泣いたうさぎさん。 (高任斎)
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1:空を望んだ老人。

……いつの間にか、お気に入りの小説が消えていた。
なんかモヤモヤしたので、書き始めた。
文字数とか展開とか、キリが悪かったから3分割して同日連続更新。(1時間おき)


 空に憧れ、技術者の世界に飛び込んだ。

 

 自分の開発する飛行機が、兵器として扱われることに思うところがなかったとは言えない。

 

 資材は不十分。

 基礎工業力も十分とは言えない。

 求められるのは、兵器としての性能。

 

 武装を外せば、この飛行機はもっと軽やかに空を舞うことができるだろうにと、仲間内で愚痴をこぼしたこともある。

 

 しかし、戦争のためというお題目がなければ、飛行機としての開発そのものが難しくなることも確か。

 空を目指す両翼の、片翼が折られたような状態での開発。

 

 片翼でも空は飛べる。

 

 チームの誰かが言った言葉。

 空を目指した。

 ひたすら空を目指した。

 空を目指し続けた果てに……国が戦争に負けた。

 

 涙を流しながらも、折られた翼が戻ってくると思っていた。

 片翼ではなく、両翼で空を目指す平和な時代。

 

 自由に、空を飛べると、そう思っていた。

 

 国の、空を奪われた。

 

 航空機の制作を禁じられた。

 開発や研究も10年禁じられ、航空会社は完全に解体されてしまった。

 

 会社は、技術者は、敗戦国の悲哀を感じながら、他業種への転換を図るしかなかった。

 

 翼を取り戻すはずの平和は、もう片方の翼をへし折ってくれた。

 翼を折られ、空を奪われてなお、空への憧れは消えない。

 

 

 戦争が、世界情勢が、そして経済が。

 国の空を翻弄し続けた。

 そして私は、技術者としてではなく、家長として家族を守らねばならなかった。

 

 

 死の間際、私はようやく空に目を向けることができた。

 

 願わくば。

 生まれ変わって、あの空を……。

 

 私は、強く願いながら、死んだ。

 子供たちや孫のことも、すべてを投げ捨てるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初は、生まれ変わりを疑った。

 しかし、そうでないことはすぐにわかった。

 

 技術は専門化し、畑違いの分野は素人同然と言われる時代ではあるが、痩せても枯れても私は技術者だ。

 自分の知る技術体系と、この世界のそれが、一致しないことは一目瞭然だった。

 

 この世界は。

 今、私が生きているこの世界は、私が知る世界の延長線上にはない。

 

 平行世界、という言葉が浮かぶ。

 だが、考えても意味はない。

 

 空が、ある。

 あれほどまでに憧れた、空がそこにある。

 

 それだけで、私には十分だった。

 

 

 

 

 

 世界を揺るがす事件が起こった。

 白騎士事件、と名付けられたもの。

 

 

 IS。

 

 インフィニットストラトス。

 

 若き科学者。

 そして、研究論文の概要。

 

 前世の経験から、一般社会に下りてくる情報がどれほど不正確なものか知っているだけに、どこか冷めた気持ちと、もどかしい思いを抱いた。

 

 

 動画を見て、少なくはない人々が興奮していた。

 

 しかし、私はそれを見て泣いた。

 ただ、涙を流した。

 

 空を思って泣いた。

 そして、学会から無視されたという、若き研究者の無念を思って泣いた。

 

 インフィニット・ストラトス。

 直訳すれば、無限の成層圏、か。

 

 どこまでも、飛べる。

 どこまでも、行ける。

 宇宙開発をにらんだ、画期的な……。

 

 情報操作には、ある程度パターンがある。

 このあたりの、名前や目的に関しては、おそらくはそのまま情報が流布されているのだろう。

 

 

 私が目指したのは、空だ。

 しかし、この研究者が目指したのは、その先の宇宙(そら)なのだろう。

 

 宇宙を目指しながら、無限に続く成層圏と。

 名前から、研究者の血を吐くような思いが伝わってくる。

 

 

 どこまでも続く、成層圏。

 どこまでも続いていく空。

 目指すべき宇宙(そら)は、空の向こうにあるというのに。

 

 どこまでも続く空ということ。

 宇宙には永遠に届かないということ。

 真の望みである、宇宙には、手が届かない。

 

 すべてを承知で。

 すべてを覚悟して。

 そう名付けたのだろう。

 

 個人の科学者としての志を、学会が圧殺する。

 国が、ひねり潰す。

 政治という化物が、経済という正義が。

 

 若き科学者から、宇宙を奪った。

 いわば、地球という重力が、宇宙を目指す彼女の翼のはばたきを認めない。

 

 戦争が、宇宙に向かって羽ばたくことを許さない。

 自身の発明を、自身の想いを貶めてでも、かりそめの平和を願ったのか。

 

 戦争は、国のリソースを注ぎ込むべき状態。

 現状、宇宙開発は、余ったリソースを注ぐ分野。

 宇宙を目指すならば、戦争は排除すべきもの。

 

 たとえかりそめの平和でも、宇宙へつながる道が開ける可能性があるのなら。

 

 白騎士事件が……私には、科学者の絶叫に思えた。

 世界に向けて、絶望を叫ぶ行為。

 

 

 科学者、そして技術者としての優劣に関係なく、私は彼女の絶叫に涙を流さずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 ISの登場は、世界の軍事バランス及び、社会のバランスにも影響を与えた。

 世界が、じわりと変わり始めた。

 

 緊張をはらんだ平和。

 それも、長くは続かない平和だ。

 おとぎ話で語られるような、優しい世界、穏やかな平和ではない。

 しかし、それまでの数多くの紛争を一時停止させる効果はあった。

 

 与えられた新しいステージに、世界が手探りで均衡点を探しているからだ。

 

 砂上の楼閣と笑うものもいるだろう。

 幻想の平和と、戦争準備のための、見せかけの平和と、唾を吐くものもいるだろう。

 

 かりそめでも、幻想でもいい。

 世界に向けて絶望を叫んだ科学者の功績だ。

 エゴイスティックに、平和を求めた彼女の功績だ。

 

 多くの紛争が、一時的に停止する……それが、より大きな崩壊を招くかどうかは、一人の功罪として論ずるべきではないだろう。

 

 私は、彼女を思う。

 彼女は今、どんな思いで世界を眺めているのだろう。

 

 私の目には、彼女の発明が……宇宙へと向かう未来が見えない。

 彼女の目には、まだ希望が見えているのだろうか。

 それとも、絶望に閉ざされた暗い未来だろうか。

 

 世界に対しこれだけの影響を与えたからには、おそらく家族はバラバラだろう。

 前世において、私のような技術者でさえ、戦時中は家族には監視という名の護衛がついていた。

 

 彼女は、現時点で正しくオンリーワンの存在だろう。

 世界が彼女に手を伸ばし、そして手に入らぬとわかれば、殺しにかかるだろう。

 

 世界は、才能に対して残酷だ。

 

 そして私は、無力だ。

 誰かに対して、残酷になれないほどに無力だ。

 

 前世の記憶を持っていてなお、私は早く大人になりたいと願った。

 

 

 二度目の人生の日々。

 

 空はまだまだ遠くにある。

 

 

 




かたぁい!
おもぉい!
次から軽くなるのよ。


多少ネタバレになるのでアレですが、誤字の指摘が相次いでいるので書いておきます。
『監視という名の護衛』はわざとそう表現してます。
つまり、『本人』に対して『お前の家族を監視してるからな!人質だからな!いらんことするなよ!普通に開発しろよ!』と『明言』した上で、『優秀なのは間違いないから、いろんなちょっかいから守護らねばならぬ』という護衛です。
普通じゃない部分を、この時点ではこっそりと表現したかったんです……まあ、誤解を招く表現だったのは確かです。いっそ削除したほうがいいのか……?
あ、『戦時中は』の言葉を足しました、すみません。
戦後もこれなら、怖すぎる。(震え声)

誤字報告そのものには感謝してます。
またなにかお気づきの部分があればご報告ください。


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2:少女との出会い。

箒は……環境が悪かったと思うの。
要人保護プログラムにより、偽名を使わされるという説を採用。


 私の通う小学校に、転校生が現れた。

 昏い瞳と、強い意志を感じさせる口元が印象的だった。

 

「シノ……ハラ、ホウキだ。よろしく頼む」

 

 ぎこちない自己紹介。

 というより、新しい名前に戸惑っているように思えた。

 

 両親が離婚でもしたのか。

 

 想像とはいえ、プライベートに踏み込みかけた自分を戒めるように、私は首を振った。

 そして、拍手をもって、私のクラスメイトは彼女を迎え入れた。

 

 

 子供は新しいものに興味を抱く。

 彼女の周りに、生徒たちが集った。

 

 彼女は世界を拒否しているように思えたが、どう転ぶかは予想できない。

 周囲の無邪気な興味が、彼女を傷つけるかも知れないし、傷を癒すかも知れない。

 

 私は、孫を見守るような気持ちで、それを見ていた。

 

 

 

 

 

 あっという間に、彼女は孤立した。

 周囲を受け入れようとしない彼女に対する反発といえば言葉は綺麗だが……最初は、子供らしい、自分の思い通りにならない存在に対する癇癪だ。

 

 クラスから浮いていた私は、気づくのが、少し、遅かった。

 

 暴力に対し、彼女は暴力で応えた。

 喧嘩両成敗だ……私の前世の子供時代なら。

 いや、1人に対し複数人で……という部分で、少しゲンコツの数が変化するかもしれないが。

 

 彼女の『暴力』は、大きな怪我をしないように、見切られたもの。

 子供にはわからない。

 そして、おそらく保護者はそれを認めない。

 

 難しい時代だ。

 前世でも、その傾向は出始めていた。

 集団は集団を守るために個を排斥し、個を主張すればするほど集団が壊れていく。

 この世界でも、その答えは出ていない。

 

 ただ、大きな騒ぎにならなかったあたり……学校関係者が尽力したのだろうか。

 もしかすると、彼女の環境に配慮を求めた結果なのかもしれない。

 だとすれば、私が想像しているよりも、彼女の家庭環境はよくないのだろう。

 

 

 

 

 問題にはならなくても、彼女は、やはり孤立した。

 反発ではなく、恐怖だ。

 そして、異物に対する排除。

 

 彼女の持つ『暴力』とは、別の『暴力』が彼女を取り囲む。

 

 

 そこでようやく、私は腰を上げた。

 私の、周囲からの評価は『変わった子供』。

 成績こそ優秀だが、読書と機械工学に興味を持つだけの子供。

 こういう、集団における政治力というか、コミュニティに対する影響力は小さい。

 

 根本的な解決は無理だ。

 

 

 子供たちの世界は、総じて狭い。

 この世界が辛いなら、別の世界に目を向けさせる。

 あるいは、別の世界があると気づかせること。

 私にできるのはその程度。

 

 彼女と接触する。

 

 すぐにわかった。

 彼女の目は、過去だけに向けられている。

 おそらくは、かつての家族に。

 

 ふっと、前世の……上司の言葉を思い出す。

 

『今が辛いなら、未来を思え。未来が見えないなら、過去を懐かしめ。現在、過去、未来の全てが辛いという人間は、そう多くないのだから』

 

 今が辛いということは、辛くなかった過去を持っているということだ。

 詭弁のたぐいだろう。

 それでも、優しい言葉ではあると思う。

 

 

 知らず、私は笑っていた。

 私の過去は、未来は、そして現在は……どこを指しているのだろうと。

 

 

「何がおかしい!」

 

 どうやら、私の笑みは彼女のカンに障ったらしい。

 そういうつもりではなかったのだがというのは、責任放棄だ。

 人は、考える葦であり、個人であるがゆえに、他人を理解できない。

 

 つまり、人は誤解し、誤解される生き物だ。

 他人と触れ合うということは、他人の誤解と付き合っていくということを意味する。

 

 

 前世の経験からくる多少の鍛錬と知識が、彼女の手加減された攻撃を、わずかながら受けることを成功させた。

 

 

 

「……なにか心得があるのか?」

 

 

 何がどう転ぶかわからない。

 彼女の暗い瞳が、私を見た。

 それまで、何も見ていなかったような瞳が、見たのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 説明するのは難しい。

 奇妙な連帯とでも言おうか。

 

 まあ、彼女は子供で、私は前世で何人もの孫を腕に抱いた経験のある人間だ。

 相手が二十歳ぐらいの女性でも、子供のように思ってしまう。

 三十歳を超えてようやく……ぐらいの感覚だ。 

 

 そんな私が、トゲだらけの彼女を、適当に受け流しながら、一定の距離を保ったまま、見守る。

 子供の距離感ではない。

 そして、おそらく彼女はそれを受け入れた。

 

 ただ、私の趣味とも言える工作を、嫌な目で見るのだけはやめて欲しかったが。

 木工細工には嫌悪を向けないのに、なぜか金属ものというか、機械工作に嫌悪を向ける。

 まあ、人の趣味や、好き嫌いに口を出しても仕方がない。

 

 ああ、それと、私を修行させるのもどうかと思う。

 

 これでも、体はそこそこ鍛えている。

 技術者は、体が資本だ。

 飯を食い、睡眠をとる。

 それが、結果的には最も仕事に集中できる。

 

 ただ、ここぞという場面での集中力や体力は、体力がなければ生み出されない。

 

 

「身体で覚えろ!」

 

 彼女は私を容赦なく(大きな怪我をしないように)打ちすえる。

 少しばかり、懐かしい。

 

 戦後、孫の時代には否定されたが……前世で、私が子供の頃は当たり前だったやり方だ。

 教育としては、前者が正しい。

 

 ただ……。

 逸般人を生むための鍛錬なら、後者が正しい。

 異論は認める。

 

 そして、私もできれば抗議したい。

 

「シノハラ。お前、私をどうするつもりだ?」

「無論、強くする」

 

 

 

 待って。

 お願い、待って。

 

 子供の無邪気さは、時に残酷だ。

 私は、それを身をもって知っている。

 

 真っ先に思い出すのは、孫娘に残り少ない髪の毛をむしられたことだ。

 愛する孫によって、『なが~い友達』の命を奪われたのだ。

 

 涙をこぼす私に、『じいじ、痛いの?』と心配そうに見つめる孫娘。

 

 どうしろというのだ。

 いったい、どうすればよいというのだ。

 

 あのとき、私は孫に向かって首を振り、空を見上げるしかなかった。

 

 

 

 

「ええい、だらしがないぞ!」

 

 罵声というか、奮起を促す言葉を浴びながら、私は空を見ていた。

 地面に倒れた状態で。

 

 いろいろおかしくなって、笑ってしまう。

 

「お、おい。打ちどころが悪かったか……?」

 

 途端に、おろおろし始める彼女がかわいい。

 イタズラを見つけられた子供のようだ。

 

 大怪我をしないように手加減もされているし、狙う場所も痛みはあっても急所を外している。

 そして、身体の痛みなどは一時的なものにすぎない。

 私にしてみれば、孫娘のやんちゃの方がよっぽどきつかった。

 失われたものは、二度と帰ってこない。 

 

 ただまあ、私と彼女の関係が、周囲からどう見えるかについて……考えるのは私の役目だろう。

 

 

 

 

 

「シノハラさんに、あなたがいじめられているという噂があるの」

「事実無根です」

 

 教師に向かってきっぱりと。

 曖昧さは、余計な憶測を生む。

 というか、この時点で『噂』とか言ってるあたり、保身を意識した大人であることがうかがえる。

 こうした手合いの、あしらいには慣れている。

 

 本人たちが納得している。

 何の問題もない。

 あなたの責任にはなりません。(問題にならないとは言ってない)

 

 この、3点セットでおしまいだ。

 

 

 

 

 

 それと並行して、彼女(シノハラ)と話をする。

 

「剣の修行というのは、全員が同じ修行をするのか?」

「当然だ」

「体調が悪い時は?」

「もちろん、考慮する」

「生まれつき、身体が弱いものは?」

「む……」

 

 ゆっくりと、彼女の言質をとりながら。

 

 足の速いものがいる。

 絵の上手いものがいる。

 身体が大きいもの、小さいもの。

 

 人という生き物が、『ひとりひとり、別の生き物である』ということを、本当の意味で理解させていく。

 

 強いもの。

 弱いもの。

 

 別の価値観。

 誤解やすれ違い。

 

 娘や息子に話したように。

 孫たちに語ったように。

 自分が、これまでに出会った人を例に挙げ、語っていく。

 

 

 彼女は時折癇癪を起こしたが、私は粘り強く語り続けた。

 彼女は強情であったが、素直でもあった。

 彼女は幼かったが、大人でもあった。

 もしかすると、時期が良かったのかもしれない。

 

 感情のもつれは、時間経過によって解れることもあるが、こじれることも少なくない。

 

 

「理解はした。だが納得いかん」

「ん、それでいい」

 

 理性と感情は別物だ。

 それを完全に制御したとき……失われるのは、人間性だろう。

 まったく制御できないのも、問題だが。

 

 そう、身体を鍛えることはやぶさかではないが、私が目指すのは空であり、そこへ至る技術者や開発者の……。

 

 

「さあ、今日もやるぞ」

「……ちょっと待とうか」

「……嫌なのか?」

「いや、そういうわけではないんだが……」

「ならいいだろう。それに、私の見たところ、お前にはそこそこ資質がある」

「……そうなのか?」

 

 彼女が笑う。

 

「なぜなら、お前は私の動きを目で追えている」

「目で追えても、身体が……」

「身体がついてくれば、お前は強くなるぞ!」

 

 

 

 

 私と彼女の、平和な日々はしばらく続いた。

 平和にもいろいろある。

 

 前世でもよく言われた。

 家庭円満のコツは、女性を立てることだと。

 

 

 

 

 

 

 

「……シノハラさんのおかげかしら?」

 

 教師が私に向かって言った。

 

「シノハラさんもそうだけど、あなたも随分……その、子供らしくない子供だったから」

「自覚はあります」

 

 教師が笑う。

 

「気づいてないの?あなた、最近感情を見せるようになったわ……子供みたいにね」

「人並みに、喜怒哀楽の感情を備えているつもりなのですが……」

「あぁ、うん……そういうところがね」

 

 ため息をつき、教師が目を揉む仕草をした。

 

「……まぁ、今更ね。シノハラさんも、悪くない表情を浮かべるようになったし……いいのよね、これでいいのよ、きっと」

 

 私にではなく、自分自身を納得させるように、教師がつぶやく。

 

 大人の、というより、教師には教師の気苦労があるのだろう。

 残念ながら、私には前世の記憶はあっても、決して万能ではない。

 ましてや、人の心をきちんと理解するなど、とてもとても。

 

 

 職員室を出たところで、彼女(シノハラ)に見つかった。

 

「高岡!こんなところにいたのか」

 

 恥ずかしい話だが、私はまだこの世界での自分の名前に慣れていない。

 不意を突かれると、まだ少し反応が遅れてしまう。

 

 彼女は私の手を取り、引っ張っていく。

 

「昨日はあと少しだったからな。今日こそは、見切りのコツをつかんでもらうぞ」

「……それができるのは、いわゆる達人というやつじゃないのか?」

「馬鹿な事を言うな!1寸残しなど、初歩の初歩だ」

 

 自分の常識は他人の非常識。

 ブーメラン効果があるので、口にはしない。

 

「別の流派の話だが、額に米粒をはりつけ、3人に切りかからせて米粒だけを切らせてようやく免許皆伝らしいぞ。ウチの流派だけの話じゃない」

 

 これが、基準と価値観が違うといういい例だ。

 私を衝き動かしているのは空への憧れで、修羅とか、剣鬼とか、そういうものはお呼びじゃないのだが。

 

 

 

 

 

 私は無手。

 彼女は竹刀。

 

 彼女はひたすら竹刀を振るう。

 私は、足を動かさずに竹刀を目で追い、上体の動きだけで距離感を保つ。

 

 ふ、と。

 私たちを見ている教師の姿が見えた。

 

 すぐに目を逸らされたが。

 

 まあ、いじめとしか思えないか、この光景は。

 

 

 ……楽しくないわけではないのだ。

 子供の成長は早い。

 そして、できなかったことができるようになる喜びも確かにある。

 

「そうだ!やはりお前は、筋は悪くない!まあ、良いとも言えないが」

 

 私は、あらためて彼女を見た。

 老人補正を抜いても、可愛いのだろう。

 

 私に嫉妬した子供たちが、棒きれを手に襲いかかってくるぐらいに。 

 

 先日、年上を含めた子供たち数人に棒きれで襲いかかられたのだが、一度も触れさせることなく、相手が疲れてへたりこむまでかわしきることができた。

 

 今も、彼女が手加減しているのは、私にもわかる。

 

 これでも、『悪くない』程度なのか。

 なんとなくだが、彼女の周囲にいた人は……ちょっとばかり逸般人過ぎるのではないだろうか?

