SSS (村瀬倖次郎)
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花-1

──このままでは。

 

少女は肩で息をした。手首には自ら突き立てた鋏。血は滴っているが、傷口からいくつも花が芽吹き、血液は花弁へ変わって出血が止まっていく。

パジャマ姿でベッドへ座り込んだ少女は、繰り返し自分の手首を切りつけた。その度に傷口は花が咲き乱れ、花が萎れる頃には傷口が閉じている。花びらにまみれた鋏が手から滑り落ちた。

 

──このままでは、壊れてしまう。

 

***

 

「花咲さん?大丈夫?」

女性の声ではっとした。

「す、すみません!少し緊張してしまって」

「平気平気。この学校は転校生とか編入生とかしょっちゅうなんだから」

女性はカラカラと笑った。髪の毛を二つに分けてお団子にしていて、髪の毛をおでこのちょうど真ん中あたりから黒と黄緑の半分ずつに染め分けてある。白く綺麗な首元を飾る黒革のチョーカーがよく似合っていた。

彼女、毒島先生は今日からこの杯葉学園に転入する私を教室まで案内してくれることになっている。この学校の保健医をしていて保健の授業もしてくれるらしいのだけど、学校の先生にしてはずいぶん派手な気もする。

学校の廊下は白で統一されていて、窓ガラスから日光がたっぷり入って明るい。さっき私の身長の3倍はある校門をくぐる時にも思ったけど、とっても広いし綺麗な学校だ。

私は新品のブレザーの襟を正した。逆三角形の杯葉学園校章が光っている。

「さあ着いた。ここがあなたのクラスだよ」

毒島先生が白い扉を指した。アルミのプレートには1-Bと書いてある。

これから入るクラスのことを考えると身体がこわばった。クラスメイトと仲良くやれるだろうか、ううん、仲良くじゃなくてもいいから当たり障りのないように──

「やあ、ようこそ。君が転入生だね?」

からりと扉が開いて男性がひょっこりと顔を出した。急に現れたので私の心臓は止まりかけた。

「おや毒島先生、引率ありがとう。今日も今日とてお美しいね」

「そのやかましい口を今すぐ閉じな」

毒島先生は心底嫌そうに悪態をついた。仲が悪いのかもしれない。

たぶんこの男性は私の担任の小関先生だろう。でも思っていたよりずっと若い。何より両目の色が片方ずつ違って、宝石みたいにキラキラして見ていると吸い込まれそうだった。右目はサファイア色、左目はルビー色。オッドアイなんて漫画の中だけだと思っていた。

「はい、これであたしの仕事はおしまい。頑張ってね花咲さん」

よっぽど小関先生から離れたいのか、手を振って毒島先生はさっさと行ってしまった。全く気にしていない様子の小関先生はにこやかに私を教室に招き入れた。

緊張でがたつく手足を引っ張って教室に入ると、クラス全員の視線が一斉に私に注がれた。もう今すぐにでも帰りたい。

「あ、あの………わた、私、花咲こはるといいます……よろしくお願いします!」

自己紹介を噛みまくってしまった。それでも教室に拍手が起こった。ほっとひとまず安心できた。

「じゃあ花咲さん、真ん中の空いている席に座って……ん?厚出くんはどうしたの?」

私が座った席の他にも、後ろの方に空席がある。誰かが、サボりでーすと答えた。先生はやれやれと首を振る。

「転入生が来るからきちんと出席するようにと言っておいたんだがね……」

先生は出席簿を取り出して出席を取り始めた。厚出くんという人と私を入れて全部でクラスは21人。普通の学級よりちょっと少なめだ。

「僕、柿谷燐太郎!こはるちゃん、これからよろしくね」

隣の席の男の子が笑いかけてくれた。切り揃えた髪の毛は肩につかない程度の長さで、可愛い顔立ちと合わさって女の子のようにも見える。私は声をかけてもらえたことが嬉しくて何度も頷いた。

