「それで?」

 

「師匠は貴重面な人ですし、誰がやったんだろうと思って元の場所に片付けたんですが、一種類だけ無くなっている薬があったんです」

 

「高価なの?」

 

「……いえ、作ろうと思えば簡単に出来ます。材料も入手は容易ですし」

 

「じゃあいいじゃない、多少泥棒に入られたところで」

 

「入られたことが問題なんですよ! 倉庫には高いのもありますし……だけど本当に重要なのはそこじゃないんです」

 

 魔理沙はいつの間にか話に聞き入っていた。では何が問題なのだろうか。

 

「盗まれた薬は“性格逆転薬”といって、薬の名前から分かるように性格を真反対にする薬なんです。本来は精神病で他者への攻撃性が異常に高まった人物ー例えばフランドールさんとかですねーに投与して、普通に戻すものなんですが…」

 

「普通の人に投与したら、逆に狂人になるという事?」

 

「その通りです。生物を殺すのになんの躊躇いもない人物に早変わりします」

 

「完全にやばい薬じゃない……」

 

 ぞくりとする話である。いつも普通だと思っていた人物がいつの間にかサイコ・キラーになってしまっているかもしれないのだ。

 

「とにかく現場に行ってみないことには分かんないわね」

 

「ということは、調査してくれるんですね」

 

 霊夢は紫にしてみせたのと同じように指で輪っかを作った。紫から報酬は貰えるというのに、さらに永遠亭からも搾り取ろうという魂胆だろう。

 

「その代わり、ちゃんとこれ用意してね」

 

「私もついていっていいか?」

 

 魔理沙が訊くと、鈴仙は少し考えてから頷いた。魔理沙が調査にかこつけて薬を盗むかどうか思案していたのだろう。なんとも失礼な話である。

 

「ま、ちゃちゃっと解決してあげるわ」

 

 霊夢は自信満々に言い放った。

 

 

 

 

 迷いの竹林を抜け、永遠亭に到着した。鈴仙が先頭になって歩いたので特に迷うことなくたどり着くことができた。

 

「あら、霊夢。来てくれたの。魔理沙も」

 

 永遠亭にやって来たの霊夢と魔理沙を迎えたのは永遠亭の薬師、八意永琳だった。彼女は「あらゆる薬をつくる程度の能力」でさまざまな薬品を作ることでこの永遠亭を切り盛りしている。月の頭脳とも言われた天才で、幻想郷の重要人物の一人である。

 

 永琳も薬の盗難については重く見ているらしく、犯人を捕まえられなかったら他の勢力との連携も吝かでないと考えているらしい。

 

「何でそこまで心配してるんだ?」

 

 サイコ・キラーといえども少数であれば鎮圧は簡単だろう。何故わざわざそこまでしなくてはならないのか。

 

「じゃあ逆に訊くけど、あの薬を命蓮字の聖が飲んだら?レミリアが飲んだら?強者の頭がおかしくなったら大変なことになるとは思わない?…まあレミリアは歪んだ性格が矯正できるかもしれないけれど」

 

「なるほど、そりゃ大変ね」

 

 霊夢は納得した様子で頷いた。

 

「そうなれば早速調査を始めましょう。倉庫はどこ?」

 

「こっちです」

 

 鈴仙の案内で霊夢と魔理沙はその倉庫までやって来た。

 

「開けられるか?」

 

「はい。鍵持ってますんで」

 

 中に入ると、ところ狭しと薬が棚の中に収まっているのが見えた。一つ一つにラベルが貼ってあり、なんの薬か分かるようになっている。

 

「ここに置いてあった性格逆転薬は2本です」

 

「それってどれぐらい飲んだら効果あるの?」

 

「えーと、頓服だったから、丁度1本ぶんです」

 

 ということは、犯人は 2人の狂人を生み出すことができるということか。

 

「この薬の存在を知ってる人は何人いるの?」

 

 霊夢の問いに、鈴仙は頭をコツコツ叩いて記憶を辿った。

 

「私と師匠、それに紅魔館のレミリアさんと処方したフランドールさんですね」

 

「じゃあその吸血鬼姉妹で決まり…にはならないわよね」

 

「はい。フランドールさんはもう頭は正常になったようですし、レミリアさんもわざわざ盗まなくてもお金を払えます」

 

「レミリアが何か企んでるとしても、サイコ・キラーを増やして事件を起こすってのはあいつのやり方としては考えにくいしな」

 

 霊夢は伸びをしてから、

 

「とにかく紅魔館へ行けば何かわかるでしょ」

 

と言って倉庫からさっさと出ていってしまった。

 

「ちょっと待てよ」

 

 魔理沙は慌てて霊夢を追いかけた。その途中で、視界の端にあるものが映った。

 

「……穴?」

 

 倉庫には小さい穴がぽっかりと開いていた。腕が通るかどうかというほどで、無くなった薬品から遠い位置にある。

 

「ここから犯人は薬を盗んでいったんじゃないか?」

 

 霊夢を呼び止めて言う。

 

「まあこの小さな穴からなら吸血鬼の霧化とか萃香の能力で入れないこともないけど……そもそも青娥なら壁抜けは出来るし、紫の能力なら壁なんて無意味だわ。だからまず薬の存在を知っていた者から疑うべきよ」

 

 確かにその通りだった。ぐうの音も出ない。

 そして霊夢と魔理沙はその足を紅魔館へと向けることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 




 書く前からうすうす思っていましたが、幻想郷のメンバーでミステリーって難しいですね。密室殺人なんて容疑者のオンパレードになりますし。
 だから自分が想定していない「こうすれば良くね?」があったら頭を抱えてしまいまいそうで、こわごわ執筆している次第です。


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調査隊in紅魔館

 

 

 

 紅魔館のそばまでやって来た。昼間、常に霧が出ているこの湖は、視界が悪く、さらに水滴で体が冷えるため、あまり近寄りたくない。

 しかし、魔理沙達の目指す紅魔館はこの先、湖の畔に建っているのだ。

 

「レミリアは起きてるかなあ」

 

「でももう夕方だし、起きてる頃じゃない?」

 

 2人が霧の中を真っ直ぐ飛んで湖の上を通過する途中で霧が晴れ始めた。橙色の霧がすっかり無くなると、目に飛び込んできたのは夕陽に照らされている紅魔館だった。

 幻想郷には珍しい洋風の作りで、中心に建っている時計塔は5時を指している。

 

 紅魔館の門前に降り立った。

 

「今日は寝てないのね、美鈴」

 

「流石に四六時中寝てるわけじゃありませんよ…お久しぶりです」

 

 答えたのは門の側で壁に寄りかかるようにして立っているチャイナ服を着た門番、紅美鈴だった。彼女は気の使い手で、およそ弱点というものが無いため、紅魔館の門番を任されている。弱点が無いと言っても特定の攻撃に極めて弱いというわけではないというだけのことだが。

 

「なんの御用でしょうか」

 

「ちょっとレミリアに聞きたいことがあってね」

 

「聞きたいこと?」

 

「ええ。レミリアは起きてる?」

 

「はい。ついさっきお目覚めになりました」

 

「じゃあ会わせて。今回は重要な話だから」

 

「重要な話というと……人里で人気だというパへの話でしょうか」

 

「違うわ」

 

 一瞬パへと聞いて何だろうと首を傾げたが、おそらくパフェのことだろう。

 

「じゃあゴールドバッハの予想がついに証明されたとか?」

 

「あんた、ボキャブラリーとか知識とか偏ってるわね…」

 

「咲夜さんが持ってきてくれる雑誌のおかげですよ」

 

「……とにかく、そういうのとは違う真面目な話だから、早く通らせて」

 

「仕方ないですね。ほいほいと通したら本当はいけないんですが」

 

 美鈴は門を開けて、2人に早く通るよう言った。

 

「私だけで来た時は通すの渋るくせになあ」

 

「魔理沙さんは図書館から出禁食らってますからね」

 

 2人は中庭を通って、巨大な玄関のドアを開けた。

 

「相変わらずド派手だなあ」

 

 真っ赤な壁に紅い絨毯。窓は少なく、ホールは少し薄暗かった。左右の廊下へ続く階段は中心の踊り場から分かれており、さらに下の方にもドアがいくつもあるのでどこの扉を開ければ良いのか全く見当がつかない。魔理沙は図書館につながる扉だけは覚えていたが、レミリアの部屋への通路は覚えていなかった。

 

「美鈴は一体何をしてるのかしら。本泥棒と貧乏巫女じゃない」

 

 後ろから突然声が聞こえ、びくっとしてしまう。

 

「咲夜ね。今日はレミリアに会いに来たの」

 

 振り向くと、そこには懐中時計を右手首にぶら下げた銀髪のメイド、十六夜咲夜が立っていた。彼女は「時を操る程度の能力」で時を止めている間に後ろへ回り込んだのだろう。

 

「お嬢様に用があるなんて珍しいわね。でも、貧乏だからって、もうここにはメイドの仕事はもうないわよ」

 

「お金が無くてバイトしに来たんじゃないの。調査よ、調査」

 

「ふうん、何の?」

 

 咲夜は怪しむように訊いてきた。特に魔理沙の方をちらちらと見ている。鈴仙といい、咲夜といい、魔理沙を泥棒かなにかと思っているのではないか。

 実際泥棒なのだが、その事実は魔理沙にとっては“借りている”だけなので自覚が無い。

 

「ちょっとね。いちいち説明するのも面倒だし、まとめて説明するわ」

 

「……そう。じゃあお嬢様の部屋まで案内してあげましょう。どうせ道がわからなかったんでしよう?」

 

「ああ。そういえばこのたくさんのドアはどこに繋がってるんだ?」

 

「左から順に図書館、キッチン、妹様の地下室、妖精メイドたちの部屋で、2階は複雑に通路が絡み合ってるわ」

 

 2階は咲夜があとで拡げたため、かなり複雑なつくりになっているらしい。まるで迷路のようだった。咲夜は迷いなく進んでいくが、もし取り残されたらレミリアの部屋を見つけるのにはかなり時間が掛かるだろう。

 

「私は一発じゃ覚えらんないな。霊夢はどうだ?」

 

「だいたい覚えたわ」

 

 霊夢はあっけらかんと言った。やはり霊夢が弾幕ごっこで強いのは弾幕を避ける技術だけでなく、パターンを覚えるための記憶力が優れているからなのかもしれない。

 

 しばらくすると、咲夜はあるドアの前で立ち止まった。ノックをすると、中から

 

「入りなさい」

 

と声が聞こてえきた。

 

「失礼します、お嬢様」

 

 咲夜は2人の客人、霊夢と魔理沙を部屋に迎え入れた。青髪と紅い眼を持つ運命を操る吸血鬼、レミリア・スカーレットは翼を器用に折りたたみ、ソファに深く腰掛けていた。遠目に見るとカリスマが溢れているように見えなくもない。

 

「あなたたちが来るのはもう知ってたわ。運命を操る私からしたら手に取るように……」

 

「じゃあ私たちが何のためにここへ来たか分かる?」

 

 霊夢が問うと、レミリアは明らかに狼狽した。

 

「わ、分かるわ。えーっと……そうね……お茶会?」

 

「残念、大ハズレ」

 

「運命で分かるんじゃないのかー? 適当なこと言って自慢してたのかな?」

 

 魔理沙が煽ると、レミリアは少し俯き、肩を震わせ始める。

 

「お嬢様!」

 

 咲夜が指を鳴らすと、レミリアと咲夜の姿が瞬時に消えた。

 

「どこいったんだ、あいつら」

 

 魔理沙が、周りを見回していると、壁の向こうからしゃくり上げる声とそれをなだめる声が聞こえてきた。レミリアは傲慢な割に相手に嫌なところをつかれたらとことん弱いらしい。

 

「子供をいじめるのはどうかと思うわ」

 

「でもあいつ500歳だぜ!? この程度で泣くとは思わなかったからさ」

 

 5分ほど経って、再びレミリアと咲夜が現れた。

 

「失礼。ちょっとペットのウーパールーパーの様子が気になってね」

 

 レミリアは平然と言った。目の周りに涙のあとがあるし、壁が薄くて泣いているのがまる聞こえだったとは言いづらい雰囲気である。

 

「…まあいいわ。今日来たのは、永遠亭であんたの妹に処方された性格逆転薬についてなんだけど。そういえばフランは今何してるの?」

 

「地下室に居るわ。もう頭もすっかりまともになったから、鉄格子は撤去してるけど」

 

「そうか。フランにはあの薬の説明をしたか?」

 

「ええ、まあしたと思うけど。何で?」

 

「その薬の在庫が盗まれているんだ」

 

 霊夢と魔理沙はそれまでの調査の経緯を説明した。

 

「なるほど、そういうわけね。でも私があの薬について説明したのは咲夜とフランだけよ。フランは館の中では自由に歩き回ってるけど、館の外には出てない。咲夜は誰かに話した?」

 

 レミリアは咲夜に問うた。しかし咲夜は首を振って、否定した。

 

「うーん、じゃあ、誰があの薬を知ることがてきたんだろう」

 

「一応フランにも聞きましょう」

 

 

 

 

 紅魔館地下室へやって来た。ドアを開けると、中は子供らしいぬいぐるみや可愛いものがいくつも置かれていた。その部屋の真ん中に、フランドールはいた。金髪に宝石のような羽と、姉とは随分外見が違うが、顔立ちはどことなくレミリアと似ている。前に会ったときに顔に浮かべていた狂気はすっかりなりを潜めていた。

 

「フラン、客よ」

 

「霊夢、魔理沙!遊びに来たの?」

 

「いや、残念ながら仕事だ。ごめんな」

 

「ちぇ」

 

 フランは不満そうな顔をした。姉よりも感情をストレートに、顔に出している。言動が幼すぎるのは何十年も閉じ込められてきたせいだろう。

 

「聞きたいことがあるの」

 

 霊夢はフランに近づいた。

 

「最近、あなたはお薬もらったわよね。それを教えてあげた人とかいるのかな?」

 

「うん」

 

 フランはあっさりと肯定した。

 

「誰?誰に教えたの?」

 

「ちっちゃい人。なんとか丸って言ってた」

 

 それを聞いてすぐに魔理沙は針妙丸を思い出した。霊夢も同じ答えにたどり着いたらしく、目を丸くしている。

 

「薬の効果も教えちゃったの?」

 

「うん、ありがとうって言ってたよ」

 

 間違いなく針妙丸はこの薬の盗難に一枚噛んでいる。主犯はおそらく、あの天邪鬼だろうが。おそらく針妙丸は最近までこの紅魔館に潜伏していて、レミリアの性格逆転薬の説明を聞き、仲間の天邪鬼、鬼人正邪に伝えたのだ。そして永遠亭へ出向いて針妙丸に薬を取ってこさせたのだろう。迷いの竹林は妖怪からくすねたマジックアイテムのどれかで抜けたのかもしれない。

 

「結局またあいつを追っかけないといけないってことか」

 

「そうねえ」

 

 以前、幻想郷中が正邪を追い回し、確保しようとしたが、逃げきられてしまった。もしも正邪が今回の事件の犯人であれば、確保はかなり難しいだろう。

 

「なんだか面倒になってきたわね……」

 

 霊夢はため息をついた。

 

 

 




 ようやくプレビューの存在を知りました。以前自分で見てみた時に文章ががたがたになってて読みづらかったので、これ以降はそれが無いようにしていきたいです。
 


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最初の犠牲者

 魔理沙が紅魔館を訪れる前日の夜ー

 

 

 

 

 

 月に照らされ、永遠亭の薬倉庫は夜でもはっきりとその姿が見えた。永遠亭に住まう者達は既に寝静まっている。倉庫のそばに、1つ人影があった。

 

「正邪、持ってきたよ」

 

 倉庫に開けた穴から小人が這い出してきた。正邪と呼ばれた方の人影は、その小人、少名針妙丸から2本の薬を受け取った。

 

「ありがとな」

 

「いいのよ。あなたが変わるためなんでしょ?」

 

「………まあ、そうだな」

 

 鬼人正邪と針妙丸が異変と逃亡劇の後再開したのは1ヶ月前、博麗神社だった。相変わらず指名手配はされているものの、時間が経って追手の数が少なくなってきたので、新たに反逆の準備を始めようと、針妙丸に接触した。

 

 正邪自身は力の無い妖怪で、幻想郷を相手にするには仲間がいなくてはどうしようもない。流石に針妙丸が再び口車に乗って異変を起こすとは思えないし、他の有力者に協力してもらうことなどは不可能だ。しかし、針妙丸の人の良さにつけ込み、正邪は幻想郷に混乱をもたらすきっかけができないかと考えたのである。

 

 

 

「正邪、どうしてここに?」

 

「いや、もう追い回されるのは懲り懲りでな。私は自首しようかと思ってるんだ」

 

「そう、それならそんなこそこそ来なくても…」

 

「いや、自首は近いうちにするが、捕まったら私は処刑されるだろう?」

 

「私が謝って命だけは助けてってお願いするから大丈夫だよ!」

 

 針妙丸の答えに、正邪は頭を掻きながら目を逸らす。

 

「ああ、それはいいんだが…私の性格だと、どうしてもその時に余計なことを言いそうなんだ。反骨精神というやつが頭をもたげてくるんだ。いくらお前が庇ったところで私自身が奴らの気に触るようなことを言ってたら意味が無い。だから、それを変える手助けをして欲しいんだ!」

 

 正邪はそう言って頭を下げた。針妙丸はしばらく黙っていたが、ポンポンと正邪の頭を叩いて、

 

「分かった。手伝ってあげるから、ちゃんと自首してね」

 

 針妙丸はそう言って微笑んだ。しかし彼女はわざわざ性格を変えなければならないという天邪鬼ぶりが、目の前で全く現れていないことに不信を抱くべきだった。もし地底の覚妖怪がこの一部始終を見ていたら、正邪の行動と思考のギャップの大きさに驚いていただろう。

 

(かかった! 後はあの薬を盗み出させる……)

 

 実は正邪は性格逆転薬の存在を、永遠亭で潜伏している間に知っていた。それがフランドールに処方されるであろうことも。しかし紅魔館に正邪が入って薬を盗ってくるのは難しい。意外と死角のない門番やいつ後ろに立っているか分からないメイドの目を掻い潜るのは逃走の名人である正邪にも困難だった。そこで、小さく見つからない針妙丸を利用しようとしたのである。

 

 正邪は針妙丸に逆転薬の存在を教え、紅魔館にあるので中に入って取ってきて欲しいと頼んだ。最初は泥棒をすることを渋っていた針妙丸をどうにか紅魔館に入らせたが、既にフランドールが飲んだ後で、針妙丸はそれを湖のほとりで待っていた正邪に伝えた。

 

「それなら仕方ない。永遠亭へ向かおう」

 

 これが2人の永遠亭へ出向いた経緯である。

 

 

 

 

 針妙丸は正邪にありったけ逆転薬を取ってこいと指示されていたので、倉庫の逆転薬をすべて持ってきたのである。

 

「本当にこれで全部?」

 

「うん、2本だった」

 

 処方する患者そのものが少ないため、薬も2本しか無かったのだろうと正邪は思った。ちなみに、針妙丸はフランドールから薬の効果は聞いていたが、どれほど飲めば良いのかを聞いていなかったので、薬をありったけ持ってくる、という指示を怪しまなかったのである。

 

 2人は永遠亭から立ち去り、正邪の潜伏先の1つ、魔法の森にいた。

 

「……飲まないの?」

 

 針妙丸が尋ねてくる。正邪は頷いた。

 

「ありがとう、手伝ってくれてー

 

 

 

 

 だから、もういいよ」

 

「え?」

 

 正邪は針妙丸の胴を掴むと、持ち上げた。そのまま、手に力を込めていく。

 

「痛っ、痛いよ正邪。やめて、放して」

 

「無理だ」

 

 肋骨の折れる音がして、針妙丸は血を吐いた。肺に折れた骨が刺さったためだろう。針妙丸の顔は苦痛に歪んだ。

 

 正邪は針妙丸を地面に投げ、踏みつけた。針妙丸は信じられないといった顔で見上げている。

 

「な……何で…」

 

「私がこの薬をどう使うか知ったら、お前は霊夢にそれを教えるだろうからな、口封じだよ」

 

「そ、そんな……」

 

 針妙丸がこの世で最後に見たのは偽りでない、正邪の本当の笑みだった。

 

 ぐしゃ。

 

 小人の柔らかい体が潰れる。赤黒い血が正邪の履物の裏にべっとりとこびりついた。

 

「………」

 

 正邪は針妙丸を一瞥すると、夜の闇に消えていった。

 

 

 

 

 

 ノックの音がした。

 

 魔理沙は紅魔館から魔法の森にある自分の家に帰ってぐっすりと眠っていた。少しの間を置いて、また戸を叩く音がする。

 

「くそ、まだ眠いってのに」

 

 床についたのが1時ごろで、ろくに寝ていない。霖之介の店で購入した(もちろんツケで)時計は7時を指している。

 

「ちょっと待ってくれー」

 

 魔理沙がドアを開けると、そこにいたのは“七色の人形遣い”アリス・マーガトロイドだった。

 

「おお、おはよう。わざわざ来てもらって悪いが、私はもうちょい寝ていたいんだ」

 

 魔理沙がドアを閉めようとすると、アリスは慌ててそれを止めた。

 

「ちょっと待って。貴女、これについて何か知ってない?」

 

「これ?」

 

 よく見ると、アリスは革袋を持っていた。

 

「今日森を歩いてたら落ちててね…」

 

 アリスが中身を見せると、魔理沙は息を呑んだ。革袋の中身は赤黒い血や肉だった。

 

「うえっ……なんでそんなものをわざわざ……」

 

「これを見て」

 

 アリスはなんの躊躇いもなく革袋に手を突っ込むと、丸い物体を取り出した。

 

「……針妙丸!」

 

 それは見覚えのある小人の首だった。その目は白く濁り、その輝きは永遠に失われていた。

 

「どこでこれを?」

 

「森の外周部に落ちてたわ。何か知らない?」

 

「ああ、知ってる」

 

 魔理沙はアリスに調査について、かいつまんで話した。

 

「……なるほど、それで共犯のはずの針妙丸が死体で見つかったと。多分あの天邪鬼に裏切られたんでしょ」

 

「そうかな」

 

「何にせよこれは貴女に預けたほうが良さそうね。霊夢のところに持っていく?」

 

「ああ、そうする」

 

 アリスが帰った後、魔理沙は博麗神社へ向かった。

 

 

 

 

 

「霊夢、大変だぜ」

 

「どうしたの?」

 

 魔理沙がやってきた時、霊夢は朝食を済ませ、食器を片付けていた。

 

「針妙丸が死んだんだ」

 

「何ですって!?」

 

 霊夢は魔理沙の持っていた革袋を覗き込むと、口元を抑えた。

 

「……ひどいわね。何かに押し潰されたみたい」

 

「ああ。まあ間違いなく正邪の仕業だと思うが。どうする?」

 

「とりあえず死んだ針妙丸から話を聞きましょう」

 

「は?」

 

「私が悪霊を滅するときみたいに魂がなくなっていなかったら間違いなくあそこに居るはずよ」

 

 

 

 

 

 

 冥界の白玉楼。そこは何本もの桜が常に咲き乱れ、中央にはただ一本だけ、花をつけたことのない“西行妖”が根付いている。それを眺めながら、霊夢と魔理沙はそこの主である亡霊、西行寺幽々子と話していた。

 

「ここに最近来た子?なんていう名前?」

 

「少名針妙丸、よ」

 

「うーん……妖夢、覚えてる?」

 

「あの小人族でしょうか。彼女なら2階に居ますよ」

 

 答えたのは半人半霊の庭師、魂魄妖夢だった。“切れないものはあんまりない”と豪語(?)する剣士である。

 

「じゃあそこに案内してもらえないかしら。聞きたいことがあるの」

 

「良いわよ。ただ、ひどい裏切りとか精神的ショックの大きい死に方だとなかなか口をきかなくなるから、そこは覚えててね」

 

 幽々子は念を押して、妖夢に2人を案内するよう言った。

 

「あ、そうだ。針妙丸以外にここへやって来た死者は暫く裁判を受けさせずにここに留めておいてくれ」

 

「あら、どうして?」

 

「紫にそいつらを生き返させるためだ。あいつなら死の境界も操れるんじゃないか?」

 

「まあ出来ないことは無いでしょうけど、引き受けるかしら」

 

「引き受けさせるんだぜ」

 

 このままではあまりにも針妙丸が可哀想だ、と思った。薬を盗み出したのは駄目だが、それも黒幕にいいように操られていたからだ。針妙丸自身には罪は全くない。

 

「……ま、幽霊は留めておきましょう。調査の役にも立つかもしれないし」

 

 幽々子の言葉を聞き、魔理沙は安心して2階へ上がった。

 

 

 

 

「針妙丸さん、お客さんですよ」

 

 妖夢の声にも反応せず、針妙丸はただそこに座っていた。

 

「針妙丸、誰が貴方を殺したの?」

 

 霊夢が訊くと、針妙丸はただ一言、「正邪」と答えた。後はただ空中を見つめるばかりで、何も言わない。

 

「来てからずっとこの調子なんです。何があったかは聞きませんが……よほど酷い死に方をしたんでしょうね」

 

 妖夢はそう言ってから、下へ降りていった。

 

「なあ、私たちが仇を討ってやるからさ、正邪が薬を誰に使うとか潜伏先をどこにするとか、聞いてたら教えてくれ」

 

 既に薬品を誰かに飲ませていても、正邪がそれを針妙丸に漏らしていれば難なく捕まえられる、と思ったのだが、針妙丸は首を振るばかりで、なんの手がかりも得られなかった。

 

「……ありがとう、もういいわ。」

 

 霊夢はそう言って部屋を出た。

 

「一応正邪を捕まえるって方針は固まったが、まだ薬を飲まされた、それか飲まされる予定のやつは分からないよな。どうする?」

 

 魔理沙が問うと、霊夢は腕を組みながら考えている様子だった。

 

「うーん、正直手詰まりねえ。このままだと誰か死ぬのを待たないと特定すらできないかも」

 

「そんな悠長なこと言ってたら殺されちまうぜ」

 

「まあ私は大丈夫だから、それは魔理沙が気をつければいいことよ」

 

「……そうだったな」

 

 博麗の巫女はその霊気を博麗結界の維持に使っている。もしも博麗の巫女が死ぬような事があれば、結界は維持できず、さらに結界でその形を維持している幻想郷そのものが崩壊し、無に帰してしまう。代替わりの際は紫が次の巫女に結界を継承させるが、その暇も無く死んでしまえば結果は変わらない。実のところ、博麗の巫女が最強たる所以は、妖怪から巫女を殺すことができないという一点だろう。

 

 スペルカードルールは非力な人間のために作られたものだが、稀に攻撃力の高い霊夢や魔理沙のような人間が現れて、妖怪との潰し合いになる。これはお互いに損であるので、それをなくすためにも存在している。

 霊夢の能力は“空を飛ぶ”、“霊気を操る”と強力には聞こえないものだが、妖怪に強烈な攻撃制限があるため、事実上無敵なのだ。

 

 それに比べて、魔理沙自身は“普通の魔法使い”。弾幕ごっこというルールを取り去って、純粋な殺意で攻撃された場合は普通に死ぬ。調査で気をつけなければならないのはそこである。

 

「ま、私は絶対正邪をとっちめてやるつもりだから。今更降りはしないぜ」

 

「そう」

 

 外を見ると、西行妖の寒々しく、黒い枝が見えた。

 

 

 

 

 

 

 




 ゴールデンウィークが終わったらまた忙しくなりそうで嫌になってきますね。
 さて、本編ではようやく最初の犠牲者が出ましたね。死者から事情聴取が出来るというのは反則じみている気がしますが、ひとまずそれを基本として書いていく予定です。


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正邪の行方

 

 

 冥界から帰ってきた霊夢と魔理沙は2日ほど幻想郷中を捜索し、正邪の賞金を藍に頼んでつりあげ、捕まえようとしたが、ことごとくが失敗に終わってしまった。

 

「全然捕まらないな」

 

 魔理沙はしとしとと降る雨を眺めながら言った。博麗神社は少し雨漏りがするので2人は魔理沙の家にいる。

 

「正邪の目撃情報すらないし……まだ探してないところはどこかしら」

 

 一向に成果の出ない正邪探しに流石の霊夢も疲れたのか、テーブルに突っ伏していた。

 

「命蓮寺と人里、魔法の森、紅魔館周辺は私が探したぜ」

 

「私は守矢神社と永遠亭。残るのは地底ぐらいかしら」

 

 地底。はぐれ者たちが集まり、暮らしている、元々地獄であった場所だ。一応地霊殿の覚妖怪が管理者となっているが、実際は無法地帯である。

 

「あそこに行くのはちょっと面倒じゃない?」

 

「でも正邪なら地底行きの条件はぴったりじゃないか? ていうかまず地底に探しに行くべきだろ」

 

「でも私、あいつあんまり好きじゃないんだよね。心読んできてちくちく嫌味言ってくるし」

 

「実際会ってさとりが好きな奴はなかなかいないだろうな……でもそんなこと言ってる場合じゃねえだろ」

 

「嫌だ。それならあんただけで行けば? 私はもう少し腰を据えて探すから」

 

 けんもほろろに霊夢は突き放した。

 

「じゃあ私だけで行ってくるぜ」

 

 魔理沙は立ち上がると、脱いでいた帽子を被り、箒にまたがった。

 

「私は神社に帰ってるから」

 

「おう、わかった」

 

 魔理沙は地底へ通じる穴のある、妖怪の山へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど、そういうわけでここへ来たのですか」

 

 魔理沙の目の前には地底に蔓延る怨霊を管理する地霊殿の主、古明地さとりがいた。その後ろにはさとりのペット、火焔猫燐が控えている。

 

「ああ、話が早くて助かるぜ。霊夢は嫌がったけどな」

 

「わざわざ2人で来るのは非効率的ですし、心を読まれるというのはやはり不快なものなのでしょう」

 

 さとりはそんなことには慣れっこだとでも言うようにため息をついた。

 

「ま、解説する手間が省けるから良いんだけど」

 

「魔理沙さんは後ろ暗いことを何もしていないからでしょう。今、“後ろ暗い”という単語を聞いてあなたが思い浮かべたことはありませんでしたし」

 

「私は、清廉潔白だからな」

 

 無論さとりの“心を読む程度の能力”でも本人の罪悪感が無ければ悪事を暴くことはできないのだが。

 

「分かりました、鬼人正邪が地底に来たか、土蜘蛛と橋姫の2人に話を聞いてみましょう。……というか私を通さずとも、直接聞けばよかったのでは?」

 

「両方どっか行ってたぜ。今日は祭りか?」

 

「あ、そういえばそんなことをお空が言っていた気がします。話を聞きに行くのならついでにこいしも連れて行ってください。祭りの雰囲気が好きらしいので」

 

「意思疎通できるのか?」

 

「ええ、無意識と言っても感情が無いわけではありませんし、ちょっとした頼みごとなどは理解してくれます」

 

「そうか」

 

 魔理沙はさとりの第三の目を見て、ふと思った。

 

「心が見えないようにするのは目を閉じる以外にあるのか?」

 

「あるにはありますけど……永遠亭で処方される薬を飲めば1日だけ心が全く読めなくなります。が、副作用が強烈で、効果が切れた後に激しい頭痛と吐き気、幻覚や幻聴、判断力の低下などがあって、正直普通に過ごす方が楽ですね」

 

 すでに試しているのだろう、それを語るさとりの顔にはうんざりだと書いてある。

 

「私はいろいろ仕事とか焼き肉……いえホームパーティの準備がありますので」

 

 さとりはそう言うと、そそくさと部屋を出て行った。そして、肩を誰かが叩いたような気がして魔理沙が振り返ると、古明地こいしが立っていた。さとりの第三の目とは違い、その目は頑なに閉ざされたままである。

 

「お祭りに連れて行ってくれるんでしょう?魔理沙」

 

「あ、ああ」

 

 正直面食らったが、他人の無意識に溶け込んで姿が認識できないという予備知識はあるので、すぐに落ち着きを取り戻した。

 

「どこへ行く? 焼き鳥屋か?」

 

「お空が気絶しちゃうよ。わた菓子食べたい」

 

 普通に会話ができているようだが、さとりによるとこれは半分眠ったような状態であるらしい。思えば魔理沙は“意識のある”こいしとは一度も喋ったことがない。もしも目が再び開くことがあったらこの無意識のみで構成された人格は消え去るのだろうか。

 

 魔理沙は古明地姉妹の間にはある種の空洞があるような気がして、うすら寒さを覚えた。

 

 

 

 

 地底の旧都はいつも騒がしいが、今日は一段と喧騒が大きい。魔理沙が周りを見回すと、ちらほら屋台や出店が見えた。

 

「やあ、魔理沙じゃないか。久しく顔を合わせてなかったね」

 

 声をかけてきたのは一本角が生え、特大の杯を持った鬼だった。

 

「おお、ちょっと用事で来たんだが……なんで祭りなんかやってるんだ?」

 

「気晴らしだよ。いつも酒飲んで適当に騒ぐだけじゃあ皆腐っちまうからな。一度派手にイベントをやって節目を作ってるんだ」

 

 勇儀はそこまで言って、魔理沙の後ろにいるこいしに気がついたようだった。

 

「ん、そこにいるのはこいしか。一緒に遊びに来たのか?」

 

「私は違うけど、さとりに頼まれてついでに連れてきた」

 

「へえ。あいつが連れてきたらいいのにな。ずっと地霊殿に引きこもるつもりかね、妹の方がアクティブじゃないか」

 

「はは……ところで、ヤマメかパルスィはここにいないか?」

 

「ああ、確かさっきまでこの辺で呑んでたはずだけどな」

 

「そうか。ちょっとこいし任せていいか?」

 

「そういえば用事って言ってたな。分かった」

 

 勇儀とこいしと別れ、辺りを探すと、すぐにヤマメとパルスィは見つかった。

 

「え? 正邪? 来てたけど」

 

 訊くとヤマメはあっけらかんと言った。

 

「本当か!? いつ来たんだ?」

 

「3日前かしら」

 

 つまり正邪は薬を盗んで1日地上に留まってから地底へやってきたことになる。その空白の間に誰かに薬を飲ませていなければ良いのだが……

 

「とりあえずあいつを捕まえればいいか。ヤマメ、あいつが地底のどこにいる分かるか?」

 

「さあ……というか正邪はもう地底にはいないよ。昨日地上へ戻ってたし」

 

 パルスィは答える。

 魔理沙は舌打ちしたくなった。丁度入れ違いとなっていたのだ。正邪は転々と居場所を変えて逃げ回っている。

 

「分かった。と言うか今度あいつが入ってきたら捕縛して知らせてくれ。地底でもあいつを受け入れるのは危険だぜ」

 

「………まあいいわ」

 

 答えを確認すると、魔理沙は地底を出て博麗神社へと向かった。

 

「霊夢、正邪は地底に潜ってからまた地上にー……ん?」

 

 霊夢はいなかった。代わりに、“人里で死体が見つかったから、そこに行ってる”という書き置きがあった。

 

「なんだって……?」

 

 遂に第二の犠牲者が出たのだろうか。これが正邪ではなく薬を飲まされた誰かの仕業なのだとしたら……

 

 魔理沙はとてつもなく嫌な予感がして、身震いした。

 

 

 

 

 

 




ちょっと飛ばしすぎな気がしますが、一旦正邪を置いて、第一の犯人探しが始まります。正直忙しすぎてこれだけ書くのに時間が相当掛かりました。もしも続けて読んで下さるのなら気長に待ってほしいです。


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貸本屋の死体

 

「どこにいるのかくらい書いとけよ……」

 

 魔理沙は霊夢の書き置き通りに人里へやって来ていたが、人里と一口に言ってもどこへ行けばよいのか分からない。人死にが出たか、と近くを歩いていた者を片っ端から捕まえて聞いてみたが、全員が知らないと答えた。

 

(まだ霊夢は殺人を隠蔽しているのか……?)

 

 公表すれば、不審人物の発見率は高まるのに、何故まだそれを明らかにしないのだろうか。

魔理沙は暫く考えると、ひとまずまだ殺人が露見していないと犯人に錯覚させるためと結論付けた。

 

 ともあれ、現場に急がなければならない。そんな理由は霊夢に会えばすぐに分かることだ。遠回りになるかもしれないが、人里の管理者である上白沢慧音であれば何かを知っているかもしれない。

 

 魔理沙は帽子を深く被りなおすと、慧音の寺子屋へと向かうことにした。

 

 魔理沙が外から寺子屋を覗くと、慧音は里の子供や妖精たちに簡単な算術を教えていた。床の軋む音が教室に響いている。

 

「チルノ。貧乏ゆすりがうるさいぞ」

 

 慧音は耐えかねたように言った。

 

「あたいが悪いんじゃないよ。この椅子がぎしぎしするんだ」

 

「でもそれ、最近新しくなったやつじゃない?」

 

「……まあいい。もうどうせ授業は終わるからな」

 

 慧音はそう言ってから、ちらりと魔理沙の方を見た。どうやら既に気づいていたらしい。大妖精の号令の後、里の子供や妖精たちはあっという間に帰ってしまった。

 

「で、何の用だい、魔理沙」

 

 慧音は最後の一人を見送ってから魔理沙に尋ねた。魔理沙は窓から教室に入っており、頭を掻きながら答えた。

 

「うん、霊夢の居場所知らないかと思って。誰か死んだんだろう?」

 

 途端に、ひゅっと息を飲む気配がして、慧音の顔が強張った。

 

「それを誰から聞いた?」

 

「霊夢から。書き置きがあったんだ」

 

 慧音はそれを聞いて、安堵の息を吐いた。

 

「なるほど。実は、霊夢の指示で事件が起こったこと自体を伏せてるんだ。魔理沙も霊夢みたいに事件を調査しているのか?」

 

「そうだぜ。で、来たのはいいんだが、どこへ行けばいいのか分かんなくてな」

 

「ああ、それなら案内してやろう。今、多分霊夢は鈴奈庵にいるはずだ」

 

「鈴奈庵?」

 

 鈴奈庵は人里にある貸本屋で、紅魔館の図書館には負けるがかなりの蔵書がある。店番をしている小鈴に釘を刺され、本を盗む……いや〝借りる〟ことは自重しているが。

 鈴奈庵に霊夢がいるということは、そこが事件の現場であるか、何か関係のある場所なのであろう。

 

「で、殺された奴は?」

 

「本居小鈴だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔理沙と慧音が鈴奈庵の中に入ると、むせび泣く声が店内に響いていた。うつ伏せに横たわる本居小鈴、その傍らには霊夢がかがみこんで死体の様子を調べている。この泣き声は店の奥から聞こえてきており、どうやら小鈴の母のものであるらしい。

 

「あら、魔理沙。……早速やられたわ」

 

「そのようだな」

 

 小鈴の市松模様の着物は自身の血で汚れており、時間がたっているのか、鮮やかな紅ではなく、闇のような黒に変色している。後頭部が少しへこんでおり、凶器に何か鋭い物体がついていたのか、殴打の痕に切り傷ができ、そこから血が流れたらしい。目は閉じていて、傷さえなければまるで眠っているようにも見える。

 

「後ろから何かで殴られているわ。それと、見かけによらず衝撃はかなり強かったみたいで、頭蓋骨全体に大きなヒビが入っているわ。多分、力の強い男……或いは妖怪の仕業ね」

 

 霊夢のそう評する声にはあまり感情は感じられない。どうせ復活させるからと命を軽んじているいうよりも、できるだけ自分を冷静に保っておこうとしている気配がある。

 

「でもここで殺されたわけじゃないんだろう?」

 

 魔理沙の言葉に、霊夢は頷いた。

 着物にべったりとついている血が床に全くこぼれていない。つまり、小鈴は別の場所で何者かに殺されて、ここに運ばれてきたことになる。

 

「すでに冥界に行って本人から確かめてきたのだけれど、小鈴は2日前に殺されたらしいわ。夜道を歩いていたら突然誰かに殴られてそのまま死んじゃったみたい。だから、残念だけど犯人の顔は分からないわね」

 

「2日前か。それなら、犯人は恐らく薬品で性格を逆転させられた者、つまり殺人鬼ってことになるだろうな。地底に行って分かったことなんだが、その時正邪は地底に潜伏している。おそらく薬を手に入れてから地底に潜るまでの空白の一日の間に誰かに薬を飲ませたんだろう」

 

 小鈴を殺した犯人はおそらく人間ではない。正邪の「幻想郷をひっくり返す」という目的のためには貧弱な人間を狂わせるだけではどうしようもない。有力な妖怪に薬を飲ませたと考えるのが妥当だろう。

 

「その日に人里に来た妖怪、もしくは有力者は?」

 

 魔理沙が慧音に尋ねると、慧音はその問いを予想していたかのようにすぐに答えた。

 

「ええと、マミゾウ、鈴仙、命蓮寺の寅丸星と聖、妹紅……あとは紅魔館のメイドが買い物に来てたぐらいかな。まあこれは夕暮れあたりの話だから夜になって入ってきた奴は分からんが、それは妹紅に訊けば良いだろう。最近は冬の乾燥で火事がでないか、見回りをしているらしい」

 

 慧音はそう言ってから、それは事前に里の者たちに聞いて集めていた目撃談が情報元になっていることを説明した。気づかれずに潜入できた者は他に居ないということも。

 

「確かにその6人の中に犯人がいる可能性が高いわね。それぞれ話を聞いときましょう」

 

 霊夢はそう言って小鈴に布をかける。

 

「……しかし死体ってのは冬場でも昼になったら日が照りつけたり熱がこもったりして腐るよな。なんで小鈴の死体は死んだばかりみたいに綺麗で、臭いも無いんだ?」

 

 霊夢は首を傾げた。

 

「さあ。犯人が死体を隠しておいたところに関係があるんじゃないの」

 

「その、死体を隠す理由もわからないんだよなあ。どうせここに置いてくなら殺したその日に持ってくれば良かったのに」

 

 魔理沙はその理由を考えようとしたが、流石に手がかりが少なすぎるので、すぐにやめた。

 

「……そういえば慧音自身は何かアリバイがあるの?」

 

 霊夢にそう言われ、魔理沙は内心ぎくりとした。確かに、今まで微塵も疑っていなかったが、慧音が犯人という可能性もあるのだ。神獣である彼女であれば人間の小娘一人ぐらい殴殺するのは容易いだろう。

 

「ああ、私はその日の夜、里の寄り合いに行ってた。他の者に聞けば分かるはずだが」

 

「ふーん、そう。じゃ、まずは妹紅のとこから行ってみようかしら」

 

 霊夢は一応納得したのか、くるりと踵を返して外へ出ようとした。

 

「うわっ!」

 

 しかし、中に入って来た新たな人間と正面からぶつかり、どちらも盛大に尻餅をついた。

 

「ちょっと、前見て歩いてるの?」

 

 霊夢はそう言ったが、それはお互い様だろう。それに、暖簾があるためかなり視界は遮られる。こうした事故が起きるのは必然といえるのだ。

 

「あいたたた……」

 

 腰をさすりながら立ち上がったのは幻想郷演技を編纂する稗田家の当主、稗田阿求だった。ぶつかった拍子に落とした花の髪飾りを拾う。

 

「お久しぶりですね、霊夢さん」

 

「あんたも元気そうね。ぶつかったショックで死ぬぐらいか弱いと思ってたけど意外と丈夫なのね」

 

「別に寿命は短いですがそこまで弱くはありませんよ。……というか小鈴は?」

 

 阿求は小鈴と話すためにやってきたらしい。霊夢が指で示した、布をかけてある小鈴の死体を見ると、先ほどまでの生気が嘘のようにしぼみ、みるみる顔が青ざめていく。

 

「え、これってまさか……」

 

「小鈴よ。何者かに2日前に殺されたらしいわ」

 

 それを聞いて、阿求はあからさまに不審なものを見る目つきで霊夢たちを見つめる。

 

「なんでそれを皆に知らせなかったの?」

 

 霊夢は肩をすくめた。

 

「まあ、死体を調べるのに野次馬が来たら面倒だし、犯人像が大体掴める前に公表したら、誰に注意すればいいのかなんて全く分からないでしょ? 余計な疑心暗鬼を招かないためよ。まあ、どうせこれから公表するつもりだけどね。慧音、今日の夜から妹紅以外にも警備を回しておいた方がいいと思うわ」

 

「分かってる。しかし次の被害者がここだとは限らないと思うが……犯人はここを狙ってくるのか?」

 

「どうかな。まあ……」

 

 霊夢は何故か歯切れの悪い返事をすると、3人を残して外へ出て行った。

 

 

 

 

 

 




 ようやくミステリーっぽさが出てきました。しかし、一話の文章量が少ないのが頭痛の種ですね。今見てる未来日記のアニメが時間を取っているせいではありますが。
 今のところ、日曜に定期更新できるようになるのが今後の目標ですので、頑張って続けられたらいいなあと思っています。


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マッドドクター永琳

 

 

 

 

 

 

 人里を出て、霊夢と魔理沙は再び永遠亭へと向かった。鈴仙が容疑者の一人だから、というのもあるが、用事はもう一つある。

 

「ほんとに小鈴の死体を持っていく必要があるのか?」

 

「大ありよ。小鈴は出かけた時に時計を見なかったらしいわ。つまり死んだ時間がいまいちわからないの。殺された時刻が分からないんじゃ、犯人の割り出しようがないでしょう?」

 

「まあ確かに……」

 

 魔理沙の箒には、大きな布の包みが縛りつけられている。もちろん中身は小鈴の死体で、魔理沙が霊柩車のような真似をするきっかけは、鈴奈庵を出ようとする霊夢に、

 

「待て。一応死亡時刻ははっきりさせておくべきだろう。永琳にこの死体を見せれば容疑者を絞り込む材料になるんじゃないか?」

 

と慧音が言ったためだった。

 

 具体的な死亡時刻が不明のままでは当然調査に支障が出るため、この死体運びは必要な仕事なのである。

 

「……でもわざわざ私にやらせなくてもお前が持ったり藍に頼んでスキマで永遠亭まで一気に行ったりすればいいんじゃないか?」

 

「小鈴の体重を私がずっと支えられるわけないでしょ!……まあこれは決して小鈴が重いというわけでは無いけど。藍に頼むのも無理よ。あいつは紫の能力の一部だけ式神としてプログラムされてて、紫の眠っている空間にしかスキマが開けないのよ」

 

「それじゃあ確かに無理だな」

 

 魔理沙は霊夢に死体運びを押し付けるのを諦めて、ため息をついた。

 

 

 

 

「なるほど、それでまた私のところに来たってわけ」

 

 永琳は椅子に座ったまま椅子を回転させ、2人の方に向き直ると、魔理沙の置いた布の包みに目をやる。

 

「まあ死体鑑定なんて久しぶりね。月ではほとんど死者なんて無かったし、幻想郷でもこういう犯人の分からない他殺体なんて滅多にないもの」

 

 永琳の言葉を聞いて、魔理沙は少し不安になってきた。つまり死体鑑定の経験があまりないのではないか……

 

「それって正確なの? 時刻がずれたりしない?」

 

「そこは大丈夫。経験が少ないっていっても、死体を扱うことは割とあるから。医者になる奴はたいてい死体を扱ったことがあるはずよ」

 

「扱うって……?」

 

「そりゃ、新種の病気にかかって死んだ患者とか変死の原因を突き止めるためとかね。まあ、死体の死亡時刻なら胃の中にある内容物とか死体の腐り具合でだいたい分かるわ」

 

「聞いてて吐きそうになるぜ……」

 

「よく平気でいられるわねえ……この事件の犯人よりよっぽどあなたの方が狂っているように見えるわ」

 

「検死しろっていったのはあなたたちでしょうに……それに、人の命を救うためにどんな気持ちの悪いことでもやるのが医者の務めなのよ。………まあ、ちょっと解剖楽しいなー、なんて思うことも無きにしもあらず、だけど」

 

「霊夢、もうこいつが犯人で良くないか?」

 

「そうねえ……まあ、手っ取り早く検死して頂戴。私たちは出て行って鈴仙に話を聞くから」

 

「分かったわ。15分くらいで終わるから、それまではこの部屋、空けない方が良いわよ」

 

「頼まれても開けないぜ……私はグロいの嫌いなんだよ」

 

 2人が出てくると、ちょうど鈴仙が廊下の向こうからやってきた。あちらも気づいたらしく、駆け寄ってくる。

 

「お二人とも、なんでまた永遠亭に来たんです? ……ひょっとして犯人捕まえて薬を回収してくれたんですか!?」

 

「いや、流石にそこまでスピード解決は出来ないわ。ちょっとあなたに聞きたいことがあってね。まあ立ち話もなんだし、どこかゆっくり話せるところはないかしら」

 

 霊夢がそう訊くと鈴仙は少し考えて、

 

「それなら私の部屋で話しますか」

 

 

 

 

 鈴仙の部屋はこざっぱりしており、無駄な調度の類は一切ない。一度見たことのある輝夜の部屋とは大違いで、脱ぎ散らかされた服や乱雑に積み上げられた外の世界の漫画本などは一切なく、掃除も行き届いているようだった。

 

「それで、お話とは何でしょうか」

 

 魔理沙と霊夢は足を崩して畳に座っているが、鈴仙は正座をしているため、見降ろされるような形になっている。

 

「ああ、確か鈴仙は2日前、人里に薬を売りに行ってたよな。いつからいつまでいた?」

 

「……それって私が疑われてるんですか?」

 

 訝しむように鈴仙は魔理沙に聞き返した。

 

「いや、そうじゃない。犯人を目撃したんじゃないかって思ってな」

 

 もしも鈴仙があの日人里にいなかった者がいたとでも言おうものならクロである可能性はかなり高まる。それはつまり、偽証で誰かに罪をなすりつけようとしている犯人の行動だからである。

 

「うーん、確か私は昼の2時から6時まで人里に居ました。その日は薬が思ったよりも売れなくて、いつもより長めに居たんです」

 

「怪しい人物は?」

 

「特にいませんでしたね。顔を隠す人も居なかったし」

 

「じゃあ誰か妖怪とか有力者に会ったりすれ違ったりしたか?」

 

「ああ、それはありますね。妹紅さんと、命蓮寺の……誰でしたっけ。そう、あの毘沙門天代理の人です」

 

「寅丸ね」

 

 寅丸星は命蓮寺にいる、毘沙門天の化身で、妖怪でありながら命蓮寺の信仰を集める、本尊代理である。かなりの人格者で、聖と共に妖怪からも人間からも慕われているが、多少抜けているところがある。

 

「それならその2人に聞けば、あなたが嘘を言っているかどうか分かるわね」

 

「やっぱり疑ってるじゃないですか!」

 

 鈴仙は憤慨した様子で、顔を紅潮させている。

 

「しかし妙だぜ。聖と寅丸は人里に来るときはいつも一緒だろ? その時聖は寅丸の近くに居たか?」

 

「いいえ、でも何か慌ててるようで、わたわたしてました」

 

「ちょっと怪しいわね」

 

 寅丸はきっちりしていそうで実はかなりのおっちょこちょいであり、何かミスをして慌てていたか、聖とはぐれてしまっていたというのはありそうな話である。とはいえ、その慌てていた原因が小鈴と関係している可能性は大いにある。

 

「まあ後で本人に聞くし、今はいいか。妹紅はどんな様子だった?」

 

「普通にすれ違っただけです。あ、あちこち辺りを見回してはいましたが」

 

 慧音は妹紅が見回りをしていると言っていたのでそれは不自然ではないだろう。話を聞くのには変わりないが。

 

 その後、3人で喋っていると、永琳が部屋に入って来た。

 

「鑑定終了よ。というか鈴仙の部屋に行くならそう言えばいいのに。探すのが大変だったわ」

 

「悪いわね。それで、どうだった?」

 

「残念ながら胃からは食べ物が出てこなかった、つまり夕飯を食べる前に家を出てきたってわけね。それで死体の腐り方から推測したんだけど、死亡時刻は午後7時から9時の間」

 

「なるほどね。一応聞いておくけど、冬の温度で計算した?」

 

「もちろん。外にほっぽってた時の時間ね。でも、すぐに騒ぎにならなかったってことはどこかに隠してあったんでしょう。それを加味してこの時間なのよ」

 

容疑者はこの時間に人里に居た人物、ということになる。それに照らして考えれば鈴仙はシロである可能性が高い。本人の言葉を信じるならば、だが。

 

「鈴仙は2日前いつ帰ってきた?」

 

 永琳に訊くと、「丁度6時くらいかしら」と答えが返ってくる。

 

「鈴仙は犯人じゃなさそうね」

 

 霊夢はがっかりしたように肩を落とした。

 

「なんで残念そうなんですか!」

 

 鈴仙の抗議を左から右に受け流すと、

 

「さあ、次は妹紅のところに行きましょう」

 

 霊夢は魔理沙に言った。妹紅の住処は竹林周辺にあるので、近いところから寄っていこうというのだろう。

 

 魔理沙が頷いて腰を上げたその時、「ああ、ちょっと待って」と永琳は2つの緑色の液体が入った小瓶を渡した。

 

「これは?」

 

「怪我を完治させる薬。犯人の抵抗があって怪我をしたらこれを使いなさい。まあ霊夢に致命傷を与えようとするとは思えないけど、魔理沙は十分気を付けたほうが良いわ」

 

 霊夢を殺すということは幻想郷そのものを壊そうとすることで、犯人自身も巻き添えで死ぬ。それを理解していない者は幻想郷にはおらず、霊夢は全員の命を楯にすることで、自身の命が保証されている、いわば「絶対に安全」な探偵だ。

 といっても魔理沙の方は殺される心配があるので、おとなしくそれを受け取っておくことにした。霊夢も一応と一本貰っている。

 

「ストックはもうこれ以外に2本ぐらいしかないから、いつでも渡せるってわけじゃないけどね」

 

「いや、ありがとう。これで多少致命傷を受けても大丈夫だ」

 

 魔理沙の言葉に永琳は少し笑った。

 

「じゃあ行きましょうか」

 

「そうだな」

 

 魔理沙と霊夢は永遠亭を後にし、妹紅の家へと向かった。

 

 

 

 

 

 




 法医学の本って読んでて楽しくなりませんか? 検死官はどこを見るとか知っていれば、完全犯罪もできるんじゃ……とトリックを考えてみたくなります。……やらないけどね!


