雪の皇女と、彼の物語 (氷桜)
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0.出会い

【Episode0:出会い】

 

――――腕を組んだ中、昔を思い出す。

 

今通う大学……一応国立では有るが、其処まで有名でもないような何処にでもある地方の大学。

親元を離れ、一人暮らしを始め。

初めての入学式に向かう途中。

少なくとも日本では殆ど見かけないような、銀髪の髪を棚引かせた少女が困っている様子を見かけた。

その時は、時間も合って。 且つ、気紛れで声を掛けたのだ。

なんでも、道に迷ってしまったのだとか。

行先を聞いてみれば、同じ学校だったというのも合って。

同行しませんか、と。 誘ったのが始まり。

 

目を髪で覆い、何処か引っ込み思案のような姿では合ったけれど。

いや、だからこそ僕も緊張せずに話せたのだと思う。

何しろ、年齢=彼女いない歴。 それも中高と男子校だ。

女性に対する免疫など家族と店の店員くらいのもの。

その時の距離は、凡そ人間二人分だった。

 

大学で別れ、各々の学部へと向かい。

彼女と再会したのは、昼食を取ろうと放浪していた裏庭の大きな木の下。

都市部というわけでもない学部であったことも在り、周囲は自然に囲まれた場所で。

だからこそ、偶然出会ったのはそれこそ低確率のこと。

 

朝のことについて礼を言われ。

大したことはしていない、と謙遜で返し。

その時、初めて彼女と自己紹介をしたのだ。

 

彼女はアナスタシア・ロマノヴァ。

僕は▲▲ ■■。

改めて、宜しくと。 差し出された手を、そっと取った。

氷のような。

まるで消えてしまいそうな――――白い、雪のような、感触を得た。

 

【Episode0/出会い:中編】

 

其処からは極めて時間の流れが早かったように思う。

住んでいるアパートまでは徒歩で5分と離れていない学生街の一画であったことから、毎朝一緒に登校するようになったこと。

同じ学部のやつ、同じ学校出身のやつからは最初から誂われた。

女連れで来やがって、羨ましい。

あんな女の子何処で引っ掛けたんだ、と。

 

確かに。

ナーシャ――アナスタシアの愛称だそうで、そう呼ぶように言われた――は最初こそ引っ込み思案ではあったけれど。

親しく付き合ううちに、それは彼女の一面に過ぎないということが段々と分かってきた。

どちらかと言えば、やや強気で。

引っ張っていくような、それでいて自分の場所に留めようとするような。

良く言えば、強気で。

悪く言えば、独占欲が強くて。

けれど、いい面も悪い面も合わせて彼女だと。

直ぐに気付いてからは、心に秘めた感情が合ったのも事実だ。

 

普段は髪で隠れた、蒼いその瞳。

吸い込まれていきそうなそれがちらりと見え、髪を手で抑えて恥ずかしそうにする表情。

一人で携帯を弄りながら待ち合わせる姿。

声を掛ければ、少しだけ口元を歪めて嬉しそうにする姿。

手を繋ごうとして、それでも引っ込めてしまう怯えたような姿。

 

――――それら全てを、愛おしいと思ったのはそう遅くはなかった。

 

 

【Episode0/出会い:後編】

 

好きです、と。

好きだ、と。

 

そう言ったのは、一年目の冬のこと。

本当なら、もっとロマンチックな場所で言いたかったけれど。

僕等がそう言い合ったのは、寒くなり始めた裏庭の樹の下だった。

 

どちらともなく、というよりは。

普段どおりに話をしていて。

互いに微笑みあった後。

口から、漏れたような告白。

 

口を閉じる、ということもなかった。

笑みを消す、ということもなかった。

恐らくは、互いが互いにそう思ってはいたけれど。

口に出さずに――――もし違ったら、と。

そういう恐れを抱いていたからだったのだと、思う。

 

けれど、それらは所詮杞憂に過ぎず。

そっか、と。

そうですか、と。

互いに呟いて。

――――初めて、唇に残った味は。

少しばかり渋みの残る、ロシアンティーの味だった。



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1.2

 

【Episode1:出会いの後】

 

付き合い始めたんだ、と同じ学部のやつに少しだけ自慢げに伝えたら。

は、と言われた。

ついでに、その時吸っていた煙草が地面に落ちたので慌てて拾い上げて灰皿に放り込んだ。

どういう意味か、と聞けば。

まだ付き合ってなかったのか、と返された。

 