「花咲さんは遠方から転入してきて勝手がわからないだろうから、みんなで教えてあげてほしい。じゃ、さっそく授業を始めようか」

えー、とクラス内からブーイングが上がるけど、先生は笑いながら問答無用で授業を始めた。毒島先生のことといい、かなりマイペースな性格なのかもしれない。それでも、私は新しい学校で授業を聞けることが嬉しくて、いそいそと教科書を取り出した。

 

 

「ここが食堂。オススメのメニューはシェフの気まぐれブエナビスタ風ランチプレートだよ!」

「そんなものあるんだ……?」

放課後になって、柿谷くんが学園内を案内してくれている。ブエナビスタ風ってどんな感じなんだろう。今日はお弁当持参で来てしまったから、次の機会に食べてみよう。

清潔感のある食堂で、かなり広い。というか、学園内の設備はどれも大きく作られている。

「初等部中等部高等部の全員が使うからね。それぞれ人数は少なめとはいえ、大きくないと入らないんだ」

放課後でも食堂を雑談するのに使っている人が多く、よく見ると柿谷くんの言う通り初等部から高等部まで学生の層は幅広い。

「あとは図書館と展望室と……あ、でも今日は初日で疲れてるだろうし明日にしようか」

柿谷くんは人懐っこく笑った。『明日』と言ってもらえることがとても幸せに感じた。

「いろいろありがとう柿谷くん。あの……また明日!」

「うん、また明日ね」

 

そこからの足取りはとても軽かった。新しい場所で、新しい学校生活。全てがキラキラして見える。私は家族の元を離れて学園付属の寮に入ることになったから少し寂しいけれど、クラスメイトは柿谷くんのような優しい人ばかりだったし初日は最高の滑り出しだった。

「たっだいま〜!マイルーム!」

テンション高く自室のドアを開けてから、シャンプーを買い忘れていたことに気がついた。

このままではお風呂に入れないイコール、翌日体臭でクラスメイトに不潔な印象を与えるイコール、学校生活の終わり……それだけは避けなければ!

お財布を握りしめて入ったばかりの部屋を飛び出した。

「ええと、こっちの道を行けばスーパーまで近道だよね」

携帯のマップ機能とにらめっこしながら歩く。学園がある杯葉町はさほど大きくないけれど、生活に必要なお店はだいたい揃っているので学生には便利だと思う。

路地裏を歩きながらマップ上のカーソルを見つめ続ける。こうしていないと方向音痴の私はいつも自分がどこにいるのかわからなくなってしまう。すると、携帯を見ながら歩いていたせいで目の前を歩いていた人にぶつかってしまった。

「ごごごごめんなさい!お怪我ないですか?」

視線を上げると、ぶつかった男性はニタリと笑った。身長は私の頭二つ分優に超えている。男性は私の腕を掴んだ。

「アンタその制服ってことは、杯葉学園の生徒だよなあ?」

私は自分が制服を着たまま出てきたことを思い出した。男の腕に力がこもり、私の手首は痛いほど締め付けられる。

「ってことはよぉ、『その身体』高く売れるってことだよなあ!!」

男は隠し持っていたナイフを振りかざした。

刺される──と思ったのに、痛みは一向に訪れなかった。代わりに、目の前に私と同じ杯葉学園のブレザーを着た男の子がナイフを受け止めていた。

「てめえ、何の真似だ!死にたくなかったらどけ!」

「それはこっちのセリフ」

男の子は一度右手を後ろに引いたかと思うと、ナイフの男の顔面に向かって拳を叩き込んだ。その瞬間、暗い路地裏がバチバチと爆ぜる電撃で明るくなる。

頰に重たい一撃を食らった男は白目を剥いて昏倒した。あまりに一瞬のことで、何がどうなっているのかわからない。

「………痛い」

ぼそりと男の子がつぶやき、私は我に返った。男の子の腕はナイフで切りつけられ、結構な量の血が出ている。慌てて男の子に駆け寄った。すぐに傷を塞がないと……!

