続・テニスの王子様(2周目) (蛇遣い座)
しおりを挟む

第1話

 

 

青春学園中等部。中学テニス界における名門校のひとつで、部員数は五十を超える。当然、練習は厳しく、部員たちの熱量も高い。桜舞う4月を迎え、これから新入生の仮入部期間も始まるので、さらに盛り上がりを見せるはずだ。

 

とはいえ、そんな青学テニス部だが、珍しくテニスコートは静まっている。放課後でまだ陽は高いが、今日は特別。レギュラー陣が遠征に出ているのだ。他のメンバーは自主練で、部活見学の1年もほとんど帰ったようだ。

 

「まったく、林とまさやんにも困ったもんだぜ」

 

なのだが、テニスコートの確認に行くと、頭の痛い光景が広がっていた。2年の部員達が新入生の集団と揉めている。遠くて声は聞こえないが、オレには何をしているか分かった。サービスで缶を倒せるかの賭けで金を騙し取ろうとしているのだ。

 

何をやっているんだという呆れと、やはり歴史は繰り返すのかという納得。それらが混ざった感情を抑え、オレは静かにラケットとボールを手にコートへと足を向ける。白の帽子を被った小柄な新入生がサーブを放ち、置かれた缶を連続で弾き飛ばすのが見えた。やはりアイツだ。

 

 

――越前リョーマ

 

 

青学が全国制覇するための、最後のピース。

 

本来ならオレもレギュラー陣として遠征に出るはずのところ、無理を言って残してもらったのだ。あることを確かめるために。2年部員達は高圧的にまくしたてている。さっさと止めるか。

 

オレはポケットからボールを取り出し、その場でトスを上げる。彼らの問答を邪魔するように勢いよくラケットを振り、サーブを打ち放った。強烈な剛球が倒せないよう細工をされた重い缶を捻じ曲げながら吹き飛ばす。ゴッと鈍い衝撃音が鳴り響き、彼らが驚きの表情で振り向き、こちらに気付く。新入生は突然の闖入者に対して、2年生は遠征に出ているはずの人間が現れたことに対して。

 

「おおっ!当たっちゃったよ、ラッキー」

 

「も、桃城……副部長…」

 

「先輩達がいないからって、かよわい新入生をカモっちゃいけねーな。いけねーよ」

 

ばつの悪そうな様子で一歩後ずさる林とまさやん。先輩だと気付き、新入生達が慌てて挨拶する。越前リョーマを除いて。何事もなかったかのように帰ろうとしている。相変わらず図太いヤツだ。

 

「待てよ、新入生。オレとやろーぜ」

 

足を止め、こちらを振り向いた。無表情に見えるが、勝負してみたい気持ちが目に現れている。挑まれれば断ることはないだろう。予想通り、好戦的な笑みで了承した。さて、お手並み拝見と行くぜ。

 

「桃城武、2年だ」

 

「越前リョーマ、1年ッス」

 

 

 

 

 

 

 

互いに自己紹介した後、両者別々のコートに足を踏み入れる。当然オレは相手を知っているが、あえて自分の名前を告げた。まだ、確証は持てないな。打ち合えば分かるだろ。

 

右手首のリストバンドに触れ、自分の短髪をかき上げて戦闘準備を整える。ネットを挟んで白の帽子を被った小柄な少年と視線が合った。そこから先攻決めのためにラケットを回そうとしたところを、片手で制する。

 

「先攻はやるよ。それに、長いから1ゲーム勝負な」

 

「……ナメてるんスか?」

 

「いいや。でも、そう思うなら1ゲーム取ってみな」

 

 

有利なサービスゲームのみで勝敗を決める。ハンデを付けられたと思ったのだろう。ムッとした風に口を開く越前。だが、前回の歴史との差異を比べるにはそれで充分なのだ。挑発を残し、オレはリターンの位置に移動する。

 

「オ、オレ審判やってもいいッスか?」

 

「おう、頼むわ」

 

上ずった声で手を挙げた1年の堀尾が審判台に座り、試合が始まる。越前がラケットを握るのは右手。ポン、ポン……と何度か地面にボールを弾ませ、ラケットをクルクルと回す。

 

この予兆はアレを放つつもりか。

 

トスを上げ、強烈な回転を掛けてサーブが放たれる。フォアサイドに入れられたボールは、接地と同時に急激に方向転換。常識枠外の軌道でオレの顔面へと跳ねる。お見事。それを首を軽く捻ることで回避する。

 

 

15-0

 

 

「うおおおっ!何だアレ!」

 

「とんでもないサーブ打ちやがった!?」

 

観戦する連中が驚愕の声を上げる。審判役の堀尾はそのサーブを知っていたのか、震える声音で解説を加えてきた。

 

「あ、あれはツイストサーブ……!一般的に打たれるスライスサーブとは逆の回転で、ただしトップスピンのように高く跳ねるんです。だけど、あんなに急激なスピンなんて見たことない……」

 

堀尾の解説を聴き、コート外の連中が越前を見る目が変わった。並の1年ではないと理解したのだ。

 

「アンタは、あんまり驚いてないね」

 

「そうかい?」

 

「ま、関係ないけどね」

 

続けてもう一度ツイストサーブ。強烈なスピンにより、弾丸のごとく跳ね上がる。こちらの動きを予想して、きちんと顔面を狙うように調整されている。常人ならば恐怖で逃げ出してしまうだろう。だが、オレは右腕を折りたたみ、強引に打ち返す。

 

ダンッと相手コートに着弾。コート右端に軽々と打ち込まれた一撃に、越前は表情を固まらせる。

 

「チッ……外しちまったか。球威に少し押されたな」

 

「アウト!30-0」

 

ボール3個分、右にズレた。だが、次は無いぜ。

 

数秒の逡巡の後、試すかのように再度ツイストサーブを重ねてきた。3球連続。さすがにそれはナメすぎだ。ストレートに決めても良かったが、力を見せる意味で正面に叩き込む。返球のため、越前がフォアハンドでラケットを当てるが――

 

「重っ……!?」

 

 

――ラケットが弾かれる

 

 

乾いた音を立てて、ラケットがコート上に転がる。あまりの衝撃で痺れた右手首を、越前は軽くさすった。負けん気に満ちた視線をこちらに向ける。強敵であると完全に認めたらしい。

 

「利き手じゃない方で受けられるほど、オレの球は緩くないぜ」

 

「そうみたいだね」

 

拾ったラケットを左手に持ち替える。これまで右手で戦ってきたのは、ツイストサーブで相手の顔面を狙うためというのもあるが、逆手でも勝てるという余裕の表れだ。その意識を切り替えた。全力を出さねば勝てないと察したのだ。観戦者から起こる本日2度目のどよめき。

 

