ポケットモンスター虹 オペレーション・ブレイブバード (真城光)
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放たれた翼

気をつけ(アテンション)!」

 

 鋭い声が響いた。ざわつく集団の声が、一瞬で静まり返る。

 耳をつんざくような音は止まなかった。それは決まっていて、彼らがいまいるのはテルス山の中であり、いまもなお激しい風に晒されているからであった。

 ポケットガーディアンズ……ラフエル地方において、治安の維持を一手に引き受けている組織である。その場に集まっているのは、その隊員たちである。

 制服は一様ではない。PGを象徴する白と紺の制服に対して、白地に赤の制服であった。その制服をまとった者が、前に出る。総勢十二名。誰もが精鋭であった。彼らとともにいるのはムクホークである。空を飛ぶポケモンの中でも、強靭な翼と鋭い鶏冠が特徴であった。普段は群れから離れ一匹で行動することが多いものの、よく教育されており、集団行動ができるようになっている。

 その後ろに通常の隊員たちが並ぶ。その顔は、これから行われる作戦の過酷さを物語っていた。

 そして彼らの注目を集めるのは一人の女性だった。齢にして二十半ばを下回る程度である。だが、その美貌は年齢以上に、女丈夫といった印象を抱かせた。女の柔らかさは置いて行き、ただ強さでもってその場に立っているのだと思わせるほどに、強烈な存在感だった。

 短いながらも艶やかな黒色の髪を風になびかせる彼女は、声に違わぬ鋭い目つきで隊員たちを見渡した。

 

「これより、ポケットガーディアン第七特別機動隊、通称第一空挺隊の初任務を開始する」

 

 長ったらしい、しかし、重みを伴った部隊名が読み上げられるだけで、身体の芯に電気が走るようであった。

 女はそんな彼らを見て、微笑んだ。すぐに顔を引き締めて声を張り上げる。

 

「だが、私はこの任務が、我が部隊にとって最後の任務であると信じている。短いながら私が見込み、私が育てた諸君らを信じているからこそだ」

 

 その言葉を笑う者はいない。それだけの重責のある任務である。

 第一空挺隊の見る先には、いくつもの丸い点が浮いていた。

 飛行船である。この世界ではあまり使われない交通手段であった。だが、有用であることには違いない。それも数を揃えることができるのであれば。

 その中に、とりわけ大きな飛行船があった。二つのガス袋に四つのプロペラによって浮遊している飛行船である。まるで施設……基地そのものが飛んでいるかのような威容であった。

 誰もがその飛行船を睨みつけた。側面に描かれた”B”の文字が、飛行船の正体を物語っていた。

 バラル団である。

 

「我らの目的はバラル団所有の飛行船だ!」

 

 女は宣言した。

 治安維持組織の、先制攻撃。過去に例を見ない。はじめに聞いたとき、誰もが戸惑ったものだった。

 だが、ここにいる者たちに迷いはない。もとよりすべて、承知の上である。

 

「これが悪しき先例となるか、未来への光明になるかなど、いまは考える必要はない。ただ、目前の敵を打ち砕くことにのみ専念せよ」

 

 女は背を向けた。マントが翻る。その背には剣を握った鳥ポケモンの脚が描かれていた。

 猛烈な風にも、遠く響くプロペラの音にも負けない声で高らかに言った。

 

「《オペレーション・ブレイブバード》開始!」



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太陽を見上げて

 時は一週間ほど遡る。少しばかり、回想に付き合っていただこう。

 

 場所はペガスシティにあるPGの本部、その取調室であった。

 二人の女性がそこにいた。女のうち片方は黒髪の女性で、もう一人はまだ少女と言った風貌である。

 

「よく来てくれたな」

「……とても歓迎してくれてるようには見えないのだけれど」

 

 少女はそう言った。無理からぬことではある。客人を招くのであれば応接室がふさわしく、たとえ身内であっても会議室に通すものだ。取調室など、礼儀知らずの烙印を押されてもおかしくはない。

 

「聞かれたい話でもなかろう」

 

 そう言って手元の書類に目を落とした。それは少女のプロフィールである。名前はアルマ。ネイヴュ支部所属のPG隊員である。癖の強いネイヴュ所属の中でもとりわけ奇妙な少女であった。

 だが、このときばかりはその出生に意味などなかった。PG隊員として彼女の成し得たことにこそ興味の視線は注がれている。

 

「私の名はキリエ。肩書きは見ての通りだ」

 

 彼女の胸に光るハイパーボールの章は、アルマにとっては上官の証である。キリエの年齢から考えるに破格の役職であると言えるだろう。

 アルマの関心はキリエの制服に移った。キリエが着ているのは通常の制服ではない。一般にPGは白と青の制服を着ることになる。本部の所属であれば黒と赤であろう。ネイヴュであればライトグレーの迷彩柄などの差異はある。だが、彼女が着ているのはそのどちらでもなく、白地に黒と赤である。

 そんな制服を着る部隊を、アルマは知らなかった。

 視線に気づいたキリエは話を切り出す。

 

「今回、君を呼びたてたのは、『雪解けの日』のことを教えてもらいたいからだ」

 

 『雪解けの日』

 その言葉は重い意味を持っていた。

 約半年前、ネイヴュシティは未曾有の危機を迎えていた。ネイヴュにあるPGの支部は特殊であり、凶悪犯の刑務所を兼ねていたのだ。いや、事実上の隔離施設であったと言っても過言ではない。雪に閉ざされたその街は、何者の脱走を許さなかった。