きょとんとしている男の子の腕をとり、傷口に自分の手を重ねる。血液の温もりと、ぬちゃりとした感触が伝わり、私はぎゅっと目を閉じた。しばらくすると押さえた手のひらをくすぐる感覚があり、切り傷から花が咲き始めた。パンジー、シロツメクサ、マーガレット、色とりどりの花が咲いてすぐに萎れていく。全部萎れる頃には、細く長く切れていた傷口は跡形もなく閉じていた。私はほっと息をついた。

男の子は腕の感覚を確かめるように拳を開いたり握ったり消えた傷口のあたりをさすったりしている。

「ごめんなさい、私のせいで、あなたに怪我を……」

手についた彼の血の感触を思い出す。気がつけば涙が溢れて止まらなくなっていた。しゃくりあげながらごめんなさいを繰り返す。

私は、腕を切る痛みを知っている。私を助けるためにあんな思いをさせるなんて、酷いことをしてしまった。

「そこは、普通にありがとうでいいんじゃない。俺もいいもの見れたし」

男の子は自分が着ているパーカーの袖で私の目尻を拭った。そこで初めて、彼のきらきらした金髪が視界に入る。絵に描いたように整った顔立ちと、澄んだ瞳が前髪の奥に隠れている。顔こそ無表情に近いけれど、目がとても優しくて惹きつけられてしまう。

「あ、ありがとうございます!あの、お名前を聞いてもいいですか?」

彼は少し黙ったあと、ぽつりと答えた。

「厚出章人。たぶん、あんたと同じクラス」

 

 



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花-2

「同じクラス……って、どうしてわかったの?」

厚出くんは私の携帯を指した。

「担任が転入生が来るって言ってたから。そんなにマップにかじりついてるってことは、この町に詳しくないってことだろ」

恥ずかしさで顔が熱くなった。そもそも、私が歩きスマホなんてしていなければ、厚出くんが怪我する必要もなかった。

「そういえば、あの男の人置いてきてよかったのかな?」

「しばらく目が覚めないだろうし、通報しといたから警察が持って帰るよ」

彼は淡々としている。

男の人の殴られた頰は倍ぐらいに腫れていたから、厚出くんのパンチがものすごい威力だってことを物語っていた。 しばらく目が覚めないというのも頷ける。

「……さっきの花、どうやったんだ?」

そうだった、『あれ』をやってしまったんだった。

尋ねられて血の気がすうっと引いていくのを感じる。以前暮らしていた町では、あれを人前でやらないようにずっと気を配っていたのに。

 

***

 

私は子供の頃から、転んだりして怪我をするとその傷から花が咲く体質だった。咲く花の種類はばらばらで、咲いたかと思うとすぐに萎れてしまう。その代わり、萎れた後は綺麗に傷が治る。

両親は最初病気だと思って色々な病院に私を連れて行ったけれど、原因は不明。特に何か悪い影響があるわけではなく、『そういう体質』だということだけがわかったから、そのままにしておこうとお母さんに言われた。お父さんは「こはるはよく転ぶから神さまがつけてくれたんじゃないか」なんて言って笑っていた。

私自身花が好きだったから、怪我をして泣いていても、次の瞬間には花が咲いたことに喜んでいた。

 

小学校に上がった頃、親友のちいちゃんがジャングルジムのてっぺんから落ちてあちこち擦りむいたことがあった。

血が出ていることにびっくりして、怪我をした本人よりも私の方が泣いてしまい、笑ってるちいちゃんにすがりついた。

すると、私が触っている近くの傷から花の芽がぽつぽつと咲き始めて、彼女の肘や膝が小さな花畑のようになった。

「すごい! こはる、魔法つかえるの?」

ちいちゃんは目を輝かせた。花はぱらぱらと散って、血が滲んでいたひどい擦り傷が跡形もなく消えていた。

この時、私は他人の傷も触れば治せるということに気がついた。

 