越前が左手で放つフラットサーブ。

 

「速い!」

 

利き腕であることと、これまで3連続で回転力に特化したサーブに目が慣れていたこと。両方の効果で、オレには実数値以上に速く感じた。安全性重視で返した球から、越前は強打で左右に振っていく。主導権を渡しちまったか。打ち込みは正確で、オレもなかなか攻勢に出られない。相手の隙ができるのを待つしかないか。

 

「何て1年だ……。あの桃が攻められねえなんて……」

 

5度6度とラリーが続く。越前の猛攻。サーブで奪った優位を活かし、後衛の位置から正確な強打で決めようとするのだが。決めきれない。越前の顔に焦りの色が浮かぶ。想像以上の守備力だったのだろう。むしろ、徐々にラリーの優位は消えつつある。返球で精一杯だったオレから、次第に球威が戻っている。

 

「にゃろう……!」

 

より積極的な攻勢に出ようと、後衛から一転してネットへと駆ける。

 

「待ってたぜ、その隙を」

 

足元への狙い澄ましたパッシング。弱点を突く的確なショットに対処をしくじり、返したボールはネットに掛かる。

 

 

30-30

 

 

今のプレイで確信した。オレの知りたいことは知れた。落胆と共に小さく溜息を吐いた。あとはもう、試合を終えるだけだ。

 

 

30-40

 

 

次のポイントもオレが奪い、いよいよ勝負の決まるセットポイント。連続で得点されたからと諦めるタマではない。闘志を高めた越前が向かってくる。

 

「ハアッ!」

 

気迫の籠ったショット。オレの球威に押されず、しかもコントロールは正確。今度はネット際まで到達し、得意なプレイスタイルで攻め掛かる。さらに、いよいよ解禁してきたか――

 

 

一本足でのスプリットステップ

 

 

横を抜こうと打ち込んだ速球を、俊敏な反応で返す。天性の嗅覚で相手の打球方向を察知し、片足で着地することで驚異的な打球反応を実現させる。日本全国でたった2名のみ許される絶技。改めて実感する。コイツはまぎれもなく天才プレイヤーだ。けど、オレの記憶に比べればヌルすぎるぜ。

 

「おい、あの構えは……!」

 

「1年相手に出すのか、あの技を」

 

林とまさやんが息を呑む。両手でラケットを握り、バックハンドの構えから右足一本で前方へと跳び込んだ。全体重を乗せ、発生した莫大なパワーを一点に集約する。見ておけよ、越前。これがオレの――

 

 

「――『ジャックナイフ』だっ!」

 

 

埒外の威力を誇る一撃がコートに突き刺さり、一拍置いてからラケットの落ちる乾いた音が鳴った。目を見開き、空手となった左手を震わせる越前。場の空気が凍り付いたように止まる。

 

「なあ、コールは?」

 

「えっ?あ、すいません。セットポイント、桃城先輩!」

 

最後に握手のため、ネットを挟んで手を伸ばす。敗北を認めるのに時間が掛かったのか、数秒ほど遅れて越前が応えた。

 

「……もう一度」

 

再戦を望む言葉に、オレは首を横に振ることで答える。

 

「5月にレギュラー決めの校内戦がある。そこで勝ち残れたら、今度は正式にフルセットでやってやるよ」

 

 

 

 

 

 

 

桃城武はいわゆる【戻り組】である。

 

原因も過程も不明。U-17世界選手権の前日までの記憶を持つ者を、オレ達はそう呼んでいる。現時点で判明していることは2点。未来の記憶を得たのは、選抜合宿に参加した中学生だけであること。そして記憶の有る無し、つまり『戻り組』となった割合はおよそ半々だということ。

 

「こりゃ、マズイよなー」

 

帰り道、オレは頭を抱えていた。先ほどの勝負で分かったが、越前は【戻り組】ではない。足元へのパッシングに対して未来の得意技『ドライブB』を使わなかったし、明らかに実力が劣る。期待は裏切られた。

 

「マジかよ……。青学で記憶あるのオレだけじゃねーか」

 

絶望的な事実である。王者立海大附属は主将・副主将の幸村・真田が【戻り組】だし、氷帝は跡部を含めて大半がそうだ。四天宝寺だって、主力の白石・千歳・石田銀は激闘の経験を持っている。

 

「全国制覇?どうすればいいんだよ……」

 

 

 

 

これは大幅に難易度の上がった、青学テニス部の全国に向けた苦闘の話である。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話

 

 

 

青学テニス部に新入生が加わり、2週間が過ぎた。本日からいよいよ「部内戦」が行われる。これは地区大会のレギュラーを決める重大イベントだ。超大型ルーキー、越前リョーマも特例で参加するため、波乱は必至。

 

A~Eブロックに分かれ、上位2名がレギュラーとなる。まあ、ブロックの組み分けはほぼ歴史通りだし、勝ち残りは予想がつくが。

 

「おーい、桃。何をボーッとしてんの?」

 

「おっと、すいません。すぐ行きますよ、英二先輩」

 

くせっ毛と右頬の絆創膏が特徴の先輩が、緩い口調で声を掛けた。張り出された対戦表から視線を外し、オレは意識を勝負へと切り替える。意外な組み合わせではあった。初戦からレギュラー同士。その対戦相手は、青学唯一のダブルス全国ペアのひとり。菊丸英二先輩だ。

 

各コートに分かれて試合が行われるが、やはりここが注目度No.1。試合を控える選手以外は、ほぼ皆がこのコートに集まってくる。金網の向こうに多くの部員達が並び、興味深そうな表情を浮かべていた。視線が集まるのを感じるが、意にも介さず英二先輩は奥側のコートで柔軟を開始する。オレも今更、部内戦で緊張する性質ではない。英二先輩の反対側のベンチにラケットケースを置き、腰を下ろす。

 

「おおっ!やったぜ、越前!まだ試合始まってない」

 

「いや、オレは別に……」

 

騒がしい声に振り向くと、フェンス越しに息を切らした堀尾の姿が見えた。続いてゾロゾロと1年生達がやってくる。ちょうどオレが座っているベンチの後ろの位置で観戦するらしい。最後尾についてきた越前と目が合い、軽く手を挙げると、向こうも一応頭を軽く下げた。

 

「人気者だな、桃」

 

越前の隣には坊主頭の先輩が立っていた。身に纏う上着は、レギュラーの証である青学ジャージ。穏やかな口調でこちらに語りかけた。

 

「大石先輩も見学に?」

 

「まあね。やはり全国を狙うために、副部長の状態は見ておきたくてね」

 

「ええっ!レギュラーの大石先輩!」

 

以前の歴史では副部長だった、大石先輩も試合を観戦に来たらしい。ダブルスパートナーの英二先輩のコートにいるものだと思っていたが。堀尾を含む1年組は突然の先輩の登場に恐縮した様子だ。越前は気にしていないが。

