蛮勇カイン・ザ・バーバリアンヒーロー (キンメリア人)
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野生児カイン1

 

『クロムよ、俺はまだ祈った事がない。祈りの言葉さえ知らん。

 

今までの戦いは何の為の戦いだったのか、それは誰もわかる者はいないだろう。

 

そんなことはどうでもいい。いま俺たちは二人だけで邪教の者達に立ち向かう。命を捨てて戦う!

 

この俺の勇気を褒めてくれるならば力を貸してくれ!復讐を遂げさせてくれっ!

 

もし守ってくれないのであれば、二度と拝まんぞ!』

 

 

 

 

            映画『コナン・ザ・グレート』

 

 

 

 

 

唸り上げたカインの長剣が、迫り来る獰猛な敵の顔面を真っ二つに叩き割った。その衝撃に血潮が飛び散る。

 

鋭い牙を剥き出し、三方から襲いかかる三体のワーウルフを電光石火の早業で斬り伏せると、カインはその場を見渡した。

 

辺りにはもう敵の影は見えない。残っているのはカインの手に掛かって倒された魔物の死骸だけだった。

 

「おい、マリアン、ワーウルフはもういないぞ」

 

 

 

 

刀身に着いた血糊と脂を鹿のなめし革で拭い取りながら、木陰で震えている魔術師の少女にカインは声をかけた。

 

マリアンと呼ばれた少女が、その呼びかけにいそいそと立ち上がり、怯えるような表情で周りをうかがう。

 

そんなマリアンにカインは嘲るような視線を投げつけた。

 

 

 

 

カインの侮蔑を含んだ視線を感じ取り、マリアンがキッと睨み返す。

 

だが、カインはそんな少女を鼻先で笑ってあしらうだけだった。

 

 

 

 

「普段は名門貴族の娘であることを鼻にかけ、俺を野蛮な未開人だ、バーバリアンだと陰口を叩いているあんたが、

 

たかがワーウルフの群れに襲われただけで幼子のように震え上がるとはな。これは愉快だ。

 

ムスペルヘイムの女であれば、ワーウルフの一体、二体は難なく片付けられるし、十の子供でも野生の牙猪の首を掻っ切るぞ」

 

 

 

 

光輝を取り戻した長剣を鞘に納め、カインがマリアンに顎をしゃくる。

 

「あの獣道を出れば、村は目と鼻の先だ。いくぞ」

 

マリアンは屈辱に身を震わせながらも黙ってカインの後をついていった。

 

ここでカインの機嫌を損ない、置き去りにでもされたらたまらないと考えたからだ。

 

 

 

 

 

 

カインは西方に位置する荒野の地で育った。

 

文明人は荒涼とした光景が延々と広がるこの西の地を危険な魔物と蛮族が跋扈する呪われた土地と見なし、

 

いつしか<ムスペルヘイム>と呼ぶようになった。

 

実際の所、確かに文明人達の言うように<ムスペルヘイム>は数多くの魔物とバーバリアンが住まう土地だった。

 

 

 

 

そこでは女も子供関係なく武器を取り、他の敵対する魔物や部族と熾烈な争いを繰り広げていた。

 

生存の為の闘争だ。それは弱肉強食を絵に描いたような世界だった。

 

そんな荒野に置き去りにされていた赤ん坊のカインも本来であれば、魔物の餌食になっていたはずだった。

 

 

 

 

だが、そうはならなかった。赤ん坊はムスペルヘイムで余生を過ごしていた隠者ヨナスに拾い上げられたからだ。

 

カインは戦闘技術や生きる為の知識をヨナスから学び取り、たくましく成長していった。

 

十四の齢に達した頃になると、勇猛果敢な戦士としてカインの名は荒野に住まうバーバリアン達の氏族、部族の間にあまねく広がっていった。

 

 

 

 

それはカインが戦斧を振り上げて荒野を駆け巡り、荒山に巣食う凶暴なワイバーンの首を跳ねるほどの強力な戦士に育っていたからだ。

 

部族の戦士たちはそんな彼を『蛮勇のカイン』と称し、惜しみない賛辞を贈った。

 

かつて荒野に捨てられていたあのか弱き赤子は、魔物との激しい戦いの中で不屈の精神と鋼の肉体を誇るバーバリアンへと変貌を遂げたのだ。

 

 

 

 

そんな彼に一つの転機が訪れた。

 

ワラギア国の王弟チャド・ヤーノが、ムスペルヘイムの辺境地帯に十万人の兵士を引き連れて攻め入ったのだ。

 

文明人からは呪われた地と呼ばれるムスペルヘイムだったが、実は希少な鉱物や動植物が大量に採れる土地でもあった。

 

 

 

 

他にも滅び去った文明の遺跡がいくつも点在し、その下には多くの財宝や今では失われた貴重な技術が眠っているという。

 

王弟チャド・ヤーノはムスペルヘイムに隣接する辺境地帯を橋頭堡(きょうとうほ)にし、

 

この西の荒野とそこに住むバーバリアン達を支配せんと企てていたのだ。

 

 

 

 

そしてチャド・ヤーノの軍勢はどんな魔術を使ったのか、一週間足らずの内にこの辺境地帯にケスラン砦といくつかの小さな砦を築いたのだった。

 

その頃、カインはヨナスからビジョンクエストの試練を与えられていた。

 

 

 

 

彼が十六歳を迎えた時期のことだ。カインは辺境地帯の一角にある山の洞窟の中で十四日間、飲まず食わずで過ごした。

 

そして十四日目を迎えた朝にカインはヨナスから貰っていた液体を飲み干したのだ。

 

この液体の正体は霊薬のソーマ酒だ。ソーマ酒は精霊とのコンタクトや、海や大地からのメッセージを受け取る際に服用される。

 

 

 

 

ソーマ酒を呷ったカインは、現実と幽界との狭間の中で自らの前世を垣間見た。

 

それは『ニホン』と呼ばれる国でカインはそこで『ガクセイ』として暮らしていた。

 

前世ではカインは、どこにでもいるような平凡な若者で人よりも劣った所はなかったが、取り立てて何かに秀でてもいなかった。

 

 

 

 

カインは前世の記憶から目覚めると、自身が更なる力を身につけた事に気がついた。

 

それは精霊による加護の力だ。

 

山を下ったカインはチャド・ヤーノの侵攻の話を聞きつけると、他の部族と混じってケスラン砦をはじめとするいくつかの他の砦を襲撃した。

 

これにはチャド・ヤーノの軍勢も手をこまねいた。なんせ、バーバリアンは神出鬼没だからだ。

 

 

 

 

河の中や密林、あるいは絶壁から突然現れては襲撃し、相手に反撃される寸前にその姿を消してしまう。

 

土地勘の無いワラギア軍の兵士や指揮官はそんな状況に対処できず、

 

進駐していた軍隊は幾度となくこのバーバリアン達によって手酷い損害を被った。

 

 

 

 

そして襲撃者の中で、カインはとりわけて、多くの敵兵の首級を挙げた。

 

他の氏族の戦士達はそんなカインを取り囲み、その強さと勇猛さを賛美した。

 

バーバリアンの女達は篝火(かがりび)の前で踊り、サーベルタイガーの皮で作られた太鼓を叩いて傷ついた戦士達をねぎらい、

 

そして男達は次の戦いに備え、手斧や槍を磨いた。

 

 

 

 

季節が過ぎて冬に入るとチャド・ヤーノの軍隊はいよいよ身動きが取れないようになった。

 

寒波が吹き荒れ、こぼれた水滴が凍りつくほどの冷え込みようだ。

 

樹木は凍りつき、辺境地帯は一面が氷に閉ざされた世界へと様変わりした。

 

その機を逃さず、バーバリアン達の襲撃は苛烈さを増していき、カインの率いる遊撃隊は食料などを輸送する補給部隊を重点的に狙った。

 

 

 

 

こうして食料の供給を絶たれた砦の兵士達は飢えや壊血病に悩まされ、体の弱い者から次々に倒れていった。

 

チャド・ヤーノは見誤ったのだ。これだけの軍勢で推し進めば、すぐにでも辺境地帯を植民地に出来るだろうと。

 

だが、そうしている内にこの地に冬が訪れた。寒さは日々厳しさを増していった。

 

 

 

 

冬が来る以前は何ということもない獣道も今では凍りついた悪路と化していた。

 

極寒のせいで砦から出られぬ状況が続き、チャド・ヤーノは考えあぐねた。

 

このまま冬が通り過ぎるのを待ってから再び進軍するか、それとも一旦、ワラギアまで撤退するかを。

 

 

 

 

そこでチャド・ヤーノはバーバリアンへの懐柔策を思いついた。

 

力でねじ伏せようとしてもバーバリアン達には何の効果もないことを経験したからだ。

 

ワラギア国の民達が相手であれば、死と暴力の雰囲気を漂わせるだけで事は済んだ。

 

 

 

 

だがムスペルヘイムの荒野とその周辺に住まう誇り高く好戦的な気質を持つバーバリアンにはむしろ逆効果でしかない。

 

暴力で無理に従わせようとしても反発し、猛攻を持って襲いかかってくるだけだ。

 

だからチャド・ヤーノは力ではなく、贈り物を持ってバーバリアン達に抗うことにした。

 

 

 

 

まずは捕らえていた部族の捕虜を解放し、彼らに土産を持たせてやったのだ。

 

それはワラギア特産の珍しい火酒や絹の織物、あるいは毛皮に銀細工といった品々であり、

 

チャド・ヤーノのこれらの贈り物に氏族の者たちは戸惑い、訝しんだ。

 

 

 

 

だが、いくつかの氏族は侵攻軍に敵意が無いことを知り始めた。

 

そしてチャド・ヤーノからの手土産を受け取っている内に襲撃も鳴りを潜めていき、

 

部族の戦士の中には駐在する兵士達に手を貸す者まで出てきた。

 

 

 

 

文明人と比べてバーバリアンの考えや行動原理は単純に出来ている。

 

殴られれば殴り返すのがバーバリアンなのだが、同様に恩を受ければ恩を持って返し、

 

きちんと遇してやれば、同じように返礼するのもまた彼らの生き方だ。

 

 

 

 

だが、全部の氏族や部族の者達がチャド・ヤーノを信用したわけではなかった。

 

自分達を油断させておいてから一気に蹴散らし、男を皆殺しにして女子供を奴隷にする腹積もりではないかと疑う者達もいたのだ。

 

そして、カインのその一人だった。

 

 

 

 

それでもチャド・ヤーノもまた、根気強く彼らを懐柔していったのだ。

 

少なくとも彼らのテリトリー内でバーバリアンを敵に回す事への恐ろしさや愚かさを身に染みて理解したからだ。

 

なんせ険しい山岳地帯や密林、あるいは荒野であれば屈強なバーバリアンの戦士達は並の兵士三十人分の働きをする。

 

 

 

 

敵に回すよりは上手く手懐け、他国との間で有事が起こった際に利用すれば良いとチャド・ヤーノは考えたのだ。

 

それから何日かが過ぎると又もや問題が発生した。

 

チャド・ヤーノの倅の一人、エンリケが十名ほどの手勢を連れて狩りに出かけたあと、夜が明けても砦に戻ってこなかったのだ。

 

 

 

 

この辺境地帯にも危険な魔物は蔓延っており、また進駐軍に敵意を持つバーバリアンの部族も残っていた。

 

チャド・ヤーノはすぐさま捜索隊を編成した。

 

この時、チャド・ヤーノはエンリケを見つけ、救い出した者には褒賞を与えるとの触れを出した。

 

 

 

 

この触れを聞きつけたカインもまた、褒賞目当てにエンリケの搜索に加わったのだった。

 

捜索隊はまずは近くの森林の方へと足を運んだ。ここには鹿が良く出没するからだ。

 

一方、カインはエンリケ達の足跡を探っていた。

 

 

 

 

カインはすぐに足跡から彼らが向かった方角を割り出した。

 

すぐにカインはエンリケ達を追跡した。

 

踏みつけられて折れた木の枝や潅木の茂みを抜け、森林の南側をひたすら進んでいった。

 

 

 

 

エンリケ達を追うカインの動きは敏捷に富み、柔軟でかつ、決して物音を立てることがない。

 

それはまるで木々を通り抜ける無音の風のようだった。

 

あるいは背後から獲物に忍び寄る野生の豹か。

 

 

 

 

昼前にはカインは彼らを見つけ出すことができた。

 

エンリケ達は砦から七リュー(約二八キロ)ほど離れた断崖の上にいたのだ。

 

そして断崖の下には血に飢えた巨猿ウィンディゴが三体ほどうろついていた。

 

 

 

 

空腹に苛立っているウィンディゴ達は唸り声を上げながら、

 

獲物を決して逃すまいと断崖の上で震えている兵士達をじっと見上げている様子だった。

 

体長四ヤード超(約四メートル)ほどの灰色の毛を密集させたこの醜悪極まる巨猿達は人の肉が好物だった。

 

 

 

 

本来であればウィンディゴは単独で狩りをするのだが、しかし、中にはツガイや兄弟同士で行動する個体もいる。

 

カインは音を立てることなく近くの木に登り、樹葉の壁に身を潜めると弓を構え、毒を塗った矢をつがえた。

 

そして素早く立て続けに巨猿の首筋に次々と毒矢を打ち込んでいった。

 

 

 

 

矢を打ち込まれたウィンディゴ達は怒りに叫び、暴れまわった。

 

しかし、それはただ毒が身体に回るのを早めただけだった。

 

こうしてカインはエンリケ達を救出し、意気揚々と砦に戻った。

 

 

 

 

チャド・ヤーノは約束通り、カインに褒美を取らせることにした。

 

『勇敢なる若きバーバリアンよ、お前に褒美を与えよう。何が望みだ?

 

黄金か、宝石か、それとも美しい女か?』

 

 

 

 

その問い掛けに対し、カインはこう答えた。

 

『王弟よ、俺は生まれてこの方、この荒野の地から出たことがない。だが、俺は外の世界に興味がある』

 

チャド・ヤーノはカインの言葉に頷くとその願いを聞き届けた。

 

 

 

 

そしてカインは隠者ヨナスの元に戻り、その事を告げた。

 

そんなヨナスはカインに諸国を見回り、見聞を広げて来いと言った。

 

『ヨナスよ、俺は必ずこの荒野の地へと戻る。その時は沢山の土産を楽しみにしていてくれ』

 

 

 

 

『ああ、勿論だとも、カイン、我が息子よ』

 

こうしてムスペルヘイムの野生児は文明国へと足を踏み入れたのだった。



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野生児カイン2

ワラギアの首都ザンボラはその日に限って小降りの雨だった。だから都全体が湿気に覆われて、黴臭く感じられた。

 

カインは物珍しげにザンボラにある通りの道を見回した。まず、カインの目を引いたのが綺麗に舗装された石畳だった。

 

なんせムスペルヘイムのこの野生児は、生まれてこの方舗装された石畳の上を歩いたことがなかったからだ。

 

 

 

 

それにこの都の広さと言ったら、荒野に点在する氏族、部族の村とは比べ物にならない。

 

ビジョンクエストで見たあの世界の都と比較しても遜色がないほどだった。

 

街路をせわしなく行き交う人々の服装もまた、ムスペルヘイムに住まう者たちとは大違いだった。

 

 

 

 

ワラギア人達は染料したチェニックに麻のズボン、そして短靴という身なりをしていた。

 

一方、カインの姿といえば灰色狼の腰巻きをつけ、ウィンディゴのなめし革をその裸体に羽織るという

 

およそ文明人とはかけ離れた格好をしていた。

 

 

 

 

道を行き交うワラギア人達はそんなカインの姿を認めると、一瞬、ギョッとした表情を浮かべた。

 

長身で屈強な肉体を持つこの未開人の若者は、良くも悪くもザンボラでは目立つ存在だった。

 

カインは路上に並ぶ屋台から肉を一串買うと店の男に尋ねた。

 

 

 

 

訛りながら「何か面白い所はないか?」と。

 

男はカインを無遠慮にジロジロ眺めると突然、二カッと口を三日月に曲げて笑った。

 

「それだったら、グランシャンの裏通りにある<黒ヤギ亭>がおすすめだぜ。

 

あそこは酒が安く飲めるし、良い女も買えるからな。それに拳闘賭博も楽しめる。

 

あんたは強そうだから、その拳に物を言わせればたんまりと稼げるんじゃないのか?」

 

 

 

 

言い終わると男は下卑たような目の色を浮かべた。

 

男の目の色にカインは何となく違和感を覚えたが、とりあえず男が教えてくれたグランシャンの裏通りへと向かった。

 

グランシャンの裏通りは表通りにある街路とは違い、道は無舗装でぬかるんでいた。

 

 

 

 

雑多な汚物が道の隅で山盛りになるまで捨てられていた。

 

その横で擦り切れたぼろ服を纏う浮浪者がゴザを敷いた地面に座り、酒を飲んでいる。

 

腰に短剣を吊るした男達は、この界隈にたむろするゴロツキ連中で徒党を組んでは、

 

かどわかしや押し込み強盗といった盗賊働きをして食っていた。

 

 

 

 

気だるげに壁に背を持たれさせ、客待ちをしているけばけばしい化粧の女達は売春婦だ。

 

掃き溜めと呼ぶに相応しい場所だ。この裏通り界隈はザンボラにあるスラムの一角だった。

 

黒ヤギ亭を訪れたカインは銅貨と引き換えに給仕から麦酒の注がれた杯を受け取った。

 

 

 

 

酒でシミが浮き出たテーブル席に座り、カインが酒場内を眺める。

 

革鎧に身を包み、長剣を腰帯に佩いだ傭兵風の男達が若い女の乳房や尻を撫で回しては、下品な冗談を飛ばして大笑いしていた。

 

彼らは流れ者の傭兵であり、ひと稼ぎしようとこのザンボラにやってきたのだ。

 

 

 

 

そんな彼らの興味は透けるほど薄い布を身体に巻きつけ、曲に合わせて卑猥なダンスを披露する踊り子たちに注がれていた。

 

しなやかに引き締まった腰をくねらせ、乳房を男の鼻先で揺らすこの踊り子達は南方生まれのゾンギ族の女達だ。

 

この女達もザンボラに出稼ぎでやってきた女達だった。

 

 

 

 

カインが二杯目の麦酒に口をつけていると、酔漢の一人が肩をぶつけてきた。

 

男は傭兵達の仲間のひとりで、酒と仲間の数で気を大きくしていた。

 

それでこの未開の地からやってきたバーバリアンの若者に目をつけたというわけだ。

 

 

 

 

熟練の傭兵や冒険者であれば、こんな真似は絶対にしなかっただろう。

 

ムスペルヘイムのバーバリアンに喧嘩を売るなど、飢えた虎に首を差し出すのと同じだからだ。

 

「おいっ、こんな所に蛮族がいるぞっ、いっちょまえに酒なんぞ飲んでやがるぜっ」

 

 

 

 

そう言うと男がカインの持っていた麦酒の杯を手で払い落とした。

 

その次の瞬間、男の身体は宙に浮いていた。

 

カインが男の横顎を拳で殴りつけたのだ。

 

 

 

 

男の身体は酒場の壁へと叩きつけられた。

 

客のひとりが床に投げ出され、身動きしない男の顔を覗き込み、呟いた。「死んでいる」と。

 

カインの繰り出した強烈な拳の一撃を喰らい、男の顎は砕け散り、頚椎は枯れ枝のようにへし折れていたのだ。

 

 

 

 

それからすぐに酒場では大乱闘騒ぎが起こった。

 

仲間の傭兵達が各々の武器を構え、仲間の仇だとばかりにカインに襲いかかってきたからだ。

 

傭兵達は全部で十人ほどを数えた。

 

 

 

 

カインは傭兵のひとりが繰り出してきた鉄槍を避けると逆に奪い、相手の太股に突き刺してやった。

 

次にカインは右側にいた傭兵の頭を鉄の兜ごと殴りつけて倒すと、片手でその足首を掴んで軽々と振り回した。

 

その怪力ぶりに酒場の一同は目を見張った。

 

 

 

 

カインは傭兵達を残らず叩きのめすと酒場の主に訊いた。

 

これがこの店でやっている拳闘なのかと。主はカインに違うと答えた。

 

「それは残念だ。儲かったと思ったんだがな。所で俺の拳闘相手を見繕ってくれないか。

 

ひと稼ぎしたいんだが」

 

 

 

 

「流石にそんな命知らずな奴はこの酒場にゃいないな。悪いが他を当たってくれ。代わりに酒を一杯奢ろう。

 

ワラギア名物の蒸留酒だ」

 

そう言うと主は酒瓶をカインに差し出した。

 

 

 

 

それは食道が灼けるほどの強い酒だったが、とても美味だった。

 

カインは酒を飲み終えると蒸留酒をもう一瓶頼んだ。次はきちんと金を払ってだ。

 

それからカインはエンリケの待つ城へ戻るとその日は寝室で身体を休めた。

 

 

 

 

さて、カインが殺した傭兵の亡骸についてだが、これはその日の内に近くの川底に沈んだ。

 

ここ、グランシャン界隈ではそれが当たり前だった。誰も衛兵を呼ぶ者はいないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

エンリケはカインを大層気に入っていた。

 

カインは護衛としてはこれ以上ないほどに頼もしい存在であり、

 

長身でたくましいこのバーバリアンは連れて歩くのにもうってつけだった。

 

 

 

 

位の高い者であれば護衛も従者も見てくれが良くなければならない。

 

その点、カインは美丈夫だ。

 

この荒野育ちの若者は強いだけではなく、その容貌は端麗といっても差し支えなかった。

 

 

 

 

エンリケから見ればカインは野生の猛虎そのものだ。

 

あの恐ろしいウィンディゴ共を音もなく仕留めたその手腕、

 

それ以前にもエンリケは何度もこのバーバリアンの戦士の噂を聞き及んでいた。

 

 

 

 

ワーウルフを素手で引き裂き、たった一人で大勢の兵隊や魔物に果敢に挑み、峻険たる山々を渡り歩くというバーバリアンの男達。

 

エンリケにとって、カインは吟遊詩人が奏でる数々の冒険譚に登場する勇ましい戦士の一人だった。

 

エンリケはすぐに小間使いを呼び寄せるとカインを連れてくるように命じた。

 

 

 

 

それからしばらくして居間に現れたカインの姿は、とても堂々として立派な身なりへと変貌していた。

 

カインは金糸刺繍をあしらったマントに銀の胸当てや篭手を身につけていたのだ。

 

それでもバーバリアン特有の荒々しい雰囲気は消えることはなかった。

 

 

 

 

いや、だからこそ良かったのかもしれない。

 

もしもカインが俺はバーバリアンの貴族だと告げれば、文明人の殆どは信じるだろう。

 

その出で立ちはさしずめ高貴なる蛮人といったところか。

 

 

 

 

「エンリケよ、今日はどこに行くのだ?」

 

「今日はザンボラ国立大学に行く。そこでは様々な知識を学ぶことができる。カインも見ておいて損はないはずだ。

 

大学内には自由に出入りできるようにしておくよ。興味のある事柄を学べるように」

 

 

 

 

「ほう、それはありがたいな。エンリケよ、礼を言おう」

 

それから二人は大学に着くまでの一時間余りを馬車で雑談を交わしながら過ごした。

 

貴族の娘であるマリアンもここで学んでいた。



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野生児カイン3

 

 

カインはエンリケと並んで校内を見て回った。赤煉瓦作りの校舎は中々厳めしい雰囲気を漂わせている。

 

この日は講義室や書物庫、研究室を一通り見てからふたりは切り上げた。

 

それから一週間ほどが過ぎると、カインは一人で大学を出入りするようになっていた。

 

 

 

 

食堂で食事を取り、講義を覗き、校舎内をうろつきまわるのだ。

 

大学では講師や学生から常に奇異の視線を向けられたが、この野生児はそんなものなどどこ吹く風で、

 

相変わらず好き勝手に振舞っていた。

 

 

 

 

そんなカインに眉をひそめる者も少なからずいた。

 

確かに格式を重んじるタイプから見れば、カインの立ち振る舞いは決して愉快なものであるとは言い難かった。

 

テーブルにナイフとフォークを並べられても、そんな食器には目もくれずにカインは素手で肉や野菜を掴んでは頬張っていった。

 

 

 

 

そして脂やソースでベトついた指をこれ見よがしに舐めしゃぶり、スープの器を掴んでは音を立てて啜った。

 

だからカインが食事を取るとテーブルの周りは汚れ、その不潔感に神経質な生徒などはそれだけで食欲を失くすほどだった。

 

勿論、カインには悪気などはない。ただ、文明国の食事作法を知らないだけだ。知っていても変わらないだろうが。

 

 

 

 

そして大学内にいる人物で、この未開人の若者に注意しようとする度胸のある者もまた皆無だった。

 

その日の午後になるとカインは中央通路の一番右端にある研究室に顔を出していた。

 

とは言っても研究室は無人であり、カインが勝手に部屋に入り込んだだけなのだが。

 

 

 

 

カインが壁に貼られた羊皮紙をマジマジと眺めていると、背後から嗄れた声が飛び込んできた。

 

「なんじゃ、お前は。どこから来た?」

 

カインは振り返ると声をかけてきた老人に言った。あんたこそ誰だと。

 

 

 

 

「ふん、わしを知らんとはこの大学の学生ではないなっ、さては盗みに入った不逞の輩かっ」

 

「そういうあんたこそどうやら俺を知らんようだな。俺はエンリケからここの出入りの自由を許されているのだ。

 

それよりもあの皮に描かれているのは元素の周期表か?」

 

 

 

 

そう言いながらカインが壁に貼られた羊皮紙を指差した。

 

「ほう、お前、あれがわかるか?」

 

