東方白狼伝説 (青森の桜前線)
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序章 神の子

はじめまして。




 オノゴロ島で伊邪那岐(いざなき)伊邪那美(いざなみ)と共に天の御柱を廻る……。

 

 夫婦の契りを結び、子を生む。

 

 しかし、生まれたのは妖しい物の怪の()()()であった。

 

 ヒルコは葦の船に乗せられて海に流された…。

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

~白狼の里~

 

「おぎゃあ…!おぎゃああああ!!」

 

 ほの暗い産屋に響く生命(いのち)の声。それを産み落とした者は大きくその肩を震わせて崩れた。となりで赤子を取り上げたおばあさんが「もう大丈夫、元気な男の子だよ」そう言って女性の背中を優しくさすった。

赤子の穢れを産湯で落としながら、おばあさんはその女性を元気づけるように言った。

 

「う~んっ、立派な尻尾だ。流石來寄(らいき)の子だねえ」

 

「……ふふっ。ありがとう…ございます」

 

そう絞り出すように呟いた。

 

 

 Ⅰ時間も経つとだいぶ落ち着いてきたようで、布団の上で我が子を抱いていた。

 

「それにしても…、本当にあの人にそっくり。」

 

 頬を撫でられると気持ちいのか、すうすうと息をたてながら眠っていた。その様が愛らしいのか喜ばしいのか、思わず顔がほころんだ。

そんな時だ。ドタドタドタとこちらへ走ってくる音が聞こえる。あの人だろう、そう思い待っていると、部屋の前でピタッと止まった。障子には旦那と思われる影と、もう一つ影があった。何事だと思案していると、向こうから声が聞こえてきて、戸惑いは笑いへと変わった。

 

『ちょっと旦那さん!ここでは静かにお願いしますって前から言っているじゃないですか!特に今は奥様がご出産なされたばかりなのですよ!ちゃんと父親としての自覚をですねぇ…』

 

『い、いや、うん…。分かった、分かったから!早く妻にあわせてくれぇぇ!!』

 

 

「ふふっ」

 

 まったく、賑やかな人。

 

「あなた、大丈夫ですよ。入ってきてください」

 

『おっ、そうか。んじゃ失礼するぞ』

 

『ちょっと!まだ話は終わって…』

 

 障子がスパッと開け放たれる。ちょうど夕暮れの光が差し込んできてまぶしかったが、すぐに目の前の最愛の人がわかるまでに回復した。その人は私のすぐ横に座り込んでからそっと手を取った。

 

「ありがとう、俺の子を生んでくれて。大変だっただろう…、男の俺じゃ計り知れないが。本当に、よくやった。」

 

 若干目を潤ませながら私の顔を見てそう言った。

 

「こちらこそ。あなたの子を生ませて貰って本当に良かったわ。心の底から」

 

 そうやり取りをしていると、今まで静かに眠っていた腕の中の子が突然泣き出した。

 

「…おぎゃあ、おぎゃあ!」

 

「まあまあ…!きっと、突然あなたが現れてびっくりしたのね」

 

「わははは!元気なことは良いことだ!どれ、父さんにも抱かせてくれ」

 

 私が彼に渡すと、すっと持ち上げ立ち上がった。慣れない腕の中なのか、泣き止まないが。

 

「おぎゃあ!おぎゃあ!」

 

「おおう、よしよし…」

 

「…そういえば、あなた。名前はもう決めたのですか?」

 

「む…、おお!そうであった。ああ、ちゃんと決めてきてあるぞ!」

 

 そう言うと彼は、一旦赤子を私の腕の中に戻して、懐から一枚の紙を取り出した。そして紙を広げると、さあ見てくれ!と言わんばかりに私の顔に近づけてきた。

 

「“ハク”…」

 

「そうだ。シンプルでいいだろ?この子には俺の跡を継がせたいからな…。内にも外にも、分かりやすく覚えやすい名前がいい。」

 

 どうだ?そう言うと彼はキラキラと顔を輝かせる。ハク、ハク…。

 

「ええ、すごく良いと思います。この子はこれからハクなのですね。ね、ハク。」

 

 腕の中でこの子がうなづいた気がした。

 

それからの一週間は、ここで過ごすことになった。食事や赤子のお世話など、必要なことはおばあさんが横で手伝いながら教えてくれた。夜には旦那が仕事から帰ってきて、その日の出来事を話した。包んでいる布を取り替える大変さや、お乳の後にはゲップをさせること。その他にも周りの先輩母たちから教わった豆知識など、一日を振り返りながら会話を楽しんだ。ある程度日が落ちてくると旦那は横になって、雑魚寝を始める。それを見ながら、私もハクを寝かしつけて、自分も眠りにつくのだ。

 

「おやすみなさい」

 

 願わくば、我が子に幸あらんことを。

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く

  死に死に死に、死んで死の終わりに冥し』

 

 弘法大師空海が自身の詩のなかに記した一節です。永夜抄で妹紅が言っていたセリフもこちらになります。

この世は車輪です。ぐるぐると廻りそれが絶えることも変わることもありません。ただ流れのなかを進むのです。地球も回ります。私たちも一緒に回ります。これに一体どんな意味があるのでしょうか。

 

 

 

 




 閲覧頂きありがとうございます、作者です。

小学校の頃は、物語を作るときに登場人物たちの会話だけが続いてしまうタイプの人間でした。今もそれを抜きにしても拙い文章ではありますが、是非これからも読んでいただけると幸いです。



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第一章 武闘祭篇
第一話 白狼の里


 妖怪って実在したのでしょうか。

少なくとも、民俗学的にその土地の風土を調べるのにはうってつけですが。昔の人々には確かにそこに「いる」という感覚があったんでしょうね。現代に生きる我々は多くのことを考え過ぎてしまう。科学の進歩は、文化の進歩とは言えないのかな。


 ここは白狼の里。三方を山に囲まれ、川が村に沿うように流れている。外敵の侵攻を防ぐためなのか、入り口に架かる橋は一本だけ。その奥にある大きな門は、今まで何度も攻撃を受けてきたのだろう、傷だらけだが誇らしげに悠然とそこに坐していた。門をくぐり抜けて中に入ると、田園風景が広がり村の男や女たちがせっせと自らの作業に従事していた。その傍らでは、子どもたちが泥だらけになりながらも遊んでいる。太陽から日を受け、キラキラと輝いていた。

 

それらを片目に通り過ぎて、家屋が建ち並ぶ村の中心へと向かう。進むにつれて、だんだんと、こちらも賑わっている声が聞こえてきた。その中で一人の男の声が一段と際立って民衆に語り掛けているのが分かる。その男は他の村民よりも一段高い位置で、朗報だ!と興奮冷めやらぬ様子で話していた。

 

「皆の者!!先程、鬼の一族より連絡が入った。彼らが住まう八ヶ岳で噴火があったそうじゃ…」

 

「な、なんだってー!」

「なん、だと」

「そりゃ、本当かい!村長(むらおさ)!」

 

 村長と呼ばれた男の一言を受けて大いにはしゃぐ民衆。その中で一人の村人が声を上げた。

 

「じゃあ…!()()が、」

 

村長「ああ!()()が執り行われる!」

 

 バッ、と左手を挙げる村長。その合図を受けてか、近くに待機していた従者が銅鑼をかき鳴らした。

 

 

村「()()()の始まりじゃあ!!!」

 

「「おおおおおおおお!!!!」」

 

 歓声は大地を揺らし、遠くにいた村人にも伝わる。火祭りだ!火祭りが始まるぞ!そのような声があちこちで巻き起こり、大きなうねりを以て村の中心へと押し寄せた。今回は誰が選ばれるのか、前回出場者の來寄さんか、この前攻めてきた妖怪をひとりで倒した鍛冶屋の息子も有力だぞ、山に籠ってるがあの片手の爺さんもあるんじゃねぇか。そのような言が飛び交う中、一人の少年が大言を発した。

 

「オレがでるっ!!」

 

 周りの民衆は一斉にその声の主を見る。そこには大人たちの肩ほどの背の高さの少年が、手を挙げながらぴょんぴょん跳ねていた。その様を見るや、大人たちは笑い出した。

 

「…ぶっ、はっはっはっはっは!!お前が出れる訳ねぇだろ、ハク!」

 

「流石、隊長殿の息子さんだ。大言壮語とは恐れ入った!」

 

主「ん?オレは本気だぜ。何なら今話に上がってた人たち、全員倒して俺がでる!」

 

「「はははははは!」」

 

主「何がそんなにおかしいんだよぉ」

 

「ハクっ!!」

 

 人ごみの奥から声が聞こえてきた。すると、すみませんすみません、と人をかき分けながら一人の女性がハクの前に現れた。

 

母「ハク、ダメでしょう。まだ子どもなんだから!」

 

主「母さん!で、でもオレ、出たいし…」

 

母「まったく、ほら!行きますよ」

 

主「ちょっ、引っ張らな…!て、力強っ!?ぐ~~~っ!」

 

 そう叫びながら少年は、母親に引っ張られて人混みの向こうへと消えていった。その場はまた笑いに包まれた。

 

 

村(ハク…來寄の息子か。ぬう…、丁度良いかも知れぬのう)

 

村「待つのだ!ハクよ!!」

 

 村長の声に驚き、家に帰ろうとしていた親子はこちらを振り返り、周りの民衆もまた村長の方に注目した。

 

 

村「その心意気、大いに気にいったぞ!おぬしが出よ!」

 

「「えっ」」

 

 

 

 

村「今回の武闘祭、出場者はお前だ!狗剱(いぬがたな)ハク!!」

 

 

「「ええええええっっ!!??」」

 

母「えええっ!?」

 

主「やったぜ」

 

 

?「待って下さいよ!村長!」

 

 村長を制止するような大声。それはすぐ傍らに控えていた大きな太刀を差した男から発せられた。男は一歩前に出て村長に問いかけた。

 

?「何故ウチの息子を?妻も言った通り、ハクはまだ若い。出場させるのはもう少し歳を重ねてからの方が…」

 

村「來寄…。実は今回の鬼方の代表がな、鬼の里を治める鬼門寺家のご子女なのだよ。だから、こちらとしてもそれ相応の相手を用意しないといけなくてだな…。親衛隊長の息子ならば、それも務まろう。聞けばそのご子女はハクと同い年とのこと、何より本人のやる気もあるみたいだからな。」

 

 村長がハクの方に目を向けると自信満々にこちらを見つめ返していた。その隣では未だ母親が混乱して頭を抱えているが。

 

來「むむむ、そうですか…。ですが、ハクには戦闘経験などまるでありませんし…。」

 

村「そこでじゃ。打って付けの相手を考えておる。ゴニョゴニョ」

 

來「………。おおっ、先生ですか。確かに先生ならば戦えるくらいにはなるでしょう。」

 

 親衛隊長の了承が得られたことで村長は改めてハクに向き合い、告げた。

 

村「ハク!これからおぬしには北東の朧山(おぼろやま)に住んでいる“タケ爺”という者の下で一ヶ月間修行を行ってもらう。あちらにはもう話は通してある故、修行しに来たと言えば、稽古をつけてくれるであろう。覚悟はよいか!」

 

主「へへっ、あたぼうよ。んじゃ早速行ってくる!じゃあな、母さん!父さん!」

 

 そう言うと、事前に準備していたのであろうか大きな風呂敷包みを背負い北東へと駆け出した。母親が止めようとするもその勢いには追い付けず、手をすり抜けて行ってしまった。

 

 

母「ああ、なんでこんなことに…」

 

來「まあまあ若葉、いずれは…と思っていたことだ。それが少し早まっただけさ。アイツを信じて待とう」

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

~朧山~

 

 朧山を一言で表すとすれば、それは“霧”であろう。常時濃霧が視界を遮り、前へ進んでいるのかと思っていても出口に戻っていたり、同じところをグルグル回ってしまうなどザラだ。その為ほとんどの人はこの山に近づかないが、一部の力を求める者たちはこの霊山に挑む。その半分以上が先述の通りになり途中でリタイヤしてしまうが、稀にその奥の祠に至り、白狼の秘術を会得する者がいる。その者たちこそが、村長直属の親衛隊に加入することを許可されるのだ。

 

現親衛隊長“狗剱來寄”の息子である狗剱ハクは、勿論そんなことは父親から聞いていた。()()()()、自分なら到達できる。そんな確信があったのだ。しかし、どうだろうか。山に挑み始めてはや三時間、既に前後ろ左右の感覚無く、ただ惰性で前と思われる方向へと歩みを進めるのみ。最早、出発した時の勢いなく、彼の心には一抹の後悔がよぎっていた。

 

 

主「だ、だめ………。オレのイメージだともっと楽勝だと思ったのに…。ああ、甘い考えだったなぁ」

 

 そう溢していると、自分の背中の方から声をかけられた。

 

?「少年、リタイアかね」

 

主「うわっ」

 

 驚いて振り返るとそこには樫の杖(棍棒?)を片手でついた、細身の好々爺(こうこうや)が立っていた。彼はハクを探るような眼差しで見ながらこう言った。

 

?「随分と若いのう…。その歳でここに来るとは、いかなる理由かね」

 

主「び、びっくりしたぁ~。なんだよじいさん!オレは武闘祭に出るためにこの山で修行してこいって言われてて…」

 

 武闘祭の語を聞いた瞬間、じいさんの目が開いた。ほう、そうひとつ呟くと、クルリと体を反転させた。

 

?「…ついて来なさい。」

 

主「え?いや、じいさん。オレ先を急いで「いいから来なさい」……お、おう」

 

 

 じいさんは迷いを見せることもなくスタスタと歩を進める。そのあとに続いていくが、何という健脚か。見た目からは想像も出来ないスピードで前へと進むじいさんを全力で追うハク。無我夢中で追い続け、遂にある洞窟の前で止まった。

 

主「はぁっ、はぁ、はぁっ!ア、アンタ!“タケ爺”だろ?」

 

 

タケ爺「ふむ、如何にも…ワシがタケ爺じゃ。白狼の長より言づてを受けておる、稽古をつけてほしいと…」

 

主「おう!へへっ、何から始めんだ?オレは何でもいいぜ」

 

タ「では」

 

 タケ爺がその場から消えた。周りを探すと、木の枝の上に立っていた。

 

タ「鬼ごっこじゃ」

 

主「は?」

 

 

 

 

タ「ワシを捕まえてみよ。話はそれからじゃあ“(わっぱ)”」

 

主「…!」ゾク

 

 

 

 

 

 




【補足】
 "白狼"は私オリジナルの妖怪で、真っ白な狼を人化したような姿です。同時期に生きていた鬼と比べると、その能力は「守」に偏っています。

 “武闘祭”は白狼一族と鬼一族との間で、八ヶ岳が噴火した時にのみ行われる祭りの事。開催地は白狼の里か鬼の里、毎回代わりばんこに開催される。運営は開催地に一任され、双方から代表者一名を選び、互いの武を競う。元々この祭りは昔、白狼と鬼が争っていたころに停戦の祝いとして行われたことに由来し、出場者はひとりで開催地に向かう。これはかつての風習によるものであり、決闘はひとりで相手の陣地に乗り込むことが美徳とされているため、このような形になった。

 狗剱來寄は前回の武闘祭優勝者です。“狗剱”という苗字は狗の剱、つまり代々白狼一族の武力の象徴という家柄であり、親衛隊長という地位を世襲しています。

 ハクの母親の名前は“狗剱若葉”です。

 朧山で遭難しても死ぬことはありません。タケ爺が定期的に見まわりをしているので、言えば出口に連れていってくれます。



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第二話 修行

 道路ってなんか気持ち悪いですよね、コンクリートの帯が至る所に張り巡らされて。こんなに身近な物質もないですよ。その上を鉄の箱が走るんですからね、奇妙なもんです。もしこれを宇宙人が見たとしたら、何て言うでしょうか。少なくとも褒めてはくれなさそうです。




 疾風が、山にのさばる霧を裂く。そう錯覚させるほどに、鬼役のタケ爺の逃げ足は速かった。木から木に渡り、見た目からは想像も出来ない俊敏さで、その様は猿を思わせた。

ハクは、そのあとをまた追うが、先程の二の舞にしかならない。己の能力に頼ろうとするも、相手が俊敏過ぎてその効果を発揮できずにいた。

 

主「くそっっ!!」

 

 思わず苛立ちが口に出てしまった。それもそうだ、鬼ごっこが始まる前にタケ爺は確かに言った「話はそれからだ」と、つまりこれは単なる()()調()()に過ぎない。タケ爺の背中が遠くなる度にそのことが脳裏を過ぎり、このような言葉を溢してしまったのだ。そんなハクを見かねたのか、タケ爺は立ち止まってこちらを向いた。

 

タケ爺「何じゃ。彼奴の子だからと期待しておったが、そんなものか」

 

主「な、なにをぉ~!く、これでもくらいやがれ!」

 

 ハクが腕を振りかぶり、自身の目の前に振り下ろした。

 

タ「ぬ!?」

 

 その瞬間、タケ爺の体が重くなる。その重さに耐えきれずにタケ爺は膝をついてしまった。

 

主「はっ!もらった!」

 

 隙ありと見るやハクはタケ爺の方へと駆け出し捕まえようとする。ハクの手がその肩に触れようとしたその時、タケ爺は()()()

ばかな、ハクは思った。あの状態で消えたように見えるほど速く移動するのは不可能だ、一体どんな…。そう思案していると、後ろから声がした。

 

タ「一介の妖怪が持つには強大過ぎる能力じゃのう…。ワシでも危うかったぞ。」

 

 飄々と何処からともなく現れるタケ爺。危ういと言いながらもその表情にはまだ余裕があった。

 

主「おい!じいさん!今一体なにをした?“重力を2倍”にしたっていうのになぜ動けたんだ?」

 

タ「“重力”やはりのう…。何、ワシは動いてなどおらぬよ。ただ、」

 

 タケ爺はおもむろに杖をトン、と地面についた。すると彼の体から蒸気が噴き出し、霧となって辺りに溶け込んだ。

 

主「うおっ!?これは、もしかして爺さんの…」

 

タ「そう、ワシの能力は“水蒸気を操る程度の能力”、先程のは全身を瞬時に蒸発させ、キミの重力に身を任せただけよ。それよりもキミの能力を改めて教えてくれんかの」

 

主「オレの能力は“重力を操る程度の能力”。ははっ、さっきのはそういうカラクリだったんだな。よし、さあ逃げろよじいさん!今度こそ捕まえてみせるからよ!!」

 

タ「いや」

 

 タケ爺はハクの言葉を否定するように杖を振り、その状態を解除した。

 

主「え?」

 

タ「キミのことは十分わかったよ。次の修行へと参ろう。」

 

主「いいのか?」

 

タ「ほっほっほ、元々捕まえられるなど思っとらんよ。キミのお父さんでも無理だった。」

 

主「さっきから気になってたけどよ…、父さんのこと知ってるのか?」

 

タ「彼奴を鍛えたのはワシじゃぞ。それに親衛隊の者共は皆、ワシに師事しておる。」

 

主「! そ、そうだったのか。あー、なんか失礼な態度とってすんません…」

 

タ「よいよい。威勢がよいほうが鍛えがいがあるからのう。」

 

 そう言って笑うタケ爺は、先程の竦んでしまうような雰囲気はどこかに飛んでおり、最初に会った時の穏やかな表情に戻っていた。

 

主(この人は怒らせないほうがいいな…)

 

 心に決めるハクであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 その後もタケ爺の厳しい修行は続いた。能力の制御という分かりやすいものから、最初に行なった鬼ごっこのような一見意味の分からないものまで。それらを日の出から日没にかけて、毎日ヘトヘトになりながらも何とか食らいつき、期間が残り一週間となった時には目に見えて彼の教えが身についているのが実感できるようになった。そんな折、日の出とともに始まる修行が突然中止になり、タケ爺から洞窟の奥に来るように言われたハクはそこに向かっていた。

 

主「突然何なんだろうな、日課のランニング(山の周りを十周)もしないでよ」

 

 いつもはこのようなことなどない。時間に厳しいタケ爺のことだし、こうして歩いている時間も勿体ないと言いながら何かし始める人だ。この呼び出しにも何か意味があるのだろう。

 

主「まさか、この洞窟自体がオレを鍛えるための訓練施設とかになってないよな? 罠とか仕掛けられてたりして…」

 

 注意深く進んでいると、ついに奥が見えてきた。

 

主「なんだ、なんもねーじゃん。…ん?」

 

 

 

 そこには(やしろ)があった。洞窟のなかに佇むその古風な木造の建物は、両脇に煌々と燃える松明を携えて自身を(おぼろ)げに照らしていた。洞窟のなかに社というなかなかに見ない造形とそれが内包する()()は、得も言われぬ魅力を醸し出し、ハクはそれに惹き込まれた。神秘的、短絡的に表すならばそうであろう。しかし、そのような言葉で片付けてしまっては、この無垢に魅せられる精神異常者の心胆のような、淡くも太い、鉛筆で書きなぐった線で縁取られる神奈備(かんなび)が、その(てい)を崩してしまうだろう。これは、()()()()()()なのだ。

 

タ「おい」

 

 後ろから来たタケ爺の言葉ではっとし、正気に戻る。

 

タ「大丈夫、か? おぬし…」

 

主「…タケ爺。いや、なんかぼーっとしててよ…。」

 

 その瞳は一瞬虚空を見つめているように見えたが、すぐにいつもの眼差しに戻った。彼自身も自覚した様子はなく、ただその場で無為に時間を過ごしただけ、そういった感じに見受けられた。

 

タ(ハク君、キミは一体…)

 

 

主「それよりも! 何の用だよ、こんなとこまで呼び出してよ。途中罠でも仕掛けられてんじゃないかと、ひやひやしたぜ」

 

タ「………そろそろ良いかと思ってね。キミに“秘術”を授けようと思う。」

 

主「“秘術”? …!、まさか!」

 

タ「白狼一族に伝わりし秘術、その名も“結界操術(けっかいそうじゅつ)”」

 

 

 結界操術とは、その昔白狼の祖先が身体防護の為に編み出したとされる、“結界”という「外界との隔離」という性質を持つものを、様々に変形させ操る術のことである。祖先たちはこの術を使い、先の大戦を生き抜き、「その強さ、鬼と同格」と称されるまでに白狼という種族の地位を高めた。過去、この術は広く万民が有していたが、心悪しき者がこの力を使い反乱を起こしたことにより、力を認めし者だけが伝授される“秘術”として今まで伝わってきた。

ハクは、父のその術を幼き頃より近くで見てきており、憧れも人一倍であった。それが遂に自分に伝授されるとなって、彼の心は踊っていた。

 

主「おおお!!! ついにオレも!」

 

タ「どれ、こちらに来なさい。」

 

 タケ爺は社の扉を開けてその奥へと入っていく。ハクも後を追い、鳥居を模した扉をくぐった。

 

 社の内装は質素なものだった。米・酒・塩などの神饌(しんせん)が供えられ、神代(かみよ)の英雄たちの絵が飾られている。そして御神体なのか、鏡がそこに坐していた。

 

主「タケ爺、あの鏡はご神体か何かか?」

 

 ハクが質問すると、タケ爺は何かが入った木箱の蓋を開けながら答えた。

 

タ「左様。あれはご先祖様が神から下賜(かし)されたものでな、この里の宝のようなものよ」

 

 タケ爺が箱の中から丸い石のようなものを取り出してハクに触るよう促した。ハクはごくりと生唾をのみ、意を決しその石に手を触れた。すると徐々に石が青い光を帯び始め、やがてハクの身体もすっぽりと覆ってしまった。そのなかでハクは目を閉じる。漆黒の海に在るは、幾層にも重なり合う青白き紋様が彫られた板。それらが己の周りを包み、自身の中心へと収縮していった。それは一点となり、心の臓に収まる。それは一線となり、血管を流れる血液に流される。それは体内を何周もし、らせんを描いていった。

 

主「!」

 

 いつの間にかハクの周りには結界が展開していた。そのことに気付いて目を開けると、パリン、と展開していた結界が割れた。

 

主「………、」

 

タ「どうやら、無事に継承できたようじゃな」

 

主「そう、なのか?あんまり実感はないが…」

 

タ「うむ…、実感が無いのは当たり前じゃ。今おぬしに伝承されたは能力の素養だけ、扱うにはまだまだ鍛練が必要じゃ。」

 

 そう言うとタケ爺は石を箱に戻して出口へと向かう。

 

タ「一週間でそれをものにしなさい。」

 

 今日の修行が幕を上げた。

 

 

 




【補足】
 朧山に発生している霧はタケ爺の能力によるものでした。その霧はセンサーのような役割を果たしており、山に入ってきた者たちを把握することが出来ます。前話で記述した「山での死亡者がいない」訳はこのためです。
また、山の中にある洞窟内部の社を侵入者から守るためにも、この霧は役立っています。タケ爺は何千年もこの山で侵入者から秘術と御神体を守り、白狼一族に秘術を授ける役目を請け負っています。

 御神体の鏡は“先の大戦”の終戦に尽力した民族に、高天原の神々より贈られた鏡です。ちなみに白狼以外の下賜された民族は、鬼と天孫(現在の月の民)。

 ハクが結界操術の継承に使った石は、青白晶(せいはくしょう)と呼ばれています。先人たちがつくりあげたもので、朧山奥の洞窟、社に保管されています。


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第三話 下山、そして…

 神とは、常に善と悪の二面性を持っているものです。世界各地の神話に見られるように、時には人を救い、時には人を殺すのです。恵みの雨を降らせて豊作をもたらし、日照りによる干ばつで凶作をもたらす。
 自然は神と似ています。私たちの身近に存在しているのに、見えない。自然とは一体誰のことなのか。誰が風を起こし、誰が雨を降らすのか。
この人間の疑問こそが信仰の始まり、そして科学の始まりです。あれはなぜこうなのか、なぜ起こるのか、そのことに理由を付けた歴史的な瞬間です。その時より天地は創造され、開闢され、ヒトは進化を果たしたのです。


 ただひとつ、正しくあれ。最後にタケ爺にかけられた言葉だった。

結界操術を何とかものにし、オレは一か月を過ごしたこの朧山を下りる。濃密な一か月だった。鬼ごっこから始まり、体術・妖術・秘術など多くのことを学んだ。タケ爺はもう己の師と言っていいだろう、それくらいに一緒に過ごした時間はかけがえのないものだった。

「力を得、何のために戦うのか」いつもタケ爺が言っていた言葉だ。意志なき(こぶし)は己を濁す、理由なき拳は世を乱す、兎に角お前が戦う理由を見つけろ。それがこの修行でオレに課された宿題だった。

 

 小さい頃から父に憧れた。大太刀を振るい流麗なる足さばきで敵に近寄り、その流れのままに一刀両断する。自分もいつかあのようになると盲目的に追ってきたが、それは所詮子どもの遊戯に過ぎなかった。子どもの遊戯だから、皆に褒めてもらえたのだ。しかし、これからはそうはいかない。力は善にも悪にもなる。そして護にも殺にもなる。そこには、明確な()()というものが必要なのだ。

 俺はこの修行で確実に強くなった。身体的にも精神的にも。しかし、タケ爺の言う“己が戦う理由”というのは結局のところわからなかった。それでも下山を許してくれたのは、大志を見出したからなそうなのだが、オレにはよくわからなかった。そして、久しぶりに顔を合わせる両親に想いを馳せながら、心はこれから戦う相手に向いていた。

 

主「鬼門寺(きもんじ) 虎千代(とらちよ)、ね」

 

 タケ爺からその名前は聞いていた。鬼族長の娘であり、武芸に秀で、学問にも精通する、まさに文武両道を体現した人物であると。何より自分とそれほど変わらない歳と言うのが信じられない。本来なら自由気ままに遊び呆けているであろう時を、勉学や武術の鍛練に彼女は費やしている。たかが一ヶ月程度修行した自分とは、その実力に大きな開きがあるだろう。中でも近接格闘においての勝ち目はほとんどない、とハクは考えていた。元来、鬼族というのはその単純な「腕力」のみで生き抜いてきた民族であり、その血はもちろん彼女にも流れている。まともに打ち合おうものなら、途端に組み伏せられてしまうだろう。故に、何か“策”がいる。

 

主「コレしかないか…」

 

 ハクは自分の掌を見る。タケ爺から強大過ぎるとまで評された“重力”の能力である。この力は単純明快、自分の周囲の重力を操れる。月の上のように軽くすることもできれば、某野菜人漫画のように重くすることもできるのだ。しかし、いくつか弱点もあり、能力発動圏が自身の周囲の半径10メートル以内であるということ、もう一つは移動しながらでは発動できないということであった。ハクはこの弱点を解消するために、タケ爺から伝授された結界操術を活用することにし、この一か月でその術を会得した。

 

主「うまく決まってくれよ」

 

 拳をグッと握り、里へと足を早めた。

 

 

 

 

 

 

來寄「お、来たな。おーーい!ハク!」

 

 父さんの声が聞こえてきた。遠くを見るとこちらへと手を振っているのがわかる。その隣には母さんと村長、他にも多くの人たちがオレの帰りを待っていたようだ。

 

主「ただいま、父さん。母さんも」

 

母「ええ、お帰りなさいハク。どうだった修行は?」

 

主「うーん、すごく辛かったけど、何とか頑張れたよ。それにさ、身につけてきたぜ結界操術!」

 

 そう言うとハクは青白い結界を手のひらの上で展開させた。おお、と群衆から声が上がる。

 

來「俺の息子だ、それくらいしてくれなきゃな」

 

 

村長「ハクよ!よくぞ術を体得し、里へと舞い戻った!だが、本番は近いぞ。明日はゆっくりと休み、その次の日には鬼の里へと向かってもらうことになっておる。」

 

主「おう、村長!親衛隊長の息子として恥ずかしくない活躍をしてくるぜ!みんなもオレに期待してくれていい!」

 

 わはは、そんな笑い声に包まれる。しかし、その笑い声はハクが修行をしに行く前に彼に向けられたものとは違い、温かい気持ちにあふれていた。

 

こうしてハクの修行は終わった。ハクはどこまで強くなっているのか、自身の能力を補うための術とは、すべてはこの後に開催される武闘祭にてその全容が知れるだろう。しかし、今は…、

 

主「あー、つかれた…」

 

 彼には休息が必要なようだ。

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 時は過ぎ、出発の日。薄暗い蒼穹に弧を描いたような雲が浮かぶ少し肌寒い朝。白狼の里では大勢の人が里の玄関口である橋の前に集まっていた。各々が談笑するなか、その話題の中心は今回鬼の里へと赴こうとする一人の少年にあった。そんな彼だが臆した様子もなく、また高揚している様子もなく、ただ平静と瞼を閉じて時を待っていた。彼の両隣には供としてついて行く二人の親衛隊員が侍っている。

 

陽が昇る。瞳が開く。大地が橙に光る___。出発の時だ。

 

 

主「行ってきます」

 

言葉一つ。

 

來「見せてきな、お前の力」

 

母「気を付けてね」

 

言葉二つ。

 

「「「頑張ってこいよーー!」」」

 

 言葉たくさん。

 

子の成長とは何と輝かしい、狗剱來寄はそう感じた。かつて自らがそうであったように、息子も力を手にして旅立っていく。自身の親もこんな気持ちでいたのか、そう空を見上げたくなる。たった数日の別れでも、息子にとっては青春であり、濃密な人生のひと時であるだろう。願わくば、かの者の道に幸多からんことを…。

 

 

 

 

 

 

 

~オマケ~

 

主「ちなみに名前はなんて言うんだ?」

 

 ハクは供としてついてきた二人の親衛隊員に尋ねた。

 

「タダノと、」

「モブオだ」

 

主「え…あ…フーン(察し)」

 

 

 

 




【補足】
 タダノ:白狼の妖怪であり、親衛隊員。モブオとは幼なじみ。細身。

 モブオ:白狼の妖怪であり、親衛隊員。タダノとは幼なじみ。太め。


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第四話 鬼と虎を冠す者

 皆さんは雨の音は好きだろうか。落ち着くから好きという人もいれば、うるさいから嫌いという人もいるだろう。私は、雨の音を静寂と捉えている。だが、実際に音はしているし前述した通りうるさいと感じることもあるだろう。しかし、想像してみてほしい。静寂という言葉を頭に浮かべた時、人は頭の中に静寂という音を鳴らす。そう、静寂というのは決して無音なわけではなく、静寂には静寂の音があるのだ。心に一抹の寂しさを感じさせつつも、そこに心にをトンと置きたくなる、そんな感じだ。

前のめりに俯きながらこう雨の音を感じていると、鮮やかな地球が灰色に染まっていくような、不思議な気持ちになってしまう。





~鬼の里~

 

 上古よりその歴史を紡いできた大地に連なる山脈、その中でも最も高い山が霊峰“八ヶ岳”である。黒煙を噴き出して雄々しく咆哮する様は、この山が活火山であることを表すのと同時に、生命はその神秘的なパワーにあてられるだろう。そして八ヶ岳の麓、火山にも負けない熱気に包まれている村があった。人々は皆で飾りを施し、また村の奥にある闘技場のような施設では、せっせとある準備が進められていた。各々が楽しみで待ちきれないといった様子であり、終始誰かの到着を待っているようだった。

 

 村の入り口、その櫓門の下。少女はひとり、そこに立っていた。背筋はピンと伸び、純白の装いに背には紫苑の花が咲いている。髪も白のストレートであり、動きやすいように後ろで束ねられていた。その様、熱気に溢れた村の中にありながら、まさに雪原に佇む氷柱を思わせるようであった。

 そこに村へと続く道の奥からこちらへと向かってくる三人の妖怪の姿があった。それを見つけると少女は駆け寄り、彼らを迎えた。

 

 

?「ようこそおいで下さいました、白狼の方々。私の名前は鬼門寺虎千代、今回はどうぞよろしくお願い致します。」

 

 柔らかな物腰に、礼節に満ちた口上。それを受けオレの隣を歩いていたタダノが答える。

 

タダノ「姫君自らの出迎え、感服致しました。私は親衛隊のタダノ、左手にいますのは同じく親衛隊のモブオでございます。今回は供として参りました故、こちらこそ宜しくお願い致します。」

 

モブオ「宜しくお願い致します。」

 

タ「そしてこの者が、狗剱ハクにございます。」

 

 タダノがオレを差し、虎千代に向かって紹介する。オレは一歩前に出て挨拶した。

 

主「よろしくお願いします、姫君。」

 

虎千代「…成程、あなたがあの…、」

 

主「? どうかしましたか」

 

虎「…あ、いいえ。こちらこそどうぞよろしくお願い致します。では皆様、ここで立ち話も何ですので里の奥にあります鬼の長の屋敷へとどうぞ。私が案内致します。」

 

 俺たちは虎千代に連れられて鬼の里へと入った。入ると同時に、そのことを聞きつけた村人たちが一目見ようと集まってきた。

 

「あの子があの人の…」

「なあ、どっちが勝つと思う?」

「さあな、姫は同年代だと負けなしだが、あの人の息子となるとな…」

 

 村人たちは闘いの勝敗についての議論に夢中のようだ。あの人、というのは自分の父のことだろうか。そう思案していると、虎千代が話しかけてきた。

 

虎「民たちは、まだ祭りが始まってないのに大盛り上がりですね」

 

主「え、ああ。そうだな………、あ!いえ、そうですね姫君」

 

虎「ふふっ、族長の娘だからといって敬語を使うことはありませんよ。聞いたところあなたとは年も近いようですし、何より私はあなたとは仲良くしたいと思ってますから。」

 

 虎千代がこちらに笑顔で振り返る。その様に不意にドキリとしてしまったが、すぐに冷静になって答える。

 

主「そういってくれるなら。よろしく頼む、虎千代」

 

虎「はい、ハク」

 

 

 そうこうしているうちに一行は屋敷へとたどり着いた。

 暗い木材を基調とした質実剛健な構えに、そこで小さな世界をつくっている庭園が横目に入る。明暗のコントラストが自身の眼を飾るなか、俺たちは長い廊下の一番奥の部屋、鬼の長が鎮座する間へと通された。部屋の横で控えていた侍女が、虎千代の声を受けて襖を開け放つと、彼はそこに居た。岩石のような両腕に鋭い眼光、額には真一文字の傷跡が走り、てっぺんには鬼の象徴が一つあった。彼こそが鬼族を束ねる長、鬼門寺(きもんじ) 信虎(のぶとら)その人である。

 

 虎千代が先に部屋へと入り、長の横で控える。参れ、という声の後にオレたちも部屋へと入り長の真正面に座った。

 

主「白狼の里よりただいま参上しました。武闘祭白狼方代表の狗剱ハクです。」

 

信虎「ウム、よくぞ参られた、ハク。その方らもご苦労であったな、部屋を用意してある故戻って休むがよい」

 

タダノ モブオ「「ははっ」」

 

 親衛隊の二人は長の言葉を受けて部屋を出ていく。そして鬼の長はオレの方へと話を向けてきた。

 

信「ハク、其方の父上は息災であるかな?」

 

主「はい。心身ともに元気でございます」

 

信「良いことだ、かの者は前回の武闘祭にてその実力を遺憾なく発揮し、こちらの代表者は手も足も出ない程であったからな。」

 

 フハハ、と豪快に笑う長。悔しくないのか、そう思ったオレは尋ねてみた。

 

信「確かに!君の言った通り悔しいさ!でもな、我ら鬼という種族は如何せん強い者が好きなのだ。あの時は熱狂したぞ、民も我も、勿論この娘も」

 

 長は少し離れたところで座っていた虎千代を見ながら言った。

 

信「虎千代はな、君の父上を見て武術を学び始めたのだ。それまでは『ぼうりょくは、やばんです!』とか言って書物ばかりを読み漁っていたのだがな…」

 

虎「父上っ!!」

 

 虎千代が恥ずかしそうに顔を赤らめ、長の言葉を遮る。

 

信「ま、そんな訳でな。彼の息子である君が今回出場すると聞いて、待ちきれなくなって自分から迎えに行った程だ。虎千代の親として、宜しく頼むぞ、ハク。」

 

主「はい、全力を尽くします!」

 

 

 

 まさか虎千代がオレの父さんの影響を受けていたとは…。父さんからは何とか勝てたとしか聞いていなかったが、バリバリ爪痕を残してんじゃねえか。そんなことを思いながら用意された部屋へと向かう。案内された部屋はオレには勿体ない位の内装が施されており、そこから眺める景色は鬼の里全体を見渡せた。その景色に見惚れていると、コンコンと戸がノックされる。

 

虎『ハク、いますか?』

 

 どうやらノックの主は虎千代らしい。返事をして戸を開けると、そこに木簡を携えて立っていた。

 

虎「これ、当日の流れが記載してあります、どうぞ。…それと、少しお話いいですか?」

 

 虎千代が木簡を手渡しながらそう言ってきた。

 

主「おう、大丈夫だよ」

 

 

 

 

虎「父上が言っていた通り、私はあなたの父上…“來寄さん”に憧れて武術に励むようになったんです」

 

 遠くの景色を見ながら彼女はそうこぼした。陽は傾き、西日に照らされた村では夕飯の炊事の煙が家々から出ていた。虎千代は懐かしむように言葉を続けた。

 

虎「あの言葉があったから今の私がいる」

 

 

 

~五年前~

 

虎『かっこよかった!』

 

來寄『そうか、そりゃあ良かったぜ虎千代』

 

虎『でもでも!ケンカはダメなんだよ!だれかをきずつけるのは悪いことなんだよ!』

 

來『ははは、虎千代は優しい子だな。でもよ、さっき俺たちがやってたのはケンカじゃねえ。闘いだよ。』

 

虎『? なにがちがうの?』

 

來『ケンカってのは、むしゃくしゃして相手のことなんか考えずに戦う。闘いってのは相手を尊重して両方の力を認めあった上で、最後にはそいつと友だちになるんだよ。』

 

虎『たしかに、さっきのもさいごには笑顔であくしゅしてた!』

 

來『だろ? 確かに虎千代の言う通り、力は誰かを傷つけるかもしんねえ。でも、反対に力は()()()()()()()()かもしれないだぜ。』

 

虎『!』

 

來『つまり…お前次第、てところだ。力に呑まれたらお終いだ。心を強く持てよ、虎千代』

 

虎『…』

 

來『俺、そろそろ行かなきゃ。酒の席に呼ばれててよ…。じゃあな』

 

 

 

虎『まって!!!』

 

來『ん?』

 

虎『わたし、強くなる!らいきさんみたいに強くなる!それでみんなことを護りたい!!父上も母上も里のみんなも………らいきさんも!』

 

來『…おう、そりゃあ楽しみだな』

 

虎『うんっ!!そしていつか、らいきさんよりも強くなるから!!』

 

來『ハッ…、まあ励めよ虎千代。待っているぜ』

 

 

 

 

 

 

 

~現在~

 

虎「あれから今でも、來寄さんは私の目標。何時か超えなきゃいけない壁なんです。ですから…」

 

 虎千代はこちらに正面を向けて言い放つ。

 

 

虎「息子のあなたに負けるわけにはいかない」

 

 静かに燃える炎を内包した意志が、彼女の瞳を朱く光らせる。彼女には強くなる理由があり、超えるべき目標がある。…自分とは大違いだ。タケ爺から焦るなと言われたが、これだけ見せつけられたら焦っちまうよ。おそらく、今の自分は彼女には勝てない。でも、オレも狗剱の血を引く者としてただで負けるわけにはいかないな。そう決意すると、オレも彼女に向き直り右手を差し出した。

 

主「オレも、負けるつもりはないよ。明日はいい試合をしよう」

 

虎「ええ」

 

 

 夜の帳はもう降りていた。

 

 

 

 

 

 




【補足】
 八ヶ岳:のちに妖怪の山となる山。この頃は鬼族が暮らしていた。

 鬼門寺信虎:鬼族族長。能力は“空を割る程度の能力”。


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第五話 武闘祭

 現代社会に生きる我々は、世界をモニタごしに捉えている。モニタに映るのが世界であり、モニタに映る意見がみんなの意見である。
 古代に生きる人々は、世界を知らない。誰かから伝え聞いた話をもとに世界を広げ、自分が生活する小さな集団が世界である。
 人間は好奇心旺盛。これからの将来、人類はその世界をもっともっと広げるだろう。地球1個支配出来ない人類に宇宙が支配できるものか。






 熱い___この空間を一言で表すとすればこれだろう。闘技場の観客たちの歓声はまさに空を包み込む勢いである。目下、彼らの視線は西と東に設けられた登場口に向けられていた。西には雄叫びを上げる狼の彫刻が、東には正面を睨み付ける鬼の彫刻がそれぞれ施されている。そしてそれらは互いを威嚇し合うかのように観客たちの声を反響させていた。

 

「きたぞ」

 

 観客の誰かがそう声を上げる。その瞬間大地が揺れた。

 

「「「「ワアアアアアアッ!!!!!」」」」

 

 

「やはり、こうでなくてはな」

 

 鬼族長“鬼門寺信虎”は言う。闘技場北の、客席よりも少し高いところに作られた特別席で。そして後ろから彼に声をかけるものが一人。

 

「相変わらず凄い熱気だな、信虎」

 

信虎「貴治(たかはる)か!よくぞ参ったな」

 

 信虎から貴治と呼ばれた者こそ白狼族長“(たちばな) 貴治(たかはる)”その人である。貴治は信虎と固い握手を交わし、二個並べて設けられていた椅子へと腰掛ける。

 

貴治「先ずは招待ありがとう。最近は何かと物騒故な、里の者共には留守を頼んで居る。」

 

信「残念だが仕方が無いであろうな。弱小妖怪どもの動きも活発であるし、何より大蛇(おろち)族も怪しい動きをしているという。用心するに越したことはないだろう。」

 

貴「ふむ………まあ、今はこの祭りを楽しもうではないか。」

 

 貴治が視線を向ける先には、東口から出てきた少女がいた。彼女は大きく深呼吸をして正面を___西口を見据えている。

 

貴「暫く見ないうちに随分と凛々しくなったものだな、貴殿の娘さんは」

 

信「フハハ!誰かさんのおかげでな!」

 

貴「…來寄には儂からきつく言っておいた、余り娘さんに軽々しい口を叩くなと。今では随分と落ち着いたが、あの頃の彼奴は礼儀というものを知らなんでな。」

 

信「貴治よ、私は感謝しているのだよ。あの者無くば今の虎千代はない。そう思っている」

 

貴「…ふん」

 

 

 そうこうしていると西口に影が見えた。一歩一歩前に、大地を踏みしめるように中央へと歩いてくる。やがて陽の光に当てられてその姿があらわになると、会場はより一層震えた。

 そして両者共に歩み寄り顔が見える距離まで近づいたところで止まった。

 

虎千代「お早う御座います。昨夜はよく眠れましたか?」

 

主「おう、ぐっすり眠れたぜ」

 

虎「ふふっ、それは何よりです。つまり、あなたはベストコンディションということですね」

 

 虎千代はその場で屈伸をし、身体を伸ばし始めた。

 

主「たしかにいい調子だ」

 

虎「いいですね。高揚しますよ、ハク。私も血が滾ります。私の血が、鬼の血が、昨日の夜から滾って滾ってゾクゾクして…、私、()()()()()()()()()ッ!!」

 

 ゴオッ、とハクは威圧をその肌に感じた。ピリピリと気力を吸い取られていくような感覚を、毛の一本一本が感じ取っていた。これが鬼門寺虎千代、そして鬼という種族なのだ。だが、それがどうしたというのだ。何を今さら怖気づくことがあろう。ただ、闘うのみ。さあ、参ろうか!