 

「で、今回もあのラケットを使うのかい?」

 

「ええ、そのつもりです。別にナメてるわけじゃなく、トレーニングの一環として」

 

「別に言い訳する必要はないさ。責めているわけじゃない」

 

弁解じみた口調になってしまったが、大石先輩は苦笑するだけだった。ばつの悪い気分で右手首のリストバンドをさする。オレ達のやり取りに不思議そうな顔を見せる1年達。まあ、そりゃそうか。

 

そろそろ試合が始まる。ベンチに置かれたラケットケースのファスナーを開け、中から試合用のモノを取り出した。普段の練習用とは違う、部内戦や練習試合に使うラケットだ。それを見て、1年生は目を見開き、驚愕の叫び声を上げた。越前ですら絶句した様子である。これがオレの特製ラケット。張られたガットは縦横2本のみ。

 

――U-17選抜の鬼先輩と同じ十字ガット

 

「えええええっ!何ッスか、コレは!打てるわけないっしょー!」

 

顔の前で両手を横に振り、有り得ないと全身で表現する堀尾に思わず笑ってしまう。去年、初めて部内戦に出たときも、みんなに同じ反応をされたものだったな。いまや2,3年は当たり前のように受け入れている。これで部内戦を勝ち続けたからだ。……何回か負けたこともあるけど。

 

「来たぞ、桃城だ……」

 

「またあの十字ガットだぜ」

 

「中1にして副部長の座を勝ち取った怪物。だけど、ハンデ付きで同じレギュラーの菊丸に勝てるのか?」

 

周囲がざわめきだす。両者がコート中央に集まり、注目の一戦の幕が上がる。ラケットを回し、先攻/後攻を決める。表と答えて正解。サービスゲームはオレが取った。準備が整うと、審判役の部員が高らかに声を上げる。

 

「ザ・ベスト・オブ・1セットマッチ。先攻、桃城サービスプレイ」

 

トスを上げ、腕を振った。高速で放たれたボールがコートに突き刺さる。英二先輩の反応が間に合わず、ラケットは空を切った。まずは先制の一撃が決まる。

 

「弾丸サーブ!決まった!」

 

「いきなりサービスエースかよ!」

 

このまま流れをいただく。続いて2手目も豪速の弾丸サーブ。ややリスクを負って仕掛けた次撃も、反応はされたものの、ギリギリ当てたラケットを球威で押してネット前にボールが落ちる。2連続サービスエース。

 

「普通に打ててる……あんなガットで」

 

「しかも、とんでもなく強いよ」

 

初見の1年組の呆然とした声が耳に届く。

 

「それはそうさ。青学テニス部、副部長の称号は伊達じゃない。名実ともに桃は青学NO.2の実力者だよ。だけど――」

 

隣にいる大石先輩が付け加える。テンポ良く試合を先に進めていく。3連続サービスエースを狙って放つ一撃。弾丸がコートに突き刺さる。

 

「このまま終わるほど、英二は甘くないよ」

 

大石先輩の言葉に呼応したかのように、英二先輩が剛球を打ち返す。さすが。彼の優れた動体視力ならば、オレのスピードボールもしっかり見えているか。それでも、球威に押されてボールが浮き気味だ。容赦なくネット際へ駆け出し、高い打点からクロスへのフォアハンドで決める。

 

「うあっ……やっぱ、強いな~」

 

英二先輩が残念そうに声を漏らす。後ろの大石先輩も、感心した様子で息を吐いていた。オレだって、そう易々とやられはしませんよ。最後のセットポイントもサーブの球威に押されたところを狙い打ち、ストレートで奪取に成功。

 

「……予想以上だな。前回の公式戦より、格段にパワーアップしている」

 

「そうなんッスか?」

 

「正直、信じられないよ。あれほどハンデを負った状態で、英二をこうも圧倒するなんて。だけど、ここから先はどうかな?」

 

大石先輩が口を開き、堀尾達が怪訝そうな表情を浮かべた。その言葉の理由は、次のゲームで明らかになる。

 

「さあて、行くよん!」

 

攻守が入れ替わり、今度は英二先輩のサービスゲーム。サーブと同時に前方へ駆け出した。さっきはベースラインで足止めされていたが、主導権を握りやすいサービスゲームでいよいよ攻めてきた。球種はスライス。滞空時間が長く、地面を滑るように外側へ逃げる。打ち返す頃には、すでに英二先輩はサービスラインまで到達していた。理想的なサーブ&ボレーの動き出し。どこに打ち込む?

 

「ストレートで抜いてやる!」

 

「甘い甘い。抜かせないよん」

 

 

――ダイビングボレー

 

 

頭から突っ込むように跳躍し、空中で伸ばしたラケットで打球を弾き返す。猫のように身軽な動き。しかも捉えたボールは的確に逆サイドへと角度をつけて返される。全力のダッシュで何とか相手コートに戻すも、緩い返球は即座にボレーの強打で決められてしまった。

 

15-0

 

次の攻撃も変わらず英二先輩の優勢。攻め方は同一。強打しづらい低く滑るスライスサーブから、ネット際でのボレー。抜くならストレートかクロス。だが、オレが選択したのは――

 

「ボディーショット!?」

 

部員達が息を呑んだのが空気で分かる。これは最も返しづらいショットのひとつ。

 

「ほいっ!」

 

俊敏に上体を反らし、曲芸のようなラケット捌きで速球を跳ね返す。右に角度をつけて、浅い位置に打たれたボレーショット。またしても同じ展開に持ち込まれた。ギリギリで返した浮き球を逃さず、コート奥にねじ込まれる。

 

30-0

 

「連続得点!あの桃城が押されてるぜ!」

 

「すげえ、菊丸先輩。本領発揮だぜ!最初からアクロバティック全開だな!」

 

湧き上がる部員達。一方的だった1セット目との対比で、英二先輩の反撃に喝采が上がる。表情を変えず、オレは内心で舌打ちする。たった2本で直感した。この試合、長くなる。オレへの対策を練ってきたのかは分からないが、相性が悪い。絶対にサービスゲームは落とせないな……。

 

危惧した通りの展開になった。お互いにサービスゲームをキープし合い、拮抗した状況が続く。2-2、3-3とカウントは同数が並ぶ。

 

「大石先輩、どうしてあんなに先攻/後攻で展開が変わるんですか?桃ちゃん先輩のサービスゲームが強いのは、何となく分かるんですけど……」

 

堀尾が尋ねると、大石先輩がコートから視線を外さずに頷いた。

 

「今の桃には弱点がある。あの十字ガットだよ。あんなラケットで打てる訳がないという常識は置いておいて。それ以外に重大な構造的欠陥が隠されているんだ」

 

