災厄の悪魔は正義を嗤う (ひよこ饅頭)
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初めにお読み下さい!(諸注意、ストーリー設定、キャラクター設定)

○!諸注意!

 当小説は「原作書籍『オーバーロード』12、13巻の聖王国編でウルベルトがおり、なおかつモモンガのポジションをウルベルトが務めたらどうなるだろう?」というのを文章化したものになります。

 はっきり言って、『オーバーロード』12、13巻のネタバレの塊です。

 また、モモンガのポジションにウルベルトがつくので、原作でのモモンガの栄光や見せ場や手柄などがウルベルトのものになるような内容になるかと思われます。

 上記の二点において少しでもご不快に思われる方は、読まないことをお勧めします。

 なお、この点に関して苦情等をされても対応はしかねますので、予め何卒ご了承ください。

 

 

 

 

 

○ストーリー設定

 原作書籍『オーバーロード』1~11巻までは原作通りに進んでいる設定です。

 ウルベルトは何かあった時の隠し玉としてナザリックの外には一度も出たことはなく、基本的にはアルベドと共にナザリックの運営と管理を行い、必要に応じて遠隔視の鏡などで状況を把握しながらモモンガのサポートに回っています。

 

・原作1~11巻までの変更点

①ユグドラシル終了時、モモンガだけでなくウルベルトも一緒におり、二人一緒に転移する。

②アルベドの設定を変更したのはモモンガではなくウルベルト。

③アルベドはギルドメンバーを憎んではいるがウルベルトに対しては憎しみはなく、モモンガに対するものと同じだけの忠誠心を持っている。

 

 ②③に関しては、モモンガとウルベルトがアルベドの設定を閲覧した際、『ちなみにビッチである。』という文章に酷くショックを受けてウルベルトがモモンガにギルド武器を借り、ギルド武器所持によるギルドマスターの特権を利用して文章を書き替えた設定にしております。その際、最後の悪ふざけで『モモンガを愛している』とウルベルトが書き換えたため、原作通りアルベドはモモンガを愛しています。

 アルベドがウルベルトを憎んでいない理由としては、最後に戻ってきてくれたことと、アルベドにとってウルベルトは愛のキューピットの立場にもなったため、憎んでいない設定になっております。

 なお、アルベドは時折ウルベルトにモモンガへのアプローチ方法などを相談しており、恋愛指導もしてもらっている設定にもなっております。

 

 

 

 

 

○キャラクター設定

 ここでは当小説でのオリジナルキャラクターや、原作キャラクターでの変更点などを記載しています。

 話が進むに従って加筆していきますので、当小説でのネタバレにご注意ください。

 なお、加筆する際は『活動報告』にて随時報告させて頂きますので、ご確認いただければと思います。

 

【ウルベルト・アレイン・オードル】

 ナザリック地下大墳墓の至高の四十一人の一人であり、魔導国のもう一人の支配者。魔導国での通り名は“災華皇(さいかこう)(公)”。

 ナザリックだけではなく魔導国でも隠し玉としての役目を担っており、転移世界では魔導国のもう一人の支配者として名だけが知れ渡っていた。

 現在、“ヤルダバオト”を倒すために聖王国に単独出張中。

 

 

 

【スクード】

 オリジナルキャラクター。

 ナザリックに所属している影の悪魔(シャドウデーモン)であり、ウルベルトの配下の一人。

 聖王国に出張中のウルベルトの付き人兼護衛役としてウルベルトに従属している。

 敵の悪魔と見分けがつくように、魔導国の者あるいはウルベルトの配下の証としてウルベルトからスカーフを賜る。ワイン色のスカーフには“アインズ・ウール・ゴウン”のギルドマークとウルベルトのエンブレムが刺繍されており、スクードは右の二の腕にそれを巻いている。

 ルーンが刻まれた籠手とスクードという名もウルベルトから賜ったもので、スカーフの件も相俟って他のナザリックのシモベたちには羨望の眼差しを向けられている。

 実は密かにある朱色の最上位悪魔(アーチデビル)にも睨まれているのだが、幸か不幸かスクード自身は気が付いていない。

 『スクード』とは、イタリア語で『盾』の意。

 

 

 

【ネイア・バラハ】

 聖王国に属する聖騎士の従者。

 現在はウルベルトの付き人の任についている。

 父親譲りの目つきの悪さがコンプレックス。

 ウルベルトにルーンが刻まれている弓“イカロスの翼”を貸し与えられる。

 

 

 

【ヘンリー・ノードマン】

 オリジナルキャラクター。

 聖王国に属する聖騎士。聖騎士団第三部隊所属。

 強さは聖騎士の中では中の下くらい。

 ウルベルトにルーンが刻まれている武器、ロングソード“モール・エクラ”とバックラー“イモータル・プロテクション”を貸し与えられる。

 

 

 

【アルバ・ユリゼン】

 オリジナルキャラクター。

 聖王国に属する神官。第二位階魔法まで使用できる。

 ヘンリーの友人であり、最初の捕虜収容所奪還作戦の際に彼によって半ば無理矢理ウルベルトたちと同行させられる。

 しかし一方で、ヘンリーの関心を引き寄せたウルベルトという存在に興味を抱いている。

 普段は丁寧な口調を心がけているがヘンリーの前では本来の粗野な口調に戻る。

 ウルベルトにルーンが刻まれている杖“レーツェル”を貸し与えられる。

 

 

 

【オスカー・ウィーグラン】

 オリジナルキャラクター。

 聖王国に属する聖騎士。聖騎士団第二部隊所属。

 強さは聖騎士の中では中の上くらい。

 最初の捕虜収容所奪還作戦にて、人質となった子供諸ともバフォルクを殺害した事により、レメディオスに罰として瀕死の重傷を負わされる。

 その後、ウルベルトと契約を交わし、命を救われるのと引き換えにウルベルトの忠実な従者となる。

 レメディオスから受けた仕打ちや聖王国や聖騎士の現状に失望し、絶対なる力を持つウルベルトを崇拝するようになる。

 

 

 

【マクラン・ペルティア】

 オリジナルキャラクター。

 聖王国に属する聖騎士。聖騎士団第二部隊所属。

 強さは聖騎士の中では中の中くらい。

 元オスカーの後輩で、オスカーの事を慕っていた。

 オスカーがウルベルトの従者となったことで、他の聖騎士たちよりかはウルベルトと関わりを持つようになる。

 

 




書籍版12、13巻に萌えすぎて書いてしまいました……!
またもやウルベルト様主人公小説です!(笑)
少しでも楽しんで頂ければ幸いですvv
また、この小説は兎更新の時と亀更新の時がありますので、何卒ご容赦ください……。


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第0話 プロローグ

『初めにお読みください!』は読んで頂けましたでしょうか?
当小説は気を付けて頂きたい点がございますので、読まれていない方は是非ともそちらを先に読んでから本編を読んで頂きますよう宜しくお願い致します。

当小説での守護者の認識は『創造主>(越えられない壁)>アインズ(モモンガ)、ウルベルト>至高の41人>(越えられない壁)>ナザリックの仲間たち>(越えられない壁)>ナザリック外』となっております。


 夜の闇に染まった世界、人間が統べる王国、強固な城壁に護られた街、木々が切り倒された平原。

 細く弧を描く月の光のみが地上を照らす中、多くの者を眠りの底へと誘うはずの闇の中に大小様々な影が怪しげに蠢いていた。

 大きな一つの塊となって闇に染まって平原を進むのは亜人の群れ。

 いや、群れなどという言葉は生易しく、それは軍勢と言っても差し支えないものだろう。一つの種族だけではなく、蛇身人(スネークマン)鉄鼠人(アーマット)人喰い大鬼(オーガ)洞下人(ケイブン)など……多数の種族が寄せ集まった大軍勢。

 彼らの向かう先には強固な城壁に護られている人間の街が悠然と佇んでいた。

 街の中では多くの人間たちが闇の中を駆けずり回っており、ある者は整列に加わり、ある者は城壁の上に駆け上がり、ある者は夜の闇に紛れて必死に息を押し殺している。

 やがて街を護る人間の軍勢と平原を進む亜人の軍勢が城壁を隔てて対峙した。

 先ほどまでの指示を飛ばす声も、草花を踏みしめる音ももはや聞こえることはない。この場には100を……いや、1000を超える生物がいるというのに、痛いほどの静寂が夜の闇に漂っていた。まるで小さな音をたてることさえ万死に値するとばかりに静寂が空気を張り詰めさせ、身を切るほどの緊迫感が平原を、街を覆い尽くす。

 しかし何事にも終わりはやってくる。

 まるで静寂のベールを振り払うように、亜人の軍勢の中から一つの影がポツリと進み出てきた。

 目が覚めるような朱色の衣装を身に纏った仮面の男。見た目は細身の人間の男であるのに、しかしその腰からは異形の銀色の尻尾が揺らめいていた。

 仮面の奥から発せられる声は聞く者を虜にさせるほどに甘く、柔らかく、優しい。恐らく美声と言われる声は本来こういった音なのだろうと思わせるほどの声。

 男はその美声でもって自らの名を名乗り、目的を語り、この国に訪れるであろう絶望の未来を謳った。

 人間側からの返答は大きな濁声と咆哮にも似た鬨の声。そして仮面の男に向けて放たれた五十を超える多くの矢だった。

 白の赤の青の緑の……、多くの光の軌跡を残しながら一直線に飛んでいく矢の嵐。

 その多くが男の痩躯に突き刺さり、しかし男は少しも揺らぐことはなかった。まるで何事も起こっていないかのように男が動き出し、刺さっていた矢も全てが灰のようにボロボロと崩れ落ちていく。

 男は頭上に向けて優雅に手を挙げると、瞬間、燃え立つ巨大な岩の塊が空の彼方より人間の街へと飛来した。

 炎の赤々とした軌跡を残し、世界を揺るがすほどの破壊音と振動と共に城壁が押し潰されて爆発する。

 夜の闇を裂くように広がる様は、まるで絶望を孕んで咲き誇る巨大な紅蓮の華のよう。

 一撃で無残な姿となった城壁を多くの炎が舐める中、遥か上空から一つの視線が地獄と化した街へと注がれていた。

 

「………美しいものだな…」

 

 何処からともなく一つの声がポツリと夜の闇に零れ落ちる。

 しかしそこには誰もいない。いや、誰の姿も見られない(・・・・・)

 地上では平原で待機していた亜人の軍勢が動き出し、更には多くの悪魔たちが空へと舞い上がった。

 一気に響き渡り始める多くの怒号と悲鳴。

 亜人や悪魔たちはまるで羊に食らいつく狼のように城壁を越えて街の中へと雪崩れ込み、人間たちはまるで哀れな子羊のように逃げ惑い、向かっていった者たちは無残に斬り殺され、あるいは喰い殺されていった。

 もしこの場に人間の詩人でもいたならば、正に地上の地獄だとでも表現したのだろうか……。

 しかしここにそんな人物がいる筈もなく、地上では一方的な殺戮が繰り広げられ、やがて遥か上空の何もないはずの空間に一つの小さな風が流れて消えていった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 人間が統治する国の中で、リ・エスティーゼ王国、バハルス帝国、スレイン法国と呼ばれる三つの国があった。

 そしてつい最近、その三つの国に接するように存在するカッツェ平野を中心に、リ・エスティーゼ王国の辺境の街であったエ・ランテルを呑み込んで一つの国が誕生した。

 名をアインズ・ウール・ゴウン魔導国。

 人間だけでなく、アンデッドや亜人など、多種多様な種族が生きる国である。

 統治体制は王政。

 しかし魔導国の王は現在二人存在した。

 一人は、名をアインズ・ウール・ゴウン魔導王。

 偉大なる力を持った魔法詠唱者(マジックキャスター)であり、骸骨(スケルトン)の姿をした“死の支配者(オーバーロード)”という種族のアンデッドである。

 そしてもう一人は、名をウルベルト・アレイン・オードル災華皇(さいかこう)

 積極的に民たちにも姿を見せるアインズ・ウール・ゴウン魔導王に対し、こちらは一度も姿を現したことがない謎多き存在。

 魔導国の民でさえその姿を見たことのある者はおらず、その名前だけがもう一人の統治者として国や世界に知れ渡っていた。

 本当はそんな人物などいないのではないか…と噂が囁かれることもあるが、しかし魔導国に住む者たちはその人物が実在していることを知っていた。

 何故なら絶対者である魔導王や側近である異形たちが事ある毎にその人物について笑顔と共に語り合い、魔導王が現れる場においては、いつももう一人分の空席が必ず用意されるのだ。

 まるでそこに見えない存在がもう一人いるかのように……。

 

 魔導国に住む者たちは皆囁き合う。災華皇なる魔導王の友にしてもう一人の我々の支配者は一体どんな人物であろうか、と。

 他国の者たちは皆不安を語る。災華皇なる人物は魔導王に次ぐ強大にして邪悪な存在ではないのか、と。

 魔導王のシモベたちは皆喜色を浮かべて微笑みながら謳う。災華皇なる御方はまさに名にある通りの素晴らしい至高の御方である、と。

 

 そして魔導国を統べるアンデッドたる王は……――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――……よっしゃー、やっと堂々と外に出られる! 張り切っちゃうぞーっ!!」

「ちょっ、張り切らないで下さい、ウルベルトさんっ!!」

 

 地下深くにある墳墓の玉座に、嬉々とした歓声と慌てたような悲鳴が響いていた。

 

 



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第1話 異形の救いの手

 今日も今日とて和やかな昼下がり。冬の中頃であるとはいえ頭上の空は晴れやかな晴天で、地上を照らす太陽も柔らかく明るく、少しだけ温かい。

 多くの人間や亜人や異形やアンデッドたちが賑わい豊かに闊歩する街の中で、目つきの悪い一人の少女が憂鬱な空気を背負い込んで重たいため息を吐き出していた。

 彼女の名はネイア・バラハ。

 ローブル聖王国に属する聖騎士見習いである従者である。

 何故聖王国の人間である彼女がここ魔導国に来ているのかというと、簡単に言えば魔導国の力を借りに来たのだ。いや、もう少し正確に言えば、魔導国を統べる魔導王の配下となった漆黒の英雄と呼ばれる冒険者モモンを聖王国に派遣してほしいと頼みに来たのである。

 現在聖王国はヤルダバオトと名乗る凶悪な悪魔に率いられた亜人たちの軍勢によって壊滅の危機に瀕していた。

 聖王国は地形の関係で勢力が北と南に別れており、壊滅状態に陥っているのは未だ北のみで南はほぼ無傷の状態が続いている。しかしそれも時間の問題であり、南の軍勢だけでヤルダバオトたちをどうにかできるとも思えなかった。

 だからこそネイアを含む聖王国の聖騎士たちは、使節団として一番近いリ・エスティーゼ王国に救援を求めに行ったのだが、王国の貴族たちには少しも取り合ってもらえず、王国のアダマンタイト級冒険者の“蒼の薔薇”にも聖王国に来てらうことを拒否されてしまった。

 これからどうすれば良いのかと途方に暮れる中で“蒼の薔薇”から提案されたのが、この魔導国に救援を願い出たらどうかというものだった。

 魔導国にはヤルダバオトを退けたことがあるという冒険者モモンがいる。モモンが聖王国に来てくれれば、もしかすれば聖王国を救うことができるかもしれない……。

 そんな一縷の望みを胸に抱いて魔導国を訪れ、驚いたことにその日の翌日には魔導王への謁見が許されたのだった。

 ネイアはつい先ほど終わったばかりの謁見の間でのことを思い出して、思わず小さく身を震わせた。

 謁見の間の前で待っていたのはアルベドという絶世の美女で、謁見の間で相見えたのは噂通りアンデッドである魔導王だった。

 初めて見る魔導王というアンデッドは、ネイアが思い浮かべるものとは全く違って神々しさすら感じられる超越者であり、白骨の口から零れ出る声音も叡智溢れる落ち着いたものだった。

 言葉の内容もひどく理性的で、王者としての威厳だけではなく他国の人間である自分たちへの配慮まで含まれた暖かなものだった。

 最終的に自分たちの希望は聞き届けられ、冒険者モモンは聖王国に派遣されることとなった。

 ならば何故ネイアの表情がこんなにも憂鬱なものになっているのかというと、冒険者モモンが派遣されるのが今から二年も後であるからだった。

 最初は五年後だったところを、副団長であるグスターボの説得やネイアの命を張った哀願によって二年に短縮はされた。しかしそれによって団長であるレメディオス・カストディオの怒りに触れることになり、ネイアは彼女が落ち着くまで一人街中で暫く時間を潰さざるを得なくなっていた。

 穏やかな街並みや行き交う多くの存在たちを眺めながら、これからの事をぼんやりと考える。

 魔導王との会談により、冒険者モモンは二年後に聖王国に救援として来てくれる。しかし、いくら短縮してもらえたからと言って、どう考えても二年後では間に合わなかった。聖王国では今も多くの人々が亜人や悪魔たちと戦っており、いつ総崩れとなってしまうか分からない状況だ。二年どころか一年持ち堪えられるかもひどく怪しい。

 しかし現状これ以上の対策など浮かばず、ネイアはもう一度大きなため息を吐き出していた。

 

 

 

「……随分と重い溜息だな」

 

「っ!!?」

 

 突然聞こえてきた声に、ネイアは思わずビクッと身体を跳ねさせた。

 聞き間違えようはずもない、先ほどの声は聞き慣れたものではなかったが、つい先ほどまで確かに聞いていた声だった。

 しかしその声の発生源は周りには見当たらない。

 もしかしたら魔法なのかもしれないと内心で判断しながら、ネイアは姿の見えぬ声の指示に従って裏通りへと足先を向けた。

 辿り着いた裏通りは薄暗いことも汚らしいこともなかったが、やはり人通りはなく自分以外の人影は見られない。

 ここならば大丈夫だろうと判断すると、ネイアは足を止めて勘に従って後ろを振り返った。

 

「魔導王陛下、どうしてここに? それに姿が見えないのは魔法ですか?」

「なるほど。嫌に素直に話を聞いたと思ったら、私が誰だか分かったからか」

 

 納得の声とほぼ同時に、何もない空間がゆらりと揺らめく。

 姿を現したのは漆黒のローブを身に纏った骸骨……このアインズ・ウール・ゴウン魔導国の王であるアインズ・ウール・ゴウン魔導王その人だった。

 ネイアは反射的に膝をつくと深く頭を下げていた。

 

「はい、仰る通りです。それで……お供は……どこにいらっしゃるのですか?」

「いや、いない。供がいては少々面倒なことになるからな」

「そ、それは一体……?」

「ふむ……。私は内密にお前の団長と話がしたい。呼び出してほしい……。いや、部屋まで……部屋の窓を開けてくれるか? そちらから入ろう」

 

 魔導王からの依頼は何とも不可思議なものだった。

 しかしネイアに魔導王からの依頼を断ると言う選択肢など存在しない。

 もし依頼を断ったとして、魔導王からの印象を悪くさせたり機嫌を損ねられてしまっては元も子もないのだ。

 内密に話したいというものが一体何なのかは想像もできなかったが、ネイアは素早く立ち上がって一つ頷いた。

 

「畏まりました。では早速、団長の部屋の窓を開けて参ります」

 

 ネイアはもう一度深く頭を下げると、魔導王の横をすり抜けて駆け出した。

 ネイアや団長を含め、使節団が泊まっている宿は、この都市の中では一番格式高い“黄金の輝き亭”という宿だ。

 当然勢いよく店内へ飛び込むわけにも、店内を走るわけにもいかない。しかしのんびり歩くこともまたできるわけもなく、ネイアは急ブレーキをかけて一度止まってから扉を開けると、続いてできるだけ速足で店内を進んでいった。店員から若干冷めたような視線を向けられたような気もするが、そんなことを気にしている余裕などない。

 一直線に借りた部屋に向かうと、素早くノックしてそのまま扉を開けようとした。

 しかし掌に感じられたのはロックされた硬い感触。

 鍵が閉められているという思っても見なかった状況に一瞬頭が真っ白になりながら、ネイアは縋りつくように再び素早くノックした。

 

「従者ネイア・バラハです! 開けて下さい!」

 

 逸る心を抑えながら待っていれば、一拍後ゆっくりと扉が開いて一人の聖騎士が顔を覗かせてくる。

 ネイアは手短に礼だけ言うと、すぐさま他の聖騎士たちと部屋の奥にいたレメディオスの元へと駆け込んだ。

 

「お話し中、失礼いたします。魔導王陛下が参られます。内密の話がしたいとのことです」

 

 突然戻ってきたネイアに驚愕の表情を浮かべていた面々が、すぐに彼女の背後へと視線を向ける。しかし当然そこには誰もおらず、ネイアは部屋の中を突っ切って大きな窓へと向かった。咄嗟に制止の声を上げてくる聖騎士の言葉を無視して窓を開けると、そのまま身を乗り出してどこかにいるであろう魔導王へと大きく腕を振る。

 何も知らない者にとっては中々に奇怪な行動であっただろう。

 室内にいた聖騎士たちもそう感じたようで、ネイアはすぐさま襟首を掴まれて室内へと引きずり戻された。

 

「何をしている、従者バラハ! 窓を不用意に開けるとは…、それにどこに魔導王がいると言うのだ!」

 

 聖騎士の一人がネイアの襟首から手を離しながら顔を真っ赤にして怒鳴りつける。

 しかし幸か不幸か、それはすぐさま止められることとなった。

 

「それぐらいにしておけ。お前たちのルールを破ったのは、私の願いを聞き届けてくれたからこそ。責めるのであれば私を責めてもらおう」

 

 威厳ある静かな声が聞こえてきたのは、ネイアが開け広げた窓の外。

 反射的にそちらに視線を向ければ、魔導王が窓に足をかけてゆっくりと室内へ入ってくるところだった。

 ビロードのような艶やかな輝きの光を宿した漆黒のローブがふわりと揺らめき、全員の視界を深く彩る。

 魔導王は完全に室内に足を踏み入れると、改めてこの場にいる全員に眼窩の紅の灯りを向けた。

 

「ふむ……、驚かせてしまったようで悪いな。内密の話がしたくて来させてもらった。窓から入るとは礼儀知らずの行為だが、これしかなかったのだと理解してほしい。……彼女には悪いことをした。………アインズ・ウール・ゴウン魔導王である」

 

 一瞬眼窩の灯りがネイアに止まり、次にはレメディオスや他の聖騎士たちへと向けられる。続いて王者の風格と共に上げられた名乗りに、ネイアや聖騎士たちは全員が片膝をついて頭を下げた。

 

「良い、……立つが良い。あまり時間はないのでな。カストディオ団長殿、話をしても良いか?」

「我々に異論などありません。それではこちらにどうぞ」

 

 立ち上がった聖騎士たちがすぐさまテーブルや椅子などの準備を始める。

 テーブルの上に並べられていた大量の資料を片付け、不要な椅子を下げて並び直していく。

 ネイアを含んだ聖騎士たちは壁に並び立ち、椅子に座るのは魔導王とレメディオスとグスターボのみ。しかしテーブルを挟んで向かい合うように座っている魔導王の横には、魔導王の要望により一つの空席も用意されていた。

 あの椅子に何の意味があるのだろう…と内心で首を傾げながら、そういえば謁見の間でも二つの玉座が存在していたのをネイアは思い出していた。

 魔導王が座っていた煌びやかな黄金の玉座と、まるで黒曜石で作られたような空席の漆黒の玉座。

 あの時も不自然さを感じて凝視してしまっていたのだが、今回も不自然さに自然とその空席に視線を引き寄せられてしまっていた。

 

「それでは魔導王陛下、敢えて……単刀直入に質問をさせて頂くことをお許しください。突然、私どもの宿にやってこられたのはどういう訳でしょうか?」

 

 まるで彼らの視線をこちらに集中させるようにグスターボが口を開く。

 ハッと我に返って魔導王たちを見れば、レメディオスとグスターボが強い視線で魔導王を睨むように見つめていた。直属の上司たちの様子に、ネイアや他の聖騎士たちも自然と魔導王へと視線を集中させる。

 

「勿論だ。あの時も言ったが、私は持って回った言い方はあまり好まない。曲解したり、間違った理解をされたりするものだからな」

 

 魔導王はまるで一息入れるように息をつくような仕草をして見せると、椅子の背もたれに深く背を預けながら肘掛に肘をついて骨の両手の指を組んだ。

 

「あの場にはアルベドもいたため話せなかったのだが、このままヤルダバオトが世界を騒がせ続ければ我々としても少々不都合が出てくるのだ。モモンを派遣するのは二年後と決まったが、その前に君たちが一つ要求を呑んでくれるのであれば、モモンに匹敵する人物を直ちに聖王国に派遣するのもやぶさかではない」

「不都合……? それは、一体どういう意味なのでしょうか?」

「………君たちは“災華皇(さいかこう)”を知っているかね?」

 

 レメディオスは堂々と首を傾げ、ネイアは内心で首を傾げる中、グスターボや他の聖騎士たちは大きく頷いていた。

 どうやら魔導王が口にした“災華皇”という人物は中々の有名人であるらしい。

 

「お名前だけは存じております。魔導王陛下と同じく、このアインズ・ウール・ゴウン魔導国を支配している方だとか…」

 

 グスターボの言葉にレメディオスとネイアが驚愕の表情を浮かべる。しかし魔導王はそれに気が付いているのかいないのか、変わった様子もなく大きく頷いて返してきた。

 

「副団長殿が言った通り、災華皇ウルベルト・アレイン・オードルは私と同じ魔導国の王であり、私の大切な友人である。今までは内政の方に集中してもらい国が落ち着いたら改めて外に出て貰おうと思っていたのだが、ヤルダバオトがこのまま世界を騒がせ続ければ、それも当分できなくなってしまう可能性があるのだよ」

「それは……、いずれヤルダバオトが魔導国に侵攻してくれば国の情勢が崩れるから、ということでしょうか……?」

「いや、それ以前の問題だ。ヤルダバオトが殺戮を繰り広げている時点で、友を外に出す我々の計画が大幅に遅れてしまうのだよ」

 

 魔導国であろうとなかろうと、ヤルダバオトが暴れては外に出られない人物……。

 一体どんな人物なのだろう…とネイアは頭を悩ませた。

 普通に考えれば怖がりな人物やか弱い人物が一番初めに頭に浮かぶが、多くの強力なアンデッドたちを支配している魔導王の友人であり、同じ王を名乗る人物がそうであるとは非常に考え辛い。では他にどんなことが考えられるだろう…と思考を巡らせるも、残念ながらネイアの頭では全く想像もできなかった。

 しかし一人だけ、何やら思い至ることができたようだった。

 この使節団の頭脳と呼ぶべきグスターボだけが、顔面を蒼白にして驚愕に見開かせた目で魔導王を凝視していた。

 

「へ、陛下……。まさか…災華皇、陛下……とは……」

「流石に察しが良いな。……そう、我が友ウルベルト・アレイン・オードルはヤルダバオトと同じく……悪魔だ…」

 

「「「っ!!」」」

 

 部屋の空気が一気に張りつめ、この場にいる全員に緊張が走る。中でもレメディオスの形相が鬼のように変わり、拳だけでなく全身をブルブルと震わせていた。まるで身体全体が怒りと憎しみを表しているかのようで、比較的遠くに立っているネイアですらひどく息苦しく感じられるほどだった。隣に座っているグスターボは気が気ではないだろう。

 しかし対面に座っている魔導王だけが変わらぬゆったりとした動作で再び口を開いた。

 

「私はアンデッドであり、友は悪魔……。どちらも一般的には生者を憎む存在だ。アンデッドである私だけでも民たちに与える衝撃は大きく、友まで支配者として表に出すわけにはいかなかった」

 

 何を考え、何を感じているのか……。

 魔導王の声音は謁見の間の時や今までと違ってどこまでも静かで抑揚がない。淡々と語られる魔導王の話の内容はとても分かりやすく、また理解できるものだった。

 アンデッドが王として君臨すると言うだけでも、人間だけでなく亜人や他の多くの種族たちは大きな衝撃を受けたという。人間の世界で英雄として大きな信頼を持っていたモモンを配下に迎えることである一定の落ち着きを取り戻すことには成功したが、謁見の間でも言っていたように完全な平穏にはまだまだ時間がかかる。そのため、魔導王や配下のシモベたちはもう一人の支配者については取り敢えず名だけを世界に知らせることにし、その存在についての詳しい情報についてはアンデッドという存在がある程度受け入れられて悪魔という存在も新たにを受け入れられる体制になってから公表することにしたのだという。

 

「我々にとってはヤルダバオトというよりも悪魔という存在が騒動を起こしていること自体が気に入らないのだよ。我が友も、早く外に出たいと騒いでいるのでね。彼を宥めている私としては是非とも君たちには早急にこの件を解決してほしいのだよ」

「………なるほどな、それが理由で我らに協力的だったという訳か…」

 

 相手が一国の王だということも忘れ、レメディオスが粗野な口調で魔導王を睨み付ける。

 魔導王は今まで通り気にした様子もなく変わらぬ態度で座っていたが、慌てたのはグスターボや他の聖騎士たちだった。

 

「わ、我々としても魔導王陛下のお考えはとても有り難く心強いものです! しかし、二点ほど確認したいことがございます。まずは先ほど仰られていた要求とは一体何であるのか。そしてもう一つは、派遣して頂けるというモモン殿に匹敵する力を持つ人物とは誰なのかについてです」

 

 魔導王の申し出の理由や考えは分かった。聖王国側にしてみても非常に有り難いものではあったが、しかし要求の内容によってはどうしても呑めぬものもある。

 

「ふむ、その疑問も尤もだ。まずはこちらの要求についてだが、ヤルダバオトの配下の悪魔……そうだな、メイド悪魔を貰い受けたい」

 

 魔導王の要求は意外の何物でもなかった。

 魔導王の言によるとヤルダバオトは契約魔法か何かでメイド悪魔を支配下に置いている可能性が高いらしく、その術式を奪ってメイド悪魔をこちらの支配下に置きたいらしい。初めに“ヤルダバオトの配下の悪魔”と言ったのも、メイド悪魔がいない場合や、メイドの姿をしていない可能性を考慮したためだろう。

 

「あぁ、そうだ。何か特定のアイテムで支配しているかもしれないので、ヤルダバオトの持っているアイテムの内、聖王国の物であると判断できない物は私の物にするという条件も、だ。下手をしたら聖王国内で暴れたメイドを魔導国が引き取ることになるのだが、その際は魔導国の支配下に入ったということで怨みは忘れてくれ」

「………我が国で暴れているかもしれない者たちを許せと?」

「それ以外に聖王国から貰えそうな物もないのでね。それとも何か提供できる物でもあるのかね?」

 

 苦々し気に表情を歪めて黙り込むレメディオスに、すぐさまグスターボからフォローが入る。

 

「陛下、当事者でない私たちが被害を受けている者たちに怨みを忘れてもらうというのは難しいと、団長は言いたかったようです」

「その程度は努力し、説得しろ」

 

 冷徹な声音で魔導王がきっぱりと言い捨てる。

 暫く続く、痛いほどの静寂。

 誰もが固唾を呑んで見守る中、ネイアはレメディオスがチラッと目だけでグスターボを見つめたのが分かった。

 あれは判断を任せるという無言の合図であり、ネイアを含めてこの場にいる全ての聖騎士たちが知っているものだった。

 

「………それでは、私共としましては魔導王陛下のお言葉に全面的に従おうと思います」

「別に従わせようとしているのではなく、取引をしようということだったんだが、まぁ、構わない。さて、書面に起こすべきだが、今はそのための道具や印璽がない。後日、起こすとしよう。……王国の言葉で構わないかね?」

「読める者がおりますので、問題はありません。それでは陛下、もう一つ目の確認ですが、モモン殿に匹敵する人物とはどなたなのでしょうか?」

 

 先ほども述べていたこともあり、グスターボの質問は至極尤もな問いだ。

 しかし魔導王はここで初めてピクッと小さな反応を示すと、何とも言えない緊迫感のような空気を漂わせた。

 魔導王はどうやっているのかは分からないが無いはずの肺でため息をつくと、次には気を取り直すように組んでいた手指を解いて小さく肩を竦ませた。

 

「……モモンに匹敵し、ヤルダバオトを倒せる人物など限られてくると思うがね。………君たちと行くのは我が友にして最強の魔法詠唱者(マジックキャスター)、ウルベルト・アレイン・オードル災華皇だ」

 

 思わず絶句する中、ネイアは確かに魔導王が変化しないはずの骸骨の顔に苦笑の色を浮かべた様に見えた。

 

 




当小説では主人公であるはずのウルベルト様が全く出てきていないという事実……(汗)


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第2話 災華皇

 多くの騎馬に囲まれるようにして一つの馬車がガタゴトと揺れる。

 外観は平凡であるものの内装は上品でいて機能的であるこの馬車は、魔導国で用意された物だった。

 長時間座っていても全くお尻が痛くならない柔らかなクッションに腰かけながら、ネイアは未だに緊張した面持ちで対面に座る人物たちを見つめていた。

 ネイアの目の前に座っているのは二人の異形だった。

 一人は全身が闇のような漆黒に染まった痩せこけた人型の悪魔。

 細く長い手指には鋭利な爪が備わっており、その背には蝙蝠のような大きな羽が折り畳まれている。同じ使節団の聖騎士の一人の言葉によると、影の悪魔(シャドウデーモン)という強力な悪魔であるらしい。聖王国随一の聖騎士と名高いレメディオスと同等の力を持つとか持たないとか……。

 ジロジロ見ていたことに気付かれたのか、唯一漆黒以外の色を持つ黄色の瞳が鋭くネイアに向けられた。

 ネイアは思わずビクッと身体を震わせると、咄嗟に視線を外して悪魔の横に視線を滑らせた。

 シャドウデーモンの隣に腰を下ろしていたのは、こちらも闇のような漆黒に身を包んだ細身の悪魔だった。

 しかし容姿はシャドウデーモンとは全くの別物である。全体的には二足歩行の山羊のような姿だったが上半身の骨格は人間と同じであり、手も前足ではなく人間と同じ五本指を備えたものである。

 聖王国を襲ってきた亜人の軍勢の中には同じく山羊の姿をしたバフォルクという種族もいるが、全体的には似ているものの、こちらはどこまでも理知的であり存在感もまるで違う。何より、こんな表現は本来ならば間違っているのかもしれないが、目の前の山羊頭の悪魔はとても美しかった。

 絹のような繊細さで緩く波打つ長めの毛皮に、横に伸びた瞳孔を持つ金色の瞳。それが一つの芸術品であるかのような曲線を描いた大きな二本の角に、角の間に挟むように乗せられた見たことのない形をした漆黒の帽子。鳥の嘴のような奇妙な形の片仮面を顔の右側に被っており、民族衣装のような見たことのない漆黒の衣装を身に纏っている。肩には瑞々しく目に鮮やかな深紅の薔薇が飾られており、手にはナイフのような刃が供えられた手袋が填められていた。身に纏う全てが美しく不思議な輝きを宿しており、一目でかなりの高級品だと見てとれる。

 彼こそがアインズ・ウール・ゴウン魔導国のもう一人の支配者、ウルベルト・アレイン・オードル災華皇(さいかこう)であった。

 唯の従者でしかないネイアが何故この二人と同じ馬車に同乗しているのかというと、偏にそれはレメディオスに命じられたからだった。

 

 魔導王との密会を終えたネイア達は、今後について詳しく話し合った。

 そこで団長であるレメディオスが発言したのが、如何に災華皇という存在を利用して使い潰すかだった。

 災華皇は身分的には魔導国の支配者であり王であったが、悪魔であることには変わりない。あくまでも第一の目的はヤルダバオトを倒すことではあるが、どちらも悪魔なのであれば、どちらが死んでも構わない。いや、どちらも滅んでくれるのならば、それが一番良いとまで言い放ったのだ。

 しかしそのためには、まずは監視をすると共に災華皇を上手く手なずけて誘導する人物が必要だ。その役目に抜擢されたのがネイアだった。

 しかし正直に言って、ネイアにとってはその役目は重責でしかなかった。

 第一、唯の従者が一国の王の側仕えをするなど聞いたこともなかったし、下手をすれば相手を不快にさせて終わりである。しかしレメディオスはこの役目は今回の使節団の誰かがやるべきだと主張し、そうなるとこの使節団には女はネイアとレメディオスの二人しかいないため、必然的に引き受けられるのはネイアしかいなかったのだ。

 この役目を引き受けた当初、ネイアは憂鬱でしかなかった。

 先ほども述べた様に従者でしかない自分が王に仕えること自体が無理であったし、相手は人間ですらなくヤルダバオトと同じ悪魔なのだ。会ったこともなく噂すら聞かぬ悪魔の相手など自分に務まるはずがない。大きな不安と憂鬱と恐怖に支配されるネイアであたったが、しかし実際にウルベルト・アレイン・オードル災華皇に会った今では、ネイアは全く別の感情を感じていた。

 

 ネイアは大きな窓から馬車の外の景色を眺めている山羊頭の横顔をじっと見つめた。

 ウルベルト・アレイン・オードル災華皇をネイアが一言で表すなら、“不思議な悪魔”だった。もっと多くの言葉で述べるのであれば、すごく遠慮がなくて少々不躾でありながら、一方で非常に寛大でいて優しく、少しだけ可愛らしい悪魔だった。

 悪魔が優しくて少しだけ可愛らしいなんてあり得ないとネイア自身も思うけれど、そう感じてしまうのだから仕方がない。

 ネイアは未だウルベルトの横顔を見つめながら、この二人の強大な悪魔に初めて相見えた時のことを思い返していた。

 

 ウルベルトがネイアたちの目の前に姿を現したのは、ネイアたち聖王国の使節団が魔導国を出発する直前の頃だった。

 冬であるため未だ空も白けぬ早朝。

 それでも淡い光を宿した夜の薄闇の中、まるで漂う冷気のベールをかき分けるようにして二つの人影と大きな馬車が連れだって姿を現した。

 人影の一人は、密会の時にも着ていた漆黒のローブを揺らめかせたアインズ・ウール・ゴウン魔導王。そしてもう一人が、不思議な衣装や仮面を身に纏った山羊頭の悪魔だった。

 密会で話していた内容と魔導王と共にいることから、恐らく彼がウルベルト・アレイン・オードル災華皇なのだろう。

 別段コソコソと身を隠す訳でもフードを被って顔を隠す訳でもなく堂々と歩いてくる山羊頭の悪魔に、ネイアは大きな不安と恐怖と緊張に身体を強張らせた。

 しかし突然近くから響いてきた叫び声のような雄叫びに、ネイアはビクッと大きく身体を震わせた。

 何事だと見開かせた目で声の方角を見つめた瞬間、白銀の煌めきが猛スピードで視界を横切っていく。

 反射的に煌めきを目で追えば、何をどう思ったのかレメディオスが雄叫びを上げながら聖剣を抜いてウルベルトに襲い掛かっていた。

 咄嗟にネイアの全身から血の気が引く。

 レメディオスが淡い輝きが宿る聖剣を振り下ろそうとしたその時、しかし彼女はすぐさま動きを止めた。

 レメディオス自らが動きを止めたのでは決してない。

 では何故かと目を凝らすネイアの視界に、多くの黒く細い何かが彼女の全身に絡みついて動きを阻害しているのが見てとれた。

 一瞬紐か何かかと目を疑う。しかし、そうではなかった。

 レメディオスの全身を拘束していたのは、何体もの影のような細身の悪魔たちだった。

 一体どこから…と目を見開かせ、すぐに悪魔たちの全てがウルベルトの足元の影から身を乗り出すような形になっているのが目に入る。

 悪魔たちに拘束されながらも鬼の形相で睨んでいるレメディオスに、ウルベルトは不思議そうに小首を傾げていた。

 

「……これはこれは。随分と熱烈な歓迎方法だねぇ」

 

 聞こえてきた声は魔導王のものよりも少々皮肉的でいて抑揚が強く、とても穏やかなものだった。

 しかし続いて響いてきた声は、大きな怒りにひび割れて酷く歪んでいた。

 

「………これは、一体どういうことだね、カストディオ団長殿?」

 

 ネイアだけでなく聖騎士全員の血の気が更に引き、全身の肌が恐怖に粟立つ。

 声の発生源は魔導王であり、眼窩の紅の灯りを薄暗い闇色に染め上げていた。

 

(……あっ、これ、終わった………。)

 

 唐突に全ての終わりを悟る。それはネイアだけではなく、他の聖騎士たちも全員が感じたことだろう。

 しかし勇敢にも副団長であるグスターボが冷や汗を流しながらも何とか改善修復しようとすぐさま動いた。

 

「おっ、お待ちを! 団長が大変失礼いたしました! 魔導王陛下のお連れ様があまりにも聖王国で暴れていた亜人に似ていたものですので、団長は混乱してしまったようです! 決して陛下やお連れ様を狙ったのでは……!!」

「………そんな言葉が通じるとでも? 我が友を外に出したのは、お前たちに襲わせるためではないのだぞ」

「そ、それは、重々承知しております……」

 

 グスターボの顔色が蒼褪め、声も恐怖と絶望に震える。

 やはり、もはや全ての希望が断たれた……と絶望感に目の前が真っ暗になる中、それを拭い去ったのは意外なことに襲われた本人であるウルベルトであった。

 

「まぁまぁ、落ち着きたまえよ。元より彼女たちにとって悪魔は憎むべき存在。この程度、アインズとて予想はしていただろう?」

「……しかし、予想はしていても実際にされるとなると、気分が良いものではない」

「まぁ、気持ちは分かるがね。……しかし、一度の失敗くらいは許してあげても良いのではないかね?」

 

 人間のものではなく山羊の頭であるため判断し辛くはあるが、恐らく笑みを浮かべているのだろう。

 穏やかな声音で諭すウルベルトに、魔導王も渋々ながらも許してくれ、ネイアを含む使節団全員が思わず安堵の息をついた。

 しかしどうやら魔導王の使節団に対する評価と信用は一気に下がってしまったようだった。

 当初、使節団と共に聖王国に向かうのは災華皇ただ一人だったのだが、災華皇の付き人兼護衛として悪魔がもう一人付いて来ることとなった。

 それがウルベルトの影から出てきてレメディオスを拘束した悪魔の内の一体であり、今ネイアの目の前にいるシャドウデーモンであった。

 レメディオスに対しては、用事がある時以外でウルベルトに不用意に近づかないよう接近禁止令が出されている。

 しかし魔導王がここにいない今、それにどれだけの効力があるのかは甚だ疑問であり、ネイアはそのことについては極力考えないようにしていた。ウルベルト本人は全く気にしていない様子であったし、こちらが気にしすぎて逆に藪蛇になってしまっても事である。

 ネイアは意識して通常通りに礼を尽くすことに勤め、ウルベルトもそれに否やは無いようで好意的に接してくれていた。

 ウルベルトは馬車で移動する長い時間、怒りや不満は一切口に出すことはなく、代わりに大きな好奇心を前面に出してネイアに多くの質問を投げかけてきた。

 ヤルダバオトや亜人たちの軍勢の様子や侵攻状況の情報に始まり、亜人の種類や生態、亜人や悪魔についての感情、聖騎士の存在意義や聖王国の暮らし、果ては聖王国の歴史にまで話が及び、今なおウルベルトの好奇心が尽きる気配は全くない。

 ネイアとしてはレメディオスやグスターボからなるべく聖王国の情報は流さないように言われているため毎度ドギマギさせられているのだが、今のところ何とか上手く説明できているのではないだろうか。

 

 

 

「……む? ……あぁ、すまない。無言で退屈だったかな?」

 

 ネイアの視線に漸く気がつき、ウルベルトが窓から視線を外して笑顔と共に気さくに声をかけてくる。

 そう、ウルベルトは付き人として馬車に初めて同乗したその時から、自分に対してはずっと気さくな態度で接してくれていた。他の聖騎士たちに対してはどこまでも一人の王としての威厳が漂う態度で接しているため、恐らく自分に気を遣ってくれているのだろう。

 ウルベルトからの優しさを感じる度に、ネイアはとても不思議な気分を味わっていた。

 

「い、いえ、失礼しました、陛下! 別に退屈であるとか、そういう訳ではないのですが……」

「ふむ。そういえば、ずっと言おうと思っていたのだが、その“陛下”というのは止めてくれないかね? どうも慣れなくてこそばゆいのだよ」

 

 ウルベルトの言葉に、ネイアは思わず疑問に首を傾げていた。

 王である彼が“陛下”と呼ばれ慣れていないはずがないだろうと思うものの、もしかしたら違った呼び方をされていたのかもしれないとすぐに思い至る。

 

「しかし……、それでは一体何とお呼びすれば宜しいのでしょうか……?」

「ふむ。皆から“ウルベルト”と呼ばれているから、別にそれで構わないのだが……」

「そっ、それは無理です! どうか、それだけはご容赦ください!!」

 

 あまりにも予想外の言葉に、ネイアは思わず悲鳴交じりの声を上げていた。

 同国他国に関わらず、一国の王を名前で呼ぶなど恐れ多すぎる。

 自分には無理だと顔を蒼褪めさせるネイアに、ウルベルトは不思議そうに小首を傾げていた。

 

「……で、あれば……“閣下”かな。そちらならばまだ“陛下”よりも呼ばれ慣れているし………」

「畏まりました、災華皇閣下。これからは、そのようにお呼びいたします」

「ありがとう。よろしく頼むよ」

 

 不意の礼の言葉に、ネイアは思わずドキッとさせられた。

 ウルベルトと話す中で一番心臓に悪いのは、こういったウルベルトによる不意の何気ない一言であったりする。

 少なくともネイアの常識では、高い身分の者は自分よりも低い身分の者に簡単に礼を言ったりするものではない。相手が王族や貴族といった国家機関の上層部に属する者ならば尚更である。

 しかしウルベルトはそうではない。

 相手が自分のような唯の従者であっても、感謝を感じれば簡単に笑顔と共に礼を言い、悪いと思えば簡単に謝罪と共に頭を下げてしまうのだ。

 しかし、それは決してウルベルトが考えなしであるというわけではない。

 馬車の中で会話をする中で、ネイアはウルベルトがどれだけ叡智高く思慮深いかを知っている。自身の言葉や態度一つ一つに対していかに大きな意味合いが宿るのかを彼が理解していない筈がない。

 現にネイア以外に彼がこういったことをしている所は見たことがなく、これに関しても恐らく自分に対して気を遣ってくれている結果なのだろう。或は平民に対しても礼を尽くすという、ウルベルトの度量の広さの現れなのかもしれない。

 

「……そういえば、今までは一般的なことしか聞いてこなかったのだけれど、差支えなければ、そろそろ君の事も教えてもらえるかな?」

「私の事、ですか……?」

「そう、例えば家族の事とか聖騎士の従者になった理由とか……」

「そのような話で良いのであれば、閣下」

 

 ネイアは頭を下げながら、内心で安堵の息をついていた。個人的な話であれば、国の情報をウルベルトに流す危険性はないだろう。

 ネイアはウルベルトからの問いに答えるままに、自分の未だ短い生涯についてウルベルトに話して聞かせた。

 ネイアは弓兵の父と聖騎士の母を持つ一人娘だった。

 聖騎士を目指すようになったのは母の影響であり、しかし非常に残念なことにネイアが母から受け継いだものは殆どなかった。どちらかと言えば父から受け継いだものの方が多く、というよりも殆どが父から受け継いだもので占められているような気がした。

 父に似た凶悪な目つきに、どちらかというと器用な手先。剣よりも弓矢の方が得意であるし、普通の者よりも優れた視力や聴覚を持っている。

 ならば何故父と同じ職業を選ばなかったのかというと、この凶悪な目つきのせいで何かと苦労したため、父を恨んでいたからなのかもしれない。

 こんな事をつらつらと話すネイアに、何が楽しいのか、ウルベルトは小さな笑みを浮かべて聞き入っていた。

 時折ネイアの話に反応するようにピクリピクリと動く山羊の平べったく長い耳が何だか可愛らしく見えてくる。

 あまり凝視しては失礼にあたるだろうと必死で目を逸らすネイアに気が付いているのかいないのか、ウルベルトは変わらぬ様子で小さな笑い声を零した。

 

「なるほど、なるほど。中々に楽しい人生を送っているようだねぇ」

「楽しい人生……でしょうか……?」

「どんなことであっても、変化のある人生というものはそれだけで大きな価値がある。私は最近では特にそう思うのだよ」

 

 ウルベルトの声にはしみじみとした実感のこもった音が滲んでいた。

 ネイアにとってはあまり理解できない言葉だったが、しかし不意にウルベルトはずっと中にいて、外に出ることを許されていなかったと魔導王が言っていたことを思い出した。

 ずっと外に出られず中にいることを強制されていたのだとしたら、それは軟禁も同じであり、日常も変化のない平坦なものであっただろう。そう考えるのであれば、確かにどんなことであれ、変化があるということはそれだけで楽しいことであり、大きな価値があるものなのかもしれない。

 例えそれが、悪魔と亜人たちの軍勢が侵攻してきたという悲惨な出来事であったとしても……。

 

「それにしても、両親か……。それに親子喧嘩も……。中々に羨ましいことだ」

「親子喧嘩が、でしょうか? 恐れながら、それほど良い物だとは思えないのですが……」

「そうかね? 喧嘩というのも、一つのコミュニケーションの一つだ。私は……、一度もできなかったからな……。自慢の我が息子は、喧嘩の土俵に上がる間もなく私の言葉には全て賛同してしまうし……」

 

 笑みを浮かべているウルベルトの顔に悲しみの色が混じり、次には手のかかる子供を見つめる様な優しい苦笑へと変える。

 もしかしたら、彼も自分と同じように両親を失ったのかもしれない。

 しかし、子供がいると言うのは意外な言葉だった。

 

「お子様がいらっしゃるのですか?」

「ああ、血は繋がってはいないけれど、頭が良くてとっても優しい自慢の我が子だよ。それに、私は忠実な我がシモベたちも同様に愛しい我が子のように思っている。そして悪魔たちも……。君たちにとっては不快かもしれないが、私は悪魔という存在をとても愛しているのだよ」

 

 優しい笑みを浮かべて何の迷いもなく言ってのけるウルベルトに、しかしネイアは何も不快には感じなかった。

 確かに聖騎士や聖王国の人間の中には、ウルベルトの言う通りひどく不快に思う人もいるかもしれない。特にレメディオスは、もし今の言葉を彼女に聞かれれば、またもや斬りかかってきただろう。

 しかしネイアにはどうしてもそんな風には思えなかった。

 

「おや、君は不快に思わないのかね?」

 

 気にした様子もなく平然としているネイアの様子が意外だったのか、ウルベルトが不思議そうに小首を傾げてくる。

 ネイアはどう答えるべきかと少しだけ迷った後、心のままに答えることにした。

 

「閣下は悪魔なのですから、それも当然だと思っております。しかし、もしそうであるなら、一つだけ不思議に思うことがあるのですが……お聞きしても宜しいでしょうか?」

「ああ、構わないとも。何かね?」

「聖王国に加勢するということは、亜人だけでなく悪魔とも敵対するということ。なのに何故、閣下は私どもに協力して下さるのでしょうか?」

 

 失言にならないように気を付けながら、ネイアは疑問に思ったことを問いかけた。

 ウルベルトは一瞬呆けた様に目を瞬かせると、次には可笑しそうに小さな笑い声を零した。

 

「君の認識は少々ずれているようだね。私が悪魔という存在に向けている感情は、君たちが人間という存在に向けている感情と同じようなものなのだよ。……君は、人間という存在が好きかね?」

 

 次に目を瞬かせるのはネイアの番だった。

 正直、人間が好きかどうかなんて考えたこともない。

 しかし、好きか嫌いかで判断するならば……。

 

「はい、私は人間が好きです、閣下」

「そうだろうとも。しかし、人間の中には盗賊や腐敗した貴族といった、一般的に悪と定義される人間もいるだろう? 君はそう言った人間も好きになれるかね?」

「それは……少し難しいかもしれません…」

「それと同じだよ。私も、悪魔という種族は愛しているが、別に無条件に全ての悪魔を愛している訳ではない。……悪さをしている悪魔がいるのなら、同じ悪魔として、私が終わらせてあげなければならないからね」

 

 ウルベルトの説明に、ネイアは納得して大きく頷いた。同時に、自分の考えのあまりの浅さに恥ずかしくなってきてしまう。

 偏に人間と言っても、当然良い者もいれば悪い者もいる。そしてそれは、対象が悪魔や亜人であっても変わらないのだろう。

 ウルベルトや魔導王や魔導国にいた亜人たちの存在がその証だ。

 なのにネイア達は人間であれば自然とそう言った考えが浮かぶのに、それが亜人や悪魔になった途端にその考えも失せてしまっていた。

 これ以上この王の前で愚かな様を見せる訳にはいかない…と決意を新たにする中、まるで空気を変えるかのようにウルベルトが明るい声を上げてきた。

 

「そういえば…、この件が解決するまでは君も私の従者として扱ってもいいのだったね」

「あっ、はい。凡庸な身ではありますが、閣下がお仕事を終えられる日まで忠実に誠心誠意働かせて頂きます」

「ならば早速、一つ協力してほしいことがあるのだよ」

 

 ウルベルトは顔を輝かせると、マントの中に手を突っ込んで、次には大きな物をズルッと抜き出してきた。

 マントの一体どこに入れていたのかと疑問に思うほどに大きな“それ”。

 しかしウルベルトが握っている物を正確に見た瞬間、ネイアは頭が真っ白になって目が釘付けとなっていた。

 ウルベルトの手に握られていたのは一つの弓。

 漆黒の翼と純白の翼が交差して組み合わさったようなその弓は、朱金の燐光を纏って光り輝いていた。繊細でいて精巧な紋様が全体に刻まれており、芸術品のような美しさを持ちながらも一級品の武器であることが窺える。

 

「これはルーンという技術で作られた武器で、私が作った試作品の内の一つなのだよ。名は“イカロスの翼”。他にも剣や杖などもあるんだが、弓矢が得意ならばこちらの方が良いだろう。これを使って私を守り、かつ武器の性能を確かめてほしいのだよ」

 

 当たり前のように差し出してくるウルベルトに、ネイアは全身が大きく震えた。

 これは感動に打ち震えているのでは決してない。どちらかという恐怖に打ち震えているのだ。

 こんな一目で高価だと分かるような武器など、一時手に持つだけでも恐ろしくて仕方がない。自分が持ったことで傷をつけてしまったら、一体どう弁償すればいいのだろうか……。

 中々受け取らないネイアを不思議に思ったのか、ウルベルトが小首を傾げるのが目に入ってきた。

 

「何だね? 協力してもらえないのかな?」

 

 ウルベルトの言葉に、ネイアはグッと言葉を詰まらせた。

 その言葉は卑怯だ、と内心で泣きそうになる。

 協力しないなどと言えるわけがないし、そんなことを言われては受け取らないわけにはいかないではないか……。

 

「…わ、分かりました。謹んで、“イカロスの翼”をお借りいたします」

 

 ネイアは内心で弱音を吐きながらも、小刻みに震える手で何とかウルベルトから弓を受け取った。

 普通の弓よりも全体的に大柄で装飾も多いためそれなりに重いだろうと思っていたのだが、手や腕に感じた重さは大したことがなく、非常に軽い。名の通り、まさに羽根のような軽さだ。加えて弓を持った瞬間に感じた力が漲ってくるような感覚に、ネイアはある種の絶望感を感じずにはいられなかった。

 見た目だけがすごい弓かもしれないという一縷の希望が木っ端みじんに吹き飛んだのだ、一気に憂鬱になるのも仕方がないだろう。間違いなく超貴重で超高価な品だと確信し、ネイアは一気に気分が悪くなった。

 しかしウルベルトはこちらの様子に全く気が付いていないようだった。ニコニコと満足げな笑みを浮かべ、次には何を思ったのか再びマントの中へと手を突っ込む。

 続いて中から取り出したのは、宝石のような輝きを持つ、黒いアメジスト色の籠手だった。背の部分にはドラゴンの鱗のような棘が連なっており、甲の部分には“イカロスの翼”と同じような紋様が刻み込まれている。

 ウルベルトはその籠手を両手で掴み直すと、それを次は横に座っているシャドウデーモンへと差し出した。

 

「お前も私に協力しておくれ。これを装備して、ちゃんと作動してどこまで能力が向上するのか試してくれたまえ」

 

 ネイアの予想では、他国の者であるネイアと違ってシャドウデーモンは同国の悪魔でありウルベルトの直属の配下でもあるのだから、自分とは違って慌てることもなく受け取るだろうと思っていた。

 しかしその予想は大きく外れた。

 シャドウデーモンは一瞬身体を硬直させると、跳ねるようにクッションの上から降りて跪いて深々と頭を下げた。

 

「至高の御方であらせられるウルベルト様より賜る物は全てが至高の宝にございます。それを一介のシモベに過ぎぬ私が賜るわけには参りません!」

「おやおや、そう堅苦しく考える必要などないのだがね。それとも…、お前は私に協力してくれないのかな?」

 

 少し悲しそうな表情を浮かべるウルベルトに、シャドウデーモンは見るからに慌てたような素振りを見せた。

 オロオロと慌てる様子は、ネイアよりも強い悪魔だというのにどこか可愛らしく見えてしまう。

 シャドウデーモンは少しの間どうすべきか考え込んでいたが、最終的にはネイアと同じ選択をすることにしたようだった。跪いて頭を下げたまま、恭しく両手でウルベルトから籠手を受け取る。

 まるで宝物を貰った子供の様に大切そうに籠手を胸に抱きしめるシャドウデーモンに、ウルベルトは満足げな笑みを浮かべていた。

 

「その籠手を着けていれば、お前が敵側の悪魔と間違われることもないだろう。……いや、もう少し“証”が必要かな?」

 

 ウルベルトは小首を傾げた状態でシャドウデーモンを凝視すると、次には再びマントの中に手を突っ込んだ。

 次は一体何が出てくるのだろう…と恐怖よりも好奇心が勝り始める中、次にウルベルトが取り出したのはワイン色の一枚の布だった。

 布には何かの紋様が刺繍されており、目を凝らして良く見れば、表にはアインズ・ウール・ゴウン魔導国のマークが描かれており、裏には見たことのないマークが描かれていた。

 

「これには“アインズ・ウール・ゴウン”と私のエンブレムがそれぞれ刺繍されている。これを身に着けておきたまえ。……そうだ、後は名も与えておこうか。お前が私の配下であることを誰もが目だけでなく耳でも分かるように」

 

 布を押し付けるようにシャドウデーモンに渡しながら、ウルベルトがまたもや嬉々とした声を上げる。

 次々と起こる予想外の出来事にネイアとシャドウデーモンが仲良く呆然とした表情を浮かべる中、ウルベルトだけが楽しそうな笑みを浮かべていた。

 

「………スクード……。……そう、これからお前はスクードだ。良いね?」

 

 慈愛に満ちた柔らかな笑みを浮かべるウルベルトに、スクードと名付けられたシャドウデーモンは小刻みに全身を震わせながら深々と頭を下げた。

 

「…至宝の数々をご下賜下さるだけでなく、御方自ら名まで御与え下さるとは……。この身に余る栄誉にございます」

 

 感動に打ち震えて涙声に礼を言うシャドウデーモンに、ウルベルトは慈愛の笑みを浮かべたままそっと手を伸ばした。下げられている悪魔の頭にそっと手を置き、どこまでも優しい手つきで撫で始める。

 ウルベルトもシャドウデーモンも悪魔だというのに、ネイアには目の前の光景がどこまでも美しく神聖なもののように見えた。

 そして湧き上がってきた感情は、強い羨望。

 上司である者に大切にされて一心に忠誠を誓うことのできるシャドウデーモンが羨ましいのか、悪魔でありながら慈愛と寛容さを持つウルベルトが羨ましいのか、それとも全く別のことが羨ましいのか、それはネイア自身にも分からない。

 ただ、もはやネイアの中には二人の悪魔に対する恐怖も疑念も不安も全てが完全になくなっていることは確かだった。

 

 




アインズ・ウール・ゴウン魔導王は“陛下”呼びで、ウルベルト・アレイン・オードル災華皇は“閣下”呼び……。
実は“陛下”呼びよりも“閣下”呼びの方が何となく好きだったりします(笑)

多くの方のコメントにあった『ウルベルト様が今回の魔王討伐作戦に参加した理由』については次回書く予定ですので、もう暫くお待ち頂ければと思います。


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第3話 数多の目的と思惑

今回はウルベルト様視点です!


 ネイアがウルベルトに“イカロスの翼”を貸し与えられてから数日後。漸く聖王国の使節団一行は、彼らが拠点としている場所に到着した。

 しかし拠点とは言っても、それは廃墟の屋敷でも廃村の一角の空き家でも地下に造られた秘密の隠れ家でもない。岩がちの山に穿たれた、薄暗くジメジメとした天然の洞窟である。

 元は聖騎士たちが討伐したモンスターが棲みついていた場所であり、高さはそんなに高くはないものの横幅は広く、奥深くまで続く中々に広い空間であった。今では多くの聖騎士や神官たち、行き場のなかった平民たちなどの手によって幾つもの区画に分けられ、粗末ながらも簡単な家具さえ揃えられている。

 しかし、そうは言っても洞窟であることには変わりない。お世辞にも立派とは言い難く、一国の王を招くなど通常であれば論外だ。

 このような場所を拠点として紹介することに今更ながら恥ずかしくなってきたネイアだったが、しかしウルベルト本人はどこかウキウキとした様子で馬車の中で待機していた。

 現在、洞窟内にウルベルト専用の個室を整えようと、多くの者たちが奮闘中である。

 本来ならば先ぶれを使ってウルベルトが来ることを知らせ、到着するまでに準備を整えるのだが、この使節団には先ぶれとして使える人材がいなかったのだ。

 ネイアは一国の王を待たせてしまっているという事実に申し訳なさを感じていたが、しかしウルベルトは全く気にしてはいなかった。逆にこれからの大仕事に向けて心の準備をする時間ができたと内心で喜び、彼らに感謝すらしていた。

 しかし不意に馬車の窓から近くの地面が見えて、ウルベルトは思わず小首を傾げた。

 ウルベルトの視線の先……、自分たちが通ってきた方向から洞窟までの地面一面に、多くの人や馬などの足跡が所狭しに刻まれていた。

 

(……え、これって…ヤバくないか? それとも後で誰かが処置しにくるのか? こんなん放っておいたら、敵にアウラみたいな奴がいたら速攻で見つかるぞ。)

 

 ギルド“アインズ・ウール・ゴウン”でのウルベルトの役割は、簡単に言うならば強大な火力による殲滅係である。

 指揮をする側ではなく、あくまでも指揮に従う側であった。

 しかしウルベルトとて、ただ大人しく指揮に従うだけで終わっていたわけではない。

 ウルベルトはユグドラシル時代、たっち・みーと言う戦士職最強であるワールド・チャンピオンだったギルドメンバーと犬猿の仲だった。“打倒たっち・みー”を高らかに宣言していた彼は少しでもあらゆる戦術を学ぼうと、勤勉なアインズと共に良く指揮役であったぷにっと萌えやぶくぶく茶釜の話を聞きに行ったものである。特に、彼の有名な諸葛孔明とあだ名されるほどの頭脳と指揮能力を持ち、新戦術を生み出す能力にも右に出る者がいなかったぷにっと萌には事ある事に相談に乗ってもらっていた。

 彼らの教えから言わせてもらうと、目の前の状態は正に愚の骨頂と言えるものだった。もはや、見つけてくれ!と大手を振って大声で呼びかけているようなものである。

 先ほどまでの楽しそうな雰囲気から一変、硬直したように地面を凝視するウルベルトの様子に気が付いたのだろう、側に控えるネイアが恐る恐る声をかけてきた。

 

「……あの、どうかなさいましたか、災華皇(さいかこう)閣下?」

 

 ウルベルトはゆっくりと地面から視線を外すと、次にはネイアと地面を何度も見比べた。

 

「………あー、多くの足跡をそのままにしているようだが、これは後で誰かが隠しにくるのかね? それとも何かしら罠的な意味があるのかな?」

「っ!!?」

 

 ちょっとした希望的推測も含めて問いかけてみたのだが、今気が付きましたとばかりに目を大きく見開くネイアを見やり、すぐに全く気が付いていなかったのだということが窺えた。

 内心これで本当に大丈夫なのだろうか……と思わず心配になってくる。

 

「か、閣下…、今まで隠してこなかったのですが、もしや故意に見逃されてきたのでしょうか? ……一体何故…」

 

 ネイアがまるで睨むようにこちらを上目遣いに見つめてくる。鋭い双眸がギラリと光り、一見すればまるで喧嘩を売っているような形相である。

 しかし凶悪な顔つきの多い悪魔たちと長い時間を共に過ごし、またネイアとも数日間行動を共にしたウルベルトには既に彼女の表情を割と正確に読み取ることが出来るようになっていた。

 これは自分の感覚が正しければ、喧嘩を売っているのではなく救いを求めて縋るようにこちらを見つめているのだ。

 しかし例えその感覚が正しかったとしても、ウルベルトにはその問いには答えようがなかった。自分はデミウルゴスでも亜人たちでもないし、正直に言って“いや、俺に聞かれても…”状態である。

 しかし勿論そんな事が言える訳もなく、ウルベルトは思わず出そうになったため息を咄嗟に呑み込みながら再び地面の足跡へと目を向けた。

 亜人側もこちらに負けず劣らず馬鹿ばかりで足跡に気が付いていなかったという可能性もなくはないのだが、あちらにデミウルゴスがいる以上、その可能性は限りなくゼロに等しい。

 ならば必ず何かしらの狙いがあるはずだ。

 もし、ここにぷにっと萌やぶくぶく茶釜がいたなら、一体何と答えただろうか。

 いざという時にはとても頼りになる我らがギルマスは何と言うだろうか……。

 自分がもし敵側だとしたら、一体何を狙うのか……――

 

「………ふむ、多くの可能性を考えられるが…、君たち解放軍の情報を収集するため、かな」

「情報収集、でしょうか……?」

 

 怪訝そうに首を傾げるネイアに、ウルベルトは教師のように人差し指を立てて見せた。

 

「例えば、君たち解放軍の規模はどのくらいなのか。解放軍はここにいる者が全てなのか、それとも他にもいるのか。他にもいるのだとしたら何処にいるのか。それぞれの解放軍たちは互いに連絡を取り合っているのか。南の勢力との連絡はどうなっているのか。その他にも、今回のように他国に応援を呼ぶ気はあるのか。呼ぶとしても誰を呼び、何処の国の者が駆けつけるのか……。足跡を辿ればどこに続いているのか分かるし、それだけでも幾つもの情報が手に入る」

 

 長々と自分の考えを語っていけば、ネイアは怖いほどに真剣な表情を浮かべて大きく頷いてくる。背後のスクードも感服したように何度も頷いており、ウルベルトは自分の考えに少しだけ自信が出てきた。

 しかし、もし仮に自分の仮定が正しかったとすれば、それはそれで厄介だった。

 今のままでは先手を打つ決定権は相手側の方が強く、動くであろうタイミングは相手側がこちらの情報を収集して、もうこれ以上は必要ないと判断した時だろう。それがいつ来るのかなど、こちら側からは知り様がない。

 

「このまま停滞して大きな動きを見せなければ、相手側はこれ以上得る情報はないと判断するだろう。そうなれば、相手側が一気に攻めてくる可能性もある」

「それは……! すぐに団長にそのことを伝えて参ります!」

 

 今にも飛び出していきかねないネイアに、しかしウルベルトはすぐさま止めに入った。

 

「まぁ、もう少し待ちたまえ。一つ聞きたいのだが、カストディオ団長殿は今、解放軍の代表者たちと話をしているのかな?」

「えっ、あっ、はい。恐らく、閣下の事や魔導王陛下との謁見での内容を話されているのだと思います」

「ふむ……、ならば私も共に行こう。一応我々はあくまでも協力関係だということになってはいるが、私は君たち解放軍の厄介になる立場だ。ならば、私から挨拶に行かねば礼を失することになってしまうからね」

 

 営業組だったギルドメンバーたちの会話を思い出しながら、軽くそう提案する。

 ウルベルト自身は営業をしたことはないのだが、アインズを筆頭に現実世界で営業職だったギルドメンバーたちの話によると、例えこちらが部長や課長クラスだったとしても、訪問する側から礼を尽くすのは暗黙の了解であり、当然の事であるらしい。

 まぁ、現実世界での常識がこちらの世界でも通用するのかと言えば大いに疑問ではあるのだが、礼儀を尽くされて不快に思う者はいないだろうから別に構わないだろう。

 恐らく困惑の表情を浮かべているのだろうネイアを言い包めるべく再び口を開きかけたその時、不意に馬車の扉が外側から叩かれた。

 

「災華皇陛下、お部屋の準備ができました」

 

 扉の外から聞き慣れぬ男の声が聞こえてくる。

 ネイアは慌てたように椅子から立ち上がると、まずは少し扉を開けて外の様子を窺った。危険がないことを素早く確認すると、すぐさま扉を大きく開く。

 扉の前には聖騎士の男が一人立っており、ネイアは男に向けて一度だけ小さく会釈した。しかしすぐさま馬車を降りると、続いて馬車を降りてきたスクードと共に踵を返してウルベルトに向けて跪き頭を下げてきた。

 ウルベルトは気づかれないように小さく息をつくと、気を引き締めさせて下品に見えない程度に勢いよく椅子から立ち上がった。一切揺れることのない頑丈な馬車の中を移動し、湿り気を帯びた土の地面へとゆっくりと降り立つ。あまり嗅いだことのない湿気に濡れた土や草木の青臭いにおいに、ウルベルトは思わず小さく鼻を引くつかせた。

 

「申し訳ありませんが、カストディオ団長とお話ししたいことがありますので案内して頂けますか? かっk……、災華皇陛下もご一緒したいと仰せです」

「あ、はい……、畏まりました。それではついて来て下さい」

 

 密かに自然というものを堪能していたウルベルトには全く気が付かず、立ち上がったネイアが聖騎士の男に声をかけて案内を頼んでいる。聖騎士の男は少し困惑したような表情を浮かべたものの、一つ小さく頷いてウルベルトたちを促してきた。ウルベルトも一つ頷き、すぐさま聖騎士の男の後に続いて足を踏み出す。

 案内である聖騎士の男を先頭に、ウルベルト、ネイア、スクードの順に洞窟の中へと足を踏み入れていった。

 ひんやりとした洞窟内に、複数の足音が洞窟の奥へと響いていく。洞窟の中には青白く発光する巨大なキノコがいくつも生えており、洞窟内の大切な光源として奥へと進むウルベルトたちをも青白く照らしていた。

 しかし暗闇の中に青白く浮き上がる山羊頭の異形や漆黒の異形は中々に怪しく、見る者に恐怖を与えるものなのだろう。

 洞窟内にいた多くの聖騎士や神官、平民たちがウルベルトたちを見ては驚愕に目を見開いて凝視してきた。平民たちなどは顔を大きく引き攣らせて恐怖の色に歪めている。

 しかしここで悲鳴を上げたり逃げ出したり憎悪の視線を向けてきたりしないだけマシなのだろう。

 会って早々に問答無用で雄叫びと共に斬りかかってきた女聖騎士を思い出し、ウルベルトは呑気にそんな感想を抱いていた。

 これからそんな彼らの警戒心や恐怖心を和らげ、こちらに好意を持ってもらえるようにしていかなければならない。それが無理でも、少なくとも魔導国の悪魔に対しての信頼だけは勝ち取らなければならない。そうでなければ、自分がここに来た多くの目的の内の一つが失敗に終わってしまうのだ。アインズたちを説得してまで自分がここに来た以上、失敗は決して許されない。

 これは頑張らないといけないな!と再び決意を新たにする中、前方から言い争うような声が聞こえてきてウルベルトはそちらへと意識を向けた。

 目の前には一枚の大きな布が垂れ下がっている場所があり、言い争う声はその奥から聞こえている。

 聖騎士の男は一瞬躊躇するような素振りを見せたが、すぐに表情を引き締めさせて布の奥へと声を張り上げた。

 

「カストディオ団長。災華皇殿下が従者バラハと共にお見えになりました!」

 

 男の声に反応して、聞こえていた喧騒が一気に途切れて静かになる。

 中で何が行われているのかは定かではないが、数十秒間全く音沙汰がなく、一分かかるかかからないかで漸く布の奥から入室を許可する声が聞こえてきた。

 聖騎士の男は垂れ下がった布の傍らに移動し、布をたくし上げながらウルベルトたちへと道を譲ってくれる。

 ウルベルトは礼の代わりに軽く右手を挙げると、次には聖騎士の男の前を通り過ぎて開かれた空間へと足を踏み入れた。

 室内にはレメディオスやグスターボを始めとする多くの聖騎士や神官たちが揃っており、全員が立ち上がった状態でこちらを見つめていた。

 彼らの表情には様々な色が浮かんでおり、しかしその中には一つとして好意的なものは存在しない。あるのは怒りや恐怖、嫌悪、困惑などなど……。偏に負の感情に分類されるもので占められており、それを隠しきれていない彼らにいっそ感心してしまった。中でもレメディオスから発せられる感情の気迫は凄まじく、彼女に関してはウルベルトも既に完全に諦めていた。

 本来ならば軍の長の好感度を獲得するのが一番手っ取り早くて良いのだが、自分にはここまで頑なな人物を落とせるほどの魅力などありはしない。長年自分を心の底から慕い忠誠を誓ってくれているシモベたちと過ごすと少し勘違いをしてしまいそうになるのだが、例え調子に乗っている状態であったとしても彼女に対してはすぐに匙を投げるだろう。今も無言を貫いている彼女に思わずため息が出そうになる。

 通常であれば今の自分の立場を考えれば相手側から紹介してもらってから改めて名乗るのがある意味礼儀だろう。しかし彼女の様子を見る限りではそれは期待できず、ウルベルトは早々に彼女からの言葉は諦めてこちらから話を始めることにした。

 

「お初にお目にかかる。私はアインズ・ウール・ゴウン魔導国の支配者の一人、ウルベルト・アレイン・オードル災華皇である。此度はここにいるカストディオ団長殿率いる使節団たちの救援を求める声を、我が友にして同じ魔導国の支配者であるアインズ・ウール・ゴウン魔導王が聞き届けた。よって、魔導王の言葉に従い、この私が貴国に力を貸すべく伺った次第だ。君たちにもいろいろと思う所があるだろうが、どうか良しなに頼もう」

 

 ウルベルトが纏うのは間違いなく王者の風格。

 背後ではネイアとスクードがすぐさま跪いて頭を下げ、目の前の聖騎士や神官たちも跪くことはなかったものの慌てて頭を下げてきた。

 

「……ああ、頭を上げてくれたまえ。君たちの貴重な時間をいつまでも奪ってしまっては申し訳ない」

 

 ウルベルトは一定の間を開けてから、彼らが自ら頭を上げる前に、こちらから声をかけた。

 言葉だけ聞けば、相手側を気遣っただけの行動であっただろう。

 しかしウルベルトの言葉によって頭を上げる多くの聖騎士や神官たちといった光景は、傍から見ればウルベルトを王だと認め、その配下として礼を尽くすもののように映ったことだろう。

 彼らは自分たちが傍からはどう見えているのか自分自身で見ることは勿論できないのだが、しかしウルベルトの声に従って頭を上げたという事実が無意識に心に刻まれていた。

 

「一つだけ知らせておきたいことがあるため、私に付けてくれた従者の口から説明させてもらおう」

 

 ウルベルトは後ろに控えているネイアを振り返ると、ネイアも前に進み出て一度聖騎士や神官たちに頭を下げた。

 

「失礼いたします。災華皇様より先ほど伺ったお話をさせて頂きます」

 

 ネイアが先ほどウルベルトが見つけた足跡についてと考察を簡単に説明していく。

 彼らは最初は一様に驚愕の表情を浮かべていたが、次第に顔を翳らせ、苦々し気に顰めさせていった。最終的に彼らの視線の全てが解放軍の長であるレメディオスへと向けられる。しかしレメディオスは唇を噛んで苦々し気に沈黙を貫いており、彼女の代わりにグスターボがウルベルトを振り返ってきた。

 

「……陛下はこれからどうすべきと考えておられるのでしょうか?」

「私は基本的には君たちの考えを尊重して従うつもりだが?」

「い、いえ、そうではなく……」

 

 グスターボが言い難そうに言いよどむ。

 しかしウルベルトとて無責任なことを言うわけにもいかず、グスターボの要求には軽々しく応える訳にはいかなかった。

 

「君の言い分も分かるが、私は貴国の事を君たちほど良く知らない。それに、私は他国とはいえ一つの国を預かる者だ。安易に私の考えを口にして君たちが従ってしまっては何かと問題が出てくるのではないかね?」

「そ、それは、そうですが……」

「……とはいえ、全てを君たちに任せっきりでは私がここに来た意味も半減してしまうか…。ならば参考までに一つだけ言わせてもらおう。全ての決定権は相手側にあり、我々は受け身側だ。……私ならば、足跡を逆に利用して相手に偽の情報を流し、すぐに拠点を別に移すだろう」

「偽の情報と新たな拠点……ですか………」

 

 ウルベルトの言葉に、グスターボを含めた他の聖騎士たちや神官たちが思案顔を浮かべる。しかし彼らの表情に浮かぶ苦悩の色は少しも薄れてはおらず、ウルベルトは内心で思わず大きなため息をついた。

 恐らく偽の情報を流せるだけの物資や人材も、新たな拠点も思い浮かばないのだろう。

 非常に先行きが不安にさせられるものの、ウルベルトはこれ以上の意見は述べる気もなく、さっさとこの場を立ち去ることにした。

 手短に退室する旨を伝え、しかし言っていないことがあったと思い出して入口のところで立ち止まった。

 

「……あぁ、そうだ、二つほど言っておきたいことがあった。一つは、今後私を“陛下”と呼ぶ時は、“陛下”ではなくて名前で呼ぶか“閣下”と呼んでくれたまえ。もう一つは、私の配下と敵側の悪魔を見分けるために、私の配下には赤い布を身に着けさせる。他の者たちにもその事を伝えておいてくれたまえ」

 

 言うだけ言うと、ウルベルトは再び足を踏み出してさっさと部屋を後にした。因みにネイアには自分の代理として、これからの会議を見届けるように頼んで部屋に残してくる。

 部屋を出たのはウルベルトとスクードの二人のみ。

 外ではここまで案内してくれた聖騎士の男が直立不動で待機しており、ウルベルトが出てきたのを見ると一、二歩こちらに歩み寄ってきた。

 改めて準備した部屋に案内してくれるらしく、彼に従って再び洞窟内を移動する。

 男に先導されて案内された場所には先ほどと同じように大きな布が垂れ下がっており、男はすぐに布の端まで歩み寄ると、促すように布をたくし上げた。

 

「案内ご苦労。……そういえば、君は使節団にはいなかったような気がするのだが……、何という名なのかな?」

「……は……? ……あっ、し、失礼しました。確かに私は使節団には加わっておりませんでした。私は聖騎士団第三部隊所属、ヘンリー・ノードマンと申します」

「ふむ、そうか……。案内に感謝しよう、ノードマン君」

 

 ウルベルトは頭を下げる聖騎士の男の前を通り過ぎると、捲られた布を潜り抜けた。

 中は先ほどの会議の部屋と同じくらいの広さはあるものの、何ともガランとした殺風景な場所だった。

 壁は当たり前ではあるがゴツゴツとした岩肌で、光源としている青白いキノコも小さなものが二つくらいしか生えていないため全体的に薄暗い。家具も質素でいてみすぼらしい小さな棚とテーブルと椅子が一つずつしかなく、寝台も横長の土台に薄い布が敷かれただけの物だった。

 お世辞にも一国の主に用意する部屋では決してない。

 案の定背後に控えているスクードから憤怒の気配が溢れ出し、ウルベルトは苦笑を浮かべてスクードを振り返った。

 

「こらこら、そんな顔をするものではないよ。彼らは戦時中なのだから仕方がないだろう」

「……しかし、恐れながらこれはあまりにも無礼極まるものかと思われます。至高なる御方であらせられるウルベルト様にこのような場所を案内するなど…」

「フフフッ、そんな心配は無用だとも。お前は大人しくその辺りに控えていたまえ」

 

 スクードは不思議そうに小さく首を傾げるもののウルベルトの言葉に従って部屋の隅に控えるように立った。

 ウルベルトも近くにあった寝台もどきの上に腰を下ろすと、数分して〈伝言(メッセージ)〉が来たのを感知した。

 〈伝言(メッセージ)〉を繋げてきたのはナザリックにいるメイド長であるペストーニャ・S・ワンコ。

 ウルベルトは〈伝言(メッセージ)〉に応えて少しだけ会話すると、〈伝言(メッセージ)〉を切った後にすぐさま〈静寂(サイレンス)〉と〈転移門(ゲート)〉の魔法を唱えた。

 ウルベルトとスクードの間のちょうど真ん中あたりの空間に闇色の大きな扉が出現する。

 数秒後、闇の扉が小さく揺らめいて、中から複数の影が現れて室内へと足を踏み入れてきた。

 姿を現したのは、先ほどまで会話していたペストーニャと三人の一般メイドたち。

 彼女たちはウルベルトの前まで歩み寄ると、跪いて深々と頭を下げてきた。

 

「御前を失礼いたします、ウルベルト・アレイン・オードル様。ペストーニャ・S・ワンコとフィース、インクリメント、フォアイルでございます、ワン」

「ご苦労様、四人とも」

「早速取り掛からせて頂いても宜しいでしょうか?」

「ああ、構わないよ。ただ、くれぐれも程々にね」

 

 ウルベルトの言葉にメイドたちは一層深々と頭を下げると、すぐさま立ち上がって行動を開始した。

 まずは掃除を開始し、完璧とはいかずともせめて塵一つない状態にはしなくては…!とばかりに奮闘する。

 続いて未だ浮かんでいる闇の扉の中へと声をかけ、次にはアンデッドや悪魔たちが続々と姿を現した。

 アンデッドや悪魔たちの手にはアインズ・ウール・ゴウン魔導国の国旗やウルベルトのエンブレムが描かれたタペストリーを始め、豪奢でありながらシックなデザインの家具や絨毯などが抱えられている。

 彼らは次から次へと家具などを運び込んではメイドたちの指示に従って設置し、部屋中を飾っていった。因みに最初からこの部屋にあった粗末な家具たちは部屋の隅の一カ所に積み重なるように放置されている。

 ゴツゴツとした岩肌の壁はそのままであるものの、もはや洞窟の中とは思えない様相となった室内。

 作業を終えたメイドたちは未だ不満そうではあったが、ウルベルトにとっては十二分な働きぶりだった。

 

「……いやぁ、見事なものだねぇ。流石だよ、四人とも」

「ありがとうございます、ウルベルト様」

「ご苦労様、助かったよ。もう大丈夫だから、ナザリックに戻って通常の仕事に戻ってくれたまえ」

「畏まりました、ワン」

 

 ペストーニャを筆頭に、メイドやアンデッドや悪魔たちが一斉に跪き深々と頭を下げる。しかし次には彼女たちは一糸乱れぬ動きで立ち上がると、再び頭を下げて闇の扉の奥へと消えていった。

 残されたのはウルベルトとスクードと様変わりした室内。

 ウルベルトは一番近くに置いてある寝椅子(カウチ)に歩み寄ると、寝そべるように腰かけて背中を深く背もたれへと沈ませた。

 この部屋には自分だけでなくスクードもいることは分かってはいるものの、ついついため息が零れてしまう。

 こちらに向けられている視線に気が付いてそちらを見てみれば、案の定、部屋の隅に控えるように立っているスクードと目が合った。

 

「……スクード、お前は人間という種族をどう思っているのかね?」

「脆弱でいて視野が狭く、身の程を知らぬ下等生物だと思っております。特にウルベルト様に無礼を働き続けるあの女は、まさに許し難き愚者であるかと」

「なるほど。……しかし、我々はこの国を救って悪魔という存在を認めさせるためにここにいる。今後、お前には人間を守るように命じることもあるだろう。もしそうなった時、お前は不満に思うことなく命令に従うことが出来るか?」

「至高の御方であらせられるウルベルト様の御言葉は絶対。私の感情など、ウルベルト様の御言葉に比べれば塵にも等しい意味のないものでございます。不満に思うなど、ある筈がございません」

 

 何の迷いもなく言いきって傅き頭を下げるスクードに、ウルベルトは小さな苦笑めいた笑みを浮かばせた。

 世界の全員がスクードと同じようであればどんなに楽だろう…と一瞬考え、それはそれでストレスが溜まりそうだとすぐさま考え直す。

 ウルベルトはスクードの言葉を受け入れて立つように促しながら、ふと考えを整理するように今までの事を思い返し始めた。

 

 今回のデミウルゴス主催の“魔王騒動”で聖王国に向かうのは、本当であればウルベルトではなくアインズであった。

 ならば何故ウルベルトが来ることになったのかというと、それは偏にウルベルトが願い出たためだった。

 当初、ウルベルトの申し出に対して、アインズは勿論のことアルベドやデミウルゴスも反対してきた。

 ウルベルトが今までずっとナザリックにいて外に出ることがなかったのは、悪魔の見た目が原因というのも勿論あるのだが、何よりアインズがひどく嫌がったためだった。

 ギルドメンバーのことを心の底から大切に思っているアインズは、この世界に来て本物のアンデッドになったことでギルドメンバーへの思いは執着という形に変化していた。

 アインズはウルベルトを外に出すことで傷ついたり失うことをひどく恐れているのだ。

 しかし今回反対した理由はそれだけではない。

 “魔王騒動”といった自作自演の作戦をウルベルトが嫌うだろうと思ったからだった。

 もしウルベルトに嫌われたら……、それが原因でナザリックを去るなどと言われてしまったらどうすればいいのか……。

 ひどく不安そうに眼窩の灯りを揺らめかせていたアインズを思い出し、ウルベルトは思わずフッと小さな笑みを浮かばせた。

 簡潔に行ってしまえば、アインズの心配は無用の長物の何物でもなかった。

 確かにウルベルトは自作自演という行為はあまり好きではない。

 しかしウルベルトの中では自作自演は“マッチポンプ”と“デモンストレーション”の二つに別けられており、“マッチポンプ”の方は嫌いだが、“デモンストレーション”の方は決して嫌いというわけではなかった。

 ウルベルトの持論では“マッチポンプ”とは自作自演により、本当は持っていない能力や力が自分にはあるのだと他者に思い込ませる手段であり、一言で言うと嘘による虚栄である。

 一方“デモンストレーション”とは自作自演という行為自体は同じではあるものの、起こした事象を持ち得る能力や力によって解決して見せることで「自分にはこういったこともできますよ」と分かり易く他者に示すものである。少なくともその能力や力に関しては、まったく嘘は含まれてはいない。

 今回の“魔王騒動”やこれまでアインズ主導で行われてきた自作自演は、ウルベルトの判断ではあくまでも“デモンストレーション”に分類され、何ら非難するものではなかった。

 実際にそのデモンストレーションによって被害に遭った者たちからすれば堪ったものではないだろうが、ウルベルトにとってはそんなことは知ったことではない。

 知性や理性を持つ生き物というのは、他者を……それも種族が違えばなおのことすぐに信じることは難しく、まずは疑ってしまうものである。そんな者たちにこちらの言葉を信じてもらうには、実際に見てもらったり体験してもらうのが一番手っ取り早くて分かり易いのだ。

 今回の件でも、最悪魔導国の悪魔に対しての好感を得ることに失敗したとしても、魔導国の力自体は聖王国や周辺諸国に示すことは出来るだろう。それにより得られるだろう魔導国やナザリックの平和は、ウルベルトにとっては十分意味があるものだった。

 しかし、これだけが理由ならば何もウルベルトが出てくる必要はない。

 何故アインズたちの反対を押し切ってまでウルベルトが出てきたのかというと、それはウルベルトなりのけじめであり、ウルベルト自身が聖王国を見定めたいと思ったからだった。

 

 “魔王騒動”の計画が最初に持ち上がった時、実は計画を実行する国の候補は複数存在した。

 一つ目はリ・エスティーゼ王国。

 二つ目はスレイン法国。

 三つ目がローブル聖王国であった。

 そして最終的にローブル聖王国に白羽の矢を立てたのは、何を隠そうウルベルト自身だったのだ。

 リ・エスティーゼ王国は王族貴族の腐敗が目立ち、スレイン法国は他種族を認めぬ“人間至上主義”を唱えている。この二つの国も十分ウルベルトが標的に選ぶだけの要素を持ってはいたのだが、リ・エスティーゼ王国に関しては既にアルベドが掌握するための触手を伸ばしており、スレイン法国は未だ情報不足で要注意な国であったため標的から除外された。

 しかし何故、そもそもローブル聖王国が候補の中にあったのかというと、主に四つの部分がウルベルトの目に留まったからだった。

 一つ目は、“聖”王国と“聖”騎士という存在。

 自分たちは聖なる者だと自称し、高らかに正義を謳う国や聖騎士という存在にひどく興味が湧いた。

 彼らの“正義”とは一体どういったものであり、彼らがどういった存在であるのか。

 人間に限らず知恵や理性を持つ生き物は、危機的状況に陥った時に始めて、その本性を露わにするものである。ならば今回の“魔王”という災厄に対して、正義を謳っていた彼らは一体どんな本性を見せてくれるのか……。

 “悪”をこよなく愛し“正義”を心の底から嫌悪するウルベルトにとって、この部分だけでも十分に興味を引く要素に成り得た。

 次に二つ目は、北と南に二分された聖王国の現状。

 バハルス帝国やスレイン法国のような一枚岩ではなく、リ・エスティーゼ王国のように勢力が二分された現状がウルベルトの目に留まった。

 リ・エスティーゼ王国ほど酷くはないだろうが、これは腐敗が起こり始めている表れではないのか。

 事実、デミウルゴスや隠密能力に優れた多くのシモベたちに調べさせたところ、聖王女は長年南の勢力を掌握できずに力関係も拮抗しているという。南の勢力の主軸である貴族たちはリ・エスティーゼ王国の貴族と似通った部分が多々あり、領民の事よりも如何に聖王女のいる北の勢力の拡大を阻止できるかに心血を注いでいるようだった。

 自身の権力に執着する南側の貴族や、彼らを御しきれずバハルス帝国の鮮血帝のように制裁もできぬ聖王女の存在が、元々王族貴族といった存在が気に食わないウルベルトの気にひどく障った。

 次に三つ目は、スレイン法国ほどではないものの、人間至上主義に近い他種族への考え方。

 そして最後の四つ目は、聖王女が唱えたという『弱き民に幸せを、誰も泣かない国を』という言葉だった。

 三つ目と四つ目に関しては、事ある毎に起こる亜人との争いや、聖王女と聖王女の傍に控える二人の姉妹の姿勢がウルベルトの疑念を募らせた。

 そもそも何故聖王国はこれほどまでに亜人との争いが絶えず起こっているのか。

 本当に亜人だけが悪いのか。

 人間が亜人の生きる場所を奪い、命を脅かしたからなのではないのか。

 『弱き民に幸せを、誰も泣かない国を』という言葉は、人間にしか……それも聖王国の人間にしか当てはまらないものなのではないのか。

 一つの種族を優遇し、他の種族を認めず蔑ろにする行為は、ウルベルトにユグドラシルでの“異形種狩り”を思い出させた。

 元より『弱き民に幸せを、誰も泣かない国を』という言葉自体が、現実が見えていない綺麗事のように思えて不愉快にさせられる。たっち・みーの方がまだマシだったとさえ思え、自分たちが正義だと頑なに信じて疑わない様に反吐が出そうだった。

 正義とは立場や立ち位置、状況、時代、見る側、見られる側、あらゆる事象によって幾重にも変わるひどく曖昧なものである。

 勿論聖王国には聖王国なりの正義はあるのだろう。しかし同様に亜人には亜人の、異形種には異形種の正義もまた存在する。

 それらを踏み躙ってなお自分たちが正しいと声高に言うのであればそれは滑稽でしかなく、ウルベルトにとっては何処までも胡散臭くて不快にさせられるものだった。

 これらの理由によりウルベルトはローブル聖王国を標的に選び、今ここにいた。

 聖王国の人間たちの本性を見極め、今後の世界征服において、多くの種族が生きる魔導国の一部として存在するに相応しい国であるかを見定める。標的に選んだせめてものけじめとして、自分は見定める役目を担う。

 

 

「………まっ、それだけが理由じゃないけどな…」

 

 偉そうなことをつらつらと思考する自身を嘲笑い、ウルベルトは小さく呟いた。

 先ほどの言葉通り、ウルベルトがここにいる理由は他にも幾つかあった。

 一つは敢えて悪魔に悪魔を当てることで、ギャップの要領で魔導国の悪魔に対する好感度を上げるため。そして何より、ウルベルトの手で“魔王”を滅ぼすためだった。

 ウルベルトは常々公言している通り、デミウルゴスを、悪魔という存在を、“魔王”という役柄をこよなく愛していた。

 お気に入りの“魔王”という存在を滅ぼさなければならないのなら、せめて自分の手で滅ぼしたいという気持ちが大きくあったのだ。

 これはいくら友人のアインズでも譲れない。

 

「……本当に、どうしようもないな」

 

 再び小さく呟きながら、ウルベルトは一つ小さな息を吐き出した。

 

 全ては愛する友と“アインズ・ウール・ゴウン”のために。

 大切な息子や悪魔たち、大切なシモベたちのために。

 そして何より、自分の掲げる“悪”のために……!

 

 つらつらと自身の目的を思い返して気を引き締めさせたその時、唐突に扉代わりの布の外から声をかけられてウルベルトはそちらへと目を向けた。

 入室の許可を得るために名乗られたのはネイア・バラハと、何故かグスターボの名前。

 ウルベルトは思わず小首を傾げながらも入室の許可を与えた。

 すぐさま捲られた布と、部屋に入ってきた二つの影。

 グスターボとネイアは部屋に入るなり、驚愕の表情を浮かべて見開かせた目でウルベルトを凝視してきた。

 

「か、閣下…、これは……一体……?」

 

 グスターボの目が右往左往と泳ぎ、困惑したように部屋中を見回す。

 ウルベルトはあぁ…と理解の声を小さく零すと、次には気のない様子で肩を竦ませた。

 

「気にしないでくれたまえ。少々模様替えをさせてもらっただけなのでね」

「い、いえ、しかし……」

「それよりも、何故君がここにいるのかね? 私に何か用事でも?」

 

 まだ何か言いたそうなグスターボを無視して、さっさと話題を移す。

 グスターボは未だに部屋を見回していたが、次には諦めた様に表情を引き締めさせ、視線を真っ直ぐにウルベルトへと向けてきた。

 

「はい。従者バラハを侮るわけではないのですが、副団長である私の方から説明させて頂く方がより良いと思い、参りました」

「……ほう、なるほど。バラハ嬢でも問題はないと思うのだが……、まぁ、良い。では説明を聞かせてもらおうか」

 

 ウルベルトはチラッとネイアを見るも、すぐにグスターボへと視線を戻して説明を促した。

 グスターボの話の内容はこれからの解放軍の行動方針。

 簡単に言えば、レメディオスたちは勢力拡大と食糧不足の改善のために捕虜収容所を襲い、囚われている民たちを解放するつもりであるらしい。

 正直に言ってウルベルトの感想は、何とも微妙な作戦だな…というものだった。

 

「……なるほど、理解した。それで、話はそれだけかね?」

「いえ、それで災華皇閣下はこの作戦をどう思われましたか?」

 

 グスターボからの問いかけに、ウルベルトは思わず小さく顔を顰めさせた。

 

「……私の立場では安易に考えを口に出せないと言ったはずだがね。それとも、君たちは私の命に従うつもりなのかね?」

「……いえ、残念ながらそれは出来かねます。しかし我々には後がないのです。少しでも失敗の可能性を避けるために、あくまでも参考という形で閣下の助言を頂きたいのです」

 

 真摯な表情を浮かべて深く頭を下げてくるグスターボに、ウルベルトは小さく目を細めさせた。

 国や人々を救うために悪魔にさえ頭を下げるグスターボの姿に、少しだけウルベルトの心が揺れ動く。

 ウルベルトは一度大きなため息をつくと、仕方がないとばかりに緩く頭を振った。

 

「………はぁ、では少々話をするとしようか。幾つか気になる点もある」

 

 ウルベルトはグスターボとネイアに椅子を勧めると、早速今回の行動方針について話し合いを始めた。

 ウルベルトが気になったのは、そもそも捕虜収容所を解放したとしても勢力を拡大でき、食糧不足も改善できるのかという点。そして一つの捕虜収容所を解放できたとして、次の捕虜収容所を解放するまでにかかる時間の問題だった。

 まずは勢力拡大についてだが、相手が亜人や悪魔であれば捕虜たちがただ単に拘束されているだけとは思えない。特に相手が悪魔であれば尚の事、あらゆる手段で体力的にも精神的にも追いつめ、解放したとしても使い物にはならないだろう。

 食料も、捕虜相手に十分に与えているとは思えなかった。少なくともデミウルゴスや彼の配下の悪魔であれば食料は滅多に与えず、代わりに共喰いをさせて腹を満たさせると同時に捕虜たちの精神を徹底的に追い詰めさせるだろう。

 もし彼らが牛や豚のように亜人を食べることに抵抗がないのであれば話は別だが、馬車の中でネイアの話を聞いた限りでは、どうにもそうとは思えなかった。

 最後に時間の問題だが、相手側にこちらの居場所が知られている以上、迅速な行動が求められる。一つ目の捕虜収容所を解放できたとしても、そこからもたもたしていてはすぐに相手側の襲撃を受けるだろう。

 どうにも出たとこ勝負の部分が多く、ウルベルトは思わず頭を悩ませた。ナザリックのシモベたちがいかに優秀で頼りになるのかが心の底から実感させられる。

 どうしたものかと思考を巡らせ、ウルベルトはふとある考えが頭に思い浮かんで思わず目を瞬かせた。

 

「……モンタニェス副団長殿、一つ提案があるのだがね。勢力拡大と食糧事情の改善だけでなく、相手側を撹乱させるためにも一度に二つの捕虜収容所を襲ってみないかね?」

「一度に二つの……? しかし、残念ながらそこまでの人員が我々にはありません」

「ああ、分かっているとも。しかし、軍はなくとも、それに匹敵する力を持つ存在を忘れてはいないかね?」

「ま、まさか……」

 

 一気に顔面を蒼白にするグスターボに、ウルベルトはにっこりとした笑みを浮かばせた。

 

 




*今回の当小説捏造ポイント
・聖騎士の部隊構成;
原作では聖騎士は総勢で約500人と書かれいるのですが、500人で一部隊は少し多すぎるだろう……ということで、当小説では聖騎士団は幾つかの部隊に別れている設定にしております。レメディオスが直接率いる部隊を第一部隊とし、約100人前後の部隊が幾つか存在する設定にしております。


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第4話 数多の推測と感情

よ、予想以上に長くなってしまった……。
読むのに疲れてしまったら申し訳ありません……(汗)


 ウルベルトとグスターボとネイアが今後の方針について話し合った日から数日後。

 聖騎士と神官で構成されているレメディオス率いる解放軍は、悪魔や亜人たちに囚われている多くの民を救うために拠点からできるだけ離れた場所にある海辺の捕虜収容所に向かっていた。

 しかし彼女たち解放軍の中にウルベルトの姿はない。

 夜の闇に紛れるように進む解放軍の先頭で厳しい表情を浮かべて前方の暗闇を睨んでいるレメディオスに、グスターボが物音を立てないように気を付けながら素早く駆け寄って来た。

 

「団長、やはり呼び戻すべきです。今ならまだ間に合います!」

「………またその話か…」

災華皇(さいかこう)の提案を呑むなど、何を考えておられるのですか! それもあんな少数で向かわせるなど! 災華皇に何かあれば、亜人たちやヤルダバオトを何とかできたとしても今度は魔導国と戦争になります!!」

「……魔導王とは既に“災華皇の身に何があったとしても、我々に責任は負わせない”という契約を交わしているだろう」

「現状や状況で、そんなものは簡単に覆せます!! 魔導王との契約には“我々が災華皇に対して協力した上で”という前提条件が付いています! それは団長も分かっているでしょう!!」

「煩い、声を落とせ」

 

 気が高ぶってだんだん声が大きくなっていくグスターボに、すかさずレメディオスから鋭い声が飛ぶ。グスターボが咄嗟に口を噤む中、レメディオスは変わらず前方の闇を睨むように見据えながら、どこまでも抑揚のない低い声音で言葉を紡いだ。

 

「……私たちはあくまでも奴の提案を呑んだだけだ。それに単身で良いと言う奴に少数ではあるが人員を与えてさえやったんだぞ。これで奴の身に何か起こったとしても、私たちには一切非はないはずだ」

「………人員を与えたと言いますが、たったの二人……いえ、ネイア・バラハを入れても三人ではありませんか。……団長の言い分を魔導王が理解し、納得してくれるといいのですが……」

 

 その可能性は限りなくゼロに近いだろう……。

 続けそうになったその言葉をグスターボは咄嗟に呑み込んだ。

 安易にそんなことを口に出してしまえば、レメディオスならば深く考えもせずに『ならばそんな横暴なアンデッドなど滅ぼしてしまえばいい』と平気で言ってきそうな気がした。もしそんな言葉を聞いてしまったら、グスターボはほぼ間違いなく胃に穴を開けてしまう自信があった。

 グスターボはレメディオスの横顔を盗み見ると、思わず小さなため息を吐き出した。

 彼女がウルベルトに斬りかかろうとした時のことを思い出し、その時に見た魔導王の反応も思い出してしまって思わず恐怖と不安で背筋を凍りつかせる。

 グスターボは懐から覗く一本の巻物(スクロール)をチラッと見やると、今度は重く深いため息を吐き出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃ウルベルトはと言えば、ネイアとスクードと一人の聖騎士と一人の神官を引き連れて優雅に空を飛んでいた。もっと詳しく言えば、空飛ぶ蛇のような竜に乗って夜の闇を音もなく進んでいた。

 ウルベルトたちが乗っているのは、ウルベルトが〈使役魔獣・召喚(サモン・コーザティヴ モンスター)〉の魔法で呼び出した地獄の魔竜、怒りに埋まるモノ(ニーズヘッグ)

 体長三メートルを優に超える蛇のような巨体に、しかし頭には捻じくれた大きな角が二本生えている。全身は鎧のような蒼を帯びた漆黒の鱗で覆われ、群青色のヒレが鬣のように首回りや背筋に生えていた。長い胴体には二本の腕が存在し、しかしそれは巨大な皮膜の翼へと変化している。後ろ足は存在せず、何とも奇妙な体形だ。

 しかし同乗しているネイアや聖騎士や神官は決してニーズヘッグを侮るようなことはしなかった。いや、できなかったと言った方が正しいだろうか。

 目の前に存在しているだけで感じられる圧倒的な存在感と圧迫感。目が合っただけで、まるでドラゴンの舌の上に立っているような絶望と恐怖が湧き上がってくる。

 この竜だけでヤルダバオトを倒せるんじゃないだろうか…と誰もが思ったことだろう。

 ネイアは落ちないように震える手で必死に目の前の群青色のヒレを鷲掴みながら、チラッと前方に跨っているウルベルトの背を見つめた。

 こんな強力な竜を召喚して使役するウルベルトが信じられず、畏敬にも似た感情を湧き上がらせる。

 しかしそれと同時に少し心配になってくる。

 こんな強力な存在を召喚すれば、それだけ多くの魔力を消費するはずだ。加えて、これから一つの捕虜収容所をたった数人で落として捕虜となっている民たちを解放しなくてはならない。ウルベルトの協力は必要不可欠であり、更なる魔力消費を強要してしまうことになるだろう。

 ウルベルトはヤルダバオトを倒すために聖王国に来てくれたというのに、こんなところで多くの魔力を消費してしまって大丈夫なのだろうか……。

 ネイアはウルベルトからの提案をレメディオスが認めた時のことを思い出し、思わず苛立ちと腹立たしさに普段から鋭い双眸を更につり上がらせた。

 単身での捕虜収容所の解放を提案したウルベルトは、慌てて止めるグスターボやネイアを笑顔と共に宥めながら、さっさと団長であるレメディオスにも提案してしまったのだ。どうか反対して止めてくれるよう願うグスターボとネイアの思いも虚しく、レメディオスはひどくあっけらかんとした様子でウルベルトの提案を認めてしまった。それも“単身で”という言葉も全て含めて、である。

 いくら悪魔という存在を嫌悪しているからと言って、一国の王をたった一人で戦場に向かわせるなど何を考えているのか、とネイアは思わず怒鳴り散らしそうになったものだ。しかもレメディオスの顔には“やれるものならやってみろ”という見下した色も滲んでいるように見えて、今思い出しただけでも怒りのあまり吐き気さえ込み上げてくる。

 しかしそんな中、何故今ウルベルトの同行者が増えているのかというと、グスターボが慌てて止めに入る中で彼らの会話に割って入る人物がいたからだった。

 その人物は洞窟内を案内し、ウルベルトに与えられた部屋の入り口を警護していた聖騎士の男だった。

 まさか相手が聖騎士とは思わず、誰もが驚愕の表情を浮かべたものである。いつ名前を聞いていたのか、ウルベルトは彼の名前さえ呼んで首を傾げていた。

 彼はウルベルトやレメディオスたちに“ウルベルトはあくまでも聖王国と協力関係にある”という部分を強調し、捕虜収容所から解放した民たちの混乱を避けるためにも聖王国の人間がウルベルトに同行すべきだと主張した。

 しかしレメディオスの不愉快気な表情は一切変わらない。彼女は解放軍から割ける人員など存在しないと宣い、聖王国の人間での同行者ならばネイアがいるとまで言い放った。

 しかしネイアはただの従者であり、彼女の立場程度ではウルベルトを見て恐怖し混乱するであろう多くの民たちを鎮められるだけの影響力は持ち得ない。誰もが知るレメディオスが同行すべきだとまでは言わないが、せめて聖騎士の同行は必要不可欠だと思われた。加えて解放した民たちが衰弱していたり怪我を負っていたりする場合もあるため、できるなら神官の同行も望ましい。

 声を上げた聖騎士の男もネイアと同じことを考えていたようで、自分の同行を認めてほしいと言ってきた。彼は許可を貰えるなら知り合いの神官も連れて行きたいと主張し、レメディオスを更に不愉快にさせた。

 彼女からしてみれば、同じ聖騎士の中からまさかウルベルトの同行を願い出る様な者が出てくるとは思ってもみなかったのだろう。信じられないと思うと同時に、もしかしたら聖騎士の男に対して裏切り者だとさえ思ったのかもしれない。

 レメディオスは嫌悪と怒りと殺気が入り混じった凄まじい形相で聖騎士の男を睨み付けると、次には切って捨てるように許可の言葉を言い捨ててどこかへと立ち去ってしまった。

 果たして聖騎士の男と、男の知り合いだと言う神官の計二名が同行者に加わり、今ウルベルトやネイアと共に青い顔をして竜に跨っているのだった。

 

 

 

「……おっ、見えて来たな。君たち、地上に降りるからくれぐれも気を付けたまえ」

 

 これまでの事を思い出していたネイアにウルベルトの声が飛んでくる。

 ハッと我に返って地上に目を向ければ、ウルベルトの言った通り、遠目に森に囲まれた捕虜収容所が見えていた。

 ウルベルトが言い終わるのとほぼ同時にニーズヘッグの翼の動きが少し変わり、一気に巨体が急降下していく。

 臓器が浮き上がってくるような強い浮遊感に背筋を凍らせながら、ネイアたちはニーズヘッグのヒレにしがみ付いてひたすら耐えた。

 数十秒後――ネイアたちには数分にも感じられたが…――ウルベルトやネイアたちを乗せたニーズヘッグは、ウルベルトの指示に従って捕虜収容所からは少し離れた森の中へと無事に着地した。

 いつも通りに優雅でいて素早くニーズヘッグの背から飛び降りるウルベルトとは打って変わり、ネイアたちはよろよろと這うように背から滑り落ちる。数秒の強烈な浮遊感で一気に気分が悪くなったネイアたちを尻目に、ウルベルトは甘えるように顔を寄せてくるニーズヘッグを優しい笑みと共に撫でてやっていた。

 

「……ふむ、大丈夫かね?」

「だ、だいじょうぶ…です……」

「は、はい……。わたしも…だ、大丈夫です……」

「……も、もうしわけありません…。わたしはちょっと……」

 

 未だニーズヘッグを撫でたままのウルベルトからの問いかけに、ネイア、聖騎士、神官という順に何とか返事を返していく。

 一番最初に立ち直ったのは聖騎士の男で、吐きそうになっている神官の背を甲斐甲斐しく撫でてやっていた。

 

「まぁ、仕掛けるのはもう少し後だから時間はある。その間にゆっくりと休んでいたまえ」

 

 ウルベルトはニーズヘッグの顔から手を離すと、まずは自身の影に潜んでいたスクードを呼び出した。

 続いて〈中位悪魔創造〉の特殊技術(スキル)を発動させる。

 跪いて命令を待っているスクードの背後に、更に複数の影が浮かび上がった。

 一拍後にはスクードの後ろには彼と同じ十二体もの影の悪魔(シャドウデーモン)が跪いて深々と頭を垂れていた。

 

「…行け」

 

 一言短く命じるウルベルトに、スクードを含めたシャドウデーモンたち全員が自身の影に沈んで消えていく。濃厚だった強者の気配も消え失せ、彼らがどこかに移動したのだとネイアたちは理解した。

 

「あの、閣下……。シャドウデーモンたちは一体どこへ……?」

「うん? 捕虜収容所だよ。捕虜たちがどこに囚われているのか知る必要があるだろうからねぇ」

 

 ウルベルトとネイアが会話する中、漸く立ち直ったのか、未だ顔色は青白いものの神官が聖騎士と共にこちらに歩み寄ってきた。

 

「おや、もう良いのかな、ユリゼン君?」

「……はい、お時間を取らせてしまい申し訳ありませんでした。もう、大丈夫です」

「災華皇閣下、我々はいつ行動を開始すれば良いのでしょうか? もたもたしていては、夜が明けてしまいます」

 

 ユリゼンと呼ばれた神官――アルバ・ユリゼンの隣で、聖騎士の男――ヘンリー・ノードマンがウルベルトへと問いかける。

 ウルベルトはアルバに向けていた金色の瞳をヘンリーへと移すと、次にはフフッと小さな笑い声を零した。

 

「むしろ私は夜明けを待っているのだよ。それまで君たちはゆっくりしていたまえ」

 

 ウルベルトの言葉に疑問を覚え、ネイアは勿論の事ヘンリーやアルバも不思議そうに首を傾げた。

 

「……何故、夜明けを待つのでしょうか? 解放軍は夜の闇に紛れての奇襲を行うと聞きましたが……」

 

 ヘンリーの言う通り、レメディオスたち解放軍は夜襲をかけるべくウルベルトたちよりも早く拠点を出発していた。今頃はまさに捕虜収容所を襲っている真っ最中かもしれない。

 しかし亜人種は人間とは違い、種族特性として夜目が非常に効く者が殆どだ。

 今回レメディオスたちが行う夜襲には奇襲という意味合いしか持たず、彼女たちよりもよっぽど選択肢と打つ手が多数あるウルベルトにしてみれば無理に夜襲に拘る必要性も意味もありはしなかった。

 ウルベルトが狙うのは夜中ではなく、むしろ夜明け頃。夜目が効く効かないに拘らず、疲労を感じ、睡眠を必要とする生き物であれば殆どの者が気を緩めてしまうだろう時刻。

 ウルベルトにとって相手側の意表を突くという意味合いでは、むしろこの時刻の方がよっぽど効率が良かった。

 

「捕虜収容所という場所を攻める場合、時間をかけるのは何よりの愚策。また、こちらが不利となる確率も大きいからね。より良い時間帯を選び、打つ手は打ち、勝つための条件を揃えていかなくてはね」

 

 最後にそう締めくくると、ウルベルトは再びニーズヘッグの相手に戻ってしまった。

 邪悪な竜と戯れるウルベルトの姿に、ネイアとヘンリーとアルバは無言で互いに顔を見合わせ、大人しくウルベルトの言葉に従うことにした。

 近くに転がっている岩や地面に直接腰を下ろし、身体を休めながら時を待つ。

 しかしどうも無言でただ座り続けるのも気まずく感じ、ネイアはチラッとすぐ近くに座るヘンリーやアルバへと目を向けた。

 

「……えっと、ノードマン様、ユリゼン様。この度は災華皇閣下や私と行動を共にして下さり、ありがとうございます」

 

 顔は凶悪ながらもおずおずとした様子で礼を口にするネイアに、ヘンリーとアルバは一度顔を見合わせ合って再び彼女へと目を向けた。

 

「……我々の同行の件よりも、まず一つ……。我々の事を様付けで呼ぶ必要はありません。どうぞもう少し気軽に読んで下さい」

「えっ!? し、しかし……私はただの従者ですし……」

「本来はそうであったとしても、今はあの災華皇とかいう悪魔の従者でもあるのですから、そう畏まらなくても良いと思いますがね」

「……おい、アルバ」

 

 どこか刺々しい声音で“災華皇とかいう悪魔”と口にするアルバに、すかさずヘンリーから注意するような声が飛ぶ。しかしアルバは小さく肩を竦めるだけで全く取り合おうとしなかった。

 どうやらアルバはウルベルトに対してあまり好意的ではないようだ。

 まぁ、聖王国の人間で悪魔に好意的な人物など殆どいないのかもしれないが……。

 

「それに我々の同行に関しても、あなたが礼を言う必要はありませんよ。私はこの男に無理やり連れてこられただけですから」

 

 恨みがましげにヘンリーをじろっと睨むアルバに、ネイアは胸の中が酷く重く沈んだような気がした。

 仕方がないことだと、頭では理解している。

 しかしそれでも、何も知らずにただウルベルトが悪魔だからというだけで否定されてしまうことが酷く悲しくて、どうしようもなく心を憂鬱にさせた。

 

「えっと……ユリゼン、さん…の同行の理由は分かりました。では、ノードマン…さん、はどうして同行を願い出て下さったのでしょうか?」

 

 四苦八苦しながらも何とか問いかけるネイアに、ヘンリーは少し考え込むような素振りを見せてから、ゆっくりと口を開いた。

 

「………簡単に言えば、災華皇閣下に興味が湧いたから、でしょうか」

「興味……ですか……?」

 

 何とも聖騎士らしからぬ言葉に、ネイアは思わず小さく首を傾げた。

 しかしヘンリーはどこまでも真剣な表情を浮かべて大きく頷いてきた。

 

「私が災華皇閣下についての話を聞いたのは使節団の仲間から洞窟の案内を命じられた時のみです。そして実際にあの方を見て言葉を交わしたのは、最初の洞窟での案内時での時だけ。あの方が話す言葉を聞いたのは、団長たちの会談に参加して団長たちに足跡について知らせ、解決策を提示された時のみでした」

 

 ヘンリー自身、まるで自分の考えを整理するようにしながら言葉を紡いでいく。

 

「私が手にする災華皇閣下の情報はあまりにも少なく、実際に見て聞いて、言葉を交わした時間も非常に短く、微々たるものです。だからこそ、あの方を知るために同行を願い出たのです」

「……でも、何故知りたいと思ったのですか? 悪魔が……憎くはないのですか……?」

 

 聞くのが怖いと思いながらも、どうしても我慢できずに問いかける。

 ヘンリーは再び考え込むような素振りを見せた後、変わらぬ真剣な表情を浮かべたまま小さく頷きを返してきた。

 

「勿論、悪魔が憎いという気持ちはあります。しかし、それは災華皇閣下とて同じなはずです。悪魔である閣下にとって我々聖騎士は敵であるはず。なのに閣下は、単身で我々を助けに来て下さった。だからこそ、知りたいと思ったのです。……それに」

 

 一度言葉を切ると、ヘンリーは真剣な表情から少し困惑したような表情を浮かべた。

 

「私は何故か、あの方が唯の残虐な悪魔だとはどうしても思えないのです。あの方の言葉を聞いたのも、実際に言葉を交わしたのも、本当に短く微々たるものだったというのに……。あの方から感じるものは、普通の悪魔から感じられるものとはまるで違うのです」

「………まぁ、確かに姿を見ずに言葉だけ聞けば、悪魔とは思えないですね」

 

 神妙な表情を浮かべて頷くアルバに、ヘンリーは何かを思い出したように小さな苦笑を浮かばせた。

 

「それに私は、唯の下っ端の聖騎士にわざわざ名を尋ね、それもずっと覚えているような人物を閣下以外に見たことがありません」

 

 どこか照れたような色を滲ませて苦笑を深めさせるヘンリーに、ネイアは内心で納得の声を小さく上げていた。

 恐らくヘンリーはネイアと同じく、ウルベルトの寛大でいて大らかな心に触れることが出来たのだろう。もしかすればウルベルトはネイアの時と同じように、大きな慈愛と心遣いでもってヘンリーにも接してくれたのかもしれない。

 

(それでも、亜人や異形に……それも悪魔に対して憎しみが強いはずの聖騎士まで魅了してしまわれるなんて……。やっぱり閣下はすごい。)

 

 ネイアはヘンリーの言葉を嬉しく思うと同時に、悪魔という身でありながら聖騎士の心をも惹きつけてしまうウルベルトに対して純粋な尊敬の念を感じた。

 

 

「……随分と仲良くなったのだねぇ。いや、実は最初から仲が良かったのかな?」

 

 不意に聞こえてきた声に、ネイアたちは弾かれたようにそちらを振り返る。

 いつ戻って来たのか、後ろにスクードを引きつれたウルベルトがこちらに歩いてくるのが見えて、ネイアたちは慌てて立ち上がってウルベルトへと向き直った。

 

「そろそろ時間だ。準備は良いかね?」

「勿論です、閣下」

 

 ネイアが肩にかけている“イカロスの翼”を握りしめて頷き、ヘンリーとアルバも顔を引き締めさせて一つ頷く。

 ウルベルトはフッと小さな笑みを浮かべると、次には小さく息をついて肩を竦ませた。

 

「……とはいえ、君たちはあくまでも聖王国の者であり、大切な預かり者でもある。私が指揮する中で死なれてしまってはいろいろと問題が出てくるだろう。君たちは後ろに下がって……と言うわけにもいかないようだねぇ……」

 

 ネイアたちの表情を見やり、ウルベルトはやれやれとばかりに苦笑を浮かばせる。

 少しだけ考え込んだ後、ウルベルトは徐にマントの中へと手を突っ込んだ。

 

「……ならば折角だ。君たちにも少しばかり協力してもらおう。今回はこの武器を使用したまえ」

 

 ウルベルトは嬉々とした笑みを浮かべると、マントの中へと突っ込んでいた手を引き抜いた。ウルベルトの手には何か長いものが握られており、そのままずるっと引き抜かれて姿を現す。

 

「「「っ!!」」」

 

 “それら”を見たネイアたちは、三人ともが思わず驚愕の表情を浮かべて大きく息を呑んだ。

 ウルベルトの手に握られていたのは一振りの剣と一本の杖。更にはウルベルトは一度それらを背後のスクードに持たせると、再びマントに手を突っ込んで次は盾を引っ張り出している。

 あのマントのどこにそんな物を入れるスペースがあるのだろう……と頭の片隅で疑問の声が囁く中、しかしネイアたちの心境はそれどころではなかった。

 ウルベルトが取り出した剣も杖も盾も、全てが美しく、圧倒的な存在感を放っていた。

 

「これらはバラハ嬢に渡した“イカロスの翼”と同じく、ルーンという技術で作った私の試作品の一つなのだよ。君たちにはバラハ嬢と同じく、これらの性能を確かめてほしい。きっとこれらが君たちの力となり、君たちの身を守ってくれるだろう。……まずはノードマン君」

 

 ウルベルトはヘンリーの名を呼ぶと、彼に向けて剣と盾を差し出した。

 剣は柄が漆黒で剣身が蒼を帯びた銀色に輝くロングソード。剣身の腹部分には縦一直線に幅の広い樋が彫られており、まるでその樋を囲むように装飾のような紋様が細かく連なって刻まれている。

 盾は丸い円形の小型のバックラーで、中心には丸い紋様が刻まれており、そこから八等分に細い線が放射状に走っていた。一見“イカロスの翼”やロングソードに刻まれているような――恐らくルーンの技術であろう――紋様は見当たらないが、もしかしたら何か特別な処置が施されているのかもしれない。

 

「剣の方が“モール・エクラ”、盾の方が“イモータル・プロテクション”という。さぁ、受け取りたまえ」

 

 困惑の表情を浮かべるヘンリーに、ウルベルトがズズイッとばかりにロングソードとバックラーを差し出してくる。

 しかしヘンリーはネイアの時と同じように焦りの表情を浮かべて必死に頭を振った。

 

「い、いえ! このような物を受け取るわけにはいきません! それに私は聖騎士ですので、この剣に国や聖王様への忠誠を誓っております。ですので、この剣と盾以外の物で戦うわけには参りません!!」

 

 必死に拒否するヘンリーに、ウルベルトの動きがピタッと止まった。マジマジとヘンリーの顔と腰に下げている剣や盾を交互に見やり、次には小さく首を傾げる。

 徐々に悲しげな表情を滲ませ始める山羊頭の悪魔に、ネイアだけでなくヘンリーまでもが大きな罪悪感に襲われた。

 

「………聖騎士がそういうものであるなら、私がこれ以上言うことはできないが……」

 

 諦めたような言葉を口にするウルベルトにヘンリーが安堵の息を吐き……。

 

「だが、君たちに万が一のことがあったら私の立場が少々危うくなることも分かってくれるだろう……?」

 

 全く諦めていなかったことにネイアが思わず苦笑を浮かばせた。

 

「それに忠誠とは本来心に宿るものであって、物に宿るものではない。また、忠誠を証明するのに必要なのは結果であって、その剣を振るうこと自体ではない。もしその剣を振るうことによって君の尊い忠義が果たせなかった場合、それは本当に忠誠を誓っていると言えるのかね?」

「そ、それは……」

 

 思わず言い淀むヘンリーに、ネイアも思わず小さく目を伏せて考え込んだ。

 ネイアにはウルベルトの言葉が真理をついているように思えた。

 ヘンリーの言うことも理解できる。

 しかしウルベルトの言う通り、ウルベルトの申し出を断って本来の剣を使用し、それによって信義が果たせなかった場合、それは本当に正しいと言えるのだろうか。

 “正義を果たす”という聖騎士の誓いを……、忠義を果たしていると言えるのだろうか……。

 これが例えば警護であったり何か違った任務であったならまだ良い。しかし今回は多くの民の命がかかっているのだ。

 もしウルベルトが差し出してくれた剣と盾を使うことでより多くの命を救えるのなら、聖騎士のあり方に拘るよりもよっぽど正しいのではないだろうか。

 

「勿論、使ってみてやはり自分の剣と盾の方が良いのであればすぐに戻してもらっても構わない。まずは使うだけ使ってみてくれないかね?」

 

 優しい声音で伺いを立ててくるウルベルトに、ネイアは思わず苦笑を深めてしまうのを止められなかった。

 最近気づいたことなのだが、この王は決して自分たちには命令してこない。

 他国の者だから、という理由もあるのだろうが、思い返してみれば直属の部下であるスクードに対してもあまり命令しているところを見たことがなかった。大抵は“命令”ではなく“お願い”で、こちらの気持ちも考慮しながら声をかけてくれるのだ。

 何とも悪魔らしくない方だと少し思ってしまうけれど、これもウルベルトが前に言っていた“悪魔もそれぞれ違う”ということなのだろう。

 ネイアやアルバが見守る中、ヘンリーは最終的には受け取ることに決めたようだった。

 ゆっくりと腰に下げていた剣と盾を取り外し、横にいたアルバに預けてウルベルトの前で片膝をつく。そのまま頭を垂れて両手を差し出すのに、ウルベルトはにっこりとした笑みを浮かべて剣と盾をヘンリーの両手の上にそっと乗せた。

 

「本来の剣と盾は持ち歩けば邪魔になるだろうし、ここに置いておくのも気が引けるだろう。良ければこちらで預かろう」

 

 ウルベルトからの申し出に、アルバが確認するように無言でヘンリーを見やる。ヘンリーは一つゆっくりと頷き、アルバも頷き返してウルベルトに剣と盾を手渡した。

 ウルベルトは聖騎士の剣と盾をマントの中に入れると、次の瞬間にはその手には何も握られてはいなかった。

 恐らく魔法なのだろうが、やはりどうなっているのか非常に気になる。

 しかしそんなネイアたちの疑問に気が付いているのかいないのか、ウルベルトは変わらぬ笑みを浮かべたまま、次には金色の瞳をヘンリーからアルバへと移した。

 

「次は君だな、ユリゼン君。君も受け取ってもらえると嬉しいのだが」

 

 ウルベルトはスクードから杖を受け取ると、そのまま両手で持ってアルバへと差し出してきた。

 ウルベルトの手に握られているのは全長約120センチほどもある長めの(ロッド)で、先が三日月のように二股に別れて綺麗な弧を描いていた。三日月部分には美しい紋様が細かく全体的に刻まれており、また、両端にはそれぞれ淡い光を宿した紫紺色のクリスタルが飾られている。夜の闇の中でも美しく輝くクリスタルの根元からは薄紫色でいて半透明な布が長い帯状となって垂れ下がり、微かな風にもゆらりと揺らめいていた。

 何とも美しい杖にアルバとヘンリーは驚愕に目を見開き、ネイアは思わず感嘆の息を零していた。

 

「この杖の名は“レーツェル”。きっと君の魔力を補助し、力となってくれるだろう」

 

 杖を一撫でして差し出してくるウルベルトに、アルバは少しの間杖を凝視した後、徐にウルベルトへと歩み寄って杖へと手を伸ばした。ヘンリーのように跪くことはなかったが、それでも深いお辞儀をしながら恭しく杖を受け取る。

 杖を手にした瞬間、身体の奥底から魔力が湧き上がってくるような感覚に襲われて、アルバは思わずほぅっと小さな息を零しながら己の手にある杖に見入った。

 しかし徐に話し始めたウルベルトに気が付いて、慌ててそちらへと意識を向けた。

 

「……さて、それでは本題に入ろう。シャドウデーモンたちが捕虜となっている聖王国の民たちを発見した」

 

 何よりの朗報に、ネイアたちの表情が見るからに明るく輝く。

 しかしウルベルトはそれを止めるように軽く片手を挙げてみせた。

 

「しかし亜人どもは捕虜たちを幾つもの区分に別けて捕えており、ここにいるシャドウデーモンたちでは全ての捕虜を守ることはできない。また、亜人たちに見つからないように事前に捕虜たちを逃がすこともリスクが大きい。そのため、シャドウデーモンたちには村の至る所に潜伏し、監視と随時状況報告をしてもらおうと思う」

 

 山羊頭に真剣な表情を浮かべて説明するウルベルトに、ネイアたちも真剣な表情を浮かべて彼の声に耳を傾けた。

 しかしウルベルトの語る作戦は何とも簡潔でいて簡単で簡素なものだった。

 

 一つ、シャドウデーモンたちは村中に展開し、亜人たちの行動を監視及び随時ウルベルトに報告する。

 一つ、早急に捕虜収容所を落とすために、亜人たちの相手はウルベルトが担当する。

 一つ、ニーズヘッグは上空で待機。捕虜収容所から亜人たちが逃げないように監視し、逃げた場合は即撃破する。

 一つ、ネイア、ヘンリー、アルバはウルベルトとニーズヘッグの補助に勤め、また、捕虜の解放を主に担当する。

 以上……――

 

 

 

「………えっと…、詳しくはどう動くのでしょうか……?」

 

 あまりに簡単すぎる説明に、ネイアが困惑の表情を浮かべながらウルベルトに問いかける。

 しかしウルベルトは悪戯気な笑みを浮かべるだけだった。

 

「フフッ……、まぁ、臨機応変に、という感じかな」

 

 楽しそうな笑い声を零し、スクードやニーズヘッグに指示を出すためにさっさと踵を返してしまう。

 ネイアとヘンリーは困惑の表情を浮かべたままウルベルトの背を見送り、アルバは未だ呆然とした表情を浮かべていた。何とはなしに互いの顔を見やり、途端にアルバが不機嫌そうに顔を顰めさせる。

 

「……何なんだ、あの悪魔は…。本当に俺たちに説明する気があるのか? それともわざと詳しく説明せずに、何かを企んでいるのか?」

 

 今までの口調とは一変し、少し苛立たし気に粗野な口調で言葉を零すアルバに、ネイアは少々驚きながらも何も言い返せずに小さく顔を俯かせた。

 ウルベルトはそんな人物ではない、と言い返したいのに、では何故きちんと説明してくれないのだと更に言い返されてしまえば自分は何も言えなかった。

 何故、ウルベルトは自分たちにきちんと説明してくれないのだろう……と困惑と少しの寂しさが胸に湧き上がってくる。

 もし彼に説明する価値もないと思われているのだとしたら……。

 不意にそんな考えが湧き上がったかと思うと、ネイアは一気に背筋が凍り付いたような気がした。

 

 

「………もしかしたら、わざと詳しい説明をされなかったのかもしれない…」

 

 ネイアの隣で考えに耽っていたヘンリーが唐突に言葉を零す。

 ネイアが驚愕と困惑と傷ついたような表情を浮かべる中、アルバも更に顔を顰めさせてヘンリーを見やった。

 

「なんだ、なら本当に何か企んでいるっていうのか?」

「そうではない。……私たちに考えさせるために、わざと説明されなかったのかもしれない」

 

 ヘンリーの言葉にネイアは困惑の色を濃くし、アルバは訝しげに首を傾げる。

 一体どういうことだ、と無言で見つめるネイアたちに、ヘンリーは神妙な表情を浮かべながらチラッとウルベルトの背を見つめた。

 

「……災華皇閣下は魔導国の王だ。ヤルダバオトを倒すために聖王国に来られたのであって、ずっとここにおられるわけではない。……もし、亜人の軍勢を打ち滅ぼす前にヤルダバオトを倒せた場合、恐らく閣下は魔導国に帰国されてしまうだろう。そうなってしまった時、聖王国は……私たちは、私たちの力だけで残りの亜人たちの軍勢を打ち滅ぼさなくてはならなくなる」

 

 ヘンリーの説明に、ネイアとアルバはハッと目を見開かせた。

 きっとそうだ! いや、そうとしか考えられない!