それからちいちゃんは私の住んでいた町から遠い場所へ引っ越してしまって、私も中学生になった。

家族やちいちゃん以外にはこの体質は人に知られないようにしていたけれど、ある日事件が起こる。

 

それは、掃除が終わってゴミ捨て場に行こうとしている時だった。

中庭から悲鳴が聞こえてきて、私は恐る恐る様子を伺った。

「痛っ……」

同じクラスの男の子が、頭から血を流していた。周りを取り囲んでいる数人の男子たちは、手に小ぶりの石を持っていた。

「お前が避けようとして動くから当たったんだよ! 俺ら悪くねえからな!」

リーダーらしき男子が怒鳴った。血を拭った男の子の手が震えているのが見えた。

私はゴミ箱を放って男子たちの前に立ちはだかった。

「なんだお前、関係ないだろ。どけよ」

さっき怒鳴った男子が舌打ちする。私は自分の足が震えているのを感じた。でも、男子の言葉を無視して怪我をしている男の子のこめかみに手を当てた。

こめかみからはスミレが咲き出した。男子たちがざわつく。薄紫の花がいくつも咲いては花びらを散らした。男の子は小さく息を呑んだ。

傷が癒えたのを見届けて、私は男の子を安心させようと笑いかけた。

「もう大丈夫、血は止まって──」

「ば、バケモノ!!」

男の子は悲鳴まじりの声を上げた。周りの男子たちもバケモノと叫んでいる。私は意味がわからず動揺した。

「お前が触ったら体から花が生えてきた!嫌だ、 気色悪い!」

口々に叫びながら、男の子とそれを虐めていた男子たちはバタバタと中庭から逃げ出していった。

 

一人残された私は、その場から動くことができなかった。

『バケモノ』『気持ち悪い』。

その言葉が頭の中でわんわんと響き続けていた。

 

その日から、いじめの標的は私に変わった。教科書はズタズタにされてゴミ箱に捨てられていたし、体操着や上履き、鞄も、ありとあらゆるものが隠された。あらん限りの悪口をノートに書き殴られ、誰からも存在を無視された。

両親に心配をかけたくなくて、家ではいつも通りを心がけた。部屋で一人になった途端、爆発したように泣き始めるのが毎日だった。

 

中学生活を耐えて地元の高校に上がっても、私が『人の傷口に花を植え付けるキチガイ』だという噂は届いていた。

学校生活は良くなるどころか、日に日に本当に気が狂いそうになっていた。

こんな体質じゃなかったら。普通だったら。

家で鋏を腕に振り下ろして、傷を作った。いつか花が咲かなくなることを願っていた。痛みなんてもうどうでもよくなっていた。何度も、何度も、振り下ろす。

 

「こはる、杯葉学園って知ってるか。こはるみたいに特別な身体の人が通っているんだって」

お父さんが私を呼んで、リビングでパンフレットを見せてくれた。お母さんは隣で私の頭を撫でてくれていた。もう、二人とも私が何をしていたのか知っていたのだ。

杯葉学園──通常の生活に支障が出たり、事情があって普通に暮らしていけなくなってしまった特異体質の学生を受け入れる学校。ここからはかなり離れた土地にある。

「杯葉町は学生の家族も受け入れてくれるって書いてある。父さんたちもこはると一緒に行くよ」

独りぼっちだと感じていたけれど、お父さんもお母さんもずっと私のことを心配してくれていたんだ。絶え間なく溢れる涙を手の甲でごしごしと拭いた。心強かった。

「ううん、杯葉町には一人で行くよ。ほら、専用の寮があるって書いてある」

「でも……」

「お父さんこの家ローン残ってるでしょ! しばらくお母さんと水入らずで過ごしたら?」

正直強がりだったけど、本音でもあった。両親はいつも私を一番に考えてくれた。今度は、私が強くならなくちゃいけない。

ごめんね、とお母さんが掠れた声で言った。目元が赤い。きっと、泣き通しだったんだろう。私の涙腺の緩さはお母さん譲りだ。

「……平気なのか」

「うん」

「毎日連絡よこすんだぞ」

「うん」

「母さんの肉じゃが冷凍して送るから」

「うん」

「何かあったらすぐに帰ってきなさい」

「うん。……ありがとう」

涙が止まらないまま、私は笑った。お父さんは私の頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。お母さんも微笑んでいる。