 

 

 

信「双方!!準備はよいか!!」

 

 信虎の声に静かに頷く二人。信虎はそれを確認し、いよいよ開催の火蓋を切る。

 

信「それではこれより!古くからのしきたりに則り、鬼族・白狼族の友好と平和を願い、霊峰八ヶ岳が望めるこの場所で!相対する鬼方の代表は、鬼門寺虎千代!!」

 

貴「同じく、相対する白狼方の代表は、狗剱ハク!!」

 

信 貴「「我ら、天と祖霊に誓い、ここに武闘祭の開幕を宣言す!」」

 

 

信「両者、構えぃ!!………始めッ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

虎「先手必勝ッ!こちらから行かせてもらいます!!」

 

 先に動いたのは虎千代だった。大地を蹴り上げこちらに向かってくる様はまさに弾丸のそれであった。大きく振りかぶり、左足を軸に回し蹴りを叩き込もうとする。___が、しかしその攻撃はハクには命中しなかった。

 

虎「え!? ぐッ!」

 

 虎千代はハクに近づいた途端、バランスを崩して転びそうになる。しかし、彼女は高い柔軟性活かして身体をくねらせそれを回避する。彼の周りは違和感がする、身体が重くなったような…、虎千代はそう感じた。取り敢えず違和感がなくなる距離まで下がり体勢を立て直した。

 

主「ありゃ、初見で転ばない人は初めてだよ」

 

虎「ふう、それがあなたの能力ですね。何の能力ですか?」

 

主「はっ!わざわざ敵に教えるバカがどこにいんだよ。次はこっちからだ!“紡氣練戦装(ぼうきれんせんそう)”」

 

 ハクは両腕に青白い光を纏い、それを硬化させた。そして虎千代に近づき振り上げた。

 

虎「はっッ!!」

 

 虎千代は冷静にハクの拳に対して自身も拳を打ち返し相殺した。その後もハクの連撃がその身体に叩き込まれようとするが、彼女はそれらを全て相殺し、また回し蹴りを叩き込もうとする。ハクは瞬時に右手に結界を展開し、それを受け止めようとするが、彼女のパワーに押されて少し後ろに下がってしまう。

 

 

 

主「流石に近接じゃ分が悪いか…。」

 

 ハクは両腕に纏った結界を解きながら呟く。華奢な身体から繰り出される攻撃は見た目に反して強烈無比であり、結界で拳を硬化した状態でも彼女と渡り合うには少し足りないだろう。

 

虎「穿てッ!!」

 

 虎千代はそう叫ぶと拳を大地に突き立てた。その瞬間虎千代の前の地面が隆起し、ハクに向かい岩石の塊となってその体躯を打ち付けてくる。ハクは大振りな攻撃に対して横に飛んで避けた。しかし、

 

虎「貰った!」

 

 避けた隙を狙って虎千代がハクの懐に飛び込み強烈な一撃を叩き込んだ。

先程の大振りな攻撃は陽動であった。岩石の塊がハクの視界を阻害し、回り込もうとする彼女に気づけなかったのである。ハクはその攻撃をモロに喰らい後ろへと吹き飛んだ。

 

「「「わあああああっ!!!」」」

 

 虎千代の攻撃が決まったことにより会場は盛り上がりを見せる。ハクが吹き飛んだ先、そこでは衝撃で砂煙が舞い、ハクの姿を確認できないでいた。

 

信「先ずは、ウチの一本先取だな。ハク君もよくやってはいるが、相手はウチの娘だ。そう易々と勝たせては貰えんだろなあ」

 

貴「…その言葉、そっくりそのまま返そう」

 

信「…なんだと?」

 

貴「…」

 

 

 

 

虎「…どうしました?まだまだこんなものではないでしょう。さあ!早く立ち上がって来てください!」

 

 虎千代がそう呼びかける砂塵の向こうからは未だ返事はない。こちらから出向こうか、そう思っていたところ。煙の中から青白い結界が猛スピードで飛んできた。そのあまりの速さに避けられないと悟った虎千代は反射的に右腕でそれを受けた。

 

主「“重力結界”」

 

虎「くッ、腕が…」

 

 ハクが言葉を発すると虎千代の右腕に巻き付いていたそれは急に重くなり始め、何とか体勢は維持できているものの、鬼の剛力を以てしても動かせるものではなかった。虎千代は合点がいったかのように語り始めた。

 

虎「…成程、重力、ですね。あなたの、能力は。でも、良かったのですか?“敵に教えるバカはいない”のでしょう?」

 

主「…いいさ。どうせお前にはそんな小手先のもの通じねえし、何よりお前の()()()を封じられた。お前の力は半減だ、なあ虎千代」

 

虎「ふふふ…、そう思いますか?」

 

主「…なに?」

 

虎「余り、見ていて気持ちの良いものではありませんからね。()()は…。でも、最早使うしかないようです。」

 

主「どういうことだよ」

 

 

虎「簡単な話です。あなたにも能力があるように、私にも能力があるんですよ。さて、私の能力は何でしょーか、ハク?」

 

 そう言うと、虎千代は落ちていた小石で自らの腕を縦に切り裂いた。

 

 

 

 

 

 

 




【補足】
 橘貴治:白狼族族長。海を割る程度の能力。

 大蛇族:三大妖怪(白狼・鬼・大蛇)の内の一つ。先の大戦では妖怪たちを扇動して、天孫に対して戦いを引き起こした。上半身が人で下半身が蛇のナーガのような姿。

 紡氣練戦装:結界操術の一つ。防壁を身体に纏い、攻撃にも防御にも転用できる鎧のようなもの。

 重力結界:ハクの能力と結界操術を合わせたもの。重力の作用を働かせた結界を相手の身体の一部に巻き付けて、そこの重力を重くする。移動しながらの使用可。


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第六話 血に染まる鬼

 ゆらり、ゆらり、ゆらり、ゆれる
 言ノ葉 現ノ君
 感情溢れ 振りかざす
 人は
 ゆらり、ゆらり、ゆらり、ゆれる
 真理 それは幻
 何を掲げ 血を流すのか






虎千代「あああああああああッ!!!!」

 

 虎千代の右腕から噴き出す“血”。その鮮血は彼女の無垢な衣装に朱を走らす。パックリと割れた腕からは中の肉が見えており、その様子に観客たちも少し動揺した。

 しかし、それはすぐに歓声へと変わる。

 

主「!?」

 

 滴る血が宙へ浮き始め、彼女の身体に朱の“華”を形づくったのだ。凄惨なるまでに傷を負っていた右腕もいつの間にか元通りになり、そして___その右腕を動かしたのだった。バカな、ハクは驚愕した。あそこに掛けた重力は10倍、そう易々と動かせるものではない!しかし、現に彼女の腕は動いており、こちらへと話し始めた。

 

虎「ふう、…驚きました?これが私の能力“血を力に変える程度の能力”。血を代償に私はこれまでとは比べ物にならないパワーを得ました。あなたの結界も、ほら、意味を成しません」

 

 フラフラと手を振って見せる彼女は得意そうにそう語っていたが、最後に苦い顔をした。

 

虎「まあ、最大の欠点は凄く痛いのと、周りの皆んなが引いちゃうことですけどね…」

 

主「…そうか?オレはスゲーカッコいいと思うぜ」

 

虎「ふふふ」

 

 虎千代は上機嫌そうに笑い、そして体内の妖力を解放した。

 

虎「ここからの私は強いですよ?覚悟して下さいね」

 

 

 

 

 

 

 激烈_________正にその通りであった。空気が振動し、大地は揺れ、(ハク)(虎千代)が互いを削り合っている。虎千代が拳を振り抜けば、ハクはタイミングをずらすかの様に一瞬周囲に重力をかけて、相手の攻撃を結界をもっていなす。ハクが結界を拳に纏い、また重力結界を応用して己の足にかかる重力を軽くしても、手数の多さで補えないほどに虎千代の豪壮なる構えは一寸の狂いもない。

 互いに決定打を得ないまま一進一退の攻防が続いていた。

 

信虎「…もう20分になるか」

 

 信虎が感嘆とともにそう溢す。虎千代は若いながらも里の中ではかなりの実力者である。勿論、私や側近の者と比べればまだまだ未熟なところが目立つが、それでもその辺の妖怪十人を同時に相手にしても決して遅れは取らないであろう。だが、あの少年は何だ。修業期間はたったの一月、圧倒的な力があるわけでもないのに何故あそこまで戦えている。いや、待てよ。この気は? あの子から僅かに感じる()()()は何だ。我々妖怪のものとは似て非なる___、まさかこれは

 

貴治「神の気、だろ?」

 

信「…貴治。あの子は、妖怪では、ないのか…?」

 

貴「儂も詳しいことは知らん。何せハクから神力を感じられることが分かったのはつい半月程前のこと故。しかもタケ爺が言うには『激しい戦いの中に於いてその兆候が見られる』のと、『神器を前にしても同様』とのこと。これらに何の関係があるかは分らんが、少なくともあの子が“神の血”を引いてるのは明白であろう。」

 

 淡々と語る貴治に信虎は一つの疑問が浮かぶ。

 

信「しかし、最後に高天原が天から降りてきた先の大戦___“人妖大戦”より早10万年。この間神と妖が交わることはなく、その子孫である天孫も我々と交わるところか、“血の境界線”を以て住む世界を分けておる。10万年前なら未だしも、今になって神の血を引く者が現れることは何とも考え難い。だが、現にこうして目の前におるのだからなあ…、ううむ」

 

貴「幸い、()()を感じ取れる者は少ない。…明日、内々にて事の解明に当たる。故に本日は祭りの結末を見届けた後に帰らせて頂きたい。」

 

 貴治は硬い意思で信虎を見つめて頭を下げた。

 

信「…おぬしの事だ。今日帰らねばならない理由があるのだろう。相分かった、皆には私から伝えておく」

 

貴「忝い」

 

 

 

 …眼下では試合が動いていた。

 

 

虎「“血離華(ちりばな)”!!!」

 

 

 勝負を決めにきた。虎千代の背に咲いている朱い華の花弁がひらり、ひらりと落ちていく。その度に虎千代は絶叫し、その眼が朱黒く染まっていく。刹那___

 

虎「ウガガガあァアッッ!!!!」

 

 虎千代はハクに飛びかかる。その様に理性なくて、先程までの流麗な体術とは対照的に、ただ本能のままに相手を喰らい尽そうとしていた。

 

主「結界!!」

 

 ハクは両手を目の前でクロスさせて結界を張り、虎千代の攻撃に備えた。

 一度は受け止めるものの、ハクの眼前には亀裂が走っていた。

 

主「!?」

 

虎「アアアア!!」

 

 そのことを理解したと同時にハクの視界がブレる。天地天地と回転しながら血の尾を引き、壁へと激突した。

 

 勝負は決した。誰もがそう感じ、賛辞の歓声を送ろうと肺を膨らませた時、獣がそれを遮った。

 

虎「ウガァッ!グギぃ!ガアァッ!!」

 

 理性を知らない獣はハクへと留めを刺すべく彼の前へと跳んだ。そしてその凶悪な拳で頭を破壊しようと振り上げた瞬間。

 

信「そこまでだ、虎千代」

 

 そこには獣の腕を押さえた信虎がいた。獣は大いに暴れ、その拘束から逃れようとするが、信虎は涼しい顔で直も抑え込んでいる。

 

虎「ウガガガッ!!??」

 

信「これは決闘だ、相手を殺そうとする馬鹿がどこにいる、だからお前は未熟なんだ。その様な(てい)を、來寄殿に見せるつもりだったのか」

 

虎「グぎるるるぅ!!??」

 

信「反省しなさい」

 

 ストン、と信虎は虎千代の首裏に手刀を当て気絶させた。その瞬間、虎千代を覆っていた禍々しい朱い華は砕け散り、身体からも朱い血潮は引いていった。

 

信「…皆の者!待たせたな。これにより、勝敗は決した。武闘祭優勝者は、鬼門寺虎千代!!者共!天の祖霊にも聞こえるように大きな声で叫ぶのだ!!!」

 

「「「「うおおおおおおおおおッッ!!!!!!!!!!」」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

「うぅんん…?」

 

 ハクは目が覚めると自分が泊まっていた部屋の布団の上にいた。障子からはやけに明るい光が漏れており、今は何時なのか、あれからどれぐらいたったのか、その様な疑問に溢れた。

 

主「ツっーー…!、ああ痛って…。………負けた、か。 ん?」

 

 悔しさに包まれながらもどこかやり切ったような清々しい気分でいると、ふと自分が寝ている右側に違和感があることに気付く。

 

主「え…?」

 

「すう、すう、」

 

 そこには気持ちよさそうに寝息をたてながら添い寝をしている虎千代の姿があった。

 

主「ぎゃあああああああっ!!??」

 

虎「ふえ?…きゃああああああっ!!??」

 

 

 この後、めちゃくちゃ殴られた。

 

 

 

 

 

 

 

虎「申し訳ございません!!!」

 

 虎千代はばつの悪そうな顔で縮こまって土下座していた。その頭の低さはまさに背中に重しが乗っているようであり、恥じらいも相まってか、こちらが頭を上げるように言っても頑なにそれを拒否し続けていた。

 

主(参ったな…)

 

 さて、何があったのか説明しよう。虎千代に負けたオレはそれはもうボロボロで直ぐに目を覚まさずに眠りこくっていたと。そうしてたところに一足先に目を覚ました虎千代が、己の甘さと力量の低さに責任を感じて、オレを介抱してくれていたらしい。しかし、虎千代自身の疲れも未だ抜けておらず、夜中まで世話をしていた虎千代は襲ってくる睡魔には勝てずに眠ってしまいました。そうして次の日の朝、目覚めたオレが隣で眠る虎千代を発見して、叫び声を上げて虎千代も起き、状況を理解できていなかった彼女はオレの顔面を殴り続けましたとさ。…うん、痛いね。 ←顔面ボコボコ

 

虎「本当に、申し訳ございませんでした!!!咄嗟の事とはいえ、怪我人に更に怪我をさせるようなことをしてしまい、この鬼門寺虎千代!一生の不覚に御座います!!」

 

主「う、うん。わかったって。ていうかそれ言うの何回目かな、オレは大丈夫だからさ、その、手に持ってるものだけこっちに渡してもらえば?ありがたいってゆうかなんていうか」

 

 

虎「つきましてはっ!!!些細なものではありますがこの命!お詫びとしてハク殿に献上致します!!!…父上、母上っ!今生の別れに御座います。どうか、健やかにお過ごし下さいますようこの虎千代、冥府より祈らせ頂きます。では、いざッ!!!」

 

主「いやいやいやいや!だめ!死なないで!頼むから、何でもするからーーっ!!!」

 

 

信「五月蠅いぞお前たち!何やっとんじゃあ!!」

 

 信虎のとりなしで何とかなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

虎「そういえば、ハク。先程あなた、何でもすると、そう言いましたよね?」

 

主「え?いや、それは咄嗟に出た言葉というか」

 

虎「言 い ま し た よ ね」

 

主「アッハイ」

 

虎「それでは、これからあなたは私のライバルです!今回のことで私もまだまだ未熟であると思い知りました。ですが、次はそう行きません。必ずやあなたを超え、そして來寄さんを超えて見せます!精々、首洗って待ってろ!ですっ♪」

 

 そうおどけて見せる彼女は、初めて会った時よりも大人びて見えた。

 

 

 

 




【補足】
 神器:人妖大戦終戦に尽力した民族に、高天原の神々より下賜された宝物のこと。白狼・鬼・天孫に与えられた。

 高天原:世界を創造した神々が住まう処。140万年前には月の裏側にそれがあった。

 人妖大戦:150万年前に人間と妖怪の間で行われた戦争のこと。三大妖怪の一つである“大蛇族”が他の妖怪たちを扇動し、天孫と人間たちが住む“月の都”を攻撃しようとした。しかし、白狼族・鬼族が天孫側と結託して大蛇族の背後を脅かした為、妖怪軍の士気は乱れて天孫軍の正面突撃により敗走した。

 月の都:高天原の神々の子孫である“天孫”と、元々そこに暮らしていた人間たちが住んでいる城塞都市。月の都(月にあるとは言っていない)。

 血の境界線:天孫・人間と、妖怪たちの住む場所とを分ける境界線。元々ここは人妖大戦における最大激戦地であり、その後に天孫と妖怪との間で結ばれた条約によって、ここを以て互いに不可侵・不干渉の約束がされた。

 血離華:鬼門寺虎千代が使う切り札のような技。能力を発動した際に自身の背中に形成される朱い華の花びらを徐々に散らせて、理性が失われる程の激痛と引き換えに段々とパワー・スピードが上がっていく。虎千代はこの技をまだ完全には使いこなせていない。


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第七話 絶望の始まり

喜びは、勇み
怒りは、狂い
哀しみは、暮れて
楽しみは、合う

 日進月歩、一日千秋。人は感情の連鎖でできている。







~???~

 

夢を見ていた___。

 

 

 世界は白く、淡く、厳かに、そこにあった。

 

 天は低く、雲は沸き立ち、風はない。

 

 天からは、純白の筒のみが地上へと延びていた。

 

 地は荒れ、脆く、海を揺蕩う。

 

 地には、二つの者のみ歩く。

 

 人、彼らを神と呼ぶ。

 

 人、彼らを崇め奉る。

 

 神は、影を生み出した。

 

 神は、光を生み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

~鬼の里~

 

信虎「もう行くのか」

 

 虎千代と再戦の約束をして数刻、オレたちは鬼の里入り口の櫓門に来ていた。ここに来るまで多くの人に、熱かった、頑張ったな、また来てくれ!、などの言葉をかけて貰った。里の中はまだ昨日の興奮で盛り上がっており、オレと虎千代の真似(たぶん)をして遊ぶ子どもたちや、それを肴にして酒を呷る大人たち、余興なのか決闘が行われてもいた。

 熱いが、温かい…。皆総じて笑顔であり、ここの輪は天下の輪である。そして、そんな処ともお別れが近づいていた。

 

主「はい、名残惜しいですが…。お世話になりました。」

 

信「ウム、…君には色々と驚かされたよ。正直に言うと君があそこまで虎千代と張り合えるなどと思っていなかった。娘の良き友人として、これからもよろしく頼むぞ」

 

虎千代「私からも、近いうちにまた会いましょう、ハク」

 

主「ああ」

 

タダノ「では族長殿、これにて」

 

モブオ「熱き試合を、ありがとうございました」

 

 そう言い残し、オレはタダノとモブオ(そういえばこんな奴等いたな)と共に彼らに背を向ける。ここからの道は帰り道…、しかしオレにとっては未来への飛躍の道だった。

 

 

 これから先、オレは虎千代と共に切磋琢磨し、虎千代は次の族長をオレは父親の職、親衛隊隊長を目指すのだろう。そしていつかはオレたちも年老い、自分たちの子どもへとその役割を継いでいく…。これが命の理であり、これが生命の歴史である。

 

 しかし、恐竜が隕石で絶滅したように、彼らの繫栄は永遠ではない。いつしか終わりがやって来る。それが今日なのか、明日なのか、一年後なのか、はたまた百年後なのか、誰にもわからない。諸行無常___、理は予期せず突然に、無情に彼らを襲う。

 

 狗剱ハク。過酷な運命を歩む者よ。君にとってはそれが、今日であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~白狼の里~

 

主「え…………」

 

 言葉を失った。ここは彼が知っている世界ではなかった。彼はここまでどす黒く、強烈な赤と黒を、その深淵を、生まれて初めてここで感じ取ったのだ。

 

 風光明媚な風水がのさばっていた彼の故郷は、阿鼻叫喚の渦にあった。

 里の前を横切るように流れている川には、無残にも切り裂かれた骸が、飛び石の様にその流れを邪魔している。その躰から流れる血液は川下へと帯を曳き、異様な雰囲気を醸し出していた。

 その上に架かる橋にも、腕や腹を抉られた死体が天をみている。皆その眼に生気は無く、虚ろをみ、虚空をみ、獄に囚われているかの様で、彼らを横目に進むハクたちは哀しみや怒りに震えながらもこの光景に恐怖していた。

 

 里の出入り口であり防衛拠点でもあった櫓門は、何があったのか最早骨組みを残すのみであり、地面は抉れて血反吐と混ざり、正に地獄の様な臭いを発していた。

 その奥。普段であれば白狼の者たちが住んでいる屋敷が見えるのであるが、今は轟々と音を立てて燃える炎に遮られ影が揺らいでいる。その光景にハクたちは体内の血液が沸騰し、頭の中にはそれぞれの家族を思い浮かべた。彼らの笑顔が脳裏に張り付く、絶望を振り切って彼らは駆け出した。___向かうは白狼の里、中央広場。

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

「クソッ……!」

 

 白狼族長 橘貴治は嘆いた。地面へと叩きつけられた彼は左腕を大きく捻り、その痛さに悶えていた。彼が悲観したのは里の悲惨さ故であろうか、己が不甲斐なさであろうか、否そのどちらともであろう。彼の先祖が永く治めてきたこの村は最早以前の形なくてこの世の地獄と化していた。そんな彼に一つの影が近づいていた。

 

???「………」

 

貴治「貴様、ここまでの力を…隠しておったとは…。この儂が見抜けんとは何とも不甲斐ない…!」

 

 そう言い拳を地面へと突き立てる貴治は、傷に痛む身体を起こしながら目の前の人物に向かい構えた。

 

貴「…しかし、誇り高き白狼の一族としてここで何も出来ずに死ねば、先祖への顔向けが出来ぬ。仲間の仇だァ…!!」

 

?「………!」

 

貴「“流転”ッ!!!」

 

 貴治がそう叫ぶとたちまちに辺りに水飛沫が舞う。それは大きな水流を形成し、彼の周りに渦を巻いた。

 

貴「破ッッ!!!」

 

 右手を前に出す構えを取っていた彼は瞬時に掌をぐるんと反転させると、その動きに操られて彼の周りを渦巻いていた水流は踵を返すかのように相手に向かい、その圧を以て制そうとした。___しかし、

 

?「………」

 

 その人物が貴治の放った攻撃に手を触れた瞬間。()()()()()()()。文字通り水泡に帰した、のである。貴治はその様子に驚きもせず、唯その口角を上げた。

 

貴「…ふ、やはりな。お前にはどう攻撃しようと()()()()()()()()。是非もなし…か。」

 

 貴治は不敵に笑うと、天を見上げ目の前の敵をそれでも倒そうと水流を穿ち続ける。それでもその者の歩みは止まらず、彼へと近づていった。

 

 

?「…もういい、死ね」

 

 拳が貴治の身体を打ち抜く。

 

貴「グっ!? がはッッ!!」

 

 バキバキブチ。骨と内蔵が潰れる音が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

貴「待て」

 

 その場から立ち去ろうとするその者を、辛うじて息があった貴治が呼び止める。

 

貴「…貴様、“八咫鏡”が目的であろう。しかし、朧山には彼奴が、來寄がァ!いるぞ! そう易々と渡さぬと心得よッ!!このこm」

 

 ぽんっ。彼は息絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~朧山~

 

「来たか…」

 

 そう呟くのは狗剱來寄。“変”が起きたのと同時に彼は朧山へと登り、社の奥に眠る御神体の防備にあたっていた。それが親衛隊長の使命であり、族長からの命令でもあった。視界に捉えた影を見て、彼は唇を噛む。

 

タケ爺「…大丈夫か、來寄」

 

 隣で共に防備にあたっていたタケ爺が声を掛ける。それに來寄は腰の大太刀を抜き放ちながら、至って冷静に答えた。

 

來寄「はい、先生。…里があの者によって破壊され、多くの者が無残にも殺されました。あの者がどのような者であれ、断じて許すことは出来ません」

 

 光を失った瞳は正面しか捉えていない。追い詰められた餓狼の眼光はこちらへと向かってくる者へと突き刺さり、辺りはその覇気にざわめいていた。

 

タ「そうか…。覚悟を決めたようじゃな。…恐らく、貴治は無事ではないだろう。だが、奴の死を無駄にせんようにここを死守するぞ!よいか來寄ッ!!」

 

來「はいッッ!!!」

 

 

 

?「………」

 

來「…もう、語ることなどない。君をここで殺すッッ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

~白狼の里 中央広場~

 

主「族長ォッ!! うっ…」

 

タダノ・モブオ「「貴治様ァァッ!!!」」

 

 中央広場へと駆け込んだオレたちの目に入ったのは、外と変わらぬ虐殺の有り様と、…白狼族長の遺体であった。胸に大きな(あな)が空き、首が胴体と切断されている様は、オレたちの絶望を更に搔き立て嘆くのに容易かった。タダノとモブオが族長の元へと駆け寄り慟哭する。オレは余りの光景にそこで立ち尽くすしかなかった。

 

「気の毒だな」

 

 不意に彼らの後ろから声がする。振り返るとそこには異様に長い直刀を左手に携え、空色の髪に豪華絢爛な(かんざし)を差した女性が立っていた。彼女はハクたちに一瞥もせず族長を見ながら続けた。

 

?「さぞかし無念であった事だろう。冥福を祈るよ。」

 

 手を合わせ礼儀正しく頭を下げる女性。たまらず族長の隣でしゃがんでいたタダノが、立ち上がり彼女に問いかけた。

 

タダ「…貴治様を殺したのは貴様か?」

 

?「いや、私ではない。殺したのは私の()()だ」

 

 ガキィン!。タダノはさっきまでいた場所から瞬時にいなくなり、結界操術を使って生み出した槍を手に持ち彼女目掛けて突き出した。しかし彼女は一切そこを動くことなく抜刀した刀を以てそれをいなした。タダノは回転しながら距離を取り槍を構えた。

 

タダ「つまり、貴様の仲間という事だなぁッ!!」

 

?「そういう事になるな」

 

タダ「ふざけるなッ!」

 

 タダノは柄を身体に走らせ、払いを繰り出す。突き上げ、振り下ろし、三段突き、払い。このすべてを彼女は不動を以て刀で受ける。強い___、それを肌で感じ取ったタダノはモブオに声を掛けた。

 

タダ「モブオ!コイツは貴治様の仇だ!!手を貸せ!」

 

モブ「おうッ!」

 

 

タダ「ハクッ!!」

 

主「っ!」

 

 次にタダノは余りの出来事に放心していたハクに声を掛ける。ハクはビクッと身体を震わせ、タダノの方を向く。

 

タダ「お前は今すぐ朧山に向かえっ!あそこには御神体を護るためにお前の父ちゃんとタケ爺が居る!早く行けッ!」

 

主「で!でもっ、タダノさんたちは!」

 

タダ「…俺たちなら大丈夫だ。わかったら走れ!」

 

主「ッ! はいッ!!」

 

 ハクは一瞬戸惑いを見せるも、タダノの気迫に押されて朧山へと駆け出す。直刀を構える彼女から目を離さずにタダノは背中でそれを感じ取ると、モブオへ再度声を掛けた。

 

 

タダ「モブオ!あれやるぞッ!!」

 

モブ「任せろっ!!」

 

 タダノにそう答えるとモブオは両掌をバチンと合わせて、周囲におびただしい数の結界を形成する。タダノは槍を天高く掲げ、一点に力を集中する。

 

タダ・モブ「「おおおおおおおおおッッ!!!」」

 

?「…ほう」

 

 

 数多の結界たちはタダノの槍の切っ先に集まっていく。そしてそれらは凝縮に凝縮を重ねてより強度が高く、より鋭くなっていく。やがて、辺りの結界がなくなるとタダノは槍を構えた。

 

タダ・モブ「「喰らいやがれッ!!」」

 

?「…ッ!」

 

 

タダ・モブ「「タダノモブオ!アターーックッッッ!!!!」」

 

 白蒼(はくそう)が空間を切り裂いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 私事ですが、本日誕生日でした。
おめでとう、俺。



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第八話 盲目の鳥

 世界が消えた。
僕の前から。跡形もなく。

 世界が変わった。
僕の存在を。誰も知らない。

 世界が終わる。
嗚呼。僕はひとりぼっちだ。






~朧山~

 

主「はぁッ、はぁッ、はぁッ…!」

 

 ハクは朧山を登っていた。燃える故郷を後背に、疲れて縺れる足も気にせず唯我武者羅に走り続けていた。山は外とは打って変わって静かであり、鳥のさえずりさえも聴こえるのであるが、何か違和感を感じる。

 そう、()()()()()()()()()のである。朧山はその名称からもわかるように霧の山である。修行の場所として、また或いは侵入者から守る役割として、常時この山には霧がかかっている筈なのだ。それがきれいさっぱり無くなってしまっていた。

 

主「くッ!」

 

 不吉な思考が頭をよぎる。まさか、もう…

 

主「…って、そんなん考えてる暇あっかよッ!!」

 

 ハクは頭をブンブンと横に振り、一途の望みにかけて気力を振り絞り足を速める。そんな時だ。前の林の向こうに光が漏れているのを見つけ、その先が開かれた空間になっていることがわかる。着いた___、ハクはそう直観し、その光に飛び込んだ。

 

 

 

~朧山 社の洞窟前~

 

主「…噓だろっ!? タケ爺ィッ!父さんッ!!」

 

 ハクは開かれた空間に出る。そこには二匹の妖怪が倒れていた。

 

 一人は朧山の番人 タケ爺。愛用していた樫の杖が粉砕されて辺りに散らばり、その身体は右肩から抉られて腕が無くなっていた。その後、何度も腹部を殴打されたのであろう。腹は血に滲んでおり、口からも吐血した血液が流れ出ていた。

 

 そしてもう一人は…、親衛隊長 狗剱來寄。彼の父親であった。

 

主「父さんッ!!!おいッ大丈夫か!?死ぬんじゃねぇよォッ!!!」

 

來寄「ぐッ…、ハク…か?」

 

 來寄は辛うじて息があるようだった。しかし、彼の愛刀が深々と腹に突き刺され、その傷からは今なお絶え間なく出血が続いており、このままでは死んでしまうだろう。それを察知したハクは羽織っていた上着を脱ぎ、彼の傷に押し当てて刀を抜こうとする。

 

主「いまっ、抜いてやるからなッ!」

 

來「…ハク」

 

主「死んじゃだめだ、死ぬんじゃn」

 

 

來「ハクッッッ!!!!!」

 

主「!?」

 

 それはハクが今までに聞いたことがない大きさの父の声であった。しん、と周囲が静かになり、ハクも涙目で驚いて來寄の顔を見る。彼は顔を真っ青にしながらも、ハクの目をしっかりと捉えて話し始めた。

 

 

來「もう…よい、どうせ助からん…。それよりお前に伝えておきたいことがある…。」

 

 息も絶え絶えに喋る來寄はハクの肩をガシッと掴み、絞り出すように言葉を続ける。

 

來「お前は、逃げろ…。俺らの事は全て忘れて、逃げて…どこかで幸せに暮らすんだ。…ここには二度と戻って来るな、鬼の里にも決して近寄るな…」

 

 ハクは理解が出来なかった。父さんたちのことは忘れろ? 鬼の里に近づくな? 父が何を言ってるのか全く解らなかった。

 

主「は…? 一体どういうことだよ。それより誰にやられたんだ、オレが仇をとって」

 

來「ならんッ!!!」

 

主「!?」

 

來「それだけは…ならん、のだよ…。いいか、父さんの言う通りにするんだ。俺たちのことは忘れろ、そして早くここから遠くへ逃げろ…。」

 

主「で、でもッ! 逃げるにしても母さんは!? 母さんはどこにいるんだよっ!!」

 

 母の名前を出すと一気に父の顔が暗くなる。目を瞑り、何かを思案したのち意を決したように言った。

 

 

來「…母さんは、死んだよ」

 

 

主「しん…、だ?」

 

 

來「ああ…、俺の前で殺された」

 

主「」

 

 ぷつん。ハクの中で、何かが切れた。

 

 

 

主「………あああああ………」

 

來「…ハク。辛いかもしれないが、母さんのことも忘れt」

 

主「あはあははははははははははははははははははは!!!」

 

 ハクは、慟哭した、叫喚した。発狂した、狂乱した。彼の世界の全てが無秩序になり、世界の全てが崩壊したのである。シヴァ神の上で踊り狂うカーリーの様に、或いはヨーロッパのダンス=マカブルの様に、世界はだんすだんすだんす。滑稽に滑り落ちて天空にはギャラルホルンが鳴り響く。そんなこの世の地獄あの世の天国。エレクトリカル『モダン・タイムス』。

 

 

 

 

 

主「あはあははあはあはっはああははあはは」

 

 狂ったか、無理もない…。

 

來「ハク…、すまん。お前のためだ…。」

 

 來寄は精一杯の力を振り絞りハクを包み込むように結界を展開する。

 

來「…っ、今からお前を出来るだけ遠くに飛ばす…。生き抜け…ハク! 幸せだったよ…、俺の人生っ…。くッ…はああああッ!」

 

 涙をぼたぼたと零し右手に力を入れる。結界から光が溢れて輝く。刹那___辺りが発光し、それが収まった時にはハクの姿は消えていた。

 

來「…ははっ」

 

 顔をぐちゃぐちゃにして天を仰ぎ見る。ああ、なんと幸福な人生を生きたか。多くの仲間と出会い、切磋琢磨し、共に暮らし、共に此処で死ぬ。___諸行無常の響あり、盛者必衰の理をあらはす。我が心鏡は荒波にして静寂よ。

 

 

 

來「生きろっ!ハク! 生きて生きて、この世界を生き抜け!! 俺の息子よぉーーーッ!!!」

 

 

 ばたりと、彼は地に伏した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 あれから幾日と経ったか…、ハクはひとり荒野を歩いていた。

 

 彼は、気が付けば見知らぬ場所にいた。母さんは、死んだ。父さんも、恐らくこの世にいないだろう。

 

 故郷は破壊された。大切な人々も、皆殺された。ひとりの少年が背負うには重すぎる運命だ。

 

 こうやって行く当てもなく歩いていると、自分はこれから何ができるのか、否何もできないのではないのか。そう思うと途端に邪悪な考えに支配される。

 

主「死にたいな」

 

 星も見えない盲目の鳥。自然界では真っ先に淘汰される存在である。意味なし、意義なし、価値なし。

 

 

 本当にここはどこなのか。周囲の草木は枯れ、川の水も干上がっている。生物は地上には唯の一つもなく、空に鳥が1羽飛んでいるだけである。そこをふらふらと進む自分。すると眼前に赤の線が横に引かれた大地が現れる。盲目な彼はその意味を考えることもなく、線を越えて先へと進む。

 

 

 暫く歩いていると、横から声をかけられる。

 

「そこの妖怪止まりなさい」

 

 ハクがそれに反応して歩みを止める。声をかけてきた女性は弓をキリキリと引き、彼を威圧するように近づく。

 

?「…貴方、ここがどこだか解ってる? ここは月の都の領内。妖怪が、容易く足を踏み入れていい場所じゃないの。」

 

 近づいてきた女性は赤と青の奇怪な服装に、長い銀髪を後ろで縛った容姿をしていた。人間だ、ハクは気づいた。というと、オレはいつの間にか“血の境界線”を超えていたのか。そう思考する。

 

?「聞こえてる? いい、私の質問に答えなさい。さもないと貴方をこの弓で殺すことになるわ」

 

 腕を引き、更にその張力を高める。ハクはそれに恐れることなく、生気のない目で見ながら両腕を横に広げた。

 

?「…どういうつもり?」

 

主「殺してください」

 

 一言、そう言い放つ。

 

主「だから、殺してください。おれは生きてる意味なんてない」

 

?「貴方…、正気? …自分からお願いする妖怪は初めて見たわね。それとも私の油断を誘うつもりかしら。」

 

主「おいッッ!!!」

 

?「…!?」

 

主「おれを早く殺せッ!! ぐっちゃぐちゃに、そう里のみんなと同じように殺してくれよぉ~~ッ!!!」

 

?「く、コイツ…イカれてっ!」

 

 ハクが狂乱しながら女性に近づく。身の危険を感じた彼女は弓を限界まで引いて目の前の妖怪に狙いを定める。矢から指が離れようとした瞬間___、ハクはその場にへたり込んだ。

 

主「………おれには誰もいないんです。帰る場所もない。」

 

 今度は無表情で涙を流し始めた。重症だな、女性はそう思った。医者である彼女は、この妖怪が度重なる心的ストレスによる精神錯乱・異常の類であることを読み取った。それを示す症状もいくつか見られる。………本来ならば血の境界線を越えた者は人妖怪問わず死刑となる。しかし、彼女の眼はこの妖怪のことを罪人ではなく、己の実験の材料として見ていた。

 

?(妖怪の被験体か…。最近はあの条約のせいでめっきりだったし、丁度欲しかったのよね。)

 

 ふう、と女性は息をつき構えていた弓を下す。すると肩に掛けていたバックを漁り、小瓶と注射器を取り出した。瓶の液体を注射器の中に入れながら、彼女は座り込んで泣いている妖怪に声をかける。

 

?「はいこれ。これを打ったら死ねるわよ」

 

 勿論噓なのだが。中身はただの睡眠剤である。それを知らない妖怪は神にすがるような目つきで女性を凝視し、彼女に問いかけた。

 

主「本当…か?」

 

?「ええ」

 

 女性がそう答えると、妖怪はたちまちに彼女の手から注射器を奪い取って自分の首に刺した。

 

 

主「あ、あ、あ、うっ………………」

 

 

 

 

?「………私は“八意(やごころ)永琳(えいりん)”。これからよろしくね、妖怪さん」

 

 …と言っても、このままでは可哀そうだ。暫くは彼の精神ケアに努めよう。被験体は、心身共に健康でなくてはならないからね。

 

 

 

 

 

 

 

 




【補足】

 シヴァ神:ヒンドゥー教における最高神の一柱。破壊と再生を司る。

 カーリー:ヒンドゥー教の女神。血と殺戮を好む。シヴァ神の妻の一柱。

 ダンス=マカブル:14世紀にヨーロッパで猛威を振るったペストの影響で、生と死が曖昧になり、絵画などにおいて生者と死者が共に踊る様が描かれた風潮。

 ギャラルホルン:北欧神話における最終戦争“ラグナロク”が始まるときに世界に響いたとされる笛こと。

 モダン・タイムス:チャールズ・チャップリンの代表作。資本主義社会などを風刺した喜劇映画。


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第二章 月の都篇
第九話 八意永琳


 感情は連鎖する。円環だ。

 感情は万民にある。終わりがない。

 人間は良くも悪くも感情に支配されている。






 ハクは鉛の様に重い瞼を開ける。

 

主「………」

 

 ___ここは、“あの世”だろうか。

白に統一された正方形の部屋、その真ん中に置かれたベットで彼は目覚める。体は怠く起き上がれそうにない。それでも寝ぼけ眼を開け閉めして周囲の明るさに慣れていった。

 

 さて、横を見ると見たこともない機械があり、奇妙な音を発していた。それはある一定のリズムを刻んでいるようで、黒い板のようなものに表示された光がそれと連動していた。天井から注がれる光は、太陽のものとは随分と異なっているらしく、暖かさを感じることもなければ、目を開けていられないほどの強烈な光を感じることもなかった。

 

主「…ずいぶんと奇妙奇天烈な場所なんだな。あの世ってのは」

 

 そうハクが呟くと、彼の足先の方向から声が聞こえた。

 

「あら、違うわよ」

 

 現れたのは先程の女性であった。装いが赤と青の奇妙な服から白衣に変わっており、手に持つ端末に何かを打ち込みながらハクに話しかけてきた。

 

主「…アンタは、人間…。違うって、オレはアンタから貰った薬で死んで」

 

「ああ、あれ。あれはただの睡眠薬よ。」

 

主「………っ!」

 

 ハクは心が真っ暗になる。怒りに震えて目の前の女性を殴ろうとするも、謎の倦怠感によって動くことすらままならなかった。

 

「なに?そんなに死にたかったの? 何があったかは知らないけれど、考えすぎもよくないわよ。」

 

主「!? ふざけんな! テメェに何がわかる!!」

 

 怒りが声に出た。ハクが叫び嘆く間もその女性は端末を操作し続けている。

 

「アンタとか、テメェとか…、やめてよね。私の名前は“八意永琳”、しがない医者兼科学者。」

 

主「ハッ!医者ねぇ、 詐欺師の間違いじゃないのか?」

 

永「だから永琳って呼んでね」

 

主「………そうかよ、"ヤゴコロ"。」

 

 ハクはそう吐き捨てるように呟くと、永琳を睨みつけるのをやめて天井を見上げた。瞼にはやけに鬱陶しい光が張り付いていた。

 

 

主「…ここは月の都なのか?」

 

 無表情なハクが不意にそう問いかけると永琳は一瞥もせずに、ええ、と答えて言葉を続けた。

 

永「推察の通り、ここは"月の都"。神代よりの天地開闢の中心地であり、今は神の末裔である"ツクヨミ様"が治める人間の楽園。人妖大戦の名残りで都市の周りは強固な城壁で囲まれ、その中では人々が平和に暮らしている。」

 

主「………おいおい、じゃあなんでオレは殺されねぇの。オレがここに居るってことは境界線を越えてきたってことだろ?普通は直ぐに処刑されてもおかしくないじゃないか」

 

永「越えたこと、自覚なかったのね…。貴方が殺されないのは、私が貴方を隠してるから。」

 

主「隠す?何のために」

 

永「実験よ」

 

 ゾクっ、寒気がした。永琳の目は笑っていなかった。冷酷なほど()()()()にそれを語った。

 

永「丁度欲しかったのよ。貴方みたいに若くて健康的な被験体がね。だから少しばかり細工して、兵士たちに見つからないように私の家の地下まで運んできたの。」

 

 いつの間にかニコニコとした彼女は、機嫌が良さそうにハクの顔を覗き込んだ。

 

永「私の研究材料として、よろしくね妖怪さん♪」

 

主「な!うっ…、」

 

 声が出なかった。蛇に睨まれた蛙の様に。彼女は恐ろしく冷徹でかつ合理主義者であった。

おそらくオレはこれから擦り切れるまでコイツに利用されるのだろう。その過程で死ねれば良いのだが、こんな恥を晒して死ぬなんて真っ平御免だ。

オレが死ねる方法…。確かここはアイツの家の地下だって言ってたよな。ということは外に出れば少なからず人はいるはずだ。そいつらにオレの姿がバレれば、多分その兵士たちに捕らえられて即刻処刑されるだろう。となると、この家から脱出することが先決だ。どうやって

 

永「あ…今、ここからどうやって逃げるか考えてたでしょ?」

 

主「っ…」

 

永「あらあら、そんな怖い顔しないで。安心しなさい、被検体といっても別に悪く扱うつもりはないわ。最低限の食事や娯楽は用意するし………て、そういえば貴方死にたいんだったわね」

 

主「………」

 

永「…まあ、いいわ。目覚めたばかりだものね。従順になれとは言わないけど、ある程度は愛想良くして欲しいな」

 

 必要な分を入力し終えたのだろう、手に持っていた端末をテーブルに置きながら出口のドアの方へ向かって行った。

 

永「じゃあまた明日ね」

 

 振り返りそう声をかけると、自動でスライドする扉をくぐり部屋から出てった。静寂が続く中、オレは目を閉じて思案していた。

 

 

相手にオレの考えはバレている、さっきの会話でそれは分かった。だからといって従順になる気はさらさらないが。

 

 時間が出来たことによりオレは冷静に考えることができた。オレが死のうとした理由、それは身内を失ったからだ。心のよりどころであり支えであった家族や師、仲間を失った。そのために世界に絶望し、彼らとともに…そう考えた。だが、それは間違いなのかもしれない。父さんの言葉『全てを忘れて幸せになれ』。あの言葉にどんな意図があったのか、父さんが死んだ今ではもはや知る由もない。でも、ごめんなさい父さん。オレはあなたの言う通りにすることはできません。俺だって妖怪だ、例えその結果死ぬことになったとしても、後悔はない。誇りに殉じたのだから。

そのためにも絶対にオレは外に出なければならない。父さんは近づくなと言っていたけれど鬼の里にも行きたい。この世界であと仲間と呼べるのは鬼族だけだ。だから、彼らに白狼の里で何があったのかを聞き、彼らと共にオレも戦いたい。守りたい。

 

主「ふぅ…」

 

 こうして自分の目的が見えてくると、段々と心も落ち着いてきた。問題としてはやはりどうやってここから出るかだ。あの詐欺師のことだ、オレの体にどのような薬が仕込まれていようが不思議ではない。現にこうして体に力が入らない以上、自力で抜け出すのは不可能に近いだろう。だから、()()するしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

永「おはよう、昨夜はよく眠れたかしら」

 

 入り口の自動ドアが開き、開口一番にそう言った彼女はハクの横に備え付けられた機械をいじり始めた。寝起きなのかは知らないが髪が所々跳ねている。

 

主「おいおい、随分とだらしねえな。ちゃんと整えて来いよ」

 

永「別に人に見せるわけじゃないし、いいじゃない」

 

主「オレがいるじゃん」

 

永「貴方、妖怪でしょう?」

 

主「…」

 

永「はい、朝のメディカルチェックね。………、流石妖怪ね。ほとんど回復してるじゃない」

 

 謎のセンサーを当てながら会話してくる永琳は、昨日と同じく上機嫌になった。

 

永「意外ね、抵抗しないのかしら」

 

主「…話したいことがある。」

 

永「何かしら」

 

 

主「一週間だ、一週間はお前の実験とやらに付き合ってやる。だが、その後はオレを外に、境界線の向こうに連れていってくれ。頼む!」

 

 ベットの上で風体構わず土下座するハク。その様を見下ろし、一転表情から光が消えた永琳は彼に対して問いかけた。

 

永「…私にメリットはあるのかしら」

 

主「それならっ!オレの用事が終わった後は一生アンタの被験体になってもいい!何でも言うこと聞くし、何でもする。だから、仲間の仇を討たせてくれこの通りだッ!」

 

 ハクは吐き出すようにそう訴えた。ふふ、そう永琳は笑うとぽんっと彼の肩に手を置いた。

 

永「分かった。その約束違えないわね?」

 

主「ああ、」

 

永「でも、もしも貴方が死んだら?どうするの?」

 

主「そ、それは…」

 

永「ふふふ、いいわ。ちょっと待ってね」

 

 そう言うと永琳は部屋から出ていき、しばらくして何かを手に持ち帰って来た。それは腕輪のようだが、よくわからない構造をしていた。

 

永「これはね、瀕死の攻撃を一発だけ防いでくれるものなの。これが発動したら自動的に私のこの」

 

 永琳は自分の左腕に装着された色違いの腕輪をハクに見せながら説明を続けた。

 

永「腕輪のところに転送してくれるの。便利よね、まあ私が作ったんだけど」

 

主「…」

 

永「いい?それが発動したら有無を言わさず私のものになること。貴方の用事が達成されていまいが関係ないわ。それでもよいなら、」

 

 右手を差出し、握手を求める永琳。

 

永「契約しましょう。」

 

 

主「…分かった、契約しよう。」

 

 

 ガチャリ、ハクの左手首にそれは付けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 




【補足】

ツクヨミ様:人間たちを治める為に高天原より遣わされた神々“天孫”の長。月の都の支配者であり、領内の穢れを取り除き永遠に近い時を生きる。ツクヨミの名は世襲制であり、現ツクヨミは三代目。一代目は人妖大戦で戦死、二代目は病で亡くなった。


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第十話 鬼の里へ


 人のまばたきは、さながらビデオフィルムの一コマのようだ。

僕たちは連続した時の中を生きているのか、生かされているのか、時々わからなくなる。僕たちは監督なのか、キャラクターなのか。どっちだっていい、だって僕は僕なのだから。





 味気のない部屋での一週間は辛くなると思っていたのだが、それほどでもなかった。ヤゴコロとの会話が多少はあったし、何より外に出るためだ。彼女に言った言葉に噓はなく、本当に何でもする覚悟だった。

 

彼女の言う実験も辛いものはほとんどなかった。最初はどんなマッドサイエンティストじみたことをされるかと身構えていたが、人間用の薬が妖怪にどの程度効くかなどのデータを取るものが大部分を占めた。だが、中でも下剤の投与はきつかった。どうやらオレには特別効くらしく、えらい目に遭った。あの時のヤゴコロの悪魔のような顔は忘れない(いつか見てろよ…)。

 

 

 そんな訳で一週間が経ち、オレたちは外に出る準備をしていた。何本かの薬を打ち終え、オレが耳と尻尾を隠すためのローブを羽織ると、ヤゴコロもまた準備を終えたのだろう部屋に入って来た。

 

永琳「用意はいいかしら?」

 

主「見た通りだ、いつでも行けるぜ」

 

 ベットから立ち上がったオレはローブの裾をひらひらさせながら答えた。その様を見てヤゴコロは不服そうに口を尖らせた。

 

永「…もう!これじゃ貴方の尻尾が見えないじゃない」

 

主「はあ?アンタが羽織れって言ったんだろ」

 

永「そうだけどさあ…」

 

 ヤゴコロは変わった奴だ。研究のために尻尾を触らせて欲しいと言ってきたので仕方なく触らせたのだが、そこからが悪夢の始まりだった。それからヤゴコロは毎日それをねだってくるようになり、最初はオレも素直に従っていたのだが段々鬱陶しくなってきて一回キレた。それ以来、一日一回だけ触るという約束のもと、この問題は解決した。ヤゴコロは年齢こそは知らないが、オレよりも大分年上だろう。だが、心は子どものままだ。たまに駄々をこねたり、拗ねたりする。いつの会話だったか、ヤゴコロが独身だと聞いた時には“だろうな”と思った。思っただけで声には出していないのだが、そのあと殴られた。なぜバレたし。

 

永「まあ、いいわ。今日の分は触ったし。じゃあ行きましょうか」

 

 ヤゴコロがそう言うとオレを連れてドアの外に出た。彼女が出入りする時にチラチラ見えていたが、部屋の外はコンクリート張りの廊下になっていた。ひんやりとした空気感が気持ち良い。左手に20メートルほど進むと上り階段が見えてきた。どうやらこの上が彼女の自宅らしい。

 

主「…おいおい」

 

 階段を上り、その先の鉄のドアを開けると、驚くべき光景が飛び込んできた。むせ返り圧倒される衣類の山、恐らくちゃんと読んでいないであろう書類の山、乱雑に隅に寄せられた本の山、山々山々。なんだオレは遭難してるのか?