 ネイアは胸の中で淀んでいた悲しみの霧が一気に晴れるのを感じ、それと同時に熱いものが勢い良く胸に込み上げて溢れてくるのを感じた。

 ヘンリーの言う通り、ウルベルトはずっと聖王国にいる訳ではない。ヤルダバオトを倒してしまえば、ウルベルトはすぐにでも魔導国へ去ってしまうのだろう。ウルベルト自身が今少し残ろうとしてくれたとしても、あの魔導王がそれを許すとも思えなかった。魔導王と交わした契約はあくまでもヤルダバオト討伐のための救援であり、例え未だ他の強大な悪魔や亜人の軍勢が残っていたとしても、もはやウルベルトの力も知恵も借りることができなくなるだろう。

 恐らくウルベルトは、仮にそうなっても良いように、わざと詳しく説明せずに自分たちで考えるようにさせたに違いない。

 なんて思慮深く、優しい方なのだろう……。

 ネイアは少しでもウルベルトを疑ってしまった自分が恥ずかしく思えて仕方がなかった。

 

「そんなの……、お前の勝手な推測だろう……」

 

 アルバが困惑したような表情を浮かべながら目を逸らし、苦し紛れにそう言ってくる。

 ヘンリーはその言葉に一つ頷きながらも、真剣な表情を浮かべたまま真っ直ぐにアルバを見つめた。

 

「確かに、これはただの私の推測だ。しかし、閣下はそう考えてもおかしくない御仁だ」

「ほう、やけにあの悪魔の肩を持つじゃないか」

「あの方はいつもご自身や我々の立場を考えながら行動していらっしゃる。それはお前も分かっているだろう? ……あの方は私たちが考えている以上に思慮深く、叡智高き方かもしれない」

「……………………」

 

 ヘンリーの言葉に何か思い当たることでもあるのか、アルバは顔を顰めさせたまま黙り込む。暫く睨むようにヘンリーを見つめた後、次には諦めたように大きなため息をついた。

 

「……分かったよ、この件についてはこれ以上何も言わん。俺なりに、あの悪魔が本当にお前が言うだけの存在なのか見極めさせてもらうさ」

 

 口調と言葉は軽薄ながらも表情はどこまでも真剣なアルバに、彼なりの決意のようなものが感じられる。

 何とも言えない緊張感にネイアが思わず生唾を呑み込む中、何とも呑気な声が彼女たちの張り詰めた空気を吹き飛ばした。

 

「何をしている? さっさと来ないと置いていくぞ」

 

 慌てて振り返ればウルベルトが一人立ってこちらを見つめていた。傍らにはスクードもニーズヘッグもおらず、どうやら彼らは既にウルベルトの命に従って行動を開始したようだ。

 先ほどの言葉通りさっさと一人で村の方へと行きそうなウルベルトに、ネイアたちは慌てて彼の元へと駆けていった。

 置いて行かれないようにウルベルトの傍らに駆け寄り、それぞれが定位置と思われる場所につく。

 いくら亜人たちの相手をするのがウルベルトであり、自分たちは補助する立場だとはいえ、全員が王である彼の後ろに隠れている訳にはいかない。前衛であるヘンリーはウルベルトの盾になるように前につき、後衛であるネイアはウルベルトの斜め後ろ、アルバはウルベルトの背後にそれぞれついた。ウルベルトは少し何か言いたげな素振りを見せたものの、すぐに思い直したのか無言のまま肩を竦めるだけだった。

 鬱蒼とした森の中を無言で進み、十数分後には視界が開けて高く頑丈そうな門と防壁が姿を現す。

 普通であれば破城槌を用意して門を破壊するのだが、しかしウルベルトは何も用意せずにただ真っ直ぐに門へと歩み寄って行った。

 門との距離が徐々に縮まり、見張り台にいる亜人たちがこちらの存在に気が付いてざわつき始める。

 思わずネイアたちが得物を手に身構える中、しかしウルベルトが動く方が数秒早かった。

 

「君たち、目を瞑りたまえ。……〈魔法最強化(マキシマイズマジック)閃光弾(フラッシュ・バン)〉」

「「「っ!!?」」」

 

 ウルベルトの声とほぼ同時に真っ白な光の爆発が視界を埋め尽くした。

 ネイアたちは咄嗟に瞼をきつく閉じ、更には腕などで目を庇う。瞼を閉じていてもなお感じられる強い光にネイアたちは反射的にその場に立ち尽くし、只々身を強張らせた。

 

「……〈転移(テレポーテーション)〉…」

 

 不意にポツリと聞こえてきた小さな声。

 しかし今なお感じられる光に、どうしても反応することが出来ない。

 瞬間、目の前にあったはずの強大な気配が掻き消えて、ネイアは思わず心臓を跳ねさせた。途端に大きな不安に襲われて思わず目を開きかける。しかし未だ光り輝く強すぎる光に阻まれて、すぐさま再度目を閉じてしまった。

 今何が起こっているのか把握することができない。閉じている瞼の外では多くの物音や悲鳴が聞こえてくるというのに……。

 恐らくウルベルトが自分たちのために戦ってくれているというのに、自分たちは補助をするどころか見届けることすらままならない。

 ネイアはウルベルトとの力の差や自分のあまりの弱さや不甲斐なさに思わず唇を噛み締めた。

 あぁ、力がほしい……と心の底から思う。

 自分にもっと力があったなら、今もウルベルトと共に戦えていたかもしれないのに。

 何より、今も苦しんでいるだろう多くの人々を一刻も早く救うことが出来るのに……。

 ネイアが自分の無力さを嘆く中、いつの間にか瞼を閉じていても感じられていた強い光がなくなっていることに気が付いた。

 恐る恐る閉じていた瞼を開けながら、まずはヘンリーとアルバの姿を確認する。自分と同じように困惑の表情を浮かべながらも無事な様子に取り敢えず安堵の息をつくと、次いでネイアは周りの様子を見回し、絶句した。

 彼女たちの目に飛び込んできたのは多くの亜人たちの成れの果て。

 切り裂かれたような大きな傷を負っている者もいれば、焼け焦げたような者もいる。中には、どうやったのかは分からないが、まったく外傷はないのに事切れている者さえいた。

 多くの死体が転がっている中、しかしウルベルトの姿は見られない。

 大きな困惑と小さな畏怖の色を浮かべるネイアたちに、不意に重苦しいほどの重低音と軋んだような小さな音が同時に聞こえてきた。

 弾かれる様にそちらを振り返って見れば、丸太を連ねて造られている門がゆっくりと内側から開き始めている。

 敵かと咄嗟に得物を手に身構えるネイアたちに、しかし門から姿を現したのは見慣れ始めた姿だった。

 

「災華皇閣下!!」

 

 彼を呼んだのは果たしてネイアだけだったのか、それともヘンリーたちもだったのか。

 優雅な動作で開き切った門から姿を覗かせるウルベルトに、ネイアたちは無意識に笑みを浮かべて彼の元へと駆け寄っていた。

 

「ご無事でしたか!」

「無論、無事だとも。心配は無用だよ、バラハ嬢」

「先ほどの光は一体……。それに捕虜にされている民たちは……!!」

「先ほどの光については目くらましの魔法だ。捕虜に関しては、残念ながら未だ奪還はできていない。第一、亜人たちも見張りと門の護りのみしか倒せていないし……、っと、そう言っている間に来たようだねぇ」

 

 矢継ぎ早に尋ねるネイアたちに対応しながら、不意にウルベルトが自身の背後へと目を向ける。

 ウルベルトの背後……村の奥から次々と出てくる亜人の姿に、ネイアたちは一気に気を引き締めさせて鋭く得物を構えた。

 この捕虜収容所を管理しているのはバフォルクという二足歩行の山羊の姿をした亜人だった。一見ウルベルトとひどく似通った姿をしており、レメディオスがウルベルトに斬りかかったのもこれが大きな理由の一つであったりする。ネイア自身も最初はウルベルトを観察する度にバフォルクに似ていると何度か思ったものだが、しかし今ではその考えはすっかり改めていた。

 バフォルクは見るからに粗野でいて暴力的な雰囲気を漂わせており、王者の威厳と気品に満ち溢れたウルベルトとは感じられる気配すら似ても似つかない。むしろ似ていると思うことさえ失礼だ、と今のネイアは考えていた。

 何はともあれ、異常に気が付いて集まってきたバフォルクの大群に、ネイアたちはいつ戦闘が起こっても良いように得物を持つ手に力を込めた。ネイアとヘンリーは亜人たちの間合いを計算し、アルバはいつ詠唱を始めても良いように唾を呑み込んで喉を湿らす。

 しかしそれらはウルベルトによって遮られた。

 ウルベルトが止めるように軽く片手を挙げ、次には軽い足取りで一歩二歩とバフォルクたちへと歩み寄っていく。

 無防備な様子で近づいていくウルベルトにネイアたちはひどく慌て、殺気立っていたバフォルクたちもウルベルトの姿や身に纏っている穏やかな気配に思わず困惑したように動きを鈍らせた。突進していた足を止め、困惑と警戒の視線でウルベルトやネイアたちを交互に見やる。

 やがてこの場の責任者だと思われる体格の良い一頭のバフォルクが前へと進み出てきた。

 

「貴様は何者だ! 何故、悪魔が人間を引き連れて我らに牙を向く!!」

「私は、ここより北東に位置するアインズ・ウール・ゴウン魔導国の支配者の一人、ウルベルト・アレイン・オードル災華皇である。聖王国の使者の願いにより、お前たちを打ち払いに来た。武器を捨て、投降したまえ。大人しく投降するのであれば、我が名において命は助けてやろう」

「何っ!? 何故、悪魔が人間の味方をする!!」

「我らがアインズ・ウール・ゴウン魔導国は多種族が共存する国。友好国と成り得る者たちからの要請であれば、それが例え人間であったとしても手を貸すのは吝かではないのだよ」

「………裏切り者か…」

「……………………」

 

 ウルベルトの言葉を聞き、バフォルクが嫌悪するように吐き捨ててくる。

 ウルベルトは一瞬黙り込み、じっとそのバフォルクを見つめた。

 瞬間……――

 

 

 

「………悪魔たちを裏切ったと言われるのは不快だな」

「っ!!?」

 

 ウルベルトの姿が掻き消え、次の瞬間、彼の姿は先ほどまで話していたバフォルクのすぐ背後に現れた。

 誰もが反応する間もなく、ウルベルトの手指が優雅に優しくバフォルクの首部分を撫で下ろす。

 

「っ!!」

 

 瞬間、ビクッと震える白銀の巨体と軋んだような息の音。

 バフォルクは目を限界まで見開いた状態で頭上を仰ぐと、そのまま力尽きたように地面へと倒れ伏した。

 誰もが何が起こったのか分からず呆然と立ち尽くす中、ただウルベルトだけが他のバフォルクたちにゆっくりと金色の瞳を向けた。

 

「……さて、では降伏しないと判断して、君たちを残らず処分(・・)することとしよう」

「………うっ、うわあぁぁああぁぁぁぁぁぁあぁああぁぁあぁっ!?」

「ばっ、化け物があぁぁっ!!」

 

 ウルベルトの声が引き金となり、一気にバフォルクたちが騒ぎ始める。ある者は長剣を振り上げ、ある者は長大な槍を構えて我先にとウルベルトへと突進していった。

 ネイアたちも慌ててウルベルトの元へと向かう中、しかし彼女たちはすぐにその足を止めることになった。

 

「感情のままに向かってくるか……、愚か。〈魔法最強化(マキシマイズマジック)獄炎の壁(ヘルファイヤーウォール)〉」

 

 ウルベルトが気のない素振りで軽く手を振るった瞬間、突如闇の炎がバフォルクたちの前に燃え立ち、そのまま襲いかかってきたバフォルクたちを尽く呑み込んでいった。まるでバフォルクたちが燃料であるかのように、彼らを呑み込む度に炎が赤黒く燃え上がる。

 しかしそれも瞬きの間で、一瞬の後には地獄の炎は跡形もなく消え失せていった。

 残ったのは地面に倒れ伏したバフォルクの多くの死体と、優雅に佇んでいる山羊頭の悪魔。そして呆然と立ち尽くすネイアたちと、炎に巻き込まれずにすんだ少数のバフォルクたちだけだった。

 

「おや、全員がかかってきた訳ではなかったのだね。全員が全員、愚かではなかったということか……」

 

 ウルベルトが小首を傾げながら呑気に言葉を紡ぐ。

 しかし次の瞬間、何かを感じ取ったかのように平べったく長い耳をピクッと小さく動かすと、次には呆れたように大きなため息を吐き出した。

 

「………と思ったが、やはり尽く馬鹿だったようだねぇ……」

 

 やれやれ、と大げさなまでに頭を振り、肩を竦ませる。

 彼が何を言っているのか分からずネイアたちが困惑する中、“それ”はすぐに起こった。

 

 

「…お、おいっ、悪魔野郎! こいつ(・・・)の命が惜しけりゃあ、ここから出て行きやがれ!!」

 

 突然響いてきたのは焦りの色を宿した恫喝。

 慌てて声の方へと目を向ければ、一頭のバフォルクが前に進み出てきながらウルベルトへと声を張り上げていた。

 バフォルクは片手に持っているものを、まるで見せつけるかのように高らかに掲げている。

 

「「なっ!!?」」

 

 バフォルクが持っているそれ(・・)を見た瞬間、ヘンリーとアルバが揃って声を上げる。ネイアも声こそ上げなかったものの、つり目がちの目を驚愕に大きく見開かせていた。

 バフォルクが掲げていたのは人間の子供。

 痩せこけ、傷だらけで、真冬だというのに身に纏っている衣服はボロボロで布きれのよう。首を掴まれてぶら下げられているのに身動ぎ一つせず、生気のない表情でただ掲げられるがままにぶらぶらと肢体を揺らめかせていた。

 

「こいつの命が惜しくないのか!? 早く出て行け!!」

 

 バフォルクが急き立てるように手に持っている剣を子供へと突き付ける。

 思わず大きく顔を顰めさせて歯噛みするネイアたちに、しかし次に響いてきたのは大きなため息の音だった。

 

「………ここまで愚かだとは救いようがないな…」

 

 ため息の発生源は呆れた表情を浮かべた山羊頭の悪魔。

 気怠さそうに小首を傾げるウルベルトに、バフォルクは焦りの色を浮かべたまま、なおも子供に剣を突き付けた状態で必死に捲し立てた。

 

「なっ、何を言ってやがる!! どういう意味だ!!」

「……お前たちは私が悪魔であることを理解しているのだろう? ならば聞くが……、悪魔に対して人間の人質が有効であると本気で思っているのかね?」

「っ!!?」

 

 バフォルクたちは限界まで目を見開かせると、まるで喘ぐように鋭く息を呑んだ。困惑と焦りにたじろぎながら、恐怖を振り払うようになおも食ってかかる。

 

「だ、だがっ、だけどっ、お前は人間たちの仲間なんだろ!? こいつらを助けに来たんじゃないのか!!?」

「確かにその通りではあるのだがねぇ……。ふむ、では少しばかり質問を変えようか」

 

 今はそれどころではないはずなのに、ウルベルトがまるで教師が出来の悪い教え子を諭すように優しく語り掛ける。

 バフォルクたちも得体の知れない恐怖に支配されているようで、問答無用で襲い掛かることも人質の子供を振りかざすこともなく、ただ固まったようにウルベルトの言葉に耳を傾けていた。

 

「お前は私に敵わないと判断して、その子供を人質に取ったのだろう? 普通であれば、それも一つの手ではあっただろう。だが、今回の相手は私なのだよ」

 

 バフォルクたちの方から荒い息遣いや息を呑む音が微かに聞こえてくる。

 彼らの目は全てウルベルトに釘付けで、もはやネイアたちには一切意識を向けていないようだった。

 

「悪魔に人間の人質など何の意味もなさない。もし意味をなせたとするならば、それは私にとって大切なものということになる。お前たちは……、私の大切なものを人質にして私を不快にさせても大丈夫だとでも思っているのかね?」

「「「っ!!?」」」

 

 バフォルクたち全員が身体を強張らせ、目を見開き、呼吸を止める。後ろの方で更なる人質として人間の子供たちを用意していたバフォルクたちも同様に、一斉に動きを止めて身体を硬直させた。

 ウルベルトの言葉を聞き、自分たちの中で消化し、完全に理解した瞬間……、しかし全ては遅すぎた。

 彼らに残されたのは死に物狂いの抵抗か逃走。

 しかし彼らに許された結果はただ一つしか存在しなかった。

 狂ったように襲い掛かってくる者にも、踵を返して転げるように逃げようとする者にも、それは平等に訪れた。

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)魔法の弾(マジック・バレット)〉」

 

 詠唱と共にウルベルトの背後に浮かび上がった四十五個の光球。

 加えて〈魔法の矢(マジック・アロー)〉の光球よりも一回りほど大きく、それらが閃光となって次々とバフォルクたちへと襲い掛かっていった。

 全ての光球が狂いなくバフォルクの頭や心臓を貫いて地面へと沈めていく。

 更に何度も同じ魔法を繰り返し唱えるウルベルトに、ヘンリーとネイアも参戦して次々とバフォルクたちを狩っていった。

 

 

「……ふむ、これで終わりかな?」

 

 数分後、この場に立っているのはウルベルトやネイアたちのみで、バフォルクたちは全員が地面に倒れ伏していた。

 人質として連れてこられていた人間の子供たちは、全員が呆然とした表情を浮かべて地面に座り込んでいる。

 

「シャドウデーモンたち、生き残りのバフォルクたちは残ってはいないか? ……そうか、宜しい。ではバラハ嬢とノードマン君を捕虜たちの元へと案内せよ」

 

 ウルベルトがまるで独り言のように、ここにいないはずのシャドウデーモンへと声をかける。恐らく〈伝言(メッセージ)〉の魔法で会話しているのだろう。

 ネイアたちが大人しく次の指示を待つ中、会話を終えたウルベルトがこちらに視線を向けてきた。

 

「ここの捕虜収容所は完全に掌握したようだ。バラハ嬢とノードマン君は捕虜となっている民たちを救い出しに行くと良い。ユリゼン君は私と共にここに残り、子供たちを癒してやりたまえ」

「はっ、畏まりました」

 

 すぐさま跪いて応じるヘンリーの横で、ネイアも戸惑いながらも頭を下げる。

 ネイアとしては、本心ではウルベルトの従者という役目を仰せつかっていることもありウルベルトの傍らから離れたくないという思いが強いのだが、しかしこの場には人手が少なすぎるのも事実だった。この場でネイアができることがない以上、ただここに残りたいと言うのは我儘でしかない。今は我儘を言っていられるような状況ではないし、第一ウルベルトに呆れられてしまったら……と考えるだけで、何故が胸がひどく寒々しく感じられた。

 ネイアは下げていた頭を上げると、後ろ髪を引かれる思いながらもヘンリーと共に村の奥へと駆けていった。

 途中ですぐにシャドウデーモンたちに出会い、捕虜たちの元へと案内される。

 捕虜たちはウルベルトの言葉通り幾つもの区画に別けられて収容されており、全員がガリガリに痩せてひどく衰弱していた。身体だけでなく精神的にも追いつめられていたのだろう、助けに来たネイアやヘンリーの姿を見ても、最初は怯えの表情を浮かべるのみだった。

 しかし悪戦苦闘ながらも何とか彼らを説得し、励まし、牢獄から出しながら順々に他の収容場所を回っていく。

 収容場所は全部で十五個。ウルベルトが召喚したシャドウデーモンたちの数よりも多く、また、捕らえられていた人間の数も予想以上に多い。

 全ての収容場所を回った後には傷ついた人間の大きな団体が出来ており、彼らがウルベルトを見た時の反応がとても気がかりになりながらもネイアたちはウルベルトやアルバが待つ正門へと彼らを先導していった。

 やがて正門が見えてきた、その時……――

 

 

「……お、おいっ! あれを見ろ!!」

「バフォルクだっ! まだバフォルクがいるぞっ!!」

「いやあぁぁあぁぁあっ!!」

「何で…! 全部倒したんじゃなかったのかよっ!!」

 

 ウルベルトの姿を視界に捉えた瞬間、やはりと言うべきか、捕虜となっていた民たちが悲鳴のような声を上げて騒ぎ始めた。

 アルバは治療に専念していたようで驚いたようにこちらを振り返り、ウルベルトはただじっとこちらを見つめている。

 まるで逃げるように後退ろうとする彼らに、ネイアとヘンリーは落ち着かせようと慌てて口を開くが、しかしウルベルトが動く方が早かった。

 

「落ち着きたまえ、ローブル聖王国の民たちよ。私はウルベルト・アレイン・オードル災華皇。アインズ・ウール・ゴウン魔導国の支配者の一人である。此度は聖騎士たちによる聖王国の使節団からの救援要請に応え、私が君たちを助けに来た。……あと、私はバフォルクなどではなく、悪魔だ」

 

 少し不機嫌そうに顔を歪めて最後に付け加えるウルベルトに、しかし民たちの恐怖と混乱は止まらない。“悪魔”という言葉に更に顔を恐怖に歪め、まるで縋るようにネイアやヘンリーに目を向ける。

 ネイアたちはしっかりと彼らの視線を受け止めると、ウルベルトの言葉を肯定するために大きくしっかりと頷いてみせた。

 

「閣下の仰られる通りです。我々は魔導国に救いを求め、その声に応じて閣下が来て下さったのです」

「だっ、だけど! あいつは悪魔なんだろっ!?」

「そうだ! 悪魔が俺たちを助けるなんて……っ!!」

 

「――……ジュリアン!!」

 

 多くの者たちが恐怖と疑念の声を上げる中、不意に悲鳴のような声が響いて来た。

 反射的に身を強張らせる中、一人の男が慌てた様に人波をかき分けてウルベルトの横にいるアルバへと駆けていった。

 いや、アルバというよりも、アルバが治療をするために抱えていた人間の少年に駆け寄っているようだった。

 男は少年の前まで駆け寄ると、少年が生きていると知ると同時にアルバから奪うように引き寄せて抱きしめた。

 

「……良かった、本当に良かった……!!」

 

「……ニーナ!?」

「カルディアっ!!」

「アンナ! アンナなのね!!」

「ルディク!!」

 

 最初の男を皮切りに、子供たちの親であろう男や女が次々と名を呼んで子供の元へと駆け寄っていく。

 息子や娘が生きていることに涙を流して喜ぶ彼らに、他の者たちも恐怖や疑念を困惑の色に塗り替えてネイアたちやウルベルトを見やった。

 

「神官様がこの子たちを救って下さったのですね! ありがとうございます!」

「い、いえ……その子たちを助けたのは私ではありません。…その……、全ては災華皇閣下が成されたことです」

 

 喜びの涙を流していた女が近くにいたアルバに礼を言うが、アルバは小さく頭を振って近くに立っているウルベルトへと目を向ける。そうすれば女や彼女たちの話を聞いていた他の親たちも一様にウルベルトを見やり、次には他の者たちと同じように困惑の表情を浮かべた。悪魔にしてはひどく理知的で優雅さすら感じられるウルベルトの佇まいに更に恐怖や疑念が薄れ始め、困惑の色を濃くしていく。

 アルバに礼を言った女はじっとウルベルトを見上げると、次には恐る恐る口を開いてきた。

 

「……あ、あなたが本当に悪魔なら……何故、私たちを助けてくれたのですか……?」

「何故……? 救援要請に応じたのだから、君たちを助けるのは当然だと思うがね。……まぁ、完全な慈善行為ではないから君たちが気にする必要はない」

「それは……、一体どういうことでしょうか?」

 

 まさか不味い取引でもしたのだろうか……と途端に顔を青くする彼女たちに、ウルベルトは可笑しそうにフフッと小さな笑い声を零した。

 

「フフッ、別に物騒なことではないのだがね。……まぁ、君たちの国との交渉だ、君たちにも教えておくとしよう」

 

 ウルベルトは一度小さく咳払いすると、次には堂々と胸を張って大きな声でネイアたち使節団とアインズ・ウール・ゴウン魔導王が交わした取引内容を高らかに語って聞かせた。

 レメディオス率いる使節団の要請に従い、ヤルダバオトを倒すために支配者の一人であるウルベルトが聖王国まで助けに来たこと。

 その代わり、報酬としてヤルダバオトが率いるメイド悪魔を支配下に置いて魔導国に連れ帰ること。

 重要機密とも言うべき国同士の交渉内容を何の迷いもなく語るウルベルトにネイアたちは大いに慌てたが、ウルベルトは全く気にしていないようだった。

 逆に、そういう訳だからメイド悪魔を支配下に置いた場合には怨みは忘れてくれ、と堂々と言ってのける。

 

「まぁ、それは追々でいいだろう。今は自分や自分の大切な者たちが生きて助かったことに、感謝でもしておきたまえ」

 

 ウルベルトが柔らかな笑みを浮かべたまま、何故か皮肉気な言葉を紡いで零す。

 それが本当に皮肉のような意味となってしまうことに、今のネイアたちは知る由もなかった。

 

 




*今回のウルベルト様捏造ポイント
・〈使役魔獣・召喚〉;
フレズベルク、ガルム、ニーズヘッグを召喚する召喚魔法。詠唱者のレベルによって一度に召喚できる数や魔物が決まる。主に前衛や守護、騎獣、情報収集に使役する。レベルは三体とも90台。
・〈中位悪魔創造〉;
アインズの特殊技術〈中位アンデッド創造〉の悪魔版。一度に最大十二体が限度。
・〈閃光弾〉;
〈閃光〉の上位魔法で第五位階魔法であり、目くらましの魔法。強く白い光が爆発し、一定時間視界を眩ませる。〈閃光〉よりも規模が大きく、範囲魔法となっている。また、目くらましの効果時間も〈閃光〉よりも長い。
・〈運命の三女神の判決〉;
接触した対象の寿命の長さを定める。殆どの者が即死魔法として使用するが、相手とのレベル差や即死抵抗や無効化などの効果により、定めた死のリミットを少し引き延ばされる場合もある。対象と接触しなければならないこともあり、何かと使い勝手の悪い魔法。
・〈魔法の弾〉;
〈魔法の矢〉の上位魔法。〈魔法の矢〉よりも光球が大きく、威力も強い。光球の最大数は十五個。
・怒りに埋まるモノ《ニーズヘッグ》;
〈使役魔獣・召喚〉によって召喚される使役魔獣。レベル90台。蒼を帯びた漆黒の巨大な魔竜。頭には捻じくれた大きな角が二本生え、群青色のヒレが鬣のように首回りや背筋を覆っている。細長い身体には二本の腕があり、そこから被膜の翼へと変化している。防御力が物理、魔法ともにマックスであるため、ウルベルトには盾として使役されることが多い。


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第5話 命の価値

遅くなってしまい、申し訳ありません! ただいま、ちょっとしたスランプ中でございます……(汗)
それなのに前回と引き続き、今回も同じくらい長いです(滝汗)
どうしてこうなった……。


 無事に捕虜収容所を落として聖王国の民たちを解放したウルベルトたちは、レメディオスたち解放軍と合流するために彼女たちが襲撃しに行った海辺の捕虜収容所へと向かっていた。

 全員で移動しては亜人や悪魔たちに見つかる可能性が高いため、取り敢えずは解放した民たちとアルバとスクードをその場に残し、ウルベルトとネイアとヘンリーのみで怒りに埋まるモノ(ニーズヘッグ)に乗って先行することにした。

 

「……閣下、解放軍は無事に捕虜収容所を奪還できたでしょうか…?」

 

 一番後ろに乗っているヘンリーが風の音に遮られないように少し大きな声で問いかけてくる。

 彼の顔には不安の色が濃く浮かんでおり、しかし応じるウルベルトは動じる素振りも見せずに小さく肩を竦ませた。

 

「大丈夫だろう。何か不測の事態が起こった場合は知らせるようにモンタニェス副団長に〈伝言(メッセージ)〉の巻物(スクロール)を渡してある。彼からの連絡もないし、きっと上手くいったのだろう」

「………そうであれば、良いのですが……」

 

 少し言いよどみながらも頷くヘンリーは、しかしその表情はどうにも優れない。

 何かを危惧しているような彼の様子に内心で首を傾げながら、しかしウルベルトは前方に見えてきた光景に気が付いてそちらへと意識を向けた。

 

「そんなに心配ならば、自分の目で確かめると良い。目的地に着いたぞ」

 

 ウルベルトの言葉に、後ろのネイアとヘンリーが前方の地上へと目を向けたのが伝わってくる。

 彼らの視線の先には、ウルベルトの言葉通り広い海辺が広がっており、敵の捕虜収容所となっていた一つの村が鎮座していた。既に戦闘は終わっているようで、争いではない喧騒が上空まで微かに響いてきている。どうやら無事に捕虜収容所を解放できたようだな……と内心で安堵の息をつく中、ウルベルトは村へと降りるようにニーズヘッグへと短く指示を出した。

 敵と勘違いされないためにわざと声を上げさせ、瞬間、ニーズヘッグの大きく開かれた口内から大音量の咆哮が勢いよく轟いた。

 それは正に地獄からの呻き声のような音。

 ウルベルトにしてみれば耳に心地よい音色でしかない鳴き声に、思わず小さな笑みを浮かべてしまう。

 地上では多くの人間たちが俄かに騒つき始め、自分たちの存在に気が付いたのがこちらからでも感じ取れた。

 ウルベルトの指示によって着陸の体勢となったニーズヘッグは、そのまま強い浮遊感と共に大きく翼を羽ばたかせた。急降下の感覚と衝撃に、内心で後ろのネイアとヘンリーは大丈夫だろうか……と少しだけ心配になる。とはいえこれに関してはウルベルトもどうしようもできないため、大人しくニーズヘッグに任せることにした。

 ニーズヘッグは捕虜収容所の開けた場所に向かうと、強い風圧と共に地面へと無事に舞い降りた。

 周りには多くの人だかりができ、中には聖騎士や神官だけではなく恐怖に顔を引き攣らせたみすぼらしい人間たちも多くを占めている。恐らく彼らはこの捕虜収容所に囚われていた民たちなのだろう。身に纏っている衣服は未だボロボロで、自分たちが解放した捕虜収容所にいた民たちと同じようにひどく痩せこけている状態だった。

 

「なんだ!? 何事だっ!!」

「おいっ、なんだ、この化け物はっ!!」

「いやぁあぁぁぁあぁあぁぁぁっ!!」

「……悪魔だ…、悪魔がいるぞっ!」

「ま、待て! あれは……、ま、まずい、武器を下ろせ!!」

「さっ、災華皇(さいかこう)閣下!?」

 

「………おや、何やら大騒ぎになってしまったねぇ」

「………………そ、それは仕方がないことかと……ぅえっぷ……」

 

 呑気に言葉を零せば、吐き気を抑えながらもネイアから力のないツッコミが飛んでくる。しかしすぐに顔を俯かせて不快感に耐えるネイアに、ウルベルトは小さく肩を竦ませてニーズヘッグの背から滑り降りた。

 騒ぎを聞きつけたのか唐突に人垣が二つに別れ、グスターボや他の聖騎士たちを引き連れたレメディオスが姿を現した。

 

「災華皇閣下、ご無事でしたか!!」

 

 まず初めに声をかけてきたのはグスターボ。

 見るからに安堵したように息をつく彼に、どうやら相当心配をかけていたようだ。或は何か不測の事態が起こっており、ウルベルトの助けを求めたい状況にあるのかもしれない。

 レメディオスの表情がいつも以上に陰りを帯びているのを見やり、何とも嫌な予感がジワジワと湧き上がってきた。

 

「そちらも無事なようで何より。捕虜収容所の方も無事に奪還できたようだね」

「………無事、…という訳にもいきませんでしたが……」

「ほう? 何かあったのかね?」

「……それよりも、そちらの方はどうなんだ。民たちどころか、共に同行させた神官の姿も見えないのはどういうことだ」

「団長……、そのように仰られるのは……」

「お前は黙っていろ。民たちや大切な人員の安否を確認することは重要なことなはずだ。……まさか、あれだけ大口を叩いておいて捕虜収容所を奪還できずに逃げ帰ったというわけではないだろうな。それに、その魔獣は何なんだ」

 

 久しぶりに口を開いたかと思えば次々と出てくる攻撃的な言葉に、思わず出てきそうになったため息を咄嗟に呑み込むことに成功する。

 しかし背後に控えているネイアやヘンリーから不穏な空気が漂ってきていると感じるのは自分の勘違いだろうか……。

 ウルベルトはネイアとヘンリーを振り返りたい衝動に駆られながらも何とか耐え、ただレメディオスに向けて小さく肩を竦めるだけにとどめた。

 

「心配せずとも捕虜収容所は奪還し、ユリゼン君も捕虜にされていた者たちも全員無事だとも。ただ全員でゾロゾロと移動するのは危険と判断したのでね、捕虜収容所にそのまま待機させているのだよ。それから、この魔竜は私が召喚したモノだから安心してくれたまえ」

 

 甘えるように顔を寄せてくるニーズヘッグに笑みを浮かべ、手を伸ばしてその面長の顔を優しく撫でてやる。

 気持ちよさそうに目を細めさせて、猫のように喉を鳴らしながら頭を擦り付けてくる様が何とも可愛らしい。

 ユグドラシル時代、かつてのギルドメンバーの一人がペットについて『非常に可愛らしく、癒しの存在なのだ!』と熱く語っていたが、もしかしなくても、正にこういった存在だったのかもしれない。ペットという存在と目の前のニーズヘッグの姿が重なり、正に癒しの存在だと内心で大きく頷いた。

 しかし、いつまでもこんなことをしている場合ではない。

 ウルベルトは名残惜しい気持ちながらもゆっくりとニーズヘッグから手を離すと、改めてレメディオスを真っ直ぐに見据えた。

 

「許可を貰えるのであれば彼らをここに移動させようと思うのだが、どうだね?」

 

 まるでこれからお茶に誘うような気軽さで提案するウルベルトに、レメディオスだけでなくネイアやヘンリー、グスターボを含めた聖騎士たちまでもが全員呆気にとられた表情を浮かべる。

 しかしウルベルトは一切視線を動かさない。ただ真っ直ぐに静かにレメディオスだけを見つめるのに、レメディオスは咄嗟に首を縦に動かしていた。

 

「それでは移動させるとしよう。少し場所を開けてくれたまえ」

 

 促されるままにネイアたちが一、二歩と後ろへと下がり、ウルベルトを中心に場が開けていく。

 ウルベルトは一度小さな息をつくと、次には何かを招き入れるかのように軽く両手を広げてゆっくりと口を開いた。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)転移門(ゲート)〉」

 

 瞬間、目の前の空間に見上げるほどに大きな楕円形の闇が姿を現した。

 突然の変事にレメディオスや聖騎士たちが咄嗟に剣を手に身構え、様子を窺っていた民たちからは恐怖の悲鳴が聞こえてくる。一気に騒然となる周囲に、ネメアとヘンリーからも心配そうな視線を向けられているのが感じ取れた。

 しかしウルベルトは一切気にすることなく、ただじっと闇の中を静かに見つめていた。

 数秒後、まるで水面に雫が落ちたかのように闇が小さく波打つ。

 この場にいる全員が闇の中心を凝視する中、闇の中から一つの影が姿を現した。

 誰もが思わず息を呑み、反射的に身体を強張らせる。

 しかし闇の中から姿を現したのは人間の神官――森の中の捕虜収容所にいるはずのアルバだった。

 アルバは最初は警戒するように周りを見回していたが、ウルベルトの姿を見とめた瞬間に見るからに安堵の表情を浮かべた。続いて何故か再び闇の中へと戻り、次に姿を現した時には後ろに多くの人間を引き連れていた。

 闇の中から続々と出てくる人間たち。

 疲弊した様子やボロボロの姿から、彼らが捕虜となっていた者たちなのだと分かる。

 アルバの先導に従って闇の扉から吐き出されていく民たちを見つめながら、ウルベルトは密かに山羊の長い耳を全方向に忙しなく傾けさせて周囲の様子を窺っていた。

 小さく騒つく聖騎士や神官、民たちからは驚愕の声しか聞こえない。歓声は無い代わりに畏怖の声もなく、現状それだけでも今は喜ぶべきなのかが少し悩み所だ。

 そんな中、不意にネイアとヘンリーの小さな話し声が聞こえてきて、ウルベルトは咄嗟にそちらへと耳を傾けさせた。

 

「……敵の襲撃がなかったようで良かったですね」

「はい、そうですね……」

 

 山羊の広い視界をフルに活用してチラッとネイアとヘンリーを視界の端に収める。

 二人は小さな安堵の笑みを浮かべて民たちを見つめており、そこでやっと二人にとても心配されていたのだと気が付いた。ウルベルトとしてはスクードを護衛につけているため大丈夫だろうと判断していたのだが、どうやら二人はそうではなかったようだ。

 これからはこういったところも気を配って声をかけたり何かと配慮した方が良いのだろうか……と内心で悩みながら、次には周囲の人だかりにも視線を巡らせた。

 ネイアとヘンリーが安堵の笑みを浮かべている一方、こちらは小さく息を呑んだり驚愕の表情を浮かべている。最初は<転移門(ゲート)>の魔法に驚いているだけかと思っていたのだが、どことなく様子がおかしい様な気がしてウルベルトは思わず小さく目を細めさせた。

 彼らの感情の正体と原因を探るために注意深く観察し、ふと彼らが一様にある一点を凝視していることに気が付いた。

 一体何を見ているのかと彼らの視線を辿れば、そこには親に手を引かれていたり親に抱き上げられて眠っている子供たちの姿があった。

 何故彼らが子供たちを凝視しているのか分からず、ウルベルトは思わず困惑の表情を浮かべる。

 途端にまさか……という嫌な予感が湧き上がってくるが、しかし今ここであからさまに問いかける訳にもいかず、ウルベルトは努めて普段通りを心掛けながら全員が<転移門(ゲート)>を潜り抜けるのをひたすら眺めていた。

 最後に出てきたのはスクードで、一つ小さな息をついてそちらへと足を踏み出す。

 スクードはすぐにこちらに気が付くと慌てた様子でこちらに駆け寄り、次には跪いて深々と頭を下げてきた。

 

「私がいない間、何もなかったかね?」

「はっ、何も問題はございませんでした」

「ふむ、それは何より。それで、全員こちらに来たのかな? お前が最後かね?」

「全員こちら側に移動しましてございます」

「よろしい、ご苦労だったね。では〈転移門(ゲート)〉を閉じるとしようか」

 

 ウルベルトは一つ頷くと、まるで何かを振り払うように軽く手を振るった。瞬間、今まで大きな存在感を放っていた闇の扉が跡形もなく空気に溶けて消えていく。

 ウルベルトは立ち上がったスクードを後ろに従えると、踵を返してレメディオスやグスターボの元へと歩み寄っていった。その際、アルバの横を通り過ぎる時に労いの意を込めて彼の肩を軽く叩く。

 相手が誰で功績が何であれ、労われることに対して喜ばぬ者はいないだろう。以前デミウルゴスや悪魔たち、ナザリックのシモベたちを労った際は大いに喜ばれ、泣き崩れる者さえ続出したのだから間違ってはいないはずだ。

 まさか悪魔である自分に労われても腹立たしさしか感じないとか、そんなことはないよな……と内心でドキドキしながら、しかし確認するのも怖くて振り返ることもできず、ウルベルトはただ平静さを必死に装いながらレメディオスたちの前まで歩み寄っていった。

 彼女の目の前で足を止め、背後にいる民たちを示して見せる。

 

「これで全員だな。捕虜収容所奪還での被害者はゼロのはずだ。彼らの聴取や捕虜収容所の探索はしていないため、必要ならば君たちの方でしてくれたまえ。捕虜収容所への探索については、もし必要ならば人員の転移くらいは協力しよう」

 

 ウルベルトの申し出に、しかしレメディオスたちはそれどころではないようだった。

 レメディオスは捕虜となっていた子供たちを凝視したまま微動だにせず、グスターボも焦燥と困惑が入り混じったような表情を浮かべている。

 グスターボは子供たちに向けていた視線をウルベルトへと向けると、恐る恐るといったように口を開いた。

 

「さ、災華皇閣下……、奪還した捕虜収容所には、敵がいなかったのでしょうか……?」

「そんなわけないだろ。山羊の亜人の……そうそう、バフォルクとかいう亜人たちがいたのでね、殲滅しておいたよ」

 

 瞬間、再びザワッと周りが大きく騒めく。思わずチラッと周りを見回すも、誰もが驚愕の表情を浮かべていることしか伺えない。

 先ほどから嫌な予感は感じていたのだが、やはり何かがあったのかもしれない。

 しかしそうなると何故グスターボから知らせが来なかったのかが分からず、ウルベルトは思わず小さく顔を顰めさせた。

 これは色々と聞く必要があるようだ……と内心でため息をつく中、まるで取り繕うかのようにグスターボが話しかけてきた。

 

「と、とにかく詳しい話は会議室で致しましょう。部屋は既に用意しておりますので閣下はどうぞこちらへ。神官たちは民たちの治療を。お前たちも作業に戻れ!」

 

 ウルベルトを村の中へと促しながら、一方で周りの聖騎士や神官たちにも手短に指示を出していく。

 グスターボの声に漸く我に返ったのか、驚愕以外の表情を浮かべて弾かれたように勢いよく動き出す聖騎士や神官たち。

 神官たちはウルベルトの魔法によってこちらに到着した民たちに駆け寄り、傷や消耗が激しい者を先頭に村の違う方角へと促していった。周りの聖騎士たちも持ち場に戻るように村の至る所へと散っていく。

 無言で村の奥へと踵を返すレメディオスをまるで追うかのように、グスターボもその後に続いた。

 恐らく彼らに着いて行けばいいのだろう。

 こちらに駆け寄って来たネイアやヘンリー、アルバを確認すると、ウルベルトは彼女たちとスクードを引き連れて村の奥へと足を踏み出していった。

 後ろでは役目を終えたニーズヘッグが飛び立つ音と、それに驚いた者たちが上げた悲鳴が小さく聞こえてくる。しかしウルベルトは一切振り返ることはなく、ただレメディオスとグスターボに続いて歩を進めるだけだった。

 村の奥へ奥へと進んでいき、前方に大きな家が見えてくる。

 レメディオスは真っ直ぐに家の中へと入っていき、立ち止まってこちらを振り返ってきたグスターボも家の中へとウルベルトたちを促した。

 恐らくここでも激しい戦闘が繰り広げられたのだろ、家の外にも中にも未だ至る所に血痕が染みつき、剣や爪による傷が深々と刻まれている。スンッと空気を吸い込めば微かに血生臭さも感じられ、如何にこの場の戦闘が激しかったのかが窺える。

 広い視界で背後にいるネイアとヘンリーとアルバが青白い顔に深刻そうな表情を浮かべているのを捉えながら、ウルベルトは迷うことなく家の中へと足を踏み入れた。

 室内も中々に広く、長い廊下を黙々と進んでいく。

 どうやら最奥の部屋が会議室なようで、ウルベルトはグスターボに促されるがままに彼より先に部屋の扉を潜って室内へと足を踏み入れた。

 部屋の中にはレメディオスは勿論の事、既に何人かの聖騎士や神官たちが揃っている。

 ウルベルトに続いてネイア、ヘンリー、アルバ、スクードも室内へと入り、最後にグスターボが入室して扉が閉められた。

 グスターボはすぐにレメディオスの横斜め後ろへと控えるように立ち、ネイアたち四人もまるで控えるようにウルベルトの後ろへと横一列に並ぶ。

 室内には大きなテーブルが一つだけ置かれており、椅子などは一つもなく全員がテーブルの周りに佇んでいた。解放軍の長であるレメディオス用の椅子さえないということは、家具の被害も大きいのかもしれない。

 ウルベルトからすれば立ったまま会議するのは別段構わないのだが、しかしウルベルトの事を至高の存在だと尊ぶスクードからすれば以ての外であったらしい。

 一気に剣呑な雰囲気を醸し出し始める背後の悪魔に、目の前の聖騎士や神官たちは顔を真っ青にし、ウルベルトは思わず苦笑を浮かべた。

 

「スクード」

 

 諌めるために名を呼ぶが、しかしスクードを落ち着かせるまでには至らなかったようだ。

 

「……至高の御方であらせられるウルベルト様に対し、お越し頂く準備すら出来ておらぬなど許されぬ大罪。もはや万死に値すると愚考いたします」

「そうは言うが、無い物を準備することはできないだろう。相手の状況などもある程度は考慮してあげなくてはいけないよ」

「何と慈悲深きお言葉……。……あぁ、それでは、僭越ながらわたくしめがウルベルト様の椅子を務めさせて頂ければと存じます」

「……は……?」

 

 予想外の申し出に、思わず呆けた声と共に思考が停止する。

 聖騎士や神官たちから冷たい視線を向けられていると感じるのは気のせいだろうか……。

 一方スクードはと言えば、心なしか期待に満ちた恍惚とした表情を浮かべている気がしてならない。

 Sであるはずの悪魔がMになってどうする! と内心でツッコミながら、しかし今は決して面には出さずにウルベルトは思考をフル回転させた。

 自分に対するスクードの忠誠心は大したものであり、有り難いものでもあるのだけれど、ものには何事にも限度というものが存在する。重ねて言えば、他人という目を気にするというのも大いに重要である。

 

「…あー、いやー、お前の忠誠心は大したものであり、私としてもとても嬉しいことではあるが…、その、些かやり過ぎというかだな……」

「……? しかし、恐れながら以前、階層守護者であらせられるシャルティア様がアインズ様の椅子になると言う大変な名誉をたまw……」

「あーーっと、ストップだ、スクード! 待てだ! 待て!」

「は、はい……」

 

 スクードは不思議そうな表情を浮かべながらも素直に従って口を閉ざす。

 ウルベルトは内心で頭を抱えながら、必死にこの場を乗り越えるために思考を巡らせた。

 スクードが口にしようとしたのは、もしかしなくてもリザードマンの集落を襲った際にアインズがデミウルゴス作の骨の玉座に座りたくないがためにシャルティアを椅子にして座った件のことだろう。

 あの時は自分は内心で大爆笑していたのだが、まさか次は自分の番が来るとは夢にも思っていなかった。

 いや、ナザリック内(身内)だけならばまだしも、こんな多くの部外者たちの目の前で他者を椅子にして座る事などできる筈がない。いくら相手がシモベである悪魔でも無理だ。

 ウルベルトは内心で唸り声を上げながらも、何とか言葉の羅列を頭の中で組み立てて口に乗せた。

 

「……あれは…、そう、そもそも罰としてやらせたものだ。お前は何も罰せられるようなことはしていないのだから、そんなことをする必要はない」

「し、しかし……ウルベルト様……」

「それに、お前は私が魔法詠唱者(マジックキャスター)であることを忘れてはいないかね? もし必要な物がなければ、造り出せばいいのだよ。……<上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)>」

 

 ウルベルトの詠唱に応え、何処からともなく漆黒の玉座が現れる。

 見るからに柔らかそうなダークワイン色のクッションに、まるで黒曜石のような柔らかな光を宿す背もたれや座、脚等の外枠部分。外枠部分には細かな紋様が繊細に彫り込まれており、見るからに超高級品であることが窺える。

 呆然となっているネイアや聖騎士たちを尻目に、ウルベルトは当然とした様子で玉座に腰かけて後ろに控えるスクードを見やった。

 

「これで問題はあるまい、スクード」

 

 柔らかな声音で問いかければ、スクードは無言のまま跪き、深々と頭を下げる。

 ウルベルトは笑みを湛えて一つ頷くと、改めて未だ呆然としている面々へと目を向けた。

 

「失礼したね。では、話を始めてくれたまえ」

 

 悪魔らしからぬ柔らかな声音でレメディオスではなくグスターボに向けて話しを促す。

 グスターボを含むレメディオスを除いた全員が何か言いたげな表情を浮かべていたが、しかし最終的には諦めたように一つ咳払いを零した後、何事もなかったかのように会議が開始された。

 まず初めに行われたのは、レメディオスたち解放軍が担当したこの場の捕虜収容所とウルベルトたちが担当した森の捕虜収容所、それぞれを奪還した際の状況や被害報告だった。

 レメディオス率いる解放軍からの報告はグスターボが、ウルベルト側の報告はヘンリーが代表して報告していく。

 報告内容が進むにつれ、解放軍側とウルベルト側のあまりの差に徐々に室内が重苦しい空気に包まれていった。

 ヘンリーは奪還作戦の概要から参加した種族と人数に始まり、作戦開始から成功までの流れを事細かに報告していった。

 まずスクードを含む十三体の影の悪魔(シャドウデーモン)を捕虜収容所に侵入させ、捕虜となっていた民たちの居場所を特定。次にシャドウデーモンを村中に待機させ、加えてニーズヘッグを上空に放ち村中を全方向からの監視下に置いた。

 その後、ウルベルトを中心に真正面から捕虜収容所を襲撃。途中バフォルクに捕虜となっていた子供を人質に取られるも、ウルベルトの力によって傷一つなく救い出し、バフォルクたちは全員が殲滅された。

 後は彼らも知っての通り、ウルベルト、ネイア、ヘンリーが先にレメディオスたちに合流し、ウルベルトの力によってアルバや民たちも無事にこの村に転移することが出来たのだ。

 信じられないほどの戦果に、目の前の聖騎士や神官たちが言葉を失う。

 次に報告するグスターボは顔面蒼白になっており、まるで今にも倒れそうな状態ながらも小刻みに震える唇をゆっくりと開いた。

 彼の口から語られるのは解放軍側の報告。

 レメディオス率いる解放軍は夜の暗闇に乗じて聖騎士と神官たちが召喚した天使たちで捕虜収容所に猛攻撃をかけたらしい。

 最初は順調に事が進んでいたが、もうすぐ門が破れるという時になってバフォルクが捕虜となっていた子供を人質に取った。

 ここまでは、投入された人数に差はあれど、大まかな状況や流れはウルベルト側とそこまで変わらない。

 しかしここからがウルベルト側とは一気に違ったものとなっていた。

 子供を人質に取られたことで聖騎士や天使たちは攻撃の手を止めざるを得ず、バフォルクたちは人質の価値を確固なものとするために人質に取っていた子供を目の前で殺し、次に新たな子供を再度人質として解放軍に突き付けたのだという。

 一つ要求をするたびに、その要求が叶う度に、容赦なく殺されて新しく代わっていく人質たち。もはやバフォルクたちの要求を呑んだとしても人質は殺されるだけだと分かっているのに、もしかしたら助けられるかもしれない…という根拠のない希望的憶測で攻勢に踏み出すことが出来ない。

 どうしようもない悪手の連続の中、それを断ち切ったのは一人の聖騎士だったらしい。

 何もできず、ただ何か策はないかと声高に喚くだけのレメディオスを尻目に、その聖騎士は戦場に転がっていたバフォルクの長槍を拾い上げると、勢いよく投擲して人質にされていた子供諸ともバフォルクを串刺しにした。解放軍側もバフォルク側も動揺する中、その聖騎士だけが剣を高らかに掲げてバフォルクの殲滅を咆哮し、先陣を切って攻勢に出た。他の聖騎士や神官たちもその聖騎士につられる様にして攻勢に転じ、再び門に向かって何とか破り、まるで雪崩のように村の中へと侵攻していく。

 しかし悲劇はそこで終わらなかった。

 例えばバフォルク側がもっと動揺していれば、その悲劇は避けられたのかもしれない。或は他の聖騎士や神官たちにも先行した聖騎士ほどの覚悟があったなら、また違った結末になっていたのかもしれない。

 しかしもはや全てが後の祭り。

 動揺から回復したバフォルクたちは尚も残っていた子供たちを片手に持ちながら解放軍に応戦。子供を盾のように持ち、時には見せつけるように掲げ、時には解放軍の刃に晒してこちら側の動揺を誘ったらしい。

 子供が全て駄目になれば次は女を。女が駄目になれば次は老人を。

 まるでこちらの葛藤を嘲笑うかのように、救おうとしていた者たちを次々と盾として刃の前に突き付けてくる。

 ある者は人質諸ともバフォルクを殺し、ある者は何とか人質を避けてバフォルクだけを倒し、ある者は成す術もなくバフォルクに殺され……。

 最終的には何とかバフォルクたちを殲滅して捕虜収容所を奪還できたものの、全てが終わった後の被害はあまりにも大きく尋常ではなかった。

 当初聖騎士は189人いたというのに、今回の戦闘で11人が死亡し、67人が重傷を負ったという。神官も71人中15人の死傷者を出し、捕虜となっていた国民の被害に至っては実に全体の三分の一が物言わぬ肉塊へとなり果てた。

 苦々しい声音でのグスターボの報告に、ネイア、ヘンリー、アルバの三人は茫然自失。レメディオスやグスターボを含めた聖騎士や神官たちは重苦しい空気を纏い、ウルベルトは外面では優雅に足を組みながらも内心では頭を抱えていた。

 あまりにも被害が大きすぎる。そして何より、そうなった理由と原因があまりにどうしようもなさ過ぎた。

 これがナザリックの者たち(身内)だったなら、何をしているんだ! と怒鳴りつけるか冷ややかな目で見下していたことだろう。

 ウルベルトは思わず出そうになったため息を咄嗟に呑み込んだ。

 これから、このどうしようもない連中を助けるために駆けずり回らなければならないのかと思うと非常に頭が痛くなってくる。

 もう、普通に魔王に滅ぼされてもいいんじゃないかな……と内心で諦めモードになりながら、しかしウルベルトは何とか気を取り直して目の前のレメディオスやグスターボを見やった。

 

「……二つ聞きたいことがある。一つ目、私はモンタニェス副団長殿に有事の際には使うようにと<伝言(メッセージ)>の巻物(スクロール)を預けていたはずだ。何故それを使って私に連絡しなかったのかね?」

 

 もし仮に巻物(スクロール)を使ってウルベルトに助けを求めていれば、また違った結果になっていたかもしれない。同じ状況になりながらも被害を全く出さなかったウルベルトであれば、きっとここまでの被害は出なかったはずだ。

 聖騎士たちが目を逸らして顔を俯かせ、神官たちが非難の入り混じった視線をレメディオスやグスターボに向ける。

 レメディオスは顔を大きく顰めさせて唇を噛みしめて黙り込み、グスターボはまるで彼女を庇うように少しだけ前へと足を踏み出してきた。

 

「……災華皇閣下。恐れながら、閣下はヤルダバオトを倒すために聖王国にお越し頂いた方です。既に他の捕虜収容所の奪還に力をお貸し頂いている中で、ヤルダバオトが出てきてもいないのに更にこちらのことまで閣下のお力添えを頂く訳にはいきません」

「……なるほど、理解した」

 

 グスターボの言葉は実際に被害にあった国民たちからすれば唯の言い訳でしかなかったが、国同士や一勢力としての考えや理屈としては筋が通っているように思われた。

 

「ならば二つ目の質問だ。その勇気ある聖騎士殿は今どこにいるのかな?」

「そ、それは……」

 

 ウルベルトの問いかけに、グスターボは何故か表情を翳らせて言いよどむ。

 彼がここまで言葉に窮するのは珍しく、ウルベルトは何とも嫌な予感が湧き上がってくるのを感じた。

 

「……そんなことはどうでも良い」

 

 更に問いを重ねようと口を開きかけ、しかし言葉を発する前にレメディオスの声がウルベルトとグスターボの間に割って入ってきた。

 反射的にそちらに目を向ければ、剣呑としたレメディオスと目と目が合った。

 

「…それよりも、そちらの報告内容は本当に事実なのか?」

「………それはどういう意味かね?」

「本当に捕虜収容所にバフォルクはいたのか? 本当に子供を人質に取ったのか? もし本当に人質を取られたのなら、本当に被害をゼロで済ませられたのか? 一体どうやったっていうんだ。実は何人か犠牲が出て、それを誤魔化しているだけじゃないのか?」

 

 シーンと静まり返る室内。レメディオスが一気に捲し立てた後、時間までもが一瞬止まり、一拍後、全てが一気に変化した。

 グスターボや多くの聖騎士や神官たちが顔面を蒼白にし、ネイア、ヘンリー、アルバ、スクードの四人が憤怒の気配を爆発させた。

 グスターボたちが放つ陰鬱とした空気とネイアたちが放つ激情が激しく鬩ぎ合い、どんどん室内の空気が緊迫していく。

 しかしそんな中でもウルベルトとレメディオスだけは全く変わることはなかった。

 レメディオスは未だ敵意剥き出しにウルベルトを睨み付け、ウルベルトもただ呆れた表情を浮かべてレメディオスを見つめている。

 

「……お前は馬鹿か…?」

 

 不意にポツリと呟かれた言葉。

 呆れ果てたようなウルベルトの表情と声音と言葉に再び場の空気が凍り付き、次にはレメディオスから大きな怒気と殺気が放たれた。

 それはネイアたち四人の感情の激しさと勝るとも劣らない。

 しかしウルベルトは顔色一つ変えることなく大きなため息をつきながら、やれやれとばかりに頭を振った。

 

「すべて事実に決まっているだろう。第一、こんな事で嘘をついたとしても少し調べればバレてしまうじゃないか。それが分からないほど、私は馬鹿でも愚か者でもないのだよ」

「…だが、そいつらや捕虜となっていた民たちに魅了の魔法をかければ、虚言を突き通すこともできるはずだ」

「確かに一時的に誤魔化すことはできるだろうがね。だが、魅了の類の魔法には時間制限が存在する。魔法も万能ではないのだよ」

「……………………」

 

 未だ顔面蒼白ながらも魔法の知識が深い神官たちが深く頷くのに、レメディオスも苦々し気ながらも黙り込む。

 ウルベルトは組んでいた足を組み変えながら再びため息をついてレメディオスを真正面から見据えた。

 

「確かに私は魔皇ヤルダバオトを倒すためにここに来たが、それと同時に魔導国という名を背負ってここに立っているのだよ。そうである以上、魔導国の格を落とすような言動をするつもりはないから安心してくれたまえ」

 

 優しさや気遣いすら宿らせたウルベルトの声音に、緊迫していた空気が変に緩み、何とも言えない微妙な空気が流れる。

 誰もが無言のまま互いの顔色を窺う中、グスターボが真剣な表情を浮かべてウルベルトを見つめてきた。

 

「わたくし共も閣下を疑う気持ちは微塵もございません。団長はただ人質を取られた際にそれを救える手立てがあったのなら知りたいと言おうとしていただけでして……。言葉が足らず、失礼をいたしました」

 

 深々と頭を下げるグスターボの頬に、静かに冷や汗が流れて落ちていく。

 恐らくグスターボ自身も苦し過ぎる言い訳だと分かっているのだろう。

 ウルベルトは地面に落ちる彼の汗を眺めた後、自然な動作で目を逸らして見なかったフリをした。

 

「……ふむ…、まぁ、そういうことと納得しておこう。ただ、救う方法と言われてもねぇ……。私が使える魔法を駆使して、としか言いようがないねぇ」

「……左様でございますか…」

 

 ゆっくりと頭を上げたグスターボから静かに目礼される。

 しかしウルベルトが敢えて見なかったフリをしたのは善意でも同情でもなかったため、それさえもウルベルトは無視を貫いた。

 

「あー、後は私に付けてくれた従者たちに私が造った試作品を使ってもらっていたから、それも大きな要因だろうね」

 

 ここでふとアインズから頼まれていたことを思い出し、ウルベルトは内心で慌てながら咄嗟にそう言い足した。

 実は魔導国は現在ルーン技術を施した武防具を国の名産品にしようと画策している最中であり、アインズから聖王国でも宣伝するようにと頼まれていたのだ。それもあって今までも不審に思われないように“試作品を試してもらう”という名目でネイアたちにルーン技術を施した武具アイテムを貸し与えていたのだが、はっきり言って、この方法ではあまり効果がないかもしれないと思い始めていたのだ。

 ならば、この機を利用して更なる宣伝をするしかない!

 ウルベルトはルーン技術の存在や魔導国の独占技術であること、ルーン技術を施した武防具の効果を熱く語って聞かせた。

 その様はさながら現実世界での一昔前のテレビショッピングのようである。

 

 ルーン技術は元々絶滅危惧種のドワーフ技術。嘆き悲しむドワーフたちに、我々魔導国が救いの手を差し伸べました!

 けれど、ただそれだけではないんです……。

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「必要ない」

 

 嬉々としたウルベルトの言葉を遮って声を発したのは、またもやレメディオスだった。

 しかし先ほどとは一変し、彼女は真剣な表情を浮かべており、つり目がちの目にも怒りや憎しみの色は一切宿ってはいなかった。

 

「我々聖騎士は聖王女様への忠誠を自身の剣に誓っている。それ以外の剣を使うなど聖騎士にあるまじきことだ」

 

 きっぱりはっきり言い切る様は、そうであると信じて疑っていないことが窺える。

 背後でヘンリーが少し気まずそうに小さく顔を逸らしたのを感じながら、ウルベルトは思わず小首を傾げてレメディオスを見やった。

 ヘンリーの時にも思ったが、やはりウルベルトにしてみれば納得しかねる考え方だった。

 そういった考え方もある、というのは理解できる。しかし聖騎士でもなければ誰かに仕えたこともなく、ぶっちゃけて言えば現実世界では唯の貧困層の貧民の一人でしかなかったウルベルトにしてみれば、使える物があるのに使わないなど考えられないことだった。

 

「……ふむ、解放軍の長である団長殿がそう言うのであれば、私がこれ以上言うべきではないのだろう。ただ、一つだけ言わせて貰いたい」

 

 一度言葉を切ると、ウルベルトはレメディオスから視線を外して彼女の背後や周りに立つ他の聖騎士たちに目を移した。

 

「私は、忠誠とは本来心に宿るものであって、物に宿るものではないと考えている。また、忠誠を証明するのに必要なのは結果であって、その剣を振るうこと自体ではないとも思っている。もしその剣を振るうことで結果が出なかった場合、それは本当に忠誠を誓っているとは言えないのではないかね?」

「……………………」

 

 静かに紡がれるヘンリーにも語った言葉に、レメディオスは不快げに顔を顰めさせ、グスターボは困惑の表情を浮かべる。しかし他の聖騎士たちは一様にハッとしたような表情を浮かべ、中には自身の腰に差している剣を見下ろす者さえいた。

 レメディオスと同じ聖騎士という立場であるはずの彼らの思わぬ反応に、ウルベルトは手応えのようなものを感じ取った。

 何が要因なのかは分からないが、最初の時に比べれば劇的に悪魔(自分)に対する感情が良好になっているのではないだろうか。

 思わぬ好感覚に思わずニヤけそうになる中、まるでそれを押し留めるようにグスターボが再び口を開いてきた。

 

「…と、とにかく、この話は一旦このくらいにしましょう。次に、今後の動きについてですが……――」

「ちょっと待て」

 

 次に相手の言葉を遮ったのはウルベルトの方だった。

 自然と全員の視線が集まる中、ウルベルトは座っていた玉座から静かに立ち上がった。

 

「今後の行動方針や作戦を話し合うのであれば、私は失礼させてもらおう。バラハ嬢、後は頼んだよ」

「……あっ…、閣下…」

 

 前回の時と同じように自分の代行としてネイアをこの場に残そうと思ったのだが、すぐにネイア自身から引き留めるように名を呼ばれる。

 振り返って見てみれば何故かものすごい般若のような形相で憎々しげにこちらを睨み上げているのが目に飛び込んできた。あまりの恐ろしい表情に、普通の者であれば気圧されて後退ってしまうことだろう。

 しかしウルベルトは正確にネイアの表情や感情を読み取ると、内心で大いに困惑した。

 

(……えっ…、何でそんな捨てられた仔犬みたいな感じになってるんだ!? まぁ、実際に捨てられた仔犬なんて見たことねぇけど……って、いやいや、それよりも、こいつらの方が本来の直属の上司だよな? 何でそんなに嫌そうなんだ!? 一体何があった!?)

 

 ネイアの感情の理由も分からず、一体どうしたら良いのかも分からず、無駄にグルグルと混乱してしまう。

 どうこの場を切り抜けるべきかと頭を悩ませる中、不意にこちらに歩み寄ってきたアルバに気が付いて反射的にそちらを振り返った。

 

「…災華皇閣下、従者バラハの代わりに私がこの場に残ってもよろしいでしょうか?」

「……ほう…?」

 

 内心ではこの場を打開できる切っ掛けを作ってくれたアルバに拍手喝采しながらも、外面では落ち着いた態度を心がける。しかし感情を完全に抑えきることが出来ず、少しだけ目を不自然に細めさせてしまった。

 

「少々助けた国民の状態について報告したいことがありまして……。宜しければ、この場に残らせて頂きたいのです」

「…なるほど。では、この場は君に任せることにしよう。頼んだよ、ユリゼン君」

「はい」

 

 深々と頭を下げるアルバに、ウルベルトは踵を返してネイアとヘンリーとスクードの三人を引き連れて会議室を後にした。グスターボを中心に多くの聖騎士や神官たちから引き留めたいような視線が送られて背中にグサグサと突き刺さるのを感じたが完全に無視をする。第一、一番最初にウルベルトは自分の意見を極力言わないと伝えているのだから、この場にウルベルト自身がいなくても何ら問題はないはずだ。

 ウルベルトは無言で廊下を進むと、そのまま扉を潜り抜けて家の外へと出た。

 外では聖騎士や神官、従者、多くの聖王国の民たちがそれぞれ作業を行っている。

 しかしウルベルトの存在に気が付くと一様に驚いたように動きを止め、全員がこちらを凝視してきた。同時にもはや恒例になりつつある騒めきも響いてくるのだが、しかし心なしかその騒めきが以前よりも少し小さくなっているような気がした。

 気のせいだろうか…と小さく首を傾げる中、すぐ近くの家から出てきた一人の聖騎士の男がこちらの存在に気が付いて慌てた様子で駆け寄ってきた。

 

「…さっ、災華皇閣下! 会議はもう終わられたのですか!?」

「いや、会議自体はまだ続いている。しかし私自身はこれ以上参加する必要はないと判断したのでね。一足先に退席させてもらったのだよ」

 

 ウルベルトの言葉に聖騎士の男は更に慌てた様子を見せる。心底困ったような表情を浮かべるのに、ウルベルトは更に首を傾げた。

 

「何かあったのかね?」

「い、いえ、その……。…実は、閣下のお部屋を準備している所なのですが、閣下は最後まで会議に参加されるのだとばかり思っておりましたので……」

 

 言葉を濁らせる聖騎士の男に、ウルベルトは彼が何を言いたいのか理解した。

 つまり、予想が外れたためにウルベルトの部屋の準備がまだできていないのだろう。

 

(……まぁ、普通は会議を途中退場するとは誰も思わないもんなぁ。)

 

 ウルベルトは内心で納得の声を上げると、安心させるように一つ頷いてみせた。

 

「なるほど。まぁ、私としてはどんな部屋でも別に構わないのだが……」

「い、いえ! そういう訳にはいきません!!」

「ふむ……、ならば少々時間を潰すとしよう。村を見て回っているから、準備が終わったら探しに来てくれたまえ」

「えっ!!?」

 

 聖騎士の男の口から素っ頓狂な声が飛び出てくる。

 しかしウルベルトは華麗に無視すると、そのまま心の赴くままに前へと足を踏み出していった。

 当てなどなく、ただ目に飛び込んでくる道へと歩を進めていく。

 村の至る所では壊れた家や壁などを修復していたり、怪我人の治療をしていたり、資材を抱えてどこかに運んでいたりと中々に忙しない光景が広がっていた。

 しかしよくよく見てみれば、動き回っているのは聖騎士や神官や従者ばかり。見るからにみすぼらしい姿となっている民たちのほぼ全員は、神官たちの治療を受けているか、地面に敷かれている薄い布きれの上にまるで力尽きたように横たわっていた。

 捕虜収容所奪還前までの作戦では彼らを戦力として勢力拡大を狙っていたのだが、この調子では全く使いものにはならないだろう。

 はてさてどうするつもりなんだか…と他人事のように思う中、不意に一人の男と目が合ったような気がしてウルベルトは反射的に目を瞬かせた。

 ウルベルトは良くも悪くもひどく目立つ存在であるため誰かと目が合うこと自体は何の不思議もない。しかし何故か男の視線がウルベルトの心に引っかかって仕方がなかった。

 それはまるで何かの予感のよう。

 そしてその感覚はすぐに“形”となってウルベルトの前に歩み寄ってきた。

 

「……あんたが魔導国から救援で来たっていう悪魔か…?」

 

 声をかけてきたのはウルベルトと目が合った男。

 男はウルベルトと目が合ってすぐに周りの人々に小声で声をかけると、多くの集団となってウルベルトの前までゾロゾロと歩み寄って来ていた。

 集団は若い男が多くの割合を占めており、彼らの目や表情には一様に怒りや憎しみ、悲しみや殺気、嫌悪といったありとあらゆる負の感情が混ざり合って宿り、一直線にウルベルトを睨み据えていた。

 男の言葉や彼らの態度はあまりにも無礼であり、ネイアが諌めるように口を開きかける。

 しかしウルベルトが軽く片手を挙げてそれを押し留めた。右手を挙げた状態で集団を軽く見回し、最後に男へと金色の瞳を固定させる。

 

「如何にも。私がアインズ・ウール・ゴウン魔導国の支配者の一人にして、今回聖王国を救うために来た、ウルベルト・アレイン・オードル災華皇である。…何か私に用でもあるのかね?」

 

 威圧しないように気を付けながら柔らかな声音を意識して問いに答え、こちらからも問いかける。

 彼らはウルベルトの言葉に驚いた表情を浮かべた……訳ではなく、全員が悲しみや憎しみに顔を大きく歪ませた。

 

「……あんたが奪還した捕虜収容所でも人質を取られたのに……被害はゼロだったと聞いた……。それは、本当なのか……?」

 

 集団を代表するように問いかけてくるのは、最初に声をかけてきた男。

 こけた頬に、棒のような細い身体。髪はボサボサで髭も伸び放題。ギョロッとした目で睨み付けられれば中々に迫力がある。

 しかしウルベルトは全く見覚えがなく、一体誰なのか…と内心で首を傾げながらも男を凝視し続けた。

 

「…ふむ、君の言う通りだ。私が奪還した捕虜収容所にもバフォルクがいたのだが、子供を人質に取ったので全員処分させてもらったのだよ」

 

 何てことはないとばかりに小さく肩を竦ませるウルベルトに、男たちは大きく息を呑み、次にはまるで狂犬のように口々に声を張り上げてきた。

 

「どうして! なんで俺たちを助けてくれなかったんだ!!」

「聖王国を救援に来てくれたのなら、何故俺たちも助けに来てくれなかったんだ!」

「そもそも、どうして解放軍と別行動なんて取っていたんだ! あんたがいてくれたなら、あの子は……っ!!」

 

 彼らの口から飛び出てくるのは多くの嘆きと怒り。心の底からの慟哭。

 相手が一国の王であることも、強大な力を持つ悪魔であることも忘れ、彼らは心の衝動のままに感情を爆発させ続けた。

 言葉の内容からして、彼らはここの捕虜収容所に捕らえられていた民たちなのだろう。

 亜人や悪魔たちによって地獄に突き落とされ、何とか生き延びても解放軍の進行によって大切な者を人質にされ、自分自身も戦闘に巻き込まれ、気が付けば大切な家族や友人たちが犠牲となって生きる気力をも奪われていた人々。

 

 

「お待ちを! 待って下さい!」

 

 彼らの怒りが絶対的な力を持つウルベルトに向けられるのも、ある意味当然とも言えた。

 しかし、彼らとウルベルトの間に割って入る者がいた。

 今まで後ろに控えていたヘンリーがウルベルトと男たちの間に割り込むと、思わず口を閉ざした集団に向けて深々と頭を下げた。

 

「あなた方やあなた方のご家族を助けられなかったのは閣下のせいではありません! 全ては我々の至らなさが原因です」

 

 ヘンリーは頭を下げた状態で今の戦況や自分たちの状況、ウルベルトの立ち位置や救援内容についてを切々と語って説明した。

 

「災華皇閣下は魔皇ヤルダバオトを倒すために聖王国に来られたのであって、本来ならば捕虜収容所の奪還まで閣下の力をお借りするべきではないのです。しかし閣下は我らの状況を見て、力を貸して下さった。ここの捕虜収容所奪還についても、何かあれば連絡するようにと連絡手段を解放軍に渡して下さいました。しかし解放軍は閣下に連絡することはなかった……。この捕虜収容所で起こったことに対して、責められるべきは我々解放軍であって、災華皇閣下ではありません!」

 

 下げていた頭を上げてきっぱりと言い切る様はどこまでも潔く、どこか眩しさすら感じられる。しかしウルベルトは、そんなヘンリーの曇りない発言に対して少々呆れにも似た感情を抱いていた。

 確かに正直であることは大きな美点であり、ウルベルトとしても好感が持てる。しかし正直に話すことによって彼らに与えてしまうであろう影響までをも考えると、素直に感心するわけにはいかなかった。

 案の定、今までウルベルトに向けられていた彼らの怒りが、次はヘンリーへと向けられる。

 彼らの中には国の守護者であるはずの聖騎士に対しての不満も既に少なからずあったのだろう。それがヘンリーが語った真実によって火がつき、一気に膨れ上がって爆発する。

 何故自分たちを、大切な家族を、友人を助けてはくれなかったのか。

 聖騎士は国の守護者であり、強いのではないのか。

 まるで全ての元凶がヘンリーであるかのように、彼に詰め寄って憎悪の言葉を吐き出す。

 ヘンリーも敢えて黙って彼らの言葉を受け止めており、そんな目の前の光景にウルベルトは湧き上がってきた不快感に小さく顔を顰めさせた。

 

「………気に入らないねぇ…」

 

 騒音の何物でもなくなった集団からの嘆きと怒りの声に、ウルベルトの声がまるで覆い尽くすように響く。

 先ほどの柔らかなものとは打って変わり、それはとても静かでいてひどく冷めた声音。

 反射的にこちらを振り返った男たちやヘンリーの目に、どこか薄ら寒い気配を漂わせた悪魔がじっと自分たちを見据えている姿が飛び込んできた。

 ウルベルトは蹄の足をゆっくりと動かし、集団に向けて一、二歩と歩み寄る。男たちはウルベルトの放つ不穏な空気を感じ取ったのか、顔を強張らせて小さく後ろへと後退った。

 ウルベルトは小さくフンッと鼻を鳴らすと、ヘンリーの元まで歩を進めて、まるで労うように彼の肩を軽く叩いた。

 こちらを振り返って不安そうな表情を浮かべているヘンリーに優しい眼差しを向けた後、次には睨むように男たちへと視線を移した。

 

「……全くもって気に入らない。まるで助けられて当然だとでも言いたげだねぇ。もし本当にそんなことを考えているのであれば、即刻その考えを改めるべきだと忠告しておこう。今の状況下では君たちの命の価値が一番低いのだよ」

「なっ、何だと!?」

 

 ウルベルトの言葉に男たちは怒りに顔を歪めて食ってかかってくる。

 しかしウルベルトは男たちの言葉に対して再びフンッと鼻を鳴らして吹き飛ばした。

 

「当り前だろう。まさか命は平等だと戯言でも言うつもりかね?」

「お、俺たちは、聖王国の民なんだぞ!!」

「それがどうした。命にはそれぞれの価値があり、決して平等などではないのだよ。確かに平和な世であれば君たち平民の命が一番価値があるだろう。しかし今は戦乱。戦えぬ平民よりも戦える聖騎士や、個を軍としてまとめられる王族や貴族の命の方が一番価値が高くなることなど馬鹿でも分かることだろう?」

 

 ウルベルトの言葉は残酷なものではあったが、しかし一方で現実を見据えた真理でもあった。

 “国は民である”という言葉があるように、確かに平和であれば国を支える平民が一番の価値を持っている。

 しかし戦乱となれば話は別だ。

 戦乱となれば戦える者や指揮できる者が一番に重宝される。戦えぬ……或は小さな兵力にしか成り得ぬ平民は、戦乱となれば一気にその価値を低下させるのだ。

 命は決して平等ではない。

 平等だと言うことが出来るのは、命の危機などない完全な平和を確立した世界でのみなのだ。

 

「今の状況で一番価値があるのは大きな戦力である聖騎士であり、平民である君たちではないのだよ。聖騎士の中では“力ある者が力無い者を守るのは当たり前”という考えがあるそうだが、私から言わせれば戦況が見えていない笑い話としか思えない。君たちは他人に頼らず、自分たちで立ち向かうべきだったのだよ」

「そんな…こと……、できる訳ないだろう! あいつらはものすごく強くて、俺たちだけじゃあ抵抗することもできない!」

「ならば諦めたまえ。君たちがこんな目に合ったのも、大切な者たちが犠牲になったのも、全ては君たちに力がなかったからだ。つまり自分たちのせいというわけだ」

「それは! ち、違う!! 俺たちが悪いんじゃない!! 攻めてきた亜人や悪魔どもが悪いんじゃないかっ!!」

「あんたは強いから、そんなことが言えるんだ!!」

 

 男たちの口から放たれる、どうしようもない嘆きの叫び。

 普通であれば同情してしまいそうな悲痛な叫びも、しかしウルベルトからしてみれば苛立ちを増幅させるものでしかなかった。

 

「ならば問うが、お前たちは何故生きているのだね?」

「……何だと…?」

「子供が、妻が、家族が、友人が、犠牲となった者たちがそんなに大切だったのなら、何故お前たちは身代わりになってまで助けなかったんだ。本当に大切ならば身代わりになってでも助けたら良かったんだ。そうしなかったのは、お前たちにとって彼らがそれほどの価値もなかったということだろう?」

「何を…言って……。あんたは……他人事だからそんなことが言えるんだ!」

 

 死ぬことは怖い。

 そんなことは誰だって知っていて、誰だって分かることだ。いくら大切であっても、自分の命を犠牲にしてでも護ることは難しい。

 しかしウルベルトは、本当に大切ならば自身の命をも犠牲にすることが出来る人がいることを、身をもって知っていた。

 

「私は大切な息子や友人のためならば、この命を捧げることも厭わない。そして、大切な者を守るためにその命を犠牲にした者がいたことを知っている。……何より君たちは一つ勘違いをしているようだが、私は最初から強かったわけではない」

 

 ウルベルトの言葉に、この場にいる全員が驚愕に目を見開かせてウルベルトを凝視してくる。

 ウルベルトは少し躊躇し、しかし心を落ち着かせながらゆっくりと口を開いた。

 

「……私も、我が友アインズも、最初から強かった訳ではない。私もアインズも、そして私の父と母も……、元々は搾取される側でさえあった。父と母は私を守るために搾取者に命を捧げ、その身は塵と化した」

「っ!!?」

 

 ネイア、ヘンリー、スクードから驚愕に息を呑む音が聞こえてくる。

 ウルベルトは気を抜けば怒りで震えそうになる手を強く握りしめながら、まるで唸るように話し続けた。

 

「私自身も搾取され続け、ある時は大々的な“異形種狩り”に晒されて死にかけたことも幾度もある」

 

 思い出される、現実世界での過酷な日々。

 ユグドラシル時代に行われた“異形種狩り”に、幾度となくロストされそうになった苦い思い出。

 

「だからこそ、私もアインズも強くなろうと努力したのだよ。知識を集め、時には研究し、魔法を極めようと強者に挑み、時にはロストし(死に)かけながらも、ここまでの強さを手に入れたのだ」

 

 アインズはどう思っているのか知らないが、自分はこのアバターの力が実際に自分の力となったことに対して、決してラッキーな出来事だとは思ってはいない。

 この力だとて、ゲームとはいえ自分たちが切磋琢磨して手に入れた力なのだ。ゲーム内でも力に拘らないプレイヤーはおり、また力に対して怠けるプレイヤーも存在した。ならばこの力は偶然手に入れたものでは決してなく、自分たちの努力の賜物であると断言してもいいのではないだろうか。

 だからこそ、何の努力もせず、大切な者を助けるために身を犠牲にすることさえせず、ただ助けてくれなかったと嘆くだけの彼らに対して怒りと不快感しか感じなかった。

 

「私とて最初から弱いことが悪いとは言わない。だが、お前たちは強くなろうと努力したのかね? 大切な者たちを守ろうと何かを考え、対策を取っていたのか?」

 

 ウルベルトの問いに、男たちは誰もが無言で顔を逸らす。

 誰も何も言わなかったが、彼らの態度から彼らが何もしてこなかったのが見てとれた。

 

「聖王国は定期的に亜人からの脅威に晒されていたと聞く。そんな環境にありながら、何の対策も立てずに強くなろうともしなかったのなら、それは自業自得と言うものだ」

「……………………」

「もう一度言おう。命は決して平等ではない。大切な者の価値を見出すのは君たちでしかなく、それを守るのも君たちでしかありえないのだよ」

 

 何処までも残酷で、冷酷と思える言葉。

 しかし超越者であるはずの悪魔の悲惨な過去を知ってしまった後では、その言葉は何よりも重くネイアたち従者や男たちの心に伸し掛かった。

 ウルベルトはすっかり意気消沈して黙り込む男たちを静かに見つめながら、どこか気怠さそうに小さな息をつくのだった。

 

 



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第6話 悪魔との契約

どうしよう……、最初に設定していた以上にオリキャラが増えてしまっている……(汗)
オリキャラ多数がお嫌いな方がいらっしゃれば、申し訳ありません……orz
タグに『オリキャラ』を追加しました。



 ウルベルトが聖王国の民たちに残酷な真理を突き付けて暫くの後。漸く騒ぎを聞きつけた幾人かの聖騎士たちが慌てたようにこちらに駆けつけてきた。

 民たちを引き取ってどこかへ連れて行く者と、ウルベルトに対応する者とに分かれ、ウルベルトの対応にまわった聖騎士は顔を真っ青にさせながら平謝りしていた。

 まぁ、相手は一国の王なのだから、当たり前の反応と対応であろう。

 しかしウルベルトは軽く手を挙げるだけで聖騎士からの謝罪を止めると、気にしていないと言って軽く微笑みさえ浮かべていた。

 何と寛容でお優しい方なのだろう……。

 そう思ったのはネイアだけではないだろう。

 慈悲の人で名高かった聖王女ならばもしかしたらウルベルトと同じように笑って許してくれたのかもしれないが、これが一般的な貴族などであったなら、こうはいかなかっただろう。使節団に加わり、多くの貴族や有力商人たちを見てきたネイアにはそれが容易に理解できた。

 だからこそ、先ほどのウルベルトに対する聖王国の民たちの態度や言動を思うと、ウルベルトに対する申し訳なさでいっぱいになる。

 出来るなら自分もウルベルトに一言でも謝罪の言葉を伝えたい。しかしそれはウルベルトの優しさに甘えているような気もして、ネイアはどうしても口を開くことが出来なかった。

 ネイアが一人で悶々と悩んでいる間に少し前に会った聖騎士が駆け寄ってきて、部屋の準備が整ったとウルベルトに伝えてくる。

 ウルベルトは一つ頷いて聖騎士の後に続いて足を踏み出すと、そこでやっと我に返ったネイアも慌ててその背を追いかけていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウルベルトに用意されたのは、部屋というよりも丸々一つの家だった。

 家自体の大きさはそんなに大きいものではなかったが、それでも一人の人物に用意するには些か大げさすぎるだろう。

 ウルベルトも少し呆れたような小さな苦笑を浮かべていたが、それでも無言のまま家の中へと入って内装などを確認し始めた。

 用意されたのは二階などのない小さな平屋。間取りはメインの広間のような大きな部屋を中心に、小さな部屋が二つと物置部屋が一つ連なっている。

 ウルベルトは小さな二つの部屋の内の一つを自身の部屋として決めると、寛容にももう一つの部屋をネイアの私室として与えてくれた。勿論ネイアは全力で断ったのだが、そこは綺麗に流されてしまう。仕舞いには『君は私の従者だが、四六時中私の傍に控えているわけにもいかないだろう? それに君も年頃の女の子なのだからね』と言い包められてしまい、ネイアはウルベルトの申し出を受け入れるしかなかった。

 ウルベルトに女の子扱いをされて、密かに胸が高鳴ってしまったのは秘密だ……――

 

 

「……私は少し疲れたから休ませてもらおう。バラハ嬢もゆっくりと休むと良い。ノードマン君、ご苦労だったね」

 

 自室と定めた部屋の前で、柔らかな笑みと共に唐突に暇を言い渡される。

 優しい災華皇(さいかこう)閣下のことだ、恐らくこちらを気遣って下さったのだろう。

 頭ではそう理解できるというのに、ネイアはどうにも寂しく感じる心を止めることが出来なかった。しかしネイアにウルベルトを引き留めることなど出来る筈もなく、一人扉の奥へと消えていく黒い背を黙って見送ることしかできなかった。

 スクードは警護をするように扉の前に立ち、ヘンリーも通常の任務に戻るために短い別れの言葉と共にどこかへと去って行ってしまう。

 ヘンリーとアルバはネイアとは違い一時的にウルベルトの指揮下に入っただけであるため、今後は解放軍に加わり今後の行動も自分たちとは別々になるのだろう。

 それに一層寂しさが増してしまったような気がして、ネイアは与えられた自分の部屋に戻ることもできずに、まるで道に迷った幼い子供の様に扉のすぐ横の壁際へとへたり込むように座り込んでしまった。折り畳んだ両足を両腕で抱き締め、目の前で揃えられた両膝へと軽く顔を伏せる。

 スクードも取り立てて何も言わず、何とも言えない静寂が二人の間に漂った。

 ネイアは伏せていた顔を少しだけ上げると、隣に立つ細く黒い影をチラッと見上げた。

 

「………スクード…さん……」

「……………………」

 

 ネイアの小さな呼びかけに応えたのは静寂のみ。

 しかしスクードの黄色の双眸がこちらに向けられたのを認め、ネイアは再度恐る恐る口を開いた。

 

「……スクード、さん…は、先ほど災華皇閣下が仰られていた閣下の過去のことをご存知でしたか……?」

 

 先ほどからずっと心に引っかかっていたことを口に乗せ、ネイアは思わず顔を暗く翳らせた。

 『――……悪魔である閣下にとって我々聖騎士は敵であるはず。』

 以前ヘンリーが言っていた言葉を思い出し、更に感情が沈んでいく。

 ネイアは次々に浮かんでくる嫌な考えや不安や恐怖に、思わず小さく身を震わせた。

 もし災華皇閣下のご両親を殺したのが人間だったら?

 もし、それを閣下が未だに憎く思っていたら?

 もし…、ヘンリーの言うように閣下自身も聖騎士を敵だと思っていたのだとしたら……?

 あの強い災華皇閣下のご両親が人間などに殺されるはずがないと思ってみても、しかしその考えは彼自身が言った“自分も最初から強かったわけじゃない”という言葉に容易く打ち砕かれてしまう。

 レメディオスのような……、自分の父のような強者ならば、もしかしたら可能だったのではないか、と……――

 

「………もし、閣下に憎まれていたのだとしたら……、私はどうすれば良いんでしょうか……」

 

 口から零れ出たのは、何ともか細く頼りない声音。どうしようもない喪失感や不安に押し潰されそうになり、何故かすごく怖くて仕方がなかった。

 しかしその時、不意に横に立つ存在が微かに動いたことに気が付いて、ネイアは咄嗟に顔を上げてスクードを見上げた。

 ネイアのつり上がった鋭い目と、スクードの黄色の瞳が真っ直ぐにかち合う。

 

「……私はただのシモベの一人。ウルベルト様の過去は勿論のこと、恐らく御方様についての半分も私は知り得ていないのだろう」

 

 直属の配下であるスクードでさえ殆ど知ることの叶わぬウルベルト・アレイン・オードル災華皇という大きな存在。

 一瞬不思議なように感じたが、よく考えれば当然のことだった。

 ネイアとて聖王国の聖騎士見習いである従者だが、聖王女についてどのくらい知っているのかと聞かれれば、一般的なことしか答えられないだろう。ウルベルトが寛大な心で気さくに接してくれるため勘違いしてしまいそうになるが、唯の従者と統治者たる王では、これが当たり前なのだ。他国の者であれば尚更だ。

 しかしそう理解はできても、ネイアはその距離感に寂しく感じてしまう心を止められなかった。

 もっと知りたいと、もっと理解したいと、心が訴えかけてネイア自身を急き立ててくる。

 

「――……単なるシモベ風情が御方様を理解しようなど、余りに身の程知らずなこと。シモベとは至高の御方々の道具であり、所有物に過ぎない。この目に映すことを許された御身の御姿をただ見つめ、命じて下さる御声にただ従うことこそが我が身に許された全てなのだ」

 

 ウルベルトの過去など関係ない。ウルベルトが何を思い、誰を憎んでいようと構わない。もしスクード自身を疎ましく思い、死を望んだのならスクードは迷いなく自害して見せるだろう。

 あまりに狂信的な考えに流石のネイアも全てに賛同することはできなかったが、しかしかといって否定的な感情も全く湧き上がっては来なかった。

 何より、スクードの言葉によって今までのネイアの迷いは一気に吹き飛ばされた。

 そうだ、自分がここでウジウジと悩んでいても仕方がない。

 自分にとって一番大切で重要なのは“今”なのだ。今の閣下の姿を、態度を、言葉を信じればいい。

 もし裏で自分たちに不快感を持たれていたのなら心から謝罪しよう。

 もし、それさえ言って頂けないのなら、言って頂けるように……信じて頂けるように精一杯お仕えしよう。

 何より、自分たちを救うために来てくれた災華皇閣下の全てを信じたい。

 ネイアは顔を上げると、そのまま勢いよく立ち上がった。パタパタと軽く尻を叩き、服についた汚れを払い落とす。

 自分の今できることをしよう……とスクードに再び声をかけようとしたその時、不意に視界の端に映り込んできた影に気が付いてネイアは咄嗟に口を閉じてそちらを振り返った。

 駆け込んできたのは先ほど別れた筈のヘンリーで、血相を変えた様子に何かあったのかとネイアは不安に表情を翳らせた。

 

「ノードマンさん、何かあったのですか?」

「災華皇閣下に至急ご相談したいことがあるのですが……、お部屋にいらっしゃるでしょうか?」

 

 ネイアとヘンリーの二つの視線が同時にスクードへと向けられる。スクードの無機質な黄色の瞳も二人を見やると、次には踵を返して背後の扉へと振り返った。その場に片膝をついて跪くと、扉に向けて深々と頭を下げる。

 

「……ウルベルト様、ヘンリー・ノードマンが拝謁を望み来訪しております」

『………入りたまえ…』

 

 スクードの言葉から一拍後、扉の奥から穏やかな声が返ってくる。

 スクードが素早く立ち上がって扉を開けると、ネイアとヘンリーは入室の言葉と共に室内へと足を踏み入れた。

 

「っ!!?」

 

 瞬間、室内に響く息を呑む音。

 驚愕の表情を浮かべて室内を見回すヘンリーに、ネイアは思わず苦笑を浮かばせた。

 以前の洞窟のアジトの時と同じように、すっかり様変わりした室内。隅には手触りの良さそうなシーツがかけられたキングサイズのベッドが鎮座しており、その上にウルベルトが優雅に足を組んで腰を下ろしていた。

 

「どうした? 何かあったのかね?」

 

 組んでいた足を解いて立ち上がりながら、ウルベルトが穏やかに問いかけてくる。

 ネイアとスクードはすぐさま跪いて頭を下げ、ヘンリーもハッと我に返って慌てて頭を下げた。

 

「お休み中に失礼いたします。至急、閣下にご相談させて頂きたいことがございまして……」

「ふむ、相談か……。何か厄介ごとかね?」

 

 ウルベルトの言葉にヘンリーは思わずと言ったように黙り込む。

 肯定しているのと同じである彼の様子に、ネイアは不安に更に表情を翳らせ、ウルベルトは観察するように小さく目を細めさせてじっとヘンリーを見つめた。

 

「……災華皇閣下、先ほどの会議でグスターボ・モンタニェス副団長が報告していた、人質を殺して解放軍を先導したという聖騎士が見つかりました」

 

 頭を下げた状態でヘンリーが再び口を開く。

 

「………ほう……、それで?」

「はい。しかし、我々では如何ともし難く……。閣下にご相談したく参りました」

 

 何とも要領を得ぬ説明である。

 ネイアは思わず小首を傾げ、ウルベルトは大きなため息を吐き出した。

 

「それだけでは何とも言えないねぇ。その聖騎士に何があり、どう私に助けてもらいたいのか、もっと具体的に言ってくれないかね?」

「…それは……」

 

 とても言い辛そうに言いよどんだ後、小さく顔を歪めて口を閉ざす。辛そうな表情を浮かべて黙り込むヘンリーに、ネイアは傾げた首を元に戻しながら困惑した表情を浮かべた。

 彼がここまで言いよどむなど、一体何があったというのか……。

 ネイアがウルベルトとヘンリーを交互に見やる中、不意にウルベルトから再びため息の音が聞こえてきた。

 

「……はぁ…、分かった。まずはその者に会おう。案内したまえ」

「かっ、感謝します、災華皇閣下…っ!」

 

 ヘンリーが喜色を浮かべて一層深く頭を下げる。

 いつも冷静で落ち着きのあるはずの彼の思わぬ反応に、ネイアはやはり大きな不安を感じずにはいられなかった。

 ウルベルトは問題を解決するとは言っておらず、ただ原因の聖騎士に会ってみようと言っただけだ。彼もそれは分かっているだろうにここまで感謝するとは、本当に何があったというのか。

 しかし何はともあれ、ここでじっとしていては何も分からないままだ。

 ネイアはスクードにここに残っているように指示しているウルベルトに同行することを伝えると、ヘンリーの案内でウルベルトに付き従った。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 案内されたのは町の外れにある小さな建物だった。

 元々は物置か何かだったのだろう、石造りで出来たその建物は窓が少なく、屋根近くの高い部分にしかなかった。

 一つしかない扉の前には何故か見張りのように一人の聖騎士が立っている。

 ヘンリーと同じか少し若く見えるその聖騎士は、こちらの存在に気が付くと不安と困惑を綯い交ぜにしたような表情を浮かべてこちらへと駆け寄ってきた。

 

「……ノードマンさん、本当に連れてきたのですか?」

「私は本気です。それに……閣下ならば、何とかして下さるかもしれません」

「それは……。ですが、それでも……」

 

 聖騎士の青年は困惑の色を濃くしてヘンリーとウルベルトを交互に見やる。

 どうやら彼はヘンリーの知り合いのようで、ウルベルトもまた青年とヘンリーを交互に見つめていた。

 ウルベルトからの不思議そうな視線に気が付いたのか、青年は慌てて聖騎士での礼をとって頭を下げてきた。

 

「……あっ、申し訳ありません、災華皇閣下! 申し遅れました、私は聖騎士団第二部隊所属、マクラン・ペルティアと申します」

「ふむ…、私はアインズ・ウール・ゴウン魔導国の支配者の一人、ウルベルト・アレイン・オードル災華皇だ。君が噂の聖騎士なのかな?」

「……え…? …あっ、い、いえ、違います……!」

 

 ウルベルトが誰の事を言っているのか気がつき、青年は慌てて何度も頭を振る。それでいて気遣わし気にチラッと背後の建物を見やるのに、どうやら件の聖騎士は目の前の建物の中にいるようだった。しかしここまで来て、未だ迷うような素振りを見せるヘンリーや目の前の聖騎士に、ネイアは大きな不安の奥から苛立ちが込み上げてくるのを感じていた。

 彼らが躊躇するのは決してウルベルトを邪険にするような気持ちからではない。ここまで来てなお躊躇してしまうようなことが起こっているのだろう、と推測することなど容易くできる。

 しかし、だからと言ってここまでご足労願ったウルベルトに対して、これ以上呆れられるようなことも、こんなところで待たせるという失礼なこともしてほしくなかった。

 

「ノードマンさん、ここに件の聖騎士の方がいらっしゃるのですか?」

 

 だからこそ、わざと問いかけて彼らを言外に促す。

 これ以上閣下をお待たせするな! という思いを込めて強く見つめれば、ヘンリーもこちらの思いを汲んでくれたのか少し慌てたように大きく頷いてきた。

 

「…あっ、は、はい……、ご案内します。閣下、どうぞこちらへ」

 

 ヘンリーに促され、ウルベルトに付き従ってネイアも建物内へと進んでいく。

 警護のために外に残るマクランが扉を閉めた瞬間、人よりも鋭い嗅覚が捉えたニオイにネイアは思わず背筋を戦慄させた。

 彼女の嗅覚が捉えたのは間違いようのない鉄臭い血のかおり。それも濃さが尋常ではなく、濃厚過ぎる血生臭さにネイアは一気に気分が悪くなり、吐き気が込み上げてきた。

 

「こちらです、閣下」

 

 奥へと案内するヘンリーの顔も蒼白になっており、一目で気分が悪くなっているのが窺える。

 この建物は入り口に通じる大きな部屋と奥にある小部屋二つの計三つに区分されているらしく、ヘンリーは奥の小部屋の一つへとウルベルトたちを促した。

 部屋同士を区切っているのは質素で薄い木の扉。

 ヘンリーの手によって扉がゆっくりと開かれ、瞬間、ネイアは血のかおりが更に強くなったのを感じた。

 

「……っ!!?」

「……ほう…」

 

 扉を開いたことによって目に飛び込んできた室内の光景。

 目の前に広がる惨状とそれ(・・)に、ネイアは目を見開いて鋭く息を呑み、ウルベルトは小さな声を零した。

 室内にあったのは一つの大きな藁の山。上には大きな一枚の布がかけられており、まるで天然のベッドのようになっている。

 しかしその仮のベッドは今や悲惨な状態に成り果ててしまっていた。

 元は真っ白だったのだろう布は今や真っ赤に染め上がり、下の藁にさえ赤が染みているのが分かる。所々既に乾いて赤黒く変色している部分もあり、変に固まって歪な皺を作っていた。

 赤の正体はもしかしなくても大量の血であり、それを流した存在は悲惨な状態となった藁のベッドに力なく横たわっていた。

 仰向けに横たわっているのは三十代くらいの男。

 血が足りないのか肌は白を通り越して土気色になっており、唇も紫色になっている。服も何も纏っていない上半身には包帯が巻かれており、しかし未だに傷が塞がっていないのか大きな血のシミが幾つもできていた。

 そして何より目を引くのが男の右腕部分。

 男の右腕は肩の付け根辺りからバッサリとなくなってしまっていた。

 

「………ヘンリー、閣下を連れて来たのか…」

 

 男の傍らに屈み込んでいたアルバがこちらの存在に気が付き振り返ってくる。

 今まで男の治療をしていたのか、アルバの纏う白い神官服にも多くの血が散って染みついていた。

 

「……こ、これは…、一体何があったのですか……?」

 

 ネイアが震える声音でヘンリーとアルバに問いかける。

 ヘンリーとアルバは互いに顔を見合わせると、次には苦々しげに表情を歪めて、再び視線を横たわっている男へと戻した。

 彼らの歪められた表情には憎悪すら宿っている様にネイアには見えた。

 

「……私も、ペルティアに聞いただけなのですが…――」

 

 一言前置きをし、そしてヘンリーはマクランから聞いたという話をウルベルトとネイアへ語り始めた。

 横たわっている男の名はオスカー・ウィーグラン。

 マクラン・ペルティアと同じ第二部隊所属の聖騎士であり、先日の解放軍による捕虜収容所奪還作戦において初めに人質となった子供諸ともバフォルクを倒した聖騎士である。

 彼の先導によって多くの犠牲を払いながらも何とか潜伏していたバフォルクたちを殲滅した解放軍は、まずは未だに囚われている民たちを解放するべく行動を開始した。オスカー・ウィーグランも民を解放しようとそれに続こうとしたのだが、それを邪魔する者が現れたという。

 彼の進む道を遮ったのは、憤怒と憎悪と殺気に顔を歪めたレメディオス・カストディオ。

 彼女は人質となっていた子供を殺したオスカーを罵詈雑言に責め立て、最終的には聖騎士にあるまじき行動でありオスカーは聖騎士に相応しくないとして彼を死罪と断じた。

 未だ捕虜たちの解放も完了していない中での死罪宣言。

 加えてレメディオスは問答無用でオスカーから彼自身の剣をもぎ取ると、その剣で彼に斬りかかった。

 今彼の上半身に深く刻まれている右肩から左脇腹にかけての大きな傷が、その時の傷であるらしい。

 もし騒ぎを聞きつけたグスターボや他の聖騎士に止められていなければ、オスカーはそのままレメディオスの手によって殺されていただろう。

 グスターボと他の聖騎士たちがレメディオスを説得し、何とか死罪は免れた。しかしレメディオスはオスカーが聖騎士として相応しくないという意見を変えるつもりはなく、殺すことは諦めたものの、その代わりとして二度と剣を振るえぬようにオスカーの利き手である右腕を切り落としたのだという。

 積極的に命を奪うつもりはないが、命を救うつもりもない……。

 レメディオスは痛みに蹲るオスカーに言い捨て、他の聖騎士や神官たちにも彼を助けることを禁じて捨て置くよう命じた。

 

 

「……なんて、惨いことを…」

 

 あまりの仕打ちに、ネイアは思わず大きく顔を顰めさせた。

 ネイアからしてみれば、レメディオスのこの仕打ちの方がよっぽど聖騎士としてあるまじきものだと思えてならなかった。

 こんな状態で放置されれば、どちらにしろ死は免れない。苦しみが長引く分、こちらの方がよっぽど惨い仕打ちになっているだろう。

 何とか彼を救えないのかと見つめる中、隣に佇むウルベルトから大きなため息の音が聞こえてきた。

 反射的にウルベルトを振り仰げば、精悍な山羊頭の横顔はどこか呆れたような表情を浮かべてヘンリーやアルバを見つめていた。

 

「……それで…、君たちは私に一体何を期待しているのかね…?」

「………閣下のお力で、何とか彼を救っては頂けないでしょうか?」

「この男の傷を癒すという意味での救いであれば私にもできなくはないが……、この男の立場を救うという意味で言っているのであれば、少々難しいだろうね」

「……………………」

 

 ウルベルトの尤もな言葉に、ネイアたちは思わず黙り込んだ。悔しい思いが湧き上がってきて、今も苦しんでいるオスカーをじっと見つめる。

 

 何故あんな女が自分たちの頂点なのか……。

 

 オスカーの無残な姿を見やり、ネイアの胸にフッとそんな言葉が浮かび上がってくる。

 もしレメディオスではなくウルベルトがこの解放軍の頂点であったなら、こんな無慈悲で残酷なことをすることも、酷薄な命令を命じることもしなかっただろう。

 いや、それ以前に、ウルベルトがこの国の統治者であったなら、亜人から襲撃を受けることもヤルダバオトに良いように蹂躙されることもなかったはずだ。

 そう……、もし……ウルベルトがこの国の統治者であったなら……――

 

 

「そもそも、ユリゼン君が治療すればいいと思うのだがね……。それとも、命じられているから助けられないか?」

 

 不意にウルベルトの声が意識に入り込み、ネイアはハッと我に返った。

 知らず俯かせていた顔を反射的に上げると、ネイアはウルベルトとアルバを交互に見やった。

 

「いえ、私は既に治癒魔法を何回か施しています。しかし……、恥ずかしながら、私は第二位階までの魔法しか使うことが出来ないのです」

「ああ、なるほど……」

 

 魔法を使えないネイアにとっては第二位階の魔法を使えるだけでもすごいことなのだが、しかしその魔法でもオスカーを助けるためには不足であるらしい。かといって第三位階魔法まで使える神官がオスカーを助けてくれるかと言われれば、アルバのように簡単に力を貸してはくれないだろう。

 やはり頼みの綱はウルベルトしかいない。

 ウルベルトの優しさに縋りつくようで少し心苦しくはあるが、ネイアは真っ直ぐにウルベルトを見つめて深々と頭を下げた。

 

「災華皇閣下、無理を言っていることは承知しております。しかし、私からもお願いします。どうかこの方を救うために、お力をお貸しください……!」

「閣下、お願い致します」

 

 ネイアに続いてヘンリーとアルバも頭を下げる。

 きつく目を閉じて頭を下げ続ける中、不意に大きなため息の音が聞こえてきてネイアは反射的にビクッと身体を震わせた。

 

「………まぁ、やれるだけやってみようか」

 

 拒否の言葉を聞くのではないかと内心ビクビクする中、頭上にかけられた柔らかな声音。

 思わずバッと顔を上げれば、そこには恐らく苦笑を浮かべているのであろう少し顔を歪めたウルベルトが優しい眼差しでこちらを見つめていた。

 少しの間呆然とウルベルトを見つめ、彼の言葉を理解した瞬間に一気にぱぁっと顔が笑みの形に崩れる。

 

「あ、ありがとうございます、災華皇閣下!」

 

 ネイアは歓喜に震える心そのままに弾けるような声音でウルベルトに礼を言った。

 やっぱり閣下はお優しい……!