「構造的欠陥?」

 

「スピンさ。あのラケットは中心の1点、スーパースイートスポットでのみ、打球を放てる仕組みになっている。感服するよ。誰も真似できない凄まじい技術だ。でも、点でボールを捉えるあのガットでは、ラケット面を滑らせるスピン系の球種が使えないんだ」

 

「あっ!そうか!そういえば桃ちゃん先輩、フラットショットしか打ってないですね!」

 

英二先輩のボレーが浅いところに入り、浮いてしまった返球を決められるというパターンがまた発生した。セットカウントを取られ、4-4と追いつかれる。

 

「ベースラインでストロークを打ち合う分には問題ないけど、あんな風に浅いボールで攻められると難しいんだ。トップスピンで落として強打することもできないし、スライスで繋ぐこともできない。結果、浮き球となる」

 

「なるほど」

 

「桃も工夫して、2ゲーム目以降はロブで粘っているが。読まれたロブは強打の格好の餌食だ。サービスゲームにおける英二の優位は変わらない」

 

その後もお互いに危なげなくサービスゲームを取り合い、タイブレークに突入する。2本ずつ、サーブ権が交互に与えられるのだ。ここからが正念場。どちらが先に相手のサービスゲームを打ち崩せるか。

 

場の緊張感が高まる。周りの部員達も次第に静かになっていき、固唾を呑んで見守っていた。

 

「じゃ、行きますよ」

 

ラケット面を指で触れ、十字ガットの張り具合を確認すると、そのままトスを上げて高速サーブを放つ。最低限の球威を確保しつつも、安定性を重視したショット。基本的にこの試合、ほとんどの打球は全力の5割も力を込められていない。ラケット面での微調整ができず、外すリスクが大きいからだ。問答無用で球威任せに相手のラケットを弾く。そんなお手軽な勝ち方は望めない。

 

「ったく、馬鹿重いなー」

 

嫌そうに顔を歪める英二先輩。それでも非力な彼になら、ある程度通用する。優れた動体視力と反射神経を有するが、ストロークは苦手としている。この終盤に至っても、いまだ返球を鈍らせるだけの効果は残っていた。球威を調整しながらも、さらに攻め掛かる。左右にボールを打ち分け、前に出られないように足止めしつつ、ラリーに持ち込んで試合を長引かせる。

 

「嫌なやり方するよね。でも、このままじゃ埒があかないかな」

 

「隙ありッスよ、英二先輩」

 

強引に前に出ようとしたところを狙って、サイドライン際にパッシング。

 

1-0

 

初手は取ったが、次からは相手のサービスゲーム。サービスダッシュからのアクロバティック。攻めの打球でなければ、英二先輩のサイドは抜ききれない。裏を取ったと思いきや。後ろに上体をそらし、空中で仰向けに寝るような態勢で手を伸ばし、的確にボールを捉える。手首を返して角度を付けて逆サイドへと跳ね返した。

 

1-1

 

「あっ!桃ちゃん先輩がロブを上げた!」

 

英二先輩の頭を越える山なりの打球。しかし、俊敏な反応で即座にバックステップ。反転して跳躍。こちらに背中を向けたまま、強烈なジャンピングボレーを放つ。

 

「菊丸バズーカ!」

 

1-2

 

互いに得点を落とさず、タイブレークが進行する。どちらが先に相手のサービスゲームを奪えるか。勝負のカギはリターンゲームにある。周りの観戦者も、緊張のためか終盤に近付くにつれて口数が減っていき、ついにはコート外が静まり返った。

 

9-8

 

マッチポイント。ここで決めればオレの勝ちだ。絶対に英二先輩のサービスをブレイクする。ここが正念場。全神経を集中させる。

 

「させないよん」

 

ただ、相手も重要性は分かっている。ベースラインで英二先輩がつぶやく。手元でラケットを回す仕草は、彼の集中力が高まった兆候である。両者が全力でぶつかり合う。

 

英二先輩のスライスサーブが右端に吸い込まれる。回転により、さらに右へと滑るように流れていった。外側へと低く逃げていくボール。これでは強打できない。球威の削がれたフラットショットを返すも、相手コートに届く頃にはサービスラインで待ち構えられている。

 

「くっ……良いところに決められちまったか」

 

思わず漏らした声音に苦々しさが混じる。どこに返される?数瞬後、ボレーは逆サイドへと打ち込まれる。急いで戻るも、ギリギリでラケットが届くかどうかの距離。

 

「うおおおおおっ!」

 

「か、返したっ!」

 

「だけど、菊丸先輩にとって絶好球だ!」

 

浅く上がったボールを待ち構える。英二先輩は技量で押すタイプではない。ドロップボレーを選択肢から外す。右か左。スマッシュの方向を予測する。いや、そうじゃない。こちらから仕掛けるんだ。

 

寸前でオレは左へと駆け出した。イチかバチかの賭け。しかし、英二先輩は視界の端でそれを捉え、手首の返しだけでスマッシュのコースを右へと変更する。

 

「動き出しが早いよん。残念無念また来週~」

 

と見せかけて。即座に重心を移動し、右へと動いていた。フェイク。英二先輩の顔に焦りの色が浮かぶが、もう遅い。コートに叩きつけるタイプの、しかも手首だけで無理矢理コースを変えた甘いスマッシュならば強打できる。千載一遇の好機。

 

「打たせてもらいますよ。戻ってからずっと練習していたこの技を!」

 

時を遡った強敵を倒すには、身体能力を上げるだけでは不十分。オレは強者のプレイスタイルや技の模倣に取り組んでいた。その中のひとつがコレだ。曲げた右肘を大きく後ろに動かし、反対の左手を前へと突き出した特徴的な態勢を取る。

 

「何だ、あの構えは!?」

 

九州二翼と謳われた、全国トップレベルの強者。不動峰の部長、橘桔平の有する必殺技がコレだ。ラケットのフレームで打つことにより、打球に無数のブレを生じさせる。結果、ボールは荒れ狂い、暴れ回る。その効果は、同じく九州二翼と呼ばれた千歳千里の『才気煥発の極み』の予測をも超えたほど。

 

 

――『あばれ球』

 

 

「ボールが無数に分裂してる……!」

 

英二先輩の身体が驚愕に固まり、思わず身を守るように顔の前にラケットを立てる。視界一面にボールが広がる錯覚を起こしたのだろう。動体視力が優れていればいるほど、打球のブレはボールを分裂させる。もはや返球など不可能。数秒後には深々と打球がコートへと突き刺さった。

 

「ゲームマッチウォンバイ桃城武!」

 

 

 

 

 

 

その後も部内戦は進み、数日後には青学レギュラーが決定した。

 

手塚国光(3年)

