ポケットモンスターSM Episode Lila (2936)
しおりを挟む

序章 大人になった少年
1.時間と空間を超えて


 


「彼女」のその言葉は、今も昨日のことのように憶えている。


 次に金のアビリティシンボルを賭けてきみと戦う時。
 その時のぼくはきっと、今とは違う強さを身につけていると思う。
 そして、その強さできみに勝ったそのあかつきには──


「きみに、伝えたい事があるんだ。」


 いつも涼しいその顔にほんのりとさした赤みが、ひどく眩しかった。


 しかし、その約束は果たされることのないまま、十年の月日が流れた。
 

 遠く離れた世界で、それぞれの痛みを抱えながら、二人は大人になった。


 そして今、運命が彼らを再び引き合わせる。


 失ったことを教えるため、そして失ったものを取り戻させるために。


 これはかつて少年と少女であった二人のポケモントレーナーによる、もうひとつの太陽と月の物語。


 


 

 

──リィィィ・・・・・・・

 

 その響きが全身に広がり、沁み渡ると、ヒノキはまず両足に冷たい水の流れを感じた。

 そこに、景色、音、匂い、さらには味までもが現れた。

 そしてそれらが成すものに気づいた時にはもう、彼は風光明媚な清流の真ん中に据え置かれてしまっていた。

 

 どこまでも心地よいせせらぎに、きらきらと輝く水面、きりりと澄み通った甘く軟らかな水。

 陽の光にその葉を明るく透かす岸辺の木々と、その葉の間を楽し気に通り抜ける風。

 そしてその風が運ぶ、深い深い緑の匂い──。

 

 そうして彼の五感が鮮やかに覚めていったところで、清流に一本のアナウンスが流れた。

 

『ご乗船の皆様にご案内いたします。当便は間もなく、メレメレ島フェリーターミナルに到着いたします。どなた様も、お忘れ物のなきようご注意ください。本日も高速連絡船ニュー・タイドリップをご利用いただき、ありがとうございました。』

 

(着いたか。)

 

 ヒノキは目を開け、ゆっくりと座席を起こした。そこにあるのは秘境の碧空ではなく、連絡船の客室の白い天井と、仄明るい丸いライトだった。

 

 正面の壁のデジタル時計は、8時55分を示していた。これはちょうど12時間前に、彼がホウエン地方のカイナ港からこの船に乗船した時刻にあたる。

 列島では最も近いホウエンからも約3500もの海里を隔てており、かつ未だに空の玄関口を持たないアローラの諸島への渡航は、カイナ港から出ている唯一の連絡船、ニュー・タイドリップ号を利用するのが一般的だ。

 これは、先述の3500海里の間に中継に適した島がほとんどなく、ポケモンによる移動では単純に空路・海路ともにトレーナーへの負担が大きいことによる。

 

──当便の船内放送のチャイムには、テンガン山に生息するチリーンの『いやしのすず』を採用しているため、船旅によるいかなる状態変化もとい体調不良のお客様にあられましても、到着時には必ず心身ともに爽快なコンディションのもと、お旅立ち頂けます──。

 

 船内パンフレットのそんな文句を見た時は特に思うこともなかったが、現実にその効果を体感すると、これはなかなか気の利いたサービスだと感心した。

 実際、ほとんど座り通しの12時間であったが、仙骨の辺りが少し痛む程度で心身の調子はすこぶる良い。特に瞼は寝起きとは信じ難いほどに軽かった。

 彼は決して寝起きは悪くない。が、こうした環境の変わり目には寝つきが悪くなりがちで、それが目覚めに影響するということはままある。

 ちなみに周囲の会話や様子によれば、眠気の他にも船酔いや足の痺れにも効き目があるらしい。

 

(そうか、今からまた月曜の朝なんだな。)

 

 充電ケーブルを抜いた拍子に明るくなったスマートフォンの画面を見て、ふと気づいた。

 アローラより19時間進んでいる列島から来た彼にとっては、「今日」は翌日ではなく、むしろ昨日にあたる。

 文字通り時間も空間も超えて、ヒノキ・カイジュは7度目の冒険の舞台へとやってきたのだ。

 

 

 ◇

 

 

 乗降口に向かって伸びる列は混んでいたが、誰一人苛立っている様子はなかった。

 若いカップルも、精悍なバックパッカーも、にぎやかな家族連れも、裕福そうな老夫婦も。

 その表情は一様にこれから滞在する南国の楽園への期待に満ち溢れて晴れ渡っている。例外はヒノキ一人だ。

 

(やれやれ。浮かれられないのはオレだけか。)

 

 そんな調子でよそ見していたものだから、わずかに列が動いた拍子に、隣の人の荷物を軽く蹴ってしまった。

 

「あ、失礼。すみません。」

 

 反射的に謝ったヒノキに返ってきたのは、彼とは対照的にゆったりとした女性の声だった。

 

「いいえ。私の方こそ大荷物でごめんなさいね。ジャマでしょう?」

 

 その「大荷物」はシルフカンパニー製のサイズもデザインも立派なキャリーケースだった。

 そしてその事は、彼女がそれなりの長期滞在予定者であることを示していた。

 

「あなたもおひとり?ご旅行?」

 

 声の主は品の良い顔立ちと身なりをした老婦人(マダム)で、彼女もまた一人であるらしかった。ヒノキはなんとなく親しみを感じた。

 

「いえ、ちょっと仕事で。」

 

「そう。お若いのに偉いわね。私はね、孫の結婚式のためにカロスから来たんですよ。わざわざこんな遠くですることないのにって思ってたんだけど、いざ来てみるとやっぱりワクワクするものね。」

 

 そういって老婦人は微笑んだ。年の頃は60後半から70前半というところだろうか。笑うとできる目尻のしわが、とてもチャーミングだ。

 

「ああ、それは楽しみですね。良い式になるといいですね。」

 

「ありがとう。あなたのお仕事はどういうご関係?やっぱり観光関連なのかしら?」

 

「いや、コレです。」

 

 そう言うと、ヒノキは腰のモンスターボールをひとつ外して見せた。

 

「保護とか生態調査とか、そういう感じですね。」

 

「まあ、若い研究者さんだったのね。こっちは貴重な種の宝庫だっていうものね。きっと専門家の方からすれば、文字通り宝の島なんでしょうね。」

 

 そうこう話していると急に列の進みが早く感じるようになり、とうとうヒノキ達にも船を降りる番がやってきた。特に何を意識することもなく、老婦人と話しながら乗降口を通り過ぎた彼だったが、その瞬間には思わず声が漏れ、言葉を失った。

 

 それは、アローラという洗礼であった。

 

「!うわ・・・。」

 

 海も、空も、太陽も。

 知っているものとはまるで別物みたいだ。

 彼は決して慣れ親しんだ土地のそれらに不満を感じたことはないが、なんというか、その輝きが違う。存在感が違う。

 なんと眩しく、美しく、それでいて優しいのだろう。

 そして果物と花の香りのする南風は、言葉もなく立ち尽くす二人の間を得意げに吹き抜ける。

 

 潮風をはらんだ帆のように、ヒノキの期待は一瞬で膨らみを取り戻した。

 本当に「いざ来てみるとやっぱりワクワクする」ものだ。

 たとえその渡航目的が、異世界から来た未知の生命体との対峙であったとしても。

 

 

 ◇

 

 

「じゃ、僕はここで。」

 

 話好きな老婦人との会話は結局、彼女の宿泊するホテルの玄関まで続いた。ボーイが足早にやってくるのを確認してヒノキがその大きな荷物を彼女に返すと、引き替えに右手を差し出された。

 

「道連れにした上に荷物まで運んでもらって、本当にごめんなさいね。なんだか孫と一緒に来たみたいでとっても楽しかったわ。お仕事も大切でしょうけど、体には十分気を付けてね。」

 

 ヒノキは快く握手に応じた。上品な白い手袋越しにでも、その手の暖かさは十分伝わってくる。

 

「いや、僕も一人でちょっと複雑な気分だったから、むしろ助かりました。本当にありがたかったです。」

 

「そう言っていただけると嬉しいわ。」

 

 二人の手が離れるのを待って、すでに控えていたボーイが彼女からキャリーケースを預かり、ホテルの中へと運んでいった。ヒノキもサングラスを取り出そうと、しゃがみこんで背中のリュックを中を漁り始めた。しかし、彼女はまだそこを離れない。

 

「?どうかしました?」

 

 老婦人の気配が消えないことに気づいたヒノキは、手は止めずに顔を上げた。

 それでも彼女は少しの間迷っていたが、やがて意を決したという風に、ゆっくり、しかしはっきりと切り出した。

 

「うん・・・あのね。私、船の時からあなたのお顔、何だか知っているような気がするって思ってたんだけど。気のせいかしら?」

 

 一瞬、ヒノキのリュックをまさぐる手が止まった。が、すぐに底からサングラスを引っ張り出した為に、彼女はその小さな動きに気づかなかった。

 

「そうですね。」

 

 サングラスをかけながら、彼は先ほどまでの会話と少しも変わらない調子で応えた。

 

「僕は、奥さんのお顔は今日生まれて初めて知りましたから。きっとそうだと思いますよ。」

 

 そう言って、もう誰だかよく分からない顔でにっこり笑うと、覚えたばかりの現地のあいさつで彼女に別れを告げた。

 

「アローラ!良い式と旅を!」

 

 そして再び一人になった彼は、市街地を後に一番道路の先へと向かった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2.七代目

 
【前回のあらすじ】
フェリーでアローラへとやって来たヒノキ・カイジュは、下船時に居合わせた一人のカロスの老婦人と親しくなり、ハウオリシティまで同行する。
 


 

 ハウオリシティの郊外にあるククイポケモン研究所のインターフォンが鳴ったのは、十三時を少しまわった頃だった。

 ちょうどその時地階で電話を受けていた彼は、傍にいた相棒に応対を頼んだ。

 

「イワンコ、ちょっと頼むよ。僕もすぐに行くから。」

 

 彼はこいぬポケモンらしい甲高い声で返事をすると、元気よく階段を駆け上がっていった。それから間もなく、玄関ドアの開く音と若い男の声がした。

 

「よお、見慣れないワン公だな。あーよしよし、良い・・ゔっっっ!?」

 

 程なくして電話を終えた博士が玄関へ向かうと、そこにはちぎれんばかりにしっぽをふる相棒と、膝立ちでみぞおちを抑えて呻く青年の姿があった。どうやらイワンコの熱烈な歓待―という名のずつき―をその辺りで受けたらしい。

 

「遅くなってすいません。もしかして、怒ってます?」

 

 彼がその弱々しい口調で言わんとしている事を理解したククイ博士は、思わず吹き出してしまった。

 

「ごめんごめん、ちょうど電話をしていたものだからさ。僕にもイワンコにも悪意は全くないよ。」

 

 そして目の前でうずくまっている青年に手を差し述べ、握手を兼ねて助け起こした。

 

「遠いところよく来てくれた。ヒノキ・カイジュ君、ようこそアローラへ。」

 

 その言葉にヒノキも笑顔で手を伸ばし、ようやく立ち上がる事ができた。もっとも、顔の半分は痛みでまだ歪んだままではあったけれど。

 

「アローラ。お会いできて光栄です、ククイ博士。」

 

ドアを開けた瞬間にイワンコに飛びつかれたヒノキは、そこで初めてまともに研究所の中を見渡すことができた。

 LDKとロフトと水槽で構成されている屋内は、古びたコテージ風の外観とつぎはぎだらけの屋根から予想していたより、ずっときれいで現代的な空間だった。玄関の正面にある地下への階段が見えなければ、えらく家庭的なポケモン研究所だと勘違いさえしただろう。

 

「自宅兼研究所か。通勤もないし、好きな時に好きなだけ研究できるし。最高ですね。」

 

 博士に続いて地階への階段を下りながら、ヒノキは感想を述べた。その後ろをイワンコがとことこと嬉しそうについてくる。

 

「おかげさまで僕はね。でも奥さんは隣のアーカラ島の空間研究所ってところが職場だから、毎日リザードン通勤さ。」

 

「へえ。替わってあげる予定はないんですか?」

 

「もちろん僕も提案はしたさ。だけど丁重にお断りされたよ。『気遣いは嬉しいけど、私は明るくて清潔で換気のできるオフィスで働きたいの』ってね。」

 

「あら、そりゃ残念。」

 

「とてもね。僕としては最高の労働環境なんだが。夫婦でも分かり合えない事というのは存外あるものだよ。君も覚えておくといい。」

 

 しかし地下の研究所に通されたヒノキは、即座に奥さんの言葉の意味を理解した。

 そこは水槽の深海ポケモン達のために常時暗く、また博士の筋トレスペース(本人曰くは技の臨床実験場)と専門書の書架の存在のために何となく汗埃くさく、それでいて地下のために窓がなかった。毎日働く空間としては、選べる余地があるうちは選ばないだろう。それが女性ならなおさらだ。

 もっとも、ヒノキ自身はこの程度のむさ苦しさで不快を感じたりはしない。これまでの十余年のトレーナー人生の中で、もっとずっと忍耐力の要求される状況をいくつも経験しているからだ。

 

 やがて、博士がキッチンからアイスコーヒー二つとマラサダが載った盆を片手に降りてきた。

 

「ところでここまでの道中に何かあったのかい?こっちの人ならのんびり屋だから、二時間くらい遅くとも何とも思わないんだけど。迷うような道でもないし、君は有名人だから港でサイン攻めにでも遭っているのかと思っていたんだけど、そういう訳でもなさそうだね。」

 

 博士はそう言いながらヒノキの座る壁際のソファーに自分も腰かけると、最も手近な段ボール箱を引き寄せ、その上に盆を乗せた。サイドテーブルの代わりだ。

 

「えーと、それはですね」

 

 ヒノキはリュックからいくつか中身の入ったモンスターボールを取り出した。

 

「ちょっと何匹か出してもいいですか?」

 

「ああ、構わないよ。」

 

 途端に辺りは賑やかになった。

 そこには、ヤングースにツツケラ、アゴジムシ、それに他の地方とは異なる姿と属性を持った、いわゆる島嶼化形態(リージョンフォーム)のニャースとコラッタ、それにベトベター(こればかりはさすがに出すのは自重した)といった、この付近に生息するアローラの固有種達が勢ぞろいしていた。

 

「なるほど。そういうことか。」

 

「はい。とりあえず博士に会わなきゃ、とはわかってたんだけど、やっぱ見かけたら我慢できなくなっちゃって。面目ないです。」

 

 小さくちぎったマラサダをそれらのポケモン達に与えてからボールに戻すと、ヒノキは改めて頭を下げた。

 

「うん、でも確かにそれが一番想定すべき可能性だったな。それじゃあなおのこと早くアレは渡さないとね。頼んでいた例のヤツは連れてきてくれたかい?」

 

「もちろん。この通りです。」

 

 リュックから更にひとつ取り出したモンスターボールを博士に渡しながら、ヒノキは尋ねた。

 

「でも、こいつをどうするんです?」

 

 しかし博士はその質問に答えず、意味ありげな笑みを浮かべてもったいぶった。

 

「それは今からのお楽しみさ。よし、それじゃあちょっとそのまま目をつぶっていてくれないか?あ、もちろん『こころのめ』の方もだぜ?」

 

「いいけど、そんなにハードル上げて大丈夫?オレ、正直なリアクションしか取りませんよ?」

 

 しかし博士には結構な自信があるらしい。

 ヒノキから預かったモンスターボールをパソコンの隣の機械へセットすると、デスクトップを睨みながら恐ろしい速さでキーボードを叩いた。 その間にヒノキはマラサダの最後の一口をアイスコーヒーで流し込むと、足元のイワンコを膝に乗せ、言われた通り目を閉じた。

 

「もちろん、率直な反応で構わないよ。あ、ちなみに、このモンスターボールの前のこいつの住まいは何だったか覚えてるかい?」

 

「えーと、たしかシンオウの廃屋のテレビだったかな。」

 

 イワンコはヒノキの膝の上で大人しく撫でられており、彼もまた気持ちよさから目を閉じている。

 

「それならよかった。きっとこっちの方が居心地が良いはずだからね。・・・と、ここをこうして・・と。よし!・・・うぉっと!!」

 

 その瞬間、イワンコが悲鳴を上げてヒノキの膝から逃げていった。室内を一瞬支配した激しい音と光を雷だと思ったらしい。

 その拍子に思わず目を開けてしまったヒノキは、その開いた目の前に浮かんでいたモノに、この日二度目の絶句をする事となった。

 

「・・・・」

 

 誰と言うべきか、何と言うべきか。

 しかし言葉に詰まる彼とは対照的に、「彼」は実に流暢な人語で自己を紹介した。

 

『ヒノキ、アローラ!ボクがウワサの喋って頼れるロトム図鑑だロ!これからよろしくロト!』

 

 赤いぴかぴかのボディに、中心に設けられた大きな液晶画面。

 左右にそれぞれ設えられた、音声入力用のマイクと出力用のスピーカー。

 言われてみれば確かに、これは彼が今までに所有してきた歴代のポケモン図鑑と同じ機能を備えている。が、その二つの青い目とツノのような象徴的な突起、それにちょこんとついたかわいらしい丸い足の存在に関しては、その今までのどれとも一線を画していた。

 それもそのはず、「彼」はポケモン図鑑であると同時に、新たに開発された、ロトムの『アローラのすがた』でもあったからだ。

 

 とうとうここまで来たか。

 予想もしなかった方向に進化した七台目もとい七代目の相棒との対面に、ヒノキはひゅうっと口笛を吹いて感嘆した。

 

「かがくのちからってすげーな。これがホントの()()()()()()ってか。」

 

 早速、手を伸ばしてツノの部分を撫でてやった。果たして気持ち良いと感じられたかどうかは疑問だが、とにかく嬉しそうだ。

 

「お褒めに預かり光栄だ。」

 

 博士もまた、彼のその正直なリアクションにとても満足しているようであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3.大人になった少年

 
【前回のあらすじ】
ハウオリシティ郊外のポケモン研究所を訪れたヒノキは、ククイ博士から七台目のポケモン図鑑となるロトム図鑑を託される。
 



 

「島めぐり?」

 

「そう。アローラでは昔から、十一歳になった子供は一人前の人間になるために四つの島を旅する習わしがあるんだ。人とポケモンとが互いに助け合って、持てる力の全てを尽くして試練をこなして己の限界を超えて成長していく。それが島めぐりさ。」

 

 その日の夕食は研究所の前の浜でのバーベキューだった。アローラ地方のポケモン談議に花を咲かせるヒノキ達の傍らで、イワンコがふといホネを噛み砕かないよう、大事に味わっている。

 

──今日は僕が腕によりをかけて、一番の得意料理をごちそうするからね。

 

 そう触れ込まれたメニューがバーベキューと判明した時こそヒノキはその期待値を引き下げたが、実際に振る舞われたそれは料理どころかご馳走以外の何物でもなかった。種類ごとに丁寧な仕込みがなされた具材は全て網の上で持ち味を最大限に発揮し、特にアローラ名物でもあるガーリック・ブロスターは文字通り弾けるような美味さだ。肉や野菜をただ網に載せて焼くだけという彼の従来のバーベキュー観は、見事に覆された。

 

「へえー、いいなあ。オレもしたかったなぁ。」

 

 蒸し焼きにしたポケマメの殻を剥く手を止めて、ヒノキは無邪気に羨ましがった。もう博士ともそのポケモンとも、すっかり打ち解けている。

 

「来世は絶対アローラに生まれるよ。」

 

 気軽な調子でそう言った彼は、缶のビールを一口飲み、殻を剥いたマメを口に入れた。じっくりと熱を通されたマメはほっくりとしていて、ほのかに甘みがある。アローラでは定番の酒の肴だ。

 

「おいおい。だからって、今生を生き急ぐんじゃないぞ?それに、四つの島を巡ること自体は何歳でもやっていいんだから。大人になってからの島めぐりでも、発見や成長はきっとあるはずだよ。」

 

 半ば冗談、半ば本気のつもりでククイ博士は窘めた。

転生というのは誰だって一度は夢想するだろうし、その事に別に否を唱えるつもりはない。しかし、彼のような若い人間が実際に口にするとなると、やはりあまり良い気がしなかった。

 

「あ、ごめん、そういうつもりじゃなくて。ただ単純に、十一歳の島めぐりがしたいなって思っただけだよ。だってあんなに何もかもが新しくて鮮やかなのって、やっぱ初めての旅の時だけだからさ。」

 

 そう言うと、ヒノキは隣で物欲しそうに鼻を鳴らしていたヌイコグマにもマメを分けてやった。

 それを聞いても、博士は彼の来世という言葉が妙に引っかかった。

 そしてそれは、この出会って半日の若きレジェンドから密かに感じていた違和感と、何か関係があるような気がしてならなかった。

 

「で、そのハウとピアって奴らは今どこにいるの?二人とも、家はこの近くなんだろ?」

 

 そのヒノキの声で我に返った博士は、慌てて目の前の彼に焦点を戻した。

 

「ん、ああ。ハウの方は少し遠いけど、ピアの方はほら、あの家がそうだよ。もっとも、今は二人ともポケモンリーグにむけての最終調整を行っているはずだから、家にはいないと思うけどね。」

 

 そう言って、手にしていたトングで少し離れた隣家の屋根を指した。

 

「そっか、もうそんな時期か。ああ、オレにもそんな頃があったなぁ。」

 

 懐かしそうにヒノキが言った。

 

「そういえば、君がカントーリーグを制したのも確か今のあの子たちと同じ年頃だったな。えーと、あれは僕がまだタマムシ大学の研究生だった頃だから――」

 

「もう十二年になるよ。あの時はオレが十一だったからね。」

 

「うわあ、もうそんなに経つのか。そりゃ僕も年を取るわけだ。しかし君のあの決勝戦は今も昨日のことのように覚えているよ。あの試合を見てなかったら、アローラにもポケモンリーグを作りたいなんて思わなかったんじゃないかな。まさかあの少年と酒を酌み交わす日が来るなんて、現にそうしている今でも不思議な気分だ。」

 

 酔いが回ってきたのか、博士は少し饒舌になっている。

 そんな博士に、ヒノキは笑って言った。

 

「買いかぶりすぎだよ。それに、今じゃあの年代のリーグチャンピオンは結構出てるしね。」

 

 そう言ったヒノキの頭には、各地で出会った個性豊かな後輩たちの顔が思い浮かんでいた。どいつもこいつも生意気で頼もしい、記憶の中でもにぎやかな面々だ。

 

「いやいや。それでも君の存在は特別だよ。カントーから来たピアも言っていたよ、男の子ならみんな誰でも一度は『ヒノキごっこ』をやるってね。今回の件が無事片付いて、ポケモンリーグも終わったら、是非トージョウレジェンドとしてあの子達と手を合わせてやってくれ。」

 

「もちろん。オレもその時が来るのを楽しみにしてるよ。」」

 

 ヒノキは残っていたビールを飲み干して笑った。

 その表情に、博士は再び強い違和感を感じた。

 

 元気がない訳ではない。無理をしているという風でもない。

 なのに、その瞳に十二年前のあの輝きは見られない。

 まるで不意に見せる色のない諦念が、そのなれの果てであるとでもいう風に。

 

 それからしばらくの間、二人は黙って夜の海を眺めた。

 昼間は太陽の下で翡翠色に輝いた海は、今は月の光を湛えて黒曜石のようにきらめいている。様相は違えど、筆舌に尽くしがたい美しさに違いはない。

 

 その時、博士はふと思った。

 

──太陽や月の光がなければ、海は輝かないよな。

 

 直感ではあるが、何か核心に触れたという感触があった。

 

 

 ◇ ◇

 

 

 翌朝、ヒノキが研究所の玄関でククイ博士の見送りを受けたのは、まだ空がようやく白み始めた頃だった。

 

「早いからいいって言ったのに。」

 

「いやいや。図鑑を託した若者の旅立ちを見届けるのは博士の義務だからね。」

 

 そう言いつつ、博士は噛み殺せなかったあくびで開いた口を両手で覆うと、そのままメガネの下に手を入れてねぼけ三白眼をごしごしとこすった。昨夜は目の前の青年の違和感の正体についてあれこれと考えてしまい、結局ほとんど眠れなかったのだ。

 

「だけど、まだ約束の日まで三週間以上あるんだろう?それだけあれば慌てなくとも挨拶回りと情報収集は十分間に合うし、ポケモンも育っている君なら、全ての島を一通り見ることもできると思うが。」

 

 遠くの方でヤミカラスがギャアギャアと騒ぐ声がした。明け方とはいえ、まだ夜行性のポケモン達が活動している時間だ。

 

「いや、こっちの気候とか今のメンツのコンディションを考えると、やっぱ何匹かは入れ替える必要がありそうだからさ。できるだけ、そっちに時間を使いたいんだ。」

 

 それに、とヒノキはそこでいったん言葉を切ると、

 

「来世の楽しみが減っちゃあつまんないしね。」

 

 あくまで朗らかに、軽口であるという風に笑って言った。しかしその瞳は、やはり半透明に翳っている。 

 

 博士はもう一度、その事について考えてみた。

 各地の悪の組織絡みの事件にも関わってきた彼なら、社会や人間の暗い部分も幾度となく見てきたことだろう。そうした、いわば「世界」に対する失望の積み重なりという可能性もある。しかしもしそうだとしたら、そもそも「来世」を望んだりはしないだろう。となるとやはり、この十二年の間に彼の生きる上で光源であった何かが失われた可能性が高い。そうであれば、哀しく、難しい問題だ。

 

「さあ行くか。リー!」

 

 そう明るく声をかけたヒノキの手のモンスターボールから、美しい黒いリザードンが現れた。俗に『ブラック・アルビノ』と呼ばれる、希少な色違いの個体だ。その容姿から裏社会の人間達がこぞって手に入れたがる為に違法な取り引きや繁殖が絶えず、負と闇の象徴という認識が強い。

 

(だけど)

 

 博士は思う。

 たとえどんな理由があったとしても、君にはそんな瞳で来世の話なんかしないでほしいんだ。だって君は──。

 

「夕べも同じような話をしたけれど」

 

 リザードンの背に乗ったヒノキに向かって、博士は声をかけた。

 

「アローラでは人もポケモンもみんなが互いに助け合う。君にも、僕やキャプテン達や島々の長のみんながいる。誰かの力を借りることは決して弱さじゃない。それを忘れないでくれ。」

 

 その言葉に、ヒノキは穏やかな笑顔で頷いた。

 

「ありがとう。大事に覚えておくよ。」

 

 しかし博士は、一瞬、彼の目と口がそれとは違う何かを言おうと歪んだのを見逃さなかった。が、それを問いただす前に、若きレジェンドはまだ太陽の昇らない暁の空へと飛び立っていった。

 

 

 ◇

 

 

 リザードンの尾の炎が完全に見えなくなるまで、博士はその姿を見つめていた。

 彼が失った光が何なのかは分からない。

 だけどもし、君に憧れる十一歳のトレーナー達と手を合わせるその時までに、その瞳に輝きが戻らなければ。

 

 そこまで思いを巡らせると、博士は白衣のポケットのモンスターボールを握り締めた。その中には、かつて自身が島めぐりの苦楽を共にした相棒が入っている。

 

 

「まずは僕が、渾身のめざましビンタをお見舞いするよ。」

 

 

 だって君は、チャンピオンなんだぜ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第1章 再会
4.バトル・バイキング① 奇妙な二人連れ


 
【前回のあらすじ】
ククイ博士から新たな図鑑を受け取った翌日、ヒノキは仕事の準備の為に研究所を発つ。それから、三週間。
 


 

 メレメレ島、ハウオリシティ。

 アローラ地方最大の都市であるこの街には、一風変わった人気レストランがある。

 某大型ショッピングモールの一画を占める『リリコイ』という名の店がそうで、連日昼夜を問わず、整理券を配布する賑わいを見せている。が、おもしろい事に来店する客のおよそ八割方は実名であるその名を知らない。 

 そんな『リリコイ』で、この日の昼下がり、ある二人連れの客が人目を引いていた。が、それは別に、彼らがフォーマルなスーツを着ているせいではない。観光客だけでなく出張中のビジネスマンにも人気のこの店では、スーツ姿の客は意外に珍しくない。

 また、その組み合わせが若い女と中年の男であるからという訳でもない。それは二人連れの種類としては確かに珍しい方かもしれないが、二人の関係が仕事絡みであることは服装より明らかであったし、何より、その間に人目を引く類の雰囲気はない。

 そんな彼らを通りすがる誰もが一瞥する理由──それは彼ら自身というよりむしろ、そのテーブルの上にあった。

 

「ボス。いつも申し上げておりますが、こちらの店ではちゃんと我々二人で完食できる量だけを取ってきて頂きたいと──」

 

 ブラウンのスーツを着た中年の男が、卓上の料理の山を持参したタッパーにせっせと詰めながら進言した。

 その作業はやたらと板についており、手際にはまるで無駄がない。にも関わらず、テーブルが一向に片付かないのは、彼の作業速度を上回る勢いで新たな「戦利品」が次々と運ばれてくる為であった。

 

「ごめんなさい。どれも美味しいから、つい欲張ってしまって・・・」

 

 ボスと呼ばれた黒いスーツの若い女が、五皿目のリンドサラダをテーブルのわずかな隙間に載せて席に着いた。一応謝ってはいるものの、その朗らかな笑顔と口調から、どうもあまり悪いとは思っていないらしい。

 

 バトル・バイキング──実名より遥かに親しまれているその通り名の通り、ここは腕と腹の鳴るポケモントレーナー達の欲求を満たす聖地である。

 ポケモンバトルの勝利とその勝ち方によって料理の種類と量が得られるこの店では、卓上の賑わいは自然トレーナーとしてのステータスを意味する。彼女達が他の客から文字通り一目置かれるのも、そういった事情によるものであった。

 

 何はともあれ、彼女が着席したことでようやく食事が始められる。

 男がそう思った、まさにその瞬間であった。

 

「ーーご来店中の皆様にお知らせいたします。なんと本日、当店の幻のデザートである『デラックスバイバニラパフェ』を、一点限りではございますがご用意できる事となりました。つきましては、13:00より争奪トーナメントを行いますので、エントリーをご希望のお客様は12:45までに各階のDコートへお集まりください。」

 

「!」

 

 その瞬間彼女の顔がぱっと輝き、ようやく落ち着いたばかりの腰が嬉しそうに椅子を弾いた。

 

「ボス!今の私の話を──」

 

 聞いていたかと男が言い終わらない内に、彼女はすでに席を離れていた。

 

「ごめんなさい、これで絶対最後にしますから!」

 

 いたずらっぽく笑いながら手を合わせ、指定された場所へと走って行く。

 まるで子どもだ。

 

(まったく。ボスとここに来ると、胃袋がいくつあっても足りない。)

 

 そう思いつつも、そんな彼女に対して彼の愛想が尽きることは決してない。理由が何であれ、彼女の明るい笑顔が見られるのは喜ばしい事であるし、一点もののパフェならこれ以上タッパーが増える事もないだろう。

 

(やれやれ。今回は何日この弁当生活が続くことやら。)

 

 むしろここからバイキングができるほどの量と品数の揃った卓上を眺めて、男は作業を再開した。

 

 

 ◇

 

 

 その頃。

 階段を上がった二階のテラス席にも、同じように山盛りの料理をもて余す二人連れのテーブルがあった。

 

「ねーヒノキ。おれもうおなかいっぱいだよ。もう一本もはいんない。」

 

 こんがりと日焼けした手足を半袖と短パンから覗かせる少年が、フォークでマトマパスタを弄りながら向かいの連れにそうこぼした。

 彼はアーカラ島にあるオハナ牧場の主の孫で、名はナギサという。

 普段は両親と共にホウエン地方で暮らしているのだが、母親が第二子の出産を控えている為に、父方の実家であるオハナ牧場の祖父母のもとに預けられているのだ。

 

「何いってんだ。どれもこれも、お前が欲しいっつーから取ってきてやったんだぞ。ちゃんと責任もって自分のノルマは食え。じーちゃんにチクるぞ。」

 

 正面で三杯目のホウエンラーメンをもくもくとすすりながら、オハナ牧場の母家の一室を間借りしているヒノキ・カイジュが少年を咎めた。

 牧場主の祖父のワタリは基本的に孫に甘いが、畜産農家だけあって好き嫌いや食べ残しには厳しい。

 もし調子に乗って取った分を食べ切れなかったと知れたら、説教だけではすまないだろう。

「食べ物を作るのがいかに大変かを知るため」の牛舎のそうじ、畑仕事、牧羊ポケモン達の世話等々、今度はお手伝いのフルコースが待っている。ナギサにとっては悩ましい事態だ。

 

「でも、どれもこれもこんなに欲しいとは言ってないよ。」

 

 それはその通りだった。

 品の数こそナギサがねだった結果であるが、皿の数に関しては観衆に乗せられたヒノキの勝ち方によるものである。

 今度は彼が言葉に詰まる番だった。

 

「いや、まあ・・それはオレも聞いてねーけど。しょうがねえだろ。わざと手ぇ抜いて戦うなんてできるかよ。」

 

「じゃあヒノキの責任じゃん。」

 

「いやだからお前、そこは連帯責任でだな──」

 

 そこに、件のアナウンスが流れた。

 

「パフェだって!幻だって!!」

 

 そう言って、ナギサはことさらにはしゃいでみせた。

 パフェに惹かれる気持ちは本当で、あながち全くの演技という訳ではない。が、今の彼にはそれ以上に打算があった。

 すなわち、甘い物好きなヒノキならうまく乗せればきっと飛んでいくに違いない。

 そうなれば、きっとこの食品ロス問題もうやむやにできるに違いない──という完璧な作戦が。

 

 ところが、意外にも少年のその目論見は外れ、むしろかえって墓穴を掘る結果となった。

 

「何いってんだ。おまえもう食えないんだろ。食えるんなら、まずこれからだ。」

 

 そう言ってヒノキは、ナギサの手でさりげなくテーブルの端においやられていた深皿を、どんと彼の真ん前に据えた。

 

「マーボーだけ食ってビスナは残すとか。おまえマーボービスナを何だと思ってんだ。せめてこれは完食しろ。」

 

 捕食者に見つかってしまったヨワシのような顔で、ナギサはヒノキを見た。

 今、大嫌いなビスナなんか食べたら完食どころか食べたものまで吐いてしまう。

 その方がずっともったいないではないか。

 しかし、そう言おうとしたところでヒノキに先手を打たれてしまった。

 

「いいか、これは試練(シレン)だ。オレがパフェを持って帰って来るまでにおまえはビスナを完食する。だけじゃないぞ。これはオレとパフェ、おまえとビスナ、そしてオレとおまえの3つの戦いを含んだトリプルバトルだ。ロトム、こいつがズルしないように見ててくれ。」

 

『いぇっサーロト!ナギサ、がんばロト!』

 

 ヒノキのリュックから、ぴかぴかの赤いボディが飛び出してナギサの周りを周遊した。

 試練。バトル。

 どちらもアローラのポケモン少年の心を掻き立ててやまない言葉であり、それは居候のナギサとて例外ではない。

 

「うー・・・。でもぉ・・・」

 

 口ごたえの言葉に詰まっている彼の頭をくしゃっとなでて、ヒノキは席を立った。

 

「さあ試練開始だ。お互いがんばろーぜ。」

 

 そして、賑やかな雑踏の中へと消えていった。

 

 

 ◇

 

 

 ナギサがそのスプーンの存在に気づいたのは、ヒノキの後ろ姿が完全に見えなくなり、仕方なくテーブルに向き直った時であった。

 目の前の深皿に、さっきまではなかった美しい銀のスプーンが差してある。

 ちょうど大人用のカレースプーンくらいの大きさで、装飾もないシンプルなデザインだが、それが却って美しい。

 手にとってみれば、五歳の彼には確かに大きいはずなのに、なぜかあつらえたようにしっくりとなじむ。

 しかし、不思議な事はそれだけではなかった。

 

(あれ・・・?)

 

 嫌いなはずのビスナが、なぜか今ならすっと食べられそうな気がする。

 意を決して一さじすくうと、おそるおそる口へと運んだ。

 

「!!」

 

 それは、彼が今まで食べたビスナとは全くの別物であった──という訳ではなかった。

 あくまで彼の知っているビスナである。

 が、どういう訳か、それがたまらなく美味しいのだ。

 むにゅむにゅで気持ち悪いはずの食感はとろりと柔らかく、なんとも言いがたいよく分からない味は、こくがありつつも淡白な、品の良い甘さに感じられる。まるで味覚が180度回転させられたようだ。

 

 気がつくと、ビスナでいっぱいだった器はすっかり空になっていた。

 もっとも、ナギサ自身は何が起きたかまだ飲み込めていないようで、不思議な銀のスプーンを様々な角度から当惑ぎみに眺め回している。

 

 そんな彼の様子を集合場所から見ていたヒノキは、満足気に頷いた。

 

「みなさま、大変長らくお待たせいたしました。それではこれより、本日のデラックスバイバニラパフェ争奪杯を開始いたします!」

 

 人だかりの先頭にいる司会のヘッドウェイターのアナウンスに、参戦者の間から歓声と拍手が起こる。

 

(さて。今度はオレの番だな。)

 

 愛用の色褪せたデニムキャップのつばを少し上げて、ヒノキは前へ進み出た。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5.バトル・バイキング② 奇妙な女

 

「カイリキー戦闘不能、そこまで!勝者、ジュナイパー!」

 

 わっと歓声と拍手の湧いた観衆(ギャラリー)に、ヒノキは右腕を突き上げて応える。

 

「おめでとうございます。それではお客様──」

 

 審判を務めたヘッドウェイターが、にこにこと彼の元へと歩いてくる。その間にヒノキはざっと身なりを整え、この後の来る質問に思いを巡らせた。

 

(やれやれ、今のお気持ちを一言で、か。そうだな、ここはパフェだけに甘いコメントをクールに決めて、機知の効いた笑いを取っー)

 

「この後の決勝戦のアナウンスで使用させていただきますので、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 

 ん?

 

「決勝?今のがそうじゃなかったのか?」

 

 思わず口をついて出たその心の声は、たちまち計算外の笑いを誘ってしまった。

 彼としては、後はもうヒーローインタビューとパフェの贈呈式を残すのみというつもりであったからだ。

 しかし有能な司会者は、そんな若者に最初の説明を聞いていなかったのか、とはもちろん言わない。

 

「左様でございます。これまでの試合は、この二階フロアの代表を選出するための予選でして、見事勝ち抜かれたお客様には、一階フロアの代表ともう一戦交えて頂きます。そちらが決勝戦となります。」

 

 穏やかな笑顔で丁寧に説明してくれた。

 が、その気遣いがまた彼の肩身を狭くする。

 

「あ、そうなんすか・・えーと、じゃ、カイジュでお願いします。」

 

 ヒノキはとっさに苗字を名乗った。ヒノキという名前に比べてあまり知られていないので、こういう時に便利なのだ。

 

「かしこまりました。それではカイジュ様、決勝の舞台へとご案内しますので、どうぞこちらへ。」

 

 そう言ってヘッドウェイターは、背後の高速エレベーターの上矢印ボタンを押した。間もなく、ピンポンという音とともに、鏡のように磨き上げられた銀色の扉が静かに開いた。

 

「いや、なんかすいません。あ、いいスいいス、後は一人で行けますんで。ありがとうございます、がんばってきまーす・・」

 

 その場から逃げるように、ヒノキはそそくさとエレベーターへと乗り込んだ。

 

 

 ◇

 

 

(くそ、いらん恥をかいてしまった。)

 

 ぐんぐん上昇するエレベーターの中で、彼は一人ごちた。これは何としても、これからの真の決勝で名誉を挽回しなければならない。

 

 やがて上昇が止まり、静かに扉が開くと、エレベーターの内部は一瞬でアローラの光に満ちた。

 ヒノキは素早くポケットからサングラスを取り出した。

 

 そこは屋上だった。

 遮るもののないアローラの太陽のもとに整備されたバトルコートがあり、それを取り囲むように、南国の多種多様な植物が植わっている。まるでちょっとした公園のようだ。そしてそのコートには既に、彼の対戦相手が待っていた。

 

──またなんか特殊な奴がきたな。

 

 サングラス越しにでも分かる、黒いスーツに黒い手袋、黒いショートブーツ。こうなると、あの黒いサングラスはおそらく南国の陽光以前の理由があるのだろう。まるでSPだ。その全身の内で黒くないのは白いYシャツと肌、そして色は分からないが、くせのある豊かな髪くらいのものである。

 なんとなく近づきがたい雰囲気があったが、それでも彼はトレーナーの礼儀として、彼女のもとへ歩み寄った。

 

「どうも、アローラ。焼けるところで待たせちゃって失礼。よろしく。」

 

 そう簡単に挨拶し、黒い指ぬきグローブをはめた右手を差し出した。普段は常時着用しているが、このアローラでは蒸れてしまうので試合の時のみ着けるようにしている。

 

「ええ。よろしくお願いします。」

 

 彼女もまた黒い手袋に包まれた右手を差し出し、彼の手を取った。装いとは裏腹に女性らしい、ほっそりとした華奢な手。それが唯一、その握手で文字通り彼の手に入った情報だった。

 

(なんか、変な女だな。)

 

 自陣に戻りながら、ヒノキは引っかかる何かを感じた。が、それについて考える間もなく、コートの隅に設えられたスピーカーから、元気いっぱいの若い女声のアナウンスが流れた。

 

『みなさま、大変長らくお待たせいたしました!各階の代表が出揃いましたので、これより、いよいよ決勝戦を始めたいと思います!』

 

 同時にコートの横の大型モニターに電源が入り、二分割された画面にコート上の二人が映し出された。

 

『ルールは通常のバイキングバトルと同じく、交替不可の1対1!泣いても笑っても、選んだ一匹が全ての出たとこ勝負です!』

 

 どうやらモニター越しの彼女が審判も兼ねているらしい。巻き込みを気にせず戦えるようにという配慮だろうか。

 

『それでは両者、所定の位置について!レディ・・・』

 

 空気が一気に張りつめた。

 二人の手は、既に選んだポケモンの入ったボールにかけられている。

 

 

『ファイト!!』

 

 

 パフェも名誉挽回も、すでにヒノキの頭から消えていた。

 ただポケモントレーナーとしての血が騒ぐままに、彼はその頂上決戦の幕を切って落とした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6.バトル・バイキング③ 試合開始

 

試合開始(レディー・ファイト)!!』

 

 合図とほぼ同時にふたつのボールがトレーナー達の手を離れてコートに落ち、二体のポケモンが現れる。

 そのどちらも一連の動作が一瞬の内であったことが、両者が相当な手練れであることを示していた。

 

『さあ、コート上に現れたのは二階の代表、カイジュ選手のジュナイパーと、一階代表、アナベル選手のフーディン!ここからどのような戦いを見せてくれるのでしょうか!?』

 

(ふーん。あいつ、アナベルっていうのか。)

 

 そのアナウンスで初めて、ヒノキは対戦相手の名前を知った。が、特に聞き覚えがある訳でもなかったので、すぐに彼女の繰り出したポケモンの方に注意を向けた。

 

(フーディンか。)

 

 フーディン。

 高い知能と情報処理能力でこちらの動きを学習し、精度の高い予測を立てられる厄介な相手だ。当然、戦闘が長引くほどこちらが不利になる。おまけに──

 

()()()、ね。)

 

 目の前のフーディンの額には、ユンゲラーのそれほど鮮やかでないが、確かに六芒星が現れていた。これは俗に「星つき」と呼ばれ、長年たゆまぬ鍛練を積んだフーディンのみに現れる強者の証だ。あまり悠長な事はしていられない。

 

「ジュナ。早めに勝負をつけるぞ。」

 

 主人の囁きに、ジュナイパーの深緑の頭巾が縦に傾いだ。

 

「潜れ。」

 

 その瞬間、ジュナイパーの両翼手にすらりとした緑の刃がきらめき、フーディンめがけて弾丸のように突っ込んだ。

 

 ◇

 

 一方、彼女──アナベルの方は、彼の名に思うところがあった。

 

(カイジュ……?まさか。でもー)

 

 ()()()()()()()()、むしろ好都合といえる。

 その実力を、今この場で測ることができるからだ。

 

「フーディン。十分引きつけてから、テレポートで背後へ。」

 

 フーディンもまた、主人の言葉に頷く。

 

 

 が、その指示が通ることはなかった。

 

 

『おおっと、ここでジュナイパーの姿が消えた!!』

 

 両者の距離が約半分ほどに縮まったあたりで、不意にジュナイパーの姿が見えなくなった。気配すら、消えている。

 

 いつ、どこから現れるか。

 その判断に費やした一瞬がフーディンを無防備にし、テレポートのタイミングを遅らせた。

 ヒノキはそれを見逃さなかった。

 

「今だ!」

 

 フーディンの影からさらに大きな影が音もなく飛び出し、両翼の二本の刃を猛然と振り下ろす。

 

『決まったぁ!ジュナイパーのゴーストダイブ!!これはフーディン、大きなダメージ!!』

 

 妖気を帯びた斬撃をもろに食らったフーディンは、その衝撃で主人の元まで後退した。ヒノキとしては悪くない入りである。しかし、本当の戦いはここからだ。

 

「よお、ねーちゃん。言っとくがオレは相手が女だからって油断も手加減もしないからな。甘いのはパフェだけで十分だ。」

 

 それは確かに挑発でもあったが、同時に自らを奮い立たせる為のはったりでもあった。まるで一種の「とくせい」のように、ヒノキは目の前のフーディンが今までの相手とは格が違うことを察し、厳しい戦いになることを確信していた。

 

「願ってもないことです。私としても油断や手加減をしたから負けたなどと言われては、勝利とパフェの後味が悪くなりますから。」

 

 ここまで殆ど表情の変わらなかったアナベルの口元がわずかに綻んだ。彼女もまた、ここまでの彼とジュナイパーの動きに、これまでとは一線を画する戦いを予感し、静かに胸を熱くさせていた。バトルでこんなに気持ちが高揚するのは、一体いつ以来だろう。

 

『さあ、最初のターンを終えて、現在のところはジュナイパーの優勢!フーディンとしては、大きく開いてしまった体力の差を縮めたいところです!』

 

(現在のところは、な。)

 

 学習能力の高いフーディンに同じ手を繰り返すことはできない。攻めるにしろ守るにしろ、そのつどその知能に挑んでいかなければならないのだ。

 

「ジュナ。踊れ!」

 

 ヒノキのその指示でジュナイパーが舞うような羽ばたきを見せると、おびただしい量の羽毛が回遊するヨワシの群れのごとく、フィールドのフーディンを取り囲む形で渦を巻いた。

 

(このフェザーダンスは、おそらく目くらまし。)

 

 技の意図を見抜いたアナベルも、淡々と次の指示を送る。

 

「ミラクルアイ。」

 

 閉眼したフーディンのまぶたの裏に、羽の渦の向こうで頭巾の(ツル)(ツル)に、影を宿した矢羽をつがえるジュナイパーの姿が映った。影からの攻撃(パターン)を学習したであろうフーディンを、それでも影に縛りつけるための「かげぬい」である。

 

()て!」

「サイドチェンジ。」

 

 次の瞬間、羽の渦が急速にほどけ、代わりに羽の丘がコートの上に形成された。そしてその中央には、自らが放った矢で地表に頭巾を射止められるジュナイパーと、彼がいたはずの位置に浮かぶフーディンの姿があった。

 

『これは……!』

 

 予想以上の予想外の光景に、実況の声もやや上ずっている。 

 

『なんとフーディン、相手と自分の位置を入れ換える「サイドチェンジ」で、ジュナイパーに自身の「かげぬい」を食らわせた!ジュナイパー、これは屈辱的な倍返し(カウンター)だ!』

 

──来たな。

 

 避けられるとすれば、『テレポート』か『スプーンまげ』か。

 そう踏んでいたヒノキにとって、攻防一体の『サイドチェンジ』は、まさに予想以上のカウンターであった。

 しかし、反撃自体はまだ想定の範囲内である。

 

「ジュナ、大丈夫だ!まずはフードの矢を抜け!それから起き上がるんだ!」

 

 一瞬で覆された状況にジュナイパーがパニックを起こさないよう、ヒノキはゆっくり、力強く声をかけた。

 

 が、そんな彼の配慮を無に帰するような一言が、正面から被さってきた。

 

「まだ等倍ですよ。」

 

 宙のフーディンが、両手のスプーンでようやく起き上がったジュナイパーに照準を合わせて念じ始めた。

 

「サイコキネシス。」

 

 強烈な念の波動がジュナイパーを周囲の空間ごと持ち上げ、捻り、超自然的な動きで地面に叩きつけた。

 

(血も涙もくそもねえな。)

 

 衝撃で飛んできた粉塵やコートの欠片が入らないよう鼻と口を腕で覆いながら、ヒノキはサングラスの奥の目をモニターに凝らした。大幅に削られはしたものの、まだHPは尽きていない。おとなしいが負けん気の強いジュナイパーの特殊攻撃への耐性が幸いしたようだ。

 

(とりあえず、体勢を立て直すか。)

 

 ヒノキは帽子のつばを少し持ち上げて、空を仰いだ。

 日差しが、強い。

 

「ジュナ!」

 

 ヒノキはぴゅうっと「戻れ」の合図の指笛を吹いた。

 たちまち、彼の影から満身創痍のジュナイパーが現れた。

 

「『こうごうせい』。」

 

 ジュナイパーは蔓を引いて頭巾を顔まで被ると、翼を広げてこうごうせいを行った。頭と背の葉の部分が明るく輝くと、完全ではないものの、大きな傷はあらかた消えた。

 

「さすがです。」 

 

 アナベルもまたフーディンを自身の元に戻らせ、『じこさいせい』を命じる。間もなく宙で座禅を組んだフーディンの身体が不思議な光に包まれると、やはり大方の傷が治癒された。

 

「やはりあなたには、全力が要るという訳ですね。」

 

 そう言うと彼女は、黒い手袋に包まれた右の指先で左の襟に触れた。そこには、ゆらめく木の葉の形の紋章をとじこめた虹色の玉の襟章ー正確にはヒノキがそうであってほしいと願っていたものーが留め付けられていた。

 

 

──やれやれ。

 

 

 また一段階、戦いの次元が変わる。

 その合図にヒノキは腹をくくった。

 

 玉がたちまち不思議な光を放ち始めると、それに呼応するように、フーディンの首元から同じ光が溢れ出し、やがてその全身を包んだ。もはやそれが襟章ではないことは、そのアナウンスを聞くまでもなかった。

 

 『なんと、ここでアナベル選手のフーディンがメガシンカ!!これはカイジュ選手のジュナイパー、いよいよ厳しいか!』

 

 

(まったく、なんちゅう女だ。)

 

 

 豊かなあごひげを蓄え、五本に増えたスプーンを宙に従えたメガフーディンを見ながら、ヒノキはこみ上げてくる笑いをかみ殺すのに必死だった。

 ただでさえ、ただ者ではないというのに。

 これはたかだかパフェ一個をめぐる戦いだというのに。

 

「この上、メガシンカまですんのかよ。」

 

 試練開始。

 先ほど自らがナギサにかけた言葉が、ふと頭に浮かんだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7.バトル・バイキング④ 不屈の心で

 

『さあ、ここへ来てアナベル選手のフーディンがメガシンカ!圧倒的な力の差を前に、カイジュ選手のジュナイパーはどう立ち向かうのでしょうか!?』

 

 メガシンカ。

 ポケモンの中には、メガストーンと呼ばれる特殊な石のエネルギーを利用することで、一時的にではあるが爆発的なパワーを得ることができる種がいる。その際に姿形もいくぶん変わるため、この変態を俗にメガシンカと呼ぶ。

 が、それによって生じるストレスとエネルギーがあまりにも大きいために、実際にその力を使いこなせるのは、歳月をかけて心身ともに鍛練を積んだ個体のみである──というのがメガシンカの定説だ。

 

「ジュナ」

 

 じっと前を見据えたまま動かないジュナイパーの背に向かって、ヒノキは声をかけた。

 

「実況のねーちゃんの言う通りだ。あのフーディンの前じゃ、今のお前はどうしたって格下だぞ。どうする?」

 

 加えて。

 メガシンカを発動させ、そのエネルギーを生むのは、トレーナーとポケモンの強い心の共鳴(シンクロ)であるとされている。すなわち、メガシンカとはトレーナーとポケモンがあらゆる違いを超えてつながっている証でもあるのだ。

 そしてそれは、出会ってまだ一ヶ月に満たないこのヒノキとジュナイパーにとっては、最も堪える種類のプレッシャーでもあった。

 

「ああ、もちろん、ここでお前がサジを投げたところで手持ちから外す事はないから。それは心配すんな。」

 

 ヒノキが彼にそんな言葉をかけたのには理由がある。

 今から三週間前の事だ。

 

 

 ◇ ◇ 

 

 

「遠路はるばる、こんな海の果てまでよくぞお越しくださいましたな。旅の疲れもおありでしょうから、まあどうぞゆっくりなさってください。」

 

「いえ。お気持ちは嬉しいんですけど、やることは山ほどあるんでお気遣いなく。」

 

 ククイ博士の研究所を発ったその日の午後、ヒノキはアローラ地方のポケモントレーナーの長であるハラ・マイアの元を訪れていた。ウルトラビーストをはじめ、アローラに関する諸々の情報を教えてもらうためだ。

 

「あ、そうだ。すいません、コレつまんないものですけど──」

 

 ハラ宅の客間に通されたヒノキは、手土産のカントー銘菓『オツキミだんご』を取り出そうとリュックに手を入れた。ところが、その手のひらが触れたのは固い箱ではなく、温かくてやわらかい、もふっとした何かだった。

 

(ん?もふ??)

 

 そんなもの、入っていたかな。

 不思議に思った彼はその「何か」に目をやり、そして驚いた。

 

「うおっっっ!!」

 

 それは生きた命だった。

 何かを訴えかけるような眼でヒノキを見つめるその小さな生き物は、どうやらポケモンらしい。

 

「びっくりした・・・なんだ?おまえ。いつの間に潜り込んだんだ?」

 

 顔の真ん中についた大きな嘴に、つぶらな瞳。

 蝶ネクタイのような胸元の双葉に、ふわふわの羽毛に覆われた、丸っこい身体。

 雛鳥のような姿が愛らしいそのポケモンは、ヒノキに抱き上げられると得意気にもふぅ!と鳴いた。

 

「ああ、こりゃこりゃ!」

 

 驚いたのはハラも同様である。

 ヒノキにリュックから取り出された姿を見るなり、慌てて彼の手からそのポケモンを引き取った。

 

「いやはや、とんだ失礼をしました。これは今、うちで面倒を見ているポケモンでしてな・・・これ!この人は島めぐりのトレーナーさんではありませんぞ。」

 

 ハラに叱られると、そのポケモンはもふぅ・・と悲しげな声と表情を見せ、小さな身体をさらに小さくした。

 

「いや、まあオレはいいんだけど・・・こいつは?」

 

「ええ、モクローというポケモンでしてな。今年の島めぐりの子どもたちの相棒として用意した三体のうちの一匹なのですが、あいにく挑戦者は二人でしたので。残念ながら・・・という訳です。」

 

「そっか、それで自分を旅に連れていってくれるトレーナーを待ってるのか。」

 

「はい。これまでは大人しくただ待っているだけだったのですが、ちょうど一週間前、島めぐりに出ていた二人が一度帰ってきましてな。その時に、ずっと一緒だったニャビーとアシマリの成長した姿を見て以来、すっかり落ち着きをなくしてしまって・・・あ、これ!」

 

 モクローは隙を見てハラの腕をすり抜けると、ヒノキの頭に陣取って再び自分の意思を示した。重くはないが、既に鋭いかぎ爪は彼のデニムキャップをがっちりとつかんで離さない。

 

──そりゃ、悔しいよな。

 

 ヒノキは頭上のモクローの心情を慮った。

 ほんの少しの運命のずれによって、自分だけが選ばれず、取り残され、置いていかれてしまった。旅立った同期達は、選んでくれたパートナー達とどんな経験をし、どれほど成長したことだろう。

 たとえヒノキの頭に穴をあけても離れるまいとするそのつかまり方からは、そうしたモクローの焦りや寂しさがひしと伝わってくるようであった。

 

(ふうむ。)

 

 そんなモクローの様子は、当然ハラにも訴えかけるものがあった。彼はこのモクローを生まれた時から見てきたが、これほど頑なな態度を見せたことはなかったからだ。

 そのまましばらく何かを考えていたが、やがて遠慮がちにその考えを口にした。

 

「・・・ご迷惑とは百も承知なのですが。どうでしょう、もしよろしければこのモクロー、連れていってやってはもらえませんかな。」

 

 しかし、そうは言ってもヒノキがこれからやることは島めぐりではない。

 

「うーん。じゃ、一応聞くんだけどさ。」

 

 鋭い爪に頭皮を引き裂かれないよう、ヒノキは慎重にキャップをモクローごと外してテーブルに置いた。同時に彼のシルバーグレーの髪が何本か抜けたが、さほど痛みはない。  

 

「ハラさんは、こいつがあと三週間でウルトラビーストの連中と渡り合えるようになると思う?」

 

 大きな嘴の下の辺りを掻いてやりながら、ヒノキはハラに尋ねた。モクローは気持ちよさそうに目を細めている。

 

「それは・・・」

 

 ハラは言葉に詰まった。

 正直、難しいだろう。せいぜい、現時点の間違いなく瞬殺されるというところから、命からがら逃げられるようになるくらいが関の山ではないか。

 自らの不用意な言葉の無責任さを悔やみつつ、彼は正直にヒノキにそう述べた。

 

「うんうん。てことはやっぱりー」

 

「はい。」

 

 ハラが頷いた。そして、二人同時に結論を述べた。

 

「やはり、来年の島めぐりに繰り越そうかと」

「おまえの根性と、オレのトレーナーとしての手腕が試されるって訳だな。」

 

 糸のような目を見開いて呆気に取られているハラをよそに、ヒノキは再び両手でモクローを抱き上げた。ふわふわの小さな身体は、見た目よりさらに軽い。今の段階では、ウルトラビーストどころか、その辺の野生のアーボにすら丸呑みにされてしまいそうだ。

 

「なあ、ちびもふ。オレは島めぐりの十一歳じゃないし、ポケモンリーグの頂点を目指す旅もとっくに終わってる。ついてきたところで、お前が夢見た未来を見せてやることはできないぞ。それでもいいのか?」

 

 モクローはしばらくの間、ヒノキをじっと見つめていた。が、やがて、とても嬉しそうに、にこっと笑った。

 

(なんと。)

 

 ハラがモクローのそんな表情を見たのは、彼がタマゴから孵って初めてのことだった。そして、彼がなぜここまでこの青年にこだわったのか、分かった気がした。

 

 そんな彼の笑顔に、ヒノキも歯を見せて笑った。が、すぐに表情を引きしめ、モクローの胸についているのとは違う方の()()()をかけた。

 

「いいか、お前の採用条件は『あと三週間でレベル50』だ。届かなけりゃ補欠にも入れないぞ。すごいとっくんになるから、腹くくれよ。」

 

 もふう!と力強く答えたモクローもまた、あどけないその瞳に精一杯の覚悟を滲ませていた。

 

 

 ◇ ◇

 

 

 あれから、三週間。

 ヒノキの手元に、前方から一本のスプーンが飛んできた。銀色のシンプルなデザインで、ちょうど大人用のカレースプーンのようだ。

 

「投げるならどうぞ。」

 

 口元にクールな笑みを浮かべたアナベルが、さらりと言った。今のヒノキとジュナイパーのやりとりを聞いての事だろう。

 

 ヒノキはしばしスプーンを眺めた後、改めてジュナイパーを見た。相変わらず前を見据えて、その表情は見えない。が、鋭い鉤爪がめり込んだその足元には、小さなひびができていた。

 

(それがおまえの答えだな。)

 

 ヒノキはその背に向かって小さく頷き、対戦相手に向き直った。

 

「お気遣いはありがたいけど。でも、それなら(サジ)じゃなくて(サイ)の間違いだ。」

 

 その言葉とともにジュナイパーは地面を蹴って空高く飛び上がると、目にも止まらぬ速さで矢羽を連射し、メガフーディンへスコールのようなみだれづきを浴びせかけた。

 

「リフレクター!」

 

 ドーム型の厚いバリアーがメガフーディンを被うように現れ、降り注ぐ矢羽をその周囲に弾き落とす。

 

「そして、ねんりき。」

 

 メガフーディンの額のパワーストーンが発光すると、同じ光がジュナイパーを包み、地面へとねじ伏せた。 

 

(ねんりきでこの威力か。)

 

 ヒノキは、改めてこのフーディンの精鋭ぶりに舌を巻いた。放たれる技のひとつひとつが、熟練のそれと呼ぶに相応しいキレと精度を誇っている。技の研究者であるククイ博士が見たら、感動して泣くかもしれない。

 最新のバトル・システムによって同じ50に制御されていると言えど、実際のレベルがその数字を大きく上回っていることは、もはや明らかであった。

 

 ジュナイパーはすぐに起き上がろうとした。が、地面に両翼と片膝をついたところで止まってしまった。呼吸は荒く、肩は大きく上下している。

 

『おっと、ジュナイパー、なかなか立ち上がれない!!このままではカウントダウンが始まってしまうぞ!』

 

 実況もジュナイパーの苦境を代弁する。彼がぎりぎりの状態にあることは、今や誰の目にも明らかであった。

 

ー怖いよな。苦しいよな。やめたいよな。

 

 そんな様子から、ジュナイパーの胸中がプレッシャーやコンプレックスや恐怖心でつぶれそうになっていることを、ヒノキは痛いほど感じていた。

 

 だけど。

 

「それでも逃げたくないと思うなら、戦うしかないんだよな。」

 

 実況が6までカウントしたところで、よろめきながらも、ジュナイパーは再び立ち上がった。

 アナベルはその様子を静観していたが、やがてふっと不敵な笑みを浮かべ、口を開いた。

 

「負けず嫌いは嫌いではありませんが。これでも、その調子でいられますか?」

 

 彼女がパチン、と指を鳴らすと、メガフーディンの額のパワーストーンが再び発光し、放射状に浮いていた五本のスプーンが時計のように秒刻みに回転し始めた。そしてモニターの残り試合時間の表示が揺らめいて浮かび上がったかと思うと、その数字の幻影がジュナイパーの身体に重なった。

 

 その実況の解説を聞くまでもなく、ヒノキは経験からその意味するところを理解した。

 

『ここでメガフーディンがみらいよち!ジュナイパーは試合終了時刻に合わせてみらいよちの攻撃を受けてしまいます!これで引き分けはなくなりました!メガフーディンを倒さない限り、ジュナイパーの敗北が確定します!ジュナイパーは事実上のとどめをさされた格好だ!』

 

 時限爆弾。

 しかし、彼にとってはもうさほど脅威ではなかった。確かに時間切れによる引き分けは狙えなくなったが、今や破滅へのカウントダウンがあろうとなかろうと、やれること自体は同じだからだ。

 

「関係ないね。」

 

 ヒノキは左手首につけた腕輪に緑色の美しいクリスタルを装着しながら、むしろ清々しい気持ちで答えた。

 

「今、こいつが本当に負けたくない相手は、あんたらじゃなくてー」

 

 続けて腕輪をジュナイパーに向けてかざすと、クリスタルがまばゆい光を放ち始めた。

 アナウンスが興奮した声で、その事実を実況する。

 

「自分が欲しかった未来を手に入れた奴らと、自分で選んだ未来にくじけそうな自分自身だからな。」

 

 ヒノキは帽子のつばをぐっとつかんで目深に引き下げると、両腕を顔の前でクロスさせ、身構えた。

 

「たかが三週間、されど三週間だ。」

 

 そう前置くと、ジュナ!と自らを鼓舞するように声を張り上げジュナイパーに呼びかけた。

 

 

「教えてやろうぜ。たとえ一月足らずでも、強くなりたいって、全力で心血を注いだなら──」

 

 

 ヒノキは腰を沈めると、手首を垂らした腕を顔の横に構えてゆっくりと立ち上がる。

 まるでおばけのようなその動きに呼応するかようにクリスタルの光が彼の全身を包むと、顔を上げ、目深にかぶった帽子の下からにやっと笑った。

 

 

「十分化けられる、ってな。」

 

 

 ヒノキから贈られた溢れるエネルギーをまとったジュナイパーは、ロケットのように上空へ直進した。そして宙にぐるりと矢羽の大輪を描くと、それらを率いてメガフーディンへと進撃した。

 

 

『ここへ来てジュナイパーが最後の勝負に出た!種の固有Z技、シャドーアローズストライクだ!!』

 

 

(この状況でZワザ・・・!)

 

 発動させるのは決して容易ではないことを、アナベルは知っている。素早く、攻勢から守勢へと頭を切り替えた。

 

 「フーディン!矢はスプーンまげでかわして、本体はリフレクターで防いで。」

 

 が、メガシンカ形態といえど、通常どおりではさすがにZワザには耐えられない。その為、メガフーディンはリフレクターを通常のドーム状ではなく、前方に特化した壁状に展開した。

 

『しかしフーディンも強化ガード体制に入った!これでZワザの威力は約1/4にまで削がれてしまいます!残り時間とみらいよちの発動を踏まえると、ジュナイパー、いよいよ厳しいか!』

 

 流星群のような無数の矢羽を同じ数のスプーンが迎え撃ち、ジュナイパーが特殊装甲のようなリフレクターの壁と激突した瞬間、辺りは技の余波の暗闇に覆われた。

 誰にも何も判らない状況の下、ただみらいよちの赤い閃光とジュナイパーがそれに貫かれる鈍い音、その直後に響いた試合終了のブザーのみが人々の目と耳に届いた。

 そのために、誰もが闇が晴れるのを待たずに、その実況と同様の見切りをつけていた。

 

『・・・ここで試合終了!勝者は、アナベル選手とメガフーディ──』

 

 

 その光景を、見るまでは。

 

 

(え?)

 

 

 再び、最高潮に輝く真昼のアローラの太陽に晒されたバトルコート。

 そこには、メガシンカが解け、座禅を組んだまま往生しているフーディンと、みらいよちの攻撃を受けて力尽きたジュナイパーの姿があった。

 

『ち、違います!!なんと、両者共に倒れています!一体、何が起こったのでしょう!?もう一度、暗視カメラの映像に切り替えて確認をー』

 

 何が起こったのか分からない。それは実況や観衆だけでなく、実際に現場で戦っていたトレーナーとて同じであった。

 ただ、一人を除いては。

 

「ふーっ。」

 

 文字通り全力を使い果たしたヒノキもまた、大きな息をつくとどさりとその場に座り込んだ。

 

「・・・。」

 

 そして、言葉を失いながらも何かを問いたげに自分を見つめている対戦相手に向かって、静かにタネを明かし始めた。

 

「こいつにはちょっと変わった特性があってさ。」

 

 おつかれ、とジュナイパーをモンスターボールに戻すと、ヒノキはそのボールをアナベルに向けて見せた。

 

「多分、もとは光合成のさまたげになるツツケラ達の疑攻(モビング)対策だったと思うんだけど。自分の影を分身みたいにして、遠隔操作できるんだ。影だから葉っぱとかは出せないけど、身体を張る技なら本体と同じくらいの威力が出せる。ただし、こういう明るい状況じゃすぐばれちまうけどな。」

 

 その時、ちょうどモニターにそのシーンがスロー再生で映し出された。確かに、ジュナイパーがみらいよちの攻撃を受けると同時に、足元から離れた黒い影が矢羽の影伝いにノーガードの背部に回り込んで強力な一撃を放ったのが分かる。

 

「・・では、あのZ技は最初からおとりのつもりで・・・?」

 

「それくらいのフェイントはかけないと、そいつには負ける気しかしなかったからさ。」

 

 ヒノキはそう言ってフーディンを指して笑った。

 

「・・・。」

 

 つまり、自分はおとりのZ技にフルガードを使い、その裏を突かれたという訳である。

 アナベルはゆっくりと息をつくと、やれやれという風に微笑した。

 

(引き分けといえど、完敗か。)

 

 彼女のそんな思いには全く気付かず、ヒノキは続けた。

 

「それにしても。まさかパフェの争奪戦でZ技を使うはめになるとは思わなかったよ。あんた何者だ?女でその若さでその強さはもはや変態だぞ。」

 

 気さくな口調で話すその言葉に、アナベルも緊張を解いて普段の調子に戻った。

 

「それなら、あなたも大概ですよ。」

 

「へ?」

 

「少しでも不安や懸念があれば発動しないZ技をあの状況で決めるなんて。並のトレーナーにできることではありませんから。」

 

 メガシンカがトレーナーとポケモンの共鳴なら、Z技はトレーナーからポケモンへの供給である。トレーナーの体と心の力が、そのまま技のエネルギー源となるため、彼女の言うように純度100%の精神状態でなければ発動しないのだ。

 

「きっと、あなたのとくせいは『ふくつのこころ』なのですね。」

 

 彼女にそう評され、ヒノキは少しくすぐったい気持ちになった。穏やかで聡明な物言いからは、さっきまでとはまるで違う印象を受ける。もっとも、戦闘となると人が変わるタイプの人間は確かに存在するので、不思議でないといえばないのだが。

 

「そりゃあ、できるさ。」

 

 ヒノキがそう言った時、ピンポンという音がして、最初に乗ってきたエレベーターの扉が開くのが見えた。同時に、コートの隅のスピーカーから二人に戻ってくるようにというアナウンスが入った。

 

 下降するエレベーターの中で、ジュナイパーが収まっているモンスターボールを握りながら、ヒノキは続きを話した。

 

「出会った日に、こいつに聞いたんだ。ついていくのがオレで、本当にいいのか?って。そしたら・・・っと!」

 

 そこで危うくボールを落としそうになった。

 照れくさいのか、ジュナイパーが暴れてボールを内側から揺すっているのだ。

 

「『キミに決めた』ってさ。」

 

 そう言ってヒノキもまた、少し照れくさそうに笑った。

 

「どんなにすごい特訓をしたって、出会って三週間なのは変わらないし、互いのことで知らないことも、ぶつかる壁もこれから色々出てくるだろうけど。でも、あの時のあの気持ちがあれば、大抵の場合は踏ん張れると思うんだ。やっぱ初心は忘れるべからずだな。」

 

 やがて、エレベーターが二階に着いた。降りながら、ヒノキは彼女に別れを告げた。

 

「にしても、一矢報いるので精いっぱいの勝負なんて久々で楽しかったよ。じゃーな。バイビー。」

 

「・・・なるほどね。」

 

 そう呟いて、アナベルはそっとサングラスを外した。

 そして待ち受けていたナギサや歓声に応えるヒノキの背中を見つめながら、彼の言葉を胸の中でなぞった。

 

 

──きみに、決めた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8.バトル・バイキング5 何者①

 
【ここまでのあらすじ】
主人公・ヒノキと謎の女性トレーナー・アナベルによるバトルバイキングでのバイバニラパフェ争奪戦は激闘の末、引き分けに終わる。
二人は互いの強さを称え合った後、試合に感銘を受けたチーフシェフの計らいによって半分ずつに取り分けられた賞品のパフェを手に、それぞれの席へと戻っていった。




 

「ただいま戻りました。」

 

 彼女のその声に、男は料理をタッパーに詰める手を止めて顔を上げた。そして、テーブルに置かれた不完全で不格好な巨大パフェを見て、眉をひそめた。

 

「ボス。これも何度も申し上げておりますが。いくらアイスが溶けると言えど、こうした店で歩きながら食べるのはお行儀が悪いですぞ。それではまるでバイバニラパフェではなく、バニリッチパフェではありませんか。」

 

 確かに、彼女には片手で食べられる軽食やスイーツは席に着く前に手をつける傾向がある。彼がパフェの不完全なビジュアルを彼女のその悪い癖によるものと考えたのも、無理はなかった。

 

「いえ、それが違うんです。引き分けだったので、相手の方と半分こになったんですよ。」

 

「ひ、引き分け!?は、半分こ!!?」

 

 何より。

 彼の知る限り、彼女のポケモンバトルの戦績は無敗無分けである。だからこそ、彼女も取り分け用のスプーンを落として瞠目する彼に試合を見ていなかったのかとは言わない。

 むしろ、自身ですら見なくとも分かると思っていたほどであった。

 

「まさか、相手は男ではないでしょうな!?」

 

 男は唾を飛ばしながら、彼女に詰め寄った。

 幸い、詰めかけのタッパーはその飛距離の圏外にある。

 

(そこ?)

 

 それより先に聞くことがあるであろうと思いつつ、彼にボスと呼ばれるその女──もといアナベルは、部下ではなく年配者としての彼を立てた。

 

「ええ、そのまさかです。見た感じでは、ちょうど私と同世代くらいの方かと。」

 

「なんと!で、ではまさか、そのグラスからそのスプーンで半分食べた残りをボスに──!?」

 

「違いますよ!これはちゃんとお店の方が取り分けてくださった分です。もう、ハンサムさんたら何を心配なさってるんですか?」

 

 少し語気を強めた彼女の言葉に、ハンサムと呼ばれた男はようやく安心した様子を見せた。

 

「そ、そうか、それなら良かった。しかし、ボスがポケモンバトルで引き分けなど、国際警察に入って以来のことでは?」

 

「そうなんですよ。だから私も、まだなんだかドキドキしていて。・・・はい。どうぞ、マニューラ。」

 

 アナベルは手持ちポケモンの一体であるマニューラを出すと、冷たいものと甘いものが好きな彼女にパフェを半分取り分けてやった。ドキドキしていると言いつつ、その表情は心なしか嬉しそうに見える。

 

「ふうむ。しかし、国際警察屈指の腕前であるボスと互角の実力となると、その男、ただ者ではありませんな・・・一体何者でしょう?」

 

「それは」

 

 彼女はちょっともったいぶるように、そこで言葉を切った。

 

「じきに分かりますよ。」

 

 そう言うと、自身もスプーンに山盛りのホイップクリームを口に運んで、ふふ、と笑った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9.バトル・バイキング5 何者②

【ここまでのあらすじ】
ポケモンリーグチャンピオンであるヒノキと引き分ける実力を見せた謎の女性、アナベル。その正体は国際警察の一員であった。
彼女が連れの補佐官であるハンサムと、素性を伏せて戦ったヒノキの正体について話しているその頃。
彼女たちのいる一階から階段を上がった二階のテラス席にも、同じように不恰好な巨大パフェをそびえさせているテーブルがあった。



 

「ねえ、ヒノキ。もうお腹いっぱいなんじゃないの?おれ、いつでも代わってあげるよ?」

 

 テーブルの向こう側から身をのりだし、試合前とは真逆の調子で真逆の事を言っているのはナギサである。

 

「何いってんだ。おまえ、Zワザの消費カロリーなめんなよ。これ全部食っても、足りるかどうか。」

 

 ヒノキもまた、試合前とはうってかわって軽快な調子で、半分でも巨大なバイバニラパフェを次々と口へ運んでいる。但し、それは単に彼が試合でゼンリョクを尽くしたからというだけでなく、彼の頭が今なお忙しく糖分を消費し続けているためでもあった。

 

──あの女。本当に、何者なんだ?

 

 あの格好であの若さで、あの強さ。

 となれば、冗談抜きでただ者ではないはず。

 

 その時、ヒノキはふと、スプーンを持つ自身の手が微かに震えている事に気付いた。それは先刻、ナギサがマーボーなしのビスナを完食した、彼曰く「まほうのスプーン」だ。

 

 それに、オレはどうしたんだ?

 なんでこんなに心がモゾモゾして落ち着かない?

 さっきも、今まで使ったこともない誰かの口ぐせとか出たし。

 

 彼の胸に、何かが確実に引っかかっていた。

 何かとても重大なことを素通りしてしまっているような、そんな気がしてならないのだ。

 

 その時、フロア中央のモニターで、さきほどの試合のハイライト放送が始まった。

 

「・・・」

 

 ガラス窓越しに何気なくその映像を見た途端、ヒノキは心臓を掴まれたような感覚にとらわれた。

 試合中はサングラスをかけていた為に分からなかったアナベルの髪が、花のような淡い紫色をしていたからだ。そしてその色は彼に、反射的にある人物を思い起こさせた。

 

 いつの間にか隣へ来て、しきりに、もういいの?と聞いてくるナギサに構わず、ヒノキは立ち上がって辺りを見回した。ちょうど、一人のウェイトレスが隣のテーブルを片付けている。

 

「あの、すいません。」

 

「はい。あ、もしかしてさっきのパフェの・・・」

 

「そうです、その件でなんですけど。オレと戦ったあのアナベルって人、よくここに来るんですか?」

 

「なんだよ、ナンパすんの?・・・あてっ!」

 

 生意気な軽口を叩くナギサの頭にきっちり右ヒジを落としながら、ヒノキはウェイトレスの答えを待った。

 彼女は少しの間、小さなあごを指で支えて考えていたが、やがてその姿勢のまま話し始めた。

 

「そうですね・・・ここ一ヶ月ほどは、一週間に一度くらいはお見えでしょうか。」

 

「あの、何か知ってることとかありません?どこに住んでるとか、何の仕事してるとか。小さな事でもいいんで。」

 

 期待は出来ないと分かりつつ、それでもヒノキはわずかな望みを託して尋ねた。

 が、彼女の口から出た回答は、やはりその期待を裏切るものであった。

 

「申し訳ありませんが、お名前と、ポケモン勝負がかなりの腕前だということ以外は、おそらく店の者は誰も何も・・・」

 

 本当に申し訳なさそうに、彼女は言葉尻を濁した。

 

「そっか・・・。ま、そうだよな。客の個人情報なんか、普通知らないよな。」

 

 分かりきっていた事ではあった。とはいえ、やはり気落ちはしてしまう。

 

「よろしければ、それとなくお伺いしてみましょうか?まだ店内にいらっしゃって、お答えいただければの話ですが・・・。」

 

 彼の落胆ぶりに何かしらの事情を察した彼女は、そう提案してくれた。

 が、ヒノキは少し考えてから、その申し出を断った。

 

「いや、いいよ。ちょっと昔の知り合いに似てるなって思ったんだけど。でも名前も違うし、多分オレの勘違いだから。気を使ってくれてありがとう。」

 

 いざ接点が見えないとなると、あの衝撃も何かの間違いだったような気持ちになる。

 

「お力になれず、申し訳ありません。」

 

 そして彼女は仕事に戻り、ヒノキも自分のテーブルに戻った。

 そこではこっそりパフェに手をつけていたナギサが慌てて自分の席に戻ったところだったが、ヒノキは全く気づいていない様子で、再びパフェに取り掛かろうとした。

 

 そうだ。きっと他人の空似だ。

 それに、本当に()()()なら──。

 

 彼がそこまで思いを巡らせた時、頭の少し上の方から、聞き覚えのある柔らかな声がした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10.バトル・バイキング5 何者③

 
【ここまでのあらすじ】
 国際警察のアナベルとハンサムがヒノキの正体について話していたように、ヒノキもまた、アナベルの正体について思いを巡らせていた。
 そんな折、何気なく目にした試合のハイライト映像の彼女に、彼はある人物の面影を垣間見る。
 しかし、それ以上の手がかりは掴めず、他人の空似と思い直しかけた時、彼は意外な人物から声をかけられる。
 



 

「あなた、どうりで見たことのあるお顔だと思ったら。あのヒノキ君だったのね。」

 

 ヒノキが顔を上げると、そこにはフェリー下船時に居合わせた、あのカロスの老婦人(マダム)が立っていた。ホテルの玄関で別れた時より幾分日焼けしており、萌黄色のムームーがよく似合っている。

 

「あ、確か船の・・・」

 

 彼がちゃんと自分の事を思い出したのを確かめてから、彼女はお久しぶり、と微笑んで手を振った。

 

「私、昔少しだけカントーに住んでいた事があるの。ちょうど、あなたがセキエイのポケモンリーグで優勝した頃にね。すっかり大人びた顔になっていたから、前の時は分からなかったわ。」

 

 聞けば、孫の結婚式の後に親族でアローラ観光をしており、明日カロスに帰る予定であるとのこと。通りがかったウェイターが気を利かせて持ってきたイスに腰かけると、彼女はさっそく、持ち前の饒舌ぶりを発揮し始めた。

 

「実は今回結婚した孫が、あなたの大ファンでね。カイジュって聞いて反応して、私が港でご一緒した方かもって言ったら、もう大変。だから、もしご迷惑でなければ、結婚祝いだと思ってこれにサインしてやってもらえないかしら。」

 

 そう言うと彼女は、ヒノキに結婚した二人と思われる写真の入ったラブラブボールとペンを渡した。どうやら、式の引き出物らしい。

 

「こんなんが結婚祝いになるならね。」

 

 正直こういうのは未だに慣れなくて好きではないが、彼女には世話にもなったので、サインに加えて一筆書いてやった。

 

「はいよ。ちゃんと、ばーちゃんも大事にしろよって書いといたから。」

 

「まあ。私が書かせたと思われちゃうじゃない。」

 

 そう言いながらも、その笑顔はとても嬉しそうだ。

 

「それにしても、さすがチャンピオンね。これ、みんなあなたが一人で勝ち取ったの?」

 

 まだ手付かずのままテーブルを埋め尽くしている料理の山を見て、老婦人は感心したように言った。

 

「そうなんだ。けど、ヒノキったら調子に乗ってこんなにとってくるもんだから、食べきれなくて困ってるの。」

 

 口元に生クリームのひげがついているとも知らず、ナギサがテーブルの向こう側から身を乗り出して二人の会話に割って入った。

 

「あっ!お前、何オレが一人で調子に乗ったみたいな言い方を──」

 

 しかしヒノキもまた、その盗み食いの証拠に気づかない。

 

「あら、かわいいお連れさん。でも、あなた確か一人でって・・・」

 

「あ、こいつはオレが今世話になってる宿っつーか、牧場の主人の孫です。決して息子とかではなく。」

 

 余計な誤解を防ぐために、ヒノキは先手を打ってくぎを刺した。

 

「オレ、ナギサ。うちのばーちゃんがスーパーめがやすの福引きでここのタダ券を当てたんだ。でも、じーちゃんやばーちゃんはバトルはできないから、ヒノキに連れて来てもらったの。」

 

「そうだったの。私達は十人で来てるのに、この半分も取れなくてね。だから、みんな中途半端にしか食べられなくて、何とも微妙な空気になっちゃって。これなら、あなたに出張して来てもらえばよかったわ。」

 

 彼女の何気ないその言葉を、ヒノキは聞き流さなかった。

 

「よかったら、持って行きます?ちょっと冷めはしましたけど、これ全部、手は全く付けてないんで。」

 

 机の左半分を占める皿のピラミッドを指しながら、そう勧めた。

 その申し出に彼女は目を丸くしたが、やがて自分の言葉が当てつけと捉えられたのだと考えたらしく、顔を赤くして慌てて断った。

 

「やだ、別にそういう意味で言ったんじゃないのよ。私は、ほんの冗談のつもりでー」

 

 が、この料理の山をさばける願ってもないチャンスに、ヒノキも食い下がる。

 

「そんなの分かってますよ。そうじゃなくて、普通にオレらもぼちぼち限界なんで。むしろもらってもらえると、大変ありがたいんです。」

 

「だけど──」

 

「あ、何ならこれも結婚祝いってことで。お孫さん、オレのファンなんですよね?」

 

 うわ、きたな。

 ヒノキのファンサービスまがいの押しをナギサは内心そう思ったが、空気を読んで口には出さなかった。

 

「じゃあ・・本当に、あなた達はもういいの?」

 

「もちろん。こいつがビスナを食う画も撮れたし、あとはゴンベでも連れてる人を探そうとか思ってたくらいですから。」

 

「それなら、お言葉に甘えさせて頂こうかしら。ニャオちゃん達、運ぶの手伝ってくれる?」

 

 たちまち、彼女が手にした二つのゴージャスボールからつがいのニャオニクスが現れた。そして手分けしてねんりきで器用に皿を浮かしながら、階下へと優雅に運んで行った。

 

「何しろ、あのスーツの女の子がもうすごくてね。」

 

 まだ試合のハイライトが続いている中央モニターを指しながら、彼女は自分達が満足に料理を取れなかった理由を話し始めた。

 

「私達も一階だったから、孫や息子たちが挑戦したんだけど、もう瞬殺よ、瞬殺。みんな、お嫁さんの前で面目丸つぶれ!」

 

 ホホホ、と彼女は楽しそうに笑ったが、突然訪れたその話題に、ヒノキの胸は再び緊張し始めた。が、そんな彼の変化には気付かず、彼女はうっとりと続けた。

 

「それにしてもあの子の髪、きれいな色してたわよね。淡い紫で、柔らかな光沢があって。そう、まるで──」

 

 失礼とは分かっていても、もはやヒノキは彼女を凝視しない訳にはいかなかった。

 まるで心臓が膨張し始めたかのように、胸の鼓動が急速に大きく、速くなっていくのが分かった。

 

「まるで、リラみたい。」

 

 ガシャン、と椅子の倒れる大きな音に、何人かの客がこちらを見た。ナギサも心配そうな顔をしている。が、倒した張本人であるヒノキは、その事にまるで気づかない。

 

「あいつの事、知ってるんですか。」

 

 立ち上がり、声を震わせて迫るヒノキの剣幕と豹変ぶりに、老婦人も少なからず戸惑いを見せている。

 

「あ、あいつ・・・?」

 

「だから、リラですよ!旅に出たとかいって、もう十年も誰にも消息が分からない、あの、ホウエンのバトルフロンティアの──!」

 

 そこまでまくし立てた時、ヒノキは彼女の様子からようやく会話の齟齬に気付いた。

 

「・・・すいません。なんかオレ、勘違いしてるみたいですね。」

 

「いえ、私こそ誤解を招くような言い方をしてしまったようでごめんなさいね。私は、お花の事を言ったつもりだったの。」

 

「花?」

 

「ええ。あなたはカントーの方だから、ライラックと言えばご存知かしら。ちょうどあの子の髪のような淡い紫色の、とても良い香りがする花なんだけど。そのライラックを、カロスの方言ではリラって言うの。ああ、そういえばー」

 

 その時、ちょうどモニターのアナベルの豊かな後ろ髪が完全に背に隠れ、まるでショートカットのように映った。そうして、ヒノキがこれ以上開かないほど目を見開いたところに、彼女が決定打を放った。

 

「アナベルというのは、確かリラのイッシュの方での呼び方じゃなかったかしら。」

 

 その言葉を聞くや否や、ヒノキはパフェをナギサに押しつけ、駆け出した。

 

「ヒノキ!どうしたの!?」

 

 ナギサには何が何だかさっぱり分からない。

 が、血相を変えて一目散に階下を目指すヒノキの姿に、それ以上は追及できなかった。

 

 額に星をもつフーディン。

 ふわっとしたくせのある、淡い紫の髪。

 同じ花を指す名前。

 触れた時に初めて気づく、確かな女性の感触──。

 

 飛ぶように階段を駆け下りながら、ヒノキは心に当たる節々を思い返していた。途中、何人かの客とぶつかりそうになったが、構っていられなかった。

 

 そうだ。

 本当は気付いていた。

 意識したら勝負どころじゃなくなるから、無意識の領域へと締め出していたけれど。

 

 彼にはある癖があった。

 戦いに臨んだ際、少しでも心の平静が失われる可能性を感じたら、その瞬間に心を麻酔を打つのだ。それは、わずかな動揺が命取りとなるような局面を何度も経験する内に会得した、戦う者の哀しい閉心術だった。

 

 階段の最後の三段を飛び降りた時、ちょうど、トロフィーのようなバイバニラパフェのグラスを運んでいるウェイターの姿が目に入った。

 

「あの、それ食ってた客って!今、どこにー!?」

 

「ついさっき、お発ちになりましたが・・・」

 

 胸ぐらをつかんで迫るヒノキの剣幕に怯えながらも、若いウェイターは店の入り口を指して教えてくれた。

 

 ヒノキはすぐさま入り口を飛び出し、辺りを見回した。が、すでに彼女の姿は見当たらなかった。

 走ったのは大した距離ではないのに、やたらと息が上がり、鼓動は一向に落ち着かない。

 思わず屈んで肩で息をついた拍子に、上着の胸ポケットから先刻の試合でよこされたスプーンが落ちた。それは、試合前に彼がナギサの為にビスナの皿に忍ばせ、今はパフェに使っていた、肌身離さず持ち歩いているあのスプーンと、とてもよく似ていた。

 

 確証はない。

 疑問も尽きない。

 それなのに、直感は八割方そうだと言っている。

 

 路上のスプーンとその周りに滴る自身の汗を見つめながら、ヒノキは張り裂けそうな胸の中で叫んだ。

 

 

 リラ。

 本当に、本当にお前なのか──?

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11.再会

【ここまでのあらすじ】
 ヒノキがバトルバイキングで出会った謎の女性トレーナー、アナベルに面影を見た人物。それは10年前から消息不明となっている彼の友人、リラであった。真相を確かめるべく急いで彼女のもとへ向かったヒノキだったが、彼女は既に店を去った後だった。尽きない疑問と悔しさを抱えたまま、彼は翌日を迎える。それは、今回の仕事の依頼人である国際警察の担当者との初顔合わせの日であった。



 

 いくら考えたところで答えなど出るはずもないし、悔やんだところで時間は戻らない。

 そうとは分かっていても、その夜は結局一睡もできないまま明けてしまった。

 

(いっそ、今から会う国際警察に相談してみるか。)

 

 寝不足の重い頭でそんな事を考えながら約束の八番道路のモーテルの部屋の扉を開けたヒノキは、その場の光景に言葉を失った。

 

「・・・・」

 

 そこには二人の人間が立っていた。

 正面の中年の男はいい。ブラウンのスーツに、ベージュのひざ丈のコート。笑えるくらい模範的な刑事もとい警察だ。

 問題は、彼の隣に立つ女だった。

 ふわっとしたくせのある淡い紫の髪に、黒いスーツ。その左の襟には、キーストーンが国際警察の襟章と共に光っている。

 

(・・・オレ、まだ寝てんのかな。)

 

 何か考え事をしながら眠りに着いた折に、それに関するやたらリアルな夢を見ることは時々ある。自分では一睡もできなかったつもりだが、知らない内に眠り込んでしまい、こんな夢を見ているのだろう。

 

 とりあえず、なんか間違えましたとヒノキがドアを閉めかけた時、彼の心を見透かしたように彼女が声をかけた。

 

「大丈夫、合っていますよ。どうぞお入りください。」

 

「あ、はい・・・え?」

 

 ヒノキ自身はそうは思えなかったが、状況が掴めない以上言われた通りにするしかない。そんな彼の様子を見て、彼女はくすくすと楽しそうに笑った。

 

「無理もありませんね。まさかあのような形で先にお会いするとは、私も夢にも思いませんでしたから。」

 

「ん?ボス、それは一体?」

 

 そこに、隣の男が口をはさんだ。

 

「実は彼なんですよ。昨日、私とパフェを分けた殿方は。」

 

 彼女がそう教えると、男はなんと、と大げさな身振りで驚いた。しかし彼よりも遥かに驚いているヒノキは、ただただ目を見開く事しかできない。

 

「ですから挨拶も、初めましてというのは適切ではありませんね。」

 

 そう言うと彼女は、まだ驚いているヒノキに昨日と同じく黒い手袋に包まれた細い手を差し出した。

 

「改めましてアローラ、ヒノキ・カイジュさん。私はアナベル。国際警察の特務機関であるUB対策本部の部長で、今回の任務の責任者です。この度は遠いアローラの地までご足労頂き、本当に感謝しています。」

 

 丁寧なあいさつに、隣の男がばちばちとやかましく拍手した。しかしヒノキは、あ、はい、どうもと言いながら、24時間ぶりの握手を交わすのが精いっぱいだった。

 

 続いて、えへんという咳払いの後に男が口を開いた。

 

「そして私が彼女の部下で補佐を務めるコードネームNo836だ。そのままでは人間味がないので、数字にちなんでハンサムと呼んでくれたらいい。なにか質問は?」

 

 質問。

 その言葉に、ヒノキの身体がびくりと揺れた。

 

 

──いくか?いっそ、今ここで聞いてしまうか?

 

 

「えっと、あ、あの」

 

 そこでヒノキは初めてまともに彼女の目を見た。

 深く澄んだアメジストのような薄紫の瞳には、髪以上の既視感がある。知っているという直感は、もはや確信だった。

 

 

──でも。

 

 

 一方で、その瞳が相手を自分と同じようには捉えていない事もまた一目瞭然であった。

 そしてその事実が、彼の喉まで出かかった一言を再び奥へ押し戻した。

 

「・・・えーと。836なら、『やさぶろう』とかじゃダメなの?」

 

 とにかくまずは仕事だ。

 ヒノキはとっさに質問の相手と内容を変え、頭を切り換えた。

 

「ダメだ。百歩譲って、君が私より年上であったならそれも許そう。しかし現実はそうではない。ハンサムの4文字には、私に対する人生の先輩としての敬意も含まれていると考えてくれたまえ。それでも異議があるというのなら──」

 

 しかし彼のその癖のあるキャラクターは、かえってヒノキを平常心に戻してくれた。

 

「いや、ないです。正確にはあるけど言うのもめんどくさいんでもういいです。」

 

 こういう場合は納得のいく自己解釈を作るに限る。とりあえずは「半分サムい」の略という事にしておこう。

 そしてこのやり取りをアナベルがくすくすと笑いながら聞いていたことで、ヒノキは俄然調子が戻ってきた。

 

「えっと、ただいまご紹介に預かったけど、オレはヒノキ・カイジュ。一応、トージョウのレジェンドで、今はポケモンに関するなんでも屋みたいな事もやってる。堅苦しいのは苦手だから、呼び方はヒノキでいいよ。よろしく。」

 

 彼の挨拶に、二人の警官は頷いた。

 オレには拍手はないのか、とヒノキはハンサムをちらりと見たが、その両腕は胸の前で厳めしく組まれたままであった。

 やさぶろうが気に食わなかったのだろうか。

 

「ありがとうございます。それではよろしくお願いしますね、ヒノキさん。では早速ですが、今回の依頼について、改めて説明させて頂きます。まず確認ですが、アローラを拠点とするポケモン保護団体、エーテル財団代表のルザミーネ・エーテルが引き起こした事件については、もうご存知頂けているでしょうか?」

 

「ああ。本土でも結構でかいニュースになってたし、ククイ博士や島ボス連中からもだいぶ話を聞いたから、もうその辺の一般市民より詳しいと思うぜ。」

 

 ヒノキの回答に、アナベルは満足げに頷いた。

 

「助かります。では、我々もそのつもりで話を進めていきますね。お分かり頂けているかと思いますが、これからお話する内容は機密事項になりますので、くれぐれも他言は無用でお願いします。」

 

 そして二人の国際警察の口から、次のような内容が語られた。

 事件の折、ウルトラホールから現れたパラサイトという種はルザミーネに寄生した個体だけではない上、さらに何種類かの目撃証言もある事。

 また、UB達はいずれも望まずしてこの世界に落とされた故、警戒心からとても攻撃的になっていると予測される事、等々。

 

「・・・その為、今回、我々に課せられた任務は三つです。一つは未知なるUBの生態を調査すること。一つはUBを警戒し、その危険から人々を守ること。そしてもう一つはUBを保護、もしくはせん滅すること。」

 

「せん滅?殺すってことか?」

 

 思わず聞き返したヒノキに、ハンサムが頷いた。

 

「今も触れた通り、UBは未知の生き物だ。もし彼らがこの世に仇なす害獣であれば、その存在を消すよう上層部から命令を受けているのだ。」

 

 ハンサムの説明に、アナベルが頷きつつ補足を加えた。

 

「ええ。ですがもちろん、私もハンサムさんもそのようなことは望んでいません。UBといえど一つの命ですから、可能な限り保護し、救いたいと考えています。なので、せん滅というのはあくまで最終手段であると思ってください。」

 

「その通り。だが、保護、すなわち捕獲はせん滅よりも手がかかる。しかし我らにはそれを成し遂げる戦力が足りていない。そこで、君の力を貸してもらいたいというわけだ。」

 

 二人の言葉に、ヒノキは力強く頷いた。

 

「オッケー、事情はわかった。それじゃ、オレはまず何をすればいい?」

 

 とりあえず今はこの仕事の解決に集中しよう。彼女のことはそれからでも遅くない。

 

 が、そのアナベルの口から聞かされたのは、予想外の言葉であった。

 

「いえ、今日の予定はこれで終了です。どうもお疲れさまでした。」

 

 早速何かしらの任務(ミッション)が待っているとばかり思っていたヒノキは呆気に取られ、思わず聞き返してしまった。

 

「へ?もう終わり?オレの力試しとか契約の手続きとか、しなくていいのか?」

 

「ええ。もとはそのつもりでしたが、昨日の一戦であなたの腕前はよく分かりましたし。それに、何より──」

 

 そこで彼女は一歩前に踏み出し、下から覗き込むようにヒノキの顔を見て続けた。

 

「あなた、昨日に比べて少し顔色が悪いようですから。大丈夫ですか?」

 

 頭のスイッチは、ちゃんと切り替わっている。が、それでもまつ毛の長い大きな瞳に見つめられると、どうにも胸がそわそわして落ち着かなかった。

 

「ん、ああ。実は昨日ちょっと食いすぎたみたいでさ。大丈夫、じきに良くなるよ。」

 

 ヒノキはそう言ってごまかした。

 まさか、あんたの正体が気になって眠れなかったからなどとは言えない。

 そんな彼の言葉を疑う様子もなく、アナベルは小さく二度頷いた。

 

「そうですか。それなら良いのですが、体調管理には十分気を付けてくださいね。任務期間中は不規則な生活になることが予想されますので。そうですね、ですから──」

 

 そこで彼女は少しいたずらっぽくふふっと笑った。

 

「あなたの今日のこれからの任務は『ゆっくり休んで体調を整える』とします。これは命令です。」

 

「・・・了解。じゃ、また連絡を待ってるよ。」

 

 何か引っかかるものを感じたが、ついその笑顔に逆らえず、ヒノキはおとなしく退勤することにした。

 

 

──パタン。

 

 

 部屋を出て扉が閉まったのを確認すると、ヒノキはすぐ携帯を取り出し、足早にデッキを歩きながら電話をかけ始めた。

 

「あ、もしもしオレだけど。あのさ、急で悪いんだけど、20分後くらいにパソコンで話せるか?・・・ああ。そんなに時間は取らないから。頼むよ。」

 

 そして通話を切って繰り出したリザードンの背に跨がると、まっすぐにオハナ牧場へと向かった。

 

 

 ◇

 

 

 一方、彼の去ったモーテルの方でも、水面下の動きがあった。

 

「ボス。本当にこれでいいのか?事情を話せば、彼ならきっと──」

 

 ハンサムの意味深な提言を、アナベルはまだ扉の方を見つめたまま首を振り、低い声で遮った。

 

「・・・フーディンが二時間後にパラサイトの出現を予知しています。全てはその結果で判断します。」

 

 そしてハンサムの方に向き直ると、にこっと笑って明るく言った。

 

「結局、これが互いに一番納得がいく方法だと思うので。」

 

 ハンサムはそれ以上何も言えなかった。

 自分に心配をかけまいと作るその笑顔はかえって痛々しく、裏に隠された傷の深さを思わせた。

 

ーー歯がゆいものだな。

 

 自分には、彼女の負担を直接減らしてやれるだけの力がない。それは戦力面だけでなく、精神面においても同じことであった。

 

(・・・いや。今はこれでいい。)

 

 そう、だからこそ彼をその役に選んだのだ。

 かつて彼女との間に存在していた絆が、今も心の奥底に流れていると信じて。

 

 

 ハンサムは部屋の奥まで進むと、重くなった空気を入れ換えるべく、カーテンと窓を開け放った。とたんに、部屋の中にアローラの光と風が溢れ返った。

 

 

 先ほどの様子からすると、おそらく彼は「そのこと」に既に気づいている。後は、それが吉と出ることを信じるしかない。

 

 

──頼むぞ。ヒノキくん。

 

 

 窓の向こうの遥かな水平線を臨みながら、二人の十年越しの再会に望みを託した。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12.協力者

【ここまでのあらすじ】
 バトルバイキングでの対戦の翌日。ヒノキの今回の仕事の依頼人である国際警察の担当者との初顔合わせは、アナベルとの数奇な再会であった。
 絶対的な既視感のあるその薄紫の瞳に、彼女が失踪中の友人リラであることを確信したヒノキは、任務と共に行動を始める。



 

 オハナ牧場の自室のパソコンに先ほどの電話の相手が映ったのは、約束の時間きっかりの事であった。

 

「よお。悪いな、急に呼び出しちまって。」

 

 ヒノキがそう詫びると、画面の向こうの青年が気さくに答えた。

 

「構わないよ。ちょうど、今朝テスト予定のデボンスコープⅤの試作の納入が遅れていてね。あと30分はかかりそうだから、むしろありがたいくらいさ。」

 

 そう話す彼の背後にある窓の外は明るく、既に一日が始まっていることを物語っていた。アローラより一日半早い向こうでは、おそらく今は火曜日の午前9時頃というところだろう。

 

「それより、アローラはどうだい?なんでも、貴重な固有種や亜種の楽園らしいね。それに、地質学的に見ても大変興味深い土地だ。僕もいつか調査に行きたいよ。」

 

 そう言って、青年は無邪気に羨ましがった。

 目の覚めるようなプラチナブルーの髪に、同じ色の瞳。袖口に軽量金属(ライトメタル)(リング)をあしらった黒のスーツには深紅のアスコットタイを合わせ、タイピンにはキーストーンが光っている。

 この青年、ホウエンリーグチャンピオンのダイゴ・ツワブキこそが、先ほどのヒノキの電話相手であった。

 

「おお、来い来い。今はカイナから直通便があるしな。きれいな海、きれいな空、きれいな海パンやろうにきれいなやまおとこがお前を待ってるぞ。」

 

 年はダイゴの方が二つ上だが、対等な友人でありたいという彼の意向により、出会ってからの十年来、二人はこの間柄である。

 

「だけど、お前にはその前にそっちで調査してほしいアローラのすがたがいるんだ。ロトム!」

 

『はいなロト!』

 

 ヒノキに呼ばれたロトム図鑑が、ぴょこんとデスクトップの前に飛び出た。その画面には、先ほどこっそり撮らせたアナベルの画像が映っていた。

 

「ほう。君が調査してほしいというのは、この女性のことか?」

 

「ああ。国際警察のビースト対策部の部長で、名前はアナベル。オレの今回の仕事の責任者だよ。」

 

 ふむ、とダイゴはしばらく画像を見ていたが、やがて結論を述べた。

 

「なかなかの美人であることくらいは分かるけど。アローラ以前に、僕にはどこの地方の姿も見覚えがないな。アナベルという名前も初耳だ。」

 

 ダイゴのその返答に、ヒノキは動じなかった。ほとんど想定通りの反応であったからだ。

 

「確かに、この顔でアナベルなら覚えはないだろうな。雰囲気も変わってるし。けど、これならどうだ?ロトム、例のやつを頼む。」

 

 まもなく、ロトム図鑑の画面が昨日のパフェ争奪戦の1シーンの静止画に切り換えられた。アナベルの長い後ろ髪が絶妙に隠れてショートカットに見える、例のシーンだ。

 

「彼女」の面影がより濃く見えるその画には、さすがにダイゴも気づいたらしい。

 

「まさか」 

 

 そう言って、整った細い眉をひそめた。

 

「俺もそう思うよ、まさかって。けど、ここに額に星のあるフーディンを連れてるとなりゃ、もう他人の空似の範疇を超えてると思わないか?」

 

 ヒノキは根拠を述べ、さらにダイゴが反論する前にたたみかけた。

 

「もう1コ言っとくと、アナベルってのはある花のイッシュでの呼び名で、その花はカロスの方言ではリラと言うんだと。」

 

 ダイゴはしばらく黙って何かを考えていたが、やがて落ち着いた口調で静かに語り始めた。

 

「しかし、もしこれが本当にあのリラであるとして。君を前にして、何の反応も示さないはずがないだろう?大体、バトルフロンティアの重鎮である彼女がどうして国際警察に?」

 

 かつて自分と共に「ホウエンの双頭」と並び称され、幾度となく雌雄を争った彼女は、彼にとっても差し置きならないライバルであり、その消息が案じられる友人であった。

 

「そこなんだよな、わかんないのは。喋ってても、シラを切ってるようには見えなかったし。実は生き別れの双子の妹でしたとかっていうんなら、話は別だけどよ。」

 

 ダイゴに最も気になる点を指摘されたヒノキは、どさっとイスの背もたれに身体をあずけ、頭の後ろで手を組んだ。

 

「でも、現にまだフロンティアには戻ってないんだろ?」

 

 ダイゴは手元のタブレット端末でホウエンの私設複合戦闘施設・バトルフロンティアのHPを繰りながら頷いた。

 

「今のところ、そういう情報はないね。タワータイクーンも代役のクロツグ氏のままだし、問い合わせみても、旅に出た、今は知らぬ存ぜぬの一点張りだ。」

 

 そこでいったん言葉を切ると、タブレットを置き、画面越しのヒノキの方へと向き直って言った。

 

「しかし、彼女がいなくなってからフロンティアのレベルは確実に落ちている。雰囲気も変わった。曇った、というべきかな。」

 

「まるで、何かを隠しているみたいにな。」

 

 ヒノキがそう付け足すと、ダイゴも頷いた。

 

「確かに、これはちょっと本格的に調べる価値がありそうだね。」 

 

「だろ?そこにお前のコネとツテがあれば、表に出ない情報もいくらか手に入るんじゃないかと思ってさ。」

 

 これこそ、ヒノキがダイゴを相談相手に選んだ最大の理由であった。リラと共通の友人であると同時に、ホウエン屈指の大企業・デボンコーポレーションの御曹司でもある彼は、あらゆる業界に顔が利き、そのネットワークも広く深い。

 

「質と量の保障はできないけどね。出来る限りの事はしてみよう。」

 

「助かるぜ。やっぱ持つべきものは―」

「その代わり、と言ってはなんだけど」

 

 友達だといって会話を締めようとしたヒノキに、ダイゴは間髪入れずに交換条件を被せてきた。

 一瞬の間の後に、ヒノキはしぶしぶ口を開いた。

 

「・・・なんか珍しい石ころを持って帰って来いって言うんだろ。」

 

(くっそ。頼まれる前に切ろうと思ったのに。)

 

 チャンピオン兼社長の息子の石オタク。これが、ダイゴに対するヒノキの認識であった。要するに、彼の代表的な三つの肩書きのうち、圧倒的にウェイトが大きいのが鉱石収集家であり、ヒノキが自分にはすぐに行けない新しい土地へ赴くと知ると、こうして「お土産」を頼むのは、もはやお約束であった。

 

「やあ、凄いな。どうして僕の言おうとしたことが分かったんだい?」

 

「るせーわ。まったく、金持ちのくせにちゃっかりしっかりしやがって。そんかわり、出来高制だからな。働きに応じた代価しかオレは払わねえぞ。」

 

 ヒノキの言葉に、ダイゴはにっこりと笑った。輝くようなその笑顔は、まさにハンサムの4文字が相応しい。その言葉のもつ本来の意味を見失いかけていたヒノキは、不本意ながらも胸のわだかまりが解消されるのを感じた。

 

「やはり持つべきものは趣味に理解のある友達だ。それじゃ、何かわかったらとりあえずメールで知らせるよ。電話をかけてくるなら、時差には気を付けてくれよ。じゃあ、また。」

 

ーパシュ。

 

 そして二人はネット通話を終了した。

 少し予定は狂ったが、何はともあれ、ダイゴに協力を要請できたのは大きい。

 

(さて、次は()()()()ハンサムだな。)

 

 ヒノキはふーっと長い息をひとつ着くと、もらったばかりの任務用PHSの短縮ダイヤル2を押した。こういうことは、勢いに任せて片付けるに限る。

 

「もしもし、私だ。ヒノキ君か?」

 

 一度目のコールが鳴り終わる前に、ハンサムの声が返ってきた。

 

(はやいな。)

 

 もしや自分からの電話を待っていたのかと思ったが、また面倒な流れになるのも面倒だったので、ヒノキはそこには触れずに話を進めた。 

 

「ああ。なあ、ハンサムな警部さん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いい?」

 

「ふむ。何でも遠慮なく言ってみたまえ。」

 

「ありがとう。んじゃお言葉に甘えて。」

 

 ヒノキはそこでいったん言葉を切り、できる限りさりげない風を装って尋ねた。

 

「あの、べっぴんの我らがボスのことなんだけどさ。」

 

「なんだ?スリーサイズなら残念ながら私も知らんぞ。むしろこっちが教えてもらいたいくらいだ。」 

 

「ちゃうわ。そうじゃなくて、あの人、いつから国際警察にいるの?」

 

 ヒノキは出身こそ母親の故郷のマサラタウンだが、生まれてすぐに父親の実家のあるジョウトへ渡り、10歳までをそこで過ごした為に、今でもたまにジョウトの言葉が出る。

 

「8年前からだ。ただし最初の3年間は訓練生だったから、正式に入職したのは5年前だがな。」

 

「なるほど。じゃあ、その前はどこで何をしてたか、分かります?」

 

「・・・どうしてそんなことを聞く?」

 

 ハンサムの口調が明らかに曇った。やはり、彼女には何か訳がある。ヒノキはなおも何気ない調子で切り込んだ。

 

「いや、ちょっと似てる人間を知ってるもんで、気になってさ。そいつはホウエン地方の凄腕のトレーナーだったんだけど、かれこれもう10年前から消息が分からないんだ。」

 

 相槌が入るかと、ヒノキは一旦言葉を切った。が、ハンサムが黙っていたので、そのまま最後まで続けた。

 

「ついでに言うと、そいつはデコに星の浮いてるフーディンを相棒にしていた。」

 

 しばらく沈黙が流れた。それは先ほどのダイゴの時と同じ、相手が慎重に言葉を模索している時の沈黙であった。

 

「その件に関しては、いずれきちんと説明する。そうする必要がある時が来るだろう。だから今は何も聞かないでくれ。これは、君と私のないしょ話では済まない話なのだ。」

 

「待って。きちんとした説明はいずれで構わない。ただ、これだけは今教えてほしいんだ。じゃなきゃオレもモヤモヤして仕事に集中できない。」

 

 ヒノキがそう食い下がると、受話口の向こうから、どれだ、という諦めたような声がため息と共に聞こえた。

 

「つまり、同じ人間なんだよな?」

 

「そうだ。彼女は、かつてホウエンのバトルフロンティアを総べていたタワータイクーン、リラ・ヴァルガリス本人だ。アナベルというのは国際警察内のコードネームであり、君のようにかつての彼女を知る人間の目をそらすための仮の名だ。・・・と、ここまで言ってしまったなら、もうこれも話さねばなるまいな。」

 

「・・・どれ?」

 

 知りたいけど、知りたくない事が知らされる。

 まるできけんよちのような予感が、ヒノキの胸を不吉にざわつかせた。

 

「訳あって、彼女はその頃までの記憶を殆どすべて失くしている。従って、今の彼女は君の知るリラではないと思ったほうがいい。」

 

「・・・・」

 

 そういう事か。ヒノキはそう言ったつもりだったが、実際は声になっていなかった。まるで耳から流し込まれたセメントが、全身の器官を凝固させてしまったようだった。

 

 何度めかの大丈夫か、というハンサムの声で、ヒノキはようやく我に返った。

 

「やはり、これはまだ伏せておくべき話であったな。すまない。」

 

「・・・いや。ちょっとびっくりしただけで、大丈夫だよ。それに、オレから聞いたことなんだから。教えてくれてありがとう。じゃあ、また。」

 

 そう言いつつ、ヒノキはまだその言葉の羅列の意味をうまく認識できずにいた。声と手が少し震えていたのが、自分でも分かった。

 

ーキオクヲホトンドスベテナクシテイル。

 

 その時、まだ彼の手の中にあったPHSが音を立てて震えた。切ったばかりのそれが鳴ったために、ヒノキはハンサムが折り返してきたのだと思った。

 が、聞こえてきたのは彼女の声だった。

 

「私です。たった今、UBパラサイトの目撃情報が入りました。場所はこのアーカラ島のディグダトンネルです。至急、出向願います。」

 

 幸か不幸か、頭と気持ちの整理をする間もなく、ヒノキは再びリザードンの背に乗り、島の南のディグダトンネルへと飛び立った。

 

 

「よう、久しぶり。」

 

 10分後。

 ディグダトンネルの前で既に待機していたアナベルにヒノキが短く声をかけると、彼女は短く頷いた。

 

「一応聞くんだけど、オレの今日の任務は確か、『ゆっくり休んで体調を整える』だったよな?」

 

 ヒノキが何気なくそう尋ねると、彼女は至極真面目に答えた。

 

「現時刻をもって、一部変更とします。改訂版は『任務完了後、ゆっくり休んで体調を整える』です。」

 

「了解。・・・で、完了予定時刻は?」

 

「不明です。さあ、行きますよ!」

 

 そして、颯爽とトンネル内へと走り出した。

 

―こりゃ、助っ人が要る訳だ。

 

 彼女の後を追いながら、ヒノキは再びきけんよちの予感が漠然と胸に沸き上がるのを感じた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13.UB01:ウツロイド 選別と契約

【ここまでのあらすじ】
 ヒノキの前に国際警察のUB対策本部の責任者として再び現れたアナベル。その正体は、やはり失踪中のホウエンバトルフロンティアのブレーン、リラであった。
 しかし、彼女が当時の記憶を殆ど全て失っているという事実もまた同時に判明し、ヒノキは愕然とする。
 そんな中、そのアナベル(リラ)よりヒノキの元へ、アーカラ島のディグダトンネルにてUBパラサイトの出現が確認されたとの連絡が入る。



 

 トンネルの内部は、異様な冷気と緊張感が充満していた。

 普段ならいくらでも見かけるであろうディグダやズバット達も、そのただならぬ気配にどこかへ姿を隠してしまっているようだ。

 アナベルの後ろを走りながら、ヒノキはふと、ハンサムの姿が見えないことに気づいた。

 

「そういや、あのおっちゃんは?外で待ってるのか?」

 

「ええ、ハンサムさんはトレーナーではないので、危険な現場に来させる訳にはいきませんから。専ら、情報収集などのバックアップ専門です。」

 

 彼女のその返答に、ヒノキはぎょっとして思わず声を張ってしまった。

 

「はあ!?じゃ、戦力は実質オレら二人ってことか!?」

 

「そうです。ですからー」

 

 その時、先を行く彼女が何かに気づいた。左の腕でヒノキを制し、右手の人差し指を唇の前に立てると、かろうじて聞き取れるほどの低い声で囁いた。

 

「・・・私が囮になって相手の注意を引き付けます。あなたは、その隙をついてください。」

 

 彼女のその動きと指示が意味するものは、もはやひとつであった。

 このカーブを曲がった先に、()()のだ。

 

「囮ならオレがー」

 

 ヒノキがとっさにそう言いかけたのは、この二役では危険の度合いが大きく異なるためである。当然、自ら相手の標的となる囮の方が格段に危険度が高い。

 が、アナベルは首を振った。

 

「あなたは実際にビーストと対峙するのは初めてでしょう?彼らは、その全てがあなたが今までに出会ったどのポケモンとも違う、異質な存在です。私が引き付けている間に十分見て、驚いて、想定できる限りのタイムロスをなくしてから加勢してください。」

 

「だけどー」

 

「それに」

 

 食い下がるヒノキを、彼女はなおも制した。

 

「彼らの気の引き方に関しては、今の段階では確実にあなたより私の方が心得がありますから。今回は私に任せて下さい。」

 

 照明の薄明かりの下の彼女の瞳には、穏やかながらも有無を言わさぬ強い意志が浮かんでいた。

 

「・・・分かったよ。ボスはあんただ。」

 

 ヒノキのその返事にアナベルは満足し、頷いた。

 

「ですから、あなたのことはとても頼りにしていますよ。ヒノキ。」

 

 先ほどの言いかけの言葉をそう続けて、少し笑った。悲壮な覚悟の滲む、強く儚い微笑みだった。

 

「さあ、行きますよ!フーディン!!」

 

 アナベルは素早く飛び出すと、フーディンを繰り出すと同時に、上着の左襟に留められたキーストーンに触れた。

 間もなく、眩い光の卵から孵るようにメガフーディンが現れ、眼前の中空に浮かんでいた「それ」と対峙するように、向き合った。

 

 金魚鉢を伏せたような頭と12本の触手をもつ半透明の身体は、ヒノキの知っている生き物の中ではクラゲが最も近い。が、同時に白いつば広帽子とワンピースを身につけた、長髪の少女のようにも見える。まるでだまし絵のようなUBパラサイトことウツロイドは、そのような奇妙な生き物であった。

 

ー私が引き付けている間に、十分見て、驚いて、想定できる限りのタイムロスをなくしてから加勢してください。

 

 岩陰から思わずその姿に見入ってしまっていたヒノキは、はっと我に返り、先ほどのアナベルの言葉の意味を痛感した。

 

「ロトム!お前の中にある分だけで良いから、あいつの情報をくれ。」

 

 急いでロトム図鑑を起動させ、臨戦体勢をとりにかかる。

 

『まかせロト!コードネームパラサイト、正式名称はウツロイド。強力な神経毒によって相手に寄生し、自分の身を守るように仕向けるらしいロ。しかもこの神経毒、寄生した相手の能力を最大限まで引き出す、恐ろしい覚醒作用を持っているロト。』

 

 そのパラサイトの全身から、突如、目に見えるほど赤く不気味なオーラが噴出した。

 

「なんだ?あのオーラは?」

 

『詳しいことはまだ分かっていないロが・・・どうもウルトラホール内に存在するエネルギーで、ウルトラビーストの潜在能力を増幅させる作用があるみたいだロ!』

 

 すると、驚いた事にたちまちアナベルのメガフーディンにも同じオーラがみなぎった。

 これがメガフーディンのとくせい『トレース』の発動によるものと考えると、あのオーラはウツロイドのとくせいということになる。

 

「フーディン、サイコキネシス!」

 

 メガフーディンは両手で念を練り上げると、ウツロイドめがけて強力なエネルギー波を放った。

 が、ウツロイドの一番手前の左右二本の触手で作られた楕円形の鏡のような盾が、それを跳ね返した。

 

(あれは・・ミラーコート!?)

 

 とっさのテレポートにより、アナベルとフーディンはすんでのところで返り討ちをかわしたが、威力を増したその一撃は地面をえぐるに留まらず、ボールのように跳ね返り、トンネルの天井を直撃した。その衝撃は天井の一部を崩し、二人をめがけて、隠れていたズバットの豪雨を降らせた。

 

「リフレクター!」

 

 夥しい数のその群れをリフレクターの盾でかち割り、なんとか凌ぎきろうとしたその時であった。

 

「!?」

 

ーぞく。

 

 アナベルとメガフーディンが背筋に異様な悪寒を感じた次の瞬間、鮮烈な禍々しさを伴ったどす黒いまなざしが、二人をいすくめた。

 そこに、ウツロイドを被った最後の一体がリフレクターをすり抜け、メガフーディンの左肩にどくどくのキバを立てた。

 

(隠れた『すりぬけ』のとくせいを引き出したー!?)

 

 隠れとくせいは、本来全てのポケモンに備わっている力である。が、潜在能力であるそれを発揮できるのは、特別な訓練を受ける機会のない野生のポケモンでは、全体のおよそ一割にも満たないと言われている。

 

 たちまち猛毒が回り、その上ボールに戻せない呪いを受けたメガフーディンは急速に弱りだした。

 そんなメガフーディンの状態を把握したかのようにウツロイドはズバットから離れると、自身の触手からとどめのベノムショックを放った。

 

(寄生される!)

 

 弱りきったメガフーディンに寄生すべくウツロイドが迫り、触手を伸ばしたその時であった。

 

──パァン。

 

 両者の間を一筋の煌めきが走ったかと思うと、間もなく数十メートルの彼方からガラスの割れるような音がした。

 

 アナベルがそちらを向いた時、それは既に砕け散ったウツロイドの触手の破片を伴ったしみとなっていた。

 しかし、目の前を横切った一瞬、その巨大な四方の刃が触手を叩き斬ったのが、確かに見えた。

 

「お疲れ。交替だ。」

 

 声の先には、ヒノキと巨大なみずしゅりけんを携えたゲッコウガの姿があった。なんとゲッコウガまでが、かの赤いオーラをまとっている。

 

「見かけに寄らず、なかなか頭良いじゃねえか。それとも、あれが潜在能力を最大限まで引き出すって意味か?」

 

『うーん・・・隠れとくせいの『すりぬけ』を引き出したり、あの個体(ズバット)がまだ習得していない『どくどくのキバ』を繰り出せたのは、間違いなくウツロイドの能力だロ。だけど、あんなに効率的な使い方が判るかどうかは・・・不明ロト。』

 

 ロトムの言わんとしていることは、ヒノキにも分かった。ウツロイドのこの一連の動きは、あまりにも流れが出来すぎている。まるで、誰かが陰から指示を出しているかのように。

 

(なるほど、まさに未知との遭遇だな。)

 

 ヒノキがそんな事を思っていると、まるでゲッコウガが『なりきり』でコピーしたオーラに惹かれるように、ウツロイドがこちらへ向き直った。そして頭を向けて照準を合わせると、残った触手でトンネルの壁を蹴り出し、ロケットのような勢いで突っ込んできた。

 

『ヒノキ、気をつけて!あれはただの『ずつき』じゃないロ!おそらくはさらに強力な『もろはのずつき』ロト!』

 

「了解。コウ!『みがわり』でかわせ!」

 

 しかし、それはゲッコウガを狙った攻撃ではなかった。凄まじい勢いで突っ込んできたウツロイドはゲッコウガの頭上をかすめると、その背後にあった小岩を粉砕した。直後に、岩の中から悲鳴のような鳴き声が響いた。

 ヒノキが急いで振り返ると、ちょうどウツロイドが気絶したダグトリオに被さり、侵しにかかっているところであった。

 

(ハナからこいつが狙いか!)

 

 予想外の展開となった。このままダグトリオに寄生され、じしんやマグニチュードを起こされたら大惨事になりかねない。

 

「コウ、もういちど『みずしゅりけん』で叩っ斬れ!」

 

 ウツロイドをダグトリオから引き離すべく、ヒノキはゲッコウガにそう命じた。が、今度は再生した二本の触手で作られたミラーコートに弾かれてしまった。

 

(ダメだ。もっとこう、抑えの効かない感じのやつじゃないとー)

 

 その時、ヒノキは足元がかすかにではあるが、確かに蠢くのを感じた。とたんに、ある考えが閃いた。

 急いでリュックから覇気のない顔の描かれた玉を取り出すと、ゲッコウガに放ってよこした。

 

「信じてるぜ、お前らの連帯感!」

 

 ゲッコウガのみずしゅりけんに託されて放たれたそのビビり玉は、覆い被さったウツロイドを突き抜け、見事にダグトリオへと直撃した。

 

 

『デデデデッ!!!』

 

 

 渾身の力で仲間を呼ぶ声がトンネル中に響きわたった。

 たちまち地面が揺らぎ出したかと思うと、トンネルの四方八方から無数のディグダやダグトリオが現れた。そして未知の生物に侵された仲間の姿を見るやいなや、怒りをあらわに、一斉にウツロイド目掛けて力の限り『どろかけ』を放った。

 

「伏せろ!」

 

 座り込んでいるアナベルとメガフーディンの前に回ると、ヒノキはゲッコウガにたたみがえしを命じた。

 直後に、機関銃のような泥の流れ弾が幾度となく二畳のたたみを撃った。

 

 やがて、奇妙な断末魔のような声が響いた後、辺りは静かになった。

 

「おーおー。これがホントの()()()、ってか。」

 

 たたみの陰から出たヒノキは、数分前とはすっかり変わり果てた光景を見て、思わず呟いた。天井という天井、壁という壁に厚い泥の層ができ、そこに広がっていた空間は明らかに幾分狭まっていた。ウツロイドやダグトリオやその仲間の姿は、既に消えている。

 

「しっかし、あんだけがっつり被さっても寄生しきれてなかったってことは、あいつの神経毒ってのは意外と大したことないのかな?」

 

 結果的に、ダグトリオは寄生されずに仲間を呼ぶことができた。その事実からヒノキはそう考えたが、その楽観視をアナベルは肩で息を付きながら、いえ、と否めた。

 

「アローラのディグダやダグトリオには、はがねの第二属性がありますから。おそらく、神経毒が完全には回りきらなかったのでしょう。」

 

 かなり体力を消耗しているらしい。壁にもたれ掛かり、片膝を立てて座り込んだままである。

 

「お、おい、大丈夫か?後はオレが引き受けるから、あんたは先に外へー」

 

 ヒノキはまだウツロイドが一時的に姿を隠しただけと考えていた。

 しかし、彼女は首を振った。

 

「その心配は無用です。気配が完全に途絶えましたから。あのパラサイトはもう、このトンネル内にはいないでしょう。」

 

(・・・?)

 

 なぜ、そんなことが分かるのだろう。最初にウツロイドの気配を察知した時もそうだったが、彼女には何かビーストに対する特別な勘がある。ヒノキにはそう思えてならなかった。

 

「ヒノキ」

 

「全てはこの通りです。もちろん出来る限りの配慮はしますが、結論から言えば、私はあなたに何の保証もすることはできません。睡眠も、プライベートも、命さえも。」

 

 突然のアナベルのその告白の意味を、ヒノキは即座に理解した。

 

「・・・そーいうのって、ホントは戦いが始まる前にオレに説明して同意を得てなきゃいけないんだろ?死んでも文句は言いませんって誓約書にサインさせたりとか。結局、コトが起きた時に責任を問われるのはあんただぞ。」

 

 それは、先刻のモーテルでのやり取りの中で彼が抱いた疑問の答えでもあった。

 

「ごめんなさい」

 

 彼女はうなだれたまま、今にも泣き出しそうな声で絞り出すように呟いた。

 

「もう、信じて裏切られるのは嫌だったから。」

 

 ヒノキは鼻でため息をついた。なんとなく、察しはつく。大方、就任の契約を交わした後に逃げられた事があるというところだろう。それも、一度や二度ではなしに。だから、契約よりも先にその向こうにある現実を持ってきたのだ。

 覚悟の有無を測るために。

 

 ヒノキがかける言葉を探していると、彼女はなおも片膝を立ててうつむいたまま、右手を出した。

 

「・・・余計な気遣いは要りません。正直な気持ちで、この条件には耐えられないと思うなら。今、ここであなたに渡したPHSを返してください。」

 

 黒い手袋に包まれた華奢なその手は、微かに震えていた。

 

 ヒノキはそれをポケットから取り出して見つめた。

 まだ極めて新しく、使用感はほとんどない。これまでに何人の人間の手に渡り、そして返されてきたのだろう。

 

 やがて、アナベルは伸ばした掌にぽん、と何かが乗せられるのを感じた。

 意を決して握ったそれは、PHSにしては柔らかく、温かく、そして大きかった。

 

(・・・?)

 

 予想外の感触に彼女が思わず顔を上げると、そこに乗っていたのは、広い掌が黒いグローブに包まれた、ヒノキの右手だった。

 

「保証ができないのはお互い様だ。」

 

「要はディグダ達(あいつら)と一緒だ。仲間に助けを求められたからって、必ず助けてやれるとは限らない。オレが約束出来るのも、せいぜい呼ばれたら駆けつけて一緒に戦うとこまでだ。それでもいいか?」

 

 アナベルは乗せられた手をじっと見つめ、そしてこわごわ彼の目を見た。

 

「本当に・・・?」

 

 そして、ゆっくりとためらいがちにその手を握り返した。

 

「我が身かわいさに困ってる女と戦力外のおっちゃんを放って逃げたとなりゃ、オレの経歴と良心にキズがつくだろ。」

 

 そう言うと、ヒノキは右手にぐいっと力を込め、彼女の手を引いて立たせた。

 

「さあ、そうと決まったら面倒事はさっさと済ましちまおうぜ。契約書でも同意書でもサインしてやるよ。死なねーけど。」

 

 さて、出口はどっちだったかな、とヒノキが向きを変えた隙に、彼女は急いで左手で目を拭った。それからすぐに、彼に握られている手を強く握り返した。

 

「ありがとうございます!では、これからよろしくお願いしますね!」

 

 そして、出口はこっちですよ!と元気よくヒノキを率いて、光の射す方へと向かった。

 

 

 ◇

 

 

 その夜。

 正式に就任契約を交わしたヒノキは、歓迎会をしたいというアナベルが上層部への報告を終えるのを待っていた。

 モーテルの前の階段に腰かけてぼんやりと夜の海を眺めていると、どこからかハンサムが現れ、隣に座った。

 

「ボスから話は聞いた。全てを承諾した上で引き受けてくれた事、本当に感謝している。」

 

 そう言って、近くのポケモンセンターのカフェでテイクアウトしてきたらしいグランブルマウンテンをヒノキに手渡した。

 

「まったく、オレだって半端な気持ちでここまで来た訳じゃないんだから。回りくどい芝居なんか打たないで、最初からありのまま話してくれれば良かったんだよ。」

 

 コーヒーを飲みながら、ヒノキは照れを隠すように答えた。そんな彼の横顔をハンサムはしばらくじっと見ていたが、やがて静かに話し始めた。

 

「・・・これは、君が引き受けてくれた今だからこそ話せるのだが。」

 

「ん?」

 

「実は君に今回の依頼を断られていたら、彼女は国際警察を辞めるつもりでいたのだ。」

 

「・・・マジで?」

 

 ハンサムの言葉に、ヒノキは思わずコーヒーをむせ返しかけた。

 まさかそこまで思い詰めていたとは思わなかった。

 しかし、そうなるとあの大胆な選別(テスト)にも合点がいく。

 

「マジだ。そもそも彼女は、最初からUBの保護を志願して国際警察に入ったのだからな。それが叶わないとなれば、これ以上この組織にいる理由はない。」

 

 そう言って、ハンサムは訥々とその経緯を語り始めた。

 

「察しはつくかと思うが、このUB対策本部は最初から我々二人であった訳ではない。設立当初はもちろんそれなりの人員が配置されていた。が、公私も昼夜もない激務に、念を押して交わした契約は次々破られていった。もちろん、法的には拘束は可能だったよ。しかし、一度戦意をなくした者が命がけの現場で死人以外の何になれる?」

 

 ハンサムはそこでいったん言葉を切り、自分のグランブルマウンテンを一口飲んだ。

 

「加えて、UBに関しては上層部のほとんどが殲滅派だ。連中はとかく保守的で面倒事が嫌いだからな。本部からのサポートが極めて薄いのもそのためだ。」

 

「ま、無理もないわな。リスクは山のごとし、リターンは霧のごとし、となりゃ。」

 

 ヒノキの言葉にハンサムは頷き、さらに続けた。

 

「いくら国際警察屈指の腕前と言えど、一人で数種のUBと戦い、さらにそれに関する膨大な量の事務処理を行うには、さすがのボスにも限界があった。パラサイトの出現前に契約を交わさなかったのも、君に後からやはり無理だと言われるのがよほど恐かったのだろう。許してやってくれ。」

 

 ヒノキは何も言えなかった。

 未知の生命体だけではない。

 他人を信じる不安や裏切られる恐怖とも、彼女はずっと一人で戦っていたのだ。

 

 

──変わってないんだな。

 

 

 ふと、ヒノキの脳裏に遠い日の彼女の影がよぎった。

 ディグダトンネルで片膝を立ててうなだれていた姿に、かつて夜空の下で言葉を詰まらせ、肩を震わせていた少女が重なった。

 

「昼間電話した時にさ。『今の彼女はきみの知るリラじゃない』って言ってたじゃん。」

 

「ん、ああ。それがどうした?」 

 

「確かに今のあいつは、オレのことはもう何にも覚えていないけど。でも、やっぱりあいつはオレの知ってるリラだよ。人間、記憶を失くしても変わらない部分はあるんだな。」

 

「・・・そうか。」

 

 やはり君に頼んで正解だった。

 ハンサムがそう口にしようとしたところで、背後の扉が勢いよく開いた。

 

「ごめんなさい、お待たせしました。お二人とも、何か食べたいものはありますか?あ、でもあなた、食べ過ぎで調子が良くないんでしたっけ?」 

 

 そう言ってヒノキの方を向いたアナベルの瞳には、すっかり活気が戻っていた。ヒノキは腰を上げ、ジーンズについた砂を払った。

 

「もー色々あり過ぎて治ったわ。もう何でも食えるよ。」

 

「分かりました。では、あなたの今日の任務は『私たちの歓待を受け、しっかり栄養をつける』に変更しますね。」

 

「ガッテン。」

 

 そう言って、このやり取りにふと既視感を感じたヒノキは、おそるおそる浮かんだ疑問を口にした。

 

「・・・でも、もしメシ食ってる間にまたあいつらが出てきたら?」

 

「その際はもちろん、任務完了後、以下同文とーー」

 

 きびきびとそう話す彼女に、ヒノキはただただ絶句するしかなかった。

 

 

(・・・ま、オレ一応主人公だし。死にはしない・・よな。)

 

 

 かくして、ヒノキとアナベルもといリラのアローラの平和を守るための戦いが始まったのであった。

 

 




 
今話にて、第一章【再会】は完結です。
閲覧・評価・お気に入り登録・ご感想をお寄せくださった皆様、本当にありがとうございます。
やはり人様に読んで頂けるというのは書き続ける上で何よりの励みになります。
拙さしかない文章ではありますが、これからも楽しんで頂けるよう精いっぱい頑張りたいと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2章 CODENAME:ANABEL
14.UB02:フェローチェ 白の甘い誘惑①


 
【ここまでのあらすじ】
 十二年前、十一歳でカントー地方のポケモンリーグを制したヒノキ・カイジュは、現在はチャンピオンのOBにあたるバトルレジェンドを務める一方で、各地のポケモンに関する事件や問題の解決に取り組んでいた。
 そんなある日、ヒノキは国際警察よりアローラ地方に出現した未知の生命体「ウルトラビースト」(通称UB)の対策任務に協力してほしいとの依頼を受ける。
 しかし、そこで彼を待っていた国際警察の担当者は、10年前から行方知れずとなっているホウエン地方の友人、リラであった。
 アナベルというコードネームでUB対策本部の責任者を務める彼女は記憶の殆ど全てを失っており、ヒノキに対しても初対面の人間として接する。
 その事実に戸惑いながらも、一人で様々な痛みを抱えて戦う彼女にかつてのリラの面影を見た彼は、正式にチームに加入し、彼女とともにUBの保護・捕獲活動に邁進することとなった。




 

「・・・という訳で、現在、ハウオリシティ内にはUBによってしげみのどうくつを逐われたとみられるヤングースやコラッタが増殖し、市街地の衛生環境を乱すと共に、本来の生態系を脅かしています。そこで、まずハンサムさんはイリマさんと共にしげみのどうくつの調査を、ヒノキは私と日没まで街中のヤングースの保護をお願いします。」

 

 

 ヒノキ達がUBの出現を知るプロセスには、主に3つのパターンがある。

 1つ目は、直接その姿を見たという目撃情報(タレコミ)が入るケース。

 2つ目は、前回のパラサイトのようにアナベルのフーディンが未来予知で感知するケース。(ただしこれはフーディンにとって既知の種のみ可能である。)

 そして3つ目は、まだ姿こそ目撃されていないものの、急速に環境の変化が起きている場所が報告されるケースである。

 

 今回の場合は、典型的な第三のパターンであった。

 

「でも、洞窟にビーストが潜んでるのはもう確実なんだろ?いくらキャプテンがついてるったって、丸腰のおっさんなんか近付けて大丈夫なのか?」

 

 十五匹目のヤングースを収めたモンスターボールを拾いながら、ヒノキは一メートルほど離れた先にいるアナベルに尋ねた。どちらかと言うと、ハンサムより引率のキャプテンのイリマを慮っての疑問である。

 

「確かに、絶対に大丈夫とは言いきれませんが。ただ、今回のUBの特徴を考えると、ハンサムさんが襲撃される可能性は極めて低いと思います。」

 

「特徴?」

 

「ええ。今回のUBと推測されるビューティーは、その名の通り美を尊び汚れを何より嫌う、極端な潔癖症の持ち主なのですが。どうやらこちらの世界のものは全て汚らわしいと考えているようで、こちらから手を出さない限り、一切接触しようとはしません。」

 

 フーディンに十六匹目のヤングースへ『かなしばり』をかけさせながら、彼女が答えた。

 

「ああ、じゃ絶対大丈夫だな。ところで──」

 

 フェンスの扉を開け、空き地の草むらを後にしながら、ヒノキはもうひとつの疑問を口にした。

 

「なんでオレらまでが班行動なんだ?戦闘ならともかく、ヤングースの捕獲なら二人バラバラの方が効率良くないか?」

 

──どき。

 

 彼に聞こえこそしなかったが、急所を突かれたアナベルの胸は大きな音をひとつ立てた。

 

「そ、それは、あなたがまだこの土地に何かと不慣れかと思いまして──!」

 

 別にヒノキの素行を疑っている訳ではない。

 そういう訳では決してないのだが、かといって若い男にはあまりにも誘惑の多いこの南国の楽園で、彼が終日この地道な作業に徹してくれると信ずるには、やはり多少の保護観察は必要である──というのが彼女の結論であった。

 

「ふーん。まあ、オレは別にどっちでもいいけど。」

 

 そんな会話をしながら、二人が空き地からビーチサイドエリアへと抜け出た時だった。

 

「きゃー!おにーさん!よけてー!!」

 

 若い女の叫び声と共に、ビーチの方からヒノキに向かって何かが高速で飛んでくる。

 

「おお!?」

「フーディン!」

 

 アナベルの機転で、一緒に歩いていたフーディンがその物体に向かって両手のスプーンを仰向けに曲げる。すると、ヒノキの顔面に直撃するはずであったそれはスプーンに合わせて彼の眼前で垂直に軌道を変え、数秒の後に勢いを失って大人しく彼の手の中に落ちてきた。それは、カイスの実を模した大きなビーチボールだった。

 

 間もなく、一人の白いビキニの女がポケモンと共にビーチから走り寄ってきた。

 

「ごめんなさい!アタシのスパイカーちゃんたら、熱くなりすぎちゃって・・・大丈夫?ケガしてない?」

 

 スパイカーというのは、彼女に付き従っているこの精悍なナゲツケザルの愛称らしい。

 

「ああ、別に・・・。」

 

 ヒノキがそう言ってスパイカーにビーチボールを渡すと、女はすかさず空いたその両手を握って、上目遣いに甘ったるい声で迫った。

 

「ね、これも何かの縁だと思うから。よかったら一緒にビーチドッジしない?ノドが渇いたら、アタシのおいしいみず飲んでいいから。ね?」

 

 そう言って、彼女は腰のボトルホルダーから半分ほど中身の減ったペットボトルを外して胸の前に持ってきた。その飲み口には、うっすらと唇と同じ紅色がついている。

 

──なんと、逆ナンか!!

 

 この場にハンサムが居たら、間違いなくそう騒いだであろう。

 金色の髪に碧色の眼。それにドッジボールよりむしろ谷間(バレー)とボールを思わせる豊満なバストを兼ね備えた彼女は、ヒノキやアナベルより少し年上で、人生の最も美しい時期を謳歌しているように見えた。

 

 予想外のその展開とその速さに、アナベルはしばし呆気に取られていた。が、はっと我に返り、あの、と女に物申しかけた時であった。

 

「ああ、わりーけど今仕事中だから。また今度な。」

 

 驚くほどあっさりと、ヒノキは握られた手をほどいて彼女の誘いを断った。それも、特に自分がいる手前という風でもない。

 

(余計な心配だったかな。)

 

 再び海岸通りを歩きながら、アナベルがそう思った矢先であった。

 

「おっ」

 

 突然、前を行く彼が左手前方に見える空き地の草むらへと走り出した。

 

「ど、どうしました!?」

 

 何事かと、アナベルも慌ててヒノキの後を追う。が、とある草むらの入り口で、しっ!と制止されてしまった。その眼差しは真剣そのものである。

 何か危険なものを発見したのかと、彼女も神経を張りつめ、草陰に身を屈める。

 

 背の高い草の繁茂に阻まれて、彼の姿は見えない。そのため、アナベルは息を潜め、耳を澄ませて必死にその様子を伺った。

 そうして間もなく聞こえてきた彼の言葉に、彼女は耳を疑った。

 

「ははっ!やっぱりケーシィじゃねえか!アローラにもいたんだな!ほら、マメやるから。遊ぼうぜ!」

 

 たちまち、アナベルのヒノキに対する信用ががくっと下がった。彼女は即座に立ち上がると、ずんずん草を分け入って、背の高いヤシの木の下にいる彼へと迫った。

 

「もう、あなたって人は!ついさっき、自分で仕事中だとー!!」

 

 しかし、ヒノキは聞いていない。

 すでにケーシィを膝に抱き、手からポケマメをやっている。

 

「・・・ずいぶん、扱いに慣れてるんですね。」

 

 ヒノキの手のひらから機嫌良くポケマメを浮かせて口に運ぶケーシィに、アナベルは思わず説教の続きを忘れて見入ってしまった。警戒心が強い上にテレポートですぐに逃げられる野生のケーシィは、普通なら触れるどころか近付くことすら難しい。

 

「ああ、何しろオレの人生で初めての相棒だったからな。オレはこいつに、ポケモントレーナーとは何たるかを教わったんだ。」

 

 いつになく饒舌なヒノキに、アナベルはその思い入れの深さを感じずにはいられなかった。

 

「へえ・・・。でも、今は──」

 

 連れていませんよね、とアナベルが言いかけた時、ケーシィを撫でる彼の手が止まり、答えるまでに一瞬の間があった。

 

「ああ、友達が持ってる。ユンゲラーの時に交換して、そのままそいつに預けてんだ。」

 

 視線を膝上のケーシィへと落としたまま、ヒノキはそう短く答えた。

 

「そうなんですか・・・」

 

 そんな思い入れのあるポケモンを?と、彼女が続けて尋ねようとした時だった。

 突然、ケーシィがヒノキの腕の中から消え、食べかけのポケマメが地面に落ちた。

 

「え?」

 

 二人が共にそう呟いた瞬間、背後の上空に亀裂が走り、耳をつんざくような轟音と共に空間が割れた。

 

「なんだ!?」

 

 二人が振り返ると同時に、ブラックホールのようなその空間の裂け目が、数メートルの先に何かを吐き出した。その何かが地上に落ちるのと、細く長い残像が眼前をよぎったのがほとんど同時であったために、ヒノキは一瞬、何が起こったのか分からなかった。

 状況を掴む事ができたのは、アナベルのフーディンがとっさに張ったリフレクターが一本の白い脚を受け止めているのを目にしてからである。

 

「何なんだ、こいつ!?」

 

 皆目見当のつかないヒノキの隣で、アナベルがまさか、と呟いてそのコードネームを口にした。

 

「ビューティー・・・!!」

 

「なに!?」

 

 その名を聞いて改めて対峙した瞬間、ヒノキは思わず息を呑んだ。

 

 白く小さな顔に、こぼれるほどの大きな目と長いまつげ。すらりとした白くしなやかな身体と、それを包む花嫁のような半透明のヴェール。

 

 なんて美しいのだろう。もはやこの世のものとは思われない。いや、むしろこれは女神ではないか。

 

「ヒノキ!」

 

 すぐ隣にいるはずなのに、アナベルのその声はずっと遠くで聞こえているようだった。

 襲われている。ヒノキ自身もその事実は分かりながらも、それでもなおその姿を見つめていたいという誘惑に、身体がどうしても勝てないのだ。まるで上等のバニラアイスを舐めているようなこの甘美な幸福感に、ただただ浸っていたいと思ってしまう。

 

 孤立無援のフーディンのリフレクターに二発目の蹴撃が入り、それまでのヒビが亀裂となって、いよいよ砕けようとしている。

 

 そこに、三発目が放たれた。

 

(!!)

 

 ガラスが叩き割られるような凄まじい音を立ててリフレクターが砕け散り、二人を守るものはなくなった。アナベルは目をつむって身を固くした。

 

 が、想定していた四発目の直撃は、数秒経ってもまだ来ない。

 

(・・・?)

 

 おそるおそる顔を上げ、目を開ける。

 すると、そこにはその両腕の盾でUBビューティーの4発目の蹴りをがっちりと受け止めている、メレメレ島の守り神の姿があった。

 

「カプ・コケコ!来てくれたのですか!」

 

『クゥゥゥゥールルル!』

 

 カプ・コケコは彼女の方を向いて頷くと、辺り一帯に電気を張り巡らせ、ついでにヒノキの身体にも小突くようにわずかな電流を巡らせた。

 

「あてっ!!」

 

 そのでんきショックで、ようやく恍惚状態から醒めたらしい。

 

「おお、コケコ!久しぶりだな!」

 

 ヒノキはカプ・コケコとはアローラへ来た翌日にZリングの原石を授かって以来である。

 

「加勢するぜ!ライ!」

 

 放たれたモンスターボールから飛び出したのはライチュウ。出会いこそカントーのトキワの森であるが、アローラで進化した彼女の姿は手足が白く、瞳は青い。

 

「また蹴りが来るぞ!『こうそくいどう』で空に行け!!」

 

 そして何より、サーフボードならぬ尾の先(サーフテール)に乗って自在に宙を舞う事が出来るのが、他の地方のライチュウとは全く異なる点であった。

 

 ビューティーの攻撃はほとんど神速であった。が、カプ・コケコのエレキフィールドによってすばやさが飛躍的に上昇したライチュウには十分かわすことができる。

 

「これぞ神のご加護ってやつだな。」

 

 そう言ってヒノキはコケコと顔を見合わせて頷いた。

 

 上空への蹴撃を空振りしたビューティーは、勢い余ってまだ空を突き進んでいる。まるでさきほどのビーチボールのようだ。

 その隙に、ヒノキ達は迎撃体勢を整えた。

 

「ボス。悪いけど、また囮をやってくれるか?」

 

「ええ。フーディン。」

 

 アナベルがそう声をかけると、二人の意図を理解したフーディンが例の赤いオーラをまとった。『なりきり』でビューティーのとくせいをコピーしたのだ。これで、じきに落ちてくるであろうビューティーはオーラにつられてフーディンを標的とするはずである。

 

「悪いな。今日はお前には助けられてばかりだ。」

 

 ヒノキのその言葉に、フーディンは構わないという風に首を振る。

 

(・・・?)