 やれやれとばかりに苦笑を浮かべたまま小さく頭を振るウルベルトを見やり、ネイアは改めてそう感じた。

 聡明で思慮深いウルベルトの事だ、この行動が他国の王である彼にとってどれだけリスクのあることなのか理解していないはずがない。そうであるにも拘らず、唯の従者――それも他国の従者でしかない者の願いを聞き届けようとしてくれているのだ。

 ネイアはウルベルトの優しさに感謝し、改めて頭を下げようとした。

 しかし、それはウルベルトが軽く手を挙げたことで途中で止められた。

 

「礼を言うのは早いよ、バラハ嬢。彼を救うためにはどちらにしろ聖王国側からの許可が必要だ。……それに、申し訳ないが、私は少なからず我々にメリットがない限り動かないことにしているのだよ」

「メリット、ですか……」

 

 ここで言う“我々”とはウルベルト自身や魔導国という意味だろう。

 しかし聖王国の聖騎士一人を助けることで生じる魔導国側のメリットなど何も思いつかず、ネイアは困惑の表情を浮かべてウルベルトを見つめた。

 

「まぁ、まずは許可だな。……ノードマン君、団長殿……は不味いな。副団長殿を呼んできてくれるかね?」

「はっ、畏まりました」

 

 ウルベルトの命にヘンリーは一度頭を下げると、すぐに頭を上げて足早にこの場を去っていった。

 ウルベルトはその背を暫く見送った後、次にはアルバへと目を向けた。

 

「さて、では次に彼に治癒魔法をかけてくれるかな、ユリゼン君」

「し、しかし……私の魔法では……」

「別に全快にする必要はない。彼の意識が戻り、話せる状態にしてもらえれば良い」

「……わ、分かりました」

 

 アルバは困惑の表情を浮かべたものの、しかし小さく頷いてオスカーへと向き直った。

 全快せずに、意識が戻る程度に回復する。それは治癒される側からすれば残酷の何物でもなかった。

 全快していない状態で意識が戻れば、彼は傷の痛みに苛まれることになる。傷の大きさや具合などから、意識が戻ればオスカーは地獄のような痛みを味わうことになるだろう。それが分かっているからこそ、アルバも戸惑いを見せたのだ。しかしこちらが無理を言って助けを求めた以上、その言葉に従わないわけにはいかない。

 ネイア自身も大きな不安を感じながらも、しかしウルベルトを信じて口を閉ざし、アルバとオスカーを見守ることにした。

 アルバがオスカーの傍らに屈みこみ、傷の上に手を翳して治癒魔法を唱える。

 淡い翠色の光が翳した手と傷口を包み込み、数秒後、微かに開いていた男の口からくぐもった呻き声のような音が微かに零れ出てきた。

 

「………ぅぅ……、う……」

 

 血の気が引き、無表情だった顔が徐々に苦悶に歪みだし、閉じられている瞼が小刻みに痙攣しだす。

 少しでも痛みを和らげようとアルバが何度も魔法を唱え、それが功を奏したのか、男は頭を少しだけ動かしてゆっくりと瞼を開いた。

 

「……やぁ、お目覚めかね、オスカー・ウィーグラン君」

 

 ウルベルトが朗らかに声をかけ、男の目が反射的にそちらへと向けられる。

 深い海のような蒼色の瞳にウルベルトを映し込み、瞬間、まるで戦慄くように唇を震わせた。

 

「……あな、た…は……、さいかこ、う…かっか………?」

「いかにも、私はウルベルト・アレイン・オードル災華皇だ。気分はどうだね?」

 

 オスカーは眼球だけを動かして周りを見回したが、最後には再びウルベルトへと目を戻した。

 

「…こ、こは……。な、ぜ……あなた…が………」

「ふむ、少々混乱しているのかな? ユリゼン君、説明してあげたまえ」

 

 必至に痛みに耐えているのだろう、時折身体を小さく震わせながらも途切れがちに問いかけてくる。

 ウルベルトに命じられてこれまでの経緯を説明するアルバに、オスカーは視線をアルバへと移して懸命に話を聞いていた。

 ここがどこなのか。オスカー自身の身に何が起きたのか。何故ウルベルトがここにいるのか。

 手短に、しかしポイントを押さえて的確に説明していくアルバに、オスカーの瞳が徐々に翳りを帯びていく。

 そして説明が終わる頃には、オスカーの顔はすっかり生気が抜け落ちた様になってしまっていた。

 レメディオスに死罪を言い渡され、斬りつけられたことは覚えていたのだろう。しかし、仲間たちが仲裁に入ったにも拘らず、まさかそのまま捨て置かれるとは思ってもみなかったに違いない。

 そしてほんの数名の仲間の手によって命は繋ぎ止められたものの、同じ仲間であるはずの他の聖騎士の多くが彼を救おうとしなかったという事実も……――

 オスカーの心境を慮り、ネイアの胸も軋むような痛みを訴えてくる。

 しかしどう声をかけていいのかが分からず、ネイアは顔を歪めて唇を噛み締めることしかできなかった。

 

「……さて、説明も終わったことであるし、早速君に質問だ。君は、私と契約するつもりはあるかね?」

 

 重い沈黙が漂う中、不意にオスカーへとかけられた声。

 気軽い声音であると同時に、その思わぬ言葉の内容にネイアだけでなくアルバやオスカーも目を見開いてウルベルトを見やった。

 

「彼女たちにも話したのだがね。私は君を救うために努力するとは約束したが、基本私は、私や魔導国にメリットがないことに対して積極的に手を貸すような優しい悪魔ではないのだよ。だから“契約”、というわけだ」

 

 まるで幼い子供を諭すように話す声音は非常に柔らかく優しい。しかし精悍な山羊の顔には悪戯気な笑みが浮かんでおり、どこかウキウキとした楽しげな雰囲気を漂わせていた。先ほどの言葉も合わさって、傍から見れば邪悪な悪魔が甘い言葉で人間を誑かしている様にも見えるかもしれない。

 しかし、その言葉がウルベルトの慈悲であることをネイアは理解していた。

 先ほど思考を巡らせた時同様、普通に考えればウルベルトがオスカーを助けて得るメリットなどありはしない。だからこそ、ウルベルトはわざと“契約”という言葉を使ったのではないだろうか。

 しかしオスカーにはウルベルトの心遣いが分からなかったようで、どこか警戒するような表情でじっとウルベルトを見つめていた。

 

「……けいやく、とは……」

「簡単に言えば、君自身だね」

「……?」

「私は君の傷を癒して命を救う。その代わり、君は今後私の従者となって私に命を捧げる。命の対価には命を……。まさにフェアだろう?」

 

 小首を傾げて同意を求めるウルベルトに、しかしこちらはどうにも頭が付いてこれていない。ウルベルトの心遣い自体は分かっても、その契約の内容にどんな意図があるのかが分からなかった。

 

(……分からなければ聞けばいい。閣下は聞けば教えてくれるだろうし、私は……閣下の事を知りたいし、信じるって決めたんだから……!)

 

 心の中で自分を奮い立たせると、ネイアは問いを発しようと口を開いた。

 しかしそれよりもオスカーが声を絞り出す方が早かった。

 

「あなたの、じゅうしゃ…に……。それは、つまり……、俺は……聖騎士では、なくなる…と……?」

「私の従者となるだけで、別に聖騎士であることには変わりあるまい。ただ、聖王国の聖騎士ではなく、私の……、延いては魔導国の聖騎士になるということだ」

「では……もう、聖王国のたみたちを……すくうことは…できない、と…?」

「私はヤルダバオトを倒し、聖王国を救うためにここにいる。その間は聖王国の民のために働くこともできるだろう。しかしその後は、私の従者として共に魔導国に来ることになる。そうなれば、聖王国の民ではなく、魔導国の民のために働くことになるだろうね」

「……………………」

 

 オスカーは口を閉ざすと、まるで考え込むように瞼をも閉ざした。

 数十秒微動だにせず、続いてゆっくりと瞼を開き再びウルベルトを見つめる。

 

「あな、たは…俺がなにを、したのか……しっている、はず……。それなのに、俺を…じゅう、しゃ…に、したいと……?」

 

 上官の意向に背いて罰せられ、放置された。

 弱き者を助け護るべき聖騎士が、弱き者を犠牲にして多くを死なせた。

 そんな聖騎士にあるまじき男を、何故従者にしたいのか……。

 言外にそう問いかけるオスカーに、しかしウルベルトはフンッと鼻で笑い飛ばした。

 

「くだらん。何かを成すためには他の何かを代償とするのが世の常。元より、戦争で犠牲を出さぬなど不可能なことなのだよ。それを覆せる者がいるとすれば、それは世の常すら捻じ伏せられる強者のみ。……力なくば、他人を救うどころか、自分の死に方すら決められない。それも分からずない物ねだりをするのは、唯の身の程知らずというものだ。私は君の判断は正しかったと思うがねぇ」

 

 ウルベルトの言葉に、オスカーは目を見開いて呆然とウルベルトを見つめる。そしてネイアもまた、ウルベルトの言葉を胸に刻みつけていた。

 ウルベルトの言葉は、恐らく今回の事だけを言っているのではないだろう。

 『力なくば、他人を救うどころか、自分の死に方すら決められない』

 この言葉に言いようのない悲しみが宿っているように思えて、ネイアは胸が切なく締め付けられるのを感じた。

 

「……お、れ……は………」

 

 オスカーが何かを言おうと声を絞り出してくる。

 しかし彼が何事かを伝えるその前に、不意に入口の方から複数の足音が聞こえてきた。

 急いたような、大きく早い二つの足音。

 反射的に入口方向を振り返れば、ちょうど後ろにヘンリーを引き連れたグスターボが室内へと入ってくるところだった。

 

「災華皇閣下! これは、一体……!」

 

 心なしか表情を蒼褪めさせながら、グスターボがこの場にいる面々を見やる。

 ウルベルトはグスターボに向き直ると、小さく目を細めさせて小首を傾げた。

 

「おや、ノードマン君から説明されていないのかね?」

「大まかなことは聞きました。しかし、これはあまりに……!」

「不躾だと?」

 

 ウルベルトの言葉に、グスターボは咄嗟に黙り込む。

 彼は決して肯定の言葉は発しなかったが、しかし無言である時点で肯定しているようなものである。

 つまり、オスカーの処遇については聖王国の問題であるため、他国の者であるウルベルトが口を挟むべきではないと言いたいのだろう。

 しかしネイアはそんなグスターボの態度が酷く気に食わなかった。

 グスターボの言っていることも分かる。国としては正しい判断であり、正しい言い分であることも理解できる。

 しかしグスターボや解放軍の統率者たちは、事ある事に聖王国の問題であるからと意見を言うことを控えていたウルベルトに対して、それを押して彼の意見を求めてきた。にも拘らず、自分たちの都合の悪いことに関しては、さも当然であるかのようにウルベルトの介入を許さないのだ。それはあまりにも都合が良すぎるのではないだろうか。

 ひどく憤りを覚えるネイアに、しかしウルベルトは全てお見通しであるかのように余裕の笑みを山羊の顔に浮かばせていた。

 

「ふむ。しかし実際のところ、別にそれほど問題ではないように思うがねぇ」

「それは……、一体どういうことでしょうか?」

 

 先ほどまでの困惑の色は鳴りを潜め、今は警戒の色が露わになる。

 解放軍の頭脳ともいうべき彼が思わず身構えてしまうほど、今目の前に立つウルベルトは自信に満ちた佇まいと底知れぬ笑みを浮かべていた。

 

「団長殿は彼に死刑判決を行い、君たちにも捨て置くように命じたのだろう? そして君たちもそれを黙認して彼を助けようとはしなかった。それはつまり、言い方は悪いが、彼を用済みとしてゴミのように捨てたのだろう? 私はそれを拾おうとしているだけなのだよ」

「……っ!!」

 

 ウルベルトの思いもよらぬ言い分に、グスターボは勿論の事、ネイアたちも言葉が出てこなかった。

 グスターボもヘンリーもアルバもオスカーも、呆れて言葉が出ないだけなのかもしれないが、しかしネイアだけは違った。

 確かに言い方はアレだが、納得せずにはいられなかったのだ。

 例えば普通に不要になったゴミを捨てたとして、そのゴミを他者が拾おうとも何も問題にはならない。捨てた時点でそれは捨てた者にとっては既に無い物であり、当然所有権もなくなるため、それに対しての発言権などあろうはずもない。

 今回オスカーは遠回しに死ぬように仕向けられ、もはや解放軍の中では亡い(無い)者となった。

 ならばウルベルトが彼を拾ったところで、何も問題はないのではないだろうか。

 

「君たちは不要なモノを捨て、私はそれを拾って再利用する。……そう、リサイクルって奴だ。君たちは彼を殺した(・・・)のだから、別に何も問題はないだろう?」

 

 とんでもない屁理屈。

 しかし、いくら屁理屈であっても、一方である意味理屈でもある。

 

「ひ、人とゴミとを一緒に考えてもらっては困ります! それに彼は仮にも聖騎士であり、団長によって死罪とされた罪人なのです!」

「では問うが、君は本当に彼が罪人だと思っているのかね? それに彼のことを聖騎士と言うが、聖騎士の頂点である団長が彼を聖騎士ではないと断じたのではなかったのかな?」

「そっ、それは……!!」

 

 思わず言葉に詰まり、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 どう返すべきかとグスターボが頭を悩ませる中、今まで成り行きを見守っていたオスカーが徐にゆっくりと口を開いてきた。

 

「………さいか、こう…かっか……」

「ん? なんだね?」

「おれを……ひろって、いただけますか……?」

「……なっ!!」

 

 オスカーの口から零れ出た申し出に、グスターボから驚愕の声が小さく聞こえてくる。

 しかしウルベルトはそれに構う様子もなく、ただ静かにオスカーを見下ろしていた。

 無言で先を促す山羊頭の悪魔に、オスカーはその言葉(・・・・)を口にする。

 

「契約、を……かわします……。おれ、は……今より、あなたさまの……聖騎士、と…なります……」

 

 何かを決心したように、翳りを帯びていた双眸に強い光を宿してオスカーがウルベルトを見上げる。

 ウルベルトは一歩二歩とオスカーへと歩み寄ると、彼の傍らにしゃがみ込んだ。鉤爪のような刃を備えたグローブに覆われた手がゆっくりと伸ばされ、オスカーの脂汗が浮いた額へとそっと先を触れさせる。

 

「……良いだろう。契約成立だ…」

 

 聖騎士と悪魔との契約。

 決してあってはならない事態に、グスターボが顔面を蒼白にして何とか止めようと声を張り上げてきた。

 

「お待ちください! 彼は聖王国の聖騎士です! それを勝手に……!!」

「その聖騎士を打ち捨てたのは、お前たちだろう?」

 

 グスターボの言葉を遮り、ウルベルトの金色の瞳が射貫くように鋭く向けられる。

 言外に、今更所有者面するな…と言っているようなウルベルトの態度に、グスターボは咄嗟に口を閉ざして黙り込んだ。

 その間にウルベルトはさっさとグスターボから視線を外し、再びオスカーへと移す。

 ウルベルトは一つ小さな息をつくと、何をするでもなく再び立ち上がった。

 

「……これより、オスカー・ウィーグランを我が忠実なる従者として認めよう」

 

 まるで契約を確かなものとするかのように、ウルベルトが高らかに宣言する。

 ネイアとヘンリーとアルバが大人しく見守り、グスターボが苦々しげに顔を歪める中、ウルベルトはもう一度小さな息をついてひょいっと肩を竦ませた。

 

「……とはいえ、私自身は治癒魔法は使えないのでね。代わりに治癒魔法が使える者を召喚するので、驚かないでくれたまえ」

 

 こちらを振り返って注意してくるウルベルトに、ネイアははっきりと頷いて見せる。

 ヘンリーとアルバも軽く礼をとって承諾し、グスターボももはや諦めた様に何も言ってはこなかった。

 

「〈中位悪魔創造・拷問の悪魔(トーチャー)〉」

 

 朗々と唱えられる詠唱。

 ウルベルトの目の前の床に魔法陣が浮かび上がり、そこから浮き上がるかのように一つの大きな影が姿を現した。

 片膝をついて跪いた状態で姿を現したのは一体の悪魔。

 体長は恐らく二メートルほどで、腕が異様に長い。肌は乳発色で、まるで紋様か何かのように多くの紫の血管が全身に浮かび上がっていた。身に纏っているのは黒い革製の前掛けと、顔を覆うマスクのみ。何とも言えない不気味な異様さが全身から醸し出されていた。

 

「……っ……!」

 

 相手は一体のみだというのに、感じられる威圧感は相当なもの。冷や汗が身体中から吹き出し、生存本能からくる悪寒が絶えず襲ってきた。

 しかし、ただ一人召喚主であるウルベルトだけが柔らかな笑みを浮かべて優しい眼差しを悪魔へと向けていた。

 

「この男を癒せ」

「畏まりました、御方」

 

 トーチャーは一層深く頭を下げると、次にはオスカーへと向き直って歩み寄っていった。咄嗟に這うように後ずさるオスカーに、しかしトーチャーは構う様子もなく一気に互いの距離を詰める。長い右腕を伸ばしてガシッとオスカーの腕を掴むと、痛みに呻き声を上げるのも構わず左腕もオスカーへと伸ばした。

 

「〈大治癒(ヒール)〉」

 

 悪魔の呟きにも似た詠唱に続き、淡い翠色の光がオスカーの全身を包み込む。

 瞬間、オスカーの身体に刻まれていた数多の傷が、全て瞬く間に癒えて消え失せていった。レメディオスによって切り落とされたはずの右腕すら、何事もなかったかのように瞬時に生える。

 あまりにも強力過ぎる魔法の効果に、ネイアは驚愕の表情を浮かべて呆然となってしまった。

 ヘンリーやアルバやグスターボ、魔法をかけられた本人であるオスカーも同じように驚愕の表情を浮かべて呆然としている。

 誰も何も言わず、身動ぎすらしない。

 静寂が支配する中、ただ一人、ウルベルトだけがゆっくりと歩を進めてトーチャーに労いの言葉をかけた。

 畏まったように臣下の礼をとる悪魔に柔らかな笑みを浮かべ、次には金色の瞳をオスカーへと向ける。

 未だ呆然となっているオスカーを見つめ、ウルベルトはうっそりとした笑みを浮かべた。

 

「……これで、君は私の忠実な従者として生まれ変わった。おめでとう、オスカー・ウィーグラン君」

 

 どこまでも柔らかく優しい声音。

 その声が、何故かネイアにはまるで自分たちを愛し守ってくれる偉大な神の声のように聞こえた。

 

 




今回、中々に無茶な難癖をつけて少々強引にことを進ませたウルベルト様……。
何故グスターボは最終的に了承(?)したのか。ウルベルト様の目的は何なのか、など。
これらは今後徐々に明らかになる予定ですので、気長に待って頂ければと思います(深々)


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第7話 変化

今回は前半と後半で視点が変わっております。
読みにくかったらすみません……(汗)


 ウルベルトがオスカーと契約して己の従者とした日の翌日。

 解放軍は新たな捕虜収容所を解放すべく進軍を行っていた。

 強行軍ともいえるこの行動には主に食糧事情が関係していた。ウルベルトが解放した捕虜収容所にも、解放軍が解放した捕虜収容所にも、期待するほどの食糧が備蓄されていなかったのだ。

 捕虜となっていた国民を解放したことで解放軍の勢力自体は拡大されたものの、しかしそれは、それだけ食い扶持が増えたとも言える。このままでは亜人たちと戦う以前に、飢えによって人間同士が争う羽目になる。

 加えて亜人たちは規定日数ごとに近郊の小都市から食料を運び込むシステムを採っており、このままでは小都市を支配している亜人たちに捕虜収容所が奪還されたのを知られ、こちらの動きがバレてしまう危険性もあった。

 レメディオス率いる解放軍が選択したのは“バレる前に小都市を襲って落とす”という荒療治。

 グスターボとしてはもう少し慎重な行動をとりたかったのだが、しかし代案が思いつくこともなく、解放軍は聖騎士や神官や多くの民兵を連れて捕虜収容所となっている小都市へと向かうのだった。

 

 グスターボは騎乗している馬の手綱を握り直しながら、チラッと目だけで後ろを振り返った。

 彼の後ろには部下である聖騎士や神官たち。そしてみすぼらしい装備を身に纏った民兵たちがふらつく足取りでよろよろと歩を進めている。

 彼らは捕虜収容所から解放された民たちであり、その殆どがウルベルトが解放した捕虜収容所に囚われていた民たちだった。

 解放軍が解放した捕虜たちは、その際の争いに巻き込まれて全体の三分の二まで数を減らしてしまっている。加えて命は取り止めたものの重症である者も多く、武器を持って動ける者が少数しかいなかったのだ。

 ウルベルトが担当した捕虜収容所と解放軍が担当した捕虜収容所での圧倒的な差。

 それは被害の数だけに留まらず、こんなところにまで影響を与えてしまっていた。

 民兵の比率と民たちの状態を報告した時のレメディオスの表情が忘れられない。

 まるで信じられないというかのように……失望と怒りを綯い交ぜにしたような彼女の表情を思い出して、グスターボはその場に自分しかいなかったことに心の底から安堵した。

 とてもではないが、あの時の彼女のあんな表情は部下の聖騎士たちには絶対に見せられない。民たちに見せるのは以ての外だ。

 グスターボは目の前を進むレメディオスの背を見つめ、次にはウルベルトやオスカーのことを思い出して零れ出そうになったため息を咄嗟に呑み込んだ。

 そのことを考えただけでも胃がキリキリと痛みを訴えてくる。

 オスカーがウルベルトと契約を交わしてウルベルトの従者になったことを報告した時は、民兵について報告した時以上にレメディオスは表情を歪めて荒れに荒れまくった。

 まぁ、彼女にしてみればオスカーは聖騎士にあるまじき罪人であるため、怒り狂うのは当然だろう。自分とて、罪人であるないに拘らず、聖騎士が悪魔であるウルベルトと契約して従者となること自体が信じられず、また信じたくなかった。

 しかしそれでもグスターボが最終的に認めたのは、少しでもウルベルトに貸しを作り、ウルベルトよりも優位に立つためだった。

 ウルベルトの影響力は末恐ろしいものがあった。

 当初、グスターボはウルベルトが聖王国に来るにあたり、聖王国に与える影響力に関してはそれほど危険視してはいなかった。どちらかというと、悪魔であるウルベルトを嫌悪し、その矛先がウルベルトを招いた自分たちにまで向けられる可能性の方を心配していたのだ。

 しかし、実際に彼が聖王国に来てみれば、どうだろうか……!

 最初は確かに誰もが忌諱し、嫌悪や憎悪の表情を浮かべる者さえいた。

 だというのに、気が付けば一人の聖騎士と神官がウルベルトの指揮下に入ることを望み、他の聖騎士や神官たちも彼の強すぎる力や深い叡智に重きを置き始め、実際に虐げられてきたはずの民たちですらウルベルトに対して負以外の感情を向けていた。

 彼が強いのはグスターボにも分かる。実際に戦ったところは未だに見たことはないが、伝え聞く実力や彼が召喚した魔獣や悪魔たちを見れば、彼がどれほどの力を持っているのかは嫌でも理解できる。

 しかしグスターボが最も危険視したのは、強力な力でも深い叡智でもなく、悪魔とは思えぬほどの慈悲深さと寛大さ。そして何よりその身から滲み出る王気とも言うべき気品とカリスマ性だった。

 「悪魔であるのに……」という意外性の効果も少なからずあるのだろう。

 しかし非常に頭が痛いことに、ウルベルトのそれらを更に強調してしまっている原因があることをグスターボは気が付いていた。

 それは全聖騎士の頂点である団長であり、解放軍の長でもあるレメディオス・カストディオの存在。

 今や現段階の聖王国の頂点とも言うべき彼女は、残念なことに全てにおいてウルベルトに劣ってしまっていた。

 力は勿論の事、先ほど上げていた慈悲深さも寛大さも、上に立つ者としての威厳もカリスマ性も、全て……。

 レメディオス・カストディオという存在は、力は勿論の事、戦闘センスがずば抜けて高いことが知られている。加えて彼女はその地位に反して偉ぶったところがなく、深く物事を考えずに感情のままに言葉を発してしまう所は相手によっては馬鹿と捉える者もいたが、しかし同時に裏表がないと親しみとして捉える者もまた多くいたのだ。だからこそ彼女の評判も信頼も聖王国の中では決して悪くはなく、逆に高い分類に入っていた。

 しかしヤルダバオトが現れて聖王女や彼女の妹が行方知れずとなってからは全てが悪い方向へと向かっていってしまった。考えなしの発言は愚か者だと思われるだけのものになり、感情に素直な言動は狭量だと判断された。

 ウルベルトとレメディオスが同じ空間にいるだけで、ウルベルトの度量や寛大さが彼女の言動によって周りに強調されてしまっている。

 これは決して軽視していて良い問題ではなかった。

 このまま彼を御しきれずに思うがまま振る舞われたら、聖王国は……聖王国に生きる者たちの感情は一体どうなってしまうのか……。

 そう考えるとどうしても嫌な予感にゾッとしてしまう。

 だからこそ、少しでもウルベルトの手綱を握るために“貸し”を作って彼の行動を抑制する。

 正直どこまで効果があるのかは分からないが、何もしないよりかはマシだろう。

 グスターボは胃の痛みが増したように感じて鳩尾辺りを撫で摩りながら、ふとオスカーの事について思考を巡らせた。

 正直、レメディオスの判断と行動はグスターボからしてみてもやり過ぎだと思わざるを得ない。

 しかしレメディオスの語ることや目指すものは聖騎士としての理想そのものでもあるため、同じ聖騎士であるグスターボがそれを否定することも、また決してできなかった。

 恐らく部下である他の聖騎士たちも自分と同じだろう。加えて彼らの場合、レメディオスは絶対に従うべき上官でもある。亜人や悪魔たちと争っている戦時中において、上官に逆らって輪を乱すなど愚の骨頂なのだ。

 オスカーの事を思えば気の毒としか言いようがないが、こればかりは副団長であるグスターボにもどうすることもできなかった。

 今はせめて、せっかく助かった命を無駄にしてほしくないと、何とも自分勝手に願うことしかできなかった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 薄暗い闇の中で、多くの人間の集団がゾロゾロと歩を進める。

 周りには自分と同じように痩せ細り生気が抜け落ちた表情を浮かべた者たちがよろよろと機械的に足を交互に動かしている。ここからでは見えないが、遥か前方には自分たちを率いている聖王国の聖騎士たちが自分たちと同じように前進しているはずだ。

 未だ夜も明けぬ早朝。

 陽の光に白けるどころか星の煌めきすら未だ薄っすらと見える頭上の空を見上げ、民兵である男……ノズマはギョロッとした目を小さく細めさせていた。

 ずっと薄闇の中にいたせいか、未だに太陽の明るい光は慣れない。今のような夜に輝く月や星の光が丁度良いと感じてしまう自分にノズマは思わずギリッと小さく歯を軋ませた。

 

 ……あれからどのくらいの時間が経ったのか……――

 

 亜人や悪魔たちの襲撃にあい、捕虜となった時から幾度となく思った言葉を再び胸の中で呟く。

 漸く捕虜の身から解放されたというのに、何故か平和は訪れず戦いは続いている。

 すっかり痩せ細ってしまった骨のような両手の指で槍代わりの長い棒きれを握りしめ、言われるがままに新たな戦いへと機械的に足を進めていた。

 

 もう十分だ、もう解放してくれ!

 

 これ以上動きたくなくて、何も考えたくなくて、硬く引き結ばれた唇の奥で心が悲鳴を上げているのを感じる。しかしいくらその言葉を口にしたところで何も変わることなどないと知っているため、ノズマは決して口を開こうとはしなかった。

 空へと向けていた目を元に戻し、続いてチラッと自分の背後へと小さく振り返る。

 後ろには前や横と同じく、多くの民兵が人形か何かのように同じ動作を繰り返してそこにいた。しかしノズマはまるで見えない何かを睨み据えるように目の光を鋭くさせた。

 ここからでは見えないが、自分たちの後ろにいるはずなのだ、あの山羊頭の悪魔が……。

 聖王国を救うために魔導国から来たという悪魔、ウルベルト・アレイン・オードル災華皇(さいかこう)

 最初にその存在を知ったのは他の捕虜収容所から助けられたのだと言う集団から話を聞いた時だった。

 子供たちを大切そうに抱いている母親。

 妻を労わるように肩を抱き叩く男。

 疲れ果てて死んだように眠っている老人に布をかけてやる子供たち。

 彼らは彼女たちは一様にウルベルト・アレイン・オードル災華皇と名乗る悪魔の強さや、彼が語ったという言葉をノズマたちへ話して聞かせてくれた。

 聞けば聞くほど信じられないほどの力。悪魔とは思えぬ思考回路。

 しかしノズマが一番強く感じたのは驚愕でも関心でも感心でもなく、ただドロドロに燃え立つような怒りだった。

 ふざけるな、と思った。

 この国を地獄に変えた悪魔と同じ種族であるくせに、上から目線であることが酷く気に食わなかった。

 それと同時に、何故自分たちの時も助けに来てくれなかったのかという何処か矛盾した怒りも同時に湧き上がってくる。

 だから、だろうか……。

 村で初めてその姿を見て、その金色の片目と目が合った時、悪魔という種族に対する恐怖は一切湧き上がっては来なかった。

 湧き上がって来たのは、話を聞いた時と同様の煮えたぎるような憤怒と憎悪。

 気が付けば、同じ思いを滾らせる仲間たちと共に悪魔へと怒りの丈をぶつけていた。

 災華皇に対して感じている感情は、決して自分一人だけのものではない。同じ捕虜収容所に囚われていた者たちの多く……それこそ全員とも言うべき割合がノズマと同じ感情を抱いていた。

 だから……と言うわけではないが、あの時はノズマは自分自身でも驚くほどに一切の恐怖を感じることなく感情を爆発させていた。

 しかしノズマたちに返されたのは謝罪の言葉でも悪魔らしい嘲りの笑みでも理不尽な怒りでもなく、何処までも確信を突いた辛辣な言葉だった。

 悪魔は自身の過去を語り、こちらの態度を批判すらしてきた。

 “大切な者を救いたかったのなら、何故自分たちで行動しなかったのか”と。

 “弱いと自覚しているのなら、何故強くなる努力をしなかったのか”と……。

 正直に言って胸に鋭く突き刺さるように感じはしたが、それでもノズマは怒りの方が勝っていた。

 ふざけるな……、と思った。

 俺たちのことを何も知らないくせに、知った風に非難してくるのが気に入らなくて腹立たしかった。

 他人事だからそんな偉そうなことが言えるんだという思いが消えなかった。

 “自分も元は搾取される側だったのだ”と、“自分も最初から強かったわけではない”と言われても、まったく信じられなかった。

 悪魔の言葉など信じるに値しないとすら思えた。

 只々……、憎くて悲しくて苦しくて、仕方がなかった……――

 

 

 

 

 

「――……これより戦闘を開始する! 行くぞっ!!」

「「「おおぉっ!!!」

 

「……っ!!」

 

 思考の渦に沈んでいたノズマは、唐突に聞こえてきた声にハッと我に返った。

 反射的に前方へと目を凝らせば漸く白け始めた空を背景に遠くの方に市壁と思われる物が見え、整列を汲んだ聖騎士たちが突撃するのが見てとれた。最前線を務める聖騎士に続き、家の木の壁を盾のように持った民兵が後に続いている。気が付けば目的地である捕虜収容所に着いていたようで、ノズマは途端に大きな恐怖が湧き上がってくるのを感じた。

 一応聖騎士たちからは“民兵たちは戦闘は避けるようにして、もしどうしても戦わなくてはならない場合には複数で一人を相手にして助けが来るまで時間を稼ぐように”と言われている。

 しかし実際に戦闘になれば、そんなに上手くいくはずがないとノズマは理解していた。

 こちらが本気ならばあちらとて本気なのだ。相手が人間よりも基礎能力が高い亜人であれば尚の事、そう上手くいくわけがない。

 ノズマは激しく震え出した両手で必死に木の棒を握りしめて必死に歯を食いしばった。すぐに顎が疲れて痛みを訴えてくるが、そうでもしていなければ歯が打ちあってカチカチと鳴ってしまいそうだった。

 先ほどまではいっそのこと死んで楽になってしまいたいと思っていたというのに、やはり実際に死に直面すると強烈な恐怖が湧き上がってくる。

 

 今すぐにでも逃げ出してしまいたい!

 ここではないどこかに逃げて、何もかも忘れて、蹲ってしまいたい!!

 ほら、今ならまだ逃げられる。

 自分一人逃げても、きっと今なら戦闘の方を優先されて誰も追ってはこないだろう。

 生きたいなら逃げるべきだ。

 踵を返して、今すぐ逃げろ……。

 逃げろ、逃げろ。

 走れ、走れ、走れ走れ走れ走れ走れ走れ走れ走れはしれはしれはしれはしれはしれはしれはしれ………っっ!!

 

 しかしどんなに心の中で急き立てても何故か足は鉛のように動こうとしない。逆にすぐ前の列が動き始めると、まるでそれに引き摺られるようにして足が前へと動き始めた。

 徐々に近づいていく市壁と戦闘の音。

 頭上を多くの天使たちが通り過ぎ、一直線に市壁へと飛んでいく。

 市壁の上には多くのバフォルクが立っており、聖騎士や天使たちに向けて長い槍を何度も繰り出していた。ここからでは見えないが、恐らく門の方でも激しい攻防が繰り広げられているのだろう。石落としから熱湯が降り注ぎ、湯気だけでなく激しい水音までもがこちらにまで聞こえてくる。

 どんどん大きくなってくる喧騒。

 それに比例してどんどん大きく激しくなっていく恐怖と全身の震え。

 思わず持っていた木の棒を落としそうになったその時、まるでそんなノズマを励ますかのように前方から力強い歓声と獣のような悲鳴が聞こえてきた。

 ハッとそちらへと目を凝らせば、遠目からでも門の鉄格子が大きくへしゃげているのが見てとれる。

 恐らく歓声を上げたのは聖騎士たちで、悲鳴のような声を上げたのはバフォルクたちなのだろう。

 思わぬ良い流れにノズマの表情も少しだけ明るくなり、震えも小さくなっていく。

 これならば自分は何もせずとも全てが上手くいって戦闘が終わるかもしれない……。

 そんな甘い考えが頭を過ったその時、次はまるでそんな考えを嘲笑うかのように怒鳴るような声とどよめきがさざ波のように聞こえてきた。

 

「………一体、何なんだ…」

 

 好転してきた感情に水を差されて、ノズマは思わず小さく呟いて一、二歩と歩を進めた。前にいる男や老人たちをかき分けながら門へと近づき、目を凝らして耳を聳てる。

 実は亜人たちの襲撃を受ける前までは狩人として生計を立てていた彼は、普通の者よりも目は良く、聴覚も鋭かった。

 なるべく門へと距離を詰めながらそれらを最大限に利用して何が起こっているのか探ろうとする。

 徐々に門近くの動きが鮮明になっていき、騒めきも大きくなっていく。

 睨むように目を凝らし、耳に意識を集中していくノズマに、唐突に若い女の声が飛んできた。

 

「――……天使たちを後退させてくれ! そうしなければ奴らは子供を殺すつもりだ!」

 

「っ!!」

 

 切迫したような声と言葉の内容に、それを聞いたノズマの思考が真っ白に染まる。

 反射的に門の奥へと目を凝らせば、一頭のバフォルクが人間の幼子を片手に掲げて何事かを喚きたてていた。

 子供が人質に取られていると分かった瞬間、一気に身体中の血の気が引く。思わず聖騎士たちの方に視線を走らせれば、信じられないことに聖騎士たちは一カ所に集まって何事かを話し合っているようだった。

 何をしているんだ…! と燃える様な怒りが湧き上がってくる。

 まるでその感情に突き動かされる様に更に人波をかき分けて聖騎士たちの元まで歩み寄って行けば、彼らの言い争うような声が徐々に鮮明に聞こえてきた。

 

「やはり彼らと交渉すべきだ!」

「団長! あれだけ散々議論したではありませんか! 時間があっても、どれだけ考えても、手はなかった。我々ではあの子供を救うことはできません!」

「もはや犠牲なく戦いに勝利することはできません! 一を切り捨て、多くを救うべきです!」

「それは聖王女陛下の戦いではない! 我々は聖王女陛下の剣だ! この国の全ての民が安らかに生きることを望む聖王女様の!」

「しかし聖王女様は……!!」

 

 子供を救うべきだと主張する一人の女聖騎士と、子供を救うことは無理だと女聖騎士を説得している他の聖騎士たち。

 彼らの口振りからして、恐らくあの女聖騎士がこの解放軍の長であり、聖騎士の頂点と名高いレメディオス・カストディオなのだろう。

 人質や戦いをそっちのけで言い争う聖騎士たちに、ノズマは頭が混乱するようだった。

 子供を救う方法を話し合うどころか聖王女の話へと変わっていくことに混乱が更に増していく。

 

「次なる聖王様はまだお立ちになられていない! であるなら剣を捧げた聖王女様のお考えを守っていくべきではないか! 忠義を誓いながらそれを破ってどうする! 違うか! お前たちは何に剣を捧げた! 何の儀式を経て、聖騎士として認められたんだ! この騎士団は誰に仕えていると思っている!」

 

 もはや女聖騎士の目には自分の周りに立つ聖騎士の姿しか見えていない。

 彼女は今までの激情が嘘であったかのように、次にはひどく冷めたような底冷えのする表情を浮かべた。

 

「……それとも何だ? 弱き民に幸せを、誰も泣かない国を、という聖王女様の願いが間違っているというのか?」

「間違ってなどおりません! ですが、状況によって……変える必要はあります」

「誰が、だ? 誰が変える? それに聞かせてもらおう。誰一人として死者を出さないということ以上の正義が存在するのか!?」

 

 彼らの討論はまだまだ続いて終わりを見せない。

 ノズマは彼女の彼らの言い分に怒りが再び燃え上がってくるのを感じていた。ノズマからしてみれば彼女たちの言葉の内容は全てが無意味で茶番としか思えなかった。

 何が聖王女だ……。

 何が忠誠だ……!

 何が正義だっ!!

 一般市民でしかないノズマでも、女聖騎士の言う“誰一人として死者を出さない”というのが一番良いことなのは分かっている。いや、これは誰でも分かることだろう。しかしそれと同時に、その考えはあくまでも理想論でしかないことも誰でも分かることだった。多くの犠牲者が出ている現状において、一人の子供が人質に取られている今、そんなことを語ることに何の意味があるというのか。

 本当にそれが正しく、それしか道がないというのなら、さっさとあの子を助けるべきだろう!

 それが出来ないのなら正義なんて糞くらえだ!!

 激情が頭の中で渦巻き響き渡る中、一方で冷めている思考が冷ややかに彼女たちを見つめていた。

 

(………あぁ、あの時(・・・)もこうだったのか……。)

 

 激情の片隅でどこまでも冷めた言葉が零れ落ちる。

 恐らく自分たちが囚われていた捕虜収容所でも今と全く同じことが起こっていたのだろう。

 幼い子供たちがバフォルクたちによってどこかに連れ去られ、人質にされ、聖騎士たちは成す術もなく言葉を並べ、最終的には捕虜の多くが死んでしまった……。

 思考がそこに辿り着いた瞬間、ノズマの心にすっかり忘れていた死への恐怖が再び勢いよく湧き上がってきた。

 

 今の状況がもし、本当に自分たちの時と同じであったのだとしたら……。

 ならばこの捕虜収容所に囚われている人たちに……、今ここにいる自分たちに待っている未来は………。

 

 ノズマの視線が無意識に門の奥へと戻され、未だ幼い子供を人質に何かを喚いているバフォルクを視界に映す。

 生気のない表情でされるがままに掲げられている子供を見た瞬間、ノズマは握り締めていた木の棒を手放して地面へと落としていた。カランッ……と乾いた音が小さく響くも耳に入らず、無意識に自分の背へと手を伸ばす。

 彼の背には手入れもされていないボロボロの弓。

 いつ壊れてもおかしくないそれは、そうであるが故に木の棒以外にも持つことを許された物だった。

 ノズマとて狩人の習慣としてあくまでもお守り代わりとして所持を願い出た物であり、これを武器として使うつもりなど欠片もなかった。しかし気が付けばノズマは背の弓を両手で掴むと、先ほどの戦闘で使われたのだろう地面に突き刺さり転がっていた矢を拾い上げて弓に番えていた。弦をギリギリと引き絞り、矢の先を門の奥のバフォルクと人質へと向ける。

 彼らに狙いを定めながら、ノズマの頭の中では数多の感情や言葉が浮かんでは大きな渦を作り出していた。

 自分には愛する妻がいた。

 可愛く大切で宝物である娘がいた。

 しかし妻は最初の亜人たちの襲撃によって命を落とし、娘は先の捕虜収容所の争いによってバフォルクに連れ去られ、次に見つけた時には物言わぬ無残な姿へと成り果てていた。

 どうして助けてくれなかったのだと今でも怒りを覚える。

 聖騎士がもっと強かったなら、あの悪魔が解放軍と共に行動してくれてさえいれば…と今でも思う。

 しかし悲しいことに、悔しいことに、今この状況で全て分かってしまった。

 あの悪魔が言っていた言葉を理解してしまった。

 『命は決して平等ではない。大切な者の価値を見出すのは君たちでしかなく、それを守るのも君たちでしかありえないのだよ』

 ああ、そうだ。

 全くもってその通りだ……。

 胸糞悪いことに自分は今、あの幼い子供と自分の命を秤にかけて自分の命を選ぼうとしている。

 あの子供から先の捕虜収容所奪還の光景を重ねて、聖騎士たちが最初の時に人質を殺すなりしてバフォルクの意表を突いていたなら自分の娘は助かったのではないかと考えてしまっている。

 分かっている、理解している。

 それでも……っ!

 

 

「――…おいっ、何をしている!?」

 

 ノズマの行動に気が付いて、聖騎士の一人が声を荒げてくる。いや、本当は荒げていなかったのかもしれないが、少なくともノズマにはそう感じた。同時に焦りにも似た感情が湧き上がってきて、弓を持つ手に汗が噴き出し、矢の先も小刻みにブレだす。

 自分の腕では的に正確に当たるかも分からない。もしかしたら矢が外れて更にバフォルクたちを興奮させてしまうかもしれない。

 しかし自分の命を選択してしまった以上、もはやノズマは覚悟を決めるしかなかった。

 弓を持つ手に更に力を込め、少しでもブレないように息を止める。こちらに近づいてくる鉄の足音が集中力を乱してきて焦りばかりが増していく。

 しかしノズマは一層弦を引き絞ると、次には勢いよく矢から手を離した。

 ノズマの手から解放され、一本の矢は勢い良く宙を切り裂く。

 向かうは門の奥。バフォルクと、バフォルクに囚われている幼い子供。

 それらの命を奪わんと突き進んでいく矢は、しかし、途中でピタッとその動きを止めた。

 

 

 

 

 

「………よく覚悟したものだ。私は君のその強さに敬意を示そう」

 

 

「っ!!?」

 

 

 聞こえてきたのはひどく柔らかく優しい声音。

 見開かれた視界に映るのは風にたなびく漆黒と昇り始めた日の光に輝く黄金色の捻じくれた角。グローブ越しにでも分かるほどに細く骨ばった手が掌を上にして軽く挙げられている。

 親指と人差し指と中指が何かを摘まむように折り曲げられており、その三本の指の間にノズマが先ほど放った矢が軽く挟まれていた。

 こちらに背を向けた状態でノズマたちとバフォルクたちの間に割って入ってきた一つの存在。

 勢いよく放たれた矢を摘まんで止めるという信じられない行動をやってのけたのは、最後尾にいる筈のウルベルト・アレイン・オードル災華皇だった。

 ノズマたちだけでなくバフォルク側までもが驚愕に制止する中、ウルベルトは柔らかな微笑を浮かべて矢を放ったノズマを振り返った。ノズマの姿を捉えた瞬間に少し意外そうな表情を浮かべた後、何故かすぐに面白そうな笑みを浮かべて小さく金色の瞳を細めさせる。しかしその目が聖騎士たちへと移された瞬間、穏やかな金色の瞳は一瞬で冷たい光を宿した。

 

「……全く、本来先導すべき者が手を拱いて、本来先導されるべき者が覚悟を決めて行動するとは、一体どういう訳なのかねぇ」

 

 紡がれる声音はどこまでも穏やかながらも誰が聞いても分かるほどに呆れ果てたような響きを宿らせている。

 

「……申し訳ありません、災華皇閣下」

「………全くお恥ずかしい限りです…」

 

 いつの間にいたのか、ウルベルトの傍らに控えるように立つ見覚えのある従者の少女と見覚えのない漆黒の鎧の騎士がそれぞれウルベルトへと頭を下げている。

 ウルベルトは二人をチラッと見ると、次には小さく頭を傾けさせて肩を竦ませた。

 

「まぁ、私が言っても仕方がないことではあるのだがね」

 

 ウルベルトは一つ小さなため息を吐き出すと、手に持っていた矢をポトッと手から零れ落とした。

 次にはフワッと漆黒の身体が舞い上がり、高い上空から自分たちを見下ろしてくる。

 

「聞け、解放軍の諸君! 私はこの戦いにおいて一切手を貸すつもりはなかったが、そこの一人の民兵の勇気と覚悟に敬意を表して、ここからは私が攻め手を務めよう!」

 

 突然の思わぬ言葉と申し出に、誰もが困惑の表情を浮かべる。

 しかし続いて門の方へと振り返るウルベルトに、バフォルクたちは我に返ったようだった。戸惑ったような色は残しながらも注意深くウルベルトを見やり、子供を人質に取っているバフォルクは鋭い牙を剥き出しにして再び吠えたて始める。

 

「おい! なんだ貴様は!」

「何で悪魔があちら側に……?」

「そんなことは今はどうでもいい! 少しでも変な真似をしてみろ! こいつの命はないぞ!!」

 

 ウルベルトに対して恐怖でも感じているのか、今までなかった必死さで喚き散らす。首を掴んでいる手に力がこもり、捕まれている子供は顔を苦痛に歪ませた。

 瞬間、ウルベルトの金色の瞳が怪しい光にゆらりと揺らめく。

 

「……全く一つ覚えのように…、虫唾が走るねぇ。私は何事にも美学があると思っているが、人質を取って力押しするだけの君たちは全くもって美しくない。逆に見苦しいだけだ」

 

 ウルベルトはフンッと小さく鼻を鳴らすと、次には右手をゆっくりと軽く掲げた。顔の横まで掲げた右手がパチンっと高く指を鳴らす。

 瞬間、彼の足元の地面に複数の黒い霧がどこからともなく現れた。

 黒い霧は紫の燐光を時折散らしながら質量のある存在を形作っていく。

 

「「「っ!!」」」

 

 ノズマの周りで複数の息を呑む音が聞こえてくる。いや、ノズマ自身も小さく息を呑んで驚愕に目を見開いていた。

 黒い霧が形作ったのは十二体もの闇色の馬に跨った闇色の騎士。

 その手に持つ巨大な(ランス)も身に纏う全身鎧(フルプレート)も陽の光を一切反射せずに全てを呑み込んでいる。背に流れるボロボロのマントも漆黒で、風に舞い上がる様は悪魔の皮膜の翼のよう。騎士を乗せている馬も漆黒の全身鎧(フルプレート)を纏っており、騎士はスリットから一対の紅の光を、馬は鎧の隙間から三対もの紫の光を覗かせていた。

 

 多くの騎士から……、そして何より上空に浮かぶ漆黒から大きすぎる存在感と力が感じられて、ノズマは知らず圧倒されて魅了された。

 

 

 

 

 

「さてさて、では始めるとしようか……」

 

 

 ポツリと響く、どこか楽し気な声音。

 

 誰の目も届かないところで、漆黒はニヤリと悪魔らしく嗤った。

 

 




ちょっと長すぎるので一度ここで切ってUPさせて頂きます!
続きは次回へ!


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第8話 悪魔の支配者

今回は戦闘回です!
……カッコいいウルベルト様を書けた気がしない…(死)


(………さて、どうしたものかな…。)

 

 ついつい後は俺に任せろ! 的なことを言ってしまったが、これからどうすべきかとウルベルトは無言のままに頭を悩ませていた。

 超位魔法でもぶっ放せれば無駄もなくて簡単なのだが、多くの捕虜たちが同じ場所にいる以上、全てを破壊するような真似はできない。とはいえ、例えば〈時間停止(タイム・ストップ)〉で時間を止めた状態でバフォルクたち一体一体に罠魔法を設置して起動させるという方法も面倒くさくて仕方がなかった。

 ウルベルトは冷静にバフォルクたちを観察しながら、内心で大きなため息をついた。

 正直に言えば、数分ほど前まではこの戦闘に参加するつもりなど欠片もなかったのだ。むしろ子供が人質に取られたと知った時、正義を豪語するレメディオス率いる聖騎士たちは一体どういった行動を起こすのかと高みの見物を決め込むつもりだった。しかし折角近くで見物しようと近づいてみたというのに、待てど暮らせど一向に話は進まず、行動も一向に起こそうとしない。

 これではバフォルクたちが痺れを切らして人質を殺すのではないか……と呆れた目で見ていた、その時……。

 不意に山羊特有の広い視界の端に妙な動きを察知し、ウルベルトはチラッとそちらへと目をやった。

 彼の視界に入ったのは、民兵と思われる一人の男が震える手で弓を構えている姿。ひどく怯えた様子ながらも死に物狂いの形相で弓を引き絞る姿に、ウルベルトは自分の悪魔の部分が愉悦を感じたのと同時に大きな興味を抱いた。

 だから、気まぐれに行動を起こしたのだ。

 民兵の男が以前村で自分に声をかけてきた男だとは後で気が付いたのだが、そこでついつい調子に乗ってあんなことを口走ってしまっていた。

 しかし、口にした以上、無様な姿を見せることなど許されない。自分は魔導国の……延いては大切な友人であるアインズや“アインズ・ウール・ゴウン”の名を背負ってここに立っているのだ!

 心の中でそう自分を奮い立たせると、ウルベルトはチラッと自身の足元の地面へと目を移した。

 視線の先には、先ほど自分が召喚した影の悪魔騎士(シャドウナイトデーモン)が佇んでいる。

 シャドウナイトデーモンとは影の悪魔(シャドウデーモン)の上位亜種のような悪魔で、簡単に言ってしまえば、シャドウデーモンの騎士版のようなモノだ。影に潜むこともできれば、普通の騎馬兵のように突進しての強烈な攻撃もできる。逆に使用できる魔法は少ないのだが、どちらにせよシャドウデーモンと同じく使い勝手の良い存在であることには変わりなかった。

 ウルベルトはバフォルクたちへと視線を戻すと、気付かれないようにゆっくりと右手を開閉させて中指に填められている指輪の存在を確かめた。

 続いて未だ破壊できていない門へと狙いを定めると、特殊技術(スキル)と魔法を同時に発動させた。

 

「〈転移(テレポーテーション)〉」

 

 瞬時にウルベルトの姿が掻き消え、次には狙いを定めた石造りの大きな門の上空へと姿を現す。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)万雷の撃滅(コール・グレーター・サンダー)〉」

 

 いくつもの閃光を束ねたような巨大な豪雷が形作られ、世界を引き裂くような雷鳴と共に垂直に空を切り裂いた。激しい衝撃が地震のように地面を揺さぶり、視界を焼くほどの光が迸る。

 しかし悪魔であるウルベルトにはどれも障害にはなりはしない。

 反射的に身体を強張らせて顔を覆うバフォルクに、ウルベルトは再び〈転移(テレポーテーション)〉の魔法を唱えて門の奥の地上へと移動した。

 子供を人質にしているバフォルクに蹴りを繰り出し、子供の襟首を確保した状態でバフォルクを吹き飛ばす。そのまま仔猫のように片手に子供をぶら下げたまま、最強化した三重の〈魔法の弾(マジック・バレット)〉と〈火球(ファイヤーボール)〉を残りのバフォルクたちへとお見舞いした。

 身体中に風穴を開けて倒れるバフォルクたち。炭と化して崩れ去り、火の海となった地面に黒い後を残すバフォルクだったモノたち。

 上々の滑り出しに内心満足しながらも、しかし時間を無駄にするわけにもいかなかった。

 

「スクード、行け。シャドウナイトデーモンたち、バフォルクどもを殲滅せよ」

 

『はっ』

「「「畏まりました、御方様」」」

 

 影に潜んでいたスクードは詳しく内容を言わずとも意を汲んでどこかへと消え去り、少し離れた場所に佇んでいたシャドウナイトデーモンたちも距離をものともせずにウルベルトの声を捉えて行動を開始する。巨大な雷によって粉砕された門の残骸を越えて我先にとウルベルトの横を通り過ぎて街の中へと駆けていく。

 次々に通り過ぎていく大きな影たちを見送りながら、ウルベルトはぶら下げていた子供を地面に下ろしてチラッと後ろを振り返った。

 こちらに駆けてくる二つの影を捉え、思わず笑みを深めさせる。

 目の前まで駆けてきたのはネイアと漆黒の鎧を身に纏った一人の騎士。

 漆黒の騎士はウルベルトの従者として生まれ変わったオスカー・ウィーグランだった。

 

「さて、私は今からこの都市を制圧しようと思っている。かなり危険だと思うが……、君たちも共に来るかね?」

「勿論です! お供させて頂きます」

「バラハ嬢の言う通りです。それに、俺は閣下の聖騎士ですので」

「ふむ……、ならばあの子(・・・)を呼ぶか。〈使役魔獣・召喚(サモン・コーザティヴ モンスター)魔界の番犬(ガルム)

 

 ウルベルトは再び召喚魔法を唱えると、地獄の魔狼を呼び出した。

 〈使役魔獣・召喚〉の魔法で召喚できる三体の魔獣の内の一体、ガルム。

 赤黒い毛並みを持った狼のようなその魔獣は馬ほどの大きさをしており、人間二人を乗せられる程に屈強な肉体をしていた。太く逞しい首には鎖の首輪が付けられており、赤黒い血に染まった銀色のプレートがユラユラと揺らめいている。口から覗く鋭く大きな牙も相俟って非常に威圧感たっぷりだが、ガルムに乗っていれば少しは安全だろう。

 それに今のウルベルトは素早さ上昇の指輪を装備しているため、普通に彼女たちに〈飛行(フライ)〉をかけてやったとしてもウルベルトに追いつけず置いて行ってしまうのが落ちだった。

 

「君たちはガルムに騎乗したまえ。〈飛行(フライ)〉〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉」

 

 ウルベルトは改めて自身に〈飛行(フライ)〉の魔法をかけ直すと、次に創造魔法で武器を造り出した。

 ウルベルトが造り出したのは身の丈ほどもある巨大な漆黒の大鎌。

 一度確かめるために大きく振るうと、しっくりくる手の感触に満足の笑みを浮かべて次にはマントの中に出現させたアイテムボックスから一つの香水を取り出した。

 赤紫色の怪しい液体が揺らめく香水を素早く全身に振りかけると、すぐにアイテムボックスに収めて行動を開始した。

 先ほどの香水は“闘争の香り”というアイテムで、簡単に言えば香りを付けた対象にヘイトを集めるアイテムである。これを付けていれば周りのバフォルクたちは人質を取るという思考もせずに一直線にウルベルトに向かってくるはずだ。これで少しは被害も少なくなるだろう。

 ウルベルトは地面から一メートルほどしか浮かばず、あくまでも低空飛行で勢いよく街中へと突撃していった。

 ネイアとオスカーを乗せたガルムも強く地を蹴ってウルベルトの後を追いかける。

 “闘争の香り”に誘われてか、奥に進めば進むほど襲いかかってくるバフォルクの群れ。

 しかしウルベルトは時折高度を下げてターンを踏むように地を蹴りながら、まるで舞うように大鎌を振るって大量の鮮血を宙に舞わせた。素早さ上昇の指輪のおかげでウルベルトの動きは素早く、加えて〈飛行(フライ)〉の効果も相俟って縦横無尽に動き回る。バフォルクたちも何とか攻撃しようとするも刃は一つも掠りもせず、ウルベルトの繰り出す刃や魔法によって地面へと頽れていった。

 横に薙ぎ払い、攻撃を避け様にターンを踏んで背後に回って切り伏せ、違うバフォルクを斬り上げながら無詠唱の雷の魔法で遠くのバフォルクの心臓を貫く。

 ネイアやオスカーやガルムもただ後に続くだけでなく、ネイアは“イカロスの翼”で矢を放ち、オスカーとガルムもすれ違い様に刃で切り裂き、牙で噛み砕いていった。

 ウルベルトは一度大きく大鎌を横に振り抜くと、その勢いのままクルッとターンを踏みながら大鎌を持っていない左手を振るって多くの〈火球(ファイヤーボール)〉を撒き散らした。

 

「……ふむ、大分奥まで来たようだ。シャドウナイトデーモンたちも頑張っているようだねぇ」

 

 街の至る所から戦闘の音とバフォルクたちのものと思われる悲鳴が聞こえてくる。

 これなら予想以上に早く終わりそうだ…と内心で安堵の息をつく中、こちらに歩み寄ってきたガルムの背に跨るオスカーが不思議そうな視線を向けてきた。

 

「……閣下は、魔法剣士か何かだったのですか?」

「ん? いや、私は純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)だが?」

「しかし……、閣下は騎士の端くれである俺よりも武器の扱いが上に思えるのですが……」

「ははっ、それはありがとう。実はずっと練習しているのだよ」

「練習、ですか……? 魔法詠唱者(マジックキャスター)である閣下が、武器の……?」

「ああ、そうだとも。魔法だけしか扱えないなんて芸がないだろう?」

 

 ウルベルトの言にネイアとオスカーが同時に驚愕の表情を浮かべる。

 ウルベルトは思わずフフッと小さな笑い声を零すと、持っていた大鎌を一振るいして付着していた血を振るい落とした。

 一瞬で綺麗になった漆黒の刃を見つめながら、ウルベルトはここまでの腕前になるまで師事してくれた守護者たちを思い浮かべて感謝の気持ちを送った。

 

 アインズが戦士として冒険者となり外の世界へと繰り出してすぐ、ウルベルトもそれにつられるようにしてナザリックで前衛としての鍛錬を始めていた。

 ウルベルトは火力を重視した魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)であり、ワールドディザスターの常時発動型特殊技術(パッシブスキル)によってMPの燃費も非常に悪い。新たな力を得ることはウルベルトたち転移者であるナザリック勢全員にとって非常に重要なことではあるのだが、魔法に頼り過ぎない戦闘方法の獲得は一番ウルベルトが獲得すべきものだった。

 いくら魔法職最強であり最大火力が強大だからとはいえ、“隠し玉”の役目を預かる以上、有事の際に魔力がなくなったので役に立ちませんということになっては話にもならない。加えて今回のように殲滅側に味方……とまではいかなくても、殺してはいけない存在が複数いる場合、火力に任せて一気に殲滅することもできないのだ。その場合、一々魔法を発動して各個撃破していては魔力がいくらあっても足りやしない。魔法を使わぬ戦闘方法の獲得は、手札を増やすという意味合いだけでなく、魔力消費を節約するという点でも非常に重要なことだった。

 アインズと違ってナザリックにずっと篭っていたウルベルトには、鍛錬する時間は非常に多くあった。

 アインズはグレートソード二刀流のパワー戦士であったため、ウルベルトはパワーよりもスピードを重視した戦闘スタイルを選択。得物も悪魔らしいという理由から大鎌という何とも扱い辛い武器を選択していた。因みに、その他の武器としては短剣の二刀流や杖なんかも時折練習していたりする。

 一番の師は当然と言うべきか、どんな武器でも使いこなすことのできる武器のスペシャリストのコキュートス。

 二番目が前衛の盾NPCであるアルベド。

 そして三番目は意外なことにパンドラズ・アクターであったりする。

 『腕ノ力ダケデ振ルッテハナリマセン。足ノ踏ン張リト腰ト背筋デ支エ、全身デ振ルエバ威力モ速度モ増シマス』

 コキュートスからは戦士職らしい適切かつ分かり易い指導を受け。

 『ウルベルト様、先ほどの場合は受け止めるよりも避けられた方が宜しいかと……。ウルベルト様は純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)というだけでなく細身でいらっしゃるのですから、速さを重視して避けることに重点を置くべきです』

 アルベドからは主に相手からの攻撃の防ぎ方や隙の突き方を指導され。

 『さっすがはぁ、ウルベルト様っ! そこでもっと腕を振るってマントを舞わせればもっとスタイリッシュになるかとっ!! こうです! ブァワサッ! フワッ! でございます!』

 パンドラズ・アクターからは主に模擬戦からのアドバイスを受けているはずなのだが、何故かアドバイスの内容がより格好いい戦闘中の動きに対してばかりであったりする。

 ウルベルトは個性が出過ぎている三人の指導を思い出して小さな笑みを浮かべると、しかし不思議そうな表情を浮かべているネイアとオスカーに気が付いて誤魔化すように一度ゴホンっと咳払いを零した。

 

「ま、まぁ……一つの事を極めることも大切だが、一つ二つくらいは手札として違う手段も持っておいた方が良いと思うぞ」

 

 まるで忠告のようなウルベルトの言葉に、ネイアは真剣な表情を浮かべて大きく頷いてくる。

 しかしオスカーだけは未だ困惑の表情を浮かべてウルベルトを見つめていた。

 

「閣下は……、何故そこまで力を求めていらっしゃるのでしょうか? 閣下は既に誰の手も届かぬほどに強くていらっしゃると思うのですが……」

「うん? そんなこと……我が友アインズや愛しい我が子やシモベたち、魔導国に属する者たちを守るために決まっているだろう。それに、私よりも強い者がいないと誰が言いきれる? 何かを失いたくないと思うなら、いつも自分よりも強者がいると想定して備えていかなければならないのだよ」

 

 ウルベルトもアインズも、自分たちが最強だと決めつけられるほどおめでたい頭は持ってはいない。

 ユグドラシルでは100レベルプレイヤーなどそこら辺にゴロゴロ転がっていたし、種族や職業での相性やアイテムや装備、世界級(ワールド)アイテムの有無などで戦況はいくらでも変わってしまうのだ。

 何より同ギルド内にいろんな意味で自分よりも強い存在が幾人もいたため、自分は強いなどと死んでも言えるものではなかった。

 

(………いや、別にあいつには完全に負けてねぇし…。確か俺とあいつとのPVP戦歴は大体3割勝ちの3割引き分けの4割負けだったから……、うん、負けてるわけじゃないな、うん、絶対負けてない。)

 

 嫌な男の存在を思い出してしまい、知らず苦々しい表情を浮かべてしまう。

 心の中で何度も自分に言い聞かせる中、不意に繋がった〈伝言(メッセージ)〉の感覚にウルベルトはすぐさま思考を切り替えた。

 

『……どうした、スクード?』

『御取り込み中、失礼いたします。首魁だと思われる亜人を発見致しました』

『ほう……』

 

 スクードからの報告に、自然と小さく目を細めさせる。

 ウルベルトはスクードから詳しい場所を聞くと、スクードには任務の続行を命じてネイアとオスカーへと目を向けた。二人にスクードから聞かされた内容を教え、そこに向かうことを伝える。

 何よりも強さを重視する亜人たちであるが故に、首魁がいる場所は必然的に尤も危険な場所となる。

 しかし二人は少しも迷う様子もなく同行すると宣い、ウルベルトも小さな苦笑を浮かべながらも彼女たちの同行を許可した。

 ガルムが傍にいる以上彼女たちに危害が及ぶことは万が一にもないだろう。

 ウルベルトは軽く地を蹴って宙に浮かび上がると、スクードの言っていた言葉を思い出しながら街の更に奥へと進んでいった。

 バフォルクたちはよほど好き勝手していたのか、街中には多くの血痕や肉片が散らばってひどい悪臭を放っている。その上に更にバフォルクたちの血と肉を撒き散らしながら、ウルベルトは迷うことなく目的の場所へと向かっていった。

 多くのバフォルクたちを地に沈めながら着いた先は大きな広場。

 中央には通常のものよりも大きく逞しい体躯の一頭のバフォルクが堂々と仁王立ちしてこちらを観察するように見つめていた。

 銀色の長い体毛と、捻じ曲がった大きな二本の角。顔や全体的なフォルムは二足歩行の山羊そのものだが、瞳だけはウルベルトとは違って緑色の肉食獣の瞳を持っていた。

 角の先には宝石が散りばめられた黄金のケースのような物が嵌っており、まるで王が頭に乗せる王冠のよう。亀の甲羅のような紋様が刻まれた緑色のブレストプレートと茶色のマント。威風堂々とした立ち姿と身に纏う装飾の数々はそのバフォルクを王者と知らしめていたが、しかしその右手に持つのは王笏ではなく黄色の刀身のバスタードソードで、左手に持つ大きな黄色の宝石が中央に埋め込まれたラージシールドと相まって荒々しい戦士のような雰囲気をも漂わせていた。

 観察するように見られているのを無視しながら、こちらも観察するようにジロジロとバフォルクを見やる。

 この目の前のバフォルクはレベルはどのくらいで、身に纏っている装備品やアイテムたちは一体どういうものなのか……。

 大層な収集家でレア物が大好きなアインズに何か土産になる物はあるだろうか……と全身に視線を走らせる。

 目の前のバフォルクは珍しいことに複数の指輪や首飾りなども身に付けており、ウルベルトとしてもとても興味深く感じられた。

 

「……悪魔か。流石と言うべきか…、よく俺の部族をここまで追い詰めたものだ。何故悪魔が人間の味方をし、我々に牙をむく?」

「ふむ……、最近全く同じ質問ばかりされているような気がするな……。まぁ、良い。私はここから北東にあるアインズ・ウール・ゴウン魔導国の統治者の一人、ウルベルト・アレイン・オードル災華皇(さいかこう)である。一人の悪魔としてではなく、一つの国の統治者として聖王国を救うべくこの場にいるのだよ」

「………理解できんな、悪魔が人間に手を貸すなど…」

「お前が理解できようができまいが事実は変わらん。それで? お前の名は何というのかな?」

 

 小首を傾げて小さな笑みと共に尋ねれば、バフォルクは不穏な雰囲気を漂わせながら小さく目を細めさせた。

 

「……我が名はバザー…、“豪王”バザーだ」

「ふむ、王か。ならばお前を服従させれば残りのバフォルクはどうとでもなるな」

「………王の名に懸けて、ひれ伏すのは一度で十分だ」

 

 バザーが盾と剣を構えて、まるで頭から突撃する山羊のような体勢を取りながら唸るように言ってくる。ウルベルトも無意識に大鎌を軽く構えながら、しかし表情は驚愕に目を見開かせていた。勢いよく突進してくるのをヒラリと躱しながら、ウルベルトはう~む…と少しだけ頭を悩ませた。

 これまで思い至らなかったのだが、今更ながら亜人たちを無暗矢鱈に殲滅して良かったのだろうか……。

 亜人たちは一応魔皇ヤルダバオトの配下であり、ということはある意味デミウルゴスの配下でもあるということだ。ならばデミウルゴスにだって配下として残しておきたいと考えている亜人もいるかもしれない。本当にそんな存在がいたならデミウルゴスならば事前に言ってくるのかもしれないが、一方で『至高の御方ならばこちらが説明するまでもなくお分かりになるはず!』と敢えて言ってこない可能性も否定できなかった。

 

(う~ん……、俺的には生かしても生かさなくてもどっちでも良い感じだが……。念のため聞いておくか。)

 

 ウルベルトはバトンのように大鎌を高速回転させてバザーの猛攻を弾き返しながら、デミウルゴスに向けて〈伝言(メッセージ)〉を放った。

 

『――……これはウルベルト様! 如何なさいましたか!? まさか御身に何か……!!』

『いやいや、落ち着け。何をいきなりはっちゃけてるんだ』

 

 繋げて早々声高に言い募られ、ウルベルトは思わず両手で耳を塞ぎそうになる。

 何とも心配性な悪魔に内心苦笑しながら、ウルベルトはデミウルゴスを落ち着かせて今回〈伝言(メッセージ)〉を繋げた用件を話し始めた。

 〈伝言(メッセージ)〉越しにでも、デミウルゴスがこちらの話を一心に聞いていることが窺える。

 説明後、感嘆した吐息のような音と共に万感の思いを込めたような柔らかな声音が返ってきた。

 

『嗚呼、ウルベルト様……、何と寛大で慈悲深き御言葉。御心遣い、痛み入ります』

『い、いや…、そこまで言われるほどの事でもないんだが……』

『何を仰られます! ウルベルト様のお優しさに感動し、感謝せぬ者などおりません!』

『そ、そうか……。えっと、それで……、話を戻すが、お前は配下として残したい亜人はいないのか? バザーとかいうバフォルクは殺しても問題はないのか?』

『はっ、何も問題はございません。どうぞ、ウルベルト様の御心のままに』

『……そうか、分かった。忙しいのに悪かったな、デミウルゴス』

 

 ウルベルトは労いの言葉と共に〈伝言(メッセージ)〉を切ると、ターンを踏んで勢いよく刃を弾いたと同時にもう一ターンを踏んでバザーの腹部へと回し蹴りをくらわせた。

 いくらレベル差があるとはいえ、純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)の蹴りにどのくらいの威力があるかは分からなかったが、少なくとも吹き飛ばすことはできたようだ。バザーは地面を転がりながらも体勢を立て直して低い唸り声を上げ、ウルベルトは軽く地を蹴って低空飛行で勢いよくバザーへと突撃した。

 両手で持った大鎌を大きく振り上げた瞬間、バザーもまた右手のバスタードソードを構えた。

 

砂塵嵐(サンドストーム)!」

 

 突然バスタードソードから多くの砂塵が舞い上がり、壁となってウルベルトに立ち塞がって視界を塞ぐ。

 ウルベルトは小さく目を細めさせると、次には早い段階で振り上げていた大鎌を振り下ろし、立ち塞がった砂塵の壁を縦一直線に切り裂いた。

 左右に別たれた砂塵の奥から、こちらに迫りくる黄色の刃が現れる。

 しかしウルベルトは一切焦る様子もなく、振り下ろしたことで前屈みとなった体勢そのままに前進した。

 真横ではなく下に向かっての勢いを殺さず、地面に片手をついてスライディングするように地を滑る。尤もウルベルト自身は数十センチ宙に浮いているため実際にスライディングしている訳ではなく、そのためどこまでも滑らかでいて素早い動きでもってバザーの攻撃を掻い潜り背後に回っていた。

 左手を伸ばし、目の前の角を鷲掴む。

 

「ぐっ!?」

 

 バザーもまさか角を掴まれるとは思っていなかったのだろう、踏ん張り切れずに大きく体勢が崩れる。

 そのまま地面に引き倒して首を刈ろうと大鎌を振り下ろし、しかしバザーは倒れながらも何とかバスタードソードを引き寄せてウルベルトの大鎌を受け止めた。ガキンッという鋭い音と共に両者の刃が勢いよく弾かれ、角を掴んでいたウルベルトの手も離れる。

 ウルベルトもバザーも一度互いの得物を引き寄せて体勢を立て直すと、次の攻撃に移るために重心を移して得物を構え直した。

 動いたタイミングは両者ともほぼ同時。

 しかし得物の長さ(リーチ)の差でバザーの方が数秒早かった。

 バザーは素早い身のこなしでバスタードソードを構えると、そのまま刃を槍のように一直線に突きつけた。

 目の前の山羊の顔がまるで肉食獣のような笑みを浮かべ、鋭く凶暴な牙が姿を現す。

 

「〈素気梱封〉! 〈剛腕豪撃〉!」

 

 紡がれたのは聞いたことのない音の羅列。

 一体何が起こるのかと思わず小さく身構える中、言の葉の力は問題なく発動したようで、バザーの動きが更に速くなる。

 しかしウルベルトとて既に攻撃の体勢に入っていたため対処に間に合わぬはずがない。

 ガキンッと再び響く鋭い音。

 バスタードソードの黄色の刃と大鎌の漆黒の刃が激しくかみ合い、ギャリギャリと嫌な音を奏でる。

 このまま力任せに押し切ってやろうか……と考える中、ふと目の前のバザーが驚愕に目を見開いているのに気が付いた。

 

「…ん? どうかしたかね?」

「な、何故武器が壊れない!? 武技を発動させたというのに、何故っ!!」

「ほう、やはりあれは武技だったのか。アインズも言っていたが……何とも興味深い力だ」

 

 ウルベルトは小さく目を細めさせると、次には大鎌に力を込めてバザーの刃を押し返した。

 バザーもそれには逆らわず、ついでに一、二歩後ろへ飛んでウルベルトから距離をとる。

 その顔には先ほどの笑みはなく、どこか警戒するようにウルベルトを見つめていた。

 

「……貴様…、何者だ……」

「おや、先ほど名乗っただろう? ……まぁ、それが聞きたいわけではないのだろうが…。私はウルベルト・アレイン・オードル災華皇。魔法職最強のワールドディザスターであり、全ての魔を統べる悪魔の支配者(オルクス)だ」

 

 堂々と胸を張って言い放つ様は、まさに王者の風格。

 ここにナザリックのシモベたちがいたなら全員が跪いて頭を下げていただろうその姿に、しかしバザーは小さく目を細めさせて唸り声のような音を小さく上げるだけだった。

 

「………全ての魔を統べる、か……。まさか、魔皇ヤルダバオトをも支配できると言うつもりか?」

「無論だとも。私は悪魔の支配者(オルクス)なのだからね」

 

(まぁ、悪魔の支配者(オルクス)以前に、もともとデミウルゴスは俺の被造物でシモベだしな~。)

 

 内心で付け加えながら堂々と言い切るウルベルトに、ネイアとオスカーが畏怖にも似た視線を向けてくる。

 しかしバザーはただ顔を顰めさせるのみ。

 どうも信じてもらえていない様子に、ウルベルトは内心で小首を傾げた。

 

「………知らないというのは、ここまで滑稽なものなのだな……。貴様はヤルダバオトを実際に見たことがないのだろう。だからそんな馬鹿なことが言えるのだ」

「ほう、やけに自信満々だな。何故そこまで言い切れるのかな?」

「……あの方は存在自体が強大だ。そこに立っているだけで絶対者だと感じ取れる。しかし貴様からは何も感じ取れない。俺にさえ手こずるような貴様に、あの方を御せるわけがない」

 

 まるで達観したような、それでいてこちらを嘲るような気味の悪い笑みを浮かべてくる。

 ウルベルトは驚くでも怒るでもなく静かにバザーの笑みを見つめながら、彼の反応の理由はこれだったのか、と内心で納得の声を零していた。

 そして彼と全く同じことを思う。

 正に、“知らないというのは、ここまで滑稽なものなのだな……”と……――

 

 

「……これは失礼した。まずは君に誤解を与えてしまったことを詫びよう」

 

 ウルベルトは大鎌を空気に溶かすように消し去ると、徐に右手に嵌めていたグローブを取り払った。

 短い毛皮に覆われた細く長く骨ばった手指には、全てに光り輝く指輪が填められている。

 人差し指に填められている装飾も何もないただの銀色のリングに手をかけると、そのままゆっくりと指から引き抜いていった。

 

「怯えさせないように填めていたのだが……、これで少しは理解してくれるかね?」

 

 朗らかな声音と共に完全に指から離れたリング。

 ウルベルトの感覚では何も変わっていないように思うが、しかし目の前の光景は劇的に変化した。

 目の前で目玉が飛び出るのではないかと思うほどに目を見開かせて身体を硬直させるバザー。後ろではネイアとオスカーも身体を強張らせているのが気配で分かった。

 ウルベルトが先ほど外した指輪は、アインズも外出の際には装備している、あらゆる探知を防御する指輪。

 自分たちの100レベルとしての強者の気配も消してくれているらしく、アインズに勧められてウルベルトもその指輪を装備していたのだ。

 

「……ふむ、少しは分かってくれたようだねぇ。まぁ、後は……その身で理解する(・・・・・・・・)のが一番かな?」

 

 小首を傾げながら言い終わった瞬間、今までの呑気な姿とは打って変わり、爆発的な速度で一気にバザーとの距離を詰めた。

 未だ驚愕に目を見開く山羊の顔が視界一杯に広がる。

 ウルベルトは未だグローブを嵌めている左手を構えると、グローブの指先に備え付けられている鉤爪のようなナイフをバザーへと振るった。反射的な行動だったのだろう、身体を硬直させながらもバザーは何とかバスタードソードの刀身の腹でウルベルトの攻撃を受け止める。ギンッという甲高い音が鳴り響き、しかしきちんとした体勢で受け止めていなかったがために大きく身体が仰け反る。ウルベルトは立て直す暇を与えないようにバックステップで逃げようとするバザーに蹴りや腰の辺りから伸びる悪魔の手のような布――“慈悲深き御手”を繰り出し、その間に右手のグローブを嵌め直した。

 

 

「ぐおおぉぉおぉぉぉぉおぉおぉぉぉおぉおおぉぉおっっ!!!」

 

 不意に雄叫びのような声が鼓膜を震わせ、街の奥から新手の複数のバフォルクがこちらに突進してくる。

 シャドウナイトデーモンたちから逃げて来たのか、はたまた“闘争の香り”に誘われてきたのか。どちらにせよ、ウルベルトにとって彼らの存在は鬱陶しく、また何の障害にもならないものだった。

 ウルベルトは再び漆黒の大鎌を造り出すと、両手で持って身体ごと大きく横薙ぎに振り抜いた。瞬間、こちらに飛び掛かって来ていた三体のバフォルクが刃に絡め取られて勢いよく吹き飛ばされる。

 この場にいる残りのバフォルクはバザーを合わせて四体。

 

「お前らっ、こいつを殺せっ!!」

 

 悲鳴のような声音で叫ばれたバザーの言葉。

 それは果たしてウルベルトに対する恐怖故か、それとも体勢を立て直すための時間稼ぎのためか。しかしどちらにせよ、それを許すわけがない。

 バザーと交代するようにこちらに突進してきた三体のバフォルク。

 ウルベルトは大鎌を大きく振り上げると、一番近くまで接近していたバフォルク目がけて勢いよく投擲した。縦に高速回転しながら飛ぶ大鎌は深々とバフォルクの胸を突き刺して背中にまで血を噴き出させる。

 一体のバフォルクが倒れ、しかしまだ二体が残っている。

 ウルベルトは右掌を窄ませて指先のナイフを全て一つに纏めながら、“慈悲深き御手”を操って一体のバフォルクの頭を掴んでそのまま握り潰した。まるで熟れたトマトのように呆気なく潰れて血飛沫を上げるのも目に留めず、最後まで残ったバフォルクの心臓目がけて右手を勢い良く突き出した。集まって一つの大きな刃と化した五つのナイフがバフォルクの皮膚を切り裂き、筋肉に穴を開けて骨の間を潜り、奥で脈打つ心臓を捉える。ウルベルトは手首まで右手を埋め込ませると、次にはまるで投げ捨てるように事切れた肉塊から右手を引き抜いた。

 ここまでかかった時間は僅か五秒弱。

 ウルベルトは今までの勢いを全く殺すことなく尚もバザーの元へと突進していった。

 三体のバフォルクたちの命と引き換えに何とか稼いだ僅かな時間でバザーはある程度は体勢を立て直している。しかし目の当たりにしたウルベルトの力に見るからに腰が引けており、まるで恐怖に怯える子供の様に全身を震わせていた。

 

「まっ、待て! 降参だ! 降参する!!」

 

 血に濡れた五本の刃がバザーの目前に迫った瞬間、まるで泣き叫ぶように降伏の言葉が紡がれる。

 ウルベルトは咄嗟に足にブレーキをかけると、今まさにバザーの眉間を貫こうとしていた刃も数ミリ前でピタッと止まった。

 何処までも冷めた横長の瞳孔を持つ金色の瞳と、怯えを孕んだ獣の緑色の瞳が真っ直ぐにかち合う。

 

「お、俺はヤルダバオトの軍勢に関しての情報を持っているぞ! な? 非常に役に立つはずだ。絶対に、役立つぞっ!」

「……………………」

「そ、それにっ! 俺は人間などよりも遥かに強い。俺に部族の者たちを付けてくれれば、ヤルダバオト……ヤルダバオトの糞野郎(・・・)との戦いにおいて先陣を切ることを約束する! こ、これでどうだ?」

 

 ウルベルトの無言が恐ろしいのか、矢継ぎ早に次々と自分の存在価値について語っていく。最初は良くここまで口が回るものだ、と思っていたのだが、ある一つの言葉が耳に入った瞬間、ウルベルトはピクッとその細長い耳を反応させた。

 それを好機だとでも思ったのか、バザーの表情が見るからに明るくなり、畳みかけるように再び口を開く。

 

「な? どうだ? 俺は役に立つだろう? 命を助けてくれるのなら、俺はお前のために……い、いや、あなた様のために働こう!」

 

 必至過ぎてもはやバザーの目にはウルベルトが正確に映ってはいないのだろう。

 さもなくば、自分に向けられている金色の瞳に冷ややかな光が宿っていることに気が付いたはずなのだから……。

 

 

「………それは、とても魅力的な提案だ」

「そ、そうだろう! だから……!!」

「だが、君のような不忠者を配下にしたとなればコキュートスに怒られてしまいそうだ。……それに」

 

 一度言葉を切り、ウルベルトが小さく目を細めさせる。

 凍てつくような光が金色の瞳に宿り、そこで初めて気が付いたようにバザーが引き攣ったような悲鳴を小さく上げた。

 

「偽りとはいえ、お前はあの子(・・・)のシモベだったというのに……あまりにも相応しくない。不愉快だ」

 

 ウルベルトはネイアとオスカーには聞こえないように……バザーにだけ聞こえるように小さな声で呟くと、逃げを打つバザーを逃がさずに死の言葉を紡いだ。

 

「〈獄炎(ヘルフレイム)〉」

 

 ウルベルトの指先から生まれた黒い炎の欠片が宙を舞い、バザーに触れた瞬間、まるで燃え立つように全身を一瞬で覆い尽くした。

 

「ぎゃああぁぁああぁぁあぁぁあぁぁぁぁああぁっっ!!!」

 

 身の毛がよだつほどの絶叫を上げながら、バザーは何とか炎を振り払おうと両腕を振り回し、地面を転げまわる。しかしそんなことで逃げられるはずがない。地獄の炎に焼き尽くされ、数十秒後には、いつの間にか絶叫も途絶えて黒い塊が力なく地面に転がるのみとなっていた。

 燃え盛っていた黒炎は徐々に静かに消え失せ、残されたのは炭の塊。

 微かな風にさえパラパラと舞って崩れていくソレに、ウルベルトは無感情の瞳で見下ろし、ただ気怠さそうに小さく肩を竦ませるだけだった。

 

 




*今回のウルベルト様捏造ポイント
・〈重奏狂歌〉;
職業:魔術の神王の特殊技術。三つまでの魔法を同時に詠唱でき、詠唱中に動き回ることも可能。ただし消費するMPは1.5~2倍になる。
・“闘争の香り”;
赤紫色の液体香水。香りを付けた対象にヘイトを集めるアイテム。
・“慈悲深き御手”;
後ろの腰の辺りから垂れ下がっている、両端が悪魔の手のようになっている赤黒い布。(11巻キャラクター紹介のイラスト参照)ワールド・ディザスター専用装備アイテム。本来は防御と、攻撃した相手のMPを奪う能力(攻撃力は皆無)だが、ウルベルトが更に手を加えたため攻撃ができるようになり、MPほどではないもののHPも吸い取れるようになった。何とも名に相応しくない、まったく慈悲深くないえげつないアイテム。
・影の悪魔騎士《シャドウナイトデーモン》;
影の悪魔の上位亜種。影の悪魔の騎士版。漆黒の全身鎧とボロボロのマントを身に纏い、漆黒の巨大な槍を持っている。跨る騎馬も漆黒の全身鎧を纏った闇色の馬。騎士は兜のスリットから一対の紅の光を、馬は鎧の隙間から三対もの紫の光を覗かせている。影に潜むこともできれば、普通の騎馬兵のように突進しての強烈な攻撃もできる。逆に使用できる魔法は少ないが、影の悪魔同様使い勝手は良い。
・魔界の番犬《ガルム》;
〈使役魔獣・召喚〉によって召喚される使役魔獣。レベル90台。赤黒い毛並みを持った狼のような魔獣。馬ほどもある屈強な身体は威圧感があり、鋭い犬歯が口からはみ出して長く伸びている。鎖の首輪から下げられている銀色のプレートは赤黒い血に濡れており、まるで錆びのようにこびり付いている。


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第9話 狂いだす歯車

今回はいっぱい視点が変わります!
その数……何と四つ……(汗)
読み辛くなってしまっていたら申し訳ありません……(土下座)


 小さく肩を竦ませる動作をする黒い背中を見つめながら、ネイアは未だ息苦しい胸で必死に呼吸を繰り返していた。

 正に圧倒的な光景だった。

 ウルベルトが相手にしていた豪王バザーは名の知れた亜人であり、聖王国最強と謳われるレメディオスと同格とされる亜人でもあった。そんな存在を、ウルベルトはまるで赤子の腕を捻るかのように容易く倒してしまったのだ。

 加えて今でも感じられる圧倒的な存在感。

 彼が一つの指輪を外した瞬間、一瞬で世界が死んだのかと錯覚を覚えた。

 空気が死に、呼吸が出来なくなった。

 太陽が消滅し、視界が闇に染まった。

 地面が絶望に震え、立っていることすら困難になった。

 しかしそれは、ある意味間違っていた。

 呼吸が出来なくなったのは、ネイア自身が威圧感に耐え切れず呼吸を忘れてしまったから。

 視界が闇に染まったのは、圧倒的な力に本能的に絶望し、ネイアの視界が見ることを拒絶したから。

 立っていることすら困難になったのは、ネイア自身の両の足が震えていたから。

 勘違いを一つ一つ正していけば一見大したことがないようにも思えるが、しかしそれらの錯覚を他者にもたらすこと自体が信じられないことだった。

 ネイアは一つ大きく生唾を呑み込むと、じっと一心にウルベルトの背を見つめ続けた。

 これがウルベルト・アレイン・オードル災華皇(さいかこう)

 いや、これこそが(・・・・・)と言うべきか……。

 ウルベルトが戦っているところを見るのはこれで二回目になるが、一回目の時も、そして戦っていない普段の時も、今のような恐怖を伴う絶対者の威圧を感じたことはなかった。ウルベルト自身がバザーに語っていたように、自分たちを怯えさせないようにずっとそれらを抑えてくれていたのだろう。

 改めて感じる畏敬の念。そして更に高まる尊敬と強さに対する羨望。まるで世界の全てが彼を“支配する者()”だと認め平伏しているかのような錯覚に陥り、ネイアは身体の震えを止められなかった。

 

 

 

「………さて、戦闘は終わった。そろそろ解放軍を呼びに行こうか」

 

 不意に聞こえてきた柔らかな声。

 知らず自身の思考に沈んでいたネイアは、ハッと我に返ったと同時に気が付けばその場に跪いて深々と頭を垂れていた。横でも同じような気配を感じ、恐らくオスカーも自分と全く同じなのだろうと理解する。いつの間にかこちらを振り返って柔らかな笑みを浮かべるウルベルトには、それだけの迫力と壮大さがあったのだ。

 しかしウルベルト自身は、どうやら怖がらせたと勘違いしたようで、ピタッと動きを止めたと同時に少し慌てた様子で血濡れたグローブを外して再び指輪を填め始めた。

 

「……ああ、すまない。これで大丈夫かな?」

「……あっ、は、はい! お気遣い下さり、ありがとうございます!」

「それでは早く立ちたまえ。解放軍を呼びに行くとしよう」

 

 ウルベルトに促され、ネイアとオスカーは慌てて立ち上がる。

 こちらに背を向けて、行きとは違い、ゆっくりと歩を進める山羊頭の悪魔。

 ネイアはバザーだった黒い煤やアイテムなどが転がっている地面に伏せている魔界の番犬(ガルム)を振り返るも、すぐにウルベルトへと視線を戻して追いかけるために勢いよく足を踏み出した。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 ネイアとオスカーを連れて門へと戻ったウルベルトは、大人しく待っていた解放軍へと声をかけて中に入るように促した。彼らは最初こそ少し半信半疑のような表情を浮かべていたが、しかし数秒後には聖騎士を先頭に次々と街の中へと入って行く。

 ウルベルトは彼らの多くの背を見送りながら、内心では安堵の息をついていた。

 最初はどう対処しようかと頭を悩ませたが、何とかうまくいって一安心だ。影の悪魔騎士(シャドウナイトデーモン)たちも上手くやってくれたようで、この戦闘で死んだ人間はゼロ。重軽傷者も少数であるとスクードから〈伝言(メッセージ)〉で報告を受けていた。

 これで少しは自分たちへの評価が上がれば良いのだが……と思考を巡らせ、しかしここで更に駄目押しをすることにした。

 ウルベルトは徐に踵を返すと、ネイアとオスカーを引き連れてバザーと戦闘を行った広場まで引き返した。

 そこには既に解放されて消耗しきった聖王国の民たちが、血に濡れた地面にも構わず頽れるように座り込んでいた。広場の隅には未だガルムが目を閉じて伏せており、そこだけが人っ子一人おらず不自然な空間が出来上がっていた。

 広場に足を踏み入れたウルベルトの存在に気が付いて、聖王国の民たちが次々と視線を向けてくる。悲鳴こそ上げなかったものの見るからに恐怖の表情を浮かべる彼らに、しかしウルベルトは一切気にすることなく足を踏み出していった。

 まるで波が引くように腰を下ろした状態で這うように後退って道を開ける人間たち。

 ウルベルトは自然とできる道を進んで未だ地面に伏せているガルムの元へと向かうと、次には召喚魔法を唱えて複数の悪魔を出現させた。

 周囲から大きなざわめきと小さな悲鳴が聞こえてくるが、それも全て無視をする。

 ウルベルトの視線の先には、五体の拷問の悪魔(トーチャー)が一様に跪いて頭を下げていた。

 

「この場で人間たちに治癒魔法をかけて治療せよ。しかし決して無理強いはするな。治癒してほしいと願い出た者のみを治療せよ。……何か不満はあるか?」

「いいえ、一切ございません。全て召喚主たる御方様の仰せのままに」

 

 念のため最後付け加えるように確認をとれば、ウルベルトの杞憂を拭い去るようにトーチャーは迷いなく答えてくる。

 ウルベルトは一つ頷くと、次には周りで恐々とこちらの様子を窺っている聖王国の民たちへと目を向けた。

 

「聖王国の民たちよ! 私は、お前たちの統治者たちから救援を乞われアインズ・ウール・ゴウン魔導国から来た、ウルベルト・アレイン・オードル災華皇である! この者たちは悪魔だが、私の配下であるため心配は無用だ。この者たちならばお前たちの傷を完璧に癒すことが出来る。……もし苦痛から救われたいのならば、この者たちに治療してもらうがいい」

 

 ウルベルトの言葉に聖王国の民たちの瞳に困惑の色が宿るが、しかし恐怖の色がなくなったわけではない。

 未だなお微動だにしない彼らに、しかしウルベルトはこれ以上何も言わず、また何もしようとはしなかった。

 これ以上無理強いをしては逆効果になりかねない。彼らが自主的に歩み寄ってくることが重要なのだ。

 ウルベルトはなるべく威圧感を与えないように何も気にしていない素振りでガルムの上へと腰を下ろすと、そのまま地面に散らばっていたバザーの装備品やアイテムを調べることにした。ネイアやオスカーには装備品やアイテムを順に拾って持ってきてくれるように頼む。ウルベルトはネイアやオスカーから装備品やアイテムを受け取っては魔法で調べ、それを袖の中に出現させたアイテムボックスにしまうのを繰り返した。

 剣の“砂の射手(サンドシューター)”に盾の“ランザの勲し(ランザズ・メリッツ)”、緑の鎧の“亀の甲羅(タートルシェル)”。角に嵌めていた装飾アイテムである“迷いなき突撃”に“第二の眼の指輪(リング・オブ・セカンドアイ)”と“疾走の指輪(リング・オブ・ラン)”などなどなど。

 ユグドラシル産に比べれば見劣りするのは否めないが、それでも魔法のアイテム自体が高価であるこの世界においては十分に貴重な品だと言えるだろう。こんな物でもアインズの土産の一つくらいにはなるはずだ。

 それにこの角に嵌める形の装飾品は中々に厨二心を擽るものがある。

 良いな~、俺も着けようかな~……と無言のまましげしげと全方向から眺めた。

 しかし“迷いなき突撃”をそのまま自分が着けてはナザリックのシモベたちから『このような粗悪な品など、御方に相応しくありません!』と苦言が来そうでもある。となればナザリックに貯蔵している素材を使って自分で一から作る必要があった。良い素材があったかな~……とナザリックの自室に置いてある保管庫の中身を思い浮かべる。

 しかし不意にこちらに近づいてくる細い影に気が付いて、ウルベルトは思考を中断してそちらへと目を向けた。

 ウルベルトの黄金色の異形の瞳と、茶色の人間の瞳が真っ直ぐにかち合う。

 恐る恐る近づいてきたのは痩せこけたみすぼらしい一人の女で、彼女はウルベルトと目が合った瞬間にビクッと大きく身体を震わせた。

 しかし何かを決意したような表情を浮かべると、再びこちらに歩み寄ってきた。

 

「……あ、あの……わ、私はどうなっても構いません……! ですから……ど、どうかこの子を、助けて下さい……!」

 

 必至な表情と共に差し出されたのは幼い子供。

 歳は四歳か五歳くらいだろうか。赤黒い大きなシミの着いた布を身体中に巻き付けており、意識がないのか女の腕の中でぐったりと脱力している。

 ウルベルトは持っていた“迷いなき突撃”をアイテムボックスへと収めると、ガルムから滑り降りて女の前へと進み出た。

 決意はしてもやはり恐怖は感じるのだろう、女の表情に怯えの色が宿る。しかしここで微笑んでは逆効果になる気がして、ウルベルトは敢えて無表情のままにそっと腕に抱かれた子供へと手を伸ばした。

 グローブを嵌めていない、山羊の短い毛に覆われた黒く鋭い鉤爪と五本の指を備えた異形の手。

 なるべく怖がらせないように、また傷つけないように細心の注意を払いながら、ウルベルトはゆっくりと布に手を掛けて子供の身体を露わにした。

 

「……っ!!」

 

 すぐ隣でこちらの様子を窺っていたネイアから息を呑む音が聞こえてくる。目の前に曝け出された子供の状態はそれだけ酷いものだった。

 痩せ細ったガリガリの身体に大きく走った深い切り傷。まるで手術をしたように鎖骨の中心から臍にかけて一直線に赤黒い線が走っていた。傷口は乱暴に縫われているようだったが未だに血は流れており、所々に膿がこびりついている。

 今息をしているのが不思議と思えるほどに悲惨な状態。

 ウルベルトは暫く静かに子供を見つめると、次には一体のトーチャーを呼び寄せた。反射的に逃げるように後退る女の腕を掴み、半ば強引にトーチャーへと子供を差し出すように引き寄せる。

 トーチャーはウルベルトの意を汲んで子供の身体へと両手を翳した。

 

「〈大治癒(ヒール)〉」

 

 悪魔の恐ろしい声と共に淡い翠色の光が子供の小さな身体を包み込む。

 瞬間、見る見るうちに大きな傷が塞がっていき、最後には傷跡もない綺麗な肌だけが残った。

 目の前で起こった奇跡に、女は驚愕に目を見開かせて愕然とする。子供を抱いている腕を慎重に動かして身体を撫で、傷が完全に癒えていると分かった瞬間、見開かせた目からぽろぽろと涙を流し始めた。

 女は大事そうに子供を抱え直すと、未だ涙を流しながら深々と頭を下げてきた。

 

「……ありがとうございます…! ……ありがとうございます…っ!」

 

 何度も何度も頭を下げる女に、ウルベルトはここで初めて柔らかな笑みを浮かばせた。

 

「そんなに畏まらずとも結構だよ。君たちを助けるのは、先ほども言ったように君たちの統治者たちからの救援要請に応えての延長線上に過ぎない。少なくとも、この戦闘に介入すると決めた以上、最後まで責任を持たなくてはならないからね。私への感謝よりも、子供を助けるために悪魔にすら頭を下げた君自身の勇気を誇ると良い」

 

 ウルベルトの言葉に、女は下げていた頭を勢い良く上げて呆然とこちらを見つめてくる。他の人間たちも呆然とした表情を浮かべており、ウルベルトは小さく肩を竦ませると、踵を返して女から離れていった。

 バザーが残したアイテムの鑑定の続きをしようとガルムの元へと歩み寄り、しかし不意に聞こえてきた声にウルベルトは足を止めてそちらを振り返った。

 

「災華皇閣下! こちらにいらっしゃったのですね!」

 

 どこか弾んだ声と共に駆け寄ってきたのは見覚えのある一人の聖騎士。

 ウルベルトはぱちくりと目を瞬かせ、マジマジと聖騎士を見つめた後に漸く思い出して小さな声を零した。

 

「………あぁ、君は確か……マクラン・ペルティア、だったかな……?」

 

 ウルベルトの確認の言葉に、駆け寄って来た聖騎士――マクランは驚愕の表情を浮かべる。

 彼はウルベルトの言葉通り、オスカーが重傷で寝込んでいた時、ずっと彼が匿われていた物置小屋の扉を守っていた聖騎士だった。

 

「……は、はいっ! 私のような者の名を覚えていて下さるとは、とても光栄です!」

「まぁ、記憶力は良い方だからねぇ……。それよりも、何か私に用事があったのではないのかね?」

 

 小首を傾げながら尋ねるウルベルトに、マクランはハッと我に返ったような表情を浮かべた。

 

「そっ、そうでした! 失礼しました、災華皇閣下! 団長と副団長がお呼びです。ご同行願えますでしょうか?」

 

 慌てて言ってくるマクランに、ウルベルトはふむ……と少しだけ考え込んだ後、チラッと後ろにいるガルムや五体のトーチャーたちを見やった。

 彼らをこの場に置いておいても良いものか……と頭を悩ませ、しかし妙案を思いついて視線をマクランへと戻した。

 

「了解した、今すぐ向かおう。……オスカー、この場はお前に任せる。トーチャーたち、お前たちはこの者の命に従うように」

「「「はっ」」」

「……畏まりました、閣下」

 

 トーチャーたちは全員が跪いて頭を下げ、オスカーも同じように臣下の礼をとる。

 オスカーは聖王国の聖騎士からウルベルトの臣下へと変わったため、未だレメディオスや同僚だった聖騎士たちとは顔を合わせ辛いだろう。その予想は的中したようで、どこかホッとしたような雰囲気を帯びるオスカーに少しだけ笑みを浮かべると、ウルベルトはネイアを引き連れてマクランの後に続いた。

 今回、解放戦の被害が少なかったこともあり、街の中には解放された聖王国の民たちが至る所に溢れている。

 時折悲鳴を上げられたり凝視されたり驚かれたりしながらも、ウルベルトはマクランの案内で大きな建物へと連れてこられた。

 入り口の前に二人の聖騎士が左右に立って守護しており、そこには何故かグスターボの姿もあった。

 

「災華皇閣下! ご足労頂き、ありがとうございます!」

 

 目が合った瞬間、まるで駆けるようにこちらに歩み寄ってくる。彼の表情は今までにない程に明るく輝いているようだった。

 何やら良いことでもあったのかもしれないが、一体何があったのだろうか……。

 内心で小首を傾げるウルベルトに気が付いているのかいないのか、グスターボは変わらぬ明るい表情で小さな笑みすら浮かべていた。

 

「閣下に是非会って頂きたい御方がいるのです! さぁ、どうぞこちらへ」

 

 嬉々として促してくるのにウルベルトは尚も内心で首を傾げてしまう。しかし断る理由もないため、ウルベルトはマクランに礼を言って次はグスターボの後へと続いた。

 二人の聖騎士が守っていた扉を潜り、長い廊下を進んで一つの部屋へと案内される。

 幾つかの質素な木の椅子しか置かれていない殺風景な部屋。室内にはレメディオスと見知らぬ一人の男が向かい合うような形で椅子に腰を下ろしていた。

 二人はウルベルトたちの存在に気が付いたと同時にすぐさま椅子から立ち上がる。

 グスターボは向かい合うウルベルトと男の間に進み出ると、順々に互いを紹介してくれた。

 

「こちらは我が国、聖王家の血を引いておられる王兄、カスポンド様です。カスポンド様、こちらは我が国にお力を貸して下さる、アインズ・ウール・ゴウン魔導国のウルベルト・アレイン・オードル災華皇閣下です」

 

 紹介された男は、痩せ細っているせいか正直に言って気弱で幸薄そうに見えた。

 肩より少し長い金色の髪に蒼色の瞳。この世界の水準で見ても整った顔立ちであり、威厳や気品も感じられなくはない。しかしどうにも争いを好まなさそうな雰囲気が目立ち、どこか頼りなさそうな印象を受けた。

 マジマジと見つめながら内心でそんなことを考えているウルベルトに気が付かず、カスポンドは柔らかな笑みを浮かべて一歩前へと進み出てきた。

 

「話はカストディオ団長やモンタニェス副団長より聞いています。誠に感謝の言葉もありません。お初にお目にかかります、カスポンド・ベサーレスと申します」

「……こちらこそ申し遅れた。アインズ・ウール・ゴウン魔導国の支配者が一人、ウルベルト・アレイン・オードル災華皇という」

 

 そこで言葉を切り、カスポンドやグスターボやレメディオスの反応を窺う。

 正直、ここからどう動いていいものか分からなかった。

 

(……こっからどうしたら良いんだよ。普通椅子とか勧めるんじゃないのか? なんで何も言わないんだ……。あれか? 握手でもすれば良いのか?)

 

 内心汗をダラダラと流しながら、この場にいる全員の様子を窺いながら恐る恐る手を差し出す。一拍後、カスポンドも手を握り返してくれてウルベルトは内心で大いに安堵の息を吐き出した。

 そのまま椅子を勧められ、カスポンドとレメディオスとグスターボと向き合う形で椅子に腰かける。

 まずは前置き代わりに労いと感謝の言葉をそれぞれ交わすと、次には早速とばかりに本題へと入っていった。

 カスポンドによって話されたのは大きく分けて二つ。

 この都市でどういったことが行われてきたのか。そして今後取ろうと考えている大まかな行動方針についてだった。

 彼の話によると、どうやらここはただの捕虜収容所なのではなく、悪魔たちの実験施設としても使われていたらしい。彼自身もここまで逃れてきたは良いものの、結局は悪魔たちに見つかって捕まり、それからはずっとこの都市で拷問を受けていたのだと言う。

 悪魔の拷問内容や実験内容は様々。しかし、どうやら人体に関するものが殆どであったようだった。

 例えば、腕を切り落とした後に他の生物の腕を神経まできちんと繋げてくっつけた場合、その腕はちゃんと機能するのか。

 例えば、傷は与えずに痛みだけを与え続けた場合、人間はどこまで耐えることが出来るのか。

 例えば、複数の手足や感覚器官をくっつけて神経も繋げた場合、それらはきちんと機能し、操ることはできるのか。

 例えば、例えば、例えば、例えば、例えば………――

 悪魔たちの探究心とも言うべき思考と重ねられる実験には終わりが見えず、その実験内容や結果が書かれた書類や実験の被害者たちもこの都市に溢れ返っている。尤も、件の書類はレメディオスやグスターボたちには読み解けぬ言語で書かれており、実験内容や結果が書かれたものだと判断したのは、書類が置かれていた部屋の状況などから推測しただけではあるのだが……。

 

「そういえば……、閣下に一つお伺いしたいのですが……」

「うん? なんだね?」

「実は、悪魔たちの中に捕虜たちの皮膚を剥ぎ取るモノが複数いたと民たちから聴取したのです。今まで解放した二つの捕虜収容所でも同じ情報を入手しておりまして……。これについて、災華皇閣下は何かご存知でしょうか? 例えば、悪魔特有の儀式の材料であるとか……」

「……………………」

 

 表情を翳らせながら問いかけてくるグスターボに、ウルベルトは考える素振りを見せながらも内心ではダラダラと冷や汗を流していた。

 もしかしなくても、これは間違いなくデミウルゴスの指示だ。加えて述べるのであれば、それは悪魔特有の儀式の素材でも拷問のためでも実験のためでもなく、偏に巻物(スクロール)作製のためだろう。

 ウルベルトは時間を稼ぐために足をゆっくりと組みながら、内心では大いに頭を抱えて思考を働かせた。

 デミウルゴスと彼率いるナザリックの悪魔たちは、魔法を宿す巻物(スクロール)を作製するために、聖王国両脚羊(アベリオンシープ)と名付けた“シープ”の皮を剥ぎ取っては羊皮紙として加工して活用している。アインズはそのシープをキマイラか何かと勘違いしているようだったが、しかしウルベルトはデミウルゴスたちと同じ悪魔であるということもありシープの正体を正確に理解していた。

 聖王国両脚羊(アベリオンシープ)の正体……、それは聖王国(アベリオン)に棲む人間。

 悪魔たちが捕虜となった人間たちの皮膚を剥ぎ取っていたのは、偏に巻物(スクロール)の原材料である羊皮紙を手に入れようとしてのことだろう。

 しかし、これは決して正直に口にしてはならない事柄だった。

 もしここで人間の皮膚が魔法の巻物(スクロール)の羊皮紙に使用されていると知られ、今後魔導国が巻物(スクロール)を国の特産品として世に出回らせた場合、万が一魔導国の巻物(スクロール)の原材料も人間の皮膚だとバレた時、魔皇ヤルダバオトとの繋がりを勘付かれるとも限らない。少なくとも人間の皮膚の使い道を別のものとして認識させ、巻物(スクロール)も世に出回らせないように徹底しなければならないだろう。

 ウルベルトは瞬時に考えを纏めると、まずはこの場を誤魔化すべく漸く閉じていた口を開いた。

 

「……ふむ、私も詳しくは知らないが……。君の言う通り、悪魔の中には生き物の皮膚を剥ぎ取って儀式に使用するモノもいる。今回もそうであるとは限らないが……まぁ、あまり深刻に考える必要はないだろう」

「えっ……、い、いや…しかし……。本当に何らかの儀式を行っているのであれば、危険ではないでしょうか?」

「儀式と言ってもピンからキリまで様々だ。代償が皮膚程度であればそれほど大掛かりなものではないだろう。それよりも……私は、ここに悪魔がいたこと自体が注意すべき点だと思うがね」

「それは……、一体どういう意味でしょうか……?」

 

 困惑の表情を浮かべ、グスターボが恐々と問いかけてくる。

 カスポンドは変わらぬ表情ながらも真剣にこちらを見つめており、レメディオスは警戒しているのか睨むように表情を顰めさせていた。

 

「悪魔の中には人間に変身できるモノや幻術を使うモノもいる。そういったことを見破る方法が君たちにあるのであれば別だが、そういった対処方法がない場合、解放した者たちの中に敵が紛れ込んでいないか注意する必要があるだろう」

「「「……っ!!」」」

 

 どこか淡々とした声音で忠告するウルベルトに、目の前の三人が一様に驚愕の表情を浮かべる。

 しかしカスポンドの目に一瞬問うような光が過ったのを見止めて、ウルベルトは内心で苦笑を浮かべた。

 “彼”からしてみれば、先ほどのウルベルトの忠告は疑問が浮かぶ行動と発言だったのだろう。しかしウルベルトは一応聖王国を救うために来たのだから、少しくらいはヒントを与えてやらねば(・・・・・・・・・・・)礼儀に反するような気がした。

 とはいえ、あまり悠長に構えている訳にもいかないのも事実。

 どこか焦りの色を浮かべるグスターボやレメディオスに気が付いていない振りをして、ウルベルトはさっさと次の話題に移ることにした。

 

「まぁ、人が変わったような者や見知らぬ者がいないか後で調べてみたまえ。……それで、次の話に移るが……南の勢力と合流して全軍で攻め込むと言っていたが、ここには既に大きく膨れ上がった手負いの聖王国の民たちがいる。移動するだけでも大変な困難を伴うだろう。具体的にはどう合流するつもりだね?」

「未だきちんとした考えがあるわけではありませんが……。私と同じように囚われていた貴族が何人かおりましたので、その者たちから詳しい話を聞き、連絡を取る者や方法なども加味しながら作戦を練りたいと考えております」

「……なるほど。まぁ、私はあくまでも魔導国のモノで部外者も同じだ。大まかな行動方針は君たちに任せるとしよう」

 

 ウルベルトはそう言葉を返すと、徐に座っていた椅子から立ち上がった。

 自然な動作で汚れを払うようにマントを払い、未だ椅子に座っているカスポンドへと柔らかな目を向ける。

 

「それでは、私はそろそろ退席させてもらおう。今回の戦闘で少々魔力を使い過ぎた……。魔力の回復のためにも、今日はもう休ませてもらおう」

「それは気が付かず失礼しました。また方針の詳細が決まりましたら報告に伺いましょう」

「気にする必要はないとも。それでは、失礼させてもらう」

 

 椅子から立ち上がり気遣いの言葉と共に見送るカスポンドに、ウルベルトは柔らかな笑みすら浮かべた。

 あぁ、これではいけない……と思うが、どうにも偽れない。

 自分は意外と嘘が苦手かもしれないと内心で反省しながら、ウルベルトはこれ以上失態を犯さないようにネイアを連れて部屋を後にした。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 ……彼の方と離れて、一体どのくらいの時間が経ったのか。

 実際は一日も経っていない短い時間だというのに、ひどく長く感じられる。

 まったく、短慮で愚かで下等過ぎる者たちの相手は、言葉を交わすだけでもひどく疲れるものだ。

 薄汚れてみすぼらしい廊下を歩きながら、彼……カスポンドは内心で大きなため息を吐き出していた。

 しかしこれも大切な務めであり、至高の御方々のためだと思えばこそ疲れなど吹き飛んで活力すら湧いてくる。

 数時間前に別れ、また今から会うことが叶う彼の御方の姿を脳裏に蘇らせ、カスポンドは知らず柔らかな笑みを浮かべていた。

 胸に溢れてくるのは抑えようのない歓喜と興奮と尽きることのない崇拝の念。恐ろしくも美しいその御姿をこの目に映した時、勢い良く湧き上がってきた歓喜を忘れることが出来ない。あの時、もしほんの少しでも気を抜いていれば、衝動のままにその場に傅き、深々と頭を垂れていたことだろう。

 しかし、あの場でそんな行動を取れるはずもなく……。

 礼を失してしまったことに胸が激しく痛み、御方に不快に思われたのではないかと考えただけで全身に震えが走った。

 カスポンドはいつの間にか青白くなっていた表情を厳しく顰めさせると、意を決したように見えてきた目的の扉へと目を向けた。

 扉の前に人影はなく、容易に部屋の主を尋ねることの出来る状態であることが窺える。

 カスポンドは扉の前まで歩み寄ると、思いを込めて丁寧に扉をノックした。それとほぼ同時に室内へと伺いの言葉をかければ、すぐに室内から柔らかな返答と入出許可の言葉が返ってくる。

 カスポンドは胸の中で歓喜と不安に激しくなり始める動悸を感じながら、しかし面には決して出さずにゆっくりとドアノブに手を掛けて丁寧に扉を開いた。

 開かれた扉に従って視界に広がるのは、ここが打ち捨てられた建物の一室だとは思えないほどに豪奢に整えられた室内の光景。そして真正面に向き合うように置かれた寝椅子(カウチ)に優雅に腰かけた山羊頭の悪魔だった。

 カスポンドは室内へと足を踏み入れて扉をしっかりと閉めると、次にはその場に片膝をついて深々と頭を下げた。

 

「ウルベルト様には無礼を働き、誠に申し訳ありませんでした。平にご容赦ください」

「謝る必要はないよ。お前はお前の役目を果たしただけなのだからねぇ。私は無礼だとも思っていないし……、逆に演技が上手くて流石とすら思っていたよ」

「何と慈悲深き、寛大な御言葉……。心より感謝いたします」

 

 思ってもみなかった言葉に歓喜が溢れ、緩みそうになる頬を必死に引き締める。恐れ多さと言葉に表せぬ程の感謝にずっと頭を下げたい心境だったが、しかし頭を上げて立つように言われてしまえば従わないわけにはいかない。

 カスポンドは……――ローブル聖王国の王兄であるカスポンド・ベサーレスに姿を偽っていたドッペルゲンガーは、悪魔が命じるがままに頭を上げて立ち上がりながら、その姿を本来の卵頭へと戻していた。

 空洞のような穴となっている目と口。まるで尺取虫のように細長い三本の指。

 本来の異形の姿に完全に戻ったドッペルゲンガーは改めて立ったままの状態で軽く頭を下げると、次には最終的に決定した解放軍での行動方針とデミウルゴス率いるヤルダバオトの悪魔・亜人連合の動きをそれぞれ手短に報告していった。

 まず解放軍の最終的な行動方針は南の勢力と合流して総攻撃をかける……と見せかけて、一度ここに亜人たちの軍勢を誘い込み、ウルベルトの力を利用して亜人たちの勢力をできるだけ削るというものだった。また、デミウルゴス率いるヤルダバオトの悪魔・亜人連合はこの都市を襲撃し、解放軍の約八割を殲滅する予定となっている。

 ウルベルトは静かにドッペルゲンガーの報告に耳を傾けて一つ頷いた後、次にはじっとこちらを見つめてきた。何か考え込むように……、それでいて何か言いたげに見つめてくる黄金の瞳に、ドッペルゲンガーは思わず小さく首を傾げていた。

 

「……如何なさいましたか、ウルベルト様?」

「いや……。悪魔の中には人間に変身したり幻術を使うモノもいると忠告したのだが、あれから誰もお前を疑う者はいなかったのか?」

「はっ。解放した聖王国の民については調べているようですが、私や解放した貴族たちに対しては、調べの手は伸ばしていないようです」

「何とも手ぬるいことだ。わざわざ忠告してやったというのに、愚かにもほどがある」

 

 崇拝する主からの言葉に、ドッペルゲンガーは真剣な表情を浮かべながら同意するために頷いた。

 ウルベルトの言う通り、これがもしナザリックであったならば至高の主たちは徹底して調べたことだろう。いや、主たちが行う前に忠誠心厚い守護者たちが率先して徹底的に動いた筈だ。対象が誰だろうと構わない。少しでも疑いの範囲に含まれているのであれば徹底的に調べ、完全に安全だと分からなければ問答無用で処分することも厭わない。

 

 

「……そういえば、ウルベルト様の命に従ってこの場に捕らえていた豚鬼(オーク)たちですが、彼らはレメディオス・カストディオの判断と命により聖騎士たちの手によって全てが排除されたようです」

「………なるほど。見た目が人間の王族や貴族であれば疑うことすらしないくせに、相手が人間でなければ問答無用でその命を奪うか……」

 

 ウルベルトの金色の瞳が怪しく細められ、穏やかだった声も低められて冷ややかになる。

 ドッペルゲンガーが口にしたオークたちと言うのは、ヤルダバオトに反抗して囚われていた者たちのことだった。言うなれば人間たちにとっては一切害にはならない存在であり、同じ立場ともいえる存在ですらある。しかし、にも関わらず、彼らは問答無用で殲滅されてしまった。

 実は彼らは聖王国側の反応を調べるために、ウルベルトの命によりわざとこの都市に放置されていた者たちでもあった。

 このことでウルベルトが聖王国に対してどう判断を下すのかは唯のシモベに過ぎないドッペルゲンガーには推測することすらできぬことだったが、それでも少なくとも聖王国側にとっては良いものにはならないだろう。

 ドッペルゲンガーは愚かな聖王国の人間たちに対して内心で嘲りの笑みを浮かべながら、それでいて崇拝する主に対しては柔らかな問いの声をかけた。

 

「それで、ウルベルト様。これから行われる戦闘において、助けなければならぬ人間はどの者でしょうか?」

 

 これから行われる襲撃作戦において八割もの人間を殲滅するとはしたものの、しかし一方でウルベルトが価値ありと判断した存在に関しては必ず生かさなければならない。

 そのために投げかけた問いであるのだが、しかし返ってきた言葉は思わぬものだった。

 

「ああ、それは私の方から直接伝えるから問題ないよ」

「直接……で、ございますか……?」

「それよりも、君には一つ頼みたいことがあるのだけれど……」

 

 思わず首を傾げれば、ウルベルトはにっこりとした笑みを浮かばせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の闇に染まり始めた宵の頃。

 ローブル聖王国に存在する都市の中でも最も高い防御力を誇る城塞都市カリンシャ。

 しかし今は見る影もなく、大きく高く聳え立っていた城壁は大量の瓦礫の山と成り果てていた。

 代わりにあるのは幾つもの大小様々な天幕。形を保っている建物には多くの傷や赤黒い汚れが刻まれている。都市の中央に聳え立つ籠城のためだけに作られた堅牢な城も、今や所々がひび割れて崩れ落ち、まるで廃城のような不気味な佇まいへと姿を変えていた。

 都市の中に蠢くのは人間ではなく、多くの亜人と悪魔の影。いつもは煩く駆け回り騒いでいるのは亜人たちだというのに、今は何故か多くの悪魔たちが煩く騒ぎながら都市中を駆け回っていた。

 魔皇ヤルダバオトの配下の悪魔によって転移魔法でこの都市に連れてこられたヴィジャーは、いつにない悪魔たちの様子に思わず小首を傾げていた。

 しかし、こんなところで時間を浪費している場合ではない。

 ヴィジャーは悪魔たちから視線を外すと、目的地である一際大きな天幕へと足先を向けた。

 天幕の入り口の前には一体の亜人が緊張した面持ちで立っており、ヴィジャーの存在に気が付くと軽く頭を下げて入り口の布を捲り上げてくれる。目の前に広がった入り口に、ヴィジャーは軽く頭を下げて潜るようにして天幕の中へと足を踏み入れた。

 天幕の中には既に五体の亜人が揃っており、奥にある高座に向けて片膝をついていた。

 蛇王(ナーガラージャ)の“七色鱗”ロケシュ。

 魔現人(マーギロス)の“氷炎雷”ナスレネ・ベルト・キュール。

 石喰猿(ストーンイーター)の“白老”ハリシャ・アンカーラ。

 半人半獣(オルトロウス)のヘクトワイゼス・ア・ラーガラー。

 そして、ヴィジャーと同じ獣身四足獣(ゾーオスティア)である“黒鋼”ムゥアー・プラクシャー。

 ここにいるヴィジャーを含め、全員が亜人連合軍の十傑のメンバーである。

 彼らは一軍を率いる者であり、通常はヤルダバオトの命により各捕虜収容所や各戦場に散らばっていたはずだ。このように一カ所に集まることは非常に珍しく、彼らもヴィジャーと同じようにヤルダバオトに呼ばれたのだと推測できた。

 ヴィジャーは近くの空いているスペースに傅くと、一番近くにいたロケシュへと声をかけた。

 

「……おい、あの方はまだ来られていないのか?」

「ヒヒヒ、まだいらっしゃってはおられん。もし既にいらっしゃっていれば、おぬしは唯ではすまんかったじゃろうて」

 

 ヴィジャーの問いに答えたのは、ロケシュではなくハリシャ。

 白く長い頭の毛から覗く口が大きな三日月を描き、ヴィジャーは虎にひどく似た顔を大きく顰めさせてフンッと鼻を鳴らした。

 ヴィジャーとしてはヤルダバオトが自分たちを呼びつけた理由を少しでも知れればと思っての問いだったのだが、奇しくもまるで揚げ足を取るかのように頭が足りない言葉として取られてしまい、不快感が湧き上がってくる。

 しかし幸いなことに、それは長くは続かなかった。

 ヴィジャーが言い返そうと口を開きかけたその時、目の前の高座に突如闇の扉が浮かび上がった。

 楕円形に広がり波打つ漆黒の闇。

 まるで水面に浮かび上がるかのように朱色が姿を現し、ヴィジャーたちはすぐさま口を閉ざして深々と頭を下げた。

 全身に感じられる大きな威圧感とコツコツと言う硬質な音。気配が近づいてくるにつれ、全身が本能的な恐怖に凍り付いていく。しかしヴィジャーは勿論の事、この場にいる誰もが無様に身体を震わせるようなことはしない。傅いて頭を下げ続けながら、唯ひたすらに彼が口を開くのを待った。

 

「……頭を上げなさい」

 

 聞こえてきたのは冷ややかな声音でありながらも耳に心地よい音色。

 言葉に従って顔を上げれば、奇怪な蒼の仮面と民族衣装のような朱色の服を身に纏った悪魔が銀色の尾をゆらりと揺らめかせながら高座に立ってこちらを見下ろしていた。

 仮面によって表情は窺えなかったが、揺れる尾の動きと相俟って、どこか機嫌が良さそうに見える。

 しかし彼の口から出てきたのは予想外のことだった。

 

「バフォルクに管理を任せていた小都市ロイツが人間たちの手によって解放されたと報告が来ました。お前たちは各々の軍を率いてロイツへ向かいなさい」

「「「……っ!!?」」」

 

 小都市とはいえ、都市規模の捕虜収容所が人間たちに奪い返されたとは驚きだ。それも小都市ロイツを管理していたのはヴィジャーたちと同じ亜人連合軍の十傑の一人である“豪王”バザーだったはずだ。彼の小都市が落とされたということは、必然的にバザーも倒されたということになる。

 しかし、そうであるならば何故彼がこんなにも機嫌が良いのかが分からなかった。

 

「軍の総勢は四万、総指揮権はお前に与える。軍を率いてロイツに向かい、布陣しなさい。しかし、私の合図があるまでは決して出撃しないように」

 

 ヤルダバオトが指さしたのは“七色鱗”ロケシュ。

 畏まって頭を下げる蛇王に内心で顔を顰めさせながら、それでいてどうにもヴィジャーは多くの疑問が拭えなかった。

 先ほどのヤルダバオトの機嫌の理由もそうだが、わざわざ自分たちをここに呼んだのも解せない。軍を整えて出撃するにしても、そんなことはシモベの悪魔たちに言伝すれば済むことだ。自分たちをわざわざここに集める理由が分からなかった。

 しかし、その理由はすぐに知らされることとなった。

 

「我々は急遽ローブル聖王国を出て明日の朝まで戻りません。その間に不測の事態が起こらぬように、くれぐれも管理を怠らぬようにしなさい」

「「「……っ!!?」」」

 

 先ほどと同じように……いや、先ほど以上にヴィジャーたちは驚愕の表情を浮かべる。

 ヤルダバオトの言う“我々”とは、ヤルダバオトを含む、彼のシモベである悪魔たち全てを指す。ヤルダバオトのみが聖王国を留守にすることは時折あったが、しかし悪魔たちまでもがいなくなることなど今までなかったことだった。勿論全員がいなくなるわけではないだろうが、それでもヤルダバオトの口振りから殆どの悪魔が聖王国を留守にするのだろう。

 一体、何があったのか……と大きな困惑と疑問が渦を巻く。

 

「それは……、何故かお伺いしても宜しいでしょうか……?」

「お前たちに教えることは何もありません。大人しく我が言葉に従っていなさい」

「そ、それは勿論にございます。……出過ぎた真似をいたしました」

 

 同じ疑問を持ったヘクトワイゼスが恐々問いかけるも、返ってきたのはあまりに端的でいて冷たい声音。

 慌てて頭を下げる半人半獣に、ヤルダバオトは機嫌良さそうに一度銀色の尾を大きく揺らめかせた。

 

「……それでは、そろそろ私はここを出ます。お前たちは行動を開始しなさい」

「「「……はっ……」」」

 

 素っ気ないまでの声音に、それでもヴィジャーたちは深々と頭を下げる。

 一瞬の後に消え去る強大な気配に顔を上げれば、そこには既に朱色の悪魔の姿は何処にもありはしなかった。

 

 




“迷いなき突撃”のみルビが上手くいかないため、断念……。
無念……orz


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第10話 悪魔たちの宴

ウルベルトの服の下(体形など)について捏造しております!
苦手な方はご注意ください!