それまでのうろんげな表情を変え、老人がカインを見上げながら尋ねた。

 

 

 

 

「わかるとも。ヨナスから教わったからな」

 

「おお……ヨナス、お前は隠者ヨナスの弟子かっ!?」

 

コロコロと表情を忙しく様変わりさせる老人を無表情で見下ろしながらカインは頷いた。

 

 

 

 

「というよりもヨナスは俺の育ての親だ。ムスペルヘイムの荒野に捨てられていた赤ん坊の俺を拾い、育ててくれたからな」

 

「そうか……達者に暮らしているようで何よりじゃ……」

 

 

 

 

「老人よ、あんたはヨナスの知り合いか?」

 

「うむ、昔は彼と一緒に錬金術の研究をしておった」

 

「ほう……それなら一つ、ヨナスの話を聞かせようではないか」

 

 

 

 

それから二人は葡萄酒の盃を掲げ、飲み交わしながら一晩中話に花を咲かせた。

 

そしてカインはこの老人の研究室に顔を出すようになり、ふたりは親交を深めていった。

 

老人は名をグリニーといい、ザンボラでは高名な魔導師と知られていて、大学では学長の代理を務めるほどの地位にあった。

 

 

 

 

もっとも本人は講義などはそっちのけで研究室に閉じこもり、自分のしたいようにしている様子だった。

 

あるいは探求者とは、本来であればグリニーのような者を指す言葉なのかもしれない。

 

カインもまた、この研究室を利用していた。ここには様々な実験用の器具が置いてあるからだ。

 

 

 

 

それらの道具を使い、カインは物質の分離と精製の技術を覚えていくことにした。

 

例えばジギタリスを単離して強心薬を作ってみたり、ベラドンナやヒヨスからアトロピン、スコポラミンを抽出してみたりと、

 

気の向くままにカインもこの学び舎で錬金術というものを学んでいったのだった。

 

 

 

 

だが、錬金術に打ち込むこのバーバリアンの若者を良く思わない者達が現れた。

 

そこにはある種の嫉妬も含まれていた。高名なる魔導師グリニーと肩を並べて錬金術の研究をしているからだ。

 

それもこともあろうに学生ではなく、荒野育ちの未開人がだ。そしてマリアンもそんな学生達の一人だった。

 

 

 

 

ある日のこと、グリニーは未完成の透明になるローブをカインに見せた。

 

このローブの原理は光を反射させず、屈折させることで周りの景色に溶け込むというものだ。

 

古代の遺跡に残された文献からグリニーはこのローブを作り上げたのだった。

 

 

 

 

だが、あと一歩という所で、透明になるローブの開発は頓挫していた。

 

このローブを完成させるには水色のサラマンダーの鱗が必要なのだ。

 

そこでカインはグリニーに申し出た。俺がその鱗を採ってきてやろうと。

 

 

 

 

この頃になるとカインはグリニーに対して、親しみや友情を覚えていた。

 

だからカインはこの愛すべき偏屈な老人の為に鱗を採ってきてやろうと考えたのだ。

 

「しかし、カインよ……お主の申し出は嬉しいが危険な旅路になるぞ……」

 

 

 

 

「安心しろ、グリニー、この俺に倒せぬ者はなく、また、越えられぬ山もたどり着けぬ遺跡もない」

 

それは酷く傲慢な物言いではあったが、しかし、グリニーは怒りや不快を感じることはなかった。

 

それはこのバーバリアンの若者が持つ素朴さ、純粋さ、そして荒々しさを知っていたからだ。

 

 

 

 

「ふむ……それならば念入りに準備をせねばなるまいな。カインよ、お主が必要とする道具を持っていくが良い」

 

「それならば俺は火の矢を持っていくとしよう」

 

そんな会話を続けていると、突然カインが立ち上がり、研究室のドアを開け放った。

 

 

 

 

そこに転がり込んできたのがマリアンだったのだ。

 

ふたりの会話を盗み聞きしていたマリアンは是非自分にも手伝わせて欲しいと頼んだ。

 

カインではなく、グリニーにだったが。

 

 

 

 

そんなマリアンにグリニーは諭すように言い聞かせた。

 

駆け出しの魔術師の身では余りにも無謀すぎると。カインもまた、マリアンを同行させるのを渋った。

 

こちらは単純に足手まといになりそうだという理由だったが。

 

 

 

 

それでもグリニーの説得にマリアンは決して首を縦に振らず、同行させてもらえないのであれば、

 

自分だけでも行くと言い出す始末だった。

 

マリアン一人では自殺行為でしかなく、仕方なしにカインはこの少女を連れて行くことにした。

 

そして三日後の早朝、旅支度を整えた二人はザンボラから出立したのだった。

 

 

 

 

 

 

馬の歩みはゆったりとしたものだった。空には陽光が輝いている。

 

マリアンには昨晩のワーウルフとの戦いがまるで嘘のように感じられた。

 

南北に縦貫する街道をふたりは進んだ。このまま行けば夕方には町に着くはずだ。

 

 

 

 

マリアンはカインの背中にもたれ掛かり、しばし休むことにした。

 

村でも充分に休息は取ったのだが、それでも慣れぬ旅と昨夜の出来事に疲労感が溜まっていた。

 

そのままマリアンは寝息を立て始め、町に着くまで眠り込んでしまった。



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野生児カイン4

 

ジャディンは街道沿いにある大きな宿場町だった。この町は旅人や商人達が落とす金と交易で発展していった。

町についてから厩舎きゅうしゃに馬を預け、その預り証を受け取るとカインとマリアンは今宵の宿を求めた。

「湯浴みがしたいわ……」

 

と、マリアンがぼやく。

村では入浴もできず、寝床も古びた馬小屋に藁を敷いただけだったので、この貴族の娘は不満を抱いていた。

「身体を洗いたければ、どこかで井戸を借りるといい」

 

「嫌よ、私は冷たい水を浴びたいんじゃなくて、温かいお湯に浸かりたいんだもの」

マリアンがカインにそっぽを向いて答えた。

「それなら好きにするといい。それよりも今夜の宿を探すとしよう。俺は松の木の上でも眠れるが、

あんたには藁ではなく、毛布を敷いた寝床が必要だろうからな」

 

宿屋は直ぐに見つかった。というよりも旅籠の客引きにマリアンが捕まり、半ば無理矢理に宿を取らされたのだ。

カインはマリアンを旅籠に置いてくるとジャディンの町中を練り歩いた。

目抜き通りにズラリと並ぶ二階建ての建物を眺めながら。

 

カインは適当な酒場に立ち寄ると酒と肉を注文した。客の男達の陽気な笑い声が聞こえてくる。

この店にはおよそ黒ヤギ亭のような猥雑さや如何わしさというものが感じられなかった。

純粋に酒と食事を楽しむための場所なのだろう。

 

爪弾かれる琴の音色を聴きながら、カインが酒杯を傾ける。

そうしていると隣のテーブルから声を潜めた男達の喋り声が聞こえてきた。

この蛮人の若者の聴覚は野生の獣並に鋭いのだ。

 

男達の会話に興味をそそられたカインは静かに聞き耳を立てた。

林檎酒を啜っていた赤ら顔の男が一同を見回しながら喋り続ける。

「上手くいけば大金が手に入るんだぞ。何、怯えることはないさ。虎穴に入らずんば虎子を得ずっていうだろう。

俺達であのお宝を頂くとしようじゃねえか。どうせ死人にゃ無用の長物だろうぜ」

 

どうやら男達は墓荒らしを企てているらしい。

このジャディンから一里(約四キロメートル)ほど離れた場所にある墓所に町の名士が葬られたとのことだった。

そして、富豪や貴族といった金や地位のある者達は埋葬される際には、高価な装飾品で亡骸を飾り立てられ、

棺には金貨や宝石を入れるという風習があるようだった。

 

勿論、墓所にはそれらの品々を付け狙う墓荒らし避けの罠や見張り番が立てられ、場合によっては命を失うという。

それでも中々面白そうな話ではあった。

カインもあの赤ら顔の男の話には賛成だったからだ。

 

死者に金貨や宝石は不要だ。死ねば人は金を使う必要がないからだ。だが、生者には必要だ。

それなら生きている者が持って行っても良いはずだ。

死人だって柩に収められた金銀財宝を盗まれた所で、墓荒らしに一々文句はつけまい。

 

そう思い立ったカインの行動は素早かった。

この荒野育ちの野生児は一切を逡巡することもなく、墓所に向かっていったのだった。

 

着いた墓地には篝火と何人かの番兵が見えた。

背後から静かに忍び寄り、貴人の墓を警備している見張り番達の首に手刀を叩き込んで昏倒させていくと、

カインは早速墓荒らしに取り掛かった。

 

まずは墓に仕掛けられた毒針の罠を器用に解除すると、

蓋のように覆いかぶさっている重い石板を素手で引き剥がし、露わになった棺の中身を亡骸以外そっくり頂戴したのだ。

 

文明社会の人々から見れば、カインのこの行いは死者に対する冒涜でしかないだろう。

だが、生憎とこの野生児は文明人が有するような罪悪感など欠片ほども持ち合わせてはいなかった。

それどころか悪事を働いているという意識すら感じてはいないのだ。

 

カインの育った荒野では、死者に金品や貴金属を贈って埋葬するという風習もない。

そもそもムスペルヘイムに生きる者達にとっては、そんな余裕などどこにもないのだ。

死者の肉は鳥や獣達が食うにまかせ、その骨は川や海に流すか、木の根に埋めて葬る。

 

そして残った遺品は部族の人々が荒野で生き残るために使うのだ。

そうした慣習の中で生きてきたカインにとって、文明国の常識や習慣というのは奇妙に映った。

柩から目ぼしい品々を粗方盗み終えたカインは長居は無用とばかりに墓から離れた。

 

翌日になるとジャディンの町はちょっと騒ぎになっていた。

だが、そんな騒ぎを尻目にカインは馬に跨るとマリアンとともに悠々と町を出た。

頭上から降り注ぐ煌びやかな陽光を受けながら、カインは袋から取り出した翡翠の指輪を光に透かした。

 

「まあ、とても綺麗な指輪ね、素敵だわ……」

マリアンが潤ませた瞳でうっとりとしながら翡翠の指輪に見入る。

「欲しければくれてやろう」

 

「え、いいの?」

マリアンの問い掛けにカインは大きく頷いた。

「勿論だ。これらの品は生者が使ってこそ意味があるのだからな」

 

 

 

最後に人里を見たのは二週間ほど前になるだろうか。泥濘に足を取られないように注意しながらマリアンはふと思った。

鬱蒼とした森の中は薄暗く、時折狼の遠吠えが聞こえてくるのだった。

マリアンは、決してカインから離れずにピッタリと、張り付くように後ろから付いていった。

 

こんな不気味な森に一人乗り残されたら、一晩も持たないような気がするからだ。

というよりも実際にマリアンだけでは一晩も持ちこたえられないだろう。

茂る広葉樹の間を通り過ぎ、小川を越えた所で突然、カインが足を止めた。

 

「今夜はあの洞窟で夜を明かすとしよう。何もなければだがな」

「な、何もなければって?」

だが、カインはマリアンに何も告げずに洞窟内部へと入っていった。

 

マリアンが気になったのは、カインが洞窟に入る前に地面を見下ろしていたということだ。

洞窟は巨大なノミで削り取ったような絶壁の下にあり、間口の広さは六尺(約一八〇センチ)だった。

マリアンは恐る恐るカインの後についていった。

 

洞窟内は暗闇に覆われ、何も見えない。マリアンは岩壁に手をついて進むしかなかった。

それとは裏腹にカインはまるで洞窟内が見えているかのように進んでいった。

ムスペルヘイムから来たこの若者は、山猫すら裸足で逃げ出すほどの夜目の持ち主なのだ。

 

だから文明人のように松明やランプを用いずとも暗闇の中を自由に移動できるのだった。

「やはりゴブリンがいるな。匂いがする……洞窟の手前には足跡がなかったから、別の場所から出入りしているんだろうな」

狼並の嗅覚だ。これもバーバリアンの男達なら誰もが備えている能力とも言えた。

 

「ゴブリンですって?ねえ、カイン、こんな洞窟からとっとと出ましょうよ、わざわざ危険な真似をする必要はないわっ」

「まあ、待て。案外話がわかる連中かもしれん。頼めば一晩の宿を貸してくれるかもしれんぞ」

どこか楽しげな口調のカインにマリアンは何か不気味なものを感じた。

 

まともな人間であれば、ゴブリンと会話するなど思いもつかない話だからだ。

そこでマリアンは、この若者が未開の地からやって来た蛮人であることを認識するのだった。

「さあ、いくぞ。それに俺も色々と聞きたいことがあるんでな」

 

「聞くってゴブリンに何を聞くつもりなの?」

そんな事を話ながら進んでいくと開けた場所へと出た。

そこには何人かの年老いたゴブリンやその幼子が蹲るように静かに座っているだけだった。

 

カインはゴブリン達に向かって、マリアンが聞いたこともないような言葉を使って話しかけた。

すると年老いたゴブリンがカインに何かしらの返事をした。

これにはマリアンも驚いた。というよりもカインと一緒にいると驚くことばかりだった。

 

それからカインは何度かゴブリンとやり取りを繰り返すと、マリアンのほうを向いて頷いた。

「今夜はここで休めるぞ」

 

 

 



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野生児カイン5

カインは朽ちた霊廟を静かに進んでいった。ゴブリンの若者達の安否を確かめるためだ。

あの洞窟内には年老いたゴブリンと女子供しか残されておらず、この種族の若い男達の姿はほとんど確認することができなかった。

その原因はこの廃墟と化した霊廟にあった。

 

ほの暗い森林地帯の奥深くに静寂に包まれ、眠っていたはずの霊廟が突如として目を覚ましたのだ。

そして永き眠りから目覚めたこの霊廟は、その堅く閉ざされていた門扉を開いたのだった。

まるでゴブリン達を誘うように。するとゴブリン達は誘蛾灯に引き込まれるかの如く、この霊廟内に姿を消していった。

 

そして彼らは廃墟に足を踏み入れたまま、洞窟に戻ってくることはなかった。そう、二度とだ。

一晩の宿を借り受け、そして水色のサラマンダーの生息地を老いたゴブリンから聞き出したカインは、

彼らの恩義に報いるべく、霊廟を調べることにしたのだ。

 

半ばまで亀裂の入った花崗岩の円柱を過ぎ、カインは渡り廊下へと出た。

真っ直ぐに伸びた廊下の壁際には不気味な石像が並んで佇んでおり、無言でカインを見下ろしている。

 

節くれだった六本の長い指先を突き出し、太い牙を剥いてこちらを威嚇するグロテスクな猿や、

顔の下半分を触手で覆っている半魚人を象った奇怪な石像群に向かって、カインが睨み返す。

カインには知る由もなかったが、森に建築されたこの霊廟はかつて存在した邪教徒達が築いたものだった。

 

その邪教も二千年ほど前に地方の豪族たちの手によって討ち滅ぼされたのだが、それでも未だに過去の遺物として、

悠久の年月に晒されながらも霊廟だけはこうして残っているのだった。

人々の記憶からはとっくに忘れられ、信徒や主人である教祖の血筋も既に途絶えて久しいというのに。

 

通路の安全を確認し終えると、カインはマリアンにここまでは安全だと呼びかけた。

すると蛮族の若者から百歩ほど後方に居た魔術師見習いの少女は、急いでカインの元に駆け寄ってきた。

洞窟内で待っていろと言い聞かせたのだが、こんな場所にひとりで置いていかれるのは嫌だと駄々をこねるので、

それならば仕方がないとカインはマリアンを連れ出したのだ。

 

T字路を右へと曲がると、カインは床の異変に気がついた。

タイル状になった通路の床は、材質こそ変わらぬものの、よくよく見れば所々に僅かな段差が出来上がっていたからだ。

「少し待っていろ、マリアン」

 

カインがそう告げると、マリアンは黙って頷いてみせた。

霊廟の壁の前に立ち、カインがその凄まじい膂力りょりょくを持って長剣を振るった。

途端にひび割れた壁が剥がれ落ち、いくつかの石片が地面に転がり落ちた。

 

拾い上げた石片をカインが段差のあるタイルに投げつける。

すると通路の脇から風を切る鋭い矢が飛来した。

カインは細心の注意を払いつつ、黒豹のような俊敏さを持って目印をつけながら、罠が仕掛けられた廊下を渡っていった。

それから一旦引き返すとマリアンを背負い、再び戻ったのだった。

 

廊下の奥には頑丈な鋼鉄の扉が待ち構えていた。面白いことに扉は錆一つ浮いてはいなかった。

恐らくは何かの魔術を施してあるのだろう。蛮人の若者は渾身の力で鉄の扉を押しやった。

だが、扉はギシギシと軋みあげるものの鍵を掛けられているせいで開く様子はなかった。

 

「ねえ、カイン、その扉を開けたいの?」

マリアンがカインに問いかけると、このバーバリアンは首を縦に振った。

「ああ、そうだ。何か良い知恵があるのか?」

 

「それならこれを使うといいわ」

腰にぶら下げた革の道具袋から取り出した包をカインに見せ、魔術師の少女は頬を緩ませた。

「これはなんだ?」

 

「魔法に使う粉の一種よ」

カインは包に鼻先を寄せ、その匂いを動物のように嗅いだ。カインの鼻腔は酸化鉄の匂いを嗅ぎとった。

「なるほど。テルミット反応を使って、あの鉄の扉を溶かそうというわけだな。よし、ありがたく使わせてもらうぞ」

「そういうことよ。それにこれは本当に魔法の粉も混ぜてあるわ。威力を高める為にね」

 

扉に包を貼り付け、後ろへ下がるとカインは構えた弓から火の矢を放った。

火矢に貫かれた包が激しく発光し、周囲に火花を飛び散らせる。

それからカインは鉄の扉に空いた穴に手をいれ、内側から掛かった鍵を開けた。

 

カインが扉を押しやると、鉄板は案外すんなりと開いた。

部屋の内部は円形状をしていて、その中心に置かれた黒曜石の台座には一本の剣が突き刺さっていた。

それ以外は特に目につくものは見当たらない。

 

その刀身が放つ眩いばかりの不思議な輝きに誘われたのか、無意識の内にカインは台座に突き刺さった剣の柄を握り締めた。

そしてカインが気が付くと既に剣は台座から引き抜かれていたのだった。

ムスペルヘイムのこの野生児は、己が引き抜いた剣を飽きることなく見つめた。

 

台座から引き抜いた剣が素晴らしい業物であることは素人目にも明らかだったのだ。

嬉しさのあまり満面の笑みを称えると、カインはその剣を革鞘に収めて己の背に担ぎ、部屋を後にした。

再びT字路に出るとカインとマリアンは真っ直ぐに突き進んだ。

 

次にふたりがたどり着いた場所もやはり扉が待ち構えていた。

ただ、床に罠はなく、扉にも鍵は掛けられてはいなかった。

「嫌な気配がする。それに血の匂いも……」

 

カインは野生の獣が持つような鋭い感覚で、扉の向こう側から渦巻く邪悪な気配を捉えた。

「マリアン、お前はここで待っていろ」

後ろを振り返らずに告げ、カインはマリアンをその場に残すと、獲物を狙う虎か狼のような足取りで残りの部屋へと入っていた。

 

室内には腐臭が漂い、壁には黒ずんだ鮮血の跡が張り付いていた。

朽ちた人骨に混ざって、無造作に打ち捨てられているのは、変わり果てたゴブリン達の骸だった。

背中から引き抜いた剣を構え、カインは敵が何処に潜んでいるのかを探った。天井や部屋の隅にくまなく視線を巡らす。

 

だが、敵の姿はどこにも見当たらなかった。あるのは三ヤード(約三メートル)を優に超す一体の石像のみだ。

その石像は醜いコウモリの顔と狒々の身体を持ち、カインの方へ向かって鋭い爪を突き出している。

カインは何気なく視線を石像から別の方角へと移した。

 

刹那、石像が長腕を薙ぎ払い、その爪でカインの身体を思う存分に引き裂こうとした。

だが、カインのほうが石像よりも一拍子早く動いた。

俊敏な身のこなしだ。

素早く身を屈め、石像が繰り出した凶手を掻い潜ると、カインが返す刀で石像の肘の辺りを斬りつける。

 

キンと何かが響くと同時に石像の右腕は見事に両断され、重苦しい音を立てて転がった。

「ふん、ストーンゴーレムか……前に一度、お前よりでかいのと相対したことがあるぞ」

石像は何も答えず、表情も変えぬままカインに再び襲いかかった。



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野生児カイン6

そのまま身体ごとぶつかってきたのだ。カインは半身を切って避けると同時に流れるように剣を振った。

弧を描いてきらめいたカインの刀身が石像の首筋に食い込み、鮮やかに断ち切る。

若き蛮人の振るった剣で首を切り落とされ、石像はついにその動きを止めた。

 

カインが恨めしそうにこちらを見上げるコウモリ面の石像首を蹴り飛ばす。

その時、荒野の野生児はハッとなった。通路に並んだあの石像の群れを思い出したのだ。

刹那、霊廟の通路から反響したマリアンの悲鳴がカインの耳に届いた。

 

「今行くぞっ、マリアンっ」

叫びながらカインは猛烈な勢いで通路へと駆け出した。

カインが通路に飛び込むと群がった石像達が魔術師の少女に掴みかかり、その身体を引き裂こうとしていた。

 

「マリアンッ」

カインは雄叫びを張り上げながら突進し、マリアンに密集する石像の群れをその剣と腕力で吹き飛ばした。

それは先ほどの戦いで見せた優雅とすら言える剣技とは、正反対のただ、ただ、自らの膂力に任せるがままの獣じみた動きだった。

 

「どけいっ、この石像どもがっッ!」

剣と石がぶつかり合う鈍い音が霊廟に轟いた。

荒野育ちの野人が怒号とともに長剣の閃光を迸らせ、石像の頭部を叩き割っていく。

 

動く石像を全て破壊し終えると、恐怖の余り失神してしまった少女をカインは揺り起こした。

「おい、しっかりしろっ、しっかりするのだっ、マリアンっ」

だが、少女は目を覚ます様子を見せず、カインは革袋に詰めた気付けの蒸留酒を自らの口に含むと少女の唇に重ね、

度数の強い酒をその細い喉元へと流し込んだ。

 

それから少しして、酔いが回って血の巡りが良くなったおかげか、少女のやや蒼褪めていた肌に赤みが射し、生気が戻ってきた。

マリアンがゆっくりと上体を起こし、額を手で拭う。

「どうやら無事のようだったな。どこか痛みはあるか?」

 

カインがマリアンの瞳を見返しながら尋ねる。

「大丈夫よ、心配ないわ」

「そうか。だが、あまり無茶はしないことだ」

 

カインは少女の手を取って立ち上がらせると、再び霊廟の探索を開始した。

石像の並んでいた通路を調べてみると、色違いのタイルが嵌った床をカインは発見した。

そこは先程まで石像の一体が佇んでいた箇所だ。

 

石像が動いたことで、隠れていたタイルが露わになったというわけだ。

カインは怪しい点はないかとそのタイルを調べた。

だが、別段のところ、厄介な罠などは仕掛けられてはいなさそうだった。

 

タイルは何かの蓋になっていて、カインは慎重に床からそれを引き剥がした。

そして中にあった出っ張りを押した。

すると廊下の右端にあった石壁が軋みあげ、地響きを鳴らした。

 

そして横にずれた石壁から新しい部屋が現れたのだった。隠し部屋だ。

「次から次へと厄介な遺跡だな、ここは。どうする、マリアン。また危険な目に遭うかもしれんぞ。ここで引き返すか?」

 

カインの問い掛けにマリアンは首を横に動かした。

「いいえ、一緒に行くわ。ここまで来たんだから、最後まで見届けるわ」

「良い返事だ。気に入った。安心しろ、お前は俺が守ってやる」

 

それから身構えると、ふたりはゆっくりと部屋を覗き込んだ。

だが、部屋には石像や魔物の姿は見当たらず、ただ、石の棺と祭壇があるだけだ。

カインは石棺に歩み寄ると、いつものように罠がないかを慎重に調べた。

 

そして何の仕掛けもないと判断すると、すぐに正方形の厚い石板の蓋を持ち上げたのだった。

目的は勿論、墓荒らしだ。棺には金細工の装飾を施されたミイラが横たわっていた。

ミイラは胸元のあたりに杖を置き、ただ、静かに眠っている。

 

だが、カインは死者の安らぎを妨げるなかれだとか、そんなものに頓着するような男ではない。

ミイラには目もくれず、この蛮人はさっそく宝石や貴金属を引き剥がしにかかったのだった。

「ねえ、カイン、このミイラの持ってる杖、とても珍しい品よ」

 

棺の中を覗き込んでいたマリアンがそう呟いた。

「欲しいなら持っていけばいい」

ミイラの胸元から杖をもぎ取り、カインがマリアンに押しやる。

 

そして金銀宝石の一切合切をミイラから奪うと、カインはその干からびた遺体に油を注いで火をつけた。

火葬だ。それは宝を頂戴していく代わりに燃やして葬ってやろうというこの未開人なりの返礼だった。

「では戻るとするか。痛ましいことだが、あのゴブリンに仲間たちの死を報せねばな」

 

そのままカインとマリアンが祭壇のある部屋を後にしようとしたその刹那、突然甲高い叫び声が部屋中に響き渡った。

それと同時に祭壇がおこりに罹ったようにガタガタと震え、ふたりの目の前に飛んでくる。

カインは迫ってきた祭壇を長剣で真っ二つに割った。

 