 

 




偽名は、シノハラかシノノメのどちらにするかで迷いました。


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3:少女との別れ。

ちょっとずつ変わっていく。


 世界は残酷で、子供は無力だ。

 

 空を見上げる。

 空は、何も語らない。

 ただ、自分の心のあり方を、そこに投影するのみで。

 

 前世の記憶の、歌謡曲が心をよぎった。

 

 

 

 さて、どうしようか。

 自分のことはいい。

 よほどの悪意に巻き込まれない限り、なんとか生きていけるという自負はある。

 遠回りを余儀なくされても、最終的に私が目指すのは空だ。

 

 そこにたどり着けるかどうかは問題じゃない。

 ただ、私はそこを目指し続ける。

 そう、決めている。

 

 

 空を見上げながら、心の中で、両親に、別れを告げた。

 

 醜い、しかしながら、理解できてしまう争いを続ける親戚連中に見切りをつける。

 というか、親戚連中は最初から私に見切りをつけている。

 

 まあ、人を一人養うのは大変だ。

 それがわかるから、怒るほどのことでもないと思ってしまう。

 

 私のそんな態度が、殊更に親戚連中へのヘイトを集めてしまうのが皮肉といえば皮肉だが。

 怒りを隠そうともせず、何人かの人が私にこの後のことを説明してくれた。

 

 どうやら、この世界のこの国は、児童福祉がそれなりに充実しているようだ。

 まあ、なんとかなるだろう。

 衣食住に関して、私の欲望は乏しい。

 問題は、私が望む道へつながる……学びの機会、そして就業のチャンス……そこに、私の手が届くかどうか。

 

 時代の流れも、少し逆境にある。

 

 ISの影響。

 女性しか動かせない。

 女尊男卑の流れ。

 

 根底にあるのは、男女平等とは言えなかったこれまでの世界に対する反発心か。

 

 どちらも理解できる。

 ただ、『ISに乗れるから女性は尊い』という言い分には苦笑を禁じえない。

 

 かの科学者は、ISコアを、限定して世界にばら撒いた。

『ISに乗れる女性は貴重』だが、乗れない女性は貴重でも何でもない。

 どうやら、女性なら無条件で乗れるのではなく、ひとりひとり、適性のようなものがあって、女性であっても動かすことができない存在も少なくないとか。

 

 まあ、そのへんはみんなわかって言っているだろう。

 結局は、大義名分として使われる。

 

 どちらかというと、その大義名分を心から信じている者たちに、哀れみを感じる。

 そこにしかすがれないというのも、辛いとこだろう。

 そういう連中は、上の人間にいいように使われるのが世の常だ。

 

 とはいえ、そういう流れがあるのが現実だ。

 男性として、私が技術者として就業するための障害にならないとも限らない。

 

 結局は、私にそれだけの能力があるかどうか。

 運があるかどうかの問題だ。

 

 

 だから、私のことはいい。

 問題は、彼女だ。

 

 

 シノハラホウキ。

 

 

 転校当初の精神状態は脱した。

 ただ、彼女の世界は狭い。

 確実に、私よりも狭い。

 

 何度か、彼女に人を紹介しようとしたが……挨拶はした程度。

 まるで興味を持たなかった。

 

 学校の授業は受ける。

 教師の問い掛けに、答えはする。

 教室に、『クラスメイト』がいることを認識してはいる。

 

 

 彼女は、『私』しかいないことを、『それでいい』と思ってる。

 依存というのとは少し違う。

 

 どこか斜に構えた『世界とは、そういうものだろう』という感じだ。

 

 彼女に対する初期対応を間違えたのだろうか。

 

 

 前世では、孫たちはもう上から下まで、子供と言える年齢ではなかったし、私の子供たちは皆健在だった。

 もしかすると、ただひとり孫を残した老人の心境というのは、こういう感じなのだろうか。

 

 心配だ。

 彼女との会話には、『家族』の話が出てこない。

 礼儀の上で、敢えて深く考えることをしなかったが、今の私と似たような状況だったりするのか。

 両親の離婚、もしくは再婚。

 新しい家族との確執。

 

 いくらでも思いつくケースがある。

 

 大人としての、人生の先達としての傲慢な部分。

 彼女に、より良い環境を、願ってしまう。

 

 何が彼女にとって良いのか、そんなことなど分かりはしないのに。

 人生は何が起こるかわからない。

 塞翁が馬。

 瓢箪から駒。

 

 私は、前世の記憶も含めて、こんなにも無力だ。

 孫娘のために、何もしてやることができないのか。

 

 

 ……違う、孫娘と違う。

 

 自分の思考に苦笑する。

 いつの間にか、私の目線は、孫娘を案じる老人のものになっていた。

 この世界においては、私と彼女は同級生だというのに。

 

 ああ、私は変な子供だ。

 親戚連中に、引取りを断られても仕方ない程度には。

 自分に言い聞かせるように、心の中でつぶやいた。

 

 

 

 

 

 ひとつ、思いついた。

 妙案とは言えない。

 ただ、現状を揺り動かす役には立つだろう。

 

 恨まれてもいい。

 それでも、『世界』には、『学校』には、『私』以外の『誰か』がいるのだと、彼女自身の気づきになってくれればそれでいい。

 

 結局、彼女に何もしてやれない『心残り』を解消するために、私は傲慢であることを選んだ。

 

 

 

 私に残された時間は短い。

 まずは、教師に話を通した。

 

 両親の件、転校の件を、みんなには知らせないこと。

 そして……。

 

 

 

 

 

 

 

 私は、荒れた。

 いや、荒れた感情を装った。

 

 教室で声を荒げる。

 クラスメイトを威嚇する。

 机を蹴飛ばすだけで、萎縮する子供は少なくない。

 

 怪我はさせない、というのは言い訳だな。

 多くの人間は、暴力そのものではなく、暴力の気配に恐れを抱く。

 身体は無事でも、心の怪我までは、わからない。

 

 どこまでも傲慢な私は、彼女一人のために、クラスメイトに怪我を負わせようとしている。

 

 みんなを傷つける私を、彼女が止める。

 これが、『泣いた〇鬼』作戦だ。

 

 あ、彼女(シノハラ)が泣くはめになるのか?

 

 少し動揺したが、ちょうど教室に彼女が現れ、私を見た。  

 

 さあ、こい。

 来いよ、シノハラ。

 私の乱暴を止めるために、来るんだ、シノハラホウキ。

 

「……」

 

 待って。

『何してるんだ、あいつ?』みたいな表情で、そのままスルーしちゃダメだ。

 

 

 いきなり、作戦変更を余儀なくされた。

 この孫娘は手ごわい。

 

 

 

 

 

 

 転校の件は伏せ、『泣いた〇鬼』作戦を説明した。

 赤鬼と化した孫娘に、竹刀で滅多打ちにされた。

 

 うん、それだ。

 それを、クラスメイトの前でやればいいんだ。

 同じことじゃないか。

 

 再び滅多打ちにされた。

 

「私は、知り合いを選ぶ。他に言うことはない」

 

 うーん。

 

「そもそも、なぜ私があいつらを助けねばならないんだ?」

 

 うん……うん?

 

「私が加勢すべきは、お前だろう」

 

 お気持ちはありがたく。

 

 孫娘の、これからの人生のために、伝えたいことがある。

 どう説明すればいいのだろう。

 社交性とか、しがらみとか……世渡りとして必要な最低限の技術というか。

 

 ……なにやら、自分自身に返ってきた。

 うん、私も少し考えたほうが良さそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 泣いた〇鬼作戦を、修正した。

 

 私ではなく、別の人間に青鬼役をやらせる。

 というか、学校生活というのは集団生活だ。

 私がその役をやらずとも、助けを求めている『誰か』は存在している。

 

 言ってはなんだが、学校における孫娘の評判は悪い。

 大人の社会だと、それほど単純ではない。

 しかし、子供の社会の評判は、わりと不安定だ。

 

 

 特に何も説明しなかったが、何かを察したのだろう。

 私を見る目に、疑惑の色がある。

 

「……おい」

 

 弱い者を助ける。

 何か問題があるか?

 

「本人が強くならねば、なんの意味もないだろう」

 

 強いとは、なんだ?

 

 明確な答えなどない問いを投げかける。

 当然、言葉に詰まる。

 反射的な言葉を返してきたら、正論でたたきつぶして黙らせる。

 

 彼女の、強さを語る。

 彼女の強さが可能にする、何かを語る。

 彼女の強さでは、できないことを語る。

 

 彼女のできないことをできる、強さを語る。

 

 強さとは。

 助け合えること。

 誰かに、自分の強さを分け与えられること。

 

 納得させるつもりはない。

 ただ、そういう考え方もあると、頭の中で理解してもらう。

 

 

 

 

 

 助けられた下級生が、彼女に礼を言った。

 隠れて、こそこそと。

 

 戸惑う彼女を微笑ましく思いながら、私は言葉を投げる。

 

 なぜ、こそこそと礼を言うんだろうな?

 

「……なぜだ?」

 

 想像でしかないが、理由は二つ。

 お前に迷惑をかけたくない。

 お前と関わることで、いじめがひどくなるかもしれないから。

 

「……」

 

 彼女は私を見、そして地面に目を落とし……空を見上げた。

 

「……私は、強くないのだな」

 

 それも、答えの一つだ。

 立ち止まらず、考え続けること。

 それが、大事なことだ。

 

 

 私は傲慢だが、贅沢は言わない。

 解決は望まない。

 ほんの些細なきっかけ。

 それさえあれば、彼女は飛べる。

 

 

 

 

 両親の四十九日が終わる。

 家を出る日。

 施設へと向かう日。

 

 彼女に、さよならを言う日。

 

 

 

 

 

 

 ……これはいけない。

 

 いきなり、腹部をつま先で蹴り上げるのはとても危険です。

 なんとか急所を庇えた。

 彼女との訓練が、役に立ったと言えるだろう。

 

 こうされることを仕方ないと思う気持ちもある。

 大怪我をさせないための配慮が、感じられない一撃。

 

 痛くて苦しいけど、孫娘のように思う彼女が、配慮をなくす程度に私のことを気にかけていてくれたことが嬉しい。

 自分の孫が、お菓子やお小遣いではつられなくなっていく過程は、悲しいものだ。

 

「ふ、ふざけるなっ!ふざけるな、ふざけるなあっ!」

 

 世界も、時代も、そうではないかもしれないが、女の子が乱暴なのはよくない。

 

「お前がおかしなことを言いだしたのは、やり始めたのは、このためだな、言え!」

 

 胸ぐらを掴まれてガクガクされる。

 

 もう少し。

 もう少しで、声が出せるから。

 もうちょっと待って。

 

 

 

 

 赤鬼と化した彼女が文句を言う。

 転校することを黙っていたことに対して、怒る。

 そして、涙を流す。

 

 私は、かつて孫たちにそうしてやったように、頭を撫でてやった。

 私の両親の件については、言うべきではないだろう。

 そう思った。

 

「なぜだ、なぜ、私にそこまでしてくれる?」

「大事な存在だから」

 

 歳を取ると、若さを眩しく思う。

 孫に、己を投影する。

 希望を、未来を見る。

 

 大事に思わないはずがないのだ。

 

「ま、まままま、ま、待て!」

 

 びよん、と。

 バネのようにはね起きて、彼女が距離をとった。

 

「大事な存在とは……大事だということかっ!?」

「全ての人間に愛を振りまくような聖人ではないからね」

 

 彼女の、未来を思う。

 明るい、将来を願う。

 

 老人特有の、若者に対する傲慢な願いだ。

 

「いや、それは困る……嫌ではないが、困るというか、その……なんだ」

 

 まあ、孫からすれば迷惑な思いだろう。

 実際、『ウザイ』と言われたこともある。

 

 彼女が、深呼吸を始めた。

 そして、ブツブツと呟き……私を睨みつけた。

 

「私は、心に決めた相手がいるのだ!」

 

 ほほう。

 剣の修行ばかりと思ったら、そんな相手が。

 うん、ちゃんと心を開いた相手がいるのなら安心だ。

 

 孫娘の思わぬ告白に、心がほっこりする。

 思えば、私は婆さんとは見合い結婚だったし、若者がいう恋愛という感情には疎いところがある。

 残念ながら、見守るぐらいしか出来そうにない。

 

「お、怒らない……のか?」

 

 まさか。

 そんな相手がいると知って嬉しく思うよ。

 自分の心をあずけられる相手がいるというのは、幸せなことだ。

 本当に、嬉しく思うよ。

 

 そして、安心できた。

 

 

 彼女が、私を見た。

 

 ああ、そんな瞳をしていたのか、と思う。

 可愛い、ではなく、綺麗だと思った。

 

「箒だ。私のことは、箒と呼べ」

 

 ああ、友達と認めてもらえたんだなと、少し楽しくなった。

 いくつになっても、こうして誰かに認められることは嬉しい。

 

「私の心は、その、心に決めた……のものだ。だから、お前にはやれん……謝らんぞ、私は!」

 

 綺麗な瞳で私を見つめたまま、彼女が、箒が、手を握ってブンブンと乱暴に振る。

 

「友だ。お前は、私の友だ。離れても、それを忘れるな。いいか、絶対だぞ!」

 

 冬樹。

 

「えっ」

 

 私の名前は、冬樹。

 この先、苗字がどうなるかわからない、だから。

 

 そう呼んでくれ。

 箒が、そう願ったように。

 友というのは、そういうものだろう?

 

 

 

 箒の唇が震える。

 ゆっくりと、開く。

 

「ふ、冬樹……元気でな」

「ああ、箒も……幸せにな」

 

 

 手を振って別れる。

 

 振り返らずに、空を見上げる。

 

 空は、何も語らない。

 

 私にはただ、新しい生活が待っている。

 目指す先は決まっている。

 そこに行くまでの道筋が変わるだけのことだ、きっと。

 

 




これが、箒のポテンシャルだ。(強弁)

そして、今日はここまで。
続きは、ちょっと日があきます。


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4:泣いたうさぎさん1。

明日って今さ!(自分を追い込んでいくスタイル)
始発に間に合ったので帰ります。(震え声)


 ハイ〇ースされた。

 

 歳を取ると、たまに若者が使っているコトバを使ってみたくなることがある。

 いや、少し混乱している。

 もう一度、状況を確認しよう。

 

 箒と別れ、学校の教師にもう一度挨拶をし、施設に向かって学校を出て……すぐ。

 

 ハイ〇ースされた。

 

 確か、盗難にあいやすい車だから……という由来だったか。

 ……。

 ……。

 とりあえず、金銭目的ではないだろう。

 なるようになる、とまで達観はできないが。

 

 私は無力だ。

 そして、思っていたよりも世界は残酷なのかもしれない。

 

 

 

 

 たぶん、なにかのファッションなのだろう。

 服装も独特だが、頭につけたうさぎの耳が、どこか微笑ましい。

 

 私を見つめるお嬢さんの、目元のクマに親近感を覚えた。

 

 デスマーチ中は、みんなこんな感じだったなあ。

 戦闘機をともに開発していた仲間を思い出す。

 分野は違うが、ともに仕事に励んだ技術屋を称する連中を懐かしく思い出す。

 

 言葉こそおどろおどろしいが、当事者にとって『デスマーチ』はお祭りのようなものだ。

 終わった直後は、『もう二度としない』、『地獄が終わった』などと思うのだが、酒を飲み、ひと晩ぐっすりと寝ると……また、『デスマーチ』を望んでいる自分に気づくのだ。

 

 今までの試行錯誤が、形になっていく。

 全てが、あるべき場所へと収まっていく、あの感覚。

 あの、眩しい光を思わせる達成感は、言葉では表現しづらい。

 

 もちろん、楽しくないデスマーチもある。

 予算や日程の都合上、帳尻合わせというか、本当の意味で完成しない時がそうだ。

 達成感も何もない、徒労感に包まれ……不満と虚しさだけが残る。

 

 

 と、想い出に浸っている場合じゃないな。

 老人の悪い癖だ。

 若いお嬢さんに、少しアドバイスを。

 

 お嬢さん、睡眠時間は、90分を1セットで、1日3回が最も効率が良いと私は思う。

 もちろん、個人差はあるから、微調整は必要だが。

 

「……」

 

 お嬢さんの浮かべる表情に、既視感があった。

 この、『何言ってんだ、こいつ?』という感じの、呆れたような……。

 

 ふっと、さっき別れたばかりの、箒の顔が浮かんだ。

 

 頭の中で、目元のクマを除去。

 そして、口元を、きゅっと引き結ばせて……。

 

 

 予感。

 それを、口に出す。

 

 もしかして、箒の……お姉さんですか?

 

 

 一瞬だけ目が細められ……お嬢さんの口から、妹への愛が迸った。

 

 

 

 

 

 少しばかり要領を得ない話だったが、重要なのはここだろう。

 

『妹の箒のことが大好きだけど、事情があって一緒にはいられない』

 

 微笑ましくなる。

 いや、姉妹が一緒に生活出来ない事情というのは、決して微笑ましいものではないのだろうが。

 

 なるほど、なるほど。

 妹の箒のことが心配で、色々と聴きたくなってしまったのかと納得した。

 

 

 私は、話した。

 箒のことを。

 私の知る限り、できるだけ客観的に。

 私の主観は、主観だと断った上で、自分がどのように箒と関わったかを、話した。

 

 そして、謝罪した。

 箒と、うまく接することができなかったこと。

 もっと、彼女の世界を広げてあげたかったこと。

 

 語りだすと、後悔ばかりが胸に浮かんでくる。

 自分は万能ではないと戒めても、孫娘に対してもっと何か出来たのではないかと思ってしまう。

 

 うつむく私の手を取り、お嬢さんが首を振った。

 

「箒ちゃんのことを、そこまで気にかけてくれてありがとう……本当に、ありがとう」

 

 その目がかすかに潤んでいるように思える。

 妹への愛情。

 なのに、一緒には暮らせない。

 私から話を聞くあたり、会うことも制限されているのか。

 

 世界の理不尽さを呪いたくなった。

 

 

 

 私の話になった。

 姉として、妹の友人のことを知りたいのだろうか。

 

 気を遣わせたくないので、両親の件をのぞいて、今までの生活をさらりと話す。

 

 工学への興味。

 技術者を目指していること。

 

 およそ、興味を持たれないだろうと思っていたことに食いつかれた。

 女性でこの分野に興味を持つ人は少ないという先入観もあった。

 しかし、お嬢さんは普通に私の話についてくる。

 

 もしかすると、この世界に生まれてからずっと、私はそういう内容を語る相手を求めていたのかもしれない。

 

 つい、熱が入った。

 

 空だ。

 空への憧れだ。

 私の原点。

 私の全て。

 抑圧された末の、狂おしいまでの渇望。

 

 他人に、それもお嬢さんに語る内容ではないと思いつつ、止まらなかった。

 こうやって、空への憧れを語っている時こそ、自分が自分でいられる気さえする。

 

 複葉機を語る。

 私が技術者になった頃にはもう、兵器としては時代遅れもいいところ。

 理屈じゃない。

 時速250キロだからどうした。

 

 空を、兵器とか、スペックで語るな。

 空は、自由で、憧れだ。

 

 もちろん、複葉機が私のゴールじゃない。

 この世界の技術体系を調べて、ピンときた。

 

 私の中で、おぼろげながら形をとりつつあったもの。

 

 夢。

 自由。

 

『アレ』を作ることが出来るのではないか。

 

「よーし、落ち着こう!落ち着こう、ねっ!」

 

 お嬢さんに止められた。

 ちょっとばかり、熱が暴走したらしい。

 

 すみませんでした、ちょっと夢中に……。

 

 息を呑む。

 私を見る、お嬢さんの瞳が、心なしかグルグルしていた。

 

「時代は空じゃなくて、宇宙(そら)だよぉ!」

 

 さっきと同じように。

 妹である箒への愛情を語るように、彼女の口から飛び出すものがある。

 残念ながら、彼女の話は専門的で、私には断片的にしか理解できない。

 

 それでも、熱は伝わる。

 想いが伝わる。

 言葉では伝わらないもの。

 それが大事な瞬間だってある。

 

 エネルギー保存の法則。

 熱意は伝わる。

 熱は、理解し合える。

 相手の熱が、自分の熱になり、自分の熱が、相手の熱になる。

 

 技術者や開発者は、集まると、1+1が3にも4にもなる組み合わせがある。

 それは素晴らしいことなのに、なぜか『あいつらは集めちゃダメだ』などと言われることがある。

 

 人はひとりでは生きていけない。

 なんだってそうだ。

 科学だって、工学だってそうだろう。

 

 

 彼女の口から、ISの話が出た。

 

 ツッと、心臓に氷の針を穿たれた気持ちになる。

 若き科学者を思う。

 彼女の事を思う。

 

「あ、あれー?なんだか、テンションダウン?」

 

 確かに、私の目から見てもISは可能性の塊だ。

 だからこそ、その可能性を無駄に食いつぶされていく現状が悲しい。

 私でさえそうなのだ。

 本人は……。

 

 目頭が熱くなるのを感じ、手で隠した。

 

「う、うおっ!?泣いた?え、泣かした?箒ちゃんのお友達を泣かしちゃった!?」

 

 動揺する気配。

 なんとか首を振る。

 

「お、男の子だからかな?ISに乗れないからかな?」

 

 いや、違うんです。

 

 言葉を出し、首を振る。

 そして、語る。

 

 私の思うこと。

 IS開発者。

 若き科学者。

 彼女の感じているであろう、絶望。

 そして、悲しいまでの覚悟。

 

 

 止まらなくなる。

 

 思えば、私に話し相手はいなかった。

 知らず知らずのうちに、抑圧されていたのかもしれない。

 

 

 

 気が付くと、お嬢さんが……両手で顔を覆って、肩を震わせていた。

 

 ……。

 

 妹の事を思うあまりに、誘拐まがいに私をここへ連れてきたこと。

 独りよがりな私の思いに共感し、他人のために涙を流せること。

 

 感受性が豊かで、愛情深く、優しい人なのだろう。

 

 箒は、こんなお姉さんと引き裂かれて、生活することを強いられているのか。

 

 

 お嬢さんの頭に手を伸ばしたが、うさぎの耳が邪魔だった。

 なので、後頭部を、優しくなでる。

 

 

 お嬢さんの優しさは、きっと彼女にも届くと思いますよ。

 効果がなければ無意味などとは言いません。

 あなたのその優しさは、無意味なんかじゃない。

 

「……もう、やだぁ……この子……」

 

 しまった。

 お嬢さんにしてみれば、子供に慰められるようなものだったか。

 

 しばらく、何も言わずに頭を撫で続けた。

 

「……あ、あのね……そんなに深く考えてなかったかもしれないよ?」

 

 だったら、何故お嬢さんは顔を覆って、肩を震わせているのですか……と、口にはしない。

 そう思っていないなら……。

 

 私のためだ。

 私の心を軽くしてあげようと……。

 

 彼女の頭を撫でる手に、一層優しい気持ちがこもった。

 

 そうかもしれません。

 

「そ、そうだよ……そりゃ、色々と考えはあったけど……そういうのとは違うかなって……」

 

 私は、ただ一言。

 心を込めた。

 

 ありがとうございます。

 

「いや、その……ほら、研究者とか、世間知らずって言うよね!しかも、彼女はとびっきりの天才なんだから!そういう、世の中の凡人どものことを考慮するとかじゃなくてさあ!」

 

 研究や開発にはお金がとてもかかりますね。

 

「えぅっ?」

 

 私は子供だが、子供ではない。

 それゆえに、彼女に気を遣わせないために、私は語る。

 

 優れている研究者。

 結果を残す開発者は、資金を調達する能力が必要となる。

 その研究開発に利益を見込むから、人は資金を提供する。

 

 資金を上手く調達するということは、人の欲を知ること。

 人の欲を知り、自分の研究内容をプレゼンする能力。

 世間知らずの研究者は、太っ腹なパトロンに恵まれない限り、資金には恵まれない。

 

 だから。

 

 彼女の頭を撫でていた、私の手が止まる。

 

 ……彼女は、わかっていたと思います。

 自分の研究の行く末を。

 我が子とも思える発明の未来を。

 

 世界に向けて絶望を叫びながら。

 一筋の未来を信じていた。

 

 彼女の覚悟と、気高いあり方を、私は尊敬します。

 

「……どうしよう……褒められながら、ディスられてる……」

 

 ディス……?