 聖王国の王兄カスポンドに成りすましているドッペルゲンガーと会話して約二時間後。

 ウルベルトは現在、解放軍が拠点としている聖王国の小都市ロイツでも、魔導国の首都であるエ・ランテルでもなく、何故かナザリック地下大墳墓第九階層にある大浴場(スパリゾートナザリック)の脱衣所にいた。

 今まで身に纏っていた主武装である神器級(ゴッズ)装備は全て脱ぎさり、全てを洗濯用の籠へと放り込む。

 タオルを片手に浴室へと足を踏み入れると、ウルベルトは途端に感じられる湿った温かな空気を大きく吸い込んで深く吐き出した。

 目の前に広がるのは、まさに絶景と言っても遜色ない光景。

 このスパリゾートナザリックは主にギルメンの中でも自然を愛するベルリバーとブルー・プラネットが主軸となって手掛けた場所だ。彼らの努力と拘りが目に見えるようで、ウルベルトは思わず小さな笑みが浮かばせた。自分も人のことは言えないが、思えばギルド“アインズ・ウール・ゴウン”のメンバーは誰もが我が強く凝り性だったことを思い出す。

 ウルベルトはフフッと小さな笑い声を零すと、近くに置いてある桶と風呂椅子を手に取って一番近くのジャングル風呂の洗い場へと歩み寄っていった。

 風呂椅子に腰を下ろし、目に痛いほど真っ黄色な桶を使って湯を頭からかぶる。持ち込んだタオルで石鹸を泡立てると、そのまま全身に擦りつけて更に泡立たせ始めた。

 ウルベルトの身体は全身が山羊の毛で覆われているため、人間だった頃よりも非常に泡立ちが良い。数分後にはウルベルトの全身は見事なふわふわもこもこの泡に包まれていた。

 角の付け根から尻尾の先、二つに割れている蹄の間まで丹念に洗っていく。

 ウルベルトは全身ふわふわもこもこになり過ぎて山羊ではなく羊のようになってしまった自身の身体を見下ろすと、次には桶とシャワーを使って全身の泡を洗い流していった。

 正直に言って、この作業が一番面倒臭い。

 ウルベルトの毛の長さは身体の箇所によってそれぞれ違う。主に頭部と首から胸元、腰から下の部分は長い毛に覆われており、その他の部分は短い毛に覆われている。量や密度はどの部分もあまり変わらないが、若干長い毛の部分の方が多い様な気がした。どちらにせよ、毛の奥まで入り込んだ泡を全て綺麗に洗い流すにはそれなりの労力が必要となる。

 毎度毎度いい加減に辟易させられるものの、かといって疎かにするわけにもいかず、ウルベルトは根気よく毛と毛の間に指を突っ込んで隅々まで泡を流し落としていった。

 

「………ふぅ、これで良いだろう…」

 

 泡を洗い流し始めて数十分後。全身を隈なくチェックして、ウルベルトは漸く自分自身にOKサインを出した。

 一つ大きな息をつき、湯船へと歩み寄って全身を湯の中へと沈める。温かな湯に包まれ、思わず長く緩やかな吐息を吐き出した。

 ウルベルトは何となく掬い上げた湯に自身の顔を映すと、次には湯に揺らめく自身の異形の身体を見下ろした。

 ウルベルトの身体は二足歩行の山羊のような形をしている。

 そもそも人化していない悪魔の形体は主に三つに区分されるのだが、簡単に言うと醜い肥満型タイプと骸骨のようなガリガリの痩せ型タイプ、屈強な筋骨隆々の肉ダルマ型タイプが存在した。

 ウルベルトの体形は、その中ではガリガリの痩せ型タイプに分類される。服から露出している部分は毛が長くボリュームがあるため分かり難いが、服に覆われている部分はアンデッドであるアインズといい勝負ができるほどにガリガリで、毛皮の上からでも骨が浮き出ているのが分かるほどだった。恐らく純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)であることも関係しているのだろうが、この体形でよく飢餓感がないものだと我ながら不思議な心境だった。

 まぁ、悪魔で飢餓感っていうのも、あったらあったで首を傾げていたのだろうけれど……――

 

(……あぁ、でも……モモンガさんに“食べられるところゼロですね”って言われた時はちょっとムカってきたなぁ……。)

 

 一緒に風呂に入った時に冗談で言われた言葉を思い出し、ウルベルトは思わず小さく顔を顰めさせた。

 一度顔に湯をかけて大きな息をつく。それでいて徐に自身の掌を見つめると、次には指先を鼻に近づけてスンッと匂いを嗅いだ。

 感じられるのは爽やかな石鹸と湯の香り。その中に一切血生臭い香りが混じっていないことを確認して、ウルベルトは思わず小さく顔を緩めさせた。

 聖王国に赴いてから今まで、湯に浸かるどころか簡単な身嗜みしかすることが出来なかったため、実はずっと身体の汚れや染みついた血生臭い匂いが気になって仕方がなかったのだ。〈清潔(クリーン)〉の魔法も使えないため、半ば本気でノミやダニの心配までしていた。

 しかしここで漸く人心地付けたと思わず安堵のため息を零す。やはり風呂は偉大だな……と呑気な感想を零し、フフッと小さな笑い声を上げる。

 ウルベルトは暫く温かな湯を楽しんだ後、徐に勢いよく立ち上がった。

 ざばぁっという大きな音と共に湯が波打ち、ウルベルトの全身から大量の水が滴り落ちる。

 ウルベルトは湯船から出ると、脱衣所に戻る前に一度だけ本物の山羊のようにブルッと全身を震わせて水滴を飛ばした。

 普段人の目がある時は悪魔の支配者(オルクス)としての矜持として決してすることはないのだが、これをするとしないとでは、やはり乾く時間や乾き具合が全く違うのだ。

 ウルベルトは未だ水滴を滴らせながらも脱衣所に上がると、大きなタオルとセバスが以前買い込んでくれた熱風を生み出す零位階の巻物(スクロール)を駆使して全身の毛皮を乾かし始めた。

 その際、全身をブラッシングすることも忘れない。

 ウルベルトの毛はいつも艶々サラサラであるためブラッシングをしなかったとしても絡んだり毛玉になったりすることはないのだが、しかしやはりブラッシングをした方がスッキリするため、ウルベルトはなるべく毎日ブラッシングをするようにしていた。

 

「……よし、こんなもんで良いかな…?」

 

 絹のような手触りと艶が増した全身の毛に、思わず会心の笑みを浮かべる。

 ウルベルトはアイテムボックスから装備一式を取り出すと、手際よくそれを身に纏い始めた。

 ダークワイン色の小さな薔薇と羽根飾りが付いた漆黒のシルクハット。右側には黒地に白でウルベルトのエンブレムが描かれた逆三角形の布が垂れ下がっており、帽子を被れば必然的に顔の右半分が隠れる様な仕様になっている。首には純白のクラバットとクリスタルの付いた留め具。胸の下辺りしかない漆黒の上着を金色の留め具で留め、その下には灰色に黒の刺繍が施されたサーコートを身に纏う。腰には金色の鎖をベルトのように巻き付け、漆黒のグローブで手を覆うことも忘れない。最後に足首辺りまである漆黒のペリースを左肩に掛けて金の金属ベルトで固定すれば完成だ。

 質としては遺産級(レガシー)であるためあまり上質とは言えないが、デザインとして中々気に入っている物の一つだった。

 ウルベルトはシルクハットの角度を整えると、満足の笑みを浮かべて外へと続く扉へと足先を向けた。扉を開き、せっかく整えたシルクハットがずれないように気を付けながら頭上に垂れ下がっている暖簾を潜り抜ける。

 整然とした廊下に出れば、いつからそこに待機していたのか、美しい女が一人ドレスの裾を摘まんで深々と頭を垂れていた。

 

「お帰りなさいませ、ウルベルト・アレイン・オードル様。お迎えに参りました」

 

 柔らかな笑みと共に宣うのは、いつもの純白のマーメイドドレスではなく、淡い翡翠色のプリンセスドレスを身に纏ったアルベド。胸元と肩を大胆に露出させ、そこにはいつもの蜘蛛の巣型の物ではなくダイヤが煌めく華奢なネックレスを着けている。

 普段とはまた違った美しさを身に纏うアルベドに、ウルベルトは柔らかな笑みを浮かばせた。

 

「迎えに来てくれてありがとう、アルベド。今日のドレス、とてもよく似合っているよ」

「ありがとうございます、ウルベルト様」

「後でモモンガさんにも見せてみるといいんじゃないかな。いつもと違ったアルベドを見れば、モモンガさんもときめくかもしれないよ」

「そ、そうでしょうかっ!!?」

 

 ウルベルトの言葉に、アルベドが今までの大人しい淑女の仮面をかなぐり捨てて勢いよく身を乗り出してくる。ウルベルトは思わず半ば後退りながら、しかし何とか柔らかな笑みまでは崩さなかった。目の前で肉食獣のように爛々と瞳をギラつかせる美女に、思わず内心で苦笑を浮かべる。

 ウルベルトは剥き出しとなっているアルベドの両肩に手を添えて優しく元の体勢に戻させると、落ち着かせるために軽くポンポンと頭を叩くように撫でてやった。

 

「ほらほら、落ち着け。モモンガさんを振り向かせたいのならまずは冷静になれっていつも言っているだろう?」

「も、申し訳ありません……!」

 

 先ほどの勢いはどこへやら、一気にしゅんっと項垂れるアルベドに、ウルベルトは思わず苦笑を浮かばせた。今度は慰めるために軽く頭を撫でてやりながら、次にはそっとアルベドの淑やかな右手に手を添える。左腕を軽く曲げ、エスコートをするようにアルベドの右手を腕に添えさせた。

 

「そう落ち込まないでくれ、せっかくの美人が台無しだぞ? 後で相談に乗ってやるから、今は私たちに付き合っておくれ」

「はい、ウルベルト様」

 

 アルベドの顔に漸くいつもの落ち着いた笑みが戻る。

 ウルベルトとアルベドは互いに笑みを浮かべ合うと、次には腕を組んだ状態で二人同時に指に填めているリングの力を発動させた。

 一瞬で変わる視界の景色。

 二人が転移した場所は、ナザリック地下大墳墓の灼熱の第七階層だった。

 

「ようこそおいで下さいました、ウルベルト・アレイン・オードル様!」

 

 転移して早々、多くの悪魔たちが歓喜の笑みを浮かべて傅いてくる。

 ウルベルトは柔らかな笑みと共に彼らを立ち上がらせると、そっと周りを見回した。

 ナザリック地下大墳墓の第七階層は、一言で言うと灼熱の世界である。

 黒々とした岩肌と、至る所に流れる紅蓮の輝きを煌めかせる溶岩の川。空気までもが熱によって赤く染まり、まるで地下世界か地獄そのもののようである。そんな赤と黒に彩られた世界の中で、唯一つ異色ともいえる姿を晒している建物があった。

 このエリアの最終拠点である赤熱神殿。

 全体的に白を基調としたその建物は、太く長い白い柱や多くの皹が走った白い壁によって形作られていた。見た目はどこか古代ギリシャの神殿を思わせる美しいもので、しかし今は無残な廃墟と化している。

 しかし、それも当然の事であろう。なんせ、ウルベルト自身がそう造ったのだから。

 絶対なる神々を祀る神聖なる建物が、悪魔たちによって無残に壊され、蹂躙され、占拠された姿。

 美しくも邪悪で、壮大にして恐怖を漂わせる。

 神殿奥中央には少し盛り上がっている小高い大地に白い玉座がある筈だ。

 しかし今この時ばかりは、これらの光景は大きく様変わりしていた。

 小さな溶岩の川の上には簡易的でいて広い橋が幾つも造られており、橋の上や黒い大地には深紅の絨毯が隙間なく敷き詰められている。絨毯の上には幾つもの長方形の長いテーブルが均等に美しく整列し、テーブルの周りには多くの椅子が立ち並ぶ。神殿の中もそれは変わらず、神殿奥中央の玉座もいつもよりも豪華でいて禍々しい物へと置き換えられていた。

 

「ウルベルト様! 良くおいで下さいました!」

 

 様変わりした階層の光景を興味深く見回す中、聞き慣れた美声が鼓膜を震わせ、ウルベルトは反射的にそちらへと振り返った。

 視線を向けた先には満面の笑みを浮かべた最上位悪魔(アーチデビル)

 ヤルダバオトとしての仮面を取り去ったデミウルゴスが嬉々とした笑みを浮かべながらこちらへと歩み寄り、目の前で跪いて深々と頭を下げてきた。

 

「ご足労いただきまして、ありがとうございます! お迎えに上がれず、大変申し訳ございません」

「いや、アルベドが迎えに来てくれたし、構わないよ。お前はこの場を仕切って準備してくれていたのだろう? ありがとう、デミウルゴス」

「何を仰られます! ウルベルト様のお言葉に従うのは当然の事。礼など、この身に余るものでございます」

 

 深々と頭を垂れたまま宣う悪魔に、思わず苦笑を浮かべてしまう。ウルベルトは出そうになったため息を咄嗟に呑み込みながら一つ頷くと、次には未だ跪いているデミウルゴスを半ば強制的に立ち上がらせた。このままでは時間がいくらあっても足りないと判断し、案内してくれるようにすぐさま頼む。どこか恐縮した様子だったデミウルゴスは柔らかな笑みを浮かべると、次には優雅な動作でウルベルトとアルベドを案内し始めた。

 彼が向かっているのは赤熱神殿の奥。

 目の前で上機嫌に揺らめく銀の尾を何とはなしに見つめながら、ふとあることに思い至って傍らに寄り添うアルベドを振り返った。

 

「そういえば……、ここのフィールドエフェクトは切っているが、アルベドは大丈夫か?」

 

 ナザリック地下大墳墓は各階層によっては属性ダメージを与えるフィールドエフェクトが存在し、この第七階層もユグドラシルにあった頃は常時炎ダメージを与えるフィールドエフェクトが起動していた。この世界に転移してからは経費削減という観点からフィールドエフェクトは切られていたが、しかしそれでも階層の性質から炎や熱に弱い生物がこの階層に足を踏み入れれば、それだけで炎や熱のダメージを受けてしまう。

 念のため問題ないか聞けば、アルベドは一瞬キョトンとした表情を浮かべた後、ウルベルトの言わんとしていることに思い至って柔らかな微笑を浮かばせた。

 

「はい、何も問題はございません。お気遣い下さり、ありがとうございます」

「そうか。それなら良かった」

 

 アルベドの返事ににっこりとした笑みを浮かべ、改めてデミウルゴスに従って神殿の奥へと進んでいく。

 やがて目的地に到着したのか、デミウルゴスの歩みが止まった。

 デミウルゴスが勧めてきたのは、通常のものよりも豪奢でいて禍々しい玉座。

 見た目は以前蜥蜴人(リザードマン)の集落を襲撃した際にデミウルゴスがアインズに贈った骨の玉座そのものだったが、しかし何故か色が白ではなく真逆の漆黒。加えて、何やら怪しげな紫色のオーラまで噴き出しており、まるで炎のようにゆらゆらと揺らめいていた。

 

「予てよりウルベルト様に献上すべく造っていたのですが、この度漸く完成いたしました。どうぞお座りください、ウルベルト様」

「そ、そうか。……ありがとう、デミウルゴス」

 

 会心の笑みを浮かべるデミウルゴスに、ウルベルトは思わず小さく顔を引き攣らせる。

 しかしここで下手なことをしてデミウルゴスを刺激してはいけない。

 ウルベルトは何でもないように一言礼を言うと、アルベドから離れて玉座に歩み寄り、そのまま腰を下ろした。

 玉座に宿る紫のオーラがゆらりと揺らめき、しかしそれ以外の変化は見られない。

 ウルベルトはゆっくりと慎重に背もたれに背を預けながら、内心で大きな安堵の息を吐き出した。

 デミウルゴスと同じ悪魔であり厨二病でもあるウルベルトにとって、この玉座はビジュアル的には大いに感銘を受けるものだった。しかしどうにも漂うオーラが怪し過ぎて警戒せずにはいられなかったのだ。

 恐らくアインズに献上した時に座ってもらえなかったため、今回更にバージョンアップさせたのだろう。

 ウルベルトは内心で苦笑を浮かばせながら、未だ傍らに控えるように立っているデミウルゴスとアルベドを見上げた。

 

「それで、お前たちは何処に座るつもりだ?」

「はっ。僭越ながら、ウルベルト様のすぐ御傍に侍らせて頂ければと……」

「ああ、構わないよ。他のモノたちは集まっているのかな?」

「既に全員集まっております。今は御声がかかるまで控えております」

「ならば、全員席に着かせろ。早速始めるとしよう」

「「畏まりました」」

 

 打てば響くような答えに満足に頷き、デミウルゴスとアルベドに先を促す。デミウルゴスとアルベドはほぼ同時に傅いて頭を下げると、次には即座に立ち上がって行動を開始した。

 アルベドは両手を軽く挙げて二拍打ち鳴らし、デミウルゴスはいつも浮かべている笑みを深めさせながら指をパチンっと一つ鳴らす。

 瞬間、アルベドの手の音に導かれるように何処からともなく悪魔の大群が姿を現し、デミウルゴスの指の音に呼応するかのように、長テーブルの上に置かれていた全ての燭台に一瞬で火が灯った。

 悪魔たちは各々長テーブルへと歩み寄ると、次々と椅子に腰を下ろしていく。その中にはウルベルトと共にナザリックへと戻っていたスクードの姿もあった。

 瞬く間に広がる、まるで悪魔たちの大晩餐会のような壮絶な光景。

 席に着いた状態で全員がウルベルトへと目を向け、ウルベルトは柔らかな笑みと共にゆっくりと玉座から立ち上がった。

 視界を埋め尽くす悪魔たちに笑みが深まって仕方がない。

 歓喜と興奮に踊る胸を必死に抑えながら、ウルベルトはこの場にいる全ての存在に聞こえるように声を張り上げた。

 

「皆、よくぞ私の声に応えて集まってくれた。まずはそれについて礼を言おう」

 

 感謝を述べるウルベルトに、この場にいる悪魔たち全員が驚愕や感動や恐縮したような表情を浮かべて小さく場をざわつかせる。

 傍らに控えるデミウルゴスやアルベドも畏まったように小さく頭を垂れる中、しかしウルベルトは軽く手を挙げて小さなざわつきや彼らの戸惑いなどを押しとどめた。

 

「お前たちは疑問に思っていることだろう。何故わざわざお前たち悪魔だけをこの場に呼んだのか。何故、聖王国で大きな作戦を実行している今、その役目を担っているお前たちを呼び寄せたのか……」

 

 静まり返る空間に、ウルベルトの声だけが強く響き渡る。

 彼の言う通り、この場をセッティングしたのはアルベドやデミウルゴス率いる悪魔たちだったが、このような場を設けようと提案したのはウルベルト自身だった。カスポンドに成りすましているドッペルゲンガーに頼んでアルベドやデミウルゴスに自身の要求を伝えさせ、わざわざ聖王国にいた悪魔たちを第七階層へと呼び戻した。

 これがどれほどのリスクを伴うのか、ウルベルトとて理解している。しかしそれでも、ウルベルトは自分の感情を抑えることが出来なかったのだ。

 

「お前たちは聖王国での作戦の内容や目的を、全て理解しているのだろう。そして……、それがナザリックのためになるのならばと、納得してくれているのだろう」

 

 聖王国での作戦には多くの目的が存在するが、その中に“世界征服において、魔導国を聖王国や世界に認めさせる”というものがあった。

 この“魔導国”とは、魔導国そのものの他にも魔導国が保有する力、亜人や悪魔やアンデッドたちの存在、そして何よりアインズやウルベルトたち至高の存在自体も含まれている。そして、その目的を達成させるためには、悪役であるヤルダバオトとヤルダバオト率いる亜人や悪魔たちはウルベルトたち聖王国側の手によって完膚なきまでに打ち破られなければならなかった。

 

「お前たちは私やアインズのためならば嬉々としてその身や命を差し出してくれる。今回の作戦においても、お前たちは一瞬の迷いも未練もなくその身を捧げ、命を落としていくのだろう」

 

 本来ならば、こんな風に感じること自体がおかしいのかもしれない。まるで呪いのようにナザリック自体を愛し執着しているあのアインズでさえ、ギルドメンバーたちが手掛けたNPCでもない唯のシモベに対してはここまで執着してはいない。

 しかしウルベルトはそんな風に割り切ることなどできなかった。

 特に“悪魔”という種族に対しては……。

 

「私は、そんなお前たちの忠義に本当に感謝している。だがそれ故に、心苦しくも思ってしまうのだ。お前たちは私のためにその身を捧げてくれるというのに、私は……死にゆくお前たち全てを看取ってやることが出来ない! その身を捧げるお前たち全員を……せめて私のこの手で葬ってやることさえ出来ないのだ!!」

 

 悲痛さすら感じられるウルベルトの声音に、悪魔たちは言葉もなく感動の涙を流した。

 崇拝し、敬愛する主がまさかここまで自分たちを想ってくれていたとは……。

 このような言葉を賜り、感動しないモノなどいる筈がない。

 デミウルゴスも感動のあまり身体を小刻みに震わせ、アルベドも慈愛のような微笑みの奥に小さな羨望の色を宿らせながら静かにウルベルトの慈悲を贈られる悪魔たちを見つめていた。

 

「これよりお前たちは、聖王国に対して本格的な侵攻を開始し、私と相対することとなる。その際、先ほども述べた様に忠臣たるお前たちを、私は全員看取ることも、我が手で葬ってやることもできないだろう。だからせめて、この場をお前たちへの労いと手向けの代わりにしたい。今夜、私はお前たちと共に過ごそう! 共に食事をし、共に語り合おう!」

 

 何と寛大で慈悲深くお優しい御方なのだろう……。

 この場にいる全ての悪魔が等しくそう思ったことだろう。

 至高の御方にこの身を捧げ、命さえも差し出すことはナザリックに属するシモベたちからすれば当然の事であり、またそうすること自体が大きな喜びでもある。故に、彼らはそれ以上の望みなどなく、また望もうとすらしない。

 しかし、崇拝せし至高の御方は更に自分たちに大いなる慈悲を与えて下さると言うのだ。

 これに勝る喜びがあるだろうか。

 本音を言えば、恐れ多すぎて辞退したくなるような寛大な御言葉に、しかしそれをしては逆に不敬となってしまうこともこの場にいる全ての悪魔たちは理解していた。

 言葉もなく感動に打ち震え、静かに涙を流しながらウルベルトからの言葉に全てを委ねる悪魔たちに、彼らを代表してアルベドがゆっくりと口を開いた。

 

「我らが絶対の支配者にして至高の御方であらせられるウルベルト・アレイン・オードル様。その慈悲深き御心と御言葉は、正に身に余る栄誉そのものでございます。我らシモベ一同、ウルベルト様により一層の忠誠と我らの全てを御身に捧げる所存にございます」

 

 アルベドの言葉に沿うように、この場にいる全ての悪魔が一糸乱れぬ動きで椅子から立ち上がり、その場に跪いて頭を下げる。

 広大な第七階層を埋め尽くすほどの悪魔の群れが全て同じタイミングと速さで傅く光景は、見事でありながらもひどく圧倒的でもある。

 ウルベルトはどこまでも大袈裟な反応に内心では苦笑を浮かべていたが、しかし面では柔らかな笑みを浮かべたまま慇懃に頷くのだった。

 それからはアルベドとデミウルゴスの計らいにより、ウルベルト主催の悪魔たちによる大晩餐会は早々に幕を開けた。

 給仕をするのは第七階層に配置されている邪精やアンデッドたち。仕舞いには溶岩の中で大人しく漂っていたはずの超巨大奈落(アビサル)スライムの紅蓮までもが細く伸ばした触手を使って給仕の手伝いをしている。

 次々と運び込まれる料理と酒に、悪魔たちは無礼にならない程度に言葉を交わし合い、笑い合い、そして何より目の前におわす至高の御方の姿を見つめ、その全てを深い感謝と崇拝と共に魂に刻み付けていった。

 デミウルゴスとアルベドはそれぞれウルベルトの左右の斜め前の席に腰を下ろし、ウルベルトは食事をしながら二人と言葉を交わしていた。

 内容は主にアルベドからの恋愛相談や最近のアインズやナザリックや魔導国の様子。

 ウルベルトは何度も興奮するアルベドを上手く落ち着かせながら相談に乗り、また、デミウルゴスから聞かされる内政などに意見を述べたり穏やかに相槌を打っていった。

 

「……そういえば…、ウルベルト様。先日アインズ様より、ウルベルト様の巨像を造るご許可を頂きました」

「………は……?」

 

 突然投げられた話題に、ウルベルトは思わず呆けたような声を零す。

 しかしアルベドと向き合うような形で座っているデミウルゴスは、深い笑みを浮かべて嬉々とした声を上げた。

 

「それは素晴らしい! ウルベルト様が聖王国の救援としてお姿をお見せになったことで、漸くウルベルト様の巨像も造れるようになったのだね! アルベド、その際のデザインなどは是非とも私にも携わらせて下さい!」

「ええ、勿論よ、デミウルゴス。シモベの中で、貴方ほどウルベルト様のことを理解しているモノはいないでしょうし。アインズ様の巨像と並んでも恥ずかしくないものを造り上げましょう」

「そうですね、アルベド。ウルベルト様の偉大さや素晴らしさを世に知らしめるためにも、素晴らしい巨像を造り上げましょう!」

「………ぇー……」

 

 嬉々として語り合う目の前の悪魔たちに、ウルベルトは小さく抗議の声を上げながら内心で頭を抱えた。

 あぁ……、脳裏に『ウルベルトさんも道連れですよ……』と眼窩の灯りを怪しく光らせているアインズの姿が浮かんでくるようである。

 これも、アインズの巨像を造ろうとシモベたちが言い出して、それに頭を抱えていたアインズを他人事のように笑っていた罰が当たったのだろうか……。

 思わず遠い目になりながら、それでいてウルベルトは何とか話題を逸らそうと頭を捻りながら口を開いた。

 

「そ、そういえば……、今後の聖王国での戦いでは、お前たちよりも先に亜人たちと戦うことになるだろう? 残しておくべき種族や、逆に潰しておくべき種族はいるのか?」

 

 現在、“ヤルダバオト”に従っている亜人は十八種族存在する。

 その中で、軍を構築している種族が十二種類。群れを持たなかったり、一体一体の力がそれなりに強い種族が六種類。そこから更に、ヤルダバオトの力に心酔して従属しているモノと、恐怖によって従属しているモノとに別れていた。

 まず十二種族には蛇身人(スネークマン)鉄鼠人(アーマット)洞下人(ケイブン)藍蛆(ゼルン)刀鎧蟲(ブレイダー)馬人(ホールナー)人蜘蛛(スパイダン)石喰猿(ストーンイーター)半人半獣(オルトロウス)魔現人(マーギロス)翼亜人(プテローポス)、そしてこれまでウルベルトが散々打ち滅ぼしてきた山羊人(バフォルク)がいる。

 残りの六種族には人喰い大鬼(オーガ)土精霊大鬼(プリ・ウン)水精霊大鬼(ヴァ・ウン)蛇王(ナーガラージャ)守護鬼(スプリガン)獣身四足獣(ゾーオスティア)がいた。

 刀鎧蟲や魔現人、蛇王、スプリガン、ゾーオスティアなどは最終的には配下に加えることが出来ればレア好きのアインズも喜ぶかもしれないが、しかしこちらに従順でなければ意味がない。いや、完全に従順でなくても、せめてリザードマンや魔導国に棲む亜人たちとのような関係性が構築できるモノでなければならないだろう。

 デミウルゴスとアルベドに意見を求めれば、二人はそれぞれの種族の特性や、その種族をまとめ上げている首魁の性格までをも考慮して長々とウルベルトに進言していった。

 二人が語る数多くの情報の中には亜人たちのこれまでの生き様や、人間や他の亜人や他の生物たちに対する考え方なども幅広く含まれている。

 ウルベルトはその全てに真剣に耳を傾けながら、思案するように金色の片目を小さく細めさせた。

 彼らの話によると、やはり聖王国と亜人たちによる永きに渡る争いは、唯の生活圏による争いなどではなかったようだった。

 勿論その理由も決してゼロではない。しかし争いの発端は亜人たちに対する人間たちの差別的考え方だった。

 そもそも聖王国は――崇拝する存在は違うものの――スレイン法国と同じ宗教国家である。国としての歴史はスレイン法国の方が圧倒的に長く、建国の際には聖王国は少なからずスレイン法国の影響を受けたことは想像に難くない。

 スレイン法国の影響を受けた、同じように人間至上主義を掲げる宗教国家。

 そんな国が多くの亜人たちに対してどういった行動をとるかなど、考えるまでもないだろう。

 人間と亜人の大きな違いは、一つは圧倒的な数の違いであり、もう一つは亜人は力だけを重視するが、人間は時として力以外のモノを重視して力を合わせることが出来る点だ。

 聖王国の人間は宗教という力を利用して一つの軍として戦い、亜人たちを追いやって今の地を手に入れた。そして亜人たちの力を尚も削ぎ、自分たちの生活圏を更に広げるために今も木々を切り倒して森を削っている。

 

(……全く、どちらが“正義”か分かったものではないな…。)

 

 二人の話を聞いてウルベルトが思ったのは、そんな皮肉的な言葉だった。

 勿論亜人たちとて幾度となく人間たちに対抗しようとしたのだろう。しかしいくら個の能力は人間たちよりも優れていようと、数の力には抗えようがない。加えて力を重視するあまり、亜人たちは他の亜人たち同士で力を合わせることが出来ず、絶対的な力を持つヤルダバオトが現れるまでどうにもまともに人間たちに抗うことが出来なかったらしい。

 聖王国の在り様や、聖王国と亜人たちとの関係性を知れば知るほど、何とも言えない感情が湧き上がってきた。

 

 果たしてどちらが本当に正しく、どちらが本当に悪いのか……。

 どちらが加害者で、どちらが被害者なのか……。

 

 ウルベルトは全てを冷静に見据え、自身の考えも述べながらデミウルゴスとアルベドと話し合い、亜人たちの選別を行っていった。

 

 

「――……それでは、ウルベルト様。聖王国側の生かすべき人間はどの者になりますでしょうか?」

 

 亜人たちの選別が終わり、アルベドが聖王国側へと話を移していく。

 ウルベルトは少し考え込んだ後、改めてアルベドとデミウルゴスへと視線を向けた。

 

「……いや、特定の人物を生かそうと動けば少なからず不自然さが出てしまうだろう。取り敢えずはお前たちの好きなように動いて構わない」

「畏まりました」

「………ああ、だがやはり一人だけ、どうしても生かしておいてほしい人間がいたなぁ……」

 

 頭を下げる二人を押しとどめ、ウルベルトはそう言葉を零す。

 山羊の顔に浮かぶのは、ニヤリとした悪戯気な笑みだった。

 

「聖王国の聖騎士団長レメディオス・カストディオは生かしておいてくれたまえ」

 

 顔に浮かべた笑みはそのままに、アルベドとデミウルゴスに命を下す。

 デミウルゴスは笑みを深めさせて優雅に頭を下げ、しかしアルベドは思案顔を浮かべてウルベルトを見つめた。

 

「………ウルベルト様、僭越ながら理由をお聞きしても宜しいでしょうか…?」

「うん? 彼女がいた方が私との比較対象になってくれるから何かと都合がいいのだよ」

 

 アルベドの問いに、ウルベルトはこともなげにそう答える。

 聖王国側からすれば……、いや、聖王国の上層部や聖騎士たちからすれば最悪なことに、ウルベルトはグスターボが懸念していたことに完全に気が付いており、また正確に理解していた。レメディオス・カストディオという存在が、ウルベルト・アレイン・オードルをより惹き立てる要因になっている、と。

 それはデミウルゴスは勿論の事、アルベドも十分理解していた。

 しかし彼女のその美しい顔に浮かんでいるのは小さな苦笑。

 ウルベルトは訳が分からず小さく首を傾げた。

 

「どうした? 何か不都合なことでも?」

「……実は…、アインズ様があの女の死を望まれているのです」

「は? モモンガさんが? なんでまた……」

 

 予想外の言葉に、思わず目をぱちくりと瞬かせる。

 アルベドは苦笑から真剣なものへと表情を変えると、切々と理由を語り始めた。

 曰く、アインズはウルベルトの事が心配で事ある毎に“遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)”で様子を窺っていたのだと言う。その度にレメディオスによるウルベルトに対する言動を目撃してしまい、毎回激怒していたらしい。

 

「恐れながら、わたくしや他のシモベたちもアインズ様と同じ気持ちでございます。あの女のウルベルト様に対する言動は、正に許し難く万死に値するもの。苦痛なき時の継続など、決して許せるものではありません!」

 

 最後には熱く語るアルベドに、ウルベルトは思わず苦笑を浮かばせた。

 

「モモンガさんやお前たちの気持ちはとても嬉しいが……、できれば感情からの意見ではない方が良かったな」

「……申し訳ありません」

「モモンガさん自身もいつも言っているが、殺すことはいつでもできる。しかし一度殺してしまえば、生き返らせる以外に利用することはできなくなるだろう? レメディオス・カストディオはまだ利用価値がある。……モモンガさんには後で私からも言っておこう」

「畏まりました。感謝いたします、ウルベルト様」

 

 アルベドが頭を下げて礼を言ってくる。ウルベルトはそれに軽く手を挙げて応えながら、それでいて聖王国でのことを思い出していた。

 彼の頭の中にあるのは、レメディオスと彼女の直属の部下であるグスターボや多くの聖騎士たちの在り様。

 ウルベルト自身の目で見た光景やカスポンドに成りすましているドッペルゲンガーの話から、ウルベルトは彼女たちの在り様に大きな疑問を持っていた。

 果たして主従或いは上司と部下として、あれは正しいのだろうか、と……――

 疑問の色が顔に出ていたのだろう、アルベドやデミウルゴスから問うような視線を向けられる。ウルベルトは苦笑を深めさせると、今まで見てきた彼女たちの在り様も含め、心にあるものをそのままに彼らに話した。

 

「――……上に立つ者に一番必要なものは決断力だと私は考えている。しかしそれは“正しい決断をする”というのが大前提となるものだ。何かを判断したり決断するにはあらゆる情報なども必要となってくる。……果たして部下たちの声を聞かず己が意思を貫くレメディオスは上に立つ者として相応しいのかと思ってな。……はたまた彼女を上手く御しきれぬ部下たちが悪いのか……」

 

 ここで一つウルベルトは大きな勘違いをしていた。

 それはレメディオス自身も自分に知識がないことは自覚しており、多くの者が“そうである”と言った場合、例え自分の考えたことと異なっていようと“そうであるのだろう”と認められるほどの度量は持っていた点である。ただそうは言っても彼女の中にも一切譲れぬものがあり、ウルベルトが目撃したのがそういった場面ばかりであったに過ぎない。

 とはいえ、ウルベルトは勿論のことアルベドやデミウルゴスや他のシモベたちにとっては全く問題のない差異である。

 アルベドとデミウルゴスは少しだけ顔を見合わせると、すぐにウルベルトへと目を戻してまずはアルベドが口を開いた。

 

「どちらも欠陥品と言わざるを得ないものかと思われます。ウルベルト様の仰る通り、上に立つ者が最も担うのは何かを決断すること。そしてその決断が間違っていた場合、それを覆すことのできる力も必要となります。しかしあの女はそこまでの叡智も力も持ち合わせておりません」

「また、部下の聖騎士たちも全くいただけません。例え進言が聞き届けられなかったとしても、何か不測の事態が起こることも考慮して主のために行動せねばなりません。しかしお話を聞く限りでは、それが出来たのはウルベルト様がお拾いになったオスカー・ウィーグランという聖騎士のみ。シモベとしては落第点と言えるでしょう」

「……なるほど。非常に参考になった」

 

 アルベドとデミウルゴスの意見を聞き、ウルベルトは長い顎鬚を扱きながら一つ頷いた。

 

「私も、お前たちに相応しい主と成れるように今以上に励まなくてはならないね。お前たちも、何か思うことがあれば私やモモンガさんに遠慮なく進言してくれ」

「そんな! 励むなどと! ウルベルト様もアインズ様も、私たちにとって至上の主様でございます!!」

「アルベドの言う通りです! それに、ウルベルト様やアインズ様の仰られることに間違いなどあろうはずもありません!!」

 

 口々に言ってくるアルベドとデミウルゴスに、ウルベルトは思わず苦笑を浮かばせた。

 全く、その自信と信頼は一体どこから来るのか……と半ば呆れてしまう。

 しかしそれを面に出すわけにもいかず、ウルベルトはただ緩く頭を振るだけに留めた。

 

「お前たちのその気持ちは嬉しいが、私やモモンガさんだって決して万能ではない。必ず間違いだって起こすし、考えが至らぬこともあるだろう。そんな時、お前たちにも力を貸してほしいのだよ」

「……何と思慮深く、寛大な御言葉。元よりウルベルト様やアインズ様にお仕えするのはシモベとして当然のこと。至高の御方々には及びませんが、ウルベルト様のお力になれるよう、これまで以上に誠心誠意お仕え致します」

「ありがとう、デミウルゴス」

 

 無言のまま頭を下げるアルベドの向かいで、デミウルゴスが感極まったように椅子から立ち上がって跪き頭を下げる。周りの悪魔たちも三人の会話を聞いていたのだろう、つられるようにしてデミウルゴスに倣い、椅子から立ち上がってウルベルトへと傅いた。

 ウルベルトは苦笑を深めさせると、優しい声音を意識して口を開いた。

 

「こらこら、そう畏まる必要はないよ。頭を上げて席に着きたまえ。食事は楽しくするものだ。そうだろう?」

 

 どこか悪戯気な笑みを浮かべ、持っていたワイングラスのワインを一気に煽って飲み干す。

 気品さは欠片もなく粗野な動作であったが、しかし何故かそれがいやに様になっており、嫉妬の魔将(イビルロード・エンヴィー)淫魔(サキュバス)と言った女型の悪魔たちからうっとりとした吐息の音が零れ出る。

 しかしウルベルト自身はそれに気が付かず、再び席に着いたデミウルゴスへと目を向けた。

 

「そういえば、“あれ”はどうなっている?」

 

 給仕の邪精に新たなワインを注がせながら問いかける。

 主語が抜け落ちた不明瞭な問いかけであったが、しかしデミウルゴスは正確に内容を理解して笑みを深めさせた。

 

「今のところ何も問題は起きておりません。上手く事は進んでいるかと」

「それは上々。壊れてもさして問題はないが、やはり壊れていない方が使い勝手は良いだろうからな」

「はい」

 

 ウルベルトの言葉に、デミウルゴスが嬉しそうな笑みを浮かべる。

 どこまでも素直なデミウルゴスや一心にこちらを慕ってくるアルベドや悪魔たちの様子に、ウルベルトは心が洗われるようだった。

 聖王国でもスクードやネイアやオスカーといった存在はいたものの、やはり少なからずストレスを感じていたのだろう。以前はこちらを崇拝しすぎるナザリックのシモベたちに対して、それもどうなんだ…と思っていたけれど、外に出てみて初めて彼らの有難みが分かったような気がする。

 しかしここでふとあることを思い出して、ウルベルトは改めて目の前にいるアルベドやデミウルゴス、多くの悪魔たちへと目を向けた。

 

「……そうだ。一つ、お前たちに頼みたいことがあったんだ」

「頼みなどと! どうか何なりとお命じください」

 

 打てば響くようにデミウルゴスが勢いよく身を乗り出してくる。

 ウルベルトはフフッと小さな笑い声を零すと、彼らにとっての爆弾発言を投下した。

 

「では、今後の戦いにおいて、本気でかかってきてくれ」

「「「っ!!?」」」

 

 アルベドやデミウルゴスは勿論の事、周りの悪魔たちからも驚愕に息を呑む音が聞こえてくる。

 

「……ウ、ウルベルト様。それは…もしや……」

「芝居ではなく、本気でかかって来いってことだ。聖王国を本気で落とそうと侵攻し、私の存在が邪魔であれば本気で殺しにかかってこい」

「そんな! ウルベルト様に弓引くなどっ!!」

「ウルベルト様がそう仰られても、アインズ様が決して御認めになりません! どうか、御考え直しください!」

 

 デミウルゴスやアルベドが即座に声を上げて止めに入ってくる。周りの悪魔たちも全員が顔を蒼褪めさせており、中には倒れそうになっているモノさえいた。

 しかしウルベルトは先ほどの言葉を撤回するつもりは全くなかった。

 

「私はこの世界に転移してから今までずっとナザリックの中で過ごしてきた。ユグドラシルの時も長い間ナザリックから離れていたし……、つまり、実戦のブランクが長すぎるのだよ」

 

 これはウルベルトがずっと気にして思い悩んでいたことだった。

 この世界に転移してからはずっと隠し玉の役目を担ってはきたが、果たしてこんなにも戦闘のブランクがある自分に役目がきちんと果たせるのだろうか、と……――

 

「今まではずっとアルベドやコキュートスやパンドラズ・アクターに鍛錬や模擬戦をしてもらってきたが、やはり実戦とは全くの別物だ。早く以前の勘を取り戻すためにも、お前たちに協力してもらいたいのだよ」

「で、ですが……」

「なに、そこまで深刻に考える必要はない。要は実戦色の強いちょっとした対戦ゲームをするのだと考えればいい。私は私自身と聖王国という駒を、お前たちはお前たち自身と亜人連合という駒を使って私と真剣勝負をするわけだ。ほら、そう考えれば何も問題はないだろう?」

 

 ウルベルトの言葉に、周りの悪魔たちの表情が徐々に軽くなっていく。しかしアルベドとデミウルゴスは一切誤魔化しが効いていないようで、変わらぬ険しい表情にウルベルトは内心で苦笑を浮かばせながら小さく肩を竦ませた。

 ここで最大の一手を出すことにする。

 

「……それに、私の従者にとネイア・バラハという少女が付けられたのだが、話を聞けば彼女はよく親と喧嘩をしていたようなのだよ。そこで思ったんだ。私も親子喧嘩をしてみたい、とね……」

「親子喧嘩、でしょうか……?」

 

 ここで漸く二人の表情が変化する。困惑の表情を浮かべて小さく首を傾げるアルベドとデミウルゴスに、ウルベルトは柔らかく優しい笑みを浮かばせた。

 

「私はお前たちのことを大切で愛しい我が子のように思っている。特にデミウルゴス、お前は私の手ずから創り出した存在だ。今更ながら、お前の設定(在り様)に“我が息子である”と付け加えなかったことを後悔しているよ」

「ウ、ウルベルト様……」

 

 デミウルゴスが感極まったように言葉を詰まらせる。

 感動のあまり小さく身を震わせるのに、ウルベルトは手を伸ばしてポンポンと軽く叩くように頭を撫でてやった。

 

「だからこそ、親としては愛しい子供に我儘を言われたり、ちょっとした喧嘩をしてみたいと思ってしまうのだよ。……私のお願いを聞いてくれないか?」

 

 最後に小首を傾げ、自分のことを絶対と考える悪魔たちに懇願する。

 ここにアインズがいたなら、確信犯の行動に大きなため息をついたことだろう。

 しかしこの場にいるモノたちがそんなことをするはずもなく。ただ崇拝し敬愛する存在へ完全に降伏して頭を下げるのだった。

 

「……畏まりました。全てはウルベルト様のご意思のままに」

 

 頭を下げたまま言う悪魔に、悪魔の支配者(オルクス)はにっこりと微笑んだ。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 ウルベルト主催の悪魔たちによる大晩餐会は翌日の明け方まで続いた。

 そして大晩餐会が幕を下ろして凡そ三時間ほどが経った今、すっかりいつもの光景に戻った第七階層に一度退場したはずのアルベドがいつもの純白のマーメイドドレス姿で再び姿を現した。

 彼女が向かうのは赤熱神殿。

 コツコツと小さな音を響かせながら歩を進めていけば、やがて目的の場所と共に目的の存在も彼女の視界に映り込んできた。

 赤熱神殿の手前に立っている朱色の悪魔と、その朱色の悪魔に向けて片膝をついて頭を下げている漆黒の悪魔。漆黒の悪魔の右腕には深紅の布が丁寧に巻かれており、彼が何者であるのかがすぐに分かる。

 アルベドは二人の元へと歩を進め、こちらの存在に気が付いて振り返ってくるのに淡い微笑を浮かばせた。

 

影の悪魔(シャドウデーモン)、ウルベルト様がお呼びよ。すぐに第九階層のアインズ様の執務室に向かいなさい」

「畏まりました。……デミウルゴス様、失礼いたします」

 

 シャドウデーモンはアルベドと目の前のデミウルゴスへと頭を下げると、次には驚きの速さでこの場を後にした。ウルベルトの元へと向かったのであろう漆黒の背を、アルベドとデミウルゴスは暫く無言で見送る。

 一拍後、まるで気を取り直すような雰囲気を纏わせながらデミウルゴスがアルベドへと向き直った。

 

「……さて、それで? 一体何の用ですか、アルベド?」

「あら、私はウルベルト様の伝言を伝えに来ただけよ」

「………見え透いた誤魔化しなど時間の無駄でしかありません。何か思う所でも?」

 

 一切容赦のない悪魔の追及に、思わず小さな苦笑を浮かべる。

 アルベドはどこかピリピリとしているデミウルゴスを観察するように見つめながら、苦笑はそのままに小首を傾げてみせた。

 

「別に何もないわ。本当はあのシャドウデーモンに幾つか言うつもりだったけれど、それはあなたが既にやっていたようだし」

「……そうですか」

「それで……、話は変わるけれど、あなたはこれからどうするつもりなのかしら? アインズ様はウルベルト様が説得されていたけれど、まさか本気でウルベルト様に弓引くつもりではないのでしょう?」

「勿論です。いくらウルベルト様御自らのご命令であっても、こればかりは従えません。ですので、あくまでもゲームとして、ウルベルト様からご教授を願おうと思っています」

「そう……。でも、くれぐれもウルベルト様をご不快にはさせないようにね。あなたの事だから、心配はないと思うけれど……」

「ええ。ウルベルト様にご満足いただけるよう、死力を尽くしますよ」

 

 アルベドとデミウルゴスは互いに見つめ合うと、次にはほぼ同時に意味深な笑みを浮かべ合う。それでいてアルベドはアインズの元へと戻るべく踵を返すと、デミウルゴスもまた、彼女とは逆方向へと踵を返した。

 彼が向かう先は赤熱神殿の最奥。今も尚いつもとは違う漆黒の玉座が鎮座している場所。

 デミウルゴスはゆっくりと玉座まで歩み寄ると、そっと手を伸ばして背もたれ部分を撫でた。

 数時間前、この玉座に座っていた主の姿を思い出し、思わず柔らかく顔を綻ばせる。

 彼の御方の事を思い浮かべて心を躍らせ、しかし芋づるのようにスクードや聖王国の従者の存在までをも思い出してしまって途端に不機嫌そうに顔を顰めさせた。

 決して消えることのないドロドロとした嫉妬の炎が湧き上げってきて胸の内を占める。

 愛しい息子だとまで言われた悪魔は、しかしたかが下位の悪魔や人間の従者に対して禍々しいまでの嫉妬と殺気交じりの憎しみを抱いていた。

 

 彼の御方の手ずから生み出され、名を与えられ、装備の数々を与えられたのは自分だけだった。

 彼の御方の第一のシモベは私であるはずなのに……!

 

 しかし御方はあろうことか下位の悪魔に過ぎないシャドウデーモンに名を与え、装備まで下賜して側近くに置いたのだ。

 意外に思われるかもしれないが、デミウルゴスは一日中ずっとウルベルトの側近くに控えることさえしたことがなかった。ひどく光栄なことであることは重々承知しているけれど、デミウルゴスはアインズやウルベルトから多くの役目を任されている。そのためナザリックを留守にすることも多く、側近くに仕える一度の時間はスクードやネイアに比べれば断然短かったのだ。

 御方のすることは全てが絶対だ。

 例え理解し難くとも、受け入れられずとも、御方のすることには全て必ず意味があり、不満を口にすることさえ許されない。

 分かっているのに、嫉妬の炎は消えるどころか弱まってすらしてくれない。

 デミウルゴスは背もたれを撫でていた手の動きを止めると、そのまま強く握りしめて自身を落ち着かせるように深く長く息を吐き出した。

 確かにスクードやネイアやオスカーに対する気持ちは一切変わることはないが、しかし一点だけ感謝してもいい事があった。

 それは彼らの存在がデミウルゴスも知らぬウルベルトの新たな面を知る機会に繋がっている点だった。

 デミウルゴスはもう一度深い息をつくと、背もたれを掴んでいた手から力を抜いた。

 デミウルゴスは毎日スクードからウルベルトの様子の報告を受けている。

 スクードによって彼が新たに知ったのは、ウルベルトの戦闘の様子や人間に対する人心掌握の鮮やかな手際。そして何より、ウルベルト自身が語った彼の壮絶な過去だった。

 ウルベルトやアインズも経験した異形種狩りの存在や、信じられないことにウルベルト自身が以前弱く搾取される側であったと言う事実。加えて命をもって御身を守り救ったというウルベルトの両親の存在。

 その話をスクードから聞いた時、デミウルゴスは心の底からウルベルトの両親に感謝した。

 至高の御身を守護するのは本来ならば自分たちシモベの役目だが、自分たちが存在していなかった頃であればどうしようもない。彼の方々がいたからこそ、御身は今この場におられ、自分たちの偉大なる支配者として存在して下さっているのだ。

 

「……全ては我が御方、ウルベルト・アレイン・オードル様のために」

 

 崇拝し敬愛する御身に思いを馳せ、御方の両親への敬意も込めて小さく呟く。

 

 そう、全ては至高の御方であるウルベルト・アレイン・オードル様のために。

 世界のありとあらゆるものも、世界自体ですらも、彼の御方の為にあるべきなのだ。

 

 




当小説のウルベルト様は、私が手掛ける総合的なウルベルト様の中でも特に悪魔という種族を愛している設定にしております。
今回の大晩餐会も、愛する悪魔たちの為に開催したものです。
ある意味、悪魔に関してはアインズ以上に執着していますね……(汗)


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第11話 忠誠の先

今回のウルベルト様は引き続き前回と同じ衣装(装備)を纏っています。


 執務のために一度魔導国に戻ると偽ってナザリックで悪魔たちと大晩餐会を行い、その後アインズと束の間のお茶会という名の話し合いを行い、次の日には聖王国に再び赴いてネイアたちからの歓迎を受け、適当に拷問の悪魔(トーチャー)を召喚しては願い出てくる怪我人を治療し、時折カスポンドになりすましているドッペルゲンガーから進行状況の報告を受け、それからそれからそれから……。

 気が付けばこの小都市ロイツを解放してから凡そ一週間程度の時が経過した頃、漸く“それら”は現れた。

 

 

 

 

 

 今にも雨粒を零してきそうな重苦しい曇り空。太陽の光を分厚く遮っているため、昼間だというのに視界はひどく薄暗い。

 まるで夜一歩手前のような薄闇の中、小都市ロイツにある最も高い建物の屋根の上に、一つの細長い影がポツリと佇んでいた。

 鋭い三角形の方形屋根。幅などないのではないかと思えるほどに鋭い頂点部分に、器用に直立している一体の悪魔。

 高い上空ということもあり激しい強風に漆黒のペリースを大きく靡かせながら、ウルベルトはじっと小都市を囲んでいる市壁の外を見据えていた。

 彼の視線の先には赤茶けた大地でも新緑の草地でもなく、黒々とした個の大群。

 現在、解放軍が立て籠もる小都市ロイツは、亜人連合の大軍勢の脅威に曝されていた。

 

「これは何とも……、なかなかに盛況なことだな」

 

 小さく目を細めさせ、ポツリと独り言を呟く。

 カスポンドに成りすましているドッペルゲンガーの話によると、この場に集められた亜人連合の軍は凡そ四万。一気に攻めれば解放軍などすぐに殲滅できるだろうに、しかし亜人連合の軍は市壁の目の前に布陣すると、この数日間何の動きも見せることはなかった。

 いや、“何の動きも見せない”というのは少し語弊があるだろうか。

 なんせ彼らは毎日のように解放軍側に向けて挑発の言葉を投げかけ、夜には遠吠えのような恐ろしい咆哮を響かせていた。先ほどなどは人質とするつもりだったのか、はたまた非常食用に持ってきたのか、捕らえていた人間をまるで見せつけるかのように踊り食いで喰らっていた。チラッと市壁の内側を見やれば、見張りや防衛のために市壁近くにいた人間たち全員が顔面を蒼白にし、中には反吐している者さえいる。

 ウルベルトは視線を亜人たちへと戻すと、ほんの微かに目を細めさせた。

 亜人たちがこちらに向けて精神攻撃を仕掛けてきていることは明白。しかし、何故彼らがそんなことをするのかが問題だった。

 普通に考えて、相手よりも人数が圧倒的に多く、その全員が相手側よりも身体能力が高い場合、誰もが小細工などせずに一気に攻めようとするだろう。しかしそうしないということは、誰かからそうするように指示をされているということだ。

 恐らく指示を出したのはヤルダバオト……つまりデミウルゴスだろう。

 では何故デミウルゴスはこのような指示を出したのか……。

 

「……すぐに思いつくのは時間稼ぎ。つまり、何かを準備していて時間がかかるため、その間に精神的ダメージを相手側に与えている可能性。後は……、兵糧攻めや、こちらの南からの援軍を想定して、援軍諸とも殲滅するためにわざと時間をかけている可能性もあるか……」

 

 敢えて声に出して自分の考えを整理しながら、しかし何ともピンとこず、ウルベルトは小さく顔を顰めさせて小首を傾げた。

 ウルベルトがデミウルゴスたちに“本気でかかってくるように”と命じたのは十日ほど前。そのための準備に時間がかかっているため時間稼ぎを命じているのであれば納得はいく。

 しかし、これには一つの問題点があった。

 そもそも何故デミウルゴスたちは亜人たちを率いて聖王国に攻め込んでいるのか。そして何故、ウルベルトがここにいるのか、である。

 ウルベルト側もデミウルゴス側も、そもそもの目的を無視して行動することはできない。目的を達成することを大前提として、その片手間に本格的対戦ゲームを楽しむだけなのだ。ならばデミウルゴス側としては、聖王国側を全滅させない程度に攻撃をしなければならない。加えてデミウルゴスの忠誠心や性格からして、いくら命じられたからと言っても本気で自分に敵対行動をとることはできないだろうとも考えられた。ならば長い時間をかけてまでの準備など、する必要がないと判断できる。

 となれば……――

 

「……本来の目的達成に向けての味付け(・・・)と言ったところかな?」

 

 ウルベルトは思わず小さな苦笑を浮かべると、フゥッと一度大きな息をついた。

 そろそろ部屋に戻ろうかと〈飛行(フライ)〉の魔法を唱えかけ、しかし視界に入ってきた妙な動きに気が付いてウルベルトはピタッと動きを止めた。

 

「……ん……?」

 

 ウルベルトの視線の先。今まではずっと西門方面でのみ布陣していた亜人連合の軍が、ほんの一部分ではあるものの別方向へと移動しようとしていた。暫くじっと様子を窺えば、その一軍は真っ直ぐに市壁の東門方向へと進んで行っている。

 ウルベルトは小さく目を細めさせると、ここで漸く自身に〈飛行(フライ)〉の魔法をかけた。

 途端にフワッと宙へと浮かび上がる肢体。

 ウルベルトは視線を完全に亜人たちから離すと、そのまま宙を泳ぐように地上へと舞い降りていった。しかし地面に降り立つわけもなく、自分に与えられた部屋の窓まで飛んでいくと、そのまま窓から室内へと足を踏み入れる。

 室内にはスクードのみが控えており、ウルベルトの存在に気が付いたと同時に跪いて頭を下げてきた。ウルベルトは片手を軽く挙げてそれに応えると、近くに置いてある椅子へと腰を下ろした。

 ナザリックのシモベたちによって持ち込まれたこの椅子は、柔らかでいて丁度良い硬さを持つクッションで優しくウルベルトを受け止めてくれる。ウルベルトは背もたれに深く身体を預けると、まるで身体中の空気全てを吐き出すかのように大きなため息をついた。

 スクードが不思議そうな表情を浮かべて、こちらに口を開きかける。

 しかし声を発するその前に、廊下へと続く扉が外側から四度ノックされた。

 

災華皇(さいかこう)閣下、ネイア・バラハです』

 

 続いて聞こえてきたのは、大分聞き慣れてきた少女の声。

 ウルベルトは扉へと目を向けると、次にはスクードへと視線を移した。スクードはすぐさま一礼し、扉へと歩み寄ってドアノブへと手を掛ける。

 スクードの手によってゆっくりと開かれた扉から姿を現したのはネイア・バラハ。

 鋭い目つきとそれによって印象付けられてしまっている険悪な顔つきはいつも通りだったが、しかし今はどうにも顔色が悪く、まるで吐き気を必死に堪えているかのようだった。

 

「どうした? 顔色が悪いようだが……」

 

 部屋に入るよう促してやりながら、そっと問いかける。

 ネイアは素早い動作で部屋に入ると、礼を取ってから大きく頭を振った。

 

「い、いえ……、大丈夫です」

「そうかね? ……まぁ、“あのようなもの”を見てしまっては気分も悪くなるだろう。そこに座りたまえ。少し休むと良い」

 

 近くに置いてある椅子を示し、ウルベルト自身は椅子から立ち上がってネイアに背を向けると、後ろに置いてある小さな丸テーブルへと歩み寄っていった。

 丸テーブルの上には華奢でいて繊細な細工のガラスコップと“無限の水差し(ピッチャー・オブ・エンドレス・ウォーター)”が並んで置いてある。ガラスコップは少し前にウルベルト自身が使っていた物だ。

 これをそのまま使うわけにもいかないだろうと魔法で新しいガラスコップを作り出す中、未だドア近くに立っていたネイアが驚きの声を上げてきた。

 

「閣下も見ていらっしゃったのですか!?」

「ああ、私も少し気になっていたのでね。皆の邪魔にならないよう、上空から様子を窺っていたのだよ。……どうやら、漸く動き出すようだな」

 

 “無限の水差し”を手に取り、新たに作ったガラスコップへと水を注ぎ入れる。

 コポコポと小さく響く涼やかな水の音。

 ウルベルトはそっと“無限の水差し”を丸テーブルの上へと戻すと、水の入ったコップを片手にネイアを振り返った。

 

「そんなところに立っていないで椅子に座りたまえ。これを飲むと良い」

「あっ! す、すみません! ありがとうございます、災華皇閣下!」

 

 ハッと我に返ったような表情を浮かべて、ネイアは慌てたようにウルベルトから差し出されたガラスコップを両手で受け取る。そのまま示された椅子へと恐る恐る腰掛けるネイアに、ウルベルトも再び今まで座っていた椅子へと腰を下ろした。小刻みに震える手でガラスコップの水を飲むネイアを見つめ、長い足を組みながら肘掛に右肘をつく。そのまま垂直に伸ばした右腕に、目の前にきた右手の甲へと軽く顎を乗せた。

 ネイアが水を飲んで一息ついたのを見計らい、徐に口を開く。

 

「少しは落ち着いたかな? 顔色が大分良くなったようだ」

「……はい。お気遣い下さり、ありがとうございます」

「なに、そう大袈裟なものではないだろう。それよりも、君がここに来たということは、解放軍も漸く行動を起こすということかな?」

 

 右手の甲に顎を乗せたまま小首を傾げるウルベルトに、ネイアは神妙な表情を浮かべて小さく頷いてきた。

 

「……はい。敵軍が動いた以上、間もなく戦端が開かれる可能性は高いと思われます。私も、西門の守護を命じられました」

「なるほど、西門か……。何か作戦でもあるのかな? 勝てそうかね?」

「それは………」

 

 ウルベルトの問いかけに、ネイアの表情が途端に渋いものへと変わる。

 それが全ての答えのようで、ウルベルトは思わず小さなため息をついた。

 

「……西門は亜人連合軍の大部分が布陣している方面だ。当然、一番厳しい戦いとなるだろう。作戦も何もなければ、すぐに殺されてしまうぞ」

「それは……、十分承知しております」

「私は今残されている魔力量や今後の事を考えて、今回の戦いには参加しない。つまり、何があっても私の助けはないということだ」

「はい」

「死ぬ気なのかね?」

 

 どこまでも鋭いウルベルトの言葉に、ネイアは言葉を詰まらせる。

 しかし鋭い双眸に強い光を宿すと、真っ直ぐにウルベルトを見つめ返してきた。

 

「例えそうなるとしても、私は聖王国の者として、国や国民を守るために戦おうと思います。国のために死んでいった多くの人たち……父や母の為にも……」

「……………………」

 

 無言のまま見つめ合うウルベルトとネイア。

 いつにない強い意志を持ったネイアの様子に、ウルベルトは小さく目を細めさせて一つ息を吐き出した。

 

「……他者を守るために自分の命すら投げ出す、か。その意志はとても崇高なもので、私自身も好ましいとは思っている」

 

 ウルベルトの言葉に、途端にネイアの表情が喜色に緩められる。

 

「しかしそれと同時に、私はひどく嫌悪してしまうな」

「っ!!?」

 

 先ほどの表情のまま凍り付き、ネイアは驚愕に目を見開かせた。

 困惑と悲哀が入り混じったような色を浮かべるネイアの顔を見つめながら、ウルベルトはもう一度ため息にも似た息を吐き出した。

 思い出されるのは、既に朧気になってしまった儚い二つの背中。

 胸のざわめきを落ち着かせるように一度瞼を閉じ、一拍後に再び瞼を開いた。

 

「大切なものを守るために命をかけるのは当然であると、私は思う。大切なものに対して最終的な価値を見出すのは、結局は自分自身でしかないのだからね」

 

 ウルベルトの言葉に、ネイアは困惑の表情を浮かべたまま大きく頷いてくる。

 

「しかし……バラハ嬢。君は生き抜くことを諦めてはいないかね?」

「……は……? あっ、い、いえ……ですが………」

 

 ネイアは目を見開かせると、困惑の表情はそのままに言い淀んで口を閉ざした。

 ウルベルトとて今の状況が彼女たちにとって絶望的であり、彼女が今何を思っているのかなど手に取るように分かる。

 しかし彼女たちのある意味潔すぎる決意は、ウルベルトにとっては嫌悪するものでしかなかった。

 

「大切なものを守ろうとする意志は、ある意味当然のものだ。それに命をかけるほどの覚悟があるならば上等。しかし……、それによって命を落とした場合、助けられた者は……残された者は一体どうすれば良いのだろうね……?」

「っ!!」

 

 悲し気な笑みを浮かべて独り言のようにポツリと言葉を零すウルベルトに、ネイアはハッとしたように目を見開かせて小さく息を呑んだ。

 じっとこちらを見つめてくる少女に、ウルベルトは小さく頭を振る。

 ウルベルト自身、らしくないとは思っているが、それでもこの感情を吐露することを止められなかった。

 改めてネイアを見つめ、そして扉付近の壁側に控えるように立っているスクードへと目を移す。

 自分のためならば簡単に命を投げ出すであろうシモベを見つめ、ウルベルトは苦笑にも似た笑みを浮かばせた。

 

「我がシモベたちは、私やアインズのためならば簡単に命を投げ捨ててしまう。その忠誠心は有り難いが、だからこそ私は彼らに、決して私の許可なく勝手に死なぬように命じているのだよ」

 

 ナザリックのシモベたちは自分たち至高の主のためならば簡単に自身の命を投げ捨ててしまう。例えば守護のためや命じられたこと以外でも、不興を買ってしまった場合でも迷いなく簡単に自害しようとするのだ。

 その度にウルベルトは何度も何度も彼らに言って聞かせてきたのだ。『お前たちの全てが私たちのものだと言うのなら、私たちの許可なく勝手に命を捨てようとするな。何が何でも生きて、私たちの手の中に戻ってこい』と。

 正直、彼らがこの言葉をどれだけ深く捉えてくれているのかは分からない。

 しかし、この気持ちを彼らに伝えることは決して無駄ではないと信じていた。

 

「バラハ嬢、命をかけると言うのなら、自分自身の命も決して諦めないことだ。例えそれがどんなに困難であったとしても、自分の命を投げ捨てる前提での意志など、唯の偽善でしかないのだからね」

 

 ウルベルトはネイアへと視線を戻すと、どこまでも優しい声音で、まるで諭すように言葉を紡いだ。

 ネイアは傍から見ればひどく険悪な表情ながらも真剣な様子でウルベルトの言葉に耳を傾け、最後にはゆっくりと大きく頷いてくる。

 どうやら目の前の少女は自分が思っている以上に冷静な判断力を持っているようで、ウルベルトは知らず小さく顔を綻ばせた。加えて、上から目線で偉そうなことを言った手前、少しは彼女が生き残れるように力を貸すべきだろうと判断する。

 ウルベルトは徐にアイテムボックスを開こうとペロースの中に手を突っ込んだ。

 しかし、その時……――

 

『災華皇閣下、オスカー・ウィーグランでございます。入っても宜しいでしょうか?』

 

 不意に響いてきたノック音とオスカーの声。

 ウルベルトはペロースの中に突っ込んでいた手をゆっくりと元に戻すと、少し間を開けてから扉の向こうへと入室許可の言葉を発した。

 一拍後、扉が静かに開いて漆黒の鎧を身に纏ったオスカーが姿を現す。

 しかし彼は一人ではなく、後ろにはヘンリーやアルバ、そして何故かマクランの姿さえあった。

 オスカーやヘンリーたちは扉の前で一礼した後に続々と室内へと入ってくる。マクランだけは驚愕の表情を浮かべながら目だけでキョロキョロと忙しなく室内を見回していたが、恐る恐るといったようにオスカーたちに連れられて部屋の中へと入ってきた。

 

「これはこれは……。聖騎士や神官が勢揃いとは。オスカーは分かるが、他の面々は一体何用かな?」

 

 ある程度の予想はしながらも敢えて何も気が付いていない振りをして問いかける。

 オスカーは壁側に控えるように立っているスクードの横に並んで立ち、ヘンリーとアルバとマクランの三人だけがウルベルトの前に立って礼をとった。

 

「……災華皇閣下、急にお尋ねしてしまい、大変申し訳ありません。しかし、どうしても閣下に聞き届けて頂きたいことがあり、無礼を承知でお伺いさせて頂きました」

「ふむ……。まぁ、聞くだけ聞いてみるとしようか。一体何事かね?」

「それよりもまず一つだけ確認させて下さい。今回の戦いに閣下は参加されないと聞いたのですが、それは事実なのでしょうか?」

 

 ウルベルトの問いに答える前に更に問いを投げかけてきたのは厳しい表情を浮かべたアルバ。

 礼を失する行動にネイアやスクードが顔を顰めさせる中、しかしウルベルトは一向に構うことなく一つ頷いて返した。

 

「ああ、事実だ。私は今回の戦いに参加するつもりはない」

「……その理由をお聞きしても宜しいでしょうか?」

 

 ウルベルトの返答に、この場の空気が一気に重苦しいものへと変わっていく。しかしウルベルトは更なるアルバからの問いに対して軽く肩を竦ませるだけだった。

 

「何故と言われてもねぇ……。私はこれまで幾度となく魔法を使用してきた。そのため、残された魔力量に些か不安が出てきてしまっているのだよ。この先魔皇ヤルダバオトとの戦いも待っている以上、ここで更に魔力を消費することは避けなければならない。私は今回の戦いには参加せず、魔力の回復に努めるつもりだ」

 

 きっぱりはっきり言うウルベルトに、ヘンリーとアルバとマクランは困ったように顔を見合わせる。少しの間視線だけで会話をした後、再びこちらに向き直ってヘンリーが口を開いた。

 

「……閣下、そこをなんとか参戦して頂けませんでしょうか? このままでは我々は亜人共に負け、殲滅されてしまいます」

「そう言われてもねぇ……。純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)にとって、魔力は戦う手段そのものだ。君が剣がなければ戦えないように、魔法詠唱者(マジックキャスター)も魔力がなければ第一位階の魔法ですら一つも唱えられない。それが何を意味するのか……、君たちも分かるだろう?」

「それは………、分かっている……つもりです……」

 

 ヘンリーは表情を歪ませ、そのまま顔を俯かせる。

 解放軍の現状や彼らの気持ちも分からなくもないが、ウルベルトとしても今ここで参戦すると言う訳にはいかなかった。

 

「魔皇ヤルダバオトがいるのであればまだしも、そうでなければ私はこれ以上魔力を消費させるわけにはいかない」

 

 ウルベルトはきっぱりと言い切り、重苦しい空気が室内に漂う。

 ヘンリーやマクランが表情を翳らせる中、ただ一人アルバだけは大きく顰めさせた表情そのままに一歩前へと進み出てきた。

 

「……災華皇閣下。聖王国の民たちが、今回の戦いに閣下は参加されるのかと騒いでいることはご存知でしょうか?」

 

 アルバから唐突に投げられた問いかけ。

 この場にいる殆どの者が驚愕や困惑の表情を浮かべる中、ウルベルトとアルバだけは一切表情を変えることはなかった。

 飄々とした表情を浮かべるウルベルトと、険しい表情を浮かべるアルバ。ウルベルトの金色の瞳とアルバの紫紺の瞳が鋭くかち合う。

 

「………そういった声があることはオスカーから聞いている。それが何か?」

「……閣下は既に聖王国の多くの民たちから支持を得始めています。しかしここで戦いに参加しなければ、彼らは裏切られて見捨てられたと感じることでしょう。折角得られる筈だった支持も全てなくなってしまう可能性があります。閣下はそれでも宜しいのですか?」

「「「っ!!」」」

 

 部屋中に驚愕に息を呑む音が複数響いて消える。

 だが、それも当然の事だろう。

 アルバが口にした内容は明らかに挑発や脅迫まがいのものだ。一介の神官が一国の王に対して口にして良いものでは決してない。

 誰もが固唾を呑んで二人の様子を窺う中、ただ一人ネイアだけは険しい顔を更に凶悪なものへと変えてアルバへと足早に歩み寄っていった。

 

「ユリゼンさん、今の言葉はあまりにも閣下に対して失礼です。元より、閣下はヤルダバオト討伐のために聖王国に来て下さっただけなのですから、今回の戦いに参加する義務などないはずです!」

「だが、その前に聖王国が滅びてしまっては元も子もないでしょう。それに私は事実をご報告しただけに過ぎません」

「だとしても、先ほどの言い様はあまりに無礼ではありませんか! 閣下は聖王国を救って下さった恩人とも言うべき御方なのですよ!」

「聖王国は未だ脅威に晒され、窮地に立たされている。救われたと言うにはまだ早いと思いますが?」

 

 ネイアとアルバの間で見えないはずの火花が激しく散る。二人を中心に険悪な空気が渦を巻き、正に一触即発の状況となっていた。あまりに張り詰めた空気に周りの面々は一言も発することが出来ず、注意深く二人の様子を窺っている。

 いつ何が起こるか分からない緊迫した状況の中、不意に何かが弾けるような小さな音が空気を震わせた。

 ハッと誰もが音の方向へと視線を向ける。

 そこにいたのは顔を俯かせたウルベルト。

 ウルベルトは右手で口元を抑えながら両肩を小刻みに震わせていた。クックックッ……と小さな弾けた音がなおもウルベルトから聞こえてくる。

 ウルベルトは必死に口元を抑えながら、喉の奥で小さく笑い声をたてていた。

 

「……か、閣下…っ!」

 

 笑われていると気が付き、今まで険悪な表情を浮かべていたネイアが顔を真っ赤にして声を上げる。アルバも憮然とした表情を浮かべており、ウルベルトは漸く笑いを治めると俯かせていた顔を上げて二人を見やった。

 

「いやぁ、すまないすまない。別に悪気があったわけではないのだよ」

「……そう仰りながらも、今も顔が笑っておられるような気がするのですが」

 

 眉間にしわを寄せながら、アルバが不機嫌そうに言ってくる。

 ウルベルトは小さく肩を竦ませると、次にはフフッと柔らかな笑い声を零した。

 

「いやいや、本当に悪気はないのだよ。逆に好ましく思っていた」

「「「っ!!?」」」

 

 ウルベルトの言葉に、誰もが驚愕の表情を浮かべる。アルバも大きく目を見開いており、呆然とウルベルトを見つめていた。何を言っているのか分かりませんとばかりに呆然としている面々に、ウルベルトは再びフフッと小さく笑い声を上げる。

 彼らに向けられた金色の瞳は、挑発された者とは……悪魔とは思えないほどに穏やかで優しい色を湛えていた。

 

「お前たちは本当にこの国を愛しているのだね。それにお前たちは回りくどく私を利用しようと考えるのではなく、真正面から私に懇願し、また真正面から挑んで見せた。誰にでも出来ることではないよ」

 

 愉快で仕方がないとばかりに再び笑い始めるウルベルトに、ネイアやヘンリーたちは未だ困惑の表情を浮かべながら互いを見つめ合う。しかしどこかウルベルトに認められたような気がしてきて、彼らも知らず柔らかな笑みや苦笑を浮かばせていた。未だ危機は去っていないというのに、室内の空気は柔らかく解け、穏やかなものへと変わっていく。

 ウルベルトは一つ小さく息をついて笑いを治めると、未だ穏やかな表情でまずはネイアへと視線を向けた。

 

「ネイア・バラハ、まずは私の事を思って発言してくれたことに礼を言おう」

「い、いえ! その……閣下に感謝して頂けるようなことは、何も……」

 

 ウルベルトの言葉に、ネイアは途端に顔を真っ赤にして俯かせる。

 未だにごにょごにょと何事かを呟いている少女を暫く見つめ、続いてウルベルトはアルバへと目を移した。

 

「アルバ・ユリゼン。君の覚悟は見事だが、やはり私はこの戦闘に参加するわけにはいかない。魔皇ヤルダバオトと今布陣している亜人の大軍。どちらかを相手にする場合、君たちがまだ勝てる可能性があるのは亜人の大軍の方だ。ヤルダバオトは私一人に任せてもらっても構わない。だがその代わり、この戦いで君たちも私を助けてはくれないか?」

「……………………」

 

 まるで幼子を諭すように言われ、アルバは再び憮然とした表情を浮かべて黙り込んだ。少しの間顔を俯かせて絨毯が敷かれた地面を睨み、続いてゆっくりと顔を上げて真っ直ぐにウルベルトを見つめた。

 

「……災華皇閣下、先ほどは少々言葉が過ぎたようです。申し訳ありません」

 

 謝罪の言葉と共に深々と頭を下げるアルバに、ウルベルトは緩く頭を振った。

 

「いや、あれは聖王国を思っての発言だろう? 私は気にしていない。逆に、私に喧嘩を売るほどの覚悟を持っていた事を誇りに思うと良い」

 

 面白そうな笑みを浮かべてそう言ってやれば、アルバは一瞬呆けたような表情を浮かべた後、次には小さな苦笑を浮かばせる。そのまま深々と一礼するアルバに、ウルベルトは一つ頷くことでそれに応えた。

 もはやこの話は終わりだと、無言のまま彼らに示す。

 しかし、不意に壁に控えていたスクードが一歩ウルベルトへと進み出てきた。

 

「……ウルベルト様、一つだけ宜しいでしょうか?」

「……? 構わないが……、どうした?」

 

 あまりに珍しいことに、思わずスクードを見つめながら小首を傾げる。

 スクードはウルベルトのすぐ傍らまで歩み寄ると、改めて跪いて深々と頭を下げてきた。

 

「この度の戦い……、私が参戦することをお許し頂けないでしょうか?」

「「「っ!!?」」」

 

 スクードからの思わぬ申し出に、誰もが驚愕の表情を浮かべる。しかしウルベルトだけは静かな双眸で目の前の悪魔を見据えていた。

 冷たい光を宿した金色の瞳は、まるで何もかもを見透かそうとするかのように悪魔を凝視している。

 やがて一度だけ目を瞬かせると、徐に閉ざしていた口をゆっくりと開いた。

 

「……理由を言え、スクード」

 

 部屋に響いた声音はどこまでも凛として静かなもの。聞く者の心境によって、責められている様にも諌められているようにも聞こえたことだろう。

 スクードの耳には一体どのように聞こえたのか……。

 どちらにせよ、スクードは一切感情を感じさせない態度で一層頭を深く下げるのみだった。

 

「……私がウルベルト様のシモベであることは、既に解放軍の人間であれば誰もが知っていること。私だけでも戦場に出れば、人間たちはウルベルト様に対する不満を募らせ難いのではないかと愚考いたしました」

「つまり……、お前が私の名代を務める、と?」

 

 その言葉に、初めてスクードの漆黒の身体がビクッと反応する。怯えたようなその動きに、ウルベルトは金色の双眸を静かに細めさせた。

 スクードの狙いは一体何であるのか。本当に言葉通りの理由なのか。そしてこの申し出に頷いた場合、どのようなメリットとデメリットがあるのか……。

 無言のまま思考を巡らせるウルベルトに焦りを感じたのか、スクードが頭を下げたまま再び口を開いてきた。

 

「私のようなモノが御方様の名代を務めるなど、分を弁えぬ愚かなことであるのは十分承知しております。しかしウルベルト様のシモベとして、ウルベルト様がかt……人間どもに悪し様に言われるなど黙って見ている訳には参りません」

「……………………」

「また、戦場に立ち解放軍を守ることは、延いてはウルベルト様の御身の安全に繋がると愚考いたしました」

「………なるほど、な……」

 

 スクードの言葉に、ウルベルトは一つ頷きながら思考を巡らせた。

 確かにスクードの言う通り、ウルベルトが戦場に出ない以上、ウルベルトのシモベである彼だけでも戦場に出るのと出ないのとでは聖王国の人間たちの感情に少なからず影響を与えることだろう。加えて、この小都市にウルベルトが留まる以上、解放軍を守ることで間接的にウルベルトの身の安全を高めると言う言葉も納得できた。デメリット……というよりかはスクードの身の危険については高まるだろうが、しかしそれでもメリットの方が大きいように思われた。

 ウルベルトは瞼を閉じてフゥッと大きなため息をつくと、緩く頭を振って瞼を開いた。

 目の前に傅く悪魔を見下ろし、金色の双眸に柔らかな光を宿らせる。

 

「……そこまで言うのであれば仕方がない。スクード、お前の好きにするが良い」

「っ!! 感謝いたします、ウルベルト・アレイン・オードル様」

 

 ウルベルトの許しを得て、スクードが地面に額を擦り付ける勢いで深々と頭を下げてくる。

 ウルベルトは小さな苦笑を浮かべると、スクードから視線を外してオスカーへと移した。

 

「オスカー、お前もこの戦いに参加するが良い。私のシモベとして、存分に力を振るって来たまえ」

「……災華皇閣下、宜しいのですか…?」

「どうせ“自分も戦場に立ちたい”と言い出すつもりだったのだろう?」

「……やはり、お気付きだったのですね…」

「当り前だ、私を誰だと思っている? ……お前が聖王国に尽くせる時は少ない。精々心残りがないように戦ってくるが良い」

 

 向けられた金色の双眸も、かけられた声音も、全てが柔らかく優しい。

 まるでウルベルトに祝福されているかのようで、ネイアは彼らが羨ましく感じてしまった。

 そもそもネイアと彼らとでは立場が似ているようで全く違う。

 スクードもオスカーも、正真正銘ウルベルト直属の配下である。一方ネイアはと言えば、いくら今はウルベルトの従者を命じられているとはいえ、彼直属の配下では決してなかった。ネイアはあくまでも聖王国に属する者であり、聖王国の聖騎士見習いなのだ。彼女がこの戦いに参加するのは当然の義務であり、ウルベルトの許可が必要であるわけでもなければ、ウルベルトが反対する権限もありはしない。

 今のウルベルトのようにネイアに祝福を与える者がいたとすれば、それは聖騎士の頂点であるレメディオス・カストディオか、現段階で唯一生存が確認されている王族であり解放軍に身を置いているカスポンド・ベサーレスのどちらかになるだろう。

 しかし王兄ならばまだしも、レメディオスからの祝福などネイアは断固拒否したい思いだった。彼女からの祝福を受けたところで、少しも嬉しくなどない。

 自分自身の想像に思わず顔を顰めさせるネイアに、不意にウルベルトの声が響いてきた。

 

「今回の戦いは激しいものになるだろう。くれぐれも気を付けるように。……私の言葉を忘れるな」

「っ!! は、はい、災華皇閣下!」

「スクード、出来得る限り彼女を守ってやりなさい。それがお前を今回の戦場に出す条件だ。分かったな?」

「はっ、畏まりました」

 

 ウルベルトの言葉に、スクードとネイアとオスカーが跪いて頭を下げる。ヘンリーとアルバとマクランも跪くことはしなかったものの深々と頭を下げた。

 無言のまま退室を促され、オスカーを先頭に一礼と共に部屋を出ていく。

 ウルベルトは最後の一人が部屋を出るまで無言で見送り、室内に自分一人だけが残されてからやっと一つ大きな息をつくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、退室したネイアたちもまた扉の前で大きな息を吐き出していた。

 誰もが疲れたような表情を浮かべる中、マクランだけが興奮したような笑みを浮かべている。

 

「……あ、あれが災華皇閣下…! 何度かお話ししたことはありましたけど、やっぱりすごいですね! 何て言うか……貫禄が違うと言うか……っ!!」

 

 圧倒されて声をかけることもできなかった……と頬を赤く染めるマクランに思わず苦笑のような笑みを浮かべる。

 しかしネイアはすぐに表情を引き締めさせると、真剣な表情を浮かべて何事かを考え込んでいるアルバへと歩み寄っていった。

 

「ユリゼンさん、今後、災華皇閣下に失礼なことは仰らないで下さい。閣下は十分、聖王国のために力を貸して下さっています。私は閣下に“聖王国は恩を仇で返すような国である”と思ってほしくありません」

「………あなたは…、災華皇閣下を中心に考えているのだな……」

「……え……?」

 

 アルバから投げられた言葉に、しかしネイアは彼が何を言いたいのかが分からなかった。彼がどこか冷めたような視線を自分に向けてくる理由も分からない。

 アルバ・ユリゼンという男はネイアやヘンリーたちよりも悪魔という存在に嫌悪感を持ってはいるが、しかしそれでも他の聖騎士や神官たちとは違ってウルベルトを悪魔だからと決めつけて判断するような人物ではない。いつも冷静で客観的に物事を考えられる人物。

 そんな彼が何故こんなことを言ったのか……。

 困惑した表情を浮かべるネイアに、アルバは大きなため息を吐き出した。

 

「恩人には敬意を払うという考えは素晴らしいものだと思います。他国の王に対して礼儀を尽くすのも決して間違ってはいないでしょう。……しかし、それは時と場合によって変わることもあるのですよ」

「なっ!? 閣下に無礼を働いても良いような時も場面もありはしません!」

「普通であればそうでしょう。そして一般の者からすれば、それが当然であると私も認めます。しかし国同士となれば全てがそう簡単にはいかないのですよ。もし閣下に無礼を働くことで聖王国が救われるのであれば、私はいくらでも無礼を働きましょう。私は聖王国に仕える神官なのですから」

 

 さも当然のように言ってのけるアルバに、ネイアは激しい怒りが込み上げてきた。

 どうしてそんな恥知らずな考えができるのかが全く理解できなかった。ウルベルトの下で共に戦ったことのあるアルバがそんなことを言うことに、まるで裏切られたような気がした。

 

「勿論、カストディオ団長殿や他の聖騎士や神官たちのやり方に賛同している訳ではありません。今は悪魔だ何だと拘っている場合ではないと思っています。しかし、あなたのように全てを受け入れるだけでは何も救えないのです」

「それは……っ!!」

「恩があるからですか? 閣下に我々を救う義理などないからですか? しかし、それに大人しく頷いていては多くの民が殺され、聖王国は滅んでしまう。……恩ある聖王国を救うためならば、私は何度でも喜んで先ほどと同じ行動をとるでしょう」

「………そんなことをしてまで救うことに、意味はあるのですか……? そこに正義はあるのですかっ!!?」

「正義があろうがなかろうが関係ありません。あなたたち聖騎士はやたらと“正義”を重要視しますが、いくら正義を貫いたところで滅んでしまえば……死んでしまえば正義も糞もないでしょう。私の行動が正義で無かろうと無礼であろうと構いません。国際問題に発展すると言うならば喜んでこの命を差し出しましょう。……それで聖王国が救えるというのなら安いものです」

「……っ!!」

 

 アルバの覚悟に、ネイアは思わず小さく息を呑む。

 しかしアルバはそんなネイアの様子に気が付いていないのか、紫紺色の双眸を鋭く細めさせた。

 

「……厳しいことを言うようですが、あなたは一体何に……誰に仕えているのですか?」

「……っ!!」

 

 ネイアは咄嗟に口を開きかけ、しかし何も言うことが出来なかった。

 立場を考えれば『聖王国に仕えている』と答えるべきだ。もしくは『聖王、或いは聖王女に仕えている』と言うべきである。

 しかしネイアはそう口に出すことが出来なかった。

 頭にウルベルトの姿が過ってしまい、言葉が喉の奥に引っかかって音にもならなかった。

 そして遅まきながら気づく。

 自身の今までの考えはウルベルト直属の配下やウルベルトに恩を感じている普通の民であれば許されるものだが、聖王国の国家機関に所属する者が持つにはあまりにも危険なものであるのだ、と。

 

 

 

「……もうそのくらいにしておけ、アルバ」

 

 思わず呆然となる意識の中に、不意に飛び込んできた鋭い声。

 無意識に俯かせていた顔を上げれば、ヘンリーがアルバの肩に手を乗せて諌めている所だった。

 アルバは不機嫌そうに黙り込み、ヘンリーは困ったような表情を浮かべてネイアを振り返ってくる。

 

「アルバが大変失礼なことを言いました。申し訳ありません」

「……い、いえ。その……大丈夫、ですので」

 

 自分でも何が大丈夫なのか分からない。しかし、それ以外に言いようがなかった。アルバの覚悟や指摘の言葉が胸を突いて、それ以外の言葉を紡ぐ余裕がなかった。

 ヘンリーもネイアの状態に気が付いてくれたのか、それ以上は何も言ってこない。

 少々気まずい空気が流れる中、ヘンリーとアルバは持ち場に戻るために短い別れの言葉と共にこの場を後にし、オスカーも無言のままその後に続く。マクランも彼らの後に続こうとして、しかし不意に足を止めてネイアを振り返ってきた。

 

「……あの、バラハさん。くれぐれも気を付けて下さいね」

「……え……?」

「ユリゼンさんが災華皇閣下に言ったことは本当です。多くの民が、閣下がこの戦いに参加されることを望んでいます。そして恐らく、バラハさんも民たちに“閣下はこの戦いに参加するのか”と聞かれるでしょう」

「……………………」

「だから、くれぐれも気を付けて下さい。……答え方ひとつで、民たちの士気は一気に下がることも上がることも考えられます。もし士気が下がるようなことになれば……、この戦いは確実に負けます」

「………ぁ……」

 

 軽く頭を下げて去っていくマクランの背を呆然と見送りながら、ネイアは呆けたような声を小さく零す。まるで現実を突きつけられたかのような感覚に、足から力が抜けて頽れそうになってしまった。何とか足を踏ん張って倒れることは免れたものの、それでも闇に突き落とされたような気分は晴れることはない。自分はどうしてこんなにも考えなしだったのだろう……と後悔のような気持ちが押し寄せてきた。

 先ほどまでネイアの心にあったのは、ウルベルトを利用しようとする者たちへの怒りと、ウルベルトがこの戦いに参加しないことでウルベルトが悪く思われはしないかという不安だった。

 しかしアルバたちが言っていたのは全く違うことだったのだ。

 ウルベルトが与える聖王国への影響や、それによって否が応にも変わるであろう戦況。この戦に負けた場合に待ち構えているであろう絶望。

 

(………ああ、私はいつから……こんな……。)

 

 漸くアルバの言っていた言葉の意味を理解する。

 いつの間にか自分の考えの中心は聖王国ではなくウルベルトへと変わっていた。

 聖王国のために……聖王国に生きる民たちのために命をかけて戦うと言っておきながら、自分が最も心配していたのは聖王国の未来ではなくウルベルトの存在だった。

 自分は一体何をしているのだろう、と強く思う。いつからこんなにも変わってしまったのだろう、と何故かとても泣きそうになってきてしまう。

 しかしそれらに対する後悔は何故か一切なく、ただ何も見えていなかった自分自身に対する不甲斐なさが強く胸を締め付けさせた。

 

 

 

「――……話しは終わったようだな。では、我々も持ち場に向かうとしよう」

 

 不意に聞こえてきた、どこまでも平坦とした声音。

 ハッと我に返って傍らを振り返れば、スクードが何も変わらぬ表情で黄色の目でネイアを見つめていた。しかしスクードはすぐに目を逸らすと、まるでネイアに構う様子もなく踵を返してしまう。そのままネイアの持ち場である西門方向へと歩き始めるのに、ネイアは慌てて大きく足を踏み出した。

 半分以上反射的な行動ではあったけれど、それに促される様にスクードの背を追いかけるために足を動かし始める。それにつられる様にして深く沈み込んでいた心も徐々に浮上していき、ネイアはまるで何かを決意するように鋭い双眸に強い光を宿らせた。

 未だにアルバに言われた言葉は胸に深く突き刺さっている。しかし、今はそんなことを気にして気に病んでいる場合ではない、と半ば無理矢理自分自身を奮い立たせた。

 今はこの戦いに勝つことが先決だ。

 そして、何が何でも生き抜くのだ……!

 ネイアは何度も自分に言い聞かせながら、スクードを追って戦場へと足を踏み出していった。

 

 




本当は戦闘まで行きたかったのですが、そうすると一話が長過ぎになってしまうので一旦ここまででUP!

今回の話は賛否両論あるかと思うのですが、当小説では少し(?)ネイアには悩んでもらうことにしました!
原作でのネイアの言動は読者からすればとても頷けるもので好意的に見えるのですが、しかしそれは私たち読者がアインズたち偏見であることも一つの要因になっているのではないかと思います。実際に聖王国側の人間として考えれば頷けない部分もあるのではないでしょうか。まぁ、それでもレメディオスとかよりかは全然好感が持てるキャラではあるのですが(笑)
と言う訳で、当小説ではネイアちゃんの更なる成長を期待したいと思います!
頑張れ、ネイアちゃん!


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第12話 代償の命

今年最後の小説がこんな血みどろなもので良いのだろうか……(汗)
そして戦闘描写がとてつもなく書き辛い……orz


 スクードと共に西門に到着したネイアは、マクランの予想通り食事や物資を運んでいた民兵たちに声をかけられた。

 話の内容は、こちらも予想通り『災華皇(さいかこう)閣下はこの戦いに参戦するのか』というもの。

 彼らの表情には見るからに不安と期待が入り混じっており、否が応にもマクランに言われた忠告の言葉が頭を過ぎる。ネイアはできるだけ騒ぎにならないように言葉には気を付けながら、ウルベルトは今回の戦いには参加しないことを伝えた。

 瞬間、ネイアを中心に騒めく周囲。何も話さず聞き耳だけを立てていた他の民兵たちも、見るからに恐怖や絶望に染まった表情を浮かべている。

 肌で感じられるほどに一気に下がった士気に、ネイアは思わず危機感を覚えた。

 やはりマクランの言う通りになってしまった、と……――

 しかし幸いなことに、一人の民兵が納得の言葉を零したことによって、それ以上の混乱は起きることはなかった。

 彼が口にしたのは、ウルベルトが以前多くの民たちの前で言った言葉の数々。

『大切なものの価値を決めるのは、最終的には自分自身でしかない』

『大切なものを守れるのは、自分自身でしかありえない』

 他の者たちも次々と同意の言葉を零し、頷き合っている。彼らはウルベルトの言葉を直接聞いていた者たちであり、同時にあの時ウルベルトに怒りをぶつけて非難していた者たちだった。

 彼らは自分たちの甘い考えを後悔し、訝しむ他の者たちにも詳しい内容を語って聞かせた。その際、絶対の力を持つはずのウルベルト自身の壮絶な過去についても熱く語る。

 そして最後に誰もがこう付け加えた。

 自分たちの大切なもの――家族や友人や自分自身の命を守るためには、自分自身で戦うしかないのだ、と。

 この場にウルベルトの配下であるスクードがいたことや、ウルベルトがアルバに『ヤルダバオトを倒すために私を助けてほしい』と言っていたことを伝えたのも、混乱を治める一つ要因になっていたのかもしれない。

 

 

 そして今。

 昼過ぎ頃に動き出した亜人の大軍を目の前に、ネイアは緊張と恐怖にゴクッと大きく唾を呑み込んでいた。

 一面に広がる、視界を覆い尽くさんばかりの黒の蠢き。亜人たちが一歩足を踏み出す度に、地面や市壁が大きく揺らぐ。

 圧倒的な力の差と暴力を体現したようなその光景に、至る所から引き攣ったような小さな悲鳴の声が上がった。

 ネイアも正直に言えば、湧き上がってくる恐怖に手指が震えそうになっている。しかし傍らにいる存在が、何とかネイアの恐怖心をギリギリのところで抑え込んでくれていた。

 ネイアの傍らに立っているのは、ウルベルトの直属の配下であり、あのレメディオス・カストディオと同等の強さを持つとされる影の悪魔(シャドウデーモン)のスクード。

 彼は暫くのろのろと動き始めている大軍を見つめた後、次には黄色の双眸をネイアへと移してきた。

 

「……ネイア・バラハ。お前の今の装備は非常に心許ない。これを装備していろ」

 

 淡々とした声音と共に差し出されたのは、今までスクードが装備していた黒いアメジスト色の籠手。

 それはネイアの持つ“イカロスの翼”と同じく、スクードがウルベルトから下賜されたルーン技術の防具だった。

 

「でも……、これを私が着けたら、スクードさんは……」

「私はウルベルト様よりお前を守るように命じられた。私よりもお前がこれを着けた方が良い」

 

 尚もズイッと差し出してくるのに、どうやら一切引き下がる気はないようだ。刻一刻と亜人の大軍との距離が縮まる中、悠長に考えている暇などない。ネイアは未だ躊躇しながらも、短く礼を言ってスクードから籠手を受け取った。

 自身の腕に巻かれていた革製の籠手を外し、素早くスクードの籠手を装備する。

 瞬間、何かに護られているかのような気配に包まれ、ネイアは思わず驚愕に目を見開かせた。今まで感じていた恐怖もスッと治まり、平常心を取り戻す。

 スクードはネイアの様子に一つ頷くと、次には視線を市壁の奥の亜人の軍勢へと戻した。ネイアもつられるようにして籠手に向けていた視線を亜人の軍勢へと戻す。

 瞬間、目に飛び込んできた“それ”に思わず目を見開かせて小さく息を呑んだ。

 

「……なっ!?」

「………おいおい…、嘘だろ……」

 

 周りからも呆然とした声が小さく響いてくる。

 ネイアたちの視線の先には、こちらに進み出てくる複数の人喰い大鬼(オーガ)たちの姿があった。彼らの手には攻城兵器としても使えるであろう巨大なバリスタが握り締められており、その矛先は真っ直ぐこちらへと向けられていた。

 不意にどこからともなく響いてくる太鼓の音。

 何かの合図だろうと咄嗟に判断した瞬間、大きな地響きと共に市壁が大きく揺らめいた。

 ネイアや民兵たちは近くの壁に手をついて何とか身体を支え、直立不動で微動だにしていないのはスクードのみ。

 揺れが治まったと同時に慌てて周りを見回せば、市壁の至る所に巨大な穴が空いているのが目に飛び込んできた。

 陥没した壁には、ネイアの身長ほどもある槍のような巨大な矢が深く突き刺さっている。ネイアや民兵のような力の弱い人間に当たれば、間違いなくひとたまりもなく即死するだろう。今回の攻撃では幸いなことに誰一人として巻き込まれることはなかったようだが、しかし何度もこんな幸運が起こるとは思えなかった。

 オーガたちへと視線を戻せば第二射の準備をしている真っ最中で、ネイアは思わずザッと血の気を引かせた。

 どうすればいいのか分からず、死への恐怖と焦りばかりが募っていく。

 しかし、相手は決して待ってなどくれない。

 オーガたちの手によって第二の矢が放たれ、瞬間、視界が真っ暗に染まったとほぼ同時に激しい揺れがネイアたちを襲った。

 

「……っ!!?」

 

 何が起こったのか分からず、声さえ上げることが出来ない。焦燥感だけが募る中、唐突にネイアたちの視界を覆っていた暗闇に皹が走り、次にはボロボロと崩れ始めた。反射的に崩れたものに視線を向ければ、それはまるで空気に溶けるかのようにスゥッと静かに消えていく。残ったのは何もない空間と壁の影のみで、ネイアは思わず傍らに立つスクードを見上げた。

 

「……先ほどのは、スクードさんがやったのですか?」

「影を防壁代わりに使っただけだ。耐久力はあまりないが、あれくらいならば一度防ぐことくらいはできる」

 

 スクードの言う“あれくらい”とは、亜人側のバリスタの攻撃のことだろう。

 一度の攻撃を防いだだけで崩れてしまうようでは確かにあまり耐久性はないように思えるが、しかしそれさえできないネイアたちにとっては、それだけでも非常に心強いものだった。

 後は、この影の壁をどのくらいの範囲で何回まで創り出すことが出来るのかが問題だった。

 

「スクードさん、先ほどの影の壁はどのくらいの範囲まで出すことが出来ますか?」

「あまり広範囲にまでは発動できない。精々三メートルほどか……」

「……では、あと何回まで出すことが出来ますか?」

「四回だな」

 

 淡々と返されるスクードからの返答に、ネイアは思わず小さく顔を翳らせた。

 亜人側の矢が後どのくらいあるのかは分からないが、四回という数字はとても少なく感じられた。加えて、防御できるのが三メートルほどというのも、ひどく心許なく感じられる。

 しかしそうは思っても、ネイアはそれらを決して口に出すことはしなかった。

 自分はそれ以下もできないというのにスクードを責めるような言葉を口にするのは筋違いであろうし、正直に言えばそんなことを言っている暇も余裕もありはしなかった。

 この場はスクードのおかげで未だ被害はないにしても、他の市壁には確実に被害が出ている。加えて再び第三射の用意を始めているオーガたちに、何か対処法はないかと考える方が先決だった。

 再び太鼓の音が鳴り響き、一拍後に槍のような矢が幾つも放たれる。

 スクードが再び影の壁を出現させて防御するのに、しかし他の場所は攻撃を諸に受けて激しい音と共に市壁全体が大きく揺らめいた。

 矢の幾つかが民兵の身体を貫き、血を舞わせて悲鳴が轟く。

 チラッと視線を向ければ人間がまるで標本の虫のように壁に磔になっており、中には複数人がまとめて串刺しにされているところもあった。

 口から飛び出そうになる悲鳴を、咄嗟に唇を噛みしめることで堰き止める。恐怖が一気に湧き上がり、壁に磔となった民兵の死体から視線を外すことが出来なかった。自身を奮い立たせることも、この場から逃げることもできず、只々頽れそうになる身体を何とか支えて悲鳴を噛み殺すことしかできない。

 完全に恐怖に支配される中、不意に闇よりも深い漆黒がネイアの視界の端に映り込んできて、ネイアはハッとそちらを振り返った。

 救いを求めて漆黒を視界に映し、しかしそこにあったのは細身の漆黒の悪魔。

 求めた存在ではなかったことに落胆を覚え、しかしその一方でネイアは幾らか正気を取り戻すことが出来た。手に持つ“イカロスの翼”を両手で握りしめ、そっと額に当てて短く祈りを捧げる。

 瞬間、今までなかった空を切るような音が聞こえてきて、ネイアはハッと弾かれたように頭上を見上げた。

 頭上を飛ぶのは幾体もの最下位の天使たち。彼らは火炎壺と松明を手に、真っ直ぐに亜人の軍へと飛んでいっていた。

 恐らく頭上から攻撃するつもりなのだろう。しかし亜人側もむざむざ制空権をこちら側に与える訳がない。

 亜人軍から幾体もの翼亜人(プテローポス)が飛び立ち、それを追うように地上から白い網のようなものが飛び出してきて天使たちに絡みついてきた。天使たちは次々とプテローポスに撃墜され、或いは白い網に引っ掛かって地上へと引きずり下ろされていく。

 しかし全てが失敗に終わったわけではなく、幾体かの天使たちは火炎壺に炎を灯して亜人たちへと落とすことに成功した。

 鮮やかな炎の赤が勢いよく舞い上がり、亜人たちへと襲い掛かる。

 亜人の中には炎に対して耐性を持っているモノもいるだろうが、持っていないモノも勿論いる。全員が全員無傷で済むことはないであろうし、何よりバリスタにダメージを与えられれば御の字だと言えた。

 オーガたちは炎に慌てふためき、小さくない混乱が亜人軍に広がる。

 ネイアは“イカロスの翼”を強く握りしめながら、果たして自分の腕で今の混乱に乗じて攻撃ができるだろうかと思考を巡らせた。

 通常の自分の実力では、矢をオーガたちの元まで飛ばすことさえ難しい。しかし、この“イカロスの翼”を用いれば矢を届かせることはできるだろう。問題は、矢が届いたとしても狙った場所に当たるかどうかだった。

 

「………スクードさん、あのオーガたちを攻撃する術は持っていますか?」

 

 自分はダメでも傍らに立つ悪魔であればどうだろう……と短く問いかける。

 しかし返ってきた言葉はどこまでも平坦で、この状況を打破できるようなものではなかった。

 

「できなくはないが、オーガたちを攻撃するにはこの場を離れてあの場に行かなくてはならない」

「それじゃあ……!」

「私がこの場で最優先するのはお前の守護だ。この場の安全を確保できていない以上、この場を離れるつもりはない」

「……………………」

 

 きっぱりと言い切るスクードに、ネイアは思わず黙り込む。

 本音を言えば、自分の守護などよりもこの場の危機を打開するために動いてほしいと思う。しかし一方で、いやに冷静な部分がネイア自身の考えを必死に引き留めていた。

 刻一刻と危機が迫る中、ゆっくりと思考を巡らす行為は愚かなことなのかもしれない。しかしネイアは、焦る自身の感情を抑え込みながら、もう一方の冷静な自身の思考について熟考することにした。

 スクードがあのように言った以上、オーガたちの元へ行って攻撃すること自体はできるのだろう。しかし問題なのは、攻撃した後。そして、スクードの攻撃できる範囲だった。

 例えば攻撃自体が成功したとしても、亜人たちも大人しくやられたままにはしないだろう。スクードに反撃するのは必然であり、そうなった場合、スクードに逃げる術や耐える術があるのかは不明だった。

 例えばこれがレメディオスであればどうだろう……と思考を巡らせ、しかしネイアはすぐにその考えを打ち消した。

 はっきり言って、多勢に無勢で間違いなく命を落とすだろう。となれば、大きな戦力となるであろう彼をわざわざこのタイミングで死地に向かわせるのはどう考えても愚策に思えた。

 次にスクードの攻撃できる範囲だが、例えば彼が範囲攻撃を得意とするのであれば話は変わってくる。

 自身を中心に広範囲を攻撃できるのであれば、その間に隠れるなり逃げるなり出来るかもしれない。加えて一撃の範囲が広ければ広いほど、市壁に向けられる攻撃を少なくすることもできるだろう。しかし範囲攻撃手段がなく接近戦しかできないのであれば、スクードの身の危険だけでなく、こちら側の守備にも大きな影響が出てしまう。

 

「……スクードさんは範囲攻撃はできますか?」

「出来るには出来るが、足止め程度だ。殺傷力は皆無だし、発動できる回数も少ない」

 

 スクードの言葉に、ネイアは更に思考をこねくり回し、しかし最終的には現状維持という判断を下すことしかできなかった。

 スクードという存在は強さで言えば非常に心強いことは間違いなかったが、しかし使い勝手はあまり宜しくないと思わざるを得なかった。

 いや、そう思うこと自体が間違っているのかもしれない。

 誰しもが何でもできる訳ではない。ネイアも民兵も聖騎士も神官も、あの聖王国最強と名高いレメディオスとて、一人で出来ることなど片手で足りてしまうだろう。それが当たり前だと分かっていたはずなのに何故それを失念していたのかと言えば、それは今までいつも彼女の傍にいた存在が最も大きな原因だった。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国の支配者の一人、ウルベルト・アレイン・オードル災華皇。強大な魔法の力と、海のように深く広い叡智を併せ持った大悪魔。

 彼の王はどんな苦境をも跳ね除けてしまえるほどに強く、思慮深く、それこそできないことなどないのではないかと思えるほどに何でも卒なくこなしてしまう偉大な存在だった。

 だからこそ、同じ悪魔という種族であると言うだけで、スクードにもできるかもしれないと無意識に思ってしまっていたのかもしれない。もしスクード自身がこんなネイアの思考を知れば、『ウルベルト様と同じように思うなど恐れ多い!』と慌てふためいてしまうかもしれない。

 まるで現実逃避のようにつらつらと思考を移らせていくネイアに、不意に警告の怒鳴り声が鼓膜を打った。

 

「――……来るぞっ! 伏せろっ!!」

 

 ハッと我に返ったとほぼ同時に反射的にその場にしゃがみ込む。瞬間、視界が暗闇に染まり、一拍後に今までで一番大きな揺れがネイアたちを襲った。

 しかしそれは市壁が大きなダメージを負っているからだけでは決してない。

 確かに市壁は今までのバリスタの攻撃により所々が陥没し、相応のダメージを受けている。これに更に大きなダメージを受ければ、それだけの衝撃がきて当然だ。しかしネイアたちが今まで以上の揺れを感じたのは決してそれだけが原因ではなかった。

 スクードが再び発動させていた影の壁がボロボロと崩れて消えていくと、そこには何本もの大きな矢が力なく地面へと転がっていた。

 何故一か所にこんなにも矢が転がっているのかというと、それはつまり、今まで満遍なく市壁全体を攻撃していたオーガたちが、今回はネイアたちがいる場所を中心に攻撃してきたということに他ならなかった。

 勿論狙いが上手くいかず、矢があらぬ方向へと飛んでいっているものも少なくはない。しかし回を追うごとに狙いが正確になってきているのも確かだった。偶然攻撃が集中したとは考えにくい。恐らく攻撃する度に出現する影の壁を警戒して、集中的に攻撃してきたと考えた方が自然だった。

 何本も転がっている矢を見下ろし、ネイアは思わず冷や汗を流した。

 スクードが創り出せる影の壁は、後三回。今回のようにこちらを集中して攻撃され続ければ、スクードの影の壁はすぐに回数が尽きてしまう。そうなれば自分たちがどうなってしまうかなど、火を見るより明らかだった。

 加えて民兵たちがスクードが創り出す影の壁の存在に気が付いてこちらに殺到していることも問題だった。

 誰も死にたくなどないため、安全だと思われる場所に逃げるのはもはや生存本能と言ってもいいだろう。しかしそのせいで、今のネイアたちはもはやギュウギュウ詰めのおしくらまんじゅう状態になってしまっていた。スクードの影の壁の回数が尽きてしまえば、ネイアを含む多くの民兵たちは一瞬で命を落としてしまうだろう。ネイアや近くに配置されていた聖騎士が散らばるように必死に声を上げるも、全く効果は得られない。

 どんどんと増していく圧迫感に身動きも難しくなる中、再び響き渡る太鼓の音と共に視界が闇に染まった。続いて全身に感じられる大きな衝撃。

 影の壁の残り回数は後二回……――

 心の中でカウントしながら、焦りだけが増していく。

 恐らくスクードも同じだったのだろう。

 

「人間ども、今すぐ伏せろっ!!」

 

 スクードの怒鳴り声にも似た声に続いて、再び響き渡る太鼓の音と放たれる何本もの矢。ネイアたちが咄嗟に地面にうつ伏せになる中、スクードは細長い両腕を振るって飛んでくる矢を弾き飛ばした。

 ガキンッという硬い金属音のような音と共に何本もの矢が弾かれて地面へと落ちる。しかしたった二本の腕で大量の矢を全て捌くことはできなかったらしく、二、三本はスクードの痩躯を襲った。流石は悪魔というべきか、細く薄い身体であるにも拘らず矢がその身を貫くことはなかったが、それでも相応のダメージは受けているのかもしれない。

 

「……ス、スクードさん………っ!」

「ネイア・バラハ、良いと言うまで低く伏せていろ」

 

 頭だけを上げて一人だけ立つスクードを見上げる。しかしスクードは一切ネイアを振り返ることなく、黄色い双眸を亜人の軍へと向けていた。

 何度も鳴り響く太鼓の音と、その度に襲い掛かってくる何十本もの矢。

 その度にスクードは影の壁を出すことなく、自身の両腕と細い身体でもって全てを弾き返し、全てを受け止めていった。

 悪魔であるスクードに文字通り身を挺して守られている状況に、多くの民兵たちが複雑そうな表情を浮かべているのがネイアの目に留まった。

 

 

 

「………もう良いようだ……」

 

 不意に鳴り響く四度の太鼓の音と共に、スクードがポツリと言葉を零す。彼の言葉に従ってうつ伏せていた身体を起こしたネイアたちは、大分崩れた市壁の隙間から亜人の軍を見やった。

 スクードの言う通り、バリスタを持ったオーガたちの姿は既に無く、代わりに亜人軍全軍が進軍を開始していた。

 右翼と左翼は横陣のまま進軍し、中央は魚鱗の陣形で門へと進軍している。更には違う一軍が都市を迂回するような形で動き出していた。

 しかしネイアたちの視線は横陣に進軍する軍に釘付けになっていた。

 多くの種族によって構成された混成軍。手には市壁にかけるのであろう梯子が握り締められており、腰には人間の幼子が括り付けられていた。

 泣き叫んでいる者もいれば、ぐったりとしている者もいる。しかし全員が生きているのは確かだった。恐らく、これまでの時と同じように人質として使うつもりなのだろう。

 周りの民兵たちが動揺から騒めく中、ネイアは苦々しく大きく顔を顰めさせた。

 思わずウルベルトの姿が頭を過ぎる。

 彼の御方ならば、こんな状況でも子供たちを救うことが出来るのかもしれない。いや、きっと救うことが出来るのだろう。

 しかしネイアはブンブンと大きく頭を振ってその考えを打ち消した。

 ウルベルトがこの戦いに参戦しないことは既に決まっていることであるし、今更ウルベルトを呼んだところで間に合わないことは明白だった。

 この場を切り抜けられるのは自分たちしかいない。そして自分たちには子供たちを救う力などありはしない。

 ならば、することは……自分たちにできることは、一つしかない……!!