 

 その二人のやり取りに、アナベルは一瞬、何か特別な空気を感じた。うまく言えないが、例えるなら、心のとても深いところを流れている絆、とでもいうところだろうか。

 

 間もなく、上空の彼方がきらりと光った。

 

「来た!」

 

 カプ・コケコとライチュウがフーディンの傍から散る。それでも突っ込んでくる軌道が変わらないところを見ると、やはりフーディンを狙っているのは間違いない。

 

 一足早く、カプ・コケコが空の高い所でほうでんを始めた。この電気の網にひっかかった瞬間が、技を放つタイミングだ。

 

「ライ、お前もそろそろ上で待機だ!後ろを取れよ!」

 

 ヒノキの指示で、ライチュウもまた上空へと上がった。コケコが上にいるおかげで、地表付近を離れてもそのエレキフィールドの効果は持続している。

 

 やがて、その時が来た。ダメージこそ少ないものの、コケコの放電網にかかったビューティーは摩擦と痺れによって確実にその速度と勢いをそがれている。

 ヒノキとアナベルはそのタイミングを見逃さず、それぞれの相棒に口を揃えて同じ技を指示した。

 

「サイコキネシス!!」

 

 上空と地上からのその強力な念の波動の挟み撃ちには、確かな手応えがあった。ビューティーはヒノキ達から十メートルほどの位置に墜ち、もうもうと砂煙を上げた。

 

「よし!このまま捕獲に──」

 

 二人が移ろうとした、その時であった。

 

「!?」

 

 突如、バチッと大きな音がして、フラッシュのような激しい光が辺り一帯を包んだ。

 

「今度はなんだ!?」

 

 ヒノキがそう叫ぶ間に光は消え、間もなく砂煙もおさまり視界が戻った。

 

 

(何だったんだ、今の・・・。)

 

 ヒノキが呆然としながら、胸の中でそう呟いた時であった。

 

「ヒノキ!」

 

 ビューティーの落ちた辺りから、アナベルが呼ぶ声がした。駆けつけたヒノキは、その光景に驚いた。

 

「消えてる・・・。」

 

 そこにはもう、UBの姿は影も形もなかった。ただ、墜落時の衝撃によってぽっかりとえぐれた穴と、その周りに焼け焦げた草や土が残るのみである。

 

 その光景に二人がしばらく立ち尽くしていると、やがてアナベルの携帯にイリマからの着信が入った。

 

「調査の結果、早急にご報告したい事実が判明しました。至急、僕の家まで来ていただけませんか。」

 

 簡単に現場の検証を行った後、二人はショッピングエリア西の海岸沿いにあるイリマの家へと向かった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15.UB02:フェローチェ 白の甘い誘惑②

 
【ここまでのあらすじ】
ハウオリシティ内に大量発生したヤングースの捕獲作業にあたっていたヒノキとアナベルは、その最中、突如現れたUBビューティーの襲撃を受ける。途中で加勢したカプ・コケコの助けもあり、反撃に成功した二人はビューティーをそのまま捕獲しようとするが、その寸前で姿が消えてしまう。その直後、ハンサムと共にしげみのどうくつの調査を行っていたキャプテンのイリマから召集がかかり、二人は彼の自宅へと向かった。
 



 

 メレメレ島のキャプテンであるイリマ・ファルラックスの自宅は、模範的な豪邸であった。

 ハウオリシティ内の一等地に位置するその広い敷地内には、母屋の他に普通に居住できそうな一戸建て風の倉庫と、海沿いの立地ながら大理石でできた立派なプールがある。

 

「なあ。これ、居場所によっては絶対プールより海の方が近いよな。」

 

 巨大な鉄門の隙間から中を覗いていたヒノキは、率直な感想を述べた。

 

「しっ!聞こえますよ。」

 

 特に声を落とす事もなく喋る彼を、隣でインターフォン越しにやり取りをしていたアナベルが小声で制した。まだ通話が切れていないのだ。

 

『お待たせいたしました。アナベル様とヒノキ様ですね。どうぞ、右側の扉からお入りください。』

 

 間もなく、鉄門の脇に設けられた通行口のドアの鍵が開く音がした。巨大な鉄門の方が開くとばかり思っていたヒノキは、がっかりして言った。

 

「聞こえたのかな。」

 

「かもしれませんね。さあ、行きますよ。」

 

 アナベルが玄関扉についた真鍮のカエンジシのドアノッカーを鳴らすと、すぐに一人の青年が出迎えてくれた。

 

「お疲れ様です。任務中のところ、急に呼び出してしまってすみません。」

 

 品の良い淡いピンク色の髪に、褐色がかった肌、中性的な彫りの深い顔立ち。メレメレ島唯一のキャプテンであるイリマ・ファルラックスは、一見して南国の生まれと分かる容貌をした青年だ。

 

 イリマに案内されリビングに通された二人は、正面のソファーを見て、すぐに呼ばれた理由を理解した。

 

「なるほど。」

 

 ヒノキのその一言に続く言葉を、アナベルが引き継いだ。

 

「これが、早急に報告したい事実という訳ですね。」

 

 イリマも頷いた。

 

「その通りです。」

 

 そして、三人は改めてソファーに目を向けた。

 そこには、うっとりした表情で宙空を見つめて呆ける中年の男──すなわちハンサムの姿があった。

 

「早急に報告したい事実というより、早急に解決したい事案だな。」

 

 そう言いながら、ヒノキは彼の正面に回って改めてその様子を観察した。なんと危ない表情なのだろう。この状態で外に出していたら、間違いなく変質者として通報されてしまう。実際、家政婦達は遠巻きに彼を見つめ、不安げにひそひそと何か話している。

 

 やがて、イリマが申し訳なさそうに事の経緯を説明した。

 

「危険だと止めたのですが、どうしてももう少し近寄ってみたいとおっしゃって。それで、洞窟の入り口から中を覗かれた直後から、あの状態に・・・という訳です。」

 

 それを聞いたヒノキとアナベルは、顔を見合わせて頷いた。おそらく、()()だ。

 

「なに、大丈夫さ。ライ!」

 

 そう言って、ヒノキは再び青い瞳のライチュウをボールから出した。

 

「悪いけど、ちょいとほっぺをすりすりしてやってくれ。」

 

 雌の本能がそうさせるのか、ライチュウもまた、男の異様な雰囲気に一瞬たじろいだ。が、意を決してその左足にしがみつくと、バチバチに帯電した頬の電気袋を容赦なくこすりつけた。

 

「ぶおお!!?」

 

 間もなく変な叫び声と煙を上げて、ハンサムの恍惚状態が解けた。

 

「ほ、ほほわ?わらしわいっはい、らにを・・・(こ、ここは?私は一体、何を・・・)。」

 

 まだ唇が痺れて上手く喋れないらしい。ハンサムのこの一連の醜態を哀れみつつ、先ほど同じモノに当てられたヒノキは心の底から願った。

 

──さっきのオレはここまでひどくはなかった、よな・・・?

 

 

 ◇

 

 

「なんと。それでは、ボス達の方にもビューティーが・・・?」

 

 皿に山積みされたミアレガレットをむしゃむしゃと頬張りながら、ハンサムが訊き返した。ミアレガレットはさっくりホロホロの食感にほどよい塩気と芳醇なバターの香りがクセになる、カロス地方の銘菓である。イリマのカロス留学時代からの好物らしい。

 

「ええ。ですが、いざ捕獲に移ろうという時に突然姿が消えてしまいました。私はてっきり、しげみのどうくつに潜んでいる個体が現れて、再び退却したのだと思いましたが・・・今のイリマさん達の報告を聞く限りでは、どうもそうではないようですね。」

 

 アナベルがそう答えてロズレイティーを一口飲んだところで、ヒノキが割って入った。

 

「そもそもだ。本来はこの世界の物に触るのも嫌な奴らなんだろ?なんでそんな奴らがわざわざオレらの前に現れて攻撃してきたんだ?」

 

 そうして話が混沌としかけたところで、イリマが間に入って仕切り直した。

 

「一度話を整理しましょう。まず、しげみのどうくつに潜んでいると考えられるビューティーですが、事前の調査より複数体存在していることは間違いありません。しかし、かといって、もしその中の一体が洞窟内からウルトラホールを開いて移動したというのなら。その時は彼が確実に反応しているはずです。」

 

 そう言って、イリマは部屋の中央に設えられたテレビの電源を入れ、特殊なリモコンで何やら操作しだした。

 間もなく、そこにはしげみのどうくつの入り口と、少し離れた草かげからその様子を伺っているデカグースの後ろ姿が映し出された。どうやら定点カメラを設置したらしい。

 

「彼というのは、あのデカグースの事か?いくら『はりこみ』が得意とはいえ、あれでは洞窟の奥の事までは分からんだろう。」

 

 訝しがるハンサムの隣で、ある事に気付いたヒノキが控えめに口を開いた。

 

「決してシャレのつもりじゃないんだけど。あのデカグース、なんかでかくないか?」

 

 そのヒノキの指摘に、イリマが待ってましたとばかりにぱちんと指を鳴らした。

 

「さすがチャンピオン、お目が高い。そう、実は彼こそが本来この洞窟を治めるぬしポケモンなのですが。何しろこのような事態になってしまったので、今は一時的に協力してもらっているのです。」

 

「しかし。ぬしポケモンとウルトラホールにどういう関係があるというのだ?」

 

 まだつながりの見えないハンサムが、なおもイリマに尋ねた。

 

「これはまだ、一般には公表されていない事実なのですが。バーネット博士達の最新の研究により、アローラ各地のぬしポケモン達の身体が通常より大きいのは、ウルトラホールからのエネルギーを浴びていることが原因と判明しています。つまりー」

 

「UB同様、エネルギーの発生を感知することができるという訳ですね。」

 

 イリマの結論をアナベルが引き受けた。

 

「その通りです。ちなみに、あのカメラの映像は専用のアプリケーションを介して僕の携帯とも連動していますので。24時間体制で状況を把握できるようになっています。」

 

「なるほど。ゆえに、オレたちが戦ったやつは洞窟のとは無関係って訳か。」

 

 ヒノキも彼の説明に納得した。

 

「ええ。『では、なぜその個体はヒノキさん達の前に現れて襲撃をしたのか?』という次の謎ですが。これに関しては、正直ボクは現段階では何とも言えません。推理をするにも、ピースが決定的に足りていないという気がするのです。」

 

「なに、それこそ簡単な話だ。」

 

 腕を組みながら思案するイリマに向かって、ハンサムが得意気に口を開いた。手にしているガレットは、もう何十個目か分からない。

 

「ビューティーは異常なまでに美に対して執着を見せる奴だ。きっと、ボスの美しさに嫉妬したに違いない。」

 

「な、何を言ってるんですか!?そんなこと、ある訳が──」

 

 そう言いつつアナベルも何気に照れているあたり、まんざらでもないらしい。

 ヒノキは流れを遮るようにわざと大きな音を立ててロズレイティーをすすり、イリマに話しかけた。

 

「まあ、確かに理由が分からないのはもやっとするけど。ただ、大分ダメージは食わせてたし、また来るにしても当面は大丈夫だろ。それより、今対策を考えなきゃいけないのは、あいつの能力そのものだ。」

 

 ヒノキの言葉に、イリマも頷いた。

 

「そうですね。あの脅威的な速さと媚薬のようなフェロモンをどうにかしない限り、洞窟に潜む複数体と渡り合うのは難しいでしょう。」

 

 そこに、アナベルが会話に戻ってきた。

 

「速さに関しては、いくらか対策はあると思います。今日のようにとくせいでこちらの素早さを高めたり、逆にトリックルームで向こうの速さを逆手にとる事もできますし。」

 

「今はトリックルームがわざマシンで覚えさせられるからな。しかも、充電さえすれば繰り返し使える。時代は変わったものだ。」

 

 ハンサムもしみじみと言った。

 

「ってことは問題はやっぱりあのフェロモンだな。なんかこう、身体に入るのを防ぐ方法とかってないのかな?」

 

 ヒノキの問いに、イリマは首を横に振った。

 

「それに関しては、ボクも調べてみたのですが。何しろフェロモン自体がまだ謎の多い物質であるため、決定的な方法は見つかりませんでした。ただ──」

 

「ただ?」

 

「人間の女性フェロモンの場合は、ストレスと睡眠不足によって分泌量が減少するといわれています。」

 

 そう言ったのは、ロズレイティーとミアレガレットのお代わりを運んできたイリマの母親だった。イリマの年齢からしてもう30代半ばから後半くらいのはずだが、元女優というだけあって、10歳は若く見える。

 

「おお、奥さん。それは本当ですかな?」

 

 ハンサムが急にきりっとして聞き返した。

 

「ええ。ですから私は現役時代も毎日必ず六時間は寝てましたし、リラックスする為に公演の合間に楽屋でおこうを焚いたり、きれいな音楽を聴いたりしていましたね。」

 

「へえ・・・。ん?ストレスと──」

 

 そこで何かに思い当たったヒノキは、ほとんど反射的にハンサムを見た。

 

「睡眠不足・・・?」

 

 ハンサムも同じことを考えたらしく、ヒノキを見た。そして二人は同時に頷くと、まじまじと自分たちの上司を見つめた。

 

「な、何ですか?」

 

 急な二人の視線に戸惑うアナベルに、ヒノキは神妙な顔で言った。

 

 

 

「・・・減るぞ。」

 

 

「お、大きなお世話ですっ!!」

 

 

 ◇

 

 

「マニューラ、みねうち。」

 

 その一撃は的確に致命傷を外した上で、主人がモンスターボールを投げる手間を省けるように獲物を彼女の胸の正面辺りまで跳ね上げた。その為、彼女は目の前に来たその体にボールの開閉スイッチを押し当てるだけで捕獲することができた。無駄のない、見事な連携である。

 

(これで22匹、か・・・。)

 

 太陽に代わり、月が海や街を照らす午後八時。

 アナベルは一人ハウオリシティ内の草むらにいた。昼間のヤングースに替わり、夜行性のコラッタとラッタを捕獲する為である。その繁殖速度を考えると、最低でも今夜の内に70匹は捕らえておかなければならない。

 

──日付が変わるまでには何とか終わらせたいな。

 

 そう思いながら、彼女が手の甲で額の汗を拭った時であった。

 

「へー。それでこの時間に街中のゴミを集めて回ってるって訳か。」

 

 数メートル先の道路から、聞き慣れた若い男の呑気な声が耳に飛び込んできた。

 

「そうなんです。やはり臭いの問題があるので、本来はもっと夜更けにひっそりと行っているのですが。ただ、最近は街中にコラッタやラッタが増えているせいで、あまり遅いと彼らに先にゴミステーションを荒らされてしまうので。やむを得ず・・・という訳です。」

 

「ふうん。風が吹けば桶屋が儲かるじゃねーけど。おたくらも大変だな。・・・っと、誰だ?」

 

 後ろからシャツの襟首を掴まれても、ヒノキは相変わらず悠長である。

 

「警察です。」

 

 アナベルが短く答えた。

 

「こんな時間にこんなところで。あなた、何してるんですか?」

 

 ヒノキはイリマ宅での作戦会議の後、先に上がらせている。もう四時間以上も前の話だ。それがなぜか今、肩に袋を担ぎながら清掃会社の若い社員と立ち話をしている。

 

「ん?いやなに、ネズミ捕りしてたらなんかくせーなと思ってさ。そしたら、このにーちゃんがベトベトン連れてゴミ食わせてたから、ちょっと話聞いてたんだよ。」

 

「ネズミ捕りって・・・」

 

「ほいよ。プレゼントだ。」

 

 そう言ってデリバードのようにかついでいた袋を足元に置くと、中からどっちゃりとモンスターボールが雪崩れてきた。その数なんと50、中身はもちろん全てコラッタとラッタである。

 

「我らがボスのフェロモンの分泌を助けてやろうと思ってさ。」

 

 そう言って、能天気にからからと笑った。

 

「どうせ睡眠不足でストレスフルな生活をしてますよ。」

 

 デリカシーに欠けるその思いやりに、アナベルは少し顔を赤くして、むっと拗ねる素振りを見せた。それから、小さな声で付け足した。

 

「・・・でも、助かりました。」

 

 その言葉に、ヒノキは満足して笑った。

 

「てことはノルマは達成したんだな、よかったよかった。んじゃ、オレは帰るから。ボスもフェロモンが減らないように早く帰って寝ろよ。」

 

 そう言ってそそくさとリザードンに乗ろうとしたヒノキの襟首を、アナベルが再び掴んだ。

 

「では、宿までお送りします。あなたの宿泊先は確か、アーカラ島のオハナ牧場でしたね?」

 

 厚意というより嫌疑によるその申し出に、ヒノキは胸の内でなぜ嘘が分かったんだろうと呟いた。

 

「あー、、いや、まあ、そうなんだけど・・・。」

 

 しばらくそのまま口ごもっていたが、仕方なく観念して正直に申し出た。

 

「んじゃ、その前にちょっと道草食ってもいいかな?」

 

 そのような経緯で、しげみのどうくつへはアナベルと二人で向かうことになった。

 

 

 ◇

 

 

 どうくつの入り口では、ぬしデカグースがうとうとしながらもはりこみを続けていた。

 

「よう、でかデカグース。差し入れだ。」

 

 ヒノキの差し出した大きなマラサダを見ると彼は嬉しそうにかぶりついたが、食べ終わるとじきに眠ってしまった。

 

「やっぱこいつも疲れてんだな。」

 

 アナベルもしゃがんで大きな身体を撫でてやりながら頷いた。

 

「慣れた棲みかを逐われて、あまりきちんと休めていないのでしょうね。・・・あら?」

 

 その時、彼女の小指ほどの大きさの白い花びらが一枚、デカグースの頬にはらりと落ちてきた。アナベルが辺りを見回すと、少し先に無数の花をつけたクチナシの植え込みが見える。

 

「きっと、あの木から来た子ね。」

 

 そういって彼女が立ち上がった時、ちょうど植え込みの方角から風が吹いた。下から上へと吹き上げるようなその柔らかな風は、クチナシの南国的な甘い香りと無数の花びらの雪をヒノキとアナベルの元へ運んだ。

 

「まったく、今日はいろんなものが降ってくるな。」

 

 その幻想的な光景に、ヒノキは思わず愛用のデニムキャップを脱帽した。

 

「締めはクチナシのはなびらのまい、ですね。」

 

 白い花びらを黒い手袋に包まれた手のひらに積もらせながら、アナベルもこの美しいひとときを心から堪能していた。

 

 

 ◇

 

 

「せっかくオレが気を利かせてサービス残業したんだから。今日は早く寝ろよ。」

 

 二番道路のモーテルの前で二人が解散しようとしていたのは、間もなく午後の十時になろうという頃であった。

 

「そうします。あなたも帰り道と体調には十分気を付けてくださいね。それではおやすみなさい。」

 

「ああ。んじゃ、また明日な。」

 

 またあした。明日も一緒に戦ってくれる。

 それは、彼にとってはごく当たり前の事なのだろうけど。

 

「あ、あの!」

 

 アナベルは思わず、歩きだしたその後ろ姿を呼び止めてしまった。

 

「ん?どした?」

 

「あ、いえ。その・・・」 

 

 呼び止めておきながらも気恥ずかしさに少し迷ったが、やはりちゃんと言うことにした。

 

「今日もありがとう。明日もまた、よろしくお願いしますね。おやすみなさい。」

 

 そして、照れを隠すようにあわただしく部屋に入ってドアを閉めた。

 

 

 ◇

 

 

「ただいま。」

 

 オハナ牧場の自室に戻ったヒノキは、部屋の隅で座っていびきをかいているスリープに声をかけた。契約の日にハウオリシティの郊外でスカウトした、眠れない夜の心強い味方である。

 

 帽子と上着を脱ぎ、どさっと仰向けにベッドに倒れ込んだ。

 バトル・バイキングで最初に彼女に会った日からもう一週間以上が経つが、相変わらずその身に起こった事は分からない。もっとも、任務が多忙な為に調べる余裕がないというのが実際のところではあるが。

 

 しかし、今夜彼の頭をいっぱいにするのは、その謎だらけで記憶喪失のいつもの彼女ではなかった。

 

──今日もありがとう。

 

 少し照れながらもまっすぐに自分の目を見て言った彼女に、ヒノキは一瞬、昼間ビューティーの魅惑に当てられた時の感覚がよぎるのを感じた。今はその記憶に、ほんのりとクチナシの清楚な甘い香りが伴う。

 

(やれやれ。)

 

 ヒノキは起き上がってスリープのところまで行くと、その顔を両手でむにむにと揉んだ。それでも彼はなかなか目を覚まさなかったが、ヒノキがあまりにしつこいので、最終的には糸のような目を僅かに開けて、恨めしげに主人を見た。

 

「悪いな。今日も頼むよ。」

 

 そうして、白く甘い誘惑に振り回された長い一日はようやく終わりを告げたのであった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16.UB02:フェローチェ 飛んで入るはエレクトリック・ルーム

【ここまでのあらすじ】
 メレメレ島に現れたUB、ビューティー。蹴撃を主とするその攻撃力もさることながら、最大の脅威は神速のようなスピードと、近寄る者を魅了し戦意を奪う、未知のフェロモンであった。
 ビューティーの出現による様々な変化も目の当たりにしつつ、ヒノキ達は島のキャプテンのイリマと共に対抗策を考える。



 翌日、ヒノキとハンサムは朝からイリマ宅のリビングで、テレビに映る定点カメラの映像を注視していた。

 画面の向こうには、しげみのどうくつの手前にいるイリマと、彼の両親が所有するつがいのドデカバシが映っている。

 やがて、画面の中のイリマが二羽のドデカバシをどうくつの入り口へ向けて放った。すると、入り口まで近づいたところで片方が撃ち抜かれたように突然地上へ落ちた。気付いたもう片方が、慌てて地上へ降りる。

 

「おお、やはり二羽で反応が異なっているぞ!」

 

 ハンサムが子どものようにはしゃいだ声を上げた。

 

「えーと、あのつついている方が体が大きいからー」

 

 ヒノキが考える間に、画面の中からイリマが答えた。

 

『エレン、つまりメスですね。どうやらボク達のにらんだ通りのようです。』

 

 その時、ウラウラ島から戻ったアナベルが二人のいるリビングへと入ってきた。

 

「ただ今戻りました。この子一体であれば、三日までなら借りていても大丈夫とのことです。」

 

 その手のハイパーボールには、日々アローラのゴミをたらふく食べている清掃会社のベトベトンが収まっている。

 

「とりあえずはそれでいいだろ。あとは──」

 

『プゥ──ルルル!!』

 

 画面の中から、島の守り神の甲高い雄叫びが聞こえた。カメラに理解があるのか、カプ・コケコがアップで映っている。

 

「神頼み、だな。コケコ!すぐそっちに行くから、そのまま待機してろよ。」

 

 そしてハンサムを留守番に、ヒノキとアナベルはしげみのどうくつへと向かった。

 

 

 

 

 二人が到着すると、イリマが木陰で二羽のドデカバシを休ませていた。昨日のハンサムのごとくぼうっと惚けているオスのケオルを、メスのエレンが必死につついたりかみついたりして目を醒まさせようとしている。いかにも、仲睦まじいことで知られるドデカバシのつがいらしい。

 

「そういや、あんたもあの時何ともなかったのか?」

 

 二羽の様子を見て、ヒノキはふとアナベルに昨日のビューティー襲撃時の事を尋ねた。

 

「そういえばそうですね・・・確かに、一瞬はお酒を飲んだ時のような感覚になりましたが、じきに治まったと思います。」

 

 彼女のその答えに、イリマが頷いた。

 

「やはり、このフェロモンは男性及びオスにより強く作用するようですね。となると、なおさら作戦は期待できるのではないでしょうか。」

 

 彼のいう「作戦」とは、こうである。

 まず、ウラウラ島の清掃会社から借りたベトベトンを洞窟内部にとけこませ、『あくしゅう』を漂わせる。それと同時に、カプ・コケコに洞窟全体に『エレキフィールド』を張ってもらい、その覚醒作用によってビューティー達が眠れない状況を作る。

 こうして洞窟内のビューティーの睡眠不足とストレスを蓄積させることにより、フェロモンの分泌を抑えようという訳だ。昨日のイリマの母親の助言をもとに、ビューティーのフェロモンを人間の女性フェロモンに見立てた作戦である。

 

「ま、問題は、どれくらいで効き目が現れるかってことだな。」

 

 見た目には何の異常もない洞窟の入り口を眺めながら、ヒノキが呟いた。彼のいう「どれくらい」は、時間的にという意味である。効果があるとしても速効性は低い、いわば一種の『どくどく』のような戦法だ。

 

「そうですね・・・被験体となってくれる二羽にもあまり負担をかけたくないですし。とりあえず、洞窟の様子に変化がない限りは24時間を定期観測の目安としましょうか。」

 

 アナベルのその提案が採用され、次の観測は翌日の同じ時間に行われた。

 しかし、この時もエレンはケオルのくちばしをついばむ事になった。

 

「ま、さすがに一日じゃな。もう一日くらいはかかるだろ。」

 

 誰よりも自分に言い聞かせるように、ヒノキはことさら明るく言った。

 

 

 しかし、その翌日も結果は変わらず、やはりエレンはケオルにハイパーボイスを浴びせかけなければならなかった。

 

「効果があるとすれば、そろそろ多少の変化は見えても良いかと思うのですが・・・」

 

 冷静なアナベルとイリマの表情にも、不安の色が見え始めた。

 

 

 そして、三日目。

 

 ベトベトンは今日が返却期限であるし、コケコも加減気味とはいえ、三日三晩、不眠不休でエレキフィールドを展開している。守り神といえど一体のポケモンである以上、限界はあるだろう。そろそろ効果が現れなければ、別の作戦を考えなければならない。

 

『さあ、頼むよ。』

 

 画面の中のイリマが、つがいのドデカバシを放った。ここまでは、昨日までと変わらない。

 

「さあて。今日はいよいよ『くちばしキャノン』かな?」

 

 ヒノキが嫌な予感を紛らわせようと、そう軽口を叩いた時であった。

 洞窟の入り口まで飛んでいった二羽が、同時に地上へと降りたのだ。

 

「なんと!まさか、エレンまでもが!?」

 

 早まるハンサムを、アナベルが制した。

 

「いえ、ちょっと待ってください。あれは・・・」

 

 よく見ると、二羽はそろって洞窟の中を覗き込んでいる。まるで、「今日は何もないのかな?」というように。

 

『エレン、ケオル!』

 

 少し間を取ってからイリマが呼ぶと、二羽はすぐに彼の元へ帰ってきた。そしてどちらにも異常がないことを慎重に確認すると、カメラに向かって、興奮ぎみにぐっと親指を立てた。

 

「っしゃ、行くぞ!!」

 

 待ちわびたその瞬間に、ヒノキ達の声にも力が入る。

 

「はい!」

 

「イエッサー!!」

 

「いえ、ハンサムさんはこちらで待機してバックアップをお願いします!私達の背中はハンサムさんに預けますからね!」

 

 流れに便乗して同行しようとしていたハンサムは、すかさずアナベルが受け流した。

 

「む、そうか!どうせ預かるなら、背中より胸の方が良いがああぁっ!!?」

 

 両足にふみつけを食らったハンサムのわめき声を背に、ヒノキとアナベルは現場へと急行した。

 

 

 

 

 二人がしげみのどうくつ前に到着すると、イリマはすでに待機していた。傍らには、あのぬしデカグースの姿がある。

 

「どうしても来たいとの事なので。」

 

「構わないさ、当然の権利だ。よし、じゃあボス、頼むぜ。」

 

「はい。フーディン!」

 

 アナベルはボールからフーディンを繰り出すと、スーツの襟のキーストーンに触れ、メガフーディンへと進化させた。

 

「なるべく早く終わるよう頑張るから。洞窟全体をお願いね。」

 

 メガフーディンは頷くとテレポートで洞窟の中央の上空へ瞬間移動し、五本のスプーンを放射状に飛ばして両手を掲げた。直後、スプーンの描いた軌道に沿った淡い光のドームが洞窟を包んだ。

 

「これで準備は完了です。では、行きましょう!」

 

 そしてアナベルに続いて、ヒノキとイリマも洞窟の入り口をくぐった。その瞬間は思わず息を詰め身を固くしたヒノキだったが、例の心が酔いしれる感じはない。

 

「とりあえず、第一関門は突破ですね。」

 

 イリマもやはり安心しているようである。

 

「ああ。まだ油断はできないけどな。」

 

 これがほとんど成功のカギだと考えていたヒノキは、むしろ自分に言い聞かせるようにそう答えた。

 

 ドーム状に開けた洞窟の内部は、天井の孔から射し込む陽光と、カプ・コケコの『エレキフィールド』によって予想以上に明るかった。また、天井に潜ませたベトベトンによる『あくしゅう』がそこはかとなく漂うが、こればかりは仕方ない。

 

「皆さん、向こうに!」

 

 そのイリマの声に応じるかのように、なんとも形容のしがたい、甲高い音が響いた。威嚇ともとれる、どこかヒステリックな鳴き声だ。おそらく、目に見えない環境と体調の変化に気が立っているのだろう。

 

 ビューティー達は三人を見下すように、それぞれ遠・中・近の距離の高台に点在していた。その数、ちょうど三体。

 

(!)

 

 ヒノキは一瞬、心臓が大きく揺れるのを感じながら、三日前に崇拝に近い感情を抱いたその生き物を、真っ向から見つめた。

 

 白く細い身体。小さな顔に、こぼれるほど大きな目。透き通った美しいヴェールのような翅ー。

 

 

 虫である。

 決して醜いという訳ではないし、女性的な雰囲気もある。こんちゅうマニアなら素面で十分心を奪われるかもしれない。しかし、その気がないヒノキにとっては、どう見たって虫は虫でしかない。

 

──オレはこの生き物にあれほど心を奪われたのか。

 

 思わずハンサムの胸ぐらでも掴んでオレのときめきを返せと言いたい衝動に駆られたが、今は戦闘が先だ。

 

「なるべく洞窟にダメージを与えないよう、一体ずつ狙っていきたいと思います。サポートをお願いします。」

 

 アナベルが早口に後ろの二人に囁いた。今回のアタッカーは彼女だ。

 

「了解。」

 

 同時に短く答えると、イリマとヒノキはそれぞれ奥にいる二体の元へと向かった。

 

 やがて、一番近い位置にいた個体が飛び上がり、アナベルに狙いを定めて蹴撃を繰り出してきた。

 が、その攻撃が彼女に届く遥か前に、巨大な影が空中でビューティーを叩きのめした。そして、その身体が地に落ちる頃には、エーテル財団がUB用に開発した特殊なモンスターボールであるウルトラボールに収まっていた。

 中のビューティーは、おそらく自分の身に何が起こったのか、まだ分かっていないだろう。

 

 ずん、と少し地面を揺らして着地した影の主は、主人の方を振り返ると誇らしげな表情で右手を出した。

 アナベルはその手とタッチを交わしながら、彼の働きを労った。

 

「カビゴン、素晴らしい動きです。さあ、あと二体も頑張りましょう。」

 

 そして、次に近い位置にいるヒノキへと合図を送った。

 

「相変わらずすげーな、トリックルームって技は。」

 

 今の戦いを横目でちらちらと見ていたヒノキは手を挙げて合図に応じながら、目の前で二体目の相手をしているジュナイパーに声をかけた。

 

「よし、ジュナ!こいつをカビゴンとこまで案内してやれ。」

 

 ジュナイパーは影づたいに一つ先の足場へ現れると、ビューティーがそこに差し掛かるのを待ってから次の足場へと現れた。

 何しろ、遅い。一度一度の跳躍が、まるで月面を移動しているかのようにスローなのである。

 外のメガフーディンのトリックルームによって180度歪められたそのスピードは、本来のそれがいかに脅威的であるかを物語っていた。

 

 やがて、その二体目がアナベルとカビゴンの元へ届けられた。カビゴンは再び右腕にパワーを溜めると、まるで攻撃してくださいとばかりにふわりと飛んできたビューティーに、渾身の右ストレートを叩き込んだ。 

 

「ギガインパクト!」

 

 凄まじい威力のその一撃は、ビューティーを20メートルほど先の岩壁へめり込ませた。

 

「ジュナ!」

 

 そこに、ヒノキが軽くトスしたウルトラボールをジュナイパーが矢羽で射ち出した。

 こうして、二体目のビューティーも何なく捕獲された。

 

「これで二体目だな。よし、最後だ、イリマ!!」

 

 ヒノキが洞窟の奥へ向かって叫んだ。

 

「了解です!デカグース、入り口の方へ!」

 

 しかし、先ほどの二体目を見ていたのか、このビューティーはぬしグースの移動にはつられなかった。

 そればかりか、その場で薄い翅を震わせ、遠距離攻撃をしかけてきたのだ。

 

「これは・・・『むしのさざめき』!?」

 

 ビリビリと身体の内外を震わせる強力な特殊技は、肉弾戦のアタッカーというヒノキ達のビューティーのイメージに反するものであった。

 

「頭はちっさくても学習能力はちゃんとあるって訳か。向こうに動く気がないってことは──」

 

 そこでヒノキは隣のアナベルを見た。

 

「動きたくないのはこちらも同じですが、仕方ありませんね。カビゴン!」

 

 アナベルが声をかけると、カビゴンは二人を両肩に乗せ、素晴らしい跳躍とそれに伴う余震を繰り返しながら、洞窟の奥へと進んだ。

 

「まさか地上の移動で歩くよりカビゴンに乗る方が速い事があるとはな。しかもエレキフィールドのおかげで地味に眠気もすっきり、ってか。」

 

 少し興奮ぎみに話すヒノキと対照的に、アナベルはやや険しい表情で答えた。

 

「ええ。ですが、ただでさえ大きなエネルギーを消費するトリックルームを洞窟全体でかけている訳ですから。メガフーディンと言えど、もうあまり長くは持たないでしょう。」

 

 やがて、出口付近の高台でイリマとぬしグースが最後のビューティーを取り押さえているのが見えた。

 

「イリマ!大丈夫か?今、そっちに──」

 

 ヒノキがカビゴンの肩からイリマに声をかけたその時であった。突然、カビゴンの跳躍の飛距離とスピードががくんと落ち、同時にぬしグースに組伏せられているビューティーが激しくもがきだした。

 

「おい!これって、もしかして──」

 

「噂をすれば、ですね。やむを得ません。このまま突っ込みますので、しっかりつかまっていてください!」

 

 ビューティーまでは、あとひとっとびである。

 アナベルはカビゴンのその最後の跳躍に、決めの一撃を託した。

 

「ヘビーボンバー!!」

 

 460㎏プラストレーナー二人の体重を合わせたボディプレスが、わずか25㎏の儚すぎるビューティーの身体の上に炸裂した。トリックルームが完全に消失したのは、その直後のことであった。

 

「デカグース。頼むよ。」

 

 全員が既に微動だにしないビューティーの上から退いた後、イリマはそう言って自身が持っていた三つ目のウルトラボールをぬしグースに渡した。

 そして彼から最後のビューティーを収めたそのボールを受け取ると、イリマはアナベルに渡し、彼女とヒノキに向かって頭を下げた。

 

「皆さん、この度は本当にありがとうございました。メレメレ島のキャプテンとして、アローラに生きる人間として、心からお礼を申し上げます。」

 

「いえ、こちらこそたくさん助けて頂きましたし。それに──」

 

 アナベルがそこまで言いかけた時、フーディンがテレポートで現れた。トリックルームに膨大なエネルギーを費やした為か、メガ進化は解けている。とにかく疲れたという様子だ。

 また、すぐそばの出口からカプ・コケコが飛び込んできた。こちらは三日三晩不眠不休のわりには、なかなか元気そうである。更に、地表に溶け込んでいたベトベトンも姿を現したので、アナベルは急いでボールに回収した。みんな、ビューティーの気配が消えた為に集まってきたらしい。

 

「みんなが本当によく頑張ってくれたおかげです。このアローラは、きっとこうして人とポケモンが助け合うことで守られてきたのでしょうね。」

 

 アナベルのその言葉に、イリマが誇らしげに微笑んだ。

 

 

 

 

「結局、消えた一体の事は何も分からずじまいか。」

 

 その日の夕方。

 イリマを中心に、町の人々や島めぐりのボランティアがヤングース達をしげみのどうくつへ帰す作業を二番道路から眺めながら、ヒノキが呟いた。

 

「ええ。ですが、今のところは他の場所へ出現したという報告もありませんし。足どりが掴めない以上、焦っても仕方ありませんよ。」

 

 隣にいたアナベルが、なだめるようにそう言った。

 

「また出た時は出た時、か。・・・おっ!」

 

 突然、ヒノキの肩の上にまたがるような格好でケーシィが現れた。最初のビューティーの襲来時に姿を消した、あの野生のケーシィだ。

 

「おまえ、どこ行ってたんだよ!まあいいや、仕事も終わったし、遊ぼうぜ!」

 

 嬉しそうにそう言うと、ヒノキはケーシィを肩車したまま、街の方へと歩いて行ってしまった。

 もはや止めるだけ無駄なその後ろ姿にやれやれという苦笑を浮かべながら、アナベルは隣にいたフーディンと顔を見合わせた。

 

「まったくもう、終わってなくても遊んでたくせに。ね?」

 

 そう言って、ふと思った。

 

ー私は、この子とどこでどんな風に出会ったんだろう。

 

 いつもそばに居てくれる、かけがえのない相棒(パートナー)。だけど、いつから、どのような経緯を経て今の絆に至ったのかは全く分からない。いつかは思い出せる日が来るだろうか。

 

 そう思うと、今でも在りし日のようにケーシィとじゃれ合えるヒノキが少し羨ましかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17.UB03:カミツルギ ハイナ砂漠の斬り裂き魔

 
※今回は前話から話をまたいでいないので、あらすじは省略させていただきます。
初めて閲覧してくださった方は、第二章一話(14話)の前書きを参照していただければ良いかと思います。
 



 

 アローラの近海に浮かぶメガフロート、エーテルパラダイス。4つの島の各地に支部を置き、傷ついた野生ポケモンの保護や治療を行う非営利組織・エーテル財団の本拠地である。

 この日、非番であったヒノキは朝から地下のシークレットラボにこもり、UBに関する資料を濫読していた。

 先のパラサイトやビューティーとの戦いを経て、個々のUBに関する情報収集不足を痛感したためだ。

 貪るように分厚いファイルのページを繰っていると、突然内線が鳴って驚いた。ふと壁にかけられた時計を見ると、入室からもう四時間も経っている。

 

「あー、すいません!もーちょっとで区切りがつくんで、もーちょこっとしたらちゃんと鍵かけて帰ります!」

 

 受話器をつかむなりそう早とちったヒノキの耳にまず届いたのは、品の良い女性のくすくす笑いであった。やがて、聞き覚えのある明朗な声がそれに続いた。

 

「それならちょうどよかった。頂き物のマラサダがあるので、一緒にコーヒーでもどうかと思ったのですが。よろしければ、お帰りの前に私の部屋へお立ち寄りくださいね。ちなみに、その部屋はオートロックですよ。」

 

 資料を読み漁るのに夢中で忘れていたが、思えば朝食から何も食べていない。

 途端に空腹感を思い出したヒノキは、飲食禁止のシークレットラボを潔く片付け、三階にある副支部長室へと向かった。

 

 ◇

 

 【副支部長室】のプレートがかかったドアを開けると、たちまち温かいコーヒーの香りと蒸気がヒノキを出迎えた。

 

「あーいい匂い。いやあ、どうもすいません、長居した上にこんなごちそうにまでなっちゃって。」

 

「構いませんよ。あの部屋は我々にとってはもう、あまり用のないところですから。でも、あまり根を詰めすぎると、かえって作業効率が悪くなりますよ?」

 

 そう言って、二つのカップにグランブルマウンテンを淹れていた部屋の主は顔を上げ、ピンクの大きな眼鏡越しに微笑んだ。

 

 ビッケ・ウィッケル。

 温厚篤実な人柄と慈母のような包容力で職員達の人望も厚い、エーテル財団の副支部長だ。そしてヒノキ達にとっては、財団が時間と財力を費やして得たUB関連の研究成果を惜しみなく提供してくれる、かけがえのない協力者でもある。

 

「いや、そんな必死でやってる感覚は全然ないんですよ。こういうと不謹慎かもしれないけど、すげー面白いし。」

 

 ヒノキがそう答えたその時、ビッケのデスクの内線がコール音を発した。

 つられてそちらを振り向いたヒノキは、その電話の横に、写真立てがひとつ置かれていることに気が付いた。

 

「はい、ビッケです。・・・わかりました、すぐに参りますので。」

 

 そう短く応えて電話を切った彼女は、申し訳ないという風な苦笑を浮かべてヒノキに言った。

 

「ごめんなさい、私は少し支部長室へ行ってきますので。どうぞ、ご遠慮なく先に召し上がっていてください。」

 

「そうですか。んじゃ、お言葉に甘えて。」

 

 そう言ってヒノキはマラサダの山から一つをつかむと、立ったままかぶりついた。元々の美味しさに空腹があいまって、いつにもまして美味しく感じる。それを片手に、例のデスクの写真立ての前へと回った。

 

 そこには、ビッケと共に三人の少女が写っていた。向かって左の、白いつば広帽子とワンピースを身につけた金髪の少女だけは分からなかったが、真ん中と右側の紫の髪の二人には見覚えがある。

 

「・・・・」

 

 思わずヒノキがマラサダを口へ運ぶ右手を止め、左手を写真に伸ばしかけた、その時であった。

 

「それはねぇ、リラが国際警察に入った日に撮った写真だよー。」

 

 突然背後から聞こえたその声に、ヒノキは思わず食べかけのマラサダを落としそうになった。振り向くと、ついさっきまで誰もいなかった応接スペースのソファーに、いつの間にか少女が一人、ちょこんと座っている。

 

「お前はたしか、ウラウラ島の・・・」

 

 ゴースト使いのキャプテンであることは、契約日までの三週間に一度会っている為に知っている。

 

「はぁい。古代のプリンセスのアセロラちゃんです。」

 

 自分の顔ほどもある大きなマラサダを両手で持ち、ふにゃっとした猫口をもぐもぐ動かしながら、少女はそう述べた。

 

 アセロラ・バルバドス。

 目と下まつ毛のぱっちりした、なかなか可愛い顔をしているのだが、つきはぎだらけの紺のワンピースにつっかけサンダルという出で立ちと、先のような四次元な発言のせいで変わり者という印象の方が強い。

 そしてそんな彼女は、ヒノキが今手をのばしかけた写真に写る人物の一人でもあった。

 

「なんでお前がここに?お前の仕事はキャプテンだろ?」

 

「うん。でもアセロラ、キャプテンしながらたまにエーテル財団のお手伝いもしてるの。」

 

 いや、そんなことは今は良い。自ら聞いておきながらその返事に対する相づちは省略し、ヒノキはそれよりもっとずっと気になった点を指摘した。

 

「お前、今、リラって・・・」

 

 写真の中央に写る、まぎれもない彼女(アナベル)を指しながら、ヒノキはアセロラに訊ねた。

 

「うん、今はあんまりそう呼んじゃいけないんだけど。でも、アセロラはリラが国際警察に入る前からリラって呼んでたから、ついつい言っちゃうの。」

 

 特にまずい部分に触れられたという様子もなく、砂糖とミルクをたっぷり入れたコーヒーをおいしそうに飲みながら、アセロラは答えた。

 

「・・・あいつと仲良いのか。」

 

 ヒノキのその言葉ににっこり笑って、彼女は元気よく頷いた。口元にはうっすらとコーヒーの茶色いひげがついている。

 

「うんっ!リラがエーテルパラダイスに来た時からの友達だよー。」

 

 予想外の一言に、ヒノキの疑問はますます増えてしまった。ここに、あいつが?来たときから?一体、どういう事だろう。

 

「なあ。その話、もうちょい詳しく―」

 

 その時、ジーンズのポケットのPHSが震えた。画面には、No.836の文字が点滅している。

 

「はい、もしもし。」

 

「ヒノキくんか?休日のところ、大変申し訳ないが、新たなUBが現れた。場所はウラウラ島のハイナ砂漠だ。今から来れるか?」

 

「・・・分かった、すぐ行く。20分くらいで着くと思うけど、それまでは大丈夫か?」

 

「ああ、幸い市街地からは離れているし、ボスの他に守り神のカプ・ブルルとウラウラ島のしまキングもいるからな。だが、早く来てくれるに越したことはない。」

 

「了解。」

 

 ハンサムとの会話を終えたヒノキは食べかけのマラサダをコーヒーで流し込むと、さらにひとつをつかんで副支部長室を飛び出した。

 

「悪いけど、ビッケさんにごちそうさまと行ってきますって伝えといてくれ!」

 

 伝言を頼まれたアセロラはのんびりと二つ目のマラサダを頬張りながら、ひらひらと手を振った。

 

 ◇

 

 副支部長室の隣のバルコニーからリザードンを繰り出してその背に飛び乗ると、ヒノキはすぐにロトムに声をかけた。

 

「ロトム、アローラ!ハイナ砂漠までのナビ頼む。」

 

『ハイなロト!任せロト!』

 

「・・・もしかしてシャレ?」

 

『ち、違うロ!たまたまロト!』

 

 ロトムは一応そう弁明したが、本当のところは分からない。

 

 ハイナ砂漠へ向かう道中、持ってきたマラサダを食べながら、ヒノキはふと気付いた。

 

(あれ?ウラウラ島って確か、()()()のー)

 

 その時、その疑問に答えるかのようにその「あいつ」ののどかな声が後方から飛んできた。

 

「おーい!まってまってー!」

 

 ヒノキがリザードンに速度を落とさせると、間もなくアセロラをぶら下げたフワライドが追いついてきた。

 

「えへへー。しまキングのおじさんから、おまえも手伝いに来いって言われちゃったー。」

 

(だろうな!!)

 

 ヒノキは心の内で全力でそうつっこんだ。

 遠い異郷の地から来ている自分が休日出動をし、地元民のキャプテンはお茶をしながら留守番というのは、どう考えても筋が違う。

 

「でもビッケさんにはちゃんと二人分、ごちそうさまといってきますって言ってきたよー。そんでもってこれ、ヒノキにって預かってきたの。はい!」

 

 そう言ってアセロラは、右手に持っていた小型のアタッシュケースをヒノキに渡した。

 

「オレに?」

 

 そこには、いかにも製造元直送といった感じの真新しいウルトラボールが10個、緩衝材の固いスポンジに埋め込まれて納まっていた。

 

「さすがビッケさん、太っ腹だな。」

 

 ハンサム曰くは一つにつきウン百万するというそのボールを眺めながら、ヒノキはため息をついた。

 

「リラも持ってると思うけど、ヒノキもいくつか手元に置いてた方が良いんじゃないかって言ってた!それより、早く行かなきゃおじさんに怒られちゃうよ!」

 

 そして二人は連れ立って、改めてウラウラ島のハイナ砂漠へと急いだ。

 

 

 ◇

 

 

 ハイナ砂漠の入り口には規制線が張られ、数人の警官達がその前を忙しなく往来していた。

 ヒノキとアセロラがその近くに降り立つと、すぐに背後から声をかけられた。

 

「よお。来たかよ。」

 

 気だるげなその男の声に二人が振り向くと、そこには一人の警官が立っていた。しかし、周囲の警官達と比べると、雰囲気がまるで違う。帽子も被っていなければ足元はサンダルであるし、制服の上衣のボタンは全開、ズボンに至ってはまず制服であるかも怪しい。

 年のわりに皺の深い白い顔に表情はなく、それだけにどろんとした三白眼の赤い瞳が異様に際立っている。クチナシ・ガーディニアは、そうした「らしからぬ」風貌をした警官であり、しまキングであった。

 ちなみにヒノキは、アセロラ同様彼とも既に面識はある。

 

「ああ、遅くなって悪い。状況は?」

 

 ヒノキのその問いに答える代わりに、彼はワルビアルを繰り出すと、見かけによらない機敏な身のこなしでひらりとその背に乗った。

 

「とりあえず乗れよ。道案内ついでに話してやるから。」

 

 そう言って、ぼそりと付け加えた。 

 

「今、リラが一人で相手してんだ。」

 

 再び唐突に出たその名に、ヒノキは胸中に衝動が沸き上がるのを感じたが、ぐっと堪えた。今はそれを質している時ではないのだ。

 

「了解。」

 

 そして、素直に彼の後ろに跨がった。

 

「ねーおじさん。アセロラはー?」

 

 存在を忘れられていると思ったのか、アセロラが挙手をしてクチナシに尋ねた。その足元には、いつの間にか相棒のミミッキュが隠れている。

 

「おまえはカプの村っ側の見張りだ。野次馬が来たら呪いでもかけて追い返せ。」

 

「りょーかーい。じゃ、いこっか!」

 

 従順にその指示を承ると、彼女はミミッキュと共にとてとてと持ち場へ向かっていった。

 

「んじゃ行くか。ああ、なんか目ぇ守るもんがあるならかけといた方がいいぞ。」

 

 そう言って、クチナシは上着の胸ポケットからサングラスを取り出した。それによって不気味な赤い目は覆われたが、人相はいっそう悪くなった。

 一方ヒノキは、リュックからゴーゴーゴーグルを取り出した。以前、ダイゴにカロス地方の「お土産」を渡した時に、返礼としてもらったものだ。砂漠専用のゴーグルだけあって、遮光性・防塵性の両方に優れており、おまけに望遠機能までついている。

 

「オッケー、いつでもいいよ。」

 

「んじゃ、ちょっと飛ばすぞ。拾わねえから、落ちんなよ。」

 

 その言葉を合図に、ワルビアルは助走をつけるように飛び上がると、モーターボートのような勢いで砂の海を突き進み始めた。

 

 

 ◇

 

 

「バケモンどもが最初に現れたのは17番道路だった。それを、おれと守り神とでこの砂漠の奥まで連れてきたんだよ。何しろ、興味本位でポータウンから湧いてくるスカタンどもが後を立たなかったからな。」

 

 ごおごおと風と砂を切って進む中で、低くこもったクチナシの声を聞き取るのは容易ではなかった。ヒノキは後ろから必死で耳を済まし、全神経を集中させて彼の言葉を拾う。

 

「今のところ、相手の数は四体だ。小さいがその分すばしっこいし、何よりあの薄っぺらさが厄介だ。考えて戦わねえと、あっという間にー」

 

 クチナシがそこでいったん言葉を切ると同時に、ワルビアルも砂を泳ぐのを少し止めた。

 

「こうなる。」

 

 クチナシが指差した先には、電柱のような巨大な倒木もとい倒サボテンが横たわっていた。それは素晴らしい切れ味とスピードの一刀の元に斬られたと分かる、あまりにも鮮やかで美しい断面を晒している。まるで、ひでんわざの『いあいぎり』のようだ。

 

「なるほど。」

 

 小さくて薄く、抜群の切れ味を誇る。

 先ほどまでエーテルパラダイスのシークレットラボで資料を読み漁っていたヒノキには、その特徴をもつUBについてすでに察しがついていた。

 

 間もなく、広く開けた場所に出た。

 そこはこれまでの狭隘な岩の谷間ではなく、大小様々な大きさの砂の波が連なる、砂漠らしい砂漠である。

 二人は、動きを止めたワルビアルの背から飛び降りた。

 

「あそこだ。」

 

 クチナシが前方を顎でしゃくった。ヒノキがそちらを向くと、陽炎の揺らめく100メートルほど先に、確かに周囲とは様子の違う一帯がある。ヒノキはゴーグルのレンズの脇についたダイヤルを絞り、倍率を合わせた。

 

(・・・!)

 

 そこは、砂漠ではなかった。円形に広がる青々とした草原(グラスフィールド)が砂が舞うのを防ぎ、木々はUB達の動きを翻弄するように成長しては斬り倒され、そして再び伸び続けている。

 その中央でアナベルは自身のムウマージ、マニューラ、フーディン、そしてこの島の守り神であるカプ・ブルルと共に四体のUBと応戦していたが、戦況はあまり芳しくはなかった。

 鋼鉄をも一刀の元に断ち切る厚さ1ミリに満たないその身体は、気流に水平に飛んで来られると一見その姿は分からない。

 その上、空気抵抗による減速が殆どないために、一瞬の気付きの遅れが命取りとなる。

 カミツルギの正式名称が体を現すように、UBスラッシュは紙と刃の性質を併せ持つ、異形の妖刀であった。

 

 そこに、アローラで最も強烈な太陽光と50℃にもなる気温が追いうちをかけてくるのだから、彼女が苦戦するのも無理もない。

 

 四体のスラッシュは、自分達の特異な身体の扱い方に精通しているようであった。わずかな風向きの変化に合わせて巧みに身を翻しては、文字通りひらりと攻撃をかわしてくる。かと思えば、わざとまともに風を受け、計算外の緩急を織り混ぜてこちらを翻弄してから近付くなどといった、高度な変化球にも事欠かない。

 

「UBってのは本当に面妖(メンヨウ)な生き物だな。」

 

 しかし、そう呟いたヒノキの頭の中には、既に作戦のイメージが出来ていた。読んでいた資料によれば、確か弱点は火気と湿気だったはずだ。

 

「よっしゃ、リー!行くぞ!」

 

「おっと。」

 

 再びリザードンを繰り出したヒノキの前に、突然ワルビアルとクチナシが立ちはだかった。

 言葉はなかったが、ギロリとリザードンを睨み据えた赤い目は、警告色のように確実に何かを脅していた。

 

「・・・・・」

 

 彼の視線を辿って、ヒノキも隣の相棒を見る。そして、クチナシのその行為が何を意味するのかを理解した。

 

「大丈夫だよ。女に火傷させるリスクを背負えるほど、オレは神経太くないんだ。」

 

 ヒノキのその言葉に、ワルビアルは砂に潜って道を開けた。クチナシも目の色を戻して、ぽつりと呟いた。

 

「ならいいけどよ。」

 

 そして、ヒノキがわりに余裕があるのを見て、たしなめるように問いただした。

 

「何か考えはあるみてえだが。ちゃんと勝算もあるんだろうな?」

 

「100%とは言えないけど、自信はあるよ。ま、でも何にしろあいつは避難させた方が良いかな。」

 

 確実に動きにキレがなくなってきているアナベルを見ながら、ヒノキはクチナシに言った。

 クチナシは少し黙って考えた後、ぶっきらぼうに答えた。

 

「バケモンはお前に任せる。おれはリラを連れて先に戻るぞ。危なくなったらどうにかして知らせろ。」

 

「オッケー、それで十分だ。」

 

 そしてクチナシは再びワルビアルの背に乗ると、砂の海へと潜った。

 

 草原では、四体のスラッシュ達が四方からアナベル達を取り囲み、じりじりと、しかし確実に彼女達を追い詰めていた。

 手持ちの三体に次々と指示を与え、必死に猛攻に耐えるも、暑さと疲労で頭がぼんやりとしてきた上に、視界もかすんできている。

 

(まずい、これじゃ近付いてくる相手に気づけない──)

 

 そこに、クチナシを乗せたワルビアルが大穴をあけて地中から飛び出し、派生した上昇気流が背後から彼女に忍び寄っていた個体を吹き飛ばした。

 

「クチナシ、さん・・・!?」

 

「砂、入るぞ。閉じれるもんはみんな閉じとけ。お前らも来い。」

 

 クチナシは彼女を抱きかかえ、掌でその口と鼻を覆うと、彼女のポケモン達にも声をかけて再び砂に潜った。ムウマージは倒れた木の影へ飛び込み、マニューラはフーディンの腕につかまって、テレポートでその場から離脱した。

 

 急に対戦相手を見失ったスラッシュ達は、崩れかかった草原の大穴の周りをうろうろとしていた。その隙に、ヒノキはリザードンと共に、草のフィールドへと降り立った。

 

「よお。こっからはオレたちが相手してやるよ。」

 

 そして、腰のモンスターボールから二つを取り、ゲッコウガとジュナイパーを繰り出した。

 

「コウ!ジュナ!久々にアレ行くぞ!!ブルル!悪いけど、オレを乗せてくれるか?」

 

──ブゥル!

 

 カプ・ブルルは頷くと、頭の二本の木製の角を大きくし、その間にヒノキを乗せて上空へと浮かび上がった。

 

「コウ!なりきりであいつらを引き付けろ!」

 

 たちまち、UBのとくせいをコピーしたゲッコウガが例の赤いオーラを纏うと、四体のスラッシュ達が吸い寄せられるように四方から襲いかかった。

 

「今だ!コウ!ジュナ!」

 

 ゲッコウガの影から飛び出したジュナイパーがその横に並ぶと、二体は隣り合った手を地に付せて重ねた。

 

「みずと、くさのちかい!」

 

 にわかに地鳴りがしたかと思うと、草原の中央から生えた無数の蔓が絡み合って柱のように伸び、その中に四体のUBを固く締め付けた。突然の不思議な攻撃に意表を突かれたスラッシュ達は、脱け出す間もなく、やがて草原が豊富な水を得て姿を変えた湿原に沈められた。

 

──シャッッ!?

 

 効果はてき面だった。どうにか湿原から這い上がってきたスラッシュ達は破れこそしていなかったものの、たっぷりと水を吸ったその身体に、もはやキレはない。

 

「よし!次だ!ジュナ!リー!くさと、ほのおのちかい!」

 

 湿原の上空でリザードンの背に乗ったジュナイパーが、その黒い翼に自分の両翼手を重ねる。たちまち、湿原の草が全ての水分を吸い上げて成長し、葦原となってスラッシュ達を覆った。そこにリザードンが猛炎の柱を立て、一帯は火の海と化した。

 

「よーし、そろそろ良いだろ。最後だ!リー!コウ!」

 

 頃合いを見計らい、ヒノキはリザードンとゲッコウガを組ませた。

 

「ほのおと、みずのちかい!!」

 

 火の海の真ん中に水の柱が立ち、あっという間に炎を鎮めて空に虹がかかる。そこに、地中に残っていた植物の種子や根が成長して水溜まりを取り囲み、小さな美しいオアシスを形成した。

 

 水が草を立て、草が火を立て、火が水を立てる。『ちかいわざ』は、縦と横に強く結ばれた絆だけが成せるコンビネーション技だ。

 

 やがて、オアシスの水面に、変わり果てたスラッシュ達の姿が現れた。ヒノキも地上に下り、最後の指示を出した。

 

「みんな!今だ!!」

 

 その声を合図に、リザードンは火の弾に、ゲッコウガは水手裏剣に、ジュナイパーは矢羽にそれぞれウルトラボールを託し、放った。ヒノキ自身も、ブルルの頭上から、最も近くにいた個体に向かってボールを投げた。それらはスラッシュ達に当たると空間の裂け目に似た強い光を放った後、彼らを中へと収めた。

 

「っしゃあ!!任務達成(ミッションコンプリート)!!」

 

 ヒノキはそう叫ぶと、三体の相棒達とカプ・ブルルに向かってガッツポーズを送った。

 

 やがて光がおさまると、ポケモン達はそれぞれ自身が放ったボールを回収し、ヒノキへと届けた。

 

──ん?

 

 それらを受け取ったヒノキは、一瞬、その事実を認識することができなかった。

 ジュナイパーの持ってきた矢羽つきのボールだけが、異様に軽い。まさかと思い確認すると、やはりその中は空であった。

 あの状態のスラッシュを彼が射ち損じることなどあり得ないし、実際に開閉スイッチには接触した痕跡がある。それでもボールに入らなかったということは、答えはひとつしかない。

 この世の全てのモンスターボールに装着が義務づけられている、他人の所有ポケモンに対する盗難防止ロックが作動したのだ。

 

(四体のうち、一体だけが誰かのポケモンだった・・・?)

 

 そんなことがあり得るだろうか。しかし、実際に四体目の姿はどこにも見当たらないし、今の状況ではそれしか考えられない。

 その時、不可解な事態の理解に苦しむヒノキに、さらに追い討ちをかける出来事が起こった。

 

「すごーい、虹だあ!砂漠にも、虹ってかかるんだね!!」

 

 まだ幼さの残るはしゃいだ少女の声に、ヒノキはアセロラが応援に来たのかと思った。しかし、振り返った先に見た人影は、彼女のそれではなかった。

 

「・・・!?」

 

 陽炎に揺らめく、生まれたばかりのオアシス。

 その向こうに、奇妙な格好をした人間が立っている。それも、二人。

 

 ヒノキは思わずゴーグルを外して目をこすった。そして肉眼で再びそちらを見た時には、すでに人影は二つとも消えていた。

 

(蜃気楼・・・か?)

 

 それにしてもあまり釈然とはしなかったが、先に戻ったアナベルの様子が気がかりであった為、ヒノキは虹の砂漠を後にした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18.CODENAME:ANABEL(コードネーム アナベル)

【ここまでのあらすじ】
 ハイナ砂漠にてUBスラッシュことカミツルギと戦闘の末、その捕獲に成功したヒノキ。
 しかし、四体のうちの一体は命中したはずのウルトラボールに収まらずに姿を消し、さらに戦闘後には二人の不審な人影を目撃する。
 これらの謎の手がかりを見つけるべく、彼は再度エーテルパラダイスへと向かう。



 その夜、再びエーテルパラダイスのシークレットラボを訪れていたヒノキは、改めて片っ端から資料を漁っていた。しかし、いくら探してもUBを使う人間(トレーナー)の記述など見つからない。

 

(やっぱりない、か。)

 

 重みのある分厚いファイルをばたんと閉じ、ヒノキはため息をついた。

 ハイナ砂漠で見た、青と白の防護服のようなものを纏った身長差のある二人の人間。背の高い方はそれ以外は殆ど何も分からなかったが、低い方には赤みの強い茶色の三つ編みが見えた。

 それは本当に一瞬の光景で、もしも彼らの痕跡がこれだけであったなら、ヒノキも単なる蜃気楼として片付けていただろう。実際、砂漠の入り口で見張りをしていた警官達やアセロラに確認しても、絶対に誰も通していないという。だが。

 

──砂漠にも、虹ってかかるんだね!

 

 あの無邪気な少女の声までが幻聴だったとは、どうしても思えない。そして彼らこそ、ボールに収まらずに消えたスラッシュと何か関係があるような気がしてならないのだ。

 

 ヒノキがそこまで考えを巡らせた時、部屋の扉を控え目にノックする音が耳に届いた。

 

「あ、はい。どうぞ。」

 

 振り返ると、そこに立っていたのはアナベルだった。

 いつになく浮かない顔をしている。

 

「今日は本当にすみませんでした。非番の日に呼び出した上に、結局全てをあなたに任せてしまって・・・責任者失格です。」

 

「いいよ別に、そんなの謝らなくて。オレは気にしてないし、あんたが気にすることでもないさ。それより、身体はもう大丈夫なのか?」

 

「ええ。少し砂漠の暑さにやられてしまっただけですから。今はもうこの通り、何ともありません。心配して下さってありがとうございます。」

 

 そう言って、彼女は穏やかに微笑んでみせた。しかしその顔色から、あまり疲れが取れていないことは明らかだ。ヒノキがどう返事をしようか迷っていると、その雰囲気を察した彼女が先に口を開いた。

 

「調べ物の邪魔をしてごめんなさい。ビッケさんからあなたがここにいると聞いて、とにかく一言謝りたくて。でも、あまり無理はしないでくださいね。それでは。」

 

「あ、ああ。・・・」

 

 その時、彼女の背を見たヒノキの脳裏に不意にアセロラとクチナシの顔が過った。

 

「あ、あのさ!」

 

 とっさに出たその声に、アナベルは扉の前で足を止めて振り返った。

 

「・・・何か?」

 

 その問いにヒノキが答えるまで、少しの間があった。

 

「・・・いや、実はオレもそろそろ帰ろうと思ってたんだけどさ。まだ外に出るまでの道順に自信がなくて。」

 

 嘘だった。

 本当は、本当に聞きたかった質問が、いざその時になって出てこなかったのだ。

 

「そうですか。では、リザードンが飛び立てる場所までお送りしますね。」

 

 ヒノキのその言葉を疑う様子もなく、アナベルは快くその案内役をかって出た。

 

 

 ◇

 

 

 既に夜間灯に切り替わっている人気のない廊下を並んで歩きながら、ヒノキは何気ない口調でアナベルに話しかけた。

 

「それにしても驚いたよ。あんたが普段はここで暮らしてたなんてさ。」

 

 それは、昼間のアセロラの言葉をビッケに問い直して知った事実であった。詳しくは話せないが、縁あって彼女は国際警察に入職する数年前から、ここで生活をしているのだという。

 

「全ては代表のルザミーネ様のご厚意です。彼女が起こした一連の事件は決して許される事ではありませんが、本来はとても優しく、包容力に満ちた方です。」

 

 懐かしそうにそう語るアナベルの口調は穏やかで、彼女にとってルザミーネが今も大切な存在であることが、ヒノキにもよく分かった。

 

「だからこそ私は彼女と同じ過ちを犯す人間が現れないために、人々がUBに対して正しい知識と理解を持てるよう彼らの真実を追究したいのです。それが、私がルザミーネ様にできる一番の恩返しであるような気がして。」

 

 やがて二人は一階のエントランスを抜け、代表一家の屋敷へと続く庭へ出た。夜更けの空には、無数の星と真珠のような月が輝いている。

 

「さあ、ここから飛べますよ。もう遅いので、寄り道なんかせずに帰ってくださいね。」

 

「分かってるよ。そういうボスこそ、早く寝ろよ。」

 

「ありがとう。それではおやすみなさい。」

 

「ああ。また明日な。」

 

 そう言って、ヒノキはリザードンのボールを手にした。

 

 彼女はまだそこにいる。

 

「あ、あのさ!」

 

 不意にボールを握りしめたまま、ヒノキは振り返った。

 自分でも驚くほどこわばった声だった。それでも、今度はもう後に引くことはできなかった。

 

「昼間に、アセロラがあんたの事をリラって呼んでた気がするんだけど。気のせい・・・か、な。」

 

 そう言って尻すぼみに口ごもると、しばし沈黙が流れた。もはや彼女の顔を見ることもできない彼には、その瞳がどのように自分を捉えているのか、想像もつかなかった。

 

 が、その沈黙を破ったのは、予想外の笑顔と明るい声だった。

 

「最初の自己紹介の時に、ちゃんとお伝えしたじゃありませんか。私の名前はアナベルだと。きっと彼女は、近くにいた違う人の事をそう呼んだのでしょう。」

 

 その明るさが本物ではないことは明らかだった。

 しかしそれが彼女の出した答えである以上、ヒノキにはもう何も言う事が出来なかった。

 

 

 ◇

 

 

 オハナ牧場の自室に戻り、ベッドに横になっても、ヒノキはまだ先ほどのやり取りが引っかかって眠れなかった。

 

 どうして彼女は、あんなあからさまに嘘と分かるような否定の仕方をしたのだろう。いくら自身の正体について口外を禁じられているといえど、共に任務に当たっている自分に関しては、遅かれ早かれ知られる事だと考えた方が自然だ。まして、クチナシやアセロラからリラと呼ばれている事を思えば尚更である。

 別に、本名に触れられたくない事情があること自体は構わない。実際、アナベルというコードネームには、かつての彼女を知る人間の目から今の彼女を守る意味もあるとハンサムは言っていた。

 でも、それならそれで正直にそう言えば良い話だ。わざわざすぐばれるような形でごまかすというのは、どうも聡明な彼女らしくない。

 

(それとも)

 

 自分にはまだ、そういった事を正直に話せるほどの信用がないということなのだろうか。

 そう思うと、しみるように胸が痛んだ。

 

(とにかく明日、その辺りのことをちゃんと聞いてみよう。)

 

 気を取り直してベッドから起き上がると、ヒノキは例によって部屋の隅で眠っているスリープの口にカゴの実を挟んだ。むごむごと咀嚼する口元から顔中に歪みが広がった後、細い目が恨めしそうにヒノキを見た。

 

「悪いな。オレの夢食っていいからさ、今日も頼むよ。」

 

 そうして間もなく、彼は夢も見ずに深い眠りについた。

 

 

 ◇ ◇

 

 

「皆さん、ご協力ありがとうございました。後は、私の方でこの内容を文書にまとめて本部へと提出しておきますので。もう解散して頂いて大丈夫です。お疲れ様でした。」

 

 翌日の任務は、昨日のスラッシュに関する報告書の作成のための関係者聴取だった。17番道路の交番でアナベルの進行のもとに行われたその集まりに出席したのは、ヒノキ、クチナシ、アセロラ、ハンサムの四名である。

 

 一番最初に席を立ったのは、解散を指示したアナベルだった。もっとも、彼女にしてみればこれからの作業が本番なのだから、急いでいて当然だ。

 続いてアセロラも交番を出ていった。何でも、15番水道のエーテルハウスで子ども達と約束があるらしい。

 

 交番に残されたのは三人の男と、その三倍の数のニャースだった。

 

「ちょうど昼時だな。」

 

 ハンサムが腕時計を見ながら、聞こえよがしに呟いた。

 

「どうだろう、ヒノキくん。今日はもう任務も終わったことだし、スラッシュ保護の成功を祝して、どこかで昼食を取らないか?」

 

 確かに腹は減っている。が、ヒノキとしてはこの上なく都合の良いこの状況を逃すわけにはいかなかった。

 

「ああ、うん。でもその前に、お二人さんにちょっと聞きたいことがあるんだ。」

 

 その一言に、クチナシとハンサムが同時にヒノキを見た。そんな彼らに、ヒノキは改めて切り出した。

 

「その、あいつ・・・リラの事でさ。」

 

 その名に、ハンサムが眉根を寄せるのがはっきりと分かった。

 

「ヒノキくん。すまないが、今はまだその件に関しては──」

 

「おお。何でも答えてやるよ。お前がちゃんと仕事に手がつく範囲ならな。」

 

 ヒノキの申し出を断ろうとしたハンサムを、クチナシが遮った。

 

「おい、クチナシ・・・!」

 

「いいじゃねえか。こいつはもともとリラのことを知ってんだ。」

 

 それに、とクチナシは少し含み笑いを浮かべて、例によって重要な部分をボソリと付け加えた。

 

「こいつは夕べ、エーテルでリラに()()()()んだよ。」

 

「な、なんでそれ知ってんだよ!?」

 

「ム!ヒノキくん、それは一体どういう事だ!?」

 

「細けえ事は気にすんな。」

 

 それぞれに焦るヒノキとハンサムを、クチナシは落ち着き払って制した。

 

「今日はおれも夕方まではニャースの相手しかする事がねえんだ。ちょっと時間つぶさせてくれよ。メシなら出前でも取ってやるからよ。」

 

 

 ◇

 

 

「なるほど。フラれたというのはそういう訳か。」

 

 一通りヒノキから事情を聞いたハンサムが、ズルズルとホウエンラーメンをすすりながら相づちを打った。

 

「確かに彼女には、記憶が戻らない内は自分の正体について尋ねられても秘匿するようにとの指示がある。ただしそれは、あくまで一般の人間に対してのものだ。君のようにいずれ知られる可能性が高く、かつ信頼のおける人間に対しては、ことさら隠す必要はないと伝えてある。それでもそのように振る舞うというのはおそらく、彼女自身の気持ちの問題なのだろうな。」

 

「気持ちの問題?」

 

「うむ。彼女にはどうも、過去の自分に対して負い目を感じている節がある。おそらく、リラとしての記憶がない自分がリラであることに後ろめたさがあるのだろう。」

 

 その言葉にヒノキは複雑な思いを抱きつつも、どこかしっくりくるものを感じた。

 

「・・・そっか。」

 

 空になったどんぶり鉢と箸を目の前のローテーブルに置くと、それに向かって呟いた。

 

「じゃ、やっぱりオレはリラって呼ばない方がいいんだな。」

 

 その時、それまで黙って二人のやり取りを聞いていたクチナシが、おもむろに口を開いた。

 

「お前はそれでいいのかよ。」

 

「え?」

 

「迷うってことは、今の状態にわだかまりがあるってことだろ。それなのに、そういうのをないがしろにしちまって本当にいいのかって聞いてんだよ。」

 

 相変わらずの呟くような口調だったが、その言葉はヒノキの胸を大きく揺さぶった。

 

「だけど。リラがそう望んでるんなら、オレは──」

 

「本当に本気でそう思うなら、もう今後一切その名を口にするんじゃねえよ。」

 

 突き刺さるような一言だった。

 ヒノキは返す言葉が見つからず、ただクチナシを見つめることしか出来なかった。

 

「もういっぺん、ちゃんと整理して考えてみろ。」

 

 クチナシはソファーから腰を上げながら続けた。

 

「リラだろうがアナベルだろうが、決める以上はどっちにしろ覚悟は要るんだ。今までのどっちつかずが嫌なら、まずは自分の中でちゃんと答え出して、ハラくくることだな。」

 

 そしてクチナシは交番を出て、ニャース達に昼食をやりに行ってしまった。

 

 ハンサムが何か慰めのような言葉を口にしていたが、ヒノキは何も聞き取れなかった。

 ただ的確に今の自分の急所を突いてきたクチナシの言葉だけが、頭を占めていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

19.UB04:デンジュモク 青天の霹靂

【ここまでのあらすじ】
共に任務にあたり、アナベルとの距離が近づくにつれて、彼女との向き合い方に思い悩むヒノキ。
このままアナベルという他人として割り切るのか、それともかつての友人・リラとして向き直るのか。
記憶喪失という壁に本心を阻まれながらも、彼はクチナシに言われた「覚悟」について自問し続ける。



 

──もういっぺん、ちゃんと整理して考えてみろ。

 

 その夜も遅くまでクチナシの言葉を考えていたヒノキは、オハナ牧場の自室の机に突っ伏したまま、いつの間にか寝入ってしまっていた。

 数時間後、無意識に感じる腕や尻の痛みから目を覚ました彼が最初に見たものは、ブラインドを下ろし忘れた窓の向こうの、ぼんやりと赤みがかった空だった。

 

(やべ、もう夜明けか。)

 

 まだベッドで横になれる時間はあるだろうか。そんなことを思いながら手探りで携帯をつかみ、時間を確かめる。午前二時四十六分。午前二時四十六分?

 

 いくら何でも陽が昇るには早すぎる。何より、そもそもこの窓は確か西向きのはずだ。

 

(・・・?)

 

 ヒノキは寝ぼけ眼をこすり、改めてその方向を見た。そして間もなく、その明るさが朝日ではなく、巨大な炎によるものであることを知った。

 

(火事か!)

 

 任務用のPHSに着信は入っていない。が、念のためポケットに入れて窓からリザードンに飛び乗ると、火災現場の燃え盛るシェードジャングルへと急行した。

 

 

 ◇

 

 

 シェードジャングルの入り口にあるアーカラ第四ポケモンセンターは、人間とポケモンの両方の避難者や負傷者でごった返していた。

 

「あ!ヒノキさん、来てくれたんだ!」

 

 センターの職員に混じってポケモンや人間の看護を行っていた、緑の長い髪を二つに分けて結んだ少女がヒノキに声をかけた。アーカラ島のくさタイプ使いのキャプテン、マオ・マーロウだ。今燃えているシェードジャングルは、本来なら彼女が島めぐりの試練を行う場所である。

 

「おお、マオ。原因は何だ?野生ポケモンの火か?」

 

「ううん、それがまだ分からなくて・・・あ!ライチさん!ヒノキさんも今来てくれたよ!」

 

 マオがヒノキの肩越しに見える人物に声をかけ、その名を聞いたヒノキはぎくりと肩をすくめた。

 

「全く。どうしてあんたまで来てるんだい?まだビースト絡みと決まった訳じゃないから、誰も連絡はしてないはずだけど。」

 

 彼がおそるおそる振り向くと、そこにはアーカラ島のしまクイーン、ライチ・レイシィが怖い顔でヒノキを見つめて佇んでいた。

 

「たまたまだよ。なんとなく目が覚めたら宿の窓から火が見えたもんで、つい。」

 

 言い訳めいた口調で話すヒノキに、ライチは呆れたようにため息をついた。

 

「まったく、あんた達ってほんと仕事中毒だね。せっかくアタシが激務の身を気遣って朝まで連絡を待とうとしたってのに。」

 

「せっかくだけど、そういうのをローバシ・・あ、いや。それより、さっきから思ってたんだけど。あんた()()とか()とかって、まさかー」

 

 ライチは答える代わりに、ちょいちょいと親指でロビーの一角を指した。その先には、スーツの上着を脱ぎ、シャツの袖をまくって怪我をしたナゲツケサルの応急処置を行うアナベルの姿があった。

 

「なんでボスまでここに・・・」

 

 ヒノキは彼女の元へ駆け寄って尋ねた。というのも、彼女はこのところはモーテルではなく、エーテルパラダイスの自室へ帰っているはずだからだ。

 

「八番道路のエーテルベースから、シェードジャングルで原因不明の火災が発生したとの緊急連絡が入ったので。UBによる可能性がある以上、来ないわけにはいきませんから。」

 

 慣れた手つきで患部に包帯を巻きながら、彼女が答えた。どうやら、そのスキルもエーテルパラダイスで培ったものらしい。

 

「さあ、あんたも来た以上は手伝ってもらうよ。水タイプは消火班、炎に耐性のあるポケモンは救助班のヘルプだ。」

 

 ライチがパンパンと手を叩いて、ヒノキに声をかけた。彼女の話では、マオと同じくこの島のキャプテンであるスイレンとカキも、それぞれ消火と避難誘導に当たっているらしい。

 

「了解。」

 

 ヒノキは頷いた。

 それからライチの案内で現場に出動し、地元民や自分の手持ちのリザードン、ゲッコウガと共に、夜通し消火と救助活動に明け暮れた。

 そうして空が白み始め、本当の夜明けが訪れた頃に、ようやく火は鎮まったのだった。

 

 

 ◇ ◇

 

 

「あーあー。こりゃひでーな。」

 

 火事から一夜が明けた、その日の午後。

 すでに晴れ渡っている空とは対照的にまだ煙のくすぶる焼け野原を歩きながら、ヒノキが呟いた。

 

「本当に。人間・ポケモンとも重篤な負傷者や死者が出なかったのが、不幸中の幸いでしたね。」

 

 彼の隣を歩くアナベルはそう言って、煙のために軽く咳き込んだ。

 

「しかし、原因が雷というのは本当なのか?昨夜はこの辺りは発雷確率0%、聴き込みをしていても、誰もが雲一つない満天の星空だったというぞ。そんな空から雷など、まさに星天の霹靂だ。」

 

 二人の一歩後ろを歩いて訝しがるハンサムに、ヒノキは振り返って答えた。

 

「オレだってそう思うよ。だけど、()()は確かに雷だった。それが自然現象なのか、不自然現象なのかは別としてね。」

 

 

 話は、それから数時間前に遡る。

 

 

 ◇

 

 

 ジャングルの火が鎮火し、救助活動にも終わりの目処が立つと、ライチはアナベルとヒノキを早めに上がらせてくれた。ちょうどそこにハンサムが朝食の差し入れを持って駆けつけたので、三人はポケモンセンターのカフェスペースの一画で食事休憩を取ることにした。

 

「それで、原因はまだ分からないの?」

 

 房から一本外したトロピウス・バナナの皮を剥きながら、ヒノキがハンサムに尋ねた。

 

「うむ。何しろ場所が場所な上に、時間が時間だったからな。現在も聴き込みは続けているが、これといった情報はまだひとつもない。」

 

「そうでしょうね・・・この辺りは民家もほとんどありませんし、バックパッカーや旅行客にしても、さすがに深夜のジャングルを観光していた人はいないでしょうから。むしろ、あの時ジャングルにいたポケモン達の方が何か知っているかも知れませんね。」

 

 マトマ・スープのカップを両手で包むアナベルの何気ない一言に、バナナを頬張っていたヒノキが食い付いた。

 

「そーだ、それだ!何でポケモンには聴き込まないんだよ。どう考えても人間より見込みあるだろ。」

 

「いやいや。徹夜明けの君にはピンと来ないかもしれないが、そこには異種族間言語という名の断崖絶壁があってだな・・・」

 

「んなのロッククライム使えばいいじゃん。エリート刑事ならそれくらい余裕だろ?」

 

「ぐっ・・・!わ、わかった。君がそこまでいうのなら、一度、やって──」

 

──ヤレヤレ。

 

 それは確かに二人のやり取りを聞いていたアナベルの所感であった。が、その呟きの主は彼女ではなく、その後方のポケモンセンターのロビーからこちらを見ていた、一体のポケモンだった。

 

 白い長毛に覆われたヒトのような体躯に、羽織るようにまとったローブ風の紫の毛衣。右手にヤツデの葉でつくった団扇を構えて床にゆったりとあぐらをかき、やたらと風格がある。

 

「ム!なんだ、あの偉そうなポケモンは・・・?」

 

「シェードジャングルに生息する、ヤレユータンというポケモンですね。とても知能が高く、森の賢者とも呼ばれているそうです。」

 

 けしからんと言わんばかりに眉をひそめるハンサムに、アナベルが解説した。

 

「おお、丁度いいじゃん。昨日のこと何か知ってるか、聞いてみようぜ。」

 

 しかしヒノキが出向くよりも先に、なぜか当のヤレユータンの方が三人の席へと歩み寄ってきていた。

 

「なあ、ヤレユータン。ちょっと聞きたいんだけど・・・」

 

 ヒノキがそこまで言いかけたところで、ヤレユータンの長い指が、すっと食べかけのトロピウス・バナナを指した。

 

「ん?ああ、これが欲しいのか?」

 

 ヤレユータンが頷いたので、ヒノキは房からもう一本バナナを切り離して、ヤレユータンに手渡してやった。彼は眼力でその皮を剥いて美味しそうにバナナを食べると、おもむろに右手の人差し指をヒノキの額に当てた。

 

「なんだ?オレのデコに何か──」

 

 そこでヒノキは言葉をのんだ。

 闇夜のジャングルで、青白く発光する奇妙な黒い木に落ちる雷。そこからあっという間に周囲の草木に延焼し、成長する炎。

 半日前にヤレユータンが見たのであろうその光景が、ヒノキの脳内に鮮やかに再生されたのだ。

 

「雷だ。」

 

「え?」

 

 ヒノキの呟きに、ハンサムとアナベルが同時に聞き返した。

 

「ジャングルへ行こう。必ずあの落雷の痕跡があるはずだ。そこに、きっと何か手がかりもあると思う。」

 

 

 ◇

 

 

 一行は焼け残った植物の残骸の林を抜けると、やがて周囲が少し開けた場所に出た。

 

「!ここだ!ほら、あの地面の変な跡!」

 

 ヒノキがそう言って指差した先には、一際地面が色濃く焦げた場所があり、そこにはまるでコンセントの差し込み口を思わせる奇妙な溝が残っていた。

 

「おお、確かに妙な焼け跡があるな!」

 

 三人がその焼け跡に近づき、詳しく調べようとした時だった。

 一瞬の閃光が辺りを支配した後、耳をつんざくような雷鳴が轟き、軽く地面が揺れた。そして間もなく、三人のいる地点より更に奥から、ギャアギャアとポケモン達の不穏な悲鳴が響き渡ってきた。

 

「今のって・・・」

 

「奥の方からですね。行きましょう。ハンサムさんは戻って、念のためにキャプテン達としまクイーンのライチさんに連絡をお願いします!」

 

「わ、分かった!」

 

 散乱する植物の燃え殻にしょっちゅうつまずきながら、ハンサムはジャングルの入り口へと走っていった。

 そして残った二人は共にアナベルのボーマンダの背に乗り、まだ鬱蒼とした熱帯雨林の広がる、ジャングルの奥地へと向かった。

 

 

 ◇

 

 

 目指すべき場所はすぐに分かった。大きな炎はまだ見えないが、すでに白く太い煙が狼煙のように上がっている。そして、やはり空は青い。

 

「あそこですね。煙を吸わないよう気をつけて。」

 

 アナベルはヒノキにそう声をかけると、いったん風上に回ってから慎重にその場所へと降りた。

 

 そこは円形に開けた空間で、ちょうど先ほどヒノキ達が調査していた場所に酷似していた。

 ただ、その中央に周囲の植物とは明らかに異なる何かが生えているという一点を除いては。

 

「あれだ!!夕べヤレユータンが見た、雷の落ちた樹!」

 

「え?・・・!!」

 

 ヒノキの声に、アナベルもその樹木を見た。そして背筋に走った凶暴な気配に、一瞬にしてそれが樹木などではないことを悟った。  

 

「ヒノキ!このUBは私が相手をします!あなたはゲッコウガと周囲の消火にあたってください!」

 

 彼女がそう叫ぶと共に、空間の中央に生えていたその何かがグネグネと蠢き出し、地面から飛び上がって赤いオーラを噴き出した。

 

 

──ショオオオォッ!!

 

 

 二階建てほどの高さの、結束バンドで束ねられた電気ケーブルのおばけ。それが、その容姿に対するヒノキの率直な感想であった。

 胴体もなく、直接頭部から伸びるあれは手なのか足なのか根なのか、それさえ分からない。が、何にせよ、それがエーテルパラダイスの資料で見たライトニングというUBであることだけは疑いようがなかった。

 

「わかった。コウ!」

 

 ヒノキはボールからゲッコウガを放つと、言われた通り広場の周囲の消火に当たらせた。そして自分は向き直り、さらにひとつのボールを開いた。

 

「シル!!」

 

 シルヴァディ。

 UB対策の切り札としてエーテル財団が秘密裏に開発した、全ての属性になりうる可能性を秘めた人工ポケモン。UB保護任務に就いたヒノキが、最初にエーテルパラダイスを訪れた時にビッケに託されたものだ。

 

「そのポケモンは・・・!」

 

 アナベルは直接見たことはなかったが、噂には聞いていた。パラダイス地下の研究室で対UB用の生物兵器として二体のポケモンが開発され、そのうちの一体を代表の息子・グラジオが連れて家を飛び出したのだと。

 

「ああ。ウルトラボールに続く、財団の素晴らしい財産その二だ。シル!行くぜ。」

 

 ヒノキが彼の首の後ろの挿入口から土色のディスクをセットすると、頭部を覆う鎧兜からはみ出した立派なとさかが同じ色に変わった。

 

「マルチアタック!」

 

 大地のエネルギーをまとったシルヴァディの突進は、ライトニングの横っ腹ーそれが腹であればの話だがーに見事に直撃した。

 

「よし!・・・っと!」

 

 興奮したライトニングが、その長い腕を鞭のごとく振り回した。が、妙なことに、その矛先は攻撃したシルヴァディよりも背後にいたアナベルの方に向けられ、彼女のボーマンダがその盾となった。

 

(・・・?)

 

 そこで、ヒノキはふと気付いた。

 どうも、最初からライトニングはポケモンより彼女に反応しているように見える。かといって、消火活動をさせているゲッコウガになりきりでオーラをコピーさせて引き付けることもできない。

 

 ヒノキは必死に、一週間前にエーテルパラダイスで見た資料の記憶をたぐった。

 

(確か、電気を喰うとか書いてあったっけ。)

 

「シル!」

 

 ヒノキはシルヴァディを呼び寄せると、そのディスクを入れ替えた。すると、土色のとさかが今度は黄色く輝くと共に、身体の周りを軽く電気が弾けた。

 

「シル!けしかけて、あいつの気を引き付けるんだ!」

 

 電気をまといながら周囲を跳び回るシルヴァディに、ライトニングは確かに食指を動かせた。が、それは五本のうちの一本のみの追跡であり、支柱の一本以外の残り三本の腕は、依然として執拗にアナベルを追い回している。

 

「くっ・・!ボーマンダ、はかいこうせん!」

 

 彼女のボーマンダがはかいこうせんを放ったと同時に、ライトニングは腕から電気の粒子のシャワーが吹き出し、そのはかいこうせんを丸々電気エネルギーに換えて取り込んでしまった。そして、得たばかりのその強大なエネルギーを雷に変え、致命的な一撃としてボーマンダへと落とした。

 

「ボーマンダ、戻って!・・・あっ!!」

 

 アナベルの短い悲鳴が響いた。ヒノキがそちらを振り向くと、そのケーブルの束のようなライトニングの腕が、守る者のいなくなった彼女をついに捕らえたところであった。

 

「ボス!!」

 

 しゃあねえな、とヒノキは帽子のつばを引き上げた。力押しは好きではないが、もはやそんな事を言っている場合ではない。

 

「シル!交替だ!」

 

 ヒノキの指示に、シルヴァディがライトニングの方からこちらへ向かって戻ってきた。そのすれ違いざまに、相手の戦意を削ぐ『すてぜりふ』を残して。

 

「リー!久々に行くぜ!!」

 

 ヒノキはシルヴァディと入れ替えにリザードンを繰り出すと、シャツの胸ポケット越しに、そこにあるキーストーンに触れた。

 たちまち光を放ち始めたそれは、リザードンのもつメガストーンと反応し、青銅色の身体に深紅の翼を持つメガリザードンXへとメガシンカさせた。

 

「『ドラゴンクロー』!」

 

 爆発的な力を得たメガリザードンの爪が、アナベルを捕らえた腕をその半ばほどから一撃のもとに斬り落とした。

 切り口からは血の代わりに電気が迸り、骨の代わりに太い導線のようなものが覗いている。

 

「ボス!大丈夫か!?」

 

 ヒノキが身体が痺れて起き上がれない彼女に駆け寄ろうとした、その時だった。

 

「ヒノキ!こちらに来ては──!」

 

 いけない、と彼女が言い終わらない内に、不気味な長く太い影が頭上からヒノキの全身を捕らえた。

 

「!?」

 

 彼がはっと顔を上げた時にはすでに遅く、その黒い触手は自分に向かって落ちてくる最中であった。

 

「!やべ・・・」

 

 もはや腕で顔を庇う間もない、その瞬間。

 流星のごとく現れた何かが両者の間に割って入り、直後にすさまじい音と共にライトニングの腕が弾き返された。

 

「お前は・・・!」

 

 ヒノキは流れ星の正体を確かめた。

 そこには宝石の原石のような姿をした一体のポケモンが浮かんでおり、小さなかわいらしい姿に見合わない、強靭なリフレクターで彼を守っていた。

 

「やれやれ。」

 

 ヒノキが反射的に身をすくめてしまう、聞き覚えのある女性の声。それが、応援部隊の到着の合図だった。

 声の方を振り返ると、そこにはライチを先頭に、アーカラ島のキャプテンのマオ、カキ、スイレンの姿があった。

 

「メレシー、よくやった。スイレンは消火、マオはアナベルの介抱にあたって!カキ!」

 

 ライチのてきぱきとした指示に、青と緑の髪の二人の少女がそれぞれの方角へ走り、カキと呼ばれた半裸の色黒の青年が一歩前へ進み出た。

 

「はい。ガラガラ!」

 

 ほのおタイプの使い手であるカキが、ガラガラを繰り出した。

 それは、手にしたホネの両端に妖しい火の玉を宿した、ヒノキにはなじみのうすい姿──すなわち、アローラのすがたのガラガラであった。

 

「!おい!そいつはじめんタイプじゃないんだろ?あいつの電撃はー」

 

 ハンパじゃないぞと言おうとしたヒノキに、カキは自信ありげに白い歯を見せて笑った。

 

「大丈夫です。任せてください。」

 

 やがてライトニングも真っ向から突っ込んでくるカキのアローラガラガラに気付き、強烈なほうでんを放った。しかし、ガラガラは全く怖れる様子がない。それどころか、数万ボルトになろうかというほうでんを自らもろに浴びたのだ。

 

「そうか、『ひらいしん』か!」

 

 全く電撃の影響を受けることなく動き回るガラガラを見て、ヒノキも理解した。

 

「ええ。これでライトニングの電撃は無効化できるはずです。」

 

 一方のライトニングは放つ電気が悉くガラガラに吸い寄せられるにも関わらず、彼が全くの平気であることに混乱し、躍起になっているようであった。

 そうして電力を浪費し続ける内に、やがて限界が見え始めた。

 

「さあ、今のうちだよ。ここからはあんたたちの仕事だ。」

 

 ライチの言葉にヒノキははっと我に返り、急いでリザードンに指示を出した。

 

「リー!もう一度、ドラゴンクローだ!」

 

 まるで開口した竜のようなメガリザードンの三本の爪が今度はライトニングの足元の土をえぐり、その4メートル近い身体を宙へとすくい上げた。

 

「かーらーの・・」

 

 ヒノキが拳を握ってサインを送ると、その口から吹き出ているのと同じ青い炎がメガリザードンの全身を包み込んだ。

 

「フレアドライブ!!」

 

 すでに落下しつつあったライトニングを、巨大な青い火の玉となって飛び上がったメガリザードンが真下からさらに突き上げる。

 

「ガラガラ、頼むぜ!」

 

 ヒノキが振りかぶってガラガラへとウルトラボールを投げると、彼はバッターよろしく、手にしたホネでそれを宙空で炎上しているライトニングにヒットさせた。

 そして落ちてきたライトニング入りのウルトラボールをカキが無事キャッチしたところに、ゲッコウガと共に消火を終えたスイレン、そしてアナベルの痺れを癒していたマオが、彼女に肩を貸しながら戻ってきた。

 

「大丈夫?なんだか限界みたいに見えるけど。」

 

 もはや立っているのもぎりぎりという様子のアナベルを見て、ライチが眉をしかめた。

 

「うん・・・キュワワーのアロマセラピーで痺れは取れたと思うけど、ケガや疲労はそのままだから。早く、ちゃんと病院に行った方がー」

 

 心配そうにライチにそう告げるマオにアナベルは首を振り、彼女の肩から離れた。

 

「ありがとう。でも、心配には及びませんから。」

 

 そして、全員の方へ向き直った。呼吸を整えて笑顔を作るのに、少し時間がかかった。

 

「みなさん、助かりました。おかげで、こうして三種類目のUBを保護することができました。本当に──」

 

 ありがとうございました。

 おそらくはそう言おうとしたのだろう。

 しかしその先は言葉になることなく、膝を折って崩れるように倒れた彼女の胸に留まった。

 

「ちょっと、大丈夫!?」

 

「おいボス!しっかりしろ!!」

 

「とにかく、近くの休めるところへ運びな!医者はそこに呼べばいい!」

 

 そしてにわかに場の空気が慌ただしくなり、アナベルは自分の身体が誰かの手によって何かの背に乗せられ、どこかへ運ばれていくのを漠然と理解した。

 

──また、みんなに迷惑かけちゃうな。

 

 薄れゆく意識の中で彼女がなおも気にしていたのは、そんな事だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

20.Fall(フォール)

【ここまでのあらすじ】
 深夜のシェードジャングルで発生した、謎の森林火災。その原因は、UBライトニングことデンジュモクが引き起こした落雷であった。
 翌日の昼、再び姿を現したライトニングと対峙したヒノキ達は駆けつけたライチと三人のキャプテンの協力によってその捕獲に成功するが、戦いの後、ライトニングの標的となったアナベルが倒れてしまう。



 

 目を覚ましたアナベルが最初に見たものは、白い天井とそれを楕円形にふち取る、クリーム色のベッドカーテンであった。

 

(・・・?)

 

 ベッドから身体を起こしてそっとカーテンを開けると、すぐ隣にある応接スペースで、ヒノキとハンサムが椅子に跨がってテレビを見ている。

 

「おっ、気がついたか。具合はどうだ?」

 

 彼女が目を覚ましたことに気づいたヒノキが声をかけた。

 

「ここはどこですか?私は一体、どうなったのでしょう?確か、UBライトニングと戦って、シェードジャングルにいたはずですが・・・。」

 

「ここはそのシェードジャングルの入り口のアーカラ第四ポケモンセンターです。ボスはライトニングとの戦いの後、疲労から倒れられたのですよ。」

 

 戸惑うアナベルにハンサムが説明した。

 彼の奥に見える窓の向こうの水平線には、既に夕陽が沈みかけていた。

 

「・・・そう、でしたか・・・。」

 

 そう言って彼女がうつ向いて瞳を翳らせたのを見たヒノキは、急いで明るく言った。

 

「ま、でも医者も睡眠と栄養を取れば大丈夫だって言ってたし。とりあえず、晩メシ食いに行こうぜ。」

 

「そうだな。ボスもお腹が減っているでしょう。クチナシがカンタイシティ内のシーフードレストランを予約しているそうなので、今からみんなで参りましょうぞ。」

 

 しかし彼女は、二人のその誘いを断った。

 

「・・・すみません。私は今日はこのまま、モーテルに戻って休ませてもらってもよいでしょうか。」

 

「そうですか、わかりました。では、何か軽食でも買ってー」 

 

「いえ、まだ食欲もあまりないので。お気持ちだけで十分です。お二人こそお疲れでしょうから、しっかりと栄養をつけてきてくださいね。もう少しだけ休んだら、私も八番道路のモーテルへ向かいます。」

 

 穏やかな口調だったが、その言葉は頑なな意思をはらんでいた。

 

「モーテルでいいのか?休むんなら、エーテルの自分の部屋の方がいいんだろ。ボーマンダがまだ調子悪いんなら、送ってやるよ。」

 

 しかし、彼女はヒノキのその申し出にも首を横に振った。

 

「いえ。私が倒れて戻った事が知れたら、ビッケさんが大げさに心配してしまいますから。大したこともないのに、余計な気遣いはさせたくないので。」

 

 そう言って、少し微笑んだ。

 

「・・・そうか、分かった。でもまあ、ほんとに無理はすんなよ。」

 

「ええ。ありがとうございます。」

 

 そしてハンサムとヒノキは、もう少し休みたいと言った彼女を残して部屋を後にした。

 

「やはり、だいぶお疲れのようだな。」

 

 廊下を歩きながら、ハンサムが言った。

 

「そうだな・・・。」

 

 しかしヒノキはその相づちとは裏腹に、彼女に元気がない理由は他にもあるような気がした。

 

 

 

 

 カンタイシティにあるシーフードレストラン『オーヒア・レフア』の個室では、すでにクチナシが席に着いて待っていた。

 

「なんだ、お前らだけか。リラはどうした。」

 

 当たり前のようにその名を口にするクチナシに、ヒノキの胸は思い出したかのようにちくりと痛んだ。

 

「今日は食欲もないから、もう宿に戻って休むってさ。」

 

 彼にその事を悟られないように、ヒノキは努めて何気なく言った。

 

「ふん。ならもっとしけた店にすりゃよかったな。」

 

「ひっで。オレだって、これでもアローラの平和のために日夜命がけなんだけど。」

 

 そして料理を待つ間に、ヒノキは先刻のライトニングとの戦いの一分始終を二人に話した。

 

「それにしても」

 

 話し終えたヒノキが、お通しのゆでマメをつまみながら呟いた。

 

「何なんだろうな、あいつへのあの過剰反応は。思い返せば、最初のパラサイトやこないだのスラッシュの時もそんな感じだった気がするし。ビーストは若い女に興奮するとか、そういうタチなのかな?」

 

 いやでもそれならライチのねーさんはともかくマオやスイレンにも反応するか、とヒノキがぶつぶつ言っている前で、クチナシとハンサムがひそかに目を合わせた。

 

「そりゃあ」

 

 一呼吸置いて、クチナシが答えた。

 

「あいつが『フォール』だからさ。」

 

「フォール・・・?なんだそりゃ。」

 

「簡単に言えば、UBを引き寄せる体質の人間のことだ。まるで、UBに対し『このゆびとまれ』をしているかのようにな。」

 

 ハンサムがおしぼりで手を拭きながら、簡単に説明した。

 

「そんな体質があるのかよ。先天的なやつか?」

 

 ヒノキの言葉に、ハンサムの手の動きが不意に止まった。

 

「詳しいことは、まだよく分かっていない。」

 

 それは、真実ではなかった。

 しかしヒノキは、その事に気づかない。

 

「ふーん・・。それで、あいつ自身はその事知ってんの?つーか、そんな奴をビーストと直接関わるような任務に就かせていいのかよ?」

 

 ハンサムは視線をヒノキの目から下げながら、やや険しい表情で言った。

 

「彼女自身は、自分がそのような体質であることはまだ知らない。しかし、国際警察はその事を知った上で、彼女をUB対策本部に任命した。」

 

 その言葉に、ヒノキのマメをつまむ手が止まった。

 

「・・・どういうことだよ、それ。」

 

「撒き餌だ。」

 

 クチナシが入ってきた。

 

「利用してんだよ。リラのフォールとしての体質を、バケモンどもをおびき寄せるエサとしてな。まったく、国際警察もロクなもんじゃねえ。」

 

 一瞬、ヒノキの胸に国際警察に対する激しい憤りが渦巻いた。しかし、それがまさにライトニングとの戦いで自分がシルヴァディにさせたのと同じ事だと気付くと、何も言えなくなってしまった。

 

「その見方は半分は正しいが半分は誤りだ。彼女がこの任務に就いたのは、自らの意志だ。」

 

 ハンサムはそう反論したが、彼自身もまた、その事に完全に納得している訳ではないようだった。

 

「にしたって、本当に真っ当な組織だったらそんな志願は許可しねえだろ。あの上層部の連中のことだ、むしろ需要と供給が一致して喜んだくらいだろうよ。」

 

 そう言ってクチナシがぐいとあおるようにグラスの水を飲み干した時、店員が料理を運んできたために話は中座した。

 

「お待たせしましたぁ!こちら、バクガメスの甲羅からとった出汁で煮込んだ、当店自慢のバクガメスープカレーになります。」

 

「あ、オレです。」

 

 ヒノキが手を上げると、独特の形をした土色の鉢が目の前に置かれた。中では、メニューの写真以上に赤みの強いカレーがまだぐつぐつと音を立てている。まるで、火山の火口付近からマグマが煮えたぎるのを見ているようだ。

 

 店員がそれぞれの席にそれぞれの注文の品を置いて行ってしまうと、ヒノキは話を再開しようとした。が、一口すすったカレーのあまりの辛さに、言おうとした事を忘れてむせ込んでしまった。

 

「かっら。」

 

 涙目でゆっくりと水を口に含む内に、彼はあることに気付いた。

 

「ここ、シーフードレストランだよな?バクガメスってたしかー」

 

「細けえ事は気にすんな。」

 

 自分の頼んだヤドンのしっぽのみそ煮込みに取りかかりながら、クチナシが簡単に答えた。

 

 

 

 

「おっちゃん、ごちそうさま。おかげでだいぶましになったし、そろそろ行くよ。」

 

 カウンターの向こう側で洗い物をしているマスターへそう声をかけると、ヒノキは床に据え付けられた丸椅子から立ち上がった。

 

「それはよかった。ちなみに、あのバクガメスープカレーは別名アーカラカレーとも呼ばれてるって、知ってたかい?」

 

「いんや、知らない。なんで?」

 

「食べたら誰でも、『ああ、から!』って言っちゃうからさ。」

 

「んだよそれ、しょーもねえ。ちなみにオレは言ってないからな。」

 

「はっはっは。でも、これでばっちり舌も冷えただろう?」

 

 レストランでの食事後、クチナシ達と別れたヒノキは、一人カンタイシティにあるポケモンセンター内のカフェを訪れていた。バクガメスープカレーによる口のマヒなおしには、カフェの裏メニューであるアマカジミルクが効くらしいとハンサムに教えてもらったからだ。

 会計を済ませて店を出ようとしたヒノキの目に、ふとレジ下のショーウインドーのカラフルなフルーツサンドイッチが目に止まった。

 

──あいつ、何か食ったかな。

 

 いくら食欲がないといっても、病み上がりの身体で何も食べないのも良くないだろう。

 

「おっちゃんごめん、やっぱこのサンドイッチもテイクアウトで用意してもらっていい?あと、パイルジュースもひとつ。」

 

 もし本当に食べられなければ、手持ちのカビゴンにでもやればいい。

 

「ああ、かまわないよ。夜食かい?」

 

「オレのじゃないけどね。」

 

 そしてヒノキは彼女のためのその夜食を携え、八番道路のモーテルへと飛んだ。

 

 

 

 

 モーテルに着いたヒノキは、彼女の名義で三ヶ月丸々借りきっている二番目の部屋の扉を控え目にノックした。しかし、中からの反応はない。

 

(ほんとに寝たのかな?)

 

 再び、今度は少し強めにノックしてみた。が、やはり扉の向こうは静まり返ったままだ。

 

(ドアにかけとくか?いやでもサンドイッチだしな。)

 

 すぐに食べないのなら冷蔵庫に入れて置いた方がいい。かといって、彼女の任務用ーすなわち緊急用PHSにかけて起こすのも、自身のライチュウのねんりきで鍵を開けて中の冷蔵庫に入れに行くのもためらわれる。

 どうしたものかと扉の前でヒノキが思案していると、右の方から声が飛んできた。

 

「あの。そちらのお客さんでしたら、まだお戻りじゃないですよ。」

 

 声の主は、フロントから身を乗り出した受付の中年女性だった。

 

「本当に?三時間くらい前に、疲れたからここに戻って休むって言ってたんだけど。まだ一度も戻ってないの?」

 

「ええ。カギもずっとここにありますから。ほら。」

 

 彼女が振りかざす目の前の部屋の鍵を見るやいなや、ヒノキは携帯を取り出し、30メートル先のアーカラ第四ポケモンセンターへ問い合わせた。

 

「あの、すいません。今日、人間用の救護室を使わせてもらった国際警察の者の連れなんですけど。まだそっちで休ませてもらってるんですかね?」

 

 電話番はヒノキ達がいた時と同じ職員であるらしく、それだけで事情を察してくれた。

 

「ああ、紫の長い髪の女性の方ですね。あの方なら、皆さんが出られた30分ほど後に帰られましたよ。」

 

「・・・なるほど。分かりました、ありがとうございます。」

 

 電話を切ったヒノキは、彼女の行きそうな場所について、頭をフル回転させた。

 別れる前のやり取りから考えて、エーテルパラダイスに戻った可能性はないだろう。しかし、ひとりで食事に行ったというのもピンと来ない。こういう時はー。

 

「ロトム!アローラ!!」

 

 ヒノキが背中のリュックでスリープしていた図鑑(ロトム)にそう呼びかけ、起動を促すと、たちまち赤いボディが元気よく飛び出してきた。

 

「ヒノキ、アローラ!ご用件は何だロか?」

 

「ボスのピッチのGPSから、現在地を割り出してくれ。」

 

「おやすいご用ロト!」

 

 最新モデルだけあって、ロトム図鑑にはポケモン図鑑以外にも様々な機能が搭載されており、このGPS機能もそのうちのひとつだ。

 そうしてロトムが示した検索結果に従い、ヒノキはポニ島へと向かった。

 

 

 

 

 アローラ第四の島、ポニ島。

 その面積の実に95%が未開地であるという事実が示す通り、アローラ随一の野生ポケモンの楽園である。特に島の中央に広がる荒野は、好戦的でレベルの高いポケモン達の棲みかであることから、古くから腕に自信のあるアローラトレーナー達の修行の場として知られている。

 そんな「ポニのこうや」で、この夜もまた、四体の野生ポケモンが一人のトレーナーとそのポケモンを月明かりの下に囲んでいた。

 

 最初に突っ込んできたのは、正面のケンタロスであった。

 

『ゴーストダイブ!』

 

 アナベルのその指示に、ムウマージは自身の影へと潜んだ。勢い余ったケンタロスは、そのままムウマージの背後にいたオコリザルへ、全力の『しねんのずつき』を叩き込んでしまった。

 

『ムギー!!!!』

 

 正面からの不意打ちに吹っ飛ばされたオコリザルは怒り狂った。それも、あたりどころが悪かったらしく、とくせいの『いかりのつぼ』が発動したらしい。猛然とケンタロスへ飛びかかると、極限まで高まった攻撃力での『クロスチョップ』によって、自分の倍以上の重さをもつ暴れ牛を一撃の元に葬り去った。しかし、その怒りはまだ収まらない。

 

「ムウマージ!『おどろかす』!」

 

 その指示と共に、ムウマージがオコリザルの影から現れ、背後からユーモラスな鳴き声と妖しい光の不意打ちを食らわせた。

 文字通り驚いたオコリザルは、怒り心頭で次のターゲットをムウマージに定めた。

 

「しっかり引き付けて!もう一度『ゴーストダイブ』!」

 

 ムウマージが再びラッタの前で自身の影へと消えた。

 すると、まるで先ほどのケンタロスのように勢い余ったオコリザルはラッタへ『げきりん』を食らわせてしまった。

 

(これで、二匹。)

 

 オコリザルは反撃の余裕もなく倒れたラッタの前で跳びはねながら勝利の雄叫びをあげていた。が、その隙だらけの背中を、空中の静観者は見逃さなかった。

 

『フギッ・・・!?』

 

 見えない空気の刃が、一瞬のうちにオコリザルを仕留めた。バルジーナの放った『エアスラッシュ』が急所に決まったのだ。

 

 やがて、バルジーナが気絶したオコリザルを連れ去ろうと降下してきた。

 それが、この戦闘の最後のターンだった。

 

『マジカルシャイン!』

 

 倒れているオコリザルの影から現れたムウマージが呪文を唱えると、バルジーナの周りで無数の不思議な光が弾けた。全ての光が弾けてしまうと、その大きな翼の持ち主は無言のまま力なく地上に落ち、動かなくなった。

 

 やがて戻ってきたムウマージが、魔法使いの帽子のような頭をアナベルに傾けてきた。大好きな主人に、がんばりを褒めてもらうためだ。

 

「ありがとう、ムウマージ。お疲れさまでした。さあ、戻って。」

 

 わずかながら周囲の空間と感触の違うその気体を撫でてやった後、アナベルはムウマージをボールに戻した。

 

──ふぅ。

 

 額の汗を拭い、一息つくように彼女がため息をついたその時だった。

 

「よお。今日はもう休むんじゃなかったのか。」

 

 背後からの声に、アナベルの肩がびくりと揺れた。

 

「・・・もう、良くなったので。」

 

 背を向けたまま答えた彼女に、今度はヒノキが鼻でため息をついた。

 休んでもいないのにか、と呟く代わりに。

 

「別に鍛えるのがムダだとは言わねえけどさ」

 

 よっこらせと近くの岩に腰かけながら、彼は続けた。

 

「それだけじゃ望む成果は得られないと思うぜ、オレは。」

 

 少しの沈黙があり、その後に彼女が口を開いた。

 

「・・・前回のスラッシュの時も、今回のライトニングも。私は捕獲はおろか、自分の身を守ることさえままならなかった。」

 

 その言葉には歪な抑揚があり、ところどころ震えていた。

 

「自分の無力さが悔しくて、不甲斐なさが情けない。」

 

 絞り出すような一言だった。

 

 

──やっぱり、あいつだ。

 

 何度も短く鼻をすすりながら目を拭うその後ろ姿に、ヒノキは「彼女」を思わずにはいられなかった。

 真面目で、責任感が強くて、そのために他人を頼るのが下手で。

 いつも自分の背丈よりずっと高い壁を一人で必死に越えようとしていた。そして、今も。

 

「前にさ」

 

 ヒノキは静かに口を開いた。

 

「オレの最初の相棒だったユンゲラーを預けた友達がいるって言ったじゃん。そいつが昔、オレに言った事で、今でも忘れられない言葉があるんだ。言葉っていうか、質問かな。何だか分かるか?」

 

「・・・?」

 

 そこでアナベルはようやく振り返り、なおも涙の溜まっている目の端に指をやりながら、首を振った。

 

「『きみは何のために戦うんだ?』って。すげーこと聞くだろ?当時8歳の子どもがさ。」

 

 ヒノキは少し笑ってから続けた。

 

「その時はまあオレもガキだったし、フツーに楽しいからみたいな感じで答えたんだけど。でも、今の何でも屋の仕事をするようになってからは、答えのない戦いみたいなのが多くなってさ。進むべき道を見失いそうになる事が結構あるんだけど、そんな時にいつもこの言葉がめざましビンタになってくれるんだよ。」

 

「何の、ために・・・。」

 

 アナベルがそう呟くと、ヒノキは頷いた。

 

「周りに迷惑かけたくないとか、自分は責任者だからとかっていうあんたの気持ちも分かる。だけど、今回の戦いの目的はあんたが強くなることじゃなくて、ビースト達の保護だろ?」

 

 それは、今の彼女には紛れもない急所だった。波立つ心をぐっと抑えて、アナベルは認めた。

 

「・・・はい。」

 

「一対一の勝負なら、確かに自分の実力が全てだ。でも、今回はそうじゃない。それぞれの強みを持ったキャプテンや島ボスや守り神達が味方なんだ。自分一人でできないなら、誰かを巻き込んで手伝ってもらえばいいんだよ。」

 

「誰かを巻き込んで・・・。」

 

 その言葉で、アナベルはカプ・コケコを始めとするメレメレ島のポケモン達の力を借りて保護に成功したビューティー戦を思い出した。

 

「そ。とはいえ、それをするにも他人を頼るのが下手なあんたにはやっぱり訓練が必要だ。そしてオレはそんなあんたにぴったりの訓練方法(メニュー)を知っている。気になるだろ?」

 

 迷いもわだかまりも捨てて、アナベルは素直に頷いた。

 

「それはだな」

 

 ヒノキはもったいぶるように言葉を切ってから、ゆっくりと言った。

 

「『四つの島を巡って、周りの人間やポケモン達と助け合いながら、自分の限界を超えていく』。」

 

 その言葉に、彼女は目を見開いた。

 

「それって・・・」

 

「そう、いわゆる島めぐりだ。もっとも、ハンコはもらえないけどな。あ、ちなみにライバルはオレだから、よろしく。」

 

「あなたが・・・?」

 

「ああ。実はオレもアローラに来た次の日に、ククイ博士に言われたんだ。誰かの力を借りることは決して弱さじゃないって。多分、そういう言葉が必要なように見えたんだろうな。」

 

 そう言って、ヒノキはにっと笑った。

 

「つまりこの任務は、実はオレたちの23歳の島めぐりなんだよ。」

 

 彼女に言葉はなかった。

 しかし、まるで夜が明けるように少しずつ明るくなっていく表情が、その答えだった。

 

「そうと決まれば、だ。」

 

 そう言ってヒノキは座っていた岩から飛び降りると、提げていたカフェの袋を手渡した。

 

「腹が減っては試練はできないからな。これ、オレが夜食に食おうと思って買ったけど、やっぱ太るからあんたにやるよ。まだ食欲がないんなら、カビゴンにでもやってくれたらいいさ。」

 

 しかし袋の中を見たアナベルは、すぐにそれが(てれかくし)だと察した。

 今朝の食事の席で、自分が酸味の後に来る辛味が好きだと言ったパイルジュース。ヒノキはそれを苦手だと言っていた。

 

「・・・いえ、あの子は最近少し食べ過ぎなので。これは私が頂きます。ありがとう。」

 

「なんだそりゃ。カビゴンに食い過ぎない時があるのかよ。」

 

 そう言ってヒノキが笑うと、彼女も笑った。

 その顔に、もう涙は見えなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

21.UB04:デンジュモク2 メモリアルヒルの誓い

【ここまでのあらすじ】
 シェードジャングルでのライトニングとの戦闘後、ハンサム達からアナベルがFall(フォール)という特殊体質のためにUB達の標的となっていたことを聞かされたヒノキ。
 一方、その事は知らずに自分の力不足に責任を感じていたアナベルは、病み上がりの身体を押して一人ポニの荒野で特訓をしていた。
 記憶を失っても変わらない彼女のそんな一面を目にしたヒノキは、今回のUB保護任務を自分達の島めぐりと捉え、一人で抱え込まずに島の人々やポケモン達の力を借りながら乗り越えていくことを提案したのだった。





 

「あ、もしもし、マオ?悪いんだけど、ちょっと約束の時間を過ぎそうなんだ。お客さんにも伝えといてもらえる?」

 

 その日、アーカラ島のしまクイーンであるライチ・レイシィは、出先からコニコシティの自宅への帰路を急いでいた。

 同じ島の三人のキャプテン達とともに、UB対策の助っ人としてアローラにやって来たカントーレジェンドとの顔合わせの時間が迫っていたからだ。

 

(やばい、十五分も過ぎた。)

 

 アローラの人間はやはり時間にルーズだと思われてしまっただろうか。

 急いで階段を上り、応接間のドアのノブに手をかけた彼女は、中から聞こえてきた言葉に耳を疑った。

 

「言っとくけど、オレのライチのかわいさはマジで異常だからな。」

 

(!?)

 

 それは若い男の声であったが、キャプテンのカキではない。おそらく、例のカントーレジェンドだろう。

 思わずドアノブから手を離して扉の前で戸惑う彼女に構わず、彼はなおも続けた。

 

「戦ってるとことか食ってるとこも最高なんだけどさ、やっぱ一番は寝顔だな。もう何回天使と見間違えたことか。」

 

(!!?)

 

 しかし、彼女自身には彼とそのような交流をもった記憶はない。というか、そもそも誰ともそのような交流を持った記憶がない。

 しばしの間、激しい混乱に見舞われたが、それでも彼女はひとつの結論を導きだした。

 すなわち、『色々と不思議な点はあるが、とにかく自分にはカントーレジェンドの彼氏がいたのだ』という摩訶不思議な結論を。

 

 その時、ドアの向こうから再び彼の声がした。

 

「そうだ。なんなら今、紹介してやるよ。おい、恥ずかしがらずにちゃんとみんなにあいさつしろよ?ほら、こいつがオレのー」

 

 もはや結論の出た彼女に迷いはなかった。

 その絶妙のタイミングを見計らってドアを開け放つと、頬を赤らめつつも言われた通り、堂々と名乗った。

 

 

「か、かわいいライチですっ!!」

 

 

 しん・・と静まり返った部屋の中で彼女が見たもの。

 それはソファーに座る三人のキャプテンと一人のレジェンド、そして彼の膝の上に収まる一匹の「ライチュウ」であった。

 

 

 

◇ ◇

 

 

 

「・・・それが、あなたがライチさんに気を遣っている理由ですか?」

 

 思わずヤサイ定食のコロッケを箸で割る手を止めて、アナベルが目を丸くした。

 

「そーだよ。わりとマジでしょーもねえだろ?」

 

 皿に残った目玉焼きの黄身をパスタで残さず絡めとりながら、向かいに座るヒノキが答える。

 

 アーカラ島、コニコシティのアイナ食堂。

 明日の夕方に出現が予測される二体目のライトニングの対策会議の後、キャプテンのマオの実家でもあるこの店で、ヒノキ達は夕食をとっていた。

 もちろんライチはこの席にいない。メレメレ島のハラ宅で行われるしまキング・クイーン会議に行ってしまったのだ。

 

「まったく。おかげであの後ねーさんにはZ技で殺されかけるし、『ライち』は『ライ』に改名を余儀なくされるしさ。いい迷惑にもほどがあるっての。」

 

 ヒノキのその言葉に、彼の斜向かいでサカナ定食のフライをつついていたスイレンがくすくすと笑った。

 

「おい、スイレン。だいたいお前があの時笑いをこらえてりゃ、かろうじて場の空気とねーさんの名誉は保たれてたんだよ。一番『しめりけ』っぽいお前が最初に自爆してどうすんだ。もうそのカチューシャ外してきあいのハチマキ巻いとけよ。」

 

 ヒノキは決して忘れない。

 誰もが身体と顔をこわばらせて必死に耐えていた中で、彼女一人が身体をくの字に折り曲げていたことを。

 あの、絶対に笑ってはいけない時間と空間の中で、彼女の「ぷっ」が全員の全ての努力を無に帰したことを。

 

 しかし、当のスイレンは特に悪びれた様子もなく、朗らかな笑顔で落ち着き払って言った。

 

「いえ。確かに最初に笑ったのはわたしですが、その前にカキが不自然な咳払いをしました。」

 

 彼女のその言葉に、ヒノキの隣で彼と同じニク定食を食べていたカキがむせこんだ。

 

「そ、それはっ!マオが、何度も、ちらちらとオレの方に目配せをしてきたからであってっ・・・!」

 

「ちょっとカキ!それじゃまるでわたしが悪いみたいじゃん!」

 

 そこに、ちょうど厨房から戻ってきたマオが会話に加わった。

 

「分かった分かった、じゃお前らの連帯責任ってことにしといてやるから。つーかマオ、そういうアレの処理は裏でやってくれないか?オレら飯食ってるんだけど。」

 

 彼女が自席に運んできた自作のスペシャル定食に眉をひそめながら、ヒノキが言った。

 

「ひっどい、それどういう意味!?ねえ、アナベルさんは誰が悪いと思う?」

 

「そうですね・・・」

 

 マオに聞かれたアナベルはうーん、と少し考えた後、向かいのヒノキを見て言った。

 

「まあでも、会う相手の名前は予め分かっていたはずですし。結局はやはり、ライチさんの家でライチュウの話をしたあなたの自業自得という事になるのではないのでしょうか。」

 

 その意見に、三人のキャプテンがそろって何度もうんうんと頷く。

 

「いやいや、だからそこはあくまでライチつながりからの自然な会話の流れだっただろ!っておい、スイレン!笑ってるけど、だいたいお前がだな──!」

 

 

 結局、誰もが自分の非を認めなかった為に、この件はライチに彼氏がいないことがそもそもの非であるということで落ち着いたのだった。

 

 

 

 

 食後、キャプテン達と別れたヒノキとアナベルは、コニコシティを抜け、メモリアルヒルへと向かっていた。

 明日の夕刻にライトニングの出現が予想されるその場所を、少し見ておきたいとアナベルが言ったためだ。

 

(まったく、どこまで真面目なんだか。)

 

 仕事の一環といえ、平然と夜の墓地を行く彼女に、ヒノキは内心で舌を巻きながらその後ろに従った。

 アナベルのフーディンが予知したライトニングの出現ポイントは、墓地を抜けた先の、いのちの遺跡に至るまでの間の島はずれの草地である。

 

「やっぱ夜はなかなかに雰囲気あるよな・・・って!?!」

 

 辺りを見回しながら歩いていたヒノキは、突然脇道へ引っ張り込まれ、心臓の縮む思いがした。が、彼の腕を引いたのは別に幽霊の類ではなく、先を歩いていたアナベルであった。

 

「あ、あのな!いくら怖くなったからって、さすがに夜の墓場でそれは──!」

 

 ないだろうと言おうとしたヒノキを制して、アナベルは墓石の影からそっと前方を指した。その指の先に見えたのは、意外すぎる二人の人物だった。

 

「あれって・・ライチのねーさんと、ハンサムのおっちゃん・・・?」

 

 そこにいたのは、紛れもなくメレメレ島での首長会議に行ったはずのライチと、彼らのチームの一員であるハンサムことNo.836その人であった。

 二人は隠れているヒノキとアナベルに背を向けるようにして、ある小さな墓の前で話をしていた。

 

「あれからもう十年か。早いもんだね。」

 

「早かった気もするし、まだ十年という気もする。時の流れとは不思議なものだ。」

 

 墓石を見ながら呟いたライチに、ハンサムがしみじみとした口調で答えた。

 

「・・・まだ、ポケモンを持つのは怖い?」 

 

 ライチがためらいがちに尋ねた。

 

「出来ることなら、またトレーナーになりたいという思いは常にある。あの二人と共に任務にあたるようになってからは特にな。自分にもあんな風に心を通わせて共に生きられる相棒がいたら、どんなに素晴らしいだろうと。何度か捕獲を試みたこともあるよ。」

 

 突然出た自分達の話題に、隠れていた二人はぎくりとした。が、ハンサムが彼らに気付いている様子はない。

 

「だが、ダメなんだ。いざモンスターボールを投げようとすると、耳元で必ず声が聞こえてくるんだ。『お前はまた不幸な命を作り出すつもりなのか?』と。そして、こいつの最期がよぎって、後はもう全く動けなくなるんだ。」

 

「・・・苦しいね。」

 

 そう言ったライチ自身が苦しそうだった。

 

「なに、当然の報いさ。本来なら、死ぬのは私だったのだからな。それを、ひとつのポケモンの命と引き換えに生き長らえたんだ。きっと、命の守り神はまだお怒りなのだろう。これは、私に課せられた罰なのだよ。」

 

 そう言ってハンサムは少し笑った。明らかに自嘲と分かる笑い方だった。

 

「・・・明日はあたしとそのテテフがここを守るし、UBはおたくの二人とうちのスイレンがきっとうまく相手してくれるから。大丈夫だよ。」

 

 少しの間の後、ライチがそう言った。おそらく、他に言うべき言葉が分からなかったのだろう。

 

「もちろん。明日のことは何も心配はしていないさ。」

 

 そして二人は、最後までヒノキ達に気付くことなく墓地を後にした。

 

 二人の会話が何を意味するのかは、ヒノキには見当もつかなかった。分かったのは、彼らにもまた自分の知らない過去がある、という事だけだった。

 

 

◇ ◇

 

 

 翌日は朝から厚い灰色の雲がアーカラ島の上空を覆い、一日を通して比較的強い雨が降り注いでいた。

 もっとも、島の半分が熱帯・亜熱帯に属するアーカラ島では、雨はそう珍しくない。そうでなければ、シェードジャングルというあの広大な熱帯雨林が形成されることはなかっただろう。

 

「それじゃ、昨日決めた通りマオはコニコシティ、カキはディグダトンネル付近の警戒。あたしはカプ・テテフと墓地と遺跡の守衛にあたるから、ビーストはヒノキ、アナベル、スイレンの三人で頼んだよ。何かあったら、無理しないで必ずあたしに連絡すること。いいね?」

 

「「はい!!」」

 

 ライチの言葉に、全員が声を揃えて答えた。

 それが、今回の任務開始の合図だった。

 

「それじゃあスイレン、気をつけてね。アナベルさんも絶対無理はしないでね!」

 

 それぞれがそれぞれの持ち場に向かってライチの家を後にする中で、マオが現地へ赴く二人に声をかけた。

 

「ええ。もちろんです。」

 

「ありがとう、マオ。それじゃあ、行ってくるね!」

 

「いやいや、ちょっとまて。おいマオ、オレにはなんかコメントないのかよ。」

 

 一人だけ激励の言葉をもらえなかったヒノキがマオに催促すると、とたんに彼女は口をへの字に曲げ、彼に向かってぶつけるように言い放った。

 

「マオスペシャルはたべのこしじゃないもん!!」

 

 そして、街の中心へ向かって走って行ってしまった。

 

「・・・どうもオレはこの島の女と相性が悪いな。」

 

 ヒノキのぼやきに、スイレンが愉しそうにくっくっと笑う。

 

「悪いのは彼女達との相性というより、あなたの口ですよ。さあ、行きましょう。時間が迫っていますよ。」

 

 そうアナベルに促され、大粒の雨が降りしきる中、ヒノキ達は戦いの地へと向かった。

 

 

 

 

 フーディンが予知したライトニングの出現時刻は、17時きっかりである。現在時刻は16時55分。

 

「では、最終確認です。ライトニングが現れるのは、おそらくあの海側の草地の辺り。ヒノキは先鋒を、スイレンは後方で彼の合図を待ってサポートをお願いしますね。」

 

 アナベルが二人に向かって、再度作戦の流れをさらった。

 

「了解。」

 

「よろしくお願いします!」

 

 そうこうする内に、その時が訪れた。

 落雷のような大音響が辺りに響くと共に、前方の上空が割れ、その裂け目からまるで転送されてきたかのようにUBライトニングが降ってきた。

 そして目の前の三人を確認した上で、やはりまっすぐにアナベルを狙ってきた。

 

「コウ!」

 

 彼女に向かって鞭のように飛んできたケーブル状の太い腕をめがけて、ヒノキのゲッコウガが飛び出した。

 

「『たたみがえし』だ!」

 

 足元の地面を畳に見立てて引き剥がして築いた盾は、ライトニングのパワーウィップに砕かれた。が、ゲッコウガとアナベルには傷ひとつない。

 

 やがて、彼女を阻むゲッコウガに標的をシフトしたライトニングが、触手の一本を天に向かって伸ばし、彼に向かって最初の雷を落とした。

 しかし、本来なら致命傷であるはずのその強力な電撃は、ゲッコウガにダメージを与えるどころか、その手に構えた水の手裏剣をさらに大きく、鋭く変えた。

 

『!?』

 

 予想外の展開に戸惑ったライトニングが生んだ隙を、ヒノキは見逃さなかった。

 

「コウ!今だ!」

 

 ゲッコウガが両手に備えた巨大な水手裏剣を放つとほぼ同時に、その強靭な五本の触手のうちの両手にあたる二本が消えた。ライトニングはその切断された断面から血しぶきのように吹き出した電流をもゲッコウガへと放ったが、結果は雷と変わらない。ことごとくそのエネルギーを吸い取っては文字どおり『みずしゅりけん』のキレを増させるばかりである。

 

「思った以上にいいな、コウの『ひらいしん』。」

 

 ヒノキは相性に反して電気を集めて強くなる相棒を見つめて頷いた。

 シェードジャングルでの一体目のライトニングとの対戦で大いに活躍した、『ひらいしん』のとくせいをもつカキのアローラガラガラ。今回、彼が雨天の為に参戦できない代わりに、あらかじめゲッコウガにその『ひらいしん』を『なりきり』でコピーさせておいたのだ。

 

 やがて、ライトニングは両足にあたる二本も『みずしゅりけん』に切り落とされ、その触手は根とも支柱ともとれる一本を残すのみとなった。しかし、本体はまだぐねぐねと激しく動いている。

 

「よし。そろそろ行けるか?」

 

「はい。ボーマンダ!」

 

 アナベルが右手のハイパーボールからボーマンダを繰り出すと、彼は前もって指示されていた通り、すぐに口を開けてエネルギーを溜め始めた。

 それがどういう技であるのか、ライトニングは本能的に理解したらしい。今なお漏電し続ける四本の触手の断面から、細かい電気の粒子のシャワーをボーマンダに浴びせ始める。

 

「よし、予定通りだ!スイレン!」

 

 ヒノキが手を上げて合図すると、後方で待機していたスイレンが隣のポケモンに声をかけた。

 

「はい!シズク、発射です!」

 

 シズクと呼ばれたそのオニシズクモは、既に作り上げていた巨大な水泡をライトニング目掛けて射ち出した。

 もはやそれを弾くことのできる手足のないライトニングは、その四メートル近い身体が丸ごと特殊な液に満たされた水泡に包まれる。

 こうなればもう、あとはその泡の中から正面のボーマンダによってとどめを刺されるのを、ただ待つしかなかった。

 

「『はかいこうせん』!」

 

 オニシズクモの『みずびたし』によって水タイプとなった身体を、自らの『プラズマシャワー』によって強烈な電撃へと換わった『はかいこうせん』に撃ち抜かれたライトニングは、断末魔のようなすさまじい叫び声を上げた。

 

「前はここで逃げられたからな。スイレン、頼む!」

 

 状況に油断することなく、ヒノキがスイレンに声をかけた。

 

「はい。シズク、仕上げです。」

 

 スイレンの言葉に、オニシズクモはロープほどもある太さの糸で編まれた巨大な『クモのす』でライトニングを取り押さえた。

 まもなく地面に伏したそのUBにアナベルがウルトラボールの開閉スイッチを押し当てると、わずかな抵抗も見せずに、静かに中へと吸い込まれていった。そのライトニングの収まったウルトラボールを手に、アナベルは二人の方に向き直り、にっこりと笑った。

 

「任務完了です。ありがとうございました。」

 

 ほどなくして、ライチが墓地の方からやってきた。傍らにはカプ・テテフの姿もある。

 

「おーい!みんな、よくやった!ひとまずうちへ戻ろう!」

 

「ライチさん!カプ・テテフ!」

 

 滅多に会えない守り神の姿にはしゃぐスイレンが駆けて行く後ろ姿を見ながら、ヒノキはアナベルの元へ歩み寄った。

 

「とりあえず、試練1コ達成だな。」

 

 その言葉に、彼女は嬉しそうに頷いた。

 

「ええ。さあ、私達も戻りましょう。」

 

「ああ。」

 

 しかし、ヒノキは歩き出す前にその場で深く息を吸い込んだ。そして、先を行き始めていた彼女の背に向かって、はっきりとその名を呼んだ。

 

 

 

 

 

 

「リラ。」

 

 

 

 

 

 

 彼女の足が止まる。

 

 

 

 

 

「今度は周りに誰もいないぜ。」

 

 ぴたりと静止したその背中に向かって、ヒノキは続けた。

 

「オレも、あんたをそう呼びたいんだ。ダメかな?」

 

 彼女が口を開くまでに、少しの間があった。

 

「・・・今の私には、自分がその名で生きていた頃の記憶がほとんどありません。もはや別人といっても過言ではないでしょう。」

 

 首を縦にも横にも振ることなく、こちらに背を向けたまま、彼女は抑揚の少ない声で言った。

 

「そんな私をわざわざその名で呼ぶことに。一体、どんな意味があるのです?」

 

 ヒノキの方に向き直った彼女の表情は、決して怒っている訳でも、不快感を顕にしているという訳でもなかった。

 ただ、アナベルというコードネームを持つ前に出会ったアセロラ達とは違うヒノキには、あえてその名で呼ぶ理由を、それも自分にリラの名を受け入れさせられるだけの説得力のあるものを求めると、確かにそう言っていた。

 

「それは」

 

 それは、ヒノキ自身がずっと考え続けていた問いでもあった。

 エーテルパラダイスでのあの夜、リラとしての記憶を失っている彼女を、どうしてそれでもリラと呼ぼうとしたのか。そして、どうしてそれでもアナベルとは呼べないのか。今ならその理由が分かる。

 これまでは、彼女をアナベルという別人として割り切ることで存外うまくやってこられた。しかし、それが最近、少しずつ割りきれなくなってきていた。彼女の中にリラの面影が見える度に、「逃げている」という後ろめたさが影のようにつきまとい、そこにアセロラやクチナシが彼女をリラと呼ぶのを見て、焦ってしまったのだ。

 

 そうして導き出した答えに、彼女を納得させられる響きが備わっているかは分からなかったが、それでもヒノキは正直にそれを告げた。

 

「オレが、あんたを友達だと思ってるからさ。」

 

 予想外のその答えに、彼女の目が見開かれた。

 

「言っただろ?あんたの島めぐりのライバルはオレだって。ライバルってのは、つまるところ友達の一種だ。そして友達ってのは、仕事上の肩書きやコードネームで呼ぶもんじゃないだろ?」

 

 それに、とヒノキは続けた。

 

「あんたをリラと呼ぶ人達を見てたら、オレもその輪に加わりたくなったんだ。具体的には、アセロラとかクチナシのおっちゃん、ビッケさんあたりな。えーと、だからつまり、みんなー」

 

 照れくささからその先を言いよどむ彼に助け船を出したのは、墓地の方からやってきたハンサムだった。

 

「みんな、ボスの事を心から大切に思っている人間ばかりです。」

 

「・・・!」

 

「・・・ま、そんなとこだ。」

 

 こめかみのあたりをくしゃくしゃと無造作に掻きながら、ヒノキはぶっきらぼうに認めた。

 

「それじゃ、ダメかな?」

 

 そして彼女を見た。

 これでもう、後戻りはできない。

 この先どんなに辛い事実が判明しようと、全てをリラの事として受け入れなければならない。

 それでもヒノキが彼女をその名で呼ぶことに決めたのは、その覚悟ができたというよりむしろ、そうなれるようにと立てた誓いであった。

 

 柔らかな風が辺りを吹き抜け、草原を渡るさらさらという音が流れて消えた。

 彼女がゆっくりと口を開いたのは、その後であった。

 

「・・・それでは、自己紹介をやり直さなければいけませんね。」

 

 そう言ってからの彼女の表情は、まるで花が咲くのを見ているようだった。

 

「私の名前は、リラ・ヴァルガリス。アナベルというコードネームをもつ国際警察のUB対策本部の部長で、素晴らしい友人に恵まれた、幸せな島めぐりの旅人です。どうぞ、これからもよろしくお願いしますね。」

 

 いつの間にか雨は上がり、雲の切れ間からはまだ高い位置にある太陽からの薄日が射していた。その光に、リラの大きなアメジストの瞳が小さく揺れているのをヒノキは確かに見た。

 

 

 

ー砂漠にも、虹ってかかるんだね!

 

 

 

 不意に、あの少女の言葉が胸をよぎった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 その頃、遠いエーテルパラダイスの一室から、彼らのそんな様子を画面越しに見守る者達がいた。

 

「ね。あの二人って、なんだかこのままいい感じになりそうじゃない?」

 

 モニターの前に座っていたアセロラが、振り返って後ろにいたクチナシに同意を求めた。その表情は、やたらと喜色ばんでいる。

 

「だと良いがよ。」

 

 床にあぐらをかいてペルシアンの爪を切っていた彼は、顔も上げずにそれだけ言った。

 

「あれー?おじさん、もしかして妬いてるのー?」

 

「ビッケ」

 

 アセロラの冷やかしを無視して、クチナシは隣にいた部屋の主に声をかけた。

 

「そろそろあいつの方も本当に気をつけてやらねえと、下手すりゃ一気に潰れるぞ。」

 

「・・・やはり、クチナシさんもそう思われますか。」

 

 そのビッケも、心配そうにクチナシを見た。

 

「・・・なに?どういうこと?」

 

 二人の意味深な会話に、アセロラの顔から笑みが消える。

 

「うん。もしもね、リラがヒノキ君が昔の友達だったってことを知ったら。あんな風に笑っていられると思う?」

 

「あ・・・」

 

 きっと、気を遣わせていた事に罪悪感を感じ、大切な記憶をなくした自分にこれまで以上にショックを受けるだろう。

 おそらくヒノキもそう考えている。だからこそ、これまで彼女に対して一度も過去を引き合いに出そうとしなかったのだ。

 

「そっか・・・ヒノキ、自分が我慢すれば済むと思って・・・。」

 

 自分の心の傷は手つかずのまま、リラの心配ばかりしている。

 

「そういう事だ。」

 

 クチナシは立ち上がって切った爪をごみ箱に捨てると、画面の向こうで笑うヒノキを見ながら呟いた。

 

「このまま行くと、リラとの距離が近くなるほど、あいつの腹の傷は深くなるぞ。」

 

 

 




 
冒頭でもお伝えしましたが、今回にて第二章【CODENAME:ANABEL】は完結です。
第一章から更に多くの方々に読んで頂け、本当に嬉しい限りです。本当にありがとうございます。
次回からは主人公二人の出会いやバトルフロンティア時代といった過去の出来事を中心とした第三章【試練】をお送りします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3章 試練[前]
22.事件[前]


 
ピカブイと共に家にやって来たswitchの小型かつ高性能ぶりに、お前は風間さんか!とつっこまずにはいられない今日この頃です。(Wトリガー連載再開記念つぶやき)

それでは、第三章【試練】開始です。



 

 メモリアルヒルでの二体目のライトニングとの戦いの後、アローラではしばらくUBの出現が途絶え、UB対策チームにとっても平穏な日々が続いていた。

 ヒノキがその夢を見たのは、そんな時期のある休日の午後、オハナ牧場の自室で昼寝をしていた時の事であった。

 

 

──さあ、ヒノ。もういいぞ。目を開けてごらん。

 

 

 その兄の言葉に、この日七歳の誕生日を迎えた少年の期待と興奮は、最高潮に達していた。何しろ、この目を開けた瞬間に、自分の生まれて初めての相棒(ポケモン)がそこにいるのだ。

 

(オレの、初めてのポケモン・・・!!!)

 

 小さな胸を爆発しそうなほどに高鳴らせながら、彼は固くつむった両目を一気に開けた。

 

 そして、そのまま数回瞬きをした。

 

「・・・・・」

 

 いかにも非力そうな、ひょろりとした黄色い身体。そのわりに頭は大きく、尾は長い。ほとんどない肩は防具のようなもので被われている。

 そんな、動物のような姿で人間のように座っているその不思議な生き物は、新たな主人を目の前にしても何の反応も示さなかった。というより、その目はそもそも開いていなかった。

 

「・・・こいつ、寝てるんだけど。」

 

 それが、生まれて初めて自分のポケモンを目にしたヒノキ・カイジュ少年の第一声だった。胸の高鳴りは、しゃっくりみたいにいつの間にか消えていた。

 

「ははは。そりゃあ、こいつは一日18時間眠らないといけないからな。でも、眠っていても危険が迫れば逃げるし、腹が減ったらメシを食うぞ。何しろ、エスパータイプだからな。」

 

 彼にそのポケモンを贈った四歳上の兄は、そう言って朗らかに笑った。

 

「ふーん。変なやつ・・・。」

 

 そう呟いた少年は改めてその寝顔をまじまじと見つめ、そっと頭を撫でてみた。相変わらず気持ち良さそうに居眠っており、その目が開く気配はない。が、ぴょこんと突き出た三角の耳は、彼の手の動きに合わせてひょこひょこと動き、その動きが何ともおもしろかわいく、そこで少年は初めて笑った。

 

「なあ、マキ。こいつ、名前なんて言うんだっけ?」

 

 少年は兄の方を振り向いて訊ねた。

 

「ねんりきポケモンのケーシィだ。初めてトレーナーになるお前にぴったりのポケモンだよ。」

 

 そう言った兄の顔は、半分が歪な空白となっていた。

 まるで、何者かがその辺りを空間ごとかじってしまったかのように。

 

 

 そこで目覚めたヒノキは、弾かれたように飛び起きた。そして、ベッドに持たれてむにゃむにゃと口を動かすスリープの顔を両手で引っ掴んだ。

 

「こら!今の夢は──!!」

 

 しかし、そう言いかけてすぐ、彼はその手を緩めた。

 

(・・・もう、その方がいい、か。)

 

 それからしばらくの間、彼はベッドの上に座ったまま何かを考えていた。が、やがて何かを決心したかのようにきびきびと身支度を整えると、リザードンの背に乗ってエーテルパラダイスへと向かった。

 

 ◇

 

 同じの日の同じ頃。

 やはり休日であったリラは、一人ハウオリシティのショッピングエリアを歩いていた。特に買うものがある訳でもない彼女がそんな場所を訪れていた理由は、前日のヒノキとのやりとりにある。

 

「そういやお前、休みの日って何してんの? 」

 

 明日はUBの出現がない限りは、共に休日である。そこでヒノキは、ふと興味本位で彼女にそんなことを訊いてみたのだ。

 

「そうですね・・・溜まったデスクワークを片付けたり、パラダイスの保護区のポケモン達を見回ったり、あ、あと職員の方達にバトルの稽古をつけてほしいと頼まれれば、相手をしたりもしますよ。」

 

 それが世間一般の休日の過ごし方だろうといわんばかりにごく自然に答えた彼女に、ヒノキは驚き、そして呆れた。

 

「それが23歳の女の休日か?もっとこう、年相応の過ごし方ってのがあるだろ。例えばハウオリシティでショッピングとかさ。給料だって別に悪くないんだろ?」

 

「ええ、でも生活に必要なものは頼めばみんな国際警察から支給してもらえますし、個人的に特に欲しいと思う物もないので・・・」

 

 思えば、彼女は失踪前のタワータイクーン時代にも同じような事を言っていた。必要な物はフロンティアで用意してもらえるし、欲しい物は別にないから買い物など行ったことがない──と。

 そんなところも昔のままなのかとヒノキはつくづくあきれたが、もちろん彼女はそんなことは知らない。

 

「いやいや、そこは別に欲しいものとかなくても、とりあえず街に出るんだよ。そんであの服かわいいとか、あのおばさん連れてるグランブルにそっくりだなとか、そんなの見てるだけでも結構リフレッシュできるもんだ。それに、思いがけず欲しくなるような物が見つかる時もあるからな。いわゆる衝動買いってやつだ。」

 

「とりあえず街に、ですか・・・。」

 

 そこで試しに、とりあえず街に繰り出してみたという訳だ。

 

 ◇

 

 土曜の昼下がりという事もあり、アローラ屈指のショッピングスポットはその集客力の本領を存分に発揮していた。

 

「ねー、あれ、買う人いると思う?」

 

「思った!絶対SHIRONAだから似合うやつだよね。客寄せ用じゃない?」

 

 ある高級ブティックの前で、同年代と思われる女の子の二人連れが、ショーウインドーに展示されている水着を指してそんなことを話しているのが聞こえた。

 

(どれどれ。)

 

 興味が湧いたリラは、二人が去った後、そのショーウインドーの前に立った。ガラスの向こうには、艶かしい黒のホルターネック・ビキニに絶妙な丈と角度でパレオを合わせたマネキンが飾られており、足元にはその一式を着用したモデルが写った雑誌のグラビアページが開かれている。

 その、腰まで届く金髪の美しいモデルが先ほどの二人の言っていたSHIRONAなのかは分からないが、そのグラビアを見る限りは、確かにこれら全ては彼女にあつらえて作られたオーダーメイド品としか思えない。

 

 ──と、リラがそんな事を考えていた時だった。

 

「アローラ。よければこちら、ご試着もできますよ。」 

 

 全身を店の服でコーディネートした女性が、にこやかに彼女に声をかけた。

 

「あっ、いえ!少し見ていただけですので・・・ごめんなさい。」

 

 そう言って、この日もスーツにネクタイを締めていたリラは、慌ててその場を離れた。

 緊急の呼び出しがある場合に備えて、彼女は休日でも大概この姿をしている。その為、私服ですら滅多に着る機会がないのに、あんな大胆な水着なんてもっての他だ。

 しかし、かと言って彼女はその事に不満があるわけではない。むしろこういう格好の方が、この店に並んでいるようなお洒落で女性的な服よりも性に合っている。そんなことをヒノキに言えば、また呆れられるだろうか。

 

(やっぱり帰ろう。)

 

 こういう華やかな場所は、どうも苦手だ。

 そう思って、ショッピングエリアを抜けようとした時であった。

 

「・・・・」

 

 彼女の足が、ある小さな土産物店の軒先で不意に止まった。

 

 

 ◇

 

 

 昨日のヒノキの言葉を思いながら、目に止まったその品を片手にリラが店へ入ると、カウンターで帳簿をつけていた中年の婦人が顔を上げて微笑みかけた。

 

「はい、アローラ。」

 

「あの、すみません。これって──」

 

 そう言ってリラは店頭に並んでいた、コルクがし製のストラップのようなものを見せた。

 

「ああ、『しまめぐりのあかし』ですね。こんなところで売っていたら、おみやげ用のレプリカだと思うでしょう?でも、ちゃんと守り神様たちの祭壇に祀って力を肖った、本物なんですよ。」

 

 その言葉に、突然浮かんだ楽しいアイデアで胸が弾み出すのを感じながら、リラはそのふたつの島めぐりのあかしの購入を進めた。

 

「では、このふたつを頂いてもよろしいでしょうか。あ、包装は一緒で構いませんので。」

 

「かしこまりました。では、小分け用の袋をおつけしておきましょうか?」

 

「いえ、それも自分で用意しようと思います。」

 

「そうですか。それでは、はい、アローラ。」

 

「・・・そこも、アローラなんですか?」

 

 初めて聞いたアローラの使い方に、リラは思わず聞き返してしまった。

 

「はい。アローラという言葉が持つ意味は、何も『こんにちは』だけではないのですよ。『ようこそ』に『ありがとう』、『どういたしまして』に『さようなら』。それに──」

 

 そこで彼女は言葉を切ると、同じ袋に入れたふたつの島めぐりのあかしを差し出して、ふふ、と意味ありげに笑った。

 

「?」

 

 

 ◇

 

 

 リラが買い物を済ませてエーテルパラダイスの自室に戻ったのは、青藍の空に星の瞬きが見え始める、宵の口の事であった。

 

「ただいま。遅くなってごめんね。今日はゆっくり瞑想できた?」

 

 そう言って、出迎えたフーディンを軽く抱きしめた。休日に一人静かな場所で瞑想をするのは、彼女のフーディンの大切な習慣である。

 そのフーディンは彼女の腕の外から右腕を挙げると、自分より少しだけ背の高い彼女の額に、そっと手のスプーンを当てた。

 

──明日の12時。ヴェラ火山公園に、パラサイト。

 

「!」

 

 フーディンからその未来予知の報せを受けたリラは、彼から腕をほどき、上着の胸のポケットから任務用のPHSを取り出した。

 

「ありがとう。すぐにハンサムさんとヒノキに知らせますね。」

 

 彼女がその名を口にした瞬間、フーディンの耳がぴくりと動いた。しかし、既に電話をかけていた彼女は、彼のその僅かな動揺に気が付かなかった。

 

 ◇

 

 ハンサムにはすぐに連絡がついた。しかし、ヒノキは何度PHSにかけても応じない。PHSを忘れて出かけているのかとプライベートの携帯の方にも連絡してみたが、結果は変わらなかった。

 

──二台とも忘れて出かけることなどあるだろうか。

 

 その可能性も絶対にないとは言えない。が、それならばむしろ、電話は持っているが何らかの事情で出ない、あるいは出ることができないと考える方が自然だ。

 

「ボーマンダ!」

 

 宿舎の外へ出た彼女は、腰からハイパーボールをひとつ外し、今しがた自分をここまで運んでくれたばかりの飛竜を繰り出した。

 

「ごめんなさい。もう一度、アローラまで飛んでくれる?」

 

 漠然とした不安に駆られた彼女は、ヒノキが逗留しているアーカラ島のオハナ牧場を目指し、再びアローラへと飛び立った。

 

 

 ◇

 

 

「飲みに行って、帰ってこない?」

 

 牧場を訪れたリラは、牧場主の孫のナギサから聞いたその事実に、不安がにわかに緊張感を帯びるのを感じた。

 

「・・・ヒノキが?」

 

「うん・・・。なんか、夕方にどこかから帰ってきてすぐ、じーちゃんにこの辺で酒が飲める店はないかって聞いてて。それで、じーちゃんはバトルロイヤルの周りにはそういう店が多いって教えてたから、多分その辺りにいると思うんだけど・・・。」

 

 そこでナギサは言葉を切ると、気になる言葉を付け加えた。

 

「なんか、元気なかったんだ。」

 

 そう話す彼もまた、心配からいつもの元気を失っていた。彼が居候のヒノキを兄のように慕い、なついていることはリラもよく知っている。

 

「大丈夫。私が今からそこに行って、探して来ますから。あなたが心配していると知れば、きっとすぐ戻ってきますよ。」

 

 ナギサの頭をなでながら、彼女は努めて明るくそう言った。それは彼だけでなく、自分自身にもまたそうであると信じ込ませる為であった。

 

 

 ◇

 

 

 牧場からロイヤルアベニューへとつづく六番道路を足早に歩きながら、リラは契約の際にヒノキと取り決めた、あるルールを思い返していた。

 

 

「・・・それから、お酒に関してですが。できれば任務期間中は控えて頂きたいのですが、強制はできないし、したくもないので。飲む時は事前に一言連絡を頂いてもいいでしょうか?なるべく配慮はしますので。」

 

「了解。まあ、多分ないと思うけどな。オレあんま強くねーし、そんな飲みたいとも思わないからさ。」

 

 そう約束したのに。

 ただ単に忘れてしまっただけなのだろうか?