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各々の“2日前”

 


 

 

 

 霊夢と魔理沙が次に訪れたのは不死の蓬莱人、藤原妹紅の家だった。思っていたよりも家具の類は少ない、というよりも置いてあるもの自体が少ない。不死となったため、すぐ壊れてしまう物への頓着が無くなっているのかもしれない。

 妹紅は二人が来たと見るや、一旦奥に引っ込んでお茶を淹れ、再び現れた。霊夢の家で使用されるような何度も使ったお茶っ葉ではなく、きちんと新しいもので淹れられているようだった。

 

「で、あんたらが来た理由は多分、小鈴の話だろう?」

 

「なんでそれを知ってるんだ? さっきまで霊夢が伏せていたことなのに」

 

「いや、私はあの死体を小鈴の両親の次に早く見たからな。鈴奈庵の前を通りかかった時、丁度中から悲鳴があがって、どうしたものかと覗いたのさ」

 

 妹紅はそう言って茶を注ごうとするが、霊夢がそれを制する。

 

「もしあんたが犯人なら、毒盛って殺すでしょ?」

 

「はは、違いない。死ぬ奴は確かにそこらへん注意しないとな。……でも私には霊夢を殺すことは出来ないな。というか幻想郷に住む者なら絶対にしない」

 

 妹紅は霊夢に疑われているのを不快に思った様子もなく、自分の湯飲みにだけお茶を注ぎ、口をつける。

 

「で、多分今は全員のアリバイ調べだろう?」

 

「ええ。矛盾がある証言を言ったやつはその場で吊るしてやるわ」

 

「ま、私は吊るされても大丈夫だけど」

 

「確かにあんたは死にそうにないわね……結局ずっと不死のまんまなの?」

 

 霊夢がそう訊くと、妹紅はにやりと笑って、

 

「いろいろ試して、復活の中心となる魂を破壊するというのが一番効果的だったかな。……といっても、完全に死ぬわけじゃないが、一回それをやって復活に一年程度かかった。本質的に私が消滅する手段は何もないことになるな」

 

「ふうん、それは輝夜も一緒なの?」

 

「ああ、何かに詰められて湖の底にでも沈められない限りはぴんぴんしてるだろ。私としてはそれをやられると辛いんだよなあ」

 

 魔理沙は樽に入れられて湖に放り込まれ、何もない闇の中に意識のみが存在しているーというのを想像してしまう。ある意味死よりもひどい状態かもしれない。

 

「ま、いいわ。妹紅、二日前は何をしてた?」

 

「人里の見回りだな。……火事が最近多いからな、始めたんだ」

 

「情報通りね。それで? 誰か妖怪とか力のある人間に会った?」

 

「うーん、妖怪なら永遠亭の薬売りの兎と、人間なら咲夜だ」

 

 鈴仙が出てきたので、今のところ嘘を言っているようには見えない。通常自分の犯行以外の関係ないところで嘘をつく犯人などあまりいないので、それが妹紅を信用に足る人物だと決定づける要因にはならないが。

 

「そういえば慧音も咲夜が来ていたって言ってたわね。なんで来てたのかしら。食材を買いに?」

 

「いや、武器屋でものを買っていたよ」

 

「武器屋?」

 

 幻想郷では、人里の外に野良妖怪が出没する地域も多い。人間は里の外を武装して歩くので、そんな商売が成り立っているのである。

 とはいえ、咲夜はそんな武器などなくとも、彼女の能力と銀のナイフで十分戦えるはずだ。今更何を買いに行ったのだろう。

 

「鉄の槍、だった。結構重たいやつ。なんでそんなもん買うのか聞いてみたら、お嬢様が槍投げにハマったらしくてな」

 

「スピア・ザ・グングニルじゃ駄目なのか?」

 

「さあ……というか私としてはそんなことより、鉄の槍で小鈴を殺せるんじゃないかと思うんだ。背後から殴られたんだろ? 槍は穂先の逆にある石突を使えば、棍棒みたいな使い方もできるのさ」

 

「でも人間である咲夜に頭蓋骨全体にひびが入るぐらいの殴打をできたのか、そして咲夜の筋力が槍を振り回せるくらいあったのかが疑問ね」

 

 咲夜が容疑者として考えにくいのはその点である。犯行を行えたのは力が強い者。咲夜は確かに能力や戦闘技術といったものは優れているが、身体能力はあくまで普通の、非力な人間だ。あの犯行が可能だったとは思えない。

 

「ま、あくまで当てずっぽうだ。そんなに気にしなくてもいい」

 

 妹紅は手をひらひらと振ると、そう答えた。

 

「で、妹紅は夜に、何をしてたの? 教えてくれない?」

 

 霊夢が少し踏み込んだ訊き方をする。

 

「午後の6時くらいから慧音の家で飯を食ってたかな。で、慧音は6時半ぐらいから寄り合いがあるって言って出て行ったあとに、私は30分ほど見回りをして、慧音のところに戻ってきて10時に慧音は帰って来たな」

 

「ちょっと待て。なんでお前は慧音のところに居たんだ?」

 

「ああ、最近の見回りの為に慧音が家を貸してくれてるんだ。今日は非番だからここにいるけどね」

 

「ふむ。なるほど……」

 

 妹紅は30分ほど見回りに出て行ったと言っているが、これはアリバイにならない。妹紅以外にそれを示している者が居ないからだ。しかし、慧音は出かけた時間帯や戻ってきた時間帯が寄り合いにかかる時間を考えても、なかなか小鈴を殺す時間帯にはぶつからない。阿求に聞いたところ、寄り合いは7時から9時半の間に行われた、つまり慧音が犯人となるとどうしても死亡時刻と合わない。

 よって、妹紅自身の無実は証明できないが、慧音を犯人候補から外すことは出来るだろう。

 

「で、その日の夜の見回りに怪しい人物は居なかったの?」

 

「ああ、特に妙な奴は居なかったな。……いや、あれだ。命蓮寺の……」

 

「寅丸?」

 

「そうそれ。そいつが遅くまでいたから、声をかけたんだった」

 

「へえ、何て?」

 

 鈴仙も寅丸に会ったと言っていた。魔理沙が続きを促すと、妹紅は茶で喉を湿らせてから話し始めた。

 

「確か、聖とはぐれた、みたいなことを言っていた気がするな。私が「どうせ帰る所は同じなんだから、命蓮寺に帰れば」って言ったら、「ああ、そうですね」って帰っていったかな。よっぽど慌てて、そこまで気が回らなかったのかもな」

 

「ふーん……で、寅丸に会ったのは何時ごろ?」

 

「10時だ」

 

 妹紅が仮に犯人で無かったとするなら、寅丸はこの時点でほぼ犯人といってもよいほど怪しい。二人の目撃情報があることから、彼女が聖を探して慌てていたことは分かる。しかし、鈴仙と妹紅が寅丸を見たという間には少なくとも4時間以上の開きがあるのだ。普通、それだけ時間があれば落ち着いて命蓮寺に帰ろうという発想が出るのではないか。

 

 魔理沙が考え込んでいると、妹紅は、

 

「ま、話せるのはそれぐらいかな。そろそろ見回りだから、帰ってもらってもいいか?」

 

と、2人を追い出した。

 

 

 

 

 

「で、ここに来たわけですか」

 

 妹紅の家を追い出された二人は、命蓮寺へ行き、寅丸と聖に会っていた。

 命蓮寺の住職を務めている聖白蓮は僧侶であるが、種族的には身体強化の魔法を使う魔法使いである。寅丸と同じく、妖怪からも人間からも慕われている。

 聖は微笑を湛えたまま、霊夢と魔理沙を見た。その隣には寅丸が座っている。

 

「ええ、その日に何をしてたか聞きたくてね」

 

 魔理沙が言うと、聖が、

 

「その日は布教のために人里へ行っていましたね。昼頃から行って、夕方には帰ってくる予定だったのですが、星とはぐれてしまって、とりあえず先に命蓮寺に帰っていました」

 

と答える。それを聞いて寅丸はすまなそうに眼を伏せた。

 

「すみません、聖。私も気が動転していたもので」

 

「いいんですよ。あなたのおっちょこちょいは知っています」

 

 との答えに、寅丸は、責められなかった嬉しさと、粗忽者であると断じられた不満とがない交ぜになった、複雑な表情をした。

 

「寅丸はあちこち歩き回ってる最中に誰か見かけなかった?」

 

「うーん、慧音さんと妹紅さんですかね」

 

 寅丸は、歩き回っている時に、慧音とばったりであったのだという。慧音は寺子屋の方角から歩いてきており、寄り合いへ向かうついでに、寺子屋に置いていた忘れ物を取りにいっていたらしい。

 

「忘れ物って?」

 

「里の寄り合いの会費みたいなものらしいです」

 

「そりゃあ確かに必要ね」

 

 その後、散々歩き回った後、見回り中の妹紅に出会って、帰ることになったのだという。

 

「他に会った人は?」

 

「居ませんよ」

 

「ふーん、そう」

 

 寅丸に関しては情報が少なすぎる。聖はすでに帰っていたようだし、(後で確かめたら実際その通りだった)人里をうろついていた時間が長すぎるからだ。小鈴の殺害が最も容易であったのは彼女しかいない。

 事実霊夢も、言葉には出さないが、寅丸を怪しいとみているらしかった。寅丸の方はそれを知ってか知らずか、霊夢の質問に丁寧に答えていた。

 

「……まあいいわ、そうだ、マミゾウは? 命蓮寺に住んでいるんでしょう?」

 

 霊夢は、これ以上有効な情報を引き出せないと思ったのか、命蓮寺のもう一人の容疑者に話を聞くことにしたらしい。しかし、寅丸は首を横に振った。

 

「いえ、今あの人は人里に遊びに行ってます。なんでも、鈴奈庵に行くとか」

 

「………」

 

 犯人は現場に舞い戻るとは言うが、それなのだろうか。単純に、鈴奈庵の常連であるから、ということも十分にあり得るが。

 

「じゃあ一応咲夜に話を聞いてから人里に戻りましょう」

 

 

 

 

「咲夜にお使い? させたわよ」

 

 レミリアは地下図書館でパチュリーとチェスを指していた。勝負は今のところ互角のようで、パチュリーの手番である。

 

「最近運動不足で不健康だから、槍投げでも嗜もうかと思ってね」

 

 レミリアが指を鳴らすと、鉄の槍を携えた咲夜が現れた。咲夜が半ば引きずるようにして持っている槍をレミリアは軽々と持ち上げると、

 

「魔力で作り出すグングニルと違ってしっかり重みがあるほうがいいのよね」

 

くるくると人差し指の上で回す。やはり見た目は幼くても吸血鬼、並外れた力を持っている。

 

「それで、咲夜がいつ帰って来たか、ねえ。よく覚えていないわ」

 

「咲夜は?」

 

「覚えてないわ。大体、何でそんなに二日前の話を聞きたがるの?」

 

 どうやら紅魔館には人里での事件はまだ伝わっていないらしい。レミリアも咲夜も、(チェスで長考しているパチュリーを除いて)ここにいる紅魔館の面々はきょとんとして二人を見据えた。

 

「鈴奈庵で小鈴が殺されたんだ」

 

 魔理沙が事件の概要を話すと、レミリアは納得して、

 

「……ふうん、なるほどね。咲夜を疑ってるってわけ」

 

 先ほどの質問から、こちらの考えを推測したらしい。レミリアは目を細めた。

 

「まあ、そうね。でも、咲夜は能力的にアリバイを絶対に作れないから、聞いてもどうしようもないのだけれど」

 

 例えば時間を止めている間に紅魔館から人里へ行き、小鈴を殺害してから帰ってきて、時間停止を解けばそれでいい。つまり、咲夜に対しては一瞬でも誰かに姿を見られていなければ、アリバイは成立しないのである。

 

「いや、私は基本的に十数秒しか時間は止められないわ」

 

 咲夜の言葉に、レミリアが頷く。

 

「ええ。時間停止に使う霊力とか、体に掛ける負担を考慮して、咲夜は長く時を止めることはできない」

 

 それはおそらく本当のことだろう。それほど長く時間を止められるのなら、目の前にいる咲夜はこれほど若々しい容姿ではありえない。とっくに寿命がきているはずだ。

 

「じゃあ咲夜のアリバイは一応あるってことね」

 

 レミリアも、先ほどの性格逆転薬の話を聞いていれば、身内だからと言ってかばうような真似はしないはずである。

 その後、咲夜に誰かと会ったか聞いてみたが、それも覚えていないとのことだった。

 

「邪魔したわね」

 

 霊夢はそう言って、さっさと出て行った。もうここに居ても収穫はないと思ったのだろう。残された魔理沙は、レミリアに一つだけ聞いておきたいことがあったので、とどまっていた。

 

「運命が操れるんなら、犯人が捕まるようにしてくれないか?」

 

「貴方、強引と言うか……手っ取り早い解決法がお好みみたいね」

 

 レミリアは呆れたように言った。

 

「私の能力はぼやっとした未来のイメージを予知して、出来事を推測して、行動を変える、いわば未来視のようなものなの。直接どうなるかはわからない」

 

「じゃあ、この事件がどうなるか見てくれないか?」

 

「それくらいなら……」

 

 レミリアはしばらく目を閉じ、開いた。

 

「で、どうだった?」

 

 魔理沙が訊くと、レミリアは首を捻った。

 

「よく分からないわね。なんというか、恐ろしいことが起こるような、取り返しのつかない破局が訪れるような、不吉なイメージはあったけど」

 

「また誰か死ぬのか……」

 

 容疑者はある程度絞り込んではいるが、まだ特定はしていない。このままもたもたしていると、さらに数人は死ぬだろう。

 

「いや、違うわ。この予知は個人に、ではなく幻想郷全体を対象としている……つまり、幻想郷全体に不幸が降りかかるわね」

 

「どういうことだ?」

 

 魔理沙が聞き返すと、レミリアは首を傾げた。

 

「さあ? 私には見当もつかないわね」

 

 ふと目にはいったチェスの盤には、破滅の未来を暗示するように、シャンデリアの光が暗い影を落としていた。

 

 

 

 

 

 

 




 今回はパソコンで書いてみたのですが、やはりスマホよりも断然書きやすいですね。おかげで調子に乗って、事情聴取のシーンが長めになってしまいました。
 次回から事件が動き出します。
 


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霊夢と甘納豆

 

 

 

 

 

 二人が人里に戻ってきた時には、すっかり空は暗くなっていた。

 

 寺子屋の傍を通ると、慧音が生徒に手を振って、送り出していた。その生徒が、こちらに気付き、ふわりと飛んでくる。

 

「あっ、魔理沙。いまからあたいと弾幕ごっこしない?」

 

「待て、近づくな。余計冷えるんだよ」

 

 近づいてきたのはチルノだった。冬になって力が増したのか、傍にいるだけで気温が下がり、息さえも凍り付いてしまうほどの冷気を身に纏っている。おもわず魔理沙は数歩後ろへ後ずさりした。

 

「ふふん、今日は調子いいし、流石の魔理沙もあたいには勝てないかな?」

 

 チルノは魔理沙の様子を見て、自分を恐れているとでも勘違いしたのか、そう放言した。いつもなら魔理沙はお返しとばかりにコテンパンにするのだが、調査の途中にそんなことをしている暇は無い。苛立ちを懸命に抑えながら、魔理沙は平静を装って答える。

 

「ふん、後でいくらでも受けて立ってやるぜ。だけど、今は用事があるから無理だな」

 

「あたいから逃げる気か!」

 

「はいはい、逃げる逃げる。後でやるから、今は放っておいてくれ」

 

「むう……約束だからね」

 

 チルノは諦めたのか、そのまま湖の方角へと飛び去って行った。その背に空気中の細かい埃が凍っているのか、きらきらとした輝きが見える。

 

「ていうか、チルノの通った後も寒いじゃない……よほどパワーアップしてるのかしら」

 

 無敵の霊夢も寒さには弱いようで、腕には鳥肌が立っている。貧乏で毛布を買う余裕もなく毎年凍え死にそうになっているし、元々寒さとは相性が悪いのかもしれない。

 

 チルノの姿が見えなくなった時、慧音が寺子屋の方から歩いてきて、すまなそうに手を合わせる。

 

「今度チルノにはキツく言っとくから、許してやってくれ」

 

「ああ、あんなの気にしてたら一日中喧嘩しなくちゃならないぜ。ていうか今日はもう生徒は全員帰らせてなかったか?」

 

「チルノは宿題が出ていなかったからな。呼び戻したんだ」

 

 慧音はそう言うと、二人に調査の進捗を尋ねてきた。

 

「うーん、今のところ怪しいやつは妹紅と寅丸ぐらいだな。あいつらはアリバイが無いし、特に寅丸かな」

 

「そうか……というかアリバイはどうやって成立したとみなすんだ? 確か性格逆転薬は二つあるんだろう? 二人の犯人で口裏を合わせる、ということもできそうなんだが」

 

「まあ容疑者が幻想郷に散らばってるし、正邪には逆転薬を離れた二人の人物に薬を飲ませられないから、無視してるんだけど……あなたの場合は死亡時刻でありえない」

 

「なるほど、そこもきちんと考えてあったのか」

 

 内心では魔理沙は共犯の可能性をこれっぽっちも考えていなかったので、冷汗がでた。魔理沙は霊夢と比べて、敵がはっきりしているゲームの、先の読み合いなどは得意だが、このように犯人捜しや推理力といったものでは霊夢が勝る。

 

「何か知りたいことがあるのか?」

 

 慧音は、二人が何故今日のうちに帰って来たのかが気になるようだ。

 

「別に……鈴奈庵に引き返す途中だったんだ」

 

「鈴奈庵? もう調べたじゃないか」

 

「マミゾウが遊びにいってるらしいからね」

 

 慧音はああ、と納得した様子で、

 

「マミゾウなら阿求の家だ。お前たちが出て行ったあと、入れ違いでマミゾウがやって来て、阿求の家に行った」

 

「なるほど。手間が省けた。ラッキーだったな、霊夢」

 

「ええ」

 

「良かったら私も同行させてくれないか? 何か役に立てるかもしれない」

 

 慧音が犯人である可能性は低いし、同行させても良いだろう。霊夢も同じように考えたのか、それを許可した。

 

 

 

 

 

 阿求の家は古びてはいるものの清潔で、伝統ある名家というのにふさわしい雰囲気を醸し出していた。里の中でかなり大きい屋敷であるため、遠目でもそれと判別することができたのである。

 

「お邪魔するんだぜ」

 

 魔理沙と霊夢、慧音がどかどかと入ってくるのを見て、阿求は、

 

「もうご飯の時間なのに……たかりにきたの?」

 

「違うわよ。マミゾウがいるんでしょ? 二日前に何をしてたか気になったの」

 

 マミゾウは小鈴を気に入っていたようで、足繁く鈴奈庵にやって来ていたという。彼女が犯人でなくても、何かを知っているかもしれない。

 

「マミゾウ、貴女にお客さんだそうです」

 

 阿求が言うと、霊夢の隣にあった桐箪笥が、ぼんと弾けて、眼鏡をかけた古狸、二ツ岩マミゾウに戻った。

 

「おわっ! びっくりしたぜ、まったく……」

 

「小傘ではないが、やはり人を化かしてこその狸だと思わんか? 魔理沙」

 

 マミゾウはくつくつと笑いながら、顔を霊夢に向ける。

 

「それで、話と言うのはおそらく小鈴を殺した犯人を捜しておるのだろう? そのために、犯人と疑わしき者を一人一人虱潰しにあたっている、という所かの?」

 

「そういうことよ」

 

 阿求からある程度事情を聞いていたらしく、今回はわざわざ事件について説明しなくてもよさそうだった。しかしそれは、霊夢たちが訪れるまでの間、矛盾のない証言を自分で組み立てるのに足る時間と知識を与えられたということでもあるのだが。

 

「二日前、儂は小鈴と喋るついでに本を借りにいったんじゃ」

 

「それは何時から何時ごろ?」

 

「午後の三時から五時といったころかな。そもそも貸本屋が開いているのは昼間だけじゃし」

 

 魔理沙はこっそり霊夢に訊いた。

 

「小鈴と話した時、そんなこと言ってたか?」

 

「ええ。マミゾウは確かにその時間帯に来ていたそうよ。だけど、その後人里から去ったかは分からない」

 

「他には?」

 

「命蓮寺に帰ったぞ。それ以上人里ですることも無かったのでな」

 

 おそらくこれは本当だろう。うっかり命蓮寺で聞き忘れてきたが、寺の者に訊けばすぐにばれる嘘をつくとは思えない。

 

(なら、マミゾウも犯人というわけではないのか……?)

 

 これで今のところ、アリバイが無いのは妹紅と寅丸ということになる。この二人のうち、どちらかが犯人である可能性が高い。

 

「どうです、調査は進みましたか?」

 

 阿求が、茶菓子の甘納豆を山盛りにした皿を置いて、自分でも一つつまんだ。

 

「そうねえ……まあある程度は絞り込めたけど、決定的な証拠がないから、まだどうとも言えないわ」

 

 霊夢は目の前にある山盛りの甘納豆には手を出さず、言った。

 

「霊夢は菓子食べないのか?」

 

 魔理沙がそう言うと、慧音が苦笑して、

 

「そういえば霊夢は甘納豆が苦手だったな。他の甘いものは好きなのに、どうしてなんだか」

 

「甘すぎるのよ。私はもっと控えめな甘さが好きなの。阿求、お煎餅は無いの?」

 

「あんた、本当にあつかましいわね。そんなことを……っ……」

 

「どうしたんだ? 阿求」

 

 突然言葉を切った阿求を見て、慧音が不思議そうに言った。残った三人も一斉に阿求の方に注目する。

 

「何、これ……か、か、体が……痺れて…っ」

 

 阿求の顔はすっかり青ざめ、腕は小刻みに痙攣していた。全員が呆気にとられている間、ひゅう、ひゅうと必死に息を吸い込んでいたが、やがて力尽き、ばったりとその場に倒れこんだ。

 

「大丈夫か、阿求!」

 

 魔理沙が阿求に駆け寄ると、すでに阿求は事切れていた。麻痺が肺や心臓、脳幹にまで及び、拍動や呼吸を阻害されたのだろう、死ぬまでの苦しみは体を刺し貫かれるよりもひどいものだったに違いない。

 

 時間がたって全員が落ち着いてきたころ、魔理沙は呟いた。

 

「……これはやはり、犯人の仕業なのか」

 

「そうだな。多分、これは神経毒を盛られている。この様子や症状から察するに、アルカロイド系の毒だ」

 

「まあ詳しいことは後で調べるとして……そもそも阿求は何を食べて死んだのかしら?」

 

「十中八九あの甘納豆じゃろうな。儂はここに結構長い時間おったが、阿求が食べ物を口にしたのはあの時だけじゃった」

 

「ふーん……」

 

 霊夢が顎に手を当て、思案する様子を見せ始めた時、後ろの戸が勢いよく開かれた。

 

「ここにいると聞いたんだが……慧音はいるか!? 人里で大変なことが起きてるんだ!」

 

 突然入って来たのは、妹紅だった。走って来たのか、頬を上気させている。

 

「ああ、こっちも今結構大変なんだが……」

 

 慧音が答えるのと同時に、妹紅は阿求の死体に気付いたらしい。

 

「ここもか……」

 

「待て、妹紅。ここも、というのは?」

 

「そのままだよ。甘納豆に入ってた毒にやられて、食った奴が何人もバタバタ死んでるんだ」

 

 

 

 妹紅の言う通り、その日、人里では25人の人間が毒入り菓子を食べて死んだ。永遠亭調べによると毒の種類は慧音の予想通り、ソラニン(ジャガイモ由来のアルカロイド)で、被害者たちが購入した菓子店に残っていた甘納豆からはそれが検出された。

 

菓子店の倉庫には何者かが侵入した形跡があり、おそらく粉状にしたジャガイモの芽を、砂糖でカモフラージュしてまぶしたのだろうと結論づけられた。

 

 

 

 

「うう、疲れたぜ……」

 

 魔理沙と霊夢は夜遅く、博麗神社へと帰ってきた。慧音と共に人里を駆けずり回り、でき得る限りの処置を行っていたのである。

 

「しかしこれで犯人の目的ははっきりしたわね」

 

 犯人は、自分が楽しむためというよりもただ真面目に多く人を殺すために行動している。楽しむためなら、一人一人、じっくり殺していくだろう。

 

「今回派手に殺した割には、なかなか尻尾を掴ませてくれないけどな」

 

 魔理沙は溜息をついた。ジャガイモは、どの家にもあるだろうし、多少芽が生えていても、それを毒殺に結び付けるのは難しい。うっかりジャガイモの存在を忘れて、芽が生えてしまっていたということはままあることだからだ。

 

「……霊夢、何か臭わないか?」

 

 考えこんでいると、魔理沙はほのかに肉が腐ったような悪臭を嗅いだ気がした。

 

「さあ、私は別にそう思わないけど……大方鼠が餓死でもしてるんじゃないの? ……そうなことより、今日はここに泊まっていく? 明日すぐ人里にいくでしょ?」

 

「……いや、遠慮しとくぜ。一人で考えを纏めたいからな」

 

「ふうん、そう」

 

 霊夢は特に気にした様子もなく、さっさと奥へ引っ込んでしまった。

 

「……待てよ。腐る、か……」

 

 何かが引っかかった。これまで聴いてきた話が、一つにまとまるための最後のピース。それを今、見つけたようなー

 

「……まさかな」

 

 魔理沙は何となくではあるが、犯人の正体に、思い至った。

 

 

 

 

 

 

 

 




 第一の犯人は、もう分かっていらっしゃる人もいるのではないでしょうか。ただ、ここまで書いておいて何ですが、本当にこれで説明し切れるのだろうか、と心配になって参りました。次回、「いやこれおかしいだろ」となったらごめんなさい……


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Who is the murder?

 

 

 

ー毒殺から3日後ー

 

「今回の事件の犯人? そりゃ、やっぱり寅丸だろう。人里でずっとおろおろしてたってのは苦しい言い訳だな。その間にいくらでも殺しのチャンスはあったし、今回の毒の仕込みだって簡単だっただろ」

 

 妹紅はそう言って、私が持ってきた羊羹を齧った。毒殺のあった後だというのに不用心に羊羹に手をつけるのは、彼女が不死であるため、毒が入っていようがいまいが関係ないと考えているのだろう。

 

 私はその意見に少し納得したような表情を浮かべながら、相槌をうつ。

 

「大体、どちらかが怪しいって言うんなら、私も寅丸も牢屋に放り込めばいいんだ。どうせアリバイがないのは私と寅丸くらいだろう? 霊夢も魔理沙も、やり方がスマートすぎるんだ。だから、阿求みたいに余計に死ぬ奴が出るんだよ」

 

 妹紅は阿求の死に際を思い出したのか、少し眉間に皺を寄せると、茶をぐいと飲んだ。

 

確かに、事件を止めるならその手段が最も有効だろう。しかし、それはあくまで、「犯人がその容疑者たちの中に本当にいた場合」にのみ通用するものであって、最初の絞り込みに失敗していた場合は空振りするため、あまり褒められた戦略ではない。

 

 あの二人がそんなことを考えているのかどうかは分からないが、妹紅の言ったようなやり方はしないつもりであるらしい。もっとも、私自身が犯人であるのだから、それだと捕まらない。霊夢たちのやり方で正解なのだ。

 

 妹紅は私がそんなことを思っているとも知らずに、言葉を重ねようとする。

 

「それで、お前自身はどう思っているんだ? そのためにわざわざ私の家に来たんじゃー」

 

 がちゃん、と妹紅の持っていた湯飲みが割れる音がした。妹紅は、力が抜けたのか、ゆっくりと前のめりにくずおれる。最初はわけが分からないという顔をしていたが、私が少し笑って立ち上がるのを見て、全てを理解したらしい。

 

「……なるほどな、私に一服盛ったってわけか。くそ、油断し……」

 

 妹紅は言葉を最後まで紡ぎだすことはなく、そのまま眠り始めた。

 

「永遠亭の睡眠薬を持っていて良かった」

 

 不死人でも、睡眠は取るし、昼寝もする。死なないという一点を除けば、肉体は通常の人間となんら変わりないのだ。

 

 眠りこける妹紅を予め用意していた木箱に入れ、重しの石を一緒に詰める。あとは、これを水中に投げ込むだけだ。

 

 できるだけ深いところ、そう、ほとんど近寄るものも無く、深い紅魔館の近くの湖がいいだろう。私は、木箱を持ち上げると、湖へ向かうことにした。

 

 

 

 

 妹紅の入った木箱を霧の湖に沈めると、私は自分の家へ帰って来ていた。おそらく妹紅は浮かび上がってくることはないだろう。生き返っても木箱の中は無酸素状態なので永遠に窒息死を繰り返すだけだ。

 

 誰かに見られてはいないかと細心の注意を払ったおかげか、湖へ木箱を抱えて向かう自分を目撃した者はいないようだった。もし見られていたら、目撃者の口を封じなくてはならないので、極力それは避けたかった。

 

「ふう……」

 

 外はもう暗くなってきている。妹紅の始末に少し時間を使いすぎたかもしれない。

 

 しかし何はともあれ、〝死なない〟という厄介な性質を持つ者は排除できたわけである。眠る間際、私の正体を知られてしまったが、後で紫が妹紅を生き返らせて私の正体を探ることはできまい。見動きはとれないが、妹紅は湖の底で生きているからだ。他の奴らは正体を見せていないので大丈夫だろう。

 

 さて、次は誰をターゲットにしようか……

 幸い私は霊夢たちに疑われていない。妹紅の行方不明を利用すれば妹紅の犯人説を強められるし、もう少し大胆に動いてもいいかもしれないー

 

 そう思った丁度その時、扉をノックする音が聞こえた。

 

「お邪魔するぜ」

 

 家の前にいたのは魔理沙だった。私が何か言う前に上がり込んでくる。

 

「だんだん外も寒くなってくるし、参るね、こりゃ。そういえば炬燵もう出したか?」

 

 私が首を振ると、魔理沙は残念そうな顔をした。そしてきょろきょろと周りを見回し、食料の入っている木箱にひょいと腰かける。

 

「ま、いいや。今日は犯人が分かったから教えに来てやろうと思ってな」

 

 私は、誰が犯人だったのか、そして、捕まえたのかを訊いた。

 

「うん、犯人が誰かは今から教えてやる。だけどそいつはまだ、捕まえてない」

 

 と、魔理沙はにやりと笑った。

 

 犯人が分かっているのにまだ捕まえていない? あの二人にしては手際が悪すぎる。それとも霊夢がいないのは、その犯人だと思われている人物を追っているためだろうか。それとも……

 

 

 

 

 

 

 

「私が変だなって思ったのは、阿求の毒殺の時なんだよ」

 

 もしも犯人が死人の数を増やしたいのなら、他の菓子にも毒を入れればいいし、なにも菓子でなくても口に入れるものなら何でもよかったはずである。時間的余裕が無かったのだとしても、毒を入れる菓子の種類はばらけさせるべきだろう。

 

 では、何故犯人は甘納豆にのみ毒を入れたのだろうか。

 この理由は一つしか考えられない。毒殺の対象に霊夢を入れるわけにはいかなかったからだ。幻想郷に住む者なら、霊夢が死ねば結界が解け、幻想郷そのものが崩壊するということは知っている。

 

 万一毒入りの菓子を霊夢が食べたら? その場合は全員が仲良くあの世行きとなる。犯人としては自分も死ぬため、何としてもそれだけは避けなくてはならない。

 

 つまり、霊夢が食べるはずのない物にしか毒を入れないようにしなくてはならなかったのだ。

 

「そう思った時に、丁度誰かさんが霊夢の甘納豆嫌いを知っていたよなーなあ、慧音」

 

 魔理沙はそう言って、慧音を見やる。

 

「まさか、それで、私が犯人だとでも勘違いしたのか? そんなのは私だけが知っている事じゃない。たまたま君が知らなかっただけで、他にもまだたくさん霊夢の好き嫌いを知っている奴はいるだろう」

 

「そんなことは百も承知だぜ。だが、念には念を入れないといけないし、一度本気でお前を疑ってかかってみたんだ」

 

「………」

 

 慧音は、何も言わず、魔理沙の言葉に耳を傾けている。

 

「しかし、寄り合いの方にも出ていたみたいだし、お前が小鈴を殺すことは絶対に無理だ。―死亡時刻が正確でなかったらな」

 

 慧音は、わずかに顔を強張らせた。

 

「だいたい、死体鑑定は慧音が言い始めたことだったよな? あれは自分自身を死亡時刻と合わないようにするトリックだったんだろうが……

永琳は死体を鑑定するとき、〝腐り具合から死亡時刻を推測する〟と言っていた。では、腐るのが遅かったらどうだろうな。微妙に時間にぶれができると思わないか?」

 

「だが、私の身の回りには防腐剤のようなものは置いてないし、河童の持っているような冷蔵庫なんてないぞ?」

 

 魔理沙は、その言葉を予期していたので、間髪入れずに答えた。

 

「いや、あったじゃないか。チルノの冷気だ」

 

「………」

 

「チルノの冷気は冬になって強力になっている。周囲の気温を急激に下げるぐらいな。その範囲内に死体を置いとけば、腐敗を遅らせることが出来るはずだ。そして、目立たないように死体をチルノの周りに配置しておけるのは……」

 

 とん、と魔理沙の靴が床を叩いた。

 

「―床下だ。事件の最初にここへ来た時、チルノの椅子は新しいものであるのにも関わらず、不安定で軋む音を上げてたな。あれは、椅子に原因があったんじゃなくて、その下、つまり床にあったんだ。で、案の上、床下には空間があったんだよ。それこそ人一人はいるぐらいのな」

 

 慧音の頬を、つうっと一筋の汗が伝う。

 

「で、最後の仕上げなんだが……」

 

 魔理沙は、ポケットから一本の薬瓶を取り出した。

 

「永遠亭で貰った、るみ……えーと、ルミノールっていう薬品だぜ。これを使うと、拭き取っても、洗い流しても血痕が浮かび上がるっていう優れものさ。これで寺子屋の床にまんべんなく振りまいて確認してみたんだ」

 

 魔理沙はそのために丸一日を費やした。慧音が寺子屋を休みにするときにこっそりと忍び込み、自身の仮説の検証を、かなり強引だが、やってのけたわけである。

 

「それで見てみたら、小屋の床下に血が落ちてたし、そこまでに血が点々と落ちてたからな。そのルートは寺子屋の玄関―鍵を持っているお前しか入れないはずのなーを通っていた。容疑者の中に鍵開けとかができる奴はいないし、考えられるのはお前だけ、というわけだ。これで十分か?」

 

 慧音は俯いたまま、何も答えない。

 

「つまりだな、今回の一連の事件の犯人はお前だってことだ。慧音」

 

 とん、と木箱から降りると、魔理沙は真っすぐ慧音を見つめる。

 

「もう言い逃れは出来ないぜ」

 

「……………そうだな。魔理沙の言う通り、私が犯人だよ」

 

 慧音は顔を上げた。その瞬間に魔理沙はその告白が諦めからではなく、全く正反対の感情から出たものであることを知った。

 

 慧音は口角が吊り上がり、異様な笑いを浮かべている。さらに瞳孔がきゅっと小さくなり、三白眼となっていた。

 

「そうだ。私が殺した……だが、生物は他の生物を殺さなくては生きていけない、これは当たり前のことだよな? 魔理沙」

 

 そこには既に寺子屋の教師という仮面を捨て去り、正体である殺人鬼の姿をさらした慧音が立っていた。

 

「まあそんなわけで、もっと生きる者は殺していること、殺されることがあることをもっと自覚しなくちゃならないんだ」

 

 性格逆転薬は、その人物の正気と狂気のベクトルを逆転させるが、考え方や性格といったものはそのまま変わらない。そのため、慧音は歪んだ倫理観が殺人の動機となってしまったのだろう。

 

「ふん、それで人を殺して回ってるってわけか? 笑えないジョークだな」

 

「なんとでも言うがいいさ、どうせお前はここで殺さなくちゃならないからな」

 

 慧音はそう言うと、一歩、近づいた。

 

「私はここへ来る前にお前の家へ行くことを霊夢に教えてきた。私が死ねば、誰が犯人なのか、一目瞭然じゃないか?」

 

「そんなことだろうと思ったよ。正体が知られてしまった時点で私の破綻は目に見えている」

 

 慧音はまた一歩、踏み出した。

 

「だから、私は最後まで足掻き続けることにしたよ。そのための時間稼ぎが必要だ」

 

 魔理沙の目の前に、慧音は迫って来ていた。

 

「だから、ここで死んでくれ、魔理沙」

 

 

 

 

 

 

 




 答え合わせです。推理は当たっていましたか?
……因みに魔理沙は妹紅が沈められたことに気づいていないので、妹紅には暫く湖にinしてもらうことになりそうです。
 


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対決

 諸事情により来週は更新できません。申し訳ありません。


 

 

 

 

 

「だから、ここで死んでくれ、魔理沙」

 

 言うが早いか、慧音は魔理沙に向かって万力の力をこめ、固く握った拳を振り下ろしていた。もしもそれが魔理沙の頭に直撃すれば、小鈴と同じ運命を辿るのは必至だっただろう。

 しかし、それを予期していた魔理沙は自らの得物、ミニ八卦路を落ち着いて構えた。

 

 「恋符『マスタースパーク』」

 

 魔理沙の手元から眩い光が迸った。光と高熱が室内を満たし、それにとどまらず、光柱は壁を貫き、吹き飛ばした。

 もうもうと土煙が立ち込める中、魔理沙は自身の魔法で穿たれた大穴から、外へ一歩踏み出した。

 

(やっぱりこうなったか………)

 

 おとなしく捕まるわけはないと思っていたが、案の上、慧音は魔理沙を殺しにかかってきた。まさかこの決闘用の魔法で慧音が死ぬとは思えないが、先制攻撃できたのは大きい。まともに食らっていたようなので、負傷はしているだろう。

 

 魔理沙は油断なく周りを見渡す。

 慧音の家の周りには人家はほとんど無かったが、マスタースパークを撃った射線上は大きく地面が削れている。その先には、攻撃の巻き添えで3分の1ほどが崩れた寺子屋があった。

 人里の中であれほどの破壊力のある魔法を撃ってしまったので、多少ではあるが被害が出てしまったらしい。

 

 魔理沙の魔法の火力は人間の中でも随一だが、肉弾戦となると半獣の慧音に軍配が上がる。なるべくこちらに近づけず、遠距離攻撃でカタをつけてしまいたい。

 

 しかし、なかなか慧音は姿を見せなかった。相手も弾幕を利用した戦いでは不利なことは理解しているだろう。まさか、あの攻撃にかこつけて、逃走したのだろうか。

 

「………どこだ?」

 

 魔理沙の心に一瞬ではあるが、焦りが生まれた。逃げられては、面倒なことにー

 

「ここだよ」

 

 魔理沙の後ろには、いつの間にか慧音が立っていた。飛びのくよりも早く、慧音の蹴りが魔理沙の胴体に炸裂した。

 

「うがっ!」

 

 蹴られる瞬間、咄嗟に腕で腹を庇ったが、腕のガードごと弾き飛ばされ、魔理沙は大きく吹き飛ばされる。数メートル離れた場所に倒れこんだ時には、腕を鈍い痛みが走っていた。

 

「痛ってえ……」

 

「暴れるからだ。頭へ一撃するだけなら、小鈴のように苦しまずに行けるのにな」

 

 言うと、慧音の姿は見えなくなった。

 

「ち、面倒だな……」

 

 慧音の能力。それは、〝歴史を食べる程度の能力〟、厳密には実際に起きた出来事を変えるのではなく、存在を誤って認識させる。分かりやすくいうと幻術の類である。

 慧音は、それを使って自分の姿が見えないようにして、襲い掛かかってくる。おそらく小鈴が無抵抗で殺されたのも、菓子屋が易々と慧音の侵入を許したのも、この能力のせいなのだろう。

 

 魔理沙は立ち上がると、その場から逃げ出すように走り始めた。箒は家の中に置いてきており、飛ぶことはできない。だが、まだ追いつかれてはいないはずー

 

「ふん、ただの人間が私の足より速く走ることが出来るわけがないだろう」

 

 瞬間、慧音が目の前に姿を現した。反応する間もなく、拳を魔理沙の頭に叩き込む。

 

「がっ!」

 

 視界が揺れ、猛烈な痛みが走り抜ける。その時、魔理沙は体の力が抜け、そこに座り込んでしまった。

 

(くそっ……。今のはヤバい)

 

 ぐわんぐわんと周囲が揺れ、猛烈な吐き気がする。逃げようと思っても、体はへたり込み、言うことをきかない。

 

「諦めたらどうだ、魔理沙。今の一撃で脳震盪を起こしたんだろう。ちょこまか逃げることは出来まい」

 

 慧音は勝ち誇ったように、歩を進めてくる。その時、丁度雲で隠れていた満月が慧音を照らした。

 

 慧音の頭から角が生え、髪の色が変わっていく。そしてその瞳には、いままでのものよりも好戦的な色が見て取れた。

 

 慧音は満月の晩に変身すると、飛躍的に身体能力が向上するが、その代わり、温和な性格がなりを潜め、攻撃性が勝るようになるという。この状況下で魔理沙が慧音の手にかかれば、小鈴よりもひどく嬲られるのは想像に難くない。

 

 魔理沙は懸命に体を動かそうとした。が、やはり体のコントロールが利かない。

 

「無理無理。どう足掻いてもまだしばらくはそのまんまだよ」

 

 慧音がしゃがんで、未だに立てない魔理沙の顔を覗き込んだ。

 

「なんだかなあ……魔理沙、お前の眼にはまだ怖い、って感情が見えないんだよ。こうやって反応を見ながら殺すのはこれが初めてだからな。もっと怖がってくれないと」

 

 慧音はそう言って、自身の鋭い爪を魔理沙の喉元に当てる。

 

「そうだな、命乞いすれば少しだけ生かしてやってもいいんだが。………最後に言い残すことは?」

 

 気分が悪い。吐き気がする。

 魔理沙は、最悪のコンディションで、慧音の言葉を聞いていた。何か鋭い物が喉に当てられているようだが、それが何なのかまでも分からない。しかし、その目は、慧音ではなく、空を凝視していた。

 

「くたばれ、殺人鬼」

 

 魔理沙は中指をたてると、ふっと微笑んだ。

 

 

 

 

「霊符『夢想封印』」

 

 直後、夜空に無数の光球が現れ、降り注いだ。必殺の威力を秘めた光の塊は、複雑な軌跡を描き、地上のただ一点―慧音のいる場所に向かって殺到する。

 

「なっ……このスペルはっ……!」

 

 異変に気付いた慧音が何かを言おうとしたが、光り輝く弾幕はその間すら与えず、威力を遺憾なく発揮した。

 

 轟音。

 