「悪霊の仕業かっ、姿を見せろっ」

室内の温度が急激に下がっていくのがわかった。冷気がふたりの男女の身体をまさぐった。

部屋の壁から黒い霧が立ち込めていくと、カインの鼻先で密集し、それは人の形へと変貌した。

 

カインは長剣を構えた。だが、影はこちらに襲いかかる様子を見せない。

静かにこちらを観察しているだけの影にこの荒野の蛮人は一瞬、訝しんだ。

沈黙だけが流れていく。すると、おもむろに影が何かをカインに語りかけ始めた。

 

「竜王ノ器ナリ……」

そして影はカインにそれだけを言い残すと霧散した。

「一体何だったのだ、あの影は……」

だが、カインはそれ以上深く考えることはせず、身を翻すとミイラから盗み取った財宝とともに霊廟を出た。

 

 

 

ゴブリンの住処を出て、六日目の朝を迎えていた。カインは湿原の真っ只中にいた。

藻を体に纏いつかせ、葦の茂みに身を潜める野生児のその佇まいはリザードマンを連想させる。

大鰐が出没する湿地帯を掻き分け、沼地にその身を沈め隠して、狙った獲物が現れるのを待ち構えていたカインは、

ついに水色のサラマンダーの姿を見つけ出した。

 

とは言っても水色のサラマンダーは、実際にはその姿を確認することは難しかった。

何故ならば、このモンスターは常人の肉眼には映らないからだ。光を屈折させ、反射させる鱗がその原因だった。

ただ、両眼を開くときだけは、光を屈折させないその部分だけが映るのだ。

 

他にも足跡や水辺から立ち上がる時の水飛沫、あるいは地面に浮き出た陰影からでもその存在は認識できた。

カインは気づかれぬようににじり寄りながら、サラマンダーの周辺に油を撒くと火種を落とした。

途端にサラマンダーを囲うように火の輪が広がっていく。

 

サラマンダーは突然の事態に困惑し、怯えた。次にカインは弓を構えて火矢を放った。

飛来した火の矢の方角に向かって、サラマンダーが威嚇する。

この水色のサラマンダーは、他のサラマンダー種とは違って高熱を嫌う性質があった。

 

むしろその性質は低温や湿気を好む。

何本か火の矢を放ってサラマンダーの注意を引きつけると、カインは水に潜ってその背後へと回った。

そして猛然と飛びかかるとその脳天目掛けて短剣を突き立てたのだった。

 



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野生児カイン7

 

サラマンダーはカインを振り下ろそうと必死でもがいた。

だが、万力の如く首骨をギリギリと締め付けるカインの豪腕を振りほどくことは叶わず、結局は身体を痙攣させながら絶命した。

それから蛮人は仕留めた水色のサラマンダーの鱗を手早く剥ぎ取ると、すっかり赤身を露呈させた獲物の死骸をそのまま打ち捨てるに任せた。

 

あとは沼地の大鰐どもが死骸の肉を一片残さず、全て綺麗に平らげるだろう。

仕事をやり終えたカインはマリアンが待つ洞窟へと急いだ。

残るはザンボラへと引き返し、研究室で首を長くして鱗を待ち侘びているであろうグリニー老人の元に目当てのこの品を送り届けるだけだ。

それからカインとマリアンはその帰る道のりで、一週間ばかし馬の上で揺られるのだった。

 

 

 

暗雲が夜空の上で青白く光っていた三日月を覆い隠した。そこへ九つの人影が横切る。

フードで顔を隠した黒装束姿の盗賊一味が、人通りの途絶えた道をひたすら突き進んでいく。

盗賊達が向かっている先はグランシャンの裏通りだった。そこにこの盗賊団の隠れ家があるのだ。

 

猿轡を噛まされ、革紐で手足を縛られている少女を担いでいた盗賊の一人が、舌なめずりをすると下卑た笑みを浮かべた。

「へへ、隠れ家でたっぷりと楽しませてもらうからな」

その言葉に盗賊に囚われた少女が猿轡の間からくぐもった悲鳴を漏らす。

 

この少女は、ワラギア貴族の一人であるヒズラドの一粒種で、名をエレナといった。

少女は護衛を連れて外出している最中にこの盗賊の一団に捕まったのだ。

護衛役のふたりの男は、エレナの目の前で盗賊団にナマス切りにされた。

 

そして生きたまま捕らえられた少女はこうして、盗賊の一味の隠れ家へと運ばれているのだった。

エレナは絶望の淵に佇んでいた。

まともに悲鳴を上げることもできず、誰も助けに来てはくれず、

ただ盗賊達に自由の利かぬ自らの身を任せるしかないこの状況に少女は悲しむ事しか出来なかった。

 

丁度そんな時だ。

グランシャンの薄暗い路地裏から気高きホワイトナイトならぬ、火酒で酔っ払ったバーバリアンが現れたのは。

だが、どちらにしても少女にとっては助け舟だ。

それが白馬に跨った優雅な騎士だろうが、雄叫びを上げて戦斧を振り回す蛮人だろうが。

 

路地裏から現れた長身で筋骨が隆々とした男が一団の存在を認めると足を止めた。

脇に小さな酒樽を抱えたまま、若者が盗賊の一団をじっと見下ろす。

 

その視線が気に障ったのか、盗賊の一人が短槍で男の抱いていた酒樽を貫いた。

丸い木蓋が割れ、飛び散った蒸留酒が男の腕を濡らした。酒精の臭気が濡れた腕から立ち上る。

 

盗賊の無法に男が両眼をぎらつかせ、怒りに眉間を歪めて怒鳴った。

「何をするんだっ、よくも俺の酒をっっ」

グリニーと一杯やるために購った折角の火酒を台無しにされ、カインは怒り心頭に発した。

 

有無を言わさず盗賊のこめかみにその鉄槌のような拳を叩き込む。

脳みそごと頭骨を叩き砕かれた盗賊は、首をおかしな方向に捻じ曲げたまま吹っ飛んでいき、壁に激突する。

あとにはバーバリアンに頭を潰され、飛び出した左右の眼球を頬にぶらつかせたままの死体が残った。

 

腰に吊るした鞘から長剣を引き抜いたカインが、野の獣じみた唸り声を上げ、盗賊一味を睥睨へいげいする。

酒に酔って理性が麻痺していたカインは、盗賊達に対してその獣性を剥き出しにした。

それからは戦い、というよりもバーバリアンの一方的とも言えるような殺戮が路地裏で巻き起こった。

 

ふたりの護衛をナマス斬りにした八人の盗賊は、この荒野の蛮人の手によって次は自分達がブツ切りにされていくのだった。

湧き上がる叫喚と剣戟、人間の骨肉を切断する音が夜空に響く。

殺戮が終わると、そこには静けさが戻った。

 

道に転がった盗賊の手足や胴体、生首には目もくれず、カインは返り血で染まった自らの頬を手の甲で拭った。

そして盗賊達の血で染まる地面に転がった少女ににじり寄った。

「おい、大丈夫か、お前?」

 

カインがエレナの噛まされていた猿轡をはずし、手足を縛っていた革紐を引き千切る。

だが、少女は噛み合わぬ歯茎から言葉にならぬような呻き声をあげ、体をガタガタと震わせるだけだった。

「安心しろ。お前を取って食う気はない」

 

カインが無表情のままで、本気とも冗談とも取れないような言葉をエレナに投げる。

「怯えているようだな、まあ、いい。近くの酒場で少し休めば落ち着くだろう」

その逞しい両腕で少女の華奢な身体を抱き上げると、カインは適当な酒場へと入った。

 

少女はカインから渡された蜂蜜酒を飲んでいる内に徐々に落ち着きを取り戻し、喋れるまでには戻っていた。

エレナはまず、カインに助け出してくれた事への礼を述べた。そして自分が貴族の娘であることを明かした。

この少女の父親であるヒズラドは生まれついての貴族ではなく、元は豪商で知られる商人の息子だった。

 

そしてヒズラドの父、エレナの祖父に当たるこの商人は、巨万の財宝を築くといつしか地位へと憧れを抱くようになった。

そこで大金をはたいて貴族の地位を買うと息子のヒズラドに渡したのだ。

要するにこの少女は、典型的な金持ち貴族の娘だった。

 

「あの差し出がましい話ですが、私を父の元まで送ってはいただけないでしょうか、謝礼もお支払いしたいので」

「それなら美味い酒が欲しいんだが、お前の家には美味そうな酒は置いてあるか?」

それからカインはエレナを連れ立って、少女の邸宅へと向かった。

 

屋敷の門扉にいた門番に話をすると、カインはすぐに中へと通された。

庭を横切り、屋敷に入るとカインはそれから半刻(約一時間)ほど客間で待たされた。

その頃になると酔いもすっかり覚めていた。カインは召使いが運んできた茶を無言で啜った。

 

「お待たせしてしまい、申し訳ございませんでした」

そういって客間にやってきたのはこの屋敷の年老いた執事だ。執事は革袋を両手に持っていた。

「これは些少ではありますが、お嬢様をお救いいただいた謝礼でございます」

 

カインは執事に頷くと無言で革袋を受け取った。

革袋はずしりと重く、中には大量の金貨が詰まってるようだった。

「有り難く頂いておこう」

 

カインが革袋を懐にしまうのを見届けると、執事が盗賊の一件は他言無用で願いますと告げた。

謝礼にはどうやら口止め料も含まれているようだった。

「お嬢様は年頃でございますゆえ、変な噂を立てられたくはないのですよ。盗賊に傷物にされたなどということは……」

 

「安心しろ。このことは誰にも言わぬ。俺も今夜のことは忘れるとしよう。お互いにそれが一番良さそうだ」

カインはそれ以上は何も言わずに屋敷を辞すると、グラニーへの土産の酒を購いにとっくに閉まっている酒屋の戸を叩いた。

 

その翌日になるとカインはエンリケと朝食を共にし、大学の研究室で思いつくままに合成実験を繰り返していた。

何を作るかはカインの気分次第だ。ほとんど無秩序といっても良かった。

それにも飽きると大学を出て街へと繰り出した。

 

四階建て、五階建ての建造物に囲まれた大通りを通り過ぎ、石塀に囲まれた小道に入ってみる。

すると突然、この野生児は自分の首筋がチクチクと痛み出すのを感じた。殺気だ。

殺気を感じると、この蛮人は決まって首筋の辺りがチクチクと痛んだ。

物取りが近づいているのかと思い、カインは身構えた。

 

 

 



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野生児カイン8

その時、カインの視界が幾条もの銀色の光を捉えた。目を見張るような素早さで、カインが咄嗟に身を翻す。

後ろの石塀に当たって落ちたそれは、数本の針だった。

蛮人の若者が次々に飛来する銀色の針を躱し、あるいは剣で払いながら叩き落としていく。

 

その内にカインは辺りから、殺気が遠ざかっていくのを感じ取った。

どうやら姿の見えない敵は消え去ったようだ。カインは地面に落ちた針を拾い上げ、鈍色の光を放つ先端を見つめた。

 

ただの物取りなどではないだろう。明らかに熟練の暗殺者の手口だ。

カインは革袋に何本かの針を入れるとグリニーの待つ研究室へと戻った。

 

グリニーがカインの持ってきた針を調べると、すぐにその先端からは猛毒であるパリトキシンが検出された。

「カインよ、お主、最近になって人から何か恨みを買うようなことをしたか?」

 

「心当たりなら充分すぎるほどある。最初にザンボラを訪れた時に俺は酒場で十人の傭兵を撲殺した。

その次は路地裏で盗賊八人を剣で輪切りにしてやった。奴らの仲間が俺を恨んで手練の殺し屋を雇っても不思議ではない」

 

「なるほどな。しかし、いずれにしても注意が必要じゃぞ、カイン。だが、相手の手の内がわかったのは、

僥倖じゃったのう。敵が毒針使いなら、針を通さぬ丈夫な外套を羽織れば良い。丁度いいのがあるんじゃ。

針どころか、ナイフくらいなら簡単に跳ね返す外套がのう」

 

「ほう、それは面白いな」

カインが興味ありげに目を輝かせる。

「お主にやろう。着てみるが良い」

グリニーが葛篭つづらから取り出した黒い外套をカインに差し出す。

 

カインは外套を受け取ると早速羽織った。寸法も丁度いい具合だ。外套の布地はベルベットのような感触だった。

「礼を言うぞ、グリニー」

「礼などいらんさ、カインよ、その外套はお主のような戦士が着てこそ意味があるのじゃからのう」

 

それからカインは一旦、研究室を出た。

グリニーには傭兵や盗賊の話を聞かせたが、しかしカインは別のことを考えていた。

そうだ、あの晩に助け出した娘のことだ。老執事は他言無用とカインに言い含めた。

 

だが、もしかしたらあの後に気が変わって暗殺者を雇い入れたのかもしれない。あるいは他に理由があるのか。

とにかく今の段階では証拠など何一つなかった。

一番手っ取り早いのは殺し屋をひっ捕まえることだ。そして拷問に掛けて依頼者を吐かせれば良い。

そう考えるとカインは暗殺者を捕らえる作戦を練り始めた。

 

 

 

それからのカインは黒ヤギ亭の二階に始終入り浸っては、金に明かせて娼婦を買い漁った。

食事は下の酒場には降りずに二階の部屋まで給仕に運ばせた。

この未開人の若者は気前良く金をばらまき、娼婦や酒場の主は上客だと大層喜んだ。給仕にもカインは充分な心付けを渡した。

 

それから十日ほどが過ぎると、見慣れぬ給仕が部屋に食事を運んできた。

「見ない顔だな。新しい給仕か?」

饐えた麦酒と汗の匂いを胸元から漂わせた荒野の蛮人が、ベッドから重そうに腰を持ち上げる。

 

その傍らでは裸の女が眠っていた。三十路辺りの小太りの男がにこやかな笑みと口調で、ええ、そうですと答えた。

「そうか」

それだけ言うとカインは男の顎を殴り、昏倒させた。そして椅子に縛り上げると早速尋問を始めたのだった。

 

カインが男の頭に麦酒を浴びせ、目を覚まさせる。

「残念だったな。俺はこの酒場の親父に顔見知りの給仕以外、絶対に部屋に近づけるなと言い含めておいたのだ。

お前はまんまと罠にかかった。俺が馬鹿力だけの知恵足らずだと油断したか?」

 

カインが男の手首を掴み、裾を引き千切る。すると落ちた何本もの針が、小さな音を鳴らして床へと散らばった。

「さあ、この俺にどう言い訳するつもりだ?」

口角を釣り上げた男はカインの頬に唾を飛ばした。そしてさっさと殺せと喚いた。

 

「答えたくないようだな」

カインは男の親指を掴むと、無造作にへし折った。突然襲いかかった激痛に歯を食いしばり、男が身悶える。

 

「さあ、答えろ。答えれば命だけは助けてやる」

男の髪を鷲掴み、猛禽の如く鋭い双眸を向けてカインは問い詰めた。

 

 

 

白い天蓋付きのベッドで休んでいたヒズラドは、突然その頬を張られて安らかな眠りから強制的に起こされた。

「だ、誰だっ、この無礼者がっ」

まだ寝ぼけているヒズラドの頬にもう一度張り手が見舞われる。今度は流石に自分の置かれた状況を察したようだ。

 

「ヒズラド、この恩知らずの薄汚い犬めっ、娘を助けてやったのに良くもこの俺を殺そうとしたなっっ」

怒りに滾った両眼を真っ赤に充血させ、己を見下ろす蛮人にヒズラドは震え上がった。

暗闇の中で微動だにせず睨み据えるカインのその姿は、まるで地獄から現れた悪鬼を彷彿とさせ、ヒズラドの血を恐怖に凍りつかせた。

 

「ま、待てっ、待ってくれっ、あれは娘の為だったんだっ、金を渡したとは言え、お前が何かの拍子で口を滑らせるとも限らんし、

それに後々にまた金を揺すられては困ると思ったんだっ!」

ヒズラドがカインの足に擦り寄り、命だけは助けてくれと哀願する。そんなヒズラドを鬱陶しいとばかりにカインは足蹴にした。

 

「ふざけるなよっ、俺がそんな話で納得するとでも思っているのかっ、だとしたらお前は相当な馬鹿者だっ」

「勿論、きちんと詫びをし、金を払おうっ」

「いいだろう。それならば命だけは助けてやる。だが、命を助けてやった恩を決して忘れるなよ」

 

カインは再び夜陰に紛れると街中へと引き返した。

それからまた何日か過ぎたが、ヒズラドからは連絡がなく、詫び金が届けられることもなかった。

「あの時始末しておけばよかったな……」

 

カインは心中でそう呟くと追い縋る衛兵達を弾き飛ばし、路地を駆け抜けた。

あれからカインに逮捕状が出たのだ。罪状は貴族の暗殺未遂だった。

カインはヒズラドへの報復を誓うと下水道へとその姿を消した。



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野生児カイン9

お世辞にも衛生的とは言い難かった。ここは悪臭が芬々(ふんぷん)と漂い、汚物が澱んでいる下水道の地下だ。

衛兵のシャンクは貴族殺害の未遂犯だというバーバリアンの捜索を裁判官から命じられていた。

他の衛兵達も同じだ。連射式のクロスボウを胸板の辺りに構え、シャンクが掲げたランプの明かりを頼りに地下通路を渡っていく。

 

それにしても酷い場所だった。湿気を含んだ汚水の臭気もそうだが、石壁全体も黒カビに覆われている。

こんな場所からはさっさと引き上げたいものだとシャンクは舌打ちした。

シャンクが衛兵に配属されたのが半年ほど前で、それまでの仕事といえば割り当てられた地区の見張りと巡回だけだった。

 

だから今回のような捕物を経験したことはない。

正直な所、シャンクは下手人がさっさと捕縛されるなり、殺されるなりしてくれればいいと感じていた。

そうすればこんな面倒な手間は掛けずに済むし、酒場でゆっくりと酒を飲んで休むこともできる。

 

下水道の中で、シャンクは下手人がとっとと捕らえられますように、

そして自分には近づいてきませんようにと、不運避けの神であるタバワに祈った。

相手は化物じみた怪力を誇る凶暴なバーバリアンだと聞いていたからだ。

押し寄せる数十人もの衛兵を薙ぎ倒し、捕縛用の網を引き裂き、まんまと逃げおおせたというのだから恐れ入る。

 

そんなお尋ね者を相手にするのは命がいくつあっても足りないだろう。シャンクがもう一度、早口で神への祈りを唱える。

だが、残念ながらシャンクの祈りは神には届かなかったようだ。

背後から首筋にナイフを突きつけられ、シャンクは慄くように身震いした。

 

「おい、お前の仲間は他に後何人いる?」

「お、俺を含めて百人ほどだ……」

両手をあげ、後ろを振り返らずにシャンクは答えた。

 

「なるほど、百人か。それでは次はこのまま大急ぎで向こうまで走って叫べ。あっちに人影が見えたぞとな。

ああ、言っておくが俺は夜目が利くし弓矢の扱いも得意だ。嘘だと思うなら試してみるといい」

試せと言われてもシャンクにそんな度胸はない。それでなくても心底、肝を冷やしているというのに。

 

カインから命じられた通りにシャンクは行動した。通路を大急ぎで走りながらあそこに人影が見えたぞと騒ぎ続けた。

その叫びを聞きつけた他の衛兵達がシャンクの後を追う。

音もなく下水道の天井に張り付いた蛮人は、それを静かに見下ろしていた。

 

 

 

カインはヒズラドの行方を追った。屋敷は既にもぬけの殻だった。

だが、カインがシラミ潰しに探していくと、

どうやらこのワラギア貴族は首都から南に位置する街、タネローンに潜んでいるらしいという事がわかった。

 

タネローンは国王直属の自由都市だ。だからタネローンには領主は居らず、市民の代表者である市長が自治権を行使する。

ヒズラドはこのタネローンにある隠れ家の中で、事が済むまで黙って眺めていようという魂胆のようだった。

あるいは罠を仕掛けてこちらがノコノコと現れるのを狙っているのか。

 

カインは館をぐるりと囲っている忍び返しのついた高い塀を軽々と乗り越えた。常人には及びもつかない跳躍力だ。

塀を飛び越えた蛮人は、次に物陰に潜むと精霊の力を使って館の周囲を観察した。

すると屋敷を十重二十重に囲う赤い光線が見えた。この光線は人間の肉眼では見えない類のものだ。

 

慌てることなく、カインは考えた。

そして一旦離れてから近くの道具屋で等身大の鏡を持ち出してくると、再び屋敷に引き返してきたのだった。

荒野の野生児が二つの鏡を盾のように構え、光線を反射させながら進んでいく。

そして蔦に覆われた館の石壁に手をかけると、力強くよじ登っていった。

最上階までたどり着くと鎧戸を素手で叩き壊し、中へと侵入する。この蛮人に入り込めぬ場所はないのだ。

 

 

 

再び、ヒズラドはバーバリアンの凶手に晒されていた。護衛に雇った戦士や魔術師達はカインの存在すら認識できずに眠らされた。

「ヒズラド、一度ならず二度までも俺を謀ったな。このままでは俺は当分の間はワラギアに戻ることはできん。

その溜飲を下げるために俺は思う存分に貴様を切り刻もうと考えている。生きたままでな」

 

「助けてくれっ、もう一度チャンスをくれっ、なんならわしの全財産をやろうっ」

「往生際の悪い奴だな。お前のような男は信用できん。とはいえ、この前は俺も爪が甘かった。

そうだな、証拠の品が欲しい。念書を書くならば考えようではないか」

 

「ああ、わかったっ、勿論書くともっ」

命が助かるかも知れないという一筋の希望にヒズラドはしがみついてきた。

そんなヒズラドに対し、カインは何の感情の起伏も感じられない視線を送った。

 

「では二通書け。押印と自署を忘れるなよ。

まずはこの俺にワラギアにある屋敷を贈与すること。暗殺未遂の申し立ては虚偽であったこと。

盗賊から娘を救い出した俺に対し、世間体を気にして口封じに刺客を差し向けたこと。

今では深く後悔していること。これらを全て綴っていけ」

 

バーバリアンの言うがままにヒズラドは念書に筆を走らせた。書き終えた念書をカインがじっと眺める。

「よし、いいだろう。上出来だ。だが、血印が必要だ」

筆を握っていたヒズラドにカインがナイフを握らせた。そして相手の喉笛に握らせたナイフを突き刺した。

 

「あるいはお前の信じる神であれば情けも掛けただろう。だがな、生憎と俺は神ではないのだ。

二度の裏切りは絶対に許さん」

机に広がった血溜まりに顔をうつ伏せたヒズラドに向かってカインが静かに語りかける。

 

それからカインは部屋の窓を開け放ち、

「これならば俺への詫びとして喉を突いて自決したように見えるだろう」と呟くと闇夜の中へと消えていった。

 

 

それからカインがワラギアに戻ると逮捕状は取り下げられていた。

ヒズラドから贈られた屋敷へとその足で赴く。だが、そこに待っていたのは涙で頬を濡らしたエレナの姿だった。

「どうして、どうして貴方が……」



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蛮人カインと淫虐の総督

静かに玄関ホールで佇んでいたエレナ──その瞼は泣き濡らしたせいか、やや腫れぼったくなっている。

「泣いているのか、エレナ。父の死が悲しいのか、それともこの屋敷を失うことへの痛ましさか?」

「その両方です……父もこの思い出の屋敷も一度に失ってしまったのですから……」

 

「それならばエレナよ、俺はお前の悲しみの半分はすぐにでも消すことができるだろう」

泣き腫らしたその細面を上げ、エレナがカインに尋ねた。

「どういう意味ですか?」

 

「正直言って詫びに屋敷を貰ったはいいが、俺の手には余る。あんたが使いたいというならあんたが使うといい。

そっくりそのままこの屋敷は返してやる。その代わりに俺が屋敷を自由に出入りし、好きに飲み食いできるようにしろ」

途端にエレナの表情に生気と輝きが戻っていく。

 

「その顔つきからすると悲しみの半分は癒えたようだな。もう半分は残念ながら俺にはどうすることもできん。

死人を生き返らせる術を俺は知らんのだ」

「ああ……カイン、貴方は本当に素晴らしい方です、私の命の恩人であり、

父に命を狙われた代償に差し出されたこの屋敷を事も無げに手放してしまわれるなんて、カイン、貴方には欲というものがないのですか?」

 

カインはその問い掛けに対して首を横に振ると、潤みを帯びたエレナの緑色の明眸を覗き見た。

「俺にだって欲はある。いや、生きていれば誰だって欲望はあるだろう。ただ、俺は文明人とは違う。

文明人が欲する類のものだからといって、蛮人までもが欲しがるというわけではない」

 

彫りが深く精悍せいかんに整ったカインのその相貌は、表情らしい表情を映し出さなかった。

その表情はどこか野生に生きる動物めいている。そんなカインにエレナは曖昧気味な笑みを浮かべた。

それから二人の間にしばしの沈黙が訪れた。

 

 

 

広間にある螺旋階段を両腕のみで昇り降りするカインに召使い達は奇異の視線を移している。

それでもカインは気にする様子もなく、広げた掌を使って階段を再び昇っていった。

それにも飽きると次は右手と左手の人差し指のみで階段を下りていく。

 

そうしている内に身支度を整えたエレナが衣裳室から出てきた。

青く染めたシルクのドレスに身を包み、メイドに手を取られながら螺旋階段を下りていく。

「どうやら準備は整ったようだな。それでは出かけるとしようか姫よ、護衛は俺が務めよう」

 

それから二人は屋敷の中庭の控えさせていた場車に乗り込むと外門を横切り、街の劇場へと向かった。

エレナは史劇などを好み、護衛を連れてはこうしてよく出かけるのだった。

 