 しかし、どうも胸騒ぎがする。

 そんな『むしのしらせ』めいた予感に彼女は更に歩調を早め、夜の繁華街へと急いだ。

 

 

 




 
新章の一話目で言うのも何ですが、お土産屋のアローラおばさんのくだりは頭の片隅に残しておいて頂ければ、次章にて0.5~1.5倍の効果を発揮する可能性があります。サイコウェーブ的な。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

23.事件[中]

【ここまでのあらすじ】
メモリアルヒルにおける二体目のライトニングとの戦闘後、アローラではUBの出現が途絶え、平穏な日々が続いていた。
そんな時期のある休日の午後、昼寝をしていたヒノキはある夢を見る。それは彼が初めて自分のポケモンと出会った、7歳の誕生日の夢であった。
一方、同じ休日を買い物をして過ごしたリラは、夕刻から連絡のつかないヒノキを探すため、彼が酒を飲みに行ったというロイヤルアベニューへと向かった。



 

 ロイヤルアベニュー。

 バトルロイヤルの競技場(スタジアム)であるロイヤルドームを中心に商業施設や公園が集まる、アローラ有数の観光スポットの一つである。

 このバトルロイヤルとは、アローラで古くから親しまれてきた一対一対一対一という形式のポケモンバトルで、もとは四つの島の守り神達が最も強い者を決めるために遊びで行っていた戦いが起源とされている。

 

 そんなロイヤルアベニューの片隅にある小さな居酒屋で、ヒノキは一人、ほとんど中身の減っていないロックグラスを前に、一本のスプーンを見つめていた。

 

 

──きみにこれを渡せる事が、本当に嬉しい。

 

 それを贈られた時の事は、今でも鮮明に覚えている。

 人気のない、暗い夜の岬。静かな波の音。

 箱も包装紙もなく、柄に直に結ばれた赤いリボン。

 こぼれた涙と震える声。ポケットに忍ばせていた覚悟。

 二度と戻れない、遠い夏の夜。

 

「・・・・っ!!」

 

 ヒノキはグラスを掴み、込み上げた嗚咽をイッシュ・ウイスキーと共に喉の奥へと押し返した。たった一口だったが、それでもぐらりと視界が揺れた。震える手でグラスをテーブルに置くと、頭が少しぼんやりし始めた。

 

──忘れたい事がある時は酒を飲むに限るよ。何しろ思考回路がでんじはを浴びたみたいにマヒして動かなくなるからな。嫌な事も思い出せなくなれるんだ。

 

 かつてカントーを旅していた頃、さすらいのギャンブラーからそんな事を聞いた。

 あの頃はまだ子どもだった為にピンと来なかったが、今なら分かる。酔って頭が回らなくなれば、胸の痛みを引き起こす広く深い思考もできなくなる。まるで、脳に麻酔をかけたように。

 

(もう一口でいけるか、な。)

 

 そう考えて、ヒノキがもう一度グラスに手を伸ばした時だった。

 余りある勢いで店の引き戸が開かれ、乱暴な大きな音を立てた。そして、がやがやと数名の客が入ってきた。

 

「よお、オヤジ。今日も来てやったぜ。・・・おっ?」

 

 その六人連れは、なんとも奇妙な集団であった。バッドガイ、ジプシージャグラー、もうじゅうつかい、せいそういん、こんちゅうマニアといった連中を、カラテおうが率いている。

 まるで分野の違うその顔ぶれは、むしろ意図的にそうしているかのようにさえ思える。ただひとつ共通しているのは、皆一様に人相があまりよろしくないという点だ。

 

「へえ、今日は先客がいるのか。珍しいこともあるもんだ。」

 

 カラテおうの男がヒノキを見てそう言うと、最もしたっぱらしいバッドガイが彼の元へと歩み寄った。

 

「よお、にいちゃん。この店は今からオレたちの貸し切りになるんだ。悪いが、お一人様は隣の店にでもー」

 

 しかし、横からヒノキの顔を覗き込んだジプシージャグラー風の男が、そこで口をはさんだ。

 

「ん?おい、待て。こいつの顔、どっかで・・・」

 

 

 ◇

 

 

「すみません。今日、こちらに20代前半くらいの男性が一人で来ませんでしたか?灰色がかった銀髪に、デニム地のキャップを被っていたと思うのですが・・・。」

 

「うーん。そういうお客さんは今日は見ていないかなぁ。」

 

 ロイヤルアベニューに着いたリラは、ナギサの祖父に教えてもらった裏通りへと入り、そこに軒を連ねる飲み屋を端から訊ねて回っていた。

 このロイヤルアベニューには、有名な観光スポットとは異なるもうひとつの顔がある。それがこのドームの裏手に広がる繁華街であり、日没後は酒と戦いを好むバトルロイヤル参戦者がたむろする、アローラの数少ない治安不良区域の一つとなる。

 

「・・・そうですか。ありがとうございます。」

 

 十数軒目への聞き込みも空振りに終わった。しかし、それでもヒノキの姿はおろか、目撃情報すら得られない。気がつけば、残る店はあと一軒となっていた。

 

ー次が、最後か。

 

 入り口の引き戸に手をかけたまま、リラは不安の為にしばし躊躇った。もしもここにいなければ、いよいよ本格的に捜さなければならない。

 

(どうか、この中にいますように。)

 

 そう願いながら、彼女は引き戸にかけた指先に力を入れた。

 

 そこは十人も入れば満席となる、カウンターのみの小さな古い居酒屋であった。そんな店で、ちぐはぐな六人の男達が見慣れたデニムキャップを取り囲んでいるのが見えた。

 

「ヒノキ!!」

 

 思わず彼の名を呼んだリラは、即座にそれを後悔した。

 その瞬間に彼を囲む男達が一斉にこちらを向き、やっぱそうだぜ、などと仲間内で囁く声が聞こえたからだ。

 

──仕方ないな。

 

 いよいよ具体的な形を持ち始めた不吉な予感に、彼女は腹をくくった。

 

「・・・申し訳ありませんが、その人は明日は朝から仕事がありますので。そろそろ引き取らせて頂けないでしょうか?」

 

 状況を荒立てないよう慎重に、しかし毅然とした口調で、彼女は自分より一回りも大きな身体をした頭領らしき男に申し出た。

 

「何だ?あんた、このにいちゃんの女か?」

 

「・・・友人かつ、仕事上の相棒(パートナー)です。」

 

「そうかい。まあ、何でもいいがな。悪いがオレ達、酒を奢った礼にこの後ちょっくら戦ってもらう約束なんだよ。カントーレジェンドとのマッチなんて、滅多にあるチャンスじゃねえからな。」

 

 やはり彼らは、その点に気付いている。その上で、何やら良からぬ事を企んでいるのだ。

 そしてテーブルに突っ伏す当のカントーレジェンドの周りには、大小様々な形のグラスやとっくりが並んだり転げたりしていた。

 

「お言葉ですが」

 

 リラはそこで言葉を切ると、大きな薄紫の瞳で、まっすぐにその白い道着に赤いはちまき姿の男を見据えて言った。

 

「今の彼は、とてもまともに勝負ができる状態とは思えません。後日、きちんと対戦の機会を設けますので、今日のところはお引き取りください。」

 

 彼女が先ほどより語気を強めると、男はたちまち大柄な身体を揺すって笑い出した。

 

「おいおい、相手はあのポケモンリーグのチャンピオンだぜ?まともに勝負ができる状態なら、オレ達みたいなバトロイハイパー級程度のザコじゃあまともな勝負にならねえだろ。これくらいのハンデがあってちょうどいいんだよ。」

 

 その言葉に、周りの男達が間髪を入れずに、そうだそうだ、と野次を飛ばした。そのうちの一人は、手にビデオカメラを携えている。

 

「・・・なるほどね。」

 

 たちまちリラは彼らの魂胆を見抜いた。さしずめ、映像に収めたその勝負をバトル専門の投稿動画サイト『BATTLE VIDEO』に上げ、その膨大な再生回数が生む広告収入を得ようというところだろう。

 実際、ポケモンリーグチャンピオンや四天王などの一流トレーナーの試合となると、たとえそれが非公式の練習試合などであっても、数十万アクセスは下らない。ましてやそれが、まさかのチャンピオンの敗北ともなれば、ゆうに一千万は超えるはずだ。

 

「分かりました」

 

 彼女は静かに口を開いた。

 

「ならばいっそ、本格的に予選から行いましょう。彼の前にまずは私が相手になりますので、どうぞ自信のある方から表へお越しください。」

 

「言ってくれるじゃねえか。言っとくが、オレたちゃ相手が女だからって容赦しねえぞ?」

 

 いつか、どこかで誰かから聞いたその台詞が、その時と同じように彼女の胸の底を波立たせた。

 

「望むところです。むしろ、全力で来てくださって結構ですので。」

 

 そう言って、リラは少し笑った。

 いつもの穏やかなアメジストの瞳に、かつて戦いの塔を守っていた頃と同じ光を宿して。

 

 

 ◇

 

 

「マニューラ、とどめを。」

 

 その一撃のもとに、挑戦者達の最後の一体はあっけなく崩れ落ちた。

 

「な、何なんだよ、この女・・・!!」

 

 倒れたバッファロンのトレーナーであるもうじゅうつかい風の男が、かすれる声で呟いた。その声にはっきりと驚異と恐怖の色が表れていたのも無理はない。まさか、突然現れた若い女に自分達六人が15分で片付けられるなど、思ってもいなかっただろう。

 

「これで、全員予選敗退ですね。それでは約束通り、今日のところはお引き取りください。」

 

「っそ・・・せっかく、金と名誉が一気に手に入るチャンスだってのによぉ・・・」

 

 歯を剥きながら、頭領のカラテおうが怒りと憎しみを露にした眼差しでリラを睨みつけた。が、そんな威嚇に怯むことなく、彼女もまた厳しい口調で彼らに言葉を返した。

 

「酔い潰れたチャンピオンに勝ったところで、何の武勇伝にもなりませんよ。何より、意図的な酔い潰しはれっきとした犯罪です。」

 

 そこでリラは懐に手を伸ばし、滑らかな黒皮に金色でICPOの四文字と前足を揃えて座るウィンディが刻印された手帳を提示した。

 それはまるである種の印籠のごとく、バトルロイヤルを八百長(イカサマ)でのしあがっているこの連中に抜群の効果を発揮した。

 

「こっ、国際警察・・・!!?」

 

「おい、何してる!さっさとずらかるぞ!」

 

 頭領のその退散命令に、一行はワカツダケトンネルの方向へと逃げるように走り出した。その去り際に、一番後ろにいたバッドガイが、座り込んでいたヒノキに向かって唾とともに捨て台詞を吐いた。

 

「へっ!泣いて、酒飲んで、女に守られて。情けなさもレジェンドだな!!」

 

 そして再び走り出そうと前を向いた次の瞬間、その身体が宙に浮き、前方に向かってどしゃりと派手に転んだ。

 リラがそちらを振り向くと、あぐらをかいていたはずのヒノキの足が、いつの間にか彼の方に伸びていた。

 

「て、てめえ!何しやがる!」

 

 ヒノキは何も答えない。しかし、帽子の陰から一瞬覗いたその目は完全に据わっていた。

 

「ちょ、ちょっと、ヒノキ!?」

 

 その据わった目のままヒノキはゆらりと立ち上がると、まだ前方で起き上がれずにいる男へと詰め寄った。

 

「な、なんだよ・・・?やれるもんならやってみろよ。相棒のおまわりさんが、みんな見てるぜ・・?」

 

 しかしヒノキはそんな虚勢に構わず、男の胸ぐらを掴み、怯えた薄笑いを浮かべたその顔を引き寄せた。

 

「お前の言う通りだよ。何もかもな。」

 

 それはこの二ヶ月間、ほとんど毎日行動を共にしていたリラでさえ聞いたことのない、低く暗い声であった。

 

「たしかに今ここでお前を殴れば、オレは最悪レジェンドクビだ。でもまあ、ちょうどいいじゃねえか。」

 

「へ・・・?」

 

 男の顔から薄笑いが消えた。

 

「泣いて、酒飲んで、女に守られるレジェンドなんて。いない方がいいだろっつってんだよ!!!」

 

「ヒノキ!!」

 

 そしてリラが止めるのも聞かず、ヒノキが男の顔面めがけて拳を突き出した、その時だった。

 

「・・・?」

 

 ヒノキの拳が男の鼻先で止まった。しかし、それは彼の意思ではなかった。

 

(フーディン・・・?)

 

 突然リラの腰のモンスターボールから飛び出したフーディンが、『かなしばり』で彼を制したのだ。

 

「・・・・。」

 

 ヒノキは拳を握った姿勢のまま、黙って横目でフーディンを見た。そんな彼を見たフーディンは間もなくかなしばりを解いたが、ヒノキは拳を下ろし、さらに反対の男の胸ぐらを掴んでいた手も離すと、後はもう何もしなかった。

 

「へへ・・・それみろ。やっぱてめえは」

 

 その先の言葉は、分からずじまいとなった。男が最後まで喋るのを待たず、フーディンがねんりきで彼を夜空の彼方へと吹っ飛ばしたからだ。そしてその後、再び自らボールへと戻った。

 

 そうして静寂が訪れ、その場にはヒノキとリラだけが残された。しばしの間の後に、ヒノキがぽつりと呟いた。

 

「いっそ、捕まえちまえばよかったんだよ。あんな奴ら。」

 

 その呟きを聞くや否や、リラは振り返り、この日初めて感情を言葉に晒した。

 

「あなたも!飲まされた側とはいえ、手を挙げれば同じ立場ですよ!それに、飲む時は事前に連絡をするという約束だったでしょう!?」

 

 それでもヒノキは黙っていた。が、やがて、かろうじて聞き取れるほどの声で呟いた。

 

「忘れてた。」

 

 未だに顔を上げようとしない彼に、彼女はすぐにその言葉が嘘であることを悟ったが、沸き上がる感情をぐっと鎮めた。たとえそれが事実であろうと、証明することができない以上は言い争うだけ無駄だ。

 

「・・・あなたの素行を考慮して、今回に限っては注意喚起のみとしますが。次回からは何らかの処分があるものと考えて、十分気をつけてください。」

 

 それでもなおヒノキはこちらを見ようとしなければ、謝りもしない。そんな彼にリラは鼻でため息をつくと、今度は警官ではなく、友人として訊ねた。

 

「そもそも、あなたがお酒を飲むなんて。一体、何があったんですか。」

 

 再び沈黙が流れた。そして、先ほどと全く変わらない調子でヒノキが呟いた。

 

「忘れた。」

 

 そしてよろよろと立ち上がり、そのまま脇を通って帰ろうとした彼の腕をリラが掴んだ。

 何も言わずに去ることは許さない。そういう意志が明確に感じられるよう力を込めて。

 

「お互い様じゃねえか」

 

 およそ彼らしからぬ、嘲けるような口調だった。

 

「・・・どういう意味です。」

 

 そこでヒノキは顔を上げ、この日初めてリラと向き合った。その真っ赤に泣き腫れた目で睨むように見据えられたリラは、思わず彼の腕を掴む手が弛んだ。

 

「何があったかなんて。オレの方が知りたいんだよ!!」

 

 突然声を荒げてぶつけるようにそう言い放つと、腕から彼女の手を振り離し、おぼつかない足取りで真夜中の六番道路へと消えていった。

 

 そんな彼の背中を、リラは追うことができなかった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

24.事件[後]

 
【ここまでのあらすじ】
夕方から酒を飲みに行ったまま帰らないというヒノキを心配し、ロイヤルアベニューへと捜しに来たリラは、良からぬ事を企む連中により泥酔させられた彼を発見する。
どうにか連中を退却させ、ヒノキを保護することはできたものの、何があったのかという問いに、彼はただ真っ赤に泣き腫らした目で自分を睨みつけるばかりであった。



 

 ヒノキが目を覚ましたのは、翌日の正午近くのことであった。

 夕べ、一体どうやってロイヤルアベニューからこの部屋にたどり着いたのか、まるで覚えていない。なのに、そこに至るまでの本当に忘れたい記憶は皮肉なほど鮮明に残っている。

 

(とりあえず、謝らなきゃな。)

 

 もちろんリラにである。

 しかしそうなると、まずは自分が酒を飲むに至った経緯から説明しなければならない。そしてそれは彼女にとって、極めて衝撃的な真実をもたらされることを意味していた。

 

ーーどうしたものかな。

 

 ベッドの上で頭とあぐらをかきながらヒノキが思案していた、その時であった。

 

『緊急避難勧告です。本日正午、アーカラ島ヴェラ火山公園にて特定外来生物の出現が確認されました。付近に在住の方はこの警報が解除されるまで、決して屋外には出ないでください。また、屋外で活動をしている場合は直ちに最寄りの建物へと避難してください。繰り返しますー』

 

 突如、携帯からけたたましいアラームと共に、緊急警報の音声が鳴り響いた。その放送に反射的にPHSを確認したヒノキは、数時間前に端を発する無数の着信履歴に息を呑んだ。

 

 焦りに弾かれるように、ベッドから飛び降りる。が、その瞬間に姿を現した身体の異変にバランスを奪われ、思わず床に膝と手をついてしまった。

 

「・・・っ!」

 

 頭がひどく重く、そして痛い。

 まるで動く度に頭の中をくろいてっきゅうがぐらぐら転がるようだ。そしてのどの奥から胸にかけては、一夜を経たアルコール特有の、やけるようなむかつきが渦巻いている。

 

 それでもなんとか身支度を整えていたところに、ナギサが昼食を運んで来た。午前中は死んだように眠っていたヒノキも、この大音響ではさすがに目を覚ますだろうと踏んできたらしい。

 

「行くの!?」

 

 どう見てもそんな体調ではない彼を見て、ナギサは驚いた。

 

「ああ。悪いけど、それは冷蔵庫に入れといてくれ。帰ってから食うよ。」

 

 ナギサの運んできた盆の上の昼食は、一目でそれを作った彼の祖母の人柄が伺える献立であった。雑炊をはじめとした胃に優しくかつ水分を補える品々は、夜中に帰ってくるなり一時間トイレから出てこなかったヒノキを慮ってのことだろう。

 

「でも、リラちゃんは体調が悪いなら無理せず休んでいいってー」

 

「残念ながら二日酔いってのは無理せず休んでいい体調不良にはならねえんだよ、仕事においてはな。」

 

 とはいえ、それは確固たる状態異常として彼に重くのしかかる。うめきながらリザードンの待機する窓へと向かうヒノキに、見かねたナギサは盆から鮮やかな緑色の液体の入ったコップを手に取り、差し出した。

 

「はい。ばーちゃんが、もしご飯が食べられないならこれだけでも飲んどきなさいって。二日酔いに効くからって。」

 

 それは、ロメとラムの実をベースに数種類の薬草をミキサーにかけた、彼の祖母のいろは特製の二日酔いざましであった。

 

「マジか。ばーちゃんのとくせいは『おみとおし』かよ。」

 

 そう言ってヒノキはコップになみなみ注がれたその酔いざましを、味わうことのないよう一気に飲み干した。それでも形容のしがたい香りと苦味からは逃れられなかったが、一方で胃の不快感と頭の鉄球の重量が確かに軽減するのを感じた。

 

「すげーな、効果は抜群だよ。じゃ、ちょっと行ってくるから、ばーちゃんにオレがメガZありがとうを言ってたって伝えといてくれ。」

 

 そう言って窓からリザードンに飛び乗ると、ナギサの返事も待たずに行ってしまった。

 

(お酒って、そんなに飲みたいものなのかな。)

 

 こうした大人を見るたびに、ナギサはいつも不思議でならない。かくいう彼の祖父のワタリも、休日の前夜になると祖母に呆れられるほど酒を飲んでは、翌日には飲みすぎたと言ってせっかくの休みを寝て潰している。それなら、美味しくて次の日も朝から元気に遊べるサイコソーダやミックスオレの方がよっぽど良い。

 

 そんな事を考えながら、扉を開けるためにいったん盆を机に置こうとしたナギサは、そこでとんでもないものを見つけてしまった。

 

「え・・・」

 

 これって。

 彼は急いでヒノキの出ていった窓から顔を突き出して辺りを見回した。しかし、その姿は既に広い空のどこにも見つけられなかった。

 

 

 ◇

 

 

 ハンサムの留守電によれば、今回の出現UBはパラサイト。キャプテン達はそれぞれの管轄の地区の警戒に当たっているため、現場はリラが一人で対応しているという。

 

(とにかく、まずは仕事だ。)

 

 PHSに積もっていた、夥しい数の着信履歴。最初の一件のみがリラで、後は全てハンサムからというその内訳には、当然とは分かりつつもやはり胸に突き刺さるものがあった。堕ちた信用や開いてしまった距離を取り戻すには、言い訳ではなく行動が要る。

 

 やがて、山頂付近の広場にてその姿は間もなく見つかった。両腕にあたる二本の触手に再生痕のあるそのパラサイトは、おそらく契約の日にディグダトンネルで戦った個体だろう。その向かいに、対峙するリラとフーディンの姿もある。

 そして一見してその戦況を把握したヒノキは、改めて胸に痛みが走るのを感じた。

 

 孤軍奮闘のこの状況で、フーディンがメガシンカをしていない。それはすなわち、彼女にそれに費やせるだけの体力や気力が残っていないことを意味していた。そしてその原因が昨夜、夜更けまで自分を捜して複数の男を相手にバトルまでしたこと、かつUB対策の責任者として今朝は早くから対応に追われていたこと、そうしてほとんど休めないままこの戦闘を迎えたことにあるということは、想像に難くなかった。

 

「ヒノキ!!」

 

 そのリラの叫びは、後れ馳せた彼に対する気づきによるものではなく、警告であった。

 罪悪感に囚われている間に、パラサイトが彼のリザードンを狙って放ったパワージェムに気付かなかったのだ。

 

「リー!!」

 

 きらめく疑似宝石の弾丸が黒い翼に幾つもの風穴を作り、最大の弱点を突かれたリザードンは痛々しい叫びと共にぐらりと地に落ちた。

 

「もういい、戻れ!行くぞ、コウ──!」

 

 しかし、腰に伸ばしたその指先は、ゲッコウガのボールをかすめることさえできなかった。

 そしてそれが意味する事実を悟った瞬間、ヒノキは頭が真っ白になった。

 

 

──嘘だろ。

 

 

 その腰のホルダーには、ひとつのボールも装着されてはいなかった。回らない頭で慌てて出てきた為に、他のメンバーのボールを全て部屋の机の上に忘れてきてしまったのだ。ついでに、昨夕からきよめのおふだを張りつけたままの図鑑(ロトム)も。

 

(オレは一体、何をしに来たんだ。)

 

 自分に向けた、その発狂しそうなほどの怒りと失望と恥が、またいけなかった。

 それらは単に彼から判断の思考回路を奪っただけでなく、強い負の感情としてパラサイトを惹き付け、その触手で心身ともに丸腰の彼を捕らえにかからせたからだ。

 

「ヒノキ!」

 

 そのリラの声が聞こえた時には既に、彼はパラサイトの帽子のような頭部に包まれ宙に浮いていた。フーディンが地上から必死に技を放っているが、なかなか決定的な一打が入らない。ヒノキが本体に捕えられているために、思うように攻撃できないのだろう。

 

──やばい。

 

 やがてヒノキがパラサイトの神経毒によって、だんだんと意識が遠のいていくような感覚に侵され始めた時だった。

 

(地上・・・?)

 

 突然、目の前の景色が変わった。しかし、それは「変わった」のではなく、「替わった」のであることに彼が気づくのに、そう時間はかからなかった。

 

「うっ・・・!」

 

 上空から聞こえたうめき声に、ヒノキは視線を上げた。

 たった今まで自分が捕えられていた、パラサイトの頭部。そこに、あろうことかリラが収まっている。

 

(なんてことを・・・!!)

 

 最初に出会ったバトル・バイキングの決勝でフーディンが見せた、対象者と自分の位置を入れ換える技。それを、今度は自分自身とヒノキを対象に使ったのだ。

 そして傍らにいるそのフーディンは、今度は『なりきり』でパラサイトからコピーした赤いオーラをまとっている。紛れもなく、注意をヒノキから自分に向けるためだ。おそらく『サイドチェンジ』を放つ前に、リラがフーディンに指示していたのだろう。

 

 

──これじゃ、マジで伝説級のクソ野郎じゃねえか。

 

 

 泣いて、酒飲んで、女に守られて、情けなさもレジェンドだな。

 昨夜浴びせられた悪態(じじつ)に、今日はさらにポケモンを忘れてUBに捕まったという二点が加わる。そしてそんなどうしようもない自分を、再び守ろうとする彼女がいる。それも、命を懸けて。

 

 その時、そんな彼の思いを汲み取ったかのように、傍らにいた赤いオーラをまとった彼女の相棒が、パラサイトの前へ躍り出た。

 

(フーディン・・!)

 

 彼もまた主人を取り戻そうと躍起になり、捨て身の覚悟で攻撃を繰り出していた。ヒノキはそんな感情的なフーディンを見たのは初めてだった。

 

「!ダメだ、やめろ!!」

 

 しかし、彼のそんな思いとは裏腹に、リラを捕らえて勢いづいたパラサイトは、その特殊攻撃の数々をミラーコートによって、たちまち返り討ちの弾丸にしてしまった。

 

「・・・!」

 

「フーディン!!」

 

 そうして瀕死のダメージを負ったフーディンに、パラサイトはまるでとどめの一撃といわんばかりに怪しげな鈍い紫の光を放つ触手を向けた。

 

(!今、あれを受けてしまったら──!!)

 

 ポケモンよりも遥かに脆弱な自分の人体がその一撃の前にほとんど意味を為さないことは、今日の散々な頭ですら分かっていた。それでも、ヒノキは傷ついて倒れたフーディンの前に立ちはだからずにはいられなかった。

 

「ぐああああ!!!」

 

 ベノムショック。

 それ自体は決して毒性は強くないが、既に弱りきっているフーディンや神経毒に侵されかけたヒノキにとっては、まるで水を浴びた身体に流された電流のように激しく響く追い打ちとなる。

 

「う、ぐ・・・。」

 

 全身の痺れによってその場に倒れながらも、辛うじて視線だけは上げられた彼は、その光景に恐怖と絶望感で心臓が縮むのを感じた。

 リラを捕らえたまま、ゆっくりと宙を上昇するパラサイト。その背後に、巨大な怪物の口を思わせる空間の裂け目が、ぱっくりと開いている。

 

 

「・・・・・・!!」

 

 

 やっと、やっと見つけたのに。

 また失うのか?

 それも、今度はオレの目の前で、オレが自分の手によって──。

 

 わずかに動く指先で、ヒノキは自分の無力さを呪うように地面をかきむしろうとした。しかし、その指先は土より先に、そこに転がっていた何かに触れた。

 

(・・・?)

 

 淡い虹色にきらめく、ビー玉ほどの小さな丸い石。

 それを見たヒノキの脳裏に、その石についていつかリラと交わした会話が過った。

 

 

 

「そういえばあなた、キーストーンをそのまま上着のポケットに入れていますけど、デバイスは?持っていないのですか?」

 

「あー。前まではバングル使ってたんだけど、半年くらい前に壊れちゃってさ。新しいのを買わなきゃとは常日頃思いつつ、別になくても使えはするからそのままで今に至るっていう、キーストーンあるあるだよ。」

 

「まったく。そんなところにそんな状態で入れていたら、今になくしますよ?これを機にちゃんと買ってくださいな。」

 

「いや、それはもうオレも心底そう思ってるんだけどさ。でもめんどくさいんだな、これが。」

 

 

 

 そんな何気ないやり取りが、今や遠い世界の出来事になりつつある。

 もう自分の何を代償にしてもいい。だから、だから、だから──。

 

(あいつだけは・・・!!)

 

 血の滲む指先で、ヒノキはそのキーストーンを掴んだ。とたんに、握りしめた指のすき間からまばゆい光が漏れ始め、それに呼応するように、彼の背後で倒れていたフーディンが同じ光に包まれ出した。

 

 

──え?

 

 

 宙空のパラサイトの内側からその光景を見ていたリラは、眼下で起きているその現象をうまく理解できなかった。

 メガシンカは、主人(トレーナー)とそのポケモンの絆、すなわち心の共鳴(シンクロ)が発動条件であり、またエネルギー源でもある。

 従って、自分のポケモンが他人のキーストーンに反応してメガシンカするなどまずあり得ないし、聞いたこともない。しかし、何かが引っ掛かる。

 

(絆──)

 

 その言葉にリラは、ある可能性に思い当たった。

 

 

──ユンゲラーの時に交換して、そのままそいつに預けてんだ。

 

 

 いつか、ハウオリシティの空き地で野生のケーシィを見つけた時。ヒノキは、このポケモンが自分の最初の相棒だと話していた。そして今、フーディンに進化したその相棒は、一人の友人に託しているのだと。

 

 

「嘘」

 

 

 しかし、そんな彼女の思いとは裏腹に、フーディンは今や完全にメガフーディンへの変態を遂げていた。

 願わくば思い違いであってほしいその仮説を裏付けるような現実に、リラの胸の鼓動はさらに加速し始めた。

 

(まさか。そんな──)

 

 そんな事、あるはずない。

 だって彼は、これまで一度だってそんな事を口にしなかった。もし仮にそうであったなら、どうしてずっと黙っていたというのだろう。いや、それより何より。

 もしも、自分の一番大切な相棒(ポケモン)を託してくるほどの親友を、失ったことすら気付かないなんて事があるとしたら──。

 

 祈るような思いで、リラは眼下で地に伏すヒノキを見た。相変わらず、蘇るものなど何もない。しかし、そのことが却って彼の性格を既に把握している彼女に全てを悟らせ、愕然とさせた。

 

 

──私が、そのどうしようもない罪の意識に苛まれないようにするためだ。

 

 

 ヒノキからメガフーディンへの指示は、もはや言葉にする必要はなかった。

 かけがえのない相棒(パートナー)を守るために共鳴した双方の意識はかつてない威力と波形のサイコキネシスを生み出し、まるで見えない魔神のように、リラを引き剥がした上でパラサイトを空間の裂け目へとねじ込んだ。

 そして、辺りに静寂が戻った。

 

 

 ◇

 

 

 目はかすんでもはや役に立たないヒノキにとって、辺りの状況を知る手がかりは音のみであった。 

 静寂と風の音、そしてモンスターボールの起動音。それらは確かに戦いの終わりと、フーディンの主人(トレーナー)が今なおそこにいる事を意味していた。

 しかし、せっかく耳が仕入れたそれらの貴重な情報は、彼の頭に認識として残る前に、反対側の耳から抜け落ちてしまった。

 

 

「そんな」

 

 

 間もなく意識を失うまでに彼の耳が拾い、頭で認識され、さらに感情となって胸まで届いた唯一の情報。

 それは、涙を流しながら傍にへたり込むリラが壊れたように繰り返す、その呟きだけだった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

25.思い出せない

【前回のあらすじ】

UBパラサイトとの戦闘中、リラのフーディンはヒノキが偶然触れたキーストーンと共鳴し、メガフーディンへと進化を遂げる。その結果、パラサイトの撃退には成功するも、その為にリラはヒノキがかつての友人であったことに気付いてしまう。





 

 そこは、ひどく無機質な白い部屋であったと記憶している。

 

 

──名前は?

 

 

 "リラ。姓は分かりません。"

 

 

──出身は?

 

 

 "ホウエン。海のある街だったと思います。"

 

 

──生年月日は?

 

 

 "わかりません。"

 

 

──なぜ、あの場所で倒れていた?

 

 

 "わかりません。"

 

 

──それまでは、どこで何をしていた?

 

 

 "塔・・・?を守るために、戦っていたと思います。"

 

 

──何でもいいから、他に覚えている事は?

 

 

 "他には何も思い出せません。"

 

 

 

 

 

「・・・・・!!」

 

 

 そこで目を覚ましたリラは、真上に広がる白い天井に戸惑い、そこがエーテルパラダイスの病室であると気付くまでに時間がかかった。

 

(あの時の・・・)

 

 それは彼女にとっては、できれば忘れてしまいたい記憶であった。

 机と椅子しかない無機質な箱部屋での、黒服の大人達による取り調べという名の尋問。

 まるで異世界からきた未知の生物に対するような、限りなく敵意に近い警戒。

 どうしてそんなものを向けられなければならないのだろう。

 自分は彼らに危害を加えるつもりなど、少しもないのに──。

 

「・・・っ!!」

 

 不意に鋭い頭痛が走り、左腕に点滴の針が入っているのにも構わず、リラは思わず両手で頭を抱えた。

 そんな彼女の背に、痩せた黄色い手をそっと置く者があった。

 

「フーディン」

 

 あまり感情を顔に出さない彼が、はっきりと悲痛の色を浮かべた目で自分を見ている。

 彼女は涙で歪んだ声でその名を呼ぶと、自分が目覚めるのをずっと待っていた相棒を抱きしめた。

 

「私、これからどうしたら・・・。」

 

 

 ◇

 

 

(・・・ん。)

 

 リラが目を覚ます、半日前。

 暗い、白い部屋の中で、ヒノキは誰かに名を呼ばれた気がして意識を取り戻した。

 しかしまだ瞼は重く、目は開けたそばから閉じてしまう。代わりに、まだパラサイト戦の緊張が解けていないのか、耳はやたらと冴えていた。そこで彼は目を閉じたまま、隣室から微かに聞こえてくる会話に耳を澄ませた。

 

「私達、間違っていたのでしょうか・・・ヒノキ君を、リラのパートナーに選んだのは。」

 

(・・・?)

 

 その女性の声には聞き覚えがあった。エーテル財団本部副支部長のビッケだ。とすれば、ここはエーテルパラダイスだろうか。

 

「んなことはねえだろ」

 

 また、耳になじみのある声が聞こえた。今度は男だ。ウラウラ島の警官兼しまキングのクチナシである。

 

「この問題にはそもそも答えがねえんだ。答えがねえのに、間違いもくそもあるかよ。ただ、信じて出した答えをどうにかして正解にするしかねえんだよ。」

 

「・・・そう、ですよね・・・。」

 

 それでもビッケは釈然としない様子だ。

 

「って言ってもな、アセロラ。」

 

 突然、クチナシがそこにいたもう一人の人物の名を口にした。そして、そっと部屋を抜け出そうとしていた彼女の胸中を見透かしたように、ぼそりと続けた。

 

「あいつらをムウマージの(まじな)いで仲直りさせたところで、何の解決にもならねえのだけは確かだぞ。」

 

 間もなく、普段と変わらない調子のクチナシとは対照的に、いつもはおっとりとした少女の激しい声が聞こえてきた。

 

「じゃあおじさん何とかしてよ!分かったような事ばっかり言ってないでさ!!」

 

 クチナシにそうぶつけた彼女の表情は、もはや目を閉じていても容易に想像できる。

 その声は怒りによって震え、涙によって滲んでいた。

 

「・・・ヒノキが来てから、リラ、ずっと嬉しそうだったのに。あんな二人、とても見てられないよ・・・。」

 

 そこでヒノキはベッドから起き上がり、隣室への扉へと向かった。

 今ここで出ていけば、会話を盗み聞きしていたことが知れてしまう。かと言って、自分達のことでこれ以上誰かに何かを負わせる訳にはいかなかった。

 静かに深い呼吸をひとつした後、彼は扉を開けた。

 

「ヒノキ・・・」

 

 戸口から最も近い位置に立っていたアセロラの顔は、やはり濡れていた。

 

「よお、奇遇だな。・・・ちょうど今、おまえの噂をしてたとこだ。」

 

 クチナシが、相変わらずの無表情で呟くように言った。

 

「知ってる」

 

 ヒノキは短く答え、少し躊躇ってから訊ねた。

 

「・・・リラは?」

 

「別の部屋でまだ眠ってるよ。回った神経毒の量がお前よりちょっとばかり多くてな。だが、命や後遺症が関わるほどのもんじゃねえ。医者曰く、あと半日もすりゃあ動けるようになるとのことだ。」

 

「・・・そっか。」

 

 それならよかったとは言えないが、とにかく安心は得られた。そこでヒノキは改めて三人の方に向き直った。

 

「おっちゃん、ビッケさん、アセロラ。みんな、ほんとにー」

 

 ごめん。そう謝ろうとした。しかし、それより先に彼に向かって深々と頭を下げたのはビッケだった。

 

「本当にごめんなさい。私達がもっとちゃんとあなた達の気持ちを考えて配慮していたら。こんな辛い思いをさせずに済んだかもしれないのにー」

 

 アセロラほどではないにしろ、彼女もまた声が震えていた。まるで、ぎりぎりのところで感情を堪えているかのように。

 

「そんな・・・ビッケさんが謝る事じゃないよ。今回の事はそもそも、オレの身から出た錆なんだから。」

 

 ヒノキがそう言うと、クチナシがすかさず口を挟んだ。

 

「だがその錆が出たのだって別におまえが悪いって訳じゃねえんだ。だから、おまえももう謝るな。」

 

 その言葉に、ヒノキはぐっとこみ上げるものを感じた。

 そうだ。これはそもそも、誰が悪いとか、誰に責任があるとかいう問題じゃない。

 だからみんな、やり場のない気持が心に溜まる一方で苦しいんだ。

 

「ありがとう」

 

 ヒノキは少し鼻元をこすってそう言ってから、静かに続けた。

 

「それでも、今のままじゃあいつは目が覚めたらきっとまた記憶をなくしたことで苦悩する。それまでに、オレは立ち直ってなきゃいけないからさ。」

 

 そこで彼は一息つき、クチナシの目を見て言った。

 

「だからもう、みんな話してほしいんだ。おっちゃん達が知ってる、オレの知らないあいつの事を、隠さずに全部。」

 

 クチナシがしばらく黙ってヒノキを見ていたが、やがて無造作に頭を掻きながら口を開いた。

 

「ま、どのみちいずれは話すつもりだったしな。」

 

「それじゃあー」

 

「いいだろう、教えてやるよ。だがその前に、おれたちもおまえに聞かせてもらいてえことがあるんだ。」

 

「え?」

 

「おれたちの知らない、おまえとリラの昔の話だ。こんな言い方は気ぃ悪いだろうが、おまえらがいつ、どこでどうして出会ったかまでは調べがついてる。記録が残ってるからな。だが、それ以上のことは今やおまえの記憶の中だけだ。今のおまえにゃ中々酷だとは思うが、話してほしいんだよ。・・・痛み分けのためにもな。」

 

 一人で抱えるな。クチナシはそう言っている。

 それはかつて、自分がリラに言った事だ。

 

「わかった」

 

 ヒノキは頷いた。

 

「ただ、それならちょっと時間をもらってもいいかな。長くなると思うし、ちゃんと要点を押さえてうまく話せるよう、準備期間が欲しいんだ。一日だけで構わないから。」

 

 彼の言葉に、三人が顔を見合わせて頷いた。

 

「なら、24時間後に今度はビッケの部屋に集合だ。それと、もしも今バケモンどもが出ても、当分はキャプテン達とおれら島の長が何とかする手筈になってる。だから、そっちのことは気にすんな。」

 

「本当にありがとう。じゃあ、また明日の同じ時刻に。」

 

 そしてヒノキは、静かに部屋を後にした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

26.忘れられない

 
本作においてはケーシィはわざマシンが使えないという設定でお願いします。

【前回の要点】
リラにかつての友人であった事を悟られたヒノキはクチナシに彼女の身に起きた事を教えてほしいと頼むが、その前にまずは自分達が知らないリラとの過去を話してほしいともちかけられる。
 


 

 

 その生まれて初めての戦闘(バトル)の事は、おそらく一生忘れないだろう。

 

 

(えーと。こいつが今使える技は・・・)

 

 少年は先ほど兄から贈られたばかりのポケモンの技を、一緒に渡されたメモで確かめた。そこに記されているのは『テレポート』の五文字のみで、後は説明も何もない。どうやら自分で実際に確かめろという意味らしい。

 

 たったひとつだけの技に彼は少し心許なさを覚えたが、これしか使えないということは、きっとこれ一本で十分戦えるメイン・ウェポンということだろう。すぐにそう気を取り直し、彼はその技の被験者となってくれる野生のポケモンを探しに家を出た。

 

「おっ」

 

 真新しいモンスターボールを握りしめ、自宅の裏手に広がる草むらに分け入ると、折よく一羽のことりポケモンがせわしなく地面をついばんでいた。

 

「よーし!いけっ、ケーシィ!!」

 

 突然投げつけられた赤と白の球に驚いたオニスズメが、慌てて臨戦体勢をとる。一方、そんなオニスズメの前に現れたケーシィは相変わらず居眠ったままだ。

 

 それでも、少年の胸の高鳴りはこの日二度目の最高潮に達していた。ずっと憧れ続けていた瞬間が遂に今、現実のものとなるからだ。

 

 少年は飛びかかってくるオニスズメに向かって指を突き出し、出会ったばかりの相棒に向かって勇ましく指示を出した。

 

「ケーシィ!『テレポート』!!」

 

 次の瞬間。 

 少年の眼前では、両者の技と技が火花を散らして激しくぶつかり合う──はずだった。

 

 

──フッ。

 

 

 その瞬間、ケーシィの姿が消えた。

 そして、それ以上は何も起こらなかった。

 

 

「・・・あれ。」

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 エーテルパラダイスの副支部長室を後にしたその翌日。

 ヒノキは朝からメレメレ島を訪れ、ハウオリシティ内を歩いて回っていた。

 ショップやビーチには目もくれず、ひたすら空き地の草陰や木の上に視線を走らせる彼を、すれ違う人々の何人かは変わった人間として見たが、本人は全くに気にしない。が、訝しげな表情で自分を見張る一人の巡査の視線に気付くと、さすがに先手を打った。

 

「あ、すいません。今ちょっとポケモンを探していて。決して怪しいもんじゃないです。」

 

「ほう、ポケモンを。ちなみにモノは何で?」

 

 立派な体格をした色黒でくせっ毛の巡査は、相変わらず警戒を保ちながらも興味深そうに訊ねてきた。

 

「ケーシィです。あ、もしかしてお巡りさんも探してくれるんですか?」

 

「ふむ。ケーシィならほら、あそこ。あ、ほら、あそこにもいますよ。」

 

 そう言って巡査は、そこから見える場所にいる二匹の野生のケーシィを指した。が、この案件はそれで解決とはならなかった。

 

「いや、あいつらとは違うんですよ。僕が探してるのは、もーちょっと毛の色が明るくて、シッポが普通より若干細長いやつです。」

 

 青年の言葉に、巡査は当惑した。

 街中に生息していることもあり、彼は野生のケーシィを一日一度は目にする。が、それらをどれほど見ようとも、その各々に違いがあるとは思えない。その旨を彼に話すと、大きなため息をついて呆れられた。

 

「何言ってるんですか、一匹一匹全然違いますよ。あ、そうだ、じゃ写真あげますから、このケーシィを見たら僕まで一報でお願いしますね。」

 

 青年はそう言って、宙に浮く不思議な赤い機械に探しているというケーシィの写真を現像させた。しかし、どんなにその写真を眺め回しても、巡査は遂にそのケーシィに他の個体との違いを発見することはできなかった。

 

 

 ◇

 

 

 市街地を一周しても、以前仲良くなったあのケーシィは見つからなかった。

 

 

──引っ越しでもしたのかな。

 

 

 そんなことを思いながらヒノキが街から二番道路へと抜けた、その時であった。

 

「すみません!助けてください!!」

 

 ヒノキが素早く声の方向に視線を走らせると、そこには野生のアーボに睨まれた少女と一匹のケーシィの姿があった。

 標準的な個体より少し明るい毛色と、若干細く長めの尾(もっとも、それはヒノキにしか分からないほどの差違ではあるが)。

 

 それは間違いなく、彼の探していたケーシィだった。

 

「ライ!」

 

 連れ歩いていたライチュウを走らせ、そのまま威嚇電撃を放たせた。あくまで威嚇であったが、その威力に力量の差を感じたのか、アーボは大人しく草むらの奥へと消えていった。

 

「大丈夫か?ははっ、そっか。よかったよかった。」

 

 駆け寄ってきた青年に、少女が目を丸くしたのも無理はなかった。何しろ、彼がその言葉をかけたのは、自分ではなく目の前の自分のポケモンであったからだ。

 

「・・・あ、わるい、つい。きみも、ケガはない?」

 

 そんな少女の視線に気付いたヒノキは、ようやくケーシィを撫でる手を止め、彼女にも言葉をかけた。

 少女は見ず知らずの若者にやたらとなついている相棒に戸惑いながらも、こくんと頷いた。

 

 

 ◇

 

 

「そっか、もう野生じゃなかったのか。そりゃいくら草むらを探しても見つからない訳だ。」

 

「うん。前の日曜日にお父さんと一緒にゲットしたの。わたし、自分のポケモンってこの子が初めてで。難しかったけど、頑張ってよかったっていつも思ってるの。」

 

 そう言って、リコという名の少女は伸ばした膝の上にケーシィを抱いた。本当にこのケーシィが自分のパートナーになったことが嬉しいのだろう。そして消えることなく大人しく抱かれているケーシィもまた、そんな主人の気持ちをちゃんと分かっている。

 

「わたし、今九歳なの。だから、さ来年の島めぐりにはこの子と一緒に旅に出たいって思ってるんだけど──」

 

 そこで言葉が途切れると同時に、彼女の表情から笑みが消えた。

 

「だけど?」

 

「・・今、ちょっと不安なの。」

 

 そう言って、リコは腕の中のケーシィの後頭部に向かって話し始めた。

 

学校(スクール)で先生にケーシィを捕まえたって言ったら、ケーシィは『テレポート』って敵から逃げる技しか使えないから、初めて育てるには難しいよって言われちゃった。もう一匹、()()()()()()()ポケモンを捕まえて、ケーシィを育てるのはそれからにした方がいいわねって。そう言われちゃったの。」

 

 自分の名前が登場する度にケーシィは大きな耳をぴくんとはためかせたが、その内容までは分からないらしく、ただフスフスと満足げに鼻を鳴らしている。

 

「ショックだったけど、でも先生の言う通りで。さっきだって、この子は戦おうとしてくれてたのに、わたしはどうしたらこの子が戦えるのか全然わからなくて。何もしてあげられなかった。」

 

 不意に、彼女の声が揺らいで詰まった。

 

「だからわたし、本当にこの子のトレーナーになれるのかなって。」

 

 そう言い終わると共に、ケーシィがリコの腕の中から外へと移動した。自由になった二本の手で、彼女はぽろぽろとこぼれ出した涙を拭った。

 

 そんな彼女をヒノキはしばらく黙って見ていたが、やがて静かに口を開いた。

  

「きみは、ポケモンを育てるってどういう事だと思う?」

 

 突然の大きな質問に、リコは戸惑った。が、少し考えた後、最初に思い浮かんだ答えを口にした。

 

「ええっと・・・他のポケモンと戦って、経験値をもらって、レベルを上げること・・じゃないの?」

 

 自信なさげにこわごわと答えた彼女に、ヒノキは頷いた。

 

「その通り。大丈夫、間違っちゃいないよ。」

 

 その上で、新たな問いを投げかけた。

 

「じゃあ、その『戦って経験値をもらってレベルを上げる』っていうのはつまり、どういうことだ?」

 

「え・・・」

 

 今度は完全に答えに窮してしまった。

 そんなこと、今まで考えたこともない。

 もっとも、今までポケモンを持ったことのない九歳の少女なら当然だ。

 

 途端に深刻な表情をした彼女に、ヒノキは笑って言った。

 

「そうだよな、いきなりそんなこと聞かれても困るよな。大丈夫だよ。ライ、ケーシィ!」

 

 そしてライチュウとケーシィを呼び寄せると、目を閉じ、思念を直接送るために二体の頭に手を乗せた。

 

「・・・よし。それじゃあ、相手はあいつでいこうか。」

 

 そう言った彼の視線の先には、一体の野生のポケモンの姿があった。

 強さを求めて日夜自己鍛練に励む典型的なかくとうタイプのポケモン、マクノシタだ。

 

「え?あ、相手って・・・」

 

 事情が分からずに戸惑うリコ。

 しかしそんな彼女に構わず、ヒノキは戦闘(バトル)を開始した。

 

「ライ!」

 

 ライチュウはごく小さな電流でマクノシタにけしかけると、すばやく宙へ逃げた。そのため、振り返ったマクノシタが対戦相手と認めたのはケーシィだった。

 

「お、おにいちゃん!」

 

 腕を掴んできたリコを、ヒノキは口の前に人差し指を立てて制した。

 

「大丈夫だよ。まあ、ちょっと見てな。」

 

 嬉しそうに猛然と『たいあたり』で突っ込んでくるマクノシタ。見る間に距離は詰まり、瞬きの後にはケーシィはマクノシタもろとも背後の岩壁にめり込んでいるであろう。

 思わず目を瞑ったリコの隣から声が飛んだのは、そんなタイミングであった。

 

「『テレポート』!」

 

 まさにマクノシタの頭がケーシィの懐に突き刺さろうとする瞬間にその身体は消え、マクノシタだけが弾丸のように岩壁にめり込んだ。一方、ケーシィはそんなマクノシタの背後にゆうゆうと浮かんでいる。

 

「まだだぞ。あいつはお前の五百倍はタフだからな。」

 

 ヒノキがケーシィに向かってかけた言葉通り、砂煙の切れ間からは既に体勢を立て直し、『きあいだめ』をしているマクノシタの姿が見えた。凄まじい衝突音と岩壁のひび割れ具合から見て確実にダメージは受けているはずだが、その表情はとても嬉しそうだ。まさに気合い十分。

 

(・・・!)

 

 そのマクノシタは今度はすぐに突っ込まず、牽制するように継ぎ足・擦り足でじりじりと距離を詰めている。攻撃のタイミングを焦らして不意を突くつもりらしい。それならば。

 

「ケーシィ!もう一度『テレポート』だ!」

 

 今度は先手を打って、ケーシィが先に消えた。

 

『ムッ!?』

 

 突然の対戦相手の消失に、マクノシタは動揺した。

 そのために再び現れたケーシィを見つけた途端、状況も確認せずに『たいあたり』で突っ込んでしまったのが、彼の敗因だった。

 

『グギャッ!!?』

 

 ケーシィがマクノシタを引き付け、そして再び『テレポート』で離脱した場所。そこは、その一帯のマケンカニ達の長が今まさに食事をしている果樹の根元であった。

 

『ニィィィィィィ!!!』

 

 その怒声と共に放たれたマケンカニの渾身の一撃が、マクノシタを三番道路の彼方へと吹っ飛ばした。どうやら、マクノシタの『たいあたり』が彼の『いかりのつぼ』に入ったらしい。

 

「まだだ。そいつもお前の獲物だぞ。」

 

 マケンカニが再び目の前に現れたケーシィを睨んだ。マクノシタを自分にけしかけたことを理解しているらしい。しかし、既にその勝負がついている事は、もはやリコの目にも明らかであった。

 

「もう一度『テレポート』だ。」

 

 その最後の指示が、マケンカニの『いわくだき』を果樹の幹に炸裂させた。そうして生じた天然の『ウッドハンマー』が、既にギリギリの体力であったマケンカニへの決定打となった。

 

「よくやったぞ、ケーシィ。ライもナイスアシストだ!」

 

 そう言ってヒノキは上空から戦況を眺め、ケーシィに念でテレポートの位置(ポイント)を教えていたライチュウを呼び戻した。

 

「ふあ・・・。」

 

 そんな彼らに、リコは言葉が見つからなかった。

 見たことも聞いたことも、もちろんやったこともないテレポート一本での勝利。おそらくスクールの先生でもそうだろう。

 

「確かにケーシィはテレポートしか使えない。けど、テレポートじゃ戦えないなんて、誰が決めた?」

 

 まだ何も言えない少女に、ヒノキは続けた。

 

「先生だろうが博士だろうが、ポケモンの全てを知っている人間なんていない。それはつまり、ポケモンには誰も知らない力がまだまだ眠ってるってことなんだ。もちろん、このケーシィというポケモンにもね。」

 

 じゃれるように左肩に掴まっているケーシィを少し撫でた後、ヒノキはしゃがんでリコに目線を合わせた。

 

「だから君はまず、こいつのことを誰よりもよく知ることから始めるんだ。場所や距離や食べ物なんかの好き嫌い、得意不得意、性格やクセ・・・そういった自分の目や耳で集めた情報こそが、今言った誰も知らない力の発見につながるんだ。」

 

「ケーちゃんのことを、誰よりも・・・。」

 

「そう。そして、そうやって培った知識や経験をフルに使って今の自分を越えていくのがポケモンバトルさ。だからバトルは熱くなるし、やめられないんだ。」

 

 正直、目の前の青年の話はまだ半分も消化できない。それでも、リコは胸の中でしぼみかけていた夢が再び膨らみ出すのを感じた。同時に、ふとある疑問が湧いた。

 

「・・・でも、おにいちゃんはどうしてそんなにケーシィの事をよく知ってるの?」 

 

 ヒノキは笑った。

 

「そりゃあオレも最初のポケモンがケーシィだったからさ。それでやっぱり、バトルができなくて悩んだんだ。」

 

 そう言って、例の初めてのバトルとその後の事を話してやった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「よう、ヒノ。どうだ?おれのやったケーシィ、いいだろ?」

 

 オニスズメにつつかれた腕に自分でキズぐすりを塗り込んでいた少年は、能天気な言葉をかけてきた兄をきっと睨みつけた。

 

「ああ?いいも何も、こいつテレポートしかできねーじゃん。攻撃できないのに、どうやって勝つんだよ。それともそーゆーイジメか?」

 

「それを考えてポケモンに教えてやるのが、ポケモントレーナーだ。」

 

 相変わらずにこにこしながら、マキは四つ下の弟の頭に手を置いて、諭すように続けた。

 

「できない事を数えたところで何も始まらないぞ。まずは今できる事を手がかりにしてよく観察し、考え、できる事を増やしてやる。そしてそれを、どうしたら勝利に結びつけられるかを更に考えるんだ。」

 

「んなこと言ったって──」

 

 まだ不平を言いたげな弟の頭に手を置いたまましゃがんで視線を合わせると、マキは優しい顔で、しかしきっぱりと言った。

 

「いいか、ヒノキ。こいつを自分の力で育てられるかどうかで、お前のトレーナーとしての素質が分かる。もしもこいつがテレポートしか使えないから戦えないと思うなら、お前もその程度だということだ。」

 

 

 その兄の言葉が、本当のスタートラインだった。

 

 

「いいか。今から言うポイントに、オレが合図を出したら飛ぶんだぞ。」

 

 テレポートで池や岩や木に相手を引き付けて自滅を誘ったり、別の野生ポケモンと引き合わせて戦わせたり。

 

 

「・・・もちろん、初めの頃は失敗ばっかりで大変だったよ。でも今は、あいつが最初のポケモンで本当に良かったと思ってる。」

 

 負け続けてもめげずに一緒に過ごし、観察し、考え、初めて勝てた時。

 小さな胸が、まだ見ぬ無限の可能性に震えるのを感じた。

 

 

──勝った。オレたち、勝ったんだ!!

 

 

「これがポケモントレーナーなんだって。あの時の喜びは、今も忘れられないよ。・・・!」

 

 そこでヒノキはあることに気付き、はっとした。

 

「・・・おにいちゃん?どうしたの?」

 

 急に黙り込んだ彼を、リコが心配そうに覗き込んだ。

 

「・・・いや、なんでもない。そうだ、もうひとつだけ。」

 

 ヒノキはすぐに表情を繕い、再び未来のポケモントレーナーに向き合った。

 

「さっきもちょこっと言ったけど。バトルの相手は現実には確かに目の前のポケモンだ。でも、本当に戦っている相手はいつでも自分自身だと思っていてほしいんだ。」

 

「わたしが、わたしと戦ってるってこと・・・?」

 

 不思議そうな表情をした彼女に、ヒノキは頷いた。 

 

「ポケモントレーナーを名乗るのに必要な条件はない。でも、だからこそ、戦うことや強さというものを勘違いしないでほしいんだ。ただ力任せに相手をねじ伏せるような戦い方では、トレーナーもポケモンも、本当の意味で成長(レベルアップ)できる経験値は得られない。・・・分かるかな?」

 

「うーん・・・なんとなく。」

 

 そう言ったリコは、本当に何となくは分かる、という風だった。

 

「難しく考える必要はないんだ」

 

 彼女が再び深刻な表情をしないよう、明るい調子でヒノキは言った。

 

「たとえば、君はさっきアーボと出くわした時、どうしていいのか分からず何もできなかったって言ってたね。なら、その『どうしていいのか分からず何もできない自分』に勝つためにはどうしたらいいか。そこから始めるんだ。」

 

 おそらく、今の彼女がこれらの言葉の意味を真に理解することはできないだろう。それでも胸の片隅に留めておいてくれれば、いつか分かる日が来るはずだ。自分にとって、兄の教えがそうであったように。

 

 リコは目の前でポケマメを美味しそうに食べるケーシィを見つめながら、隣の青年の言葉を考えていた。そうしてしばらく経ってから、ヒノキに顔を向けた。

 

「分かんないけど、分かった。」

 

 言葉に反して、その笑顔はとても晴れやかだった。

 

「わたし、ケーちゃんとずっと一緒にいたいから。おにいちゃんの話はまだよく分からないけど、でも、がんばれると思う。」

 

「今はそれで十分だ。」

 

 そんな彼女の言葉に、ヒノキもまた満たされた思いがした。

 

 

 ◇

 

 

「じゃあ、気をつけて帰れよ。」

 

「うん。今日は本当にありがとう。」

 

 ヒノキとリコが別れの挨拶を交わしたのは、アローラの大きな太陽が遥かな水平線へと沈み始めた頃だった。

 

(おっと、もう一時間切ってるのか。)

 

 約束の時間が迫っている。ヒノキがリザードンのリーを繰り出し、エーテルパラダイスへ向かうべく彼の背に跨がった、その時だった。

 

「あ、あの」

 

「ん?」

 

 リコが不意にヒノキを呼び止めた。

 

「わたし、わたしね──。」

 

 ケーシィを抱きながら切り出した彼女の声は、緊張で少し震えていた。そしてそのために、そのまま口ごもってしまった。

 

「・・・ううん。やっぱりなんでもない。」

 

 まだ、なれるかどうかも分かんないし。

 そう呟いた少女の頭に、彼女の心中を察したヒノキはぽんと手を乗せて言ってやった。

 

「夢を声に出して誰かに言うことは、とても大切なことだよ。」

 

 その言葉に、彼女は腕の中のケーシィを見て嬉しそうに頷いた。そして、ふと思った。

 

「・・・そういえば、おにいちゃんのケーシィは?今はいないの?」

 

「ああ、今は友達のところにいるよ。もうそいつに預けて十五年になるかな。」

 

 その答えに、リコは少なからず驚いたようだった。

 

「えっ・・・?寂しくないの?」

 

 その一言に、ヒノキの目と心は一瞬揺らいだ。が、すぐに目を瞬いて続けた。

 

「そうだな、寂しくないと言えばもちろん嘘になる。けど、あいつにはその友達のそばに居てやってほしいから。今はそれでいいんだ。」

 

 彼の言葉に、リコは幼心にもその別れが寂しさを超えたものであることを悟った。

 

「そっか。とっても大事なお友達なんだね。」

 

「ああ。ケーシィと同じくらい、大切な友達だよ。さあ、それじゃオレはもう行くぞ。もう言い残したことはないな?」

 

「うん!え?・・・あっ!」

 

 ヒノキの言葉に、リコは肝心な事を思い出した。

 そして既にオレンジ色の空へ飛び立った彼に届くよう、精いっぱいの声で叫んだ。 

 

「わたし!ぜったいおにいちゃんみたいなトレーナーになるからねー!」

 

 

 ◇

 

 

 なぜ、急にあのケーシィに会いたくなったのか。今ならその理由が分かる。

 

 

──失われてなんか、いないんだ。

 

 

 彼がケーシィと過ごしたのは、もう15年以上前の遠い過去だ。記憶を失っていないヒノキだって、もう詳しい事は憶えていない。でも、その日々が確かに今の自分を形作っている。記憶はなくても、この現在そのものがその時間が存在した証なのだ。

 その事をあのケーシィは教えてくれた。

 確かにリラとフーディンはかつて自分と過ごした時間の記憶を失ってしまった。だが、自身がそうであるように、今の彼らの中にもまた、在りし日の自分や彼ら自身が生きているのではないか。

 

「リー。少し急げるか?」

 

 そうして彼もまた、自身が知らぬ間に失っていたものを取り戻すべく、黄昏のアローラの空を急いだ。

 

 




 
ケーシィはエスパータイプなので体重は0kgです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【過去編第一部】 タワータイクーン -The days he was there-
27.15年前① バトル・レセプションへの誘い


 
遅ればせながら新年最初の更新です。
更新が滞っている間にも閲覧や評価や感想を寄せて下さる方が居てくださり、本当に嬉しい限りです。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 
【ここまでのあらすじ】
クチナシから自分達の知らないリラとの過去の話を聞かせてほしいと頼まれたヒノキは、その準備の一環として以前メレメレ島で出会った♀のケーシィに再び会いに行く。そこで再会した彼女と、そのトレーナーとして新たに出会った少女・リコとの一時を経て、かつての自分の在り方を思い出したヒノキは、改めて今のリラや自分と向き合うために過去を語る決意を固める。
 


 

 ヒノキが18時きっかりにエーテルパラダイスの副支部長室の扉を開けると、そこにはすでに今日集まる予定の四人の人間が揃っていた。

 

「よお。来ねえのかと心配してたとこだ。」

 

 ソファーから、クチナシが相も変わらぬ調子で言った。珍しく、煙草を吸っている。

 

「お待たせ。ぎりぎりになってごめん。」

 

 ヒノキがそう詫びると、出迎えたビッケが首を振った。

 

「ううん、そんなことは全然構わないの。それより、あなたの方は?心と時間の準備は本当にもういいの?」

 

「ああ。時間といえばむしろ、これからの話が確実に長くなることの方が気がかりだよ。だからみんな、疲れたら遠慮しないで抜けてもらったら・・って、おわっ!!」

 

 そこでヒノキは、突如自身の影からにゅっと顔を出したユキメノコに言葉尻を奪われてしまった。

 

「ううん、だいじょうぶ!眠くなっちゃった人には、そのコが冷え冷えのめざましビンタで起こしてくれるから!だからみんなでちゃんと最後までヒノキの話聞くから、安心してね!」

 

「うむ。それに、ブレイクタイム用のグランブルマウンテンとマラサダも準備万端だからな。空腹の心配も要らないぞ。」

 

 アセロラの言葉に、昨日は場にいなかったハンサムが続いた。リラに関する内容である以上、彼も知っておいた方がよかろうとヒノキが自ら呼んだのだ。

 

「うん。アセロラもハンサムのおっちゃんもありがとう。」

 

 それぞれの個性が滲む思いやりに礼を述べてから、ヒノキもクチナシ以外の三人と共にソファーに着いた。

 

「それじゃ、ほんとに最初から始めるよ。・・・あれはオレがまだ八歳のガキで、ジョウトのエンジュに住んでた頃のことだよ。ある日、家に一人の客が来たんだ。」

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 その日、スクールから帰宅したヒノキは、玄関横の応接間から二人の人間の話し声を耳にした。

 ドアはきちんと閉まっている為、来客の姿までは分からない。が、さほど関心があるわけでもないので、特に中を窺うこともせず、いつものように相棒のユンゲラーと共にキッチンへ直行した。

 

「あら、おかえりなさい。」

 

 三つの湯呑みに茶を淹れていた初老の女性が顔を上げ、流しでちゃちゃっと手を洗う彼に声をかけた。

 

「ただいま。まただれか来てんの?」

 

 濡れた手を拭くのもそこそこに、ヒノキは卓上のいかりまんじゅうの箱を開けながら彼女に尋ねた。

 

「ええ。マキくんの知り合いの実業家さんですって。なんでも、ヒノちゃんに会いにわざわざホウエン地方から来られたそうよ。」

 

 柔和な笑顔でそう答えた彼女は、ヒノキの母親ではない。

 昔から両親のいないこの兄弟の身辺の世話をしてくれる家政婦で、二人からはスミさんと呼ばれている。

 

「ふーん。・・・ほい、ユンゲラー。」

 

 愛想のない相槌を打った後、ヒノキは箱からひとつ取り出したいかりまんじゅうの半分をユンゲラーにやり、残りの半分にかぶりついた。

 前回のポケモンリーグ優勝者である兄には、取材やら仕事の依頼やらで日々様々な客が入れ替わり立ち替わり訪ねてくる。

 だから、彼女がさらりとつけ加えた一言をすぐには飲み込めなかった。

 

「・・・え、オレ?」

 

 その時、折よくダイニングの扉が開いた。

 開けたのは、今しがた応接間でその客と話していた、兄のマキだった。

 

「ヒノ、おかえり。ちょっとこっちにおいで。ああ、ユンゲラーも一緒にな。」

 

 

 ヒノキが四歳上の兄に連れられて入った応接間では、一人の男がソファーでゆったりとくつろいでいた。

 

「すみません、お待たせして。こっちが、今話していた弟のヒノキです。」

 

 三人分の茶といかりまんじゅうを載せた盆を左手に抱えたマキが、空いている右手でヒノキの背を押した。挨拶をしろ、という意味である。

 

「・・・こんちは。」

 

 奇妙なサングラス越しにもひしと感じる男の視線に捕まらないよう、完璧に目を逸らしながら、ヒノキはそっけない挨拶をした。

 しかし、男は彼のそんな(はす)な態度など全く意に介していないらしく、サングラスをひょいと上げると今度は直にヒノキを見つめ、続いて隣のユンゲラーを見つめた後、大げさなため息をついた。

 

「いや、実に素晴らしい。その年でケーシィをユンゲラーに進化させるなんて、やはり血は争えないね。」

 

「ええ。まあ、何しろ僕の弟ですからね。」

 

 男の言葉に、マキがにこにこと答えた。

 その隣で、一人状況が飲み込めないヒノキは、最初からあまり良くなかった態度を更に悪くした。

 

「なあ、さっきから二人で何話してんだよ。つーか誰だよ、このおっさん。」

 

「ん?ああ、そうだったな。この人は・・」

 

 ヒノキに向かって口を開きかけたマキを、当の男が制した。

 

「いや、いいよマキ君。ボクから言おう。」

 

 男は咳払いをした後、改めてサングラスの位置を直した。存外つぶらな裸眼では威厳に欠けると考えたのだろう。

 

「はじめまして、ヒノキ・エニシュ君。ボクの名はエニシダ。ホウエン地方でポケモントレーナーを対象とした新たなビジネスを創造中の、新進気鋭の青年実業家だ。」

 

 しかし、大人の言葉をふんだんに盛り込んだ大人げないその自己紹介は、この兄と弟の前ではかえって逆効果だった。

 

「しんしんキエー・・・?なにそれ。」

 

「要するに『私はポケモントレーナー相手の新しい商売で成功したいエニシダという者です』ってことだよ。あと、わざわざ青年って言ったのはたぶん、ヒノにおっさんって言われたのがちょっとショックだったんだろうな。」

 

 幼い弟に朗らかにそう説明する十二歳の少年に、エニシダはむしろ「おっさん」以上のショックを受けた。

 

「ええ、マ、マキくん・・・!?いや、とりあえずは話をすすめよう。ヒノキくん、まずはちょっとこれを開けてみてくれるかな?」

 

 そういうと、エニシダは一封の上品な白い封筒をヒノキの前に置いた。

 ヒノキがそれを手に取り封を開けると、中からは一枚のチラシと、既に自分の名が書かれた返信用のハガキが出てきた。

 

「これって・・・」

 

 幼いヒノキにも、何となくそれがどういうものであるのか分かる。が、まだそれを指す明確な単語までは引き出せない彼のもどかしさを、隣の兄が解いてやった。

 

「招待状だな。ほら、そのチラシに詳しく書いてあるみたいだぞ。」

 

 ヒノキはチラシを手に取ると、その紙面をまじまじと見つめた。それはフルカラーの中々上質なもので、中央にはこの街のランドマークであるスズの塔よりはるかに高く新しい建物の写真がある。そしてその写真の建物のふもとには、以下の文句が洒脱な字体で添えられていた。

 

 

キミこそ未来のフロンティアブレーンだ!

ーバトル・レセプションのご案内ー

 

 

「・・・なにこれ。」

 

 その文句を声に出して読み上げたヒノキは、聞き慣れないカタカナ語に眉をひそめ、うさんくさそうにエニシダを見た。

 

「うん。実はボクは今、ホウエン地方でポケモンバトルの最前線──そうだな、言うなればポケモンバトルのテーマパークを作っていてね。最終的には7つの施設(アトラクション)が出来る予定なんだけど、その第一号となるバトルタワーがこの度めでたく完成したので、記念にパーティーを開くことにしたんだ。そのレセプションっていうのは、パーティーっていう意味だよ。」

 

「ふーん。じゃ、このフロンティアなんとかってのは?」

 

「そう、それなんだけどね!!」

 

 その一言を待っていたとばかりに、エニシダは急に正面のソファーから身を乗り出し、ヒノキをたじろがせた。

 

「おっと失礼、つい興奮してしまった。・・・ええと、今言ったこのテーマパーク、すなわちバトルフロンティアは五年後のオープンを予定している。だけど、そこで活躍してくれる肝心のトレーナーがまだ一人しか見つかっていないんだ。そこで、このバトルタワーの完成記念パーティーを各地の前途有望な若いトレーナー達の交流会にして、中でも光るものを持った子にはその未来のスーパースターの座を約束しようという訳だよ。どうだい、ワクワクする話だろう?」

 

「未来の、スーパースター・・・」

 

 チラシを見つめたまま、ヒノキはぽつりと繰り返した。そして、そのまま視線だけを向かいのエニシダに上げて尋ねた。

 

「・・・オレが?」

 

 そんな彼を見て、エニシダは心の中でもう一押し、と拳を握った。

 

「そう。そしてボクは、キミには一際その可能性を感じている。」

 

 下心を見透かされないよう、すまし顔で茶を啜りながら、エニシダはさりげなく言った。

 

「すごいじゃないか、ヒノ。見込みあるってさ。」

 

「ふーん・・・。」

 

 ヒノキはしばらくチラシを眺めていた。

 が、やがて顔を上げ、エニシダをまっすぐに見つめると真顔で言った。

 

「んじゃ、行かない。」

 

 その瞬間、ぶふっという音と共に、エニシダが啜っていた茶をむせた。

 

「い、今なんと・・・?」

 

「だってオレ目立つの嫌いだもん。それに、将来(ショーライ)は育て屋になるってもう決めてるし。」

 

 テーブルに置いたチラシの代わりにいかりまんじゅうと湯呑みを手に取りながら、ヒノキは答えた。

 

「なんだよ、面白そうじゃないか。せっかくだし、行くだけでも行ってみれば。」

 

 兄のマキは、この照れ屋でマイペースな弟の性格を十分知っている。そのため、彼にとってはこの弟の「行かない」はむしろ予想通りの答えであった。

 

「やだよ。そんならマキが行けばいいじゃん。」

 

 ちなみに、勿論エニシダはこの兄のマキにも打診している。というよりむしろ、そもそもは齢十二にして既に殿堂入りトレーナーである彼こそが、このスカウトの当初の標的(ターゲット)であったのだ。

 

「オレは来月のその辺りはカントーでオーキド博士に頼まれてる仕事があるから。それに、五年後ももういくつか予定が入ってるしね。」

 

 そして、あっさりと断られた。そこで、急きょ弟のヒノキの情報を集め、彼に白羽の矢を立て代えたのだ。もちろん、その事は兄弟には伏せている。

 

「分かったよ、じゃあ考えとくから。だから今日はもうゲームしにいっていい?」

 

「いや、待って!それって絶対考えないやつだよね!?今回はシンキングタイムなしの即決限定の話だから!」

 

 茶と菓子を平らげ、自分の部屋へ戻ろうとするヒノキをエニシダが慌てて押し留めた。

 ジョウト人の「考えておく」は考えない、「また今度」は永遠に来ない──。噂には聞いていたが、実際に言われてみると、なるほど、まるで希望が感じられない。

 

「んじゃ行かない。はい、決まり。」

 

 ああああ。ここまで来るためにかけた金と時間が。

 エニシダが心の内でそう叫んだ時、思わぬ方向から助け舟が現れた。

 

「そうかい。でも、ユンゲラーは行きたいらしいぞ?」

 

「へ?」

 

 マキの言葉に、ドアの前にいたヒノキと頭を抱えていたエニシダが、同時にソファーのユンゲラーを見た。すると、確かに彼はテーブルに置き去りにされた例のチラシをじーっと見つめている。

 

「そんな訳あるかよ。ただなんとなく見てるだけだよな、ユンゲラー?」

 

 しかし、ユンゲラーはその言葉には頷かず、視線を紙面からヒノキに移すと、今度は訴えるような眼差しで彼をじぃーっと見つめた。

 

「・・・分かったよ!行けばいいんだろ!?」

 

 相棒の無言の圧力に負けたヒノキは、半ばやけくそぎみに返信ハガキにある出欠欄の『ご出席』に○をつけ、そのまま階段を上がって自分の部屋へ行った。

 

「ほ、ほんとに!?あ、もうキャンセルはできないからね!ただいまをもって変更の受付は終了したから!・・・あ、もしもし、ボクだけど!実は今──」

 

 エニシダはせかせかとそのハガキをカバンにしまうと、代わりに携帯を取り出し、どこかへ電話をかけるために彼もまた応接間を出ていった。

 

「良かったなあ、ユンゲラー。」

 

 一人残されたマキがそう言うと、ユンゲラーは嬉しそうにスプーンを掲げ、生来の細い目をさらに細めた。

 

 彼だけは気付いていた。

 ヒノキが封筒からチラシを取り出したその時から、ユンゲラーがその片隅の小さなトピックを一心に見つめていたことを。

 

 

「どれどれ。」

 

 

 ヒノキが触れもしなかったその記事に、マキは目を通した。すると、そこには小さな人物の顔写真とともに、次のような一文が記されていた。

 

 

──参加者全員で行うトーナメント戦の優勝者には、未来のタワータイクーン・リラとのチャレンジマッチのチャンスが!!──

 

 

 思えばこの時の彼には既に、ユンゲラーと共に弟の遠い未来がいくらか見えていたのかもしれなかった。

 

 




 
ヒノキの苗字が今と違うのは、この約二年後に起こる、兄のマキが巻き込まれた事件が関係しています。
そしてその関係でマキは今は死んだふりをしています。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

28.15年前② A boy meets ...

【ここまでのあらすじ】
十五年前、当時八歳であったヒノキは、ポケモンリーグチャンピオンの兄のマキと共にジョウトのエンジュシティで暮らしていた。そこにある日、エニシダと名乗る一人の実業家が来訪し、バトル・レセプションなるイベントへの招待状をヒノキに渡す。
それは、彼がホウエン地方で建設中のポケモンバトルの聖地・バトルフロンティアで将来活躍してくれるトレーナーを探すことを目的とした祭典であった。
そのような内容にあまり興味のないヒノキではあったが、相棒のユンゲラーの意欲に圧され、結局参加することとなる。



 

 インディゴ・ブルーの波と風をかき分けて進むクルーザーに寄り添うように、白い鳥ポケモンの群れが海を航っている。

 

「あれはキャモメっていうポケモンなんだって。ホウエンの海じゃ、どこでもよく見かける種類らしいよ。」

 

 エンジン音に負けないよう声を張り上げ、彼は海と同じ色のキャップを被った隣の少年にそう教えた。さっき、ミナモ港で地元のふなのりから教えてもらったばかりの情報だ。

 

「へー。じゃあやっぱりポケモンも全然違うんだな。ジョウトの海じゃ、こんなやつら一匹も見たことないぞ。」

 

 そのキャモメの群れを夢中で眺めながら、教えられた少年もまた大声で相槌を打った。帽子が強風に飛ばされないよう、片方の手は常に頭を押さえている。

 

「カントーだってそうだよ。海っていったら、メノクラゲとドククラゲしかいないんじゃないかって思うくらい。」

 

 そう言って、いかにも生真面目そうな黒ぶち眼鏡をかけた少年はレンズの奥の瞳ををぎゅっと細めて、隣の真新しい友人へと笑いかけた。

 

 アサギ港を発って、丸三日。

 ホウエン地方に入り、カイナとミナモの二つの港を経て開発中のメガフロート・バトルフロンティアへと向かうヒノキには、一人の連れが出来ていた。

 彼の名はシェフレラといい、カントーはセキチクシティからやって来た、バトル・レセプションの参加者である。

 

「でも、本当に助かった。」

 

 メガネに飛んだ飛沫を拭うとともに声と表情を改めると、シェフレラが切り出した。

 

「あの時、カイナの港でヒノキに会っていなかったら。ぼくはきっと、今頃そのクラゲだらけの海へ逆戻りしていたよ。」

 

「またそれかよ。だからそれはもういいって言っただろ。」

 

 照れくさいのが嫌いな照れ屋の少年は、キャモメの群れを見つめたまま、わざとぶっきらぼうに答えた。

 

「それに。それをいうなら『きみ』じゃなくて『きみたち』だからな。」

 

 親指で傍らの相棒を指しながらヒノキが訂正すると、シェフレラは頭を少し後方へそらし、そのポケモンとトレーナーの両者の顔を見て微笑んだ。

 

「うん、そうだった。本当にありがとう。ヒノキも、ユンゲラーも。」

 

 それは、今から約三時間前の事である。

 

 

 

 

「ああ、行っちゃった・・・。」

 

 搭乗ゲートの閉ざされたフェリー乗り場に立ち尽くしながら、シェフレラはカイナ発ミナモ行きの最終便の出港を空しく眺めていた。

 彼はクチバ発セキチク・グレン経由カイナ行きというフェリーでここまで来たのだが、ふたごじま付近で発生した濃霧による遅れが響き、搭乗予定であった件の便への乗り換えに間に合わなかったのだ。

 

―どうしよう。

 

 ここで家に電話をすれば、心配性の母がすぐに警察へ連絡し、セキチクへ帰ることになるだろう。かといって、これまでその地元(セキチク)すら一人で出たことのなかった彼にとって、ミナモまで行く代わりの方法を考えるなど、雲をつかむような話であった。

 

「・・・っ!」

 

 もはやただの紙きれとなったチケットを握りしめた手で、目と鼻から流れるものを拭おうとした時だった。

 

「きみも!気の毒だけど、船はもう出てしまったんだよ。」

 

 すぐ近くから、大人の声がした。

 さきほど搭乗ゲートを閉め、そろそろ自分に声をかけようとしていた、フェリー・ターミナルの係員だ。

 

「うん、それは分かってるんだけど。ちょっとだけ、そこから先見せてほしいんだ。」

 

 そう言ってすたすたと歩いて来たのは、自分と同い年くらいの少年であった。銀色のショートカットに、濃いブルーのデニムキャップがよく映えている。その傍らには、ヤマブキジムのCMでしか見たことのないポケモンが付き従っていた。

 

「ああ」

 

 隣にいる自分には目もくれず、柵に足をかけてずいぶん小さくなったフェリーを見やると、彼はそれだけ言った。どうやら、彼もまた何らかの事情であの船に乗り遅れてしまったらしい。

 

「あれくらいならまだ余裕だよな。な、ユンゲラー?」

 

 少年の言葉に、傍らのユンゲラーがこくりと頷いた。

 

(・・・あれくらい?)

 

 シェフレラは目と耳を疑った。こうしている間にも沖へと進んでいる船は、どんなに少なく見積もってももう一キロは離れている。

 しかし、そんな彼が係員に続けた言葉はさらに耳を疑う内容であった。

 

「ねー、おっちゃん。オレ、今からあれに乗るからさ、ムセン?とかで船の人に連絡できるならしといてほしいんだけど。」

 

 係員は口を開きかけた。が、言葉は出てこなかった。おそらく、あまりにも言うべきことがありすぎて喉でつかえてしまったのだろう。

 その隙を逃さず、シェフレラは声を上げた。心境としては限りなく係員に近かったが、立場は少年と同じであることが、行動の決め手であった。

 

「あ、あの、ぼくも!ぼくも乗りたい!!」

 

「ん?」

 

 その時、デニムキャップの少年は初めて自分の存在に気づいたかのようにこちらを向き、まじまじと顔を見つめてきた。一目で泣いていたと分かる顔をそんな風に見られるのは恥ずかしかったが、この際そんなことはかまっていられない。

 

「・・だってさ。ユンゲラー、こいつもいけるか?」

 

 再び、ユンゲラーが頷いた。

 

「んじゃ、ほら。」

 

 予想外にあっさりと同行が許されたシェフレラが反応に困っている内に、やせた黄色い腕が彼の右の肩を抱いた。反対側には、同じようにユンゲラーに左肩を抱かれたキャップの少年の姿がある。すなわち、ユンゲラーをまん中に、二人と一体は三人四脚をするような体勢になった。

 

「行くぞ。絶対ユンゲラーから手ぇ離すなよ。」

 

 離したらどうなるのか。反射的に浮かんだその疑問は、少年がこともなげに付け足した一言の前に霧散した。

 

「あ、でも死にたかったら別に離してもいいわ。」

 

 え、というシェフレラの絶句は、少年のテレポート!という指示にかき消された。

 そして、あ、という声が出た次の瞬間にはもう、全てが済んでしまった後だった。

 

「・・・」

 

 シェフレラは試しに頬をつねってみた。

 痛い。夢じゃない。

 確かに今、自分は今の今まで眺めていた、カイナ沖のフェリーのデッキに立っている。

 それでもまだ状況が信じられずに彼が立ち尽くしていると、突然背中をばしっと叩かれた。

 

「へっへ、便利だろ。オレはこいつのこれのおかげで、学校(ガッコー)だって寝坊しても遅刻したことは一回もないんだ。」

 

 そんな自慢にならない自慢を悪童じみた笑顔で話す彼に、シェフレラは幼心にもただ者ならぬ気配(オーラ)を嗅ぎとったのであった。

 

 

 

 

「ね!ヒノキは、リラってどんなやつだと思う?」

 

 水平線の先には、すでに長旅の終着点が小さく見えている。

 その高揚感から少しばかり上ずった声で、シェフレラはヒノキに問いかけた。しかし、彼はそんなシェフレラとは対照的な眉間にしわの寄った表情で、逆に問い返してきた。

 

「?だれそれ。」

 

「え?だれって・・・チラシにかいてたじゃん!!全員参加のトーナメントの優勝者だけが戦える、バトルタワーの(タイクーン)だよ!・・・えーと、ほら、ここ!」

 

 そう言ってシェフレラはリュックから例のチラシを取り出し、その位置を指し示してやった。シワひとつない状態できちんとファイルに入れられていたあたり、彼の育ちの良さが伺える。

 

「ふーん。」

 

 シェフレラに渡され、一ヶ月ぶりにそのチラシを手にしたヒノキは、該当の箇所を一瞥した。そして、初めて見たその記事に特に心を引かれたという様子もなく、ひょいと返した。

 

「ま、どっちにしろオレはそんなんキョーミないし。別にどんなやつでもいーわ。」

 

 そんな彼に、納得がいかないというよりは理解ができないといった様子で、シェフレラは目を丸くして訊ねた。

 

「キョーミないって・・・じゃ、なんで来たのさ??」

 

「そりゃ、こいつが来たいって言ったからに決まってるだろ。オレはただのつきそいだよ。」

 

「え?こいつって、ユンゲラーが?」

 

 頷くユンゲラーをシェフレラはじっと見つめ、さらに何かを訊ねたそうだったが、その時、到着五分前を告げるチャイムが鳴り、直後に操縦席のエニシダからのアナウンスが続いた。

 

『はーい、みんな、おつかれさま!もう間もなく着くからね!忘れ物しないよう気をつけて!船から降りても勝手に行っちゃダメだよ!あ、降りずにテレポートで行くとかはもっとダメだからね!!』

 

 カイナ港での出来事が、もう彼の耳にも届いている。おそらく、二人が参加するイベントの主催者であるエニシダにもフェリー会社からの苦情が寄せられたのだろう。

 

「まったく。悪いのはオレらじゃなくて遅れた船だっての。なあ、ユン?」

 

 命じられる前に自らボールに戻ったユンゲラーにそうぼやいてから、ヒノキはシェフレラと共に乗降口へと向かった。そして、そこで出迎えたエニシダの咳払いをわざとらしい歓声で完璧に受け流しながら、二人は真新しい小さな船着き場へと降り立ったのだった。

 

 

 

 

 その日の夜にバトルタワー一階の大広間で催された歓迎会は、ヒノキの予想以上に楽しいものであった。

 カントー・ジョウト・ホウエンの各地からの参加者達と、互いの知らない互いのポケモンについて語り合う内に、あっという間に歓談の時間は過ぎ、やがてメイン・イベントの開始を告げるエニシダのアナウンスが流れた。

 

『あー、あー・・・はい!みんな、楽しんでいるかな?そろそろ宴もたけなわということで、お待ちかね、タワータイクーンのリラから、みんなへ歓迎の挨拶の時間がー』

 

 主催者のその言葉に、誰もがおしゃべりをやめていっせいに彼の立つ前方のステージを見つめた。

 たった一人、その内容に「キョーミのない」少年を除いて。

 

「ーやってきたんだけど、実はちょっと今朝から体調が悪いってことで・・いや、ちょっとそこのイシツブテのきみ!まだ話は終わってないから!石投げるのとかホントにやめて!?」

 

 背後から、前方で必死に石ころの雨を避けるエニシダを笑うざわめきが聞こえる。が、ヒノキはそんな前にも後ろにも目をやることなく、ホール中央のビュッフェコーナーで黙々と料理を皿に盛っていった。

 

「・・えーと。で、なんだっけ・・・そう、代わりに、リラの最新の練習試合の録画を用意したので、それを今から見てもらおうと思います!という訳でみんな、スクリーンに大注目!!」

 

 とたんにホールの照明が落ち、代わりにステージの奥に巨大なスクリーンが音もなく降りてきた。

 

 そこには、一人の人物が映っていた。

 子どもである。それもおそらくは、自分達と同じ年頃の。

 誰もが既に知っているその涼しげな顔に、どこからともなくひそやかなざわめきが広がった。

 

『・・・えー、それではこれより、タワータイクーンのリラとタワートレーナーのローレルによる練習試合(トレーニング・バトル)を開始しまーす。両者、所定の位置について!』

 

 そう実況するのは、カメラを回している画面の中のエニシダ自身だ。

 

『それでは、試合開始(レディー・ファイト)!』

 

 その号令と同時に、この上映の間を食事の時間と決め込んだヒノキは、皿の上の料理の山から一さじをすくって口に運んだ。

 しかし、そのタワータイクーンなる者の「挨拶代わり」の前に、その山がそれ以上低くなることはなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

29.15年前③ バトルタワー

【これまでのあらすじ】

十五年前、当時八歳であったヒノキは、未来のフロンティアブレーン候補を探して各地を行脚していたエニシダに招待され、完成したばかりのバトルタワーで催されるバトルレセプションなるイベントに参加することとなった。
レセプションの初日、道中で出会った同じ参加者のシェフレラと共に歓迎パーティーを楽しんでいた彼であったが、その終わりに披露されたタワータイクーン・リラの試合の映像に衝撃を受ける。
 


 バトルタワーの最上階(トップ・フロアー)

 そこはまさに、タワーの主であるタイクーンの為に存在する場と言っていい。なぜなら、その面積の全ては闘技場と居住空間という、彼の公と私によって占められているからだ。

 そんな地上七十階にあるこの自室で、その日も彼はいつものように朝を迎えた。

 

 

ー起きなきゃ。

 

 

 ベッドに備わるアラームできちんと7時に起床すると、彼は部屋を一周して全てのカーテンを開け、洗面所で顔を洗って歯を磨き、柔らかなくせのある髪をとかしていつもの服に着替えた。

 普段なら、これらの身支度が終わると朝食を届けてもらうために厨房へと電話をする。しかし、この日はその前にもう一件、連絡を入れるべきところがあった。

 

「おはようございます、エニシダオーナー。ぼくです。」

 

 彼が101という内線番号を押した先で受話器を取ったのは、一年前に彼をミナモシティの児童養護施設から引き取った雇用主であった。

 

「やあ、おはよう。こんな時間にきみから連絡なんて珍しいね。ああ、もしかして、今夜のパーティーに関する事かな?」

 

「・・・はい。実は、その件で。」

 

 受話器を握ったまま頷いた彼は、エニシダがその内容までも先回りして言ってくれるのを期待した。が、そこから続いた数秒の間にその見込みがないことを悟ると、仕方なく自ら口を開いた。

 

「・・・今日のパーティーには、各地からやって来た多くの少年達が集まるという事ですが。ぼくのこの言葉遣いや身の振る舞いは、本当に()()()()()()()()()()()()のでしょうか?」

 

 彼のその懸念を聞いたエニシダは、少しの間を置いた後、なるほど、と捻り出すように呟いた。しかし、その響きにはどこか想定の範囲といった、作為的な雰囲気があった。

 

「そのことに関しては、ボクはそれほど心配してはいないけどね。まあしかし、それでもきみが不安だというのなら、少し荷を軽くしてあげよう。とりあえず、今夜のパーティーの挨拶はなしで構わないよ。ボクとしても、今の段階で()()()()()()()()()のは本意ではないからね。」

 

「・・・申し訳ありません。ありがとうございます。」

 

 目下の最大の不安が解消された彼は、息を殺しつつ息をついた。そして電話越しにそんな安堵が悟られないよう、早めに受話器を置こうとした、その時だった。

 

「そのかわり」

 

 彼の受話器を持つ手が固まった。

 

「明日はその少年少女達にタワーの施設案内をする予定だ。モニターをセキュリティ・チャンネルに切り替えれば、彼らの様子を逐一観察することができるだろう。」

 

 その言葉で、聡明な彼は雇用主の言わんとすることが既に理解できていた。が、その聡明さゆえに、引き続き黙ってそのまま耳を傾けていた。

 

「今回のレセプションには、きみと同年代のいろんなタイプの子達を集めた。目標にするなり、反面教師にするなり、学び方はきみの自由だ。とにかく、ボクがきみの(リクエスト)に応じて設けたこの機会を、余すところなく活用してもらいたい。分かっていると思うが、今度はきみが応える番だよ。すなわちー」

 

 エニシダはそこでもっともらしく言葉を切ると、まるで重石を乗せるように、その一言に圧をかけた。

 

「フロンティアを統べる()()()()()()()()()()()になってもらいたいという、ボクの期待にね。」

 

 やがて通話は切れ、ツー、ツーという話中音が聞こえてきた。それでもなお、彼は受話器を耳に当てたまま、しばらくそこに立ち尽くしていた。

 

 彼の名は、リラ・ヴァルガリス。

 弱冠八歳にして戦いの島の大君(タイクーン)となる宿命を負った、名と同じ淡紫の髪と瞳が儚く美しい少女である。

 

 

◇◇◇

 

 

「すごかったね。ぼく、なんかもうかっこいいとか通り越して、恐くなっちゃったくらいだよ。」

 

 歓迎会の後、フロンティア内の宿泊施設へと向かいながら、シェフレラはそう感嘆した。周りの参加者達も、口々に先ほど見たタイクーンの試合の感想を述べている。

 

「あー。まあな。」

 

 しかし、ヒノキは頭の後ろで両手を組みながら、彼の言葉にそのような曖昧な相づちを打つばかりであった。確かに、その十分足らずの試合の映像は彼の胸にも大いなる衝撃をもたらした。ただし、その衝撃から生まれた感情は、彼らと同種のものではなかった。

 

「なあ、シェフ。」

 

 そんなヒノキがまともに口を開いたのは、隣同士の個室の扉の前へ着く頃であった。

 

「なんでおまえはそんなにタイクーンとかにキョーミがあるんだ?」

 

「えっ?」

 

 思いがけない質問に、シェフレラは目を瞬かせてヒノキを見た。しかし、その答えに窮することはなかった。

 

「なんでって・・・そりゃだって、かっこいいじゃない!タワータイクーンって、ポケモンリーグでいうチャンピオンみたいなものでしょ?無敵のスーパーヒーローって感じでさ!!」

 

 そう言ったシェフレラの声は弾み、瞳は輝いていた。そんな彼が、ヒノキにはひどく眩しく感じられた。

 

「そっか。」

 

 隣の友人とは対照的な、静かな笑みを浮かべて彼は呟いた。

 

「うん、でもやっぱチャンピオンって、そーゆーもんだよな。」

 

 そんなヒノキの様子にシェフレラはようやく興奮から覚め、彼本来の穏やかな調子を見せた。

 

「・・・ヒノキは、そうは思わないの?」

 

 出会ってわずか半日の付き合いではあるが、シェフレラは漠然とその気配を感じ取っていた。すなわち、彼は何かが自分や他の参加者達とは決定的に違う、ということを。

 

「いや、んなことはないよ。ただ、ちょっと聞いてみたかっただけさ。んじゃ、また明日な。おやすみ。」

 

 明るい顔を繕って一気にそう言ってしまうと、ヒノキはさっさと自分の部屋に入り、ドアを閉めてしまった。

 そんな彼の様子に、シェフレラは先ほど感じた気配が確かに実在する何かであることを確信したのだった。

 

 

 

 

 参加者一人一人に用意された客室は、中々快適な空間であった。

 トイレや浴室はもちろん、簡単なダイニングやポケモンの回復装置まで備えられ、ある程度の長期滞在も可能となっている。

 そんな部屋に入ったヒノキは、回復装置にボールをセットすると、その足で真っ白なシーツがしわひとつなく張られたベッドへ倒れ込んだ。

 

(タワータイクーンのリラ、か。)

 

 そしてごろりと寝返りを打ち、仰向けになってしばらく色々と考えた後、そのまま白い天井を眺めながら、ぽつりとその名を呼んだ。

 

「ユン。」

 

 ほとんど呟くような声量であったにも関わらず、相棒はたちまち回復装置のモンスターボールから姿を現した。そして彼がベッドの足元までやって来ると、ヒノキは体を起こしてあぐらをかき、正面から向き合った。

 

「分かったよ。なんでおまえがオレをここに連れてきたのかが。」

 

 ユンゲラーが目を細めて頷くと、彼は微笑んで最愛の相棒をぎゅっと抱きしめた。

 それはおよそ八歳の少年らしからぬ、悟りとも諦念ともつかない何かを湛えた静謐な微笑だった。

 

 

◇◇

 

 

 今回のバトル・レセプションは、全七日間の日程でプログラムが組まれている。

 二日目となるこの日は、オーナーのエニシダによるバトルタワーの施設案内であった。

 

「・・・えー、というわけで。これにて本日のタワーの案内は全て終了となります。それじゃあもうすぐ夕食の準備が整うので、今からみんなで一階にー」

 

 そう言ってエニシダが締め括ろうとした時、一行の最後尾からひょこっと一本の手が挙がった。

 

「オレ、一番上も見に行きたい。」

 

 たちまち、ぼくも、私も、という声が口々に続いた。そういう彼らの現在地は六十九階であり、ここまで来たなら、たったひとつ上の最上階まで見てみたいという好奇心は至極まっとうなものであった。

 しかし、エニシダはそんな子どもたちの要望をもったいぶった咳払いで鎮めた。

 

「残念だけどね、ヒノキくん。」

 

 そして、わざわざ最初に手を挙げた少年の名を挙げて続けた。

 

「この上だけは、残念ながらどうしても見せてあげることはできないんだよ。」

 

 その表情はどこか嬉しそうで、まるで彼の言った一言が来るのを待っていたかのようであった。

 

「このバトルタワーの最上階は、名実ともにバトルフロンティアの頂点だ。タワーの精鋭達との七十の予選を勝ち抜いた者だけが足を踏み入れられる、最も特別な場所なんだよ。だから、本当に見たいという人は、正式なオープンを迎えた際にぜひ!挑戦しに来てね!!」

 

 そんなエニシダの完璧な宣伝(こたえ)に、なんだよ、けちいなぁ!という悪態をついたのは、別の少年だった。当のヒノキはといえば、ふーん、と言ったきり特に執着を見せることもなく、大人しく一階へと戻る高速エレベーターの列に加わっていた。

 

「言い出しっぺのわりにあきらめがいいね。」

 

 隣にいたシェフレラが呆気に取られたように言った。わざわざ挙手してまで申し出たからには、もう少し粘りを見せるものとばかり思っていたのだ。

 

「だってアレ絶対ごねたとこで連れてってくれる感じじゃなかっただろ。オレは()(イクサ)はしない主義(シュギ)なんだよ。」

 

 その言葉に負けおしみの響きは微塵もなく、シェフレラはむしろ、本当に見に行きたい気持ちがあったのかとその事を疑いたくなるほどであった。

 

 

 しかし、ヒノキがそんな引き際の良さを見せたのは、もちろん彼が()()()()に気づいたからという訳ではない。

 

 

──こいつが、ヒノキ・エニシュ。

 

「?」

 

「ヒノキ?どうしたの?」

 

「いや、なんか今・・・いや、やっぱなんでもない。」

 

 

 その、未だ見ぬ最上階から画面越しに自分を静かに見つめる、アメジストの双眸の存在に。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

30.15年前④ タワータイクーン

【ここまでのあらすじ】

15年前、エニシダにポケモントレーナーとしての素養を見込まれ、バトルタワーの完成記念イベントであるバトル・レセプションに招待されたヒノキ。そこで彼はタワータイクーン・リラと出会う。





 

 バトル・レセプション三日目の朝。

 いつものように七時に起床したリラは、身仕度を済ませて厨房に朝食の配膳を依頼すると、そのまま部屋を出た。

 

 

(今日も良い天気だな。)

 

 

 窓の向こうの地上七十階の青空に目を細めながら、廊下の突き当たりへ向かって、ゆっくりと歩を進める。朝の日差しが満ちたその光の道は、本当に暖かく気持ちがいい。

 

 

 やがて、真鍮の長い取っ手が光る重厚な扉の前に着いた。全身を使ってその扉を引き開け中へ入ると、彼はすぐ前にある一台のPCを起動した。そして軽やかな手つきでキーボードを叩き、この機関室の向こうにある空間の設定にひとつの変更をかけると、PCの隣にあるワープ・ポートにその姿を消した。

 

 彼には、毎朝食事の前に必ず行う日課がある。それは、このバトルタワー最上階の第一の空間であり、来る未来に彼が腰を据える予定のバトルフロンティアの玉座ーすなわち最上闘技場(ファイナル・ステージ)を訪れることであった。

 

 

 

 

 見渡す限りの、二色の青。

 その境目である水平線が、朝日を受けて遥か彼方で輝いている。

 そこは、四方の壁と天井が【MODE:TRACE】によって完全に透写された、文字通り天空の闘技場であった。ここに、客席というものは存在しない。その代わりに場内のあちこちに設置された数十台の小型カメラが第三者の目であり、彼らはこのカメラを中継することによってのみ、その戦いの全貌を知ることができる。名実ともに、挑戦者と王者(タイクーン)のみが入る事を許された空間という訳だ。

 

 

ーここに最初に現れるのは、一体どんな人間(トレーナー)なんだろう。

 

 

 朝日に包まれた、まだ一度の戦いも知らない決戦の場。その真ん中に一人佇み、未だ見ぬ挑戦者に思いを馳せていると、小さな胸は日々の様々なわだかまりから解放され、清廉な気持ちで満たされる。ささやかな、しかしかけがえのない時間だ。

 

 そうして、今日も頑張ろうと思えた彼が闘技場を後にしようとバトルフィールドの外のワープ・ポートへと歩き出した、その時であった。

 

 

(・・・・?)

 

 

 突如発生した背後の存在感に、リラは反射的に身を翻した。

 

 

「よお、おはよ。あ、あと初めましてだな。」

 

 

 今の今まで、誰もいなかったはずのバトルフィールド。そこに、一人の少年の姿があった。

 朝日の逆光と目深にかぶったキャップのせいで、表情はよく見えない。しかし、その声と悠長かつ掴みどころのない口調には覚えがあった。昨日の施設案内の際にこの七十階を見たいと挙手した、ジョウトのエンジュシティから来たレセプション参加者、ヒノキ・エニシュだ。

 

「・・・何か?」 

 

 リラはとっさに、胸に湧いたあらゆる言葉の中からもっとも冷静で簡単なものを掴んで声にした。

 

「ん、いやなに、ちょいと試合前のウォーミングアップの相手を探してたら、たまたまここに出たもんでさ。」

 

 気軽な調子でそう言ったヒノキの傍らには、エスパーポケモンのユンゲラーの姿がある。どうやら、ここには彼のテレポートで飛んで来たようだ。

 

「つー訳で、今からオレたちと勝負しよーぜ。もちろん一対一(タイマン)でいいからさ。」

 

 もはや不遜ともいえる彼のその飄々とした態度に、リラの揺らいだ心から苛立ちが少しこぼれてしまった。

 

「きみは、ここがタワーのどこかー」

 

「知ってるよ。七十階だろ。」

 

 目の前の少年はこともなげにそう言うと、変わらぬ調子で付け加えた。

 

「ついでに、おまえが誰かってこともな。」

 

 そう言ってにっと笑った彼に、リラの心は再びその真意の掴めなさに揺れた。しかし、今度は波立った感情をぐっと踏ん張って堪えてみせた。

 

「・・・なら話は早い。昨日の見学の時に、オーナーに言われただろう?ここは、七十の予選を勝ち抜いた者だけが来られる場所であり、戦える場所だ。そして今のきみは、その資格を持っていない。」

 

 水平を取り戻した理性で、注意深く言葉を選びながら話した。

 

「や、まあ、それももちろん知ってんだけどさ。でもそれって、ここが正式にオープンしてからの話だろ?そして今は、そうじゃない。」

 

 それは紛れもなく屁理屈であったが、そのくせ一理を含んでいた。そしてその相反する二つの所感に折り合いをつける間が、目の前の少年に「それにだな」という二の句を始める隙を与えてしまった。

 

「どっちにしろ、オレはタワータイクーンとかのおまえにキョーミはない。そんなんじゃない、()()()()()()()()()()()()のおまえと戦いたいんだよ。」

 

 

 警戒色のように鋭さを増した薄紫の瞳で、リラは目の前のデニムキャップの少年をじっと見つめた。

 きみが何を言っているのか分からない。

 そう切り捨ててしまえばすむ話だった。

 しかし、それをするには彼にはあまりにも思い当たる節を抱えすぎていた。

 

「・・・残念だけど、それも無理だ。」

 

 全ての尖った感情を飲み込んでリラが静かに放ったその一言が、初めて二人の形勢を逆転させた。

 

「む、なんでだ。ただのポケモントレーナーとしてなら、七十勝とかカンケーねえだろ。」

 

 対照的に口を尖らせた少年に、リラは落ち着いて続けた。

 

「そういう事じゃない。そうじゃなくて、ぼくは()()()()()()()()()()()()()からさ。」

 

「?」

 

「持っていないんだよ。きみたちのように、自分のポケモンというものを。」

 

 まだ分からないという風に眉根を寄せる彼のために、リラは続けた。

 

「昨日、オーナーの案内で聞いただろう?このタワーの三十五階の事を。」

 

 そのリードで、ヒノキはようやく思い出した。七十階建てのタワーの、ちょうど真ん中にあたる三十五階。そこはバトルタワーで使用される全てのポケモンを管理する部屋がある為、この塔で最もセキュリティの厳しいフロアであると、確かに昨日エニシダが施設案内の際に話していた。

 

「それじゃ、あの試合でおまえが使ってた、四つ足の青いドラゴンとかもー」

 

「みんな、タワー所属のエリートトレーナー達が鍛えた共有ポケモンさ。彼らに特定の主人はおらず、普段はあのフロアで厳重に管理され、連れ出す事ができるのはトレーニングか試合の時だけと決まっている。それはタワータイクーンであるぼくも同じだ。だから、タイクーンではないぼくというのは、ただのポケモントレーナーですらないんだよ。」

 

 彼のその説明に、少年はようやく合点がいったという風にデニムキャップを取り、灰色がかった銀色の髪をくしゃくしゃと掻いた。

 

「・・・なるほどな。そーゆーことならしょーがねえ。ユン、もどろーぜ。」

 

 そして帽子を被り直し、別れ際に放った一言が再び二人の形勢を元に戻した。

 

「ま、でも。それでおまえがやっぱすげーやつだってのは分かったよ。」

 

 予想外のその言葉に、リラの心はまた大きく揺さぶられた。そして返す言葉を見つけられない内に、彼にその最後のターンを終えられてしまった。

 

「じゃーな。タイクーン。」

 

 そう言って現れた時と同じように、彼はユンゲラーと共に一瞬の内に光の中から消えた。しかし、彼らが去ってもなお、リラは自分に宛てられた言葉達を抱えたまま、長い間そこに佇んでいた。

 

 

 

 

 バトルフロンティア宿泊施設一階のカフェテリア。

 地方特産の果物から搾られた色とりどりのジュースで満たされたサーバーが並ぶビュッフェスペースの一角で、シェフレラはグラスに鮮やかなブラッドオレンジ色のジュースを注いでいた。

 

「シェフ、それオレにも一杯いれて。」

 

 背後から急にそう声をかけられた彼は、危うく右手のグラスを落としそうになった。

 

「ヒノキ!早くからどこに行ってたのさ?ぼく、七時半に部屋に行ったんだよ?」

 

 振り返ったシェフレラは、両手に料理を山盛り乗せた皿を携えた友人の背中に問いかけた。

 

「朝メシ前の散歩だよ。オレの日課なんだ。」

 

 何食わぬ顔でそう答えると、ヒノキはきょろきょろと辺りを見回した。どうやら席を迷っているらしい。そんな彼の背に、シェフレラは呆れたように眉根を寄せ、鼻で短いため息をついた。

 

「よくいうよ、昨日はぼくにたたき起こされるまで爆睡してたくせに。それより、はいこれ。」

 

 そう言って両手のふさがった彼のために自分の隣の椅子を引いてやると、頼まれていたザロク・ジュースと共に、一枚の紙を手渡した。

 

なにこれ(はんほれ)。」

 

 トーストを食わえながら、オウム返しのごとくヒノキが訊ねてきた。そんな彼に、シェフレラは胸の中で再び呟いた。よくいうよ、と。

 

「今日から始まる全員参加のトーナメントの組合わせ表だよ。ほら、早く食べないと。九時前にはタワーのホールに集合してなきゃいけないんだから。あと四十分しかないよ。」

 

 シェフレラは、朝食前の散歩というヒノキの言葉をまるきり信じていない訳ではない(もっとも、日課という点に関しては別であるが)。しかし、それが純粋なただの散歩ではなくむしろ別の目的のためのものであり、かつその目的がトーナメント戦に関する何かであるということには、ほとんど確信を抱いていた。

 

「ふーん。」

 

 そんなシェフレラの推し測りなどまるで知らないヒノキは、組合わせ表を眺める内に、参加者一人一人の名の下に割り振られている番号に気づいた。その数、ちょうど七十。

 

「へー。このイベントの参加者って全部で七十人だったのか。知らんかった。」

 

「今さら何言ってるの。最初の日の挨拶で、オーナーのエニシダさんがちゃんと言ってたじゃない。今回招待した僕らの人数は、バトルタワーの七十階にちなんで七十人に決めたんだって。」

 

 どれほど呆れていても几帳面なシェフレラの説明に、もぐもぐと口を動かしながらヒノキは満足げに頷いた。

 

「ふうん。てことはつまり」

 

 そこで左手のトーストをザロクジュースに持ち替え、口の中の物をのどの奥へと流し込んだ。

 

「ここまで行けば、『バトルタワーで七十人抜きをした事になる』って訳だな。」

 

 そう言って彼は、トーナメント表の一番上にある、たった一本の線を指先でくるくると囲った。

 何か、良い悪だくみを思いついたと言わんばかりの得意気な笑顔で。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

31.15年前⑤ きりさく

 
 ちょくちょく回想なども挟まってややこしいので、ここまでのバトル・レセプションの日程をまとめてみました。参考までに。

 一日目:フロンティア到着・歓迎会
 二日目:エニシダによるバトルタワー施設案内
 三日目:参加者全員によるトーナメント戦一日目(初戦のみ)
 四日目:トーナメント戦二日目(三回戦まで)←今回はここ
 


【ここまでのあらすじ】

バトル・レセプション三日目の朝。
リラは七十階の最終闘技場でレセプション参加者のヒノキ・エニシュと出会い、彼から試合前のウォーミングアップとして非公式のバトルを申し込まれる。
戦わせる事のできる自分のポケモンを持たないリラはその申し出を断るも、彼から投げかけられた言葉の数々に複雑な思いを抱く。

 


 

 

 エニシダからリラのもとへその電話がかかってきたのは、レセプションの初日をちょうど一ヶ月後に控えた日の午後であった。

 

「――はい。リラです。」

 

「あ、もしもし、ボクだけど!あのね、今、例の子の家で実際に会って話してたんだけどね・・来月、来てくれるってさ!」

 

 息をせききって舌足らずに話すエニシダに、彼がいつになく興奮しているのが分かる。そんな勢いにつられ、思わずリラも結論を急いてしてしまった。

 

「・・・マキ・エニシュがですか?」

 

 マキ・エニシュ。

 今回のエニシダのスカウト旅行の最本命であり、二年前、十歳四ヶ月という史上最年少記録でポケモンリーグを制した神童。卓越したトレーナーとしての才能と、会う大人全てを驚かせる成熟した人格により、チャンピオンの座を退いた今もなお、ポケモントレーナー界の伝説の寵児として各地にその名を轟かせている。

 

 ところが、そんなリラの反応をエニシダはやや気まずそうにあ、いや、と言葉を濁して否定した。

 

「・・・では、ないんだけど。でもでも、彼の四つ下の弟君が来てくれることになったんだ!ヒノキくんといってね、マキくんが今年で十二と言っていたから、多分、きみと同じ年なんじゃないかな?」

 

「弟、ですか・・・。」

 

 エニシダからの予想外の答えに、リラは反応に困った。本人ではなく、四歳下の弟。そんな人間が伝説のトレーナーの代役としてどれほど自分達の期待に応えてくれるのか、とても測りかねたからだ。

 そしてそんな彼の困惑を、受話器の向こうのエニシダは正確に嗅ぎとったようであった。

 

「あっ、その微妙な反応は、弟とかどうせネームバリュー目的だとか思ったんだろ!でもね、彼は本物だよ。決して兄の七光りなんかじゃない、彼自身の輝きを確かに持ってる。いずれマキくんにも負けぬ劣らぬ大物になると、ボクは会ってそう思った。」

 

 こういう時のエニシダの直勘は、異様なほど正確に的を射る。その事を、リラはよく知っていた。

 

「・・・なるほど。では、その彼もまた兄のように、ぼくが男を学ぶに好ましい人物ということなのでしょうか?」

 

 彼が自分の最も知りたい事を率直に訊ねると、再びエニシダが口ごもった。受話器の向こうの空気の流れが、急に停まったような気がした。

 

「・・・うん、まあ、その辺りはきみが実際に彼に会ってから、自分自身で判断することかな。だけど、きっとマキくんとはまた違う種類の刺激を受けことができると思うよ。そしてできればキミからも、彼にぜひブレーンになりたい!と思わせるような刺激を与えてもらいたいな。」

 

 

 ということは、向こうも来たくて来るというわけではないのか。そんなチャンピオンの弟とこんな自己のあやふやな自分が一体どんな刺激を与え合えるのだろうと、リラは心底疑問だったが、口にはしなかった。

 

 

◇◇◇

 

 

「・・・タイクーン?気分でも悪いのですか?」

 

 ちょうど一ヶ月前の出来事を思い出していたリラは、作業の補佐をつとめるタワートレーナーの声に、はっと現実に引き戻された。

 

「いえ!少し考え事をしていただけで。大丈夫です。」

 

 そう言うと彼は慌てて仕事を再開するべく、まるで触診をするように、目の前の台の上で眠っている小さなポケモンに触れた。それは、このバトルタワーの未来の戦力として昨日孵卵室で生まれたばかりの個体だ。

 

「・・・この個体はすばやさこそやや劣るものの、総じて優秀な能力を持っている。特に、体力面には素晴らしい可能性を感じます。」

 

「ふむ。すばやさは△、HPは◎、その他は◯、と・・・」

 

 確認のためリラの言葉の要約を小声で唱えながら、老齢の補佐官は手にしたノート型のPCを年不相応な速さで叩いた。

 彼の名は、ローレル。エニシダの古い知人で、このバトルタワーのトレーナー達の長であると共に、この島へ転居するにあたって学校を離れたリラにポケモンの知識や戦いの技術を授ける個人教師でもある。その造詣の深さといかにも老紳士らしい控えめで知的な人柄に、リラも彼の事は部下でありながら「先生」と呼んで慕っていた。

 そんな彼はもたらされた情報を打ち込み終わると、ちらりと目だけを上げて、まだ幼さの残る自分の主君の横顔を見た。

 

(まったく、つくづくため息の出る能力だ。)

 

 世の中には、稀にポケモンに対して特殊な力を発揮する人間がいる。究極の秘術を教える事ができる、目に見えない様々な情報が分かる等、その種類は多様であるが、育成向きという点においては、このリラのそれに優るものはないであろう。

 

「加えて。この個体に『熱』に関して特別な感性を持っているようです。従って、種としての脂肪の多い体質とこの感性が組み合えば、その類の攻撃にはかなりの耐性を持つのではないかと考えられます。」

 

「なるほど。ではB-5はほのおやこおりタイプとの鍛練が効果的である・・・と。」

 

 対象のポケモンに触れることで、その個体の戦闘における才能を見抜き、開花のための道程を示す。それが通称『判定(ジャッジ)』と呼ばれるリラの能力であり、一年前、エニシダがミナモシティの孤児院から当時七歳の少女であった彼を引き取った理由そのものであった。

 

「次、お願いします。」

 

 何事もなかったかのように、リラはいつもの調子でローレルに声をかけた。

 しかし、彼の何倍もの人生経験をもつこの老練な補佐官は、今の一体の判定に要した時間から、彼に本来の集中力が戻っていないことを見抜いていた。

 

「いえ。今日は数にも時間にも余裕があることですし、午前はここまでにしましょう。」

 

 朗らかにそう提案したローレルに却って焦りを感じたリラは、少し語気を強めて反発した。

 

「大丈夫ですよ!決して不調などではなく、本当に、ほんの少し考え事をしていただけですから。だからー」

 

「しかし、これが試合(バトル)であれば、そのほんの少しの雑念が命取りになりますぞ。」

 

 急所を突かれて返す言葉に窮するリラに、ローレルはあくまで穏やかに続けた。

 

「いずれにせよ、共有ポケモンの育成方針を決めるという大事な仕事の最中に集中力が不足するのは良くない。少し、あちらで休まれた方が良いでしょう。後の始末は私がやっておきますので。」

 

 そういって、彼は部屋の片隅のモニターの方を指差した。どうやら彼には、リラのその「考え事」の中身まで見えているらしかった。

 

「・・・そうですね。そうします。」

 

 苦笑で表情を和らげた後、リラは素直にモニターの前に着き、レセプションの参加者によるトーナメント戦が行われている十階のカメラにチャンネルを合わせた。

 

 すべてはバトル・レセプション四日目の午前十時の事である。

 

 

 

 

「サンちゃん、スピードスター!」

 

 カントーはクチバシティから来たそのガールスカウトの少女は、フィールド上の相棒にそう指示を送った。

 威力こそ高くないが、放てば標的を射るまで追跡をやめないこの優秀な追尾弾ならば、瞬間移動(テレポート)を駆使するあの賢しいエスパーポケモンをも捕らえることができるはずだ。

 そしてそんな彼女の思惑通り、サンドが高速回転(アイドリング)によって生み出した星の群れは、対峙する相手のポケモンへと直進した。

 

「すげえ!多い!!」

 

 観客席がざわめいた。

 通常、このレベルの未進化ポケモンのスピードスターの弾数といえば多くてもせいぜい二十前後というところだが、このサンドの放ったそれは明らかにその平均以上ある。もちろん、その正確な数は誰も分かりはしないのだけれども。

 

 しかし、その軌道の先に立つ少年は、まっすぐに飛んで来るおびただしい数の流星群に怯むことなく、自身の相棒へ淡々と言った。

 

「後ろ。」

 

(来た!)

 

 その言葉が何を意味するのかは分からない。だからこそ、少女は身構えた。

 この、極めて情報量の乏しい漠然とした指示。にも関わらず、それに込められた意図を的確に把握し、100%あるいはそれ以上の形で実現するパートナー。

 これが、二回戦まで進んだトーナメント戦の中でも相手の少年が他のトレーナー達と一線を画す存在感を示す所以であった。

 

 不意に、直線上のユンゲラーの姿が消えた。

 その瞬間、前方へ直進していた星の群れが、まるで引力に導かれるかのように、急にこちらへと引き返してきた。

 

「!!サンちゃん!丸くなってガードを――!」

 

 しかし彼女が気づいた時にはもはや、サンドは手足を広げたおよそ無防備な体勢で背後のユンゲラーの盾になるしかなかった。彼のしかけた『かなしばり』が、一足先にその身の自由を奪っていたのだ。

 間もなく、物体をすり抜ける事はできない星々が生みの親に向かって弾けた。そしてその際に生じた閃光に、サンドは再びユンゲラーを見失った。

 光が苦手なサンドは、目の眩みから視力を取り戻すまでに時間がかかる。その間に攻められてしまえば、その瞬間がこの試合の終了時間だ。そんな思いが、彼女に判断を滑らせた。

 

「サンちゃん、目で追っちゃダメ!とにかく、相手の気配のする方に向かってきりさいて!」

 

 その、いかにも焦りに駆られた指示に、デニムキャップの少年がつばの下からにやっと笑みを見せ、言った。

 

「らしいぜ、ユン。」

 

 次の瞬間のサンドの行動は、あくまで主人の指示に忠実なものであった。その「気配」は確かに、自身の内側から発せられていたからだ。そして、身体の内側にかけられたねんりきによってその小さくも鋭いツメで我が身を袈裟懸けしたその瞬間、中央スクリーンのユンゲラーのアップに【WIN】の三文字が被せられた。

 

『勝者、エントリーNo.51、エンジュシティのヒノキくん!』

 

 マイクを持ったエニシダが高らかにそう宣言すると、観客席からはこの午前の部で最も大きなどよめきが生じた。

 

「おつかれさま。これでベスト16だね。」

 

 フィールドからテレポートで直帰してきたヒノキを、他の子ども達から少し離れた所に座っていたシェフレラが出迎えた。その傍らには、丸い身体を黒い毛に覆われた彼の相棒の姿がある。

 

「んー。つってもまあ、まだ二回勝っただけだし。そんな大層な感じは全然しないけどな。」

 

 それは、ヒノキとしてはあくまで何の気なしに口にした言葉であった。が、シェフレラの隣で哀しげに触覚を垂れた彼の相棒を見て、慌てて付け足した。

 

「いや、おまえらはおまえらで逆にすげーと思うよ、オレは。狙ってできる事じゃねーし、こーゆーヒゲキも必要っていうか。それに、組み合わせの運とかもあるしさ!」

 

 彼がそんなおよそ慰めにならない慰めの言葉をかけたのには、もちろん理由がある。

 

 昨日行われたトーナメントの初戦は、シンプルかつ緊張感を伴うシステムであった。まず七十名の参加者が全員でシングルバトルを行い、その三十五名の勝者を残り時間と使用ポケモンの残HPから算出した個人ポイントによって順位付けする。そしてその下位三名を足切りすることにより、ベスト三十二というキリの良い数字を作ったのだ。

 そして、そうして生まれた勝者でありながら敗者となった三名のうち、誰よりも涙をのんだ下位三位、すなわち総合順位第三十三位が、シェフレラと彼の相棒のコンパンであった。

 

「いいよ、もう。コン太は気にしないで、ヒノキは気を遣わないで。精いっぱいやった結果なんだから、悔しいけど悔いはないよ。それより、早くご飯食べに行こ。ヒーローインタビュー攻めが始まっちゃう前にさ。」

 

 昼休みの開始を告げられ、ひそひそと話し合いながらこちらをちらちらと見てくる無数の視線に気づかないふりをしながら、二人はカフェテリアへと急いだ。

 

 

 

 

 その、昼休み。

 リラはエニシダと共に、タワー五十階にある高級レストランで昼食を取っていた。主に重要な来賓との会食を想定して設けられた、フロンティアで最も敷居の高い食事処となる予定の店である。

 

「やあ、リラ。どうだい?ここまで勝ち上がってきた面々の中で、気になる子はいたかな?」

 

 エニシダがそう訊ねると、リラはカイナ風海鮮のマトマ煮込みをすくう手を止め、皿にスプーンを置いた。

 

「そうですね。まず、15番。糸と毒の扱いが巧みで、文字通り搦め手としての戦法を確立している。それに、39番。一見、持ち前の根性と火事場の馬鹿力で押しきっているように見えますが、それはそこまでに隠密かつ着実にスモールダメージを蓄積しているからこそ。そして、62番。・・・あのエスパーポケモンは、ぼくが参加者であれば間違いなく今大会中最も当たりたくない相手です。決勝にコマを進めるのはこの三人の内の誰かだと思いますが、ぼくはおそらく彼になると予想しています。」

 

「ふむ。」

 

 その見解は、およそ自分の見立てと一致している。いや、おそらくは()()()()()()()()()

 にも関わらず、彼がその名を挙げなかった決勝のもう一枠について、エニシダは敢えて言及した。

 

「ということは、ヒノキくんはきみの目には止まらなかったということかな?」

 

「・・・いえ」

 

 そら来た、とリラは一瞬身を震わせた。そして、皿に差したままの銀のスプーンを見つめながら言った。

 

「彼の試合だけは、見られませんでした。」

 

 ヒノキの試合は午前の最終戦だったし、その時間にリラに与えた絶対的な用事もない。その上でそれまでの試合は全て観戦していたリラが見られなかったというなら、それは間違いなく彼の心理的な事情によるものだ。

 そこでエニシダは彼を追い詰めないよう、落ち着いて訊ねた。

 

「ふむ。それはまた、どうしてかな?」

 

「こわかったからです。」

 

 隠せない、隠さない方が良いと判断したリラは、正直にその理由を述べた。

 

「彼は無色(ノーマル)で、ぼくは(ゴースト)だから。」

 

 エニシダはその比喩の真意をすぐには測りかねた。そもそも、リラがこういう抽象的な表現を取るのは珍しい。少し考えてから、慎重に言った。

 

「それなら条件は対等、相手にダメージを与えられないのは彼も同じじゃないか。ことさらきみが怖じ気づく必要はないと思うのだが。」

 

「相性だけで言えばそうでしょう。ところが、彼はもうすでに、ぼくの正体を()()()()()しまっているんですよ。」

 

 絶句して両手のナイフとフォークを宙でハの字に停めたエニシダに、リラは急いでつけ加えた。

 

「あ、違うんです、()()()の意味ではなくて。実は昨日の朝、彼が来たんですよ。」

 

「へ?来たって、七十階にかい?」

 

「そうです。ぼくが朝食前の巡回をしていた闘技場に、突然現れて。まったく、礼節も何もあったもんじゃない。」

 

 そう言いつつ、彼の顔に浮かんでいたのは憤りではなく苦笑であった。

 

「そして、ぼくに向かって言ったんです。『タワータイクーンではなく、ただのポケモントレーナーのおまえと戦いたい』と。」

 

 今度はきちんと食具を置き、食い入るように自分を見つめてくるエニシダに、リラは続けた。

 

「彼はおそらくあの試合の映像から、オーナーが日頃ぼくに言うところの『迷い』を見てとったのでしょう。そしてひと度向き合えば、そんな迷いを的確に狙い定めて今のぼくをきりさいてくる。そんな気がしてならないんです。」

 

「ふうん。」

 

 エニシダは椅子の背もたれにゆっくりと身体を預け、腕組みをした。それから少しの間の後に、そのままの体勢で口を開いた。

 

「他人事だと思って簡単に言うなと思うかもしれないけど。それなら逆に、一度きりさかれて一皮剥けてみる、という考え方はどうかな?」

 

 そのエニシダの提案に、リラは首を横に振った。そして、うまく言えないのですが、と前置きをした上で、ゆっくりと言った。

 

「もしも、切り裂かれてなお生き残る魂があれば、ぼくもそのように考えられるでしょう。しかし、今のぼくにはそれがありません。今のこの自分を否定されてしまったら、どう自己を再生すべきかが本当に分からなくなる。それが怖いのです。」

 

「なるほど。」

 

 両刃の剣か。右手であごをさすりながら、エニシダは心の内で呟いた。

 もしもこれがトレーナーとしての才能と人格を併せ持つ兄のマキであれば、リラもこうした不安を抱くことはなかっただろう。たとえ今の自分を切り裂かれたとしても、その後に安心して頂点に立つ男の雛型を彼に求めることができるからだ。

 しかし、弟のヒノキは―――。

 

「きみの不安はよく分かるよ。世の中には、優れた才能を持ちながらも尊敬には値しないという類の人間も存在する。そういう人間とケンカして負けたら、立ち直るのは確かに難しいものだ。」

 

 エニシダとしても、ヒノキの人となりについてはまだ殆どデータを持っていない。しかし、確かにリラとはまるで違う性格(タイプ)であるということだけは分かる。要はそれが吉と出るか、凶と出るかだ。

 

 そのうえで、エニシダは続けた。

 

「まあ、彼の試合を見る機会はまだある。それをどうするかはきみに任せるよ。しかし明後日、トーナメントの優勝者として君の相手をするのはおそらく彼だ。その事を踏まえた上でよく考えてくれたまえ。」

 

「はい。」

 

 それは、彼を、そしてあのユンゲラーを直に感じたリラ自身がもっともよく分かっている事であった。

 

 だからこそ、迷うのだ。

 

 

 

 

 同じ頃、フロンティア宿泊施設内のカフェテリア。

 

「なあ、シェフ。オレはあと何回勝てば優勝なんだ?」

 

 白いスープにストレートの麺が特長のホウエンラーメンをずるずるとすすりながら、ヒノキがシェフレラに訊ねた。

 

「もう、だからこれでベスト16だってさっき言ったのに・・・えーと、この後の午後からの三回戦、明日の午前の準決勝、そしてその後の決勝だから、あと三戦だね。」

 

 どこまでも悠長な友人に呆れつつも、几帳面で面倒見の良いシェフレラは、ポケットの組み合わせ表を広げてみせて答えてやった。

 

「なんだよ、まだそんなにあるのかよ。先は長いな。」

 

「さっきはまだ二回勝っただけって言ってたじゃない。その二回に一試合が増えただけだよ。」

 

 もちろん、シェフレラはそれが口で言うほど簡単な数字でないことは知っている。しかし、ヒノキがそんな事を気にする性格ではないことは分かっていたので、彼もその点には触れず、代わりにもっと口にする価値のある問いをぶつけた。

 

「っていうかさ。ヒノキ、タイクーンには興味なかったんじゃないの?」

 

 このトーナメント戦の優勝者が手にする特典は、彼が初日から一貫してそう宣言するタワータイクーンのリラとのチャレンジ・マッチ、ただそれのみである。にも関わらず、タイクーンには興味がないと散々言っていた彼がこうして優勝を意識しているのが、素朴に気になるのだ。

 

「ん?ああ、それならべつに今もないぞ。」

 

「え?じゃあ、なんで優勝したいの?やっぱり、ユンゲラーのためってこと?」

 

「いや」

 

 そこでヒノキはどんぶりを持ち上げ、残りのスープを飲み干してから口を開いた。

 

「ま、オレにも色々あんだよ。」

 

 楽天的な笑顔に、のんきな口ぶり。

 そこに特に翳りは見当たらない。いつものヒノキだ。

 にも関わらず、なぜかシェフレラは彼にその「色々」の詳細を質すことはできなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

32.15年前⑥ こらえる

 
だいぶ今更ですが、この過去編、執筆の段階で当初のプロットから大幅に内容が変わっております。そのため、第二章までの描写の中に多少の食い違いが生じる可能性がありますが、確認次第順次修正してまいりますので、さしあたってはご容赦ください。


【ここまでのあらすじ】
レセプション参加者によるトーナメント戦が始まり、順調に勝ち進んでいくヒノキ。しかし、友人のシェフレラは、彼が興味はないと断言するタワータイクーンへの挑戦権が特典である優勝を目指していることが不思議でならない。一方、そのタイクーンのリラは、自分の本質を見抜いているかのようなヒノキにプレッシャーを感じ、未だ彼の戦いを見る決心がつかずにいた。
 


 

 その日の夕刻。

 夕陽の射し込む自室のモニターの前で、リラはとある試合(バトル)の映像を見ていた。が、それは今まさにタワーの十階で行われているトーナメント戦の準々決勝ではない。

 バトル・レセプションの初日に参加者達に公開された、一週間前の自分の練習試合である。

 

『・・・えー、それではこれより、タワータイクーンのリラとタワートレーナーのローレルによる練習試合(トレーニング・バトル)を開始しまーす。両者、所定の位置について!』

 

 エニシダによる試合開始の合図と共に、画面の中の自分が放ったハイパーボールからは、扇の両端をくりぬいたような特徴的な赤い翼に空色の体をもつ四つ足の竜が飛び出した。

 対するローレルが繰り出したのは、これまた青い体に綿雲のような体毛をまとった、全く同じ属性の竜。しかし、その嘴と長い首の存在のためか、どちらかと言えば竜というより大型の水鳥に見える。

 

『さあ、ジムトレーナーのローレルが繰り出したのはドラゴンポケモンのチルタリス!対するタワータイクーンのリラが繰り出したのは、これまたドラゴンポケモンのボーマンダだ!おおっと、雄叫びを上げて、気合いは十分!!』

 

 相手を認めるなり翼を広げて咆哮を轟かせたボーマンダをエニシダがそう表した時、思わずリラは眉根を寄せた。

 それというのも、彼はそれが戦いに飢えた血の気の発露などではなく、おくびょうで争いを好まず、さらには進化して日の浅い自分の身体にまだ戸惑っている彼の精いっぱいの威嚇であると知っていたからだ。

 

 しかし、そんなボーマンダへのリラの哀れみは、この状況においてはただ相手に先制を許す隙でしかなかった。

 

「チルタリス、『とっしん』。」

 

 対するローレルのチルタリス。

 彼女は今でこそタワーの共有ポケモンであるが、もとは彼の手持ちであり、ポケモンバトルにおいて基準とされる各種の身体能力の全てに優れた、一級の個体である。

 

「ー『まもる』!」

 

 とっさに展開された強力な防御壁により、チルタリスのその突撃は未遂に終わった。が、彼女に余念はない。反動を利用してくるりと自陣に返ると、その綿雲のような翼をゆっくりとひろげ、静かに羽ばたいた。 そして、その姿は間もなくフィールドを覆った濃霧の向こうに消えた。

 

『おっと、ここでチルタリスの『しろいきり』だ!これでは相手の位置がつかめないぞ!さあ、どうするボーマンダ!?』

 

 そう言われても、戦闘での自己判断能力の未熟な彼にはどうすれば良いのかわからない。そうして霧中で戸惑っていると、どこからともなく美しい歌声が聴こえてきた。移動しながら歌っているらしく、方向までは特定できない。

 

 歌声が睡魔へと変わるのに、時間はかからなかった。そうしてボーマンダの緊張が緩んだ決定的な瞬間を、チルタリスとそのトレーナーは見逃さなかった。

 

「もう一度、身を守れ!!」

 

 突然、正面から飛んできた無数の青紫色の火の玉、すなわち『りゅうのいぶき』が、間一髪で間に合ったボーマンダのシールドに弾けた。しかし、この優秀な防御技は費やすエネルギーが大きく、これ以上連続で使用することは出来ない。

 

(仕方ないな。)

 

 再び、リラの心がきしんだ。

 しかし、ボーマンダの負担を真に最小限に留めるためならば。そう自分に言い聞かせて迷いを押し殺し、眉根を寄せて叫んだ。

 

「ボーマンダ!飛べ!」

 

 不意に飛んできたその指示に、ボーマンダはその鋭利な翼をぎこちなく羽ばたかせ、霧のフィールドから文字通り飛び抜けた。しかし、上空へ出たところで依然としてチルタリスの姿は見えない。ただ、今なお続くその歌声は宙空に上がった敵にまで届くよう、明らかに声量が上がっていた。

 

 一方のボーマンダは、不器用に滞空しながら再び戸惑っていた。飛び上がったはいいものの、頼みの綱である主君が次の指示をくれないのだ。

 

「りゅうのいぶき。」

 

 無数の青白い火の弾が、再び睡魔によろめいたボーマンダの両翼を今度は完璧に捕らえた。

 翼を燃やされたボーマンダは当然のごとく地に堕ちる。が、辛うじて受け身を取って体勢を保った彼に、主君がようやく次の指示を出した。

 

「もう一度、飛ぶんだ!」

 

 その指示にどういう意図があるのか、ボーマンダには見当もつかなかった。

 それでも、自分ではどうすれば良いのか判らない彼は、命じられるままに気力を振り絞り、まだ青白く燃える両翼をばたつかせた。しかし、当然もうその身体を宙へ運ぶだけの力はない。

 ただ、いたずらに辺りに高熱を帯びた突風を撒き散らすだけであった。

 

 

 それが、リラの狙いだった。

 

 

「『きあいだめ』!」

 

 いつの間にか、あの一寸先も見えない乳白色の濃霧がすっかり晴れている。

 そしてその先には、強烈な熱風に吹き飛ばされまいと必死に身を伏せて踏ん張る、体重わずか20キロの翼竜の姿があった。

 

(わざと翼に炎を受けて、熱風を霧払いに・・・!)