 だが、そのときはやってきたのだった。

 バラル団の幹部であり、危険人物であるイズロードが脱獄した。

 それもただの脱獄劇ではない。ネイヴュ刑務所のすべてを、どころか街そのものを巻き込んだその脱獄劇は、街とPGに多大な損害をもたらした。

 破壊された刑務所を含む様々な施設の修復はまだ行われており、混乱に乗じた脱獄犯の追跡も行われている。PGにもまだ怪我を引きずっている者や、欠員などによる人員不足など悩ましいことが多くある。未だPGの治安維持組織としての在り方に非難の声もあった。

 だが、PG内部において、それと同じかそれ以上の問題があった。

 

「空は私たちのものではなかった」

 

 果たして、誰が放った言葉だろうか。キリエが口にしたのは、あの日以来ささやかれているものである。

 

「私たちは治安維持組織だ。人々を守るのであれば、地上での能力を持てばいい……いいや、そもそも空という観点を持たなかった。ゆえに、私たちは完敗したのだ」

「負けてなんかない」

「そうだとも。あのとき、私たちは負けていない。だが、事実としてバラル団の暴挙を許した。被害を受けた。代償を払った。私たちの驕りだ。最初から負けていたのだよ、私たちは」

 

 淡々と冷静に。しかし確かな怒りを込めてキリエはそう言った。

 『雪解けの日』という修羅場を越えてきたアルマでさえ気圧されるほどの気迫があった。

 

「ゆえに、私たちは見せる必要がある。空を制する力と、PGの力は天にまで及ぶのだと。悪に安寧の場所はないと」

「それは政治の話で、私は興味がない」

「失礼した」

 

 キリエは書類にわずかに視線を落とす。ひとつひとつの動作に、なんらかの意図を感じた。

 そして彼女の言葉から、ある程度のことを理解する。それはある噂についての裏付けとも言えるだろう。

 

「もしかして、新しい機動部隊のこと?」

「その通りだ」

 

 にんまりと、キリエは笑った。

 

「PG史上初の、空の部隊。私はその隊長を務めることになった」

 

 空の治安、などという言葉が出てきたのも最近になってからだった。テルス山などの山岳にあるPGの支所などは、山での遭難者の救出であったり、小さなことであれば山道の整備などが業務であったが、空への警戒がその任務に加わったことは『雪解けの日』を受けてのことだった。

 だが、それは難しい問題である。空は人のものではなく、ポケモンのものだというのが多くの人の見解である。陸であれば電車を、海であれば船を。しかし、空に船を飛ばすことができたとして、実用の段階にまではいかない。陸路で向かった方が安全で、多くの人はそれほど頻繁な移動をしないのだ。

 そんな常識を覆したのもまた『雪解けの日』であった。

 そして、空の治安を守るための部隊運用が考えられているという噂は、本部から半ば独立しているネイヴュにまで伝わってきていた。いいや、実際に被害に遭ったネイヴュだからこそ、ささやかれたのかもしれない。

 ふうん、とアルマは少し興味を示した。PGはいま、バラル団に対して反抗しようとしているのだ。そうとわかれば答える気も起きるというものである。

 

「それで、何が知りたいの? キセキシンカのことならもう伝えたはず」

「話が早くて助かるよ」

 

 微笑みを浮かべるキリエに、アルマは嫌なものを感じた。

 

「バラル団の幹部、ハリアーについて聞かせてくれ。覚えている限りのことでいい」

 

 

 

    *     *     *

 

 

 

 茶髪の青年、ウェインは目の前の女性に睨みつけられている。

 相手はおそらく、自分のことなど知らないだろう。だがウェインは女性のことを知っている。

 アシュリー・ホプキンス。長い歴史のあるラフエル地方で幾度となく名の挙がるホプキンス家の者の一人である。また、アシュリー自身も相当に名を馳せていた。『絶氷鬼姫』という、誰が呼び始めたかわからない呼び名は、その手腕と実績を裏付けるものでもあった。決して強引ではない、しかし高い検挙率は、不動の首位である。

 金色の髪に青色の瞳は、浮世離れした雰囲気すら纏っていたが、このときの情感のこもった視線はむしろ炎のようにすら感じられる。

 自分は卑屈で、そして無能だ。そう自己評価を下すウェインには、まぶしかった。

 

「キリエ隊長なら、しばらくは帰ってきませんよ」

「誰も彼女を待っているとは言っていない」

 

 顔に書いてある、などとは口が裂けても言えない。アシュリーはウェインよりも格上でもあるし、敵に回したならば今後の立場も危ういだろう。

 

「それでいつ頃戻ると?」

「……さあ、聞いてないっすね」

「とんだ忠犬を飼っているものだな、奴も」

 

 PG本部のエントランスホールでのことだった。ウェインはキリエの言いつけを守り、彼女が戻って来るまで待っていた。

 空挺部隊の制服は、本部ではとりわけ目立つ。あれが噂の、と囁かれた回数はもはや両手両足では足りなくなっている。

 そんな折に、アシュリーがそっと隣に立ったのだった。余計に目立っていることを、彼女は自覚しているのだろうか。もしかすると、いつも注目される彼女はこういった状況に慣れているのかもしれないが、それでもウェインからすれば頭が痛いことだった。

 

「ちょうど終わったところだ、アシュリー」

 

 そう声をかけたのは、キリエだった。短い黒髪を揺らしてやってくるのを見て、ウェインが安堵を覚えたのは一瞬だった。先ほどにも増してプレッシャーを放つアシュリーを見て、ぞっと背中に寒気が走る。

 一触即発、というのはこのことだろう。何が彼女をこれほど駆り立てるのか、ウェインにはわからなかった。

 

「私に用があるのだろう。部下が怯えている。いらぬちょっかいをかけるんじゃない」

「そんなつもりはない」

 

 対するキリエは、いつものことだとでもいう風に言い返す。これが日常では、周りにいる者も肝を冷やすだろう。

 並び立った二人を見ると、どちらも似たタイプの人間であるようだった。仕事一筋で、他者に寄りかからず、私情を交えない。そしてどちらも美しい女性である。

 