なんでも、僕は知らなかったことではあったのだけど。

少しずつ、少しずつ。

まるで羽化するかのように変わっていく彼女は、春の辺りから見惚れられる存在に成っていたらしい。

顔自慢の新入生。

硬派で有名な先輩。

その他諸々から、まるで高嶺の花のように扱われながら。

同時に、多数の告白を受ける対象へと変わっていったのだという。

けれど。

彼女はそれら全てをたった一言の言葉と、その神秘的な目で断ってきたのだと。

 

どんな言葉か、と聞いてしまえば。

苦笑いをしながら、肩を叩かれ。

幸せものだな、という祝福の言葉と共に。

 

好きな人がいるんです。

相手が、どう思ってくれるかは分かりませんが。

それでも。

私から、嫌うことはないでしょう。

だから、ごめんなさい、と。

そう言っていたのだと、教わった。

 

――――視線の先に、彼女の姿が見える。

僕を見つけ、此方に歩んでくる。

その表情は、何処か微笑んでいるように見えた。

そうか、君も。

僕と同じように、想っていてくれたのかと。

 

だから、やってくる彼女に聞こえるか聞こえないかで、囁いた。

好きだよ、と。

え、と聞き返したような声を上げて。

少しずつ、やってくる。

 

なんでもない、と。

僕は、微笑み返した。

 

 

 

【Episode2:なんでもないような、寒い日に。】

 

おはよう、と。

大学も冬期休暇に入ろうとする直前。

いつものように、いつもの場所で。

正確には、その日で変化するけれど。

互いの家――――今日は、彼女の家へと朝やってきた。

 

おはよう、と返事が返り。

行きましょう、と声を掛けられる。

部屋を出れば、彼女も漏らす息は白い。

元々の出身が出身なだけに、ある程度寒さには耐性があるとは言うけれど。

それでも、寒いものは寒いらしい。

 

彼女の体温が若干低い、というのは出会った時から知っていた。

初めて手に触れた時に妙なことを想ったのも、それが原因。

特に手や足、末端が冷たくて。

代わりに胴体、首や腹部などはきちんと暖かい。

そして、その影響もあって。

彼女の顔色は、ある程度見知った人間なら分かるほどには変わってしまう。

そんな、まるで雪の精の化身が。

今、僕の隣を歩く彼女だった。

 

寒いね、と呟いて。

寒いのは嫌ね、と返る。

今日は暖かいものでも作ろうかな、と呟けば。

だったら二人で食べましょう、と返って来て。

勿論、と僕は返す。

 

吐く息は白く、凍りつく。

ちらり、と空を見れば忌々しいくらいに分厚い雲だ。

また一歩、大学へと歩んでいき。

少しだけ、互いの距離は縮まって。

一歩歩けば、更に縮まっていく。

手が届くか、という距離は。

気付けば、肩が擦れ合う程度には近付いていて。

どちらともなく、手を握る。

指を絡め、また一度空を見上げながら。

白い霧の中を、一歩ずつ歩んでいく。

それしか、僕等には出来ないでいた。

 

【Episode3に続く】

 

 



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3.4

 

【Episode3:ただの、同じ部屋のはずなのに】

 

がさり。

手に持ったビニール袋をフローリングに置いた。

後から続いて、お邪魔します、と。

ナーシャが入ってくるのに対して。

いらっしゃい、と小さく微笑んだ。

 

寒さは結局、朝から変わらなかった。

やってられねえ、とは友人談。

運が悪いのか、或いはそういう星の下に生まれたからなのか。

彼が付き合う女性は必ずと言っていいほど何かしらトラブルを起こして別れていく。

ナーシャから見ても「いいひと」なのだから、そのうちいい出会いが有ることを信じておきたい。

 

結局、寒さに耐えきれなくて鍋。

それも二人だから、ある程度小さい鍋に具材を放り込んでこたつの上で突付き合うだけの簡単なもの。

白魚、半額だった帆立に肉、つみれ、きのこ類。

締めは二人とも饂飩。

料理と言っても簡素な――――それこそ、誰だって出来るようなもの。

 