不二周助(3年)

大石秀一郎(3年)

菊丸英二(3年)

河村隆(3年)

桃城武(2年)

海堂薫(2年)

越前リョーマ(1年)

 

歴史通りの結末。しかし、ここからは『戻り組』の逆行者との勝負が始まるのだ。歴史とは異なる地区予選が始まる。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話

午前中から始まった地区予選。青春学園は当然のごとく勝ち進み、決勝戦を迎える。順当な快進撃。しかし、その対戦相手は大方の予想を覆した。コート脇のトーナメント表に目を向ける。オレにとっては分かり切った情報だが。

 

「シード校の柿ノ木中が負けた!?」

 

「しかも、部長の九鬼が2年に手も足も出なかったらしい」

 

「不動峰中?完全にノーマークだぜ。誰か試合見てたヤツいないか!?」

 

ダークホースの登場に、部員達がざわめきだす。トーナメント表に記入された結果は、青学と同じく全試合3-0のストレート勝ち。当たり前だ。かつての歴史では結成初年度に全国まで勝ち進んだ奇跡のチームなのだ。部長である橘桔平の圧倒的なカリスマ性と急成長を果たした部員達。しかもこの不動峰。U-17合宿に参加した3名が、幸運にも全員『戻り組』。侮れる相手ではない。ちなみに前回の試合結果は以下の通り。

 

【D2】×不二・河村―石田・桜井〇

【D1】〇大石・菊丸―内村・森×

【S3】〇海堂―神尾×

【S2】〇越前―伊武×

【S1】 手塚―橘

 

最終的には3-1で勝利したが、前回と違ってS1-3までが『戻り組』。現時点でこの3人と戦えるのは手塚部長とオレしかいない。さらに言えば、部長の橘と戦えばオレは負けるだろう。別格の相手なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

試合開始前、テニス部顧問の竜崎先生がオーダーを発表する。コート脇に部員が集まり、レギュラー陣が最前列で出番を待つ。

 

「さて、決勝のメンバーを発表するよ!」

 

年齢とは対照的な、衰え知らずの溌溂とした発声で、【D2】から【S1】まで登録オーダーを告知する。基本的には歴史通り。唯一の違いは――

 

「――【S3】桃城武!今回の相手は得体が知れん。3連勝で決めちまいな!」

 

「おう、バアさん」

 

海堂の代わりに、オレが入ったこと。アイツには悪いが、手の内を知られた上にブーメランスネイクも使えない状況で勝ちは無い。【D2】の黄金ペアと【S3】のオレ、【S1】の手塚部長で3勝を取りに行く。

 

 

 

 

 

 

 

決勝ともなると、試合に使うのがコート一面だけなので観客の密度が濃くなる。さらに青学はテニスの名門校ゆえに、他校が研究のために部員を送り込んだりもしている。テニスコートとの間のフェンスには所狭しと人々が並んだ。注目度は本日最大。下馬評は青学の圧倒的優勢だが、不気味な不動峰の下剋上を期待する声も耳にする。間もなく始まる初戦を控え、会場中がざわざわと盛り上がりを見せていた。

 

そんな中、先にコートに現れたのは不動峰。【D2】の石田鉄が黒のジャージを纏い、姿を見せる。

 

「不二先輩、タカさん。ちょっといいッスか?」

 

「何だい、桃?」

 

試合会場に向かおうとする二人を呼び止めた。この試合の前にしておくべき助言がある。

 

前回の歴史で【D2】不二・河村組は敗北を喫した。原因は不動峰の石田鉄のパワーショット――『波動球』。勝負所で放たれたコレを受け止めることで、タカさんが腕を痛めてしまったのだ。そんな棄権負けは防ぎたい。

 

「調べてみたんですが。あの坊主の選手、凄まじいパワーショットを打てるらしいですよ。負担が重いので、数発が限度みたいですが」

 

不二先輩ならば、相手に切り札があることさえ知っていれば十分だろう。不動峰のダブルス組は、前回と大きく実力は変わらない。総合力ではこちらのペアが上だ。

 

「全力の君の打球とどちらが強い?」

 

「……まあ、オレでしょうね。ただ、まともに受ければタカさんですら、骨折の危険があります」

 

「フラットショットだね。ありがとう。気に留めておくよ」

 

柔和な微笑みを浮かべ、不二先輩はフェンスの向こうに吸い込まれていく。ラケットを握っていないせいで弱気そうな表情だが、タカさんも後に続く。青学が全国優勝するため、オレはこの【D2】がカギを握っていると考えていた。

 

「手塚部長に回さず、不動峰を倒さないとな……」

 

以前の歴史では、氷帝中学の跡部との試合で肘を壊してしまい、戦線離脱を余儀なくされた。『戻り組』の強者が跋扈する今回、全国大会の決勝で当たるだろう立海大附属戦まで手塚部長の温存は必須。できるだけ試合の負担は減らしたい。理想は3連勝で終えること。しかし、その予想は相手コートに現れたもう一人の選手によって砕かれた。

 

「神尾っ……!?な、何でアイツがダブルスに……」

 

『戻り組』のひとり、神尾アキラが長い前髪を揺らしてコートに足を踏み入れる。

 

やられた、と思わず顔を歪めた。オレと当たる【S3】を捨てて、確実に【D2】を取りに来たか。

 

両校の選手達が中央に集まる。不二先輩がラケットをくるくると回し、先攻/後攻を決める。先攻は青学。

 

「ザ・ベスト・オブ・1セットマッチ!先攻、青学サービスプレイ!」

 

高らかに審判が宣言する。サーブ権はタカさん。彼はラケットを握ると性格が変わる。熱血系へと。

 

「うおおおおっ!バーニング!」

 

パワー系のプレイスタイルを得意とするタカさん。未来ではオレを超える腕力を身に着けるのだが、現時点ではまだまだ。そして、リターンは『戻り組』神尾アキラ。全力を込めたバーニングサーブも、全国の猛者共に比べれば速さも球威も甘い。易々と打ち返す。

 

「やるじゃねえか!もういっちょ、バーニング!」

 

後衛同士の打ち合いが始まる。先に相手の隙を捉えたのはタカさん。前衛の石田を抜くストレートのパッシング。後衛の逆サイドに叩き込む一打。

 

「リズムに乗るぜ」

 

神尾がつぶやいた。ギアを上げるときの口癖だ。直後、あまりの速度にヤツの姿が消える。

 

先取点もらった、とタカさんに浮かびかけた歓喜の表情が固まった。

 

「アレに追いつくのか!?」

 

瞬時に逆側まで駆け込み、軽々とバックハンドで打ち返す。そうだ。アイツの守備範囲はダブルスコート全域。その脚力は尋常でない。動揺したタカさんは、返球を誤りネットに引っ掛けてしまう。