 

「…………っ!!」

 

 ネイアは“イカロスの翼”を鋭く構えると、その矢尻を亜人の軍へと向けた。

 ギリギリと弦を引き、歯を食いしばり、狙いを定めて一息に矢を放つ。解き放たれた矢は閃光の如く空を切り裂くと、一直線に一体の亜人の腰に括りつけられた子供の心臓と亜人そのものを貫いた。

 しかし、それだけでネイアの動きは止まらない。

 矢を番えては解き放ち、矢を番えては解き放ちを繰り返す。

 その全ては狙いを外さず、幼子諸とも亜人たちを貫いて地面へと沈めていった。

 

「……おいっ、あんた何してるんだっ!!」

 

 背後にいた民兵の男が大声を上げて止めるように肩を強く掴んでくる。

 しかしそんなことを気にかけている場合でも余裕もありはしなかった。

 ネイアは男を振り返ることなく肩の手を振り払うと、新たな矢を弦に番えながら口だけを開いた。

 

「あなたたちも早く攻撃しなさい! 弓矢を扱えない者は石を投げなさい! 私たちには人質を助けることはできない!!」

 

 ネイアの鋭い言葉に、男たちは衝撃を受けたように目を見開いて息を呑む。顔に困惑と焦りのような表情を浮かべ、恐怖にかそれとも怒りにか、身体を小刻みに震わせた。

 

「だ、だが……相手は子供だぞ! あんな小さな子を攻撃するなんて……!!」

「ここで動かなければ、私たちは殺されて、この場は突破されてしまいます! そうなれば、あなたたちの大切な人たちに危険が及ぶんですよ!」

「だからと言って……! ……そ、そうだ、災華皇閣下ならきっと……、閣下を呼びに……っ!!」

「今さら閣下を呼びに行ったところで間に合いません! 早く攻撃しなさい!!」

 

 怒鳴るように声を張り上げながら、なおも矢を番えて的へと放つ。

 まさか人質諸とも攻撃してくるとは亜人たちも思ってはいなかったのだろう、明らかに動揺したように軍の動きが鈍る。

 しかしネイア一人ではどう考えても限界があった。

 どうして攻撃しないのか、と思わず矢を放ちながらも横目で少し遠くに佇む聖騎士たちを睨む。

 戦うことを生業としていない民兵たちならばまだしも、指揮する立場にある聖騎士たちが率先して動かずしてどうすると言うのだ……!!

 苛立ちが募る中、しかし不意にネイアの持ち場から遠く離れた市壁の端近くから、亜人の軍へと飛んでいく多くの矢の姿が目に飛び込んできた。

 矢の向かう先にいたのは、亜人たちと人質となっている子供たち。まるで人質など最初からいないかのように矢は容赦なく亜人軍へと襲い掛かっていく。

 子供たちは、ある者は泣き叫びながら、ある者は絶望に表情をなくしながら、そしてある者は安堵のような表情を浮かべながら矢に貫かれ、自身を括り付けている亜人と共に事切れて地面へと倒れていった。

 

「………ウィーグランさん……」

 

 今もなお亜人たちへと矢を放ち続けている場所を見つめ、ネイアはふと漆黒の騎士の姿を頭に蘇らせた。

 確かあの場所はオスカーが配置されている場所だ。ならば恐らく指揮をとって攻撃しているのはオスカーだろう。彼はそれが出来るだけの強さも覚悟も持っている。

 ネイアは思わず“イカロスの翼”を握り締めている手にギュッと力を込めると、しかしその時、不意に複数の影が頭上を通り過ぎたことに気が付いて反射的に頭上を見上げた。

 視線の先には新たな最下位の天使が複数体、ものすごい速さで空を駆けていた。

 天使たちが向かう先は亜人軍。先ほどの矢と同様、人質となっている子供諸とも亜人たちを攻撃し、少しでも時間稼ぎと数を減らそうと亜人軍に群がっていた。

 

「………ユリゼン、さん……」

 

 天使たちの思わぬ行動に、咄嗟に冷めた表情を浮かべたアルバの姿が脳裏を過ぎる。

 天使を動かしたのが本当にアルバかどうかは正直分からなかったが、しかしネイアは妙に彼の仕業であると確信を持っていた。聖王国を守るためならば何でもすると言ってのけた彼の冷酷なまでの声も姿も未だ鮮明に記憶に残っている。彼ならば、必要と判断すれば容赦なく非道な行動も起こすことが出来るだろう。

 しかし、それが理解できる者は少なく、誰もが納得できるものではない。その証拠に、目の前に広がる正に地獄絵図のような光景に、ネイアの周りにいる民兵の男たちは苦悶の表情を浮かべてはらはらと涙をこぼしていた。

 ネイアだけではない。聖騎士が放たせたであろう多くの矢が、神官が生み出したのであろう多くの天使たちが、子供たちを容赦なく殺している。まるで、どうしようもない残酷な現実を突きつけられているようで、逃げようとするかのように後退る者が何人もいた。

 しかし、そんなことが許されるほどこの場は生ぬるい場所ではない。

 ネイアは奥歯が砕けんばかりに強く歯を噛みしめると、“イカロスの翼”を構え直して再び亜人軍へと矢を放ち始めた。

 多くの矢に混じって、ネイアの矢が天使たちの横を通り過ぎて子供と亜人を捉える。

 新たな矢を番えて狙いを定めながら、ネイアは視線を向けることなく周りの民兵たちへと再び声を張り上げた。

 

「早くあなたたちも攻撃しなさい! 私たちではどうにもできないことくらい分かるでしょう!!」

 

「………くっ、そぉぉっ!!」

「ちくしょう……、こんな……こんな………っ!!」

「……ああ、何で……。……ごめん、ごめん…」

「俺には無理だ……!! 誰か……誰か………、災華皇閣下……っ!!」

「………いやだ……、……いやだ……。………閣下……、閣下……」

 

 目の前に広がる残酷な現実とネイアからの声に、民兵たちも漸く動き出す。しかしその反応と行動は、大きく二つに別れた。

 ネイアと同じく現実を見据え、覚悟を決めて攻撃を始める者たち。

 そして現実に耐え切れず、他者からの助けを願うことしかできない者たち。

 ネイアは亜人軍への攻撃を続けながら、内心では嘆きと苛立ちが入り混じった呻き声を零していた。

 こんなところでも感じ取れてしまう、ウルベルトという大きな影響。

 ウルベルトの言葉によって、多くの者たちが犠牲という名の覚悟を持つことが出来たのは確かだ。しかしその一方で、ウルベルトが何度も解放軍を窮地から救ったことで、ウルベルトに救いを求めれば何とかなるという心をも多くの者たちに植え付けてしまっていた。

 もし仮にウルベルトが解放軍を救った際に人質となっていた子供を助けず見殺しにしていたなら、ここまで彼らがウルベルトに依存することはなかったのかもしれない。何かを成すためには、誰であろとも少なからず犠牲や代償を払わなければならないのだと、もっと多くの者が覚悟を持てたのかもしれない。しかしウルベルトは“人質となっていた子供の解放”という誰もが出来なかったことを、彼らの目の前でいとも容易くやってのけてしまった。ある意味彼らがここまでウルベルトに依存するのも仕方がないことなのかもしれない。

 ネイアは取り敢えず彼らの説得を諦めると、今は目の前の危機を少しでも軽くしようと戦闘に集中することにした。

 既に亜人軍は目と鼻の先に迫っており、数分もしないうちに市壁に到着するだろう。

 亜人軍は進軍しながらも先ほどのバリスタの攻撃を再開させており、ネイアの周辺に飛んでくるものは全てスクードが弾き飛ばし、またはその身を盾として受け止めてくれていた。

 

「来るぞっ! 剣に持ち替えろ!!」

 

 聖騎士の鋭い声とほぼ同時に、長い梯子の端が市壁の向こうから姿を現す。何十何百もの多くの梯子が次々と市壁に掛けられ、遂に多くの亜人たちが梯子を上り始めた。

 こちらも長い棒を使って押し返したり、石を落としたり、天使たちに梯子を破壊させたりするのだが、あまりにも数の差があり過ぎて対処が間に合わない。ネイアも市壁から半身を乗り出して梯子を上っている亜人たちに矢を放つも、焼け石に水状態で状況を緩和させることすらも難しかった。

 しかし、何事もやらないよりかはマシである。

 亜人軍もバリスタや石喰猿(ストーンイーター)が吐き出す石礫によって反撃してくるものの、ネイアの場合はスクードが対処してくれるため攻撃だけに集中して矢を放ち続けた。“イカロスの翼”のおかげで、どんなに硬い装甲を持っている亜人であっても、一撃で仕留めることが出来る。

 しかしそうはいっても、やはり限界は存在する。

 徐々にではあるが市壁の上に上がりきった亜人の数が増え始め、解放軍側は亜人軍に押され始めていた。聖騎士を筆頭に何とか持ち堪えてはいるものの、いつこの均衡が崩れるか分からない。

 どうすればこの危機的状況を打開できるのかと思わず焦りの表情を浮かべる中、不意にそれ(・・)が戦場に響き渡った。

 

「ラゴン族、ジャジャン様が指揮官の首を取ったぞ! さぁ、てめぇらぁ、殺せぇ! 人間どもを殺せぇ!」

 

「……っ!!?」

 

 幾つもの悲鳴と共に聞こえてきた大きなどら声。

 慌てて声の方を振り返ると、立派な体躯の一頭のストーンイーターが一つの首を片手に掲げ持って周りの亜人たちを鼓舞していた。

 掲げられている首を凝視し、思わずネイアは戦慄した。

 切断された首から血を滴らせている首級の顔が、間違いなく近くで戦っていた聖騎士のものだったからだ。

 まずい……と思った瞬間、勢い付いた亜人たちが我先にと身を踊り出してきた。防波堤の役目を担っていた聖騎士が殺されたことで、一気にこの場の戦況が悪化していく。ジャジャンと名乗ったストーンイーターの背後から幾つもの梯子が掛けられ、多くの亜人たちが次々と市壁の上へと躍り出てきた。

 雪崩のように数を増やし襲い掛かってくる亜人軍に、聖騎士を失った民兵たちがまともに抗えるはずがない。聖騎士と民兵との強さの差は天と地ほどにも大きな開きがあり、民兵だけではもはやこの場を抑えきることができなかった。

 

「………ネイア・バラハ、他の人間どもと共にいろ」

「……っ!!? ……スクードさん!?」

 

 不意にかけられた声に咄嗟に振り返った瞬間、漆黒の細い影が視界をものすごい速さで横切った。

 黒い影の正体など、誰に言われずとも分かる。

 咄嗟にその名を呼ぶも影の動きは止まらず、その細身が地面の影に吸い込まれるように消えていったとほぼ同時に、次にはその細身はジャジャンの目の前に姿を現した。突然のことに反応できず目を見開くだけのストーンイーターに、スクードが鋭い両爪を両側からクロスするように振り下ろす。ナイフのように細長く鋭い漆黒の両爪が容赦なく皮膚を切り裂き、肉を断ち切り、骨を砕いてストーンイーターを細切れの肉片へと姿を変えさせた。

 突然のスクードの登場とジャジャンが一瞬で物言わぬ肉片となった事で、周りにいた亜人たちが見るからに動揺を見せる。その隙にスクードは再び自身の影に潜ると、次にはネイアの傍らへと姿を現した。

 一瞬で傍らに戻って来たスクードに、ネイアは自分が考え違いをしていたことに気が付いて思わず苦々し気に顔を歪ませた。

 そうだ、彼は自分自身の影に潜って移動することもできたのだ……と思い出して、数分前の自分の至らぬ頭に苛立ちすら込み上げてくる。やはりオーガによるバリスタの攻撃時にスクードに攻撃しに行ってもらえるよう頼むべきだったと後悔が押し寄せてきた。

 しかしネイアは苦い感情を大きく呑み込むと、意識を切り替えるように努めて冷静になるように自身に言い聞かせた。

 後悔も反省も後回しだ。今は目の前のことに集中することが大切なのだ、と何とか感情を鎮めさせる。

 

「………スクードさん……」

「……亜人共の相手は私がする。ネイア・バラハ、お前はその間に矢の補充をしておけ」

 

 スクードの言葉にハッと背中の矢筒を確認すれば、確かに収まっている矢の数は残り一本となってしまっていた。自分の矢の残数すら把握できていなかったことに思わず冷や汗が流れる。

 その間にスクードは一歩二歩と歩を進めながら周りの民兵たちにも手短に指示を出していた。

 

「貴様らも命が惜しくばネイア・バラハと共に下がっていろ! この者の傍を決して離れるな! もし離れれば、私の守護の元から離れることと知れ!」

 

 忠告とも警告とも取れるスクードの言葉は、絶大な効果を発揮した。周りにいた民兵たち全員がネイアを中心に周りへと集まり、彼女とスクードと亜人との距離が開けていく。

 この状況に、ネイアはスクードの目的を正確に理解して思わず血の気を引かせた。

 スクードはつまり、彼ら民兵たちを何かあった時のネイアの肉壁に使うつもりなのだ。

『大切なものの価値を決めるのは、最終的には自分自身でしかない』

『大切なものを守れるのは、自分自身でしかありえない』

 戦闘前に民兵たちと話していた会話が脳裏に蘇り、思わず唇を強く噛みしめる。

 スクードにとってネイアは大切な存在ではないのだろうが、しかし彼にとって何よりも優先すべき存在からネイアの守護を命じられているため、どんな非道なことでもしてみせるのだろう。

 本音を言えば、こんな事などしてほしくはない。守るべき民であり、今は共に戦う仲間である民兵たちを自身の肉壁にするなど、決して許されることではない。

 しかしそう思う一方で、先ほど自分たちを守るために幼い子供たちを手に掛けた自分がスクードに対して非難する資格はないとも思ってしまった。

 一体自分はどうすべきなのか。

 何が正しくて、何が間違っているのか。

 何が……正義であるのか……――

 ネイアは自身の考えに緩く頭を振ると、一つ息をついて無理矢理意識を切り替えた。

 スクードの行動に意見できないのなら、せめてそうならないように自分が動けばいいだけだ。民兵たちを犠牲にしたくないのなら、自分が彼らを守ればいいだけだ。

 ネイアは必死に自分に言い聞かせると、近くにいた民兵に矢を譲ってもらい、スクードの援護をして彼らを守るべく“イカロスの翼”を鋭く構えた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 スクードはゆっくりと歩を進めながら、目の前の亜人たちを冷静に観察していた。

 亜人たちは悪魔の登場に動揺して警戒しているようで、こちらの様子を窺って無暗矢鱈に攻撃してこない。スクードもある一定の距離まで進んだ段階で歩みを止め、これからの行動について思考を巡らせた。

 この場でのスクードの任務は、崇拝する主であるウルベルト・アレイン・オードルの名代と、ネイア・バラハの守護。

 しかしそれ以外にももう一つ、ウルベルトにも言ってはいない目的が存在した。

 それは、この身と命をもってこの場の礎となり、悪魔の……延いてはウルベルト・アレイン・オードルの存在と影響力を確固たるものとすること。

 この命令は、ナザリックの第七階層守護者であるデミウルゴスから秘密裏に下されたものだった。

 思い出されるのは、ウルベルトがナザリック地下大墳墓第七階層で催した悪魔たちによる大晩餐会の夜。既に大晩餐会はお開きとなり、他の悪魔たちがそれぞれの持ち場に戻った後にスクードだけがデミウルゴスに呼び止められた。そこで命じられたのが、この身とこの命をもってウルベルトの栄光への礎となることだった。

 この命令が果たしてウルベルトの望んでいることなのかは、下賤な身であるスクードには推し量ることすら出来ない。

 しかし少なくとも、ウルベルトのためになることだけは分かっていた。そして、彼の第七階層守護者がウルベルトのためにならぬことを命じるはずがないことも理解していた。

 はっきり言えば、この場にいる全ての亜人たちを相手取ったとしても、スクードが死ねる確率はあまりにも小さい。自身の、或いは敵味方の影を巧みに使えば、これくらいの亜人たちを葬り去ることなどシャドウデーモンであるスクードにとっては決して難しいことではなかった。

 しかし、それではいけない。スクードはウルベルトのために、この場でネイア・バラハや多くの人間たちを守って死ななければならないのだ。

 スクードは少しだけ考え込むと、取り敢えずはこれ以上影に潜ることはしないことにした。

 このような状況では幸いというべきか、シャドウデーモンであるスクードの防御力はそれほど高くはない。レベルの低い亜人たちであっても、攻撃が届けばある程度はスクードにダメージを与えることもできるだろう。

 スクードは少しだけ身を屈めると、そのままゆらりと揺らめいたと同時に亜人たちへと真正面から突っ込んでいった。

 まずは目の前にいた鉄鼠人(アーマット)を鉤爪で切り裂くと、近くにいた刀鎧蟲(ブレイダー)に向けて鞭のように腕を振るって薙ぎ払う。

 亜人たちもここで漸く応戦する覚悟を決めたのか、我先にと己の鉤爪や得物を振るってスクードに襲い掛かってきた。

 スクードも不自然に見えない程度に亜人たちの攻撃を躱し、時には受け流し、しかし適度に攻撃を受けてはダメージを蓄積させていく。不意に頭上から舞い降りてきたプテローポスが攻撃に加わり、徐々にスクードの身に降りかかるダメージの量が増えていった。

 時折スクードを援護するように飛んでくる矢はネイア・バラハのものだろう。こちらの事よりも自身の安全にだけ気を配ればいいものを……と少しだけ呆れの感情が湧き上がってくる。

 しかしスクードはその感情にすぐさま蓋をすると、今は自身の目的を果たすために腕を振るい続けた。亜人たちの注意を一身に受け、その一つでもネイア・バラハや他の人間たちに向かないように細心の注意を払いながら立ち回る。

 腕を振るう。

 攻撃を避ける。

 肉を切り裂く。

 剣を腕で受け止める。

 槍が腹に突き刺さる。

 目の前の胴体を薙ぎ払う。

 右腕に噛み付かれる。

 頭を握りつぶす。

 左目を射抜かれる。

 心臓を突き刺す。

 切り裂く。

 引き裂く。

 受ける。

 切られる。

 避ける。

 避ける。

 砕かれる。

 

 

 

「――………スクードさん……っ!!」

 

 不意に名を呼ばれたと同時にぐらりと視界が揺らぐ。

 いや、視界が揺らいでいる訳ではない。体勢が崩れて倒れそうになっていたのだ。

 気が付けば全身はボロボロになっており、視界も時折翳んでいるような状態になっていた。

 いつの間にか上がっていた呼吸の中、スクードは思わずフッと小さな笑みを浮かばせた。

 周りを見回せば大量の亜人の死体が転がっており、目の前に立ちはだかっている亜人の数は片手の指で足りる程に少なくなっている。数十分もすれば新たな亜人たちが集まってくるだろうが、それでも今目の前の亜人たちを倒せば自分が死んでも少しの安全は確保できるだろう。

 スクードは一つ腕を振るってまとわりついている大量の血を振り払うと、一つ息をついたとほぼ同時に残りの亜人たちに向かって勢いよく突撃していった。

 一体を切り裂いたとほぼ同時に背に刃を受け、もう一体の心臓を貫くとほぼ同時に腹を切り裂かれる。

 しかしスクードの動きは止まらない。

 全ては至高の御方、ウルベルト・アレイン・オードルのために。

 最後の瞬間に視界に映ったのは、最後の一体である亜人ではなく、こちらに柔らかな笑みを浮かべる凛々しくも美しく、悪魔の頂点に相応しき彼の至高の姿だった。

 

 

「………ウルベ…ト……イン・オ……さ……ま………」

 

 翳む視界と意識の中、漆黒の影が言の葉と共にボロボロと崩れてった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――………スクード……?」

 

 耳に煩い喧騒の中、小さな声がポツリと零れてかき消される。

 黄金色の瞳が西門に向けられ、ゆらりと小さく揺らめいた。

 

 



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第13話 戦場の駒

 時は少々遡り……――

 亜人軍が漸く動き出した頃、ウルベルトはカスポンドと共に都市の奥にある指揮官詰め所にいた。

 室内にはウルベルトとカスポンド以外の者は誰もおらず、聖騎士が一人だけ部屋の外で護衛として控えているのみだ。

 既に〈静寂(サイレンス)〉の魔法をかけていることもあり、ウルベルトとカスポンドは取り繕うこともなく自然体でそれぞれ椅子に腰かけていた。

 

「……そういえば、この部屋に案内された時から思っていたのだがね。戦の真っ最中に我々が二人だけでいても良いのかな?」

 

 通常であれば、戦時中であれば総指揮官は側近となる貴族や幾人かの聖騎士や神官たちと共に、刻一刻と変わる戦場の状況に合わせて話し合いを行い、新たな指令を各部隊に命じていくものであるはずだ。少なくともウルベルトはそう考えている。

 しかし問われたカスポンドの方は一切慌てる様子は見せず、変わらぬ柔らかな笑みを浮かべてみせた。

 

「お気遣い下さり、感謝いたします。しかし、どうかご安心ください。貴族たちは未だ心身ともに休養が必要ですし、聖騎士や神官は何人いても足りない状況です。このような場所に待機するよりも、一人でも戦場に出した方が良いでしょう」

「なるほど。まぁ、どこも人手不足らしいからな」

 

 カスポンドの言葉に、ウルベルトはワザとらしく肩を竦ませてクツクツと小さく喉を鳴らす。聖王国の人間が見れば不快に感じるであろうそれに、しかしカスポンドは不快に感じるどころかうっとりとした笑みすら浮かばせた。

 ウルベルトは一度大きな息をついて笑い声をとめると、ゆっくりと足を組みながら黄金色の瞳をカスポンドへと向けた。

 

「それで……、お前は私のシモベであると考えて良いのかな?」

 

 ウルベルトの問いに、カスポンドはキョトンとした表情を浮かべる。

 しかしすぐにウルベルトが何を言いたいのか理解すると、次には先ほどと同じく柔らかな笑みを浮かべてみせた。

 

「勿論でございます。ですので、如何様にもお使いください」

「だが、お前はそもそもデミウルゴスによってこの場に寄越されたのだろう。普通であれば、“ヤルダバオト”のシモベとして動いた方が良いのではないかな?」

「はい。ですので、ここは“真の支配者に魅せられてウルベルト様の支配下に下った”ということにしては如何かと愚考いたします」

「フフッ、そうか。では……解放軍に潜伏している影の悪魔(シャドウデーモン)たちに対しても同じように考えて良いんだな?」

「御意にございます、ウルベルト・アレイン・オードル様」

 

 ウルベルトの言う“解放軍に潜伏しているシャドウデーモン”とは、言葉通りデミウルゴスが秘密裏に解放軍に潜伏させているシャドウデーモンたちのことである。

 これまでの彼らの任務は解放軍の動向を監視して逐一デミウルゴスに報告することだったが、これからはデミウルゴスの手札としてではなく、ウルベルトの手札として動くつもりらしい。

 新たに加わった手札に内心笑みを浮かべながら、しかし面ではそんな気配などおくびにも出さずにウルベルトは鷹揚に頷いてみせた。頭を下げているカスポンドに顔を上げさせながら、それでいてチラッと大きな窓から外へと目を移す。

 あんなにも聞こえていた太鼓の音も破壊音もいつの間にか既に消えており、ウルベルトは黄金色の片目を小さく細めさせて徐に椅子から立ち上がった。

 

「……ウルベルト様、どちらへ?」

 

 漆黒のペリースを靡かせながら窓へと向かうウルベルトに、こちらも椅子から立ち上がりながらカスポンドが問いかけてくる。

 ウルベルトは窓の前まで歩み寄ってからクルッとカスポンドを振り返ると、その山羊の顔にニヤリとした笑みを浮かばせた。

 

「なに、やはり少々聖王国の人間たちに手を貸してあげようと思ってね」

「それはそれは。ですが、我々としては有り難いことですが、閣下の魔力は大丈夫なのですか?」

「正直に言って大丈夫ではないが、それでも解放軍が完全に滅んでしまっては意味がない。君のところの一人の神官に言われて感銘を受けたのだよ」

「ああ、何と慈悲深い御心でしょうか。我が聖王国は心からの感謝を申し上げます」

 

 カスポンドの正体や彼らの繋がりを知っている者から見れば、これらは非常にワザとらしい会話であったことだろう。

 しかし室内にはウルベルトとカスポンドの二人しかいない。

 ウルベルトは両開きの窓を開け放って窓の淵に足を掛けると、頭を下げるカスポンドの見送りを背に勢いよく外へと飛び出した。すぐに〈飛行(フライ)〉の魔法を自身にかけて宙に浮かび、まずは全体の戦況を見るべく、そのまま遥か上空へと上昇する。それでいて地上から500メートルほどの高さで漸く停止すると、ウルベルトはザッと都市全体を見回した。

 都市を囲む市壁に群がる黒い群れと攻撃を受けている四方の門。その中でもやはりと言うべきか、西門周辺での戦況が一番悪く思われた。

 門の鉄格子は既に破られ、市壁の上にも多くの亜人が上り始めている。市壁の上に至っては、今は何とか持ち堪えているものの、いつ決壊するとも限らない状態だった。

 しかしウルベルトの視線は西門付近に向けられていた。

 彼の視線の先にいたのはレメディオス・カストディオと四人の聖騎士。盾と槍を持って四列に固まって整列している民兵たち。そして、この世界では強者の分類に入るのではないかと思われる三体の亜人たちだった。

 彼女たちの姿を見つけ、ウルベルトは思わずニヤリとした笑みが浮かばせた。

 何と都合が良いことだろう、と思わずにはいられなかった。

 レメディオス・カストディオという人物は、デミウルゴスやアルベドが言う所によると欠陥品であるらしい。

 彼女の元へ向かったなら、どんなに愉快な事になるのか、考えただけでも笑いが止まらない。自分よがりな正義を堂々と掲げている彼女の事だ、さぞかし自分の期待に大いに応えてくれることだろう。

 ウルベルトは顔に浮かんでいるあくどい笑みを何とか引っ込めると、代わりに頼りがいのある凛とした優しい笑みを顔に張り付けて再び宙を駆け始めた。

 向かうのはレメディオスたちのいる西門付近。

 とはいえ、すぐに彼女たちに姿を見せるつもりは全くなく、ウルベルトはある程度彼女たちに近づいた後に空中で停止すると、アイテムボックスから〈完全不可知化〉の魔法が宿っているネックレスを取り出して素早く身に着けた。これでどんなに彼女たちに近づいたとしても、こちらの存在に気が付かれることはないはずだ。どうせ姿を現すなら、彼女たちが命の危機に瀕した頃合いを見計らって颯爽と助けに現れた方が効率が良いだろう。それまではレメディオスや他の聖騎士、三体の亜人たちの戦闘方法や能力について観察することにした。

 ウルベルトは四列に並んで待機している民兵たちの頭上二メートルほどの高さで停止すると、まずはマジマジと三体の亜人たちを見つめた。

 雑魚だと思われる多くの亜人たちを後ろに従えた三体の亜人は、それぞれ違う種類の亜人のようだった。

 一体目は獣身四足獣(ゾーオスティア)

 虎のような肉食獣の顔に、人間のような骨格の上半身。しかし腰から下は肉食獣の四肢となっており、まるで獣版のケンタウロスのようである。

 もう一体は魔現人(マーギロス)

 姿形は人間とそれほど変わらない。ただ、腕の数が人間と違って四本あることが一番人間とは違う部分であると言えた。身体中には刺青が刻まれており、生来の魔法行使能力を持つ亜人故か、全体的に細身である。声の響きからして、この亜人はどうやら雌であるようだった。

 そして最後の一体は石喰猿(ストーンイーター)

 頭髪のような白い毛が長く垂れ下がり、毛の間から覗くのは三日月型に歪んだ大きな口のみ。全身に装身具を身に着けており、亜人にしては珍しいことのように思われた。

 彼女たちが今何をしているのかというと、戦うでもなく呑気に自己紹介をしている。

 どうやら亜人たちの名は、ゾーオスティアはヴィジャー・ラージャンダラー、魔現人はナスレネ・ベルト・キュール、ストーンイーターはハリシャ・アンカーラというらしい。

 三体ともが二つ名持ちらしく、ウルベルトは彼らの名を第七階層での大晩餐会の時にデミウルゴスやアルベドの口から聞いていたことを思い出した。

 デミウルゴスやアルベドは三体に関しては生かしても殺してもどちらでも構わないと言っていたが、しかしストーンイーターについては変異種ともいえる能力を持っているとも言っていたはずだ。もしかすれば、正式に手中に引き入れられれば、レア好きのアインズは喜ぶかもしれない。

 ストーンイーターをマジマジと見つめながら、つらつらと思考を巡らす。

 ウルベルトの目の前では、三体の亜人がレメディオスの名を聞いて驚きの表情を浮かべたり喜色の笑みを浮かべたりしているところだった。

 

「――……お前が、か。お前が、レメディオス・カストディオか。この国最強と言われる聖騎士。はは! これは良い! お前を殺せば俺の名は広く知れ渡るだろう。聖王国最強の聖騎士を倒したゾーオスティア。魔爪の名を新たに継いだモノとしてな!」

 

 ヴィジャーが獰猛な笑みを浮かべて、嬉々とした声を上げる。

 どうやらこの亜人は強さを非常に重視しており、名を知らしめることにひどく固執しているようだった。

 

「ふーむ。ならばそれが聖剣か。ふーん。……のぉ、ヴィジャー殿。相手を代わる気はないか? もし代わってくれるなら、おぬしの勲、我が部族のモノの手を使って、大きく広めても良いぞ?」

 

 ナスレネがマジマジとレメディオスの持つ聖剣を見やり、まるで軽い提案をするかのようにヴィジャーに声をかける。

 ウルベルトはレメディオスの聖剣について“そこまで貴重なものなのか?”と首を傾げ、しかし次に耳に飛び込んできた会話に度肝を抜かれることになった。

 

「ヒヒヒ。それを差し出し、代わりにヤルダバオト様に子供をおねだりするっていう寸法かね?」

「ふん。俺がやるということになっていただろう。お前の出番はないぞ」

「……悪魔の子種をねだるのか? 吐き気がする」

 

 笑い声を上げるハリシャの言葉を皮切りに、ヴィジャーやレメディオスまでもがそれぞれ言葉を吐き捨てる。

 しかしウルベルトはそれどころではなかった。金色の瞳を大きく見開かせ、口もだらしなく半開きになっている。ウルベルトの瞳には何も映っておらず、先ほどからハリシャが口にした爆弾発言がエンドレスで脳内に繰り返し鳴り響いていた。

 ハリシャは『ヤルダバオト様に子供をねだる』と言っていた。ナスレネも否定の言葉を口にしなかったため、恐らく無言という名の肯定なのだろう。

 それでは、“ヤルダバオト様”とは誰か……。

 言われるまでもない、彼の忠実なるシモベにして、愛する息子とも言えるデミウルゴスだ。

 

(――………ということはつまり、この魔現人の雌はデミウルゴスの子供が欲しい、と……?)

 

 頭にフッと浮かんだ自分の考えに、ウルベルトは思わず小さく息を呑んだ。ドクンッと心臓が大きく鼓動したような気がする。

 フッと脳裏に浮かぶのはナザリック地下大墳墓の玉座の間。

 玉座に腰掛けているウルベルトの目の前には、デミウルゴスと魔現人の雌が仲良く横に並んで地面に正座している。デミウルゴスはどこか不安そうな表情を浮かべながらそわそわと落ちつきがなさそうにしており、その横で魔現人の雌が勢いよく四本の腕を地面についた。まるで土下座するような姿勢で力強くこちらを見上げてくる。

 そしてクワッと口を大きく開いて一言。

 

 

『息子さんを、私にくださいっ!!』

 

 

(お父さんは許しませんっ!!)

 

 

 自分自身の想像に、ウルベルトは思わず心の中で声を上げていた。咄嗟に声に出さなかった自分を褒めてやりたい気分である。

 それほどまでに想像した光景は衝撃的であり、許し難いものだった。

 自分が勝手に想像したものだというのに、沸々と怒りにも似た感情が湧き上がってくる。

 

 実はウルベルトは予てより、ナザリックに属するモノたちが関わる存在に対して、一つ思う所があった。

 それは“彼らに関わる存在は、それ相応の価値ある者であるべきだ”と言うもの。

 僕や配下にするのは何ら問題はない。友人にするというのも、百歩譲って良いだろう。しかし、恋情や愛情を交わす関係に関しては半歩も譲れなかった。

 ナザリックに属するモノたちを特別に想うのは何もアインズだけではない。ウルベルトにとってもまた、ナザリックのモノたちは特別な存在であり、とても大切に思っているのだ。

 自分の自慢であり、大切な息子であるデミウルゴス。

 仲間たちの大切な子供たちである、仲間たちが手掛けたNPCたち。

 そして子供たちを支える他のシモベたち。

 ナザリックのもう一つの宝とも言うべき彼らと関わる存在は、それ相応の価値ある者――それこそ“アインズ・ウール・ゴウン”に相応しい者のみであるべきだ。

 逆を言えば、それ以外の存在たちに関しては、一切関わりを持ってほしくない。まるで甘い蜜に群がる虫のように、大切な彼らに群がってほしくなどなかった。

 実を言えば、リ・エスティーゼ王国でのセバスの時も、ウルベルトは全く納得していなかったのだ。

 件の少女は優れた戦闘能力を持っているわけでも深い叡智があるわけでもない。どこにでもいる様な、唯のか弱い人間種の少女だ。お世辞にも、“アインズ・ウール・ゴウン”に相応しい存在とは言えない人物である。

 ただあの時は、アインズの死者への義理立てや状況など諸々の原因によって反対しきることができず、少女を受け入れるしかなかった。

 ウルベルトにとっては、この世界に来てからの数少ない苦い出来事の一つだった。

 

 ウルベルトは湧き上がってくる激情を大きなため息と共に吐き出すと、目の前で繰り広げられている戦闘に目を向けた。

 視線の先ではレメディオスがヴィジャーと刃を交わしており、二人の聖騎士がそれぞれナスレネとハリシャと一騎打ちを行っている。曲がりなりにもこの世界では強者に分類される聖騎士を相手に余裕を見せているあたり、ナスレネやハリシャも相応の実力を持っているのだろう。

 しかしナザリックやユグドラシルの基準で言えば雑魚に等しく、珍しい能力なども見られない。やはり“アインズ・ウール・ゴウン”には相応しくないと判断せざるを得なかった。魔導国の一部として迎え入れることはできても、ナザリックのモノたちと深い関わりを持つなど論外だ。

 しかしそう思う一方で、デミウルゴスの事が頭を過ってウルベルトは思わず困ったように眉間にしわを寄せた。

 “ナザリックのモノたちに関わる存在は、それ相応の価値ある者であるべきだ”という考えを変えるつもりはない。しかし、デミウルゴスが本当にナスレネという亜人を気に入っていたらという可能性が浮かび上がり、ウルベルトは二の足を踏んだ。

 大晩餐会の時にデミウルゴスは何も言ってはこなかったため、少なくとも彼はナスレネという亜人に対して何の感情もないはずだが、忠誠心の塊であるデミウルゴスが、その忠誠心故に私情を挟むのは良くないと敢えて言ってこなかった可能性も否定できない。そしてもし仮にそうであった場合、ウルベルトがナスレネの命を奪おうものなら、デミウルゴスは誰も知らないところで気落ちするのではないだろうか……。

 誰の目も届かぬ部屋の片隅の闇の中でデミウルゴスがしゅんっと肩を落としている姿が頭に思い浮かび、ウルベルトは思わず焦りの表情を浮かべた。

 まずい……と反射的に思う。

 いくら彼らの事を大切に想っての行動だとしても、悲しませては元も子もない。それに考えてみれば、いくら主人や親のような存在であっても、彼らの交友関係に口を出すのは些かやり過ぎなような気もする。何より、愛する息子であるデミウルゴスに嫌われてしまっては立ち直れない気がした。

 ウルベルトは大きく肩を落とすと、俯かせた頭を両手で抱えた。

 もしここにアインズがいたなら、『何言ってんですか、あんた』と呆れたことだろう。『デミウルゴスの思い込みの激しさは、ウルベルトさん譲りだったんですね……』とため息すらついたかもしれない。

 しかし幸いなことに、ウルベルトは厨二病であろうと思い込みが激しかろうと年頃の娘を持った父親のような反応をしようと、一回踏み止まって自身を落ち着かせて考えをまとめられる冷静さをも持ち合わせていた。

 今回も例に漏れずウルベルトは大きなため息と共に何とか自身を落ち着かせると、取り敢えず目の前のことに集中することにした。

 思えば目の前の亜人たちは二つ名持ちであるため、十傑と呼ばれる存在であるはずだ。十傑に数えられる亜人に関しては捕縛するように事前に決めていたため、取り敢えずは捕縛してから今後の事を考えればいいだろうと結論付ける。

 ウルベルトは考えをまとめて一つ頷くと、思考を止めて改めて前方に目を向けた。

 目の前では既にレメディオス以外の聖騎士は全員が地面に倒れ伏しており、まともにナスレネとハリシャの相手が出来る者はいなくなってしまっている。レメディオスは未だヴィジャーにかかりきりになっており、ナスレネとハリシャの相手が出来るのは民兵のみとなっていた。

 しかし、どう考えても民兵たちだけでは二体の亜人たちの相手など十秒も務められないだろう。

 レメディオスもそう思っているのか何とか民兵たちの元へ向かおうとしているようだったが、目の前のヴィジャーに阻まれて上手くいかないようだった。

 ナスレネの魔法を宿した三本の腕が民兵たちに向けられ、民兵たちは恐怖に身体を強張らせて立ち尽くしている。

 待ち望んだ展開に、ウルベルトは浮かびそうになる笑みを必死に抑え込んだ。金色の瞳でナスレネの動きを注視し、タイミングを計りながら徐々に前屈みになっていく。そしてナスレネが〈火球(ファイヤーボール)〉を放った瞬間、ウルベルトは〈完全不可知化〉のネックレスを外しながら民兵の前へと勢いよく舞い降りた。まるで民兵たちを背に庇うように地面に降り立つと、左手でネックレスをアイテムボックスに放り込みながら右掌を前方に突き出す。

 瞬間、右掌に衝撃を受けたとほぼ同時に激しい轟音と共に炎が炸裂した。四散した炎が空気を焼き、熱と光がウルベルトを包み込むように通り過ぎて消えていく。

 

 

「………かっ…か……?」

 

 背後から呆然とした声が聞こえてくる。

 ウルベルトは突き出していた右手をゆっくりと下ろすと、そのまま顔だけでチラッと背後の民兵たちを振り返った。

 金色の瞳に民兵たちの無事な姿を映し、柔らかな笑みを意識して山羊の顔に浮かばせる。

 

「……どうやら無事のようだね。何よりだ」

 

 どこまでも優しい、柔らかな声音。

 民兵たちは驚愕の表情でウルベルトを見つめており、しかし漸く状況が呑み込めてきたのだろう、青白かった顔が徐々に赤みを帯び始めて歓喜と興奮の光を瞳に宿し始めた。

 

「「「おおぉぉおおぉぉおぉおおぉぉおおおおおぉぉぉおぉおおぉっ!!!」」」

 

 一拍後に響き渡る、民兵たちの雄叫びのような大歓声。

 槍や盾を持つ手を掲げてウルベルトに喝采を上げる民兵たちに、ウルベルトはクスッと小さな笑みを零しながら改めて前方へと目を戻した。

 呆然とした表情を浮かべた三体の亜人たちを順々に見やり、最後にレメディオスへと視線を移す。

 瞬間、ウルベルトは心の中で高笑いを上げていた。顔がにやけてしまいそうで、必死に顔の筋肉を引き締めようと苦心する。

 それだけ、今目の前にいるレメディオスはひどい状態だった。

 つり目がちの目尻は更につり上がり、眉間には何本もの大きく深いヒビ。表情は全体的に強張り、こめかみには大きな青筋が浮かんでいる。全身からは大きな怒気と殺気が放たれており、心なしか短い髪が威嚇する動物の毛のように膨らんでいるように見えた。

 

「………何をしに来た」

 

 まるで唸るように、レメディオスが苦々しく声をかけてくる。

 ウルベルトは殊更ゆっくりと埃を払うように肩や腕を払いながら、柔らかな笑みを浮かべて金色の瞳を細めさせた。

 

「何をとはご挨拶だね。勿論、助けに来たのだよ」

 

 小首を傾げながら、ひょいっと軽く肩を竦ませる。

 どこまでも優雅で、それでいて少しだけ剽軽さが感じられる仕草。

 それは好意的な者が見れば安堵にも似た笑みを誘い、しかし好意的でない者が見ればひどく癪に障るものだろう。

 案の定、目の前のレメディオスの表情が見るからに強張ったのが見てとれた。恐らく彼女の中では、ウルベルトに対する罵詈雑言が嵐のように飛び交っていることだろう。

 先ほどの態度や行動とも相俟って、誰が見ても、彼女がウルベルトに対して良い感情を持っていないことは丸分かりである。もしここにナザリックのモノたちがいたなら、間違いなく彼女は問答無用で地獄に突き落とされていたことだろう。

 しかしウルベルトの内心は全くの真逆で上機嫌になっていた。

 彼女が自分に対して悪い言動をとればとるほど、それがウルベルトとの対比となり、よりウルベルトに対する高評価へと繋がる。ウルベルトにとっては正に大歓迎な状況となっていた。

 

(おいおい、酷い顔じゃないか、レメディオス・カストディオ。聖騎士ってのは腹芸もできないのかねぇ。俺が邪魔で憎くて仕方がないって顔だ。フフッ、頭が悪くて本当に助かるぜ。)

 

 レメディオスの思考が手に取るように分かって愉快で仕方がない。加えて、もっと醜態を曝してくれないかと意地悪な期待さえ膨らむ。

 ウルベルトがレメディオスの行動を観察する中、彼女は不意に無防備にもヴィジャーに背を向けてこちらに歩み寄り始めた。ヴィジャーをチラッと見やれば、彼は他の亜人と同様にレメディオスには目もくれず、怪訝と警戒の色を浮かべた目でこちらを見つめている。その間にレメディオスはウルベルトの近くまで歩み寄ると、厳しく顰められた顔はそのままに再び苦々しく口を開いてきた。

 

「………であれば、任せる」

 

 ポツリと独り言のような小ささで、しかし吐き捨てるように紡がれた言葉。

 心底腹立たしいとばかりに言ってくるレメディオスに、ウルベルトは更に煽るようにワザとらしく小首を傾げてみせた。

 

「ふむ、“任せる”というのは……?」

「だから! この場は貴様に任せる。……それとも、無理か?」

 

 一瞬声を荒げ、しかし次には冷静さを取り戻そうとするかのように殊更ゆっくりと言葉を紡いでいく。

 苦々しい声音と、まるでこちらを挑発するかのような表情に、ウルベルトは内心でフンッと鼻を鳴らした。

 しかしそれを決して面に出すことはしない。逆にレメディオスとの格の差を見せつけるように、優雅な微笑を浮かべてみせた。

 

「勿論、可能だとも」

 

 ウルベルトはペリースを後ろに捌いて大きく靡かせると、そのままゆっくりでいて大きく足を踏み出した。ゆったりとした動きでレメディオスの横を通り過ぎ、亜人たちへと歩を進める。

 

「――この場は災華皇(さいかこう)に任せる! 我々は戦局が切迫している所に援軍に向かうぞ!」

 

 後ろではレメディオスが民兵たちに新たな指示を飛ばしており、しかし民兵たちの反応はどうやらあまり宜しくないようだった。

 従わないのかと声を荒げるレメディオスに、思わず足を止めて顔だけで後ろを振り返る。

 民兵たちを見てみれば、彼らはどうやらウルベルトの存在をひどく気にしているようだった。レメディオス級の強さを持つ亜人が三体もいるこの場にウルベルトだけを残して良いのかと、彼らは心配そうな表情でチラチラとこちらを見つめていた。

 しかし彼らの心配と不安は、レメディオスにとってはひどく面白くないものであったらしい。怒りも露わに声を荒げるレメディオスに、ウルベルトは仕方なく口を挟むことにした。

 

「そのくらいにしてはどうかね? 声を荒げるだけでは何も解決しない」

「何だとっ!!」

「君たちも、私への心配は無用だ。ここは私に任せて、カストディオ団長殿の指示に従いたまえ」

 

 安心させるように優しい笑みを浮かべてやりながら民兵たちを促す。

 彼らは暫くウルベルトの顔を見つめた後に互いの顔を見合わせると、次には遠慮がちに頷いてレメディオスへと向き直った。レメディオスは苦々し気な表情で顔を顰めさせた後、民兵たちに改めて声をかける。

 彼らはレメディオスを先頭にこの場を後にし、ウルベルトはその背を見送った後に漸く亜人たちへと向き直った。

 こんな長時間、攻撃も何もしてこずに大人しく待っていてくれた亜人たちの行儀のよさに、ウルベルトは意外に思うと同時に少しだけ好印象を受ける。

 しかし何のことはない、彼らはウルベルトを警戒して攻撃できずにいただけだった。

 探るように鋭い双眸でこちらの一挙手一投足を観察している様子に、ウルベルトは納得と同時に少しだけ可笑しくなってしまった。

 元々は人間だったというのに、レメディオスや聖王国の人間たちよりもよほど亜人たちの方に親しみを覚えるのは、やはり悪魔になった影響なのだろうか……。

 頭の片隅でそんなことを考えながら、ウルベルトは目の前の亜人たちへと朗らかに声をかけた。

 

「……さて、待たせてしまってすまなかったねぇ。まずは自己紹介をするとしよう。私はウルベルト・アレイン・オードル災華皇。お前たちから聖王国を救うために、アインズ・ウール・ゴウン魔導国からやってきたモノだ」

 

 左手を腰裏に、右手を左胸の上に添えて、ウルベルトは軽くお辞儀をして見せる。

 しかし彼らの様子は一切変わることはない。ヴィジャーは顔を顰めさせて睨むようにこちらを見つめており、ナスレネとハリシャも探るような視線でウルベルトを凝視していた。

 

「………魔導国だと? 俺は聞いたことがないが……、お前たちはどうだ?」

「わしもないが……、しかし油断は禁物じゃろうな。なんせ、ナスレネ殿の攻撃を防ぐのではなく、諸に当たっても無傷じゃったのだからな」

「まぁ、放ったのは弱い魔法じゃったがの……。……しかし、それでも腹立たしいことよ」

 

 ここで初めて、ナスレネの双眸に警戒以外の感情の光が宿る。

 どうやらナスレネの放った〈火球(ファイヤーボール)〉を片手で受け止めてウルベルトが無傷であったことが余程予想外であったらしい。

 しかしウルベルトからすれば予想外でも何でもなかった。

 放たれた魔法は第三位階であり、加えてウルベルトとナスレネのレベル差も70近い。これでかすり傷でも負っては逆に驚きである。

 ウルベルトはフッと小さく笑い声を零すと、戦闘態勢に入っている亜人たちの姿を映している金色の瞳を笑みの形に歪ませた。

 

「まぁまぁ、そんなに戦う気満々にならずとも良いじゃないか。私はただ、君たちに大人しくしてもらいたいだけなのだからね」

 

「何……?」

「……それは、どういう意味かね?」

 

 ヴィジャーがピクッと獣の顔を反応させ、ハリシャが疑問の声を零す。

 一気に張りつめるこの場の空気。

 しかしウルベルトは一切それを気にすることはなかった。

 ただニッコリとした笑みを浮かべたまま懐に手を突っ込み、そこに開いたアイテムボックスからアイテムを取り出した。

 

「今の君たちに私が望むのは、取り敢えずは私に囚われてくれることだけだ。これだけだなんて、私はとっても優しいだろう?」

 

 何とも白々しく、ひどく浅い言葉。しかし山羊の顔に浮かべられた爽やかさすら感じられる笑みと合わさることで、ひどく不気味に感じられる。

 反射的に身体を強張らせる三体の亜人の反応に、ウルベルトは浮かべている笑みをニタリと深めさせた。

 ゆっくりと懐から引き抜いた手を、これ見よがしに掲げてみせる。

 漆黒のグローブに覆われた手に握られているのは、複数の小さな人形のようなもの。色は黒々としており、どうやら鉱石か何かでできているのか、微かな光にもキラキラと小さく輝いている。見た目だけで言えば唯の人形であり、脅威は全く感じられない。

 そのためか、一番血の気が多いであろうヴィジャーが一番に牙をむいてきた。

 

「俺たちを捕らえるだと……? やれるものならやってみろ。八つ裂きにしてくれるわっ!!」

 

 元々レメディオスとの戦いを邪魔されて少なからず苛立っていたのだろう。激情のままにこちらに突進してくる巨体に、ウルベルトは山羊の顔に悪魔らしい笑みを浮かばせた。手に持っている三つの人形の内の一つを持ち直すと、タイミングを見計らって目の前のヴィジャーへと放り投げる。

 瞬間、手のひらサイズだった人形が突如急激に膨張し、まるで意志を持ったようにヴィジャーへと襲い掛かっていった。

 体長も口の大きさもヴィジャーの体長以上。

 グワッと大きく開いた口で驚愕に目を見開くヴィシャーを咥え込むと、そのまま頭上を仰いで一気にヴィジャーを呑み込んだ。

 

「……なっ……!?」

「なんじゃ、あれは……っ!!?」

 

 突然の急展開に、ナスレネとハリシャも驚愕の声を上げる。

 しかし、今目の前で起こった事象は決してヴィジャーだけに限ったことではなかった。

 ウルベルトが残りの二つの人形を宙に放り投げると、瞬間、ヴィジャーを呑み込んだモノと同じモノが姿を現した。

 それは一言で言えば、口が異様に大きく羽根が異様に小さな漆黒の怪鳥だった。

 ウルベルトが使ったアイテムの名は“怪物の像(スタチュー・オブ・モンスター)鳥の檻(バーズ・ジールセル)”。怪物を召喚できるアイテムで、今回使った物は捕獲用のアイテムでもある。

 見た目はずんぐりむっくりな怪鳥で、ペリカンという鳥をモチーフにしたのではないかとギルドメンバーの死獣天朱雀が言っていたことを思い出す。

 この怪鳥は胸元が大きく開いており、皮膚や羽毛の代わりに鉄格子がはめられていた。対象を大きな口で捕らえて体内に捕獲し、胸元の鉄格子から捕獲した対象を見ることが出来る。その証拠に、一足先に呑み込まれたヴィジャーは怪鳥の腹の中で呆然としているのが鉄格子から良く見えた。

 そして、そうなるのはヴィジャーだけではない。

 ウルベルトが一つ指を鳴らすと、それを合図に二羽の怪鳥がバサバサと無駄に小さな翼を羽ばたかせながらナスレネとハリシャへと突撃していった。口を大きく開けながら奇声を上げ、地響きを鳴らして突進していく。ナスレネが慌てて〈火球(ファイヤーボール)〉や〈雷撃(ライトニング)〉を放つも、怪鳥たちはそれを全て弾き返して少しも足を緩めない。一分もかからぬ内に怪鳥たちはナスレネたちの目の前まで到着すると、そのまま何の迷いもなく大きな嘴で襲い掛かっていった。

 一際大きな下の嘴を掬い上げるように動かし、平べったい上の嘴を蓋のようにしながら獲物を捕らえる。

 ナスレネとハリシャも抵抗しようとするも成す術もなく、ヴィジャー同様にあっさりと怪鳥の腹の中へと収まった。

 

「よし、終わったな。いや~、すぐに終わって良かったなぁ」

 

 仲良く一体の怪鳥ペリカンの中に一体ずつ囚われた亜人たちを見やり、ウルベルトは爽やかなまでの笑みを浮かべる。

 ウルベルトは怪鳥たちに指示を出して横に綺麗に整列させると、頭上高くにある怪鳥の顔を見上げながら満足げな笑みを浮かべて一つ頷いた。

 

「お前たちはここで待機していろ。もし私以外の者が声をかけてきたりちょっかいを出してきても全て無視をしろ。良いな」

 

 ウルベルトの指示に、怪鳥たちは返事はしないまでもピクリとも動かなくなる。

 本当の石像のようになった怪鳥たちにもう一度頷くと、次はどこに援護に行こうかと思考を巡らせた。

 聖王国で支持者を増やすためには、今まであまり接点がなかった者たちの危機を救った方が効率的だと言える。しかし、かといってネイアやヘンリーといった既に支持者と言える者たちを放っておいて死なれてしまっては元も子もない気がした。

 はてさて、どこに行くべきか……と思い悩む中、不意に繋がっていた小さな糸がプツッと切れたような感覚に襲われて、ウルベルトはハッと知らず俯かせていた顔を上げて宙に視線を走らせた。小さな感覚を追って視線を巡らせ、市壁の方へと自然と視線が向けられる。

 視線の方向と覚えのある感覚に、ウルベルトは無意識に言葉をポツリと零していた。

 

「………スクード……?」

 

 何かが失われたようなこの感覚は、正に自身の眷族ともいえるシモベが命を落とした時に感じるものに間違いない。

 しかしスクードが死ぬ理由が全く思い至らなかった。

 確かにスクードはシャドウデーモンという弱小の悪魔ではあるが、しかしこの世界の水準では決して弱い分類には入らないはずだ。恐らく今目の前にいる囚われの亜人たちを相手取ったとしても決して遅れは取らないだろう。

 ならば何故スクードが死ぬような事態に陥ったのか。

 もしかしたらデミウルゴスが何か仕掛けたのかもしれないと思い至り、ウルベルトは一気に顔を引き締めさせた。こうしてはいられない、と自身に〈飛行(フライ)〉をかけて宙に浮かぶ。

 そのまま飛んでいこうとした瞬間、まるで引き留めるかのようにヴィジャーが声を荒げてきて、ウルベルトは反射的に動きを止めて顔だけで後ろを振り返った。

 

「おい、どこへ行くつもりだ! 俺様にこんな真似をして、ただで済むと思うなよっ!! 俺はこんな仕打ちは認めん! 認めんからなぁっ!!」

「……お前が認めずとも、現実は変わらん。そんなに喚かずとも後でその身にしっかり思い知らせてやるから大人しく待っていろ」

 

 デミウルゴスが動いている可能性がある以上、こんなところで油を売っている暇などない。

 ウルベルトは短く吐き捨てると、次には亜人たちには目もくれずに上空へと舞い上がった。先ほど感じた感覚を頼りに空を駆け抜け、一点だけ亜人たちが一体もいない空間に目が留まる。

 ウルベルトは小さく目を細めさせると、迷いなくその場へと舞い降りていった。

 

 

「――……災華皇閣下…!?」

 

 ウルベルトの存在に気が付いて、ネイアが驚きの声を上げてくる。周りにいた民兵たちも驚愕の表情を浮かべており、しかしウルベルトはそれに一切構うことなく、彼らに背を向ける形で市壁の地面へと着地した。地面に刻まれている傷や血痕、転がっている亜人たちの死体などを見回しながら、ふと少し離れた場所に落ちている物に気が付いてウルベルトはピタッと動きを止めた。少しの間だけ“それ”を凝視し、次にはゆっくりとした足取りでそちらへと歩み寄っていく。それでいてペリースや服の裾が血に濡れることも構わずに地面に屈み込むと、手を伸ばして“それ”を拾い上げた。

 ウルベルトの手に力なく収まったのは、聖王国に来る時にウルベルト自身がスクードに下賜した、ウルベルトのエンブレムと“アインズ・ウール・ゴウン”のエンブレムが刺繍された深紅の布。今は多くの血を吸ってじっとりと湿った布に、ウルベルトはスクードが消滅したことを嫌でも思い知った。

 何故……という疑問が頭を占める。

 スクードというシモベを失ったという悲しみも勿論あるが、それよりも、何故彼が死ぬような事態に陥ったのかという疑問が大きく頭を占めた。

 

「………災華皇閣下……、その……」

「……ネイア・バラハ。スクードは……どういった形で死んだんだ?」

 

 後ろから控えめなネイアの声が聞こえてくる。恐らくウルベルトのすぐ後ろに立っているのだろう。しかしウルベルトは一切彼女を振り返ることはない。ただ手に持った布を見つめながら手短に彼女に問いかける。

 ネイアは少し躊躇しているようだったが、しかし次には迷っているような声音ながらもスクードが死んだ時のことを手短に説明してきた。

 彼女の話によると、どうやらスクードはネイアと民兵たちを守るのを一番の目的として行動していたようだった。亜人側からの攻撃を全て引き受け、身を挺して人間たちを守って多くの亜人たちを葬った。

 彼女からの説明に、ウルベルトは無言ながらも内心で納得の声を上げていた。

 確かに防御力があまりないシャドウデーモンであるスクードであれば、多勢に無勢の状況で多くの攻撃を受ければ消滅は免れない。また亜人たちがこの場に一体もいないことにも納得がいった。

 しかしここで時間を無駄にしていては、いつまた新手が現れるとも限らない。

 そうか……とウルベルトは小さく呟くと、深紅の布を強く握りしめて漸く立ち上がった。一つ小さな息をついた後、気持ちを切り替えてクルッと踵を返す。後ろにいたネイアや彼女の後ろに佇んでいる民兵たちを見つめると、真剣な表情を浮かべてゆっくりと口を開いた。

 

「君たちが無事なようで何よりだ。しかし、戦いが終わったわけでは決してない。傷を負った者は中心部に下がれ。無事な者は……――」

 

 しかし、ウルベルトの言葉は途中で太鼓の音に遮られた。

 ネイアや民兵たちは勿論の事、ウルベルトも弾かれたように音の方向へと振り返る。

 太鼓の音は市壁の向こう側の奥から聞こえてきており、ネイアと民兵たちは慌てて崩れかけている塀へと駆け寄った。身を乗り出すような形で音の方角へと目を向ける。

 その先に漆黒の群衆が怪しく蠢いているのが目に入り、ネイアや民兵たちは小さな悲鳴を上げ、ウルベルトは小さく金色の瞳を細めさせた。

 彼らの視線の先にあったのは、亜人ではなく悪魔の軍勢。亜人軍に比べれば規模は格段に小さいものの、それでもその数は凡そ5000ほど。しかも相手が亜人ではなく悪魔となれば、その強さは桁違いであり、感じられる威圧感も雲泥の差である。更に悪魔軍の先頭を見てみれば、そこにはウルベルトにとっては見慣れた、そしてネイアや民兵たちにとっては見慣れぬ姿があって、一気に緊張が高まっていった。

 悪魔軍の先頭で多くの悪魔たちを率いているのは、和風のメイド服を身に纏った一人の美少女。

 突然の大物の登場に、ウルベルトは内心でニヤリとした笑みを浮かべ、ネイアは一気に血の気を引かせた。

 

(……いきなり大きな一手を打ってきたじゃないか、デミウルゴス。)

 

 予想外の愉快な流れに、思わず表情が笑みの形に緩みそうになってくる。気が緩めばクツクツと喉が鳴ってしまいそうだ。

 悪魔の軍を率いているのは、ナザリック地下大墳墓のプレアデスの一人、エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ。

 ナザリックやプレアデスの中ではレベルが低い方である彼女は、しかしこの世界の水準で言えば脅威の分類に入る。

 彼女をこのタイミングで出してきたということは、デミウルゴスが何かしらの手を打ってきたことに他ならない。

 この聖王国という大きな基盤にデミウルゴスがチェスの駒を動かしている姿が容易に頭に浮かび、ウルベルトは思わず一瞬だけ柔らかな笑みを浮かばせた。

 しかしすぐに表情を引き締め直す。

 ウルベルトは頭の中に大きな基盤を思い浮かべ直すと、こちらも応戦の駒を動かすべく大きく足を踏み出した。

 

 




*今回のウルベルト様捏造ポイント
・“怪物の像・鳥の檻”;
怪物を召喚できるアイテムで、これは捕獲用のアイテムでもある。見た目はずんぐりむっくりなペリカン。胸元が大きく開いており、檻のように鉄格子がはめられている。対象を大きな口で捕らえて呑み込み、体内に捕獲する。捕獲された対象は、胸元の鉄格子から見ることが出来る。


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第14話 武闘遊戯

久々の更新である……(汗)
今回はプレアデスのあの子との戦闘回なので、ちょっとだけご注意ください。


 突然現れたウルベルトの姿に、ネイアは驚愕と共に大きな歓喜を溢れさせていた。死と混沌が渦巻くこの場に救いの光が差し込んだのだと、湧き上がる激情に小さく身体を震わせる。

 しかし、ウルベルトが自分たちに背を向けてスクードが消滅した場所に屈み込んだ瞬間、ネイアは心臓がズグンッと大きく痛んだのを感じた。

 思い出されるのは、自分たちを守って消滅していったスクードの後ろ姿。そして、この戦いの前にウルベルトが言っていた言葉。

『――……だからこそ私は彼らに、決して私の許可なく勝手に死なぬように命じているのだよ』

 柔らかな笑みを浮かべながら、慈愛に満ちた瞳でスクードを見つめていたウルベルト。

 どこまでも優しい彼の王がシモベの死にどれほどの悲しみを感じているのか、ネイアでは推し量ることすら烏滸がましいことなのかもしれない。しかし目の前の漆黒の背が深い悲しみに沈んでいるように見えて、ネイアは自責の念を感じずにはいられなかった。

 もっと自分が強ければ。

 もっと自分が何かいい案を思いつけていれば……。

 しかしそう思う一方で、ネイアはウルベルトにここまで想われるスクードが羨ましくて仕方がなかった。

 ネイアの上司にあたるレメディオスもグスターボも、ネイアが死んだところで少しも悲しんだりはしないだろう。王兄カスポンドや慈悲深いと名高い聖王女に至っては論外だ。彼ら王族がネイアのような一介の従者風情の死を悼むなどあり得ないことであるし、それが当然であるともいえる。

 しかしスクードは……魔導国に仕えるモノたちは違うのだ。

 彼らは唯のシモベの一人にすぎなかったとしても、王から死なぬように慈悲の言葉をかけられ、その命を散らした時にはそれを悼んでもらえる。誰でもない、王であるウルベルトに……悲しんでもらえるのだ………。

 それがどれだけ身に余る栄誉であり幸福であるのか、ネイアは強く感じずにはいられなかった。

 思わず縋るような視線を向ける中、不意に屈み込んでいた漆黒の背がゆっくりと立ち上がった。ウルベルトが真剣な表情でこちらを振り返り、ネイアもウルベルトを真っ直ぐに見つめながら自然と背筋を伸ばしていた。

 

「君たちが無事なようで何よりだ。しかし、戦いが終わったわけでは決してない。傷を負った者は中心部に下がれ。無事な者は……――」

 

 ウルベルトが次々と指示を飛ばしてくる。

 しかしそれは長くは続かず、突然響いてきた太鼓の音によって遮られた。

 この短い時間の中で何度も聞いた音に、思わず血の気が引く。

 ネイアは急いで崩れかけている市壁の塀へと駆け寄ると、身を乗り出すような形で音が響いてくる方向を睨み据えた。ネイアの両脇では民兵たちも同じように塀から身を乗り出して外の様子を必死に窺っている。

 大きな緊張感が漂う中、不意に視界を掠めた黒い影に、ネイアはそれに焦点を結んだとほぼ同時に鋭く息を呑んだ。驚愕に目を見開き、乗り出していた身を引き戻したネイアの両脇で、民兵たちも引き攣った悲鳴を上げる。

 視線の先には漆黒の群衆が怪しく蠢いており、それは見間違えようはずもない、全て悪魔で構成された軍勢だった。

 数は凡そ5000ほどで亜人軍に比べれば寡兵ではあったが、それでもネイアたちにとっては十分脅威である。加えて、軍の先頭に立っている存在が目に飛び込んできて、ネイアは一気に絶望感に目の前が真っ暗になった。

 軍の先頭で悪魔たちを率いているのは、見慣れぬデザインのメイド服を身に纏った一人の美少女。

 ネイア自身は実際に見たことも会ったこともない存在ではあったが、しかし確かに彼の少女の姿は見たことがあった(・・・・・・・・)

 

(………間違いない。……“蒼の薔薇”の方々が言っていたメイド悪魔の一人だ……!!)

 

 使節団としてリ・エスティーゼ王国に赴いた際、ヤルダバオトの情報を聞くために王国の冒険者である“蒼の薔薇”と会談した時のことを思い出す。あの時、“蒼の薔薇”のメンバーの一人が描いた絵を思い出し、その絵とまるっきり同じ姿のメイドにネイアは緊張と恐怖に身体を強張らせた。

 しかし、こんなところで固まっている場合ではない。

 ウルベルトに危機を知らせようと後ろを振り返り、しかしその瞬間、ネイアの横を漆黒の何かが通り過ぎた。

 反射的に影を視線で追いかければ、それは正に今声をかけようとしていたウルベルト本人。

 ウルベルトは塀の上に上って仁王立ちすると、いつの間にどこから取り出したのか、見慣れぬ円錐型の何かを口の前に掲げ持った。

 

「……君たちは少し耳を塞いでいた方が良いぞ」

 

 不意に言われた意味不明な言葉。

 思わず頭上に疑問符を浮かべるネイアたちは、しかし次の瞬間にはウルベルトの言葉の意味を身をもって知ることになった。

 

『――亜人軍と悪魔軍の諸君!!』

「「「っ!!?」」」

 

 突然の予想外の大音量。キーンッと鼓膜が悲鳴を上げ、こめかみがズキズキと痛みを発する。

 痛みを堪えながら慌てて両手で両耳を塞ぐ中、ウルベルトはネイアたちには構わずに大音量で亜人軍と悪魔軍に話しかけていた。

 

『私は、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の支配者の一人にして、悪魔の支配者(オルクス)のウルベルト・アレイン・オードル災華皇(さいかこう)である! 今すぐ聖王国への攻撃を止め、降伏せよ! 今降伏すれば、お前たちの命は私が保障すると約束しよう!!』

 

 ウルベルトの思わぬ言葉に、ネイアと民兵たちは驚愕の表情を浮かべてウルベルトの漆黒の背中を凝視する。

 ウルベルトが何故亜人や悪魔たちを助けようとするのか理解できなかった。亜人も悪魔も、聖王国を滅茶苦茶にした張本人たちである。自分たちを苦しめ、大切なものたちを奪った憎い仇だ。

 ネイアは驚愕から困惑へと表情を変え、民兵たちは怒りに顔を歪ませた。敵を擁護するようなウルベルトに、民兵たちは怒りと憎しみの視線を漆黒の背に向ける。

 しかしウルベルトは微動だにしない。多くの民兵たちが殺気立って睨んできていることに気が付いているだろうに、こちらを振り返ろうともしてこない。ただ、じっと静かに亜人軍や悪魔軍からの返答を待っている。

 それから数十秒後、我慢ならなくなった一人の民兵がウルベルトに向けて口を開きかけたその時、突然ウルベルトが片手を勢いよく振るったとほぼ同時に爆発にも似た轟音が響き渡った。ウルベルトの足元の塀が大きな衝撃と共に破壊され、粉々になった瓦礫がネイアたちの足元や塀の外側へと崩れ落ちていく。

 何が起こったのかと崩れた塀の部分に目を向ければ、そこには見覚えのある大きな槍のような矢が力なく転がっていた。どうやら亜人軍からバリスタの矢が飛んできたようで、それをウルベルトが片手で振り払ったようだった。

 自分たちでは比較にならないほどの力の差を見せつけられたようで、民兵たちの怒りが一気に大きな畏怖に塗り潰されていく。

 

「………交渉決裂、か。仕方がないな」

 

 ウルベルトは小さくため息交じりに呟くと、次には漸くこちらを振り返ってきた。

 

「……すまない、戦いは避けられないようだ。これ以上被害を出したくはなかったのだが……、仕方がない。私のシモベを何体か召喚するので、君たちは我がシモベたちと共に各門の守護と都市内部に入り込んだ亜人たちの相手をしてくれ。まだ市壁の外にいる亜人軍と悪魔軍については私が相手を務めよう」

 

 凛とした佇まいと真剣な表情に、自然と惹き込まれていくような感覚を覚える。それと同時にウルベルトの先ほどの言葉を聞いて、ネイアや民兵たちは漸くウルベルトの真意に思い至った。

 ウルベルトは誰でもない、自分たちのために亜人軍や悪魔軍に降伏を促してくれていたのだ。

 いくらウルベルトが加勢してくれるからと言って、このまま亜人軍や悪魔軍とまともに交戦すれば、それ相応の被害が出てしまう。ここにいる自分たちとて、全員無事に生き残れる保証などないのだ。だからこそ、ウルベルトは自分たちを救うために敢えて降伏を促したのだろう。

 ウルベルトの真意に思い至り、ネイアたちは自分自身が恥ずかしくなった。ウルベルトは自分たちのことを思って行動してくれていたというのに、勝手に勘違いして勝手に怒りを覚えるなど恥知らずにもほどがある。

 これ以上の醜態を曝すわけにはいかない、とネイアたちは顔を引き締めさせると、ウルベルトを見上げて一つ大きく頷いた。

 

「お任せ下さい、災華皇閣下。必ずやこの都市を守ってみせます!」

「閣下も、閣下の従者の悪魔さんも、俺たちを守ってくれた……。今度は俺たちが守る番です!」

「閣下がいらっしゃると思うだけで百人力です!」

 

 嬉々として声を上げる民兵たちに、ウルベルトは柔らかな微笑みと共に一つ頷いてくる。

 そんな中、ネイアは焦燥の色を浮かべてウルベルトを見上げた。

 

「……閣下、悪魔の軍を率いているのは、ヤルダバオトの配下であるメイド悪魔に間違いありません! 私も一緒に……!!」

「それは無用だよ、バラハ嬢。それに、心配も無用だ。君は彼らの力になってやると良い」

「……………………」

 

 勇気を振り絞って言い募るもウルベルトにやんわりと断られ、ネイアは思わず項垂れるように肩を落とした。自分がウルベルトにとって足手まといにしかならないことは分かっていたが、それでも彼と行動を共にできないことがひどく口惜しかった。

 しかし、こんなところで時間を潰す暇も余裕もない。

 ネイアは未だ肩を落としながらも肯定するように頷くと、次には沈んだ心を振り払うように勢いよく顔を上げた。柔らかな微笑を浮かべてこちらを見つめているウルベルトに、ネイアは強い視線でもってそれに応えた。

 

「……分かりました。それでは、行って参ります。閣下もどうかご無事で!」

「バラハ嬢もな。また後で会おう」

 

 ウルベルトの言葉が何よりの励みとなり、ネイアたちの気分を高揚させていく。

 ネイアたちは一度ウルベルトに頭を下げると、次には踵を返して新たな戦場へと駆け出していった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 ウルベルトは去っていくネイアたちの背を暫く見送ると、次には視線を市壁の奥へと向けながら〈伝言(メッセージ)〉を発動させた。

 〈伝言(メッセージ)〉を繋ぐ先はカスポンドに成りすましているドッペルゲンガー。

 指揮官詰め所に一人で待機しているためか、〈伝言(メッセージ)〉は思いの外早く繋がった。

 

『――ウルベルト様。何かご命令でしょうか?』

『先ほど、解放軍に潜入させている影の悪魔(シャドウデーモン)は全て私のシモベと考えても良いと言っていたな?』

『はい、左様でございます』

『ならば彼らに動いてもらいたいことがある。シャドウデーモンは何体潜入させている?』

『二十体でございます』

 

 それなりの数に、ウルベルトは思わずニヤリとした笑みを浮かばせた。

 

『……ならば、十二体には都市に侵入した亜人どもの殲滅を命じる。聖王国の人間たちと共に都市を掃除するように伝えろ。残りの八体は十傑と呼ばれる亜人どもを捜索し、見つけたら捕らえるように命じろ。もし手こずる様であれば、すぐに私に連絡するように』

『畏まりました』

 

 短い返答と共に途切れる〈伝言(メッセージ)〉に、ウルベルトも意識を前方の大軍へと戻す。ゆっくりと進軍してくる悪魔と亜人の軍に、ウルベルトはネタ・アイテムである“スーパー・メガホン”をアイテムボックスに収めると、次には〈飛行(フライ)〉の魔法を唱えて宙へと舞い上がった。悪魔軍の中心まで飛んで移動しながら、一つの特殊技術(スキル)と二つの魔法を発動させる。

 〈重奏狂歌〉

 〈地獄の軍勢(デモンズ・アーミー)

 〈星の雨(メテオ・レイン)

 小声で詠唱を唱えるウルベルトに、亜人軍や悪魔軍からもウルベルトへの攻撃が開始される。

 多くの矢やバリスタの矢。翼亜人(プテローポス)といった空を飛べる亜人や悪魔たちがウルベルトへと襲い掛かろうと宙に躍り出る。

 しかしそれらは既に遅すぎた。

 刃一つ届くその前に、ウルベルトの二つの魔法が発動して悪魔軍と亜人軍それぞれへと牙をむいた。

 “それら”が姿を現したのは地上と頭上。亜人軍と都市の市壁の間にどこからともなく新たな悪魔の軍勢が現れ、亜人軍の後方にいる悪魔軍の頭上には無数の大小様々な炎の塊が姿を現した。

 突然の新たな悪魔の軍勢の出現に亜人たちは驚愕と困惑のどよめきを上げ、後方の悪魔たちは無言のまま自分たちの頭上の星々を見上げている。

 ウルベルトの魔法によって召喚された悪魔の軍勢と星々は、召喚主の命じるままに自分たちの獲物へと勢いよく襲い掛かっていった。

 召喚された悪魔たちは人間たちがいる市壁には背を向けて目の前の亜人たちへと襲い掛かり、頭上の星々は炎を纏いながら悪魔たちへと落下する。

 一瞬後に響き渡るのは多くの悲鳴と衝撃音と爆発音。

 地面は何度も地響きを上げ、亜人や悪魔たちは成す術もなく凶刃や炎に駆逐されていった。

 しかし一方的に逃げ惑う亜人たちとは違い、流石というべきか後方の悪魔たちの切り替えは早い。ウルベルトの攻撃の正体が分かると、すぐさま対処するべく動き始めた。

 成す術もなく命を散らすモノはいるものの、あるモノは隕石の軌道を読んで安全な位置に避難し、あるモノは特殊技術(スキル)や魔法を駆使して身を守り始める。空を飛べるモノは引き続き隕石を避けながらウルベルトへと襲い掛かり、遠距離攻撃の手段が無いモノは守りに徹したり、他のモノたちへの補助に徹した。

 

「〈水の飛沫(ウォータースプラッシュ)〉、〈連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)〉、〈重力渦(グラビティメイルシュトローム)〉」

 

 襲いかかる魔法や刃を空を駆けることで避けながら、ウルベルトは次から次へと魔法を放って悪魔たちを地に落としていく。

 しかしいつまでも空中にいては埒が明かないため、ウルベルトは少しだけ方向転換すると、地上に向けて一気に急降下を始めた。

 彼が向かう先にいるのは異形の和装メイド。

 エントマはウルベルトの動きを見てとると、すぐさま応戦するために臨戦態勢をとった。

 その腕には既に呼び寄せていたのか、硬甲蟲と千鞭蟲という二つの蟲が装備されている。盾の様な甲蟲が服の上からエントマの左腕にくっついており、十メートを超える巨大なムカデがエントマの右側の長い裾の中へと潜り込んでいた。

 戦闘の構えをとるエントマに、ウルベルトは地上に急接近しながら金色の双眸を小さく細めさせる。降下速度は落とさないまま、エントマの射程圏内に入る直前に無詠唱化した〈転移(テレポーテーション)〉を発動させた。

 瞬時にウルベルトの姿が掻き消え、次に現れたのはエントマの背後。

 こちらも無詠唱化で大鎌を創り出すと、両手に持って勢いよくエントマへと薙ぎ払った。

 ゴウッという唸り声のような音と共に鋭い刃が空を切り裂く。しかし狙いは外れ、エントマは大きく跳躍して間一髪でウルベルトの刃から逃れていた。

 跳躍して宙に浮いているところに身体を捻ってこちらを振り返ると、そのままの勢いで右手の千鞭蟲をウルベルトへと振るう。

 鞭のように撓りながら襲い掛かってくる巨大ムカデに、ウルベルトは大鎌を上段から振り下ろすことでそれに応えた。

 千鞭蟲は体長十メートルを超える巨体ではあるものの、しかしあくまでも姿形はムカデであるため横幅は縦に比べるとそれほどあるわけではない。不規則な動きが可能でどの方向から襲い掛かって来るかも予想し辛い対象に対して、真正面から切り伏せることはそれなりに難しく技量が問われる技だろう。純粋な戦士職であればいざ知らず、純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)であるウルベルトであればその難易度は尚のこと一気に跳ね上がるはずだ。

 しかしウルベルトは完璧に千鞭蟲の動きを読み切ると、前からではなく急に方向転換して斜め後ろから襲い掛かってきた千鞭蟲の動きに合わせて縦に一気に切り裂いた。顔から縦に一直線に切られた千鞭蟲は、その牙をウルベルトにたてる間もなく絶命して力なく地に倒れ伏す。

 エントマは少し離れた場所に着地すると、千鞭蟲の成れの果てを見てとって、すぐさま絶命した千鞭蟲を右手から取り外した。

 他の悪魔たちはウルベルトとエントマを中心に円形に場所を開けており、さながら一騎打ちの様相を成している。

 

「……さて。エントマ、君はデミウルゴスから私と本気で勝負することは聞いているのかな?」

「はい、伺っております」

「それは話が早い。では、お前も本気でかかってくるが良い。手合わせをしてあげよう」

 

 誰がどこで見ているか分からないためエントマは頭を下げることはしてこない。しかしそれでも、その身に纏う雰囲気はひどく畏まっている様にウルベルトには感じられた。

 思わずフッと小さな笑みを浮かべ、しかしふと明確なルールを決めていないことに思い至って小さく首を傾げさせた。

 当たり前ではあるが、相手がナザリックの大切なシモベである以上、本気で倒すわけでもなければ本気で戦うこともない。特に今回の相手であるエントマはギルメンの一人である源次郎が手掛けたNPCであるため、本来ならば傷つけること自体が論外だ。

 しかしウルベルトやエントマに限らず、今後のことを考えれば誰しもが実戦などで経験をどんどん積んでいく必要があるのも事実だった。特にナザリックのシモベたちは圧倒的に実戦経験が少ないため、可能であればどんどんこういった場を設けるのが理想的であるとウルベルトは考えていた。以前の現実世界でも“可愛い子には旅をさせろ”とかいう言葉があったような気がするし、つまりはそういうことだろう。

 とはいえ、ただ無鉄砲に勝負してはウルベルトがエントマを手違いで殺しかねない。そうならないためにも明確なルールを決める必要があった。

 

「そうだな……。私の方で常に君のHPを見て把握しておこう。私が“ストップ”と言ったら戦闘は終わりだ。分かったな?」

「はい、畏まりました」

 

 普通に考えればブーイングが来そうなルール。あまりにもウルベルト本位のルールであり、ウルベルトがわざと“ストップ”と口にしてエントマを敗北させる可能性とてあるルールである。

 しかしエントマは不満を口にするどころか、当たり前のように頷いてくる。至高の主であるウルベルトの言葉は絶対だという考えからくるものであることも勿論あるのだろうが、恐らくエントマにとってウルベルトが勝つことは当たり前なのだろう。ウルベルトとエントマとのレベル差を考えればそれも仕方がないとは思うのだが、しかし最初から当然だと考えているエントマに何とも苦笑が禁じえなかった。

 もう少し前向きな考えにならないものかと思うものの、しかし再度仕方がないか……とウルベルトの方が考え直す。

 一つ小さな息をついて気を引き締めさせると、次は周りにいる悪魔たちへと視線を向けた。

 

「お前たちも遠慮せずに攻撃して来い。私の手で死にたいモノはかかってくるが良い」

 

 悪魔たちも頷きはしないものの、ウルベルトの言葉に深く聞き入っているような雰囲気を発している。

 ウルベルトはかぶっていたシルクハットを脱いでアイテムボックスへと突っ込むと、代わりに主装備の一つである特徴的な深紅と金の片仮面を取り出した。いつも通りに顔の右側に装備させ、力を発動させる。

 “知られざる(まなこ)”という名のこの仮面は、対象のHPやMP残量、ステータスや状態異常などを見ることができる神器級(ゴッズ)アイテムである。尤も対象が阻害アイテム等を使用していれば見れなくなってしまうのだが、確かエントマはそういったアイテムは持っていなかったはずだ。これがあれば間違えてエントマを殺してしまうような事にはならないだろう。

 ウルベルトは仮面越しにエントマへと目をやり、きちんとHP等が見えるようになっていることを確認すると、そこで漸く大鎌を構え直した。

 

「初手はお前たちに譲ってやる。いつでも、お前たちの好きなタイミングでかかってくるが良い」

 

 いくら数の差があるとはいえ、レベルや実力差ではウルベルトの方が圧倒的に上だ。ちょっとしたハンデを与えても悪いことにはならないだろうと判断すると、エントマや周りの悪魔を促してやった。

 悪魔たちは動くことはなかったが、エントマは一つ頷いて懐から幾つかの符を取り出してペタペタと身体に張り付け始める。恐らく強化用の符なのだろう。また、次は剣刀蟲を呼び寄せて右手に張り付けさせている。

 彼女が着々と戦闘準備を整えるのを見守りながら、ウルベルトもまた頭の中でシミュレーションを行っていった。

 エントマや悪魔たちがどういった行動を取り、どのタイミングで襲い掛かり、どういった攻撃を仕掛けてくるのか。そして、それらにどう対処するのが一番効率的であるのか。何通りものパターンをシミュレーションしながら、しかし油断なく彼女たちの様子を窺う。

 時間にすれば僅か数分。

 漸く準備が万全に整ったのか、エントマは動きを止めてじっとこちらを見つめてきた。少しの間戸惑ったような素振りを見せ、しかし次の瞬間には強く地を蹴ってこちらに襲いかかってきた。

 恐らく何の合図もなしに攻撃しても良いものか悩んだのだろう。しかしこちらが好きなタイミングで攻撃してくるよう言った以上、遠慮する方が不敬とでも思ったのかもしれない。

 どちらにせよ、今回の彼女の判断はウルベルトからすれば上出来なもの。

 ウルベルトは思わず小さな笑みを浮かべると、大鎌はそのままに魔法の詠唱に入った。

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)氷柱(アイス・ピラー)〉」

 

 魔法が発動し、ウルベルトの前方と後方左右の地面から突如巨大な氷の柱が突き出てくる。

 前方の氷柱がエントマの進行を妨げ、後方左右の氷柱がエントマとタイミングを合わせて襲い掛かってきた悪魔たちを串刺しにした。

 

「〈連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)〉、〈破裂(エクスプロード)〉、〈星幽界の一撃(アストラル・スマイト)〉」

 

 氷柱から逃れた悪魔たちに向けて大鎌を振るっては切り伏せ、魔法を放っては地に伏せさせる。

 この場に集められている悪魔たちは聖王国の人間たちに合わせたレベルであるため、ウルベルトからすれば物の数にも入らない。

 魔法であれば第六位階以上。悪魔という種族は炎に強いモノが殆どであるため、炎系以外の魔法で攻撃すればいいだろう。

 問題はやはりエントマである。

 精神系魔法詠唱者(マジックキャスター)である彼女は、しかし武器を使った近接戦闘が出来ないわけでは決してない。先ほどのように蟲を召喚しての戦闘もエントマの十八番の戦闘スタイルであり、蟲の対処方法が重要になってくると思われた。

 炎で焼き払うか、風で吹き飛ばすか、酸で殲滅するか、それとも細切れに切り払うか。

 襲いかかってきた悪魔を真っ二つに切り裂きながら思考を巡らす中、真っ二つにした悪魔の影から突如エントマが襲いかかってきた。剣刀蟲を槍のように構えて突きを放つのに、ウルベルトは片足を一歩後ろに下げさせて身体を傾けることでそれを躱す。

 ウルベルトの真横すぐ側に飛び込むような形になったエントマ。

 咄嗟に急ブレーキをかける彼女に、ウルベルトは容赦なく大鎌を上段から振り下ろした。

 ガキンッという鋭い音と共に受け止められる刃。

 しかし受け止められることを想定していたウルベルトは焦ることなく、すぐさま振り下ろしていた大鎌を再び持ち上げた。そのままの勢いでクルッと縦回転で下から掬い上げるように再度エントマへと刃を繰り出す。

 ガキンッと再び鳴る鋭い音に、しかし刃を受け止めた硬甲蟲は今度はキィィッと苦痛の鳴き声を上げた。

 最初の攻撃とはうって変わり、二度目の攻撃は回転による遠心力も加わっているため、それだけ攻撃力も上がっているのだろう。純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)とはいえそれが悪魔であれば、一回の回転数でもそれ相応の遠心力が加わる。加えて真下からの攻撃ともなれば踏ん張りも取り辛く、受け流すのも相当な技術を必要とする。エントマにそれほどの技術はなく、受け止めたは良いものの、勢いは殺し切れずにそのまま遥か上空へと吹き飛ばされた。

 それに、ウルベルトもすぐさま後を追うべく強く地を蹴り上げる。途中で〈飛行(フライ)〉を自身にかけ、追撃するために大鎌を構えた。

 しかしエントマもただでは終わらない。

 宙で身体を捻ってウルベルトへと向き直ると、次には顎を曝け出すような形で本物の口をウルベルトへと向けてきた。

 次の瞬間、ゴバァッと小さな蟲の大群が吐き出される。

 蟲の正体は肉食蠅。

 肉を抉って中に入り込み蛆虫を大量に産みつけるウシバエに似た蠅で、蛆虫を体内に産みつけられた者は刺突系の継続ダメージを受けてしまう。また、更には蛆虫から孵化した蠅たちが効果範囲内にいるものたちを無差別に襲うというオマケまでついている。肉体的にも精神的にも攻撃力の高い攻撃であり、それだけエントマの本気が窺えた。

 しかし対処法が全くないわけではない。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)竜の息吹(ドラゴン・ブレス)〉!」

 

 襲いかかってくる肉食蠅の大群へと灼熱の火炎放射が襲いかかる。

 肉食蠅は成す術もなく炎に呑み込まれていき、炎の波は肉食蠅だけでなく、その後ろにいるエントマにまで襲いかかっていった。

 しかしエントマの身体は既に重力に従って落下を始めており、回避行動を取る必要もなく火炎から逃れる。

 地面へと落下しながら、エントマは長い裾から符を取り出してウルベルトへと勢いよく放った。

 

「〈雷鳥符〉!」

「〈連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)〉!」

 

 符が青白い放電を放つ鳥に姿を変えた瞬間、ウルベルトは雷の竜を放ってすぐさま攻撃を消滅させる。加えてそれだけで終わるはずもなく、雷の竜は符の鳥を消滅させるだけでなく、その先にいるエントマへと襲い掛かっていった。今のエントマには逃げる術も防ぐ術もなく、防御の構えを咄嗟に取るものの雷は容赦なくエントマの小さな身体へと食らいつく。

 

「グッ……!!」

 

 バチバチっという激しい音と共に、微かに苦痛の呻き声のような声が聞こえてくる。

 しかし“知られざる眼”越しに見る限りではエントマのHPは未だ半分くらいは残っており、もう少しくらいは戦闘は継続できそうだった。

 とはいえ、魔法の選択肢を間違えれば一気にエントマを消滅してしまいかねない。魔法よりかは物理攻撃の方が良いだろうと判断すると、接近するべく力なく落下していくエントマを追って急降下を開始した。

 

「〈隕石落下(メテオフォール)〉」

 

 一気に降下しながら、しかし地上にいる悪魔たちへの攻撃も忘れない。頭上に巨大な隕石を召喚する魔法を唱えながら、落下地点と発動のタイミングを見計らった。

 この魔法は最初に発動させた〈星の雨(メテオ・レイン)〉での隕石とはわけが違う。隕石の数は一つしかないものの、その大きさも破壊力も雲泥の差がある。落下地点を間違えれば解放軍諸とも都市全てを破壊しかねない魔法に、ウルベルトは落下地点とタイミングを計ると一瞬の迷いもなく魔法を発動させた。

 空の彼方、エントマと共に落下しているウルベルトの背後の空で眩い光の塊が召喚されて姿を現す。

 それは、まるで眩く光り輝く太陽のよう。

 落下しながらこちらも再度ウルベルトに攻撃を仕掛けようとしていたエントマは、輝く太陽を背に近づいてくる悪魔の姿にピタッとその動きを止めた。まるで放心したようにピクリとも動かない彼女の様子に、ウルベルトは思わず怪訝そうに眉を潜める。しかし今はそんなことを気にしている場合ではないと気を引き締めさせると、更に落下速度を上げてエントマへと突っ込んでいった。

 漸くハッと我に返ったような素振りを見せるエントマだが、既に後の祭り。

 ウルベルトはエントマへと大鎌を伸ばすと、湾曲した刃の内側でエントマを掬い上げると、そのまま再び斜め上空へと吹き飛ばした。

 刃で直接身体を掬えば通常であればその身は切り裂かれてしまうだろうが、エントマの場合はその身に纏っている戦闘用メイド服が刃から身を守ってくれるだろう。

 予想通り、上空へと再び放り投げられたエントマは刃に傷つけられた様子もなく、ウルベルトはエントマに合わせて次は上昇を始めた。

 エントマとウルベルトの真横を巨大な隕石が通り過ぎ、地面に衝突して眩い光と爆発音を響かせる。

 地響きと共に襲いかかってくる熱と爆風に、ウルベルトはそれに乗るように更に速度を上げさせた。

 エントマの顎が再びウルベルトへと向けられ、次は白い糸が吐き出される。

 しかしそれに対してウルベルトは大鎌を投擲。

 白い糸はウルベルトではなく大鎌に絡みつき、勢いは相殺されて大鎌共々地面へと落ちていく。

 しかしウルベルトは勿論のことエントマも怯むことなくすぐさま次の攻撃態勢へと移る。

 ウルベルトは魔法で長い杖を創り出し、エントマは小さい多くの蟲を右手に集め始めた。

 エントマの細い右腕が三回りほど太くなったところで漸く蟲の出現は終わり、エントマは右手の指先をこちらへと突きつけてきた。

 瞬間、ガトリング砲のような鋭い破裂音と共にこちらに殺到する多くの蟲たち。三センチほどのその蟲たちは、まるで弾丸のように我先にと勢いよくウルベルトへと襲い掛かってきた。

 

「……〈転移(テレポーテーション)〉」

 

 しかしウルベルトが大人しく攻撃を受ける筈もなく。すぐさま転移魔法を唱えて弾丸を避け様にエントマの背後に転移すると、次には勢いよく杖を振り下ろした。

 咄嗟に身体を捻って硬甲蟲で受け止めるものの、無理な体勢で受け止めたせいで硬甲蟲は悲鳴を上げ、エントマ自身の体勢も大きく崩れる。ウルベルトの攻撃の威力も殺せぬまま、エントマは勢いよく地面へと吹き飛ばされた。大きく崩れた体勢が仇となり、無防備な背中が勢いよく灼熱に焼かれた地面へと叩きつけられる。

 

「……グ……ァ…ッ」

 

 仮面の奥からエントマ本来の声が零れ出て、それだけ彼女が受けたダメージが大きいことが窺える。

 しかし本来であればここまでエントマがダメージを受けることはなかったはずだ。ならば何故今回はそうではなかったのかというと、それは〈隕石落下(メテオフォール)〉によって灼熱の地へと姿を変えた地面による影響だった。

 通常ユグドラシルでは〈隕石落下(メテオフォール)〉発動後での焼かれた地面などによる継続ダメージという設定は存在しない。しかしここはユグドラシルでもなければ、ゲームの世界でもない。この世界はどこまでもリアルであり、そのためユグドラシルではなかった攻撃後の影響によるダメージが今回エントマの身体に多大なダメージを与えていた。

 それでも何とか起き上がろうとしているエントマの傍らに、スラリとした漆黒が優雅に舞い降りてくる。咄嗟に顔を上げるエントマに、長い杖が鋭く突きつけられた。

 

「……エントマ、“ストップ”だ」

 

 杖を突きつけたウルベルトが、短くエントマへと言葉を発する。

 それは勝負の終了を意味し、エントマの敗北をも意味する言葉。

 しかし言われた本人であるエントマからは、敗北からの悲しみや憤りといったようなものは一切感じられなかった。逆に感服したような、どこか嬉しそうな気配が仮面の奥から漂ってくる。

 

「ありがとうございます、ウルベルト・アレイン・オードル様。この度の手合わせを、必ずや今後の戦闘に活かしてみせます!」

 

 先ほどまでダメージに呻いていたというのに、今ではそんな影すら見られない。嬉々とした声を上げるエントマにウルベルトは思わず小さな苦笑を浮かべると、次にはアイテムボックスを開いて、中からポーションを取り出した。キュポッと小さな音をたてて蓋を開け、未だ地面にペタッと座り込んでいるエントマに合わせて屈み込む。そのまま蓋が開いたポーションを差し出してやれば、エントマは途端にひどく慌てたような素振りを見せた。

 

「ウ、ウルベルト様!? ウルベルト様からアイテムを頂くなど……!!」

「気にするな。そもそも、お前を傷つけたのは私なのだからね。そのままにしていては私がモモンガさんから怒られてしまうし、お前もこのままでは辛いだろう?」

 

 尚もズイッと差し出せば、エントマは未だ困惑したような雰囲気を発しながらもおずおずと両手でポーションを受け取ってくる。

 ウルベルトはエントマが顎部分にある本当の口でポーションを飲み始めたのを確認すると、屈み込んでいた状態から立ち上がって改めて周りを見回した。

 周辺には既に悪魔たちの姿はなく、その多くが〈隕石落下(メテオフォール)〉によって死に絶えたことが窺えた。それでも全員を焼き尽くしたわけではないだろうから、恐らく残りは〈隕石落下(メテオフォール)〉の攻撃を合図にデミウルゴスの元へ撤退したのだろう。

 後は亜人軍だが……と視線を巡らせ、ふと続々と撤退している亜人軍の姿を視界に捉える。

 ウルベルトが召喚した悪魔たちがその後を執拗に追いかけており、ウルベルトは少しだけ考え込んだ後、次にはパチンっと一度鋭く指を鳴らした。瞬間、あれだけ嬉々として亜人たちを追いかけていた悪魔たちがピタッとその動きを止める。

 急に追いかけてこなくなった悪魔たちに亜人たちは少々戸惑ったような様子を見せたが、しかしそれでもこの機を逃すほど愚かではないらしく、次には我先にと続々と撤退していった。

 後に残されたのはボロボロになった市壁と、こちらもまたボロボロになった亜人たちの布陣跡。地面に刻まれた壮絶な戦いの痕跡と、地に伏せる多くの死体。

 これが戦場か……と改めてウルベルトが実感する中、不意に静寂に包まれていた空気が俄かに騒めき始めた。

 最初はさざ波のような小ささで、しかし徐々に大きく膨らみ、最後にはまるで雷鳴のように鳴り響いて大気を震わせ始める。

 音の出所は市壁の中であり、音の正体は人間たちが上げる勝鬨の声。

 ウルベルトは少々耳障りに感じる雑音(・・)に小さく山羊の耳をフルフルと動かすと、次には何事もなかったようにエントマを振り返った。

 エントマは既にしっかりと立ち上がっており、無言のままウルベルトの傍らに控えるように佇んでいる。

 ウルベルトはエントマに気付かれないように小さな息をそっと吐きだすと、次には気持ちを切り替えるように柔らかな微笑を浮かばせた。

 

「……さて、今回は我々の(・・・)勝利だ。彼らと合流するとしよう」

 

 ウルベルトの言葉に、エントマはただ黙って頭を下げる。

 ウルベルトは市壁へと足先を向けると、エントマを後ろに引き連れて歩きながら今後について思考を巡らせた。

 エントマや捕らえたヴィジャーたちの存在。自身の今の魔力量や、解放軍の状況。今回の戦いでの自身の行動による影響や、今後の行動方針。亜人軍は勿論のこと、何よりデミウルゴスの今後の動きについて。

 考えることは山のようにあり、対処すべき問題もこれから続々と出てくることだろう。

 それに少々憂鬱になりながらも表情には少しも出すことなく、ウルベルトは未だ湧き立つ市壁の中へと足を踏み入れていった。

 

 




*今回のウルベルト様捏造ポイント
・“スーパー・メガホン”;
“アインズ・ウール・ゴウン”のギルメンが遊びで作ったネタ・アイテム。ただ単に声を大音量に響かせることが出来る。
・“知られざる眼”;
公式イラストの右半分の仮面。神器級の装備アイテム。対象の名前、レベル、HPやMP残量、ステータス、状態異常などを見ることができる。しかし対象者が阻害するアイテムを装備していれば見れなくなってしまう。
・〈地獄の軍勢〉;
〈不死の軍勢〉の悪魔版。
・〈星の雨〉;
第九位階の範囲攻撃魔法。隕石の雨を降らして攻撃する。
・〈竜の息吹〉;
第七位階の炎系魔法。灼熱の火炎放射で対象を焼き尽くす。


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第15話 勝利の裏の闇

 小都市ロイツでの解放軍と亜人連合軍との戦いは、ウルベルト・アレイン・オードル災華皇(さいかこう)の介入によって解放軍の勝利で終わった。

 圧勝ではなく辛勝であり、こちらの被害も多大なものにはなったが、それでも今回の勝利は大きな前進であると言える。

 民兵たちは勝利に湧き、互いの無事を喜び合い、踏み躙られてきた尊厳を涙を流しながら癒し合った。

 しかしいつまでもお祭り騒ぎでいるわけにもいかない。聖騎士や神官たちの号令のもと、民兵たちは未だ喜び合いながらも戦闘の後始末作業を始めていった。

 ある者は死体を運び片付け、ある者は地面を染める血を洗い流し、ある者は人間も亜人も問わず死体から使えそうな装備類を剥ぎ取り、ある者は負傷者を運び、ある者はその負傷者の治療を行う。

 誰もが激戦で疲れ果ててはいたが、誰一人として文句を言うこともなく黙々と作業を進めていく。彼らの表情は今までになかった希望と興奮に明るく光り輝いているようだった。

 そんな中、街中を駆け足で走り回る一つの影。

 戦場で共に行動していた民兵たちと別れたネイアは、現在必死にウルベルトを探していた。

 民兵たちと戦いながら見た市壁の外の光景を思い出し、思わずブルッと小さく身体を震わせる。市壁の中で戦っていたため上空の様子しか見えなかったが、それでもこちらまで圧倒される光と音と衝撃。空から降ってきた巨大な光の塊を目にした時などは、ネイアは言葉の綾ではなく本当に息が止まってしまっていた。

 あんな壮絶な戦闘を繰り広げて、果たしてウルベルトは無事なのか……。

 彼の王が負けるはずがないと信じてはいるものの、それでも無事な姿をこの目で確認しなければどうにも不安で仕方がなかった。

 聖騎士や神官たちから声をかけられて何かしらの役目を言い渡されないように、急いで移動しながらひたすら漆黒の姿を探す。

 西門付近に足を踏み入れ、すぐに聞き覚えのある声が鼓膜を打って反射的にそちらを振り返った。

 

「は~い、一列に並べ~。こら、中身は動かない! 大人しくしていたまえ!」

 

 どこかのんびりとした声音と共に、不自然な人だかりが視界に飛び込んでくる。中心を広く開けて遠巻きに何かを見つめている人だかりに、思わず訝しげに首を傾げさせた。

 何を見ているのかと彼らの視線を辿り、人だかりの奥に求めていた漆黒を見つけてネイアは嬉々とした表情を浮かべた。すぐさま駆け寄ろうと一歩大きく足を踏み出す。しかしその足はすぐに踏み止まることになった。ネイアの鋭い双眸がウルベルトの目の前にどっしりと佇んでいる三つの巨大な影と、ウルベルトの傍らに立っている小さな人影に釘付けとなる。

 ウルベルトの目の前に佇む巨大な影は、小さな翼に大きな嘴を持った鳥の石像のような物だった。しかし唯のどこにでもあるような石像ではないことは明らかで、一つの石像の中に一体ずつ亜人が閉じ込められているようだった。鳥の胸から腹部分にかけて大きな穴が開いており、嵌められている鉄格子越しに中で暴れている亜人の姿が見てとれる。ウルベルトはどうやら中で暴れている亜人たちに、大人しくするように声をかけているようだった。

 そして彼のすぐ横。傍らに控えるように立っている小さな影に、ネイアは思わずゴクッと生唾を呑み込んだ。

 こちらからは後ろ姿しか見えないが、それでも見間違えるはずがない。ウルベルトの傍らに立っているのは、ヤルダバオトの配下であり、今回の戦いで悪魔軍を率いて現れたメイド悪魔だった。

 何故メイド悪魔がこんなところに! と思わず恐怖と殺意が同時に湧き上がってくる。

 その気配に気が付いたのだろうか、不意に人だかりの隙間からチラッとこちらを振り返ってきたメイド悪魔に、ネイアはゾクッと背筋に冷たい衝撃が走り抜けるのを感じた。強すぎる緊張に身体が強張り、胸が苦しくて呼吸もし辛く感じられる。

 ビシッと固まって身動ぎ一つできなくなったネイアの視線の先で、メイド悪魔は顔をウルベルトへと戻して何やら声をかけたようだった。ウルベルトがメイド悪魔を見下ろし、次にはネイアを振り返ってくる。

 人だかりを越えて向けられた金色の瞳に、その目と視線がかち合った瞬間、ネイアは一気に緊張が解けて息苦しさから解放されたような気がした。足が小さく震えてはいるものの、意を決して一歩足を前へと踏み出す。そのまま勢いに任せてウルベルトへと駆け寄り、人だかりをかき分けてウルベルトの目の前で漸く足を止めた。

 

「……ああ、バラハ嬢。無事なようで何よりだ」

 

 ウルベルトが柔らかな笑みを浮かべ、優しい声音で声をかけてくれる。

 相手は山羊の顔だというのに何故柔らかな笑みを浮かべていると分かるんだ……と他の者たちからは言われるかもしれないが、しかしネイアはこれまでウルベルトと共に行動してきて、ある程度ウルベルトの表情を読み取ることが出来ると自信が持てるようになっていた。それがとても嬉しく、どこか誇らしくも感じられる。

 今もその嬉しさとウルベルトの優しさに心を浮足立たせながら、しかしネイアは必死に表情筋を引き締めさせて一度大きく頷いた。

 

「はい、閣下もご無事なようで安心いたしました! ですが……」

 

 不意に言葉を切り、チラッと目だけでウルベルトの傍らに立つメイド悪魔を見やる。

 

「恐れながら、何故敵であるはずのメイド悪魔がここにいるのでしょうか……?」

 

 尋ねたネイアの声音は、感情が抑えきれておらず少々刺々しい。しかしメイド悪魔の方はと言えば全く気にした様子もなく、ただじっと観察するようにネイアを見つめていた。その歯牙にもかけていないような態度が気に食わなくて仕方がない。

 思わず視線が鋭くなる中、ウルベルトが不思議そうな表情を浮かべて小首を傾げてきた。

 

「ふむ、何故と言われてもな……。君は、私がこの地に来てヤルダバオトを倒す見返りにアインズが出した条件の内容を知らないわけではないだろう?」

「それは! ……勿論、存じてはおりますが……」

 

 ネイアは途中で言葉を切ると、再びチラッとメイド悪魔を見やった。

 使節団としてネイアたちが魔導国に赴いた際、アインズが出してきた条件の内容ならばネイアも当然知っている。その中に“ヤルダバオトの配下であるメイド悪魔を貰い受ける”という内容があったことも当然覚えてはいた。しかし、いざこのように目の前に突き付けられては、ネイアとて“何故?”と思わずにはいられなかった。直接メイド悪魔と対峙したことは無くても、ヤルダバオトの配下の悪魔だという認識が憎しみを湧き上がらせてしまう。

 無言のままメイド悪魔を睨むように見つめるネイアに何を思ったのか、ウルベルトも自身の傍らに立つメイド悪魔を見下ろした。漆黒の革手袋に包まれた手がそっと伸び、メイド悪魔の紅の頭に柔らかく乗せられる。

 

「心配しなくても、既にこの子は私の支配下にあるから君たちに危害を加えることはないよ。……さぁ、自己紹介をしたまえ」

 

 ウルベルトに促され、恥かしそうな素振りを見せながらも大人しく頭を撫でられていたメイド悪魔が改めてネイアに視線を向けてくる。

 ひどく整ってはいるが少しも動かない表情に、ネイアはどこか不気味さを感じた。

 しかしメイド悪魔はそんなネイアの感情に気が付いているのかいないのか、やはり一切表情を変えることなくぺこりと可愛らしくお辞儀をして見せた。

 

「……エントマ・ヴァシリッサ・ゼータと申します。どうぞ、お見知りおき下さい」

 

 動いたようには見えない唇から零れ出たのは、とても可愛らしい少女の声。

 ネイアは反射的に顔を引き締めさせると、まるでメイド悪魔に対抗するようにピシッと背筋を伸ばして今までで一番綺麗にお辞儀をして見せた。

 

「私はネイア・バラハと言います。聖王国の聖騎士見習いですが、今は災華皇閣下の従者としての役目を与えられております。よろしくお願いします」

 

 互いに頭を下げ、そしてほぼ同時に頭を上げる。そのまま牽制し合うように互いに無言のまま見つめ合う中、ネイアたちの様子に気が付いているのかいないのか、ウルベルトは変わらず呑気に再びメイド悪魔の頭へと手を乗せた。優しい手つきで頭を撫でてやりながら、『お前にも赤い布をあげなければならないねぇ』と声をかけている。

 何とも和やかで仲睦まじい様子に、ネイアは思わず複雑な感情のままに表情を翳らせた。

 数時間前までは敵だったというのに、何故そんなにも優しく接することが出来るのか……。

 ウルベルトへの疑問と戸惑い。そして何よりメイド悪魔に対する嫉妬のような感情が湧き上がり、胸の中で渦を巻いて、どうにももやもやとした感覚が止まらなかった。

 何か言わなければと訳もなく焦り、言葉もまとまらないまま思わず口を開く。

 しかし言葉を発するその前に、こちらに近づいてくる足音と男の声が聞こえてきた。

 

「――……災華皇閣下…!」

 

 聞き覚えのある声に振り返ってみれば、人混みをかき分けてこちらに駆けてくる一人の男。

 すっかり漆黒の鎧姿が馴染んできたオスカーが、少し息を弾ませながらウルベルトの目の前まで駆け寄ってきた。

 

「……おや、オスカー。君も無事なようで何よりだね」

「ありがとうございます。閣下もご無事なようで安心いたしました」

 

 まずは挨拶とばかりに短く言葉を交わし合い、次にオスカーの視線はエントマへと向けられた。

 

「……このモノが、悪魔の軍勢を率いていたという悪魔のメイドですか」

「ああ。とはいえ、今は既に私の支配下にあるがね。名をエントマ・ヴァシリッサ・ゼータという。君の……まぁ、同僚のようなものだから仲良くするようにな」

 

 ネイアからしてみれば無理難題で抵抗のある言葉であり、とてもではないが素直に頷けない命令である。しかし信じられないことに、オスカーは少しだけエントマを凝視した後、無言のまま一つ頷いた。

 その顔には一切の憎しみも怒りも浮かんではいない。ただ真面目そうな色が宿った無表情で、じっと小さなメイド悪魔を見下ろしていた。

 

「初めまして、エントマさん。私はオスカー・ウィーグランと申します。これから共に行動することが多くなるでしょうし、よろしくお願い致します」

 

 頭を下げる様子も物腰柔らかで、エントマに対する負の感情は一切見てとれない。

 再び“何故?”と心の中で呟く中、ネイアの様子に気が付いていないオスカーは、次には鳥の石像の中に囚われている亜人たちへと視線を移した。

 亜人たちは今は暴れることはなく、ただ警戒するようにじっとこちらを睨み付けている。

 

「………それで…、こっちが閣下が捕えたという亜人たちですか」

「そうだね。見たところ一軍を率いる程度のモノたちのようだったから、色々と使えるかと思って捕らえてみたのだよ」

「それでは、このメイド悪魔のようにご自身の配下にする訳ではないのですか……?」

「う~む……、それは今後の状況や彼らの態度にもよるな。もし今後、彼らに利用価値を見出すことが出来れば、この子のように配下に加えることも吝かではないし、その逆であれば処分するだろうねぇ」

 

 まるで他人事のように軽い口調で話すウルベルトに、オスカーは無表情だった顔に小さく不思議そうな表情を浮かべる。再び囚われている亜人たちを見やり、次にウルベルトへと視線を戻して小さく首を傾げさせた。

 

「……以前も申し上げましたが、何故閣下はそこまで力を求めていらっしゃるのでしょうか? 閣下は自身よりも強い者がいる可能性を仰られていましたが、私には閣下以上に強い者がいるとは到底思えません。恐らくここに囚われている亜人たちは二つ名持ちのモノたち……。彼らを三体も同時に捕らえることが出来る者など、聖王国にはいないでしょう」

 

 オスカーの言葉に、ネイアも無言のまま大きく頷く。

 彼の言う通り、ネイア自身もウルベルトよりも強い者がいるとは到底思えなかった。

 しかしウルベルトはそうは思っていないのか、どこか呆れたような表情を浮かべて軽く頭を振ってくる。

 

「オスカー、“驕りは身を滅ぼす”と忠告しておこう。……少なくとも私は、私よりも強い存在が一人いることを知っているのだよ」

 

 オスカーに言い聞かせるように話すウルベルトの声は、どこか不満そうで苦々しい。しかしネイアとオスカーは、ウルベルトの声音よりもその言葉の内容の方が衝撃だった。一体どこに目の前の悪魔以上に強い存在がいるというのか……と恐怖すら湧いてくる。

 しかし、ふとある一人の存在を思い出して、ネイアはハッと大きく目を見開かせた。

 

「……もしや、閣下が仰られている“閣下よりも強い存在”というのは、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下のことでしょうか?」

 

 言葉はあくまでも疑問形ではあったが、ネイアは自分の考えに自信を持っていた。ウルベルトと同等の地位にいる魔導王であればウルベルト以上の力を持っていても不思議ではないし、それ以外にウルベルト以上の力を持った者がいるなど、やはり考えられなかった。

 しかし、あろうことか目の前のウルベルトは複雑そうな表情を浮かべて首を捻らせていた。

 

「う~ん……、確かに習得している魔法の数は私よりもアインズの方が圧倒的に上だ。しかし、純粋な火力であれば私の方が勝る。それに過去にPVP……あー、つまり手合わせを何度かしたことがあるんだが、その時も私の勝ちだったしねぇ……。それで言えば、一応私の方が強いと言ってもいいのかな。私が言っている存在はまた違う奴のことだ」

 

 小さな苦笑と共に肩を竦ませるウルベルトに、ネイアは再び目を見開かせた。

 魔導王以外でウルベルト以上の力を持つ可能性のある者など、一体どこにいるというのか……。

 ネイアは言葉もなく驚愕の表情を浮かべて固まり、遠巻きに聞き耳を立てていた周りの人だかりも驚いたようなざわめきを響かせ、オスカーも信じられないといった表情を浮かべて一歩ウルベルトへと身を乗り出していた。

 

「そ、そのような存在が一体どこに……!?」

「正確に言えば“いた”という話だ。私が口に出した男は、今この世界には存在しない。しかし、奴以外に私よりも強い存在がいないとは限らないだろう? 自身の力に驕って対策を講じないなど、それは唯の愚か者のすることだ。………言っておくが、私が口に出した男にだって完全に負けた訳ではないんだぞ? 何回かは勝ったこともあるし、仲間たちには『それは実力じゃなくて、執念のなせる業だ』とか言われたが、あれは断じてそう言う訳ではなく俺の力があいつに勝ったってことだろうし、それに“運も実力のうち”とかいう言葉もあるわけで……――」

 

 後半から何やらブツブツと捲し立て始めたウルベルトに、しかしネイアは右から左へと流れてしまってきちんと聞いてはいなかった。そんな事よりも、ウルベルトの前半の言葉の内容の方が衝撃的過ぎて頭がついていかない。

 ウルベルトの言葉が正しければ、ウルベルトよりも強い力を持った存在がいたのはあくまでも過去であったらしいが、それでもそんな存在が実際にいたという事実だけで大きな衝撃である。

 それと同時に、何故ウルベルトがここまで力を得ることに固執しているのかが分かったような気がした。

 過去とはいえ、実際に自分よりも強い存在がいたなら、新たな存在に備えて力を求めるのも理解できる。事実、今現在ヤルダバオトという存在がすぐ側にいるのだ。ヤルダバオトがウルベルトよりも弱いとしても、より多くの力を得ていれば、それだけ対処は簡単なもので済ますことが出来るだろう。

 目の前にいる囚われている亜人たちを見つめ、ネイアは思わず一つ頷いた。

 そんな中、不意に再び聞き覚えのある声が聞こえてきて、ネイアたちは反射的にそちらを振り返った。

 

「……災華皇閣下っ!!」

 

 オスカーの時と全く同じように、人だかりをかき分けながら駆け寄ってくる一つの影。

 しかし身に纏っているのは純白の全身鎧(フルプレート)で、その顔にはオスカーとは違って多くの感情が複雑に混ざり合ったような表情が浮かんでいた。

 

「……おや、ノードマン君。そのように血相を変えてどうかしたのかね?」

 

 未だブツブツと何事かを一人呟いていたウルベルトが、こちらに駆け寄ってきたヘンリーの存在に気が付いて小さく首を傾げさせる。

 ヘンリーは乱れた呼吸を落ち着かせるように一つ大きな深呼吸をすると、次には険しく顰められた表情のままウルベルトを真っ直ぐに見つめてきた。

 

「閣下、お忙しい中に申し訳ありません。しかし、閣下のお力をどうしても貸して頂きたいことがございまして……」

「ほう、また面倒事かね?」

 

 ウルベルトの声音はどこか悪戯っぽく、少し皮肉的にも聞こえる。

 しかしヘンリーは表情を一切変えることはなく、ただ真っ直ぐにウルベルトを見つめ続けていた。

 

「今回の戦いで負傷者が多く出ており、神官たちの数も足りないため治癒の手が回っておりません。このままでは半分以上の負傷者が間に合わずに命を落としてしまう可能性があります。……閣下の魔力量などの問題もあることは重々承知していますが、どうか彼らを救うために治癒魔法が使える悪魔をお貸し頂けないでしょうか?」

 

 深く頭を下げて懇願するヘンリーに、この場にいる人間すべての視線がウルベルトへと向けられる。

 ウルベルトは無言のまま暫くヘンリーを見下ろしていたが、次には小さく金色の瞳を細めさせて一つ息をついた。

 

「……“面倒事”等と言って、すまなかったね。頭を上げたまえ、ノードマン君」

「災華皇閣下……」

「今すぐに向かおう。治療を行っている場所に案内してくれたまえ。……オスカー、この亜人たちを私の代わりに運んでおいてくれるかね? エントマは私と共に来たまえ」

「畏まりました、閣下」

「畏まりました」

「あ、ありがとうございます、災華皇閣下!」

 

 ウルベルトからの命令にオスカーとエントマが深々と頭を下げ、ヘンリーが笑顔を浮かべて感謝の言葉を述べる。

 まるで蚊帳の外のような状態にネイアは寂しさを感じると、ウルベルトが鳥の石像に向けてオスカーの言葉に従うように命じている中、タイミングを見計らって意を決してウルベルトへと声をかけた。

 

「……閣下、私も閣下に同行させて頂いてもよろしいでしょうか?」

「うん? ああ、私は構わないよ。もし何も役目を言い渡されていないのなら、着いてくるが良い」

「ありがとうございます!!」

 

 ウルベルトに追従の許可をもらっただけで心が弾むほどの喜びを感じる。ネイアは嬉々とした笑みを浮かべると、オスカーとはここで分かれて、ヘンリーの案内で歩き始めるウルベルトに付き従ってこの場を後にした。隣にはエントマが同じようにウルベルトに付き従っており、ネイアはチラッと視線だけでエントマを観察する。

 先ほどまでの憎悪は既にネイアの心からは大分なくなってきてはいるが、それでも複雑な感情は全くなくなったわけではない。とはいえ、ネイアもウルベルトの従者を命じられている以上、他の者よりもエントマと接する機会は多くなるだろう。

 どう接していけばいいのかと思案する中、しかし目的の場所に到着したことに気が付いてネイアは取り敢えず考えるのは後回しにすることにした。

 ヘンリーに案内されたのは、建物ではなく広場に設けられた大きな天幕。また、天幕は一つではなく、同じような天幕が幾つも横並びに何列も並んでいた。

 ここは小都市ロイツの中心部にある大きな広場で、天幕と天幕の間には大きな噴水も設置されている。しかし今は観賞用ではなく治療のための水源として利用しているようで、噴水の水は濃い赤色に染め上がってしまっていた。所狭しに並べられた天幕のせいか、広場全体の空気はひどく淀んでいるようで、濃い鉄のにおいが充満している。

 ネイアが思わず顔を顰めさせる中、ヘンリーは一番近くにある天幕へとウルベルトを促した。ヘンリーの手によって捲られた入り口の布に、ウルベルトは迷うことなく潜って中へと足を踏み入れていく。ネイアも慌てて後に続き、天幕の中の光景を見た瞬間、鋭い双眸を大きく見開かせた。

 そこはある意味“戦場”という言葉が相応しい場所と化していた。

 地面に何列にも並べられた人々。歩けるスペースは殆どなく、数少ない神官たちがまるで縫うようにそこを歩いている。広場以上に濃くかおる血のにおいと、途切れることのない複数の呻き声。治療の方法は魔法だけではないため薬草の匂いもしていいはずなのだが、ネイアが感じ取れるのは血のにおいと死臭のみ。治療している神官たちの顔色もひどく悪く、まるで死神が獲物を探して練り歩いているようにネイアの目には映った。

 

「――……アルバっ!?」

 

 あまりの光景に立ち尽くしているネイアの耳に、不意にヘンリーの驚愕と怒気が入り混じったような声が飛び込んでくる。

 聞き慣れた名に咄嗟にそちらへと視線を走らせれば、いつもと少し違った姿ではあるものの確かに神官の男がそこに立っていた。

 いつもの神官用の純白の法衣を真っ赤に濡らし、何故か頭に巻いた布の端を顔に垂れ下げている。垂れ下げた布が顔の右半分を隠し、まるで今のウルベルトと同じような格好になっていた。