なのに、僕たちは二人でその作業を行った。

魚の骨を抜き、キノコに包丁を入れ。

或いは洗い物をし、或いは出汁の調子を見て。

簡単な作業の筈なのに。

二人で行うと、楽しく感じるのは何故なんだろう。

やっていることは、変わらないのに。

 

そう、鍋を突きながら聞いてみれば。

それはきっと。 二人だからよ、と彼女は呟いた。

――――ああ。

それは、確かに。

汁を口へと運び。

そうだね、と彼女へ返した。

 

なんでもない、大学生活。

けれど――――それは、至福の一時でもあった。

 

 

 

【Episode4:冬期休暇、故の】

 

ごろり、とベッドで転がった。

今の時間は……朝の五時。

もう少し寝たいところでは有るけど、喉がどうしても乾いている。

起き上がろうとして…横になった、眠り姫に気がついた。

 

――――そうだった。

鍋の後、二人で過ごしていれば大分遅い時間になって。

もう何度目になるかわからないので彼女用に購入した毛布に包まれて、寝たんだった。

しかし、眠っているだけのはずなのに。

彼女は、まるで凍っているような――――そんな不可思議な美しさがある。

一秒、五秒、十秒。

そのまま、寝顔を見続けた後。

キッチンへと水を飲みに動き出した。

 

――――後ろの方で。

ばか、と聞こえた気がしたが。

多分、気の所為なのだろう。

そういうことに、した。

これでも僕は、ロマンチストなのだから。

少し位、夢を見たって良いじゃないか。

 

彼女が未だ入ったことのない、趣味の部屋の扉を見ながら。

誰に言うわけでもないが、そう言い訳したのだ。

互いに、聞こえないフリをして。

 

――――春は、まだ来ない。

 

【Episode5に続く】

 



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5.6

【Episode5:水の結晶】

 

外が白くちらついている。

例年の例に漏れず(とは言っても僕は話でしか聞いたことがないのだが)この街にも雪が降り始めた。

彼女――――ナーシャにも、その事を告げれば。

炬燵から出てきて、窓越しに外界の様子を見た。

 

元々そうではあった。

けれど、明確に「変わった」のは恐らく互いに告白してからだったと思うのだ。

ナーシャは、或いは僕は。

互いの家に、互いの荷物を置き。

その時々で互いの家に出向き、そこで長くを過ごすようになっていた。

孤独に耐えられない子供のように。

或いは、二人で共にいるのが当たり前のような比翼の鳥のように。

 

僕の家は、やや広め――――いや、少なくとも一人で暮らすには大きすぎるような和風作りの部屋。

けれど以前同一マンションで殺人事件が起きたとかで賃料がかなり下がった事故物件。

ナーシャは、留学生という身分に漏れず小さな一人暮らし用のアパート。

けれどあちこちに人形や写真が飾られた、女の子らしいといえばらしい部屋。

互いが互いの家に出向くのは、非効率ではあったけど。

そこから更に一歩進むのは、幾ら何でも――――そういう意識があったのだ。

 

この国でも雪は変わらないのね。

彼女はそう呟いた。

そういうもんなんだろうね。

僕はそれに、そう答えた。

白く輝く雪が、家の明かりに反射しながら積もっていく。

 

――――二人での生活は、もう少し続きそうだ。

 

 

【Episode6:共に、歩く。】

 

からん、からんと鐘が鳴る。

ちりん、ちりんと鈴が鳴る。

周囲の木々は色とりどりの明かりに包まれて。

普段はそうでもない町並みが一層明るく、騒がしくなる。

 

何なのかしら、と呟けば。

携帯の日時を見えるように示して。

クリスマス・イヴだからね、と告げる。

もう少し厳かなものだと思ってた。

ナーシャは、そう口の中で濁らせた。

 

日本のもの、諸外国のもの。

その場所場所で違う文化はあるけれど。

日本ほど、吸収し魔改造する文化はそうはない。

クリスマスを祝い、神社に参り、バレンタインを祝う人種。

だからといって、神を信じないわけではない――――そんな、不可思議な文化を形成する人種。

 

やっぱり厳かな方が好きかな、と問い掛ければ。

そういう習慣になっていただけ、と声が響いてくる。

一歩、二歩。

先を先導し、くるりと身体を反転させ。

こうして皆で祝うのも悪くはないわ、と小さく微笑んで。

なら、良かった。

そう口から漏らしながら。

手放したことで少しだけ冷えた手を、また。

互いに握り合って、空を見上げた。

 