 

0-15

 

青学サービスゲーム。しかし、その後も神尾の鉄壁に弾かれ、優勢を活かしきれない。どんな球にも埒外の俊足で追いつかれてしまうのだ。特に神尾が後衛のターンに脅威は顕著に表れる。

 

「何て速さだよ……」

 

タカさんが焦った声を漏らす。どれだけ前後左右に振っても簡単に追いつかれる。後衛同士のラリーを分が悪いと見た不二先輩は、リスクを負ってポーチに出る。角度を付けたボレーショット。

 

「これにも届くのか!?」

 

信じがたい俊足で、これも打ち返される。強引にポーチに出たことで崩れた陣形の隙を縫うように、神尾のカウンターが決まった。

 

30-40

 

「ブレイクチャンスだぞ!」

 

「早くも不動峰が押してるぜ」

 

やはり、神尾が頭一つ抜け出てきた。しかし、特に試合巧者の不二先輩は流れを取り戻したいはず。このポイントは重要だ。

 

出すか?不二先輩の秘技『三種の返し技(トリプルカウンター)』――

 

「返せるもんなら返してみな」

 

神尾がニヤリと不敵な笑みを浮かべる。動いたのは意外な伏兵、石田鉄。右足を大きく後方に引き、一意専心の前傾姿勢を取る。テイクバックした右腕の筋肉が隆起する。放たれるは極限を超えた剛球。破壊の一撃。

 

 

――『波動球』

 

 

「マズイ!これを決められては……」

 

「だ、駄目だ。不二先輩……!」

 

一直線に飛来する隕石。前衛の不二先輩が反射的に返そうと手を伸ばす。だが、打球の破壊力はその手首を容易く砕くだろう。オレの制止の声は間に合わない。

 

だが、寸前で埒外の威力を直感したのか。試合前の助言が頭をよぎったのか。不二先輩が一瞬、打球を受けるのを躊躇った。すぐ横を破壊の一撃が通り過ぎる。結果的にそれが彼のリタイアを阻止してくれた。サービスブレイクという代償と引き換えに。

 

ゲームカウント0-1

 

「いきなりブレイクしたぞ!」

 

「しかも何だよ!今の不動峰、とんでもないパワーショット打ってきたぜ」

 

大番狂わせの予兆に、会場中が爆発的に盛り上がる。完全に流れを奪われた。不二先輩とタカさんが悔しげに唇をかみしめる。両校がコートチェンジ。

 

「命拾いしたな。けど、こっから何度も波動球を打っていくぜ。怪我しないように気を付けな」

 

「……ご忠告どうもありがとう」

 

神尾の野郎、プレッシャーを掛けてきやがった。オレが波動球の存在を教えたことを読んで、むしろ序盤に見せ札として切ってきたのか。隠し札足りえないならばと、いつでも出せると、むしろ脅しに使ってきた。

 

返球不可能なフラットショット。一度見せれば、今後は常にこれを警戒しなければならない。記憶の有るオレならば、腕への過剰な負担でもう打てないと予想できるが、不二先輩の立場では断言できないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

ここからは互いにサービスゲームをキープし合う展開となる。要所要所で球種を使い分けたり、コードボールを狙ったりと、神尾のミスを誘うことで不二先輩が得点を奪っていた。

 

ゲームカウント3-4

 

神尾のサーブから始まり、数巡のラリーが続く。先に攻めたのはリターン側の不二先輩。ベースラインからの打球を正確なコントロールでネットに当てる。

 

「チッ……コードボールか!」

 

舌打ちしつつ、急停止からネット際まで急いで駆ける。が、真上に跳ねて落ちたボールに、あと一歩で届かない。

 

15-30

 

神尾は脚力こそ人間離れしているが、反応速度が卓越している訳ではない。弱点を突いた攻めで、まずはリターンゲームで一歩優位に立つ。不二先輩とタカさんがハイタッチを交わす。

 

「ハアッ!」

 

再び神尾と不二先輩のラリーが始まった。またも狙ったコードボール。正確無比なコントロールで打球をネットに当てる。瞬時にボールの速度がゼロになり、慌てて急停止する神尾。勢いが強いだけに方向転換にはわずかに時間を要するのだ。だが、これはシングルスではない。

 

「オレを忘れるなよ!」

 

不動峰、石田が即座にカバー。浮いたボールを青学コートに叩き込む。

 

30-30

 

次だ。この得点が勝負を分ける。

 

オレは直感した。公式戦の経験が豊富な不二先輩と『戻り組』神尾も同じ感覚だろう。明らかに集中力が増した。不二先輩はブレイクを、神尾は突き放しを狙う。

 

これまで以上に打ち合いが激しくなる。神尾がテンポを変えるため、トップスピンロブで前衛の頭を越えた。アイツの中では頻度の低い球種を使ってきたな。だが、これは――

 

「出るか……『三種の返し技(トリプルカウンター)のひとつ』」

 

不二先輩の瞳が鋭く光る。山なりに落ちるトップスピンを身体ごと回り込み、フォア側で待ち受ける。ラケットヘッドを若干高く掲げ、日本刀で切り裂くかのごとく、振り下ろした。一閃。

 

 

――『つばめ返し』

 

 

順回転の打球に、そのまま全く同一の角度で回転を加えることで、超強烈な逆回転を生じさせる。敵の打球が強ければ強いほど威力を増す。それが不二先輩の『三種の返し技(トリプルカウンター)』。

 

「出たああっ!不二の『つばめ返し』!」

 

青学の2,3年が歓声を上げる。超強烈な逆回転を保持したまま、打球は相手コートへ突き進む。このボールは着地と同時に、弾まずに滑るという特性を持つ。返球不可能。まさに無敵の技と呼ぶにふさわしい。ただし、地面に着きさえすればの話だが――

 

「さらにリズムに乗るぜ!」

 

神尾が速力を上げた。サービスライン付近まで疾風が通り過ぎ、ノーバウンドで返球されてしまう。着地と同時に勝負が決まる打球ならば、空中で処理すれば良い。鮮やかな攻略法だ。青学の部員達の表情が絶望的に染まる。決め技を軽々と破られた事実は、選手達にも衝撃を与えた。

 

「くそっ……神尾の野郎、わざとトップスピン打ってきやがったな」

 

そうだった。不二先輩の『三種の返し技(トリプルカウンター)』は、前回の四天宝寺戦で破り方を知られていた。ご丁寧に三種とも全てを対戦相手の白石は正攻法で返して見せたのだ。あのときは新たなる返し技で勝利したが、現時点の不二先輩でそれは不可能。さらに精神的なショックで攻めの意識がわずかに削がれたか。

 

「次はこっちの番だぜ!」

 