目的の場所に着くと二人は馬車を降りた。

大小の劇場が軒を連ねる劇団通りはいつも多くの人々で賑わいを見せている。

カインはエレナを引き連れて劇場へと入っていった。それから二人は休憩を挟んで四刻(八時間)ほどの劇を鑑賞した。

 

劇を見終えて外へ出ると空はすっかり日が落ちていた。

近くの酒場で暇を潰していた赤ら顔の御者が、酒臭い息を吐きながら戻ってくる。

乗り込んだ馬車で二人は再び揺れた。カインにとって劇はさほど面白いものではなかった。

 

白馬に乗った気高き騎士が姫を攫っていった卑劣なムスペルヘイムのバーバリアンどもを剣で次々に倒していき、

最後はその救出した姫と夕焼けの中で結ばれるという内容のものだったが、カインにとっては到底楽しめる話ではない。

劇中で醜く戯画されたバーバリアン達は、腰が曲がったただの猿モドキで言葉すら喋れなかったからだ。

 

それは荒野に生きる蛮人とは似ても似つかない代物だった。

そもそもあのような頭の悪い猿モドキが生き抜いていけるほど荒野は甘くはないのだ。

カインは劇場で見た内容を頭を振って忘れることにした。そんなカインとは対照的にエレナはご満悦の様子だ。

 

騎士と姫とのラブロマンスに酔いしれているのだろう。

カインはエレナを自らの身体に引き寄せると、布地の上からその滑らかな臀部をまさぐった。

「あ……」

 

エレナが思わず呻く。だが、抵抗はしない。あの晩、既にカインはエレナを抱いていたのだ。

懸念を払拭しておきたいという考えもあったし、単純にエレナが欲しいとも感じていた。

だからカインはエレナの身体を奪った。

 

男女の関係になることで、エレナの父が死んだことに対する不信感を取り除いたというわけだ。

エレナの華奢で繊細な身体つきは、この素晴らしい体躯を誇るバーバリアンと比べると酷く儚げに映る。

カインはエレナのスカートを引き上げると、なだらかな曲線を描いた白い尻をすっかり露わにした。

 

「ああ……」

カインがエレナの可憐に色づいた唇を奪い、自らの舌を絡ませる。

そして樫の木のようにたくましいその両腕で少女を抱擁した。

力強く脈打つカインの肉体の強靭さと情熱にエレナは震えるような思いだった。

そして二人は揺れる馬車の中で、互いに愛欲を求めあったのだった。

 

 

 

またぞろ戦が始まろうとしていた。

ワラギアの隣国であるイスパーニャが、自らの属国であったカノダから蜂起されたからだ。

この蜂起の原因はイスパーニャ王の代理でカノダを統治していたタルス総督は暴君であり、圧政を敷いていたのだ。

 

重税に次ぐ重税や蔓延する疫病の放置などはまだ良い方で、タルス総督は面白半分に罪のない人々を殺した。

特にタルスは若い娘を好んで嬲り殺した。

淫虐総督、ドブネズミのタロス、そしてタロスの暴虐に耐え切れなくなったカノダの人々は、ついに立ち上がったのだった。

 

ワラギアはそんなカノダに助力を申し出た。

ワラギアとイスパーニャの間には国同士の確執があり、互いに出し抜く機会を伺っていたのだ。

カノダがイスパーニャからこちらへと鞍替えしてくれれば、ワラギアからすればこれほど愉快な話もなかった。

そして荒野育ちの蛮人もまた、その戦火の中で己の武勲を得ようとカノダの地にその身を寄せた。

 

 

 

激しい雷鳴が轟き、爆発音が木霊した。砲弾や魔法の直撃を受けた兵士達が叫ぶ間のなく吹き飛ぶ。

カインは死屍累々とした血河に染まる敵線の只中で、ただ一人戦っていた。

味方の生き残りは既にいない。

 

味方の兵士の大半は敵に殺され、カインが囮となって逃がした少数の仲間も今頃はどうなっているのか、

判断つかぬ状況だった。

カインが紅に輝く荒涼とした戦場地を突き進んでいく。



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蛮人カインと淫虐の総督2

弓兵達の放った矢を剣で叩き落とし、炸裂する弾丸の破片を素早く躱し、追撃する魔法を打ち消しながら。

カインの戦いぶりは凄まじく、敵兵は吹き上がるような恐怖に戦慄した。

甲冑や盾などこのバーバリアンには紙屑も同然だった。

鋼鉄の鎧で守られていたはずの身体は、カインの振るう剣の一薙で無造作に斬り飛ばされた。

 

鉄兜ごと顎まで割られ、あるいは甲冑ごと胴体を両断され、イスパーニャの兵士達は人間ではなく、

まるで荒野の魔獣を相手に戦っているような錯覚に囚われた。

勇猛で知られるムスペルヘイムの蛮族ですら恐れる荒野の戦士──これが、これこそが蛮勇カインの力なのだ。

 

身体中を敵兵の返り血で存分に濡らし、次々に肉塊を築き上げながらカインは縦横無尽に戦場を駆け抜けた。

「ベルセルク……奴こそ伝説の狂戦士だ……」

カインの戦闘を遠巻きにしていた敵兵の誰かがそう呟いた。

 

蛮人に脇腹を切り裂かれたイスパーニャ兵が怪鳥めいた悲鳴を上げて崩れ落ちる。

狼狽えた敵兵達を睨みつけ、カインは野獣の如く咆吼ほうこうした。

恐怖心が他の兵士達にも次々に伝染していく。

 

この狂戦士を前にして、数の上では圧倒的な有利を誇っていたイスパーニャ兵達は、すでに逃げ腰になっていた。

「どうした。命が惜しくなければ掛かってくるが良い。それともイスパーニャの兵は腰抜け揃いか」

カインは血の滴る刀を振り上げ、相手を挑発した。

 

 

 

タルスは自らの城館に立て篭り、ただ、援軍を待ち侘びていた。

その内に本国から派遣された大軍が暴徒と化したカノダの民や、ワラギアの薄汚い兵隊を自分の領地から一掃するだろうと、

そんな期待感を胸に抱きながら。

 

ワインの注がれた純金の酒杯を傾け、タルスが一つ溜息を漏らす。

この城館は、とある大貴族からタルスが強制的に取り上げたものだ。

城館──ここで言う城には防御施設の意味が含まれ、そして館は住居を指す。

 

だから城館とは防衛拠点の機能を兼ね備えた住居ということになる。

タルスはこの城館を痛く気に入っていた。城館から天高く聳そびえる見事な尖塔は千里の地平線まで見渡せるほどだ。

それに中庭にある城内礼拝堂やサロン、大広間も気に入っていた。だが、タルスの何よりのお気に入りはこの地下室だ。

 

天井から伸びた鎖と鉤爪に壁伝いに置かれた拷問器具の数々。

一体どれだけの犠牲者達の血をこのコレクションに吸わせてきただろうか。

タルスは純銀製の椅子から立ち上がると、恐怖と悲しみに満ちた表情を見目麗しいその相貌に浮かべる娘の前へと進み出た。

 

「ミラよ、気分はどうじゃな?」

呼びかけながら、タルスは自らの手で殺めた大公アシュトの美しき忘れ形見を満足げに見下ろした。

「もう嫌……いっそのこと殺してください……ッ」

 

ミラがむせび泣きながら、殺してくれとタルスに訴える。

「残念だがそれは出来ん相談じゃ。まだまだ楽しませてもらうぞ、大公女よ。わしはお前が苦痛と屈辱に身悶え、

その美しい横顔を歪ませる姿を見たいのじゃ。お前が苦しめば苦しむほど、わしの心は喜悦に満たされるのじゃよ」

 

タルスが腰に挿した黄金の柄で出来た鞭をふるい上げ、ミラの背中をしたたかに打つ。

「うあああああァァァッ」

余りの激痛にミラが泣き叫ぶ。タルスはこの美しき虜囚に鞭を浴びせ、いたぶり続けた。

 

「さあ、もっと泣き叫ぶのだっ、お前の悲痛に満ちたその叫び声、その悲鳴がわしの心を喜ばせるッッ」

ミラの肌を守っていた薄絹の衣が弾け飛び、大公女の背中と尻房に次々と真っ赤な鞭跡が刻まれていく。

醜い愉悦に浸ったタロスの冷たい笑い声が地下室にこだまする。

 

「それではいつものようにお前の身体をたっぷりと愉しむませてもらうとするかのう」

タルスがガウンを脱ぎ捨て、その飽食に肥えた身体を外気に晒す。

その時、地下室内の扉が軋みあげ、貫木ごと吹き飛ばしながら大きく開いた。

 

痛みで朦朧としていたミラは意識を取り戻すと、その青みがかった瞳を大きく見開いた。

「タルスの首級はこの俺がもらったっ」

雄叫びをあげながら乱入者がタルス目掛けて躍りかかる。

 

突然の出来事に我を忘れていたタルスは、しかしすぐに身構えると楕円形の赤石を嵌めた指輪を侵入者へと突き出した。

赤石の放った光線がカインの頬を掠める。一瞬、焼けるような痛みが走った。

だが、カインはその勢いを止めることなく長剣を振り払った。

 

「うぎゃああああああああああっ」

つんざくような悲鳴とともに指輪を嵌めたタルスの右腕が血飛沫を上げた。

切り離されたタルスの手首から間欠泉の如く黒血が噴出する。

 

「魔法の指輪か。面白い物を持っているな」

カインが切断されたタルスの手首を拾い上げ、指輪をもぎ取ると自分の指へと移し替えた。

「悪くない、気に入ったぞ、タルス。ではお次はお前の首を頂こうか」

 

カインが長剣を構えなおすと再びタルスににじり寄る。それはどこか獲物をいたぶる猫科の猛獣を連想させた。

手首を必死に抑えたタルスが、脂汗を流しながら後ろへと下がる。

「ま、待てっ、わしを殺すよりも捕虜にしろっ、身代金はお主の思うがままじゃっ」

 

「ふむ、捕虜か。確かにここで首を刎ねるより生け捕りにしたほうがいいかもしれんな」

カインが表情を動かさず、怯えるタルスをジッと見つめる。

ミラはあらん限りの大声を上げ、カインに助けを求めた。

 

「どうかお助けてくださいっ、私は大公アシュトの娘ミラと申しますっ、タルスに囚われ、この地下室に幽閉されていたのですっ、

どうかっ、どうかっ、助けてくださいませっっ」

助けを求める娘の叫び声に気が取られたカインの隙を突き、タルスは隠し通路へと逃げ出した。

 

「逃げられたか。まあ、いい」

長剣を鞘に収めるとバーバリアンがミラへと歩み寄る。

ミラはこれまでにカインのような戦士を見たことがなかった。

 

その見事な体躯と猛々しい雰囲気は人の形を取った野生の獣のように思えるのだ。

「所でミラと言ったな。大公アシュトの話は俺も聞き及んでいた。いいだろう、俺が安全な場所まで連れて行ってやる」

 

カインは傷ついたミラを己の背中に背負うと、地下をぐるりと見回した。

「ほう、丁度いい。あそこからなら近道が出来そうだ」

そして頑丈な鉄格子の前に立ち、その鋼鉄の杭を両手で掴んだ。ミラが怪訝そうな顔を浮かべる。

 

一体この男は何をするつもりなのだろうか。まさか、この太い鉄格子をねじ曲げようとでもいうのだろうか。

そんな考えがミラの頭に浮かんだ。ミラの考えはすぐに現実のものになった。

頑丈な鉄格子はまるで飴細工のようにヘし曲がり、人が通れそうな広さに広がった。

 

「ではいくか」



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蛮人カインと淫虐の総督3

ミラを背負ったままカインは走った。驚くべき早さだ。

狂気とも言える疾走を見せながら、蛮人が崖の斜面をかけ下り、森林を突き抜けていく。

どんどん遠ざかっていく城館を振り向きざまに眺めるミラ──本当に自分はあの憎いタルスの魔の手から逃れられたのだろうか。

鉛色に覆われていく空を見上げ、この大公女は自分が夢うつつの中にあるのではないかと感じた。

 

本当の己はまだ地下室に幽閉されていて、これは自らの願望が見せた幻ではないのかと。

「もう少しだけ我慢しろ、ミラよ。すぐに休める場所を見つける」

樹間を縫い、岩の突き出た小川に出るとようやくカインが足を止める。

 

「追っ手の姿も見えないな。ひとまずここで休息を取るか」

ミラを背中からそっと下ろしてやるとカインはその場に座り込み、革袋から取り出した獣の干し肉と葡萄酒の詰まった水筒を娘に勧めた。

「食え。食わねば身体が持たんぞ」

 

ミラは未開人の若者から勧められるがままに干し肉を噛み、葡萄酒を啜って乾いた喉を潤した。

そして一息つくとカインに深々と頭を下げ、美しき大公女は再び礼を述べた。

「本当にどうお礼を申し上げれば良いのかわかりません。貴方には感謝してもし尽くせない恩を受けました。

あのお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

 

「俺はカイン、今はワラギアに与している」

足についた泥を払い、剣にこびりついた血と脂を鹿革で拭い取りながらカインはつまらなそうに答えた。

「では貴方はワラギアの人間なのですか?」

 

「いや、俺はムスペルヘイムの蛮土の男だ」

途端にミラに怯えの色が走る。カインはそんなミラを一瞥すると、拭き終えた剣を鞘に収めた。

「ミラよ、俺が恐ろしいか?」

 

「……」

未開の荒野ムスペルヘイム──文明から取り残された野蛮なる魔の支配する土地。

地獄の魔物と血に飢えた蛮人が彷徨う呪われた場所。

 

大公の娘として文明に浴し、教養や礼儀作法を学びながら乳母や使用人からお蚕ぐるみで育てられたミラにとって、

恩人であるはずの目の前の男は異様な存在として映った。

「隠さずとも構わん。文明人のお前からすれば、俺のような未開人の男は人間ではなく、獣のように映るだろう」

 

そう言うとカインが乾いた血糊がついた右頬を手の甲で拭う。

そこにはあるはずの傷がなかった。いや、光線でつけられた傷口はとっくに塞がっていたのだ。

ミラは思った。やはりこの男は人間ではなく、怪物の類ではないのかと。

 

「俺は荒野のバーバリアンだ。あの程度の傷であれば、酒を飲んでいる間に治る。所でミラよ」

そう言いながらカインがミラの背後へと回る。カインの行動に思わずミラはビクリと身体を震わせた。

だが、温もりを持った大きな掌が優しく肩に置かれたとき、ミラは不思議な安堵感を覚えた。

 

「酷い鞭の痕だな。放っておけば熱が出るぞ。これを飲んでおけ」

カインは印籠から取り出した丸薬状のアスピリンをミラに飲ませる。

これはセイヨウシロヤナギの葉を原料にカインが錬金釜で合成したものだ。

 

アスピリンには解熱と鎮痛の作用がある。

「これで少しはマシになるだろう。あとはこの傷を直接癒すとしよう」

カインが裂けた皮膚痕に唇を這わせ、ミラの傷を舌で舐め上げる。

 

これにはミラも驚いた。この男は人間ではなく、やはり獣の化身なのかと。

だが、カインは頓着せずに血が滲むミラの肌を労わるように舐めていった。

その舌触りがミラにはとても心地よく感じられた。

 

「野の獣も蛮地の住人も傷ついた仲間の傷をこうして舐めて癒すものだ」

蛮人が背筋から徐々に舌先を降ろし、ミラの腰や尻についた傷口も優しく舐めていく。

カインの唾液が傷口に沁みるが、ミラは決して嫌がる素振りを見せず、この野生児なりの労りに感じ入った。

 

そして、ミラは知らず知らずにまどろんでいき、ただ、温かな舌先に身を委ねていった。

カインが無言のまま舌腹をミラの肌に滑らせていく。切なげに震えるミラの長い睫毛。

闇に覆われた空には、いつしか銀貨の如く煌く満月が顔を覗かせ、冷たい光を放ちながら黙ってふたりを見下ろしていた。

 

 

 

二日目の夜になってミラを引き連れたカインは、味方の陣地へと舞い戻った。

そしてエンリケにミラを引き渡すと、カインは他の兵士と混ざって一時の休息を取ることにした。

一度、戦場に赴けば、いつ休めるかはわからないからだ。

 

タルスから大公の遺児を救い出してきたカインは、兵士達の間ではすこぶる評判になった。

傭兵も正規兵も混ざって篝火を囲い、エールを飲み交わしながら口々にその噂をした。

とんでもない手練がいた者だ、一体何者か、俺は知っているぞ、奴こそがあのムスペルヘイムの戦士カインだと。

 

その噂の当人は何をしているのかというと、燃えさかる炎を前に剣を取り、軽やかに舞っていた。

それはムスペルヘイムに住まうナホバ族から代々伝わる剣舞だ。

ナホバ族の戦士達は戦に出る前にこの剣舞を精霊に捧げるのだ。

 

音もなくカインが闇の中で舞う上がると、それに合わせるように火花が飛び散り、焚き火が爆ぜた。

揺らめく炎が男達の顔を照らしつける。幻想的とさえ言えた。

文明から隔絶された荒野で生きてきたカインという野生児は、まるで太古の神話から現れた存在のように男達には感じられるのだ。

 

不思議な高揚感が兵士達の身の内から沸き上がってくる。

そうだ、このバーバリアンは文明社会の男達が捨て去った、野生の血を呼び起こす何かを秘めている。

夜空に向かって吠えるカイン──その雄叫びに呼応するかの如く、山々からは獣の遠吠えが轟いた。

 

 

 

戦はいつの世も人心を荒廃させる。否、正確には戦はいつの世もそのツケを払わされる者達の人心を荒廃させるだ。

そしてカノダの領内に住む村人達ほどその皺寄せを食っている。

街や都市であれば堅固な壁がその身を守ってくれるのだが、大抵の村にはそのような防衛設備はない。

 

せいぜいが木の杭を打ち付けて囲った防護柵くらいのものだ。

そんな無防備とも言える村はゴロツキ同然の傭兵連中からすれば、格好の標的だった。

この戦のどさくさに紛れれば、いくらでも略奪できるからだ。

 

あるいはそれ目当てに傭兵になった者達もいる。

また、正規兵は徴発の名の元に金品食料を強制的に取り立てることが許されていた。

こちらは国のお墨付きだ。

 

カインはたまたま訪れた村の人々を見ていた。どれも深い陰りを帯びている。

そんな村人がカインは不思議でたまらなかった。

何故武器を取って盗賊達と戦わないのだと。だが、それは仕方のないことだ。

 

戦えるような男手は戦で取られている。なので村に残ってるのは老人に女子供ばかりだった。

カインの育った荒野であれば、老人だろうが女子供だろうが生き残るためならば戦うが、

しかしここは文明社会が支配する土地なのだ。

 

ムスペルヘイムの掟はこの文明の地では通用しないのだ。

そして打ちのめされ続けた文明人は無気力に陥りやすい。

こうして圧政と戦によって無力感に溺れた村人達は、ただ、相手のされるがままになってしまったのだ。



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蛮人カインと淫虐の総督4

空になった酒樽に腰掛け、篝火で炙った干し肉を噛んでいたカインはたまたま通りかかった老爺に尋ねた。

 

何故、お前達は盗賊と戦わないのだと。

 

老爺は突然、見ず知らずの大男から声をかけられて驚いた。

 

 

 

 

だが、その表情もすぐに消えるとカインに向かって黙って首を振るだけだ。

 

そして弱々しく肩を落とすと畑のほうへと歩いて行った。

 

「無駄だよ、この村に残ってる連中で盗賊と戦おうなんて気力のある奴はいないさ」

 

 

 

 

横から口を出した少年が、カインの持っている干し肉にじっと視線を注ぐ。

 

腹が減っているのか。カインは何も言わずに物欲しげにしている少年目掛けて干した獣肉を何枚か放った。

 

途端に少年が干し肉に飛びつき、齧り付く。

 

 

 

 

「ところで俺はカイン、お前は誰だ?」

 

干し肉を頬張りながら、少年は答えた。

 

「俺はアルム、ご覧の通りの旅人さ。で、カノダで戦がおっぱじまったからこうやって戦場稼ぎに来たってわけだ」

 

 

 

 

「ほう、それで稼げたか、アルム?」

 

「いや、さっぱりだ」

 

アルムが右手をブラブラさせながら首を横に振る。

 

 

 

 

「傭兵に志願したんだけど、ガキだからって追い払われるし、死体から剥ぎ取った剣や盾も他の盗賊に奪われちまうし、

 

踏んだり蹴ったりって奴さ」

 

干し肉を粗方腹の中に収めると、満足げにアルムはゲップを漏らした。

 

 

 

 

「お前、歳はいくつだ?」

 

「十ってとこだな」

 

アルムは十歳の童にしては長身で、いかにも利発そうな目をしていた。

 

 

 

 

「親はいないのか?」

 

「お袋なら流行病でくたばっちまったよ。もう四年くれえ前のことだがな」

 

「その歳までひとりで生きてこれたのだから童ながら大したものだ。アルム、お前は賢いのだろう。

 

愚鈍な者が生きていけるほどこの世は甘くはないのだからな。よし、アルム、俺が傭兵に入れるよう口を聞いてやろう」

 

 

 

 

その言葉にアルムはパッと輝かせた。

 

「そりゃ、本当かい!?」

 

親無し宿無しのこの少年からすれば、カインの申し出はとてもありがたく感じられた。

 

 

 

 

アルムは敵国イスパーニャの生まれであるが、この童は自分の国の事など全く気にしてはいなかった。

 

極貧のスラム街で娼婦の腹から生まれた父なし子、それがアルムだった。

 

父親は名も知らぬようなどこかのゴロツキで、物心ついた時には子供ながら自分なりに働いていた。

 

 

 

 

大体の仕事は酒樽運びやゴミ拾いであったり、あるいは汚穢の汲み取りの手伝いだった。

 

それでなんとかやってこれた。アルムの母親が病に倒れるまでは。

 

親を失ってからもアルムは、なんとか己の食い扶持を見つけて糊口をしのいだ。

 

 

 

 

その仕事も見つからない場合は盗みやかっぱらい、時には幼いながらも切り取り強盗の真似も働いた。

 

だが、一体誰がこの少年を責めることができるのだろうか。

 

別に孤児など珍しくもなければ、国が何かしてくれるわけでもないのだ。

 

 

 

 

そして文明国の都市に生きる人びとは、自らのことで精一杯で、親無し子の面倒を見られるほどの余裕もない。

 

アルムが食うために悪事を働くのは、むしろ自然の流れだ。

 

そして少年はいつしか、己の剣一つで戦場を渡り歩く傭兵としての道を目指したのだった。

 

 

 

 

アルムは何度もカインに感謝の言葉を述べた。

 

いつの間にか酒樽から立ち上がっていたカインを見上げる少年──ひゃあ、カインの兄貴、あんたはでかいんだなあ。

 

おいら、兄貴くれえ背が高くてでかい奴は見たことがねえよ。

 

 

 

 

 

 

深い闇が波打っている。タルスは哀れな犠牲者から取り出した心臓を捧げ、魔石像の前に祈り続けた。

 

祭壇に置かれた黒い陶器の香炉──酷い臭気を漂わせている。

 

「地に潜みし蛆王クワバトよっ、我に力を与えよっ」

 

 

 

 

必死で祈りながら蛆虫が蠢く壺の中へと、タルスが手首を切り落とされた腕を沈めていく。

 

タルスの腕に絡みつき、上へ上へと這い上がっていく蛆の群れ。

 

傷口にまで蛆が潜り込んで来る。

 

 

 

 

タルスは邪悪な魔術に手を染めた。カインへの復讐を遂げ、再びミラを取り戻すために。

 

あるいは……タルスはすでに狂気の淵に追いやられていたのかもしれない。

 

「呪われろっ、呪われろっ、わしから右腕とミラを奪っていた憎い奴っ」

 

 

 

 

タルスが祈りを捧げる蛆王クワバトは太古の大悪霊だ。

 

感情が高ぶるに連れてタルスが唸り声を上げ続ける。

 

そして魔石像に捧げた血まみれの心臓を掴むと獣のように食いちぎり、嚥下していった。

 

 

 

 

「次の生贄を用意せい……」

 

タルスが配下の兵士に命じると、新たな生贄が運び込まれてくる。

 

生贄は年頃の若い娘だった。近くの村から連れてこられたのだ。

 

 

 

 

「離してっ、離してくださいっ、お願いですから村に返してくださいっ」

 

そんな娘にタルスが目を細め、嘲笑うように唇を歪めた。

 

「活きが良いのう。これなら良い生贄になりそうじゃ」

 

 

 

 

振り下ろされる短剣、切り裂かれる乳房──暗き祭壇の間に娘の絞り上げた断末魔が轟く。

 

タルスは娘の亡骸から生温かい心臓を抜き出すと、再び魔石像に捧げた。

 

ほの暗き空間の中に眼を凝らせば、そこには巨大な蛆が影射していたのだった。

 

 

 

 

 

 

幕舎では何人かの指揮官が集まり、作戦を練っていた。

 

幕舎の中央に置かれた肘掛け椅子に座るのは王弟の息子であるエンリケ閣下、その傍らに立つのがカインだ。

 

作戦会議に集まった将校貴族の面々にとって、この男は酷く不気味で威圧的に映る。

 

 

 

 

だが、それをどうこう言い出す者はない。

 

彼らにとってカインは人間ではなく、エンリケが飼っている猛獣と認識されているからだ。

 

エンリケ閣下の護衛にして恐るべき手練の暗殺者──ムスペルヘイムから連れてきた荒野の猛虎。

 

 

 

 

白兵戦に置いては無類の強さを誇り、同時に獲物に気取られずに仕留めてくる野生の殺し屋だ。

 