 

診断書と転入届を送ると、すぐに受け入れの返答と理事長直筆の手紙が届いた。丁寧な字で、新しい生徒の仲間入りを心待ちにしている、と書かれていた。

私は両親に見送られ、杯葉学園へ向かう電車に乗った。二人の心配そうな表情が窓の外に見えなくなった。

 

***

 

バケモノ。

嫌な言葉が頭をよぎる。私を助けてくれた厚出くんにだけはそう思われたくなかった。

「怪我してるところに触ると傷が治るんだけど、ほら、痛い痛いのとんでけ〜の進化版というか、お花が咲くのはその過程というか、体に悪い影響とかは全然──」

焦って自分でも意味不明のことをまくし立てていると、厚出くんがそれを遮る。

「すげえと思う。花、綺麗だった」

相変わらず彼は無表情で何を考えているか読み取れないのに、その言葉はすとんと私の中に染み込んでいった。拒絶されないことがありがたくって、褒められたことが素直に嬉しくって、目からまた涙がぽろぽろ溢れた。私が泣き止むまで、厚出くんは側で立ち止まっていてくれた。

「さっきの男みたいなやつたまにいるから、制服のままで暗いところを通らないほうがいい」

そういえば、男は『杯葉学園の生徒の身体は高く売れる』と言っていた。生徒を狙っているのなら、制服を着ているといい目印になってしまう。私が寮に入ったことを話すと、同じくブレザーを着ている彼も危険なはずなのに、寮まで送ってやると有無を言わさぬ静かな気迫で言われ頷いた。

 

しばらく黙って歩き続け、寮の堅牢な門の前まで来た。もう夕陽が半分ほど街並みに消えている。

「じゃあ、俺も帰る」

彼は今来た道を振り返った。

「送ってくれて本当にありがとう。……明日は、学校来る?」

おずおずと聞くと、彼は変わらない無表情でじっと私を見つめた。ほんの数秒のはずなのに、ずいぶん長く感じられてどきどきした。

「ああ」

短い答えでも、私が喜ぶには充分だった。まだきちんとお礼もできていない。明日学校でお礼をしよう。

 

自分の部屋に入って、シャンプーが入ったビニール袋を床に下ろす。一緒にずるずると自分も床に座り込んだ。男に襲われた怖さが、一人になることでぶり返してきた。

私は気合を入れて座り込んでいた床から立ち上がり、制服をハンガーに掛けた。

いつまでも誰かに守ってもらってちゃダメだ。送り出してくれたお母さんたちのためにも、私が強くならないと。

曲がった校章を正して、私は深呼吸した。

 

 

 

 



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学園の意義

抜けるような晴天とはこのことで、空は高く青く澄み渡っていた。学園にはぞろぞろと生徒たちが集まってきている。

 

教室の中、こはるは緊張で身を固めながら座っていた。鞄の中からは微かに香ばしいクッキーの匂いがする。自分を助けてくれた章人のために、昨晩時間をかけて焼いたものだ。ラッピングも手が込んでいる。

「作ったはいいけど、厚出くんが甘いもの苦手だったらどうしよう……好きな食べ物聞いておけばよかった……」

こはるは今にも泣きそうな顔で呟いた。すると、急に教室内がざわついたので視線を上げる。リュックを背負った章人が教室に入ってきた。

「学校来るなんて珍しいな! なんかあったのか?」

明るい茶色の髪を逆立てた男子が章人の背中を叩いた。

確か竜崎くんだったかな──とこはるは昨日のクラス内での自己紹介を思い返す。ひとしきり授業をやった後に、担任の小関がこはるのためにクラス全員が簡単な自己紹介をするように促したのだ。竜崎陽一。彼はとにかく元気で、運動全般が得意だと言っていた。