「次のアポイントがある。簡潔に頼む」

「どうして私を貴女の部隊に誘わなかったのか、お教え願おう」

「私の部下になりたかったのか」

「そうじゃない!」

 

 アシュリーがそう言った。あえて火に油を注ぐような言動をとらなくてもいいだろうとウェインは思ったが、止めることができないでいた。

 

「貴女の隊の発足には、私とて関わっている。出資だってとりつけたのは私だ。だが、その隊は私に任されることはなかった。あの場の者の口から挙がった名は貴女だ。その屈辱がわかるか」

「わかるとも。PGの育成校で、壇上から何度もお前の名を聞かされたのは私だ」

 

 二人の間に確執を感じていたウェインは、そこで納得した。

 育成校時代からの付き合いである両者は相争う関係だったのだろう。優秀な生まれのアシュリーと、普通の家庭の生まれのキリエとでは、反りも合うことがなさそうだ。

 

「確かに、アストンから信任されたのは私だな」

「い、いまは彼のことは!」

「さておきだ。お前にはお前にしかできないことがある。特に本部は、お前の能力を必要としている。議会はそう思ったからこそ、私をこそこの隊に相応しいのだと思ったのだろう」

 

 それにはウェインも同意するところだった。聞く限りではあったが、アシュリーの事件処理の能力や、ポケモンに関するセンス、そして政治能力は地上でこそ重宝されるものである。むしろ、彼女を特別な任で本部から遠ざけることは痛手になるというのは明らかであった。

 理屈がわからないアシュリーではない。では、理屈抜きで考えるならば、やはりアストンのことだろう。アシュリーとアストンは、思うところがあるらしい、というのは噂だった。どちらも名家の生まれであるから、幼馴染なのかもしれない。

 『雪解けの日』を解決に導き、マスターボールクラスの勲章をとった彼の提案こそ、空を守る部隊であった。発足の中心人物であるのだ。

 

「もういいか? 私は行くぞ」

「……聞いたぞ、最初の作戦を。無謀という言葉を辞書に書き込んだほうが良い」

「心配するな。知っているだろう、本番は強いんだ」

 

 そう言って、ウェインの腕を引っ張りキリエはPG本部を出て行く。

 しばらく二人で歩いたところで、ふと立ち止まった。ペガスシティの摩天楼が空を狭くしているのが見える。

 

「いいんすか」

「あいつと同じことを言うな。良いも何も、これから彼女を迎えたとして、部隊として行動できるか? 集団というのは、優秀な個によって乱れることもある」

「いや……その、友達、なんでしょう?」

 

 一瞬、きょとんとした顔を浮かべたキリエだったが、すぐに顔を戻す。

 

「腐れ縁というやつだよ。そして同族嫌悪でもある」

 

 言い得て妙だ、と思った。ウェインの抱いた感想を、そのまま言ってくれた。

 

「育成校の入学以来の付き合いだ。入学試験の首席があいつで、次席が私だ。以来、二年間もそれが変わらなかった。まあ、それもあって、いまもこんな関係なのだ。災難だったな、まき込まれて」

「いえ」

 

 ウェインは俯いた。

 嫌だった。やはり自分は卑屈なのだ。他人に良い感情など抱けないし、自分に対してはもっと低評価だった。だが、このときのそれは、自分が知る仲でもとびきりだった。

 この人にこんな顔をさせる人がいるなんて。

 夕日に照らされたキリエの笑顔を見て、ウェインは自分の心の影を感じたのだった。



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乙女の直感

 この時は、アシュリーとの出会いから数日した頃。作戦開始の二日前である。

 

「ウェインさーん、起きてくださーい」

 

 目を開けると、飛び込んできたのは元気な少女だった。

 自分より暗い色の茶髪を揺らす彼女を見て、ウェインは怪訝な顔を浮かべる。あまり会いたくない同僚の顔だった。

 

「……ローズ。騒がしい」

「こんなところで寝てるのがよくないんですよ」

 

 こんなところ、と彼女が言ったのは第一空挺隊の訓練所の裏手である。

 ポケモンレンジャーとの共同訓練……という名目で一方的にノウハウを学んでいるこの場所では、自分たちはアウェーであった。

 そんな場所で昼寝などをしているウェインを見れば、お咎めがあるのも当然だろう。ローズも気安く話しかけているが、実際は無用な騒ぎを起こしたくないというのが本音であるかもしれない。

 

「アランさんから頼まれてたレポート、出せてないって」

「そんなはずは……いや、くそ、もう時間か。忘れてた」

 

 厳密に言えば、それは指導官を買って出たポケモンレンジャーであるアランからの課題ではなくキリエからの課題だった。付き合わされているのはアランの方だ。だが、彼は真面目であるから、ひとつひとつきちんとチェックしているのだろう。

 うっかり忘れてしまったウェインであったが、疲労の度合いも深くなってきた頃合いだった。このあと数日の休暇があるとは言え、こういうミスを繰り返しては部隊に影響を与える……、などと自分も真面目に考えていて笑ってしまった。

 

「そういえば、ウェインさんはキリエさん直々の推薦らしいじゃないですか。こんなミスしちゃダメなんじゃないですか〜?」

「うっせ」

 

 いちいち癪に障るやつだ、と思わずにはいられなかった。

 ウェインはこのローズという女性が苦手だった。ほとんど同い年ではあるが、妙に馴れ馴れしかったり、かと言えば異様に踏み込んできてはさっと引いてみせる。距離感がいまいち測れない相手である。

 第一空挺隊はみながみな、エースと呼べる実力の持ち主であった。各支部の中でも確かな実力を持ち、柔軟性も兼ね備えている者であるとして推薦を受けてやってきた精鋭ばかりだ。