【Episode7に続く】

 

 



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7.8

 

【Episode7:幾歳、来年】

 

ぽーんぽーん、と時計が鳴った。

都合十一回。

そろそろかな、と立ち上がれば。

どうかしたの、と有名な少年探偵物の漫画を一から読んでいたナーシャが声を掛けてくる。

ん、と擬音だけで答えてリビングから離れ。

十数分後に、二つの小さな器を持って戻ってくる。

 

なにこれ、と目の前の器を覗き込んで。

年越し蕎麦だよ、と彼女用の箸を手渡しながら。

長いお付き合いが出来ますように。

ずっと一緒にいられますように。

そういう願い事をしながらの、日本の風習。

 

そう告げれば。

そう、とだけ言って箸を手にとって。

でも、口に運ぼうとはせずに。

そのまま、言葉を紡ぎ出す。

別に、願い事なんかしなくても。

私と、貴方は一緒よね?

何処か不安げなような、言葉を紡ぎ出す。

 

当たり前だ、というのは簡単で。

怒るのも、簡単で。

悲しむのも、簡単だった。

けれど。

僕は、何も言わずに。

彼女の後ろに回って、そっと抱きしめた。

その手を、彼女が小さく握った。

 

言葉にするのは簡単だ。

けれど――――言葉に、したくない言葉もあるのだ。

また、年が巡る。

去年は、家族と。

今年は、一人で。

来年からは――――ずっと。

 

 

【Episode8:ハジマリノトシ】

 

和装姿の女性。

友人と共に歩いている少年達。

大学で見かける男女様々。

それらが全て、同じ場所へと向かっていく。

 

からん、からんと石畳を歩く音。

足元は靴と、サンダルと、下駄とで様々。

寒くないのだろうか、と思うけれどそれはまた野暮な話なのだろう。

手を離さないように、しっかりと握りあった左手の先を見る。

辺りをきょろきょろと見つめる少女――――ナーシャ。

 

和装を望んだけれど、すぐに手に入らない。

少しばかり膨れた顔をした彼女を、笑いながら宥めて。

それでもその熱を失わせる事は出来ずに。

近いうち、何処かで着ることを約束させられて。

その上で、僕達はここにいる。

手を繋ぎ続けるのも、一種の契約だというように。

互いに、離せずに。

 

これは、と問われて。

知ってるでしょ、初詣だよ。

そんな風に言葉を返す。

日本の風習の一つ。

二年参り、とまではいかないけれど。

それでも、年が明けてから二人でやってきた。

 

色んなお店が出ているのね。

出店だよ。

出店?

お祭りの時にだけ出てくる店。

ああ、夏祭りのときと同じなのね?

そうそう。

 

互いに聞こえる声だけで。

互いが見える距離だけで。

互いを認識したままで。

僕達は、神に祈った。

 

――――今年も、宜しくと。

 

【Episode9に続く】

 



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9.10

 

【Episode9:太陽と月】

 

ナーシャを形容するなら、恐らくは月だろう。

ただ一人輝く。

誰かの影響を受け、それでも尚存在感を示す孤高の存在。

そして、その月と共にあることを許された影が、僕。

 

で、あるならば。

僕達共通の友人の隣りにいる少女は何と形容すべきなのだろう。

太陽、とでも呼ぶのが相応しいのかもしれない。

 

名前をアイズ。

なんでも友人の叔母が再婚し、その相手の連れ子で。

日本文化に興味があり、来年から編入してくるのだという。

その上で知り合いを作っておきたいから、と紹介されて今に至る。

 

宜しくおねがいします、と若干拙いながらも流暢な日本語を話し。

お願いします、と返事を返した。

問題はその邂逅の後。

ナーシャがずっと不機嫌であったことだ。

 

どうしたの、と聞けば。

なんでもないです、とそっぽを向く。

不機嫌だね、と聞けば。

当然です、と答えが帰ってきた。

――――けれど、そんなツンとした所も可愛らしく見えてしまうのだから多分末期なのだろう。

 

頭を下げ、宥め、暫くして。

少しだけ涙目になりながら、彼女は呟いた。

貴方が夢中になっているように見えた、と。

馬鹿らしい、と笑うのは簡単だが――――彼女は、本気だ。

というより、本気でなければこんな事は言わない。

 