バシバシと嬉しそうに背中を叩き続ける陽一と、全く表情を変えない章人は対照的だった。

「お、おはよう……」

おずおずと挨拶するこはるに、章人も挨拶を返した。

「これ、昨日のお礼に! 苦手だったら捨ててもいいから!」

意を決して包みを突き出す。章人はしばらく包みを見つめていたが、受け取った。その場で包み紙を開き、花の形のクッキーを口に放り込む。

「え、なになに? こはるっちとすでに知り合いなの? どゆこと?」

陽一が興味津々といった様子で章人の背中にのしかかった。クッキーに手を伸ばすが章人に阻まれる。

こはるは密かに『こはるっち』という愛称で呼ばれたことを喜んでいた。今まであだ名などつけてもらったことがなかったからだ。

「厚出くんには昨日危ないところを助けてもらったの」

「へえ、ショートでも人助けするんだなあ」

その言葉が終わらないうちに章人に無言で頬を捻り上げられ情けない悲鳴を上げる。すぐに解放されたが赤い跡が残った。頬を押さえて涙目の陽一をよそに、やった本人は涼しい顔をしている。

仲がいいんだなあ、とこはるは羨ましく思った。こんな風にじゃれあえるのは、幼い頃に別れた親友だけだった。

「こはるっちはさ、なんで杯学に来たの?」

陽一が無邪気に尋ね、こはるは思わず口ごもる。この学校には自分と同じ特異体質の子供たちが集まっているとはいえ、傷口から花が咲くような奇特な体質を軽々しく教えてしまって引かれないだろうか。

「俺は爬虫類体質、皮膚が鱗みたいになったり壁に張り付いたりすんだ!」

あっけらかんと陽一が自分の体質について述べ、ワイシャツの袖をまくる。その言葉の通り、蛇やトカゲの鱗に似た皮膚が現れた。みっしりと並んだ鱗は艶をもっており、光の加減で緑や青にきらめいた。