この男に敵側は一体どれほどの指揮官や将校を暗殺されたのだろうか。

 

指揮官の一人が咳払いを一つしながら広げた地図を指差して言った。

 

 

 

 

「それでラッセル砦の件ですが、私は裏門から攻めてみようと思う次第ですが」

 

丸顔小太りの指揮官が一同を見回しながら話を進めていった。

 

この男、名をテルジオという。

 

 

 

 

「と言いますのもラッセル砦は裏側に森を背負っておりますので、

 

木々に隠れながら向かえば敵に気づかれずに攻め入ることができるかもしれないのです」

 

「悪くない考えだな、テルジオ殿」

 

 

 

 

エンリケがテルジオに鷹揚に頷いてみせる。

 

それを了承と取ったのか、ではそのように部隊を編成しますとテルジオが答えた。

 

 

 

 

それまで黙って地図を見ていたカインが、おもむろに口を開く。

 

「ラッセル砦か。それなら一つ、俺が落としてきてやろう。この場合は隠密行動が重要だからな。

 

大勢でいけば、いくら森の中でも気付かれるぞ」

 



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蛮人カインと淫虐の総督5

少数の手練を率いたカインは、闇夜に乗じてラッセル砦を攻めた。

 

櫓(やぐら)に居た見張り達を音もなく弓矢で始末し、用水路を渡って砦の内部へと見事に潜入したのである。

 

 

 

 

あとはカインの独壇場だった。

 

その場で仲間達を待機させ、砦の指揮官が眠る寝室へと忍び込むと、寝込みを襲ってカインはこれを始末した。

 

 

 

 

「指揮官は討ち取ったぞっ、それっ、火を放てっ」

 

 

 

 

カインの怒号とともに控えていた仲間達が厩や兵舎に火を放った。生じる混乱の渦。

 

慌てふためきながら、叫び声をあげる敵兵達。

 

 

 

 

火矢を夜空に向かって打ち放ち、カインが外で控えている援軍に合図を送る。

 

 

 

 

こうしてラッセル砦は蛮人の手によって、たった一晩で攻め落とされた。

 

 

 

 

それから一夜が明けた。

 

味方側の死者はほとんど出ず、砦に転がっている亡骸はイスパーニャ側の兵士達のものだ。

 

未だに燻る厩や兵舎が白い煙を上げている。

 

 

 

 

カインは食料庫から持ってこさせた蒸留酒で一杯やっていた。

 

灼けつくようなこの火酒の味わいをカインはこよなく愛した。

 

 

 

 

「イスパーニャの奴らが砦の奪還に来るかもしれん。充分に気をつけなければな」

 

「何、それなら心配ねえさ。あんなイスパーニャの腰抜け犬なんぞ返り討ちにするまでよ」

 

 

 

 

と、傭兵仲間のラッソが槍を回しながら口端を釣り上げてみせた。

 

 

 

 

「うむ、それにしてもこの酒は中々美味だぞ。お前も味わってみろ」

 

 

 

 

カインから手渡された酒樽を受け取ったラッソがグビリと一杯やってみせ、コイツはうまいと舌鼓を打つ。

 

「イスパーニャの連中、中々良い酒飲んでやがんな」

 

「奴らに飲ませるのは勿体無い。ここは一つ、俺達で飲み干してやるとしようではないか」

 

 

 

 

それから酒の回し飲みが始まった。荒くれで知られる傭兵達が焚き火を囲いながら酒樽に口をつけていく。

 

その輪の中にはアルムも加わっていた。

 

 

 

 

 

 

 

喧騒に包まれた市街地──城壁で守られたこの街は、外にいる連中からすれば天国に映るだろう。

 

 

 

 

なんせ外では戦火が吹き荒れている。この街を奪還出来たのは僥倖と言えた。

 

街には戦乱から逃れるべく近隣の農民達が次々と押し寄せている。

 

 

 

 

買い出しを済ませ、旅籠に荷物を預けたカインとアルムは、その足で酒場へと向かった。

 

報奨金ならたんまりと貰っている。エンリケは気前が良いのだ。

 

 

 

 

真ん中のカウンターに陣取ると、カインがありったけの酒と料理を注文する。

 

キジ肉のパイ、豚肉のソテー、サラダの盛り合わせ──二人は運ばれてきた料理をバクバクと胃袋に詰め込み始める。

 

 

 

 

食い溜めだ。戦場に戻ればいつまともな食事にありつけるかはわからない。

 

だから食える時に食っておく。

 

 

 

 

粗方食事を平らげ、麦酒で喉を潤し始めるカイン──酒場の店内を見回した。

 

娼婦と金のやり取りをしている客達が、酒場女と共に二階の部屋へと消えていく。

 

 

 

 

「おい、アルム、お前は女は好きか?」

 

 

 

 

「女か、抱いたことがねえからわからねえよ」

 

「そうか、それなら抱いてみろ。お前も既に一人前の兵士だ。戦場で立派に務めを果たしているのだからな」

 

 

 

 

そう言うとカインは酒場にいた女のひとりを手招きした。

 

年若い赤毛の娘だ。躰つきはほっそりしているが、アルムには丁度良さそうに見える。

 

 

 

 

カインは黙って娘に数枚の大銀貨を握らせると、アルムを連れて上に行くように命じた。

 

 

 

 

「あら、まだ子供じゃないのさ?」

 

娘がアルムを見やりながら鼻で笑ってみせる。

 

そんな娘を見下ろしながら、カインはゆっくりとした口調で告げた。子供に言い聞かせるように。

 

 

 

 

「違う。アルムはこの国の為に立派に働いている傭兵の一人だ。この街を奪還出来たのは誰のおかげか考えろ。

 

わかったらお前も自分の勤めを果たせ」

 

 

 

 

その言葉に娘が頷く。

 

「いいわ、じゃあ上に行きましょう」

 

 

 

 

娘がアルムの手を取ると二階へと上がっていく。

 

 

 

 

アルムの方も満更ではないらしく、頬を緩ませながら娘の腰に手を回していた。

 

そのまま二人が並んだ部屋の一室へと消えていく。

 

 

 

 

今を楽しむことだ。死んでしまえばもう味わうことはできなくなる。それが傭兵という商売だ。

 

カインはガラスの容器に入った葉巻を一本取り出すと、口に咥えて火を着けた。

 

 

 

 

深々と葉巻を喫う。赤く燃え光る葉巻の先端──カインがゆっくりと白い煙を吐き出す。

 

それからカウンターの端に座っている亜麻色の長い髪をした女に声をかけた。

 

 

 

 

「俺は口説き文句というやつが苦手だ。だから単刀直入に言おう。俺はお前を抱きたい。いくらだ?」

 

女が一瞬、探るようにカインを見やると希望の金額を口にする。

 

 

 

 

カインは言われた通りの金額を女に支払うと、それから一晩中、酒を飲みながら女を抱いた。

 

 

 

 

 

 

降り注ぐ矢の雨と魔法、大砲の轟音が戦場に響き渡った。

 

居並ぶ弩兵が矢を放っては交代を繰り返し、弾幕を作る。

 

 

 

 

アルムはイスパーニャの兵隊共にお返しとばかりに弾丸を撃ち込んでいった。

 

魔術師の張ったバリアで跳ね返されたり、兵士の構えた鋼鉄の盾で防がれたが、それでも何発かは敵の手足に当たった。

 

 

 

 

「アルム、無茶はするな。今は隠れていろ」

 

 

 

 

アルムに忠告するカイン──このバーバリアンは塹壕にいる負傷兵達を見て回っていた。

 

 

 

 

傭兵仲間の傷を手当てするためだ。

 

だが、グリニーから貰っていた傷薬は底を尽きかけている。

 

 

 

 

残っているのはグリフィンの糞を蒸留酒で溶かし、オトギリソウから抽出したセレニウムとタンニンを混ぜた薬だけだ。

 

この薬には止血効果と増血効果があり、傷の治りを早めてくれるのだが、匂いと味はお世辞にも良いとは言えなかった。

 

だから人はあまり使いたがらない。

 

 

 

 

中にはグリフィンの糞を溶かした薬を飲むくらいなら、死んだほうがマシだという者もいた。

 

それでも背に腹は変えられない。

 

 

 

 

「飲め、飲まなければこのままでは命を落とすぞ、ニコル」

 

脇腹に巻いた包帯から血を滲ませながら、ニコルが口元を手の甲で覆い、薬を飲むのを拒絶する。

 

 

 

 

切り裂かれた脇腹は縫ってあるのだが、如何せんニコルは血を失いすぎていた。

 

 

 

 

そして回復魔法を使える者も薬も不足している状況にある。

 

 

 

 

「そんな薬を飲むくらいならここでくたばったほうがマシだ……」

 

と、ニコルが顔を横に背ける。

 

 

 

 

「よし、いいだろう。無理にとは言わない。こうしようではないか、俺がこの薬を飲んで見せれば、お前も飲むと約束しろ」

 

カインのその言葉にニコルは黙って頷いた。

 

 

 

 

すると、カインはグリフィンの糞を溶かした薬を碗一杯分飲んでみせた。

 

 

 

 

「確かに匂いも味も酷いものだな。お前の言うようにこんなものを飲むくらいなら死んだほうがマシかもしれん。

 

だがな、この戦、風向きは俺達に味方しているぞ。ここで死ぬのは勿体無いとは思わぬか。

 

ニコル、お前は故郷に錦を飾るのだ」

 

 

 

 

そのカインの言葉にニコルは頷くと、目を瞑って薬を呷った。

 



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蛮人カインと淫虐の総督6

事件が起きたのは、それから三日後の事だった。

 

大公の娘であるミラが何者かに連れ去られたのである。これは手痛い失態だった。

 

 

 

 

非常に不味い。兵士達の士気にも関わる。戦争には勢いも重要だ。

 

 

 

 

風向きが変われば戦況もガラリと変わる。流れに乗らなければ勝てる戦も勝てなくなる。

 

 

 

 

相手は既に判明していた。というよりもミラを誘拐した犯人はカインを指名してきたのである。

 

そして、届けられた文にはタルスの署名があった。

 

 

 

 

カインはミラを救出するべく、エンリケの選び出した精鋭部隊を引き連れてタルスの城館へと殴り込みをかけた。

 

だが、城館に潜り込んだ精鋭部隊は全滅し、カイン一人だけが生き残った。

 

 

 

 

 

 

 

腐った血肉の臭気が鼻腔粘膜を撫でた。身体を引きずるアンデッドどもの足音、薄暗い通路にただ一人いるカイン。

 

生き残った蛮人は石壁を背にしながら辺りの様子を覗った。

 

 

 

 

この城館は魔物の巣窟を化していた。化物どもがそこらじゅうをうろついている。

 

タルスの城館はもはや呪われた。

 

 

 

 

カインは音もなく通路を渡った。

 

 

 

 

曲がり角に差し掛かると物陰に潜む。慢心は命取りだ。曲がり角を覗くと、何体かのゾンビの姿が見える。

 

 

 

 

灰色の肌、黄色く濁った両眼、剥がれ落ちた頭皮、醜悪だ。

 

 

 

 

垂れ下がった眼球を頬の辺りでぶらつかせたゾンビ、肌を蛆虫に食われて腐った肉を露出させたゾンビ、

 

黒く変色した血を唇から糸のように垂らすゾンビ、破れた腹部から腸をはみ出させたゾンビ。

 

 

 

 

始末しなければならない。

 

 

 

 

素早く飛び出したカインは、右側にいたゾンビの頭部を拳で叩き割ると、残ったゾンビどもを振るい上げた長剣でぶった斬っていく。

 

風を切り裂く長剣、モンスターの飛び取る血、転がる腕や脚、そして首。

 

 

 

 

「安らかに眠るが良い」

 

 

 

 

辺りに散乱したゾンビの手足や首を見下ろし、カインは再び奥へと進んだ。

 

 

 

 

襲いかかるモンスターの群れをその長剣と拳で蹴散らしながら。

 

 

 

 

後には刎ねられた首、切断された腕、肩口を切り裂かれたモンスターの残骸だけが残された。

 

モンスターからすれば、この蛮人のほうがよほど恐ろしい怪物に映るだろう。

 

 

 

 

「ミラよ、一体どこにいるのだ……」

 

 

 

 

カインが呟きながら、地下へと続く螺旋階段を下りていく。

 

 

 

 

タルスの地下室へと続く階段だ。次々にカイン目掛けて押し寄せるアンデッドの群れ、群れ、群れ。

 

 

 

 

目前まで迫るグールの顔面をカインは飛び蹴りで吹っ飛ばした。

 

 

 

 

破裂する頭部、散らばったグールの頭蓋骨と脳漿が、他のアンデッド達に降り注いだ。

 

斧を薙ぎ払い、ワイトがカインに打ち掛かってくる。

 

 

 

 

だが、ワイトの斧がカインに触れることはなかった。

 

その前に切断されたワイトの首が空中を飛んでいたからだ。

 

 

 

 

「タルスよっ、待っているが良いっ、貴様の首もこのように刎ねてやるぞっ」

 

 

 

 

ハハハっと哄笑しながら、カインが次々にアンデッドを斬り伏していく。

 

 

 

 

 

 

「ああああああァァァッッ」

 

 

 

 

絹を引き裂くような悲鳴が地下室内に轟いた。タルスがミラの純白の臀部目掛けて九尾の皮鞭を振り下ろす。

 

肉を打擲する炸裂音、ミラが嗚咽し、何度も頭を振っては止めてと哀願する。

 

 

 

 

額から滲み出るミラの脂汗──タイルに滴り落ちては跳ねた。

 

 

 

 

「再びわしの所に戻ってきたのう、ミラよ」

 

 

 

 

鉄の輪で両腕を拘束され、鎖で天井から吊るされたミラを見やりながらニヤつくタルス。下卑た笑みだ。

 

 

 

 

そのタルスの浮かべた笑みと地下室に並んだ拷問器具の数々にミラは怖気を振るった。

 

 

 

 

鉄の処女、苦悶の梨、拷問台、頭蓋骨粉砕器、水責め椅子、異端者のフォーク、ガロット……これらの拷問器具はタロスの愛用品だ。

 

この男は一体どれほどの犠牲者達の血を吸わせてきたのだろうか、この拷問器具に。

 

 

 

 

「さあ、楽しもうではないか、ミラよっ、わしは今激しく昂ぶっておるのじゃっ」

 

 

 

 

タルスがミラの双丘に何度も鞭を打ち付けた。泣き喚くミラ──肌がミミズ腫れに覆われていく。

 

 

 

 

「ヒャハハハハっ、全く素晴らしい気分じゃぞっ、ミラよっ」

 

 

 

 

その刹那、地下室のドアが大きく揺れたと思った瞬間、叩き破られた。

 

続いて巨大な人影が飛び込んでくる。

 

 

 

 

「無事だったかっ、ミラよっ」

 

 

 

 

そこにはアンデッドの返り血に塗れたバーバリアンが立っていたっ!

 

 

 

 

「やはり来たのう、この蛮人めがっ、待っておったぞっ」

 

 

 

 

口から蛆虫を溢れさせ、タルスは侵入者を睨みつけた。

 

 

 

 

「やはり魔性の者へと化けたか、タルスよ。それにしても蛆虫とは、貴様にはお似合いだな」

 

 

 

 

「ええいっ、黙れっ、黙れっ、この下賎な蛮人風情がっ、蛆王クワバトより授かりし我が力を見せてやるっ」

 

 

 

 

突然、タルスの身体が膨れ上がった。

 

衣類を引き破り、どんどん膨張していくタルス──巨大な蛆虫だ。

 

 

 

 

無数の触覚を身体中から伸ばしたおぞましい蛆虫。

 

タルスは十五ヤード超(約十五メートル)を超える巨大で醜い蛆虫へと変貌を遂げた。

 

 

 

 

「ハハハハッ、見よっ、これが蛆王クワバトの力よっ」

 

 

 

 

だが、カインは動じることなく、タルスを見上げた。

 

 

 

 

「ほう、中々面白いな。では俺も精霊の力で一つ、同じ事をやってみせようではないか」

 

 

 

 

「な、何だとっ、どういうことだっ、まさか貴様も……ッ」

 

 

 

 

タルスが言葉を紡いだ瞬間、カインの身体もまた変化していった。

 

 

 

 

激しく脈動する四肢、膨張する筋肉、軋みあげた骨格が急激に成長していく。

 

野獣の如き鉤爪となったカインの爪先、細胞組織が全て生まれ変わっていく──メタモルフォーゼだ。

 

 

 

 

「これぞ我が精霊の力よ」

 

 

 

 

変身したバーバリアンがタルスに相対する。

 

銀色の毛を靡かせた雄々しき獅子の姿──タルスはすぐさま触手をカイン目掛けて振り下ろした。

 

 

 

 

無数の触手が壁やタイルを貫き、柱を吹き飛ばす。

 

だが、攻撃は一向にカインに当たる気配を見せなかった。

 

 

 

 

「何故だっ、どうして当たらんのじゃっ」

 

焦るタルス、だが、焦れば焦るほどに触手は空を切るのみだ。

 

 

 

 

「このノロマめ」

 

 

 

 

触手攻撃を躱しながらカインはタルスへと迫った。

 

触手を鉤爪で思う存分に引き裂いていく。

 

 

 

 

そしてタルスの顔面に飛びかかると、その右目を抉りとった。

 



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蛮人カインと淫虐の総督7

握り潰された眼球から飛び散った水晶体の粘液が、カインの鉤爪をぬめつかせる。

 

激しい激痛がタルスの脳天を直撃した。

 

 

 

 

巨大な胴体を震わせ、滅茶苦茶にのたうち回るタルス──破壊された床や石柱の破片が辺りに飛散した。

 

 

 

 

「わしのっ、わしの目がああァっ」

 

 

 

 

眼窩から潰れた右目を露出させ、タルスが叫び声をあげ続ける。それは獣の断末魔にも似ていた。

 

 

 

 

カインは横に飛ぶとタルスの残った目も同様に潰した。完全に光を失ったタルス。

 

 

 

 

「とりあえずはこれでよしとするか」

 

 

 

 

そう呟くと跳躍したカインが手刀で鎖を断ち切り、ミラを下ろす。

 

カインはミラを抱き抱えるとその顔を覗いた。

 

 

 

 

「大丈夫だったか、ミラよ」

 

 

 

 

「ええ、私なら心配いりませんわ……」

 

 

 

 

ミラが微笑みながらカインに答える。

 

だが、ミラは衰弱していた。当たり前だ。ミラはタルスに手酷く痛めつけられていたのだから。

 

 

 

 

「少し休むが良い、ミラよ」

 

 

 

 

鉄格子を捻じ曲げ、カインがミラを避難させる。

 

 

 

 

そして痛みと盲目になった恐怖に暴れまわるタルスヘと近づいていった。

 

「外道のタルスよ、貴様に相応しい死をくれてやろう」

 

 

 

 

ぶよついたタルスの肉を鉤爪で引き裂き、カインが拷問を始める。

 

身体を切り裂かれる度にタルスは呻き声をあげた。肉に鉤爪を喰い込ませ、抉り取る。

 

 

 

 

だが、決して致命傷は与えない。ミラはその光景を無言で見つめていた。

 

 

 

 

「殺せ……殺してくれ……」

 

 

 

 

喘ぐような声でカインに殺してくれと願い出るタルス──残念ながら重ねた罪が深すぎた。

 

 

 

 

「そう言って懇願してきた相手をお前は殺して楽にしてやったのか、タルスよ?」

 

「うう……」

 

 

 

 

今のタルスにとって、変貌した事で得た生命力はむしろ邪魔でしかなかった。

 

単純に苦痛を長引かせるだけだからだ。

 

 

 

 

「所詮、お前は生贄を捧げて力を得ただけの存在よ。つまりは他力、偽りの力よ。

 

そんな貴様がどうやってこの俺に勝とうというのだ。この馬鹿者めが」

 

 

 

 

タルスの皮をベリベリと剥ぎ取るカイン──滲み出る血液と露出した白黄色の体組織。

 

今のタルスには最早もがきまわる気力も残ってはいなかった。

 

 

 

 

ただ、出来るだけ速やかに死が訪れることをタルスは願い続けた。この苦痛から解放されるべく。

 

しかし、凄惨な拷問が終わるのは、まだ時間が掛かりそうだった。

 

 

 

 

 

 

引き千切ったタルスの生首を腰にぶら下げ、カインはミラと共に城館を脱した。

 

夜通し早馬を駆り、ふたりが陣営に戻ったのが夜明けだ。

 

 

 

 

ミラを衛生兵に預けると、カインはすぐにエンリケの待つ幕舎へ行き、タルスの首をテーブルに置いた。

 

これにはその場に出席していた全員が目を見張った。エンリケひとりを除いて。

 

 

 

 

「よくやったな、流石はカインだ。悪の総督から姫を救い出してくるとはな。これは国中の吟遊詩人も大喜びするだろう。

 

犠牲は出たがそれ以上の成果はあったぞ」

 

 

 

 

「今こそ攻め入る好機だな、エンリケよ。雇い主が討たれた今、イスパーニャの傭兵共は給金の心配をしているだろう。

 

こっち側に寝返りたい者達も少なくはないはずだ」

 

 

 

 

「所詮、戦は金次第か。まあ、いいさ。寝返りたいならいくらでも寝返らせてやる」

 

 

 

 

エンリケが手を叩いて召使に酒を運ばせる。二人は酒を注いだ酒杯を掲げると一気に飲み干した。

 

 

 

 

「この戦、もはや決まった。イスパーニャは今頃混乱しているだろうな。奴らが体勢を立て直す前にカノダを奪還する」

 

 

 

 

「俺への褒賞は期待させてもらうぞ、エンリケよ」

 

そして二人は大声で笑い始めた。

 

 

 

 

 

 

それからは破竹の勢いだった。指揮する者を失った兵士など烏合の衆でしかない。

 

 

 

 

イスパーニャ側の砦は次々に攻め落とされ、街は奪還されていった。

 

相手側の傭兵達の士気は酷く下がっていた。それは正規兵も同じだったが。

 

 

 

 

傭兵達に関して言えば、これは当たり前だ。

 

 

 

 

誰が報酬すら貰えないような戦で命を賭けて戦うのか。

 

そして正規兵達は正規兵達で、総督を討たれたと言う失態が、負い目となって響いていた。

 

 

 

 

戦場に響く罵倒、怒号、叫喚。雨あられと降り注ぐ矢と魔法の洗礼。

 

 

 

 

ワラギアとカノダの軍勢は、イスパーニャの右翼を取り囲んで側面から潰していった。

 

端からもぎ取っていくように。斜行戦術だ。

 

 

 

 

そして一週間もしない内にカノダから、イスパーニャ軍は完全に撤退した。

 

 

 

 

 

 

空に輝く無数の銀色の星々が城を照らしている。

 

純白の大理石で出来た回廊を渡り、カインはミラの待つ寝室へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

「ああ、カイン、貴方を待っておりました……」

 

 

 

 

薄紅色に染めたシルクのガウンを着たミラが、カインを出迎える。

 

「傷の方は大丈夫か、ミラよ?」

 

 

 

 

「はい、衛生兵の方に治療して頂きましたから傷はすっかり治りましたわ……まだ少しだけ痛みますが……」

 

長い睫毛を伏せ、ミラが小声で言う。その頬はどこか淡い桜色に染まっている。

 

 

 

 

「それはいかんな。どれ、俺に見せてみろ」

 

 

 

 

そういうや、カインがミラのガウンの裾を捲くりあげ、初雪の如き双臀を露にする。

 

 

 

 

背中から臀部にかけての滑らかな曲線、カインはそっと手を触れた。

 

 

 

 

白磁器のようなきめ細かい肌触りだ。

 

 

 

 

「ア……いきなり何を……」

 

 

 

 

突然の出来事に一瞬、驚きの表情を浮かべるミラ──だが、この少女はどこかで期待していたのかもしれない。

 

 

 

 

かがみ込んだカインが、ミラの白い肌に口づけする。ミラの唇から漏れる甘い吐息。

 

臀肉に感じるカインの唇の感触──高鳴る鼓動、ミラは軽い目眩を覚えた。

 

 

 

 

少女の肌を這う温かな唇と舌。

 

 

 

 

少女から女へと開花していくミラ、蕾を咲かせるのは野獣の如き蛮人だ。

 

 

 

 

ミラの雛菊と姫胡桃にカインの熱い舌が滑り込んだ。

 

「ああ……」

 

 

 

 

「さあ、力を抜くんだ、ミラよ……」

 

 

 

 

薔薇色に上気するミラの肌、カインが繊細な舌使いで二つの箇所を弄る。

 

それからカインは天蓋付きのベッドまでミラを運ぶと、少女を横たわらせた。

 

 

 

 

ミラの唇に重なるカインの唇──互いに熱い舌を絡ませる。

 

震えるミラの肢体、潤んだ明眸がカインを見つめ続ける。

 

 

 

 

「怖くはないか、ミラよ?」

 

 

 

 

カインの問いかけにミラは首を横に振って答えた。

 

「いいえ、怖くはありませんわ……」

 

 

 

 

それから二人は互を愛し合った。

 



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蛮勇カインと拳者の石

悪鬼の如き形相を浮かべた二十人ほどの村人達が、ひとりの旅人を取り囲んでいた。

村人達の手には、鎌や収穫フォーク、棍棒などが握られている。

 

旅人は両手を合わせ、見逃してくれと村人達に向かって必死に頼み込んだ。

 

「駄目だっ、ここから逃がすわけにゃいかねえっ」

 

先頭に立っていた四十絡みの男が、怒鳴りながら旅人の顎目掛けて、棍棒を下から掬い上げるように叩きつけた。

男に顎を砕かれ、もんどり打つ旅人──そこから一気に飛び込んできた村人達が旅人を縛り上げた。

 

「お前には、わしらの為に死んでもらうぞ」

 

人垣から現れた五十半ば程の男が、粗縄で縛り付けられた旅人に声をかける。

他の村人たちとは違い、野良着や粗末な服を着けていない。

 

先ほど旅人を棍棒で殴りつけた男が言う。

「それじゃあ、名主様、こいつはいつも通り土蔵に閉じ込めておきますんで」

 

「うむ、では頼んだぞ、ゴンザレス」

 

顎を砕かれた痛みで呻き声を上げる旅人、ゴンザレスと呼ばれた男が、他の村人と共に旅人を担ぎ上げる。

そして旅人は村にある土蔵へと押し込められた。

 

 

 

 

閑散とした街道を進んでいく。人の往来はほどんど見られなかった。

街道の両側沿いから延々と広がるのは、青々とした牧草だけだ。

 

「次の村まであとどれくらいかしら……」と栗毛の馬に揺られていたマリアンがこぼす。

いつもの事だ。

 

「そんなに野宿が嫌なら付いてこなけりゃいいのによ、なあ、カインの兄貴」とアルム。

この少年は、今ではカインの従者の真似事をしていた。

 

「何よっ、口の減らない奴ねっ、平民が貴族にそんな口を聞いていいと思ってるのっ」

 

「は、口が減ったらどうやって飯を食うんだよ、あんた、馬鹿か?