 そんな中にいるから、ウェインの劣等感はより強くなる。ポケモンバトルも、実務や書類業務においても遅れをとってばかりである。卑屈な性格に拍車がかかったらどうするんだ、とキリエを恨まずにはいられなかった。

 

「お二人はどういう出会いだったんですか?」

「恋愛みたいに言うんじゃない」

「あれ、違いました? ウェインさんは、キリエ隊長にお熱なのだとばかり! 乙女の直感、大外れですね」

「うっぜえ」

 

 憚らずそう言ったウェインは、携帯端末からメールでレポートを提出する。期限は過ぎていたが、許してくれるだろうか。

 

「それで、どういう出会いなんです?」

「懲りないやつだな……」

 

 と言っても、きっかけなど大したものではない。空の部隊に関する噂があがった頃、食堂で対面したのが最初だった。

 右利きの自分に対して、左利きのキリエの腕がぶつかった。顔を合わせれば、次に聞いた言葉は「うちの隊に来ないか」であった。

 あのとき、どうして二つ返事で答えたのかさっぱりわからなかったが、後悔はしていない。

 

「え、それだけなんです?」

「意外か?」

「なんというか、もっとドラマティックなことでもあったんじゃないかって思うんですよ。暴漢に襲われたキリエさんを助けただとか、実は生き別れた兄弟だったとか」

「適当なことを言うな」

 

 だが、確かに簡単に過ぎるように思うのは当然だ。他ならぬウェイン自身がそう思っている。

 これから重要な立ち位置になる試験的な部隊に、ぽっと出の、とりわけ優秀でもない者を引き込むなど何を考えているのかと、咎められてもおかしくはない。

 先ほども言ったように、場違いなのだ。日陰に生きていたはずなのに、急に日の元に出されたような気分だ。

 そういうことをされると、自分の無能さを自覚するだろ。

 目の前にいるローズだって、こんな言動をとってはいるが、誰とでも打ち解けるところがあった。単に自分とは反りが合わないだけである。それに、バトルも優秀で、後発での参加であったが一番最初に習熟訓練を終えたのも彼女であった。空挺部隊に選ばれるだけの実力はあるのだ。

 

「あれれ、なに見つめてるんですか。えっ、だめですよ私は。炎の体なのでやけどします」

「馬鹿なことを言うな」

 

 ウェインは空を眺める。何度も飛んだ空、慣れることのなかった空、未だ眩しい空が、そこにあった。

 

「もうすぐですよ」

 

 ローズがそう呟いた。ウェインは視線をそちらに向ける。彼女もまた、空を眺めていた。

 心ここにあらず、という様子だった。彼女にしては珍しい。いつだって明るく飾っている彼女が、このときばかりはすべてを削ぎ落としたような、無垢な姿でいるようにも見えた。

 

「任務、きっともうすぐです」

「乙女の直感ってやつか」

「あ、そのフレーズ気に入ってもらえました?」

 

 それには答えず、ウェインは踵を返した。待ってくださいよ、と言いながらローズを無視する。

 彼女の言葉が正しい、と知ったのはこの二日後のことであった。

 

 

 

 

    *     *     *

 

 

 

 暴風に晒されながら、ウェインは指示を待った。

 隣にいるムクホークは、今回の部隊配属にあたって与えられた新しいポケモンであった。ニックネームはないが、わずかな特徴から自分のものであると判断できるほどには共にいた相手であった。いまでは相棒に数えてもいいほどに息があっている。

 その羽根を撫でながら、ウェインは胸のうちを反芻する。

 コールサイン……行動中に関係者にのみ通じるように暫定的に定められた名はホワイトウイング7であった。同じ部隊の面々を見ながら、それぞれの名を確認する。

 ふと、ホワイトウイング13:ローズと目があった。微笑んで手など振ってくる。こんなときでも余裕なのか、と思いながらも、もしかすると余裕を持っていないのは自分だけなのかもしれないとすら思えた。

 

「時間だ、総員配置につけ」

 

 ホワイトウイング1:キリエからの指示が下された。

 全員がムクホークの背にまたがる。総勢十三名の精鋭部隊が、戦闘の準備を整えたのだった。

 先頭に立つキリエだけがムクホークではなく、ウォーグルを己の乗騎としていた。種族として、力が強く耐久にも優れたポケモンではあったが、ムクホークほどの速さはなかった。

 しかし彼女のウォーグルは育ち方が違うのか、あるいは人を乗せたときにその力強さからムクホークよりも安定するからか、遜色ないどころか素早く飛んでみせるのだ。

 

「無線確認。チャンネル合わせよし。感度良好。お前たち、行けるな?」

 

 おう、と頷く隊員たち。ウェインも同じように頷いた。

 満足げに笑ったキリエは、息を大きく吸うと、ゴーグルを下ろした。隊員たちもそれに続いてゴーグルを下ろす。

 

「第一空挺隊、発進!」

 

 助走をつけて、ウォーグルが飛び立った。それに続くようにしてムクホークたちも飛び立つ。

 後方の9騎が3騎で編隊を組み、空高くへと飛び立っていく。まっすぐバラル団の飛行船群へと向けて強襲を始める。

 だが、キリエをはじめとしたウェイン、ローズ、そしてあとひとりドットという隊員はまっすぐ降下し、森の中へと入っていく。

 厳密には木と触れるか触れないか程度の低い高度を飛行している。翼を使うことなく、ポケモンのわずかな重心移動によって木々を避けながら突き進んでいく。

 

『ホワイトウイング2、エンゲージ』

 

 無機質な声が響く。上空ではバラル団の飛行船と、空挺隊の戦闘が始まった。

 この状況はどうしても空挺隊の不利である。あらかじめ上をとっている地理的有利、部隊の規模の圧倒的な差、そしてこちらがムクホークしか使えないのに対して、足場を確保しているバラル団たちは遠距離攻撃のできるポケモンを使うことができる。