 

 

主「片付けろよ…」

 

永「…うるさい。」

 

 眼前に連なる山々をかき分けて(文字通り)前に進み玄関に着いた。ヤゴコロがドアノブに手をかけるとこちらを振り向き声をかけた。

 

永「じゃあ開けるわよ」

 

 唐突に光が漏れた。長い間人工の光にしか照らされていなかったオレは地面に反射する太陽の光に目がくらんだ。徐々に明順応していき、視界が開けてくると、生まれて初めて見る景色がそこにはあった。

 

 

 紺碧の長方形が屹立する奇怪な木々のような建物が辺りに広がり、その間をまるで働き蟻かと見間違う程の沢山の人間が闊歩していた。彼らの足元を走るは白亜の舗装された道。それと直角に接する壁には情報を伝えるべく電子が点滅していた。ハクの生まれ育った場所とはありとあらゆるものが違う、否違いすぎる。そのギャップにやられて脳がフリーズしていると、永琳が手を引っ張ってきた。

 

永「こっちよ」

 

主「え、ちょ!」

 

 理解が追いついていないままハクは永琳に連れられ歩かされる。川の様に歩く人の流れの中に飛び込んだ。

 

 

 

生命には総じてエネルギーが宿っている。神には神力、妖怪には妖力、人間には霊力といったように。これらは生命活動するためのエネルギーそのものであり、様々なことに応用できる。まあつまり何が言いたいのかっていうと、オレは妖怪でこの体には妖力が流れているってこと。そして周りにいるのは沢山の人間たち、霊力を持ったね。いくらローブで姿を隠したって、見る奴が見れば一人だけ妖力垂れ流した怪しい奴がいるぞってなる。そのことを考慮したヤゴコロは、オレにある薬を飲ませた。それは『妖力を霊力に置換する』効果をもつものだ。これによって詳しく調べなければバレないようになっている。

 

 しばらく歩いていたオレたちは大きな壁にぶつかる。それはこの都市を囲う巨大な城壁だった。城門と思われる所には兵士たちが駐屯しており、暇そうに、行き交う人々の流れを見ていた。そんな彼らの元へヤゴコロは近づいて行き、話しかけた。

 

永「こんにちは、外の調査をしたいのだけどいいかしら。」

 

 ヤゴコロの言葉に兵士たちははっとして途端に姿勢を正す。ここのリーダーであろう男が兵士に耳打ちし、彼を裏に走らせた。

 

兵士「これは八意様、本日もお勤めご苦労様でございます。只今門を開けておりますので少々お待ちを…。おや」

 

 兵士はヤゴコロの隣にいるオレに気づくと、そのことを質問した。

 

兵「八意様、本日はおひとりではないのですね。その方も出られるのですか?」

 

永「ええ、私のゼミの生徒なの。後々は私の下で働いてもらいたくて、今回同行させることにしたの。ダメかしら」

 

兵「いえ、問題ありません。八意様にはいつもお世話になっているのでそのくらいは…」

 

 そうこうしていると、唸るような地響きとともに門が開き始めた。ヤゴコロは門番たちに軽く会釈をするとオレの手を取って出ていった。

 

後ろで門が閉まる音が聞こえると、オレたちは“血の境界線”を目指して歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 新緑に覆われた大地を踏み越え、ついには荒涼とした荒れ地が広がる場所に行きつく。此処こそが先の大戦“人妖大戦”の最大激戦地であり現在血の境界線が引かれる、言うなれば人間と妖怪の世界を分ける境目である。そして、此処でオレとヤゴコロは出会った。

 

主「ふぅ、着いたな…」

 

 被っていたローブを脱ぎ、吹く風に全身を震わせる。ここからは1人だ。

 

永「じゃあ私はフィールドワークしてるから、行って来なさい。どのぐらいかかるか知らないけど、二日くらいはキャンプとかしてここにとどまれるから、それまでには戻って来てね」

 

主「…ああ。分かってるよ」

 

 ハクは遠くを見ていた。ただ、遠くを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 一日かけて鬼の里へとやって来た。そこには八ヶ岳と蒼穹に魅せられた活気ある村が…、あるはずだった。

 

フラッシュバック………フラッシュバックだ。

彼の故郷と違うのは、それが破壊されていない事だった。争った形跡も、血の跡もない。ただ、忽然と()()()()姿()()()()()()()()()のである。

 

 ハクは過去の記憶により、戦々恐々としながら村の中へと入って行った。本当に…、この前来た時のままだ。鬼が居ないだけで、それはただの日常だった。

 

 

主「ッ!?」

 

 _____ふと、前に誰かが立っているのが見える。

花が散り、新緑を備えた桜の木の下に、彼女はいた。背丈を超える異様に長い刀に、肩を露出させた着物姿、その後ろ髪には大きな簪が差してある。そう彼女は、あの日彼の故郷を襲った一人だった。

 

 

?「悲しいなあ」

 

 桜の木を見ながらそう(こぼ)す彼女はハクの存在に気がついているようであった。そして彼に語り掛けるように言葉を続けた。

 

?「新たに生命(いのち)が芽吹くということは、ある生命が淘汰されるということだ。…過去の存在はいずれ忘れ去られてしまう。世界の生命の数には限界というものがあるのだよ、少年。」

 

 くるりと身をひるがえしハクの方に向き合う。

 

?「この間ぶりだな、少年。そういえば名乗りがまだだったかな?私の名前は“木花咲耶姫(このはなさくやひめ)”。今は、ある友達の手伝いをしているところでね、以後よろしく頼むよ。」

 

 彼女が礼をしたところで、ハクが声を出した。

 

 

主「…タダノさんとモブオさんは、どうした」

 

木花「む…、ああ彼らかい。勿論手厚く葬ったよ、何せ彼らは私の頬に傷をつくった勇敢な戦士だからね。それとも、墓の場所を教えてもらいたのかな?だったらあっちの」

 

 ゴッ!、ハクの結界を纏った拳が木花咲耶に降りかかる。だが、彼女は刀の柄でそれを受け止めて平然と話を進めた。

 

木花「…白狼族というのは随分と手が早いんだな。全く礼儀のなっていない子だ!名を、名乗り給え。」

 

 

主「…オレは狗剱ハク、お前を殺しに来たッ!!」

 

木花「その意気や良し!!」

 

 二人は干戈を交えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




【補足】

 今回はあまり補足するようなことはないですね。強いて言うのであれば、八意永琳の能力が「あらゆる薬を作る程度の能力」なので、ドラ○もんのポケットみたいに便利(小説の展開的に)ということくらいですかね。まあ、これを煎じすぎるのもよくないですが…。


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第十一話 木花咲耶姫

 木の葉が舞い落ちる時
 花が咲いた頃の面影を
 私は邪推してしまう
 姫のようなあの姿を
 懐かしんでしまう





主「づああああッ!!」

 

 ハクは餓狼の様に拳を振るう。仇だ、コイツは皆の仇なんだ。感情が前に出て焦点が合わない。攻撃に集中するあまりハクの体は隙だらけで、相手から狙い放題であった。しかし、

 

木花「ふはは!」

 

 彼女は狙わない。それどころかこの戦いをどこか楽しんでいる節さえ見受けられた。明らかに自分に対して手加減をしている。そのことに薄々気づいたハクは一旦距離を取り、相手との間合いをはかった。

 

主「…何で本気じゃねぇんだよ」

 

木花「…」

 

主「何で本気で戦ってくれないッ!?オレはお前を殺しに来たんだぞ!なのにッ」

 

 

木花「()()から、言われていてね!残念ながら君を殺すのはもう少し先なんだ。だが、」

 

 木花咲耶は刀を肩に掛けて言い放つ。

 

木花「力を、測ってこいとは言われていてね。…如何やらこの程度じゃ君の本気は見れないみたいだ。」

 

 そう言い終えると次第に周りの空気が重くなり、禍々しい力が目の前の彼女から垂れ流された。

 

(こうべ)を垂れ、腕を垂れ、髪を垂れ、ついには膝から崩れ落ちた。そして地獄の底から唸る様に一言。

 

 

木花「“刺誰咲くら(しだれざくら)”」

 

 彼女の髪の毛の一本一本がしなりのある桜の枝へと変化した。それらはそれぞれが別の意識をもっているかのようにうごめき、ハクの方へとその鋭利な先端を向けた。

 

主「ッ!結界!!」

 

 瞬間、それは彼に飛来した。

 

主「うおおおおォッ!!??」

 

 ハクは目の前に出せるだけのありったけの結界をはった。しかし、それらはいとも容易く枝によって破壊されてしまう。次々と新しい結界をはり防ぐも、このままでは埒が明かない。どうすれば…

 

その刹那であった。

 

 

 ドス、ハクの左肩に何かが刺さった。

 

主「ッッー!?があああああっ!!??」

 

 後ろから刺したであろう枝は、傷口にぐりぐりとその体を押し付けながら更に(えぐ)ろうとする。鮮血が辺りに飛び散る。

 

主「ああああッ!?クソォっ!」

 

 途端にハクはうずくまり、まだ動かせる反対の腕を自身の足に当てる。

 

主「“重力結界”ッ!!」

 

 彼の両足に掛かった結界がそこの重力を軽くする。無数の枝が迫る中、彼は既の所(すんでのところ)で抜け出した。

 

 

 

主「はあっ、はぁっ、はぁッ!」

 

 ハクは穿たれた肩をかばいながら膝立ちで立ち上がろうとする。しかし、そこには彼を逃がすまいとあの枝たちが迫ってきていた。

 

主「くッッ!!」

 

 ハクは枝に飲み込まれた。

 

 

木花「………。」

 

 木花咲耶は動かない。彼が死んだのか死んでいないのか、そのような些事は眼中にない。彼女が待っていたのはもっと別の何かだ。そう、そしてそれこそが、()()に見て来いと言われたものだった。

 

木花「ふははは…、きたか」

 

 木花咲耶が呟くのと同時に、枝の隙間から光が漏れ始めた。神々しいまでの光、それはハクが飲み込まれた所から発せられていた。

 

木花「…何という神力だ。矢張り君は」

 

 その時、どこからか飛来した矢が、木花咲耶が伸ばしている枝に深々と突き刺さった。

 

木花「ぬッ!?」(不味い、この矢は…!)

 

 携えていた刀を素早く抜き放ち、矢が刺さった枝の一本を斬り落とした。その衝撃で術は解かれて彼女の髪は通常の状態へと戻り、またハクが発していた光も収縮していった。

 

 

木花「…毒矢とは、懐かしいなあ。久方ぶりだというのに挨拶もなしとはね。いやはや」

 

?「そこを退きなさい」

 

 

 

木花「“八意君”」

 

 

永琳「………、貴女がなぜこんなところにいるのかしら」

 

木花「おやおや、それは此方の台詞(セリフ)ではないのかな?人間の君が、こんなところにいるなんて問題だろう?月の都の要人が。」

 

永琳「答えなさい。今度は何を企んでいるの。」

 

 ギリリッ、弓を引き相手との間合いを詰める永琳に、木花咲耶はひらひらと両手を振り敵意がないことを示した。

 

木花「何も」

 

永琳「………ッ」

 

木花「おっと!戯れだよ。そんな怖い顔しないで」

 

永琳「()はどこ!貴女がいるってことは彼もいるんでしょ!?」

 

木花「残念ながらここには居ないよ。ふふ、彼は、ちょっと“鬼ごっこ”をね。あ、意味が違うか」

 

 木花咲耶はそう微笑むと永琳の方へ向かって歩き出した。

 

永琳「近づかないでッ!」

 

木花「私はただ帰るだけだよ。君のせいで興ざめだ、まあ」

 

 木花咲耶はハクの方をチラりと見て口角を上げた。

 

木花「彼を一目見ただけでも得した気分だよ。じゃあ、()()()八意君。」

 

 彼女は永琳の横を通り、鬼の里の出口の方へ向かって行った。

 

 

 

 

 その場にのさばっていた重々しい神力が薄れていく。それと同時に永琳の体に入っていた力も抜けて、構えていた弓矢を下した。深呼吸して落ち着いた彼女は倒れているハクの元へと歩み寄る。肩の傷口を簡単に止血をして薬品を滲ませたガーゼで抑えて包帯で巻いていく。

 

永琳「…こんなに尻尾が汚れて、最悪だわ…。」

 

主「う、うぅ…」

 

永琳「あら、起きた?」

 

 ハクは目を覚ますと永琳の顔を見つめて涙を流した。仇を討てなかった。オレはアイツにまんまとやられて腕輪で永琳の元へ戻ったんだ、そう彼は思った。

 

主「くぅっ、くそおお…!!オレの不甲斐なし!軟弱者ォ!すまない、みんなァァッ!!!」

 

 空を見上げて慟哭した。その様子に何かを思った永琳はハクに話しかける。

 

永琳「…ねえ。貴方の仇ってさっきの女?」

 

主「………あ?さっきって、あれ」

 

 ハクは周りを見渡してここが鬼の里であることを理解すると、永琳の顔をじっと見て驚いた。

 

主「はあ!?何でここにいんの!?」

 

永琳「答えて」

 

主「え、あ、ああ…。さっきのかは知らんが長い刀持ってる女と、ソイツの仲間。」

 

永琳「…やっぱり」

 

主「やっぱりってなんだよ、ていうか本当に何でここn」

 

永琳「聞いて」

 

主「あ、はい。」

 

永琳「貴方の仇、木花咲耶姫ともう一人、“九頭龍(くずりゅう)晴景(はるかげ)”は十万年前の人妖大戦の首謀者なの。」

 

主「…!」

 

永琳「私も驚いたわ。貴方に付けた腕輪を介してそっちの状況は把握してはいたんだけど、まさか彼女たちがまた…。」

 

主「九頭龍晴景ェ!!!」

 

永琳「!?」

 

 ハクが急に立ち上がり声を張り上げた。

 

主「…ソイツが、ソイツが!父さんの仇なんだなッ!!」

 

永琳「え、ええ。可能性としては高いと思うわ。」

 

 と思ったら、突然意気消沈しハクはうなだれた。

 

主「そういえばオレ…、もうヤゴコロの奴隷だもんな。仇討ちなんて…、ははっ無理な話しかぁ」

 

永琳「待って、話は最後まで聞きなさい。その二人がまた“乱”を起こすようなら、彼らは私たち人間にとっても敵よ。だから、貴方を鍛えてあげる。貴女が強くなればいざという時は月の都の兵士たちと共に戦えるし、その中で貴方は仇を討つこともできるかもしれない。だから、前の契約は破棄ね。どうかしら?」

 

主「そ、そりゃあ願ってもない話だが…いいのか?アンタの研究は?」

 

永琳「それは勿論するわよ♪」

 

主(それはするんだ…)

 

主「ち、ちなみに、尻尾の契約の方は…」

 

永琳「え、破棄するわけないじゃない。何言っているのよ貴方」

 

主(どんだけ触りたいんだこの人…)

 

 

主「…分かった。いや、むしろこっちからお願いしますッ!」

 

 

 

永琳「わあ、やった!じゃあ早速触るわね…、砂でじゃりじゃりしてるけど気持ちいい~」

 

主(な、なんだこいつ~!)←ジョ○マン感

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




【補足】

木花咲耶姫:人妖大戦の首謀者の一人。種族は神。能力は“桜を操る程度の能力”。愛用する直刀の名は“布都御魂”(ふつのみたま)。落ち着き払い、礼節を重んじる性格。

九頭龍晴景:人妖大戦の首謀者の一人。種族は大蛇族。能力は“大地を割る程度の能力”。十万年前の大蛇族の長。

ジョ○マン:吉本興業所属のお笑いコンビ。独特のリズム感とシュールさで人気を集めている。面白くて好き。


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第十二話 動き出す計画

 “兵は神速を貴ぶ”__古代から言われてきた言葉だ。
実際のところこの格言は的を得ており、かの織田信長もその決断の速さでもって戦国を駆け抜け、天下統一まであと一歩と迫った。だが、そんな彼も本能寺にて討たれることになる。

“神速”を破った者のことを、ルイス・フロイスとこれまた古代の言葉を借りてこう表そう。

 “兵は詭道なり”__





「お帰りなさいませ、八意様。」

 

永琳「ええ、ただいま」

 

 鬼の里での一件も終わり、オレたちは月の都へと帰って来た。永琳が端末で門番に連絡して門が開かれると、行きの時に話をした兵士が出迎えてくれた。そしてヤゴコロに何かの書類を渡すとその説明を始めた。

 

兵士「八意様、ツクヨミ様からのお呼び出しです。直ちに静海殿(せいかいでん)に参上するようにと…、何やら大切なお話だそうですので早めに向かった方がよろしいかと」

 

永琳「そう…、分かったわ。連絡ありがとね」

 

 では、そう言うと兵士は奥の駐屯所へと下がって行った。そのまましばらく歩いていると、永琳が話しかけてきた。

 

 

永琳「ねえ、“ハク”って呼んでもいい?」

 

主「何だよいきなり…、まあいいけどさ」

 

永琳「ありがとう。ハク、私はこれから用事があるから先に家に帰ってなさい。場所はわかるかしら?」

 

主「んにゃ、ビミョー」

 

永琳「なら…、はい」

 

 永琳は自身の鞄の中から小さな端末を取り出しハクに渡した。それは表面がディスプレイに覆われていて、触ることによって操作するものだ。ハクは前に彼女がそれを使っているのを見たことがあった。

 

永琳「この画面に家までの道が表示されるからそれに従って」

 

主「おう…」

 

永琳「じゃあ、あとで会いましょう」

 

 手を振ってハクから離れていく永琳は目の前の雑踏に消えて行った。一人残されたハクは手渡された端末とにらめっこしながら、案内の通りに歩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主「えっと、こっちの道だよな…。ん?」

 

 帰る途中、ハクの目にある一軒の店が入ってきた。その瞬間、彼は心を奪われた。

ぱちぱちと炭が焼ける音、醬油が焦げる香ばしい匂い、そして何かを焼く気の良さそうな大将の姿。完璧だ、余りに調和がとれた三位一体の店構えにハクは思わず感嘆の意を零した。絶対にこの店は美味い、何を売っているのかはわからんが絶対にこの店は美味い、彼にはそう確信を持つほどの自信があった。

 

主「………」

 

「お、どうした坊主。何でそうじーっと見てんだい?」

 

主「…あ、ごごめんなさい。あまりにも美味そうで、つい」

 

「はははは!美味そうで、つい。だとぉ…嬉しいこと言ってくれんじゃねえーかよ!」

 

 豪快に笑う大将は、串に刺した丸いものをハクに渡してきた。さっき感じた香りが強くなる。

 

「なら、一本食ってみるか?それで“美味そう”じゃなくて、“美味い”って言ってくれや!」

 

主「い、いいのか?それじゃあ遠慮なく…、そういえばこれはなんて言うんだ?」

 

 よくぞ聞いてくれた!そう言わんがばかりに瞳をきらめかせ、大将は自分の胸をどんっと叩いた。

 

「そいつは、“ダンゴ”って言うものでなあ!何を隠そう、このわしが開発した食いもんだ!わははは!」

 

 ダンゴ…。その神聖な言葉に気押されながらも、芳醇な香り漂うそれを口に運ぶ。

 

主「う、うめええええっ!!??オレ、こんなに美味い食べ物初めて食べたよ!大将!」

 

「おっと、“大将”じゃないぜ、坊主。」

 

 

マスター「わしは、“マスター”だ。そう呼んでくれや!」

 

主「うまいです!マスター!」

 

?「なんだか今日は賑やかですね、マスター」

 

 ハクたちが盛り上がっていると後ろの方から声がした。

 

マス「お、らっしゃい!」

 

 振り返ってみると、そこには浅葱色(あさぎいろ)の羽織を着た二メートルほどの大男が立っていた。男は少しかがむと、柔和な笑みを浮かべてマスターと話し始めた。

 

?「ダンゴ、一本ください。」

 

 指を一本、ピンと立てて注文する様はごく自然で、彼がここの常連であろうことがわかる。

 

マス「健人(たけひと)様!いつもご贔屓にありがとうございます!」

 

健人「やだなー、様はやめてくださいっていつも言ってるじゃないですか。昔みたいに“たっちゃん”って呼んでくださいな」

 

マス「へへっ、わりわりィ。…ほいっ、ダンゴ一本な!」

 

健人「どうも。お勘定はここに置いておきますね」

 

マス「あい、まいど!」

 

 

 

健人「んあれ、君もダンゴ食べてるんだ。美味しいでしょ、ここのダンゴ」

 

 店の前に設けられた長椅子に腰かけながら男はハクに声をかける。

 

主「めっちゃうまいっす…、えっと…健人さん?」

 

健人「でしょお。あ、僕の名前は“鹿島(かしまの)健人(たけひと)”。君は?」

 

主「オレは、狗剱ハクっていいます」

 

健人「へえ…。まあよろしくねー。」

 

主「こちらこそ」

 

 そう二人が挨拶を交わすと、健人の懐から音が鳴った。それに気づいた彼は音の鳴った端末を取り出すと、何かを確認してため息をついた。

 

健人「…はあ。招集かかっちゃったよ。ごめんね、君とはもう少しお話したかったけど、行かなくちゃ。じゃあまた会えたらねー」

 

主「え、あ、はい…。」

 

 健人は急ぎ足で歩いて行った。丁度ダンゴも食べ終わったハクはマスターにお礼を言い、帰路についた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 月の都中央の高台に築かれた巨大な階段。そこを上っていくと、ある建物が見えてくる。

 

静海殿(せいかいでん)____。政治の中心地であり都の支配者が住むその御殿は、街を見下ろすように建てられており、誰の目から見てもここが神聖な場所なのは明らかだった。両翼にこの大地の創始者を模った像が置かれ、その周りには植物が生い茂り水流が流れる。上古の世界創造を思わせる荘厳な雰囲気は、警備にあたる兵士たちをも感化してその背筋を伸ばさせた。

 

そして、御殿の奥。此処の主“ツクヨミ様”が鎮座する“謁見の間”。そこではある会議が行われていた…。

 

 

ツクヨミ「…先日、黄泉平坂(よもつひらさか)より連絡を受けた。……先の大戦の首謀者二人が逃げ出した、とな」

 

 ざわざわ…。ツクヨミの言葉を受けてその場に参上していた人々がざわめく。中には狼狽えて顔を伏せる者もいた。皆、総じてその発言に恐怖していた。

 

ツク「静まれ!皆の者!」

 

 ツクヨミの一喝に一時の静寂が訪れる。

 

ツク「確かに、人妖大戦より早十万年…。これまでに大きな戦などはなく平和だった。それ故に都の防衛力も落ちておるだろう…、何より我が祖父が亡くなってしまったのが痛い。祖父の武力や統率力は、まさに月の都の“剣”であったのだ。だが、今はそれがない」

 

 そこまで言うと横に控えていた宰相にアイコンタクトを送る。それを受けた宰相は巨大なモニターにあるものを映し出した。そこには巨大な宇宙船の設計図が描かれていた。

 

ツク「故に!奴らと交戦するのは無謀とみた。よって…、この船に乗り、()()()()()を考えておるのだが。皆、如何に思う?」

 

 

「恐れながら」

 

 一人の文官が声を上げた。

 

「確かに…ツクヨミ様が仰られる事も一理ある。高天原(たかまがはら)が月より天上界に(うつ)り、今や月はもぬけの殻。そこに新たな都を造るとなれば、かの二人もそこまでは追ってはこれますまい。良き案かと存じます。」

 

「恐れながら。合理的な考えでしょう。かの地は神々の都だったこともあり、一切の()()()()()。しかしながらツクヨミ様、もしその遷都までの間に彼らが攻めてきたとすればどうでしょうか。我らはそれに対応できますかな?」

 

 ある者の問いかけにツクヨミは自信に溢れた表情で答える。

 

ツク「無論、可である。これより一か月間、全ての産業及びその労働力を此度の遷都に注力す!この電撃的な出来事に彼らは対応できないであろう。たった一か月で先の大戦の罪人が妖怪どもをまとめて挙兵するなど、絵空事である。事は神速を以て行い、街には固く遷都に対する緘口令(かんこうれい)を布くのだ!情報を外に漏らすでないぞ。」

 

「「「ははっ!!」」」

 

ツク「では皆、事に当たれ!行くのだ!」

 

 これらをもって会議は終了した。参上していた人々が流れるように静海殿の出口に向かって行く。

 

 

ツク「八意と鹿島は残れ、話がある」

 

 呼ばれた二人は振り向き、彼の前へと歩を進める。膝をつき、敬服の礼をとった二人に、人々が皆帰ったことを確認したツクヨミは話を続けた。

 

ツク「先ずは八意。今日調査から帰ったそうだな、疲れもあるだろうに…参上させてすまぬ」

 

永琳「いえ、問題ありません。寧ろ私が不在だった為に今回の会議を先送りにしたのでは?謝らなければならないのは私の方です。」

 

ツク「うむ…、まあ突然の事だった故な、そちに非は無いぞ。それよりも八意、外に出ていたのならば何か変わった事はなかったか?」

 

永琳(…さすがに鬼の里でのことは言えないわね)

 

永琳「いえ、普段と変わらず。至って有意義な調査でしたわ。」

 

ツク「そうか…。では話は変わるが此度の計画、そちには宇宙船の開発責任者を頼みたいのだが…如何か?」

 

永琳「はい。喜んで承ります。」

 

ツク「うむ、頼りにしているぞ“月の都の頭脳”よ。で、鹿島。そちにも話が」

 

健人「はっ。」

 

ツク「都の兵士の調練を頼みたい。もしもの時の為にな…、頼めるか?」

 

健人「心得ました。」

 

ツク「うむ!良き返事ぞ!では行き給え、我が双腕よ!」

 

 二人は静海殿を出た。

 

 

 

 

 

 

 




【補足】

静海殿:月の都の政治・行政・軍事などを取り仕切る最高機関が置かれる、まさに都の中心地。大理石の巨大な階段の上に築かれており、街並みと比べると少し古風な印象を受ける。ツクヨミ様が住む処でもある。

マスター:団子の創始者。全ての団子の生みの親。後に“団子丸須太命”(ダンゴマスタノミコト)として人々から崇められる。

浅葱色(あさぎいろ):少し濃い水色のこと。新選組の羽織の色としても知られる。

黄泉平坂(よもつひらさか):古事記における、この世とあの世の境目として登場する場所。本作ではそこに罪人を閉じ込めておく牢獄がある。

天上界:少し難しい話になりますが、天上界とはすなわち“四次元の世界”のことです。私たちが生きているこの世界は(140万年前の月の民も)三次元だと考えられています。三次元とは「縦、横、高さ」で形成される世界のことで、ここに「時間」を加えたものが四次元世界です。本作ではその空間を“天上界”と呼称しました。


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第十三話 早すぎる再会

 僕らは、過去にどんなことがあったとしても
手を取り合っていかなければならない

 君たちは、僕らが何をしたとしても
手を取り合っていかなければならない

 名も知らぬ者たちよ、許してくれとは言わない
だが、これが人類なのだ

平和とは…掴むことのできない、幻か…





永琳「ねえ、健人」

 

 ツクヨミの話も終わり、八意永琳と鹿島健人は揃って大階段を下りていた。それまでに会話のなかった二人だが、永琳が思い立ったかのように健人に話しかけた。

 

健人「んー、なに?永琳さん。」

 

永琳「貴方この後時間ある?あるなら私の家に来なさい」

 

 その言葉を受けた健人は、少しぎょっとして驚いた顔で横を向いた。

 

健人「…なに、もしかして誘ってるの?」

 

永琳「ばっ…!馬鹿じゃないの!?貴方とはただの幼なじみの関係で、そんなわけないじゃないっ!」

 

健人「ははは…冗談だよ。相談事でしょ?まったく、永琳さんはいじり甲斐があるなあ」

 

永琳「んぬぬ…。貴方のそういう所、ほんと嫌いだわ…。」

 

 

健人「…んで、君の家でってことは…ここで言えない話だよね?」

 

永琳「え、ええ…」

 

健人「わかった。お邪魔させてもらうよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

主「そういえばオレ、どこで待ってりゃいいんだ?」

 

 永琳の家に帰って来たハクがまず思ったことである。今までは地下の実験室で過ごしていたが、そこに自分から入るのは何か違う気がする(小並感)。かといってゴミの山に埋もれて過ごすのもなぁ…。

 

主「…仕方ねえ、片付けてやるか。」

 

 これからヤゴコロには世話になるんだ。これくらいやってやるか。

 

 

 

 

 

永琳「ただいま」

 

 しばらくして永琳が帰って来た。

 

主「おう、お帰りって、え?」

 

健人「おじゃましまー…、え?」

 

 

主・健「「ああーーーーっ!?ダンゴ屋の人ぉーー!!」」

 

永琳「え、なに?二人とも」

 

 

 

 

 

永琳「へえ、二人はもう会ってたんだ。」

 

 永琳がダンゴ屋での一件を聞き、微笑んだ。自分の知り合い同士が顔見知りで嬉しいのだろう。

 

主「いや、びっくりしたわ…。誰か連れて来るなら言ってくれよ」

 

健人「さっきの子がいるなんて聞いてないよ!え、なに永琳さん、隠し子?」

 

永琳「ち、違っ!…て、貴方またからかってるでしょ」

 

健人「あ、バレた?」

 

永琳「何回もやってればバレもするわよ!まったく…」

 

 そう掛け合いをする彼らは本当に仲がいいのだろう、呆れた顔をしながらも永琳に嫌がっている様子はなかった。

 

主(あれ?オレもしかして邪魔?)

 

 ハクは二人に置いてけぼりをくらいながらも、なんだいい人いるじゃん。そう思った。

 

 

永琳「…でね、ここからは真面目な話。昔からの付き合いで信頼できる健人だからお願いしたいことがあるの…。」

 

 永琳はキリっとした表情を浮かべると、健人に向き直ってハクを指しながら話し始めた。

 

永琳「まず…、この子は妖怪よ。」

 

 そう言った瞬間、健人を取り巻く空気が一変する。ピリピリと髪の毛が逆立つように目をかっ開き、体から殺気を飛ばす。それは明らかに先ほどまでの彼とは違い、昼下がりの朗らかな部屋から夏の夕立の直前のような、一触即発の空気感に変わっていた。

 

健人「…妖怪」

 

 一言に明らかな敵意を感じる。それを感じた永琳は息を吞み、ハクと健人との間を腕で遮った。

 

永琳「まって、この子は悪い子じゃないわ。ツクヨミ様の話にもあった木花咲耶姫と九頭龍晴景はこの子の仇よ。だから、貴方にはこの子を鍛えて欲しい、それが頼みごとよ。」

 

健人「………」

 

永琳「…っ、この子がいれば!人間と妖怪との懸け橋になるかもしれない!あの馬鹿げた()()()もなくせるかもしれない!た、確かに私情もあるわっ!私情もあるけど…、お願い!私に免じてこの子のことを鍛えてあげて!」

 

主「ヤ、ヤゴコロ…。」

 

 健人は未だ無言である。ふー、と一つ息を吐いて険しい顔をしながら永琳に近づいていく。怒られるのか、はたまたハクを害そうとしているのか、そう思った永琳は身構える。健人が手を伸ばす、覚悟を決めた永琳はハクの前に立ちはだかり、目をつぶった。

 

 

 

健人「…なーんてね」

 

永琳「っ………、え…?」

 

 健人は永琳の頭にぽんっと手をおくと、纏っていた殺気を離散させた。凍てつくような顔はどこへやら、すっかりいつもの温かい表情へと戻っていた。

 

健人「…また引っかかったね。その子は悪い子じゃない、ダンゴ屋で話してからわかってたよ」

 

永琳「じ、じゃあなんで…?」

 

健人「永琳さんがどれだけ本気なのかなーって思ってね、試してみた。はは…、そんだけ震えててもそこを動かなかったんだ。…本気なんだね?」

 

永琳「え、ええ。勿論よ…。」

 

 その言葉を聞くと、健人はとびきりの笑顔になった。

 

健人「じゃあ僕が言うことはない、君の覚悟に敬意を。協力しよう、友人としてね。」

 

永琳「…ありがとう、」

 

 

健人「ハク君」

 

 健人はハクの名前を呼んだ。あまりの出来事にぼーっとしていたハクはそれに気づかずにいた。

 

主「………」

 

健人「ハク君?」

 

主「…え?え、え、あ、ははいっ!?」

 

 こ、この人怖えーー!!何だよさっきの殺気!(洒落じゃない)

尋常じゃねえ―よ、やべえーよ、この人だけは怒らしちゃいけないよ!!

 

健人「? …まあいいや。これからは僕が君のお師匠さんね。師匠、なんて呼んでくださいな」

 

主「う、うっす!師匠!よろしくお願いしまっす!師匠!」

 

健人「…君、なんかキャラ変わってない?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 そんな訳で、俺は鹿島健人っていう人のもとで修行することになった。なんでもこの人実は結構すごい人らしくて、月の都の全兵士を統轄する"兵士長"という役職に就いている。いわば軍事のトップみたいな存在だ。そんな人との親交がある永琳もまた、すごいお偉いさんなんだろうな、そう改めて思った。

 

師匠は道場も持っているらしく、そこでの鍛錬が決まった。一応オレが妖怪だってことは永琳と師匠以外には秘密ってことになったので、リスクを減らすためにオレを完全に人化させる薬を永琳は作ってくれた(家を綺麗にしたお礼だってさ)。妖力を霊力に変換することはもちろん、耳や尻尾も無くすことができるようになった。やったぜ!って喜んでたら、永琳がうなだれて後悔してた。いや、お前が作ったんやろがい。

 

というわけで。修行初日を迎えたオレは師匠の道場へと急いでいた。

 

主「いやあー、自由に動けるっていいな!フードも被らなくて済むし清々しいぜ…」

 

 都の風を感じて走るハク。久しぶりの開放的な世界に胸を躍らせるが、それでも彼の心は陰っていた。

 

主(師匠…、タケ爺…。)

 

 ハクの最初の師である杖つきの好々爺“タケ爺”。彼はあの日朧山にて父と共に戦い、死んだ。彼の教えはハクの体に染み付いており、特に結界操術を扱う時、タケ爺の姿が脳裏をよぎる。ハクに新しい師匠ができた今、彼のことを思わずにはいられなかった。

 

主(タケ爺。オレがどれだけ歳をとろうとも、あなたから受けた教えを忘れることはありません。冥福を…、そしてあなたの無念をオレが晴らします。見守っていてください。)

 

 手を合わせて天に祈る。立ち止まり閉眼す。

ハクは改めて誓ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

『キエイ!!はあッ!セイ!セヤッ!』

 

 覇気のこもった掛け声が聞こえる。それに伴い激しい打ち合いの音も聞こえる。ここがそうなのだろう、そう確信したハクは道場の戸を開け放つ。

 

 そこでは自分よりも年下の少女が師匠相手に打ち合っていた。

 

?「はあああッ!!」

 

 鋭い一撃が炸裂する。紫髪のポニーテールがその後を追うようになびき、彼女の素早い剣技を強調した。

 

健人「相変わらず猛々しいねえー」

 

 それを子猫をじゃらすかのようにいなす健人。どうやら稽古中らしい。どうやって声を声をかけたらよいものか、そのようなことを思案していると、ハクの存在に気づいた健人は少女の持っていた竹刀を弾き飛ばした。

 

 

?「ああっ!?」

 

健人「…来たね。ようこそハク君、我が道場へ!さあ、こちらに来なさい」

 

 健人に促されハクは彼の傍へと歩み寄る。目の前には息を切らした少女がこちらを見ており、健人はハクの肩に手を置いた。

 

健人「紹介しよう、ハク君。彼女はウチの門下生である“綿月(わたつきの)依姫(よりひめ)”。若干10歳の身でありながら、なかなかの剣の使い手だよ」

 

 そう師匠に目の前の少女について説明されると、依姫と呼ばれた少女は息を整えて正座し、両手を前についた。

 

依姫「紹介にあずかりました、綿月依姫です。まだまだいたらぬ身ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします。」

 

主「あ、はい。こちらこそ、どうも…」

 

 依姫のあまりに低く礼儀正しい態度に、ハクも思わず正座して頭を下げた。その傍から見れば滑稽な姿に、健人はクスリと笑い二人の肩に手を置いた。

 

健人「んじゃまあ、みんなで頑張っていこうか」

 

主「はい!」

依姫「はい!」

 

健人「うんうん♪」

 

 こうしてここでの修行が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 




【補足】

 今回は完全につなぎの一話でした。東方キャラがなかなか登場しない本作ですが、無事に2人目の綿月依姫が登場しました。次回からはもっと会話シーンも多くなると思いますので、お楽しみに。

 文章が単調になってしまうのが最近の悩みです。戦闘シーンがあれば盛り上がるのですが…、会話シーンでもなんとか盛り上がるようにしたいなぁ。

 タグに「アンチ・ヘイト」を入れたほうが良いのでしょうか?これからのストーリー展開上、原作キャラが精神的に酷い目に遭ってしまうかもしれません。


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第十四話 永琳の気持ち


 人はなぜコミュニティを形成するのか。

生き残るためか
仲間が欲しいのか
自分の存在意義を見出したいのか

いや、ただ、寂しいだけかもしれない。





健人「それじゃ、まずは打ち合ってみようか」

 

 道着に着替えたオレを見て師匠が言った。渡された竹刀を握りしめてとりあえず構えてみる。

 

健人「…うーん、もしかしてハク君。剣持つの初めてだったりする?」

 

主「はい、そうですね…。」

 

健人「なるほど。まあ構えは人それぞれだからいいんだけど、脇は締めた方がいいよ」

 

 そう言いながら師匠は手でわかりやすいようにオレの体を矯正してきた。

 

健人「背筋は伸ばして、腰は少し落とす。ちょっと窮屈かもしれないけど、これだけは基本だから守ってね」

 

主「はい」

 

 師匠に直されたオレの構えはなんか様になってた(気がする)。確かに少しきついが慣れていくしかないだろう。師匠は自分の立ち位置へと戻りオレと同じように竹刀を構えた。

 

 

健人「じゃあ、打ち込んできてねー」

 

主「はあッ!」

 

 ハク竹刀が健人の脳天目掛けて振り下ろされる。風がゴオっと鳴き、それを正眼に構えていた師匠が受け止めた。竹と竹がぶつかる音が道場に響く。

 

健人「…ふう、やっぱり力は強いねー。」

 

 両腕で受け止めた健人はハクの力を称賛するが、だけど…と言葉を続けた。

 

健人「剣は腕で振るもんじゃないよ。もっと強く踏み込んで、剣に体の重さが伝わるように打つんだ。それと、流れで斬ってね。」

 

 そこまで言うと健人は横を向き、ハクに体全体の動きが見えるようにして実演してみせた。

 

健人「相手を、"斬る"って思って斬るんじゃない。踏み込んで、構えて、そしてその流れのままに斬るんだ。斬るのは結果であって、過程じゃない。この三段階をきちんと踏まないと、その一撃は軽くなっちゃうからね、気をつけてみて」

 

主「…ずいぶんと細かいんすね。剣術って」

 

健人「あれ、飽きちゃった?」

 

主「いえ、オレが強くなるための努力だったら何でもします。ですから、ご指導お願いします!」

 

健人「♪」

 

 

 それからも師匠との打ち合いは続き、昼、夕方を回り、辺りはすっかり暗くなっていた。その時、道場の戸がガラガラと開いた。

 

永琳「げ、まだやってたの貴方たち…」

 

 仕事で疲れているのだろう、げっそりとした永琳は、熱を持って鍛錬しているハクたちを見て呆れ顔をした。

 

永琳「…朝からやってるのよね。本当よくやるわ…って、依姫ちゃん!?」

 

 永琳は、正座でハクたちの打ち合いを眺めている依姫を見て驚く。

 

依姫「八意さま、お久しぶりです」

 

永琳「え、ええ…久しぶりね…じゃなくて!もう夜よ、帰らなくていいの?綿月様たちが心配してるでしょう?」

 

依姫「父さまと母さまは、鍛錬のためならばよいと言っていました。それに、いつも鹿島さまが送ってくださるので…」

 

永琳「ああ…そうなの。」

 

 

 

 

健人「ハク君!相手の攻撃を避ける時には"体捌き"で避けることを忘れないで!体で避けようとすると相手にわかっちゃうから、脚運びが先で体がそれに追いついてくるように避けて!」

 

主「…はいっ!」

 

 流石に疲労の色が見えてきたか…、ハクの様子を察した健人は一つの流れが終わると待ったをかけた。

 

健人「うん、今日はここまで。よく頑張ったね」

 

主「ふう…はあ…はあっ…はあっ…」

 

 ハクは緊張の糸が切れたのかその場にへたり込む。呼吸が乱れ、額からは汗が噴き出し、天井を見上げる。

 

主「つか、れ………た…………」

 

 ハクはそのまま目を閉じて、意識を手放した。

 

 

主「……………」

 

健人「あ、あれ?ハク君?ハクくーん!おーい、って眠っちゃったか…。」

 

永琳「健人」

 

 その様子を見ていた永琳が声をかけてくる。竹刀などを片付け始めていた健人は、特に驚くこともなく彼女の呼び声に答えた。

 

健人「やあ、永琳さん。ハク君のお迎えかな?」

 

永琳「…家に帰ったら誰も居なかったから、まだやってるのかと思って来てみたのよ。案の定やってたわね…、今って夜の9時なんだけど…。」

 

 道場の壁に掛けられた時計を見ながら話す永琳は、眉がひきつり若干苛立っているように見えた。

 

健人「…うーん、だけど1ヶ月で"鹿島の剣"をものにするためにはこのくらいやらなきゃねー。特に明日は僕仕事で道場に居ないんだし。」

 

永琳「そ、それは、そう…だけどさあ…。」

 

 ぷくーと永琳は頬っぺたを膨らませる。健人は苦笑いしながら永琳に語りかける。

 

健人「…永琳さん、なんか変わったよね。前はロボットみたいで怖かったけど、今は別の意味で怖い(笑)」

 

ドカ、バキ、ボコ、

 

 

永琳「どういう意味…?」

 

健人「そんな悪い意味じゃないよ!殴らないでよ、痛いなーもー」

 

 健人は戯けたような笑みから一転、真面目で穏やかな表情になった。

 

健人「ハク君が来てからさ、永琳さん優しくなったよね。なんて言うのかな、表情?雰囲気?前までは残酷なこと平気で言うんだもん、全部正論だったけどさー。だから、大切にしてあげなよ、ハク君のこと。もう、そんな子とは出会えないかもしれないから…さ」

 

 道場に冷たい夜風が吹き抜ける。衣服や髪が揺れ、確信を突かれたかのように体が震える。

 

健人「そんだけ…。じゃあ、僕は依姫ちゃん送ってくるから、ハク君のことよろしくねー」

 

 

 

 

 

依姫(き、きゃあーーー!なんかすごいことになってるぅーー!?)

 

 あ、どうもこんにちは。私の名前は綿月依姫、世間ではまじめで通っている私ですが、人には言えない趣味がありまして…。

 

依姫(この前の昼ドラで見た展開そのままだー!三角関係だー!本当に実在したんだー!!)

 

 そう、私は昼ドラが大好きである。あの女と女の泥沼の戦い、ヒロインを取り合う男たち、そして修羅場…、ああなんかもう最高である(語彙力)。

 

依姫(これって"俺は君を変えてあげられなかった、でもソイツなら…君を変えてくれたソイツとなら幸せになれる…。だから、幸せになれよ"ってことじゃないですか!やだー!でも絶対にあとで好きって気持ちが捨てきれなくて戻ってくるパターンですよね!そうですよね!)