乾坤一擲の気合を込めて、神尾が叫ぶ。威力もなく、浅く返された打球。それに対して、正面から迎えるように前方へと一歩、駆け出した。全力で踏み出す一歩。その勢いを活かして、アイツはスライスショットを放った。並外れた速力を打球に乗せた一打。これは神尾の集大成。

 

 

「『音速弾(ソニックブリット)』!!」

 

 

音速で放たれる打球。ラケット面から離れるや、ほぼ同時に青学コートに着弾した。そう錯覚するほどの打球速度。だが、不二先輩はギリギリで反応し、ラケットを伸ばすことに成功していた。さすがと言うしかない。

 

「なっ……さらに速度が上がった……!?」

 

これが音速弾の特性。着地と同時に体感速度がさらに跳ね上がり、人間の反応限界を超えるのだ。不二先輩のラケットは傍目からでも明らかなほど振り遅れる。

 

タンッと後方の壁をボールが叩く。愕然とした様子で、珍しく不二先輩が固まった。

 

40-30

 

形勢は定まった。不動峰がゲームの流れを奪い取った。

 

ざわり、とオレの全身が総毛立つ。本能的な反射で、視線を相手コートに向けた。神尾の様子が豹変している。夏前だというのに、思わず寒気を覚えた。醸し出す雰囲気が鋭利かつ威圧的に変貌する。

 

まるで『猛獣のごときオーラ』。

 

 

 

 

 

 

 

「ゲームセット&マッチ。ウォンバイ不動峰、3-6」

 

 

 

 

 

 

【D2】を落とし、次の【D1】は順当に青学黄金ペアが勝利。ここまで1-1の状況だ。小さく溜息を吐く。【D2】で負けたのは痛いが仕方ない。オレと手塚部長が取れば地区大会優勝だ。

 

気持ちを切り替えて、【S3】の試合コートへと向かう。対戦相手は、神尾の代わりに抜けた桜井かな?

 

ラケットを握る右腕をグルグルと回しつつ、相手コートに目を移す。自分の頬が引きつるのが分かる。マジかよ……

 

「よお。久しぶりだな、桃城」

 

短く刈り上げた金髪、額の黒子。格下の桜井ではない。対戦相手は――

 

 

 

――不動峰中学部長、橘桔平

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話

 

 

 

青春学園VS不動峰。第1シード校と無名校との対戦だ。大方の予想は当然、青学の圧勝。しかし、ここまでダブルス2戦が終わり、スコアは1-1のイーブン。神尾の【D2】参戦など想定外もあったが、順調に歴史をなぞっている。

 

残りの3戦でオレと手塚部長の2勝。そんな展開を見越していたが、不動峰は予想外の仕掛けをかましてきやがった。不動峰に存在する『戻り組』における最強選手、部長の橘桔平をオレにぶつけたのだ。

 

【S3】の試合が始まる。

 

 

 

 

 

「ザ・ベスト・オブ・1セットマッチ!青学サービスプレイ!」

 

審判の開会宣言が響く。緑色のコートに黄色のボールをポンポンと弾ませた。先攻はオレ。まずは全力のファストサーブ。並の選手ならサービスエース間違いなしの、全国区の選手でも返球が精一杯の球威の、剛腕のフラットショットがコートに着弾した。

 

「おらっ!」

 

ただし相手は、かつて九州二翼と謳われた、全国有数の超越者。さらに激戦の記憶まで有している。野生の動物染みた俊敏な反応で打球を待ち構え、軽々と打ち返した。

 

「くっ……鋭すぎるぜ」

 

しかもただ返すだけでなく、逆撃として攻め込んできた。激烈な一撃。あわやリターンエースとなりかけ、ギリギリで打球に手が届く。安堵したのは束の間、緩く返さざるを得なかったボールを、再びの剛腕で叩き込まれた。

 

0-15

 

「マジかよ、あの桃城副部長があっさりと……」

 

青学メンバーからどよめきが起こる。部内戦において、ハンデを付けたせいで負けることはあっても、純粋な実力ならば名実共にNo.2を張っているオレだ。これほど簡単に取られるとは思いもしなかったのだろう。部員達の困惑と危機感がひしひしと伝わってくる。

 

だが、実際に戦っているオレ達にとっては既定路線だ。互いに中央へと歩み寄り、無言でネット越しに向かい合う。短髪の坊主頭を金に染めた橘桔平が静かに口を開く。

 

「桃城、最後までそれでやるつもりか?」

 

オレは苦笑と共に首を横に振る。

 

「まさか、こっからは本気でやらせてもらいますよ」

 

「安心したぜ。勝つためのオーダーとはいえ、消化試合じゃつまらないからな」

 

そう言い残し、背を向けて去っていく。一方のオレは一旦ベンチへと戻り、手元のリストバンドを外す。ただし、それはただのカモフラージュ。あまり大っぴらに付けていると、舐められていると思わせてしまうからな。その下から現れたのは同じくリストバンド。ただし、10枚の鉄製の重りの取り付けられた――

 

「ええええっ!もしかして桃ちゃん先輩、ずっと重り付けてたんですかああっ!?」

 

堀尾が大声で驚愕の叫びを上げる。

 

「あのリストバンド、部内戦のときも付けてたよね」

 

「うん。それに越前君と試合したときも。あんな何キロもありそうなのを手首に巻いてたなんて……」

 

2,3年はともかく、初見の1年組が騒いでいる。ちらりと後ろの様子を窺うと、入部前に試合をした越前も驚きと苛立ちの混ざったような、憮然とした表情を浮かべていた。まあ、それだけオレ達『戻り組』とそれ以外の戦力差は大きいのだ。今回は同じく時代を超えてきた者同士。ハンデを付ける余裕はない。

 

「お待たせしましたね。こっからはガチで行きますよ」

 

「やってみな」

 

トスを上げる。全身の筋力を最大限に発揮して、ラケットをボールに叩きつけた。軽くなった腕はスイングスピードを大幅に上げる。集約されたパワーが推進力に変わった。

 

「は、速っ!」

 

観客が思わず声を漏らすとほぼ同時。トリガーを引かれ、撃ち込まれる弾丸。段違いの速度で、反応すら許さずに橘さんの横を抜く。

 

15-15

 

「ほう、やるじゃねえか」

 

一瞬、目を見開いたが、すぐに口元を吊り上げて称賛の言葉を放つ。手首に巻いた枷を外し、全力を解放したオレの弾丸サーブ。その速度は200km/hを超える。

 

 

 

2射目の弾丸となるフラットサーブ。ラケットを振ると同時にコートに着弾した豪速球。対するレシーバーの橘さん。今度はコンパクトに返そうとするも、球威に押されてやや右側に外れる。審判のアウトコール。

 

15-30

 