 知らない言葉だ。

 やはり、若ぶっても限度はあるな。

 

「えっとね、天才だから、子供の頃から他人の名義とか使って投資を繰り返してさ、稼いでたんだよ、きっと」

 

 少し、笑ってしまう。

 投資というのは、人の欲を計算することだから。

 投資で稼ぐというのは、それこそ世間知らずにはできないこと。

 まぐれ当たりはあっても、それを重ねることはできない。

 

 でも。

 ここは、彼女の優しさを受けとっておこうか。

 

 

 もしも、箒に再会することがあったら、素敵なお姉さんの話を聞きたいなと思います。

 

「ひんっ……えぐえぐ」

 

 迂闊だった。

 一緒に暮らせない深い事情があるのだ……。

 

 自分の無神経さに腹が立った。

 

 

 

 空ではなく、周囲を見渡す。

 小さな公園の、片隅に設置されたベンチ。

 人はいない。

 平日ならこんなものだろう。

 

 小さく息を吐く。

 ありふれてはいるが、話題を変えよう。

 

 そういえば、お嬢さんのお名前は……?

 

 ビクッと、彼女の体が震えた。

 頭につけた、うさぎの耳がピコピコ動き始める。

 

「……」

 

 ……いや、あの。

 あ、私は……高岡冬樹と言います。

 

「…………た」

 

 た?

 

「束さんとは、私のことだよぉーっ!」

 

 衝撃。

 暗転。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を覚ますと、私は知らない場所にいた。

 お嬢さん、箒の姉……たばね、さん?……の姿はない。

 

 周囲に目をやる。

 公園ではない。

 

 個室?

 どこか生活を感じない。

 

 懐かしい。

 仮眠室を思い出す。

 

 

 

 私は、再びハイ〇ースされたようだ。

 

 




褒め殺しで、束さんに大ダメージ。

そして主人公、わりと気質はマッドである。(震え声)
1話の『監視という名の護衛』は伊達ではない。


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5:ただ、空へと続く道。

優しい世界。(慈しむ目)

束が行方をくらました時期が違うなんて、指摘が来ない優しい世界。(懇願)


 篠ノ之束。

 IS理論を発表し、開発した若き科学者。

 

 若い、とは聞いていたが……。

 

 驚き。

 それと同時に、彼女の妹であり、私を友と言ってくれた箒の境遇が、ストンと胸に落ちてきた。

 

 姉である彼女だけではなく、両親ともまた離れ離れの状態とか……。

 保護対象としての名目はもちろん、理念も理解できる……が。

 もう少し子供に対する配慮ができないものかと、憤る。

 少なくとも、私の家族はバラバラにされることはなかった。

 世界の違いか、それとも時代の違いか……。

 

『理解はした。だが、納得いかん』

 

 幼き友人の言葉がよみがえる。

 まさに、そのとおりだと……苦笑するような気持ちになった。

 

 感情の抑制が苦手だった箒。

 私のそれは、単に年の功だろう。

 

 ふと、気づく。

 篠ノ之箒。

 それが、彼女の本名ということか。

 

 いや、関係ないな。

 

『箒と呼べ』

 

 友の願い。

 そして、友であることの証だ。

 シノハラであろうと、シノノノであろうと、私は、彼女を箒と呼ぶだろう。

 

 そして、私は目を閉じた。

 心の棚に、想いを整理し……心を切り替える。

 

 

 目を開けた。

 心が躍る。

 束さんに感謝だ。

 生活が保証された。

 学校へ通う時間も必要なくなった。

 

 24時間、研究に打ち込める。

 空への道が開けた。

 

 いや、学ぶべきことは多い。

 私は、天才などと呼ばれたことはない男だ。

 大地を踏みしめるようにして、進んでいくしかない。

 

 まずはプログラミングだ。

 この世界の、この時代。

 コンピューター制御なしに、機械工学は語れない。

 前世とは比べ物にならないレベル。

 この分野に限っても、学ぶべきことは多い。

 身体が3つ欲しい。

 1日が、72時間ぐらいにならないものか。

 

 ああ、進化を感じる。

 発展を実感する。

 拡がりを知る。

 

 笑っている自分がわかる。

 意識が、あの頃に飛んでは今に引き戻され……上がっていくテンションを感じる。

 

 

「……」

 

 束さんが、私を見ていた。

 前世でも、よくあんな感じの表情で見られることがあったが。

 

 どうかしましたか、束さん?

 

「ふーちゃん、自分の状況を本当にわかってる?理解してる?」

 

 ふーちゃん、というのは?

 

「冬樹だから、ふーちゃんだよ」

 

 ……。

 

 束ちゃん?

 たばちゃん?

 たーちゃん?

 

 しっくりこないな。

 

「うわぁ、斜め上の反応が返ってきたよぉ?」

 

 びっくり顔の束さんを見て、考えを改めた。

 忘れがちだが、私のほうが年下だから、『ちゃん』は良くないか。

 

 とはいえ……。

 もう一度束さんを見る。

 

 まだまだ子供だと思ってしまう自分がいる。

 

『束さんは、天才だからね!自分のやりたいようにやるだけなのさ!キミ程度が、束さんの気持ちを推し量ろうなんて無駄なんだからね!』

 

 悪ぶりたい年頃なのだろう。

 褒められることを格好悪いと感じてしまうのは、よくあることだ。

 

「……ふーちゃんが、また変なことを考えてる気がする」

 

 私は何も言わず、ただ微笑むだけにした。

 

「ふーちゃん?ちょっと、現状を説明してみてくれないかな?」

 

 現状、と言われても。

 先ほど、束さんに言われたことを、もう一度整理した。

 

 束さんは、元々政府に保護されていたが、世界各国からその身柄を狙われている科学者であり、今は拠点を変えながら身を隠している。

 先ほど私と接触した際、公園に人がいなかったのは、隠蔽工作の一環だったらしいが、その工作にミスが出て、私の存在を認識されてしまった可能性が高い。

 私には後ろ盾はなく、保護が必要。

 

 ひとつひとつ、数えるように口に出す。

 束さんが、うんうんと頷く。

 

 箒と違って、私の存在を国に保護させるには、取引材料が必要となってくる。

 というか、箒の友達を任せるのは危なっかしくて怖い。

 なので、束さんの隠れ家で、監禁生活が始まる。

 

「うん、ふーちゃんには悪いけど……」

 

 束さんの言葉を遮り、私は言葉を続けた。

 

 世界最高の科学者とされる束さんのそばで、学ぶことが出来る。

 研究ができる。

 開発ができる。

 好きなだけ開発に打ち込める。

 空を目指せる。

 空。

 空、空だ!

 

 

 

 と、いけないな。

 少し浮かれすぎている自分を反省した。

 

 見れば、束さんが両手で顔を覆って、ブツブツとつぶやいている。

 

「どうしよう、本当にどうしよう……ふーちゃんの将来があらゆる意味で心配だよ……ちーちゃん、怒らずに相談に乗ってくれるかな」

 

 ……箒とは9つ違いと言ってたから、まだ20歳ぐらい、か。

 世界から付け狙われる立場で、明らかにお荷物である私を疎むことなく、その将来を案じてくれている。

 

 彼女の存在が、奇跡のように思えてしまう。

 

 前世では、『研究者の優秀さと人格は反比例する』などというジョークを度々耳にしたものだが、彼女を知れば自然に頭を垂れるだろう。

 

 

 大丈夫ですよ。

 

 指の隙間から、ちらりと私を見る束さんに、微笑んでみせる。

 

 束さんだって、科学者として研究や開発している時が一番幸せですよね?

 

「当然!」

 

 私も、そうなんです。

 

「そっか、そっか。ふーちゃんも、同じかぁ!」

 

 束さんが笑顔を見せてくれた。

 耳もピコピコ……センサーかな?

 動きも一定じゃなく、複雑で繊細だ。

 

「まあ、世界は色々と煩わしいことも多いから、ちょっとバタバタしちゃうこともあるけど、それは、ごめんね」

 

 いえいえ。

 いつものことです。

 無視しろとは言いませんが、必要以上に気をかけると疲れるだけですからね。

 適切に対応することを心がければいいと思いますよ。

 

「うわぁ、ふーちゃん、おっとなーっ!」

 

 ははは。

 

 ふ、と。

 束さんが、私を見た。

 

 その仕草に、箒と姉妹だな、と感じてしまう。

 

「……ごめんね」

 

 ……?

 

 

 

 

 

 

 

 束さんとの、夢のような生活が始まった。

 

 チェーン理論ではないが、どんな優れた理論も、基礎技術の裏付けがなければ成立しない。

 前世の、私の晩年……パソコンの性能が飛躍的にアップした影には、新しい攪拌技術の成立があった。

 

 それまで1本のラインしか引けなかった幅に、10本のラインが引けるようになったらどうなるか?

 コンピューターのチップ。

 同じ面積に、多くの集積回路が組み込めるようになる。

 ハードディスクの大容量化。

 大容量化に伴う、高性能化。

 

 12メガの増設メモリーが7万円した数年後には……同じサイズで128メガになり、値段も3分の1以下になって、という感じに、あのブレイクスルーをもたらしたのは、ひとつの基礎技術。

 喜ばしいことだが、日進月歩の勢いで、私の年金にダメージを与えてくれた。

 孫には、コンピューターおじいちゃんなどと呼ばれたが、老齢の私には厳しい分野だったなあ。

 

 少し話がそれた。

 つまり、今の私には、今の私が空を目指すには、基礎技術にあたる部分が欠けている。

 

 人は地を這い、鳥は空を飛ぶ。

 本来、空は人の居場所ではない。

 空に憧れても、甘く見ることはしない。

 

 ひとつのミスで、人は死ぬ。

 それが、私の憧れる空の現実だ。

 

 焦らない。

 別に焦ってはいない。

 

 いえ、これは趣味です、束さん。

 複葉機は、私の原点なんです。

 

 作りたいと思ったとき、既に作り始めている。

 

 そうではありませんか?

 

「確かに!」

 

 束さんは、手を出さずに私を見守っている。

 

「レトロというか、クラシックだね……」

 

 出力はあえて低めに抑える。

 それだけで、必要強度が低く抑えられる。

 資材も無料(ただ)ではないのだ。

 優れた材質が、小型化を可能にする。

 

 不思議な気分だ。

 手で引いていた製図を、コンピューターで引く。

 自分で計算していた数値を、コンピューターに任せる。

 資材の加工を、機械がこなす。

 組立も、人の手ではなく、機械が組み立てる。

 

 コンピューターも、加工機械も、組立機械も。

 束さんのもので、全てが違う。

 なのに、思い出すのは、昔のチーム。

 あの時でさえ、時代遅れの複葉機。

 

 ああ、私は今……飛行機を作っているのか。

 

「あ、あの……ふーちゃん?頬ずりするのは、やめた方が……いいよ?」

 

 私は。

 愛おしむように、時間をかけて。

 

「ふーちゃん。その気になれば加工から組立まで3時間ぐらいで完成するよ?」

 

 ……時間をかけて、作り上げていく。

 私の原点を確かめるように。

 

「あ、あれ?ふーちゃん、怒ってる?怒ってるよね?」

 

 1日に少しずつ。

 束さんの邪魔をしないように。

 

「ふーちゃん。クラシックな複葉機で音速を超えたら楽しいと思わない?思うよね?そう思って、束さんがドカンと改造しちゃいました!」

 

 ……時間をかけて。

 束さんの邪魔をしないように。

 

「やっぱり、怒ってる?怒ってるよね、ふーちゃん!?」

 

 1ヶ月ほどかけて完成させた。

 

「ごめん、ごめんってば!束さんが悪かったから!何が悪いのかわからないけど、ごめん、ふーちゃんっ!」

 

 

 ま、孫に邪魔されるなんて、老人にとってはご褒美だから。(震え声)

 

 

 

 そして私は、あっさりと空を飛んだ。

 

 ……不思議な気分だ。

 

 一度、天寿を全うしたはずの私が。

 この世界に生を受け。

 こうして……。

 

 原点を確かめている。

 

 自分の中の。

 どこか曖昧だったものがクリアになる。

 

 つながった、と感じた。

 私は、生きている。

 

 敗戦で奪われたものを。

 長い年月を越えて。

 世界さえも越えて。

 

 叫んでいた。

 涙がこぼれた。

 

 束さんが、慌てている。

 

 分かっていても、止められない。

 

 つながった。

 ようやく、つながった。

 私は、生きている。

 

 私は、過去ではなく、この世界に生まれた。

 

 空だ!

 空がある!

 私の空が、ここにある!

 

 そして、ここから!

 

 私の道が、始まる!

 

 

 

 

 

 

 

 

 取り乱したとしか思えなかったであろう私を心配したのだろう。

 私は、複葉機ごと束さんに回収された。

 

 余韻も情緒もないが、感謝してます。

 

「怒ってるよね?怒ってるよね、ふーちゃん?」

 

 私の原点を確かめました。

 また、明日からは本格的に学びたいと思ってます。

 よろしくお願いします、篠ノ之博士。

 

「他人行儀だ!?じつは、ものすごく怒ってるよね、ふーちゃんってば」

 

 誰かに心配されるというのは、幸せなことですね。

 

 私のような子供が、まがりなりにも複葉機を作り、空を飛ぶなんて。

 束さんの協力なしにはできないことです。

 

 本当に。

 心から感謝しています。

 

「……ふーちゃん」

 

 束さんが、私を見る。

 

「怒ってることを否定はしてないよね?」

 

 私は、微笑みを答えとして、返した。

 

 たしか、笑顔とは本来攻撃的な意味合いだったらしいが、私の微笑みにはそんな意味はない。

 たぶん。

 

 




次は、つなぎの幕間です。
本編はまだ続くよ。


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幕間1:箒は心配性。

ちょっとやってみた。



「……おはよう、シノハラさん」

 

 ああ、おはよう。

 

 私を見て、周囲に視線を投げ、立ち去っていく同級生。

 

「おはようございます、シノハラせんぱい」

 

 おはよう……元気そうだな。

 

 嬉しそうに笑う、下級生。

 

 

 私に関わることは、ある程度のリスクがある。

 それでも、関わろうとしてくれるものがいる。

 私といると、いじめられずにすむ……そんな打算があるのかもしれないが、まあ、悪くはない。

 

『リスクとリターンは表裏一体だからなあ……そういう意味では、0は究極のマイナスで、プラスでもある』

 

 そんなトボけた言葉を思い出す。

 

 冬樹は、転校先で元気にしているだろうか。

 元気にしているだろうな。

 

 あの、どこか掴みどころのない……それでいて、こちらを見守るような。

 

 あいつなら、どこに行ってもマイペースで過ごしている気がする。

 

 

 

 要人保護プログラム。

 その言葉を何度聞いたか。

 

 私もまた、この学校を去る時期が来た。

 

 冬樹がいなくなって、まだ半月も経ってないというのに……皮肉なものだ。

 

 転校先に、冬樹がいないことだけは確かだ。

 もちろん、一夏がいるはずもない。

 

 知り合いのいない学校を、全国の学校を転々とする。

 要人保護プログラムだ。

 

 子供だと思って、馬鹿にするな。

 

 要は、『他人と親しくするな、他人と関わるな』ってことだろう。

 

 

 空を見上げる。

 時折、冬樹がそうしていたように。

 

 すまないな、冬樹。

 私は、友であるお前に言えなかったよ。

 

 すまないな、冬樹。

 私は、お前にリスクを背負わせてしまったかもしれない。

 

 私の弱さが、お前にリスクを背負わせた。

 

 独りは……嫌だった。

 

 でも、要人保護プログラムだ。

 自分から、他人に関わると……迷惑がかかるんだ。

 相手もそうだし、護衛の人の手間を増やすという意味でも。

 

 すまないな、冬樹。

 私は。

 お前の優しさに、甘えたんだ。

 

 向こうから近づいてきたから仕方ないと、自分に言い訳をして。

 

 要人保護プログラムを言い訳にして、他人と関わることを拒んだ。

 それも、私の弱さだ。

 姉さんを恨んだのも、私の弱さだ。

 姉さんが全て悪いわけじゃない。

 まあ、責任がないとは言えないだろうが。

 

 強さを目指す前に、私は自分の弱さを認めなければいけなかったんだな。

 

 なあ、冬樹。

 すまない、ではなくて、ありがとうと言わせてくれ。

 そんな機会が、いつか来るだろうと信じている。

 

 

 

 

 職員室で、教師に挨拶をした。

 以前は苛立ちを感じたよそよそしさが、今は許せる。

 

 ふっ、と。

 何気なく、冬樹のことを聞いてみた。

 

「……っ! え、ええ……元気にしてるんじゃないかしら?」

 

 ……。

 ……。

 ……。

 

 それで、隠しているつもりか?

 何があった?

 何を知っている?

 

 教師を問い詰めた。

 殺気までぶつけた。

 

 

 

 行方……不明、だと?

 いや、違う。

 なんだ?

 施設とはなんだ?

 なんのことだ?

 あいつは。

 冬樹は、親の仕事の都合で……引っ越したはずだろう?

 

 

 

 

 

 ……私のせいだ。

 私に関わったから。

 私が関わったから。

 姉さんの妹である私に関わったから。

 

 冬樹に、姉さんへと接触するための価値を見出したバカが出た。

 

 

 視界が、歪む。

 冷や汗が止まらない。

 

 冬樹。

 冬樹。

 冬樹。

 わが友!

 

 行方不明になってから約半月か。

 姉さんに何か、連絡はなかっただろうか。

 

 いや、あの姉さんにとって、冬樹に何の価値がある?

 姉さんは、冬樹が私の友だということも知らないだろう。

 姉さんなら、『ふーん、それで?』と切り捨てるのが目に見えている。

 

 姉さん。

 やめてくれ、姉さん。

 連絡。

 連絡手段がない。

 何が家族だ。

 何が要人保護プログラムだ。

 ふざけるなと、叫びたい。

 

 

 

 着信。

 わけもなく飛びついた。

 

『やっほー、箒ちゃん!束さんは今、箒ちゃんのお友達のふーちゃんと、飛行機作ってるんだぁ!あれ、箒ちゃん?もしもし?もしもし、聞いてる?』

 

 聞くに耐えない罵詈雑言を浴びせかけた記憶がある。

 恥ずかしい。

 そして、反省している。

 

『冬樹』が説明してくれた。

 

 姉さんが、冬樹を保護してくれたらしい。

 あの日、学校を出てすぐ攫われた冬樹を、姉さんがちゃんと保護してくれたらしい。

 保護している人が人だから、連絡もできなかったんだと。

 今の生活を楽しんでいるから心配しないでくれと。

 

 

 

 ああ。

 姉さんに、心の底から感謝した。

 何度も、何度も。

 

『……た、束さんは箒ちゃんのお姉ちゃんなんだぞ』

 

 心なしか、姉さんの声が震えていた気がしたが、気のせいだろうか。

 

 それにしても、冬樹を誘拐しようとしたのは、どこのどいつですか?

 

『た、束さんは天才だから、そういうの、あんまり気にしなかった……ごめんね』

 

 いえ、姉さん。

 そんな、下衆な連中はどうでもいいんです。

 友である冬樹を救ってくれて、ありがとうございます、姉さん。

 

『あ、あはは……い、忙しいからまたね』

 

 

 忙しいからとは言ったが、照れていたのだろうか。

 まさか、あの姉さんが?