「ショートは帯電体質で、あそこにいるお嬢様は──」

「ちょっと!」

陽一が指で示した先にいた女生徒が怒りをあらわにした。

優美な巻き髪、目がさめるほどの美人である。制服は他の生徒とさほど変わらないが、重厚なロングブーツを履いている。前面には金属の板が入っているようだった。

「体質のことは触れられたくない人だっているのよ! 軽々しく口にしないで!」

そう言うと、ブーツの踵を鳴らして教室を出て行った。陽一は肩をすくめる。

「美人なのにちょっとヒステリックなのが玉にきずなんだよなあ」

「……おまえがデリカシー無いんだと思うけど」

章人が冷静に口を挟む。周りで見ていた何人かの生徒も頷いてみせた。

「おいおいおい味方ゼロ?!」

こはるはどうしても彼女のことが気になり、出ていった女生徒を追った。彼女は足早に廊下を進んでいる。少し躊躇ったあと、こはるは思い切って声をかける。

「あのっ、蔵石さん!」

──だったはず。

自己紹介の時の記憶を辿りながら、間違えていたらどうしようとこはるは冷や汗をかいた。思えば、あの時も彼女は不機嫌そうな顔をしていた。

蔵石重音、彼女の名前はまさしくそれだった。重音は振り返りこそしなかったが、歩みを止めた。その背中に向かってこはるは話しかける。

「さっき、私がまごついてたから庇ってくれたんだよね? ありがとう」

すると、勢いよく重音は振り返り眉間に皺を深く刻んだ顔をみせた。

「庇う? 私が? ただ私に飛び火したのが嫌だったからに決まってるじゃない!」

怒りを露わにし、声高に叫んだ。ミシッと嫌な音がして、重音の立っている場所を起点に、床に亀裂が走る。その気迫と怒号に気圧され、こはるは半歩後ずさりした。

「貴女たちのような下級市民と私が同じ学び舎にいることだって気に入らないんだから、金輪際関わらないでくださる?」

そう言い捨てるが否や、カツカツと足音を立てて歩き去る。彼女の歩いた床は次々とひび割れていき、くっきりとその足跡を残した。

金輪際関わるな、そのフレーズがゆっくりこはるの中へ浸透していく。理解した時、止めようがない程涙が溢れる。

『また』拒絶されてしまったのだ。自分の不必要な行動、言動のせいで。心臓をフォークで抉り削られているのと錯覚する痛みを感じた。

「うわあ、ひどいなこれは。また蔵石さんかな? これじゃ恐竜の足跡だよ」

言葉とは裏腹に目の前の有様がさほど大したことではないような軽さをもって、担任の小関が現れた。色違いの瞳が揃って弧を描き、こはるに微笑みかける。

 

こはるは小関に連れられ、保健室のベッドへ腰掛けていた。手には養護教諭の毒島が淹れたココアの入ったマグカップが収まっている。

「ちょっと落ち着いたかい?」

「はい、すみません……」

転入早々泣き顔を晒した羞恥で俯くこはるの様子に、小関はまた微笑んだ。毒島は介入せず、デスクに向かってカルテの整理をしている。ベッドに向かい合わせで置いた丸椅子に座り、小関はこはるの目線に合わせるため、細めの体躯を屈めた。

「君の知っている通り、この学園は様々な事情を持った人たちが集まっている。自分の意志で来た人もいれば、止むを得ず訪れた人もいる」

すうと伸びた指を組み合わせながら小関は続ける。

「思春期真っ盛りの少年少女でありながら、そこにさらに己が持つ体質や事情が複雑に絡み合って、学園の中は解かれていないパズルのようなものなんだ」

絡めた指の間から、青い瞳でこはるを覗く。保健室の窓から差した光が瞳の中で拡散し、きらきらと輝いている。こはるは、一瞬自分がさっきまで泣いていたことを忘れてその瞳に魅入った。澄み渡った海の色、あるいは初夏に入った頃の突き抜けるほど高い空の色。優しい、とこはるは感じた。

「かくいう僕も、そこにいる毒島先生も、かつてはこの学園の生徒だったんだよ。今もこうして学園に残り、パズルを解くお手伝いをしている」

名前を出されて毒島はちらりとこちらを見たが、軽く肩をすくめて作業に戻った。担任の教育方針には口を出さないらしい。

こはるは改めて小関の姿をまじまじと見た。現世離れした双眸は特殊な体質によるものだったのだ。それでも、その美しさは羨ましく思えた。自分の、傷口から開く花の生々しい様子が脳裏によぎり、目を瞑る。

「解けるのは一年先、いや十年先かもしれない。それでも、同じく謎に立ち向かってる人たちが周りにいるって勇気が湧かないかい?」

小関はこはるのふわふわした頭の先をそっと撫でた。大人の手のひらに温もりを感じてはっとし、こはるの視界はまた潤んだ。

「ここにいる誰しも、君を傷つけたいわけじゃない」

不器用なだけでね、と続けて言いくすくす笑った。話が終わったのか不意に彼は立ち上がり、毒島に自分の分のココアを要求した。が、あえなく断られ、しょげ返る。その様子にこはるは思わず吹き出した。

ひとかけらチョコレートが溶かされているココアは毒島の特製で、身体の奥底からじんわりと温まる。優しい甘さで肩の力が緩むのを感じた。

 

──お父さん、お母さん、私とても良い学校に入ったみたい。

 

こはるは来た時と同じように小関に連れ立って保健室を出た。マグカップはしっかりと空にして。



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