それとも貴族ってのは揃いも揃ってこんなのばっかなのかねえ」

 

癪しゃくに触ったとばかりに眉根を釣り上げ、マリアンがアルムを睨みつける。

 

だが、アルムはどこ吹く風と言いたげに口笛を吹いた。これに益々腹を立てるマリアン。

どこかひねくれているアルムは口が悪く、貴族娘のマリアンは気が短い。

 

だからすぐに喧嘩になる。そんなふたりをカインが諌めた。

「お前達、もう少し仲良くしたらどうだ」

 

「嫌よっ、誰がこんな奴と仲良くできるっていうのよっ」

「俺もこんないけ好かない女は嫌いだあな」

 

一事が万事、こんな調子だ。それでも見ている分には退屈しない。カインは口端を微かに歪めて笑った。

あるいは案外、このふたり、相性が良いのかもしれない。

 

それから三刻(約六時間)ほど馬に揺られていた一同は、ようやく見えてきた村を仰いだ。

空は既に薄暗い。

 

「これで野宿せずに済むわねっ」

 

元気を取り戻したマリアンが村まで馬を走らせる。その姿にカインとアルムは苦笑いを浮かべた。

 

 

 

 

カノダ奪還後に大学に戻ったカインは、再びグリニーの研究室で時間を潰すようになった。

その時、蔵書庫でグリニーは古い文献を漁っていた。何か面白い道具は作れないかと。

 

そこでグリニーの目に、とある文献が止まった。

文献に記されていた内容──それは「拳者の石」についてであった。

 

世には二つの秘石あり。一つ目は「賢者の石」そして二つ目がこの「拳者の石」だ。

賢者の石が知恵の象徴であれば、拳者の石は力の象徴である。

 

グリニーから拳者の石に関する文献を見せられ、カインは俄然興味を抱いた。

まずはその名前の響きだ。

 

拳者の石──男であればこの名前に何かしらのロマンや力強さを感じるだろう。

 

荒野の野生児であるカインも又、この名前が持つアバンギャルドでキャッチュな響きに魅せられた。

 

こうしてカインは拳者の石を見つけるべく、旅に出たのだった。

勝手に押しかけてきたマリアンを連れて。

 

 

 

村にあった清水で顔を洗うと首筋を洗うマリアン──清潔そうな手拭いで水気を取っていく。

 

「それにしても誰もいねえな。ここは無人の村なのかな」

と、キョロキョロしていたアルムがこぼす。

 

アルムの言うとおり、確かに村には誰もいなかった。首を捻るカイン。

農作業でもしているのかと畑の方も見たが、やはり村人の姿はなかった。

 

これは不自然だ。この村で何かがあったのかもしれない。

 

村人総出の山狩りでも女子供は村に残していく。

となると、村に盗賊の一団でも出没し、それで村人全員がどこかに逃げたのか。

 

しかし、そうなると村に残された荷物が気に掛かる。

 

その時、カインは野性の本能で何かしらの違和感を覚えた。

 

「気をつけろ、二人共、何か来るぞ……」

 

カインの言葉にアルムがガンベルトから拳銃を引き抜く。

魔法の杖を胸元に構えて警戒するマリアン──視界の端で何かが揺れている。

 

よく見定めるとその正体は鬼火だった。

 

「カイン、魔物が現れたわっ」

「わかっている」

 

飛びかかってきた鬼火を両断すると、一行は安全な場所を探すべく村の中を走った。

 

「カインの兄貴、一旦あの土蔵に入って立て直そうやっ」

と、アルムが土蔵を指差す。

 

「うむっ」

カインは土蔵の戸を蹴破り、勢い良く中へと入った。



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蛮勇カインと拳者の石2

蹴り破られた戸の木片が散乱する土蔵の中を見渡す三人。土埃の匂いがした。

既に村は夜の闇に閉ざされている。

 

外界に残された光源は、夜空に浮かんだ月の明かりだけだ。

 

「おい、大丈夫か?」

不意にカインが言葉を発した。

 

「誰かいるの、カイン?」

マリアンが恐る恐るカインに尋ねる。カインが野生の豹並に、夜目が利く事をマリアンは知っている。

「ああ、アルム、ランプをつけてくれ」

 

「あいよ」

 

アルムがランプの灯りをつけ、土蔵の奥を照らす。すると、地面には縛られた男の姿があった。

力尽きかけた動物のように伏している。身なりから察すると、どうやら旅の者のようだ。

 

カインは男を拘束している荒縄をナイフで切った。

 

「おい、しっかりしろ」

 

男の身体を起こし、再びカインが言う。

 

だが、男は言葉にならない呻き声を喉奥から発するだけだった。

当たり前だ。男の顎は、村人の振るった棍棒によって砕かれている。

 

カインは革袋に詰まった蒸留酒を気付け代わりに男に飲ませてやった。

酒がダラダラと男の頬や顎を伝っていくが、それでも男も何とか嚥下していった。

 

少しは酒が飲めたようだ。

「どうやら、顎を砕かれているな、治せるか、マリアン?」

 

「うーん、治せないことはないけど、喋れるようになるまで治療に専念して丸一日は掛かるわねえ……」

 

「ふむ、そうか……おい、お前、文字は書けるか?」

 

 

カインの問い掛けに男が頷いてみせる。これは僥倖だ。不幸中の幸いである。

男は指で地面に文字を書いていった。そこにはこう書かれている。

 

<今すぐこの土蔵から逃げろっ>

 

旅人からの警告だった。だが、もう遅い。土蔵の暗がりには、すでに悪霊が佇んでいた。

 

若い女の姿だ。青醒めた肌色をしている。だが、顔立ちは可憐で美しかった。

生前はさぞや評判の美しい娘だった事だろう。

 

「悪霊か。外の鬼火もお前の仕業か?」

物怖じせず、カインは悪霊に対して問いかけた。この蛮人は恐れというものを知らない。

 

カインに問われた悪霊が、無言で四人を見つめる。

そしてけたたましい叫び声を上げながら、突如として襲いかかってきた。

 

髪を振り乱し、目を剥いた凄まじい形相で。

 

激しい怖気に襲われる三人──放たれたカインの右フックが、悪霊の顎を的確に捕らえた。

鈍い音が土蔵内に響く。地面に崩れ落ちる悪霊──そのまま風化していく。

 

「とりあえずここを出て、もう少し安全な場所に行くとするか」

 

 

 

四人は休めそうな民家に潜り込んだ。囲炉裏に火をつけると鍋で湯を煮立てていく。

戸口には鍵が掛かっていたので、これはカインが叩き壊した。

 

炙った干し肉を無言で齧るアルム、旅人にスープを飲ませるマリアン、そして長剣を磨くカイン。

 

「それで一体この村で何が起きているのだ?知っていることがあれば教えてくれ」

 

そこから旅人が灰に文字を書き、事のあらましを三人に説明していった。

旅人は名をセルフマンと言い、この村に立ち寄ったのは、実の兄を探していたからとのことだった。

 

セルフマンの兄、ジローは旅の行商人で、他の街に向かう途中で行方知れずになった。

 

それで弟のセルフマンが兄の足取りを追っていくと、どうやらこの村の付近で、

ジローが行方不明になったということが判明した。

 

セルフマンは村人達に兄の行方を訪ねて回ったが、皆が嫌な顔をしたという。

 

最初は余所者だからかと思っていたが、徐々にそれだけではないらしいと感じ、セルフマンは更に村を調べていった。

 

村人達は口を固く閉ざし、何も喋ろうとはしなかったが、

ただ、幸運なことにセルフマンは、村はずれに住む老婆から話を聞き出すことができた。

 

それなりの銀貨を払い、老婆の好物だという蜂蜜酒を一樽用意しなければならなかったが。

 

酒に酔った老婆はセルフマンに喋った。

 

元々が少しばかり知恵が遅れているようだったが、そこに酒が回ったせいで、分別が付かなくなっていたのだろう。

老婆はこの村にある生贄の風習をセルフマンに漏らしてしまった。

 

そして老婆の話を聞き終えたセルフマンは、兄が既にこの世に存在しないことを悟ったのである。

 

同時にそこでセルフマンの運も尽きた。

セルフマンを尾行し、老婆の話を盗み聞いていた村人がいたのだ。

 

その村人はすぐに他の者達に知らせた。

セルフマンはすぐに村から逃げ出そうとした。

 

だが、結果は棍棒で顎を砕かれ、縛り上げられた挙句に土蔵の中へと押し込められるだけに終わった。

そして、当の土蔵の中こそ、生贄を捧げる場所だったのである。

 

「生贄の風習か。なるほどな」

 

磨き上げた刀身を眺めるカイン、ランプの灯りが剣先に反射した。

 

「なあ、カインの兄貴、こんなヤバイ村、さっさとトンズラしちまったほうがいいんじゃねえのか?

俺は面倒事に巻き込まれるのはごめんだぜ」

 

そう言いながら、苛立つように干し肉を食いちぎるアルム。

 

「私もアルムの意見に賛成よ。すぐにこの村を出て近くの代官所に報告するべきよ。

 

アルムとマリアンの言葉にセルフマンも頷いて同意する。

「お前らの意見はわかった。所でこの村の懐具合はどうだ?中々裕福そうに見えるが」

 

カインの意見に首を縦に振るセルフマン──実際のところ、この村は他の村に比べて裕福だ。

村の穀物庫には、常に麦などの穀物類がぎっしりと詰まっているし、農作業用の道具は新品で良い物を使っている。

 

村人達はわざと粗末な野良着を身につけているようだが、家の中に置かれた調度品や織物は贅沢なものだ。

 

見かけと内情が釣り合っていない、となると村の財政状況を外部に知られないようにしているのか。

 

「ハハァ、兄貴、火事場泥棒をしようって魂胆かい?」

カインの考えをいち早く察したアルムが、口元を歪めて笑う。

 

「そういうことだ。無人の村であれば、思う存分に持っていけるぞ。

セルフマンよ、お前も代官に報告するだけでは、兄を殺された気持ちが収まらぬだろう。

だったら詫び代わりに好きな物を持っていけ」

 

セルフマンがカインのその言葉に大きく首を振って賛同する。どうやらセルフマンも火事場泥棒に乗り気のようだ。

 

「ちょっと、三人とも泥棒なんてやめておきなさいよっ」

三人に向かって抗議するマリアン──少し悩む仕草をするセルフマン、言葉を聞き流すカインとアルム。

 

その時、青白い光が発生したかと思うと、いくつかの鬼火が部屋の中に現れた。

「こいつら、家の中まで現れるようだな。なるほど、家にも人がいないわけだ……」

 

連続してジャブを打ち、鬼火をかき消すと、カインは叫んだ。

「さあっ、今のうちに村中の金目の物をかき集めるぞっ」



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蛮勇カインと拳者の石3

その後のカインの行動は迅速だった。

まず、金のありそうな名主の家に突入し、倉の錠前を引き千切ると思う存分に金目の物を漁った。

 

名主の蔵を荒らし終えると、カインは他の人家でも同じことを繰り返した。

 

途中で鬼火や悪霊に何度か襲われたが、カインはさほど気にはしなかった。

襲いかかる悪霊を気にするほど、この野生児の神経は細かく出来てはいないのだ。

 

盗みの邪魔をする鬼火や悪霊をカインが片っ端から殴り飛ばしていく。

 

途中でアルムがかっぱらって来た荷車に略奪した品物を積めるだけ積めこんでいく。

 

「それじゃあ、とっととこの村からオサラバと行こうや、兄貴」

 

「まあ、待て、アルム、このまま夜が明けるまで待ってから、村の連中の話も聞こうではないか。

奴らにも言い分はあるだろうからな」

 

「は、カインの兄貴も酔狂なもんだな」と、顎を掻くアルム。

村の外では灰色の霧が立ち篭もり始めていた。

 

「こんな村で夜を明かすって正気なの!?」

金切り声を上げるマリアンにカインは頷いてみせた。

 

「ああ、勿論だとも、マリアンよ。村人の言い分も聞かなければ、それは不公平だからな」

 

「そういうことを言ってるんじゃないわよっ」

 

恐怖と怒りで苛立つマリアンが反論する。そこには互いの微妙な行き違いがあった。

このように意思の疎通とは中々難しいものなのだ。

 

そこで割って入ったアルムが提案した。

安全な場所まで避難し、朝になったら村に戻ってくればいいのではないのかと。

 

アルムの意見はすぐに採用された。

こうして一行は荷物を載せた荷車を引きながら、村から離れたのである。

 

 

 

あばら家だった。苔むした柱に崩れかかった藁葺き屋根、今にでも崩壊しそうな小さなあばら家だ。

ここは村はずれで暮らしているという老婆の住居だ。

 

セルフマンに案内され、一行は老婆の住まう村はずれにやってきたのである。

ここまではどうやら鬼火も悪霊も追ってはこない様子だ。

 

あばら家には人の気配がした。カインは三人にその場に留まるように言った。

「邪魔をするぞ」

 

入口に掛かったムシロをめくり、カインがあばら家に足を踏み入れる。

 

「ん、一体誰だい?」

藁に包まって休んでいた老婆が身を起こす。老婆は突然の来訪者にうろんげな視線を向けた。

 

「婆さん、あんたから少しばかり話を聞きたいんだが、いいか?」

カインが何枚かの銀貨と、蜂蜜酒詰まった瓶を老婆の鼻先にチラつかせながら尋ねる。

 

途端に目を輝かせる老婆、セルフマンの言っていた通り、金と酒には目がないようだ。

 

 

「ああ、勿論だとも。なんでも喋るよ、金と酒さえ貰えればね」

老婆の服の布地はボロボロに擦り切れている。もう何年も同じ服を着ているようだ。

 

「まずは一杯飲んで喉を湿らせると良い」

 

「話がわかるねえ、あんた」

 

カインから受け取った蜂蜜酒を老婆が美味そうに飲んでいく。

何度か喉を鳴らすと瓶から口を離し、老婆はふうと一息つきながら唇を拭った。

 

「こいつは良い酒だね。祝いの席で少しばかり失敬したことがあるよ、ひひ」

 

カインは銀貨を二枚ほど老婆に握らせた。

「それで村の奴らはどこにいるんだ?」

 

蜂蜜酒を啜りながら老婆が答えた。

 

 

「近くの洞窟だねえ、ここから真っ直ぐ行った先に岩場があるんだよ。村じゃ、そこを避難場所に利用してるよ。

元々は村の資材置き場だったんだがね」

 

「なるほどな、所で気になっていたんだが、何故あんたは秘密を漏らしても村人達から何もされないのだ?」

 

そういうや、カインは老婆の右肩を掴むと、自分の方へとぐいっと引き寄せた。

戸惑いの表情を浮かべる老婆、カインは一緒に来てもらうぞと告げた。

 

「罠ではないか確かめるためだ。もしも、話した通りであれば、もう二枚ほど銀貨を払おうではないか」

 

そのままカインは老婆をあばら家から引きずり出し、洞窟へと案内をさせた。

 

 

 

踏み固められて出来上がった道を一行が進む。幅の狭い道だ。

荷車に腰掛けた老婆、その隣にはマリアン、荷車を引っ張るカイン、荷車を後ろから押すアルムとセルフマン。

 

見えてきた岩場──洞窟の前でカイン達は足を止めた。

「どうやら、ここのようだな」

 

洞窟内に入る一行、奥から明かりが漏れているのがわかった。カインがそのまま前進していく。

その後を残りの一行がついて行った。

 

開けた場所に出た。そこには多くの村人たちが休んでいた。

村人達が突然の訪問者に驚く。

 

「俺はカイン、この村の長は誰だ。話がしたい」

 

カインは村人一同に対し、大きな声で問い質した。

だが、警戒心を露わにした村人達は無言でカインを睨みつけるだけだ。

 

もう一度、カインが問いかけるも効果はなかった。

「致し方がない」

 

カインは長剣を引き抜くと構えた。

「これで最後だ。俺の質問に答えぬならば、お前達を斬る」



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蛮勇カインと拳者の石4

村人達に走る緊張感──筋骨隆々とした長身の男が長剣を構えたのだから、ただの村人達ならば怯えぬ方がおかしい。

蛮人がその身に纏う野生の猛虎の如き威圧感が、村人達に伸し掛ってくる。

 

すると村人達の間から、一人の男が名乗り出てきた。初老の男だ。この村の名主である。

「わしがこの村の名主だ」

 

「おお、お主が長か。俺はカイン、見ての通りのバーバリアンだ。この村には偶然立ち寄ったのだが、

その時に鬼火やら悪霊やらに襲われてな。土蔵に逃げ込んでみれば顎を割られた旅人が転がっておるし。

それでこの洞窟を村はずれの老婆から聞き及んだので、お前達からも事情が聞きたくて、こうしてやって来たのだ」

 

「それならば大体の事情は察しているはずだ。わしらから話すようなことはない。

それよりもこの村の秘密を知られたのであれば、生かして返すことはできん……」

 

その名主の言葉にカインが、歯を剥きだしながら笑みを浮かべた。いや、笑みというには余りにも獰猛だ。

猛獣が獲物に対して見せる威嚇のそれに近いだろう。

 

「貴様ら如きがこの俺を相手に一体どうしようというのだ。貴様らではこの俺に指一本触れることはできんだろう。

だが、俺は貴様達全員を叩き斬ることができるぞ。出なければノコノコとここまでやっては来ぬわ」

 

カインの言葉に逡巡するする名主──確かにあの鬼火や悪霊などのアンデッドから逃れて来たのだから、

戦士としてはそれなりの腕はあるはずだ。

 

村の人間全員が一丸となって掛かっていっても無傷では済むまい。

 

加えてこの洞窟内でやり合うのは得策とは言えないだろう。

狭い通路内で戦うことにでもなれば、数の利が生かせなくなる。

 

 

そんな事を考えている名主の胸裡を読み取ったのか、カインは長剣を車にし、

刃を素早く回転させていくと、洞窟の壁目掛けて剛剣を振るった。

 

そのカインの動きを捉えられた村人たちはいなかった。誰ひとりとして。

斜め一文字に切り裂かれた花崗岩の壁──これぞ紫電一閃の妙技だ。

そのままカインが、テンポよく剣を車に回し、ステップを踏み、剣舞を踊ってみせる。

 

その時、不思議なことが起こった!

その剣舞の刻むリズムっ!

それはまさにディープ・パープルの名曲「スペース・トラッキン」のものだったのだ!

 

「さあ、どうする。それとも命を賭けて俺とやりあってみるか。

だが、この狭い洞窟ではいくら数が多くても無駄に犠牲者を出すだけだぞ」

 

「……何が望みじゃ?」

 

「その前にまずお前たちから話を聞きたい。望みはそれから考えるとしよう」

 

鞘に長剣を収めながらカインが言う。そこに酔っ払った老婆がやって来てカインに掌を突き出した。

「ほら、嘘は言ってなかっただろう。約束の銀貨をおくれ」

 

「うむ」

 

カインは約束通りに老婆の掌に銀貨を二枚ばかり落としてやった。

「へへ、まいどあり」

 

 

 

洞窟の裂け目から差し込む青褪めた月の明り、その下で熾火を囲む村人達をカインは眺めた。

 

「それでお前達は何故、セルフマンの兄を生贄に捧げたんだ。聞く所によればただの旅の行商人というではないか。

それとも何かこの村で悪さでもしたのか?」

 

酒の詰まった革袋を左手に握ったカインが、名主に対して訪ねた。

「……最初は盗人だと思った。村の畑をウロウロしていたから作物荒らしかと思ったんじゃ」

 

「それでどうした?」

木箱に腰掛け、俯いている名主にカインは急かすように再び聞いた。

 

「わしらも普段の生贄選びは、それなりに考えてやっておる。世間に害を為す者、あるいは何の役にも立たぬ者、

盗人や追い剥ぎ強盗、村を荒らす与太者、物乞いの流れ者、そういった連中を捕まえて捧げておった」

 

「なるほど、所で生贄を捧げる理由はなんだ?」

 

「それは勿論、この村を災厄や悪霊から守るため……だが、それだけではない。

生贄を捧げねば姫御前は村を祟るが、逆に捧げれば村を栄えさせてくれるのじゃ。

近隣の村々で疫病が発生したり、凶作が起こってもこの村は無事じゃったからな。

むしろ生贄を捧げるようになってから、この村は常に大豊作よ」

 

「大豊作か、悪くない話だな。それで先ほどの話に戻るがセルフマンの兄はどうなった?」

 

「……村の若い者が泥棒と間違えて後ろから殴りつけてのう。それからは大喧嘩よ。

それで騒ぎが大きくなっていって他の村人が喧嘩に加勢し、結局はその行商人を袋叩きにした。

丁度生贄が必要だと思っておったしのう……」

 

「それで生贄に捧げたのか?」

 

名主は片眉をつり上げながらカインを見やり、軽く頷いた。

 

「みんな頭に血が昇っておったからのう。行商人の男、中々どうして力が強く、手痛い反撃を食らった者もおった。

それですぐに簀巻きにして土蔵の中に放り込んだんじゃ。夜更けになってから、男は姫御前に生贄として連れて行かれた。

その翌朝になって畑を見に行ったら作物は荒らされてはおらんかったがな。だが、分かった所で後の祭りよ」

 

「ふむ、所でその姫御前というのは何者だ?」

 

「……事の始まりは今から五十年ほど前、わしがまだ小さな童だった頃の話じゃ。この村に大凶作が襲いかかってな。

日照りが続いて川の水も干上がり、村からは何人もの餓死者が出た。

それで雨乞いの為に生贄を捧げ、儀式を執り行ったのじゃ。その時に選ばれたのが、村はずれに住んでおった姉妹よ。

元々は流れの人足が連れておった子供達だったがな。

それで村はずれに住み着いて、村の手伝いなんぞをして食いつないでおったんじゃが、

大凶作に見舞われたせいで食うものも食えず、父親のほうは弱っていって結局はくたばった。

子供達に自分の食い扶持まで回していたんだろうな。

姉のほうは知恵足らずの厄介者だったが、妹の方は利発で気品があり、何より美しかった。似てもにつかん姉妹だったよ。

その理由ものちのちにわかったがな」

 

「姉とはあの老婆のことか?」

 

「そうじゃ、それで村の者達は妹のほうを生贄にすることにしたのよ。

それで雨乞いの儀式を行い、村は救われた。だが、それからじゃ。

村でその妹……姫御前の亡霊が出没するようになったのは。

これも後から知ったんじゃが、姫御膳はあの老婆の本当の妹ではなかった。

元はどこかの貴族の落胤だったそうじゃ、名前はエリッサと言ったかのう。

それからよ、この村で生贄を度々捧げるようになったのは。姫御前を鎮めるためにのう」



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蛮勇カインと拳者の石5

名主から話を聞き及んだカインは村の土蔵へと戻った。

姫御前に会うためである。暗い土蔵の中で灯りもつけず、カインは腕を組んだままで地べたに座っていた。

 

「姫御前よ、いるならば俺の前に出てこい。そしてお前の話を聞かせてくれ」

そうしているとカインは背後に何者かの気配を感じた。

 

ゆっくりと振り返るカイン──そこに居たのは金色の巻毛と褐色の瞳を持った美しい娘だった。

顔は小作りで全体的に華奢な体型をしている。

 

「お前がエリッサか?」

 

物静かで、だが、どこか優しげな口調でカインが問いかける。

問いかけながら、カインは娘の亡霊へと手を伸ばした。少女の肩口にカインの手が置かれる。

 

「そうよ。あなたは誰、私が怖くないの?」

 

少女の幽霊が口を開いた。不思議そうな眼差しをカインに向けながら。

 

「俺はカイン、なぜお前を怖がる必要がある?」

 

「私は生贄を求めるわ。だから村の人々は私を恐るの。でも私だって寂しいのは嫌、友人や知人が欲しいのよ。

こちら側での」

 

「それで村を祟り、あるいは守っていたのか。村人達に生贄を捧げさせ、黄泉の世界の仲間を増やすために」

エリッサは小さく頷きながら答えた。

 

「ええ、そうよ。私はこの村から離れられないから、こうする事でしか仲間を増やせないのよ」

 

「なるほどな。この村を離れて、どこか行きたい場所でもあるのか?」

 

「そうね、寂しくない場所に行きたいわ……友達はみんな貴方に倒されちゃったし……」

 