 

 ああ、でも思い返していると……この数年、私は姉さんに真正面から関わってこなかったのかも。

 

 ……うん。

 これも、ひとつのきっかけかも知れない。

 

 今度、直接会うことがあったら。

 笑顔で、『姉さん』と、呼びかけてみよう。

 

 

 




箒と電話して涙ぐむ束を、優しい目で見守るおじーちゃん。(妹と会話するだけで涙ぐむなんて……尊い)

あと、誘拐云々は、おじーちゃんのアドリブです。

次からまた本編。


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6:うさぎさん、子猫を拾う。

さて、ゆるやかにまいります。
おじーちゃん、少し口調が砕けてきました。(笑)


 研究と開発には、資金と資材が必須だ。

 

「さあ、ふーちゃん。悪者を懲らしめに行くよ!」

 

 そのついでに、資金と資材を回収ですか。

 

「だってあいつら、ほうっておくと悪いことしかしないし、最後は自爆するんだよ?ちゃんと有効活用しなきゃもったいないよね……と、ほら、証拠の資料」

 

 束さんが、無造作に資料を示す。

 

 殺人。

 脅迫。

 非人道的研究に……うわあ。

 権力ともつるんでて……。

 

 う、うーん……いいのか?

 

「そもそも、束さん悪いことしてないのに、国際指名手配されちゃったからね!そりゃあ、束さんは自分のことを真っ白なんて言うつもりはないけど、本当に悪いやつらが大手を振って歩いてるのはムカつくよね!」

 

 まあ、綺麗事だけじゃ生きていけないし、社会も回らないけど……。

 

 どう言い繕っても、山賊というか、海賊というか……。

 

 

 

 

 

 

 

 などと悩んでいた時期もあったなあ……。

 思えば、遠くに来たなあと感じる。

 

 前世もそこそこ社会の闇には触れたつもりだったけど、この世界の闇は深い。

 クローンに、人体実験に、素体破棄に……人身売買まで。

 

 難しい問題ではあるんだが……どの時代、どの世界でも、親が子どもを捨てることは非難される行為だろうと思う。

 方法を問わず、生み出した生命に対し、生み出した側は、最後まで……少なくとも、独り立ちできるまでは責任を取るべきだ……とは思う。

 

 放置された、素体。

 素体という名の、生命。

 生命、だったもの。

 

 

 前世において、息子が2人、娘が2人……4人がそれぞれ結婚し、孫が生まれた。

 私は、幸運で、幸福だったのだろう。

 失われた命は、1人の孫だけだった。

 

 もし生きていれば、その人生でどれだけの人と出会えただろう。

 好きな相手と出会えただろうか?

 結婚は出来たか。

 子供は出来たか。

 私がそうだったように、ひとりの人間は、無限の未来へとつながる可能性を持っている。

 

 その可能性を踏みにじった光景が……目の前にある。

 

 私は決して聖人ではなく、俗人だ。

 殴られたら、倍にして殴り返したくなるぐらいに野蛮人だ。(ただし、妻と娘と孫は除く)

 

 自分が正義だなどと主張するつもりはないが、今、私が感じている怒りを、誰にも否定させたくはない。

 

 

 私は、彼らに、念仏を唱えた。

 彼らは、それを不本意と思うだろうか。

 それとも、不本意と思える程の生も与えられなかっただろうか。

 

 傲慢にも、私は生まれ変わって生きている。

 自分のことを第一に考えるエゴイスト。

 その私ですら、彼らの次の生を願う。

 

 死は、いつだって理不尽だが……理不尽にも限度があるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふーちゃん、この子拾ったんだけど、飼ってもいーい?」

 

 ……束さん、猫の子じゃないんですから。

 というか、むしろ私が居候なんですけど。

 

「というか、この子、ほっとくと死んじゃうから、ナノマシン飲料、まとめてどばー!」

 

 

 あの束さんをして、ナノマシン大量投与の力押しで生命維持に努めるしかなかったのだから、仮に発見したのが私なら、間に合わずに死んでいただろう。

 

 

 

 

「あの時は……溺れ死ぬかと思いました」

「ごめんね、くーちゃん。この天才束さんをもってしても、くーちゃんを健康体にできなくて……」

 

 ショボンとする束さんに、クロエさんが首を振って否定した。

 

「束様にできないのであれば、世界の誰にも不可能かと思います」

 

 クロエさんは、遺伝子強化兵だか、クローン体だかの失敗作、らしい。

 束さんの手によって色々と処置がなされたが、味覚をはじめとした、一部の機能に障害を抱えた状態だ。

 それゆえに、彼女には束さんからISが渡され、生命維持の役割を担わせている。

 

 こうして、一度関わってしまったからには何とかしてやりたいと思うのが人情ではあるが、ある程度万能な束さんと違って、私は、医療・生体学の方は専門外だ。

 もちろん、空を目指すといっても、それだけでは困る事があるから……ある程度、広く浅く、学んではいる。

 

 学んではいるんだが。

 

「お父様、紅茶をどうぞ」

 

 なぜかクロエさんが、私を『お父様』と呼ぶ。

 

 一言二言会話を交わし。

 気が付いたらそう呼ばれていた。

 

 

『おお、ふーちゃんがお父様ってことは、束さんはお母様かな?なんか照れちゃうね!でも、いいよ、くーちゃん!バッチこいさぁ!ほら、束お母さんだよぉ!』

 

『……束様、と呼ばせていただきます』

 

『あるぇぇぇ!?』

 

 

 というやりとりが、クロエさんと束さんの間であったが、謎だ。

 中身はともかく、外見上は間違いなく束さんの方が年上で、クロエさんと私なら……まあ、同年代みたいなものだろう。

 年齢は、体格で決定されるものではない。

 それに、歳を取ると、子供は子供だというカテゴリーで考えてしまいがちになる。

 

 正直、末の孫娘よりも幼く見える(外見)彼女に、そう呼ばれるのは、少しこそばゆい。

 

 ふと、思う。

 前世においてあと半年、長生きすればひ孫が抱けたんだったな、と。

 

 それらを全て投げ捨てて、ただ空を願いながら死んだ。

 

 それなのにこうして、孫を慈しむように彼女たちを見ている自分がいる。

 われながら、業が深い生き物だ。

 

 

 

 

 本来なら、私が中学校に入学する年。

 束さんと私の生活に、クロエさんが加わって、3人になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところで、ふーちゃん」

 

 どうしました?

 

「あらためて聞くけど、ふーちゃんは、ISをどう思う?」

 

 ふうむ。

 高性能。

 汎用性。

 そして、世界の現状。

 

 高性能のパソコンですかね。

 

「……その心は?」

 

 世界は、高性能のパソコンで、ゲームソフトだけを遊んでます。

 

「ぶはっ!」

 

 束さんが吹いた。

 かなりツボにはまったようだ。

 

 ISそのものについてならほかにいくらでも言いようがあるのだけれど。

 ISが、世界でどのように扱われているかを思うと……私としては、この表現が一番しっくりくる。

 

 宇宙を目指して……といいつつ、ISはいわゆる船外活動のためのユニットだ。

 宇宙での活動を安全に行うための、防御に重点をおいたパワードスーツ。

 シールドエネルギーに絶対防御。

 あれは、人の命を守るためのものだ。

 

 地球なら、災害救助もできる。

 緊急輸送。

 要人警護。

 

 例を挙げればキリがない。

 

 

 白騎士事件。

 あれが、ISを武器と認識させた。

 そして、世界は……認識しすぎた。

 

 コアの数を制限して、緊張状態の平和……停戦状態を生み出す。

 

 つきあいが長くなるにつれて、それが束さんの本来の狙いだったかどうかについては疑問を感じるようになってきた。

 あの時、彼女が言ったように……いろいろ考えてはいたのだろう。

 

 私がそうと思ったのは、副産物に過ぎなかったのかもしれない。

 

 

 

 束さんの目指す宇宙(そら)は……。

 

 

 ……束さん。

 

「なーに?」

 

 宇宙、行ってみませんか?

 

 束さんは、何も言わず……私を見ていた。

 

 IS単独での宇宙活動はさすがに厳しい。

 やはり、宇宙における拠点が必要となる。

 

 ああ、そうか……束さんひとりでは、意味がないのか。

 

 私は、大きく息を吐いた。

 

「……ふーちゃん」

 

 はい。

 

「ありがとねー……というか!ふーちゃんはどうなの?空バカふーちゃんの進捗は?」

 

 頭をかく。

 出力の問題と、安全対策に難が……。

 

 あと、センサー類ですね。

 これは、ISを参考にして、なんとか目処が立ちそうですが。

 

「いやあ、ふーちゃんから、コンセプトを聞いたときは、馬鹿なのかなって思ったけど。束さんを『逸脱する』という点ではすごいよね」

 

 鳥の視点と、蟻の視点ですよ。

 束さんの言う、『凡人』も捨てたもんじゃないんです。

 

 ひとりひとりが、それぞれ違う。

 価値観が違う。

 生き方が違う。

 強みと弱み。

 目の付け所が違う。

 努力の仕方が違う。

 

 1000人の『凡人』から、1000人の意見が出てくる。

 

『天才』が気に止めない部分を、カバーするのは、『凡人』だと私は思っています。

 

 

 

 私の言葉を、彼女は黙って聞いていた。

 

 やがて、口を開く。

 

「ふーちゃん、それってさ、何を作ってるの?なんか、空には関係なさそうだけど」

 

 ああ、気分転換というか、なんというか。

 

 前世の孫のことを思い出して、とは言わない。

 

 いわゆるローラースケートに、モーターをつけて。

 左右の同調をどうするかが重要。

 

 たしか、ロー〇ーヒーロー……だったか?

 

「……あのさ、束さんが思うに、それ、タ〇コプターと同じぐらい危険だと思うんだ」

 

 ああ、あれは……首が折れますよね、反動で。

 補助ローターをつければ……うーん。

 

 

 

 さて、出力を抑え気味に……稼働テストを。

 

「いや、ふーちゃん。本気でそれ、危ないよ?ダッシュしたその場で、ダイナミック大車輪で後頭部を痛打する未来しか見えないから」

 

 ははは、そこは緩やかにトルクを高めていく方式で……あ、これ、モーターだった。

 手元で出力調整が必要……最高速度15キロぐらいに抑えるか。

 

 

 

 

 ガー。

 ジョギング程度の速度。

 出発時と止まるときにバランスを取る必要があるが、うん、まあ、なんというか。

 ちょっと早い、動く通路って感じ。

 

 あと、膝から下が疲れる。

 

「ふーちゃん。それ、楽しい?」

 

 あんまり。

 

「お父様、束様。ISの装備として考えたらどうでしょうか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キュイーン!

 

 甲高い音を置き去りにして、クロエさんが滑るように地面をカッ飛んでいく。

 わりと楽しそう。

 

 そして、束さんがゲラゲラ笑っていた。

 

「空中機動が売りのISで、地面を滑走って!バカだ!バカだけど、面白いよ、ふーちゃん!」

 

 こ、これが天才にはない、『凡人』の視点だから。(震え声)

 

「いやあ、束さんにはできない発想だよ。楽しいねえ!」

 

 はて……どうも、本気で楽しんでるようだが。

 

 良くも悪くも、束さんの思考は、効率重視というか、無駄なものは必要ないって切り捨てるところがある。

 だから、こういうのはかえって新鮮なんだろうか。

 

 

 そして、クロエさんが……最高速の状態で、何かに躓きでもしたのか、いきなり宙に舞った。

 

「く、くーちゃーんっ!」

 

 束さんが叫ぶ。

 

 心から、クロエさんを心配している、声。

 悪くない。

 

 ……別にクロエさんを心配していないわけではない。

 彼女はISを展開している。

 それが答えだ。

 

 

「……失敗してしまいました」

 

 そう言いつつ、クロエさんは笑っていた。

 うん、遊びというのはそういうものだろう。

 

「くーちゃん、怪我はない?平気?大丈夫?」

「……束様のISが守ってくれましたから」

 

 クロエさん、何か障害物でもあったかな?

 

「いえ、お父様……滑走中に左右のローラを逆回転させたら、超スピンへと移行できると思ったのですが、慣性を忘れてました」

 

 クロエさんも、わりとお茶目だ。

 

 失敗作と、どこか自分を卑下していた彼女が……少し明るくなったように思う。

 私は、それを見守っていこうと思っている。

 

 

 

 

 束さんとクロエさん、そして私の3人の生活。

 平和に、時は流れていく。

 

「ああもうっ!あいつら、しつこいんだから!ふーちゃん、くーちゃん、あいつらを追っ払ってから、お引越しするよ!」

「自衛権の行使、ですね」

 

 

 平和に、時は流れている。(強弁)

 

 

 私の空は、まだ遠い。

 

  




あんまり細かく設定詰めてなかったけど。
おじーちゃん:(1918~2000)享年82歳ってかんじで。(ガバガバです)
例の、国産旅客機が空を飛ぶのを見ずにお亡くなりになりました。

あと、ナノマシン飲料どばーは、ご都合主義という優しい世界。(懇願)


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7:うさぎさんのソラ。

サブタイは、『泣いたうさぎさん2』の予定でしたが変えました。
こっちのほうが、らしいな、と。
なお、独自解釈部分ありです。


 ドイツの地で負った怪我が治った。

 

 楽しい。

 研究している時が一番楽しい。

 だからこそ、健康は大事だ。

 

 効率の良い睡眠。

 効率の良い栄養摂取。

 適度な運動。

 

 健康を害すると、楽しい楽しい研究の時間を失ってしまう。

 わかっている。

 わかってるんだが、うむ。

 

 あと、5分。

 いや、20分。

 ああ、休息というのは心身ともにリラックスしないと意味がないものだからな。

 うむ、心残りがあっては、休息とは言えまい。

 だから、キリのいいところまでだ。

 仕方ない、いや、これこそが最善。

 

 ……束さんに見られていた。

 

 いかん。

 束さんに健康の大事さを訴えたのは私だ。

 別に私は間違ったことをしているわけではないのだが、言い訳臭く聞こえるかもしれない。

 

 前世の、これはダメだと思った仲間のことを思い出す。

 ああ、大丈夫だ。

 私は大丈夫だ。

 束さんに、それを伝えねば。

 

 いや、大丈夫ですよ束さん。

 まだ、おむつには手を出していません。

 だからまだ、私は大丈夫です。

 

「……束さんって、他人から見たらこうなのかなぁ」

 

 何を言ってるんですか、束さん。

 人の目なんか気にしてたら、研究なんて出来ませんよ。

 他人を参考にしても、おもねってはいけません。

 妥協は失敗の母です。

 

 人付き合いはともかく、研究において、他人とは妥協するのではなくぶつかり合うものですよ。

 

 そう言って、前世の経験を苦々しく思い出す。

 特に、日本人の『妥協』は不幸の温床だった。

 誰もが望まない場所に着地することが多い。

 

 

「束さん、天才だからさぁ……ぶつかってくれる人がいないんだよ」

 

 手を止めて、束さんを見た。

 笑顔の下に、はっきりとした憂いがある。

 

 私は、無意識に、なにか彼女の心を、刺してしまったか?

 

 

「ねえ、ふーちゃんは……束さんが、何故IS理論を発表したかわかる?」

 

 束さんの口調、気配。

 それに触発されたのか……気づいた。

 

 宇宙(そら)を目指したIS。

 束さん本人が、宇宙へ行くだけならば、白騎士事件は必要なかったことに。

 

 理論を発表することもない。

 IS単独で月旅行となるとエネルギー的にあれだが、地球軌道にでるだけなら可能なスペックがある。

 大気圏突入も、理論上は可能だ。

 航空機で上空に出て、そこからIS展開……ただまあ、登山と同じで、安全面のマージンという意味で問題はあるか。

 ISは、人の命を守ることに重点が置かれている。

 その理念に反する行為を、束さんは好むまい。

 

 でも、束さん本人なら……?

 

 束さんを見た。

 彼女との付き合いも長くなった。

 名誉欲からは程遠いところに、束さんはいる。

 

 ……そして、彼女は思慮深いが、幼いところもある。

 

 世界の軍事バランスの均衡、かりそめの平和というのは、やはりただの副産物で……私の見当とは別の狙いがあったのか。

 それでもなお、彼女からは……やはり、絶望を感じる。

 彼女は才能豊かで、純粋で……ああ、もしかして。

 

 

 研究ではなく、『発表』ですか?

 

「うん、ふーちゃんのそういうところ、束さんは好きだよぉ」

 

 束さんが、微笑む。

 

 それで、分かってしまった。

 だが、それを口に出してしまっていいものか。

 いや、出すべきだ。

 

 束さんを。

 彼女を、ひとりにしてはいけない。

 

「自分の理論に対しての反応……新しい視点というか、刺激が欲しかった……ですか?」

 

 束さんが、小さく息を吸い……笑った。

 幼い。

 もしかすると、箒よりも幼く思える笑顔。

 

 そして、彼女が……口を開く。

 

「束さんね、世界を変えようと思ったんだぁ」

 

 傲慢な言葉にも思える。

 しかし、私はそこに邪なものは感じなかった。

 

「ふーちゃんが言うような『戦争を止める』とか『世界に平和を』なんて、綺麗なことはぜんっぜん考えてなかったからさぁ……あの時は恥ずかしいというか、束さんの考えなしの部分を指摘されたみたいに感じて……ネーミングとかもさぁ、言われるまで気付かなかったよ……」

 

 言葉が途切れる。

 束さんが、私を見て……ふっと目をそらした。

 

「束さんは天才だけど、ふーちゃんと違って、ほんと、子供だったんだね……」

 

 

 そう前置きした、彼女の口から語られた言葉。

 

 新しい技術体系である、IS理論の発表。

 それまでにない、未知の塊を、世界に投げ込んだ。

 世界は、刺激を受けるだろう。

 その刺激は、世界をブレイクスルーさせるきっかけになるだろう。

 

 学会では無視された。

 だったら実物を投下だ。

 これ以上はない、全世界に向けての刺激。

 

 世界が震えた。

 誰ひとり殺さず、世界に衝撃を与えた。

 

 さあ、始まる。

 世界が、変わる……と。

 

 

 

 なのに世界は。

 彼女の投げ込んだISの周りで、ぐるぐる回ってるだけ。

 武器の性能がどうとか、速さがどうとか、第1世代、第2世代……そうじゃなくて、もっと……こう……彼女が望んだのは……。

 

 ぐーるぐる、ぐーるぐる。

 犬が、自分の尻尾を追いかけるように。

 回る回る、世界が回る。

 

 ブレイクスルーどころか、彼女の目には、停滞してるとしか思えなかった。

 

 

 

 私は幻視した。

 幼い少女の姿を。

 

 遊び道具を提供して、『一緒に遊ぼう!』とはりきっている彼女を尻目に、みんなは道具そのものに目を奪われているだけ。

 その道具を使って、どういう遊びをするかとか、別の遊び道具を持ってるよと言い出す人もいない。

 何も出てこない。

 何も変わらない。

 

 彼女はじっと、何かを待っている。

 待ち続けている。

 

 

「束さんは、世界を変えたかったけど……失敗しちゃったんだ」

 

 ぽつりと。

 彼女が。

 つぶやく。

 

「それも、ただ失敗しただけじゃなく……こんな出来損ないの世界にしちゃったのかな?ちーちゃんや、いっくん。箒ちゃんも……出来損ないの世界に巻き込まれて……」

 

 

 彼女の絶望は……私が思っていたよりも深かったのかもしれない。

 

 天才ゆえの孤独か。

 天才ゆえの矜持か。

 

 世界を一人で変えようとした少女は。

 その責任を一人で感じたのか。

 

 

 不意に、私の中で閃く。

 

「束さん」

「なんだい、ふーちゃん?」

「ISが男性には動かせないのって……『わざと』そう作ったんですか?」

 

 ひと呼吸の間。

 

「正解、正解、大せーかーい!」

 

 どこから取り出したのか、束さんがおもちゃのラッパを取り出して、『プー!』と吹いた。

 

 量子格納、か。

 これひとつとっても、どれだけの可能性を世界に与えられるだろう。

 どれだけの未来が見えるだろう。

 

「だって、そうだよね!男に動かせないって聞いたら、普通はどうしてって思うよね!どうしてって思ったら考えるよね!」

 

 束さんが、泣く。

 涙は流していなくても、泣いている。

 

「考えたら!考えたらさあ!」

 

 束さんの、仮面のような笑顔が壊れた。

 

「だったら、男でも動かせるISを作ってやるって……なるでしょう?女性にしか動かせないポンコツのISとは別のモノを作ってやるぞって……ISとは全く別の、適正もなにもなく、上手い下手はあっても、誰でも動かせる『何か』を目指して、作り上げてくれるって……思うんだぁ……思ったんだよねえ……」

 

 束さんの語尾が、か細く消えていく。

 視線が、落ちていく。

 彼女が、下を向く。

 天才が、肩を落とし、うつむいてしまう。

 

 

 そうは、ならなかったから。

 少なくとも、現時点ではそうだ。

 

 世界は、女尊男卑がどうとか、新しいISコアの配布の要求がどうとか……彼女の目には、停滞でしかないのだろう。

 

 まだ7……8年か。

 いや、もう8年か。

 束さんにとっては、8年という時間は、永遠に等しいのかもしれない。

 

 普通の人間が一生をかけて歩む道。

 それを、一息で飛んでしまうことも少なくない束さんにとってあまりにも長く感じられる時間ではあったのだろう。

 

 

 もちろん、今も彼女の望む道を歩む研究者はいるだろう。

 ただ、ISが武器と認識されてしまった世界では、国の予算はそちらに動く。

 優先されてしまうのだ。

 

 予算。

 戦争。

 

 飛行機を。

 空を。

 戦争の道具として……。

 兵器の場所として……。

 

 戦争の前に、奪われた自由。

 

 飛行機は、兵器であることを優先された。

 

 私たちは、私たちの空は、ソラは、奪われ、汚されたのだ。 

 

 それでもまだ、束さんと違って飛行機を作っていられただけ、幸福だったのか。

 私たちには、空があった。

 思い描くこともできた。

 希望もあった。

 

 いつか。

 きっと訪れるであろう、いつか。

 

 束さんは、この8年間。

 世界が、自分の希望を食い尽くしていくのを見続けた。

 

 彼女の『いつか』は、彼女の中で、消えてしまったのか。

 彼女の空は。

 宇宙は。

 ソラは。

 

 涙がこぼれそうになったが、耐えた。

 

 彼女の絶望を哀れむわけにはいかない。

 

「まあ、束さんは天才だから!ISのほかにも、いろいろと隠し球を用意してるけどね!いつか誰かが、『ISなんてもう古い!』って得意満面になったところで、束さん、ドヤ顔で隠し球を叩きつけて『N D K』(ねえねえいまどんなきもち)してやるんだ!もう、準備万端で待ち構えてるんだよ!」

 

 そう言って、胸を張る束さん。

 私は苦笑した。

 

 優しい、子だ。

 優しすぎる子だ。

 箒が、要人保護プログラムに、護衛をはじめとする関係者に気を使ったように。

 彼女もまた、私に気を遣う。

 

 受け取ろう。

 そして、私からも彼女へ。

 

 もちろん、孫への愛だけではない。

 技術者、研究者として。

 彼女の挑戦を受け取ろう。

 

 そして、口に出す。

 

 それは、燃えますね。

 

「おおっと、ふーちゃんは燃えちゃう?絶望しない?心が折れたりしない?膝から崩れ落ちたりしない?」

 

 言葉を切り、私を見る。

 

「諦めたり……しない?」

 

 そりゃそうでしょう。

 新しいものを見たら研究しますよ。

 研究者にとって、新しいものはおもちゃです。

 新しいおもちゃを与えられたら、夢中になりますよ。

 

 見て。

 触って。

 調べて。

 研究して。

 時には舐めて。

 

「待って、なんか変なの入った!」

 

 ははは。

 

 私の知り合いには、本当に食べたやつもいる。

 病院に運ばれたが。

 

 まあ、それは口にはしない。

 

 束さんを見て。

 宣言する。

 

 

 歩き続けますよ。

 道は遠くとも。

 道は険しくとも。

 

 歩き続けます。

 

 だって、研究者とはそういう生き物でしょう?