 多量の光と衝撃で、慧音の傍にいた魔理沙は一瞬気が遠くなりかけた。吹きすさぶ風が顔を叩き、金髪をはためかせる。

 

 着弾で舞い上がった土煙がおさまると、そこには倒れ伏す慧音の姿があった。

 

「魔理沙、大丈夫?」

 

 そう言って降りてきたのは霊夢だった。もちろん、今の攻撃も霊夢によるものである。

 

「ああ。多分腕は骨がイってるだろうけどな。遅いぜ」

 

「仕方ないでしょ。あんたを追いかける慧音を待ち伏せする予定だったのに、勝手に捕まってるんだから。むしろ待ち伏せする予定の場所からわざわざ助けに来た私に感謝してほしいぐらいだわ」

 

 霊夢はそう言うと、うつ伏せに倒れる慧音の前に進み出た。慧音は霊夢を見上げ、口惜し気に呟く。

 

「くそっ……まさか、お前が……」

 

「馬鹿か、お前。犯人のところに一人で行くわけないだろ。敵の言葉を簡単に信じるなよ」

 

 それを聞いて、慧音は不愉快そうに顔を背けた。

 魔理沙は犯人の正体が慧音であることに思い至り、応援として霊夢だけでなくアリスや早苗を呼んでいたが、霊夢はやって来た二人に「私だけで十分」と追い返し、二人で作戦を決行することになったのである。

 

「とにかく、あんたは負けたのよ。もし知ってるなら、正邪かもう一人の犯人について吐きなさい」

 

 それを聞いて、慧音の口元が歪むのが見えた。

 

「………く」

 

「く?」

 

「くくく……ははははは!」

 

「何がおかしいんだ?」

 

 魔理沙が問い詰めるが、慧音は答えず、ただ笑うことしかしない。月が雲に隠れて慧音の変身が解けると、笑うのをやめ、電池が切れたように気絶した。

 

「何だってんだよ……」

 

「多分逆転薬の副作用じゃないの? でもまあ本当に正邪ともう一人の犯人については何も知らなかったのでしょうけど」

 

「なんでそんなことが分かるんだ?」

 

「ただの勘よ」

 

 霊夢の勘、というより巫女の勘はよく当たる。魔理沙はそう言われ、納得すると慧音をまじまじと見て、言った。

 

「しかしこいつどうするんだ? 殺すのもどうかとは思うんだが……」

 

 魔理沙も相手が殺人鬼とはいえ、元は善人だった慧音を手にかけるのは気が進まない。しかし、放っておけばまた殺しを始めるだろうし、適当なところに閉じ込めるのも難しいだろう。

 

「大丈夫。これがあるわ」

 

 霊夢はそう言って注射器をとりだした。中には緑色の液体が入っている。

 

「それは?」

 

「永琳印の睡眠薬。これを注入すれば一カ月はひたすら眠り続ける。何をしても決して起きない優れものよ」

 

「まじであいつ便利だな……」

 

 永琳は性格に若干の問題があるものの、薬師としては超一流だといえよう。魔理沙は慧音の腕を持ち上げ、霊夢に注射器を早く刺すように促す。

 

 霊夢が針を慧音の腕に埋め、その中身が注入されると、慧音は安らかに寝息を立て始めた。

 

「これで紫が戻ってくるまではずっとおねんねよ」

 

「そんなことしなくても、逆転薬もう一回飲ませりゃ良かったんじゃ……」

 

「私もそれを聞いたんだけど、何度も反転すると精神にダメージがあるみたいだから、やめておいた」

 

「そうか」

 

 あとは、紫がなんとかしてくれるだろう。慧音が紫の冬眠中に起きることは考えられないし、事実上、第一の犯人は居なくなった。

 

「ふう、一人目を捕まえたし、今日は神社で酒盛りでもしようかしら」

 

 霊夢はそう言ってふわりと地面を離れた。

 

「待てよ。慧音はどうするんだ?」

 

「あんたが永遠亭に運んどいて。あいつらが管理することになるから」

 

「そりゃないぜ。私もお相伴にあずかりたいんだが」

 

「………仕方ないわね。あんたがそれを永遠亭に運んでいく間、宴会の準備をしとくから、行ってきなさいよ。」

 

「オーケイ。そうこなくっちゃ」

 

 魔理沙は軽い足取りで、自身の箒を取りに、歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 ここでやっと一区切りがつきました。次からだんだん雲行きが怪しくなって参ります。
…………そういえば某クローズドサークルミステリーの小説で書いてあったのですが、ミステリーの十戒で、「中国人を登場させてはならない」というものがあったそうです。なんでも摩訶不思議な力を持っているからと考えられていたからだそうで…。となると、仮にもミステリー二次創作なのだから、美鈴を出してはいけなかったのかもしれませんね。まあ今後出ますが。


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追う者たち

 1週間空きましたが、何とか書けました。今後ともよろしくお願いします。




 

 〝里で起きた連続殺人! 犯人は上白沢慧音だった!〟

 

 人里で連続して起こった殺人事件のことは皆さんご存知だろうか。最初の犠牲者は本居小鈴、次に大勢の人間とともに幻想郷縁起を編纂している稗田家の9代目当主が毒殺された。これを追っていた博麗の巫女は、見事犯人を炙り出し、捕まえることに成功した。なお、犯人だった上白沢氏は何らかの薬物を飲み物に混ぜられ、事件を起こしてしまったとみられ、その犯人である鬼人正邪は目下のところ逃走中である。その天邪鬼はもう一本その薬物を所持しており、未だ緊張が解けない。早く逃走中の天邪鬼の確保と、第二の犯人が現れないようになるのを願うばかりである。

 

 

「どうですかね、魔理沙さん。今回の文々。新聞は。私、普段は殺人事件を記事にするのは好きじゃないんですがねえ、今回ばかりはあまりびっくりしたんで、記事にしたんですよ」

 

 慧音との対決から2日後。魔理沙は、魔法の森から博麗神社へと向かう途中、射命丸と出会い、新聞を一部貰っていた。

 烏天狗のわりに友好的な射命丸は、迷惑なパパラッチとして名を馳せている。普段は今回のような殺人事件は扱わないものの、痴情のもつれ、重要機密、なんでもござれの娯楽雑誌として読まれている。

 

「まあいいんじゃないか。ただ、明らかに誤情報がある」

 

「どこです?」

 

「犯人を炙り出したのはこの私、霧雨魔理沙だ。ていうか捕まえるのも私が割と体張ったんだぜ」

 

「へえ、意外ですね。将棋とか囲碁は魔理沙さんが強いイメージでしたけど、こういう推理系は霊夢さんの方が得意じゃなかったですかね」

 

 推理にはある程度の勘も必要で、それにおいて霊夢は〝巫女の勘〟というアドバンテージを持っているので、このような犯人の炙り出しと言うのが得意なのだ。もっとも今回は自慢の勘が冴えるよりも先に、魔理沙がトリックを看破したわけだが。

 

「まあでも、私の方が先に犯人を当てたんだからな、そこんとこちゃんと書いといてくれよ。ていうかそれもう発行したやつなのか?」

 

「いえ、これはゲラですので。当事者の魔理沙さんに一応修正点があるか聞いてみて、それで発行しようかと思ってたんです」

 

「割と几帳面なんだな」

 

「情報を正しく伝えるのがジャーナリストの務めですからね」

 

 もっとも、彼女は情報を誇大して伝えることにはやぶさかでないのだが。この烏天狗はちょっとした出来事でも面白おかしく、ドラマチックな記事にしてしまう。射命丸がその気になれば、里の子供の他愛ない悪戯は少年犯罪の嚆矢(こうし)となるし、男女が話しているだけでラブロマンスと化す。要するに、嘘は言わないが、著しい誇張癖があるのだ。

 

「そういえば、傷の具合はどうです? 確保の際に重傷を負ったと聞きましたが」

 

「ああ、それならもう大丈夫だぜ。慧音を運び込んだ永遠亭でついでに治療してもらったからな」

 

 現在、慧音は永遠亭の病室で、これからしばらくは決して目覚めない眠りについている。その管理を任されているのは永琳で、慧音の体調をチェックし、投与された薬を無効化する薬の開発を続けている。

 

「まあこれからの心配は、もう一人出てくるだろう殺人鬼を捕まえるえることさ」

 

「ほう、魔理沙さんはもう鬼人正邪が誰かを犯人に仕立て上げたと見るのですか?」

 

「或いは慧音の事件が起きる前にはすでに二人の犯人が揃っていたのかもしれないけどな。慧音がこれだけ派手に事件を起こした分、もう一人の犯行が見えにくくなっていたかもしれないし」

 

「なるほど、ではどうやって犯人を見つけ出すつもりで?」

 

「ま、最初は物量頼みだ………あ、悪い、もう時間が無い」

 

 魔理沙は、箒の先に引っ掛けていた時計を見て言った。

 

「何か用が?」

 

「そうだ。取材の続きはまた今度な」

 

 

 

 

 魔理沙が向かったのは命蓮寺だった。今日は、ここで各勢力の主たちが集まり、緊急会議が開かれることになっている。

 

「魔理沙、遅いわよ」

 

 命蓮寺の一室に入ると、既に霊夢がいた。部屋は畳が敷き詰められ、中心に広い台が用意されている。その周りには座布団が置かれており、幻想郷各勢力の筆頭たる面々が座していた。

 

「先日の立役者だから少しぐらいは良いんじゃないですか」

 

 言ったのは白蓮である。一時は寅丸が犯人なのではないかと心配していたらしいが、魔理沙のおかげでその疑いを晴らすことができたので、好意的に受け止めてくれるようだ。

 

「私を待たせるとはいい度胸してるじゃない」

 

 レミリアは、白蓮の隣で頬杖をつきながらのたまった。

 

「ま、珍しく霊夢より早く推理して犯人を捕まえたんだ、手放しで褒めてやってもいいじゃないか」

 

 ぽりぽりと頭を掻きながら言ったのは、八坂加奈子。守矢の神々の一柱である。

 

 魔理沙の右側に座っている〝聖人〟豊聡耳神子、おなじみの薬師八意永琳は、ただ黙って座るのみだった。

 

「さて、ようやく面子が揃ったところで、話を始めようか」

 

 魔理沙と霊夢の向かいに座るのは、九つの黄金の尾を持つ妖狐、八雲藍だった。彼女は現在スキマ空間で眠る紫の式神で、管理者の代理を行っている。

 

「待て、まだ空いてる席はあるみたいだが……」

 

 魔理沙は、誰も座っていない座布団がいくつかあるのに気がついていた。

 

「ああ、それは妖怪の山代表と地霊殿代表、それと人里代表の席だ。妖怪の山はいつも通り会議には出ない。地霊殿の方は古明地さとりが業務に追われており欠席。ホームパーティーも延期らしいし、てんてこ舞いしているそうだ。人里は……まあ言わなくてもわかるか」

 

 藍は、欠席者たちについて簡単に説明すると、気を取り直して話し始めた。

 

「今回皆に集まってもらったのは他でもない、鬼人正邪ともう一人いるであろう精神異常者の捕縛に協力してもらいたい」

 

「ああ、話には聞いてるが、その、キ○ガイにする薬だったっけ」

 

「性格を逆転させる薬よ」

 

 神奈子の発言に永琳が訂正を加える。開発者の彼女からすれば、単に狂人をつくる薬だと断ぜられるのは不愉快なのだろう。

 

「じゃあその薬を正邪が盗みだして、大変なことになってるんだろ? 永遠亭の管理はどうなってたんだ。もし、管理状態が杜撰(ずさん)だったのなら、捜索義務は永遠亭にあるはずだが。その辺いかがお考えかな」

 

 神奈子は、やや挑発的に永琳へ言った。本人は神であるため、信仰が薄れていなければ殺される心配もない。そのため、余裕で構えていられるのだろう。

 神と呼ばれる存在は信仰が集まっている状態であれば死ぬ心配はなく、本人の力も増し、信者の数さえそろえば無敵といってもよいほどまで能力が昇華される。反面信仰が無ければその存在は人間よりも儚く、脆いものとなるので、人々から信仰を集めることは神々にとって重要なのだという。

 

「まあ管理が甘かったのは認めるわ。でも、それを言うのならあの天邪鬼を取り逃がした私たち全員が責任を取るべきじゃないの?」

 

 永琳が答えると、神奈子はぐっと言葉につまった。

 

「まあそうですね。永琳さんの言う通り、責は我々にもあります。私は藍さんの提案にのりますよ」

 

 言ったのは豊聡耳神子だった。白蓮も、同じように頷く。おそらく彼女らの思惑は、お尋ね者となっている正邪を捕まえ、自らの宗教のイメージアップを図ることにあるのだろう。だから、易々と引き受けたのだ。

 

 それを察知したのか、神奈子は、少し考えてから、

 

「分かった。私も参加しようじゃないか」

 

 賛成した。その後、まだその意思を明らかにしていないレミリアに、全員の目が向く。

 

「勿論私も協力するわ。その生意気な天邪鬼の鼻っ柱も叩き折っておきたいしね」

 

 鬼人正邪は、この時点で地霊殿と妖怪の山を除く全勢力から追われる身となった。話を通せば、残り二つの勢力も正邪の捕獲に乗り出すだろう。

 

「しかし、賛成しておいて何なんだが、わざわざ私らがこんなことしなくても、紫の復活まで待てばいいじゃないか。紫が戻ってくれば天邪鬼も簡単に追い詰められるだろうし」

 

 神奈子が言うと、

 

「いや、そうして待っている間に、例えば正邪が薬を混ぜた食品を私が食べてしまったらどうする? 飲み水なら? おそらく慧音は同じ手で服薬させられたに違いない。私が本拠地とするマヨヒガの位置はまだ誰にも知らせてはいないが、いつ、誰が、どこで狂人に仕立て上げられるのか分かったもんじゃない。無論、私も身を守る手段は講じてあるが、万一を排除するなら、本人を追い詰める方が早いだろう」

 

 藍はすばやく切り返した。攻撃は最大の防御、敵の攻撃を恐れるならば、その源を探し、断ち切ってしまえばよいという考えなのだろう。

 

「最近おとなしくしていたと思えばこれですからね……幻想郷は全てを受け入れるといっても、何をしてもいいという場所ではない。早急に始末するべきです」

 

「前回の追討も懲りていないようですし、仕方ありませんね」

 

 普段は穏健派の神子と聖も、反対の色は示さなかった。

 

「まあ、そんなわけで私たちが来たら情報の提供をスムーズに行えるよう、部下とかに連絡しといてくれないかしら」

 

 霊夢が言うと、藍は重々しく頷いた。

 

「そうだな。……魔理沙も引き続き調査を続けてくれるか?」

 

 本来は博麗の巫女にのみ依頼されていた仕事である。魔理沙がノーといえば、断ることはできる。

 

「ああ。私も得体のしれない奴が外をうろうろしてるんじゃ、うかうか枕を高くして眠れもしない。協力するぜ」

 

「ありがとう。紫様の復活まであと十九日だ。それまでに見つけ出して、天邪鬼を始末しなくてはならない。頼んだぞ」

 

 

その後、会議はお開きになり、メンバーが命蓮寺を後にして、魔理沙も帰ろうとした時、魔理沙は藍に呼び止められた。

 

「魔理沙」

 

「どうしたんだ。何か頼みごとか?」

 

「いや、一応マヨヒガの位置はお前にだけ知らせておこうかと思ってね」

 

「霊夢には言わないのか?」

 

「あれは大丈夫だろう。もし何かお前の手に負えないことが起きた時は、マヨヒガへ来て知らせてほしい。霊夢でもどうしようもないときだ」

 

「それは一体………」

 

「混乱させるかもしれないからな。今は言いたくない」

 

 魔理沙は、その言葉が引っかかったが、

 

「まあいいや。覚えとく」

 

「重ね重ね申し訳ないな。あくまで保険だから、気にする必要もないと思うが……まあ頑張ってくれ。二人目を捕まえたら、報酬は存分に出そうと思っている」

 

「お、期待するぜ」

 

 藍は、魔理沙にマヨヒガの位置を小声で教えると、命蓮寺を後にした。

 

「なんだかどんどんヤバい感じになってる気がするぜ……」

 

 誰も居なくなった部屋で、魔理沙はぼそりと呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 




このお話も、折り返し地点を過ぎようとしています。やり過ぎた正邪は、再び追っ手がかかるようになってしまいました。弾幕アマノジャクと違うのは、まだ正邪がどこにいるのかが分からないというのと、犯人がもう一人、追手の中に紛れているかもしれないというところですね。


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雨の日の訪問者

 

 

 

 幻想郷にも雨はある。

 

 外の世界では海という巨大な塩水の池があり、それが蒸発して雨が降るのだという。だから、海のない幻想郷で、どうやって雨が降り、川を流れた水はどこへいくのかは分からない。もっとも、自分の興味の外にある事象なので、どうでもいい事なのだが。

 

 しとしとと降り始めた小雨を窓から眺め、アリスは外出を諦めた。

 

「ああ、今日は買い物に行こうと思ってたんだけどな……」

 

 昨日の夜、人形の服をイメージチェンジしたいと思い立ち、人里へ布を買いに行く予定だった。しかし天気はアリスに味方せず、小雨を降らせ始めたのである。

 この程度の雨であれば人里へ行くこともできるが、少しでも濡れることを嫌い、アリスは外出を取りやめにしたのだ。

 

 ふと目をやると、ハーブティーを持ってこさせた上海の動きが鈍いことに気が付いた。

 

(ああ、だから雨は嫌なのよ……)

 

 雨の日は人形の動きが悪くなるし、第一にじめじめした雰囲気が苦手なのだ。結局、その日は本棚から適当な本を取り出して読むことにした。

 

〝オリエント急行殺人事件〟と題された本は魔導書ではなく、外の世界からの娯楽小説である。この前霖之助の店で何の気なしに買ってそのまま読んでいなかった。霖之助はもうそれを読んでいたらしく、どうしても話したいという様子で結末を語ろうとしてくるのを必死で押しとどめて購入した。

 

 しばらく読み進めて、小雨が本降りになり、屋根を雨粒が激しく叩き始めた頃、ノックの音が聞こえた。

 

「…………?」

 

 こんな雨の日に来客? それとも雨の音をノックと聞き間違えたか?

 

 アリスは怪訝に思ったが、また、とんとん、とノックの音がした。

 

「いるわよ。鍵は掛かってないわ」

 

 アリスが言うと、ドアが開き、訪問者が現れた。それを見て、アリスはなんだ、と安心した。

 

「どうしたの? 雨なのに、しかもわざわざこんなところに来て」

 

 訪問者は答えなかった。

 

「あ、お茶いる?」

 

「………」

 

 その時アリスは、訪問者の右手に握られている物を見て、ぎょっとした。

 

「何それ……ナイフ? あなたの得物ってそれだったっけ?」

 

 なおも答えない訪問者を見て、アリスは気味悪いものを感じ、身を引こうとした。が、既に手遅れだった。

 

 訪問者は、アリスが飛びのくよりも先に一歩踏み込み、アリスの胸に深々とナイフを突き立てる。

 

「か……はあ……っ」

 

 鮮血が迸った。

アリスは、呆然と自分の胸から生えるナイフの柄を見下ろす。力が抜け、後ろ向きに倒れた。猛烈な痛みが体を走り抜け、それに耐えながら、訪問者―もとい、殺人者の姿を見上げる。

 

「………ひょっとして、あなたが噂の殺人鬼?」

 

 アリスは言いながら、ずるずると後ろへいざった。

 逃げるそぶりはしたものの、もうアリスは死を免れない。殺人鬼は、焦る様子もなく、じりじりと近づいてくる。

 

(まさか、私が標的とはね………)

 

 次の瞬間、アリスの瞳が捉えたのは殺人者の振り下ろしたナイフの閃きだった。

 

 

 

 

 

 

 

 正邪追討の話が各勢力で決まってから、三日が経っていた。

 

 しかしその間、正邪の目撃情報は一切入ってこない。そのうちに、追跡者たちは、自分たちの中にいる〝裏切り者〟が正邪を匿っていのではないかと身内同士で疑心暗鬼となり、追跡の人員も減ってしまっていた。

 

 魔理沙が三日ぶりに訪れた博麗神社は、閑散としていた。鳥居をくぐって境内に入ると、箒で参道に散っている落ち葉を掃き集める霊夢の姿が見えた。

 そしてふと、魔理沙はいつも霊夢と一緒に居る狛犬、阿吽が居ないことに気が付いた。

 

「今日は阿吽いないのか」

 

「そうよ。……ひょっとしてあの子、守矢の方に行ったんじゃないでしょうね」

 

「あいつはそんなことしないだろ」

 

 おそらく何らかの事情で神社を開けているのだろう。

 

「……しかしよ、ここのところ全く情報なしだぜ。正邪は絶対どこかに匿われてる。第2の犯人は正邪に協力する気なんだ」

 

 もし正邪が二人目の犯人に殺害されていたのなら、その魂は冥界の白玉楼に行っているはずだ。しかし、未だにそれがないため、この結論へと至ったのである。

 

「でも、犯人はただ誰かを殺したいだけなんでしょ? 正邪を生かすメリットが無いじゃない」

 

 そう。魔理沙が困惑しているのもそこなのだ。正邪にとって犯人たちは平和を乱すための道具でしかないし、犯人たちからは殺せる相手の一人でしかない。むしろ、犯人が誰かを知っているため、正邪は犯人に殺される危険はある。

 

 しかし、冥界で「死人から」話を聞くことができると考える者ならば、殺さず、正邪を保護ーというと聞こえはいいが、実質監禁状態にして、普段は何食わぬ顔をして生活しているのではないか。

 

「………それで、急に食べ物を買う量が増えたとか、定期的に顔を見せないとかいうやつを守矢、紅魔館、霊廟、命蓮寺、地底、永遠亭で調査したんだが、特に変わったところはない、だそうだ」

 

「正邪を匿っている者は追っ手の勢力にはいないってこと?」

 

「かもな。その可能性は低いとみていいと思う」

 

 それを聞いて、霊夢は、少し考えこんでいる。

 

「そうだ。一つ一つ家を虱潰しにして調べていけばいいじゃないか。幸いこちらには幻想郷全勢力が揃ってる」

 

「あんたが好きそうなパワープレイね。確かにそれで見つけられるかもしれないけど、大っぴらにやったら対策されるわ。それに、犯人がいつも家に正邪を置いているとは限らないでしょう?」

 

「……うーん」

 

「とりあえず、誰かが死ぬのを待つしかないわ」

 

「誰かが死ぬ、ねえ……そうならないように私は動いてるんだけどなあ」

 

「私は、事件解決の為に動いている。人命救助じゃないの。今は圧倒的に情報が少ないから、犯人を探るヒントが無いと絞り込みもできないわ」

 

「まあそうかもな……」

 

 確かに、今回の犯人はできるだけ騒がれないよう、静かに過ごしているという印象を受ける。派手に動いた慧音の二の舞を恐れているのか、それとも水面下で人を次々葬り去っているのか……いずれにせよ、情報量が少ない事には変わりがない。

 

「はっきりこれは手詰まりなんだぜ。霊夢は誰が犯人か分かるか?」

 

「無理無理。被害者もいないし、犯人が本当にいるのかも分からない。そんな状況じゃ推理できるわけが無いわ」

 

 霊夢は、手をひらひらさせて、答えた。魔理沙も特にそれを期待してはいなかったので、何も言わない。

 

「ま、いいわ。魔理沙も少し休んだら? いつ事件が動くか分からないし、ちゃんと休まないといざって時大変よ」

 

「そうだな、ありがたく忠告通り家で過ごしておくよ」

 

 魔理沙は、博麗神社を後にし、魔法の森へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

「アリス、いるかー?」

 

 魔法の森へと帰ってきた魔理沙は自分の家には向かわず、アリスの家へ足を運んだ。事件の調査が一向に進まない苛立ちと、次は自分が狙われるのではないかという恐れが、魔理沙を家から遠ざけているのだ。久々に落ち着いて話がしたいと思って、アリスの家を訪れた。

 

 魔法の森に住む人形遣い、アリス・マーガトロイドの家は、森の奥にあり、滅多に人の往来は無い。そこを頻繁に訪れる友人は魔理沙や霊夢、その他数名ほどしかいなかった。

 

「いないのか?」

 

 魔理沙が、ドアノブに手をかけ、回すと、木製の扉は抵抗なく開いた。

 

「あれ、開いてる。……返事ぐらいしてくれたっていいじゃないか」

 

 魔理沙は言いながら箒を玄関に立てかけると、家の中へ上がった。アリスは自分が出かけている間は家に鍵をかけるが、家にいる間は鍵をかけず、誰でも開けられるようにしている。つまり、アリスは今この家のどこかにいるのだ。

 

「寝てる……ってわけわないだろうな」

 

 魔理沙と違い、アリスは種族魔法使いであり、睡眠をとる必要は無い。ゆえに、アリスは意図的にこちらの声を無視しているか、声が聞こえない状態なのかもしれない。

 

 魔理沙がついにリビングへと入ると、お洒落なテーブルや椅子、そしてアリスの人形が数体転がっているのを見つけた。

 

「これ上海人形だよな……これを放り出して何してるんだ?」

 

 魔理沙は動かない上海人形をテーブルの上に載せ、ぎょっとした。

 

 服に、血が数滴ついていた。

 

 まさか、これは……

 

 魔理沙はリビングに目を走らせた。注意して見てみると、床が一部だけきれいになっているのに気が付いた。そして、それは、アリスの家の奥へと続く廊下の扉へとのびていた。

 

 魔理沙は、嫌な予感がして、その扉を開けた。

 

「……………!」

 

 扉の向こうには、落ちて黒ずんだ血液が大量に床にこびりついており、その上を何かが這ったような跡があった。この痕跡を見るに、これだけの血を流すほどの致命傷を負った誰かが、必死で逃げていたあとなのだろう。その誰かは、アリスだったのか、それとも敵だったのか。魔理沙の中では結論が出ていたが、認めたくないという気持ちがそれを受け入れさせなかった。

 

 赤く染め上げられた床には、いくつかアリスの操る人形が落ちていた。それらはほとんど戦いで傷つき、ぼろぼろだったが、反面その人形たちの持っている武器はさほど消耗しておらず、新品同様のままだった。おそらく最初の一撃でアリスが致命傷を負って、人形たちは戦えるほどの魔力が供給されなかったのだろう。そのため、抵抗らしい抵抗もすることができず、人形たちが倒されてしまったのだ。

 

 魔理沙が床の「目印」を辿っていくと、それはクローゼットの中へと続いていた。

 

 ごくり、と唾を呑みこむ。この中に居るのは、まさか……

 

 魔理沙は、そっとドアを開けた。

 

 どさり。

 

 重いものが落ちる音がした。魔理沙は、落ちた者―否、既に生命を失い、人の形をした物体となってしまった存在に、目を落とした。

 

 それは、あの人形遣い、アリス・マーガトロイドの死体だった。

 

 

 

 

 

 

 




 死者が出ないと調査が進まないってのは人狼っぽいですかね。あと、オリエント急行は忘れ去られているから幻想郷に来たのではなくて、単に私の趣味です。
 アリス好きの人には申し訳ないですが、これから死人出まくりになりますので、まとめてごめんなさいをしておきます。


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消えた魂

 

 

 

 死体の発見から二時間後、霊夢はアリスの家へとやって来ていた。

 

「う……これはなかなかひどいわね……」

 

 流石の霊夢も、床に飛び散り、こびり付いた血液を見て、顔をわずかに青ざめさせていた。床を踏むたびに、血糊が靴の裏に付着する。

 

 魔理沙は、霊夢にクローゼットの前に転がっているアリスの死体を見せた。霊夢は、うつ伏せになっているアリスの身体を抱き起こすと、仰向けに転がす。アリスの顔は血の気がすっかり失せ、土気色となってしまっていた。胸に残る刺殺痕は夥しい量の血が付いており、見るも痛々しかった。

 

「心臓を一突きね。傷の深さから考えるに、凶器はナイフとか包丁……かしら」

 

 霊夢は、冷徹にアリスの死体の様子を調べているようだった。

 

「アリスに刺さっていたナイフはこれだぜ」

 

 魔理沙は、一本のナイフを見せた。何の変哲もない、ただのナイフ。どこでも買えるような、至って普通の代物。

 

 こんなもので、アリスは殺されたのだ。

 

 無論生き返るとはいえ、友人を惨殺した犯人に対して、魔理沙ははらわたの煮えくり返るような怒りを感じていた。霊夢とは違い、魔理沙は冷静さを失っている。

 

「これは銀のナイフじゃない、といっても咲夜じゃないというのは早計かしらね。わざわざナイフを凶器に選ぶのなら、犯人はよほどナイフの扱いに長けたものかもしれないわね」

 

 霊夢が、振り返って魔理沙に問う。

 

「……………」

 

「魔理沙?」

 

 霊夢が、怪訝そうにもう一度、魔理沙の名を呼んだ。

 

「あ、いやぼうっとしてただけだ」

 

 魔理沙は、キレかけている自分を、何とかクールダウンさせていた。怒りで周りが見えなくなれば、見えるものも見えなくなる。落ち着いて、平常心で、ことに臨まねばならない。

 魔理沙は深呼吸して、感情を無理やり切り替えた。

 

「………まあそこまで絞ることはできないだろ。そんな風に思考を誘導する目的もあるかもしれないし。無難に絞っていこう」

 

 まず、死んだときには雨が降っていたはず。死体はすでに冷たく、かといって腐敗は始まっていないため殺害が行われたのは数日内であることがわかる。さらに分かりやすいことに、他の部屋にあったカレンダーがアリスが死んだ日から変わっていないようなので、事件当日は雨が降っていたと断定できるのだ。これは後でアリス自身から聞くか、永遠亭の検査で調べればいいだろう。

 

 そして、雨が降っていて地上を歩いたのなら、足跡が残っているはずだ。アリスの家周辺の地面は柔らかく、必ず足跡が残るし、それを消しても不自然な跡が残るからだ。

 時間が経っていれば分からないが、魔理沙の見立てではまだ時間はそれほど立っていない。それにもかかわらず、足跡らしきものは一切ない、つまり来訪者は飛んで、アリスの家へやって来ていたのだ。

 

 飛べる者、さらにアリスの家を知っていた者、となると自然と人数は絞れてくる。パチュリーや射命丸、霖之助……そして霊夢。容疑の候補に挙がるのは味方や知人の名前ばかりである。この中に裏切り者がいる……そうだとしたら、最悪の場合は誰が犯人の時か?

 

 魔理沙は、霊夢の方を振り返った。

 

「……んー、でもまあ確かにだいたい容疑者は出せるわね、でもまだこの家に探してないものがあるかもしれないし……」

 

 霊夢は、ぶつぶつと言いながら血のべったりとついた床を調べていた。

 

「霊夢はそっちを調べててくれ。私はこっちを探してみるんだぜ」

 

 あくまでも疑っていないことを装って、適当な部屋に入った。

 

 霊夢が犯人ではないというのはまだ証明できない。できるまでは、こうして少し距離を保っておくのがベストだ。

 

 今のところ、思いつく中では最善手を選んでいる、と思う。しかしいつ自分にも敵の間の手が伸びるか分からないのだ。犯人は隣にいる霊夢かもしれないし、いつも図書室にいる思われているパチュリーかもしれないし、飛び回っている射命丸、或いは親戚の霖之助ということもありうる。

 

 ひとまず、アリスの刺し傷は正面にあったので、犯人の顔は見ているだろう。冥界でその話を聞き出せれば、この事件はそれで終わりなのだ。

 

 魔理沙は考えをまとめると、部屋の外に出ようとした。が、こつ、と何かがつま先に当たり、そちらに目を向けた。

 

 落ちていたのは、アリスの人形だった。

 主を失い、もう動かないであろう人形。アリスの血を浴びたそれは、魔理沙が入った部屋にも転がっていたのだ。

 

「………?」

 

 この人形の周りは床が綺麗だった。リビングは外から見える場所にあるので死体発見を遅らせるという意味で掃除をしたならわかるが、ここを綺麗にする意味が分からない。

 

 魔理沙が少し悩んでいると、霊夢がひょっこりとドアの隙間から顔を出した。

 

「冥界行くわよー、特に証拠も無いし、アリス本人に聞く方が早いわ」

 

「そうだな。今行く」

 

 魔理沙はそう言って、人形を掴んだ。

 

 

 

「アリスがいない!? どうして?」

 

 珍しく、霊夢が狼狽していた。それはそうだろう。何しろ、死んで冥界送りとなっていたはずのアリスが、冥界にいないのだから。

 

「それどころか、あの毒殺事件の時以来、まだだれもここに来てないわよ」

 

 幽々子が答えると、霊夢はますます混乱し、頭を捻っていた。

 

「見落としってことはないのか?」

 

「ないわ。大体私、どれが誰の魂か分かるし。アリスぐらい有名な魔法使いならとどめておくわよ」

 

 幽々子が答えると、妖夢も、

 

「そうですよ。私も、誰も来ていないことは知っていますし」

 

「………そうか」

 

 いずれにしても、死んだはずのアリスが冥界へ来ていないというのには何らかの理由があるはずだ。すぐに思いつくのは、あの死体がアリスのものではないということ。

 

 例えば、アリスの顔そっくりに別人の死体を加工し、損傷させて置いておく、という手だが、そもそもそんなことをする理由が分からない。仮にアリスが二人目の犯人だったとして、追ってから追跡の対象外になるために死を偽装したのならまだ話は分かるが、それなら普通に失踪したように見せかける方が早いし、何より冥界で死んでいないことがバレることには考えが及ぶだろう。

 

 結局、アリスの魂が冥界に来ていない理由はまだよくわからないということだ。

 

「だんだん何がなんだか分からなくなってきたわね……」

 

 霊夢も混乱しているらしく、しかめ面をしていた。

 

「犯人は私たちが冥界で情報を得るのを知ってたのかしら?」

 

「多分そうだろうな。それで、何らかの手段でそれを防いだ、ということになるかもしれないな」

 

「じゃあ、アリスの家の様子から調べなおさないといけないのね……」

 

 霊夢はうんざりといった様子でため息をついた。確かに、誰だってあの血塗れの部屋を調べるのは気が進まないのだろう。魔理沙も、少し疲れていた。

 

「とりあえず私はあちこち回ってみるけど……魔理沙はどうする?」

 

「私は永遠亭に行ってみるぜ」

 

 魔理沙は、アリスの家で拾った人形を隠し持っていた。その武器には血がべっとりとついており、ひょっとすると、これは犯人の血なのではないか、と思い、回収しておいたのだ。

 

「へえ、どうして?」

 

 霊夢は、何故か鋭く問うてきた。

 

「別に。死体を永遠亭に運ぼうと思ってね」

 

「なるほどね」

 

 霊夢は納得した様子でぽんと手を叩いた。

 

「じゃ、私は先に行ってるから」

 

 霊夢を見送りながら、魔理沙は先ほど霊夢が一瞬だけ露わにした緊張を奇妙に思っていた。

 

 

 

 

「—で、武器についてた血は誰のものだったんだ?」

 

 魔理沙は、アリスの死体を永遠亭に届けると、人形の槍の先についていた血液が誰のものか調べるように依頼した。検査はすぐに終わり、永琳は検査室から出てきて、

 

「アリス本人の血だったわ」

 

魔理沙にとってはあまり嬉しくない答えを示した。

 

「本当にか?」

 

「ええ。念のため数回試したけど全部結果は同じ。槍にべったりついてた血はアリス自身の血よ」

 

 しかし、そうなると不可解な点が一つある。人形はあまり血で汚れておらず、武器だけが汚れていた、つまり、その武器でアリスはアリス自身を刺したことになる。これが解せない。人形は誤作動など起こすはずもなく、アリスの意志で自分を刺したとなればそれは異常だが、そこには何かの意図があったのではないか。

 

 魔理沙は、襲撃されたアリスの視点で物事を考えてみることにした。雨の降る日、自宅にいると、誰かが訪ねてくる。誰かはおそらく知人で、警戒もせずに迎え入れる。しかし、その知人が殺人鬼と化しており、油断して致命傷を負った。

 自分はもう助からない。抵抗も難しい。ではどうするか?

 

「……遺書?」

 

「……どうしたの? 永遠亭は生かすための施設であって、葬儀屋じゃないんだけど」

 

「悪い、こっちの話だ」

 

 追い詰められたアリスは、何かメッセージを残そうとしたのではないか。勿論自分の手では難しい。人形の手を―

 

「なんだ、そういうことか」

 

 魔理沙は、一人合点すると、永琳に、

 

「悪い、あの薬くれるか」

 

「良いけど……前みたいな無駄遣いはよしてね。在庫もう残り少ないし」

 

「大丈夫だ。今回はこれでいけるはずだ」

 

「ふうん……なかなかの自信ね」

 

 永琳は棚からその薬品を魔理沙に手渡した。

 

「サンキュ、ありがたく使わせてもらうぜ」

 

 

 

 

 魔理沙は夜遅く、家に帰ってきた。手にはあの薬を持っている。これは明日、アリスの家で使うつもりだった。夜は目が利かないし、いつ襲われるか分からない。比較的安全な昼に行くのが望ましいだろう。

 ぎい、と扉をあけ、家に入ろうとした瞬間、魔理沙は、ふと嫌な気配を感じて立ち止まった。

 

(………なんだか怪しいな)

 

 自分の家の扉に仕込んでおいた木の枝が折れている。魔理沙が今開けた程度では折れないはずなので、枝は魔理沙のせいで折れたのではない。何者かが帰宅前に魔理沙の家へとやって来たのだ。

 

「………」

 

 中に居るのだろうか。しかし、犯人はアリスを殺せる強さの持ち主である。真正面から戦えば、逆にこちらが負けてしまうのではないか。

 

(応援を呼ぶか)

 

 そう思ったが、味方を呼ぶまでに逃げられるかもしれない。だからといって突入もできない。それなら……

 

 魔理沙はドアをそっと閉めると、近くの茂みに隠れた。もしまだ犯人が家の中にいて待ち伏せを続行しているのなら、いつかは出てきて、その顔を拝むことができるだろう。

 

 魔理沙は伏せて、扉の前を凝視する。

 

(出てこい……出てきて、正体を……)

 

 

 

 

 そのとき、意識は完全に 扉の前へと向かっていたため、魔理沙は背後の気配に気づくことができなかった。そしてその気配を察知したその瞬間ー

 

 とん、と肩に、誰かの手が触れた。

 

 

 

 




 近頃死ぬほど暑くなってきましたね。5年前くらいは30度で結構暑いという感覚だったのに、今では普通に40度いってしまいますし。
 さて、もう犯人はなんとなく分かってきたでしょうか。逆にここまで書いてしまえば、大体の人は「ま、こいつだろうな」と思うかもしれません。まあミステリではなく、ミステリ(風)ですから!(震え声)


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破滅の足音

 

 

「大変です! 霊夢さん!」

 

 早朝。霊夢は大声でたたき起こされた。昨日まであちこち飛び回り、夜遅くに帰ってきた霊夢は、先ほど眠りについたばかりだった。眼の下に出来たくまが疲れを物語っている。霊夢は寝巻のままで呼ぶ声のする縁側に出た。

 

「何よ。もしどうでもいいことだったらぶちのめすわよ」

 

「霊夢さん眠いと性格荒みますよね……いや、そんなこと言ってる場合じゃない、ほんとに大変なんです!」

 

 霊夢を叩き起こした人物―鈴仙は、全速力で博麗神社へ来たのか、肩で息をしていた。

 

「大変大変って……何が起きたの?」

 

 霊夢は目を擦りながら聞いた。まだ頭の中が霧で覆われたようにぼうっとしている。

 

「永遠亭が襲撃に遭いました」

 

「襲撃?」

 

 霊夢は、眉を寄せた。おそらく、襲撃とはアリスの時のように犯人が永遠亭を襲ったということを言っているのだろう。

 

「見たところ、あんたは傷一つないじゃない。まさか、前みたいに敵前逃亡したりしたの?」

 

 霊夢が嗤うと、鈴仙はきっと睨みつけた。

 

「私が永遠亭に帰ってきた時にはもう襲撃は終わってたんです!」

 

「ふうん、それなら鈴仙、あなたは襲撃の間、どこに行ってたの?」

 

「……薬の材料を取りに行ってたんです。夜しか開かない花なので」

 

「………そう。ま、あんたは犯人ではないでしょうね」

 

 霊夢はそう言うと、頭を掻いて、神社の奥へ引っ込んだ。

 

「霊夢さん?」

 

「着替えるだけよ。とにかく永遠亭に行かないとどうしようもないわ」

 

 

 

 肩に誰かの手が置かれ、魔理沙はびくりとした。

 

 ……しまった。完全に背後の警戒を怠っていた。あのドアが何者かに開けられたとしても、あの家の中に犯人が今もいるわけでは無く、待ち伏せしている魔理沙の後ろに回り込む可能性など考えていなかった。

 

 魔理沙は肩に置かれた手を振り払うと、ミニ八卦路を取り出して相手に向ける。

 

「動くな! 少しでも動いたらマスパ……」

 

「ストップ、ストップ! 待って、魔理沙!」

 

 肩を叩いた誰かは、叫んだ。いや、誰か、という表現は正しくない。彼女らは悪戯好きの妖精たち、サニーミルク、ルナチャイルド、スターサファイアの三人だった。目の前にミニ八卦路を突き付けられ、降参とばかりに両手を上げていた。

 

「どういうことだ?」

 

 魔理沙は、背後を取った者が敵でなかったことに安堵したが、なんとなくこの三人に不意を衝かれたことが苛立たしかった。

 

「……ほら、ルナが余計なことをいうから、怒られちゃったじゃない」

 

「何よ、スターだって乗り気だったくせに」

 

「元はと言えばサニーが夜に散歩してみようだなんて言わなければ……」

 

 醜い責任のなすりつけ合いが始まった。魔理沙を怒らせて「一回休み」になるのが嫌なのだろう。流石に魔理沙も鬼ではないので、とりあえず全員に拳骨を一発ずつくれてやると、少し気になったことを聞いた。

 

「お前ら、ずっとこの辺歩いていたのか?」

 

「ううん、さっき丁度魔理沙を見かけたから、それでちょっと」

 

 ちょっと、悪戯を仕掛けてみようと思ったわけか。

 

「まあいいや。今度やったらマジでぶっ飛ばすぞ」

 

「了解!」

 

 返事だけは素晴らしかった。しばらくしたらこのやり取りも忘れてまた仕掛けてくるのだろうが。魔理沙が溜息をつくと、サニーミルクが首を傾げ、訊いた。

 

「でも、魔理沙の方こそ自分の家の前で何してたの?」

 

「ああ、それは……って」

 

 魔理沙はその時、まだ自分の家に誰かがいるかもしれないということを思い出した。後ろにいたのがこの三人だったのなら、まだ家の中に誰かがいる可能性がある。

 

 魔理沙は口に人差し指をあて、静かにするように指示した。

 

「魔理沙、何なの? さっきから……」

 

「静かにしろって言ってるじゃないか!」

 

 魔理沙は小声で答える。家の中からでも会話を聞かれたかもしれない。

 

「心配ないわ。ルナがここの音を遮断しているもの。聞こえてるはずないわ」

 

「なら大丈夫か。……あー、私がここに伏せてた理由はな、家の中に誰かがいるみたいだから、それを待ち伏せてたんだ」

 

「誰か? なんでとっとと入ってそいつを追い出さないの?」

 

「それがちょっと私じゃ手を出せない奴かもしれないんだ。だから顔だけでも見とこうかと思ってな」

 

 それを聞いた妖精たちの顔が、さっと青くなった。彼女らは1対3であってもチルノに負け、そのチルノは魔理沙に簡単に負ける。3妖精からすれば強者の位置にある魔理沙が「手を出せない」というほどの化け物が潜んでいるかもしれないのだから。

 

「……家の中からは何かが動く気配はないんだけど」

 

 スターサファイアは魔理沙の家を凝視していた。スターサファイアは「動くものの気配を察知する程度の能力」の持ち主であり、少しでも身動きする者がいればすぐにぴんと来る。

 

「じゃ、私の家には誰もいないってことなのか?」

 

「うん、少なくとも今はね」

 

 しかし、誰かが入ったのは間違いない。ひょっとすると、今日のターゲットは魔理沙だったが、なかなか帰ってこないのに業を煮やして、他を襲いにいったのかもしれない。

 

 その後、魔理沙は3妖精と別れて家の中に入った。スターサファイアの言う通り、中には誰も居なかったが、微妙に物の位置がずれていたり、引き出しの中がぐちゃぐちゃになっていたりして、誰かがやってきて、家探しをしていたということが手に取るように分かった。

 

「……これは」

 

 魔理沙は、一休みしてからアリスの家へ行くつもりだったが、すぐに行動することにした。このままのんびりしていれば、いつか間違いなくやられる。今回は運が良かったが、眠っているところを襲撃されればアウト。こうなってしまったら、今すぐアリスの家へ行って犯人の正体を暴くべきだ。

 

 魔理沙はすぐに立てかけた箒を手に取り、アリス邸へ飛び立った。

 

 

 

 

 

 

 翌朝、魔理沙はアリスの家から博麗神社へ行こうとして、同じく前から飛んでくる霊夢と鈴仙に会った。

 

「どうしたんだぜ?」

 

 魔理沙が訊くと、霊夢は、

 

「永遠亭が襲撃されたわ。死者は分からないけど……とにかく行ってみないと」

 

 なるほど。あの日は永遠亭に向かっていたのか。しかし、犯人は魔理沙の家にもやって来ていた。わざわざ2か所にやって来たということは……。

 

 魔理沙は昨日、アリスの家で得た証拠が確信に変わるのを感じた。

 

「どうする? 魔理沙も来る?」

 

「……ああ」

 

 

 3人が到着した時、永遠亭は血の海と化していた。

 

 そこかしこにイナバの死体が転がっており、血糊が地面を赤く染め上げている。凄惨な光景に、一行は息を呑みながら、進んでいく。

 

「誰も逃げなかったのかしら?」

 

「逃げる暇も無くやられたのかもしれません。でも、師匠と姫様は生き残っていると思います」

 

 魔理沙はこくりと頷いた。いくら強くても、不死であるあの二人を斃すことは出来まい。何らかの手段で無力化するというのならまだしも、戦って殺すことは難しいはずだ。

 

 3人が建物の中へ入ると、やはりむっと血の臭いがした。中でも殺戮が行われたのだろう、壁に血がべったりとついていた。その下に、小さなイナバの死体があった。

 

「師匠! 姫様! どこですか!」

 

 鈴仙が叫ぶが、何も返事は返ってこない。

 

「……とにかく探してみましょう」

 

「そうだな。3人で探せばすぐ見つかるかもしれない」

 

 こうしてそれぞれ手分けして永遠亭の中を探すことになった。

 

 魔理沙は押し入れの中、天井裏を探したが、誰も隠れてはいない。念のため倉庫も覗いてみる。犯人が既に永琳と輝夜を無力化して別の場所に置いている可能性もないではなかったが、一応探しておく。

 

「………無いな」

 

 特に収穫はなかった。隅々まで探してみても特に妙なものは見当たらず、いたずらに時間が過ぎていく。

 

「どうしたもんかね……」

 

 魔理沙はひとまずもう1度、倉庫を出てぐるりと回った。その途中で、魔理沙は転がっている死体に足を引っかけ、蹴躓きそうになった。 

 

「おっと、危ね」

 

 魔理沙はなんとか踏みとどまり、こける前に体勢を戻した。そしてそのまま歩き去ろうとしたとき、魔理沙はふと、違和感を覚えた。

 

(あれ………? こんなところに死体があったか?)

 

 さっきここを通った時には無かった。あったならこの魔理沙は足元に注意して歩いたはずだ。では、この死体は…………?