軌道が逸れたとはいえ、しっかりと力のある打球を返してきた。さすがだな……。不動峰の選手で、オレ並のサーブを打てるヤツはいない。練習不足のはずなのに、たった一球で合わせてきた。見事な適応能力。まるで野性の本能で捉えたかのようだ。

 

 

 

 

 

 

 

そこからは一進一退の攻防が続く。互いにサービスゲームを奪取して、再びオレのサービスゲーム。こちらの弾丸サーブに慣れた橘さんとストローク勝負に移行する。プレイスタイルは両者、アグレッシブベースライナー。基本的に後衛の位置で打ち合いとなる。

 

「何者だよ……。重りを外した桃城と五分に戦ってやがる」

 

「不動峰の橘。明らかに手塚部長と同じく全国区のプレイヤーじゃねーか!?」

 

お互いにスピードボールを活かしたベースライナーだ。視認すら困難な速度でコート上を行きかう打球。交互に撃鉄を落とし合う銃撃戦だ。しかし、本来ならば相手の方が格上。拮抗したこの状況を見るに、まだ波に乗り切れていないらしい。ここで流れをもらう。クロスに放った剛球が相手コートに突き刺さった。

 

40-15

 

逆にこれが相手に火を点けてしまったらしい。眼光鋭く、若干の前傾姿勢へと変化する。肌で感じる殺気。闘争本能が覚醒したか。明らかに集中力が増した。いよいよ来るか。橘桔平の本来の、攻撃力に特化したプレイスタイル――

 

 

――『あばれ獅子』

 

 

 

そこからは一気に劣勢に陥った。疾風怒濤の連続攻撃。重りを外したオレですら対応しきれない。苛烈な強打の雨あられが降り注ぐ。

 

「ちっ……強すぎるぜ」

 

思わず舌打ちする。打ち込まれる一球一球が鋭く、重く、こちらの守備を喰い千切らんとする牙だった。苦し紛れに返した打球を、前方に走り込みながらの体重を乗せた強打でねじ込まれる。

 

ゲームカウント2-4

 

身体能力も技巧も経験もある。野性の本能だけでなく、それらのテニス能力が高次元で備わっているのだ。なりふり構わず攻めている訳ではない。隙が無い。これが九州二翼と謳われた絶対強者の力。ならば、たったひとつのパラメータ。一点集中で突き破るのみ。

 

「行くぜ、パワー勝負!」

 

ラケットを両手で握り、右足一本で前方に跳躍する。全体重を乗せて放つバックハンドショット。すなわち――

 

 

――『ジャックナイフ』

 

 

空間を切り裂く鋭利かつ重厚な刃。スパッとコートを瞬時に一閃する。今日一のスピードボール。それにも橘さんは反応する。だが、この技の本領は重さ。不動峰、石田の放った破壊の一撃『波動球』をも超える威力が内包されているのだ。相手は両手持ちのフォアハンドで対抗。正真正銘のパワー勝負。

 

「らあっ!」

 

だが、それすら通じない。

 

おいおい、マジかよ。普通に返しやがった。動揺で逆にオレの返球の方が緩んでしまう。それを見逃さず、相手は仕掛けてきた。右肘を曲げて大きく後方に動かし、左腕を前方に突き出す。さらに大きく右足を下げて半身となった特徴的な構え。

 

「あれって、桃ちゃん先輩と同じ構え?」

 

独特なフォームから、ラケットのフレームで打ち付ける。この絶技は元々彼のモノだ。プレイスタイルを取り入れる際に真似ただけ。これこそが本家本元。

 

 

「――『あばれ球』!」

 

 

ラケットを豪快に振り下ろす。膨張する幻影が視界を埋め尽くした。オレの身体が思わず硬直する。無数に分裂するボールがコートに突き刺さった。

 

「何で桃の技を、あの男が……?」

 

「いや、むしろアイツの方がキレがある気がするぜ」

 

驚きを口にする部員達。想定と異なる反応に、橘さんは訝しげに辺りを見回した。そして次のゲーム。

 

「今度はこっちの番だ!喰らえ、『あばれ球』!」

 

オレが叫びながら、全力の打球を放つ。右肘を曲げて大きく後方に引き、特徴的な半身の姿勢から放たれる一撃。豪快な振り下ろしからのフレームショット。

 

同一のフォームからの同一な効果を有する技。違うのはその練度。打つと同時に悟る。やはり、橘さんの方がボールのブレ、つまり変化の幅と速度が明らかに上だ。悔しいが、それでも十分に実用に足る練度のはず。

 

「自分の技で沈め!」

 

「なるほどな。お前もこの技を練習したのか」

 

不規則に揺れて迫るボールを前に、しかし顔には余裕の笑みが浮かんでいた。優れた動体視力を持つ菊丸先輩すら捉えられない、この打球。たとえ橘さんとて返せるはずがない。しかし、彼は予想外の方法でそれを成す。

 

「なっ……目を閉じた!?」

 

「しかも、その状態で打ったあああ!」

 

そんな方法があったのか!?

 

言葉にすれば簡単だ。だが、オレにはとても真似できない。確かにフレームショットの肝は、変化そのものよりも、不規則な揺れを無意識に目で追ってしまうことにある。ボールの軌道そのものは、視界を埋め尽くすほど分裂している訳ではないのだ。あくまで錯覚。

 

それゆえの対抗策。悪影響を及ぼす視覚を遮り、野性の勘で打球の軌道を感じ取る。さすがにスイートスポットからは外れるが、腕力に物を言わせてラケットを振り抜き、強引にこちらへ叩き返したのだ。

 

今回の歴史で勝ち残るために習得した新技。そのひとつが、地区予選で早くもぶち破られた。

 

「礼を言うぜ、桃城」

 

苦渋に満ちた表情を浮かべるオレに、橘さんが声を掛ける。

 

「『戻り組』の影響力を侮っていたぜ。歴史通りで考えちゃいけないと、この地区予選の時点で知れた意味は大きい」

 

「……それはこっちのセリフですよ。アンタが【S3】なんかで出るとは思いもしませんでした」

 

「お互い様ってことだな。歴史を変えようとするのは自分だけじゃないってことだ。だから、お前相手だろうと、ここからは全力でやらせてもらう」

 

ゾクリと背筋に寒気が走った。体中の細胞が全力で警戒を発している。反射的に一歩後ずさった。まるで野性の獣に睨まれたかのよう。指一本でも動かせば喰い殺される錯覚。これも本家本元――

 

 

――『猛獣のオーラ』

 

 

 

 

 

 

この日、中学テニス界に激震走る。

 

名門青春学園中等部が、地区大会で無名校に敗北。大多数は驚愕を、そして極一部の中学生は歴史の変化を、それぞれ感じ取った。時代のうねりは加速する。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。