 

「……そっか」

 

 彼女が、笑う。

 

「でも、ふーちゃんは、才能ないしなあ……まあ、ふーちゃんより才能ないのがごろごろしてるけどさ!」

 

 才能がないからって、歩みを止める理由にはなりません。

 研究者ってのは、生き方の問題です。

 

 

 束さんが、真顔で私を見た。

 初めて会った時から改善はされたが、目元のクマは微かに残っている。

 

 その瞳が、一変する。

 

 ああ、箒もそうだったな。

 姉妹というのは、そんなところまで似てしまうのか。

 

 綺麗な、瞳をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あ、でも私は、自分の憧れを優先しますので。

 そっちは後回しで。

 

「うわぁーん、ふーちゃんの空バカ!」

 

 ……研究者という生き物(ナマモノ)は、基本的にそうではないですか?

 

「そうだけどぉ!わかるけどぉ!」

 

 駄々っ子がするような、束さんのポカポカパンチ。

 

 避ける。

 かわす。

 文字通り、必死で逃げる。

 

 待って。

 束さん、待って。

 束さんの攻撃は、冗談でも私死んじゃうから。

 本当に死んじゃうから。

 

 うわあ、さすが箒のお姉さんだなあ。(白目)

 速さも、威力も、鋭さも。

 お姉さんの貫禄だ。

 

 

「お父様、ファイトッ!」

 

 クロエさんの、根拠のない励ましの言葉を背に受けて。

 

 

 ……逃げ切った。

 

 生きている。

 私は、生きている。

 感動に、心が震える。

 

 人は、些細なことから、生きる喜びを得る。

 

 

 クロエさんに慰められている束さんを見ながら、私は再び心に誓った。

 

 いつか。

 きっと。

 

 束さんの、ソラを。

 

 必ず。

 

 




これが、束さんのポテンシャルだ!(原作から目を逸らしつつ)


主人公:「なんか、怪我の治りが異常に早いような……」
 束 :「ふーちゃんの体内には、ナノマシンを仕込んだからね!(いつからとは言わない)」
主人公:「(私の健康を気遣ってくれているのだな……感謝せねば)」

 束 :「いつも……見てるからね!」

おじーちゃんがドイツで負った怪我については、明日更新する幕間2で。



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幕間2:ドイツの空に笑う。

まあ、息抜きのお話……というか、本当は必要ない回だけど、感想を読んで千冬さんの反応を書きたくなったの。

なので、物語としてはちょっと冗漫かもしれません。


 束さんには、友達がいる。

 

 通称、ちーちゃん。

 その弟が、いっくん。

 

 クロエさんが、くーちゃんで、私がふーちゃん。

 ちなみに、箒は、箒ちゃん。

 たぶん、ほーきちゃんではないと思う。

 

 

 ……友達の数が増えると、呼び名に混乱しそうだ。

 

 私としては、もう少し交友関係が増えたらいいように思うが……彼女の立場を考えると、難しいところなのだろう。

 むしろ、ちゃんと友達がいることを、喜ぶべきか。

 

 

 孫娘が友達のことを楽しそうに話すのを聞くのは、祖父としての喜びだ。

 ただそれだけで、孫娘の未来が明るく開けているような気持ちになれる。

 

 

 そして私は、束さんの言う『ちーちゃん』の正体を知った。

 

 

 控え目に言って有名人。

 うん、有名人、有名人だから。

 

 束さんが、彼女のプライベート映像(音声付き)やら、写真やらを大量に取り出すのは、何の問題もない。

 だって、『ちーちゃん』は『織斑千冬』で、有名人なんだもの。

 問題は……ないはずだ。(震え声)

 

 

 束さん、ちょっとそこに座って、私の言うことに正直に答えてくれるかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 会話の流れで、箒のプライベートが、大量に提出された。

 

 ああ、そうか。

 箒ももう、中学生か。

 子供が大きくなるのは早いなあ。

 

 そうか、剣道部に入部したのか……この世界のレベルが、どのあたりにあるのか分からないが、彼女ならきっと良い成績を残せるだろう。

 いや、要人保護プログラムの存在があったか。

 偽名を用いて、全国の学校を転々とする立場を強いられているんだ、状況が許さない限り好成績を残すことはおろか、出場も認められない可能性がある。

 

 箒の映像を、写真を見て思う。

 

 色々と制限を受けて、窮屈な思いをしてないだろうか。

 転校の繰り返しにもめげず、周囲とコミュニケーションはとれているのか。

 あの時は、それを知らずに、無神経な発言をしてしまったなあ。

 

 子供が、周囲の大人の顔色をうかがうのは普通にある。

 良くも悪くも、『手のかからない子供であること』を心がけたのか。

 子供はわがままを言いながら成長していくものだ。

 わがままを言う相手がいないのは、不幸なことだろう。

 

 うん。

 うん。

 

 次から次へと、箒の映像を、映像、を……。

 

 慌てて目をそらした。 

 

 

 

 束さん……あ、姉としての愛が少し、行き過ぎてないだろうか?(震え声)

 

「そんなことないよ!束さんは、箒ちゃんが大好きだからね!そして束さんは、お姉さんだから!愛は与えるものであって、そこに制限をかけるなんておかしなことじゃないかなぁ?」

 

 ……一理ある。

 孫のためなら、世界だって敵に回すのが、祖父という生き物だ。

 

「それに、束さんがふーちゃんと出会えたのは、箒ちゃんへの愛のおかげだよ!やましいところなんてないし、むしろ誇らしいと言えるね、えへん!」

 

 そうだな。

 愛は与え、恋は乞うという。

 相手に要求するのではなく、自然に与え、そして与えられるものを受け取る。

 それは、家族の愛としては、ごく自然なものか。

 

「お父様、流されています。というか、話の論点がずれてます。問題は、千冬様のプライベートではなかったかと」

 

 クロエさんの囁きに、私は正気を取り戻す。

 うん。

 家族愛はいい。

 姉妹愛もいいだろう。

 

 しかし、この……『ちーちゃん』の隠し撮りは……隠し撮りで……その、本人には無許可だよね?

 

「当たり前だよ!許可を取ったら、ちーちゃんの素顔が拝めないもん。ちーちゃんが、ちーちゃんである瞬間、それこそが束さんの求める、ちーちゃんの……」

 

 

 あ、クロエさん。

 千冬さんに郵送する菓子折りの手配を。

 

「わかりました、お父様……挨拶状、ですか?文面はどうしましょうか?」

 

 そうだな、ごくさりげなく。

 

 いつもお世話になっていること。

 離れてはいても、いつも『ちーちゃん』のことを気にかけているとか、そんな感じで。

 

「……わかりました」

 

 小さく頷き、クロエさんはちらりと束さんに目をやった。

 

「そのようにしておきます」

 

 

 

 

 

 

 

 

「あるぇぇぇ?なんで!?なんでぇ!?」

 

 どうしたの、束さん?

 

「ちーちゃんが!ちーちゃんが、ふーちゃんを!お礼って何さ!?」

 

 ……はて?

 

 首をかしげる私の前に、クロエさんが現れて言った。

 

「あ、ついうっかりして、千冬様への菓子折りを束様とお父様の連名にしてしまいました。ええ、つい、うっかり」

 

 てへぺろー、とクロエさん。

 無表情でそれはやめなさい。

 

「うわぁ!ちーちゃんには、ふーちゃんのこと内緒にしてたのに!」

「束様、『それ』が、親友の間でも隠しておきたいことがあるということでございます」

 

 ぐっと、言葉に詰まる束さん。

 そして、クロエさんが、私を見た。

 

「勝ちました、お父様」

 

 あ、はい。

 

 親はなくても子が育つことを実感した。

 しかも、わりとたくましく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 第2回モンド・グロッソ。

 

 まあ、早い話がIS競技の世界大会……とはいえ、参加国は限られる。

 そもそも、ISコアの数が限られているから、それは仕方ない。

 

 ISを、国防のための軍事力として見ている国が……まあ、そこは言っても仕方のないことか。

 というか、国家代表選手の女性が、みんなそろって見目麗しいというあたり、本当の意味で実力勝負なのかどうか、私としては疑問が残る。

 おそらくは、『男性』に世界の現状を受け入れさせる政策の一つなのだろう。

 しかし、女尊男卑をうたいながら、『男性』を意識せざるを得ないのは、皮肉なことだとも言える。

 以前の社会と同じように、女性がコンパニオン役を強いられているのだから。

 

 

「まあ、ちーちゃんが勝つけどね」

 

 こともなげに束さん。

 

「そもそも、ISコアは、ちーちゃんに合わせて作ったものだから、適性がぶっちぎってるからね。そしてちーちゃんは、束さんが認める天才だし」

 

 ……もしかして、白騎士って、『ちーちゃん』が正体……?

 

「そうだよ」

 

 

 

 

 あれは、何年前の事件だったか……。

 そして、『ちーちゃん』は束さんの同級生で……。

 

 が、学生さんに、何をさせてるんですか……。(震え声)

 

「……いまさら、ふーちゃんがそれを言うかなあ」

 

 束さんが、クロエさんを見る。

 あ、確かに。

 

 既に私も、首までどっぷりだった。

 とはいえ、私はあまり荒事では役に立たないが。

 

 

 しかし、『ちーちゃん』が優勝候補なら、家族周辺の警護は大変だろうな。

 

 そうつぶやくと、束さんと、クロエさんが、私を見た。

 

 あれ?

 そんなおかしなことか?

 

 この大会、国の威信がかかった大会なんだ。

 

『ちーちゃん』に勝って優勝したい勢力。

『ちーちゃん』に連続優勝させたくない勢力。

『ちーちゃん』の所属する日本に勝たせたくない勢力。

 

 指を折りながら。

 次々に挙げていく。

 

 もちろん、国も一枚岩ではない。

 足の引っ張り合いもあるし、それは国に限った事でもない。

 これだけのイベントなら、企業間の争いも熾烈だろう。

 ISの登場で国際情勢並びに社会情勢が変化した以上、今はまだ変化が続いている時期で反動もある。

 

 スポンサー。

 IS企業。

 逆恨み。

 嫉妬。

 宗教。

 

 

 気づけば、束さんの顔が青くなっていた。

 

「まずい、いっくん、ドイツだ……『招待』されたから連れて行くって、ちーちゃんが言ってた……」

 

 日本はもちろん、スポンサーや、開催国のドイツも、馬鹿じゃないから『ちーちゃん』周辺は、全力護衛体制をしいてるだろう。

 経済戦争の利益やメンツは、国を超えるしね。

 

 前世のオリンピックや、スポーツの逸話を思い出しながら言う。

 

 自分の国の選手が負けそうになったから、会場の電源を飛ばしたなんてのもあったし、一晩中ずっといたずら電話で体調を崩すなんてのも常套手段。

 数ヶ月前から用意して、親戚に借金背負わせて脅迫とか、家族を人質に取って脅迫とか。

 選手とスタッフの食事は全部持ち込みで……そうそう、報道では『日本食が恋しいから』なんて理由をつけるけど、本当は何をされるかわからないからなのに。

 

 ……このあたりは基本、だよね?

 

「ドイツに行って、いっくんを守らなきゃ」

 

 あれ、クロエさんがいい例で、この世界の闇は深くて……。

 闇は深いのに、優しい世界なの?

 

「箒ちゃんのために、いっくんを守る!」

 

 詳しく。(迫真)

 

「いっくんはね、箒ちゃんの想い人なんだよ!」

 

 守らなきゃ。(ガタッ)

 

 (ほうき)の幸せを踏みにじろうとする奴は、許さん!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 主に、束さんの暗躍と、クロエさんの活躍で、箒の幸せは守られた。

 私としては、満足する結果だ。

 

 複数の実行犯グループの中に、男性の復権を狙うテロリストがいた事に、かなり狡猾な計画の匂いを感じた。

 

 まあいい。

 終わったことだ。

 臭いものには蓋というわけではないが、すべてを明らかにするのは少々不穏すぎるのがわかってしまう。

 というか、明らかにすると、おそらくは黒幕が利益を得てしまう。

 それは避けたい。

 

 開催国のドイツの顔を潰すのもアレだ。

 日本としては、ドイツに恩を売っておくほうが利益になるだろう。

 

 1回大会に続いて2回大会も制覇した『ちーちゃん』は、現役を引退するらしい。

 残された唯一の家族である『いっくん』が標的にされたことと、関係者からの『壁が高すぎるので、後進に道を譲ってどうぞ(意訳)』という意向が働いたそうだ。

 

 というか。

 生身で、IS用の武器を振るって、ISに対抗できる時点で、人間をやめている気がしないでもない。

 

 ああ、束さんの知性は、あのレベルにあるのか、と。

 納得できる気がした。

 

 そのあと、吹っ飛ばされて、『空』を感じた。

 人は、翼ではなく、『打撃』でも空を飛ぶことができるのだ。

 

 生きているって素晴らしい。

 

 

 

「すまんっ、てっきり奴らの仲間かと……」

 

 顔を上げてください、お嬢さん。

 

 あの場面の、鬼気迫る様子とは違って、ことが終わったあとに目にした『ちーちゃん』は、可愛らしいお嬢さんだった。

 

 両親は既になく、弟と2人きりの家族。

 年長として、心休まることなどなかったろうに。

 若さゆえの気負いのようなものが抜ければ、また周囲の目も変わってくるだろう。

 

 頭を下げっぱなしの彼女に向かって、語りかけた。

 

 力というのは、それを振るうもの次第。

 不幸な事故があったからといって、恐れることも、忌避することも必要ありませんよ。

 お嬢さんはまだ若い。

 それを理解し、納得できるまで、多少の時間がかかるのは仕方のないことです。

 

 お嬢さんの弟の身代わりになることを選んだのは私自身です。

 それに伴う事象は、全て私自身の責任に負うものですよ。

 

 手を伸ばし、彼女に触れる。

 

 私は、あなたを、束さんの友達である『ちーちゃん』を怖いとは感じません。

 道を歩けばつまずくことも、転ぶこともあります。

 当然怪我をすることも。

 

 怪我をするのが嫌だと、道を歩かないわけにはいかないでしょう?

 同じことですよ。

 そんなことよりも、お会いしたら是非言いたいことがあったんです。

 

 どこか怪訝そうな表情で、お嬢さんが私を見た。

 

 束さんの友達でいてくれてありがとうございます。

 少し誤解されやすいところがありますが、お嬢さんは束さんの良いところを理解してくれたんですね。

 

 

「……束、どこからさらってきた?」

「さ、さらうなんて、人聞きの悪いこと言わないでよ、ちーちゃん!」

「まさか、洗脳か?」

「あ、そういうこと言っちゃう?そういうこと言っちゃうんだ、ちーちゃんは!」

 

 

 ……うん。

 

 束さんには、ああやって仲良く喧嘩できる相手がいた。

 束さんの才能は、彼女自身を孤立させる諸刃の剣であっただろうから。

 

 その幸運に感謝せざるを得ない。

 

 そして、おそらくは千冬さんも。

 

 束さんには千冬さんが、千冬さんには束さんが。

 箒といっくん……一夏くんもそうか。

 

 この世に神というものがいるのなら、その采配に深くうなずけるものがある。

 少しばかり、世界の闇が深いかもしれないが……それゆえに、眩しい光もまた存在するのだろう。

 

 

 

 

「お父様、ここは危険ですので……」

 

 クロエさんが、ISを展開して、私をベッドごと持ち上げる。

 仲良く喧嘩を続ける、ふたりの姿が遠ざかっていく。

 

 

 ちーちゃんこと、織斑千冬。 

 

 世界最強の称号とブリュンヒルデの名が、彼女の将来(けっこんあいて)に暗い影を落とさないことを、私は祈る。

 

 




ブリュンヒルデ:「情報を聞き出そうと手加減しててよかった……」

おじーちゃん、地道に死にかける。(汗)
なお、ちーちゃんの攻撃(手加減)に、微かながら反応は出来た模様。



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8:空を飛んだ日。

……納得できる出来になるまで3日かかった。(灰)
つまり、幕間2がなければ即死だった……。
空の描写、お楽しみいただけたら幸いです。(震え声)


 さて、と。

 

 この世界に生まれ落ちて。

 それでもなお、私は前世の世界とつながっている。

 

 なんとなく、後ろを振り返った。

 そこにはない、道を感じる。

 

「ねえ、ふーちゃん!この舞台、なんか意味あるの?」

 

 束さんの意見はもっともだ。

 

 水面から高さ10メートル。

 助走路の長さ10メートル。

 

 強いて言うならロマン。

 そして、心残り。

 

 私は、苦笑を浮かべて、答えにならない答えを返す。

 

 低速度における滑空性能を、肌で感じたいんですよ。

 

「ふーん、まあいいけど。くーちゃん、ふーちゃんの安全確保、お願いね!」

 

『お任せ下さい』

 

 ISを展開したクロエさんが、空中で待機してくれている。

 

 そして私は、それを手にとった。

 

 それは、一枚の翼。

 孫と一緒に見たアニメからヒントを得た。

 私の望む『空』に、私が考える『飛ぶ』という理想に最も近いと思われた。

 確か……メー〇ェ、だったか。

 もちろん、私なりにカスタムしたし、これもまたテクノロジーの塊ではある。

 いわゆる無尾翼形式なので、ピッチ・ヨー・ロールの3つの自立安定性の確保を、翼の形状ではなく、主に科学に頼った。

 

 翼を手に、助走路に立つ。

 

 60歳定年を超え、嘱託で72歳まで働いた。

 体調を崩したという理由がなければ、もう少し現役でいられたか。

 

 体調も落ち着き、さて……と思ったところで目をつけた大会。

 婆さんはもちろん、息子に娘に、孫まで総出で止められた。

 

 ……出たかったなあ、鳥〇間コンテスト。

 

 束さんに渡された防護ベルトをはじめとした、安全装置の数々。

 やれやれ、飛ぶというのも大変だ。

 しかたない、私は人なのだから。

 

 防風メガネ兼センサーの位置を確認して。

 私は走り出した。

 

 宙に向かって翼を投げ出し、上面のバーへと取り付く。

 

 ふわり、と。

 

 翼が空気をつかむ。

 揚力を感じる。

 重力を感じる。

 

 速度が足りない。

 重力が揚力に勝つ。

 

 うむ、そうだ。

 そうでなくてはな。

 

 人の居場所ではない場所。

 それを再確認する。

 

 水面が近づく。

 重力が翼を加速させる。

 しかしなお、揚力は重力に勝てずにいる。

 

 水面が近づく。

 水面効果が働き出すのを感じる。

 まだ足りない。

 

 水面が近づく。

 水面効果の増加。

 私の心は、穏やかだ。

 

 水面は、目の前だ。

 揚力と重力が、握手をしたのを感じた。

 

 水面の上を、滑るように走っていく翼。

 笑みがこぼれる。

 

 幸せを感じる。

 だが、その幸せは永遠には続かない。

 空気抵抗による速度の減少が、揚力を減少させるからだ。

 

 絶妙のバランスを、100メートルほど楽しみ……。

 その時が迫ったのを悟って、私は水面に目をやり、さよならを告げた。

 

 前を向き、心の中で翼に声をかける。

 我慢させてすまなかった。

 行こう。

 

 私の翼が目を覚ます。

 

 ゆっくりと加速する。

 私の思いが加速する。

 

 揚力が、重力の手を振り払う。

 