「それはすまないことをしたな。だが、俺も自分の身と仲間を守らねばならなかった」

 

「ええ、それはわかっているわ……」

 

カインは亡霊の肩を哀れむような気持ちで撫でていた。

旱魃かんばつに襲われた村の為に人身御供にされ、殺された娘である。

 

そして死後もこうして、この村に縛り付けられた状態だ。

悲しい身の上の亡霊だった。

 

感傷には無縁のはずのこの野生児もある種の同情をエリッサに抱いた。

エリッサが雨乞いの儀式の贄として選ばれた理由は単純だ。

 

それは村で一番美しくて若かったせいだ。

 

この地方で信奉されている水を司る神マーニティは美しい娘を好むという。

だから人身御供としてエリッサに白羽の矢が立った。

 

「村を恨んではいないのか?」

 

「最初は恨んだわ。でも仕方がないことだって思うようになってからは、その気持ちも薄れていったわね。

私が生贄として殺されたくなかったように村の人達も飢えて死にたくはなかったのよ。

だからといって私の恨みは薄まっても未だに消えずに残っているのよ」

 

エリッサの言葉にカインは無言で頷いてみせた。

「お前の気持ちもわからんでもない。いいだろう、俺がお前の気に入りそうな場所に連れて行ってやる」

 

「そんな事ができるの?」

 

「出来ないことはない。所でエリッサよ、お前の遺骨や何か思い入れのある品はないのか?」

 

「いいえ、もうどこにも見当たらないわ……遺骨は村の人達が燃やして砕いたあと、森にばら撒いてしまったし、

私の持ち物は姉が全てお酒に変えてしまったわ……」

 

気落ちするように肩を落とすエリッサ、そんな彼女にカインは告げた。

 

「案ずるな。遺骨などがあれば、比較的簡単に連れて行けるのだが、無ければないで構わぬのだ」

 

そう言うとカインが着込んでいた鎖帷子を脱ぎ捨て、筋肉の浮き上がった腹部を露出させた。

 

「一体何をするつもりなの?」

 

「そこで少し待っておれ。すぐに済む」

 

カインが自らの親指を脇腹に無造作に突き刺した。そのまま勢いをつけて真一文字に引き裂く。

傷口から吹き上がった血飛沫が、地面を赤く染めた。

 

その行為にエリッサが口元を手で押さえる。

 

「さあ、エリッサよ、俺の腹の中に潜るが良い。そうすれば、お前をここから連れ出すことができる」

 

「ああ、でも……」

 

「心配無用だ。俺が必ずや、お前を望む場所へと連れて行ってやる。さあ、早くするのだっ」

 

カインに急かされるがままにエリッサは、切り裂かれたその腹の内側へと潜り込んでいった。

 

「これでよし……」

 

カインが腹を閉じ、サラシを巻いていく。

 

「少し休むとするか」

 

そしてカインは瞼を閉じた。だが、眠りにつくことはない。

強奪した品々を奪い返しに村人達が攻めて来るとも限らないからだ。

 

あるいは土蔵に火を放って炙り殺しにするくらいはやるかもしれない。

 

その時はその時だ。土蔵を叩き壊し、脱出してから村人達全員を始末すればよい。

 

あるいは三人を人質に取り、何か仕掛けてくるかもしれないが、

アルムは子供ながらに拳銃と短剣の扱いが巧みであり、最近ではマリアンも自分の身を守る為の魔法を習得している。

 

なので、そう易々と村人達に捕まることもないはずだ。

特にアルムは抜け目がない。

 

略奪品に油を撒いて、近づけば燃やすぞと村人を脅しつけるくらいはするはずだ。

 

カインはそのまま寝そべると、夜明けまで休息を取り続けた。

 

翌朝になると、心配そうな表情を浮かべたアルムとマリアン、そしてセルフマンが土蔵へとやってきた。

カインが無事であることを確認すると、三人が安堵に胸を撫で下ろす。

 

 

 

「それでカインの兄貴、幽霊は退治したのかい?」

 

「ああ、もう村を祟ることはないだろう」

 

上体を起こし、土間から立ち上がったカインがアルムに答える。

一行が土蔵を出ると周りは村人達に囲まれていた。

 

円形にカイン達を取り囲んだ村人の中から、名主が進み出てくる。どの村人も緊張している様子が見て取れた。

 

「それでエリッサはどうなったのじゃ?」

「エリッサのことならもう心配いらん。この村を祟ることはもうないだろう」

 

「そうか……」

 

名主が地面に視線を落とす。複雑な気持ちなのだろう。祟りも無くなったが、村への恩恵も消えた。

 

「さて、俺達はもう行くとしよう。それと強奪した品々だが、半分ほどは返してやる。

ただし、残りの半分はセルフマンの兄を殺した償い金として貰っていくぞ」

 

カインが言葉通りに村人達に品物を半分ほど返していく。

そして残りを頂くと、一行は次の場所へと向かったのだった。

 

カインは空を仰ぎ見た。天高く太陽が輝いている。

一面に広がった青空、晴れ晴れとしていながらも、しかし、どこか一抹の寂しさが漂っていた。



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蛮勇カインと拳者の石6

ああ~^、ロバート・E・ハワードの英雄コナンはやっぱり傑作や!
もう全編通して蛮人だらけや!
みなもはよう、コナン・ザ・バーバリアンまみれになろうぜ!



カルダバの街に着くと、宿にマリアンを置いた三人は、すぐに積み荷を売り払った。

 

城門で税として二割ほど差っ引かれたり、商人から少々安く買い叩かれたりはしたが、

それでもなんだかんだで手元には三百枚ほどの金貨が残った。

 

熟練の職人ならば十年分ほどの手間賃に相当する金額だ。アルムはその額に小躍りした。

この親無し子には途方もない大金に感じられたからだ。

 

だが、カインは全ての金をセルフマンにくれてやろうとした。

 

「おい、兄貴、そりゃねえぜっ」

 

「いいか、アルム、この金はあくまでも兄を殺されたセルフマンへの償い金なのだ。俺達の金ではない」

 

「うーん、確かに兄貴の言うことは最もだけどよ……でもよ、その金だって兄貴の力があればこそだろう?」

 

そこでセルフマンが提案した。砕けた顎はすっかり治っていた。

これはマリアンの治療のおかげである。

 

「私も全額を受け取るのは心苦しいです。ですから折半ということにしませんか。おふたりは私の命の恩人ですし……」

 

「いや、この金はあくまでもお前が受け取るべき金だ。それにお前を助けたのはただの偶然よ」

 

「カインの兄貴がいらねえってんなら、俺も要らねえや」

 

アルムは子供である前に自分は一人の男だという自負がある。男は時に我慢しなければならない。

それが例え、痩せ我慢でもだ。

 

それにまさか自分の兄貴分が、金を受け取ろうとしないのに弟分の自分だけが貰うなどというのは、これはとんだ筋違いだ。

十歳の少年ながらにアルムはそう考えていた。

 

そうなると次に困ってしまったのがセルフマン、まさかタダというわけでもいくまい。

自分の命を救ってくれて、おまけに村人達からケジメも取ってくれた恩人である。

 

いくら旅から旅への行商暮らしの小商人とはいえ、ここで、はい、そうですかと、全額受け取っては己の名が廃る。

とはいえ、カインもアルムも少々頑固だ。

 

一度口に出せば、それを曲げることはない。

それならばとセルフマン、商人風にふたりを攻めて見ることにした。

 

「わかりました。それではこの金貨三百枚、有り難くお受けします。

所でお二人共、良い女がいて、美味い飯と上等な酒を味あわせてくれる店を知ってるんですが、どうですか?

お代は私が持ちますので」

 

このセルフマンの申し出に二人は同時に顔を合わせた。

 

「アルムよ、ここで断るのはセルフマンの誇りを傷つけることになるだろうな。

それに俺も酒と女が欲しかった所だ」と、唇を舐めるカイン。

 

「ああ、俺もそう思ったぜ、兄貴」

 

二人は互いに頷きあった。食欲と性欲は人間の二大欲求である。

これはある種の業だ。

 

だが、生きている以上、人間はこの二つの背負った業から逃れる術はないのである。

 

そしてムスペルヘイムの荒野で育ったこの野生児は、自らの欲望に忠実だった。

 

少年である前に男でもあるアルムも又、立派に欲望を持っていた。

そしてセルフマンもまた、この二人ほどではないにしろ、酒と女は嫌いではない。

 

三人の意見は見事に一致した。

 

こうして三人は思う存分に飲み食いし、女郎という名の畑に自らの種を蒔くべく、酒場へと向かったのである。

 

 

 

セルフマンに案内された酒場は、その名を<牡牛の骨抜き亭>と言った。

客層は商人や騎士、それから身なりの良い傭兵や貴族の子弟と言った所か。

 

それなりの金を持った客を相手にしている酒場なのだろう。

なるほど、店に置いている娼婦達も中々の粒揃いだ。

 

テーブルにつくと、カインは小樽ごと火酒を持ってくるように女給に言った。

それに続いてアルムとセルフマンがエールを一杯ずつ注文する。

 

ギラついた欲望の香り、ここでは男達は酒と女を求め、女達は男の懐を狙っている。

男と女の化かし合い──娼婦は客に向かって惚れたと囁き、客は気を持たせるために必ずお前を身請けするとうそぶく。

 

「中々良い店だな、セルフマン」

 

「そうでしょう。まだ私も二回くらいしか来たことがありませんけどね」

 

客席の間を忙しく横切る女給の身体を覗きながら言うセルフマン、女給は豊かな胸と尻の持ち主だった。

 

アルムが肉感的な女給の尻を布越しから軽く撫であげる。

すると尻を撫でられた女給が、少年に向かってクスリと笑いかけた。

 

恐らくは子供のいたずらだとでも思われたのだろう。

 

早速三人が運ばれてきた酒杯に手を伸ばし、乾杯する。

甘い果実の風味が漂うエールは苦味が少なく、アルムには丁度良く感じられた。

 

「所でアルム、セルフマン、どの女がいいか決まったか?」

 

蓋を開けた樽から、直に火酒を口飲みするカインが二人に聞く。

 

「いや、俺はまだだな、カインの兄貴はどうだ?」

 

「私も目移りしてしまって、まだ決めかねている所ですよ、はい」

 

その返事に対し、度数の強い酒をまるでエールのようにガブガブと飲んでいたカインが、

手の甲で唇を拭いながら二人に提案した。

 

「それならば、何人かの女を買って、俺たち三人で代わる代わる楽しむのはどうだ?」と。

 

「それはつまり、買った娼婦を我々で共有するということですか。つまり、穴兄弟になると?」

 

セルフマンの言葉に大きく頷くカイン、この小商人は蛮人の申し出に少しばかり驚いてしまった。

 

「セルフマンよ、俺はお前が気に入った。ムスペルヘイムの部族には、これで結束を固める者たちもいる。

アルムもどうだ?」

 

「面白そうだな、兄貴よ」

 

すっかり酒を空にすると、カインが樽を脇に押しやって続ける。

 

「うむ、このワラギアでは一夫一妻が当たり前のようだがな。ムスペルヘイムにもそういう部族はあった。

だが、一夫多妻や多夫一妻、多夫多妻という氏族、部族も同じくらいいたぞ」

 

そこでセルフマンは考え込んだ。

この強靭な肉体と凄まじい剣技を持った快男児の誘いを受けるべきか、どうかを。

 

セルフマンもまた、カインを気に入っていた。

この蛮人は文明人がどこかに置き忘れてきた率直さを持っている。

 

己の考えを飾ったり、隠したりせずにそのまま真っ直ぐ押し出してくる。

 

「わかりました。皆で楽しみましょう」

 

セルフマンはカインの申し出を受け入れた。

 

「決まりだな。ではどの女郎にするか、早速決めようではないか」



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蛮勇カインと拳者の石7

タッソーはランティエだ。ランティエというのは利子や年金で生活している不労所得者達のことである。

ラント(利息、地代など)で暮らしているからランティエというわけだ。

 

タッソーの懐に入る年間利息の額は、金貨で百二十枚ほど、ベテランの職人四人分の稼ぎを不労所得だけで稼いでいるのだから、

このカルダバの街では、間違いなくブルジョワに分類されるだろう。

 

ちなみに平均的な利回りは六%ほどなので、投資家としてもまずまずの腕と言えた。

また、最近ではイスパーニャの公債を安く手に入れている。

 

安く手に入れられたのは、属国であったカノダをワラギアに奪われたせいで、イスパーニャの信用が少々下がったからだ。

 

それで公債価格が一時的に二割ほど下落した。不安になって公債を手放す投資家が増えたせいである。

 

イスパーニャの公債は五%の利回り、これは国が定めた利率だ。

 

それまで金貨百枚で年間に支払われる利子が、同量のゴールドを含有する金貨五枚だったのに対し、

二割引で得られたので更に増えた。

 

具体的には金貨五枚から六・二五枚に。金貨百枚分の公債の購入が、八十枚で済んだおかげである。

 

以前からイスパーニャの公債に興味はあったので、これはタッソーにとって渡りに船だった。

タッソーは良いタイミングで公債を買うことができた。

 

今ではイスパーニャの公債の価格はほぼ持ち直している。

 

それとは別にカノダをイスパーニャからぶん取ったワラギアの公債は、それを受けて値上がりしている。

こちらは一旦売り払って、その代金で土地でも買おうかとタッソーは考えていた。

 

あるいはイスパーニャの方を売り払って差額を儲けるか。

いずれにしても嬉しい悩みだ。

 

全く、戦というものは金になる。勿論、抜け目なく立ち回らなければ損をしてしまうが。

 

あらゆる戦は一つの経済活動であることを、この少しばかり頭髪が薄くなりかけているランティエは知っているのだ。

 

また、ワラギア生まれの人間としても、自国がイスパーニャからカノダを手に入れたのは嬉しい。

 

そして、このカノダ争奪戦の功労者はエンリケ殿下だと言われている。

 

殿下は近々、王から新しい領地を褒美として賜るそうだ。今回の戦の功績を考えれば、これは当然とも言えるだろう。

 

そのエンリケ殿下は、ムスペルヘイムから連れてきた恐るべき手練の戦士を懐刀にしているという。

 

聞く所によれば、天を衝くような長身と、強靭な肉体を誇る怪物のような男で、

荒野の猛虎が巨人族の女に産ませた恐るべき混血児という噂もあるほどだ。

 

少々眉唾とも言えるような話だが、しかし、精鋭が全滅した中でたった一人生き残り、

総督タルスを討ち取ると、大公の一粒種を救い出したというのだから、この噂も本当の話なのかもしれない。

 

名前は確かカインといっただろうか。

 

そんなことを考えながら、馴染みの商売女を今宵も買おうと、タッソーは牡牛の骨抜き亭へと足を踏み入れた。

タッソーは牡牛の骨抜き亭の常連客で、この店にはちょくちょく通っているのだ。

 

酒場の娼婦には馴染みもいる。ロメという名の二十代も半ばほどになる美しい女だ。

 

情熱的なロメは、男を喜ばせる手練手管にも長けていた。だから、タッソーはこのロメにご執心だった。

 

この四十男は、ロメの身請けすら考えているほどだったのである。

 

ロメを贅沢させられるだけの資産は充分にあった。

 

タッソーは独り身の男だ。四十を超えるまで結婚もせずにがむしゃらに働いてきた。

自分と同じくらいの歳の男達が妻を持ち、子を育てていく中で、タッソーはとにかく身を粉にして稼ぎ続けた。

 

妻を娶り、子を育てるのは、金持ちになってからと決めていたからだ。

 

そんなタッソーが店内を見回し、ロメを探し始める。だが、馴染みの女の姿は見当たらない。

タッソーがカウンターにいたバーテンにロメを訊ねた。

 

すると客の相手をしている最中だという。一足遅かった。

臍を噛みながら悔しがるタッソー、その時だった。

 

天井からパラパラと、タッソーの禿げかけた頭上へホコリが降ってきたのは。

「一体なんだ?」

 

軋み上げ始める天井──途端に何かが割れるような大きな音が上の方から響いた。

 

壊れた天井から何かが酒場へと落下する。その衝撃に一瞬、酒場が揺れた。

 

天井からの落下物──その正体は裸体を晒した男と女だった。

 

女を抱き抱え、杭を打ち込み続ける男の姿。実に堂々としている。

突然の出来事に周りの客が唖然とする中、男は荒々しい動きで女を突き上げていた。

 

その媚態を衆人環視の前に晒しながらも、一心不乱に喘ぎ続ける女──タッソーは目を見張った。

ロメだったからだ。

 

「天井が抜けたようだな」

 

男がぽつりと呟く。男は筋骨盛り上がった見事な体躯をしていた。

それにずば抜けて長身だった。

 

浮き上がった一つ一つの筋肉が極限にまで鍛え抜かれているのが、素人目にもわかるほどだ。

それでいて全体の調和が取れている。

 

男の逞しい胸板にしがみつき、乱れ狂うロメ──女は押し寄せる法悦に酔いしれている様子だった。

 

軽い目眩を覚えたタッソー、一体この男は何者なのか。

すると、空いた天井の穴から、少年が顔を覗かせてこう告げた。

 

「おい、大丈夫かい、カインの兄貴」

 

そう、この男こそが、あのムスペルヘイムの戦士カインだったのである。



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蛮勇カインと拳者の石8

「ああ、大丈夫だ。すぐに戻る」

仰向けになった汗だくの女を抱き抱えたまま、階段を上がっていくカイン。

 

男女の残り香がタッソーの鼻をついた。

 

奥の席にいた傭兵が、思い出したかのように声を張り上げる。

 

「そうだっ、俺は以前にチラッと見たことがあるぞっ、あの男こそが暴君タルスの首を刎ねた戦士カインだっ」

 

すると酒場がどよめきを見せた。

 

「あれがカインか……噂通りの豪胆な男のようだな……」

 

「ああ、ありゃ中々できることじゃねえ。並の男なら縮んじまうぜよ」

 

「英雄、色を好むというが、あっちのほうもかなり強そうだな……」

 

「あれほど立派なお宝は見たことがないわ……一度でいいからあやかってみたいわねえ……」

 

と、酒場にいた娼婦と客達が噂話をし始める。いつしか店はざわめきに満たされていった。

タッソーは思った。あれが噂の戦士カインかと。

 

やはり只者ではなかった。なんせ常人と比べて三倍ほどの大きさの至宝根を持っていたのだ。

 

男であれば拝まぬわけにはいかなかった。否、それは女も同じである。

 

と、その時だ。酒場のドアから飛び込んできた男が、血相を変えて、叫び声を上げたのは。

 

「た、た、大変だぞっ、ひ、人食いの化物が街中に出やがったっ」

 

その言葉を聞くと店内にいた客達が、飛び込んできた男に一斉に注視した。

 

部屋へ戻ろうとしていたカインが立ち止まり、女を下ろすと男の方へと向く。

 

「一大事であれば今すぐ案内しろ」

 

「わ、わかったっ、こっちだっ」

 

 

 

ひしめき合いながら、野次馬たちが悲鳴や怒鳴り声を発している。

 

惨たらしい眺めだった。路地に転がったいくつもの亡骸──どれも白骨化していた。

肉がすっかり削げ落ちている。

 

白骨化した遺体を検分するカイン──血の痕跡や内蔵などは見当たらない。それどころか肉片一つ残ってはいない。

現場にあるのは洗い晒したような真っ白い人骨だけだ。それもあまり散らばらずに地面に横たわった。

 

「は、灰色のドロドロした液体みたいな化物がよ、そこの川から這いずり出てきて、みんなを襲い始めたんだよっ、

それで逃げ遅れた連中が、化物に飲み込まれていったんだ……」

 

ガタガタと体を震わせていた案内役の男が、カインにそう告げる。

 

「なるほどな……お前の話から察するにこれは、灰色ブロブの仕業だろう」

 

「灰色ブロブってのは?」

 

着いてきたアルムがカインに訊ねた。

 

「ああ、歳を得たブロブは灰色に変わる。ブロブにはおよそ知性などというものはないが、

しかし、こいつだけは少々勝手が違うのだ。野生の動物程度には頭が回る。となると、厄介かもな」

 

「厄介?」と再びアルム。

 

「ああ、人を食ったせいで人肉の味を覚えただろう。そうなった灰色ブロブは好んで人を襲うようになる。

そして、奴はこの街を餌場だと認識したはずだ。となれば、奴は何度もやってくるだろうな。

それこそ始末でもしない限り」

 

騒ぎを聞きつけ、衛兵達も現場へと急行してきた。

 

「一体何があったっ、この転がった白骨死体はなんだっ」

 

衛兵の一人が、周りに居た住民達に向かって、きつい口調で問いただす。

 

案内役の男と怪物を見たという目撃者の何人かが、衛兵の質問に答え始めた。

 

「なるほど、灰色の粘液状のモンスターか……ふむ、恐らくはブロブか何かか」

 

衛兵の呟きにカインが言う。

「ただのブロブではない。歳を得て多少狡猾になったブロブだ」と。

 

衛兵がカインを横目でチラリと見た。

 

「何やらモンスターに詳しい御仁のようだな。

その鍛え抜かれた身体と、背負った長剣から察するに職業は戦士とお見受けするが」

 

「俺が戦士であることは間違いではない。だが、問題はそこではない。

灰色ブロブは他のブロブとは違って、ある程度は考えることができる。

そして餌場だと思えば、ずっとそこで獲物を狩ろうとする習性がある。

おまけに人の肉の味を覚えた奴は恐ろしく凶暴だぞ」

 

顎を撫でさすりながら思案げな表情を浮かべる衛兵。

 

「何やら厄介な話のようだな……他のモンスター研究者などの話を聞いて対策を立てなければならないか……」

 

「それでは俺達はここらで失礼させてもらうぞ」

 

衛兵にそう言うと、野次馬を押しのけ、カインは路地から一旦引き上げた。

 

 

 

一夜明けたカルダバの街は、怪物の噂話で持ち切りになっていた。

 

大通りに立った新聞売り達が、怪物が出たよ、怪物が出たよと騒ぎ立て、客の購買欲をくすぐる。

 

カインは新聞売りに銅貨を支払い、新聞を受け取った。

広げた新聞を読み始めるカイン──あの灰色ブロブの事が載っていた。

 

どうやら灰色ブロブには、賞金が掛けられたようだ。

 

退治した者には金貨二十枚、ただし生け捕りにすれば金貨五十枚を支払うという。

生け捕りにした場合は何かの研究に使うつもりだろうか。

 

カインは近くの食堂に入るとエールを注文した。

運ばれてきたエールを飲みながら新聞を眺める。

 

そして新聞を読み終わるとカインは食堂を出て、宿屋へと戻った。

 

怪物を退治するか、生け捕りにするか、宿屋へと向かう途中でカインはどちらにするか考えた。

つまみ出した銅貨を親指で弾く。表が出たら始末する。裏が出たら生け捕りにする。

 

迷った時はこうするのがわかりやすくていい。



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蛮勇カインと拳者の石9

「それで怪物をどうやって生け捕りにするおつもり何ですか?」とセルフマン。

 

「そうだぜ、兄貴。相手はネバネバドロドロした奴なんだろう?網で捕まえるってわけにゃいかねえよ」

 

鼻の下を指でこすりながらアルムがカインを見上げていう。

 

アルムの言葉を受け、カインは頷きながら説明を始めた。

 

「ブロブの捕まえ方は、火で炙るか、熱湯でも掛けて弱らせ、そこを容器に押し込むか、

あるいは凍らせるか、それとも電流を通すか、酸で焼いて削っていくか、

ぶん殴って衝撃を与えてやるのもいいし、細かく切り刻んだり、

いっそのこと大量の塩を撒いてやるのもいい、ただ、どれも加減が必要になる。やりすぎると死んでしまうからな」

 

「それに費用の問題も出てきますね。熱湯を作るには大量の水と大釜、それに薪や炭も必要になってくるでしょうし。

それだったら、手間を掛けずにそのまま火で焼いたほうがいい。

凍らせるにしても電気を流すにしても魔法の心得がない限りは、マジックアイテム頼りになるでしょうし。

そのマジックアイテムだって、タダではありませんからね。

ここで一番安上がりに済みそうなのが、炎で直接、ブロブを燃やすか、大量の塩を撒くかでしょうか。

今年は塩の値段が安くなってますからね。

それに誤って殺してしまったり、そのどちらにも失敗した時のことも考えないと」

 

ここら辺のセルフマンの意見は、商人ならではと言えるだろう。

商人の基本は安く仕入れて、高く売るである。

 

どれだけコストを抑えて、儲けを出すかというのも商人にとっては重要だ。

 

生け捕りにすれば金貨五十枚、そのコストを金貨五枚で済ませれば、儲けは金貨四十五枚になる。

だが、金貨十枚の費用を払えば、利益は金貨四十枚だ。

 

それに失敗してブロブを殺してしまえば、受け取れる賞金は金貨で二十枚。

 

そうなると、金貨五枚の経費ならば、手元には十五枚の金貨が残る。

これならば儲けとしては悪くない。

 

だが、金貨十枚の失費になれば、報酬の半分が消える。

そして生け捕りも殺すことも出来なければ、掛かった経費分、こちらが損を被るだけだ。

 

そこへ言葉を継ぎ足すアルム。

 

「だったら塩が一番良さそうだぜ。だってよ、こんな街中で火なんか使ったら、それこそ火事になっちまいそうだしよ」

 

「ふたりの言うことももっともだな。となると、塩が良さそうだ。

他の賞金狙いの連中もすぐに塩を思いつくかもしれんぞ。早めに買っておくとするか」

 

「確かに。では今すぐにでも買いに行きませんと」

 