 アルバは動きを止めてこちらを振り返ると、途端に不機嫌そうに大きく顔を顰めさせてくる。

 しかしヘンリーはそんなことはお構いなしに、肩を怒らせながら足早にアルバへと歩み寄っていった。

 怪我人を踏まないように気を付けてはいるのだろうが、その足取りは神官たちに比べればひどく荒く、非常に危なっかしい。アルバもそう感じたのか、顰めている顔を更に歪ませると、軽く手を挙げてヘンリーの動きを止めさせた。流れるような足取りで自分からネイアたちの元へと歩み寄ってくる。

 

「……何故お前がここにいるんだ。それに、何故災華皇閣下をこんなところに連れてきているんだ」

「治療の手が足りないと聞いたから、閣下に頼んで来て頂いたんだ。そんな事より、何故お前が働いているんだ! 安静にしていろと言われただろう!」

「死ぬわけでもあるまいし、安静になどしていられるか。俺は神官なんだぞ。人々を癒すのが俺の役目だ」

 

 いつになく声を荒げるヘンリーと、こちらもいつになく粗野な口調で言い返すアルバ。

 二人の口論にネイアは戸惑った表情を浮かべ、他の神官たちもネイアたちの存在に気が付いて驚いたような表情を浮かべてこちらを見つめてくる。

 今も尚口論し続ける二人をオロオロと見つめる中、不意にウルベルトが二人へと歩み寄っていった。

 

「……ユリゼン君、どうやら君も怪我をしているようだね。ノードマン君の言う通り、安静にしていた方が良くはないかね?」

「御心遣いには感謝します。しかし人手が不足している以上、死ぬわけでもない怪我程度で休んでいる訳にはいきません」

「ほう、そんな状態でそこまで言えるとは大したものだ」

 

 ウルベルトの全て理解しているような口調に、ネイアは思わず小さく首を傾げさせる。一体どういうことかと口を開きかけ、しかしウルベルトが動いたことによってそれは言葉になることはなかった。

 ウルベルトがアルバへと手を伸ばし、右側の顔を覆い隠している布をひょいっと捲り上げる。

 瞬間、視界に飛び込んできたアルバの顔に、ネイアは思わず大きく息を呑んだと同時に顔を歪ませた。

 アルバの顔右半分は、それだけ酷い状態だった。

 額から顎にかけて走った大きな傷。頬から顎にかけての皮膚や筋肉は大きく抉られ、右目も瞼は閉じられているものの血を涙のように垂れ流している。恐らく眼球も傷つけられ、失明もしているかもしれない。

 また、よく見ればアルバが着ている法衣もボロボロだった。法衣を濡らしている血は決して治療中に散ったものだけではなく、その大部分はアルバ自身から流れたものだった。その証拠に、アルバの首には大きな爪で切り裂かれたような傷が走っており、脇腹にも大きく抉られたような傷が法衣の破れた布の隙間から見てとれる。

 今、平気な顔をして立っていることが信じられないほどの悲惨な状態だった。

 

「最低限の治癒魔法はかけたので死ぬことはありません。血も大分止まってはいますし、麻痺効果のある薬草を煎じて飲んだので痛みもあまり感じません。今は一人でも治癒魔法が唱えられる人手が必要なのです。魔力が底をついているならいざ知らず、そうでもないのに寝込んでいる訳にはいきません」

 

 一歩後ろに下がってウルベルトの手から逃れながらきっぱりはっきり言い切るアルバに、ネイアは開いた口が塞がらなかった。

 ここまでして職務を全うしようとする者もなかなかいないのではないだろうか。とはいえ、度が過ぎているのは誰の目から見ても明らかで、ネイアとしてはヘンリーやウルベルトの言い分の方が正しいように思えた。

 どうにかしてアルバを安静にさせる方法はないものかと頭を悩ませる。

 そんな中、不意に大きなため息の音が聞こえてきて、ネイアは咄嗟にそちらを振り返った。

 

「……君の覚悟は感心するがね。何事も限度というものがあるのだよ?」

 

 呆れた声音と共にウルベルトが小さく頭を振る。それでいて短く詠唱を唱えると、空気が揺らめいて複数の影がどこからともなく姿を現した。

 影の正体は、これまでもウルベルトが何度か召喚していた治癒魔法を唱えられる悪魔、拷問の悪魔(トーチャー)

 ウルベルトは再びアルバに手を伸ばして無傷な左腕を掴むと、少々強引に引き寄せて一体のトーチャへと差し出した。

 

「人々を癒すのが役目だと言うなら、まずは万全な状態で治療にあたれるようにしたまえ。……トーチャー、この男の傷を癒せ」

「はっ、畏まりました」

 

 ウルベルトの命に従い、早速アルバへと治癒魔法をかけ始める悪魔。

 みるみるうちに癒えていく多くの傷に、しかしアルバは何十匹もの苦虫を同時に噛み潰したような表情を浮かべた。

 

「……閣下、治癒をして頂けるのは嬉しいのですが、できれば私以外の者たちを治癒するように命じては頂けませんか?」

「いい加減にしたまえ。私の言葉を聞いていなかったのかね? 第一、トーチャーたちの魔力量は君たち人間に比べて非常に多い。治療する対象が一人増えたところで、魔力がすぐ枯渇するようなことにはならないから大人しく治療を受けたまえ」

 

 まるで聞き分けのない子供に言い聞かせるように言い放つウルベルトに、アルバも不満な表情は変わらないものの口を閉ざして大人しくなる。

 何故こんなに頑なだったのだろう……と疑問に思う中、ウルベルトが周りを見回していることに気が付いてネイアは小首を傾げさせた。

 

「……ふむ、ここは少々狭いな。トーチャーたち、端から順々に治療を開始せよ。だが、中には悪魔に拒否反応を起こす者もいるだろうから、その場合は無理強いはせずに次の者の治療に移れ。拒否した者に関しては引き続き神官たちに治癒作業を行ってもらうことにしよう」

 

 ウルベルトの指示に、アルバを治癒しているモノ以外の他のトーチャーたちが傅いて頭を下げる。遠巻きにこちらの様子を窺っていた神官たちも慌てたように頷き、恐々ながらもトーチャーたちに続いて治療に戻っていった。

 しかしトーチャーたちが治療に加わったからと言って人手不足であることは変わらない。

 未だ治療中のアルバを監視しているウルベルトに、ネイアは歩み寄って声をかけた。

 

「閣下、私も神官たちの手伝いをしたいと思いますが、よろしいでしょうか?」

「ああ、そうだな。……エントマ、お前もトーチャーたちの補佐をしてくれ」

「はっ、畏まりました」

 

 ネイアに続いて、エントマも頭を下げてウルベルトの言葉に従う。

 踵を返してトーチャーたちの元へ歩き始める小さな背に、ネイアは対抗心を燃やしながら神官たちを手伝うべく天幕の奥へと足を進めていった。

 そんな二人の背をウルベルトがまるで観察するようにじっと見つめていることに、ネイアは気が付くことはなかった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 時を同じくして、小都市ロイツの中心部。指揮官詰め所では四人の人物がテーブルを囲むようにして顔を突き合わせていた。

 聖騎士団の代表である団長レメディオス・カストディオと副団長グスターボ・モンタニェス。

 神官のまとめ役であるシリアコ・ナランホ司祭。

 そして、この解放軍の総大将とも言える立場となった王兄カスポンド・ベサーレス。

 突き合わせた四人の顔は勝利した軍の者とは思えないほどに翳っており、ある者は憂鬱とした表情を浮かべ、ある者は苦々しい怒りにも似た表情を浮かべていた。

 

「……さて、では報告を聞こうか」

 

 重苦しい空気の中、カスポンドの声が静寂を破る。

 王兄に促され、まず初めにシリアコが口を開いた。

 彼の口から語られるのは、今回の戦いによるあらゆる報告。

 被害状況に始まり、戦況の一通りの流れについて。また、亜人軍が布陣していた場所から回収した物資や食料についてなどなど。

 時折グスターボが補足を入れ、レメディオスは口を引き結んで黙り込んでいる。

 シリアコとグスターボの口から語られる報告内容に、誰もが頭が痛む思いだった。

 まず被害については、民兵約七千人に対して死傷者が約三千五百人。その内、約二千人ほどが重軽傷で現在治療用の天幕に運ばれているとのことだった。因みに聖騎士は約半数が死傷し、神官は六人の死者が出たという。

 亜人軍や悪魔軍との戦力差を考えれば、むしろこの程度の被害で済んだことは奇跡に近い。しかし、その奇跡をもたらしたのが自分たちではなく災華皇であることが一番の問題だった。

 加えて戦況の流れについて、懸念すべきことが一つ存在した。

 

「……では、間違いないのだな? 災華皇もヤルダバオトと全く同じ力を使ったと?」

「はい。ヤルダバオトが中央砦の城壁を打ち破り、都市カリンシャでも発動させた未知なる力……。恐らく災華皇閣下も使用したことから魔法であると推測できますが、カリンシャでの生き残りの者たちにも確認を取り、全く同じものであることに間違いありません」

「ふむ……」

 

 グスターボからの返答に、カスポンドは難しそうな表情を浮かべて小さな唸り声を上げた。顎に指を添えて顔を俯かせながら何事かを考え込んでいる様子に、レメディオスは無言のまま目の前の男の表情を見つめた。

 王兄の姿に記憶の少女の面影が重なり、やはり兄妹なんだな……と現実逃避のように内心で呟く。同時に“何故?”という疑問が幾つも浮かんできた。

 何故こんなことになったのか。

 自分たちが何をしたというのか。

 何故、カルカもケラルトもここにはいないのか。

 二人とも一体どこにいるのか。

 何故、思い通りにならないのか。

 どうすれば憎き亜人や悪魔を根絶やしにできるのか。

 どうすれば、ヤルダバオトを倒せるのか。

 どうすれば……、あの山羊悪魔(・・・・)を消せるのか……――

 

 

「――……ということは、亜人たちが持ち込んでいた食料の約半数が得体の知れない肉だというのか? だが、いくら何の肉か分からないとはいえ、この状況下で全て破棄するというのもな……」

 

 レメディオスが思考の渦に呑まれている中、彼女の様子に気が付いていない三人が次の問題について話し合っている。

 どうやら人間のものなのか違うものなのかも分からない肉の対処に迷っているようだった。

 しかしレメディオスからすれば、何故迷うのか、それ自体が理解できなかった。

 

「死者は安らかに眠らせるべきだ。人の肉が混ざっているというのであれば、全て地に返すのが正しいと思う」

「……団長殿、そうは言うが、食料が不足しており今後手に入るかも分からない現状で食料を無駄に破棄するのはあまりに惜しいのではないか?」

「……では、この件は災華皇に相談してみよう。幸い、彼はメイド悪魔と亜人を何体か捕らえたらしい。それらを使えば人肉かそうでないか選別することが出来るかもしれない」

 

 カスポンドの提案に、レメディオスは思わず大きく顔を顰めさせた。

 また奴の名前だ……と思わずにはいられなかった。

 何故、いつもいつもあの悪魔の存在が出てくるのか。

 悪魔に頼らなければならない現状に、レメディオスはもどかしくて腹立たしくて仕方がなかった。

 しかし、どんなに憤ったところで、レメディオスには他の解決策が浮かばない。こんな時に自分の代わりに意見を言うはずのグスターボでさえ、口を閉ざして黙っている。

 レメディオスが苛立ちを抑え込んでいる間に話は決まってしまったようで、食料問題については災華皇に相談することになった。

 部屋中にカスポンドのため息の音が大きく響く。

 

「……また災華皇に頼ることにはなるが、今のところ何とかなりそうだな。今回の戦いで災華皇が考えを変えて参戦してくれたことも助かった。……災華皇の力でこの都市の陥落は防がれた」

 

 カスポンドの言葉がズシリと重くのしかかってくる。同時に大きな不快感が一気に込み上げてきて、レメディオスは咄嗟に強く奥歯を噛みしめた。ギリィッと歯が鳴り、顎が鈍い痛みを伝えてくる。しかしレメディオスは少しも力を緩めることが出来なかった。言葉で表すことの出来ない激情が競り上がり、少しでも力を緩めれば喚き散らしてしまいそうだった。

 必死に自身を抑え込もうとしているレメディオスに、しかし他の三人はそれに気が付かない。誰もが自分のことだけで精一杯なのかもしれない。

 そのため、何気ない言葉がレメディオスの激情を抑え込んでいた壁を鋭く打ち付けた。

 

「後で聖王国を代表し、感謝を伝えに行かなくてはな。……とりあえず、災華皇のおかげで勝利できたことはめでたい」

「……我々の尽力あってのことだ。それを忘れるな」

 

 それでも壁が崩れず一気に爆発しなかったのは、レメディオスなりに最後の最後で感情を抑え込んだためだ。言葉は多少乱暴になってしまったが、カルカの兄ならばこの程度で怒ることはないだろう。これまでの経験が妙な確信となり、ギリギリの精神状態も相俟ってレメディオスの態度を歪なものにさせていた。

 しかし、レメディオス自身はそれに気が付いていない。思った通り冷静な態度を崩さないカスポンドに、やはりな……と心の中で頷くのみだった。

 

「その通りだな、カストディオ団長。君たちや民たちが死力を尽くさなければこの戦いに勝利することはできなかった。それは事実だ」

「そうだ。だから……」

「だが、災華皇がいなければ負けていたのも事実だ。そして、彼の力で勝利を収めたのも事実だ。違うかね?」

「っ!!」

 

 瞬間、カスポンドの鋭い言葉がレメディオスの心の壁を再度打ち、そのまま完全に砕き崩した。

 カッと勢いよく競り上がってくる激情。

 吊り上がった目を怒りに見開かせ、衝動のままにかぶっていた兜を脱いで、そのまま壁に投げつけた。兜は勢いよく壁に叩きつけられ、鋭い音を響かせて地面に落ちる。

 突然の音に外で扉を守っていた聖騎士が慌てて室内に入ってきたが、すぐさまカスポンドが宥めて事なきを得る。

 しかしそれらはレメディオスの目には一切映ってはいなかった。ただ不快な現実が目の前に容赦なく突き付けられ、頭を掻き毟って喚き散らしたい衝動にかられる。

 ここがどこで、目の前にいるのが誰であるのかももはや関係ない。

 今すぐにでもこの激情を吐き出してしまわないと狂ってしまいそうだった。

 横で宥めてくるグスターボの声も、今は不快で苛立ちを増長させるものでしかなかった。

 

「どうか落ち着いて下さい、団長!」

「これが落ち着いていられるか! ここに来るまでに会った民たちの殆どが災華皇と奴の悪魔にばかり感謝していたんだぞ! まるで奴らだけで勝利を収めたかのように!! 奴らなど、途中から出て来ただけではないか! そこに至るまでにどれだけの犠牲があり、手に入れた勝利だと思っている! 民も騎士も神官も……老いも若きも、男も女も、数多くの犠牲あっての勝利だぞ!! 奴だけの力での勝利など、決して真実ではないっ!!」

「団長!!」

 

 最後はカスポンドを睨み付けて吐き捨てるレメディオスに、グスターボが悲鳴のような声を上げる。

 しかし今のレメディオスにとっては雑音でしかない。

 目にも、今は何一つ映ってはいない。

 彼女の目に映っているのは、ここにはいない憎い山羊頭の悪魔の姿だった。

 

「……カストディオ団長。多くの民の死を目にして、心がささくれ立っているようだな。少し休んだ方が良い。そうだな……、負傷兵を見舞いに行きたまえ。前線指揮官としての責任があるだろう?」

 

 “責任”という言葉が思いの外強く心に突き刺さり、少しだけ冷静さが戻ってくる。

 目に悪魔の影が消えれば、代わりに映ったのは見慣れた三人の男の姿。

 焦燥したような表情を浮かべながら呆然とこちらを見つめているグスターボ。

 どこか呆れたような、冷めた表情を浮かべているシリアコ。

 そして、どこまでも冷静な表情を浮かべたカスポンド。

 しかしレメディオスは、何故か王兄の目がどこまでも冷静でありながら底冷えのするような冷たさを孕んでいるように見えた。

 その冷たさが、更にレメディオスの激情を冷めさせる。

 激情が抑え込まれた後に残ったのは、重苦しい虚脱感だけだった。

 

「………分かった……」

 

 もはや反論する気力も湧き上がってこない。

 レメディオスは一つ力なく頷くと、投げ捨てた兜を拾い上げて扉へと歩み寄った。扉を開き、外側に立っている聖騎士の横を通り過ぎてこの場を後にする。

 扉を守っている聖騎士から何か言いたげな視線を向けられたような気がしたが、そんなことは知ったことではない。

 暫くあてもなく足を動かし、ふとカスポンドに負傷兵たちを見舞うように言われたことを思い出して大きな息を吐き出した。足先の向きを変更しながら、多くの聖騎士や神官や民たちが忙しなく動き回っている街中を突き進んでいく。

 黙々と足を動かしながら、彼女の頭にあるのは過去の数々の光景。

 未だカルカもケラルトも側にいた、楽しく輝かしかった平和な日々。

 しかしヤルダバオトが現れ、都市カリンシャで繰り広げた屈辱の戦い。

 生き残った者たちを率いていた過酷な日々。

 使節団として王国や魔導国へ赴いた長い旅。

 災華皇が聖王国に来てからの激動。

 そして今回の戦い直前の作戦会議でのことを思い出して、ふとある考えが頭を過ぎった。

 ハッと目を見開き、動かしていた足も止まる。全身鎧(フルプレート)や胸の奥にある心臓が、ドクドクと煩いまでに鼓動を響かせていた。

 今回の戦いの際、実はレメディオスたちは災華皇の力を一切借りることなく勝利を掴もうとしていた。それは作戦会議の時、グスターボから民たちの災華皇への評判や影響を報告されたからだ。

 災華皇がこれまで民たちに見せてきた力によって、民たちは今や自分たちに対する以上の信頼を災華皇へ寄せている。このままでは災華皇を英雄視する流れが強まり、最悪の場合、災華皇を新たな聖王国の統治者へと望む者すら出てくる可能性があるというのがグスターボの見解だった。そのため、これ以上民たちが災華皇を英雄視しないように自分たちの力だけで勝利を収めようとしたのだ。

 しかし、結果は真逆であり、またもや災華皇の力によって辛くも勝利を収めたような形となってしまった。このままでは災華皇への民たちの感情は更に高まってしまうかもしれない。

 しかし、そう考えれば考えるほど、ある考えがレメディオスの中で膨れ上がっていった。

 “そもそも災華皇とヤルダバオトはグルではないのか”と。

 災華皇とヤルダバオトは同じ悪魔だ。加えて本当にグスターボの見解が正しく、災華皇の人気が高まって新たな聖王国の統治者へという声が出てくるのだとしたら、ヤルダバオトが勝つにしろ負けるにしろ、どちらにせよ聖王国は悪魔の手に渡ってしまうことになる。

 それこそが、奴ら悪魔たちの狙いではないのか……。

 

 自身の考えに囚われている中、不意に聞こえてきた多くの声にレメディオスはハッと意識を外へと引き戻した。

 一瞬敵の襲来かと身体を強張らせ、しかしすぐに、気が付けばすぐ側まで来ていた治療用の天幕から聞こえてくる声なのだと理解する。

 しかしその声は呻き声や叫び声などではなく、どこか明るい歓声のようなもののように聞こえた。

 一体何事かと天幕へと歩み寄り、躊躇することなく中へと足を踏み入れる。

 瞬間、見たことのない悪魔が怪我人の男へと手を伸ばしているのが目に飛び込んできて、抑え込まれていたはずの激情が再び勢いよく燃え上がった。

 

「何をしているっ!!」

 

 無意識に声を上げ、悪魔へと突撃する。

 歓喜し、涙を流して喜びあっていた民兵たちが驚いたようにこちらを見つめてきたが、それすらも目に入ってはこない。

 腰の聖剣に手を掛けながら突進していくレメディオスに、しかし不意に闇のように深い漆黒が前を遮ってきた。

 反射的に急ブレーキをかけて立ち止まるのに、癪に障るほどに冷静な声が話しかけてくる。

 

「落ち着きたまえ、カストディオ団長」

「邪魔をするなっ!! 悪魔を使って何を……っ!!」

「閣下の言う通りです。落ち着いて下さい、団長殿。あの悪魔は我々と共に怪我人を治療しているだけです」

 

 レメディオスの前を遮ってきたのは山羊頭の悪魔。

 激昂して声を荒げるレメディオスに、しかし次に声をかけてきたのは一人の神官だった。

 血みどろの法衣を身に纏ったその男は、レメディオスは彼の名を覚えてはいなかったが、しかし災華皇と行動を共にしていたことは覚えている。

 ネイアと同じく災華皇を妄信している連中か……と顔を歪ませ、反論すべく口を開く。お前たちの様な者がいるからこの悪魔が好き勝手をするのだと言ってやるつもりだった。

 しかし言葉を紡ごうとしたその時、先ほどの悪魔とは別の個体の悪魔が違う怪我人を魔法で治療している様子が目に飛び込んできて、咄嗟に開いていた口を閉ざした。

 悪魔の力によって怪我を癒された男が涙を流しながら悪魔に感謝している姿に、言葉だけでなく思考も散り散りになっていく。聖王国の者が悪魔に感謝している光景が信じられず、何か大切なものが自分の中で粉々に崩れていくような気がした。

 少し前から、災華皇が召喚した悪魔に怪我人を治療させているという報告自体はグスターボから聞いていた。しかし、実際に目にするのはこれが初めてだった。

 今までは、何とも小賢しい真似をするものだ……という思いしかなかった。

 しかし、今は違う。

 こんな事が許されていいはずがない、という危機感の様なものが胸の中に勢いよく湧き上がってきた。

 

「さぁ、もう大丈夫だ。安心したまえ」

「怪我が治ったようで何よりだ。とはいえ体力までは回復していない。もう少し休んでいたまえ」

「怖がる必要はない。彼らは君の苦痛を取り除くだけだ」

「助けるのが遅くなり、すまなかったね。だが、君が生きていてくれて良かったよ」

「この都市を守ったのは君たちの力だ。今はゆっくり癒しの力に身を任せたまえ」 

 

 レメディオスの傍を離れ、災華皇が民兵たちに優しく声をかけている。

 それに対しての民兵たちの反応はまちまちではあったが、それでもその殆どが好意的なものであることは間違いない。

 レメディオスは彼らのやり取りを見つめながら、しかし何もすることが出来なかった。

 同じように民兵たちへ声をかけることも、神官たちの手伝いを申し出ることも、悪魔たちを追い出すことも。何をするべきなのか、何をしたらいいのかも分からず、ただ彼らの様子を見つめている。

 際限なく湧き上がってくる悔しさや怒りや憎しみの感情を必死に抑え込みながら、ただ頭の中に鳴り響く警鐘に危機感を募らせるのだった。

 

 




話がなかなか進まない……(汗)
あと、これは賛否両論あると思うのですが、当小説……と言うよりかは、私が書くウルベルト様は一律アインズ様より強い設定になっております。
書籍版のアインズ様はユグドラシルプレイヤーでの強さは中の上くらいで、どちらかというとロールプレイ色強めらしいので、数少ないガチ勢の一人であり、たっち・みーと双璧ポチジョンをはれるワールドディザスターでもあるウルベルトさんの強さはアインズ様よりも上だと思うのです。
アインズ様もたっち・みーさんとのPVPでは勝てたことがないらしいですし、ウルベルトさんにも勝てなかったんじゃないかな~っと……。
ですので、この点に関しましてはご了承いただければと思います!


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第16話 変化への分岐

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 亜人連合軍との大規模な戦闘が終了して次の日。

 後ろにエントマとネイアとオスカーを従えたウルベルトは、腕を組みながら目の前の三体の亜人を見つめていた。

 エントマたちの更に後ろでは、野次馬よろしく多くの聖王国の民たちが人だかりを作って遠巻きにこちらを見つめている。多くの視線に晒されながら、しかしウルベルトはそれらを無視して、ただ真っ直ぐに目の前の亜人たちを見据えて内心で唸り声を上げていた。

 彼らの目の前にいるのは、未だ鳥の石像の中に囚われている三体の亜人。“魔爪”ヴィジャー・ラージャンダラーと“氷炎雷”ナスレネ・ベルト・キュールと“白老”ハリシャ・アンカーラの三体である。

 何故彼がこんなにも目の前の亜人たちに対して悩んでいるのかというと、それは昨夜やってきたカスポンドの依頼が全ての原因だった。

 当初、ウルベルトは目の前の亜人たちをそれほど重要視してはいなかった。配下にした方がメリットになるのであれば配下にするし、逆にデメリットになるのであれば情報だけを引き出してさっさと処分するつもりだった。しかし昨夜のカスポンドからの依頼により、そう簡単に済む話ではなくなってしまったのだ。

 カスポンドの依頼は、亜人軍が布陣跡に残していった食料……特に肉の識別作業。

 話を聞くところによると、人間の物かそうでない物かも分からない肉が大量に残されているらしい。食料難が続く現状において無闇に大切な食料を処分するわけにもいかず、まだ識別が出来そうなこちらに話が回ってきたのだった。

 ウルベルトとしても、彼らの考えは大いに理解できるし納得もできる。しかしそうなると、一定期間は目の前の亜人たちを所有しなくてはならなくなり、彼らが自分の言うことを大人しく聞くかが最も大きな問題だった。

 魔法で精神支配して強制的に従わせることは勿論可能だが、聖王国の民たちの目がある中でそれはあまりしたくない。

 精神支配の術があるというのは、それだけで他者に恐怖を与えるものだ。

 もしかしたら自分も支配されるかもしれない。または、自覚していないだけでもう支配されているのかもしれない。

 聖王国の民たちがそんな疑念を持てば、その時点でこれまで積み上げてきた信頼が一気に泡と消えてしまう可能性が大いにあった。

 ではどうすべきかと考えた時、一番良いのは亜人たちが自ら進んで協力的な態度を取ってくれることだった。もしそうできれば余計な時間もかからずに済むし、二つ名持ちの亜人までもがひれ伏すのだというアピールにもなる。

 しかし今までずっと彼らを観察する中で、どうにもそれは望み薄だと判断せざるを得なかった。

 少々骨が折れそうだな……と内心で大きなため息を零す。

 ウルベルトはゆっくりと組んでいた腕を解くと、覚悟を決めて一歩亜人たちへと歩み寄った。

 

「さて……、君たちは自分たちの状況は理解しているね? 私が君たちに尋ねたいのは一つだけだ。私の配下となるか、それとも拒むか……、どちらにするかね?」

 

 三体それぞれに視線を向けながら、まずは単刀直入に問いかける。

 誰もが固唾を呑んで見守る中、まず口を開いたのは石喰猿(ストーンイーター)のハリシャ・アンカーラだった。

 

「……わしは、ヤルダバオト様を裏切っておぬしの配下になるつもりはない」

「ほう、そこまでヤルダバオトに忠誠を誓っていると?」

 

 ハリシャからの返答に、ウルベルトは少々意外に思って片方の眉部分を吊り上げるように動かした。

 バフォルクのバザーと違い、彼らは既にある程度ウルベルトの力を知っているはずだ。それでもなお自分の下につくことを拒むということは、それなりの理由があるということなのか……。

 もしやヤルダバオトの力に魅せられて忠誠を誓っている亜人の一人なのだろうか……と内心で首を傾げる中、しかしハリシャは小さな笑い声を上げて緩く頭を振ってきた。その笑い声にも、長い頭髪に殆ど隠れた顔にも、どこか苦笑めいた諦めの色が浮かんでいるように見えた。

 

「……ヒヒヒ、忠誠とはちと違う。わしはただ、少しでも楽な方を選んだに過ぎん」

「それは……、一体どういうことかな?」

「ヤルダバオト様は恐ろしい御方じゃ。裏切りを決して許しはせんじゃろう。わしがおぬしの配下に下れば、残ったわしの部族のモノも、そしてわし自身もただではすまん。恐らく今捕虜となっている人間たち以上の苦痛を味わうことになるじゃろう。そうであるならば、ここで潔く死んだ方がまだ何倍もマシだとは思わんかね?」

 

 自嘲混じりに言ってくるハリシャの言葉に、またもやウルベルトは意外に思った。

 まさかここまで考えていたとは……というのが正直な感想だった。同時にウルベルトの中でハリシャの評価が数段上がる。

 この亜人は合格だな、と内心で呟くと、山羊の顔にニヤリとした笑みを浮かばせた。

 

「……ふむ、なるほど。ならば、もし君と君の部族のモノたちの安全を保証すると言ったらどうする? そうであれば、私の配下になるかね?」

「いくらおぬしでも、この場にいないモノを救うことはできまい……。それほどまでに、わしの忠誠とやらが欲しいのか?」

「それほど頭が回るのであれば、君には十分価値がある。そして私は、私の配下が大切に想うモノは全力で守ってやる主義なのだよ」

「……………………」

 

 ウルベルトの言葉に、ハリシャは三日月型に歪んでいた口を真一文字に引き結んで黙り込んだ。どうやらひどく迷っている様子に、ウルベルトは内心で意地の悪い笑みを浮かべる。もうひと押しと思いながら、しかしある程度の時間も必要だとすぐさま考え直した。

 

「まぁ、少しだけ考える時間をやろう。悔いの残らないよう悩んでいたまえ。……さて、その間に次は……」

 

 取り敢えずハリシャは保留にし、次の亜人へと目を向ける。

 彼の視線の先には魔現人(マーギロス)の雌が囚われており、ウルベルトは知らず小さく金色の双眸を細めさせていた。

 

「……そういえば、君は確かヤルダバオトとの子供を欲しがっていたそうだな。であるなら、私の配下になるというのは良しとはしないか……」

 

 まさかウチのデミウルゴスに求婚しておきながら、あの子を裏切るような真似はしないよな……という思いを込めて問いかける。

 ナスレネとしてはただ単に今後の種族繁栄のためにヤルダバオトとの子供を願っただけであり、すなわち求婚した覚えもなく、彼女からすれば完全に言いがかりも甚だしいものであるのだが、しかしウルベルトは全くそれに気が付いていない。ただ親馬鹿全開で妙な威圧感を全身から溢れ出させている。

 正にナスレネにとっては圧迫面接。彼女としては、何故自分に対してはこんなに圧力をかけてくるのか理解できなかったことだろう。

 しかし彼女にとって幸いなことに、意外なところから意外な助け舟がポツリと呟かれた。

 

「ヤルダバオト様はぁ、亜人の女の子にモテモテですぅぅ」

 

 声の主は、ウルベルトの背後で無言で控えていたエントマ。

 彼女の独り言のような言葉に、ウルベルトはピタッと動きを止めた。全身から溢れ出していた威圧感も一気に霧散する。

 

「……そうか、ヤルダバオトはモテモテなのか」

 

 ポツリと零れ出た言葉。

 抑揚がなく静かすぎるその声音は聞く者を不安にさせるものではあったが、しかしウルベルトの内心は全くの真逆だった。

 

(……そうか、俺のデミウルゴスはそんなに女の子にモテモテなのか……。………うん、悪くないな!)

 

 正に完全な親馬鹿である。

 しかし一方で、ウルベルトの反応も仕方がないとも言えた。

 ヤルダバオトに扮しているデミウルゴスは、ウルベルトがユグドラシルでの情熱や自身の趣味趣向などありとあらゆるものを全て注ぎ込んで創り上げた最高傑作とも言うべき存在。つまり、自分がカッコいいと思う全てを詰め込んだ存在がデミウルゴスなのである。そんな彼が女子にモテモテだという事実は、創り出したウルベルトにとっては非常に誇らしく、とても鼻が高いことだった。

 無言のまま悦に入るウルベルト。

 そんな彼に何を思ったのか、不意に背後に控えていたネイアが勢い良くこちらに進み出てきた。

 

「閣下はヤルダバオトなどよりも素晴らしい御方です! 閣下の方がおモテになるに決まっています!!」

 

 全力で力説してくるネイアに、漸くウルベルトの意識が戻ってくる。

 キョトンとした金色の瞳でネイアを見下ろし、思わず何度か目を瞬かせた。

 

「うん? あ、ああ……、ありがとう、バラハ嬢」

 

 怖いほどの眼力で見上げてくるネイアに、少々戸惑いながらも何とか礼を口にする。それでいて一つ咳払いを零して気を取り直すと、改めてナスレネへと目を向けた。

 

「……それで、どうするのかな?」

 

 大分柔らかな態度になったウルベルトからの問いかけに、しかしナスレネは答えない。先ほどの圧迫面接が効いているのか、ひどく迷っているようだった。何かを言いかけては止めるという動作を繰り返し、小さく視線をさ迷わせる。

 

「……一つ聞きたい。もし仮に貴殿の配下となった場合、どういった立ち位置になるのだ? 奴隷になるのか、はたまた臣下となるのか……」

「ふむ……、それは中々に難しい質問だねぇ。それは君たち次第としか言いようがない。君たちだって、使えぬ者を腹心とはしないだろう?」

「つまり……、働き如何によっては奴隷にも臣下にも成り得ると?」

「使えるかどうか判断するのは、あくまでも私だがね」

 

 一言釘を刺しながらも頷くウルベルトに、ナスレネは再度考え込む。恐らく彼女の中ではありとあらゆる思考が目まぐるしく動いているのだろう。

 まぁ、自分たちの生死がかかっているのだから仕方がないか……と内心で一つ頷くと、ウルベルトは彼女からの返答をのんびり待つことにした。

 しかし予想に反して、ナスレネが答えを出すのは早かった。

 

「……もし、ハリシャ殿に言った言葉が本当ならば、わらわはあなた様の配下になりましょう」

 

 ハリシャに言った言葉とは、配下になれば自身とその部族を加護下に置くという言葉のことだろう。さり気なく条件付きで配下になることを承諾する辺り、ナスレネという亜人もそれなりに頭が回る分類には入るのだろう。

 しかし彼女は一つ勘違いをしているようだった。

 先ほども述べたように、配下には奴隷や臣下といった多くの分類が存在する。臣下や腹心であればいざ知らず、唯の奴隷でしかないモノの存在やその部族に対してなど、普通は気に掛ける必要性もない。もし本当にウルベルトの加護が欲しいのなら、それ相応の価値をウルベルトに示す必要があるのだ。

 しかし、ウルベルトはそこまで教えるほどお人好しではない。ただひょいっと肩を竦ませて、無言でナスレネの言葉を受け入れるだけだった。

 

「……なるほど、理解した。君の意思を受け取ろう。……これから君の全ては私の物だ」

「……………………」

「さて、最後は君だな。君はどうするかね?」

 

 無言で頭を下げてくるナスレネから視線を外し、最後の亜人である獣身四足獣(ゾーオスティア)へと視線を移す。

 こちらを威嚇するかのように威圧感を放つ虎のような顔を、ウルベルトはどこまでも静かな双眸でじっと見据えた。

 

「……俺は、俺よりも弱い奴につくつもりはない」

「ふむ。そこにそうやって囚われている時点で、君は私よりも弱いということにはならないかね?」

「違う! 強者の座とは正々堂々と戦って勝つことで得るものだ! このような小細工で勝ち得るものではない!!」

 

 怒りを露わに吠えるヴィジャーに、ウルベルトは思わず唖然としてしまった。何とも真っ直ぐ過ぎて熱過ぎる性格だと、半ば呆れが込み上げてくる。

 純粋なのか、はたまた唯の馬鹿なのか……。どちらにせよ、呆れの感情が消えることはない。

 策略も計略も謀略も、それらは全て勝つための手段であり、れっきとした技術であり力である。この世界に存在するありとあらゆるものは決して真正面から挑んで解決できるほど簡単なものばかりではなく、故に先ほどの亜人の言葉は――少なくともウルベルトにとっては――馬鹿丸出しの雑音でしかなかった。

 とはいえ、そういった考えが嫌いと言う訳でも決してない。

 正々堂々の力比べが全てだというのなら、真正面から力でねじ伏せるのもまた一興。

 ウルベルトはニヤリとした笑みを浮かべると、ワザとらしく小首を傾げてみせた。

 

「ふむ、なるほど……。では、正々堂々と勝負して私が勝てば、君は大人しく私に下ると?」

「そうだな……。もし仮に俺様に勝てたなら考えてやってもいい」

 

 どこまでも不遜な物言いに、後ろに控えているエントマとネイアとオスカーから不穏な気配が伝わってくる。しかしウルベルトは更に笑みを深めさせた。

 良い度胸だ……と内心で舌なめずりをする。

 悪魔らしい残虐性や加虐心に心を躍らせながら、ウルベルトは必死にそれらが顔に出ないように抑え込んだ。

 

「良いだろう。では、一勝負やろうじゃないか」

 

 右手を軽く挙げ、パチンっと高く指を鳴らす。

 瞬間、ヴィジャーを体内に捕えている鳥の石像が一つ甲高い声で鳴いた。

 小さい翼を命一杯広げて胸を張り、嘴を大きく開けている様はどこか愛嬌があって可愛らしい。

 鳥の石像はその姿勢で動きを止めると、胸から腹にかけて嵌められている鉄格子がゆっくりと上へと引き上げられ、体内に囚われていたヴィジャーが解放された。のっそりと鳥の石像の中から出てくるヴィジャーに、途端にウルベルトの後ろにいる人だかりから恐怖の悲鳴が小さく上がる。

 

「……か、閣下……っ!」

 

 オスカーからも焦ったような声音で名を呼ばれ、しかしウルベルトは振り返ることもしない。ただ山羊の顔に淡い微笑を浮かべ、じっとヴィジャーを見つめていた。

 ヴィジャーはのっしりとした足取りでゆっくりとこちらへ近づいてくる。

 戦闘時に捕えてからずっとそのままにしていたため、その身には変わらず金属鎧が装備されており、その手にも両手用のバトルアックスが握り締められていた。

 全身から溢れ出る強者の迫力とも相まって、ウルベルトとエントマ以外の全員はすっかりヴィジャーの気に呑まれてしまっている。

 オスカーとネイアが思わず自身の得物を握りしめ、周りの人だかりの人間たちが後ろに後退る中、ウルベルトとエントマだけが一歩も動くことなく目の前まで来たヴィジャーを見上げていた。

 

「……さて、ではまずはルールを説明しようか。基本、君に関しては何でもありだ。真正面から来るも良し、魔法や武技や特殊技術(スキル)を使っても良し、小細工や騙し討ちをしてみても構わない。ただ、君がその刃を向けていいのは私だけだ。この場にいる私以外の者に刃を向けた場合、即刻君の首が飛ぶことを忘れるな」

「っ! ……ほう、悪魔であるくせに随分と人間を庇うんだな。こんな弱い奴らになど、何の価値もないだろうに」

「君が勝手に彼らの価値を決めるでないよ。それに……、その者の価値など、決める者によって千差万別。君の価値観など私には必要ない」

「………ふんっ。それで? お前はどうするつもりだ? お前は魔法詠唱者(マジックキャスター)なのだろう? やはり魔法で俺に挑むつもりか?」

「勘違いするな。私がお前に挑むのではない、お前が私に挑むのだよ。……そうだな、私も武器を使うとしよう。魔法は一切使わない。それでもお前へのハンデには足りないほどなのだからね」

 

 不遜すぎるヴィジャーの言動が流石に少々癪に障り、少しだけ口調が荒く乱れる。

 しかしすぐに気を取り直すと、ウルベルトは再度パチンっと指を鳴らした。

 瞬間、地面から現れたのは二十体もの影の悪魔(シャドウデーモン)たち。

 ウルベルトとヴィジャーを中心に円を描くように並んで現れた悪魔たちに人だかりから再び引き攣ったような悲鳴が上がった。

 しかしすぐに悪魔たちが身に纏っている赤い布に気が付いたようで悲鳴は消えていく。

 ウルベルトの配下は全員赤い布を身に纏っていることは既に解放軍の中では周知されており、これは偏に今は既にいないスクードの存在のおかげだと言えた。

 

「聖王国の者たちよ、今すぐにシャドウデーモンたちの円の外まで下がりたまえ! 円の中は戦場となる! 私とこの亜人との勝負がつくまで、誰も円の中に入ってはならない!」

 

 ウルベルトの言葉が合図であったかのように、円を描くシャドウデーモンたちが外側へと歩を進めて円を広げ始める。

 人だかりの人間たちもまるで追い立てられるように避難すると、シャドウデーモンたちの円の外側で不安そうにウルベルトを見つめた。

 

「……君たちも早く円の外側に下がりたまえ」

 

 未だ後ろに控えるように立っているエントマとネイアとオスカーを振り返り、手短に言って促す。

 エントマは無言のまま礼を取って従う中、しかしネイアとオスカーは大人しく従いながらもどこか心配そうな表情を浮かべてこちらを見つめていた。

 いつまでも変わらぬ彼女たちの反応に、ウルベルトは思わず小さな苦笑を浮かべる。

 彼らと行動を共にするようになって既にそれなりの時が経っているというのに、何故こうも毎回心配そうな表情を浮かべるのだろう……と不思議でならなかった。しかしよく考えてみればモモンガやナザリックのモノたちも等しく心配性であることを思い出し、そういうものとして半ば無理矢理納得することにする。何故こうも自分の周りには心配性が圧倒的に多いのだろう……と疑問に思わないでもなかったが、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。重要なのはこれからのヴィジャーとの勝負であり、如何に実力差を自覚させて屈服させるかだ。

 ウルベルトは少しだけ悩んだ後、袖の中にアイテムボックスを開いて中から武器を取り出した。

 その手に握られているのは二振の短剣。

 一方はスティレットでもう一方はショーテルの形をしており、しかしデザイン自体はどちらも酷似しているため両方で一組の武器であることは誰の目から見ても明らかだった。

 この短剣の名前は、スティレットの方は“ソドム”でショーテルの方が“ゴモラ”。武器アイテムのランクとしては普段の初期状態(・・・・)では最下級という最弱ランクではあるが、一方でこの武器は少々特殊なマジック武器でもあった。

 この武器自体のデータ量は最下級のものなどではなく伝説級(レジェンド)のもの。つまり魔力を消費して使用することによって、その魔力量によって武器ランクが上下するのだ。ユグドラシルではランク上昇ではなく“覚醒”という言葉が使われていたが、つまりは武器設定としては『魔力を武器に流し込むことによって本来の力を目覚めさせる』という設定の武器なのである。

 加えてこの武器の限界ランクである伝説級(レジェンド)までランクを上げた場合、攻撃力や耐久力などが上がるだけでなく、それぞれ魔法的な付加能力が解放される仕様になっていた。“ソドム”の方は石化能力が付加され、“ゴモラ”の方は炎ダメージの能力が付加される。

 とはいえヴィジャー相手にそこまで力を覚醒させる必要はなく、ウルベルトは魔力量を調整しながら武器ランクを最上級まで引き上げた。

 青銀の光と朱金の光がそれぞれ淡く刀身に宿ったのを確認し、ウルベルトは改めてヴィジャーへと目を向けた。

 

「さて、こちらは準備ができたぞ。どこからでもかかってきたまえ」

 

 右手に“ゴモラ”、左手に“ソドム”をそれぞれ握り締めてヴィジャーを促す。

 ヴィジャーはどこか呆然とした表情を浮かべてこちらを凝視しており、どうやら突然短剣を二振も出してきたことに驚いているようだった。しかし声をかけられたことでハッと我に返ったのか、一拍後には呆けていた表情を引き締めさせて、睨むようにこちらを見つめてきた。バトルアックスを握る手にも力が込められたのか、ヴィジャーの手元からギシッと小さな軋むような音が聞こえてくる。

 どこか緊張しているような様子に小さく笑うと、ウルベルトは更に促すように“ゴモラ”を握りしめている手をゆっくりとヴィジャーへと差し伸ばした。人差し指だけを柄から離し、そのままクイックイッと指だけでヴィジャーを招く。

 余裕たっぷりなその態度が良い感じに刺激になったのか、ヴィジャーは獣の顔を大きく顰めさせると、次には猛然とこちらに突撃してきた。大きく振り上げられたバトルアックスが勢いよく振り下ろされる。

 ウルベルトは半歩横にずれてバトルアックスの刃をひらりと避けると、そのまま大きく足を前へと踏み出した。

 まずは手始めに右手の“ゴモラ”を頭上に振り上げ、先ほどのヴィジャーと同じように勢いよく振り下ろす。

 しかし三日月型に湾曲した刃は下から振り上げられたバトルアックスの刃によって受け止められ、そのまま勢いよく弾かれた。流石は純粋な戦士職というべきか、その力は凄まじく、ウルベルトの細身の身体を宙へと浮き上がらせる。右手の“ゴモラ”も下から上へ弾かれた状態で胴体ががら空きになり、その無防備な状態にヴィジャーがニヤリとした笑みを浮かべてきた。そのまま横薙ぎに振るわれたバトルアックスに、しかしウルベルトはフンッと小さく鼻を鳴らした。

 確かに右手は間に合わないかもしれないが、ウルベルトには左手がある。左手の“ソドム”を逆手にクルッと持ち替えると、垂直に翳してバトルアックスを受け止めた。

 ガギンッという鋭い音と共に大きな衝撃が爆発して周りの空気を振動させる。

 周りの人だかりからどよめきの声が上がるがそれには一切構わず、空中では足を踏ん張ることもできないためウルベルトは大人しく攻撃の威力に身を任せることにした。

 後方に吹き飛ばされながらも宙で体勢を立て直し、地面に足を着けるとズザザザーッと大きな摩擦音が響いて土煙が立ち上る。ウルベルトは地面を滑る蹄に力を込めて勢いを殺すと、こちらを追うように突撃してきたヴィジャーを迎え撃った。

 左手の“ソドム”を構え直し、振るわれたバトルアックスの巨大な刃を受け止める。

 しかしすぐさま力の軌道を逸らしてバトルアックスを受け流すと、そのまま身を乗り出して右手の“ゴモラ”をヴィジャーへと振るった。

 

「っ!! “要塞”っ!!」

 

 ヴィジャーが咄嗟に左手をバトルアックスの柄から離し、“ゴモラ”の刃の前に左腕を翳しながら武技を発動させる。

 瞬間ヴィジャーの左腕に触れた“ゴモラ”の刃は、そのまま皮膚や筋肉を深く切り裂いた。

 大きな手応えと共に、大量の鮮血が噴き出して宙を舞う。

 ヴィジャーは一瞬驚愕の表情を浮かべると、しかし次には苦々しげに大きく顔を顰めさせた。

 瞬間、山羊特有の広い視界が下方に動くものを捉え、咄嗟に右脚を振るう。

 ガキンッという鋭い音と衝撃。

 改めてチラッと視線を下方に向ければ、咄嗟に上げたウルベルトの右脚の蹄が、四足獣となっているヴィジャーの下半身の前脚の爪をがっちりと受け止めていた。ギリィッと少しばかり力比べのように押し合い、次にはヴィジャーの方が跳ねるように後ろへと飛んでウルベルトから距離をとる。

 ウルベルトは上げていた右脚をゆっくりと下ろしながら、ヴィジャーをマジマジと見つめて内心で感心の声を上げていた。

 恐らく先ほどの戦法がヴィジャーの本来の戦い方なのだろう。

 バトルアックスでの戦士としての戦い方だけではない。普通の攻撃で相手の注意を引きながら、それでいてゾーオスティアの身体の造りを十全に活かして、逆に注意が散漫になりやすい足元を狙って攻撃を仕掛ける。恐らく山羊の視界を持っていなければ、ウルベルトは諸に攻撃を受けてしまっていただろう。

 攻撃を受けたところで傷を負うかは疑問ではあったが、しかしそれ以前に攻撃を対処できたかどうかで周りからのこちらに対する印象はガラッと変わる。ヴィジャーにも大きな衝撃とプレッシャーを与える要素になるだろう。

 じーっと観察する中、観察されている側のヴィジャーは自身の左腕の傷を見つめて大きな舌打ちを零していた。

 

「……俺様の“要塞”が効かないとは……、少しはやるようだな」

 

 唸るように言ってくるヴィジャーに、ウルベルトはただ無言で肩を竦めることで応えた。

 正確に言えばヴィジャーの“要塞”は効かなかったわけではない。逆に効力を発揮したからこそ、その程度の傷ですんだのだと言える。もしヴィジャーが“要塞”を発動していなければ、ヴィジャーの左腕はスパッと綺麗に切り落とされていただろう。

 しかしウルベルトは決してそのことを口には出さなかった。

 ヴィジャーが勘違いしているのならばそれに越したことはない。『ウルベルトには武技が効かない』とでも考えてくれれば万々歳だ。

 ウルベルトは“ソドム”と“ゴモラ”を握り直すと、ゆっくりと体勢を変え始めた。

 

「……ふむ、私も“少しはやるようだ”と返しておこうか。一分も経たずに地に伏せると思っていたのだがね」

 

 ゆっくりと重心を前方へと移し、前屈みになるように上体を傾けさせていく。地を踏みしめている蹄に力を込め、“ソドム”を握る左手を腕ごとググッと後ろに引いた。

 

「それでは、そろそろ次は私から攻めてみようか……」

 

 軽く言葉を零し、言い終わったとほぼ同時に強く地を蹴る。100レベルの戦士職に比べれば少々遅いものの、しかしこの世界のレベルであれば十分に速い速度でヴィジャーへと突撃する。

 ウルベルトは迎え撃つ構えをとるヴィジャーを確認すると、突撃する足は止めないまま、右手の“ゴモラ”を勢いよく投擲した。

 クルクルと高速回転しながら一直線にヴィジャーへと飛んでいく“ゴモラ”。

 ヴィジャーもまさか投擲してくるとは思ってもいなかったのか、驚愕の表情を浮かべながらも慌てて構えていたバトルアックスを引き寄せて勢い良く横薙ぎに振るった。鋭い金属音と共に“ゴモラ”が勢いよく弾かれて払い落とされる。

 次はウルベルトの対処に回ろうと動くヴィジャーに、しかしウルベルトは既に彼の目の前まで肉薄していた。

 

「……“要さ…ぐっ!!」

 

 咄嗟に武技を発動しようとするが、ウルベルトの攻撃の方が数秒早い。

 “ソドム”の刃が金属鎧の隙間を縫い、ヴィジャーの脇腹へと深々と突き刺さった。

 純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)の力では風穴を空けることは出来なかったが、しかし重傷を与えられたのは間違いない。

 大きな咆哮を上げてバトルアックスを振るってくるヴィジャーに、ウルベルトは後ろに飛び退いてそれを避けた。ウルベルトの動きに合わせて“ソドム”の刃が引き抜かれ、大量の鮮血が溢れ出て一気にヴィジャーの金属鎧や下半身を濡らす。

 深手を負ったことで完全に箍が外れたのか、ヴィジャーは再び咆哮を上げると勢いよくこちらに突撃してきた。

 目は血走り、全体的な動きも荒々しい。しかし雑になったわけでは決してなく、まるで戦士から獣に変化したような戦い方だった。

 バトルアックスも勿論使ってくるが、それだけではない。牙が、拳が、四足の下半身からの爪が、複雑に絡み合って攻撃を仕掛けてくる。

 しかし、その一つとしてウルベルトの身体を捉えることはなかった。

 ウルベルトとて、これまでコキュートスやアルベドやパンドラズ・アクターから師事を受けてきたのだ。ここで無様な姿を見せては彼らに申し訳が立たないという思いもある。

 ウルベルトはヴィジャーの攻撃を躱しながら地面に転がっている“ゴモラ”を拾い上げると、ヴィジャーの攻撃を受け流し、掻い潜ってはこちらも刃を振るっていった。

 ウルベルトの動きは決して戦士や剣士や騎士のようなものではない。力強く突き進むものではなく、どちらかというと一種の舞のようなものに似ていた。曲芸と言ってもいいだろう。

 受けるのではなく受け流す。

 叩き切るのではなく撫で斬りにする。

 薙ぎ払うのではなく鋭く突き刺す。

 ウルベルトの動きはヴィジャーを翻弄し、その身体に幾つもの傷を刻みつけていった。

 

「……くっ……そがァァ……っ!!」

 

 ヴィジャーは再び咆哮を上げると、次は幾つかの武技を発動させて再びウルベルトに襲い掛かってきた。

 ヴィジャーが発動したのは“能力向上”と“鋼爪”。攻撃力や防御力、そして素早さも上がってウルベルトへと猛威を振るってくる。

 ウルベルトは尚もヴィジャーからの攻撃を避け、受け流してはいたが、しかしその一方で動きに小さな乱れが生じ始めていた。

 ウルベルトとヴィジャーでは、戦士としての力量は圧倒的にヴィジャーの方が上。それでもなおウルベルトがここまで渡りあえているのは、偏にユグドラシル時代での経験と、打倒たっち・みーへの執念から培ってきた知識の賜物だった。もはや今の彼は経験と知識からヴィジャーの行動を先読みして、それで何とか対処しているに過ぎない。何か一つでも判断ミスをすれば、それだけでヴィジャーの攻撃はウルベルトに届いてしまうだろう。

 しかし、それではいくら何でも面白くない。例え怪我自体はしなくても、ウルベルトにとっては非常に面白くなかった。

 

(……ふむ…。そろそろ終わりにするか……。)

 

 ウルベルトはこの戦闘に見切りをつけると、一気に決着をつけるためにタイミングを計り始めた。徐々に体勢を整えながら、ヴィジャーの動きを注意深く観察する。

 そしてヴィジャーが次の動作に移ろうと身を低くしたその時、それを見計らってウルベルトは一気に大きく動いた。

 ヴィジャーから繰り出されるのは、低い位置からの横薙ぎの一撃。迫りくるバトルアックスの巨大な刃に、ウルベルトは右脚を強く踏み締めて左脚を勢い良く上げた。

 鳴り響く鋭い音と共に、ウルベルトの左脚の蹄が迫っていたバトルアックスの刃を受け止める。

 しかし今回は力押しはせず、全身に捻りを加えてバトルアックスの刃を勢いよく弾き返した。

 ヴィジャーの巨体がグラッと揺れ、獣の下半身がたたらを踏む。その間にウルベルトは更に身体に捻りを加えると、その勢いを刃に乗せて一気にヴィジャーへと切りかかった。

 まずは“ソドム”を振るってわざとヴィジャーがギリギリ避けられる場所を攻撃し、ウルベルトの誘導通りの場所にヴィジャーが身を移したのとほぼ同時に“ゴモラ”を振るった。

 

「……くっ……! “流水加速”!!」

 

 反射的に武技を唱えたのは野性の勘か。瞬間的にヴィジャーの動きの速度が増し、まるで流れる水のようにウルベルトが繰り出した“ゴモラ”の刃を掻い潜る。

 しかし、ウルベルトはそんなヴィジャーの判断や行動すら予測していた。

 ウルベルトは躱されてもなお“ゴモラ”を迷いなく振り抜くと、その勢いのままに右脚を強く踏み締めて大きくターンを踏んだ。全身に遠心力を加え、左脚を上げて一気に背後へと後ろ蹴りを放つ。

 

「……グッ……!!?」

 

 鋭い音とくぐもった呻き声が響いたのはほぼ同時。

 ウルベルトが繰り出した左脚は見事にヴィジャーの顔面中央を強打し、更には思わずよろめくヴィジャーにウルベルトは容赦なく追撃を行った。念のため“ソドム”を投擲してヴィジャーの行動を牽制すると、その隙をついて“ゴモラ”の湾曲した刃を首輪のようにヴィジャーの首元に突きつける。

 急所に宛がわれた凶刃。

 本能的な死の恐怖にはやはり抗えないのか、ヴィジャーの身体が硬直して一気に動きがとまる。

 刃を突き付けるウルベルトと、刃を突き付けられて身動ぎ一つできないヴィジャー。

 誰もが急展開についてこられず呆然となる中、ウルベルトとヴィジャーもピクリとも動かないため、まるでこの場だけが時が止まったかのようになっていた。

 しかし次の瞬間、不意にウルベルトが動いたことによって止まっていた時が動き出す。

 ヴィジャーの首元に宛がっていた“ゴモラ”をゆっくりと離すと、どこまでも静かな金色の瞳で真っ直ぐにヴィジャーを見据えた。

 

「お前の負けだ、ヴィジャー・ラージャンダラー」

 

「………っ!!」

 

 ウルベルトの言葉に、ヴィジャーが言葉を詰まらせて大きく顔を歪ませる。ガクッと力なく膝をついて項垂れたヴィジャーに、その姿は正に力を打ち砕かれた敗者のものだった。

 誰の目から見ても明らかな勝負の行方とヴィジャーの姿に、一拍後、空気が割れんばかりの歓声が爆発した。

 固唾を呑んで見守っていた聖王国の民たちが拳を頭上に突き出して歓声を上げ、ネイアとオスカーが安堵と歓喜が入り混じった表情を浮かべ、ハリシャとナスレネは呆然とした表情を浮かべている。

 ウルベルトが無言で見守る中、ヴィジャーは未だ項垂れながらも力なく口を開いてきた。

 

「………俺の負けだ……」

 

 一度言葉を切り、次には顔を上げて真っ直ぐにウルベルトを見つめてくる。

 

「“魔爪”ヴィジャー・ラージャンダラーはウルベルト・アレイン・オードル災華皇(さいかこう)に従おう」

 

 悔しそうな色を見え隠れさせながらもきっぱりと言い切る様はどこまでも潔い。

 ウルベルトはフッと小さな笑みを浮かべると、左手の“ソドム”の剣先を真っ直ぐにヴィジャーへと突きつけた。

 

「君の意思を受け取ろう、ヴィジャー・ラージャンダラー。……これからは我がシモベとして全力を尽くせ」

 

 ウルベルトの言葉に、ヴィジャーは深々と頭を垂れる。

 これで配下に下せたのはナスレネとヴィジャーの二名。後はハリシャだけだとハリシャの方を振り返れば、彼は鳥の石像の中でヴィジャーと同じように深々と頭を垂れていた。

 どうやら先ほどの戦闘やナスレネとヴィジャーが決断したことで、ハリシャも考えを決めたようだった。

 無事に三人とも配下にできたことに、ウルベルトは内心で安堵の息を吐き出す。しかし一方で、ウルベルトはそんな様子を面にはおくびにも出さなかった。ただ小さく息をつき、気を引き締めさせて改めて力強く声を張り上げる。

 

「よろしい! それでは、これよりお前たちの全ては、私ウルベルト・アレイン・オードル災華皇が預かる! 我が配下として、恥かしくない働きをせよ!!」

 

「「「……はっ!」」」

 

 ウルベルトの言葉に応えたのは、ヴィジャーとナスレネとハリシャの三体。

 三体ともが全員きちんと答えてくれたことに、ウルベルトは再び内心で安堵の息を吐き出した。

 何とか上手く行ったことに肩の荷が少しだけ下りた気がして笑みを浮かべかけ、しかしそれに水を差すかのように一つの声が空間を割いてきた。

 

「ちょっ、ちょっと待って下さい……!!」

 

 突然の声に、ウルベルトを始めとするこの場にいる全員がそちらへと振り返る。

 声を上げたのは人だかりの中にいた一人の男で、恰好から見てどうやら民兵のようだった。

 男は自身に集まった多くの視線にギクッとしたような素振りを見せたが、しかし次には意を決したように一歩前へと足を踏み出してきた。

 

「さ、災華皇閣下……、それではつまり、その……、その亜人たちは閣下の加護下に入った、ということで……しょうか……?」

 

 緊張にか、ひどくしどろもどろになりながらも問いかけてくる男に、ウルベルトはマジマジと男を見つめる。

 どう答えるべきかと少し悩み、しかしどんなに悩んだところで口にする言葉は変わらないような気がして迷わず口を開いた。

 

「そうだね。彼らは私の配下となったのだから、主である私の加護下に入るのは当然のことだと言えるだろう」

「そんなっ! それでは、あまりにも犠牲になった者たちが浮かばれません!! どうか奴らにこれまでしたことへの報いを……、俺たちの手で復讐させて下さいっ!!」

 

 男の声は悲痛な色を帯びて、まるで悲鳴のように響き渡る。その声や言葉がこの場にいる者たちの心の中を深く突き刺したのだろう、俄かにこの場がざわつき始める。

 揺れ動き始める聖王国の民たちの心に、ウルベルトは思わず内心で舌打ちを零した。

 折角ここまで順調に来たというのに、ここで御破算になってしまってはあまりに惜しい。怒りと憎しみの瞳で亜人たちを見つめ始める聖王国の民たちに、ウルベルトは引き留めるために口を開いた。

 しかしその時、まるでそれを遮るかのように違う声が不意に響いてきた。

 

「一体何の騒ぎだ!」

 

 突然聞こえてきた声に、騒めきは止んで全員が声の方を振り返る。

 ウルベルトたちの視線の先には、騒ぎを聞きつけてきたのか、何人かの聖騎士を引き連れたレメディオスがこちらへと歩み寄ってきていた。

 厳しく顰められた顔でこの場を見回し、それでいて亜人たちの姿を視界に捉えたと同時に更に顔を歪ませる。

 レメディオスはウルベルトたちのすぐ側まで歩み寄ると、一番近くにいたネイアへと視線を向けてきた。

 

「一体ここで何をしている、説明しろ」

 

 レメディオスからの命令に、しかしネイアは答えようとしない。ただ無言のまま、ウルベルトへと顔を向けてくる。

 彼女の鋭い双眸が無言で説明するかどうかの是非を問うていることに気が付いて、ウルベルトは促すように一つ頷いてやった。

 ネイアはそれをしっかりと確認すると、そこで漸くレメディオスからの質問に答えるべく口を開く。

 そのネイアのあまりの態度にレメディオスは途端に苛立たしげな表情を浮かべたが、しかし話を聞くうちにその表情は笑みに崩れ始め、聞き終わった頃にはどこか勝ち誇ったような表情を浮かべていた。満足そうに一度大きく頷き、次には周りにいる聖王国の民たちへと視線を向ける。

 

「お前たちの言い分は尤もだ! 亜人たちは我らの大切なものを奪い、壊し、蹂躙してきた! こいつらは報いを受けるべきであり、諸君らには正義の鉄槌をくらわせる権利がある!!」

「「「お、おおぉぉおぉおぉおおぉおおぉぉぉおぉぉおぉっ!!!」」」

 

 突然始まったレメディオスの演説に、民たちも色めき立って声を上げ始める。

 このままでは間違いなくヴィジャーたちは惨たらしく処刑されることになるだろう。

 ウルベルトとて彼らの気持ちが分からないわけでは決してない。

 しかし、それでも……――

 

「……やめておいた方が良いと思うがね」

 

 ポツリと小さく呟かれた声。普通であれば多くの歓声にかき消されるほどに小さなそれは、しかしこの場にいる全員の耳に届き、この場にいる全員の熱を一気に冷めさせるほどの力を持っていた。

 この場にいる全員が一斉にウルベルトへと視線を向ける。

 ウルベルトはただ静かに、レメディオスや聖王国の民たちを冷ややかに見つめていた。

 

「感情に任せて復讐を唱え、殺戮を望むとは……。気持ちは分からないでもないがね、少々度が過ぎるのではないかな?」

 

 ウルベルトの声音はどこまでも淡々としていて静かで抑揚がない。

 いつにないウルベルトの様子に、民たちは怒りを忘れて困惑の表情を浮かべ始めた。

 ただ一人、レメディオスだけが苛立たし気に食って掛かってくる。

 

「……ほう、“憎しみは何も生まない”、“憎しみや怨みといった感情は悪いものだ”とでも言うつもりか? 実に悪魔らしくない言葉だ。……聖職者にでもなったつもりか?」

 

 皮肉気に行ってくるレメディオスに、しかしウルベルトは何も答えない。ただ山羊の顔に大きな呆れの表情を浮かべるだけだった。

 彼の心にある言葉は一つ。

 “本物の聖職者が何言ってんだ”であった。

 

(……こいつって確か聖王国の聖騎士だよな? 普通は聖王国の聖職者であるこいつがさっきの言葉を言うべきなんじゃないのか? ……えっ、それとも聖騎士って聖職者じゃないのか? 確かに騎士であって神官ではないけど……、でも“聖”って始めにつくしなぁ~。あれ、ユグドラシルではどうだったっけ? あくまでも騎士だから聖職者じゃないってか? そんな馬鹿な……。)

 

 内心で小首を傾げ、悶々とした思考が渦を巻く。

 しかしそこでふと、未だレメディオスからの問いかけに答えていないことに気が付いて、ウルベルトは内心慌てながらも外側では落ち着き払った素振りを見せて殊更ゆっくりと頭を横に振ってみせた。大きなため息を吐き出し、心底呆れたような表情を大袈裟なまでに山羊の顔に浮かばせる。

 

「……別にそんなことを言うつもりは毛頭ないとも。第一、私には“負の感情”や“悪の感情”といった考え自体がないのだからね」

 

 聖王国には『“怒り”や“憎しみ”や“怨み”といった感情は“負の感情”で“悪の感情”であり、その感情に支配されれば魂が闇に染まって穢れてしまう』という考えが存在する。しかしウルベルトからすれば、笑い話にもならない言い分だった。

 

「“負の感情”だろうが“悪の感情”だろうが、それが感情であることには変わりない。……私は、不必要なものはこの世に存在しないと思っている。憎しみや怨みといった感情が存在するのなら、それは心の均衡を保つのに必要だからだ。心の均衡を保ち、生きていくために必要だから、そういった感情も存在するのだろう。そうであるならば、私は別に否定するつもりはないよ。……だが、全ての行動にはそれ相応の影響や反動や責任が伴う。君たちは既に身を持って分かっていると思っていたのだがね」

「………それは、どういう意味だ……」

 

 レメディオスの切れ長の双眸が鋭くなり、まるで唸るように問いかけてくる。

 ウルベルトはチラッとヴィジャーたちを目だけで見やると、次には視線を戻してこの場にいる聖王国の人間全員を見やった。

 

「それは勿論、今のこの状況の話だ。何故そもそも亜人たちがこのような行動に出たのか……、少なくとも聖騎士の長である君は既に理解しているのではないのかな?」

「我々のせいだとでも言いたいのかっ!!」

 

 ウルベルトのもったいぶったような言い回しに、レメディオスが憤怒の表情を浮かべて声を荒げてくる。

 いくら相手は悪魔だからと言って、聖王国の恩人であり他国の王である人物に怒鳴り声を上げる聖騎士団団長の姿に、聖王国の民たちは呆然とした表情を浮かべたり、困惑の表情を浮かべたりしていた。怒鳴られている側のウルベルトが落ち着き払った態度であるため、より一層レメディオスの態度がひどく顕著となってしまっていた。

 

「勿論、全ての原因が君たちにあるとは言わないとも。亜人たちの考えやヤルダバオトの存在などといった多くの要因もあってのことだと私も理解している。しかしそれだけでは決してないことも確かだ」

「それは……、一体どういう意味なのですか、閣下?」

 

 ウルベルトが一体何を言っているのか分からないのだろう、ネイアが困惑したように問いかけてくる。

 ウルベルトはネイアを見下ろすと、まるで幼い子供に教え諭すように、ゆっくりと柔らかな声音でそもそもの亜人たちとの争いの原因を語って聞かせ始めた。

 そもそも聖王国と亜人たちとの争いは生活圏の奪い合いによるものだけではなかったこと。人間側による亜人たちへの差別的意識こそが争いの大きな要因の一つになっていたこと。

 人間以外の種族を受け入れず、敵とみなしていた聖王国。そして今もなお続いていた聖王国側からの亜人たちへの生活圏の侵略及び略奪行為や、害獣駆除という名の大規模な虐殺行為。

 ウルベルトの話が進むにつれ、その事実を知らなかったのだろうネイアや民たちが驚愕や困惑の色を濃くしていく。オスカーやレメディオスに連れられてきた聖騎士たちは少なからず気まずそうな表情を浮かべて顔を俯かせている。

 しかしただ一人だけが空気も読まずに眉を潜めさせていた。

 

「なんだ、そんな事は当然のことだろう。全てはこの聖王国と、聖王国の民たちを守るためにしてきたことだ」

 

 当然のように紡がれたレメディオスの言葉に、瞬間、この場の空気が一気に凍り付いた。

 聖王国の者たちは誰もが呆然とした表情を浮かべて信じられないというようにレメディオスを見つめており、ヴィジャーたちは不愉快そうに顔を歪ませてレメディオスを睨んでいる。しかしレメディオス自身は何故彼らがそんな反応をするのかが分からないようで、更に訝しげな表情を浮かべて首を傾げていた。

 誰もが何を言えばいいのか分からず、口を閉ざして黙り込む。

 外だというのに耳に痛いほどの静寂が漂う中、不意にウルベルトのため息の音が大きく深く響き渡った。

 

「……はぁ…。……まぁ、そういった考えがあることも私は否定しないがね……。……話が少々逸れたな。とにかく、私が言いたいのはどんな感情を持ってもそれ自体は構わないということだよ。憎むなとも言わない。怨むなとも言わない。復讐するなとも言わない。これから生きていくために必要なのだと君たちが言うのなら、私はそれを受け入れよう。……だが、もし本当に何らかの行動を起こすのであれば、それによって生じるであろう影響や反動についても覚悟しておいてほしいというだけだ」

「………影響や反動、というのは……」

「君たちと同様に同胞を虐殺されて、亜人たちが果たしてそれを容認してくれると思うかね? それとも亜人たちを一体残らず駆逐するかね? そんなことが本当に可能だとでも?」

 

 ウルベルトの言葉が、この場にいるレメディオス以外の全ての者たちの心に深く鋭く突き刺さっていく。

 それは良心の呵責か、それとも罪悪感か。どちらにせよ、ウルベルトは彼らの反応に少なからず安堵の様なものを感じていた。

 正直に言って聖王国の者の殆どがレメディオスの様であったなら目も当てられない。正に万事休す。ネイアとオスカーだけでも連れてデミウルゴスに聖王国を滅ぼすように言っていた可能性とてあった。

 そうならなかったことに身勝手ながらも内心で安堵の息をつき、まだ矯正の余地はあると胸を撫で下ろした。

 

「……とにかく、このモノたちが私の求めに応じて配下に下った以上、既に彼らは私の配下であり、私はこのモノたちの主だ。もし彼らに対して思うことがあるのなら、私に思いをぶつけに来るが良い。それが主である私の役目だからね」

 

 堂々と言ってのける様は正に絶対者であり、王者の風格を漂わせている。

 ウルベルトの言に、もはや聖王国の民たちは何も言うことが出来なかった。唇を引き結び、ウルベルトの言葉を受け入れる。

 しかしこのことが、この場にいる全ての者の心に更なる変化をもたらしたのは確かだった。

 それはウルベルトの言葉による困惑か疑念か、はたまた畏敬の念か。

 亜人たちに対する憎しみか、それともウルベルトの加護下に入ったことへの羨望か。

 レメディオスの姿に果たして何を思い、何を見出したのか。

 多くの思考や感情が渦を巻き、聖王国が進む未来への道に変化をもたらしていく。

 聖王国の今後を動かす時の歯車が、また一つ耳には聞こえぬ軋んだ音を立てながら小さく回った。

 

 




話がなかなか進まない~~。
そしてナスレネの一人称とナスレネとヴィジャーの二人称が分からない~。
ナスレネとハリシャの口調も未だに良く分からない~~。
亜人たちの口調が不自然だったり違和感ありましたら申し訳ありません……(土下座)

また、今回は聖王国について感情による認識について少しだけ書かせて頂いたのですが、これは当小説による完全な捏造になりますので、あまりツッコまないで頂けると嬉しいです(汗)

*今回のウルベルト様捏造ポイント
・“ソドム”&“ゴモラ”;
二振で一組の短剣。“ソドム”はスティレットで、“ゴモラ”はショーテルの形をしている。武器自体のデータ量は伝説級だが初期状態は最下級であり、魔力を消費することで、その魔力量に応じて武器ランクを上げることが出来る。ユグドラシルでの設定は『魔力を武器に流し込むことによって本来の力を目覚めさせる』というもの。当武器の限界ランクである伝説級までランクを上げると、“ソドム”は石化能力が、“ゴモラ”は炎ダメージの能力がそれぞれ付加される。


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第17話 正義

やっと続きを更新できました!
どんだけ時間がかかっているんだ、私……(汗)


 晴れやかな青空に、涼やかな風。未だ戦闘の傷跡が深く残る小都市ロイツは、しかし今では多くの活気に満ち溢れていた。

 人々は壊れた道や建物を直し、未だ怪我で臥せっている仲間を看病し、これからの戦いに備えて鍛錬や道具の準備に励んでいる。

 嘗てないほどに希望に満ち溢れ、笑い声さえ零れる日々。

 しかしそんな中、一人の少女が壁に寄りかかるようにして地面に座り込み、深々と大きなため息を吐き出していた。

 ここは都市の中心部にある鍛錬用の開けた区画。

 多くの聖騎士や民兵たちが大きな掛け声と共に鍛錬を行っている中、少女……ネイア・バラハは一人広場の隅の影に隠れるようにして座り込んでいた。鋭い双眸でぼんやりと目の前の鍛錬の様子を見つめ、次には再び大きなため息を零す。両手に握り締めている“イカロスの翼”に目を移すと、ネイアはもう一度ため息をつきながら項垂れるように顔を俯かせた。

 

 

「――……これはまた大きなため息だな…」

 

 不意に頭上から聞こえてきた聞き慣れた声。

 驚愕と共にバッと勢いよく顔を上げると、そこには不思議そうでいてどこか呆れたような表情を浮かべたオスカーが目の前に立ってこちらを見下ろしていた。

 突然のオスカーの登場に、思わず驚愕の表情を浮かべて勢いよく立ち上がる。

 ネイアは咄嗟に尻に着いた土や汚れをパタパタと叩き落とすと、次には誤魔化すように一つ小さな咳払いを零した。

 

「お、お帰りなさい、ウィーグランさん。今回も無事に戻られたようで何よりです」

「ああ、何とかな。今回も犠牲を出さずに終わらせられた。……そういえば、閣下も先ほどご無事に戻られたようだぞ」

「閣下もですか!? それは良かったです!!」

 

 共にウルベルトの従者となってそれなりに時が経つため大分心の距離が縮まったのか、最近ではネイアに対してだけはオスカーは少々砕けた口調で話しかけてくれる。そんな彼からもたらされた何よりの朗報に、ネイアは途端に声を弾ませて顔を輝かせた。

 というのもこの二週間、ネイアは従者としてウルベルトと共に行動する機会が極端に少なくなっていたのだ。

 今から二週間ほど前、解放軍は未だ残っている捕虜収容所を解放するべく度重なる進軍を再開させていた。ウルベルトも別動隊としてそれに加わり、配下にした亜人たちやメイド悪魔やオスカーを引き連れて一つの捕虜収容所を解放しては一度ロイツに戻り、暫くすればまた出撃するというのを繰り返していた。

 尤も、ウルベルトが現在率いている隊の人員は最初の捕虜収容所解放の時とは打って変わって大分様変わりしている。

 その最もたる部分は、隊の数が一つではなく二つになっていることだった。

 一つはウルベルト自身が率いており、もう一つはウルベルトの正式な従者となったオスカーがウルベルトの名代として率いている。そしてウルベルトとオスカーの下には、先日ウルベルトが配下にした亜人の三体が日替わりローテーションで付き従っていた。更にはウルベルトが召喚した悪魔たちや一部の聖騎士、そして捕虜収容所を解放する度に配下に加えているハリシャやナスレネの部族のモノたちもその下に組み入れられていた。

 『災華皇(さいかこう)が捕虜収容所解放作戦に参加しているのは、その捕虜収容所を守っているハリシャやナスレネの部族のモノたちを手中に収めて庇護下に置くためだろう。解放軍側が一部とはいえ聖騎士たちを災華皇側に同行させているのは、捕虜収容所に囚われている民たちに対して“あくまでもこの行動は解放軍との共同作戦である”というアピールをするためだろうな』とはアルバの言である。

 では何故一時的とはいえウルベルトの従者であるネイアがウルベルトと行動を共にしていないのかというと、それは解放軍側が命じてウルベルトがそれを承諾したためだった。

 ウルベルト側の二つの部隊と解放軍側の部隊によって、小都市ロイツに集まっている民たちは日に日にその数を増やしている。そのため彼らを統率する軍属の人員が不足しており、そこでネイアも駆り出されることになったのだ。

 ネイアが率いるのは、主に弓矢が得意な民兵たち。彼らを鍛え、訓練し、有事の際は先頭に立って率いるのが今のネイアの第一の務めとなっていた。

 普通であれば、聖騎士見習いの身で一部隊を率いる任を与えられることは大変名誉なことだろう。少し前のネイアであれば大喜びして奮起したはずだ。しかし今となっては、ウルベルトに付き従う時間が極端に少なくなってしまったことに落胆するだけだった。加えて最近では前々から思い悩んでいた悩みが急激に大きくなってしまい、ネイアは憂鬱になる心を律することもできず、どうしようもなく持て余していた。

 

「……何か思い悩んでいるようだが、どうかしたのか?」

 

 今もなおどこか翳った表情を浮かべているネイアに、オスカーが不思議そうに問いかけてくる。

 深い海のような蒼色の瞳には気遣わし気な色が浮かんでおり、ネイアは少し躊躇しながらも彼に相談してみることにした。

 

「その……、実は、ずっと考えていたんです……。“正義”とは一体何なんだろうって……」

「……!!」

 

 まさかそんな言葉が出てくるとは思ってもいなかったのだろう、オスカーが驚いたように目を見開いてくる。

 しかしネイアからすればずっと思い悩んでいたことだった。

 

「……ヤルダバオトが聖王国に現れてから、私はずっと“正義”について考えていました。“正義”とは一体何なのか。“正義”を行うためには何をするべきなのか……。今の聖騎士や聖王国の在り方ややり方を見る度に、そして災華皇閣下に付き従う度に、それが分からなくなってしまっているんです……」

「……………………」

 

 まるで自身の胸の中に蠢く膿を吐き出すかのように、気が付けば思っていることを全てぶちまけていた。

 もしかしたら、自分では気が付かなかっただけでとても苦しかったのかもしれない。誰かに相談して、少しでも自分の苦悩を分かってもらいたかったのかもしれない。

 悲痛に顔を歪めながら話し続けるネイアに、オスカーは暫く静かに見つめた後、ネイアが口を閉じたのを確認して漸く口を開いてきた。

 

「そうだな……。私にとって“正義”とは……“力”だな」

「……“力”……?」

 

 オスカーからの意外な言葉に、ネイアは思わず小さく首を傾げさせる。

 訝しげに顔を顰めるネイアに何を思ったのか、オスカーはフッと小さな笑みを浮かべてきた。

 

「何かを守り、何かを成すためには力が必要だ。聖王国は……力がなかったからヤルダバオトに蹂躙された。力があれば、こんな事にはならなかっただろう。……それに閣下も、ひたすらに力を求めていらっしゃるようだったしな」

「それは、確かにそうですが……」

 

 更なる力を得るためにメイド悪魔や亜人たちを支配下に置こうとしていたウルベルトの姿を思い出し、ネイアは思わず小さく頷く。しかしその一方で、何かが違うという思いが胸の中で渦を巻いていた。

 確かにオスカーの言うことも一理ある。力がなければ大切なものを守ることもできず、蹂躙されて終わってしまうだろう。

 しかし、ひたすらに力だけを求めるのは如何なものだろうか。

 力を持った者が正義なのであれば、それではまるで……――

 

 

「――……それでは、強大な力を持つヤルダバオトもまた“正義”となってしまうぞ、オスカー」

「「っ!!?」」

 

 突然聞こえてきた声に、ネイアとオスカーはほぼ同時にビクッと肩を跳ねさせた。慌てて声の方を振り返れば、そこには山羊頭の悪魔が面白そうな笑みを浮かべて佇んでいた。

 話し込んでいて全く気が付かなかったが、突然のウルベルトの登場に周りの聖騎士や民兵たちがざわざわと騒いで色めき立っている。

 ネイアはウルベルトの姿を視界に納めた瞬間、思わず大きな笑みを浮かべてウルベルトの前へと駆け寄っていた。

 最後に話した日からそれほど経っていないというのに、どこかひどく懐かしく感じられる。

 

「お帰りなさいませ、災華皇閣下! ご無事にお戻りになったようで良かったです!」

「ただいま、バラハ嬢。君も元気そうで嬉しいよ」

 

 金色の瞳が柔らかく細められ、それだけで何とも言えない喜びが胸に溢れてくる。

 自身の凶悪な顔を自覚していながらもにやける表情を抑えられないネイアの傍らで、オスカーもウルベルトに歩み寄って一礼しながらも少し訝しげな表情を浮かべていた。

 

「お帰りなさいませ、災華皇閣下」

「ああ、君も無事なようで何よりだ。報告はまた後で聞くから、後ほど私の部屋に来てくれたまえ」

「畏まりました。……ところで、閣下。先ほどの言葉は一体どういう意味なのでしょうか?」

 

 心底分からないといった表情を浮かべるオスカーに、ウルベルトは小さく首を傾げてくる。マジマジとオスカーを見つめ、次には苦笑のような笑みを山羊の顔に浮かばせた。

 

「ふむ、どういう意味と言われても言葉通りの意味なのだけれどねぇ……。君は“力こそが正義”だと思っているのだろう? ならば、その定義で言えば、絶対的な力を持つヤルダバオトもまた“正義”になってしまうのではないかと思ったまでさ」

「っ!!」

 

 面白そうにクツクツと笑いながら言ってくるウルベルトに、途端にオスカーが驚愕の表情と共に息を呑んだ。慌てて頭を振るオスカーに、ウルベルトは耐え切れなくなったようにクハハッと声を上げて笑い出す。いつにない楽しそうな様子に、ネイアは少々不思議に思って小首を傾げた。

 しかし笑われている本人であるオスカーは非常に面白くないのだろう、少し顔を顰めさせながらジト目でウルベルトを見つめていた。

 

「………ならば、閣下は“正義”とは何であるとお考えなのですか?」

 

 オスカーからすれば何気なく口に出した問いかけだったのかもしれない。しかしそれを聞いた瞬間、ネイアはドキッと心臓を跳ねさせた。もしかしたら得られるかもしれない答えに、知らず心臓の鼓動が早くなる。

 ネイアが固唾を呑んで見守る中、ウルベルトは笑うのを止めて少々意外そうな表情を浮かべてきた。

 

「うん? 私か? ふむ……、そうだねぇ……」

 

 一度言葉を切り、長く豊かな顎鬚を細長い指でクルクルと弄ぶ。

 少々考え込むような素振りを見せた後、次には改めてこちらに顔を向けてニヤリとした仄暗い笑みを浮かべてきた。

 それは、ネイアたちが今まで一度も見たことがない、ウルベルト・アレイン・オードルの悪魔としての笑みだった。

 

「私は“正義が何か”という以前に、“これが正義である”という確立した定義自体が存在しないと考えているのだよ。“正義”とは、それを考える者や立場や立ち位置や考え方などによって幾通りにも変化する、ひどく曖昧なものだ。ならば言い換えれば、“正義”というもの自体が存在しないとも言えるのではないかな?」

「「……えっ……!?」」

 

 ウルベルトからの思わぬ言葉に、ネイアとオスカーは同時に驚愕の声を上げる。

 しかしウルベルト自身は全く意に介した様子もなく、ただ少々不気味な笑みを浮かべたままひょいっと軽く肩を竦ませるだけだった。

 

「そんなに驚くようなことではないと思うがねぇ……。例えば、最初の捕虜収容所を解放した時だってそうだ。オスカー、君は被害の拡大を防ぐために敢えて人質となっていた子供を殺した。君がその決断をして行動を起こさなければ、今以上の被害が出てもはや解放軍は壊滅していたかもしれない。正に君の行動は英断であり、称賛に値するものだと言えるだろう。しかし実際に君に待ち受けていたものは何だったかな? また、君の判断によって殺された子供からすればどうだろう。その子供の親から見たら、彼らは君を正義だと判断すると思うかね?」

「……………………」

 

 ウルベルトの淡々とした言葉に、オスカーが顔を歪めて黙り込み、そのまま顔を俯かせる。彼の顔は苦渋に満ち、ネイアの目には深い後悔の念が浮かんでいるように見えた。

 

「他のことについてもそうだ。君たちは、今まで聖王国が亜人たちに行ってきた行為を知ってどう思ったかね? あれだって、聖王国を守るためには必要な対策の一つであるとも言えるだろう。しかし亜人たちからしてみればただの侵略であり虐殺だ。そしてそう考えればヤルダバオトの存在だって見方が変わってくる。聖王国側から見れば絶望を世界に撒き散らす悪の化身だとしても、亜人たちにとっては自分たちを苦しめてきた人間たちを蹂躙する救世主だとも言えるだろう」

「………それ、は……」

「“正義”とは、言わば自分自身に都合が良いように解釈できるものであり、自身の行動を正当化するための免罪符の言葉に過ぎない。例え自身の行いが過酷で残酷なものであったとしても、それが“正義”なのだと信じることが出来れば楽になれるだろう?」

 

 言外に『“正義”など存在しない』と繰り返し言い切るウルベルトに、ネイアは心がひどく落ち込んでいくのを感じた。

 ウルベルトの言葉はどれもが正しい。それに反対するだけの言葉をネイアは持ってはいない。

 しかし、それではあまりに悲しいのではないかと思わずにはいられなかった。

 ネイアは今までずっと“正義”とは何事にも揺るがない正しいものだと思っていた。だからこそどんなに辛くても、どんなに思い悩んだとしても、答えを見つけるために頑張ってこられた。しかし今現在ネイアが最も信頼を寄せるウルベルトがそれを否定してしまったら、その瞬間、足元がガラガラと崩れて二度と立ち上がれないような気がした。

 顔を俯かせて無言で思い詰めていくネイアに、まるでそれに気が付いたかのようにウルベルトが再び口を開いてきた。

 

「………しかし、それでももし、何かを上げるとするなら……」

 

 ウルベルトの声が、まるで暗闇に差す一筋の光のようにネイアの耳に響いてくる。

 反射的に顔を上げるネイアとオスカーに、ウルベルトは美しい金色の瞳を細めさせて優しく顔を綻ばせた。

 

「……何かを守ろうとする意志は、とても美しく思えるね……」

 

 穏やかに響くウルベルトの言葉に、瞬間、ネイアの脳裏にあらゆる記憶が蘇ってきた。

 聖王国を守るために、聖騎士でありながらも悪魔のウルベルトに頭を下げて助言を乞うたグスターボ。

 大切な子供を助けるために、恐怖を押し殺してウルベルトに縋った一人の母親。

 自分たちの大切なものを守るために、必死に亜人たちに立ち向かった多くの民兵たち。

 そして、命を賭して自分たちを守って死んでしまったスクード。

 次々と浮かんでくる記憶の光景に呆然となる中、ウルベルトはまるで歌うように言の葉を紡ぎ続けた。

 

「或いは何者をも受け入れる寛容さか……、はたまたあらゆる意思を捨てて流れに身を委ねるか……」

 

 生きとし生けるモノ全てが他者を受け入れる寛容さを持っていれば、或いは全員が意思というものを持っていなければ、争いも憎しみも生まれないのかもしれない。

 そうすれば必然的に“正義”だけが残るのかもしれない。

 

「この世界は正に混沌だ。だからこそ……とても美しいのかもしれないねぇ」

 

 悪魔だからか、それともウルベルトの性質故か、彼の言葉はどこまでも曖昧で謎かけのようである。

 しかしそれも、続いてかけられた言葉によってネイアは彼の真意に気付かされた。

 

「まぁ、答えは人それぞれだ。君たち自身の答えが見つかることを祈っているよ」

 

 ニッコリとした笑みを浮かべて言ってのけるウルベルトに、ネイアは思わず大きなため息を吐き出しそうになった。

 恐らくウルベルトが曖昧なことしか言わなかったのは、最終的にはネイアたちが自分たち自身で考えて答えを見つけるべきだと判断したからだろう。思い返してみれば、ウルベルトはこれまでも時折今と同じようにわざと曖昧に言葉を濁して、まるで言葉遊びをするかのように自身の考えなどを口にしていた。

 どれも自分たちのことを思っての行動であろうことは分かってはいるが、それでも今回ばかりは少し恨めしかった。

 

「――……災華皇閣下、亜人たちの件で殿下がお呼びです。ご同行頂けますでしょうか?」

 

 ネイアがウルベルトへと口を開きかけ、しかしその前に他の聖騎士がこちらに歩み寄ってきてウルベルトへと声をかけてくる。恐らく重要な案件なのだろう、ウルベルトは聖騎士を振り返ると当然のように一つ頷いて返した。再びこちらへと視線を向け、朗らかな笑みを向けてくる。

 

「それでは私は少し行ってくる。オスカーは少ししたら私の部屋に来るように。今回の捕虜収容所解放の報告を聞こう」

「はっ、畏まりました」

「バラハ嬢もくれぐれも頑張り過ぎないようにね。もし時間が空いて気が向いたなら、オスカーと共に私の部屋に来ると良い」

「っ!! は、はい! ありがとうございます、災華皇閣下!!」

 

 ウルベルトからの言葉に、途端に心が弾んで浮足立ち始める。

 軽く片手を挙げて呼びにきた聖騎士と共に去っていく漆黒の背を見送りながら、ネイアは身の内の興奮を逃がすようにふぅぅっと深く大きく息を吐き出した。

 久しぶりにウルベルトの近くに控えることが出来ると思うだけで嬉しくて仕方がなくなる。しかしそう思う一方で、先ほどまでの会話を思い出して、ネイアは途端に顔を引き締めさせた。一度パンッパンッと両手で両頬を叩き、気持ちも引き締めさせる。隣では突然のネイアの行動にオスカーが驚いたような表情を浮かべていたが、ネイアはそれに構うことはなかった。

 折角ウルベルトの側近くに侍ることが出来るのなら、それを機会に自分なりの考えの答えをウルベルトに伝えたい。

 “正義”とは何であるかの答えを見出し、ウルベルトに伝えて認めてもらいたかった。

 ネイアはじんじんと痛みを訴え始める両頬の熱を感じながら、自分なりの答えを導き出すべく思考を巡らせ始めた。

 これまで自分が感じてきたことや、オスカーやウルベルトの意見を一つ一つ思い出し、頭の中で整理していく。それはまるで答えのない問題を解いているかのような不安定さがあったが、しかしその一方で、まるでピースを一つ一つ嵌めて一つの絵を完成させていっているような感覚にも感じられた。

 ネイアの感覚では、オスカーの意見もウルベルトの言った言葉も、全て正しく思える。

 しかし、もしそれを一括りに考えた場合、一体何が最終的に残って“正義”と成り得るのか……――

 地面に転がる砂粒を何とはなしに見つめながら、どれが重要で何が重要ではないのか思考の渦に潜っていく。

 そして最終的に頭に浮かんだ考えに、ネイアはハッと小さく息を呑んで目を見開かせた。呆然とした表情で何回か目を瞬かせ、それでいて徐に横に立つオスカーを見上げる。

 ずっと飽きることなくこちらの様子を窺っていたオスカーは、無言のまま静かにこちらを見下ろしていた。

 

「……どうした……?」

 

 かけられた声はどこまでも柔らかく優しい。

 まるで父や兄がするかのように見守るように問いかけられ、ネイアは少し気恥ずかしく感じながらも心を弾ませた。頭に浮かんだ考えとも相まって、胸の奥底から言いようのない興奮が湧き上がってくる。

 ネイアは支離滅裂になりそうな言葉たちを必死に頭の中で整理しながら、それでいて抑えきれない衝動のままに大きな笑みを顔に浮かばせた。

 

「……私、分かったんです……。私にとって、何が“正義”であるのか……!」

 

 恐らく他人から見ればひどく恐ろしい顔をしているであろうに、オスカーは少しも怯んだ様子もなく無言のまま先を促してくる。

 ネイアは拳を強く握り締めると、鋭い双眸に強い光を宿らせた。

 

「“正義”とは、災華皇閣下のことです。災華皇閣下の全てが、“正義”なんです!!」

 

 自信満々に堂々と言ってのけるネイアに、ウルベルトが去って再び鍛錬を始めていた聖騎士や民兵たちがネイアを振り返ってくる。

 オスカーも困惑した表情を浮かべており、しかしネイアはそれには構わず更に拳を握りしめた。

 

「私にはウィーグランさんの考えも、災華皇閣下の言葉も、どちらも正しいと思います。そして、それら全てを体現しているのが災華皇閣下ご本人なんです!」

 

 嬉々として言ってのけるネイアの姿はどこまでも真摯で、それでいてどこか狂気的でもある。

 しかしネイア自身はそんな事には気が付くことなく、まるでこの場にいる全ての者たちに演説するかのように声を張り上げた。

 

「まずはウィーグランさんが仰る力についてですが、災華皇閣下が類稀なる強大な力を持っていることは周知の事実です」

 

 ネイアの言葉に、この場にいる誰もが少なからず頷いて肯定を示す。ウルベルトの力が本物であることはこの場にいる誰もが知っていることであり、特に彼の力によって実際に救われた者たちにとってはウルベルトの力の強大さは誰よりも実感していた。

 

「そして閣下は、ヤルダバオトと違ってその強大な力を破壊や侵略のためではなく、私たちを守ることに使って下さっています。メイド悪魔や亜人たちを配下に加えているのも、魔導国の力を増幅させて魔導国の民を守るため……。つまり、閣下は常に何かを守るために行動して下さっているのです!」

 

 胸を張り、この場にいる全ての者に言い聞かせるように声高に言い放つ。

 誰もが賛同するように何度も頷く中、しかしオスカーだけは疑問に小さく顔を顰めさせて首を微かに傾げてきた。

 

「……しかし、それでは先ほどの閣下の言葉には当て嵌まらないのではないか? 例え閣下が俺たちを守るために力を振るって下さっているのだとしても、それはヤルダバオトとて同じだ。勿論奴の行いを肯定するつもりは毛頭ないが……、ヤルダバオトもまた亜人たちを守るために力を振るっているのかもしれないのだろう?」

 

 オスカー自身、こんな事を言いたくはないのだろう。少し不機嫌そうな表情を浮かべながらもヤルダバオトへの意見を述べてくる。

 苦々しい表情を浮かべるオスカーに、ネイアも同意するように一つ頷いた。

 オスカーの言う通り、亜人たちのために聖王国を攻撃しているヤルダバオトと、聖王国のために亜人たちに攻撃しているウルベルトでは、どちらも全く同じことをしているように見えるだろう。

 しかしウルベルトの場合は決してそれだけではないことをネイアは気が付いていた。

 

「確かにウィーグランさんの仰ることも一理あります。ですが、思い出してほしいのです。閣下がその力を振るう前に必ずしていたことを」

「閣下が必ずしていたこと……?」

 

 ネイアの言葉に、オスカーは疑問に首を傾げる。これまでの戦闘を思い返して考えてみるものの、しかしネイアが言うような特別な行動を起こしているウルベルトの姿は全く思い出すことが出来なかった。

 

「閣下はその力を振るう前に、必ず亜人たちに降伏を促しているんです!」

 

 まるで大発見をしたかのように更に声を上げるネイアに、オスカーも彼女の言葉に思い至って小さく一つ頷いた。

 思い返してみれば、確かに彼女の言う通り、ウルベルトは戦闘を行う度にまずは亜人たちに降伏するように呼びかけを行っていた。呼びかける度に、何故わざわざ敵を助ける様な事を言うのか……と少なくない苛立ちや怒気や殺気を人々から向けられながらも、それでもウルベルトは決してそれを止めることはなかった。

 

「それこそが、先ほど閣下が仰られていた“寛容”だったんです! 例え敵であろうとも機会を与えて手を差し伸べ、手を取った者には許しを与えて受け入れる……。ヤルダバオトは破壊するだけですが、閣下はそうではありません。手を取り合い、共に歩んでいける道筋を示して下さっているのです。それこそが、最も必要なことだと思うのです!」

 

 ネイアはここで一度言葉を切ると、自身を落ち着かせるために一つ大きな息を吐き出した。それでも興奮は冷めることなく、身体の中でとぐろを巻いてマグマのように噴き出ようとしている。

 ネイアはもう一度だけ深呼吸すると、両掌を握りしめて目の前に立つオスカーを力強く見上げた。

 

「強大な力を何かを守るために使い、何をも受け入れる寛容さを持つ閣下だからこそ“正義”なのだと、私は思います。……閣下の行いこそが……いえ、閣下という存在こそが正義そのものなのです!!」

 

 ネイアの声が高々と広場中に響き渡る。

 それは激しい熱量を持って、一気にこの場にいる全ての者たちを包み込んだ。

 ある者は呆然とネイアを見つめ、ある者は戸惑ったような表情を浮かべ、そしてある者は同意を示すように顔を輝かせて何度も頷いている。

 賛同するにしろ否定するにしろ、この時、ネイアの言葉が聖王国の多くの人間たちの胸に深く刻まれたことは確かだった。

 

 

 

 

 

 が、しかし……――

 

 

 

 

 

「――………却下だ…」

 

 オスカーと共にウルベルトの部屋を訪れ、自身の導き出した答えを報告したネイアに向けられたのは、そんな端的な否定の言葉だった。

 言葉を発したのは寝椅子(カウチ)に腰を下ろしたウルベルト。

 思わず愕然とするネイアに向けられた山羊の顔は苦々しげに歪んでおり、向けられている金色の瞳には呆れにも似た色がありありと浮かんでいた。

 

「……な、何故ですか、閣下……!? ……どうして……!!」

「どうしても何も……、そもそも私は悪魔なのだよ? 悪魔が正義とかありえないだろう」

 

 当然のように否定するウルベルトに、しかしネイアからすれば全く納得がいかない。幾ら悪魔だからだと言われても、ネイアには理解することが出来なかった。

 

「確かに閣下は悪魔でいらっしゃいますが、そんなことは関係ありません! 閣下ご自身も、悪魔も色々いるのだと最初の頃に私に仰られたではありませんか!」

 

 彼女にしては珍しく、声を荒げてウルベルトへと詰め寄る。

 しかしウルベルトの態度は少しも変わることはなかった。一つ小さな息をつき、やれやれとばかりに首を横に振る。

 

「……先ほども言ったように、私は“正義”というもの自体を信じていない。“正義”という考え自体嫌っているし、逆に“悪”というものをこよなく愛してさえいるのだよ」

「………それは……」

「悪魔とは“悪”の代名詞ともいえる存在。悪魔の支配者(オルクス)であるこの私が、“正義”であるはずがないだろう?」

「……………………」

 

 ウルベルトの言葉に、ネイアは思わず黙り込んだ。

 決してそんなはずはないのに、否定の言葉が出てこない。

 思わず顔を歪めて俯くのに、不意に頭に柔らかなぬくもりを感じ取って反射的に顔を上げた。いつの間に近づいていたのか、すぐ目の前に柔らかな笑みを浮かべた山羊の顔があり、思わず大きく息を呑む。

 

「………バラハ嬢、尊敬や崇拝といった他者に向ける感情と信念を混合させてはいけないよ」

「……え……?」

 

 言葉の意味が分からず、無意識に疑問の声を零す。

 ウルベルトは少しだけネイアから顔を離すと、頭に乗せたままの手をゆっくりと動かして髪を梳くように頭を撫で始めた。

 

「尊敬や崇拝といった他者に向ける感情と信念は似て非なるものだ。確かに、何かに対して信じるという行為自体は同じだろう。しかし、他者に向ける感情は外に対する感情であり、信念とは己の中に対する感情だ。君が先ほど述べたのは外に対する感情……つまり、私に対する感情であり、正義ではない。正義となり得るのは、身の内からの感情である信念の方だ。もっとよく考えてみると良い。……君の中にある信じる正義とやらをね」

 

 まるで幼い子供をあやすように言われ、ネイアは口を閉じたまま小さく唇を噛み締めた。

 ウルベルトの言葉に納得する自分と、納得できない自分とが心の中で激しくせめぎ合っている。

 確かに自分はウルベルトを尊敬している。彼に対して崇拝にも似た感情も抱いているし、ウルベルトという存在に魅入られているという自覚も持っている。しかし、ウルベルトを“正義”だと確信した理由はそれだけではないのだと心が悲鳴にも似た声を張り上げていた。

 そもそもネイアがウルベルトに魅入られたのは、ウルベルトの行動に“正しさ”を感じたからだ。崇拝にも似た感情を抱いたのは、ウルベルトの存在そのものにそれだけの尊さや偉大さを感じたからなのだ。

 尊敬し、崇拝する存在には正しくあってほしいと願いうのは、そんなにいけないことだろうか。

 自分が信じている存在が正しいのだと考えるのは、愚かなことなのだろうか。

 その存在に自身が求めるものを重ねることは、そんなにも間違ったことなのだろうか……。

 無言のまま苦悩の表情を浮かべて悩みだすネイアに、どうやらウルベルトがため息をついたようだった。大きなため息の音が聞こえてきたとほぼ同時に、未だ頭の上に乗っていたぬくもりが不意に離れていく。

 反射的に離れていく手を視線で追うネイアに、手を戻しながらウルベルトが山羊の顔に苦笑を浮かべているのが視界に飛び込んできた。

 

「……そんなに難しく考える必要はないと思うがねぇ……。ただ自分が正しいと思うことだけを考えればいい。それがどんなものであるにせよ、自分自身が正しいと思えるのなら、それは既に君自身の“正義”なのだから」

「で、ですが、そんな……」

「言っただろう。“正義”とは立場や考え方などで簡単に変わるものだと。ならば自分が信じるものを“正義”と定めることが一番合理的だ」

 

 ならばウルベルトを正義だと思うことも良いのではないだろうか……と思わないでもなかったが、恐らくそれは許してもらえないのだろう。

 理不尽だと思わないでもなかったが、改めて自分が正しいと思うことは何であるかを考えてみた。

 今の気持ちだけではない、過去の自分はどうだったかも含めて思考を巡らせる。

 そこでふとレメディオスが口にしていた言葉を思い出し、ネイアは無意識にゆっくりと口を開いた。

 

「………そういえば、私たちが仕える聖王女様は仰っていたそうです。『弱き民に幸せを、誰も泣かない国を』と……」

「……ああ、確かそんな話を聞いたことがあったね……」

「聖王女様の志は素晴らしいものだと思います。例え夢見がちな絵空事のような言葉だったとしても、もしそれを実現することが出来れば、それは“正義”と成り得ると思います」

「……………………」

 

 淡々と言の葉を紡ぐネイアに、ウルベルトのどこか冷めたような金色の瞳が向けられる。まるで観察されているかのような冷たい視線が突き刺さり、ネイアは無意識に乾いた喉を唾液を飲むことで湿らせた。

 

「……ですが、恐らく聖王女様が仰られていたのは聖王国の民たちに対してだけ。言い換えれば、聖王国の者が平和であればそれで良いという意味にも捉えられます。私は……、それが“正義”だとは思えません。だから……」

 

 ネイアは一度言葉を切ると、強く両手を握りしめた。大きな緊張と小さな不安で拳が震えそうになる。

 しかしネイアは勇気を振り絞ると、意を決して強くウルベルトを見つめた。

 

「私は、今でも閣下こそが“正義”であると思っています。だからこそ、『全てのモノ(・・・・・)に幸せを、誰も泣かない国を』目指そうと思います……!」

 

 声高に言い放たれた言葉に、ウルベルトが驚いたように金色の瞳を大きく見開かせた。呆然とした表情でマジマジとネイアを見つめ、次には耐え切れなくなったように大きくふき出す。

 

「……くっ……ふふふっ、……はははっ、これはまた大きく出たな……!」

 

 心底面白そうに笑い声を上げるウルベルトに、しかしネイアは怒ることも焦ることもなく、ただ安堵の息をついた。

 自分の言いたいことがきちんと伝わったことや、彼に認めてもらえたことがとても嬉しかった。

 ネイアの言った“全てのモノ”や“誰も”とは、聖王国の民たちだけのことではない。聖王国以外の……人間以外の種族も含めて、本当にすべての存在が幸せに、誰も泣かない世界を創りたいと思ったのだ。

 確かにウルベルトの言う通り『大きく出た』のかもしれない。それこそ、身の程を弁えぬほどの絵空事のような願いかもしれない。しかしそれでも、少なくともネイアには目の前に手本となる存在がおり、世界にも手本となる国が存在する。彼や彼の国を手本に多くの人々が手を取りあえば、『全てのモノに幸せを、誰も泣かない国を』という“正義”も十分成り立つようにネイアには思えた。

 

「自分の大切なものを守れるための力を……。そして全てを許し、手を取り合えるだけの寛容さを……。それを私の“正義”のための行動方針にしようと思います!」

 

 胸を張って堂々と言ってのけるネイアに、ウルベルトの金色の瞳が柔らかく笑みの形に細められる。

 ウルベルトは再び小さくクツクツと喉を鳴らすと、次には大きな息を吐きながら寝椅子の元へと戻って深くそれに腰を下ろした。

 

「何とも甘い“正義”だとは思うが……、まぁ、それもいいさ。後悔のないように頑張りたまえ」

「はいっ!」

 

 ウルベルトの言葉に、ネイアは顔を輝かせて大きく頷く。認められたことや明確になった“正義”の形に、一気に大きな興奮が湧き上がってきた。

 “正義”に向けての今後の自身の行動について思考を巡らすネイアは、ついぞ自身に向けられているウルベルトの観察するような冷たい瞳に気が付くことはなかった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 夜も更けた闇の中。

 災華皇の支配下に下った亜人たちを収容する一つの建物にて、一つの細い影が多くの亜人たちと対峙していた。

 

「………このような夜更けに、どのようなご用件でしょうか……?」

 

 影に声をかけたのは一体の獣身四足獣(ゾーオスティア)

 彼の背後には幾体もの獣身四足獣(同族)半人半獣(オルトロウス)が控えるように跪いており、緊張した面持ちで目の前の影を真っ直ぐに見つめている。

 

「……そんなに緊張せずとも大丈夫だよ。なに、一つ頼みたいことがあってねぇ……」

 

 影から発せられたのはひどく優しい甘やかな声音。

 影は一歩亜人たちへと歩み寄ると、声をかけた一体の獣身四足獣(ゾーオスティア)と一体の半人半獣(オルトロウス)へと指先を向けた。

 

「十傑のムゥアー・プラクシャーとヘクトワイゼス・ア・ラーガラー。同族の配下を率いて聖王国の南側へ偵察に向かえ。亜人連合軍だけでなく聖王国側の動きも探り、私に報告したまえ」

 

 命じられたのは偵察任務。配下にしたばかりの……それも裏切る可能性がまだ十分にあるモノたちに命じるには、あまりにもリスクが高すぎる内容の命令である。小都市ロイツでの激戦で影の悪魔(シャドウデーモン)たちに囚われ、ウルベルトの配下に下った彼らからしてみれば信じられないものだった。

 

「………一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか……?」

「うん? なんだ?」

「偵察ならば、閣下の配下の悪魔の方が十分に役立つはず。何故、我々に……」

 

 途中で言葉を濁して黙り込むのは、先ほど名指しをされた半人半獣(オルトロウス)のヘクトワイゼス・ア・ラーガラー。

 その目に不安と恐怖の色を見てとり、影は肩を竦めるような動きを見せた。

 

「私の配下の悪魔たちには(こちら)側の亜人連合軍の動きを探らせている。危険度を考えれば、まだ南側の方がお前たちの手に負えるだろうと判断したまでだ」

「……………………」

 

 淡々と事務的に返された言葉に、ヘクトワイゼスはこれ以上何も言わずに口を噤んだ。

 未だ納得できない部分は多くあるものの、まさか『裏切るとは思わないのか?』と聞けるはずもない。

 無言で頭を下げる亜人たちに、影は満足したように笑みを浮かばせた。

 

「期限は……そうだな、一か月後にまた戻ってきたまえ。その間の報告はこれを使え」

 

 言葉と共に投げ渡されたのは、幾束もの巻物(スクロール)が詰め込まれた一つの革袋。巻物(スクロール)の全てが〈伝言(メッセージ)〉の魔法が宿った物であることを聞かされた瞬間、亜人たちは顔を真っ青にして慌てて革袋を大切そうに抱きかかえた。

 

「……それでは期待しているよ。無事に任務を果たして戻ってきたまえ」

 

 再び深々と頭を下げる亜人たちを見下ろしながら、影……ウルベルト・アレイン・オードルは不気味な笑みを闇の中で浮かべる。

 深い深い闇の中、幾つもの思惑が息をひそめ、動き出そうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、ここにももう一つ……――

 

 

「――………あなたがローブル聖王国聖騎士団団長、“白色”のレメディオス・カストディオ殿ですね……」

「……誰だ、貴様は……」

 

 見慣れぬ影が新たな手を伸ばそうとしていた。

 

 



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第18話 忍び寄る影

 薄暗く静寂に包まれた空間に、サワサワと微かな葉の音だけが響いて消えていく。

 徐々に白け始める空を見上げながら、ウルベルトはただ静かに独りポツリと佇んでいた。

 彼が立っているのは深い深い森の中。周りには大小様々な木々と茂みしかなく、生物の影は一切見られない。

 何をするでもなく、ただぼぅっと空を眺めているウルベルトに、不意に二つの影が森の奥から歩み寄ってきた。

 

「……災華皇(さいかこう)閣下」

 

 かけられた声に、ウルベルトはゆっくりと上向かせていた顔を元に戻して二つの影に視線を向けた。

 彼の視線の先にいたのは二体の亜人。一体は獣身四足獣(ゾーオスティア)のヴィジャー・ラージャンダラーであり、もう一体は石喰猿(ストーンイーター)のハリシャ・アンカーラ。

 急いてはいないゆっくりとした足取りで歩み寄ってくる二体に、ウルベルトは小さく金色の瞳を細めさせながら彼らと向かい合うために足先を彼らへと向けた。

 

「首尾はどうかな?」

 

 軽い口調ながらも手短に状況を問いかける。問われた二体はウルベルトの目の前で膝をついて頭を下げると、そのままの状態で報告を始めた。

 

「……無事に制圧を完了した。我が一族と石喰猿の一族は殆どのモノがこちらに投降。向かってきたモノは全て排除し、逃走しようとしていたモノも残らず殲滅した」

「こちら側の被害は?」

「ヒヒヒ、一つの拠点を落とした割には驚くほど軽く済みましたわい。軽傷のモノが大体二十くらいでしょうかな……」

「それは上々」

 

 二体からの報告にウルベルトは満足そうな笑みを浮かべて大きく頷く。ヴィジャーとハリシャは下げていた頭を上げてウルベルトを見やると、ヴィジャーは訝しげな、そしてハリシャは不思議そうな表情を浮かべてじっとウルベルトを凝視してきた。彼らの頭上に幾つもの疑問符が浮かんでいるように見えて、ウルベルトは小首を傾げながら無言のまま言葉を促してやる。ハリシャは兎も角ヴィジャーはあまり物怖じしない性格であるため、こういった動作一つで素直に疑問を口にしてきた。

 

「……幾つかお伺いしたいことがあるのだが、宜しいだろうか?」

 

 それでも一応前もって許可を求めてくるところは、曲がりなりにも十傑だと感心するべきなのだろうか。

 馬鹿ではあるが決して愚かではないヴィジャーの態度に、ウルベルトは込み上げてくる笑みを押し留めながら一つ頷いてやった。

 

「……何故閣下はそこまで損害を気にするのだろうか? 閣下は召喚魔法を使えるはず。我々が使えなくなったとしても、閣下には痛手は全くないのでは?」

「痛手が全くないわけではないよ。召喚魔法が使えたとしても、魔法を使えば魔力は消費する。手段は多く持っていた方が何事も有利となる。それに、君たち一族は既に我が加護下に入っている。約束した以上、君たちに対して心を配るのは当然だと思わないかね?」

「では、何故閣下は表に出られないのだろうか? これまでは閣下が先頭に立って何事も行ってきたと聞いている。我々の犠牲を思うというのであれば、閣下が出れば損害はゼロになるのでは?」

 

 聞く者によっては不満を言っていると判断されかねない物言い。恐らく相手がデミウルゴス扮する“ヤルダバオト”であったなら、問答無用でヴィジャーを地獄の底へと突き落としていただろう。しかしヴィジャーは不満を言っている訳ではなく、あくまでも疑問に思っていることを口にしているだけだと分かっているため、ウルベルトは取り立てて何かしようとは思わなかった。

 

「犠牲は出るとも。逆に私が表に出た方が犠牲は出ると思うがね」

「それは……、どういう意味ですかな?」

 

 ヴィジャーだけでなくハリシャまでもがいつも浮かべている笑みを引っ込めて問いかけてくる。

 ウルベルトはひょいっと肩を竦めると、次には小さく頭を振ってみせた。

 

「おやおや、分からないのかね? 確かに君たちを降すまでは私は前面に立っていたがね。しかしそうなると敵側の損害は大きくなってしまうのだよ。今私に敵対しているモノの中にはお前たちの一族のモノも多くいる。私が出るよりも長たるお前たちが前に出た方が、双方とも損害が少なく済むのだよ」

「……確かに、閣下の言う通りですな」

「……ふむ……」

 

 ウルベルトの説明に、二体は納得したように大きく頷いてくる。

 聖王国の聖騎士たちに比べれば余程素直な態度に内心好感を持ちながら、ウルベルトは亜人たちの手によって制圧されたという拠点に向かうべく漸く足を動かし始めた。徐に歩き始めた漆黒の背に、ヴィジャーとハリシャも傅いていた体勢から立ち上がって後に続く。無言のまま大人しく付き従ってくる二体の気配を背中で感じながら、ウルベルトはこれまでのこととこれからのことについて思いを馳せた。

 小都市ロイツを取り戻そうと攻めてきた亜人の大軍を退け、再び各地に存在する捕虜収容所を各個撃破するべく行動を開始してからもうすぐ一か月。聖騎士団団長のレメディオスが率いる騎士団が制圧した拠点の数はまだ片手の指で足りるほどだったが、ウルベルトとオスカーがそれぞれ率いる悪魔・亜人・聖騎士・神官の二つの連合軍は倍以上の数を既に制圧していた。

 大きな拠点こそ未だ制圧してはいないものの、それでもヤルダバオト側と解放軍側との状勢は急激に解放軍側に大きく傾き始めている。しかし、そうであるにも拘らずヤルダバオト側がこれといった動きを見せていないことに、ウルベルトは不気味さを感じていた。カスポンドに扮しているドッペルゲンガーの報告によると、レメディオスやグスターボを含めた解放軍の上層部も気にはしているらしい。しかし、これといった予想や対策は出せていないようだった。ウルベルト自身も何度か意見を求められたが、それに関しては一切何も口に出してはいない。しかし内心では考えさえ出せない解放軍に呆れのため息を零していた。

 思考が止まっているのか、はたまた物を考える能力が低下しているのか……。

 彼らの知能レベルに疑問が浮かんできてしまう。ウルベルトとてデミウルゴスやアルベドたちほど頭が良いわけではないが、それでもあちら側の狙いについては幾つか見当がついていた。

 考えられるのは三つ。

 一つ目はこちらの防備を薄くするため。

 敵拠点を制圧するということは、それだけ護るべき場所の数や面積が増えることを意味している。使える人材が多くいれば問題はないが、正直に言ってそんな人材は非常に少なく、捕虜となっていた聖王国の人間たちに関しては全く使いものにならない状態だった。良くて肉壁として使うか、或いは唯の数合わせくらいにしか使い道はないだろう。唯一ウルベルトが続々と配下に加えている亜人たちが新たな戦力として数えられるものの、それも限度はある。そして防御が薄くなればそれが隙となり、相手側の最適なタイミングで突き破られる危険性があった。

 二つ目は、こちら側の疲労を狙っているというもの。

 人間は異形と違い、疲労を蓄積してしまうというデメリットがある。また、それは亜人たちも例外ではなく、動けば動くほど疲労は溜まっていってしまう。加えて解放軍の食糧事情も深刻な問題だった。捕虜収容所を制圧して捕虜となっていた聖王国の民たちを次々と解放している一方、悪魔・亜人連合軍の備蓄があるであろう大きな拠点は未だ小都市ロイツ以外は一つも制圧できていない。つまり、食い扶持は増えていく一方であるのに、それを養うだけの食糧を未だ満足に確保できていないのだ。人間も亜人も等しく飲食を必要とする種族だ。小都市ロイツに備蓄されていた食糧や攻めてきた悪魔・亜人連合軍が持ち込んできた食料を亜人たちに選別させて少しでも確保しようとはしているが、その殆どが生肉であることもあり、状況はあまりにも芳しくなかった。保存食にするために燻製にしようにもそれ専用の木材が必要であり、それがなければ肉は腐っていく一方だ。疲労と飢えは解放軍にとって大きな問題であると言えた。

 そして最後の三つ目は、聖王国には未だ南にも勢力があるということだった。

 ヤルダバオトはもしやこちらではなく、まずは南側の対処に回ったのではないか、と……。

 ナザリックの最終目的が聖王国の支配である以上、北だけでなく南にも対処するよう動くのは当たり前のことだ。そして解放軍に身を置いている以上、ウルベルトが南側にまで手を回すことは非常に難しい。ならばヤルダバオト側としては幾つもの捕虜収容所を囮にして一番厄介なウルベルトの動きを止め、その間に先に南側の攻略を進めた方が非常に効率的だと思われた。

 ウルベルトでさえ考え付いたのだ、デミウルゴスがこれらを考え付かないはずがない。

 しかし実際に様子を見に行かせた十傑のムゥアー・プラクシャーやヘクトワイゼス・ア・ラーガラーたちからは何の知らせも来ておらず、また北の連合軍側を探りに行かせた影の悪魔(シャドウデーモン)たちからも一切報告が来ていないことに、ウルベルトは嫌な予感を覚えて胸を騒めかせていた。

 

「閣下、こちらだ……」

 