 

 ここへ来て、ローレルはリラの意図を理解した。

 細かな氷の粒から成る『しろいきり』は、普通の霧とは違い、ただの強風による吹き飛ばしでは極めて効果が薄い。そこで、その風に氷を溶かして蒸発させるほどの熱を加えたのだ。

 

 いまや完全に奮い立ち、自分を攻撃してきた敵を視認したボーマンダに、もはや気後れはなかった。後はただ、自分を導く主君の指示と体内に渦巻く興奮と本能に身を委ねた。

 

「ドラゴンクロー!」

 

 完全に急所を突いたその爪撃に、チルタリスは細く高い絶叫を残してあっけなく地に落ちた。

 そこで、途中から解説を忘れて見入っていたエニシダは我に返り、慌てて戦いの終わりを告げた。

 

『・・・あ。えー、チルタリス、戦闘不能!勝者、タワータイクーンのリー』

 

 

 

 そこでリラは映像を停めた。

 そして、結んでいた唇をかんだ。

 

 レセプションで集まった同世代のトレーナー達の戦いを見て、分かったことがある。

 それは、彼らが名実ともに()()()()()()()()()()()()であるということだ。

 彼らにとってのポケモンバトルとは、自分で育てたポケモンと日頃培った努力や知恵や工夫やこだわりを試す機会であり、勝敗とはそれが通用した喜び、しなかった悔しさである。

 そこには勝利には勝利以上の意味があり、敗北にも敗北以外の意義があった。

 だからこそ、彼らは何の肩書きもないトレーナーとの名もない試合にも、心の底から一喜一憂を見せるのだ。

 

 

(それに比べて、ぼくはー)

 

 

 リラは映像の一時停止を解き、最後に大きく映し出された自分の顔を見た。勝者でありながら、なんと沈んだ瞳をしているのだろう。

 

ーオレは、タワータイクーンとやらのお前にキョーミはない。

 

 彼のあの言葉は、おそらくこの戦いを見てのものだろう。その理由は、今や自分でも分かる。いや、むしろ最初から分かっていた。

 

 

 

 でも、少し考えてみてほしい。

 もしもきみたちのように心のままに戦うことで、出すべき結果が出せなかったとしたら。そうなれば、ここにはいられなくなってしまうとしたら。そしてそれが、自分がこの世界に存在する理由がなくなることを意味するのだとしたら。

 

 それでもぼくは、間違っているのかと。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 

「惜しい。実に惜しい。」

 

 ミナモシティの郊外、海岸沿いにあるバーベナ孤児院。その応接間のソファーで、今しがた録ったばかりの戦いの映像を見ていたエニシダは、巨大なため息とともにそう漏らした。その声には、明からさまに難色が現れていた。

 

「・・何か、問題でも?」

 

 院長との話を終え、ちょうど部屋に入ってきた相方のローレルがその理由を訊ねた。

 

「大いにね。なんというか、やはり女の子だ。優しすぎるというか、気が回り過ぎるんだよ。まあ、ちょっとこれをみてくれ。」

 

 エニシダは手にしていたビデオカメラをローレルへ渡した。受け取ったローレルがその小さなディスプレイを覗き込むと、そこには対峙する二体のエニシダの手持ちと、その片方につく一人の幼いトレーナーの姿があった。

 

「ハブネーク、『へびにらみ』!」

 

 まだあどけない可愛らしい声がそう指示すると、黒い大蛇はぎょろりと不気味に赤い眼光を効かせ、今にも飛びかかろうと機を伺っていたザングースから機動力を奪った。

 

「そのまま、『まきつく』!」

 

 緊張しているのか、その声はやや震えていた。しかし彼女の相棒は忠実にその指示に従い、文字通り、全身でぎりぎりと白い宿敵を締め上げた。

 巻きつかれたザングースはそのとぐろの中でしばらく抗うように力んでいたが、四肢も封じられているため、まさに手も足も出せない。やがて脱力し、ぐったりと頭を垂れた。

 

 そんな対戦相手を見て、少女は慌てて言った。

 

「ハブネーク、やめて!もうその子は動けないから、もう離してあげて!」

 

 見かけによらず、すなおな性格の彼がトレーナーの少女のその指示に従順にとぐろを解いた、次の瞬間であった。

 

 

 ザスッ、という何とも言えない鈍い音がしたかと思うと、蛇ポケモン特有の細い飛沫のような声が、断末魔として見る者の鼓膜を震わせた。

 そしてその次の瞬間にカメラが捉えていたのは、斬り落とされたハブネークの尾と、その体液を爪から滴らせる返り血まみれのザングース、そして一連の出来事に絶句して立ち尽くす薄紫の少女の姿だった。

 

 

「・・・なるほど。確かにこれでは、タイクーンになる前に潰れてしまうだろうな。」

 

 トレーナーの介在するポケモンバトルには、多かれ少なかれ必ずそのトレーナーの姿勢や人となりが現れる。

 必要以上にザングースを傷つけず、苦しめずに戦おうと尽力し、またその思いをあっけなく裏切られ愕然としていた彼女が、戦いの塔の頂点に不向きであることは、もはや明白すぎる事実であった。

 

 

「そういうこと。実際、この試合の後ショックで倒れてしまってね。今は医務室で休んでる。しかし、あの判定の能力は本物だ。ハブネークが初対面の彼女にあれだけ忠実だったのも、彼女が自分の核心に触れていることを無意識に感じていたからだろう。従って、はがゆくはあるが今はこのままスクールで知識をつけさせ、四年後の学校の卒業と同時に改めて一般職員としてスカウトという形にー」

 

 その時、応接間の扉が遠慮がちに小さく開く音がした。

 エニシダとローレルが振り向くと、そこには今しがた彼らが小さな画面の中で見た少女が立っていた。

 

「わたし、がんばります。」

 

 声も体も震えていたが、その言葉には確固たる何かが宿っていた。

 

「今は戦うのは苦手だけど、でも、たくさん練習して、勉強もして、ぜったい上手になります。だから、連れていってください。」

 

 そう言ってぺこりと頭を下げると、怯えと決意の入り交じった目で二人の大人を見上げた。大きな薄紫のその瞳は、まるでアメジストが嵌めこまれているかのようだ。成長した暁には、さぞ麗しい婦人(レディ)となるだろう。

 

 エニシダとローレルは少し顔を見合わせ、頷き合った。

 

「・・・ふむ。それじゃあ」

 

 やや間を空けて、エニシダが口を開いた。そしてソファーから立ち上がって彼女の元まで歩み寄り、しゃがんで目線を合わせると、サングラスを外した。そして、可愛らしい赤い大きなリボンで結われた、瞳と同じ色の長い後ろ髪を前に持ってきて、大人の顔で言った。

 

「約束できるかな?今日からわたしは、世界で一番強い男の子になります、と。」

 

 

◇◇◇◇

 

 

 録画の再生を終えたリラは、モニターの電源を落とした。そして、暗くなった画面にうっすらと反射する自分に向かって短く嘲笑した。

 

 一体、自分は何を傷ついているのだろう。

 そもそも自分は彼らとは違う。

 立場も、境遇も、戦う理由も、戦いに求めるものも。

 そうして根本的にスタンスが異なるのだから、例え今のこの自分を否定されたところで気にする必要などないし、ましてやおまえは間違っているなど、誰に言うことができよう。

 

 

 

 

 だけど。

 

 

 

 

「・・・ぼくだって!何も、好きで、こんなー!!」

 

 

 

 

 戦い方をしている訳じゃない。

 リラはそう吐き出そうとして、思い止まった。

 今、それを声に出して言ってしまったら、本当に路頭に迷ってしまう。

 初めて誰かから必要とされ、何かが変わるかもしれないと新たな世界に足を踏み入れることに決めたあの日の自分を裏切ってしまう。

 

 

(・・・大丈夫。これでいいんだ。)

 

 長く深い呼吸で昂った気を落ち着け、再度自分に言い聞かせた。

 だいたい、あの試合にしても。なまじボーマンダを庇って負けたり()()()()()()()()をしていれば、エニシダは何度でも再試合をさせていただろう。

 その方が、彼にとっての負担は大きかったはずだ。

 手段は最善ではないにしろ、結果としてはちゃんと最善を尽くしているではないか。

 

 

(そうだ。ぼくはただのポケモントレーナーなんかじゃない。このバトルタワーの、タワータイクーンなんだから。)

 

 

 だから、こらえるしかない。

 ぎゅっと眉根を寄せ、唇を結び、仕方がないと自分  に言い聞かせ続けることで。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

33.15年前⑦ きりばらい

 
だんだん自分でもあやふやになってきたので、第二回レセプション日程まとめ開催です。

 三日目:参加者全員によるトーナメント戦一日目(初戦のみ)
 四日目:トーナメント戦二日目(午前:二回戦 午後:三回戦)
 五日目:トーナメント戦三日目(午前:準決勝 午後:決勝)←今回と次回はここ


【ここまでのあらすじ】
トーナメントの準々決勝が行われているレセプション四日目の夕方、リラは自分の練習試合の映像を省みていた。
胸中の様々な思いを押さえてタイクーンとして戦う画面の中の自分と、ただのポケモントレーナーとして心のままに相棒のポケモンと戦うレセプション参加者達と差に、ヒノキに言われた「タワータイクーンのおまえには興味がない」という言葉が突き刺さるが、彼にはそれすら堪えることしかできなかった。
 
 


 

 

 参加者全員によるトーナメント戦も佳境に入ったバトル・レセプション五日目の正午。

 昼休みで人気のまばらなタワーを一人足早に、リラは七階のバトルフィールドへと向かっていた。

 

 結局、ここまで一度も「彼」の試合を見ることができないまま、トーナメントの優勝者──すなわち明日の自分の対戦相手の決まるこの日を迎えてしまった。

 だからこそ、午後からの決戦の舞台であるこの場に実際に臨むことで、半ば強引にでも腹を括ろうと考えたのだ。

 

 

 それが、その思いがけない邂逅の経緯であった。

 

 

 

 

 高速エレベーターを降り、いくつかの自動ドアを通り抜けてたどり着いた、節目を告げる少し立派な闘技場。

 午前に行われた準決勝が十分前に終わったばかりであり、かつ決勝の開始時刻まではまだ三時間近くもあるこの時点では、当然誰の姿もない。

 

 

 

 

 はずだった。

 

 

 

「・・・・・」

 

 

 

 互いの姿に気付いた二人は、すぐに目が合った。が、その後はどうすれば良いのかは、双方まったく分からない。頭が音を立てずに回転する故の沈黙が辺りを支配した。

 

 そこには先客がいた。

 彼が誰であるか、リラはもちろん知っている。

 他でもない、今日、あと約三時間の後にこのフィールドに立つ予定の少年だ。

 そしてそれは、ヒノキ・エニシュではなかった。

 

 

「やあ。おつかれ様。」

 

 

 しばしの黙考の後、リラはこういう時は主人(ホスト)である自分から声をかけるべきだという結論に至り、必死に状況に応じた言葉を捻出した。

 

「きみは昼食には行かないのか?決勝まではまだ約三時間もある。気合いが入っているのは良いことだけど、こういう時こそ休憩はきちんと取っておいた方がいい。」

 

 思えば、こうして参加者と直に接するのは一昨日の(ヒノキ)以来だ。緊張から声が少し強ばっているのが自分でも分かったが、目の前の少年は自分よりさらに緊張しているらしく、『かなしばり』でもかけられたかのように固まっている。そんな彼からようやく言葉が返ってきたのは、それからたっぷり数十秒の後であった。

 

「それは分かってる。でも、()()()はすごいから。何かしてないと、プレッシャーに押しつぶされそうになるんだ。」

 

 「あいつ」とはもちろん午後の決勝戦の相手、すなわちヒノキの事だ。

 

「・・・そうか。でも、きみだってすごい。」

 

 世辞などではなく、リラは心からそう言った。

 何しろ彼は、昨日のエニシダとの昼食の席で自分が決勝候補の筆頭として挙げたエントリーNo.62その人物なのだ。

 その事を話してやると、ここまで畏縮しきっていた彼の表情が幾分緩むのが分かった。

 

「ありがとう」

 

 そう言って、少年は微笑んだ。冬のよく晴れた日のような空色の髪と同じ色の瞳が、静かで思慮の深い印象を与える。

 なんとなく、自分に似ているとリラは思った。

 

「じゃあ、今日の試合でおれは()()()に勝てるかな?」

 

「それは──」

 

 リラは彼のその問いへの返事に窮した。

 きみはすごい。ポケモンもよく育っている。ぼくが参加者なら、予選で最も相手にしたくないのはきみだった。

 みな嘘ではない。嘘ではないのだが、その評価の比較対象にヒノキは入っていない。リラ自身が彼の戦いを見ていないからだ。

 これまで接する機会のなかった挑戦者という第三者の登場によって露わになった自分の立場の重さとそれに対する意識の甘さを、彼は文字通り痛感した。

 

「・・・分からない、な。実際の勝負は、事前の予想を裏切ることが少なくないから。」

 

 決して間違いではなかったが、リラはそれを目の前の少年の目を見て言うことはできなかった。それはあくまで、この塔の統治者でありながら私情から務めを怠った自身に対する憤りと恥、そして彼への罪悪感からであったが、そのような事情を知らない少年は、タイクーンのそんな様子を別の意味に捉えたらしい。

 

「さすがだな。そうだよな、タイクーンがどっちが勝つと思うとか、言えないよな。」

 

 裏表のない、あくまでさっぱりとした調子であったが、そこには確かにある種のニュアンスが込もっていた。

 

「!ちがう、そういう訳じゃ──」

 

 人の心の機微に敏感な彼は、とっさに自分はヒノキの試合を見ていないから、と本当のことを言おうとした。が、それは彼の慰みにならないばかりか、却って事態を混乱させる要素でしかないと判断すると、それ以上は続けられなかった。

 

「いいんだ。みんなも言ってるし、おれも自分でもそう思う。たぶん、勝つのはあいつの方だって。」

 

 少年は自らその言葉を声にした。しかし、相変わらずその口調に悲観の色はなく、本当にそれでいいと考えているようだった。

 

「分かるんだ。おれの相棒もエスパータイプだからさ。他のやつらは、あのユンゲラーがエスパーだからあんな風にできると思ってるみたいだけど、そんな簡単なもんじゃない。あれは、本当に何にもできないところからポケモンと一緒に考えて、いちいち試して、そのたび反省して、そうして前に進んできたやつだからできるんだ。」

 

 そこで彼は、今しがた最終調整を終えたばかりのその相棒が収まった左手のボールに目を落とした。ほんの一瞬、きゅっと寄った眉と色の変わった指先が何かを叫んでいるようだったが、すぐにまた静かな微笑を見せた。

 

「ジムリーダーをやってるおれの師匠がいつも言うんだ。努力に勝る超能力はないって。だからおれも毎日自分なりに頑張ってる。でも、だからこそ分かるんだ。ほら、言うだろ?ちりも積もれば山になるって。おれとあいつの山は、高さ自体は同じくらいに見える。けど、その山を作っている()()の大きさは全然ちがう。多分、それが勝負の決め手になる。」

 

 

 リラには目の前の少年が不思議でならなかった。

 そこまで決定的な差を直に感じながら、決して曇ることはないその表情が。

 ここまで言う彼に、その選択肢がないことが。

 

 

「・・・そう思うなら。きみはどうしてそれでも戦うんだ?負けるために戦うとでもいうのか?」

 

「え?どうしてって・・・」

 

 そんなリラの問いに、少年は目を丸くした。

 が、すぐに合点がいったという風に頷いた。

 

「そっか。あんたはどんなやつが相手だろうと、絶対に勝つしかないもんな。」

 

 リラを見てそう言いながら、彼は少し気遣わしげに瞳を翳らせた。それから数回瞬きをして、再び光を宿して言った。

 

「そりゃあもちろん、勝ち負けが全く気にならないって言えば嘘になるけど。でも、おれはとにかく自分が納得できる戦いがしたいから。それができたなら、その結果はどうであっても構わないんだ。」

 

 衝撃が、納得を伴ってリラの腑に落ちた。

 戦う者でありながら、驚くほど勝敗から解き放たれている。なぜなら彼らは、相棒と共に積み重ねた時間の中で、既に勝敗以上の価値あるものを手にしているからだ。

 そしてそんな連中の名を、リラは既に知っていた。

 

「おれはポケモントレーナーだから。たとえどんな結果が待っているとしても、おれを信じて戦ってくれるポケモンのために逃げずに精一杯戦いたいんだ。」

 

 ポケモントレーナー。

 彼らはこの何の地位も権威もない肩書に、なんと誇りを持っているのだろう。

 

「やっぱり、きみはすごい。」

 

 今度はその眩しさの為に彼から目を伏せながら、リラは呟くように洩らした。

 

「ぼくには、決してできないことだ。」

 

「え?」

 

 再び、少年は目を丸くして目の前のタワータイクーンを見つめた。そして、言った。

 

「何言ってるんだよ。おれにそう思わせてくれたのは、あんたのあの練習試合だぞ?」

 

「え・・・?」

 

 今度は、リラが少年に向かって目を見開く番だった。そんな彼に少年は、まああんたは戦ってたから分からなかったかもしれないけど、と前置きをした上で話し始めた。

 

「あのボーマンダ、途中からはっきり顔が変わったんだよ。それまであった不安とか迷いとかが、ちょうど霧と一緒に吹き飛んだみたいに消え失せてさ。本当に、驚くほど良い表情になったんだ。」

 

 今やリラはただ少年の目を食い入るように見つめ、その言葉に聞き入っていた。

 

「それで思ったんだよ。トレーナーはポケモンをこんな風に変えられるんだって。だからおれも、あんな風にポケモンに自分の力を信じさせてやれるトレーナーになりたいってさ。」

 

──ま、でも。それでおまえがやっぱすげーやつだってのは分かったよ。

 

 リラはふと、一昨日の朝に去り際のヒノキに言われた一言を思い出した。あの言葉にも、そうした意味が込められていたのだろうか。

 なんだか胸が熱くて、心の震えが止まらない。

 

 

「だからさ。あいつとの試合でおれがそんな風に戦えてるか、また見ていてほしいんだ。」

 

 たとえその全力が勝利には届かなかったとしても。戦いに託した思いは、見る者の胸に届くかもしれない。

 

「へへ・・・誰かが自分のことをちゃんと見てくれてるって、嬉しいもんだな。」

 

 照れ笑いを浮かべながらそう言った彼の言葉と気持ちは、今のリラには分かりすぎるほどよく分かった。

 

「約束する」

 

 美しいアメジストの双眸をまっすぐ少年に向けながら、リラは頷いた。

 

 先ほどまでその胸中に霧のように立ち込めていた迷いは、嘘のように晴れていた。

 勝利も敗北も、そしてその間にある、挑戦者達一人一人の思いも。この塔で繰り広げられる戦いの全てを見届け、受け入れる。自分にはその責務がある。

 

 

 なぜなら自分は、このバトルタワーの頂点(タイクーン)なのだから。

 

 




 

今回登場したエスパー使いの少年のイメージはスタジアム2(≒初代)のサイキッカーですが、彼自身はサイキッカーではありません。(ここ重要。詳細は次回にて)
ちなみにこのレセプション編自体は『四月は君の嘘』をモチーフとしております。
母の命に従って才能の全てをコンクールで勝つ為に費やす公正(=リラ)、そんな彼をそれぞれの思いから肯定する者、否定する者・・・うまく言えませんが、大体そんな感じです。

今回は本編が短めだったので、ちょっと余談でした。
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

34.15年前⑧ みがわり

 
【ここまでのあらすじ】

トーナメント戦の決勝の前、リラはその戦いの舞台で一人の少年と出会い、そのやり取りの中でタワータイクーンとしての自覚と責任に気付き、この塔の戦いの全てを受け入れる決意を固める。



 

 

 フユキ・ケリアスは超能力を持たない少年だった。

 もちろん、それは世間一般的には全くもって普通のことであり、むしろそうでない人間の方が圧倒的に珍しい。が、それがカントー地方のヤマブキシティのある一族の出身となると、話は別だ。

 

 読心術(テレパシー)が得意で『エスパーおやじ』の異名をもつ叔父に、念の力で手を触れずとも物体を動かすことのできるサイキッカーの両親。

 そして、一族でも特に強い力を持ち、『エスパーしょうじょ』としてしばしばメディアにも取り沙汰される従姉と、その兄で若くしてこの町のジムリーダーを務める従兄。

 個人差はあれど、その血を継ぐ誰もがなにがしかの不思議な力を持って生まれるその家系においては、例外は明らかに彼の方であった。

 しかし、そうかと言って一族の者はそのことで誰も彼を責めたり蔑んだりはしなかった。むしろ、喜ばしいこととして祝福さえした。それというのも、その科学では説明のつかない力は確かに利便性を発揮することもあったが、それ以上に人々からの好奇や猜疑や蔑視や憎悪に換わって返ってくることの方が遥かに多かったからだ。

 

 そのような訳で、彼はその事にはほとんど負い目を感じることなく、「その日」を迎えることができたのだ。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「フユキ。いくら早く来てもポケモンをもらえる時間は変わらないよ。昨日、言っただろう?」

 

 そう言って、若いジムリーダーは施錠されたジムの入り口で膝を抱えて微睡んでいる空色の髪の少年を揺り起こした。

 

「ふえ・・・?あっ、兄ちゃん、おはよう!うん、ごめんなさい。でもおれ、夕べベッドに入っても全然眠れなくて。それならもうここで待ってようと思ったの。」

 

 目をこすりながらそう話す九歳下の従弟に、彼は鼻でため息をついた。

 もっとも、それは彼には()()()()()()()()()()ことであった。

 だからこそ予めきちんとくぎを刺したし、その上でそれが無駄であること知って、この朝の六時半という時間にジムを開けにきたのだ。

 

「こんなところで居眠っていたら風邪を引くよ。ほら、おいで。朝ごはんもまだなんだろう。僕の部屋で一緒に食べよう。」

 

 そう言って彼は右手の二人分の朝食を左手に持ち替えると、空いたその手を少年に差し出した。

 比較的温暖なカントー地方といえ、十月の下旬ともなると朝方はかなり冷える。

 それは、彼らが今いるジムの玄関の脇に植わった銀杏の大樹が、その葉をこの街の名と同じ色に染めている事からも明らかな事実であった。

 

「うん、ありがと。」

 

 少年は嬉しそうにぎゅっと無邪気にその手を握り返した。

 

「・・・それで、どのポケモンにするかはもう決めているのかい?」

 

 ひんやりとした人気のない廊下を歩きながら、ジムリーダーの青年は右手を握る少年に尋ねた。

 

「やだなぁ、何言ってるの。それならもうずっと前から言ってるじゃん!おれの決意(ケツイ)は変わってないからね。」

 

「・・・そうか。」

 

 その答えに、青年は思わず握る手に力が入ってしまった。が、一瞬のことであったため、興奮しているフユキは気づかない。

 

「うん!おれ、絶対イツキ兄ちゃんみたいな強くてかっこいいフーディンのトレーナーになるから!だから、今日は絶対ケーシィをもらうからね!!」

 

 目を輝かせてそう話す少年に、彼は返す言葉を見つけることができなかった。

 

 

 目の前の人間の、少し先の未来が見える。

 それがエスパー青年こと当時のヤマブキシティジムリーダー、イツキ・ケリアスの超能力だった。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

『それではこれより、カントー地方のヤマブキシティ代表のフユキ・ケリアスくんと、ジョウト地方はエンジュシティ代表のヒノキ・エニシュくんによる決勝戦を開始します!』

 

 そのエニシダの実況と客席からの歓声に、フユキははっと我に返り、夢から覚めるように記憶の片隅から現在へと立ち戻った。

 

『それでは、レディー・・ファイト!!』

 

 その瞬間、フィールドの中央に二つのモンスターボールが弾け、二体のポケモンが現れた。

 わずかに早く姿を見せたのは、右手にスプーンを携えたヒノキのユンゲラー。

 そのユンゲラーに対峙するように現れたのは、愛嬌のある赤い頬とからくり人形のような機械的な身体が印象的な、フユキの相棒だった。

 

『さあ、フィールドに現れたのはヒノキ・エニシュくんのユンゲラーと、フユキ・ケリアスくんのバリヤード!決勝戦はエスパータイプ同士の戦いだ!』

 

 素早さで優る敵から先制が来るかと、フユキは身構えた。が、相手のユンゲラーは動かない。こちらの出方次第で選ぶ選択肢を決めようという訳だろう。それならば──。

 

「バリー!ねんりき!」

 

 フユキのその指示を受けてバリヤードが取ったのは、意外な行動であった。両手を使って、まるで何かを丸めるかのような動作を始めたのだ。そしてあまりにも自然で巧みなその動きは、たちまち見る者に透明な球体の存在をありありと想起させた。そしてそれをビーチボール大にまで仕上げると、これまた精巧な身振り手振りで作った一畳大の見えない壁によって、ユンゲラーへと打ち出したのだ。

 

「ユン!上だ。」

 

 ヒノキのその指示に、このバリヤードというポケモンを知らない観戦者の幾人かは失笑を漏らした。いくら精巧とはいえ、擬似動作(パントマイム)を真に受けるなんて、と。

 

 しかし、それはねんりきという名の実弾であった。

 

 周囲の空気を細やかに振るわせながらユンゲラーへと直進していたその弾は、ユンゲラーの目前で彼の曲げたスプーンと同じ方向、すなわち垂直上に軌道を変えた。そして、そのままフロアーの天井に、いくらかの痕跡を残して消滅するはずであった。

 

「今だ!!」

 

 そのフユキの声と、天井付近に現れたバリヤードの分身がバリヤーによって念の球をユンゲラーの背部に叩き落としたのは、ほとんど同時であった。

 

『決まったぁ、バリヤードのバリヤースマッシュ!!空中への対応はさすがのユンゲラーも予想外だったか!この試合最初のクリーンヒットは、フユキくんのバリヤードだ!』

 

 実況のエニシダが興奮ぎみに叫ぶ。

 バリヤースマッシュとは、彼が名付けたバリヤードのこの戦法の事で、要はバリヤーを張った状態で生み出したみがわりとの念の球の応酬による挟撃である。カントー・ジョウト・ホウエンの各地からスカウトした今回の参加者達の中でも、突出して高度な戦い方だ。

 

「ユン、大丈夫か?」

 

 一度ヒノキのもとまで下がったユンゲラーは主人の言葉に頷いた。エニシダのいう通り、攻撃自体は見事に決まったが、技としてはあくまで「ねんりき」であるので、ダメージとしてはさほどのものではない。

 

「おもしれーな、あいつら。」

 

 ヒノキの言葉に、ユンゲラーはまたこくりと頷いた。

 

 

 

 

「バリー。あいつはどうだ?」

 

 同じように一度主人の元へ退いたバリヤードは、その問いに両手を広げて答えた。

 それは指の数によって相手の強さの印象を示す彼らの間のサインで、今回の場合は指十本、すなわち彼バリヤードががこれまでの経験を省みても最も手強い部類に入ると感じていることを意味していた。

 

「・・・そっか、そうだな。おれもそう思う。」

 

 フユキは頷いた。

 表情には出さなかったが、実はバリヤードのこの念の球を弾かれたのは初めてのことであった。というのも、この球は文字通り敵に当てるという念によって生成されているため、性能としては追尾弾に等しい。それを操作されたということは、相手の念動力がバリヤードのそれを上回っていることを意味していた。

 

「でも、だからっておれたちが弱いことにはならない。」

 

 確かに、単純な力比べなら敵わないかもしれない。しかし、それはあくまで念動力の話であり、バリヤードの真髄はそれではない。何より、ここまで勝ち抜いてきたことがその確たる証だ。

 

「おれはそれを、この戦いであいつらに知らせたい。ちょっとしんどいかもしれないけど、いいか?」

 

 頷いたバリヤードの表情に恐れはなく、むしろのぞむところという意気込みが感じ取れた。そんな頼もしい相棒に微笑みかけた後、フユキは改めて相手のポケモンを正面から捉えた。

 

 ユンゲラー。

 およそ戦闘能力の乏しいケーシィが、それでも経験値を積み重ねることで到達した進化形態。そして、現在カントーで確認されているエスパータイプでは最強とされる、フーディンへの道を歩む者。

 

 そこまで思いを巡らせたフユキは、ぎゅっと険しく眉根を寄せた。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「本当に、申し訳ありませんでした。()()()()()()()()()()()()()()──」

 

 目を覚ましたフユキが病院のベッドの中から最初に聞いたのは、従兄のイツキによる二人の大人へのその謝罪だった。

 

「イツキくんが謝ることじゃないよ。未来は変わることもある。きみはあの子を信じて、その可能性に賭けてくれたんだろう?」

 

 優しく諭すように青年をなだめているのは、フユキの父親だった。すなわち、イツキにとっては伯父にあたる人物だ。

 

「だけど。それならそれで、その可能性が実現するよう、最後まできちんとサポートすべきでした。たとえ彼自身がそれを拒んだにしても、食い下がって──」

 

「あなたの気持ちは私達にも分かるわ」

 

 今度は静かな女性の声がした。フユキの母親だ。

 

「ケーシィが姿を消す度に、きっとあいつはまだ人が怖いんだって。だから、トレーナーのおれが探して大丈夫だって教えてやらなきゃって。どんなに疲れていても、私達が何をどう言っても、あの子はそこは譲らなかったから。」

 

 その言葉に、イツキは仮面を外して目を拭った。彼が日常的につけているそれは、彼がまだエスパー少年と呼ばれていた頃、それ故に巻き込まれた事件で負った火傷の跡を隠すためのものであった。

 

 やがて沈黙を破るように、父親が再び口を開いた。

 

「きみとフーディンにも、ケーシィの頃にそういうことはあったのかい?」

 

「・・・いえ。僕には、予知で彼の行方を知ることができましたから。たとえ彼がいつどこへ消えようと、全てはそれで済む話でした。」

 

 イツキはそこで一度言葉を切ると、少しの間の後に歪な口調で吐き出した。

 

「でも、それができないからおまえにケーシィは無理だなんて言えなかったし、言いたくなかった。」

 

 再び、沈黙が流れる。

 しかし、今度はイツキ自身がそれを破った。

 

「・・・フユキには、代わりの相棒(パートナー)を用意しました。『力』がなくても、負担にならないようなポケモンを。僕が勝手に決めてしまったことで、彼は怒るかも知れませんが。」

 

 目を伏せながらそう話す甥の肩を抱きながら、フユキの父親は優しく言った。

 

「あんなに慕っているきみがそこまで思いやってくれてのことだ。フユキもきっと分かってくれるさ。何より、あの子自身も限界だったはずだ。こんな言い方が良くないのは分かっているが、責任感が強い性格だけに、なおさら自分から言い出すことは難しかっただろう。諦めるためには納得が要る。今回、疲労で倒れたことは、その納得に値すると思うんだ。だから──」

 

 

 フユキはそこで聞き耳を立てるのをやめた。

 そして、今、自分がこうして声を殺して泣いている事も、不思議な力をもつ彼らには見透かされているのだろうかなどと、そんなことを思った。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ユンゲラーの少年が、ずいぶんと大人しいようですな。」

 

 モニターの前に座るリラの傍らに立って試合を観ていたローレルが、呟くように言った。まるで、独り言と捉えられても構わないというように。

 

「あの状態のバリヤードが相手では、攻めあぐねるのも無理はないでしょう。ましてや同じエスパータイプのユンゲラーでは、なおさらです。」

 

 几帳面にそう返しつつも、リラの視点は彼とは異なっていた。バリヤードが四分の一の自分で作り上げた分身(みがわり)に、どうにも自身が重なって仕方なかったからだ。そしてそんな『みがわり』に、ヒノキはどのように立ち向かってくるのか。

 そんな思いで、画面の向こうのフィールドを見つめていた。

 

 

 

 

 

「あー。こりゃちょっと手強いな。」

 

 実際のところ、ヒノキはいつになく攻めあぐねていた。

 前には、本体と分身の二体のバリヤードがこちらの出方を伺っている。彼らはユンゲラーが動きに合わせて、自在に挟み撃ちの陣形を取ってくるだろう。しかも、同じエスパータイプであるために、主な攻撃手段である『ねんりき』によるダメージはあまり期待できない。その事は、先の相手から受けたそれによって証明済みだ。となれば──。

 

「ユン!」

 

 その一声で、ユンゲラーはフィールドの中心へと瞬間移動をした。すかさず、前方にいた分身が背後に回る。

 

「まずはみがわりから潰すぞ!ねんりきだ!」

 

 ヒノキのその指示を聞くより早く、ユンゲラーの手からスプーンが離れた。そして、まるでそれ自身が意志を持った生き物であるかのように、滑らかな動きで前方向だけに防御壁(バリヤー)を構えた分身の背後を捉えた。

 

『スプーンによって物理的な攻撃力も備えたユンゲラーのねんりき!これはきれいに決まりそうだ!!』

 

 しかし、そのエニシダの実況は現実とはならなかった。その瞬間、金属が何か不思議な物質と衝突した際に生じる奇妙な甲高い音と共に閃光が走り、光と音が切れると共に、激しく折れ曲がったスプーンがぽとりとフィールドに落ち、その先を辿った誰もが言葉を失った。

 そこには、狙われた分身を守るようにバリヤーを張る、新たな分身の姿があった。のみならず、ユンゲラーと対峙している本体の傍らにも、いつの間にか新たな分身が身構えている。

 

『な、なんと、ここへ来てバリヤードの分身が二体増えたぁ!!ユンゲラーは合計四体のバリヤードを相手にすることになってしまったぞ!!』

 

 唾が飛ぶのも構わず、エニシダが叫んだ。

 

 あっという間に、ユンゲラーの四方をバリヤードが三体の分身と共に取り囲んだ。そして、その新たなゲームの盤上に、二球目の念の弾(エクストラ・ボール)が投入された。

 

「ユン!外へ出ろ!」

 

 ヒノキは叫んだが、ユンゲラーはその指示に従うことができなかった。スプーンが手を離れてしまったことで、四方の防御壁が放つ念の波動に克つ力が出ないのだ。為す術がないまま、たちまち彼は激しい念の球の応酬の的となった。

 

『四体のバリヤードによる四方からの猛攻(ラリー)!!まさに四面楚歌だ!このままのバリヤードの勝利が決まってしまうのか!?』

 

 

 

 リラがバリヤードの分身(みがわり)を自分と重ねている一方で、フユキもまた、対戦相手とそのユンゲラーに、実現しなかった自分と最初の相棒の姿を見ていた。

 

 新たにイツキにもらった相棒のバリヤードは、ケーシィのようにテレポートで行方をくらますこともなければ、最初から多彩な技が使えた。また、とても自分を慕ってくれ、難易度の高い『みがわり』を使いこなすためのイツキによる厳しい訓練にも、共に耐えてくれた。そうして、やがて地元の同年代で自分達に敵う者はいなくなった。

 

 それでも心の奥には、未だにもしも超能力があったらなどと考えてしまう自分が棲み続けていた。

 今頃隣にいる相棒は、憧れのあのポケモンだったのではないかと。

 そんな自分が、本当に嫌いだった。

 

 

「バリー!もう少しだ!!」

 

 

 だからこそ、その力なしにその道を切り開いた目の前の相手に、今の自分の全ての力と心をもって挑む。

 

 その上で、超えてほしい。

 

 そうして、証明してほしい。

 

 生まれ持った不思議な力なんかなくたって。

 

 それはちゃんと実現できる夢なんだって。

 

奇遇(キグウ)だな。」

 

 突然、コートの反対側から飛んできた悠長な声に、フユキはその主を見つめた。 

 

「ちょーど今、オレも同じ事言おうと思ってたんだよ。」

 

 そう言って、フィールドの向こう側にいるキャップを被った少年はにやっと笑った。その手には、いつの間にか先ほど分身に弾かれたユンゲラーの銀のスプーンが光っている。

 

「いや、もちろんお前らにとってもそうなんだろうけどさ」

 

 ちらりとスクリーンに表示されたHPのゲージに目をやってから向き直ると、彼は自分の額を指しながら宣言した。

 

 

「でも、勝利(ショーリ)(ホシ)は最初っからオレ達の上に光ってんだよ。」

 

 ヒノキがスプーンを頭上高く掲げたその瞬間、袋叩きにされていたユンゲラーの額の赤星が強い輝きと念を放ち、四体のバリヤード達は怯んだ。

 

「今だ、ユン!」

 

 その機を逃さずヒノキからスプーンを受け取ったユンゲラーは、たちまち水を得た魚のように活力を取り戻し、テレポートで容易に四体の包囲網を脱出すると、上空から本体に狙いを定めて右手のスプーンに念力を集中させた。

 

「バリー!・・・・!」

 

 フユキにはその意図を理解することはできた。しかし、そのままバリヤーで対抗すべきか、それとも急いでみがわりを戻すべきか。

 その一瞬の迷いが、瞬間移動したユンゲラーにスプーンで四分の一の体力となっていた本体を貫かせる隙となった。

 

 

『・・・試合終了!!優勝はエントリーナンバー51、ジョウト地方エンジュシティのヒノキ・エニシュくん!!』

 

 エニシダの実況に合わせてヒノキがぐっと右の拳を突き上げると、フィールドの中央にいたユンゲラーも真似をして、スプーンを握った右手を突き上げた。そんな彼らに、客席から割れるような拍手と歓声が降り注いだ。

 

『えー、それでは!すばらしい戦いを見せてくれた二人に、順番に話を聞いてみたいと思います!まずは優勝者のヒノキくん!最後の見事なカウンターについて、簡単に話してくれるかな?』

 

「ユンゲラーはピンチになるほどサイコパワーが高まるから。その状態で体力が四分の一になった本体を突けば、一撃で倒せるかなってさ。」

 

『なるほど・・・ということはもしや、本体のHPを減らすためにあえてみがわりを作らせて、ユンゲラーの能力を上げるためにあえて攻撃を受けていたと?』

 

「だって、ふつーのねんりきでふつーに攻めてたんじゃラチあかねーもん。たしかにユンゲラーにはちょっと身体張らせちまったけど、こいつはそれでもいいって言ってくれたから。な?」 

 

 ユンゲラーが頷いた。

 そんな彼らにエニシダは明確に本心からの驚異の色を見せたが、公にはしなかった。

 

『・・・はい、どうもありがとう!それでは、今度は惜しくも準優勝となったフユキ・ケリアスくんに話を聞いてみたいと思います。フユキくん、今の気持ちを一言でもらえるかな?』

 

 思いがけず自分に向けられたマイクと集まる視線に、フユキは一瞬戸惑ったが、率直な感想を素直に述べた。

 

「えっと・・・とにかく、不思議な気分です。すごく。」

 

『ほう。それは、どういう意味だろう?』

 

「あんまりうまく言えないんですけど・・・なんか、負けたのに悔しさよりすっきりしたって気持ちの方が強くて。これでちゃんと、本当に前に進めるようになったっていうか。」

 

 彼はその言葉を、天井の隅に設えられたカメラに向かって話していた。すなわち、今の自分の全てを見届けていてくれたであろうタワータイクーンに向かって。

 

「だからやっぱり、勝ち負けよりもちゃんと本気で戦うことが大事なんだと思います。」

 

 何も事情を知らない観客達に自分の言葉が理解されるとは思っていなかったが、予想外に温かな拍手が贈られた。それは図らずも、彼がその戦いに託した思いがが彼らの胸にも届いていた事を意味していた。

 

 

『・・・はい。いやもう、八歳とは思えないコメントをどうもありがとう。それでは改めて、素晴らしい戦いを見せてくれた二人に大きな拍手を!』

 

 再び、割れんばかりの拍手喝采がフィールドの二人に浴びせられた。

 

『それではこれでトーナメントは終了です!明日はいよいよー』

 

 そうしてエニシダが明日の連絡を始めたところに、フユキが低い声で隣のヒノキに話しかけた。

 

「なあ」

 

「ん?」

 

「そいつがケーシィの時、テレポートで移動して()()手を焼かされた場所はどこだった?」

 

「そりゃあ、昔火事で焼けた立ち入り禁止の塔の屋根の上だな。おかげで、こいつを捜すオレがケーサツに捜されるハメになったよ。」

 

 そう言って、ヒノキは隣のユンゲラーの頭をくしゃっと撫でた。二人が言葉を交わすのはこれが初めてであり、従ってヒノキはもちろんフユキの過去の事情はつゆほども知らない。

 

「・・・そっか。」

 

 リタイアした自分には決して答えられないその質問を冗談めかして返す彼に、フユキは漠然とした相反する二つの感情を胸に感じた。

 そしてその表情のまま、天井の隅のカメラへと目で語りかけた。

 

 

 やっぱり自分は、負けるために戦ったのかもしれない、と。

 

 

 

 

 

 

 試合が終わり、ローレルが部屋を後にしても、リラはまだそこにいた。そうして、二人のポケモントレーナーから自分に宛てられたメッセージについて、ひたすら熟考していた。

 

 まず、フユキ。

 彼は誠実に、自分の言葉を実戦において実践した。

 詳しい事情は分からないが、おそらく彼もまた、自分と同じように一人では抜け出せない迷路の中をさ迷っていたのだろう。そして彼に負けることでその出口にたどり着いた。それが彼にとって優しい出口であるのかは分からないけれど、彼自身が前を向けると感じられたなら、厳しくとも残酷ではないのだろう。

 

 そして、ヒノキ。

 練習試合での自分と同じように「肉を斬らせて骨を断つ」戦法でありながら、試合後の表情はまるで自分と違っていた。そして今ならその違いが何であるのか、はっきり分かる。

 

 それは、ヒノキはユンゲラーが傷つくことを恐れていなかったということだ。

もちろん、それは彼がユンゲラーが傷ついても構わないと思っているという意味ではない。

そうではなく、ユンゲラー自身が、たとえ多少傷つくことがあろうと主人の采配が自分を更なる高みへ導いてくれると信じていること、そして何より、自分が本当に大切にされていると知っていること。相棒のそうした思いの存在を知っているからだ。

 

 

 自分はまだ一度もポケモンとそのようなつながりを感じたことはない。しかし、おそらくはそういう結びつきのことをきっと──。

 

(絆とか、信頼とか言うんだろうな。)

 

 

 それに比べて自分は、ボーマンダのことをただ憐れみの目でしか見ていなかった。しかし、もしボーマンダに自分がついていることで安心感を与えてやれたなら。自分を信じてほしいと伝えてやったなら。彼の恐怖は、いくぶん和らいだのではないだろうか。

 

 身を覆う事は防御の基本だ。しかし、心に関しては閉ざすのではなく、開く方が却ってその強度は増すのではないか。

 

 

 そこでリラはふと思い当たった。

 すなわち、あの戦い方はもしや自分にその事を教えるためだったのではないか、と。

 

 

 

 

 

 

 その夜。

 自室の内線の受話器を手にリラはしばし俊巡していたが、やがて意を決してレセプション参加者達が宿泊する施設のある部屋の番号を押した。

 

「はい。えーと、ヒノキ・エニシュです。だれ?」

 

「三日前の朝、七十階で会ったタワータイクーンのリラだ。きみに、聞きたい事があって電話した。」

 

 そう名乗っても受話器の向こうヒノキは特に驚いた様子もなく、相変わらずの悠長な調子で答えた。

 

「おお、おまえか。なんだ?好きな食べ物とかってならいろいろあるけど、やっぱ一番はモーモーミルクプリン以外はー」

 

 聞いてもいない質問に勝手に答えだす彼を完璧に流して、リラは単刀直入に本題を切り出した。

 

「おとといの朝、きみはタワータイクーンのぼくには興味がないと言った。それは、今も変わらないか?」

 

 少しの間があった。それはほんの15秒ほどの間でったが、リラにはやけに長く感じられた。

 

「そーだな、今んとこは。」

 

 何の含みもない能天気な声が、かえって胸に刺さる。

 

「・・・なら。明日の試合はどうするつもりだ?」

 

「さあて、どうすっかな?まだなーんも考えてねーや。ま、その場のフンイキとユンゲラーの気分次第だな。」

 

「・・・そう、か。」

 

 全力で勝負してほしい。

 ただそれだけの事なのに、なぜかなかなか切り出せない。この期に及んで、全ては自分の一人合点で、彼は本当に自分には全く興味がないのだとしたら。そんな思いが振り払っても振り払ってもまとわりついてくる。

 

 そうして口ごもっている間に、逆にヒノキの方から訊かれてしまった。

 

「それだけか?聞きたいことってのは。」

 

「あ、いや、もうひとつだけー」

 

 リラはとっさにそう言ってから、肝心の質問の用意がないことに気付いた。そうして口をついて出た質問に、彼は自分で驚いた。

 

「きみは、才能とはなんだと思う?」

 

「はあ?」

 

 反射的に返ってきたすっとんきょうな声に、リラは慌てて言った。

 

「あ、いや、急に変なことを聞いてすまない。大丈夫、今の質問は忘れてくれてー」

 

 慌てるあまり、通話を切ろうと受話器を耳から離してしまった、その時だった。

 

「そりゃ、モーモーミルクプリンだろ。」

 

「・・・は?」

 

 まるきり意味の分からない返答に、今度はリラが聞き返した。

 

「たとえだよ、たとえ。お前は食ったことないかもしれないけどな、あれ、すげー美味いだけじゃなくて、めちゃくちゃ栄養もあんだよ。風邪ん時とかフツーに薬より効くし。美味くて栄養満点とか、食い物としての才能ありまくりだろ。」

 

 

 なんとなく分かる・・・ような気がしないではない。が、確信はまるでない。

 それでもリラは、一応訊いてみた。

 

「・・・じゃあ、それがポケモントレーナーの場合はー」

 

 そりゃあアレだ、と前置きした上で受話器の向こうの少年は言った。

 

「自分もポケモンも楽しくやってて、しかも強い奴。」

 

 その言葉に続いた、あ、やべ、それオレか、というヒノキの独り言は随分遠く聴こえた。

 

 文字通り、ばっさり切り裂かれた。

 なのに、その心の内はただただ清々しかった。

 これまでの自分を否定されたことが。

 今日の試合を見ていた自分を肯定されたことが。

 負けながら清々しいと言っていたフユキもまた、こんな気分だったのだろうか。

 

 

「おい、タイクーン。立ったまま寝たのか?」

 

 そのヒノキの呼び掛けで、リラははっと我に返った。

 

「ご、ごめん。ちょっと考え事をしていた。」

 

 そしてリラが改めて明日の試合の話を切り出そうとした時だった。

 

「あー、そうそう」

 

 あくび混じりに、ヒノキが先に口を開いた。

 

「確かに()()オレはおまえにキョーミないけど。でも、だからって明日もそうとは限らないからな。んじゃ、オレもう寝るわ。おやすみ。」

 

 その声は、確実にいたずらな笑みを含んでいた。そしてその事実によって、しつこくまとわりついていた胸の疑念が嘘のように解けていくのを感じた。

 

「・・・おやすみ。」

 

 言い慣れない挨拶をぎこちなく返して、リラは受話器を置いた。

 

 なんだろう。

 うまく言えないけれど、なんだか心に小さな丸い火が灯ったような感じがする。

 明日、自分の何かが確実に変わる。

 それも、冷たい土を押し上げて小さな芽が地表に顔を覗かせるような、そういう希望をはらんだ変化によって。

 

 

 

「へへ、今んとこは作戦通りだな。」

 

 通話が切れたのを確認してから、ヒノキは受話器に向かってそう呟き、電話台に戻した。

 そしてベッドに寝転び、相棒の収まったボールを掲げながら、中のユンゲラーに語りかけた。

 

「なあ、ユン。明日も面白くなりそうだな。」

 

 そしてボールをベッドの枕元に置き、明かりを消して間もなく眠りに着いた。

 

 

 

 その部屋の窓辺に忍び寄る、無数の黒い影には気づかないままに。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

35.15年前⑨ スプーンなげ


【ここまでのあらすじ】

バトル・レセプション参加者全員によるトーナメント戦は、フユキとヒノキによって決勝が争われ、結果、ヒノキの優勝に終わった。そんな彼らの戦いを見たリラはその夜のヒノキとの電話のやり取りを通じ、翌日の彼との対戦に自らの変化の予感を感じる。
そしてヒノキもまた、そんなタワータイクーンとの対戦を楽しみに眠りに着いたが・・・。



 

 シェフレラ・コーヴァンがその違和感の存在に気付いたのは、バトル・レセプション三日目の朝のことであった。

 

 

「ヒノキ、おはよう!さあ、起きて起きて!今日からいよいよ──」

 

 しかし、彼のそのダイレクト・モーニングコールはそこで途絶えた。というのも、前日の朝は清々しいまでに寝坊をした友人の姿が、今朝はすでにその部屋のどこにも見当たらなかったからだ。

 

 

ーーそりゃあ、確かに約束も何もしてなかったし、今日は()()()()()といえばそうだけど。

 

 

 朝食をとるために一人カフェテリアへと向かう道すがら、彼は胸中のわだかまりに思いを巡らせていた。

 別に、何時に起きてどこへ行こうが彼の勝手であるし、それをわざわざ自分に告げる義務もない。ましてや今日は、全員参加のトーナメント戦の初日だ。仮に彼が自分に何も言わずに戦いの準備(ウォーミングアップ)を行っていたとしても、数時間後に対戦相手として対峙する可能性がある以上、それはむしろ真っ当なことであった。

 

(でも、だからこそ・・・ね?)

 

 シェフレラはつい思ってしまう。

 自分以外の誰もが敵となるこんな日だからこそ、ほんのひとつでも友達らしいつながりを持ちたかった、と。

 

 

 

 

 食堂の雰囲気自体は昨日とさほど変わらなかったが、やはりどことなく試合前の緊張感のようなものが漂っている。

 そんな中、一人の少年が彼の元へと寄ってきた。

 片手に網を携え、ポーチのように虫かごを肩にかけた、模範的なむしとりしょうねんだ。

 

「おっ、さすがだな。チャンピオンの弟は自主トレか?」

 

「?何のこと?」

 

「え?ほら、初日からおまえと一緒にいる、ユンゲラー連れてるあいつだよ。えーと、ヒノキとか言ったっけ?へ、おまえマジで知らないの?」

 

「・・・何を?」

 

 シェフレラの胸がざわめいた。

 聞きたくないな、と思ったが、すでに少年はないしょ話の邪魔になる麦わら帽を外し、彼の耳元に口を寄せてきていた。

 

「ほら、おまえもカントー勢だったら知ってるだろ?二年前のポケモンリーグの優勝者のマキ・エニシュ。あいつ、そのマキの弟なんだって。」

 

 どくんと、シェフレラの胸が大きく揺らいだ。

 マキ・エニシュ。老若男女を問わず、今やカントーのポケモントレーナーで知らない者はない、伝説の史上最年少チャンピオン。

 当然シェフレラもヒノキのフルネームを初めて聞いた時は反射的にその名を思い浮かべたが、それだけで二人を結びつけるのは短絡的すぎると、その時点で可能性を切り捨てていた。

 

「・・・名字がたまたま一緒なだけじゃないの?」

 

「いや、オレも詳しくは知らないんだけどさ。でも、誰かがオーナーが言ってたから間違いないって。」

 

 もちろんヒノキはシェフレラにそんな事は一言も言っていないし、仄めかす事さえしていない。しかし、そうであるとすれば、彼がユンゲラーという八歳児らしからぬポケモンを所持していることや、チャンピオンに対するあの屈折した態度にも合点がいく。

 シェフレラは、自分の中で彼がまた一歩遠ざかるのを感じた。

 

 

「シェフ、それオレにも一杯ちょうだい。」

 

 

 だからこそ、その四十分後に彼が何食わぬ顔で食堂に現れた時、嫌味のひとつもなく自然に彼を受け入れた自分自身に驚いたのだ。

 

「ヒノキ!どこに言ってたのさ?」

 

「朝飯前の散歩だよ。オレの日課なんだ。」

 

「もう。よく言うよ。それより、はい、これ。今日のトーナメントの──」

 

 最初は彼自身もその現象がうまく掴めず、気のせいだと思おうとした。しかし、違和感はそのトーナメント戦の開幕につれて、いよいよ明らかになった。

 初戦で涙を飲んだ自分に対し、一足跳びで階段を上がるように勝ち上がっていくヒノキ。しかし、いかにも二人の関係がぎこちなくなりそうなその構図にも関わらず、シェフレラは何の無理もなくヒノキの隣に居ることができたし、心から彼を応援し続けることができた。

 

 やがて、他の参加者同士の戦いを観ている内に、その不自然が自分だけの現象ではないことに気付いた。全員が、素質があると言われて満を持してやって来た場で、明確に示された序列。そんな勝者と敗者がいる空間としては、あまりに空気が爽やか過ぎるのだ。まるでスリープに喰われてしまった夢が記憶からすっぽりと抜け落ちてしまっているかのように、本来ならばそこにあるはずの感情が胸の中のどこにも見当たらない。

 

「シェフ、どした?しんきくせー顔して。」

 

「あ、ううん!大丈夫、何でもないよ。」

 

 彼はその事について、それ以上は追究しなかった。どんな事情があるにせよ、心の暗がりなどないに越したことはないのだから、あまり考えない方がいいと考えたためだ。

 

 そしてそんな違和感を心の片隅に保留したまま迎えたレセプション六日目の朝、事は起きた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「ヒノキ、おはよう。もう起きてる、よね?」

 

 その朝も、シェフレラはヒノキの部屋の扉を叩いた。

 結局、彼がいなかったのは三日目の朝だけで、昨日・一昨日は自分が来るまで熟睡していた。

 

 そしてそんな前日までと同じように、彼はやはりベッドの中にいた。しかし、どうも様子がおかしい。

 遠慮がちに部屋の中に進み、ベッドの脇からそっと彼の顔を覗き込んだシェフレラは、思わず声を上げた。

 

「!?ど、どうしたの!?その、顔ー!」

 

「大丈夫。ちょっと、寒気がするだけだよ。」

 

 布団にくるまったままそう答えたヒノキの顔色は蒼白で、血の気がない。

 夕べ別れた時とはまるで別人だ。

 

「大丈夫な訳ないよ、そんな顔で!ちゃんとお医者さんに診てもらわないと!待って、今医療センターに電話を──」

 

 そう言いながら電話の受話器を取ったシェフレラを、ヒノキは制した。寒気のためか、彼の腕を掴んだ温度のないその手は小刻みに震えている。

 

「いや。ちょっと悪い夢見ただけだから。体調不良とか、そんなんじゃない。きっと戦ったら熱くなってじきに治るよ。」

 

 そしてゆっくり、ゆっくりと起き上がってどうにか身仕度を済ませると、愛用のデニムキャップを被り、脱け殻のような笑顔をシェフレラに向けて言った。

 

 

「オレは、ポケモントレーナーだからな。」

 

 

 

◇ ◇

 

 

 

「よお。よろしく。」

 

 そう言って試合開始時刻ぎりぎりにフィールドに現れたヒノキの異常には、当然エニシダとリラも一目で気づいた。

 

「ヒノキくん・・・?なんだかあまり体調が良くなさそうだけど・・・ほんとに大丈夫?」

 

「もちろん。いや、これ今日の試合が楽しみ過ぎて寝れなかったっていうあれなんで。さあ、早く始めようぜ。」

 

 しかし、その呼吸は荒く、両手で膝頭を掴んで上半身を支えている。誰がどう見ても、立っているのがぎりぎりという状態だ。そんなヒノキの様子に、観衆の子どもたちもざわめいている。

 

 リラとエニシダは、ちらりと視線を交わした。そしてその暗黙の一瞬の内に「早めに勝負をつけるしかないだろうな」という合意を確認し、共に頷いた。

 

『・・・えー、それでは!これより、挑戦者、ヒノキ・エニシュくんとタワータイクーンのリラ・ヴァルガリスによるチャレンジマッチを始めます!それでは、試合開始!!』

 

 その合図とともにリラの放ったハイパーボールからボーマンダが、やや遅れてヒノキの放ったモンスターボールからユンゲラーがそれぞれ現れた。

 

 無論、リラの胸には本当にこのまま戦ってよいものかという迷いがあった。何しろ目の前の彼は確実に健常ではない。

 しかし──。

 

 

ー確かに今のオレはおまえにキョーミないけど。でも、だからって明日もそうとは限らないからな。

 

 そう言っていた彼が、今は不調を押してまでフィールドに立ち、自分と戦おうとしている。

 そしてその足元には、どうしても自分に対する何か思いやりのようなものが埋まっている気がしてならないのだ。

 

 

 そのようにして半ば強引に俊巡に()()をつけたリラが、ボーマンダに最初の指示を出そうとした、その時だった。

 

 

 ヒノキが口を開く、それどころか顔を上げるより前に、ユンゲラーはくるりと踵を返し、対戦相手に背を向ける格好で右手のスプーンを放り投げた。そしてそれは、まるでそのように意図されたかのように、すっとリラの手中へと収まったのだ。

 

「・・・?」

 

『おっと、先に動いたのはヒノキくんのユンゲラーだ!・・が、しかし、これは・・・』

 

 そこで言葉が途絶えたエニシダもまた、ユンゲラーのその行為の意味を測りかねて困惑しているようであった。

 

「・・・これは、一体?」

 

 右の掌に収まった銀色のスプーンをヒノキの方へ差し出しながら、リラは訊ねた。

 

「そのまんま、だよ。」

 

 ひどく緩慢な動作で額の冷や汗を拭いながら、ヒノキは一語一語絞り出すように答えた。

 

「スプーン()()。降参だ。この試合、オレの、負けだよ。」

 

 そう言って、身体で息を継ぎながらどうにか口許を緩ませた。

 そしてそんな彼が意識を失ってその場に倒れ込んだのは、その直後のことであった。

 

 

 

 

 

 

 その日の夕刻。

 バトルタワー最上階の自室に戻っていたリラは、手にしていたスプーンが急に曲がった事によって初めて来訪者の存在に気がついた。

 

「・・・やあ。きみか。」

 

 キャスター付きの椅子に腰かけたまま振り返った先にいたのは、そのスプーンの持ち主であった。

 今日の試合やヒノキの事を考えていた為に、その気配に気づかなかったのだ。

 

 リラはユンゲラーが瞬間移動(テレポート)を使用するかと思った。が、彼は予想に反して床から十センチほどの宙を滑るようにして距離を詰めてきた。

 

「今日はすまなかった。ぼく達が最初から試合を中止にしていれば、君がこれを投げる必要もなかったのに。」

 

 そう言って、リラは手のスプーンをユンゲラーに差し出した。ユンゲラーは気にするなと言わんばかりに首を振ってそれを受け取ったが、その様にはまるで相棒というより保護者のような頼もしさがあった。

 

「・・・きみは、本当に賢いポケモンだな。」

 

 自分より、エニシダより、そして主人よりも。

 彼の下した判断は、本来であれば自分達人間、それも主催者である自分やエニシダがすべきものであった。

 それでもユンゲラーが彼らを非難しないのは、それがヒノキの意思を尊重した判断であることを知っているからだ。

 主人を理解しているが故の懐の広さをもつ相棒の存在に、リラは羨ましさが胸を過るのを感じた。

 

「ところで、きみの主人の具合は大丈夫なのかい?まだ目が覚めたという連絡は受けていないけど・・・」

 

 そのリラの言葉に答える代わりに、ユンゲラーは受け取ったばかりのスプーンを彼の白い額に当てた。

 その瞬間、ひやりとした銀の感触とともに、リラの脳裏に鮮やかな映像(イメージ)が広がり、思わず声が洩れた。

 

「これは──」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

36.15年前⑩ あくむ

 
【ここまでのあらすじ】

バトル・レセプション六日目。
ヒノキは原因不明の体調不良に見舞われた身体をおしてトーナメントの優勝特典であるタワータイクーンとのチャレンジマッチに臨むが、試合開始直後に倒れてしまう。
その日の夕刻、白旗の代わりとなったユンゲラーのスプーンを持つリラの元に、ユンゲラー自身が一人訪れ、彼に何かを伝えようとする。



 

「なんでだよ!!今日は絶対帰るって。そう言ったのは自分だろ!!」

 

 

 ジョウト地方、エンジュシティ。

 深く色づいた街中の木々が晩秋にさしかかった事を告げるある夜、一軒の民家から響いた少年の怒声が静寂を破った。

 それは、この日六歳の誕生日を迎えた弟から、同じく十歳の誕生日を迎えた受話器の向こうの兄へとぶつけられたものであった。

 

「ごめん。ほんとにごめんな。」

 

 そんな詫びを受ける少年の背後の食卓には、兄弟二人の誕生日を祝うためのご馳走が所狭しと並んでいた。どれも、家政婦のスミが午前中から準備した手作りの品だ。立派なバースデーケーキとは別に、ヒノキの好物のモーモーミルクプリンまである。

 

「・・・ヒノちゃん。また、マキくんが帰って来た時にもみんな作ってあげるから。だから今日は、おばさんと二人でお祝いしましょう?・・・ね?」

 

 スミはヒノキの背中に遠慮がちにそう声をかけた。

 受話器を置いた彼は黙って電話の脇に立てられた一枚の写真を睨んでいたが、やがてダイニングを出て、二階の自分の部屋へと行ってしまった。

 残された彼女は、大皿に用意した品々から二階へ持って行ってやる分を取り分け始めた。そうして黙々と働きながら、時々、ヒノキが睨んでいた電話の横の写真に目をやった。

 そこには、自分の背丈ほどもある金色のトロフィーを抱える弟と、そんな彼を抱き抱える兄の、最高に幸せな笑顔が輝いていた。

 

 

 

──しばらく家を空けることになると思うので、どうか子ども達をよろしくお願いします。

 

 

 

 共にフリーのポケモンジャーナリストであった彼らの両親がスミにそう言って消息を絶ったのは、もう四年前。

 兄弟には外国へ長期の取材に行っていると伝えていたが、彼らは子ども心にその言葉の意味を理解していた。そうでなければ、二年前、八歳になったばかりの少年(マキ)が、自分と弟の夢と将来のためにポケモンリーグのチャンピオンになるとカントーへ旅立ったりはしなかっただろう。

 

 

「ごめんな。今日も帰れそうにないんだ。ご飯は二人で食べてくれ。あ、スミさんに代わってくれるか?」

 

「・・・わかった。」

 

 

 兄弟を取り巻く状況が一変したのは、マキのポケモンリーグ優勝の翌日からであった。

 チャンピオンとしての務めに追われ、毎週末欠かさなかったマキのエンジュへの帰省は、そんな電話のやり取りに替わった。が、それでもヒノキは決して兄に当たることはなかった。

 幼いながらにチャンピオンになったばかりの今が忙しいのは当たり前だと分かっていたし、また自分自身にそう言い聞かせていたからだ。

 

「・・・もしもし、マキくん?」

 

「スミさん、また帰れなくてごめんなさい。ヒノキのやつ、オレが帰らないことで迷惑かけてませんか?学校も変わりなく行ってますか?」

 

「ええ、とても良い子にしてるわ。きっと、あの子もあの子なりにあなたが頑張ってる事を分かってるんだと思う。それより、あなたはどうなの?ちゃんと休む時間はあるの?ご飯は?毎日三食きちんと食べてる?」

 

「ありがとうございます。オレの方は大丈夫ですから、心配しないでください。あ、そうだ、ヒノキに伝言頼めますか?」

 

「それならヒノちゃんに代わるわよ。待ってて、今二階へ呼びにー」

 

「いえ、もう『デイリー・カントー』の取材が始まっちゃうんで。だから、さ来月のオレ達の誕生日には、きっと帰るってオレが言ってたって。伝えてやってもらえますか。」

 

 

 

 照れ屋な性格のために素直にそれを現すことはなかったが、ヒノキが兄や彼のポケモン達と一緒に過ごせるはずだったこの日をどれほど楽しみにしていたかは、半泣きで受話器に怒鳴っていたその姿から窺えた。

 かと言って、受話器の向こうで謝っていたマキにしても、いくら大人びているとはいえまだ十歳の子どもなのだ。

 自分だってまだ誰かに甘えたり守られたりしたい年頃のはずなのに、決してそんな素振りを見せない。

 それは弟のヒノキにだけでなく、周りの大人達に対してもそうであった。

 

 

──このままじゃ、二人とも──。

 

 

 それぞれが独りになってしまう。

 そう危惧した彼女は、ある事を思いついた。

 

 

 

 

「ヒノちゃん。私たちがマキくんに会いに行きましょう。」

 

 

「え・・・・」

 

 いつも穏和で控えめな家政婦からの思いもよらない提案に、ヒノキは驚いた。

 当時はまだリニアが開通していなかった為、ポケモンを持たない二人がジョウトからカントーへ行く手段は、アサギ港から出ているフェリーに限られる。

 それは週末のみならずヒノキの学校(スクール)のある平日も利用しなければ不可能な日程であったが、スミは平然と言ってのけた。

 

「大丈夫。学校にはちゃんと連絡をしておくから。自分に会うためだと分かったら、きっとマキくんも許してくれるわよ。だってマキくん、いつもヒノちゃんの事を心配してるもの。」

 

「・・・わかった。行く。」

 

 リーグ優勝以降、マキは何よりヒノキの学校生活の変化を心配していた。自分のせいで、彼が学校に行きづらくなるようなことはないか、と。そんな彼が自分に会うためにヒノキが学校を休んだと知れば、まず良い顔はしないだろう。

 そこまで分かった上で、ヒノキは彼女のその提案に乗った。

 それくらい、たった一人の家族である兄に会いたかった。

 

 

「ありがと。」

 

 礼儀正しく、人当たりの良い(マキ)

 そんな彼とは対照的に人見知りでへそ曲がりなこの(ヒノキ)が口にしたその一言の重みを、スミは誰よりも知っていた。

 

 

◇ ◇

 

 

 もちろん、スミはあてどなくヒノキを連れてセキエイ高原へ押しかけるつもりだった訳ではない。

 断られる事を想定してマキに相談こそしなかったが、それでも彼に極力迷惑がかからないよう、入念な下調べの元に最適な日時を探った。

 そしてその結果、二週間後の金曜の夜の、ある試合の後が狙い目であるという結論に至ったのだ。

 その試合は、ホウエンを始めとするポケモンリーグ未発足地方の視察団向けに組まれたもので、一般には非公開であった。が、どんな手を使ったのか、スミはヒノキと共に関係者としてその観戦する権利を手に入れてみせたのだ。

 

「ヒノちゃん、マキくんの戦ってるところを見るのは久しぶりでしょう?」

 

 試合前、関係者席で持参してきた弁当を食べながら、スミはヒノキに言った。

 半年前のポケモンリーグ以降も、テレビで度々マキの試合を見る機会はあった。しかし、ヒノキがそれらの試合を一度たりとも見なかったことを、彼女は知っていた。

 

「うん、リーグの後は初めて。」

 

 あごに米粒をつけながらおにぎりにかぶりつくヒノキは、一見普段通りのように見える。しかし、その声は僅かに震えており、彼が久々の兄との対面、それも彼にとって最高のヒーローであるポケモントレーナーとしての兄を見られる事に高揚と緊張を感じていることが窺えた。

 そんなヒノキの様子に、スミはもはや、この試合が兄弟をつなぎ直すきっかけとなる事を信じて疑わなかった。

 

 

 

 この日彼らが案内されたのは、もちろんスタジアムではなく、主に練習試合やトレーニングなどで使用される、屋内の小規模な闘技場であった。が、その客席は各地からの視察でほぼ埋め尽くされており、試合開始十五分前に到着した二人は、かろうじて最後列の片隅に並びで座れる席を見つけることができた。

 もっとも、試合(しごと)中のマキに気付かれることは避けたいという思いはスミにもヒノキにもあった為、それはむしろ好都合であった。

 

『皆様、大変長らくお待たせいたしました。それではこれより、第二十六代チャンピオン、マキ・エニシュによるデモンストレーションバトルを開始します。』

 

「あ、マキくん来たよ!」

 

 天井の四隅に設えられたスピーカーからそんなアナウンスが流れると共に、片側の入場口から一人の少年が現れた。

 それは各地からの視察達からすれば十歳の若さで世界の最も伝統あるトーナメントを制した神童、しかしヒノキにとっては他でもない、兄のマキである。

 

 そんなざわめきの中フィールドの中央に進み出た彼は、ヒノキの目には少しやつれているように見えた。

 

『今回、チャンピオンの相手をいたしますのは、歴代チャンピオンの中でもレジェンドの称号を得た四人の達人『四天王』が控えで使用しているポケモンでございます。』

 

 ポケモンリーグとは、言わばチャンピオンの防衛戦である。

 今大会の予選トーナメントを勝ち抜いた一名が挑戦者として前大会のチャンピオンと決勝を戦い、勝利すればチャンピオン交代、負ければ敗退となり、その経歴はポケモンリーグ準優勝に留まる。

 そしてそんな防衛戦を三大会連続で成功させたチャンピオンにはレジェンドの称号と共に、「四天王」となる権利が与えられる。

 これは、名実ともにポケモントレーナーが目指せる社会的地位の最高峰にあたる。(もちろん四つの枠が全て埋まっている場合は現メンバーの誰かと戦い、勝利する必要がある。)

 

 

『試合開始、五秒前。四・三・二・一・始め。』

 

 感情のないアナウンスが告げた試合開始と共に、マキは動いた。

 相手は主人(トレーナー)を伴わない四体のポケモン、すなわちスターミー、ゴーリキー、ゴースト、ハクリュー。

 いずれも控えというよりは育成途中のポケモンたちというところだ。とはいえもちろん、相手の動きを見て自ら行動できる程度の経験値は積まれている。

 

 しかし、それでも場が彼の独壇場と化すのに時間はかからなかった。

 

──これが本当に十歳の子どもなのか。

 

 たちまち、あちこちから密やかなざわめきやため息とともにそんな声が聞こえてきた。

 

 マキは相手を一体倒すごとにポケモンを替えた。

 そうして現れた四体のポケモン達は、いずれも半年前に彼と共にリーグ優勝を果たしたメンバーであった。

 

 しかし、ヒノキのその一言は、明確に彼らを目にしながら口をついて出たものであった。

 

 

「ちがう」

 

 

 それは、ヒノキの知る兄とその愉快で頼もしい仲間たちの戦い方ではなかった。

 機械のように淡々と、しかし容赦のない指示で対戦相手を圧倒するその戦いぶりとは対照的に、苦虫を噛み潰すような、何かを堪えるような兄の表情。

 そしてそんな主人の指示に、彼と同じ目で従うポケモン達。

 

 

 やがて相手側の最後の一体であるハクリューが、派手な音とひびと共にフィールドの中央へ叩き付けられた。

 その一撃を加えたマキのハクリュー、すなわちメタモンの瞳には、殺気すら漂っていた。あのつぶらな目の持ち主のそんな目を、ヒノキは見たことがなかった。

 

 

「こんなの、あいつらじゃない。マキじゃない。」

 

 

 立ち尽くしながら発せられたものとはいえ、それは唇の先から洩れた呟きも同然の声であり、およそ数十メートルは離れているであろうフィールド上のマキには到底届く音量ではなかった。

 ましてや周りの者はみな、彼にむかって興奮した面持ちで拍手やら歓声を送っている。

 

 だから、スミはその声に反応するように彼がこちらを振り向いた事が不思議でならなかった。

 

 

 

「ヒノキ・・・・?」

 

 

 

 

◇ ◇

 

 

 

「おまえのいうとおりだよ、ヒノ。」

 二人を控え室に招き入れたマキはそう切り出すと、彼の目を見ながら、でもな、と続けた。

 

「ここではオレは、マキではいられないんだ。」

 

 そして、淡々とその理由を話し始めた。

 

「ここでは、誰もがオレに常に絶対的な強者(チャンピオン)であることを求める。そしてオレは、それに応えなきゃならない。じゃないと、困る人や悲しむ人がたくさん出てしまうから。それはつまり、チャンピオンじゃない、一人の人間としてのマキ・エニシュ(オレ自身)は要らないってことなんだ。そうして少しずつ、本当の自分を忘れていく。だんだん自分がどんな奴だったかが、わからなくなっていくんだ。」

 

「なんでだよ」

 

 わざと怒ったような調子で、ヒノキは反発した。

 そうでもしなければ、慌ただしくハンカチを取り出して席を立ったスミのように、堪えているものがたちまち溢れてしまいそうだった。

 

「あんなんより、絶対いつものマキの方が良いに決まってる。なんでダメなんだよ。なにがダメなんだよ。」

 

 そんな頑ななヒノキとは対照的に、マキは穏やかな表情と疲れた笑顔を崩すことなく答えた。

 

「絶対的な強者に、弱さは許されないからさ。おまえだって、チャンピオンは強いからかっこいいって思うだろう?」

 

 それは事実だった。そのためにヒノキが何も言えないでいると、マキは静かに続けた。

 

「ポケモン勝負なら、少しは自信はある。だけど、オレ自身はそんなに強い人間じゃないから。」

 

 そんな兄の答えに、ヒノキは納得がいかなかった。

 おそらくはそれは正しい自己評価なのだろうと頭が理解する一方で、心は受容することができなかった。

 

「マキが弱い訳ないだろ。弱いやつが優勝なんてできるかよ。」

 

「弱いよ。」

 

 相変わらずの静かな口調で、しかしマキは言いきった。

 

「だから、おまえに甘え過ぎちゃったんだ。一番大事なはずなのに、一番後回しにした。それが許されると、思ってた」

 

 突然、彼の目元がきらりと光ると共に、言葉尻が揺らいだ。

 そんな顔を見せまいとするように、マキは膝の裏でパイプ椅子を弾いて立ち上がると、ヒノキを抱き締めた。

 思えば、兄に抱きしめられるのは半年前のポケモンリーグの優勝以来だった。

 

「おまえがいなくなったら、オレは本当にひとりぼっちになっちゃうって事も考えないでさ。」

 

 それは、彼がこれまでの生涯で唯一見た兄の涙だった。

 ヒノキは何も言わなかった。

 兄を非難することも慰めることもなく、ただ兄の腕の中で両の手を固く握りしめることに意識を集中していた。

 それでも、砂塵と化した頂点への憧れが指の隙間からこぼれ落ちてゆくのを止めることはできなかった。

 

 

 

 

 

 翌日、マキはポケモンリーグ本部へチャンピオンの辞任願いを届け出た。

 

 

 

 




 
この頃のマキとヒノキはほぼほぼさつきとメイちゃんです。
スミさんはもちろんカンタのおばあちゃんです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

37.15年前⑪ いたみわけ

 

【ここまでのあらすじ】

バトル・レセプション六日目。
試合後にリラの元を訪れたヒノキの相棒のユンゲラーは、自身の念力を介して彼の脳裏にヒノキを苦しめている夢の内容を映し出す。それは、彼の何よりの憧れであったチャンピオン自身にその憧れを砕かれた、哀しい記憶であった。




 

「・・・そう、だったのか・・・。」

 

 

 ユンゲラーが額からスプーンを離し、脳裏の映像が消えると、リラは誰に言うわけでもなく呟いた。

 

 ようやく理解できた。

 この過去こそが、ヒノキが自分に、すなわち頂点(チャンピオン)に興味がないと言い張るその理由であると。それは、映像の中の試合後の彼の兄と、あの練習試合の後の自分の表情が全く同じである事に証明されていた。

 

 少し目を閉じてその事について考えた後、返事を待つようにじっと自分を見つめているユンゲラーに言った。

 

「彼はなんとかして()()を忘れようとしている、でも、本当は忘れたくない。そしてきみは、そんな思いに苦しむ主人を助けてやりたい。」

 

 もし彼が本当に頂点(チャンピオン)に対する興味をなくしてしまっているのなら、この(きおく)に対する苦しみもまた過去のものであるはずだ。

 ゆっくりと大きく頷いたユンゲラーを見て、リラもまた頷いた。

 

 一人の未来のチャンピオンとして、このバトルフロンティアの長として。

 辛うじてその手に残った一握りの憧れを、後ろ暗い影ではなく前に進むための光にしてやりたい。

 

「ぼくもきみと同じ気持ちだ。だから、連れていってくれるかい?」

 

 ユンゲラーはスプーンを持ち替えると、空いた右の手をリラに差し出した。そしてその手をリラがしっかりと握った頃にはすでに、二人は行くべきところへと着いていた。

 

 

 

◇ ◇

 

 

 

 医療センターの人間の医師による往診の後も目が覚めないヒノキの顔は相変わらず青白く、苦悶していた。

 医師は、原因は特定できないが、おそらく疲れや環境の変化で免疫力が低下している故の体調不良だろうと診断した。そして、解熱と鎮痛の効果のある薬を飲み、食欲がなければ水分だけでも摂り、とにかくよく眠ること、悪寒がある内は熱があっても氷枕は当てないことなどを、付き添いのシェフレラに説明して帰っていった。

 

 その診断結果にあまり納得はいかなかったものの、シェフレラはとりあえず医師の指示に従ってこの半日、ヒノキの看病を続けた。が、やはりというべきか、一向に回復の兆しは見えない。

 

(そろそろエニシダオーナーに一度連絡を入れておこうか。)

 

 倒れたヒノキを自分と共にこの部屋へ運んできたエニシダは、夜にもう一度様子を見に来ると言った。そして、それでも回復の兆しが見られなければ、ホウエン本土の設備の整った病院へ連れていくと。

 

 そんな折、ノックどころかドアも開けずに来訪者が現れたものだから、彼が文字通り飛び上がって驚いたのも、無理のないことであった。

 

「ええ!?あ、ああ、あの・・・タワー・・・タイクーン・・・??」

 

 シェフレラがしどろもどろに肩書きで呼んだその珍客は、いつのまにか消えていたユンゲラーと共につかつかとヒノキのベッドへ歩み寄った。

 そして、倒れた時とほとんど変わらない彼の状態を確認すると、今度は自分に向かって言った。

 

「・・・この半日、ずっときみが彼を?」

 

 タワータイクーンのその質問に、シェフレラはただこくこくと頷いた。

 初めて間近に見るその身体が思った以上に華奢で、大きな薄紫の瞳が映像で見た以上に美しかった事が、彼の緊張を一層深めていた。

 

「ということは、きみは彼と仲が良い訳だね?」

 

「は、はい。一応、そのつもりですけど・・・」

 

「それはありがたい。じゃあ、ここ数日の間、彼の周りで何か変わったことはなかったか?もし心当たりがあれば、どんな些細なことでもいいから教えてほしいんだ。」

 

「変わった・・・こと・・・」

 

 タイクーンにそう言われたシェフレラは、ふと、件の胸の違和感を思い出した。

 

「あ、あの。これはヒノキというより、ぼくの事になるんですけど・・・。」

 

「ん?」

 

 そしてシェフレラは、その違和感に関する自分の気付きや所感を最初からなるべく詳細に話した。その間、タワータイクーンはその大きな美しい瞳で自分を見ながら、至って真摯に聞いてくれた。

 

「・・・という訳で。もしかしたら全部ぼくの気のせいで、ヒノキの体調とは全然関係ないことかも知れないんですけど・・・」

 

 だんだんそんな気がしてきたシェフレラは、畏縮から言葉尻をすり切らした。自分はタワータイクーンに無駄な時間を取らせてしまったのではないか、と。

 しかし、そんなシェフレラの憂慮とは裏腹に、生まれも育ちもホウエン地方の彼には、目の前の異郷からの参加者の話に思い当たる節があった。

 

「いや。大変参考になったよ。言いづらい話を正直に全て話してくれたこと、とても感謝する。」

 

 そう言って立ち上がり、部屋の端にある唯一の窓へと向かった彼は、朝から閉められたままのカーテンをレースごと一気に両開きに開いた。

 

「ひっ!!」

 

 シェフレラがそう短く悲鳴を上げたのも無理はない。

 そこには、無数の黒いてるてる坊主のような影のような生き物が、窓ガラスいっぱいにびっしりと連なっていたからだ。

 

「これは・・・ポケモン・・・?」

 

「ああ。カゲボウズというホウエンのゴーストポケモンで、人やポケモンの妬みや恨みといった暗い感情を糧とする。」

 

 タイクーンのその解説に、シェフレラは愕然とした。

 

「それじゃあ、ぼくや他のみんながこんなに仲良くいられるのは──」

 

「おそらく、このカゲボウズ達が君達の()()()()()()を片端から喰っていたんだろう。そして昨日、トーナメントを優勝した彼に集中した妬みや羨みに群がり、その影響が彼には悪夢となって現れた、というところかな。」

 

 そこでリラはユンゲラーとともに一旦姿を消し、すぐにまた現れた。

 その手には達筆の認められたお札の束と、不思議な形の陶器ーすなわち香炉が抱えられている。

 

「とにかく、まずはこれを全てあの窓の周りにはっておいてくれ。あと、これも焚いておくといい。それから──」

 

 シェフレラに気落ちする隙を与えないようにきびきびと指示した後、少し声と表情を和らげて言った。

 

「きみにはもうひとつだけ、頼みがあるんだ。」

 

「え?ぼ、ぼく・・・?」

 

 

 

 

 

 

 ヒノキが目を覚ましたのは、それから一時間ほどの後のことであった。

 

(・・・オレの部屋?)

 

 むくりと起き上がって見回したそこは、まぎれもなく自分が寝泊まりしているフロンティアの宿泊施設の部屋だ。しかし、朝部屋を出て以来戻った記憶はなく、おまけになんだか魂が洗われるような、清らかな香りが充満している。

 状況が掴めず、不思議そうに部屋を見回す彼に間もなくシェフレラが気付いた。

 

「ヒノキ!大丈夫?身体の具合は!?」

 

 そう訊ねられ、ヒノキは初めて自分が体調不良であったことを思い出した。

 

「あ、うん、そういや全然何ともないな。寒気とかもしないし。つーかオレ、どーなったんだ?確か、タイクーンとの試合の最中に倒れて・・・」

 

「うん、ちゃんと今から説明を──」

 

 シェフレラがそう言いかけたそばから、ユンゲラーがスプーンをヒノキの額に当てた。

 そうして彼は、自分が眠っている間に起きた出来事の一部始終を把握した。

 

「・・・なるほど、分かった。シェフ、色々ありがとな。オレも行ってくる。」

 

 そう言ってベッドを出て支度を始めたヒノキに、シェフレラはどこに行くのかとは訊かない。

 一時間前に、カゲボウズ達の棲みかを調べて来ると言って部屋を出たタイクーンを追うつもりだと分かっていたからだ。

 そして彼にはそれよりも、ヒノキに言うべき事があった。

 

「待って!」

 

「ん?」

 

 既にドアへ向かっていたヒノキが振り向いた先には、思い詰めたような表情のシェフレラが立っていた。

 

「本当に、ごめんね。」

 

「へ?」

 

「ぼく、自分が弱いから悪いのに、嫉妬なんかして。そのせいで、ヒノキに苦しい思いをさせてー」

 

 それは先刻、去り際のタイクーンが彼に残していった言葉の決行であった。

 

 

 

──それから、余計なお世話だとは思うけど。もしもきみが彼とこれからも友達でいたいなら、一人で苦しい思いを抱えずに、それも彼に伝えた方がいいと思う。

 

 そう言うと、彼は少し恥ずかしそうに笑ってつけ足した。

 

「ぼくは友達というものを持ったことがないから、それが正しいのかは分からないけど。でも、本当に信じたい、信じてほしいと思う相手なら、きっとそうしていたみ分けをすると思う。」

 

 

 

 ぽろぽろと涙を流しながら胸の内を明かすシェフレラに、ヒノキは自分を抱いて泣いたあの夜の兄の姿を思った。

 それはまた彼に、淋しさや悲しさにとらわれて兄を支える事を忘れていた当時の自分を思い出させた。

 

「何いってんだよ。オレだって、おまえは良いやつだから何にも言わなくても分かってくれるとか思って好き勝手にしてたし。そのバチが当たっただけだよ。ほんま、ごめんな。」

 

 自分の弱さから生まれた暗い感情が誰かを傷つける辛さは、彼ももう十分知っていた。

 

 

 そうしてシェフレラが溜まっていた胸の淀みを涙で流し尽くし、二人の間に再び柔らかな空気が戻ってところに、彼から連絡を受けていたエニシダが派手にドアを開けて入ってきた。

 

「ヒノキくん!!ああよかった、君の身にもしもの事があれば、ボクはマキくんになんと謝ればー」

 

 そう言いながら自分を抱き締めようとする肥え気味の白い腕をかわして、ヒノキは彼に言った。

 

「わかったわかった、オレはもう大丈夫だから大丈夫。それより、おっちゃんに相談があるんだけど。」

 

 

 そうして彼は、このバトルフロンティアのもう一人の頂点であるこの男に、あるひとつの提案をもちかけた。

 

 

 





ヒノキのエニシダへの提案はもう少し先で明らかになります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

38.15年前⑫ みやぶる[前]

【ここまでのあらすじ】
 バトル・レセプション六日目の夜、自身に集まったカゲボウズ達の見せる夢にうなされていたヒノキは、リラの尽力により目を覚ます。一方、そのリラはカゲボウズ達が本来の棲みかを離れた理由を突き止めるために、この島における彼らの生息地である島の南端の洞窟へ向かった。



 

 ヒノキの部屋を後にしたリラは、ひとり島の南端の岬まで来ていた。

 その岬のたもとには、近々フロンティアの共有ポケモンの育成の一環で使用する予定の洞窟が存在する。が、そこにはその目的とは別の、もうひとつの顔がある。

 そしてそれこそが、本来の生息地ではないこの島に多くのカゲボウズ達が存在するその理由であった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「呪われた、島・・・?」

 

 彼がその話を聞いたのは、一年前にこの島へ来た最初の日、ローレルに連れられて港から岬へと向かっていたその道中であった。

 いかにも良識の塊といった印象を与える老紳士の口から出た意外な言葉に、リラは思わずそれをおうむ返しに唱えてしまった。

 

「・・・ここがですか?」

 

「そう。あれから、もう三年になりますかな。」

 

 そう言って、ローレルは穏やかながらも真面目な口調で語り始めた。

 

「この島はホウエン本島から船で日帰り往復できる距離にも関わらず、永らく住む者もない、荒れた無人島でした。そこでエニシダオーナーが前の所有者から買い取る時に、その理由を訊ねたのです。どうしてこれほどの土地を何にも使わずに遊ばせていたのかと。そうして返って来たのが、その答えでした。」

 

 ローレルはそこで一度言葉を切ると、隣を歩くリラの小さな背に触れた。彼が自分の話に聞き入るあまり、前方への注意を忘れていたからだ。

 

「その意味を訊ねても、彼はいずれ分かると言うのみでそれ以上は何も語らなかったため、オーナーも私もじきにその事を忘れてしまいました。しかし、いざ建設の工事が始まると、かの言葉はまるで彗星のごとく我々の記憶の彼方から戻ってきました。まるで、何者かがこの島の開発を拒んでいるかのような、不可思議な事故が相次いで起こったのです。」

 

「不可思議な事故・・・?」

 

「はい。具体的には、妖しい光に惑わされて重機の操作を誤る、巨大な鬼火に追い回されて怪我をする、等といった内容のものでした。そこで、作業員達の間にも呪いや祟りといった類の言葉が飛び交うようになったのです。」

 

 今や食い入るように自分を見つめて話の続きを促すリラに、ローレルもまた再び彼の背に触れて前方への注意を促さなくてはならなかった。

 

「そうして作業員達がこんなところでは働きたくないと次々と辞めてしまった為に、我々はいったん工事を中止せざるを得ませんでした。しかし、その代わりに行った島の全面調査で、一連の現象をひもとく手がかりとなるある重要な発見をしたのです。それが、今向かっている岬のたもとにある洞窟の奥の古い祠と、それを守る番人の存在でした。」

 

「祠と、番人・・・」

 

「そう。祠に関してはそれがあまりに古く、また記録もないため、詳しいことは分かっていません。しかし、それを守る『番人』がきつねポケモンのキュウコンであることから、おそらくは古い時代にジョウト地方のエンジュという街から勧請した、イナリ大社の末社ではないかと私は見ています。」

 

 リラはなるほどと頷いた。

 耳慣れない単語をいくつか含んでいたが、聡明な彼はその文脈からおおよその話の筋を掴んでいた。

 

「様々な検分や考証の結果、ほどなくして一連の事件や事故はこの老いた雌のキュウコンの仕業であることが判明しました。そこで我々は、彼女の捕獲を試みることにしたのです。その捕獲作戦の指揮は、私が執りました。」

 

 そこでローレルが今までよりも少し長い間を置いたので、リラは待ちきれずに自らその結末を急かしてしまった。

 

「それで、捕獲は?成功したのですか?」

 

 しかし、ローレルの口から聞かされたのは、彼の予想以上の結末だった。

 

「暗い洞窟での戦いと、老いたキュウコン故の強い妖力によりかなり手を焼かされましたが、あと一歩というところまでこぎつけました。ところが、何しろ相当な老齢であったことにより、彼女はその戦いの最中に力尽き、息絶えてしまったのです。」

 

「!」

 

 瞠目するリラに、ローレルもまた苦々しげに眉根を寄せた。

 

「我々としても後味の悪い、不本意な結末でした。しかしまあとにかく、これで不可解な現象は治まるだろうと。そう考え直し、我々は工事を再開しました。しかし、たちまちその考えが甘かったことを思い知らされました。彼女は肉体を失ってなお、自らの役目を終えようとはしなかったのです。むしろ、無念や未練により、その力はいっそう強まった印象すら受けました。」

 

 そこでローレルはまた一息つくと、既に目と鼻の先に迫っていた岬に見える、ひとつの墓を指差した。

 

「そこで、あの墓が造られたのですよ。」

 

 美しい生花と様々なきのみ、それに線香がきちんと供えられたそれは、言われなければポケモンの墓とは思えないほど、大きく立派なものであった。

 

「この地を呪縛せんとするキュウコンの魂を鎮めるために、私達は出来る限りのことを行いました。立派な墓を作り、清めのおふだやおこう、そしておくりびやまから連れてきたカゲボウズ達による怨恨の除去によって、毎日手厚い供養を続けました。洞窟の奥の祠にも、何者も近づくことのないよう『しんぴのまもり』による結界を張りました。最初はこんなことで解決するのかと半信半疑でしたが、しかし結果として次第に不可解な事故は減っていき、ついにはバトルタワーの落成に至ったのです。・・・もっとも、カゲボウズと共におくりびやまから呼んだ祈祷師は、成仏にはまだ時間を要すると言っていましたがね。」

 

 そこでローレルはようやく穏やかな表情に戻り、持参した花束をリラに渡して言った。

 

「しかし、私は共存ができるのであれば無理に成仏を迫ることないと考えています。然るべき時が来れば、彼女も自ずから天へと昇るでしょうから。さあ、それではこの島へ来た挨拶と冥福の祈りを捧げて戻りましょう。」

 

 冥福とは何だろう、とリラは思ったが、とにかくキュウコンの霊の安らぎを願って花束を手向け、その小さな白い手を合わせた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 墓のすぐ脇に付けられた狭く急な鉄製の階段を降り、リラは洞窟の入り口となる狭い足場に立った。

 そこに大口を開けていた闇は想像以上で、どんな光をも吸い込んでしまいそうなブラックホールを思わせる。

 

 キュウコンの墓には月命日には欠かさず参っていた彼であったが、その下にあるこの洞窟自体を訪れるのは初めてだった。

 背後はすぐに断崖となっており、十メートルはあろうかというその崖の下では、荒い波が岩壁に激しくぶつかっては砕けている。まさしく、背水の陣という地形だ。

 

 しかし、今の自分は一人ではない。

 そこで彼は、先刻シェフレラから借りたモンスターボールの開閉スイッチを押した。

 

「よし。それじゃあ、よろしく頼むよ。」

 

 そう言って、中から現れたコンパンの頭にそっと手を置いた。

 

 

 ◇

 

 

「え?コン太を・・・?」

 

 カゲボウズ達の棲みかへ行くのに、少しだけきみの相棒を貸してほしい。

 タワータイクーンからの思いもよらない申し出に、シェフレラは黒縁メガネの奥の目を丸くして聞き返した。

 

「ああ。できる限り傷つけずに返せるよう、努力するから。」

 

 そんな彼にシェフレラは、自分のポケモンはどうしたのだとは訊かない。

 ヒノキとは違い、彼はタイクーンが私的にポケモンを所有していないことを施設案内の際の解説でちゃんと聞いていたからだ。

 

「それは構わないけど・・・でも、それなら絶対、ぼくのコン太よりヒノキのユンゲラーの方がー」

 

 役に立つのではないか。そう言いかけた彼に、リラは苦笑して首を横に振った。

 

「いくらタワータイクーンでも、他人のポケモンを主人の許可なく連れて行ける権利はないよ。ましてやヒノキが目を覚ますまでは、彼はここにいるべきだ。」

 

 この少年は、本当に自分と同じ八歳の子どもなのだろうか。

 シェフレラがそんな感銘を受けている間に、目の前のタイクーンはそれに、と再び口を開いた。

 

「ぼくがこれから行くのはとても暗い洞窟だから。なおさら、きみのそのコンパンがいいんだ。」

 

 その言葉に、シェフレラはようやく気後れを脱し、自信を持って相棒が収まったボールを差し出した。

 

「分かった。コン太は夜行性だから、そういう事ならきっと力になれると思う。待ってて、今コン太が使える技をメモして渡すから。」

 

 

 ◇

 

 

ー攻撃より補助が得意なひかえめな性格、か。

 

 

 掌を介して把握した彼の各種の身体能力(パラメータ)は、決して高いとはいえない。が、応用の効く多彩な補助技の数々である程度カバーすることができるだろう。元より、真っ向から戦闘(バトル)をするつもりもない。

 それに何より、暗闇で目が効くというその生物的機能こそが、この圧倒的な闇の前では何にもまして重要なものであった。

 

 

 改めて洞窟に向き直ったリラは、ゆっくりと深い呼吸をした。

 自分は今、この島を統べるタイクーンとして、そして一人のポケモントレーナーとして試されようとしている。

 恐怖や緊張や不安、そしてそれらを貫く何かに、背筋がぞくりと震えた。

 

「それじゃあ、行こうか。」

 

 慎重に、しかし毅然とした足どりで、リラは洞窟の中へと進んでいった。

 

 

 ◇

 

 

 一寸先は闇、一寸後も闇。

 そんな文字通りの暗黒の空間を、リラはコンパンの大きな眼が発する二つの光を頼りに、ただ黙々と進んでいた。

 どれほどの距離を歩いたのか、またどれほどの時間が過ぎたのか、まるで感覚がない。

 意を決して足を踏み入れたあの瞬間が何時間も前のような気もするし、そうかといえばほんの十分前の気もする。

 ポケモンの気配はおろか、入り口からしばらくはその存在を主張していた湿気や潮気や磯の匂いや波の音も今は全く感じられず、ただコンパンの放つ光と自分が歩く事でわずかに感じる空気の動きと靴底から伝わる地面の起伏の感触、そして足音のみが今の彼の五感の全てであった。

 

―ちょっとでも気を抜いたら発狂してしまいそうだな。

 

 リラがちょうどそんな事を考え始めた時、半歩前を行っていたコンパンが不意に足を止めた。

 そして、何かを伝えるように彼を振り返ると、チカチカと淡く眼を点滅させた。

 それはまるで、ダウジングマシーンが宝の埋もれたその地点を教えているかのようであった。

 

「どうしたんだい?何かー」

 

 見つけたのか。

 彼が足元の相棒にそう訊ねようとした、その時だった。

 視界のまだもう少し先、針の穴ほどの大きさではあるが、白っぽい何かが見える。

 じっと目を凝らしてみると、どうやらそれは光であるらしい。

 

「・・・あれが目指すものかもしれない。疲れているだろうけど、少し急いでもいいかな?」

 

 リラがそう訊ねると、コンパンはまだまだ平気だというように、いたずらっぽく眼をピカピカさせた。いい子だ、と思った。

 

 少し早めた歩調のおかげか、目的地には思った以上に早く到った。

 そうしてその光源の前に立ったリラは、目の前の光景の異様さに言葉を失った。

 

──これが。

 

 暗闇に浮かび上がる、淡い光に包まれた小さな古い古い石造りの祠。

 ことりポケモンの羽ばたきでも崩落しそうなその朽ち方は、百年や二百年というものではないだろう。にも関わらず、中央の観音開きの扉だけは創建当時の性能を保っているかのように、固く閉ざされている。

 

「・・・・」

 

 そんな祠をもっと間近で見ようと彼が進み出た、その時であった。

 

 突然のキーキーというコンパンの警戒音が岩壁に反響し、辺り一帯が緊張感に包まれた。

 そんな状況に呼応するかのように、『しんぴのまもり』のベールに覆われた祠の周りに、ぼっと青白い炎が現れた。

 そしてそれは瞬く間に数を増やし、やがて輪を描くように九つの青い火の玉が祠を囲った。

 

 

(・・・・!!)

 

 

 その、まるで小さな冥界への関所のような、およそこの世のものとは思えない光景に、リラは思わず退路を確認しようと振り返った。

 しかし、そこにはもう既に、美しい九本の尾を揺らめかせる狐ポケモンの姿があった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

39.15年前⑫ みやぶる[後]

 

「彼女」と対面したリラは、再び言葉を失った。

 目の前に佇む、美しい一体のキュウコン。

 その身体は半透明に透け、既に肉体が失われていることは明らかである。が、リラが真に戸惑ったのは、その点ではなかった。

 

 

──去れ。

 

 

 その念は、カゲボウズ達の餌食となる怨恨の類いではなく、もっと別の感情を思わせた。

 もっとも、この聖域に足を踏み入れた自分に対する怒りは確実にある。が、どうもそれだけとは思えない。

 何かもっと、切実な困惑が怒りの形を借りて現れているような、そんな印象が拭えないのだ。

 そしてその事は、カゲボウズ達がこの洞窟を離れてタワーの方に現れたのは彼女の霊に何らかの異変が起きた故とみた彼の推測が正しかったことを意味していた。

 

 

「・・・ぼくはきみに危害を加えるつもりはない。ただ、ずっときみの恨みを食べていたカゲボウズ達がきみの元を離れたその理由が知りたくて来たんだ。恨みに代わる感情が胸を占めるようになった、その原因を。」

 

 

 しかし、キュウコンはそのリラの問いには答えず、ただじっと彼を見つめている。生身の眼球を失ってなお、その瞳の緋の深さは褪せていないようだ。

 

(窺われているのか。)

 

 リラは彼女の沈黙をそう結論づけ、行動を起こす覚悟を決めた。たとえそれが勘違いであったとしても、このまま見つめ合っていたところで状況は何も好転しないのだ。

 

「コンパン!『ちょうおんぱ』!」

 

『ちょうおんぱ』は、その周波数を調整することにより、相手を混乱させることもできれば、反響から得られる情報で視覚に頼らずとも物体の位置や地形を把握することもできる。いわゆる反響定位(エコーロケーション)という効果だ。

 

 その超音波探知の効果は、間もなく現れた。ちょうど背後の祠の真裏に、何かがあるらしいことが判明したのだ。

 

 ちらりと傍らのコンパンと視線を交わす。

 少しだけ、時間を稼いでほしいという意図を込めて。

 

「『かなしばり』!!」

 

 はたして幽霊に金縛りが効くのかという疑念はあったが、彼はその賭けに出た。そしてその瞬間にキュウコンの幽体が怯んだのを確認すると、踵を返し、一目散に祠の裏へと回った。

 

 そこには一見、ただ暗がりが広がっているだけの空間だった。

 しかし、それはあくまで人間(リラ)の目にはそう見えるという意味であり、超音波探知の真髄はまさにそこにあった。

 地面に這いつくばり、必死に辺りをまさぐる。そうして間もなく、自分の目にはただ空間でしかないそこに、確かな肉の感触を感じた。

 

「!これは・・・」

 

 その瞬間、彼の前にその姿を晒したのは、表にいるキュウコンの幽霊とは完璧に対なる存在──すなわちロコンの赤子であった。周りにタマゴの殻の破片が散らばっていることを踏まえると、どうやら生まれて間もないらしい。

 

(そうか、このロコンを守るために張った『ふういん』が魂の浄化と共に解けていってー)

 

 二年前、彼女はローレルとの戦いで、じきに孵るであろうタマゴをここに遺したまま、命を落としてしまった。しかし、霊体の身では生まれた赤ん坊を育てることはできない。

 生まれたことすら分からぬまま死んでゆくわが子の運命を憂慮した彼女は、今の自分が唯一してやれる事として、そのタマゴに『ふういん』を施したのだ。しかし、その『ふういん』と彼女の存在を支える「未練」もまた、カゲボウズ達に喰われる事により日に日に弱まってしまった。そして彼らにその未練を食い尽くされた今、いよいよその存在が保てなくなってきている──おそらくはこんなところだろう。

 

 その小さな小さな身体を、リラはそっと抱き抱えた。それは戸惑うほど柔らかく、温もりも呼吸もあるものの、かなり弱々しい。一刻も早く、きちんとした環境で保護してやる必要がある。

 

 彼がそこまで考えを巡らせた時、頭上の岩壁にぶつかった青い『かえんほうしゃ』が辺りを明るくした。どうやら、コンパンの『かなしばり』が解けてしまったらしい。もう、迷っている時間はない。

 

 その風前の灯火のような命をしっかりと抱え直し、リラは祠の陰から一気に駆け出した。表では、キュウコンの繰り出す炎をコンパンが『ねんりき』で必死に逸らしていた。しかし、地力の差からみてそれももう限界だろう。

 

「よくやった、戻ってくれ!」

 

 走りながらコンパンをボールに戻すと、リラはまっすぐに帰路に立ちはだかるキュウコンへ向かって走った。彼が腕にわが子を抱えている事を知ったキュウコンは、その双眸に妖しい光を宿す。しかし、目を合わせる事なく彼女まで迫ったリラは、すれ違い様にポケットから一枚の紙切れを取りだし、その幽体に貼り付けるように置き去った。

 

(ごめん!!)

 

 先ほど、カゲボウズ達をヒノキから引き離すためにタワーの倉庫から失敬した「きよめのおふだ」。それを、念のために一枚忍ばせていたのだ。完全な足止めはできずとも、多少の時間稼ぎにはなるだろう。

 

 比較的平坦な一本道といえど、一つの命を抱えて走るには決して楽な道のりではなかった。腕が不自由な為に速く走れないばかりか、ちょっとした地面の起伏にも体勢を崩して転びそうになる。それでも足を休める事なくひた走った結果、やがて彼は懐かしい海の気配と、その方角に広がる、淡い闇の穴を確認した。

 

(出口だ!これでー)

 

 自分もロコンも助かる。

 その一心でその淡い闇へと飛び込んだ瞬間、リラはふっと全身が予定外の感覚に包まれるのを感じた。

 

 

(!!しまった・・・!)

 

 

 間もなく、彼はとんでもなく重大な事実を思い出した。

 無事に出口を目指すことに気を取られるあまり、その場所がほとんど足場のない岩壁の出っぱりであるということを忘れていたのだ。しかし時既に遅く、彼の身体は今や海上十メートルはあろうかという宙空のただ中にあった。

 

 

「・・・・!!」

 

 

 胸の中のロコンが、よりきつく抱きしめられた苦しさでもがいている。

 それでも、まだ何の免疫も抵抗力も持たないその身体が海水に侵されるのを少しでも阻むには、そうするしかなかった。

 

 

ー本当は、このロコンは置いてくるべきだったのではないか。

 

 

 信じがたいほど長い一瞬の間に、リラはそんなことを考えた。

 その場の感情を堪えて一度あの場を離れ、大人たちに事情を話し、万全に準備を整えた上で再び向かう。

 そうした手順を踏んでいれば、少なくともこんなことにはならなかっただろう。

 そして仮にそのためにロコンが手遅れになっていたとしても、キュウコンは最初に立ち去れと言った手前、その責任を自分に追及してくることはなかったはずだ。

 それこそが、タワータイクーンたる者の判断だったのではないか。

 

 

(やっぱり、わたし(ぼく)じゃダメなのかな。)

 

 

 優しさは迷いを生み、迷いは戦いにおいて命取りとなる。

 だから、戦いにそれを持ち込んではならない。

 それは、戦いの前にバトルフィールドの外に置いてくるべきものなのだ──。

 

 常日頃、エニシダやローレルに言われ続けていた事だった。

 

 

(だけど)

 

 

 リラは思う。

 もし、この世界そのものがひとつの広大なバトルフィールドであったとしたなら。

 その時は、何処にそれを置いてくれば良いのだろう──?

 

 

 

 

 そこで、リラの思考は途絶えた。

 

 

 

 

「・・・・?」

 

 

 

 誰かが、自分の名前を呼んだ気がしたのだ。

 

 

 

 

(空耳・・・?)

 

 

 最初はそう思った。

 この島で自分のことを名前で呼ぶのはエニシダただ一人であるが、その声には彼の呼び方とは決定的に違う響きが宿っていたからだ。そして()()()()に自分を呼ぶ存在を、彼は未だかつて持ったことがなかった。おまけに──

 

 

(・・・?)

 

 

 もうひとつ、奇妙な事があった。

 いくら絶望をはらんだ一瞬は長く感じると言えど、いくら何でもこの一瞬は長すぎる。

 いや、それどころか、むしろこの感覚は──。

 

 そこでリラは固く瞑っていた目を思いきって開いた。

 そして、徐々に遠ざかる暗い海面に、自分の感覚が間違っていなかったことを悟った。

 

 

 

──もしかして。

 

 

 

 瞬く間に鼓動が加速する。

 胸に広がる温かさが、目頭までも熱くする。

 そうして一瞬の内に両目に溜まった涙がこぼれないよう、とっさに顔を上げた先に、彼らはいた。

 

「おい、リラ!大丈夫か?」

 

 岩壁の上からヒノキが身を乗り出し、自分に向かって手を伸ばしていた。

 その傍らには、念の力で自分達を彼の手へと運ぶユンゲラーがいる。

 

 空中でロコンを片手に抱え直すと、リラもまっすぐに手を伸ばした。

 そうして間もなく、自分にはない強い力で岩壁の上へと引き上げられた。

 

「・・・あ」

 

 しかし、彼が礼を述べるより早く、ヒノキが先に口を開いた。

 

「大体の事情はユンゲラー(こいつ)が教えてくれたんだけど。あの幽霊キュウコンと、そのチビのことだけはまだ何も知らねーんだ。二言三言くらいで簡単に説明してくれ。」

 

 ヒノキにそう言われたリラが正面を向くと、そこには暗い洞窟の入り口を背景に闇の中に浮かぶ、あのキュウコンの姿があった。

 

「・・・このロコンは、あのキュウコンの霊の子どもで。彼女が死んでしまってから生まれて、ひどく弱っている。」

 

 だめだ。ちゃんと説明したいのに、頭の中がごちゃごちゃで肝心な情報が全く盛り込めていない。

 

「あのキュウコンは島を開発した人間に恨みを持っている上に、ほとんど拐う形でぼくが連れてきてしまったから、とても怒っていると思う。だけど、それでもぼくはこいつを助けてやりたい。だから──」

 

 もう、こんな自分じゃ分からないから。

 教えてほしい。

「本物の男の子」なら、こんな時、どうするのかを。

 

 

「助けてほしいんだ。」

 

 

 そう言って、頭を下げるように項垂れた。

 もしかしたら、それはタイクーンには許されぬ行為かもしれない。そんな思いが声と瞳を震わせたのが、自分でも分かった。

 

 しかし、そんな不安を文字通り頭からはたき落としたのは、程なくして髪から伝わった、ぽふっ、くしゃりという感触だった。

 

「おっしゃ、任せろ。でも、あいつはもう怒っちゃいないよ。」

 

「え?」

 

 みろよ、とヒノキにあごで促された先のキュウコンを見て、リラはたちまちその意味を理解した。 

 

「お前が落ちる時にチビを庇ってたのを見て、そういうことだって理解したらしいぞ。」

 

 いつの間にかその瞳から怒気は消えており、本来の穏やかな優しい表情に戻っている。

 

「ま、ただ、それならそれで、大事な我が子を託せるほどの人間(トレーナー)かどうか試させてもらいたい、って思いはあるみたいだな。・・・で、合ってるよな、ユン?」

 

 ヒノキの問いに、傍らのユンゲラーが頷いた。

 どうやら、ユンゲラーが念によって交信の仲介をしていたらしい。

 

「それってー」

 

「もちろん、これによって、さ。」

 

 そういってヒノキは、腰からモンスターボールを取り外してみせた。リラは頷き、腕の中の小さな身体を一度母親の元へ返す。そして、改めて彼女と向き合った。

 

 つくづく美しいキュウコンだ。

 儚い幽体故にどうしても非現実的な雰囲気はあるが、それでも豊かな金色の毛は在りし日の輝きを褪せることなく湛え、怒りの消えた深い緋色の瞳は、足元の我が子を愛しげに、切なげに慈しんでいる。

 

 リラは腰のコンパンの入ったモンスターボールを手に取った。

 そしてその手を、何の前触れもなくヒノキが取った。

 

「な、なに!?」

 

 突然のことに戸惑うリラに、ヒノキは事もなげにその手からボールをもぎ取って言った。

 

「おまえ、シェフにそいつをなるべく傷つけずに返すって約束したんだろ。だから、交換してやるよ。」

 

 そして、傍らに控えている自分の相棒を指して言った。

 

「キュウコン相手にコンパンで傷つけずに勝つって、ぶっちゃけムズいからな。そいつなら、多少焦がされても構わないって言ってるから。コン太(こいつ)はオレと後ろからサポートにまわるよ。」

 

 その言葉に、ユンゲラーがこちらを見て頷いた。

 

「でも、きみはコンパンのことー」

 

「知ってるに決まってるだろ。近所のしぜんこうえんでしょっちゅう駆除(クジョ)キャンペーンやってるからな。十匹捕まえたら『おうごんのみ』が一コもらえんだけど、もう三十は貯まったぞ。」

 

 傍らで訝しげに目を点滅させるコンパンをわしゃわしゃとなでながら、ヒノキは笑って言った。

 

「・・・わかった。」

 

 リラもようやく表情を和らげて頷いた。

 じんわりと、なにかが胸を温かくする。

 

「それじゃあ、よろしく頼むよ。」

 

 リラはユンゲラーに声をかけ、頭の中で彼の戦いをイメージした。

 ヒノキの予選の決勝で見た技は四つ。

 テレポート、かなしばり、ねんりき、スプーンまげ。

 これらを駆使してヒノキとコンパンとともに戦い、あのキュウコンに自分達がロコンを安心して委せられる人間であることを証明する。

 

 

 彼の心臓が再び、どくん、と大きく波打った。

 

 

 相手を倒すことが目的じゃない。

 だけど、絶対に負けられない。

 守るべきもののために、誰かとともに戦う。

 こんな戦いは初めてだ。

 

 

「っしゃあ、行くぜぇ!!」

 

 

 

 その腕にまだロコンの温もりを感じながら、リラは先程の自問に自答した。

 どこにも置き場がないのなら、胸に抱えたまま戦えばいい。

 というより、そうするしかない。

 

 それ自体を、揺らぐことのない強さに変えて。

 

 




 
駆除とは言いながらも捕獲されたコンパンは基本的にはウバメのもりに放されたり、ジョウト各地のむしとり少年達に里子に出されたりしています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

40.15年前⑬ じこさいせい

 
【ここまでのあらすじ】
洞窟の奥で生まれたばかりのロコンを発見したリラは、一連の事態はキュウコンの霊が我が子を守ろうとする思いによるものだと気づく。そこでロコンの保護を認めてもらうべく、駆けつけたヒノキと共に彼女の力試しに挑む。




 

 

 

 その戦いは、彼にとって生まれて初めての経験だった。

 

 本当の自分とは。

 ポケモンと心が重なった戦いとは。

 誰かと共に戦うということは。

 これほどまでに生きた心地のするものなのかと、震えが止まらなかった。

 

 そんな心身が受け止めきれないほどの衝撃に、戦いが終わってなお立ち尽くしていたリラは、そのヒノキの声でようやく我に返った。

 

「ふぁーっ!!しんど。」

 

 そう洩らすと、彼はどたりとその場にすわり込み、そのまま大の字に寝転んだ。しかし、その表情には確かに自分と同じ充実感が見て取れる。

 そしてそんな彼の胸に、無邪気に這い上がる小さな朱い身体があった。

 

「死んでもあんだけつえーとか。オレが死ぬかと思っただろ。おまえのかーちゃん、何者だよ。」

 

 ヒノキはそう言うと、腕をいっぱいに伸ばして、胸の上のその仔ぎつねを高々と抱き上げた。

 ヒノキが持ち合わせていたモーモーミルクがその小さな身体の求めにばっちり応えたらしく、今やすっかり活気を取り戻している。

 

 その傍に腰を下ろしたリラは、しばらくの間彼らを見守るように眺めていたが、やがて静かに口を開いた。

 

「ヒノキ。」

 

「んー?」

 

「やっぱり、きみの言う通りだよ。」

 

「何がー?・・・うぉっ!?こら!火はだめだぞ!!」

 

 興奮してつい火の玉を吐き出してしまったロコンをしつけるヒノキに、リラは続けた。

 

「ぼくは、タワータイクーンなんて器じゃない。今のこの一連の戦いで、それが自分ではっきりわかったんだ。だから、きみに興味を持たれないのも当然だって。」

 

「ふーん。・・・んで?」

 

「とりあえず、オーナーに頼んでタイクーンから一般のタワートレーナーにしてもらおうと思うんだ。それならー」

 

 そこで、ロコンを抱いたヒノキがよっ、と両足を上げてその反動で起き上がり、口をはさんだ。

 

「なに、おまえ、そんなにオレに興味もってほしいの?」

 

「!?ちっ、違うよ!!」

 

 そうじゃない。

 しかし、なぜだかじんわりと頬が熱くなる。

 思考がおかしな方向へそれる前に、リラは急いで言葉を継いだ。

 

「そうじゃなくて。・・・だからその、きみが言ったように、ただのポケモントレーナーなら。この、そのままの自分でいてもいいのかなって。」

 

 そして、抱えていた膝に視線を落とした。

 そんなリラをヒノキはしばらくまじまじと見つめていたが、やがて再び寝転んでロコンをあやし始め、口を開いた。

 

「オレは反対だぞ。」

 

「え?」

 

「今の戦い、つーかオレやこのチビのこと必死で助けようとしてるおまえを見てたらさ。やっぱこいつはここのチャンピオンなんだって、そう思った。」

 

 そこで一息つくと、リラが口をはさむ隙は与えずに、ついでに、と続けた。

 

「おかげで、やっぱチャンピオンってかっこいいよなとか思っちまったっての。」

 

 ロコンをあやしながらの、ぶっきらぼうな口調。

 しかし、それらの照れ隠しが却って彼の本心から出た言葉であることをリラに知らせた。

 

「だからさ」

 

 んしょ、とヒノキは再び起き上がり、そして今度はきちんとリラを見て言った。

 

「おまえは今のまま、()()()()()()()()()()()でいろよ。おまえだって、ほんとはまだ辞めたくないんだろ?」

 

「・・・それは──」

 

 不思議な響きだった。

 タワータイクーンのリラ。

 分身と本体のごとく、相反する二人の自分。

 それは、矛盾であるようにすら思える。

 

「・・・けど。今のぼくはひとりじゃポケモン一匹助けられないし、さっきのバトルにしたって、君やコンパンに何度も助けられて。その上、君の相棒にもこんなにー」

 

 そう言いながらリラが顔を向けた傍らのユンゲラーには、確かに先刻のキュウコンとの戦いで受けた傷があちこちにあった。

 攻撃手を務めながらコンパンや自分を炎の流れ弾から庇っていたのだから、無理もない。

 

 しかし、その言葉尻はヒノキによって遮られた。

 

「ユン!」

 

 その呼びかけと共に、ユンゲラーは右手のスプーンを両手で握り、目を閉じて念を込めた。たちまちその身体は七色の光に包まれ、見る間に傷が消えていく。回復技の『じこさいせい』だ。

 

「だから、その考え方が逆なんだよ。チャンピオンこそ、一人ぼっちじゃいけないし、自分が完璧じゃないって分かってなきゃいけないんだよ。」

 

 そこでヒノキはロコンを膝に下ろし、またリラの方に向き直る。

 

「オレの夢見たんならわかると思うけど。オレの天才バカ兄貴は、そこんとこが分かんなかったから、全部を一人で背負いこんでただの最強の戦闘マシーンになった。でも、おまえにはそうなって欲しくない。今みたいに、ちゃんとオレ達のヒーローでいてほしいんだ。だいたい、その方が絶対強くなれるんだからよ。」

 

 彼の言うことは、先刻のキュウコンとの戦いでリラも身をもって知った。

 わが子にできる最期のこととして、文字通り死力を尽くして自分達に立ちはだかった彼女に、守るべき者と共に戦ってくれる者の存在が、驚くほどの力を生むことを教えられたからだ。

 

 しかし、だからこそ彼は、その言葉を素直に受け取ることができなかった。

 

「・・・きみは、肝心なことを忘れてる。」

 

 不意に目の奥が揺らぎ始めた。

 声まで揺らぎ始めたら、気づかれてしまうかもしれない。

 だから、半ばぶつけるような口調で言うしかなかった。

 

「今は君たちがいるから。だから、ぼくもこうしてそのままの自分自身でいられる。だけど明日、君たちがここを去ってしまえば、ぼくはまたひとりになる。君たちのいない元通りの日々の中で、それでも一人になるななんて。そんなの、どうしたってー」

 

 目にも喉元にも、それは予想以上に早く込み上げてきてしまった為に、それ以上は続けられなかった。

 抱えていた膝の中に顔も埋め、ぐっと腹に力を込める。

 そうしてどうにか寂しさの大波をやり過ごしていた、その最中だった。

 

「・・・・?」

 

 腕に伏せていた額に感じた、こつん、と軽い感触に、リラは思わず顔を上げた。

 そして、その感触の正体をはっきりと目の当たりにした。

 

「確かにオレは、肝心なことを言い忘れてたな。」

 

 そう言うヒノキの手によって眼前に突きつけられた赤と白の艶やかな球には、無数の細かな傷がついていた。

 

「こいつはもーちょいおまえに預かっといてもらうことにしたから。また忘れない内に渡しとくよ。」

 

 ヒノキのその言葉に、リラは反射的に辺りを見回した。しかし、さっきまでそこにいたユンゲラーの姿はどこにも見当たらない。

 

「・・・それは・・・どういう・・・」

 

 リラはそこで言葉に詰まった。何をどう訊ねればよいのか、自分でもまだ分かっていなかったからだ。

 しかし、そんな彼とは対照的に、ヒノキは実にあっけらかんと答えた。

 

「ほら、たまーにいるだろ?なんでか人手に渡らないと進化しないやつ。こいつはそのクチなんだ。見た感じ、おまえもうこいつの扱い方分かってるみたいだし、ついでに進化も頼もうと思ってさ。」

 

 そして、今度はそのボールを掌に乗せ、まだ困惑しているリラに差し出して言った。

 

「別におかしな話じゃないだろ?こいつが今より強くなれば、オレもこいつもハッピーだ。おまけにー」

 

 そこで突然ボールが宙に浮き、リラの周りをくるりと一周すると、再び目の前のヒノキの掌に収まった。

 

「そんな相棒(ポケモン)がいるおまえが、ひとりな訳ないだろってハナシだ。」

 

 リラはまだ滲む目で改めて目の前のボールを見て、ヒノキを見た。

 そしてそれを何度か繰り返した後、ようやく首を横に振ることができた。

 

「きみの気持ちはとても嬉しい。」

 

 だけど。

 

「ぼくは簡単にはここを離れられないし、次はいつ会えるとも約束できない。互いにかけがえのない存在であるきみたちをそんな風に引き離すなんて、ぼくには──!?」

 

 そこで彼が狼狽えたのも無理はない。

 突然、ヒノキが膝を抱えていた右腕を掴み、その手を自分の掌のボールに置いたからだ。

 そうして、リラの右手はヒノキの両手に包まれる形になった。

 

「おまえ、オレ達の(キズナ)をなめんなよ。」

 

 彼に手を取られるのは、これで今日三度目だ。

 大きさは自分とさほど変わらないのに、その度にその手からは自分にはない力強さや頼もしさが流れ込んでくる。

 

「互いにカケガエのない存在だから、そんな風に離れたって平気なんだよ。それに、さっきも言ったけど。こいつが進化するためには、どのみちオレ達は一度離れなきゃいけないんだ。」

 

 そしてそっと両手をほどくと、まっすぐに自分の目を見て言った。

 

「だからおまえは、引き離すんじゃなくて、結び直すんだよ。」

 

 リラは今や自分の手が握っているモンスターボールを見つめた。

 何かを言いたい気持ちははち切れそうなほど膨らんでいるのに、肝心の言葉が見つからない。

 言わなきゃいけないことは、絶対にあるはずなのに。

 

「代わりに、このチビはオレが引き取るよ。」

 

 もどかしい沈黙を気遣うように、ヒノキが再びすり寄ってきたロコンを抱き上げて言った。

 もう、すっかり彼になついてしまっている。

 

「こいつがあのキュウコンのこどもだって知ったら、エニシダのおっさんたちがなんか余計なこと考えるかも知れないし、ちょうどいいだろ。オレがかーちゃんの代わりに愛情たっぷりに育ててやるよ。」

 

 生まれて間もない赤ん坊のロコン。

 戦うどころか、まずは健やかな身体を育むところから始めてやらなければならないだろう。

 そんな光景を前に、不意にリラの頭にフユキの言葉がよぎった。

 

 

──あれは、本当に何にもできないところからポケモンと一緒に考えて、いちいち試して、そのたび反省して、そうして前に進んできたやつだからできるんだ。

 

 

「・・・やっぱりだめだ!こんなの、不公平だよ。きみはまた全てを一からやり直さなきゃいけないし、たとえユンゲラーが進化したとしても、いつ返せるかも分からない。結局、ぼくがきみに与えられるものなんて、何ひとつ──」

 

 

「あるさ。」

 

 

 そこでヒノキはロコンを地面に下ろすと、大きな瞳を震わせるリラに真面目な顔で向き直った。

 

 

「おまえをひとりにしないってことは、オレがひとりじゃないってことだ。」

 

 

 そして、にっと無邪気に表情を崩して言った。

 

 

「そしたら、オレも安心してチャンピオンになれるだろ?」

 

 

 それに、と、まだ構ってほしげにすり寄るロコンのあごの下を撫でてやりながら、つけ加える。

 

「心配しなくても、そいつはいずれ必ず返してもらうし、ただ預けるつもりもねーよ。いいか、そいつは世界最強のフーディンにして返してもらうからな。とりあえず、オレがセキエイのポケモンリーグで優勝したら一回確めに来るからよ。」

 

「世界、最強・・・。」

 

 いかにも男の子が好きそうなその響きを、リラは確かめるように繰り返して呟いた。

 

「ああ。だからさ、そん時こそ──」

 

 そこでヒノキが首をぐいっと北へ向けたので、リラもつられてそちらを見た。

 

「あそこで勝負しようぜ。」

 

 そう言って、夜空にそびえるバトルタワーのてっぺんを指差した。

 その瞬間、リラの胸で何かが弾けた。

 

 

 毎朝、水平線の彼方から射す陽光の中で漠然と思い描いていた人影。

 それが、明日からははっきりときみになる。

 

 ならなければならなかったものが、なりたいものへと変わっていく。

 

 世界が、朝日のような眩しい幸せで輝いていく。

 

 まるで、ぼく自身が自己再生をしているみたいだ。

 

 

「・・・約束する。」

 

 

 そう言ってリラは今度は自らその手をヒノキに伸ばし、未来の再戦を契った。

 

 

 

◇ ◇

 

 

 

「・・・それで、ユンゲラーをタイクーンに?」

 

「ああ。でも、進化のための預け先のことは前からどうしようかって考えてた事だったし。ちょうど良かったよ。」

 

「やるなあ。おれなら絶対身近なだれかにするよ。それがフーディンとなればなおさら、進化した瞬間に返してもらえるように、さ。」

 

 バトル・レセプション七日目の昼。

 既にフロンティアを発ったクルーザーの船尾で、ヒノキはシェフレラとフユキに昨夜の出来事を話していた。

 

 

「それにしても」

 

 会話に区切りがついたところで、シェフレラがぽつりと呟いた。

 

「タイクーン、これからもずっとあそこで生きていくのかな。」

 

 その言葉に、傍らの二人も改めて遠ざかる戦いの塔を見る。

 

「ん。簡単には離れられないって言ってたからな。けど、大丈夫だよ。だって、今のあいつにはー」

 

 ユンゲラーがいるから。

 ヒノキがそう続けようとした時だった。

 

「『オレがいる』もんな?」

 

 意味ありげな笑みを浮かべて自分の言葉をそう遮ったフユキに、ヒノキは眉の根を寄せて聞き返した。

 

「?おまえ、なに言ってんの?」

 

「冗談だよ。けど、リラって名前もそうだけど。ほら、あいつって、なんか、どっか・・・さ。え、おまえ、思わなかった?」

 

「はあ?だから、何がだよ。」

 

 ますます眉根を寄せるヒノキの代わりに、シェフレラが割りこんでくる。

 

「それ、ぼくも思った!もしかして、って。でも、そんなこと聞けないから、結局ほんとのところは分かんなかったけど・・・」

 

 そう話す彼の頬は、なぜかほんのり赤みを増している。

 

「いやだから、分かんないのはおまえらの話だっつの。何なんだよ、二人して。」

 

「それならそれでいいんだよ。なあ、シェフレラ?」

 

 にやにやと笑いながらあいまいな言葉で濁すフユキと、それにこくこくと頷くシェフレラ。

 そんな二人に業を煮やしたヒノキがたいあたりを食わせ、三つ巴になってデッキに倒れたところで、操縦室のエニシダからのアナウンスが流れた。

 

『はーい、みんなお疲れ様でした!あと10分くらいでミナモ港に着くので、忘れ物のないよう、降りる準備を始めてくださーい。』

 

 それを聞いたシェフレラが、よろよろと立ち上がってメガネを直しながら呟いた。

 

「帰りはこのまま順調だといいけど。」

 

 往路の出来事から不測の事態を心配する彼に、ヒノキは思わず笑って言った。

 

「おまえ、ほんっと心配症だなあ。大丈夫だよ、少しくらい遅れたって、オレがまたこいつと──」

 

 そう言って腰に手をかけたところで、気がついた。

 そんな自分を、シェフレラが気遣わしげな目で見ている。

 

 

──そうか、あいつはもういないのか。

 

 

 ヒノキは改めてそのことを思った。

 彼のテレポートのおかげでこの半年は遅刻知らずだった学校にも、これからは自分の足で間に合うように行かなければならない。

 そうやって、日常の何気ない瞬間に少しずつ彼の存在の大きさを知っていくのだろう。

 

 

 その時、港への間もなくの到着を告げる最終アナウンスが流れ、船が緩やかに減速し始めた。

 

 

「・・・ヒノキ。そろそろー」

 

 

 柵を掴み、海を見つめて喋らなくなった彼に遠慮がちに声をかけたシェフレラを、フユキが制した。

 冬の青空のようなその瞳がもう少し、そっとしておいてやろうと言っていた。

 

 

 不思議な涙だった。

 混じりっけのない、純粋な感情から溢れる涙がこれほどまでに清々しいことに、ヒノキは驚かずにはいられなかった。

 こんなに素直に泣けるのは、いつ以来だろう。

 

 七歳の誕生日に、兄から贈られたケーシィだったあいつ。

 時間にすれば、一緒にいたのはわずか一年半に過ぎない。

 しかし、その間にそれまでの人生(きおく)の全てを彼と共有していたヒノキにとって、それはこれまでの約八年半の生涯に等しい歳月であった。

 

 

 

ーいつでも、いっしょにいるから。

 

 レセプション初日の夜。

 スクリーンの中のリラに孤独な頂点であった頃の兄を見た瞬間、ヒノキはこの頭の良い相棒が自分をこのホウエンの果てに連れてきた理由を理解した。

 そして、そんな彼がにこにこと目を細めながら伝えた、その念の意味するところも。

 

 あの頃の兄と同じ境遇にいるリラを自分に助けさせること。

 それによって胸で燻る自責の念を解き、無理やり蓋をした憧れを取り戻させようとしていること。

 そうやって、自分を助けようとしていること──。

 

 

「・・・・あー。しょっぱ。」

 

 

 ひとしきり泣いた後、手の甲でごしごしと目と鼻をぬぐい、ヒノキは顔を上げた。

 ぐしゃぐしゃの顔とは反対に、胸の中はまっさらにすっきりとしていた。

 これ以上泣いている暇はない。何しろ、もう再会へのカウントダウンは始まっているのだ。

 

 水平線の彼方にそびえる塔は、もう針のようにかすかになっている。

 

 

──オレも、行かなきゃ。

 

 

 そして踵を返して塔に背を向け、駆け出した。

 

 

 はるか遠い約束の場所で、再び会うために。

 

 




 
これにて15年前編ことバトルレセプション編は完結となります。ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました。温かい目やお言葉やお心遣い、本当に励みになります。
この場があまり長くなるのも何なので、振り返りは活動報告にて。
今後に関しては、これよりまた少し書く時間を頂きまして、次回からはこの五年後を描いた10年前編をお送りしたいと思います。
内容としては、ポケスペのバトルフロンティア編の設定を拝借した独自展開という感じの予定です。
プロローグのくだりも出てきますので、そちらの要素も楽しく織り込んでいけたらと考えています。

それでは、今度ともなにとぞ本作をよろしくお願いいたします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【過去編第二部】 約束と願い -The days she was there-
41.10年前① Current


 
 自分でも一年かかるとは思っていませんでした。
 更新停止中も閲覧、応援して下さった皆様には心よりお礼申し上げます。
 ツッコミどころは多々あるかと思いますが、物語の体は成していると信じて第3.5章完結までの全十九話を順次発送していきたいと思います。


【前回までのあらすじ】

 元カントーリーグチャンピオンの兄を持つ八歳の少年、ヒノキは相棒のユンゲラーと共にジョウト地方のエンジュシティで暮らしていた。
 ある日、彼は青年実業家を名乗る謎の男・エニシダにポケモントレーナーとしての素質を見込まれ、ホウエン地方の離島に完成したばかりのポケモンバトル施設・バトルタワーの完成記念イベントへ招かれる。そこで出会ったのは、同じ歳にしてタワーの主を務める不思議な少年、リラであった。
 当初はあまり友好的とは言えない二人だったが、互いの働きかけにより各々が抱えていた心の燻りを解消し、別れの前日には同じポケモンを初めての相棒とする仲となる。そして、それぞれが目指す頂点に立てた時に再びバトルタワーの最上階で会おうと約束する。




それから、五年。







 

 

 【六月三十日 深夜】

 

 

 ホウエン本土から南東約二百海里の洋上に位置する、アマミ群島。

 その大小五つの島々の内、最も北にあるその島の南端の岬の袂には、この地方でも指折りの古さと広さを持つ鍾乳洞が口を開けている。

 

 

 

──・・・コツ、コツ。

 

 

 

 その星霜積もり積もった祠は、この天然の迷宮を縄張りとするポケモン達ですら近寄らない洞窟最奥部に、今なおひっそりと建っていた。

 それがいつ、どうして創建されたものなのか、何が祀られているのかを知る人間達は、とうに世を去っている。

 故に、今ではこの祠にかつて自らの使命に殉じた番人(ポケモン)の慰霊以上の存在理由を見出だす者はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 はずだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──ギイィィィィィィィ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まるで断末魔のような音を立てながら、朽ち果てたその扉は今、一対の人の手によってゆっくりと開かれてゆく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 不気味に口元を歪めて佇むその手の主が、決して届くはずのない願いを叶えるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇ ◇ 

 

 

 【七月一日 朝】

 

 

 

 カイナ港を出た高速連絡船タイドリップ号は、夏の陽光が照り輝く海面を滑るように突き進んでゆく。

 その船上で、一人の若者が船内から甲板へと続く扉を抜け、潮風にボーダーシャツの裾をはためかせていた。

 

「ふあーっ、好い天気だなー!!」

 

 彼の名は、トール・カイド。

 アマミ群島の一島を大規模に開発して作られたポケモンバトルの最前線、バトルフロンティアの特別先行公開の取材の為に派遣された、ポケモンジャーナル社の新米カメラマンだ。

 

「お?」

 

 強い風にあおられながら舳先の方へと進むと、そこには先客がいた。

 片手で海と空の間のような色のデニムのワークキャップを押さえ、同じ色のデニムジャケットの裾を潮風に翻しながら、これから向かう方向の水平線を眺めている。

 そしてその傍らには、長い九本の尾を品良く丸めて同じように海を見つめる、美しいポケモンの後ろ姿があった。

 

 共にこちらに背を向けているため、彼らの表情は分からない。しかしその後ろ姿にはカメラマンの性を駆り立てる何かがあり、気が付けばシャッターを切っていた。

 

 

──パシャ。

 

 

 その音に、海を眺めていた少年とポケモンが振り向く。

 

「や、失礼。君たちの後ろ姿がなかなか良い感じだったもんで、つい。」

 

 トールが詫びると、少年は顔の前で手を振った。

 風の音で声は聞こえないが「気にするな」と言っているようだ。押さえたキャップで相変わらず表情はよく見えないが、どうやら同じ年頃らしい。

 その気さくな態度に安心したトールは、彼の元へと歩み寄る。

 

「へえ、良いカメラだな。オレもこーゆーの欲しいんだよな。プロ?」

 

 そう言って、少年はトールが首から掛けている真新しい一眼レフを興味深そうに見た。

 

「まだ駆け出しだけどね。あ、そうだ、何なら、これー」

 

 そう言ってトールは大きな肩かけカバンのポケットから名刺入れを取り出すと、そこから一枚を抜き出して少年へと渡した。

 

「僕はトール・カイド。ポケモンジャーナルホウエン支社のカメラマンで、今日の会見へは来月号のバトルフロンティア特集の取材のために派遣されたんだ。」

 

「へー。結構な大役じゃねえか。期待の新星ってやつなんだな。」

 

「はは、ちがうちがう。記者会見やブレーンへのインタビューみたいな本当に大事なところは、ちゃんとベテランのライターさんの担当(しごと)なんだ。会社で急に会見前の記念試合のチケットが手に入ったところに、暇だったのが僕だけだったもんでさ。勉強になるから行ってこいって遣わされたんだよ。もちろん、ありがたいことなんだけど。」

 

「ふうん。じゃ、言ってみりゃ経験値稼ぎってとこか。」

 

「そういうこと。ところできみは?この船に乗ってるってことは、やっぱりきみも取材関係者なんだよね?」

 

 今日の先行公開はマスコミ限定の特別な催事だ。

 従って、招待状を持たない者はカイナ港で乗船自体を断られているはずである。

 

「んー、まあ、そうっちゃそうかな。あ、でもオレは名刺とか持ってないんだ。わるいね。」

 

「構わないよ、そんなの気にしなくて。あ、でもせっかくだから、所属と名前くらい──わぁっ!!?」

 

 突然、腹の底から響くような汽笛が鳴り渡り、船が急に減速を始めたかと思うと、間もなく完全に航行を止めてしまった。

 

「な、なんだぁ!?」

 

 揺れで海に落ちないよう、二人が身体を柵に持たせかけてどうにか体勢を維持したところで、緊急放送が流れた。

 

『ご乗船中の皆様にお知らせ致します。ただいま、当船の周囲に大規模な『うずしお』が発生しております。つきましては、安全の確認が取れるまで運航の見合わせを致します。皆様には大変ご迷惑をおかけしますが、今しばらく船内でお待ち頂きますようお願い申し上げます。繰り返しますー』

 

 そこで前方を見れば、確かに竜巻が沈んでいるかのような猛烈な『うずしお』が目に入った。それもひとつではなく、ちょうど船が進退窮まる具合に大小無数のものが四方八方に点在している。

 

「うずしおだって?ジョウトのうずまき島周辺のものは聞いたことあるけど…この辺りでも起こるなんて初耳だ。」

 

 訝しがるトールに、デニムキャップの少年が目が回りそうな海面を見つめながら口を開いた。

 

「いや。自然発生のうずしおでこの勢いと数はねーよ。たぶん、こいつは──」

 

 その時、どたどたと、二人の後方にある船内からデッキへ続く扉からがたいの良い老人が駆け込んで来た。そして二人の間に割り込むと、柵から身を乗り出し、巨大な渦をいくつも巻いている海面を凝視した。

 

「はー、こりゃ弱ったな。まさか、こんな日に出くわすとは・・・」

 

 立派な白い帽子と制服、そして髭。どうやら、この船の船長らしい。そんな彼の背に、トールが控えめに声をかけた。

 

「あの、すみません。このうずしおは、一体・・・」

 

「ん?ああ、こいつはおそらく、ハンテールというポケモンの仕業だ。やつらは海中でうずしおを起こし、目を回した魚を食らう習性があるからね。そら、あそこにちらちら見えるあいつらがそうだ。」

 

 そう言って、船長は一番近い渦の周りを指した。

 確かに、白い波の切れ間から鮮やかなオレンジの斑点をもつブルーの痩身が見え隠れしている。

 

「やっぱそうか。なら、ポケモンでどうにかすることはできないかな?なんならオレも手伝うけど。」

 

 相棒の金色の耳の後ろを撫でながら、帽子の少年が提案した。が、船長は大きなため息をついて頭を振った。

 

「それがそうもいかんのだよ。ハンテールは希少種で、ここらの海一帯が特別保護区域に認定されているからな。戦闘はもちろん、捕獲なぞしようものならこっちが警察のお縄に捕まることになる。」

 

「そりゃ笑えねーな。てことは、大人しくやつらのハラがふくれるのを待つしかないってわけか。」

 

「すまないな。ハンテールは『深海のハンター』とも呼ばれるように、普段はもっとずっと深いところにいるポケモンだから、こういうことは稀なのだが。きみたちも会見に行く報道陣だろう?時間は大丈夫かい?」

 

 船長に懸念されたトールは、左手の腕時計に目をやる。

 

「そうですね。今が十時半で、開会が十三時からだから・・・ここからだと、所要時間はどれくらいになりますか?」

 

「今日はこれから少し天候が崩れるとの予報が出ている。それを考慮して、約一時間というところだな。」

 

 船長のその見立てに、帽子の少年はうーんと伸びをしながらのんびりと言った。

 

「じゃあまだ一時間半あるって訳だ。ま、そんだけありゃさすがに腹いっぱいになるだろ。あの身体じゃきっと食も細いだろうしさ。」

 

 

 

 

 同じ頃、そのバトルフロンティア。

 本日の特別公開のメイン会場であるバトルドームの控室に、空色のアロハシャツを着た男がなだれ込んできた。

 

「リラ!えらいことになった!」

 

 入り口に背を向け、丹念に相棒の髭を梳かす少年に鏡越しにそう言うと、男は手近にあったパイプ椅子を引き寄せて、どっかりと腰を降ろした。

 

「?どうかされましたか、エニシダオーナー?」

 

 男につられて慌てることもなく、リラと呼ばれたその少年は手を止め、きちんと櫛を置いてから向き直った。

 

「どうしたもこうしたも。見るんだ!」

 

 少年にエニシダと呼ばれた男は、部屋の隅の天井近くに設えられたテレビの電源を入れる。そうして画面に映ったのは、ホウエン本土とこの島をつなぐ連絡船が突如発生した渦潮に足止めを食っているという速報であった。

 

「ああ、なるほど。」

 

 しかし、その臨時放送に触れてなお、彼の落ち着きは揺るがない。その事が、却ってエニシダの焦燥感を煽り立てた。

 

「なるほどって・・・きみ、彼はこの船に乗っているんだろう!?もし、十三時からのきみと組む記念試合(デモバトル)に間に合わないなんて事があれば──」

 

「大丈夫ですよ。」

 

 そう言ってリラは再び櫛を取り、相棒のフーディンの髭をとかし始めた。そして、さらりと付け加えた。

 

「その頃には、彼はちゃんとここに居ますから。」

 

「・・・それは、『このフーディンがそう言っているから』か?」

 

 エニシダの口調には、明らかに苦々しさが含まれていた。

 無論彼はこの五年間、このフーディンの『みらいよち』が一度として外れた試しがないことを知っている。しかし、その対象が五年ぶりに会える元主人ともなれば、いくらかの私情がその精度に影響するのではないか──そのような疑念がどうしても拭い去れないのだ。

 

「そうですね。もちろん、それもありますがー」

 

 リラはもちろん、そうした雇用主の疑念とその背後にある今日の会見への思い入れの強さを知っている。

 その上で、明言した。

 

「何より、彼自身が必ず来ると言ったのなら。きっと来てくれますよ。」

 

 そう言って、若きフロンティアの頂点はにこりと笑った。

 

 

 

 

 

 

「ねえきみ。さすがにそろそろ・・・」

 

 今や大雨の降りしきる空と同じくらい表情を曇らせたトールが、デッキ前の廊下で果報を寝て待っていた少年の肩を叩いた。現在時刻は、十二時八分。

 

「そうらなあ」

 

 起こされた少年はふあああ、と巨大なあくびをした後、依然としてうずしおの渦巻く海を見て言った。

 

「あいつら、あんな歯ぁあるくせにほぼ丸飲みだから、満腹中枢が刺激されねーんだろうな。あるいはうずしおの消費カロリーがでか過ぎるか。まあなんにしろ、さすがにぼちぼち行かねーとな。オレも約束してるし。」

 

 そして、よいしょ、と腰を上げ、ふたたびデッキの方へと歩き出した。

 

「行くって・・・まさか、この嵐の中傘でもさして飛ぶ気!?」

 

 そんな彼の腹づもりが、トールにはさっぱり分からない。

 

「まさか。そんなポケモンもオレもかわいそうな事するかよ。つーかこの雨風じゃもうカサとか要らんだろ。逆に。」

 

「じゃ、どうやって・・・」

 

「決まってるだろ。傘をさす気も失せる雨となりゃ、迎えに来てもらうんだよ。」

 

 そう言って彼はデッキの庇の下まで出ると、ボールに戻していたキュウコンを再び繰り出した。

 

「で、でも。ここはまだ通信機器の電波も圏外の海域だよ?」

 

「ああ。だからこーやって、距離とか位置とかを()()()に知らせるのさ。・・・コン!」

 

 少年に『コン』と呼ばれたそのキュウコンは、大きく息を吸うと顎を天に向け、口から淡い紫色の火の玉をこしらえた。そしてそれを風船のように大きく膨らませると、船の上空目がけて打ち出した。

 

「それは・・・『おにび』?」

 

 トールはポケモントレーナーではないが、妖力を備えた炎がいくらか水に耐性のあることは知っている。

 

「ん。ま、こいつの場合はどっちかっつーとキツネ火ってやつかな。」

 

 そう答えた少年は、どことなく楽しそうであった。

 

 

 

 

「タイクーン。そろそろお願いします。」

 

 ブレーンの代表として開会の挨拶を行う自分を呼びに来たドームスタッフの言葉に、リラは頷いた。

 

「それじゃあ、ぼくはちょっと行ってくるから。」

 

 そう相棒に声をかけ、再び頭上のテレビを見上げた。

 その画面の中央に映る連絡船は、相変わらず動く気配はない。

 そしてそんな船の上空で(セント)エルモの火よろしく風雨の中に灯る不思議な炎を確認すると、フーディンの頬を少し撫でて言った。

 

「頼んだよ。」

 

 五年の歳月を共に過ごした主人の言葉に、彼はこくりと頷いた。

 

 

 

 

「・・・・」

 

 トールはもはやカメラを構えることさえ忘れ、呆気に取られていた。

 風雨の吹き荒れるデッキに突然現れた、額にうっすらと星の浮いたフーディン。それは事前に上司から渡された資料にあったフロンティアブレーンの長、タワータイクーンの無二の相棒に相違なかったからだ。そしてそんな自分を全く意に介さず、デニムキャップの少年はどこまでも自分のペースで事を運び続けている。

 

「んじゃ行くか。あ、そーだ。これ、オレの代わりに降りるときに船の人に渡しといて。海に落ちてない証拠に。」

 

 そう言って彼はジーンズのヒップポケットから自身の搭乗券を引っ張り出し、トールの手に握らせた。

 そこでようやく、トールは再び口を開くことができた。

 

「・・・きみ、本当に取材人?」

「おお、ほんとほんと。ま、ただ、強いて言うんなら──」

 

 そこでフーディンが少し顎をしゃくり、時間が迫っていることを告げる。そんな送迎者に少年は頷くと、キャップの下からにっと笑って続けた。

 

「するんじゃなくてされる方、だけどな。」

 

 んじゃ、お先。

 そう言って彼はフーディンの肩に腕を回し、消えた。

 

 

 残されたトールは、デッキでしばし呆然と雨と風に打たれていた。が、やがて我に返ると、少年から託されたくしゃくしゃのふねのチケットを広げた。

 そこには、ついに聞きそびれた彼の名が記されていた。

 

 

 

 

 開会の挨拶を終えたリラは、控え室のドアの前まで戻っていた。その向こうからは、先ほどまでは聞こえなかったはしゃぎ声がする。

 

 

──ふぅ。

 

 

 にわかに高鳴り始めた胸を深い呼吸で落ち着けると、ゆっくりと扉を開けた。

 

 

 

 

 

 同時刻のバトルドーム放送席。

 間もなく始まる記念試合(デモンストレーションバトル)の実況担当であるコゴミ・ガッソは、隣のオーナーの貧乏揺すりの激しさに辟易していた。何しろ、信頼する自分達の長の、知能指数5000の相棒が大丈夫だと言っているのだ。一体何をそんなに憂慮する必要があるというのだろう。

 

「そーんなに心配なら。オーナーが自分で出ればいんじゃないすかぁ?」

 

 くああ、とあくびながらにぼやいたその一言は、彼女としてはあくまでほんの冗談のつもりであった。

 

「!それ、それだ!!よし!コゴミ、実況(こっち)はきみに任せる!」

 

 ところが、当の雇用主はそうは捉えなかったらしい。

 

「へっっ!?ちょっと!オーナー!?・・・」

 

 放送席のある三階からスタジアムへの通用口のある地下一階への階段を駈け降りながら、エニシダはシャツの襟元に留めたインカムのマイクを口元に引き寄せ、試合を控えたタワータイクーンに呼び掛けた。

 

「リラ、私だ!いいか、試合には彼の代わりに私がサプライズという設定で出る。だからきみは、うまく話をー」

 

 しかし、リラからの応答は実に簡潔なものであった。

 

「その必要はありませんよ。」

 

「へ?」

 

「だって彼ならもう、ここにいますから。」

 

 その直後。

 ドームに響き渡る、コゴミの弾けるような実況が、彼にその事実を彼に報せた。

 

 

『おまたせしましたぁ!!それでは、我らがフロンティアブレーンのリーダー・タワータイクーンのリラと、トージョウの若きチャンピオン、ヒノキ・カイジュのコンビによるダブルバトル、開始です!!!』

 

 

 

 

 

 

「まったく。船が遅れてるからってオレまで遅刻するとは限らないっての。なあ、フーディン?」

 

 そう言いながら五年ぶりに再会した相棒と無邪気に戯れるヒノキに、エニシダはたまらず突っ込んだ。

 

「いやいや、だから普通は遅刻するに限るから!むしろきみはどうしていつも船と一緒に遅れて来ない!?」

 

 結果としてデモンストレーションバトルは何の問題もなく盛況を納めたにも関わらず、エニシダの機嫌は傾いたままであった。

 結局、試合に出ることもなければ実況に戻る事もできず、オーナーとしての最初の見せ場を完全に損ねてしまったからだ。

 

 そこに、試合後に別れたリラが五人の老若男女を引き連れて控室に戻ってきた。

 

「うぃーす、おつかれーっす!でもってはじめまして、チャンピオン!バトルフロンティアにようこそ!」

 

 コゴミのその挨拶を皮切りに、フロンティアブレーン達のヒノキへの自己紹介が始まった。

 

「私はアザミ。バトルチューブという施設で挑戦者の運を試すの。あなたはなかなか《持っていそう》だから、チューブで会えるのを楽しみにしているわ。」

 

「私はこのバトルドームを預かるヒースだ。フーディンの『ほのおのパンチ』を『もらいび』にして火力を上げたキュウコン、何というかもうあらゆる意味で熱い試合だった!ぜひ私との手合わせも熱く頼むよ!」

 

「ありがとう。オレも明日からの皆さんの施設体験、本当に楽しみにしてます。」

 

 そんな彼らの交流にエニシダはようやく機嫌を直し、満足げに眺めていた。が、やがて自身がホウエン各地から集めた精鋭が一人足りないことに気づき、その人物の名をこぼした。

 

「おや?ダツラはどうした?もう会見の十分前だぞ。」

 

「ああ、なんでも管理(バンク)システムに異常が出たとかで。試合が終わる少し前に、ファクトリーへ走って行きましたよ。」

 

 彼と特に仲の良いピラミッドキングのジンダイがそう答えた時だった。ガチャリと控室のドアが開き、赤いハンチングと白衣が目を引く男性が慌ただしく入ってきた。

 

「あ、ダツラ!ちょーど今噂してたとこだよ!ほら、こっちが例の──」

 

 コゴミがヒノキを紹介すると、ダツラと呼ばれたその男は、少し額の汗を拭ってから筋肉質の逞しい腕を差し出してきた。

 

「ああ、遠いところをよく来てくれた。おれはダツラ、ブレーンの一人でバトルファクトリーという施設と、このフロンティアのポケモン管理(バンク)システムの責任者をしている。・・・のだが、三十分ほど前から急にゲスト用のボックスに不具合が生じて、きみが試合前に預けたポケモン達が引き出せない状態になっている。今、急いで原因を調べているところだ。すまないが、もう少し時間をくれないか。」

 

「大丈夫ですよ。どうせしばらくはここに厄介になるんだし。」

 

 マスコミ対象の先行公開は今日一日限りだが、ヒノキは特別ゲストとして、そのまま明日から七つのバトル施設を視察という形で体験する予定となっている。そしてその体験記(レポート)をHPに掲載すれば、彼の本拠地(ホーム)であるカントーやジョウトからの集客につながるはず──というのがエニシダの算段であった。

 

「よし、休憩明け五分前だ!みんな、そろそろ袖へ移動しよう!それじゃヒノキくん、明日からまた頼むよ!」

 

 揃った七人のブレーン達にエニシダが声をかけると、記者会見の為に一行はぞろぞろと控え室を出ていく。

 そこで、しんがりのリラが先にこの日の役目を終えたヒノキに右手を差し出した。

 

「お疲れ様。今日は本当にありがとう。ぼくも、とても楽しー」

 

 そこで彼の言葉は途絶えた。

 ヒノキがその細い手首をぐっとつかんで、自分の方へ彼を引き寄せたためだ。そして、ふわりとした淡紫の髪から覗く小さな形の良い耳に、早口に囁いた。

 

「ちょっと、二人だけで話したいことがあるんだ。今日、どっかで時間作れるか?」

 

 突然の頼みに、リラは思わず正面からヒノキの顔を見つめる。

 そこに先ほどまでの朗らかさはなく、その内容が至って真面目な類のものであることを伝えていた。

 

「・・・あ、ああ。夜でも構わないなら・・・」

 

 リラのその返事に満足したヒノキは頷き、彼の手に十一桁の数字が並んだ紙切れを握らせて言った。

 

「オレはいつでも大丈夫だから。これ、ギアの番号な。じゃ、待ってる。」

 

 そう言って表情を元通り和らげると、後は何事もなかったかのようにキュウコンを連れて部屋を出ていった。

 

 

 

 その一連の行為が、残された「彼」の胸にどれほどの動揺をもたらしたかも知らずに。

 

 




 
ブレーン達のキャラクターは基本ポケスペ仕様です。
その為未読の方にはちょっと違和感があるかもしれませんが(特にダツラ)、スペダツラの男前ぶりに免じてご容赦ください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

42.10年前② 夜空の下で

 
 結構今さらですが、

 ◇ :同時、あるいはちょこっと前or後(同日の範囲内)
 ◇ ◇ :ちょっと前or後(日付けをまたぐ)
 ◇ ◇ ◇ :けっこう前or後(月をまたぐ)
 ◇ ◇ ◇ ◇ :だいぶ前or後(年をまたぐ)

 みたいな意味が実はあったりします。ほぼ感覚ですが・・・


【前回の要点】
カントー・ジョウト地方のチャンピオンとして、開業を控えたホウエン地方のバトルフロンティアを訪れたヒノキ。そこで5年ぶりに再会した友人のタワータイクーンのリラに、二人で話す機会がほしいと持ちかける。




 

 【七月一日 夜】

 

 昼間の雨雲が東へ流れ、日没の遅い夏の空にもようやく星が輝き始めた午後七時半。タイクーンとしてのこの日の務めを終えたリラは、ひとり島の南端の岬への道を歩いていた。

 テレポートで行こうと急かす相棒(フーディン)は、先に向かわせた。というのも、待ち合わせ相手である元の主人に早く会いたい彼とは反対に、リラは少しでも心の準備の時間が欲しかったからだ。

 

 その理由は、今から約一ヶ月前の、とある出来事にある。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「くぅーっ。やっぱバトルで汗かいた後は、コレに限るねぇ~!!」

 

「ちょっとコゴミ。いつも言ってるけど、それじゃあ今頃ファクトリーかピラミッドで乾杯してるダツラとジンダイだよ。」

 

「!もー、リラこそ!いつも言ってるけど、花も恥じらう乙女をあんなむさっ苦しいオヤジ連中と一緒にしないでよー!!」

 

 フロンティアの市街地からやや北の外れにある、島で唯一の天然温泉施設『星の湯』。月に一度のブレーン同士の総当たり鍛練(バトル)の後、ここで共に汗を流すのが()()の女性ブレーン達の習慣となっていた。従って、前述の「花も恥じらう乙女」らしからぬコゴミの言葉は、この源泉かけ流しの湯にとっぷりと身を沈めた際の彼女の決まり文句である。そしてそれに続くリラとの会話もまた、毎月恒例のやり取りであった。

 

「でもさ、なんかすごいよね。」

 

 そんなお決まりの掛け合いで遊んだ後に、不意にコゴミがぽつりと呟いた。

 

「え?」

 

「だって、その彼と一緒だったのって、五年前の一週間だけなんでしょ?そんな子どもの頃の約束守って、ほんとにチャンピオンになってまた会いに来るとか。ふつうはそーゆーのって、良い思い出で終わるよ?まあ、チャンピオンになるくらいだから、ふつうの人じゃないんだろうけど。」

 

 今日の鍛練の後にオーナーのエニシダから発表された、一ヶ月後の公開日のデモバトルにおけるトージョウチャンピオンのゲスト参戦と施設体験。それが、彼が自分と友人であることから実現したという背景がある為、エニシダ以外はほぼ誰も知らないその経緯を、リラはこの温泉に来る道中に二人に話したのだ。

 

「確かに、彼はちょっと変わったところがあるかな。」

 

 五年前、無二の相棒を自分に託して島を去っていった彼を思い出しつつ、リラは続ける。

 

「でも、チャンピオン自体はもともと彼の夢だったから。だからぼくとの約束のためというよりは、彼が自分の夢を叶えたという方が正しいよ。それに、これはぼくだけかも知れないけど。正直、彼とは『五年前に一週間だけ』っていう感覚じゃないんだ。だってフーディンがいつも彼のことを話してくれたから。だから、うん、何ていうか──」

 

 そこで少し言葉を切ると、湯けむりの向こうの夜空を見上げて言った。

 

「この五年間も、ずっと一緒にいるみたいだった。」

 

 そう言った彼女の白い背にコゴミの『はたく』が派手な音とともに真っ赤な手形を残したのは、その直後だった。

 

「いっっ・・・!!?ちょっとコゴミ、急に何!?」

 

「い~~なぁ!!!あ〜、あたしにもそんなカイリキーの王子様、来ないかなー!!」

 

「王子、様・・・?」

 

 ひりひり痛む背中を擦りながら気になった単語を復唱するリラに、コゴミはにやにやと笑みを浮かべながら言った。

 

「えー?だってリラ、ここに来るまでの間もそうだったけど。彼の話してる時、ずーっと女の子の顔だったよー??」

 

 その言葉でようやく彼女の言わんとしている事を理解したリラは、思わず周囲に鏡を探した。が、ここは露天風呂だ。

 

「ぼ、ぼくは彼をそんな風に思った事は、一度も──!!」

 

 ないのは事実だ。

 だから、こうも顔が熱ってくるのはこの長湯のせいに決まっている──と、リラがそんな自己暗示をかけていた、その時であった。

 

「あら、今まではなくっても時間の問題よ。あなただってもう十三なんだから。 油断してたらいきなり成長したりするんだからね?身も心も。」

 

 そう言って後ろから彼女の脇腹を抱えるように抱き締めたのは、長い髪を洗っていた為に湯に入るのが遅れたもう一人の女性ブレーン、チューブクイーンのアザミだった。

 

「~~!!」

 

 自分にはまだない大人の女性の身体の感触に戸惑い、そこから抜け出そうと躍起になりながら、リラは抗議する。

 

「せ、成長したって、彼は友達だよ!それにだいたい、向こうは()()のことは、まだ──」

 

「ほんとは気づいてるけど、黙ってるんじゃないの?」

 

 思いがけないコゴミの言葉に、リラは不意にアザミの腕に抗うのを止めて彼女を見た。その顔は相変わらずにやにやと意地悪く、そして楽しそうだ。

 

「だってリラ、パッと見ただけなら確かにふつーの美少年だけどー。これっくらいの距離で話したりなんかすると、なーんかひっかかちゃうんだよねー。」

 

 そう言って、人差し指でリラの小鼻をつんつんと突きながら距離を詰めてくる。

 

「そ、そうなの・・・?」

 

 そこに、後ろからアザミも絡んできた。

 

「そうよ。それに、最近は男の子の方がロマンチストだったりするんだから。全然そんな素振りを見せずに油断させておいたところで、突然将来の約束をもちかけてきたりするのよ。」

 

 前から詰め寄るコゴミに、後ろからより腕を締め付けてくるアザミ。そしてその為に先ほど以上にもろに押し当たる彼女の身体の起伏に、さらに顔が熱くなる。

 

 これ以上、妙な方向へ流されてはたまらない。

 そう判断したリラはたまらず湯に潜り、からかう歳上の二人からダイビングで離脱した。

 

「な、何、それっ・・・!?」

 

 勢いよく潜ったために少し温泉水をむせ込みながら今の言葉の意味を訊ねるリラに、アザミは澄ました笑みで答えた。

 

「さあ。それは、あなたが彼の口から直接聞くことね。」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 間もなく、約束の場所が見えてきた。

 満天の星空の下の、人気のない夜の岬。

 そんな状況(シチュエーション)で二人だけでしたい話とは、本当に何なのだろう。

 

 そこは、かつてこの下の洞窟の奥にある祠の番人であったキュウコンの墓所でもある。墓というよりは何かの記念碑のような立派な墓碑の前に、二体の新旧の相棒と並んで座る少年の姿がある。こちらに背を向けているため、自分にはまだ気付いていないらしい。

 

 その姿を見たせいか、リラは再び胸がざわめき始めるのを感じ、思わず足を止めた。

 頭の中では、記憶の片隅に『ふういん』したはずのコゴミとアザミの言葉が勝手に飛び出し、まことしやかに囁きかけてくる。

 

(まさか。そんなこと、あるはずがない。)

 

 頭を振って饒舌な臆測達を振り払うと、ヒノキに気付かれないよう、静かに深呼吸をした。

 そして意を決して彼に声をかけようとした、その時であった。

 

 

「──はい。もしもし。どした?」

 

 

 三度目の着信音が鳴る前に上衣のポケットからポケギアを取り出したヒノキは、すぐ後ろのリラには気づかないまま、通話を始めた。

 

「ああ、無事にちゃんと着いたよ。遅刻もしそうでしなかったし。いや、マジで大丈夫だったって。・・・分かったよ、またカントーに戻ったらそっちに寄るから。うん、うん。はいはい。おやすみ。」

 

 そうして短い通話を終えた彼がふう、と一息着くのを待ってから、リラは改めて声をかけた。

 

「お待たせ。遅くなってごめん。」

 

「よお、おつかれ。悪いな、仕事終わりに。」

 

「いや。構わないよ。」

 

 そう。

 そんなことは、全く構わないのだけれど。

 

「・・・今のは、友達?」

 

 ポケギアの向こうからかすかに聞こえた声から、電話の相手が女性であることはリラにも分かった。そして、その事実によって何かが胸を掠めたことも。

 

「ああ、カントーのジムリーダーのな。『フロンティアには無事に着けましたか?』だとさ。まったく、オレのお節介焼くよりやる事がいくらでもあるはずなんだけどな。」

 

「・・・そう、なんだ。」

 

 ヒノキの何の気なしの一言から漠然と悟った彼らの関係に対して、リラはそう呟いた。しかし、それを自分がどう考えようと、全く仕様のないことだ。

 

「それで、ぼくと話したいことって?」

 

 わき上がる雑念を振り払って平静を取り戻すと、彼は自ら本題を切り出した。

 

「ん、ああ。そうだな。」

 

 そう言って、ヒノキはちらちらと辺りに視線を走らせた。そうして確かに人気がないことを確認したところで、口を開いた。

 

「あのさ、リラ。」

 

「うん。」

 

 昼間と同様、急に改まった彼の口調と表情には気が付かないふりをしながら、リラは努めて何気ない調子で答えた。

 そしてそんな彼の内なる葛藤に本当に気付かないヒノキは、構わずそのまま続けた。

 

「いきなりこんな話をされても、おまえが混乱するのは分かってる。けど、全部本当で大事な事だから、ちゃんと聞いてほしいんだ。」

 

「え・・・」

 

 もはやヒノキに聞こえてしまうのではないかと思われるほどに、胸の鼓動は高鳴っていた。今しがた胸を掠めたばかりの何かさえ消え去り、頭の中は温泉でのアザミの言葉にすっかり占められている。

 

 まさか。

 本当に、()()()()──?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──ザパン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠くで水面の破れる音がした次の瞬間、ヒノキの腕がリラの肩に伸びた。

 そこに、強い力がかかった。

 

 

 

 

 

 

 

「伏せろ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 頭の上で、フーディンのリフレクターが衝撃から自分達を守る音が響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「コン!かえんほうしゃ!」

 

 キュウコンの放ったその弾状の『かえんほうしゃ』は、宵闇を切り裂いて攻撃が飛んできた方向へと消えた。そして間もなくその先から痛々しい叫び声と大きな水音が返ってきたかと思うと、辺りは再び静寂に包まれた。

 

「おい、大丈夫か!?」

 

「う、うん・・・」

 

 ヒノキによって地面に伏せられていたリラが、そう答えて身体を起こそうとした時だった。

 鼻の先に見えるえぐれた地面に、何かが刺さっている。

 

 

「これは・・・」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

43.10年前③ 不吉の兆し

今更ですが、前回より前話の振り返りである【ここまでのあらすじ】を【前回の要点】に簡素化させて頂いております。事後報告。

【前回の要点】
ヒノキから二人で話がしたいと持ちかけられたリラは、その夜に彼との待ち合わせ場所である岬へ向かう。しかし、そこでヒノキが話を始めたその時、二人は何者かの襲撃を受ける。



 

 【七月二日 早朝】

 

 すでに明るい陽の光が水平線に煌めく夏の早朝。

 ヒノキは一人、昨夜の襲撃の痕跡を探して南の岬を訪れていた。

 

(確か、この辺だったよな。)

 

 それはすぐに見つかった。

 この岬の下に広がる洞窟、その奥にある祠の番人であったキュウコンの墓所として整備されたその芝の一画に、一ヶ所だけ草とその下の土が激しくえぐられて出来た穴がある。まちがいなく、ポケモンの技によるものだ。

 

 ヒノキがその穴を自前のポケットカメラで何枚か撮っていると、傍らの相棒のキュウコンーすなわちこの墓に眠るキュウコンの子どもーが何かに気づき、岬の縁から下を覗き込んだ。

 

「ん?どうした、コン。」

 

 気になったヒノキも彼の隣に手をつき、同じように崖の下をのぞきこむ。すると、十メートルほど下の波打ち際で何かがびちびちと跳ねているのが見えた。

 

「!あれは・・・」

 

 

 岬を降り、改めて間近で確認したその身体には、新しい火傷があった。その傷も写真に撮った後、試しに空のモンスターボールを押し当ててみると、ニメートル近い巨体はなんなく中へ吸い込まれる。

 

「・・・そら、食え!すげー苦いけどな。」

 

 すぐに放ったそのポケモンに『チーゴのみ』を与え、『いいきずぐすり』も吹きつけた後、今しがた彼を捕らえたばかりのボールのスイッチをぐっと一番奥まで押し込む。とたんにボールはぱかりとふたつに割れ、元気を取り戻したそのポケモンは、何事もなかったかのようにすいすいと大海原へ帰って行った。

 

 その特徴的な長い身体が海中へ消えるのを見つめながら、ヒノキはポケギアを手に取り、昨日番号を登録したばかりの友人へ電話をかけた。

 

「あ、もしもし、オレだけど。今、例の岬の下で火傷して弱ってた()()()ハンテールを見つけたんだ。・・・ああ。たぶんな。」

 

『深海のハンター』の異名を持つそのポケモンなら、あの宵闇の中でも的確に自分達を狙うことが可能であったろう。

 

「とにかく、夕べおまえに話した事をちゃんと他のブレーンのみんなにも伝えなきゃな。・・・分かった、九時にバトルタワーだな。」

 

 左手でギアを構えてそう話すヒノキの右手には、新調して間もない赤い端末が乗っていた。

 今しがたデータを採取したばかりの、そのポケモンのページを開いて。

 

 

 

No.177 ハンテール

 

 しんかいポケモン 

 たかさ1.7m おもさ27.0kg

 

 しんかいに せいそく。 ハンテールが はまに うちあがると ふきつなことが おこるという いいつたえが ある。

 

 

 

 

 

 

「南の岬で野生のハンテールに襲われた?」

 

 午前九時に始まった、バトルタワーの一室でのブレーンの緊急会議。そこで議長のリラからもたらされた奇妙な報告に、他の六人のブレーン達は一同に顔を曇らせた。

 

「・・・ハンテールは深海に生息する、ただでさえ人間と関わりの少ない種。それがわざわざ海から飛び出して陸上の人間を狙うなど、聞いたことがない。」

 

 一同きっての頭脳派であるダツラの分析に、他のブレーン達も頷いて同意を示す。が、一人だけ異を唱える者があった。

 

「しかし。キミ、失礼だが何かハンテールの恨みをかうような事はしなかったかい?昨日、キミが乗っていた船はハンテールの『うずしお』によって足止めを食っていたと聞いたが?」

 

 そう発言したのはバトルドームを管理するヒース・ヘザーである。『ドームスーパースター』なる何とも言えぬ称号の持ち主だが、その指摘は決して思慮の浅いものではない。

 

「オレも最初はそういうことをしようと思ったんだけど、船長さんにご法度だって止められてね。残念ながら、あいつらには『ひのこ』すらふりかけちゃいないよ。」

 

 ヒノキの答えにヒースが口ごもったところで、リラが口を開いた。

 

「そして、その点以上に気にかかるのが、そのハンテールの一撃に託されていた、この手紙(メール)だ。」

 

 そう言ってリラが卓上のプロジェクターを起動すると、既に天井から降りてきていた前方のスクリーンに、短い文章が映し出された。

 

 

 

 

   我ガ願イヲ妨グ者ニ告グ   

 

   ソノ力 我ニ及バザレバ   

 

   千年ヲ数エシ夜ニ   

 

   志ハ破滅ノ願イトナリテ   

 

   ソノ身ニ降リカカレリ   

 

 

 

 

 撥水仕様の特殊な紙に認められた脅迫とも警告ともとれるその手紙に、室内はしばし衝撃を伴う沈黙に包まれた。

 

「なにこれ、きもちわる・・・。しかも、何言ってるか全然意味分かんないし・・・。」

 

 年と性格相応の率直な感想で沈黙を破ったのは、アリーナキャプテンの称号をもつブレーン、コゴミ・ガッソである。現在十七才の彼女は、七人のブレーンの中ではリラに次いで二番目に若い。

 

「・・・他のみんなも、コゴミと同じ感想かな?」

 

 そう言って、リラは他のブレーンたちを素早く見渡した。その限りでは、それぞれに頷く五人の様子に不自然さが滲む者はない。

 

「正直なところ、ぼくも同感だ。今の時点では、この手紙の送り主が誰で、その人物が何を企んでいるのか、皆目見当がつかない。ただ、ひとつだけ判っている事がある。」

 

「・・・宛先、か。」

 

 一番端から辛うじて聞こえたパレスガーディアンのウコンの呟きに、リラが頷いた。

 

「その通り。つまりはこの冒頭の『我ガ願イヲ妨グ者』を指す訳だが、もしそれがぼくであったなら、これは最初からこのタワーのポストにでも入れておけば良い話だ。・・・だから、ここからはその張本人に説明を任せようと思う。」

 

 そこでリラが隣席の友人を見やると、ブレーン達の視線も一斉にリラから彼へと移った。

 

「ま、今の流れで何となく察してもらえたかと思うけど、つまりはそーゆー事。・・・なんだけど、予めことわっておくと、オレ自身もまだこいつの正体も目的も見当がつかない。だから、今オレが話せるのは、そんなオレがなぜこいつの『願イヲ妨グ者』としてここにいるのか、そのことだけだ。そこはオッケー?」

 

 全員の了承を確認したところで、ヒノキも頷いた。

 

「よし。それじゃあまずは、こいつの説明からいくぜ。」

 

 そう言うと、プロジェクターの映し出す画像を先ほどの不気味な手紙から、あるポケモンのデータ画像へと切り替えた。

 

 

 

No.201 ジラーチ

 

 ねがいごとポケモン

 たかさ0.3m おもさ1.1kg

 

 きよらかな こえで うたを きかせて あげると1000ねんの ねむりから めを さます。ひとの ねがいを なんでも かなえる という。

 

 

 奇妙な帽子を被った、幼子のような姿。

 そんな不思議なポケモンの画像を前に、にわかにブレーン達の間でざわめきが起こった。

 

「ねがいごとポケモン・・ジラーチ・・・?」

 

「おい、知ってるか?」

 

「いや。見たことも聞いたこともない。」

 

 しかし、ヒノキはそんなブレーン達の反応を冷静に受け止めた。

 

「だろうな。このポケモン図鑑の解説にもあるけど、何しろこいつが生物として活動するのは千年に一度、それもたった七日の間だけだ。その期間を過ぎれば、再び千年の眠りにつく。珍種を通り越して、幻のポケモンと呼ばれる由縁だよ。」

 

「幻の、ポケモン・・・。」

 

「しかし。その幻のポケモンが、今回の件に一体どう関わっているというんだ?確かに、『願イ』という単語は手紙の中に見受けられるが・・・」

 

 まだ話が見えないという風に、ヒースが首を傾げる。

 

「それは、こういう訳さ。コン!」

 

 そこでヒノキが手にしていたモンスターボールのスイッチを押すと、唯一手元にいるポケモンのキュウコンを繰り出した。

 

「キュウコン・・・?」

 

「ああ。こいつは五年前まで例の岬の下の洞窟の祠を守っていたキュウコンの子ども、つまり後継ぎだよ。・・ここまで言えば、もう大体見当がつくだろ?」

 

「・・・なるほどな。そういう事か。」

 

 いち早く察したダツラがそう呟き、その内容を一同に明かした。

 

「つまり。あの祠にはこのジラーチというポケモンが祀られていて、そのキュウコンの先代は祠の創建者から次の覚醒までの番をする使命を与えられていた。キュウコンという種は大変な長寿で、病気やケガにさえ見舞われなければ、およそ千年は生きると言われているからな。」

 

 そこに、重大な事実に気付いたジンダイが割り込んできた。

 

「おいおい、まてまて。じゃあ、あの祠にそのジラーチがいて、この『願イヲ妨グ者』がおまえ達だというなら──」

 

「ああ。近い内に、この手紙の言うところの『千年ヲ数エシ夜』、つまりジラーチが千年の眠りから醒める夜が来る。そしてそのジラーチのあらゆる願いを叶えるという力に目をつけ、良からぬ事を企んでるのが、この手紙の送り主って訳だ。」

 

 再び、張りつめた沈黙が流れる。

 

「・・・では、昨日からのバンクシステムの異常も?」

 

 ダツラが静かにその可能性を口にした。

 

「それはまだ証拠がないから何とも。でもまあ、おそらくはそうだろうな。」

 

 そこで、重い雰囲気を振り払うようにコゴミが明るい声を出した。

 

「で、でもさ!ジラーチはまだその祠で眠ってるんでしょ?それならずっと祠の前で見張ってれば、確実にー」

 

 しかしその楽観に、ヒノキは首を横に振った。

 

「それが、そうは行かなくなったんだよ。」

 

 そう言って、ヒノキは数枚の写真を並べて見せた。

 そこに写る様々な角度から撮られた両開きの祠は、いずれももぬけの殻となっていた。

 

「夕べ、襲撃を受ける前にオレが祠を確認しに行った時には既にこの状態だった。休眠中のジラーチは『星の繭』と呼ばれる通り、ほぼほぼ岩石だ。その状態では自分から動く事はできないから、おそらく奴に持ってかれたんだろうな。」

 

「では、奴は既にジラーチを手に入れており、今は時が来るのを待っている状態という可能性が高い。そういうことだな?」

 

 ウコンの言葉に、ヒノキは頷く。

 

「そんな!それじゃあ、その悪い奴が願いを叶えちゃうのはもう時間の問題じゃない!」

 

 コゴミの焦りをはらんだ一言に、しばらく黙って一同のやり取りを見守っていたリラが口を開いた。

 

「いや。それに関してはまだ、そうとも限らないんだ。」

 

「え?」

 

 コゴミがリラに向かって大きな目を瞬かせる。

 

「確かに、ジラーチ自体は既に敵の手に渡っていると考えた方が良いだろう。だけど、実際にその力を発揮してもらうには条件があるんだ。」

 

「条件・・・?」

 

 その疑問には、ヒノキが答えた。

 

「ああ。一度、ジラーチのデータ画像に戻るぜ。」

 

 リラがプロジェクターの画像を先ほどのジラーチのアップに切り替えると、ヒノキはジラーチの腹部を横切るように伸びる、一本の緩やかな曲線を指した。

 

「実はここに、『腹眼』とか『第三の眼』と呼ばれる巨大な眼が一つあって。ジラーチに願いを叶えてもらうには、この目が開いている状態で願をかける必要があるんだ。そしてこの眼が開くのは、ジラーチがその願いに理解を示した時とされている。 」

 

「なーる。つまり、実際に願いを叶えてもらうには、まずジラーチのお眼鏡にかなう必要があるって訳だ。」

 

 合点が行ったという風に、ジンダイがぽんと手を叩いた。

 

「そ。それに、こいつの力もある。」

 

「キュウコン?」

 

 キュウコンの頭を撫でたヒノキに、コゴミがきょとんとした表情で訊ねた。

 

「ああ。こいつは母親から特別な『ふういん』の力を受け継いでいてさ。ジラーチは本来なら三つの願いを叶えるか、七日間の覚醒を経ないと眠れないんだけど、こいつの『ふういん』ならその条件を満たさずともジラーチを眠らせる事ができるんだ。千年前に母親がジラーチ自身の力で授けられた特殊な力だよ。」

 

「ということは、仮にジラーチが覚醒しても、奴が腹の目を開ける前にそのキュウコンの『ふういん』を施せれば、どんな野望であろうと未然に防げるという訳か。」

 

「その通り。長くなっちゃったけど、オレからは大体こんなとこかな。ご静聴、感謝するよ。」

 

 そんなヒノキと入れ替わるように、アザミが新たな疑問を口にした。

 

「だけど、この手紙の送り主はまだこの島にいるのかしら?私だったら、ジラーチを連れてさっさと遠くの安全な場所へ逃げるけれど。」

 

「問題は、そこなんだ。」

 

 今度はリラが答えた。

 

「アザミの言うように、奴が既にこの島を離れている場合に備えて、既に警察と全ジムリーダー、それにホウエンリーグ本部には事情を伝えて協力を要請してある。だが、ぼく達は現状においては犯人・ジラーチともこの島のどこかにいる可能性が高いと考えている。」

 

「その根拠は?」

 

 ダツラが問う。

 

「ジラーチが発するエネルギー派だよ。」

 

 再び、ヒノキが説明した。

 

「このポケモン図鑑には、ジラーチの繭本体が発していたエネルギー派、つまり放射性物質の分析データが入っていてさ。それを元に、ジラーチの存在を感知することができるんだ。それによると、同量の同物質がいまだこの島から観測できている。ただ、それがごく微量だから、厳密な位置まではまだ分からないんだけど。」

 

 そこに、リラが補足をした。

 

「そして奴が今この島のどこかにいるとすれば、『ここを離れられない何らかの事情』がある可能性が高い。ぼくたちその場合に備えて、直ちに行動する必要がある。」

 

 冷静で淡々とした、しかしどこかぎこちない口調。

 それは平時の彼を知るブレーン達に、彼がいかに()()()()()を重く見ているかを知らせるに十分な異変だった。

 

「とにかく、ぼくとヒノキは今からオーナーと今後の対策について話してくる。みんなは、それぞれの管理する施設に戻って、ジラーチや不審な人物の手がかりがないか確認を頼む。何かあったら、いつでもすぐに連絡してくれ。」

 

 そして一同は解散し、リラの指示通りそれぞれが長を務める施設へと戻って行った。

 

 

 

 

 二人から幻のポケモンをめぐる一連の出来事の経緯を聞かされたエニシダの反応は実に単純(シンプル)で、その指示は明解であった。

 

 

──おのれ賊め!さては私に代わって、このフロンティアのオーナーの座に着くことを目論んでいるにちがいない!ヒノキくん、リラ、何としてでも奴の正体を突き止め、野望の実現を食い止めてくれ!もちろん来月のオープンまでに!