 

 

健人「…何はしゃいでんの、依姫ちゃん」

 

依姫「はうわあっ!?え、ははははしゃいでなんかいいませんよよ!わ、私はまじめですからね…、まじめ…うん、まじめ」

 

健人「?よくわかんないけど、帰ろうよ」

 

依姫「え、ええそうですね!帰りましょう、帰りましょう!…ガラガラガラっ!おじゃましました!!」

 

健人「依姫ちゃん、そこ押し入れなんだけど…」

 

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼

 

永琳「私って、変わった…のかしら」

 

 道場を出て、眠ってしまったハクを背負いながら家へと帰る途上、永琳は健人から言われたことを思い返していた。“もう、そんな子とは出会えないかも”、か。自分でもそう思う。

 

 

物心ついた頃から、私には親がいなかった。死んだのか、それとも赤子の私を捨てたのか、今となっては知る由もない。月の都もまだ存在しておらず、その頃はまだ血の境界線もなかった。そう、妖怪と人間が混在していた時代である。あの頃の人間たちは人を喰らう妖怪を恐れて、小さな村を作りそこで生活をしていた。度々襲い来る妖怪を撃退しながらたくましく生き抜いていたのである。そんな中、ある者たちが天から降りてきた。

 

“天孫”__彼らは自分たちのことをそう称した。彼らはバラバラに存在していた人間たちの村をまとめ上げて一つの都市を造り、彼らの故郷にあやかってそこを“月の都”と名付けた。そのような折に、私は“ツクヨミ様”に拾われたのだった。ツクヨミ様と言っても今のツクヨミ様とは違う、彼のお祖父さんだ。初代ツクヨミ様はそれはそれは強い人だった、並大抵の妖怪では傷一つつけることは出来ずに殺され、それでいて人々に優しかった。この人望が人間たちをまとめられた理由のひとつだろう。初代ツクヨミ様は私に古今東西の知識を詰め込んだ。彼が親代わりで、何か恩を返したいと思っていた私もそれを望み、昼夜問わず勉学に熱中した。そののち、私は"月の都の頭脳"と呼ばれて彼の横に立っていた。孤児だった私は、彼の右腕として国政を支えるまでに至ったのである。しかし、そんな日々にも終止符が打たれることになった…。

 

"人妖大戦"ーー。はっきり言ってこの戦いで初代ツクヨミさまが亡くなったのは私のせいだ。彼の強さを過信した私は、効果的な作戦として中央のツクヨミ本隊で敵を引きつけて左右の軍で包囲する策を献じた。…今考えると自分のことを殴り倒したくなる。なぜ囮部隊がツクヨミ様でなくてはいけなかったのか、敵を釘付けにする為とはいえツクヨミ様を危険に晒すことは最も避けるべきことではなかったのか!彼は、私のことを可愛がっていた。実の娘のように可愛がっていたんだ…!だから、この策は採用された…。

 

人妖大戦が、天孫・白狼・鬼側の勝利に終わり、諸々の戦後処理が済んだ後、私は軍法会議にかけられた。ツクヨミ様の死の原因が私にあるのは確かだった。私は潔く死刑に処されようと覚悟して出席していた。しかし、その中で、ツクヨミ様が最期に残したという言葉が読み上げられたのだった。

 

 

"八意永琳は有能である、罪を許して厚く用いよ"

 

 

私は涙が出た。涙が止まらなかった。そして深く誓った。この人の一族、何世代何十世代何百世代に至ろうとも!深く!恩を尽くして仕えようと…!そう…誓ったのだった。

 

 

 

 

 

 

永琳「それから私は、少しのリスクも冒さなくなった。何よりも主君であるツクヨミ様の為に、どんなに冷酷なことも、それが必要であるならば容赦なく実行した。そんな私をいつの日からか、人々は"魔女"と呼んだの…。ふふっ、そりゃそうよね」

 

 街灯りが遠くなり、いつしか永琳の家の前まで来ていた。

 

永琳「"月の都の頭脳"…なんて、昔の異名で呼んでくれてるのは今のツクヨミ様だけよ…ほんと…」

 

 

永琳「ねえハク、私ね…貴方を()()()()()()と思うの。月に移住したら、一緒に暮らしましょう?今度は実験体じゃなくて私の息子として」

 

永琳「私…家族が居たことなんて……、おじいさまとは確かに家族みたいな関係だったけど、養子縁組したわけじゃないし…。だからね、家族って初めてなの。でも、貴方とならなりたいわ、家族に……」

 

 永琳は深く息を吐いて、頭を左右に振った。

 

永琳「…駄目、これじゃ私のわがままじゃない…。ちゃんとハクの気持ちも聞かなくちゃ、仇討ちのこともあるんだし…、寝てる貴方に話してもね。えへへ…」

 

 キーロックを外して玄関の扉を開ける。そしてそのまま家の中に入り、電気を点けた。

 

永琳「また、改めて話すわね…。なんか沢山話して疲れちゃったわ……ふわあ…。早く寝ましょ」

 

 リビングに入ってきた永琳はハクをソファーに寝かせて、自分はテーブルに顔を伏せて眠ってしまった。

 

 

 

 

 




【補足】

正眼の構え:中段の構え方で刀の切っ先を相手に向ける。剣道でよくとられる構え方。

※健人との修行シーンの剣の振り方などは、門外漢がそれっぽいこと言ってるだけですので、当てにしないでください。


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第十五話 ハクの気持ち


 登山家“ジョージ・マロリー”。彼が世界初のエベレスト登頂を果たしたのかは未だに謎である。彼はエベレスト頂上付近で行方不明になり、そこから75年もの間発見されなかった。

「なぜエベレストに登るのか」

 生前、彼はこの質問にこう答えた。

「そこにエベレストがあるから」



 一つの気持ちが、一つの強大な存在に立ち向かう原動力となったのだった。





 あれからもオレは忙しい修行の日々を送っていた。朝早くに出かけて帰って来る時には深夜近く、だからなのか最近ヤゴコロがやけにオレのことを心配してくるようになった。体の不調があったらすぐ言いなさいとか、普段料理もしないのに急に弁当作って渡してきたり、…何かあったんかなあの人。まあとにかく、充実した日々を送れてるのは事実だ。その証拠に、今日も元気に道場へ向かうオレがいる。

 

主「そういえば、今日午前中は師匠いないんだったよな。兵士の調練があるとか何とかで」

 

 師匠がいない時は依姫とオレで自主練だ。依姫の剣技は、当たり前だが最近始めたオレよりも上で、彼女からも多くのことを学べる。だから、師匠がいないからといって気を抜くわけにはいかないのだ。

 

主「よし!そうと決まれば、道場へ急ぐぞ!」

 

 そう思いハクは足を速める、がしかし、ハクの行き先をふさぐように立ちはだかる一人の少女を目の前に見つける。綺麗な黒髪をした彼女は、貴族のような桃色の装束を纏い、ハクのことを見据えていた。

 

主(…なーんか嫌な予感がする。アイツには関わらんとこ…)

 

 ハクがその少女の横を通り過ぎようとした瞬間、突然左腕を掴まれた。

 

主「!?な、なん!?」

 

?「…あなた、永琳のところの居候でしょ?」

 

 なんで知ってるんだ、そのような疑問をよそに少女は言葉を続けた。

 

?「ふふふ…、驚いた顔ね。何で知ってるのかって言いたいのかしら?」

 

 無言でこくこくと頷くハクに、少女は彼の胸ぐらをつかみながら答えた。

 

?「…こっちはねぇ、永琳から毎日毎日あんたの話されて、もううんざりって位に聞かされ続けてるからよ!!」

 

主「いや、それって…ただの八つ当たr」

 

?「八つ当たりぃ!?ええ、そうでしょうね、八つ当たりでしょうね!…もう我慢できない、あんた!ちょっとこっち来なさい!」

 

主「え…、でもオレこの後用事が」

 

?「知るかそんなの」

 

主「ええ…」

 

 

 

~道場~

依姫「………。」

 

 

 

 

 

?「さあ!着いたわよ!遠慮なくお邪魔しなさい!」

 

主「………なんじゃこりゃあ」

 

 ハクが連れて来られた場所は、立派な御殿が建ち並ぶ貴族街であった。その中でも一際大きい屋敷、そこに少女は入って行ったのである。

 

主「やっぱ…ヤゴコロ、お前何もんだよ…」

 

 こんなお嬢様とも付き合いがある、永琳の凄さに改めて気づかされた。

 

 

 

 

~道場~

依姫「………遅いですね、ハクさん…。」

 

 

 

 

 

 

 客間のような部屋に通されたオレたちは互いに向き合って座る。ここに来るまでやけに長い廊下を歩かされ、何十人とも分からない使用人に挨拶された。途中に見えた庭には枯山水の侘び寂びが広がり、一切の不備も見当たらない。恐らく先ほどの使用人たちが毎日せっせと仕事に充実している賜物だろう。そう感心していると、少女が話しかけてきた。

 

?「さて、早速だけどあなたのことを話してもらうわよ」

 

主「話す前に…、まずお前の名前が知りたいんだけど」

 

 

?「あら失礼。(わたくし)、天孫四大貴族がひとつ、蓬莱山家の子女で名を“輝夜”と申します。以後、お見知りおきを」

 

 そう気品に溢れたお辞儀をする少女は洗練された形式を終えて顔を上げると、先ほどの怠そうな表情に戻った。

 

輝夜「ああ~だる…。永琳に、何事も自己紹介だけはしっかりしなさいって言われてるのよ。別にタメで話していいし、私もこんな感じだから」

 

主「ああ…そうですか。って、オレのこと聞きたいって言うけどヤゴコロから聞いてるんだろ?何でわざわざ話さなきゃいけないんだ。」

 

輝夜「あなたの口から聞きたいのよ、ハク。永琳が、何でそこまであなたに入れ込むのか、知りたいの」

 

 ずいっと顔を近づけて、探るようにハクの瞳を見つめる輝夜。しばらくして微笑むと、姿勢を戻した。

 

輝夜「…どうやら悪い奴じゃなさそうね。じゃ、質問ね。あなたはどこから来たの?」

 

 …困った。そういう質問には答えにくい。流石に境界線の向こうから来ましたとは言えないし、どうしたものか。

 

輝夜「………もしかして答えにくい?」

 

主「え!? あ、ああ…まあ、そうだな…。」

 

輝夜「ふーん…、…失礼だけど、あなた孤児?」

 

主「う…ん…、そう、なるかな…」

 

 それを聞くと輝夜はどこか得心したような表情を浮かべ、握りこぶしを左手のひらにとんっと置いた。

 

輝夜「成程ね…。永琳があなたを気にいった理由…、それはあなたたちの同じ境遇にあるのかもしれないわね。」

 

主「同じ…境遇?おい、それは一体どういう…」

 

輝夜「…あら、聞かされてないのね。…永琳はね、孤児なのよ。あなたと同じ」

 

 

 輝夜は永琳の生い立ちから今に至るまで、彼女が知る全てのことをハクに話した。その間ハクは真剣にその話に耳を傾けて聴いていた。

 

 

 

 

 

 

~道場~

依姫「………、本当に遅い。何してるんですかね?ハクさん…。」

 

?「お疲れ様、依姫」

 

依姫「きゃあっ!?…て、豊姫姉さま!?」

 

 突然後ろから声をかけられた依姫が驚いて振り向くとそこには、薄緑がかった金髪に、紫色のリボンが付いた白い帽子を被った少女が立っていた。手にはバスケットを持っている。

 

豊姫「驚かせてごめんなさい、依姫。」

 

依姫「もう!能力で後ろに瞬間移動するのはやめてくださいっていつも言ってるじゃないですか!」

 

豊姫「ふふふ…、あなたを驚かせるのが楽しくてつい、ね」

 

 おしとやかに微笑みながら持ってる扇子で口元を隠す豊姫。

それはそうとして、豊姫は話を切り替える。

 

豊姫「ところで、差し入れを持ってきたのだけど。今日はどうしたのかしら?そんなところに座って、」

 

依姫「あ!そうなんですよ、聞いてください姉さま!今日一緒に鍛練するはずのハクさんがまだ来てなくてですね…」

 

豊姫「ハク?」

 

依姫「…そういえば姉さまは会っていませんでしたね。さいきん道場に入って来た人で、ともに鹿島さまのもとで修行してるんです!」

 

豊姫「ああ、依姫が言っていた人ね…成程。その彼がまだ来ていないのなら…じゃあ、探しに行きましょうか」

 

依姫「え…でも、私たちが出かけてる間にハクさんがここに来るかも…」

 

豊姫「そろそろ、お昼でしょう?鹿島様も帰って来ますし、大丈夫よ。行きましょう」

 

 彼女らは道場の外にハクを探しに行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 輝夜の話も終わり、オレは蓬莱山邸を後にする。

最後に輝夜から聞かされた話“2週間後、私たちは月に移住する”、その中にはヤゴコロも含まれていた。もし、これからの2週間、九頭龍晴景たちが月の都を襲っても襲わなくても。オレは身の振り方を考えなければいけない。

 

正直、ヤゴコロには感謝している。彼女との生活も悪くはないと思うし、充実もしている。彼女がオレのことを気に入ってくれてるのは輝夜から聞いた、恩も返したいとは思うが、それは今じゃない。

 

やっぱり、オレが生きる意味は仇討ちなのだ。鬼族を見つけ出し、彼らと協力して九頭龍晴景と木花咲耶姫、この二人を必ず殺す。これに尽きるのだ。

その後に、オレはヤゴコロに恩返しをしたい、だから、今は一緒には行けない。この事を今夜伝えるつもりだ。

 

 

 

主「…あ」

 

 そういえば道場忘れてたーーー!思わず頭を抱えるハクに、遠くの方から声が聞こえる。

 

依姫「あ!ハクさーん!」

 

主「依姫!?なんでここに…?」

 

 手を振りながら走ってくる依姫とその後についてくる少女。ハクは彼女がここにいることに驚きを隠しきれず、またもう一人の少女が誰なのか、近寄ってきた依姫に問いかけた。

 

主「よく居場所がわかったな…。それに後ろの人は一体…?」

 

依姫「居場所は、ぐうぜん輝夜さまに引きずられていくハクさんを見かけた、ダンゴマスターさんに聞きました!そして…」

 

「自分で説明するわ」

 

 依姫が後ろを向き、少女のことを説明しようとすると、依姫の言葉をその少女が遮った。

 

豊姫「初めまして。いつも妹がお世話になっております、依姫の姉の“綿月豊姫”です。」

 

 優雅に両手でスカートを摘まみお辞儀をする豊姫。

 

主「ああ依姫のお姉さんか!いえ、お世話になってるのはむしろこちらの方ですよ」

 

 ハクもそれに対して頭を下げる。そして、依姫の方を向いた。

 

主「…い、いやあーごめんね。道場に行く途中でちょっと輝夜に絡まれちゃって…」

 

 

依姫「ああ…」

豊姫「気の毒に、まあ」

主「?」

 

 

依・豊「「輝夜様(さま)のなさることですからね…」」

 

 

主「…」

 

 輝夜、お前周りからどんな認識なんだよ…。そう思ったハクであった。

 

 

 

 

 

…ちなみに道場へは、豊姫の“山と海を繋ぐ程度の能力”を使って帰った。

 

 

 

 

 

 




【補足】

四大貴族:天孫のなかでも最も力を持つ4つの貴族のこと。蓬莱山家、綿月家、犬鳴家、鞍馬家の4家が挙げられる。
 ・蓬莱山→古代中国における伝説上の山が元ネタ(山)
 ・綿月→日本神話の神“ワタツミ”が元ネタ(海)
 ・犬鳴→メソポタミア神話の神々“アヌンナキ”が元ネタ(空)
 ・鞍馬→インド神話の神“ブラフマー”が元ネタ(宙)

山と海を繋ぐ程度の能力:量子論を応用した瞬間移動の能力。


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第十六話 決意の夜


 事実は、果たして正しいことなのだろうか。人は言う「噓も方便」であると。噓は基本的にはいけないことだが、“時と場合”によってはそれが相手のためになるという。これを唯のエゴイズムだと片付けてしまうのは、自らの木の枝を折ってしまうのと同義であろう。故に、木に剪定は必要なく、ただ悠々に繁らせればよいのだ。





永琳「ふふっ…♪」

 

 最近、毎日が楽しい。今も鼻歌まじりに料理をしているし、誰かの帰りを待つ感情がこんなにも素晴らしいものなんて、少し前の私なら一生気づかずにいただろう。生きる意味なんて、主君への忠義と自身の研究でしか見いだせなかった私。だが、今はそれに加えて“ハク”がいる。一緒に暮らす“家族”がいる。

 

 まだ家族だなんて気が早い。そう…今夜話そうと思う。私の思いを、私の願いを。

彼に押しつけてしまわないかは心配だが、私が心から願ったことだ、正直に彼に伝えよう。でないと、絶対に後悔する。

 

永琳「…まだ、かなぁ」

 

 

 

 

 

 

 豊姫の能力で道場に戻ったオレたちは、彼女が持って来てくれた差し入れを、帰って来ていた師匠とともに頂いて午後の鍛練へ。

どうやら師匠はオレに“鹿島の剣”なる剣術を、この短期間で叩き込もうとしているらしい。どのようなものなのか師匠に尋ねてみたが、会得してからのお楽しみとのことなので素直にそうすることにした。焦りは良くないし、でしゃばるのも駄目だ。オレが早く強くなるためには謙虚な姿勢が大事なんだと、そう思う。

 

そんなこんなで鍛練が終わり、オレは家への帰路についていた。…今夜、ヤゴコロにオレの決意を話そうと思う。正直、彼女には世話になりっぱなしだ。衣食住の提供から、修行先の紹介、それに…小遣いも貰ってる。その上でまだ願いがあるのかと怒られそうだが、誠心誠意に話をして、仇討ちを果たした後に恩返しをすることを認めてもらおう。

となれば、早く家に帰ろう。今日もヤゴコロが慣れない夕飯の支度を頑張っている…、まあ片付けは相変わらず出来ないので、皿洗いはオレの担当だが。

 

 

 

 

 

主「ただいま」

 

 帰宅したオレは玄関先でそう呟くように呼びかける。それに反応し、トタトタと奥の方から足音がしてきて永琳が姿を現す。

 

永琳「お帰りなさい。ご飯、できてるわよ」

 

主「ん、…そうか」

 

 話は飯食べた後でいいか…。

 

 

 

 

 

 

主「…なあ、“永琳”」

 

 夕飯も終わりオレが皿洗い、永琳がコーヒーを飲みながら書類整理をしている時に、オレは永琳に声をかけた。

 

永琳「んー? ……!? ぶっ!」

 

 永琳は返事をしたかと思ったら突然コーヒーを吹き出した。

 

永琳「ゲホ!ゲホ!ゲホ!」

 

主「え、どうしたん」

 

永琳「あ…貴方、今"永琳"て…」

 

主「…別にいいだろ、そう呼んだってさ」

 

 恥ずかしそうに頭を掻きながら答えるハク。その様子に驚きと若干の喜ばしさを抱きながら、永琳は話を切り出そうとする。

 

永琳「…ねえ、は「永琳、話があるんだ。」…え?」

 

 ハクは少し緊張した面持ちで永琳が座っている椅子の向かいに座る。彼のその様子は今まで見たことのないものだった。

 

永琳「な、なに?そんなに畏まって…」

 

 

主「月移住計画のこと、輝夜から聞いたよ。」

 

 唐突に発せられる月移住計画の名。

永琳は顔を強張らせながらハクに少し目線を合わせて、伏せた。

 

永琳「そう…なの…。ごめんなさい、私から伝える事だったわよね」

 

主「それは気にしてない。それより、オレの話を聞いてくれ」

 

 ハクは強い意志のこもった眼で永琳を見た。

 

主「まず…、オレは一緒には行けない。地上(ここ)でやるべきことがまだ残ってるんだ。すまない」

 

 テーブルに手をつき頭を下げる。

 

永琳「…ええ、大丈夫よ謝らないで。貴方の覚悟は元から知ってるから」

 

 そう言いながら永琳は少し寂しそうに微笑む。その表情にハクは心を動かされるが、言葉を続けた。

 

主「でも色々、オレのすべきことが終わったらさ、(そっち)、行ってもいいかな?永琳に恩を返したいんだ。」

 

永琳「…! 来て、くれるの…?」

 

主「おう、世話になってるし、今も迷惑かけっぱなしだしな」

 

永琳「迷惑だなんて、そんな…!」

 

主「そう言ってもらえてありがたい。でも、永琳がいなかったらオレはあの時に死んでた。あの時、出会った人間が永琳じゃなかったらオレは生きていないよ。…オレを助けた感情や動機がどうであれ、ね」

 

 へへっ、と笑うハク。無邪気だが、最初に出会った頃と比べて随分と大人びて見えた。

 

主「だから、感謝…してる。あなたはオレの恩人だ。改めてお礼を言う、ありがとう。」

 

主「必ず、目的を果たして戻って来るから。」

 

 

 

永琳「………」

 

主「永琳?」

 

永琳「死なない…?」

 

主「え…」

 

 

 

 

永琳「貴方は、死なないわよね?ハク…」

 

 悲壮に満ちた永琳を見た。

瞬間、ドクンと心臓が跳ねる。その言葉の意味をハクは知っていた。

 

ハク(…オレを、失うのが怖いのか…?)

 

 輝夜から聞いた話。永琳は昔、父と慕っていた人物を戦争で亡くしている。このことに起因しての発言なのは明らかだった。

 

ハク(確かに永琳の言う通り、オレが仇討ちの後に生きてるなんて保証はどこにも無い。つまりは永琳に恩返しできる保証なんて無いに等しいんだ!…思慮が浅かったか)

 

永琳「下を向かないで!」

 

 突然の声にハッとして顔を上げる。そこには椅子から立ち上がった永琳がいた。

 

永琳「前を見ろ!先を見通せ!上を見ろ!天を見渡せ!今、この場所で生きてる貴方は何者なの!答えなさいっ!」

 

 鬼気迫る文言の数々。それを吐き出す永琳は涙目だが溌剌(はつらつ)としており、圧のこもった態度を示した。驚いたハクの表情は唖然としながらも、その頭は問いに対する答えを出した。

 

主「狗剱、ハク…」

 

永琳「っ…そう!貴方は狗剱ハク!両親を殺され故郷を失い、それでもその命の炎を絶やさずに仇討ちに燃える妖怪!その道に義の文字あれど不義の二文字はなく、またその王道を遮ろうとする如何なる有象無象も意味をなさない。よって…、私のっ、思いも唯の小事である!」

 

主「そんなことは…!」

 

永琳「この私にここまでの(げん)を吐かせる者よ!胸を張りなさい。私は貴方に賭けたの、…必ず生きて帰りなさい。返事は一つしか認めないわ」

 

 そう言い切った永琳は肩で息をする。虚勢である、一見剛毅に見える彼女はその実、サバナに一匹取り残された小動物の様に震えていた。ハクはその様子に一考の余地を持つも、先ほどの理路整然たる言葉に心染み入って、唯一の答えを述べた。

 

主「わかった」

 

 この一言で充分であった。そうと零して椅子に座り直す永琳は、再び卓上の書類に目を通し始めた。

認めて貰えた。オレの覚悟を永琳に認めて貰えたのである。キッチンの仕事に戻るべく椅子から立ち上がったオレはそこへ向かう。リビングから出ようとする時、永琳に引き留められた。

 

主「…どうした」

 

永琳「貴方の仇討ちが終わって無事に私の元に戻ってきたら、ね。…私貴方に話したいことがあるの」

 

 さっきの様子とは打って変わり、気恥ずかしそうに視線を逸らしながらそう言った。

 

主「今じゃ、ダメなのか?」

 

永琳「…うん、ダメ」

 

主「?…まあよくわからんが、おう」

 

 永琳の言葉を聞き届けたハクは自分の仕事へと戻った。ふう、小さく息を漏らす。

 

永琳(…ハクの負担になりたくないもの、私のお願い事はもう少し先ね。)

 

 心に仕舞った永琳だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから幾日か____

 

 

主「はあッ!!」

 

健人「っ!」

 

 ハクは大きく成長していた。元来の妖怪という種族上の優位を加味しても、兵士長 鹿島健人と打ち合える人間というのは少ない。それもこの数日で、である。鋭く、それでいて滑らかに撃が炸裂する。その様に健人は少し口角を上げて竹刀を振るう。何度か、ハクの竹刀が健人を捉えようとする場面もあったが、健人は涼しい顔で避け続け、遂に彼の竹刀がハクの喉元へと突き立てられたことにより試合が止まった。

 

主「はあっ、はあっ、…参りました」

 

 ハクは自分の竹刀を相手から引き、一礼をした。

 

健人「うん…。それにしても凄いねー、最近。まるで別人かと見間違うほどだよ。…さては、何かあったでしょ?」

 

主「ふう、…ええまあ」

 

健人「ふふふ…、いいことだね。この調子なら鹿島の剣の習得も近いでしょ。さて、もうひと試合といこうか」

 

主「はいっ!」

 

 それからも道場には竹の打ち合う音が聞こえ続けた。

 

 

 




【後書き】

 物語もそろそろ最初の山場を迎えそうです。あと2、3話挟んだら今までの伏線(気づいてくれてるか分からないけど)を回収するパートが始まります。ごちゃごちゃっとせずに、分かりやすく書きたいですね。

 今更ですが、この欄では本文で出てきた用語の解説や細かい設定などを記述しております。そのような要素がない場合には、私の他愛もない文章が羅列してあるだけなので、ここを読まなくても本文さえ読んで頂ければ物語上の不便はないように気を付けていますが、もしそのような部分があれば“感想”などにて作者に伝えてもらえるとありがたいです。

 物語が一つの区切りを迎えましたら、この作品における世界観や人物紹介などをまとめたいと考えています。


 ではでは、これからも「東方白狼伝説」をよろしくお願いいたします。


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第十七話 嵐の前


 アメリカのスペースシャトル"チャレンジャー号"。同機は7名の宇宙飛行士たちを乗せて1986年1月28日に打ち上げられた。そして、そのわずか73秒後に爆発して、空中でバラバラとなった。

 乗組員7名全員が死亡し、アメリカ宇宙開発に残る大惨事となったこの事故だが、原因は何だったのだろうか。

 それは、ひとえにNASA幹部らの怠慢だと言えよう。機体の欠陥を黙認し、技術者たちの警告を無視した。

 そしてこの17年後、また悲劇が起こることになる…。

私たちはこれらの事故を、亡くなった宇宙飛行士たちを忘れてはいけない。





主「マスター!ダンゴ、3本もらえる?」

 

 太陽が南中を通り過ぎ、緩やかな時が流れる昼下がり。人通りもまちまちな商店街の一角に炭の焼ける音が響く。その元である“マスター”と呼ばれる店主が営むダンゴ屋に、ハクは訪れていた。

 

マスター「おう、まいど!…ハク、お前さんもすっかりこの街に馴染んできたじゃねえか」

 

 目線は両手でくるくると回すダンゴから外さずに、でも意識はしっかりとハクの方を向いている。職人だな、そう感心するハクは柔和な笑みを浮かべながら答えた。

 

主「はい、おかげ様で。何とか頑張ってます」

 

マス「いやあー、たっちゃんとこで修行してるって聞いた時は驚いたぜ…。あそこの道場はキツイだろお?」

 

主「ええ…でも自分のためですから。」

 

マス「くうーーーっ!えらいこというじゃねえか!ま、応援してるからよ………ほい、3本な」

 

主「ありがとうございます、…これお代です」

 

マス「おう!また来いよ!」

 

 マスターからダンゴを受け取ったハクは、店の前の長椅子に腰かけながらダンゴを食べ始めた。思えば、妖怪のオレがこうやって人間に紛れてダンゴを食っているこの状況。あり得ないよな、本当…。数奇な運命ともいうべきか、何というか。

 

?「あら、ハクじゃない」

 

主「ん、…輝夜?」

 

 声をかけてきたのは桃色の着物に綺麗なストレートがかかった黒髪の少女、永琳の教え子である蓬莱山輝夜であった。彼女はマスターに景気よく注文をし、自分はハクの隣へと腰かけた。

 

主「おまっ…、なんでここにいんだよ」

 

輝夜「あら、いちゃいけないのかしら?私ここのダンゴ好きなのよね」

 

主「そういう意味じゃねーよ。…お前一応はお嬢様なんだから、こういうのは召使いとかに買ってきてもらったらいいじゃん」

 

輝夜「お生憎様、そういうのは嫌いなの。……で、どうかしら?修行うまくいってる?」

 

主「んー…自分で言うのもなんだけど、順調だよ。この昼休憩が終わったら師匠と一騎打ちでさ………て、なんで修行の事知ってんの」

 

 

輝夜「えーりん」

 

主「しってた」

 

 2人で笑い合うと丁度ダンゴが運ばれてきた。輝夜はお淑やかにはにかんで受け取ると、もぐもぐ食べ始めた。

 

輝夜「これよ、これ。この味が凝り固まった貴族お抱えの料理人には出せないのよね…ほんと」

 

 休憩時間の終わりが近づいてきたハクは、立ち上がると残っていたダンゴを口の中に放り込んだ。それを急いで咀嚼し、輝夜に手を挙げて別れの挨拶をすると道場の方へ走って行った。

 

輝夜「…忙しないわね。まあ、明後日だものね…頑張りなさい、ハク」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~道場~

 

健人「やあッ!…はは、いいよいいよ!!」

 

主「くっ…、うらああッ!!」

 

 ここの道場主である鹿島健人は高揚していた。

本当に、この子は、なんて子だ!僕が何十年もかけた剣術の数々をみるみるうちに吸収して、この僕に()()()を出させるなんてね!

 

健人「“一之太刀(いちのたち)”」

 

主「!」

 

 健人は竹刀の柄を顔のすぐ横に近づけて切っ先は天井に向けた。道場の中に一瞬の静寂が訪れる。そしてそれを遮ったのは、振り下ろされた竹刀の嘶き(いななき)であった。

 

 

健人「!」

 

主「づッ!あぶねーーっ!!」

 

 健人の竹刀は空を切った。

 

主「だりゃあッ!!!」

 

 隙を突いたハクは横に薙ぎ、避けきれないと悟った健人はそれを竹刀で受け止めた。ハクは初めて健人に自分の攻撃を受け止めさせたのである。

 

依姫「うわああっ!!」

 

 その時、傍で2人の打ち合いを見ていた依姫が大声を上げた。

 

主「うお!?て、どうしたんだよ依姫。んな大声出して…」

 

健人「………うん、打ち合いはここで一旦終了。ちょっと待っててねハク君」

 

主「え?あ、はい」

 

 健人はそう言うと道場の奥へと引っ込んでいった。何してんだろとハクが思案していると、わなわなと肩を震わせた依姫がハクに近寄って来た。

 

依姫「す、」

 

主「“す”?」

 

依姫「すっっっごいですよハクさん!!!」

 

 依姫が目をキラキラさせて前のめりにそう言う。一体何がすごいんだ?よくわからん。

 

依姫「すごいすごい!鹿島様に“一之太刀”を使わせるなんて、しかもそれをよけてしまうだなんてっ!私だってまだ使ってもらったことないのに…」

 

主「い、いやあ…あれはたまたまというか、偶然避けられただけで」

 

健人「戦場にたまたまも偶然もないよ、ハク君」

 

 奥から健人が現れる。手には何やら脇差を持っていた。

 

依姫「あ!鹿島様、それって…」

 

健人「うん。おめでとうハク君、“鹿島の剣”無事に習得できたね」

 

主「へ?」

 

 思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。一瞬頭がフリーズするハクは、徐々にその機能を取り戻していった。

 

主「え、強そうな必殺技は?カッコいい奥義とかは?え、」

 

健人「……ハク君、一体どんなものを想像してたんだい…」

 

 いやだってあんだけ勿体ぶられたらそりゃ期待もするでしょうよ!…ん?待てよ、まさか師匠の持っている刀がなんかすごい刀だったり。あり得る、あり得るぞ!

 

 

主「師匠!そのt「違うよ」 あっ違う…」

 

 

健人「ははは、ハク君も何だかんだ言ってまだ子供なんだね。ごほんっ。“鹿島の剣”とは…、もう君の中にあるものさ。」

 

主「?」

 

 

健人「君が今日まで僕に教えられてきた諸々のこと…、それを全て活かして僕の“一之太刀”を避ける、これが鹿島の剣の習得方法さ。」

 

健人「最強の技などなく、ましてや古今無双の奥義なんてものはない。だけど、“負けない剣”をつくることはできる。僕が教えたことを全て活かせば、どんな状況でも勝てはしないかもしれないけど、決して負けることはない。それが鹿島の剣の教えだよ」

 

 

主「………」

 

健人「で、これはその証。受け取ってくれるかな」

 

 一変して真剣な面持ちとなったハクは差し出された脇差を一目し、片膝をついた。

 

主「有難く」

 

健人「うん」

 

 

依姫(いいなあ…。私も、もっとがんばらないと!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 次の日。月の都は大忙しだった。

 

「おーい!そっち、終わったかー!」

 

「はい!」

 

「よーし!」

 

 月への遷都前日であるためにロケットの開発者たちは各種点検に追われていた。

 

「八意様!第1、第2スラスターともに異常はありません。」

 

永琳「そう、ご苦労様。…ねえ!誰かデッキの操縦パネル動かせる人いる?動作確認がしたいのだけど」

 

「じ、自分っ行ってきます!」

 

 若手の作業員が駆け足でロケットの乗り込み口に駆けていく。その様子を見ながら永琳は今日までの事を振り返っていた。

 

永琳(全4機のロケットは…大丈夫、明日に間に合う。問題は、九頭龍晴景たちか…。今日までに彼らに目立った動きがあったとは聞いていないし情報も漏れてないはず、おそらく大丈夫でしょう。)

 

永琳(…それにしても明日でお別れか。暫く会えなくなるわね、ハク。)

 

『八意様、デッキに到着いたしました。指示をお願いします!』

 

永琳「…ええ、分かったわ」

 

永琳(大丈夫よね………きっと)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~???~

 

「ほほほ…。準備は整っておるかえ?」

 

 仄暗い洞窟の中にどこか気品の溢れた男性の声が響く。松明に照らされた彼の姿は貴族のようであったが、その下半身は大きな蛇であった。妖怪である。

 

木花「万事、順調だ。…()()からの情報だと、どうやらこちらの動きは人間たちには伝わっていないらしい。」

 

 傍らに侍っていた木花咲耶姫はそう答える。それに強く頷くと彼は立ち上がった。

 

「…時は満ちた。では、行こうとするかの」

 

 

 じめじめとした薄暗い洞窟を外へ出るために進む2人。やがて辺りの光量が多くなり、それにつれて地鳴りのように響く声が聞こえてくる。クレッシェンドしていくその大勢の声は、彼らが洞窟を出るのと同時に最高潮に達した。

 

「「「「 オッ!!オッ!!オッ!!オッ!! 」」」」

 

 …見渡す限りの妖怪妖怪妖怪。その数、優に万を超えていた。

 

「皆の衆ーーーーッッッ!!!!」

 

 彼が一言叫ぶと、辺りは一転虫の声も聞こえるような静寂に陥った。

 

「賽は…投げられた。我ら“大蛇(おろち)族”が人間共を皆殺し、天下を統べる時がきたのである。では、」

 

 上げた右腕を前に振り下ろす。

 

 

「全軍ッ!前進!!!」

 

 ザザッと妖怪たちが方向を変える。皆その眼は血走って静かな息遣いが聞こえる。

 

 

「目指すは血の境界線のその先、月の都である!」

 

 

 

月の都に戦火が迫っていた…。

 

 

 

 

 




【補足】

一之太刀(いちのたち):鹿島健人が使う、刀の柄を自身の顔の横に近づけて、切っ先を上に向ける構えのこと。ちなみにこれはあくまでも"構え"であり、ここから様々な技を繰り出すことが出る。本編でハクに対して繰り出したのはこの構えからのただの斬り下ろし。元ネタは戦国の剣豪 塚原卜伝(つかはらぼくでん)の"一之太刀(ひとつのたち)"。

鹿島の剣:"負けない剣"としてその名が通る。38の体捌きと56の手の内によって構成されている。これらを全て活かせれば、どのような状況でも打開できるとされる。

スラスター:ロケットの推進装置。

大蛇族:三大妖怪の一つに数えられる上半身が人、下半身が蛇の妖怪。人妖大戦を引き起こした首謀者の種族。


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第十八話 火急を告げる鏑矢

 戦争に悪など存在しない。彼らは互いに各々の正義を掲げているからだ。

「勝てば官軍 負ければ賊軍」これ程人間界の弱肉強食性を表した言葉はないだろう。そう、歴史とは“官軍”が作るものだ。

 私は歴史を愛している尊んでいる。その陰に埋もれた存在も知らずに…





主「じゃあ…永琳、世話になったな。」

 

 早朝の八意永琳宅、そこでは玄関に立つ永琳とそれを見送ろうとするハクがいた。永琳が靴を履く背中を見ながらハクは名残惜しそうにそう言った。

月移住計画、その決行日である今日。ロケットの発射は正午を予定しているが、開発責任者である永琳はそれよりも前に到着し準備を進めなくてはいけなかった。そのため、実質彼女とハクはこの瞬間を以て暫くの別れということになるのである。ちなみに事情を知る師匠には昨日のうちに別れは済ませてる。その他、依姫・豊姫・輝夜には、この事は伝えずに去るつもりだ。彼女たちにはうまく説明しといてくれと永琳と師匠にはお願いしといた、きっとうまく言ってくれるだろう。

 

結局妖怪たちは攻めてこなかった。ハクは永琳たちが出発したのちに月の都を出て、血の境界線を越え、いなくなってしまった鬼族を探す旅に出る。そして彼らと協力し、ハクの仇である九頭龍晴景と木花咲耶姫を討つ…。それまで永琳とは会えないのだ。

 

永琳「…そんなこと言わないで。“またね”で、いいでしょう?」

 

 目を細めながら静かにはにかむ永琳は少し小さく見えた。

 

主「そう、だな…。んじゃ、またな!永琳!」

 

永琳「…やっぱだめ」

 

主「!?」

 

 永琳が突然抱き着いてきた。ぎゅうううと締め付けられるハクは困惑の表情を浮かべて永琳を凝視する。彼女の顔はハクの体に隠れて見えない。その状態のまま一言呟いた。

 

永琳「…うん。」

 

 そうすると彼女はハクから離れて笑顔を浮かべた。

 

永琳「よし!これであと1億年は頑張れるわ!ハクも元気でね、またね!」

 

主「お、おう…」

 

 永琳は足早に家を出ていった。その背中は先ほどよりも大きくなっていた。

 

主「………さて、オレも頑張るかな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~静海殿~

 

ツクヨミ「…あと数刻で、この都ともお別れか…。名残惜しい」

 

「はっ、…しかしながら英断でございましたぞ」

 

ツク「うむ…」

 

 月の都の最高権力者であるツクヨミは、中の装飾が取り除かれまっさらとなった静海殿を見ていた。

40万年、天孫がこの大地に降り立ってより40万年。様々なことがあった。…後世の歴史家は我を何と称するだろうか。一代目と違い、妖怪たちと戦おうとせずに都を捨てて月へと落ち延びた臆病者…だろうか。何とでも言え。我はどの様な誹り(そしり)を受けようとも、今生きている民のことを第一とするぞ。

 

 

「つ、ツクヨミ様ああーー!!!一大事にございますっ!!」

 

 そのような時だ。走ってきたこの従者の報告が、悪夢の始まりであったことを、今の我は知らなかった___。

 

 

ツク「何だ!どうした!」

 

「そ、それが城壁の兵士からの情報によりますと、正門の方角の地平線に妖怪の大軍がっ!その数…5万とも10万ともっ!!」

 

ツク「な、なん!?………だと…」

 

 ツクヨミは従者の言葉を聞くや否やその身体を大きくぐらつかせ倒れそうになる。それを隣に侍っていた側近が彼の肩を支えて防ぐ。明らかにツクヨミは憔悴し動揺していた。

 

ツク「わ…我は、間違って…?何処から情報が漏れたと…」

 

「しっかりなさいませ!さあ、お立ち下さい!」

 

 そう言って側近はツクヨミを無理やりにでも立たせると、彼の両肩を掴み言葉を発した。

 

「お体に触れるご無礼をお許しください。しかしながらっ!事は一刻の猶予もありません!すぐさま君主としてあるべき行動を、民の命を守る為に最善を尽くすのです!!」

 

ツク「う、うむ…。すまぬ、気が、動転した…。………誰かっ!!!」

 

「「はは!」」

 

 ツクヨミの声に応じて2人の従者が姿を現す。彼らは主君の前で膝をついた。

 

ツク「八意に、状況の説明と急ぎロケットの発射準備をと!鹿島には、今すぐ都の全兵力をもって防衛に当たれと伝えてくれ!!」

 

「「心得ました!」」

 

 急ぎ足で主命を果たすべく駆けていく従者たちの背中を見送り、ツクヨミは天を仰いだ。

 

ツク(…頼んだぞ、八意! 鹿島!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

健人「塚原、何人集まってる?」

 

 月の都正門前。そこではツクヨミの命を受けた鹿島健人が防衛のために陣立てを行っていた。健人に塚原と呼ばれた生真面目そうな男は、彼の質問に一切の曇りなく答える。

 

塚原「ハッ、ざっと5千程かと。しかし今追加の部隊が向かっているとの連絡を受けましたので、城壁の兵士500と合わせまして約1万程になるでしょう」

 

健人「うん…、やっぱり君がいると助かるねー。僕じゃそんな細々としたものできないよ」

 

 健人はそう言いながら塚原がせっせと書き込んでいる帳簿に目をやる。おびただしい数字と文字が見えてくると苦笑いしながら視線を外して遠くを見る。妖怪の軍勢の姿はまだ見えないがその空には砂塵が舞っていた。

 

健人「………」

 

塚原「…思い出しますか」

 

健人「…ふふふ、まあね。()()()よりだいぶ劣勢だ」

 

 さて、そう仕切り直すと後ろに振り返り陣形を整える軍を見る。皆緊張した面持ちで忙しなく動いている。しかしそんな兵士たちに紛れて、一人冷静に落ち着いた様子でこちらを見てくる少年を発見する。

 

健人「ハク君…?」

 

 風になびく白髪、この前貰った脇差を大事そうに腰に差した少年、狗剱ハクその人である。彼は健人が自分に気付いたことを感じると、こちらへ向かってきた。

 

主「師匠…。一緒に戦わせてくれ」

 

健人「ハク君…」

 

 明らかに兵士ではない少年を見かけた塚原はハクに注意をする。

 

塚原「こら君、ここは子供が来る場所ではない。早く避難しなさい」

 

健人「待って塚原。…うん、君の覚悟は知ってる。分かったよ、その代わり僕の傍を離れないでね」

 

塚原「兵士長っ!?」

 

健人「大丈夫だ塚原。彼はこう見えても強いよ、…僕の弟子だからね」

 

主「感謝する、師匠。」

 

 頭を抱える塚原を横目に健人はハクに近づく、そしてその肩にぽんと手を置いた。

 

健人「…仇討ちだね。でも無理はしないで、永琳さんを悲しませることのないように」

 

主「わかってますよ。」

 

健人「ならば…よし!」

 

 その言葉に合わせて健人はハクの背中を叩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 月の都に向かって進行中の妖怪軍中において、純白の衣装に身を包んだ可憐な少女がいた。しかしながら彼女の表情は曇っており、少なくとも今回の戦争に乗り気でないのは確かだった。少女は隣を歩く大柄な筋骨隆々の男に話しかけた。

 

「…これで、良かったのでしょうか」

 

「………」

 

 男は答えない。

 

「かつて同盟関係だった天孫たちに刃を向けるなど…、仁義に反しています」

 

「………」

 

「これならっ!いっそのこと、九頭龍本陣に突撃して…」

 

「虎千代ッッ!!!!」

 

 男は声を張り上げた。それにより少女の言葉の後半はかき消された。

 

「滅多なことを申すでない」

 

「ですが!父上!!」

 

「耐えるのだ。」

 

「………っ」

 

 その時、彼らの軍勢に一騎の早馬が迫ってくる。命令を伝えるべく大声で呼びかけてくる。

 

 

「鬼軍大将 鬼門寺信虎殿に申し伝える!ご子女 虎千代殿を隊長とし、300程で前線部隊に合流して戦闘されたし!繰り返す___」

 

 

 

「…私、行ってきますね」

 

「虎千代…、お前に無理はさせられない。今代わりの者を頼めるか晴景様に確認して…」

 

「ハクはッ!死にましたッ!!!」

 

 

 一切後ろを見ることなくそう叫ぶ。その声は悲哀に満ちていたが、枯れた泉のように涙が溢れる様子はなかった。

 

「…死体が見つかっていない。生きてる可能性も、」

 

「來寄さんも死んだんです。…生き残りも、唯の一人もいなかったじゃないですか」

 

 そこまで話すと軍全体に聞こえるように檄を飛ばす。彼女の求めに応じて約300名が集まった。

 

「気遣いはご無用です、父上。では」

 

 少女は前線へと走って行った。

 

 

 

「虎千代………。今は、耐えよ。いつか無念を晴らす時も来よう…」

 

 男の瞳の奥では、煌々と炎が滾っていた。

 

 

 

 

 




【補足】

陣立て:戦場において戦列や陣を敷いたり、軍の配置などを行うこと。

塚原 左之丞(つかはら さのじょう):月の都で副兵士長を務める軍人。生来の生真面目でマメな性格が評価されて副兵士長に抜擢された。兵士長である鹿島健人の補佐をしているが、健人が前線で戦うため実質的な軍指揮権を持つ。趣味は家計簿をつけること。


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第十九話 第二次人妖大戦


↓布陣図を描いてみました(下手なのはご了承ください)。

【挿絵表示】


【人間軍1万(青)VS 妖怪軍10万(赤)】
鹿…鹿島健人隊
○ハ…狗剱ハク
九…九頭龍晴景隊
木…木花咲耶姫隊
大…大蛇族隊
鬼(上)…鬼門寺信虎隊
鬼(下)…鬼門寺虎千代隊
雑…寄せ集め

※妖怪軍の人数は、1ブロックにつき1万5千程(15000×7=105000)
 大まかなイメージ程度にどうぞ





健人「…来たね」

 

 月軍後続部隊が到着し、正門前には約9千500の兵士が揃っていた。彼らは道幅いっぱいに横陣を敷き、その中央の戦列をほかのところより厚くした。最前列には銃剣隊を並べてその後ろと両翼の端には大きな盾と槍を持った重装歩兵を配置。その内側には攻撃特化の抜刀隊を備えさせ、後方では高台に登った射撃部隊がスコープを覗く。そして後方中央には司令部が置かれ副兵士長である塚原左之丞が全体の指揮を執る。一方、兵士長 鹿島健人は前方の銃剣隊の局地的な指揮を執りつつ、最前列から2列後方で遠くから迫ってくる妖怪軍を見ていた。その傍らには狗剱ハクが侍っている。

 

主「思ったんだが、師匠。アンタ一応この軍の大将なんだろ、こんな前線にいて大丈夫なのか?」

 

健人「ああ…、問題ないよ。僕はね…と、どうやらそう話してる時間もなさそうだ。…銃剣隊!構え!!」

 

 健人の指示に素早く反応し銃剣隊が射撃準備に入る。妖怪軍とは約200mの開きがある。

150m…手が震える。

100m…額に汗が伝う。

50m…互いの息が嫌にはっきりと聞こえる。

40m…息を吞む。

30m…

 

健人「撃てッッ!!!!」

 

 爆音とともに銃口から光の弾が一斉に発射される。

 

健人「前に出ろおお!!重装歩兵ッ!!!」

 

 それと同時に堅牢な鎧に身を包んだ重装歩兵が盾を前にして前線へ躍り出す。刹那___

 

「「「「ああああああああああッッッ!!!!」」」」

 

 この世の悪鬼羅刹を詰め込んだかのようなアポカリプティックサウンドが天空に木霊す。

妖怪軍約10万、人間軍約1万の、“第二次人妖大戦”がここに始まったのである。

 

 

 

健人「耐えろ!重装歩兵ぇ!銃剣隊は隙間から敵を狙い打て!!」

 

 妖怪軍の圧力に、何とか戦列は維持できているもののそれは徐々に押され始めていた。その時、後ろから太刀を担いだ兵士たちが駆けてくる、抜刀隊だ。

 

「兵士長!塚原副長のご命令で抜刀隊500!上がって参りました!」

 

 この隊の隊長と思わしき人物が健人に声を掛ける。健人はそれを聞き静かに口角を上げると、遠く後方の司令部を見やる。

 

健人「…そういう事だね、分かったよ塚原。そんじゃあ!反撃といこうかッ!!」

 

 そう叫ぶと健人は右手を挙げて手のひらを、表裏表裏とクルクル回し始めた。周囲から風が逆巻き彼の右腕に収縮される。

 

健人「少し下がってな、ハク君」

 

主「は、はい…」

 

 ハクが少し下がったのを確認した健人は垂直に跳び上がり、その風を纏った右腕を敵軍に向けて真横に薙ぎ払った。

 

健人「“大山風(おおやまじ)”」

 

 絹を裂くような甲高い音を発しながら、旋風が敵陣を切り裂き乱す。突然の出来事に妖怪たちは混乱して一瞬攻撃の手が緩む、その隙を、健人は見逃さなかった。

 

健人「敵陣が乱れたぞ!抜刀隊並びに銃剣隊は敵に突撃し、大いにかき乱せ!!」

 

 その合図とともに命令された兵士たちは敵を切り崩しにかかる。そして呆気にとられた妖怪たちの身体を斬り裂いていった。

 

 

「「おおおおおッ!!!」」

 

健人「…よし、僕たちも出るよ!ついてきて、ハク君!」

 

主「…! はいッ!!」

 

 ハクは健人とともに敵陣に跳び込む。辺りでは壮絶な戦闘が行なわれていた。

 

健人「はあッ!!」

 

 健人はその中を、針を通すように抜刀した刀で切り結んでいく。途中、彼が討ち漏らした敵がその後方を進むハクに襲い掛かることもあったが…

 

主「結界操術“紡氣練戦装(ぼうきれんせんそう)”!」

 

 健人から貰った脇差を結界操術で硬化させてそれを対処していった。

 

主「師匠!さっきのは師匠の能力なのか!…おりゃあッ!」

 

健人「せいッ!…ああ、そうだよ。“地震雷火事親父を引き起こす程度の能力”、まったく僕には過ぎた能力だ!」

 

主「…親父?」

 

健人「台風のことだよ。さあ!もっと前にいこうかあッ!!」

 

 

 そのまま前線を押し返していった人間軍であったが、ある地点でその進撃が止まる。

 

「何だコイツらは!」

「恐ろしく強いぞ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

~人間軍 司令部~

 

「塚原副長!前線部隊の進軍が止まりました!」

 

 その様子は後方の司令部からも見えていた。双眼鏡を持った兵士が塚原に報告する。

 

「鹿島兵長の能力による混乱と、抜刀・銃剣両隊の突撃により何とか前線を押し上げていった我が軍ですが…、止まりました。」

 

塚原「原因は分かるか?」

 

「はい、………っ」

 

塚原「どうした」

 

「…鬼です。鬼数百が我が軍と交戦中、その影響で停止したものと思われます…。」

 

 鬼。その言葉が兵士から漏れた瞬間、陣内にはどよめきが起こった。

 

「ま、まさかっ!何かの間違いではないのか!?」

 

「いえ…この目で確認する限り、情報に間違いはありません。」

 

「しかし!我らと鬼族は先の大戦を共に戦った盟友のはず!誇り高き彼らまでが我らに牙を剥くなどっ」

 

塚原「軍曹」

 

 その情報が信じられない一人の軍人が兵士に詰め寄る。それを見かねた塚原は言葉でその軍人を制止すると、彼はビクっと背筋を伸ばして塚原の方を見た。

 

塚原「戦場で重要なのは、過去に固執する御託よりも一つの事実である。違うか?」

 

 

「…すいません。出過ぎた真似でした」

 

塚原「フム…。では、他に何か分かるか?」

 

「ハッ、…前線部隊の後方に残った敵は粗方重装歩兵が殲滅し終えたようです。戦闘開始時の前線の位置まで押し戻せました。」

 

塚原「よし!では、重装歩兵を前線で戦っている兵士長の所まで押し上げ、前線の兵士たちを下がらせる。いいか!この戦の意義は勝つことに非ず、時間を稼ぐことに有る!民が退避するまでの辛抱だ。各々、それを忘れるでないぞ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 …場所は戻り、前線で戦うハクの所。

 

主「くそっ!」

 

 ハクは嘆いていた。

彼が戦っている相手は、鬼。つい先日まで共に祭りをしていた者たちである。ハクは永琳から施して貰った()()()()によって、その容姿、妖力までもが人間のそれと同じになっていた。そのため、彼らは目の前にいるのがハクだと気づかずにこうして襲ってきており、ハク自身の制止の声も聞かずにその強靭な拳を振り下ろしてくる。

 

主「何で鬼族がッ!九頭龍晴景に味方してんだよォッ!!」

 

 目の前で起こる状況に、ハクは混乱しながらも心の内では()()()()()()()()()()()()()と思っていた。

あれだけ蜜月な関係を築いていた白狼一族を殺した九頭龍晴景に与した、それだけの理由が!じゃないと説明がつかねぇーだろ、この状況!!