 万全の迎撃が行われていたものの、空挺隊はわずか半年の訓練期間の中でそれらの攻撃を避けるほどの動きを身につけていた。隊列を崩さないままにれいとうビームやエレキボールなどを巧みに躱していく。

 一方のウェインは、気が気ではなかった。目前に迫る木々を避けるので精一杯である。ムクホークは自分である程度判断ができるとは言え、乗り手の言うことを聞くように躾けられているから、事故が起ころうとそれはウェインの力不足ということになるのだ。

 横を見れば、ローズとドットも精一杯といった雰囲気であったが、上手く操っていた。気を引き締めて、ウェインは改めて前を見る。

 キリエはというと、こちらは危うげなく飛んでいた。もとよりウォーグルは彼女のポケモンだ。すでに長年の相棒なのである。ウォーグルの育成は最難関の一角と言われており、それを自分の手で相当なレベルにまで育て上げた彼女の手腕が窺い知れる。

 

 

「総員、よく聞け。これより10カウント後に尖峰チームによる飛翔を開始する。10、9、8……」

 

 カウントダウンが始まる。ちらりと上空を見れば、バラル団の飛行船群の中で、とりわけ大きいものの真下に回っていた。

 作戦の内容としては、後方部隊の9騎が上空で撹乱をしている間に、尖峰の4騎が木々に紛れながら飛行し、敵飛行船の真下へと入る。そこから急上昇し、敵の飛行船へと取り付く。

 空戦をしたことがないから、どれだけ効果を発揮するかはわからなかった。幸いにしてバラル団からの攻撃は一切なくここまでやってくることができた。あとは上へと向かうだけ。

 息を呑んだ。これから主戦場へと向かうのだ。これほど大規模な作戦に投入されたのもまた初めてである。初めて尽くしの自分が、果たして役に立てるのだろうか。この期に及んで、そんなことを思ってしまうのだった。

 

「ときにウェイン、お前は女のケツを追いかけた経験はあるか?」

「え、へ、は?」

「ふっ、その様子ではないようだな。初めてを奪うことを許せよ。……0、上昇開始! お前たち、ついてこい!」

 

 掛け声に、訓練の成果か、身体は嫌でも従ってしまう。無意識のうちにムクホークに指示を出して、ウェインは空へと登っていく。

 身体が空気と重力に押し返される。わけがわからないままに、ウェインは青空へと飛び出したのだった。



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かたやぶり

「作戦はフェイズ2に移行しました!」

 

 司令室に声が響いた。

 ペガスシティにある本部に急遽作られた司令室は、機能として最低限しか揃えておらず、場所も狭い。

 そんなところに普段は最高の施設を利用している本部の職員が詰め込んでいるのだから、不平不満はあちこちから漏れていた。

 しかしこのときばかりは、誰も文句は言わなかった。世紀の作戦の行動中である。

 簡素ながらも最新鋭のものである。3D表示されたマップに、敵飛行船の表示があった。その周囲を飛び回る九つの点を観測しながらも、新たに表示された四つの点に注目が集まった。

 

「ここまでは順調だね」

 

 そう言ったのはマスターボールのバッヂをつけた男、アストンだった。紫のボールは最高位の証であったが、彼のそれは地位を示すものではない。彼のあげた功績を讃えるものであった。

 無論のこと、実力の証左でもある。空挺隊の設立に口を添えた上、その初めての作戦の指揮を任されたのは、厄介払いか。重い任を負わされたものの、彼はいつも通り対処していた。

 だが、普段の彼であればもっとかしこまった口調で話すのだが、このときはつい崩してしまった。それは作戦の順調さを受けてか、あるいは隣にいる人物のせいか。

 

「そうでなくては困る」

 

 金色の髪をいじりながら、アシュリーがそう言った。

 ラフエルでも知らぬ者はいないと言われる名家の生まれである二人がいるその空間は、狭いながらも王宮の一室を思わせた。戦いの最中であれば将軍のテントだろうか。

 

「やっぱり心配なの? 訓練校の友だちなんだよね」

「誰が!」

 

 声を荒げそうになって、アシュリーはすぐに抑える。いらぬ不安を部下に与えてはいけない。

 

「戯言はそれくらいにしてくれ。私も君も、ここでは上に立つ者だ」

「……うん、そうだね」

 

 顔を引き締めて、アストンは言う。視線はモニターに注がれた。空中を踊るように舞う点は敵の攻撃を避けているのだろう。それであっても基本の隊列は崩していない。彼らがどれほどの鍛錬を重ねてきているかがうかがえた。

 地上からの支援を行うことはほとんどできない。こうして状況を確認しながら、情報を提供し続けるだけだ。キリエは「それで十分だ」と言うだろうが、アストンの性分からして歯がゆい状況であることには変わりなかった。

 それはアシュリーも同じだろう。わずかに隊列が崩れそうになるたびに、拳を強く握りしめている。

 

「ボクがキリエさんを推薦した理由は」

 

 唐突にアストンはそのように切り出した。

 その場にふさわしい話題とは思えなかった。いまさらキリエの能力を疑っている者はこの場にはいない。例え万年アシュリーの後塵を拝していたとしても、その実力はトップクラスである。例年にも増して豊作と呼ばれる代において、稀代の女傑二人組の前評判は嘘ではない。

 だが、アストンはそれでも足りないと判断したのだ。いま、不安を覚えているのは自分ではなく、アシュリーなのだ。彼女の不安は伝播する。カリスマ、というのは人を信じさせる力であると同時に、ある一人の思いをシンクロさせてしまうことでもあった。

 