 

 

「まったく、さすがというか、何というか。まあでも、変に取り乱されたりするよりはかえって良かったよな。」

 

 島の北にあるエニシダのオフィスからの帰り道。

 良くも悪くもこのフロンティアの事しか頭にないあの男らしい指令をヒノキはそう評し、隣を歩くリラにこぼした。

 

「ああ・・・そうだな。」

 

 浮かない微笑を浮かべてそれだけ答えた親友に、ヒノキはたちまちその胸の内を覚った。そこで、あえて彼の不安を言葉にした上で、励ますように言った。

 

「そんなしんきくせー顔すんなって。確かに、犯人(ホシ)がまだ目星もつかないのはもやっとするけど。でも、だからこそまだフロンティア(こ こ)の誰かと決まった訳じゃねーんだ。」

 

「うん。・・・分かってる。」

 

 確かに、あのハンテールが野生のポケモンであった以上、外部犯の可能性も低くはない。昨日からのゲスト用のバンクシステムのエラーも、単に間の悪い偶然なのかもしれない。なのに、どうしても薄暗い不安が影のようにつきまとう。それに、あの手紙の最後の一文──。

 

「・・・ねえ、ヒノキ。きみは──」

 

「ん?」

 

 しかし、リラの言葉の続きは、彼のポケットの携帯用通信端末『ポケナビ』の着信音に遮られた。

 

「もしもし。ああ、今オーナーのオフィスを出たところだよ。ファクトリーで何かあったのか?」

 

 その一言で、声は聞こえずとも通話の相手がバトルファクトリーのブレーン、ダツラであることはヒノキにも分かった。

 

「・・・分かった、すぐに二人でそっちへ向かう。とにかく、職員の身の安全を第一に行動してくれ。」

 

 通話を終えたリラは、ボールからフーディンを繰り出すと、緊迫した面持ちでヒノキに向かってひとつ頷いた。そして次の瞬間には、二人と一体の姿は、既に目指す場所へ向かって消えていた。

 

 




 
好きな方はもうお気付きかと思いますが、ハンテールの図鑑説明は第七世代のものです。こんな感じでちょくちょく他世代の要素を都合良く忍ばせますが、それを探すのも一興ということでご容赦ください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

44.10年前④ ファクトリーの異変

以前より本作を応援して下さっている皆様はもちろん、連載再開を機に新たに閲覧・評価・お気に入り登録等下さった皆様、改めてありがとうございます。
私は自分の感性や倫理観というものにまるきり自信がないので約束はできませんが、最終的には幸せな余韻が残る物語にすべく書き進めておりますので、よければ終章までお付き合い頂ければ幸いです。


【前回の要点】
リラと共に岬で謎の襲撃を受けた翌日。ヒノキはブレーン達にこの島に眠る幻のポケモン、ジラーチとそれを狙う者の存在を知らせる。その後、バトルファクトリーのブレーン、ダツラより異常を報せる連絡が入る。



 

 【七月二日 昼】

 

 島の南西に位置するその施設は、工場(ファクトリー)の名に相応しく、迷路のように入り組むパイプが象徴的な鉄筋コンクリート造りの建物であった。

 

「何があったんだ?」

 

 エントランスを駆け抜けてきたヒノキとリラは、施設の心臓であるマザーコンピューターの前の白衣の人だかりへ向かった。そこでは、『ファクトリー・エンジニア』と呼ばれる施設の専属職員達と、彼らを束ねる(ヘッド)であるダツラ・メッテルが、文字通りその頭脳を寄せ集めて今ここで起こっているらしい何事かに対処していた。

 

「ああ、リラ、ヒノキ。よく来てくれた。」

 

 二人の到着に気付いた施設の長は、まるでコックピットのような操作盤から振り返ると、トレードマークの赤いハンチングを少し上げて額の汗を拭った。そして、二人をここへ呼んだ理由であるその事実を二人に告げた。

 

「おれ達もまだ、事の全容は把握しきれていないんだが。しかしとにかく、このマザーコンピューターで管理しているフロンティアの共有ポケモン達のボックスにも異常(エラー)が発生した。今、総員を上げて原因の究明に当たっているところだ。」

 

 このバトルフロンティアでは、ブレーン戦までの予選は基本的に人工知能(バーチャルトレーナー)によって行われる。従って、ポケモン達もフロンティア所属の人間として登録されている者なら、仮想・実在を問わず誰でも扱えるよう公的に管理されているのだ。

 

「なるほど。で、それってつまり、どういうことなんだ?オレのポケモンみたいに、パソコンから引き出せないってこと?」

 

 そのヒノキの問いに、ダツラはかぶりを振った。

 

「いや、その逆だ。」

 

「逆?」

 

 眉根を寄せて訊き返したリラに、ダツラもまた苦い表情で答えた。

 

「今現在、セキュリティとバックアップのシステムが作動していない。つまり、仮に今このボックスから不正にポケモンを持ち出されたとしても、どのポケモンがいつ、どこで誰によって引き出されたのかが分からず、その記録も残らないということだ。」

 

「!!」

 

「おいおい、それって──」

 

 かなりヤバイんじゃないのか、とヒノキが続けようとした、その時であった。

 

「しょ、所長!あれは──!!」

 

 エンジニアの一人が指差した方向には、この施設で試合(バトル)を行う部屋へと続くゲートが見える。そして、ほんの数分前には確かに固く閉じていたはずのその扉は、今や挑戦者を待ち受けているかのように完全に開いていた。

 

「これは・・・」

 

 その時、暗く沈黙していたマザーコンピュータの画面に、見覚えのある書体の文章が現れた。

 

 

     知ハ星ノ列ナリヲ万物ニ変エル

     名モナキ星々ヲツナギ

     勝利ノ座ニ描イテ見セヨ

 

 

 

「オレ、ちょっと行ってくる。」

 

 そう言ったヒノキを、二人のブレーンが同時に振り返った。

 

「待て!あそこに行くのは、まだ──」

 

「早いってのは分かるよ、罠かもしれねーしな。けど、それだって結局行ってみなきゃ分かんねーだろ。行くぞ、コン!」

 

 そしてボールに入った相棒に呼びかけ、駆け出した。

 

「だめだ、待つんだヒノキ!」

 

 今度はリラが呼び止めたが、彼は止まらなかった。

 そして──。

 

 

「ぶへっ」

 

 

 颯爽とゲートを駆け抜ける、その一歩手前。

 そこで突然閉まった扉に勢いのままに突っ込んだ彼は無様にぶつかり、尻もちをついた。

 

「ってぇー・・・。野郎、このタイミングでおちょくってくるとは、どういう性格してやがる。」

 

 文字通りの門前払いを食らい、座り込んだまま悪態をつくヒノキに、リラが呆れて言った。

 

「もう、だから止めたのに。これは罠じゃなくて、きみが自分のキュウコンを連れたまま入ろうとしたから、検知システムが作動したんだよ。」

 

「検知システム?」

 

「その通りだ。」

 

 きょとんと聞き返したヒノキに、ダツラが説明した。

 

「このバトルファクトリーでは、挑戦者も俺達もフロンティアで育成された共有(レンタル)ポケモンで戦う。すなわち、あのマザーコンピューターに登録されているポケモンのみがゲートの先のフィールドに立てるという訳だ。従って──」

 

 そこでダツラが左手に携えた小型のノートパソコンをタタタッと叩くと、彼の真横の転送装置に、六つのモンスターボールが現れた。

 

「おまえはこの六体の中から三体を選び、そのポケモン達と共にバトルを勝ち進む。休憩は七戦ごとに十五分。一試合毎に回復と入れ換えの機会はあるが、負ければそこまで。これが、このファクトリーの規則(ルール)だ。」

 

「・・・マジで?オレ、そいつらの事、なーんも知らねーけど。」

 

 冗談だろうと言わんばかりに引きつった半笑いを浮かべるヒノキに、ファクトリーヘッドは顎をしゃくって傍らの機械を指した。

 

戦闘能力値(ステータス)やわざやもちものといった、試合に最低限必要な情報はそこのモニターで確認できる。それらを吟味して、よく考えて選ぶことだ。準備ができたら教えてくれ。」

 

 そう言うと、彼は再びエンジニア達が額を寄せ合うマザーコンピューターの元へと向かった。

 

 

 ◇

 

 

 ニ十分後。

 ヒノキはマザーコンピューターの前のダツラの元へ行き、キュウコンの入ったボールを預けた。

 

「では、スターティングメンバーはその三体で良いのだな。」

 

 そう念を押して、ダツラは少年の腰についた三つのボールにちらりと目をやった。そこには、彼がリラのアドバイスを元に選出した三体が収まっている。

 

「ああ。まあ、どこまで行けるかはわかんねーけど。やれるだけやってみるさ。」

 

「よし。では、ゲートを開けるぞ。健闘を祈る。」

 

 ダツラがそう言い終わると同時に、再びゲートが開いた。

 その中を、今度は落ち着いた足取りと心持ちでヒノキは進んでいった。

 

 

 ◇

 

 

 観戦席を兼ねた二階のギャラリーから、リラはヒノキの予選を見守っていた。

 最初にダツラからこの施設の戦い方を告げられた時、彼は少なからず戸惑っていた。当然だ。

 ポケモントレーナーの強さとはすなわち、自身が育てて鍛え上げたポケモンの強さ。そんな通説を真っ向から覆す、レンタルポケモン同士の戦い。

 それでいて、自身で育てたポケモンを使用するよりはるかにトレーナー自身の実力が顕れる──このバトルファクトリーの戦いを、リラはそのように捉えていた。

 施設の完成時にエニシダが言った「ある意味このフロンティアで最も過酷な戦場」という、その言葉のままに。

 

 

(にも関わらず、だ。)

 

 

 そこでリラは、ふっと笑みをこぼした。

 そこには淡く明るい苦さが含まれていた。

 

 

「よっしゃ!いいぞオドシシ、戻れ!」

 

 

 眼下のフィールドに立つヒノキの声が、広い空間によく通る。

 少年らしい快活さに溢れた声で発せられるその指示が、ポケモン達の胸にも明るく響いていることは表情で分かる。

 

「キレイハナ!頼むぜ!」

 

 決まった主を持たず、誰にでも従うことが求められる共有ポケモンには、自然『まじめ』や『がんばりや』といった性格の個体が多い。だからこそ、共に戦う事が嬉しく思える人間に当たった時、その喜びは無意識の内に動きや表情に現れる。そして両者は自分達が出会ったばかりであることを忘れ、その戦いの全てを共有する。

 

「そこで『メロメロ』だ!」

 

 先のオドシシに『でんじは』と『あやしいひかり』を浴びせられてなお攻勢を構えた相手のホエルオーに、キレイハナの『メロメロ』が決まった。自身の魅力を振りまいて異性の戦意を奪うこの技は、相手の注意を引いていなければ当然効かない。

 相性や特性や技の効果といった基本的な事柄はもちろん、実戦における技の繰り出し方やタイミング、特定の状況下における変化事項への対応。そうしたポケモンバトルに関するあらゆる「知識」を試されるのが、このバトルファクトリーなのだ。

 

 

(それにしても)

 

 

 まひ・こんらん・メロメロの三重苦を負い、もはや事実上戦闘不能といえるホエルオーの前で、キレイハナは悠々と小さな太陽を作っている。それが完成次第、彼は特性由来の驚異的なスピードと(リスク)から解き放たれたタイプ最強の技(ソーラービーム)をもって、実際にホエルオーを沈めるだろう。

 そんな状況を作り上げた、一時間前には見えない敵の性格を罵っていた友人を見ながらリラは思う。

 

 

 

 

──きみも十分性格が悪いよ、ヒノキ。

 

 

 

 




 
当初は次話と合わせて一話の予定でしたが、それだと15000字近くになってしまうため、ここで一度切ります。
そしてその切れ目が3300字と11600字の間であることには私も胸が痛みますが、他に良いところが作れませんでした。すみません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

45.10年前⑤ 頭脳戦

 
結局12000字を超えてしまいました。
くれぐれも平均文字数には騙されないようご注意ください。
ちなみに、↑は【ずのうせん】ではなく【ヘッドとのブレーンせん】と読みます。


【前回の要点】
前日に引き続き、再び異常が現れたバトルファクトリーのマザーコンピュータ。そこに現れた謎のメッセージの誘いを受け、ヒノキは共有ポケモンで戦うファクトリーのバトルに挑戦することとなる。



 

 

 【七月二日 夕】

 

 

ーピピピピピピピ。

 

 ファクトリー・エンジニア達とマザーコンピューターの異常の解明に取り組んでいたダツラのポケナビが鳴ったのは、午後六時を少し回った頃であった。

 

「ちょっと、行ってくる。」

 

 その一言が意味する状況を、エンジニア達はもちろん知っている。一度作業の手を止め、お疲れ様です、と口々に声をかけた後、彼らは再び各々の作業に戻った。

 

(思ったより早かったな。)

 

 バトルルームへと続く自身専用の通路を足早に歩きながら、ダツラはそんなことを考えた。最初にルールを説明した時の彼の困惑した表情を思うと、あれから四時間という所要時間(タイム)にはそんな感想を抱かずにはいられない。

 既にフィールドへと続くゲートは目前であったが、白衣のポケットからナビを取り出すと、第一戦目から立ち会っていたタイクーンの番号を押した。

 

「おお、リラ。どうだ、チャンピオンのお手並みは?」

 

 ちょうどその時ゲートが開き、ダツラは下から、リラは上から相手の姿を認め合った。そのために直接と間接の二重の響きを持ったリラの答えは、ダツラの耳に立体的に届いた。

 

「戦えば、じきに。」

 

 分かる。そう頷いた二階のギャラリーの彼の口元は、微かに綻んでいた。

 

「だな。よし、さっそく始めるか。」

 

 ナビをポケットしまい、バトルフィールドへと進み出る。

 そうして目の前に迎えた少年が確かにここで二十の勝利を積み重ねてきたことを、彼自身の変化で悟った。

 

「説明を聞いた時は、わりとマジで正気かよって思ったんだけどさ」

 

 顔馴染みの大人に対する人懐っこい口調に、ダツラは改めて彼がまだ十代前半の子どもであることを実感する。そしてその一方で、大人でもそうは見ない確たる雰囲気を放っている。

 ちょうど今、二階から見守っている自分達の長がそうであるように。

 

「でも実際やってみたら、配られたカードで勝負するってのもなかなかおつなもんだな。」

 

 そう話す彼の表情に、挑戦前の戸惑いはない。

 むしろ、その戸惑いの理由であったはずの不自由と不安を楽しんでいるようにさえ見える。

 

 そんな勝負心を容赦なく刺激してくる少年の言葉に、思わずダツラも声が高くなった。

 

「・・・挑戦者ヒノキ!どのような経緯があれど、試合は試合!このダツラ・メッテル、ファクトリーヘッドの称号()にかけてお前のその『知識』、全力で試させてもらう!」

 

 人工知能の審判が右腕を高々と上げ、戦いの始まりを告げる。

 

 

『試合開始!』

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ダツラ。少しだけ、彼にヒントをあげてもいいかな。」

 

 予選開始の二十分前。

 施設の主の了承を得たリラはゲートの前へと進み、そこで六つのボールを前にあぐらをかいて唸っている友人の隣にしゃがんだ。

 

「なんつーかさ」

 

 リラが声をかけるより先に、ヒノキが口を開いた。

 眉根の寄った険しい目は、そのまま六つのボールを見つめている。

 

「相手のイメージが全くないから、選ぼうにも何を決め手にすりゃいいのかが全然見えてこないんだよな。おまけに覚えてる技も、よく分からんチョイスのやつばっかだし・・・」

 

 困り果てた声でこぼされるその言葉を、リラは頷きながら聞いていた。

 まるで、そこに晒された弱気を受け止めるように。

 

「そうだね。」

 

 少しの間の後に、静かな声でリラが話し始めた。

 

「確かに、相手の情報が全くないバトルのメンバー選定は難しい。しかもそれが初対面のポケモン達からとなれば、ビジョンが見えてこないのは当然だよ。」

 

 そこでヒノキは顔を上げ、隣の友人の顔を見た。

 寄り添うようなその口調と表情に、何かがほぐされていく気がする。

 

「だから、そんな時は思い切って発想を逆転させてみるんだ。」

 

「発想を逆転・・・?」

 

「そう。相手が分からない以上、『対策』を取るのは難しい。それなら、こちらからゲームメイクをするつもりで考えればいいんだ。そうすると、自ずと求める像が結ばれてくる。一番手のポケモンには何をしてほしいのか、それを引き継ぐ後続の二体の役割は何なのか。こんな時こそ『自分の戦い方』を大切にするんだ。」

 

「・・・なるほど。そう言われると、確かにちょっとなんか見える気がする。」

 

 ヒノキの反応に頷き、リラは更に続ける。

 

「そういう視点で考えると、一見いまいちに見える技構成にも、その意図が見えてくる。そうやって、ここのポケモン達は状況とタイミングが合えば必ず活躍できるよう育成されているんだ。」

 

 そこでヒノキは再び六つのボールに目を瞠った。

 そして、笑った。

 

「・・・すげえな。」

 

 その強張った苦笑が少なからぬプレッシャーの裏返しである事は、リラにはすぐ分かった。

 それは、かつての自分の影だった。

 頂点に負けは許されない──その影が今、新たにトージョウのチャンピオンとなった友人へ忍び寄っている。

 

 

 だから。

 

 

「・・・これは、他のブレーン達には内緒だけど」

 

「ん?」

 

 ダツラの方を伺いながら声を落としたリラに、ヒノキもつられて声を潜めた。

 

「正直、ぼくは七つの施設の内ではここが一番楽しいと思ってる。」

 

 そう言っていたずらっぽく微笑んだ友人に、ヒノキは何度も目を瞬いた。生真面目な彼が、そんな表情でそんな事を言ったのが意外過ぎて、とっさに返す言葉が浮かばなかったのだ。

 しかし、ヒノキのそんな反応すら楽しんでいる様子で、リラは続けた。

 

「確かに共有ポケモンには、クセや能力値の面から公式試合には不向きなポケモンも多い。でも、だからこそ、思いがけないポケモンが思いがけない展開で、思いがけない活躍を見せるんだ。ポケモンリーグではとても日の目を見られないようなポケモン達が試合をひっくり返し、勝負を決める。ここでは、そんな事が当たり前に起こるんだよ。あの感動と興奮は、他ではちょっと味わえない。」

 

 だからさ、と楽しそうに彼は続ける。

 

「きみにもそれを楽しんでもらいたいんだ。こんな時に不謹慎かもしれないけど、でもフロンティア(こ こ)はやっぱりポケモンバトルを楽しむための場所であってほしいから。」

 

「・・・けど。もし──」

 

「途中で負けてしまったとしても、ここでは失うものは何もない。命はもちろん、お金もバトルポイントもそのままだ。そして、何度でも再挑戦ができる。ブレーン全員で最初に決めた、全施設共通のルールだ。」

 

 そう言ったリラの顔を、ヒノキはじっと見た。

 そして改めて、こいつ、ほんとにきれいな瞳ぇしてるよな、と思った。

 

「だからもし、この挑戦を仕組んだ何者かが負けを理由にきみから何かを奪おうとするなら。その時はぼくが戦う。このフロンティアを統べる者として、全力で。」

 

 そこでヒノキは視線をリラからボールに移し、一つずつ手に取って検分するふりをした。我ながら情けないとは思いつつも、これ以上彼を見ていて泣かない自信がなかった。

 

「わかった。とにかく、やってみるよ。」

 

 ほんの少し震えてぎこちないその返事に、リラは頷き、立ち上がった。そして彼への助言を許してくれたファクトリーヘッドの元へ向かい、礼を言った。

 

「もういいのか。」

 

 相変わらずマザーコンピューターの前で忙しくキーボードを叩きながら、ダツラが短く訊ねた。

 

「ああ。」

 

 今しがた離れた友人を眺めながら、リラもまた短く答えた。

 それから、つぶやくように付け加えた。

 

「彼は来るよ。ぼくたちのところへ、必ず。」

 

「・・・そうか。」

 

 そいつは楽しみだ、とダツラが返したところで、一瞥したヒノキが腰を上げた。そして彼が本当に自分の元へと歩いてくるのを見て、少し笑った。

 

 

 ◇ 

 

 

 フィールドの中央に向かって放たれた二つのモンスターボールから起動光が切れ、二体のポケモンが現れた。

 一体は自分の繰り出したヤミラミ。

 そして、もう一体は──

 

(ドククラゲ、か。)

 

 なかなか手堅く来たな、とダツラは胸の中で呟いた。

 

 この、互いに配られたカードでの勝負となるバトルにおいては、先鋒の一体というのは少なからずトレーナーの性格を反映する。そしてブレーン同士で練習試合を重ねる内に、ダツラはその傾向をおよそ三種のタイプに類別していた。

 

 まずは、火力の高いポケモンでがんがん攻め込んでくる、第一のタイプ。

 仲間内では、試合に派手さを求めるヒースやバトルガールを地でいくコゴミ、一撃必殺やリスクの高い大技でギャンブル要素を楽しむジンダイがこのタイプに当たる。自然、選ばれるポケモン達も物理か特殊のどちらかの攻撃力に秀で、耐久力や素早さは二の次という型が多い。

 

 次に、最初は相手や自分のステータスを上下するいわゆる「積み技」や状態異常をもたらす技を駆使し、じっくりじわじわと長期戦に持ち込む第二のタイプ。

 このタイプのトレーナーが最初に投入するのは、パワーやスピードは劣る代わりに耐久力に優れたタフなポケモンが多い。ブレーンの中では、搦め手戦法を好むアザミや年相応の落ち着きで虎視眈々と勝機を狙うウコンなどがこれに当たる。

 

 そこへ来ると、このドククラゲというポケモンは、そのどちらとも判じ難い選出(チョイス)であった。

 まず思い浮かぶのは特殊攻撃に対する耐久力だが、それでいてスピードも決して悪くはない。攻める力は平均というところだが、ある程度威力のある技があれば、十分戦力になる。最たる懸念要素である物理攻撃に対する打たれ弱さも、多彩な補助技の一つでカバーできる。

 

 出てきた相手に合わせて、どんな方向にも転じることのできる第三の類型。

 それはすなわち──

 

 

(おれや、リラと同じタイプという訳か。)

 

 

 先鋒となる一体目には「試合の流れを決める」ことを託し、臨機応変に進退を切り替える。そんな相手に勝つためには、力も根気ももちろん大事だ。しかし、最も求められるのは、それらを最大限に運用するための──

 

 

知識(knowledge)!)

 

 

 くつくつと湧き上がる高揚に、ダツラは思わず笑みをこぼした。

 そして、少しだけ、戦う理由を忘れて戦おうと決めた。

 

 

 ◇ 

 

 

「うーん。そう来たかぁ。」

 

 相手の放ったボールから現れたポケモンに、ヒノキは一人ごちた。

 

 先発はなるべくふろしきの広いやつにしたい。

 その意味では、自身の繰り出したドククラゲという判断に後悔はない。属性・ステータスともに穴が少なく、技の構成も手堅い。ぶつかった相手との相性が良ければそのまま攻めればいいし、悪くとも交代前にできる事がある、先鋒としてはほとんど理想的と言っても良い個体だ。しかしそのどちらにも寄らない場合は、当然相手に応じて判断しなくてはならない。

 

 くらやみポケモン、ヤミラミ。

 進化をしないポケモンに多い、偏りの少ないステータスの持ち主ではある。が、その水準はお世辞にも高いとは言いがたく、ポケモンという生物全体で考えれば、せいぜい中の中か下というところだろう。習得するわざも、生息地である洞窟内で出会う限られた敵を撃退するために必要最低限な護身術、という印象が強い。

 

 が、このヤミラミというポケモンには、現在発見されている全てのポケモンと一線を画す、ある性質があった。

 

(弱点がないとか、アリなのか?)

 

 カントー、ジョウト、そしてこのホウエンにおいても他に類を見ない、ゴースト/あくの複合属性。現在確認されている中で、この二つを同時に貫ける属性は存在しない。それが、このヤミラミというポケモンの最大の特徴(クセ)であった。

 

 

 しかし、今回はそれが選択肢の決め手となった。

 

 

「ドククラゲ!『ちょうおんぱ』だ!」

 

 人間の耳には拾えない周波数の音波に、ヤミラミが実体の薄い頭を抱えて悶える。が、彼は半分残った理性によって、主の命を遂行した。

 

「ヤミラミ!おまえも『あやしいひかり』だ!」

 

 ダイヤ状に結晶した巨大な双眸が怪しく光り、今度はドククラゲが無数の触手で頭を抱える。

 

「いいぞ!よくやった!」

 

 そして、ファクトリーヘッドは二つのボールを順に放った。

 これで相手にも「交代」の選択肢が生まれた。

 迷いを与え、調子を乱す。

 それがダツラの狙いだ。

 

 先に投げたボールにヤミラミが吸い込まれ、後のボールから二体目が現れる。あばれうしポケモンのケンタロスだ。

 

「さあ、行くぞ!」

 

 しかし、そのケンタロスが猛々しく威嚇をした瞬間。細かな氷の粒を抱いた凄まじい冷気が、その四肢に容赦なく噛み付いた。

 

「これは・・・『こごえるかぜ』!?」

 

 放ったのはドククラゲ。しかし、その顔に先の混乱の気配は見て取れない。

 対戦相手の少年が、にっと笑った。

 

「ちっ・・・きのみか!」

 

「当たり。あるんだよな、こーゆーこと。」

 

 そう、ドククラゲのもちものは『キーのみ』。混乱を鎮める効用のあるそれがあれば、この場を退く必要はない。

 つまり自分は最初の一手を無駄にし、さらに二体目という貴重な情報をほぼ無償で提供したことになる。となれば、なんとしてもそれだけの価値があった展開にしなければならない。

 

「ケンタロス!思う存分あばれろ!!」

 

 ケンタロス。

 今でこそ新種の登場や対戦環境の変化等によって公式戦で姿を見る事は減ったが、かつてのカントーリーグでは上位入賞者の八割がパーティーのエースに据えていた。そしてその戦闘能力は、花形の座を退いた事で褪せるものではない。

 

「!頭を守れ、ドククラゲ!!」

 

 しかし時既に遅く、理性をかなぐり捨てたその猛撃は、不意の動きでドククラゲの額の水晶体にヒビを入れた。この種の最大の急所だ。

 

(今のは痛いな。)

 

 今から『バリアー』を張ったところで、この猛攻を凌ぎきることはできないだろう。そして『ねむる』ことのできるポケモンが『カゴのみ』を持っている確率が高いように、『あばれる』や『はなびらのまい』を習得をしているポケモンは『キーのみ』を所持している確率が高い。

 すなわち、ここでの『ちょうおんぱ』は無駄打ちに終わるリスクがある。ちょうど、先のヤミラミのように。

 となれば──

 

「『ヘドロばくだん』だ!」

 

 凄まじい悪臭を放つどす黒い弾が炸裂し、相手もまた少なくないダメージを負う。ケンタロスの『いかく』によってそのパワーが削がれていないのは、とくせいの『クリアボディ』に守られたためだ。

 そして今、ドククラゲよりすばやさに優れたケンタロスに対して先手が取れるのは、先の『こごえるかぜ』がこの暴れ牛の機動力を奪ってくれたおかげである。トージョウリーグでは威力がない割に命中率に難がある為に使用率は殆どない技だ。

 

 本当に、この共有(レンタル)ポケモン同士のバトルには学ぶ事が多い。

 

「!?どうした、ケンタロス!!」

 

 そこで、双方予想外の事態が起きた。

 暴れていたケンタロスが急に四肢を折り、力尽きたのだ。先の『ヘドロばくだん』の毒が回ったらしい。

 

「っしゃあ!でかしたドククラゲ!」

 

 快哉を上げるヒノキとは対照的な渋い表情を浮かべながら、それでもダツラは冷静に次のボールを投げる。

 

「・・・ヤミラミ!頼むぞ!」

 

 現れたのは先ほどのヤミラミ。

 次の一撃は耐えられないだろうが、先手の『ちょうおんぱ』で混乱させる事ができれば、運が良ければもう一ターン、ドククラゲの寿命は延びる。さらに運が良ければもうニターン、そして最高に運が良ければ──

 

 

 しかし、そこでヒノキは現実に引き戻された。

 

 

「え・・・」

 

 突然、ズゥン、という音を立てて崩れた目の前のドククラゲに、何が起きたのか理解できなかった。

 

「油断したな。」

 

 絶句しているヒノキに、ダツラが笑った。

 

「ヤミラミならば、さっきのように先手を取れると考えていたのだろう?そして、先制で『ちょうおんぱ』をかけることができれば、もうワンチャンスが望める、と。」

 

 そこでヒノキはヤミラミを見た。目が合うと、大きすぎる不気味な口をニカッと開いて、ケタケタと笑いながら得意げに手を叩いた。その所作で、ようやく彼は理解した。

 

「すっかりだまされちまったな。オレ、ネコじゃねーのに。」

 

 ねこだまし。

 技というにはあまりにも程度が低すぎて、ボールから出てすぐにたった一度、相手の出鼻をくじけるだけの技。

 

 そんな技に、足をすくわれた。

 

「・・・まさか、こうなることを予想して、さっきはあえて使わなかったのか?」

 

「まさか。ただ知っていただけだ。こういうこともある、とな。」

 

 

──思いがけないポケモンが、思いがけない展開で、思いがけない活躍を見せるんだ。

 

 

 試合前のリラの言葉が改めて胸に響く。

 

 

「ありがとう。本当によくやってくれた。」

 

 礼を述べてドククラゲを戻し、残った二つのボールを見比べた。

 

「よーし。んじゃ次はおまえだ!」

 

 間もなく、ヒノキの放ったボールからもポケモンが現れた。

 ジョウト原産の首長のライトポケモン、デンリュウだ。

 

 互いに属性の良し悪しはなし(尤も、ヤミラミにおいては『悪し』はそもそもあり得ないが)。どうやら、各々の能力と技が勝負の命運を決めそうだ。

 

「『あやしいひかり』!」

 

 先に動いたのは、ダツラのヤミラミだった。デンリュウも決してすばやいポケモンではないが、どうも先ほどの『ねこだまし』によって勢いづいているらしい。

 

 再び、ダイヤ状の眼がギラリと怪光を放つ。

 そのあまりの眩さにデンリュウは思わず目を瞑ったが、網膜に焼き付いた残光は既にその視覚路を惑わせていた。

 

「デンリュウ!しっかりしろ!」

 

 短い手が幸いして自傷行為には至らないものの、不安定に揺れる長い首が転倒を誘い、起き上がりを阻む。

 

「ヤミラミ。今のうちに『かげぶんしん』だ。」

 

 そこで混乱するデンリュウに追い打ちをかけるように、無数のヤミラミの虚像が円を描いてその周囲を囲んだ。

 

「そして、『だましうち』!」

 

 大した威力ではないものの、着実なダメージが入る。しかしその一撃が気付けとなったのか、ようやくライトポケモンの混乱が解けた。

 

「デンリュウ!『あまごい』!」

 

 にわかにフィールドが暗くなり、どんよりとした黒雲が天井を覆う。そして間もなく、大粒の雨がフィールドの床に弾け出した。

 

(『かみなり』をしかけてくるつもりか。)

 

 『かみなり』という技は、凄まじい電気エネルギーを要する。そして、多くのポケモンにとってはその大きなエネルギーの制御が難しいために、狙った場所に落とせるのは、良くても七割程度の確率とされる。が、こうして『あまごい』でその膨大な量の電気を生み出す雲を作れば話は違う。

 自ら発電・放電する負担がなくなり、空にあるエネルギーのコントロールだけに専念できる為、ほとんど100%の精度で雷を狙った場所へ落とすことができるのだ。

 

 

 しかし。

 

 

「ヤミラミ!もう一度『あやしいひかり』だ!」

 

 再び、混乱がデンリュウを襲う。

 その間にヤミラミは『かげぶんしん』で回避率を上げつつ、『だましうち』で少しずつ、しかし確実にデンリュウの体力を削っていく。

 

 その時、頭上の黒雲が激しく明滅し、直後にバリバリと空間が割れるような雷鳴を響かせた。まるで地上のデンリュウに「いつでもOKだ」と報せるように。

 

 が、その空からの合図を読み取ったのはデンリュウとヒノキだけではない。

 

「分かっているだろうが、『かみなり』を必中させられるのは正常な精神状態と狙う的が明らかであればこそ!その混乱状態とこの無数の影分身(ダミー)の前ではその限りではないぞ!!」

 

 ハンチングの庇を浸透して顔に滴る雨を拭いながら、ダツラは叫んだ。その顔は、いつの間にか笑っていた。そしてその事実を突きつけられた少年もまた、ぐっしょりと雨を吸った愛用のデニムキャップの下で笑っていた。

 

「いいや、必ず当たるさ!!本物なんか、分からなくってもな!!」

 

 盛んに轟く雷鳴と、更に勢いを増した雨音に負けじとヒノキは叫んだ。

 

「デンリュウ、何も考えなくていい!おまえはただ(そら)に任せて撃て!」

 

 混乱した頭で、それでも『すなお』な性格の彼は、この戦い限りの主人のその言葉を信じた。

 再び閃光と、鼓膜を破砕するような轟音、衝撃、煙。

 そして──。

 

 

「何故だ。」

 

 

 雷に砕かれたフィールドの真ん中で、黒焦げで伏している自身のくらやみポケモンを見たダツラが呟いた。

 それに答える代わりに、ヒノキはポケモン図鑑のあるページを開いて見せ、ボリュームを最大にして音声ガイドを流した。

 

『ヤミラミ。くらやみポケモン。するどい ツメで つちを ほり いしを たべる。いしに ふくまれた せいぶんは けっしょうとなり からだの ひょうめんに うかびあがってくる。』

 

 その説明で、知を重んじるファクトリーヘッドは真相を理解した。

 

「・・・ヤミラミが摂取した鉱石の金属成分が『被雷針』になると踏んでいたのか。」

 

「前に、どこぞの石オタクに採掘に付き合わされた事があってさ。その時に、こいつが暗い洞窟の中で金属臭をぷんぷんさせながらガリガリ石食ってたのがインパクト強かったんだ。」

 

 

 少年の答えに、ダツラは改めてその事を思った。

 ここはバトルファクトリー。

 挑戦者の『知識』を試す場所。

 

 

「・・・ははは!!いいぞチャンピオン、最高だ!!なら、これならどうだ!」

 

 ダツラの放ったボールから飛び出した瞬間、その影はヤミラミによって削られていたデンリュウの体力を一撃の元に奪いきった。

 

「デンリュウ!!」

 

 そこでヒノキは相手の最後の一体を確認した。

 おたまポケモン、ニョロボン。ケンタロス同様、カントーとジョウトを本拠地とする彼にはなじみのあるポケモンだ。

 

 よくがんばってくれた、と労いの言葉をかけて、ヒノキはデンリュウを戻した。そして、まだ手つかずであった唯一のボールを高く放り投げた。

 

 

 互いに、最後の一体。

 相性次第では、現れた瞬間に勝敗が決することもある。

 そして今のダツラには、その可能性が十分あった。

 

 

──頼む。

 

 

 ダツラは胸の中で、ヒノキは声に出して。

 異口同音に叫ばれるその思いに応えるかのように、最後の一体はフィールドに姿を現した。

 

 

「こいつが、オレのトリだ。」

 

 

 いろへんげポケモン、カクレオン。

 ホウエン地方の緑豊かな地域に生息し、その擬態能力は特殊な機器を使わなければ見破る事ができないほど優れている。

 

 ゴーストではなかった。

 どころか、相性だけで見れば自分に分がある。

 とはいえ、である。

 

(一撃は難しいだろうな。)

 

 このニョロボンの持つかくとうタイプのわざは『かわらわり』のみ。防御壁を砕けるという素晴らしい特徴があるものの、技自体の威力は決して高くない。ましてや、元々泳ぐ為に発達したニョロボンの腕力では、好相性といえど無傷の相手を一撃で沈めるのは困難だ。

 おまけに──。

 

(あの『とくせい』が面倒だ。)

 

 カクレオンは物理的な攻撃に対する防御力はさほど高くないが、受けた技の属性に変化する『へんしょく』という固有の特性を持つ。もし一撃で仕留められなければ、せっかくの相性のアドバンテージはなくなり、むしろ逆転を許す芽になり得る。だから、なんとしても一撃で仕留めなければならない。

 

 しかし、このニョロボンはそれが可能となるように仕上げられていた。あとはそのプロセスを『知識』をもって正しく組み立てるだけだ。

 

(『さいみんじゅつ』は成功率にやや難がある。それに、もし相手のもちものが『カゴのみ』や『ラムのみ』だったとしたら?)

 

 この局面でのターンロスはいうまでもなく致命的であるし、何より知を試すブレーンとして同じ轍を踏むわけにはいかない。それならば、先に『はらだいこ』を行うべきではないか。

 

(・・・いや、だめだ!)

 

 自分の属性を変えてしまう特性の持ち主だけあり、カクレオンは様々な属性の技を覚える。ニョロボンの弱点を突ける『サイケこうせん』もそのひとつだ。

 『はらだいこ』は体力の半分を攻撃力に換える技。もし残った体力で相手の一撃を耐える事ができなければ、それまでだ。

 

「カクレオン!行くぞ!」

 

 ヒノキの声に反応したカクレオンが、ふうっと背景に溶けた。

 一瞬とは思えないほど密度の濃い逡巡の末、ダツラが出した判断(こたえ)は──。

 

「ニョロボン、うしろだ!『さいみんじゅつ』!」

 

 ニョロボンが素早く身を翻し、腹を突き出す。

 そして、その大きなうずまきがぐるぐる回りだしたかと思うと、一呼吸置いて眠りこけたカクレオンが姿を現した。不意をつかれ、うずから目をそらす暇がなかったのだろう。

 

「・・・よく分かったね。」

 

「おまえが降らせてくれた、この雨のおかげだ。雨粒の動きに違和感が見えた。」

 

 答えながら、ダツラは盤面が確かに自分に傾きつつあるのを感じていた。自然、声にも張りが増す。

 

「さあ!ニョロボン、今こそ『はらだいこ』だ!」

 

 『さいみんじゅつ』なら、かけ損じて一撃を食うにしても『ねむる』で仕切り直せる。ニョロボンのもちものの『カゴのみ』がそれを可能にしてくれるからだ。それが、ダツラの判断が『さいみんじゅつ』を選んだ経緯だった。

 不思議なもので、心に余裕が生まれると事態まで好転するらしい。結果、その余裕がカクレオンの位置を彼に見抜かせ、『さいみんじゅつ』が決まった。

 

 ボン、ボボンとニョロボンの奏でる低く腹に響くような律動が辺りに木霊する。

 

 

 ところが、そこで予想外が起きた。

 眠っていたカクレオンが、むくりと起き上がったのだ。

 

 

「ちっ。『はらだいこ』が目覚ましになったか。」

 

 予想よりも早い目覚めを、ダツラはそう捉えた。しかし、ニョロボンは既に最大のパワーを得ている。

 

「カクレオン!いったん下がれ!」

 

 その声に従い、カクレオンはヒノキの元へ退いた。

 そして耳に打たれた次の指示に頷くと、再び姿を背景に溶け込ませた。

 

「残念だが、もう目くらましは無意味だぞ!」

 

 既に雨は上がり、雲も晴れている。しかし、それでもなおダツラとニョロボンにはその位置が正確に分かった。

 元の天井(そら)から降り注ぐ、眩しい照明。

 それは、あくまでも擬態にすぎないカクレオンの消失の致命的な弱点を照らし出していた。

 

 白い床に映える黒々とした影に向かって、ニョロボンが身を構える。

 その時だった。

 

「『シャドーボール』!」

 

 突然、そのカクレオンの影が球となってニョロボンめがけて飛び出した。が、その優れた動体視力と身体能力が直撃をかわし、わずかに左肩を掠める程度に留まった。

 

 しかし。

 

 

(・・・・?)

 

 

 その瞬間、ダツラの胸に強い違和感が過ぎった。が、既に目前の勝利に占められていた彼の頭は、それを分析することができなかった。

 

「悪あがきはそこまでだ。」

 

 間もなく、カクレオンが再び姿を現した。

 自身と異なる属性の特殊攻撃を放った負荷(はんどう)で、彼女は無防備に息を弾ませている。そしてそんなカクレオンの前に、ニョロボンは見下ろすように立ちはだかった。

 

 

──勝った。

 

 

 そう叫びたい衝動を必死に抑えて、ダツラは努めて冷静に声を張った。

 

「さあ、決めろ!ニョロボン!『かわらわり』だ!!」

 

 ニョロボンの右肩の筋肉がぐっと盛り上がり、手刀が高々と振り上げられる。

 そして──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自身の腹を、打った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・は。」

 

 あまりの展開に、ダツラは一瞬言葉を失った。

 

「何をやっている!?『かわらわり』だと言っただろう!!」

 

 肝心過ぎる場面で決めそこねたおたまポケモンに、思わず声を荒げて再度その技を指示する。が、当のニョロボン自身も訳が分からないという風に、困惑した表情で腹を叩き続けている。

 

 その拍子に、ニョロボンの左の手首からぴらりと何かがほどけた。幅約7、8cm程に見える白く細いそれは、手首よりむしろ、頭に巻くべきもののように見える。

 

「・・・まさか」

 

 頭に浮かんだひとつの可能性に対して洩れたその呟きは、余りある受け入れがたさの為に掠れていた。

 しかし、確かにニョロボンの体の一部ではないそれは、その推測が限りなく現実的であることを彼に知らしめていた。

 

「あの寝覚めの良さは、『はらだいこ』ではなく()()()()()()()()()()()()()()()だったというのか・・・!?」

 

「『トリック』はタイミングが命だからな。『さいみんじゅつ』の直前にスッたカゴのみを口に入れておいて、術中にバレにくいとこにこっそりこいつのこだわりハチマキを巻きつける。後は術の終わりに合わせて寝たフリすれば、根回しは完了だ。」

 

 ダツラは『さいみんじゅつ』が決まった時、流れは自身に傾いていると感じた。しかし、その時点ですでに自分が敵の流れの中にあったのだ。

 

「けど、途中ちょっと焦ったよ。オレとしては、ハチマキの対象になる技は『さいみんじゅつ』のつもりだったからさ。だから、次の技が『はらだいこ』で本当に命拾いした。あそこで『かわらわり』をされていたら、だいぶ状況は変わってただろうな。」

 

 あのタイミングで、かわらわり。

 わざの威力と相手の特性、そしてそれらを解決する『はらだいこ』に囚われて頭をかすりもしなかったその選択肢に、ダツラは仮想を巡らせた。

 

 あえて『はらだいこ』をせずに、眠っている間に直接一撃。たとえそれで倒しきれずにカクレオンが『かくとう』タイプに変わっても、巻かれていた『こだわりハチマキ』の力でかなりの痛手となっていただろう。そして、さっきの場面でとどめの──。

 

 

「・・・・・・!!」

 

 

 気がつけば、頭からつかんだハンチングを床に叩きつけていた。

 何よりも、知識が仇となったことが堪らなかった。

 

 

「さて。それじゃあ決めようか、カクレオン。」

 

 すっかり呼吸も整い、体勢を立て直したカクレオンが再び自身の影を丸め始めた。それを見たダツラは、ようやく先ほど過ぎった違和感の正体に気付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 ニョロボンの影が、ない(ス キ ル ス ワ ッ プ)

 

 

 

 

 

 

 

 

「シャドーボール。」

 

 

 特性を取っかえられ、属性を引っ変えられ。

 そうして生まれた幽体のニョロボンに、効果抜群の影の弾が炸裂した。そして力尽きたことで実体を取り戻したニョロボンがフィールドに倒れるその音が、試合終了の合図となった。

 

 

『試合終了!!勝者、挑戦者(チャレンジャー)!!』

 

 電子的な審判の宣言に合わせて、ヒノキはぐっと拳を突き上げた。

 ほとんど無観客に等しい試合であったが、胸の高揚は万単位の観衆を擁するスタジアムでの勝利に匹敵していた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 そこまで見届けた後、リラは柵を握りしめていた手を離し、ギャラリーを後にした。

 そして、少しぼうっとした頭で、どうして今彼の前にいるのが自分ではないのだろうと、そんな事を考えていた。

 

 

 

 

 




 
三試合目がちょっとややこしいですが、要約すると、

ニョロボンのさいみんじゅつ→カクレオンのトリック(ただしすり替えたハチマキの発動対象は次のはらだいこ)→ニョロボンのはらだいこ→カクレオンのスキルスワップからのシャドーボール(ダメージはほぼ入らないものの『へんしょく』でニョロボンはゴースト化)→カクレオンとどめのシャドーボール

という流れです。
お疲れ様でした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

46.10年前⑥ 信じる者と疑う者

全くの余談ですが、このタイクーン時代のリラの当初のイメージは塔矢アキラくんでした。当初は。


【前回の要点】
コンピューターに現れた謎のメッセージに従ってバトルファクトリーに挑戦したヒノキは、ファクトリーヘッドのダツラとの戦いに勝利する。




 

 

【七月二日 夜】

 

 

「これを、おまえに渡そう。」

 

 バトルファクトリーでの試合終了後。

 ヒノキと握手を交わした後、ダツラは白衣に留めていた銀色の襟章のようなものを外して差し出した。

 

「?何これ。」

 

 掌に乗せられたそれを見つめたまま、ヒノキはダツラに訊ねた。

 

「それはノウレッジシンボル。おまえがポケモンとバトルに関する深い知識をもって、このバトルファクトリーを制したことを認めるものだ。このフロンティアでは、このシンボルというものが各ブレーンに勝利した証となる。まあ、ジムにおけるバッジのようなものだと思ってくれればいい。」

 

 アルファベットの『K』を象ったそれは、ジムバッジより一回りほど小さいながらも、確かに純銀の輝きと重みを備えている。

 

「そりゃあ、気持ちは嬉しいけど。でも、ほんとにもらっちゃっていいの?まだオープンもしてないのに。」

 

 ヒノキのその言葉に、ダツラは隣のリラと顔を見合わせて少し笑った。

 

「もちろん、開業前に正式な挑戦を認めた事は特例措置だ。しかしその挑戦に関しては、おまえは我々が定めた規定に則って戦い、その上で勝利した。だからおれがこれを授与し、おまえが受け取る事には何の問題もない。」

 

「分かった。んじゃ、遠慮なく頂戴するよ。」

 

 そう言ってポケットにシンボルをしまおうとしたヒノキに、今度はリラが二つ折りの電子手帳のようなものを渡した。

 開いてみると、片側にはフロンティアのナビを搭載したタッチパネルが、反対側には今受け取ったシンボルと同じ大きさの型が七つ設けられている。

 

「それはシンボルを納めるフロンティアパスだよ。獲得したシンボルは、これで管理するといい。」

 

「ああ、サンキュ。」

 

 そうしてヒノキが銀のノウレッジシンボルをパスの一つ目の型へと嵌めた、その時であった。

 

 

「・・・!?」

 

 

 

 突然、脳内にある光景が鮮明に浮かび、そして消えた。

 

 

 

「どうした?」

 

「いや、今なんか頭ん中に映像が・・・え、オレだけ?」

 

 怪訝な表情で自分を見つめるダツラとリラに、ヒノキはそれが自分だけに起こった現象であることを悟った。

 しかし、それは確かに見えたのだ。

 まるで宇宙空間に浮かぶ星のように、暗闇の中で鈍い光を放つひとつの岩石が。

 

 そしてヒノキには、そんなイメージに既視感があった。

 

(あの岩。絶対、どっかで──)

 

 急いでポケットから取り出したポケモン図鑑を開き、ボタンを壊れそうなほど連打してページを繰る。

 やがて、その手はあるポケモンのニページ目で止まった。

 

 

[No.353 ジラーチ ねむりぼしのすがた]

 

 

 ◇

 

 

「しっかし、『奴』ってのはよく分からん奴だな。バトルに関してはまあ、オレやブレーンの力量を見るためとか、ジラーチが目覚めるまでのヒマつぶしだとか、なんとなく意味がある気もするけど。でも、あのジラーチの現状報告的な何かは何なんだ?オレがブレーンに勝った祝いなのか、単なる挑発なのか。」

 

 ファクトリーを出たヒノキとリラは、街の方へと続く夜道を連れ立って歩いていた。頭上の空には、すでに無数の星が輝いている。

 

「その件に関しては、今の段階では何とも言えない。しかしとにかく、これで改めて奴がジラーチを手中に収めている事、まだ覚醒には至っていない事、そしてこちらの動向を具に把握している事が分かった。それに──」

 

 ほんの少し考える間を置いてから、リラは続けた。

 

「これはぼくの勘だけど。きみにはおそらく、今後他の施設でも今日のように奴の仕組んだ挑戦をしてもらう事になると思う。」

 

「だろうな。ま、それは全然構わねーよ。どうせもともと一通り体験させてもらう予定だったし、今日だってすげー楽し──」

 

 そこで、不意にヒノキの言葉と足が止まった。

 

「?どうかした?」

 

 彼が立ち止まった事に気付いたリラは、その一歩先で振り返った。そして、その目がまっすぐ自分を見つめていることに気付いた。

 

「ん。そういやおまえに、まだ今日の礼言ってなかったなって思ってさ。ほんと、ありがとな。」

 

「え・・・」

 

 友人の突然の改まった感謝に、リラは戸惑った。

 一体、自分が何をしたというのだろう。

 

「オレ、自分では気負わずやってるつもりだったけど。でも、やっぱどっかでチャンピオンだからって、勝つことに縛られてたんだな。だから最初、対策に気を取られすぎて、自分の戦い方もポケモン達のことも全然見えてなかった。普通に考えて、そんなバトルが楽しい訳ないのにな。」

 

 少し照れ臭そうに頭を掻きながら、彼は続ける。

 

「だから、おまえにそのことを教えてもらってなかったら、今日はきっと勝ててなかったと思うんだ。ダツラさんどころか、予選のバーチャルトレーナーにも。だからなんつーか、その──うん。」

 

 そこで、徐々に逸れていた視線が再びリラの瞳に戻った。

 

 

 

「おまえが居てくれて、ほんとに良かった。」

 

 

 

 なんでだろう。

 笑って、何でもないみたいに言いたいのに。

 それをぼくに教えてくれたのは五年前のきみじゃないかって。

 だから、今のぼくがあるんだって。

 だから、お礼を言うならそれはぼくの方だよ──。

 

 

 

 なのに、胸がいっぱいで言葉が出てこない。

 

 

 

「・・・そんな。」

 

 どうにかそれだけ捻り出し、急いで目を拭ったところで、あ、とヒノキが呟いた。

 

「そうだ。なあおまえ、この後まだ時間大丈夫?」

 

 話題と空気が変わった事に少しほっとしつつ、リラは急いでポケットからナビを出し、時間を確認した。

 

「え?あ、うん・・・場所と内容にもよるけど・・・何か?」

 

「いや、この島、日帰り温泉があるって聞いたからさ。オレ、今からこの足で行こうと思ってるんだけど、もし時間あるんだったらおまえも行かない?他にも色々話したいことあるし、のんびり湯に浸かりながら話そうぜ。」

 

 それはちょうど、コゴミやアザミが鍛錬の後に自分を誘う時と同じぐらい、気軽でなんてことのない調子だった。

 しかしヒノキからのその風呂の誘いは、リラの胸に甚大な混沌をもたらした。そしてそれは、いくらか顔に出てしまったらしい。

 

「え?もしかして今日休みなのか?」

 

「え、あ、いや、その・・・」

 

 変に狼狽えれば、それこそ怪しまれる。

 先ほどとはまた別の言葉に詰まる感覚に抗いながら、どうにか返事を絞り出した。

 

「ご、ごめん。この後少し約束があるから、それはちょっと難しい、かな。きみだけでゆっくりしてきて。」

 

 そしてフロンティアパスで温泉への行き方が確認できる事を教えると、一目散に走り出した。

 

「・・・んじゃ、オレらだけで行くか。な、コン。」

 

 残されたヒノキは、リラの代わりに繰り出した九尾の連れにそう呼びかけた。そして、改めて彼が走り去っていった方角を透かすように眺め、呟いた。

 

 

「しっかし、こんな時間になってもあんな全力疾走しなきゃなんないなんて。タイクーンてのも大変だな。」

 

 

 

 ◇

 

 

 

──気付いてないんだ。

 

 

 あらゆる余計な事を考えてしまわないよう、ひたすら走りに走った結果、気づけばそこは目的の場所であった。

 

「おや、ずいぶんとお速いお着きで。」

 

 そう言って、一人の老人が引き戸の向こうから現れた。そして膝に手をつき、息を弾ませながら戸口に立つ若い君主を部屋の中へ招き入れた。

 

「ええ、ちょっと、・・・。」

 

 促されるままに、リラは応接スペースのソファーに身を沈める。そして何度も汗を拭い、深呼吸をしてようやく落ち着いてきた頃に、部屋の主である先の老人が茶を運んできた。

 

「それで、一体何が?まさか、それほど私の具合が心配だったという訳でもありますまい。」

 

 まだ時折額の汗を拭う若い主に茶を勧めながら、彼は病室の住人的な冗談を交えて事情を訊ねた。

 

「はい・・・あ、いえ、決してそういう訳ではなくて。実は──」

 

 そして、先ほどのヒノキとのやり取りを話して聞かせた。

 

「はっはっは。それは事件でしたな。しかしそれならいっそ、一緒に行って彼の度肝を抜くというのも一興だったのでは?」

 

 老紳士にあるまじき発言に、リラは思わず紅茶をむせた。

 

「そ、そんなこと、できる訳ありませんよ!先生、他人事だと思って──!」

 

 珍しく年相応の表情を見せて反発する彼を、「先生」と呼ばれたその人物──ローレル・リアンは微笑ましく見ていた。

 

「ははは、冗談ですよ。ではまあ、お喋りはこのくらいにして。本題に移るとしましょうか。」

 

 そう言って表情と空気を切り替えた師でありバトルタワーのヘッドトレーナー(直属の部下)である彼の言葉に、リラも気持ちを改めて頷く。そして、今日一日の出来事を仔細に彼に聞かせた。

 

「なるほど。」

 

 リラの話を自分のノートパソコンに記録しながら、老紳士は頷いた。

 

「では、これまでに起きた出来事を整理すると。まず、ゲスト用のバンクシステムの異常。昨夜の襲撃と脅迫状。祠からのジラーチの誘拐。そして本日の共有ポケモンのボックスの異常と、バトルファクトリーでの手合い。・・・以上で間違いありませんね?」

 

「はい。もちろん、我々の気付いていないところで他にも何かが起きている可能性はありますが。」

 

 ふむ、と言ってローレルは整った白い口髭を蓄えた顎を撫でた。考え事をする時の、彼のいつもの癖だ。

 

「今のお話の中で、いくつか気になった事があるのですが。お伺いしても?」 

 

「はい。何でしょう。」

 

「今のタイクーンの話では、彼──ヒノキ殿は最初からジラーチというポケモンがこの島にいると知っていたという事ですが。彼自身は、どこからその情報を得たのでしょう?我々ホウエンに住む者でさえ殆ど知らない幻のポケモンの事を、遠い異郷のチャンピオンが詳しく知っていたというのがいささか気になりましてな。」

 

 それはあくまで静かで穏やかな、含みのない口調だったが、リラには彼が言わんとしていることが分かる。そこで、昨夜ヒノキから聞かされ、今朝の会議では追及されなかった為に割愛したその件について、説明した。

 

「それは兄からだと言っていました。ご存じの通り、元カントーリーグチャンピオンである彼の兄のマキ・エニシュは、現在ではオーキド博士の助手として各地の幻のポケモンのデータ収集を行っているそうです。そしてその兄がポケモン図鑑のジラーチのページを作る過程で、あの祠がジラーチを祀る為に創建されたものであること、その番人であるキュウコンには特別な封印の力が備えられていること、そしてジラーチの覚醒が間近に迫っていることを知り、その力を利用する者が現れる可能性があると警告されたのだと、そう言っていました。」

 

「ほう、兄上が。なるほど。」

 

 タタタタ、とその新情報を追加しながら、ローレルは変わらぬ調子で続けた。

 

「ということは。例えば、兄が陰で実行犯となり、弟が表向き我々の側につく事でそれを取り繕う──ということも、理論上は可能、という訳ですな。」

 

「お言葉ですが」

 

 胸の底が急速に熱を帯びていくのを感じながら、リラは反駁した。

 

「ぼくはその可能性はないと考えています。ヒノキから教えられるまで、我々は誰もジラーチの名さえ知らなかった。もし彼がジラーチを手に入れるつもりであったなら、最初から何も言わずに盗み出し、後はどこかに潜んで目覚めを待てばいいだけの話ですから。」

 

「それはもちろんその通りです。事前に我々の内にジラーチを知る者がいないという確証があればね。とにかく、彼のみが持っているジラーチの情報が多いという事実には、何にせよ用心すべきです。もぬけの殻となった祠の写真にしても、彼がジラーチを運び出した後に撮影した可能性だって十分にある。ノウレッジシンボルを嵌めた時に見えたというジラーチの像にしても然りです。他に見た者がいない以上、いくらでも何とでも言える訳ですから。」

 

 その冷静な事実(ことば)に、リラは思わず目を伏せた。 

 立場こそ自分が上であれど、自分の何倍もの人生経験を持つこの老師に議論で勝てるはずがない。それは、最初から分かりきっていたことだった。

 

「・・・その点は、確かに仰る通りです。」

 

 その上で、再びその大きな薄紫の瞳を彼へ向けた。

 

「ですが、ぼくはそれでも彼を信じます。彼とはまだ一日半を過ごしただけですが、ぼく達を騙しているとは到底思えません。何より、彼ならきっと願い事はジラーチではなく自分の力で叶えようとするでしょう。実際、そうやってチャンピオンになった人間です。」

 

 そんなリラの顔を、ローレルはじっと見た。

 瞳はいつにもまして光を宿し、声には必要以上の力が入り、白い頬は血色を増している。いつもそうだ。

 あの少年が関わると、この子は必ず自我を見せる。

 まるで、彼がその心を開く鍵であるかのように。

 

「私は決してあなたの大切な友人を犯人に仕立て上げたい訳ではありません。むしろ、彼自身もまた何も知らずに誰かに利用されている可能性も大いにある。」

 

 諭すような、穏やかな調子でローレルはなおも続けた。

 

「しかし、大切な友人であるからこそ、気をつけなければいけないのです。信頼と過信は似て非なるもの。あえて申し上げますが、たとえそれがどんなに信頼を寄せる人間であろうと『彼ならきっと』とは、綻びをもたらす過信に他なりません。結局、その人の本当を知っているのは当の本人だけなのです。そして元が強く結ばれているほど、一度ほどけてしまえば同じ固さに結び直す事は難しい。」

 

「・・・先生の仰りたい事は分かります。ですがー」

「では、お訊ねしますが」

 

 なおも食い下がろうとするリラに、ローレルが更に畳みかけた。その表情は変わらないが、声は少しだけ厳しさを増していた。

 

「仮にあなたがある同性の友人を風呂に誘い、断られたとして。その理由が、実はその友人が異性であったからなどとは普通、夢にも思わないと思いませんか?」

 

 その言葉に、リラは胸に鋭い刃物を突き立てられたような衝撃を感じた。

 

「・・・それは・・・」

 

「私が警告したいのは、そういう事なのですよ。」

 

 急に声に力を失ったリラに合わせるように、ローレルも再び静かな調子に戻った。

 

「そうして貴女が謀らずも彼を欺いているように、彼もまた、思いもよらぬ形で貴女を裏切っている可能性がある。だから用心しなければならない。裏切りは必ずしも意思を伴わないが、受ける痛みは変わらない。私は、それを心配しているのです。」

 

 




 
ローレルとヒノキの兄のマキに関しては過去編第一部の15年前編に初登場済です。「誰?」となった方はそちらをご参考ください。
この先、今回のような感じでジラーチを巡るすったもんだについて、独自の設定と解釈をてんこ盛りにした展開となります。
伝わるようには書いているつもりですが、不明な点等あればお気軽に突っ込んでください。もちろんなくてもご感想など突っ込んでやって頂ければ大変励みになります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

47.10年前⑦ 蛇と女王

 
【前回の要点】
ダツラから受け取ったノウレッジシンボルをフロンティアパスに嵌めた瞬間、ヒノキはジラーチの現状と思われる映像が脳裏に浮かぶ。一方、リラはポケモンバトルの師であると共にバトルタワーのヘッドトレーナーを務めるローレルの元へ行き、これまでに起きた出来事を報告する。
 


 

 

 【七月三日 朝】

 

 

(ずいぶんと趣味の良い建物だな。)

 

 バトルファクトリーでの騒動から一夜が明けた翌日。

 フロンティア島内のとある施設を見上げながら、ヒノキはそんな事を思った。

 多少の個性はあれど、他の施設が全て建築物をモチーフとしている中で、唯一ポケモン──それもどくへびポケモンのハブネークを忠実に模して設計されたその外観は、控え目に言っても異色の一言に尽きる。

 たとえそこが、バトル()()()()という名を持つ場所であったとしても、だ。

 

「なあ。これ、傍から見たら絶対オレ達から食われに行ってるみたいに見えるよな。」

 

 そう呟いたヒノキの隣にいるのは、リラではない。

 彼は今日は本土から応援でやって来た警察の対応があるとの事で、代わりに頷いたのは美しい九尾の相棒である。

 

(やっぱ裏口はケツに当たるんだろうか。)

 

 そっちから出るよりかはマシか、などと考えながら、ヒノキは文字通り大口を開けている大蛇へと進んでいった。

 

 

 ◇

 

 

 施設内に足を踏み入れたヒノキは、外観とはあまりにも雰囲気の異なるその内装に面食らわずにはいられなかった。壁一面を幔幕のように覆う瀟洒な赤いカーテンに、骨董感のある調度品が設えられた、きらびやかな空間。そして、何より──。

 

「お待ちしておりました、ヒノキ・カイジュ様。ようこそバトルチューブへ。」

 

 そう言って彼を迎えた彼女達──すなわちチューブ・メイデンと呼ばれるこの施設の専属職員達は、いずれも小さな顔に大きな目をもち、その華奢な身体はいわゆるメイド服がきちんと似合っていた。本当に、誰が何を思ってこんな異質な空間を作り上げたのだろう。

 

「あ、ども・・・すいません、大した用件じゃないのに、こんな大層な出迎えをしてもらって。」

 

 横一列に整列し、恭しく頭を下げている彼女達の前でヒノキが戸惑っていると、真ん中から一人が進み出た。

 

「いえ。私どもの主人であるクイーンから、今回の件についてはどんな些細なことでも協力するよう言われておりますので。申し遅れましたが、私はアマリィ。このチューブ・メイデンの長を務めております。では、どうぞこちらへ。」

 

 そう言われ案内されたのは、入り口近くに設けられた応接間であった。その部屋もまた、やはり赤で統一されている。蛇の口の中、という意味なのだろうか。

 

「すぐ主人もこちらへ参りますので。差し支えなければ、先にご用件をお伺いしておいてもよろしいでしょうか?」

 

「あ、はい。えーと、ここの施設の事でちょっと聞いてみたいことがあって。具体的に言うと、ここにハンテールってポケモン、いたりします?」

 

「?ハンテール、ですか・・・?」

 

 その質問に、アマリィが首を傾げた時だった。ソファーに座るヒノキの頬にさらりと何かが触れたかと思うと、すらりと長い指が顎の下に差し入れられ、後ろへ傾けられた耳元に、濃密な女性の気配が迫った。

 

「ふうん。てことはつまり、私達を疑っているのね?」

 

「!!?」

 

 弾かれたようにソファーから立ち上がり、振り返ったヒノキが目にしたのは、密かに部屋に入っていたチューブクイーンその人であった。先ほど頬を掠めたのは、どうやら彼女のその艶やかな黒髪らしい。

 

「・・・あいつの代わりにね。悪いとは思ってるんだけど。」

 

 メイドのアマリィはヒノキのその言葉の意味を今一つ掴めなかったらしく、再び首を傾げた。が、彼女の主人であり、このバトルチューブのブレーンであるアザミ・シストルは、そこに含まれた彼の思いを十分に汲み取っていた。

 

「いいわよ。むしろ、当然の事だもの。本当に良い友達なのね。」

 

 そう言って、切れ長の目を少し細めて笑った。

 

 

 

 ◇ ◇

 

 

 

「あまり、犯人探しのようなことはしたくないんだ。」

 

 あくまで、ジラーチの発見と保護という方向で進めていきたい。それが、昨夜遅くにリラからかかってきた電話の内容だった。彼はそれ以上は語らなかったが、その事が却って、仲間を疑いたくない彼の思いの切実さをヒノキに伝えた。

 

「・・・そうか。」

 

 すぐには、それ以外の言葉が出てこなかった。

 彼の気持ちを理解する一方で、ヒノキ自身の考えは逆だった。もし相手が内部の人間であったなら、まさにそうした仲間意識(よわみ)につけ込んでくるだろう。ましてや相手が何を企んでいるか分からない上にジラーチは既に手中に収めていると思われる今、最高責任者の考えとしてそれは甘すぎる。

 

 しかし、そんな思いとは裏腹に口をついて出たのは次の言葉だった。

 

 

「分かった。任せろ。」

 

 

 あいつがしたくないのなら、オレがそれをすればいいだけの話だ。

 そんな風に考える自分もまた、他人から見ればどうしようもなく甘いのだろうと思いながら、ヒノキは短い通話を終えた。

 

 

 

 ◇ ◇

 

 

 

「昨日の夜、リラから島の全職員に宛てた通達があったの。『今回の事件に関して、自分は犯人が確定するその瞬間まで決して誰の事も疑わない。だからみんなも、そのように行動してほしい』とね。」

 

 改めて向かいのソファーに着いたアザミが、その事をヒノキに教えた。

 

「あいつらしいね。」

 

 おそらくは、自分への電話の前の事だろう。そんな事を考えながら、ヒノキは短く返した。

 

「でも、オレも別にまだ疑ってるってほどじゃないんだ。ただ、バトルチューブ(ここ)には身体がひょろ長い野生ポケモン達が色々いるって聞いたから。もしハンテールがここにいたなら、ここから盗まれた可能性もあるんじゃないかと思ってさ。とにかく今は、何でもいいから前に進むための手がかりがほしいんだ。」

 

「悪くない発想だわ。」

 

 その時、メイドのアマリィが紅茶の入ったポットと二つのティーカップ、それに茶菓子をのせた盆を持って入ってきた。そして二人の間のローテーブルに盆を置き、それぞれのカップに紅茶を注ぐと、軽く一礼してまた部屋を出ていった。

 

「そう、発想自体は全く悪くないのだけど。ただ、残念ながら今うちにいる水タイプのポケモンはミロカロスだけなのよね。一応、ハンテールも候補には挙がっていたんだけど。」

 

 シュガーポットからブラウンの角砂糖をひとつ取り出し、カップに入れて掻き回しながらアザミが言った。

 

「んー、やっぱいないかぁ。まあ、稀少種で保護種って時点で見込みは薄いかとは思ってたんだけど。」

 

「別に、合法的な入手法がないからというわけではないのよ。パールルに『しんかいのキバ』を吸収させて進化させる方法を取った個体なら、一般人にも普通に所有は認められるわ。ただ、ハンテールって深海に棲んでいるでしょう?そんなポケモンが()()()()()元気に生活できる環境を用意することがどうしても難しかったのよね。モンスターボールに入れられるなら、そんな事は考えなくても良かったんだけど。」

 

 そこまで話終えたところで、アザミはティーカップを取り、静かに一口飲んだ。容姿にしても振舞いにしても妖艶という言葉が似合い過ぎる彼女だが、優雅に紅茶を飲む姿はシンプルに美しく、思わず見入ってしまう。が、そんなヒノキの様子をアザミは別の意味に捉えたらしい。

 

「あなたもどうぞ。心配しなくても毒なんて入ってないし、万一入っていたところで私が『めんえき』を持っている訳でもないしね。安全性はご覧の通りよ。」

 

 そう勧められ、慌ててヒノキも紅茶をすすった。それから、餃子を二つ折りにしたような不思議な形の茶菓子をひとつ手に取った。

 

「それにしても悪かったわね。せっかく来てもらったのに無駄足になっちゃって。ああ、それはフォーチュンクッキーといって、中におみくじが入っているから。先に割って取り出した方がいいわよ。」

 

 アザミの勧めに従い真ん中で軽く力を入れると、ぱきっと小気味の良い音を立ててクッキーは二つに割れた。そしてその中から、確かに小さく折り畳まれた紙片が出てきた。

 

 

「・・・いや。どうやら、そうでもないみたいだ。」

 

 

 そう言って、ヒノキは広げたその紙切れをアザミに渡した。

 そこには、次の文章が書かれていた。

 

 

 

 願い星は幸運の星

 掴み取りたくば そのツキ我に示せ 

 

 

 

 ◇

 

 

 

「それじゃ、改めてこのバトルチューブについて説明するわね。」

 

 そう言ったアザミがヒノキを従えて立っていたのは、エントランスを抜けた次の広間であった。

 

「このフロンティアの施設は、大きく分けてバトル型とダンジョン型の二つのタイプがあるの。バトル型とは、あなたが昨日挑戦したファクトリーのように、ポケモンバトルを勝ち進むことによってブレーンを目指すというもの。それに対してダンジョン型というのは、施設内の様々な仕掛けをくぐり抜けてブレーンの待つ部屋を目指すという仕組みになっているわ。そして、このチューブは──」

 

 そこでアザミがパチンと指を鳴らすと、前方の壁を覆っていた赤い幕がさあっと開き、その奥からぽっかりと暗い通路が現れた。

 

「ご覧の通り、後者というわけ。具体的には、大部屋にある三つの扉から一つを選んで先の小部屋へ進み、それを繰り返して私の待つ最後の部屋を目指していくの。ただ、もちろんその道中、つまり小部屋の中には仕掛けがあって。様々なイベントがランダムで起こる仕組みになっているわ。運が良ければ回復をしてくれるAI(バーチャルトレーナー)や何も起きない部屋に当たるけど、そうでなければ野生ポケモンが襲ってきたり、ダブルバトルを仕掛けられる事もあるの。」

 

「なるほどね。それでオレが試されるのは、ポケモントレーナーとしての『運』って訳か。」

 

「そういうこと。ただ、全くのノーヒントという訳ではないの。迷った時は、それぞれの大部屋にいる女の子達が気になる一部屋について情報をくれるわ。それを参考にして、よく考えて決めることね。そこを選ぶのか、選ばないのかを。」

 

 アザミがそう言い終えた瞬間、彼女のすぐ隣の壁の幕が開き、指紋認証システムを備えた自動ドアが現れた。

 

「じゃ、私は一番奥の部屋で待っているから。幸運を祈るわ。」

 

 そう言ってアザミがドアを抜けると、赤い幕が何事もなかったかのように再びそれを覆い隠した。そして、そんな彼女と入れ替わるように二人の後方で待機していたアマリィがヒノキの前に進み出た。

 

「それではヒノキ様。ただいまを持ちまして、ラックシンボルを賭けたバトルゲームへのチャレンジ開始といたします。準備はよろしいですか?」

 

「ああ。連れていく奴らも選んであるし、もういつでも行けるよ。」

 

 ヒノキは落ち着いた調子でそう答えた。

 挑戦者の運を試すバトルゲーム。略して運ゲーだ。

 そう思えば、昨日のファクトリーのようなプレッシャーは湧いてこない。

 

「承知いたしました。それでは、お気をつけて行ってらっしゃいませ。」

 

 

 こうして、二つ目のシンボルを賭けた挑戦が始まった。

 

 




 
丁度今朝テレビで見知って嬉しくなったので記念に。
薊(アザミ)の花の名の由来は驚くという意味の古語『あさむ』で、きれいな花だと思って手折ろうとしたら棘があって驚いた・・・というところから来ているそうです。
蛇の中にメイドさんという謎すぎるチューブの仕様も、意外とその辺りから着想を得ているのかも知れませんね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

48.10年前⑧ 老人と海

 
このタイミングで言うのも何ですが、主人公による施設攻略は前回のファクトリーのようにこってり書く場合と、ハイライトであっさりお送りする場合のニパターンが存在します。
全部書きたい気持ちは山々なのですが、現時点ではちょっと限界があるというか限界しかないので、いつかきっとあるはずの加筆修正に期待して頂ければ有り難いです。


【前回の要点】
 ジラーチを狙う犯人の手がかりを求めて訪れた先のバトルチューブ。そこでヒノキは再び謎の文書を受け取り、二つ目のシンボルチャレンジに挑むこととなる。
 


 

 

 【七月三日 昼】

 

「さあ!ここまでたどり着いたあなたの運、最後の最後まで試させてもらうわよ!」

 

 そう叫んだチューブクイーンのアザミの言葉通り、その戦いは大詰めを迎えていた。

 挑戦者共々最後の一体となったバトルチューブ最終戦。双方譲らぬまま体力が五分五分となったところで彼女のハブネークの『いばる』が決まり、挑戦者のネンドールは今や諸刃の剣と化していた。

 

「『かみくだく』!!」

 

 ここでネンドールが自我を保つことができれば、得たばかりの大きな力によってハブネークを沈めるだろう。逆に混乱故の自傷に走ってしまえば、例えそれが致命傷に至らずとも、今まさに猛然と突っ込んでいるあの牙がとどめとなる。

 

 しかし、そのような緊迫した状況にも関わらず、挑戦者の少年ことヒノキ・カイジュは淡々と最後の指示を出した。

 

「『じしん』。」

 

 ネンドールの目が鈍い光を放った刹那、フィールドに雷が落ちたような凄まじい音と衝撃が走り、隆起した地面が弾けるように裂けた。そして濛々と立ち上った砂塵が晴れる頃には、ハブネークの巨体は既に瓦礫の海に沈んでいた。

 

 敵陣から吹いてくるその砂塵混じりの風の中に、アザミは微かながら確かに膏薬のようなつんとした匂いを嗅ぎとった。

 何の匂いであったかなど、思い出すまでもない。熟れた『ラムのみ』の果肉が放つ、あの独特の青臭さだ。

 

「正直言うとね」

 

 瓦礫の中のハブネークに歩み寄り、少し撫でてからボールに収めた。

 

「ブレーン戦なんかしなくても、ここまで来た時点で分かるのよね。その人間(トレーナー)()()()()()って事は。ほら、言うでしょ?『運も実力のうち』って。」

 

 瓦礫の海をハイヒールで器用に渡りながら、彼女は続ける。

 

「だから、私的にはあなたがこの部屋に入ってきた時点でこれはもうあげても良かったんだけど。でも、今回は私も試されていた側だったからね。」

 

 そう言って、アザミはヒノキの掌にアルファベットのLを象った銀のシンボルを乗せた。昨日ダツラから受け取ったノウリッジシンボル同様、小さいながら確かな重みを備えている。

 

「ありがと。けどさ、やっぱ運は運じゃない?実際、オレ結構引きが良かったんじゃないかって思うんだけど。」

 

 しかしアザミは、ヒノキのその素朴な疑問に首を振った。

 

「もしあなたが本当に運任せだけでやっていたなら、あなたのネンドールはここまで『ラムのみ』を残せなかったわよ。」

 

 消耗系の『もちもの』が使えるのは一度きりであるこの施設の規則に触れながら、彼女は静かに続ける。

 

「運を試すと言っても、本当に運だけに任せてここまで辿り着けるほど甘くはしてないわ。無意識だとは思うけど、あなたはメイド達の情報とその結果をちゃんと考慮して、常にリスクが小さくなる可能性のある道を選んで進んだ。そうやって、出来る限りの事をした上でする運任せが良い結果を招きやすいのは当然でしょう?だから、『運も実力のうち』なのよ。」

 

「・・・なるほどね。ここは本当に色々と勉強になるよ。」

 

 そして一呼吸ついてから、ヒノキは銀のラックシンボルをパスに嵌めた。その瞬間、頭の中に閃くようにひとつの光景が映り、そして消えた。

 

「・・・その様子だと、どうやら今夜も『千年を数えし夜』ではないみたいね。」

 

「ああ。まだ全身が星の繭に包まれていて、ジラーチは指先さえ見えなかった。でも、まだあのハンテールのシッポさえ掴めてない今は、むしろその方がありがたいさ。」

 

 今しがた見た一場面の内容を交えて、ヒノキは願い星の現状を率直にアザミに伝えた。

 

「それは言えるかもね。それで、そのハンテールの次の手がかりは?何かアテはあるの?」

 

「いーや、全く。やっぱ写真だけじゃなくて、実物ももうちょい手元に置いとくんだったよ。」

 

 鼻からのため息まじりに、ヒノキはそうこぼした。

 もっとも、それが警官に知れて保護種密漁の容疑でチャンピオンを免職、なんて事になっても困るのだけど。

 

 そうして困ったように頭を掻くヒノキをアザミはしばらく黙って見ていたが、やがて控えめに声をかけた。

 

「ねえ、あまり期待はしないでほしいんだけど」

 

「ん?」

 

「ここから南東の方角に、バトルパレスっていう施設があるんだけど。そこのブレーンのウコンさんは、海へ釣りに出るのが日課なの。時々珍しいポケモンがかかるとも言っていたし、運が良ければ何かしらの情報が得られるかもしれないわ。」

 

 その可能性について、ヒノキは少し考えてみた。

 もし、アザミの言うようにウコンが最近ハンテールを釣り上げていたなら、おそらくリラに報告を入れているだろう。しかし毎日海に出ているというのなら、確かに別の方向からの情報が聞ける可能性はある。

 

「分かった。確かに中々運が要りそうだけど、今日は結構ついてるみたいだし、とりあえず今から行ってみるよ。ありがとう。」

 

 言葉を返す代わりに、アザミはパチンと指を鳴らした。間もなく、最初の広間と同じように彼女の背後のカーテンがすっと開き、奥に通路が現れた。

 

「Good luck.」

 

 そう言って、アザミは大人の女性らしい控えめな手の振り方でヒノキを見送った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 アザミから教えられたバトルパレスは、背の高い木々と美しい花畑に囲まれた、異国の離宮を思わせる建物であった。

 少々メルヘンチックな感じもするが、どこか隠居的な侘しさを醸すウコンにはこれくらい華があっても良いのかもしれない。

 

「あ、すみません。」

 

 前庭に回ったヒノキは、そこでポケモンを連れて植物の水やりをしている職員を見つけ、声をかけた。

 

「ちょっとここのブレーンのウコンさんとお話ししたいんですけど。今はどちらに?」

 

 花畑から顔を上げた男は、縁の細いメガネを押し上げて目の前の少年を見つめた。年は三十代前半といったところで、若さの中に落ち着いた雰囲気が漂っている。

 

「おや、きみは・・・」

 

「あ、オレはカントーから来た客のヒノキ・カイジュって言います。一応、そっちの方のー」

 

 チャンピオンをしています、とまでは言う必要はなかった。

 その名を耳にするや否や、彼は急いでその手のホエルコじょうろを地面に置いて姿勢を正した。そんな彼の挙動を、傍らの青く丸いポケモンが不思議そうに見つめている。

 

「やはりそうでしたか。では、例の事件の事で?」

 

 男の返答に頷きながら、ヒノキは帽子の上から後ろ頭を掻いた。こうしてチャンピオンの肩書きやその代名詞として名を口にする度に、余計な気を遣わせるようで何ともむず痒い気持ちになる。とはいえ、見慣れない子どもがいきなり施設の長に会いたいと言ったところで話が通るとも思えない以上は仕方ない。

 

「あいにく、今は沖釣りに出ているところでして。よほど海が荒れない限り、戻りは完全に本人の気分次第なのですが・・・」

 

「そうですか。じゃ、お帰りを待ったりはしない方が良いって事ですね。」

 

「申し訳ありません。こんな時に釣りなどとは止めたのですが、何しろ頑固な年寄りでして・・・。こんな時だからこそ波立つ精神(こころ)を静められる時間が必要なのだと、聞く耳を持たずに行ってしまいました。」

 

 そう言って男が本当にすまなさそうに頭を下げるものだから、ヒノキは何だか自分が悪いことをしているような気になった。

 

「いや、いいですよ、気にしないで。そもそもいきなり来たオレが悪いんだし、それに今までに会ったじーちゃん連中も大概似たような感じでしたから。」

 

 それは、あながち男を気遣っての軽口という訳ではなかった。

 実際、ジョウトの人間国宝のガンテツやタンバの薬屋などは言うにあらず、シオンタウンのフジ老人だって穏やかでこそあれ、丸腰のまま一人でロケット団に説得を試みるほどの一徹ぶりだ。頑固でない年寄りなど、それこそハンテールのように稀少なのではないだろうか。

 

 そんなヒノキの言葉に、男は少し笑顔を見せた。

 こういう人なら頑固な年寄りともやっていけるだろうと思うような、穏やかで控えめな笑い方だった。

 

「そう言って頂けると助かります。では、もしよければご用件だけでもお伺いしておきましょうか?(おう)には私から伝えておきますので。」

 

「いいですか?んじゃ、お言葉に甘えて。」

 

 男の提案に二つ返事で応じたヒノキは、彼に案内されるままにバトルパレスへと入っていった。

 

 

 ◇

 

 

「紹介が遅れましたが、私はフェンネル・ガーキンと申します。このバトルパレスの専属職員の主任を勤めている者です。」

 

「よろしくお願いします。えっと、オレがウコンさんに聞こうと思っていたのは──」

 

 そしてヒノキは自分がハンテールに関する情報を探している事と、その経緯を説明した。

 

「なるほど、そういうことでしたか。」

 

 ヒノキの話を聞いたフェンネルは頷き、返答として主の釣り事情を説明した。

 

「翁の釣りは趣味が七割、実益三割というようなもので、こちらへ持ち帰ってくるのは自分やポケモンが食べる分の魚だけです。それ以外は、ケガをしている等の事情がない限りはどんな大物であろうが珍種であろうが、全て海に返します。そして持ち帰った魚やポケモンは我々が預かり、翁の仰せに従うという形になりますが、この数日の間に私共がハンテールを預かった事はございません。」

 

「と、いうことは。つまり、ウコンさんがハンテールを釣っているかどうかは本人に聞かないとわからないし、もし釣っていたとしてもその時点でリリースしてるって事ですね。」

 

 確認を交えながら、ヒノキは膝の上のノートにメモを取る。

 

「はい。翁は空のボールを持って行きませんので、こっそり捕獲して帰ってくるという事も考えられません。ですので、その点については翁が戻り次第、私から確認をします。最近、海でハンテールを見たり釣ったりした事はなかったか、と。」

 

「助かります。ちなみに、一昨日の夜の八時過ぎっていうのは、ウコンさんはどちらに?」

 

 その質問は、ヒノキとしてはあくまで彼が何かを見ている可能性はないかという意味のつもりだった。が、目の前の相手は想像力を別の方向へと巡らせていた。

 

「・・・やはり、翁を疑われているのですね。」

 

「あっ、いえ!今の時点ではまだ決してそういう訳ではなく。あくまで、何かご存知であればという意味で──」

 

 フェンネルの曇った声と表情に、ヒノキは慌ててそう答えた。アザミに言われた時もそうだったが、未だにこの「疑う」という言葉の切れ味には慣れることができない。

 

「いえ、仕方のない事とは承知しております。今朝、警察からも聞かれましたが、実際に翁は一昨日のその時間はちょうど釣りから帰って来た頃でした。ですから、六時頃にここを出てから戻るまでのその間、翁に怪しいところがなかったと証明することはできません。ですが──」

 

「ですが?」

 

「もし、ファクトリー関連の異常が犯人の仕業であるならば。翁は犯人にはなれません。」

 

 あまりにきっぱりとしたその口調と言葉に、ヒノキは思わず目を瞠った。

 

「・・・その理由は?」

 

「はい。何しろ翁はケタ外れの機械音痴でして、一人では未だにパソコンでのポケモンの出し入れはおろか、起動時のトレーナーコードの入力すら出来ないのです。なので当然、パソコンを使う業務は全て私達が行っているという有様で。」

 

 その言葉には、確かに主のそのケタ外れの機械音痴に対する不満もいくらかは含まれていただろう。しかし、主人のそんな欠点を初めて会う人間に愛敬をもって明かせるというのは、彼らの関係に確かな信頼が存在する何よりの証だ。そもそも、ウコンに対して尊敬の念がなければ、彼が疑われるという事にあれほど悲しそうな表情はできない。

 

「なるほど、それじゃ確かにサイバー攻撃は難しそうだ。でもまあ、その辺は年を思えば仕方ないような気も・・・」

 

「ところが、それが必ずしもそうとは言い切れないのですよ。ほら、いやそうか、きっとまだご存知ないか。」

 

 そんなフェンネルの要領を欠いた一人言に、ヒノキは全く思い当たる節がない。しかしその詳細を問う前に、彼が自ら説明した。

 

「ここから西のバトルタワーの事は既にご存知かと思いますが。そこのヘッドトレーナーのローレル様は、うちの翁と同年代でありながら、バトルファクトリーの長のダツラ様と同じぐらい、コンピューターとそのテクノロジーに通じておられるのです。」

 

「ローレル様・・・?」

 

 視線はフェンネルの方へと向けたまま、ヒノキはその名をノートに走り書いた。

 

「本当に、すごい方です。何でも様々な職種を経験されていて、その中で培われた知識と経験から、最初はバンクシステムのエンジニア兼オーナー補佐として雇われたそうなのですが。しかし、ポケモントレーナーとしての才も素晴らしかった為に、タイクーンの指南役とバトルタワーのヘッドトレーナーに抜擢されたとの事で。」

 

「へえ・・・。トレーナーとしても優秀・・・。」

 

 先ほど走り書きした名前の横に、そのことも合わせて記す。

 

「はい。具体的には、このフロンティアの共有ポケモンは全てローレル様による育成計画に基づいて育てられている、といえばその頭脳の卓越ぶりがお分かり頂けるでしょうか。」

 

 その言葉に、ヒノキは思わずメモを取る手が止まった。

 そして、未だ引き出せない自分のポケモン達の代わりに借りている、その共有ポケモン達のボールに目を落とした。

 

「・・・マジで?」

 

 勝てるように、あるいは勝ち過ぎないように絶妙に整えられたステータス、技、持ち物。無論彼らが最初からそのように存在していた訳ではないことはヒノキも分かっていたが、それらを計算して生み出した人間が存在することは、やはり驚嘆に値するものであった。

 

「ええ。このフロンティアの共有ポケモンは、管理こそファクトリーの管轄ですが、育成を担っているのはタワーになります。そのため、タワーには共有ポケモンの育成専門トレーナーが何人も居て。その長がローレル様という訳です。」

 

「はー。世の中にはすごい人間がいるもんだなぁ。」

 

「それだけじゃありません。南の岬の洞窟にえかきポケモンのドーブルを繁殖させ、彼らの『スケッチ』を応用する事で、わざマシンにかかる経費を劇的に削減させたのもあの方です。そしてそこに『アトリエの洞窟(あな)』なんて洒落た名を付けたのもね。職員の中にはその頭脳明晰ぶりを揶揄して『バトルタワーには人間とポケモンのフーディンがいる』などという者もあるくらいで。その意味では、このフロンティアで頭脳(ブレーン)と呼ぶのが最も相応しい方です。」

 

「ということは」

 

 フェンネルからもたらされたその人物の情報をノートに整理し終えてから、ヒノキは口を開いた。

 

「この人なら、バンクシステムのエラーを仕組める可能性がある、という訳ですね。」

 

 しばし、沈黙が流れた。

 

「能力的には、おそらく可能であると思います。」

 

 フェンネルは静かに答えた。

 

「ですが、現実的にはおそらく不可能かと。」

 

 そこは施設の応接室であり、厚い扉がきちんと閉められたその空間では、その必要はさほどないように思われた。にも関わらず、フェンネルは見えない何者かの目と耳でも憚るかのように、辺りを窺ってから声を低くした。

 

「実は、今年の春先から急にお身体の加減が悪くなられて、現在は島の病院に入られているのです。噂では、来月のオープンまで持つかどうかもあやしい・・・という状態だそうで。」

 

「えっ・・・」

 

 衝撃の事実に、ヒノキは絶句した。

 確かに、ウコンと同世代であるなら何らかの大きな疾病に身体を冒されていても不思議ではない。しかし、これまで出会った老人達がいずれも元気のかたまりのような人物であったヒノキには、年を取ることの切なさを久々に思い知らされる事実だった。

 

「とはいえ、もちろん警察は入院部屋のパソコンは確認したようです。しかし、特に不審な点は見受けられなかったとの事で。」

 

 少し考えた後に、ヒノキは口を開いた。

 

「あの、そのローレルさんと面会とかってできますか?オレ、一度会ってみたいです。」

 

 その「会ってみたい」には、事件の重要参考人という意味ももちろんある。しかし、それ以上に自分にトレーナーとしての学びを与えてくれた感銘から、その人物に会ってみたい気持ちが大きかった。

 

「ええ、時間さえ合わせれば可能だと思いますよ。最近は比較的体調が安定されているということで、タイクーンやオーナーもしばしば仕事の相談で訪室されてますから。なんなら、今から病院に問い合わせてみましょうか。」

 

「えっ?いいんですか。」

 

「はい。翁の留守のお詫びに。」

 

 そう言って、フェンネルはポケットから管理ナンバー入りのポケナビを取り出して耳に当てた。『ポケモンバトルの最前線』をうたうだけあり、備品も最先端のものを配布しているらしい。

 

 彼が病院に連絡を入れている間、ヒノキは暇つぶしに室内を見渡した。向かいのソファーの奥には飾り棚があり、そこにはウコンのものと思われる古い釣り道具やら魚拓やらが整然と陳列されている。まるで、ちょっとした展示会のようだ。

 

(・・・?)

 

 その陳列の端に、額に入った一枚の写真があった。

 かなり古いもので、白黒のその写真の中では、海を背に一人の若者が誇らしげに巨大な魚を抱えている。そんな彼の肩越しに、友人と思われる同じ年頃の青年が一人、おどけるようにこちらへ向かって手を振っていた。

 

「あれって、ウコンさん・・・ですか?」

 

 ちょうど電話を終えたフェンネルにヒノキが尋ねた。

 それは、確認というよりはそのまま質問だった。

 状況からすれば確定的であるにも関わらず、なお独断では確信が持てないほどに、その写真は古かったのだ。

 

「ええ。なんでも、故郷で成人の日に撮ったものだそうです。翁が十五の歳だったと言っていましたから、もう六十年近く前でしょうか。」

 

 ヒノキは改めて写真を見た。

 フサフサとした白い眉も長い髭もなく、代わりに短く刈り揃えられた黒髪と伸びた背すじを持ったその若者は、そうだと言われたところでにわかにはあの老人と同一人物とは思えない。しかし、糸のような目から窺える面影と、その逞しい腕に彫られた不思議な紋様が、確かに在りし日の彼である事を示していた。

 

「明日の午後二時からであれば、面会可能ということですよ。」

 

 写真に見入っていたヒノキは、その言葉で我に返った。

 そして慌ててフェンネルに礼を言って、バトルパレスを後にした。

 

 

 ◇

 

 

 沖釣りに出ていたウコンがパレスへと戻ってきたのは、ヒノキが帰ってから一時間ほど後の事であった。

 

「おかえりなさいませ。お食事の準備は出来ております。」

 

「うむ、ご苦労。」

 

 出迎えたフェンネルに、老人は厳しく答えた。が、彼の足元から施設の愛玩ポケモン(ペット)のルリリがぽよんぽよんと跳ね寄ってくると、たちまち孫に甘い爺のように破顔した。

 

「ああ、よしよし。ルリリ、ただいま。いい子にしていたか?」

 

 そう言って釣り道具と杖を傍らに置くと、そのポケモンのすべすべした青い身体をひとしきり撫でた。そして彼女が満足して行ってしまうと、腰の縄紐を解き、年季の入った魚籠をフェンネルに預けた。

 

「明日の朝と昼に一匹ずつ焼いてくれ。後はラプラスの分だ。」

 

 フェンネルが中を覗くと、そこにはまだ活きの良い魚が数匹、どれもよく肥えた銀色の腹をぴかぴか光らせていた。今日はなかなかの当たり日であったらしい。

 

「かしこまりました。」

 

 フェンネルは魚籠を恭しく受け取ると、空いた手で釣り道具も持ち、自室へと歩き出したウコンの背についてなるべく何気なく切り出した。

 

「実は先ほど、例のトージョウチャンピオンの少年が事件の事で翁を訪ねて来ていたのですが。」

 

 そしてヒノキが聞きたがっていた事を、老人の上機嫌を損ねないようそのままの調子で尋ねた。

 

「ハンテールは」

 

 石造りの段差の低い階段を上りながら、ウコンが口を開いた。持っている杖の必要性が疑問に感じられるほど、その足取りは健脚そのものである。

 

「最後に釣ったのは二年前だ。見たのもその時が最後になる。それから、あの夜は──」

 

 ちょうどそこで、ウコンは最後の一段を上りきった。

 そして、すぐ前の自室の扉を押し開ける手を少し止めて言った。

 

「釣ったのは持ち帰ったアジ四匹だけだ。ポケモンは一匹もかからんかった。帰りがけに、キャモメが一羽飛んでいるのを見たくらいだ。」

 

 釣り道具を所定の位置に戻しながら、フェンネルは相槌を打った。 

 

「日没後にキャモメとは珍しいですね。昼間海が荒れていた分、夜に狩りに出ていたのでしょうか。」

 

「さあな。とにかく、わしが話せるのはこれだけだ。あの少年にはそう伝えておいてくれ。」

 

「ありがとうございます。それでは、お食事もすぐにお持ちしますね。」

 

「ああ。頼む。」

 

 

 フェンネルが出ていってしまうと、ウコンは部屋でただひとつの南向きの窓へ行き、海の化身の紋が彫られた両腕で力強く開け放った。

 そして食事が届けられるまで、海ではなく無数の星が散り輝く空を遠い目で眺めていた。

 

 




 
余談ですが、2936のポケモン作品においてはポケモンとは別に普通の生き物もある程度存在していて、人々の動物性タンパク質は概ねそちらで賄われているという設定になります。ハリーポッターやゼルダと同じような感じですね。ポケモン由来のものはどちらかというと珍味とか高級食材といったところでしょうか。
ただし、それらの生き物達もポケモンという圧倒的な力を持った捕食者がいるために独自の進化(繁殖能力や成長速度の発達)を遂げており、私達の世界の同じ種よりもかなりタフに仕上がっております。
かがくのちからもすごいですが、しぜんのちからもすごいことになっています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

49.10年前⑨ 痣と刺青

 

【前回の要点】
バトルチューブを制してラックシンボルを手に入れたヒノキは、アザミの助言に従ってバトルパレスを訪れる。そこで、ブレーンのウコンとバトルタワーの重要人物であるローレルについての情報を得る。



 

 

 【七月四日 昼】

 

 

 何もかもが真新しいフロンティア市街地の中でも、一際目を引く立派な白い建物。隣接するポケモンセンターと繋がりは見られないものの、それが同じ使命を持った施設であることは、赤い十字のシンボルマークから容易に推測できる。

 そしてその建物──すなわち人間を対象とした病院の玄関前に立ってなお、ヒノキはまだ迷っていた。

 

(やっぱ初対面で見舞いの品とか逆にしらじらしいか?)

 

 携えているプリザーブドフラワーの鉢は、これから面会する相手への手土産に購入した。しかしその内容を思えば、手ぶらの方が却って()()がなくて良かったように思える。とはいえ、ここまで来てしまったら、というより出入りする病院関係者に怪訝な目で見られてしまっては、引き返すのも気が引ける。

 

 

(しゃーねぇ。行くか。)

 

 

 ふう、と大きなため息をひとつついてから、ヒノキは意を決して自動ドアの敷居を跨いだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

──六階です。

 

 機械的な音声アナウンスと共に開いた扉の先に、さらに扉が現れた。しかし、今度はもちろんエレベーターのそれではない。 

 

「すみません。ニ時から面会をお願いしていた者ですが──」

 

 病室の扉脇のボタン、すなわちインターフォンを押して通話口にヒノキがそう話しかけると、すぐに柔らかな男性の声が返ってきた。

 

「お待ちしておりました。どうぞ中へお入りください。」

 

 失礼します、とヒノキが少し緊張しながらスライド式の扉を開けると、そこには背の高い一人の老人が立っていた。

 

「初めまして。ヒノキ・カイジュです。」

 

 握られた手の思いがけない力強さと穏やかな笑顔に、ヒノキはこの病人が存外元気であることにひとまず安心した。

 

「ローレル・リアンです。お会いできて光栄です。さあさあ、どうぞそちらのソファーへお掛けください。」

 

 そこは、どう見ても貴賓用の病室(VIPルーム)であった。

 立派な応接スペースとささやかなダイニング、そしてバスルームを備えた、白く清潔で、そしてあくまでもさりげなく贅沢な空間。ベッド脇のいくつかの医療機器が見えなければ、ちょっとしたホテルのスイートルームとも見間違いそうだ。

 

「何しろ今はまだ私しか入院患者がいないもので。本当に大切な患者(ゲスト)が入るまでの間、使わせてもらえることになったのですよ。ああ、その可愛らしいお見舞い客さまには、この不愛想なテーブルに華を添えて頂くとしましょうか。」

 

 そう言ってローレルがヒノキから受け取った鉢を目の前のテーブルに置くと、途端に無機質なガラスのローテーブルがぱっと華やいだ。

 

 柔和な物腰に、初対面の相手の緊張を解くための冗談。病身特有の痩せ方は見受けられるものの、それでも端正な顔立ちであることは一目で分かる。これほどまでに老紳士(ジェントルマン)と呼ぶに相応しい人物を、ヒノキはこれまで見たことがなかった。

 

「すみません、病気の療養中にいきなり押しかけるような事をしてしまって。」

 

「いえいえ。長い病院暮らしで退屈していたところですから、むしろありがたいくらいです。それも、ずっとお目にかかりたいと思っていたあなたの方から訊ねて下さるなど、願ってもないことでしたから。」

 

 そう言ってティーセットを運んできた老紳士の意外な言葉に、ヒノキは目を丸くした。

 

「ローレルさんがオレに、ですか?」

 

「はい。五年前のレセプションでは直接お話はできませんでしたが、あなたの試合は全て拝見しておりましたし、何よりタイクーンがこの五年間、何かと貴方の名を口にしていましたからね。まるで、いつも身近にいる親友のように。」

 

「・・・リラが?」

 

「ええ。壁にぶつかって心が弱ってしまった時は、タワーの最上階で貴方に会える日を思うのだと。そうすれば、自然と乗り越える力が湧いてくると。そう言っていましたよ。」

 

 その言葉に、ヒノキは胸が底の方からじんわりと熱くなるのを感じた。もちろん、彼は決して自分達の友情を疑った事はない。それでも、遠く離れていたこの五年の間に彼の中にもちゃんと自分が存在していたことを知るのは、やはり嬉しかった。

 

「オレもそうでした。この五年間、何をするにもあいつとの約束が踏み出す力をくれた。それがなかったら、オレみたいなのがチャンピオンなんか絶対なれなかったし、務まらなかったと思うんです。」

 

 ヒノキがついこぼしたその言葉に、老紳士はまるで自分の事のように嬉しそうに目を細めながら頷いた。

 

「何かを成し遂げようとする時、その存在自体が励みになり、刺激になる友人がいるほど幸せなことはありません。私にも覚えがありますよ。・・・さて、ではそろそろ本題に入りましょうか。貴方は私と違って、時間がいくらあっても足りないはずだ。」

 

「っと、そうだった。えっと、今日お伺いしたのは、ちょっとお訊きしたい事があって──」

 

 そう言って、事件とバンクシステムの件についてヒノキが切り出そうとした時だった。腰につけた唯一の自前のモンスターボールがガタガタと揺れていることに気が付いた。

 

「ん、コン?どうした?」

 

 衛生面の問題や機器への影響から、病院の敷地内ではポケモンをボールの外へ出すことは原則的に禁止されている。そこでホルダーからそのキュウコンのボールを外して掌に乗せてみると、何故かかなり興奮しているらしい。

 

「・・・もしやそれは、五年前にあなたがタイクーンと岬の祠で保護したという、あのキュウコンの子どもですか?」

 

「え?あ、はい。まあ今はこいつもキュウコンなんですけど・・・」

 

「そうですか。ならば興奮するのも無理はないでしょう。何しろ、母親の仇が目の前にいるのですから。」

 

 ローレルが何を言っているのか、ヒノキには全く分からなかった。しかし、老紳士はそんな少年に向かって左腕を出し、戸惑う彼に見せるように、手の甲のあたりから巻かれている包帯をほどいた。

 

「・・・・・・」

 

 そうして目の前に現れたモノに、ヒノキは言葉を失った。

 

「そのキュウコンの母親が力尽きる際に最期の力を振り絞って立てた牙の痕です。もう七年になりますかな。最初は噛まれた部分だけでしたが、徐々に広がり、今では(ほぞ)に届くまでに広がりました。この春から急に進行が速まったのは、おそらく守護を任されたジラーチの覚醒が迫ったためでしょう。」

 

 それは痣というより、もはや呪いに見えた。規則的で不気味などす紫のその縞は、彼のかってしまった恨みがいかに根深いものであるかを象徴しているようだった。

 

 まだ絶句している少年に、老紳士は自分が彼女の命を奪うに至った経緯を訥々と語った。*1

 

「そんなことがあったんですか・・・。」

 

「キュウコンというポケモンは非常に賢く、執念が深い。ましてやあの個体のように使命に殉じた者の遺恨は、自らが死してなお相手を死に至らしめる力を持ちます。もちろん当時の私は彼女が真に守っていたものの事は知りませんでしたが、彼女からすれば排除すべき存在に変わりはなかったのでしょう。」

 

 そう言ってローレルは右手で器用に包帯を巻き直しながら、なに、どのみち生い先短い身ですから構いやしませんよ、と笑った。心残りは、愛弟子の輝ける未来を見届ける事ができないくらいだ、と。

 

「ここだけの話ですが」

 

 そう前置きしたローレルは、在りし日を懐かしむようにしみじみと語り始めた。

 

「私は最初、あの子は戦う者にはなれないと考えていました。試しにバトルをさせてみれば、何よりも互いのポケモンが痛まないことに心を配る。そんな優しい子に、全国から集う勝利に飢えた猛者達の相手など務まるはずがないと。六年前に初めて会った日、私はあの子の事をそんな風に思ったのですよ。」

 

 自分の知らないリラの昔の話に、ヒノキも自然と身体が前に出る。

 

「しかし、それでもあの子は自らの意思でその道を選びました。そうして戦いに勝つことと、その優しさとの板挟みに悩まされる日々が始まったのです。」

 

 その言葉で、ヒノキは思い出した。五年前、ビデオの中でこのローレルのチルタリスを相手にしていた時の苦しそうなリラの表情を。

 

「当然、私も師として色々と助言を試みたのですが。しかし、結局彼を救ったのは私の言葉ではなく、五年前のあなた方との出会いでした。」

 

「オレたち・・・ですか?」

 

「ええ。それまではずっと自身の為に自分一人で戦っていたあの子が、あのレセプション以降は誰かの為にポケモンと共に戦うようになった。あの子の戦いが、そんな風に変わったのです。そんな子が五年後、十年後にはどんな進化を遂げているのか。そう思うと、気持ちだけは寿命が伸びてしまうのですよ。」

 

 そう言って、ローレルが穏やかな自嘲の微笑みを浮かべた時だった。扉が手早く控えめにノックされ、直後に一人の看護師が入室してきた。

 

「失礼します。先生、点滴のお時間です。」

 

「おや。もうそんな時間になりましたか。」

 

 看護師は彼が大人しく寝ていない事に慣れているらしく、ベッドの脇から点滴のスタンドを引っぱってくると、てきぱきとその病衣の右袖をまくり、アルコール綿で拭いて針を入れた。

 

 その一連の流れを、ヒノキは出された茶を飲みながら何とはなしに見ていた。が、不意にあるものが目に留まった瞬間、思わず茶をむせ返しそうになった。

 

「あの。それって・・・」

 

 看護師が出ていった後、ためらいがちにローレルの右の腕から覗く青いものを指して尋ねた。しかし彼は動じることもなく、むしろそれがヒノキによりよく見えるよう、左手で袖をまくった。

 

「ああ。これは私の故郷のキナギという集落の(いにしえ)から続く風習です。男子は十五になると、両方の(かいな)に海の神様ーすなわちカイオーガという古代ポケモンの紋を彫り、海底洞窟の社へ参って供物と一族へのご加護の祈りを捧げる。それが『海の民』の成人の儀です。」

 

 その説明に、ヒノキは昨日パレスで見たあの古い写真の二人を思わずにはいられなかった。

 病床の切れ者と、機械には弱いが毎日海へ釣りに出るほどの健康と体力の持ち主。

 それぞれが一人ではできない事も、二人で力を合わせたなら──。

 

 

「・・・オレ、昨日それと同じものを見ました。バトルパレスにあった、ブレーンのウコンさんの写真の腕に。」

 

 にわかに部屋の空気が変わった。

 そうなるであろう事は分かっていた。分かってはいても、黙っている訳にはいかなかった。

 

 

「私にもかつて、(まこと)の絆でつながった友がいました。」

 

 

 しばしの重い沈黙の後に、老人が静かに口を開いた。

 

 

「そして、その絆は今はありません。」

 

 

 口調とは対照的な強い光を宿したその瞳は、まっすぐにヒノキを見据えていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「・・・あ。」

 

 用意していた質問をすっかり聞きそびれた事にヒノキが気づいたのは、病院の玄関を出た直後の事だった。予期せぬ方向からなだれ込んできた新情報に圧倒されて、完全に忘れてしまっていたのだ。

 しかし、だからと言って今からローレルの部屋に引き返してそれらを訊きに行けるほど、退室時の空気は和やかではなかった。

 

(また出直せばいいか。)

 

 そう思い直し、前へ向き直って歩き出そうとした、その時だった。

 

「おわっ」

 

 前方からやって来た人物と、正面からぶつかってしまった。はずみで相手がポケナビを落とした事から、どうやら向こうも前方不注意であったらしい。

 

「すいません。これー」

 

 拾い上げたポケナビを手に、そこで初めて相手を見たヒノキは驚いた。

 

「ヒノキ・・・?」

 

 そう言って目を見開いているのは、一日半ぶりに会ったリラだった。そこでヒノキは、エニシダやリラもしばしばローレルを訪ねているという昨日のフェンネルの言葉を思い出した。

 

「どうしてきみがこんなところに?具合でも悪いのか?」

 

「え?あ、いや、決してそーゆー訳では・・・」

 

 リラには昨日のパレスでのローレルに関するやり取りと今日の面会の事は伏せていた。彼と事件について話してくると言えば(実際は話せなかったが)、ちょうど昨日のアザミやフェンネルのように、リラもまた自分が彼を「疑っている」と捉えるだろう。リラにとってここで最も付き合いの深いであろう人物、それも今や死期の近い病人である彼を自分がそのような目で見ていると思われるのは、やはり友人として辛いものがあった。

 

 もちろんローレルには今日の事は内密にしてほしいと頼んである。が、この可能性を忘れていたのは迂闊だった。

 

「ちょうど、きみに連絡しようと思っていたんだ。」

 

 口籠るヒノキに何かを察したのか、彼の返事を待たずにリラが話題を変えた。しかしその口調に、ヒノキはどことなく違和感を感じた。淡々とした事務的な調子の中に、何か抑えているような、堪えているような不自然さがある。

 

「これがさっき、バトルピラミッドのブレーンの元に届いたんだ。」

 

 そう言ってヒノキから受け取ったナビの画面を開くと、見慣れつつある字体で綴られた文章の画像を彼に見せた。

 

 

 

 願イ星ハ古ノ世ノ秘宝

 墓守共ハ今宵正子カラノ盗掘ニ備エヨ 

 

 

 

「・・・なんかオレ、勝手に墓泥棒にされてるけど。要するに、ピラミッドに挑戦しろってことだよな?今晩の、えーと・・・」

 

「0時だ。でも、その前に」

 

 頷く代わりに、リラは続けた。

 

「きみに話しておきたいことがある。だから、二時間前の二十二時に南の岬まで来てほしい。」

 

 そう言ったリラの顔を、ヒノキはじっと見た。

 そしていつになく翳ったその薄紫の瞳に、その会合がそう明るい内容のものではないことを感じ取った。

 

「・・・分かった。十時に南の岬、だな。行くよ。」

 

 待ってる。

 そう短く答えると、リラは足早に病院の中へと行ってしまった。その横顔は、なんとなく雨が降りそうな曇天の空を思わせた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 【七月四日 夜】

 

 

 

(オレ、あいつにあんな顔で話されなきゃいけないようなこと、あったかな。)

 

 殆ど丸い月が柔らかな光を放つ、二十ニ時の少し前。ヒノキは待ち合わせの南の岬へと続く道を、これから行われるリラとの会合の内容についてあれこれ推測を巡らせながら歩いていた。

 しかし、この時機(タイミング)で話しておかなければならない事となると、やはり今回の事件絡みである可能性が高いだろう。その上で、あれほど深刻な表情を見せるということは──。

 

 そこで、ポケットに忍ばせてきた一つの覚悟をぐっと握りしめた。それから、数メートルの先に見える華奢な背中へ声をかけた。

 

「よお、待たせ。話ってなんだ?」

 

 思い返せば、ちょうど三日前の夜にもこの場所でこんな風に二人で会った。しかし、その時とはまるきり立場が逆だ。

 

 ヒノキのその声に、フーディンと共に月の照らす海を眺めていたリラが立ち上がり、こちらへ向き直った。

 そして彼の質問に答える代わりに、淡い光に包まれた美しい銀の匙を浮かべた掌を差し出した。もちろん、実際にそれを浮かべているのは傍らのフーディンである。

 

「?なんだ?それ、オレにくれるのか?」

 

 しかし、そのスプーンはヒノキが触れようとした瞬間に消失し、次の瞬間にリラのもう片方の手の中に現れた。

 

「これはぼくのだよ。」

 

 月の光のような、静かな笑みを浮かべたリラが言った。

 

「彼がフーディンに進化したその日に創り上げて、ぼくにくれたんだ。だけど、貰うのは少し迷った。これはぼくより先にヒノキが受けとるべきものじゃないかって。だって、フーディンのスプーンというのはそういうものだからね。」

 

 フーディンが心から信頼した相手にだけ渡すという、世界で一本だけのオリジナルスプーン。だからこそ、その一本目は自分ではなく最初の主人の手に渡るべきだと、リラは考えたのだ。

 

「だけど、フーディンは首を横に振った。そして、笑って言ってくれたんだ。これはぼくの為に作ったんだって。そして、きみに贈る分は──」

 

 再び、リラが掌を仰向けに広げた。

 

「『これから二人で一緒に作るんだよ』って。」

 

 その瞬間、リラの掌に再び美しいスプーンが現れた。

 先ほどのものとは違い、柄の(なか)ほどで品良く結ばれた赤いリボンが、今度こそ贈り物であることを示していた。

 

「なんだよ。どんな深刻な話かと思ったら、そんなことかよ。」

 

 照れを隠すように頭を掻きながら、ヒノキはその芸術的な逸品に手を伸ばした。が、それは再びふっと消え去り、その手はまたしても空を掴んだ。

 

「あれ。」

 

「まだ渡す事はできない。」

 

 まるきり事情の掴めないヒノキは、目を丸くして目の前の友人の顔を見た。月の光のような笑みは、既に消えていた。

 

「その前に話しておくことがある。その話を聞いた上で、それでも受け取れると言ってくれるなら。その時は喜んで差し出すよ。」

 

 目の前の思い詰めたようなその顔を、ヒノキはただ見つめていた。ただならぬ雰囲気に、相槌を打つことも忘れて。

 

 

「ヒノキ」

 

 

 そう呼びかけ、助走をつけるように二度大きく浅い呼吸をした後で、リラは唇をこじ開けた。

 

 

 

 

「今までずっと黙っていたけれど。ぼくは、本当は──」

 

 

 

 

 

*1
第38話参照



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

50.10年前⑩ 勇気の証

 

【前回の要点】
入院中のバトルタワーのヘッドトレーナーのローレルと面会したヒノキは、彼の腕にバトルパレスのブレーンのウコンと同じ刺青を目にする。その面会の帰り、偶然出会ったリラから、今夜0時からのバトルピラミッドの挑戦の前に話があると持ち掛けられる。



 

 

 【七月五日 未明】

 

 

(まったく。新たに規則を追加せにゃならんな。)

 

 挑戦者が五周目(ファイナル・ラップ)に入った事を告げる鐘の音を聴きながら、ジンダイ・ノフジはそんなことを考えていた。

 

 島の北東に位置するバトルフロンティア第四の施設、バトルピラミッド。遠い異国の古代王朝の霊廟をモチーフに作られたこの施設は、挑戦者の『勇気』を試す場として造られている。

 

「おっ。今度はなんだ?」

 

 傍らから音もなく飛び立った後ろ姿が、ヘッドライトの小さな光の輪から消えた。そこでヒノキは足を止めた。

 

 バトルチューブと同じダンジョン型の施設であるこの七層建の巨大迷宮でのミッションは「暗中探索(バトルアドベンチャー)」。いわば『フラッシュ』なしで視界の悪い洞窟を抜けよというようなものだ。そしてもちろんその道中には野生のポケモンやバーチャルトレーナーと遭遇する可能性があり、しかも彼らとの戦闘で負ったダメージはフロア毎の回復(リセット)はなく持ち越しとなる。 

 一応、落ちているアイテムは自由に収拾してよい(持ち込みは不可)という救済措置はあるものの、それとて攻略の助けにはなれど難易度を下げるには至らない。そのため、勇気の他に体力と気力と時間をも求められる、バトルフロンティア屈指の難所である。

 

 

 

 そう、()()()()()

 

 

 

「おお、『げんきのかけら』か。でかしたぞ。」

 

 程なくして戻ってきたこうもりポケモンから拾得物を受け取ったヒノキは、褒めてくれとばかりにすり寄ってきた彼を両手で撫でてやった。恐そうな見た目に反して人懐っこい種なのだ。

 

 間もなく彼らは前進を再開したが、先導するクロバットがある曲がり角の手前でぴたりと静止した。

 

(野生か?)

 

 声を潜めた主人の問いに、彼はこくりと頷く。

 

(OK。今まで通り『ちょうおんぱ』でやり過ごすぞ。奥に見えるぼんやり明るいのがワープポイントだから、そこまで突っ切ろう。)

 

 この巨大迷宮においてその暗闇の覇者の使用は、もはや反則以外の何物でもなかった。最初の『ちょうおんぱ』による反響定位(エコーロケーション)でフロア内のあらゆるものの位置を把握。行く手に迫ったそれが道具であれば四枚の翼によるほぼ無音の飛行で回収し、不要な戦いであれば徹底的に回避する。その結果、この挑戦者の少年は終始暗闇にありながら驚異的なアイテム拾得率の高さと敵とのエンカウント率の低さ、そして総所要時間の少なさをもって七層×五周を終えつつあった。

 かと言って、現行の規則では彼を失格にすることはできない。使用した時点で挑戦を無効とする『照明(フラッシュ)瞬間移動(テレポート)及びそれに準ずる行為』には該当しないからだ。まがりなりにも、『暗闇の中を自分の足で歩いてゴールを目指す』という大原則は遵守されている。

 

 

 そのような訳で、とうとう彼はこのすぐ下のフロアへと到達した。

 

 

「まったく、あのボウズは一体今何を試されていると思ってるんだろうな。なあリラ?」

 

 頭の後ろで手を組んだまま、ジンダイは彼の挑戦を共に見守る隣のタイクーンに同意を求める。

 

「すまない、ジンダイ。今回だけはどうか多目にみてほしい。」

 

 そう言って、リラは苦笑を浮かべつつ隣のピラミッドキングへと詫びた。その言葉が冗談であるとは分かっていたが、それでもこのような攻略を認めざるを得ない現状に責任を感じていたからだ。

 

「こんな時だ、仕方ねえよ。ま、一応悪気はあるらしいからな。」

 

 そう言って、ジンダイはがははと豪快に笑った。

 

 

──わりーけど、今回ばかりはちょいと時短で行かせてもらうよ。

 

 ルールの説明を聞いた後、三体のポケモンを選び終えた少年は、そう言って暗闇へと消えていった。そしてその言葉の意味を察しつつも、ジンダイはあえて追及しなかった。

 このバトルピラミッドに()()()()挑んだ場合の一周にかかる平均所要時間は、およそ約四時間。従って、ブレーンへ挑戦できる五周をこなすには、不眠不休の最速でもおよそまる一日近くかかる計算だ。そしてそれは近日中のいつ、どこでジラーチが覚醒するやもしれぬという現状においては、あまり現実的な数字ではなかった。

 規則とは、守ることより破らぬことに焦点を合わせるべき時もある。

 

「それにどっちにしろ、迷路なんて前座みたいなもんだしな。」

 

 ジンダイが椅子の背もたれから身体を起こし、伸びをしながらのんびりと言った。

 その言葉の意味を、リラはよく知っていた。

 

「ではおれもそろそろスタンバイするよ。後は頼む。」

 

「了解。」

 

 部屋を出ていくジンダイの背中に短く答えた後、リラは再び画面の中の友人に視線を戻した。

 

 

 そう。

 このバトルピラミッドで挑戦者が真に『勇気』を試されるのは、この後なのだ。

 

 

 ◇

 

 

「言っとくが、あんな反則まがいを認めるのは今回だけだからな。次からはくそ真面目に暗闇をさ迷ってもらうぞ。」

 

 五周目の最上階にのみ現れる、特別なバトルフィールド。

 その中央で、ヒノキは三人目のブレーンとなるピラミッドキングのジンダイと対峙していた。

 

「悪いね。拾えるアイテムのリストに『レミラーマそう』も『ルーラのつえ』もなかったから、つい。」

 

 好きなゲームのマップ探索の補助アイテムの名を挙げ、軽口を叩く。

 それほど、今の彼には余裕があった。

 

「あるかそんなもん。さあ、とっとと始めるぞ!試合開始だ!!」

 

 

 ボールを放ったのは、わずかにヒノキの方が早かった。

 その為、先に開いた自身のボールの起動光によって、ジンダイの放ったボールがひとつではないことに気付かなかった。

 

 

「うおっっ!!?」

 

 

 ズゥン、という重い音とともにフィールドを揺らした震動に、ヒノキと彼の繰り出したキュウコンは危うく転びそうになった。

 

(こんな時に地震・・・?)

 

 床に手と膝をつき、どうにか揺れをやり過ごす。

 そうして顔を上げたところで、愕然とした。

 

 

「な、なんだよ・・・。それ・・・。」

 

 

 そこに佇んでいたのは、ヒノキがこれまでに見たどんなポケモンとも違っていた。否、そもそもこれはポケモンなのだろうか?

 そんな生き物とも像ともつかない存在が三体、異様なプレッシャーを放ってヒノキの前に立ちはだかっていた。

 

「ふはは、驚いただろう。こいつらはな、ここまで来た挑戦者から(シンボル)を守るためにホウエン各地の遺跡から呼び覚ました、伝説の古代の(つわもの)達だ。」

 

 そのジンダイの言葉に呼応するように、フィールドの外に設えられた大型の液晶ディスプレイにその三体の情報が表示された。

 

 

No.193 レジロック

 

 いわやまポケモン 

 たかさ1.7m おもさ230.0kg

 

ぜんしんが いわと いしで できた ポケモン。たたかいで からだの いちぶが けずれてしまうが じぶんで あたらしい いわを つけて なおす。

 

 

 

No.194 レジアイス

 

 ひょうざんポケモン 

 たかさ1.8m おもさ175.0kg

 

マイナス200どの れいきが からだを つつむ。ちかづいた だけでも こおりついて しまうぞ。マグマでも とけない こおりの からだを もつ。

 

 

 

No.195 レジスチル

 

 くろがねポケモン 

 たかさ1.9m おもさ205.0kg

 

なんまんねんも ちかの あつりょくで きたえられた きんぞくの ボディは きずひとつ つかない。

 

 

 

「あ・・あほか!こんな奴らとまともに戦って、勝てる訳ねーだろ!!反則まがいはそっちじゃねーかよ!!」

 

 あまりにも絶望的な情報の数々に、ヒノキは思わずジンダイヘ抗議した。こうなるともう、自分のポケモンを信じる信じない以前の問題である。

 ジラーチもそうだが、俗に『幻』や『伝説』の存在と謳われるポケモン達は、単に希少だからというだけでそのように呼ばれるのではない。世の多くのポケモン達とは明確に一線を画す特別な力を備えるために、その枕詞が宿るのだ。

 

 しかし、そんな彼の苦情を予期していたかのように、ジンダイは落ち着き払って答えた。

 

「そう、確かに世の中の大概のポケモンでは普通のバトルでこいつらを倒すのは難しい。だから、ここのブレーン戦は特別ルールだ。」

 

 そう言って、彼は自陣の一番奥を指した。

 そこにはいつの間に現れたのか、透明なケースの被さった台座のようなものが設えられていた。

 

「あの中には、このバトルピラミッドの攻略の証であるブレイブシンボルが納めてある。そこまでの行く手を阻むこいつらを越えてそれを手にする事ができれば、お前の勝ちだ。必ずしもこいつらを倒す必要はない。もちろん三体がかりで構わんし、拾ったアイテムも好きなだけ使うがいい。」

 

 それから、とジンダイは更に説明を続ける。

 

「二つヒントをやる。まず一つ、見ての通りこいつらは普通の生き物ではない。どちらかと言えば機械に近いだろう。すなわち、普通の生き物に備わっている器官や()()()()()()()()がないということだ。そして二つ。挑戦中、おれはこいつらに一切指示は出さん。ただ、予め与えたひとつの条件を忠実に守れとだけ言ってある。そして、その条件というのはだな──」

 

 もったいぶるようにそこで言葉を切ると、ニヤリと笑ってその続きを継いだ。

 

 

『挑戦者の勇気を試せ。』

 

 

 その瞬間、三体の顔──と思われる箇所──に並ぶ点の羅列に一斉に光が宿り、キュゥィィイン、という機械的な音を伴いながら明滅を始めた。

 

「な、なんだ・・・?」

 

 起動、覚醒、そして排除。

 そんなイメージを抱かせる不気味な兆候に、ヒノキは注意を奪われた。その為、彼が中央の氷兵の右腕の帯電に気付いたのは、既に『それ』が放たれようという時であった。

 

(!しまっ──)

 

 しかし、次の瞬間に身体に受けた衝撃は、覚悟したものとは違っていた。そしてその理由を、直後に響いたキュウコンの痛々しい叫び声で理解した。

 

「コン!!」

 

 受け身を取った身体をすばやく翻して、自分を突き飛ばした相棒へ駆け寄る。キュウコンもすぐに起き上がろうとしたが、全身を支配する麻痺には抗えない。主人を庇って『でんじほう』をもろに受けたその身体にはまだ、見ているだけで痺れそうな電気が容赦なくまとわりついていた。

 

「待ってろ。今、薬を──」

 

 『なんでもなおし』も『すごいキズぐすり』も道中山ほど拾ったはず。そう思いながら、ヒノキは背中のリュックを下ろして開いた。

 

 

 が、なぜか中が見えない。

 

 

 リュックを開いたその姿勢のまま、そして頭を過ぎった直感のままに、彼は残りの二つのボールを同時にはたき落として開いた。

 

 

「ニョロボン、クロバット!頼む!!」

 

 

 急に翳った頭上の謎を、見上げて確かめる間はなかった。

 しかしその直感と判断が正しかったことは、共有ポケモンから選出した二体の『かわらわり』と『エアカッター』で粉砕された巨石の残骸が示していた。ばらばらと細かな岩の欠片の降り注ぐ中、どうにかキュウコンを治癒し終えたヒノキは、改めてフィールドの向こう半分を陣取る三体を見た。

 

 向かって左からレジロック、レジスチル、レジアイス。

 一定の間隔を開けて弧を描くように三方に展開しながら、こちらの様子を伺っている。

 

(このままじゃ、無理だ。)

 

 いくら倒す必要はないといえど、どこかに突破口を設ける必要がある。でなければ、どこから向かおうとただ死にに行くだけだ。

 

 その時、ふとひとつの疑問が湧いた。

 

(あいつら、『顔』がないのにどうやってオレ達の位置を掴んでるんだ?)