だからこそ。

僕も。

 

君以外見てる余裕なんて無いよ、ナーシャ。

 

そう呟いて。

路地の片隅で。

二度目の――――。

 

 

【Episode10:七種、七草】

 

芹薺、ゴギョウ繁縷ホトケノザ。

菘にスズシロ。

春の七草と言われる七種を使ったお粥。

それが二人の前に並んでいる。

 

これは? 彼女のいつもどおりの疑問。

七草粥。 おせちとかで疲れた胃を癒やすって感じらしいよ。

そう。

うん、そう。

手を合わせ、口に運ぶ。

 

幼い頃から親は仕事で忙しかったのも在り、自分のことは自分で出来る様になっていた僕。

その中でも、手を掛ければ掛けるほどに上達するのが分かって面白くなったのが料理だった。

趣味でも在り、普通に家庭で行うことでも有る。

それが今こうして活かせているのだから、悪いことではなかったのだと思う。

 

ああ、そういえば。

別の意味もあったっけ。

そんな風に呟けば。

どんな意味?

当然のように聞き返されて。

今年一年、家族が健康にありますように。 そんな意味だよ。

なんでもないように、そう告げて。

 

――――家族?

彼女の手が、少しだけ止まった。

そう、家族。

…………そう。

再び、動き出す。

 

けれど。

その白いはずの顔の、耳だけは。

確かに、微かに。

紅く染まっていた。

 

【Episode11に続く】



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11.12.13

 

【Episode11:なんでもない日だからこそ】

 

テレビが日常を知らせるニュースを流す。

鳥の声と、ストーブの上のやかんが沸騰する音。

ぺらり、と紙を捲る音と。

かちりかちり、とマウスを押す音。

 

休みの日、でかけていないなら僕等はこんな感じで過ごすことが多かった。

別室に置いてある、大量にある漫画や小説を読むナーシャ。

時折はそれを読み返すけれど、基本的にはパソコンを弄るかゲームをしている僕。

一度友人にこの事を告げたら、馬鹿か、という目で見られたのはいまだに忘れない。

 

今日はどうする?

パソコンを打ちながら、彼女に問う。

冷蔵庫の中身何が入っていたかしら。

ナーシャが問うてくる。

確か豚肉と野菜くらいかな。

なら、それで終わらせて明日私の家に戻りましょう?

そうだね、そうしようか。

 

そんな、いつもの会話。

炬燵の対角に座る、僕と彼女の日常。

顔をチラリ、と見れば視線が合う。

どうしたの? とばかりに首を傾げられて。

なんでもないよ、と小さく首を振る。

 

なんでもない、日常。

 

 

【Episode:12 象徴と、伝統と】

 

今、僕達は互いに互いを見て首をひねっていた。

僕は、手に炒った豆を入れた入れ物を持ち。

ナーシャは、何枚にも重ねた平たい物体を持って。

 

なにそれ、と僕は聞く。

ブリヌイ――――日本で言うところのクレープみたいなものかしら、と。

貴方のそれは、とナーシャは聞く。

炒り豆――――節分、という文化で使うものかな、と。

 

日本とロシア、やはり幾つもある文化は別のもの。

彼女が言うには、それは上に色々なものを載せて頂く食べ物で。

私の家にも独自のレシピは有るのよ。

家を出ていく時には、貴女も引き継ぐのよ。

そう、母親に習った文化の象徴なのだと呟いた。

 

互いの文化を阻害するつもりもなく。

寧ろ、互いのことを更に知っていく機会に過ぎない。

だからこそ、互いに互いの説明を聴きあって。

互いに、互いの文化への知識を深め。

互いに、それぞれを食べさせ合った。

 

――――もう少しで。

僕が、夢見た日がやってくる。

その、前準備のような時間だった。

 

 

【Episode13:二人は、そして。】

 

バレンタインデー。

聖バレンタインとかいう人がなにかしたらしい日。

日本では女性が男性にチョコを渡す日、とされており。

諸外国では男女問わず贈り物をする日、とされているらしい。

 

だから、僕達は互いに互いへの贈り物を持って彼女の部屋にいた。

僕は、彼女に似合うだろう白い花のアクセサリー。

ナーシャは、恐らく手作りだろうチョコとネクタイピン。

互いに、互いへの贈り物を渡し合う。

 

見ても良い?