「彼女がPGで唯一、空への対策を提言した者だからだ」

「そんな話、聞いたことがない」

「キリエ隊長は『雪解けの日』より以前に二回、空の部隊を整えることを提案した。一度は直属の上司に捨てられ、二度目は会議にまでこぎつけたようだが、却下された。空はポケモンレンジャーの領分であるという固定観念か、あるいは何か金銭が動いていたのか、ともあれ憂き目を見たわけだ」

 

 アストンはそう言った。幸いにしてデータは廃棄されたわけではなく、アストンは彼女のレポートを読むことができた。もし『雪解けの日』に、このレポートの通りの部隊を運用できていたならば……。そうおもわずにはいられないほどの内容であった。

 権力を使うのには躊躇いがあった。まして、アストンは自身のマスターボール勲章を自分の功績とは思えなかったのだ。

 けれども、力は力だ。これから役立てていけばいい。

 そして、最初に発したのは、「空の部隊」についてであった。

 無論のこと本当の権力ではない、借り物の権威では周囲に言うことを聞かせるだけの力はなかった。それでも、それが後押しになったのか、ネイヴュ復興の次に取り組まれる課題になった。

 

「ボクは迷わずに、キリエさんを推した。彼女こそがその部隊を指揮するに相応しいとね」

「……彼女はいつもそうだ。教科書通りにすればいいものを、ひとつだけ裏切ろうとする。土壇場になって、試したいことがあると言って、無茶をやるんだ」

 

 アシュリーはそう言った。苦い思い出が蘇ったのか、顔をしかめている。

 

「たったひとつの尺度で測ろうとするのが無理なんだ」

 

 そう言ったのはキリエだったな。とアシュリーは思う。その通りだ。そして、誰かの尺度からいつも外れようとするキリエを、アシュリーは憎しみにも似た感情で見つめることしかできないのだった。

 くすり、とアストンは笑った。じろりとアシュリーの視線が寄る。幼馴染が怖いから何も言わなかったが、胸ではこう呟いていた。「君も信じているんだろう、彼女を」と。

 

「尖峰部隊、エンゲージします!」

「きたか」

 

 通信士の声で、二人は再び視線をモニターに移した。

 光が飛行船に接近していた。

 

 

   *    *    *

 

 

 

 宙に飛び出せば、当然のように迎撃が飛んでくる。

 しかし角度がよかった。敵は真下へと攻撃を繰り出すことは難しいようだ。ひこうタイプのポケモンも多く出してきていたが、ものともせず突っ切って行く。

 ムクホークは、ここが見せ場だとばかりに張り切って飛んでいくが、それに乗っているウェインは冷や汗が止まらなかった。歯はガチガチ鳴っている。

 攻撃を避けるために、一時的に隊列を解いたときなど生きた心地がしなかった。

 

「飛行船までもうすぐだ、行くぞ!」

 

 キリエからの声に、ウェインは気を引き締める。

 高速移動の状態から、飛行船にとりつく。それがいかに難しいことかは言い表せない。あえて言うなら、それは誰もやったことがないことだ、ということだけだ。

 飛行船に近づく。とんでもない大きさだ。縦に40メートル、横には250メートルほどだろうか。ホエルオーに換算して縦に3匹、横に10匹と言えば大きさは通じるはずだ。

 飛行船の真上をとって、水平に飛行する。着地タイミングまで脳内でカウントを始める。ムクホークと飛行船の飛行速度を同調させた。相対的に、飛行船のガス袋が地面のようにも見えるから不思議である。

 それからゆっくり足を下ろそうとしたときだった。

 電撃が走る。横を見れば、そこにはレアコイルがいた。この飛行船に乗っているバラル団のものだろう。

 痺れとともに、ウェインは投げ出される。一瞬の浮遊感と、すぐに衝撃が襲ってくる。

 高度にして1500メートルである。投げ出されては敵わない。背骨のように伸びているロープをどうにか掴んでバランスをとった。

 

「ムクホーク、戻れ!」

 

 モンスターボールを掲げると、雷で羽根を焦がしたムクホークが戻る。いまはその傷を癒す暇もなかった。

 すとん、ともうひとり、足をつけた気配がした。同じようにロープに手をかけているキリエがそこにいた。

 

「おめでとう、お前が飛行船に着地するという無茶をやり遂げた、その第1号だ」

「う、嬉しくないっすね」

「余裕を持て、ウェイン。できることもできなくなるぞ」

 

 そう言うと、視線を空へとさまよわせる。彼女のウォーグルは翼をはためかせて、隊列の中に入っていく。自立してそこまで行動ができるのか、と驚きが隠せなかった。

 さらに視線をさまよわせると、ローズとドットが飛んでいるのが見えた。どうやら二人は着地に失敗していたようだった。持ち直して周囲を旋回している。

 キリエは通信機器に口をあてると声を飛ばした。

 

「こちらホワイトウイング1、本部応答願う。ホワイトウイング5とともに着地した」

 

 返答はない。何度か呼びかけたもののノイズが聞こえて来るのみだった。

 早々に交信を打ち切ったキリエであったが、むしろ笑顔を浮かべている。

 この強さだ、とウェインは思った。彼女はいかなる逆境であっても笑って乗り越えるのだ。余裕などないはずなのに。はったりか、己への鼓舞なのか。

 

「どうやら応援はない。私たち二人でこの飛行船に潜入する」

 

 それは予期できていたこと。真っ先に飛行船に取り付いた者が中に潜入し、この飛行船を奪い取るという算段だった。

 

「飛行船の行き先はリザイナシティという見立てだ。到着まであと3時間というところか」

「言うほど余裕はないっすね」

 

 時計を見ながら、ウェインは言った。

 リザイナシティといえば、ラフエル地方の頭脳とさえ呼ばれる学園都市であった。教育機関のみならず、各研究所が一堂に集まっている。ここで知ることができないのは恋愛くらいだ、というのは誰の言葉だっただろうか。