 

 ジンダイはこの三体について、普通の生き物に備わっている器官とそこから得る知覚がないと言った。にも関わらず、さっきの『でんじほう』にしろ、『いわおとし』にしろ、相手はちゃんとこちらの位置を捉えている。つまり、目や耳や鼻がない代わりに、光や音や匂い以外の何かによって周囲の情報を得ているということだ。そう、たとえば──

 

「コン。あいつらの間に『かえんほうしゃ』だ。どっちにも当てなくていいから、『弾』で頼むよ。」

 

 そう言ってヒノキは、キュウコンにレジスチルとレジアイスの間を指して見せた。二体までかなり距離があるため、通常の『かえんほうしゃ』ではエネルギーの消耗が大きい。そこで、放射ではなく『ひのこ』のように射出することでその負荷を減らそうという訳だ。(ちなみにこの応用法は、後に『かえんだん』という名で別の技として各地で公式に認められることとなる。)

 

 二体の間を抜けた炎の弾は、そのままフィールドの奥の壁に弾けて消失した。が、ヒノキは見逃さなかった。二体が迫りくる弾に対して頭部の点を明滅させ、一瞬攻撃の構えを取りかけたことを。

 

「っしゃ、ビンゴ!!」

 

 あの点の羅列に──かどうかは分からないが、どうやら彼らには周囲の温度を分析するサーモグラフィーのような器官が備わっており、それによってこちらの位置を捉えているようだ。

 

 これでひとつ、手がかりが増えた。

 次は、それをどう広げるかだ。

 

(その上で、あいつらが互いを攻撃しないのは)

 

 おそらくは互いの体温を「仲間のもの」として認識している可能性が高い。そしてそれ以外の動く温度は一律して「排除すべきもの」と。

 

 しかし、突破口を開くにはまだピースが足りない。

 何しろ、(ロック)は直すし、(アイス)は溶けないし、(スチル)は傷さえつかないのだ。

 

(考えろ、考えろ。)

 

 あくまで倒す必要はない。

 それはつまり、少しの間奴らの気を引くことができれば、チャンスが生まれるということだ。となると、自然と浮かんでくるのは「奇襲」の二文字。

 

 だれが何に対してどう動き、シンボルを取りに行くのか。

 予め個々の役割を明確にし、それを全員が共有しておかなければ、一瞬で全滅、なんてことも十分あり得る。

 

(・・・シンボルを取る役はクロバットで決まりだろ。んで、そういう風に持っていくには──)

 

 まずゴールを決め、そこからプロセスを逆算して組み立てていく。

 

 

 しかし。

 

 

(・・・ダメだ、これじゃどうしても正面の(スチル)を突破できない。)

 

 方向はおそらく合っている。

 だが、まだ何かを見落としている。

 それもおそらく、この挑戦における根本的な何かを──。

 

 ヒノキはもう一度、開始前のジンダイの言葉を反芻する。

 

──挑戦中、おれはこいつらに一切指示は出さん。ただ、予め与えたひとつの条件を忠実に守れとだけ言ってある。そして、その条件というのは──

 

 

 そこで、ふっとひとつの確信が閃いた。

 

 

「・・・なーる。そーゆー事ね。」

 

 そう一人ごちて少し笑った後、ヒノキは手持ちの三体を自分の元に集めた。そして、相手がいずれも聞く耳を持たない身であるにも関わらず、声を落として話し始めた。

 

 

「いいか、みんな。よーく聞けよ。」

 

 

 ◇

 

 

(来るか。)

 

 

 フィールドの外から戦いを見ていたジンダイは、挑戦者の少年の変化に気がついた。

 雰囲気、表情、そして瞳。

 これでもう大体分かる。彼は『それ』に気づいたのだと。

 

(さあ、お前の『勇気』を見せてもらうぞ。)

 

 宝を守る三体から離れた自陣の中央で、ヒノキは目を閉じていた。これから行う作戦をもう一度脳内で復習した後、大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。

 そうして、目を開いた。

 

「よし。じゃあみんな、よろしく頼むな。」

 

 自らはキュウコンの背に跨り、そこから三体の仲間に声をかける。

 

「行くぞ。」

 

 そして、キュウコンの脇腹をごく軽く蹴った。

 それが突撃の合図だった。

 

 

 

(まずは一体目。)

 

 

 最初に一行に立ちはだかったのは、最も前に出張っていた向かって左方のレジロックだった。もちろん想定済の事項だ。そのレジロックに向かって、小柄ながらも逞しい黒い身体が飛び出す。

 

「ニョロボン!『かわらわり』だ!!」

 

『はらだいこ』によって最大のパワーを得た手刀が、岩兵の両膝の関節に当たる岩を粉砕する。しかし、与えた『すごいキズぐすり』のおかげで体力は満タンだ。

 

 文字通り膝から崩れたレジロックは床に両手を付き、地鳴りのような唸り声を響かせて跪いた。間髪を入れず、身体に登ったニョロボンが今度は肩を砕きにかかる。もっとも、ニョロボン一体では倒すには至れず、『いわおとし』で自己修復されてイタチごっことなるだろう。だが、今回はそれで十分だ。

 

「よし!ニョロボン、後は頼んだ!!」

 

 そう言ってキュウコンとクロバットと共に前へ進むヒノキに、彼は任せろとばかりにびっと白い親指を立てた。『一昨日の敵は今日の友』という訳だ。

 

 

 次に迫った相手は、右のレジアイス。

 先ほどとは異なり、今度は自分の本来の力を使うつもりらしい。その水晶のような身体の周りを、見ているだけで凍えそうな氷雪が激しく渦を巻いている。

 

 その、更に外側を。

 

「コン!『ほのおのうず』!!」

 

 この太い炎の縄による捕縛は、たとえその身体を溶かすことはできずとも、周囲を凍てつかせるマイナス二百度の冷気は封じる事ができる。そして、何より──

 

「クロバット!このままスチルの前を通って、アイスの背後へ行くぞ!!」

 

 キュウコンの背からそのままクロバットの後翼に掴まりながら、ヒノキは叫んだ。

 

 先ず、最奥部に陣取るレジスチルにあえて身を晒し、その注意を引きつけたままレジアイスの方へ向かい、後方からぐるりと迂回する。そうしてキュウコンの『ほのおのうず』によって体温の狂ったレジアイスを盾に取れば、レジスチルはそれが味方と認識できずに攻撃してしまうはず──というのがヒノキの算段だった。

 

 レジアイスをキュウコンに任せ、クロバットと共に真正面からレジスチルに向かう。半分ほど距離を詰めた辺りで中央の赤い点々が発光し、同時にピピピ、キュウィインと不吉な音を発し始めた。どうやら自分達を認識したようだ。

 

「よし、今だ!」

 

 そこでクロバットに高度を下げさせ、ヒノキは地上へ降りた。

 そうして赤いレーザー光に追跡される紫の背がレジアイスの方へ飛び去るのを見送ってから、一人台座へ向かって走り出した。

 

 レジスチルはクロバットを『ロックオン』しているだけで、その場からは一歩も動いていない。

 つまり、台座へ至るにはその前に陣取るこの鋼兵を通り過ぎなければならない。

 それはすなわち、クロバットが注意を引きつけてくれているこの間にカタをつけられなければそれまでという事だ。

 

 あと数十メートルというところまで迫った時、その鋼の身体が赤い光線を放ったまま、クウォン、と、鈍い光を纏った。

 その光にヒノキが本能的な危険を感じた、次の瞬間──

 

 

「!!!!」

 

 

「ぶっ放された」としか言いようのない、あまりにも強烈な『はかいこうせん』の余波でヒノキは空き缶のように地面に転がされた。

 背後を振り返る勇気は、とてもなかった。

 だからこそ、このはかいこうせんの反動(ロ ス タ イ ム)を作ってくれた彼らの為に、起き上がって走るしかなかった。

 

 

 あとニ十メートル程の先に佇むそれは、まさしく古代の遺物に見えた。今放ったとんでもない一撃が幻であったかのように、光を失って沈黙している。

 

 

(あと、もう、ちょい──)

 

 

 恐怖と緊張、それに二度の転倒で足を少し痛めてしまった事もあり、この『あと少し』が絶望的に長い。

 頬を伝う汗だか涙だか分からない滴を拭いながら、ようやくあと十メートルという距離まで迫った時だった。

 

 

──キュウィイン。

 

 

 不気味なその音と共に赤い光を取り戻したその点々に、ヒノキの背筋に戦慄が走り、足が止まった。

 

「・・・・」

 

 身を隠す事のできるものなど何もない、隠したところで守る事はできないであろう直線十メートルの距離。

 

 

 分かっている。

『ロックオン』は、動けばそれだけ時間が稼げる。

 そして、それに続く『はかいこうせん』にしろ、『でんじほう』にしろ、強大なエネルギーを充填する為の時間(チャージ)が要る。

 みんな、頭では分かっているのだけれど。

 

 

 竦んだ足は『かなしばり』にあったように動かず、意識は『ふきとばし』を受けた灯のように薄く揺らいでいる。

 そしてかの点から伸びるレーザー光は、今にも爆発しそうな左胸を一足先に貫いていた。

 

 

──怖い。

 

 

 頭に響いたその声は、自分のものだけではなかった。

 そしてその自分のものではない声に導かれるように、ヒノキは赤い光に刺されている左胸へ手を伸ばした。

 

 

 

 ◇ ◇

 

 

 

「ぼくは、本当は──」

 

 ぼく、じゃないんだ。

 この二日間、何度も練習したはずのその一言を、リラは言い切ることができなかった。

 自分は彼を欺いている。師に指摘されたその事実に抗いたい一心で固めた決意は熱い滴に変わり、剥がれるように両目からこぼれ落ちていった。

 

「ごめん」

 

 うつむき、表情を隠すように袖で目元を拭う。しかし、いくら拭いても涙は一向に止まらない。そしてそんな自分を目の前の少年がどう思っているのか、彼には見当もつかなかった。

 

「わかった」

 

 突然降ってきたその言葉に、リラは思わず顔を上げた。

 その拍子に目が合ったヒノキは慌てて付け加えた。

 

「いや、おまえが言おうとしてるそのことはわかんねーけどさ。でも、とにかくそれがオレも心して聞かなきゃいけないような何かだってことは分かった。・・・だよな?」

 

 ヒノキの言葉に、リラは首を縦に振った。

 そんなリラを見て、ヒノキも頷いた。

 

「なら、とりあえずこれだけは教えてくれ。それは、今回の事件に関係することなのか?」

 

 リラは少し考えた後、首を横に振った。

 確かに事件がなければこんな事にはならなかっただろうが、かといって直接関係があるかと問われれば、そうではない。

 

「そっか。」

 

 その回答に、ヒノキは明らかに安堵の表情を見せた。

 

「それなら、そんな無理して今話すことはないんじゃないか?今回の事件に関係ないなら、緊急性だって別に──」

 

 しかし、ヒノキのその提案にリラは再び首を横に振った。

 

「そういうわけには、いかないんだ。」

 

 そして、時折声を震わせ、掠れさせながら続けた。

 

「確かに、今回の事件と直接の関係はない。だけど、もしきみが、この先どこかで()()()()を偶然知ってしまった場合、影響が及ぶ可能性は十分ある。そうなる前に、せめて今、自分の口から言っておきたいんだ。」

 

 そう言って苦しげに表情を歪ませたリラに、ヒノキもまた眉間を寄せた。

 

「・・・なるほど。じゃ、その影響っていうのは、具体的にはどういうものだ?おまえが今泣いてるのは、それが理由なのか?」

 

 その問いにリラは小さく頷き、具体的には、と前置きして続けた。

 

「きみがぼくに対して、裏切られたとか、もう信用できないと感じる可能性が高い。つまり、今まで通りの友達ではいられなくなるかもしれないんだ。そしてぼくは、そうやってきみを失うかもしれない事が、怖くて仕方ない。」

 

 俯いて握った拳を震わせながらそう吐露するリラに、普段の涼しげな落ち着きはどこにも見えなかった。

 まるで、キュウコンの霊の怒りを買う覚悟で赤ん坊のロコンを助けたいと嘆願してきた、五年前のあの時のように。

 

 

──そうだ、こいつはこんな奴だったな。

 

 ヒノキは改めてその事を思った。

 一見クールなようだけど、内側にはどうにも人間くさい熱が流れていて。その熱を生む真面目さと誠実さが割り切る事を許さないばかりに、目の前の現実との軋轢に苦しんでしまう。

 

 そこでヒノキは、リラの後ろに控えているフーディンを見やった。

 その表情は普段と変わりないものの、細いながらも眼力のあるその目に「これはおまえたちの問題だ」と言われているような気がした。

 

 改めて、今判っている情報を整理する。

 この目の前の親友は、自分に対して何がしかの秘密を抱えている。それも、自分達の友情や信頼といったものを根底から揺るがすような、重大な何かを。

 そしてそれを明かすべき状況にあると考えつつも、失う恐怖を超えられずに動けないでいる。

 

 

 ならば、今自分が最も重きを置くべき点は何か。

 

 

「実はさ」

 

 遠い波の音に重ねるように、ヒノキは静かに口を開いた。

 

「昼間、おまえがあんまり暗い顔してたもんだから。オレ、おまえに『今回の黒幕は自分だ』なんて言われたらとか考えちゃってさ。こんなやつ、連れて来てたんだ。」

 

 そう言って、ポケットからひとつのモンスターボールを取り出した。赤い上部には、フロンティアの共有ポケモンであることを示す管理ナンバーが入っている。

 

 そして、ゆっくりとその開閉スイッチを押した。

 

 

「・・・・・・。」

 

 

 ボールから現れたその姿を見たリラは、反射的にそのポケモンに関する留意点を想起した。

 

 どぐうポケモン、ネンドール。

 数あるポケモンの技の中でも最も危険な部類に入る『だいばくはつ』を覚えている為、手持ちのトレーニング等で共有ボックスから借りる際にも必ず管理者のダツラに借用書を提出し、承認を得る必要がある。 

 

 はは、と気の抜けた笑みを浮かべながら、少し恥ずかしそうにヒノキはその意味を語り出した。

 

「今冷静に考えてみりゃ、思考が飛躍しすぎっつーか。他にいくらでもやりようがあるだろって。バカじゃねえのって話だろ?でも、その事を考えた時は本気でそれしかないなって思ったんだ。・・・オレの中でおまえの存在って、そーゆーもんだから、さ。」

 

 その言葉でリラは確信した。

 この目の前の友人は、おそらくかの手続きを取っていない。バンクシステムが未だ調整中である事を逆手に取り、無断で持ち出してきたのだ。”いざという時のための最終手段”、”もしかしたら返却不可”──そんな借用目的や返却予定日が書ける訳ない、という理由で。

 

 不思議そうな目で自分を見るそのポケモンを一撫でしてからボールに戻し、ヒノキは続けた。

 

「だからさ、きっとできる限りの努力はできると思うんだ。オレだっておまえとは今のままでいたいし、それがオレ次第で何とかなるっていうなら、なおのこと何とかしようと思えるから。うん、まあ、だから──」

 

 そこで一度握りしめ、そして開いた掌をリラに向かって差し出した。

 

「一人でそんなに頑張ることねーよ。もっとこう、ぼちぼち行こうぜ。」

 

 そこで、退いていたフーディンが滑るようにリラの隣へやって来た。

 そのリラ自身もまた答えが出たことを、翳りの消えた瞳が告げていた。

 

 再び、赤いリボンの結ばれた美しいスプーンが彼の手に現れる。

 

「きみにこれを渡せることが、本当に嬉しい。」

 

 そう言って、黒いグローブに包まれたヒノキの掌にその銀色の心証を乗せ、指を折って握らせた。

 

 

 

 ◇ ◇

 

 

 

 「おい、起きろ。もう襲われねえよ。お前の勝ちだ。」

 

 しゃがんでのぞき込むジンダイの声で、ヒノキは意識を取り戻した。知らない間に気を失ってしまっていたらしい。

 

「・・・?オレ、あれからどうなって・・・」

 

 身体を起こしながら、必死に記憶を辿る。が、どうしてもあの十メートル以降の事は思い出せない。

 それにしても、なんだかやたらと右手が痛い。ケガでもしたのだろうか。

 

「・・・あ。」

 

 握りしめていたその拳をほどくと、そこには『B』の字を象った、銀色のシンボルが光っていた。どうやらこれが痛みの原因であったらしい。

 呆けた顔でそれを見つめていると、既にかの古代の兵士達を収めたボールを玩びながら、ジンダイが感心したように言った。

 

「しっかし、最終的に()()()とはいえ、よくあそこからまた動けたな。そういえばお前、あの時なんか上着のポケットに手ぇ伸ばしてたが、なんかそういうアイテムでも隠し持ってたか?」

 

 ジンダイのその言葉で、ヒノキは悟った。

 記憶にはないが、間違いなく『それ』があの極限状態で自分を奮い立たせてくれた事を。

 

「・・・ないよ、そんなもん。」

 

 それは半分嘘で、半分は本当だった。

 夕べの挑戦前、ヒノキは確かに所持品の一切を受付に預けた。もちろん、上着の左胸ポケットに入れていたそのスプーンもだ。にも関わらず、それはなぜかヒノキがポケットに触れたあの瞬間にはちゃんとそこに収まっていた。

 

 それを教える代わりに、スプーンと同じ色に輝くブレイブシンボルを窓から差し込む朝の日射しにかざし、呟いた。

 

「ただ、もっとこえーこと考えたら。それよりはマシだなってなっただけだよ。」

 

 その時、ジンダイの部屋から挑戦を見守っていたリラがやってきた。そこで手にしたシンボルを見せると、朝日と同じくらい眩しい笑顔を見せた。

 

「おめでとう。きみならきっと突破できると思ってた。」

 

「ん。まあ、突破した覚えは全くないんだけどな。」

 

 正直、本人が言いたくない秘密なんて知らずにすむならそれが一番だと思う。

 未だ何だか全く分からないその事を、本当に受け入れてやれるのかという不安もある。

 何より、今のこの関係が失われる可能性を思うと、自分自身怖くて寂しくて、こうして普通に接することさえ精一杯になる。

 

「なあ。オレ、ずっと生きてたよな?なんかあんま生きた心地のしない時間があったんだけどさ。だれか『ふっかつのじゅもん』的なやつ唱えてなかったか?」

 

「大丈夫だよ。そんなもの、ないから。」

 

 ふと、昨日のローレルの言葉が蘇る。

 

 

──そして、その絆は今はありません。

 

 

 改めて、左の胸ポケットに手をやる。

 このスプーンは信じられるから受け取ったのではない。

 信じるために受け取ったのだ。

 

 

 その仕草を見たリラが、不思議そうに訊ねる。

 

「どうしたんだ?足だけじゃなく胸も痛むのか?」

 

「うん、まあ、そんなとこだな。つーかおまえも体験やれ。そして安全管理委員会で慎重に審議しろ。ここが墓になる奴が出るその前に。」

 

 

 今確かに自分達の間に存在し、そしてこの先も変わらずにあってほしいもの。

 それを信じるために必要な勇気が、ここにはあると。

 

 

 




 
レジトリオのイメージは砲台型ガーディアンです。近づけば狙われるけど、射程圏外なら無害なあの感じですね。
最初のでんじほう(実はぎりぎりで外れる予定だったのでキュウコンが助ける必要はなかった)と最後のロックオンはあくまでヒノキ(≒挑戦者)に恐怖を植え付けるための演出で、実際に攻撃されることはありません。にしても、という感じですが・・・

スプーンのリボンは「そのままではなんだかちょっと寂しい気がする」というフーディンの意見にリラが提案して付けてあげました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

51.10年前⑪ こわいはなし

【前回の要点】
リラとフーディンから信頼の証のスプーンを受け取ったヒノキはバトルピラミッドへ挑戦し、ブレイブシンボルを手に入れる。
 


 

 

 【七月五日 昼】

 

 

「そこまで!この勝負は判定となります!!」

 

 白木といぐさの香る和の闘技場に、ドドン、という太鼓の音と屈強な審判の太い声が響きわたる。

 

「判定其の壱!心、すなわち攻める気構え、△-△(ドロー)!判定その弐!技、すなわち的確に相手を捕える技術、○-✕(エネコロロ)!判定其の参!体、すなわち残存体力、△-△(ドロー)!点数換算にして4−2でエネコロロの判定勝ち!従ってこの大将戦、お客人殿の勝利といたします!!」

 

 その判定に、見守っていた施設の専属職員(アリーナファイター)達が一斉にざわめきだす。

 しかし、それは実際奇妙な勝利だった。

 両者ともに三手ずつの攻防の中で、まともに決まった技は試合開始直後に勝者のエネコロロが放った『うたう』のみ。ダメージに関しては両者ともにかすり傷ひとつ負っていない。通常のポケモンバトルでは到底考えられない勝敗の決し方だ。

 

「あー、もお!!ラストがエネコロロの時点で勝ったと思ったのにぃー!!」

 

 そう言って、この施設の長であるコゴミ・ガッソは、畳の上に大の字に転がり、清々しいまでに素直に悔しがった。

 彼女の三体目(きりふだ)であったヌケニンというポケモンは、進化(?)時に性別を失っている為、二体目のブラッキーが骨抜きにされたエネコロロの『メロメロボディ』を受け付けない上に、固有の超特性『ふしぎなまもり』で苦手なタイプの技以外ではダメージを受けない。

 だから、攻め手を欠いたそのノーマルタイプのおすましポケモンにヌケニンを繰り出した時は、相手は戦わずして降参してくるものだと思った。が、現実に『不戦敗』を喫したのは三ターンを眠り状態によって完封された自分達の方だった。

 

「いや、オレだってできればもうちょっと気持ち良く勝ちたかったよ。こんなやり方したら殴られるんじゃないかって正直今もちょっとドキドキしてるし。」

 

 まだひそひそとざわめいている筋肉質な道着のギャラリー達をちらちら見やりながら、『お客人』ことヒノキはきまりが悪そうに弁明した。

 しかし、若いアリーナキャプテンはしなやかな身体をひょいっと起こして立ち上がると、あっけらかんとした口調で答えた。

 

「んー、まあ確かに気分的にはそういう節はあるけど。でも、倒せなくても勝つチャンスがある!っていうのがウチのミソだからね。勝ち方よりも、どんな状況でも最後まで勝ちを諦めない『闘志』が何よりも大事なの。てな訳で、はい!これ。」

 

 そう言って、『G』を象った銀色のシンボルをヒノキの手に乗せた。彼女が『闘志』を認めた挑戦者に渡す、ガッツシンボルだ。

 

「ありがと。じゃ、早速嵌めるよ。」

 

 コゴミと付き添いのリラが見守る中、ヒノキはパスにそれを嵌めこみ、見えてくるものに意識を集中させるべく目を閉じる。

 

 瞼の裏に映る、光と影が見せる一瞬の映像。

 

「・・・どうだった?」

 

 再び目を開いたヒノキに、コゴミが少し緊張した面持ちで尋ねた。

 

「今朝、ブレイブシンボルを嵌めた時に見た繭の亀裂には変化はなかった。けど・・・代わりに、なんかコポコポって音がして、泡?みたいなのが見えた気がする。」

 

「音と泡・・・?それじゃあ、ジラーチは水中にいるという事か?」

 

「まだ断言はできねーけどな。でも、今見た感じではそう思った。」

 

「この辺りで水の中って言ったら。温泉・・・ならさすがに誰か気付くよね。やっぱり海かな?」

 

 その事について三人でしばらく推測を交わしてから、ヒノキとリラは施設を出た。

 

「じゃあ、また何か分かったら連絡するよ。」

 

「うん!アタシらにできることがあったら何でも言ってね!ボディーガードならいつでも派遣できるから!」

 

 そしてヒノキが先に漆喰の門をくぐり、リラも後に続こうとした。が、その瞬間何かに左腕をがしっ!と捕まれ、凄まじい力で引き寄せられた。

 目だけをそちらへ動かして確認すると、コゴミがヒノキに向かってにこにこしながら空いた左手を振っていた。

 

「!ちょっ、コゴミ・・・!?」

 

「ごめーん!すぐ返すから、ちょっっとだけリラ貸してね!」

 

 ああ、じゃあぼちぼち行ってるなと彼が歩き出すのを見届けてから、コゴミは楽しげな小声でリラに訊ねた。

 

(で、どーなの?彼は。)

 

 その言葉の意味を瞬時に察したリラは、まだ知らない、と言う代わりに首を横に振った。

 もちろん風呂に誘われたことや昨日言おうとして言えなかった事は明かさない。

 何だかややこしくなる予感しかしないからだ。

 

 そんなリラの返事にコゴミは一瞬残念そうな表情を見せたが、すぐに彼女らしい屈託のない笑顔に戻った。

 

「だーいじょぶだって!!思いきってどーんと行けば、大概のことは勢いでイケちゃうもんだから!アタシらはどこまでもリラを応援するからねっ!」

 

 そう言ってリラの背中をばんっと叩き、ぐっと拳を握ってガッツポーズを作った。

 

 こうも明るく前向きに言われると、この件についてあれだけ深刻に悩んでいた自分が何だかおかしく思えてしまう。しかし、リラはこうしたタイプは決して苦手ではない。むしろ、自分にないこの明るさと勢いには幾度となく元気付けられてきた。

 

「・・・うん。ありがとう。」

 

『応援』の方向性が少し気になるものの、この先も信頼し合える仲でいるために、いずれヒノキにその事実を明かさなければならないことには変わりない。

 

 リラも白く細い指を折り、彼女の拳にこつんと当て返した。

 そして、先に見える背を追って走り出した。

 

 

 ◇

 

 

 夏の太陽がまだまだ元気な午後三時過ぎ。

 バトルアリーナを後にしたヒノキとリラは、連れだってフロンティア市街地へ向かって歩いていた。

 

「いくら最長で三ターンとはいえ、四時間半の睡眠でよく二十八戦も戦えたね。本当に身体は大丈夫なのか?」

 

「ああ。どうせ寝つけないなら、横になってるより起きて身体動かしてる方がかえって楽だからさ。むしろおまえこそオレに合わせてて大丈夫かよ。別に休んでて良かったんだぞ?」

 

「挑戦者が頑張るというのに、タイクーンが休んでいる訳にはいかないよ。」

 

 昨夜からバトルピラミッドに挑戦し、早朝にブレイブシンボルを獲得したヒノキは、その後滞在先のホテル『グランフロンティア』に朝帰りし、そのままベッドに倒れた。

 が、四時間半ほど眠ったところで目が覚めると、体が昼であることに気づいたのか、そのまま二度寝する事はできなかった。やはり人間とは夜は眠り、昼に活動する生き物であるらしい。

 

 そこに折良くリラから例の文書の最新号がバトルアリーナに届いたとの連絡が来た。日時にして、七月五日の午前十一時の事だ。

 

「ま、でもあのルールには確かに救われたな。普通の形式の試合だったらさすがにキツかったと思う。『奴』が何考えてるかは分かんねーけど、意外とその辺は考慮してくれてるのかな?」

 

 バトルフロンティア第五の施設、バトルアリーナ。

 挑戦者の『闘志』を試すこの施設は、三攻防で決着がつかなければ、『心(攻撃技の回数)』・『技(技が当たった回数)』『体(判定時の残りHP)』の三項目の比較で勝敗を決めるという独自のルールがある。裏を返せば、真っ向勝負では勝ち目が薄いと思われるマッチアップも、判定に持ち込む事で可能性を広げられるという訳だ。

 従って、泣いても笑っても三ターンで試合終了となるこの施設がこのタイミングで選ばれたことは、目は冴えていたといえ疲れが完全に取れていた訳ではないヒノキには幸運だった。

 

「これで残りのシンボルは三つ、か。やっぱり、ジラーチの目覚めは全部のシンボルを集めたタイミングになるのかな。」

 

「それは分からない。だけど、もし──」

 

 そうして二人が市街地への近道となる中央公園の遊歩道に差し掛かった時だった。

 

「あっ!リラさま!」

 

 突然公園の方から飛んできたあどけない声に、二人の足が止まった。

 

「!ほんとだ、リラさまだ!!」

 

 その声につられるように、小さな頭がぴょこぴょこと立ち上がり、こちらへ集まってくる。そしてあっと言う間に、二人の前に背の低い人だかりができた。

 

「なんでこんなとこにこんながきんちょ共がいるんだ??」

 

 ポケモンバトルの最前線には最も縁の遠そうな幼い子ども達に目を丸くするヒノキに、リラが説明した。

 

「みんな、島内の施設で働いてくれている職員の家族だよ。本土で職員の募集をしていた時に『応募したいけど、まだ子どもが小さいから単身赴任は難しい』っていう声が結構あってね。家族揃って移住できるよう、居住区や生活インフラも整えた。だから今は、島内に保育施設やスクールもあるよ。」

 

「へー・・・。」

 

 なかなか進んでるんだなあ、とヒノキが感心していると、不意に一人の少女と目が合った。

 

「ねえ。その人、だあれ?」

 

 彼女の一声によって自身に集まった無数の視線に、ヒノキは反射的に目を反らした。決して子どもが嫌いという訳ではないが、いかんせん数が多すぎる。

 

「こっちは友達のヒノキだよ。ぼくのフーディンの元のトレーナーだ。前に一度、みんなにも話した事があるだろう?」

 

 彼が異郷のチャンピオンであることにはあえて触れずに、リラは子ども達にそう紹介した。彼らの容赦ない好奇心が四時間半しか眠っていない彼に襲いかかることを慮っての事だった。

 

「えっ、この人が?」

「ふーん・・・。なんか、意外・・・。」

 

 それはどういう意味だとヒノキはよっぽど問い質したかったが、かろうじて思い留まった。いつか自分の正体を知った彼らが、トージョウのチャンピオンは何だか大人げない奴だったと触れ回らないとも限らない。

 

「それよりリラさま、『こどもフロンティア』はしばらくおやすみするってほんと?」

 

 喜ぶべきか悲しむべきか、ヒノキが喋らない為に彼らの関心は存外早くリラへと戻った。

 

「うん。申し訳ないけど、来月からいよいよオープンだからね。ぼくもタイクーンとしてバトルタワーで戦わなきゃいけないから。代わりに、みんなにはぼくたちの試合を自由に観られるパスをあげるから、それで応援に来てくれると嬉しいな。」

 

 とたんに、一様に悲しげであった子ども達の顔がぱっと輝き、一人の少年が手を挙げて言った。

 

「おれ、リラさまの試合全部見る!スクールの日もさぼっていく!!」

 

「気持ちは嬉しいけど、そういう子からはすぐにパスを没収してもらうよう先生に頼んであるからね。」

 

 そんなぁ・・・と意気消沈した彼をみんなで笑った後で、一人の少女が妙な話題を切り出した。

 

「そうだ!ねえ、リラさまは知ってる?病院のこわいはなし!」

 

「病院のこわいはなし・・・?」

 

 今、この島で病院と言えば、昨日自分達が鉢合わせたバトルフロンティア総合病院ただひとつだ。

 知っているかとヒノキとリラは互いを見交すが、そんな話は聞いたことがない。詳細を促すべく、再び子ども達に向き直る。

 

「うん、今みんなでその話をしてたの!最近、夜中になると屋上の方からきれいな歌が聴こえてくるんだって!」

「でも、それで屋上を見に行っても、だあれもいないんだって!」

「病院で死んだ女の人のユーレイなんだって!!」

 

 誰もが誰かから聞いたその情報を、口々にまくし立ててはキャーキャー騒いでいる。

 そんな彼らに、リラは冷静に確かな事実を伝えた。

 

「あそこはできたばかりで、まだ誰も死んだ人はいないよ。だからきっと、風の音かポケモンの鳴き声がー」

 

「ちがうよ!!」

 

 リラの言葉を遮ったその声に、全員が一斉に声の主を見た。

 青い顔に思いつめたような表情を浮かべたその少年は、ヒノキやリラより五、六歳ほど下に見える。

 

「ぼくのお母さんも聴いたって言ってた!あれは風とかじゃないって!本当に、本当に歌だったって!」

 

 少年の必死さに、一同はしんと静まり返った。そんな彼の前にしゃがんだリラは、滲んで赤くなっているその目を見ながら訊ねた。

 

「セリ。きみのお母さんはたしか、病院の看護師さんだったね。他には何か言ってなかったかい?」

 

「ううん・・・でも、その歌のせいで最近は泊まりの当番がちょっと怖いって。だから、ぼくー」

 

 そこでとうとう泣き出してしまった。

 リラはそんな彼の頭に手を置き、宥めるように言った。

 

「わかった。じゃあ、ぼくが今から病院へ行って調べてみるから。そんなに心配しなくていいよ。」

 

 そして立ち上がり、他の子ども達をぐるりと見渡して言った。

 

「だからみんなも、くれぐれもこの前のヨマワルの時みたいな事はしちゃいけないよ。わかったね?」

 

 はぁい、と良い子の返事を揃えて、彼らは公園へと戻っていった。

 

 

 ◇

 

 

「おまえ、ずいぶんと懐かれてるんだな。」

 

 子ども達と別れ、再び二人で歩き始めたところでヒノキが口を開いた。

 

「毎月第一、第三土曜日の午後に子ども達向けのフロンティアの紹介やバトル教室のようなものをやっていてね。そこで仲良くなったんだ。さっき彼らが言っていた、『こどもフロンティア』というのがそれだよ。さっきも言った通り、今後の開催は少し考えないといけないけどね。」

 

「へー・・・。それ、おまえが考えたの?」

 

 リラは頷き、続けた。

 

「あの子達はみんな親の仕事の都合、つまりぼくたちの為に住み慣れた街やそこでの友達と別れてこの島に来ている。だから少しでもここへ来て、ここで育って良かったって思ってもらいたくて。」

 

 まっすぐ前を見つめながらそう語った横顔に、ヒノキは何とも言えない感情を抱いた。

 何だろう。この、誇らしいような、寂しいような気持ちは。

 

「・・・おまえ、ほんといい奴だな。おまえの爪の垢の煎じ薬とか作って土産物コーナーに置いたら?薬屋ならジョウトに良いジジイがいるから紹介するぞ。」

 

「そ、そんなの売れる訳ないし作る訳ないだろ!それより、きみはさっきの話、どう思った?」

 

 ヒノキの言葉にリラは少し頬を赤くして、慌てて話題を変えた。

 

「ああ、ユーレイの話か?まあ、ぶっちゃけポケモンじゃねーのって感じだけど。そういや、さっきなんかそれっぽい事言ってなかったか?」

 

「ああ。以前、『夜中にヒトダマが街をさまよってる』ってちょっとした騒ぎがあってね。正体を突きとめるって何人かの子が夜中に家を抜け出したことがあったんだ。結局は、パレスのペットのヨマワルが散歩していただけなんだけど。」

 

「そーゆー事か。しっかし、ガキってのはビビりなくせになんでああもオバケだのユーレイだのが好きなんだろうな。」

 

 頭の後ろで手を組み、空を見上げてぼやいたヒノキに、リラは少し笑って言った。

 

「きっと、怖いもの見たさというものだろうね。ぼくにも憶えがあるよ。小さい頃、自分で親にねだったヨマワルやカゲボウズの言い伝えを聞いた夜は怖くて一睡もできなかったな。」

 

 そんな彼の言葉に、ヒノキは思わず相槌を打ちそびれた。

 懐かしそうに幼い頃の事を話す彼が、なんだかひどく新鮮だったからだ。

 思えば、自分は彼の家族のことも、ここに来る前はどこでどんな風に暮らしていたのかも知らない。

 基本的に、こいつは自分の身の上話をしない。

 

「どうしたんだい?ぼく、何かおかしな事言ったかな?」

 

 驚いたような顔で自分を見つめ続けるヒノキに、リラが少し不安そうに訊ねた。

 

「ん?ああ、いや・・・なんかおまえがおばけの話で怖がってるとこが想像できなくてさ。むしろ、すげー冷静に真顔で聞いてそうな感じ。」

 

 そんな彼の言葉に、リラはまた笑った。

 

「失礼だな。ぼくだって、小さい頃はふつうの──」

 

 

 その時、ちょうど薄い夏雲が太陽に差し掛かり、明るい緑道を僅かに翳らせた。

 静かな風が、さあっと木々の間を吹き抜けた。

 まるで、彼の胸を過ぎるように。

 

 

 

「──子どもだったよ。」

 

「ほんとかよ。それ、絶対かわいげのねーガキだったやつだろ。」

 

 

 そして遊歩道を抜けた二人は、それぞれの目的地へと向かって別れた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

52.10年前⑫ 願い星の秘密



【前回の要点】
バトルアリーナを制し、ガッツシンボルを手に入れたヒノキと彼の挑戦を見守っていたリラは、公園にいた子ども達から病院に歌を歌う幽霊が出るという噂を聞く。病院に勤務する母親を心配する少年に、リラは自分が調査することを約束する。


 

 

 【七月五日 夕】

 

 

「そうですか。では、その歌が聴こえるようになったのはここ一週間ほどで、時間は大体日付の変わる頃から明け方にかけてである、と。」

 

 ヒノキと別れてバトルフロンティア総合病院を訪れたリラは、宿直勤務の警備員に例の歌声についての聞き込みを行っていた。

 

「はい。今のところは何か実害があるという訳ではないので、私共もあまり大事にしたくないのですが、やはりどうしても気味が悪いので・・・噂が広まってしまったようです。」

 

「なるほど。ちなみに、その屋上は普段は自由に出入りできるのですか?」

 

「憩いの場として日中は開放していますが、安全の為に毎日十八時には自動的に施錠されるようになっています。オートロックが解除されるのは翌朝の九時です。」

 

「そうですか・・・。」

 

 右手を口元に当てて、リラは考え込んだ。

 件の歌が聴こえるのは扉が施錠されている時間帯。

 となると、その歌声の主は外部からここへ飛んで来ている可能性もある。

 

「分かりました。では一度、屋上に暗視カメラを設置してみましょう。もしかしたら、それで何か分かるかもしれません。」

 

「ありがとうございます。よろしくお願いします。」

 

 そこでリラはポケナビで時間を確認した。十七時二十分。まだ施錠には時間がある。

 

「すみません。カメラの設置場所を考えたいので、ちょっとその屋上を見せてもらいますね。」

 

 

 そこは彼が思っていたほど殺風景な場所ではなかった。

 ささやかながらも芝や木々などの緑が設けられており、北側には海を眺めながら談笑できるベンチが間隔を空けて並んでいる。まるで、ちょっとした公園のようだ。

 

 その屋上を、リラはぐるりと一周歩いてみた。

 周囲はもちろん背の高いフェンスで囲われているが、飛行やテレポートの可能なポケモンなら何なく飛んで来られるだろう。

 塔屋に遮られた裏手を覗けばひっそりと物干し場があり、その背後には空調や電気関係の設備、給水塔などが無機質に並んでいる。これといった特徴のない、ごく普通の屋上の風景だ。

 

(もしかしたら、ここで夜中に歌を歌うのが好きなポケモンがやって来るのかもしれないな。)

 

 ちょうど、夜中に街中を散歩するのが好きなヨマワルがいるように。

 そんな事を考えながら、リラは屋内へ戻ろうとした。

 

 

 その時だった。

 

 

「・・・・?」

 

 

 突然背後に生じた気配に肩を掴まれたように、リラは足を止めた。

 

 

 ◇

 

 

『なるほど。ジラーチの陰に二人の海の民、か。』

 

「ああ。まだ決定的な証拠は見つかってないから、黒幕と決めつける訳にはいかないけどな。でも、あの二人はどうも何か引っかかるんだ。」

 

 七月五日、同刻。

 リラと別れてホテルの自室に戻っていたヒノキは、オンライン上である人物と事件についての推測を巡らせていた。

 

『いや。決してなくはない線だと思うよ。実際、海の民の中にはカイオーガを信奉するあまり、極端な海洋至上主義を掲げる者が不定期的に現れる。それに、ハンテールが浜に打ち上がるのを不吉の兆しとする伝承の起源(ルーツ)はこの一族だと言われているからね。』

 

 画面の中の人物は、ヒノキの推測を具体的な言葉に換えてその可能性を肯定した。

 

『とにかく、ルネ沖の海底洞窟と周辺海域の巡視を強化するよ。二十四時間体制で変化を捉えられるようにね。僕の友人のルネシティのジムリーダーも力を貸してくれると言っているから、何か動きがあればすぐに君に伝えられるだろう。』

 

 そう言うと彼は傍らに置いていたポケナビを手に取り、操作し始めた。彼にとって『自社製品』であるそれを扱う手捌きは、まるで機械のように速く緻密である。『若社長』の肩書きは、決して親の七光りではない。

 

「ああ、サンキュ。ぜひそうしてくれ。それでダイゴ、おまえの方は?何か進展はあったか?」

 

 彼の仕事に礼を述べつつ、ヒノキは改めて訊ねた。

 この地方を代表する大企業、デボンコーポレーションの社長の御曹司にして、現ホウエンチャンピオンのダイゴ・ツワブキ。

 この、今ホウエンで最も影響力を持つといっても過言ではない友人には、万一に備えてのホウエン全体の警戒の指揮とジラーチに関する情報収集を依頼していたのだ。

 

『ああ。ハジツゲ山地の奥にある『りゅうせいのたき』を守る一族の長老から、ジラーチの前回の覚醒時に関する話が聞けてね。そういう話はお兄さんから聞いているかい?』

 

「いーや、全く。ウチの愚兄は基本情報だけ投げて消えるスタイルだからな。ぜひ聞かせてくれ。」

 

 そうしてダイゴの口から聞かされた伝承は、実に興味深い話だった。

 千年前、『陸の民』と『海の民』によって地と海の底から呼び覚まされたグラードンとカイオーガによる、陸と海を巡る争い。

 ホウエン全土を滅ぼす勢いで戦っていたその二体を鎮めたのは『(そら)の化身』といわれる気龍(レックウザ)であったのだが、そのレックウザを召喚したのがジラーチだという。『どうか二体の争いを終わらせてほしい』という世界の願いへの答えとして。

 

「当時、ジラーチは流星の民に祀られていて、祠も流星の滝の最深部にあったらしい。いよいよ現実味を帯びてきた世界の終わりに、民の長は一族に伝わる願い星伝承に一縷の望みを託し、幾日も祈祷を捧げた。その結果、祈り始めてから七日目の夜にジラーチが覚醒したという。」

 

 目覚めたジラーチに叶えられた一つ目の願いによって、二体はそれぞれ大地と海の奥深くへと潜り、再び眠りに着いた。そして『争いによって失われてしまったものを元に戻してほしい』という二つ目の願いで、混沌と化していた世界と消えた命が甦った。

 

 そうして世界は概ね平和を取り戻した。

 しかし、ジラーチにはまだあと一つ、願いを叶える力が残っている。

 

「そこで流星の民の長は、その力で本土から離れたある無人島の洞窟の奥深くに祠を移した。そして最後の願いによって、自身の育てた若いキュウコンに、七夜を経ずとも、また三願を叶えずともジラーチを眠りにつかせる事のできる封印の力を与えて、次の千年の番人としたそうだ。『後の世にこの力を悪用する者がなきように』という思いを託して。」

 

「そこだけは兄貴も教えてくれたよ。でも、そういう経緯があったってのは初めて知った。千年前の厄災と何か関係がありそうだとは思ってたけど、そーゆーことだったのか。なるほどな。」

 

 合点がいったという風に何度も頷くヒノキに、ダイゴは補足事項を告げた。

 

「厄災の収束後、彼らはそれら一連の事実の守秘を一族の掟に加え、以降、ジラーチの存在は代々の長からの口伝によってのみ今日へと伝えられてきた。それほど、ジラーチの力が世に知られて悪用されることを危惧していたということだ。」

 

「ま、そりゃそうだよな。世界を甦らせられるってことは、その逆もできるって事だもんな。」 

 

 ヒノキの言葉に、今度はダイゴが頷いた。

 

「そういうことだ。僕からは以上になる。ああ、もちろんこの話は他言無用だよ。そういう前提で教えてもらった事だからね。」

 

「心配いらないさ、おまえの信用に傷をつける勇気はないからな。あ、でも──」

 

 そこで少し視躊躇う様子を見せつつも、ヒノキは自身の希望を口にした。

 

「リラのやつにも話しちゃダメかな?事件に関する情報はできるだけ共有しときたいんだけど・・・。」

 

「タイクーンに?」

 

 ヒノキのその頼みに、ダイゴは小さな顎を指で支えて少し考えたが、直に頷いた。

 

「分かった。彼が信用に足る人物である事は僕も理解している。だけど、他言してはならないという点は忘れず伝えてくれよ。」

 

「助かるよ。あいつにはできるだけ隠し事はしたくないからさ。」

 

 隠し事。

 ふと、その言葉がダイゴの胸に妙に引っかかった。

 

「・・・そういえば、きみは彼とは僕よりも早くに面識があったと言っていたな。」

 

 ダイゴがエニシダの仲介でリラと知り合ったのは、彼が十二歳でホウエンリーグを制した三年前の事だ。ホウエン海南東の離島に建設中のバトル施設の長となる予定の少年ということで、いわば仕事の一環での出会いだった。

 しかし、その機に設けられた非公開試合を終えてみれば、内心胡散臭く思っていた小肥りの責任者に自ら次の機会を願い出ていた。以来、彼との手合わせの為に年に何度かバトルタワーを訪れている。

 

「ああ。五年前にバトルタワーの完成記念パーティーに招待された時に友達になってさ。それからずっとオレの目標なんだ。あいつみたいにかっこいい頂点(チャンピオン)になりたいって。」

 

 少し照れくさがりながらそう話す友人に、ダイゴは直感的に懸念を抱いた。「男の勘」とでもいうべきものだろうか。 

 

「・・・そうか。しかしこんな状況では、なかなか友人としての時間も持てないだろう?」

 

「そうなんだよな。一昨日もここの温泉に一緒にどうかって誘ったんだけど、あいつの都合がつかなくってさ。まあでもこの事件が解決したら、その時はきっと──」

 

 その何気ない言葉で、ダイゴは確信した。

 やはりヒノキは「その事」をまだ知らないのだ。

 そしてこの期に及んで本人(リラ)がその事を伏せているということは、おそらく──。

 

「・・・なあ、ヒノキ。」

 

「ん?なんだ?」

 

 しかし、ダイゴはそこで口をつぐんだ。

 自分のこの気回しが、却って「彼女」を傷つけはしないか。

 そんな思いが過ぎったのだ。

 

「いや。何でもないよ。こっちは僕が責任をもって守る。きみはフロンティアとジラーチを頼んだよ。」

 

「おお、任せろ。んじゃ、また何か分かったら教えてくれよな。」

 

「もちろん。それじゃあ、また。」

 

 

 そして二人は通話を終えた。

 

 

 ◇

 

 

 ヒノキとの通信を終えたデスクトップは、既に光を落としていた。

 しかし、それでもダイゴはその暗い画面を見つめたまま、先ほど友人に言いかけた言葉の先を、声に出さずに続けた。

 

 

 もう、何年も前の話だよ。

 僕がまだトクサネで暮らしていた頃、近所に不思議な力を持った、淡い紫の髪の女の子が住んでいてね──

 

 

 他人の人間関係など、干渉すべきではない。

 大人達に囲まれて育つ中で知らぬ間に得ていたその教訓には、今でも大きな信頼を寄せている。

 しかし、他人と言えど彼らは友人だ。

 その関係が壊れていくのを見るのは辛い。

 

 常に変わりゆく状況の中で瞬間的に自分と相手の諸々の要素を分析し、予測を立てて、最善の一手を弾き出す。

 ポケモントレーナーの基本であり、真髄だ。

 そしてそんなポケモントレーナーの頂点の一つに立ったからには、自分はその力に恵まれている方だと思っていた。

 が、それはあくまでポケモンバトルに限ってであり、それ以外の事となれば、出した判断(こたえ)に自信を持てる事の方がずっと少ない。

 

 そこで、僅かに椅子が押されてダイゴは我に返った。

 振り向けば、ダンバルが構ってほしげに赤い一つ目を上目に遣っている。通信中は大人しく後ろで待っていたが、痺れを切らしたのだ。

 

 

──ポケモン(きみたち)と石の素晴らしいところは、語り合うのに言葉が要らないことだな。

 

 幼い鋼鉄の身体を両手で撫でながら、ダイゴは思った。

 チャンピオンになっても分からない事はたくさんある。

 だからこの判断もまた、二人の共通の友人として最善の一手であったのかどうか、彼には確信が持てない。

 




 
 
以前にも触れましたが、本作ではダイゴさんはヒノキとリラの二つ上設定なので、この時点では15歳、十年後となるSM編で25歳となります。この過去編で公式通りに25歳と想定すると大誤算が生じてしまいますのでご注意ください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

53.10年前⑬ 真実への近道

 
この辺りからそろそろと伏線の回収が始まるのですが、絶対に何かひとつは回収し忘れる自信があるので、最後まで終わった時に「え、あれは?」みたいな事があればぜひ教えて下さい。

【前回の要点】
リラは最近夜中に現れるという幽霊の真相を確かめるべく、フロンティア病院を訪れる。一方、ヒノキは友人であるダイゴからジラーチの前回の覚醒時についての伝承を聞く。
 


 

 

 【七月六日 昼】

 

 

 島の北西の端に位置するその施設は、フロンティア随一を誇るその人員収容空間(キャパシティー)を圧倒的な静寂と冷感で満たしていた。

 まるで、今しがた行われたひとつのトーナメントの頂点を決する勝負など、ありはしなかったというように。

 

「ふう。」

 

 額の汗を拭いながら人影一つないスタンドを見渡した男が、ため息をこぼした。

 

「やはりどんなに熱い火種を起こそうとも、それを大きく扇いでくれる熱気(くうき)がなければ、あっという間に消えてしまうものだな。」

 

 寂しそうにそう呟く姿からは、彼の称号でもある『スーパースター』というキャラクターが決して作りものではないことが分かる。

 自身の輝きを引き立てるのは静かな闇ではなく、怒涛のような熱狂と目の眩むような照明であると心から信じている。このバトルドームを預かるブレーン、ヒース・ヘザーはそういう星なのだ。

 

「オレも無観客自体は別に構わないんだけど。でも、このでかさになると、流石にちょっと空しいな。」

 

 ヒースの前に立っていたヒノキも、改めて朝から今まで戦っていた会場をぐるりと見回した。初日には各地からの取材陣で賑わっていたその客席は、今は耳が痛くなるほど静まり返っている。誰もいないのだから当然だ。

 

「ま、でもオープンしたらきっとすぐにこの静かさが懐かしくなるよ。そん時にはまた改めて、あっついの点けてやるからさ。」

 

 そう言って、ドームスーパースターに向けてにっと生意気に笑った。

 

 バトルフロンティア第六の施設、バトルドーム。

 挑戦者の『戦略』を試すこの施設は、ブレーン戦までの予選が全て挑戦者同士のトーナメントで行われるのが最大の特徴だ。が、試合そのものは公式ルールに則って行われるため、このフロンティアではバトルタワーに次いでオーソドックスな仕様と言える。

 

「・・・そうだな。その時を楽しみにしていよう。だが、その時に勝利の星としてこのフィールド上で輝くのはきみではなく私だ。それだけは明言しておく。」

 

 さらに。

 ここでは対戦の前に相手の編成だけでなく参加者内でのランクや育成・戦術の方針といった情報をも確認できるため(もちろんそれは相手にとっても同じであるが)、これまでの施設と比べると格段に策が立てやすい。

 おまけに今回はオープン前という事もあり、ヒノキの予選の相手は全てバーチャルトレーナーだった。彼らの仕様は他施設と同じく、あてがわれた共有ポケモン達を分析して組み立てた戦法の実行に留まる為、本物の人間(トレーナー)のようにこちらの手の内に応じた駆け引きを仕掛けてくることはない。その為、ヒノキにとってシンボル獲得までの道のりはこれまでのどの施設よりも歩きやすいものであった。

 

「さあ。これが、きみの『戦略』がこのトーナメントを制した証であるタクティクスシンボルだ。」

 

 そう言って、ヒースが『T』を象った銀色のシンボルをヒノキの掌に乗せた。

 

「ありがと。じゃあ、行くよ。」

 

 受け取ったシンボルをパスに嵌め、感覚を研ぎ澄ますべく目を閉じる。

 いつものように、脳内に深海のような、宇宙のような暗闇が映る。

 

 

 その、真ん中に。

 

 

「・・・!」 

 

 瞼を閉じたまま眉の根を寄せたヒノキに、見守るヒースは願い星にまた何らかの変化があったことを悟った。

 

「・・・どうだい?」

 

 少し緊張した声で、ヒースはヒノキに訊ねた。

 

「目はまだ閉じてるけど、『星の繭』は半分くらい砕けて、身体の見えている部分が淡く光ってた。今までの一日ごとの変化の具合から見ても多分、明日ってとこじゃないかな。」

 

「・・・そうか。では、施設内の見廻りと警戒を一層強化しよう。施設の専属職員(ドームスタッフ)達にもなるべく単独での行動は控えるよう通達するよ。」

 

「ああ、その方が良いだろうな。リラにはオレから伝えるよ。」

 

 そう言って、ヒノキはポケギアを手に取ると短縮ダイヤルを押して耳に当てた。

 

 タイクーンとして、友人としてここまで可能な限りヒノキのシンボルチャレンジを見守ってきたリラは、今日はこの場にはいない。

 今朝早くに病院から入院中のローレルの容態の変化を伝えられ、今もそちらにいるためだ。

 そしてヒノキの元に五つ目の施設への挑戦を促す恒例の文書が届いたのは、ちょうど彼からその報せを受けている最中だった。

 

「もしもし、オレだけど。ああ、さっき終わって、今もらったんだ。それで、ジラーチの事なんだけど──うん。」

 

 ここまでの状況を報告し、今後の対応について確認した後、ヒノキは通話を切った。

 

「それで、リラは何と?」

 

「ん。今からメーリスも回すけど、各ブレーンは改めて非常時対応を職員と確認して、些細な異変でもすぐ報せてくれってさ。で、申し訳ないけど、ヒースさんはパレスをよろしく?だって。そう伝えてもらったら通じるって言われたんだけど・・・大丈夫?」

 

 しかし、ヒノキには全く意味が分からないその依頼を、ヒースはこともなげに快諾した。

 

「ああ。バトルパレスのブレーンのウコンさんは『使えんものを持っていても仕方ない』といって自分のポケナビを施設の職員に預けているからね。もしもウコンさんが釣りに出ていたなら、鳥ポケモン(飛脚)での連絡がついてウコンさんが戻るまでの間、パレスのフォローをよろしくって事さ。」

 

 その説明に納得したヒノキは、以前から抱いていたちょっとした疑問をぶつけてみた。パレスと聞いて思い出したのだ。

 

「そういやここ、『王』って二人いるんだな。」

 

「え??」

 

 目を丸くして瞬くヒースに、ヒノキはその根拠を述べた。

 

「え?だって、パレスの職員さんってウコンさんのこと『(おう)』って呼ぶじゃん。ジンダイのおっちゃんが『ピラミッドキング』なら、被ってるなと思ってさ。」

 

 その言葉で、ようやくヒースはああ、と手を打って理解した。

 

「ちがうちがう。あそこの『おう』は王様の王じゃなくて(おきな)の翁、つまりおじいさんの事だよ。ウコンさんの称号は()()()()()()()()『パレスガーディアン』、城を守る兵という意味だ。」

 

「へ??城を守る兵・・・?」

 

 思いがけない情報に、今度はヒノキが目を丸くした。

 

「ああ。オーナー曰くは元々別の称号を用意していたらしいんだが、それをウコンさんが固辞したそうだ。私がここへ来る前の話だから、詳しくは知らないけどね。」

 

 ヒノキは急いで他のブレーン達の称号を思い返した。

 (ヘッド)女王(クイーン)(キング)主将(キャプテン)(スター)。そして、大君(タイクーン)

 いずれも、各々の施設の主であることを明確に示す格を持っている。エニシダが当初ウコンに用意していた称号も、おそらくはその類のものであったろう。

 しかし、ウコンはそれを拒んで一兵卒(ガーディアン)としてブレーンを引き受けた。

 

 ヒノキは再びポケットからギアを取り出した。

 そして、その詳細を知るであろう彼らの雇用主へとつないだ。

 

『ああ、もしもし、ヒノキくんかい?どうだい、事件の方は?』

 

 間もなく、エニシダの声が聞こえた。

 事件の経緯はリラから日々報告を受けているはずだが、悲観的な雰囲気は全くない。本当に自分達に任せていれば大丈夫だと思っているのだろう。

 

「その事で、至急エニシダさんに聞きたい事があるんだ。今からオフィスに行くけど、いい?」

 

 性急に通話を終えたヒノキは、ヒースへの挨拶もそこそこに、バトルドームの玄関を出た。

 

 

 ところが、そこには思いがけない人物の姿があった。

 

 

「ウコン、さん・・・?」

 

 それはまさに今、ヒノキの頭を占めていたバトルパレスの主、ウコン・オレナその人だった。

 ここまで飛んできたのか、傍らにはこうもりポケモンのクロバットが控えている。

 

「どうしてここに・・・」

 

 そのヒノキの疑問に答える代わりに、老人は一枚の紙片を差し出した。

 

 

 

 

     願イ星ハ暁ノ信念     

     叶ウコトヲ信ズルナラバ     

    七日夕刻ニ己ガ魂ヲ仲間へ重ネヨ      

 

 

 

 

「先ほど釣りをしていたら、飛んできたキャモメが落としていった。明日の夕刻にという事だから、15時にパレスへ来い。」

 

 そう言ってクロバットに掴まろうとする老人の背に、ヒノキは再び疑問を口にした。

 

「なあ、ウコンさん。あんたが兵士(ガーディアン)なら、パレスの本当の主は誰なんだ?」

 

 訊ねながら、ヒノキにはその答えについてひとつの予想があった。しかし、当人から真相が聞けない内は、あくで憶測でしかない。

 

 老人は足を止めた。

 そして、背後の少年には背を向けたまま、ぽつりと呟いた。

 

「老兵は語らず、ただ消え去るのみ。」*1

 

「ん??」

 

 なんだかものすごくどこかで聞いた気のするセリフだが、はてどこであったか──と、ヒノキがそこまで考えたところで、老人が振り返った。

 

「知りたくば調べるがよい。わしは元より全てを知らぬ上に、その多くを忘れてしまった。そんな不確かなものを不完全に得るより、おまえが自身で一から知る方が真実への近道となろう。」

 

 

 そうして今度こそ、南へ向かって飛び去って行った。

 

 

 ◇

 

 

 エニシダのオフィスを出てホテルの部屋に戻ったヒノキは、パソコンの前でポケギアを構えたまま、苛立ちを募らせていた。

 一刻も早く頼みたい事があるのに、それを頼める唯一の存在であるダイゴと連絡がつかないのだ。

 

(くっそ。あいつ、こんな時にどこで石ころ拾ってんだ?)

 

『貧乏暇なし』と言えど、金持ちが必ずしも暇でないことは無論ヒノキも知っている。まして彼は、一地方のチャンピオンであり大企業の若社長だ。それらの務めの為に連絡が取れないのであれば、仕方ないと思う。

 

 しかし。

 

『おかけになった電話番号は、現在、電波の届かないところに──』

 

 この下りが聞こえてしまっては、彼の岩石収集癖を知る身としては、何よりもまずその可能性を疑ってしまう。

 実際、前回このガイダンスが聞こえた時は、彼はえんとつ山ことフエン岳の山頂付近にいた。

 どうしても彼に会う必要があったヒノキが苦労してその場所を突き止め、こんな所で何をやっているのかと苛立ちで熱くなった口調で問うと、それを上回る温度で冷めた新鮮な溶岩が手に入った喜びを小一時間語られた。

 彼と友人であるという事はすなわち、その石変人ぶりに振り回されなければならないという事だ。

 

『おかけになった電話番号は、現在、電波の届かないところに──』

 

 自身がこの島を離れられない今、ヒノキにとって島外における行動はダイゴが頼みの綱だった。もちろん、異郷といえど他にまるきり知り合いがいない訳ではない。

 しかし、今回のように特定の個人の情報、それも何十年も前の過去の事を大至急調べてほしいとなれば、誰にでも頼む事はできない。

 この地方の人間で、人脈も人望もある上にフットワークが軽く、かつ気のおけない友人がいるなら、どうしたってそいつを頼るに越した事はないのだ。

 

 にも関わらず、そんなヒノキの思いを乗せた電波は何度かけ直しても一向に届かない。

 こういうときは──

 

 

(しゃーねぇ。アイスでも食お。)

 

 

 とりあえず、気分を転換しよう。

 そう考えたヒノキは、ギアをしまい、エニシダの話とインターネットの情報を元に作成した『調べてほしいことリスト』を置いて部屋を出た。

 

 

 一階の売店はまだ営業していないので、買い物をするには近くのフレンドリィショップまで行く必要がある。

 そのため、エレベーターを降り、フロントに会釈をして、ロビーを抜けようとした時だった。

 

「あ、サイフ。」

 

 肝心な物を部屋に忘れてきた事に気付いた。

 もちろん、今から取りに戻って出直すということは可能である。あくまで理論的には。

 

(・・・いや。まて。)

 

 こんな時にフーディンがいたらなどとつい考えつつ、ヒノキは上下衣類の全ポケットに手を突っ込んだ。というのも、彼にはこうしてジュースやらお菓子やらを買う習慣があり、その釣り銭がしばしばどこかに入っていたりするからだ。

 

(ん?)

 

 そんな彼の手が普段使わない上着の胸ポケットをまさぐった時、角の尖った薄く硬い何かが指先に刺さった。

 

「?なんだこりゃ。」

 

 そうして引っ張り出したものに、ヒノキは目を瞠った。

 

 

 ◇

 

 

 キンセツシティの一等地に建つビルにある、ポケモンジャーナル社ホウエン支局の編集部。そのオフィスの片隅のデスクで、トール・カイドはこの日も椅子の上で膝を抱えながら、卓上のしわくちゃの紙きれをヌケニンのような目で見つめていた。

 

「おまえ、まだ引きずってるのか。あれからもう五日だぞ?気持ちは分からんでもないが、いい加減諦めて元気出せ。な?」

 

 通りがかった先輩記者が、そう言ってしょげた背中をばんと叩いた。が、彼はそんな先輩を悔し涙の滲んだ目で睨みつけ、負け犬のように吠えた。

 

「元気なんか出せる訳ありませんよ!!試合前のゲストチャンピオンと二時間も一緒にいながら、収穫は後ろ姿とこのチケット一枚だなんて──!」

 

 あの日、バトルフロンティア行きの船を囲んだ『うずしお』が消滅したのは、特別公開の来場受付が終了する十分前。

 そのため、トールはなすすべなく船の向かうままにカイナへと引き返すしかなかった。

 かの少年から押しつけられたふねのチケットから、その正体を知ってしまったにも関わらず、だ。

 

「お、おお。なんだ、結構元気じゃないか・・・。んじゃ、お先。」

 

 最初に彼の顔を見た時、確かにどこかで見たような気がするとは思った。しかし、そこからチャンピオンの六文字を連想するには、その雰囲気はあまりにも親しみやすいというか緩過ぎた。

 また、他地方の人物という事で、名前こそ知っていても顔には馴染みが薄かった事も不運だった。

 

 そうしてトールが、引くように去っていった先輩からデスクのしわくちゃのチケットへと視線を戻した時だった。

 

「・・・はい。こちら、ポケモンジャーナルホウエン支局のトール・カイドです・・・?」

 

 

 チケットの隣に置いていたポケナビに、見知らぬ番号からの着信が入った。

 

 

*1
原作ママ(多分)




 
イシヘンジンと石変人は同音異義語です。当然です。
イシヘンジンかわいいですよね。こう、四角くて。
同じく四角いコオリッポもかわいい。でも実は丸いのもやっぱりかわいい。
ちなみにうちの愛リッポの名前は『ひややっこ』っていいます。
なのでたまに間違えてひややっぽって言います。
ひややっぽ変人です。
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

54.10年前⑭ Secret base



【前回の要点】
バトルドームを制してタクティクスシンボルを手に入れたヒノキは、ヒースからウコンについての気になる情報を耳にする。その詳細をドームの外で待っていたウコン本人に尋ねるも答えは得られなかった為、自身で調べ始める。



 

 

 【七月六日 夜】

 

 

 長い一日がようやく終わりに近づいた、午後の九時。

 バトルタワー最上階の自室に戻ったリラは、ポケナビを片手にデスクに着き、ヒノキと明日の打ち合わせをしていた。

 

「・・・そうだな。それなら確かに、ぼくは明日は一日タワーにいる方が良さそうだね。」

 

『ああ。これで奴からの手紙が来てないのはおまえのとこだけだからな。オレもウコンさんとの勝負が着いたらすぐに行くよ。あそこはそんなに時間かからないよな?』

 

「パレスのバトルは原則的にポケモン達自身によって進められる。その為、確かに一試合当たりの平均所要時間はトレーナー主導のバトルよりは長い傾向にある。でも、それも基本的にはプラス約七、八分といったところだ。決してピラミッドのような時間のかかり方はしないよ。」

 

『そうか、なら良かった。ジラーチが目覚めるのは多分夜だと思うけど、保証はないからな。なるべくせっかちな奴らにソッコーで頑張ってもらうよ。』

 

「ありがとう。心強いよ。」

 

『いやいや、まだ勝ってねーから。それより、ローレルさんの具合は?ちょっとは良くなったのか?』

 

 その質問に答えるのに、リラは少し時間がかかった。

 

『うん。意識はないけど、朝よりは呼吸も落ち着いて、今は小康状態にある。だけど、医師からは覚悟をしておくように言われたよ。もう、そう長くはないだろうと。』

 

 その言葉に、ヒノキはふと、一昨日の面会の別れ際に彼から聞かされた話を思い出した。

 

 

 

「ところでヒノキくん。私の故郷には『人は潮が満ちる時に生まれ、引く時に死ぬ』という言い伝えがあります。そんな話を聞いたことはありますか?」

 

「潮・・・?いや、初めて聞きました。」

 

 訝しげな表情を見せたヒノキに、ローレルは穏やかな口調で続けた。

 

「もちろん、何の科学的根拠もない迷信です。現に私は、そこで暮らしていた歳月の中で何度も例外を見てきました。しかし、こうしていざ自分の死期が近づいてきたとなると、無性にこの言葉が気になるのです。すなわち、自分が死ぬ時はどうなのだろうと。私は陸に上がってもう数十年になりますが、どうやら本当のところで海を離れることは出来ないようです。」

 

 そう言って、老人は遠い目で笑った。

 

 

 

「・・・そうか。」

 

 ヒノキにはそれしか言えなかった。

 もっと何か言ってやりたかったが、何を言えば良いのか分からなかった。

 

「うん。それじゃあまた明日。タワーで会おう。」

 

 そしてリラは通話を切り、島が一望できる南側の窓辺に立った。

 そうして、かつて自身がこの島に来た頃よりもはるかに華やいだ夜景をしばらく眺めていたが、不意にポケットから再びナビを取り出した。

 

『はい。もしもし。』

 

 二度目のコールで応じたその声に、疑問の響きはなかった。まるで、この折り返し電話が来ることが分かっていたかのように。

 

「先生から、いつも言われていた事があるんだ。」

 

 友人のそんな反応が少し嬉しくて、リラはつい唐突に切り出してしまった。

 

「『人は誰しもいつかは必ず死ぬ。そんな当たり前の事で揺らいではいけない。だから、たとえ近しい者の身にその時が迫っても、その事で食事と睡眠と戦いの質を落としてはならない』。・・・だけど、さすがに今夜はぐっすり眠るのは難しそうで。それで──」

 

 もう少しだけ話ができたら。

 しかし、いざそう続けるのは躊躇われた。

 この、不安で眠れそうにない夜を少しでも短くしたいという我儘に彼を巻き込むのは、迷惑でしかない気がしたのだ。

 

 ところが、途絶えたその続きはナビの向こうの声が勝手に引き受けてくれた。

 

『おお、それならちょうどいいや。オレ、実は今南の岬で星見てるんだけどさ、すげーきれーだぞ。おまえも来いよ。』

 

 その誘いに、リラは胸の(もや)がふっと消えるのを感じた。

 

「分かった。すぐに行くよ。」

 

 そして通話を切ると、既にボールから出て待っていたフーディンと共に、本当に一瞬で彼の元へと向かった。

 

 

 ◇

 

 

「これは・・・」

 

 フーディンと共に岬を訪れたリラは、その植物とも建物ともつかない不思議な造形物にただ目を瞠るばかりだった。

 

 それは、円形に生い茂った細い木やツルやツタが編み合って形成された、天然(?)の緑のドームだった。ただし、その天井は『いあいぎり』で切り払われたかのように、すっぱりきれいに開いている。

 当然、リラの知る限りではこの場所にこのようなものは存在しない。

 となれば、答えはひとつだ。

 

「おっ、来たな。なかなか上出来だろ、オレのひみつきち()。」

 

 そう言って足元の茂みの隙間から四つん這いで現れたのは、今しがた電話で話した親友だった。

 

「これ・・・きみが作ったの?」

 

 ヒノキが這い出てきた、まさに『巣』としか言いようのないそれを指しながら、リラは訊ねた。状況からしてそうであることは分かりきっていたが、それでもやはり訊ねずにはいられなかった。

 

「ん、まあ実際に作ったのはコンの『ひみつのちから』だけどな。ま、とりあえず入れよ。これで中は意外に快適なんだ。」

 

 そう言って再び『巣』の中に入っていった彼に続いて、リラも手足をついて抜け穴のような隙間へと潜った。

 

 

 ◇

 

 

「二時間くらい前に思いついてぱぱっと作ったやつだから、あんま面白くねーけど。でもまあ、一晩星を見るには十分だろ。」

 

「いや・・・十分過ぎるよ。」

 

 狭い出入り口から広く開けた内部へと出たリラは、大きな目をさらに見開きながらそう呟くので精一杯だった。

 

 そこは、想像以上の空間だった。

 中央のメインスペースに敷かれた円形のカーペットには、ポケモン柄の個性的なクッションがいくつも置かれている。そしてその周囲には立派な花や木の鉢、それに可愛らしいぬいぐるみを載せた棚代わりのレンガが彩り豊かに飾られ、植物の編み合いから成る壁には額入りのポスターまで掛かっていた。

 

「野宿とかする時に便利なんだよな。ダイゴの奴に教えてもらった時は、感動を通り越してなんかもうショックだったよ。早くトージョウ(むこう)でも認可してもらわねーと。」

 

 その時のヒノキの「ショック」を、リラは容易に想像することができた。なぜなら、「友達の家に遊びに行く」という経験が殆どないまま育った彼にとってもまた、この空間の放つ刺激と眩しさは「ショック」だったからだ。

 

「ま、とりあえず楽にしろよ。クッションとかはてきとーに使ってくれ。あと、これ。」

 

 星と稲妻がポップにあしらわれたカーペットに上がったヒノキは、そこに置かれていたリュックから何かを取り出し、リラとフーディンにそれぞれ放ってよこした。 

 

「オレの奢りだからな。ありがたく頂戴しろよ。」

 

 そのサイコソーダは、見慣れない仕様をしていた。

 パッケージには楽しげに波に乗るピカチュウとチリーンが刷られており、不思議な構造をした瓶の飲み口近くには、なぜかビー玉が入っている。

 

「こんなのあるんだ。初めて見るよ。」

 

 フーディンのスプーンが放つ淡い光で瓶を照らして、リラは目を細めた。よく見ると、チリーンの短冊には『夏季限定』の文字がある。

 

「いやいや、普通にこの島で買ったやつだから。ショップとか、あんまり行かないのか?」

 

「うん、買い物は基本的にネット注文でする事になっているからね。でも必要なものは全部用意してもらえるし、欲しいと思う物は本くらいだから、それも二ヶ月に一度くらいかな。」

 

 その言葉で、ヒノキは改めて彼の日常の非日常ぶりに驚き、それが気になった。

 尤も、浮世離れを()()()()()()()という点においては、社長御曹司として生まれ育ったダイゴも同じではある。

 しかし、それでもダイゴは欲しい物を探し、好きなことを追いかけて生きている。

 リラは、彼とは根本的に何かが違う。

 

 

──おまえ、本当にそれでいいのか?

 

 

 喉まで出かかった思いを押し込むように、ヒノキは残りのソーダを一気に飲み干した。隣でゆっくり飲んでいるリラのために、げっぷは我慢した。

 

「そういえば」

 

 隣に座っているフーディンを見ながら、リラが口を開いた。

 

「前にフーディンが話してくれた事があったよ。時々、君にせがまれて家の屋根に上がって星を眺めた夜があったって。」

 

「ん、ああ。オレは昔から眠れない夜はヒツジより星を数える派だったからな。つーか、せがまれてって何だよ。そこは誘われて、だろ。」

 

 そう言って口を尖らせた最初の主人に、フーディンは細い目をさらに細めて笑った。離れてからの歳月が共に過ごした時間の何倍になっても、彼らの空気は変わらない。

 それは、彼らの間にいるリラが一番よく分かった。

 

「じゃあ、きみもそうだったんだね。」

 

「ん。いよいよ明日かもってなると、さすがにな。おまけに何がどうなるかも分からないとなれば、なおさらだ。」

 

 そこでヒノキは手近なジグザグマ柄のクッションを引き寄せると、仰向けになった頭の下に敷き、満天の星空を指して言った。

 

「だからさ、今も明日が無事に終わりますようにって片っ端から願かけまくってたんだ。そら、また流れた。」

 

 ヒノキが指した先には既にもう何もなかった。しかし、その直後に再び光の爪先がわずかに闇を引っ掻き、そして消えた。

 

「流れ星・・・?」

 

「ああ。ジラーチの覚醒が近いからか、さっきから結構流れてるんだよ。まあ、ジラーチより確率は低いだろうけど、数打っときゃ一回くらい当たるだろ。明日の事はオレが引き受けるから、おまえは何か好きな事願っとけ。」

 

 そこでリラも横になって夜空を見上げた。

 フーディンは坐禅を組んで目を閉じている。どうやら心の目で見ているようだ。

 

「そうだな。じゃあ、何を願おうか。」

 

 そう呟くと、ヒノキがこちらを向いてにやっと笑った。

 

「あ、でも好きな事っつっても、二股はそれこそハメツの願いだぞ?」

 

「へっ??」

 

 誰の何の話かと戸惑うリラに、ヒノキは続けた。

 

「ほら、チューブのアザミさんとアリーナのコゴミのねーちゃん。おまえ、あの二人としょっちゅう一緒にいるって街の人から聞いたぞ。意外と隅に置けないヤツだな。」

 

 そこで、リラはようやく彼の言わんとしていることを理解した。自分としては、同性で比較的歳も近い彼女達と行動を共にする事に何の違和感もない。が、その事情を知らない第三者にそれが『両手に花』と映るのは、どうにも仕方のない事であった。

 

「ちっ、ちがうよ!!あの二人はあくまでブレーンの仲間という関係であって、それ以上の事は、何も──!」

 

 思わず身体を起こして弁解するリラに、ヒノキは笑った。

 

「分かってるよ。おまえは絶対そーゆーことしないっていうか、出来なさそうだもんな。」

 

 リラが再び身を横たえたところで、でもまあ、とヒノキは続けた。

 

「やっぱ男と女ってのはメンドーだよな。自分じゃ友達のつもりでも、傍から見ればどうしたってそういう風に見えるし、見ちまうもんな。」

 

 彼のその何の気なしの言葉に対して、リラはできれば反論したかった。だけど、もし初日の夜に彼の電話から聞こえた声が男性のものであったなら、あんな風に引っかかることはなかっただろう。要はそういうことだ。

 

 そうして返す言葉に困っていると、ヒノキの方から話題を変えてきたので、リラはほっとした。

 

「そうだ。もしかしたら、明日はおまえとバトルするかも知れないんだよな。確かおまえんとこは完全に公式通りだったよな?」

 

「ああ。王道のポケモンバトルで、挑戦者の『才能』を試させてもらう。それがバトルタワーだよ。」

 

「挑戦者の才能を試す、か。・・・重いな。」

 

 ヒノキの呟きに、リラも頷いた。

 

「うん。だから、ぼく自身もまた試される立場にあると思っている。他人のそれを試すに相応しい人間であるかどうかを。」

 

 才能。

 その言葉を他人に対して口にする時、いかに大きな責任と細心の注意が要求されるかは、ヒノキもリラも既に知っていた。

 

「正直、ぼく自身、才能とは何かと訊かれても万人を納得させられる説明はできない。だから、言葉じゃなく試合(バトル)でそれを示して、最終的な答えは挑戦者自身で出してもらうしかないと考えてる。」

 

「それでいいと思うぜ。てか、それしかねーだろ。才能があるかないかなんて、他人が言葉でどうこう言うもんじゃねーよ。自分が身を持って知った事実をどう受け止めるか、それだけだ。」

 

 そのヒノキの言葉に、リラはある事に気付いた。

 そして、その微笑ましさに思わず笑ってしまった。

 

「な、なんだよ。今のは別に笑うとこじゃねーだろ。むしろ、相当真面目に──」

 

 笑われた理由がさっぱり分からないヒノキは、少しむっとした口調で反論した。

 

「ごめんごめん。そうじゃなくて、ちゃんとつながってるんだなって思ってさ。ほら、五年前にぼくがきみに訊いたの憶えてない?ポケモントレーナーの才能とはなんだと思う、って。」

 

「んー。そういや、なんかそんなこともあったような・・・」

 

 そう言いつつあまり憶えていなさそうなヒノキに、リラは続けた。

 

「その時、きみはその質問にこう答えたんだ。『ポケモンもトレーナーも楽しくやっていて、しかも強いやつ』だって。」

 

「うっわ。オレ、本当にそんな事言った?」

 

「言ったよ。しかもその後、それオレのことか、って自分で言ってた。」

 

「分かった、もういい。んで?」

 

 これ以上若気の至りが掘り起こされないよう、ヒノキはリラに続きを促した。

 

「あの頃のぼくは、才能とは結果の事だと思っていた。だから、オーナーの言う『ポケモントレーナーの才能』とは、試合に勝つ、勝たせることだと。そう考えていた。」

 

 静かな口調でそう語ったリラに、ヒノキは出会った頃の彼の思い詰めたような顔を思い出した。

 

「もちろん、それもそれでひとつの答えで、仮に今誰かが同じ事を言ったとしても否定はしない。ただ、ぼくにとってはそれは最適解(ベストアンサー)じゃなかった。だから、いつも苦しかった。」

 

「・・・だろうな。そういう考えの奴は大体きつい顔してるから。そのくせ、勝ってもあんま嬉しそうじゃねーし。」

 

 うん、と頷いてリラは続けた。

 

「だから、きみの答えは衝撃だったんだ。『楽しくやっていて、しかも強い』って。どういう事だろう?って。でも、確かにきみとユンゲラーはそんな風に見えた。それできみたちが帰った後、ぼくも色々と試してみたんだ。」

 

「試す・・・?」

 

「うん。そうだな、今、キュウコンは?」

 

「ん?ああ、火が怖いから戻してた。そら、コン!」

 

 リラの求めに応じて、ヒノキはボールからキュウコンを繰り出した。

 

「本当に、立派になったね。」

 

 かつて自身が洞窟から救い出したそのきつねポケモンの頭を撫でると、リラは目を閉じて両手でその顔を包み、ゆっくりと全身に滑らせた。

 

 やがてリラは目を開いた。そして、キュウコンの嗜好や性格や過去の出来事といった、彼が知るはずのない情報を、次々と口にした。

 

「・・・・」

 

 驚きのあまり言葉を失っているヒノキに、リラは訥々と語った。

 

「一番最初に『声』が聴こえたのは、三つの時だった。近所の陽だまりで眠っていたココドラを撫でていたら、『眠たいから今は構わないで』って怒られてね。・・・この力が、ぼくがここに来るきっかけだった。」

 

 ヒノキはまだ相槌が打てない。

 キュウコンを撫でながら、リラは続けた。

 

「ここでのぼくの最初の仕事は、捕獲されてきた共有ポケモン候補達をこの力で分析することだった。どういう性格で、何が得意、あるいは不得意であるか、というようなことをね。」

 

 世の中には、ポケモンに対して特殊な力を発揮する人間が稀に存在する。そのことはヒノキも知っているし、実際何人か知り合いもいる。しかし、何度見たところでその不思議が不思議でなくなる事は決してない。

 

「その頃のぼくにとって、この仕事は『作業』でしかなかった。データ収集のために決まった質問をして、その返事を訊く、それだけ。つまり、楽しくなかったんだ。」

 

 あまりにも自分の知らない世界の話に、ヒノキはなんと反応すれば良いのか分からなかった。

 ただ、ポケモンとの対話が作業になるその虚しさだけは、何となく想像できた。

 

「だからまずはそれを変えた。一体ずつにかける時間を増やして、ぼくからは『きみの事を自由に話してほしい』とだけ伝えた。そうしたら、ポケモン達は故郷の事や家族の事、本当に色んな話をしてくれて。そうやって彼らを背景から理解することで、前よりもずっと仲良くなることが出来たんだ。」

 

 自身を撫でる細い指に、キュウコンは気持ち良さそうに耳を寝かせている。

 

「それからは、あんなに苦痛だったバトルがどんどん楽しくなった。彼らの個性から閃く作戦を試したくて、心が重なる瞬間を味わいたくて、自分から戦いたいと思うようになった。だからぼくは、挑戦者にそんな感覚を伝えられるタイクーンになりたいんだ。そうして相手をわくわくさせる事が、その人の才能を引き出す事につながると思うから。」

 

 そこまで話してから、リラは自分をじっと見つめるヒノキの瞳に気付いた。

 

「ごめん。ちょっと喋り過ぎたね。」

 

 そう言って、恥ずかしそうに顔を伏せた。

 

「いや、そうじゃなくて。・・・なんていうかオレ、結構真剣におまえに敵う気がしなくなってきてさ。」

 

 心からの敬意を込めて、ヒノキは言った。

 十一歳で当時のカントーリーグを制してから約二年。憧れだけでは決して務まらないチャンピオンというものを、それでもここまで妥協せずやってきた自負はある。しかし、これほどまでにポケモンに、そして自分の責務に誇りをもって誠実に向き合えている自信はなかった。

 

 そんなヒノキの本音をリラはバトルにおける謙遜と捉えたらしく、笑って言った。

 

「フィールドに立てば、きっとそんな事思わなくなるよ。・・・そうだ。そういえば、まだー」

 

「ん?」

 

「いや。やっぱり、明日のお楽しみにするよ。」

 

 自分の口から出たその言葉に、リラは不思議な心地がした。あんなに来るのが怖かった明日に、楽しみができるなんて。

 

「む・・・。ま、でも確かに明日は何か楽しみがあった方が頑張れそうだしな。」

 

 ヒノキも似たような感覚を抱いたらしい。

 それから二人はしばらく黙って星を見ていたが、やがてヒノキの方から静かな寝息が聴こえてきた。

 彼が何も被っていなかった事を思い出したリラは、起き上がって傍にあったブランケットをかけてやった。

 そして自分の分も手に取ると再び空を見上げ、その真ん中を横切った一筋の光へ切に願った。

 

 明日という日を、どうか二人一緒に無事に終えられるように、と。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

55.10年前⑮ 問われる絆

 

【前回の要点】
七月六日の夜、眠れない夜になると感じたリラは、ヒノキの作ったひみつきちで共に星を眺めて過ごす。
 
 


 

 

 【七月七日 朝】

 

 

 シャワシャワと響く蝉しぐれと瞼を貫く夏空の眩しさで、ヒノキは目を覚ました。

 

──朝か。

 

 枕元のギアを手さぐりでつかみ、日付と時間を確認する。七月七日の午前七時。その数字に、今日がどういう日であったかという情報が、少しずつ脳内に戻ってくる。

 

(いったんホテルに戻らなきゃな。)

 

 そうして起き上がった拍子に、ヒノキは初めて身体に掛かったブランケットの存在に気付いた。

 どうりで寝冷えをしていないわけだ。しかし、自分で被った覚えはない。

 

「・・・」

 

 反射的に隣を見る。が、既にリラの姿はない。

 代わりに、きちんと畳まれたブランケットが彼が枕にしていたクッションに重ねて置かれていた。その上に、昨夜の礼と先にタワーに戻っているという旨を記したメモを乗せて。

 

 細い、流れるような筆致で綴られたそのメモを何度か読み返してから、ヒノキはそれを大事に胸ポケットにしまった。そして代わりにカメラを取り出すと、この一夜限りのひみつきちを一枚だけ撮り、それから全てを撤収して岬を後にした。

 

 

 ◇

 

 

「・・・オレ、多分こう頼んだよな?『フロンティアのブレーンのウコンさんと幹部のローレルさんの経歴を調べて欲しい』って。」

 

 七月七日、午前十時。

 ホテルの自室に戻っていたヒノキは、左手のギアの通話口に向かって訊ねた。

 

『ご、ごめん。きみから連絡をもらえたのが嬉しくて、つい・・・』

 

 はなから縮こまっていた受話口からの声は、じきに尻すぼみに消えた。

 そんな彼に鼻でため息をついたヒノキのパソコンの画面には、()()()のファイルを添付した一通のメールが開かれていた。

 

「気を利かせてくれたってのは分かるんだけど。でも、最近の個人情報絡みの犯罪の多さはあんたの方がよく知ってるだろ?駆け出しったって、その道のプロなんだから。もーちょい慎重にやった方が良いと思うぜ。」

 

 昨日、殆ど奇跡的なタイミングでポケットから出てきた、往路の船に乗り合わせたポケモンジャーナルの記者の名刺。それを頼りに例の『海の民』の二人の過去を調べて欲しいと頼んだまでは良かったのだが、なぜだかこの若いフォトライターはその二人に加えて他のブレーン達の分まで調べ上げ、ご丁寧に送ってくれたのだ。

 

「いや、もう本当に仰る通りで。返す言葉もございません。」

 

 ナビを片手に、トール・カイドは目の前のデスクに向かってひたすら平身低頭を繰り返していた。

 その謝りぶりの理由は件のミス自体に対する反省も勿論あったが、実はそれ以上に報道人でありながら真実を隠蔽する後ろめたさが大きかった。

 

 昨日ヒノキからの依頼を受けた時、彼はナビで応対しつつメモを取っていた。が、興奮と緊張からの字の乱れにより、後から判読できたのは『ブレーン ローレル 経歴 調べる』の四単語だけだった。さらにその直後に上司から雑務を頼まれた事で、ようやく依頼に着手できるという時には、彼の脳内ミッションは完全に「ブレーン全員と幹部のローレルの経歴を調べて送る」に書き換えられてしまっていたのだ。

 

 しかし、記者にあるまじきその失態を知らないチャンピオンは、先のミスを素直に善意の空回りと信じてくれたらしい。

 

『ま、いーわ。別にオレが消しとけば良い話だしな。とにかく助かったよ。でも礼は最初に約束した分だけだからな。』

 

 ヒノキが話を結んでくれた事に、トールはほっとした。ちなみにこの「礼」とは、事件の解決後の彼への二時間単独インタビュー権である。

 

「も、もちろんそれで十分だよ!他の人達の分は、僕が勝手に突っ走っただけなんだから──」

 

 そうして、二人は通話を終えた。

 

(やれやれ。)

 

 今度は口から細いため息をついてから、ヒノキは改めて件の二人のファイルを開き、目を通した。

 しかしその内容自体は申し分なく、ヒノキが知りたかった部分は丁寧に明かされている。なんだかんだ言って、やはりその道のプロだ。

 

 後は先ほど判明した事実とこの経歴を元に組み立てた仮説をパレスでウコンに話し、真相を尋ねるだけである。

 

(そうだ、他の面子の分を早いとこ消しとこう。)

 

 ヒノキは余分に送られてきた人物達のファイルにカーソルを合わせ、削除を進めた。もちろんそれらに興味がないと言えば嘘になるが、今は必要以上の情報を抱える余裕はないし、そもそも時間がない。

 

 しかし、その作業の手は最後の人物の名で止まった。

 

 

「・・・」

 

 

 夕べ、あいつは言っていた。

 ポケモン達の背景を知ることで、前よりもずっと仲良くなることができた、と。

 

 

 躊躇う気持ちと葛藤しつつも、マウスを握る手は『Lila』のファイル名にカーソルを合わせ、「ファイルを開く」の文字を出す。

 こうして本人に無断で過去を覗くのは、やはり後ろめたいものがある。だけど、もしかしたら何か手がかりがつかめるかもしれない。

 あいつに付きまとう、あの影のような哀しさを取り払うための。

 

 

 カチ、という軽い音と共に画面が切り替わり、履歴書風に纏められた親友の全てが現れる。

 

 

 本名、生年月日、本籍地、血液型。

 そして──

 

 

 

 

 

 

「・・・・は?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 続いて目に入った情報に、ヒノキの思考は停止した。

 

 

 ◇

 

 

 七月七日、午後三時。

 約束の時間きっかりにフィールドに現れた挑戦者に、このバトルパレスの主であるウコン・オレナは確かな違和感を感じた。

 

「・・・どうした。具合でも悪いのか?」

 

「いや。そんなんじゃないよ。ただ、ちょっと──ね。」

 

 そう濁して目の前の少年は曖昧に笑った。が、その雰囲気は昨日ドームの前で会った時とは明らかに違う。

 視線はしばしば不安定に泳ぎ、声も今ひとつ力がなく曇っている。

 

「大丈夫、試合にはちゃんと集中できるよ。むしろ今はそういうものが欲しいんだ。」

 

「しかし。──」

 

 その波打つ心で、本当にやるのか。

 奇しくも挑戦者の『精神(こころ)』を測る役目を預かるウコンはそう続けようとしたが、口をつぐんだ。

 戦いは必ずしも万全の状態で臨めるとは限らない。それはすなわち、心身が好ましくない状態にあろうとも避けられない戦いもあるということだ。

 そして彼がそれを今だとするなら、それもよかろう。

 そう思い直したのだ。

 

「・・・分かった。では、規則を説明する。このバトルパレスでおまえが試されるのは、ポケモントレーナーとしての精神(こころ)。戦いの間、トレーナーは交替以外は一切試合に干渉せず、行動の全てをポケモンに委ねる。当然、思い通りに運ばぬ事もあろう。それでも彼らから目を背けず、見切りをつけず共に戦い抜く事ができるか。それを問う。」

 

 ヒノキは静かに頷く。

 

「人工知能による予選は二十戦。わしはその後に控えている。では、健闘を祈る。」

 

 そう言ってウコンがフィールドを退くと、入れ替わりに見知った人物が現れた。

 

「フェンネルさん・・・?」

 

 縁の細い眼鏡をかけた、穏やかな雰囲気の男性。それは紛れもなく、三日前にこのパレスで話した施設専属職員その人だ。

 

「三日ぶり、ですね。私がこの挑戦の審判を務めさせて頂きます。どうぞよろしく。」

 

 そう言って彼は微笑したが、すぐに表情を引き締め、ルールの詳細を説明した。

 

「予選は全てバーチャルトレーナーとの対戦になります。先に翁からもありましたが、試合中、トレーナーに許される行為は選手交替のみとし、その他ポケモン達への指示及びそれに準ずる行為は全て反則、失格とします。声援は構いませんが、相手のポケモンの位置や動き等の具体的な情報が含まれる場合は指示と同様と見なしますので、注意してください。」

 

 フェンネルの補足に、ヒノキは承諾の意を込めて頷いた。心を持たないバーチャルトレーナーに心を試されるという点はいささか気になるが、だからといってやる事が変わる訳ではない。ただ仲間を信じ、そして彼らを信じる自分を信じて前に進むだけだ。

 

 腰から一つ目のモンスターボールを外し、軽く握る。

 ブゥン、という音と共に、反対側のトレーナーボックスに半透明の仮想人間が現れる。

 

 

「それでは、試合開始!」

 

 

 ◇

 

 

『オ疲レ様デシタ。ポケモンノ回復ヲ行イマス。』

 

 試合の終了と共に現れた回復装置のガイダンスに従って、三つのボールをセットする。

 十秒に満たない短いメロディーが鳴り終えれば、ポケモン達の傷や疲れはすっかり癒えている。便利なものだ。

 どうして人間用のものが未だに存在しないのだろう。

 

『回復ガ終了シマシタ。ソレデハ、引キ続キ頑張ッテ下サイ。』

 

 装置からボールを外してホルダーに戻すと、機械は再び床下の格納スペースへと沈んでいった。

 そのタイミングを見計らって、審判のフェンネルが口を開いた。

 

「それではこれより十五分間の休憩と致します。休憩の後はいよいよブレーンとの試合になりますので、束の間ではありますが、どうぞ心身の緊張を解して下さい。」

 

 そう言ってフェンネルがフィールドを退出すると、ヒノキはその場で大の字に倒れ、目を閉じて深いため息をついた。

 

 予選を経て分かった事がある。

 それは、このルールが真にトレーナーの精神(こころ)を試すものである、という事だ。

 

 ポケモンバトルにおけるトレーナーの最大の役割は、ポケモン達への情報支援にある。

 実際に戦場に立って動く彼らは、自分を取り巻く状況を正確に把握して最善の手を判断する事は難しい。そこでトレーナーが彼らの目となり耳となり頭脳となって、勝利へと導く。それがポケモンバトルだ。

 しかし今、このルールの下ではその役割を果たす事ができない。

 

 

──信じる、か。

 

 

 どうにかここまで来てくれた相棒達の入ったボールを手に取り、天井の照明にかざして眺める。

 今、自分がトレーナーとして彼らにしてやれるのは、相手を見て選手を交替することと、彼らの一挙一動を見守り、励ますこと。そうやって、自らの信頼を示すこと。

 

 

 が、これが想像以上にきつい。

 

 

 ダツラからバンクシステムのエラーが解消されたという連絡が入ったのは今朝の事だ。

 そこにパレスが信頼を試す施設であるという事情も加わり、ヒノキは六つ目の施設にして初めて三体とも自身の手持ちで挑んだ。が、そのためにこのルールの厳しさが和らぐことは全くなかった。

 

 平時と違って状況把握と思考と行動の全てを自身で担うポケモン達に、当然いつもの余裕はない。

 それでも相手の力量の低い序盤はまだどうにでもなるが、だんだんと手強くなるにつれて、焦りから出るミスや性格による行動のクセ、迷いによるタイムロス等が増えてくる。

 しかし、そこで否定をすれば、更なる動揺が負の連鎖を生む。そうなれば、勝てるはずの相手にも勝てなくなってしまう。だから自分はこみ上げる溜飲を飲み下し、指が白くなるほど柵を握りしめて、大丈夫だ、気にしなくていいと声を張ってやらなければならない。

 

(難しいもんだな。)

 

 もちろんヒノキは自分が指揮を執れない状況に備えて「ポケモンだけで戦う」訓練も日々行っている。しかし、その訓練では「倒すのではなく逃げきる」事を勝利(ぜんてい)としてきた。想定する状況はあくまで戦闘であり、試合ではないからだ。

 

 ふーっと細長く息を吐き、腕を下ろしてボールを戻す。

 挑戦前に感じた、予選のバーチャルトレーナーの登用に関する違和感はとうに消えていた。

 生身の精神を日常的にこのルールの中に置くのは、少なくとも自分にはとても耐えられない。

 

 

──でも。

 

 

 その一方で、今回に関してはその苦しさが救いでもあった。

 挑戦前に知ってしまった、ひとつの信じがたい事実から距離を置けるという点で。

 

 

 その時、正面のゲートからペットのヨマワルとルリリを従えたウコンが入ってきた。ギアを見ると、休憩終了時刻の三分前を表していた。

 

「構わぬ。まだ寝ていろ。」

 

 しかしヒノキは両足を上げ、それを下ろした勢いで起き上がった。

 

「どうだ。我がパレスのバトルは。」

 

 左右の二匹を手の杖を持ち替えてかわるがわる撫でながら、ウコンが問うた。

 

「正直、なめてたね。」

 

 ヒノキは率直な思いを率直に告げた。

 

「仲間を信じるなんてことがこんなにしんどいなんて。思ってもみなかったよ。」

 

 その言葉に、老人は何も返さなかった。

 ただ、結んだ唇の端をわずかに引き上げただけだ。

 

「だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()は心底尊敬してるんだ。」

 

 それでも彼は何も答えない。

 ただ一言、その事実を告げたばかりであった。

 

「時間だ。始めるぞ。」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

56.10年前⑯ 約束と願い

 
体裁上会話とバトルを交互に書いていますが、内容自体は会話は会話、バトルはバトルで追って頂いた方が分かりやすいかもしれません。
上手くまとめられず申し訳ないです。


【前回の要点】
往路の船で知り合った記者に気になる人物達の調査を頼んでいたヒノキは、彼が誤送したリラの経歴にも目を通してしまう。
その後、前日からの予定通りバトルパレスに挑戦する。



 

 

 【七月七日 夕】

 

 

「お言葉に甘えて調べさせてもらったよ。あんた達のこと。」

 

 フィールドでは、それぞれが繰り出したポケモン達が既に戦いを始めていた。

 ウコンはクロバット、ヒノキはラグラージ。

 

「それで半分くらいは分かったし、つながりも見えた。ただ、残りの半分はやっぱりあんたに教えてもらわなきゃ分からない。そこまで説明するから、聞いてほしい。」

 

 ウコンは相変わらず黙っている。

 ヒノキはそれを承諾と捉えた。

 

「事の発端は今から五十五年前。カイナ沖にある海の民の集落のキナギタウンから、一人の若い男が姿を消した。名はムスカル・ジャコウ。優れた人格とポケモン使いの才を併せ持った、将来は集落の長となることが嘱望されていた人物だった。」

 

 フィールドでは『せっかち』なラグラージが『いわなだれ』のラッシュで速攻を決めようとしていたが、『れいせい』なクロバットはそれを『かげぶんしん』でかわしつつ、目に『あやしいひかり』を宿らせ牽制していた。

 その動きには迷いも焦りもなく、指揮のない戦いに慣れている事が一目で窺える。

 

「それから長い年月が経ったが、ムスカルの消息は全く分からない。それでも友人としてその帰りを待つあんたの元に一人の男が訪れたのは、そんなある日のことだ。エニシダと名乗るその男は、腕利きのあんたに自分が作るポケモンバトルの施設の長となってほしいと申し込んできた。でも、あんたは一度その話を断った。なぜなら──」

 

 フィールドからの苦しげな呻き声に、ヒノキはその先の言葉を奪われた。クロバットの放った『どくどく』が、ラグラージに命中したのだ。

 

「ラグ!まずは落ち着いて相手の特徴を掴むんだ!そうすればおまえは必ず勝てる!」

 

 そんな曖昧な言葉しか掛けられないこの施設のルールに、ヒノキは改めてもどかしさを感じた。

 超音波を操り、血の匂いを辿って狩りをするクロバットは聴覚と嗅覚は優れている一方、視力は頼りに出来ないほど弱い。従って、自身の音と匂いの情報を遮断すれば必ず隙が生まれる。そして今ラグラージが覚えている技を上手く利用すれば、それは決して難しくない。

 問題は、彼が先の言葉でその点に気付いてくれるかどうかである。

 

「なぜなら」

 

 不意にフィールドの反対側から聞こえてきた声に、ヒノキは再び話の続きへと引き戻された。

 

「『わしよりもよほどその役に相応しい男が、既にお主が来たホウエン本土に居るはず』だったからな。」

 

 そう語ったウコンの口元は、僅かに綻んでいた。

 

「ムスカルが郷を抜けるあの夜、わしは奴と共に郷から少し離れた海の上にいた。そこで一晩中、ホエルコの背で星を見ながら、奴の語る夢を聞いていた。」

 

 そこでウコンは糸目をちらりとフィールドに向けた。

 主人の言葉に冷静さを得たラグラージは性急な攻撃を止め、猛毒に苦しみながらも相手をじっと観察し始めていた。

 

「確かに奴は当時の族長の家に生まれ、実際にその器を持ち合わせていた。しかし、奴自身の夢は『このキナギに自分が主となる道場(ジム)をつくる』ことだった。幼い頃からずっとな。」

 

 ヒノキは黙ってウコンの話を聞きながら、絶えずフィールドの状況を窺っていた。

 冷静に相手を把握しようとするラグラージを、さらに冷静なクロバットが『あやしいひかり』をちらつかせて気を散らしにかかっている。

 

「奴はわしに約束してくれた。『道場を設け、その主となる資格を得るには、まず各地の道場主に認められるポケモン使いにならなければならない。それを果たすまでは自分は決して郷には戻らない。だが、それが叶った暁には真っ先にお前に報せに行く』と。」

 

 しかし、ラグラージは動じない。

 毒がかなり回ってきているために、そんな挑発に構っていられないのだ。

 

「その言葉が嬉しくてな。だからわしは奴の旅立ちを見送った後、明け方の空を流れる星に願いをかけたよ。『どうか奴の夢が叶うように』と。・・・それが、奴とのつながりの最後だった。」

 

 目の色の変わったラグラージが咆哮を上げて自身を軸に水流の渦を起こした。しかし、それは『うずしお』ではない。大量の泥を含んで黄土色に濁った『だくりゅう』だ。

 

 泥と水流に相手の音と匂いを遮られたクロバットが戸惑うのを一瞥した後、ウコンは続けた。

 

「わしはその後も郷に留まり、いつしか奴の代わりに族長の座に着きながら、奴の戻りを待った。しかし、時折訪れる旅人や商人を捕まえても、その噂すら聴くことはできなかった。どこでどうしているのか、生きているのか死んでいるかさえ分からなかった。そうして長い月日が経った。エニシダ(あの男)が現れたのは、そんなある日の事だ。」

 

 がらがらと、渦の上空に無数の岩が降り始めた。ラグラージが渦の中心から放つ『いわなだれ』だ。

 しかし、相手が直に力尽きることを知っているクロバットは敵の位置の把握を諦め、淡々と岩を避ける事に専念している。それでいい、とウコンは心の中で呟いた。

 

「奴は言った。『自分はキナギ出身者の間で稀に現れる、不思議な力を持つ者を探している。()()()あなたに会いに来た』とな。」

 

 徐々に渦の勢いが弱まり始め、落岩の雨もやがて降りやんだ。それらの状況変化につられるように、クロバットも飛ぶ高度と速度を緩めた。

 

「その話を聞いた時、わしはすぐにムスカルの顔が浮かんだ。何しろ、わしと同様に奴もまた『その力』を授かっていたからな。だからわしは、先の言葉でその申し出を断っ──」

 

 ウコンのその言葉尻は、消滅寸前の渦から飛んできた巨岩(はずれ弾)に撃墜されたクロバットの叫び声に消えた。

 続いて、持ち前の怪力でそれを放ったぬまうおポケモンが倒れる音で第一試合が終わり、二人の会話も一旦中断となった。

 

「よくあれで分かってくれたな。後半は本当に良い判断だった。」

 

 ボール越しにラグラージにそう声をかけ、ヒノキは次のポケモンを繰り出した。そして、話を再開した。

 

「だけど、エニシダのおっさんは『そんな人物には心当たりがない』と答えた。それで奴の夢が未だに叶っていない事を悟り、その上で諦めがつかなかったあんたは、『奴が現れるまでの留守番兵』という条件でスカウトを受けた。ムスカルがこの役目で世間に認められれば、まだ奴の夢は叶うかもしれないと考えて。」

 

 新たにフィールドに現れたのはヒノキのキュウコンとウコンのケッキング。

 『すなお』で賢いきつねポケモンと『きまぐれ』なものぐさポケモン。

 第二試合は真逆とも言える性質の二体の戦いだ。

 

「そうしてあんたはこの島に来た。そして、ここでエニシダのおっさんの補佐を務めていたその人物に、目を疑った。」

 

 先に動いたのはキュウコンだった。過去の対戦の記憶から相手が驚異的なパワーを秘めた怠け者だと理解している彼は、まずは『おにび』を仕掛けた。それ自体に攻撃力はないが、当たれば必ず火傷を創って相手の体力と攻撃力を奪う、妖力を備えた紫の炎だ。

 

 主人ならきっとこう指示するだろう。

 元々の知能の高さと、五年というヒノキとの付き合いの長さが、経験的に、直感的に彼に取るべき行動を教えていた。

 

「わしも、まさかとは思ったよ。しかし、どうしても面影や口調の直感は拭えない。そこで施設の若い者に頼み、調べてもらったのだ。あの、ローレル・リアンという男を。」

 

 対するウコンのケッキングは、まるで戦意が感じられない。キュウコンの『おにび』も鬱陶しそうに手で払ってはいたが、結局被弾した。しかし、それでもなおゴロ寝の体勢は崩さず、だらだらと怠けている。

 

「結果はすぐに分かった。バトルタワーの職員の中に、ローレルの腕にわしと同じ紋を見た者がいたのだ。それでわしは正体を確信し、『奴』として話をしようとした。」

 

 キュウコンは相手の手の届かない範囲から攻撃を放ち、着実にダメージを入れていく。それに対してケッキングは虫を追い払うように手を振るが、それでも起きて戦うという選択肢はないらしく、攻められるがままに技を受けている。

 攻撃を受ける苦痛や腹立たしさよりも、怠けたさの方が優るとでもいうのだろうか。

 

「しかし、奴は取り合わなかった。ただ冷たい目で人違いだと突っぱね、その理由すら教えてくれなかった。それきり、奴とは接していない。」

 

 記憶の苦さを表すように、ウコンの口調と表情が歪んだ。

 一方、試合は終始キュウコンの優勢で進んでいる。

 その安定ぶりに、ヒノキは落ち着いて長く喋る事ができた。

 

「結論から言うと、今回の事件の犯人は九割方そのローレルだ。今朝、ダツラさんの解析で、タワーのローレルの部屋の古いパソコンからバンクシステムへの侵入口(バックドア)が作られていたことが分かった。だけどその張本人は昨日から昏睡状態で、肝心の目的(ねがいごと)が分からない。オレは最初は『海の民』としてあんたと組んでカイオーガの覚醒を企んでるんじゃないかと思ったけど、今の話を聞いた限りじゃどうも違うみたいだ。何か、心当たりはないかな?」

 

 ヒノキの問いに、ウコンは顎に手を当てて考え始めた。

 フィールドのケッキングは相変わらず一方的に攻撃を受けており、もうかなりのダメージが溜まっているはずだが、彼自身も主人も未だに全く動じない。

 このまま怠けきって体力が尽きたとしても、それも信じたポケモンの選んだ答えとして受け入れるのだろうか。

 

 と、ヒノキがそんな事を考え始めた時だった。

 

「・・・これは、わしの願望かもしれんが」

 

 ウコンはそこで言葉を止めた。

 ケッキングが腕枕をしていない右手でごそごそと右目を触り、そのままその手を高く振り上げたからだ。

 

「!コン!気をつけ──」

 

 しかし、ヒノキのその注意は間に合わなかった。

 目にも止まらぬ速さで振り下ろされたその手は、信じがたいパワーで巨大な『じしん』を起こし、急所が判る片眼鏡(ピントレンズ)で狙いを定められたその一撃によって、キュウコンを砕けたフィールドの海に沈んだ。

 

「・・・・・・。」

 

 ヒノキは言葉が出なかった。

 キュウコンは最初から最後まで、ずっと勝つ努力をしていた。

 相手が怠けている間も油断せず、自分なりに主人の戦い方を思い描いて動いていた。

 それが勝利に通じると信じて、この素直で賢い相棒は戦っていた。

 

 それなのに。

 

「ありがとう。ごめんな。」

 

 その二言が精一杯だった。

 自分を信じて戦うポケモンを勝たせてやれない悔しさと情けなさに、ルールも種族の強さも関係ない。

 

 やり切れない思いに震える手で、ヒノキは最後のボールを手にした。

 三体目のポケモンは、そんな主人の心情を察したようにボールを内側から僅かに揺らした。

 

「・・・頼むぞ!」

 

 ヒノキのその最後の一体は、ボールから飛び出たその足で仲間の仇へと向かった。そして、悠長に鼻をほじっているその顔面に瞬速の一発をぶちかました。

 

「・・・よくやった。もどって休め。」

 

 主人の言葉に、伸びたケッキングは待っていましたという顔を見せてボールへ戻っていった。

 そう、彼はあくまできまぐれな性格のものぐさポケモンというだけで、真面目を嘲笑(わら)う悪意など全くないのだ。

 

「ナイスファイトだ、キノ。」

 

 ヒノキもその事は理解している為、それだけ口にした。

 スピード重視の『マッハパンチ』はそう強力な技ではない。そんな一撃をノックアウトに仕立てたのは、前任の功労だ。

 

 これで残るは互いに一対一。

 ウコンが最後のボールを放った。

 

「さあ。任せたぞ、ラプラス。」

 

 現れたのは、のりものポケモンのラプラス。

 ヒノキのキノガッサとは互いが互いに弱点となる相性だ。

 

「先の続きだが。わしの知る限り、奴は本当に律儀で誠実な男だった。故に、ジラーチの力を借りてでも自身の願い、すなわちわしとの約束を果たそうと考えているのではないだろうか。」

 

 二体が最後の戦いを始めたところで、ウコンが話を戻した。

 ヒノキはその可能性について考えみた。

 もし、今のローレルもといムスカルがジラーチに『キナギにジムを作り、そのリーダーになること』を願ったとしたら。間違いなく、この世界はいくらか作り替えられることになるだろう。 

 それが最初の文書の『破滅ノ願イ』を指すならば、確かにその可能性も考えられなくはない。

 

「・・・なるほどな。」

 

 しかし、未だ彼が意識を取り戻したという連絡はない。

 このまま行けば、その願いは届くことなくジラーチはまた千年の眠りに着くことになる。

 だけど、それが本当にこの事件の結末なのだろうか?

 

「キノ!どうだ、もう少しで勝てそうか?」

 

 ヒノキがフィールドのキノガッサに問うと、彼女は前を見据えたまま力強く頷いた。

 実際、試合は確実にキノガッサが押していた。

 陸上では殆ど意味を為さないラプラスのひれ状の四肢が、身軽なキノガッサにフットワーク面で圧倒的なアドバンテージを与えていたからだ。 

 

「・・・そうだ、肝心なことを忘れていた。」

 

 ウコンがそう呟いたのは、ヒノキがそう遠くないキノガッサの勝利を確信しようとした、その時だった。

 

「わしはこのパレスの長を務めるにあたり、もうひとつエニシダに条件をつけたのだ。」

 

 ヒノキがその言葉の意味を問うより早く、ウコンは腕と同じ海神の紋が彫られた杖を強く突き、糸目をカッと見開いて叫んだ。

 

「行くぞ、ラプラス!!」

 

 その声に呼応するように、『キノコのほうし』の睡魔と戦っていたラプラスが長い首を起こし、目の色を変えた。

 

「コッ・・・!?」

 

 一瞬の内に変貌した相手の雰囲気は、『ゆうかん』な性格のキノガッサすらたじろぐほどの異様な威圧を放っていた。思わず速攻の足が止まり、気合いを溜めていた右の拳が解ける。

 そしてその瞬間を、ラプラスは見逃さなかった。

 

「・・・・・・」

 

 あまりの急速な展開に、ヒノキは今目の前で何が起きたのか理解できなかった。

 分かったのは、()()()()()()()()()()宿()()()()()()ラプラスが、()()()()()()()()()()()()完璧な『れいとうビーム』でキノガッサを氷漬けにしたという、その事実だけだった。

 

 ふう、とフィールドの向こう側から聞こえたため息で、ヒノキは我に返った。

 

「やはりこの歳になると、わずかな時間でも堪えよる。」

 

 自嘲気味にそう言ったウコンは、肩で大きく息をつき、両手を杖の柄頭に重ねて身体を支えていた。

 その杖が杖として彼の手にあるのを、ヒノキは初めて見た。

 

「ポケモンと魂がひとつに重なった時、その者の意識の半分はポケモンへと宿り、その心身を共有する。これが、我ら海の民の間で稀に発現する『キナギの精神(こころ)』と呼ばれる現象だ。」

 

 そう語ると、ウコンは自身と同じように疲弊しているラプラスをボールへ戻した。

 

「だからわしは、エニシダにこの力は使わぬと宣言した。実際にこの力をこのルールの中で使えば、スピリットシンボルを手に入れられる者など居らんだろう。何しろ、トレーナーが直接ポケモンの中に宿るのだからな。」

 

 そう言いながら、ウコンは懐へ手を入れた。

 そしてそのスピリットシンボルを取り出し、ヒノキへと差し出した。

 

「え、でも・・・」

 

 躊躇うヒノキに、ウコンは首を振って言い切った。

 

「構わん。わしの反則負けだ、受け取れ。何より、まだ全てが終わったという証はないのだ。」

 

 その言葉は、明白に何かを危惧していた。

 ヒノキは頷き、受け取ったシンボルをそのままフロンティアパスへと嵌め、目を閉じた。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「・・・え?」

 

 

 思わず声が漏れ、目を見開いた。

 心臓を後ろから突き飛ばされたような気がした。

 

「どうした?」

 

 さっと青ざめたヒノキの横顔に、ウコンが白く豊かな眉の根を寄せた。

 

「ジラーチが既に目覚めてる。・・・だけじゃない。」

 

 パスを持つその手は、小さく震えていた。

 

「頭の短冊が、一枚減ってるんだ。それに──」

 

 今までの、海底のような暗がりから一転した明るく開けた空間。目覚めたジラーチの背後に広がるその場所に、ヒノキは憶えがあった。

 

「なんで・・・そこに・・・」

 

 その呟きに応えるかのように、一体のポケモンが現れた。

 

「フーディン!」

 

 旧い相棒の細い両肩を引っ掴み、ヒノキは詰め寄った。

 

「おい!タワーで何があった!?なんでジラーチが今そこにいる!?」

 

 覚醒したジラーチが浮かぶ空間。

 そこは、今までの暗い水の中ではなかった。

 かつてヒノキがリラと初めて出会い、そしてまたここで会おうと約束した、バトルタワーの最上階だった。

 

「・・・あいつに、何かあったのか・・・?」

 

 フーディンは頷く代わりに目を伏せた。

 スプーンを介しての思念の伝達ができないほど、動揺しているらしい。

 

 ヒノキの右肩が強く掴まれた。ウコンの手だった。

 

「病院へはわしが向かう。おまえはこのままフーディンとタワーへ行け。」

 

 

 瞬間移動のその一瞬にさえもどかしさを覚えながら、ヒノキは

七番目の施設へと飛んだ。

 

 




 
ウコンの力はサトシゲッコウガみたいなものです。
ポケモンからすれば、脳内にトレーナーがいるという感じでしょうか。
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

57.10年前⑰ 破滅の願い[前]

 
肝心なところで更新が途切れてしまい、申し訳ありませんでした。遅くなりましたが、本日より隔日でラスト三話をお送りします。但し今回の57話と次回の58話は本作としてはかなり長めなので(約11000〜12000字程度)、しばらくは上下に分割して公開し、頃合いを見て一話にしようと思います。
また、前回のバトルと会話が交互に進行する仕様に加え、今回は更に一人称、回想及び視点切り替えによる場面転換も多々ある為、より読みづらい可能性があります。すみません。

おさらい↓

 ◇ :同時(視点切り替え)、またはちょこっと前or後(同日の範囲内)
 ◇ ◇ :ちょっと前or後(日付をまたぐ)
 ◇ ◇ ◇ :けっこう前or後(月をまたぐ)
 ◇ ◇ ◇ ◇ :だいぶ前or後(年をまたぐ)

【前回の要点】
ウコンとの戦いを経てスピリットシンボルを受け取ったヒノキはジラーチの覚醒とバトルタワーの異変を知り、現れたフーディンと共にタワーへ向かう。
 


 

「おい、リラ!大丈夫か!?何があった!?」 

 

 目にその場所が映るより先に、ヒノキは吠えるように叫んだ。

 

 バトルフロンティア第一の施設、バトルタワー。

 フーディンに連れられて瞬間移動をしたヒノキが立っていたのは、その70階のバトルフィールドだった。

 しかし、正面の相手側のコートには誰もいない。

 

「なんだ、どうした?」

 

 辺りを見回すヒノキの上着を、フーディンが引っ張った。

 そして、握っているスプーンの先で天井の方を指した。

 

「!あれは──。」

 

 そこには不思議なポケモンの姿があった。

 星を被ったような頭に、小さな白い身体。

 背からは一対の帯が羽根のように伸び、きらきらと光りながらたなびいている。

 

「ジラーチ・・・。」

 

 ねがいごとポケモン、ジラーチ。

 昨日までは星の繭の中で眠っていた伝説の存在は今、完全に開いたそのつぶらな瞳で千年ぶりに世界を見ていた。そしてそのジラーチの傍らにはもう一体、ハミングポケモンのチルタリスの姿がある。何者かにジラーチをそこに留める役割を与えられているらしく、半透明に輝く『しんぴのまもり』の結界でジラーチを囲っている。

 

(そうだ、確か──)

 

 先ほどスピリットシンボルを嵌めた時に見た映像を思い出したヒノキは、急いでジラーチの星形の頭部を注視した。ジラーチが願いを叶えられる数を示すというその短冊は、やはり二枚しかない。それでいて、願いを叶える時に開くはずの腹部の眼は完全に閉じている。となると、それは願いを聞き届ける度に開閉するということだろうか。

 

 と、ヒノキがそこまで考えた時であった。

 

 

──コツ、コツ。

 

 

 どこからか静かな足音が近づいてくる。

 心身を緊張させながらその方向を辿ったヒノキは、やがて正面奥のゲートに、一人の人物の姿を見つけた。

 

 ふわっとした豊かな淡紫の髪。

 その髪と同じくらい薄い色合いの装い。

 そして、その真実を知った今だからこそ納得のいく、儚い細さをした身体。

 

「リラ!!」

 

 無事だったんだな。

 ヒノキはそう続けようとした。

 が、その薄紫の双眸を見た瞬間、その言葉は喉元で立ち消えた。

 

(・・・?)

 

 

 何がと言われれば分からない。

 しかし、間違いなく何かがおかしい。

 

 

 口をつぐんで警戒するヒノキとは対照的に、その人物はゆるりと唇を緩めた。

 そして、穏やかな口調で言った。

 

「遅かったな。待ちかねたぞ、挑戦者よ。」

 

 

 ◇

 

 

「・・・誰だ、てめぇ。」

 

『私』の相棒と共に現れたその少年は、まるで追い詰められたポチエナのようであった。圧倒的な恐怖に怯む心を、怒りでどうにか奮い立たせて牙を剥く。「刃向かう」という言葉があまりにもなじむ、中々のご挨拶だ。

 

 だから『私』も、それ相応の返事を返す。

 

「不思議な事を言うのだな。たった今、お前自身がその名を口にしたではないか。そう、リ──」

 

「ざけんな!()()()がそんなジジくせー喋り方、する訳ねえだろ!!」

 

 先の低く怯えた声から一転、今度は感情を露わにした怒声で『私』の言葉を遮った。大声といえどもたったの一言で息が上がっているのは、興奮と緊張、そしてこの現実のためだろう。

 

「・・・なんでだ?」

 

 はあ、はあと、呼吸が落ち着かない内から彼は問う。

 

()()()の願いはキナギにジムを作ってリーダーになって、ウコンさんとの約束を果たすことじゃなかったのか!?それが、なんでこんなことになる!!?」

 

 彼のその心の叫びは、私の胸にとても素朴に響いた。

 私の願い。それは今まさに彼の言った通りだ。

 それがなぜ、こんなことになったのか。

 

「なんで、か。」

 

 声に出してなぞったその言葉に、思わず少し笑ってしまった。

 なぜなら、答えは余りにも簡単だからだ。

 

「それはもちろん、私の宿願を叶えるためさ。今お前が口にした、『ウコン(裏切り者)との約束を果たす』という破滅の願いをな!!」

 

 

 そう。

 人が変われば願いも変わる。

 全てはただ、それだけの事なのだ。

 

 

 ◇

 

 

「お、おい、フーディン!?」

 

 相手の放ったボールが開く前に傍らから頭上高くに瞬間移動した(ふる)い相棒に、ヒノキは驚いた。

 それは彼の指示ではなかった。

 一秒でも早く本物の主人を取り戻したいが為の、フーディンの独断だった。

 

 しかし、ジラーチを護るチルタリスに肉迫した彼が一撃を入れようとしたその時、下からの影の豪速球がそれを阻んだ。

 

「どうした。私はそんな指示は出していないぞ。」

 

 その瞬間、ヒノキは思わずこめかみを抑えた。

 隣に戻ってきたフーディンのα派が荒れ狂った為に、頭に割れるような痛みが走ったからだ。しかし、今の『奴』の言葉に憤りが滾ったのは彼も同じだった。

 

 柔らかなくせのある淡い紫の髪に、同じ色の瞳。

 その聡明さが表れているかのような、静かな整った顔立ち。

 それは正真正銘、タワータイクーンとしてこのフロンティアの頂点に立つあのリラに違いない。なのに。

 

 こいつは、あいつじゃない。

 

 険しい顔で唇を噛むヒノキとは対照的に、()()()()──すなわちローレルは落ち着いた調子で続けた。

 

「まあ良い。しかしおまえがそちらに着くというなら、こちらも対応が要る。すなわち、このカビゴンをおまえの代わりの先鋒とし、チルタリス(あいつ)は三番手とする。それを交換条件として呑んでもらうぞ。」

 

 そして先ほどシャドーボールを放った傍らのいねむりポケモンと、上空のチルタリスを順に見やった。

 

 ジラーチに手を出したければ、まずは自分に勝て。

 奴はそう言っているのだ。

 

 その言葉に、フーディンはカビゴンに向かって攻勢を取り直した。が、

 

「フーディン。」

 

 一歩前に出たヒノキが腕で彼を制した。 

 

「おまえはちょっと下がって瞑想でもしてろ。あいつはシャドーボールが使える。」

 

 少し震えてぎこちないものの、その言葉はフーディンに自身の過熱を気付かせるには十分な落ち着きを持っていた。彼は既に激情を堪えて目の前の戦いに集中している。そして五年ぶりに自分の相棒(トレーナー)として、そう指示している。

 

 懐かしさと共に平静を取り戻したフーディンは、テレポートでフィールドの外へと退いた。そしてそこで座禅を組み、目を閉じた。

 

 彼が戦闘を離脱したのと同時に、ヒノキは手にしていたボールを放った。現れたのはジョウト原産のみのむしポケモン、フォレトス。

 

「フォレ、『まきびし』だ!」

 

 身体の四方に備わった噴射口から無数の硬く尖った実が放たれ、フィールドを埋め尽くす。足裏の肉の柔らかいカビゴンなら、これでかなり動きを制限できるはずだ。

 

 その機を利用して、ヒノキは偽者を探った。

 

「この七日間のオレはさぞ滑稽だったろうな。何しろ、あんたとウコンさんが実はグルで、『海の民』としてカイオーガの覚醒を目論んでるんじゃないかって。さっきウコンさんからあんたとの約束の話を聞くまで、それがあんたの『破滅ノ願イ』だと思ってたんだから。」

 

 その自嘲を含んだ言葉を、リラの姿をしたローレルは微笑をもって応えた。

 

「いや。あながち全くの見当外れという訳でもないさ。」

 

 そしてカビゴンに『はらだいこ』を命じてから、その詳細を続けた。

 

「確かに私の望みに海の神(カイオーガ)は登場しない。しかし、全ては私が『海の民』に生まれた事から始まった。『海の民』がどういう一族であるかは、お前は既に知っているな?」

 

 その問いに、ヒノキはこの二日で得た知識から言葉を選んで回答を作った。

 

「・・・古代ポケモンのカイオーガを守り神とし、年間を通じて海の上で生活を送る海洋民族。千年前、狂信的な思想を持つ若者達が海を拡げるために呼び覚ましたカイオーガと『陸の民』のグラードンの争いは歴史に残る大災厄として有名。その後も度々似たような者が現れては同じ事を試みるが、いずれも失敗に終わっている。最近では、『アクア団』を名乗る海洋保護団体の幹部がこの一族の出身であることが分かっている。」

 

「その通りだ。だが、我々当事者にとっては重要なのはそこではない。」

 

 リラもといローレルは静かに答えた。

 

「今お前が言った通り、千年前、我々の先祖たちはこのホウエン全土を未曽有の危機に晒す過ちを犯した。そのため一連の騒乱の終息後、社会からの報復や迫害を恐れた彼らは、それまでの本土近海から遠く離れた現在のキナギの場所に居を移した。すなわち、キナギとは落人(おちうど)の郷なのだ。」

 

「落人・・・?」

 

「そう。しかし、先にお前も述べたように、実際に事を起こすのはいつの世も一部の極端な思想を持つ者に過ぎない。殆どの民は海と静かに生きる事を願う、凪のように穏やかな人間だ。そしてそれは千年前も例外ではなかった。が、世間はそうは考えぬ。・・・ここまで言えば、私の『夢』がどういう願いの元に生まれたものか、何となく察しがつくだろう?」

 

 そう言って、ローレルは若い薄紫の瞳を遠い日へと馳せた。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「さあ、じきに朝日が水辺を照らす頃だ。漁師たちと鉢合わせないよう、おれはもう行くよ。」

 

 隣のホエルコの背から仄明るくなった水平線を見渡す友人に、ウコン・オレナはその言葉に相応しい返事が返せなかった。

 

「なあ、ムスカル。」

 

 十五年来の友人の見慣れない憂顔に、呼びかけられたムスカル・ジャコウは目を見開いた。

 

「どうしたウコン。深刻な顔をして、柄でもない。」

 

 その澄んだ瞳に、ウコンは一瞬話すのをためらった。

 が、意を決して口を開いた。

 友人だからこそ、伝えるべきだと思ったからだ。

 

「昨日、流星の民の里から来た行商人に聞いたんだ。どうも最近、『陸の民』の間でグラードン(大地の神)を目覚めさせようという動きがあったらしい。幸い未遂に終わったが、その為に今、本土では民族に対する疑心暗鬼がかなり酷い状態にあるそうだ。」

 

 しかし、ムスカルはそんな親友の心配を笑って退けた。

 

「本土の人間の民族不信は今に始まったことじゃない。そんな事を言っていたら、いつまで経っても旅立てないよ。だいたい、そこで日和ってしまっては、それこそ後ろ暗い事があると自分で言っているようなものだ。」

 

「・・・そうか。そうだな。」

 

 その言葉にウコンは頷いた。そして、ポケットから貝殻で作った鈴を取り出した。どこか不思議なその音色が響き渡ると共に水面が揺らぎ、やがて長い身体に鮮やかな斑点を持つポケモンが顔を出した。それは彼らの海の友人だった。

 

「おまえが行った後、こいつとカイナの方向へ『うずしお』を起こす。それで漁師たちは遠ざけられるはずだ。こいつも、おまえのことを応援していると言っている。」

 

「助かるよ。・・・なあ、ウコン。」

 

「なんだ?」

 

「この先も、お前には少なからず迷惑をかけることになる。すまない。」

 

「何を謝ることがある。おまえの夢こそおれ達の未来だ。一流のトレーナーとなったおまえがこのキナギに道場(ジム)を作り、この郷や人々がれっきとしたホウエンの一部として認められる。そんな素晴らしい未来が待っているなら、目先の苦労など屁でもない。」

 

 改まった調子で頭を下げてきた友人に、わざとらしくならない範囲でウコンは明るく言った。

 そう、すべてはその未来が来るまでの一時の辛抱なのだ。

 この先本土で彼を待ち受けているであろう苦難も、郷里における裏切り者の烙印も。

 

「そうだ。さっき言った流星の里の行商人から面白いことも聞いたんだ。ここからサイユウまでの途中にあるアマミ群島のどこかに、流星の一族の神を祀った古代の祠があるらしい。帰ってきたら、一緒に探しに行かないか。」

 

 ウコンの年相応の若者らしい提案に、ムスカルも白い歯を見せて応えた。

 

「それは面白そうだ。そうとなればなおさら、早く身を立てて帰って来なければな。」

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 再び視線を現在に戻したローレルは、淡々と続けた。

 

「移住後の先祖達の暮らしは過酷そのものだった。それまでのように各地の港を巡って交易することも出来なくなり、物理的にも社会的にも孤立してしまったからだ。もし先祖達にポケモンがいなければ、我々が今日まで血を繋ぐことは到底できなかっただろう。」

 

『まきびし』の海の向こうから、カビゴンが次々と『シャドーボール』を放り込んでくる。『はらだいこ』で最大限のパワーを得ている為に、その勢いは凄まじい。

 が、フォレトスはそれを『まもる』ことで尽くはね除けていた。

 

「常に貧しさと死が隣り合わせの日々の中で、先祖とポケモン達は常に魂を寄せ合うように生きてきた。そうした特殊な環境が、やがて特別な力を備えた者を生み出すようになったのだ。すなわち、『キナギの精神(こころ)』と呼ばれる、ポケモンと霊的につながる力を持った人間を。」

 

 初めて知る真実に、ヒノキはウコンがその力を持つことに納得した。特殊な自然環境や歴史的背景を持つ土地には、しばしば特殊な力を持つ人間が現れる。カントーのトキワ出身者の間で稀に発現する癒やしの力はその代表的な例だ。もしかしたら、ポケモンと対話ができるリラもそうした人間の一人なのかもしれない。

 

「数奇にも同じ年に生まれたウコンと私にも宿ったその力は、やがて他者と心を通わせ信じることの意味、そして真の絆で結ばれる喜びを教えた。そうした体験を経た私は、次第にこの郷と外の世界も同じようにつなげられはしないかと考えるようになったのだ。」

 

 カビゴンは『シャドーボール』を連投し、相手のガードが崩れるのを待っている。が、フォレトスの防御は要塞のように堅い。本来の属性と異なる技を放つ為にどうしても発動に時間がかかり、その間に防御壁を張り直されてしまうのだ。

 

「先にも触れたように、当時の世間が我々を見る目は偏見に満ちていた。しかし、実際にはいかなる者であるかを知れば、変わることがあるのではないか。そんな思いに駆られるようにして、あの日私は暁の海を後にしたのだ。・・・だが」

 

 その続きが語られるまでに少しの間があった。

 その間に、彼は苦々しげに表情を歪めた。

 

「飛び出していった先の世界で私を待っていたのは、ただただ無情な現実だった。何も知らぬ内は友好的であった人々は、私が海の民であると知るや否や、目の色を変えた。憎悪、警戒、恐怖、猜疑・・・そんな色にな。」

 

 もはや努めて平静を装っている事が明らかな声で、それでも彼は自身の経験した怒りと失望を語り続けた。

 

「やがて私の噂が広まると、道では露骨に蔑まれ、道場(ジム)への挑戦は妨害され、宿や買い物さえ断られた。その為に野営をすれば夜襲を受け、海に還れと罵声を浴びせられる始末だった。」

 

 カビゴンが影の球を投げる手を止めた。

 このままでは埒が明かないと悟ったのだ。

 

「そうして私は、自分の夢が手の届かぬ高さで輝く星であったことを知った。しかし、掟を破って郷を抜け出した手前、何も為さぬ身で帰ることも出来ない。やむなく素性を偽って各地を転々とし、最終的にはカイナでポケモンセンターの機械のメンテナンス業と海の博物館の職員を兼業して生計を立てていた。・・・そうして月日が流れたある日、あの男が現れたのだ。」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

57.10年前⑰ 破滅の願い[後]

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

「大変お待たせしました。当博物館学芸員のローレル・リアンと申します。」

 

 恭しく礼をしてきた初老の紳士に、ソファーにかけていた青年は慌てて腰を上げて頭を下げ返した。

 

「いえいえ。こちらこそお忙しいところ申し訳ない。しかし、どうしてもあの島の事をお聞きしたく思いまして・・・おっとそうだ。申し遅れましたが、私はエニシダ・ブルームという者です。」

 

 ホウエン地方最大の港町、カイナシティ。

 その海辺の高台にある博物館の応接室で、ちぐはぐな外見の二人の男がにこやかに握手を交わしていた。

 

「ははは。確かに書面上の所有者はうちの館長(クスノキ)ですが、実際に管理やら調査をしているのは私ですからね。・・・ほう、ご職業はポケモン実業家、ですか。」

 

 交換した名刺に記された肩書をローレルが珍しそうに読み上げると、エニシダ青年は肥えた白い腕を頭に回し、照れくさそうに癖のある後ろ髪を掻いた。

 

「ええ。まあ、まだほとんど自称、というところですが。しかし、私には夢があるのです。このホウエンに、世界中の強者たちが集うポケモントレーナーの楽園を作る、という夢が。」

 

 夢。

 その言葉の響きも、実際にそれを語る目の前の青年も、ローレルにはひどく眩しく、懐かしく、そして遠く感じられた。

 

「ポケモントレーナーの楽園、ですか。それは、いわばポケモンリーグのようなもので?」

 

 胸中に広がる波紋は微塵も出さずに、ローレルはごく自然に訊ねた。

 

「いえ、むしろ逆です。ポケモンリーグとは伝統的な試合形式に則ってその頂点を決する、ポケモンバトルの聖地。対して私が構想するのは、従来にない独自のルールでトレーナーの力を試す、いわばポケモンバトルの最前線です。まあ、もちろん一つくらいはオーソドックスなバトルを楽しめる施設も設けるつもりですがね。」

 

「なるほど。ではつまり、その夢の舞台の候補としてあの島を考えておられる、という事ですね。」

 

「その通りです。複数のバトル施設やそれを支える街を作るのに十分な広さがあり、ホウエン本土からも一日で往復できる距離。そして何より、反対する住民もいない未開の無人島である。正直、もうあの島以外は考えられません。」

 

 青年の熱弁にローレルは頷いた。が、決して流されたという訳ではなく、あくまで冷静に応じた。

 

「ふむ。・・・ちなみに、館長にはその事は?」

 

「既にお話してあります。特にどうする予定もない島だから、譲る分には構わないとの事でした。ただ、本当に決める前に最もあの島に詳しいあなたの意見を聞いておいた方が良いだろうとの助言を頂いたので、今に至るという訳です。」

 

「なるほど、そういう事でしたか。」

 

 そう言うと初老の学芸員は整った髭の生えたあごの下に手をやり、考え込むように黙った。

 そんな彼の仕草に、青年は一抹の不安を感じた。

 

「・・・何か、問題でも?」

 

「いえ。まあ、確かにあの島は少しばかり妙なところがありますが、かといってこれまでに何かが起きたという訳でもないので。年寄りの杞憂ですよ。お聞かせ頂いた計画を形にする場としての適性は、仰る通り十分だと思います。」

 

「そうですか。それは良かった。」

 

 そこでエニシダはほっと安堵の息をつくと、出された紅茶をすすった。そうして気持ちに余裕が出てきたのか、カップを置くと、奇妙なサングラスの奥からじっと好奇の目でローレルを見つめた。

 

「・・・私の顔に、何か?」

 

「や、失礼。いえね、実は私、ちょっとばかり人を見る目というのがありまして。分かるんですよ。あなたが、こんなところで収まっているには惜しすぎる人間だということが。」

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 硬く鋭い木の実の海を隔てて、カビゴンとフォレトスは主人達の指示を待っている。

 

「間もなく、私は海の博物館を辞してエニシダの元で働くこととなった。最初は島の知識やら昔の職で培った技術をあてにされた便利屋だったが、やがて大方の設備が整うと、施設で使用するポケモンの育成係を任じられたのだ。」

 

 話を進めつつ、ローレルはカビゴンが撒き菱の海を渡らずにフォレトスへ『のしかかり』を仕掛ける方法を探っていた。

 

「その仕事は私にとって故郷を出て以来の喜びだった。私がキナギにジムを作って主になりたいと願ったのも、ポケモンが好きで彼らと共に郷興しがしたいと思ったからだ。」

 

 今、地上を行かせれば一歩ごとに走る痛みが速さを削ぎ、威勢を削がれる。まして『はらだいこ』で体力の半分を失っている現状では、リスクが大きすぎる。

 そうとなれば──。

 

「そしてその喜びと誇りが、私にようやく故郷で待つ友へ詫び状を出す決意を固めさせた。『お前との約束はもう果たせそうにないが、代わりにこの島で誠心誠意やっていくつもりだ。』と。・・・奴がこの島にやって来たのは、その手紙を出そうとした矢先だったよ。」

 

 そこでカビゴンに命じたのは『あくび』。しかし、おおらかな技の雰囲気とは対照的に、ローレルの語り口は怒りで荒んでいた。

 

「まったく。ろくでもない目には人一倍遭ってきたが、(はらわた)が煮えくり返る音を聞いたのは初めてだったよ。郷で待つと約束したお前が、なぜブレーンとして現れる?絆を試す役を引き受ける?そんな怒りで滾る音がな。」

 

 一方、ヒノキとフォレトスにとって、そのような搦め手が入る事は決して想定外ではなかった。ただ、誘うつもりが誘われる形になってしまった以上、少し予定を変更する必要がある。

 

「もちろん私は自分に言い聞かせたよ。約束を守れなかったのはむしろお前の方なのだと。そんなお前に奴を非難する資格などないと。だが、頭では分かっていても、積年の辛苦が渦巻く私の中の嵐は収まらなかった。」

 

 苛立ちのままに吐露するローレルに、眠気に抗いながらヒノキは言葉を返した。

 

「・・・だから、その資格を得るために自分だけ約束を果たそうってのか?ウコンさんを裏切り者として心おきなく憎む為に?」

 

 その言葉に、ローレルは躊躇う事なく頷く。

 

「たった一人でも本当の私を憶え、受け入れてくれると信じられる友がいる。それが、私がこの世界を生きる支えだったのだ。お前には到底分からぬ事だろうがな。」

 

「分かるさ」

 

 ヒノキは心から言った。

 大切な存在だからこそ、傷つける事で自分の存在や思いの丈を知らせたくなる。かつて、たった一人の肉親である兄がチャンピオンの職務の為に疎遠になった彼にも、そんな(くら)い衝動には覚えがあった。

 

 しかし。

 

「それにしたって、それはあんたら二人の問題だろうが。リラが巻き込まれなきゃならない理由にはならねえだろ。」

 

 目で主人の合図を受けたフォレトスが、噴射の推進力で飛び出した。弾丸のようなその勢いは、そのまま相手へ強烈な『すてみタックル』をかますためだ。

 ところが、飛んだのは彼だけではなかった。

 

「その通りだ。」

 

 硬いような、柔らかいような鈍い衝撃音と共に、両者は棘の海の上空で激突した。そして、その反動で弾かれたように各々の陣へと落ちた。

 

「だからあの子には、今もすまないと思っている。」

 

 そう言うと、ローレルはまるで傘をさすようにポケットからボールを取り出して開いた。直後、薄いピンクのベールが彼を包み、巨体の落下と派生した衝撃から彼を守った。

 続いて、その『マジックコート』の主のバネブーは頭の真珠を輝かせた。そしてまるで映写機のように、フィールドの横の壁にある光景を映し出した。

 

「見ての通り、私の本来の肉体は間もなく滅びようとしている。到底、キナギにジムを作れる時間などない。しかし、()()()()ジラーチに若さを望めば、私自身かこの世界のどちらかが作り替えられてしまう。それでは意味がないのだ。私が約束を交わしたのは、()()()()()()()()()()なのだからな。」

 

 呼吸器を付けた苦しげな老人の姿を眺めながら、ローレルは無感動に言った。まるで他人事だ。

 

「・・・それは分かんねーな。それで他人に成り代わって約束を果たすなんて。矛盾もいいとこだろ。」

 

 ヒノキは努めて冷静に、そして強気に言ったつもりだったが、その声はどうにも力強さを欠いていた。しかし、本物のリラがあの死にかけの老体の中である事を思えば、仕方のない事だった。

 

「私はとうの昔にムスカル・ジャコウという『自分』を捨てている。その時から私を私ならしめているのはこの(たましい)だけだ。器である肉体に拘りはない。」

 

 その歪んだ我執に不快感を覚えると共に、ヒノキは理解した。ジラーチに願いを届かせるには、その願いに相応の「覚悟」が求められる。だからジラーチは彼に腹の眼を開いたのだ。身体を失う事を厭わない、その覚悟を認めて。

 

「・・・が、この子を選んだ事については、多少の執着があったことを認めねばな。」

 

 ちらりと今の身体を見やった後、ローレルは唇の端に微かな笑みを浮かべて続けた。

 

「五年前、お前達と出会ってからこの子は変わった。理想のタイクーン像を語り、事あるごとにお前を引き合いに出すようになった。それまではずっと今だけを黙々と生きていた子が、過去を糧にして未来に目を輝かせ始めたのだ。師として傍にいた私には、その変化がよく分かった。そして思ったのだ。夢があり、友があり、未来があるという幸せを私ももう一度味わってみたい──と。」

 

 カビゴンは既に体勢を立て直し、フォレトスが眠りに落ちる瞬間を見計らっている。先ほど『のしかかり』で応じた空中相撲は五分だったが、『すてみタックル』の反動もあっていくらかダメージは入った。次を決めれば、『がんじょう』な要塞もさすがに陥落だ。

 

「とはいえ、もちろんあの子にも自分を生きる権利がある。だから私はお前達にヒントを与えた。お前に見せたジラーチの経過報告もその一環だ。しかしそれでも足りぬようだったから、一昨日の夕方、最後のチャンスとして私はあいつと共にあの子の前に現れた。ジラーチを入れていた、病院の屋上の給水塔の前でな。」

 

 天井高くに浮かんでいるチルタリスを一瞥して、ローレルは言った。ヒノキは反射的に昨夜の電話越しのリラの躊躇いを思い出した。

 

「賢いあの子は一目で全てを察した。その上で言ったのだ。『それでもぼくはタイクーンとして最後まであなたを信じる』。──私はそれを、彼女がこの運命を受容したと見なした。」

 

「ふざけんな!んなのだれがどう考えても曲解じゃねーか!だいたい、誰がてめえをリラと認めるかよ。本当のあいつを知ってるオレ達に受け入れられる訳ねえだろ!!」

 

 ヒノキの言葉に、にわかに背後の気配が濃くなった。

 瞑想しているフーディンも同じ思いなのだろう。

 

「案ずるな。あの子の遺志(ゆめ)は私が必ず叶える。そして、次の願いでおまえ達の記憶をきれいに塗り替えてやる。もちろんウコンは除いてな。──さあ、カビゴン!とどめの『のしかかり』だ!!」

 

 フォレトスの殻の隙間が完全に暗くなると同時にローレルは叫び、カビゴンは助走をつけて飛んだ。巨体に見合わない素晴らしい跳躍が、『まきびし』の海を越えてフォレトスに迫る。

 そして──

 

「今だ!!」

 

 

 フォレトスの目が再び見開かれた、その瞬間。

 

 

──ドム。

 

 

 敵陣からの凄まじい煙と爆風に、ローレルは再びバネブーに『マジックコート』を命じた。そして煙が晴れたところで、淡々と黒焦げのカビゴンをボールに回収した。

 

「・・・閉眼はフェイントだったか。」

 

 焼け焦げた空気の中に『ラムのみ』の匂いを嗅ぎとった彼は、悔しがるでもなくそう呟いた。

 身体を張って『だいばくはつ』をしてくれたフォレトスを労いつつ、ヒノキは頷いた。

 

「わりーけど、今はなりふり構ってられねーんだ。どんなに外道な手を使ってでも、勝たせてもらうぜ。」

 

 しかし、そのヒノキの言葉にローレルは唇を緩めた。

 

「構わぬ。むしろそれくらいの気概がなければ、こいつには挑む事すら難しいであろうからな。」

 

 そしてその手から放たれた二つ目のハイパーボールが地につき、開閉スイッチが作動した。

 

「・・・!!?」

 

 不意に背筋に走ったぞわりとした緊張に、ヒノキは本能的に身構えた。

 

 この感覚、間違いない。

 ()()()のポケモンが放つ、この独特の威圧感(プレッシャー)は──。

 

 その直後、轟音と共に光の柱がフィールドに建って消えた。

 後にはフォレトスの置土産の(ひし)の実の燃え殻だけが残った。

 しかし、その光景を目の当たりにしてもなお、ヒノキはその事実をすぐには受け容れられなかった。

 

「なんで・・・そいつがここに・・・。」

 

 




投稿前に最終チェックはしていますが、さっきセブンイレブンでおにぎりのレシートを貰うのを忘れたショックがまだ響いているので見落としがあるかもしれません。何かあればぜひご一報ください。
次話の投稿は明後日の同時刻を予定しています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

58.10年前⑱ 本当の願い[前]

 
 大体前回と同じです。本当にすみません。

【前回の要点】
フーディンと共にバトルタワーへ飛んだヒノキは、覚醒したジラーチが見守る中、リラに成り代わったローレルと戦う。
 


 

 ◇ ◇ ◇

 

「ライコウ・・・ですか?」

 

 一ヶ月ぶりに帰島した愛弟子が連れ帰った異郷の珍獣に、ローレルは瞠目せずにはいられなかった。

 

 その昔、一度落とした命を霊鳥(ホウオウ)によって蘇らせられ、以来城都(ジョウト)各地を駆け巡るようになったとされる、紫雲を背負いし雷獣。

 

「はい。エンジュシティで雷雨に遭った時、雨宿りをしていた古い塔で出会ったんです。最初は相手にされませんでしたが、ぼくが塔を守っている事を話すと、少しずつ興味を持ってくれて。」

 

 その風格といい力といい、確かに「タイクーンの象徴となるようなハクのつくポケモンを捕まえてきてほしい」というエニシダの注文は十分満たしているだろう。

 しかし──。

 

「しかし、このホウエンにもラティオスやラティアスという存在がいるではありませんか。それでも、わざわざジョウトまで行かれたのですか?」

 

 釈然としないローレルは、彼が連れ帰ってくるであろうと考えていた、ホウエンの双竜の名を出して訊ねた。ほとんど南の果てであるといえど、ここがれっきとしたホウエン地方である以上、やはりタイクーンの象徴にはホウエン固有の種が望ましい。実際、旅立つ前の彼に自分が勧めたのも彼らだ。

 

 しかし、彼は雷獣の素晴らしい毛並みを撫でながらその理由を述べた。

 

「ジョウトの三獣の名は『水君(スイクン)』、『炎帝(エンテイ)』、『雷公(ライコウ)』。いずれも、僕達と同じにその名に治者の号を持っています。ですから、彼らこそこのフロンティアの象徴として相応しいと考えました。オーナーには既に報告済みです。」

 

「・・・なるほど。左様でございましたか。」

 

 そう言われれば、確かに一理あると言えなくもない。

 しかし、この聞きわけの良い子がここまでこだわりを見せるというのは、おそらく──。

 

 日頃の付き合いから彼の真意を察したローレルは、咳払いをしてあくまでさりげない口調で訊ねた。

 

 

「それで?ご友人に会う事はできたのですか?」

 

 

 途端にぎくりと肩を揺らした少年に、やはりまだ子供だと鼻からため息が漏れた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「・・・なるほど?『お楽しみ』ってのは、こいつの事か。」

 

 昨夜のリラの言葉を思い出しつつ、ようやく目の前の現実を認めたヒノキは呟いた。生後の十年間をジョウトのエンジュシティで過ごした彼は、この雷の化身の事はもちろん知っている。そうそう人間に関心を持たない事も、その知性と誇りの高さに見合った力を持つ事も。

 

 一段と厳しさを増した状況に思わず舌打ちが出た、その時だった。

 

「てっ!」

 

 突然何かが眉間を小突き、思わず伸びた手がそれを掴んだ。

 それは上着のポケットに入れていた、あのリラからのスプーンだった。そしていつの間にか、落ち着きを取り戻したフーディンが隣にいる。

 

「フーディン・・・。」

 

 その意図を悟ったヒノキは彼に向かって小さく頷き、スプーンを握って目を閉じた。その心地よい冷たさに、不思議と気持ちが落ち着いていく。

 やがて、瞼の裏にある光景が映った。

 

 

 

 懐かしい(あそびば)から深く色づいた古都(こきょう)を見下ろすリラ。

 少し寂しそうに微笑む彼に、フーディンがそっと額にスプーンを当てる。

 軽く目元を拭った彼は、相棒に向かって笑って頷いた。 

 

「うん。そうだね。」

 

 ぼくたちがまた会おうと約束したのは、バトルタワーの最上階だものね──。

 

 

 

 そこでヒノキは目を開いた。

 そして再びフーディンと視線を交わして頷き、目の前のライコウを見た。その瞳に敵意はなく、ただ試すような目で自分を見ているばかりである。「さあ、こんな時はどうする?」とでもいうように。

 

「さあ、どうする?退くのも策の内だ。殊に、勝ち目の薄い相手を前にした時はな。」

 

 奇しくも胸に浮かんだものと同じ言葉がヒノキの耳に届いた。しかし、そんな挑発じみた揺さぶりでは彼はもう揺れなかった。

 

「んなの、もう言っただろ。」

 

 怯む気持ちはどうしたって拭いきれない。

 だが、それでもこのまま折れる訳にはいかない。

 

「この戦いだけは、何があっても負ける訳にはいかねーって。それに、何より──」

 

 この誇り高い雷獣をここまで従えてきたということは、あいつはその目に適ったということ。

 それが、今のあいつのトレーナーとしての地点。

 

「あいつがそこにいるんなら。オレも行かなきゃならないんだよ。必ず。」

 

 少年の言葉に、思わずローレルの口元が綻んだ。

 嘲笑でも失笑でもない、挑み挑まれる快感からこみ上げる笑み。こんな心地は、遠い昔のウコンとの勝負以来だ。

 

「ならば私が試してやろう。おまえの『才能』がおまえをどこまで連れていけるのかを!」

 

 ライコウが天に向かって轟くような咆哮を上げた。

 彼もまた、目の前の少年を試すことに高揚を感じたようだった。

 

 

 ◇

 

 

 フーディンに相手を分析する為の牽制(うごき)をさせながら、ヒノキは必死にこのいかずちポケモンに関する記憶を手繰った。

 かつて、ケーシィを探すために侵入した焼けた塔での出会い。

 スクールの授業で地元の郷土史研究家から聞いた伝承。

 ポケモンリーグを制した後、改めてジョウトを巡る旅の中での幾度かの邂逅。

 

 それらの情報の全てが、この現状に対しては同じ結論をヒノキに示していた。すなわち、「あの雨雲を抑えろ」と。

 

「フーディン!」

 

 ヒノキは一旦フーディンを呼び戻し、その旨を伝えた。

 どうやら彼も小手調べの中であの発電器官が敵の肝と覚ったらしく、頷いて同意する。

 

 問題は、それをどうやって遂行するかだ。

 

「どうした。来ぬならこちらから行くぞ!」

 

 件の紫雲がバチバチと火花を散らすと共に、ゴロゴロと不吉な音を響かせ始めた。雨雲が雷雲になろうとしているのだ。

 

「・・・だから、そこでこいつを叩き込めばいけるんじゃないかって思うんだけど。どうかな?」

 

 扇動を意に介さず、ヒノキはポケモン図鑑の画面を指してフーディンに自分の案を伝える。そこに表示されているのは、フーディンが今覚えている技の一覧だ。

 

 フーディンは目を瞑ってその策の可能性を計算した。

 そして目を開くと、こくりと頷いた。

 

「おーし。頼むぜ、相棒。」

 

 知能指数5000の相棒の同意を得たヒノキは、その痩せた背中をばんと叩いて再びフィールドへ送り出した。

 

 

 ◇

 

 

「ライコウ、相手はおそらく短い『テレポート』で撹乱を図ってくる。惑わされぬよう気をつけろ。」

 

 牽制戦から見立てた予測をポケモンに伝える。端的に、そして具体的に。

 

「そうだな・・・。こちらもフェイントを交えるのも面白かろう。まあ、お前の思うようにやればいい。」

 

 ライコウに対しては、私はあくまで必要最低限の指示しか出さないよう心がけている。それは信頼もあるが、何よりもこの雷獣の誇りの高さを考慮しての事だ。

 ポケモンも人間と同じようにそれぞれに性格があり、個性がある。だからトレーナーはその個性を尊重し、特徴を活かして最大限の力が出せる方法を模索しなければならない。

 

(楽しいものだな。)

 

 何だろう。

 この、内側から呼び覚まされるような感覚は。

 

(いや、内側からだけではないか。)

 

 今、こうして私を揺さぶっているのは。

 

「フーディン!奴は距離に合わせて遠隔攻撃(かみなり)直接攻撃(スパーク)を使い分けてくる!半端な距離で迷わせろ!」

 

 なぜ彼らは、ああも当たり前のように息を合わせられるのだろう。あの年頃の五年といえば、成人後の数十年に匹敵する隔たりのはずだ。

 

──絆。

 

 ふと浮かんだその言葉に、胸が澱んだ。

 たちまち美しい感情に翳りが差し、どす黒い雷雲へと変わってゆく。

 

「ライコウ、『めいそう』だ!目ではなく相手の体内を巡る電気で位置を追え!」

 

 人間同様、殆どのポケモンにはその生命活動を支える為に体内に微弱な電気が通っている。いわゆる電気信号というやつだ。

 尤も、普通のポケモンならばその感知は難しいだろうが、電気に感度の高いポケモンなら、少し集中力を高めることでそれは可能となる。

 

「フーディン!」

 

 私の策は功を奏した。

 視覚や聴覚ではなく電気で相手を追うことでライコウの反応速度が上がり、ついにその身体に『かみなり』を落とす事ができたのだ。しかし、この戦いはそれで終わりとはならなかった。

 

(向こうも『めいそう』が効いたか。)

 

 やがて煙が晴れ、身体のあちこちを焦がしながらも佇むフーディンの姿が現れた。どうやら、第一試合の間に場外で積んでいた『めいそう』の効果らしい。だが、次の一撃を耐え切れないのは一目瞭然だ。

 

「『ほうでん』で中距離を牽制しつつ『かみなり』を狙え。奴はそれで落ちる。」

 

 基本的に、技の消費エネルギー量というのはその威力に比例する。一度の戦いで大技がそう何度も使えないのは、それだけエネルギーの消耗が大きい為だ。が、このライコウにはその枷がない。

 雲という、非常に効率的な電力供給システムを備えているために、一般的なポケモンのようにエネルギー源の摂取や休眠といった充電(チャージ)が必要がないからだ。

 

 ライコウの放つ『ほうでん』が自然と相手の移動を制限し、『かみなり』の狙いを定めさせる。背の雷雲はいよいよ激しく弾け、不吉な音を響かせる。

 

 その時だった。

 

 

「『()()()()()()』!!」

 

 

 私は一瞬、自分がその技の名を聞き違えたのだと思った。

 しかし、フーディンは躊躇う事なく左手の匙を宙へ放り投げた。

 直後、稲光が閃く。そして──

 

「・・・!!」

 

 再び、辺りが灰色の厚い煙に巻かれた。

 その煙に咽せながら、私は叫んだ。

 

「ライコウ!電気反応に集中しろ!そうすれば、必ず──」

 

 相手を捕えられる。

 しかし、私はそう続ける事ができなかった。

 その相手がついさっき、数十万ボルトの電撃を浴びた事を思い出したからだ。

 

(まさか。電気反応を追えなくするためにわざと──?)