 私の視界から、水面が消えた。

 私の視界から、景色が消えた。

 

 夢が舞い上がる。

 力強く、軽やかに。

 

 私の視界が、空に埋め尽くされる。

 

 翼は、私の身体の下に。

 私の視界を遮るものはない。

 

 私は、全身で空を感じた。

 

 

 

 夢中になっていたようだ。

 予定していた高度を超えたことを、束さんから指摘される。

 

 推力を落とした。

 もう、速度はいらない。

 私は、空にいる。

 

 センサーを通して、風の動きが分かる。

 空気の塊を感じる。

 

 鳥はすごいな。

 風に乗り、空気を感じて、空を飛び、舞い続ける。

 

 翼とセンサーを得て、ようやく真似事ができる。

 私は人だ。

 

 

 空気の塊が、横合いから接近してくる。

 私は、あえてそれを受けた。

 

 流されていく翼。

 空気の質感を、思い知る。

 思わず笑みがこぼれた。

 

 失敗する事を分かっていた、いたずらのようなものだ。

 

 翼の、姿勢制御。

 

 片腕の固定を解除して、クロエさんに向かって、手を振った。

 

 ……少し怒っている気がする。

 

 腕を戻し。

 身体の固定をもう一度確かめて。

 くるん、と。

 背面飛行に移行した。

 高度を下げていく。

 

 大地。

 一面の大地。

 

 ああ、大地から見上げる空が雄大なように。

 空から見つめる大地も。

 

 鳥は、大地に憧れることがあるのだろうか。

 ふと、そんなことを思った。

 

 

 推力は極力使わず、風から風へと、渡っていく。

 センサーがなければできないこと。

 

 鳥のように。

 大きく空を回る。

 センサーを通して、鳥のあの飛び方の意味を本当に理解する。

 

 上昇気流をつかみ、舞い上がる。

 ふわりと、身体が浮く感覚に心が躍る。

 

 自分が、重力に囚われた存在であることを実感すると同時に、そこから解放される瞬間を心地よいと感じることを知った。

 

 

 

 空の旅。

 空の夢。

 

 翼が飛ぶ。

 翼が舞う。

 私をのせて。

 夢が飛び、夢が舞う。

 

 速度は必要ない。

 風に流されるもよし。

 風を超えていくのもよし。

 ただただ、自由さえあればいい。

 

 もちろんそれは、不自由な自由に過ぎないけれど。

 

 私は、空を遊んでいる。

 ただただ、空に遊んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地上に降りたっても、しばらくは、空の蒼さが目から抜けなかった。

 

 重力を煩わしいと感じつつ、懐かしいと思う。

 

 ……ああ。

 かつての、事故で片足を失ったテストパイロットの言葉が蘇った。

 

『俺は身体が動く限り、また空を飛ぶよ。こいつは、理屈じゃないんだ』

 

 私も、また飛ぶだろう。

 だが、私はパイロットではない。

 

 今日とは別の。

 違う夢をのせて空を飛ぶだろう。

 

 たしかに、こいつは理屈じゃない。

 私個人の、業というべきものだろう。

 

 

 

 

 

 私視点の映像と、クロエさん(空中)、束さん(地上)の映像をそれぞれ確認していく。

 ああ、私はこんなふうに飛んでいたのか。

 子供だ。

 人の子供のように無邪気な。

 そして、初めて空を飛ぶ鳥の子供のように拙い。

 でも、それがいいじゃないか。

 

 

 ……ん?

 

 なにやら、クロエさんがそわそわしていた。

 

「お父様……私も、良いですか?」

 

 

 

 私のように滑空を楽しむこともなく、クロエさんを乗せた翼は地上から直接空へ飛んだ。

 そのせっかちさを、微笑ましく思う。

 

 私と違い、彼女はISを装備しているから、安全面でのサポートがほぼ必要ないのは何よりだ。

 もちろん、束さんがチェックをしているのは言うまでもない。

 

 飛行機の整備兵に、何度も言われたように、何事にも絶対はない。

 いつだって、まさかはある。

 人が空を飛ぶというのはそういうことだ。

 それでも、だ。

 

 私は、空を見上げた。

 さっきまで私は、あの場所に。

 

 クロエさんが、風と戯れ、鳥のように飛ぶ。

 微笑ましく眺めていたのは、わずかな時間。

 

『お父様、少し遊びますね』

 

 え?

 

 

 ISを部分展開し、クロエさんが翼の上に立った。

 

 進行方向に向かってやや斜め。

 腕組みし、どこかを見つめる。

 彼女の髪が、風になびく。

 

 おお、なかなか映える光景だ。

 映画のワンシーンを思わせる。

 

 あ。

 

「ちょっ、くーちゃんっ?」

 

 束さんが声を上げる。

 

 

 翼を蹴り、クロエさんが宙を舞う。

 何もない場所に向かって、キック。

 そして、翼の上に……ISの力を借りて着地に成功。

 

『失敗しました。もう一度』

 

 いや、クロエさん……何をしてるの。

 

 そういえば、この前何か熱心に読んでいたような。

 チェックしておくべきか。

 いや、それは孫に嫌われるパターンだ。

 

 孫に限らず、人は過干渉を好まない。

 

 

 どうやらコツを掴んだのだろう。

 

 クロエさんと翼が、空でワルツを踊り始める。

 

 離れてはつき、ついてはまた離れる。

 

 空中で、キックを放つ。

 パンチを打つ。

 踊るように、翼に舞い戻る。

 

 うん。

 うん。

 

 ……クロエさん、何を想定して戦っているのかな。(震え声)

 

『お父様!束様!これ、楽しいです!』

 

 うん。

 楽しんでいるのなら、何よりだ。

 そう、楽しむことは大事だけど……。

 

 束さんも、ISを軍事転用されたときはこんな気分を味わったのだろうか。

 私の(ゆめ)を使って、戦争とか争いを連想させる行為は、ちょっと心が……痛い。

 

 なんとなく、頭に手をやってしまう。

 孫娘に、髪の毛をむしられた悪夢を思い出す。

 

 いや、あの時だって、私は笑って流した。

 なんでもない、なんでもない。

 

 孫が楽しそうにしていること以上に、大事なことなんてない。(震え声)

 

 

 

 なぜか最後は、ISの力も借りながらだが、垂直離陸機のように……翼の上に腕組みして仁王立ちしたままゆっくりと地面に降りてきた。

 

 やはり、彼女が読んでいるものをチェックすべきだろうか。

 

 

「次は束様ですね」

「え?いや、束さんは別にいいかな……速度も遅いし、数値とシミュレーションでわかっちゃうし」

「飛びましょう、是非!」

「く、くーちゃんがそこまで言うなら」

 

 クロエさんに押し負けて、束さんが飛んだ。

 

 その姿を見送りつつ。

 

「……もう一台あれば、空中演舞が」

 

 クロエさんが何かつぶやいていたが、聞こえない。

 私は、身体は少年だが、心は老人だ。

 都合よく、耳が遠くなることだってある。

 

 

 

「……上手いですね、束様」

 

 クロエさんがつぶやく。

 

 うん、でも、上手すぎる、かな。

 

 私は、あの場所で。

 目的もなく、ただ選択することを楽しんだ。

 

 束さんは、選択を迷っていない。

 楽しむこともない。

 何か目標を立て、そこに至る最適のルートを選んでいるだけだ。

 

 常に最適のルートを選ぶということ。

 それは、選択ではないだろう。

 

 わかりきっていたことだが、私の空と束さんのソラは違う。

 あの翼は、彼女にとって移動手段以上の意味がないのだろう。

 作っているときは、わりと楽しそうにしていたが。

 

 新しく何かを生み出すこと。

 未知の何かを解明すること。

 どちらかというと、そういうフィールドに彼女のソラがあるのだろうと感じた。

 

 

 孫に登山を強要した知人を思い出す。

 知人にとって登山は最高のものだったのだろうが、知人の孫にとってはそうと限らない。

 自分が最高と思うものを孫に教える。

 よく言えば不器用な愛情とも言えるが、私はそれを反面教師にさせてもらった。

 

 

 彼女のソラは、強制されたものであってはならない。

 私は、そう、心に刻んだ。

 

 

 

 

 

 

「どうでしたか、束様!」

「え、あ、うん、面白いね」

 

 クロエさんと、私を見て、束さんが答える。

 気を使ったのだろう。

 

 うん、クロエさんにも諭しておくべきだろう。

 

 失敗作という、自己を卑下する考えから脱しつつある彼女は、逆に『自分がみんなと同じ』という考えに染まりつつあるように思う。

 悪いことではない。

 しかし、良いことばかりでもない。

 

 孫が、またひとつ大人になるのだ。

 嬉しいような、寂しいような。

 そんな思いを抱えながら、クロエさんに語りかける。

 

 ひとりの人間が、異なる夜を数えながら生きていくこと。

 異なる夜を数えるたびに、人は、別の朝を迎えていくこと。

 人は、それぞれが違う空を見上げるようになる。

 

 それは、悲しいことではない、と。

 

 複葉機に憧れ、空を目指した私がいる。

 あの時、あの場所で。

 もし、複葉機に出会うことがなかったら。

 

 きっと、私はこの場所にいなかった。

 

 ひとりの人間には、無限の可能性がある。

 生きるということは、無限の可能性を切り捨てながら、ひとつの道を歩んでいくようなもの。

 上り坂は苦しいか。

 下り坂は恐ろしいか。

 しかし、人生を、人を変えていくのは、分かれ道。

 

 選択が、人を変える。

 選択が、人生という道筋を変えていく。

 

 

 クロエさんの喜びを、悲しみを、私や束さんは分かち合うことはできるかもしれない。

 それでも、分かち合えないものもある。

 別の人間だから。

 異なる夜を数えて生きてきたから。

 違う空を見上げているから。

 

 触れ合うことはできる。

 重なり合うこともできなくはない。

 ただ、完全に一致することは……奇跡なようなものと思いなさい。

 

 

 淡々と、私は語る。

 粛々と、クロエさんが耳を傾ける。

 

 今はわからなくてもいい。

 ただ、なにかの拍子で思い出すことがあれば、それでよい。

 

 老人らしい繰り言か。

 言葉を足してしまう。

 

 私が空を見つけたように。

 クロエさんにも、ソラを見つけて欲しい。

 それを大事にしなさい。

 

 でも、忘れてはいけないことがある。

 他人のソラを、否定してはいけない。

 他人のソラを、汚してはいけない。

 

 分かり合えないことと、相容れないこととは別だからね。

 話し合い、分かりあった上での握手は、所詮約束された未来でしかない。

 

 話し合い、分かり合えないと知った上で……握手ができる。

 強制はしない。

 でも、私はクロエさんにそんな道を歩んで欲しいと願っているよ。

 

 

 

 

 

 ただし、相容れない相手には容赦しないようにね。

 

 

 ……私の複葉機を壊してくれた、あの連中は絶対許さん。

 

「ふ、ふーちゃん、ふーちゃん、笑顔が怖いよ。というか、撃墜された複葉機より自分の身体の方を心配してほしいな」

 

 束さんにたしなめられた。

 いかんな。

 つい。

 

「……」

 

 束さんが、私を見ていた。

 どこかすがるような目で。

 

 ああ、クロエさんへの話で少し誤解があったかな。

 

 大丈夫ですよ、束さん。

 私は満足したわけではありませんから。

 

 道は続いていますし、束さんとの約束は忘れません。

 

「そっか……そーだよね!ふーちゃん、空バカだもんねっ!」

 

 束さんが、笑う。

 この笑顔を、壊してはならない。

 あんな、悲しい泣き方を二度と孫にはさせられない。

 

 

 目を閉じる。

 かつて、ともに空を目指した仲間たちの姿が浮かぶ。

 同じ飛行機を作りながらも、我々の空は、別の空だったと今ならわかる。

 そして、それで良いのだと思える。

 

 あの時、我々の空は確実に触れ合い、重なったのだから。

 

 私は、束さんの希望になろう。

 しかし、唯一であってはならない。

 

 孫の遊び相手は、多い方が良い。

 

 今日の、この映像を……拡散しようと思う。

 

 かつて私が、複葉機のそれに魅入られたように。

 

 いろんなソラで、仲間を募ろう。

 

 束さんの、遊び仲間を。

 

 




何年か前、どこかの会社がリアルメー〇ェを制作したというニュースを読んだ。
すごいとは思ったが、個人的にはメー〇ェじゃないとも感じた。(頑固)

そして、こ、この作品の、圧倒的ジ〇リ感よ……。(震え声)

それにしても、感想に書き込みのあったジ〇ットマンだか、ジ〇ットウイングの映像は、痺れるものがあります。
最初は魂の拒否感があったんですが、こう、時間を置いてじわじわと。


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9:ひろがるソラ。

ちょっと悩みましたが、こっちのルートで。


 空の夢、空の旅。

 

 そんなタイトルをつけて、私は動画を投下した。

 顔を隠しただけのノーカット版と、短い時間で楽しめるダイジェスト版の2つ。

 

 投下後、ワクワクしながら30分ほども見守ったが、視聴数が全く伸びない。

 

「お父様。投下してすぐに反応が出るようなものではないかと」

 

 クロエさんにたしなめられた。

 うん、まあ、案外、知る人ぞ……のほうがいいのかもしれないな、と。

 私は、研究に戻った。

 

 今私が取り組んでいるのは、ISの基本システムとも言えるPICだ。

 これでISは浮遊したり、加減速を行うとされている。

 

 浮遊。

 大事なことだからもう一度、浮遊。

 

 まあ、すぐにわかったが、そんなに便利なものではない。(空を飛ぶことしか考えていない)

 もちろん、前世のそれを思うと、まさに隔絶の感があるのだが。

 ざっくり言うと、エネルギーを使用して重力場を作り、地球の重力との足し算引き算に持ち込むわけだ。

 宇宙空間ならともかく、地上におけるISの連続稼働時間の短さは、これが原因の一つとなっている。

 

 これをどうにかして、地球の重力そのものに干渉できたらいいのだが。

 

 と、いうか……このあたりの技術、絶対に束さんが出し惜しみしてるんだろうな。

 だって、量子格納ができるんだもの。

 束さん、日常生活でさらりとIS武器以外のものもやってるしな。

 調べるほどに、束さんの『気になるでしょー?気になるよねー?』って声が聞こえてくる気がする。

 

 あれだ。

 このISは本当に、パズル、いやリドル(なぞかけ)だな。

 出題者が、束さんの。

 

 まあ、私の手は束さんほど長くないし、歩幅も大きくはない。

 自分を束さんと比較しようとは思わない。

 普通の研究者であれば、1万を超えるトライに、1のリターンがあれば優秀と言えるだろう。

 地道な日常の繰り返し……それが研究であり、研究者の日常ともいえよう。

 

 もちろん、若い頃は無茶もした。

 延々と繰り返される地道な作業、上がらない成果。

 それが逆に気分をハイにさせて……睡眠と食事をおろそかにし、意識が朦朧としはじめても研究を続けた。

 

 そうなると、『何をやった?何をやったんだ、言え!?』って、先輩や上司に問い詰められて目を覚ますんだよなあ。

 

 それはこっちが聞きたいというか、結果的にうまくいった事の方が多いんだから、あれはあれで悪くなかったはずだ。

 

 ただ、戦争ってやつは、人の心の余裕を奪う。

 研究者に好き勝手やらせるほど、国という存在は寛容でもない。

 父母や結婚したばかりの妻が人質と明言されると、そうそう無茶もできなくなった。

 

 あの状況で(銃を向けられても)微笑みを絶やさず『あなた、睡眠と食事はとってください』と言ってくれた妻には感謝するしかない。

 

 人の命は尊い。

 空に焦がれても、そこをおろそかにするつもりはない。

 戦中を生きた、自分に対する戒めでもある。

 

 自由というのは、宝石のように貴重だ。

 

 まあ、戦後は戦後で、小さい子供達に身重の妻を思えば、万が一にも、私は倒れるわけにはいかなかった。

 そして、歳をとり、孫が生まれ……無茶をしたくてもできなくなった老人が誕生したというわけだ。

 

 もちろん、家族を足かせなどと思うつもりはない。

 いや、もしかすると……心の底ではそう思っていたのかもな。

 

 死の間際に、空を願ったエゴイストだ、私は。

 

 

 

 うん?

 自由……だな、今は。

 

 

 うむ、やや行き詰まってる気配もあるし、当たり前のことをやっていては、当たり前のリターンしか得られないのは道理だろう。

 束さんも、ちょっと用事で出かけるって言ってたし……うん。

 

 4日間寝ずに研究したあと、1日寝れば……バランスは取れている、はず。

 休息を取らないわけじゃなく、ちょっとスケジュールを組み替えるだけの話だ。

 

 心は老人だが、身体は少年だ。

 若いうちにしかできないことは、若いうちにやるべきだろう。

 

 私は、クロエさんに一言告げて、研究に取り掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

「何をやったの!?ふーちゃん、何をどうやったの、これ!」

 

 束さんにガクガクされて、意識を取り戻した。

 ……懐かしい感覚だ。

 

 頭を振り、束さんの言う『何か』に目をやる。

 

 

 

 え?

 

 何をしたんだろうなあ、私。(昔を懐かしむ目)

 

 

「というか、くーちゃん!くーちゃんは何してたの!」

 

 と、今度は束さんがクロエさんをガクガクし始めた。

 

 まるで初めて会った時の束さんを思わせる、クロエさんの目元のクマに、私は顔をしかめた。

 3~4日は、まともに睡眠を取っていない顔だ、と思ったからだ。

 彼女の目がうっすらと開き、私を見てVサインを送ってきた。

 

「……お父様の動画が、大反響です……やりとげました」

 

 なぜだろう。

 猛烈に嫌な予感がした。

 

「ほんと、何気なくバイタルの数値をチェックしたら、ふたり揃って昏睡状態に片足を突っ込んでて、束さん驚いちゃったよ、もー!」

 

 

 ……聞き捨てならない言葉が聞こえた気もするが、今は休もう。

 だから、クロエさんも……休みなさい。

 

 

 

 

 

 

 シャワーを浴び、食事をとり、ひと眠りし、また食事をとり、クロエさんがいれたお茶を飲む。

 私も、クロエさんも、ひと心地ついた、というのだろうか。

 そして、私とクロエさんが休んでいる間、おそらくは不眠不休で『何か』を分析していた束さんを見る。

 

「この発想はなかった!束さん、ついうっかりだよ!ふーちゃん、最高っ!」

 

 目元のクマを活性化させつつ、束さんがハイテンションで騒いでいた。

 

 うん、一区切りついたようだし、次は束さんを寝かせよう。

 

 私は、クロエさんと目と目で通じ合った。

 

 

 

 

 

 

 

 私の動画が、コメントで溢れていた。

 それも、いろんな言語によるコメントだ。

 

 この世界でも、『空』は人の憧れとなり得るのだな、と口元が緩む。

 

 もちろん、否定的なコメントもある。

 だが、無視ではない。

 否定的なコメントもまた、この動画に対する反応なのだから。

 

 まあ、空を速度とかスペックで語ってほしくはないがな。

 

 私の翼に対してのコメント。

 空についてのコメント。

 飛ぶことについてのコメント。

 子供に危険なことさせんなというコメント。

 空はサーフィンをする場所じゃないというコメント。

 

 個人的には、『なんでこれで空が飛べるのよぉぉぉ!』というコメントに好感を持った。

 

『おまえ、何をやってるんだ?姉さんのところで何をやってるんだ!?』というコメントからは目をそらした。

 気のせいだ、気のせい。

 だって、ちゃんと顔は隠してるから。

 

 そして、やはりあるのが『遅い』とか『無意味』とか、そういうコメント。

 うん、まあ、みんなに分かってもらおうというのは、むしろ傲慢な思いだろう。

 仕方ない、うん、仕方ない。

 冷静に冷静に。

 

 再び、コメントに目をやる。

 

『自由』という言葉が踊る。

『自分も飛びたい』という言葉が舞う。

 

 動画を見てコメントを書き込むのは一部の人間。

 コメントを書き込む人間の想いも、深かったり、浅かったり、ノリだったりと、様々だろう。

 

 コメントを書き込むことのない、圧倒的多数の中に……空への憧れを胸に抱いたものはいるだろうか?

 静かに、深く、激しく、狂おしく、空を求めるものはいただろうか?

 

 束さんに届く、手の持ち主はいるのか?