 いつの間にか先導するように前に進み出ていたヴィジャーがウルベルトを促してくる。騒めく心を落ち着かせながら案内に従って歩を進めれば、数分も経たぬ内に一つの捕虜収容所が姿を現した。

 今回制圧したのは深い森の中に建てられた比較的小さなもので、連合軍に占拠される以前からあまり重要視されていなかったのだろう、壁や塀はひび割れが目立ち、防御力はさほど高くないように見受けられた。これであればヴィジャーたちが少ない損害で制圧できたのも頷ける。

 視線を巡らせれば解放された聖王国の民たちと、その治療にあたっている聖騎士や神官たち。そして彼らとは少し離れた場所にヴィジャーやハリシャの配下のモノたちや降伏した亜人たちが傅いて頭を下げており、ウルベルトは亜人たちの方へと歩み寄りながら内心では苦笑を浮かばせた。

 ここが人間とは違うところだな……とチラッと遠巻きにこちらを見ている人間たちを見やりながら改めて思う。

 亜人たちは何よりも力を重視する。力よりも地位や権力や金や種族などを重視するのは人間の悪いところだと、これまでの聖騎士たちのことを思い浮かべながら内心で何度も頷いた。勿論、人間の中にはネイアやオスカーといった者もいるため一概に言えることではないとは分かっているものの、それでも彼らの様な存在が少数派であることは疑いようのない事実だった。加えて、自分は人間よりもやはり人外の方が性に合っているのだな、と思い至る。自分にとっては人間たちよりも余程悪魔や亜人たちの方が好感を持てる。自身が悪魔と化した影響か、それともウルベルト本来の性質故かは今となっては不明だが、それでもそれはウルベルトにとっては決して苦にはならないものだった。

 

「……閣下、御言葉を」

 

 呑気に亜人たちを眺めていると、不意にヴィジャーから言葉をかけられる。

 ウルベルトは気を取り直すように一つ頷くと、未だ頭を下げている亜人たちへ言葉をかけるべく口を開こうとした。

 その時……――

 

 

『ウルベルト様』

「っ!!」

 

 不意に頭に響いてきた少女の声に、ウルベルトは驚愕と共に咄嗟に開きかけた口を閉ざした。

 聞き間違えようはずがない、頭に響いてきたのはエントマの声。

 突然の接触に、ウルベルトはヴィジャーたちに軽く片手を挙げながら頭の中の声へと意識を集中させた。

 

『エントマ、何かあったのか?』

『聖王国の南部軍の者だと名乗る人間たちが小都市ロイツに現れました』

『南部軍……!? ……分かった、すぐにそちらに戻ろう』

『はい、お待ちしております』

 

 頭の中に響いてきた言葉に、思わず金色の瞳を小さく見開かせる。続いて大きく顔を顰めさせると、挙げていた手を下ろしてこちらの様子を窺っている亜人たちへと目を向けた。

 

「諸君、私が新たな主であるウルベルト・アレイン・オードル災華皇だ。これからは私の命令に従ってもらう。以上だ」

 

 今までに比べれば非常に短く端的過ぎる言葉。

 何かあったのかとこちらを凝視してくるヴィジャーとハリシャに、ウルベルトはこちらも手短に言葉を発した。

 

「緊急事態だ、今すぐ小都市ロイツに戻るぞ。〈転移門(ゲート)〉」

 

 言葉を紡ぎ終えたとほぼ同時に発動する魔法。

 どこからともなく目前に現れた闇の扉に、解放された人間たちと投降した亜人たちが一様にどよめきの声を上げた。

 大きな驚愕と困惑と戸惑い。そして恐怖にも似た畏怖。

 それらの音を多分に含んだ声に、しかしウルベルトは一切振り向こうとはしなかった。ヴィジャーもハリシャも、そして聖騎士や神官たちもこれが初めてではないため勝手についてくるだろうと判断し、さっさと闇の中へと足を踏み入れる。一瞬闇に染まった後すぐに開けた視界に、ウルベルトは現れた景色の中へと躊躇することなく足を進めていった。

 〈転移門(ゲート)〉の先にあったのは小都市ロイツ。

 突然の悪魔の登場に道行く人々は最初こそ驚愕と恐怖の表情を浮かべたが、その悪魔がウルベルトだと気が付くと殆どの者が安堵や歓喜の笑みを浮かべてきた。絶え間なく響いている喧騒の中に新たな騒めきの音が加わる。未だ悪魔に対しての嫌悪や憎悪を含んだ視線や声はあるものの、それらの数は日を追うごとに確実に減ってきていた。今では好意的な視線や声の方が圧倒的割合を占めている。

 動きを止めて頭を下げてくる人々に思わず小さな苦笑を浮かべる中、不意にこちらに近づいてくる複数の小さな足音に気が付いてウルベルトはピクリと山羊の耳を反応させた。無意識に細長い耳を小刻みに揺らしながら、足音が聞こえてくる方へと視線を向ける。こちらに駆けてくる小さな影に、ウルベルトは山羊の顔に柔らかな微笑を浮かばせた。

 

「王さま~!」

「お帰りなさい、王さま!」

 

 満面の笑みと共に駆けてきたのは聖王国の子供たち。

 彼らはウルベルトを少しも怖がることなく、嬉々として細長い獣の足に纏わりついてきた。

 

「ああ、ただいま。今日も元気なようで何よりだね」

「うん、元気だよ! でも僕のお爺ちゃんは最近あまり体調が良くないみたい」

「お父さんとお母さんが言ってたんだけど、最近体調不良の人が増えてるんだって」

「きっとお腹が空いてるんだよ! 僕もお腹空いたな~。だっていつも配られる分だけじゃ足りないんだもん!」

「私のお父さんは傷がまた痛むようになったって言ってたけど……」

 

 子供たちはウルベルトにじゃれつきながら次々と自身の周りのことを話してくる。ウルベルトはその一つ一つに頷いてやりながら、獣の爪で傷つけてしまわないように気を付けながら子供たちの頭へと順に手を乗せた。

 

「それは心配だ。君のお爺さんと君のお父さんには、もし希望するなら治療をすると私が言っていたと伝えてくれるかね? 食料についてはもう少しどうにかならないかカスポンド殿に相談してみよう」

 

 子供たちの頭を一人一人撫でてやりながら柔らかな微笑みと共に声をかけていく。

 その何とも和やかながらも奇妙な光景に、しかし周りの大人たちは慣れたもので殆どの者が穏やかな笑みを浮かべるだけだった。ウルベルトの背後では聖騎士や神官たちに引きつられた人間たちや、ヴィジャーとハリシャに引きつられた亜人たちが次々と〈転移門(ゲート)〉から出てきており、ウルベルトと子供たちの様子を視界に入れては奇妙なものを見たとばかりに複雑そうな表情を浮かべている。

 漸く最後の一人が〈転移門(ゲート)〉から出た後、ウルベルトが声を発する前に再びこちらに歩み寄ってくる足音が複数聞こえてきた。いつの間にかできていた人だかりを裂くように、三つの人影がウルベルトの目の前へと進み出てくる。

 

「お帰りなさいませ、ウルベルト様」

「お帰りなさいませ、閣下」

「お帰りなさいませ、災華皇閣下!」

 

 言葉は殆ど同じでも、発した声音は全て違う。

 ウルベルトの前に進み出てきたのは、エントマとオスカーとネイアの三人だった。

 

「三人とも、出迎えご苦労」

 

 手短に三人に声をかけ、未だ傍にいる子供たちへと視線を戻す。ウルベルトは懐へと手を突っ込むと、そこにアイテムボックスを開いて中から一抱えほどの布の包みを取り出した。視線を合わせるように腰をかがめ、一番近くに立っていた子供に代表として布の包みを渡してやる。

 

「今日はこれをあげよう。独り占めはせずに、きちんと皆で別けるように。……聖騎士や神官たちには内緒だぞ」

 

 口元に人差し指をあてて片目を瞑れば、子供たちはぱあぁっと輝かんばかりの笑顔を浮かばせた。

 

「ありがとう、王さま!」

「うん、皆できちんと別けるね! ありがとう!」

 

 秘密だと言うウルベルトの言葉を忠実に守るように、包みを渡された子供は自身の服の中へとそれを隠して周りの子供たちと笑顔を交わし合う。子供たちは礼の言葉と笑顔と共に走り出すと、そのまま人混みの中へと消えていった。

 暫くその背を見送っていたウルベルトは、一度自身の背後に控えている亜人たちへと目を向けた。

 

「ヴィジャー、ハリシャ、ご苦労だった。お前たちは配下を連れて一足先に戻っていろ。何か面倒事に巻き込まれた場合は私の名を出したまえ」

「……はっ、畏まった」

 

 ウルベルトの言葉に、ヴィジャーとハリシャと亜人たちが一様に傅いて頭を下げる。

 聖王国の者にとって、彼ら亜人は憎悪の対象であり、脅威そのものだ。それが一様にウルベルトに対して恭しく傅く様に、この場にいる全ての人々は無言のまま静かにウルベルトと亜人たちを注視していた。彼らがその光景を見て何を感じ、どう思ったのかはそれこそ人それぞれだろう。しかしウルベルトと亜人たちのその姿が彼らに強い印象を与えたことは確かだった。

 亜人たちは傅いていた体勢からゆっくりと立ち上がると、もう一度だけウルベルトへと頭を下げる。そのままヴィジャーとハリシャを先頭に都市の奥へと去っていくのに、ウルベルトは暫くその大きな背を見送った後に次は聖騎士の一人へと目を移した。

 

「君たちもご苦労だった。私はこの三人と話しがあるから、君たちは解散したまえ。負傷者と解放した者たちに関しては治療を受けさせるように手配しておいてくれ」

「了解しました」

 

 ウルベルトの指示に、平坦な声音と礼が返ってくる。

 先ほどの亜人たちと同じようにゾロゾロと街の中へと消えていく聖騎士と神官と解放された人間たちに、ウルベルトは微かな息を吐き出してから漸くエントマたちを振り返った。

 

「待たせたね。エントマから南部軍の者たちが来たと知らせを受けたのだが……、まずはそれ以外で何か変わりはなかったかね?」

 

 三人に順に目を向けながら手短に問いかける。

 ネイアとオスカーは去っていく聖騎士たちの背を見つめていたために反応が遅れ、代わりにエントマが一歩ウルベルトの前へと進み出た。

 動かぬ口の奥、顎の辺りから発せられる可愛らしい少女の声。落ち着いた声音と口調で報告される内容は、ウルベルトにとってはどれも緊急性のない穏やかなものだった。

 レメディオス率いる聖騎士団やオスカー率いる連合軍が解放した捕虜収容所について。以前報告された時点から更に増えた人間と亜人それぞれの数。現在の小都市ロイツの設備整理の進み具合と新たに出ている問題と対策状況。聖王国の人間たちとウルベルトの支配下に入った亜人たちとの距離感などなど……。

 問題や課題はまだまだ多く、解放軍の上層部はそれこそ頭が痛い状況であろうことが察せられた。

 しかし、ウルベルトとしては大変だな~と思う程度だった。

 これらはあくまでも聖王国側が解決する問題であって、ウルベルトはあくまでも部外者であるためどこまでも他人事だ。つまりウルベルトには一切の義務も責任もないため、彼らがどんなに困窮しようとも知ったことではなく、気楽なものだった。

 とはいえ、勿論そういった感情を面に出すわけにはいかない。見た目には真剣に話を聞いて心を配っている素振りを見せながら、ウルベルトはエントマとネイアとオスカーを引き連れて街の奥へと歩を進めていった。

 ウルベルトが向かっているのは街の中心部。聖王国王兄カスポンドの住居兼解放軍の司令部となっている一つの建物だった。

 エントマが言ったように来訪者が本当に南部軍の者なのであれば、高確率で本部であるこの建物にいるはずだ。

 このタイミングで何故彼らがこの地に来たのか、その理由を知る必要があった。

 とはいえ、どういった形で接触すべきか……と少し思い悩む。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国の代表として接触するのは勿論だが、何事も最初が肝心だ。やはりここはカスポンドに紹介してもらう形で接触するのが一番無難だろう。であれば、まずはカスポンドに会った方が良いだろう、と思考を巡らす。

 ちょうど目の前に辿り着いた目的の建物を見上げると、ウルベルトは一度足を止めて後ろに付き従っているエントマたちを振り返った。

 

「報告をありがとう。私はこれからカスポンド殿に会いに行ってくる。他にも報告すべきことがあるなら、また後で聞こう。……バラハ嬢、共に来たまえ。オスカーは亜人たちの元へ問題が出ていないか見に行ってくれたまえ。エントマ、少し気がかりなことがある。隠密能力に長けた蟲を使役し、ロイツ周辺を警戒及び監視せよ。小さな異変であってもすぐに報告するように」

「「「畏まりました」」」

 

 ウルベルトの言葉に、エントマたちはすぐさま承知の言葉と共に頭を下げてくる。

 エントマとオスカーは頭を上げるとそのまま背を向けてそれぞれの方向へと去っていき、ウルベルトは一人残ったネイアへと目を向けた。

 

「では、行くとしようか」

「はい、閣下!」

 

 大きく頷いて返事をしてくる様は非常に嬉々としていて嬉しそうに見える。凶悪な顔ながらもそれくらいならば読み取ることができるウルベルトは、彼女の反応に内心で小さく首を傾げた。何がそんなにも嬉しいのだろう、と疑問が浮かんでくる。或いはこの後何か楽しみにしていることでもあるのだろうか……と頭の片隅で考えながら、しかしそのことについて問いかけることはせずにウルベルトは止めていた足を再び動かし始めた。

 建物内へと入り、すぐ近くの扉を守護している聖騎士に声をかけてカスポンドへの取次ぎを頼む。聖騎士はウルベルトの突然の来訪に心底驚いているようだったが、暫くこの場で待つように言い置いてからすぐに踵を返して扉の奥へと駆け込んでいった。

 そんなに慌てずとも良いのに……と内心で苦笑を浮かべながら、聖騎士の言葉に従ってその場で待つことにする。

 数分後、目の前の扉が開いて先ほどの聖騎士を後ろに引き連れたカスポンドが姿を現した。

 

「これは閣下。お待たせしてしまって申し訳ない」

「いや、構わないよ。こちらこそ、忙しいのにわざわざカスポンド殿直々に出迎えられるとは思ってもいなかった。貴殿の心遣いに感謝しよう」

 

 様子を窺っている聖騎士やネイアの視線に気が付きながら、ウルベルトとカスポンドは和やかに挨拶を交わす。招き入れられるがままに扉の奥へと足を踏み入れると、ウルベルトはカスポンドの導きに従って歩を進めていった。ウルベルトが何の目的でここに来たのか説明されずとも分かっているのだろう、先導する王兄の歩みには惑いがない。

 何回か階段を上った後、カスポンドは一つの扉を開けて中へとウルベルトを促した。ウルベルトは迷うことなく室内へと足を踏み入れ、ネイアもすぐにその後に続く。

 部屋の中にいたのは見知らぬ六人の男たちで、ウルベルトたちが入室したことに気が付いて一斉に視線を向けてきた。

 驚愕の表情と共にこちらを凝視する男たちの姿は、正に悲惨の一言に尽きるものだった。

 身体中泥と血であろう赤黒い汚れに濡れ、身に纏っている服や鎧はボロボロ。どの顔も非常に血色が悪く、疲労と絶望の色が濃く宿っている。

 彼らの姿や様子から、恐らく死に物狂いでここまで来たのだろう。男たちは貴重な食料や酒が乗ったテーブルを囲むように椅子に腰かけており、漆黒の異形が突然部屋に入ってきたことに驚愕と恐怖の表情を浮かべて素早く椅子から立ち上がった。本能か、それとも魂に異形への恐怖を刻み込まれてしまったのか……情けない悲鳴と共に我先にと部屋の壁や隅に逃げていく男たちに、最後に室内に入ってきたカスポンドが笑顔のまま男たちへと声をかけた。

 

「途中で席を外してしまい失礼した。紹介させて頂こう。こちらは先ほどお話した、我が聖王国を救うために来て下さった、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の統治者の一人であるウルベルト・アレイン・オードル災華皇閣下だ」

 

 “救う”という言葉と“魔導国の統治者”という言葉に反応したのだろう、男たちの顔から徐々に恐怖の色が抜けていき、代わりに困惑の色が前面に出てくる。しかし未だ微塵も動くことのない男たちに、カスポンドは小さな苦笑を浮かべながら次はウルベルトへと視線を向けてきた。

 

「閣下、こちらは南方に領地を持つ者たちです。向かって右からボディポ侯、コーエン伯、ドミンゲス伯、グラネロ伯、ランダルセ伯、サンツ子爵です」

 

 カスポンドが説明している間に何とか気を取り直したのか、男たちは未だ困惑と小さな恐怖の表情を浮かべながらも恐る恐る部屋の壁や隅から身を離させ始める。ウルベルトから五歩ほどの距離まで慎重に歩み寄ると、次にはジロジロと不躾な視線を向けてきた。どこか疑っているような、それでいて怯えをも多分に含んだその視線に、しかしウルベルトはそれを指摘する様な事はしなかった。

 ウルベルトとて、そんな小さなことを突っつくほど野暮でも意地悪でもない。いや、場が許すのであれば大いに指摘して揶揄ったかもしれないが、ウルベルトとて空気を読むくらいはできる。

 失礼極まりない男たちの視線を敢えて無視してやりながら、ウルベルトはにっこりとした笑みを浮かべて軽く会釈して見せた。

 

「これはこれは、お会いできて光栄だ。南方領域から来られたとは、さぞや長く厳しい道のりであったと見受けられる」

 

 ウルベルトの金色の瞳が、まるで観察するように男たちのボロボロの服や鎧に向けられる。

 その視線に男たちも気が付いたのだろう。自分たちの身に纏っている物とウルベルトが身に纏っている装備を目だけで素早く見やると、ある者は恥じ入るような色を浮かべ、ある者はどこか苛立たしいような色をそれぞれ自身の瞳に浮かべてきた。それは一瞬のことですぐに全員が取り繕うように隠したが、ウルベルトは彼らの変化を見逃さず、ほんの微かに仮面に隠れていない左目を細めさせた。

 今ウルベルトが装備しているのはいつもの神器級(ゴッズ)装備ではなかったが、それでもこの世界では目を瞠るほどの物であることは間違いない。例え彼らの身に纏っている物がボロボロな状態ではなく新品だったとしても、ウルベルトの装備に比べれば天と地以上の差があっただろう。

 今回ウルベルトが身に纏っている装備は、顔右半分を覆い隠す“知られざる眼”と、首にマフラーのように巻いて後ろに垂らしている“慈悲深き御手”以外は全て神器級(ゴッズ)には一歩劣る伝説級(レジェンド)で統一されていた。

 頭を飾る漆黒の華奢な王冠と、右耳に付けられた純銀のイヤーカフ。首に巻いた“慈悲深き御手”の下には薄灰色のローブを着ており、胸下から下は漆黒の翼がまるでコルセットからの腰布のように両側から包み込むように覆い隠していた。薄灰色のローブは裾の丈が肘辺りまでしかなく、最後の部分から一気に長く大きく広がっている。そのため肘から下は剥き出しになっており、山羊の毛に覆われた細い二の腕や人の形をした掌、左の薬指以外の全ての指に填められた様々な指輪、そして黄金色に輝く長い爪までもが晒されていた。

 一目で異形であり、魔術師であり、王であることが分かる姿。

 主装備ではないためユグドラシルでは身に着ける機会があまりなかったものの、ウルベルトの中では五本指に入るほどに気に入っている一式だった。

 ウルベルトは内心ではふふんっと得意げに鼻を鳴らすと、しかしそれを一切面には出さずに小さく首を傾げさせた。

 

「長旅でお疲れだろう。座っては如何かな?」

 

 自身も近くにあった一人用のソファーに腰かけながら、カスポンドや男たちにも座るように促してやる。カスポンドは心得たようにウルベルトの隣の椅子に腰かけ、男たちは先ほどまで自分たちが座っていた椅子やソファーにそれぞれゆっくりと腰かけ始めた。ネイアはウルベルトの後ろに控えるように立ち、そこで漸く場の空気が幾らか落ち着きを取り戻したようだった。

 とはいえ、ウルベルトと初対面である南方貴族の男たちはまだ警戒を緩めていない様子である。

 警戒の原因であるウルベルトが声をかけるわけにもいかず、代わりにカスポンドが男たちへと目を向けた。

 

「それで、先ほどまで話していた内容に戻ろうと思うのだが……、悪魔と亜人の連合軍に南方が敗れたというのは本当なのか?」

 

 男たちへと向ける顔には既に先ほどまでの笑みはなく、カスポンドは真剣な声音で問いかける。

 男たちは薄汚れている顔を蒼白にすると、互いにチラチラと目を見交わしながらも一様に頷きを返してきた。

 

「その通りです、王兄殿下。我々は長い間、亜人たちからの侵攻を食い止め、持ち堪えていたのですが……」

「王兄殿下、奴らは強すぎます! 亜人だけならば何とかなっていたかと思いますが、あの悪魔たちの強さは異常です!」

「我々は何とか難を逃れることが出来ましたが、恐らく他の者たちは既に殺されているか……、最悪囚われてしまっているでしょう……」

 

 彼らの口振りから、どれだけ必死にここまで逃げてきたのかが窺える。恐らく今回亜人だけではなく悪魔たちも加勢して一気に南方に侵攻してきたのだろう。亜人は兎も角、悪魔たちの強さは下位のモノでもこの世界では脅威の分類に入る。彼らの言う通り、彼ら以外で無事な者はいないだろう。

 そもそも、彼らが無事にここに辿り着けたこと自体が信じられないことなのだ。亜人たちならばまだしも、悪魔たちがみすみす彼らを逃すとは考えられない。

 ならば考えられる理由は、ウルベルトは一つしか思い浮かばなかった……――

 

 

 

 

 

『ウルベルト様、小都市周辺と上空から突如複数の気配を感知いたしました。恐らく囲まれt……――』

 

 ゴォォッ!!

 

「「「っ!!?」」」

 

 

 突然入ったエントマからの〈伝言(メッセージ)〉と、それを遮るように突如響き渡った空気が焦げる音。

 この場にいるウルベルト以外の全員が驚愕の表情と共に息を呑み、反射的にこの部屋に備え付けられている窓を振り返った。

 窓から見えたのは遥か上空へと燃えて立ち上る巨大な炎の壁と、赤々とした色と光に染まった街並み。炎の隙間から小さく覗く空には無数の影が浮かんでおり、ウルベルトは一人静かに金色の目を細めさせた。

 

(一手一手が的確で素早いな。流石は俺のデミウルゴスだ、これは相手が俺じゃなくてぷにっと萌えさんでもきつかったんじゃないか?)

 

 周りが恐慌状態に陥る中、ウルベルトだけが一人呑気にそんなことを思う。

 赤々と染まっている景色を見つめながらウルベルトは内心でニンマリとした笑みを浮かばせた。次に訪れるであろう展開に、顔にまで笑みが浮かんできてしまいそうで仕方がない。

 しかしそれをグッと堪えると、ウルベルトは心置きなく遊べる(・・・)ように、準備をするべく立ち上がった。

 

 




長くなるので、一度ここで切ります!
次回は私の苦手な戦闘回……。
少しでも迫力のある文章になるよう頑張ります!

そして、今回の災華皇閣下の御姿に関して、うまく文章で描写することができず、やむなくイメージイラストを出すことにしました!
イラストに頼るなんて……って感じですが、全ては私の文章力のなさが原因です……orz
文章力が欲しい!!
お目汚しかと思いますが、少しでもご参考にして頂ければと思います。
イメージを壊したくない方はスルーして下さいませ(深々)






災華皇閣下:

【挿絵表示】


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第19話 造られる舞台

次は戦闘回と言ったな、あれは嘘だ(キリッ)
すみません、ごめんなさい、申し訳ありません、石を投げないで下さい……(土下座)
おかしい……。
予想以上に、戦闘に入る前段階が長くなってしまった(汗)
戦闘を期待していた方、本当に本当に申し訳ありません………。


「……な、なんだ…、これは……っ!!」

「一体どうなっている!? あれは一体何なんだ!!」

「王兄殿下、逃げましょう! ここは危険ですっ!!」

 

 突然起こった異変に、一気に周りが騒がしくなる。まるで蜂の巣を突いたような騒ぎようにウルベルトは内心で大きなため息をついていた。まったくもって騒がしいことだ、と心底呆れる。

 どうしたものかと白けた目で目の前の光景を眺める中、不意に扉が乱暴にノックされて、返事を持たずに外側から勢いよく開かれた。

 扉から姿を現したのは一人の聖騎士で、肩で大きく息をしながら荒々しく礼を取った。

 

「失礼いたします! 殿下、悪魔たちの襲撃です! 炎の壁と悪魔の軍勢により既に小都市ロイツは完全に包囲されています!!」

「「「っ!!?」」」

 

 絶望感が漂う声音での報告に、右往左往しながら騒いでいた男たちが同時に動きを止めて大きく息を呑む。見開かれた目に驚愕と恐怖の色を宿しながら、男たちは聖騎士と王兄へと忙しなく目を動かした。

 

「お、王兄殿下、これは一体どういうことなのですか!? あなた方は悪魔と亜人たちを退けていたのではないのですか!!」

 

 一番近くに立っていたコーエン伯がカスポンドへと声を荒げる。恐怖のせいで相手が誰か忘れてしまったのか、彼の瞳には見るからに激しい怒りが宿っていた。誰がどう考えても一介の伯爵が王の兄に向けてもいい視線や態度ではない。

 

「まさか、こんなに早く……。私たちを追ってきたのか!?」

「そんなことは今はどうでも良い! 何とかここから逃げなければ!!」

「おい、あのレメディオス・カストディオもここにいるのだろう!? 一体何をやっているんだ!!」

 

 しかし他の男たちは自分のことで手一杯なようで、コーエン伯の狼藉を咎めるような者は誰一人としていなかった。これでよく今まで亜人たちの侵攻を食い止めることが出来ていたものだ、と逆に感心してしまえるほどの狼狽ぶりである。

 一体これはどうしたものかと眺める中、不意に今まで黙って事の成り行きを見守っていたカスポンドが漸く動き始めた。まずは報告に来た聖騎士へと目を向ける。

 

「報告ご苦労だった。すぐに聖騎士と神官たちに招集をかけてくれ。場所は最上階の会議室だ。カストディオ団長は……確か、ちょうど昨日戻ってきていたのだったな」

「はっ」

「では、念のためモンタニェス副団長もつれて、すぐに彼女を呼んできてくれ」

「はっ、畏まりました!」

 

 カスポンドの指示に、聖騎士がキビキビとした動作で礼を取り、すぐに踵を返して部屋を出ていく。彼らの一連のやり取りを見て少なからず冷静になったのだろう、今まで無様なまでに取り乱していた男たちも漸く落ち着きを取り戻したようだった。

 気まずそうに互いを見やる男たちを横目に、ウルベルトはウルベルトで未だ繋がっている〈伝言(メッセージ)〉でエントマへと命を下した。

 

『……エントマ、都市周辺に配置している蟲たちはそのまま待機させろ。継続して悪魔たちの動きを監視させ、些細なことでも報告するように。オスカーとヴィジャーとハリシャとナスレネに〈伝言(メッセージ)〉を繋ぎ、部下全員を引き連れて司令部の下に待避するように伝えたまえ。その後、私の元まで来い』

『はい、畏まりました。すぐに御身の御傍に』

 

 どこまでも冷静で柔らかな声に、ウルベルトは湧き上がってきた満足感そのままに小さく頷く。頭の中で〈伝言(メッセージ)〉が切れるのを感じ取ると、続いて傍らに控えるように立っているネイアへと目を向けた。

 

「バラハ嬢、君は自身の部隊の元に戻りたまえ。恐らく街は混乱しているだろう。人々を落ち着かせ、いつでも動けるように部隊を編成しておいた方が良い」

 

 ネイアは既に一つの部隊を任されている。部隊の長である以上、すぐに部下たちをまとめに行った方が良いだろう。

 ウルベルトとしてはひどく当然のこととして言ったはずのその言葉は、しかしそれはネイア本人によってバッサリと断られた。

 

「いいえ、閣下。お気持ちは有り難いのですが、悪魔や亜人たちが襲撃してきた際の行動は既に部下たちに何度も言い含めていますので心配には及びません!」

「……えっ、いや、しかし……」

「それに私は一部隊の隊長である前に閣下の従者ですから、閣下と共に参ります!」

 

 決意に満ちた瞳で見上げられ、その圧力に思わず言葉に窮する。本当にそれでいいのか? と思わないでもなかったが、しかし取り敢えずは彼女の言葉を信じて頷くことにした。どうせヤルダバオトが姿を現せば別行動になるのだ、少しの間くらい一緒にいてもそう変わることはないだろう。内心で勝手に結論付けると、ウルベルトはカスポンドへと目を向けた。

 丁度こちらを見ていたのか、青い目と目が合う。

 一つ瞬きをして部屋の外へと促すカスポンドに、ウルベルトはそれに従って足を動かし始めた。カスポンドの元へと歩み寄り、彼の前を通り過ぎて扉へと向かう。

 扉の外では何人かの聖騎士が控えており、部屋から出てきたウルベルトへと近づくと、最上階へ続く階段へと促してきた。足早に案内する聖騎士の後に続き、階段を上って目的の部屋に入る。中には既にレメディオスやグスターボや何人かの聖騎士、神官たちが集まっており、部屋に入ってきたウルベルトやカスポンドたちに血走った目を向けてきた。

 

「遅れてすまない。全員揃っているか?」

「……いいえ、殿下。神官の方々はまだ集結中です」

「そうか……。しかし彼らを待っている時間はないな。状況を報告してくれ」

 

 彼らの元へと歩み寄りながらカスポンドがグスターボへ目を向ける。

 ウルベルトや後に続いて部屋に入ってきた南方貴族の男たちも視線を向ける中、グスターボは厳しい表情を浮かべながら手短に状況を説明し始めた。

 彼の話によると、解放軍が悪魔の軍勢に気が付いたのは数分前。見張りの者全員が接近に気が付かなかったことから、悪魔たちは地上を歩いて侵攻してきたのではなく、転移などの方法で瞬時に現れたのではないかと推測された。見張りの者たちが悪魔の軍勢に気が付いたのとほぼ同時に突然現れた炎の壁。頭上高く燃え上がるその壁によって視界が遮られ、どのくらいの悪魔が現れたのかも未だ分かっていないようだった。

 

「軍勢の規模だけでなく、ヤルダバオトがいるかどうかも未だ分かっておりません。しかし“蒼の薔薇”の方々の話によると、王国ではヤルダバオトがこの炎の壁を出現させたとのことです。奴がここに来ている確率は非常に高いと思われます」

「ふむ、そうか……。この炎の壁について他に何か情報はないか?」

「……普通に通り抜けることができるとは聞いておりますが、どのような効果があるのかなどは分かっておりません……」

「第一、普通に通り抜けられるのだとしても外に悪魔の軍勢がいるのでは意味がないではないか! むざむざ殺されに行くようなものだ!」

「本当に包囲されてしまったのか!? 抜け道などはないのか!!」

 

 カスポンドとグスターボの会話に、南方貴族の男たちの怒鳴り声が割って入ってくる。

 ギャーギャーと騒ぎ立てる男たちに場が騒然となり、敵は目の前にいるというのに話し合いは混迷を極めていた。これでは迎え撃つにしろ逃げるにしろ、作戦の一つも出すことができない。

 目の前のどうしようもない光景に、もし仮に魔導国で同じような事態に陥ったとしてもこうはならないようにしよう……とウルベルトは内心で場違いなことを決意した。

 ナザリックのメンバーだけであればこんな状態にはならないだろうとは思うけれど、今後外の世界の者たちを徐々にでも国政に携わらせていくのなら確率はゼロではなくなる。

 どうしたものか……と一人呑気に今後の魔導国の運営方法について思考を巡らせる中、不意に微かな音が聞こえることに気が付いて、ウルベルトはピクッと山羊の細長い耳を反応させた。人間よりも鋭い聴覚が一つの微かな音を捉え、無意識に音のする方向へと耳を傾けるように動かす。

 ミシ…ミシ…と何かが軋み悲鳴を上げているような異音。

 咄嗟にそちらへと視線を走らせれば、視線の先にあったのは一つの壁。

 人間の目には未だ何の変哲もないように見えるそれに、しかし悪魔であるウルベルトの視界にははっきりと異変が映り込んでいた。

 少しだけ内側――部屋の中側に膨らむように歪んでいる表面。まるで紋様のように細かく走り始めている小さな傷のような皹。

 それらを視界に捉えた瞬間、ウルベルトは反射的にネイアを背中に庇うように立つと、視線の先にある壁へと手を突き出した。

 

『ウルベルト様、てk……――』

「退け! 〈万雷の撃滅(コール・グレーター・サンダー)〉!!」

 

 頭の中に一瞬響いた声に重なるようにして、ウルベルトの詠唱が高らかに響き渡る。

 巨大な雷がどこからともなく現れ、世界を引き裂くような轟音と眩い光と共にウルベルトの手を離れて壁へと突進した。ウルベルトの声に反応して反射的に退いた聖騎士たちの間を潜り抜け、雷は勢いよく壁へと激突する。大きな振動と共に壁は勢いよく吹き飛び、人が二人並んでも通れるほどの大きな風穴が空いた。瓦礫の殆どは外へと吹き飛んだものの、幾つかは中に四散して部屋の様相を一変させる。

 ぽっかりと覗いた外の景色に、誰もが呆然とそれを見つめた。

 そこに、ゆらりと一つの影がどこからともなく姿を現した。

 ヒシヒシと感じられる強大な存在感に、誰もがゴクッと生唾を呑み込んで全身を強張らせる。

 一見、人間の成人男性のように見える姿。

 顔を道化のような表情の青い仮面で覆い、手足の長いスラリとした身体に朱色の見慣れぬ衣装を纏っている。背後から覗く鋭利で平たく薄い触手の様な翼とゆらりと揺らめく長い銀色の尾だけが、その存在を人外であると知らしめていた。

 

「――……これはこれは、まさか突然このような歓迎を受けるとは思いませんでした」

 

 慇懃でいて優雅な物言いながら室内へとゆっくりと足を踏み入れてくる。徐々に距離が縮まるにつれてヒシヒシと感じられる威圧感に、この場にいる誰もが噴き出す冷や汗で全身を濡らした。

 そこにいるだけで分かる、圧倒的な存在感と強大な力。

 目の前の存在こそがヤルダバオト……。

 悪魔と亜人をまとめ上げ、世界を絶望に染める魔皇ヤルダバオトなのだ……――

 

「これは失礼した。私としたことが、ノックもなしに部屋に入ろうとしたのではないかと早合点してしまったようだ。私としては唯の警告だったのだがねぇ」

 

 この場にいる誰もがヤルダバオトの威圧感に呑まれる中、ウルベルトだけが一歩前に進み出てヤルダバオトと対峙する。

 瞬間、まるで呪縛が解けたかのように多くの者が忙しなく呼吸を繰り返す音が部屋中に響き渡った。

 しかしウルベルトは一切背後を振り返ることなく、真っ直ぐに目の前の悪魔を見つめていた。

 内心、何故デミウルゴス本人が来たのだろう……と小首を傾げる。聖王国の者たちには既にヤルダバオトの本性として憤怒の魔将(イビルロード・ラース)の姿を見せているため、てっきり今回は初めから憤怒の魔将(イビルロード・ラース)を出してくると思っていたのだ。

 しかし、出てきたのはデミウルゴス本人。

 こちらの動きを警戒してか、それとも何か狙いがあるのか……。

 じっとデミウルゴスの様子を観察し、思考をこねくり回す。

 しかし、ふと視界の中にゆらゆらと小さく揺れている銀色の尾が映り込んできて、ウルベルトはすぐに思い違いだと判断した。

 何のことはない、恐らくデミウルゴス自身も大いに楽しんで少し羽目を外してしまっただけなのだろう。

 聖王国の者たちは全く気が付いていないようだが、今もなおウルベルトの視線の先ではデミウルゴスの尾の先がウキウキとした様子で小さく跳ねるように動いている。

 もしかすれば、コキュートスのように自分と手合わせをしたいとでも思ったのかもしれない。

 まるで息子に遊ぼうとせがまれているようで、ウルベルトは緩みそうになる表情筋を必死に引き締めさせた。今は聖王国の者たちがいるのだから、と自身に言い聞かせ、何とか心を落ち着かせる。

 ウルベルトとしてはデミウルゴスと遊ぶ(・・)こと自体は大歓迎ではあるのだが、しかしこのままドンパチを始めるのは流石にマズすぎるのも理解していた。

 ここにはまだ多くの聖王国の人間たちや、支配下に置いた亜人たちがいる。このまま戦闘を始めてしまっては、この場にいる者たちの漏れなく全員が命を落としてしまうことだろう。今後のためにもそれだけは何とかして阻止しなければならない。

 さて、どうしようか……と思考を巡らせる中、まるでウルベルトの思考を読んだかのようにデミウルゴスが声をかけてきた。

 

「そうでしたか、では不運な行き違いと思っておきましょう。……それよりも、挨拶がまだでしたね。初めまして、あなたが災華皇(さいかこう)ウルベルト・アレイン・オードル………殿、ですね?」

「その通りだ。会えて嬉しく思うよ、魔皇ヤルダバオト」

 

 まるで親しい友人を歓迎するように、軽く両腕を広げながら柔らかな声音で語り掛ける。背後から驚愕や不安や疑念の視線を向けられるのを感じながら、しかしウルベルトは今のこの態度を止めようとはしなかった。

 “災華皇ウルベルト・アレイン・オードル”というキャラクターは、例え相手が敵であろうとも礼節を弁え、常に一定の親しみを込めて対応するような人物であると設定にしている。聖王国でもこの設定をなるべく崩さないように行動してきたはずだ。どんなに怪しまれようと、今この設定を崩せば逆に後で大きく怪しまれる。

 ウルベルトはなるべく自信満々に見えるように背筋を伸ばして胸を張ると、一度心の中で気合を入れた。

 

「……それで…、私がここにいるのを知っていて乗り込んできたということは、私と勝負をしにきたということでいいのかな?」

「ええ、その通りです。聖王国がここまで生き永らえることができたのは偏にあなたが原因。……今後のためにも手を打たせて頂きます」

「なるほど……」

 

 一度言葉を切り、動かぬままに互いに睨み合う。

 だんだんと空気が張り詰めていく中、不意に外から大きな破壊音が響いてきて反射的にそちらへと視線を走らせた。

 今いる場所から少し離れたところに建っている塔が土煙を上げながらボロボロと崩れて倒れて行っているのが目に飛び込んでくる。

 地面へと落ちる多くの瓦礫や煙に、不意にその中から姿を現した複数の人影。何枚もの符を駆使して戦いながら逃げるエントマと、ヤルダバオトと同じ仮面をつけた三人のメイドが各々の得物を手にその後を追いかけていた。

 彼女たちの姿を目で追いながら、ふと先ほどエントマから一瞬〈伝言(メッセージ)〉が来ていたことを思い出した。自身の魔法詠唱と被ったことに加えてすぐに切れてしまったため〈伝言(メッセージ)〉の内容は分からなかったが、もしかしたら敵側のメイドたちの襲撃を知らせようとしていたのかもしれない。今もなお〈伝言(メッセージ)〉を再度送ってこないのは、単純にその余裕がないのか、或いはアイテムか何かで阻害されたかのどちらかだろう。

 ウルベルトはエントマたちから視線を外して目の前のデミウルゴスへと戻すと、次には小さく金色の目を細めさせた。

 

「……では、早速勝負と行こうじゃないか。とはいえ、外野がうるさくては気が散ってしまうだろう? それに、弱い者たちがいくらいたとて意味はない、強者同士の勝負でこそ雌雄は決する。如何かな?」

「ええ、同意見ですね。時として、大量の生贄よりも一つの強者の死の方が、残された者たちの絶望は大きくなる。……あなたが死ねば、聖王国の者たちの心の柱は一気にへし折られることでしょうからね」

 

 暗に、ウルベルトの敗北こそが聖王国の敗北だと言われ、この場にいるウルベルト以外の全員が身体を強張らせて息を呑む。

 カスポンドもグスターボも聖騎士も神官も、ウルベルトの存在が聖王国の中で非常に大きくなり、多くの者の心の支えになっていることを知っていた。“ヤルダバオト”の言う通り、もしウルベルトが敗北し死んでしまえば、聖王国の殆どの者が絶望することになるだろう。それはヤルダバオトに勝つための手段がなくなると言う理性的な考えからくるものだけではない。言うなれば親を亡くした子供が持つような、絶対的な信頼と加護がなくなるという感情からくる心情的な絶望だった。

 しかし、その考えに思い至らない――ただ単に信じたくないだけかもしれないが――者が一人だけいた。

 

「そんなはずはない! 我々には聖王女様がいらっしゃる! そして彼女が唱えた正義が存在する! それらがある限り、聖王国は決して折れることはない!!」

 

 声を上げたのは聖騎士団団長である女。

 デミウルゴスは仮面に覆われている顔を女へと向けると、次にはやれやれとばかりに緩く頭を振ってきた。

 

「……全く現状が分かっていない者もいるようですが……。まぁ、それは良いでしょう。我々が成すべきことは変わりません。私はメイドたちと共に都市の中心部にある噴水の広場で待っております。都市の外にいる悪魔たちには手出しせぬよう、待機しているように命じておきましょう」

「そんなこと、信じられるわけがない! 悪魔の言葉など、信じると思うのか!?」

「信じる信じないはあなた方の勝手ですがね。ですが、私は偽りを口にしたつもりはありませんよ。誓っても構いません。……尤も、私が誓う存在はあなた方の信じる神々ではありませんがね」

「分かった、お前の言葉を信じよう。では私も準備が整い次第、すぐにそちらに向かおう」

 

 まだ何か言おうとしているレメディオスを遮り、ウルベルトは一つ頷いて了承の言葉を発する。

 デミウルゴスは一度ゆらりと尾を揺らめかると、こちらに背を向けて翼を大きく広げた。翼が羽ばたく度に激しい突風がウルベルトたちを襲い、ウルベルト以外のこの場にいる全員が悲鳴やら呻き声のような声を上げる。風が止んだ頃には既にこの場にデミウルゴスの姿はなく、ウルベルトは小さく息をつくと背後にいる聖王国の者たちを振り返った。

 

「それでは、行ってくる。君たちは部下や民たちを連れてこの都市から避難したまえ」

 

 デミウルゴスの登場ですっかり顔面蒼白となった面々を見やり、早く街から避難するよう声をかける。

 もしウルベルトかデミウルゴスどちらか一方でも本気を出せば、都市一つ消し飛ばすことなど非常に容易い。恐らく本気を出すことなどないとは思うが、それでも相応の被害は出ることだろう。街が半壊で終わればまだ良い方だ。全壊もあり得る激戦の中で、聖王国の人間たちが生き残れる可能性など数パーセントにも満たないだろうと思われた。

 だからこそ早急の避難を呼びかけているのだが、しかし当たり前のようにそれに異議を唱える者が存在した。

 それも、今回は二人も……。

 

「いいえ、私もお供します、災華皇閣下」

「私も行くぞ。今度こそあいつの首を斬り飛ばしてやる!」

 

 声を上げたのは従者の少女と、聖騎士団団長の女。

 ウルベルトはうんざりとした感情が顔に出ないように咄嗟に取り繕いながら、ネイアとレメディオスへと金色の瞳を向けた。

 一方は恐ろしい双眸にどこか妄信的な光を宿しており、もう一方はキリッとした双眸に狂気的な怒りと憎しみの光を宿している。

 どちらも覚悟を決めたものではあったが、それでもウルベルトの口にする言葉は決まっていた。

 

「いや、君たちも避難したまえ。ヤルダバオトは強者同士の戦いを望んでいる。はっきり言わせてもらうが、お前たちでは足手まといだ」

「何だとっ!!」

「カストディオ団長! 元々ヤルダバオトについては災華皇閣下に任せるという話だっただろう。君は君の役目を果たしたまえ。至急、街の人々を避難させるんだ!」

「……チッ……」

 

 カスポンドが鋭い声を発してレメディオスを止め、そのまま命を言い渡す。

 レメディオスは鋭い舌打ち零してカスポンドに鋭い双眸を向けながらも、それ以上反論の言葉を出すことはしなかった。グスターボや他の聖騎士たちを引き連れ、荒い足取りで部屋を出ていく。

 一方ネイアの方も全く納得してはいない表情を浮かべてはいたが、しかしウルベルトの“足手まとい”という言葉に否定の言葉を口に出すこともしなかった。いや、逆にそのことに関しては納得しているような表情すら浮かべている。恐らくネイア自身は自分が強者でないことを自覚しているのだろう。

 ウルベルトはネイアのこういった部分には好感を持っていた。

 勿論、彼女が弱者であるからと見下しているのではない。ネイアがウルベルトやデミウルゴスよりも弱いのは事実であり、自身が強者だと過信しているよりも余程事実を的確に捉えられていると言えた。

 では、事実を的確に捉えているはずの彼女が何故自分についていきたいなどと言ってくるのか……。

 それがウルベルトにはさっぱり分からなかった。

 ネイアがついてきたとしても、できることなど何もない。足手まといにしかならず、ただ無駄に命を落とすことは目に見えていた。

 確かに彼女はウルベルトのことをそれなりに慕ってくれてはいるようだが、しかし彼女の立場は決してナザリックのモノたちとは違うのだ。今は従者を務めてくれているとはいえ、本来ウルベルトは彼女の主ではないし、彼女自身もウルベルトのシモベではない。ナザリックのモノたちのように、ウルベルトに命をかけて付き従う必要も、それだけの忠誠心もないはずだ。

 内心で大きく首を捻るウルベルトに、ネイアは強くこちらを見上げたまま口を開いてきた。

 

「閣下、どうか私も一緒にお連れ下さい。恐れながら、閣下はこれまで多くの場面でお力を貸して下さり、そのせいで多くの魔力を消耗されました。それに、ヤルダバオトは先ほどメイド悪魔たちと一緒に待っているとも言っていました。お一人で行かれるのはあまりにも危険です!」

「それは少し違うな、バラハ嬢。確かに私の魔力は未だ完全に回復してはいないし、決して万全とは言えないだろう。しかし一人で行くわけではない。私も奴と同じくエントマは連れて行くつもりだ」

「しかし、それでも人数的には不利であることは変わりありません! それに団長の言った通り、ヤルダバオトが約束を守る保証はないではありませんか!」

「それについては心配は無用だよ。ヤルダバオトは誓うとまで言ったのだからね。人間はどうか知らないが、少なくとも悪魔にとっては、何かに誓うということは契約のような意味合いを持つ。契約以外の行動がとれるのは、相手側が承知するか、或いは相手側が契約違反をした場合のみだ。それに……」

 

 一度そこで言葉を切ると、ウルベルトは安心させるように山羊の顔に意識して柔らかな微笑みを浮かばせた。目の前の金色の頭に手を乗せ、鋭い爪で傷つけないように優しく撫でてやる。

 

「それにこれはチャンスでもある。ここでヤルダバオトを倒すことが出来れば、彼に従うメイドや悪魔たちを私の支配下に置くこともできるだろう。そうすれば、これ以上傷つく者もいなくなる」

 

 まるで諭すように、言葉を選びながら言い聞かせる。

 ネイアは暫く何事かを考え込むように黙り込んでいたが、次には再び強い光を宿した双眸でこちらを見上げてきた。

 

「……分かりました。しかし、失礼を承知で一つだけ言わせて下さい。危険だと思われたらすぐに逃げて下さい!」

 

 ネイアの決意に満ちた声音で発せられた言葉に、ウルベルトは思わず笑いが込み上げてきてしまった。まさかここまで悪魔である自分のことを心配してくれていたとは……とある意味感心すらしてしまう。

 とはいえ、多くのものが見えていないのも事実。

 良く言えば愚直、悪く言えば視野が狭い。

 それは未だ幼い故か、それとも信じるものに対して盲目的になりやすいという聖王国民の特性故か。

 どちらにしろウルベルトの答えは変わらず、ネイアの頭を撫でていた手を離して山羊の頭を緩く横に振った。

 

「それはできない相談だな。例え危機的状況に陥ろうと、私は逃げることなどできない」

「何故ですかっ!!」

「簡単なことだ。それは、私が災華皇として(・・・・・・)君たちを助けに来たからだよ」

 

 ネイアだけでなく、未だこの場に残っているカスポンドや幾人かの神官たちも一様に疑問の表情を浮かべてこちらを見つめてくる。

 ウルベルトは小さく金色の右目を細めさせると、少しでも威厳があるように見えるようにスッと背筋を伸ばして胸を張った。

 

「私は君たちを救うためにここに来た。もし私が逃げようものなら、ヤルダバオトは容赦なく君たちを殺すだろう。それに、私はウルベルト・アレイン・オードル災華皇としてこの場に来た。それはつまり、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の名を背負ってこの場にいるということだ。私が逃げれば、国の名をも貶めることになる。国を背負う王の一人として、それは決してしてはならない事なのだよ」

「しかし、王の御命は一介の民たちよりも余程大切なものです! それに、王の危機と安全に比べれば、後で誰にどう思われようと些細なことではありませんか!」

「ふふっ、君の気持ちは嬉しいが、そう言う訳にもいかないのだよ。王が交わした国同士の約束が大切だと言うことも勿論あるが、何より、臣民を守るのが王の務めだ」

「っ!!」

 

 ウルベルトの言葉に、ネイアはハッとしたように目を見開かせ、次にはどこか悔しそうに顔を歪ませた。同時に周りから複数の吐息のような音が聞こえてきて、ウルベルトはチラッとそちらへと目を向けた。避難することを忘れてしまったかのように呆けた表情を浮かべてこちらを見つめているカスポンドや神官たちの姿が視界に映り、思わずため息が零れ出そうになる。しかしそこは寸でのところで呑み込むと、努めて穏やかに避難を促すことにした。

 

「しかし、そんな事よりもまずは私の力を信じてほしいねぇ。私を誰だと思っている? 私は最強の魔法詠唱者(マジックキャスター)、ウルベルト・アレイン・オードル災華皇だぞ」

「そ、それは、勿論信じてはおりますが…!」

「では、私の言葉に従って避難してくれ。それから君たちも早く避難したまえ。ヤルダバオトがいつまで待ってくれるかは分からないのだからね」

「分かりました。すぐに我々も避難するぞ!」

「……閣下。……分かりました、私は閣下を信じます。どうかご武運を……!」

 

 カスポンドと神官たちが避難を始め、ネイアも漸く動き始める。

 未だ名残惜しそうな表情を浮かべるネイアに微笑みを返すと、ウルベルトは踵を返して壁に空いている穴へと歩を進めた。自身に〈飛行(フライ)〉の魔法をかけ、そのまま穴を潜って外に出る。

 足下に目を向ければ地上に見慣れた集団を見つけ、デミウルゴスの元へ行く前にそちらへと向かった。

 

 

「――……閣下っ!」

 

 ウルベルトが舞い降りてきたことに気が付いて声を上げてきたのはオスカー。彼の横では一先ず逃げ切ったのであろうエントマが礼を取っており、その後ろにはヴィジャーとハリシャとナスレネ、そして彼らの一族の者たちが一様に傅いて頭を下げている。

 ウルベルトはザッと彼らに視線を走らせると、全員が集まっていることを確認して漸く口を開いた。

 

「これから私はヤルダバオトと勝負をつけに行ってくる。エントマ、共に来い。オスカー、聖騎士や神官たちと協力して人々を避難させろ。ヴィジャー、ハリシャ、ナスレネ、一族の者たちを連れて都市の外の森に身を隠せ。エントマの配下の蟲たちがお前たちを守護する」

「「「はっ」」」

 

 矢継ぎ早に発せられる命に、各々が承知の言葉と共に再び頭を下げる。

 ウルベルトは一つ頷くと、エントマに〈飛行(フライ)〉の魔法をかけてクルッと彼らに背を向けた。デミウルゴスたちの待つ噴水広場へ向かおうと頭上へと舞い上がろうとする。

 しかし、その前に引き止めるように名を呼ばれて咄嗟に空中で停止した。

 振り返ってみれば、ヴィジャーが獣の顔を厳めしく顰めさせながらじっとこちらを見上げていた。

 

「……災華皇閣下…、本当にヤルダバオトに勝てるのか……?」

 

 ヴィジャーの言葉に、周りにいた他の亜人たちも動きを止めてこちらを振り返ってくる。向けられた顔はどれもが不安の色を浮かべており、如実に彼らの心境を表していた。

 彼らにとっても、ウルベルトの敗北は自分たちの死を意味する。もはや後戻りできないと分かってはいても、やはり不安を拭うことはできないのだろう。根っからの戦士気質であるヴィジャーが問うてきたことには少し違和感を覚えたが、もしかすればこの場にいるモノたちの心境を代弁しただけなのかもしれない。

 どちらにしても不安を抱かせたままではこれからの行動に支障が出るとも限らないため、ウルベルトは少しでも不安を和らがせようと努めて柔らかな微笑みを山羊の顔に浮かばせた。

 

「心配せずに、君たちは森の中で大人しく身を隠していたまえ。それに、私に万が一のことがあったとしてもお前たちの身は既に魔導国のものだ。私の身に何かがあった場合には、すぐに魔導国のアインズ・ウール・ゴウン魔導王の元へ行きたまえ。アインズがお前たちの身を保障してくれるだろう」

 

 手短にそれだけを伝えると、ウルベルトは彼らに背を向けてエントマと共に一気に頭上へと舞い上がった。背後でまだ誰かが何かを言っているような気がするが、敢えて無視することにする。

 建ち並ぶ建物の間を縫うように飛びながら、チラッと地上へと視線を走らせた。

 避難は既に殆ど完了しているのか、見る限りでは街中には人の姿も影も見当たらない。恐らく未だ街の中にいたとしても外側に少し残っている程度だろう。

 これであれば少しくらい派手に戦っても問題ないだろうと判断すると、ウルベルトは少しだけ飛行速度を速めた。

 数分も経たぬ内に目的の噴水広場が見えてくる。

 噴水の前では複数の人影が立っており、ウルベルトはその少し離れた場所に静かに降り立った。

 すぐ後ろを付き従うように飛んでいたエントマも、一拍後に傍らに舞い降りてくる。

 しかしそれ以降は一切動こうとしない。ウルベルトを守ろうと動くどころか身構えることすらせず、大人しく横に控えている。

 エントマや目の前のデミウルゴスたちの様子に、ウルベルトはこの場が閉じられている場であることを察して一つ小さく頷いた。

 

「……この場には我々以外の目も耳も既に無いと思っていいのかな?」

「はい。これよりの遊戯に参加するモノ以外は市街には残っておりません」

「ふむ……、なるほど………?」

 

 デミウルゴスからの返答に応じる言葉が思わず数秒遅れる。仮面に覆われている悪魔の顔や尻尾の様子を観察しながら、ウルベルトは小さく金色の瞳を細めさせた。

 果たして気が付いていないだけなのか、それとも嘘をついているのか、はたまた何かしらの思惑があるのか……。

 デミウルゴスに設定された能力などを思い浮かべ、気が付いていないという可能性を即座に削除する。加えてデミウルゴスもウルベルト自身の持つ能力をある程度知っているだろうから、彼が自分に嘘をつく意味はないだろうとも結論付ける。

 となれば、何かしらの思惑がある可能性のみが残る。

 未だご機嫌そうに揺れ動いでいる銀色の長い尾を眺めながら、ウルベルトは一度小さく肩を竦ませた。

 

「まぁ、そう言うのであればそれで構わないがね。それで……、お前が私と戦うということで良いのかな? てっきり憤怒の魔将(イビルロード・ラース)を出してくると思っていたのだが」

「本気の戦闘をお望みとのことでしたので……。勿論、わたくし共ではウルベルト様の足元にも及ばぬことは理解しております。しかし少しでもお楽しみいただき、また是非ご教授頂ければと思った次第でございます」

「なるほど。まぁ、私はそれでも構わないが……、しかし流石にお前たちを殺すわけにはいかないぞ。お前たちの代わりはどこにもいないのだからな」

「おおっ、何と身に余る御言葉、恐悦至極にございます……!」

 

 ウルベルトの言葉に、途端にデミウルゴスたちが歓喜に身を震わせながら頭を下げてくる。

 どこでも変わらぬ反応にウルベルトは内心で苦笑を浮かべながら、それでいてゆっくりと頭を上げる面々を注意深く観察していた。

 仮面を被ってはいても身に纏う色彩も髪型も服装も変わっていないため、ウルベルトは勿論のことナザリックのモノであればどれが誰であるかはすぐに察することができる。ヤルダバオトのシモベとしてこの場に集っているのは、ユリとルプスレギナとソリュシャンの三人。エントマは既にこちら側で、ナーベラルは冒険者ナーベとしての役割があるため、メイド悪魔としての役目までは担っていない。となれば、残りはシズの一人のみ。重要な場面で連れてきていないというのは考え辛いため、恐らく既にどこかに身を潜めさせているのだろう。とはいえ、声が聞こえるところにはいる筈だが……と思考を巡らせながら、意識をデミウルゴスへと戻した。

 

「それで、どうするつもりなのかな?」

「はい、まずは“ヤルダバオト”についてですが、機を見て私と憤怒の魔将(イビルロード・ラース)は入れ替わりますので、後はそのモノを倒して頂ければと思います。プレアデスたちも憤怒の魔将(イビルロード・ラース)が出たタイミングと同時に“人形”と入れ替わることになっております」

「なるほど、了解した。……とはいえ、それで終わってしまっては些かつまらない。お前もそう思っているのだろう?」

「……………………」

 

 軽い調子で問いかけ、しかしそれに返ってくる声は一切ない。

 デミウルゴスにしては珍しく、彼は仮面の奥で唇を引き結び、無言のままこちらを見つめていた。

 ただ銀色の長い尾だけがまるで同意を示すかのようにゆらゆらと揺らめいており、ウルベルトは思わずニンマリと唇を歪ませた。

 

「ちょっとした味付けのアレンジは如何かな、魔皇殿?」

 

 ワザとらしい言葉と、悪魔らしい笑み。

 それに応えるのは声ではなく、まるでダンスを踊る時にするような、胸の前と腰の後ろにそれぞれ手を添えて深々と頭を下げる礼一つ。

 二人の悪魔の思惑が重なり合い、凄烈な舞台への火蓋が切って落とされた。

 

 




次回こそは! 今度こそは戦闘回です!
なお、ウルベルトさんがデミウルゴスとの会話で意味深な反応や言葉を発していたりしていますが、その理由等は次回で描写されてる予定になっていますので、暫くお待ち頂ければと思います(深々)


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第20話 魔の共演

遅くなりましたが、漸く続きをUP!
今回は予想以上に長くなってしまいました……(汗)


 デミウルゴスは下げていた頭をゆっくりと上げると、視線の先にいる悪魔の支配者(オルクス)の姿に思わず胸を震わせた。

 探知阻害の指輪をはめているため偉大なる至高の気配は感じ取ることができないが、それでもヒシヒシと感じられる強者としての存在感。身が震え、気を抜けばすぐさま傅き頭を垂れたくなるほどの威風堂々とした偉容。

 創造主が目の前にいると言うだけでなく、共に何かを行うことのできる大いなる栄誉に、デミウルゴスは高鳴る鼓動をそのままに仮面の奥で嬉々とした笑みを浮かべていた。

 これからのことを考えるだけで期待と歓喜に胸が躍り、背後の尾の動きを制することもできない。加えて、先ほどウルベルトが発してきた言葉が胸をつき、どうしようもなく大きな興奮が湧き上がっていた。

 やはり御方は全て気付いていらっしゃるのだ……。

 気付いていないだろうとは思ってもいなかったけれど、しかしこうもありありと突きつけられてはその至高の叡智への感嘆と自身の未熟さに対するため息を抑えることができない。どこまでが彼の御方の掌の上なのだろう……と思案し、思わず今の状況も忘れて身震いしてしまうそうになった。

 一見人数的にはこちらの方が有利に見えるが、しかしそれは相手がウルベルトである以上成立し得ない。例え“あれ”がうまくいったとしても、ウルベルトであれば簡単に戦況を覆すことができるだろう。

 こちらには一欠けらの勝機もありはしない。言うなれば、正真正銘の出来レース。単なるお遊びに過ぎなかった。

 しかしだからこそ、自分たちのちょっとした“勝負”という名の遊戯になり得るのだとも言えた。

 ふとナザリックの第七階層で行われた晩餐会での会話を思い出し、デミウルゴスは無意識にゆら…と大きく銀の尾を揺らめかせた。

 当初、この戦いではウルベルトの言う通りデミウルゴス自身も最初から憤怒の魔将(イビルロード・ラース)を出そうと考えていた。しかしそれを止めて自分が出たのは、偏に晩餐会の折にウルベルトが口にした言葉が要因だった。

 自分のことを息子だと言い、親子喧嘩をしてみたいのだとどこか照れ臭そうな笑みを浮かべていた創造主。

 彼の御方が望まれている以上、それを叶えずして何がシモベだと言うのか。本当に親子喧嘩などしては恐れ多すぎて自害したくなるものの、しかしこれくらいであれば許容範囲内だ。少しでも親子喧嘩気分を味わってもらうために、デミウルゴスは内心で自身に活を入れた。

 

「さて……、まずはどうするか……。エントマ、お前は私の指示に従え。決して無茶はしないように」

「はっ、畏まりました」

「お前たちもくれぐれも無茶はしないように。もし少しでも無理だと感じたら、いつでも“人形”と入れ替わりたまえ」

「畏まりました。お気遣い、感謝いたします」

 

 ウルベルトの指示に、エントマだけでなく他のプレアデスたちも一様に頭を下げる。

 創造主が彼女たちの身を案じている以上こちらも気を配っておこう、とデミウルゴスは改めて気を引き締めさせた。

 

「よし、では始めるとしよう。どこからでもかかってきたまえ」

「……畏まりました。それでは…、参りますっ!」

 

 両手を軽く広げる創造主にデミウルゴスは一度深々と頭を下げると、次には頭を上げると同時に強く地を蹴った。ウルベルトへと突撃するデミウルゴスに従い、プレアデスの三人もエントマへと突撃する。エントマも迎え撃つために何枚もの符を取り出すが、しかし人数的にもレベル的にもエントマ一人でプレアデス三人を相手にするのは少々荷が勝ちすぎていた。

 潰す順番は、まずは弱者から――

 戦略的には非常にセオリーな行動であるため、ウルベルトがそれに気が付かないはずがない。

 どういった対応をされても良いように頭の中で幾つものシミュレーションを行いながら、デミウルゴスは駆け足はそのままに、自身の特殊技術(スキル)〈悪魔の諸相:鋭利な断爪〉を発動させた。一気に伸びた両手の爪が鋭く光り、目の前まで近づいたウルベルトへと襲いかかる。しかしウルベルトが身を反らして繰り出された攻撃をひらりと躱したため、爪は何も捉えることなく空を切った。

 

「〈転移門(ゲート)〉」

 

 追撃するデミウルゴスの攻撃を尚もひらりひらりと躱しながら、ウルベルトがポツリと魔法を唱える。

 まさか場所を移動するつもりなのかと咄嗟に警戒するも、しかし発動して現れる筈の楕円の闇が一向に現れず、デミウルゴスは内心で疑問符を浮かべた。

 しかしあることに気が付き、ハッとプレアデスたちの元へと視線を走らせる。その目にエントマの背後に現れた楕円の闇を見出し、デミウルゴスは思わず目を見開かせて宝石の眼球を露わにした。

 エントマは事前に〈伝言(メッセージ)〉で指示を出されていたのか、後ろに飛んでユリの拳を避けながら一切迷うことなく背中から転移門(ゲート)の中へと退避する。転移門(ゲート)はエントマを呑み込んだとほぼ同時に口を閉ざすと、次にはウルベルトとデミウルゴスの間に割って入るようにして現れた。

 

「爆散符!」

 

 転移門(ゲート)から現れたエントマが、容赦なく持っていた符をデミウルゴスへと投げつけてくる。

 瞬間、激しい爆発が目前で起こり、大きな衝撃波と爆風がデミウルゴスを襲った。

 100レベルのデミウルゴスがエントマの攻撃を受けて吹き飛ばされることはないが、しかし小さなタイムラグは生まれてしまう。加えて、すぐさまこちらのフォローに回ろうと駆け寄ってきたプレアデスたちの行動も悪手となった。

 

「〈核爆発(ニュークリアブラスト)〉」

 

 どこまでも静かな声と共に笑みに歪んだ金色の瞳と目が合う。しかしその目は一瞬で闇に覆われ掻き消えると、次の瞬間には先ほどのエントマの攻撃とは比べものにならないほどの大きな衝撃波がデミウルゴスたちを襲った。効果範囲が大きな攻撃魔法ということもあり、デミウルゴスやプレアデスたちだけでなく、周りの建物なども容赦なく破壊され粉々に吹き飛ばされていく。デミウルゴスもまた抗うことなく爆風に身を委ねて吹き飛ばされながら、内心では創造主の手際の良さに心から感服し感嘆していた。

 デミウルゴスの記憶が正しければ、この魔法は第九位階魔法であり、同位階の中では弱い方ではあるものの強いノックバック効果や毒、盲目、聴覚消失などの複数のバッドステータスを与える範囲攻撃魔法であったはずだ。これによりデミウルゴスとプレアデスたちは散り散りになり、合流するにはそれなりの時間を有することになるだろう。またバッドステータスに関しては、あらゆるバッドステータスに対しての完全耐性を持っているデミウルゴスは何一つ問題はないが、プレアデスの三人は恐らく何らかのバッドステータスを被ったはずだ。いくらルプスレギナがおりバッドステータスを取り除くことができるとはいえ、そのためには取り除くための行動を起こさねばならず、必然的に攻撃の手は緩むことになる。

 また、この攻撃は術者が効果範囲内にいた場合でも同様に効果を発揮するのだが、ウルベルトはエントマを連れて攻撃が自分たちに及ぶ前に転移して難を逃れている。言葉にすれば簡単に思えるその行動は、しかし自分以外の者も同様に逃がすというのは想像以上に難しいことだとデミウルゴスは理解していた。恐らく、なるべくスムーズにエントマと退避できるように敢えて彼女を自分とウルベルトの間に転移させたのだろう。そして次の一手を悟らせないために、あたかもこれが狙いであるかのように、ワザとエントマにデミウルゴスを攻撃させた。

 あまりに鮮やかな手腕に、デミウルゴスは無意識に仮面の奥で恍惚とした笑みを浮かべていた。流石は至高の主であり、我が創造主だと、誇らしさと崇拝の感情が湧き上がってくる。

 しかし、このまま感心している場合ではないことも事実。

 少しでも御方に楽しんで頂かねばならないのだと気を引き締めさせると、デミウルゴスは大分弱くなってきた勢いに従って空中で体勢を立て直した。地面に足をつき、靴の摩擦によって更に勢いを殺す。

 デミウルゴスは周囲に視線を走らせながら、まずは一つ手を打つべく仮面の奥で口を開いた。

 

「〈次元封鎖(ディメンジョナル・ロック)〉」

 

 自身を中心に、転移阻害の空間を作り出す。

 ウルベルトの数多ある戦法の内の一つに、距離を自在に操り攻撃するものがあることをデミウルゴスは知っていた。魔法のような遠距離系の攻撃手段が少ないデミウルゴスにとって、相手に距離(間合い)を支配されることは非常にマズいと言える。ならば先手を打ってこちらが支配権を握る。これでこちらに有利に働かなくとも、不利になる要素は削れたはずだ。

 とはいえ油断などできようはずもなく、デミウルゴスは神経を研ぎ澄ませながらゆっくりと周囲へと視線を巡らせた。

 大分遠くまで飛ばされたと思っていたが、しかし周りを見回してみるに、どうやら最初の噴水の広場から北に500メートルほど離れた地点にいるようだった。

 あまり飛ばされなかったな……と思わず小首を傾げる。

 最強の魔法詠唱者(マジックキャスター)であるウルベルトの力を持ってすれば、位階の低い一つの魔法でも相当な力を発揮する。にも拘らずこの程度の被害で済んだということは、恐らく相当力を抑えて発動されたのだろう。心優しい創造主のことだ、万が一にも自身やプレアデスたちに重傷を負わせてはならないと気遣ってくれたのかもしれない。

 創造主からの慈悲に感極まる思いを湧き上がらせながら、しかし一方で手心を加えさせてしまう自分たちの不甲斐なさに落胆をも感じた。

 至高の主と渡り合えるなどとは微塵も思ってはいないけれど、しかし創造主に作り出された身である以上、事実にかまけて甘え続けるわけにはいかない。もっと精進せねばと気持ちを新たにし、今は目の前のことに集中するべく意識を切り替えた。まずはプレアデスたちと合流した方が良いだろうと周りに視線を走らせる。

 瞬間、大きな破壊音と共に少し離れた場所に建つ建物が崩れ、デミウルゴスは弾かれたように勢いよくそちらを振り返った。

 ガラガラ……と瓦礫と化した壁の一部を落下させながら地面に沈んでいく多くの建造物たち。続いて瓦礫や建造物の隙間から時折覗く光と聞こえてくる破裂音に、デミウルゴスはすぐさま〈悪魔の諸相:触腕の翼〉を発動させた。朱色のスーツに覆われている背に、幾つもの触手で形作られた大きな両翼が姿を現す。

 デミウルゴスは強く地を蹴ると、そのまま翼を羽ばたかせて宙へと舞い上がった。

 恐らくあの場でウルベルトとプレアデスたちが戦っているのだろう。早く向かわなければプレアデスたちは尽く全滅してしまうかもしれない。あまりに呆気なさ過ぎてはウルベルトに退屈だと思われてしまう可能性があり、デミウルゴスは急いで未だ破裂音が聞こえてくる場所へと翼を羽ばたかせた。

 崩れ落ちていく瓦礫や建造物の隙間を掻い潜り、ウルベルトたちの位置を把握するべく視線を走らせる。

 瞬間、今まさに突撃しようとしているユリと、それを迎え撃とうとしているウルベルトの姿が目に映り、デミウルゴスは咄嗟に宙に制止してウルベルトへ向けて大きく翼を羽ばたかせた。翼を形作っている幾つもの触手が逆立ち、まるで大きく細く長い棘の様になって我先にとウルベルトへと発射される。

 

「――……式蜘蛛符っ!!」

 

 しかしデミウルゴスの放った多くの触手がウルベルトの元へ届く前に、その進行方向に幾つもの大きな蜘蛛がどこからともなく現れた。キシャァァっと耳障りな奇声を上げながら、蜘蛛たちは次々と幾つもの触手をその身に受ける。

 それは正しく幾つもの従順な肉壁。

 術者に命じられるがままに幾つもの触手に身を晒して命を落としていく蜘蛛たちに、しかしそれに構うモノは誰一人としていなかった。

 エントマは聖印を象ったような巨大な聖杖で襲いかかるルプスレギナの攻撃を避け、ウルベルトはいつの間に持っていたのか巨大な青白い杖を振るって攻撃を繰り出そうとしていたユリを逆に吹き飛ばし、すぐさまデミウルゴスの方へと向き直ってきた。杖を持っていない方の手の人差し指を突き付け、瞬間、指先に巨大な青白い光が宿った。

 

「〈万雷の撃滅(コール・グレーター・サンダー)〉」

 

 デミウルゴスに向け、巨大な豪雷が空を切り裂いて一直線に襲いかかってくる。

 回避は不可能。魔法や特殊技術(スキル)での迎撃も難しいと判断すると、デミウルゴスは咄嗟に翼を身に纏わせて防御の体勢をとった。

 次の瞬間、全身を襲う大きな衝撃と強烈なダメージ。

 たった一撃の攻撃がこんなにも凄まじいとは……と内心で舌を巻きながら、次の一手を打つべくすぐさま頭を切り替えた。

 ここで大切なのは、いかに早く次の一手を繰り出すかだ。こちらが不利である以上、少しでも手数を増やして相手側の隙を生み出す必要がある。

 デミウルゴスは全身に未だ走る衝撃と痺れを半ば振り払うように翼を羽ばたかせると、更なる特殊技術(スキル)を自身の肉体に施した。

 

「〈悪魔の諸相:豪魔の巨腕〉!」

 

 瞬間、デミウルゴスの右腕が一気に肥大化し、まるで迫りくる巨大な壁の様に勢いよくウルベルトへと襲い掛かった。

 その動きは肥大化した大きさに反してとてつもなく速い。

 通常大きな物体が動く場合、その肉体が大きければ大きいほど動きは大振りで緩慢なものとなる。しかし100レベルであるデミウルゴスの肉体は、そんな常識を軽く無視して凌駕する。繰り出された拳の速さは緩慢と言うにはほど遠く、まるで弾丸のように鋭く突き進んでいった。

 しかし、拳が向かう先にいるのもまた100レベルの存在。

 異形の不気味な金色の瞳はどこまでも静かに向かってくる拳を見据えており、漆黒の身体は次にはふわっと軽く舞い上がって容易く拳を避けてみせた。加えてそのまま突き伸ばされた拳の上に舞い降りると、次の瞬間、まるで弾かれたように勢いよく巨大な腕の上を疾走し始めた。

 自身の腕の上を走りながら突撃してくる創造主に、デミウルゴスは驚愕と共に大きく目を見開かせる。咄嗟に特殊技術(スキル)を解除して腕を通常のサイズに戻すも、ウルベルトは既に目と鼻の先にまで迫っていた。こちらに振り下ろされる青白い杖に、反射的に爪を振るって応戦する。

 瞬間、ガキンッという鋭い音が響き渡る。

 思わず弾かれた衝撃に身を仰け反りそうになるも何とか堪え、デミウルゴスは全身に力を込めて無理矢理体勢を立て直した。

 純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)であるウルベルトと違い、どちらかというと肉弾戦に秀でているデミウルゴスの方が身体能力は上。体勢を整える速度も次の一手を繰り出すのもデミウルゴスの方が早く、未だ体勢が整わぬウルベルトへと素早く爪を繰り出した。

 尤も、デミウルゴスにウルベルトを傷つける意思は微塵もない。実際に攻撃が及びそうになった場合は既のところで動きを止めるか、ほんの少し御身に触れる程度にするつもりだった。今回のこの攻撃も、爪が御身を傷つけないように直前で止める予定だった。

 しかし、そんなある意味甘い考えは崇拝する創造主自身によって容赦なく吹き飛ばされた。

 デミウルゴスが直前で攻撃の動きを止めようとしたその時、青白い杖が光り輝いたと同時にウルベルトの身体が不自然な動きと共に勢いよく応戦の構えをとった。

 瞬間、再び振るわれた杖と弾かれた己の右手。

 一体何が起こったのか分からず、デミウルゴスは咄嗟に翼を羽ばたかせて一気に後ろへと退いた。ウルベルトと距離を取り、少し離れた地面へと舞い降りる。

 

「どりゃあぁっ!!」

「…ふっ…!!」

「……っ!!」

「〈重力の鎖(グラビティ・チェイン)〉」

 

 デミウルゴスが距離を取ったことで攻撃の手を止めたウルベルトに、すぐさま背後からルプスレギナとユリとソリュシャンがどこからともなく現れて襲いかかる。

 しかしウルベルトが振り返ることもなく肩越しに指先だけを三人に向け、詠唱を唱えたことで魔法が発動。何倍にも強力となった重力が効果範囲内にいる全てのものを容赦なく地面へと引き寄せた。効果範囲内にいたルプスレギナとユリとソリュシャンは勿論のこと、瓦礫や未だ無事な建造物までもが地面へとひれ伏し、脆いものは呆気なく崩れて地面にその身を這わせる。

 全く動けなくなった三人には目もくれず、ウルベルトはじっとデミウルゴスを見つめ続ける。

 どこか様子を窺うような創造主の姿に、デミウルゴスは緊張の糸は緩めないまでも少し情報を整理しようと徐に口を開いた。

 

「流石はウルベルト様、見事な御手前でございます」

「…ふむ、お前に褒められるとは嬉しいな。お前も、その身のこなしや攻撃手段の選び方は見事だと思うぞ」

「おおっ、ウルベルト様にお褒め頂けるとは! 恐悦至極にございます」

 

 溢れ出る歓喜そのままに胸に手を当て、深々と頭を垂れる。

 創造主に褒められるというのは、被造物にとって何よりの栄誉だ。

 湧き上がってくる歓喜を噛みしめながら、デミウルゴスはゆっくりと頭を上げ、そこで改めてウルベルトの手にある見慣れぬ杖へと視線を向けた。

 

「……ウルベルト様、一つお伺いしてもよろしいでしょうか? その杖は見覚えのないものですが、ウルベルト様御自らが魔法でお創りになったのでしょうか?」

「ああ、これか。……ふむ、本来は対戦相手に情報を渡すのはご法度なんだが、……まぁ、今回は別に良いか。この杖は私が魔法で創ったものではない。以前……、ユグドラシルにいた頃に武人さんにもらった物だよ」

「っ!! なんと、武人建御雷様から……!!」

 

 まさかそんな至宝だとは思い至らず、思わず驚愕の声を上げて少し身を乗り出す。いつにないデミウルゴスの様子を面白いとでも思ったのか、ウルベルトはクスッと小さな笑い声を零してきた。向けられる金色の瞳は柔らかく細められ、まるで子供を見守る親のような慈しみがこもった眼差しで見つめられる。それに羞恥心が湧き上がってくるものの、しかしそれでもデミウルゴスは創造主の持つ杖への好奇心が押さえられなかった。

 ナザリックのシモベにとって、至高の四十一人に関する全てはあらゆる感情を湧き上がらせる。

 恐らくウルベルトもそれを理解してくれているのだろう、未だ柔らかな眼差しはそのままに、自身が持っている杖を軽く振るって見せた。

 ウルベルトの持つ杖は約二メートルにも及ぶ長大な代物。青白く輝くクリスタルで出来ているのか、透明度が高くキラキラと光を反射する様は非常に美しい。繊細で華奢でありながら豪奢な気品をも併せ持ったそれは、正に悪魔の支配者(オルクス)であり自身の創造主であるウルベルトが持つに相応しい代物であると言えた。

 

「この杖の名前は“守護三連魔神器”。打撃攻撃が出来ることに加え、物理攻撃と魔法攻撃に対する防御力の上昇、神聖属性に対する完全耐性を使用者に与える。そして何より、第三位階魔法と同程度の魔力消費と引き換えに物理攻撃に対してパリィが出来るっていう優れ物だ。中々に良い品だろう?」

 

 小首を傾げて同意を求めてくるウルベルトに、しかしデミウルゴスにとっては『良い品』という言葉で片付けられるようなものではなかった。

 それは正に至宝。至高の存在である武人建御雷にしか作り出すことのできない神杖であると言えた。

 

「そのような至宝であったとは……。ウルベルト様に相応しい代物だと存じます」

「ふふっ、ありがとう、デミウルゴス」

「……では、先ほどのウルベルト様の動きはパリィを使用してのものということでしょうか」

「そうだな。その考えで合っているよ」

 

 一つ頷き、次には杖を一度大きく振るう。瞬間、氷の様に輝く先端の内部に炎が燃え上がるように怪しい赤い光が現れ揺らめいた。同時に杖全体からも赤黒いオーラが溢れ出だし、ウルベルトの全身へと纏わりつき包み込む。

 恐らく杖の能力を発動させたのだろう。神聖属性の攻撃は悪魔であるデミウルゴスは使用できないため、神聖属性に対する完全耐性の能力を発動させる必要はない。であれば、恐らく発動させたのは物理攻撃と魔法攻撃に対する防御力の上昇の方だろう。

 

「……さて、種明かしはしたし、そろそろ続きを始めようか。ルプスレギナ、ユリ、ソリュシャン、お前たちはここで終了だ。“人形”と交代したまえ」

「……か、…かしこまり、ました……」

 

 ウルベルトの行動の意味を予想する中、ウルベルトが未だ地に伏しているプレアデスたちに声をかける。

 魔法が解かれて重力から解放された彼女たちは、しかし返事はしたものの身動き一つせず立ち上がろうともしなかった。

 いや、立ち上がることができないのだろう。

 それほど受けたダメージが強かったのか、それともこれまで蓄積されたダメージにより限界を迎えたのか……。非礼にならないよう何とか起き上がろうと足掻いてはいるものの、しかし地面に触れる肢体は小刻みに震えていた。

 ナザリックのシモベたちの感覚からすれば、その姿は無様でしかなく、どんな理由があるにせよ至高の存在に礼の姿勢を取らぬことは無礼であるとみなされる。しかし残虐で冷酷な悪魔たれと望まれた一方、仲間に対しては寛容で慈悲深くあれとも創造されたデミウルゴスは、彼女たちへの哀れみの感情を湧き上がらせずにはいられなかった。

 彼女たちも自身のこの状態を決して受け入れてはいないだろう。自分自身の不甲斐なさと至高の御方への無礼の罪深さに、今も自害してしまいたい衝動にかられているに違いない。

 せめて彼女たちの気持ちが少しでも軽くなるように手を貸そうと一歩足を踏み出し、しかしそれよりも創造主が動く方が早かった。

 ウルベルトは徐にアイテムボックスを出現させて手を突っ込むと、中から赤い液体瓶と黒い液体瓶を取り出した。

 それは今ではとても貴重な品となっている、ユグドラシル産の赤いポーションとダーク・ポーション。

 しかしウルベルトは一欠けらの躊躇いもなく、未だ地に伏しているルプスレギナとソリュシャンには赤いポーションを、そしてユリにはダーク・ポーションを一滴残らず振りかけた。

 瞬間、ポーションが削られた体力を回復させ、三人はなんとかその場に立ち上がる。

 彼女たちはすぐさま深く頭を垂れて何かを言おうと口を開きかけ、しかしその前にウルベルトが無造作に空瓶をアイテムボックスに戻しながら口を開いた。

 

「ほら、そんなに畏まる必要はないのだよ。これは私が好きでやっていることであるし、お前たちは私の我儘に付き合ってくれているのだからねぇ」

「で、ですが……私どものようなモノに貴重なアイテムを使うなど……」

「アイテムは使ってこそ意味がある。確かに貴重なものを無闇矢鱈に無駄遣いするのは良くないが、少なくともお前たちに使うことは決して無駄などではないよ」

「……ああ、何と言う慈悲深きお言葉…。感謝いたします、ウルベルト・アレイン・オードル様」

 

 至高の主からの寛大な言葉に、プレアデスたちは歓喜と恐れ多さに小さく身を震わせ、なおも深く頭を垂れさせる。

 ウルベルトはクスクスと小さな笑い声を零すと、プレアデスたちに早く“人形”と入れ替わるように指示を出し、次にはデミウルゴスへと視線を移した。

 自身の姿を映す金色の瞳に、デミウルゴスは自然と背筋を伸ばす。それでいてこれからのことに思考を巡らせる中、まるでそれを遮るかのようにウルベルトに声をかけられた。

 

「では、そろそろ始めようか。あまり時間が長引けば聖王国の者たちに不審がられてしまうだろうからね」

「はい、ウルベルト様の仰る通りかと。……それでは、私も憤怒の魔将(イビルロード・ラース)と入れ替わった方がよろしいでしょうか?」

「いいや、お前の好きなタイミングで入れ替わってもらって構わないよ」

 

 柔らかな微笑みと共に返された言葉に、デミウルゴスはゾクッと小さく背筋を震わせた。

 やはり全て気付かれている……と改めて思い知らされる。

 決定的な場面を見られたわけではない。気配も存在も探知されてはいなかったはずだ。自分の言葉にもどこにも不自然なものはなかったはずである。

 しかし、それでも全てを見抜かれている。

 全ての事象も全ての思惑も把握して、時にその中でワザと踊って見せ、招き入れられたという素振りを見せながらも最後には本性を露わにして全てをその手中で踊り狂わせる。

 なんという叡智か。なんという先見の明か。

 彼の御方にかかれば、ナザリック一の叡智を持つモノとして創造されたはずの己とて足元にも及ばない。

 際限なく湧き上がってくる畏怖と崇拝の心に身を震わせる中、不意にクスッという小さな笑い声が聞こえてきた。

 いつの間にか俯かせていた顔を反射的に上げれば、ずっとこちらを見つめていたのだろう、創造主の金色の瞳とバッチリと目が合う。

 咄嗟に無様な姿を晒したと血の気を引かせると、デミウルゴスは思わずその場に片膝をついて深々と頭を垂れた。

 

「も、申し訳ございません! この様な無様な姿をウルベルト様にお見せしてしまうとは!!」

「フフッ、いやいや、構わないよ。何かを深く考えるということはとても良いことだ。何も考えないよりかはずっと良い。私はお前を炎獄の造物主としてだけでなく、叡智の悪魔としても創ったのだからねぇ。思考することは止めないようにしなさい」

「はっ、御身の御意のままに」

 

 その言葉は正しく天啓。絶対の言葉であり、必ず従うべきものである。

 畏まってその言葉を賜る悪魔に、ウルベルトは再び小さな笑い声を零した後、次には『さて…』と気分を切り替えるように言葉を零した。

 

「では、続きを始めようか。そうだな……、どうせなら接近戦でもしてみようか。お前はそちらの方が戦いやすいだろうし、私も少しでも接近戦の経験値が欲しいからね」

「はっ、それは構いませんが……、宜しいのでしょうか……」

「フフッ、私が言っているのだから勿論構わないとも。まぁ、本当に危なくなったら魔法を使ってしまうかもしれないが、それは許してくれ」

「勿論でございます! どうぞ、ご随意にお使いくださいませ」

 

 ビシッと腰を90度曲げて頭を下げるデミウルゴスに、ウルベルトがおかしそうにクスクスと笑い声を零す。

 しかし、それは瞬きの間のみ。

 次には〈飛行(フライ)〉の魔法を唱えて地面から数十センチほど浮き上がると、一拍後にはデミウルゴスへと突撃してきた。

 普通に考えれば純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)自らが距離を縮めるというのはどう考えても愚策。しかしウルベルトの持つ“守護三連魔神器”と、何より魔法詠唱者(マジックキャスター)とは思えぬ身のこなしが、そんな常識を覆していた。

 デミウルゴスも特殊技術(スキル)によって長く鋭くなった爪や長い尾を駆使して応戦しながら、『なるほど…』と内心で舌を巻いた。

 デミウルゴス自身、ウルベルトがアルベドとコキュートスとパンドラズ・アクターから接近戦の手ほどきを受けていることは知っていた。しかし、まさかここまで腕を上げられているとは……と目の前の創造主の強さに感嘆を止められなかった。

 確かに同じ至高の御方であるアインズも、冒険者モモンとしては戦士として相応の力を発揮している。しかしアインズの場合は自身に〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)〉を施しているため、その強さにも納得はできたのだが……。

 デミウルゴスは一度クルッと全身を回転させて遠心力を加えると、その勢いのままに長い尾でウルベルトの杖を強く弾いた。ウルベルトがうまく威力を逃がして体勢を整えるのに、デミウルゴスは翼を羽ばたかせて上空へと舞い上がる。そのまま垂直にぐんぐんと高度を上げながら、下からウルベルトが追ってくるのを感じていた。

 しかしデミウルゴスの動きは止まらない。

 上空に静止してウルベルトと対峙するわけでもなく、まるで逃げるように高度を上げ続けながら口の中で小さく詠唱を唱える。

 瞬間、赤い魔法陣が出現し、デミウルゴスの細身の身体を覆うように展開した。

 普通であれば、主が接近戦を所望したならば最後までそれに準ずるのが務めだ。ここでデミウルゴスが魔法を使用するのは、主の意向に反する行動だと捉えられるかもしれない。

 しかしウルベルトの通常の戦法は魔法であり、決して接近戦闘ではない。

 それに……と、デミウルゴスは漸く上空で動きを止めた。

 下から追ってくるウルベルトを見下ろし相対する。

 創造主に楽しんで頂きたいという思いも勿論嘘ではないが、それ以外にも“同じ状況になった時、創造主は一体どういった行動を取るのか”デミウルゴスには興味があった。

 故に唱えたのはデミウルゴスが修得している数少ない魔法の中でも最高位のものの一つ。炎を纏いし、破壊の化身を出現させる魔法。

 

「〈隕石落下(メテオフォール)〉」

 

 詠唱が終わったと同時に、“それ”は姿を現した。

 雲を裂き、遥か上空から姿を現したのは炎を纏った巨大な塊。

 まるで太陽のように光り輝きながら地上へと舞い降りようとしている炎塊に、ふと上空で停止しているデミウルゴスと上昇を続けていたウルベルトの視線がかち合った。

 瞬間、ウルベルトの動きが緩やかに止まり、次には真っ逆さまに下へと落ちていく。

 創造主の突然の行動に、デミウルゴスは仮面の奥で大きく目を見開かせた。

 〈飛行(フライ)〉の魔法を消したのだろう、ウルベルトは重力に従ってどんどんと速度を上げて地上へと落下していく。

 例えこのまま地面に衝突したとしても、至高の御身であるウルベルトが傷を負うとは考え難い。しかし万が一という考えが頭を過ぎり、デミウルゴスは思わず翼を羽ばたかせて落下し続ける創造主を追いかけていた。

 遥か上空から凄まじい速さで落下していく二体の悪魔と、それをゆっくりと追随する巨大な炎の岩石。

 いち早く地上に着いたウルベルトは地面に激突する直前で再び〈飛行(フライ)〉を唱えて空中で静止した。そのまま何事もなく地面に足をつけ、瞬間、ウルベルトを中心に巨大な魔法陣が出現した。

 未だ追うように落下しているデミウルゴスと、地面に着地して頭上を見上げるウルベルトの視線が再びかち合う。

 ゆっくりと山羊の口が開かれ、何事かを呟いた。

 

『――……よ…け…ろ…』

 

 デミウルゴスが正確に口の動きを読んだその時、ウルベルトの足元の魔法陣が一層光り輝き、魔法が発動した。

 魔法陣から姿を現したのはいくつもの巨大な氷の蛇。

 しかしその見た目はコキュートスのような透き通ったダイヤモンドのような輝きを放つものではない。まるで雪に覆われた木の枝のように霜に覆われ、加えて全身から放たれている冷気によって周りが白くけぶっていた。

 とはいえ、その見た目に反して動きは素早い。

 まるで空気が高速で凍結するかのように蛇たちは蛇行しながら空を泳ぎ、デミウルゴスの横を通り過ぎて遥か上空の炎塊へと我先にと襲いかかっていった。その際、蛇たちの纏う冷気がデミウルゴスを襲い、触れていないにも拘らずデミウルゴスの身体を凍らせてダメージを与えてくる。

 炎獄の造物主であるはずの自分にまでこれほどのダメージを与えるとは……と、デミウルゴスはあまりの威力に驚愕と小さな畏怖を湧き上がらせた。

 思わず蛇たちの動きを追うデミウルゴスの視線の先で、蛇たちは次々と頭上の炎塊へと牙を突き立てる。

 蛇たちは炎塊が発する熱に溶けることもなく次々と咬みつくと、次にはそこから更に氷と霜が炎塊の肌を走り、瞬く間に覆っていった。襲いかかる蛇の数は多く、炎塊は成す術もなく急速に凍り付いていく。更に言えば蛇たちの尾は全て未だ魔法陣が広がっている地面に埋まり繋がっており、凍り付いた隕石をしっかりと支えていた。

 その様は、遠目から見れば地面から生えた幾つもの雪の枝が、大きな巨石を上空で絡め取って地面に落ちないように支えているように見えることだろう。

 そのあまりに壮大で強烈な威力と事象に、デミウルゴスは未だ身体の至る所を氷結させながらも動きを止めた蛇たちの胴体の隙間を漂うように飛び、感嘆の吐息を零していた。

 これぞ正に至高の力。神にも等しき至高の御方の力そのものなのだろう。

 そこまで考えて、いや……と心の中ですぐさま否定した。

 先ほどの魔法の詠唱時間と発動した威力から推測するに、この魔法は恐らく第10位階魔法。決して超位魔法ではないのだろう。となれば、今目の前で起こった全ては創造主の力の僅か一端でしかないということに他ならない。

 

(……嗚呼、何という高みか…。正に至高なる存在、神さえも我が創造主には敵うまい……。)

 

 創造主の力に感極まり、高揚する感情を抑えられない。

 しかし、そこでふと〈伝言(メッセージ)〉が繋がり、デミウルゴスは熱を帯びていた思考を一瞬で冷やして切り替えた。同時にひどく残念な感情が湧き上がってくる。

 本当はもう少し創造主と共にいたかったのだが、こればかりは仕方がない……。

 デミウルゴスは〈伝言(メッセージ)〉の相手に短く指示を飛ばすと、次には〈炎の爆裂波(ファイヤー・エクスプロージョンウェーブ)〉を発動させた。

 瞬間、紅蓮の炎が爆発し、大きな渦を巻き上げながら激しい衝撃波が荒れ狂う。

 デミウルゴスは炎の渦の中心にその身を隠しながら、憤怒の魔将(イビルロード・ラース)を呼び出して自身と入れ替わらせた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 突然の悪魔たちの襲来に、小都市ロイツにいた聖王国の民たちは大きな恐怖に襲われながらも必死に都市外へと避難していた。

 彼らが恐慌状態に陥らなかったのは、偏に必死に彼らに声をかけて道を示していた聖騎士や神官たちの存在があってのことだろう。

 ヘンリーもまた聖騎士の仲間たちと共に必死に声を張り上げながら、民たちと共に都市の外へと逃れていた。

 周りに犇めき合う民たちを見渡しながら、先ほど聞いた情報を脳裏に蘇らせる。それと同時に湧き上がってくる感情に、ヘンリーは思わず強く拳を握りしめた。

 他の聖騎士から、遂にヤルダバオトが姿を現したのだと聞かされた時は心臓が止まるのではないかと思うほどの衝撃を受けた。災華皇(さいかこう)が相手を務めるとのことで他の者たちは全員都市外に避難するよう命じられたが、果たして本当にそれで良かったのだろうか……。

 しかしそれと同時に湧き上がってきた相反する感情に、ヘンリーは思わず眉間に大きな皺を寄せた。

 ヘンリーの中で、敵を前にして逃げなければならない事への屈辱と、ヤルダバオトに対する恐怖、そしてヤルダバオトから逃げることのできる小さな安堵が激しく鬩ぎ合う。

 国に仇なす者を排除する役を担う聖騎士が何たることか、と他の聖騎士に知られれば叱責を受けるかもしれない。しかし、情けないことではあるがそれが今のヘンリーの正直な感情だった。

 

 

 

「――……ヘンリー…っ!!」

「っ!? ……アルバ!!」

 

 突然名を呼ばれ、物思いに沈んでいた意識が浮上して咄嗟に声が聞こえてきた方を振り返る。

 振り返った先にはこちらに駆けてくる昔馴染みの姿があり、逃げる民たちに流されそうになっているところを咄嗟に手を伸ばして掴み引き寄せた。

 

「すまん、助かった……。そちらはどうなっている?」

「何とか全員避難できたようだ。そちらはどうだ? 神官たちは怪我人の移動を手伝っていたのだろう?」

「こちらもどうにか全員移動できた。それよりもヤルダバオトが乗り込んできたというのは本当なのか?」

「そう聞いている。災華皇閣下が相手をされると聞いてはいるが……」

 

「……ノードマンさん! ユリゼンさん!!」

 

 そこに、再び新たな声が聞こえてきて二人はそちらへと顔を向けた。

 見覚えのある小柄な少女が人混みの中を懸命にかき分けながらこちらに駆けてくる。

 何とか目の前まで来た少女は持ち前の人相の悪い顔をこちらに向けると、鋭い双眸で睨み上げてきた。

 

「お二人とも、ご無事なようで良かったです。皆さん、全員無事に避難はできたのでしょうか?」

 

 声と言葉だけを聞けば生真面目で優しい少女だと分かるのだが、顔を見ると途端に喧嘩を売られている様にしか見えなくなってしまうのはかわいそうだな……とヘンリーはネイアを見つめながらふと場違いなことを内心で呟く。しかしそんな呑気なことを考えている状況ではないことは分かっているため、ヘンリーは素知らぬ顔で真剣な表情を顔に瞬時に張り付けた。

 

「ええ、恐らく全員が問題なく避難することができたでしょう。……それよりも、災華皇閣下がお一人でヤルダバオトと戦うと聞いたのですが、それは本当なのですか?」

「……はい。支配下に置いたエントマというメイド悪魔は連れていますが、それ以外は一人も連れていません。私も同行を願い出たのですが、足手まといになると言われてしまいました……」

 

 顔を俯かせて肩を落とす少女に、ヘンリーはその口惜しさに共感して思わず眉尻を下げさせた。咄嗟に口を開きかけ、しかし何を言えばいいのか分からず黙り込む。

 災華皇の力を思えば、誰であろうと彼の足手まといになってしまうだろう。それはネイアとて誰に言われるまでもなく分かっているはずだ。

 分かりきったことを言われたところで何の慰めにもならず、しかしこのまま放っておくこともできずにヘンリーは再び口を開きかけた。

 しかしその時、ふと視界に何か白いものが映り込んだことに気が付いて思わず意識をそちらへと向けた。

 

「……ん……?」

「……どうかしましたか?」

 

 思わず顔を向けて声を零すヘンリーに、顔を俯かせていたネイアも反応して顔を上げてくる。

 ネイアとアルバもヘンリーの視線を辿るように顔を動かし、そこにいた人物に思わず訝しげに顔を顰めさせた。

 

「………誰だ、あれは…?」

 

 ヘンリーとネイアの心情を代弁するかのようにアルバが顔を顰めさせながら小さく言葉を零す。

 彼らの視線の先には人混みに紛れるようにして聖騎士団の女団長が白いローブを身に纏った見知らぬ五人ほどの集団と対峙していた。白いローブの集団は一度レメディオスに頭を下げると、次には都市の中へと駆け去っていく。レメディオスは暫くその白い背中を見送った後、すぐに何事もなかったかのように踵を返して部下たちがいるのであろう方向へと歩き去っていった。

 一連の光景が妙に心に引っかかり、ヘンリーたちはなおも顔を大きく顰めさせる。

 しかし彼らが何事かをする前に、まるでそれを遮るかのように突然の衝撃と突風がヘンリーたちを襲った。

 

「「「っ!!?」」」

 

 咄嗟に身を縮み込ませ、吹き飛ばされないように足を踏ん張る。周りの民たちも突然のことに悲鳴を上げる中、ヘンリーは突風が止んだと同時に顔を上げて都市中心へと視線を走らせた。

 瞬間、目に飛び込んできたのは無残に崩壊している都市中心部の光景。

 しかし崩壊はそれだけでは終わらない。今も幾つもの建物が次々と崩壊し続け、土煙を上げながら地響きと共に地面へと崩れ落ちていた。

 その隙間から幾つもの色とりどりの閃光と、一拍遅れて激しい破壊音がこちらにまで響いてくる。

 恐らくあそこで激しい戦闘が繰り広げられているのだろう。

 ヘンリーたちは先ほどの白いローブたちの存在など忘れ、只々固唾を呑んで閃光が絶え間なく放たれている場所を食い入るように見つめていた。

 

「……あっ…!」

 

 不意に誰かが声を上げる。

 目を凝らせば紅色の一つの人影が垂直に空へと飛んでおり、続いて漆黒の人影もまるでそれを追いかけるように飛んでいるのが目に入った。

 

「……あれが…、ヤルダバオト……」

 

 隣でアルバがポツリと言葉を零す。ヘンリーはアルバを振り返ることなく、ただ上昇を続ける二つの影を見つめながら大きく頷いた。

 彼の言う通り、あの紅色の影が魔皇ヤルダバオトなのだろう。では、それを追っているのが災華皇だろうか。

 まるで追いつめているかのようなその光景に、自然と胸が熱く高揚していく。

 誰もが希望と期待を胸に食い入るように見つめる中、しかしまるでそれを嘲笑うかのように“それ”が現れた。

 

「っ!!?」

「……こ、これは……!!」

「ああ、そんな…っ!!」

 

 ヘンリーが思わず息を呑む中、周りでも多くの人々が悲鳴を上げ始める。

 彼らの目に映ったのは、上空に突如現れた赤々とした巨大な炎の塊。それはこの大戦が始まる際にヤルダバオトが城壁を破壊するために召喚したものであり、また先の小都市防衛戦の折には災華皇も召喚したもの。小都市防衛戦の時には5000もの悪魔の軍勢を一撃で灰塵に帰しており、聖王国の人間はその恐ろしさを目の当たりにしていた。

 その強大な力が、今再び目の前で猛威を振るおうとしている。加えて、今までヤルダバオトを追い詰めるように飛んでいた災華皇が突然地上に落下し始めたため、周りからは新たな悲鳴が湧き上がった。一体何が起こったのかと、誰もが恐怖と焦燥に顔を蒼褪めさせ、絶望に支配される。

 しかし再び状況は一変した。

 突然地上から出現した幾つもの真っ白い何か。

 まるで白い木の枝のようなそれは、我先にと轟々と燃え立つ炎塊へと襲いかかり、その身を絡め取ったと同時に容赦なく凍り付かせた。

 

「す、すごい……!!」

「何が起こったんだっ!?」

 

 目の前で起こったことが信じられず、周りが再び騒めき始める。

 しかし良くも悪くも、それは長くは続かなかった。

 次に起こったのは、突如現れた赤々とした爆発と渦を巻く大きな炎。激しい熱波が生じてこちらにまで届き、そのあまりの熱さと激しさに誰もが悲鳴を上げる。

 しかし、熱波が通り過ぎた後に顔を上げたヘンリーたちは、そこに見つけた“それ”に目を大きく見開かせて全身を硬直させた。

 彼らの視線の先にいたのは魔皇ヤルダバオト。

 しかしその姿は先ほどまでの細身で小さなものではなく、この距離でも分かるほどに巨大で赤々と燃え立つ、正に“悪魔”という言葉が相応しいものへと変貌していた。

 それからは小さな声さえも零す者は誰一人としていなくなった。

 目の前で繰り広げられる、幾つもの色とりどりの閃光。しかしその規模は先ほどとは雲泥の差で、その一つ一つ全てが音だけでなく余波をもこちらにまで届かせていた。炎が上がればこちらにまで熱波が届き、氷が降れば冷気がこちらにまで襲いかかり、雷が走れば衝撃がこちらにまで駆け抜け、地が揺らげばこちらの地面も激しく振動する。

 それは正に人知を超えた壮絶な戦い。まるで神話や物語でしか語られぬような戦いが、今自分たちの目の前で繰り広げられていた。

 誰もが圧倒された。そして誰もが魅了された。

 ヤルダバオトが巻き起こす禍々しい破壊の力に対し、迎え撃つ災華皇が放つ力の何と力強く美しいことか……。

 正に“災華皇”という名の通り、災華皇の魔法は全てが色とりどりに咲き乱れる美しい華のようだった。

 災華皇が再び上空に舞い上がり、瞬間、巨大な魔法陣が空一杯に出現する。

 淡く美しい光を放ちながら展開していくそれに、ヘンリーを含むこの場にいる多くの者が両手を胸の前で組んで祈るように見つめていた。

 しかし、その時……――

 

「っ!!?」

「ああっ!!?」

「何が…、一体何が起こったんだ!!?」

「閣下はどうなった!!?」

「いやぁぁぁっ!!」

 

 誰もが眦を裂かんばかりに目を見開かせ、恐怖と絶望の悲鳴を上げる。

 災華皇の勝利を多くの者が願う中、まるでそれを打ち砕くかのように突如地上から幾つもの鋭い閃光が空を切り裂いて上空に浮かんでいた災華皇の身体を貫いた。

 瞬間、空に展開されていた魔法陣が溶けるように消え去り、災華皇も力なく地上へと落下していく。細く小さい黒い影が未だ原形をとどめている建造物の影に隠れるようにして落ちて消えていき、その一拍後、突然紅蓮の炎の渦が地上から爆発するように出現した。

 ヤルダバオトが正体を現した時に発生させた時と同じような光景が再び目の前に現れる。

 しかしその威力は段違いで、こちらにまで襲いかかってきた熱波の威力も凄まじかった。誰もが互いを盾にするように身を縮み込ませて寄り添い合い、吹き飛ばされないように足を踏ん張りながら互いを支える。

 そして漸く熱波が過ぎ去って顔を上げると、そこには変わらず大きな炎の渦が都市の中心部で渦を巻いていた。空は焦げたように赤黒く染まり、多くの黒い灰が宙を漂ってこちらにまで飛んできている。

 誰もが放心したように呆然とその光景を見つめる中、不意に黒い影が頭上に現れたことに気が付いて、誰もが反射的に上空へと目を向けた。

 

「――皆、すぐにこの場から逃げろ! カストディオ団長はどこにいる!?」

 

 突如頭上に姿を現したのは、先ほどまで都市の中心部で激戦を繰り広げていたはずの災華皇。その身に纏う衣装は多くの灰に薄汚れており、至る所が裂け、裾などもボロボロの状態になっていた。

 いつにない災華皇の姿に、誰もが先ほどまでの激戦を頭に過らせて畏敬の念を湧き上がらせる。

 しかし、多くの者から崇拝にも似た眼差しを向けられている災華皇自身はそれに全く気が付いた様子もなく、どこかひどく焦っているようだった。何かを探すように金色の双眸を忙しなく動かし、それでいて何度もこの場を離れるように声を張り上げてくる。

 その予想外過ぎる展開に、人々は誰もが困惑の表情を浮かばせた。

 これまでの災華皇はいついかなる時でも優雅に落ち着き払っており、何かを命ずる時は必ず明確な指示と理由を口にしてくれていた。しかし今の災華皇には余裕もなければ明確な理由の分かる言葉一つとて口にしてはくれない。

 何故こんなにも慌てているのか。

 何故自分たちは逃げなければならないのか。

 逃げるにしても、一体どこに行けば良いのか。

 困惑したまま一歩も動けないでいる聖王国の民たちに、ヘンリーはこのままでは駄目だと判断すると、災華皇に声をかけようと大きく身を乗り出した。

 その時……――

 

「……早く逃げ…っ!!」

「それは許可できないな」

「っ!!?」

 

 不意に途切れた災華皇の声と、まるで覆いかぶさるように響いてきた低い声音。

 気が付いた時には視界が真っ赤に染まり、身が焼けるほどの熱気が襲いかかってきた。

 

「…きゃあああぁぁああぁぁぁぁぁああぁぁっっっ!!?」

「あ、悪魔だぁぁっ!!!」

「ひぃぃっ! た、助け……っ!!」

 

 突如どこからともなく姿を現した魔皇ヤルダバオト。

 ヤルダバオトは宙に浮かぶ災華皇の背後に出現すると、その太く大きな腕を伸ばして災華皇の首をがっしりと掴み捕えた。相当の力がかけられているのか、首を掴まれた災華皇は抗う素振りも見せずに山羊の顔を小さく歪ませている。しかし一切臆することなく鋭い光を宿す金色の瞳に、ヤルダバオトは実に愉快そうに低く喉を鳴らしていた。

 とはいえ、ヤルダバオトの姿もまた災華皇同様に傷ついており、その有様は災華皇以上に酷いものだった。

 顔の右半分は拉げたように歪んで崩れており、全身にも大小様々な傷が刻まれている。災華皇を掴んでいる方とは逆の左腕は二の腕部分が抉れており、赤々とした流れ出る血の隙間から白い骨が覗いていた。

 しかし、一見満身創痍に見える状態であっても、この悪魔はどうやら存在するだけで周辺に害を及ぼすようだった。

 二体の悪魔がいるのは自分たちの頭上の空中。こちらからはそれなりに距離が離れているというのに、ヤルダバオトの身体が高熱を発しているのか、真下にいた人間はその熱気に焼かれて悲鳴を上げていた。更にはヤルダバオトの全身に刻まれている傷から血が流れて下に滴り落ちており、その血液さえも高熱を発しているようでジュゥゥっと言う音と共に触れるものを全て焼いていた。

 多くの人間が少しでも災華皇とヤルダバオトのいる場所から離れようと悲鳴を上げながら逃げ惑い始める。

 しかしその人間の大波に逆らうようにして、一人の少女が足を踏ん張りながら手に持つ弓矢を鋭く構えた。

 

「閣下を離せっ!!」

 

 少女の鋭い声が空気を震わせ、大きく響き渡る。

 そしていざ矢を放とうとしたその時、しかし未だヤルダバオトに首を掴まれている災華皇がまるでそれを止めるかのように掌をこちらに向けて片手を挙げてきた。

 少女は咄嗟に矢を握り直し、攻撃しようとする手を止める。人相の悪い顔に焦りの色を浮かべるネイアに、災華皇の金色の瞳が真っ直ぐに向けられた。

 

「……やめろ。これ以上、“契約違反”を犯して奴に隙を与えてはならない」

「っ!!? ……閣下、何を……!!」

「くくっ、何故この強き王が私に屈したのだと思う?」

 

 動揺のあまり声を震わせるネイアに、ヤルダバオトが不気味な笑い声を零す。

 そして、この場にいる全員にかけられた問いかけ。漸く身が焼かれない場所まで逃れられた人々は、ヤルダバオトからの不意の問いかけに恐怖に色づいていた顔に困惑の色を浮かばせた。

 奴は何を言っているのか。

 そもそも“契約違反”とはどういうことなのか。

 誰一人として言葉を発せずに沈黙が続く中、ヤルダバオトはまるで嘲笑うかのように一つ鼻を鳴らした。

 

「一つは魔力を消費し、万全な状態でなかったこと。……もし万全な状態であったなら、もしかすれば私の方が負けていたかもしれん」

「……っ!!」

「そしてもう一つは……、お前たちの指導者の一人(・・・・・・)が“契約違反”を犯して我が配下を我らの戦場に送り込んだからだ」

「「「っっ!!?」」」

 

 瞬間、この場にいる全員が衝撃のあまり驚愕の表情を浮かべたまま身体を凍り付かせた。ヘンリーもまた、ヤルダバオトが何を言っているのか訳が分からず頭を混乱させた。

 奴は一体何を言っているのか。

 唯の虚言か、それとも本当のことなのか。

 虚言ならば、何故災華皇は否定しようとしないのか。

 不意にヤルダバオトが口にした“指導者”という言葉が頭を過ぎり、幾つかの人間の顔が頭に思い浮かんだ。

 王兄カスポンド・ベサーレス。聖騎士団団長レメディオス・カストディオ。聖騎士団副団長グスターボ・モンタニェス。他にも上層部の一部の貴族や神官たちの顔も頭を過ぎる。

 しかし、そこでふと少し前に見たレメディオスと謎の白いローブたちが会っている光景が脳裏に浮かび、ヘンリーは思わず背筋に冷たい衝撃を走らせた。こめかみから冷たい汗が噴き出し、頬を伝って流れ落ちていく。心臓が急に激しく暴れ始め、耳のすぐ側で鼓動の音が大きく鳴り響いた。頭の中でも警鐘が鳴り響き、思考が止まって真っ白になっていく。

 まさか、まさか、まさか、まさか、まさか……!!

 頭に浮かんだ考えに、ヘンリーは恐怖のあまりゴクッと大きく喉を鳴らした。しかし喉を通るものは何もなく、口の中はいつの間にかカラカラに乾ききっていた。

 

 

 

「………まさか…、レメディオス・カストディオ……?」

「「「っ!!?」」」

 

 静寂の中、不意にポツリと響いた一つの声。

 瞬間、恐怖が一気に明確な形を得てしまったような気がしてヘンリーはゾクッと戦慄を走らせた。

 反射的に振り返れば、そこには目を見開かせたネイアが呆然とした表情を浮かべて立ち尽くしていた。

 彼女も白いローブの集団を見た者の一人である、恐らくヘンリーと全く同じ思考を辿ったのだろう。しかし彼女自身、信じられないという思いを抱いてはいるのだろう。もしかすれば、否定してもらいたくて実際に言葉を口に出したのかもしれない。

 しかし、ヤルダバオトも災華皇も何も言わない。ヤルダバオトはニヤリとした笑みを浮かべ、災華皇は顔を顰めたまま硬く口を閉ざしていた。

 それが何よりの答えのような気がして、ヘンリーは絶望が足元から這い上がってくるような気がした。

 しかし、まるでそれを救おうとするかのように、不意に黙り込んでいた災華皇がゆっくりと口を開いた。

 

「……ヤルダバオト、お前と取引がしたい」

 

 瞬間、この場がザワリっと小さく騒めく。

 突然何を言い出すのかと誰もが不安そうな表情を浮かべる中、ただヤルダバオトだけは変わらぬ不気味な笑みを浮かべていた。

 

「ほう、取引か……。お前は私に一体何を望む?」

「“彼らの時”を」

「では、その見返りとしてお前は私に何を差し出す?」

「……“この身”を…」

「「「っ!!?」」」

 

 瞬間、再びこの場が大きく騒めいた。

 しかし人々の表情にあるのは不安ではなく驚愕と困惑。中には焦燥の色を浮かべる者もおり、ヘンリーとネイアもまたその内の一人だった。特にネイアはこちらが心配になるほどに顔を蒼褪めさせ、動揺も露わに一歩足を踏み出して身を乗り出した。

 

「なっ、何を仰るのですか!? いけません、閣下っ!!」

 

 彼女の声が悲鳴のような悲痛な色をもって響く。

 しかし二体の悪魔は少女には目もくれず、ただ互いだけを真っ直ぐに見つめていた。

 

「下等生物にそこまでするか。……なるほど、このまま殺すにはあまりに惜しいな」

「……それでは…?」

「良いだろう、その取引を受け入れよう。どちらにしろ、この傷では暫くまともに動けん。この者たちには絶望に向けての猶予を与え、その間に私は傷を癒しながらお前を支配してみせよう」

「……望むところだ、魔皇ヤルダバオト」

 

 目の前で交わされる悪魔同士の契約。

 それに、もはや自分たちには何一つ変えることも動かすこともできないのだと突き付けられたような気がした。

 この場は二体の悪魔が支配しており、何かを変えるのも動かすのも、どちらかの悪魔にしかできない。

 ヤルダバオトの言う通り、絶望の闇にゆっくり落とされていく……。

 

「………皆、最善の手立てを…」

「〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉」

 

「災華皇閣下あぁぁぁっっ!!!」

 

 最後にこちらに向けられた金色の瞳と柔らかな声音。

 しかし言葉は最後まで紡がれることなく、紅蓮の悪魔の詠唱によってその姿ごとどこかへとかき消えた。

 残ったのは呆然とした人間たち。

 虚無を孕む静寂の中、少女の悲痛な叫びだけが虚しく響いていた。

 

 




まだ今回の話では謎が残っている状態になってしまいました……(汗)
申し訳ありません! 次回で、次回で一部(?)は謎が解明される予定ですので!!
もう暫くお待ち頂ければと思います(土下座)
後、デミウルゴスが読唇術でウルベルト様の唇の動きを読んでますが、『山羊の唇をどうやって読むんだよ』というツッコミはなしでお願いします!
相手は創造主ですし、被造物パワーで読めたということにして頂ければと思います!(滝汗)

*今回のウルベルト様捏造ポイント
・“守護三連魔神器”;
二メートルほどの青白いクリスタルの杖。武人建御雷作の神器級アイテム。打撃攻撃の他、物理攻撃と魔法攻撃に対する防御力上昇、神聖属性に対する絶対耐性、第三位階魔法と同程度の魔力消費と引き換えに物理攻撃に対してパリィができる。
・〈重力の鎖〉;
範囲攻撃魔法。重力を何倍にもして、範囲内の全てを押し潰す。
・〈蛇の氷樹〉;
第10位階魔法。氷の蛇型の氷結魔法。氷結ダメージのオーラを放っており、咬みついた対象にも氷結ダメージを与える。また、攻撃後は氷そのものになって対象の動きを拘束する。
・〈炎の爆裂波〉;
爆発と共に炎の渦を出現させる。その際、熱波も噴き出し範囲攻撃も行う。

※ダーク・ポーション
原作にあったような気がしたけれど描写を見つけられなかったポーション。アンデッドを回復させるポーションとして見たことがあるような気がしたが、気のせいだろうか……(汗)


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第21話 悪魔の策謀

今話である程度の裏展開(フラグ回収)ができてる……はず……!