 

?『貴方たち、退きなさい!ここは私が出ます!』

 

 ___血と反吐が混ざり合うこの戦場おいて、そこだけ華が咲いていた。純白の華、深紅の華、流麗豪壮なる様にて。

 

主「…へへっ、ちっとは話しできそうなやつがでてきたじゃねーか」

 

 ハクはその華に向かって駆けて行った。

 

 

 

?「去ねッ!!」

 

 私、鬼門寺虎千代は焦っていた。前線に配備されると言われていたので、危険な目には遭うだろうと覚悟はしていたのだが、まさか敵の主力部隊が私たちの方へ向かって来るなんて思ってもみなかった。ましてや、最強妖怪の呼び声高い鬼族が相手の兵士たちとほぼ互角などと、誰が考えたことだろう。目の前で斬り伏せられる仲間たちを見て居ても立っても居られなくなった私は、他の鬼たちの制止も聞かずに最前線で戦っていた。

雑魚が雑魚が雑魚が雑魚がァ!貴様らに恨みはないが、私の仲間には指一本たりとも触れさせてなるものか!

 

虎千代「この私をッ殺せるものがおるかァッ!!」

 

?「ここにいるぞ」

 

 声がした方を向くと、そこには白髪の少年が立っていた。

 

虎千「…聞き間違いか、人の子よ。」

 

?「んにゃ、伝わった通りだが」

 

虎千「…ッ、なら!己が身体でッ試してみるがいいッ!!」

 

 虎千代はぐぐっと膝に力を入れて、爆音とともに大地を蹴り上げる。左手を前に構え、右手を握り拳にして脇に引く。

 

虎千(捉えたッ!)

 

 そう思った瞬間___、虎千代の身体を()()()()()が襲う。重心が左に傾くのを感じ何とか体勢を立て直そうとするが時すでに遅く、彼女の拳は少年の芯を捉えることができずに、彼が持っていた脇差の柄によっていなされた。慣性によってそのまま少年の横を通り過ぎた虎千代は、彼と背中を合わせになる。彼女の唇は小さく震えていた。

 

 

 

 

虎千「………ハク…ですか…?」

 

主「おせーよ、気付くの」

 

 その言葉が終わる前に、虎千代は後ろを向くハクの背中に抱きついていた。

 

 

 




【補足】

銃剣隊:月の都の最も一般的な兵科。光子弾を撃ち出すことができる長身の銃に、その先端には剣が付いている。近・中距離にわたって戦うことができる。

重装歩兵:月の都の兵科の一つ。兵科の中で最も防御力に優れており、槍による攻撃も可能。

抜刀隊:月の都の兵科の一つ。兵科の中で最も攻撃力に優れており、軽装の鎧に太刀を携える。軍の中でも一定の基準を満たした者だけがなれる精鋭部隊。

射撃部隊:月の都の兵科一つ。高台に登り、スコープ付きの銃で主に遠距離の敵を狙う。隊長クラスの狙撃や味方が退却する際の援護射撃など、様々なことができる。

アポカリプティックサウンド:2011年ごろから世界で発生するようになった謎の奇音現象。ヨハネの黙示録における世界終焉を告げるラッパの音になぞらえて名付けられた。

“地震雷火事親父を引き起こす程度の能力”:そのままの意味で、地震・雷・火事・大山風(台風)を引き起こせる。


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第二十話 戦場の再会

『戦争が悲惨なのはいいことだ。でなければ我々は戦争を好きになりすぎる。』

 これは、アメリカ南北戦争で活躍した南軍の将軍“ロバート・E・リー”が言ったとされる言葉である。

戦争では何の脈絡もなく人が死ぬ。何の道理も、意義も、想いも、凶弾の前では無いに等しい。そんな、神が坂を転げ落ちていくような環境に立ち、人は何を思うのだろうか。





虎千「は、ハク…。その、すみません…突然抱きついてしまって」

 

主「いや、それは大丈夫だけど。虎千代が抱きついてる間、オレずっとお前の仲間から攻撃受けてんだけどさ…。まずそれを止めるように言ってくれない?」

 

 虎千代がハクに襲われてると思い、我が姫を助けようと突撃してくる鬼たちをいなしながらハク言う。そのことに気付いた虎千代は慌てて周囲の鬼たちに呼びかけた。

 

虎千「ま、待って下さい皆さん!この人は敵では有りませんっ!ハクですよ、白狼族の狗剱ハク!!」

 

 その名前を聞くと周囲にいた鬼たちはピタリと攻撃を止める。そして一人一人が驚愕した表情を見せるが、やがて怪訝そうな顔をする。

 

「ですが、姫様…。ソイツ人間では?」

 

虎千「へ?………あ、あーっ!本当です!どういうことですか、ハク!」

 

主「い、いやあ…薬の作用でね。話すと長くなるんだけど………まあ1日経てば元に戻るから」

 

虎千「そ、そうなんですか…?。それにしても………生きてっ、いたんですね…!白狼の里をいくら探してみても姿がないから…し、死んだんじゃないかって!!」

 

主「うん、心配かけてごめん。…あの時は父さんがオレだけでもって逃がしてくれて」

 

虎千「そう…ですか、來寄さんが」

 

主「って、そう悠長に話してもらんねぇぞ…。」

 

 ハクが虎千代に周りを見るようにジェスチャーを送る。周囲では依然として妖怪と人間の骨肉の争いが繰り広げられていた。

 

主「ま、そういう訳で。場所変えねぇと満足に話もできん。」

 

虎千「そう、ですね…。どうしたら……っ!?」

 

 瞬間、ハクと虎千代の間に一閃が走る。

 

健人「大丈夫!?ハク君!」

 

 ハクが襲われているとでも思ったのか、健人がハクの隣に跳び込んでくる。

 

健人「ハク君!塚原からの指示だ、僕たちは一旦下がって重装歩兵を配置して守りを固める。だから、早く退くよ!」

 

主「待ってください師匠!」

 

 ハクの大声に健人は驚いた顔で彼を見る。

 

主「あの、オレ一緒には行けません。前に話した仲間と出会えたんです!オレは彼女たちについて行こうと思います、だから」

 

 そこまで話すとハクの状況を察したのか、この場には似合わないほどの爽やかな笑みを浮かべた。

 

健人「そっか…、分かったよ。それじゃあこれでお別れだね」

 

主「はい!師匠には本当にお世話になって、でも!また会えますから!」

 

健人「うん。じゃ、僕は退くね。…頑張りなよ、ハク君」

 

主「はい、ありがとうございました!!近いうちに、また!」

 

 やり取りを終えると健人は辺りの兵士をまとめ上げ後ろに退いていく。その後背を追撃しようと、さっきまで押されていた妖怪たちがチャンスとばかりに襲いかかる。しかし_______、彼らは突如として空から飛来した銃弾に貫かれて倒れていった。

 

虎千「!? 退けッ!一旦退けェ!!」

 

 虎千代の叫び声に、一緒になって追いかけていた鬼たちも命の危険を感じてその身を翻す。銃弾の雨を受ける妖怪軍前線は、大混乱状態に陥っていた。

 

虎千「兎も角、ハク!」

 

 体を張って味方の撤退を支援している虎千代がハクに呼びかける。

 

虎千「このまま隊を纏め父上の所まで退きます!貴方も付いて来て下さい!!」

 

主「ああ、わかった!」

 

 

 ある程度の鬼の集結を感じ取った虎千代は撤退を決定。彼女を先頭に妖怪軍中を後ろに進んで行く。

 

「坊主、すまんが手を縛らせて貰うぞ」

 

 そんな最中に1匹の鬼がハクに近づきそう言う。彼の言葉に疑問を持ったハクはその理由を尋ねる。

 

「…残念ながら、お前は一見するとただの人間だ。妖怪だらけの軍の中だと目立っちまうからよ、捕虜ってことにさせて貰うぜ。姫様もそれでいいよな!」

 

 ハクの両腕をロープで縛りながら、その鬼は先頭を進む虎千代に自身の行動の是非を問う。虎千代はチラッと後ろを向き、事の次第を確認すると

 

虎千「ええ!それで構いません」

 

 是の言葉を返した。やがてロープを結び終わると、その鬼はハクの隣に立って走った。

 

主「すみません、ありがとうございます!」

 

 ハクが彼の機転に対する感謝の言葉を述べると、その鬼は照れ臭そうに笑った。

 

「おう!…へへっ、この前の武闘祭は楽しませてもらったからよ。そのお礼…なんてもんじゃねぇが、助けになったなら良かっへぶッ」

 

 

 横で彼が突然奇怪な言葉を発して倒れる音がし、ハクは反射的にその方を見る。そこでは、さっきまで笑いながら話していた鬼が地面に脳漿をぶちまけながら死んでいた。………あまりのことに声が出ない。不運にも、流れ弾にでも当たったのだろうか。呆然として彼を見ながら足を止めていると、異変に気付いた虎千代が走ってきてハクの手を引っ張った。

 

虎千「ハク!ここはまだ危険ですッ!止まってる暇なんてありませんよ!」

 

主「で、も…。この…」

 

 ハクは倒れた鬼を見ながら虎千代にそのことを訴えかけた。虎千代はそんな問答など時間の無駄だと言うかのように、無理やりにでも彼を走らせ撤退を急いだ。その鬼の姿が無数の妖怪たちの雑踏の中に埋もれて見えなくなる。そこからある程度走っていると、不意に虎千代がハクに語り掛けた。

 

虎千「78…」

 

主「………え」

 

 

虎千「先程の方で78名。…今回の戦闘で亡くした仲間の数です。」

 

主「………っ」

 

 虎千代は決して振り返って語ろうとはせず、頑として前に進む。

 

虎千「彼らを想うことは立派ですが、それも己の命あってこそ。…今は、彼らを胸に抱き進みましょう」

 

 

戦場に雨が降る。決して袖を濡らすことのない乾いた雨。しかし、袖の内の心はずぶ濡れで。それは、私たちを弱くも強くするのだ…。

 

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 場所は変わり、人間軍司令部。前線の戦いを有利に進めていた彼らであったが、他の戦場では劣勢を強いられていた。

 

「右翼!第一陣が突破されました!!」

 

「救援要請!左翼でも同様に第一陣が突破されそうであります!」

 

 人間軍は道幅いっぱいに横陣を敷いていた。これはなぜそうするのかというと、陣の横に相手軍隊が入り込むスペースを作ればそこからなだれ込み、結果的に三方を囲まれる状況に陥るからである。それを防ぐための陣立てをしたつもりである。しかし現状人間軍は三方を囲まれるという、兵法における最悪の形で戦いを進めていた。

 

塚原(…まさか、相手がこの深い森の中を行軍して来ようとは。)

 

 森からの突然の奇襲は、塚原の命令が前線に届き部隊が撤収するその時に起こった。両翼にはもしもの場合に備えて配置していた重装歩兵がいたのが不幸中の幸いであった。彼らがいなかったら今頃我が軍は両側からの挟撃を受け、前と後ろとで分断されていただろう。それでも敵軍の圧力は凄まじく、今なお司令部には援軍要請を告げる兵士がひっきりなしに駆け込んで来る。

 

塚原「右翼には司令部の守備兵半数で抑え込み、出来るならば押し返せ!!左翼には抜刀隊500兵で向かい戦列の維持に務めよ!!」

 

塚原(糞……こんなもの、何時迄もは持たぬぞ…!)

 

 命令を下した塚原は、苦悶の表情を浮かべて状況の打破の為にその肝脳を絞る。その時、兵士長のご帰還ですっ、と見張りの兵士から報告が来る。そのあとに続いて、まるで疲れた様子などない健人が塚原の前に姿を現す。

 

健人「やあ、塚原。ずいぶんと怖い顔してるね」

 

塚原(この人、本当に前線で戦ってきたんだよな…。汗一つないとは、矢張り化物…)

 

塚原「…兵士長、状況をお解りで?兵士長のご活躍もあり正面は何とか優勢ですが、両翼は崩壊間近。そんな時に険しい顔をするなという方が無理です。」

 

健人「まったく君って人は、ドが付くほどの頭でっかちだなあ。そう下ばかり向いていてもいい考えは浮かんでこないよ。例えば…そうだなぁ、たまには上でも向いてみないと」

 

 そう言いながら健人は都の城壁の上を指差す。この仕草につられて塚原は健人の指が指し示す先を見やる。

 

塚原「………冗談ですよね?」

 

健人「いや、大真面目だけど」

 

 塚原は深いため息を吐きながら左手で頭を抱える。

 

塚原「()()は、昨年の会議で廃棄になりましたよね…」

 

健人「うん。けど、永琳さんに無理言って準備してもらった」

 

 塚原は二つ目の深いため息を吐くと、頭を抱えていた左手をどかした。

 

塚原「…もういいです。時間がありません、やるならやりましょう」

 

健人「お、さすが塚原話が分かるねー。んじゃあ…妖怪どもを蹴散らそうか、あの“アルキメデスの鏡(ソーラー・レイ)”を使って、ね」

 

 

 




【補足】

アルキメデスの鏡:昨年の月の都の会議において、耐久性と安定性への懸念から採用を見送り後に廃棄が決定。今年中に順次実行される予定であったが、第二次人妖大戦時には6機だけ残っていた。多面鏡を利用して集めた光をレーザー砲として発射する。元ネタは、紀元前の発明家アルキメデスが作ったとされる“アルキメデスの熱光線”から。


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第二十一話 動き出す者たち

↓現在の戦場の様子です(手書きですみません)

【挿絵表示】


 戦争ですので、なにぶん暗い話が続いておりますが、どうか読んでいただけると幸いです。





 戦場は、熱風に包まれた_________。

 

 

鬼門寺信虎の元へと帰還中だった虎千代、ハク、鬼たち。彼らは妖怪軍正面部隊の戦列を抜けて、その後ろの空間へと出る。平原が広がるその眼前に、大きく3つに分かれた軍隊を発見する。

 

主「なぁ虎千代、あの3つの軍は何なんだ?」

 

虎千「…あれは妖怪軍の後続部隊です。私達から見て一番左の手前が父上が指揮をとる鬼軍で、その奥が大蛇(おろち)軍。一番右は木花咲耶姫軍で、中央を行くのが…九頭龍晴景軍です。」

 

 そう虎千代が暗い調子でハクに説明をする。彼女のその声色からはほのかに怒りの感情が読み取れた。

 

主「そうか…」

 

虎千「…必ず來寄さんの仇を討ちましょうね」

 

主「ああ」

 

 そんな時だった。

突如としてハクたちの後方から轟音とともに熱波が吹き寄せる。あまりの強風に目を開けていられなくなり、思わず腕で顔を覆った。やがてそれが過ぎ去り目を開けると、都の正門両端の森から火の手が上がっていた。

 

主「なにが、起こっ…た」

 

 そしてその火を更に燃え上がらせるように、いくつかの竜巻が木々を薙ぎ倒しながら地面を這っている。

 

虎千「何事ですかっ!?」

 

 前線で起こった異常事態に虎千代は声を荒げる。それについて確信を持った様子のハクは、彼女に自身の意見を言う。

 

主「…おそらく師匠の仕業だ。」

 

虎千「師匠?」

 

主「オレの剣術の師だ、あっちの軍の大将をやってる。…さっきの轟音の正体は分からないが、今見えている竜巻は師匠の能力によるものだろう」

 

 ハクの説明を聞き、ある程度の理解を示した虎千代は隊の皆に呼びかける。

 

虎千「…何がともあれ、今は余り関係がありませんね。私達は早く父上の所へ向かいましょう。」

 

 虎千代の言葉に鬼たちとハクは同意し、信虎の元へと駆けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

信虎「ええいッ!まだ虎千代たちの安否は分からんのか!!」

 

「も、申し訳ございません…。なにぶん情報が錯綜してまして、一体何処にいらっしゃるのか…」

 

 鬼門寺虎信虎本陣。ここでは前線に送り込んだ虎千代たちの行方が分からず、各軍に使者を派遣して情報収集に努めていた。

 

信虎「もうよいッ、こうなったら我だけでも探しに行く!!」

 

「お!お待ちください信虎様!」

 

?「父上!!その必要はございません!」

 

 信虎が狼狽し、単身前線へ向かおうかという時、遠くから声がした。やがて虎千代が部隊を引き連れて本陣の中に入ってくる。娘の顔を見るや信虎は誰よりも早く駆け出して彼女を抱きしめた。

 

信虎「おお、おお!虎千代っ!よくぞ無事に戻った!」

 

虎千「はい。鬼門寺虎千代、只今戻りました。しかし……っ、78名の同胞を失ってしまいました…。申し訳ございません!」

 

 信虎に抱きしめられていた彼女はストンと地面に膝を落し、そこで初めて涙を見せた。ぽたぽたと土を濡らす涙、そんな彼女を信虎は優しく抱き寄せる。

 

信虎「…いいか虎千代、お前も族長になるのならよく覚えておけ。戦争とは、大事な者たちが皆死んでゆく、昨日までは笑っていた者がいなくなってしまうなど()()だ。そういうものなのだ…。だがな、」

 

 虎千代の両手を取り、その顔を上げさせる。

 

 

信虎「今のっ…お前が感じているその気持ちだけは…!!どれだけの同胞を失おうとも、忘れてくれるなよっ…!」

 

 

虎千「…!父上ぇ…!!」

 

信虎「よく、よく頑張った…!まだ若いお前に辛い役目を背負わせてしまって…………だが、大儀だったぞ!!」

 

虎千「っっ!!はいっ…!」

 

 

信虎「さて…。ハク、おるのだろう。」

 

 しんみりとした空気の中、急に自分の名前が呼ばれたハクは驚いて声が裏返りそうになるが、何とか堪え信虎の前に出た。

 

 

主「な、何でオレがいるって…?」

 

信虎「ウム。…どれだけ外見や力が変わろうとも、()()()()()()()()()までは変わらんよ。ハクも、よくぞ生きておったな…。」

 

主「は、はいっ。一人の人間に助けられまして、その者に匿われてました。…しかし、なぜ鬼族が九頭龍晴景の軍に?」

 

 その問いを投げかけられた信虎は一気に顔が青ざめる、そして面目なさそうに俯きながら答えた。

 

信虎「…父や仲間を失ったお主には、唯の言い訳に聞こえるかもしれぬが。………虎千代を人質に取られた。それだけだ」

 

 そこまで言うと、信虎は地に自分の膝をつけてハクに頭を下げた。

 

信虎「我如何なる罵詈雑言も受け入れよう」

 

主「………虎千代はオレの友人です」

 

信虎「…?」

 

主「そしてあなたの娘です。………元よりあなたを責めるつもりはありませんよ。さ、もうこんな湿っぽいことはやめにしましょう。それよりも論じるべきことがあるはずです」

 

信虎「…忝い」

 

 その一言を信虎は嚙み締めると、スクリと立ち上がりいつもの豪壮な()()()()へと戻った。隣にはいつの間にか、こちらも凛々しい顔を見せる虎千代が侍っている。

 

信虎「さて、これから我らは如何にすべきか。それが議題であるな」

 

主「はい。最終目的としては、九頭龍晴景と木花咲耶姫を討つこと…ですが」

 

虎千「兵士たちに囲まれている今、それは容易なことではありません。」

 

信虎「我が現状指揮できる鬼族の兵力は3千」

 

虎千「前線部隊と私たちを省いても、この後続部隊にいる敵の兵力は約4万」

 

主「正面切って戦うには、無謀か…」

 

 3人が頭を悩ませていると、唐突に他の妖怪の声が響いてくる。

 

「伝令ェー!伝令ェーーーー!!」

 

 その妖怪はたちまちに周囲の鬼たちをかき分けて3人の前に姿を現す。

 

「信虎殿、晴景様からのご命令である。既に聞いてもいるだろうが、森に入った奇襲部隊が敵の光線兵器に散々に蹴散らされてその数を半数に減らしたという。よって、貴殿ら3千兵には右翼奇襲部隊の救援に向かって頂きたい。ご了承願えるかな?」

 

信虎「ははっ!友軍救援などという大任、この信虎、確とお受けしました!」

 

「おおっ!流石は勇猛で知られた信虎殿じゃ!同じく、左翼の奇襲部隊にも木花咲耶姫様から3千兵を向かわせる約束を取り付けて頂いた上、貴殿にまでもご出馬頂けるとは!この私も使者としての役目を果たせるというもの、晴景様に良い報告ができそうじゃわい!わははは!」

 

 ではっ、と言い残してその妖怪は晴景本陣へと帰って行く。その様子を見届けた信虎は一言呟いた。

 

信虎「…時は今」

 

主「へ…?」

 

 

信虎「雨が下しる 皐月かな…」

 

虎千「…何ですか?父上それは」

 

信虎「ふふ…、唯の戯言よ…。皆の者!!聞いたかっ!これより我らは右翼奇襲部隊の救援へ向かう!各々準備せいっ!!」

 

 信虎が声を張り上げると周囲の鬼たちはすぐさま身支度を整え行軍体制に移行する。その様を見ていたハクたちはやけに生き生きとしている信虎に疑問を感じながらも、自分たちも移動のための準備を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

健人「塚原っ!一大事だ!」

 

 光線兵器“アルキメデスの鏡”と健人の能力“地震雷火事親父を引き起こす程度の能力”のお陰で、人間軍は何とか危機を脱した。敵軍の攻撃が比較的緩む中、健人は声を荒げながら司令部に駆けこんできた。

 

塚原「一体どうしたんですか?兵士長がそのように焦るなど珍しい」

 

 健人が深刻な面持ちで事を伝える。

 

健人「…実はさっき捕らえた捕虜からの情報で、都の中にスパイが紛れ込んでいるらしい。しかも、どうやらツクヨミ様のお命を狙ってるらしいんだ!」

 

塚原「何と!!………真ですか、その情報。我らを惑わす為の罠である可能性も…」

 

健人「うん…、もちろんある。でも、それでもこれは看過できない情報だ。ツクヨミ様の御身が関わってる」

 

 だから、と健人は提案とばかりに言葉を続けた。

 

健人「敵の攻撃が弱まっている今がチャンスだ。大人数で動くと目立つ上にここの戦力も薄くなる、だから僕一人でスパイを探しに行くよ」

 

塚原「なっ!?指揮官が戦場を離れるなどっ!」

 

健人「実質的に指揮をとっているのは君だ。君がいれば、少なくとも一つの軍として機能する。頼む」

 

塚原「…はぁ、そうなった貴方は頑として譲りませんからね。…分かりました。」

 

健人「…!そうか!すまない、恩に着るっ!」

 

 そう言い残し、健人は都へと駆けて行った。

 

 

塚原「………誰か」

 

「はっ」

 

塚原「兵士長が言っていた情報を吐いた捕虜を見つけ出せ。見つけたら、ここに連れて来い」

 

「心得ました」

 

 命令を受けた兵士は本陣を離れていく。一人残った塚原は椅子にもたれかかり目を瞑る。

 

 

塚原(杞憂だと…良いが)

 

外では未だ、兵刃の音が絶えなかった。

 

 




 書きたい欲が高まっております。明日も一話投稿する予定ですが、来週は忙しいのでどうなるかは分かりません。

56ーちゃん「ま、不定期更新。誰気にすることなし」


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第二十二話 突撃

 三国志、最強の武将とは誰か。
歴史好きなら一度は考えたことがある問題だろう。関羽、呂布、曹操、孫策…。挙げればキリはないがその中でも、必ずと言っていいほど名が挙がる武将が存在する。

“張遼文遠”。彼の名は西暦215年に起こった「合肥の戦い」によって、広く中華に知れ渡った。800の兵で城を出た張遼は敵の大将孫権本陣へ突撃、敵将徐盛を負傷させるが張遼は敵に包囲されてしまう。しかし張遼はその包囲を突破、そして取り残された味方を救うために反転してもう一度敵陣を突破、そこから脱出するためにもう一度包囲を突破。それからの後に孫権に肉薄し彼自身に弓を引かせる活躍をするが、敵将凌統が全配下300を散らせながらの決死の防衛などにより、孫権を討ち取るまでには至らなかった。

“遼来来”。泣く子もこの言葉を言われたら黙るというほどに、張遼の鬼神の如き活躍を物語っている。




信虎「ウム、ここらでよかろう」

 

 鬼軍三千の用意が整い、右翼奇襲部隊への救援に向かうべくハクたちは右側の深い森の中に入っていった。戦の余波なのか、森の中だというのに動物の姿が一匹たりとも見当たらない。薄暗い緑が茂り、虫の声と外で戦っている兵士たちの声だけが響いていた。

そんな時である。突然先頭を行く信虎が足を止めたかと思ったかと思ったら、周囲を見渡し後ろに付いてくる兵士たちに向けてそう言った。

 

虎千「どうしたのですか?父上」

 

 虎千代は信虎に向けてその行動の意図を問う。信虎は人差し指を口に当て、大声を出さないようにとのジェスチャーを周囲にすると、覚悟を決めた表情で次のように述べた。

 

信虎「…ここは深い森の中で他の妖怪たちからは姿が見えずらい。更に雀の涙程度だが木花隊から3千兵抜けており、後続部隊の目は今前線へと向いておる…。即ち、好機だ」

 

 信虎は指を指す。しかしその方向は今ハクたちが向かってる方とは真逆だった。徐々に軍内がざわめき始める。信虎の言わんとしてることが、その指を以て波及していく。

 

主「まさか…、信虎殿」

 

 

信虎「左様。これより我らは軍を2つに分けて反転し、1つは助攻として他部隊への抑えに。もう1つは主攻として、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。…各々抜かりなく」

 

 その場にいた三千名は心が揺さぶられ、その身体を奮い立たせた。…その後に鬼軍は軍を1500、1500に分けて、静かに後退していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

永琳「焦らないで落ち着いて!順番に乗ってください!」

 

 月の都は混乱の渦中にあった。外からは妖怪が10万という数を擁して攻めかかり、住民は我先にとロケットに乗り込もうとする。その中で民たちはすし詰め状態となり、いつ将棋倒しに崩れても仕方がないような状況であった。永琳は責任者として場の鎮圧に努めていたが、なかなかうまくいかずにいた。

 

永琳(くっ…、矢張り私程度の人望ではとても…)

 

 

?「…静まれッ!皆の者ォッ!!!」

 

 鶴の一声であった。民たちの後ろからの一喝に、彼らはするすると道を開けてその声の主を通そうとする。

 

?「落ち着くのだ…皆の衆。」

 

 鶴は、ツクヨミであった。彼は脇に、箱を持った従者を侍らせながら民の間を歩く。その姿は何とも神々しく、この場にいた者たち全員が思わず膝を折って頭を低くした。ツクヨミは語りかける。

 

ツクヨミ「皆の胸中、推し量るに余りある。此度の混乱の責任は、(ひとえ)に我にある。よって…この場を借りて謝罪したい、すまぬ」

 

 ツクヨミが頭を下げると民たちはざわめきその(こうべ)を上げるように呼びかける。しかし、ツクヨミは上げない。

 

ツク「どうか、この不肖の我に免じて…、あの者の指示に従ってはくれないだろうか」

 

 ツクヨミは永琳を指差す。民たちは揃って永琳を見る。

 

ツク「八意永琳は、我が祖父の代から一族に仕えてくれている股肱(ここう)の臣である。そして、我が左腕でもあるあの者ならば、必ずや其方らを導き、安全を保証しているくれるであろう。…どうだろうか、我の願いを聞いてくれるか?」

 

 民たちは大きく頷いた。それを感じたツクヨミは顔を上げて穏やかな笑みを浮かべる。

“仁道”だ___。永琳は、この光景を見てそう感じた。初代ツクヨミ様が“覇道”ならば、今のツクヨミ様は“仁道”。民に心を以て接しそれに寄り添う。真、主君と仰ぐに相応しいお方である。

 

ツク「では、永琳。民たちに指示を頼む!」

 

永琳「はっ、はい!!」

 

 

「つ、ツクヨミ様…。恐れながら貴方様はお乗りにならないのですか?」

 

 ツクヨミがロケットの乗り込み口の横に立ち、民たちの搭乗の手伝いをしていると、一人の男性が疑問を彼に投げかけた。

 

「そ、そうですよっ!ツクヨミ様こそが先にお乗りになるべき人物!」

 

「ささっ、私たちに構わずに早う乗って下され!」

 

 男性の言葉を皮切りに多くの民からの声が響く。しかしツクヨミは呆気からんとした表情で、さも当然のことかのようにこう発した。

 

 

ツク「子を置いて、先に逃げる親がどこにおる」

 

「「………っっ!!!」」

 

ツク「……さあ!皆こそ早う乗ってくれ!皆が乗らねば、我も乗れぬぞ?わははは」

 

 温かな笑い声に包まれ、ツクヨミが来る前までの殺伐とした空気がどこかへと飛んでいってしまった。

 

その後はスムーズに進み、住民全員の避難が完了した。あとは外で戦っている兵士たちだけである。何とか撤退するようにとの命令を下す為その使者を向かわせようかという時、遠くから浅葱(あさぎ)色の羽織を着た長身の男が走ってきた。月の都兵士長の鹿島健人である。

 

健人「ツクヨミ様っ!急ぎ申し上げたき儀がございます!!」

 

 やけに焦った様子を見せる健人はツクヨミの前まで駆け寄ると膝をついた。突然の兵士長の来訪に驚くツクヨミと永琳は彼にその訳を尋ねた。

 

永琳「どうしたの!?健人、何故貴方がここに…。」

 

健人「…時間がないんだ永琳さん。ツクヨミ様!内密のこと故お傍によっても」

 

ツク「うむ、許可する」

 

 ツクヨミの許可を得、健人は中腰になりながら彼に近づく。そして耳を貸すような意図を健人から感じ取ったツクヨミは、その通りにした。健人はツクヨミの耳元で何かを呟いた。

 

 

 

 

 

ツク「かはッ…!?」

 

 

 

 

 

 健人の拳がツクヨミの腹にめり込む。ゴリッという鈍い音が響き、空間がスローモーションに動き出す。瞬間、健人はツクヨミを足で後ろに蹴飛ばすと、隣に侍っていた従者の鳩尾を鞘ごと前に突き出した刀の柄の先で突き飛ばした。従者が持っていた箱が地面へと転がり落ちる。その衝撃で蓋が外れ中身が外に放り出される。それは、(みどり)色の不思議な形をした石だった。

 

 

永琳「貴様ァァッッッ!!!!」

 

 やっと状況を理解した永琳が、激高しながら腰に差していた弓を手に持ち矢を放つ。それは、丁度その石を拾おうとしていた健人に襲いかかるが、彼は刹那に刀を抜き放ち飛来した矢を叩き斬った。

 

健人「………」

 

 健人は改めて石を拾うと、一目散にこの場から離れようとする。

 

永琳「待てェッ!!!」

 

 永琳は矢を放ちながら逃げる彼を追おうとする。しかし、

 

健人「“炎神旋風(ほのかみせんぷう)”」

 

 炎を纏った刀を回転しながら振り回し、後ろに打ち放つ。永琳の前には道を塞ぐように立ち昇った炎の竜巻が出現する。

 

永琳「くそォッ!!健人ッ待て逃げるなッッ!!!」

 

 竜巻の奥にゆらゆらと揺れていた影がやがて消え入って見えなくなる。

 

 

永琳「はあッ!…はあっ!…はあっ!」

 

 自身の呼吸音と目の前で燃え上がる炎の音だけが聞こえる。永琳はその場に立ち尽くした。

 

ツク「ぐっ………うう、や、八意ぉ…」

 

永琳「…!!ツクヨミ様ッ!ご無事ですか!?」

 

 ツクヨミが身体を引きずりながら永琳の元へと行こうとする。それに気付いた永琳は彼に寄り添ってその肩を支えた。

 

ツク「うくッ!?…はあ…はあ…。渡してはならん…」

 

永琳「え…?」

 

 

ツク「あの“八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)”だけは!妖怪どもにッ、渡してはならんのだァッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

信虎「…準備はよいか、者共…!」

 

 森を進んだ鬼軍は、やがてその終わりに行き着く。広い平原が広がる視界の右奥には多くの兵士が戦列を敷いていた。それこそが、これからハクたちが攻撃せんとする九頭龍晴景その本陣であった。見たところ、こちらに気付いている様子はない。

 

虎千「はい…!父上。本隊並びに別働隊、各員その準備万全にございます。」

 

 虎千代の言葉を受け取った信虎はその眼光をより鋭くし、瞳の奥を煌々と滾らせた。

 

 

信虎「ハク」

 

 不意に信虎が隣のハクに声を掛ける。

 

信虎「お主の仲間の仇を討つぞ」

 

主「…っ。はいッ…!」

 

 

 鬼軍は、無言を以て森より駆け出した。

 

 




【補足】

股肱の臣(ここうのしん):家臣や部下の中でも、最も信頼し頼りになる者のこと。股(もも)と肱(ひじ)が、身体を動かすときに重要な働きをすることから。

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま):先の大戦“第一次人妖大戦”の終結を祝い、高天原の神々より天孫に下賜された宝物のこと。翠色の勾玉。


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第二十三話 鬼来来

 心離れて君は泣く

 技廃れて剣は無く

 体腐りて鳥は啼く

廻廻廻廻、奇奇怪怪。世は廻りて、人は奇なり。







↓ここまでの戦況

【挿絵表示】




 鼓動が早くなる。息が苦しい。前へ進めと身体が轟き叫ぶ。血が滾る____。

 

 

 

 

 

『て、敵襲ッーーーー!!!!』

 

 前からそんな声が微かに聞こえる。ぶつかる、ぶつかる、ぶつかる、ぶつかるッ!!

 

 

信虎「突撃だァァァァァァッッッ!!!!」

 

 敵陣が弾けた。

 

 

 

 

~???~

 

「…晴景様。西の方より鬼たちが奇襲を…。こちらに向かって来ております。」

 

「くふっ…、待ちかねたぞ…」

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

信虎「両翼500兵は助攻として敵を押さえつけろッ!!その間を我らはゆく!!」

 

 鋒矢(ほうし)の陣で突撃を敢行した信虎本隊は、左右の味方に敵を引き付け中央の兵士たちで敵陣を切り裂いていった。因みに本隊と並走していた別働隊は、本陣に突撃する前に向かって来ていた大蛇軍の足止めをしている。これは信虎たちが陣に開けた()に蓋をされないためであり、軍を2つに分けた理由でもあった。

 

信虎「押せ押せ押せ押せェいッ!!!止まれば死すぞ!走れェッ!!」

 

 信虎の檄に、更にその勢いを増す鬼たち。彼らの剛腕にさらわれた敵の身体は、まるで熱したスプーンでアイスクリームを掬うように簡単に抉られていく。宙に飛沫が飛び、地には臓物が広がる。そのようなおぞましい光景を進むハクだったが、彼の目には遠くしか見えていなかった。

 

主(待ってろッ…九頭龍晴景!!!)

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

健人「塚原、撤退命令が出た」

 

 混乱していた妖怪たちがその体勢を立て直し始め人間軍を再度押し始める。それに対応するために忙しなく人が動く司令部に、兵士長の鹿島健人は戻って来ていた。

 

塚原「お帰りなさい、兵士長。スパイはどうでしたか」

 

健人「うん、無事に確保できたよ。もちろんツクヨミ様には傷一つ無い、だから君たちは撤退だ。僕が敵軍を足止めする…」

 

 健人は腰の刀に手をかけながら前線に赴こうとする。塚原はそんな彼の背中に向けて一言。

 

 

塚原「………すいません、頼みます。」

 

健人「ああ、任しといて」

 

 健人が前線に向けて司令部を跳び出す。段々とその背中が小さくなっていき前線の兵士たちをかき分けると、部隊が徐々に退却し始めた。

 

塚原「………っ。」

 

 暫くすると味方の陣形がどんどんとしぼんでいく。後方の射撃部隊の援護もありつつ、ちらほらと前線部隊が都の方へ撤退していく。

そして殆どの兵がいなくなって司令部も撤退し終わる。健人の竜巻で敵を妨害・翻弄しながら、後ろに討ち漏らす敵を最小限に抑えながら。鬼神の如き活躍で味方の撤退を手助けて___、遂に都の門が閉じられようとする。

 

塚原「兵士長」

 

 ゴォンッ!!という音とともに門が閉じられた。

 

健人「………やあ、塚原。君は逃げないのかい?」

 

塚原「何故噓を吐いたんですか」

 

 健人の気が霧散する。彼は途端に無表情になり、塚原はその異様な空気感に心の琴線が掻き乱される。しかし、彼は己を強く律し言葉を続ける。

 

塚原「…貴方が言うような証言をした捕虜を探させましたが、見つかりませんでした。月の都で何を?」

 

健人「……いやあー、やっぱり鋭いなあ塚原は。どれだけ信頼できる仲間からの情報でも、その裏を取ることを忘れない!優秀な副官だよ、君は」

 

 ふふふ、と不気味に健人は笑う。その横顔に最早以前の面影なく、邪悪な光が瞳には宿っていた。

 

塚原「問いに答えぬのなら…。」

 

 

 塚原は、手に持つ薙刀を健人に向ける。

 

塚原「斬り捨てるまでだァッ!!“歯歯乞大(はばきおお)「遅い」___ッ!!??」

 

 一閃。左肩から腹にまで入った刀傷からは血が吹き出し、塚原は膝から崩れ落ちる。

 

健人「一之太刀“蜻蛉斬(とんぼぎり)”」

 

 健人はそう吐き捨てるように呟くと刀身を振り、付いた血を飛ばした。塚原はそこから意識を失うかと思ったが、上半身にグッと力を入れて何とか保つ。それを冷ややかな目で見つめた健人は妖怪軍の方へ歩き出した。

 

塚原「……ま、待ってくれぇ…健…人さまぁ!せめてっ、せめて訳を…!裏切った理由を……」

 

 そこまで発した塚原は前に倒れた。健人はそれを気にする様子もなく、唯前へと進む。眼前には皆一様に膝をついた妖怪軍が、彼を出迎える。

 

 

健人「…じゃあみんなっ!そろそろ()()()の所まで行こうか!!」

 

「「「オオオオオオオオッッ!!!!」」」

 

 健人の声に呼応した妖怪軍前線部隊は、その向きを逆にして進み始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

虎千「見えたッ!あそこですッ!!」

 

 虎千代の一声に、疲労の色が見え始めていた鬼軍は喜々とした表情を浮かべる。もう少しだ。その希望が止まりそうな足を、千切れそうな腕を、もっと鋭敏に力強く前へと押し進めてくれる。

虎千代は血を流しながら、能力で強化された体躯で辺りにのさばる敵兵を屠る。信虎は大声を出し続けて味方を鼓舞しつつ、自らも双腕を振るう。ハクは危機に陥った味方を助けるべく重力結界を放ち、脇差で斬り結ぶ。皆が皆、己が持てる最大限の努力を以て突き進んだ。そして、

 

主「はあッ…はあッ…はあッ…!」

 

虎千「ふぅッ…はあッ…はあッ…!」

 

信虎「……抜けた、な…」

 

 多数の兵を散らしながら、ハクたちは遂に敵陣を突破して九頭龍本陣に到着した。そこは開けた空間となっており、その中央には天幕が張っている。そして…遠くから手を叩きながら近寄ってくる影が一つ。

 

「見事、見事っ。まっこと見事よのう…信虎、我が将兵たちを押し退けここまで辿り着いたそちの力。称賛に値するぞよ」

 

 にんまりと笑ったおしろいの顔。雅な紫色の装束。手に扇子、頭には烏帽子。彼こそが妖怪軍総大将でハクの仇でもある、“九頭龍晴景”その人であった。

 

信虎「…晴景ッ!盟友たちの仇、ここで取らせて貰うぞ!!」

 

晴景「ほほほ……。物騒じゃのう信虎は。まあよい、それも華じゃな」

 

 晴景の持っている扇子が閉じられるのと同時に、信虎は一人駆け出して拳を脳天より振り下ろす。しかし、

 

信虎「ムッ!?」

 

晴景「ほほほ」

 

 信虎の拳が晴景に届くことはなかった。いや当てた、当てたのだが何か様子がおかしい。まるで、体の周りを()()()()()()()()()で護られているかようだった。異変を感じ取った信虎は一旦ハクたちのところまで退く。

 

虎千「どうしたのですか!?父上!」

 

信虎「ウ、ウム…。信じがたいことだが我が拳が効かん」

 

主「な!?」

 

 信虎の一言にハクは驚く。ここに来るまでの戦いぶりを見て、彼の実力が相当高いことをハクは知っていた。だが、そんな彼の拳をもってしても九頭龍晴景に傷一つ付かないどころか、当てられもしないことに彼は衝撃を受けたのである。

 

主(…父さんを殺した男。)

 

 不意に父の姿が脳裏をよぎる。そうだ、あの男は白狼族随一の実力者である自分の父を殺したのだ。そう簡単にいく訳がない。

 

晴景「もう、終わりかえ?」

 

信虎「ふざけるなよッ!!」

 

 晴景の飄々とした態度と相手を挑発するその言葉に、信虎は怒りと憎しみを爆発させて再び彼に跳びかかった。

 

信虎「“裂空(れっくう)”ッ!!」

 

 信虎は己の拳を前に突き出す。その衝撃により空気が揺れて空間が揺れた。その瞬間彼の拳の先の空間が割れはじめ、それが晴景にも襲いかかろうとする。しかしそれでも、

 

晴景「無駄じゃ」

 

 晴景が手を触れた瞬間、あたかもそれが最初から無かったかのように、きれいさっぱりそこから消え去った。

 

信虎「なん…ッ、貴様ァ!これは一体どういうことだッ!!」

 

晴景「母に逆らえる子が存在する?」

 

信虎「ああッ!?」

 

晴景「そういう事よ」

 

 信虎が苦戦しているとみた虎千代が後ろから駆け寄ってくる。

 

虎千「父上!加勢致しますッ!!」

 

信虎「…!待てッ早まるな虎千代!!」

 

 

虎千「“血離華”ッ!!!」

 

 瞬時に虎千代は自らの腕の肉を嚙みちぎり、背に大きな朱の華を形成させその花弁を散らせる。

 

虎千「グガァァァーーーッッ!!!」

 

晴景「くどい」

 

 晴景は向かってきた虎千代のおでこに触れる。その瞬間彼女を纏っていた朱と、背の華が崩れ去る。

 

虎千「………」

 

 そのまま虎千代は血の出し過ぎによって気絶した。信虎は倒れた彼女に駆け寄るが、そんな彼の横をある者が走り過ぎる。

 

信虎「…!?ハクッ!!!」

 

 

主「結界操術“紡氣練戦装”。づありゃあああああッッ!!!」

 

 抜き放った脇差を結界により硬化させ、信虎の制止にも耳を貸さずにハクは目の前の仇に斬りかかった。…晴景はそのハクの一撃を手にしていた扇子で受け止める。

 

主「っ…お前がッ!父さんをッ!!!」

 

晴景「………久しぶりね、ハク」

 

 

主「は…?」

 

 

晴景「暫く見ないうちに随分と大きくなったのね。とても嬉しいわ…」

 

 

 晴景は、目の前で溶けた。ぐちゃぐちゃに溶けて、ぐちゃぐちゃに混ざり、やがてある人物を形成した。…それはハクがよく知り、あの日に死んだと聞かされていた者であった。

 

 

 

 

 

 

「母として…、ね」

 

 

主「かあ、さん…?」

 

 




【補足】

鋒矢の陣(ほうしのじん):『↑』の形をした陣形。敵軍を突破するのに向いている。

“蜻蛉斬”(とんぼぎり):“一之太刀”の構えから繰り出される、目にも止まらぬ速さの縦斬り。元ネタは戦国武将で生涯無傷の男と謳われた本多忠勝の槍「蜻蛉切(とんぼきり)」と、薩摩の剣術である示現流(じげんりゅう)の「蜻蛉の構え」から。

“裂空”(れっくう):鬼門寺信虎の能力“空を割る程度の能力”によって繰り出される技。拳を前に突き出し、空間ごと相手の身体を割る。


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第二十四話 真実

 今回、少し長くなります。初の4000字超えです。

白狼族が皆殺しにされた“あの日”の回想話となります。





 ___時は、運命の“あの日”。その前日に遡る…。

 

 

 

『『『ワアアアアアッッッ!!!!』』』

 

 歓声が未だに止まない鬼の里闘技場。観客たちは先程の武闘祭で優勝を果たした虎千代を讃えている。そのような声が響く廊下を、鬼族長 鬼門寺信虎と白狼族長 橘貴治は歩いていた。

 

貴治「…良き戦いをありがとう」

 

 貴治が隣を歩く信虎に感謝の言葉を掛ける。それを聞いた信虎は機嫌よく豪快に笑った。

 

貴治「突然どうした?貴殿の声は大きい故、隣で騒がれると五月蠅いぞ…」

 

信虎「それはこちらの台詞というものだっ!貴治よ!本当にあの親子は、我が娘をどれだけ成長させれば気が済むのだ!それと声が大きいのは余計だ!」

 

 信虎が笑い続ける中、貴治は呆れたような表情を浮かべるがその心は穏やかだった。

 

貴治(…見事だ、ハク)

 

 想像以上だった。ハクの実力は來寄の跡取りと言われても何ら遜色は無いであろう。勿論今回は虎千代姫に負けこそはしたが善戦し、何よりもハクは闘い方を学び始めてまだひと月、異常とも言える成長速度だった。…そこにハクの“神の気”がどれ程関わっているか。これから里へと戻り確かめねばならぬだろう、彼の母“狗剱若葉”に…。

思えば、彼女は何処から来たとも知れぬ境遇の者であった。ある日里の前に倒れているのを來寄が見つけ、同族ということでこの里に受け入れた。里の皆が彼女にここに来る前のことを聞こうとしたが、辛そうな顔をする彼女を気遣った來寄により止められた。故に、何も分からぬのだ。その後、彼女と來寄は恋に落ちて結婚。そしてハクが産まれた。………。

 

狗剱若葉は、果たして“神”なのだろうか。

 

 

貴治「では、これにて」

 

 暫くして、2人は鬼の里入り口である櫓門にたどり着いた。

 

信虎「ウム!また近いうちに会おうではないか、その時には酒でも」

 

貴治「…ふふ。ああ、そうだな」

 

 貴治は待っていた従者2人と共に鬼の里を発ち、白狼の里へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 明くる日。白狼の里には朝霧にかかった朧げな日光が細く降り注ぐ。うだつの上がらぬ亭主の白昼夢のように、もしくは天地創造の7日目のように、荘厳に見えて自堕落に時が過ぎている。そのような中、貴治は里へと帰ってきていた。

 

來寄「早いお着きで、貴治様」

 

 門の前にそこを塞ぐように立つ一匹の妖怪の姿を見つける。握り拳を片方に手のひらにつけ目の前で構える大太刀を背負った男、親衛隊長“狗剱來寄”であった。

 

 

貴治「…準備は整っておるか」

 

來寄「万事抜かりなく。…しかし」

 

 來寄は俯いてこの状況について苦言を呈する。

 

來寄「ここまで大事にする必要があったんですか。確かに若葉はその出自こそは分かりませんが、今日まで共に暮らしてきた仲間ですよ?武装した親衛隊を家の周りに待機させるなんて…」

 

貴治「すまぬ」

 

 間髪入れずに貴治が頭を下げて謝罪の言葉を述べる。その様に少し目を見開いた來寄は驚いて顔を上げた。

 

貴治「…お主の奥方が、この里に害を与える存在でないと分かった時には、すぐさま武装を解かせよう。それまではどうか我慢してくれ」

 

來寄「………。むむむ、…まあ仕方がありませんね。最近は他の妖怪どもの動きも活発ですし、族長が不安になるのも分かります。とんだ失言でした。」

 

 里のことを顧みた來寄は己の態度を改める。そんな彼に近づいた貴治は彼の肩に手をのせ、気にするなと一言掛けると、狗剱若葉がいる來寄の自宅に案内させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 水を打ったかような静けさが辺りを包む。鳥のさえずりさえもが吞気に聴こえる家の周りには、息を殺した隊員たちが潜み有事に備えていた。

そしてその家の中。朝ごはんの準備をしている狗剱若葉に、外から帰って来ていた狗剱來寄が声を掛ける。

 

來寄「若葉、話があるんだ」

 

若葉「あら。…何かしら、そんなに改まって」

 

 來寄の言葉を受けた若葉は料理をしていたその手を止めて、洗った手を拭きながらこちらに近寄って来た。來寄は飽くまでも普段通りを心掛け、自然な感じで話を続けた。

 

來寄「いや、なんだ。もうおまえがこの里に来て20年にもなるなと思ってな。…そろそろ話してくれてもいいんじゃないか?君の故郷のこと」

 

若葉「………。」

 

來寄「…ごめんっ、やっぱこの話はなs「待って」…!」

 

 