 

 

 

 

 どのぐらいの時間、私はコメントに見入っていたのだろう。

 気が付くと、私の肩口から束さんがのぞき込んでいた。

 その後ろには、クロエさんも控えている。

 

「……ねえ、ふーちゃん?」

 

 なんですか。

 

「束さんにはわからなかったけど、ふーちゃんたちは、あれを自由と感じるの?」

 

 言葉を探す。

 言葉は、不自由だ。

 それでも、私は言葉を探す。

 

 伝わる、伝わらないよりも先に、伝えようとする想い。

 

 

 私の、イメージなんですが。

 

 そう切り出して、私は束さんと向かい合った。

 

 平原の真ん中に寝転んでいる少女。

 この少女が、このあとどういう行動を取るかは、無数にあるでしょう。

 起き上がり、北へ向かうか、南に向かうか、東に西に、北東、南西……歩き出す方角だけでも限りない。

 もちろん、寝たままでもいい。

 草原で、お目当ての草を探すのもありでしょう。

 

 彼女は、なんでもできる。

 いや、なんでもはできないし、できることしかできないけれど、次の行動を予測することができない程度には自由な選択肢を持たされています。

 おそらく彼女は、自分の興味のままに、行動を始める。

 

 言葉を切る。

 私は束さんを見つめ、彼女もまた私を見つめる。

 

 

 少年がひとり、谷間にかかったつり橋の上で寝ています。

 起き上がった彼が、歩き出す方角は2種類しかない。

 立ち止まることはできても、寄り道は存在しない。

 

 それでも少年は、自分の自由に感謝するんです。

 

 俺には、選択肢が与えられていたと。

 

 

 選択できる自由……とまでは、言いすぎかもしれませんが。

 

「……そっか、そうなんだ」

 

 束さんが振り返る。

 クロエさんと向き合う。

 

「ねえ、くーちゃん。くーちゃんは束さんに、ふーちゃんの翼で空を飛ぶように勧めたよね?あれってさぁ、束さんが断ったらどうしたかなぁ?」

「束様が、ハイかイエスで答えるまで、何度も誘ったと思います」

 

 クロエさんが、ちらりと私を見た。

 

「いえ、無理強いするつもりはありませんが……まあ、手を変え品を変え、空に誘ったと思います。そして私と束様で空中演舞という名の……」

 

 クロエさんは、何にハマってるの、ほんとに……。

 

 

 再び、束さんが私を見た。

 自然と、私の背筋が伸びる……そんな顔だ。

 

「ふーちゃん……今までどれぐらい失敗したか覚えてる?」

 

 覚えきれない程度には。

 

 束さんの目が、私を見つめる。

 そして、囁くように。

 

「それは、『この世界』だけの話なの?」

 

 ああ、さすがに気づくか。

 付き合いも長くなったし、無理もない。

 まあ、束さん相手なら問題も無いことだ。

 

 私は、笑って答えた。

 

 ずっとですよ。

 ずっと、失敗ばかり続けてきました。

 

 

 

 

「……わかった」

 

 ぽつりと、束さん。

 そして、笑う。

 

「束さんはわかったよ!ISだけじゃ、足りなかったんだね!世界という、閉じられたドアを、ゴンゴン連打しなきゃいけなかったんだね!」

 

 束さんが笑う。

 にやりと。

 どこか偽悪的に。

 

「束さん、世界に対してちょぉーっと、お行儀が良すぎたかな?」

 

 ……虚勢だな。

 しかしそれは、彼女の勇気でもある。

 

 前世で知人も言っていた。

 一度振られた女性をもう一度誘うのには、10倍の勇気と面の皮の厚さが必要だと。

 

 

「はっはっはっ、そうと決まれば、束さんはやるよ!今度は最初から学会なんて相手にしないからね!」

 

 クロエさんが、そっと耳打ちしてきた。

 

「よろしいのですか、お父様?」

 

 うん。

 見守る必要はあるが、束さんにとって、決して悪いことにはならない。

 私は、そう思うよ。

 

 

 子供は。

 孫は。

 

 親の、祖父母の、思惑を超えて走り出すと、知っていたはずなのになあ……。

 走るというより、飛んでいきそうじゃないか。

 

 

 

 ところで、クロエさん。

 

「なんですか、お父様?」

 

 クロエさんの肩に手を置く。

 

 この、動画再生数上位ランキングの『空と踊る少女、空中舞姫〇〇ちゃん』についてちょっと聞いていいかな?

 

「自信作です!」

 

 むふーと、胸を張るクロエさんが可愛かったので、聞かないことにした。

 

 ちゃんと身元は隠すようにね。

 

 

 

 

 

 

 

 この数日後から。

『うさぎさんシリーズ』と呼ばれる動画が連続して発表され始める。

 

 

 ある動画は海の底で。

 

『海の底は、不思議な生き物でいっぱいだねぇ』

『不思議というなら、うさぎさんが一番不思議な生き物だと思いますが』

 

 などと、うさぎ耳をつけたお姉さんとメイド少女の掛け合いから始まり。

 

 

 ある動画は、ジャングルの奥地で。

 

『くっ、このISっぽい装備がなければ即死でした(棒)』

『……あ、これ新種の植物だよぉ』

 

 などと探検隊よろしく、ピクニックに勤しんだり。

 

 

 山を、森を、海を、川を、空を……。

 

 謎の3人組が、不思議な科学の力をもって紹介していく。

 もちろん、謎装備についての阿鼻叫喚とも思えるコメントの嵐はお約束だ。

 IS企業関係者の悲鳴が聞こえてくるようだった。

 

 そして、たまに謎の集団との戦闘が始まったりすると、コメントは困惑と興奮に溢れかえり……『映画化はいつですか?』などというコメントが出てくるのは末期症状というべきか。

 

 

 いくつもの場所で。

 いろんなソラで。

 

 うさぎ耳をつけたお姉さんは、世界に向かって語りかけていく。

 

 興味がわいたなら、こっちにおいでよ、と。

 一緒に遊ぼうよ、と。

 

 

 そして、ある時期を境にして『うさぎさんシリーズ』の動画の発表が止まる。

 

 

『ついにネタ切れか?』

『いや、いいかげん捕まるだろあの連中』

『ISだろ、あれ?』

『というか、続きはよ』

『メイドさんプルプルしたい』

 

 心配、励まし、憶測の声がネットに溢れ……消えそうになった頃。

 

 それは、世界に発表された。 

 

 




次、本編のラストです。


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10:泣いたうさぎさん。

時間ですね、始めます。


『はろはろー!みんな大好き、うさぎさんだよぉー!』

 

 いつもどおりの語りかけ。

 おそらく、見ている人は、いつも以上に戸惑っていることだろう。

 

 お前ら、どこにいるんだ、と。

 

『いやー、月を見て跳ねてたうさぎさんは、思い余って月までやってきちゃいました!』

『勢い余って、メイド少女は月まで連れてこられました』

 

 と、クロエさんが続く。

 

 ひろがる宇宙(そら)に、ここから見た地球……また、合成とかCGだと騒ぐコメントが飛び始めてるんだろうな。

 ああいうやりとりが、挨拶というか一種のお約束なのだと私も理解した。

 会話のきっかけ、みたいなもの。

 

 いや、ふたりとも。

 私をじっと見て、何を期待しているんだ?

 

『しょ、少年です……思えば遠くに来てしまいました』

 

 よくわからない言葉を口走ってしまった。

 あとで、編集できないだろうか。

 

 

 そして、私たち3人は宇宙の魅力を紹介した。

 宇宙の怖さを語った。

 憧れの場所、人類のフロンティア。

 そして、危険な場所。

 

 広い宇宙に、ちっぽけな地球。

 

 ノリノリで、束さんが語る。

 飛び出そうぜ、と。

 いつかって、今さ、と。

 

 うん、そろそろか。

 

『いまさらだけど、うさぎさんの正体は、ISを開発した、篠ノ之博士だよ!博士号、持ってないけどさ』

 

『『えっ!?』』

 

 私も、クロエさんも、素で驚いた。

 てっきり、海外の大学か何かで飛び級でもしてるとばかり。

 

 いや、しかし……論文が認められれば、どこかの大学から……。

 認められて、ない、か。

 まあ、束さんの方が受け取り拒否、という可能性もあるか。

 

『そーだ、そーだ、驚いたか!私たちの謎装備、不思議な科学の力は、ISをはじめとした、最先端をぶっちぎった、うさぎさん印の子供たちだよ!』

『科学ってすごいー(棒)』

 

 クロエさんは、本当にノリがいいな。

 動画でも大人気なのはいいが……妙な連中に目をつけられたりしないだろうか。

 

 まあ、何はともあれ。

 既に一部ではバレバレだったかもしれないが、束さんはあらためて自らの正体を明かし……。

 

 静かに、語り始めた。

 

 

 ISは、元々宇宙活動用に開発されたものだということ。

 そのコンセプトを。

 その機能を。

 描いていた、未来への展開を。

 

 実演とばかりに、クロエさんが宇宙を舞う。

 

 そして、最後に……束さんは、頭を下げた。

 

 白騎士事件は、自分の子供っぽいわがままに過ぎなかったと。

 世界に与える影響を、深く考えることもせずに起こしてしまったと。

 ISを、世界を。

 迷走させた責任の一端は、自分にあると。

 

 

 

 私も、クロエさんも、その部分には反対した。

 きっと、世界は彼女に責任を取らせようとするはずだと。

 暗黙の了解と、明言だと、その重みが違う。

 

 そして、迷走と。

 今の世界に、半ば喧嘩を売る発言。

 

 それと同時に、爆弾を。

 

『さてさて、勘のいい人は気づいたかな?そう、少年の装備!今、宇宙にいる、少年の装備は、なんだろうね?』

 

 さて、出番か。

 

 ……束さんも、クロエさんも、スパルタだったなあ。

 

 操縦に関して、なんとか、人並みにはなれたと思う……程度。

 

『全世界の紳士諸君に男の子ぉ!男が乗れる、ISの登場だよぉ!』

 

 空ではなく、宇宙か。

 勝手が違うなあ……。

 

 それにしても、男『が』乗れるISかぁ。

 束さんも、意地の悪い表現をするなあ。

 女には乗れないISなんだよなあ……これ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 青い地球を眺めながら。

 束さんとふたり。

 

 クロエさんは、動画の妨害や削除の動きに対して対抗している。

 なかなか、阿鼻叫喚らしい。

 

「始めちゃった……」

 

 始めちゃいましたね。

 

 これで終わり、ではなく。

 始まり。

 束さんの後始末の始まり。 

 

「ねえ、ふーちゃん。これは……他人のソラを否定する行為じゃないのかな?」

 

 少し迷って。

 私は、それに同意した。

 

 そういう影響は、確かにあるでしょう。

 それでも、世界の選択そのものは、確実に増えると思います。

 

 物事には、必ず良い面と悪い面があります。

 よく、『〇〇の良いところだけを見習って』などと言いますが、あれは表面的な見方でしょうね。

 

 力が強いということは、何かを傷つける可能性が高くなる。

 手加減したつもりが、相手は怪我をしたりする。

 

 束さんは、『ちーちゃん』の強さが、本人に良いことだけをもたらしたと思いますか?

 

「……ちーちゃんはさぁ、ずっと苦労してたよ。たぶん、今も。でも、あの強さがなければ、ちーちゃんも、いっくんも、もっと苦労しただろうね」

 

 束さんの視線は、青い地球へ向けられている。

 この世界でも、地球は青く見える。

 

 

 都合の良い、プラスだけを積み上げる何かは、幻想だと思う。

 良い面と悪い面。

 プラスとマイナス、差し引きでプラスになるかどうか。

 誰かのプラスが、誰かのマイナスになることもある。

 利権争いなどは、その最たるものだろう。

 

 そして、『何』を基準に、差し引きプラスになるかどうか。

 

 束さんは、『世界』を基準にした。

 私も、クロエさんも、それに頷いた。

 

 私たちは、不利益を被る者たちから、悪と呼ばれるだろう。

 そして、利益を得られる者たちが、いろんな顔をして寄ってくるだろう。

 

 まあ、これまでの生活も、決して平和と言えるようなものでもなかったが。

 

 束さんを見る。

 地球を見つめる、彼女を見る。

 

 うん、センサーで全方位見えてるだろっていうのは、野暮だ。

 

 

 優しいという言葉。

 ほぼ、良い意味で使われる。

 

 束さんは、優しい子だ。

 

 人の気持ちを、思うことができる。

 人の反応を、気にかけることができる。

 

 でも、人の気持ちと、反応に、過敏に反応してしまう。

 臆病と、言い直すこともできるか。

 

 最初からその傾向はうかがえた。

 身内に優しい束さん。

 身内に愛情を注ぐ束さん。

 

 世界を変えようとして、失敗したあとの束さんだ。

 ある意味、彼女は世界に背を向けて閉じこもった。

 

 

 人の気持ちに目をつぶる。

 人の反応が気になるから無視する。

 怖いから。

 逃げたいから。

 

 臆病さを、攻撃性へと転じる。

 そんな、束さんの未来もあったのかもしれない。

 

 優しさひとつとっても、いろんな未来へとつながっていく。

 子育てや、孫への教育が、難しいとされる所以だろう。

 

 

 束さんは、今、始めたばかり。

 それでも、褒めて、いたわってあげるべきだろう。

 

 優しくて、臆病な束さんが、振り絞った勇気。

 

 世界へと語りかける勇気。

 自らの失敗を認める勇気。

 

 私は、彼女の思いを、尊いと感じる。

 

 

 私は、ゆっくりと手を伸ばした。

 

 うん、束さんには悪いけど、宇宙(ここ)は無粋な場所だな。

 

 彼女の頭を撫でる。

 彼女の頭部を撫でる。

 前世も含めて、最高に意識を集中しながら撫でている。

 

 IS装備で、女の子の頭を撫でるって……難易度高いなあ。

 

 私も、束さんも、しばらくそうしていた。

 

 

 

 ところで束さん。

 この一連の流れで、『隠し玉』ってどれぐらい使ったんです?

 

「2割ぐらいかなぁ」

 

 ……殺意というか、愉悦心が高すぎじゃないですかねえ。

 

「これから束さんは、常に利用価値のある存在でなきゃいけないからね」

 

 まずは、女尊男卑の根拠を破壊した。

 ISが、女性にしか乗れないという幻想を壊した。

 

 まあ、女性主権団体などは認めない方向に走るんだろうけど……ある程度の数のコアと、少数の現物をばら撒き終わってるからなあ。

 

 厄介なことに、女性主権団体はそれをもたらした束さんの存在を守ろうと動く集団だった……束さん本人の意思とは関係なく。

 今回の件で、それが、敵に回る可能性が高い。

 

 白騎士事件の後がそうだったように。

 政治力学的なバランスが変わる。

 社会が変わる。

 抑圧された男性側の反動も心配だ。

 

 控え目に言っても、大混乱か。

 

 いろいろプランがあったが、比較的穏やかなものを、私たちは選んだつもりだ。

 せめて経済的な混乱は最小限に抑えたい。

 その答えが、男が乗れるISだった。

 急激な産業の興亡は避けられると思いたい。

 

 

 しかし、女ISと男ISが協力すると発動する能力って、世界はいつ気づくだろう。

 言葉として正しいかどうか自信がないが、ワンオフアビリティではなく、ペアオフアビリティー。

 

 独りではなく、協力し合うことによって得られる能力。

 

 今の世界に向けた、束さんの、メッセージだ。

 

 ちなみに、私と束さんのペア、私とクロエさんとのペアでは、発動する能力が違う。

 そういう意味では、ペアでワンオフなのか。

 本当にもう、束さんは……どこまで飛んでいくんだか。

 

 たぶん、聞いてないけど、その奥もあるんだろう。

 彼女は、人を驚かせるのが好きだから。

 

 

 

「ごめんね、ふーちゃん」

 

 何がです?

 

「最初のさぁ、ふーちゃんを保護って、あれ、嘘なんだ……束さん、あの時ついつい衝動的に、ふーちゃんをさらっちゃったんだよ」

 

 おかげで私は、最高の環境で、空を目指すことができました。

 感謝してます。

 

「ふーちゃんはぶれないなあ……」

 

 束さんの苦笑に、私は笑みを返した。

 

 この世界に生まれて。

 箒と知り合い、友と認められ。

 その縁で、束さんと出会えた。

 

 不思議な気分だ。

 まあ、考えても仕方のないことか。

 

 

「ふーちゃんはさぁ、おじいちゃんなの?姿を変えてこの世界にやってきたの?それとも、記憶を持った生まれ変わり?」

 

 自分でもよくわかってないのだが。

 

 私は、前世のことを少し話した。

 そして、空を願いながら死んだこと。

 

「そっか……この宇宙(そら)だけでも手に余りそうなのに、世界はまだまだ広いんだ」 

 

 彼女にねだられ、もう少し詳しい話をした。

 

 人生を語るというのは、少し面はゆい感じがする。

 

「……まあ、ふーちゃんはふーちゃんなんだけどさ」

 

 束さんがうつむき、顔を上げた。

 

「ふーちゃん。この世界に生まれてくれてありがとう」

 

 優しい笑顔を浮かべて。

 束さんが泣いた。

 

 

 箒ちゃんと出会ってくれてありがとう。

 箒ちゃんのことを気にかけてくれてありがとう。

 束さんにその存在を気づかせてくれてありがとう。

 束さんを認めてくれてありがとう。

 ……。

 ……。

 

 多くのありがとうが、重ねられていく。

 

 何でもないようなことが、彼女にとっての救いだったことに気づかされる。

 何でもないようなことが、彼女にとって必要だったことを知る。

 彼女に、限界が近づいていたことを思い知る。

 

 もちろん、私も束さんには感謝している。

 でも、それとは別に。

 

 この世界で、あのタイミングで。

 私が彼女に出会えたこと。

 

 私のありがとうは、誰に向けて投げるべきなのか。

 

 

 私は、祈るような気持ちで……青い地球に向かって頭を下げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠い、遠い、空の下。

 

 老女が、首を傾けるようにして空に浮かぶ月を眺めた。

 いや、年老いた彼女の目には、『おそらく』そうなのだろうという程度にしか認識できないのだが。

 

 彼女は、穏やかに、ベッドの上で死を待っている。

 

 

 

 

 父の上司から、勧められたというよりねじ込まれた見合い話。

 

『ほうっておくと、どこに飛んでいくかわからない危なっかしい男だ。あなたにはぜひ、あの男の港というか、船の錨になってもらいたい』

 

 見込まれたことはともかく、身の危険を感じて、父とともに相手の噂を集めて。

 

『天才』『鬼才』『奇才』『異才』『馬鹿』……などなど、出るわ出るわ。

 ぎゅっとまとめて、『普通じゃない』と納得するしかありませんでしたよ。

 

 ゆっくりと。

 ひと呼吸ひと呼吸、覚悟を決めて。

 

 いざ目の前に現れたのは、普通の方でした。

 普通、というと語弊があるかしら。

 好青年。

 紳士。

 見合い相手の私を気遣うことのできる、善き人でした。

 

 ……空のことを語りだすまでは。

 

 

 結婚はしたものの、ほとんど家に帰ってこない。

 それが、夫の気質によるものか、職場のせいなのか、わからなくて。

 それでも、たまの帰宅には、私を気遣うようにお土産を渡してくれる、優しい夫。

 

 ある日、銃を突きつけられて夫と対面させられて。

 

『余計な研究などするな!命令に背けば、細君や両親を殺すからな!』

 

 ああ、船の錨とは、そういう……。

 すとん、と胸に落ちる物があり。

 私は、背筋をしゃんと伸ばして、笑うことができました。

 

 あなた、睡眠と食事はとってくださいね。

 

 あの時のあなたの顔……。

 初めて、あなたの妻になれたと思いました。

 妻は、夫を守るものでしょう?

 あなたが、私を守ってくれたように。

 

 

 戦争が終わり、空を見上げるあなたを見るのが怖かった。

 空を奪われたあなたを見るのが辛かった。

 私は、あなたを地面に縛り付けるように、次々と4人の子供を産んで。

 

 良き夫、良き父親。

 よく、羨ましがられました。

 

 でも、あなたから、『天才』『鬼才』『奇才』『異才』『馬鹿』といった評価は消えてしまいました。

 残されたのは、『とても優秀な』というもの。

 

 時折、ふっと、空を見上げるあなたに。

 

 私は、良き妻でありますか……と、聞けずにいました。

 

 

 孫が生まれて。

 甘くとも、甘過ぎはしない、いいおじーちゃんになっても。

 あなたは時々、ふっと空を見上げる。

 

 息子や娘、孫たちのように、『何を見てるの?』と聞けない私でした。

 

 6人目の孫が死んだときは、私も、娘夫婦も、しっかりとその手で支えてくださいました。

 空を見上げることはあっても。

 あなたの足は、しっかりと大地に根付いていました。

 

 長い夫婦生活、あなたに諭されたことも、叱られたこともあります。

 でも、怒られたことはありませんでした。

 

 ごめんなさいね。

 あの時。

 私、あなたに怒ってもらいたかったのよ。

 もちろん、75歳になろうかというあなたの体のことも心配だったのだけれど。

『残り少ない人生、好きにさせろ』と怒ってくれたら……。

 なのにあなたは、『そうか、家族に心配させるわけにいかないな』と。

 

 変なことを考えず、飛ばせてあげれば良かった。

 

 なんとなくだけど、落下して水しぶきを上げるあなたを見ることになったんじゃないかと思うの。

 そしてあなたは、頭をつるりと撫でながら、『失敗した』と、笑ってみせるの。

 

 それでよかったじゃない……きっと。

 

 

 生まれ変わってもう一度……は、考えないわ。

 あなたの相手は、一度で十分。

 私は、十分すぎるほど、恵まれた。

 

 それよりも、せめて……。

 

 神様、仏様。

 あの人に、空を飛ばせてあげてください。

 自由に、飛ばせてあげてください。

 私の命も、魂も、全てあげます。

 私は、あの人にたくさんもらうばっかりで。

 

 私は、あの人の空を、奪ってしまったから。

 

 見合いの場で、臆面もなく空を語るあの人に。

 惹かれた私からの、お願いです。

 

 どうか、あの人に。

 私が奪った空を、返させて、ください……。

 

 

 遠い、遠い、遥か遠い空の下。

 

 先立たれた夫と同じ歳になった夜。

 老女は、空に祈りを捧げながら目を閉じた。

 

 彼女が、その祈りの行方を知ることはない。

 

 

 しかし、その優しい祈りは、彼女の愛する夫の願いと重なり、叶ったのだ。

 

 そして、遠い、遠い、遥か遠い宇宙(そら)の下で。

 

 彼女の優しい祈りは、巡り巡って、愛する夫とは別の誰かを救ったのかもしれない。

 

 そう。

 たとえば、優しい、寂しがり屋のうさぎさん、とか。

 

 




みなさまが、優しい気持ちになれたのなら幸いです。

束さんとおじーちゃん、そして愉快な仲間たちの閉じた世界エンドも考えなくはなかったんですが、やはり、束さんには前を向いて、多くの人とつながってもらう未来を描いて欲しいな、と思いました。

『泣いたうさぎさん。』、これにて閉幕です。(原作行方不明)
この世界線だと、IS学園は、共学になっていくんだろうなぁ。(白目)

高任先生の、次回作にご期待下さい。(この一言、最近癖になってきた)

明日は、恒例のおまけ話です。
タイトルは、『泣いたブリュンヒルデ』。(愉悦)



クロエ:「これが……正妻の破壊力、ですか。お母様とお呼びしても?」
正妻?:「あらあら、もうしわくちゃのおばーちゃんですよ、私は」(優しい微笑み)

お似合いの(賢者の贈り物的な)夫婦だったのではと思われる。


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応援感謝企画:泣いたブリュンヒルデ。

アクセス数の多い話数を確認……なるほど。

皆さんに楽しんでいただけたらと。(にこ)


「千冬ねぇは、あれで私生活はだらしないんだよ……料理はダメだし、部屋は俺が掃除しなきゃ、すぐに魔窟になっちまうし……」

 

 一夏くんの愚痴を、黙って聞き続ける。

 

 束さんから聞いた話と、世界に出回っている情報の上澄み程度の知識が私にもある。

 姉弟2人きりの生活。

 中学生の千冬さんに、物心ついたばかりの一夏くん。

 

 守られ続けた一夏くん。

 男としての複雑な気持ちは、私にも理解できる。

 

 うん、でも……そろそろ、一夏くんも、視野を広げる時期か。

 

 年長者として、姉として……千冬さんは、強くあらねばならなかった。

 一夏くんがそうであったように、千冬さんもまた、強いストレスを感じ続けていたに違いないのだから。

 

 

 私は、口を開いた。

 

 なあ、一夏くん。

 もし、千冬さんが私生活でもしっかりしていたら、君はどう思う?