 

 死体の顔を覗き込む。

 

「………鈴仙?」

 

 見間違いだ、イナバの誰かだろう、と思ってまた顔を確認すると、間違いなく先ほどまで共に行動していた鈴仙だった。うなじに焼け焦げたような跡が残っており、それが原因で死んだ、否、殺されたのだ。まだ死体は温かく、凶行が行われたのはそれほど前ではない。

 

 冷や汗が滝のように流れ、心臓が早鐘を打ち始める。

 

 やはり、犯人は―

 

「魔理沙―、どこにいるの?」

 

 霊夢の声が聞こえる。その声には、まるで獲物の息の根を止める前に肉食獣が出すような、余裕の響きが含まれていた。

 

「なるほど、倉庫の辺りね」

 

 そう言うと、とてとてとこちらへと走ってくる音が聞こえた。

 

 逃げなくては、と思ったが、まるで足が動かない。霊夢の声はなおも近づいてきてー

 

「こんなところにいたのね」

 

 霊夢が、建物の影から姿を現した。よく見ると、その頬には血がついており、何かを引き摺っている。

 

 永琳と輝夜の、死体だった。それらは引きずられたせいか服がズタズタに裂け、露出した肌に縦横に走る傷口は、もはや生前についたのか死後についたのかも見分けがつかなくなっていた。

 

「永琳と輝夜は死体として発見されました、ちゃんちゃん」

 

 霊夢は嗤って、永琳と輝夜の死体を転がした。どちゃ、と湿った音を立て、永琳と輝夜の死体はそこにわだかまる。

 

「不死なんていっても、生き返る時に核となる魂を攻撃すれば、一年は復活できないらしいわね。ま、妹紅が言ってたことだし、本当でしょう」

 

 霊夢は死体には目もくれず、魔理沙だけを見ていた。その眼差しは冷たく、もはや魔理沙を仲間ではなく、狩る獲物として認識しているようだった。

 

「やっぱり霊夢、お前が―」

 

「そうよ。ちょっと気付くのが遅かったみたいだけどね」

 

 くすりと微笑んで、霊夢は一歩、近づいた。

 

 

 




 第二の犯人が明らかになり、ついに予告していたカオスが始まります。書ききれるか心配ですが、それでも読んでくださると嬉しいです。

 


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第7の喇叭吹き

 

 

 

「そういえば魔理沙、あんたはどの段階で私の正体に気付いてたの?」

 

 霊夢は、足をぴたりと止め、そんなことを聞いた。おそらく、魔理沙を絶対に仕留められると確信して、そんなことを聞いてきたのだろう。

 

「昨日くらいかな。アリスの遺した文字だ」

 

 アリスの部屋で、妙に綺麗にされていた床。あれは、アリスのダイイングメッセージを消した跡だったのだ。恐らく致命傷を負ったアリスは、逃げながら敵の正体を誰かに伝えるため、自分の血を人形の武器に塗り付け、自分が霊夢の注意を引き付け、他の部屋に人形を潜り込ませたのだ。

 

 そして力を振り絞って霊夢の名前を書く。もしも霊夢がこれに気付かなかったら一発で魔理沙は見破っていただろうが、霊夢は念入りにアリスの家を捜索し、自分の名前が書かれている血文字を見つけ、消した。

 

 霊夢にただ一つ誤算があったとすれば、血文字が書かれてから時間が立っており、洗い落としても血痕を浮かび上がらせる薬品で十分に読むことができたことだろう。もしも時間が立たずに霊夢が消していれば、血痕は霊夢の名前という形を残さず、薬品を使ってもただの血だまりのようにしか見えなかっただろう。

 

「ああ、あれね。消したと思ったんだけど……あ、慧音の時に使った、ルミノールなんちゃらって奴か。ま、いいや。答え合わせありがと、魔理沙」

 

「………お前はいつから〝そう〟なってたんだ?」

 

「うーん、答える義理はないわよね。……でもいいか。冥土の土産ってことで、教えてあげましょうか」

 

 霊夢はそう言ってから、何かに気付いて、首を振った。

 

「いや、冥土には行けないんだった。ただ殺すだけじゃなくて、あんたの魂も消さないといけないの。証拠が残らないようにね」

 

 魔理沙はぞっとした。アリスは、殺された後に直接魂を攻撃され、冥界に行く暇も無く、魂そのものが消されていたのだ。だから魔理沙が冥界へ行っても、被害者はいなかったのだ。この状態でも紫は蘇生させることができるのか。

 

「それで、まあ私が薬を飲んだのは、正邪が地霊殿から戻ってきた日よ。あいつは、端っから私を殺人鬼に仕立て上げるつもりだったみたいね。その前に慧音に飲ませてたんだろうけど。まあそういうわけで、正邪は寝ている私に忍び寄って、そのまま喉に薬を流し込んだ。それで私は目が覚めたんだけど、その時には、〝こう〟なってたわ」

 

 霊夢がいくら最強といっても睡眠時は無防備だ。それで抵抗させることなく、霊夢に薬を飲ませることができたのだろう。食べ物や飲み物に混ぜるという手もあったかもしれないが、あの日、そんな食物は博麗神社には無かった。そのため、正邪は賭けに出て、霊夢の精神を犯すことに成功したのだ。

 

「私は目の前にいた正邪をひとまず殺した。ま、自業自得よね。それで抜け出た魂に霊力をこめて、証拠隠滅した。だから、どんなに探しても正邪が見つかるわけが無い。最初から死体になって博麗神社にあったんだもの。それを皆必死に探すもんだから、おかしくてたまらなかったわ」

 

 魔理沙は、神社で嗅いだ異臭を思い出した。あの時霊夢は鼠が死んでいるのだろうと言っていたが、あれが……。

 

「その後、魔理沙ともう一人の殺人鬼を探した。私は結構早い段階で犯人は慧音だって見当をつけて、接触したわ。……まあ、あんたが気づいて、早苗とアリス呼んだときは焦ったけど」

 

 そうか、と魔理沙は思う。あの時、霊夢は魔理沙を慧音と共に騙し討ちしても良かったのだ。だが、アリスと早苗を魔理沙が呼んだため、慧音を諦めて身内切りを行っていたのだ。

 

「慧音も余計な事言いかけてたし、あそこでリタイアしてくれてむしろラッキーだったわ」

 

「………」

 

 慧音が、まさかお前が、と言ったのは霊夢のことだったのか。なるほど、仲間だと思っていた霊夢に裏切られたため、思わず口をついて出たのかもしれない。

 

「……これで魔理沙の〝答え合わせ〟は終わったかしら?」

 

「ああ。しかしこれでもう犯人捜しは終わりだ。観念しろ」

 

 魔理沙が言うと、霊夢は小首をかしげて、

 

「あれ? あれ、あれ、あれ……セリフが逆じゃないの? そもそも種をあかしたのは魔理沙、あんただけ。だから、今この場で始末すれば問題ない」

 

「できればな」

 

 魔理沙は咄嗟に掴みだしたミニ八卦路を霊夢に向けると同時に、マスタースパークを放った。反応する間も与えず、光の奔流は霊夢を巻き込み、永遠亭の一部を吹き飛ばした。

 

「というわけで、逃げさせてもらうぜ」

 

 スペルカード宣言をせずに撃ったから、虚を突くことはできただろう。回避した様子も無かったし、その点ではまだ霊夢も決闘方式の戦いが染みついている。なんでもアリの勝負ならまだ勝てるかもしれない。

 

「しかし最近、撃ち逃げの場面ばっかな気がするよなあ…」

 

 魔理沙は箒に乗って離陸すると、独りごちた。ようやく土煙の薄れてきた地上では、霊夢が魔理沙を見上げていた。こちらがマスタースパークを撃った瞬間に結界を張っていたらしく、全くの無傷だった。

 

 霊夢はしばらくこちらを見上げていたが、ふいと顔を背けると、魔理沙を追うわけでは無く、別の方向に向かって飛び立った。

 

(おかしい、何故霊夢は私を追ってこないんだ?)

 

 魔理沙は奇妙に思った。秘密を知ってしまった魔理沙を生かしておくメリットがあるはずがない。なのに、それを無視して別方向へと向かう。放ってくれるならこちらは藍に報告して各勢力で霊夢を押さえにかかるが……。

 

(秘密がバレてもいいっていうのか?)

 

 そこに考えが至った時、魔理沙は途轍もなく嫌な予感がして、霊夢の向かった方向を見やった。

 

(いや、まさかな……)

 

 霊夢が飛んで行ったのは、紅魔館の方角だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 既に霧の湖を超え、霊夢の目には紅魔館が見えていた。西洋からまるごとやって来た、真っ赤な洋館。それは朝日を浴びて、傲然と建っていた。

 

 ここから、引き返し不能地点を超える。殺人鬼と成り果てた現在でも、緊張は感じるのだ。霊夢は、これからの予定を、何度も反芻していた。

 

 これからの予定は、トリックや仕掛けなどはほぼない、完全なパワープレイだ。自分一人の武力で幻想郷をねじ伏せる。戦闘については、自身の能力と幻想郷を守る結界を楯にした、「相手は霊夢を殺してはならない」というルールがあるため、さしたる障害は無いだろう。

 

 ただし、紫が出てきて霊夢の結界維持役が他人に移譲されてしまえば「殺されない」というアドバンテージは無くなるし、そもそも紫に歯が立たない。スキマ空間に逃げられると手出しは出来ず、どこから攻撃されるかもわからない。どんなに霊夢が強力でも、紫は倒せないのだ。

 

だから、紫が出てこないよう、藍を殺す。そうすれば霊夢の上位者はもはや幻想郷にいなくなるし、隠岐奈が戻って来たとしても巫女の結界移譲権は紫しかもっていないため、霊夢をどうこうすることはできない。

 

 つまり、藍さえ斃せたら霊夢の勝ちなのだ。だが、幻想郷の全勢力はそれを阻止するため、藍を守ろうとするだろう。霊夢は、マヨヒガの位置を知らず、藍を真っ先に襲うことはできないため、むしろそうして目立つように守ってくれる方がありがたいのだが。

 

 十五日以内。紫が冬眠から目覚めるまでに、霊夢は藍の守り駒を減らし、最終的には藍を殺害する。藍は何としても自分が討たれぬよう死力を尽くして回避する。これが、霊夢の始めようとする、新しいゲームだった。

 

 紅魔館の目の前に降り立った。この前と同じ位置に、美鈴が立っている。

 

「ま、最初は守り駒を減らしておきますか」

 

 霊夢は、門の前で眠る美鈴に近づく。

 

「……霊夢さん」

 

 美鈴は、霊夢の攻撃の射程に入ろうかという瞬間に、目を開いた。何故か、霊夢を警戒しているようだった。美鈴はまだあの事を知らないはずなのに。

 

「何よ、美鈴? 今日はただの調査よ?」

 

「……何の調査ですか?」

 

「面倒だから後で。通してよ」

 

「魔理沙さんが来てないのは何故です?」

 

「魔理沙は別の所を探しに行ってるわ。別に変なことではないでしょ」

 

 霊夢がさらに門に近づこうとすると、美鈴はそれを手で制した。

 

「最後の質問です……先ほど、私に殺意を抱きましたね?」

 

 そうか、と霊夢は思う。美鈴の能力は、〝気を操る程度の能力〟。霊夢の放った〝殺気〟を感じ取ったのだろう。

 

「全く、阿吽といい、あんたといい……なんで皆あんなに勘が良いのかしらね」

 

 阿吽は隠しておいた正邪の死体を見つけたため、既に霊夢によって口封じされているのだが、当然美鈴が知る由もない。

 

「……とにかく、今のあなたを紅魔館に入れることは出来ない。お帰りください」

 

 その時、美鈴の周りの空気が変わった。今や、美鈴は霊夢を完全な敵として認識しているのだ。美鈴の〝気〟はそれを感じ取ることのできないはずの霊夢の頬に、ぴりぴりとした緊張を伝わらせてくる。

 

「そんなこと言いながら、やる気じゃない。ま、あんたも殺せないようじゃ、私は終わりだけどね」

 

 霊夢はちろりと唇を舐め、護符を取り出した。

 

「—夢符『封魔陣』」

 

 

 

 

 




 茹だるような暑さに死にかけております今日このごろ、皆様いかがお過ごしでしょうか。今回で見えなかった霊夢の動きも明らかになり、ミステリ風展開は終わりを告げました。これからはきつい描写もあるかもしれないので、本作を読んで気分が悪くなった場合はすぐに使用を辞め、20メートル離れて見ることをお勧め致します。


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紅魔館の戦い

 

 

 

 霊夢が襲撃してくるまで、紅魔館の面々は朝食を取り終え、門を守る美鈴を除いて、各々好きな場所で好きなことをしてまったりと過ごしていた。

 

 レミリアとパチュリーはお嬢様の部屋でお喋りに興じており、小悪魔はその傍に控えている。フランドールは地下の図書館で本を探し、美鈴は外でうつらうつらしているに違いない。

 

 咲夜は、そんなことを考えながら、厨房で温かいお汁粉を作っていた。紅魔館は咲夜の能力で広げられてはいるものの、何しろ古い建物なので耐久性にやや難があり、断熱性が悪く、底冷えする。だから今日は、この前に買ってきておいた材料で、温かいものをふるまおうと思っていた。

 

 甘い小豆を煮詰め、餅をいれたおしるこを、椀によそった。吸血姉妹の分は、ちゃんと血を入れてある。

 

「さて、誰から配りましょうか」

 

 咲夜は少し考え、美鈴から順に配っていくことにした。厨房に近いというのもあるが、やはり屋外だから妖怪でも、寒がっているのではないか。

 

 咲夜はお椀の一つを取って、紅魔館の門まで歩いていくことにした。

 

 しかし、門に近づくにつれて、中庭の芝生がはげたり、木が倒れたりしているのを見つけた。一体誰が、こんなことを―

 

 その時、咲夜は視界の端に捉えた〝もの〟を認識して、凍り付いた。

 

「美鈴……?」

 

 燃えるような赤い髪に、緑のチャイナ服。それはまさに、いつも門の前に立っているはずの紅美鈴の姿だった。ただし、今目にしている美鈴は門から数十メートルも離れたところに倒れており、その目は虚ろだった。

 

「美鈴、どうしたの。起きなさい」

 

 咲夜は美鈴を揺り起こそうとして、はっとした。

 

 胴体の二分の一が、削り取られていた。傷口は焼き焦げており、血はそれほど出ていなかったが、もう美鈴が死んでいるのは医学に詳しいわけではない咲夜でもすぐに理解できた。

 

「美鈴……っ!」

 

 すすけた服の上に、鮮やかな紅が飛び散っている。それは美鈴が激闘の末、侵入者に敗れ去ってしまったということを雄弁に物語っていた。

 

 哀れな最期に涙が出そうになったが、堪えると、すぐさまレミリアに報告へ向かった。時を止めながら全力でレミリアの部屋へと急ぐ。

 

 瀟洒、という評価をかなぐり捨てるようにして、咲夜は勢いよくドアを開け、部屋に入った。中には把握していた通り、レミリア、パチュリー、小悪魔の3人がいる。

 

「お嬢様。侵入者でございます」

 

「何? 魔理沙だったら適当に……」

 

「違います。美鈴が殺されました」

 

 レミリアとパチュリーは息を呑んだ。

 

「咲夜……いくら何でも怒るわよ」

 

「冗談なんかじゃありません! 本当に殺されてたんです!」

 

 咲夜は叫んだ。普段はヒステリックに喚くことは一切無く、冷静な咲夜が取り乱している。レミリアとパチュリーは、その情報が真実だということを知った。

 

「美鈴……」

 

「今は感傷的になってる場合じゃないわ。パチェ。咲夜。指示を出す」

 

 レミリアは少し鼻声になっていたが、涙は見せず、てきぱきと指示を出し始めた。

 

「小悪魔はフランをここに連れてきて。咲夜はここの部屋への道のりを安全にすること。妖精メイドをいくら投入してもいい。パチェは、この部屋で一番強い結界を展開しておいて」

 

「分かったわ」

 

「了解しました」

 

「分かりました!」

 

 すぐに指示を受け取った3人は動き始めた。

 

(美鈴……仇は取ってやるから見てなさい)

 

 レミリアは、部屋に置かれている、鉄製の槍に目を向けた。

 

 

 霊夢はひとまず、地下大図書館へ向かって紅魔館の廊下を急いでいた。相手にすると面倒なパチュリー、攻撃力だけは一人前のフランドールを仕留めたい。レミリアは他の奴と連携されると不安だから後回し、咲夜はそのうち遭遇するだろう。

 

 飛んでいると、時折体のあちこちの骨が傷んだ。美鈴との戦いは当然霊夢が勝ったが、無傷と言うわけにはいかなかった。節々の痛む体に苛立ちを覚えながら、霊夢は図書館の扉を開け放った。

 

 1階から見下ろすようにして、並ぶ本棚を眺める。霊夢は知らなかったが、パチュリーはここにおらず、代わりに―

 

「んん?」

 

 フランドールがこちらに背を向け、座っていた。どうやら何か本を読んでいるらしく、霊夢に気付いた様子は無い。

 

(後ろにご用心よ。フラン)

 

 霊夢は心の中で忠告すると、フランドールに狙いをつける。残念ながら、この忠告をフランドールに伝えることはできないし、できたとしてもそれを生かす時間は彼女にはもう残されていない。

 

 霊夢の放った霊弾は、フランドールの後頭部めがけて撃ち放たれた。通常の弾幕ごっこでは死者が出ない程度に調整していたが、これは、相手を殺すために一切手加減をしていない霊弾である。頭に直撃すれば吸血鬼とて死ぬし、美鈴のような無残な屍をさらすことにもなるだろう。

 

 事実、霊夢はそれでフランドールを始末できていたはずだった。

 

 小悪魔がその身でフランドールを庇わなければ。

 

 霊弾が炸裂する音とともに、攻撃を体で受けた小悪魔はぼろきれのように吹き飛んだ。

 

「え……?」

 

 フランドールはようやく霊夢に気付いたのか、振り返って狼狽の声を上げた。その足元には血まみれの小悪魔が横たわっている。小悪魔は霊夢の攻撃をまともにくらったにもかかわらず、まだ息があった。

 

「妹様……霊夢から…逃げて……ください。あいつは……間違いなく、美鈴を殺しています……レミリア様のもとへ逃げ……」

 

 余計なことを、と霊夢は思った。もうレミリアは美鈴の死を知ったのか。大方、咲夜辺りが美鈴の様子を見に行って異常に気付いたのだろう。レミリアは気づいてすぐさま、フランドールの保護を小悪魔に命じたのだ。

 

「フラン。大丈夫よ、何もしないから」

 

 言いながら、自分でも白々しいセリフだと思う。流石にフランドールも騙されず、後ろに一歩ずつ、後ずさっていく。

 

「霊夢……何で、こんな……」

 

 信じられない、とでもいうように、フランドールは目を瞠り、さらに下がろうとする。

 

「仕方ないのよ、これは。必要なことなの」

 

「……仕方ない?」

 

「ええ。私としてはここの奴らは皆死んでおいてほしいの」

 

 次の瞬間、霊夢は、無数の護符をフランドールに向けて放っていた。

 

「禁忌『レーヴァテイン』っ!」

 

 その宣言と共に召喚された、神の剣の名を冠した炎の刃は、陽炎を揺らめきたたせていた。フランドールがその剣で薙ぎ払うと、霊夢の放った護符は跡形もなく燃え尽きた―かに見えた。

 

「お見事。……でも、防ぎきれてないみたいね」

 

 霊夢の指摘通り、フランドールは右肩、左足に被弾し、命中した部分はずたずたに切り裂かれていた。レーヴァテインでは、すべての攻撃を防ぎきることは、できない。そうなればちくちくと負傷を受け、いずれフランドールが敗れるのは必至だろう。

 

「…………」

 

 フランドールと霊夢はしばらくにらみ合っていたが、フランドールは小悪魔を見おろして顔を歪めると、くるりと踵を返し、走り始めた。

 

「あ、ちょ、待ちなさい! ちゃんと殺してあげるから!」

 

 おそらく、図書館から脱出してレミリアの元へ向かおうというのだろう。外はまだ太陽が出ており、館の外に出られる心配はない。フランドールは単独で戦うのを諦め、姉やパチュリーと共に戦うことを決めたのだ。

 

「小賢しいわね」

 

 本棚が多すぎるため、フランドールを追うのには適さない。もっと追いやすい場所が、どこかにあれば―

 

「そうだ、もう脱出させてあげましょうか」

 

 霊夢は静かに微笑んだ。

 

 

 なんで、なんで、なんで、なんで………

 

 走りながら、フランドールは心の中で誰が答えるわけでもない問いを発し続けていた。

 

 霊夢が、小悪魔を、美鈴を殺した。

 

「嘘……嘘だ……」

 

 フランドールは呟いて、これが夢であったならどんなにいいかと思った。しかし霊夢は目の前で小悪魔を惨殺し、フランドールに向けて殺意のこもった護符を放って攻撃してきたのである。背後から聞こえてきた、「ちゃんと殺してあげるから」という言葉が、今でも脳裏にこびりついて離れない。

 

霊夢は、もう敵なのだ。

 

 フランドールは図書館を出ると、すぐさま二階へ跳躍した。

 

「待ちなさい!」

 

 背後から霊夢の鋭い声が聞こえてきた。咄嗟に身を躱すと、先ほどまでフランドールのいた空間をいくつもの霊弾が通過し、近くの柱を打ち砕いた。

 

「くっ………」

 

 この場では、逃げるしか手は無い。反撃に出るために止まった瞬間に蜂の巣だろう。フランドールはレミリアと比べて魔術適性の高い吸血鬼だったが、その反面自然治癒力や身体能力では姉より劣る。言うなればフランドールは魔術師タイプ、レミリアは戦士タイプの吸血鬼だった。

 

真正面から霊夢に挑めば、レミリアならともかくフランドールは攻撃に耐えきれない。かといって先手必勝と霊夢の〝目〟を集めて破壊する、つまり殺すことはできない。殺せば、幻想郷が終わるのだ。

 

 高い攻撃力を誇るがゆえに、フランドールは霊夢を攻撃することができない。フランドールは唇を噛んで、悔しさを飲み下した。

 

 二階の通路にたどり着くと、フランドールは姉の部屋へ走りはじめた。道順は覚えている。そこにさえ行けば―

 

その時、足に凄まじい衝撃を感じた。

 

「なっ………」

 

 見下ろすと、右足が吹き飛んでいた。

 

 バランスを崩し、フランドールは前につんのめった。足の激痛が神経系を貫き、フランドールは悶絶した。

 

 フランドールの身体能力を鑑みると、屋敷の中を移動するならば飛ぶよりも走るほうが速いのだが、それは失策だった。霊夢から見ると、いくら足が速いと言っても飛行中と違って足は狙いがつけやすいのである。

 

「よし、おーけーおーけー」

 

 霊夢がひたひたと走り寄ってくる。死神の足音を聞きながら、フランドールは何とか飛んで逃げようと必死に試みたが、もう逃げ切ることはできないだろう。

 

 霊夢はフランドールの体を押さえつけ、動けないようにした。膂力はフランドールが遥かに勝っているが、少しでも動けば、その瞬間に霊夢は躊躇なくフランドールを殺すだろう。抵抗は出来なかった。

 

「これで三人目かしらね。死んでもらいますかっと……」

 

 霊夢の取り出した何本もの針の切っ先に、フランドールは目を釘付けにされた。

 

「吸血鬼って心臓に杭打たれれば死ぬのよね? こういう針ならどうかしら?」

 

「………やめて」

 

 霊夢は、フランドールの心臓に針を突き刺すと言っているのだ。そしてもちろん、刺されれば死ぬ。自分の胸を貫き、心臓を停止させる致死の針が、目の前に突き出されている。

 

「やめてやめてやめて! 私が何をしたの⁉ ねえ、答えてよ!」

 

 泣き叫ぶフランドールを、霊夢は子供をあやすようににっこりと笑って、

 

「何もしてないわ。でもごめんね、フランが死なないと、私が困るの」

 

 もはや、霊夢は理解不能の存在だった。フランドールは涙で潤んだ眼で、霊夢を見上げた。

 

「さて、いつまでもこうしていても仕方ないし……じゃあね」

 

 霊夢は、フランドールの胸めがけて、針を突き下ろした。

 

 

 

「時符『プライベートスクウェア』」

 

 

 

 目を瞑ったフランドールは、いつまで経っても死の痛みを感じないことを不思議に思って、そっと目を開けた。

 

「お逃げください、妹様」

 

 メイド服のスカートが翻り、握っている銀のナイフの煌めきが、目に映った。

 

「咲夜………」

 

 間一髪、咲夜は針が振り下ろされる前に時間を止め、フランドールを退避させた。咲夜は、フランドールを後ろに庇いながら、霊夢を睨む。

 

「まさかあなたが………」

 

「そうよ。意外だった?」

 

 霊夢はフランドールを仕留めそこなったことへの怒りなどはないようで、普通に応じた。

 

「別に。でも博麗の巫女は異変を起こしちゃならなかったはずよ。いや……もうこれは異変じゃないわね」

 

「……どうでもいいでしょ。異変かどうかなんて。死ねばあんたには関係ない事よ」

 

 霊夢と対峙しながら、咲夜は小声でフランドールに囁いた。

 

(妹様、早くレミリア様の部屋へ急いでください。パチュリー様が強固な結界を張っています。そこへ逃げれば安全です。もう飛べますね?)

 

(ええ、何とか逃げられるわ。咲夜はどうするの?)

 

(どうにかなります。さあ早く)

 

 頷くと、フランドールは自分の出せる最高速度でその場を飛び去った。ただし、

 

「禁忌『フォーオブアカインド』」

 

 ()()()()()()()()()。そのうちの一人を咲夜の元へ置いてきた。おそらく咲夜とフランドールの分身は勝てないが、霊夢が追ってくるまでに()()()()()()()()を楯にして、なんとかレミリアの部屋へたどり着かなくてはならない。

 

 フランドールは後ろを見ず、翔んだ。

 

 

 

 




 というわけで殺戮パートへ突入したはいいんですが、どうにもアクションが書けてないですよね……精進して、動きのある文をもっと書けるようになりたいです。
 それと、もし前回の魂の破壊について、こじつけのように見えた人は、一話に一応言及がありますのでそれで納得してください!


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屍山を越え、血河を渡る

 

 

 

 咲夜とフランドールの分身は、たたずむ霊夢を見つめながら、微動だにしなかった。

 

 咲夜はもう〝フランドールを生き残らせる〟という任務は完了した。あとは〝レミリアの元にフランドールを無事に送り届ける〟ことができれば、自分はどうなってもいい。レミリア、パチュリー、フランドールの3人が集まれば、霊夢にだって勝つ方法はいくらでもあるはずだ。

 

 咲夜はその布陣を揃えるための、いわゆる捨て駒となるのだ。咲夜に指示を出したレミリアはそれを望んだわけでは無いだろうが、霊夢を相手に、しかも端から殺しにかかってくる博麗の巫女を、咲夜にどうこうすることができるはずが無い。

 

 だが、霊夢を楽に勝たせる気はさらさら無かった。

 

(妹様。霊夢の腕だけを破壊することなどは、できないでしょうか)

 

(できないことも無いだろうけど……時間がかかるし、死なないかしら?)

 

 フランドールの分身は、心配するように答えた。咲夜にとってこのフランドールの分身は、途轍もなく心強い味方である。フランドールが咲夜の身を案じて置いて行った分身は、本人と全く同じ能力や魔法を行使することができるからだ。

 

(大丈夫です。血止めなら私ができますし、ちゃんと処置すれば腕一本じゃ人は死にません)

 

 自分たちを皆殺しにしようとしている相手の身を案じなくてはならないというのはどういう皮肉なのか、と咲夜は思う。霊夢は少し苛立っているのか、

 

「さっきからこそこそ喋っちゃって……私も混ぜてもらえないかしらね」

 

「ごめんなさいね。ちょっとあなたをサプライズパーティーに招待したくてね」

 

  微笑しながら、咲夜は宣言せずに時を止めた。

 

 咲夜の能力の真骨頂は、相手が認識せぬ間に行動できることで、そのアクションを起こすことをわざわざ宣言するスペルカードルールではその真価は発揮できない。普通なら御法度の使い方だが、先に幻想郷の決闘法を侮辱し、美鈴を殺したのは霊夢の方なので、咲夜はこの〝禁じ手〟を使うのに躊躇しなかった。

 

 霊夢の目の前に無数のナイフを投擲し、更に側面に2本、背後に3本、死角に1本。ナイフは時を止めている間は物体に干渉できないので、ぴたり、と霊夢に触れる瞬間に止まった。

 

 致命傷にはならないが、当たれば動けなくなる場所を選び、ナイフを投げた。咲夜は霊夢の後ろに回り込んで、時間停止を解除する。

 

「なっ……!」

 

 霊夢は、驚きの声を上げる。直後、無数のナイフの、鈍い輝きが霊夢の身体を覆った。仕留めたか、と思ったが、ナイフは寸前で霊夢の見えない壁に阻まれ、力なく落ちた。

 

「結界か……!」

 

「そうよ。惜しかったわね。せめて私が結界を展開する前にナイフが刺さるぐらい速く投げないと」

 

 霊夢は、楽しげに言った。この怪物め、と咲夜は内心舌打ちをしたくなった。霊夢に投げたナイフは霊夢と接触するぎりぎりの、ほとんどゼロ距離だったのだ。それが体に刺さる前に結界を展開するなど、神業に等しい。

 

「……でも、引っかかってくれてよかった」

 

「は?」

 

 霊夢がいぶかしげな声を上げた刹那。ぶしゃ、という音と共に霊夢の手が赤黒い液体を迸らせた。霊夢は、自分の人差し指が破裂しているのを認識した。咲夜はフランドールから気を逸らすための囮に過ぎず、まんまと霊夢はそれに引っかかったわけである。

 

「ああっ……!」

 

 霊夢は悲鳴をあげ、自身の人差し指を、いや、それのあったところを凝視し、次いでフランドールを睨みつけた。先ほどまでの不気味な笑いは消し飛び、純粋な殺意のみが、その視線に込められている。

 

「何よ……! 美鈴と、小悪魔を殺したくせに! なんでそんな目で、私を見るの!」

 

 フランドールの分身が叫んだ。

 

「………てやる」

 

 霊夢が呟く。

 

「何ていったか分からないけど、次は片腕一本を……」

 

「殺してやる!」

 

 霊夢は激昂し、床を蹴った。能力で極限まで加速した霊夢は、吸血鬼の動体視力でとらえ切れないほどのスピードでフランドールに肉薄する。手には、あの鋭い針を持っていた。

 

「妹様!」

 

 咲夜は叫んで霊夢の背中にナイフを投げつけようとし、初めて自分の身体が自由に動かなくなっていることに気付いた。投げようとしたナイフは咲夜の腕が途中で止まったため、力なく床に落ちていく。

 

 まさか、これも結界なのか。

 

 咲夜は、霊夢の張った結界の内部にいた。霊夢は自分だけでなく、他の場所に結界を張ることができるが、自分の周りに展開するとき以外は結界がその場所に固定されてしまう、という制限がつく。

 

 これは、敵を閉じ込めるという使い方として、逆用することができる弱点だった。通常の決闘法では使わない手であるので、咲夜に見抜けるはずも無かった。霊夢もまた、〝禁じ手〟を使っていたのである。

 

 やけに大きく、取り落としたナイフが床を叩く音が聞こえる。声にならない悲鳴が咲夜の喉から出て―

 

 どす。

 

 フランドールの分身の胸に、針が突き刺ささる。分身は、胸を掻きむしるような動作をした後、力なく倒れた。

 

「そんな……」

 

 咲夜自身は結界に拘束され、フランドールの分身は死んでしまっている。到底勝ち目があるはずもなく、一種の諦念が咲夜を支配していた。

 

「………あなたの勝ちよ、霊夢。どうせ私も殺すんでしょ。さっさとやりなさい」

 

 霊夢は、はあはあと荒い息をつきながら、咲夜には一瞥もせず、言った。

 

「いや、今はあんたなんかにかまけている暇は無いわ。おとなしくしてなさいな」

 

 霊夢はフランドールを追撃するつもりなのだろう。動けない咲夜を後回しに、標的を優先して仕留める、というのは非常に合理的な判断である。

 

(妹様…………)

 

 フランドールは、無事にレミリアの部屋にたどり着けるだろうか。それとも……

 

 咲夜にできることは、フランドールがレミリアの部屋にたどり着けていることを祈る事だけとなっていた。霊夢が飛んで行く先を見送り、咲夜は固く目を瞑った。

 

 

 

 

 

(あと少し、あと少し……)

 

 フランドールは、後ろに二人の影武者を連れ、廊下を飛んでいた。もっとも、霊夢からすれば足が無いフランドールが本体なので、見分けるまでもないことなのかもしれないが。

 

 ともあれ、レミリアの部屋に逃げさえすれば希望はある。霊夢とてレミリア、パチュリー、フランドールの3人と同時に真っ向勝負ができるとは考えないだろう。

 

 しかし、フランドールの楽観的な思考をあざ笑うかのように―

 

 突然後ろで、爆発音がした。

 

「え………?」

 

 フランドールが振り返ると、霊夢が凄まじい速度で追ってきていた。いつもののんびりとした飛行ではなく、獲物を発見したときの、狩人のような圧倒的なスピードで。

 

 霊夢の放ったアミュレットは影武者その1を屠り、その2の肩に傷を負わせていた。

 

「まさかこんなに早く追ってくるなんて……」

 

 フランドールは、絶望の声を上げた。

 

 あともう少し、あともう少しなのに。

 

 再び、轟音が響いた。影武者その2が、無数の霊弾をくらい、ばったりと倒れた。今残っているのは、自分だけだった。

 

 咲夜は。置いてきた分身は、負けたのか。

 

 腕を掠め、霊夢の封魔針が飛んでいく。

 

 もう、たどり着くのは無理だ。

 

 ここで追いつかれてしまっては、もうレミリアの部屋には行けない。逃げ続けるだけ、時間の無駄である。少し逡巡したが、フランドールは、きっと唇を結び立ち止まった。振り向いて、迫りくる霊夢に手を伸ばした。

 

 刹那、フランドールの心臓を霊弾が吹き飛ばし、

 

 フランドールの能力が、霊夢の左腕を血煙に変えていた。

 

 ばしゃり、と音をたててフランドールは自らの作った赤い水たまりの上に倒れこんだ。体内の血をふんだんに使った温かい池の中で、意識が遠くなっていく。霊夢の叫びを聞きながら、フランドールは最後に、頼りになる〝アイツ〟の姿を思い浮かべて、笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数分前 妖怪の山

 

「おい、射命丸はいるか‼」

 

 魔理沙は、妖怪の山へ来ていた。しかし魔理沙がいるのは幻想郷の勢力で最も排他的な天狗たちのエリアである。侵入者として排除しようとしてくる白狼天狗を退けながら、魔理沙は何度も射命丸はどこだ、と叫んだ。

 

「あややや、どうしました、魔理沙さん」

 

 頭上から声が聞こえてきて、魔理沙を取り押さえようとする白狼天狗が、さっと退いた。見上げると、例の烏天狗の姿が目に映った。呼んでいた射命丸文である。

 

「大至急、号外を作ってくれ」

 

「依頼ですか? 珍しいですね。大至急というのなら1日ほどかかりますが……」

 

「1時間以内にやるんだぜ」

 

「は? そんな無茶な……私、書くのは早いけど印刷するのには河童印刷術……じゃなかった、活版印刷術とやらを使わないといけませんし……それも河童の方々との交渉をですね―」

 

「うるせえ! 今は緊急事態なんだ、私の言う内容を全勢力に届けてくれ。自慢のスピードはどうしたんだよ」

 

「……いいですよ。そんなに言うんなら、幻想郷最速の力を見せてあげましょう。……しかし、何がそんなに緊急事態なんです?」

 

「霊夢が異変を起こした」

 

 魔理沙の一言で、射命丸がいつも浮かべているにやにや笑いが、フリーズした。

 

「私の知る限りで正邪、アリス、鈴仙、永琳、輝夜を殺してる」

 

「冗談ですよね?」

 

「冗談でわざわざ天狗の領域に来るわけないだろ。正真正銘の緊急事態だぜ」

 

「………わかりました。30分以内に全ての勢力に通達を行います。………ところで、今は霊夢さん…いや、霊夢はどこにいるのですか」

 

「それは………」

 

 答えようとして、魔理沙ははっとした。霊夢はおそらく、紅魔館へ向かった。現在すでに霊夢の襲撃を受けている最中かもしれない。おそらく、紅魔館に射命丸の通達が来る頃には紅魔館での戦いの帰趨は決まってしまっているだろう。それが、霊夢の勝利とならないことを祈るのみである。

 

「霊夢がいるのは紅魔館だ。もう紅魔館に通達は必要ない」

 

 むざむざとあの連中が負けるとは思えないが、紅魔館は伝達が来る前に霊夢が来ているので、対応の暇すら無かったかもしれない。おまけに、紅魔館の者たちは強者ばかりだ。それがかえって、彼女らの腕を縛ってしまうことになるかもしれない。

 

(頼む……持ちこたえてくれよ、レミリア……)

 

 魔理沙は帽子を深く被り、再び箒に跨った。

 

「魔理沙さんはどちらへ?」

 

「………(キング)の確保だぜ。藍を守らないと、霊夢に勝つ望みはまずない」

 

 

 

 

 

 

 

 

「音が止んだ……」

 

 レミリアは、普通の人間よりも優れた聴覚をもって、館内の戦闘が終結したことを知った。爆発や、館内の壁や柱の破壊される音はもう聞こえてこない。咲夜や小悪魔が交戦していたのか、それともフランドールが、或いはその両方か。

 

 どちらが勝ったにせよ、戦いが終わったのであれば、勝者がここに来るのは間違いない。レミリアは深く息を吸い込んだ。

 

「結局、フランは来なかったわね」

 

 パチュリーは、心配そうに呟く。そう、レミリアが気にかけているのはそれだった。咲夜は通路の安全を確保せよという命令を出したため侵入者を倒す前に引き返してくるというのはありえないが、フランドールには〝レミリアの部屋に来る〟という目的があった。

 

それを伝える小悪魔がフランドールに会う前に侵入者の手にかかっていればその限りではないが、レミリアの指示が伝わっていればここへ向かっていただろう。それが無いということは、フランドールはすでに―

 

 レミリアは頭を振って、無理やりその可能性をひっぺがした。そんなことは断じてない、あっていいはずが無い―

 

「私が、フランを探しに行けばよかったのかな」

 

 ぽつり、と言葉が漏れ出た。

 

「何言ってるの、もしあなたがここに居なかったら作戦は破綻する。レミィは、正しい判断をしたわ」

 

「………そうね」

 

 パチュリーは、最高の防御力を持つ結界をレミリアの部屋に展開していた。魔力、霊力、妖力を源とする技ならなんでもはじく、無敵の結界である。

 

美鈴を殺せるほどの敵に対して、レミリアはこの結界に閉じこもり、やって来た敵をフランドールの能力で粉砕する、という至ってシンプルな作戦を立てていた。

 

 しかし、それには問題がいくつかあった。1つ目は、結界が魔術系の攻撃を防ぐが、物理的な攻撃は阻めないこと。つまり、パチュリーだけでは近づいてきた敵に抵抗できず、斬られる、殴打されるなどの攻撃に対抗できないため、レミリアが傍について護衛する必要があった。

 

 2つ目は、魔力や妖力を使った攻撃が結界内部からできないこと。つまり、レミリアはグングニルを結界の外にいる敵に当てることは不可能だし、パチュリーの魔術も行使できない。

 

唯一フランドールの破壊の能力だけはその制限を受けないので、結界に守られながら、圧倒的な攻撃力で敵を粉砕できるのだ。

 

 3つ目に、結界を一度展開してしまうとパチュリーがその場から動けなくなってしまうこと。これが無ければレミリアはパチュリーを伴ってフランドールの方へ自ら出向いていただろう。

 

「過ぎたことを言ってもどうしようもないわ。とにかく、待ちましょう」

 

 ええ、とレミリアが答えようとした時、空気が変わるのを感じた。ぴりぴりとした殺気が伝わってくる。咲夜でもフランドールでもない、鋭利で、鋼を研ぎ澄ましたかのような凄まじさを備えたそれは、レミリアの頬をひと撫でしていった。

 

「……レミィ」

 

「分かってるわ」

 

 レミリアは、武器―結界を通り抜け、相手を攻撃できる鉄槍を握りしめ、頷いた。廊下を歩く音が聞こえる。咲夜の落ち着いた足音でも、フランドールの軽い足音でも小悪魔の急くような足音でもない。

 

(どうやら敵の勝利に終わったようね)

 

 レミリアはぎりと歯を食いしばった。おそらく、咲夜とフランドールはこいつによって殺された。言葉にならない悔しさが、レミリアの胸を満たしていく。それは同時に、〝敵〟への憎悪へとすり替わった。

 

 殺す。何としてでも。

 

 こつ、こつと廊下からはっきり音が聞こえてくる。そして、ドアの前で、立ち止まった。

 

「死ね」

 

 レミリアの喉から冷ややかに発せられた声が敵に届く前に、鋼鉄の槍は持ち主の腕を離れ、扉に到達していた。

 

 そして圧倒的なパワーによって投擲されたそれはやすやすとドアを破り、向こうにいる者ごと、貫いた。

 

 わずかに呻く声が聞こえ、静かになった。

 

(手ごたえは……あった)

 

 敵は昆虫標本のようになっているに違いない。レミリアは、ドアに近づき、敵の姿を見ようとして、ぎょっとした。

 

 扉が勝手に開き始めたのだ。

 

「……もう、私の姿も見ずにこんなことするなんて、もし当たってたらあんたも死んでたのよ?」

 

「…………霊夢?」

 

 レミリアは、ほっとした。霊夢が、助けに来てくれたのだろうか。しかし人間の味方なのに妖怪であるレミリアを助けるとは、どういう風の吹き回しなのだろうか―

 

 しかし、霊夢がドアを開ききって、目にした〝それ〟は、レミリアの希望的観測を容易に打ち砕いた。

 

 ぴちゃり、と何かが滴った。

 

「………咲夜?」

 

 咲夜は、声の洩れぬよう猿ぐつわをされ、腕と足を縛られていた。後ろの襟をつかみ、霊夢が持ち上げている。そして、咲夜の胸には、レミリアの投げた鉄槍が深々と突き刺さっていた。

 

 猿ぐつわをしていた白い布が、咲夜の吐いた血で赤く染まっていく。胸の傷は恐ろしい深さで、心臓が鼓動するたびに血が噴き出していた。

 

「咲夜、咲夜……!」

 

 レミリアは呼び掛けたが、もはや咲夜の瞳は光を失いつつあり、答えようとしてもごぼごぼと血が多く吐き出されるだけで、何も伝えられない。咲夜は、弱弱しくレミリアに向かって伸ばした手を、ぱたりと落とした。

 

「………ははっ、傑作よね! 一生懸命戦った従者を葬り去るレミリア! セリフは〝無能は死ね〟とかどう? ああ、でも射命丸ならもっと面白可笑しくできるかもしれないわね、ふふ」

 

 霊夢は息だえた咲夜を放り棄てると、大笑いしてレミリアとパチュリーを眺めやった。

 

「貴様っ………!」

 

 レミリアは笑い転げる霊夢を睨みつける。こいつは、敵だ。レミリアの攻撃を予想して、わざわざ咲夜を楯にして備えていたのだ。美鈴も、小悪魔も、おそらくはフランドールも、霊夢の手にかかって殺されたに違いない。

 

「もう、あんたが殺したんだから、もっと悲しめばいいのに。……それとも何? どうせすぐあの世で会えるから、寂しくないの?」

 

「ふざけるなっ!」

 

 レミリアは怒鳴りつけた。こいつだけは、許せない。絶対に、レミリアの従者たち―いや、家族を殺したことを後悔させてやる。

 

「……すっかりやる気ね。いいわ。もう前菜も飽きたし、メインデッシュをいただきましょうか」

 

 

 

 

 

 




 だんだんやばい領域に向かっているような気がしますが、できるだけ暗すぎない展開を心がけたいと思っている次第です。そのうちほのぼのした短編も書いてみたい……
 そう思いながらもなかなか時間が取れず、ここを更新するので精一杯なのでまだまだ先になりそうですが。


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And then there were none…

 

 

 紅と白の組み合わせを美しいと思ったのは、あの異変からだった。色とりどりの弾幕を躱しながらも一際目立つ巫女装束。初めて霊夢と対峙したとき、レミリアはその人間としての在り様を途方もなく美しいと感じたのである。

 

 

 

 

「霊符『夢想封印』」

 

 練りこまれた霊力がいくつもの球に変じ、標的―レミリアに向かって殺到した。レミリアは防御の姿勢を取りもせず、それを眺め、呟いた。

 

「つまらん」

 

 レミリアの目の前で光球がはじけ、炸裂し、紅魔館を揺るがすほどの衝撃を生んだ。強烈な光の残滓が消え去り、霊夢の眼がレミリアの生死を確認しようと細められ、次いでまん丸に見開かれた。

 

「貴様はこれしか能が無いのか? 最初にこれを食らった時よりも遥かにぬるい」

 

 レミリアは、全くの無傷で、着弾の前から少しも動かずそこに立っていた。普段からは想像もできないような鋭い眼光で霊夢を見据え、吐き出すように続ける。

 

「博麗の巫女もずいぶんと落ちぶれたものだな。自慢の技で吸血鬼一匹も仕留められぬとは」

 

「どうせパチュリーの結界でしょう。あんたの実力で防いだわけじゃないでしょうに、よく言うわ」

 

 言いながらも、霊夢は自信のある一撃を完封され、内心舌を巻いていた。

 この結界は掛け値なしに硬い。霊夢の夢想封印を簡単に跳ね返したこともあり、普通の攻撃では軒並み歯が立たないだろう。

 

「どうした? もう手詰まりなのか?」

 

 レミリアは、やおら右手を持ち上げた。しゅばっ、という音とともに、緋色に輝く槍が召喚される。〝スピア・ザ・グングニル〟フランドールのレーヴァテインと同じく、神話に登場する武器の銘を持つ槍である。

 

「もし来ないなら、私はいくらでも待つが……どうせ、時間が経って不利になるのは霊夢、貴様の方だろう。いくらお前が強いと言っても、あのスキマ妖怪には勝てまい。あれが冬眠から覚めぬうちに、ことを済ませようとしているのではないか?」

 

「それはあんたの勝手な希望的観測ね。生憎、私はそのスキマ妖怪の命令で、退治ではなく討伐しろという話を聞いて来たのよ」

 

「見え見えのハッタリだな」

 

 レミリアは、鼻で笑い飛ばした。霊夢もレミリアが信じるとは思わなかったが、レミリアの指摘が痛いところをついたので、半ば自衛的に嘘をついたのである。実際、最初の襲撃が完了しないことには、挟み撃ちの危険があるため、別の勢力を襲いに行くわけにはいかない。そうしてぐずぐずしていると藍の殺害どころではなくなり、計画に破綻が生じてしまうのだ。

 

 このまま睨み合いが続くと、不利になるのは霊夢である。どうにかして打開する方法はないものか―

 

 その時霊夢は、気が付いた。

 

 レミリアは何故こちらに槍を投擲しないのか。パチュリーも攻撃は行っていないが、これほどの頑丈さを持つ結界には、例えパチュリーほどの魔女であってもそれの維持に手一杯になると考えれば、不自然ではない。しかし、レミリアであればそれは可能なはずで、先ほどは扉越しの一投を放ち、侵入者を仕留めようとしていた。

 

 下手に攻撃して霊夢を殺すのはまずいと考えているのであってもレミリアなら霊夢の四肢を切り落として行動不能にしたり吸血して見動きできなくすることくらいは思いつくだろう。

 だが、レミリアは接近戦を挑んでくるでもなく、結界内で霊夢の仕掛けを待っている。

 

 これが、〝攻撃しない〟のではなく、〝攻撃できない〟のだったら?