若葉「待って…。ええ…大丈夫、もう20年だものね。いいわ話させて」

 

 若葉は來寄の話を遮ると、唇を少し噛んで、意を決したかのように話し始めた。

 

 

若葉「最初に、…()()()()()が疑っている通り私は妖怪ではないわ」

 

 きっぱりとそういう彼女に、驚いた來寄は堪らず口を挟む。

 

來寄「…っ!き、気づいていたのか…。」

 

若葉「ええ、証拠に」

 

 若葉は不意に玄関の方へ歩いて向かうと、途端に戸を開けた。

 

若葉「いらっしゃい貴治様。さあ、上がって」

 

 戸を開けた先には、橘貴治がいた。彼は大きく目を見開き若葉を凝視するが、彼女の誘いを無視できずに家に上がった。

 

來寄「族長…。若葉、なぜ分かったのだ?」

 

若葉「妖力くらい、私なら検知できるわよ。…そう、“神族”である私ならね」

 

 若葉のその言葉に2人は身を震わせる。“神”___矢張りなと思う反面、それでも解せないことがあった。

 

貴治「若葉殿。しかしながら神はここ10万年、この大地に降り立ってはおらぬ。如何なる経緯でこの里に参ったのだ?」

 

若葉「私は…その、神々が住まう天上界から追放されてしまって…、それでこの地上へと送られたのです。地上には危険な妖怪だらけ、非力な私ではこの身を守ることは出来ないと感じました。それで昔に書籍で見た三大妖怪の白狼族に化けて、妖怪たちを怯えさせて何とか生きながらえようとしたんです。しかし、お二人も知っての通り、食べ物を碌に口にできなかった私は遂には空腹によって倒れてしまいました。この白狼の里の前で」

 

 そこまで話すと若葉は彼らに対して深く頭を下げる。

 

若葉「今までお話しできず申し訳ございませんでした。…白狼族でないと知られた今、私がここにいる義理などありません。すぐにでも荷物を纏めて…」

 

來寄「若葉」

 

若葉「なに?あな…、きゃ!」

 

 唐突に立ち上がった來寄は彼女の名前を呼ぶと、戸惑う彼女を強引に抱き寄せた。

 

來寄「よくぞ、よくぞ話してくれたっ…!独りで抱え込んで、背負いこんで…、辛かっただろう。でも、それも今日までだ」

 

若葉「へ?…で、でも私!あなたたちのことを騙して!」

 

貴治「若葉殿、」

 

 貴治も立ち上がり、抱き合っている彼らの横に寄る。

 

貴治「誰が出て行けと言ったのかな?我らはもう、共に暮らしてきた仲間ではないか。今更種族の違いなど些事でしかあるまいよ。それはこの男もそうであろう。」

 

 貴治が來寄を見ながらそう言った。若葉は思わず口に手を当てて、目には涙を浮かべる。

 

貴治「これからも、來寄の良き妻として彼を支えてやってくれ。では儂はこれにて、これ以上夫婦水入らずの空間にお邪魔するのは忍びないでな。では」

 

若葉「待ってください貴治様!私から渡したいものが…」

 

來寄「若葉?」

 

 若葉が來寄を優しく引きはがすと、貴治の元へと駆け寄った。

 

貴治「どうしたのかな、渡したいものとは一体」

 

 そこまで言うと、

 

 

貴治「ぐっ」

 

 

 ()()()()()()()()()()()

 

來寄「な!何をしてるんだ若葉ッ!!」

 

 瞬間、來寄の大声を聞きつけた親衛隊員が玄関から突入する。來寄が若葉を後ろから羽交い締めにして貴治の元から引きはがし、その間にも隊員たちが続々と貴治を護るために彼の前に立ちふさがった。

 

若葉「…ふふふ」

 

 羽交い絞めにされている若葉は包丁を握りしめながら不気味に微笑む。來寄がいくら彼女に声を掛けても不気味に微笑む。そして、

 

若葉「あははははは!!」

 

 狂ったような笑い声を上げ始めた。それを聞いた親衛隊員たちはより警戒心を強めて、來寄はそんな彼女を抑えようとする。一触即発の空気が流れる中、彼女の不協和音にも似た笑い声だけが響く。しかし次の瞬間、彼女は急に理性を取り戻し愚痴を零すようにこう言った。

 

 

若葉「あーあ。疲れちゃった、()()()()()

 

來寄「ど、どういう事なんだ!若葉ッ!」

 

若葉「あら、そんなに耳元で騒がれると五月蠅いわよ。ご近所迷惑かも」

 

貴治「若葉よ」

 

 貴治が、腹の刺し傷などまるで意に介さずにすくりと立ち上がった。

 

貴治「先程のお主が申したことは全て噓なのか?」

 

若葉「噓って言えば噓ね。でも、本当のこともあるわ。現に私は神様だし」

 

貴治「…目的は何だ。」

 

若葉「この里の秘宝“八咫鏡(やたのかがみ)”の譲渡と白狼族全員の私に対する従属」

 

貴治「嫌、と言ったら…」

 

若葉「皆殺しね」

 

 公然と、皆殺しという物騒な言葉が彼女から発せられる。それを受けた貴治との間で鋭い眼光同士がぶつかる。そんな中、貴治を護っていた一人の隊員が声を上げる。

 

「最早問答など時間の無駄です!貴様ァ!よくも貴治様を!!あの世で後悔するがいいッ!」

 

 そう言った隊員は、貴治の制止の声も聞かずに若葉へと斬りかかる。しかし彼は、彼女へと刃を振り落としたのだが、その身体に当たることなく寸前で止まった。それに驚く暇なく、彼の頭は爆発四散した。辺りに血液と肉塊が飛び散る。その様子に室内には動揺が走る。

 

 

若葉「これは…。“断る”ということの意思表示、かしら」

 

 血を被った若葉がニタリと笑ってそう述べる。しかし、貴治はこの状況に動じた様子を見せることなく言葉を発した。

 

貴治「最後に…、()()()()()()()

 

 

 

若葉「“何者”?…ああ、そう言えばまだ名乗ってなかったわね。コホンっ………アタシの名は“ヒルコ”。伊邪那岐(いざなき)伊邪那美(いざなみ)の最初の子であり、()()()()である。…我が子らよ、せめて啼き喚き苦しみ悶えてそのことごとくが死ねッ」

 

 ヒルコは禍々しい妖気を垂れ流して、それを爆発させた。家の屋根が吹き飛び、強風が室内に吹き荒れる。

 

貴治、親衛隊員、そして來寄は構えた。

 

それに対して、ヒルコは不敵に笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「始まったか…。どれ、私も行こうか」

 

 里の入り口である川に架かる橋に立つ、()()()()()()()()()()()()()は、里の奥から発せられる強大な妖力を感じ取った。それを受けて刀を抜き放ちながら里の方向へ、その門に向かって行った。

 

『待てっ!止まれ!』

 

 門番である白狼族から制止の声が掛かる。しかし、彼女はそれに応じずに歩みを止めない。

 

「さて、少しは楽しめそうな奴はいるかな」

 

 




【補足】

天上界:神々が住まう世界のこと。四次元世界にあり、こちら側からでは観測できない。

伊邪那岐・伊邪那美:日本を形造った夫婦の神。国を産み、また多くの神々を産んだ。天照大御神・月読命・須佐之男命などは伊邪那岐の子。


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第二十五話 ヒルコの目的

 人間、どうにもならない時が必ずあります。しかし、きらめきを放つ人間というのは、その時に踏ん張ったかどうかで決まります。仕方がないと一瞥して諦めた者と、踏ん張った結果自分が相当なダメージを負ってしまった者。

某漫画ではないですが、麦は踏めば踏むほど強くなります。僕らは強制的に、そんな時代を生かされてるのですかね。風雨に晒され、蝗が蔓延るこの時代を。




「アタシは白狼族の悉くを殺して秘宝“八咫鏡”を奪った。…その後は脱獄するように唆した九頭龍晴景を殺して彼に化け、この妖怪軍を集めた。全てはこの日の為に…ね」

 

 

主「…」

 

 ひと通り過去のことを語った狗剱若葉もとい“ヒルコ”は、左手に八咫鏡を持ちながら感慨深そうに微笑んだ。ハクは俯いておりその表情を読み取れず、また一言も喋らない。

 

信虎「…故に、我らの里の“天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)”も奪ったというわけか。」

 

 信虎がハクの隣に進み出てくる。後ろでは彼の部下である鬼たちが気を失った虎千代を介抱している。

 

ヒルコ「アハっ、娘一人の為にアタシに降伏してくる腰抜けで助かっちゃった。お陰で楽に手に入れられたよ、ありがとっ」

 

 ヒルコは右手で剣を振りながら高らかに笑う。その様に信虎はギリリと歯ぎしりをし、額に血管を浮き上がらせる。

 

信虎「…貴様がァ言うておった“妖怪の祖”とは如何なることや。」

 

ヒルコ「その、ままの意味。アタシがキミたちを生んだんだよ…いや、()()()()()()()()と言うべきかな。」

 

 その途端にヒルコの表情が一変し、暗く鬼気迫った眼を天に向ける。

 

ヒルコ「アタシは伊邪那岐・伊邪那美の第一子として生まれた。でも、生まれたアタシの姿は()()だった。どろどろに溶けたスライムのような形もない、虚ろな喃語を発するだけの存在。それに、神とするにはその力は余りにも禍々し過ぎたの。だから、…アイツらはアタシを捨てたッ!小さな舟に乗せて海に棄てたァッ!」

 

 ヒルコはそう吐き捨てる。そして慟哭するかように話を続けた。

 

ヒルコ「その内に舟が転覆してアタシは海に沈んだ。…遠くなる水面を見ながら、途絶えゆく意識の中、アタシは思ったの。何で死ぬんだろうって、何も悪いことしてないのに死ぬんだろう…。殺してやる殺してやる、そんな感情が沸々と湧いてきてね。気が付いたら…、アタシは大地に立っていた。この足で、“あし”で前へと進んだ。私を棄てたアイツらに復讐する為に、…()()()()()()()()()為にッ!その時の感情から生まれたのかな、アナタたち“妖怪”は」

 

 すぅと大きく息を吸い込んで飲み込んだヒルコは、ケロっとしてハクに歩み寄ろうとする。

 

信虎「グっ、近寄るな!!貴様ッ!!」

 

 信虎はヒルコをハクに近づけさせないために、前に出て彼女を足止めしようとする。効果は無いと知っていても拳を振るい、彼女をこれ以上進ませないようにした。

 

ヒルコ「…言ったでしょ“母に逆らえる子はいない”って。アナタたち妖怪は言わばアタシの一部、無意味なのよ全て」

 

 そう言いながらヒルコは信虎を遠くに押し飛ばす。信虎は呻き声を上げながら横の敵の戦列にその身体を打ち付けられる。

 

 

ヒルコ「さて、ハク。アナタをここまで生かしてきたのには理由があるわ、それはなんでしょ「知るか」…」

 

 

主「そんな理由など知るか。…“子として母を止める”、オレがここで剣を握る理由はそれだけだ。」

 

ヒルコ「アハっ!毅然とした態度!…前みたいに絶望はしないのかしら?つまらないの」

 

主「母さん」

 

 ハクは腰の脇差を抜きながら続ける。

 

主「敢えてそう呼ばせてくれ。…どの様な者であれ、母さんはオレの母さんに変わりはない。だったら受け入れよう、だったら…母さんを止めるのは子であるオレの役目だ。」

 

 ハクは刀を構える。

 

ヒルコ「…話、聞いてなかったの?“母に逆らえる子は「くどいッ!」…ッ!?」

 

 ハクは駆け出してヒルコを一刀のもとに伏せようとする。振りかぶる我が子の刃に合わせるように、懐に差した扇子を持ってハクの攻撃を受け止めようとする。彼らの撃がぶつかる___その刹那、唐突にハクは手に持った脇差を()()()()()()()()()()

 

主「はッ!?はぐぅッ!?ッーーーー!!??」

 

 その鈍痛に悶絶したハクは、堪らずに転んで地に伏せる。息も絶え絶えに血眼で面を上げたハクの目に飛び込んできたのは、衝撃の光景だった。

 

 

「すいません、少し遅れましたー」

 

ヒルコ「“タケちゃん”遅いッ!アタシ今結構危なかったからね!!」

 

「あははー、ごめんなさい。」

 

 頭の裏を搔きながらヒルコに怒られている人物。ハクの剣術の師であり月の都兵士長でもある“鹿島健人”、その人であった。

 

主「な…!なん、でッ…!?」

 

健人「ん?あ、ハク君さっきぶりだね。元気…ってそんな訳ないか。()()()()()()()、お腹に深々と刺さってるもんねー」

 

主「…う、噓だッ!?噓だと言ってくれよ師匠!オレたちを助けに来たんだよなッそうだよなぁ!!」

 

健人「否」

 

主「ッーーー!?」

 

健人「僕は、君が思ってるような人間じゃないんだ。ごめんね」

 

主「しっ!師匠ォーッ!!」

 

 

「おや、随分と賑やかじゃあないか。」

 

 その時、また彼らの元へと一人近寄って来た。異様に長い直刀を携えた着物姿の女性、“木花咲耶姫”だ。彼女は目の前の状況を理解して、ヒルコへと近づく。

 

木花「いやはや、その様子だと万事順調なようで。安心したよ」

 

ヒルコ「コノハナちゃんもっ!いやー、みんないいタイミングだね!」

 

 

主「どういうことだよ…!」

 

ヒルコ「どういう事って…、タケちゃんとコノハナちゃんはアタシの仲間だよ?特にタケちゃんには月の都の方で色々とやって貰っててね…。そう言えばタケちゃん、ちゃんと奪ってきた?」

 

 ヒルコが隣に立っている健人に声を掛ける。健人はそれを待ってたと言わんばかりに鼻を鳴らして、懐から翠色の石を取り出した。ヒルコはそれに目を輝かさせて健人から受け取る。

 

ヒルコ「ふふ♪遂に揃ったわね、三種の神器がっ!」

 

 ヒルコはまるで新しい玩具を買い与えられた子供のように、八咫鏡・天叢雲剣・八尺瓊勾玉を目の前に並べ手を広げて喜ぶ。

 

ヒルコ「これとハクの結界操術があれば…「で、伝令ェーーーッ!!!」…なに?五月蠅いわね」

 

 ヒルコたちの前に下級妖怪が転がり込んでくる。彼は月の都の方を指さすと、焦った顔で事を伝えた。

 

「先程発射されたロケットから何やら爆弾のようなものが投下されましたぁ!!」

 

 

 一瞬でこの場の空気が凍りつく。それを溶かしたのは火山の噴火にも似たヒルコの憤怒の叫びだった。

 

ヒルコ「なんだ…、とォォッッ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 時は少し前に遡る。腹心の鹿島健人に裏切られて八尺瓊勾玉を奪われたツクヨミは、彼を追うように指示を出すも、彼が残していった火を纏った竜巻に遮られて動けずにいた。その後に外で戦っていた都の兵士たちが続々と帰還してくる。この時には既に竜巻は止んでいたが、ツクヨミはここでロケット発射を決意。地上に八尺瓊勾玉を残しながら、ここを去ることを決めたのだった。

 

 ロケットその5機全機が打ち上がり、月へと向かう中。地球成層圏へと突入した頃にツクヨミは、隣で負傷した彼を支えている永琳に話し始めた。

 

ツクヨミ「…最早、核しかない。」

 

 ツクヨミの唐突な言葉に、永琳は気が動転して声を荒げる。

 

永琳「な!?何故その様な飛躍した考えになるのですか!…失礼を承知で申し上げますが、たかが先祖伝来の宝石と重臣一人に裏切られたくらいで核攻撃など…!」

 

ツク「違うのだ…永琳よ、あの石は唯の石ではないのだ。…()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それが八尺瓊勾玉だ」

 

 永琳はツクヨミの言葉を受けて驚愕するとともに納得した。だからあの時、健人に勾玉を奪われたことにあれだけ焦ってたのか、と。

 

永琳「で、では…。彼らの目的は高天原にある…と?」

 

ツク「ああ。…何とも皮肉なものよ。永琳、少し我の話を聞いてくれるか」

 

 永琳はツクヨミの手を取りながら強く頷く。

 

ツク「うむ、ありがとう。…これは我が祖父から聞いた話なのだがな。三種の神器が10万年前の大戦終戦を記念して、高天原の神々より天孫・白狼・鬼の三族に下賜されたは、永琳も存じておることだろう?」

 

永琳「は、はい…。」

 

ツク「だがあれは唯の記念品ではなかった、そこには“裏の意味”があったのだ。」

 

永琳「裏の…意味ですか」

 

ツク「うむ。“人妖未だ交わることを知らず。しかし千夜万夜と時の流れにより人妖これ交わることあらば我らのもとに来よ。三種の神器をもって来よ。その時が来たればざっと澄たり平和ここに成り”…これが本当の意味だ。」

 

 

ツク「即ち。我ら天孫は、未だ交わらぬ状態で妖怪どもを高天原に送ってしまうことになるのだ。これは万死に当たる不義であろう、故に」

 

 ツクヨミはすくりと立ち上がり、目の前のコントロールパネルの方へと向かう。そして、複雑な操作をしたのちに画面には赤いボタンと2つのパスワード入力欄が出現する。

 

ツク「今ならばまだ間に合うかも知れぬ。さあ、永琳…。永琳?」

 

 ツクヨミが永琳のパスワードを入力してもらおうと後ろを振り返ると、永琳は泣いていた。口がにわかに開いて、その身体が震えている。だが、決して嗚咽を漏らすこともなく、唯…涙だけがその両目から流れていた。

 

 

 

永琳(嗚呼…、世界とは何とも残酷か…。)

 

 




【補足】

九頭龍晴景:第一次人妖大戦の首謀者。ヒルコに唆され、彼女の助けもあって黄泉平坂より脱獄するが、ヒルコによって殺される。その後はヒルコが九頭龍晴景として味方妖怪を集めるとともに、人間側へのカモフラージュとした。

天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ):三種の神器の一つで、第一次人妖大戦後に高天原より鬼族に下賜された。

鹿島健人:月の都の兵士長というのは表の顔で、本当はヒルコに味方して高天原転覆を狙う集団の一員。月の都にて軍事のトップという地位を利用して、情報操作やハクへの細工など様々なことを行っていた。因みに彼が“月移住計画”などの情報をヒルコたちに流していたので、ヒルコたちは細かいことを知ることができた。永琳とは幼なじみであり月の都の人々にも慕われていたが、何故裏切ったのかは謎。

木花咲耶姫:第一次人妖大戦の折には大蛇族の長“九頭龍晴景”と協力して戦争を起こすが、失敗して投獄される。その後、高い実力を買われてヒルコの仲間になる。また、個人的な高天原への恨みもあり、今回の計画に参加した。


※次回、月の都篇最終話です。


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第二十六話 因陀羅の矢

 古代中国の歴史家“司馬遷”。彼はまさしく人類史上最高の歴史家だろう。中華上古より二千数百年の歴史を纏めた『史記』を書き、その後の中華歴史学の基礎を築いた。中国が残した歴史的記述がある書物が、他国と比べて圧倒的に多いのは、偏に司馬遷の功績に寄るところが大きいだろう。それ程までに彼の名声は現代においても衰えることはない。

 日本における“空白の四世紀”然り、文字による記述がないと、その当時に明確に何が起こったのかは誰にも分からない。この大地の奥深く、深くに眠ったままなのである。



永琳(嗚呼…っ)

 

 未だに混乱が残るロケット内で永琳は静かに泣いていた。その脳裏にあるのは理由も告げずに敵方に裏切った鹿島健人と、そして

 

永琳(ハクっ…!)

 

 地上にいるはずの狗剱ハクであった。

人生思い通りには行かない、本当にそうだ。思えば先の大戦でもうまくいかなかった。私の失策で初代ツクヨミ様を死なせ、軍を窮地へと追い詰めた。今回も、妖怪たちがこの機を狙ったかのように月の都に攻め寄せて、ツクヨミ様を護れもせずにここにいる。そして今、健人とハクがいる地上へと核を落とそうとしている。正直に言えば、私は嫌だ。健人から話を聞いていないし、ハクにはまた会う約束がある。絶対にダメだ。でも、でも…っ!嗚呼、その様な顔をしないでツクヨミ様!“お前までもが我を裏切るのか”と、私にはそう申されているように感じます。

………昔に誓ったはずだ八意永琳っ!!()()()の一族に一生を捧げて尽くすとっ!…なのにっ、だのにッ!何でハクの顔がちらつくの!!ハクの笑顔が頭から離れないよぉッ!!あの子は唯の妖怪、取るに足らない唯の妖怪なのに…。こんなにも心を震わせるだけでは足りない、これほど涙を流せども足りない。でも、でもね。本当は心の奥底では解ってるの。ここは、()()()()()()()()()()()()()。公私混同など以ての外。分けるの、公私を分けるの、それが()()()ってことなのだからっ!!

 

ツクヨミ「えい、りん…」

 

 この空気感に堪らずツクヨミが永琳の名を零す。その眼には影を落としそうで、ビクビクと震えている。永琳はそんな彼に近寄って、涙でぐちゃぐちゃな顔を無理やりにでも曲げて、笑った。

 

 

永琳「…大丈夫ですよ、ツクヨミ様。この八意永琳、何時迄も貴方様のお味方です。」

 

 震える手で一文字づつパネルを押していく。4、6、0、1、8、9、6、9………。

 

永琳「ッ…!!!」

 

 3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 時は戻って妖怪軍本陣。ここでは先程の報告を受けて、皆が皆空を見上げて絶叫していた。放心する者、堪らず逃げ出す者、その場に崩れ落ちる者。この混乱で戦列が崩れ去り妖怪たちが入り乱れる状況に陥る。その中で妖怪たちをかき分けてある者たちを探す大男が居た。

 

信虎「ハクッ!!虎千代ッ!!」

 

 歯を食いしばって前へと進む信虎は、その正面に倒れた少年を見つける。

 

主「ぐッ!?うっ…」

 

信虎「ハクッ!こんなところにいたか!」

 

 信虎は倒れているハクを抱き上げると、今度は自分の娘である虎千代を探して駆けた。

 

 

ヒルコ『クソッ!!時間がないッ!軍全体で転移するためにはハクの結界の力が不可欠だ!!早く探せェーッ!!!』

 

 

 後ろからヒルコの怒声が聞こえる。信虎は息を殺してなるべく目立たないように動いた。腕の中で呻くハクは辛そうな表情を浮かべている。

 

「族長ォ!!」

 

「こちらですっ!!」

 

 その時真横から信虎を呼ぶ声が聞こえた。その方へと目を向けると、部下の鬼たちが虎千代を背負いながらこちらへと駆けてくる。

 

信虎「おお!無事であったかお前たち!!」

 

「族長こそ!…大変なことになりましたな。これからどうしましょうか」

 

信虎「ウム…。とりあえずは我の能力を使って「見つけたぞ!!」…クッ!?」

 

 声がした方から着物姿の女性が刀を振りながら迫ってくる。見つかったか…そう歯ぎしりをする信虎の前に、彼の部下たちが立ちふさがる。

 

信虎「お前たち…!」

 

「…お逃げ下さい信虎様。姫君はお預けいたします。」

 

 そう言いながら一人の鬼が信虎に虎千代を渡してくる。

 

「今生の別れですなぁ…。さあ!早く行って下され!」

 

信虎「…すまぬ。頼んだぞォッ!!」

 

「「ははッ!!!」」

 

 信虎は劇を発してその場から逃げる。それと同時に木花咲耶が彼を追おうとするが、手前の鬼たちに阻まれる。

 

木花「退けェェ!!!」

 

「死んでも通さぬぞッ!!」

 

 

 

 

 

 

信虎「はあッはあッはあッ…!」(くっ…、もう少し遠くへ!)

 

 部下たちと別れた信虎は決して振り返ることなく、黙々と走る。左腕にハク、右肩には虎千代を背負いながら唯走る。そんな彼に一閃が飛んでくる。

 

信虎「…ぬうッ!?」

 

 それを間一髪で避けた信虎は彼と相対する。

 

健人「はあッ…!ハク君を渡してもらおうかッ!!一之太刀“蜻蛉斬”!!」

 

 健人の高速の剣技が信虎を捉えるかと思ったが、

 

 

信虎「づッッ!!」

 

健人「な!?ぐッ!!??」

 

 信虎は小さくジャンプして虎千代を右肩から少し浮かせて、その瞬間に移動して自身の左肩に彼女を乗せる。そして斬り込んできた健人の一刀を右腕で受けると、彼の後ろに回り込んで蹴りを入れた。健人はその場から吹っ飛び、空には信虎の斬られた右腕が舞う。

 

信虎「あ゛あ゛がッぁ…!?はあッ…はあッ…はあッ…」(ここらでいいか…)

 

 周囲にいる妖怪の姿が少ないことを確認した信虎は、抱えていた二人を地面に降ろす。そして最早隻腕となった左腕に有りっ丈の妖力を込める。

 

信虎「はあああああ…!スゥ…、あ゛あ゛あ゛あ゛ーーッッッ!!!!」

 

 空気が震える、稲妻が走る、彼の前の空間が歪む。

 

信虎「ッ!!!!」

 

 その歪みに目掛けて信虎は、力を溜めた左拳を打ち付けた。

 

信虎「“破空(はくう)”ッッ!!!!」

 

 瞬間、目の前の空間が破けた。バリバリと音を立てながら世界を形づくる一枚が剝がれ落ちる。しかし、それは次第に縮小して元通りになっていくのが見て取れた。

 

信虎「りゃあッ!!…っ、おらあッ!!!」

 

 信虎は急いで地面に転がっているハクと虎千代をそこに放り込んだ。徐々に、隙間は塞がっていく…。

 

信虎「………達者でな、虎千代。」

 

 やがて綺麗さっぱりに、それは消えて無くなった。

 

 

ヒルコ「きィさァまァァァァァッッ!!!!」

 

 そこに激高したヒルコがやって来る。彼女は向かっている途中に事の次第を見ており、信虎が何かをしてハクたちを逃がしたのは明白だった。

 

ヒルコ「こうなったら…!」

 

 ヒルコは三種の神器を唐突に取り出して、高天原への扉を開けようとする。しかし、そんな彼女の身体に最早満身創痍の信虎が抱きつく。

 

信虎「オオオオオオッッ!!!!」

 

 信虎は全身に力を込めてヒルコの動きを阻害しようとする。抱きつかれているヒルコは、その拘束から逃れようと必死になって信虎を殴りつける。

 

ヒルコ「放せッ!放せッて言ってんだよォッ!!気色悪いんだよテメエ!!!」

 

 ヒルコの拳は信虎の腹を、肩を、腰を、足を、頭を抉ってゆく。しかし、それでも彼は離れなかった。

 

ヒルコ「ふざけんな!何なんだよッ!!貴様はァッッ!!??」

 

 

信虎「…ォマ、ェ………ミチィ…づレエ………ダァがあッッッ!!!!」

 

 ヒルコに抉られて原形を留めていない顔で信虎は叫ぶ。だが、その眼は死んでいない。しっかりとヒルコの目を捉える。

 

 

ヒルコ「ちぐしょうちぐしょうちぐしょうあッ!!こんなところでっ、こんなところでえッーーー!!??」

 

キーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン

 

 

 

 

 

世界は、眩い光に包まれた____。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【 月の都篇 完 】

 

 




【補足】

“破空”(はくう):鬼門寺信虎の技。有りっ丈の妖力を正面にぶつけてそこの空間を歪ませると、力を纏った拳で無理やりに空間に孔を開ける。そこに放り込まれた者は時間が曖昧に存在する中で、どこかの時代へと飛ばされる。


※次回は第一章・第二章の登場人物紹介と、この小説の世界観の説明、出来事を年表形式で纏めたいと思います。是非ともご覧ください。


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※年表・世界観人物紹介※〜序章・第一章・第二章〜

 ここでは、序章・第一章・第二章に出てきた情報・人物をまとめています。裏設定なども書く予定ですが物語展開上、今公開できない情報につきましては明記することを避けます。ご了承ください。

 また、原作設定と異なる部分も多々あります。ご注意ください。




【東方白狼伝説的年表】

 

2500万年前 伊邪那岐・伊邪那美の国生み

      ヒルコが生まれるが異形であったため捨てられる

      ヒルコの負の感情から妖怪が生まれる

      妖怪が人間を襲い始める

 

200万年前 天孫降臨

      天孫・人間が月の都を創る

      初代ツクヨミに永琳が拾われる

 

150万年前 九頭龍晴景・木花咲耶姫が第一次人妖大戦を起こす

      初代ツクヨミが戦死

      九頭龍晴景・木花咲耶姫が黄泉平坂に投獄

      終戦に貢献した天孫・白狼・鬼の三族に三種の神器を下賜

      血の境界線が引かれる

      二代目ツクヨミが即位するが直ぐに病死

      三代目ツクヨミが即位

 

140万年前 ヒルコが白狼の里に取り入る

      狗剱ハク生誕

      武闘祭で狗剱來寄が優勝

      ハクが朧山で修行

      武闘祭で鬼門寺虎千代が優勝

      ヒルコが九頭龍晴景・木花咲耶姫を脱獄させる

      ヒルコが白狼族を虐殺 八咫鏡を奪う

      ヒルコが九頭龍晴景を殺して彼に成り代わる

      ハクが永琳に拾われる

      ヒルコが虎千代を人質に鬼族を従属 天叢雲剣を奪う

      ハク・永琳が鬼の里に向かう

      月の都に九頭龍晴景・木花咲耶姫脱獄の報が入る

       ※健人による情報統制により伝わるのが遅くなった

      月移住計画が発動

      ハク修行開始

 

      第二次人妖大戦が勃発

      鹿島健人がツクヨミを裏切り八尺瓊勾玉を奪う

      化けていたヒルコが正体を現し三種の神器が揃う

      ツクヨミ・永琳により地上に核が投下

      信虎がハク・虎千代を逃がす

      核により月の都・妖怪軍が一掃

 

 

【世界観説明】

 

 物語は今から140万年前、一匹の真っ白な狼の妖怪“白狼”が産まれるところから始まります。現実での140万年前と言えば“原人”が生きていた時代ですね。ホモ・エレクトゥスなどがその代表格で、石器なんかが使われていたとされています。

 この小説ではその時代に“月の都”という超文明を持った都市があり、人間そして彼らを支配する天孫が暮らしていました。天孫とは人間たちを導くために高天原から遣わされた神々のことで、後年には人間たちとの交配により同化が進みました。天孫の中でも特に有力な四つの名家、蓬莱山家・綿月家・犬鳴家・鞍馬家があり、これらを総じて“天孫四大貴族”と呼ばれています。その天孫四大貴族の上に立ち、実質的な月の都の支配者が“ツクヨミ”です。“ツクヨミ”の名は世襲制であり、これまで三人がその地位にありました。一代目は150万年前の第一次人妖大戦の折に戦死、二代目は即位後直ぐに病死となり、現在の三代目ツクヨミが即位しました。三代目ツクヨミは民衆人気も高くよく都を治めていましたが、第二次人妖大戦の折に腹心の鹿島健人に裏切られて、八尺瓊勾玉を奪われてしまいました。高天原の神々を裏切る行為はしたくない思ったツクヨミは、苦肉の策として地上への核攻撃を決意。腹心の八意永琳とともに核を落とし地上を一掃しました。

 

 “妖怪”とは、ヒルコの負の感情により生み出された存在のことです。初期の頃の彼らは理性なく人間を襲ういわば化け物でしたが、後にある程度の知能を持つ妖怪たちが現れると、彼ら独自の文化を形成していきます。そして彼らの中でドメスティケーション(農作物・動物の家畜化)が起こると、食料を得るために人間を襲うことは少なくなりました。しかし、一部の下級妖怪やならず者の中には人間の血肉の味を占める者も多く、妖怪と人間の関係性というのは最悪なものになっていました。そんな時に、三大妖怪(妖怪内で特に力を持っていた三つの種族)の“大蛇(おろち)族”の長“九頭龍晴景”がその様な者たちを集めて月の都に対して戦争を起こします。これが“第一次人妖大戦”です。その圧倒的な兵数と、東方にある神山の主である“木花咲耶姫”が味方に付いたことで妖怪軍はその戦いを優勢に進めていきました。そして月の都の喉元に差し迫った時に人間軍とぶつかることになります。しかし、この時に後方で白狼族・鬼族が静観の立場から一転して人間側に味方しました。彼らの合同軍は妖怪軍の補給拠点をどんどんと陥していき、妖怪軍の兵糧は枯渇。最早人間軍への正面突破しか道は残されていませんでした。総大将九頭龍晴景は全軍に檄を飛ばすと、人間軍の中央に向かって突撃を敢行。見事人間軍総大将のツクヨミを討つことに成功しますが、白狼・鬼の援軍や人間軍両翼に押されて、妖怪軍は壊滅することになります。

 その後に九頭龍晴景・木花咲耶姫は黄泉平坂に収監されて、天孫・白狼・鬼の三族で会談が行われました。そこで決められたことは、1,今後は互いに血の境界線をもって不侵入不干渉、2,前項を破った者は如何なる場合においても死刑、の二つ。その会談終わりに突如として空が光り、天から船が降りてきました。やがてそれが地上へと着陸すると、中から神々しいばかりに眩い神が出てきて、目の前の三族に宝物を授けました。八尺瓊勾玉・八咫鏡・天叢雲剣の三種の神器と呼ばれるものです。そして、天へと帰っていきました。戦が終わり、それぞれの里へと戻った白狼・鬼族は此度の互いの健闘を讃えて、その後八ヶ岳が噴火したのを合図に決闘の催しを行うようになりました。これが武闘祭の始まりです。今までいがみ合っていた関係の二族が友和の道へと歩みを進めたのです。

 

 ヒルコは、自分の子どもたちとも言える妖怪たちが起こした第一次人妖大戦を傍観していました。いや、興味がなかったのかもしれません。しかし、それは三種の神器が神から三族に下賜されたことにより変わります。如何に禍々しい力を持とうともヒルコは神です。その宝物に秘められた本当の力を感じ取ったのです。ヒルコは、そこから高天原転覆のために動き出します。妖怪・人間サイドの情報収集に自身の仲間集め、その様な折に木花咲耶姫と知り合いました。彼女は黄泉平坂に囚われており、時が来たら脱獄させるとの約束を交わします。その後は鹿島健人も味方につけて着々と準備を整えていきます。

 白狼族が使う“結界操術”、ヒルコはこれを欲しました。少人数で高天原へと攻め込むには三種の神器だけで十分ですが、軍規模で転移するためには結界操術と併用することが最適だったのです。しかし結界操術は白狼にしか扱えず、その頃には青白晶も作られており、一部の力ある者にしか術は使えませんでした。そのため、ヒルコは白狼族親衛隊長の狗剱來寄に取り入ることを決めて、白狼の姿に化けて里の前に倒れます。そこを來寄に拾われて、彼と結婚することに成功しました。その後にハクが産まれて、結界操術の能と自分の血を受け継いだ妖怪が誕生したのです。数万規模の転移を成功させるためには高い実力が必要です。それをハクに培わせるために彼を生かしておいたのです。鹿島健人に指示して彼を鍛えられるようにも仕向けました。そうして、第二次人妖大戦を起こします。

 ハクをわざと前線鬼部隊と当たらせるようにしたのも、戦争の途中で鬼軍を自由にさせたのも、人間軍撤退時に健人一人で妖怪たちを抑え込めたのも。全てはヒルコの策謀だったのです。ハクはヒルコの前へと辿り着き、健人が仕込んだ脇差によって動けないようになりました。三種の神器も揃いいよいよ転移というところで、彼女の野望は一つの核と鬼門寺信虎を始めとした鬼たちによって阻止されるのでした。

 

 

 ___果たして、信虎によって生かされたハクはどうなるのか?ハクが行き着く先とは?

 

それは、この次より始まる『東方白狼伝説 第三章 諏訪大戦篇』にて明らかになるでしょう。どうぞご期待ください。

 

 

 

【登場人物紹介】

 

~狗剱(いぬがたな)ハク~

種族:白狼(半神半妖)

能力:重力を操る程度の能力

技:重力結界…重力変化をもたらす結界を飛ばして当たった相手の一部の重力を変化させる。紡氣練戦装(ぼうきれんせんそう)…身体に結界を纏わせて硬化させる。攻撃・防御の両方に対応可能。

説明:三大妖怪が一つ白狼族、その武門の誉れ高い狗剱家に生まれる。父に狗剱來寄、母に狗剱若葉をもつ。非常に自信家な性格だったが、タケ爺に修行をつけられて少々冷静に考えることができるようになる。武闘祭では鬼門寺虎千代に敗北するも、白狼族長の橘貴治から見事と称される闘いをした。しかし自身の故郷である白狼の里が燃やされて茫然自失となり、八意永琳に拾われ月の都で生活することになる。その中で月の都兵士長の鹿島健人に師事して、自身の仇である九頭龍晴景・木花咲耶姫を討つことを志す。第二次人妖大戦で彼らを討つ機会に恵まれるも、真の黒幕であり彼の母でもある“ヒルコ”の前に伏すことになる。鬼門寺信虎たちの活躍により、その命は生かされることとなった。第二次人妖大戦時、13歳程度。ダンゴが好き。

 

~狗剱(いぬがたな)來寄(らいき)~

種族:白狼

能力:流れを変える程度の能力

説明:白狼族族長直下親衛隊隊長を務める狗剱家の男。妻に狗剱若葉、子に狗剱ハクをもつ。家族や仲間を最も大事に考える責任感が強い性格。しかし若い時にはやんちゃしていたらしく、基本的に敬語を使わなかった。しかし、今の立場を背負うことになってから彼自身の心境の変化もあり、今の性格になった。小さい頃の虎千代にも影響を与えており、彼女に目標として慕われた。後ろに背負った大太刀を武器に使い、ハク曰く「流れるような剣技」とのこと。作中では描かれなかったが彼の能力もえげつなく、白狼族随一の実力と称えられる。最期は八咫鏡を奪いに来たヒルコと闘い、彼の武器である大太刀を自身の腹に突き刺されて倒れた。その後にやって来たハクに噓をついて彼を遠くに飛ばした後に絶命した。

 

~(たちばな)貴治(たかはる)~

種族:白狼

能力:海を割る程度の能力

技:流転(るてん)…発生させた水流を手首を返しながら操りその体躯で攻撃する。

説明:白狼族族長。頭が固い頑固爺と思われそうだが、時に大胆で柔軟な思考を持つ。鬼門寺信虎とは幼少からの仲であり、よく彼の酒に付き合わされている。古風な口調で語るその様は顎の長い白髭とともに彼の威厳を高めている。最期は親衛隊員と共にヒルコの足止めをしたが、彼女に胸を貫かれ首を飛ばされて絶命した。

 

~タダノ~

種族:白狼

技:タダノモブオアタック…タダノの槍にモブオの無数の結界を収束させた巨大で鋭利な槍を投擲する技。

説明:白狼族親衛隊員。幼少の頃から槍の才があり、今でも結界操術で作り出した槍を武器にしている。長身でスラっとした見た目。モブオとは幼馴染。木花咲耶姫に対して繰り出した“タダノモブオアタック”は、彼女の頬に消えない傷を作るほどの威力を誇った。最期は木花咲耶姫に殺された。

 

~モブオ~

種族:白狼

技:タダノモブオアタック…上記を参照。

説明:白狼族親衛隊員。元々は気弱な性格だったが、幼馴染のタダノを手助けする為に親衛隊に入る。結界操術に非常に長けており、一人で無数の結界を周囲に展開できる。背はタダノと比べると低く太め。最期は木花咲耶姫に殺された。

 

~タケ爺~

種族:白狼

能力:水蒸気を操る程度の能力

説明:白狼の里の北東に位置する“朧山”で八咫鏡を護り、白狼族に結界操術を授ける役割を担う好々爺。昔の戦いにおいて左腕を失っているが、その老人とは思えぬ俊敏な動きで敵を翻弄する。親衛隊に入る者は必ず彼の下で修行をして認められなければならない。朧山にかかる霧はタケ爺が発生させていて、センサーのような役割を果たす。最期は來寄と共に八咫鏡を護るために戦い、ヒルコに殺された。

 

~鬼門寺虎千代~

種族:鬼

能力:血を力に変える程度の能力

技:血離華(ちりばな)…自身の背に大きな朱の華を咲かせてそれを徐々に散らせる。一枚落ちる度に理性を失う程の激痛が走り、攻撃力と俊敏性がその度に上昇する。

説明:鬼族族長の娘。幼少の頃から学問を嗜み武術には興味を示さなかったが、狗剱來寄の「力はその誰かを護れるかもしれない」という言葉により武術に勤しむようになった。長い白髪を後ろで結ぶ髪型で、純白の服の背中には紫苑の花が咲いている装いを着ている。万人に対して礼儀正しく振舞うが、気の許した相手にはおどけて見たり冗談を言ったりする。自身の能力の制御がうまくいかないことに悩んでおり、武闘祭の時にはハクを殺そうとするまで暴走した。第二次人妖大戦では血の流し過ぎにより気絶し、信虎によって逃がされた。ハクと同い年。

 

~鬼門寺信虎~

種族:鬼

能力:空を割る程度の能力

技:裂空…拳を突き出した衝撃により空間に亀裂が走り、相手を切り裂こうとする技。破空…自身が持てる妖力の全てを正面の空間にぶつけて歪ませ、そこ目掛けて渾身の突きを繰り出すことにより空間を割る技。そこに入った者が何処へ行くのかは誰にも分からない。

説明:鬼族族長。大柄の体形で大木のようなゴツゴツとした双腕に、額には真一文字の傷痕が走る。鷹のような眼光に見つめられた者は竦み上がってしまいそうだが、実は気のいいおっさんで懐が大きい。酒がすこぶる好きで、よく白狼族長の橘貴治と共に飲む。娘の虎千代には次の族長へと育てるために敢えて厳しくしてしまうが、娘に嫌われてないか本当は心配で毎回落ち込む。最期は健人を退けてハクと虎千代を逃がした後に、ヒルコを死に物狂いで食い止めて核の炎に焼かれた。

 

~八意永琳~

種族:月人

能力:あらゆる薬を作る程度の能力

説明:月の都の支配者ツクヨミの左腕と称される“月の都の頭脳”。200万年前に初代ツクヨミ様に孤児だったところを拾われて彼に育てられる。ありとあらゆる本を買い与えられてまた永琳自身もツクヨミの役に立ちたいと思い、がむしゃらに努力した。その結果彼の隣に立ちその辣腕を振るうことになるが、第一次人妖大戦での失態でツクヨミを死なせた罪で軍法会議にかけられる。しかし、ツクヨミがその死の間際に放った言葉により彼女は許されて再び仕えるが、先のトラウマにより冷酷な合理主義者になってしまう。その後にハクと出会うことによって徐々にその心が溶かされていくが、第二次人妖大戦の折に健人の裏切りと核の投下により彼らを失ったことにより、再度心が破壊された。弓を武器に戦い毒矢を最も得意とする。完璧超人と思われがちだが料理と片付けができない。家が汚い。ハクの尻尾がもふもふで好きらしい。

 

~綿月依姫~

種族:天孫

能力:神霊を呼ぶことができる程度の能力

説明:天孫四大貴族が一つ綿月家の娘。豊姫の妹。鹿島健人に師事しており、彼をもって「齢十にしてなかなかの使い手」と言わしめるほどの剣術の才がある。生真面目でしっかり者と周囲に思われているが、年相応に可愛らしいところもある。姉によくいじられる。昼ドラ・少女漫画が好き。テンパると急にポンコツになる。

 

~綿月豊姫~

種族:天孫

能力:山と海を繋げる程度の能力

説明:天孫四大貴族が一つ綿月家の娘。依姫の姉。妹を自身の能力を使って驚かしたりするなどお茶目な部分もあるが、綿月家の長女として礼儀と物腰柔らかな口上により相手を感嘆させることもある。彼女が持つ扇子には一振りで森を素粒子レベルで吹き飛ばす力があるのだが、そんなものを日常的に持ち歩いてる。

 

~蓬莱山輝夜~

種族:天孫

能力:永遠と須臾を操る程度の能力

説明:天孫四大貴族が一つ蓬莱山家の一人娘。自由奔放で自分勝手、貴族らしからぬ振舞いから貴族内では異端視されている。しかしそのことを輝夜自身は気にしてる様子はなく、一人で護衛も付けずにフラフラと出歩いていることが多い。誰に対しても隔てなく接することから庶民たちには慕われており、彼女の奇想天外な行動に対しては“輝夜様のなさること”という言葉が市井に流行るほど。意外に義理堅く、一度施された恩を一生忘れない。

 

~ツクヨミ~

種族:天孫

能力:月を司る程度の能力

説明:高天原から地上の人々を導くために送られた天孫の主“ツクヨミ”その三代目。月の都の静海殿で政を執り行い、永琳をしてそれは“仁道”と言わしめた。自ら民たちの避難を手伝う様や、自身の非を素直に認められるところから月の都全住民に慕われている。しかし、月移住計画の情報流失による第二次人妖大戦の勃発や、腹心の鹿島健人の裏切りなどにより心に深い傷を負った。彼の能力は先代から一族に継承されるもの。

 

~塚原左之丞(さのじょう)~

種族:月人

能力:???

説明:月の都の副兵士長。兵士長の健人が先頭に立って戦うため実質的な軍の指揮権を持つ。生真面目でマメな性格が功を奏し、軍の経理なども担当している。健人に小言を言いながらも献身的に補佐をし、部下には厳しくしながらも身分を問わず有能な者は取り立てるため、尊敬を集めている。武器は薙刀。家計簿をつけることが趣味。第二次人妖大戦では健人の裏切りに気付くも、彼に斬り捨てられた。

 

~ヒルコ(狗剱若葉)~

種族:神

能力:妖を司る程度の能力

説明:來寄の妻で、ハクの母。伊邪那岐・伊邪那美の最初の子であったが、その姿が異形であったために葦の舟に乗せられ捨てられた。その後に彼らへの恨みの感情から妖怪を生み出し、高天原の転覆を企てる。暫くは雌伏の時を送っていたが、三種の神器と白狼族の結界操術に目を付けてそれらを得るために動き出す。最終的には木花咲耶姫と鹿島健人を味方につけて第二次人妖大戦を起こす。しかし、ツクヨミ・永琳が落とした核と鬼門寺信虎などの妨害により、その野望は頓挫することとなった。

 

~木花咲耶姫(このはなさくやひめ)~

種族:神

能力:桜を操る程度の能力

技:刺誰咲くら(しだれざくら)…髪をまとめている簪を引き抜きその髪の一本一本を鋭利な桜の枝へと変化させて相手を刺し殺す。

説明:月の都より東方に位置する神山“ふじの山”に住まう神。第一次人妖大戦を晴景とともに起こすが負け、黄泉平坂に投獄される。その後に脱獄して、高天原の神々に同じく恨みを持っていたヒルコに協力する。肩をはだけさせた着物を着ており頭には豪華絢爛な簪、異様に長い直刀である“布都御魂(ふつのみたま)”を携える。落ち着き払い礼節を重んじるが、考えが他と少しずれているため慇懃無礼に聴こえることもある。第二次人妖大戦では一軍を率いるが、ツクヨミ・永琳が落とした核に飲まれた。

 

~鹿島健人(かしまのたけひと)~

種族:月人

能力:地震雷火事親父を引き起こす程度の能力

技:一之太刀(いちのたち)…刀の柄を自身の顔の横に近づけて切っ先を上に向ける構えのこと。示現流の蜻蛉の構えが元ネタ。炎神旋風(ほのかみせんぷう)…能力により刀に炎を纏わせて回転して繰り出すことによって竜巻を発生させる。蜻蛉斬(とんぼぎり)…一之太刀の構えから繰り出される高速の斬り下ろし。

説明:月の都の兵士長。永琳とは幼なじみ。2メートルの長身に浅葱色の羽織、白鞘(しらさや)(鞘と柄が木製の刀のこと。ル〇ン三世の石川五〇衛門の刀みたいなイメージ)の刀を武器にする。緩い口調で話すので老若男女問わず好かれる。依姫・ハクに剣術を教える。…ここまでは表の顔で、その裏ではヒルコの配下として月の都の諜報活動などを行っていた。第二次人妖大戦でツクヨミを襲撃して八尺瓊勾玉を奪いヒルコの下に届けるが、信虎に伸されて核の炎に飲まれた。

 

~九頭龍(くずりゅう)晴景(はるかげ)~

種族:大蛇

能力:大地を割る程度の能力

説明:第一次人妖大戦を引き起こした当時の大蛇族の族長。おしろいを塗った顔に雅な紫色の装束、手には扇子を持ち烏帽子を被る貴族風の男。木花咲耶姫と黄泉平坂に投獄されていたが、ヒルコの助けにより脱獄。しかし彼女に殺されてしまった。その後はヒルコに化けられて良いように使われることになる。

 

~初代ツクヨミ~

種族:神

能力:月を司る程度の能力

説明:伊邪那岐の子で天孫の主。200万年前にアマテラスの命令で人間たちを導くために地上に降り立ち、月の都を創建する。孤児だった八意永琳を拾い養育し、彼女を“月の都の頭脳”と言われるまでの存在に育て上げた。しかし、第一次人妖大戦での妖怪軍の正面突撃により落命した。生前はその武力でもって苛烈な戦いを行ったが、領内では善政を布いたため永琳をして“覇道”と称された。

 

~ダンゴマスター~

種族:月人

能力:ありとあらゆる団子を生み出す程度の能力

説明:月の都でダンゴ屋を営む店の大将(マスター)。彼自身がこの世界で初めて“ダンゴ”というものを開発し、それはたちまちに庶民の間で話題になった。紀元後には彼の存在は神格化し、団子丸須太命(だんごますたのみこと)として崇められることになる。

 

 




 次回からは、第三章の始まりとなります。


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第三章 諏訪大戦篇
第二十七話 目覚め


 昨日、人が死んだ。

 今日、赤子が生まれた。


 明日、果たして僕は生きてるだろうか。

 今を、生きれてるだろうか




『なあ、ハク』

 

 …なに父さん。

 

『俺たちは何で生きてると思う?』

 

 …は?突然なんだよ。………考えたこともないなぁ、産まれたから生きてるんじゃないのか。

 

『“産まれたから生きてる”か…。それじゃあ母さんはなぜ生きてると思う?』

 

 …そんなもん母さんも産まれたから生きてるに

 

『じゃあ母さんの母さんは?』

 

 ………。結局何が言いたいんだよ

 

『わははは!すまんな、怒らせたか。…まあつまり、お前は俺と母さんの子だって話だ』

 

 ほんと…意味わからん。

 

 

『生きろよ、ハク』

 

 …?どうしたんだよ急に立ち止まって。

 

『辛いこと、悲しいことがあっても、()()()()()()()()何とでもなる。…死んだ俺と違ってな』

 

 お、おい…。一体何のはなしっ

 

『俺は、あの時から心が止まったままだ…。死んじまった俺にはもう後悔することも泣くことだって出来やしない。でもよハク、お前は生きてる。…それが救いだ。』

 

 とう…さん?