 いや、どう思ったかな?

 

「え、そりゃ……助かる、よ?」

 

 どこか戸惑ったように、一夏くんが答える。

 

「せめて、ゴミだけでもきちんと捨ててくれればそれだけでも……いや、分別せずに捨てて、余計に手間がかかる未来しか見えない……」

 

 そんな一夏くんの様子を微笑ましく思いながら。

 

 ……うん。

 一夏くんが、千冬さんを尊敬しているのは承知で言うよ。

 

 君は、生活にだらしない千冬さんのサポートをすることで、どこか救われていなかったかな?

 自分だって、役に立てるんだって。

 千冬さんのためにできることがあるって。

 

「……っ」

 

 思い出してごらん?

 君は、5歳や6歳の頃から、きちんと家事ができたのかな?

 それ以前はどうかな?

 それ以前は、千冬さんが家事をしていたとは、思わないかい?

 

「それっ……は、周りの人が……助けて、くれたり……」

 

 一夏くん。

 千冬さんは、ブリュンヒルデであり、世界最強とも呼ばれる存在だ。

 まあ、私から見れば、可愛らしいお嬢さんなんだけどね。

 

 ここでいう世界最強って意味は、『人』との戦いに長けていることを意味するね。

 人との戦いで重要なこと。

 

 相手の思考を、相手の狙いを、相手の気持ちを読むことだ。

 

 そんな彼女が、まだまだ子供だった一夏くんの気持ちが、見抜けなかったと、本当に思うかい?

 

「……」

 

 千冬さんはね、心優しくて素敵な女性だと思うよ。

 君のことを思いながら、君とともに生きてきた。

 姉として、年長者として。

 

 一夏くんも、もう子供とは言えない年齢だ。

 今なら……いや、そろそろ気づくべきだ、千冬さんの優しさに。

 人は、目的があるから頑張ろうと思う。

 人は、誰かに頼りにされるから胸を張って生きていける。

 

 千冬さんの目に見えるだらしなさは、君のためになされたものだ。

 

「カップめんの容器をテーブルの上に置きっぱなしにしたり、洗濯物は脱ぎっぱなしで散らかしてるのは……」

 

 ちいさく頷き、言葉を返す。

 

 仕事関係のスーツだけは、まともだったりするんじゃないかな?

 

 思い当たるフシがあったのだろう。

 一夏くんの、目が泳いだ。

 

「いや、でも……まともなら……あんな環境で……平気な顔なんか……」

 

 千冬さんはきちんと仕事をしている。

 ブリュンヒルデとして、マスコミへの対応もそつなくこなしている。

 

 なあ、一夏くん。

 千冬さんは、君が思うよりずっと……大人なんだよ。

 そして、君のことを、大切に思っているんだよ。

 

 だから、それができる。

 

「あの……ずぼらや、魔窟も、全部……俺の、ために……」

 

 うなずき、言葉を続けた。

 

 汚れた部屋や、下着姿で部屋を歩き回る、酒に酔って寝転がる……。

 人として、うら若き女性として、抵抗もあっただろう。

 それでも、彼女の目には一夏くんが映っていた。

 自分の羞恥や、人としての尊厳よりも。

 なによりも。

 大事な家族である、一夏くんの事を思っていたからこそ、それができたんだよ。

 

 もう一度、いや私は、何度でも言える。

 千冬さんは、優しくて、家族思いの素敵な女性だってね。

 

 一夏くんが、手で顔を覆ってうつむいた。

 

「ち、千冬ねぇ……お、俺……何も知らずに、さんざん愚痴って……」

 

 優しい気持ちで、しばし彼を見守る。

 深い、愛情で結ばれた姉弟。

 すれ違うようなことがあってはならない。

 

 彼の肩の震えが収まり始めた頃、私は声をかけた。

 

 いいんだよ、一夏くん。

 今までどおりでもいいんだ。

 わかっていて、それでも飲み込む。

 

 それもまた、家族の愛情の形なんだから。

 

 君はそれを知ったことで、今まででよりも、もっと優しい気持ちで、千冬さんに向き合えるはずだ。

 

「ああ」

 

 顔を上げた一夏くんの顔は、少し大人になっていた。

 

 

 人とつきあうということは、誤解とのつきあいでもある。

 それは家族でも例外はない。

 それでも、できる限り理解しあえる優しい関係であってほしいと私は願う。

 

 私は、その手助けが出来ただろうか。

 

 

 

 

 

 別の場所。

 

 

「ねえねえ、今どんな気持ち?どんな気持ちかな、ちーちゃん?」

「や、やめろ……やめて……」

 

 両手で顔を隠し、床の上で小さく丸まる千冬の周りを、束が跳ね回る。

 

「ねえ、ちーちゃん。『わかっていて、それでも飲み込む』のが、家族の愛情の形だよ!これから、ちゃんと同じ生活を続けるんだよね!」

「や、やめてくれ……束っ……」

「束さんさぁ、ふーちゃんを洗脳するような悪人だからねぇ……」

「あ、謝る!謝るから、もう……」

 

 プルプルと震える千冬の姿を記録しながら、束は心ゆくまで反復横跳びを続けたそうな。

 

 

 

 

 

 

 

「千冬ねぇ、何してんだ?」

「え、あ、いや……いつも一夏(おまえ)に任せるのも悪いと思って……その、自分でも掃除を……」

 

 一夏は、優しい目で千冬を見つめた。

 千冬の作業は、掃除とは呼べない。

 むしろ、散らかしていると言えるもの。

 

 ああ、あいつの言ったとおりだな、と一夏は思う。

 考えてみれば、あの短期間で部屋を魔窟にできるなんて尋常じゃない。

 この光景も、前ならきっと、苛立ちを隠さずに『余計なことするな』などと口にしていただろう。

 今まで姉の演技に気づかず、生活破綻者と思い込んでいた自分を一夏は悔やんだ。

 

 そんな気持ちを優しさでくるみ込んで、一夏は笑顔を浮かべた。

 

「いいよ、千冬ねぇ。千冬ねぇは外で働いているんだから、家の中は俺に任せてくれよ。家族なんだ、遠慮しないでくれよ」

「い、いや……あ、あぁ……頼む。どうも、私は……こういうのが苦手でな、その、すまん」

 

 不器用な優しさを見せる姉の背中。

 一夏は、これまでにない優しい気持ちで見送った。

 

 

 

 

 

 部屋を追い出されて、千冬は両手で顔を覆った。

 

「……以前の、ちょっと蔑む感じの方が、100万倍はマシだった……」

 

 

 一夏が文句を言い、自分が軽く手を出して黙らせる。

 あのやりとりの中に、幸せがあったのだと気づいてしまった。

 

 もう、あの頃には戻れないのだ。

 

 膝から崩れ落ちたところに、何故か用意してあったお酒。

 飲まずにはいられない。

 酒は、こういう時こそ飲むべきだ。

 

 

 

 その後、悪酔いして、床でじたばたしているところを一夏に見つかってしまう。

 全てわかっているよという弟の視線を受けて、世界最強は一気に酔いが覚めた。

 なのに、酔っ払った演技を続けざるを得ない状況に絶望する。

 

 

 その夜、きれいに掃除された自分の部屋で、世界最強は枕を涙で濡らした。

 

 彼女の名は、織斑千冬。

 世界の多くの女性から憧憬を向けられる、ブリュンヒルデである。

 




 束 :「束さんとちーちゃんは友達だよね!」
千 冬:「ああ、もちろんだとも!」(がっちりと握手)

 束 :「ところでさあ……束さん、新しい生贄、じゃなくて友達が欲しいんだぁ」(軍師の目)
千 冬:「ほう、それはいいことだと私も思うぞ」(新たな獲物を探す野獣の眼)

クロエ:「……世界から戦争がなくならない理由を知りました」

心が殺伐とするから、絶対に続かない。

明日は、おまけというか、小ネタ集。


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ソラからこぼれた話。(本編と矛盾する部分あり)

没ネタと、思いつきを再構成。
なので、本編とも、原作とも矛盾する部分があるのは目をつぶってください。

優しくない世界のネタも含みます。


 こぼれ話1:業の深い人種。

 

 

 お父様が苦しんでいる。

 研究が、うまくいってないのだろう。

 

 今だけは。

 せめて、良い夢を。

 私は、そう、願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……束さんが言うのもなんだけど、研究者って業が深い生き物なんだぁ」

 

 落ち込んだ私を、束様が慰めてくださった。

 

 うまくいったと思ったのに。

 お父様の喜ぶ顔を見られると思ったのに。

 

『ん?こんなにうまくいくはずがない……これは、幻覚の類か?』

 

 あっさり破られた。

 

「なんていうかさぁ……ふーちゃんって、地獄をのたうち回るのを楽しむ人種なんだよ、くーちゃん」

 

 束様も、そうなのですか?

 

「あ、束さん天才だから。そういうのはないね、うん。でもまあ、ふーちゃんのことだし?束さんにはわかっちゃうんだぁ」

 

 束様のドヤ顔に、少しイラッとしてしまいました。

 なので今夜は、いい夢を見せてあげようと思います。

 

 ええ、束様は妹である箒様が大好きでいらっしゃいますから……素敵な夢が見られることでしょう。

 

 

 

 次の日の朝、きれいに漂白された束さんが発見されたそうな。

 

 

 

 こぼれ話2:静かな怒り。

 

 

 研究の合間の気分転換。

 私の原点。

 

 複葉機に乗って、空へ……。

 

 攻撃された。

 撃墜された。

 

 束さんに対する襲撃。

 私が、迂闊だったことは認めよう。

 だが、しかし。

 

 武装もない、ただの複葉機を……攻撃、したか。

 無防備な翼を、空を、穢したな。

 

 

 

 

 クロエさん、この襲撃に関わったのは、どこのどちら様ですか?

 

「……大もとをたどれば、亡国機業(ファントムタスク)かと」

 

 ほう。

 

 

 

 

 

 束さん、ちょっといいかな。

 

「なになに、ふーちゃん。どーしたの?」

 

 この、企業に属する人間に向けて、メールを送ることってできるかな?

 

「えっと……何する気?ふーちゃん」

 

 嫌がらせです。

 

 

 

 上司の無茶ぶりに悩まされていませんか?

 同僚との人間関係に悩まされていませんか?

 すべての苦労を自分ひとり背負っているように感じたことはありませんか?

 割に合わないな、と感じたことはありませんか?

 あなたの上司や同僚が、たまにだけ優しい言葉をかけてくるような職場ではありませんか。

 

 目を閉じて、あなたの大事な人を思い浮かべてください。

 親、兄弟姉妹、子供、友人。

 あなたがしていることを、胸を張って報告できますか?

 

 あなたの苦労は、挺身は、本当に給与に反映されていますか?

 

 ……。

 ……。

 ……。

 

 

 

 

 

 

「ふーちゃん、これって何か意味あるの?いや、送れって言うなら送るけど」

 

 まあ、やってみないとわかりません……が。

 

 そのメールをですね。

 この、企業から送られたように偽装してください。

 できますか?

 

「できる、けど……」

 

 同じ亡国機業のグループなのに、仲の悪い企業があるんですね。

 なので、ここの連中には、ここからメールを。

 そしてここには、ここから。

 

「うわぁ……さすがの束さんも、ドン引きだよ」

 

 どんな集団にも、それを支える……貧乏くじをひかされるキーマンがいます。

 そのキーマンを狙い撃ちにできればいいんですけどね。(にっこり)

 

「まあ……確かに、あいつらうっとおしいし、やっちゃおうか」

 

 やっちゃいましょう。

 

 

 組織というものは、無駄を嫌う。

 余裕があるように見えても、案外、髪の毛の一本、水滴一粒で崩壊するバランスの上で成り立っていたりするものだ。

 現場の人間のがんばりで支えられていることも少なくない。

 

 なに、ほんのひとしずく。

 その心に迷いが生まれれば、働きは鈍る。

 

 バランス、崩れないといいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……勘違いするなよ。

 これは、始まり、だからね。

 

 絶対に許さん!

 

 

 

 こぼれ話3:箒の剣。

 

 

 相手より速く。

 相手より力強く。

 相手より鋭く。

 

 それは、絶対強者が目指す剣。

 

 ふっと、箒の口元から力みが消える。

 

 強さは欲しい。

 でも、自分より強い相手に負け、弱い相手に勝つような。

 

 そんな強さはいらない。

 

 

 中学3年。

 初めて、大会への出場が認められた。

 

 相手の強さを認める強さ。

 折れない強さ。

 守れる強さ。

 

 今の私には、この対戦相手を正面から押しつぶす強さがない。

 

 相手の目を見つめ。

 気合を入れる。

 

 ふっと。

 間合いを取るように。

 気を引いた。

 

 釣られた相手の胴を抜く。

 

 旗が上がる。

 うん。

 

 勝てて良かった。

 

 なあ、見ているか、一夏。

 それと、冬樹。

 

 私は、ここにいるぞ。

 違う名前を名乗っていても。

 お前たちにはわかるよな。

 

 

 

 

 

 

 

 後日。

 冬樹からお祝いの言葉が届き、喜ぶ箒。

 

 そして、ワクワクしながら一夏からの『何か』を待ち続ける箒。

 

 待ち続ける、箒。

 

 

 

 待ち続けたんや……。(涙) 

 

 

 

 こぼれ話4:エー〇をねらえ!

 

 

 ハイ〇ースされた。

 

 人間という生き物は、どんな環境にもなれるのだなと思う。

 抱えられたまま運ばれていく自分を、心静かに見つめることができる。

 

 まあ、相手が分かっているからというのもありますが。

 

 

 お久しぶりです、千冬さん。

 

「あ、ああ……私が言うのもなんだが、落ち着いているな」

 

 慣れてますから。

 

「な、慣れているのか……」

 

 ええ、先日は金髪美女のお誘いを受けましたし、その前は……。

 

 ふと、エムと名乗ったあの子に千冬さんの面影を見てしまった。

 ブリュンヒルデ。

 世界最強。

 本人を無視してのクローン……ありそうな話か。

 

「いや、すまん。慣れているからといって、こちらの無作法に腹を立てない理由などなかったな」

 

 黙った私を見て勘違いしたのか、千冬さんが頭を下げてきた。

 

 束さんの友達なら、孫のようなもの。

 気にしなくてもいいのだが、謝罪は受け取っておく。

 

「実は、一夏……私の弟のことなのだが」

 

 千冬さんの相談事。

 それは、一夏くん……束さんのいう、『いっくん』のことだった。

 

 姉として、保護者として。

 千冬さんの、深い愛情が伝わって来る。

 

 うん。

 

 千冬さんが一夏くんを心配するのと同じように。

 私は、千冬さんのことが心配になった。

 

 保護者にだって、支えてくれる誰かは必要なんですよ、『ちーちゃん』。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……束、アレはどこに行けば買えるんだ?」

「ふーちゃんは、売り物じゃないよ!?」

「そうか……そうだよな」

 

 千冬は、小さく頷き。

 束を見た。

 

「なあ束、どこに行けばアレをさらってこれるんだ?」

「ちーちゃん!?」

 

 千冬は、笑いながら束の肩を握った。

 

「なあ、束。責めているわけじゃないんだ……ただ、どこに行けばあれの類似品が手に入るか教えろと言ってるだけの話で……」

「ツッコミどころが多すぎるよ!?」

「なあ、束。私が我慢しているうちに、大人しく教えろ」

 

 

 束さんとちーちゃんは、どんなことでも話し合えるお友達です。

 

 

   

 こぼれ話5:とびだせ〇!

 

 

『あなたは〇〇でいなさい』

 

 ずっと、心に刺さったトゲのようなもの。

 

 それが、抜けた……そんな気がした。

 

『うさぎさんシリーズ』と呼ばれる動画群。

『空の夢、空の旅』を同じシリーズとみなすかどうかの議論は、今も決着がつかない。

 

 なお、うさぎさんシリーズのメイド少女と明らかに同一人物でありながら、『空中舞姫くーちゃん』シリーズは、別系統ということで意見が一致している。

 

 

 何はともあれ。

 この少女、もともと少しばかりオタク趣味があったのだが……このうさぎさんシリーズにどハマリした。

 

 無意識のうちに、『映画化はいつですか?』などと書き込んでしまう程度には。

 

 知らない場所。

 未知の世界。

 新たなソラ。

 

 姉へのコンプレックスと、実家の重苦しさ。

 

 一種の逃避も重なって、彼女は……。

 

「待って、〇ちゃん!あれは!あれはダメだから!近づいちゃダメ!ウチの実家的に、本気でまずいから!」

 

 

 生まれて初めての、ガチの姉妹ゲンカが勃発した。

 

 なお、友情は芽生えなかった様子。

 

 

 

 

 ひとりの少女が、卵の殻を破り、空を見上げ始めた。

 

 空のむこう。

 まだ見ぬソラ。

 

 

 

 こぼれ話6:モッピーはみんなに愛される。

 

 

 要人保護プログラムによって、短期間での転校を繰り返し。

 たどり着いたのが、ここか。

 

 IS学園。

 

 適正はそれほど高くない。

 

 つまり。

 篠ノ之束の妹だから。

 私は、ここにねじ込まれた。

 

 

 とじていた目を開き、起立する。

 

 

 篠ノ之箒だ。

 特技といっていいか、趣味と言っていいのか……剣を少し嗜んでいる。

 

 教室内が、ざわつく。

 耳に飛び込んでくる単語。

 

『篠ノ之束の……』『篠ノ之博士の……』『身内?』などなど。

 

 仕方ない。

 受け入れる。

 その上で。

 

 

 篠ノ之束は、私の姉にあたる。

 私のIS適正はそれほど高くない。

 要人である姉の家族の保護の一環として、私はこの学園にねじ込まれた。

 

 私自身、思うところはある。

 しかし、重要なのは……。

 

 私をねじ込んだことにより、合格枠からはじかれたであろう、誰かだ。

 

 静まりかえる、教室。

 不思議と、私の心も静かだ。

 

 私は、篠ノ之束の妹というだけで、誰かの席を奪った。

 もちろん、その誰かは、合格ラインのボーダーラインにいた誰かなのだろう。

 このIS学園において、優秀とは言えない誰かなのかもしれない。

 でも、一線級のIS操縦者になれたかどうか、一流の整備士、開発研究者になれたかどうかは問題ではないと私は思う。

 

 私は、篠ノ之束の妹というだけで、誰かの学ぶ機会を奪ってしまった。

 その、だれかの夢を、思いを、希望を……。

 

 一瞬、友の顔が浮かんだ。

 

 ……ソラを踏みにじって、私はこの場所にいることを許された。

 

 私がここにいるのは、篠ノ之博士の妹として、保護されるためだ。

 だが、それでも。

 私は、この場にいる誰よりも真摯にISと向き合う必要がある。

 その、義務がある。

 そう、思っている。

 

 頭を下げた。

 これ以上の言葉は無用。

 あとは、行動で示すしかない。

 

 

 乾いた音。

 

 顔を上げる。

 

 金髪碧眼の、イギリスの代表候補が……手を叩いていた。

 遅れて。

 誰かが。

 続いて、みんなが。

 

 拍手が、広がっていく。

 暖かな音が教室の中を満たしていく。

 

 私はただ、覚悟を口にしただけで。

 まだ何も、なしてはいないのに。

 

 頭を下げた。

 

 胸に、刻もう。

 この光景を。

 この拍手を。

 魂に刻み込み、歩んでいこう。

 

 この、IS学園で。

 




モッピー愛されてるよ、だって、モッピーだもん!

というわけで、おまけというかNG集というか。
これにてお開きでございます。

それではみなさま。
また、別のソラの下でお会いしましょう!


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