 

 先ほどは、今レミリアの持っているグングニルではなく、わざわざ人里の武具屋で買った鉄槍を投げてきた。それの意味することとは―

 

「なるほど、見えたわ」

 

 

 

 

 霊夢は、レミリアとパチュリー―ではなく、部屋の天井めがけて霊弾を放った。

 

「なっ……」

 

 結界はそれほど広いわけではなく、天井までカバーしていなかった。

 

 爆発が起き、次いで、びしびしと天井の割れる音が響き始める。天井は、もはや自重を支えることもできそうにない。

 

「物質的な攻撃なら、この結界は意味をなさないんでしょう? どうするのかしらね、レミリア」

 

 霊夢は、すでにこちらの弱点を見抜いていた。レミリアは驚愕の念にとらわれる暇もなく、天井を見上げ―

 

 ばき、と一際大きな破砕音が響いた後、放射状にひびが入った。

 

「パチェ!」

 

 レミリアは叫んで、降り注ぐ瓦礫から結界の維持で動けないパチュリーを守るべく、グングニルを消して、駆け寄った。パチュリーの頭上に落ちる岩の破片を両手で打ち払い、砕き、弾き飛ばす。

 

「流石ね。でも忘れてないかしら? 外はまだ……」

 

 瓦礫の雨が収まると、天井に開いた穴から光が差し込んでくる。

 

「しまったっ!」

 

 日光に触れたレミリアの肌が焼けただれ、蒸発していく。どれほどの強さを持っていてもレミリアは吸血鬼としての弱点を克服することはできない。パワフルでありながらも、そういった致命的な弱点を抱えているという、吸血鬼の種族的脆さが露呈していた。

 

「が……あああっ!」

 

 喉も焼けて、まともに声が出せない。レミリアはのたうち回った。顔を上げると、霊夢がにやにやと笑いながら這いつくばるレミリアを見下ろしていた。

 

「レミィ!」

 

 しかしパチュリーは、目の前でバーベキューにされている友人を助けることはできなかった。一歩でも動けば、霊夢が結界の解除を知って、二人の息の根を止めに来るだろう。

 

 その時、レミリアは火だるまになりながらも、床を強く踏みしだいた。

 

「これから床が崩れる。パチェ。備えてくれ」

 

 びしびしとレミリアの足元から床が割れ、ぐらりと揺れた。

 

「落ちるぞ」

 

 轟音とともにレミリアの部屋が崩壊し、そこへいた者は1階に叩き落された。

 

 

 

 

 

 

 レミリアは、はっと目を覚ました。

 

 ほんの数秒、気絶していたらしい。もう少し日光の中に曝されていたなら、いまごろレミリアは回復不可能なまでの火傷を負っていただろう。流石に日光によるダメージであるため、傷の治りが遅い。日光に焼かれる危機は去ったが、この状態で戦うのは難しい。

 

 レミリアが立ち上がろうとした時、ぶつり、と何かを切る音がした。次いで、くぐもった悲鳴。何の音だろう、と思ったが、瓦礫の山で邪魔され、見えない。

 

 そういえば、パチュリーはどうしたのだろうか。姿が見えないが……。

 

 レミリアは不意に悪寒に襲われた。

 

 まさか。今のは、パチュリーの……

 

 瓦礫の山を登ってレミリアが見たのは、仰向けに倒れているパチュリーが霊夢に喉を掻き切られ、その込みから血が噴水となって舞っている光景だった。

 

 霊夢はレミリアに気付き、パチュリーの喉を切った銀色のナイフを見せびらかしていた。

 

「咲夜からちょっと借りたのよ。なかなかいい切れ味ね」

 

 喉を切られ、声も出ずに絶命したパチュリーをすでに意識の外にやってしまったかのように、レミリアに向き直る。

 

「いや、さっきの判断は、パチュリーは死んでもいいから、自分は生き残ろうってことだったんでしょ? パチュリーのことを思うなら、せめて結界を解除させてから床を壊すべきよねー」

 

 霊夢の挑発は、既にレミリアの恨みや憎悪のエネルギーを臨界点まで昇華させ、ついに理性というセーブ装置を吹き飛ばした。レミリアの頭に駆け上ってくる血液の熱は、自らを抑えるには熱すぎた。

 

 すなわち、レミリアを激昂させたのである。

 

「貴様ッ!」

 

 レミリアは右手に新たに槍を召喚し、霊夢に突進した。見れば、霊夢は前の戦闘で失われたのか、左腕がない。左は防御が手薄いのだ。

 

 瞬時にそれを見切ったレミリアは、自身の心を写してよりどす黒い赤に染まった槍を突き出し―

 

 霊夢の心臓を、貫いた。

 

 

 やった。霊夢を、この手で……。

 

 

 レミリアは、霊夢の胸に槍が深々と突き刺さるさまを見て、笑った。

 

 

 皆、皆の仇だ……。

 

 

 しかしその時、レミリアは肉体を突き刺したという感触が無い事に、違和感を覚えた。さらに不可解なことに、霊夢の姿が、消えていく。

 

 レミリアは、怒りのあまり霊夢を殺してはいけないという前提はとうに忘れ、霊夢を殺めることのみを考えていた。それゆえに、気づかなかったのである。霊夢が切り札を切っていたことに。

 

「『夢想天生』よ……惜しかったわね」

 

 夢想天生の発動した現在、レミリアの目で霊夢を視認することは不可能だった。霊夢を最強たらしめる、文字通り無敵の技。一度発動すればあらゆるものから宙に浮き、干渉を受け付けず、さらに姿も見えなくなる、魔理沙に「絶対勝てない」と評させた霊夢の奥の手だった。

 

 霊夢は、空振りで態勢の崩れたレミリアに、容赦なく霊弾を撃ち込み、床にたたきつけた。

 

「霊力消費が激しいからあんまり使いたくなかったんだけどね、まあいいわ」

 

 霊夢はそう言って倒れ伏すレミリアを見下ろした。既に満身創痍で、息をするのでやっとといった体たらくである。霊夢はもはや霊力による攻撃は必要ないと考えたのか、咲夜のナイフを取り出した。レミリアはただそれを見上げ、振り下ろされる時を待つしかなった。

 

「何か言い残すことは?」

 

「………ごめん、咲夜、パチェ、フラ」

 

 レミリアが言い終わる前に、銀のナイフが突き立てられた。ぶしゅっ、とこの戦いを終わらせる合図にしては小さすぎる音がして、静寂が訪れた。

 

 

 

 

「よし、紅魔館はもういいわね」

 

 霊夢は、目標達成を喜び、浮かれ足で紅魔館を出た。妖精メイドは放っておいても何もできないだろうし、紅魔館は完全にその実力とメンバーを失った。攻略にかかった時間は二時間ほど。順調な滑り出しと言えるだろう。

 

「でも手を持ってかれたのは痛かったかな」

 

 霊夢はそう言いながら、ある薬瓶を取り出した。それを飲むと、霊夢の左腕は切り落とされた根元からだんだんと盛り上がっていき、新しい腕を形成した。

 

「うっわ、ちょっと気持ち悪いわね」

 

 飲んだのは、永琳の飲み薬である。本人が飲めばどんな傷でも治せると言っていたのは誇張でも何でもなく、事実だったのだ。残念ながらそれをくれたことへの感謝を彼女に述べることは出来ないが。

 

「でも、眠くなってきたわね……」

 

 短時間ではあったが、なかなか消耗の激しい戦いだった。霊夢はいったんどこかで休んで、休息をとってから活動を再開すべく、休めそうな場所を探し、飛び立った。

 

 

 

 

 霊夢という生ける災害が通り過ぎた後、紅魔館の者たちは死に絶え、静寂のみが支配していた。生命活動を停止させた紅魔館の住民は誰一人として動かず、唯一聞こえるのは、置時計の、かち、かちという秒針の動く音だけだった。

 

 その紅魔館の地下、大図書館で、ことり、と音がした。

 

「音が止んでる………」

 

 奇しくも、レミリアが戦いの前に呟いた一言をなぞるようにその吸血鬼、フランドール・スカーレットが独りごちた。フランドールは最後の分身が殺された際、痛みが本体に伝わり、気絶していたのである。

 

「皆、どうなったんだろう……」

 

 フランドールは、大図書館から一階へと通じる階段を上り始めた。

 

 霊夢に分身も本体も全て殺されたはずのフランドールが生きているのは、わりあい単純な話で、霊夢が図書館に降りてきた時に目にしたフランドールが、分身だったためである。その時すでにフランドールは「フォーオブアカインド」のうち1人を出し、読みたい本を机の上に置かせていたところだった。そのため霊夢はフランドールの本体が隠れている本棚を無視し、フランドールの分身を追って一階へ去っていった。

 

 そして、咲夜がフランドールと合流した際、咲夜はフランドールの逃走の為、おとりとしてフランドールの扮装をした妖精メイドを一人、用意していた。そのため霊夢は、分身と本体で4人揃っていると誤認し、フランドールはその死亡を疑われなかったのである。

 

 フランドールは分身との記憶を共有しているため、その分身が死ぬまでを鮮明に記憶しているが、分身が全て殺されてしまったあとの戦いの経過が分からない。フランドールは、レミリアの部屋へ、急いだ。

 

 レミリアの部屋に着くと、フランドールはその扉の前に打ち捨ててある咲夜の死体を見た。レミリアの持っていた鉄槍が胸を貫通しており、見るも痛々しかった。

 

「………そんな……」

 

 フランドールは、破壊された扉の向こうを見て、床が無い事に気付いた。

 

 天井もすっかり取り払われ、夕暮れの空が見える。差し込む日光に当たらぬよう影を伝って下へ飛び降りる。

 

 そして、そこでフランドールが目にしたのは、パチュリーとレミリアの死体だった。パチュリーは喉を割かれ、レミリアは心臓にナイフが刺さっている。フランドールは、レミリアに取りすがって、揺らした。

 

「起きて、起きてってば」

 

 無論永遠の眠りについたレミリアが目覚めるはずもなく、ただがくがくとフランドールの腕の動きに合わせて、揺れるのみだった。

 

「起きてってばあ……」

 

 ぽとり、と涙が零れ落ちた。

 

「冗談だよね、お姉さま? ねえ、ねえ……!」

 

 フランドールは、レミリアの死体を抱きかかえ、泣き続けた。

 

 

 

 夜になると、フランドールは泣きはらした目を擦りながら、霊夢の襲撃で死んだ者たちを図書館に運び入れ、安置し終えていた。

 

 美鈴、小悪魔、咲夜、パチュリー、そしてレミリア。

 

 フランドールは手ごろな布を全員の顔にかけ、俯いた。

 涙はもう出ない。皆を集める間に、出尽くしてしまった。たった一人残されたフランドールは、一体どうすればよいのだろう……

 

 フランドールは、皆のいる紅魔館を出て、ふらふらと月夜の照らす湖のほとりへ出た。何をしようというわけでは無い。ただ途方に暮れ、歩き回って悲しみと寂しさ、不安を紛らせようというものだった。

 

「……おい、だれかいないか……!」

 

 そんな時、どこからか声が聞こえた。

 

 フランドールは顔を上げ、声のした方向を探した。どうやら声は、湖の方から聞こえているようで、フランドールは水辺に近寄ると、人が一人は入りそうな木箱が浮いていた。

 

「誰かいるの?」

 

「ああ。誰か知らんが、出してくれ」

 

 フランドールは頷いて、木箱を能力で破壊した。木箱そのものを破壊したため、中にいる人物は無事だった。その人物は白く腰まである髪に、赤いリボンをつけていた。彼女は、フランドールの顔を見て、驚いたような顔をした。

 

「まさかこんな簡単に壊すとはね……名前は?」

 

「………フランドール。フランドール・スカーレット」

 

「スカーレットっていうと、ああ、紅魔館の……私はこんなところに沈められてたのか」

 

「あなたは?」

 

「私か? 私は藤原妹紅だ。ちょいとドジ踏んじゃって、こういう有様さ。今、事件がどうなってるのか知らないか?」

 

 妹紅は、困ったように笑った。

 

 

 




 紅魔館編終了です。タイトルは有名な〝そして誰もいなくなった〟です。日本語だと城之内死す、みたいな感じになるので、苦肉の策として英語タイトル、というか原文で代用しました。……まったく関係ない話ですが、グングニルって本来の使用法は投擲らしいですね。トールのミョルニルも投擲武器なので、もしかすると北欧では飛び道具が主武器だったのかもしれません。


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備える者、負けた者、守る者

 

 

「藍、いるか⁉」

 

 魔理沙は、教えられた通り、マヨヒガへやって来ていた。思ったよりも地味な家だったが、それゆえに目立たず、普通では見つけられそうにない。

 

 乱暴に戸を叩くと、魔理沙よりも背の低い、猫のような少女がぴょこりと姿を現した。

 

「ああ、橙。藍はいるか?」

 

 橙と呼ばれた化け猫は頷いた。

 

「藍様から、魔理沙が来た場合は通すように言われているので」

 

 橙に案内され、魔理沙は藍のいるという部屋に入った。

 

「何かあったのか、魔理沙」

 

 藍は、長机に座り、何やら筆で記録をつけているようだった。その手を置き、藍は魔理沙に向かって座りなおす。

 

「それを伝えるために来たのだろう?」

 

「ああ。2人目の犯人が分かった」

 

「やったじゃないか。で、それは?」

 

「霊夢だ」

 

 それを聞いて、藍は、一つ、長い溜息をついた。

 

「確かなんだろうな?」

 

「ああ。私は殺されかけたし」

 

「………最悪の事態だな。こういう場合も考えて魔理沙に連絡を頼んでいたが、まさか本当にこうなるとは。……霊夢はどうしてる?」

 

「多分紅魔館で絶賛戦闘中だ。紅魔館の連中にもあいつは殺せないんだろ?」

 

「ああ。幻想郷そのものを盾にとられれば、誰も迂闊に動けないだろうな。今の霊夢に勝てるのは、紫様以外に誰もおるまい」

 

 その紫は冬眠中で、霊夢の上位者はいない。これもある意味、博麗の巫女に力の集中する、幻想郷の歪みとでもいうべき現象であったかもしれない。霊夢という一個人が、幻想郷を滅ぼしうるのだから。

 

「とにかく、どこかの勢力の所で守ってもらうのが得策なんだぜ。多分、霊夢も物量に対しては弱いと思う。いくら無敵でも、霊力と体力には限界があるはずなんだぜ」

 

「そうだな。だが、制限時間は十五日もある。休みながら戦えば、私たちを仕留めることもできなくは無いだろう」

 

「ああ。だから、その間に戦力は集められるだけ集めておくんだぜ」

 

 何かの本で読んだが、戦いにおいて、戦力の逐次投入ほど愚かしいことはないという。数の利を捨て、相手に各個撃破のチャンスを与えてしまうことになるからである。霊夢を相手どるとなると、それはより顕著になるに違いない。

 

「とにかく、マヨヒガは霊夢に見つけられた場合守りにくいし、言っちゃあ何だが、盾となる人員がいない。戦力も集めたいし、できるだけ近いところ………命蓮寺かな。そこで防備を整えよう」

 

「わかった。その案にのろう」

 

 こうして魔理沙、藍、橙は命蓮寺へ急ぐこととなった。

 

 

 

 

 

 一方その頃、妹紅は魔力の消費が激しく、飛べないフランドールに合わせて歩いていた。目的地はひとまず、永遠亭。慧音が殺人鬼と化している今、妹紅にそれ以外の勢力の相談役は存在しないし、フランドールの話を聞くと、かなり重大な状況の中で目覚めてしまったようであるからだ。

 

 妹紅は慧音に沈められたあと、何とか自力で木箱内の石を隙間から外に出して、木箱を浮かせた。酸欠で何度も死ぬ辛い作業だったが、それをやり遂げ、帰還したのである。沈められていた期間の出来事は分からないため、慧音が犯人ですでに眠らされているということは知らないし、霊夢が第2の犯人として暴れ回っているということも知らなかった。

 

「なにい? 紅魔館の連中はお前以外全員霊夢に殺されたあ?」

 

 フランドールは、何も言わずに頷いた。にわかには信じがたいが、フランドールがそもそもそんな嘘をつく理由が無い。

 

「なんで紅魔館が狙われたんだ?」

 

「……分からない……ただ、殺さないといけないっていわれて……」

 

 実情はフランドールにも分からなかった。レミリアには性格逆転薬の盗難事件が伝わっていたが、フランドールはそれを知らされていなかったので、霊夢が何故襲ってきたのか、という理由とその事件を結びつけることができなかった。

 

「………そうか」

 

 妹紅は、何となく何が起きたのか、察した。おそらく、霊夢は自分が沈められている間に誰か―多分魔理沙だろう―にその正体を暴かれたのだ。当然頭のおかしくなっている彼女が降参するはずもなく、無差別に戦闘を始め、紅魔館はそのあおりを食ったのかもしれない。

 

 妹紅の推理はおおむね正しかった。ただ一つ決定的に違うのは、霊夢が無差別に殺して回っているのではなく、明確な作戦の元に行動していることだった。妹紅は霊夢の想定している〝敵〟が幻想郷であるという発想に至った魔理沙に及ばなかったが、妥当な推理と言える。

 

「私はな、慧音に嵌められて、そこの湖に沈められてたんだ」

 

「なんで死ななかったの?」

 

 妹紅は、また驚いた。自分が不死人だということを知らない者は最近ではほとんど居らず、その問いかけを受けることが無くなって久しかったからだ。

 

「私は、死()ないんだ。呪いの薬を飲んじまって―」

 

「なんでよ!」

 

 フランドールの大声に、妹紅はびくりとした。

 

「なんで、なんでお姉さまは死んだのに、生きているあなたは、死ねないなんて言うの? じゃあ代わりに死んで、お姉さまを生き返らせてよ!」

 

「は……無理だって。そんなこと。私も好きで不死になったわけじゃ……」

 

「ずるいわ! なんで……!」

 

 フランドールは大声で泣き始めた。妹紅はそれを見て、かなり困惑していた。

 

 確か吸血鬼は長命な種族ではなかったか。この外見でも、当主のレミリアが500歳なのだから、このフランドールもそれぐらいの歳をとっているはずである。それなのに、この幼さはなんなのだろう。これではまるで、外見通りの子供ではないか。

 

 今までフランドールとの面識の無かった妹紅は当然、彼女が最近まで閉じ込められていたことを知らない。そのため、このような理不尽に責めてくる吸血鬼の姿に、戸惑っていた。

 

「……ごめんな」

 

「謝ってももう、お姉さまは帰ってこないの。行動で示してよ」

 

「ごめんな」

 

 妹紅は、謝り続けた。フランドールの理不尽な罵声を浴びせられても、ただひたすら、謝った。謝って謝って謝り続けるうち、フランドールは電池が切れたように、倒れた。妹紅は慌ててフランドールを起こそうとして、寝息を立てているのに気づき、後ろに背負った。

 

「ふう……やっと終わったか」

 

 おそらくフランドールは、家族や従者たちを殺され、気が昂っていたのだろう。その哀しみは妹紅には計り知れないが、全く関係のない者に当たり散らすほど、彼女が受け止めるには大きなものだったに違いない。

 

ならば、と妹紅は思う。

 

 ならば、一度吐き出したいだけ吐き出すといい。そして吐き出し切って泥のように眠り、起きた時には、折れていた心はたいてい元に戻ってしまっている。

 

 その目ざめの後、行動するのは自分自身だ。誰かは、味方を見捨ててでも自分の命を守るべく、戦いから逃げ出した。誰かは、因縁の相手を見つけ出して、今も戦い続けている。そして今ここにいる〝誰か〟は―

 

 どちらの道を選ぶのだろうか。

 

 もちろん前者が悪いというわけでは無い。実際その人物は永遠亭で人の命を救う手伝いをしているし、大いに結構なことだろう。だが、妹紅の勝手な想像かもしれないが、彼女には後者の方が向いているのではないか、という予感がある。

 

「……まあ、何にしても、あれだな。永琳に訊けば何とかなるだろ」

 

 空は既に闇が薄れ始め、暁の色に染まりつつある。妹紅は、フランドールに日焼け除けの布を被せた。

 

 

 

 

 

 黎明の空を見上げ、諏訪子と境内の掃除をしながら、東風谷早苗は溜息をついた。いつもなら心躍る風景で、青々とした空の果てに日の光が差しはじめるのを眺めるのは大好きなのだが、今日ばかりは事情が違った。

 

 なんと、霊夢が異変を起こしたのだ。

 

 あのブン屋は、誇張はするが嘘はつかない。普段の誇張癖ならまだしも良かったが、今回は魔理沙の依頼で惑わせるような言葉は入れず、正確な情報のみを載せている、と射命丸に解説されれば、信じざるをえなかった。

 

 しかも、普通の異変とは違う。霊夢は、敵を殺して回っているのだ。幻想郷にやってきたころ、霊夢と対峙したことがあるが、まるで敵わなかった。あれが、本気で殺しにくるとなると、早めに逃げた方がいいのではないか。

 

 神奈子と諏訪子にそう説明したが、2人とも私たち3人が居れば大丈夫だ、というばかりで、一向に逃げようとしない。早苗は知らなかったが、神奈子も諏訪子もこの戦いで藍を死なせてはならないことに気付いていた。

 

 故に、逃げず、山の中腹に陣取っておくことで、守り駒を減らそうと考えている霊夢をおびき出して時間稼ぎ、あわよくば無力化を考えているのだ。

 

「早苗、ため息ついてたら幸せ逃げるよー」

 

「すみません、諏訪子様。でも気が重くって……」

 

「大丈夫大丈夫、私たちもちょっとはプレッシャーだからさ」

 

 言いながらも諏訪子は、飄々とした様子で、微塵も恐れていないようだった。早苗は守屋神社の風祝でありながら現人神という一種の神格を持っているが、生粋の神である守屋の2柱にはまだ実力でも精神でも遠く及ばないらしい。

 

「……そうですね。きっと、神奈子様と諏訪子様がいらっしゃれば、何とかなりますよね」

 

「あたぼうよ。早苗には指一本触れさせやしないしね」

 

 早苗は、自信満々に言い放った諏訪子に少し笑って、

 

「そうですよね。しかもここは妖怪の山の天狗とか、地底の妖怪もいますしね。これだけいれば、何とか……」

 

「いや、それは違う」

 

「え?」

 

「天狗たちの長、つまり天魔は共同戦線を張るのを拒否してる。地底もさとりが地上にでるのを渋っているから出張っていないんだ」

 

「そんな……」

 

 この期に及んで、まだ勢力争いをしているのか、と思ったが、早苗はすぐに思い直した。おそらく、さとりは地上との相互不可侵の取り決めを愚直に遵守し、天魔は硬直した体制社会をこれ以上変化させるのを恐れ、戦いから目を背けようとしているのだ。

 

「共通の脅威がそこまで迫っているってのに、このばらばらっぷりはどうだい。3つも勢力があって、連合もせずに霊夢に立ち向かおうってんだから、笑うしかないよ」

 

「諏訪子様は、霊夢がやってきたらどうするつもりなんですか?」

 

「そりゃあ、最初は天魔の好きにさせるさ。だが、妖怪の山の中に神社がある我々や、入り口がある地底よりも天狗どもが先に攻撃を受けるだろうから、良いところまで戦いが進んだら助けてやるつもりではあるよ。ろくでもない隣人ではあるが、なんだかんだ味方だからねえ」

 

「地底はどうなるんですか?」

 

「さあ。さとりが決断すれば出てくるだろうが、もともと保守的なところがあるからな、あの根暗は。地底に引きこもって徹底防戦を命令するような気がするよ」

 

「そうですか……」

 

「や、諏訪子さんに早苗さん」

 

 その時、ぱたぱたと二つの影が下りてきた。射命丸文と白狼天狗の犬走椛である。

 

「なんだ。射命丸か。なにかあったのか?」

 

「いえ。魔理沙さんからの連絡で、命蓮寺へ椛を連れて行くつもりだったんですが、ついでにここにもよっておこうかと思いまして」

 

「そうか。で、なんだ?」

 

「はい。椛の千里眼で分かったことなんですが、紅魔館で起こった戦いが、紅魔館側の惨敗で終わりました。多分地理的に考えて、次に霊夢が狙うのは妖怪の山でしょう」

 

「……分かった、ありがとう」

 

 射命丸と椛はその後、特に無駄口を叩くわけでも無く、命蓮寺の方角へ飛び立っていった。

 

「明日辺りは、大変なことになるだろうねえ」

 

 諏訪子は、飛んでいく2人を見ながら、呟いた。

 

「……本当に大丈夫なんでしょうか」

 

「さあねえ。でも、全力は尽くすさ」

 

 蒼々とした空は、戦いの行く末を予言するがごとく、黒く渦巻く雲に覆われつつあった。

 

 




 今回は箸休め的な回です。霊夢の休止中に主人公格の魔理沙や、守矢神社、妹紅たちが動き出します。
 ちなみに私としては神主さんの霊夢最強説は半信半疑なのですが、やはりこの13日の金曜日のジェイソン、或いは悪の教典の蓮実聖司みたいな役回りでしっくりくる人は霊夢くらいかなあと思いました。


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断罪と決意

 

 

 フラン、こっちに来なさい……。

 

 懐かしい姉の声。フランドールは、嬉々としてその胸に飛び込んだ。これまで、気が違っていると避け、自分を隔離してきた姉が、大好きだったのにあちらからは触れようともしなかった姉が、初めてフランドールとふれあいを持とうとした瞬間だった。

 

 いままで、檻越しに会うとき、レミリアの瞳の奥に揺蕩(たゆた)っていた同情や哀しみの色は、跡も残さず消え去っていた。これまでただ暗く寒い場所であった地下室は、色を取り戻したように見えた。

 

 抱擁を交わして、レミリアは、

 

 ――よかった……よかった……

 

 と繰り返していた。フランドールは、抱きしめられて嬉しいと思いながら、

 

「何が良かったの?」

 

 とレミリアに訊いた。

 

 ――それは、あなたが生きているからよ。

 

 はっとした。抱擁でレミリアの胸と接している自分の胸に、赤い染みが広がりだしたのだ。フランドールは慌てて体を離し、自分の身体をチェックするが、特におかしいところは何もない。ならば―

 

 フランドールは、レミリアの身体を見て、息を呑んだ。

 

 レミリアの胸には、深々と突き立った銀色のナイフがあり、そこから血が流れていた。

 

――ふふ、良かったわね。あなたは生き残れたのよ……

 

 レミリアは、ナイフが心臓に突き刺さっているにも関わらず、微笑した。

 

 つう。

 

 レミリアの目から、口から、そして傷口から、血が垂れた。

 

 ――でもね、できるだけなら私も助けてほしかったわ。

 

 レミリアの目は白目までもがで真っ赤に染まり、溢れる血がフランドールの足元にまで広がっていく。フランドールは、戻ってきた地下室のうそ寒さに耐えながら、答える。

 

「ごめんなさい! でも、私は……」

 

 がしっ。

 

 フランドールの足を、誰かが掴んだ。

 おそるおそる足元を見ると、咲夜がフランドールの足を掴み、恨みがましく見上げていた。その目にはおよそ生者の光というものはなく、妄執と絶望に彩られていて、フランドールはおもわず、ひっ、と小さい悲鳴をあげた。

 

――妹様……ああ、あなたがもっとしっかりしさえすれば私も死ななくてすんだかもしれませんのに……

 

 咲夜は、口から血を溢れさせながら、呪詛の言葉をフランドールに投げかけた。

 

「やめて! 咲夜はそんなこと……言わない」

 

 それを聞いた咲夜は顔を歪めて、

 

 ――そうですか……あなたは結局、私を本当の意味で理解してはいなかったのですね……あなたが図書館から出てきさえすれば、私は助かった……あなたは我が身可愛さに、図書館から出てこずに、私たちを見殺しにしたのですよ……

 

 咲夜が言い終わるや否や、また誰かの手が、フランドールの足を掴んだ。

 

パチュリーと、美鈴、小悪魔だった。

彼女らは何も言わず、ただフランドールの足を、地面に引き込もうとでもいうかのようにぐいぐいと引っ張っていた。

 

 ――ほら、フラン、やっぱりあなたは人気者ね。皆、寂しいのよ。

 

 レミリアは、優しげな、しかし流れゆく血液のため、凄絶な微笑を浮かべていた。

 

 ――さあ、あなたもこちらへ……。

 

「やめて……私はまだ、しないといけないことが……」

 

 ――しないといけないこと? そんなのどうだっていいわ。あなたも寂しいでしょう? ほら、こちらへ……

 

「やめて! まだ、そっちには……」

 

 ……そう。それならいいわ。無理矢理にでも、あなたを連れて行く。最初は慣れないかもしれないけど、こちらはいいところよ。

 

 レミリアが、フランドールの手を掴んだ。同時に、地面が急に泥のようになり、咲夜たちに引っ張られてフランドールは沈みはじめた。

 

 ――ようこそ……無の世界へ。

 

 

 

 

 

 

「やめて!」

 

 フランドールは、自分の声で目が覚めた。

 

「おう、お目覚めか」

 

 フランドールは目が覚めて、自分が背中に抱えられ、移動をその背中を貸している人物の足に依存している―要するに、おんぶされていることに気が付いた。しかも、自分の上には何故か布がかけられており、それをどけようとすると、フランドールをおぶっている妹紅に、

 

「おっと、今その布をどけると、お前は焼け死んじゃうよ。おとなしくしてな」

 

と言われたので、やめた。ざくざくと地面を踏みしめ、歩く音が聞こえてくる。しばらく無言の時間が続いたが、フランドールの方が沈黙を破った。

 

「………どこに行ってるの?」

 

「永遠亭だ。そこでいろいろ話さないといけないと思ってな」

 

「………そう」

 

 布の間から外を覗き見ると、どうやら竹林の中にいるようだった。おそらく妹紅は、歩き詰めで湖からここまでやってきているのだ。フランドールが居なかったらもっとはやく移動できていたかもしれないが……。

 

「ごめん、妹紅」

 

「ん? 何が?」

 

「……私、ひどい事言っちゃった。妹紅は悪くないのに……」

 

 あの時は、どうかしていた。レミリアの死は、妹紅の責任ではない。いや、むしろ―

 

 フランドールは、先ほどの夢を思い出して、急に心臓が縮むような感覚に襲われた。

 

「気にすんなよ、私が気にしてないから」

 

 妹紅の顔は、背負われているフランドールからは見えない。が、声はいつも通りだった。

 

「そりゃあ、あれだけひどい目にあったら誰でもああなる。だから、仕方ないことなのさ」

 

「でも、今も足手まといに……」

 

「へっちゃらさ。大体、私の仕事の一つは、竹藪の案内だし。これぐらいでへばってちゃ、世話ないね」

 

 妹紅は、はは、と笑うと、道など分かっているというかのように、実際分かっているのだろう、てくてくと歩き続けた。

 

「それで? これからどうするんだ、フラン?」

 

「どうする……って?」

 

「そりゃ、これからのことさ。まさか、あのままずっとあの屋敷で暮らすってわけじゃないだろうね」

 

「……私は………」

 

 先ほど見た、悪夢。あれは、自分だけ生き残ったフランドールへの、罰なのではないか。レミリアは、咲夜は、パチュリーは、本物のフランドールが戦いに参加していれば生き延びることが出来たのではないか。

 

 後悔の念が心の中を渦巻き始める。家族を見殺しにした自分は、これからどういう顔をして生きてゆけばいいのだろう。守ってくれる者も、守る者もいない。これから永劫に近い時を、一人で過ごさなくてはならないのだ。それなら、いっそ―

 

「いっそ、死ぬかい?」

 

「え」

 

「こういうときに人間が取る最も愚かな選択に、自殺というものがある。全く自分が生き残った理由を理解してやしない。ほんと馬鹿だよ。私もね、ずうっと人間を見てきたから分かるが、今のお前、奴らと同じ目をしてたんだよ」

 

 フランドールは、呼吸が浅くなるのを感じた。こいつは、何でもお見通しなのかもしれない。姉のレミリアのように。

 

「もっかい聞くけど、これからどうするんだ?」

 

 妹紅は、試すような声音で、問うてくる。顔はこちらを向いていないが、鋭い眼差しでい竦められたような感覚が体中を走った。

 

「わ、私は……」

 

 あの館でずっと暮らす? それもいいかもしれない。が、そうなると、またあの夢を、悪夢を見続けることになるだろう。今度は、後悔という牢獄に繋がれながら。

 

 そんな余生よりましなのは―

 

「戦う。霊夢と。仇をとる」

 

 少しの間を置いて、妹紅の背中が小刻みに震え始めた。

 

「……いいねえ、やっぱり見込んだ通りだよ。まあ、私も調子に乗ってる霊夢をとっちめないと気が済まないんでね。その話に乗っけてもらうことにした」

 

 くっくっ、と妹紅は笑った。

 

「安心しろ。私はフランドール、お前の復讐を手伝ってやる。私個人としてもいけ好かないやつだし、助けてくれたお礼も兼ねてな」

 

 妹紅は、急ぎ足になっていた。どうやら、目的地が近いらしい。

 

「……ありがとう」

 

 フランドールの言葉に、妹紅は頷き、

 

「こちらこそ。そら、永遠亭についた……ぞ………」

 

 妹紅の声は、途中で消えた。

 

「馬鹿な……」

 

 絞りだしたその声は、深い驚愕を伴っていた。フランドールが被せられた布から外を見ると、イナバたちの死体があちこちに転がっているのが見えた。

 

「まさか、霊夢は先にここを襲撃していたのか……」

 

 結果的に、妹紅は二つの勢力の襲撃跡を見ることができた。時間は前後しているが、この惨劇の第二の目撃者となったわけである。

 

「どうなってるの?」

 

「さあ。私にも一体、何がどうなってるか……」

 

「教えてやろうか」

 

「え………」

 

 その時聞こえてきた声は、懐かしく、そして、今では途方もなくおぞましい変化を遂げたはずの人物のものだった。首を回して、フランドールは声のした方向を見る、そこに立っていたのは―

 

「慧音!」

 

「おはよう、妹紅。あの湖の底から、よく脱出してきてくれた」

 

 慧音はそう言って、微笑んだ。

 

「誰あの人?」

 

 フランドールは慧音と面識がない。妹紅は、手短に答える。

 

「霊夢と同じ、殺人鬼。私を沈めた張本人だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれが命蓮寺だな」

 

 藍は橙を連れ、魔理沙とともに命蓮寺の上空へやって来ていた。かつて幻想郷を騒がした星蓮船が命蓮寺へと変わったのであるが、それが今現在幻想郷の要たる藍を守る最後の砦になろうとは夢にも思わなかった。

 

「魔理沙、伝えてくれてありがとう」

 

「いや、これは仕事の一環だし、それに、まだ決着はついていないんだぜ」

 

 そうだ。まだ礼を言うには早すぎる。霊夢はすでに紅魔館を突破したのか。それともまだ戦っているのか。或いは、魔理沙の推測が外れていて、すぐそこまで迫っているのではないか。

 

 藍は、まだ紅魔館の全滅を知らなかった。魔理沙もそうであったし、情報が最も遅れているという感じは否めない。少し、焦っていた。

 

 藍が命蓮寺の門の前に降り立つと、目の前には聖白蓮、そして豊聡耳神子が立っていた。

 

「久しぶり……というほど長くはないな。あの会議からあまり日は経ってないから」

 

「そうですね。まさかあの時には霊夢さんが犯人だったとは気づきませんでしたが」

 

 どうやら、魔理沙の手回しですでに霊夢の正体は知られているようだった。藍は、魔理沙の手際の良さに舌を巻きつつ、宗教戦争で相争ったこの2名—聖と神子が並び立っているのを見て、驚いた。2人とも穏健ではあるがどちらもお互いに対しては対抗心、というよりライバル意識が強く、揉め事が幾度となくあったのだ。

 

 神子は藍が物珍し気に聖と彼女を眺めるのに苦笑して、

 

「我々もそういつも争うわけにはいかないからな。呉越同舟というやつだ。もっとも、妖怪の山の方面はそうでもないようだが」

 

「妖怪の山?」

 

「まあ、当事者から聞くのが良いだろう」

 

 神子が指さした先に、射命丸と犬走椛がいた。射命丸は、藍ではなく、まず魔理沙に1つ、言った。

 

「魔理沙さん、要望通り、通知を届けてきましたよ」

 

「ご苦労。で、なんでここにいるんだ?」

 

 烏天狗の射命丸、白狼天狗の椛、ともに妖怪の山に属しているはずである。何故こんなところにいるのか。

 

 藍と同じような疑問を抱いたらしく、魔理沙が問う。

 

「わかりました。順序立てて話しましょう。まず、私は椛の千里眼で紅魔館の全滅を確認しました」

 

「………それで?」

 

「この情報を地底、天狗、守屋神社の3つの勢力に伝えたんですが、天狗の長、つまり天魔はこの戦いで守屋、地底と連合することを拒んだのです」

 

「はあ? なんでだよ。博麗の巫女が殺しにくるんだぞ。なんで連合しないんだ」

 

「どうやら、あの頑固おやじは守屋の力を借りるのが面白くないようでしてね。地底のさとりも、地上の厄介ごとには関わりたくないとばかりにだんまりを決め込んでいます。要するに、ばらばらなんです。私は、何度か天魔に他勢力との連携を提案しましたが、却下されました」

 

「で、そいつらを見捨てたってわけか?」

 

「まあ、そういうことになりますね。まだ魔理沙さんの方についてた方が勝率は高いですから。なのでついでにこの子も引き抜いてきたんです」

 

 ぽん、と射命丸は椛の肩に手を置いた、椛は僅かに眉根を寄せただけで、何も言わなかった。あまり仲がいいわけではないらしい。

 

「椛がいれば、敵の接近にいち早く気づけますし、私はここを最後の戦場と見定めたというわけです」

 

 射命丸はふっ、と笑った。

 

「まあつまり、私の予想では妖怪の山の3勢力は霊夢に負けるだろう、ということになりますが。それに、いざというときは私が、藍さんを連れて飛んでいくこともできますし」

 

「そうか。それならだいぶ勝算があるな」

 

「でしょう。それに今、布都さんが風水に基づいて命蓮寺の防備を固める指示を出してますし、ここなら霊夢が来たとしても当分は持ちこたえられるでしょう」

 

「そうか」

 

 これなら勝てるかもしれない。それに霊夢が片づけなくてはならない勢力はまだ残っている。言い方は悪いが、妖怪の山と守屋神社と地底が楯になる間にさらに強固な防御を築くことができるだろう。

 

(霊夢……来るなら来い!)

 

 

 

 

 

 

 

 烏の影がくっきりと地面に落ちている黄昏時、妖怪の山の周辺にある小屋の中で、霊夢は目覚めた。

 

 ふわあ、と一つあくびをすると、外を見た。どうやら丸一日寝ていたらしい。本気の殺し合いと言うのは、体力を予想以上に使うようだった。

 

(……でも、楽しかった)

 

 後始末を考えることなく、思うがままに他の命を弄ぶ。パチュリーの喉を掻き切った時の感触が、レミリアの心臓にナイフを突き立てた感触が、未だ手に生々しく残っている。

 

 あの時の彼女らの顔を思い出して、霊夢は歓喜に震えた。

 

 ああ、なんとすばらしい表情だろうか。里一番の芸術家にも、これほど見ていて清々しい、そして深みのある美は生み出せないであろう。

 

 それに、血しぶきも美しい。血液が心臓の拍動によって空中に散らされるさまは、まさに花火のような、残せない美しさというものだった。一瞬の輝きをもつ生命の象徴とも言えるそれは霊夢にとっては、荒廃した砂漠に落とされた、天上の甘露のようなものだった。

 

 それらを味わうのは、何よりも代えがたい欲求となって、歪められた霊夢を突き動かそうとしている。

 

 もっと。もっと、もっと、もっと殺したい。

 

 血の味を覚えてしまった博麗の巫女は、再び惨禍をもたらすべく、妖怪の山へ飛び立った。

 

 

 

 




 本当かどうか知りませんが、熊が1度人を襲うと人食いの猛獣になるのは、血液に含まれる塩分が他の動物よりも多いから、それに味をしめるからだそうで……。殺人鬼の場合は、脳内麻薬に味をしめてるんでしょうかね……
 というわけで次回からお話は動き始めます。最初30話くらいで終わるつもりでしたが、書いてみるとまだ続きそうな気配です。


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神話と神堕ろし

 

 

 

 夕暮れの中、一人の白狼天狗が、山の斜面を駆け下りていた。空を飛べば烏天狗とまではいかないもののスピードは出る。だが、今この状況で空を飛べば、狙ってくださいと言っているようなものだ。何しろ、敵はあの博麗の巫女なのだから。

 

 妖怪の山でも実力者として知られている射命丸が慌て、息せききって配っていた、〝号外〟には博麗の巫女が本気の戦いを始めようとしていると書いてあったが、あれは本当だったのだ。

 

 数十分前、博麗の巫女は白狼天狗の警備隊の前に堂々と姿を現した。その様子はいつもとあまり変わらないようで、通達を知らなかった者は、巫女にこれ以上山の領域に入らないよう注意しようとして、近づいた。

 

 その瞬間、近づいた白狼天狗は全感覚を永久に喪失した。巫女が放った霊弾を喰らい、頭を吹き飛ばされたのである。

 

 すぐに、巫女は白狼天狗たちに襲い掛かった。ただでさえ力量に差のある相手であるうえ、殺してはならないという制約のため、戦いは白狼天狗がなすすべなく薙ぎ倒されていくという一方的な展開になった。

 

 これは、采配ミスでこの犠牲になった最初の一隊にまで巫女の豹変についての情報が行き渡っておらず、不意を衝かれてしまったという事情もある。ある意味天狗たちの怠慢が招いた結果だったのかもしれない。

 

 そして自分は、天狗の長、天魔に率いられ、巫女と戦い―無残に敗れ去った。

 

 巫女の圧倒的な霊力から生み出される攻撃は、盾をまるで紙のように突き破り、本来頑丈であるはずの妖怪の身体を楽々と吹き飛ばす。集められた白狼天狗や烏天狗たちは、その理不尽なまでの火力に曝され、壊滅した。

 

 何とか私は生き延びたが、左腕と右耳が無くなってしまっていた。これでもまだ運のいい方だろう。なにしろ、両腕両足が爆発に持っていかれ、達磨(だるま)のようになってしまったものもいるのだから。こうなってしまうと、生きている方が酷だろう。

 

 この騒ぎを伝達した射命丸は、どうやら逃げたらしく、烏天狗たちの中にはいなかった。また、何故か同僚の犬走椛の姿も見当たらなかった。もしかすると、すでにどこかであの怪物―博麗の巫女に殺されたのかもしれない。

 

 そして、天狗たちの頂点に立つはずの天魔までもが、敗れた。

 

 率いていた天狗のほとんどが死に、潰走を始めていたため、天魔と巫女の対決はいきおい一騎打ちの形となった。技と秘術を尽くした戦いは、死闘の末、博麗の巫女が勝利したのだ。

 

 こうして天魔までもが死に、妖怪の山に住む天狗や河童などは、山から逃げちって巫女から逃れようとしていた。そして、自分もその一人だった。

 

「だけど……!」

 

 背後で、風を切る音が聞こえた。

 反応する前に、飛来した護符が私の肩に命中し、針で刺し貫かれたような鋭利な痛みが走った。

 

 思わず、振り向く。博麗の巫女は、目と鼻の先にまで迫って来ていた。

 

「死ね」

 

 死神の宣告とともに巫女の放ったアミュレットは、凶悪な輝きを有し、私に猛然と襲い掛かり―

 

 空中で、停まった。

 

「え……?」

 

 アミュレットは、私の額、心臓、太ももの付け根、腹に到達して致命傷を負わせる前に、まるで時の止まってしまったかのように、動きを止めた。

 

 巫女も、驚いた様子だったが、すぐにその表情は消え、代わりに不敵な笑みが浮かんだ。

 

「これは……神通力か。守屋のおせっかいね」

 

 その巫女の独り言に答えるように、上空から、一つの声が聞こえた。

 

「そうさ、霊夢。うちの参拝客を傷つけられては困るんでね。お前も、逆だったらそうするだろう?」

 

「残念ながら、私は退治以外で妖怪相手に商売してないわ。妖怪と売り買いするのは、喧嘩だけよ」

 

「そう、なかなかいい根性してるじゃないか」

 

 そう言って降りてきた、しかし未だ空中にいる人物―守屋神社の一柱、八坂神奈子は鼻を鳴らした。「そうだ」と何かを思い出し、ぱちんと指を鳴らすと、完全に停止していた護符は、一つ残らず破れ散った。神奈子はこちらを見て、

 

「そこにいるのは、白狼天狗かい。天魔はどうした?」

 

「天魔様は、討ち死になさいました」

 

「……そうか、あのくそじじいもついにくたばったか」

 

 神奈子は、破顔した。くっくっくっ、と笑いを押し殺したような声をもらす。

 

「だが、くそじじいもくそじじいなりに、戦ってたみたいじゃないか。部下に任せて自分だけ安全地帯にいるような上司よりはよっぽど良かったかもな」

 

 神奈子は言葉の後半を誰かに向けたようだったが、私には皆目見当がつかなかった。

 

「ま……そんな天魔の遺志を、私がついでやらないこともない、ということだ」

 

 神奈子は、そう言って博麗の巫女―霊夢を見下ろした。

 

「要するに、私と戦うってわけね。まああんたが尻尾巻いて逃げるとは思わなかったけど……」

 

 霊夢が何かを言いかけた時、激しい揺れが起きた。地が震えている。

 

「な……何これ⁉」

 

 私は叫んで霊夢の方を見て、唖然とした。霊夢の立っていた場所には、巨大な蟻地獄のような穴、おそらく飛ぶ暇すらないほど急速に拡大したものなのだろう、があったのだから。その影響か、舞い上がった砂煙が、穴の中の様子を見えなくしているので、霊夢の様子はわからないが。

 

「私たちの力だ」

 

 神奈子の声ではなかった。穴の向こう、つまり自分たちと霊夢を中心にして点対称の位置にいたのは、洩矢諏訪子と、東風谷早苗だった。

 

「神奈子様と諏訪子様の力は、乾と坤を創造する力をもっていらっしゃるのです。それを、私が奇跡の力をもって、ブーストしているというわけなのです」

 

 早苗は、得意げに説明した。

 

「……土煙がひどいですね。神奈子様」

 

「ああ」

 

 神奈子は頷いた。一体なんだろうと思っていると、にわかに空が曇り始めた。そして、ぽつ、ぽつと水滴が私の腕に落ち、すぐに雨が降り始めた。

 

 周りを見てみると、雲が集まり、雨が降っているのはこの一帯だけで、他の場所はからりと晴れているようだった。守屋の神々は、乾と坤、つまり天地を創造することが出来る者であるのですなわち、天候の操作も可能ということなのだろう。実際に目の当たりにすると、その強大さに目をみはるばかりだった。

 

 ざあざあと振り続ける雨は、霊夢の落ちたと思われる穴の周りに舞っていた土煙を、全て洗い流していく。

 

「……まさか、ここまでとはね」

 

 完全に土煙が収まったとき、そこには雨に濡れた霊夢が浮遊していた。地面の崩落の瞬間に能力を発動していたらしい。

 

「見くびってもらっちゃあ困るね。腐っても神だ。それに、今からは……」

 

 神奈子が視線を周囲に走らせた。私も、それにつられる。

 

「あっ……」

 

 天狗、河童、山姥など、妖怪の山に住む者たちの姿があった。

 

「私らの力の源は、信仰にある。要するに、私たちの勝利を信じてくれる奴がいるだけでもかなりプラスになるのさ」

 

 2人が話している間もまだ、雨は降り続けている。その雨の当たる感触が、こつん、と小石がぶつかったような感触へと変わった。

 

「……これは……雹?」

 

 水滴は上空で瞬時に凍結され、地上に降り注いでいた。ばららら、と氷の粒が地面を叩く音が聞こえ始める。霊夢は、結界を張って落ちてくる雹を防いでいた。

 

「これぐらいでお前がくたばるとは思えないが」

 

 神奈子はそう言って手を振りかざした。

 

 風が、吹き荒れた。普段のそよ風などとは比べ物にならないパワーを秘める突風が神奈子によって操られ、うねりながら凝集していく。

 

「今は守屋の神だけど、元は風雨の神だったんだよねえ」

 

 神奈子はのんびり言って、圧縮した風のエネルギーに、次いで雹を集め始めた。周囲に降り注いでいたそれらは神奈子の手元に集い、質量を増していく。

 

 霊夢はその時点で神奈子が何をするか察しがついたらしい。しかしすでに遅く、猛然と襲い掛かろうとしたところで、神奈子のぎりぎりまで抑えられていた力の奔流が、解放されたのである。

 

 それは、平たく言ってしまえば雹の混じった竜巻だった。押さえつけられた膨大なエネルギーは対象者たる霊夢に向けられ、その進路上にある者をすべて消し飛ばしながら、霊夢を呑みこんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 藍と魔理沙、神子と聖は、円卓を囲んで、これからの方針について話し合っていた。空席は、守屋神社、地底、永遠亭、紅魔館、人里である。うち三つの代表者は、すでにこの世のものではない。

 

「魔理沙。妖怪の山方面はどうする?」

 

「見捨てる」

 

 藍に訊かれた時、魔理沙は即答した。藍は少しだけ、目を丸くした。

 

「本当に応援に行かないのか?」

 

 藍は、しつこく尋ねてきた。確かに、ここで妖怪の山を見捨てるということは、ここにいる命蓮寺と霊廟の者たちのみで戦うという決断に他ならず、現在戦っている天狗たち、守屋の神々、そして参戦してはいないが地底勢力との連携を欠くということになる。

 

 だが、守屋の神々がもっともその能力を発揮できるのはホームグラウンドたる妖怪の山だろうし、椛の千里眼によって知らされたことだが、天魔はすでに死んでいるらしい。地底もさとりの思惑が分からず、あてにできない。

 