 そこをバラル団が狙う、というのはわからないことではなかった。いかなる被害であってもラフエルは大きな打撃を受けるだろう。それこそネイヴュのような目に遭ってしまえば、今後10年は立ち直ることができないかもしれない。

 だが、ウェインは少し引っかかる。その引っかかりの正体はわからないが、このままでは済まない予感があった。

 轟音が響いた。どこかでポケモンがかみなりを打ったのだろうか。

 

「急ぐぞ。用意はいいか」

「……これ、マジでやるんすか?」

 

 ウェインは自身で潜入の用意しながら、信じられない思いでいる。

 

「飛行船の構造は頭に叩き込んでいるな? これが一番、侵入できる確率が高い。そもそもゼロから始まっているんだ。方法があるだけ良いと思え」

「そ、そうは言ってもすね、これは」

 

 そう言いながらウェインが掲げたのは、持参したロープであった。

 キリエはすでにそれを腰に巻いており、飛行船側のロープと結んでいた。

 第3フェイズ、飛行船への侵入。それは飛行船のガス袋を足場にして伝い、側面ハッチから入り込むというものだった。

 ロッククライミングの逆版、あるいはエイパムごっこ、などと作戦説明中に自分の神経をごまかしていたものだが、実際に目の前にすると限界があった。

 並の山よりも高い場所から、ほとんど壁に等しい、しかも中にガスの内包している足場をロープ一本で降りるなど、あまりにも馬鹿らしい。

 

「バンジージャンプ、とかのレベルじゃないっすよ」

「鳥ポケモンの気持ちを味わえるぞ」

「それはさっき十分に!」

「ロープが切れる心配はない。周りから仲間が見張っててくれる。これ以上に安全に乗り込むことはできん」

「ああもうこの人は!」

 

 答えながら先に進んで行くキリエを見て、ウェインは意を決して一歩を踏み出したのだった。



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鋼の翼

「死ぬかと思った」

 

 その言葉と同時に、ウェインは膝をつく。

 どうにか飛行船内への侵入に成功したが、一息つくには早い。しかし呼吸を整える間を設けなければ、とてもではないが体力がもちそうになかった。

 水を一口含んで、ため息。時計を見るとすでに10分が経過している。

 

「聞け、ウェイン」

 

 作戦コードネームではなく、本名でキリエは呼びかけた。

 ウェインが顔をあげると、彼女は神妙な顔を浮かべている。

 

「これからひとつ、策を伝える。何も考えずに従ってくれるか」

「それは、他の人たちには秘密の……ってことすか」

「聞き分けの良いやつは好きだぞ」

 

 またからかうような口調ではあったが、いたって真剣な顔つきである。

 その様子にウェインもまた、似た表情で頷かざるをえなかった。

 キリエはそっとウェインの耳に口を近づける。顔の近さにどぎまぎするが、そのときに彼女の発した言葉に目を見張る。

 一通り聞いて、絞り出した言葉は。

 

「……マジで?」

「大マジだ」

 

 少しばかりの思考の時間で空白が生まれるが、いまキリエの言うことを疑っても仕方ないと考えたウェインは、彼女の指示に従うしかなかった。

 渋々了承しながら、ウェインは自分のできることをするしかない、と思ったのだった。

 

「それにしても、バラル団はどこからこんなもの持ってきたんですかね」

 

 ことを終えて、ウェインは言った。策が成るか成らないかは、賭けでしかない。ここはひとつでも建設的な話題を出しておくのが吉だと思ったのだ。

 キリエはというと、ウェインの前を歩いている。飛行船の内部は想像よりもずっと広かった。鉄と木で作られた内部は、狭いながらも工場を思わせた。パイプが複雑に絡み合い、機器があちこちに設置されている。下手にいじれば何が起こるかわからない。

 バラル団の団員の動向に気を配りつつ、ウェインはキリエにそんな話題を振った。

 

「資金提供、物資提供、技術提供……裏に大きな個人か組織がついているのだろう。PGにも出資している者かもしれんな」

「そんなこと、まかり通るんすか」

「自分の安全と引き換えになら、どうだろうな。バラル団そのものが大きな経営母体を持っているとしても、ここまで規模の大きなものであればすぐにわかる。であるなら、私たちでさえ目を向けることが許されぬ者がいるとしてもおかしくはないだろう。そうだな、例えば」

「ポケモンリーグとか?」

 

 それにはさすがのキリエも苦笑を浮かべざるをえなかった。

 

「どうだろうな。彼らはなんというか……本気でポケモンとポケモントレーナーのことしか考えてないように見受けられる」

「まあ、そうですよね。んじゃあどこかの財閥か」

「ハーティとホプキンスも怪しいな」

 

 それはアストンとアシュリーの生家でもある。ポケモンリーグの名を出しておいて、ウェインはその二つの家の名に背筋が凍る思いがした。

 

「冗談すよね?」

「無論だとも。だが、PGが常に正義の側であるわけでないことを忘れてはならない。バラル団に正義を認めたならば、そちらにつく者もいるのだ」

「にわかには信じられないですよ。なんだってあいつらに」

 

 バラル団の目的はいまいちわからない。だが、彼らが悪事を働く一方で、ポケモンを大切に扱っていることは知られている。数ある事件でも、ポケモンを利用することはあれど、ポケモンを傷つけるような真似はしなかった。

 むしろ、積極的に保護していくような動きさえある。多くの者は、躾をして兵器のように扱うつもりなのだと口にするが、それが真実であるかは疑わしい。

 言葉とは逆に、ウェインはバラル団の掲げるものに一定の正義を認めている。

 

「彼らの言うことのどれが真実かはわからないさ。だが、正義というのは人それぞれにあって、バラル団にもまたあるはずだ」

「……僕たちは正しいんすよね?」

「自分が正しい側でないと不安だというのは、ずいぶん人間らしい感情だとは思わないか?」

 