 

 そこまで考えた時だった。

 あの生ける雷の、雷鳴のような叫びが響き渡ったのは。

 

「!?どうした、ライコウ!」

 

 煙はまだ晴れないため、その身に何が起きたのかはわからない。だが、フーディンは自らの身代わりの被雷針として、自身のサイコパワーの源であるスプーンを一本手放した。すなわち、力が半減した技など、決してライコウが叫び声を上げるほどの威力にはなり得ないはずだ。

 

 

──そう、それが()()()()()()()()()()()であったならば。

 

 

「何・・・!?」

 

 ようやく煙の晴れたフィールドの中央に現れたのは、想像もしなかった光景だった。

 

 完全に凍りついたライコウの雲。

 その真ん中に刺さるフーディンの右腕。

 そしてその細腕に、凍てつきながらも上体を捻って必死に牙を突き立てるライコウ。

 

「『れいとうパンチ』だと・・・!?」

 

 確かに、あの子は最近フーディンの戦術の幅を広げる為にジョウトで入手した技マシンを試していると言っていた。

 だが、こんな技まで覚えさせていたとは知らなかった。

 

「雲の成分は水だからな。凍らしちまえば何とかなるかもって思ってさ。・・・まあ、予定ではもうちょっと凍結が早くて、こうやって肩を噛み砕かれる事もなかったんだけど。多分、電気で体温が上がってたせいだな。」

 

 そう言って少年は手を出した。

 その手に向かって、私は黙ってフーディンのボールを投げた。

 

「分かってんじゃん。さすがはこいつのトレーナーだ。」

 

「ふん。さすがにこれだけ嫌われていたら分かるさ。そいつが私の放ったボールを拒むことくらいな。」

 

 少年の手によって、フーディンは素直にボールに戻った。

 絆という言葉が再び私の胸を締めにかかる。

 

「さあ、これで互いに残すはあと一体ずつだ。私は宣告通りあいつを使う。・・・来い、チルタリス!」

 

 嫌な思いを振り払うべく、私は声を張った。

 まもなく、呼ばれたハミングポケモンがジラーチを結界ごと引き連れて降りてきた。結界はそのままバネブーに引き継がせる。

 

「オッケー。じゃあ、不公平にならないようにオレも予め見せとくよ。」

 

 そう言って、少年は最後のボールを放った。

 

「自分のポケモンの事をよく分かってるあんたなら。きっとこいつの事も分かるよな?」

 

 少年の皮肉まじりの言葉に眉をひそめる前に、ボールの起動光が切れた。

 そうして露わになった姿に、私は目を疑った。

 

「・・・!!」

 

 少年の隣に現れた、一体のポケモン。

 それは、今私の隣に控えているのと寸分違わぬ姿をした存在──ハミングポケモンのチルタリスだった。

 

 




 
当初は流れ(銀シンボル仕様)に沿ってリラの伝説枠はエンテイの予定でしたが、諸々の事情によりライコウになりました。
エンテイファンの皆様、申し訳ありません。

 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

58.10年前⑱ 本当の願い[後]

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

「幻のポケモン・・・?」

 

「へえ。あっしの一族の伝説に、どんな願いも叶えるポケモンてのが居りましてね。ただ、千年前の陸と海の神の争いの後にどこか遠くの島に移されたっていうんですよ。ね、なかなか夢のある話でしょう?」

 

 ホウエンの南の果てに連なる無人島群、アマミ群島。

 その中のとある島で、ローレル・リアンは一人の奇妙な男と出会っていた。

 

「それでこの島を探っていたと。しかし、ここはモンジ・クスノキという人のれっきとした私有地です。無断での上陸は不法侵入になります。そもそも、そんなポケモンの話は聞いた事がありませんがね。」

 

 ローレルの口ぶりから疑われていることを察したその行商人風の男は慌てて言った。

 

「そ、そりゃあそうですよ!だってこれは一族でも一人相伝、長から長へのみ語り継がれるトップシークレットなんですから・・・あ、でもあっしは族長じゃありやせんよ。昔、親父が先々代から先代に伝えているのを偶然聞いちまって、それを聞いたってな訳で──」

 

「分かりますよ、あなたが族長でないことくらいは。」

 

 こんな軽率な男が長になるならむしろその一族は滅びるべきだ等と思いながら、ローレルは彼がひたすら平身低頭する様を見下ろしていた。

 頼むから警察沙汰にはしないでほしい、知るはずのない秘密を知っている事が郷にバレたらどんな処分が下るか分からないから──と。

 

「そうだ!そんならお詫びに旦那にもこのロマンを分けてあげましょう。ささ、これを・・・」

 

 そう言って膝で歩み寄った男はローレルの手を取ると、あるものを握らせた。

 

「・・・モンスターボール?」

 

「もちろんただのボールじゃありません。ちゃんと中身も入ってますよ。」

 

 興味本位でローレルはそのボールを開いた。

 そうして現れたのは、真綿のような翼とつぶらな瞳の愛らしい、小鳥のようなポケモンだった。

 

「これはもしや・・・チルット、ですか?」

 

 確か、ハシツゲ山麓の平原にのみ生息する珍しい種だ。そしてその一帯は流星の民と呼ばれるドラゴン使いの一族が管理する土地であり、基本的に一般人が立ち入る事はできない。

 

「へえ。さすが旦那、よくご存知で。言い伝えでは、このチルットの進化したチルタリスが七夜にわたって歌を聴かせたら、願い星──つまりその幻のポケモンが目覚めたっていうんですよ。それであっしもチルタリスを育てたんですけどね、でもいくら歌好きなポケモンったって、さすがに一羽で七夜連続は喉が持たねえなってことに気付いて。・・・で、交代要員を殖やそうとしたはいいものの、ちと殖え過ぎちまいましてね・・・あ、いやいや、それはこっちの話・・・」

 

 男はそこまで一気に喋った。

 その話の中で自分の身元が半ば割れてしまった事には気づいていないようだった。

 

「つまり、このチルットで今回の事は目をつむれと。そういう事ですな?」

 

 ローレルの要約に、男は素直に頷いた。

 

「へへへ・・・まあ、ロマンは抜きにしても早々手に入るポケモンじゃありませんし。悪い話じゃないと思うんですが、ね・・・?」

 

 上目で懇願してくる男に、ローレルは顎に手を当てていかにも考えるそぶりを見せた。

 実際には、既に結論は出ていたにも関わらず。

 

「分かりました。では、今回に限っては見逃しましょう。」

 

「!さっすが旦那!話が分かるぜ!」

 

「ただし」

 

 その一言で笑顔を固まらせた男に、ローレルは穏やかに求めた。

 

「加えて、その願い星とやらの話をもう少し詳しくお聞かせ願いたい。確かに、なかなか夢のある話ですからな。」

 

 そうして男は願い星のロマンと秘密をローレルに分け与えると、意気揚々とチルタリスに乗って飛び去っていった。

 もちろん、この一時間ほど前に彼が地下洞窟の奥で古びた祠を見つけたことは知らないままに。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 空色の身体にすらりと長い首、その割に短い嘴、そして綿雲のような純白の翼。

 竜というより大型の水鳥に似たそのポケモンは、つぶらでありつつも凛とした瞳で私を見つめていた。

 

「因果なもんだよな。元はオレのポケモンだったフーディンがあんたの手持ちで、逆にあんたのポケモンだったこいつをオレが連れてるってのは。」

 

 そう言った少年に、なぜそれを知っている、と問いかけてやめた。

 彼は私とウコンの過去を知り合いの記者に調べさせている。その情報の中に、このチルタリスの事もあったのだろう。

 それよりも今、質すべきは。

 

「・・・なぜ、そいつを連れている。」

 

 チルタリス。

 元は開発前のこの島で出会った胡散臭い流星の民から譲り受けたチルットで、私がトレーナーの道を断念してから傍に置いた唯一のポケモン。

 当初は物珍しさと幻のポケモンの目覚まし役という触れ込みに唆られて興味本位で引き取ったが、その愛らしさと美しい歌に癒される内に、かけがえのない存在になった。

 そして私が病身となったことで共有ポケモンとされてからも変わらずに慕い続けてくれた、無二の相棒。

 

「そりゃあもちろん、あんたが()()大事にしてるポケモンだからさ。こんな時の為に引き出しといたんだよ。共有ポケモンのボックスのバックアップを機能不全にしたのは、こいつが自分に加担した証拠を残さないためだったんだろ?」

 

 艷やかな空色の首筋を撫でながら、少年が答えた。

 それは事実だった。この七夜の間、ジラーチに歌を聴かせる為に彼女を出し入れした事が知られないように私はシステムに細工をした。誰にも、彼女を咎めることができないように。

 

 だが。

 

「・・・その通りだ。だが、今の私はもうその私ではない!」

 

 そして私は傍らにいる()()()()()()()()と目を見交わした。それが最後の試合の開始の合図となった。

 

「「『りゅうのいぶき』!!」」

 

 重なった我々の声に呼応するように、双方の短い嘴からドラゴン特有の青い炎の弾が乱れ飛ぶ。

 まるで機関銃の撃ち合いだ。

 

「狙いは定めなくていい!弾幕で押しきれ!!」

 

「釣られるな!外側は無視して的の範囲を維持しろ!」

 

 姿もレベルも能力も同じ二体による、同じ技のぶつけ合い。

 しかし、その結果は同じにはならなかった。

 

「・・・そいつが、今回のあんたの計略のキーマンだな?」

 

 ハッハッと、イヌ系統特有の浅い息遣いを響かせながら床に手足をつく姿を認めた少年が、静かに言った。

 

「左様。初日の夜のお前達への奇襲に日々の諜報、そしてチルタリスの歌の交代要員・・・殆ど全てはこいつに仕込んだ『へんしん』と『テレポート』によるものだ。ちなみに、お前に見せていたジラーチの映像は『サイコウェーブ』で送っていた。」

 

 えかきポケモン、ドーブル。

 能力は決して高くないが、『スケッチ』であらゆる技をコピーできるという稀有な能力を持つ、ある意味無限の可能性を秘めたポケモンだ。

 

「そして昨日の朝、例のキナギの力でそいつに宿ってジラーチの覚醒に備えてたって訳か。」

 

「そうだ。こいつは『アトリエのあな』に通って野生のまま手懐けたからな。共有ポケモンではない分、何をするにも非常に自由が効いた。」

 

 話で時間を稼ぎながら、私は先の撃ち合いを振り返り、この後の展開に考えを巡らせていた。最初の内は互角であったことは、相手の攻撃を完璧に相殺できていたことから明らかだ。しかし、やはり本物が相手というプレッシャーにやられてしまったのだろう。となると、再びチルタリスに『へんしん』したところで勝つのは難しい。一か八か、ジラーチに──。

 

「なあ。オレ、ここまで戦って思ったんだけどさ。」

 

 突然そう切り出した少年に、私は思わず視線をドーブルから彼に移した。

 

「あんた、本当はただはけ口のない思いをどうにかしたかっただけで。ウコンさんを恨みたいとか、リラになりたいとか、本当はそんな事望んでないんじゃないか?」

 

「何だと・・・?」

 

 彼は続けた。

 

「いや、だってさ。本当に邪魔されたくなかったら、そもそもこんな戦いしないだろ。それにジラーチは最初からあんたの手の中だった上に、リラは誰の事も疑わないと宣言していた。だから、よほどジラーチに近づかれない限りはオレ達を気にする必要はなかったはずだ。」

 

 そう言って少年が見た『しんぴのまもり』の中のジラーチを、私も見た。ボールを受け付けないが故の囲い込み柵だが、案外心地良いのか大人しくしている。眠っていた時の繭を思わせるのかもしれない。

 そして、とてもあどけない瞳で対峙する私達を不思議そうに見ている。

 

「・・・半端な思いにジラーチは真実の眼を開かぬ。それが答えだ。」

 

 それは決して虚勢ではなかった。

 それもまた、ひとつの事実。

 

「ああ、それはそうだったな。」

 

 私とは対照的な軽い口調で少年は言った。

 

「なら、最後の勝負はそれで決めようか。つまり、()()()()()()()()()がジラーチに届くかでさ!」

 

 少年の言葉に応えるように、チルタリスが純白の翼を羽ばたかせて宙へ飛び立った。そして、この空間いっぱいに響かせるようにその美声を披露し始めた。

 

(『うたう』・・・?いや、違う。こんな歌、今まで聴いたことがない。)

 

 眉根を寄せる私の胸中を見透かしたように、少年は言った。

 

「最初に言っとくと、これはオレの指示じゃない。オレはただこいつに、『目の前の奴を倒せば元の主人の病気が治る』って言っただけだ。」

 

 その言葉に、私ははっとした。

 眠気ではない。

 聴く者の不安を掻き立て、言いしれぬ恐怖を誘う、この美しくも禍々しい旋律は。

 

 頭に浮かんだその不吉な曲名(タイトル)に、背筋がぞわりと震えた。

 思わず叫んだ声は、焦燥でひどく掠れていた。

 

「おい!今すぐやめさせろ!これは最後まで聴いた者全てが死ぬ『ほろびのうた』だ!!」

 

 私は彼女と共に過ごした十二年間、一度としてその技を使用させたことはなかった。当然だ。もし使っていたなら、私も彼女も今ここにはいない。

 

 しかし、少年は私の警告をあっさりと一蹴した。

 

「そりゃあ無理さ。これは呪われた歌だからな。歌い始めた途端に旋律に宿る悪霊に憑かれちまうから、自分の意思じゃやめられない。」

 

「何だと・・・!?」

 

 私は顔を上げ、虚ろな瞳で歌い続けるチルタリスを仰ぎ見た。

 

 ほろびのうた。

 三周目の最後ま(フルコーラス)で聴いた者全てを滅ぼす、悪魔の鎮魂歌。

 本来は勝ち目のない敵から仲間を守るために取られる、最後の手段。

 

 そんな歌を、私一人を生かす為に歌っているというのか。

 

「ま、でも」

 

 そう言って、少年は腰からひとつのハイパーボールを手に取って見せた。

 

「歌が終わるまでにオレからこれを奪って中に戻せたなら。この地獄へのカウントダウンライブは強制終了できるだろうな。」

 

 彼の言わんとすることはすぐに理解できた。

 ポケモンはモンスターボールに収める過程で一旦データ化される。そこでデータ処理のできない霊やら呪いやらは、自動的に削ぎ落とされるだろう。

 

「・・・行くぞ、ドーブル!」

 

 長い休息で呼吸の整ったえかきポケモンと共に、私は駆け出した。

 余計な事は考えず、ただ自分が今ここで死ぬ訳にはいかないだけだと言い聞かせて。

 

(ドーブルはもう戦うのは無理だろう。だが、それは相手も同じ──。)

 

 チルタリスはまさに憑かれたように歌い続けており、私達が少年に迫っても気付いている気配はない。

 ならばチャンスはある。

 

 彼まであと十メートルほどというところで、私はドーブルの肩に触れて叫んだ。

 

「『テレポート』!」

 

 その声に少年が反応して身構えた瞬間、ドーブルだけが消えて彼の後方5メートルほどの位置に飛んだ。

 私が寸前で手を離したからだ。

 

「!」

 

 背後のドーブルに気を取られて、彼は振り向く。が、前方から迫る私の方が近い事に気付き、再び前に直る。

 しかし、私は私に与えられたあの力で、再度背後のドーブルに──

 

 

「・・・!?」

 

 

 宿ることはできなかった。

 考えてみれば当然だ。

 なぜ、ここまでに気づかなかったのだろう。

 

 

「へへ・・・ほんとはこんな事あんましたくねーし、言いたくもねーんだけどさ。」

 

 最後のフェイントの失敗を知ってか知らずか、正面から突っ込んだ私を両腕で捕えて少年は言った。

 

 

「その身体じゃ、(オレ)の力には勝てねーだろ?」

 

 

 そう。

 この身体は、私の身体ではないのだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 頭上ではチルタリスが同じフレーズを再び歌っている。

 つまり、二周目に入ったという事だ。

 

「・・・知っていたか。このままではお前も死ぬぞ!」

 

 ローレルは必死に力を込めてヒノキの腕を解こうと試みたが、結果は彼の言う通りだった。同じくらいの背格好でも、男と女ではこれほどまでに力に差があるのかと今更ながら驚く。

 だが、かといってドーブルに助けを求めることはできない。彼もまた、ボールから飛び出たフーディンに取り押さえられているからだ。

 

「夕べさ」

 

 ローレルの警告を素通りして、ヒノキは話し始めた。

 

「岬で星を見ながら、リラがオレに言ったんだ。『挑戦者にバトルの楽しさを伝えられるタイクーンになりたい』って。それ聞いた時、オレなんかすげー嬉しくなってさ。もちろんその夢を叶えるにはあいつが自分で頑張るしかないけど、出来る限りの応援はしてやりたいと思った。でも、オレがあんたを止めたい理由はそれだけじゃない。」

 

 ヒノキはそこで一息ついた。

 呪いの旋律のせいで悪寒がし始めていたが、それでもしっかりとした口調で続けた。

 

「確かに、最初に夢見た形とは違うだろうけど。でも、それでもあんたはあんたのままで十分ウコンさんとの約束を果たせると思うんだ。」

 

「何・・・?」

 

 腕の中の少女の身体が確かに揺れたのを感じながら、ヒノキは続けた。

 

「最初にファクトリーに挑戦した時、オレ、衝撃を受けたんだ。どんなポケモンでもどんな技でも、知恵と工夫次第でこんなに可能性があるのかって。だから、そのポケモン達がみんなあんたの指導で育てられたって聞いた時は、世の中にはすげー人間がいるんだなって心底感動したんだよ。もし手持ちを拘束されてなかったとしても、しばらくはあいつらを使ってたんじゃないかって思うくらいね。」

 

 その言葉に、ローレルはここまでの自分の何かを支えていた柱が根本から倒れるのを感じた。まるで、その下から顔を出した本当の願いに突き動かされるように。

 

「・・・それが、約束とどうつながるというのだ。」

 

 胸中の混乱を悟られないよう、ローレルはわざと吐き捨てるように言った。

 

「だって、あんたはもともとキナギをちゃんとホウエンの一部と認めてもらいたくてジムを作ろうと思ったんだろ?それならこのままここで共有ポケモンの責任者を勤めていれば、絶対にオレみたいにあんたの仕事に感銘を受ける奴が現れるはずだ。そいつらからあんたの名が広まれば、きっとキナギの株を上げるのに一役買えるよ。そこにウコンさんがブレーンを務めるとなれば、なおさらだ。」

 

 その名に、ローレルの胸に再び大きな揺れが走った。

 

「なぜそこで奴の名を出す。奴は私を、私との約束を反古にしてこの島に来たのだぞ。」

 

「確かにキナギを出たという意味では、ウコンさんは約束を破ったかも知れない。でも、ウコンさんがこの島に来たのも、『皇帝(エンペラー)』の称号を断って老兵(ガーディアン)を通しているのもみんな、ずーっとあんたの夢を信じて待ってたからだ。見ろよ。」

 

 ヒノキの意図を汲んだバネブーが、マジックパールを点灯させて正面の壁にある光景を映した。

 

「・・・!!」

 

 そこには、病院の廊下の長椅子に腰かけているウコンの姿があった。杖にすがってうなだれる姿は、未だかつて見た事がないほど弱々しく、年老いて見える。

 

「・・五十年、だぞ・・・?そんな馬鹿が、どこに──」

 

 とうに干からびたと思っていた涙腺が熱く潤う感触で、改めて彼は気づいた。

 そうか、この身体は自分ではないのだ、と。

 

「キナギはここから一番近い街だ。フロンティアがオープンすれば宿場町として賑わうだろうし、そうなれば人々の凪のような穏やかさも知れ渡るようになるさ。そのうち、あんた達の故郷とか書いた(のぼり)なんかも立つかもな。」

 

 ローレルもといムスカルは、身体の内側を満たす懐かしく温かい心地に言葉を失っていた。

 何十年も前に失ったもの、失ったと思っていたものが、今またそこにある。

 

「だから、取り戻せるよ。」

 

 腕の力を緩める代わりに言葉に力を込めて、ヒノキは言った。

 

「夢も友達も、自分自身も。あんたが失くしても、分け合った半分をまだ持ってる人がいるんだから。」

 

 老人からの返事はなかった。

 代わりにぎゅっと抱き返してきた力に、ヒノキは自分の元にも大切な友人が戻ってきた事を確信した。

 

「さあ、ジラーチ!!」

 

 冷や汗を流し、悪寒で全身を震わせながら、ヒノキはこの一部始終を見届けていた願い星を振り返った。

 先ほどまで腹部を横切っていた緩やかな曲線は、全てを見透かすような大きな眼になっていた。

 その眼に向かって、腹の底から叫んだ。

 

 

「あのどうしようもねークソジジイどもに、もう一度この世界で生きるチャンスをやってくれ!!」

 

 

 そうして、辺りは光に包まれた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 頭の上の方から、ピッ、ピッという規則正しい電子音が聴こえる。

 まぶたが重過ぎて目を開ける気にはなれないが、口元の違和感はきっと呼吸器によるものだろう。

 しかし、なぜかあの息苦しさは全くない。

 

「どういうことだ?あの状態から、急にここまで持ち直すなんて・・・」

 

 その声には聞き覚えがあった。私の主治医だ。

 いつも冷静な男だが、珍しく困惑しているらしい。

 

「わかりません。ですが、実際に心音・呼吸、それに脈も確かに安定して・・・?」

 

 彼女も随分世話になっているから分かる。

 少し厳しいところもあるが、仕事に責任と誇りを持っている、素晴らしい看護師だ。

 

「先生!」

 

 私の腕を取る彼女の手が震えている。

 私とも()()とももう何年もの付き合いだ、今さら不気味がるものでも──

 

 

「痣が、ありません。」

 

 

 その言葉に私は思わず目を開いて、彼女の声の方を見た。

 しかし、そこに立っていたのは一人の少年だった。

 

「潮時だ。まあ、()()()()までは教えねーけどな。」

 

 悪童じみた顔でそう笑ってから、すぐ真面目な顔になり、青い帽子を脱いでぺこりと頭を下げた。

 

 

 

 ありがとうございました、と。

 

 

 

 







目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

59.10年前⑲ 最後の願い

 
【前回の要点】
リラに成り代わったローレルとの戦いを経たヒノキは、真実の眼を開いたジラーチにウコンとローレル(ムスカル)がこの世界でやり直せることを願う。



 

 【七月八日 昼】

 

 

「そっか。じゃあ、もう身体の心配も要らないんだな。」

 

「うん。痣と一緒に悪いとこも消えちゃったみたいで、検査もしたけど、もうどこにも異常は見当たらないって。一応まだ少し入院はするけど、今はもう目も覚めてウコンさんと二人で話してるよ。さすがに、まだちょっとぎこちないけどね。」

 

 バトルタワーでのジラーチをめぐる戦いから一夜が明けた、七月八日の昼下り。

 バトルフロンティア総合病院の一室で、ヒノキは見舞いに来た六人のブレーン達から昨夜自分が倒れて以降の出来事について聞いていた。

 

「そりゃ55年越しの仲直りともなればな。でも、それならきっともう大丈夫だ。それで、ジラーチは?エニシダさんに詳しくはブレーンから聞いてくれって言われたんだけど・・・」

 

 昨夜、ジラーチに二人の老人のやり直しを願った直後。

 チルタリスの『ほろびのうた』をフルコーラス一歩手前まで聴いた影響で、ヒノキは彼女をボールに戻した瞬間に意識を失った。が、その後の点滴と爆睡のおかげで、今ではベッドの上であぐらをかいて話が出来るまでに快復していた。

 

「それなんだけどね。はい、これ。」

 

 コゴミに代わって応えたリラが、碧色の布のようなものを差し出した。数秒かけてそれが何であるかを理解したヒノキは驚き、そして混乱した。

 

「いや、はいこれって・・・え??だって、ジラーチは──」

 

 それは紛れもなく、ジラーチの頭部の三つの頂点に付いていた短冊のひとつだった。しかし午前中に見舞いにきたエニシダはジラーチは既に眠っていると言っていたし、それに、そもそも──

 

「ああ。ジラーチは確かにきみのキュウコンの『ふういん』で新たな眠りにつき、空へと消えていったよ。ところがその前に、残っていたこれを自ら外して渡してきたんだ。」

 

 ヒースが説明した。

 

「いやいや、それがおかしいんだよ。だってジラーチは、えっと──」

 

「そう、ムスカルさんも驚いていたよ。自分がリラに代わるために一回、おまえがそれを戻すのに一回、そして自分達のやり直しのために一回。既に奇跡は三度起きているはずだ、と。」

 

 混乱しているヒノキの疑問を、ダツラが代弁してくれた。

 

「そう、そうなんだよ。だから、そんなものが残ってるはずが──」

 

 そこまで言いかけてから、ヒノキはふと、あることに気付いた。

 

「や、待てよ。・・・そういえばオレ、リラの時はジラーチの腹の眼とか見てなかった気がする。つーか絶対そのルール忘れてたわ。」

 

「なに?じゃあ、リラが戻ったのはジラーチの力ではなかったということか?」

 

 ジンダイが目を丸くして訊き返した。

 

「それは分かんねーけど。でも、最初のムスカルさんの願いで一枚目が消費されてたのは確かだし、二人をやり直させてくれって言った時は間違いなく見てたから、ノーカンがあるとしたらそこしか・・・」

 

 そのヒノキの言葉に、コゴミが顔を輝かせて割り込んできた。

 

「えっっ!?なに、じゃあもしかしてそれって、二人のあー」

 

「い、いいよそんなの何だって!!とにかく、これはキュウコンの主人であるきみが──」

 

 コゴミを遮るように、リラは急いで短冊をヒノキに手渡した。

 その、絹のような和紙のような不思議で美しい短冊を、ヒノキはしばらくの間じっと眺めていた。

 が、再びリラにそれを差し出して言った。

 

「いーよ。これはおまえが取っといてくれ。」

 

「え?」

 

 コゴミのちょっかいの手を制しながら、リラは大きな瞳を瞬いた。

 

「だってオレ、こーゆーの使い時分かんねーし。どうせケツポッケに突っ込んだきり忘れて洗濯するパターンだろ。それに、おまえなら絶対悪用しないって信用できるしさ。」

 

「だけど──」

 

「あら、いいじゃない。彼がそう言うんだから、あなたがもらっておけば。」

 

 ためらうリラの両肩に手を置いて、アザミが楽しそうに言った。

 

「しっかしよ、ジラーチ自身はもう寝てるんだろ?その状態で願いを託したところで、本当に叶うのか?」

 

「さあな。だがジラーチが自ら託してきた以上は、何らかの意味があるんじゃないか?」

 

 ジンダイの疑問にダツラが答えた。

 どちらの言葉ももっともだ。

 

「でも、リラが持ってるならオーナーには嗅ぎ付けられないようにしなきゃね。」

 

「まったくだ。あのオーナーなら『オープン初日から十万人くらいの客入りがありますように』とか本気で願いそうだしな。」

 

 コゴミの言葉にヒースが頷いたその時、リラを除くブレーン全員のナビが一斉に鳴った。エニシダが議長のブレーンミーティングの時間が迫った事を告げるアラームだ。

 

「噂をすれば、ね。それじゃ、後は二人でゆっくりね。」

 

 そう言って、アザミはリラに向かって切れ長の目を片方瞑ってみせた。

 特に体調に問題はないが、昨日の事を考慮してリラは今日は一日休むように言われている。

 

「ん、ああ。じゃ、またな。」

 

 五人のブレーン達が行ってしまうと、部屋にはヒノキとリラの二人だけが残された。

 にわかにぎこちなくなった空気に、ヒノキがもぞもぞと身体を揺すった時だった。

 

「知ってたんだね。」

 

 静かになった室内に、リラのその呟きはやけに大きく響いた。

 

「ん。まあ、昨日偶然に、だったけどな。そりゃ一緒に温泉なんか無理だよな。」

 

 冗談めかした言葉にリラも少し笑ったが、すぐにまた沈黙が訪れた。それが彼女が何かを恐れている為であることも、そしてそれが何であるかも、ヒノキにはもう分かっていた。

 

 だから、ちゃんと伝えてやらなければならない。

 

「そりゃあ、確かにさ」

 

 うつむいて膝頭を握りしめる彼女に、ヒノキはぼそりと切り出した。

 

「おまえが女だって知った時はマジでびびったけど。でも、その後おまえがじーさんの身体で死ぬかもってなった時は本当にそんな事どうでも良かったし、戻ってきてくれた時は心底良かったって思えたから。だから、きっと受け入れることはできると思うんだ。まあ、ちょっとばかり時間は欲しいけど・・・?」

 

 そこでヒノキは言葉を失った。

 目の前の俯いた淡紫の髪の奥から、ぽろぽろとこぼれ落ちるものを見てしまったからだ。

 

「お、おいおい!別にそんな泣くほどの事じゃねーだろ!!」

 

「だ、だって・・・。」

 

 自分の言葉で女の子が泣き出したという事実に、ヒノキはすっかりうろたえていた。ええと、こんな時はどうしたら、そうだ、たしか枕元にティッシュの箱が──。

 

「んん?」

 

 しかしヒノキが枕の方を振り向くと、目当ての物は何故か目の高さに浮いていた。そして彼の手を借りることもなく、その鼻先を掠めて自らリラの膝に収まった。

 

「・・・んだよ、その目は。つか病室に出てくんなよ。」

 

 いつの間にかボールから出てリラの隣に座っていたフーディンが、何かを言いたげな目でヒノキを見ていた。 

 そしてやれやれと頭を振った後、フゥ、とため息をついた。

 

 やがて、少し落ち着いたリラが口を開いた。

 

「ごめん。でも、本当に怖かったから。きみに『もう友達じゃいられない』って言われたら、どうしようって。」

 

 そう言ってまたティッシュで目元を拭い始めた彼女を前に、ヒノキは髪が抜けるほど頭を掻きながら葛藤していた。

 

 言わなくても分かるだろう、とは思う。

 でも間違いなく言った方が良いのは分かってる。

 しかし、今でも死ぬほど照れくさいのに、自らこれ以上恥ずかしい事を言うのは──。

 

 そこで一抹の期待を抱いてちらりとフーディンを見たが、やはり助け舟は出なかった。その理由は、もはや念を介さずともあのジト目を見れば分かる。「自分で伝えろ」と、そういう事だ。

 

 助太刀の望みがないことを悟ったヒノキは、諦めて意を決した。

 

「言わないよ。おまえにも色々事情があった事はエニシダのおっさんから聞いたし。それにオレは、おまえが男じゃないより友達じゃない方が嫌なんだよ。」

 

 必死に彼女の滲んだ瞳を見る努力をしながら、ヒノキは続けた。

 

「だから、これまでと何も変わらないよ。これからもおまえはオレの友達で、トレーナーとしての目標だ。おまえだって、オレのことそう思ってるだろ?」

 

 その言葉にようやくリラの涙を拭う手が止まり、口元が緩んだ。

 

「それ、よく自分で言えるね。」

 

 それから二人はまた今までのように話し始めた。

 そんな主人達を、フーディンはにこにこと目を細めながらずっと見ていた。

 

 

 ◇ ◇

 

 

「次に来るときは、手加減なしだからね。」

 

「今度こそ、ちゃんと迷路をさまよってもらうぞ。」

 

 七月九日、朝。

 出立を控えたヒノキは、港まで見送りに来たブレーン達と一人ずつ別れの挨拶を交わしていた。

 

「わかってるよ。オレはこれでも結構常識人だぜ。」

 

 ダツラ、アザミ、ジンダイ、コゴミ、ヒース。

 そしてウコンから二人分の礼を言われ、老人とは思えない力で手を握られた後、最後のリラの番になった。 

 

「そういや、今回もちゃんと勝負できなかったな。」

 

 ふと、ヒノキは五年前に交わした約束を思い出した。

 色々な事があり過ぎたせいで、ここまですっかり忘れてしまっていたのだ。

 

「そうだね。でも、これはきみに渡しておくよ。」

 

 そう言ってリラが差し出したのは、Aの文字を象った小さな銀塊だった。

 

「いや、確かにあれはおまえだったけど。でも──」

 

 戸惑うヒノキに、リラは首を横に振った。

 

「きみの戦いは録画で最初から最後までちゃんと見たよ。そしてその結果、ぼくはきみにこれを受け取る資格が十分にあると判断した。でももしそれが不服なら、今度はこの金のアビリティシンボルを獲りにくればいい。」

 

 そう言って、リラはポケットから小さなケースに入った同じデザインで同じ大きさの金塊を取り出して見せた。

 銀シンボルと金シンボル。その仕組みについては、既に他のブレーン達から聞いている。銀シンボル戦というのは、ブレーン達が意図的に『つけ入る隙』を設けており、挑戦者がそれに気付けば攻略に大きく近づけるという、いわば手心の加えられた戦いだ。

 しかし、金シンボル戦はその配慮を完全に排除しているため、挑戦者は自らの手で機を生み出さなければならない──という説明をジンダイから聞かされた時、ヒノキは耳を疑った。

 

「・・・わかった。それじゃ、今度は心して来なきゃな。」

 

 ぱちり、と小気味の良い音を立てて、銀のアビリティシンボルがパスの最後の空白に埋まる。

 もちろんもうジラーチの姿は見えない。

 今度こそ、全てが終わったのだ。

 

「ま。それでも、おまえには負けねーけどな。」

 

 そう言ってヒノキは右手を差し出した。

 黒い指ぬきグローブに包まれたその広い掌に、リラは一昨日、自身がこの身体へと戻ってきた時の記憶が蘇った。

 

「・・・・。」

 

 あの時、師の老体を通じて伝わってきた、この腕の強さと温かさと彼の思い。

 それがこの身体に、自分自身へと戻ることを心の底から願わせたのだ。

 

「ん?どした?」

 

 その事はヒノキには明かしていない。

 話せば、自分達の何かが少し変わってしまうような気がするから。

 

「ううん。何でもないよ。」

 

 笑顔を繕って、リラはその手を取った。

 昨日はあんなに嬉しかった「友達」という言葉が、今はほんの少し、複雑に感じる。

 

 

 だから。

 

 

「・・・でも、ひとつだけ言っておこうかな。」

 

「ん?」

 

 小首を傾げたヒノキに、握り合った手を見つめたまま、リラは続けた。

 

「次に金のアビリティシンボルを賭けてきみと戦う時。その時のぼくはきっと、今とは全く違う強さを身につけていると思う。そして、その強さできみに勝ったあかつきには──」

 

 そこでリラは顔を上げ、正面からヒノキを見た。

 

 

「きみに、伝えたいことがあるんだ。」

 

 

 その言葉の意味が測りきれなかったヒノキは、うまく返事することができなかった。

 ただ、あまりに眩しいその笑顔に、次に彼女に会う時は本当に覚悟しておかなければならない事だけは、何となく分かった。そして──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それが、記憶の中の最後の彼女の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、リラ自身の時間には、もちろんその続きがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「・・・リラさま、どうしたの?空に、なにか見えるの?」

 

 ジラーチを巡る騒動から約半年が経ったある日。

 険しい目で雲ひとつない青空を睨む師匠を、まだあどけない顔つきをした少年が不安げに見上げた。

 

「・・いや。大丈夫だよ、セリ。なんでもない。」

 

 リラはそう言ってすぐに表情を繕い、膝を折って小さな弟子の頭を撫でた。その拍子に、撫でられた少年は師匠の手に一通の封筒を見つけた。

 

「お手紙・・・?リラさまが書いたの?」

 

 幼い彼にはまだ、そこに綴られた宛名を読むことはできない。それでも、封筒の青と赤のフレームから、それがこのホウエンから遠く離れた地方へと届けられるものだということは、なんとなく分かった。

 

「ああ。友達に出そうと思って書いたんだけどね。でも、書き足すことができたから、出すのはまた今度かな。」

 

 そう言って、リラは少し笑った。

 

 

 ◇

 

 

 

 その夜。

 リラはデスクの引き出しに手紙をしまうと、代わりに碧色の短冊を取り出し、ペンスタンドの脇に飾っていたビー玉を片手に文字を綴った。

 そしてそれが窓をすり抜け、きらきら光りながら夜空を昇っていく様子を、じっと眺めていた。

 

 

 

 ◇ ◇

 

 

 

 それから、ほどなくしてその日はやってきた。

 

 

 

 

 

『現在バトルタワー前に、強大な力をもった未知の生命体が出現中!!総員、至急最寄りの施設の地下シェルターへ退避するように!繰り返す、現在、バトルタワー前にて──』

 

 

 島内のあちこちに備え付けられたスピーカーから響くけたたましいサイレンの音と、繰り返されるエニシダの緊急放送。しかし、フロンティアブレーン達の迅速な避難誘導により、既に市中に人影はない。

 

 

「あ、あ、・・・」

 

 

 

──当のバトルタワーの前で、腰を抜かして動けずにいる一人の少年を除いては。

 

 

 

 

(何が、どうして。こんな、こんな──)

 

 まだ傷ひとつ負わされてこそいないものの、少年から生きた心地はとうに失われていた。

 

 ガラスのようにひび割れ、破損した青空。

 危険過ぎる雰囲気に満ちた、生き物とも機械ともつかない黒い巨体。それが放つ赤いレーザー光に焼かれ、炎上する草木や建物。

 

 今やそこは彼の知る街ではなかった。

 何もかもが、知らない、遠い世界の光景だった。

 

 やがて怪物が身体を翻し、奇妙な顔がこちらを向いた。

 しかし少年はその小さな胸に、圧倒的な恐怖と共に絶望的な希望を抱いた。

 

 これはただの悪い夢だ。

 だからこのままあの赤い光に撃たれてしまえば、きっといつもの部屋で、いつものように目覚められるはず──。

 

 

 しかし、その願いは聞き届けられなかった。

 

 

「リラさま・・・!!」

 

 自分の身体ではなくすぐ前で炸裂した衝撃に少年が目を開くと、そこにはいつもの背中があった。いつでも自分達を守ってくれる、強くて優しい、大好きなあの背中だ。

 胸に満ちる嬉しさと安心感で、凍りついていた涙腺から涙が溢れた。いつものように「もう心配ないよ」と頭を撫でて欲しくて、少年は彼女の元へ寄ろうとした。が、

 

「早く行け!!!」

 

 初めて耳にする激しい声に、小さな身体はびくりと震えた。ひどく険しい師の顔の向こうには、リフレクター()越しに怒ったように身体を明滅させる怪物が見えた。

 

 少年は言われた通りにしようとした。が、相変わらず腰は抜けており、おまけに膝にも力が入らない。走って逃げることはおろか、立つことさえできそうにない。

 

「リ、リラさ…ごめっ、な、さ…」

 

 泣きじゃくりながらそう謝る少年を、リラは叱らなかった。彼女自身もまた、足がすくんで胃が縮むような恐怖に全身の九割を支配されていた。だけど、このフロンティアの頂点に立つ自分が負けてしまったら、この子を始め、自分を信じているみんなが絶望の淵に立たされてしまう。

 

 だから、逃げられない。

 

「まったく、世話の焼ける弟子だ。」

 

 そう言って、リラは少年の小さな頭をそっと撫でた。そして後ろに伸びたフーディンの片手が彼を念力でふっ飛ばすと同時に、耳をつんざくような音を立ててリフレクターが砕けた。

 

 

「!!!」

 

 

 リフレクターの破片をはらんだ爆風を腕で受けながら、リラは夕べ短冊に綴った願いを思い返していた。

 そんな大それた事を望んだつもりはなかった。

 それでも、それはジラーチですら叶えられない願いだったのだろうか。

 

 手にした黒と黄のボールのスイッチを一番奥まで押し込みながら、リラは叫んだ。

 

「『かみなり』!」

 

 まっぷたつに割れたボールから現れた雷獣が吼えると共に、青空が閃いて光の柱が怪物を貫いた。しかし、その黒い巨体が数十万ボルトの電撃から立ち直るのに、ものの数分とかからなかった。

 

 

──あいつは相当やばいぞ。倒すのは無理だ。

 

 

 極度の緊張状態にあるせいか、身体に触れずとも彼の声が聴こえてくる。

 

「うん。ぼくもそう思う。」

 

 周囲が壊滅的な被害の中、奇跡的に未だ無傷のバトルタワーを見てリラは頷いた。

 

「でも、それでもぼくはここを守らないと。」

 

 その言葉に、ライコウはふんと鼻を鳴らした。

 彼女が自身を放った時、ボールを破棄(リセット)して「逃がした」事は既に知っている。

 その上で彼は、好きにしろ、と告げた。

 

「ありがとう。」

 

 ぶっきらぼうな同意に、リラは思わず笑った。

 この誇り高い雷獣は『塔を守る』という言葉に弱い。

 きっと、故郷のあの焼けた塔を思い出すのだろう。

 

 そこに、怪物の落雷に対する反応を分析していたフーディンが結果をリラに伝えた。

 

「うん。やっぱりそうか。」

 

 相棒から受け取った分析結果と自分の見立てを擦り合わせて、リラは頷いた。

 

 どうもこの未知の生物は『光』をエネルギー源としており、それを求めてあの空間の裂け目から現れたらしい。ところが、急激に多量の光を浴びてしまった為に体内での処理が追いつかず、その過剰摂取(オーバードーズ)の作用がこの暴走の原因と思われる──フーディンの出したその答えは、概ねリラの推察通りだった。

 

「フーディン、ライコウ。」

 

 リラは二体の相棒を自分の元へ呼び寄せて策を伝えた。そして彼らがそれに了承を示すと、軽やかにライコウの背に飛び乗った。

 

「もういちど『かみなり』だ!」

 

 その落雷はダメージとしては怪物の気を引く程度のものであったが、それが狙いである以上は十分だった。漆黒の身体の真ん中で異彩を放つ顔が、ゆっくりと二体と一人へと向けられる。

 

「今だ!」

 

 リラの声に合わせて、ライコウは全身を眩く輝かせた。その魅力的で目障りな光に、怪物は赤い光線を放つが、傍らのフーディンのテレポートによって尽く躱されてしまう。そうして知らぬ間に、彼は自らが作った空間の裂け目の前へと導かれていた。

 

 

 その時だった。

 

 

「リラさま!そっちは穴だよ!危ないよ!!」

 

 少し離れた高台から腹ばいのまま、先ほど念力で飛ばされた少年がせいいっぱいの声で叫んだ。ほんの少しでも自分を助けてくれた師の助けになりたくて、彼はそう叫んだのだ。

 

 しかし、その声を聞いたのはリラだけではなかった。

 

「フーディン!!」

 

 振り向いた先の少年の姿を隠すように、フーディンの投げたスプーンは怪物の眼前に立ちはだかった。そして、ゼロ距離から放たれた光線で柄が()()()に曲がったそのスプーンは、緩やかな放物線を描いて高台の少年の前へと落ちた。

 

「そんな・・・そんな・・・」

 

 数十メートル先で再び自分を必死に守るリラの姿に、彼は激しく混乱した。

 自分はただ、彼女を助けたかったのだ。

 なのに、それがどうしてまた彼女に守られ、そして彼女を追い詰めることになるのだろう。

 

 少年は手を伸ばし、自分の身代わりとなって落ちてきたスプーンを掴んだ。そして両手で握ったそれに向かって、ごめんなさい、ごめんなさいと、抱えきれない罪悪感を吐き出した時だった。

 

 

「・・・?」

 

 

 ◇

 

 

「──よし。それじゃあ、行こうか。」

 

 三度目の『かみなり』に打たれた怪物は、既にこちらを見据えて顔を明滅させている。じきに痺れも治まって、自分達を追って来れるようになるだろう。

 

 弟子の元へ飛んでいったスプーンにメッセージを託し終えたリラは、二体の相棒に声をかけた後、ポケットの年季の入ったモンスターボールをぎゅっと握りしめた。

 そうして、遠い日にそれをこの手に握らせてくれた少年に宛てて、出せなかった手紙の追伸を胸の中で認めた。

 

 

 ねえヒノキ。

 ぼく、頑張るから。

 本当はすごくすごく怖いけど、それでもタイクーンとして、最後まで逃げずに戦うから。

 

 

 

「・・リラさま・・・?なに、言ってるの・・・?」

 

 

 

 だから、もし、ぼくが「約束」を守れなかったとしても。

 

 

 

「全然、わからないよ。いつもみたいに、ぼくでも分かるように教えてよ。リラさま。待ってよ、ダメだよ、ねえ、リ──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 きみは、ぼくを忘れないでいてくれるかな。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3章 試練[後]
60.写真


 
更新間隔は未定ですが、とりあえず再開します。
現実的に二年くらい経っているので軽く振り返っておくと、前回までの過去編はヒノキが昔の話としてクチナシ達に聞かせたという設定です。その為、↓の「前回」はその過去編開始前の26話を指します。

【前回の要点】
ケーシィを連れた少女との交流を通じてリラの記憶喪失と向き合う決意を改めたヒノキは、クチナシ達に自分とリラの過去を話す。
 
 


 

「・・・これが、オレとあいつの昔話の全てだよ。」

 

 そう言ってヒノキが結ぶと、エーテルパラダイスの副支部長室はしばしの間、静寂に包まれた。壁に掛けられた時計の針は、午後十一時を指そうとしていた。

 

「・・・なるほどな。大体分かった。」

 

 沈黙を破ったのはクチナシだった。

 

「んじゃ、ちょっと休憩だ。ケツも痛えし、三十分くらいでいいだろ。」

 

 そう言って寝息を立てているアセロラを抱えると、ハンサムと共に部屋を出て行った。そんな二人を見送った後、ヒノキも立ち上がって背中と腕の筋を伸ばした。

 

「お疲れ様。今、コーヒーを淹れるから待ってて。」

 

 続いて立ち上がったビッケがそう声をかけると、ヒノキは伸ばした腕を下ろして彼女の方を振り返った。

 

「オレも手伝うよ。何をしようか。」

 

「いいわよ。たくさん話して疲れたでしょうから休んでて。」

 

「いーよ、聞いてる方だって疲れただろうし。それに、ずっと座ってたからちょっと身体を動かしたいんだ。」

 

「分かったわ。じゃあ、このマラサダをお皿に開けてくれる?」

 

 ビッケからトングと皿を受け取ったヒノキは、ペロリームの顔が描かれた箱からマラサダを一つずつ取り出し、付属の紙袋にセットして皿に並べた。その内に、ビッケの淹れるグランブルマウンテンの芳しい香りが室内に漂い始めた。

 

「ありがとうね、昔の事を話してくれて。」

 

 ケトルの細い口で小さな円を描くように湯を注ぎながら、ビッケが言った。

 

「え?」

 

 マラサダを並べる手を止めて、ヒノキは彼女を見た。

 

「ほら、あの子自身も含めて、私達は誰も昔のリラを知らないでしょう?だから、何があの子の心を開く鍵なのか、誰にもそれが分からないままだった。だってそういうのって、その人がそれまで生きてきた時間の中にあるものだものね。だけど、あなたの話を聞いて、なんとなくそれが分かった気がするの。」

 

 曇りどめが施されているのか、立ち上る湯気に晒されてもビッケの瞳は大きな眼鏡越しにはっきりと見える。その瞳は、何かを哀しみながらも優しく微笑んでいた。

 

「そう言ってもらえると嬉しいよ。それに、オレ自身もなんかすごいすっきりしたっていうか、気持ちが軽くなったんだ。やっぱり、誰かに知ってほしかったのかな。」

 

 そう言ってビッケから手元へ視線を戻そうとした時、ヒノキの視界の端に彼女のデスクに飾られた写真が映った。

 

「そうだ、ビッケさん。あの写真、前にアセロラからリラが国際警察に入った日に撮った写真*1だって聞いたんだけど・・・」

 

「ああ、やっぱり見ていたのね。ふふ、良い写真でしょう?私もとても気に入っているの。」

 

 ビッケはケトルを置くと、デスクへ回ってその写真立てを手に取った。そしてそれをヒノキに見せ、彼の唯一知らない人物を指して説明した。

 

「この白いワンピースの子は、代表のルザミーネ様のご息女のリーリエお嬢様。今はお母様の療養に付き添われてカントーへ行かれているけど、リラが15歳でカロスの警察学校に入るまで、二年近くここで一緒に生活していたの。だからよく遊びに来るアセロラと三人、とても仲が良かったのよ。」

 

 それから、その写真が撮られた五年前の日の事を教えてくれた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「わー!リラすごーい!そのカッコ、超似合ってるよー!!」

 

「ほんとに、すっごくかっこいいです!前に絵本で読んだ『こくさいけいさつのそうさかん』みたいです!」

 

 その日、国際警察アローラ支部での就任式を終えたリラは、三年ぶりにエーテルパラダイスへと帰ってきた。そこで彼女を出迎えたのは、げんきのかたまりのような二人の少女だった。

 

「そ、そうですか・・・?自分ではまだ、しっくり来ていないのですが・・・。」

 

 興奮気味の二人の絶賛に押されつつ、リラもまた彼女達の三年分の成長に感慨を感じていた。聞けばアセロラは11歳、リーリエは8歳になったという。そんな二人と共に、彼女の帰りを待っていたビッケが微笑んだ。

 

「ううん、二人の言う通りよ。あなたは背が高いし、スタイルも良いから。本当によく似合ってるわ。」

 

 そうして和やかに談笑する四人の女性に向かって、カメラを持たされていた痩身の男がうぇへん、と咳払いをした。蛍光色の奇妙なサングラスの奥のひずんだ目が、いかにも捻くれ者という印象を与える。

 

「何でもいいですが、撮るなら撮るで早くしてもらえませんかね?私は支部長として、多忙極まりない身なのですが。」

 

 

 そうして撮られたのが、その写真だった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「・・・あいつは本当に、自分の意思で国際警察に入りたいと思ったのかな。」

 

 二人の少女の間ではにかむ18歳のリラを見つめながら、ヒノキは呟いた。ビッケにはその言葉の意味がよく分かった。

 

「私はね」

 

 写真をデスクに戻して、彼女は静かに続けた。

 

「たとえどんな経緯があろうと、それがあの子自身が選んだ道なら、その道で幸せになれるように応援してあげたいの。だから今の仕事がしたいって相談された時も、危険だし考え直してほしい気持ちはもちろんあったけど、まずはあの子の選択を尊重してあげようって。その上で本当にやめるべきだと感じたなら、その時に止めればいいって、そう決めたの。」

 

 その時、部屋の扉が開いてクチナシとハンサムが戻ってきた。アセロラを客室へ運んだ後にそのまま一服してきたらしく、新しい煙草の匂いを纏っている。そのクチナシが、まだ淹れかけのコーヒーカップを覗いて言った。

 

「なんだ、まだ出来てなかったのか。淹れたてが飲めるタイミングで戻ってきたつもりだったんだけどよ。」

 

 休息の準備の手が止まっていた二人は、慌てて作業を再開した。そして全員でコーヒーとマラサダで一息ついた後、クチナシが頃合いを見計らって切り出した。

 

「さて、そんじゃ次はこっちの番だな。」

 

 ヒノキは姿勢を直して彼の方を向いた。

 今度は自分が、自分の知らないリラの過去を聞く番だ。

 

「最初に言っとくが、おれたちが話せるのはポニ島の荒磯で倒れていたリラを見つけたところからだ。だから実際にあいつの身に何があってそこにいたのかは、おれたちも知らねえ。それでも聞くか?」

 

 ヒノキは頷いた。

 その薄いブルーの瞳を赤い三白眼で数秒見つめてから、クチナシは呟くように言った。

 

「十年前の事だ。」

 

 ポケットから取り出した煙草をくわえ、火をつけてから続けた。

 

「当時、オレはまだ国際警察の所属で、特定危険生物対策室──つまり今のUB対策本部でこいつと組んで仕事をしていた。」

 

 ヒノキを見たまま、クチナシは指に挟んだ煙草で隣のハンサムを指した。そして再び口にくわえ、遠い目でふーっと煙を吐き出した後に、続きを語り始めた。

 

「あの日、オレ達のチームは三人でポニ島を訪れていた。・・・とある任務のためにな。」

 

 

*1
第17話『UB03:カミツルギ ハイナ砂漠の斬り裂き魔』参照



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

61.あの日


【前回の要点】
自分とリラの過去をクチナシ達に話し終えたヒノキは、ビッケから彼女のデスクに飾られた写真の話を聞く。
その後、クチナシから彼らの知るリラの過去を聞く。
 


 

 アローラ地方第四の島、ポニ島。

 島の面積の実に99%が未開地であるこの島の中央に広がる荒野には、その日、三人の人間の姿があった。

 

「──こちらクチナシ。・・・ああ。」

 

 左耳の無線機(インカム)に本部からの連絡を受けた男が、足早にその場を離れた。傍らの生物の発する呻き声に、通話がかき消されてしまう為だ。

 

「そうだ。少し手間取ったが、836も000も無傷だ。・・・分かっている。」

 

 やがて、50m程先の小高い丘の上で彼は足を止めた。

 そして、その場所から苦しげに上下する小山のような巨体を見下ろして言った。

 

 

「ちょうど今、終わるところだ。」

 

 

 ◇

 

 

 その時、その生き物の傍には二人の人間が立っていた。

 

「・・・本当に、殺しちゃうの?」

 

 片割れである赤みがかった茶髪の少女が、隣の男に訊ねた。彼女はその小柄な身体が完全に収まる、大きな黒い傘を差していた。空は雨の気配はない代わりに陽が射すとも思えない、完璧な曇天である。

 

「ああ。こいつはこの世界では生きてはいけない生き物。元の世界に戻してやれない以上は、こうするしかないのだよ。」

 

 この世界では生きてはいけない。

 それは単純にこの世界にその生態を維持できる環境がないという意味なのか、それともこの世界の秩序を守るためにその命が生きる事自体が許されないという意味なのか。

 クチナシと共にこの場に遣わされたもう一人の捜査官、No836は、自らが口にした言葉の意味を正確に把握することができなかった。

 

「・・・そうなんだ。」

 

 それだけ呟くと少女は巨体に歩み寄り、あまりにも青白い手で黒い皮膚をそっと撫でた。彼女の傍らに立つグレッグルは、既にその息の根を止めるのに必要なだけの力を溜めきっている。そこで836はちらりと腕の時計に目をやった。

 

「さあ、時間だ。離れ──」

 

 

 

 そこで、彼の視界は転回した。

 

 

 

「・・・・・・?」

 

 

 右の肋が砕ける衝撃と激痛に顔が歪んだ時には、既に身体は宙に浮いていた。

 眼下には、もう二度と開く事のないはずの巨大な闇が大口を開けて待っていた。

 

 この一瞬に何が起こったのか、まるで分からない。

 だが、もうそれを知る必要もないのだろうなと彼が本能的に悟ったその時、見覚えのある赤色が眼下を過った。

 

 

 

『ガァグゥイイイイィ!!!!!』

 

 

 

 凄まじい断末魔に、鼓膜がびりびりと音を立てて震える。

 真下の闇の入口が、どす紫の血潮に塞がれてゆく。

 

 

 そこで彼の意識は途絶えた。

 

 

 ◇

 

 

 ──ドスッ

 

 キリキザンが巨大な死肉に刃を入れる音で、彼は意識を取り戻した。

 

 ──ドンッ!

 

 解体された肉塊をワルビアルが脇に放る音で、目が開いた。一度目を閉じ、少しずつ周りの明るさに順応させてから、改めてその光景を捉えた。

 

 かすみがかった視界の真ん中で、クチナシが居なくなった者達を捜していた。

 とうに脱ぎ捨てられたコートも上着も、今も背中にへばりついているワイシャツも、全てが紫の返り血で染まっていた。

 削がれてゆく巨大な屍の上で吠えるように彼らを呼んでは肩で息をつくその姿は、まるで修羅だった。

 

 ギャアギャアと騒ぐ声につられて目線を上へ向けると、空の高いところでバルジーナ達が円を描くように周回していた。この強烈な血肉の臭いを嗅ぎ付けてきたらしい。実際、この荒野はむこう一ヶ月はこの辺りの屍肉食種(スカベンジャー)達の楽園となるだろう。

 

 そんな凄絶な光景を、836は地にへばりついたまま、ただ眺めている事しかできなかった。

 グレッグル(相棒)に折られた右の肋が悲鳴を上げていた。しかし彼のその一撃がなければ、今頃姿を消していたのは彼ではなく自分の方だっただろう。

 

 そんな状況が動いたのは、荒野の奥に見える峡谷の更に奥に陽が隠れ始めた頃だった。

 

「っっ・・・!!」

 

 突然胸ぐらを掴まれ、836は無理矢理その場に立たされた。はずみで右脇腹に走った激痛に、膝から崩れ落ちそうになる。が、彼を立たせたその人物はそれを許さなかった。

 

「クチナシ・・・」

 

 鬼気を帯びた赤い瞳が、真正面から彼を睨めつけていた。背筋が凍るような、気の弱い生物ならその威圧感だけで死んでしまいそうな膠着(じかん)は、しかし長くは続かなかった。

 

「ぐぶっ」

 

 右の頬が彼の拳を受けた。

 言葉はなかった。

 しかしその渾身の一撃に、思いの丈は込められていた。

 

 

──この、馬鹿野郎が。

 

 

 新たな頬の痛みと、再三の脇腹の激痛。その先に、また地面が見えた。

 

(もう、どうにでもなれ。)

 

 しかし、836に自棄(やけ)に走る時間は与えられなかった。

 目の前のクチナシの足の間から見える、解体されて切り開かれた夥しい量の肉塊、臓物、そして皮。

 それでもクチナシは、そこから彼らの指一本見つけることは出来なかったのだ。

 

 

 身体と心に走る激しい痛みに涙を溢れさせながら、836は立ち上がった。

 

 

 ◇

 

 

「お前はそこで待ってろ。時間はかけない。」

 

 荒野を後にした二人が島の荒磯に寄ったのは、クチナシが潮水で身体を拭きたいと言った為であった。

 

「分かった」

 

 836は短く応えた。あの荒野の奥、あの生物が潜んでいた洞窟(エンドケイブ)の手前には水質の良い泉があり、クチナシはそこで既に服と身体の返り血を洗っている。にも関わらず更にここを訪れたのは、あの何とも言えない独特の生臭さを忘れられる磯臭さが欲しかったからだろう。

 

 既に陽は落ち、灯りのない磯辺は夕闇に包まれていた。比較的平らな岩に腰を下ろした836は、荒磯の名に相応しい、砕けるような波の音を聞きながら、ぼんやりと今後の事を考えていた。

 

 おそらく、まずは本部の病院へ入院することになるだろう。そしてその間に、今回の件についての処分が下されることになるだろう。いや、事が事だ、懲戒委員会はきっと既に──

 

 そうしてこの先自分を待ち受ける未来に彼が目を瞑ろうとした、その時だった。

 

「・・・・・・?」

 

 視界の隅、二十メートルほど離れた岩場の陰で、何かが動いたような気がする。

 

(・・・ポケモン、か?)

 

 昨日までの彼なら、その程度の平凡な出来事(イレギュラー)など気にも留めなかっただろう。しかし、身体に染みついた血の臭いを潮の臭いで消そうとしているクチナシ同様、彼もまた余りに忌まわしいこの日の記憶を紛らわす何かを、無意識に求めていた。

 

「ぐうぅっっ・・・!!」

 

 わずかな動きで激痛を発する脇腹を庇いながら、彼は慎重に立ち上がった。岩壁を支えに、ゆっくり、ゆっくりと進む。

 やがて半分ほど距離を詰めたところで、夕闇の暗さに慣れてきた目が、目指すものの正体を彼に教えた。

 

 それは、人間の足だった。

 

「・・・・・・!!」

 

 一抹の期待が、身体の内側に骨が刺さる痛みさえ忘れさせた。

 おぼつかない足取りながら、気が付けば岩陰は目の前に迫っていた。そして──

 

「おい!どこ行った!?海にでも飛び込んだか!?」

 

 吠えるようなクチナシの呼び声に、836は我に返った。そして、出せる限りの声で彼を呼んだ。

 

「クチナシ!頼む、来てくれ!!人が倒れているんだ!!」

 

 間もなくクチナシが駆けつけた。身体に纏っていた血の臭いは、海の臭いに替わっていた。

 

「こいつは・・・」

 

 生憎、二人にはこの場を明るく照らすことのできるポケモンはいない。しかしそれでも、今目の前で倒れている人物が彼女ではない事は十分判った。

 

「・・・う、」

 

 二人の視線が注がれる中、端の切れた唇が微かに呻いた。顔立ちと身なりから見て、十代前半の少年らしい。やがて、その小さな動きは少しずつ全身に広がった。指先、肩、膝、足、頭、目尻。

 

 二人は顔を見合わせた。そしてクチナシが慎重にその身体を支え、836が僅かに開いた瞳に向かって問いかけた。

 

「きみ、大丈夫か?見たところ、大きなケガはないようだが。なぜこんなところで倒れている?」

 

 しかし、まだ状況が掴めていないせいか、少年の口から出たのは答えではなく問いだった。

 

「ここは・・・ホウエン、ですか・・・?」

 

 勘違いにしても見当が違い過ぎる土地の名に、クチナシと836は再び顔を見合わせた。しかし彼が今着ている衣服は、確かにこの南国の気候と風土にはそぐわない。

 

 そんな少年に、今度はクチナシが訊ねた。

 

「おまえはホウエンの人間なのか?」

 

 こくん、と右手の上の頭が小さく肯く。

 

「そうか。ここはな、そのホウエンからずーっと南の先にある、アローラ地方だ。アローラは分かるか?」

 

 小さな頭が今度は横に揺れる。ただでさえ虚ろな瞳に、確かに翳りが射すのが見えた。

 

「・・・そうか。ところでおまえさん、名は?」

 

「リラ、です。・・・?」

 

 その頭を支えていたクチナシは、掌に感じた僅かな動きから、彼の異変を覚った。

 

「リラか。それはきっと下の名だね。できれば、姓の方も教えてもらいたいのだが・・・」

 

 そこまで言いかけた836を、クチナシが眼で制した。どうも様子がおかしい、と。

 

 事実、少年は確実に動揺していた。

 しばらくはクチナシに支えられたまま目を不安定に泳がせていたが、不意に身を起こすと、腰にひとつだけついていたモンスターボールを掴んで放った。

 

「お、おい!急にどうした!?」

 

 現れたのはねんりきポケモンのフーディン。しかしその彼もまた、高度な知能の持ち主らしからぬ虚ろな目をしていた。

 

「落ち着け!私達はきみに危害を加える気はない!」

 

 836は少し強い口調で言ったが、少年の耳には入らなかった。

 フーディン。もうずいぶん長い間一緒にいる、大切な相棒。それは分かる。だけど。

 

「・・・分からないのか?」

 

 クチナシの言葉に頷く代わりに、少年はびくりと身体を揺らせた。同時に、呼吸が速く、浅くなった。

 

「分からない?自分の名字がか?それじゃあまさか、この子は──」

 

 その時、クチナシとハンサムは同じ事を考えていた。一年前、やはりこの島で倒れていたところを保護し、そして今日の昼に消えてしまった、あの記憶を失くした少女の事を。

 

「なあ。おまえ、もしかして空に開いた穴みたいなものに入らなかったか?」

 

 クチナシは自分の声が緊張しているのを感じた。

 アローラ以外で「それ」が出現したという話は未だ聞いたことがない。だが何ヶ月か前、ホウエンの本土から遠く離れたバトル施設で不審な点の多い事故が起きたという噂は、確かに耳にしていた。

 

「そら・・・あな・・・。」

 

 少年は気になった言葉を繰り返してみた。確かに、何かが引っかかる感じはする。しかしそれは爪の先すらかけることができない、あまりに小さなとっかかりだった。

 

 少年は傍らのフーディンを見た。

 再び猛烈な違和感が胸を占め、思わず顔が歪んだ。

 

「分かり・・ません。何か、あるような気は、するけれど。」

 

 違う。

 フーディンを目にした時には、いつももっと何かを感じていた。

 見えるのは彼だけではなかった。

 この胸を明るく温かく満たすものがあったはずだった。

 

「そうか。大丈夫だ、気にするな。なら、おまえ自身の事でも何でもいい。とにかく、覚えていることを──」

 

 クチナシがそこまで言いかけた時、少年の喉の奥からひゅっと奇妙な音が漏れた。そしてそのまま、再びクチナシに頭を抱えられた。

 

 

「おいきみ!しっかりしろ!!」

 

 

 自分の身に何があったのかは分からない。

 失われてしまったものが何だったのかも分からない。

 そんな彼に分かったのは、この胸にただただ広く深い穴が空いてしまったという、その事実だけだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

62.それから

 
今更ですが、ビッケさんは元国際警察の職員でクチナシさんとは旧知の仲という設定です。

【前回の要点】

十年前、UBの殲滅任務に当たっていたクチナシとハンサムは、瀕死に追い込んでいたUBに不意を突かれ、No000というコードネームの少女とハンサムのポケモンであったグレッグルを失う。その後、立ち寄ったポニの荒磯で倒れていたリラを発見する。
 



 

「失声・・・?」

 

 アローラ沖に浮かぶエーテルパラダイス本部の事務局長室。

 その部屋の主であるビッケ・ウィッケルは、来訪したかつての同僚の話に眉根を寄せた。

 

「ああ。医者が言うには心因性、つまり記憶を失くしたショックによるものだそうだ。発声器官に異常はないし、実際それに気付く前はおれたちと普通に会話していたからな。どこまで回復するかは、今後の環境次第だそうだ。」

 

「そうですか・・・。でも、それならなおさら、ここよりもそのバトルフロンティアへ帰してあげた方がいいんじゃありませんか?わずかでも記憶が残っているなら、きっと何か思い出すことだって──」

 

「それがしたくってもできねえのさ。」

 

 煙草の煙を細く吐き出して、クチナシは答えた。

 

「向こうの代表のエニシダって男が、受け入れを拒否したんだよ。『申し訳ないが、リラのFallの体質が解消されるかUBへの対策法が確立するまでは帰還は承諾できない』といってな。」

 

「そんな!だって、そんな事を言ったら──」

 

 あと何年、いや何十年かそれ以上かかるか分からない。そう言おうとしたビッケを、クチナシは首を振って制した。

 

「一概に否定はできねえよ。何しろ、おれ達だってあいつが戻っても何も起きないなんて保証はできねえんだ。責任ある立場の者としては当然の判断だよ。」

 

「だけど。あの子はもうずっとそこが居場所だったんでしょう?記憶を失った上に、親しかった人達との繋がりまで失ってしまったら。それじゃあまるで、一人で別世界に迷い込んでしまったも同然じゃありませんか。あの歳で、そんな酷な──」

 

 ビッケはそこで言葉を詰まらせると、大きな眼鏡をずらして目元を拭った。この、他者の痛みに思いを馳せ、まるで身内の事のように心を砕く優しさが、彼女が誰からも慕われる理由である。

 

「だからここが良いんだよ。記憶が戻らない内は、初対面の人間の方が却ってあいつも気楽なはずだ。それに、今はきっと人間よりポケモンの方があいつの心を癒やしてやれる。言葉だって要らねえしな。」

 

 そう言って、クチナシは手にした煙草を灰皿に押しつけた。それから傍らの飾り棚に立てられた、代表一家四人が写った写真にちらりと目をやった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「・・・オレ達がポニ島で保護した後、リラの身柄はしばらく本部預かりとなった。あいつの身体からとんでもねえ量の異空間線、つまりウルトラスペースのエネルギーが検出されちまったからな。もしうかつに外を出歩いてバケモンの呼び水になっちゃまずいってことで、体内のエネルギー量が半減するまでの期間、監視下に置かれる事になったんだ。」

 

 そこでクチナシは、吸い殻の溜まった灰皿に目を落とした。

 

「ただ見張られてただけじゃねえ。毎日何時間も思い出すことはないかと聴取され、試された。時には催眠療法まで施されたこともあった。おまけに、その間は逃げられねえようにって事で、唯一連れていたフーディンとも引き離された。まるで罪人扱いだったよ。」

 

 その言葉に、それまでずっとクチナシを見ていたヒノキも思わず目を伏せて膝を掴んだ。

 何も悪いことをしていないのに、どうしてあいつがそんな辛い目に遭わなければならないのだろう。

 

「ようやく検出されるエネルギー量が目安に達して解放された時には、リラは心身の疲弊で抜け殻のように虚ろになっていた。だが、今話したようにエニシダが受け入れを拒否したフロンティアには帰せねえ。・・・が、そんなあいつをまるで待ち構えていたかのように、引き取りたいと名乗り出た人間がいた。それがこの財団の代表、ルザミーネ・エーテルだ。」

 

 先ほどビッケからも聞いたその名に、ヒノキの頭に彼女の娘だというあの写真の金髪の少女が過ぎった。

 

「引取を希望する理由としては『当財団はポケモンだけでなく孤児の保護と支援にも力を入れているから』なんてもっともらしい事を言っていたが、本音が消えた旦那の手がかり集めだって事は見え見えだった。実際、初対面時には自己紹介もしない内からリラに写真を見せて迫っていたからな。『この男の人に見覚えはないか』と。」

 

「旦那・・・?」

 

 ヒノキの知らないその人物の事は、ハンサムの口から説明された。

 

「うむ。ルザミーネの夫のモーンという男はアーカラ島の空間研究所の創設者で、ウルトラスペース研究の第一人者だったのだ。しかし、リラが発見される半年ほど前に、ここの地下に設けた研究室内での実験中に消えた。人工的に作り出したウルトラホールに調査に行くと自ら入っていったきり、未だ行方不明者のままだ。」

 

 クチナシが頷いて続けた。

 

「だから奴さん、もしかしたらリラが異空間で旦那を見かけたりしてたんじゃねえかって考えたんだろな。もちろんリラはそんな男の事は知らねえ。だが、いつか何か思い出すかもしれないって事でリラを手元に置いておく事にした。これが、今もあいつの住所がここになってる理由だ。」

 

「そういうことだったのか。でも意外だな。そのルザミーネって人はポケモンの力で無理矢理ウルトラホールを開いてUBを愛でるような人だったんだろ?そんな人にUBを引き寄せるリラを託すって、クチナシさんなら許さなさそうな気がするけど。」

 

 ヒノキのその質問には、少し気まずそうな表情をしたクチナシの代わりにビッケが答えた。

 

「確かに、今でこそそういうイメージが強いけど。でも、元々ウルトラスペースの研究はモーン博士が個人的にやっていた事で、ルザミーネ様自身は全く関わりがなかったの。それが、失踪された博士を探すために研究に携わられるようになって。だから当時の彼女は何ていうか、まだUBへの執着もなくて、純粋に旦那さんの為に研究をしているような感じだったのよ。」

 

 納得したヒノキに、クチナシが頭を掻きながら補足した。

 

「・・・ま、そういうこった。それにさっきも言ったように、当時のリラにはとにかく心身を安らがせる環境が必要だった。監視期間のデータから、あいつはポケモンといる時が一番精神が安定することは分かっていたし、ここの保護区はあいつと同じように、痛みを抱えたポケモン達が多くいた。そして実際、そいつらや周りの人間達との交流を通じて、少しずつ表情や感情を取り戻していく事ができた。・・・そんなあいつが国際警察に入りたいと言ってきたのは、エーテルに移って一年ほど経った頃の事だ。」

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「・・・あ。」

 

 ポケットが低い唸りを上げているのに気付いたリラは、目の前のポケモンにポケマメをやる手を止めて、携帯を取り出した。それに届いていたのは「今着いた」という四文字きりの、ごく短いメールだった。

 

「リラさん、どうしたのですか?」

 

 とたんに、隣の少女が不安げな表情を浮かべた。

 まだあどけないが、長い金髪と明るいグリーンの瞳が美しい少女だ。品の良い白いワンピースがとてもよく似合っている。

 

「ごめん、リーリエ。お客さんが来たからちょっと行ってくる。でも、このネッコアラは絶対に起きないから、そう怖がる必要はないよ。アセロラ、リーリエを頼むね。」

 

 そう言って、リラは手にしていたポケマメをリーリエに握らせた。それは、ポケモンと仲良くなりたいが触れるのが怖いという彼女の為に、この保護区の職員から分けてもらったものだった。

 

「え、えぇ・・・」

 

 目の前のポケモンより、隣の3つ上の少女と二人にされる事に恐怖を感じたリーリエは、泣きそうな瞳でリラを見た。それというのも、ウラウラ島のエーテルハウスで暮らすこのアセロラは、リラと同じくらいポケモンとの接し方が上手いのだが、時々自身のゴーストポケモンで自分を驚かせてくるという悪い趣味があるからだ。もちろん、アセロラとしてはリーリエがポケモンに親しめるように、という思いを込めての試みなのだけれども。

 

「まっかしといて!リーリエ、アセロラがいるからだいじょーぶだよー!」

 

 そんなリーリエの思いを知ってか知らずか、当のすみれ色の髪の少女は小さな拳でどんと胸を叩いた。着ているのはリーリエとは対照的なつぎはぎだらけの紺のワンピースだが、その辺りの事は本人は全く気にしていない。

 

 そうして今にも泣きそうなリーリエと満面の笑顔のアセロラに見送られ、リラは客の待つエントランスへと急いだ。

 

 

 ◇

 

 

「クチナシさん、お久しぶりです。」

 

 そこで待っていたクチナシは、そう声をかけてきた待ち合わせ相手の少女に思わず目を瞠った。

 

「・・・なんか、雰囲気変わったな。」

 

 一年ぶりに再会となる彼女は、彼の予想以上に明るい方向へ変化していた。中性的な装いと雰囲気は相変わらずだが、肩の上まで伸びた髪のおかげでもう少年と見紛うことはない。顔つきも少し大人びたようだ。そして何より、失われていた声が戻っている。

 その声で、彼女は少し照れたように笑って言った。

 

「少し髪が伸びただけですよ。ルザミーネ様が勧めてくださったんです。『あなたは将来必ず美人になるから、今から伸ばしておきなさい』って。」

 

 そうして二人でエレベーターに乗り込み、四階へと向かった。この中央棟の最上階には、一般の来客も利用できるオーシャンビューのカフェがある。が、今回はクチナシにあまり時間がないということで、吹き抜けから保護区を見下ろせる四階の休憩所を選んだ。

 

「おっとそうだ、忘れねえ内に。」

 

 四階に着くなり、クチナシはポケットから小さなジップ付きの袋を取り出し、リラに渡した。

 

「これは・・・ビー玉、ですか?」

 

 中身の薄水色の美しいガラス球を手に乗せて訊ねるリラに、クチナシは頷いた。

 

「おまえさんが前に住んでいた部屋の机にあったものだ。何やら思い入れがあるものみたいだったから、返しておこうと思ってな。」

 

 リラはそれを透かすようにかざし、ひとしきり眺めた。

 

「・・・そうですか。わざわざありがとうございます。」

 

 それだけ言った彼女に、クチナシは彼女がそれについて何も思い出せないことを察した。微妙な空気になる前に、クチナシは本題を切り出した。

 

「それで、例の件についてだが。なんでまた、国際警察に入りたいなんて思ったんだ?」

 

 それが、彼が今日ここを訪れた理由だった。

 リラから「将来は国際警察で働きたい」という相談を受けたビッケに相談されたのだ。

 

「はい。私ももう14ですから、そろそろ進む方向を決めたいと思って。それで、真っ先に思い浮かんだのが国際警察だったんです。」

 

 その言葉に、クチナシの眉間が僅かに寄った。

 

「・・・誰かから何か言われたのか?」

 

 胸を過ぎった直感が、思わず口をついて出た。

 国際警察内では、Fallはたとえ検出される異空間線が基準値を下回ったとしても、その体質を考慮して警察内部につないでおくべきと主張する者も多い。そうした連中に、何やら唆されたのではないかという気がしたのだ。ちょうど、正体を紛らわす為に彼女に髪を伸ばさせろという指令がルザミーネを通じて伝えられたように。

 

「いえ。私自身の希望です。」

 

 きちんと自分の目を見てそう言った彼女の大きな薄紫の瞳を、クチナシはじっと見つめた。

 嘘のような気もしたが、そうではないような気もした。

 

「・・・それで、国際警察に入ってどうするんだ。はっきり言って、おまえはここで保護されてきたポケモン達の相手をしてる方が向いてるように思うがな。」

 

 そう言って、クチナシは眼下の保護区を見下ろした。

 リラも同じように保護区を眺めながら、しっかりとした口調で答えた。

 

「はい。私もここで、傷ついたポケモン達を元の暮らしへ戻してあげられる喜びを知りました。だから、この世界に迷い込んでしまったUB達も同じように保護をして、元の世界へ帰れるようにしてあげたいんです。その為には、クチナシさん達のUB対策本部に所属するのが一番だと思ったので。」

 

 そこで彼から何かもの言いたげな雰囲気を察したリラは、急いで言葉を継いだ。

 

「もちろん、UBが脅威的な力を持った恐ろしい生物であることは分かっています。でも、だからといって殺してしまうしかない訳ではないと思うんです。彼らだって私達人間やポケモンと同じように命ある存在で、本来の世界では生態系の一部だったはずです。だから生きたまま保護して研究し、生態や接し方が分かれば。可能性はきっとあると思うのです。」

 

 訴えかけるような眼差しを、クチナシは冷静に受け止めた。彼女は正しい事を言っている。だからこそ、現実的に進めなければならない。

 

「志は大したもんだが、それだけでやれるようなことじゃねえぞ。奴らに対応できる戦力はもちろん、捕獲可能なボールの開発に保護施設の創設、職員の手配と育成。殺しと違って、気の遠くなるほどの金と時間と労力がかかる。」

 

「・・・それも承知しています。でも、このままでは嫌なんです。」

 

 再び保護区を見つめながら、リラが静かに口を開いた。

 

「ここの人達は、みなさん本当によくして下さいます。ルザミーネ様も、ビッケさんも、職員の方々も、アセロラやリーリエも。ここに来なければきっと、私はこうしてまた普通に喋る事もできなかったと思います。」

 

 アセロラに見守られながらおそるおそるネッコアラにポケマメを差し出すリーリエに、リラは思わず顔が綻んだ。しかしすぐに表情を陰らせ、でも、と続けた。

 

「そうやって、たくさんの人が助けてくれるのに。それでもまだ孤独や虚しさを感じてしまう自分がいる。それが本当に、本当に嫌なんです。」

 

 手すりを掴む手の指先は、新たに加えられた力で色が変わっていた。続きを口にするには、少し気持ちと呼吸を整えなければならなかった。

 

「地下の研究所でUBの事を知る内に、自分は彼らととても似た境遇にある事に気付きました。だから、彼らが救われる事は私自身の救いになるような気がして。そうすれば、この呪いのような孤独も消えるんじゃないかって。」

 

 その言葉には、さすがのクチナシも何も返せなかった。

 14歳の若さで自分も知らない孤独を知ってしまった少女に、一体何が言えるだろう。

 

「・・・おまえがいたカロス本部の隣に付属の養成学校がある。だが入るには当然試験に受からなきゃならねえし、卒業したところで配属先を決めるのは上だ。そして入れば三年はここには帰れねえぞ。本当に、それで良いのか?」

 

 その時、リラが上から見ていることに気付いたアセロラとリーリエが大きく手を振ってきた。二人に笑いかけて手を振り返してから、リラはクチナシの目を見て頷いた。

 

「私は、お世話になった人達に心からのお礼が言える自分になりたいんです。たとえ、私自身は元の暮らし(せかい)に戻れなかったとしても。」

 

 

 そして一年後、リラはカロスへと発った。

 

 

 




  
一話内で回復しているのでリラの声が出なかった感があまりないですが、後々また触れる下りが出てきます。
ちなみにこの関係で25話の冒頭は筆談風にしているつもりです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

63.これから

 
今回はリラちゃんサイドのお話です。
ちょっと時系列がころころしてややこしいですが、基本的には25話の冒頭かつ26話の朝の話です。

【前回の要点】
ヒノキはクチナシ達から十年前にポニの荒磯で保護されたリラが国際警察本部での監視期間を経てエーテル財団に引き取られた経緯を聞く。


 

 エーテルパラダイス副支部長室の内線にリラからの着信が入ったのは、そこでヒノキが過去を語る日の朝の事だった。

 

「もしもし、リラ?・・・具合はどう?」

 

 彼女からの連絡に安心と緊張を感じつつ、ビッケは訊ねた。

 目が覚めたらまずは自分に連絡してほしい。

 そう記したメモを残していたのだ。

 

「ビッケさん」

 

 受話器の向こうの声は力なく震えていた。それはビッケがリラと出会ってからの十年間で、一度も聞いた事のない声だった。

 

「私は、これからどうしたら良いのでしょう・・・?どんな顔でヒノキに会って、どう謝れば・・・」

 

 憔悴する彼女に、ビッケは胸が痛みつつも込み上げるものを感じた。この十年、何があっても二言目には大丈夫ですと微笑んでいた彼女が、初めて泣き言を言ったからだ。

 

「リラ、落ち着いて。ヒノキくんはあなたが悪くない事はちゃんと分かっているわ。だからまずは、あなた自身は今どう思っていて、これからどうしたいのか。それを一緒に考えましょう。すぐ行くわ。」

 

 そして受話器を置くと、彼女の入院する医療センターへと向かった。

 

 

 ◇ ◇

 

 

「リラ。入るわね。」

 

 そう言って一呼吸置いてから入室したビッケが目にしたのは、予想通りの光景だった。 

 白い部屋の白いベッドの上で、リラは静かに泣いていた。その傍らには相棒のフーディンの姿があり、そっと主人の背を擦っている。

 その隣にビッケは椅子を運び、腰掛けた。

 

「私、本当に気付かなかったんです。」

 

 挨拶も前置きもなしにそう切り出すと、隣のフーディンを見つめながら、リラは続けた。

 

「確かに時々、ヒノキがこの子と不思議に通じ合っているように感じる事はありました。でも、実際にこの子が彼のキーストーンに反応するまで、()()()()()を疑うことさえなくて。それに、その事を知った今だって、何ひとつ思い出せないんです。」

 

 言葉を詰まらせながらそう明かすリラに、ビッケは改めて彼女の支えになってやりたいという思いが強くなった。だが、それより先にやるべきことがある。

 

「それについては、まず私達からあなたとフーディンに謝らせて。こんな大事なことをずっと黙っていて、本当にごめんなさい。こうなってしまった責任は、あなた達への配慮が不十分だった私達にあるの。」

 

 そう言って深く頭を下げたビッケに、リラは戸惑った。確かに、こんな重要な事実をずっと伏せられていた事に思うところがない訳ではない。が、実際にそれを知ってもなお何も思い出せない今、その事でこの十年来の恩人を責める気には到底なれなかった。

 

「そんな・・・頭を上げてください。それが私を思っての判断だった事は分かります。それに、全ては私が記憶を失くしたせいで彼を傷つけてしまった事が悪いんですから。」

 

「ありがとう。でも、それも違うわ。」

 

 頭を上げたビッケは、まっすぐにリラの大きな瞳を見つめて言った。

 

「確かにヒノキくんはあなたが記憶を失くした事を心から悲しんでる。でも、だからといってそれをあなたの責任だとか、謝ってほしいとか思ってる訳じゃないの。だから、あなたが自分でそういう風に考えてはだめよ。むしろ彼は、そうなることをずっと心配していたんだから。」

 

 そこでリラの目に再び涙が溜まり始めたので、ビッケは自分のハンカチを貸してやった。

 

「・・・フーディンが、三日前に彼が会いに来た時の事*1を教えてくれたんです。」

 

 赤い目元を白いハンカチで拭ってから、リラはビッケにその事実を告げた。

 

「え?ヒノキくんが、フーディンに?」

 

 ビッケが驚いてフーディンを見ると、彼はこくりと頷いた。そして自分の記憶を伝えるべく、ビッケの額にそっと右手のスプーンを当てた。

 

 

 ◇ ◇ 

 

 

「フーディン。ちょっと、いいかな。」

 

 そう声をかけられて瞑想を中断させられても、フーディンが気分を害することはなかった。こうなることは、一時間前から既に分かっていたからだ。

 

「ごめんな。邪魔して。」

 

 振り返ると、そこには見知った顔があった。

 ここしばらくの間、主人と組んで仕事をしている青年だ。少し離れたところでは、彼をここまで運んできたと思われる黒いリザードンが翼を休めている。

 

「少し訊きたいことがあるんだ。そんなに時間はかけないよ。」

 

 頷いて了承を示すと、青年も頷いた。しかし彼はそれからしばらくの間何も言わず、その薄いブルーの瞳でじっと自分を見つめていた。

 そんな彼の瞳を、フーディンも正面から見つめた。

 そうして彼らはしばしの間、互いの瞳の奥に眠るものを知ろうとするように見つめ合っていた。

 

「なあ。おまえは、ずっとリラと一緒にいるのか?」

 

 やがて、青年が何でもないような口調で訊ねてきた。が、それが彼の「訊きたい事」とは違うことを、フーディンは心の瞳で知っていた。その上で、こくりと頷いた。

 

「そっか。」

 

 青年は笑って頷いた。

 壊れそうに穏やかな表情だった。

 

「じゃあ、次な。おまえは、リラに会えて良かったって思ってるか?」

 

 それもまた彼の本当の質問ではないことを、フーディンは既に見透していた。そして、その本当の「訊きたいこと」が何であるかも、なぜ彼がそれを訊かないのかという理由も、彼はもう全て分かっていた。

 

 二つ目の質問に、フーディンは心から頷いた。

 偽りの質問とは分かっていたが、だからと言って答えまで偽る必要はない。

 

「うん。」

 

 青年もまた頷いた。

 嬉しそうに、悲しそうに。

 

「それなら、いいんだ。」

 

 それだけ言うと、彼は突然踵を返して走り出した。

 そして待たせていたリザードンに飛び乗ると、振り返ることなく行ってしまった。

 

 

 もし、彼の本当の質問にも頷く事ができたなら。

 彼が訊ねる事ができなくとも、フーディンは自らその答えを彼に伝えていただろう。だがそれができない以上は、空の彼方へ消える背をただ見ているしかなかった。

 

 

 

 なあフーディン。

 さっき、おまえと初めて会った日の夢を見たよ。

 途中でスリープに喰われて目が覚めちゃったんだけど、あの後ってどうなったんだっけ。

 おまえは頭が良いから、きっと憶えてると思ってさ──。

 

 

 

 ◇ ◇

 

 

「そう・・・。それで彼は、悲しい気持ちを紛らわせようとお酒を飲んだのね。」

 

 ビッケの言葉にリラは頷き、フーディンを見て続けた。

 

「私は自分の記憶だけでなく、ヒノキにとっても大切な存在であるこの子の時間(かこ)まで失くしてしまいました。私がいなければ、そんな事には──」

 

 そこで再び声を震わせ始めた彼女に、ビッケは少し厳しい口調で言った。

 

「リラ。さっき言ったばかりでしょう、自分を責めてはいけないって。あなたが自分を責めたところで何かが解決する訳じゃないし、そんな事はヒノキくんもフーディンも望んでいないわ。それにこの子だって言っていたじゃない、あなたに出会えて良かったって。」

 

 その言葉に同調するように、フーディンも主人の瞳を見ながら何度も頷いた。冷静なのに温かい、いつもの不思議な温度の眼差しで。

 

「過ぎた時や失ったものの事ばかり考えても仕方ないわ。それより今は、これからのあなた達がどうなるのが望ましくて、それを実現するためには何をすればいいかって事に時間と頭を使わなくちゃ。」

 

 再び穏やかな口調で語りかけるビッケに、リラは涙を拭いて頷いた。そしてその事について少し考えてから、幾分落ち着いた調子で話し始めた。

 

「・・・私は、確かに自分でヒノキを思い出す事はできなかったけれど。でも、彼がチームに来てくれた日から、ずっと思っていた事があるんです。」

 

 そう言って少し表情を和らげると、フーディンの頬を撫でながら続けた。

 

「彼といると、すごく心がよく動くなって。私の心って、こんなに動いたんだって。嬉しい時だけじゃなく、辛くて動く時でさえ、それがどこか心地よかった。ずっと空っぽだった自分の中にちゃんと自分がいて、一人の人間として生きている実感のようなものを感じられたから。それこそ、ずっと忘れていたことを思い出すような感覚があったんです。」

 

 そこで改めてビッケに向き直り、しっかりとした口調で言った。

 

「だから、もし、そう望むことが許されるのなら。私はこれからも相棒(パートナー)でいたいし、いてほしいです。ヒノキとも、この子とも。」

 

 そう口にした途端、リラは心がふっと軽くなるのを感じた。そしてそれが伝わったかのように、目の前のビッケも晴れやかな表情を見せた。

 

「うん。私もそれがいいと思うわ。そうね、それじゃあまずは・・・そうだ!」

 

 そこで何かを閃いたのか、胸の前でパンと手を合わせると、大きな眼鏡の奥の目を輝かせてリラに提案した。

 

「実は今日、夕方からヒノキくんが私の部屋であなたとの昔の話を聞かせてくれる事になっているんだけど。あなたもそれを聞くっていうのはどう?」

 

「え??」

 

 ビッケの大胆な提案に、リラは戸惑った。おそらくこの財団の幹部で最も良識と分別のある彼女だが、時々こうして驚くような行動力や思い切りの良さを見せる事がある。

 

「え、で、でも・・・」

 

 確かに、自分と彼の過去をきちんと知りたい気持ちはある。が、今のこの、現実的にはまだ何も解決していない状況で顔を合わせるのはさすがにハードルが高すぎる。しかし、ビッケはもちろんそんな彼女の心情を察していた。

 

「もちろん同席しろとは言わないわよ。あなたはここに居て、体調的にも気分的にも聞ける範囲で聞けばいいの。確か、フーディンのスプーンは音声も拾えたわよね?」

 

 フーディンはこくりと頷き、念で作ったスプーンを一本ビッケに渡した。確かに彼女がこれをポケットにでも忍ばせておけば、その会合を聴く事は十分可能だろう。あとは自分が盗聴の後ろめたさを気にしなければ良いだけだ。

 

「それなら・・・わかりました。」

 

「約束は18時だから。長くなると思うって言ってたから、それまでに十分休んでおくといいわ。それじゃあ、私はそろそろ仕事に戻るわね。」

 

「は、はい・・・。あ、あの、ビッケさん!」

 

「あら、なあに?」

 

 扉の前でリラに呼び止められたビッケは、その場でくるりと振り返った。

 

「・・・本当に、本当にありがとうございます。」

 

 そう言って深く頭を下げたリラに、ビッケは笑顔でいいのよ、と応えた。それから部屋を出て扉を締めた後に急いで目元を拭い、自身の部屋へと歩き出した。

 

 

*1
第22話『事件[前]』参照






次話はちょっと書き直しがある為、間が空くかもしれません。
でも三月中には何とかします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

64.それぞれの思い

 
今回はまた26話、62話と同じ日の話です。
恐ろしく長い一日ですが、今回で終わるのでご容赦ください。

【前回の要点】
ヒノキがクチナシ達にリラとの過去を語る日の朝。
ウツロイドの神経毒から目を覚ましたリラは、これからの事についてビッケに相談する。


 

「・・・そして18で本部の養成校を卒業した後、希望通りおれ達のUB対策本部へ配属となった。で、こいつを抜いて出世して、一年前におれから部長を引き継いで今に至るって訳だ。」

 

 そう言ってクチナシは隣のハンサムを顎で指すと、またポケットから煙草を取り出した。

 

「ま、大体こんなとこだな。何か聞きたい事はあるか?」

 

 ヒノキは壁の時計を見た。

 午前二時を回っている。

 忙しさに程度の差はあれど、日が昇ればみんな仕事があるだろう。

 

「・・・今日はもう晩いし、少し情報を整理する時間も欲しいから。また、日を改めて集まりたいって言ったら迷惑かな?」

 

 その言葉に、三人の大人は視線を交わして頷いた。そしてビッケが代表してその合意を口にした。

 

「分かった。じゃあ、また集まりたいと思った時は私に連絡してくれたらいいわ。それと、もうこんな時間だから今夜は空いている部屋を使って。あなただってまだ病み上がりなんだから、無理は禁物よ。」

 

 ヒノキは素直にその厚意に甘える事にし、彼女に礼を言って副支部長室を出た。

 そうしてこの十五年の時渡りの夜は、ようやく終わりを迎えたのだった。

 

 

 ◇ 

 

 

 電気を消してベッドに横になっても、ヒノキはぼんやりと暗い天井を眺めていた。

 疲れているはずなのに、頭の中に情報が溢れているせいで一向に寝つける気がしない。

 オハナ牧場の自室ならこんな時の為のスリープがいるが、ここでは自力で頑張るしかない。

 そして今のヒノキに思いつけるその唯一の方法は、考えて考えて、考え疲れることであった。

 

 

(オレはどうするべきなんだろうか。)

 

 

 どうしたいか、というのは分かっている。

 リラの力となり、UBの保護という彼女の願いを実現させたいという思いは今までと変わらない。

 むしろ、今日の会合を経てより強まったほどだ。だが、それを成すのに今までと同じやり方で良いのかどうかが分からない。

 自分と彼女の関係はもう今までとは違うのだ。

 それに合わせて、何かは変えなければならないのではないか。

 そうであるとすれば、その何かとは何なのか。

 

 

(あいつはきっと、やりづらくなるよなぁ。)

 

 

 ふと、そんな思いがヒノキの胸に浮かんだ。

 もし自分が彼女の立場なら、間違いなくそうだろう。

 ずっと初対面の人間だと思って接していた相手が、実は昔の親友だったとしたら。

 自分に記憶を失くした負い目を抱かせまいと、その事をずっと黙っていたとしたら。

 ある日突然、泣きながら激しい言葉をぶつけてきた理由がそれだったと知ったなら。

 

 

 それでも一緒に、と思うだろうか。

 

 

 じわりと湧いた熱い滴が、瞬きをした拍子に目尻から落ちて枕にしみた。

 その筋と鼻元をぐいと拭ってしばらく経った後、知らぬ間に眠りに着いていた。

 

 

 ◇ 

 

 

「──はい。」

 

 ごく控えめなノックに応えた声に、ビッケは少し驚いた。時刻は午前二時三十分。正直、反応があると思っていなかったのだ。

 遠慮がちにそっとドアを押し開けると、そこには寝間着にカーディガンを羽織って机に向かうリラの姿があった。傍らにはフーディンもいる。

 

「リラ・・・。」

 

 医師の許可を得て、彼女は昼の間に医療センターの病室から自分の部屋へと戻っていた。やはり緊張もあり、なるべく落ち着ける環境で今夜の会合を聴きたかったからだ。

 

「お疲れ様です、ビッケさん。少し、今日の話の記録をまとめていて。でも、もう休みますからご心配なく。」

 

 そう言って彼女は少し微笑んでみせた。

 しかし、その笑顔がビッケには心配だった。

 

「・・・最初から最後まで聞いていたの?」

 

 ビッケは躊躇いがちに訊ねた。

 彼女こそ真実を知るべきだと自らが提案した事ではあったが、Fallの件をはじめ、実際に本人が耳にするには刺激の強い話もいくつかあっただろう。

 

「はい。確かに、少しショックを受けた話もありましたが。でも、それも含めて聞いて良かったと思っています。」

 

 穏やかな微笑を浮かべたまま、リラは続けた。

 

「ヒノキの話を聞いている間、ずっと不思議な感覚があったんです。その出来事自体は思い出せないけれど、まるで共鳴(シンクロ)しているみたいにその時々の『私』の気持ちが鮮明に湧き上がってきて。それで、自分は間違いなく『タワータイクーンのリラ』と同じ人間なのだと確信を持つ事ができました。ね?」

 

 そう言って、傍らのフーディンと顔を見合わせて頷いた。

 どうやら彼もまた、同じ感覚を抱いたらしい。

 

「だから私、もう大丈夫なんです。その頃の、そしてこれからの自分の為にしっかりしたい。強くなりたいんです。ですからビッケさん達にも、私が傷つく事を心配するより、全てを受け止められるよう応援してもらえる方が嬉しいなって。そう思うんです。」

 

 うん、と頷くと共に、ビッケは一瞬、自分がまた彼女に辛い思いをさせてしまったのではないかと考えた事を恥じた。

 彼女はもう既に、これからどうしたら良いかと泣いていた今朝からずっと強くなっている。

 

「分かった。でも、全てを受け止めることは一人で背負い込むことではないわ。だから、私達にもできる事があれば遠慮なく言ってちょうだい。・・・あら?」

 

 そこでビッケは、リラのデスクに意外なものがある事に気付いた。なぜそんなものがここにあるのか、見当もつかない彼女はついそれをリラに訊いた。

 

「その『島めぐりのあかし』はどうしたの?それも、ふたつも・・・」

 

 机上にふたつ重なるように置かれた『島めぐりのあかし』を指して訊ねたビッケに、リラはそのひとつを手に取って答えた。

 

「この間の休日に、街で見つけたんです*1。以前、彼が任務を島めぐりに喩えて話してくれた事があって*2。それで、日々のお礼の意味も込めて贈りたいと思って買ったものなんです。」

 

 そう言って、リラはその島めぐりのあかしを少しの間、じっと見つめた。

 

「もちろん、今の状況では渡すことはできないけれど。でも、もしまた一緒に任務に当たれる事になったらすぐに渡せるよう、準備だけはしておこうと思って。少し、彼向きにアレンジを加え──あ!」

 

 そこまで言いかけてから大事な事に気付いた彼女は、はっと顔を上げ、目の前のビッケに少し慌てた口調で言った。

 

「あ、あのでもビッケさん!この事は、どうかヒノキには──」

 

「言わないでほしいんでしょう?それがヒノキくんに決断を強いる事にならないように。そういう事ね?」

 

 言おうとした事をそのままビッケに先取りされたリラは、大きな瞳をきょとんと丸くした。

 

「・・・どうしてそれを?」

 

 そんな彼女に、ビッケは思わず笑った。

 

「分かるわよ、それくらい。私だって、あなたとはもう十年の付き合いなんだから。」

 

 そう言うと右手をリラの頭に乗せ、そのままぽふっと自分の胸に抱き寄せた。

 

「私達は、あなたの本当の寂しさや辛さを分かってあげることはできないかもしれないけど。でも、あなたがこの十年間、ずっと頑張って生きてきた事はちゃんと知っているわ。その事は忘れないで。」

 

 大きな胸の真ん中で、綺麗な淡紫の髪が小さく頷いた。

 

 

*1
第22話『事件[前]参照』

*2
第20話『Fall』参照




 
SM中のリラちゃんが平行世界転送と記憶喪失というヘビーな闇をダブルで背負わされたにも関わらず闇堕ちもせずにあんな健気に成長したのは、やはり周りの人々の支えが良かったからだと思います。
そして本作においてはそういう存在の筆頭がビッケさんです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

65.手紙

 
今回は元々二話に分けていたところを長さが微妙な事から一話に改編したものですが、その為にやっぱり長さが微妙です。すみません。


【前回の要点】
クチナシ達とリラの過去について話し合った夜、ヒノキはこの先の彼女との関わり方について思い悩む。一方、リラは再びヒノキと共に任務に当たる日に向けての準備を始める。
 


 

 ヒノキ達が再びエーテルパラダイスの副支部長室に集まったのは、彼らが各々のリラとの過去を聞かせ合った日の二日後の事だった。

 

「・・・ああ、分かった。じゃ、ぼちぼち進めとくぜ。」

 

 内線の受話器を置いたクチナシはソファーへ戻って来るなり、既に座っていたヒノキとハンサムに言った。

 

「ビッケは少し遅れるらしい。支部長との打ち合わせの後、リラの様子を見て来るから、先に始めといてくれとのことだ。」

 

 時計は約束の十八時ちょうどを指している。

 二人が頷いたところで、クチナシがヒノキに向かって切り出した。

 

「で。おれたちに何か、聞きたいことがあるらしいな。」

 

 ヒノキは頷くと共に、ちらりと部屋のドアに目をやった。そしてそれが開く気配がない事を確かめてから、口を開いた。

 

「パラサイトにやられてここに運ばれた夜、ビッケさんがオレをリラの相方に選んだのは間違いだったのか、って言うのを聞いてたんだけど。そもそも、クチナシさん達はどうしてオレを選んだんだ?UBに対抗できそうな奴なら他にもいるだろうし、一昨日話すまではオレとリラが友達だった事も詳しくは知らなかったんだろ?それとも、ただの──」

 

「偶然じゃねえよ。」

 

 クチナシがその赤い三白眼でヒノキの目を捉えて言った。まるで、そこに潜む迷いを見透かしているかのように。

 

「確かにおまえから話を聞くまで、おれ達はおまえらのつながりについてはろくすっぽ知らなかった。だが、おまえを選んだのにはもちろん理由がある。おまえなら、と思った理由がな。」

 

 その言葉に、ヒノキもじっとクチナシの目を見た。

 果たしてこの任務(やくめ)は本当に自分でなければいけないのか。それが、今の彼にはどうしても判らなかった。

 

「ちょうどおれ達も今日はおまえにその辺りの事を話そうと思っていた。だが、それより先にその前提として話しておく事がある。まず聞くが、おまえはリラが消えた後のホウエンフロンティアについてどの程度知っている?」

 

 それはヒノキにとって正直耳と胸の痛い話題だった。しかし、同時にずっと気になっていた事でもあったので、ありのまま打ち明けた。

 

「・・・オレ、忙しさにかまけてあんま連絡とかマメじゃなくってさ。だからリラがいなくなってる事を知ったのは、五年前、五年ぶりに連絡を取ろうとした時だった。久々にまとまった休みが取れるから、近い内に遊びに行こうと思うって。でも、メールも電話も返事がないから、忙しいのかと思って直接フロンティアに行ったんだよ。」

 

 クチナシとハンサムは頷きで相槌をうつ。

 ヒノキは先を続けた。

 

「島は一見普通に賑わってて、どの施設もちゃんと運営していた。でもよく見ると、バトルタワーだけ違ってたんだ。予選はいつでもエントリーできるけど、ブレーン戦は半年おきの開催、なんて変なルールになってて。それで受付でなんでか訊いたら、タイクーンがシンオウフロンティアのバトルタワーも兼任されているからですって言われて。ああ、そりゃリラの奴も大変だなって言ったら、いいえ、シンオウのタイクーンがこちらに来て下さっているのです、って。」

 

 当時の事を思い出し、ヒノキは堪らずそこで息をついた。受付のあの無機質で虚ろな口調を思うと、未だに胸に亀裂が走るような痛みが生じる。

 

「・・・それで、じゃあリラはどうしたんだって訊いたら、五年前に施設のポケモンが暴走する事件があって、それを止められなかった責任を感じて修行の旅に出たって言うんだ。でも、ポケナビはずっと圏外のままで向こうからの連絡もないから、今どこでどうしているのかは自分達も知らない、って。・・・そこで話を聞くのをやめたよ。」

 

 数秒間、重い沈黙が流れた。

 それを破ったのはクチナシだった。

 

「・・・なるほどな。それでおまえは、それをそのまま信じたのか?」

 

 彼の言い方に特に含みはなかった。が、それでもヒノキは反射的に表情と声が少し険しくなった。

 

「もちろんオレだっておかしいと思ったさ。こいつら、絶対何か隠してるって。でも、それって隠さなきゃいけないような何かがあいつの身に起こったって事だと思ったら。・・・嘘と分かっていても、信じるしかなかったんだ。」

 

 徐々に語気を失うヒノキに、今度はハンサムが気遣うような口調で訊ねた。

 

「と、いうことは。その時きみは彼女の事について、ブレーンやエニシダと話はしなかった、という事だね?」

 

「うん。なんかもうそれ以上何も知りたくなくて、そのまま島を離れたんだ。それに、もしかしたら案外本当に旅をしてるのかもしれないと思って。それならオレはいろんな地方を飛び回ってるから、いつかどこかで会えるかもしれない、なんて。ずっとそんなおめでたい自己暗示をかけてたよ。」

 

 自嘲気味にそう答えてから、ヒノキは再びクチナシに向かって訊ねた。

 

「だけど。それが今回オレを選んだ事と、どう関係があるんだ?」

 

「まあ聞け。それを今から話す。」

 

 はやるヒノキを制し、クチナシは話し始めた。

 

「十年前、ポニ島で保護したリラの身元が判明すると、まずおれ達はホウエンフロンティア、つまり代表のエニシダに連絡を取った。お前んとこの奴をアローラで保護したが、明らかに旅行中とは思えねえし、おまけに記憶を失くしてる。何があったんだってな。すると奴はしばらく口籠っていたが、やがて観念してとんでもない事実を明かし始めた。」

 

「とんでもない事実・・・?」

 

 いかがわしい響きに眉根を寄せたヒノキに、今度はハンサムが口を開いた。

 

「うむ。奴の話は要約するとこうだった。『半年前のある日、突如バトルタワーの前の空に裂け目が生じ、そこから見た事もない黒い生物が現れてレーザー光で辺りを火の海にした。そして当時ブレーンの長であったリラはフロンティアを守るため、囮になってその生物と共に裂け目の中へ消えた、とな。」

 

「空の裂け目から生物って・・・それってもしかして、十年前のホウエンフロンティアにUBとウルトラホールが現れたって事か?」

 

 にわかには信じがたい話に、ヒノキはつい懐疑的な口調になった。しかし実際、そんな話は未だかつて聞いたことがない。

 

「黒いバケモンの方は他に記録がねえから何とも言えねえ。だが、後の調査で現場から微量ながらも異空間線が計測された事で、その裂け目がウルトラホールである事はほぼ確定となった。つまり、リラは十年前フロンティアに開いたそのウルトラホールに入り、半年近く異空間を彷徨った後、別のホールを通ってポニの荒磯へと出た。そしてその過程で記憶を失くした可能性が極めて高い、ってことだ。・・・だが、(エニシダ)が吐いた事実はそれだけじゃあなかった。」

 

 そこでクチナシの表情が明らかに苦味を帯びた。その様子から、ヒノキはここからがこの話の本質であることを悟った。

 

「事件の当日、フロンティアはちょうど年始めの休業期間で、幸い島には外部の人間がいなかった。だが、それでもエニシダは事件が世間に漏れる事をひどく恐れた。もし未知の化け物が出たなんて事が知れたら、客足のガタ落ちどころか営業停止は免れないと考えてな。そこで島民には事件とリラの失踪は極秘事項とし、表向きはさっきおまえが言った通りである事にするよう通達した。早い話が、箝口令を敷いたって訳だ。」

 

 いかにもあの男の考えそうな事だな、とヒノキは思った。十年前、ジラーチをめぐる騒動で事件は自分とリラに任せて自身はフロンティアの運営に専念していた時から、おそらくこの男は何に代えてもフロンティアの存続を優先するのだろうなと、何となく思っていた。

 

「だが、タワーの職員やブレーン達を筆頭に、島民の多くがその方針に反論した。身を呈してフロンティアを守ったリラを見殺しにするなどあり得ない、世間に事の顛末を公表してでもリラの捜索を優先すべきだ、と言ってな。・・・そこでエニシダは連中を静める為に、当時のホウエンではまだ取引の認められていなかった、とあるポケモンを密輸入した。イッシュのタワーオブヘブンがその原産地といやあ、奴が何を企んだか大体分かるだろ?」

 

「タワーオブヘブン・・・?じゃ、まさか──!」

 

 真相を察したヒノキの顔色が変わると同時に、ハンサムが頷いた。

 

「そうだ。奴は極秘に入手したそのオーベムに、ブレーンを含む全島民の記憶を書き換えさせたのだ。事件は施設の共用ポケモンの暴走であり、それを止められなかったリラは自身の力不足を悔やんで武者修行の旅に出た、とな。」

 

「・・・そんなことが許されるのかよ。」

 

 辛うじてそう呟いたヒノキに、クチナシは軽く頭を掻くと共に首を横に振った。どことなくバツが悪そうな素振りだった。

 

「ポケモンの違法取引は七年以下の懲役もしくは罰金、記憶偽造罪は本来なら無期もしくは十年以上の懲役に処せられる重い罪だ。だが、自供した点や実際に事件が明るみになった際に社会へ与える影響の大きさが考慮され、両方とも罰金に減刑された。今日もフロンティアが普通に営業しているのはそういう訳だ。」

 

 ヒノキはその事を懸命に冷静に捉えようとした。

 確かに、ある日突然空に穴が開いてバトル施設の長ですら倒せない生き物が現れたとなれば、ホウエン社会は古代ポケモンの覚醒以来の恐怖と混乱に覆われだろう。いや、噂が他地方に広まれば全世界がそのようになるかもしれない。

 それは分かる。確かに、分かるのだけど。

 

「・・・少し前置きが長くなったが、ここからがきみの質問に対する答えになる。」

 

 空気の重さに耐えながら、ハンサムが静かに口を開いた。

 

「今クチナシが話した通り、エニシダの自供によってホウエンフロンティアにウルトラホールが出現した事が確定的となると、国際警察は調査班を派遣して詳細な現場検証を行なった。そしてその範囲はバトルタワーのリラの部屋にも及び、そこを担当したのが私とクチナシだった。」

 

 その説明にクチナシが頷き、また頭を掻いて補足した。

 

「まったく。さっぱりしてるといやあ聞こえはいいが、必要なもの以外は本しかないような、そんな部屋だったよ。・・・だが、そんな部屋にふたつだけ、そのどっちでもねえものがあった。ひとつはおまえが十年前にやったソーダに入っていたと思われるビー玉*1、そしてもうひとつが手紙*2だ。」

 

「手紙・・・?」

 

 ハンサムが頷き、コートの懐に手をやった。

 そしてそこから一通の封筒を取り出し、ヒノキに渡した。

 

「そう。彼女のデスクに残されていたこの手紙こそが、我々がこの役目をきみに託そうと決めた、その理由だよ。」

 

 鼓動がにわかに加速するのを感じながら、ヒノキは自身の名が記された封筒から一枚の便箋を取り出した。

 そして遠い日に見た覚えのある、細く流れるような筆致で認められたその文章を辿った。

 

 

 

 やあヒノキ。元気にしてるかな。

 突然手紙なんか送ったりして驚かせてしまったことだと思う。でも、電話じゃきっとうまく話せないだろうし、メールよりも自分の字の方が良い気がしたから、そこはどうか許してほしい。それほど長くはならないと思うから。

 

 最近、フーディンがしきりにバトルタワーの前の空を気にしている。空間の流れがおかしい、近い内に何か起こるかもしれないって言うんだ。

 大した事でなければいいんだけど、ここで何かが起きた場合、ぼくは最前線に立たなきゃいけないから。

 あまり不吉なことは言いたくないけれど、万一の事があればと思い、この手紙を書くことにした。

 本当は次に会った時に直接言いたかった事だけど、伝えられずじまいになるよりはずっと良いから。

 ちょっと照れくさいけど、正直に書いていくよ。

 

 ヒノキ。

 ぼくはずっと、きみになりたかった。

 五年前にきみと出会って知ったポケモンと通じ合う喜び、男の子の優しさと頼もしさ、一緒に戦ってくれる誰かがいる事の嬉しさ。

 それがみんな眩しくて、自分もそんなトレーナーになりたくて、この五年間、ぼくはずっときみの背中を追いかけてきたんだよ。

 だけど、きみも知っての通り、ぼくは本当は『ぼく』じゃないから。例えいくらか近づく事はできても、本当にきみや男の子になる事はできない。

 だからこれからは、逆に自分自身と向き合って、女の子として強く優しく、頼もしくなろうと思うんだ。

 そしていつかまたきみに会えた時にそれを眩しく感じてもらえたなら、とても嬉しく思う。

 

 なんだか変な手紙になってしまったね。でも、こんな手紙を書かずにいられなかったのも、ぼくがきみを本当に友達だと思っているからだと分かってほしいんだ。

 

 最後まで読んでくれて本当にありがとう。

 こんな手紙を書いておいて何だけど、きみにまた会える日を心から願っているよ。

                  Lila

 

 

 

 黙って手紙を畳んだヒノキに、クチナシが言った。

 

「わかってると思うが、今のリラにその手紙を書いた時の記憶はねえし、そもそも見せた事もねえ。そしておまえを選んだのはあくまでおれたちだ。だから、()()()()()()()()自分が本当に適任なのかどうかが知りたけりゃ、おまえが直接あいつに訊け。」

 

「・・・分かった。」

 

 ヒノキは頷いた。

 結局、それしかないのだ。

 他の誰が自分を推そうと彼女にとって負担になるのであれば、やっぱり意味がない。

 

「・・・しかし、ビッケの奴遅えな。」

 

 クチナシがそう呟いたところで、ヒノキも壁の時計に目をやった。時刻は18時半を回っている。

 支部長との打ち合わせが長引いているのか、様子を見に行ったリラと何か話し込んでいるのか。

 

 

 と、ヒノキがそんな事を考えた、その時だった。

 

 

「遅れてごめんなさい。ヒノキくん、ちょっと一緒に来てくれる?すみません、すぐ戻りますので。」

 

 足早な靴音と共に勢いよく扉が開いたかと思うと、ビッケが慌ただしく入ってきた。そしてクチナシとハンサムにそう告げるなりヒノキの腕を掴むと、誰の返事も待たずに再び部屋を出た。

 

「あの、ビッケさん、オレ達、どこに──?」

 

「ごめんね、行けばわかるから。とにかく、今は私に付いてきて。」

 

 呆気に取られているヒノキに、ビッケは短く答えた。そして迷路のような施設内を、迷うことなくずんずんと進んでいく。

 

 二、三度フロアと建物の移動を経た後、彼女はある扉の前で足を止めた。そして声は出さずに、手と目で今からここに入ることをヒノキに伝えた。

 

「ビッケさん、ここって・・・?」

 

 何も知らされないまま連れてこられたヒノキは、今から自分がここで何をするのか見当もつかない。が、ドア横のネームプレートに記されている名を目にした瞬間、言葉を失った。

 

「えっ・・・」

 

 そんな彼を、ビッケがしっと指を立てて小声で制した。

 

(大丈夫、よく眠ってるから。でも、静かにね。)

 

 いやそれ何も大丈夫じゃないから、ていうかむしろ余計ダメだろ──と心の中でつっこみながら、ヒノキはそのリラの部屋へと足を踏み入れた。

 

 

 ◇

 

 

 そこは概ねイメージ通りの空間だった。きちんと片付けられ、掃除されたとてもきれいな部屋だ。が、物が少なく、若い女性の部屋としては少し寂しいような気もする。

 

(・・・!!)

 

 わっと声を上げそうになったヒノキは、慌てて口を押さえた。

 部屋に入り、最初に目に入った窓際のデスク。

 そこに、腕を枕にして伏せって眠るリラの姿があったからだ。

 そしてそのリラの隣から、ビッケが手招きをした。

 

(こっちへ。)

 

 音を立てないよう慎重に部屋を横切り、寝ているリラを挟む形でヒノキは彼女の隣に立った。そこで、目の前のデスクに意外な物がある事に気付いた。

 

(これって・・・『しまめぐりのあかし』?)

 

 しかし、それは彼が知る一般的なあかしとは少し様相が異なっていた。四色に彩られた木製のあかし本体の下部の結び目に金具がつけられており、何やら丸い物が嵌め込めるようになっている。

 近くに革紐やハサミがある事から、どうやらリラがそのように細工をしたらしい。しかも、なぜかそれが二つある。

 

 なぜ彼女がこんなものを?

 そうヒノキが首を傾げたところで、ビッケが一枚の便箋を渡してきた。それは、先ほど見た字と殆ど変わらない筆跡で、こう綴られていた。

 

 

 ヒノキへ

 

 こんなことを改まって伝えるのは、少し照れくさくて気恥ずかしいですが。

 これでも私はあなたがチームに来てくれて本当に良かったと、いつも思っているんですよ。

 そんなあなたに何かお礼がしたいと思い、ハウオリシティで見つけた『しまめぐりのあかし』を、キーストーンのデバイスとして使えるよう手を加えてみました。(メガしまめぐりのあかし…って言うんでしょうか?)

 以前、あなたがこの任務は私達の島めぐりだと言ってくれたことと、キーストーンをそのまま使っていた事が結びついて閃いたものです。これを渡すまで、あなたが新しいデバイスの購入を面倒くさがり続けていてくれれば良いのですが。(笑)

 

 あなたには、私とフーディンの事で本当に辛い思いをさせてしまいました。きっと今も、心の奥では割り切れない悲しみを抱えている事でしょう。

 でも、やっぱりあなたには『ごめんなさい』より『ありがとう』の方をたくさん言いたいから。

 

 だからもう少しだけ、私に力を貸してください。

 

                Lila

 

 

 

 部屋を出ると、ビッケはヒノキの前に立った。

 そしていつもの彼女らしい穏やかな調子に戻って詫びた。

 

「急に引っ張ってきてごめんなさいね。本当は、あなたにちゃんとあれが渡せる状況になるまで黙っていてほしいって言われたんだけど。」

 

 いや、とヒノキは首を振った。

 彼女のその心境は、ヒノキにはよく分かった。

 

 自ら手を加えたしまめぐりのあかし。

 ごみ箱に溜まっていた書き損じ便箋の山。

『ごめんなさい』より、『ありがとう』。

 

 

 それが()()リラだと、どうしても()()自分に教えたかったのだ。

 

 

 少し鼻元を擦ってから、ヒノキは顔を上げた。

 そしてまっすぐにビッケの目を見て言った。

 

 

「ビッケさん。ひとつ、相談があるんだ。」

 

 

*1
54.10年前⑭ Secret base 参照

*2
59.10年前⑲ 最後の願い 参照




 
予定より一話減ったということで、次回が第三章最終話となります。
そろそろヒノキという単語を見るのも嫌な方もいらっしゃるかと思いますが、あと一話だけ付き合ってやってください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

66.試練

 
第三章最終話です。
久々にポケモンが出てくるのでちょっと長めですが(8000字ちょっと)、よろしくお願いします。

【前回の要点】
今後の進退に悩むヒノキはクチナシ達に自分をリラの相方に選んだ理由を訊ねる。その後、昔と今のリラが書いた二通の手紙を読む。


 

 7番道路はアーカラ島を東から北へとつなぐ、火山と海に挟まれた短い公道である。

 華やかなロイヤルアベニューから一転、荒々しく殺風景なこの道自体に興味を示す人は決して多くはない。が、観光名所であるヴェラ火山公園や8番道路方面に通じている事から、日中は交通の要所と呼べるだけの人通りがある。

 ただし、この日ばかりは少し事情が違っていた。

 

「──はい。こちらは現在のところ異常ありません。ええ、体調も大丈夫です。・・・わかりました、よろしくお願いします。ライチさん達も、くれぐれもお気をつけて。」

 

 一週間の療養を経て仕事に復帰したリラは、PHSに入ったライチからの業務連絡にそう応えた。

 そして本日の持ち場であるこの七番道路から、今しがた空間の裂け目が生じたという、ヴェラ火山公園の頂を仰ぎ見た。

 

 

 ◇

 

 

 リラがヴェラ火山公園に再びパラサイトが出現することを知ったのは、その前日の昼過ぎの事だった。瞑想をしていたフーディンが、その未来が確定したことを感知したのだ。

 その事をハンサムに報告すると、直ちにアーカラ島のしまクイーン、ライチを中心に対策班が結成された。当然彼女はメンバー入りを志願したが、ライチはそれを許可しなかった。

 

『気持ちは分かるけど、いくら調子が戻ってきてるからって、病み上がりの人間を戦場に送る訳にはいかないよ。もどかしいだろうが、今回まではあたしらに任せて休んでな。』

 

 しかしリラはその勧めに応じず、食い下がった。

 

「我儘を言っているのは百も承知です。でも、UBが出現すると分かっている以上は休んでいても気が休まらなくて。せめて、周辺地区の警護だけでもさせてもらえないでしょうか。」

 

 そんな彼女に、ライチは電話の向こうで深いため息をついた。そして、あんたはUBの毒より仕事中毒の方が深刻だね、とこぼしてから言った。

 

『わかったよ。なら、あんたは麓の7番道路からワカツダケトンネルにかけてのエリアの警戒を頼む。ただし、それも少しでもUBの気配を感じたらすぐにあたしに報告して、絶対に戦闘はしないこと。それが条件だ。いいね?』

 

 提示されたその条件を、リラは明るい声で快諾した。そしてライチに礼を言って通話を終えた。

 

 

 ◇

 

 

 この場所から山頂付近(げんば)の様子は窺えないことを確認したリラは、再び目の前の持ち場を見渡した。

 昨日の内から通行規制が始まり、現在は完全に封鎖区間となっている一帯には、人はおろかポケモンの気配すらない。周囲に建物がないこともあり、こうして一人で立っていると、まるで無人島にいるような気さえしてくる。

 

 その時、胸ポケットのPHSに再び着信が入った。小さな液晶画面で発信者を確認したリラは、三度目のコールでそれを取った。

 

「はい、リラです。カキ、どうかしましたか?」

 

 そちらの様子はどうかと連絡をしてきたのは、キャプテンのカキだった。彼も今回は戦闘要員ではなく、オハナタウンやロイヤルアベニューといった市街地のある山麓南西部の警戒を割り当てられている。病み上がりのリラの負担の軽減と、この一帯がホームグラウンドである彼の土地勘を考慮してのライチの判断だ。気も言葉も強い彼女だが、その配慮はとても細やかで女性らしい。

 

「ええ、大丈夫ですよ。ありがとうございます。あなたも気をつけて。」

 

 何かあればすぐ言ってくれという彼に礼を言って、リラは通話を切った。おそらくこの電話も、ちょくちょく自分を気にかけるようライチがカキに言ったのだろう。これ以上彼女に迷惑をかけない為にも、今日はここで大人しく警戒に徹しなければならない。

 

 

 

 その決意から、15分。

 

 

 

「・・・・」

 

 そわそわと落ち着かない心地で、リラは背後にそびえる火の山を振り返った。こうしてこの山を見るのは、既にもう何度目か分からない。

 任務の責任者として最新の状況が把握できないもどかしさと、任務の責任者でありながら安全な場所で安全な役目についている申し訳なさ。そして何より、現場で仲間と共に戦いたい、支えたい、役に立ちたいという、殆ど欲求に近い強い願望。

 利害の一致するそれらの感情は結託し、一丸となってしきりに彼女の肩を叩いていた。

 

(ハンサムさんもこんな気持ちだったのかな。)

 

 ふう、と大きなため息をついて前に向き直るとともに、リラは専ら後方支援(バックアップ)を任じている歳上の部下を思った。

 何度危険だと伝えても毎度現場に来たがる彼だが、その気持ちが今になってようやくわかった気がする。

 

 と、彼女がそんな事を考えた時であった。

 

 

──いこうよ。きになるんでしょ?

 

 

「え?」

 

 耳もと、というよりは脳内に直接響いたようなその声に、リラは思わず辺りを見回した。が、周囲には相変わらず何者の気配もない。

 

(・・・気のせい、か。)

 

 そうだ。きっと、上の様子が気になるあまり、そんな声が聴こえた気がしたのだ。

 そう思い直した、次の瞬間。

 

 

──だいじょうぶ。どうせここはだれもこないし、なにもおきないから。だから、いっしょにおいでよ。

 

 

 囁きに続いたくすくすと笑う声に、リラはそれが自分の心の声で、やはり今日はまだ休んでいるべきだったのだという考えを捨てた。

 そして一度目を閉じ、ゆっくりと息を着いて気持ちを落ち着けた。そのおかげか、再び目を開いた時には、そこにはっきりと声の主の姿を認めることができた。

 

「!あなたは・・・。」

 

 

 ◇

 

 

 ヴェラ火山公園、山頂広場。

 平時は島めぐりの試練が行われる場である事から通称『ぬしの間』と呼ばれるそこでは、既に戦いが始まっていた。

 

「あ、ちょっと・・・」

 

 降ろされた斜面から様子を窺っていたリラは、自身をそこまで連れてきた張本人が堂々と表へ出て行ってしまった事で迷ったが、自分は留まる事にした。彼女の本質はあくまで『無邪気』や『気まぐれ』であり、『導き』ではないのだ。

 

 斜面からほんの少しだけ顔を覗かせたリラは、改めて『ぬしの間』の状況を確認した。そこには、事前にライチから聞いていた作戦に沿った陣形が展開されていた。今回の攻撃手であるマオとサポート役のスイレンは広間の中心につき、指揮官のライチは二人の後方、広場全体が見渡せる位置に立っている。そして──

 

「おいマオ!頼むから間違ってもオレ達に当てさせんなよ!オレはそーゆー趣味は一切ないんだからな!」

 

 宙に浮かぶパラサイトと対峙する最前線から、シルヴァディに跨った囮役のヒノキが叫んだ。どうも彼は目の前のUBよりも、嬉々として棘付きのツルをしならせるマオのアマージョを恐れているように見える。

 

「んー、大丈夫だと思うけど、でもあんまりびくびくしないでね!逆にそそられちゃうから!!」

 

 隣のスイレンのオニシズクモの『ワイドガード』に守られたマオが、淡い光のベール越しにヒノキへ声を張った。一週間前に自分と同じくパラサイトの神経毒に倒れた彼だが、もうすっかり快復しているようだ。その事に、リラはひとまず安心した。

 

「ヒノキ!そんな事はいいからあんたはパラサイトに集中しな!今度は毒技を出すつもりだよ!」

 

 そのライチの言葉通り、鈍い光を発したパラサイトの触手から、紫色の酸の弾が放たれた。

 威力自体は決して高くないが、喰らえば特殊攻撃に対する抵抗力を大きく削がれてしまう『アシッドボム』だ。

 

(!)

 

 シルヴァディがいきなりそれを正面から被弾した事で、リラは反射的に目を伏せた。

 が、すぐにそれが杞憂であった事を知った。

 

「分かってるよ!オレだって連続で病院送りはごめんだ。その為に、ちゃんと対策もしてきたんだから。」

 

 そのヒノキの言葉と、酸を弾いて煌めくシルヴァディの銀色のとさかに、リラは彼らがパラサイトの毒撃をものともしていない理由を理解した。

 対UB用ポケモン兵器としてシルヴァディに付与された『ARシステム』。専用のメモリを使用することで属性を自在に変えられるその超特性によって、シルヴァディは今、パラサイトの属性と考えられている『どく』と『いわ』の両方に耐性の高いはがねタイプを得ているのだ。

 

「だけどそれは特性による効果だろう?相手がそれを打ち消す手段を持ってないとも限らないんだ。油断せずに行くよ!スイレン!」

 

 ライチはシルヴァディの事は『特性によって属性を自由に変えられる人工ポケモン』という程度しか知らない。だがその限られた情報から知り得るリスクを的確に掴んでいる辺り、さすがはしまクイーンというべきだろう。

 

「了解です!シズク、『みずびたし』!」

 

 主人の命を受けたオニシズクモは、自身を包む水泡を更にひとまわり大きく膨らませると、目標に向かって勢いよく発射した。そしてその巨大な水泡は諦めずにシルヴァディに毒撃を試みるパラサイトをすっぽり包むと、その特殊な成分によってパラサイトの属性を『みず』へと変えてしまった。

 

「オッケー!アマージョ、いっくよー!!『パワーウィップ』!」

 

 水泡に囚われて動きの止まったパラサイトを、アマージョの両手の棘付きの蔓の鞭が完璧に捕らえた。

 とたんに水風船の破裂音のような衝撃音が響き渡り、パラサイトが何とも形容しがたい叫びを上げた。

 

『ジョーッジョッジョ!!』

 

 悶絶するパラサイトに、悦に入ったアマージョが高笑いを浴びせている。『パワーウィップ』はただでさえ強力な技だが、加えて『みずびたし』でみずタイプに変えられた今、パラサイトとっては相当きつい一撃だっただろう。

 

(なんちゅうポケモンだ。)

 

 その光景に、ヒノキは改めて心胆を寒くした。『パワーウィップ』はいわば『つるのムチ』の上位技だが、用いる蔓がより太く重くなる分、制御が難しくなる。それはすなわち、囮役の自分が巻き添えを食う可能性も決して低くはないという事だ。

 

「なあシル。なんでこの島はこう、おっかない女が多いんだろうな。」

 

 追撃を仕掛けるアマージョと、いつの間にか現れてそれを愉しそうに見ているカプ・テテフを遠巻きに眺めながら、ヒノキは銀色の相棒にぼやいた。

 生殖機能が与えられていないシルヴァディには性別の概念がない。が、状況から主人の言わんとする事は何となく理解したらしく、神妙な顔で頷いた。

 

「なんか言ったかい。無駄口叩く余裕があるならメレシーを外すよ。」

 

 後ろからライチに睨まれ、ヒノキは速やかに口を閉ざした。

『ARシステム』はあくまでシルヴァディの特性であり、当然ヒノキははがねタイプにはなれない。そこで彼女のメレシーが護衛として『リフレクター』、『ひかりのかべ』、『しんぴのまもり』を使い分けて守ってくれるからこそ、ヒノキは安心して囮役を務める事ができるのだ。 

 

 

 やがて、アマージョの攻撃が外れた隙をついてパラサイトが体勢を立て直した。その動きに、リラはある違和感を抱いた。

 

(・・・?)