 要するに、のこのこ戦場へ行って殺されるリスクの方が、リターンよりもはるかに大きいのである。さらに、今準備している命蓮寺という有利な陣地を手放すことにもなるのだ。それぐらいなら、惜しくても見捨てるほかない。

 

 魔理沙は、あえて、犠牲になる者のことを考えなかった。考えれば、その重みに押しつぶされてしまうからである。

 

「私はこれでも、最善とする策を考えてるんだぜ」

 

「……ああ。妥当な判断だ」

 

 神子は、魔理沙の考えを肯定した。彼女自身、かつては謀略や政略を本職としていた身であるので、このような誰を切り捨て、誰を生かすかという選択をする判断力は本物である。

 

「しかし古明地は何がしたいんだ……」

 

 神子は、続いて苦々しく呟いた。当然である。地底とて、幻想郷の滅亡に無関心なはずはない。通達も届いていないということは無いだろうし、妖怪の山が攻められている現在も不動というのは解せない。聖がうーん、と首を捻りながら、

 

「地底と地上の相互不可侵というのを守っているのでは?」

 

「いや、それは無いだろう。奴はあれでも応用が利く。そんなことを言っている場合じゃないことくらい分かるはずだ。だからこそ、動かない理由が分からない」

 

「それか、守屋を助けるのではなく、敗北後に何らかの細工をするのかもしれない」

 

「守屋が敗北する前? なんでその前に助けないんだ」

 

「さあ……。そちらの方が、戦略的価値が高いと思っているのかもな。そんなことも考えず、怯えて地底に籠ってしまっているのが最悪のパターンだが」

 

 その後も延々と話し合いは続いたが、結局、地底の意思は掴めず、議論を終了しようとしたとき―

 

「うわああああっ!」

 

 悲鳴が聞こえてきた。

 

「どうした!」

 

 魔理沙は、声のした方へ走った。今のは、布都の声である。風水を自由に扱えるというので、命蓮寺のどこを守ればよいかなどの指示を一任してある。天然のように見えるが陰謀を弄んでいたという昔と変わらず、実際には誰よりも計算高い布都がこんな声を上げるとは、思ってもいなかった。

 

「どうした、布都」

 

「……死んでおるのじゃ」

 

 布都は、震える指で転がる死体を指さした。

 

「………椛か!」

 

 転がっていた死体は、射命丸の連れてきていた白狼天狗、犬走椛だった。能力の千里眼で戦況を把握させていたが、それを嫌った敵に殺されたのだ。背後から首をめった刺しにされている。

 

 だが、一体誰が殺したのだろうか。最後に霊夢が見つかったのは数十分前、妖怪の山である。その間にここへ来て椛を殺すことなどできるはずもない。だとすれば、誰がーー

 

 魔理沙は頭をフル回転させ、結局1つの結論に達した。

 

 

 命蓮寺の内部に、霊夢の内通者がいるのだ。

 

 

 

 




 最近涼しくなってきて過ごしやすくなりましたね。椛は個人的には好きな方ではあるんですが、いかんせん能力がね……。まあ霊夢側の思考としては殺害の優先順位が高くなります。
 それと、余計かもしれませんが1つ謎解きを東方小噺の方に用意しましたので、お暇でしたら挑戦してみてくれると嬉しいです。


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信仰は儚き人間の為に

 

 

 

—霊夢が目覚める数時間前—

 

「すまなかった、妹紅」

 

「……………は?」

 

 慧音は、膝と手の平、頭を地面につけ、妹紅に向けて土下座していた。

 

 妹紅とフランドールは、慧音のあまりに予想外な行動に、しばらく口を開けたまま固まってしまった。あの時、薬を盛って妹紅を湖に沈めた慧音が、目の前で土下座しているのである。もしや、何かの罠か。或いは、フランドールと妹紅をまともに相手にしては勝ち目がないと踏んでの行動か。

 

 慧音は、額を地につけたまま、続ける。

 

「いくら薬で頭がおかしくなっていたとはいえ、お前を湖に沈め、小鈴や阿求、他の人里の者たちを殺めた罪は変わらない。私には、これぐらいしかお前に謝る方法が無いんだ」

 

「……待て。待て待て。お前はまだ殺人鬼のままじゃないのか? なんだってこんなことをするんだ? 力ではかなわないと見て、また何かの罠にかけるつもりじゃないのか?」

 

「………違う!」

 

 慧音は、きっと顔を上げた。その顔は涙で濡れており、凛とした雰囲気を漂わせる瞳は妹紅を見つめている。

 

「私は、永琳に治療されたんだ」

 

「何?」

 

 永琳による治療。つまりそれは、性格逆転薬の無効化が可能になっていたということになる。その方法が発見され、なおかつ現在も可能な手段であるならば、それは十分霊夢を倒しうる武器となる。

 

 ただ1つ、問題があるとすればその存在を示唆しているのが未だに殺人鬼の疑いの晴れない慧音で、彼女が本当のことを言っていれば、という条件がつくことだが。

 

「私は、お前を沈めた直後、魔理沙に正体を暴かれ、薬で眠らされたんだ。それで、目が覚めた時、目の前に永琳がいて……外は騒がしかった」

 

「何故だ?」

 

「その時ちょうど、霊夢が永遠亭を襲っていたからだよ。永琳は殺される直前、逆転薬の精製に成功していたんだ」

 

 確かに、慧音が永遠亭の者たちを皆殺しにできるとは思えない。とでもではないがあの永琳と輝夜を殺すことは、不可能なのだから。

 

「永琳は私にその薬を投与して目覚めさせた後、私にもう一本の解毒剤―性格逆転抗薬を渡した。そして、私を床下に隠し、霊夢を倒す薬を誰かに渡す役目を負わせたんだ」

 

「そこで永琳はなんで自分で逃げなかったんだ?」

 

「彼女は、死は恐れていなかった。だが、薬が攻撃で駄目になることを恐れたんだ。霊夢に攻撃されれば自分は再生する。けど薬はすぐに元通りというわけにはいかないんだそうだ。そして、霊夢は永琳がいないと知れば徹底的に永遠亭を壊して見つけ出すだろう。それを避けるために、敢えて自分を犠牲にしたんだ」

 

「自分を犠牲に……? 永琳は不死だろう?」

 

「ああ。だが、復活の基点となる魂を攻撃されればその限りではないらしい。向こうに、永琳と輝夜の死体が転がっているよ」

 

 妹紅は霊夢に不死人の、〝1時的な殺し方〟を教えてしまっていたことを思い出し、歯噛みした。自分は、敵にこちらの弱点をべらべらと喋ってしまっていたのだ。もし余計なことを言わなければ、永琳は今も無事だったかもしれないのに。

 

「私は残された永遠亭で、呆然としていた。霊夢の去った後を見て、途方もなくおそろしくなってがたがたと震えていたんだ。

そうしているうちに朝になって、誰かが来て、私は霊夢が私を殺しに来たのかと思い、後悔した。さっさと移動して、魔理沙辺りにあって全部話して、薬をわたせばよかったってな。だが、来たのは霊夢ではなく、鈴仙だった」

 

「………薬の採集にでも行ってたのか」

 

「多分。彼女はこの惨事を見て、呼び止めようとする私にすら気づかずさっさと飛び出して行ったよ。すぐに追いかけたが、竹林で迷って、永遠亭に帰り着いてしまった。だが、鈴仙は助けを呼びにいっただろうから、その時に言えばいいと待っていたんだが」

 

「そこに来たのが霊夢、か」

 

「ああ。霊夢と魔理沙、鈴仙が来ていた。それで伝えるのを躊躇しているうちに鈴仙が殺され、魔理沙は逃げた。霊夢は魔理沙を追わず、紅魔館の方角へ去っていった。私の話せるのは、ここまでだ」

 

「なるほどな」

 

 妹紅は、慧音の話を聞いて、空白期間に何が起こっていたのかを理解した。おそらくこの説明に嘘は含まれていない。紅魔館の方角へ行ったというのは正しいし、永琳の死体の件については、調べればわかることである。

 

「……だが、それを聞かされてもまだお前が殺人鬼ではないという確証が、私は持てないんだよ、慧音」

 

「薬ならある」

 

 慧音は一本注射器と薬瓶をポケットから取り出すと、転がして妹紅の方へ寄越した。

 

「……ふん、筆跡は永琳のものらしいが……中身は水かもしれないな」

 

 妹紅は、慧音への不信を解けずにいた。これで油断して背を向ければ、その瞬間に襲ってくるのではないか……。

 

 慧音は、妹紅のそんな様子を見て取ったのか、俯いて、しばしの沈黙の後に、絞り出すように言った。

 

「……分かった。私が信用できないと思うなら、ここで殺してくれ」

 

「何だって?」

 

 妹紅はあまりの言葉に、耳を疑った。殺してくれ、か。大きく出たのか、それとも本心からか。

 

「私は、数えきれない罪を犯してしまった。おそらく、私一人の命では償えない—いや、もともと最初の1人だけでも取り返しはつかない。だから妹紅。お前が信用できないからと言って、私を殺すことは、正しい。私は1人の殺人鬼としてその報いを受けるだけなんだから」

 

 妹紅は、淡々と語る慧音の口調の中に、凄絶な覚悟を見た。

 

「今すぐ、命を断ってくれ。どんな殺し方でも、私は文句は言わない。私に殺された者の方が、理不尽で、非道な殺され方をしているだろうからな。さあ、やってくれ!」

 

「…………」

 

「私をどんなに痛めつけてもいい。こんなことで私が赦されるとは思えないが……お前の気の済むまで……」

 

 慧音は、目をぎゅうっと瞑り、妹紅が自身を処刑するのを、待っているようだった。妹紅が炎を使えば、慧音を一瞬で焼き殺すことができるだろう。だが……。

 

 目の前にいるのは、妹紅が倒れる瞬間に見た殺人鬼ではなく、本物の慧音なのではないか—

 

 ぎゅっと拳を握り、妹紅は、迷った。

 

「……私がやろうか」

 

 妹紅が迷っているのを察したのだろう、フランドールが、背中から訊く。

 

「……いや、いい」

 

妹紅は慧音に何も言わず、見下ろし—

 

「分かった、もういいよ」

 

 ぽんぽん、と肩を叩いて、妹紅は慧音に立つように言った。慧音は、驚きの目で、妹紅を見る。

 

「何故、殺さなかった」

 

「………信用したわけじゃない。でも、もしその話が本当ならと思って、殺すべきかどうか迷った。だから、殺せなかった」

 

「……なるほど。一応ではあるが私を信じてくれたということか。……ありがとう」

 

「まだ信用したわけじゃないと言っただろ」

 

 妹紅は、慧音の目を真っすぐ覗き込む。慧音の眼の奥には、何が潜んでいるのか、妹紅には全く分からない。フランドールに人間の心理について偉そうな口をきいたが、実際はこの程度のものなのだと思いながら、一言一言、噛みしめるように吐き出した。

 

「お前が、まだ殺人鬼だと思えることをしたら、その場で殺す。私はそのつもりだし、フランドールにもそう言い含めてある。……いいな」

 

「……分かった、肝に銘じておくよ」

 

 妹紅は頷くと、どっかりと地面に座る。

 

(くそっ、まだ、私も甘いよな……)

 

 慧音がどちら側か分からない以上は、この場で殺すのが最善手である。が、妹紅はそれをしなかった。慧音を何かに利用できると思ったわけでは無い。情にほだされたわけでも……ないはずだ。

 

 つまるところ、妹紅はもう一度、慧音を信じたかったのである。あの訳の分からない薬を飲まされる以前は、お互い腹を割って話せる友人だったし、長い年月を過ごし、これからも過ごしていくであろう妹紅にとって、これほど気の許せる者はいなかった。

 

 それがあの瞬間に裏切られた時、妹紅の脳裏を占めたのは、怒りでも悔しさでもなく、嘘だろ、というたったそれだけの、驚愕だった。

 その「嘘だと言ってほしい」という願望が、この中途半端な慧音の処置に表れているのだ。

 

 妹紅はそんな心境を正確に把握しながら、自分の甘さをどうにも御せずにいる自分がいることを知り、苦笑した。

 フランドールはそんな妹紅の様子を見て、

 

「何かおかしかった?」

 

「いいや、何でも」

 

 

 

 

 

 

 妖怪の山では、守屋の神々と博麗の巫女の圧倒的な力同士のぶつかり合いが起きていた。

 守屋の操る大自然の力に対して博麗の巫女は自分のみの力で対抗し、互角の戦いを繰り広げている。そして、周りには逃げずに戦いを見守る、妖怪たちの姿があった。

 

 まずい。

 

 霊夢は、目の前に迫る土の壁—諏訪子によってつくられた頑丈な大地の楯である—を躱し、諏訪子に向けて封魔針を投げつける。

 

「おおっと、危ない危ない」

 

 封魔針は、諏訪子に当たる直前で新たに作り出され、立ちはだかった土の壁に阻まれる。針は諏訪子の土とは相性が悪いらしく、貫通せず楯に刺さったままになってしまった。

 

 さらに神奈子に向けて護符を投げても、これらは空中で見えない壁に阻まれ、次の瞬間には弾け飛んでいる。ダメージは一向に通った様子は無く、こちらの霊力消費がかさむだけである。

 

(………このままじゃジリ貧ね)

 

 しかも、神奈子と諏訪子が霊夢の攻撃を完封しているのを見て、周りの妖怪たちは勝勢を信じ、それが信仰となって、あの二柱にさらなるパワーを与えているのだ。霊夢はそろそろ霊力の消費を気にしなくてはならないのに比べ、守屋は力尽きるどころか、さらに苛烈な攻撃を繰り出してきている。

 

 耳元を、ちょくちょく放ってくる早苗の霊弾がうなりを上げて通り過ぎた。

 

—仕方ない、連発はできないが……。

 

「夢想……封印っ!」

 

 霊夢の周りで巨大な霊力の塊が轟音と共にその凶悪な威力を発揮した。遠巻きにして見ていた河童や天狗たちが、顔を思わず守ってしまうほどの衝撃が生まれ、大地が揺れる。

 

 霊夢を中心とした半径20メートルは地面がえぐれ、樹木は根こそぎ吹き飛んでいた。が、肝心の目標―神奈子は、傲然とそこに立っている。

 

「………ちっ」

 

 しかし、無傷ではない。流石に先ほどの攻撃を至近距離で受けては、神通力で防御しきることは出来なかったのだろう、赤い線が腕や頬に無数の交差を作り出していた。

 

「……まずいんじゃないか」

 

 天狗の中の誰かが、そう言った。

 

 何も守屋が負けているというわけではない。むしろ勝っており、今のは、少しの油断を霊夢に衝かれ、少々手傷を負ってしまったという、ただそれだけのことだった。

しかし、先ほどまでの、〝傷一つ負わない絶対無敵の神〟という偶像は、たったいま、崩されたのだ。それはすなわち、この戦いで神の力の源、信仰が減ってしまうことに繋がったのである。

 

 霊夢は、今の攻撃で、立場が逆転しつつあることを敏感に嗅ぎ取っていた。

 

 強大な神々といえど、信者たちの支持がなければその膨大なエネルギーの消費は賄えない。大技を乱発せねばならないこの戦いにおいて、それは致命的と言っても過言ではないほどの弱点だった。平たく言うと、守屋の強さは、良くも悪くも雰囲気というものに左右されるのだ。

 

「落ち着いてください、皆さん! 我々は霊夢を追い詰めつつあるのです! 勝利を信じてください!」

 

 早苗が呼び掛ける。だが、予想以上に今の一撃が守屋の信者たちに与えた衝撃は物理的なものよりも大きかったのだろう、妖怪たちは、浮足立っていた。

 

「……俺は逃げるぞ! あんたらで十分倒せるだろ!」

 

 河童の1人がそう言って、逃げようとしたところを、近くにいた天狗に引き止められる。

 

「馬鹿か! それで皆逃げたら、妖怪の山は終わりだ!」

 

「終わってもいいだろ! 俺は俺の命が1番大切なんだ!」

 

「貴様!」

 

 天狗は、その河童を殴り倒す。しかし、その波は他の妖怪に伝わり、揺らぎ始める。

 

「私達の勝ちを信じてください!」

 

 早苗は、血を吐くような絶叫をあげる。その時、完全に意識が霊夢から外れ、信者へと向かっていた。

 

「ま……人にしても、妖怪にしても、心はそんなに強くない、というわけね、早苗」

 

 刹那。

 

 信者たちに気を取られていた早苗は、霊夢に神奈子の神通力や諏訪子の楯による防御の間に合わないところまで、距離を詰められていた。

 

「宝符『陰陽宝玉』」

 

 霊夢の目の前に発生した気弾は、早苗を巻き込み、吹き飛ばした。

 

 陰陽宝玉は範囲こそ狭いが、夢想封印よりは霊力消費が少ない。霊夢は撃墜した早苗に追撃の霊弾10発、封魔針8本、アミュレット6枚を叩きこんだ。

 

 いくつか神奈子の神通力で止められたが、信者が揺らいでいる今では全てを止めることはできず、早苗に命中する。うち一本の封魔針が、早苗の心臓を貫いた。

 

 がふっ、と早苗の口から大量の血が溢れ、身体を浮遊させる力が、消失した。

 

「そ……んな……」

 

「信者よりまず前の敵を見るべきだったわね」

 

 霊夢は力なく落ちてゆく早苗から興味を失くし、呆然として空中に留まっている神々—神奈子と諏訪子に、顔を向ける。

 

「……さて、そろそろ神さまもおねむの時間よ。神奈子、諏訪子」

 

 

 

 




 話がとっ散らかってきたかな……?
 一応場面は命蓮字、妖怪の山、永遠亭の3つに分けられています。
 整理しておくと、
 魔理沙→裏切り者が内部にいるかも!早く見つけ出してどうにかしたい
 霊夢→早苗も始末したし、守矢倒せそう!
 妹紅、フランドール→慧音マジで治ってるの…? というか薬はホンモノ?

 となります。1話の中でころころ場面が変わるより、1つの場面につき1話使ったほうがいいのかなあ……と、考えてこんでおります。


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終末の黄昏

 

 

 

「とにかく、犯人を洗い出さないといけないんだぜ」

 

 魔理沙は、椛の死体を寺の一室に安置すると、神子と聖、藍を集めた。もちろん命蓮寺に潜む裏切者を探し出すためである。

 

「……しかし妙だな。霊夢の内通者がいるとして、その人物に何のメリットがあるんだ? 仮に命を助けてくれるといっても我々に見つかる危険などを考慮すれば、そんなたいそれたことをできるとは思えないが」

 

 神子の問いに、魔理沙も首を捻った。

 

「そうなんだよなあ……むしろ殺人鬼の約束なんかあてにできないし、馬鹿正直にこんなことをするとは思えない。何か裏があるか、それとも霊夢がその人物に強制的に内通者役をやらせることができるのか……」

 

「あ、それなんだが、私に心当たりがある」

 

 その時、藍が口を挟んだ。

 

「一度霊夢が私とか橙のような式神に興味を持った時期があってな。一つだけ、式神をつくる術式を応用して使用者を式、とはいっても命令にほいほい従うだけで自分では判断できない出来損ないだが、そんなものを作ったんだ。それで内通者は操られていると考えられないだろうか」

 

「……ああ、あれか」

 

 魔理沙は紫が冬眠する前に、それらしき霊夢のお札を見たのを思い出した。霊夢が独力でそんなものを作り出せるとは思えなかったが、藍が関わっていたのなら不可能ではなかったに違いない。

 

「しかしですね、何故そんなものを作ったんですか? そのせいで死人が出たんですし……」

 

 聖は、藍が面白半分に作って霊夢に与えたお札が現在の窮状を招いているのに、どうも納得がいかないようだった。確かに、今回は身から出た錆というやつだろう。

 

「まあとにかくそれを今いろいろ言ってもしょうがない。裏切者を探し出すんだぜ」

 

「……そうですね、仲間割れしてる暇はありません」

 

 ひとまず、藍の話は横に置いて、誰が敵の内通者であるかを調べなくてはならない。

 

「まず、椛の殺害が能力的に可能だったメンバーを上げていこう。寅丸星、村紗水蜜、雲居一輪、ぬえ、二ツ岩マミゾウ、物部布都、蘇我屠自古、霍青娥、宮古芳香、秦こころ、射命丸文、そして、豊聡耳神子、聖白蓮の13人かな」

 

 多々良小傘や幽谷響子は椛を殺せそうもなく、ナズーリンは不在である。藍はお札の実効が現れていれば直ちに自殺しているはずであるので、除外される。

 

「ふん、ちゃんと私たちまで犯人候補として挙げているのか。いい心掛けじゃないか」

 

「似たようなミスをちょっと前にしたからな」

 

 最初の調査で、慧音を無意識に犯人候補から外してしまったあの時から、魔理沙はひとまず怪しい人物を洗い出す時は、あらゆる可能性を検討するようにしていた。

 

「……しかし、その論法だと魔理沙さんも犯人である可能性がありますよね?」

 

「いや、私が霊夢に操られていれば、わざわざ射命丸に警告を書かせる必要は無いし、霊夢からすればこんなリスクのある方法をとる必要も無い。私はもともと自分が内通者でないことは分かっているが、まあこれで私がクロってことはないだろ?」

 

「……その通りですね。藍さん、そのお札はずっとつけていなくては効果が発揮されないのですか?」

 

 聖は藍に向けて言った。おそらく、犯人を見つける目印になるのではないかという考えからだろう。確かにお札が背中に貼ってあったりなどしたら一目瞭然だが。しかし藍は首を振って、答える。

 

「いや、一度対象に貼り付ければ、式が被使用者に刻み込まれ、お札を張り続ける必要は無かったはずだ。もちろんその札に用意してある術式は消えるが」

 

 つまり、内通者は一人だけだが、見分けはつかないということだろう。魔理沙は内通者の能力について、重ねて藍に質問した。

 

「それで、操られている者は霊夢に何か情報を知らせたりはできるのか?」

 

「可能だ。操られている者の位置や見たことを後で知ることができる」

 

「……これはいよいよ放っておけないな」

 

 もし何も伝えられないのであれば、藍を命蓮寺から移動させるという手も考えないでもなかった。が、内通者がいるのであれば、それは霊夢にとって逃げたことにはならず、かえって危険を招くことになりかねない。

 

「しかも、この前正邪追討のために命蓮寺に集合しているから、誰が裏切っていてもおかしくはない、と」

 

 これは難しい。椛を殺した以上は、相手もこちらが気づくことは想定済みのはずである。そんな奴が、やすやすと正体を現してしまうようなミスは犯すとは思えない。

 

「……まだこいつを探し出すことはできない。皆には、3人1組で行動するよう伝えてくれ」

 

 魔理沙は応急処置として、3人1組での行動を指示した。裏切者が新たな被害を生まないようにするための急ごしらえの対策である。神子も聖も、他に案は無かったので、それで落ち着いた。

 

「……敵の正体が見えるまで、待つつもりか」

 

 神子の問いに、魔理沙は頷いた。

 

「ああ。そのつもりだが……いつまでもつかな」

 

 もつ、というのは妖怪の山のことである。あそこが崩れれば、霊夢の標的となる勢力があるのはここ、命蓮寺のみである。内通者も分からぬまま戦いが始まれば、作戦は裏をかかれるし、味方の反撃を邪魔され、敗北してしまうこともあり得るだろう。

 

「……はあ、どうしてこうなったかな……」

 

 魔理沙は溜息をついて、ひとりごちた。

 

 

 

 

「ああ……」

 

 戦いを見守っていた妖怪のうち、誰かが諦めたように、声を漏らした。

 

「……神奈子、どうやら私はこれで打ち止めらしい」

 

 諏訪子は姿が薄れ、消えていこうとしていた。

 

「ああ、分かってる。先に行ってろ」

 

神奈子の返事を聞いて、ふっと笑ったかと思うと、諏訪子は不意にその姿を消した。ついに神力を使い果たし、存在が消滅したのである。

 

「意外と神なんてもろいもんね。信者がいなくなれば、楽勝じゃない」

 

 信者の一部、といっても早苗が死んだとき瞬間に2割にまでその数を落とし込んでいた彼らは、諏訪子の消滅で、1割に減った。信仰というエネルギー補給の無い守屋の神々は、早苗という力をブーストする者も消えてしまったため、とてもではないが霊夢との戦いを継続できるほどの力を保つことはできなかったのである。

 

 残る神奈子も、満身創痍で、ろくに大技を放つこともできそうもない。誰が見ても、敗色は濃厚だった。

 

「……そこの天狗」

 

 神奈子は、最初に助けた白狼天狗に声をかけた。

 

「はい、なんでしょう」

 

「ここにいる奴らを全員逃がせ。もう、我々では手に負えない」

 

「………わかりました」

 

 わずかに残り、なおも守屋を支援しようとする妖怪たち。彼らを逃がすということは、もう勝つことはできないと神奈子が判断をくだしたのを表していた。

 

「勝てなくて、すまなかったな」

 

「………いいえ、ありがとうございました」

 

 それだけ、言葉を交わすとその白狼天狗は仲間の元へ行き、逃げるよう呼び掛けていた。

 

 霊夢はその白狼天狗の脳天にアミュレットを投げつけたが、ぴたりと止まり、ちぎれ飛んだ。神奈子は、ふっと笑った。

 

「お前の相手は、私が存在する限りは、私だ」

 

「……そう。じゃあそろそろ、選手交代しないとね」

 

 霊夢は、神力の無駄な消費を抑えるため、地面に降り立っていた神奈子に合わせるかのように、地に降りた。神奈子の後方では、逃げ散る妖怪たちの姿があった。霊夢は狩り損ねたのを惜しんだのか、ちっと舌打ちをして、

 

「最後の最後で逃がすのは、良い判断だったとは思うわ。ま、ゆっくり休みなさい」

 

 神奈子に向けて、たった一発、霊気の塊を放った。

 

 神奈子は、迫りくる光球を、不思議と落ち着いた気持ちで見つめていた。もう、それを止める神通力も使えない。喰らえば、存在が消えてしまうほどのダメージを受けてしまうだろう。避けることもできない—

 

—まいったね、こりゃ。

 

 八坂神奈子という神は、その瞬間、神力を使い果たし消え去ってしまった。

 

 

 

 霊夢は、戦いの後、しばらくそこにたたずんでいたが、やがて大きな舌打ちを一つすると、守屋神社の方へ歩き始めた。

 

 霊力の消費が激しい。何しろ、天狗どもと守屋の神々と連戦したのだから、余裕があるほうがおかしいのだ。紅魔館の時よりもさらに消耗は大きく、何か食べないと持ちそうにない。というわけで、守屋神社で食料の調達と休憩をとるべく、動き始めたのである。

 

「……もうっ!」

 

 霊夢はいらいらして、転がっていた石を蹴り飛ばした。というのも、紅魔館のようなパーフェクト・ゲームができたわけでは無く、さらに守屋の神々が霊夢の期待しているような表情も浮かべず、消えて行ったためであった。

 

 今回はかろうじて早苗の表情と血しぶきが及第点だが、他の天狗どもも、天魔も、守屋の神々も、斃せはしたものの霊夢を愉しませるような死とはかけ離れていた。

 

(ああ、紅魔館を襲った時は良かったのに)

 

 あの時は奇襲をかけて終始霊夢の思い通りに行き、なかなかエキサイティングな場面もあった。が、今回はきついばかりで、全く面白くなかったのである。

 

(今度は、何か工夫しないとなあ)

 

 次に向かうのは地底である。ずっと引きこもっているつもりなら命蓮寺へ行って藍もろとも襲えば良いのだが、地底のさとりに出てこられるとやはり挟み撃ちの格好になって都合が悪い。入り口を何らかの方法で封鎖しても、勇義ならこじ開けて出てきそうである。幸い残り時間はまだ13日もあるので、直接霊夢が地底勢力を一掃することも可能だろうが。

 

 考えているうちに守屋神社に着き、霊夢は黙って中に上がり込んだ。食料は残っており、味噌汁とおにぎりの余りものが、ちゃぶ台の上に置いてある。まさか早苗は、帰ってきて食べるつもりだったのだろうか。

 

 霊夢はそう思って、鼻で笑った。もしそうなら、早苗は死ぬべくして死んだのである。心のどこかで自分は死なないとでも思っていたのだろう。だから、〝後で〟食べようなどという発想が生まれ、油断を作り出すのだ。

 

(それをいただくんだから、ちょっとは感謝しないといけないかもしれないけど)

 

 霊夢はおにぎりにかぶりつきながら、〝内通者〟の位置を確認する。ぼんやりとした方向しか分からないが、おそらく命蓮寺だろう。さらに相手側にいた椛を殺すことに成功したらしい。

 

 これらの情報は、霊夢の所持している例のお札に文字がにじむようにして報告が出てきて、それを読み取ることで操っている者は何をしたのかを知ることができるのだ。

 

「……相手の目を奪ったのはラッキーね。じゃあ引き続きチャンスがあれば殺しなさい」

 

 指示を与えると霊夢はおにぎりを食べ終え、食器を片づける。おそらくこれから使う者はいないだろうが、おにぎりを貰った感謝のしるしとでもしておこうか、と霊夢は皿を拭きながら思った。

 

(とにかく、命蓮寺はあいつが何とかしてくれるだろうから、差し当たって明日からは地底攻略ね)

 

 何故守屋に加勢せず傍観していたのかは分からないが、このまま放っておくわけにもいかないのだ。ここさえ叩けば、霊夢は背後の心配をせず、藍と魔理沙、聖と神子の集う命蓮寺を襲撃することができるのである。

 

「……しかし、眠いわね」

 

 霊夢は襲撃のための手立てを考えようかと思ったが、急激な睡魔に襲われ、やめた。神経を削る戦いを夜の間、ずっと行っていたせいだろう。霊夢はふわあと一つ、あくびをすると布団の入っている押し入れを探し始めた。

 

 寝よう。また明日も、大忙しになるだろうから。

 

 

 

 




 ようやく守矢神社との戦いも終わり、戦いは佳境に移ります。そういえば、妖怪の山には華扇とかにとりもいるのですが、出てきていない人たちは何らかの事情で戦いに参加していません。……別に忘れてたというわけではなく、そうなるとダレてしまうし、何より私が体力的に死にますので……


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旧都大戦

 

 

 4日目。天狗たちの戦いも、守屋の戦いもただひたすら傍観していた地底は、喧騒に包まれていた。しかしそれらは普段の博打や宴会によるものではなく、旧都のあちこちにバリケードをつくったり、弱い者を避難させているからだった。

 

「………でも本当なの? 霊夢が地上で大勢妖怪も人もお構いなしに殺してるって話は」

 

 腕を組んで言ったのは、水橋パルスィである。霊夢がやって来た場合の防衛線は何故か入り口付近ではなく、旧都に繋がる橋だった。つまり、霊夢が地底を襲いに来た場合に真っ先に矢面に立つことになるのは、自分なのである。今回の采配をしているのは旧地獄の管理者たるさとりなので、命令に逆らうことはできないが。

 

「自分は安全なところにいて……妬ましいわ」

 

「まあまあ、あの人も何か考えがあるんでしょ」

 

「でもさ、ヤマメ。勇義をここに置かないのは、おかしくない?」

 

パルスィを宥めようとしたヤマメも、はたと気づいた。確かに、ここを最終防衛線にするのならば、ここには勇義もいるべきなのである。その力は間違いなく地底最強であるし、あちこちに分散して配置しておけば、一人ずつやられていくことになる。しかしさとりはその理屈を理解しているのか、それとも理解したうえでわざと分散させているのか、橋を守っているのはパルスィとヤマメたち土蜘蛛と鬼が少しだけで、残る者たちは未だ旧都で、蜘蛛の糸を使った空中バリケードや机や椅子などを使った通常の障害物を作っている。

 

「なんでだろうねえ……広場をわざわざ開けておくのも謎だし」

 

 バリケードは地霊殿へと続く広場と大通りには用意されていない。そこを進んでくださいと言わんばかりに—

 

「……ひょっとしたら何か秘策があるのかもね」

 

「真っすぐ続く道を通って来た霊夢を、一直線に空のレーザーで焼き払うつもりなのかな」

 

「それは無いでしょ。霊夢殺したら私らも巻き添えで死ぬんでしょ? それにあの鳥頭が霊夢が死なない程度にエネルギーを調節できるわけないし」

 

 ここでいう鳥頭とは、もちろんさとりのペットである霊烏路空のことである。彼女は〝核分裂を操る程度の能力〟を持っており、膨大なエネルギーを取り出して使用することができる。ただし、フランドールの破壊の力と同じく、攻撃力が高すぎるため、霊夢への攻撃には使えそうもない。

 

「何考えてるんだか……地上の応援にも行かなかったみたいだし。ほんと分からないわ」

 

 現に勇義は、地上で戦いが起こっているのを知ると、すぐさま不動の姿勢を崩さない地霊殿に行って、地上の加勢をさせろと言ったらしい。勇ましい彼女らしいが、さとりと話こんだあと、戻ってきて地上へ行くのは止めだ、と意見を変えていた。

 

「ま、私たちみたいなしがない番人は黙ってここを守ってりゃいいのよ、うん」

 

 お気楽なヤマメの様子に、パルスィはやれやれと肩をすくめた。

 

 

 

 

 地霊殿の窓から、さとりは旧都の上方に構築されていく蜘蛛の巣を眺めていた。こうしておけば、霊夢は空中を通って一気にここまで来ることは出来ず、どうしても地上の真ん中の道を通らざるをえない。そこに、ありったけの人材を配置して防御するのだ。

 

 無論、霊夢はその程度で斃すことができるほど甘い相手ではない。さとりは他にも霊夢が攻めてくる前に作戦を全て自身で考え、その準備を整えていた。

 

(まあ、これが使えるのは霊夢がここを攻めてきた場合ですが……)

 

 ここを放置して命蓮寺に行けば、すぐさま皆で地上に出て霊夢を追う。攻めてくれば、霊夢はまんまとさとりの罠の中に飛び込んでくるという図式である。どう転んでも、さとりは自分の有利なように戦いを進めることができるのだ。そういう意味では、さとりは魔理沙よりも数段上の戦略家と言っても差し支えなかったかもしれない。

 

(……勝てれば、の話ですが)

 

 さとりは、もちろん地底側が負けることも計算にいれて作戦をたてていたが、霊夢がここに入って来さえすれば勝てなくてもいい。さとりの作戦は、紅魔館や守屋と違って〝どう勝つか〟ではなく〝いかに負けないか〟を主眼にするものなのである。

 

「さとり様」

 

 現れたのは、ペットの火焔猫燐である。彼女はするりと部屋の中に入ってくると、きわめて落ち着いた声で言った。

 

「霊夢が橋の方に現れたそうです。現在橋に用意した一隊が霊夢の前進を防いでいますが、長くはもたないでしょう」

 

「……そう、作戦通りよ。空はいる?」

 

「はい、ここに!」

 

 空は、元気よく答えて部屋の中に入って来た。この緊急事態の中、さとりに名前を呼ばれたことが嬉しいとでもいうように、空は笑顔だった。

 

「霊夢が来たわ。ただちに地霊殿の屋上に上がって、私が前に指示したとおりにぶっ放しなさい」

 

「アイアイサー!」

 

 空は、翼を広げると、さとりが外を眺めていた窓を飛び出し、屋上へと向かっていった。

 

 

 

 

 霊夢は、飛ぶことすらせず、徒歩で地上に繋がる穴から橋の近くまで歩いてきていた。一つにはこれからの霊力の消費が大きくなるのを気にしたのだが、まず、飛ぶことが制限されていたのである。

 

「……うざったいわね」

 

 地底の空間の上方に張り巡らされた土蜘蛛の糸。引きちぎるのは面倒だし、邪魔すぎてとてもではないが空中を移動することなどできない。

 さらに霊夢の気に入らないことには、まるで通ってくださいというように、蜘蛛の巣の張っていない一直線の道があるのだ。そしてこれは、地霊殿へと続く旧都の大通りである。何かの策が仕掛けられているのは、流石に分かる。霊夢が一歩踏み出そうとした時、

 

「止まれ」

 

 鋭い警告を、誰かが発した。

 

「あんた、気が狂ったんでしょ? そんな奴、ここを通すわけないじゃない」

 

 パルスィの翠緑の瞳が、霊夢を睨む。横でも黒谷ヤマメが腕組みをして、うんうんと頷いている。見れば他にも数人鬼や土蜘蛛たちがいて、どうやら霊夢が旧都へ向かうのを邪魔するのが目的のようだった。

 

「……そう、じゃあまずは、あんたたちを殺してから先に進まないといけないってわけ。理解したわ」

 

 霊夢の言葉に、橋を守る全員が身構える。そして両者の激突の前に——

 

 

 地霊殿の方角から、一条の光線が飛来した。

 

 光線は霊夢たちの頭上を飛び越え、後ろにある地上の出入り口の上にある岩に突き刺さり、崩落させる。

 

「ええ? 何⁉」

 

 ヤマメやパルスィは、突然の超攻撃が地上への入り口を崩落させたことに、少しうろたえているようだった。おそらく作戦を事前に知らされていなかったのだろう。だが霊夢は、敵—おそらくこの作戦を組んだのは意地の悪いさとりだろう—の考えが分かってしまった。

 

「……これで封鎖したつもりなのね」

 

 霊夢が地底の入り口を塞ぐことを考えたように、さとりも霊夢が地上へ出られないよう、地底の入り口を崩落させたのだ。単純だが、効果的な一手。おそらく霊夢はここを全滅させても、地上に出るのにかなりの日を必要とするだろう。これは霊夢に制限時間があることを見越したうえで選択した時間稼ぎなのだ。

 

「でも、自分から閉じ込められるとは、ちょっとラッキーだったかもね」

 

 さとりは、確実に霊夢の時間を奪う代わりに、地底の住人を強制参加型の、霊夢との鬼ごっこに巻き込んだというわけである。

 

「……どうかしら、あんたが負ければそうは言ってられないかもしれないわよ?」

 

「安っぽい挑発はやめて、いつも通り私を妬んだらどうかしら、パルスィ。こんなエキサイティングな目にあってるの、幻想郷で多分私ぐらいよ」

 

「願い下げ。私はあんたみたいな殺人狂じゃないから」

 

「もう、皆すぐに私をキ〇ガイ扱いしたがるのは、何でなのかしら?」

 

「自分の胸に訊いてみれば?」

 

「……あんたより小さい」

 

「そういう事じゃないわ。自分に—」

 

 パルスィが呆れながら言葉を続けようとした時を狙って、霊夢は無数のアミュレットを取り出し、撃ち放った。今回は集団と戦うため、自動追尾能力のある札である。

 

「ちっ!」

 

 ヤマメは咄嗟にパルスィを庇うと、粘着性の蜘蛛の糸を振り回し、飛んできたアミュレットを絡めとる。土蜘蛛の出せる糸は普通の蜘蛛と同じように、弾力があり貼り付かないものと、べたべたして獲物を絡めとるための2種類があった。ヤマメは今回、後者を使い、まとめてお札を払い落としたのである。

 

 ヤマメは糸を引きちぎり、絡めとった札ごと地面に投げ捨てると、新しい糸を構える。

 

「……なかなか器用ね」

 

「そりゃどーも。糸の扱いには慣れててね」

 

 ヤマメだけでなく、他の土蜘蛛たちも札をキャッチし、被害を押さえている。霊夢はそれを見ると、すぐさま使用する弾幕を変えることにしたらしい、アミュレットを引っ込め、お祓い棒を取り出している。

 

「………これはもう、最初から全力で行くしかなさそうね」

 

 

 

 霊夢は殺気を通り越してもはや瘴気とでも表現できるようなものを振りまきつつ、近づいた。一歩、霊夢が踏み出すごとに半歩だけ皆が下がるのだ。微動だにせず霊夢が来るのを待っているヤマメも、気圧されそうになるのをこらえながら、踏みとどまっていた。

 

(あと2歩……踏み込んできた瞬間に霊夢自身を絡めとる……)

 

 もし失敗すれば、カウンターを喰らってヤマメは致命傷を負うだろう。が、こちらの攻撃は成功しさえすれば霊夢を身動きできぬほどがんじがらめにすることができる。

 

 一歩。霊夢は、踏み出した。ヤマメは息をするのすら忘れ、間合いを計っている。次。次という瞬間が訪れたと皆が認識する前に、仕掛ける。それしか、霊夢に勝つ方法は無い——

 

 霊夢が、また一歩踏み出した刹那——

 

(今だ!)

 

 ヤマメは、自身の出しうる最高速度で糸を投げる。その両端には糸の塊を付けており、いわゆるボーラという狩猟道具のような作りになっていた。当たる―そう確信したヤマメは、それが命中する寸前に、霊夢の姿がふっと書き消えたのを見て、目を瞠った。

 

「……出し惜しみしてる場合じゃないかもね。『夢想天生』」

 

 声は、ヤマメの目の前から聞こえた。

 

「う、うわああっ!」

 

 ヤマメは、手で前方の空中を薙いだ。が夢想天生ですべての物理的、魔術的攻撃の干渉を受け付けなくなっている霊夢には通じず、虚しく空を切る。

 

 ぞぶっ!

 

「は?」

 

 ヤマメの首筋が、裂けた。何が起きたのか理解する間もなく、倒れ伏す。続いてヤマメの背後にいたパルスィ、近くにいた鬼も、身を切り裂かれ、絶叫を上げながらばたばたと倒れていく。

 

 一方的な殺戮だった。不可視で攻撃不可能の相手をどうやって仕留めることができるだろうか。さとりは勇義を除いた精鋭で橋を守らせていたが、無想天生の効果によって無敵となっている霊夢の前では、橋にいた者たちの攻撃は蟷螂(とうろう)の斧を振りかざしただけのようだった。

 

 血煙が、砂塵が、飛ばされた首が舞う。それらは鮮血の華となって、悲鳴の大合唱とともに、殺戮を彩っていく。

 

 守備隊の数はついに半分を切り、散々に逃げ始めたが、背を追われた者はついに逃げ切ることはできなかった。結局橋の守備隊はヤマメ、パルスィなどの門番も喪い、惨敗を喫したのである。

 

 

 

「橋にいた者たちは全滅した模様です。さとり様。どうしますか」

 

「……どうもこうも、次の作戦を実行するだけよ」

 

 さとりはヤマメたちの訃報を聞いて、お燐やお空を動揺させないため平静を装っていたが、内心ではあまりに予想外の出来事に狼狽していた。負けること自体は予想していたが、これほどの短時間で彼女らが撃破されるとは計算に入れていなかったのである。せめてあと数時間はもつものだと思っていた。

 

(まずいわね……あそこがやられたとなると、一気に広場まで来られてしまう)

 

 そんなこともあろうかと、そこには保険をかけてあるが、積み上げようとしていた策を盤ごとひっくり返された感は否めない。さとりは、苦々しく思いながらも、ご破算になった他の作戦を捨て、最後に一つだけ残っている作戦に全てを賭けることにしたが、さとりとしてはできるだけこの作戦は使いたくなかった。

 

 というのも、その作戦の要となるのが——

 

「………こいし。出番よ」

 

 

 

 

 橋のヤマメたちを皆殺しにし、旧都へ突入した霊夢は、抵抗らしい抵抗も受けず、その奥深く、地底を指揮する古明地さとりの居城の地霊殿目指して、全速で低空飛行していた。

 

 征く道の周りには誰も残っておらず、霊夢が来るからと逃げ出してしまったのかもしれない。旧都のあちこちにはられているバリケードも、この道だけは用意されていなかった。

 

(それなら遠慮なく、通らせてもらうわ)

 

 このまま地霊殿へ侵入してリーダーのさとりを殺す。そうすれば、仮に勇義が残っていたとしても地底の組織的な力を生かすことのできる者は居なくなるだろう。

 

 だが、広場に差し掛かったところで、堂々と立ちふさがる姿を視認し、霊夢は前進をやめた。

 

「………やっぱりあんたが出てきたか」

 

「やっぱりとはつれないな。霊夢。今回は弾幕勝負じゃないし、それに一対一だから、もっと楽しそうにしてもいいんだぞ」

 

「笑わせるわ」

 

 予想通りではあったが、広場で単身霊夢を迎え撃とうとしているのは、勇義だった。いつも持っている杯は無く、腕組みをしている。

 

「……で、何かしら。あんたを倒さないと先には進めないってワケ?」

 

「ご名答。さとりに頼まれてな、わざわざここで待ってやってたのさ。御託はいいからさっさとかかってきなよ」

 

 ちょいちょい、と勇義は霊夢に向けて人差し指を動かし、挑発する。

 

「分かったわ。どうせあんたも殺す予定だったし、相手してやるわよ」

 

「ふん、どこまでも上から目線かい。余裕だねえ」

 

 霊夢と勇義は、お互いに少し微笑する。霊夢はぞっとするような不気味な笑い、勇義は剛健で、それでいて一部の隙も感じさせない鋼の笑みだった。そして、須臾の狭間を経ることも無く—

 

「鬼符『怪力乱神』!」

 

 地底と霊夢、お互いの全存在を懸けた最後の対決が始まった。

 

 

 

 




 いきなり夢想天生。全く関係ない話ですが、パソコンで「むそうてんせい」と打ち込むと、「無想転生」になるんですよね。そのままだと北斗の拳になるので、その度に打ち直してるんですが。


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自分勝手な奴等

 

 

 

 地底の中央の広場。勇義は霊夢と戦いながら、おそらくこの異変――いや、異変と呼ぶよりも、殺戮と言う方がふさわしいかもしれない――で霊夢に対峙した者の中で初めての感情が芽生えていた。

 

――楽しい。

 

 地底で酒を飲み、賭博に明け暮れる日々。愉しいが燃え上がらず、消化不良を起こすような、そんな退屈な日々――平和なのは結構。人間にあまりしつこく追い回されるのも面倒。だが、適度な刺激は必要なのだ。

 

 勇義は霊夢が地上で妖怪や人を殺しまわっていると聞いて、すぐさま地上へ出ようと言った。正義感からというのもあるが、一番の動機は、「霊夢と本気でやりあってみたい」という、きわめて自分勝手なものだった。

 

「そういえば、あんたはどうして皆を殺してまわってるんだい?」

 

「……私に必要なことだから。あと、楽しいから」

 

 霊夢は、勇義の拳を躱すと、アミュレットを投げつける。左手で打ち払うと、頑丈なはずの鬼の腕に、切り傷がいくつかできた。

 

「ふん、自分勝手だね」

 

 だが、自分勝手なのは勇義も、そして後ろで指揮を執っているさとりもである。勇義は戦うために戦っており、さとりは時間稼ぎのために地底の連中、ひいては自分を徹底的に使いつぶすつもりらしい。目的は「皆の為」だが、勇義は動機が自分勝手、さとりは手段が自分勝手。霊夢に至っては、動機も手段も自分勝手である。

 

 霊夢は勇義の攻撃を器用によけ、確実に切り傷の量を増やしてくる。勇義は霊夢を殺さないため、杯ももたずに全力で手加減しているのだが、なかなか防御が難しい。いつもならこうなる前に相手をぶちのめしているからである。

 

 勇義の蹴りを回避すると、霊夢はそのまま土蜘蛛の糸に触れるぎりぎりまで、舞い上がる。ぶわっと翻ったスカートが、見上げた勇義の視界の真ん中で、さらなる赤、おそらく橋の戦いの犠牲者のものだろう、に染まっているのを見た。

 

「霊符『夢想……』」

 

「撃たせないよ」

 

 勇義は万力の力を込め、筋力のみで跳躍した。勇義は一応浮遊術を使えるが、鬼の筋力は、その何倍ものスピードを生み出し、霊夢との距離を一気に零へと変えてしまったのである。

 

「……っ!」

 

 霊夢は突然目の前に現れた勇義が拳を振りかぶったのを見て、「夢想封印」を途中で中止する。そして拳の射程内から逃れるべく、急降下した。勇義の体にはまだ上へと昇る力が残っているので、あの一瞬を逃した1秒後、霊夢とは遥かな隔たりができてしまっていた。

 

「逃げるかい。じゃあ遠慮なく……」

 

 勇義は地底の空洞の一番上—すなわち地底の天井と言える場所に体を巡らせて着地し、下の方へと逃げる霊夢を目で捉えた。

 

 重力が勇義の体を下へ引っ張り始める前に、勇義は逆さに立った状態のまま、1歩、2歩と助走をつけ、

 

「三歩、必殺!」

 

 勇義は天を蹴って、続く3歩目に重力加速度を伴った最後の一歩を、地上で踏みしめんとした。

 

「ちいっ!」

 

 地上では、霊夢が勇義の狙いを悟ったのか、慌てて飛び退る様子が見えた。その瞬間—

 

 世界が揺れた。

 

 勇義の足が着地した瞬間に地が割れ、周りの建物も次々と倒壊していく。凄まじい音とともに、勇義の〝三歩必殺〟は(うつほ)のレーザーと同程度の威力を叩きだしたのである。

 

 浮遊していたのでその影響から逃れることのできた霊夢も顔をしかめ、

 

「あんた……本当に化け物ね。夢想天生はあんたに使えばよかったかも」

 

「どっちが化け物だか」

 

 その時、勇義の目に地霊殿でちかちかと光る何かが映った。途端に体に横溢していた闘気が萎えていくのを感じる。

 

(ち……時間切れかい)

 

 さとりは、勇義の戦いについては一切口出しをしない、好きなように戦っていい、と言っていた。勇義としてはそれがありがたかったし、広場という絶好の場所を用意してくれたことに感謝さえしていた。だが、さとりは一つだけ条件を出した。

 

『地霊殿から合図をした後は周りを巻き込むような技を使用しないこと』

 

 勇義は渋々、承諾した。その合図があるまでに霊夢を倒せればと考えていたが、こうなってはもうさとりの作戦に従うしかない。これは契約だし、ひいては地底を守るための作戦であるからだ。勇義も神経を限界まで昂らせる、あの戦いに名残惜しさを感じなくもなかったが、それはそれ、これはこれである。

 

「なあに、急に静かになったじゃない。疲れたの?」

 

「そう見えるか?」

 

「全然。まだまだパワー十分……ていうか力が有り余ってる感じね。あんたあれだけやっててまだ暴れたりないの?」

 

 霊夢は、呆れたように言う。ゆらゆらとした構えは一見無防備だが、いつでも攻撃を躱し、カウンターを叩きこむことができるようしているのだろう、身に纏う霊気はそれを表現し、絶え間なく霊夢の周りを流れ続け、隙なくガードしている。

 

「ああ。まだまだ」

 

 勇義は、両こぶしを構えると、霊夢に向かって跳躍する。霊夢がそれがいかなる回避も認めない超接近戦――いわゆる、格闘戦(ステゴロ)を挑まれたと認識したときには、目の前に勇義がいた。

 

「シッ!」

 

 勇義の短い気合とともに繰り出された拳は、霊夢のお祓い棒でガードされた。だが、

 

「………くそっ!」

 

 霊夢は勇義の剛腕を支えることが出来ず、お祓い棒で受けた衝撃は肩にも響く。反撃に放った封魔針も、超人的なスピードで躱され、はるか彼方へ飛んで行った。

 

「しゃあっ!」

 

 勇義は霊夢のみぞおち、顎、人中——勇義は霊夢を無力化するためにあえてここを狙っているので卑怯でも何でもない——を的確に狙い、連打する。霊夢も流石の反射神経でガードするが、圧倒的な膂力の差に、押される。そしてついに、

 

 ばきゃっ!