他の連中に塩を大量に買われ、値上がりしてはたまらないと、セルフマンが少々急かすような口調で言う。

 

需要と供給が物の値段を決める。これも商売の心得の基本の一つだ。

 

「まあ、待て。そう、急かすな、セルフマンよ。もう少し俺は調べておきたいのだ」

 

灰色ブロブが現れたという川の水面を眺めるカイン──この蛮人は川に漂う藻を調べていた。

 

ブロブは雑食性であり、このモンスターが通った跡は川藻がごっそりと無くなっているのだ。

 

そこでカインは事件現場に戻ると、ブロブが這いずり出てきたという川辺の箇所を調べ始めたのである。

 

「なあ、何かわかったか、兄貴?」

 

畔ほとりにしゃがみ込んでいるカインにアルムが声をかけた。

 

「大きさは人を三人ばかし飲み込めるくらいだな。となると、少々計算が合わん。

転がっていた人骨はもっと多かったからな」

 

立ち上がったカインが畔を一周する。すると、ある箇所で立ち止まり、水面を指さした。

 

「ここにも藻がごっそりと食われている。となると、ブロブは少なくとも二体はいるだろうな」

 

「二体ですか。となると、上手く言えば金貨百枚ということもありますね」

 

「両方とも同じ灰色ブロブであればな」

 

そこへ石畳を踏みしめる音が聞こえてきた。カインが後ろを振り返る。

見るとあの時の衛兵が立っていた。

 

「この前の衛兵か」

 

「そういうあんたもあの時いた戦士だな。賞金目当てか?」

 

「ああ、そうだ。灰色ブロブをどうやって生け捕ろうか、思案していた所よ」

 

「生け捕りか。だが、あまり無茶はしないほうがいいぞ。命あっての物種だ」

 

「ふむ、忠告痛み入る。所で今回のようなことはいつも起こるのか?」

 

そこで衛兵は首を横に振ってみせた。

 

「いいや、このカルダバの街は、比較的治安が良いほうだ。

外では野盗やモンスターが出没するが、街中にまでモンスターが入り込むことは極めて希だよ。

衛兵を務めて、もう八年になるが、街でモンスター絡みの事件に遭遇したのは、数える程しかない。

それよりも強盗殺人や泥棒、物取りなんかの人間絡みの事件の方が格段に多いな」

 

「下手なモンスターよりも人間のほうが面倒で厄介か?」

 

カインの言葉に衛兵が頷き、肯定した。

 

「まあな。俺が見てきたモンスター達が人を襲う理由は、単純に腹が減っていたからだ。

それで目の前に食えそうな人間がいたから襲った。それだけだ。

人間は違う。金銭欲や憎しみ、妬み嫉み、あるいは自らの快楽の為に殺人を犯す。

俺はこの街で、そんな連中を何人も見てきたよ」



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蛮勇カインと拳者の石10

「なるほどな」

 

「所で何かわかったのか?」と、衛兵がカインを横目で見た。

 

「灰色ブロブは、少なくとも二体いるということはわかった」

 

「二体か。だが、モンスター学者の話では、ブロブは原則として単独で行動すると聞いているぞ。

ブロブは共食いもするからとな」

 

衛兵の言葉に対し、カインは手を振って否定した。

 

「確かに基本はそうだが、何事にも例外はある。

灰色ブロブは、食欲だけで生きている他のブロブに比べて、多少は知恵が回るぞ。

二体で協力して獲物を狩る個体がいても不思議ではあるまい」

 

「言われてみればそうかもしれんな」

 

「さて、俺達は準備のために引き上げるとする。所で名前がまだだったな。俺はカインという」

 

「俺はビッカー、この街で生まれ育った衛兵だ」

 

「ビッカーか。良い名前だな。ではサラバだ。機会があればまた会おう」

 

 

 

 

 

借りてきた荷車を引き、表店にある調味料屋へとカイン達が訪れる。目的は塩の購入だ。

その際の値引き交渉には、セルフマンが出た。

 

「いやあ、質の良い塩ですね。やはり噂通りの塩ですよ。それに店の雰囲気も好みだ。特にこの店の柱も立派なものですね」

 

猫撫で声で店の主におべっかを使い始めるセルフマン、店主はお世辞とわかっていても嬉しいのか、

頬を緩ませている。

 

人当たりの良いタイプなのかもしれない。商売の基本は相手を気持ちよくさせることだ。

特に言葉で酔わせることが出来れば、もう言うことはない。

 

お世辞を言うだけならタダだからである。

 

「ただ、余りにも良い塩なので、お値段の方もお高そうですね。いや、安物買いの銭失いといいますから、

少々値が張っても良いものを買ったほうが、結局は巡り巡って得をするわけですが」

 

そこで店主の方から、セルフマンに切り出した。

 

「どれほどご入り用なんですか?」

 

「一荷(約六十キロ)で十袋ばかり頂こうと思うのですが、その場合はいくらまで値引きしていただけますか?」

 

「そうですねえ……」

 

弾いたアバカスをセルフマンに見せながら、このくらいでどうでしょうかと店主が訊ねる。

 

アバカスとは針金に珠を通した計算器具のことで、ワラギアの商人であれば誰もが持っている道具だ。

 

「もう少しまけては頂けませんか?二十袋買いますので。お願いします」

 

店主に深々と頭を下げるセルフマン、店主が困り気味に鼻先をポリポリと掻ぐ。

 

そこに店主の背後から誰かが声をかけてきた。

 

「まけてやったらどうですか、ガービンさん。商売は損して得取れだ。良い常連さんになってくれるかもしれませんよ」

 

「おや、これはタッソーさん」

 

店主が少しばかり頭髪の薄くなりかけた男に向かって会釈する。

髪は薄いが身なりは良い男だ。

 

店主の態度から、相手はこの店の大事なお得意様だなと、セルフマンは見て取った。

 

「タッソーさんがそう言うならまけないこともありませんがね。

ただ、これだけの塩を何に使うおつもりなんですか?」

 

店主がセルフマンに向き直り、大量の塩の使い道を聞いてくる。

 

「話をお聞かせしたら、もう少し値引きしてもらえますか?」

 

「話の内容にもよりますね」

 

「分かりました。大量の塩が入用なのは、人食いの化物を退治するためなんですよ」

 

「それは新聞に載っていた人食いブロブのことですか?」

 

店主とタッソーの瞳に興味の色が浮かぶのをセルフマンは見た。

 

「ええ、そうです。ブロブというモンスターは塩が苦手のようでしてね。

だから退治するための塩が必要なんです。

所で店主さん、この店の塩でブロブが退治されたとなれば、ちょっとした評判になるとは思いませんか?」

 

セルフマンの後押しをするようにタッソーがそうだなと頷く。

 

「確かにこの人の言うように、この店の塩を使ってブロブ退治をしたとなれば、良い宣伝になるでしょうな」

 

腕を組んで唸る店主。何かを考え込んでいるようだ。

 

「そういうことであれば、当方でももっと安くしてお譲りしましょう。面白い話も聞けましたし」

 

店主は店主で塩の売り文句や口上を捻って、ブロブ退治をネタに商売をする気なのだろう。

こういうことは商売敵より先に始めるのが重要だ。

 

出遅れれば、それだけ儲け損なう。

 

「お互いに良い取引ができて嬉しい限りですね」

 

セルフマンが店主ににこりと笑って頭を下げた。

 

「いやあ、本当に良い商売ができましたよ」

 

クスクスと笑い始める三人。そこでタッソーがセルフマンに耳打ちした。

 

「所でカインさんはお元気ですか?」

 

「おや、確かタッソーさんと言いましたね?カインさんをご存知なんですか?」

 

「いやいや、ただ、私は牡牛の骨抜き亭の常連でしてね。いやあ、あの晩は驚きましたよ。

なんせ、天井を突き破って落ちてくるんですからね。あれには本当にびっくりさせられましたよ」

 

「おや、タッソーさんもお好きな方なんですか、自分も嫌いではないんですが?」

と、小指を立てるセルフマン。

 

そこから店主も混ざり、酒場や商売女についての雑談が始まったのだった。



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蛮勇カインと拳者の石11

「塩でブロブを捕獲するなんて、面白いわね。それでいつやるのよ?」

 

興味を覚えたのか、テーブルから身を乗り出したマリアンが、カイン達に問いかける。 貴族娘の割に鼻っ柱の強いマリアンは、同時に好奇心も旺盛だ。

 

「ブロブは夜行性だ。となれば、夜が来るまで待つ。ブロブの通り道は既に確認してあるからな。

この前出没した川から、また現れるはずだ。餌も用意しないとな。

生きた動物が良さそうだが」

 

「生き餌を使うってわけね」

 

「そういうことだ。野良犬も野良猫も野良狐もこの街には多い。

街の住民も頭を悩ませ、これを駆除しているようだしな。

それならば、いくらでも集めてこれるだろう」

 

そこでセルフマンがカインに告げる。

 

「届出なら私がやっておきます。生き餌集めのほうはちょっと苦手なので、あまりお役に立てませんが……」

 

「何事も適材適所だ。生き餌集めは俺とアルムに任せておけ。では、役所への届出の方は頼んだぞ」

 

「わかりました」

 

こうしてカインとアルムは生き餌集めに向かい、セルフマンは届出のために役所へと足を運んだ。

そしてマリアンの方はというと、これは特にすることがないので、自室で二度寝することにした。

 

いや、休息を取るのもこれはこれで大事なことだ。

万が一、怪我人が出た場合、疲れていては治療にも専念できない。治癒魔法には体力と神経を使うからだ。

 

このように各々が、自らの役割をキチンと全うしていた。

 

 

 

ダチュラを混ぜた餌を路地裏にばら撒いておき、三時間ほどしてから戻ってみると、昏睡状態に陥った野良犬が何頭か倒れていた。

ヒヨスチアミン、アトロピン、スコポラミン──この植物に含まれる成分には、意識の混濁、あるいは昏睡させる作用を持つものもある。

 

カインとアルムは、昏睡した野良犬達を縛り上げると、次々に荷車へと乗せていった。

「これだけいれば、充分かい、兄貴?」

 

「ああ、生き餌はこの量で足りるだろう」

 

それからカインは荷車の取っ手を掴むと、宿屋へと引き返した。

 

日が沈む時刻になり、四人は現場へと向かった。荷車には、たっぷりと塩を詰めた麻袋と、縛られた野良犬の姿が見える。

 

川の付近には、ブロブ狙いと思われる他の賞金稼ぎのグループがいくつか屯たむろしていた。

 

やはり考えることは皆同じというわけだ。地面に唾を吐き、舌打ちするアルム。

 

川の流れを見ながらカインが端の方へと移動し、位置を確保する。

 

橋には、見物に集まった野次馬達でごった返していた。ちょっとしたイベント気分なのだろう。

 

その野次馬連中相手に、飲み物や菓子を売り歩く物売り達の姿もチラホラしていた。

 

「全く、暇な連中だぜ」とアルムが吐き捨てる。

 

「麻袋を開けて、身体に塩を振りかけておけ。そうすれば逃げるくらいはできるぞ。ブロブは塩を嫌いからな。

それと俺より前に出るんじゃないぞ。危ないからな」

 

カインの言葉に従い、一同が身体に塩を振り掛けていく。

それから縛った野良犬達を浅瀬に置き、ブロブが来るのを待った。

 

一刻、一刻と過ぎていく時間。夜空にはすでに白い月が上がっている。

 

そうしている内に水面が揺れ始めた。

 

「ブロブだ。気を引き締めろ」

 

「ブロブですか……こうやって見るのは初めてですよ」

 

緊張した面持ちのセルフマンが、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 

それとは少々異なるのがマリアンで、怖いことは怖いのだろうが、こちらは興味津々と言った所か。

 

そしてアルム、瞬き一つせず、いつでも動けるように膝をやや屈伸させ、ブロブを待ち構えているのがわかった。

 

ブロブが転がった野良犬の方へと近づいてくる。そのまま飲み込んだ。

 

灰色の粘液の中でもがく野良犬。最初に皮が溶け出すと、赤い筋肉繊維が露出した。

 

カインが麻袋を抱えて、ブロブめがけて投げつける。

 

ぶちまけられた塩を被るブロブ──すぐに動かなくなった。

 

「最低でも、あともう一匹はいるぞ」

 

もう一匹は、カイン達のいる位置より少し離れた場所から出現した。

 

駆け出した他の賞金稼ぎが、ブロブの目前へと迫り、杖を突き出す。途端に青いイカヅチが走った。

 

感電するブロブ──浅瀬でぐったりとしている。

 

「もう一匹はあいつに持って行かれたか……」

 

「まあ、良いではないか。こうやって一匹だけでも生け捕りに出来たのだからな。

それでは積み込むとしようか」

 

カインがブロブを麻袋に突っ込み、荷車の上に乗せていく。

 

「それにしても塩が余ってしまいましたね……少しばかり買いすぎました……」

 

肩を落としてみせるセルフマン、そこでカインは言った。

 

「別に気にする必要はない。用心を重ねた上でのことだ。それに塩なら腐らぬし、転売もできるだろう。

それに塩が不足している山岳地域に持っていけば、充分な利益も出るだろう」

 

荷車に塩を撒いて、麻袋を空にするとブロブのはみ出した部分を覆っていく。

 

塩の滲んだ麻袋は、ブロブの動きを鈍くする効果があるのだ。

 

「……もう一匹居たみたいよ……」

 

マリアンが川を指さしながら呟く。

 

カインが振り向くと、そこには先ほどの二体など及びもしないような巨体を誇る灰色ブロブが悠々と泳いでいた。

 

「三体いたか、それもさっきの奴よりも大物だな、やはり、多めに塩を持ってきて正解だったぞ」



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蛮勇カインと拳者の石12

水飛沫をあげながらその全貌を露にする灰色ブロブ──その迫力は人々に十メートル級の津波を連想させた。

 

並のブロブの比ではない。これは異常個体の一種だ。

 

カインもこれほど大きな灰色ブロブは、お目にかかったことがなかった。

 

「むむ、これは塩が足りるかわからんな……」

 

他の賞金稼ぎ達がその場から逃げ出していく。命あっての物種というわけだ。

 

浮き足立った野次馬達──押し合いながら橋から逃げようとする。

 

しかし、転んだりもつれ合うせいで、逆に自分と相手の逃げ道を塞いでいる状態だ。

 

そうこうしている内に触手を伸ばしたブロブが、橋の上で立ち往生している野次馬達を絡めとり、飲み込んでいく。

 

「あ、あれはタッソーさんっ!」

 

思わずセルフマンは叫んだ。ブロブの触手に足首を掴まれ、引きずり込まれる寸前の男──間違いなくタッソーだ。

 

カインは背中に背負った長剣をブーメランの如く投げつけ、タッソーを捕らえている触手を切断した。

 

間一髪だ。

 

触手から逃れたタッソーが、慌てて人混みの中へと飛び込んでいく。

 

混乱は高まる一方だった。半狂乱になりながら、逃げ惑う群衆。

 

錯綜する怒号や叫び声が、更なる動揺の波紋を広げていく。

 

カインは塩の詰まった麻袋を引き裂くと、巨大ブロブ目掛けて次々に投擲した。

 

その間にアルムとマリアン、そしてセルフマンが、賞金稼ぎ達の置いていった塩袋を急いで回収しては、カインの前に積んでいく。

 

塩を嫌い、こちらに近づこうとはしないブロブ──しかし、攻撃が効いている素振りは見えない。

 

カインは橋の上に塩袋を放り投げると、人々に向かって叫んだ。

 

「身体に塩をすり込めっ」と。

 

そして再びブロブに塩の詰まった麻袋を投げつけていく。

 

塩──それは原始的な調味料であると同時に、特定のモンスターには有効な武器にも防具にもなり得るのだ。

 

いくらか冷静さを取り戻した人々が、自分の身体に塩を振り掛けていく。

 

すると安心したせいで余裕が生まれたのか、それなりに落ち着いた態度で群衆は避難していった。

 

これでまずは一安心といったとことだ。

 

その時、小さな船が猛然とブロブ目掛けて押し寄せていった。

 

船の穂先に立つのは、衛兵のビッカーである。

 

ビッカーが乗組員達に号令を掛けると、何本ものワイヤーが水面へと垂らされていく。

 

「放電せよっ」

 

ビッカーの叫びと同時に感電するブロブ──表面が塩水で濡れているおかげで、電流が通りやすい状態だ。

 

徐々に鈍くなっていくブロブの動き。だが、まだ反撃する余裕はありそうだ。

 

身体を振り乱し、ブロブが船を捕まえようと触手を伸ばす。だが、船はそれに合わせて後方へとずれる。

 

緩慢な動きでは、思うように船を捉えることはできない。傍から見ればビッカー側に余裕がありそうにも見える。

 

だが、ビッカーの方も実は焦っているのだ。電撃の魔力が切れる前に勝負をつけなければならない。

 

「くそっ、まだ倒せないのかっっ!」

 

乗組員の一人が大声を張り上げるビッカーに向かって答えた。

 

「ビッカーさんっ、このままだと六十数え終わるまでに魔力が切れてしまいますっ」

 

異常なしぶとさを誇るブロブだった。その巨体を差し引いても、やたらとタフである。

 

「この灰色ブロブ、ただデカイだけではないな……」

 

カインは呟いた。

 

──ねえ、カイン、あのブロブ、何か中心からおかしな力を感じるわ……

 

──エリッサか、中心に何かあると言ったな。面白い。礼を言うぞ。

 

「ビッカーよっ、その電流を絶対に止めるんじゃないぞっ」

 

その次の瞬間、雄叫びをあげながらカインはブロブの内部へと飛び込んでいた。

 

傍から見れば狂気とも言える所業である。自殺志願者だってブロブに飲まれて死にたくはないだろう。

 

世はまさに世紀末だった。

 

だが、カインにも目論見が無いわけではなかった。

 

ブロブが感電し、弱っている今であれば溶かされる可能性は低いと、この蛮人は判断したのだ。

 

その予想はそれなりに当たっていた。

 

ブロブの分泌する麻痺毒のせいで身体が少々痺れるが、そんなことは些細な問題である。

 

カインは粘液の海を勢いよく掻き分け、ブロブの中心部へと向かっていった。

 

エリッサの言っていたように中心の位置に灰色の宝石のようなものが浮かんでいる。

 

カインはその石を掴み取った。

 

「早くしろっ、カインっ、魔力が持たないぞっ」

 

叫び声を上げるビッカー、カインはすぐにブロブの身体を突き破り、脱出した。

 

同時に放電が切れる。どうやら間一髪だったようだ。

 

石を奪われたブロブはその動きを止めた。そして、川底へとそのまま沈んでいった。

 

カインは己の掌にある石を見た。

 

「これはもしや拳者の石か……なるほど、あのブロブはこいつから力を得ていたということか」

 

──よかったわね、カイン。

 

──ああ、エリッサよ、お前のおかげで助かったぞ。しかし、何故ブロブが拳者の石を持っていたのか。

 

──世の中不思議なことだらけよ。ブロブが拳者の石を持っているのだってね。

 

──確かにその通りだ。

 

この世の中は摩訶不思議なことに満ちている。

偶然、ブロブが拳者の石を持っていたとしてもも、それを人間が推し量ることはできない。

 

アルム達がカインに駆け寄っていく。

 

「すげえよ、兄貴っ」

 

人々の喝采がこの野生児に降り注いだ。



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蛮勇カインと拳者の石13

カルダバの街はちょっとしたお祭り騒ぎだった。

 

巨大な灰色ブロブを退治したということで、人々は浮かれていた。

 

また、件の灰色ブロブを倒したというのが、蛮地からやってきた戦士という噂もどんちゃん騒ぎに拍車を掛けていた。

 

その噂の張本人はどこにいるのかというと、酒場にいた。それも貸切の。

 

カインがテーブルに置かれた硝子瓶から杯に酒を注ぐ。

 

この酒の席を用意したのはタッソーだ。

 

ブロブから命を救ってくれたささやかな礼というわけだ。

 

踊り子の悩ましい腰の動きに目を奪われているアルムを尻目にカインはブランデーを飲んだ。

 

上等な酒だ。芳醇な香りとコクがあって、中々の美味だ。

 

「美味い酒だな、ビッカー」

 

「ああ、衛兵の薄給じゃあ、中々味わえない」

 

「だが、今回の件で衛兵隊長に昇進するのだろう?」

 

「まあな。それでも給料が安いことには変わらんさ」

 

手巻きタバコを喫いながら答えるビッカー、左手には琥珀色の液体で満たされた小さなグラスが見える。

 

「街のお偉いさん方を喜ばせても貰える金は雀の涙ほどか。今回の件で、街の住民からは新たな税金を徴収できるというのにな。

今後のモンスター対策費として衛兵の装備の向上、それから人命救助用アイテムの充実、

モンスターの侵入経路を塞ぐための工事費、あれこれと名目をつけてな。

今回の騒動、少々不自然な部分が感じられるぞ」

 

グラスの酒を一息に呷り、ビッカーが口を拭う。

 

「大衆は理屈や論理じゃ納得しない。じゃあ、どうすれば納得すると思う?」

 

カインが酒を口に含みながら言う。

 

「体験や物語だな。多くの人間は理屈だけでは動かん。感情や実感がそこに伴わなければな」

 

カインの言葉にビッカーがゆっくりと頷いてみせた。

 

「そういうことだ。いくら真っ当な理屈や正論を並べても感情を揺さぶらなければ効果がない。

逆にどんな屁理屈でも感情を揺さぶれば、勝手に納得してしまう。

少なくともこの街の住民のほとんどはそうだ。論理的に考えるよりも感情で動く」

 

「そして物語を演じる段階になって、俺という蛮人が現れた」

 

「……あの巨大なブロブは全くの予想外だったがね。だが、それも無事に退治できた。

そして上映された舞台は住人達から大好評だ」

 

そこへ用足しに行っていたタッソーが戻ってきた。

 

「いやあ、少しエールを飲みすぎてしまいましたよ、はは」

 

と、笑いながらタッソーが席に座る。

 

「所でタッソー、あんたは利子で暮らしているといったが、その前は何をしていたんだ?」

 

硝子瓶から酒をつぎ足しながら、カインはタッソーに質問を投げた。

 

「そうですね、貿易と投資、それと先物取引でしょうか。投資と先物取引なら今でもたまにやりますけどね」

 

「ふむ、俺も先物取引は実際にやったことがない。面白いのか?」

 

「ギャンブルがお嫌いじゃなければ、中々楽しめますよ。

ただし、儲けられるかどうかは、運以外にも機微や場の読みが必要になってきますけどね。

ここら辺もギャンブルに似ていますが」

 

そんな二人の間にビッカーが割って入り「実は以前から投資に興味があったんだが……」と、タッソーに話を切り出す。

 

そこからは金についての話になった。金の話には敏感なセルフマンが、三人の輪の中に潜り込んでくる。

 

酒、金、女──この内のどれかは、男であれば蛮人から文明人までもが興味を持つ話題である。

 

むしろ無欲な聖人か、並外れた変人奇人でもない限り、男であればこの三つ全てが嫌いという者もいないだろうが。

 

「俺の育ての親のヨナスは常々言っていたぞ。バブルとは崇拝と熱狂だとな。

それこそ毒にも薬にも食料にもならず、さして美しくもない花の球根なんぞに莫大な金貨を注ぐ。

傍から見れば狂気の沙汰だ」

 

「その通り、ですが利益になるならば誰もがその球根に飛びつくのです。

最初はただの物珍しさで誰かが買っただけなんですがね。所が次々にそれを真似していく人間が増えていった。

すると球根の値段はどんどん上がっていく。次に利殖目的で買い漁る者が増えていく。

みんな球根は永遠に値上がりすると信じてね」

 

代わりの酒を給仕に持ってこさせながら、タッソーは話を続けた。

 

酒が入って饒舌になっているのだ。

 

「ですが、バブルはいつか破裂するものです。そして破裂した時にようやく人は夢から覚めるのです。

そして、破裂した原因から学ばずにまた熱中する。それが人間というものですよ」

 

「そして冷静な者だけが、弾ける前に全ての球根を売り抜いて儲けを手に入れるというわけか」

 

これはビッカーの発言だ。

 

「ですが、何故に人は不合理に走るのでしょうね。

落ち着いて考えれば、それが結局は不利益に転ぶかもしれないというのに」

 

疑問を投げるセルフマン、だが、もっともな話でもある。

 

「ヨナスはミームと言っていたな。人間の考えや行動は、疫病のように伝染するとな。

バブルも同じだ。

最初はアンカリング、状況判断が難しい場合に人間は全く関係ない事柄から影響を受ける。

次に成功談、他人の成功を眺めて、自分も真似をしたいと考える。

それと過剰な期待、その物が永遠に値上がりすると錯覚することだ。

人間は目を開けたまま、夢を見る生き物ということなのだろうな」

 

カインのこれまでの説明にタッソーは、このバーバリアンがとても聡明であることを悟った。

 

いや、それはタッソーだけではなかった。

 

頭のキレるビッカーもまた、カインが力だけではなく、知恵もある男だと理解したのである。

 

ブロブ退治の時や先ほどの説明から見ても、この蛮人の状況判断能力とその知識はかなりのものと言えるだろう。

 

「なあ、おっちゃん達も小難しい話はここらで切り上げて楽しもうぜ」

 

踊り子の豊満な胸に顔を埋めていたアルムが一同に声をかける。

 

柔らかな肉の谷間の感触に、アルムはご満悦といった表情を浮かべていた。

 

「そうですね、金の話は後日にして、今日はひとつ楽しみましょうか」

 

立ち上がったタッソーが、踊り子達の引き締まった尻に股間を押し付けていく。

 

そこからは乱痴気騒ぎが始まった。



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