 

 普通ならば、これまで散々自身を痛めつけてきたアマージョに矛先を向けるところだろう。

 が、立ち直ったパラサイトが追ったのは、やはり囮役のヒノキだった。それも、特に彼が気を引く行為をした訳でもない。

 

──まさか。

 

 リラの心臓がどくんと高鳴った。

 ヒノキとシルヴァディに対し、明らかに特別な執着を見せるパラサイト。

 そう、まるで目の前に撒かれた餌に食らいつこうとする肉食魚のように。

 

(ライチさん、ごめんなさい。)

 

 数メートル先で腕を組みながら戦況を見つめるライチに、リラは心の中でそう詫びた。

 今ここで出ていけば、彼女との約束を真正面から破ることになる。だがそれでも、どうしても確かめずにはいられなかった。

 

「フーディン、『サイコキネシス』!!」

 

 フーディンと共にパラサイトの前に姿を晒したリラは、正面からその一撃を叩き込んだ。そしてすぐに『テレポート』し、ヒノキとほぼ同じ距離でパラサイトを挟む位置に立った。

 

「リラ・・・!?」

「え?なんでリラさんがここに??」

 

 突然現れた彼女に、ヒノキだけでなくマオとスイレンも驚いている。ただ一人、ライチだけがやっぱりなという風にため息をついていた。

 

 ほぼ等間隔の位置にいる二人に、パラサイトは一瞬迷いを見せた。が、結局自身に背を向けた事で、リラは自分の考えが真実であることを確信した。

 

「ん?あの構えは・・・」

 

 やはりヒノキに向かって頭で狙いを定めるように身体を傾けたパラサイトに、ライチが眉を上げた。ポケモンだけでなく、わざに関してもいわタイプに精通している彼女は、いち早くその意図を察したのだ。

 

「ヒノキ、『もろはのずつき』が来るよ!けど、今の奴じゃその反動(ダメージ)で死ぬかも知れないから、なるべく優しく受け止めてやりな!」

 

「え??でも、そしたら代わりにオレが死ぬんじゃ──?」

 

 事実上肉壁の指令にヒノキが困惑した、その時だった。 

 

「!これは・・・『サイコフィールド』?」

 

 突然足元に広がった不思議な感覚とピンクの光、そしてフーディンが力を得ている事実から、リラはその現象の名に行き着いた。

 そこに、ここまで空から戦いを見物していたカプ・テテフが隣へ降りてきて、彼女に向かって片目を瞑ってみせた。

 

「・・・フーディン!『かなしばり』!!」

 

 最後の力を振り絞り、猛然とヒノキとシルヴァディへ突っ込むパラサイト。しかし、サイコフィールドのアシストを受けた強力な『かなしばり』が、その特攻を標的の目と鼻の先で未遂に終わらせた。

 

「・・・命拾いしたな。互いに。」

 

 そう言って、ヒノキは眼前で時が止まったように停止しているUBにこつんとウルトラボールを当てた。

 パラサイトを取り込んだそれはヒノキの手の中で三度ほど揺れてみせたが、やがて捕獲の完了を示すロック音を立てて静かになった。

 

「やったぁ!!」

 

 マオとスイレンが無邪気にとびはねて任務の成功を喜んでいる。しかし、間もなく歩み寄ったライチが二人の肩に手を置いた。

 

「さあ、あたしらは今から命の遺跡へお礼参りだ。ほら、さっさと行くよ。カキを一人で待たせちゃ悪い。」

 

 そう言って半ば強制的に二人を連れ、行ってしまった。

 そうして、そこにはヒノキとリラの二人だけが残された。

 

 

 ◇

 

 

「・・・これ。」

 

 それだけ言って、ヒノキは右手のウルトラボールをリラに差し出した。

 リラは黙って頷き、それを受け取った。

 互いにたくさんの思いがありすぎて、最初の一言が選べないでいた。だが、いつまでもそうしている訳にもいかない。

 

 精一杯の笑顔と明るい声を作って、ヒノキは口を開いた。

 

「オレも、腐ってもレジェンドだからさ。」

 

 彼女の思いは既に知っている。

 自分だってその決意を固めたからこそ、ビッケに知恵を借り、数日の間ポニの祭壇に留まる事でFallとなった*1

 だからこそ、互いに目を見て、言葉にして、きちんとそれを確かめなければならない。

 

「信頼できる優秀なトレーナーのつては何人かある。一緒にいなくても、力になれる方法はきっとあると思うんだ。だから、もしオレが──」

 

 そばにいることが負担になってしまうなら。

 

 ヒノキがそう続けようとした、その時だった。

 

「え・・・」

 

 

 柔らかく、優しく、それでいて芯のある力。

 知っているはずの香りの、知らない香り方。

 黒いスーツを通じて伝わる、細い、白い身体の温度。

 

 その全てに、ヒノキは言葉を奪われた。

 

 

「お、おい・・・!?」

 

「本当に、ごめんなさい。」

 

 戸惑うほど近い距離から、彼女の声がした。

 

「確かに私達は、一緒にいればまたどうにもならない事で互いに傷つくかもしれません。そして任務のためには、そういう可能性のない誰かを探すべきなのかもしれません。」

 

 だけど、とリラは両腕に少しだけ力を加えた。

 その腕に抱き締められているヒノキには、その僅かな力の変化がよく分かった。

 

「だけど私は、そんなどうにもならない事なんかに負けたくない。こうしてあなたに再び会えた事を、簡単に諦めたくないんです。」

 

 そこでリラはヒノキから腕を解き、大きな瞳をまっすぐ彼に向けて続けた。

 

「だから、もし、この先も私の力になりたいと思ってくれるなら。これからも一緒に戦ってください。私の隣から、私を支えてください。」

 

 そう言って彼女は深く頭を下げた。その拍子に、淡紫のきれいな髪の束がするりと右肩から垂れた。

 

「・・・その分、余計な戦いも増えるぞ。本当にオレでいいのか?」

 

 ヒノキの迷いに応えるように、リラは顔を上げた。

 はっきりと涙が滲みながらも、その大きな瞳は笑っていた。

 

「あなたが言ってくれたじゃないですか。この任務は私たちの島めぐりなのでしょう?互いに助け合い、限界を超えて成長することを課せられた旅なのだと。」

 

 そう言うと彼女は溜まった涙を指で払い、にっこりと笑った。

 雨上がりの空のような、虹の見えそうな笑顔だった。

 

「ですから私は乗り越えたいんです。この試練を、あなたと共に。」

 

 そんなリラを、今度はヒノキが抱き寄せる番だった。

 

「ほんとにごめん」

 

 うまく力の入らない、情けない声を絞り出して肩越しの彼女に詫びた。

 

「なんでオレがそれを言ってやれないんだろうな。」

 

 ううん、と真横のリラの頭が左右に小さく揺れた。

 言葉はなかったが、そこに託された思いは不思議なほど伝わってきた。

 その思いに、ヒノキは頷いた。

 

 

 自分達はまだ、旅の途中にいる。

 

 

 ◇ ◇ 

 

 

 翌日。

 八番道路のモーテルに一番乗りで出勤したハンサムは、その十分ほど後に相次いで現れた若い上司と同僚に、順に挨拶を交わした。

 

「おはようございます、ハンサムさん。」

 

「うむ。おはようございます、ボス。」

 

「よお。おっちゃん、アローラ。」

 

「まったくきみは。アローラ。・・・ん?」

 

 ヒノキの砕けきった挨拶を窘めつつも律儀に返したところで、ハンサムは彼の一部から強い既視感を感じた。

 そして反射的に、隣のリラを振り返った。

 

「んん!?」

 

 彼女の胸ポケットのPHSについている、一風変わった島めぐりのあかし。それが、ヒノキのジーンズの右ポケット上のベルト通しに提がっているものと酷似している。

 違っているのはあかし本体の下についている玉がヒノキはキーストーン、リラはビー玉である点だが、一見は「おそろい」にしか見えない。

 その事に、ハンサムはひどく焦った。

 

「き、きみたち!私に何のことわりもなく、いつの間にそのような間柄に──む?」

 

 そこで更に何かに気づいた彼は、まるで『かぎわける』勢いでくんくんとヒノキを嗅ぎまわった。

 そして、血相を変えて迫った。

 

「なぜ君からほのかにボスの香りがする!?!」

 

「え、そお?まだする?」

 

 言われてヒノキも腕や服を嗅いでみたが、全くもって分からない。もっとも、あれから風呂にも入ったし着替えもしているのだから当然だ。

 一体どういう嗅覚をしているのだろう。

 

「んー、オレは人間だから分かんないや。ま、いーじゃん、どうせ良い匂いなんだし。」

 

「そういう問題ではない!!ボスも何を朗らかに微笑んでいるのです、これはどういう事か、きちんと説明を──」

 

「ふふっ。さあ、どういう事なんでしょうね。それでは今日の任務についてですが──」

 

 

 ◇

 

 

「ね、ビッケさん。あのふたり、もう大丈夫だよね?今度こそいい感じになれるよね?」

 

 いつものようにエーテルパラダイスの副支部長室に遊びに来ていたアセロラが、コーヒータイムの準備をするビッケにはしゃいだ声で訊ねた。

 

「そうねえ、それはまだ何とも言えないけど。でも、そうなると良いわね。」

 

 三つのカップに順に湯を注ぎながら、ビッケが答えた。

 大人らしい言葉だが、決して口先だけの返事でない事は声の温かさから分かる。

 隣でマラサダを準備を手伝う彼女のタブンネも、にこにこと嬉しそうだ。

 

「そう上手くいくかよ。」

 

 突然クチナシがぼそりと、しかし聞こえよがしに呟いた。

 二人のやり取りを寝そべったソファーから聞いていたのだ。

 

「もう。別におじさんには聞いてませんけどー?リラが離れてくのがさみしいからって、そう拗ねないの!」

 

 前回とは違う捻くれた口ぶりを、アセロラがめんどくさそうにあしらった。

 彼の気持ちが分からない訳ではないのだが、何しろ可愛げがないので優しくする気にはなれない。

 

「ふん。おれはただ事実を言ってるだけだよ。おまえにゃまだ分かんねえだろうが、男と女ってのは何かが解決してもすぐまた別の問題が湧いてきて、いつだって面倒なもんなんだよ。」

 

 クチナシがそう言ったところで、突然ビッケが咳払いをした。

 それを聴いたタブンネがびくりと怯え、はずみで手からトングが落ちた。

 

「あら。ずいぶんと男女の機微にお詳しいんですね?」

 

『こごえるかぜ』のように冷たいその響きに、クチナシがソファーから弾かれたように起き上がった。そして、ちょっと便所へと言って、逃げるように部屋を出て行った。

 一方、ビッケは澄ました顔で淹れたてのコーヒーを飲んでいる。

 

 そんな二人の大人を、アセロラが不思議そうに見ていた。

 

 

*1
原作主人公達がウルトラホールを開いた事により、今も高濃度のエネルギーが漂っているという設定。ウツロイドがリラよりヒノキに反応したのはより新しいエネルギーを纏っていた為。詳しくは次章以降にて。




 
これにて第三章は完結です。みんな元気になって良かったですね。 
反省会はいつも通り活動報告にて。
今後の更新については番外編を一、ニ話はさんだ後、第四章【Fall in love】をお送りするという流れになりそうです。
来年度からしばらく忙しくなりそうなので、また間は空くかと思いますが、BDSPの発売に合わせて出せればいいな、とは考えています。また皆様とお会いできる日を楽しみに書き進めていきます。
ここまでお付き合い下さり、本当にありがとうございました。

【おまけ】
 
おそろいのしまめぐりのあかし(イメージ)

※がっかりしても良い方だけどうぞ。


【挿絵表示】


文字なしはこちら↓

【挿絵表示】



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4章 Fall in love
67.二人の関係



リラちゃんポケマス実装おめでとう!!!!(大遅刻)



【前回までのあらすじ】
互いの過去と向き合ったヒノキとリラは、再び相棒として共にUBの保護任務に当たることを決意する。



 

 

「──チロン、どこ?いるなら返事して。お願いだから。」

 

 南国らしからぬ針葉樹の森に、不安と疲労を帯びた声が響く。

 彼女が必死に呼んでいるのは、昨日いなくなってしまった、大切な家族の名前。

 

「うっ・・・!」

 

 返事の代わりに吹きつけた風の冷たさに、思わず足が止まる。

 空から迫る宵闇が、不安を一層掻き立てる。

 

 

──やっぱり、わたしじゃダメなのかな。

 

 

 何度振り払ってもすぐに戻ってくる負の思考が、また頭を占める。

 

(ううん、そんな事考えちゃだめ。私ならきっと大丈夫。)

 

 本当は誰かに言ってもらいたいその言葉を必死に自分に言い聞かせながら、彼女は迷子の捜索を再開した。

 

 

 ◇ ◇

 

 

 

「ええっと。目撃者の証言によると、確かにこの辺りのはずなのですが・・・。」

 

 細い指で忙しなくタブレットの画面を繰りながら、リラが言葉尻を濁した。

 少し声が大きいのは、辺り一帯を吹き荒れる吹雪のためだ。

 

「うーん、確かにビミョーに反応はあるけど。でも、昨日の今日にしてはちょっと数値が低過ぎるな。やっぱこの天気のせいか?」

 

 右手の小さな機械と睨めっこをしていたヒノキが、やはり張りぎみの声で応えた。それはバーネット博士が開発したウルトラスペースのエネルギー(UltraSpaceRays:通称USR)の計測機で、数値からウルトラホールやビーストの出現あるいはその痕跡を推測できるという優れものだ。

 が、残念ながら現在の状況下では、その本来の実力を発揮しきれずにいた。

 

「ええ、おそらく。この吹雪で大気中のUSRが拡散されてしまっているのでしょう。」

 

「てことは、裏を返せば『本体』が近くにいても、それに見合った数値が出ない可能性もあるってことか。こりゃ厄介だな。」

 

 計測機をコートのポケットにしまったヒノキは、改めて自分達を取り巻く環境を見渡した。

 360度どこを見ても、白、白、白。

 方向はおろか昼夜の判断さえつかないような白銀の闇が、美しい光の幕を隔てた先に広がっている。

 

「しっかし、この南国にこんな雪山があるとはなあ。こんな本気のホワイトアウト、真冬のシンオウ以外で見たことねえよ。もし本当にこの山にUBが潜んでるとしたら、やっぱり氷に耐性があるタイプなのかな?」

 

 移民と原住民の文化が共存するアローラ第三の島、ウラウラ島。

 その中央に聳えるラナキラマウンテンはアローラで最も標高の高い山であり、ほぼ全域が一年を通じて氷雪に覆われている。

 人の居住域とは対照的なその環境から、この地方の豊かさと厳しさの象徴として、古来より神の棲まう地と崇められてきた霊峰だ。

 

「もちろん、その可能性もあるとは思いますが。ただ、私達が今こうして『オーロラベール』に守られているように、耐性に関係なく吹雪から身を守る方法もありますし、既知の種に関しても今ある情報が全てではないはずですから。情報の少ない現段階では、無理に相手の像を固めすぎない方が良いでしょう。」

 

 このやり取りこそが、彼らが今この雪山にいる理由だった。

 このところ、アローラ各地で日没から明け方にかけての夜間帯に未知のUBらしき生物が相次いで目撃されている。

 中でも特に目撃情報が多いのが、メレメレ島のダイヤモンドヒルとこのラナキラマウンテンであるため、寄せられた情報をもとに現場検証を行っていたのだ。

 

「っと、そうだった。確かにオレ達だって、おまえの存在を知らない人が見たら完全にただの心中だもんな。一部だけじゃ本当の全体像なんて分からないよな、ケオ。」

 

 そう言って、ヒノキは傍らの純白の相棒の頭を撫でた。彼女は俗に『アローラのすがた』と呼ばれるこの地特有の形態をしたキュウコンで、愛称の『ケオ』はアローラの古語で白を意味する。

 この、人間には過酷過ぎる荒天の中で二人が殆ど下界と変わりなく行動できるのは、この山で生まれ育ったケオの土地勘と、吹雪を利用した強力な防御壁である『オーロラベール』のおかげだ。

 

 そこに、黒い影が光の幕をすり抜けてきた。

 やはりこの山で生まれ育った、リラのマニューラだ。

 

「おかえりなさい。何か変わった事はあった?」

 

 身体に積もった雪を払ってやりながら、リラが訊ねた。この白い闇夜でも目が効き、かつ敏捷に動ける彼女に付近を探索してもらっていたのだ。

 

『まにゃっ!』

 

 主人の問いに、マニューラは頭をぶんぶん左右に振って答えた。すなわち、ノーだ。

 

「そう、わかった。ありがとう、ご苦労さま。」

 

 リラはマニューラを労ってボールに戻すと、ヒノキの方を振り返った。

 

「時間も時間ですし、私達も引き揚げましょうか。これ以上続けても収穫は見込めなさそうですし。」

 

「だな。ケオも何も感じないって言ってるし。ま、明日に期待だな。」

 

 リラの提案にヒノキも頷いた。

 この条件下で全ての感覚において彼女達に劣る人間(じぶんたち)が何かを発見できるとは思えない。

 

 無収穫もまた収穫として、二人は山を降りた。

 

 

 ◇

 

 

「ぇっっくましゅん!!」

 

「大丈夫ですか?」

 

 ラナキラマウンテンの調査を終え、それぞれが宿をとるアーカラ島へと帰る空の道中。リザードンの上でくしゃみをしたヒノキに、並んで飛ぶボーマンダの背からリラが声をかけた。

 

「ん、ちょっと身体が冷えたかな。でも寒気とかはしないし、大丈夫だよ。帰って寝りゃ治るさ。」

 

 そう言って水洟を啜ったヒノキに、リラは顔を曇らせた。

 

「ごめんなさい。せっかく手伝ってもらったのに、風邪を引かせただけで終わってしまいましたね。」 

 

「何でおまえが謝るんだよ。さっきのはたまたま会ったから合流したってだけで、全部オレが好きでやった事なんだから。おまえが責任感じる必要なんか一ミリもねーよ。」

 

 実は今夜の調査は任務(しごと)ではなく、各々の個人的な行動だった。

 彼らUB対策チー厶の元に、ラナキラマウンテンで謎の生物を見たという目撃情報が寄せられたのは今日の夕方のこと。そこで明朝に現地調査を行う方向で話がまとまり、一同は解散した。

 そしてその一時間後、リラはラナキラマウンテンの入山ゲートで、自分と同じように防寒着を着込んだヒノキと鉢合わせたのだ。

 

「でも、明日も朝からの調査になりますし。念のため、お薬は・・・そうだ!」

 

 そこでリラはぱっと表情を明るくし、楽しげな調子で言った。

 

「ね。この後、少しいいですか?」

 

 

 ◇

 

 

 ヒノキがリラに連れてこられたのは、彼女が滞在するモーテルに隣接する8番道路のポケモンセンターのカフェだった。

 

「やあ、アローラ。今日もおつかれさま。・・・おや。」

 

 白い髭と恰幅が立派な色黒のマスターは、リラに声をかけてから隣に立つヒノキを興味深げに見た。

 

「はい、アローラ。マスター、いつものをふたつ、お願いしますね。」

 

 どうやら二人はすっかり顔馴染みらしい。

 オーダーを済ませたリラがそのままマスターの前の席に腰を下ろしたので、ヒノキもその隣の席に座った。

 

「いつものって、そんなにしょっちゅう飲んでるのか?」

 

「ええ。先日、モーテルへ移ってきた日にマスターが勧めてくださったのがとても美味しかったので。それからは毎日、一日の終わりの楽しみとして頂いています。」

 

 確かにこのカフェでは夕方以降は酒類の提供がある。しかし、この生真面目な彼女が毎日『仕事終わりの一杯』をやっていたとは思いもよらなかった。

 

 と、ヒノキがそこまで考えた、その時だった。

 

「はい、おまちどうさん。特製エネココア、二人分ね。」

 

 目の前に置かれた白いマグカップの中身は、ほわほわと湯気を立てる熱いココアだった。真ん中には、可愛らしいエネコの絵柄のついたマシュマロがひとつ、ぷっかり浮かんでいる。

 

「・・・もしかして、『いつもの』ってこれ?」

 

「はい。オハナ牧場産のモーモーミルクがたっぷり入っているので栄養満点ですし、身体も温まるのでよく眠れるんですよ。」

 

 そう言われて、ヒノキは隣のリラと目の前のココアを交互に見た。今のところ、彼女の体型に特に変化はない。

 

「・・・ま、ほのおとこおりを半減しない程度にな。」

 

「!ちょっと、それ、どういう意味です?」

 

「はっはっは。お二人さん、楽しそうだねえ。そんな仲良しさん達にはこれをあげよう。」

 

 そう言って、マスターは二人の前に一つずつ小さな赤い包みを置いた。このカフェでは、ドリンクを注文すると日替わりのお菓子のサービスがある。この日マスターが二人に選んだそれは、その名の通りハートの形をしたイッシュ地方の高級チョコレート、ハートスイーツだった。

 

 そうしてふたつ並んだ赤いハートに、リラの頬にほのかに赤みが差した。

 

「え?ち、違いますよ!私たちは別に、そういう関係では──ねえ!」

 

 マスターのからかいを察したリラは、慌てて隣のヒノキに同意を求めた。しかし。

 

「ん?なんか言っは?」

 

 返ってきたのは、口をもごもごさせた間の抜けた顔と言葉だった。これは多分というか絶対、それがどういうニュアンスで供されたか気付いてないし、そもそも今のやり取り自体聞いていなかった顔だ。

 

「・・・いえ。別に、何もないです。」

 

「?何だよ。つーかこれ、めっちゃうまいぞ。あ、もしかしてチョコ嫌いか?なら、オレが代わりに──」

 

 ヒノキが言い終わらない内に、リラはさっと包装を解いて中身を口に入れ、伸びてきた手には空になった包み紙を押しつけた。

 そんな二人に、マスターはまた楽しそうに言った。

 

「ははは。そんなに気に入ってもらえたなら嬉しいよ。また明日もあげるから、また二人でおいで。」

 

 

 ◇

 

 

 カフェを出た二人は、モーテルまでの100メートルほどの道のりを並んで歩いていた。

 月の光がアスファルトに柔らかな影を作り、花の香りを帯びた南国の夜風が、二人の間をゆるやかに吹き抜けていく。とても心地の良い夜だ。

 

「いやあ、『マスター、いつもの』なんて言うから、仕事中毒の上にアル中なのかと思って心配したぜ。どんだけストレス溜まってんだよって。」

 

 そう言ってヒノキはからからと楽しそうに笑った。

 しかしその能天気さが、隣のリラの機嫌を損ねていた。

 

「それはご心配をおかけしてすみませんでしたね。どうせ仕事中毒の糖分過多ですよ。」

 

 小さなどくばりを仕込んだ返事をしながら、リラは胸の内でため息をついた。

 まったく、この男はどうしてこうなのだろう。

 さっきのハートスイーツといい、もう少し状況に合った、気の利いた言葉は言えないものか。

 

 と、そう思った時だった。

 

「でもおかげでほんとに温まったし、元気になったよ。ありがとな。」

 

 その言葉に、リラの胸に小さな丸い灯が灯った。

 期待していたのとは少し違うけれど、まあいいだろう。

 

「いえ。お礼を言うのは私の方ですよ。」

 

「ん?」

 

「さっきの調査。任務(しごと)じゃないのに付き合ってくれてありがとう。とても心強かったです。」

 

「だから別にそんなんじゃねーよ。オレも自分が気になったから、明日の下見がてら行ったってだけだし。」

 

 ヒノキはそう言ったが、リラにはむしろそれが嬉しかった。 

 こうして、同じ熱量で同じ目標に向かって任務に取り組んでくれる相方がいること。それだけで心が強くなって、明日も頑張ろうという気力が湧いてくる。

 

 間もなく二人はモーテルに着いた。

 ヒノキは空いたパーキングスペースへボールを放つと、現れたリザードンの背に乗った。

 

「じゃ、また明日な。おまえも風邪引かないように気をつけろよ。」

 

「ええ、ありがとう。あなたも気をつけて。おやすみなさい。」

 

 ヒノキは片手を上げて応えた。

 そしてリザードンは翼を広げ、夜空へと飛び立っていった。

 

 

 ◇

 

 

 ヒノキが見えなくなってからも、リラはしばらくそこに佇んで空を見上げていた。

 いつ見ても美しいアローラの月が、なんだか今夜は特別綺麗に見えるからだ。

 

──ピリリリリリリリ。

 

 そこに、自作の島めぐりのあかしを提げたPHSが鳴った。

 小さな画面に表示された名前は、今しがた別れたばかりの相方だ。

 

「──はい。どうしました?」

 

 緊急連絡用の電話に入った着信に、リラは何があったのかと少し声を緊張させた。

 

 が、それは全くの杞憂だった。

 

『いや、全然大した事じゃないんだけどさ。なんか今日の月、すげーきれいじゃね?』

 

「へっ??」

 

 UBのUの字もない情報に、リラは困惑した。

 

『え?あっ!すまんミスった、これピッチだな。スマホと間違えた。』

 

 ヒノキの慌てぶりに、リラもようやく彼が任務用のPHSと私用のスマートフォンを間違えた事を理解した。

 同時に、いつも緊迫したやり取りしかしないPHSでののどかな会話がおかしくて、つい笑ってしまった。

 

「いえ、大丈夫です。それに──」

 

 任務用の携帯を耳に当てたまま、リラも再び夜空を仰いだ。

 まるで心がエネココアを飲んだみたいに、ほっこりと甘い温もりが広がっていく。

 

「ちょうど私も今、同じ事を思っていましたから。」

 

 今日は十三夜。天気が良ければ明後日は満月だ。

 その時は一緒に見られると良いなと思いながら、欠けてなお美しい月をもうしばらくの間眺めていた。

 

 





ご無沙汰しておりました。
第四章は全11話を不定期でお送りする予定です。
お久しぶりの方も初めましての方もよろしくお願いします。そしてポケモンマスターズEXというアプリゲームが今はなかなか面白くなっていますので、そちらもぜひよろしくお願いします(布教)

【アローラグルメずかんNo.01】
マスターとくせいのエネココア:
さいごに マシュマロを うかべるので ココアじたいは あまさひかえめ。おとなようには かおりとふうみをよくするため ラムのみでつくったおさけが ちょっぴりはいっている。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

68.ラナキラマウンテンの迷子


【前回のあらすじ】
未知のUBらしき謎の生命体の目撃情報を受け、リラとヒノキはラナキラマウンテンで調査を行う。その後、アーカラ島の8番道路のポケモンセンターのカフェに寄り、マスター特製のエネココアを飲む。


 

 翌日。

 晴天に恵まれたラナキラマウンテンは、どこまでも眩しく美しく、穏やかであった。が、未知のUBの手がかりを掴めないという点では、昨夜と何も変わりはなかった。

 

「しっかし、収穫はなくても腹は減るんだよなぁ。おっちゃん、『もりのヨウカン(ヨーカン)』おかわり。」

 

 隊列の一番後ろを歩くヒノキが、すぐ前のハンサムに3度目の携行食のおかわりを要求した。

 好天で『オーロラベール』が使えない今日は、一行は本格的な雪山登山の装備をしている。

 おかげで寒さは問題ないが、その分の重さや動きにくさやらで体力の消耗は大きい。

 

「きみ、さっきの分でこれが最後と言っただろう。もう下山なのだから、あとは昼食まで頑張りなさい。ボス、ちなみに今日のランチはどちらの予定で?」

 

 ハンサムが前を歩くリラに訊ねた。

 基本的に、食事の予定はチームの会計を担う彼女が決めている。

 

「あ、はい。午後からは空間研究所ですから、下山したらアイナ食堂さんに電話しようかと・・・」

 

 この日はラナキラマウンテンでの調査は午前中のみで、昼からはアーカラ島の空間研究所を訪ねる予定だった。

 バーネット博士から、直近のアローラ各地のUSRの観測状況を教えてもらうためだ。

 そこでリラは、昼食は同じアーカラ島で馴染みもあるアイナ食堂が適当だろうと考えたのだが。

 

「いや、あそこはダメだ!オレ、次回来店時はマオのスペシャル定食を頼まなきゃいけないんだよ。だからもう、あの店にはあいつがいないと分かってる時しか行けねーんだ。」

 

 アイナ食堂と聞くなり、ヒノキが慌てて首を横に振った。

 以前、自作のスペシャル定食を彼に『たべのこし』扱いされたマオの遺憾はなかなかに根が深く、必死になだめすかした結果、その約束でどうにか機嫌を直したのだった。

 

「あら。それなら、あなたにはフーディンのスプーンがあるじゃないですか。」

 

 リラが真っ当な意見を述べた。

 確かにヒノキには、かつて彼女とフーディンが贈ってくれた、何でも美味しく感じるスプーンがある。が、彼は神妙な顔で再び首を横に振った。

 

「いやいやいや。どんな『ふしょく』が起こるかも分からないのに、あんな大事なものが使えるかよ。何より、いかなる理由があろうとオレはアレが美味く感じるなんてことがあってはならないと思うんだ。こう、倫理的に。」

 

 

 ──などと、彼らがそんな会話をしていた時であった。

 

 

「ん?どした、ケオ?」

 

 一行を先導するヒノキのアローラキュウコンのケオが突然足を止めた。かと思うと、次の瞬間、雪の斜面を飛ぶように駆け降り出した。

 

「一体どうしたのだ?きみ、彼女に何か指示したのか?」

 

「いんや、なにも・・・。はっ!もしかしてマオスペシャルの話をしたからか!?」

 

「とにかく、私達の足で追いかけるのは無理です。フーディン!」

 

 リラの呼びかけに、フーディンが自らボールを開いて現れた。

 

「私達をケオの走っていった先までお願いしますね。」

 

 主人の頼みに応えるように、フーディンは両手のスプーンに念を込めた。そして次の瞬間には既に、三人は目的の場所に立っていた。

 

 

 ◇

 

 

「・・・花?」

 

 『テレポート』先で周囲を見回したヒノキは、今までいた環境との差に面食らった。

 頬に受ける風の冷ややかさで、そこがまだラナキラマウンテンの近くであることは分かる。

 しかし、ゴーグル必携の銀世界はどこにも見当たらず、代わりに美しい花や可愛らしい実をつけた木々が周囲を取り巻いていた。

 

「ふむ。これはどう見ても人の手で管理されている木だな。ウラウラの花園とはまた別のようだが・・・」

 

 ハンサムが近くの木を調べながら呟いた。

 確かに、花実のついている木々が並んでいるのはこの一帯だけで、その外には森が広がっている点からも、ここは人工的な空間と考えた方が自然だろう。

 

「ヒノキ、あそこ!」

 

 リラの指す方向へ振り向いたヒノキは、自分達がここへ飛ばされた理由を理解した。

 彼らの立つ位置から10メートルほど西の、やや深そうな川のほとり。そこで小さな白い生き物と大きな黒い塊が対峙しており、その黒い方に向かって、ケオが全身の毛を逆立てている。

 

「追い詰めているのはオニゴーリ、追い詰められているのはロコンですね。ケオにはあの子の助けを呼ぶ声が聴こえたのでしょうか?」

 

 リラの見立てに、ヒノキが頷いた。

 

「たぶんな、あいつはオレらよりずっと耳が良いから。よーし、ケオ!ちょっかい出して気を引いてから一発だ!」

 

 次の瞬間、ケオは鋭い咆哮を上げ、振り返ったオニゴーリに渾身の『ムーンフォース』を叩き込んだ。不意を突かれたオニゴーリは一瞬強い敵意を見せたが、苦々しげにケオを睨みつけただけで、何もせずに森の奥へと去っていった。

 

『きゅぅん!』

 

 オニゴーリがいなくなると、ロコンは甘えるようにケオに身体をすり寄せてきた。まだ幼い子どものようで、標準的な個体より体は小さく、しっぽも5本しかない。

 

「ほおお、これが世に言うアローラのロコンか。いやはや、噂に違わぬ愛らしさだな!」

 

 そう言ってハンサムはポケットからスマートフォンを取り出し、写真を撮り始めた。趣味のSNSで自慢するつもりなのだろう。

 

「どうやら母親とはぐれてしまったみたいですね。このままではまた襲われてしまうでしょうし、少しお母さんを探してあげませんか?」

 

 ロコンを安心させるように舐めてやるケオを見て、リラが提案した。キュウコンには数頭の母親が協力して子育てをする習性があり、子どもは我が子でなくとも大切にする。

 

「うん、でもよその大人(ケオ)が駆けつけてるのに、母親が未だに現れないってのは妙だな。まだしっぽが生えそろってない子どもが助けを求めたりしたら、普通は山の反対側にいたってすっ飛んでくるはずだけど・・・ん?」

 

 その時、ケオが仔ロコンの首元を鼻で押し上げた。すると、ふわふわの体毛の奥に、何やら赤いものが見える。

 

「こりゃ首輪だな。あと、プレートが付いてて何か書いてある。えーと、なになに・・・」

 

 そう言ってヒノキはその小さな文字の羅列を読み上げた。その内容に、三人は顔を見合わせた。

 

 

「・・・ってことは──」

 

 

 

 ◇

 

 

 

『ピピッ!この先100メートルの三叉路を右、その先にある橋を渡ったところが目的地ロト!これにて音声案内を終了するロ!』

 

 仔ロコンの首輪に記された住所を目指し、一行は花園から続く道を辿って森の中を歩いていた。一応、カプの村の範囲内ではあるが、村の中心からは山を挟んでちょうど正反対の位置にあたる。

 

「やっぱり、気候が違うと植生もずいぶん違いますね。なんだかアローラじゃないみたい。」

 

 辺りの草木を眺めながら、リラが呟いた。

 冷涼で湿度の低い森には針葉樹が多く、バナナも実っていなければプルメリアも咲いていない。確かに、ここもアローラだと言われてもにわかには信じがたい光景だ。

 

「そーだな、この木の感じとかからすれば、むしろシンオウのハクタイの森って感じだな。・・・おっ!緑の屋根のログハウスって、あれじゃね?」

 

 そう言ってヒノキが指した先には、確かに木立の奥から深緑の屋根が覗いていた。次いでロトムのナビ通り、ぎりぎりまたげないほどの小川を渡ると、目的地である店の名が刻まれた看板が見えた。

 

 玄関のドアには『close』の札が掛かり、小窓のカーテンも閉まっていた。しかし、家主とは既に連絡がついている。

 

「すいませーん。さっき連絡したものですが・・・」

 

 控えめに開けた扉からヒノキが声をかける間に、ロコンはそのわずかな隙間から中へ入っていった。まるで、いつもの散歩から今帰ってきたという風に。

 

『くぉん!』

 

「チロン・・・?チロン!!」

 

 声につられてヒノキが扉を大きく開けると、そこには膝をついてロコンを抱きしめる女性の姿があった。彼女の腕の下から、短い五本の尾がぱたぱた揺れている。

 

「もう!一人でどこに行ってたの。本当に、心配したんだから。」

 

 涙声でロコンをそう叱ると、彼女は立ち上がって三人に向き直り、きれいな蜂蜜色のおだんご頭を深々と下げた。

 

「本当にありがとうございました。一昨日森のきのみ畑へ行った際に、少し目を離した隙に見失ってしまって。本当に、何とお礼を申し上げたら良いか・・・」

 

「いーよ、別に礼なんて。実際に助けたオレのキュウコンがいらないって言ってるし、オレ達は何もしてないし。」

 

「そうですよ。その子が無事に帰って来られて良かった、それで良いじゃありませんか。ね、ハンサムさ──」

 

「む!ランチセットがこのボリュームでこの値段!?信じられん・・・!」

 

 近くの席から勝手に取ったメニューを熱心に見ていたハンサムを、リラは慌てて小突いて咳払いをした。が、気立ての良いカフェの女主人は、その一部始終をしかと見ていた。

 

「あの、良ければ何でもお好きなものを召し上がっていってください。大したものはありませんが、ちょうどお昼時ですし・・・。」

 

 その提案に、昼食に懸念を抱いていたヒノキがいち早く食いついた。

 

「え、マジで?いやー、実はオレたちちょうど昼メシの店に困ってたところで。な、おっちゃん?」

 

「うむ!それに今から街へ移動して店を探していては、午後の会合に間に合わんやもしれん。ここはひとつ、お言葉に甘えさせて頂くと──」

 

「ちょっと二人とも!すみません、私達はこれで失礼しますので本当にお気になさらず・・・」

 

 遠慮を知らない男二人を制し、リラは急いで店を出ようとした。が、それを逆に女主人が引き止めた。

 

「いえ、お急ぎでなければぜひそうしてください。このままでは私も気がすみませんから。」

 

 そう言った彼女を、リラは改めて正面から見た。

 深みのある金色の髪と瞳には大人びた印象を受けるが、その一方で、アローラの住民としては珍しい白い肌は果実のように瑞々しい。実際は自分やヒノキより少し下というところだろう。

 

──きれいな()だな。

 

 それが彼女に対するリラの率直な感想だった。

 

「そうですか・・・。では、本当にご迷惑ではないのですね?」

 

「もちろん!さあ、どうぞこちらのテーブルに・・・」

 

 こうして、結局この日の昼食はこの『Allora&Sinnoh Cafe Acacia』で取ることとなった。

 

 

 ◇

 

 

「お待たせしました。こちらが当店特製ランチセットです。」

 

「おお、すげーすげー!なんか新しい感じの料理だな!」

 

「本当にすみません。お休みの日にこんな催促のような事をしてしまって・・・」

 

 運ばれてきた食事に歓声を上げるヒノキの隣で、リラがハンサムに聞こえよがしに謝った。が、当の本人はSNSに投稿するための写真を撮るのに忙しく、まるで聞いていない。

 

「いえ、今日は元々チロンを探しに行くための臨時休業でしたので、お気になさらず。それに私も、こうしてきちんとお礼ができて嬉しいですから。」

 

 そう言って、そのランチの調理から給仕までをひとりで担ったハリエ・アカシアは笑った。

 

「さあ、できたての冷たい内に召し上がってください。このフリーズドライカレーは時間が経つと風味も食感も変わってしまいますので。」

 

「ほほう、そいつは大変だ。んじゃさっそく、お言葉に甘えて。」

 

 そう言いつつ、ヒノキはやや控えめにすくった純白のドライカレーを慎重に口に運んだ。以前アーカラ島で食べた『バクガメスープカレー』の火を吹くような辛さを、舌がまだ覚えていたからだ。

 

 

 しかし、それは全くの杞憂だった。

 

 

「ふむ、ふむ。・・・あ、うま。うま!うっま!なんじゃこりゃ。」

 

 それは、彼が今まで食べたどのカレーとも違う味わいと食感を持つ逸品だった。

 口に入れるとアローラ産きのみの豊かな香りと辛さがふわっと広がるが、米の表面を覆う細かな氷の粒がそれをすうっとクールダウンしてくれる。熱いのに冷たく、濃厚なのにあっさりとしていて、いくらでも食べられる。

 

「うむ!新感覚だが、これはイケるな!」

 

「本当ですね。すごく不思議な感じだけど、すごく美味しい・・・。これ、もしかして──」

 

「ええ、仕上げはチロンの『フリーズドライ』です。何度も試行錯誤をしてレシピを開発したメニューですが、皆さんのお口にあって良かった。」

 

 三人の絶賛に、ハリエは嬉しそうに笑った。しかし、彼女の抜群のフードコーディネートのセンスが光るのは料理だけではなかった。

 

「おお!コクがありつつも、スパイシーなズリソースがそれを引き締めるレアチーズケーキに、香り高くさっぱりと飲みやすいフローラルハーブティー。まさに味と香りのマリアージュだ!」

 

 食後のデザートと紅茶を給されたハンサムが、頼まれてもいないのに食レポを始めた。しかし、実際それらは思わず言葉にして語りたくなる新しさと美味しさを兼ね備えていたから無理もない。

 

「ありがとうございます。ケーキには私の故郷のシンオウ産のモーモーチーズとアローラ産のきのみをたっぷり使っています。それにお茶の方も、私の大好きなお花をフリーズドライで加工してアローラのハーブとかけ合わせているんですよ。」

 

「なるほど、花かぁ。どうりで変わった色だと思ったよ。」

 

 繊細な草花の絵付けが入ったティーカップを手に、ヒノキが感心した。

 すでに中身は飲み干されていたが、底には紅茶としては確かに珍しいその色が、うっすらと残っていた。

 

「ふふ、でもすごくきれいでしょう?ところでこのお茶、リラさんは何のお花のお茶か分かりますか?」

 

「え?わ、私ですか・・・?」

 

 急に質問を振られ、リラは焦った。

 花は好きだが詳しい訳ではない。しかし、確かにこの色味は提供された時から少し気になっていた。この、光が透けるような淡い紫色は、まるで──

 

「ふむ、それはきっと森で育てられていたあの花ですな。そしてそれをボスに問うという事は『リラ』、すなわちライラックの花というところでしょうか?」

 

 飲食物の話になると頭の回転の良くなるハンサムが、やはり頼まれてもいないのに持論を述べた。が、意外と的を得た推理だったので、3人とも素直に感心した。

 

「その通りです!この辺りの気候なら咲くかもしれないと接ぎ木を植えてみたのですが、それが思いのほかうまく育ってくれて。」

 

「ああ、そういや前に5月ぐらいにコトブキに行った時、こんな花が満開だったな。あれがライラックだったのか。」

 

 そしてハリエは再びリラに向かって笑顔を見せた。

 

「私、小さい頃からライラックの花が大好きで。だから、リラさんのお名前も髪の色も、本当に素敵だなぁって思っていたんです。」

 

「あ、ありがとうございます・・・。でも、それならどうしてまたシンオウからアローラに?」

 

 ほめられたくすぐったさに、リラはつい話題を別の方向へ逸らした。

 

「地元だと、周りの人達に甘えてしまいそうだったので。自分だけの力でどこまでやれるのか試してみたくて、新天地で頑張ろうと決めました。それに、どうせやるなら私にしかできないお店にしたいと思って。」

 

「それでご自身の境遇を生かしてアローラ&シンオウカフェという訳ですか。うむ、南国と北国の特産が同時に味わえるとは実におもしろい!」

 

「うんうん、なんか自分だけの夢って感じでいーじゃん。・・おっ!てことは、あれは土産用か?」

 

 何かに気付いたヒノキが、ハリエの背中越しのカウンターの奥を指さした。そこには大きなバスケットがあり、中にはきれいにラッピングされた紅茶とクッキーのギフトセットがいっぱいに入っていた。

 

「ええ。でもあそこにある分はみんな明後日の──あら。」

 

 そこに、眠ったチロンを咥えたケオがハリエの元へやってきた。二頭で一緒に食事をしていたはずだが、どうやらチロンはお腹いっぱいになって寝入ってしまったらしい。

 

「多分、こいつを慣れた寝床で休ませてやりたいんじゃないかな。色々あって疲れてるだろうし。」

 

 ヒノキの言葉に、ケオがこくりと頷いた。

 

「えっと・・・それじゃあ、あそこの窓の前のクッションにお願いできる?いつもあそこで寝ているから・・・」

 

 ケオは再び頷くと、言われた白いクッションの上にチロンをそっと置いた。そしてその傍らに、添い寝をするように自身も身を横たえた。

 

「あの子は生まれた時からハリエさんが育てているのですか?」

 

「いえ。2ヶ月ほど前に、あのきのみ畑で母親と一緒にいるところを見つけたんです。でも、母親は野生のポケモンと戦ったのか、ひどいケガをしていて。急いでポケモンセンターに連れて行きましたが助かりませんでした。お墓は畑の隅に作ってあります。」

 

「そっか。それで母ちゃんを思い出して、一人でうろちょろしちゃったのかもな。」

 

 そのチロンはケオのお腹に頭を乗せ、ぴいぴい鼻を鳴らして眠っている。そしてそんなチロンを、ケオもまた慈しむように毛づくろいをしてやっている。傍目にはどう見ても親子だ。

 

「あーあー。まったく、甘えん坊でしょうがねえなあ、このちびすけは。」

 

 席を立ってチロンの前にしゃがみ込んだヒノキが、その寝顔を眺めながら呟いた。が、しょうがないのはむしろ彼の方で、その顔はかわいいったらありゃしないとばかりに緩みきっている。

 

 そこにハリエも席を立ち、ヒノキの隣のケオの前にしゃがんだ。そして眠っている彼女たちを起こさないよう、小さな声で言った。

 

「本当に綺麗な子。きっとヒノキさんに大切にしてもらっているから、こんなに毛づやも良くて人にも穏やかなんでしょうね。」

 

「いやいや、こいつは元々見た目も中身もべっぴんだったから、オレは関係ないよ。それに、それを言うならむしろこのちびの方がすげーよ。かーちゃんと死に別れて心の傷も負ってるはずなのに、こんなに元気でしっぽもきれいに巻いてるとか。主人(おや)の顔が見てみたいもんだ。」

 

「まあ。お上手ですね。」

 

 互いのポケモンの前にしゃがみ、密やかな声で会話を弾ませるヒノキとハリエ。

 

「・・・でさ、オレにはもともとコンっていう原種のオスのキュウコンがいるんだけど、実はケオはコンの奥さんにって思って仲間になってもらったんだ。コンの奴、最近体調を崩しがちだから今はポケリゾートで養生させてるんだけど、家族ができたら元気が出るかと思ってさ。けど、今ちょっと迷ってるんだよな。やっぱり、オレの嫁にしようかなって──」

 

 

 そこで肩を叩かれ、リラは初めてハンサムが自分を呼んでいた事に気付いた。

 

「え?あ、はい!何でしょう?」

 

「いやいや、そろそろ行かないと。約束の時間に遅れてしまいますぞ。」

 

 ハンサムに促され、リラは慌てて腕の時計を見た。確かにアーカラ島への移動時間を考えると、そろそろ出発しなければならない頃合いだ。

 

「すみません、ちょっとぼーっとしていて・・・。ありがとうございます。」

 

「いえいえ、昼食の後にぼーっとなるのは人の性ですからな、仕方ありません。私なぞしょっちゅうです。では、ヒノキくんにも伝えましょう。」

 

 そしてハンサムもまたハリエと話すヒノキを見て、なんの気なしに呟いた。

 

「しかし、彼があれだけ饒舌に話しているというのは珍しいな。」

 

 まさに今自分が考えていた事を言葉にされ、リラはどきりとした。ヒノキは決して無口ではないが、基本的には落ち着いているので「常に常温」という印象が強い。

 それが今は、出会って間もない女の子ととても楽しそうに喋っている。

 

「え、ええ。・・・そうですね。」

 

 もっとも、多忙故に世事にあまり明るくない彼女でも、同じ種を育てる人間(トレーナー)同士が意気投合しやすい(もちろん価値観次第ではその逆もありうるが)事くらい知っている。

『うちの子』の長所を自慢したり、短所も自慢したり、育てる中での悩みを相談したり、情報を交換したり。

 そのポケモンならではの苦楽を広く深く共有できる存在に、会話が弾むのは当たり前だ。

 

 そう、だからこそ、彼らがこうしてロコン・キュウコン談義に花を咲かせるのも、ごく自然なことだと分かるのだけど。

 

「・・きっと、それくらいロコンやキュウコンが好きなんですよ。」

 

 まだ夢中で話しているヒノキの背中を見ながら、リラは言った。

 しかしそれはハンサムにというより、むしろ自分自身に向けた言葉だった。

 

 

 ◇

 

 

「おねえさん、大丈夫?」

 

「え?」

 

 不意にマスターから声をかけられ、リラは思わず頬杖から顎を浮かせた。

 

「いや、失礼。何だか夕べと比べて少し元気がないように見えたからね。」

 

「そ、そうですか・・・?」

 

 そこに、ずっとマスターと話していたヒノキも隣から顔を覗き込んできた。

 昨夜のココアを気に入った彼が、今日も帰りにこの8番道路のポケモンセンターのカフェに寄りたいと言ってきたのだ。

 

「そういや、さっきの空間研究所でもちょっとぼーっとしてたよな。なんか悩みでもあんのか?」

 

「い、いえ!別に、悩みというほどの事では・・・」

 

 そう言って、リラはヒノキの視線から逃れるようにカップを取った。別に悩んでいたというほどではない。ただ、ヒノキが自分と話していてあんなに楽しそうだった事があっただろうかと、少し考えていただけだ。

 

 そんな二人をマスターはカウンター越しにしばらく眺めていた。が、やがて意外な言葉を口にした。

 

「ふむ。それなら、気分転換に明後日のお祭りに行ってみるのはどうだい?」

 

「「お祭り?」」

 

 同時に聞き返してきた二人に、マスターはちょっと意外そうな顔を見せた。

 

「おや、ここまでの道中で準備しているのを見なかったかい?8番道路全体が会場だから、屋台なんかもうだいぶ立ち並んでいたと思うけど。」

 

「オレ達移動は基本空路だから、地上の事情には疎いんだよ。で、それなに?」

 

「ええと、そうだね、ちょっとそこの本棚から『アローラの歩き方』ってやつを取ってくれるかな?そうそう、それそれ。」

 

 そう言ってマスターはリラが隣のラックから取った旅行誌を受け取ると、あるページを開いて見せた。

 

「へー。なになに、『アーカラ島の虹祭り』か。確かにアローラは虹が多いもんな。おっ、出店もいっぱい出てるじゃん!こりゃエンジュのスズ祭りレベルか?」

 

 ヒノキが故郷の祭りを引き合いに出し、楽しそうに言った。

 

「そうですね、確かになかなか大きなお祭りのようで・・・?」

 

 隣から雑誌を覗き込んでいたリラは、片隅に小さく記された祭りの概要に何気なく目を通した。

 

──この虹祭りは別名『恋祭り』とも呼ばれ、古くから恋愛成就の祭として知られる。祭りの間に見られる、ラブカス達の求愛の跳躍で生じる飛沫と満月の光が織り成す虹は『愛の虹(ラブ・レインボー)』と呼ばれ、想いを寄せる相手と見ると、末永く結ばれるといわれている。

 

 そこでリラは顔を上げてマスターを見た。

 なぜだかとても、にこにこしている。

 

「あの、ですから私達は──」

 

 そういう関係ではないと続けようとした、その時だった。

 

「なあ。これ、面白そうだし行こーぜ。明後日は日中の調査だから大丈夫だろ?」

 

「へっ??」

 

 その言葉に衝撃を受けたリラは、思わずヒノキを見た。

 しかし、どこをどう見ても、いつもと変わったところはない。

 

「『行こーぜ』って・・・私と、あなたでこのお祭りに行くんですか?」

 

「?うん。だって夕方からって書いてるし、8番道路なら仕事終わりにこんな感じで寄ればちょうどいいじゃん。」

 

 何でもない事のように話すヒノキに、リラは戸惑った。

 はたしてこの男はこれがどういう祭か分かって言っているのだろうか。かと言って、それを問い質してどうこうというのも、何か違う気がする。

 

 ──と、そんな胸の内の葛藤が、少し顔に出てしまったらしい。

 

 

「まあ、イヤなら無理にとは言わねーけど。他に誰か声かけてみるし・・・。」

 

 反射的に、リラの脳裏に彼と楽しげに話すハリエの姿が過ぎった。それが決め手となった。

 

「い、いえ、大丈夫です!別にイヤとか、そういう訳ではないので・・・。」

 

「なら決まりだね。せっかくのお祭りだし、楽しんでおいで。ところで、今日のサービスのお菓子はこの二つがあるんだけど。どちらか好きな方を選ばせてあげるよ。」

 

 そう言ってマスターはカウンターの下からハートスイーツとシャラサブレが盛られたカゴを取り出し、ヒノキの前に置いた。

 

「マジで?あー、でもやっぱオレはチョコかな。おまえはどっちにする?」

 

「え、えっと・・・・」

 

 そこでリラはマスターをちらりと見た。

 相変わらずにこにこしているが、今はその笑顔に深い優しさのようなものを感じる。

 

「・・・では、同じものを。」

 

 そうして手渡された小さな赤いハートに、また少し胸がざわめくのを感じた。

 

 





という訳で次回はお祭りの話です。
夏の間に投稿できるよう頑張ります。

フリーズドライカレーはフリーズドライ/カレーではなくフリーズ/ドライカレーです。お湯で戻す必要はなく、出来たての冷え冷えをそのまま頂きます。
一方、フローラルハーブティーはフリーズドライ/加工なのでお湯をかける事でフレッシュなライラックの香りが楽しめます。

【アローラグルメずかんNo.02】
カフェ アカシア(ウラウラじま)
ラナキラマウンテンの ふもとの もりのなかにある カフェ。
シンオウとアローラの しょくざいを ふんだんにつかった そうさくりょうりが たのしめる。
かんばんメニューの フリーズドライカレーは かんばんポケモンの アローラロコンのチロンが しあげを たんとう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

69.8番道路の祭り


【前回のあらすじ】
ラナキラマウンテンで迷子のアローラロコンを保護したヒノキ達は、首輪に記されていた住所へ送り届けることに。そこはシンオウからやって来た女性、ハリエが一人で営むカフェだった。


 

「おー、やってるやってる!やっぱいーよな、祭って。」

 

 アーカラ島の8番道路は『恋人達の散歩道』とも呼ばれるアローラ屈指のデートスポットである。

 そんな場所で終わりが見えないほど軒を連ねる出店に、ヒノキがはしゃいだ声を上げた。

 

 恋の祭りというからにはカップルばかりかと思いきや、意外と家族連れやポケモン連れも多く、普通に地域の大きな祭りという雰囲気だ。

 

「虹が出るまでまだ時間あるし、とりあえず一周してみるか。なんかおもしろそーな店もいっぱいあるしな。」

 

「は、はい!」

 

 ヒノキの半歩後ろに着いて、リラも歩き出した。

 なんだかとても不思議な感じがする。

 思えば仕事抜きでこんな風に一緒に歩くのは初めてだ。

 

「おっ!見ろよ、あそこの氷屋のメニュー。『こなゆき みぞれ あられ ふぶき』とか、味なのか氷なのか分かんねーよな。」

 

 右手の前方に見える『オニ甘い!オニ冷たい!オニゴーリかき氷』と書かれた看板の屋台を指して、ヒノキが言った。とても楽しそうだ。

 

「え、ええ。・・・ほんとうですね。」

 

 しかしリラはそんな謎のシェイブアイスより、この先の自分達の事の方が遥かに気がかりだった。

 

 これからどうなるのだろう。

 このまま、恋のご利益があるという虹を一緒に見るのだろうか。

 もっとも、自分達はそもそもそういう間柄ではない。

 でも、それがきっかけで何かが変わることもあるのかな。

 

 改めて、子どものようにはしゃいで歩く目の前の背中を見る。

 たぶん、きっと、おそらく、そういう事はないだろう。

 いや、絶対ないに違いない。

 

 

 けど、一応メイクは確認しておこうかな。

 

 

「ヒノキ、ごめんなさい。私、ちょっとお手洗いに──」

 

「ん?」

 

 リラに呼びかけられてヒノキが振り向いた、その時だった。

 

「やばい、もう一時間前だ。今から行っても間に合うかな?」

 

「なんとかなるんじゃないか?最悪サインは無理でも顔くらい見れるだろ。ロイマ、でかいしな。」

 

「なに!??」

 

 すれ違いざまに聞こえた通行人会話に、ヒノキの目の色が変わった。かと思うと、次の瞬間にはその会話の主達を捕まえ、詳細を訊き出していた。

 

「すまん、なんかもうすぐあっちでロイヤルマスクのシークレットサイン会があるらしいんだ。オレちょっと行ってくるから、今から自由行動な。じゃ、解散!」

 

「え?いや、あの、ちょっと──」

 

 何言ってるのか分からないんですけど、とリラは続けようとした。が、その頃には既にヒノキの姿は雑踏の向こうに消えていた。

 

「・・・・・。」

 

 ロイヤルマスクという人物が、アローラ伝統のポケモンバトル『バトルロイヤル』のスター選手であることはリラも知っているし、ヒノキが彼のファンであったとしても別に不思議はない。

 それ自体は構わないのだが、今この状況でヒノキが彼のサインを求めて行ってしまった事については、全く同意できなかった。

 だってそんなもの、今じゃなくたってククイ研究所に行けばいつでも手に入るでしょう──?

 

 

 残されたリラは、しばし呆気にとられてその場に立ち尽くしていた。が、次第に何とも言えない感情が込み上げてきた。

 

(やっぱり、そんな事ある訳ないか。)

 

 最初から分かりきっていた事ではある。

 ただ、互いに過去と向き合い、その上で一緒にいたいと伝え合えた日から、自分達の何かが少し変わったような気がしていた。

 互いに今までよりずっと気軽に接する事ができるようになり、それが楽しくて嬉しかった。

 

 だから、少しくらいは、そういう心配だって──。

 

 

 ふぅ、とため息をつき、人混みの流れに任せて歩き出そうとした、その時だった。

 

『まま♪』

 

 突然、視界を遮ったピンク色の球体に、リラははっと我に返った。

 

「あなたは・・・アマカジ?」

 

 目線に跳ねて注意を引いたのは、フルーツポケモンのアマカジだった。シェードジャングルに生息するくさタイプの種だが、(あたま)につけたこのピンクの花飾りには見覚えがある。

 そうだ、この花は確か──

 

「リラさーん!こっちこっち!」

 

 自分を呼ぶ元気な声の方を向くと、前方の出店のひとつから鮮やかな髪の少女が二人、大きく手を振っていた。この島のキャプテンのマオとスイレンだ。

 

「今さっきヒノキさんが走ってくのが見えたから、もしかしたらって思ったんだけど。やっぱり一緒に来てたんだね!」 

 

 アマカジとおそろいの花飾りをつけたマオの言葉に引っかかるものを感じたが、あえてその点には触れないことにした。

 

「え、ええ、まあ。最近はずっと8番道路のモーテルに泊まりがけなので、仕事帰りに見ていこうかと。」

 

「そうなんだ、おつかれさま!それじゃ仕事終わりの一杯が要るね!アマカジ、お願いね!『はねる』!」

 

『あままっ!』

 

 アマカジがその場でぴょんぴょん弾み出すと、まもなくその丸い身体に甘い香りのする滴が伝い始めた。そしてマオがそれを手早くカップに集めると、スイレンの用意した冷たいモーモーミルクに注ぎ、軽くかき混ぜてリラに差し出した。

 

「はい、おまち!恋祭り名物のアマカジミルクでーす!」

 

「はあ・・・。」

 

 特に待ってはいなかったそれを、リラは半ば付き合いという気持ちで口にした。

 が、すぐにその味の良さに驚いた。

 

「これ、美味しい・・・!」

 

 柔らかなピンク色とはなやかな香りは目と鼻にも味わいが深く、まろやかなミルクがアマカジエキスの元気な甘酸っぱさをふんわり包み込む。

 飲んでいるそばから自然に笑みがこぼれてしまうような、とても可愛らしい味だ。

 

「でしょ?今はポケモンセンターのカフェの裏メニューにもあるけど、元々はこのお祭りの飲み物なの。」

 

「飲むと誰でも甘酸っぱい、幸せな気持ちになれる事から『初恋の味』と言われているんです。」

 

 リラの率直な感想に、二人とアマカジが得意げな笑顔を見せる。そんな彼女達と『初恋の味』に、自然とリラの気分も明るくなった。

 

「どうもごちそうさまでした。アマカジもありがとう。えっと、お代は──」

 

「あ、いーのいーの!それは私達からの祝杯だから!」

 

 マオの謎の言葉に、スイレンがうんうんと頷く。心なしか、二人の目が輝いて見える。どうも雲行きが怪しい。

 

「あの、一体何のお祝いでしょう?全く心当たりがないのですが・・・」 

 

 リラが訊ねると、マオとスイレンは揃って目を瞬いた。が、すぐに顔を見合わせて、意味ありげにくすくす笑い合った。

 

「もー、やだなぁ。そんなの決まってるじゃん!」

 

 カウンターから身を乗り出したマオが、弾んだ小声でリラに囁いた。

 

「だからぁ、ヒノキさんとのこと!いわゆる『公私におけるパートナー』ってやつでしょ?おめでとう!」

 

「は!?!」

 

 寝耳に水でっぽうを食わされたような話に、思わず大きな声が出た。

 

「そ、そんな事実ありませんよ!一体誰がそんな事を──」

 

「え?誰っていうか、みんなフツーにそう思ってるよ?だってリラさんがヒノキさんにおそろいの島めぐりのあかしをあげたっていうから、『あ、そういう事なんだー』って。ね?」

 

「はい。それにこの前、アセロラからも『マオとスイレンもあの二人のこと応援してあげてね!』と頼まれたので。そういう事だと思ってました。違うんですか?」

 

 二人の言葉に、リラは胸ポケットのPHSにつけた『島めぐりのあかし』を一瞥し、胸の内でため息をついた。

 

「これはあくまで任務上の相棒の証であって。それ以外の意味も、それ以上の意味もありません。」

 

 そう言い切ると、驚いているマオの手にジュース代を押しつけて店を後にした。

 

 

 そうだ。

 パートナーというのはあくまで仕事上の話であって、プライベートでは一人の友人に過ぎない。

 責任者の立場にある自分が公私を混同してどうするのだ──。

 

 

 ◇

 

 

 どこもかしこも賑わう露店街の中に、ひときわ人だかりの大きい店がある。リラが興味本位で覗いたそこは、ハートのウロコを使ったアクセサリーを売る、ライチの出張ジュエリーショップだった。

 

「やあ、アローラ。久しぶりだね。仕事終わりかい?」

 

「はい。今日は日中の調査でしたので。」

 

 店主と簡単に挨拶を交わした後、リラは改めて店先に並ぶ商品を眺めた。

 

「素敵ですね。これ、みんなライチさんが作られたんですか?」

 

 建前ではなく、心からそう述べた。

 あるものは大胆に、あるものは繊細な加工が施されたブレスレットやピアス、ネックレス。

 素材の持つ個性が柔軟に活かされたそれらは、着飾る事に執心の少ない彼女にも、とても魅力的に見える。

 

「というか、むしろこっちが本業なんだけどね。昔はハートのウロコをプロポーズの時に渡す風習があって、今でも好きな相手に渡すと想いが届くって恋のお守りになってるんだ。そうそう、余りのウロコをタダであげてるんだけど、あんたも要る?」

 

 最後に添えられた言葉に、リラは一瞬またかとびくりとした。が、さらりとした口調や表情に、マオ達のような含みはない。からかっているのではなく、本当に必要かどうか訊いているみたいだ。

 

「い、いえ、大丈夫です!私にはそういう人はいませんし、このお祭りもモーテルへの帰り道に寄っただけなので・・・」

 

 慌てて首を振るリラを、ライチの切れ長の瞳がじっと見つめた。美しくて鋭い、まるでナイフのような瞳だ。

 

「そうかい。でも、もうじき出る虹は必ず見ておきなよ。恋がどうとか、そんなの関係なしに見る価値があるものだからね。そうだ、一人で静かに見られる穴場を教えてあげよう。ちょっとした崖の上だけど、あんたならいけるだろ。」

 

 そう言って、ライチは紙に簡単な地図を書いて渡してくれた。

 リラはその心遣いに礼を述べ、ボーマンダの背に乗ってその場所へ向かった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「わあ・・・。」

 

 ライチの地図に記されていた場所は、海に面したシェードジャングルの端の高台だった。

 空からでなければ到達の難しいそこは、360度海を見渡せる絶景ポイントでありながら、人の姿は全くない。強いて言えば、近くの木にドデカバシのつがいが一組止まっているだけだ。 

 

 最高のビュースポットにいたく感激したリラは、ポケットからスマートフォンを取り出した。この贅沢な空間を独り占めするのがもったいなくて、ヒノキにも教えてやろうと思ったのだ。

 

 しかし。

 

(あれ?でもそれって──)

 

 ふと思った。

 こんな場所で、ふたりで恋が叶う虹を見ようなどと誘ったりしたら。

 

 

 それはもう、ただの告白ではないか。

 

 

「・・・・。」

 

 数秒の迷いの後に、リラはスマートフォンをポケットへ戻した。余計な誤解を招いて任務に支障が出ては困るし、自分達は仕事上のパートナーだとマオ達にも言ったばかりだ。責任者である自分が、周りに示しのつかない行動を取る訳にはいかない。

 

(ライチさんだって、静かに見られる穴場として教えてくれたんだから。)

 

 今回はそうやって楽しもう。

 そう自分に言い聞かせて、近くにあった手頃な倒木に腰を下ろした、その時だった。

 

「!フーディン・・・。」

 

 自らボールを開いて出てきたフーディンが、当たり前のように主人の隣に腰掛けた。そして彼女の腰の残り4つのボールを指し、それらもまた外へ出たそうにうずうずと揺れている事を教えた。

 

「・・・ありがとう。」

 

 そうしてリラは4つのボールを開いた。ムウマージはふわふわの気体を寄せ、マニューラは喉を鳴らして膝の上に乗ってきた。カビゴンはみんなの背中を預かり、ボーマンダは翼をたたんで大好きな空を大人しく眺めている。大きさも体温も質感もバラバラだが、みんなあったかい。

 

「ほら。もうすぐみたいですよ。」

 

 いつの間にか日は沈み、藍色の空には無数の星と大きな丸い月が輝いていた。そしてその月の真下に広がる光景に、思わず息を呑んだ。

 

 

(・・・・!)

 

 

 無数のハート型のシルエットが飛び交い、霧状に烟った海面。

 そこに満月が柔らかな光を落とし、淡い虹をかけていた。

 昼間、雨と太陽によって生み出されるものとはまた違う、神秘的で幻想的な、自然の奇跡だ。

 

 

「きれい・・・」

 

 

 そんな月並みな言葉ではこの美しさは到底言い表せないと分かっていても、やはり口にしない訳にはいかなかった。

 アローラには他の地方では味わえない、この地球(ほし)の美しさとでもいうべき絶景がいくつも存在する。

 しかしこの虹は、それらの絶景の中でも一際異彩を放つだろう。

 

 

 

 やがてラブカス達の跳躍がまばらになり、海面を包んでいた飛沫が晴れるにつれ、虹は少しずつ薄くなっていった。

 そうして完全に虹が消えたのを見届けたところで、リラは再びスマホを取り、今度は迷うことなくヒノキに電話をかけた。

 

──♪♪

 

 耳に響くコール音に少し緊張するものの、さっきまでの躊躇いはない。

 恋がどうとか、そんな事はもうどうでもよくて、今はただ純粋にこの感動を共有したかった。ちょうど一昨日の夜、彼が自分に月が綺麗だと電話してきたように。

 

──♪♪♪

 

 傍らでは、ムウマージとマニューラがきゃっきゃと楽しそうにはしゃいでいる。二体が共に♀であること考えると、女の子のロマンチックなものへの憧れは人間もポケモンも変わらないようだ。

 

──♪♪♪♪

 

 木に止まっていたドデカバシ達が飛び立った。

 思えば、あの二羽も案外友達同士なのかもしれない。ただ気の合う者同士で、美しい景色を見に来ていただけかもしれない。自分達も、きっとそれで良かったのだ。

 

 

──♪♪♪♪♪

 

 

 それにしても出ないな。

 リラがそう思い始めた、その時だった。

 

 

『はい、オレです。悪いけど今ちょっと出れないか出たくないかのどっちかなんで、オススメは程よく時間を空けてからもう一回──』

 

 繰り返していたコールが、とうとう留守電に切り替わった。念のためもう一度だけかけ直してみたが、結果は同じだった。

 

──また、何かあったのだろうか。

 

 リラの胸に不吉な予感が過った。

 というのも、ヒノキは以前にも電話で捕まらなかった事があり、その時はちょっとした事件に巻き込まれていたからだ。

 

「ごめんなさい、ボーマンダ。もう一度、8番道路まで飛んで貰える?」

 

 他のポケモン達をボールに戻し、リラは再びボーマンダの背に乗った。そして自分の不安が杞憂であることを祈りながら、急いで8番道路へと引き返した。

 

 

 ◇

 

 

 メインイベントが終わっても、8番道路は相変わらず大勢の人でごった返していた。しかし、なぜかあちこちで警察官が聴き込みを行っており、先ほどまでとは明らかに雰囲気が違う。

 

「すみません。何かあったのですか?」

 

 近くにいた警官の一人を捕まえ、事情を訊ねた。すると、思わぬ答えが返ってきた。

 

「誘拐だよ。さっきの虹が出ていた時間を狙って、複数箇所で同時にポケモンが拐われる事件が起きてね。幸い、殆どは保護できたんだけどあと一体だけまだなんだ。お姉さんもトレーナーなら気をつけて。」

 

 信じがたい事件の報せに、リラの胸に強い怒りが込み上げた。

 被害に遭った人やポケモンは、きっとあの神秘の光景に見惚れていた事だろう。その隙を狙って悪事を働くなど、どれほど性根の曲がった人間の仕業なのか。

 

 

 そう思って眉をひそめた、その時だった。

 

 

「リラ!悪い、そいつを押さえてくれ!」

 

「え?」

 

 唐突に背後から飛んできた声に、リラは咄嗟に反応できなかった。が、自ら飛び出したフーディンが、主人の影に潜んだ『そいつ』を念力で引きずり出した。

 

「!これは──」

 

 フーディンの念力で地面に押さえつけられていたのは、ゆきぐにポケモンのユキメノコだった。その袂には、小さな白いものが覗いている。

 

「ナイス、フーディン!ジュナ、逃がすな!」

 

 ヒノキと共に駆けつけたジュナイパーが、目にも留まらぬ速さで矢羽根を放った。が、それより一瞬早くユキメノコは抱えていたものを手放し、隠し持っていた『けむりだま』を放って消えた。

 

「チロン!!」

 

 騒動を見守っていた人垣の中から一人の女性が飛び出し、ユキメノコが置き去った白いもの──すなわち気絶しているアローラのロコンを抱きしめた。

 

 その思いがけない人物の姿に、リラは目を瞠った。

 

「ごめんね、ごめんね。私がしっかりしていれば・・・」

 

 そこに数人の警官が現れ、人の流れを滞らせていた野次馬を解散させた。が、リラはそこに立ち止まったまま、警官と話すハリエから目が離せずにいた。

 

「おーい。リラ、フーディン!」

 

 背後から聞こえたヒノキの声で、ようやく我に返った。

 

「ヒノキ・・・」

 

「悪かったな、いきなり巻き込んで。けど、助かったよ。」

 

「いえ、私は別に何も・・・」

 

 二時間ぶりに会った彼に、特に別れる前と変わった様子はない。なのに、なぜか異様に胸がざわざわする。

 

「それより、一体何があったのですか?しばらくこちらを離れていたので、状況がよくわからないのですが・・・」

 

「あ、そうなのか?じゃ最初から話すか。オレ、おまえと別れてからすぐロイマのサイン会に行ったんだけど、その後会場の近くでハリエが店出してるのを見つけてさ。ほら、一昨日店で飲ませてもらった、あの紅茶を売ってたんだよ。」

 

 そこまで聞いて、リラの胸のざわめきが一層激しくなった。

 これ以上聞きたくないと思ったが、聞かない訳にもいかなかった。

 

「で、しばらく喋ってたら虹が出てきたから、そのまま一緒に見てたんだけど。10分くらい経った頃に、ハリエが抱いてたチロンが急に消えたんだ。そしたら、周りでも同じ事が起きて──」

 

 あまりに気軽に語られた事実に、リラは混乱した。

 一緒に見てた?

 あの言葉にできない絶景を、二人で見ると末永く結ばれるという虹を、ハリエと一緒に見ていた??

 

「──んで、ゴーストポケモンが人の影伝いに逃げてくのが見えたから、追ってたって訳だよ。・・・あ、話終わったみたいだな。」

 

 ハリエと話していた警官が彼女から離れていくのを見て、ヒノキはやはり自然な調子で言った。

 

「オレ、あの子を家まで送ってくるよ。きっとまだ不安だろうし。モーテルは近いから大丈夫だと思うけど、おまえも気を付けて帰れよ。」

 

 そう言われて、リラは「あなたも気を付けて」と返そうとした。しかし、なぜか声が出てこなかった。

 

 

 なんだろう。

 この、心が淀むような、軋むような感覚は。

 

 

「あ」

 

 数メートル先にいたヒノキが、突然足を止めて振り返った。

 

「そういや、さっき何回か電話かけてきてたよな?何かあったのか?」

 

 そう言われて、リラはすっかり忘れていたその事を思い出した。

 が、もうこれ以上何も思い出したくなかった。

 

「いえ、大丈夫です。大した事じゃないので、気にしないでください。」

 

 波立つ心を覚られないよう、とっさに笑顔を作った。

 しかし、あまりうまく笑えている自信はなかった。

 

「そうか?んじゃ、また明日な。」

 

 そう言ってヒノキはハリエの元へ走り、リザードンを放ってその背に乗った。そして彼女に手を貸して自身の後ろへ引っぱり上げたところで、リラは踵を返した。

 

 

 一体、自分は何を動揺しているのだろう。

 彼らが一緒に虹を見たのは偶然出会った上でのなりゆき上のことだろうし、ヒノキが事件に巻き込まれた彼女を心配して送っていくのも自然な事だ。

 

 

 なのに、どうしてそれがこんなに胸に突き刺さるのだろう。

 

 

 そうして今まで経験した事のない不安を抱きながら、ひとり足早に恋人たちの道を後にした。

 





個人的にロイヤルマスクはサンタさんみたいなものだと思っています。

【アローラグルメずかんNo.03】
アーカラじまのアマカジミルク:
そのままでは さんみがつよい アマカジエキスが モーモーミルクと あわせることで まろやかなあじわいに。そのあまずっぱさから はつこいのあじと よばれているよ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

70. NO RAIN,NO RAINBOW


リラちゃん復刻おめでとう!!

【前回のあらすじ】
ラナキラマウンテンで迷子のロコンを保護した翌日、ヒノキとリラは仕事終わりに8番道路の虹祭を訪れる。想定外の展開に一喜一憂しながらもそれぞれに祭を楽しんでいた最中、会場でポケモンの誘拐事件が起きる。


 

 翌日の昼。

 午前中の任務を終えたUB対策チームの三人は、再びウラウラ島の森のカフェ『acacia』を訪れていた。

 彼らが今日もこの店へ来たのは、昨夜ヒノキがハリエを送った際に「助けてもらったお礼がしたいので、是非またみんなで来てほしい」と言われたためだ。

 

「おまたせしました、本日のフリーズドライカレーのランチセットです。ごゆっくりどうぞ。」

 

 ハリエの運んできた三人分の昼食がテーブルに並ぶと、例によってヒノキとハンサムが歓声を上げた。

 

「おお、今日のもまた美味そうだな!サラダとスープが前と違うし、こーゆーの地味に嬉しいんだよな。」

 

「うむ!では早速いただくとしよう。さ、ボスも早く手を合わせてください。」

 

「え?あ、はい。・・・いただきます。」

 

 男二人に急かされる形で、リラもスプーンを取った。新雪のように白く冷たいカレーは、相変わらずとても不思議で美味しい。

 なのに、今日はちっとも心が弾まない。

 

「どした?まあ、早く食わなくてももう冷めてるけど。あんま腹減ってないのか?」

 

 リラのスプーンの進みが遅いことに気付いたヒノキが、不思議そうに訊ねてきた。

 見れば彼の皿は既に半分以上減っている。

 

「い、いえ。別にそういう訳では・・・」

 

 そう返しつつ、リラはそれとなくヒノキの様子を伺った。

 別段昨日までと変わったところはないし、ハリエとの間に特別な親密さを感じる訳でもない。

 

 にも関わらず、どうしても彼の存在が壁一枚隔てたように感じてしまう。

 

「失礼します。お水、お注ぎしておきますね。」

 

 そこにちょうど、ハリエがピッチャーを手に三人のテーブルへとやってきた。そして彼女がヒノキをグラスを手に取ったところで、リラは思わず彼女に訊ねた。

 

「そ、そういえばハリエさん。例の誘拐事件は結局どうなったのですか?」

 

 リラの質問に、ハリエは表情を陰らせた。

 

「実は私も、その件についてお話ししたいと思っていたのですが・・・少し、お時間を頂いてもよろしいでしょうか?」

 

「よろしいも何も、オレたち今日はそれを聞くために来たんだから。あ、もちろんふつうにメシも食いたかったけど。」

 

 ハリエは頷き、空いていた席に座った。そして昨夜の事件について、三人がまだ知らない情報を話し始めた。

 

「アローラ種の窃盗団・・・?」

 

「はい。昨日被害に遭ったのは、コラッタやディグダ、ニャースやサンドなど、いずれもアローラ特有の姿をしたポケモンばかりだったと警察の方が仰ってました。そういうポケモン達は他地方では珍しいので、大金を支払ってでも手に入れたがる人が多いのだとか・・・」

 

「ふむ。確かにポケモンの窃盗は近年増加傾向にあると聞く。最近は偽造したトレーナーIDを使って交換(トレード)の手続きを行い、他人のポケモンを自分のモンスターボールに移す手口があるからな。」

 

 食後の紅茶を片手に、ハンサムが呟いた。

 ちなみに昨夜は趣味のSNSで祭りのグルメ情報を発信する『グルメ探偵836』として会場にいたので、事件の事は何気によく知っている。

 

「ふうん。それでそーゆーポケモン達を一気に乱獲できる祭りを狙ったって訳か。『他人(ひと)のものをとったらどろぼう!』なんて、スクールに入る前のガキでも知ってることなのにな。」

 

 ヒノキの言葉にハリエは頷き、続けた。

 

「中でも、ロコンは特に人気が高いらしくて。犯人が捕まっていない以上、今後も狙われない保証はないと言われました。もちろん、付近のパトロールは強化して頂けるのですが。」

 

「でも、まだ詳しい犯人像は分かっていないのでしょう?もし、お客さんのふりをして来られでもしたら──」

 

 リラが訊ねた。

 彼女とヒノキの事は気になるものの、それはそれとして、やはり事件の事は心配だ。

 

「そうなんです。いずれもゴーストタイプのポケモンの犯行とは分かっているのですが、指示を出すトレーナーの目撃情報はなくて・・・。なので、お店はしばらく休業するか、常連さんだけの予約制にした方が良いと言われました。でも、何もしないと余計不安になるので、当面はランチの予約営業のみにしようと思います。もちろん、皆さんは大歓迎ですので。」

 

 そう言ってハリエは少し笑った。

 しかし、無理をしているのは誰の目にも明らかだった。

 

「ちなみに、こちらにチロン以外のポケモンは?」

 

 少しの間の後に、念の為にリラが尋ねた。

 

「一応、力仕事を手伝ってくれる父のワンリキーがいます。でも、私も彼もバトルはした事がないので・・・」

 

「自衛は難しい、か。できればそれがベストなんだけどな。警察もさすがに24時間は張ってくれないだろうし。」

 

 その時、ハリエの足元にチロンが身体を擦り寄せてきた。幸い、昨日の事は気絶していた為に覚えておらず、特に怯えている様子はないという。

 

「情けないですよね、自分のポケモンも守れないトレーナーなんて。私、小さい頃からポケモンの戦いが怖くて、スクールのバトルの授業もずる休みしていたくらいなんです。でも、こんな事ならちゃんと勉強しておけば良かった。」

 

 チロンの頭を撫でながら呟くハリエに、ハンサムが神妙な顔で頷いた。自分の無力を嘆く彼女に、相棒を失った過去が重なるのだろう。

 

 ──と、リラがそう思った、その時だった。

 

「そうだ!それなら、ヒノキくんとボスがしばらくハリエさんにバトルのコーチングを行うというのはどうだろう?」

 

「え??」

 

 ハンサムの唐突な提案に、他の三人が同時に彼を見た。 

 

「あの、ちょっと、ハンサムさ──」

 

「ああ、そう言えばハリエさんはまだご存知ありませんでしたな。この二人、今はポケモンの生態調査業に従事しておりますが、実はかなり腕の立つトレーナーでして。きっと初心者でもアローラナッシーばりに成長できるよう指導してくれますぞ!」

 

 そこでハンサムがようやく一息ついたので、リラは勝手に話を進める彼を注意しようとした。

 ところが。

 

「おお、それ普通にアリだな。おっちゃんもたまにはいい事言うじゃん。あ、でもそれならオレだけでいいよ。リラは報告書作ったりとか、調査以外にもいろいろ仕事があるだろ。その点オレは現場業務だけだし。」

 

 これまた勝手なヒノキの賛成で、急な展開にさらに拍車がかかった。とはいえ、その案は唐突でこそあれ、それだけで却下できるほど突飛ではなかった。

 

「で、でも!それならポケモンはどうするのです?チロンはまだ子どもですし、お父様のワンリキーにしても、急にバトルを教えられても戸惑うのでは?」

 

 どうにかこの流れにブレーキをかけたくて、リラは咄嗟に思いついた問題をそのまま投げつけた。

 

「あー。確かにそういやそうだな。」

 

「うむ、私もそこまでは考えておりませんでした。部下の至らぬ点を即座に見抜くとは、さすがはボス!」

 

 流れに水を差した後ろ暗さはあるものの、リラはひとまずほっとした。

 だいたい、初心者にバトルを指南するとなれば一日や二日の話ではないだろう。この二人の間にそんな習慣が生じるなど、簡単に認める訳にはいかない──あくまで責任者として任務に支障を来さないために。

 

 

 が、幸いその問題はすぐに解決した。

 

 

「そーだ!だったらケオをしばらく貸してやるよ。そしたらこいつを持ちポケとしてバトルの練習ができるし、チロンの事も守ってくれるから警察の目がない時も安心だろ。」

 

「!?」

 

「おお、そいつはグッド・アイデアだ!ハリエさん、どうですかな?」

 

「そんな・・・私はとても嬉しいですけど、本当に良いのですか?ご迷惑では・・・」

 

「それをいうなら、何もせずにそいつがまた攫われる方がよっぽど後味悪くてご迷惑だよ。よし、そうと決まれば早速今日から始めよう。今からはまたタレコミ現場の調査があるから、夕方頃にまた来るよ。」

 

 そう言ってヒノキはリラの方を振り返った。

 

「──ってな感じならどうだ?異議は?」

 

「・・・いえ。特になにも。」

 

 腹立たしいほど見事なカウンターに、リラはもう、そう言うしかなかった。

 

 

 ◇

 

 

「ふうーん。それでヒノキがハリエちゃんにバトルを教えることになったの。」

 

「ええ。今日から毎日、仕事が終わった後に一時間。『スクールでサボったところから教えてやるから大丈夫』だそうですよ。」

 

 その日の仕事終わり。

 リラは例によって8番道路のポケモンセンターのカフェに立ち寄っていた。しかし向かいにいるのはヒノキではなく、ウラウラ島のキャプテンのアセロラと、彼女から譲り受けた手持ちのムウマージである。

 

「なるほどねー。それで心配で元気がないって訳か。」

 

 久々に会ったムウマージにポケマメをやりながら、アセロラが頷いた。

 普段はウラウラ島で生活している彼女が今この島にいるのは、例の誘拐事件がゴーストポケモンの犯行である事から、有識者の意見を聞きたいとアーカラ署に呼ばれた為だ。

 

「それはそうでしょう。自分のポケモンが狙われていたら、誰だって不安に──」

 

「もー、ちがうよぉ!ハリエちゃんじゃなくって、リラの方!!」

 

「え?私?」

 

 アセロラの指摘に、リラは少し混乱した。

 心配で元気がないのは自分の方?どうして??

 

「そ!このままあの二人が仲良くなっちゃわないか心配で、気が気じゃないってカオしてるよー?」

 

 それは一体どんな顔かと思わず窓に顔を映してみたが、全くもって分からない。しいて言えば、この頃食欲が湧かないせいで少し痩せたような気はするけれど、それも他人が分かるほどの変化ではないと思う。

 

「ま、そりゃ気になるよねー。ハリエちゃんかわいいし、聞けばラブレインボーも一緒に観てたっていうし。」

 

「どうしてそれを・・・」

 

「マオとスイレンが教えてくれたの。キャプテンどうし、じょーほーきょーゆーは大事だからね。」

 

 果たしてそれはキャプテンとして共有すべき情報なのだろうか、とリラが首を傾げたところで、アセロラが再び口を開いた。

 

「それでリラはどーなの?ほんとにこのままあの2人がくっついちゃったらどーする?」

 

 どきりと心が揺れたはずみで、リラのロズレイティーのカップを持つ手が震えた。不安定な紅い水面に映る顔を見たくなくて、思わずカップをテーブルに置いた。

 

「・・・別にどうもしませんよ。たとえそうなったとしてもそれは彼らの自由ですし、任務の就任規約にも異性との交際を禁じる項目はありませんから。」

 

 そう言って、アセロラの視線から逃れるように傍らのムウマージを撫でた。それでも、心の奥まで見透かされそうなまんまるな瞳に「そーゆーコトじゃないんだけどなぁ」と言われている気がした。

 

「ふうーん。ま、リラがそれでいいならべつにいーんだけどさ。でも、ほんとはそうじゃないなら、ヘンにごまかしたりしない方がいいと思うよ?だってほら、『まーれいん・まーれいんぼー』っていうじゃん!」

 

「?ま、まーれ・・・?なんです、それ。」

 

 聞き慣れないまじないのような言葉をリラが聞き返した、その時だった。

 

「それをいうなら『NO RAIN,NO RAINBOW』だね。アローラの古いことわざだよ。『雨が降らなきゃ虹はかからない』とも言うね。」

 

 そう補足してきたのは、アセロラが追加注文したミックスオレを持ってきたマスターだった。

 

「雨が降らなきゃ虹はかからない・・・?」

 

「そう。一般的には、辛いことの後にはきっと良いことが待っている、という意味で知られている言葉だよ。だけど、本当はね・・あ、ちょっと失礼。」

 

 そこでちょうど他の客が手を上げてマスターを呼び、同時にアセロラのワンピースのポケットから着信音が鳴った。

 

「もしもーし!はーい、もう着いてますー!じゃ、今から行きますね!」

 

 ゲンガーを模したおもちゃのような携帯でそう答えると、アセロラは届いたばかりのミックスオレを一気に飲み干した。

 

「ごめんね、アセロラももうおまわりさんのとこに行かなきゃ!お代はここに置いとくから、あとよろしくね!ムウマージ、リラのことお願いね!」

 

 そういって空のグラスを置くと、つっかけサンダルをぱたぱた鳴らしながら慌ただしくカフェを出ていった。

 

 

 そうしてひとりその場に残されたリラは、マスターとアセロラが置いていった言葉を頭の中でなぞってみた。

 

──雨が降らなきゃ虹はかからない、か。

 

 それが『辛いことの後には良いことがある』を意味するのは、何となく分かる。けれど、アセロラとの会話の流れやマスターの口ぶりからすると、おそらくそれとはまた別の意味があるのだろう。

 

「・・・でも、それが私とどう関係があるのでしょうか?」

 

 リラはふと傍らのムウマージに訪ねてみた。

 しかし彼女は何も答えず、ただただ楽しそうにくすくすと笑うばかりだった。





今月は今回の復刻以外にも究極高難度バトルで瞬殺されたり、ミックスBサーチという究極高難度闇鍋で二人目をお迎えできたりと、ポケモンセンター以外でもリラさんに会えて幸せでした。
先のアンケートに10回くらいリラという単語を書き連ねたのが良かったのでしょうか。

【アローラグルメ図鑑No.4】
なないろミックスオレ:
7しゅるいの アローラさんの きのみを ふんだんに つかった ぜいたくな フルーツオレ。ひとくち のむたびに びみょうに あじがかわる ふしぎさと おいしさで にんき。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編
かわらずのいし


 
タイトルの通り、本編に登場する彼とあのポケモンの出会いにまつわるお話です。ピカブイ発売記念の意も込めて。
ちなみにリラさんは出てきません。


 

 ライド・システム。

 それは、ライドギアと呼ばれる専用デバイスを用いることによって、いつでもどこでもその場の状況に適した移動専門ポケモンに乗ることができる、この世界の新たな交通の形態である。

 現在、実用化が確立しているのは発祥の地であるアローラ地方のみだが、その利便性や自然環境への負担の少なさ、さらには各地の『ひでんマシン』製造職人の減少問題等から注目を集め、最近では他の地方でも導入が検討されている。

 そんなライド・システムの担い手となるのが、専門の養成機関で人間の輸送に特化した訓練を受けた『ライドポケモン』と呼ばれるポケモン達である。現在、ライドポケモンには陸・海・空合わせて計七種が認定されている。

 すなわち、「陸」のケンタロス、ムーランド、カイリキー、バンバドロに、「海」のラプラス、サメハダー。

 

 そして、「空」のリザードン。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 そのヒトカゲは、その日もまた牧場の空を見上げていた。

 認定ライドポケモンへの最終試験を控えた先輩リザードン達が調教師(トレーナー)を乗せて自在に青空を翔る姿を、いつまでも飽きることなく、瞳を輝かせて見つめていた。

 

「はっはっは。お前は本当に空が好きだなあ。そんなに早く飛びたいか。」

 

『ほえぇ!』

 

 牧場主の言葉に、ヒトカゲは嬉しそうにそう吠え、まるで羽ばたいているかのように、その小さな両手をばたつかせた。そんな愛らしい仕草に、精悍な初老の牧場主は両目をぎゅっと細めてまた笑った。

 彼の名は、アルラ。

 ライド・システムの黎明期からライドリザードンの養成に携わってきた、この道数十年の第一人者(ベテラン)である。

 そしてそんな彼のもとに生まれたこのヒトカゲもまた、将来はアローラの人々の翼となることを嘱望されたライドポケモンの雛鳥であった。

 

「まったく。お前の同期達はまだ牧舎で昼飯の最中だぞ。お前はちゃんと食ったのか?身体の小さいやつには、人は乗せられんぞ。」

 

 しかし、彼の空への憧れは本物だった。 

 早く飛びたいというその一心から、()()一倍熱心にライドの訓練に励むとともに、進化に必要な経験値を積んだ。やがてその努力は実り、彼は同じ時期に生まれたどの個体よりも早くリザードへの進化を迎えることができた。

 

 それが、すべての始まりだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

──これは。

 

 

 その姿を見たアルラは、愕然とした。

 本来なら燃えるような紅蓮になるはずのその身体が、まるでヒトカゲのままのような、むしろそれ以上に明るいほどのオレンジ色をしていたからだ。

 

(なぜ、よりによってあいつが。)

 

 彼は震える手で電話帳を繰りながら、急いである機関へと連絡を取った。

 

 他の生物がそうであるように、ポケモンにもまた、まれに色素異常の個体が発生する事がある。突然変異や劣性遺伝によって数千分の一の確率で生まれたそれらのポケモンは俗に「色違い」と呼ばれ、その美しさや希少価値から富豪やコレクター等の間で大変な高値で取引されるのが常である。

 

 実を言えば、孵卵室で他の個体より一際明るく輝く彼を初めて見た時から、その懸念はあった。

 しかし、幼体時は特に体色の差は珍しくないし、ほとんどの場合は進化するにつれて曖昧になる。だからこそ、この個体にしてもその可能性がある以上は賭けたいと思ったのだ。

 

 やがて、連絡先から一通の封書が届いた。中には返信用の封筒と特殊なフィルムで作られた小さな袋が入っており、この袋に採取したリザードの体毛を入れて送り返すようにとの事であった。

 

「大丈夫。まだお前がそうだと決まった訳じゃない。だから、ちゃんと調べてもらおうな。」

 

 不思議そうなリザードにというより、むしろ自分に言い聞かせるようにそう言いながら、彼はリザードの腕から輝くようなオレンジ色の体毛を数本採取した。専門家による鑑定に、最後の望みを託すことにしたのだ。

 

(どうか、自分の杞憂でありますように。)

 

 しかし、一週間後に届いた鑑定結果の通知書に、彼のそんな望みは空しく絶たれた。

 

 

『結果:陽性。このリザードは紛れもなく色素異常個体であり、このままリザードンへと進化すれば、確実にブラック・アルビノとなるでしょう。もしも貴方がこの個体の行く末を案ずるのであれば、近い内に警察か保護団体へ引き渡すことを推奨します。』

 

 

 ブラック・アルビノ。

 色違いポケモンの中でも特に人気が高い、リザードンの色違いの通称である。ヒトカゲ、リザードのうちは明るいオレンジ色であるその身体は、リザードンに進化すると艷やかな漆黒となる。その姿から裏社会の人間がこぞって手に入れたがるため、所有者とともに事件に巻き込まれる危険性が高く、この通知書の警告するところもまたその点であった。

 が、真にアルラを苦しめたのは、そのような事件性に関する恐怖ではなかった。

 ライド・ポケモンの認定条件をまとめた規約の中には、以下のような項目がある。

 

 

第18条『乗客の安心と安全を第一とするライド・システムにおいては、防犯上の観点より、色素異常体は一律に認定を不可とする』

 

 

 ◇

 

 

 数日に渡って悩んだ挙げ句、アルラは彼に他のリザード達には決して与えることのない愛称と、紐を通して首から下げられるようにした、丸い石を授けた。苦渋の決断だった。

 

「すまない、リー。お前にはここでこのまま、私の助手として働いてほしい。これはお守りだ。決して手離してはいけないよ。」

 

 リザードの色違いはリザードンのそれと比べると格段に認知度が低い上に、まだ体色の薄い個体だというごまかしがきく。それをこの外界と隔たれた養成牧場の中だけの存在にすれば、何とか守ってやれるのではないか。そう考えての事だった。

 

 新たにリーという名を持った彼には、主人のその謝罪の意味が分からなかった。

 それでも彼は、主人の助手という新たな役目をこなしながらライドポケモンとしての訓練を続け、経験値を積むことを怠らなかった。しかし、いくら努力をしても、いっこうに進化の兆しは訪れない。同期たちが自分よりも少ない経験値で立派な翼を得ていく理由が、いくら考えても分からなかった。

 

──自分は、彼らと同じ生き物ではなかったのだろうか。

 

 次第にそんな事を考えるようになり、自主訓練の量も少しずつ減っていった。それでも、彼は捨て鉢にはならなかった。大切にされている事はちゃんと分かっていたし、望んだ形とは違うにしろ、ここには確かに自分の役割と居場所があったからだ。

 彼は毎日休まずに主人の仕事を手伝い、同僚のハーデリア達と母屋で寝食を共にした。

 そして時々、一人でぼんやりと遠い空を見つめた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 しかし、そんな条件つきの平和ですら長くは続かなかった。

 ある日の午後、黒いスーツを着た物々しい雰囲気の男達が牧場を訪れた。

 

「こちらに、色違いのリザードがいますね。」

 

 一人の男が単刀直入に切り出した。

 

「我々は国際警察の者です。残念ながら、COLORS(カラーズ)がそのリザードの事を嗅ぎ付けました。近い内に、この牧場へ窃盗に及ぶ可能性が極めて高い。そうなる前に、今、我々に保護を委ねた方が得策でしょう。」

 

(もう、知れたのか。)

 

 アルラは眉間にしわを寄せ、手にしていた農具の柄をぐっと握りしめた。

 COLORS──それは色違いポケモンばかりを標的とする国際窃盗団で、それらを所有するトレーナーが真っ先に、そして最も恐れる存在である。

 

 男の言葉に、アルラの心は一瞬揺らいだ。しかしその時、男達の背後の牧舎の陰からリーが不安げな表情でこちらを見ている事に気が付いた。

 

「あれは私の大事なポケモンだ。どうするかは自分で考える。でも、あんた達の手を借りるつもりはないよ。」

 

 彼がそう言うと、男達は何も言わず、思いの外素直に引き揚げていった。

 

 しかし、そうは言ったものの、アルラにはどうすれば良いかさっぱり分からなかった。

 国際警察の申し出を退けた手前、もう警察には頼れない。かといって、戦闘は専門外である自分には、悪名高い窃盗団から彼を守り抜いてやれる自信はない。

 どうしたものかと頭を抱えた時、ふと、いつか養成牧場主仲間から聞いた噂を思い出した。

 

──遠いカントーのチャンピオンが、ポケモンに関する万屋をしているらしい。まだ若いが、腕は確かだと専らの評判だ。

 

 数時間と数十件にわたる問い合わせを経て、彼はどうにかその連絡先を知ることができた。が、間の悪いことに、どうしてもつながらない。

 やむを得ず留守電にメッセージを託し、彼からの折り返しの連絡を待った。その間に、急速に不安が増した。

 

(今夜にも奴らは現れるかもしれない)

 

 居ても立っても居られなくなった彼は、リーをモンスターボールへとしまい、そのボールを寝室の金庫へと隠した。そして自分は電話の前に座り、ただひたすらそれが鳴るのを待った。そして待ちくたびれてうつらうつらとし始めた頃に、ジリリリ、という昔ながらの電話のベルが目覚まし時計のように鳴り響いた。

 

「も、もしもし!」

 

 慌てて受話器をひっつかんだ彼は、その向こう側から聞こえてきた若い男の声に、安堵のあまり涙が出そうになった。

 

「こんにちは。ライドリザードン養成牧場のアルラさんですね。先ほどお電話を頂いたヒノキ・カイジュです。もうすぐそちらに着きますので、そのままそこで待っていてください。」

 

「わ、わかった!くれぐれも気を付けてな!でもなるべく早く頼む!」

 

 彼が待機する母屋のインターフォンのチャイムがなったのは、それから約一時間後の事であった。

 

「こんばんは。すみません、遅くなってしまって。」

 

 朗らかに挨拶したその青年は、アルラも何度かテレビで目にしたことのあるカントーのチャンピオンその人であった。

 

「いや、遠いところほんとうによく来てくれた。それで、君に頼みたい仕事というのはだな──」

 

「それならもう、承っていますよ。」

 

 彼を屋内に招き入れたアルラは、背後の青年の言葉に、耳を疑った。

 

「未来の黒い翼を頂くことです。」

 

 彼は足を止めた。そして、気付いた。

 自分が彼への留守電に残したメッセージは、「自分はアルラという者で、頼みたい仕事があるから折り返し連絡がほしい」というものだった。ライドリザードン養成牧場の主であることにはあえて触れていないし、そもそもここまで来てくれとは言っていない。

 

「・・・まさか、きみは。」

 

 振り返った彼は恐怖でかすれる声でそれだけ呟くと、あとは目の前の若者がみるみるうちに黒い獣へと変わっていくのを、愕然としながら見つめるしかなかった。

 

「もう遅いよ。おじちゃん。」

 

 幼さの残るその一言とともに目の前の景色が大きく歪み、そこで彼の意識は途絶えた。

 

 

 ◇

 

 

 それから、どのくらい経ったか。

 ぱしっと身体に何かが走るのを感じたアルラは、弾かれたように目が覚めた。

 

(リー!?)

 

 彼は急いで寝室へ向かい、金庫の鍵を開けた。しかし、どんなに目を凝らし、手でまさぐってみても、そこにあるはずのモンスターボールの影も形も認めることはできなかった。

 

 

──しまった。

 

 

 膝から力を失った初老の牧場主は、崩れるようにその場に座り込んで項垂れた。

 

「こんなことなら、意地を張らずに素直に国際警察に引き渡していれば良かった。」

 

 それは確かに、その時アルラの胸を占めていた思いそのものであった。

 が、それは彼の声ではなかった。

 

「──とかなんとか、そんなこと考えてると思うけど。でも、残念ながらその自称国際警察の奴らもグルだ。本物なら、そういう場合は必ずトレーナー同伴で最寄りの支部まで護送するからね。まずはなるべく楽して穏便に獲物を手に入れようとする、奴らの常套手段だよ。」

 

 その声には聞き覚えがあった。というより、気を失う前に聞いたばかりだ。

 彼はおそるおそる、背後にいるその主を振り返った。

 

「・・・。」

 

 姿も、背丈も、そして声も。

 先ほど見た「彼」と、寸分の狂いもない。

 しかしその瞳を見れば、「偽者」との違いは一目瞭然であった。

 

「どうも。遅ればせながら、本物のヒノキ・カイジュです。」

 

 そう言った彼の足元から、ひょっこりと尾が丸く先割れたピカチュウが顔を覗かせた。どうやら先ほど自分の目を覚まさせたのは、このピカチュウらしい。

 

「どうして・・・なぜ・・・」

 

 そんな事が分かるのか。

 あまりにも多くの謎が散らばり過ぎていて、アルラはそう呟くのがやっとであった。

 

「追うものは追われるもの、ってね。」

 

 そういって本物のカントーレジェンドは、片手に提げていた気絶しているゾロアを顔の横まで持ち上げて見せた。

 

「実はアルラさんがリザードの鑑定を依頼したタマムシ大学の研究所に知り合いがいてね。COLORSの標的になりそうで心配だからって、個人的に張り込みを頼まれてたんだ。」

 

「!そうだ、リーは・・・!」

 

 思い出したように呟いたアルラに、ヒノキはもう片方の手に持っていたモンスターボールを見せた。

 

「大丈夫、ここだよ。ちょっと参考にさせてもらいたくて、オレが鍵を借りて開けたんだ。」

 

「参考・・・?」

 

 話が見えて来ないという風に訝しがるアルラに、ヒノキはにっこり笑って言った。

 

「オレにちょっとばかり考えがあるんだ。だから、この件は任せてもらえないかな。」

 

 

 ◇

 

 

 その頃。

 今夜の仕事を任された、たった一人の窃盗団員は、相棒のゾロアークと色違いポケモンの識別用に訓練されたヤミラミを連れ、養成牧場内の獣舎を調べて回っていた。

 

(ブラック・アルビノのタマゴはどこだ?)

 

 音を立てず、気配も殺しながら素早く各部屋を後にする。眠っているリザードやリザードン達に目を覚まされて騒がれては厄介だ。

 

 やがて獣舎の全ての部屋を調べ終わった一行は、天窓からその屋根の上へと出た。結局、ここではブラック・アルビノのタマゴ──すなわち色違いのリザードは見つからなかった。

 

(他の場所に隠しているのか・・?)

 

 そう考え、屋根の上から牧場内の他の建物を見回した時だった。

 

「よお、カーマイン。」

 

 突然、自身のコードネームを呼ばれた盗賊の少女は、その名と同じ色の美しい長髪をびくりと揺らして振り返った。

 

「『またお前か!』って思っただろ?奇遇だな、オレもだよ。」

 

「・・・!」

 

 自分の名を知るその若い男の姿を見るや否や、彼女は華奢な身体を翻して身構えた。

 

 ヒノキ・カイジュ。

 カントーレジェンドにして、ポケモンに関する諸々の依頼を請け負って世界中を飛び回る何でも屋。そして、これまでに幾度となく自分達の仕事を阻み、計画を潰えさせてきた憎き宿敵である。

 

「ぼくはお前なんかに思うことは何もない。邪魔をするな。」

 

 そう言って、色違いポケモン窃盗団COLORSの最年少団員カーマイン・ライトは、どう凄んでも可愛らしい大きな瞳で、精一杯鋭くヒノキを睨み付けた。

 

「相変わらず冷たい女だな。せっかく、探し物の場所を教えてやろうと思ったのに。」

 

 まるでヤンチャムをあしらうようにヒノキはカーマインの敵意を全く気にかけず、朗らかに言った。

 

「敵の手は借りない。だいたい、ぼくたちの邪魔ばかりするお前の言葉なんか信じられるものか。」

 

「そうかい。じゃ、これならどうだ?」

 

 ヒノキがそう言い終わらない内に、明るいオレンジの影がカーマインの右脇をよぎり、そこにいたヤミラミを一瞬のもとに撃墜した。何が起こったのか、当のヤミラミですら分からなかったようであった。

 

「・・・!」

 

 絶句している彼女がヒノキの方に向き直ると、そこには耀くようなオレンジ色をしたリザードが臨戦態勢で身を構えていた。

 

(ライド用に育てられたリザードに、これほどの戦闘能力が・・・?)

 

 そんな想定外のリザードの強さに戸惑うカーマインに、ヒノキは誘うように言った。

 

「さあ、こいつがお前の今回の獲物だ。盗ってみろよ。」

 

「・・・ゾロアーク!『だましうち』!」

 

 真正面から突っ込んできていたゾロアークの姿が突然消え、一瞬の後に背後に現れた。しかし、リザードは最初からそれを予期していたかのように、強靭な尾をしならせ、背後をとったゾロアークの脇腹をしたたかに打った。

 

「『だましうち』なのに宣言してどうする。」

 

 ヒノキがあしらうように、そしてどこか楽しそうに少女を煽った。

 

「くっ・・・『つじぎり』!!」

 

 主人の指示に、ゾロアークは再び果敢に飛びかかった。しかし、今度はリザードの姿が煙の中に消えた。

 

(これは・・・『えんまく』!?)

 

 濃い乳白色の煙に巻かれたカーマインは、目の前で何が起こっているのかまるで分からない。

 

「グッ、フゥゥ・・・!」

 

 突然、ゾロアークの苦々しい呻き声が響いた。

 

「ゾロアーク!?」

 

 やがて、煙が切れた。そこでカーマインが見たのは、リザードに組伏せられ、炎をまとった牙を首筋に立てられた相棒の姿であった。

 

「さて、と。」

 

 組み合う二体を前にしたヒノキが、その気軽な口調のまま続けた。

 

「このままゾロアークに止めを刺して、帰れなくなったお前を国際警察に引き渡してもいいんだけど。どうする?このまま大人しく引き下がるっていうなら、今回は──」

 

「うるさい!ゾロアークはまだやれる!必ずこのリザードを──」

 

「そこまでだ、カーマイン。」

 

 突然、背後から低く静かな男の声がした。

 

「この男は今のお前の敵う相手ではない。団長もその事は最初から十分ご承知だ。帰るぞ。」

 

 彼女が振り返ると、そこには深い青色の瞳をした屈強な男が、同じ色の目を持つルナトーンを従えて佇んでいた。

 

「黙れ、セイラン!ぼくは、まだ──!!」

 

 セイランと呼んだその男と対照的な、燃えるような赤茶色の瞳を震わせながらカーマインは突っ張った。が、セイランは動じず、相変わらず静かな口調で続けた。

 

「まだ分からんのか?ヤミラミを最初に落とされた意味が。」

 

「え・・・?」

 

 セイランのその言葉に、カーマインは思わず前を見た。すると目の前のオレンジ色のリザードの姿がみるみるうちに解け、やがてしなやかな体躯なしのびポケモンの像を結んだ。

 

「お前が偵察用に放ったゾロアの『イリュージョン』を『なりきり』でコピーしたゲッコウガだ。お前は最初からずっと、こいつに化かされてたんだよ。」

 

「!そんな・・・。」

 

 カーマインは愕然とした。今まで自分が必死に戦っていた相手は最初から全くの偽者だったというのか。

 

「あのヤミラミの『みやぶる』なら多分バレただろうからな。ソッコーで口封じさせてもらったんだ。」

 

 セイランの言葉に、ヒノキも頷いた。

 

 カーマインはすっかり意気を消沈させて項垂れた。

 自分とセイラン対ヒノキであるはずなのに、大人二人対子どもの自分一人という図式になってしまった気がして、悔しさと情けなさからこぼれる涙を美しい髪で隠すので精一杯だった。

 

「・・・こいつが無駄な時間をとらせて悪かった。」

 

 大人しくなったカーマインを肩に担ぎ上げると、セイランはヒノキに短く挨拶した。

 

「なに、構わないさ。オレはそいつに会うの、何気に楽しみだったりするんだよ。ま、できればもっと明るいとこで会いたいけどな。」

 

 セイランはヒノキのその言葉を背中で聞きながら、ルナトーンのテレポートによってカーマインと共に姿を消した。

 

 彼らの仕事を認めることは決してできない。しかしヒノキは、不思議とこの連中が嫌いではなかった。

 

「・・・さて。あとは──」

 

 ヒノキがそう呟いたまさにその時、母屋の方からアルラの叫ぶ声が聞こえた。

 

「ま、待て!リー!!」

 

 やがて、オレンジ色のリザードが牧場を全力疾走で突っ切り、塀を飛び越えて行くのが見えた。

 それから間もなく、アルラが息を切らせながらヒノキの元へと駆け寄ってきた。

 

「ヒノキくん。あいつ、自分のせいで私を危険に晒したと、責任を感じて──」

 

 膝に手を着いて、絞り出すようにアルラが言った。

 ヒノキはその背を擦ってやりながら、彼の消えた方向を見据えて言った。

 

「大丈夫、オレに任せて。ただ、アルラさんにひとつだけ頼みがあるんだ。いいかな?」

 

 

 ◇

 

 

「リー。どこだ?」

 

 牧場の周囲を囲む森を探していたヒノキは、やがて大きな木の根元にしょんぼりと座り込むオレンジ色のリザードを発見した。

 

「もうお前を狙う泥棒は帰ったし、心配は要らないぞ。あいつらは一度盗り損ねた獲物は追わない主義なんだ。」

 

 しかし彼は、沈んだ目で力なく首を横に振るばかりであった。まるで、自分はもうここには居られないという風に。

 

「・・・じゃあ、もう牧場には戻らないのか?」

 

 少しだけ迷いを見せてから、彼は頷いた。それが、世話になった主人への最後の孝行だと言うように。

 

「・・・分かった。それがお前の答えなんだな。ってことは──」

 

 その瞬間、ヒノキの元から小さな黄色い影が飛び出し、リザードの脇を掠めた。

 

「これはもう、要らないってことだな。」

 

 肩にピカチュウを乗せた青年の手には、自分が肌身離さず首から下げていた、あの丸い石があった。

 

「これはアルラさんがお前を守るために持たせたものだ。でもお前は、その人の元を離れると決めたんだからな。」

 

 その石を、リーは食い入るように見つめた。

 確かに牧場を出ていくとは決めた。

 しかし、その先のことはまだ何も分からない。そんな状況で、唯一すがれるものすら失うのは、正直怖かった。

 

「そうだな、お守りがなくなるのは心細いよな。けど、だからってお前を守るものがなくなる訳じゃない。ただ、変わるだけだ。」

 

 そんな自分の気持ちを見透かしたように目の前の青年は静かに言い、そして続けた。

 

「『かわらずのいし(こ  い  つ)』からオレ達に、な。」

 

 空高く放り投げられたその石を、彼の肩から飛び上がったピカチュウが、鋼のように硬化させたハート型のしっぽで粉々に打ち砕いた。

 その瞬間、石から溢れたまばゆい光が辺りを支配し、蓄えられていた進化エネルギーがリーを包み込んだ。

 

 

──? ? ?

 

 

 もはや何が起こっているのか分からない彼は、ただ光の中で全身が大きく変わるのを、何より背中に圧倒的な存在感が生まれるのを、ただ受け入れるしかなかった。

 

 

 やがて、光が収まった。

 そこには、諦めかけていた立派な翼にまだ戸惑っている一体のリザードンの姿があった。

 

「さあ、お膳立てはここまでだ。」

 

 見守っていた青年が、静かに口を開いた。

 

「今度はお前が見せてみろよ。ずっとずっと大事に持っていた、変わらずの意思を!」

 

 そう言うと、ヒノキは助走をつけてその背に飛び乗った。

 そんな新たな主人の言葉に応えるかのように、進化したばかりの黒い竜は咆哮を轟かせた。そして、その生まれたての翼をいっぱいに広げ、満天の星空へと飛び立った。

 

 

 ◇

 

 

「悪いな、お前の門出を祝う人間を一人しか用意できなくて。」

 

 緩やかに高度を上げながら南国の夜空を行く新たな仲間に、ヒノキはその背から声をかけた。

 通常、ライドリザードン達は毎年行われる就任式で多くの人々に祝福されながら、華やかな初飛行を迎える。

 

「でも、きっと一人で百人分くらい祝ってくれてるよ。」

 

 そのヒノキの言葉に、彼もまたそれで十分だという風に頷いた。

 そして実際その通り、地上ではそのたった一人の観衆が、手が痺れるほどの拍手を贈りながらその旅立ちを見届けていた。

 振り返ることなく夜空へ消えて行く彼らを、止まることのない涙とともに。

 

 




 
・・・というのが、本編にて主人公ヒノキが色違いのリザードンを連れている理由です。本編の大体一年くらい前のお話。
ちなみにかわらずのいしを粉砕した♀のピカチュウは、もちろんライチ邸で物議を醸した現アローラライチュウです。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ねこのて

 
本当はネコの日(2/22)に投稿したかった話ですが、普通に無理でした。
本編最新話のあとがきで予告していた番外編その1です。
おじさんとリラちゃんとあくタイプのお話。
時系列的には本編の一年半前くらいの設定です。



クチナシ:半年前に国際警察を辞め、現在は故郷のウラウラ島でしまキングと駐在警官を兼任している。勤務先の16番道路の交番は飼えなくなった人から引き取ったアローラニャースの溜まり場と化している。

リラ:半年前にクチナシからUB対策本部の部長を引き継いだ。多忙な日々を送るが、時折仕事の相談や近況報告の為にウラウラ島のクチナシの元を訪れる。エーテルパラダイスでポケモン達の保護を手伝っていた経験があるため、毛づくろいが上手い。

(マ)ニューラ:ネコ科(公式)



 

「さあ。無駄な抵抗はやめて、大人しくしな。」

 

 星も月も見えない曇天の夜半、男は珍しく警察官らしい言葉を口にした。しかし、その覇気のない気だるげな口調は普段と少しも変わりない。

 

『・・・!!』

 

 言葉を浴びせられた者は歯を剥き、低い唸り声を震わせて精一杯不服の意を示した。が、その身体はペルシアンの前肢にしっかりと押さえられ、首には鋭い犬歯がぴたりとあてがわれている。抵抗が無駄なのは、誰よりもその者自身が一番よく分かっていた。

 

 やがて男はポケットから何かを取り出すと、相棒が取り押さえる者の前にしゃがみ込んだ。それから、今まで全く表情のなかった白い顔をにやっと崩して言った。

 

「午前一時十五分。窃盗と傷害の容疑で逮捕だ。」

 

 そして右手のニ色の球を目の前の小さな額にこつんと当て、その身柄を確保した。

 

 

 ◇

 

 

(思ったより手こずらされたな。)

 

 アローラ地方第三の島、ウラウラ島。

 この島の駐在警官であるクチナシ・ガーディニアは、中身を得たばかりのダークボールを手に16番道路への帰り道を歩いていた。

 

 このウラウラ島には、ポータウンというアローラの日陰がある。そこは様々な事情からアローラの表社会にいられなくなった若者達の集団『スカル団』の溜まり場で、彼らはここから島めぐりの妨害やポケモンのカツアゲへと向かう。そのため、このポータウン前の駐在所に勤めるクチナシに寄せられる被害届は九割方がスカル団絡みなのだが、ここ最近は少し事情が違っていた。

 

「朝畑に行ったら、収穫予定だった木の実が半分以上盗られていてね。たまったもんじゃないよ。」

 

「最近しょっちゅうタマゴを喰われるから、トリ小屋に鍵をつけてイワンコに番をさせていたんだけど。明け方にはもう氷漬けになっていたよ。もちろんタマゴはきれいな抜けがらさ。」

 

「夜道を歩いていたら、急に何かが飛び出してきて。危ない!って頭を庇って、気がついたら、腕に着けていたブレスレットがなくなっていたんです。アーカラ島のジュエリーショップの一点物だったので、ショックでした。」

 

 きのみ、タマゴ、光るもの。

 被害者達が被害に遭ったと訴えるのは、いずれもこの三種のどれかだった。

 確かにスカル団の輩はその経済状況から日常的に腹をスカしている者が多いが、調理や加工が必要なものには殆ど興味を示さない。そんなことをする設備もなければ、やる気もないからだ。

 金目のものに関しては、団員同士のトラブルの元になるということで幹部のプルメリが取り扱いを厳しく禁じている。さらに、犯行が夜間に限られていること、現場が彼らの敬遠するカプの村付近に集中していること、一貫して単独犯と見られる手口からも、彼らの仕業とは考えにくかった。

 

「ふーん、なるほどね。ま、ちょっと調べてみるよ。」

 

 しかしクチナシには、既に犯人の目星がついていた。この島の出身であり、さらに守り神から『しまキング』という特命を任じられている彼は、島の事情については一通り知っている。いわば島全体が所轄のようなものだ。

 だから、彼の頭に『ラナキラマウンテンに棲む野生のポケモン』という犯人像が浮かび上がるのに、そう時間はかからなかった。時間がかかったのは、むしろそこからだ。

 

「ペルシアン、『ネコにこばん』。」

 

 おおよその見当をつけた彼は、夜中にラナキラマウンテンの麓を訪れ、夜な夜なぴかぴかの小判を撒いて誘いをかけた。しかし敵も用心深く、気配はすれども乗ってはこない。それでも忍耐強く小判を撒き続けた結果、7日目の今夜になってとうとう犯人は小判に手を出した。怪しいとは分かりつつ、毎日続く現象に、徐々に判断力と警戒心が鈍ってしまったのだろう。

 

 そうしてこのダークボールに収まったのが、彼の予想通りかぎづめポケモンのニューラだった。

 古くからこの霊山に生息するあく/ こおりタイプのポケモンで、ニャースやチョロネコと同じ祖先のポケモンが、雪山に生息できるよう進化した種だ。

 

(これがほんとの()()、ってか。)

 

 そんな事を思いながら、クチナシは首から下げた紫色のクリスタルに目をやった。それはボタン全開の制服(シャツ)や素足につっかけたサンダル以上に、彼の警察官としての異色さを輝かせる石である。

 

「ま。ほんとうに手こずらされるのはこれからだな。」

 

 そう一人ごちて、丑三つ時の曇り空ににやっと笑った。

 

 

 ◇  ◇

 

 

 一般的に、あくタイプのポケモンは捻くれた性質のものが多いと言われる。しかしクチナシにしてみれば、その考え方こそが捻くれていると思う。

 確かにあくタイプのポケモンは、他の属性に比べて穏和な種が少ない。が、その背景には、彼らが成長の過程で何らかの苦境を強いられる事が多いという事実がある。

 例えば、このニューラというポケモンにしてもそうだ。

 通常、ニューラは生後約一ヶ月、まだ甘えたい盛りの子どもの内に親離れをすることになる。それというのも、ちょうどその頃に母親ニューラの母性ホルモンの分泌がなくなり、子に興味を失くして育児を辞めてしまうからだ。

 そこで残された子ども達は同じ境遇の兄弟や仲間と協力して生きていくしかないのだが、過酷な生息地(ゆきやま)で心身ともに未熟な彼らには他者を思いやる余裕などない。

 結果、獲物をめぐる内輪もめにうんざりして一匹狼に転じる者も多く、そうして情や絆を学ぶ機会のないまま成長するために、どうしても狡猾や獰猛といった性質が備わってしまうのだ。

 

 

 

──と、そこまでは分かっているのだけど。

 

 

 

「ほらほら、やめやめ。下がれ下がれ。」

 

 犬歯を剝いて唸り合う二体の間に割って入ったクチナシは、そう言って一触即発の場をとりなした。朝から数えて、実に本日12回目のケンカの仲裁である。

 

「わかったわかった。あいつが小判にちょっかい出して『ちょうはつ』してきたんだな。それで頭にきたんだな。」

 

 ヒステリックな声で訴えるニャースを宥めながら、クチナシは彼の指す新入りを見やった。当のニューラは特に悪びれた様子もなく、澄ました顔で腕の毛を舐め繕っていた。

 

「ねー、おじさん。やっぱりそのコ、みんなと仲良くやっていくのはちょっと難しいんじゃない?来てからもう結構経つよ?」

 

 ちょうど交番に遊びに来ていたアセロラが、当の被害ニャースを膝に乗せて控えめに言った。その身体に小さな丸い()()がいくつか出来ていたからだ。

 

 しかしクチナシは、それでもニューラを咎めはしなかった。

 

「だからボールに入れといた方が良いってのか?みんなと仲良くやっていくのが難しいやつを社会(シャバ)から遠ざけたとこで何も解決しねえのは、おまえだって知ってるだろ。」

 

 そういう彼の脳裏には、裏の見捨てられた街にたむろする若者達の姿が浮かんでいた。同じなのだ。最初は斜な態度で何を言っても小憎らしい反抗を返してくる者は、次第にそのやり取りがないと寂しくなって、少しずつこちらへ近づいてくる。何かと問題を起こす者は、自分の存在を認めてほしくて、どうにか誰かと関わりたくて、そういう事をする。この点、スカル団とあくタイプのポケモンは非常によく似ている。

 しかしクチナシは、彼らとのそうした不器用で屈折したコミュニケーションが好きだった。そして、そんなある種の刑事とならず者のような関係が心地よくて、気付けばあくタイプのポケモンばかりが手元に揃ってしまった。その殆どが、今回のニューラのように元は周囲の人やポケモンを困らせては疎まれていた連中だ。

 

 だからこのニューラとも、そんな風にやっていけるかと思っていたのだけど。

 

(ただ嫌われてるって訳じゃないと思うんだがなあ。)

 

 年の割に白い頭を掻きながら、胸の内でぼやいた。もしそうであればニャースよりも自分にツメを向けてくるだろうし、そもそもケンカするより逃走を図るだろう。つまり、この現状が全く気に食わないという訳ではないはずだ。

 

 にも関わらず、捕獲から一ヶ月が過ぎても溶けない氷の壁に、さすがのクチナシも、こいつはちょっと弱ったな、と思い始めていた。

 

 

 ◇ ◇

 

 

 もっとも、相手との接し方に困っていたのは、この若い♀のニューラの方も同じだった。

 クチナシの考えていた通り、彼女はただ彼を嫌悪していた訳ではなかった。確かに捕獲された事は不本意ではあったが、それが自分をこの世界から排除するためではなく、むしろきちんと参加させようとしているのだということが、何となく分かったからだ。そしてそれは、これまで誰にも気に留められる事なく生きてきたこのニューラにとって、決して不愉快なものではなかった。

 問題は、そのやり方がどうにも彼女の感性にそぐわず、なおかつクチナシがそれに気づかないという点だ。

 

 例えば、この交番(かんきょう)

 これまで他者といえば獲物かそれを横取りする者か捕食者しか知らないこのニューラにとって、そのいずれにも当てはまらない先住者(ニャース)達は未知の存在であり、どう接して良いのかが全く分からない。さらに、そのニャースやらタバコやら魚風味のフーズの匂いやらが混在するこの空気も、ラナキラマウンテンの冷たく澄んだ空気の中で育った彼女にとっては快いものではなかった。

 

 例えば、ブラッシング。

 クチナシはそれをニャース達と同じようにニューラにも施すのだが、ニャースより毛の密度が高く皮膚も柔らかいニューラには、同じようにされては抜け毛が多く、痛くてかなわない。結局、毛並みはきれいになっても気持ちは良くならないので、今は専ら自分で舐めて繕っている。

 

 例えば、コミュニケーション。

 彼女がクチナシに関する諸事の中で何より苦手だったのが、その笑顔だった。

 いつも無表情な灰白色の顔に、どろんとした異様に赤い眼。それがふと目が合った瞬間に(おそらくは親しみの意味を込めて)にやっと笑いかけてくるのだが、ニューラにはそれがどうにも不気味で仕方ない。こうなるもう親近感どころか敵意しか抱けないので、最近は努めて目を合わせないようにしている。

 

 だから彼女は、毎日こうして募る苛立ちやらもどかしさを、ニャースへの『やつあたり』で発散しなければならなかった。

 

 

 ◇ ◇

 

 

 そうして一ヶ月が過ぎた、ある日の昼下がり。

 駐在所の外で壁にもたれてふて寝をしていたニューラは、中のニャース達が騒ぐ声で目を覚ました。

 

「よお。久しぶりじゃねえか。どうしたよ、急に。」

 

 間もなくクチナシの声がした。

 どうやら客が来ているらしい。

 

「ちょっと近くまで来たので。クチナシさん、お元気かと思って寄ってみたんです。」

 

 続けて、その客のものと思われる声が聞こえた。クチナシの低くこもった声とは対照的な、よく通って聞き取りやすい女性の声だ。

 その耳触りの良さにつられて、ニューラは入り口からそっと中の様子を窺った。

 

「相変わらず面倒見がいいんですね。前にお邪魔した時は、この半分くらいの数だったのに。」

 

「べつに面倒は見てねえよ。おれはただエサと寝床を置いてるだけだ。あとはニャース達の勝手だよ。」

 

 やがて主人と客人は奥のソファーで話し始めたが、その様子にニューラは驚いた。あの気位の高いニャースどもが揃って客の元に集まり、甘えた声を上げて媚びていたからだ。そしてその理由は、彼女の膝にいる幸運な一匹を見てすぐに分かった。

 

「でも、見たところみんな栄養状態も良いですし、毛づやや小判の照りも──あら?」

 

 その時、自分の視線を感じたのか、その女性客が不意にこちらを向いた。そして、自分と目が合うと右手のブラシと膝の上のニャースを置いて、なんとこちらへやってきた。

 

『に・・・。』

 

 ニューラは逃げ出そうと思ったが、できなかった。

 ポケモンの彼女には人間の身なりの概念はよく分からない。が、それでも頭から足元まで締まりのある目の前の人物からは、主人とは正反対の印象を受ける。そして何より、その薄紫の瞳の優しさに、何とも言えない懐かしさを感じたからだ。

 

 ニューラがその人物から目を離せない間、相手もまた興味深げに自分を見つめていた。

 が、やがてふふっと笑ってそっと頭を撫でると、クチナシ主人の方を振り向いて訊ねた。

 

「かわいい女の子のニューラですね。この子、どうしたんですか?」 

 

「・・ああ。ちょいと『わるいてぐせ』があってよ。夜な夜な山から降りてきては人様のもんに手を付けてたから、今更生してんだ。」

 

 間もなく彼女はまたねと言って立ち上がり、ソファーへ戻っていった。ニャース達が待ちかねたという風に、再び甘えた声を上げ始めた。

 

 ニューラはしばらくの間、今しがた受けた諸々の衝撃からその場に立ち尽くしていた。が、次に耳に入ってきた言葉にはっと我に返ると、両足の膝に力を込め、思い切り床を蹴った。

 

「はい、きれいになりましたよ。それじゃあ、次は──」

 

 その瞬間、ニャース達の甘えた声がいっせいに鋭く尖ったブーイングに変わった。しかしニューラは自身に向けられたそれを完全に無視し、空いていた客の膝の上にころんと寝そべった。

 

「もう、仕方ないですね。割り込みはダメでしょう?」

 

 そう言いつつも、膝の主は文字通り飛び入りしてきた新参者を退けはしなかった。

 逆に、初めてだから大目に見てあげてほしいとニャース達を宥め、手にしていたブラシをゆっくりとその背に入れ始めた。

 

『ふにゃ・・・』

 

 クチナシのそれとは全く違う感触に、ニューラの口から思わず緩んだ声が漏れた。

 力具合は柔らかい毛や皮膚を気遣うように優しく、ほつれや毛並みの乱れは痛みがないようひとつひとつ丁寧に直してくれる。そのあまりの気持ち良さに、ニューラはたちまち寝入ってしまった。その様子は、まるで──

 

「ふふ。この子、なんだかニャースみたいですね。」

 

 眠りながら器用にごろごろと喉を鳴らすニューラを、膝の主はそう言って笑った。

 

「そうなんだよ。もともと近い種ってのもあるだろうが、一緒に暮らしてるせいか近頃は鳴き声まで似てきてよ。まあ、その割にはケンカばっかりだけどな。」

 

 それから二人は一時間ほど話をし、やがて客の女性が帰る時が来た。

 

「すみません、長居をしてしまって。それじゃあ、そろそろ──」

 

 そう言って立ち上がった瞬間、彼女は右足に仄かな冷温を感じた。続いて、ニャース達からまた批難の声が上がった。

 

「ニューラ・・・。」

 

 足元を見ると、いつの間にかニューラが右足にしっかりと掴まっていた。そして、何かを訴えるようにじっと自分を見つめている。

 

 彼女はちらりと向かいのクチナシを見た。それから足に巻きつけられた細腕をそっと解き、膝を折ってそのポケモンと目を合わせた。

 

「気持ちは嬉しいけれど。でも、あなたのご主人様はクチナシさんでしょう?」

 

『にゃっにゃっ!』

 

 ニューラはぶんぶんっと力を込めて首を横に振った。

 もちろん目の前にいるクチナシは全てを見ている。

 数秒の気まずい間の後に、そのクチナシがぽつりと言った。

 

「おまえ、あくを連れるのは気が引けるか?」

 

 その一言で、彼女はクチナシの言わんとする事を悟った。

 正式な規則こそないものの、彼らの所属する警察という社会ではあくタイプのポケモンを所持することは暗黙の法度となっている。世間体を気にする上層部にはまず良い顔をされないし、時には出世に影響するという話まである。

 

「いえ、全く。あくタイプのポケモン自体には、何の罪もありませんから。」

 

 それは彼女の本心だった。しかし、その上でこの元上司への今なお強い尊敬の念から食い下がった。

 

「ですが、私はあくタイプのポケモンの事を殆ど知りません。そんな私よりもクチナシさんの方が、きっとこの子を分かってあげられるはずです。」

 

「おれはただ好きで連れてるってだけで、別にあくの専門家じゃねえよ。それに、分かるから幸せにしてやれるって訳でもねえ。何より、そいつ自身がおまえが良いって言ってんだ。おれじゃだめなんだよ。急で悪いが、頼むよ。」

 

 それは、彼女に対するニューラの反応を最初から見ていたクチナシの結論だった。

 彼女に見つめられていた時の目。

「かわいい」と言われて頭を撫でられた時の表情。

 膝の上で毛づくろいをされていた時の、赤ん坊のような安心しきった寝顔。

 そのどれもが、この一ヶ月間、自分は一度も見たことのない姿だった。

 

「そら、これがそいつのボールだ。おれはちょいと見回りに行ってくるから、あとはよろしくな。」

 

 そう言ってクチナシはダークボールを置くと、彼女達の横を過ぎて出ていってしまった。

 心なしか寂しそうなその背中が見えなくなったところで、ようやく彼女はニューラに向き直った。

 

「・・・私はリラ。クチナシさんの元部下です。これから、よろしくお願いしますね。」

 

 

 こうして、この若い♀のニューラは彼女のポケモンとなった。

 

 

 ◇

 

 

「さあ。今日からここがあなたのお家ですよ。」

 

 新しい主人にそう紹介された場所は、あのニャースの溜まり場の交番とは別世界だった。

 きちんと片付いた清潔な部屋はすっきりしていて、煙草やら魚臭いフーズやらの雑多な匂いはもちろんしない。ただ、ほのかに主人の髪と同じ香りが漂うばかりだ。

 

「そうですね・・・きっとまだ慣れない環境で不安でしょうから、みんなとの顔合わせは後日にしましょうか。」

 

 そう言って、リラはあえて他の手持ち達を出さなかった。昼間、ニャース達のひんしゅくを買っても自分の膝から退かなかった様子から、しばらくは自分と一対一の時間を作ってやり、その中に少しずつ他のポケモン達との交流を作ってやる方が良いと思ったのだ。

 

「ほら。こういうのは好きですか?」

 

『にゃあ!』

 

 ポケじゃらしに無邪気に食いつくその表情に、リラは微笑みつつも少し複雑な思いがした。

 かつてクチナシの部下として共に働いていた彼女は、彼のあくタイプのポケモンに対する理解(スタンス)を誰よりも知っている。警察があくタイプを使うのは体裁が悪いと上から何度苦言を呈されようと、悪趣味な刑事だと一般市民から陰口を叩かれようと、彼は全く気にせずあくタイプの相棒達を率いていた。

 そうして偏見のつきまとうあくタイプのポケモンと対等に付き合う彼を、警察官として、上司として、人間として心から尊敬していた。

 

『にゃっ♪にゃっ♪』

 

 とはいえ、やはり人とポケモンにも相性というものがある。そしてそれは悲しい事に、どうにかしようとすればするほどかえってややこしくなる事の方が多い。その事も、彼女はちゃんと知っていた。

 

「ふふっ。ここが気持ちいい?それとも、ここ?」

 

 ポケじゃらしを置いて手でじゃれ合い始めたところで、リラは考えるのをやめて素直にこのニューラとの縁を歓迎することにした。どのような経緯があれどポケモンに懐かれるのは嬉しいし、仲間が増えるというのは喜ぶべき事であるはずだ。

 

『にゃーぁ♪』

 

 頭、腹、顎の下、耳の後ろ。

 ポケモンが撫でられて喜ぶところは、種族が違ってもさほど変わらない。ニューラはご機嫌極まりないという様子で、またニャースのようにゴロゴロと喉を鳴らし始めた。あれだけ折り合いが悪かったというのに、生き物とは不思議なものだ。

 

 やがてリラの細い指がニューラの脇に触れ、はずみでニューラの腕が上に伸びた。

 その時だった。

 

「いっっ・・・!!」

 

 突然、主人が右の頬を抑えて体を折った。

 ニューラは反射的に彼女の膝から飛び退いた。

 

『にゃっっ!?』

 

 慌ててかけ寄った際に、ニューラは気付いた。

 ほんの僅かではあるが、右手の爪の先に、主人の白い頬に走る線と同じ赤色が付いていた。

 

「・・・大丈夫。ほんの少し当たっただけだから、心配しないで。でも凍傷になるといけないから、一応診てもらってきますね。」

 

『にゅ・・・。』

 

 そう言うと、主人は慌ただしく部屋を出ていってしまった。

 その後ろ姿に、ニューラはひとつの記憶を呼び覚まされ、その記憶からある疑念を抱いた。

 すなわち、あの日もこうした事があり、そのために母は自分の元を去ってしまったのではないか、と。

 

 

 ◇ ◇

 

 

 数日後。

 ニャース達の甘える声で、交番の奥にいたクチナシは来訪者の存在と、それが誰であるかを知った。

 

「こんにちは。すみません、いつも急に。」

 

「よお。なんだ、また近くまで来たついでか?」

 

 そう訊ねてから、クチナシはリラの傍に先日託したニューラの姿が見えない事に気付いた。てっきり、彼女の近況報告に来たのだと思ったからだ。

 

「おい、あいつはどうした。こないだはあんなにおまえにべったりだったのに。」

 

「それがあの日の夕方、一緒に遊んでいる最中にあの子の爪先が私の頬を掠めてしまって。幸い大した傷ではなかったのですが、それをずっと気にしていて、私に近づくのを怖がってしまうんです。それで、クチナシさんに相談しようと・・・。」

 

 ニューラの収まったダークボールを見せてそう話すリラに、クチナシもいつものどろんとした眼でそのボールを見つめた。

 

「ふーん・・・。」

 

 

 ◇ ◇

 

 

「ニューラ。おいで。」

 

 

 大好きな主人にそう呼ばれても、ニューラは昨日や一昨日と同じようにソファーの陰で躊躇っていた。

 本当は今すぐ主人に飛びつき、あの優しい手にたっぷりと撫でてもらいたいと思う。

 しかし、いざそうしようとすると、頬の傷を押さえる主人と記憶の中の母親の背が重なり、両足は『かなしばり』をかけられたように竦んでしまうのだった。

 

 ところがこの日は、その後に続いた意外な言葉につられ、少しだけそのかなしばりが緩んだ。

 

「今日はあなたにプレゼントがあるんです。さあ、こっちへ来て、手を出して。」

 

 こわごわ主人の前に進み出たニューラは、言われるがままに両手を差し出した。すると、その鋭い二本の手に、何やらふかふかした黒い物が被せられた。

 

『にゅ・・・?』

 

 すっぽり覆われた両手を訝しげに眺めるニューラに、リラはにこにことその正体を告げた。

 

「これは『ねこのて』といって。手先が鋭いポケモン達と安全に触れ合うためのミトンなんですよ。」

 

 それは、カントーのシルフカンパニーが消費者の要望に応えて開発したポケモン用の装具だった。一見はニャースの手を模した厚手の手袋だが、内側はモンメン100%のコットンが手先を包み込むように設計されており、安全性と通気性に優れている。また、追究された肉球の感触やサイズ・色のバリエーションの豊富さも相まって、同社の近年有数のヒット商品となっている。

 

 ニューラの両手に嵌められたそれは、その部位の本来の色である白とは真逆の黒だった。が、それは購入者の発注ミスでも勘違いでもなかった。

 

「ほら。私と、おそろい。」

 

 そう言ってリラは、黒い手袋に包まれた指で『ねこのて』の桜色の肉球をふにふにっとつまんだ。

 その瞬間、ニューラの胸がじぃん、という音を立てて弾けた。

 

『にゃー!!!』

 

 ニューラは思いのままに主人に飛びついた。

 しかし、そのするどいツメが彼女を傷つける心配はもうない。

 ただふかふかのコットンとぷにぷにの肉球が、その気持ちを柔らかく伝えるばかりだ。

 

「ふふ。これはね、クチナシさんがあなたのために探して買ってくださったものなんですよ。」

 

 ひんやりと温かい不思議な体温を抱きながら、リラは紅色の左耳にそっと語りかけた。

 

『にゅっ・・・!?』

 

 ニューラは驚いてまつ毛の長い目を瞬いた。

 まるで「あの不器用な男がこんな気の利いた事を?」という風に。

 

「『あくタイプは不器用なくせに繊細なやつが多いから、そういうことには十分気をつけてやらなきゃいけねえよ』って。怒られちゃいました。」

 

 そう言って、リラはいたずらっぽく笑った。

 

『にゅ・・・。』

 

 その言葉に、ニューラは改めて両手の贈り物を見つめた。

 また新たに知る感情の難しさに、頭が痛くなりそうだった。

 

 

 ◇ ◇

 

 

 それから、数日後。

 

「・・・おれのことは言わなくていいって言ったろ。」

 

「すみません。つい、口が滑ってしまって。」

 

 頭をかきながら文句を言うクチナシに、リラがにこやかに謝った。どうもあまり悪いとは思っていないらしい。

 

「でもこの子、本当にとっても喜んでいたんですよ。ね?」

 

 ニャース達の無数の好奇の視線が注がれる中、ニューラはリラの右足に隠れて萎縮していた。が、やがて意を決したように前へ進み出ると、クチナシに向かってちょこっと頭を下げた。そして、すぐにまた主人の足に隠れた。

 

「別に礼を言われるようなことじゃねえよ」

 

 変な方向を見ながら、いつもよりさらにぼそぼそとした調子でクチナシが言った。

 

「野生に戻ろうがよそに行こうが、おれのポケモンである事に変わりはねえんだ。だから何かあった時は、『ねこのて』くらい貸してやるよってだけの話だよ。役に立つかどうかは知らねえけどな。」

 

 その言葉を聞いたニューラは、もう一度だけリラの足元からクチナシを覗き見た。すると、不意にあのどろんとした赤い眼に見つかり、一瞬の間の後、恐ろしく不器用に笑いかけられた。

 しかし不思議な事に、その顔はもう不気味には見えなかった。 

 

 




 
・・・というのが、本作におけるリラちゃんと(マ)ニューラの出会いでした。
あくタイプを相棒にするおまわりさん、良いですよね。
例によって活動報告にあとがきと今後の更新について記しておりますので、良ければそちらもご覧頂ければ嬉しいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

セントデリバーズ・デイの贈り物


 リラさんポケマス実装1周年おめでとう!も兼ねたバレンタインネタ。
 ヒノキくんとリラさんがもらったチョコでフォンデュパーティーをするだけの平和なお話です。


 

 常夏の楽園、アローラ地方。

 一年を通じて季節的な変化の乏しいこの地では、自ら関心を持たなければ月日の感覚などたやすく失われてしまう。

 だからこの地方に滞在して数ヶ月が経ち、日々仕事に追われている彼女もまた、その日が間近に迫っていることをすっかり忘れていた。

 

 

──コンコン。

 

 

 アーカラ島、8番道路のモーテルの102号室。

 現在ここを拠点とする国際警察の特務機関・UB対策本部はこの日もまた、いつもと同じように朝のミーティングから一日が始まる予定だった。

 

「はい。開いてますよ。」

 

 入り口の扉をノックする音に、パソコンで事務作業をしていたリラが答えた。

 彼女はここしばらくはこの隣室に宿泊しているため、大抵は一番に出勤し、共に働く二人の部下を待つという流れになっている。そのため、今のノックもまた彼らのどちらかであろうと思ったのだ。

 

 

 ところが。

 

 

──コンコン。

 

 再びノック音が響いた。

 仕方なくリラは立ち上がり、扉へ向かった。

 自分の声が届かなかったのかと思ったのだ。

 

「あの、ですから鍵は──」

 

 開いていますよ、と言いつつ扉を開けてやったところで、彼女は言葉を失った。

 

 

 

 そこには、奇妙な生物が立っていた。

 

 

 

「きゃっ!!」

 

 

 

 無言のままドアを閉めようとしたリラに対し、その生き物はとっさに黄色い足を挟んでそれを防いだ。両手がどちらも巨大な袋で塞がっていたためだ。

 そこで彼女は本能的にポケットのスマートフォンを握った。

 そもそも自分も警察だが、この際そんな事は構ってられない。

 

「待たれぃボス!私です!!」

 

 その奇怪な生き物──すなわち異様に高身長で股下の長いデリバードが、聞き覚えのある声で通報を阻止してきた。

 そこでようやくリラもその正体に気づき、彼の足を挟んだまま懸命にドアを閉めようとしていた手を緩めた。

 

「なんだ、ハンサムさんでしたか。てっきり危ない人かと・・・。」

 

「ひどい言いようですな。それが上司のために朝から一肌脱いだ部下へかける言葉ですか。」

 

 そう言って変質デリバードもといハンサムは、リラの開けた扉から中へ入り、両肩に担いでいた巨大な袋をテーブルに置いた。そして椅子に座って足を組み、頭のマスクを外してふう、と満足げに息をついた。

 

「そちらがエーテルパラダイスの分で、こちらが本部の分です。どちらも昨年より増えています。おそらくこの春の昇任の影響でしょうな。まあこれは期日前分ですから、当日はさらにこの倍は届くでしょう。やはりこうしたものは当日に渡したいと思うのが人の性ですからな。」

 

 そう言われても、リラは全く心当たりが浮かばなかった。どうやらすべて自分宛の贈り物らしいが、こんなにたくさんの物をもらうような覚えはない。誕生日はまだまだ先だし、部長就任の祝いにしては日が経ち過ぎている。

 

「・・・何です、これ?」

 

 そんな彼女のリアクションに、ハンサムは大げさなため息をついた。

 

「ボス。いくらここが常夏の楽園で多忙の身といえど、妙齢の女性がこの日をそうきれいさっぱり忘れるのはいかがなものかと思いますぞ。もうじき2/14、女性が意中の人に想いを託したチョコレートを贈る、(セント)デリバーズデイではありませんか。」

 

 セント・デリバーズデイ。

 その昔、カロスの南方にあったとある地方では兵役があり、彼らの士気が下がるという理由で恋人や愛する家族への贈り物を禁じる法律があった。

 ところが、それを守らず内緒でそうした贈り物を引き受ける郵便配達員とデリバードがおり、彼らは日々郵便配達の陰で人々に愛を届け続けた。しかしついにその行いが為政者の知れることとなり、彼らは罪人として処刑されてしまった。

 その処刑日が2/14であった事から、この日は「愛を伝える日」とされ、想いを寄せる相手へ花を贈る日となったのだが、それがいつしか女性が好きな男性へチョコレートをプレゼントするという形で定着し、さらにそこから友人へ配る友チョコ、ひいきのトレーナーに贈る推しチョコ、いつも頑張ってくれているポケモン達へのポケチョコなどの文化が派生していった。多様性の現代では愛の形態も様々という訳だ。

 なお、贈り物がチョコレートになった経緯については、どこかの地方のチョコレートブランドが一枚噛んでいるという噂があるが、その辺りの事情については諸説あり定かではない。

 

 

──とまあ、要はそういう日である。

 

 

「ああ。そういえば、一年の中にはそういう日もありましたね。」

 

 ハンサムの熱弁を聞いても相変わらずな彼女の反応に、ハンサムが再びため息をついた、その時だった。

 

「ういーす、アローラ。おっ!今日の任務は菓子パか、粋だな。どしたんだ、これ?」

 

 開き放しになっていたドアから、能天気な若い男が入ってきた。このチームのもう一人のメンバーであるヒノキだ。

 

「今朝までにボスに届いたデリバーズデイの贈り物達だ。こっちがエーテルパラダイスの分、こっちが国際警察内部からの分。それぞれにボスのファンクラブがあるのだが、その代表達がまとめて送ってくれたのだ。」

 

「へー、やるじゃん。なあ、これオレも食っていい?」

 

 そんな話を聞いても、ヒノキは特に驚かない。

 優秀なトレーナーには自然と彼らを推す者が現れるものだし、彼女に関してはその容姿や性格や肩書がその熱を煽るであろうことくらい、様々なトレーナーを見てきた彼には容易に想像がつく。要するに、モテるやつは老若男女関係なくモテるのだ。

 

「ええ、どうぞ。お好きなものをお好きなだけ。」

 

 既に包みの山に手を伸ばしていた彼に、リラは再びパソコンを開きながら答えた。彼らがチョコレートを食べている間に、事務作業の続きを進めようと思ったのだ。

 

「なんだよ、おまえは食わないのかよ。これ全部おまえ宛の愛だぞ?」

 

「だからこそですよ。だって誰かのを食べたらみんな食べなきゃ不公平でしょう?かといって、全部はとても食べ切れませんし。だから毎年、こうしてハンサムさんとカビゴンに助けてもらってるんです。」

 

 リラは少しだけ語調を尖らせて弁明した。

 それは内心彼女自身気にしていたことだった。

 もちろん気持ちは嬉しいしきちんと応えたいと思うのだが、何しろ数が多すぎる。せいぜいお礼のカードを書くのが精一杯だ。

 

「はー、マジメなやつ。かわいそうに、くれた子達が知ったら絶対泣くな。ケーサツのくせに罪な女め。」

 

 そんな軽口を叩かれて少しムッとしたところで、リラはふと、あることに気付いた。

 

「そういうあなたはどうしているんです。あなたこそたくさんもらうんでしょう?」

 

 そう、かつてカントーリーグを制し、現在もレジェンドとして各地を飛び回っている彼が、このイベントと無縁なはずがない。

 

「ん?あー。ま、レジェンド補正でぼちぼちな。でもオレは毎年全部鍋に溶かしてフォンデュにしてるから、ちゃんとみんな平等に愛してるよ。あ、もちろんやべーやつは先に弾くけどな。」

 

「ほう。そんなものもあるのかね?」

 

 ヒノキの隣でハンサムが生チョコを頬張りながら訊ねた。包装の上からどうやって判断しているのか、ちゃんと日持ちしないものから先に手をつけている。

 

「あるある、キノコのほうしがけトリュフとか、笑えねーやつがたまーにな。あれ、見た目は完璧粉砂糖だからほんと分かんねーんだよ。なんか、それでオレが体調崩してニュースになったらちゃんと食ってもらえたって分かるから?とか意味のわからんこと言ってたけど。」

 

「・・・なるほど。そういう手がありましたか。」

 

 ぽつりとつぶやいたリラに、ヒノキとハンサムは食べる手を止め、ぎょっとして彼女を見た。

 

「あ、いえ、そっちではなくて。その、チョコレートフォンデュというのがいい考えだなと・・・。」

 

「お、おお、そりゃ良かった。そーだ、何ならおまえも便乗するか?ちょうど14日の日曜に牧場でやる予定だったし、この山全部持ってこいよ。じーちゃんが新鮮なミルクと生クリームくれるって言ってるから、絶対うまいぞ。」

 

 そのような訳で、週末のデリバーズデイ当日は彼女もヒノキ主催のチョコレートフォンデュパーティーに参加することになった。

 

 

 ◇ ◇

 

 

 2/14日、セント・デリバーズデイ当日。

 アーカラ島のオハナ牧場のふれあい広場には、ゆうに大人10人は座れそうな大鍋と脚立、それに銀色に輝く背の高い機械が並んでいた。

 

「すっごーい!私、本物のチョコレートファウンテンって初めて見たけど、こんなにおっきいんだね!」

 

 そう言って目を輝かせているのは、アーカラ島のくさタイプ使いのキャプテン、マオである。アイナ食堂の看板娘でもある彼女は、料理に関する事には何でも興味津々だ。

 

「オレに言わせりゃ素でそう思うおまえの方がすごいけどな。こいつは職人達に頼んで作ってもらった特注品だよ。フツーの業務用サイズじゃ量捌けねーから。」

 

「すごいでしょ!これ、ボクとマーさんで作ったんだよ!」

 

 そう言って、ヒノキの隣にいる丸っこい身体つきをした色白の少年が得意げに鼻の下をこすった。でんきタイプ使いのウラウラ島のキャプテンで、普段はホクラニ岳の天文台にいる、マーマネ・アカマイだ。また、彼のいう『マーさん』とは彼の歳上の従兄弟のマーレイン・アカマイの事で、彼の方ははがねタイプの専門家である。

 ともに優秀なエンジニアである二人の手にかかれば、金属製の電化製品の製造など造作もないという訳だ。

 

「あれ、マーマネだけ?マーレインさんは来ないの?」

 

 その従兄弟の姿が見当たらないため、スイレンが訊ねた。彼女とカキとマオとマーマネはスクールの同期である為、住む島こそ違うが仲が良い。

 

「うん、マーさんは甘い物苦手だから。『ぜひマーくんが僕の分まで食べてきてよ』だってさ。」

 

 嬉しそうなマーマネに、二人の体型の違いを知る全員が胸の中で「あー、なるほど」と呟いた。

 ちなみにアーカラ島のクイーンとキャプテンということでカキとライチにも声をかけたが、共に太るからという理由で断られた。二人とも涼しい顔をしているが、やはり体型にはそれなりに気を使っているらしい。

 

 そこに地面に影が映り、巨大な袋を抱えたボーマンダが空から降りてきた。

 

「こんにちは、遅くなってごめんなさい。・・・これ、全部あなたに届いた分ですか?」

 

 ファウンテンと鍋の横にそびえる極彩色の山に、ボーマンダの背から降りてきたリラはあ然とした。

 山と言っても、これはいわゆる比喩ではない。

 本物の、登れるレベルのやつだ。

 

「そーだよ。つっても今朝までにセキエイのリーグ本部に届いてた分だけだから、全部じゃないけどな。さすがのカイリュー特急便でも、中身が原形を留めるように運ぶなら4時間はかかるっていわれてさ。」

 

 そう答えたヒノキはいつものデニムキャップの下にヘアキャップを被り、マスクをつけ、まるで製菓工場の作業員のような格好をしている。いつになく気合が入っているのは一目瞭然だ。

 

「よーし、全員揃ったな。それじゃ分担を発表するぞ。まずナギサはムーランドと一緒に絶対アカンやつを弾いてくれ。続いてマオは検品済みの分を開けて種類別に仕分ける係、スイレンはそれに加えてマオが鍋に近づかないよう見張る係だ。リラはフーディンと仕分けられたチョコをどんどん鍋に入れてくれ。マーマネはトゲデマルとファウンテンの試運転、鍋の管理はオレが責任をもってやる。何かあれば些細なことでもオレに報告・連絡・相談すること。こんくらい許されるだろ、とか甘ったれた自己判断をしたやつは鍋にぶちこんでフォンデュにするからな。以上!」

 

 そうして、それぞれが持ち場について自分の担当業務を開始した。

 

「ヒノキさん、これは今開けたら湿気ちゃうから、まだこのまま置いときますね。」

 

 スイレンが手にした袋を掲げて、見回りにきたヒノキに声をかけた。鍋の中身が準備できるまでは手が空いているため、各工程を巡回しチェックしているのだ。

 

「お、フエンせんべいか。どれどれ、『孫と同じ世代の方とは知りつつも、年甲斐もなく熱を上げております』。あー分かってんな、このばーちゃん。こーゆーしょっぱい系は口直しにそのまま食ってもいいし、チョコをディップしても美味いから重宝するんだよな。」

 

 そこに、今度はマオが手を挙げた。

 

「はーい、先生!これ、すっごい高そうなんだけど、一緒にしちゃってもいいの?しかもカードにカルネ・ロクサーヌって書いてあるし。これってカロスのチャンピオンのカルネさんでしょ?」

 

 そう言った彼女の手にしている箱は、確かに他のものとは一線を画すオーラを醸していた。シックで品のあるパッケージの真ん中で、カロスの高級チョコレートブランド『LEDIVA』のロゴが厳かに光を放っている。

 

「おお、いいぞ。カルネさんはデキる女だからな。去年、貰ったやつは毎年フォンデュにしてるんすよって言ったら、『それじゃあ来年からはいいとこのクーベルチュール*1にしとくわね』って言ってたからな。あ、カードは取っとけよ、写真撮ってポケスタで自慢するから。」

 

 今度は牧場のムーランド達と「かぎわける」で仕分けをしていたナギサが、やはり高そうな箱を持ってきた。

 

「ねーヒノキ。これ、ムーランドが『ダメ!』って言ってるんだけど、カードにシロナ・チャードより愛を込めてって書いてあるんだ。これってシンオウチャンピオンのシロナさんでしょ?ニセモノかなぁ?」

 

 ヒノキは一見は高級チョコレートにしか見えないそれを手に取り、眺め、振り、鼻に近付けて顔をしかめた。

 

「・・・いや、多分本物だ。ヤツはバトルと研究しかデキない女だからな。実際なんかヘンな匂いするし。フーディン悪い、これ燃やしても有害物質が発生しないかどうか調べてくれ。」

 

「えー、さすがにそこまでは・・・」

 

「する必要があるんだよ。言っとくけどこいつだからな、去年キノコのほうしトリュフを送ってきたの。あ、そーだ、誰かイッシュのアイリスのやつも見つけたら除けといてくれ。あいつは毎年ドラゴンチョコエッグだからな。混ざって詰まったら機械の故障の原因になる。」

 

 やがて、リザードンが温めていた大鍋にチョコレートが溜まった。

そこに少しずつモーモーミルクと生クリームを加え、とろとろのソース状になるまでのばしていく。

 

「ねーヒノキ。もうそろそろいいんじゃない?」

 

 辺り一帯に漂い始めた幸せな甘いかおりに、ナギサがしきりにヒノキの脇腹をせっつきだした。

 

「まあ待て、そう焦るな。今チョコの声を聞いてるから静かにしろ。」

 

 フォンデュのチョコレートはとても繊細だ。緩すぎると具材に絡まないし、固すぎるとファウンテンが詰まってしまう。おいしいフォンデュには、適度な水分と温度の管理が欠かせない。

 

「・・・うん、うん、よーし。おけ!それじゃあリー、これをファウンテンに注いでくれ。はねないよう、ゆっくりな。」

 

 リザードンがチョコレートの大鍋を担いで鋼の山の麓に注いだ。こういう時、火傷の心配がないのでほのおタイプは頼もしい。

 

「オッケー!それじゃあトゲデマル、よろしくね!」

 

『てきゅ!』

 

 マーマネの合図で両頬の電気袋に電極をつけたトゲデマルが放電を始めた。すると銀色のオブジェのような機械がゆっくりと回転し始め、やがて噴水のようにチョコレートを吹き上げ始めた。

 

「わー!!チョコのしおふきだあ!」

 

 おとぎ話のような光景に、ナギサとキャプテン達が歓声を上げる。その声と匂いにつられて、牧場の従業員達も集まってきた。

 

「なんだか私達だけで食べるのは申し訳ないですね。これだけあればもっと大勢でも楽しめそう。」 

 

「心配すんな、その辺もちゃんと手は打ってあるから。・・・おっ!噂をすれば。」

 

 そこに、紫色の熱気球もといききゅうポケモンのフワライドが東の空から近づいてきた。

 ゴンドラから手を振っているのはウラウラ島のキャプテンのアセロラと子ども達で、みんな手にはカラフルなきのみがいっぱいに詰まった袋を携えている。

 

「おまたせー!えへへ、メガやすのきのみの詰め放題、お一人様一袋までだったからエーテルハウスのみんなで行ってきちゃった♪」

 

 そうしてあっという間にパーティー会場となった広場に向かって、ヒノキがメガホンで呼びかけた。

 

「いいか、いっぱいあるからちゃんとポケモン達にも食わせてやれよ!それからファウンテンに落とした具は近くのエスパータイプに頼んで念力でサルベージしてもらうこと。絶対手とか頭とか突っ込むなよ!あと二度漬けした奴は問答無用でレッドカードだからな!」

 

 やがて、ファウンテンの周りからいくつものはしゃいだ声が聞こえてきた。 

 

「わっ、すごい!チーゴの苦みがチョコの甘さでちょうどおいしくなってる!」

 

「あっ、しまった、落としちゃった!ごめんねフーディン、拾ってもらえるかな?」

 

「〜〜♪」

 

「待ってマオ!今持ってるそれ、何!?」

 

 それぞれがそれぞれに楽しむ中、リラも手持ち達を放ち、それぞれの好きそうな具材を選んで取り分けてやった。

 

「はい、マニューラ。少し熱いから気をつけて。ボーマンダはフィラのみでいい?」

 

 ふうふうと念入りに息を吹きかけてウブのみを凍らせるマニューラを横目に、ボーマンダがこわごわと頷いた。

 ちなみにカビゴンは興奮するといけないので、個別に最後に時間を取る予定だ。

 

 

 そうして一通りポケモン達とフォンデュを楽しんだところで、リラはふとヒノキの姿が見えないことに気付き、辺りを見回した。するとファウンテンから少し離れた広場の片隅で、ひとりせっせと大鍋をかき混ぜる彼の姿を見つけた。

 

「おお、ライ、サンキュ。もうちょっとしたらトゲデマルと交代してやってくれな。」

 

 そうして追加のチョコレートの準備をする彼の周りを、アローラライチュウの『ライ』が飛び回り、タオルで汗を拭いたり水を飲ませたりと、甲斐甲斐しく世話を焼いている。

 

「大変そうですね。手伝いましょうか。」

 

 リラは顔を上げ、脚立の上にいる彼に聞こえるよう声を張った。

 

「いーよ、こいつは簡単そうに見えてなかなか重労働だからな。重いし熱いし、化粧なんか一瞬で溶けるぞ。おまえはあっちで適当に食いながらガキどもの面倒を見る係でもしといてくれ。」

 

 いかにも彼らしい答えに、リラは笑った。

 照れ隠しの枝葉を生い茂らせた優しい木のようだと、いつも思う。

 

「チョコレートフォンデュって、ただチョコレートをつけて食べるだけだと思っていたけど。大勢でやると、こんなに楽しくて美味しいんですね。」

 

「そーだよ。なんだよおまえ、やった事なかったのか?」

 

「はい。そういうものがあるのは知っていましたが、実際に食べるのはこれが初めてです。」

 

 ふうん、そりゃ良かったなと素知らぬ顔で言いながら、ヒノキは胸の中でひゅうっと口笛を吹いた。

 相変わらず世事に疎いやつだなと呆れつつも、彼女に明るい顔で初めてと言われるのは全く悪い気はしない。

 

「そういやおまえは?誰かにやったりしないのか?」

 

 再び手を動かしながら、さりげなく訊ねた。本当は大して興味がないけれど、社交辞令として一応聞いている、という風に。

 

「ええ。前に一度同じ部署の人達に日頃のお礼として渡した事があるのですが、色々とややこしい事になってしまったので。今回下さった方達には、お礼のカードを送ろうとは思いますが。」

 

「まったく。そーゆー事をするから、カビゴンの飯みたいな量が届くんだよ。」

 

 そんなリラの答えに、ヒノキはほっとしつつも複雑な心地がした。

 こうして共に任務にあたっている今は何となくひとりで居てほしいけれど、いずれは女性として人なみに幸せになってほしいと思う。だけどそれは、彼女がいつか誰かのところへ行ってしまうということだ。

 

 そう思うと、今こうして隣にいる彼女が少し遠くなる。

 

「・・・あの、何か?」

 

 自分への視線に気づいたリラが、不思議そうにこちらをみた。もちろん、その意味までは気付いていない。

 

「べつに。ただ、顔にめっちゃチョコついてんなーって思っただけ。」

 

「えっ、うそ!?ど、どこに?」

 

 顔を赤くし、慌てて口元を覆うリラ。

 が、そこへちょうどヒノキの分を差し入れにきたナギサが笑って言った。

 

「ウソだよリラちゃん。そんなのついてないよ。」

 

 口周りにべたべたの茶色いひげをはやした彼に教えられ、リラはようやくヒノキに騙された事に気付いた。

 

「・・・・!」

 

「うおっ!!おまっ、脚立の上の人間しばくなって!」

 

 そうして贈り物の山がすっかり更地になるまで、広場から笑い声が絶えることはなかった。

 

 

 

 ◇

 

 

「ふう。鍋も洗ったし、ゴミも捨てたし、返すもんは返したし。こんなもんだろ。悪いな、片付け手伝わせちまって。」

 

 ヒノキがリラにそう声をかけたのは、既に辺りが薄暗くなり始めた頃だった。

 子ども達はもちろん、キャプテン達も力のあるトレーナーといえどみんな未成年なので、先に帰している。

 

「いえ、たくさん楽しませてもらいましたし、私が持参した分もありましたから。こちらこそありがとうございました。」

 

「ま、たまにはこーやってガス抜きもしないとな。んじゃ、また明日な。」

 

 自分達も解散というつもりで、ヒノキはリラにそう告げた。ところが。

 

「あ・・・」

 

 彼女が何か言いかけた事に気づき、ヒノキは改めて彼女を見た。

 

「どした?まだなんかあるか?」

 

「あ、いえ、べつに何も!・・・それじゃあ、また明日。」

 

 そう言うと彼女はそそくさとボーマンダを繰り出した。そうして夕暮れの空にその赤い翼が見えなくなったところで、ヒノキも見送りを切り上げた。

 

「さあて。じゃ、オレ達もそろそろ部屋に戻るか。・・・ん?」

 

 今しがたきちんと片付けたはずのログテーブルの真ん中。

 そこに、きれいな赤い箱がひとつ乗っている。

 

(変だな、さっき確認したのに。)

 

 食べられない為に除けていた分(結局例の一箱だけだった)は既に処理している。ちなみにフーディンの分析によると、臭いの原因は漢方薬の『ばんのうごな』らしく、悪いものではないということで、味に寛容なリラのカビゴンに食べてもらった。

 

 包装を解くと、中には宝石のような赤いハート型のチョコレートが6つ、品よく収まっていた。イッシュの老舗チョコレートブランドの看板商品、ハートスイーツだ。一応ムーランドに嗅いでもらったが、特に異常はないという。

 

 贈り主の名前もなければ、メッセージカードもついていない。

 でも、さっきまでは確かになかった。

 となると──

 

「・・・。」

 

 ふと浮かんだ心当たりに、思わず頭を掻く。

 ややこしくなるから誰にも渡す予定はないと言っていたくせに。

 あれ?でも、てことは──

 

「ヒノキー、ばーちゃんがもうごはんできるって!あれ、チョコまだあったの?おれにもいっこちょうだい!」

 

 そこに夕食を知らせにきたナギサがヒノキの手の箱を目ざとく見つけ、分け前をねだってきた。

 

「だーめ。これは酒が入ってるからお子様は食えねーの。」

 

「うっそだぁ、だってそれハートスイーツでしょ?おれ、食べた事あるもん!いーじゃん、どーせギリチョコなんだから。」

 

「全く、これだからガキってのは。いいか、義理チョコってのは、あげる側だけじゃなくもらう側にもその気遣いを無下にしちゃいけないって義理があるんだよ。つー訳で、こいつはオレがオレの義理を貫く為に全部食う。」

 

 

 どうせ義理か。

 まあ、実際そうだろう。

 とはいえ、面と向かってはっきりそう言われた訳ではない。

 だからいつか彼女に本当にそういう相手が現れるまでは、少しだけ勘違いを楽しませてもらうとしよう。

 

 

 

 ◇

 

 

 一方その頃、モーテルに戻ったリラはフーディンに手伝ってもらいながら返礼のカードを書いていた。

 しかし、そのフーディンはさっきから何かもの言いたげに、ちらちらと主人の顔を伺っている。

 

「・・・フーディン?どうしたんです、さっきから。」

 

 ついに主人から声をかけられ、フーディンは少し迷った。が、そのまま率直な思念を送った。

 すなわち、本当にあれで良かったのか、と。

 

「え?どうして?」

 

 せっかくだからと、昨日任務の後に用意したチョコレート。

 当初、主人はそれを今日の別れ際に「いつもありがとう」の言葉を添えて前の主人ヒノキに渡すつもりでいた。ところが、いざという時になって彼女はその予定を変更し、何も言わずにこっそり置いてきてしまった。そしてなおかつそれは、直接渡すのが気恥ずかしくなったわけでもない──という一部始終を、彼は知っていたからだ。

 

 が、主人は存外あっさりと答えた。

 

「ええ。きっと状況から私からだとは分かってくれるでしょうし、それで十分ですよ。」

 

 フーディンはますます分からなくなった。

 それならなおさら、当初の予定通り直接渡してやれば良かったではないか。

 その方が彼もきっと喜んだはずだ、と。

 

「ええ。でも、それだと私がいやだなって思って。」

 

「?」

 

「だって、『いつもありがとう』だったら。そういうものとしか思われないでしょう?」

 

 決して本命なんてものじゃない。けど、まったくの義理という訳でもない。たまにはそういう、あそびのあるチョコがあってもいいではないか。

 

 そう言ってふふっと笑う主人に、女性の心(これ)ばかりは分からないと、フーディンは胸の中で匙を投げるのだった。

 

 

*1
製菓用チョコレート




 
リラさんはどう考えてもあげるよりもらう側なので、そういう話を書いてみました。
ちなみに某シンオウチャンピオンさんがチョコにばんのうごなをトッピングしたのは「万能というからにはおいしいものはよりおいしくなるに決まってるから」との事ですです。

リラ:国際警察とエーテルパラダイスにファンクラブがある。ファンの男女比は4:6。好きなチョコレートはハイカカオの甘さ控えめのもの。


ヒノキ:チョコフォンデュ奉行。好きなチョコレートはかせき発掘チョコで、開ける一時間前に冷蔵庫から出してルーペ・木槌・ピックを欠かさないガチ勢。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。