 

 防御していたお祓い棒が、折れた。

 

「なっ……!」

 

 驚きの声を上げる間もなく、勇義の拳は霊夢の顎を捉え、吹き飛ばしていた。霊夢はよろよろと後ろに下がる。朦朧としている様子で、どうやら顎に正確に命中したため、意識が飛びかけているようだった。

 

「……とどめだ」

 

 勇義は、最後にダメ押しの一発を叩きこもうと霊夢の胸倉をつかみ上げる。

 

「ったく、手間かけさせやがっ……」

 

 拳を振りかぶろうとした時、霊夢は余裕の表情を浮かべた。

 

 ぐさり。

 

 勇義の胸には、長々と、そして鈍色に輝く針が飛び出ていた。そしてそれは前方からではなく、後方から飛来したのだ。

 

「私のアミュレットは霊力で作ってるから霊力は無限なんだけど、封魔針は自家製なのよね……だから、回収機能がついてるのよ」

 

 勇義を貫いて戻ってきた封魔針にべったりとついている血を舐めながら、霊夢が言う。

 

「……小手先の技はあたしにゃ効かないよ」

 

「どうだか。結構効いてない?」

 

 霊夢は勇義の状態を正確に把握しているようで、確かに勇義は先ほどと比べれば、確実に弱っていた。おそらく戦いを続ければ、最終的に負けてしまうだろう。だが、勇義に焦りは無かった。というのも――

 

 

 

 

 

「頑張るわ、お姉ちゃん」

 

 声は霊夢の背後から聞こえた。水晶のように透き通り、しかし何の感情もうかがわせない声。これは―

 

 霊夢が反応しようとしたとき、さとりの放った暗殺者のナイフは、霊夢の腰に深々と突き刺さっていた。猛烈な痛みが走り抜け、霊夢はくずおれた。

 

「貴様………」

 

 霊夢のいつものような飄々とした雰囲気は消え去り、殺人鬼としての本性が露わになっていた。激怒を充満させ、背後から霊夢を襲った暗殺者―古明地こいしを睨みつける。

 

「あははは! やった! これでお姉ちゃんに褒めてもらえる!」

 

 虚ろな目で、こいしはけたけたと笑う。霊夢の鋭い視線も、勇義の哀れなものを見る目も意に介さず、満面の笑みで微笑んだ。

 

「ああ、霊夢、あなた、まだ生きてるの……?」

 

こいしは霊夢の喉にナイフをあてがっていた。

 

「あなたを傷つければ、お姉ちゃんが喜ぶ。じゃあ、殺したらどんなに褒めてもらえるかな? うーんと一杯頭をなでて、一緒に寝てくれるかな?」

 

 無邪気な笑顔。だが、その笑顔に本物の笑いはない。無意識の暗黒のみが、こいしの行動原理なのだから。

 

「は、あんたも十分狂ってるわね。馬鹿じゃないの? 人のために殺すなんて、私は、私の、私による、私のための殺ししかしないわよ」

 

「どうでもいい。私はあなたを殺せれば……」

 

 ぐい、とこいしの手に力が入る瞬間、霊夢は身をずらし、ナイフを小結界で受け止めると、そのままこいしの手を振り払った。

 

「ご生憎様、予想さえできればそんな攻撃、私には通らない」

 

「……逃げちゃった。殺さないと、褒めてもらえない」

 

 こいしはふらりと飛び上がり、霊夢を追う。だが、今の霊夢はかつて弾幕ごっこをしていた時のような容赦はない。

 

「馬鹿! やめろ!」

 

 勇義が叫ぶが、こいしは聞く耳を持たない。霊夢がこいしを一瞥すると、こいしは七色の光に包まれた。

 

 遅れて轟音が届き、こいしの体はぼろぼろになって、どさりと地面に転がった。最初の奇襲で霊夢を仕留められれば、こいしは勝っていた。だが、判断力が異常に低かったため、奇襲の失敗後は炎に吸い寄せられる虫のごとく、こいしは散ったのだ。

 

「せめてさとりがここに出てきてたら、結果は違ったかもね」

 

 霊夢は残る勇義に目を向ける。今の余波でさらに傷つき、満身創痍となっている。霊夢が近づいても、勇義は逃げるそぶりすらみせず、頑として動かない。

 

「………逃げないの?」

 

「あたしは、ここを守れと言われたからな。逃げることは契約に入ってない」

 

「……嘘をつけないってのも、損な性格よね」

 

 

 

 

「さとり様……」

 

 お燐が青ざめた顔で部屋に入ってくるのを見て、さとりは作戦の失敗を悟った。

 

「……勇義とこいしは?」

 

 こいしには、霊夢が勇義に意識を向けている間に背後から脊椎を狙って全身麻痺させろという指示を与えていた。これはもともとこいしの存在が認知できず、まして勇義との戦闘中ならば絶対に成功するであろう切り札だった。

 

「こいし様は霊夢に深手を負わせましたが、霊夢の逆襲になすすべなく負けたようです勇義さんは………」

 

 その時、勇義の叫びが聞こえてきた。力強く、どっしりとした安定感を覚える声。だが、それは裂帛の気合ではなく、断末魔だった。あまりの大音量に、かたかたとさとりの書斎の調度が揺れ始める。

 

「さとり様! 他に策は⁉」

 

「………もう無いわ」

 

 すがるような顔で見上げるお燐に、さとりは続く言葉を絞り出す。

 

「こいしに、すべてを賭けていた。もう、何も策は無い」

 

「そんな! じゃあ、どうするんですか!」

 

 ここまで来られると、さとりは霊夢から逃れることはできない。だが、自分の死は全く問題ではなかった。問題なのは――お空とお燐である。

 

 こいしには可哀そうなことをしてしまった、と思う。さとりを慕う心を利用して死に追いやった。自分はこの書斎で指示を出すのみで、未だ敵を倒すのに指一本使わず、味方を無駄に殺してしまっているのだ。

 

「お燐、お空と一緒にここから逃げなさい」

 

「……さとり様は?」

 

「残るわ。霊夢が狙っているのは、私だから」

 

 有無を言わせず、行きなさい、と言う。お燐は少し黙っていたが、頷いて部屋を出る。その瞬間、お燐の姿は、消え去った。右の通路から放たれた光球を無防備に受け、吹き飛ばされたのである。

 

 霊気の炸裂する音と共に、ほこりがぱらぱらと落ちる。さとりが息を呑んで見守っていると、跡形もない扉の向こうに、霊夢が現れるのが見えた。

 

「………」

 

 さとりは、死がすぐそこまで迫っているのを、ひしひしと感じていた。だが、万策尽き、完全なる詰みとなってしまった今は、もうどうにでもなれとでもいうような、この異変で多くの者が味わった諦念が例に漏れず脳髄にしみわたっていた。

 

「逃がすのが遅かったわねー、何事も、早め早めが重要なのよ?」

 

 のんびりとした口調で、しかしさとりに向かって歩くスピードは速い。さとりは黙って霊夢が近づくに任せる。霊夢はさとりが抵抗すらしないのに気づき、途中で興をそがれたのか、ため息をついた。

 

「おやすみ、さとり」

 

 霊夢は座って動かないさとりに、アミュレットを投げつける。さとりの意識は、暗転した。

 

 

 

 




 ちょっと急ぎ気味な文章になってしまい、申し訳ありませんでした。
 しかし、リンカーンの演説をここまで最低な感じでパロディしてしまったのはなかなか無いかな……? 夢枕にリンカーンに立たれたらジャパニーズDOGEZAする覚悟をもってやりました。


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聖餐

 

 

 じゅううう……。

 

 さとりは何かの焼ける音で意識を取り戻した。眼はまだ瞑ったままだが、鼻腔を香ばしい香りがくすぐっていく。思わず目を開けると、そこは地霊殿の食卓だった。目の前には黒い鉄板—熱されて、その上にのっている肉を焼くことが出来る、いわゆる焼き肉プレートである—がある。先日河童から買い取って焼き肉パーティーを予定していたが、それがなぜここに—

 

 そこまで思考を巡らせて、さとりは自分が椅子に縛り付けられて座っているのに気がついた。結び目がきつく、ロープも頑丈であるためどう足掻こうともほどけることは無い。だが、幸いサードアイだけは自由に動かせるようだった。

 

「もう、おとなしくしててよね」

 

 台所から、霊夢がやって来た。さとりが何か言う前に持っていた皿から肉をプレートにのせていく。

 

「……なんで私を生かしているの?」

 

 さとりが最後に覚えているのは、霊夢に護符を投げつけられたところまでだ。それがどういう気まぐれで、霊夢はさとりを殺さなかったのか。

 

「うーん、私の勝ちはもう決まってるし、どうせなら殺す前にあんたと焼き肉しながらお喋りしようかと思ってね」

 

 霊夢はそう言いながら肉をひっくり返す。「ちょっとあんたのとこの道具と肉使わせてもらってるけど多めにみてね」と言う姿はまるでいつもの霊夢だった。彼女があの大惨事を引き起こしたとは到底思えないほどに。

 

「ゆっくりこうやって話すのもいいかと思ってね。死ぬ前に私に何でも質問できるわよ?」

 

 霊夢は「あーん」と言ってさとりに肉を差し出す。

 

「誰がこの状況で食べると……そんなことよりお空とお燐は……」

 

「お話を続けたいなら食べてほしいなあ」

 

「……………」

 

 さとりは霊夢の希望通り、口を開いて肉を「あーん」してもらった。

 

「どう、美味しい?」

 

「………美味しいから、さっさと答えてくれないかしら」

 

「つれないわね。まあいいわ。お燐とお空は私が殺しておいた。流石に放っておくわけにもいかないしね。お燐はあんたを気絶させた後、まだ息があったからとどめを、お空はあんたの書斎に向かってたから殺した」

 

「………そう」

 

 さとりは、結局誰も救えなかったのだ。霊夢を地底に閉じ込めることには成功したが、その代償として家族や仲間たちを失ったのだ。守屋を見捨てたからか、地底を霊夢との戦いに巻き込んだからなのか、どの因果による報いかは分からないが、それを受けているのかもしれない。

 

「しっかし本当にあんた、面倒なことしてくれたわね。地上に出るのに10日は掛かるわ。永遠亭、紅魔館、天狗ども、守屋と戦ってきたけどあんたらが一番時間を稼げたかもね。そこは褒めてやるわ」

 

 霊夢はそう言いながら、美味しそうに肉を頬張る。

 

「でもこいしが私の腰さして、結構痛かったわ。ちゃんとレバー食べて血を増やさないとね」

 

 霊夢は笑いながらレバーをのせ、焼き始める。

 

「霊夢……あなた、どこまでこれを続けるつもり?」

 

 さとりは、この人の形をした怪物に問うた。このまま殺戮を続け、その果てに霊夢は何を得、どうなるのだろう。霊夢はすぐには答えず、黙っていたが、やがて口を開いた。

 

「最後に藍を殺すまで、よ」

 

「………」

 

「藍さえ殺せれば、後はどうだっていいわ。私に手出しできる奴なんてあんまり残ってないだろうし、だいたい私が大勢殺すのも手段の一つに過ぎないわ。たまたま私が殺戮の道を選んで、楽しみながらやってるだけ。恨み言を言うなら、いろいろ私を詮索してた魔理沙にしなさいな」

 

 再び、「あーん」と言われ、おとなしくレバーを食べる。

 

「しかし地底って勇義は戦闘狂だわ、こいしはサイコだわでまともな奴が全然いないわよね。まあヤマメ辺りは真面目だったけど、お燐は死体性愛者(ネクロフィリア)だっただろうし。それが地上を追放されるわけよ。ほんと頭おかしいんじゃないかしら」

 

 その彼女らを一人残らず鬼籍に入れた自分自身を棚に上げ、霊夢はもっともらしく頷く。そして肉を取ろうとして、もう皿にのっている分を食べつくしたことに気付いたようだった。

 

「お替わり持ってくるわね。いまから切り分けるんだけど、どれがいい?」

 

 霊夢はそう言って大きな箱を差し出した。さとりはそこでおや、と思った。というのも自分の用意していた肉はそんな箱には入れていなかったのだから。不思議に思ったさとりは箱の中身を見て、

 

「………っ!」

 

うぷ、と吐き気が込み上げてきた。箱の内部は血抜きもせずに解体を行ったためか、血みどろとなっている。そして、その源である死体は—

 

 霊夢が箱を動かした拍子に振動が伝わったのだろう、ごろり、と丸い物体がさとりの目に映る。

 

 こいしの頭部だった。眼は虚ろに開いたままで、涙のあとがついている。想像を絶するような苦痛の末に息絶えたのだろう、見るに堪えないほど哀れな、苦悶の表情を浮かべている。

 

「う……まさか……」

 

「察しが良いわね。あ、サードアイで私の心読んだの? ……ま、そういうこと。さっきから私とあんたが食べてるのは、こいしの太ももの肉と、肝臓よ」

 

「え? 私が食べてたのは……こいし? やめて、そんな冗談は……」

 

 さとりは霊夢にすがるように見つめるが、見つめられた霊夢はにっこりと笑って、

 

「なんでそんなに驚いてるのよ。いいじゃない。こいしはあなたの栄養となって生き続けるのよ。こいしはあんたが大好きだったみたいだし、本人も喜ぶはずよ。……まああんた自体の命はそろそろ私の栄養になるかもしれないけど」

 

 霊夢は、ふふふ、と自分の冗談に笑った。

 

—何なんだ、こいつは。

 

 さとりは唖然として霊夢を見た。もはや霊夢の精神はかつての原型を留めず、醜悪にねじ曲がり、変質している。こいしの肉を食べさせられ、えずいているさとりを鑑賞し、楽しんでいるのだ。

 

 それを認識したとき、さとりの中に、ふつふつと煮えるような感情が湧いて出てきた。これまで、霊夢を単なる敵だと見ていたが、今は違う。

 

——幻想郷にいてはならない、怪物だ。

 

 目の前にいるのは霊夢でも博麗の巫女でもない。ただの殺戮者。幻想郷で存在が容認される「敵」ではない。瑞々しい林檎の箱に一つだけ混じった、腐った林檎—異常者だ。

 そして、その異常者は、さとりの倫理観での「人間」にはカテゴリされない。そしてそれに対しては、何をしても罪悪感はかけらもないであろう。

 

「…………霊夢」

 

 だが、この椅子に縛り付けられている状況では、有効な反撃は出来ない。だが、ただ一つだけ、霊夢にささやかな爪痕を残す、切り札ですらなかった最後のカードを持っているのだ。

 

 サードアイを向けると、霊夢は顔にさっと警戒の色を浮かべた。

 

「……晩餐を終えるには早いけど、あんたが悪いのよ?」

 

 針をさとりの喉に突き付け、霊夢は溜息をつく。その瞬間—

 

「想起『恐怖催眠術』」

 

 霊夢がさとりに飛び掛かる寸前、サードアイは閃光を放った。霊夢は網膜の焼けるような光を目の当たりにし、一瞬だけ目が眩んだようだった。……が、光が収まってすぐに目を開き、さとりを睨みつける。

 

「はあ……余計な真似をして、せっかく貰った時間を縮めようってんだから、ほんと理解できないわ」

 

 と言うと、縛られて身動きできないさとりにゆらりと近づき、とん、と針を喉の頸動脈のはしる部分に当てる。そしてゆっくりと、しかし確実にさとりの喉に針を差し込んでいく。

 

 喉を貫く痛みで引き裂かれてゆく意識の中。さとりは先に逝った家族たちを幻視して微笑むと、静かに息絶えた。

 

 

 

 

「どうやら、霊夢は地底に向かっていたらしいな」

 

 命蓮寺にて。未だ内通者の正体も暴けず、動くに動けない状況だったが。魔理沙は一輪と射命丸、マミゾウに頼んで妖怪の山の様子を調べに行ってもらっていた。もし一人だけで行かせれば行った者が犯人であった場合、持ち帰る情報が嘘である可能性がある。かといって2人で行かせれば犯人にもう片方が殺されるかもしれない。というわけで、3人を偵察に出したというわけなのだ。魔理沙は神子、聖、藍とともに、偵察の結果を聞いていた。

 

「ええ。しかもその地底の入り口が崩落してたんです」

 

「……これがさとりの狙いか」

 

 おそらく霊夢を地底に閉じ込めることで時間稼ぎを計っているのだろう。魔理沙の知らせには霊夢に残されている時間を記していたので、それを見て作戦を時間稼ぎに切り替えたのだ。

 

「しかし、戦況が外からでは全く分からないな」

 

 言ったのは神子。魔理沙もうん、とひとまず頷いく。が、実際は命蓮寺外の戦闘よりも、内部に潜む者について考えていた。

 

 まず、神子と聖だが、椛の死体が見つかった時には魔理沙と一緒にいたものの、椛がいつ死んだのか分からないため、はっきりしない。他の者たちも同様なのだが、よくよく考えると、一人だけ例外がいる。射命丸である。

 

 彼女は妖怪の山を見限り、椛を連れて命蓮寺へやってきた。この、椛を連れてきた、というのが射命丸がはっきり白である可能性が高い理由なのである。

 

 何故かというと、最初に狙われたのが椛、つまり霊夢の位置を把握することが出来るレーダーの役割をもつ者であり、射命丸が内通者であればわざわざ椛を命蓮寺に連れてこず、自分だけ来ればいい。そうすればわざわざ椛を殺さなくてもいいし、何より魔理沙たちに予想外の一撃を加えることが出来る。

 

 例えば今回は椛が死んで裏切り者がいるという事実が分かったわけだが、初手で藍を狙われていたら、取り返しがつかなかった。……であるにも関わらず、犯人は藍を殺さなかった。それは何故か?

 

 藍の周りには常に魔理沙や他の人物がおり、しかも藍自身が強いからである。椛は犯人が藍に手が出せなかったため、代わりに狙われたのだろう。

 

「魔理沙、聞いてるか?」

 

 藍が魔理沙に問うたので、魔理沙は思考の海から引き上げられた。

 

「悪いな。……だがまあ霊夢はしばらく出てこられない。これは確実だ。だから、その間に内通者を見つけ出して……始末したい」

 

 魔理沙の言葉に、聖と藍がごくりと唾をのむ。神子は顎に手を当てて考え、

 

「確かに今のうちに背後の憂いを消しておかないと、後で困ることもあるだろうな。私は賛成だ」

 

 藍と聖は答えなかったが、答えは既に決まっていた。

 

 

 

 

 

 

 地底で霊夢が戦い、魔理沙が霊夢の内通者を見つけるのに苦悩している間、魔理沙サイド、霊夢サイドのどちらからも認知されていない1つのグループがあった。

 

 妹紅、フランドール、慧音の3人である。彼女らは皆この戦いにおいて死んだ、もしくは行動不能と思われており、存在すら想定の対象にならないという奇妙な立ち位置にいる。しかし当の本人らはそれに気づかず、竹林を抜けたあと、どこへ行くか迷っていた。

 

「………まず霊夢の居場所が分からなければ、戦いようがないだろう。私たちに今一番必要なのは、情報だ」

 

「んなこた分かってる。じゃあどうするかってことだろ。フランドールはどう思う?」

 

「………よくわかんない」

 

 フランドールも首をかしげるばかりで、一向に目的が定まらない。3人寄れば文殊の知恵と言うが、ゼロは3つ集まってもゼロなのである。

 

「……しゃあねえ、ここでずっとうだうだ言っててもどうしようもない。一番そういうのに詳しそうなやつに訊くのが一番だろ」

 

 妹紅がそう言うと、慧音も同じ人物を思いついたようで、

 

「魔理沙か。確かに彼女なら、何か知ってるかもしれないな」

 

「そうだ。できるだけなら藍にも会いたいんだが……」

 

 魔理沙に会って、慧音に眠り薬を注射できたか訊くことができれば、慧音が殺人鬼のままなのか、それともまともに戻っているのかの判別がつくのである。

 何故かというと、慧音は妹紅に〝薬で眠らされた〟と説明しており、それが本当であれば、永琳は慧音を起こしても大丈夫という判断のもとで慧音を目覚めさせたことになり、魔理沙が薬を使って慧音を眠らせていないと答えれば、慧音は霊夢に加担していたということになる。

 

 ただその場合だと慧音がわざわざ永遠亭にいた理由が分からないので、霊夢に目覚めさせられたという解釈も成立する。しかし、それでも霊夢がどうやって目覚めさせたのか、どうして慧音を味方として連れて行かなかったのかという疑問が残るため、薬が切れて目が覚めたという可能性もあるかもしれない。

 

(ああ、こんがらがってきた)

 

 とにかく、魔理沙に会えば、慧音の白黒はだいぶはっきりしてくるのだ。完全なグレーから、白に近い灰色か、黒に近い灰色に。

 

 フランドールは、妹紅と慧音の話を黙って聞いていたが、うーん、と意外と可愛らしく考える仕草をして、

 

「要するに、魔理沙に会えば霊夢の居場所がわかるかもしれないってこと?」

 

「そういうことだ。………妹紅、この子抱きしめていいか?」

 

「肉片になりたかったらな」

 

 ……子供好きなのは、殺人鬼になった後も性質として残るのだろうか。変な意味ではなく、慧音の精神がまともになっているという証拠には、なりえないのか?

 

 自問自答しても、もちろん妹紅にそれに回答する力はない。このまま考え続けても有益なアイデアが出るようには思えなかったので、妹紅は溜息をついて、フランドールを抱きしめようとする慧音と、腕を突っ張ってそれを阻止せんとするフランドールに、声をかけた。

 

「よし、じゃあ行こう。魔法の森に」

 

 

 

 

 




アステュアゲス「実はな、お前の膳に供した肉は他の膳のものとは違う。とびきりの獣の肉なのじゃ」というオチで、最終決戦まであとわずかとなりました。(「馬ーっ鹿じゃねえの!?」で検索すれば元ネタは出ます)

あと6話くらいで完結するんじゃないかな……とおおざっぱに計算してみますと、12月の頭くらいには終わりそうです。完結後は次作を書きながら誤字を修正していかないといけませんね。見返すこともあるのですが、誤字が多い。本当に申し訳ございません……。


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嵐の前の静けさ

 

 命蓮寺の一室で、聖と神子を除き、藍と魔理沙は二人で話し合っていた。

 

 紫の復活まであと14日—2週間という時は、この状況の中では途轍もなく長い。地底に閉じ込められてはいるが、霊夢が出てくるのも時間の問題である。少なくとも、紫の復活まであそこにずっと閉じ込められているということはないはずだ。

 

「魔理沙……本当にそれで犯人を捕まえられると思うのか?」

 

「……それで見つけられたらラッキーってことだよ。賭けで必ず勝つ方法。両方に賭けるんだぜ」

 

 藍は魔理沙の言葉を聞いて特に気分を害した様子もなく、ふっと笑って、

 

「でもその作戦だと、誰かが死ぬかもしれないぞ? 霊夢が来る前なのに、それで味方を犠牲にするかもしれない作戦はどうなんだ?」

 

「犠牲は出てもいい。内通者さえ消せば私たちは命蓮寺を脱出するという選択肢もできる」

 

 魔理沙は一切の感情を封印し、内通者をあぶりだすための作戦を一つ、用意していた。確かに味方に損失が出るかもしれないが、この際は仕方ない。藍さえ生き残ればいい—

 

 魔理沙はその時、まるで将棋だと思った。歩を突き捨て、必要とあらば竜だろうが馬だろうが捨て、勝利のためにいかなる犠牲も問わない。勝てば、すべての犠牲は報われるのである。

 

—相手の霊夢が強すぎるけどな。

 

 魔理沙は苦笑した。霊夢さえ討てばこの戦いは終わる。だが、取ってはならない駒が攻めてくるのだ。どうしろと言うのだろう。

 

「……じゃあ私は手はず通りに……」

 

 藍が言おうとしたとき、空も震えるような絶叫が聞こえてきた。魔理沙は藍を置いて、その方向へと向かう。

 

「どうした」

 

 魔理沙が来た時には既に、人だかり—霍青娥と宮古芳香、寅丸星がいた。そして、彼女らが囲むのは昨日偵察に行って帰ってきた一人、雲居一輪だった。彼女はうつ伏せで倒れていた。魔理沙がおそるおそる裏返すと、惨たらしい裂傷が胸に走っていた。

 

「……一輪……」

 

 同じ寺の一員だからだろう、寅丸が目を伏せた。しかしこの状況の本当に恐ろしいのは、そんな彼女でさえも内通者である可能性があるという点である。魔理沙はすっくと立ちあがり、自分より先に到着していた青娥に訊く。

 

「ここに最初に来たのは?」

 

「私ですけど。私の能力、壁抜けですしねえ、一輪さんの叫びが聞こえたもんで、真っ先に来ましたよ」

 

「そうか。この死体、動かしてないよな?」

 

「ははは、まさか。芳香みたいにキョンシーにできるかなって見てたんですけどねー」

 

 青娥の台詞に、寅丸が眉間に皺を寄せる。仲間をキョンシーにしたいという青娥を嫌うのは当然だろうし、そもそも霊廟は自分の追い求めるものに忠実で、命蓮寺は仏の道を歩む者達である。感性が微妙に違うのかもしれない。魔理沙は寅丸をなだめながら、一輪の死体を見る。

 

 前に裂傷を負っているということは、攻撃を真正面から受けた一輪は犯人の姿を見たはずである。だが、一輪が不意打ちでもない真正面からの攻撃を甘んじて受け入れるだろうか? 犯人が親しい人物だったから気を許したのだろうか。

 

「………いや、待てよ。私は前に3人1組で行動する指示を与えなかったか?」

 

 魔理沙はこのような事態を防ぐためにその対策を用意していたのに、何故一輪は一人でここにいたのだろう。残りの2人はどこにいる?

 

「どうしますか、魔理沙さん?」

 

「ひとまず全員集めてくれ、寅丸」

 

 

 

 

 寅丸が皆に魔理沙の指示を伝え、一同が一つの大部屋に集まった。どうやら一輪が殺されたという話は伝わっているらしく、それぞれ不安そうな顔を浮かべている。

 聖、神子、藍は落ち着き払っているように見えるが、内心では少し動揺しているだろう。

 

「ここに集められるまで、ずっと一緒だったというグループは手を上げろ」

 

 犯人は1人であるため複数人がぐるということは無い。仮に犯人が脅しをかけていても庇うことはまずあるまい。何しろ、犯人の正体さえわかれば物量で圧倒できるのだから。

 

 手を挙げたのはマミゾウ、ぬえ、秦こころ、神子、射命丸、屠自古である。ちょうど6人。まずこの中に犯人はいない。それぞれ一輪を殺せるほどの遠隔攻撃の手段を持ち合わせず、かつお互いに見張っていたからだ。

 

「寅丸、村紗、布都、青娥、芳香、聖のうち一輪と一緒だったのは?」

 

 寅丸と村紗、そして聖が手を上げる。聖は魔理沙の聞きたいと思っていることを察したようで、魔理沙が何か言うよりも早く、

 

「一輪は倉庫の方に食料の備蓄を取りに行っていました。私たちもばらばらで、アリバイはありませんよ」

 

 寅丸たちは頷いた。魔理沙は残る青娥と芳香、布都のグループに目をやる。

 

「お前らはアリバイあるか?」

 

「我は太子様の方に命蓮寺をちょこちょこっと改良してもいいか聞きに行く途中だったからな」

 

 布都は残念そうに首を振る。つまり、アリバイは無いということだろう。それにしても命蓮寺を改造するつもりなら相談すべき相手は神子ではなく聖ではなかろうか。よく見ると聖の額に青筋が浮かんでいる。魔理沙はひとまず、残った青娥に水を向けてみた。

 

「青娥は、第一発見者だから一番ありそうだとは思うけど、そこらへんどうだ?」

 

「どうでしょうねえ、大体一輪さんを殺したのが私なら、返り血が服に多少なりともついていてしかるべきだと思いますがねえ。そもそも、私は多少の仙術と壁抜けだけで一輪さんを真正面から殺せませんし。それに芳香は私と一緒にいたわよねえ」

 

 芳香は頷くが、所詮は青娥のキョンシーにすぎない。芳香の証言はあてにできないが、青娥の言葉は確かに説得力のあるものだった。それに青娥は壁抜けが出来るのでわざわざ疑われるような第一発見者になる必要もない。確定ではないが、白に近いかもしれない。

 

 となると、残る寅丸、村紗、布都、聖のうちの誰かが犯人である可能性が高い。確実にこの4人の中に居るというのなら4人全員を殺すという選択肢を入れてもいいが、幸か不幸か、まだ確定ではないし霊夢に対抗できなくなる恐れがある。

 

 だが、今は悠長に推理ごっこをしている暇などない。さっさと罠を張って内通者をあぶりだすまでのことである。もし犯人がこれ以上動かなくても、それを逆用させてもらえばいい。

 

 

 

 

—藍はここの部屋にいろ。マミゾウを影武者にしている。

 

—尻尾を出す心配は?

 

—ない。安心してここに居ろ。

 

 壁越しに魔理沙と藍の会話を聞いて、聖は心の中でほくそ笑んだ。元々ここは聖たちの寺である。壁の薄いところも知っているし、そこに耳を付けさえすれば話を聞けることも知っていた。布都が命蓮寺の改造などと言いだした時は焦ったが、一輪の殺害でうやむやになった。そして現在7日が経っている。

 

聖白蓮は、この戦いにおいて他の命蓮寺に集う者とは異なった志を持つ、分かりやすく言うと霊夢に操られている内通者であった。聖としてはあと5日待って霊夢が地底から解き放たれるのを待つ(連絡でそう言っていた)か、それとも自分で藍を仕留めるかのどちらかの行動をそろそろ決めなくてはならない。

 

(それならやっぱり、霊夢さんと合流して、戦闘中のどさくさにまぎれて藍さんを殺害するのがいいかもしれませんね)

 

 これ以上危険な真似をすると排除されてしまう可能性が高い。椛を後ろから短刀で刺し殺し、一輪をすれ違いざまに一瞬、手刀で胸部を切り裂いたのも、なかなかリスクの大きい行為だった。血しぶきを避けるために椛は頚椎を狙って相手の即死を狙い、一輪の返り血は、聖の持つ魔人経巻で受け止める。巻物の部分は魔力によって作られているので、返り血をそれで防いだ後、魔力の供給をやめれば、巻物は消え、一輪の血糊は全て落とすことができる、というわけである。

 

とにかく霊夢と合流してからの2日間が正念場となる。紫の復活だけは阻止しなくてはならない。

 

(一輪には可哀そうなことをしましたが、これも霊夢さんのため……一輪、あなたの死は無駄にはしません。必ずや藍さんを仕留めて見せましょう)

 

 今の会話は、おそらく霊夢に藍を討ち取らせたと誤認させ、余裕をこいている間に紫の復活を待つという作戦なのだろう。確かにそれが実現できれば、この作戦は完璧である。聖が聞いている、という一点を除けば。

 

 

 

 

「太子様、命蓮寺のあちこちに結界を張り終えました」

 

 月明かりが雲の狭間に見え隠れする夜。神子は寺の門の上で布都と屠自古とともに、まん丸い月を見上げていた。1000年近くの時を超えて付き従っている彼女らであるが、布都はアリバイが無い。元々謀略に長けている者なので、彼女は本性を隠しているだけかもしれないし、いつも通りなのかもしれない。

 

「……ご苦労。酒とか飲むか?」

 

「いえ、別に私はいいです」

 

「我もじゃ」

 

 2人とも断った。元々屍解しているので毒などが効くはずも無いし、神子が犯人でないと分かっていると思うのだが、酔いが回るといざという時に対処できないかもしれないからだろう。何故毒は無効で酒で酔うのかはよくわからないが……

 

「霊夢はまだ地底に閉じ込められているようです。魔理沙はそのうち出てくると言っていますが、本当に来るんでしょうか。さとりが霊夢に勝ったという可能性は……?」

 

 屠自古は不安そうに聞く。彼女は復活に失敗し、霊体である(布都のせい)ため、霊夢の攻撃で斃されれば、死がすなわち意識の完全消滅に至る、相性最悪の相手だからだろう。まだ肉体のあるものなら念入りに攻撃されなければ魂までの消滅は無いためおそらく紅魔館や妖怪の山の死者は魂まで攻撃されずにあの世へ行っているのかもしれない。

 

「大丈夫だ……とは言い切れないが、とにかく霊夢が来たら藍を守る。紫の「境界を操る程度の能力」が絶対の勝利をもたらす切り札だからな。あと数日持ちこたえればいい」

 

「そうですな。一輪どのは不幸でしたが……」

 

「多分聖か寅丸が悲しんでやってるさ。……まあどっちかが殺してるかもしれないが」

 

 

 

 

「うう、一輪……」

 

 寅丸が椛の横に一輪の遺体を横たえた。聖も哀しみのこもった眼でそれを見守っている。秦こころは、寅丸が一輪を抱きかかえて泣きじゃくっているのを見て、少し心の中がひんやりするような、何ともやりきれない気持ちになっていた。

 

「寅丸、もう寝かせてあげなさい。一輪に笑われますよ」

 

「……はい」

 

 寅丸は、一輪を寝かせると、震える手で一輪の眠っているかのように見える顔の上に布を被せた。その時改めて一輪が死んだという事実に打ちのめされたようで、俯いたまま、短い嗚咽を漏らす。一輪が死んでからずっとこの調子で、かれこれ一週間である。

 

「……寅丸」

 

 とんとん、とこころは背中を叩いた。寅丸がこんな風に泣くのを、初めて見た、と思う。いつもはどんなミスをして聖に叱られても一滴も涙を流さないのに。

 

 寅丸はしゃくりあげながら、なおも一輪の名を呼ぶ。もう無駄だと分かっていても、絆が深い者の死は堪えるのだろう。少し、こころももらい泣きをした。

 

 聖が優しく寅丸を呼ぶ。彼女も心を痛めているだろうに、寅丸を慰めようとしているのだ。こころは聖を見あげて—少し違和感を持った。

 

「寅丸。出ていきましょう」

 

 声は温かみがある。顔も悲し気に目を伏せている。だが—感情を人一倍研究したから分かる、こころには、その表情から、どこか嘘臭さを感じ取っていた。

 

「聖……」

 

「何ですか、こころさん」

 

 聖がこちらに顔を向ける。と、その眼の端に涙が滲んでいるのが見えた。

 

「いや、何でもない」

 

 こころは、不思議そうな顔をする聖から目をそらし、聖を疑った自分を恥じた。おそらく、今のは自分の勝手な妄想だろう。聖も一輪を喪った悲しみを胸に湛えている。外に出さないだけなのだ—

 

 こころはそう納得し、部屋を出た。

 

 

 

 

 残り1週間。霊夢との死闘は、目前にまで迫って来ていた。

 

 

 

 

 

 

 




 次回からようやく命蓮寺、霊廟連合VS霊夢&聖となります。正直命蓮寺と霊廟のメンバーが多すぎて書ききれてないです。村紗とぬえの台詞、一言もないんだよなあ……。ちなみにこのようなごちゃっとした回はこれで最後となります。あとはbattle battle!ですね。


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魔理沙の罠

 

 

 紫の復活まであと2日―

 

 

「はあっ!」

 

 裂帛の気合とともに、地底の入り口を塞いでいた瓦礫が吹き飛ばされる。もうもうと立ち込める砂塵の中から、霊夢は姿を現した。

 

「もう……ほんと疲れたわ……」

 

 ここしばらく、霊夢は封鎖された入り口を開くべく、霊弾でひたすら岩を吹き飛ばし、取り除いていた。その間地底の生き残りの者たちが稀に襲い掛かってきたりしたので、10日と見込んでいたのが12日に延びてしまった。もうそろそろ本気で藍を仕留めに行かねばまずい。霊夢はすぐさま、命蓮寺の方へ飛び立つ。まだ空は暗く、朝日も出ていない。

 

 幸い潜入している聖から、情報は得ている。魔理沙も必死に策を巡らせているらしく、どうやらマミゾウというデコイをちらつかせ、藍を守る予定のようである。

 

 魔理沙もよく考えるものだ、と思った。霊夢と慧音の正体を見破ったことといい、柔軟に作戦を用意する辺りといい、魔法の才能は無いが、頭は悪くないのだろう。

 

 しかし聖に聞かれていては、それは全て霊夢に伝わるのだ。魔理沙は最後の最後でツメが甘かったのである。

 

(でも……もうすぐ終わる)

 

 霊夢は山の向こうに見える命蓮寺を見て、にこりと笑う。これで最後。この戦いに終止符を打つことが出来る―

 

 その時、命蓮寺の方角から発射された熱線が霊夢の傍を通り過ぎた。魔理沙のマスタースパークではない。おそらくこれは、寅丸の「アブソリュートジャスティス」。絶対正義、などという大層な名前ではあるが実際はただの熱光線である。

 

 霊夢は、ここからはるか遠く、命蓮寺の門の上に立つ寅丸を視認した。寅丸は宝塔をこちらに向け、狙いを定めたようだった。

 

「………簡単には入れてくれないってわけね」

 

 次々と放たれるレーザーを躱し、回避不能な場合は結界で防御する。すでに相手はこちらの接近を察知していたらしい。今のところ攻撃してくるのは寅丸だけだが、しばらくすれば他の奴らも攻撃に参加して面倒なことになる。さっさと寅丸を斃さねばならない。

 

 霊夢は横薙ぎの一撃を自由落下によって回避してのけると、そのまま地面に激突する寸前に揚力を回復し、再び舞い上がる。こと、空を飛ぶことにかけては霊夢の右に出る者は居ない、と思う。強いて言えば射命丸にスピードで負けるかもしれないが—

 

「霊夢さん、すみませんね」

 

 疾風が吹き付けた。

 

 霊夢の飛ぶ力を一瞬だけ上回るほどの風圧は霊夢を何十メートル近くも吹き飛ばした。霊夢は真空の刃によって生じた腕の切り傷を見て舌打ちしながら、相手を見やる。

 

「言っておきますが、これは本気ではないですよ」

 

 射命丸は珍しく天狗の団扇を取り出して、ぱたぱたと煽いでいる。いつものにやにや笑いは無く、鋭い視線を霊夢に浴びせている。

 

「……あなたがヒーローとして、異変を解決する記事を作るのが私は好きでしたんですけどね。今のあなたは、私の記事にはふさわしくない」

 

 射命丸は扇を霊夢に真っすぐ向ける。

 

「霊夢さん、私の都合でまことに勝手ですが……藍さんを殺すのは諦めてください」

 

「まだ、あんたは説得が通じると思ってるの?」

 

 射命丸は、首を横に振った。

 

「いえ。聞いてみただけです。どうせあなたは、端から私を殺しにかかってくるでしょう?」

 

「そうね。間違ってないわ」

 

 霊夢は、袖の中に忍ばせていたお札の一枚を射命丸に投げつける。だが、お札は射命丸に触れる前に、ずたずたに千切れ、紙片となって散った。

 

「……本当に残念です」

 

 射命丸の周囲から、高く風の唸る音が聞こえ、姿が揺れる。彼女は〝風を操る程度の能力〟で作り出した風のバリアに守られているのだ。

 

 射命丸が扇を一振りすると、猛烈な勢いの風が吹き付け、霊夢の髪をはためかせる。

 

「塞符『山神渡御』!」

 

 射命丸の凛とした声が空に響き渡り、無数の光球が全方位に放たれる。通常の弾幕による攻撃であるが、シンプルなだけにかえって速攻は難しい。霊夢は迫りくる光弾を躱しながら、射命丸に近づいてゆく。

 

「させませんよ」

 

 接近戦は不利だと見ているのか、射命丸は素早く飛び退って旋風を巻き起こす。霊夢が駄目元で放った封魔針は微妙にその軌道を逸らされ、射命丸の髪を掠めただけだった。

 

(案外こいつ、厄介ね……)

 

〝風を操る〟、これも彼女の弾幕と同じように単純であるがそれだけに致命的な弱点が無い。攻守に優れ、物理的な媒体を必要とする攻撃は全て無効化されてしまうのだ。

 

「物理的な攻撃であれば……ね」

 

 

 

 

—2分前

 

 寅丸は数度の攻撃の後、再び宝塔によるレーザーを放とうと霊夢に狙いをさだめていた。

 

(……殺しはしない。だが、戦闘力をそぎ落とすことさえできれば)

 

 今、霊夢は寅丸の攻撃の終わった直後に現れた射命丸との戦いに夢中である。肉食獣は目の前の相手に襲い掛かっている間、傍にいるハンターにまで気を回すことはできない。これならいくらでも狙える。後は射命丸を誤射しないようにきっちり照準して……

 

「寅丸、どうしたのですか」

 

 声がして、寅丸は思わずそちらを向いた。柔らかい声で予想はしていたが、そこにいたのは聖だった。

 

「聖! ちょうどいいところに。霊夢さんが来ました! 早く皆を呼んでください!」

 

 聖は寅丸の指し示す方向を見て、頷いた。

 

「射命丸さんと闘ってますね。はやく撃ちなさい」

 

「分かってますよ……!」

 

 寅丸は高速で飛び回る霊夢の背を追う。この距離でも、当たれば霊夢を撃墜することくらいはできるのだ。しかし外せば霊夢には気づかれる。一発で決めなくてはならない。

 

 吸う。吐く。吸う。吐く。

 

 数度の呼吸で動悸をおさめ、霊夢が背中を見せた一瞬—

 

(捉えたっ!)

 

 寅丸がレーザーを放とうとした瞬間、宝塔を持つ手が、聖によってがしりと掴まれ、狙いがずれる。

 

「え?」

 

 ずれた照準の先にいたのは、射命丸だった。

 

「しまっ—」

 

 気が付いたときには、既にレーザーが放たれていた。空を焦がしながら熱線は一瞬で空を駆け抜ける。攻撃を放った寅丸は、呆然としていたが、はっとして自分の腕を掴んでいる聖を見る。

 

「聖! 一体なんの真似……」

 

「何のって……見ればわかるでしょう? 裏切りですよ」

 

「まさか、あなたが……!」

 

 それを聞いた寅丸はきっと聖を睨みつける。が、次の瞬間、それは苦悶の表情に変わった。

 

 ぼきり、と聖の強化された腕力で、寅丸の右腕が粉砕される。聖が手を離すと、寅丸の右腕はだらりと下がった。寅丸は脂汗を流しながら、痛みのあまりその場に座りこんでしまった。

 

「あッ! う、腕がっ!」

 

「今更気づいたんですか? だからあなたはいつまで経っても、どん臭いんですよ」

 

 聖とは思えぬ物言いに、寅丸は一瞬気圧された。だが、その顔には寅丸への嘲笑ではなく、ただ仕事を黙々とこなしているだけで、別に好きでやっているわけではないような表情があった。

 

(やはり、聖は霊夢に操られている……。皆に、知らせないと……!)

 

「逃がしませんよ」

 

 後ろへいざろうとした寅丸の足を、聖の右足が踏みつける。ぐしゃ、と言う音がして、寅丸の右足は動かなくなった。おそらく骨だけでなく筋肉や神経も断裂したのだろう、麻痺してしまったかのように動かせない。

 

「いや、わかりませんか? 寅丸、あなたは死にます。……しかし、あなたの死は無駄にはしません。ちゃんと藍さんを殺してみせますので」

 

「……聖、あなたは操られているんです。霊夢のいいなりになど、なってはいけません」

 

「操られているのは自覚しています。分かった上で、行動を起こしているのです。操り人形ってそういうものでしょう? ねえ寅丸」

 

「……そうですね」

 

 聖は無表情に息も絶え絶えの寅丸を見下ろし、手刀を振り上げる。その狙いは真っすぐ、寅丸の首に向けられていた。

 

(魔理沙。射命丸、ごめん—)

 

 聖の手刀が閃いた瞬間、寅丸は自分の首が胴から離れるのを感じ、視界を暗転させた。

 

 

 

 

 

 光の残滓が消えた後に、射命丸が力尽きて下の森に落ちていく姿が見えた。体のそこかしこに裂傷を負い、腕は片方が炭化していて使い物にならないようである。

 

「寅丸が誤射ったのかしら—。足手まといはこれだからねえ……」

 

 やはり潜入者を用意しておいてよかった、と思う。流石に射命丸と闘っている最中に寅丸のレーザーで狙われれば危なかった。毎回ギリギリのところで勝ちを納めているようで不満がないでもなかったが、勝ちさえすればいいのだ。

 

「さてと」

 

 霊夢は聖と連絡をとるための例のお札を取り出し、指でなぞって文字を書く。

 

(今射命丸を撃ち落としたのは聖、あんたのせい?)