 

『諦めんじゃねえぞハク。道は、必ず前にある。…まあお前なら大丈夫だ、何たって』

 

 父さんッ!

 

 

 

『俺の、息子だからなっ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「父さんッッ!!!」

 

 ハクは勢いよくその身体を起こす。薄暗い、彼が初めに感じたことはそれであった。とくとくとくと、水の流れる音がどこからともなく聴こえる。ひんやりとした空気を吸い込んでは吐き出し、無意識に首を動かして周囲に目を向ける。

 そこは、洞窟であった。水分を多分に含んだ苔が岩肌を覆い、天井には外に続いているのだろう所々に穴が開いて光が漏れている。彼が今まで寝ていたのは円形のドームのような空間だった。そしてその中央、ハクの横。そこでは、()()()()()()がハクのことを見つめていた。

 

主「ッ!?」

 

 一瞬ぎょっとしたハクだったが、冷静に考えを巡らせてみると、ある一つの答えが浮かんでくる。

 

主「…もしかして、助けてくれた?」

 

蛇?「………。」

 

 よく見てみるとハクの身体には包帯がぐるぐるに巻かれており(ちょっと雑)、刺さっていた脇差もしっかりと抜かれている。目の前の蛇にこんなことが出来るとは思えないが、少なくとも相手から敵意は感じず襲ってくる様子もない。信用はしてもいいようだった。

 

主(…それにしても、さっきのは夢?なんかすげえリアルだったな………ていうか)

 

 

主「ここ、どこよ…」

 

 至極もっともな感想であった。ハクは先程まで妖怪軍のど真ん中にいたはずである。

 

主(オレはかあさ…“ヒルコ”の前に倒れて、それから…それから?それから…、どうしたんだっけ?確か………あーくっそっ頭痛てー…)

 

何とか自分がここに至るまでの経緯を思考してみるが、ない袖は振れないのと同じであの後どうなったのか、ハク自身全く見当がつかない状態であった。そんなこんなでうんうん唸っていると、この空間から伸びている道らしき横穴から誰かが歩いてくる音が聞こえる。ハクはそこに目線を向けると、変な帽子を被った金髪の幼女がこちらに走って来ていた。

 

主「お、………てっ…ぐ!?」

 

 その少女に声をかけようとしたハクは、走ってきた彼女によって胸ぐらを掴まれて地面に押さえつけられた。突然のことにハクはなすすべがない。

 

「動くなッ!!」

 

 少女は息を荒げながら怒鳴りつける。今の状況が理解できないハクは、自分を押し倒している彼女へとその疑問をぶつける。

 

主「痛てて……。おいおい、怪我人相手にいきなり押し倒すなよ。それに、動くなって言われても動いてねえし、動くつもりもねえよ」

 

「噓つけ、そうやって私を騙すつもりだろ。それに…妖怪お前ッ、“ミシャグジ様”に何もしてないだろうな!!」

 

主「“ミシャグジ様”?」

 

「…私の横にお坐す御方だ。」

 

 そう言った少女はちらりと横に視線を送る。その先にはさっきの蛇がいた。

 

主「何もしてねえよ…」

 

「噓つけッ!!」

 

主「噓じゃねえよ!!ていうか、ここは何処なんだよ!オレ目が覚めたら突然こんなところにいて…!」

 

「それはこっちの台詞だ!お前、いきなり上の天井から降ってきたんだぞ!?そんな得体の知れない奴のことッ本来ならば手当てせずに殺すものを…、ミシャグジ様が助けよと仰ったから私は渋々包帯まで巻いてやったんだ!寛大なミシャグジ様に感謝するんだなッ!!」

 

 少女がそこまで発すると、先程まで彼女と同じように声を荒げていたハクは、押さえつけられたことで全身に入っていた力を抜く。それに合わせてハクの胸に置いていた少女の握りこぶしが少し沈んだ。

 

主「…ありがとう。」

 

「………は?」

 

主「だから、助けてくれてありがとう。結構な重傷だったろ?まだ少し痛むけどさ、こうしてオレが生きてんのはアンタとそのミシャグジ様のお陰だ、ありがとう。」

 

 ハクがお礼の言葉を最後まで伝えると、少女はきょとんとした表情を浮かべて両手を彼の胸から離す。そうしてしばらくの沈黙の中彼らが見つめ合っていると、ハッとした少女がまた険しい顔でこちらを睨みつけてきた。

 

「だ…、騙されないぞ妖怪っ!!そんな言葉で私を篭絡しようだなんて思ってるんだろ!」

 

主「思ってないけど。…というかさっきから妖怪妖怪って…オレの名前は狗剱ハク、アンタは?」

 

 

洩矢(もりや)諏訪子(すわこ)…。」

 

主「おう、ほんじゃ諏訪子。助けてもらって本当に感謝してるし恩も返したいところだが……生憎()()()()()()()()が残っててな。…あれから何日経ってるかは分からないが、月の都ってどっちの方角にあるかだけ教えてもらってもいいか?」

 

 ハクから問われた諏訪子はしばらく考えた後に、怪訝そうな顔で彼に返す。

 

諏訪子「………月の都?は、何それ?」

 

主「え…?い、いや月の都だよ!人間たちが住んでる…って住んでたか。とにかく、でっかい壁に囲まれた天孫が治める都市のこと!」

 

諏訪子「…そんなとこ、ないけど」

 

 諏訪子の一言を受けてハクは固まる。

は?月の都がない?いやいやいや…流石に知らないだけってことはないでしょ…、人妖大戦で有名だし。というと…

 

 

主「どういうこと…?」

 

諏訪子「ああ…もう!こっちの台詞だってば!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

主「“諏訪国(すわのくに)”…?」

 

諏訪子「そう。それがここの名前」

 

 あの後、ひと通り諏訪子から今オレがいるこの場所について教えられた。

“諏訪国”___。巨大な湖である諏訪湖のほとりに建てられた国で、俺の前にいる少女“洩矢諏訪子”がここを治めている。話によるとこの国の人々は皆“ミシャグジ様”を信仰しているらしく、その信仰共同体によって形成されている国だそうだ。勿論オレは諏訪国なんて生まれてこの方聞いたことないし、諏訪子もオレが話す地名などは知らないと言っている。うーむ………オレは異世界にでも飛ばされたのか?

 

諏訪子「…兎に角、話はこれで終わり。だからさ………さっさと出てってくれない?」

 

主「え…」

 

 

諏訪子「どれだけ話しても貴方は()()()()()()()()()に過ぎないし、何より…私の国に妖怪の居場所はないの。分かったら今すぐ出てって」

 

 諏訪子がハクに対して殺気を向ける。ヤバいと思いつつも、ハクは何とかできないかと彼女に反論する。

 

主「…人を襲うかもしれないって思ってるのか?信じてくれるかは分からないが、オレがいた世界ではむしろ人を食べる妖怪そのものが稀だ。そんなことしなくても生きていけるからな…それに」

 

諏訪子「出てって」

 

主「………もう少し話を…」

 

諏訪子「出てけぇッッ!!!」

 

 しんとした洞窟内に諏訪子の悲鳴にも似た声が響き渡る。その反響した音が消えて彼女の息遣いだけが残ったところで、ハクは腰を上げた。

 

主「…分かった。出てく」

 

 彼女は本気で怒っている、否拒絶している。そんな心からの叫びに、ハクはこの場から去る以外の選択肢を選べなかった。

去り際、出口へと向かうハクとその場に立っている諏訪子がすれ違う際に、彼女はハクに対して言い放った。

 

 

 

諏訪子「覚えておいて。私、妖怪がこの世で一番()()()()()()()()()大嫌いなの。」

 

主「…そーかよ」

 

 ハクはそのまま洞窟を出て、先ほど諏訪子から聞いていた諏訪国の領域外へと向かった。

 

 




【補足】

ミシャグジ様:諏訪国で崇め奉られている白蛇の精霊。言葉を発することはないが、諏訪子とは意思疎通ができる様子。今回、ハクを助けるよう諏訪子に言った。

諏訪国(すわのくに):巨大な湖“諏訪湖”とその南に位置する神奈備山(かんなびやま)である“守矢山”を頂く国。領民全員が土着の神ミシャグジ様を信仰しており、また山神である諏訪子も信仰している。基本的には洩矢諏訪子が国内の政を執り行う。


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第二十八話 人と妖怪

 中部、関東、東北、そして北海道へ。日本の奥地へと追い込まれた民族が存在する。それは大和朝廷から“蝦夷”と呼ばれた者たちである。

彼らは一説では日本刀の起源と言われるワラビテ刀を持ち馬に跨って、恭順する事を良しとせずに抗った。そんな彼らに対して朝廷は古くは日本武尊の東征や征夷大将軍の派遣、多賀城などの築城を行って彼らを攻め立てたのである。その中でアテルイとモレの悲劇なども起こった。

そして幕末、北海道にいた彼らは“アイヌ”と呼ばれていた。松前藩の不公平な貿易などや、時代が明治になると政府による開拓使たちの入植による土地の没収などが相次いで彼らはまた追いやられた。その中には松浦武四郎のように彼らに寄り添う者も現れたが、結局政府による対応は変わらなかった。アイヌの人々の保護を謳った1889年の旧土人保護法も結果的に彼らを日本人に同化させ、その文化を衰退させるに至った。

そして現代。1997年のアイヌ文化振興法を始め、多くの差別撤廃のための活動や施策がとられている。中国史を見ていると異民族との戦いなどが描かれるが、我々日本人にも決してそれを他人事とは言えない過去があったのだ。そして今も、である。現在では知らない人も増えてきているが一昔前では沖縄出身の方も差別されていた。その他にも過去日本には山窩や鹿児島の隼人など、異なる文化を持った者たちもいた。

 日本という国の中に住んでいると、時に忘れてしまう。歴史の、多くの、未知の。
その、民族の流動と淘汰を。





主「案外、暮らしていけるもんだな野宿でも」

 

 諏訪子に追い出されてから3日ほどが経ち、ハクは偶然見つけた山中の洞穴を拠点として、そこを中心に生活していた。

 

主「…ほんと、タケ爺様様だな」

 

 ハクは先程狩った鹿を解体しながらそう呟く。その言葉通りに、朧山での一か月がなかったら彼は空腹で今頃倒れていただろう。しかしそうならなかったのは、彼にサバイバルの知識を教えてくれたタケ爺のお陰なのは明白だった。ハクの朧山での修行中の食事は今のような獣肉や山菜が主であり、それを毎日タケ爺と共にとっていたのである。その様な経験があって、ハクは何とか今日まで生き抜いてこれたのだった。

 血抜きしてひと口大に捌いた鹿肉を沸騰した鍋に入れ込む。味は…勿論塩などはない為、その辺に自生していたニラやサンショウなどを入れて誤魔化す。ま、まあ食えるやろ。でも塩がないのは死活問題だな、どこかで仕入れなきゃ。そんなことを考えつつ、沸々と煮立つ鍋を見つめながらハクは考えに耽っていた。

 

 この世界に来て早三日。これまで色々と調べてはいるものの、オレがいた場所への帰り道などはおろかその残滓さえも見つけることは叶わなかった。

 

主(母さん…っ)

 

 過去を思い出していたハクの両目から涙が溢れる。自分の父や師、仲間たちを殺したのは、あれほどの憎悪の気持ちを抱いていた相手は、自身の母親だった。あの時は気丈に振る舞っていたが、やっぱりつらい。今まで十三年間、時に一緒に笑い、時に褒められ、時に怒られ___。この時間は何だったのだろうか。その時に浮かべていた表情は噓だったのか。ハクには何も分からない。彼女がまだ生きてるのかどうかさえも分からない。それに、共に彼女へと立ち向かった鬼たちは?信虎殿は?虎千代は?………オレは、ここで何をしているのだろうか。

 

主「………」

 

 ぱちぱちと火が弾ける音が鳴る。

手掛かりというか、天から吊るされた蜘蛛の糸というか、そのようなか細い道ならある。…諏訪子だ。いや、正しくは“ミシャグジ様”、かな。諏訪子はオレの話にピンともきていなかったし、何か知ってる可能性があるとすればあの時横にいたミシャグジ様だ。彼は(彼でいいのか?)、諏訪子に()()()()()()と言っていたらしい。唯の気まぐれでなければ理由があるのだと思う、そこに賭けてみるのは無駄じゃないはずだ。だがしかし、ミシャグジ様に会って話すには大きな障壁があるのも事実だ。

 

 洩矢諏訪子。彼女は確かにオレに言った『出ていけ』と、それには『二度と戻ってくるな』の意味も込められている。諏訪子を説得しない限り、ミシャグジ様に会うことは実質不可能だ。もし黙って忍び込んで見つかった際には言い訳のしようがないし、見つかった瞬間殺しにかかって来る、これは避けたい。だから正々堂々と正面から入る必要があるのだが、永琳から貰った人化の薬の効果も切れた以上、妖怪であるオレにその手段は選べない。ううむ………。

 

主「…まあ、明日考えるか」

 

 いい感じに柔らかくなった鹿肉を木の棒で突き刺して食べ始める。明日は明日の風が吹くと言うし、焦っても事態は好転しないよな。

鹿鍋を食べ終わったハクは、洞穴の中へと入り無造作に寝転がってそのまま眠りへと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 翌日。近くの人間の村で何か情報はないかと、布切れで耳と尻尾を隠したハクはそこに向かっていた。

 

主「ん?」

 

 山を下りて平地へとたどり着く。すると何やら前方から騒がしい声が聞こえる。気になったハクは隠れながらその方へと近寄ると、そこには一人の人間の女と二匹の妖怪がいた。

 

 

「おいおいおいッ、どこまで逃げんだよ~」

 

「いい加減に止まれよ、追いかけっこはもうあきたぜ」

 

「あ…ああっ!た、たすけっ………」

 

 女性は転びそうになりながらも死に物狂いで後ろから追いかけてくる妖怪たちから逃げる。しかし、

 

「あッ…!?」

 

 後ろを振り返りながら逃げ続けていた彼女は、前方にある木の幹に気付かず足を掛けて転んでしまった。うずくまり身体を震わす彼女の下にその妖怪たちは笑いながら近づく。

 

「へへへっ、コケてやんのコイツ!」

 

「さあて、おとなしく食われやがれッ!」

 

 女性の首元に妖怪の片方がその腕を伸ばす。だがその動きは彼らの後背からの声によって止まる。

 

主「おい」

 

 妖怪たちが眉間にしわを寄せて後ろを振り返る。そこにはボロ布を全身にまとった少年が立っていた。

 

「アア~?なんだァ小僧。今いいところなんだから邪魔すんじゃねえよ」

 

主「人を食うなど、弱い妖怪のすることだ。」

 

「ハア?オマエ何言ってんの、妖怪が人食うのは当たり前だろ」

 

主「誇り高き白狼の一族として、貴様らは妖怪と呼ぶにも値しない…唯の害虫だ。」

 

「………ケンカ売ってんのか」

 

 女性に手をかけようとしていた妖怪二匹がハクの方へと向き直る。ハクから見て左側の妖怪が指を鳴らしながらこちらへと近寄って来た。

 

「どうやら死にたいらしいなァ…!いいぜ、かかってこぶはッ」

 

 刹那、彼らの目の前からハクが消えて、彼に向かって来ていた妖怪が自分の腹を押さえながら膝から崩れ落ちる。それを見ていたもう一匹の妖怪は驚いて声を上げそうになるが、突如として自身の喉元にあてがわれた小刀にそれを飲み込んだ。

 

 この時にハクは瞬時に自身の両足に重力結界を掛けて俊敏性を上げると、手前の妖怪の腹に一撃。次いでその後ろの妖怪の前へと移動している間に、結界操術を用いて小刀を作り出し彼の喉元にあてがった。僅か三秒の出来事である。

 

主「質問に答えな。そしたら逃がしてやる」

 

 ハクの声に先程の態度はどこかへと飛んでいき、目の前の妖怪は静かに両手を上げた。

 

「うっ………」

 

主「この辺では貴様らみたいに妖怪が人を襲うことは普通なのか」

 

「おっ…そ、そうだ…。この辺というか、どこでもそうだと思うぞ…。」

 

主「もう一つ、月の都って知ってるか」

 

「…月の都?いや、知らねえが…」

 

主「そうか…。」

 

 ハクはそこまで聞くと構えていた刀を下ろす。

 

主「質問は以上だ、…早くどっかに消えな」

 

「す、すまねぇ…!ももうアンタの邪魔はしないから…そそれじゃあなっ!!」

 

 そう言うとその妖怪は倒れている仲間を担いでそそくさと逃げ去ってしまった。この場にはハクと襲われていた女性だけが残る。

 

 

主「はあ………おい、アンタ大丈夫か?」

 

「ひっ…!よ、妖怪来るなッ!」

 

主「うん?………あ」

 

 ハクが声を掛けるとその女性は恐れながらも大声を上げる。え、何で気付かれた?隠してるのに。そう思ったハクであったが、先程の戦闘によって被っていた布がはだけていることに気付く。そこからは彼の白い耳がぴょこんと跳び出していた。

 

主「あー…そゆこと」

 

「くっ…。に、逃げないと………っ!?」

 

 ハクに背を向けて逃げようとした女性は突然うずくまると自身の右足を押さえ始めた。辛そうに呻く彼女にハクは近づき、押さえている部分を見る。

 

主「こりゃダメだね…腫れてる」

 

「ッーー!?い、いや!だめ食べないでぇ!!」

 

主「食べねーよ。…ちょっと貸せ」

 

 女性の足を掴んだハクは懐から薬草を取り出すと、彼女の患部にそれを当てる。そして自身が着ていた服の裾を裂くと、彼女の足首に薬草とともに巻き付けた。

 

 

「えっ………?」

 

主「うん、とりあえずはって感じかな。汚い布しかなくてごめんね、帰ったらちゃんとしたもので巻きなおしな」

 

「………あの」

 

主「ん?」

 

「………何で、食べないんですか…?」

 

 先程まで肩を震わせながら絶望に慄いていた彼女は、打って変わって恐れは感じているものの肩の震えは止まって目の前の妖怪に問いかけた。ハクは一拍呼吸を置いてそれに答える。

 

 

主「食べたことないから」

 

「…へ?」

 

主「オレ人間食べたことないんだよね、妖怪なのにさ」

 

「………ふふっ、何ですかそれ」

 

主「え、なんかおかしい?」

 

「十分おかしいですよ…ふふっ」

 

 女性はハクの言葉を受けて、緊張が解けたかのように口に手を当てて笑い始めた。それにつられてハクも照れた様子で笑う。しばらく二人で笑いあった後、女性はハクに対して頭を下げる。

 

宇歌「遅ればせながら、先程は助けていただきありがとうございました。私の名前は“東風谷(こちや)宇歌(うか)”、この近くの社で巫女をしております。」

 

主「狗剱ハクだ。…なーにお礼はいいよ、それより大丈夫帰れる?」

 

宇歌「少し、無理そう…かもです」

 

主「それじゃあ、君の家の近くまで背負って行こうか?…流石にオレ妖怪だからさ、本当に近くまでだけどそれでもいいなら」

 

宇歌「すみません…。では、お願い出来ますか?」

 

主「おういいよ」

 

 そう言ってハクが宇歌の手を取ろうとすると、遠くから叫んでこちらに走って来る人影を見つける。

 

 

『うーーーかーーーッ!!!』

 

主「げっ…!?」

 

宇歌「え?」

 

 走ってきた金髪の幼女はハクに殴りかかる。

 

主「うわーーーっ!?」

 

 ハクはそれを真剣白刃取りの要領で受け止める。

 

諏訪子「お前ッウチの宇歌に何してんだあーーッ!!」

 

主「す、諏訪子!?」

 

 そこに居たのは、三日前にハクを自分の国から追い出した洩矢諏訪子だった。

 

 




前書き、関係ない話をつらつらとすみません。

諏訪のことについて調べていたらついつい書きたくなって。熱を帯びてあんな長文になってしまいました。

情報・言葉遣い等、誤りがありましたら是非とも忌憚なくお教えください。


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第二十九話 雪解け

 耳鼻を劈くような凍寒も
炬燵に入ればぬくぬくと、心も安らぎ

 卒業以来疎遠の旧友も
酒が入ればわいわいと、日々を語らい

 東西に引き裂かれた国も
壁に罅入りがんがんと、人々が抱き合った


真っ暗な漆黒の夜が終わったら、橙の朝焼けに包まれて太陽が昇る。陽が雪を解かし、植物がその氷の鎧を脱ぐ。タイムパラドクス。発芽して生る実は希望房(ほう)。落ちる木の葉に落陽。
結末は分からぬ、けれど道は開ける。




宇歌「ま、待ってください諏訪子様!誤解ですっ!!」

 

 諏訪子の一撃を受け止めて一旦距離をとった彼らの間に、宇歌が痛めた足を引きずりながら割り込む。その姿に諏訪子は怯みハクに再度向かおうと両足に込めていた力を緩めた。

 

諏訪子「…誤解?」

 

宇歌「はいっ!この方は私が他の妖怪に襲われていたところを助けてくれたんです!ですから傷付けるのは止めて下さい!!」

 

 宇歌は腕を横に広げ頑としてそこを動かない。諏訪子は軽く息を吐き全身に纏っていた神力を解くと、腰に手を当てて彼女の後ろにいるハクに声をかけた。

 

諏訪子「…ねえ妖怪、今の話本当?」

 

主「お、おう…本当だけど」

 

諏訪子「ふーん」

 

 諏訪子はハクに近づく。しかし先程のような殺気は感じない、ただ無表情なのを除いては。

 

諏訪子「まあ…その、なに。……宇歌のこと助けてくれてありがとね。」

 

 そっぽを向きながらハクに礼を言う。前に追い出した手前、正面切って言うのは恥ずかしいのだろう。

 

主「………うん、どういたしまして」

 

 気まずい空気が流れる中、諏訪子の後ろで二人の和解を見ていた宇歌が明るく切り出す。

 

宇歌「そうだ。諏訪子様、彼を家に招いてお礼をしたいのですが…よろしいでしょうか?」

 

諏訪子「な…!?だ、駄目だよ!いくら何でも妖怪を社に入れるなんて…。それにコイツ何か悪いこと企んでるかもだし!」

 

宇歌「あ、それは大丈夫です。」

 

諏訪子「何でっ!?」

 

 宇歌がハクの方を見る。そして、目を細めて少し微笑んだ後にまた諏訪子の方を向いた。

 

宇歌「…彼の雰囲気、何となく似てるんですよね諏訪子様に。」

 

 

諏訪子「え゛!?」

 

宇歌「そんな訳なので、妖怪ですけど何故か信用できる気がしてます。勘ですけど…」

 

 

諏訪子「()、ね。………本当にいいの?」

 

宇歌「………はい」

 

 宇歌が小さく返事をする。それを聞き取った諏訪子は大きなため息を吐いてこう言った。

 

諏訪子「あっそ。………勝手にしなさい」

 

 くるりと、その身を翻して諏訪子は彼女がやってきた方向に歩き出す。一方宇歌はニコニコしながらハクに話しかけた。

 

宇歌「狗剱さん、聞きました?諏訪子様がいいよって言ってくれましたよ!」

 

主「いや、そんなポップな感じで言ってなかったと思うけど…。それにお礼はいいよ、迷惑かけるかも知れないし…」

 

宇歌「もう!そんな細かいことはよろしいんですっ!さあ、早く私を背負って諏訪子様を追いかけて下さい!さあ!!」

 

主「ええ…」

 

 それが背負われる人の態度なのか…。ハクは呆れつつも彼女の言うとおりにして、先に向かった諏訪子を追うようにその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

~諏訪国~

 

 この前は人目につかない道を通ってそそくさと国を出たためその町並みを見れずにいたハクだったが、今回は正門から入り多くの人で賑わう中を歩いていた。諏訪の国の中心街と思われる、奥に大きな社を望むこの大路には、呉服屋・飯屋・各問屋・茶屋などが所狭しと並んでいる。店先にはのぼりがはためき調子のいい声が至る所から聞こえ頭の上を飛び交う。活気にあふれた良い国だ…。そのような市井に目を奪われていると、足が石段にかかる。ここからは上り、諏訪の社へと続く階段である。

 苔むしたそれを一歩一歩踏みしめて上る。やがてその切れ目が見えてきて頂上へと達した。

 

主「………へえ…!立派だね」

 

宇歌「ふふ、ありがとうございます。」

 

 荘厳のなかに華あり。悠々と天を支えて構える屋根に、細部に緻密さが伺える柱、そして決して派手ではないが見るものの心に染み入る装いの拝殿。諏訪の社がそこにあった。

 

諏訪子「こっち」

 

 諏訪子が後ろを振り向くことなく呼びかけると、拝殿の右側の建物へと歩いて行った。どうやらそこが彼女たちの家らしい。

ハクは宇歌を背負い直すとそちらへと向かう。諏訪子が家の戸を開けて中に入ると、ハクも彼女に続けて入り背中の宇歌を床に降ろした。諏訪子は靴を脱いで奥の部屋に入っていく。

 

宇歌「お手数をおかけました。重かったでしょう?」

 

主「んにゃ、人間の一人二人造作もないよ。」

 

 手をぷらぷらさせて軽口を叩くハクに、またもや微笑む宇歌。しばらく二人で取り留めもない話をしていると、真新しい包帯を持った諏訪子が奥の部屋から出てきた。

 

諏訪子「はい」

 

 持ってきた包帯をハクに突き出す諏訪子。

 

諏訪子「私包帯巻くの下手だから、やって」

 

 グイっとハクに押し付けるように渡して、自身はその場に座った。ハクは手渡された包帯をほどいていき、宇歌の足に巻いてあった布を取ると、新しくそれを巻き付けていった。布の擦れる音だけが聞こえる。ほどなくして包帯を綺麗に巻き終えると、宇歌はハクに感謝の言葉を述べた。

 

宇歌「ありがとうございます。…狗剱さんは本当に私の命の恩人です。つきましては私、神に仕える巫女の身の上ですが、出来ることがありましたら何なりと申してくださいませ。」

 

主「…うーん。だったら、その…一つお願い事があって。みしゃ「すまねぇ!諏訪子様開けるぞぉ!!」………て、」

 

 突然ハクの後ろの家の戸口が開いて、町民らしき人物が姿を現す。彼の額には汗が浮かんでおり、その焦りようが伝わってくる。

 

「諏訪子様!大和の兵たちがまた!!」

 

諏訪子「何だって!…分かった今すぐ向かう!」

 

 町民の言葉に驚きの声を上げて立ち上がる諏訪子。彼女は彼に了解の返事をすると、横の宇歌に声をかける。

 

諏訪子「宇歌、ちょっと行ってくる。…そこのお前っ!」

 

主「え?オレ?」

 

諏訪子「………宇歌のこと頼むね!」

 

 そう言うと諏訪子は町民に連れられ戸口から飛び出して町の方向へと走る。そんな後ろ姿を見送ったハクと宇歌はその場に残される。

 

 

主「…何やら大事らしいな。ところで大和ってなんだ…?」

 

宇歌「大和は、西に位置する大国です。最近はこの国への当たりが強くなってきていて…、末端の兵士たちが町で悪さをすることが多々あるのでそれかと。…あの」

 

 宇歌がハクの手を取って、少し彼女の方へと引っ張る。それにつられたハクが彼女を振り返り見る。

 

宇歌「厚かましいお願いなのは重々承知ですが、…諏訪子様の所へと向かって頂けませんか?」

 

主「ん、…何で?」

 

宇歌「その、()()()()()()()…。諏訪子様の身に何かあるかもしれないんです。信じられないかもしれませんが、ここは騙されたと思ってどうか…」

 

 自身の胸にぎゅっと握った手を当てて切実に訴える宇歌。ハクはその様に彼女の手を強く握って、しっかりと頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おらっ!この娘っ子がどうなってもいいのかぁ!!」

 

「や、やだっ…!諏訪子様あ!!!」

 

諏訪子「くそっ…!卑怯だぞ貴様!!」

 

 諏訪子が町人とともに件の場所へと向かうと、そこでは一人の大和兵が町娘の首元に剣を当てて人質をとっていた。そして大声で「諏訪の神を出せ、ここに連れて来い!」と叫んでいる。諏訪子が名乗りを上げて彼の前に進み出ると、先程の会話ような展開になり、彼らは押し問答し合っていた。

 

「諏訪の神様よぉ!いい加減折れてくれねえかなあ!!こんなチンケな国の一つや二つぅ!渡してくれたっていいだろう?」

 

諏訪子「馬鹿言えッ!降伏勧告ならそれ相応の使者を立てろォ!こんな交渉の仕方認められるか!!」

 

 

 二人の言い合いが激化する中、諏訪子の斜め後ろの建物の屋根から彼女を弓で狙う者がいた。

 

(クックク…諏訪の神の首を取り我が国に持ち帰れば、どのような褒美も欲しいままだろう。アイツが注意を引き付けているうちに………さらばだッ、洩矢諏訪子!!!)

 

 

主「あー、あしがすべったー」

 

「っ!!??ぐおおッ!?」

 

 弓を引いて諏訪子に狙いを定めた兵士の尻に、密かに後ろに忍び寄っていたハクが蹴りを入れる。その衝撃で兵士は体勢を崩して前に転げ落ちた。どすんと音を立てて地面に落ちると、周囲にいた民衆と諏訪子、人質をとっていた兵士がこちらに目を向ける。

 

諏訪子「!?…お、お前何でここに!?」

 

「ッ………クッソォ!!!」

 

主「おーおー、見事に落ちたね…っと!」

 

 下を見て弓を持った兵が地面へと落ちたのを確認したハクは、屋根から飛び降りる。そして彼の出現に驚く諏訪子の隣に立った。

 

 

主「…宇歌ちゃんのお願いでね、何かアンタが危ないから行ってやってほしいだとさ。…本当に危ないところだったな」

 

諏訪子「おま…え………」

 

主「まあ、そこでゆっくり見てな。…前の奴も片づけてやるよ」

 

 そう言ってハクはもう一人の兵士に近づき、手のひらに展開していた結界を飛ばした。

 

主「“重力結界”」

 

 ハクが飛ばした青白い結界は目にも止まらぬ速さで兵士の右手に巻き付く。その瞬間ずんっと彼の右手が下がる。

 

「クッ!?な、なんだ…腕がッあ!?」

 

 カランカランとその手から剣が落ちる。そして彼自身も右手に引っ張られるように重力で下に崩れ落ちていき、遂には地面に手がつく。

 

「…ちくしょうッおおお!!」

 

 

主「なあ」

 

「…はあッ…はあッ…?」

 

 

主「帰れ」

 

「ひィッ…!ごッごめんなさいいいーーー!!!」

 

 兵士は地面にその身体を擦らせながら、這ってその場から逃走した。弓を持っていた兵士も町の人々によって捕らえられ縄でぐるぐる巻きになっていた。一仕事終えたハクに後ろで見ていた諏訪子が声をかける。

 

 

諏訪子「…ごめんなさい。」

 

主「?」

 

諏訪子「貴方のこと誤解してた。…今までの失礼な態度をここに詫びたい。それから…」

 

 諏訪子は、ニカっと無邪気に笑う。

 

 

諏訪子「ありがとうっ!!」

 

 




【補足】

諏訪の社:諏訪国の信仰の中心地であり、連日国の内外を問わず多くの人が訪れる。苔むした石段を上ると正面に拝殿があり、その右側には洩矢諏訪子と東風谷宇歌の家が存在する。そして、拝殿の裏にある道をしばらく進むと、一般人立ち入り禁止の洞窟があり、その中にはミシャグジ様が鎮座している。ここには諏訪子や信頼された巫女以外が入ることを許されない。

大和:諏訪国の西側に大勢力を築いている国。天皇と言う代表を中心とした中央集権的国家。最近は諏訪国を含めた東側諸国への侵略に力を入れている。


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第三十話 ミシャグジ様

 一つの区切り、ですかね。

ここから新たに始まります。




 宇歌ちゃんを助けて大和の兵を撃退したあの日から、オレは諏訪子の処に厄介になっている。あれだけ嫌われていたのに不思議なもんだ。…まあ諏訪子も国を守らなきゃいけない責任があるからな、警戒するのも無理はなかったのだろう。何より、オレが生まれたところの妖怪とここの妖怪は違うというか、話によると人間のように文化や大きな共同体を持つことはかなり少ないらしい。故に知能が低い妖怪も多く、人間を主食とするものが大半だそうだ。この世界には血の境界線も無ければ第一次人妖大戦後のような条約も無い、一歩国の外に出ればそこは無法地帯なのである。

 あ、それとこの前、町の人の乱入で宇歌ちゃんに言いそびれたお願い事は、無事に叶えて貰える運びとなった。え、何のお願いだって?もーう、ミシャグジ様と話をすることに決まってるじゃん。………まあミシャグジ様が何か知ってるってことは、オレの単なる想像もとい願望なんだけどね。そういうことで、何やらミシャグジ様と直接話すには諸々準備があるらしく、今日まで社の仕事を手伝いながらそれを待っていた。

 

そしてオレたちは今、ミシャグジ様がいる洞窟、オレが最初に目覚めた場所へと向かっていた。

 

主「いやー…、無理言ってごめんね。此処って本来は入っちゃいけないんでしょ?」

 

諏訪子「…貴方もう前に入ってるじゃん。別に大丈夫だよ、ミシャグジ様も嫌がってなかったみたいだし…。たぶん」

 

主「たぶんかい!あー……何かドキドキしてきた」

 

宇歌「まあまあハクさん、諏訪子様のお話ですと重症の貴方を助けるように言ってくれたそうじゃないですか。きっと大丈夫ですよ」

 

 そんなやり取りをしながら薄暗い穴の中を進む。すると空間が開けて、見覚えのある景色が飛び込んできた。

天井に空いた穴からは陽の光が差し込み、流水の音が静寂に旋律を奏でる。風水山水、気運立ち昇るこの場所の中央にそれはいた。

 

 

「………。」

 

 とぐろを巻き首を上げた高さは、およそ1.6メートル程だろうか。ひし形を模った格子状に筋が走る皮膚、真っ赤な眼、その下から飛び出す長い舌。ミシャグジ様である。

 

諏訪子「ミシャグジ様。以前にお話させて頂きました通りに、この妖怪が貴方様とどうしてもお話がしたいとのことで、本日こうして参りました。」

 

 諏訪子がミシャグジ様の前で両膝をついて敬服を表し、斜め後ろのハクを指しながらそう述べる。ハクも諏訪子に指されたタイミングで彼女と同じように膝を折った。

 

ミシャ「………」

 

諏訪子「…はい、仰る通り。そこの巫女に神降ろしを行い、その上で直接話して頂くのがよろしいかと。はい」

 

 諏訪子が独り言かの様にミシャグジ様と会話する。ひと通り話し終えるとハクたちの方に身体を向けて、指示を飛ばした。

 

諏訪子「宇歌、準備を始めて。」

 

宇歌「はい。」

 

 宇歌は諏訪子の言葉を受け取ると、持ってきていた包みを開けて化粧をしたり神具を身につけたりする。

 

諏訪子「さて、ハク」

 

 そうして諏訪子はハクに対して今から行うことの説明を始めた。

 

諏訪子「これから宇歌の身体にミシャグジ様を降ろすよ。そしたら、ハクとも自由に会話できると思うから」

 

主「おう。………思ったんだけどさ、諏訪子が通訳してくれるじゃダメなのか?こんな大掛かりなことしないで済むだろ?」

 

諏訪子「うーん…それでもいいんだけどね。宇歌に経験をつけさせたいんだ。ここの巫女として、今後も神降ろしは何回も行わないといけない儀式だからね…。良い機会だよ」

 

 

宇歌「諏訪子様」

 

諏訪子「お、準備できたね。それじゃあ………始めようか」

 

 諏訪子の言葉が終わるとともに儀式が始まった。先ず宇歌はミシャグジ様の前まで行き、深々と頭を下げる。そして上げると、ハクの方へと振り返って手に持った鈴を鳴らす。

しゃん。しゃらん。しゃん。彼女の腕の振りに合わせて頭に付けた榊の葉が揺れる。しゃん。しゃらん。しゃん。とんとんとんと、足を運び袖を靡かせる。舞い舞って舞う。途端に周囲の水分が水滴となって浮かび上がり、地面に転がる石が淡く光り始める。宇歌の神楽に合わせて空気が振動してどう、どう、どうと共鳴しその威風を増す。その時

 

宇歌「………っ!」

 

 ハクと向かい合う形で宇歌が静止する。空間に固定される。すんっと周囲の万象が彼女の中に集約されて、その場にすとんと正座した。閉眼した彼女はそのまましばらく無言で深く深く呼吸をして、そして、開眼した。

 

宇歌『』

 

 赤い眼___。宇歌の両目は常時の黒とは変わって赤く染まっていた。彼女は語り出す。

 

 

宇歌『………汝、狗剱ハクと申したか。再び相まみえたこと嬉しく思うぞ。』

 

 宇歌の声である。しかし、語りはまるっきり別人であった。目の前にいるのは、

 

ミシャ『我、御石神(ミシャグジ)也。汝、聞きたいことがあるらしいな。申せ。』

 

主「はっ…はい。…えーと先ず、あの時何でオレを助けたんですか?」

 

ミシャ『…汝、妖の中に神の血が混じっておろう。故に。』

 

 ミシャグジ様がそう答えると、諏訪子が素っ頓狂な声を上げて驚く。

 

諏訪子「は、はあ!?ちょ!ちょっとミシャグジ様っハクに神の血って一体…!神も何もハクは妖怪なんじゃ」

 

主「………やっぱりそうなんですね。すいませんミシャグジ様、オレもつい最近知ったことなので…。半神半妖なの」

 

ミシャ『…胸中察するに余りあるぞ。汝の顔を見ると、な。』

 

主「っ…はい。それで、…此処は何処なんでしょうか。オレが元いた場所とは明らかに違う世界で………知っていたら教えてください」

 

 

ミシャ『ふむ。…汝、此処に突然現れし時は驚いたぞ。空間が裂け、その間隙から落ちてきたのだ汝は。』

 

主「空間、裂け…?」

 

ミシャ『…今より遠い昔に聞いたことがあってだな。我が思うにあれは、“ときのまにま”と言うものだろう。』

 

主「ときのまにま、ですか…?」

 

ミシャ『うむ。あらゆる時間、場所が混在するこの世の裏側のような処だ。…ここは汝が危惧しているような別世界ではない。恐らくは汝が居た時代より如何程か先の未来…。我は相手の心根を読み取り神力を以てその者の力に触れることで、過程を間接的に知ることは出来るが、汝がどれ程昔に生まれたかまでは分からなんだ。』

 

主「………。」

 

ミシャ『…すまぬ。我を頼ってきたというに、これしきの事しか分からず。』

 

主「…んにゃ、十分ですよ」

 

 ハクはそう言うと立ち上がり、頭を下げた。

 

 

主「感謝します、ミシャグジ様。…確かに分らぬことばかりです、分らぬことばかりですが…、ここが未来ということは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということ。…このことを知れただけでも大きな収穫ですよ。」

 

 晴れやかなる表情にてそう語るハクに、目を細めたミシャグジ様は問いかける。

 

ミシャ『そうか。…汝はこれから如何する。』

 

主「………取り敢えずは、世界を見て回ろうと思います。その中で、オレがすべきこと、オレにしかできないことがあるのなら、…この命を賭してでも!」

 

 ミシャグジ様は目を見開く。驚いた………この者は、もしや___。

 

主「やり遂げます。」

 

ミシャ『…君なら出来よう。陰ながら応援しとるぞ、ハク。………では、我はそろそろ元の体へと戻ろう。さらばだ』

 

 ミシャグジ様はそう微笑み零すと、ことんと前に倒れ伏す。…どうやら宇歌の体から元の白蛇に戻ったようだった。

 

主「………」

 

諏訪子「は?」

 

主「…え?」

 

 ハクが感傷に浸っていると、さっきまで静かだった諏訪子が唐突に音を発した。

 

諏訪子「私、聞いてない」

 

主「なにが…?」

 

 

諏訪子「っ…貴方が神だったなんて聞いてないって言ってるの!!」

 

主「いや神というか半神半妖…」

 

諏訪子「関係ないっ!…なんで言わなかったの?」

 

主「だって…言う機会無かったし」

 

諏訪子「むーーぅ!………はあ、…次からはちゃんと言うこと、いい!?」

 

主「あ、はい。」

 

 

 雨降りて地固まると申せども、人はそう簡単には変われぬ。

しかしながら、変わる機会は得られる___。そう、感じられたハクであった。

 

 




【補足】

神降ろし:諏訪の社の巫女の体にミシャグジ様を憑依させる儀式のこと。七年に一度だけ行われる大祭にてこの儀式をする。普段はミシャグジ様と話すことが出来ない一般大衆が、間接的にではあるが会話できる貴重な機会である。

ときのまにま:ミシャグジ様曰く、“あらゆる時間・場所が混在するこの世の裏側のような処”とのこと。神隠しなどはこれの影響によるもの。非常に不安定な空間で、意図した時代・場所に飛ぶことはほぼ不可能。


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第三十一話 人化の術

 妖怪と言ったら“化ける”、ですよね。
化け狸に化け狐。人に化けたり、物に化けたり、自然物に化けたりなんかも。それに人間は騙されて驚かされます。

 触らぬ神に祟りなし。昔から人々はそういった“不思議なこと”に首を突っ込むことを良くは思っていませんでした。「見ざる聞かざる」、平静を装ってやり過ごすことがほとんどだったと思います。

 時にはそれと共存していたこともありました。妖怪は、神様として祀られることもあるのです。人が神になる日本ならではのことだと思います。そんな不思議に満ち溢れた国に住んでいる。東方に触れると、本当にそう思うんです。




主「…づぁーー!!もうめんどくせぇ!」

 

 ハクは自身の頭に巻こうとしていた布を床にたたきつけ、突然大声を上げる。これが朝食後の居間で繰り広げられたために、近くにいた諏訪子と宇歌が驚いてビクッとその肩を震わせる。そしてうなだれたハクに対して二人はそれぞれの反応を見せる。

 

宇歌「ひゃあ!?び、びっくりした…」

 

諏訪子「うるさいっ!いきなりどうしたの!