 どきりとした。まるで見透かされたかのような言葉であった。

 ウェインが抱えているものを的確に言い当てたキリエだが、その言葉の矛先はどうやらウェインに限らないようであった。

 この、自分と四つか五つしか変わらないはずの人は、どの目線で世界を見ているのだろうか。

 背伸びしたところで、見るものが変わらなければ斜めに見ることしかできない。自分よりずっと遠くのものを見てものを言う人に、ウェインは尊敬の眼差しを向けるしかなかった。

 

「少なくとも、私たちが積み上げてきたものが無意味でないとしたら、その秩序を乱す者を正すのも私たちの仕事だ。迷え、ウェイン。どこへ向かってもいい。迷って、たどり着け」

 

 キリエは笑った。不敵な笑みではない。慈愛だった。確かな柔らかさと、愛があったように感じられた。

 もしかすると、それはもっと違う誰かに送りたい言葉だったのかもしれない。

 ウェインは寂しく思えた。突き放されてしまった、とさえ思った。

 それでも彼女を追いかける他ないのだ。

 

「隊長!」

 

 曲がり角から一人の人物が現れた。不意のころでウェインは驚いたが、キリエは冷静に対処する。

 

「誰だ」

「わわわわ。私です、ローズですよ!」

 

 そこにいるのは同じ部隊のローズだった。どうやらウェインとキリエに続いて侵入したようである。

 

「他の者は?」

「一緒に侵入する予定だったドットさんは、私が侵入したときに墜とされまして……どうにか撤退しました。他のみんなは外で応戦していますが、そう長くはもたないでしょう」

「ムクホークたちの体力も限界か。頃合いだな」

 

 キリエはそう言った。ムクホークによる強襲は確かに効果があったが、人を乗せたまま延々と飛び続けることはできない。まして、ずっと戦闘機動をしているのである。乗り手もポケモンも緊張を強いられるし、その分消費される体力も多い。

 だが、幸いなことにこちらは戦力が整っている。ウェインはキリエに視線を送ると、彼女も頷き返した。

 

「いいだろう。ローズ、これから策を伝える」

「この船を指揮する幹部を叩くんですよね?」

「その通りだ。私の読みでは、あの嫌な奴が乗っているはずだな。無論、これを叩く。だがそれさえも陽動だ」

 

 船の構造は覚えているな。キリエは何度となく言う。

 指で宙に飛行船を描きながら、その一番後ろを指差す。

 

「私たちはこれより最後尾を目指す。前回の彼らの作戦から考えて、ポケモンを用いた爆撃が行われる線が濃厚だろうからだ」

 

 『雪解けの日』のとき、彼らが用いたのはゴルーグによる絨毯爆撃であった。

 重量があり、大きなポケモンであるゴルーグが空から落ちてきたのは大変な脅威だ。二度とそんな真似はさせない。そう固く決意したキリエは、当然としてモンスターボールが置かれているであろうここを目指す。

 次に叩くべきは、無論のこと指揮をする人物だ。

 

「私の予想だが、嫌なやつがいるだろうな」

 

 そう言って笑うが、その人物が何者かはウェインには見当がつかなかった。

 ともあれ、この指揮官がどこにいるのかが問題であった。

 

「そこで、ウェインのマイナンをこの中で放つことにする」

 

 ウェインは自分のモンスターボールからマイナンを出した。小さく可愛らしいポケモンとして有名であったが、ウェインは自分の大切な仲間としてマイナンを連れていた。

 小さい、というのはPGの仕事の中でも大切な役割がある。

 例えばいまのように、複雑な建物内を自由に移動できるなどだ。

 空気孔にマイナンを置いて、ウェインは指示を出す。「偉そうなやつを見つけるように」とだけ。曖昧で頭の悪い指示であったが、それこそウェインとマイナンが積んできた経験がものを言う。

 これまで何回か、バラル団を含めた犯罪組織を摘発したことのある二人は、それだけで通じるのだった。

 空気孔の中をゆっくりと進んで行くマイナンを見て、ウェインとキリエは頷いた。

 

「二人、やらしいですね。なんか通じ合ってません?」

「作戦中だぞ、ローズ。それに、私たちが通じ合ってるのは当然だ」

「おおお!? これはもしかしてもしかするんですか!?」

「き、緊張感ないなあ……」

 

 二人の持っている余裕を楽しめばいいのか、呆れればいいのか。ウェインにはさっぱりわからなかった。

 だが、これで一歩前進である。

 三人は急いで飛行船の後方へ向かう。

 そこは貨物室になっていた。想像しているよりもずっと大きい。コンテナが無数に並んでいて、バラル団の飛行船でなければ物流に使われているのだろうと思ったはずだ。

 数人のバラル団のしたっぱが巡回している。そのうちの一人が指揮をしているが、どうやら幹部ではなさそうだ。

 

「一気に制圧する。いくぞ」

 

 そう言って、キリエが出したのはミミロップである。グラマラスな女性を思わせるウサギポケモンであるが、その本性は恐ろしい。素早さで翻弄しながら相手を追い込むポケモンである。

 ローズが出したのはロコンだった。正直に言えば戦闘能力は期待できないが、それは通常のポケモンバトルであればの話である。こうした場所での戦いであれば、いくらでもやりようがあるだろう。ローズはそういう戦いにおいて、才能のある人物だった。

 ウェインはというと、手持ちの中で最も強いポケモンを出す。ハッサムであった。赤い姿に丸いながらも鋭い眼光が特徴的なポケモンである。ストライクから進化するにあたって、羽が鋼鉄化し退化したものの、代わりに攻撃力と防御力を手に入れた。

 それぞれ頷きあって、コンテナから飛び出す。己の役割を果たすために。



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