「――……ただいま戻りましたよ~」

 

 絢爛な玉座の間の巨大な扉が開き、穏やかで柔らかな男の声が響き渡る。

 高い足音を響かせながら姿を現したのは二体の悪魔。純銀の毛並みを持った山羊頭の悪魔と褐色肌の人型の悪魔。

 彼らは玉座の前に立つ漆黒のローブ姿の骸骨とナザリック地下大墳墓の各階層守護者たちに暖かく迎えられ、悠々とした足取りで玉座の前まで歩み寄っていった。

 

「お帰りなさい、ウルベルトさん」

「「「お帰りなさいませ、ウルベルト・アレイン・オードル様」」」

 

 アインズに続いて階層守護者たちも一斉に迎えの挨拶と共に臣下の礼をとる。

 ウルベルトは軽く手を挙げてそれに応えると、アインズの目の前まで歩み寄った。

 

「ご苦労様です。初めての長期出張で疲れたでしょう」

「大丈夫ですよ、モモンガさん。悪魔なので疲労は感じませんしね」

「それでもですよ。ほら、まずは座ってください」

 

 アインズが短く労いの言葉をかけながら、二つ並んだ玉座を骨の手で指し示してくる。座るように促す声に従ってウルベルトが一方の玉座に腰を下ろせば、アインズも続くようにしてもう一方の玉座へと腰を下ろした。

 因みに、元々この場にある玉座は一つしかなかったのだが、この世界に転移してからシモベたちの手によって早急にウルベルト用の玉座がもう一つ用意されていた。

 アインズは元々の玉座に腰を下ろし、ウルベルトは自分専用の新しい玉座へと腰を下ろす。

 二人が玉座に座ったことで階層守護者たちは何歩か下がり、玉座に向き合う形に移動して改めて片膝をついた。守護者統括であるアルベドと今回の聖王国での作戦立案者であるデミウルゴスだけが、至高の主たちと守護者たちの間の空間に移動して玉座の左右にそれぞれ立ち、場を占めた。

 

「……それにしても、帰ってくるのが随分と遅かったですね。何かあったんですか?」

「いや、ただ次のステージのための下準備をしていただけだよ。何も問題は起きていないさ。なぁ、デミウルゴス?」

「はい、計画は順調に進んでおります。これも全てウルベルト様の深き叡智による手腕によるもの。このデミウルゴス、改めて感服いたしました」

 

 創造主に声をかけられ、デミウルゴスは嬉々とした声と共に胸に片手を添えて深々と頭を下げてくる。

 ウルベルトが思わず苦笑を浮かべる中、それに気が付いていない守護者たちが一様に不思議そうな表情を浮かべて首を傾げた。

 

「デミウルゴス? それは一体どういうことでありんすか?」

「そもそも、今回の作戦はデミウルゴスが考えたんだよね?」

 

 まるで他の守護者たちの心を代弁するかのようにシャルティアとアウラが褐色の悪魔へと問いを投げかける。

 デミウルゴスはシャルティアたちを見やり顔に浮かべている笑みを深めると、次にはまるで伺いを立てるようにアインズとウルベルトを振り返ってきた。

 悪魔の口が開きかけ、しかしそれよりも早く山羊頭の悪魔が口を開いた。

 

「……ふむ、そうだな、折角だ。デミウルゴス、お前の口から皆に説明してやりなさい。お前がきちんと変更点とその理由を理解しているかテストしてやろう」

「はっ、畏まりました」

 

 ウルベルトの言葉に、デミウルゴスは再び深々と頭を垂れる。

 続いて素早く頭を上げると、次には未だ不思議そうな表情を浮かべている他の守護者たちを振り返って改めて姿勢を正した。

 

「まず初めに言っておきたいのだが、今の状況は私が最初に計画していた内容から大きく変化している。それは、恥ずかしいことではあるが、私がまだまだ未熟であり、ウルベルト様御自らが都度手を加えて筋道を修正して下さったからだ」

「修正……? そんなにマズい計画だったの?」

 

 デミウルゴスの言葉に、アウラが更に首を大きく傾げてくる。その顔には『そんなまさか…』という文字がありありと浮かんでいた。そしてそれはアウラだけではなく、アルベドとデミウルゴス以外のこの場にいる全階層守護者たちが同じ表情を浮かべていた。

 ナザリックのモノであれば、誰もがデミウルゴスが非常に優秀な知者であることを知っている。その頭脳から編み出される策謀は見事であり、頭脳戦で彼と渡り合うことができるモノなどナザリックにもほんの一握りしかいないだろう。

 しかし悪魔本人はその顔に小さな苦笑を浮かべていた。

 

「私が思うに、計画の内容以前に、そもそも私の目指す方向性とウルベルト様の目指す方向性自体が違っていたのだよ」

「方向性、ですか……?」

「ドウイウコトダ?」

「私が考えていた方向性は“混乱”と“誘導”だ。しかしウルベルト様が考えておられた方向性は“魅了”と“間引き”だったのだよ。……そうだね、まずは私が考えた計画の内容から説明しよう」

 

 未だ頭上に大量の疑問符を浮かべている守護者たちを見かねたのか、デミウルゴスは説明の方法を少し変えることにしたようだった。

 ここから語られたのは、デミウルゴスが考えていたローブル聖王国攻略作戦の全容。それは正に“悪魔らしい”という言葉が最も相応しい、何とも血生臭く残虐性の強いものだった。

 まず、デミウルゴス扮する魔王ヤルダバオトにより、聖王国は大打撃を受けて北と南に勢力を分断される。そしてヤルダバオトたちは聖王国で一番厄介である聖王女のいる北の勢力に的を絞り、南の勢力に対してはワザと手を抜いて互いの勢力の均衡を崩していく。その際、聖王国の要である三女の内の二人である聖王女と神官団団長を排除。ウルベルトが解放軍に加わった後は王兄であるカスポンド・ベサーレスに扮した二重の影(ドッペルゲンガー)を合流させ、解放軍の中心機関を支配する。ウルベルトには聖王国民の人心掌握に専念してもらい、その間にドッペルゲンガーによって悪魔・亜人連合軍と戦うための舞台を造らせる。そして造られた舞台によって解放軍の約八割を殲滅。弱った解放軍を南の勢力と合流させ、その後ウルベルトに魔王ヤルダバオトを討ってもらう。後は聖王国に残るドッペルゲンガーに南の勢力を躍らせ、聖王国を徹底的に弱体化させた後にそれを救うという名目で魔導国が聖王国の全てを吸収する。

 次々と語られる何とも想像を絶する計画に、無言のまま聞いていたアインズは内心で震えあがった。

 しかし守護者たちの反応はアインズと全く違っていた。アウラとマーレとコキュートスは感心したような表情を浮かべ、アルベドとシャルティアはにんまりとした笑みを浮かべている。

 守護者たちの予想通り過ぎる反応に、アインズは思わず遠い目になった。

 しかし守護者たちはそれに気が付く様子もなく、和気あいあいと楽しそうに会話を続けていた。

 

「話を聞くと、確かに今の状況と違う点が幾つもありんすねぇ」

「フム……、私ハデミウルゴスガ考エタ計画デモ十分ナ結果ガ出セタヨウニ思エルガ……」

「そうだよね……。私もそう思っちゃうけど……」

「ありがとう、コキュートス、アウラ。しかし、至高の御方のお一人であらせられるウルベルト様にかかれば、私の考えた計画など児戯にも等しいものなのだよ」

「や、やっぱり、ウルベルト様にはすっごいお考えがあったんですね……!」

「くふふっ、その通りよ、マーレ。ウルベルト様は人間の思考もよくご存じの御方。ウルベルト様はもっと深く広く数多のものを見ていらっしゃるのよ」

「「「おおっ!!」」」

 

 アルベドの言葉に、途端に守護者たちが感嘆の声を上げながら一斉にウルベルトへと目を向ける。

 ウルベルトは小さく笑い声を零しながら軽く手を挙げてそれに応えているが、同じ仲間であるアインズだけは気が付いていた。ウルベルトが零した笑い声が唯のカラ笑いであり、異形の金色の瞳も先ほどの自分と同じように遠くを見るようなものになっているということに……。

 一心に守護者たちからの尊敬と崇拝の念を向けられている友に、思わず同情の視線を向けてしまう。

 そんなアインズに気が付いているのかいないのか、ウルベルトはアインズに目を向けることなく穏やかな表情を取り繕って褐色の悪魔に声をかけた。

 

「……ありがとう、みんな。まぁ、今は私のことは良いから話を続けなさい」

「はっ、畏まりました」

 

 創造主に促され、デミウルゴスは再び一度頭を下げると改めて守護者たちに向き直る。一度感情のこもった吐息を吐き出すと、両手を後ろで組んでピシッと背筋を伸ばした。

 

「先ほども言ったように、私は“混乱”と“誘導”の方向性でこれらの計画を立てた。……では、次は変更点を一つずつ上げながらウルベルト様の思惑を私の口から説明しよう」

 

 デミウルゴスはまるで小さな子供に教える教師のように、指を一本ずつ立てながら懇切丁寧に変更点と、それによってもたらされる効果や狙いなどを説明していった。

 これまでの変更点は四つ。

 まず一つ目は最初の頃に始末するはずだった聖王女カルカの存在。

 デミウルゴスの計画では彼女は早期に殺す手筈となっていたが、しかしそれはウルベルトの指示によって変更され、実は今もなお生きて悪魔たちの監視下に置かれて幽閉されていた。

 これをデミウルゴスは、ウルベルトがまだカルカには利用価値があると考えたのだと判じた。

 考えてみれば、現在生かして利用している解放軍のレメディオスとカルカは旧知の間柄であり、互いに深い繋がりを持っている。『殺してしまっては利用することもできなくなる』とは至高の41人のまとめ役であるアインズの言だ。カルカを生かしておけば、それだけ利用する幅は広がると思われた。

 次に変更点二つ目は、悪魔・亜人連合軍と解放軍との戦いの結末。

 当初の計画では解放軍は勝ちはするものの勢力の八割を殲滅されて削り取られる予定だった。

 しかし実際の解放軍の被害は4割ほど。生き残る予定のなかった悪魔・亜人連合軍の亜人たちも、その3割ほどが難を逃れて本拠へと帰還を果たしている。

 これをデミウルゴスは、ウルベルトの“間引き”の第一段階であると判じた。

 解放軍に忍ばせた影の悪魔(シャドウデーモン)たちの報告によると、現状既にウルベルトは解放軍に属する人間たちの多くを魅了しているという。この短時間での鮮やかな人心掌握は、流石は至高の御方であると言えるだろう。また、ウルベルトが魅了した者の殆どは聖王国の民ではあったが、中には聖騎士や神官たちも何人か含まれていることも重要なポイントだった。

 通常、聖騎士や神官は解放軍の中心機関に属する存在であり、今は解放軍の頂点である王兄カスポンド・ベサーレスや聖騎士団団長のレメディオス・カストディオの元、一枚岩でなくてはならない者たちである。また、レメディオスがウルベルトに対して殺意すら交じる敵意を持っていることは誰の目から見ても明らか。それでもなお、聖騎士や神官の一部がカスポンドでもレメディオスでもなく、ウルベルトに魅了されているという事実は重要な意味を持っていた。

 つまり解放軍の中心機関は既に一枚岩ではなく、レメディオス派とウルベルト派に別れ始めているということだ。中にはどちらでもなくカスポンドに忠誠を誓っている者もいくらかいるだろうが、聖王国の民の多くがウルベルトを支持している以上、何かあれば彼らはレメディオスよりもウルベルトに味方する可能性の方が高かった。

 そもそもデミウルゴスは当初、聖王国民の心をこちら側に引き入れることは難しいと考えていた。

 人間は自分たち以外の種族を嫌厭する生き物だ。特に宗教と呼ばれるものを重要視している者はより一層そういった傾向が強いと考えられる。如何に至高の御方のご威光に触れたとて、それを理解し受け入れられるほど人間は上等な生物ではないのだ。そうであるからこそ、デミウルゴスは八割もの人間を始末しようと考えていたのだ。

 しかし、自身の予想に反して聖王国民の多くがウルベルトに魅了された。

 となれば話は一気に変わってくる。

 今の解放軍の状況であれば、レメディオス派とウルベルト派を争わせることによって聖王国自体の力を弱まらせ、且つより確実に“間引き”をすることが出来るだろう。何より、至高の御方々に献上するものであれば、それが何であれ中身が少ないよりかは多い方が良いに決まっているのだ。加えて、最終的に国という名の箱に残るのは、ウルベルトを崇拝する駒のみ。これこそ全てを見定めた至高の策謀と言えるだろう。

 だが、ウルベルトの狙いはこれだけでは終わらない。

 次に違う点三つ目は、ウルベルトの傘下に加わったメイド悪魔と亜人たちの存在だ。

 デミウルゴスは以前から、敵を味方に引き入れる行為は時として反感を買うものであると考えていた。それが自分たちを苦しめた存在であったなら、特にその傾向が強いと言えるだろう。

 しかし実際はどうだ。

 ウルベルトがメイド悪魔のエントマや亜人たちを傘下に加えたことで、確かに反感を持った聖王国民は多少なりともいた。しかしその数はデミウルゴスの予想に反して驚くほど少なかったのだ。

 聖王国民の多くは驚愕し戸惑いながらも、災華皇(さいかこう)のすることだからと受け入れていた。中には、自分たちを苦しめた恐ろしい力を持った敵ですら支配下に置くのかとウルベルトに崇拝と畏敬の眼差しを向ける者すら幾人もいたという。

 デミウルゴスはこの報告を聞いた時、これはウルベルトが自身の力を見せつけるために用いた策であり、また周りの反応から悪魔(自分)に対する感情がどういったものであるのかを読み取ろうとしているのだと理解した。

 自身の力を他人に知らしめる方法は幾つかあるが、その一つとして自身の力の末端を見せるという方法がある。しかしこの方法は、力が強大過ぎる場合、時として実際に見せたとしても相手がそれをうまく処理して理解することができない場合もあった。恐らく、そうであるからこそウルベルトはエントマや亜人たちを支配下に置いたのではないだろうか。

 聖王国民を基準とした場合、レベル差が天と地以上に差があるウルベルトと、差はあれどまだウルベルトよりかは短い差であるエントマや亜人たち。

 聖王国の民たちにとってどちらの方が自分たちの中にある尺度で測り易いかと考えると、当然エントマや亜人たちの方が分かりやすいだろうと思われた。

 自分たちの中の尺度において、圧倒的な力の差があると分かる悪魔や亜人たち。

 そして、その存在をも易々と支配下に置くウルベルト・アレイン・オードルという存在。

 エントマや亜人たちを間に置くことによって、より自分の力の強大さを知らしめているのだとデミウルゴスは考え、その深い思考に身震いすら覚えた。そして何より、敢えて反感を買うような行動を起こすことで相手がどういった感情を持ち、どういった行動を起こすのか……彼らの心の中にどこまで悪魔(自分)という存在が入り込めているのかを見極めようとしたのだろうその抜け目なさに、デミウルゴスは恐れすら抱いたのだった。

 しかしウルベルトが彼らを試すために操り出した策はこれだけではなかった。

 それが最後の異なる点、四つ目。ウルベルトが今この場にいることそのものだった。

 デミウルゴスの当初の計画では、ウルベルトは魔皇ヤルダバオトに敗れることなく見事勝利し、聖王国民たちに感謝と崇拝の念を送られる筈だった。しかし現実は大いに異なり『ウルベルトはこれまで聖王国のために尽力してきたことによる魔力不足によって魔皇ヤルダバオトに敗れてしまい、聖王国の滅びへの一時の猶予と引き換えにヤルダバオトに攫われてしまった……』という筋書きに変わっている。

 では何故このような大幅な変更が成されたのかというと、これもまたウルベルトによる聖王国民たちを試す策であり、聖王国に属する者全てに対する“間引き”の一つだった。

 先ほども述べたように、現在の解放軍はウルベルト派とレメディオス派に分かれている。今のままでは、例えウルベルトが勝利を収めて聖王国を救ったとしても、ナザリックが聖王国を手中に収めるにはそれなりの時間を有してしまうだろう。加えて、もしウルベルト派とレメディオス派が大々的に争った場合、どのような終結を迎えたとしても多かれ少なかれ歴史に黒いシミを残すことになる。であるならば、聖王国を手中に収める前に徹底的にシミとなる可能性を排除する必要があった。

 しかし、そうはいっても多くいる人間を一人一人“間引く”のは時間と手間がかかり過ぎる。

 故に今回、ウルベルトは我が身と引き換えに聖王国を救ってみせたのだ。

 一方の派閥で祀り上げられている存在が自身を犠牲にして全てを救ってみせたら彼らは一体どういう行動を取るのか……。

 その行動によって“間引き”の対象となるかが明確になり、また、ウルベルトとデミウルゴスがナザリックに戻る前に行った下準備によって、二つの派閥を孕む解放軍は更に大きな“間引き”を受ける手筈となっていた。

 

「今回ウルベルト様が魔皇ヤルダバオトの手に堕ちたことで、今の解放軍は多くの意味で揺れている筈。……そこに、次のステージへの布石を投入します」

「次のステージへの布石……?」

「それって、さっきウルベルト様が仰られていた次のステージへの下準備のことだよね?」

「い、いったい、何の準備だったんですか……?」

 

 興味津々とばかりに瞳を輝かせる守護者たちに、デミウルゴスが口の端を大きくつり上げる。

 まるで楽しくて仕方がないというように笑みを深めた悪魔は、長い銀色の尾をゆらりゆらりと揺らめかせながらゆっくりと口を開いた。

 

「そう、それは……――」

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 災華皇ウルベルト・アレイン・オードルが魔皇ヤルダバオトに攫われた日の翌日の早朝……――

 何とか無事だった建物内に集まった聖王国の者たちは、現在白熱した舌戦を繰り広げていた。

 室内に集っているのは王兄カスポンド・ベサーレスや聖騎士団団長レメディオス・カストディオ並びに副団長グスターボ・モンタニェス、神官のまとめ役であるシリアコ・ナランホ司祭など、解放軍の上層部の面々。南方からこの地に逃れてきたばかりの南方貴族の六人。多くの聖騎士や神官たち。また、他にもネイア・バラハやオスカー・ウィーグラン、ヘンリー・ノードマン、アルバ・ユリゼンといった、聖王国の中でも特に災華皇に傾倒している面々もこの場に揃っていた。

 彼らがこの場で話しているのは今後の解放軍の行動方針について。

 特に魔皇ヤルダバオトによって攫われた災華皇についてどういった行動を取るかで意見が真っ二つに割れていた。

 

「今すぐ魔導国に行って状況を説明し、閣下を救い出すための協力をお願いするべきです! それ以外にありません!!」

 

 声高にそう主張するのは、今やウルベルト派の代表の様な立ち位置になっている従者ネイア・バラハ。彼女の横にはウルベルトの正式なシモベとなった元聖騎士のオスカー・ウィーグランが立っており、また彼女の背後にはヘンリー・ノードマンやアルバ・ユリゼンなどの比較的ウルベルトと交流を持っていた者たちが立って彼女の意見に同意して首を縦に振っていた。

 熱のこもった少女の意見に、しかし真っ向から反対しているのはレメディオスを筆頭とした聖騎士や神官たち。そして南方の貴族たちもまた、ネイアたちの意見には否定的な態度を取っていた。

 

「そんな時間はない! ここから魔導国まで行くだけでも何日かかると思っている! そんな事に時間も人員も割くゆとりなど我々にはない!!」

「そんな事…っ!? 閣下は我々を救うために身代わりになって下さったのですよ!!」

「だから何だと言うんだ。そもそも、敵の言う一時の猶予とて明確に定まってはいないんだぞ。いつまた悪魔や亜人たちから攻撃を受けるとも限らない! そうなる前に手を打っておく必要があるんだ!!」

「……我々もカストディオ団長の意見に賛成ですな。そもそも、魔導国に行ったところで助力してもらえるとも限らない。逆に災華皇を害したと判断され報復を受けることにもなりかねん。……ここは時間を稼ぎながら対応策を慎重に考えるべきではないだろうか?」

「なっ!! ……貴様らはどこまでっ!!」

「……そちらも重要ですが、私はそれよりもあの悪魔が言っていた“契約違反”の方が気になりますね……。あの悪魔は『お前たちの指導者の一人が“契約違反”を犯して我が配下を送り込んだ』と言っていた。……カストディオ団長殿、何か心当たりがあるのでは?」

「「「っ!!?」」」

 

 激しさを増す舌戦の中、不意にアルバのひどく静かな声が間に割って入ってくる。

 その内容も相俟って、特別大きな声を出したわけではないというのに彼の声は殊更はっきりとこの場にいる全員の鼓膜を震わせた。

 多くの者が思わず息を呑み、反射的にアルバとレメディオスへと目を向ける。

 しかしレメディオスは焦った様子も見せず、ただ深く眉間に皺を寄せた仏頂面を浮かべてアルバを睨み据えていた。

 

「……私にはさっぱり意味が分からないな。………何が言いたい?」

 

 唇から零れ出た声はひどく静かで、彼女にしては珍しくどんな感情の色も含まれてはいない。しかしその身から溢れ出る気配は鳥肌が立つほどの怒気と殺気を帯びていた。

 若い聖騎士であれば恐怖を覚えるほどの鋭く激しい気配。

 しかし真正面から対峙しているアルバは涼しい表情を浮かべたまま、応戦するように絶対零度の視線をレメディオスに向けていた。

 

「……ほう、本当に分からないので? では具体的に申し上げましょうか。まず、災華皇閣下が魔皇ヤルダバオトと戦っている最中に、あなたは白いローブに身を包んだ者たちと会っていたはずだ。その後、その白いローブの者たちは災華皇閣下たちのいる戦場へ向かっていった……。あれは一体何者で、何をさせたのですか?」

「知らないな。何かの見間違いじゃないか?」

「見間違い? 本当に? 私だけでなく他にも多数の目撃情報があるというのに?」

「……………………」

 

 アルバとレメディオスの間で、見えないはずの何かがバチバチと激しく火花を散らす。灼熱と絶対零度の冷気が鬩ぎ合い、どんどんこの場の空気が張り詰めていく。今まで声を荒げていたネイアでさえ、二人の迫力に気圧されて半ば身を縮み込ませた。

 しかしこのままずっとアルバに任せきりと言う訳にはいかず、ネイアは怯む心に活を入れながら必死に背筋を伸ばして胸を張った。

 

「わ、私も見ました! 確かに団長は五人くらいの集団と話をしていたし、その集団は戦場へ向かっていきました!!」

「……私も見ました。あれは間違いなくカストディオ団長でした」

 

 ネイアに続いてヘンリーもまた一歩前に進み出て短く証言する。

 思ってもみなかった話の流れに誰もが困惑の表情を浮かべる中、これまでずっと沈黙を守っていたカスポンドがゆるりと固く結んでいた唇を開いた。

 

「……カストディオ団長、こうなっては言い逃れはできまい。せめて君自身の口から説明してくれ」

「………言い逃れ……? 何を言っている、私は何も言い逃れなどはしていない。こいつらが言っていることは全て偽りだ! 私は何もしていない!!」

 

 鋭い眦を更につり上げながら声を荒げるレメディオスに、カスポンドの重いため息の音が響き渡る。王兄の表情には苦悩と疲労の濃い影が浮かんでおり、先ほどの言葉とも相まってこの男も何かを知っているのだと周りに知らしめていた。一体どういうことかとネイアやアルバたちが注視する中、王兄は諦めたように再度大きな息を吐き出すと、徐に近くにいた兵を呼び寄せて何事かを耳打ちした。

 すぐさま礼を取って部屋を出ていく兵に、他の者たちが訝しげに王兄を見やる。しかしカスポンドは苦い笑みを浮かべるのみで何も言おうとせず、業を煮やしたネイアが再び口を開きかけたその時、まるでそれを引き止めるかのように大きなノックの音が扉から響いてきた。

 反射的に誰もが扉を振り返る中、王兄だけが穏やかな声で入室を許可する。

 一拍後、外側から開かれた扉から姿を現したのは、先ほど室内を出ていった一人の兵だった。

 彼は一度頭を下げて礼を取ると、すぐさま頭を上げて素早い動作で横に立ち位置を移動させた。

 瞬間、兵の背後から現れた二つの小さな人影に、この場にいる誰もが驚愕の表情を浮かべて息を呑んだ。

 そこに立っていたのは美しい容姿をした二人の少女メイド。一人はメイド悪魔のエントマであり、もう一人はこの場にいる誰も見たことのない少女だった。

 しかし、見たことがないとはいえ何者であるかは一目瞭然。

 メイド悪魔であるエントマと共におり、且つエントマとはまた違った変わったメイド服を身に纏っている美少女。

 つまりこの少女も、魔皇ヤルダバオトのシモベであるメイド悪魔の一体なのだと……。

 

「「「っ!!?」」」

 

 瞬間、この場にいる聖騎士全員が一斉に臨戦態勢を取った。

 腰にさしている剣の柄を握りしめる者。実際に剣を引き抜いて構える者。盾を両手で握り締める者。ネイアもまた、ウルベルトに与えられた“イカロスの翼”を握りしめながら腰の矢筒に手を伸ばす。

 しかし少女たちはそれらに一切構う様子はなく、ただじっと無感情な瞳をこちらに向けていた。

 

「皆、落ち着け、彼女たちは我々の敵ではない。既にエントマというそちらのメイド悪魔については知っていると思うが、もう一人の方はヤルダバオトに捕らわれる前に災華皇が支配権を奪うことに成功していたらしい」

 

 カスポンドの説明に、誰もが疑わしげな視線をメイド悪魔に向ける。

 しかし向けられている側は一切表情を動かさない。変わらぬ無表情のまま、二人並んで二歩ほど前へと進み出てきた。

 

「まずは知らない人もいると思うから改めて自己紹介するねぇ~。ウルベルト・アレイン・オードル様のシモベのエントマ・ヴァシリッサ・ゼータですぅぅ」

「同じくウルベルト・アレイン・オードル様のシモベ、CZ2Ⅰ28(シーゼットニイチニハチ)Δ(デルタ)。通称、シズ・デルタ」

 

 間延びした不気味な響きを奏でるエントマとは打って変わり、シズの声音は淡々としていて抑揚がない。感情を感じさせないそれに、エントマとはまた違った不気味さがあった。

 しかしいくら不気味で本性が悪魔であったとしても、見た目はどこまでも可憐な美少女である。この場にいる多くの者が警戒を緩めて困惑のような表情を浮かべ、南方貴族の中には見るからに欲を含んだ視線を向ける者さえいた。

 

「足を運んでもらい感謝する。君たちに聞きたいことがある。……あの時何が起こったのか、我々に教えてほしい」

 

 カスポンドの言葉に、ネイアはここで漸く何故王兄がこのメイド悪魔を呼んだのかその理由に思い至った。

 ウルベルトとヤルダバオト以外にあの戦場にいたのは、謎の白いローブの者たちとメイド悪魔たちのみ。白いローブの者たちが何者なのか分からない以上、もう一方のメイド悪魔に当時の状況などを聞くしかなかった。

 他の者たちもそれに気が付いたのだろう、誰もがメイド悪魔に注視し、聞く姿勢を取っている。

 メイド悪魔の二人は小さく互いに顔を見合わせた後、再び顔を元の位置に戻してシズと名乗った少女が口を開いた。

 

「ウルベルト様はヤルダバオトと戦い、追いつめてた。あのままいっていれば勝てていたはず。でも、そこに邪魔者が出てきてウルベルト様に攻撃した」

「「「っ!!?」」」

「ウルベルト様もヤルダバオトとの戦闘で弱ってた。……それまでの魔力消費も原因としてはあったのかも……。とにかく、いつもであれば無力化できたはずの攻撃を受けて、ウルベルト様は倒れた」

「誰が! 誰が閣下を攻撃したのっ!!」

 

 淡々と紡がれる言葉の羅列に耐え切れず、ネイアが勢い込んでシズに詰め寄る。ここがどこかも相手が誰かも頭から吹き飛んで、ただ感情のままに相手の首元を覆っている独特な柄の布を掴んで握り締めた。度重なる戦闘や張り詰めた日常の中で荒れた手に、ひどく柔らかくすべらかな感触が伝わってくる。きっと高価な布で、一介の従者では一生かけても手に入れることなどできないほどの品なのだろう。

 しかし今のネイアにとってはそんなことはどうでも良かった。

 今頭の中にあるのはウルベルトのことのみ。それ以外のことはどうでも良いとさえ思っていた。

 鬼気迫る形相のネイアに詰め寄られて何を思ったのか、メイド悪魔たちは動かぬ表情はそのままに再び淡々とした声音で爆弾を口にしてきた。

 

「ウルベルト様を攻撃したのは白いローブを身に纏ったモノたち。ヤルダバオトが送り込んだ手下の悪魔」

「「「っ!!?」」」

 

 ウルベルトがヤルダバオトに捕らわれた時もそうだったが、いくら疑っていたからと言って、実際に『そうである』とはっきり言われてしまうとショックを受ける。

 今回も正にそれで、白いローブの者たちがウルベルトの敗北の大きな原因なのだと言われて大きな衝撃を受けた。

 そして、白いローブの者たちと会っていたレメディオスの姿が頭にフラッシュバックする。

 恐らく、そうなったのはネイアだけではないのだろう。愕然となって身動き一つできないネイアに反し、ヘンリーは大きく顔を顰めさせ、アルバもまた顔を歪ませながら拳を強く握りしめていた。

 彼らの視線の先にいるのは、こちらも何故か驚愕の表情を浮かべたレメディオス・カストディオ。

 何故お前が……という言葉が口から飛び出るその前に、レメディオスは信じられないというかのように頭を横に振ってきた。

 

「……そんな、馬鹿な……! そんなはずはない! あの者たちが悪魔だなどと……っ!!」

「カストディオ団長、いい加減話してくれ」

 

 動揺を露わにするレメディオスに、カスポンドの厳しい声が飛ぶ。

 恐らくこの王兄は既にこのメイドの悪魔たちから事の次第を全て聞いて知っていたのだろう。だからこそ、このタイミングで彼女たちをこの場に呼び寄せたのだとネイアは遅まきながらに気が付いた。

 しかしレメディオスの方はまだ頭が回っていないようで、反射的に声をかけてきた王兄に顔を向けたものの、未だその目には混乱の光が強く宿っていた。

 

「……わ、私は……、あいつらが悪魔であることは知らなかった……。……いや、悪魔であるはずがない!」

「では何者だと思っていたんだ?」

「……っ!!」

 

 まるで追及するかのようなカスポンドの言葉と声音に、レメディオスの目が一気に正気に戻る。

 そして混乱の光の代わりに宿ったのは激しい怒りの光。

 憎悪すら感じられるその双眸の苛烈さに思わずネイアが小さく息を呑む中、レメディオスは苦々しげに顔を歪ませながら口を開いた。

 

「……彼らは自分たちのことを、王国の神官であると言っていた。救援を求めて我々が王国を訪れた時、その姿を見て事情を知り、遅ればせながら力を貸したいと思い訪ねてきたのだと」

「なるほど……。だが正体はヤルダバオトの配下の悪魔……。つまり、内部から密かに災華皇を陥れようとはられたヤルダバオトの罠だったか……」

「そう、悪魔にとって契約は何よりも大事。破ることは決してできない。でも、契約に縛られない第三者の手があれば抜け穴を突くことはできる」

「今回ヤルダバオトがウルベルト様と結んだ契約はぁ、『戦闘に参加するのは両者と配下のメイド悪魔のみ。他の悪魔たちは手出ししないように待機させる』っていうものぉ~。でもこれはぁ~、裏を返せばヤルダバオトとウルベルト様の行動を縛ることしかできない契約ぅ~。いくら結果的に契約違反になっても、第三者の行動まで縛ることはできないんだよねぇぇ~」

 

 間延びした口調で説明してくるエントマに、ネイアもその時のことを思い出す。

 確かにヤルダバオトは自分たちの目の前でそのようなことを言っていた。そして嘘かもしれないと疑うネイアたちにウルベルトが言っていた言葉も思い出す。

 『人間はどうか知らないが、少なくとも悪魔にとっては、何かに誓うということは契約のような意味合いを持つ。契約以外の行動がとれるのは、相手側が承知するか、或いは相手側が契約違反をした場合のみだ』と……。

 今回、ヤルダバオトの配下である悪魔を戦場に送り込んだのはレメディオスだ。ならば、いくら悪魔の元々の主がヤルダバオトだとはいえ、少なくともヤルダバオト自身が契約違反を犯したことにはならない。例えそれがヤルダバオトの作戦であったとしても、今回の契約内容だけを考えれば、むしろ契約違反を犯したのはレメディオス……つまりこちら側ということになるのだ。

 

「………はぁ、まんまと踊らされたと言う訳か……」

 

 大きなため息と共に頭を抱える王兄に、ネイアも言いようのない怒りと苛立ちが込み上げてくる。レメディオスの愚かさとヤルダバオトの策略にまんまと嵌ってしまったという事実に、どうしようもない怒りと情けなさが胸の内で荒れ狂っていた。

 しかし続いて聞こえてきたカスポンドの言葉に、自身の感情に呑み込まれかけていたネイアはハッと意識を現実に引き戻した。

 

「エントマ殿、シズ殿、災華皇はヤルダバオトに捕らわれてしまった。……もし、どこに捕らわれているのか分かるのなら、教えてもらえないだろうか?」

 

 王兄の言葉に、ネイアは無意識に鼓動を大きく高鳴らせた。

 そうだ、何故今まで気が付かなかったのだろう。今解放軍にはウルベルトの助力によってメイド悪魔や亜人の一部が加わっている。例え最新の情報を知ることはできなくても、彼らの持つ情報は十分価値の高いものだった。彼らの持つ情報があれば、ウルベルトが捕えられているであろう場所もある程度予想を付けることができるかもしれない。

 思わず期待のこもった視線を向ける中、視線の先にいる二人のメイド悪魔は、互いに顔を見合わせながら可愛らしく首を小さく傾げ合っていた。

 

「う~ん、どうかなぁ~……」

「確かに確率は低い。……でもゼロじゃない」

「ゼロに等しいとは思うけどなぁ~」

 

 暫く互いに何かを相談し合い、続いて結論が出たのか、再びエントマとシズがこちらに顔を向けてきた。

 

「うぅぅ~ん、多分~、高い確率でヤルダバオトのすぐ側にいらっしゃると思うなぁ~」

「98%、ヤルダバオトと一緒にいる。……でも、重要人物を捕らえている場所が他にないわけじゃない。そこが残りの2%。……実際に、何人か重要人物がまだ捕らわれていたはず」

「重要人物? それは一体……」

「例えば藍蛆(ゼルン)の王子。それから、カルカ・ベサーレス」

「「「っ!!?」」」

 

 瞬間、この場にいる全員が驚愕の表情を浮かべて大きく息を呑んだ。

 シズが口に出した二番目の名は、間違いなくこの聖王国を統べる聖王女のもの。

 思ってもみなかった名前の登場に、この場にいる誰もが暫く身動きもできず声を発することもできなかった。

 しかし、それは数十秒間のこと。

 いち早く我に返り次にシズに掴みかかったのは鬼の形相を浮かべたレメディオスだった。

 

「言えぇぇっ!! カルカ様は、カルカ様はどこにいるっ!!!」

「っ!! だ、団長、落ち着いて下さい!!」

「うるさい、放せっ!! カルカ様の居場所をさっさと吐けぇっ!!!」

「……………………」

 

 続いて我に返ったグスターボを筆頭に、多くの聖騎士たちが慌ててレメディオスの身体に手を掛けてメイド悪魔から離そうとする。

 しかし流石は聖騎士団団長というべきか、聖騎士たちの力だけではビクとも動かない。そしてそれはレメディオスに掴まれている側も同様で、シズは掴みかかっているレメディオスの力に対して微塵も動くことなく、ただ静かな瞳でレメディオスを見つめていた。

 

「どうして教えなくてはならないの?」

「知れたことっ! カルカ様をお助けするためだ!!」

「カルカ・ベサーレスの救出については命令を受けていない。優先順位も低い。よって、情報を与えるメリットがないと判断する」

「このっ……、悪魔風情がぁぁあぁぁっ!!!」

「落ち着いて下さい、団長!!」

「下がれ、カストディオ団長!!」

 

 聖騎士たちの静止の声と共に、王兄の厳しい声が飛ぶ。それが功を奏したのか、聖騎士たちは何とかレメディオスをメイド悪魔から引き離すことに成功した。レメディオスも聖騎士たちもゼーッゼーッと荒い呼吸を繰り返している。濃い疲労と焦燥の色を浮かべる聖騎士たちに対し、レメディオスは未だ肩を上下に動かし荒い呼吸を繰り返しながらも鋭い目にギラギラとした光を宿らせていた。

 

「……はぁ、これは一度休憩を挟んだ方が良さそうだな」

「なっ、そんな時間はありません! 早く災華皇閣下を救い出さなければならないのにっ!!」

「気持ちは分かるが君も落ち着いてくれ。焦った思考で判断しても、それは高い確率で失敗に終わる。まずは各々情報と感情を整理する時間が必要だ」

 

 時間を引き延ばすようなことを言う王兄にネイアはすぐさま咬みつくも、逆にまるで幼い子供を諭すように言われてしまう。彼の言う言葉は尤もで、ネイアは反論もできずに強く唇を噛み締めた。

 ネイアが口を噤んだことで、室内に重苦しい沈黙が立ち込める。

 しかし王兄はそれに構うことなく、あくまでも毅然とした態度で会議の一時中断を言い渡した。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「――……とまぁ、このように聖王女が生きているという情報によって解放軍は更なる混乱に陥ると言う訳だ。そして、聖王女を助けようと主張する者とウルベルト様を救うべきと主張する者たちによって解放軍は完全に二分される。これぞ究極の“間引き”と言えるだろうね」

 

 ナザリック地下大墳墓第十階層の玉座の間にて、デミウルゴスが嬉々とした笑みと共に説明する。

 分かりやすい悪魔先生の説明に、他の守護者たちも嬉々とした表情を浮かべて顔を輝かせていた。

 

「つまり、あの王女を生かしていたのは全てこのためってことね!」

「フム、同ジ状態ニアル自国ノ統治者ト他国ノ統治者ガイル状況ヲ作ルコトデ、ドチラヲ救ウカ選択サセ、ソレニヨッテ相手ノ優先順位ヲ把握スル……。流石ハ至高ノ御方、私ニハ考エモツカヌコトダ」

「でも、普通は自国の統治者を選ぶものではありんせんこと? なら、わざわざこんなことをしなくても最初から皆殺しにした方が手っ取り早いと思いんすが……」

「ふふっ、だからこそ良い条件での“間引き”ができるのよ。常識を超えてウルベルト様を選んだ者たちは、間違いなくウルベルト様の崇拝者であると言えるでしょう。将来、この世界を全て魔導国の色に塗り替えていくにあたり、そういった存在は必要だわ」

「わあぁっ、流石は至高の御方様ですっ!!」

 

 アインズとウルベルトが見守る中、守護者たちは各々でとても楽しそうに盛り上がっている。しかし話題の中心となっているウルベルトはどんどんと遠い目になっており、隣に座っているアインズはそんな友の様子に内心ハラハラとしていた。『もう止めてやってくれ! ウルベルトさんのライフはもう0だ!』と言ってやれたらどんなに良かったか……。しかしシモベたちからの信頼を思えば軽率な言動をする訳にもいかず、どうしたものかと頭を悩ませる中で目の前の褐色の悪魔が動きを見せた。

 満足そうな笑みを守護者たちに向けた後、徐にこちらを振り返ってくる。

 デミウルゴスはウルベルトの前まで歩み寄ると、片手を胸に当て腰を少し折りながら近くなった創造主の山羊の顔を見つめた。

 

「いかがでしたでしょうか、ウルベルト様?」

「……ああ、よく理解したな、デミウルゴス。流石は私の最高傑作だ」

「恐れ入ります」

 

 ウルベルトに褒められ、デミウルゴスの長い尾が嬉しそうに左右に激しく揺らめく。どうやら返事をする前に空いた不自然な間については気が付いていないか気にしていないらしい。

 未だ少し遠い目になっていながらも何とか気持ちを持ち直した様子の友に内心で安堵の息をつく中、その友であるウルベルトは小さく身じろいで玉座に座り直した。

 どうしたのかと改めて視線を向けるアインズに気が付いているのかいないのか、ウルベルトは山羊の長い足を優雅に組むと、右肘を玉座の肘掛について右手の甲に軽く顎を乗せた。

 そのポーズは紛れもなくウルベルトがロールプレイをする合図。

 思わず注視するアインズの目の前で、ウルベルトは未だ腰を折っているデミウルゴスを元の体勢に戻させながら柔らかな笑みを山羊の顔に浮かばせた。

 

「そうだな、得点としては100点満点中95点と言ったところかな。お前の推理は全て正しかったが、一部分だけ抜けているところがある」

 

 ウルベルトの言葉に、目の前の悪魔は勿論のこと、アルベドや他の守護者たち、そしてアインズ自身も驚愕の表情を浮かべる。

 ウルベルトはそんな彼らの様子に笑みを深めた後、穏やかな声音で語られなかった一部の狙いを説明し始めた。

 

「聖王女カルカ・ベサーレスを生かした理由について、補足説明をさせてもらおう。聖王国の者たちにとって、一番心の支えとなっているのは聖王女の存在だ。それは王兄であるカスポンドであっても代役できるものではない。もしカスポンドを聖王に就かせた後に聖王国を吸収したとしても、聖王国の者たちは意識的・無意識的に関わらず、心のどこかで『もしカルカであったなら……』という考えを捨てることはないだろう」

 

 聖王女カルカ・ベサーレスは、これまでの王族に比べると随分と民に寄り添っていたと聞く。

 これまでこれといった悪政をしてこなかったこと。そして何より、例えその姿を実際に目にする民は少なくとも、民の目線に沿った『誰も泣かない、弱い民も幸せに生きられる国を創る』という彼女の言葉は広く聖王国に知れ渡っていた。

 彼女は正に聖王国の者にとっては聖女であり、王であり、親しみを持つべき統治者だった。

 であるならば、国に変化が起こった時、彼らの思考はどうなるか……。

 もしその変化が悪いものであったなら『カルカがいれば……』と涙し、心の拠り所とするだろう。

 もしその変化が良いものであったとしても『ここにカルカがいればどうなっていただろう?』と考える者がいるに違いない。

 つまり、どんな状況であろうとカルカの影と影響が聖王国の統治に付いて回るということだ。新たな統治者からしてみれば、これほどやりにくいものはない。

 

「……となれば、聖王女を生かして一度解放軍に合流させ、その後に聖王国の者たちの目の前で落とす必要がある」

「……落とす……?」

「つまり、心の支えという役割から降格させるのさ。そして、ここで何より重要なのは聖王国の者たち自らでカルカの存在を降格させることだ。自分から心の支えでなくさせた者を、後から思い出そうとはしないだろう?」

 

 ニィッと浮かべられた笑みは、ひどく悪魔らしいもの。真正面から見てしまったその笑みにアインズは思わずゾクッと悪寒を走らせた。

 しかしウルベルトは感動したような表情を浮かべているデミウルゴスに意識を向けており、先ほどのデミウルゴスと同じようにピッと人差し指を立ててみせていた。

 

「それから、もう一つ理由がある。……聖王女様に是非とも“最終的な悪役”の役割を担ってもらおうと考えているのだよ」

「“最終的な悪役”、でしょうか……?」

「そうだ。人間は誰しもが心の中で絶対的な悪者を欲している。例えば不幸なことが起こり、それが単なる不運な事故だったとしても、それによって自分に不利益が生じたなら人間はその代償を支払わせる生贄を求めるものなのだよ」

「……………………」

「お前の計画では、その生贄となる悪者はヤルダバオトにする予定だっただろうが、しかしヤルダバオトが私と同じ悪魔である以上、ヤルダバオトを最終的な悪役で終わらせてしまっては今後の統治に支障をきたす恐れがある」

 

 これまでウルベルトは『悪魔は全てが同じと言う訳ではない』ことや『悪い悪魔もいれば、良い悪魔もいる』的なことを解放軍の者たちに事ある毎に伝えてきたつもりだ。しかし、どうしてもこちらの言葉が届かない者は存在する。一時は納得したとしても、心の中では理解しきれていない者も少なからず存在するだろう。そういった者たちを完全に“間引く”ことは難しい。

 ならば方法は一つだ。

 “最終的な悪役”を悪魔ではなく、他の別の者に担ってもらえばいい。

 

「聖王女と……ついでにあの団長殿に“最終的な悪役”になってもらう。どちらも“聖”王女に“聖”騎士だ、ある意味聖王国を代表する存在でもある。彼女たちを贄とし、ついでに先ほど言った聖王国民の心の支えからも降格させる。そしてそれは、聖王女が生きているからこそできる作戦だ。……良い考えだと思わないかね?」

 

 まるで悪戯の内容を披露する子供のように無邪気な笑みを浮かべて恐ろしいことを宣う。

 友の悪魔の面を目にして恐れ戦くアインズとは対照的に、守護者たちはキラキラと顔を輝かせて何度も大きく頷いていた。デミウルゴスなどは興奮のあまりブンッブンッと激しく尾を振りながら嬉々とした笑みを浮かべている。

 ウルベルトは守護者たちに肯定されて気を良くしたのか、満足そうな笑みを浮かべて金色の瞳を怪しく細めさせた。

 

「……さてさて、賽は投げられた。誰がどちらに転ぶにせよ、全ては彼ら自身の選択から齎された結果だ。俺たちは暫く高みの見物に洒落込みましょう」

 

 まるで歌うように言う山羊頭の悪魔に、守護者たちは笑みを浮かべたまま恭しく頭を下げる。

 アインズは一つ小さな息をつくと、どこまでも楽しそうな友とシモベたちの姿に思わず骨の顔に小さな苦笑を浮かばせた。

 そこには既に先ほどまでの恐怖の色は全くない。

 あるのは友に対する親しみのみで、アインズは生き生きとしている友の姿に最後には柔らかな笑みを浮かべるのだった。

 

 




シズの口調が若干迷子中……。
違和感などありましたら申し訳ありません……(土下座)


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第22話 水面下の微笑み

お待たせいたしました、漸く執筆再開です!


 無人だった室内の扉が不意に外側から開かれる。

 現れたのは骸骨と山羊頭の悪魔の二体の異形で、彼らは躊躇いなく室内へと足を踏み入れた。まずは骸骨が近くにあったソファーに腰を下ろし、続いて山羊頭の悪魔が向かい合うような形で一人用のソファーに身体を沈める。そして二体はほぼ同時に深く重く長く大きなため息を吐き出した。

 ここはナザリック地下大墳墓第九階層にあるアインズの私室。

 第十階層の玉座の間で守護者たちとこれまでのことを話した後、アインズとウルベルトはシモベたちに一時解散を命じると自分たちはプライベートルームに引き上げたのだった。

 シモベたちの目が一切ない場に逃げ込めたことで漸く一息がつけ、アインズはそのままダラリとソファーに深く背を預ける。一方、向かいに座るウルベルトは優雅に足を組むと、大きなため息を吐いた姿勢を正してクスクスと笑い声を零していた。

 

「随分とお疲れのようですね、モモンガさん」

「……一体誰のせいだと?」

「さあ、誰でしょうね~」

 

 ワザとらしくジロッと睨むも目の前の悪魔はどこ吹く風。組んだことで宙に浮いた右側の足先をユラユラと揺らす様に、アインズはもう一度大きなため息をついた。

 

「そりゃあ、疲れますよ。……ウルベルトさんだってさっき大きなため息ついてたじゃないですか」

「まぁな。でも、もう幾らか回復した。それにほら、俺悪魔だから疲労のバッドステータスないし」

「俺だってアンデッドですよ」

 

 言外に『肉体ではなく精神的疲労だ』と伝えれば、ウルベルトも『分かってますよ』とばかりににっこりとした微笑みを浮かべてくる。その一癖も二癖もある胡散臭いまでの爽やかな微笑に、ふと朱色の悪魔の姿が重なって見えた。流石は親子だな~……と現実逃避のように心の中で呟く。しかしすぐさま小さく頭を振ってぼんやりとした思考を吹き飛ばすと、半ば無理矢理頭を切り替えた。

 

「……それにしても、さっきはすごかったですね。正直、ウルベルトさんがあそこまで考えていたとは思いませんでした。いつの間にあんな策士になっていたんですか?」

 

 玉座の間での会話を思い出し、小さく首を傾げながら山羊頭の悪魔に問いかける。しかし悪魔は金色の山羊の目をぱちくりと瞬かせると、次にはおかしそうにククッと喉を鳴らしてきた。

 

「策士って……。いやいや、そんなわけないでしょう。玉座の間での会話は殆ど、いつも通りのデミウルゴスの勘違いと想像ですよ」

「えぇぇっ!? い、いや、でも、ウルベルトさんだってデミウルゴスと同じくらい胸張ってドヤ顔してたじゃないですか! 最後には補足なんかもしちゃってたし……」

「ああ、あれですか。あれは唯の思い付きですよ。あの場でふと思いついたから言ってみただけです。聖王国での行動も……まぁ、少しは狙ってやってた部分もありますけど、デミウルゴスみたいに深く考えてやってたわけじゃない」

「……えぇぇー……」

 

 あっけらかんと言ってくる悪魔に、こちらは開いた口が塞がらず言葉も出てこない。『いやいや、思い付きでやってたって嘘だろ……』というのが正直な思いだった。

 玉座の間で聞いた計画内容は――その善悪や残虐性などは別にして――聞いていて大いに納得できるものだった。『全て狙ってやった』と言われても驚愕だが、『思い付きのままやったらこうなった』と言われても、それはそれで脅威に思えた。

 確かにアインズとて今までずっとその場のノリや思い付きで行動してきた。しかし今回のウルベルトとこれまでの自分とを比較した時、どうにも自分とは全く違うようにしか感じられなかった。

 その中でも大きく違うのは、全体的な流れの傾向とその緻密さだ。

 アインズの場合、どうしても行き当たりばったりな傾向が強く、それはアインズ本人も自覚している。アインズもアインズなりにいろいろと考えながら一つ一つを判断して行動しているのだが、いかんせんそれらは単発的なものが殆どだった。しかしその単発的な行動を守護者たちが全て変に捉えて繋げてしまい、最終的に複雑な流れが完成してしまうのだ。その度にアインズ自身も四苦八苦しながらなんとか納得できるように話を組み立て直すのだが、それを更に守護者たちが変に受け取ってしまうのだから手に負えない。その最もたる存在が目の前の悪魔の最高傑作なのだからアインズとしては頭が痛く感じられた。

 しかし、ウルベルトの場合は違う。

 デミウルゴスが説明した内容もウルベルトが話した内容にも、こんがらがったような複雑さは一切なかった。まるで全てが最初からそうであったかのように綺麗な流れを作り出しており、そこには少しの綻びもない。ウルベルトが四苦八苦している様子も一切なく、一体自分と何が違うのかと知らず大きく首が傾いてしまうほどだ。

 実際に首を傾げるアインズに、ウルベルトは更におかしそうに喉を震わせる。悪魔は暫く笑った後、一つ大きく息をついて肩を竦ませた。

 

「そこまで大したことじゃありませんよ。自分の中で大体の大筋は考えて決めておいて、後はその場のノリで行動しただけですし。細かい部分はデミウルゴスの想像に任せてる感じですね。ほら、モモンガさんもよくやってるでしょう? 『私の考えを看破するとは流石だ!』っていうアレと同じですよ」

「いや、それはそうなんでしょうけど……。それにしては俺と違って苦しいところが一切なく感じたんですけど……」

「それはまぁ、デミウルゴスは俺と同じ悪魔だからな。それにデミウルゴスは俺が創ったから、そもそもの考え方がある程度俺と似ているだろうし」

「なるほど……。思考回路が一緒、或いは似通っているというのは結構重要そうですね……」

 

 ウルベルトの推測に、顎に手を添えながら何度も頷く。しかし仮にその推測が当たりだったとして、それを自分自身に活用するのは難しそうだった。

 なんせ、そもそも悪魔の思考というのが良く分からない。いや、この場合は『ウルベルトとデミウルゴスの思考が良く分からない』と言った方が正しいのかもしれない。

 なんせこの二人は唯の悪魔ではないのだ。

 唯の悪魔の思考回路であれば、ただ単純に全てを残虐的に考えれば良いだけだろう。しかしウルベルトとデミウルゴスの思考回路には残虐性だけではないあらゆるものが含まれているようにアインズは感じていた。それこそ、ウルベルトが良く言っている『悪の美学』という奴だろうか。もしそうであるならば、尚のことアインズでは彼らの思考を事前に予想することなどできないように思われた。

 

「……そういえば、ウルベルトさんの言う大体の大筋ってどんなものなんですか?」

「ん?」

「さっき“自分の中で大体の大筋は考えて決めている”って言っていたでしょう? 今回の聖王国攻略作戦は本当はどんな大筋を考えていたんですか?」

「ん~、そうだな~……。まぁ、あまり死人が出過ぎないようにとは考えてましたかね……。あいつの計画は効果的だけど死人が出過ぎる」

「えっ、いや、でも、それにしては“遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)”で様子を見る度にノリノリでいろいろやらかしてたように見えましたけど……」

「そりゃあ、まぁ、そうはいっても俺も大抵は『今より面白くなりそうかな~』って感じで行動してましたからね」

「うわ~、悪魔だ~」

「悪魔ですよ」

 

 互いの軽やかな掛け合いに、どうしようもなく笑いの衝動が湧き上がってくる。

 思わず吹き出すように笑い声を零せば最後。まるで堰を切ったかのように次々と零れ出る笑い声に、アインズとウルベルトは暫く互いに朗らかに笑い合った。

 

「ははっ! まぁ、そうは言ってもどっちみち酷いことになってるのは否定しませんがね。けど、俺だって別に聖王国を滅ぼそうと思っている訳じゃありませんよ」

「う~ん、嘘くさい」

「ひどいな~。勿論楽しんでいることも認めますがね。ただ、別に俺から貶めたりはしてませんよ」

「……え……?」

 

 意外な言葉に、アインズは思わず目を瞬かせた。実際には瞼などないため眼窩の紅の灯りが点滅しただけだったが、ウルベルトはしっかりとアインズの表情を読み取ったようだった。なおもクスクスと笑い声を零しながら、ウルベルトはひょいっと肩を竦ませた。

 

「聖王国の今の状況は別に俺がそうなるように誘導したわけじゃない。確かに少し煽ったりはしましたけど、別にワザとどん底に突き落とそうとまではしてませんよ。逆に多少の手助けや幾つかのヒントもあげてきたはずなんですけどねぇ~。全てはあいつら自身の選択が招いた結果ですよ」

「……………………」

 

 まるで歌うように宣う悪魔に、アインズは無言のまま再び顎に手を添え、果たしてその言葉通りだったかと記憶を巡らせた。“遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)”で見た光景や定期的にアルベドとデミウルゴスから聞かされた報告の内容を思い出す。

 頭に浮かぶ幾つもの情報を元に暫く熟慮した後、アインズはジワジワと寒気が背骨を這い上るような感覚に襲われた。

 言われてみれば確かに、ウルベルト自身は一切聖王国が不利になるようなことはしていなかった。

 勿論、時折レメディオスに対してちょっかいを出してはいたが、そもそもそれもレメディオスの態度が論外であったからこそ問題になっただけであって、言うなれば聖王国側が招いた結果とも言える。その他にウルベルトがしたことと言えば、先ほどの言葉通り、聖王国に手を貸したり、小さなヒントを与えていたくらいだ。もし聖王国がウルベルトの手助けを最大限活用し、与えられた幾つものヒントに全て忠実に従っていたなら、恐らく今ほどの悲惨な状態にはなっていなかっただろう。

 ならば何故聖王国が今このような状態に陥っているのかというと、ウルベルトの言葉通り、全ては彼らの選択によってもたらされた結果だった。

 ある時はヒントを無視し、ある時はそれがヒントであることすら気が付かず、彼らは自分たちの判断の元に自ら闇の奥へ奥へと落ちていった。自分たちでも出来ると自らの力を過信し、時にウルベルトの手助けすらも拒否し、受け入れずに命を落とした者も多くいただろう。ウルベルトに助力を求め、正しくウルベルトの力を活用できていたのは、アインズの知る限りでは聖騎士団副団長のグスターボ・モンタニェスと聖騎士のヘンリー・ノードマンと神官のアルバ・ユリゼンの三人くらいだろうか。ヒントに至っては、殆どが無視されていたような気がする。

 

(……う~ん、まぁ、それに関してはヒントを与えるのが殆どあの聖騎士団団長か王兄に成りすましてる二重の影(ドッペルゲンガー)だったから仕方がないと言えば仕方がないのかもしれないけど……。)

 

 そもそもヒントを与える人物が間違っていると思わなくもなかったが、しかしそこまでこちら側に求めるのは筋違いというものだろう。第一、彼らの立場を考えればヒントを与える人選も間違っているとは言えないのだ。

 やはりウルベルトではなく聖王国側が悪いな……と判断すると、アインズは無言で一つ頷いた。

 

「納得してくれました?」

「まぁ、一応は……。つまり、ウルベルトさんは全てを彼らの選択に任せていて、今後もそのスタンスは変えないってことですか?」

「そうだな。基本的には今まで通りで行こうと考えてます。彼らがどんな選択をしてどういった結末を迎えるのか、興味深くないか?」

「悪趣味に思えなくもないですが……、否定はしませんよ。でも、彼らが正しい選択をしたらどうするんですか? 例えばさっき玉座の間で言ってた聖王女の件だって、彼らの選択によっては“最終的な悪役”にできなくなるんじゃないですか?」

「だろうな」

 

 懸念を口にすれば、悪魔はあっさりと頷いてくる。

 再びあっけらかんとした態度に、アインズは思わず呆気にとられた。

 

「いやいやいや、『だろうな』じゃないでしょう! どうするんですか!」

「だから、どうもしないさ。俺はそもそも見極めるために聖王国に行ったわけだしな。彼らが正しい選択をしたのなら、それはそれで構わない。また別の方法を考えれば済むことさ」

「……その別の方法を考えるのはデミウルゴスに丸投げするつもりなんですよね?」

「あははっ、本当にウチの子は優秀で嬉しいな~」

 

 ワザとらしく笑い声をあげる悪魔に、思わずジトッとした視線を向ける。ウルベルトの声音が完全棒読みに聞こえるのは勘違いではないだろう。これではデミウルゴスが可哀想だ……と考えかけ、しかし途中でふと何故か嬉々として銀の尾をブンッブンッと振っているデミウルゴスの姿が頭に浮かんできた。

 

「大丈夫ですよ。あいつ、俺に頼られたりするとすっごく嬉しそうですし。多少の無茶振りをしても『期待して下さっている!』って逆に燃えるみたいで……」

 

 まるでこちらの思考を読んだかのように、ウルベルトが言葉を続けてくる。その声音には並々ならぬ実感のようなものが込められているような気がして、アインズは思わず改めてウルベルトへと目を向けた。悪魔の金色の瞳が遠い目になっているのを認め、アインズもまた思わず半笑いのような笑みを浮かべた。ウルベルトの言うデミウルゴスの姿が鮮やかに想像でき、何とも言えない脱力感が湧き上がってくる。

 この口振りからして、ウルベルトは実際に既にデミウルゴスとそういった会話をしたことがあるのかもしれない。ならばこれほど説得力のあるものはないだろう。

 アインズは小さく息をつくと、この件についてはこれ以上突っ込まないことにした。代わりにウルベルトの思考について思いを巡らせる。

 今回、聖王女を利用しようと言っていたウルベルト。そして今は、全ては聖王国の者たちの選択次第だと言っている。『人間は悪役を欲している』という言葉も、『全てを相手の選択に委ねる』という考え方も、思えば現実世界(リアル)での過去があったからこそなのかもしれないとふと思った。

 自分たちが生きてきた現実世界(リアル)はひどく薄汚れて澱んでいて、貧困層であればあらゆる悪意に呑まれる機会が多かった。

 “それ”に自身が関わっているかどうかなんて関係ない。何かが起こり、その場に自分がいれば、悪意は間違いなくこちらに襲い掛かってくる。“悪役”を決め、それを退治し、自分は“正しい”と正当化して心の平穏を保つ。

 そう考えれば、なるほど確かに人間は“悪役”を欲するものであるらしい。

 また、選択肢についても同じだ。

 現実世界(リアル)では……その中でも貧困層の者は特に選択肢というもの自体がそれほど存在してはいなかった。

 生きるか死ぬかは決められる。しかし、どうやって生きるかの選択肢は存在しない。

 それを思えば、選択ができるだけでもマシと言うものだろう。

 選択肢すら与えられず、決められた道を泥水を啜るかのように生きてきた自分たち。片や、救われる選択肢があるにも拘らず、自らの選択によって地獄に落ちていっている聖王国。

 もしかすれば『全てを彼らの選択に任せる』と決めたウルベルトの中には強い皮肉の意も含まれているのかもしれない。

 しかし例え本当にそうであったとしても、アインズにはウルベルトを止める気持ちは欠片もなかった。

 動く感情など存在しない。あるとすれば、その皮肉を抱いているウルベルトに対するものとナザリック全体に対するものだけだ。それで良いのだと心の底から思っている時点で終わっているのかもしれない……と心の底で独り言ちながら、アインズは静かに小さな自嘲の笑みを浮かべた。

 

 

「――……さて、彼らの選択によってはモモンガさんの力も借りるかもしれないので、その時はよろしくお願いしますね」

 

 こちらの表情や思考に気が付いているのかいないのか、ウルベルトは変わらぬ笑みを浮かべたまま弾んだ声を投げかけてくる。

 アインズは思わず小さく息をつくと、浮かべていた自嘲の笑みを普通の笑みに変えて一つ頷いて返した。

 

「……分かっていますよ。ただし、その時はウルベルトさんもフォローをお願いしますね」

「ええ、勿論。頼りにしてますよ、ギルマス」

 

 ウキウキしている様子の悪魔に、アインズはやれやれと頭を振る。

 しかしアインズもまた、大きな確率で訪れるであろうウルベルトとの共同作戦に自身の心が楽しげに弾んでいるのを感じていた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 同じくナザリック地下大墳墓第九階層の住居エリア。

 階層守護者の中では唯一このエリアでの私室を与えられたアルベドは、現在朱色の悪魔を招いてティータイムを楽しんでいた。

 尤も、この二人の間に個人的かつ親密な繋がりがあるわけではない。アルベドとデミウルゴスが今この場にいるのは、先ほど玉座の間で述べられた一連の計画と今後の計画について意見を交わし合うためだった。

 部屋の隅に控えていた一般メイドが徐に歩み寄り、中身が少なくなったアルベドのティーカップへと新たな紅茶を注ぎたす。

 最後に一礼と共に下がるメイドに、しかしアルベドは一切意識を向けることなく、当然のように注ぎたされた紅茶を一口飲んでから改めて目の前の悪魔を見やった。

 

「取り敢えず、ここまでご苦労だったわね、デミウルゴス。アインズ様とウルベルト様も大変お喜びのご様子だったわ」

「いや、先ほど玉座の間でも言ったけれど、全てはウルベルト様のお力によるものだよ。ウルベルト様の深き叡智を思えば、私などまだまだだと痛感させられたよ」

 

 小さく頭を振る悪魔は、しかしその言葉に反して嬉々とした笑みを浮かべている。目の前の悪魔が今何を思っているのかを正確に読み取り、アルベドは同意するように柔らかな微笑を浮かべながら小さく頷いた。

 

「ええ、本当に。流石は至高の四十一人の御一人であり、アインズ様の盟友でいらっしゃるわ。至高の御方々の叡智はわたくしたちの思考など飛び越えて、世界全体を見据え、何百年も先の未来を見据えていらっしゃる。……本当に恐ろしい御方」

 

 最後の言葉は熱い吐息と共に吐き出され、アルベドの顔に浮かんでいる表情は恍惚とした笑みに蕩けている。

 アルベドは湧き上がってきた畏敬と崇拝の念に一度フルッと全身を小さく震わせると、一息の後に元の冷静な表情へと戻した。

 

「それで、デミウルゴス……、これからはどう動く予定になっているのかしら?」

「ふむ、全ては聖王国側の選択次第だろうね。幾つかパターンを想定して計画を立てているので、そのどれかになるとは思いますが」

「聖王国側の選択次第……。何故ウルベルト様は事ある毎に敢えてあの者たちに選択を委ねるのかしら。ウルベルト様であれば、彼らをご自身のご計画に引きずり込むことなど容易でしょうに」

 

 疑問の言葉と共に小さく首を傾げる様は、普段の清涼な雰囲気から一変してとても可愛らしい。まるで幼気な少女のような可愛らしさを見せるアルベドに、しかしデミウルゴスは一切心を動かした様子もなく笑みを深めるだけだった。

 

「それに関してもウルベルト様には深い思惑があるのでしょう。……考えられるとすれば、敢えて選択肢を与えることで人間という種族の非力さや愚かさを彼ら自身に知らしめるため、というものだが……。その他にも何かしらの狙いがあることは間違いないだろうね」

「ええ、私もそう思うわ」

 

 悪魔の言葉に満足し、アルベドは満面の笑みを浮かべて一つ頷く。

 悪魔の言う通り、至高の御方であるウルベルトがそれだけのために聖王国側に選択肢を与えているとは思えない。もっと深い狙いがある筈なのだ。その詳しい内容に思い至れぬ自身の愚鈍さに知らず出そうになったため息を咄嗟に呑み込みながら、アルベドは目の前の悪魔の表情をじっと見つめた。

 銀縁の眼鏡に飾られた褐色の顔にはいつもと同じ笑みが浮かんでおり、そこには至高の御方に対する崇拝の念しか見られない。しかしどうにもいつもと違う色が隠れているように思えて、アルベドは更に悪魔の表情に目を凝らした。

 

「……あなたは現地にいたのだから、私たち以上に何かしら感じるものがあったのではないかしら」

「ふむ、どういう意味かね、アルベド?」

「ふふっ、そんなに警戒しないでちょうだい。私はただ、あなたが羨ましかっただけなの。私の役目はこのナザリックの管理の代行と守護。勿論、とても栄誉ある務めであることは分かっているけれど、至高の御方々と共に何かの計画を実行するというのはとても魅力的で羨ましく思えてしまうのよ」

 

 思わずといったように苦笑を浮かべるアルベドに、デミウルゴスも同意するように頷いてくる。

 アルベドの言葉はナザリックのシモベならば誰しもが心の内に思うであろう“欲”であり、当然のものだった。恐らくナザリックのモノならば、アルベドの言に苦言を呈するどころか心底同意を示すことだろう。

 

「正に君の言う通りだね。我々は御方々にお仕えするべく創造された被造物。御方々のすぐ傍でお仕えしたいと望むのは、至極当然の感情だと思いますよ」

「ふふっ、ありがとう、デミウルゴス」

「それに、御方と共に何かを遂行するというのは、それだけ御方の深い叡智や偉大さをより強く感じることができるということ。私も今回のことで何度ウルベルト様の思慮深さや人心掌握の見事さに敬服し、この身を震わせたことか……!!」

 

 感極まったかのように嬉々とした声を上げながら実際に身を小さく震わせる悪魔に、アルベドは再び羨望の欲を胸に湧き上がらせる。

 しかし今回はそれを面に出すことなく胸の内に押し込めると、いつもの微笑と共に小さく頷いてみせた。

 とはいえ、どんなに取り繕おうとしたところで元来素直な性格の彼女である。柔らかな弧を描いている唇から零れ出たのは、彼女の感情を素直に表すものだった。

 

「……嗚呼、本当に羨ましいわ。わたくしも同じような御役目を頂きたいもの……」

 

 ほぅ……と熱のこもった吐息を零す女淫魔に、悪魔の常につり上げられている唇の端が更に大きくつり上がった。

 

「聖王国の選択次第では、君も役目を貰えることでしょう。そしてそうなる確率は非常に高い……。もしそうなった時には、よろしくお願いしますよ、アルベド」

「ええ、勿論よ。……くふふっ、今から楽しみだわ」

 

 一般メイドたちが見守る中、悪魔と女淫魔の不気味な笑い声が楽しげに響き続けた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「――……くそっ…!!」

 

 鋭い声と共に鈍い打撃音が響く。

 苛立ちのあまり近くにあった建物の壁に拳を打ち付けたネイアは、じんじんと痛みを訴える拳の感覚と共に決して消えることのない苛立ちに顔を大きく歪ませた。

 儘ならぬ現実に怒りと遣る瀬無さが募る。災華皇(さいかこう)を助けたいのに行動できぬ我が身が憎らしく、そしてもどかしくて仕方がなかった。

 一体どうすれば良いのかと唇を噛み締める中、不意に背後から聞こえてきた足音にハッと我に返って勢いよく背後を振り返った。

 

「っ!! おっと、すまねぇ。驚かせちまったみたいだな」

「会議はどうなった? 閣下の救出はいつ頃になりそうなんだ?」

「……あ、あなたたちは……」

 

 背後に複数の男たちが立っていたことに思わず目を見開く。

 数十人と集まっている男たちは、自分の指揮下にある弓兵部隊の者たちや他の部隊に割り振られた者たち、病気や年齢によって兵にならずにすんだ聖王国民たち。中には少数ながらも聖騎士や神官の見習いたちまでもが顔を覗かせていた。

 彼らは一様に真剣な表情を浮かべながら真っ直ぐにネイアを見つめていた。

 

「閣下は俺たちを守るために悪魔どもに捕まっちまったんだろう? 早く助けに行かないと……!!」

「閣下は俺たちをずっと助けて守ってくれた……。次は俺たちが閣下を助ける番だ!」

「暗闇の中を静かに進めば、いくら悪魔や亜人共でもそうそう俺たちを見つけられやしないだろう。後は閣下がどこにいるか場所さえ分かれば良いんだが……」

「馬鹿野郎、例え分からなくても行くんだよ! 閣下を見捨てたとあっちゃ、ガキどもに恨まれちまう!」

「ああ、俺もだ! 閣下には子供たちやかみさんも世話になったからな。ここで行かなけりゃ、どやされちまうぜ」

「……皆さん……」

 

 口々にかけられる思いがけぬ言葉に、思わず呆然となる。しかし同時に、多くの者が自分と同じように災華皇のことを想ってくれていたという事実に、ネイアは熱い思いが込み上げてくるのを感じた。

 できるなら、彼らと共にすぐにでも災華皇を助けに向かいたい。

 しかしそうできない現実を思い出し、ネイアは途端に苦々しい表情を浮かべた。

 

「……皆さん、ありがとうございます。皆さんの気持ちはとても嬉しいです。でも、残念ながら今は動けないんです。閣下を助けに行こうにも居場所すら分からない状況では動きようがありませんし、魔導国に助けを求めようにも、まだその許可すら王兄殿下から頂けていません。このまま勝手に動けば、最悪反逆罪として処罰されてしまうかもしれません」

「何だって!? どうして許可がもらえないんだ?」

「まさか閣下を見捨てるつもりなのか!?」

「……救出どころか魔導国へ行くことすら許可しないっていうのは解せないな。何故、上の連中は魔導国に使者を向かわせることすら許可しようとしないんだ?」

 

 ネイアの言葉に、男たちが途端に驚愕の声を上げてくる。

 その中で一際刺々しい声音が驚愕の声を遮って質問を投げかけてきた。

 声の方に視線を向ければ、そこには以前災華皇に真正面から非難を口にしていたギョロ目の男が眉を顰めながら立っていた。

 まさかこの男もいるとは思わず、ネイアは少なからず驚愕に小さく目を見開く。あれだけ閣下を非難していた男が何故……? という気持ちが湧き上がってくるものの、ネイアは努めて平常心を心掛けながら男の問いに言葉を返した。

 

「聖王女……様の消息がつかめたからです。王兄殿下がどう考えていらっしゃるかは分かりませんが、少なくとも一部の聖騎士や神官たちは、聖王女様の救出に戦力を集中するべきだと考えています」

 

 包み隠さず正直に話すネイアの言葉に、この場に集う男たちの反応は非常に様々だった。

 ある者は驚愕の表情を浮かべ、ある者は納得したように頷き、ある者は迷うように視線をさ迷わせ、ある者は考え込むように眉間に皺を寄せて顔を俯かせる。

 肯定的な反応と否定的な反応は半々といったところで、何とも言えない沈黙がこの場に重くのしかかった。

 しかしそもそもの問いを発したギョロ目の男だけはひどく顔を顰めて眉間に深い皺を刻んでいた。

 

「聖王女……? ……フンッ、聖王女が何だっていうんだ。あいつらが俺たちに何かをしてくれたか? たとえ助け出せたとしても、聖王女に悪魔や亜人どもをどうにかできる力があるとは思えない。……奴らをどうにかできるのは、災華皇だけだ……」

 

 少し不貞腐れたような表情を浮かべながらもはっきりと言い切った男にネイアはまたもや驚かされた。一体彼の身に何が起こったのかと大きな疑問が湧き上がってくる。

 しかし、何より彼の変化がネイアには嬉しかった。

 あんなにも災華皇を非難していた男が、今では誰よりも災華皇の力を認めている。やはり閣下は偉大な方なのだと、尊敬の念が胸に湧き上がってきた。

 ネイアは男の言葉に勇気づけられ、先ほどまで考えていたことを彼らに相談してみることにした。

 しかし……――

 

 

 

「――……おい、小娘……」

「っ!!?」

 

 突然かけられた野太い声にネイアはビクッと肩を跳ねさせた。慌てて声のした方へ振り返ってみれば、いつの間にいたのか、すぐ側に亜人たちが立ってこちらを見下ろしていた。

 災華皇が初めに配下にした獣身四足獣(ゾーオスティア)魔現人(マーギロス)石喰猿(ストーンイーター)を先頭に、彼らの配下である亜人たちがそれぞれ彼らの背後に控えるように立っている。

 突然の亜人たちの登場に、ネイア以外のこの場にいる全員が驚愕と恐怖に身体を強張らせた。

 しかし亜人たちはそれを気にする様子もなく、ただ真っ直ぐにネイアだけに視線を向けていた。

 

「小娘、災華皇が支配下に置いた悪魔の娘どもは今どこにいる」

「悪魔の娘……、あっ、えっと、メ、メイド悪魔たちのことでしょうか……?」

「そうだ。そいつらが今どこにいるか教えろ」

 

 ゾーオスティアの言葉に、ネイアはいくつもの疑問符を頭上に浮かべる。思わず魔現人やストーンイーターに視線をやるが、しかし話をするのはゾーオスティアだけとでも決めているのか、二体ともネイアの視線を無視して口を噤んで開こうとしない。

 このまま見つめ続けたところで情報を得られるとは思えず、ネイアは仕方なくゾーオスティアへと視線を戻した。

 

「先刻までは会議の場にいましたが、今はどこにいるか分かりません。……メイド悪魔たちに何の用ですか?」

「悪魔の娘どもであれば魔導国の場所も知っているだろう。俺たちはこれから魔導国へ向かう」

「えっ!?」

 

 聞き捨てならない言葉を聞いて、ネイアは思わず目を瞠ると同時に大きな声を上げた。それは他の聖王国の者たちも同様で、驚愕の表情を浮かべて亜人たちを見つめている。

 まるで穴が空くほどの強い視線に、ゾーオスティアと魔現人は嫌そうに顔を歪め、ストーンイーターは不気味な笑みを浮かべてきた。

 

「………なんだ……?」

 

 こちらの視線に耐えかねたのか、ゾーオスティアが嫌そうな表情はそのままに口を開いて問いかけてくる。

 ネイアは『待ってました!』とばかりに勢いよくその言葉に飛びついた。

 

「もし本当に魔導国に行くのであれば、私も連れて行ってください!!」

「断る」

 

 しかし返されたのはにべもない拒否の言葉。

 思わず再び目を見開くネイアには構わず、ゾーオスティアはフンッと不遜な態度で鼻を鳴らした。

 

「俺たちと言えど、悪魔たちの領域を渡って聖王国を出るのは至難の業なのだ。加えて貴様のような足手まといを連れて行くなど冗談ではない」

「で、でも、私は魔導国の場所を知っているので、道案内をすることができます!」

「たとえそうであっても断る」 

「そもそも、お主たちは聖王国の人間。それを勝手に国の外に出したとあってはわしらの立場が一層悪くなるじゃろう。もし本当に一緒に行きたいのなら、まずはお主らの首領に許可をもらうことじゃな」

 

 ゾーオスティアに続き、ストーンイーターも不気味な笑みを浮かべたまま忠告のような言葉をかけてくる。

 二体の尤もな言葉に、ネイアは思わず強く唇を噛み締めた。知らず、喉の奥から唸り声のような声が零れ出る。

 許可など、貰えるものならとっくの昔に貰っている……と言うのがネイアの正直な思いだった。

 先ほどの会議でも散々災華皇の救出と魔導国への救援要請を唱えてきたが、どちらも許可の言葉を得ることはできなかった。だからこそ藁にも縋る思いで申し出たというのに、ここでも『許可を貰え』と言われてしまっては一体どうすれば良いのか。

 しかし亜人たちにとってはネイアの苦悩などどうでも良いことなのだろう。口を噤んだまま顔を大きく歪めるネイアに、亜人たちはどこまでも冷ややかな視線を向けてきた。

 

「……悪魔の娘たちの居場所を知らないのならば仕方がない。他を当たるとしよう」

「ま、待って下さい! どうしても一緒に連れて行ってくれるわけにはいきませんか!?」

「くどいぞ、小娘。そもそも、俺たちに貴様を連れて行ってやる謂れなどないはずだ。そんなにも魔導国に行きたいのならば、首領の許可を得て勝手に行くが良い」

「その許可がもらえないから頼んでいるんです! それにあなたたちだって、ここを去るには王兄殿下からの許可がいる筈です!」

「っ!? ふはははっ、本気でそう思っているのか?」

「ど、どういう意味ですか?」

 

 何故ゾーオスティアが突然笑い出したのかが分からず、ネイアは思わず小さく眉を顰める。

 幾つもの疑問符を頭上に浮かべて内心首を傾げるネイアに、今まで沈黙を守っていた魔現人までもが口を開いてきた。

 

「我らは聖王国に下ったのではなく、災華皇に下ったのじゃ。つまり、聖王国に我らの行動を阻む権利などない。聖王国からの許可を得られようが得られまいが、わらわたちには関係のないことよ」

「っ!!」

 

 見下すような視線と共に言い放たれた言葉に、ネイアは思わず小さく息を呑んだ。同時に、自分と亜人たちとの立場の違いを思い知らされ、込み上げてきた悔しさに強く唇を噛み締めた。

 亜人たちの立ち位置はネイアにとって心底羨ましいものだった。

 自分もできることなら災華皇の配下となって、災華皇のために行動したい。災華皇を尊敬し、忠誠を誓い、何よりこの地において災華皇のことを誰よりも分かっているのは自分のはずなのだ。だというのに、何故そんな自分が災華皇のために動けず、亜人たちが災華皇のために動くことができるのか。

 ギリィ……という軋んだ小さな音と共に唇に痛みが走ったその時、不意に再び別の声に名を呼ばれてネイアは反射的にそちらへと振り返った。

 

「――……ネイア・バラハ、こんなところにいたのか」

「……ウィーグランさん……」

 

 視線の先にいたのは、駆け足でこちらに歩み寄ってくるオスカー。

 聖王国民や亜人たちもが注視する中、オスカーはいつもの無表情のまま真っ直ぐにネイアの目の前まで近づいてきた。

 

「ウィーグランさん、私に何か御用でしょうか?」

「王兄殿下と聖騎士団副団長がお呼びだ。これから一緒に来てもらいたい」

「殿下と副団長が……?」

 

 思わぬ人物の名詞がオスカーの口から出てきたことに、ネイアは思わず訝しげに眉を顰める。

 しかしオスカーはそんなネイアの反応に構うことなく、次にはすぐ近くに立っていたゾーオスティアへと視線を移した。

 

「それから、ラージャンダラー殿。お探しのメイドの悪魔たちについてだが、彼女たちも現在殿下と副団長の元にいる。話が終わり次第そちらに連れて行くので、それまで待っていて貰いたい」

 

 恐らく亜人たちはネイアの元に来る前にオスカーにも声をかけていたのだろう。どこまでも淡々と説明するオスカーに、ゾーオスティアは獰猛な虎の顔にニヤリとした笑みを浮かばせた。

 

「ほう、ならばちょうどいい。俺たちも貴様らに同行させてもらうとしよう」

「っ!! 一緒に来るつもりか?」

「だからそう言っている。そもそもコソコソと出ていくようなこと自体、俺は気に入らなかったのだ。そこに悪魔の娘どもがいるのなら、共に行ってさっさと情報を得るとしよう」

 

 突然の発言に、ネイアは勿論のことオスカーも驚愕に目を見開く。しかし亜人たちは誰もが乗り気なようで、ゾーオスティアだけでなく魔現人やストーンイーターまでもが頷き合って同意を示していた。

 どうやら彼らの中では既に一緒にカスポンドとグスターボの元に行くことは決定事項であるらしい。

 亜人たちが一緒に来た場合の騒動が容易に想像でき、それだけで頭が痛くなってくる。

 しかしネイアにもオスカーにも亜人たちを止めるだけの力があるわけもなく、二人はチラッと顔を見合わせると、ほぼ同時に深く重いため息を吐き出すのだった。

 

 



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第23話 第二幕始動

違う長編小説が一区切りついたので、漸くこちらも執筆再開です!
気が付いてみれば前回の更新から既に約1年半年経ってしまっているという事実……(汗)
待っていて下さった方、大変長らくお待たせしてしまって申し訳ありませんでした(土下座)


 目の前でズンズンと歩いていく三つの亜人の背。

 ネイアとオスカーは小走りになりながら、どんどん前に突き進んでいく亜人たちの背を必死に追いかけていた。

 ネイアとオスカーと亜人たちとでは歩幅自体が違い、亜人三体の内の一体に至っては二足ではなく四足である。気を抜けば一気に距離を離されるであろう速さに、ネイアとオスカーは必至に足を動かし続けていた。

 そして辿り着いたのは一軒の家屋。

 お世辞にも決して立派だとは言えないその建物は、現在の解放軍の総指揮官となっている王兄カスポンド・ベサーレスの部屋がある建物であり、今や最重要拠点とも言うべき場所となっていた。

 家屋の扉の両脇には見張りの聖騎士が二人立っており、近づいてくる三体の亜人にギョッと目を見開いている。見るからに大きく顔を強張らせる聖騎士たちに、ネイアは亜人たちの背を追いかけながら内心で何度も頷いた。

 強者だと見るからに分かる亜人三体が自分の方に足早に向かってくるという光景は、想像するだけでも大きな恐怖を感じるだろう。

 しかし亜人たちはそんな人間たちの反応などどうでもいいのか、一切気にした様子もなく扉の方へ足を進めている。

 咄嗟に扉の前に立ちはだかるように移動して立った聖騎士に、亜人たちはそこで漸く足を止めると、鋭い双眸でその聖騎士をギロリと睨み見下ろした。

 

「……ほう、俺の前に立つか。殺されたいのか、人間?」

 

 遥か頭上から突き刺さる視線の重圧と、まるで肉食獣の唸り声のような声で言われた言葉に、扉を守るように立つ聖騎士はビクッと大きく身体を強張らせる。一瞬怯んだような素振りを見せた後、しかし次にはキッと表情と肩を怒らせてこちらに身を乗り出してきた。大きく口を開いて声を発しようとしたその時、不意にオスカーが亜人たちの横を通り過ぎて聖騎士の前に歩み寄った。

 

「突然申し訳ありません。カスポンド・ベサーレス殿下に命じられ、ネイア・バラハを連れて参りました。その際、この亜人たちから殿下に御目通り願いたいという申し出を受け、急遽共に参った次第です。恐れ入りますが、殿下にお取次ぎを願えますでしょうか?」

「……っ!! ……そ、そうか……。し、暫し待て!」

 

 通常であれば、到底通らないであろう申し出。しかしこの亜人たちが災華皇(さいかこう)のシモベであることは、解放軍に属する誰もが知っていた。

 聖騎士はオスカーからの丁寧な説明にどもりながらも一つ頷くと、次には別の聖騎士に目配せをしてから踵を返して家屋の中へと足早に入っていった。

 まるで逃げるような足の速さに、ヴィジャーがフンっと大きく鼻を鳴らす。

 瞬間、この場に残った聖騎士がビクッと小さく身体を震わせ、ネイアは内心で大きなため息を吐いた。

 災華皇がいた頃は彼が人間と亜人の間に入ってくれていたため大した問題も起きず、また人間側も少しずつではあるが亜人や悪魔たち――尤も対象は災華皇のシモベとなったモノたちのみだが――を受け入れる心境にもなり始めていた。しかしこうも高圧的な態度を取られては、その縮まりそうだった距離も一気にまた遠ざかってしまいそうだ。

 災華皇が築いてきたものを台無しにされていくような気がして、ネイアの中に小さな苛立ちがふつふつと湧き上がってくる。

 しかしネイアは苛立ちのままに声を上げることはせず、代わりに深く細く長く息を吐き出すことで感情が爆発しないように意識して心を落ち着かせた。『落ち着け、落ち着け…』と何度も心の中で唱えて自身に言い聞かせる。

 ネイアが必死に自身の感情を抑え込んでいる中、家屋の中から先ほどの聖騎士が足早にこちらに戻ってきた。

 

「お待たせした。殿下が会われるとのことだ、全員こちらへ」

 

 そう言って再び家屋の中へ入っていく聖騎士に、ネイアは思わず小さく首を傾げた。“全員”と言っていたことから、恐らく『ネイアも亜人たちも全員で一斉に来るように』ということなのだろう。しかしネイアがここに呼ばれた理由も、亜人たちがここに来た理由も、それぞれ違うはずだ。

 それなのに同時に呼ばれるとは一体どういうことなのか。それともどちらかが中で待つということだろうか……。

 頭上に多くの疑問符を浮かべながら、しかしネイアは大人しく聖騎士の言葉に従うことにした。

 無言のまま家屋に入っていくネイアに、それにつられるようにしてオスカーや亜人たちも建物内へと足を踏み入れていく。

 家屋の奥へ奥へと進んでいき、最終的に案内されたのは最奥にある二番目に大きな部屋だった。

 案内役の聖騎士が扉をノックしてから中に声をかけ、一拍後に聞こえてきた王兄の声にこちらを振り返ってくる。聖騎士は扉の脇に寄って道を開けると、無言のままこちらを見つめて視線だけで中に入るよう促してきた。

 ネイアは聖騎士からゆっくりと視線を外し、目の前の扉を真っ直ぐ見つめる。

 瞬間、不意に小さな緊張と不安がどこからともなく湧き上がってきて、ネイアは思わず小さく身体を強張らせた。いつにない自身の様子に内心戸惑いながら、とにかく一度落ち着こうと静かに深呼吸を繰り返す。そして気合を入れ直して鋭い双眸を一層凶悪なものに変えるネイアに、しかし彼女が扉に手をかける前にオスカーが横を通り過ぎて扉の前に立った。扉を数度ノックし、扉の向こうへ自身の名前と入室の旨の言葉を発する。そして扉のノブに手をかけると、そのまま扉を押し開けた。

 

「王兄殿下、お待たせしてしまい大変申し訳ありません。ネイア・バラハを連れて参りました」

「ああ、ありがとう。ネイア・バラハ、入ってきたまえ。それから私に会いに来たという亜人たちもこちらに入ってきたまえ」

 

 室内からカスポンドの穏やかな声が聞こえてくる。

 亜人たちと共に呼ばれたことに再び内心で首を傾げながら、ネイアはオスカーが前に出たことで緊張感が少し和らいだのを感じながら入室の言葉と共に室内へと足を踏み入れた。

 

「……っ……!?」

「………ほう……」

 

 部屋の中に入室したため室内の光景が視界に広がり、そこにあった面々にネイアは思わず驚愕に目を見開いて小さく息を呑んだ。後ろから亜人たちの驚愕の声も小さく聞こえ、ヴィジャーなどは興味深そうな声すら零している。

 彼らの視線の先……室内にいたのは二人の人間と二人の悪魔と三体の亜人。

 人間はネイアをこの場に呼んだ王兄カスポンド・ベサーレスと聖騎士団副団長グスターボ・モンタニェス。

 悪魔は亜人たちが捜していたメイドたち、エントマ・ヴァシリッサ・ゼータとシズ・デルタ。

 そして見覚えのない三体の亜人は、獣身四足獣(ゾーオスティア)半人半獣(オルトロウス)藍蛆(ゼルン)だった。

 

「急にこのような場に呼んですまないな、驚いただろう。しかし彼らは我々に危害を加えるつもりのないモノたちだ。まずはこちらに来てくれ」

 

 驚愕のあまり扉の近くで立ち止まってしまっているネイアたちに、王兄が苦笑を浮かべながら声をかけてくる。それに慌てて部屋の奥に進めば、扉が大きな音と共に閉められた。

 オスカーは既に亜人たちの存在を知っていたのか一切驚いた様子はなく、ヴィジャーたちも既に驚愕の表情から興味深そうなものや面白そうな笑みを浮かべている。

 自分一人が取り残されているような心持ちにネイアが思わず顔を小さく翳らせる中、先ほど小さな声を零していたヴィジャーが再び口を開いた。

 

「まさか貴様らもここにいるとはな。貴様らも災華皇に下っていたのか?」

「それにしては今まで姿を見ていなかったが、一体今までどこにいたの?」

「それに、そこのゼルンは一体どういうことじゃ? 見たところ、ただの下っ端のようにしか見えんが」

 

 ヴィジャーだけでなく他の亜人二体も口々に疑問の言葉を口にする。

 下っ端と言われたゼルンが小さく身じろぐ中、オルトロウスが神妙な表情を浮かべながら一歩こちらに進み出てきた。

 

「それはこちらの台詞です。皆さんも災華皇の下にいたのですね。……我々は災華皇の指示で南方に偵察に行っていたのですが……」

 

 途中で言葉を切り、オルトロウスは神妙な表情を浮かべている顔を大きく顰めて俯かせる。

 少しの間静寂が支配する室内に、ネイアは無言のまま小さく首を傾げた。

 これまでの口振りからしてどうやら彼らは知り合いのようだったが、一体どういった関係で何がどうなってこうなっているのか今一理解が追いつかない。

 ネイアが訝しげな表情を浮かべているのに気が付いたのか、不意に顔を上げた亜人と目が合い、次には亜人たちは何かに気が付いたような表情を浮かべてきた。

 

「……ああ、失礼、まだ名乗っていなかったな。私はヘクトワイゼス・ア・ラーガラー。そしてこちらが“黒鋼”のムゥアー・プラクシャー殿。我らはそちらにおられる“魔爪”殿やナスレネ・ベルト・キュール殿、ハリシャ・アンカーラ殿と同じく“十傑”に数えられるモノだ」

「……あ…、これはご丁寧にありがとうございます。……私は災華皇閣下の従者を務めております、聖王国聖騎士団従者のネイア・バラハと申します。……失礼ですが、先ほど仰られていた言葉は本当なのでしょうか? つまり、あなた方も災華皇閣下のシモベとなっていたと?」

「その通りだ。ここ小都市ロイツを奪還する軍に加わっていたが、その時に災華皇の手のモノであろう悪魔に囚われ、そのまま災華皇に下ったのだ」

「先ほどヘクトワイゼス殿が言った通り、我々は災華皇の命により聖王国の南方へ偵察に向かっていた。しかし南方は既に魔皇ヤルダバオトの手に落ちていたことが判明し、こちらに戻ってこようとしていた」

 

 ヘクトワイゼスに続いてムゥアーも会話に加わる。

 ヴィジャーによく似た獣の顔がこちらに向けられ、次にゼルンに向けられ、最後にカスポンドやグスターボに向けられた。

 

「しかしいざここまで戻って来てみれば都市は多くの悪魔たちに包囲され、災華皇とヤルダバオトは戦っていた。……そして結果は災華皇の敗北。これからどうすべきか話し合っている時に、このゼルンと出会った」

 

 ムゥアーの説明に、再びこの場にいる全員の目がゼルンに向けられる。

 ゼルンは再びビクッと身体を強張らせて気まずそうに身じろいだが、次には意を決するような素振りの後に少しだけこちらに進み出てきた。

 

「そちらの人間の王の兄殿と副団長殿には既に説明したのだが、改めて名乗りと説明をさせてもらう」

 

 続いて聞こえてきたのは聞き覚えのない女の澄んだ声。

 不思議な響きもなければ変な言語も使わない、人間と全く同じようにしか聞こえない声にネイアは思わず小さく驚愕の表情を浮かべた。

 種族も見た目も違うというのに、言語と声音は人間と全く変わらない。それは他の亜人や悪魔たちに対しても全く同じことがいえるのだが、この異形にしか見えないゼルンもまた同じであるという事実はネイアに奇妙な衝撃を与えていた。

 不意に災華皇のことを思い出す。

 続いて、人間だけではない……亜人やアンデッドや異形たちまでもが一緒に暮らしている魔導国の光景を思い出す。

 悪魔も亜人も異形も……、人間のようにそれぞれ違い、決して一括りに考えるべきではないと言っていた災華皇の言葉を思い出す。

 その身を犠牲にして、ヤルダバオトと共に消えてしまったその姿を思い出す。

 自分たちのために消滅していったスクードの最後の姿を思い出す………――

 

 

 

「――……ラハ、……ネイア・バラハ……!」

「……っ……!?」

「ネイア・バラハ、大丈夫かね? 話をきちんと聞いているか?」

「……も、申し訳ありません……! 少し…考え事をしておりました」

 

 強めに何度も名を呼ばれることでハッと我に返り、ネイアは慌てて頭を下げる。

 次々と頭に浮かぶ光景に意識を取られ、いつの間にか全く話を聞いていなかった。自身の体たらくに自己嫌悪に陥り、頭を下げながら苦々しい表情を浮かべる。

 腰を90度に曲げた状態で話を聞いていなかったことを謝罪するネイアに、王兄は小さくため息のような息を吐いた後に心労を気遣う言葉をかけ、改めて先ほどまでの話を繰り返し話し教えてくれた。

 王兄の話によると、このゼルンはヤルダバオトに対して密かに反抗している亜人たちからの使者であるらしい。

 亜人たちは全員が進んでヤルダバオトの配下になった訳ではなく、力と恐怖によって脅される様に支配され、或いは人間でいうところの王族のような立ち位置にある支配階級に属するモノを人質にとられて従わざるを得ないモノも少なくないという。そしてこの目の前のゼルンもまた、自分たちの支配階級に属する王子を人質にとられているとのことだった。

 では何故そのゼルンがこのタイミングで使者としてここにいるのかというと、ヤルダバオトが災華皇によって現在深手を負っているため、それに乗じてお互いのための交換条件を持ちかけるために来たらしかった。

 ゼルンの言う交換条件とは、ヤルダバオトに抗するための協力と、囚われの身となっているゼルンの王子の救出。つまり、囚われの身の王子を救出してくれればヤルダバオトに反抗している亜人側もヤルダバオトに反旗を翻すと言ってきているのだ。

 そしてゼルンの王子が囚われているのは、ここから西南西にある城塞都市カリンシャ。ローブル聖王国の中でも最も強固に作られた都市であり、なるほど重要人物を収容しておくにはもってこいの場所だった。

 

「カリンシャにはゼルンの王子だけでなく、聖王女も囚われていることが既にメイド悪魔たちから報じられている。故に我々はこの条件を呑むことにした」

「……!! それでは、もしや災華皇閣下もそこにっ!?」

「それはまだ分からない。しかし可能性はゼロではないだろう。……しかしいざ救出しようとしたとしても、相手に気付かれてしまっては人質を害されかねないし、それでは意味がない」

 

 何だか話の流れが怪しくなってきているような気がして胸が騒めく。

 思わず固唾を呑んで小さく身構える中、王兄は再び口を開いて爆弾を投下してきた。

 

「そのため、軍を二つに別けてカリンシャを攻め落とし、人質を救出する。この二つの軍は、一方は秘密裏に都市に侵入して人質を救出するもので、もう一方はその後一気にカリンシャを真正面から攻め落とすものだ。また、前者の秘密裏に都市に侵入する方は人質救出後、速やかに都市奪還の戦闘に加わり、外側と内側とで亜人と悪魔を挟み撃ちにする作戦になっている。そして、この人質救出の任をネイア・バラハ、君に担ってもらいたい」

「……!! …む、無理です……!!」

 

 予想通りの無茶苦茶な命令に、ネイアは背筋を戦慄かせながら思わず大きな声で拒否の言葉を吐いた。

 確かにネイアは普通の者に比べると多少目と耳は良く、父親譲りの弓の才能も持っている。しかしそれ以外については全くの素人で、隠密などは専門外だった。ネイアの父はその辺りも非常に優秀ではあったが、残念なことにネイアはその辺りの才能までは受け継いでおらず、からっきしである。どう考えても自分が隠密部隊に参加して役に立てるとは思えなかった。

 しかし王兄自身もその辺りは考慮していたのか、まるでこちらを落ち着かせようとするかのように軽く片手を挙げて小さな苦笑を浮かべてきた。

 

「勿論、君一人でという訳ではない。君の他にもこのメイドの悪魔たちと、それからこちらの亜人たちも協力してくれるとのことだ」

 

 そう言って王兄が指し示すのは、メイド悪魔二人とゾーオスティアとオルトロウス。

 二人のメイド悪魔たちは無言で微動だにしなかったが、ヘクトワイゼスとムゥアーと名乗った二体の亜人たちは無言ながらも一つ大きく頷いてきた。

 

「その他にももし君の中で連れて行きたい者がいれば、少数であれば了承しよう。何より、もし災華皇もカリンシャに囚われているのなら君が望む通り速やかに救出できる。確かに危険な任務ではあるが、君としても望むことではないかな?」

 

 王兄の言葉に、ネイアは思わず言葉に詰まりながら無言で思考を巡らせた。

 確かにネイアの現在の一番の望みは災華皇の救出であり、もし彼の王がカリンシャにいるのであれば自分が一番に救出したいという気持ちも大いにある。加えて自分以外にも強力な力を持つであろうメイド悪魔と“十傑”に数えられる二体の亜人もついてきてくれるのであれば、これほど心強いことはないだろう。

 そこまで考えて、しかしネイアは心の中で緩く頭を振った。

 いや、ここで色々考えたところで仕方がない。どんなに思考を巡らせたところで、恐らくこれらの話は既に決定事項なのだろう……と思い直す。

 ネイアは災華皇の従者ではあるが、元々は聖王国の者であり、最終的な所属は聖王国の聖騎士団である。たとえどんなに嫌だと拒否したとしても、自分は命令されれば従う他ない。こうやって丁寧に説明され、“一応”という体ではあるが意見を聞く体制を与えられているだけでも優遇されているのだろう。

 ネイアは出て来そうになったため息を咄嗟に呑み込むと、無意識に俯かせていた顔を上げて一つ大きく頷いた。

 

「分かりました。同行者は……先ほど殿下が仰られた悪魔二人と亜人の皆さんだけで結構です」

「宜しい。それでは次に正面からカリンシャを攻める軍についてだが、こちらには元聖騎士オスカー・ウィーグラン、並びに君たち災華皇の配下となった残りの亜人たちにも加わってもらいたい」

 

 王兄はネイアの答えに一つ頷くと、続いてオスカーやヴィジャー、ナスレネ、ハリシャたちに目を向ける。

 オスカーたちは驚いた様子を一切見せることはなかったが、無言のまま無表情を貫くオスカーとは打って変わり、ヴィジャーは獣の目を鋭くさせ、ナスレネはどこか呆れたような表情を浮かべ、ハリシャはどこか面白がるように口の端を笑みの形に歪めた。

 

「ほう、わしらの力を借りたいと……」

「フンッ、話にならんな。第一、そもそも何故俺たちが貴様らに力を貸さねばならん」

 

 ハリシャの言葉にもヴィジャーの言葉にも明確な拒否の意思が宿っている。ナスレネは無言でいるものの、浮かべているその表情からどうやら彼女もヴィジャーやハリシャと同じ意見のようだった。

 確かにナスレネもヴィジャーもハリシャも災華皇の配下になったのであって、聖王国の管理下に入ったわけではない。聖王国からの指示に従う義務もなく、彼らが納得しかねる反応を示すのも仕方がないと言えた。

 しかしそれに異議を唱えたのは意外なことに今までずっと無言を貫いていたオスカーだった。

 

「お待ちを。確かに皆さんは聖王国に下ったわけではなく、また災華皇閣下がカリンシャに囚われているとは限らない。しかしあなた方が災華皇閣下のシモベとなったことは紛れもない事実であり、逆に閣下がカリンシャにいないとも限らないことも事実のはず」

「………何が言いたいのじゃ、人間?」

「閣下のシモベとなった我らが、閣下がいないと100%断言できない場所を探さないというのは、閣下への裏切りとみなされるのではないか……ということだ」

「……………………」

 

 オスカーのどこまでも淡々とした静かな声音と言葉に、亜人たち全員が黙り込む。浮かんでいる表情はどれもが苦々しいもので、どうやら亜人たちも未だ納得してはいないものの理解はしているらしかった。

 どの道、亜人たちが魔導国までの案内を頼もうとしていたメイド悪魔たちは今回の作戦に参加する。であれば、作戦が終わらない限り彼らは魔導国に向かえず立ち往生するしかない。ならばいっそのこと彼らも作戦に参加した方が、作戦終了後すぐさま魔導国を目指すことも可能だろう。

 ネイアがそこまで考えて内心頷く中、オスカーも続けてネイアが思ったことと全く同じことを口に出して亜人たちに話して聞かせた。カスポンドもグスターボも一言も反論せずにオスカーの話を聞いているため、彼らとしても作戦終了後に彼らが離脱し、魔導国を目指すことを考慮しているのだろう。

 確かに亜人たちにとっては寄り道感や手間感は否めないだろうが、しかしある程度災華皇への忠義を示しつつ当初の予定通りに魔導国に行けるのであれば、悪い話ではないはずだ。

 暫くどこか気まずい沈黙が続く中、最後にはヴィジャーの盛大なため息が静寂を破った。

 

「………仕方がない。その作戦とやらに力を貸してやろう……」

「ひひっ、そうじゃな。それに災華皇が本当にカリンシャにいるのなら、良いアプローチにもなるであろうて」

「確かに。でも、もし閣下がカリンシャにいなかった場合は、そこの人間の言った通りにそのままメイドの悪魔たちと共に魔導国に行かせてもらうわよ」

「ああ、それで構わない」

 

 ヴィジャー、ハリシャ、ナスレネが次々と発してくる言葉に、しかし王兄は全く臆することなく、むしろ当然な様子で一つ頷いて返す。

 どうやら無事に話がまとまりそうでネイアは内心で安堵の息を吐いた。何より、災華皇を救うための行動を漸くできることに歓喜が湧き上がってくる。

 ネイアは胸に溢れる感情を噛みしめながら、この場にいるメンバーと共に今後の行動や作戦の内容について詳しく話し合っていった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓第七階層……――

 紅蓮の輝きを放つ溶岩の川が数多く流れる、空気すらも赤く染まる灼熱の世界。

 数多の悪魔や幾体かの邪精やアンデッドが犇めく光景は、これらを見た誰もがこの世の地獄……煉獄のようだと思うことだろう。

 普通の人間であれば呼吸をするだけで肉体や喉だけでなく、肺や肺胞すらも焼け落ちてすぐさま命を落としてしまうだろうこの世界で、一つの人影がゆったりとした足取りで歩を進めていた。

 長い銀色の尾を揺らめかせながら歩いているのは、この階層の守護者である最上位悪魔(アーチデビル)デミウルゴス。

 いつもの薄っすらと浮かぶ微笑を今も眼鏡で飾った顔に浮かべながら、悪魔は真っ直ぐに目的の場所に向かっていた。

 そして辿り着いたのは紅蓮や朱金に彩られているこの世界において一つだけポツリと浮かぶ真っ白な神殿。

 “赤熱神殿”という名のこの神殿は、真っ白な柱が乱立している古代ギリシャ風の美しい神殿であり、しかし至る所が破壊尽くされて荒廃している状態だった。

 しかしこれは意図的なものであり、今の姿が完成されたもの。そのためデミウルゴスの目にはこの神殿が完璧なものとして映り、むしろこの姿であるからこそ美しいとすら考えていた。

 悪魔は主が自分のために作ってくれた己の居城を見上げて一つ『ほぅ…』と小さな感嘆の息を吐き出すと、湧き立つ嬉々とした感情を胸の内で宥めながら再び歩を進めて神殿の中へと入っていった。

 この神殿は外からの見た目に反し、内部にはあらゆる部屋や施設が造られ揃っている。数多ある部屋の中でも玉座の間の次に大きく広い部屋にデミウルゴスは真っ直ぐ向かっていった。

 目的の部屋の扉の前で立ち止まり、そのまま右手の甲で数度ノックする。

 数秒後、丁寧なノックからの反応は悪魔が望む創造主からの声と言葉ではなく、内側から開かれた扉と、その隙間から覗いた一体の女悪魔の顔だった。

 

「これは、デミウルゴス様」

「……ウルベルト様に報告があってきたのですが、ウルベルト様はいらっしゃいますか?」

「はい、どうぞお入りくださいませ」

 

 扉の隙間から顔を出したのは、デミウルゴスの直轄の親衛隊である三魔将の内の一つの嫉妬の魔将(イビルロード・エンヴィー)

 烏の頭部を持ち、人間の女の身体にボンテージファッションを纏った女悪魔の言動に、デミウルゴスは少し違和感のようなものを覚えながらも室内に入った。

 至高の主が室内にいる場合、まずは誰が来訪したかを知らせ、室内に通して良いか聞くのが普通である。嫉妬の魔将は自分の直轄の部下であり、その辺りもきちんと理解しているはずだ。

 にも拘らず、何故今回はそのどちらもせずに自分を室内に入れたのか……。

 疑問に思わず口の端の笑みが消える中、しかし室内に入った途端にその理由を理解した。

 室内には確かにデミウルゴスの創造主であるウルベルト・アレイン・オードルがいた。

 しかしそれ以外にも他の三魔将である憤怒の魔将(イビルロード・ラース)強欲の魔将(イビルロード・グリード)がおり、他にも何故か領域守護者である超巨大奈落スライムの紅蓮すら揃っていた。

 デミウルゴスの入室に、強欲の魔将がこちらを振り返って頭を下げてくる。憤怒の魔将もこちらに頭を下げてはくるものの動きは非常にぎこちなく、紅蓮に至っては微動だにしていない。

 しかしそれは致し方ないことだった。

 彼らが最も崇拝し優先する存在は至高の主であるウルベルト・アレイン・オードル。

 そして現在、そのウルベルトはなんと紅蓮をベッドにし、憤怒の魔将の炎の翼と尾を布団と抱き枕にしていた。

 創造主の両目はしっかり閉じられ、一目で眠っていることが分かる。恐らく紅蓮や憤怒の魔将のどちらかだけでも少しでも動いたなら創造主はすぐさま眠りから覚めてしまうだろう。

 それ故に、彼らのこれまでの一連の行動はむしろ正しいと言える。

 デミウルゴスは内心で一つ頷くと、じっと眠っている創造主を見つめた。

 まるで炎に包まれる様にして眠っている創造主。

 健やかなその寝顔と様子に、しかし創造主を見つめるデミウルゴスの心中は非常に複雑だった。

 悪魔の胸の内で激しく燃え盛り渦を巻いているのは嫉妬の炎。

 至高の御方が……それもデミウルゴスにとって唯一無二である創造主が己以外のモノに自身に触れることを許し、あまつさえその身全てを預けている。

 普段は仲間に対しては大変優しく寛容で慈悲深い彼ではあるが、こればかりは殺意にも似た激しい感情を鎮められず、激情は胸の内で荒れ狂い、衰える気配もなかった。

 しかし彼らにこの激情をぶつけるのは筋違いというものだろう。

 デミウルゴスは湧き出そうになる嫉妬による殺気を何とか抑え込みながら、努めて冷静な素振りでゆっくりと眠るウルベルトの傍らに歩み寄った。

 

「………ウルベルト様」

 

 その場で片膝をついて跪き、意識して作った落ち着いた声音で創造主の名を呼ぶ。

 数秒後、ゆっくりと開かれる獣の目。

 瞼から覗いた金色の異形の瞳が少しの間天井を見やり、次にはそっとデミウルゴスに向けられて小さく柔らかく細められた。

 

「………デミウルゴス……」

「……ウルベルト様、お休み中に申し訳ありません」

「……いや、構わないよ。ただ気まぐれに眠っていただけだからね」

 

 頭を下げて謝罪の言葉を口にするデミウルゴスに、ウルベルトはやんわりとした微笑みを浮かべて小さく頭を振ってくる。

 悪魔は疲労のバッドステータスがなく、飲食だけでなく睡眠も不要だ。しかし勿論飲食も睡眠も実行しようと思えばできるわけで、恐らく今回ウルベルトが眠っていたのは本当に気まぐれだったのだろう。とはいえ休んでいたところを邪魔したことは事実であり、激しい嫉妬を覚えていたとはいえ申し訳ない気持ちも湧き上がってくる。

 小さく表情を翳らせて畏まる悪魔に、ウルベルトはフフッと小さな笑い声を零した。

 目覚めたばかりの未だ眠気を宿すほんわかとした雰囲気を纏いながら、ウルベルトは小さな吐息と共に横たわっていた上体を起き上がらせる。その際、ベッドになっていた紅蓮がふにゃりと自身の身体を変形させて起き上がるのを助け、憤怒の魔将はウルベルトを覆っていた炎の翼と尾をどかしてウルベルトから離れ、そのまま地面に片膝をついて頭を下げた。

 ウルベルトはまるで眠気を飛ばそうとするかのように軽く拳を挙げて背筋を伸ばす。それでいて伸ばしていた背筋を元に戻しながら小さな吐息を零すと、ベッドから椅子へと形を変えた紅蓮の上で優雅に足を組み、まずは紅蓮と憤怒の魔将に目を向けた。

 

「紅蓮、ラース、ありがとう。とても気持ちよく眠らせてもらったよ」

「それは何よりでございます。少しでもお寛ぎ頂けましたでしょうか?」

「ああ、とても寝心地が良かったよ」

「ありがとうございます。そう仰っていただけますと、これに勝る喜びはありません」

 

 大人しく寝具になっていた超巨大奈落スライムと憤怒の魔将に礼を言えば、超巨大奈落スライムは嬉しそうに巨大な身体をウルベルトを揺らさない程度にくねくねと躍らせ、憤怒の魔将は一層深く頭を下げてくる。

 二体の様子にフフッと再び小さな笑い声を零す創造主に、デミウルゴスはチラッと紅蓮と憤怒の魔将を見やった後に改めて創造主に目を向けた。

 

「しかし……、何故このような状況に……?」

「うん? ああ、最初は普通に魔将たちと世間話をしていただけだったのだがねぇ」

 

 デミウルゴスの未だ渦巻く複雑な心中に気が付いているのかいないのか、ウルベルトはひどく寛いだ和やかな様子でこれまでの経緯を説明し始める。

 創造主の口から語られる内容は、その身に纏う空気と同じくひどく穏やかなものだった。

 創造主の話によると、最初は先ほどの言葉の通り、普通に魔将たちと世間話をしていただけだったらしい。

 最近のナザリック地下大墳墓全体や第七階層の様子。

 三魔将それぞれの日頃の行動について。

 数多の悪魔や魔法や戦闘などについての談義などなど。

 興味深い内容に話が盛り上がり、また話題も尽きなかった。

 そんな中、不意にウルベルトが“ある熱”を感じ取ったことによって一気に話の方向が変わったのだという。

 熱の発生源は憤怒の魔将。

 全身から放たれる超高温の熱に、これで眠ったら気持ちよさそうだという話になったらしい。そして、どうせなら紅蓮も呼ぼうということになり、先ほどの状況になったとのことだった。

 創造主からの説明に、デミウルゴスは思わず再び複雑な表情を浮かべた。

 確かに悪魔は自身の属性問わず、殆どのモノが炎や熱に対して完全耐性を持っている。悪魔の頂点に立つ悪魔の支配者(オルクス)であるウルベルトも勿論例外ではなく、普通の人間であれば触れるだけで炭と化す灼熱の二体の身体もウルベルトにとってはちょうどいい温度でしかないだろう。

 しかし理解はできてもやはり納得はできず、嫉妬する心は少しも落ち着くことがない。

 このままではいけないと自身に言い聞かせて何とか落ち着こうと密かに苦心する中、ウルベルトが組んだ足の上に右肘を乗せ、軽く曲げた指の背に顎を乗せながら少しだけこちらに身を乗り出してきた。

 

「それで? 少々早いようだが第二幕の準備ができたのか? それとも何かの報告で来てくれたのかな?」

「……! ……は、はい。聖王国の解放軍が動きました。五日後、カリンシャに向かい進軍するとのことです」

「なんだ、漸くか。それも五日後とは……、随分と余裕があるものだ」

 

 デミウルゴスの報告の内容に、ウルベルトが呆れたような表情を浮かべてくる。続いて小さく肩を竦める創造主に、デミウルゴスはここで漸くいつもの小さな微笑をその顔に再び浮かべた。それでいてゆっくりと口を開き、王兄カスポンド・ベサーレスに扮している二重の影(ドッペルゲンガー)から受けた報告の内容を創造主に伝える。

 深みのある美声が紡ぐ報告内容は、主にこれから城塞都市カリンシャに進軍する解放軍と離反する予定の亜人たちの動きや作戦内容について。

 ウルベルトは無言のまま静かにデミウルゴスからの報告に耳を傾けていたが、話が終わるとため息にも似た息を盛大に吐いて自身の椅子になっている紅蓮に勢い良く深くその背を預けた。

 

「なるほど。一つのことをするにもいろんな思惑のあるモノたちをまとめながら行わなければならないから大変だな。特に聖王国は王制ではあるが南方貴族たちの力もそれなりに強い。南方貴族が全滅していない以上、悪魔や亜人たちへの脅威が去った後のことも考えながら行動していかなければ、待っているのは新たな争いだ。……そう考えれば、何をするにもそれだけ時間がかかってしまうということか」

「はい、ウルベルト様の仰る通りかと」

「国というのは広大だ。決して王一人で統治できるものではないから、今更貴族や領主といった存在が不要とは言わないが……。それでもありとあらゆる場面で足を引っ張り合うようでは鬱陶しくて仕方がない。我が魔導国ではこういったことにならないよう、徹底して貴族や領主などを管理していく方策を考えていかなければならないな」

「はっ、畏まりました」

 

 ウルベルトの言葉に、デミウルゴスは右手を胸に当てて深々と頭を下げる。これはデミウルゴス自身も前々から思っていたことであり、今回創造主の言葉を受けてより一層重要度を上げて早々に着手すべき案件であると認識を改めた。

 創造主の言う通り、広大な土地や数多の種族を統治する場合、人手はいくらあっても足りないため貴族や領主といった統治階級の者たちはある程度必要となってくる。しかしそれらの力が強くなりすぎて国のトップの地位を脅かしたり、有事の際に足を引っ張り合う事態になっては元も子もない。これはリ・エスティーゼ王国が最も良い例だろう。

 魔導国は今のところ統治している領地も小さく、そのため国政に携わるモノもその殆どがナザリックのモノで占められている。もしこの状態をずっと続けることができるのであれば何の問題もないだろう。

 しかし今後領土を拡大させていけばナザリックだけでは手が足りず、現地の貴族や領主などもある程度取り込んでいく必要が出てくる。そうなった時、貴族や領主たちの管理方法がとても重要になってくるのだ。

 ナザリック以外のモノも国政に携わらせるようになった場合の厳しい規定を早々に考えていかなければ……と頭の中で『やることリスト』に項目を加えながら、デミウルゴスは改めて目の前の創造主へと目を向けた。

 

「現在カリンシャは捕虜を複数抱えていることもあり、多くの亜人を配備しております。その中には内心では魔皇ヤルダバオトに服従を誓っていないモノも多くおりますが、予定通りこのままの状態でよろしいでしょうか?」

「ああ、それで構わないよ。……そういえば、頭冠の悪魔(サークレット)とは鉢合いそうか?」

「恐らくは。解放軍の進行速度やカリンシャ侵入のタイミングにもよりますが、概ね鉢合わせる可能性の方が高いかと思われます」

「そうか……。確か現在頭冠の悪魔が所持している“頭”の一つは第五位階魔法まで使えるんだったな。……この世界の基準で考えると、この場で手放してしまっては少々勿体なくも思えるが……」

 

 独り言のように呟いて何事かを思い悩むウルベルトに、デミウルゴスはそれを静かに見守りながらも内心では創造主の大いなる慈悲深さに改めて敬服していた。

 己が創造主は常日頃から悪魔と言う存在は愛する対象であると口に出して言い、実際にもナザリックにいる多くの悪魔たちに対して大いなる慈悲や心配りをしてくれていた。

 確かに第五位階まで使用できる“頭”を失うことを残念に思っているというのも事実なのだろう。しかしそれ以前に頭冠の悪魔の身の安全や生死の有無を気にかけてくれていることがデミウルゴスには分かった。

 ウルベルトの心優しさに、改めて胸が熱くなる。

 ただのシモベ風情に対し、何の躊躇いもなく当然のように気にかけて下さる至高の御方。

 何と慈悲深い御方であろうか……。何と寛大な御方であろうか……。

 どこまでも尊い至高の創造主に敬服し、心の中で改めて忠誠を誓う中、不意に何事かを考え込んでいたウルベルトが再びこちらに目を向けてきた。

 

「デミウルゴス、少し相談なんだが……――」

 

 そんな言葉の後に語られる言葉と内容に、デミウルゴスは思わず顔に浮かべている笑みを深めた。

 今までの計画にはなかった小さな変更……。しかし今後のことを考えれば多くのことに大きな影響を与えかねない変更に、しかしデミウルゴスは反対や異議の言葉を口に出すことはしなかった。

 恐らく……いや間違いなく、ウルベルトは自分では思いつかないような素晴らしいことを考えて実行しようとしている。

 今までそれを敢えて口に出して自分に指示してこなかったのは、恐らく自分がそれに気が付き、思い至るのを待ってくれていたからなのだろう。

 そう考えれば、ウルベルトの真の思惑に気が付かず、今もなおその真意に思い至れていない我が身に対して不甲斐なさが湧き上がってくる。

 しかし分からなければ今後分かるようになるために今以上に精進していけばいい……と自身に言い聞かせて気持ちを切り替える。

 至高の主であるウルベルトもアインズも、己を含めた下々に対して幾度となく学びの機会を与えて下さっている。ならばその温情を無駄にすることなく、ウルベルトの言動や一挙手一投足に至るまで気を配り、どのような思惑がありどのような狙いがあるのかを日々学ばせて頂くべきなのだ。

 デミウルゴスは密かに心中でそう意気込むと、ウルベルトの“ちょっとした提案”について深く頭を下げるのだった。

 

 




ナスレネの口調が分からない~~……。
場面によって女性口調になったり老婆口調になったり普通の口調になったりするので、ナスレネは特に台詞を書くのが難しいです。
もし違和感などありましたら申し訳ありません……(土下座)


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