 

 しばらくして、文字が浮かび上がる。

 

(はい。ついでに寅丸を始末しておきました。おそらくまだ魔理沙たちは気づいてません)

 

(どうかしら。あれだけ派手なレーザーぶっ放したから、誰かが見てるはずよ。だから、聖、私が命蓮寺のやつらを殺して回って皆の目を引き付けてる間にあんたは藍を殺りにいきなさい。不意を討てば必ず勝てるわ)

 

(わかりました)

 

 これでチェックメイトだ。霊夢は見つからぬよう低く飛びながら命蓮寺に向かった。

 

 

 

 

「霊夢が来てるって!?」

 

「そうじゃ。今はぬえとこころが戦っておる」

 

 魔理沙は布都の報告を聞いて、驚いた。確か射命丸が見張っていたはずだが、何故知らせなかったのだろう。もしかすると彼女はすでにやられてしまっているかもしれない。

 魔理沙はそう思いながらも一方でこれはチャンスだ、と思った。霊夢は真っすぐに藍のもとへ行こうと隠れて行動する気配はない。

 

「全員で霊夢を迎え撃とう。そう、藍も連れて行く」

 

「藍を? なんでじゃ?」

 

 布都は信じられないといった顔で魔理沙を見つめる。確かに霊夢の夢想天生などで一気に全滅などということがおこる恐れがあるのは間違いない。だが、作戦上は犯さなければならないリスクである。それに—

 

(霊夢も藍の身代わりについて誰かから聞いて知ってるだろうしな)

 

 

 

 

 聖は魔理沙たちが出て行って空になった命蓮寺の中に入っていった。藍はまだ、この寺の中にいる。だが、霊夢もそれを承知で戦っているし、聖もそうである。奇策はひとたび相手に内容が知られると瞬く間に愚策と化す。魔理沙は侮れないと思っていたが、このような致命的なミスを犯すとは—

 

 聖は忍び笑いを殺して、藍を探す。寺の部屋のどこかにいるのは知っていたが、どの部屋に隠れさせたかは知らない。根気よく探し続けるしかない、と思っていると、一つだけ行燈のついている部屋を見つけた。

 

(明かりなんてつけてたらバレバレですよ、藍さん)

 

 気取られぬよう忍び足で歩き、部屋の前まで来た。中からはことりとも音がしなかったが、藍らしき影が映っている。聖は息をつめて障子に自身の影が映らないよう気を付けながら取っ手に手をかける。

 

「誰かいるのか?」

 

 間違いない、藍の声だった。聖はどうこたえるべきか数秒思案したが、普通に答えることにした。

 

「やだなあ、私ですよ。魔理沙さんが一歩も出るなと伝えてくれ、と言いましたので」

 

「……そうか」

 

 藍の口調には安堵が混じっていた。おそらく作戦の成功を確信したのだろう。聖は数十秒後にそれが悲鳴に変わるさまを想像しながら、言い続ける。

 

「霊夢さんがすでにやってきて、戦っています。明かりを消した方がいいですよ」

 

「それもそうだな。ありがとう」

 

 ぱっ、と部屋の中の光が消える。その瞬間、聖はがらりと障子を開け、中に突入した。

 

 

「な、なんだ!?」

 

 藍の狼狽した声のする方に向かって貫手を放つ。爆発じみた衝撃とともに藍は吹き飛び、壁に叩きつけられる。まだ外は暗く、聖は闇に目が慣れていたが、先ほどまで明かりの中にいた藍は目が闇に順応してはいまい。一気にかたをつける—

 

 聖の蹴りが、藍の頭に炸裂する。眼も見えず、有効な反撃もできないまま、藍はよろめいた。

 

「まさかお前が裏切者だとは……」

 

 藍は絞り出しように言いながら、部屋を出ようとする。逃げるつもりだ、と聖はその背中に正拳突きを喰らわせた。

 

 めきめきめき、と肋骨の折れる音がして、藍はうめき声をあげる。しかし、次の瞬間、藍は歯を食いしばり、聖の方を睨んだ—かに見えた。

 

「伍番勝負『鳥獣戯画』」

 

 藍の光り輝く弾幕は闇に馴れた聖の目に突き刺さるように眩しく、明々と周りを照らし出す。その中で、藍が黙ってたたずんでいた。

 

「馬鹿な……」

 

 聖は驚きのあまり、そんな言葉を漏らしてしまった。

聖は弾幕で視界の悪さを解消するという藍の機転に驚いたのではない。今のスペルカードは……。

 

 藍は聖の驚愕を見て取ったのか、にやりと笑った。

 

「そうさ。私は、いや、儂は、マミゾウだ」

 

 

 

 

 




最近手がかじかんでつらい……小説の中で書く季節は圧倒的に冬が好きなのですが、現実での冬は苦手ですね。雪合戦なんて今やったら凍え死にしそうです。

ところで、キャラクター同士の戦闘って能力や力関係とかの設定を調べてから書くんですが、意外と射命丸って強キャラだったんだなあと驚きました。


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思わぬ再会

 

 

 霊夢が来たと聞いた魔理沙はすぐさま逃走の準備を始めた。あと2日、逃げ回ればこちらの勝ちだ。わざわざリスクのある戦いを選ぶ必要はない。

 魔理沙は寺を出て、箒に跨る。藍も何かの術でふわりと浮き、いつでも空を飛んで逃げることができるようになった。その時、そう遠くない場所から戦いの音が聞こえてきた。

 

「……皆には申し訳ないが、これが私の最善だ」

 

 命蓮寺と霊廟の者を霊夢が薙ぎ倒している間に雲隠れする。卑怯の一言につきる戦略だが、もはや魔理沙はなりふり構っていることはできなかった。内通者に聞かれやすいよう、わざと藍の身代わりを連れて行くと嘘の情報を大声で喋ったのも、内通者による暗殺をマミゾウに向けさせるためにすぎず、魔理沙の脳髄から生み出された発想は、どれも一見して外道と呼べるものばかりだった。

 

「確かに死んだ奴を生き返らせてくれるんだろうな?」

 

「もちろんだ。今回は魔理沙、お前の処理能力を超えていただろう。紫様もこのような荒れた幻想郷を望みはすまい。必ずや元に戻してくれるだろう。紫様にはそれをできるだけの能力がある」

 

「………ならいいんだが」

 

 魔理沙は、彼女らを生き返るという前提で捨て駒としてきた。もし、誰も生き返らないとすれば、とてもではないが恐ろしくてこんな作戦は立てられなかっただろう。

 

 先ほどまで聞こえていた爆発音が聞こえなくなる。魔理沙は帽子を被ると、

 

「また誰か死んだ。藍。行くぞ」

 

「あ、ああ……」

 

 

 

 

命蓮寺に突入した霊夢は、のこのことやってきた無表情の面霊気—といってもお面ははっきり恐れを示していたが—を始末し、さらにぬえにもダメージを与え、奥深くまで進行していた。

 

(そろそろ聖も藍を仕留めたかしら)

 

 霊力の消費を抑えるため、地面に足をつけ、走る。まだ他にも命蓮寺には敵がいる。全て掃討しておきたい。そう思って霊夢が少し速度を上げ、寺の内部へ突入しようとした時に見たのは—

 

「!」

 

 魔理沙と藍が飛び去ろうとする瞬間だった。

 

(確かあれは、マミゾウが化けてるのよね……藍を殺したように見せかけるために、わざと姿を見せたのかしら)

 

 魔理沙と藍は地上を走ってくる霊夢に気が付いたらしく、顔を強張らせる。しかしあれも演技の1種で、霊夢に攻撃対象と見せるためだろう。そう思って、追う足が自然と止まる。

 

「……あれ」

 

 その時霊夢は、左手に持っている聖との通信用のお札に、新たな文字が記されていくのに気づいた。藍の始末に成功したのだろうか。霊夢はお札に目を落とす。

 

『罠でした。私が戦っているのはマミゾウです。脱出しようとしている方が本物の藍です』

 

「まさか!」

 

 次の瞬間、聖のメッセージは、上空から飛んできた極細のレーザーに焼かれ、お札ごと灰になった。霊夢がそちらを向くと、八卦路を構えた魔理沙が藍とともに飛び去って行くところだった。

 

「……なめた真似してくれるわね、魔理沙」

 

 お札を焼かれたためもう聖と連絡をとることはできない。だが、もはや霊夢は藍の姿を捉えた。これからは敵の守備駒を削っていくのではなく、いわばひたすら玉を詰ませにいく終盤戦である。のんびり命蓮寺で残存戦力の掃討などしていると紫の復活の阻止が出来なくなる。地の果てまで藍を追い、殺さねばならない。

 

 霊夢はただちに追跡を行うべく、飛ぼうとした。

 

「……あら」

 

 しかし、空中で見えない壁に阻まれ、かなわない。よく見ると命蓮寺の上空全体に結界が張られているようで、それは「外からの侵入を防ぐ」のではなく、「中から自由に出られないようにする」結界だったようだ。以前霊夢が咲夜を行動不能にした結界の応用技をそっくりそのまま規模を大きくしたようなものである。

 

 霊夢は命蓮寺の出入り口まで自分の足で行かなくてはならない。姑息な時間稼ぎだ、と思って引き返す途中に、まるでそれを予期していたかのように2つの影が目の前に立ちふさがっていた。

 

「………後は、我々が時間を稼げばよろしいのですな? 太子様」

 

「ええ。霊夢の夢想封印に気をつけなさい。一気に全滅しますよ」

 

 神子と布都だった。よく見ると、彼女らだけでなく青娥や芳香までいる。どうやら最初に簡単に突破できたのも、聖に偽の情報を流されたのも、全てが罠だったということなのだろうか。

 

「……今回の知恵比べはあんたの勝ちね。魔理沙」

 

 霊夢はゆっくりと顔をあげ、魔理沙の飛び去った方角を睨みつけた。

 

 

 

 

「………閉じ込めは成功したと思うか?」

 

 飛びながら藍が訊いてくる。すでに魔理沙たちは命蓮寺を出て、まる一日かかって魔法の森へ向かっていた。逃げる先はいくらでもあるが、魔法の森の方が被害は少ないし、何より魔理沙のホームグラウンドだからである。もしも霊夢が命蓮寺に残してきた者たちを破って追いすがってきたら、腹をきめてまともに戦うしかない。

 

「……さあ。そろそろ出てきて私らを追ってきてるかもしれないが……」

 

 魔理沙は夕陽を背に、答える。眼下には魔理沙の根城である魔法の森が広がり、いつものように濃い霧を漂わせている。これ以上逃げ続けると体力も魔力ももたない。魔理沙と藍は魔法の森に降下し、休息をとることにした。

 

「私の家が近くにある。そこで休もう」

 

 人を迷わせるという魔法の森だが、流石に自分の家の近所なので、苦も無く家を探し当てる。だが、深い霧でよく見えないが、魔理沙の家の前にいくつかの人影があるのを見つけ、ぎくりとした。

 

「なんだあいつら……」

 

 遠目でよく姿が分からないが、どうやら魔理沙が帰ってくるのを待っているらしい。霊夢が先回りしてこちらへ来たのかと思ったが、そうであれば見通しの良い空を最短距離で飛んできた魔理沙たちと鉢合わせしないはずはない。だから危害を加えてくることは無いはずだが。

 

「おい、誰かいるぞ」

 

 向こうもこちらに気が付いたようで、人影のうちの一人が声をあげた。

 

「ひょっとして、魔理沙か?」

 

 バレている。魔理沙は面食らったが、相手の声音に全く殺意は含まれていない。念のために藍を後ろに待たせておそるおそる近づいた。

 

「ほら、やっぱり魔理沙じゃないか」

 

 言った相手を見て、魔理沙は唖然とした。薄い水色がかった髪に、教師の格好。立っていたのは、魔理沙に正体を暴かれ、眠らされているはずの上白沢慧音だった。

 

「け、慧音!」

 

 やはり罠か。慧音も何らかの手段で復活させられ、別動隊として動いていたのではないか。霊夢は魔理沙の逃げ場を見越してここに慧音を待ち伏せさせていたのかもしれない。

 

 魔理沙はポケットに手を突っ込み、八卦路を取り出す。

 

「恋符『マスター……』」

 

「ちょ、ちょっ、ちょっと待ってくれ! 妹紅、フランドール! 説明してくれ!」

 

 何故か慧音は慌てふためき、向こうにたたずむ2つの影に呼びかける。するとその方向から、藤原妹紅とフランドールの姿が現れた。そういえば妹紅は慧音を倒した時以来会っていない。フランドールに至っては紅魔館の戦闘で霊夢に殺されたものとばかり思っていたが……。魔理沙の明晰な頭脳でも、この状況に対して、瞬時に推論をはじき出すのは難しかった。

 

「えっと……何がどうなってるんだ?」

 

 

 

 外は既に暗くなってきていたが、瞬く星に照らされランプが一つしかない魔理沙の家でも十分に明るさが保たれていた。

 

 こぽこぽ、と妹紅が珈琲を淹れ、皆に配る。フランドールは苦いものが嫌いなのでミルクのたっぷり入ったココアである。ひとまず魔理沙は妹紅たちと連れていた藍を家に迎え入れ、休息を取っている。慧音とフランドール、藍を傍に置いて、妹紅と魔理沙は2人で話し込んでいた。

 

「……というわけだ」

 

 フランドールが咲夜の機転で紅魔館の唯一の生き残りとなり、妹紅を助ける。そして妹紅とフランドールでひとまず永遠亭に行き、そこで殺人鬼ではないと自称する慧音と出会った—という話を妹紅はかいつまんで魔理沙に聞かせる。

 

 魔理沙はそれを聞いている間、ずっと黙り込んでいた。今までの快活な彼女らしくなく、目の下にうっすらと浮かんでいるくまからも疲れのようなものが感じられる。しかし反面頭の回転はいつもよりもはるかに速いらしく、あっという間に妹紅の話をまとめ終わったようだった。魔理沙はすすった珈琲を置くと、「分かった」と頷いた。

 

「……妹紅、お前は慧音が霊夢側かどうか気になってるみたいだが、慧音はこちら側だ」

 

 魔理沙は眠そうに目を擦りながら答える。

 

「私は確かに慧音に睡眠薬を注射した。いったん眠れば永琳がそれを解く薬を投与するまで昏睡し続ける薬品だそうだ」

 

「てことは……」

 

「間違いない。お前の言ってた性格逆転薬を無効化する薬品も慧音が正気に戻ってるのも、本当だろう。いろいろ可能性は考えられるが、慧音がここで活動している時点であちら側でないことは分かる」

 

「…………そうか」

 

 妹紅は、その瞬間に肩の荷が下りたような、ほっとした感情が湧いて出てくるのを感じた。そうか、慧音は、あの妹紅を騙した慧音ではないのだ—

 

「……だが、今は霊夢が問題だ」

 

 魔理沙はがしがしと頭を掻きながら、妹紅に言う。

 

「すでに永遠亭、紅魔館、天狗勢力。守屋神社、地霊殿が霊夢に襲われて、ほぼ全滅している。私と藍は今までずっと命蓮寺にいたんだが、そこも襲撃を受けて—命蓮寺と霊廟の奴らを楯にして生き延びてきたんだ」

 

 どうやら状況は妹紅が思っていたよりももっと厳しいらしい。魔理沙が疲れた顔をしているのは無理もないだろう。妹紅は魔理沙に訊く。

 

「……どうすれば、霊夢を止められるんだ?」

 

「藍を明日まで守り切る。もしくは—」

 

 魔理沙は言葉を切って、テーブルの上に置いてある、注射器を見た。

 

 

 

 

 星の散りばめられた夜空を眺めながら、布都と神子は横たわっていた。

 

「さて、太子様……我々、時間を十分稼げたでしょうか?」

 

「そうですね、布都。まあ藍さんを逃がし切るほどではないでしょうが、霊夢には相当ダメージを与えられたと思いますよ」

 

「時間という損害を、ですか?」

 

「……それはあまり手傷を負わせられなかった私たちへの皮肉ですか?」

 

「いえいえ、そんなことはありませんぞ」

 

 布都はふっと笑って一緒に寝転がる神子の方に顔を向けた。彼女らはすでに死んだ状態から復活したため、活動不能になることはあっても死ぬということはまずない。死神に連れていかれたり完全に魂を破壊されれば存在が消滅するが、霊夢はそんなことをしている暇はなかったらしく、命蓮寺からの脱出を阻もうとする神子たちを打ち破ると魔理沙と藍を追っていった。

 

「できるだけなら皆で追撃したかったのですが……」

 

 布都は自分の下半身を見て、苦笑する。両の足が無く、まともに歩行することは不可能で、浮遊術を使えるほどの余力も残っていない。回復は早くて2日後—つまり、この戦いの決着は指をくわえて見ているしかないのである。神子は布都ほど手ひどくやられはしなかったが、こちらもやはり全力を出し尽くしてしまっていた。

 

 屠自古も霊力を使い切って幽体の維持が危うく、青娥と芳香も体の損傷が激しく、移動が難しい。残った命蓮寺のメンバーも、もはや霊夢を追える状態には無かった。

 

「はあ、はあ……」

 

 横たわっている布都は、本堂のほうから荒い息を突きながら出てくる者—聖の姿を見た。

 

「おや、おかしいですな。霊夢はあちらにはいなかったはず……聖殿、どうしました?」

 

 それに応えるように、かはっ、と聖は血を吐き出す。どうやら激しい戦闘で体にがたがきているようだ。しかし、何故本堂から—?

 

「そうか、裏切者は聖殿であったか」

 

「霊夢さん、霊夢さんはどこですか?」

 

「……霊夢はもうおらぬよ。お主に指示を出すこともできぬし、こうなってしまってはもうお前に利用価値はなかろう。我々と同じく、おとなしく結果を待った方が良いぞ」

 

「……そうですか」

 

 それを聞いて、まるで電池が切れたかのように、聖は倒れる。すると本堂からまた1人、マミゾウがやって来た。

 

「……なんじゃい、もう戦う必要がないんじゃったら、こいつと殴り合う必要は無かったんじゃないか」

 

 マミゾウもぼろぼろで、聖によるものらしい打撃痕が体中についている。マミゾウは、「よっこらせ……」と聖の近くに腰を下ろす。そしていつもののんびりとした口調で夜空を眺めながら、呟く。

 

「なんだかなあ、今回の騒動は。幻想郷中を巻き込んだ血なまぐさい異変だとは思っておったが、ここまでくたびれるものだとは……のう布都」

 

「何じゃ?」

 

「この異変の結末は儂らの手を離れ、霊夢や魔理沙の手にかかるようになってしまったのでな。最後は、酒でも飲んで最後まで見届けたいと思うのだが」

 

 布都はふん、と笑って、

 

「そうじゃな。確か霊廟の地下に酒があったはず……じゃったかな」

 

 布都は言い終えると、すっと目を閉じた。

 

「布都……?」

 

 マミゾウが呼んでも、布都は答えない。活動に使っていた仙気を使い切り、物言わぬ死体へ戻ってしまったのである。それに気づいたマミゾウはため息をついて、

 

「馬鹿じゃな。酒を飲む前に寝る奴が、どこにおる。……まァお前の分もこの事件の顛末を見届けてやるさ。眠っておるといい」

 

 

 

―紫の復活まであと1日―

 

 

 

 




次回でラストバトルです。うーん、そろそろ次作書き始めないとな……しかし最近誤字を修正するために自分の小説を見返すことがあるんですが、自分が楽しんで書いた戦闘描写とそうでないものを見ると、面倒くさいなと思った方が意外と面白く、楽しんだ方はそうでもないという、なんとも不思議な状態です。
 動きのある文って体言止めとか文を短くするって言われてますけど、意識して取り入れてみようかなあ……。


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最後の審判

 

 

 霊夢は神子たちの囲みを突破するとそのまま魔理沙たちを追い、空を出しうる限りのスピードで移動していた。

 霊夢は追跡型のお札を取り出し、「対象、藍」と指定する。するとお札はぴくぴくと東の方角へ引っ張った。元々は必中のホーミング弾幕として使用するが、時にはこのような索敵にも応用が利く。ちなみに手を離せば藍の潜む場所まで飛んでいこうとするが、途中でお札に内蔵される霊力が尽きるため、それはできない。

 

 ある程度移動してその都度お札で藍のいる方角を探っていると、だんだんその反応は強くなっていった。そして夕日が沈み始める頃、霊夢はついに藍がいるであろう場所が魔法の森であることを突き止めたのである。

 

 不用意に空を飛んで気取られぬよう、地面に降り立つと魔法の森の木々が異様な迫力をもって霊夢を迎えた。辺りには霧がたちこめており、視界が悪い。なるほど、確かにここなら不意を衝きやすいし、何より逃げやすい。しかしそれは霊夢にも言えることで、しかもこちらには藍の居場所を特定する手段がある。

 

 湿った空気に顔をしかめながら、霊夢はお札の示す通りに移動する。そして、行きついたのは—

 

「魔理沙の家、か」

 

 魔理沙も藍も、普通の人間よりははるかに高い魔力、妖力を持っているが、あまり長く空を飛ぶのは不可能なので、ここに身を潜めたのだろう。しかし、それではあくまで一時的な休憩場所にしかならず、霊夢から本気で逃げるならここもさっさと出発して霊夢から出来るだけ遠ざかるように逃げればよかったのである。

 

 ただし、その場合だとおそらく霊夢が追い付くことが可能であり、2人は疲れ切った状態で霊夢と戦わねばならない。そこまで読んだうえで、「ここ」で戦うつもりなのだろう。

 

「……屋内での戦闘は苦手ね」

 

 このまま魔理沙の思惑通りに家に入っても、ろくなことにならない気がする。現に先の命蓮寺は寺そのものが罠だったし、今回も何かが仕掛けられている可能性が高い。であれば、少々霊力は消費するが、建物そのものをまるごと吹き飛ばすのが最良だろう。

 

「霊符『夢想封印』」

 

 霊夢から立ち昇った霊気がうねり、いくつもの球体に変ずる。そしてその霊気の連弾は直撃するたびに魔理沙の家を消し飛ばしていく。

 

 ずがあああん! と一際大きな音が響いたとき、霊夢は崩れる家からたまらず飛び出した藍と魔理沙を見つけた。魔理沙も霊夢を霧越しに視認したらしく、八卦路を向ける。

 

「無駄よ」

 

 霊夢が一瞬早かった。霊気で強化された札を投擲し、魔理沙の八卦路を手から叩き落す。魔理沙はすぐにそれを拾おうとしたが、それを見越していた霊夢は自分から注意のそれた魔理沙の胴体に針を投げつける。

 

「……ちっ!」

 

 寸前、針を避けた魔理沙は八卦路を諦めたのか大きくステップバックし、霊夢から距離を取る。藍は魔理沙の後ろに控えており、自然と両者が向かい合う形になった。

 

「……何日ぶりかしらね、魔理沙。あんたと話すのは」

 

「さあな。できるだけなら明日に会いたかったんだが」

 

 霊夢が口を開くと、魔理沙はそう言ってじりじりと下がる。彼女はもう主武器である八卦路を持っておらず、丸腰である。藍も確かに大妖怪ではあるが、今の自分に殺せない相手ではない。

 

 木々の間から差し込んでくる茜色の光は既に消え失せ、夜へと突入しつつあった。

 

「まあ、とにかくこれでチェックメイトよ。さようなら、魔理沙、藍」

 

—ここで油断してはならない。最後は、自分の最強の技で持って藍を片づける。

 

「霊符『夢想天生』!」

 

 霊夢の宣言と同時に、魔理沙が顔を強張らせる。藍に向かって「逃げろ!」と叫ぶと、一緒に逃げる—のではなく、あろうことか霊夢の方に向かって走り、やぶれかぶれのように魔法、「スターライトレヴァリエ」を放つ。

 

 もちろん完全に相手からの干渉を受けない霊夢には、魔理沙の放つ魔法は一切効かない。虚しく周辺にばらまかれる星屑を眺めながら、霊夢は前に跳躍する。霊夢の姿が視認できないため、魔理沙は霊夢とほぼ零距離になっても気が付かず、魔法を撃ち続けている。

 

(……魔理沙は、後でいい。今は……!)

 

 霊夢は逃げようとする藍に肉薄し、ありったけの封魔針とアミュレット、すべてを藍に叩き込もうと構える。

 

「さようなら」

 

 霊夢は無数の針やアミュレットが体を藍の体を貫き、切り裂いていく様をあまりにリアルに脳裏で描いていたため、続いて起きた出来事を認識するのに、数秒の遅れが生じた。

 

 ぎし、と音を立てそうなほど不自然に、身体が硬直したのである。

 

「……何よこれ」

 

 体が、腕が、足が、言うことを聞かない。これまで問題なく動いていたのに、藍を攻撃しようとした瞬間、行動不能に陥ったのである。

 

 霊夢は最初、何者かによる妨害かと思ったが、魔理沙たち以外の魔力や妖力などは感じられない。つまり、これは霊夢自身に何か問題があるのだ。この金縛り状態は、まるで誰かに暗示をかけられたような—

 

「……暗示?」

 

 霊夢は、地霊殿のあの場面を思い出した。あの、さとりが死の直前に放った閃光、「恐怖催眠術」。

 

「…まさか!」

 

 あの時は何も起こらなかったが、あれは何も起こらなかったのではない、霊夢が条件を満たすと発動する、「後催眠」を仕掛けられていたのだ。おそらくその条件とは、「霊夢が藍を攻撃しようとすること」。おそらく、さとりは少しでも何か霊夢に損害を与えるため、最後の最後にこのような仕掛けをしていたのだろう。

 

 動けない霊夢はその間、魔理沙と藍が走り去って行くのを、黙って見送ることしかできなかった。藍を仕留められるチャンスを、みすみす目の前で逃してしまい、煮えたぎるような激怒がみなぎる。

 

(でも、そろそろ動けるわね)

 

 既に術を仕掛けたさとりが死んでいるためか、それとももともと効果時間が決まっているのか、硬直が解け、次第に手を動かせるようになる。また藍を攻撃しようとすれば暗示の硬化時間が出るかと思ったが、一度破った催眠は二度発動させることは難しい。心がそれに慣れてしまうせいである。

 

 霊夢が空を見上げると、月が上り、夜も深まって来たようだった。そろそろ決着を付けねば、数時間後に紫が復活する。そうなってしまえば、霊夢に万に一つも勝利はないだろう。

 

 霊夢は魔理沙と藍に追いすがるべく、地面を蹴って跳躍した。

 

 

 

 

「はあ、はあ……」

 

 魔理沙と藍は、魔法の森を駆けていた。空を飛べば霊夢に見つかるし、魔理沙はそもそも箒を家の残骸の中に取り残してしまったので、地上を行く。

 

 一応「餌」として藍と自分を家に配置し、入って来たところを結界で捉えようと思っていたが、やはり同じ手は2度通用しなかった。霊夢は魔理沙の罠を察知し、家ごと崩しにかかってきたのである。

 

 魔理沙は先を走りながら、藍に訊く。

 

「どうだ、撒けたと思うか?」

 

「わからない。霊夢は夢想天生を使っていたから、姿が見えないかもしれない」

 

「……そうだな。だが、次に霊夢が姿を現わしたら、その瞬間が霊夢の最後だ」

 

 魔理沙は、前方の樹の幹に括りつけて置いた目印の紐を見て、呟く。ここが正真正銘、最後の戦場である。もし食い止められなければ、完全に幻想郷は霊夢に負ける。逃げ続けた魔理沙の、ここが正念場だった。

 

 目印の紐の括り付けてある樹の向こうには、ぽっかりとまるで巨人に樹を丸ごと引っこ抜かれたかのような、開けた場所がある。魔理沙と藍は、そこに入り、中央に来たところで立ち止まった。

 

「魔理沙、あと、何分だ……?」

 

 魔理沙は家にあった時計をポケットから取り出し、時間を確認する。

 

「あと、10分」

 

 そうだ。後、たった10分だけ藍を守り抜けば、紫が復活する—

 

 紫の「境界を操る能力」の前では、霊夢の夢想天生は意味をなさない。紫への攻撃は全てが無効化され、逆に攻撃は自由にできる。しかも幻想郷の中であればその力はほぼ無限に行使できるため、事実上霊夢をしのぐ本物のバケモノである。

 

 しかし、あと8分という時に、霊夢の姿が、木々の中から現れ、魔理沙は身を固くした。

 

「……まさか、ここまでもつれるとは、思わなかったけど……」

 

 闇の中でぎらぎらと光る眼を向け、霊夢はひとりごちる。凄まじい殺気に、魔理沙だけでなく、藍も少し身を引く。霊夢はその続きを言うこともなく、アミュレットを構える。

 

 魔理沙は、それを躱そうとする—のではなく、思い切り、叫んだ。

 

「今だ! やれ!」

 

 ばちゅっ! と音がして、アミュレットを持っていた霊夢の腕が吹き飛ぶ。続いて左の巫女服の袖口が千切れ、霊夢の前髪がいくつかはじけて散った。

 

 極度の興奮状態のせいか、自身の怪我も意に介さず、霊夢は周囲を見回す。そして次の瞬間、その顔は驚愕に彩った。

 

「あんたは、殺したはずなのに……!」

 

 四方から、フランドールとその分身が、金髪を揺らしながら近づく。各々霊夢をじっと見据え、握りこんだ手を開いた。

 

そう、魔理沙がここで戦うことを決めたのは、フランドールの破壊の能力を存分に発揮させるためであった。視界を遮る物のないここなら、フランドールの能力は防御不可の文字通り絶対の攻撃力を持つことになる。

 

「……お姉さま、見ててね……」

 

 フランドールが、再び何かを握りこむような動作をしようとする直前—

 

 霊夢の姿が、ふっと掻き消えた。そしてその2秒後、フランドールの分身の首が飛び、倒れる。

 

「夢想天生だ! 気を付けろ!」

 

 魔理沙が叫ぶと同時に、2人目のフランドールの分身が吹き飛ばされた。そして、吹き飛ばされた分身はこちら側—つまり魔理沙と藍のすぐそばにいた。まずい、そう思った時には既に、

 

「死になさい」

 

霊夢の姿が、すぐ目の前に現れていた。そして魔理沙の横にいる藍に手を伸ばす。

 

「藍っ!」

 

藍が腕で受け止めようとするのを身を沈めて避けると、無防備な胸に向かって、針をつきだした。

 

肉の裂ける、みちみち、という嫌な音がして、藍の胸に封魔針が埋まる。

 

「がっ……!」

 

 どさり、と倒れる藍の横で、魔理沙はぺたん、と尻餅をついた。

 

「……これで、終わり……ぎりぎりだけど、こちらの勝ちよ」

 

 木枯らしが俯く魔理沙の帽子を揺らす。藍が死んでしまっては、もはや魔理沙に戦う勝算は無い、そう見ているのだろう。しかし—

 

 魔理沙は手に持った注射器を俊敏にポケットから取り出し、目の前に立っている霊夢に向かって、突き出す。

 

この注射器を打てば、霊夢の殺人鬼としての人格は消え去る。まだ、終わってはいない。

 

霊夢は完全に虚を突かれたのか、魔理沙の注射器は霊夢の左手に突き刺さった。後は、親指を動かして中の液体を押し込めば、それでいい—

 

 どかっ!

 

 そう思って手に力を込めようとした瞬間、魔理沙の視界がぐらりと揺れ、注射器から右手が離れる。霊夢が、魔理沙の横腹に蹴りを放ったのである。

 

「うぐっ!」

 

 魔理沙が横腹を押さえて座り込むと、霊夢は魔理沙の刺した注射器を抜き取って地面に捨て、足で踏み割った。

 

「……何の薬かは知らないけど、あんたはこれに賭けてたんでしょ。観念しなさい」

 

 そして、フランドールにも目を向ける。

 

「あんたがどうして生き残ったかは後であの世で聞くして……魔理沙、この1ヶ月、なかなか楽しかったわよ。ここで殺すのが惜しいほど」

 

「そうか」

 

 魔理沙はポケットから時計を取り出す。見ると、時間は丁度0時を過ぎていた。

 

「……もうそんなの確認しても無意味よ。紫はもうスキマ空間から戻ってこない」

 

 霊夢は勝ち誇った顔で、魔理沙の髪を掴み、無理やり立たせる。

 

「あんたも散々私を愉しませてくれたし、この戦いの最後にふさわしく、死ぬよりも酷いと思えるようなこと、してやろうかしら?」

 

「……できるならな」

 

「何?」

 

 そう言って魔理沙がにやりと笑った瞬間—

 

 

「あらあら、これはどういう状況なのかしら?」

 

 独特の重低音と共に、空間に裂け目が入り、紫が顔を出す。霊夢はしばらく唖然としていたが、倒れている藍に、目をやった。

 

「くっくっくっ……」

 

 倒れている藍から、笑い声が聞こえる。そして血糊のべったりついた服に顔をしかめながら、むくりと立ち上がった。霊夢は藍の復活も信じられないという目で見つめていた。

 

「……ふん、訳が分からないって顔だな。まあつまり、種を明かせばこういう事だ」

 

 ぱちん、と藍が指を鳴らすと、一瞬だけ姿が歪み、妹紅が姿を現した。

 

「慧音の能力で、私が藍に見える幻覚を見せていた。で、まんまとお前はそれに引っかかり、藍を殺したと油断したわけさ。本物は、あっちだ」

 

 妹紅が示した樹の影から、藍と慧音が現れる。2人を見た霊夢が、怒り、虚脱感、焦りを内包した表情を目まぐるしく変えている間、紫は呟いた。

 

「とにかく、霊夢—今は、少し休んでおきなさい」

 

「な……ちょっと待ちなさい、紫! 何で今、私を……!」

 

 紫はため息をついて、スキマ空間を霊夢の背後に作り出すと、「そこに入りなさい」と指示した。

 

「嫌だ。ここに入ったら、私は、私は……」

 

 霊夢はスキマ空間から逃れようと、前進する。しかし前、側面、そして上に新しく紫がスキマ空間を作ると、進退窮ったようだった。霊夢は必死に紫に呼び掛ける。

 

「紫! やめて! 私はおかしくなんかない!」

 

「いい加減にしなさい、霊夢。そんな言葉が通用するわけないじゃない」

 

 紫が冷ややかに答えると、霊夢はもはや紫を言いくるめることは不可能だと悟ったのか、手にしていた何枚ものアミュレットを紫に投げつける。

 

「あら、危ない」

 

 しかし、投擲された全てのお札は紫に当たる前にスキマ空間に飲み込まれ、消え失せてしまう。続けて霊夢が何かを言おうとする前に、紫は、ぱちんと指を鳴らした。

 

「……ゆ、紫ぃ………!」

 

 霊夢はまだ必死にスキマから逃れようと、空間の裂け目に囲まれた場所から抜け出ようとしていたが、おそらくそれはもうかなわないだろう。

 

「……そんな、あと、少し……だったのに」

 

 そんな言葉を残して、最後の殺人鬼、博麗霊夢はスキマ空間に飲み込まれ、姿が見えなくなった。

 

「お、終わった……のか?」

 

 魔理沙は、霊夢が消えた後も、ぼうっと立っていた。あれほど魔理沙たちを苦しめた霊夢が、手も足も出ずどこかの空間に送り出されたのである。また、現れて襲ってくるのではないか—そんな偏執狂めいた疑念が頭をもたげたが、それを払拭するように、紫がこちらに近づいてくる。

 

「……今、藍の書いてた記録から私の眠っている間の経緯を教えてもらったわ。霊夢と、そこにいる慧音が性格逆転薬によって殺人鬼になってたってことも。……しかし、ひどい有様ね。ほとんどの勢力が壊滅してるし、人里も慧音のせいで被害が出ている」

 

「でも、お前は復活できたじゃないか。お前が冬眠から目覚める時間を稼ぐために、皆、死んだんだ。

だから…お前の力で全てをチャラにしてくれないか」

 

 魔理沙の頼みに、紫は片眉をあげ、問い返す。

 

「チャラにする、とは、今回の事件を「無かったことにする」ということで間違いないの?」

 

「ああ。紫、お前も自分の箱庭がぼろぼろのままなのは嫌だろう?」

 

「……まあ、そうね。確かにかなり力を使うけど、できるわ」

 

 紫がそう言うと、今まで黙っていたフランドールが、目を輝かせる。

 

「できるって……お姉さまを生き返らせることも?」

 

「それもできるわ。閻魔様にちょっと怒られるかもしれないけど、まあ流石にこれだけ殺されちゃあまともに再興するのは難しいから」

 

「……やってくれるのか?」

 

「ええ。全てをチャラに。霊夢と慧音に殺された死者をよみがえらせ、記憶を消し、建物や地形も元に戻す。要するに、この事件は、無かったことになる。それでもいいなら」

 

 魔理沙は、黙って頷いた。妹紅、慧音、藍、フランドールも顔を見合わせ、頷く。失われたもの、もしくは者たちが帰ってくるのだ。首を横に振る理由が無い。

 

「藍と魔理沙—あなたたちには後で聞きたいことがあるから、記憶は残しておくわよ—」

 

 紫がそう言うと、スキマ空間の中から光が漏れ出し、新しい太陽が生まれたかの如く、あっという間に周囲を照らしていく。そして際限なく視界を白く染めていく眩い光の中で、魔理沙は一つの安堵と共に、意識を失った。

 

 




入れ替え作戦多すぎ! と思う方もいるでしょうが、まともな夢想天生対策がそれくらいしか思いつきませんで……。ほんとチートですね、あれ。
さて、霊夢とのラストバトルも終わり、いよいよ次回、最終話です!


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<最終話> 幻想郷の悪魔さん

 

 

 

 人里の方から、新年を祝う囃子(はやし)の音が風に乗って聞こえてくる。人々は博麗神社までの道に現れる妖怪を恐れ、滅多に神社まで足を運ぶことは無いが、妖怪たちはその限りではない。皆が皆、新年を祝うため、神社に集まってくるのだ。

 

 魔理沙は1カ月前からさらに寒くなったため、マフラーに顔をうずめながら、神社への参道を歩いていた。手には、お土産の入ったバスケットを持っている。箒はあるが、飛んでばかりだと体力が落ちるし、正月の初詣でくらいは歩いてみようと思ったので、徒歩で神社へ向かっている。歩いて体が揺れるたびにマフラーがずれ落ち、白い吐息が漏れ出した。

 

「あや、魔理沙さんじゃありませんか」

 

 博麗神社の鳥居が見えてきたころ、頭の上から魔理沙は声をかけられた。見上げると、そこにいたのは射命丸だった。

 

「お前も初詣か?」

 

 彼女はいつも正月に来るときには幻想郷最速の名に恥じず、一番乗りである。だから今回もおおかたそれを狙っているのだろうと思ったが、意外にも射命丸は首を横に振った。

 

「私もそうしたいんですけどね……。ちょっと気になるネタがありまして。そちらをしらべてから霊夢さんのところに行こうと思ってるんです」

 

「気になるネタってなんだ?」

 

 魔理沙が訊くと、射命丸は自分の新聞のネタを誰かにとられたくないのか、降りてきて魔理沙の隣に立つと、声を潜め、言った。

 

「実は……ここ1ヶ月ほど、皆さんの記憶が食い違ってるんです」

 

「食い違い? 例えば?」

 

「私が椛と将棋をしたと記憶している日に、椛はずっと警備に出ていたというんです。それで何かおかしいな、と思って皆さんから話を聞いているんですが……やはり、皆さんの話はどこかしら食い違ってるんです」

 

 それを聞いた瞬間、魔理沙は少しの緊張を覚えた。確かに、あの血みどろの事件は紫の手によって「無かったこと」にされた。全ての無と有の境界すら操って、見事に一カ月前の状態まで巻き戻されたのである。

 

 ただし、その間に経っていた「時間」までは戻すことはできない。藍と魔理沙を除く全員はその一カ月間の記憶を消されたのだが、その空白を何らかの形で埋めなくてはならない。そのため全員の記憶を紫が全て考えて捏造せねばならなかったのである。当然今回の事件に関わった者や殺された者は多く、さしもの紫も細かい矛盾を訂正することができなかったのかもしれない。

 

「……紫に訊いてみたらどうだ? ひょっとしたら新しい異変かもしれないぜ?」

 

「……そうですね。そうだ、神社にいるかもしれませんし、私も神社に行ってみましょう。では、お先に」

 

「ああ」

 

 魔理沙は飛び立つ射命丸を見て、ため息をつく。こんな時だけ妙に勘が鋭いのだ。どうせなら調査も一緒に手伝ってくれれば良かったのに—と、思いながら、魔理沙は階段を上る。すると、その途中でゆっくりと階段を上る西洋風の出で立ちをした一人の少女と、日傘をさす従者と出会った。そのうちの傘の下で日に当たらないように気を付けながら歩いている少女—レミリアは、魔理沙に気が付くと、話しかけてきた。

 

「あら、魔理沙。あなたも初詣?」

 

「ああ、そうだぜ。……というかお前、わざわざ昼に来なくても夕方になってからくればいいじゃないか」

 

「嫌よ。今日は一日中ここにいるって決めたんだから。夜から来たら時間なんてすぐに過ぎちゃうじゃない」

 

「確かに。……フランドールは?」

 

「寒いから来ないって。まあ引きこもりのあの子らしいけど」

 

 元々フランドールはレミリアに閉じ込められる前から内向的だったらしく、解放された後も紅魔館の中で日々を過ごしているという。あの戦いが終わった後にもレミリアが生き返るかどうかを気にしていたようだし、おそらく家族さえいればそれで十分なのだろう。

 

 魔理沙とレミリア、咲夜が鳥居をくぐって境内に入ると、既に神社の中では酒宴が開かれているらしく、笑い声や皿を重ねる音が聞こえてくる。

 

 魔理沙は靴を揃えて脱ぐと、沁みるような縁側の冷たさに少し震えながら、障子を開く。

 

「霊夢、酒のみに来たぜ—」

 

 中では人や妖怪、神が皆杯を交わし、お喋りに興じていた。

 

「……あ、慧音せんせー今あたいの卵焼き取ったでしょ!」

 

「チルノ。昔の言葉には「俺のものは俺のもの、お前のものは俺のもの」という名言があってだな……」

 

「それは名言じゃなくて迷言でしょ。教師なのに、みっともない……あ、魔理沙」

 

 アリスはそう言って、障子を開けた魔理沙に気が付いたらしく、手招きした。

 

「アリスも来てたのか。私は酒は持ってきてないけど、ちゃんと肴は持ってきたぜ。ほら」

 

 魔理沙が魔法の森で採れた色とりどりのキノコの入ったバスケットを見せると、アリスは顔をしかめる。

 

「それ、絶対毒キノコでしょ。この前あなたが大丈夫って言ってたのを食べてひどい目にあったし、いいわ」

 

「今回は本当に大丈夫だって」

 

「だーめ。それは捨てなさい」

 

 アリスが奪い取ろうとし、魔理沙がそうはさせるかと引っ張り合っているうち、「美味しそうですね、いただきます!」と早苗が横から手を出し、ひょいと口に入れる。

 

「あ」

 

 アリスと魔理沙は、早苗を注視した。早苗はじっと2人に見つめられるのを不思議そうにしていたが、やがて顔がだんだん青ざめ、震え始める。

 

「い、息が……!」

 

 ばったりと倒れた早苗を見て、アリスはじろりと魔理沙をねめつけた。

 

「ほら見なさい。哀れな犠牲者が……」

 

「っかしいな—、今回はいけると思ったんだが……」

 

 魔理沙が頭をぽりぽりと掻いていると、鈴仙が慌てて早苗を運び出していった。正月早々永遠亭送りとは、何とも気の毒な話である。魔理沙がそう思っていると、

 

「ちょっとあんたたち、静かにしなさいよね!」

 

 重箱を抱えた霊夢が、座敷に入ってくる。「ひょー、待ってました!」と重箱を奪おうとするチルノを押しやりながら、霊夢はちゃぶ台の上に5段重ねの重箱を一つずつ並べていく。

 

 重箱の正体はタツクリ、海老、辛子蓮根、数の子、黒豆、そして栗きんとんなどが豪勢に盛られたおせちだった。

 

 霊夢は新たに魔理沙が来ていることに気付くと、「あんたは何持ってきたの?」と訊く。正月の宴会は持ち寄りが原則で、持ってこない者食うべからず、というわけである。アリスが横から視線を飛ばしてくるのを感じながら、魔理沙はキノコ入りバスケットを渡した。

 

 霊夢は、きちんと魔理沙が食べ物を持ってきたのを知ると態度を急に変え、「あんたも好きに飲んでいきなさい」と、湯飲みを渡した。

 

「霊夢、お喋りでもしてようぜ」

 

そう言って顔をあげると、霊夢の首に奇妙なあざができているのに気がついた。

 

「それ、どうしたんだ?」

 

霊夢はあざに手を当て、首をかしげる。

 

「さあ。何でか分かんないわ。いつの間にか浮かんでたの」

 

「そうか……何でもない。いっしょに飲まないか?」

 

「……私はまだいろいろあるから」

 

 霊夢は困ったように笑うと、ぱたぱたと台所の方へ戻っていった。性格逆転薬の影響は残っていないようで、いつも通りの霊夢だった。

 

 魔理沙がほっとしていると、アリスがそういえば、と言って訊いてくる。

 

「射命丸に会わなかった? アイツ、ここに来たかと思えば、「紫さんいますか?」って言って、いないって答えたらどっか行ったんだけど」

 

「さあ……行きにはあったけど帰りには会ってないな」

 

「ふーん、宴会を放ってまで何で紫なんか探してるんでしょうね」

 

「知らないぜ」

 

 魔理沙は平静を装って答えると、傍に転がっていた酒瓶を取り上げた。

 

 

 

 

「ふう……」

 

 その後夜まで続いた宴会は日付が変わる頃にお開き—つまり一日中ずっと宴会をしていたわけである—になり、魔理沙は自分の家に帰って来ていた。

 

 種族魔法使いになれば眠る必要はないのだが、あいにくまだ自分は捨虫の法すら習得していない、ただの人間の魔法使いである。かなり眠い。魔法の森も棲んでいる動物や下級妖怪の気配は全くせず、しんと静まり返っている。

 

 魔理沙は帽子を机の上に置き、箒を玄関に立てかけると、つけていたランプを消そうとした。

 

「ちょっと待って、魔理沙」

 

 丁度その時、空間が切れ、その隙間から紫の体が現れた。心なしか疲れが出ているようで、目じりにしわが出来ている―気がする。勿論言えば殺されるので何もコメントしなかったが。

 

「どうしたんだぜ、紫。私はこれから寝るとこなんだが」

 

「いや、ようやく私のお仕事が終わったから。ちょっと寄っていこうと思ってね」

 

「何のために?」

 

 魔理沙が訊くと、紫はぱちんと扇子を開き、答える。

 

「あなたの記憶を消すために」

 

「………そりゃ、願ってもない話だ」

 

 あの事件はもう、思い出したくもない。血に酔う霊夢の姿など覚えていたくも無いし、味方を楯にしてひたすら逃げた自分の姿も、同様だった。

 

 それでも今日までその記憶を保持していたのは事件の細かい経過を紫に教える必要があったからで、すでに自分はその義務を終えている。皆のように、この事件のことはすっぱり忘れて、また霊夢と一緒に陰惨な事件を追うのではなく、心の躍るような冒険をし続けたい、という思いが強かった。

 

「私としては、あなたの現在の人格は結構今回の事件で成長しているし、そのままでもいいんじゃないかと思うけどね。でもまあ、辛いこともあったでしょう。あなたの望み通り、記憶を消し去ってあげるわ」

 

「そうしてくれるとありがたいぜ。なんせ、あの霊夢はマジで悪魔だったからな……」

 

 皆を生き返らせる際、冥界の幽々子がとどめていた戦死者の霊を連れ戻したのだが、その時にさとりから霊夢の所業を聞いて、魔理沙はあまりのおぞましさに身が震えた。対峙していた時よりもひどい悪寒が背筋から這い上がってきたのを、今でも覚えている。

 

すると紫はくすくすと笑った。

 

「悪魔……悪魔ねぇ。実は、あの後1度、霊夢を正気に戻したの。記憶を残したままね。そしたらあの子、呆然としてたわよ。それで自分のやったことを思いだして、泣きはじめたわ。ちょっと私が目を離した隙に首を吊ろうとしたりね」

 

魔理沙は、霊夢の首に残っていたあざを思い出し、ぞっとした。あれは、霊夢の自殺未遂の痕だったのだ。紫が全て記憶を消したのだろうが……霊夢も結局は被害者の1人だったのである。

 

 紫は、記憶を消すために魔理沙の額にぴったりと人差し指をつける。

 

「今から、あなたのこの一カ月の記憶を消して、新しい記憶に差し替えるわ……覚悟は良い?」

 

「ああ」

 

 魔理沙が答えると、紫も頷いて人差し指に力を込める。が、紫は少し力を抜いて、魔理沙に訊いてきた。

 

「そういえば魔理沙、悪魔って、なんだか知ってる?」

 

 これからすぐに記憶を消されると思っていた魔理沙は、予想外の質問に戸惑いながらも、答える。

 

「えと、確か、生贄とかを代償に願いを叶える悪鬼の類だろ? それがどうしたんだ?」

 

 紫はそれを聞いて、微笑んだ。

 

「じゃあ魔理沙、この異変で一番悪魔と言えるのは霊夢じゃなかったかもしれないわね」

 

「どういうことなんだぜ?」

 

 問い返そうとするが、紫が額に再び力を込めると、だんだん魔理沙の意識は暗く、そして遠くなっていく。記憶を消す作業を楽にするため、いったん眠らせるのだろう。

 

 完全に意識が途絶える寸前、紫の一言が聞こえてきた。

 

 

「さようなら、幻想郷の悪魔さん」

 

 

 




うーん、長かったような短かったような、そんな7カ月でしたが何とか最後まで書くことができて、安堵しております。いつか12月の頭に終わるとか言ってましたが、計算違いで少し早く終わってしまいました。
 今回の反省や次作予告は活動報告で行うとして、今はこれまで読んでくださった方々に感謝の言葉を述べたいと思います。グラツィエ!


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