僕も見せてもらうよ?

互いに開き、互いに見惚れ、互いに感謝の言葉を返し合う。

なんでもない、そんな日。

けれど、僕からすれば少しだけ変わる日。

 

ぽすん、と。

彼女が定位置に腰掛ける。

ぽすん、と。

僕は定位置に腰掛けず。

 

首を傾げる彼女。

そんな彼女を、そっと。

包み込むように抱きしめて。

耳元で、たった一言を囁いた。

顔が、耳が。

少しずつ紅く染まるのをじっ、と。

ただ、待った。

 

小さく、首を縦に振るのが見えた。

 

彼女を抱え、寝床へと。

そっと寝かせ、僕も、倒れ。

二人で、倒れたまま。

真赤な顔と。

真っ青な目を見て。

 

だいすき、と囁いた。

だいすき、と声がした。

 

――――三度目は、微かに甘く。

紅い血と。

蒼い目と。

白い月だけが、その日の終わりを見つめていた。

 

【Episode14に続く……?】



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14.15.16.17

以後は蛇足気味なんで書くかは未定


 

【Episode:14 2月15日】

 

翌日。

同じベッドの中で、互いに目を見つめ合う二人。

 

えっち。

言い返す言葉もありません。

けだもの。

ごめんなさい。

いたいっていったのに。

可愛らしすぎてつい。

わたくしのはなしきかないで。

だから悪かった。

 

大きな声を出すこともなく。

互いに聞こえる程度の囁き声だけで。

 

すけべ。

それはナーシャだって。

わたくしはいいんです。

ズルいよ?

やめてっていったのにきかなかったんだから。

ぐう、それを言われると。

だから。

だから?

つぎは、やさしくしてくださいね?

…………えっち。

わたくしは、いいんです。

 

太陽が昇る、直前の話。

黄色く見えたかは――――まあ、ご想像におまかせする。

 

 

【Episode:15 春夏秋冬、移り変わりゆく】

 

少し、暖かくなったね。

そうね。 故郷の夏みたい。

このくらいで?

そう。 このくらいで夏なのよ。

 

二人、並んで歩く。

距離は寄り添う、という言葉が一番近いと思う。

春、まだ他人で。

夏、知り合いで。

秋、大事な友人で。

冬、たった一人の恋人で。

季節が移り変わる度に、関係性は変わっていった。

だと、するなら。

今年は一体どうなるのだろう。

変わってしまうのか。

或いは、変わらないままでいるのか。

それを考えれば――――少しだけ、不安になる。

 

どうかしたの?

そう、ナーシャは問い掛ける。

いや、物思いに耽っただけだよ。

事実と虚構、半分混じりの答えを返す。

そう。

そうだよ。

 

二人、歩く。

声は、響く。

影は、重なる。

月は、遠く。

二人は――――共に。

 

 

【Episode:16 祀る、雛。】

 

似合ってる、と。

そう聞かれて。

僕が出せたのは、精々吐息くらいのものだった。

 

三月。

旧暦で言えば弥生と呼ばれる時期の始まりの頃。

いつものように二人で買い物に出た所。

ふと、ナーシャが写真屋の前で足を止めた。

 

ねえ、これは?

指差した先に見えるのは、子供達が写った雛祭りの写真。

雛祭りって言ってね……まあ女の子のお祭りって言えば良いのかな。

雛人形を飾る、とか。 細かい部分はいろいろとあるけれど。

……女の子の家は持っているとは聞くけど、実際の所どうなのだろう。

僕は、そんなことすら知らない。

自宅に有るのは、祖母が大事にしていた形見が眠っているだけだから。

 

ねえ。

どうしたの?

……写真、撮ってみたいわ。

……そっか、じゃあ寄っていこうか。

 

ナーシャの趣味は写真。

何を撮るかには拘らないはずなのに。

最近のものを見せてもらえば、大半には僕が片隅に写っている。

理由を問えば――――不機嫌になるから、聞かないけれど。

 

着物を借りて。

少しだけ早く着付けが済んだ僕の眼の前にいたのは。

普段、ふわりとした印象の服を好んでいる彼女とは違う。

物語の中の登場人物のような、妖精のような少女で。

 

似合うかしら。

……………………。

あら、どうしたの?

………………え、っと。

ええ。

ごめん、言葉に出来ない。

 

ずっと昔。

想像だけ、ずっとしていた。

理想のような姿が目の前にいたのだから。

 

その後。

どう過ごしたかは、殆ど覚えていないけれど。

翌日――――彼女が、目に見えて上機嫌なのは。

良かったと思うと同時。

もう一度見たい、と。 淡い希望を抱くのも、致し方ないことなのだろう。

 

 

 

【Episode:17 黎明】

 

ことり、と。

眼の前に湯気が立ったマグカップが置かれた。

背の低い、卓袱台のようなテーブルの向かい側に見えるのは。

シーツ一枚を羽織った、下着姿の彼女。

 

はい、コーヒー。

……うん、ありがとう。

 

隣り合って、彼女は座る。

一口啜れば、それはいつもの味。

僕の味ではなく、彼女の味だ。

 

カーテンの隙間から見える空は、少しずつ明け始め。

けれど、未だに闇を抱える狭間の世界。

そんな世界に、僕等は今、二人。

一人でないというだけで、どれだけ安心するのか。

二人というだけで、どれだけ幸福かを理解するのか。

 

こてん、と僕は頭を傾けた。

彼女は、脚を貸して。

そして、彼女の――――月明かりの下で映える、銀色の髪を撫でた。

 

されるがまま。

するがまま。

たった二人。

音が失われた世界で――――夜が、明けていく。

 

【Episode18に続く...?】



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18.

気が向いたので


【18.日は巡り、時は止まらず】

 

朝、鳥の声と薄暗いカーテン越しの光が視界に入る。

目覚め、腕になにか違和感を覚えてそちらに視線を向けた。

薄い布に包まれ、腕を抱きかかえるようにしたナーシャの姿。

布から外れた部分から見えるのは、彼女の真っ白い、と形容しても良いような肌色。

つまりは、何も身に着けていないということで。

 

小さく首を振って、囁きかけるか悩むことになった。

 

未だ、早いとは言え。

今日から、また大学が始まる。

それを考えるのなら――――。

 

少し、彼女を揺すった。

ん、と唇から声が漏れた。

朝だよ、と声をかけた。

再度、少しだけ揺れた。

 

ゆっくり、ゆっくりと目を開いた。

 

おは……よう?

うん、おはよう。

え、っと……今は……。

シャワー浴びてきたほうが良いと思うよ。

しゃ、わー……ああ、そう、ね。

ナーシャの後に、僕も浴びるから。

 

身体に纏わり付いたモノ。

汗と、互いの体液と。

そういった不快感と。

同時に感じる、妙な背徳感を感じる混ぜこぜになった感覚を抱きながら。

反対側の腕から、暖かな感覚が擦り抜けていくのを同時に感じながら。

手元にあった、ミネラルウォーターを一口煽った。

 

※※※

 

料理らしい料理をするわけでもなく。

此処最近は、前日の夜に作ったものを暖めるか。

或いは、幾つか作り置きしておいた料理と共にパンを食べるかのどちらか。

今日は後者、時間としては六時半――――まだまだ、余裕がある時間帯。

 

ちん、とトースターから聞こえる音。

同時に出てくる、焼けたパンが二枚。

無言で、互いが好む味付けを手渡し合う。

何故か、自分でやらずに。

相手のものをする、というのが朝の無言のルールになっていた。

 

僕は、ナーシャの為のジャム。

幾つかある中から、毎日中身を切り替えて。

ナーシャは、僕の為のバター。

時折は相手のものを真似してみるけれど。

嗜好は違うから、結局はいつものものに戻ってしまう。

同じものがあるとすれば――――。

 

はい、と差し出されて。

はい、と差し出して。

 

意図したつもりはないのに、そのタイミングは毎回噛み合う。

そして。

互いに小さく微笑を交わして、その手のものを交換して食べ始める。

 

意図しないところでばかり、噛み合って。

意図したところでは少しだけズレて。

けれど、互いにその場所にいて落ち着きを感じる。

だからこその、今の僕達なのか。

だからこその、繰り返されるような日常に飽きを感じないのか。

そんな思考は、後の僕等に任せるとしよう。

だから、今は――――少しでも、この時間に浸って。

 

【Episode19に続く……?】



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