 

主「いやあ…、もう頭と腰のコレ隠すために布巻くの、いい加減辛くなってきてさ…。蒸れるし暑いし最悪だよ。」

 

 頭と腰に付いた妖怪の証を指差しながら、ハクはそう辟易した様子で述べる。確かに…。諏訪子は思った。最近の彼を見ていると頻りに額を伝う汗を拭ったり、よく日陰で休んでいるのが目に入る。そういうことだったのか、諏訪子は合点がいったというように一つ頷くと、大きく嘆息を吐いた。

 

諏訪子「はあぁ……、ちょっと着いて来て」

 

 そう言うと諏訪子はその身をくるりと反転させて玄関へと向かう。ついてこいと言われたハクは、なんだと思いつつも彼女を追う。戸口を右に出て拝殿の正面を横切るところで、前を行く彼女に追いつきどこへ向かうのかと尋ねた。

 

諏訪子「ちょっと倉にね。…私の記憶が確かなら、そこの中にある古い文献に“人化の術”に関する記述があったと思うんだよね。自由に人化できたら、もうそんな布巻く必要ないかなと思って」

 

主「うえ!?マジで!おおー……諏訪ちゃん神かよ~」

 

諏訪子「いや神だよ!」

 

 

 倉の(かんぬき)を開けた諏訪子は、滑りの悪い古い扉を押し開ける。ゴゴゴと低い音が鳴ってひんやりとした空気が外に漏れ出てくる。その中を逆行するように二人で倉の中に入っていった。

 

 

諏訪子「んーーー…、どこだったかなぁ…?こっちかな」

 

 積み上げられた古文書をパララと捲りながら目当ての物を探す諏訪子。その様に若干の不安を覚えながらも、周りのものを下手に触ることができないハクは暇を潰すこともできずにただその場で彼女を待った。しばらくして諏訪子から喜々とした声が聞こえてきた。

 

諏訪子「…あった!これだよこれっ!」

 

 ぴょんと跳び上がった諏訪子の手には一冊の文書。着地するのと同時に振り返ってハクにそれを見せてくる。

 

主「『古今東西妖術奇術全集』…?」

 

諏訪子「そう!『古今東西妖術奇術全集』。はいっ、これ見て練習してね!」

 

 ハクは渡された文書の(ページ)を捲って内容を確認してゆく。………。

 

 

主「“親父の小言を止めるの術”、“親父のいびきを止めるの術”、“親父のおしぼりで顔を拭くのを止めるの術”、“親父の………、ふぅんんッ!」

 

 文書の内容を読み続けていたハクであったが、突然その言葉を途切れさせて手に持ったそれを地面にたたきつけた。

 

諏訪子「ああーーー!!??ちょっと!何してくれてるの!?」

 

主「何なんだこの文書はあ!親父のことしか書かれてねえぞッ!何なんだ、いや何なんだ!ふざけてるだろこれえ!!」

 

諏訪子「や、やめてっ!乱暴に扱わないで!ほ、ほらっ人化の術が書かれてるところまでもう少しだから!もうちょっとだけ、もうちょっとだけ読み進めてくれない…?」

 

主「えー、………わ、分かった、分かったからそんな泣きそうな顔しないで!…よ、よーし!」

 

 ハクは自分で捨てた文書をしゃがんで拾い、さっきのところからまた読み始める。

 

主「…“親父の自分語りを止めるの術”、“親父の脂汗を止めるの術”、“おや…人化の術”…って唐突に出てきたな、オイ。なになに…、“圧縮された妖力の歪みによって自身がイメージした姿へと周囲に認識させる”か。へえ」

 

諏訪子「その下に術式とか色々書いてあるから参考にしてみて」

 

主「…んじゃまあ、外に出てやってみますか!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宇歌「ハクさん、調子はどうですか?」

 

 時間は流れて正午。お昼ご飯の用意ができたのとハクの術の進展具合を見に、宇歌は家の裏手の空き地に来ていた。そこでは木陰に座りながら朝に諏訪子から渡された文書を読んでいるハクがいた。彼は宇歌の来訪に気が付くと、手に持ったそれを閉じて言葉を返す。

 

主「順調…というかもう修得したよ。それよりこれ、面白いね。一見するとふざけた内容だけどちゃんと理にかなっているし、結構勉強になったわ。」

 

宇歌「そうですか!あの、私にもその中身見せて下さい」

 

 そう言いながら宇歌は、木漏れ日に照らされたハクの隣りに、彼と同じように腰掛ける。そして顔を近づけてハクの開いた文書の中身を見た。

 

宇歌「………本当ですね。何ですかこれ?親父親父って…」

 

主「読めばわかるよ。…ふぅ」

 

 ハクは風に揺れる木々の音に耳を傾けて瞼を閉じる。ざあざあとひしめき合い、ころころこぼれ落ちてくる光の玉。この情景に体を任せたハクは、隣で眉をひそめながら文書を見ている宇歌に語り掛けた。

 

 

主「一ヶ月」

 

宇歌「…え?」

 

主「一ヶ月したら、オレはここを出て旅に出ようかと考えていてね。…いつまでも世話になる訳にはいかないし、」

 

 ハクの言葉に宇歌は一瞬目を大きく見開くも静かに閉じ、それを咀嚼していった。彼女も、隣の彼と同じ姿勢を取る。

 

宇歌「…ふふっ、そうですか。寂しくなりますね」

 

主「妖怪の一匹。居なくなったって別に何ともないでしょ?」

 

宇歌「………そんなことない

 

主「ん?何だって?よく聴こえなかったけど」

 

宇歌「いえ、何でもありません。そういえばお昼ご飯できましたよ。さあ、家に戻りましょう」

 

 宇歌はそう言ってすくっと立ち上がり、駆け足気味に家へと戻る。ハクはその背を見送って、ワンテンポ遅れで彼女に続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして漆黒の帳が降り、逢魔が時。月明かりのみでも活動するには充分な光量であった。

草むらから響いてくる虫の声を断ち切るかのように、空気の流れにその刃を添わせるかのように、ハクは独り剱を振っていた。ふぉんっと空気を斬る小気味よい音と彼の吐息とが交差する。日々は耐え難い努力の連続、向かうべき道が決まったハクには食後のこの時間も無駄にすることはできなかった。そんな彼の元に、一つの足音が近づいてくる。

 

主「…諏訪子か」

 

諏訪子「うわぁ!?」

 

 こちらに一瞥することもなく、極限までにその神経を研ぎ澄ませたハクは近づいてきた者の名を呼ぶ。まさか気づかれているとは思ってもみなかった諏訪子は、周りに憚ることも忘れて叫んだ。

 

主「うるさい。いきなりどうしたんだよ……」

 

諏訪子「だっだだだって!あんなに集中してたから気づいていないと思ってさあ…。」

 

 諏訪子の大声にハクはその剣舞を止める。辺りには虫の声が戻った。

 

諏訪子「ところでさハク。…宇歌から聞いたよ、旅に出るんだって?ま、ミシャグジ様にあんな啖呵切った手前、此処に長く留まるつもりはないってのはわかってたけどね」

 

 トタトタとハクに近寄って来た諏訪子は、空に浮かぶ月を見ながらそう言う。ハクは手に握った結界の刀を解くと、月を見上げる彼女とは対照的に地面を見る。

 

主「…一方的に世話になってるだけですまん。」

 

諏訪子「なーに言ってんの、…いつも社の仕事手伝ったりしてるじゃん。…十分だよそれで。あ、そういえば貴方の腹に刺さってたあの脇差、使わないの?」

 

主「っ…いやー、オレが使うには縁起が悪くてね。危ない力は抜けてるから大丈夫だと思うんだけどね。あ、欲しかったらやるよ」

 

諏訪子「いらない、使わないもん。だから倉に押し込んどくね」

 

主「そーかい。」

 

 少し心が晴れたハクは月を見上げる。

永琳…元気かなぁ、今でもそこに居んのかな。

 

主「…なあ、月の上に人がいるって言ったら信じるか?」

 

諏訪子「はあ?………信じないよ、そんなぶっ飛んだ話」

 

主「ははっ、そうか」

 

 ケラケラとハクは笑う。…言っとかないとな。諏訪子は、彼の横顔を見ながらそう思った。宇歌のこと、じゃないと彼女はずっと()()()()()を抱えたままだ。

 

 

諏訪子「ねえ」

 

 諏訪子はハクに問いかけた。

 

 

諏訪子「宇歌の…母親が、妖怪に殺されたって言ったら信じる?」

 

 

主「………は?」

 

諏訪子「まあ、信じるっていうか。事実なんだけどね」

 

 諏訪子は過去を語り出した。

 

 




【補足】

『古今東西妖術奇術全集』:むかしむかし、あるところに、男がいました。男には術の才がありましたが、一つだけ悩みが。それは、自身の職場の上司に対してストレスを感じていることでした。男は悩みました「もうマジむり…転職しよ」しかし、男は考えました「自分の術で何とかできないのか」。そんな過程を経て書かれたこの書は、後世の人々から著者の術式の優秀さが評価されながらも“才能の無駄遣い”と称されています。

※ハクが結界操術で扱う刀の長さは刃渡り40㎝程度です。短めで扱いやすく、小回りが利きます。なぜこの長さなのかは、健人から貰って使っていた脇差がこの長さだったからです。


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第三十二話 東風谷宇歌

 言霊とは、言い得て妙である。それは一種の自己催眠であり、大衆印象操作に他ならない。自分にも他人にもそれが無意識下で残るのである。

風雲に隠れる龍の様に、泥水に潜る大鯰の様に、不意に突然にそれは現れる。人間の狂気として…。




 古来より、この諏訪の地に根ざしてきた信仰。御石神信仰は、東風谷家が代々その巫女を務め、祟り神洩矢諏訪子と共に国を動かしてきた。東風谷は女系の家柄であり、外から婿養子を取ることによって今日まで存続してきた。しかし、第二十三代の巫女が妖怪に襲われたことにより早逝、その子が若干齢八ながらも第二十四代巫女に就任した。これが東風谷宇歌である。

 宇歌は目の前で母親を妖怪に殺されながらも自身は何とか生きており、心に深い傷を負ったが身体的には健全であった。だが、彼女はまだ十歳にも満たない子どもであったため、このことを受け止められずに部屋に引き籠った。諏訪の国の民たちはそんな宇歌のことを不憫に思いながらも、このところの神事が滞っていたこともあり、誰か中継ぎ的な巫女を立てるべきだといった意見で溢れた。しかし、国主である洩矢諏訪子はそんな民たちを「諏訪の巫女は東風谷の血族代々の務め。その歴史に泥を塗るどころか、権力争いにもなり兼ねない第三者を立てることは間違っている。」と一蹴。自分が彼女を説得、指導し、立派な巫女にすることを約束した。

 

 諏訪子は宇歌を何とか説得、先代巫女が教えられなかった神事のことを僅か半年で彼女に叩き込んだ。彼女はひと通りの神事を行える巫女となったが、妖怪に対して深い恨みを持つようになる。いつか母を殺した妖怪をこの手で殺す、幼き心にそう誓った。それから十数年、己を鍛えつつ巫女の仕事をこなしていた宇歌は、ある日母の墓参りへと向かう。母の墓は諏訪の国の外にあり、そこに向かうには妖怪のいる地帯を少なからず抜けなければいけなかった。いつもだったら危険だからと諏訪子がついて来てくれるのだが、この日は町の方へと出掛けて居なかった。己の実力ならばその辺の妖怪くらいは伸せると思っていた宇歌は一人で向かうことにしたのだった。

 

 彼女の予想通りに、行きに襲ってきた妖怪一匹を追い払いながら、母の墓に辿り着いた。そこで持ってきた花を供え手を合わせる。そしてその帰り道、悲劇は起こった。

突然妖怪二匹が宇歌へと襲い掛かる。彼らの妖力から察するに実力は高いようだったが、倒せない相手ではないと感じた彼女は己の武器を取り出そうとする、しかし。愚かにも、母の墓に彼女の武器であるお祓い棒を置き忘れてきてしまったのだ。お祓い棒は宇歌の霊力と諏訪子の神力を込めたものであり、それがない彼女は普段の力の半分も出せない。つまり、絶体絶命という訳だ。宇歌は戦う姿勢から一転して彼らから逃げた。逃げたのだがそこは妖怪、人間の彼女に追いつくなど造作もないようで、遂に宇歌は木の幹につまづいて転んでしまい、そんな彼女に妖怪たちが襲いかかろうとする。

 

諏訪子「そこに、貴方が現れた」

 

 一匹の白狼の妖怪は、瞬時にその妖怪たちを退けると、宇歌を食べようとするどころか彼女の怪我を治療し始めた。

驚いた、驚くを通り越して理解が出来なかった。妖怪は人を襲い喰らうもの、昔からそう教えられてきたのに…この妖怪はいったい何者?しかも、目の前の妖怪は人を食べたことがないとまで抜かす。…私は可笑しくて思わず笑ってしまった。彼も同じく笑った。二人で笑いあった。………ああ、彼も()()()()()()()()()、彼のような妖怪もいるんだ。

 

諏訪子「宇歌は、少し救われたみたいだったよ………貴方と出会って。前のあの子は世界に絶望していたし、少し…()()()()()()()()()。今では、何かが宇歌自身の中で変わりつつあるって、彼女も解ってるみたい。だからさ」

 

 

諏訪子「社の仕事だけで十分なんて噓、これから言うのは私からの、貴方を養っていることに対しての見返り。…旅に出るまでの一か月で宇歌を、東風谷宇歌をっ…救ってはくれないかなっ…!彼女が少しでも前向きに生きれるように、負の感情に飲み込まれないように、彼女の希望になってほしいんだ!!」

 

 諏訪子は胸中の感情の全てを吐露させ、ハクに頭を下げる。一迅の夜風が彼らを包み込むように吹き抜ける。ハクは諏訪子にひとつ、問いかける。

 

主「…それは、オレにしかできないことなのか?」

 

諏訪子「貴方にしか出来ないっ!妖怪である貴方にしか!…漠然としたお願いかもしれないけれど、それでもこれが私の本意。彼女に寄り添ってあげるだけでもいいからさ…」

 

 泣きつくようにそう説得する諏訪子の懇願。星空の下、月夜の静寂(しじま)、ハクは笑う。

 

 

主「“ミシャグジ様に啖呵切った手前”って言ったのは誰だったか。…()()()()()()()()があれば喜んで力になるよ、諏訪子。」

 

諏訪子「っ…!!ありがとう、ハク。それじゃあ宇歌のこと、よろしく頼むね。」

 

主「おうよ。」

 

 彼らは共に家へと戻る。その後背の空には、星が流れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

「ほんっっとうに!!申し訳ないッ!!!」

 

 明くる日。諏訪の国中に響き渡るような大声で謝罪をする女性がオレらの前にいた。…土下座した女性が。

 

「兵士たちの乱暴狼藉は偏に!この私の力不足にある!!彼らには私から強く、強くッ!言っておいた。…どう詫びたらよいか分からないが、兎に角頭を下げさせてくれ。この通りだッ!!」

 

 地面の土などまるで意に返さぬというように、躊躇なくその紫髪の頭を地にこすりつける。あまりに無様で見ていられない光景に、今回の件の被害者である諏訪子も彼女の肩に手を当てて頭を上げさせようとする。

 

諏訪子「も、もう大丈夫だからっ!謝罪は十分だからさ!頭を上げて!」

 

「いいや、部下が起こしたことに対する責任は私の責任。例え天地がひっくり返ろうとも!私は頭を上げることをしないぞ!!」

 

諏訪子「見てるっ見てるから!参拝者が見てるからぁ!!」

 

 うーん、何なのだろうかこの光景は。土下座をする女性とそれを止めさせようとする幼女、そしてこれを奇異の目でみる周りの人々…。朝からカツ丼を食ってるような気分である。

 

主「…えらいこっちゃで……」

 

 

 

 

 

 

 

「ふむ、申し遅れたな。私の名前は“八坂神奈子”、大和国の将軍の一人だ。」

 

 結局、一刻半程頭を下げたままだった。諏訪子たちの家の客間にて、威風堂々たる構えにて宇歌が出したお茶に対して一礼。ずずと啜り、一息ついた彼女はそう名乗った。

 

諏訪子「うん。私は諏訪国主の洩矢諏訪子だよ、八坂さん」

 

神奈子「おっと!八坂さんなんて止めてくれ、柄じゃなくてね。“神奈子”でいいよ」

 

諏訪子「そう、だったら私も“諏訪子”って呼んでくれていいよ。…それで、何の用かな?」

 

神奈子「…重ねてにはなるが、本当にここの国民たちには迷惑を掛けた…すまない。そんな私に言えた立場ではないのだろうが、降伏勧告に来た。」

 

 すると神奈子は座っている状態から一歩引き、両手を広げる。

 

 

神奈子「我ら大和国は、諏訪国の従属…延いては我が国との合併を求む。勿論ある程度の信仰は認めよう、だが大和国の意に反する行動は禁ずる。国内には大和兵…勿論この前のような奴等ではないぞ、その兵士を駐屯させ妖怪賊共から守ることを約束しよう。…如何か、諏訪子。」

 

 

宇歌「………っ」

 

諏訪子「………。一つ確認だけど、ミシャグジ様信仰は残していいってことだよね?」

 

神奈子「ああ、そういう認識で構わない」

 

 宇歌は俯き静かに唇を噛む。対して諏訪子は表情を変えずに目を閉じる。

 

 

諏訪子「…わかった」

 

宇歌「諏訪子様っ!?」

 

神奈子「ほう!それはよかt「だけど!」…ん?」

 

 諏訪子は不意に立ち上がり、神奈子に対してビシッとその指を向けた。

 

諏訪子「このまま、はいどうぞって国を渡しちゃあ“祟り神”としての名が廃るっ!何より、国の皆に示しがつかなくてね!それでなんだけど、私と決闘!してくれないかな?」

 

 諏訪子の発言に神奈子は目を細める。

 

神奈子「…ほう。私と決闘ねぇ………この“軍神”八坂神奈子にそんなこと言う奴、諏訪子。アンタが初めてだよ。…で、勝敗によって何か要求はあるのかい?」

 

諏訪子「何もないっ!」

 

神奈子「…それじゃあ意味がないんじゃないのか?」

 

諏訪子「悲しいことだけど、諏訪国と大和国の国力差は歴然。…いずれのみ込まれるのは目に見えてる。だからこの決闘にあるのは私の祟り神としての誇りだけ、それだけだよ」

 

 心に決めたかのように自身の胸に手を当ててそう言い放つ諏訪子。それに対して神奈子は片膝立ちになり、目の前の机をバンと叩いて前のめりに諏訪子の方へと身を寄せる。二人の視線がぶつかり合った刹那に神奈子は言う。

 

神奈子「おもしろい!…その勝負乗ったよ、()()()()()()()()。時は、一週間後で構わないか?」

 

諏訪子「それで構わない。…当日はよろしく頼むよ、()()()()()()()。」

 

 二人は卓上で固く握手を交わす。

 

神奈子「場所は?」

 

諏訪子「諏訪湖の西、天竜川。」

 

 場所もろもろを取り決めた神奈子はしばらく諏訪子と歓談し、帰っていった。これでひとまずは信仰を護れたか…。そう安堵する諏訪子なのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~???~

 

「お、帰ってきた。どうだった?洩矢神は」

 

神奈子「タケミナカタ様!ようこそおいでで…。洩矢神ですか?…彼女はなかなかに面白い者ですよ、何せこの私に決闘を申し込んできたのですから。」

 

タケミ「…へえ、それは興味深いね。ま、いいや、どっちにしろ諏訪国は君にあげるつもりだからそのつもりでねー」

 

神奈子「はっ」

 

 




【補足】

八坂神奈子:全国へとその版図を広めようする機内の大国“大和国”の将軍の一人。能力は“乾を創造する程度の能力”。部下に厳しく頑固な彼女の軍は精強で知られており、“軍神”の異名で呼ばれる。

洩矢諏訪子:御石神信仰と自身の信仰を背景とする“諏訪国”の国主であり祟り神。能力は“坤を創造する程度の能力”。妖怪に先代巫女を殺されたことと、その子の宇歌の心を少しでも楽にしてあげるために、妖怪が大嫌いと公言するようになった。護りたいもののためにはどんなことでも出来る性格。

天竜川:長野県岡谷市にある諏訪湖を源流とし、愛知県、静岡県へと流れる一級河川。日本で9番目に長い河川で、213kmある。古代諏訪伝説にて、建御名方神(タケミナカタ)と洩矢神がこの川を挟んで対陣した。


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第三十三話 とある巫女の1日

 日常回…なのか?

今回はいつもと違いまして、東風谷宇歌の視点で物語が展開いたします。彼女の現在の心境を描いたつもりです。どうぞ、ご覧ください。




「ふぁ~あ…」

 

 仄かに部屋の障子が明るくなる。顔の奥へ奥へと揉み込まれたかのように重い瞼を開く。鼻孔をくすぐらせるは朝霜の冷たい香り、それを体内に取り込んだことにより少し布団の中で身震いした。

 

「…今日も、寒いなあ」

 

 晩秋にはまだ早い、それでも最近は妙に冷え込むようになってきた。私は一晩中いたこの聖域を霧散させないために、もう少しもう少しとたじろぎつつ、その柔らかさと暖かさを堪能する。しかし、外では鶯が鳴き始めて今が朝という事実を否が応でも知らせてくる。そして遂には部屋の外の広縁の床板が軋む音さえもが聞こえてきた。

 

「諏訪子様…、私も起きなきゃ………。ふぁあ」

 

 それにしても今日は寒い。

 

 

 

 

 

 巫女の一日は早い。太陽の昇りと共に起床し、神棚の神饌を取替え、境内の掃除に、参拝客用の諸々準備…、朝の内にこれらを終わらせなければいけない。正直きついが、最近はある方が私の仕事を手伝ってくれている。

 

「なあ、このお札ってどこにおけばいい?」

 

「あ、それでしたらこちらに…」

 

 狗剱ハクさん。私が妖怪に襲われているところを助けてくれた命の恩人、そして彼もまた妖怪である。神社に妖怪がいるなど…、少し前の私なら目の色を変えて烈火のごとく怒っていただろう。しかし、彼にはそんな感情が思い起こらない。何故だろうか?それどころか、“この人は大丈夫”という安心感まで覚えている。…ハクさんが半神半妖だと聞いた時には驚いたし、それでいて納得もした。この人は諏訪子様と同じ………あの時そう感じたのは彼のその血が関係していたのだろう、今となってはそう思う。

 

「それじゃあオレ、階段降りて参道の方掃除してくるから」

 

「はい!お願いします。」

 

 何にしろ、彼には助けられている。

 

 

 

 

 

 

「ねえ、宇歌」

 

 朝の仕事が終わり朝ご飯を頂いた私は、次の仕事へと着手しようと玄関にて靴を履く。そうしていると後ろから諏訪子様に声をかけられた。

 

「はい?なんでしょうか。」

 

「ほら、あの大和の神と決闘するでしょ?…だから少しでも強くなりたくてさ、ハクに鍛えて貰うことにしたから」

 

 確かにハクさんは強い。それは私自身、彼が妖怪たちを伸す姿を間近で見ているから分かる。私もそれなりに体術は嗜んでいるつもりだが、彼のあの時の動きを捉えることが出来なかった。それくらいに彼の強さは少なくともこの国の中では一番だろう。

 

「そうなんですか、頑張って下さい!」

 

「うん。それで、家の裏庭でやってるから、何か用あるならそこにいるからね」

 

 そう言って諏訪子様は戸口から出て行ってしまった。特訓かぁ、諏訪子様が珍しい…というか私が知る限りそういった様子を見たことがない。勿論私に戦い方を教えてくれたのは彼女だが、彼女が彼女自身の為に努力するのはもしかしたら初めての事なのかもしれない。(私が生まれてからの数十年間でのことだが)

 

「…どんな特訓するんだろう?」

 

 

 

 

 

 

 気になった私はその後昼休憩に戻って来た二人に質問した。座るや否や卓上の食事にがっついていた彼らは、水で無理やりにそれを胃に流し込む。そんな焦らなくていいのに。

 

「んっく…、そうだなあ。諏訪子は中距離の戦闘には強いが、近寄られるとからっきしだからな。…ま、オレもそんなに得意なわけじゃないが、主に組手を中心的にやってる。」

 

「…得意じゃない?よく言うよ。私、貴方にまだ一度も勝てたことないんだけど」

 

「いやいや…、オレは身体を能力で強化できるからな。生身の状態じゃあ多分諏訪子でも勝てるぞ」

 

「それじゃ、次それでお願いね。」

 

「おいおいおい…特訓にならないだろ?それともなにか、オレをただ単にボコりたいとかそんな「え、そうだけど」…は?」

 

「貴方に一方的にあしらわれてちょっとストレス感じてたんだよねー。だからさ、ね?いいでしょ一回だけ」

 

「よくない、何もよくないよ!?」

 

「ふふふっ…」

 

 あー何か久しぶりかも、こんな賑やかなの。それこそ母様が生きてた頃…、毎日が楽しくていつも笑ってたっけ。ほんと、世間知らずだったんだなあ私。こんなにも、世界はざん

 

「どうしたの宇歌ちゃん?そんな怖い顔して」

 

 ハクさんに声をかけられたことによりふと我に返った私は、少し沈んでた顔を上げて笑顔を作った。

 

「いえ…、少し考え事を。」

 

「ふーん…そう。ま、何かあったら言いなよ。オレ、いつでも相談乗るからさ」

 

「…はい。ありがとうございます。」

 

 世界は…っ、そう。まだ分からないよね。結論を出すには

 

「よし!諏訪子、早く飯食って行くぞ!」

 

 早いよね。

 

 

 

 

 

「えっと…、此処かな?」

 

 ちょっと町の鍛冶屋までお使いに行ってきて。そう諏訪子様に頼まれた私は社前の階段を下りて、町中に繰り出していた。そうして目的の鍛冶屋の前にたどり着いた私は、恐る恐るその戸を開ける。

 

「ご、ごめんくださーい…」

 

 開けた戸の隙間から中の熱気が溢れ出してくる。その圧に思わず顔を強張らせてその中を覗くと、一人の初老の男性が汗を滴らせながら奥で鎚を手に金属を叩いていた。私の声が聞こえていないのか、こちらに気付く様子はない。

 

「あっ、あの!!」

 

 そう大きく一声かけるとその男性がこちらを振り向いて私の存在に気付く。すぐさま手元の作業を中断した彼は、脇に置いていた手拭いで顔の汗を拭きとると速足でこちらに歩いてきた。

 

「すみません!なにぶん仕事中でしたもので、お許しを宇歌様。」

 

「いえ!こちらこそお仕事中に申し訳ございません。あの…諏訪子様からの使いできたのですが…」

 

 そこまで言うと鍛冶屋の主人は、ああそうでしたかと、自身の手のひらをひとつポンと叩き、店の奥に併設されている鍛冶場のさらに奥に引っ込んでいった。そしていくつも間を置かぬ内に、布に包まれた円形状の物を持って出てきた。

 

「こちら、以前から頼まれていたものでございます。直径が七十の鉄でできた輪で、握り手の部分は手の内で暴れないよう木製で拵えその両脇には刃止めが付いております。外刃になっていまして、持ち運びに危険ですのでこちらで布を当てさせて頂きました。どうぞご注意ください。」

 

 ん?武器?諏訪子様なんでそんな物を…。しかも以前から頼んでいたってどういうこと?大和の神様との決闘が決まったのはつい先日だし。

 

「あの…これは…?」

 

「む?……ああ、元は祭祀用にと頼まれていたのですがな、この前になって突然武器として欲しいと申されまして…。元より刃は付いていましたので武器としても十分使用可能だったのが不幸中の幸いでした。今朝方、ようやく出来上がりましたので諏訪子様にご連絡させて頂いた次第です。」

 

 へえ祭祀用に…。成程、今回の事があってそうしたのか。

 

「そうでしたか!…ありがとうございます、諏訪子様もきっと喜びますよ。」

 

「ええ…。………宇歌様、良い笑顔になりましたな」

 

「へ…?」

 

「僭越ですが。この前の祭の時に見かけた表情より、どこか和やかに見えます。」

 

「そ、そう…ですか?」

 

「はい。………宇歌様、我ら諏訪の民は皆、貴女様のお味方です。何か困ったことがありましたら何時でも御頼り下さい。」

 

「…はいっ、ありがとうございます!」

 

 

 和やか…、か。私は見送る主人に再度礼をして鍛冶屋を出て、そのまま帰路に就く。

そんなこと言われたことなかったや。私だって自覚してた、前の私はいつも何かに追われるように焦って、転んで。それでも我武者羅に走り続けてた。泥だらけになりながら、汚れた顔も拭かないで走ってた。でも()()()、私は初めて立ち止まった。

 

椅子に座った私は何か安心して、周りが見えるようになって、自分を思い詰めるじゃなくてしっかりと…想って。今、この道を歩いている。そしてその先には何故か背を向けたハクさんがいるんだ。こちらを決して振り向かず、手を伸ばしても決して届かない…。

 

 ねえ、ハクさん。貴方は何者?種族とかじゃなくて、名前とかじゃなくて、もっと根本的でシンプルな“なにか”。これが、今の私にはわかんないんだもんな…。でも私はこれを知りたい。そうすることによって、勘だけど私自身の心の奥底がわかる気がする。だから、

 

「ハクさんが旅に出るまでに…」

 

 この“なにか”を知ろう。

 

 

 

 

 

 

主「おっ、お帰り宇歌ちゃん。」

 

諏訪子「お帰りー宇歌。どうだった、貰ってきた?」

 

宇歌「ただいまですハクさん、諏訪子様!はい、頂いてきましたよ…こちらですよね」

 

諏訪子「うん!………わあ、よくできてるね。流石」

 

 諏訪子が巻いてある布をほどいてその刀身を眺めていると、ハクが宇歌のもとに近寄ってくる。

 

主「そろそろ晩御飯だね、オレも手伝うよ」

 

宇歌「ああいえ、今日はゆっくりしていてください。私が準備しますから」

 

主「ん…いいのか?」

 

宇歌「はい!…何か、今日はそういう気分なんです!」

 

 

 陽は暮れ滞み、飯炊きの煙が各民家から上がり始める。白々とした糸のようなそれは、薄暗い空に溶け込んでゆくも、徐々に染まりゆく黒には抗えない。しかしその中でも星々は輝きを放ち、月はその影を落とすのであった。

 

 




 どうも作者です。
…何やらお話が立て込んでまいりました。過去のお話でも現在のでも、何か不明な点がありましたら、是非ともご質問ください。皆さんのご期待に添えるかは分かりませんが、できる限りお答えいたします。

次回は、いよいよ諏訪大戦です。


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第三十四話 諏訪大戦

 神はサイコロを振らない、いつだってサイコロを振るのは人間だ。

はした金握りしめたギャンブラーが、人類未踏の地へと進む冒険家が、漢の高祖劉邦が。僕らの人生、人世は、不確定要素ばかりだ。

賽の目は丁か半か、世界は二元論、0か1か。

0か1の連続に過ぎないさ人世、失敗もあれば成功もあるさ人生。





 地面は今では止んでいるが昨日の雨によって少し湿っており、空は曇天。このような折、諏訪の国天竜川河畔には二つの勢力が集まっていた。

 

 

かたや、諏訪国国主の洩矢諏訪子。

 

こなた、大和国将軍の八坂神奈子。

 

 

 彼女たちの後背にはそれぞれの勢力の者たちで溢れている。諏訪国譲渡は既に決まっておりこの決闘は余興だとはしても、ここで無様な闘いをしたら相手から軽く見られる。だから、ここで勝って!こちらが有利に交渉を進めるんだ!そう意気込む諏訪子に。

 勝って兜の緒を締めよ…ではないが、既に私の責務は果たしたとはいえ気が抜けぬ。ここで無様な闘いをしたら、部下たちからの信望も下がり、何よりこれからの諏訪国統治に支障が出る。あちらにはここの国民までもが見に来ているのだ。と、そう眼差しを強める神奈子。

 

 これら二柱の神が互いに歩み寄りその覇気をあらわにする。その様子に両陣営で歓声が巻き起こり、やまびことなりてこの山間の地に轟き渡る。ニィと口角を上げた神々は天に向かいこう発露した。

 

諏訪子「よく来たね!神奈子ォ!!」

神奈子「こちらの台詞だ!諏訪子ォ!!」

 

 

諏訪子「今一度、闘いの前にルールを確認しておこうか!互いに武器の使用は可!相手を殺すことはせずに、どちらかの降参又は戦闘継続不能によって勝敗を決する!相違ないか!!」

 

神奈子「ああ!相違ない!!」

 

 ざりざりと、お互いの足が地面の砂利を踏みしめる。ころころと、天から吹きさらす風がそれを転がす。

 

諏訪子「では………っ!」

 

神奈子「参ろうか………ッ!」

 

 諏訪子は両手に鉄の輪を持って左手を前、右手を後ろにして構える。一方の神奈子は左足を前に踏み込み腰をググっと下して素手で構えた。互いの両肩に、四肢に、丹田に力が入る。

 

 

諏訪子「はあッ!!!」

 

 先に動いたのは諏訪子だった。彼女は大地を蹴り上げて大きく飛翔すると、その双腕をしならせて手に持った鉄の輪を神奈子の頭上へと叩きつける。その直前、ばちっと諏訪子と目を合わせた神奈子は、身体を左側へと捻りながら側転の要領でそれを避ける。諏訪子の強烈な斬撃はそのまま神奈子がいた地面へと炸裂し、土石をまき散らしながらそこを抉った。

 

神奈子「…ほう、その様な華奢な体からは想像もできない一撃だな。私の予想外の力だぞ諏訪子」

 

 本来、諏訪子にこの様な一撃を出せるだけの腕力はない。しかし、先ほどの大きなジャンプないしその腕をしならせる攻撃方法により、神奈子の予想以上の力を発揮することが出来たのである。詰まる所、位置エネルギーと遠心力の合力というわけだ。先手に打つ奇襲的な一撃として、諏訪子とハクが生み出した技であったが、あっさり神奈子には避けられてしまった。

 

諏訪子「ふッ!」

 

 神奈子の言葉を聞くか聞かないか、間髪入れずに諏訪子は彼女目掛けて鉄の輪による連撃を仕掛けてくる。神奈子は少し驚きつつも、後退しながら自身の神力で引き寄せた大きな木の柱を使ってそれと打ち合おうとする。しかし、その大きな木塊に対して諏訪子の鉄の輪は、ひしゃげるどころかそれを真っ二つにした。

 

神奈子「チッ!?」

 

 またもや予想外、そういった表情を見せ神奈子は諏訪子の武器にではなく、その胴体へと一撃を入れようとする。それに反応した諏訪子も瞬時に身体を縮こませて全身を縦横無尽に回転させる。彼女の両手に握られた刃によって、襲い掛かる木塊の悉くが塵へと変わった。

二人はまた向き合い、互いに構える。

 

 

 

 

 

 

 

宇歌「頑張れ…っ!諏訪子様…!」

 

 その頃諏訪国陣営では、巫女の東風谷宇歌と居候の狗剱ハクが目の前で繰り広げられる激戦を観ていた。両手を合わせて握り、祈るように諏訪子を応援する宇歌に対して、ハクは冷静に戦況を分析していた。

 

主(現状は諏訪子が優勢か…。だが、打ち合いを見るにあの大和の神…、何か隠してやがるな?表情自体は焦っているが、おそらく罠。諏訪子を油断させようとしてるのだろうか…。)

 

 気を付けろよ………諏訪子。

 

 

 

 

 

 

諏訪子(いける!!)

 

 諏訪子は神奈子と打ち合いながら心の中で勝利の期待を強める。自身が持つ鉄の輪に相手の木の柱はほぼ意味を成していない。相手が準備していた木の柱の数が有限である以上、こちらが競り負けることはないだろう。こう思った諏訪子は、力を入れ過ぎて最早痺れてきた双腕を無理やりにでも前へ前へと押し出して、遂には彼女と神奈子を遮るものがなくなる。

 

諏訪子「…貰ったあッ!!」

 

 諏訪子はその間隙に一撃を叩き込んだ。瞬間血しぶきが走り、その先には苦悶の表情を浮かべた神奈子が………いなかった。

 

諏訪子「!?」

 

 諏訪子に身体を斬られた神奈子は笑みを浮かべる。そして彼女の手は自身を斬った鉄の輪を握って離さず、その手からは血が滴り落ちる。

 

神奈子「…貰ったのは、こちらだよ。諏訪子」

 

 神奈子はもう片方の手に溜めていた神力を諏訪子の前で爆発させる。すると突発的に暴風と豪雨が彼女たちを襲い、そのまま包み込む。この状況にその場で戸惑い慌てる諏訪子とは対照的に、神奈子は終始静かに笑う。そして暫く風雨が吹き荒れた後に、彼女たちが再び姿を現すと、遠くで見ていたハクが一つ言葉を漏らした。

 

主「…やられたな。」

 

 

 

諏訪子「な、なんだ…って!?」

 

 諏訪子は気付く、自身の武器である鉄の輪が()()()()()()()ことに。それに驚愕して固まっていると、左手から血を流した神奈子が彼女に説明を始めた。

 

神奈子「…私が“何の”神様か、知ってるかい洩矢神」

 

諏訪子「………何のって、軍神なんじゃ」

 

神奈子「軍神…確かにそうだが、それはつい最近になって呼ばれ始めたものでね。元々、私は“風雨”の神様なんだよ。」

 

 そこまで言うと諏訪子の錆びついた鉄の輪を指す。

 

神奈子「金属の天敵は何だい?…風雨さ。雨の水分によって鉄が酸化して錆び、風の圧力によって朽ち果てる。…さっきのは肉を切らせて骨を断つみたいなもので、圧縮した神力の風雨を近距離でアンタにぶつけたって訳だよ」

 

諏訪子「へえ………やってくれるじゃん」

 

 諏訪子はそう言うと手に持っていた鉄の輪を静かにその場に置く。そして両手をプラプラとさせてほぐすと、正面の神奈子をその両眼にて捉えた。

 

諏訪子「でも貴方、胴体に一撃とその左手の傷、対して私はほぼ無傷。…この差は早々埋まらないと思うけどね」

 

神奈子「フフフ………だからこそ燃えるんじゃあないか…!さあ、素手転(ステゴロ)と洒落込もうかッ!!」

 

諏訪子「ッ!!」

 

 神奈子はそう語気を強めるとどっしりと構えて山の如く力の乗った一撃を繰り出す。諏訪子はそれに対して地面を隆起させて防ごうとするも、神奈子の拳はその障壁すらも貫き通した。歯を食いしばった諏訪子は両腕を目の前でクロスさせてそれを受けるが、踏ん張り切れずに後方に殴り飛ばされる。

 

神奈子「…意味ないよ、そんな姑息な手。さあさあ!アンタも自分の拳で殴り返してきなッ!」

 

諏訪子「なめ…」

 

神奈子「ん?」

 

 

諏訪子「舐めるなッ!!!」

 

 諏訪子は瞬時に神奈子の足元へと接近すると、足払いをかける。この攻撃に一瞬体勢が崩れた神奈子に、続けて諏訪子がその拳を叩き込む。しかし、彼女の拳を神奈子は左腕でいなすと、右拳を握りしめてカウンターをかけようとする。だがしかし、諏訪子が神奈子にいなされた力を利用して回し蹴りを放ったことにより、相殺された。

 

神奈子「何だいッ!アンタ!!結構いけるクチじゃあないかッ!!」

 

諏訪子「あああああッ!!!」

 

 正直苦手だ、殴り合いは。けどハクに教えて貰った、鍛えて貰った。手負いの神奈子、今の貴女なら…

 

諏訪子「ッ……私にだって!倒せるかもしれないじゃんかああッッ!!!」

 

神奈子「ッ!?づああああッッ!!!」

 

 

 互いの乾坤一擲の撃、炸裂す。

 

 一柱が地面に倒れ、もう一柱はその場に屹立す。

 

 唯一つ、立っていた者は…

 

 

神奈子「はあッ、はぁッ、はぁッ…」

 

諏訪子「………」

 

 

 八坂神奈子であった。

 

 

諏訪子「………ぐ」

 

 しかし、顔面から倒れ込んだ諏訪子はその面を上げて、また立ち上がろうとする。そんな彼女を止めたのは、遠くで観戦していた筈のハクであった。

 

諏訪子「…グっ………は、はく…?」

 

主「もう充分だ、休め」

 

諏訪子「へ…?で、でもわらし…まだ、たたかえる…よ?」

 

主「……諏訪子、自分では気付いてないかもしんねぇが、お前相当ボロボロだぞ。…これ以上は命にかかわる、やめとけ。………と、そういうわけだ大和の神様。この勝負はアンタの勝ちってこと「いや」…はい?」

 

 ハクの言葉を遮った神奈子はふらふらとして、後ろに仰向けで転がるように倒れた。

 

神奈子「……血を、流し過ぎたっ…みたいでね…。私も限界だ…。この勝負、」

 

 

 

神奈子「()()()()………だねえ…。」

 

 

 その瞬間、両陣営から二柱の神の健闘を讃える大歓声が轟き叫ばれた。

これを以て、“諏訪大戦”は終わりを告げたのである。

 

 





 『諏訪大戦篇』と銘打って置きながら、ここからが本番みたいな感じになりそうなので、少しばかりこう銘打ったことを後悔しております。


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第三十五話 新しい諏訪国

『泣かないことが強いことなんて誰が言ったの』

2011年。まだ小学生だった私は、この歌に強く勇気を貰いました。

あのメロディは今でも鮮明に思い出せます。

線量測定器を首から下げ、マスクをしての登下校。

外出は必要最低限、農作物は食べれずに、日々何かに怯えて。

これでも私はまだ幸運な方で、現在でもあの時から時間が止まった場所があります。車をお持ちの方はどうぞ国道6号線へ。以前よりだいぶ綺麗にはなりましたが、学べること感じられることが多くあります。南にはら・ら・ミュウ、北には松川浦などもございますので、観光ついでにでも是非。




諏訪子「…と、このような運びとなりました。ミシャグジ様。」

 

ミシャ「………」

 

 諏訪大戦より三日後。一昨日は諏訪子も神奈子も身体の回復に努め、昨日は大和国の支配下に置かれることとなった諏訪国がどのような統治体制を布くかを話し合った。

先ずは政。これは大和本国の意向に沿う形で、八坂神奈子が執り行うことになった。更には軍も駐屯し、治安維持と防衛の任に就くとのこと。

次に信仰。これは元来の御石神信仰・諏訪子の信仰と併せて神奈子も祀ることになった。そして東風谷宇歌を現在の巫女から、“風祝(かぜはふり)”へとその名称を変更することにもなった。八坂神奈子は軍神であり“風雨”の神でもある。後から入ってきた彼女を立て民衆から信仰されるようにするため、地元の有力な一族である東風谷家がそれを支持する立場を取らなければならない。よって、東風谷宇歌は第一代風祝となったのである。(と言っても行うことは以前とほぼ同じだが)

 

 

 詰まる所、こういった感じである。そして現在、諏訪子・宇歌・神奈子・ハクの四人は今回のことを洞窟の奥に鎮座するミシャグジ様に報告していた。

 

神奈子「ミシャグジ様、私からもひと言…。御身に危害が及ぶことは一切ありませんし、この私がさせません。………どうか、この八坂神奈子の入諏を認めては頂けないでしょうか?」

 

 神奈子が膝をつき礼をする。その様をミシャグジ様が見つめている。

 

ミシャ「………。」

 

 

神奈子「………諏訪子、ミシャグジ様は今何と?」

 

諏訪子「…“よく励め”、だってさ。良かったね神奈子」

 

 ミシャグジ様の言葉を諏訪子が伝え終えると、彼は神奈子から視線を外して頭を自身のとぐろの上に乗せて眠り始めた。神奈子はその様子にすくりと立ち上がり、再度深々と一礼をした。

 

神奈子「ありがとうございます、ミシャグジ様。…八坂神奈子、全身全霊粉骨砕身務めさせて頂きます!」

 

 神奈子の決意にミシャグジ様は不動を以て答える。一連の報告を終えた彼女たちはこの場から立ち去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神奈子「そういえば」

 

 ミシャグジ様の洞窟から外に出る途中、神奈子はふと思い至ったかのように声を上げる。

 

神奈子「今までバタバタして気にも留めなかったけど、ハク。アンタ、何者なんだい?」

 

主「ん、オレ?」

 

神奈子「ああ!聞いた話じゃ宇歌の婿でもないんだろう?「ふえ!?」…だから、アンタが此処にいる理由がわからなくてね。で、何者なんだい」

 

 グイっと顔を近づけてハクに詰め寄る神奈子。自分の正体を明かしても良いのだろうか…、そんな風に思案していると、諏訪子が彼女たちの会話に入ってきた。

 

諏訪子「なーに言いよどんでるのさ…。はっきり言ったらいいじゃん、妖怪ですって」

 

神奈子「む、…妖怪?」

 

 諏訪子の言葉を聞いた神奈子はその身をハクから引くと、その場で押し黙る。この様子にハクは怒らせてしまったかと焦るが、そんな彼の肩をむんずと掴んだ神奈子は自身の方へと引き寄せた。

 

 

神奈子「何だいっ()()()()()()()!道理でアンタから妖の気が感じられる訳だ!…まあ諏訪子がそれを咎めないから私も触れないようにはしてたけどね」

 

主「え?追い出そうとかしないの?」

 

神奈子「まさか!諏訪子がそこまで信頼してるアンタのことを追い出すなんてできないよ、仁義に反する。」

 

 神奈子はハクの肩を掴んだまま大いに笑う。彼女らの前を歩く諏訪子は、うるさっと呟きながら耳を塞いだ。

 

神奈子「はは……、それにしても神社に妖怪とはな。一体全体どういった経緯で此処に来たんだい?アンタ」

 

主「うーん…経緯かあ。言っても信じて貰えるかわからないけど、どうやら過去から来たみたいだよオレ。」

 

 そう言うと神奈子は一瞬首を傾げるが、直ぐにハクの背中をばんばん叩きながら笑った。

 

神奈子「はははっ!“過去から来た”とは、少し冗談が過ぎるぞ!」

 

主「いやマジ」

 

神奈子「………え?お、おい…諏訪子」

 

諏訪子「ん?…ああほんとみたいだよ、ソイツの言ってること。ミシャグジ様が言ってたんだけどね」

 

 神奈子は腕を組んで深く息をする。

 

神奈子「…分かった、信じるよ。それで、何年前から来たんだいアンタは…」

 

主「それも詳しくはわからないんだけど…えっと、人妖大戦って知ってる?」

 

神奈子「は?」

 

主「いやだから人妖大戦…」

 

神奈子「………ちょ、ちょっと待ってくれ…!“人妖大戦”、その時代から来たって言うのか…?」

 

主「まあ、正確にはそれから十万年後だけどね」

 

神奈子「…それじゃ、“第二次人妖大戦”か?」

 

主「っ!!知ってるのか!?」

 

 

 

神奈子「ああ……と言ってもハク。そりゃあ………()()()1()4()0()()()()()()?」

 

 

主「は」

 

神奈子「いやだから140万年前…」

 

主「はあああああああッ!!??」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宇歌「140万年前………って」

 

諏訪子「噓でしょ…!?」

 

 衝撃の事実が神奈子からその場にいた四人に伝えられる。140万年前…オレはそんな遠い昔から来たのか、そう悲観するかのように驚愕したハクはその表情を引きつらせる。

というか、何で諏訪子は知らなかったのに神奈子は知ってるんだよ。

 

主「………神奈子は、何でそんな昔のこと知ってるんだ?」

 

神奈子「…大和国は天津神(あまつかみ)の国家だからな、天地開闢の古代よりの歴史を全て記録している。私は元々は国津神(くにつかみ)だったが諏訪子と同じく大和に下った身でな、偶然昔の資料を見る機会があってそこで人妖大戦のことを知ったんだよ。」

 

主「くにつかみ?あまつかみ?」

 

諏訪子「国津神は私やミシャグジ様のように、この大地で人々の信仰によって生み出された神のこと。そして…」

 

神奈子「天津神は端的に言えば天から降りてきた神…、造化三神然り神から生み出された神然り。ハクが生きてた頃だと………月の都のツクヨミ様なんかがそうだな」

 

主「“ツクヨミ”…。なあ神奈子、月の都ってまだ月面にあるのか?」

 

神奈子「無論、あるぞ。」

 

主「なら、どうにかして行けないかな?…オレ世話になった人がそこにいて…」

 

神奈子「…残念だがハク、それは無理だ。月の都は今や()()()()()()()()()し、何より地上との接触を断っている。…我々神ならば可能性は無きにしも非ずだがアンタは妖怪、“穢れ”を持ち込むわけにはいかないんだ。」

 

主「そうか………、でも」

 

 ハクが急に立ち上がり、周りの三人が彼の方を見る。

 

 

主「諏訪子」

 

諏訪子「はえ?」

 

 まさか自分の名前が呼ばれると思っていなかった諏訪子がきょとんして首をかしげる。ハクはそんな彼女を見つめ破顔一笑して語る。

 

主「やっぱ諏訪国(ここ)来てよかったわ、飛ばされたのがここで…本当によかった!ありがとよ諏訪子、オレを受け入れてくれて」

 

諏訪子「は…はぁ!?別に私何にもしてなっ!ていうか、受け入れたのは宇歌でしょ!宇歌宇歌!」

 

 諏訪子は宇歌の名前を連呼しながら彼女の背中に隠れてハクの前へと押し出す。

 

宇歌「ちょ、ちょっと!諏訪子様!?」

 

主「うん、ありがとね!宇歌ちゃん!」

 

宇歌「へ、はははいっ!こちらこそどういたしましてありがとうございました!?」

 

神奈子「…宇歌、言ってることがごちゃごちゃだぞ…。」

 

 

 

主「ともかく、色々わかってスッキリしたよ。ありがとうみんな!神奈子も!」

 

神奈子「まあ、役に立ったならよかったよ。」

 

諏訪子「…それでハク。貴方のことが少し解明されたところで、これからどうする?旅に出るの?」

 

主「………うん、そうだね。あれからどれだけ経ったとしてもやっぱり…そうしたい、かな。」

 

 諏訪子の質問にハクは俯きながらも、しっかりとその意思を示す。そしてそのまま洞窟の出口へと向かう。

 

主「んじゃ!あと半月ちょっと、よろしくな!!」

 

 ハクの一言に皆微笑み、彼らは揃ってその洞窟を出た。

 

 




【補足】
風祝(かぜはふり):かぜはふりと書いて“かぜほうり”と読む。東風谷宇歌以降の東風谷家が代々継承することとなった役職。新しく諏訪国国主となった八坂神奈子が風神でもあったため、彼女を祀る者として相応しい名称として、大和朝廷より贈られた。行う仕事はほぼ以前と変わらず、新たに祭神に神奈子が加わったことによる大和式の神事が増えるだけである。

天津神(あまつかみ):定義がしにくいのですが、国津神じゃない神全てとした方が分かりやすいと思います。造化三神から三貴子(みはしらのうずのみこ)、邇邇芸命(ににぎのみこと)まで天津神らしいです。

造化三神(ぞうかさんしん):天地開闢の際に高天原に最初に現れた3柱の神々のこと。天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、神産巣日神(かみむすひのかみ)。

国津神(くにつかみ):高天原の神々“天津神”に対して、葦原中国(あしはらのなかつくに:日本の古称)に元々住んでいた神々の総称。大国主命(おおくにぬしのみこと)、洩矢神などがそう呼ばれる。


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第三十六話 沈黙の妖狐

 復讐の反対はなんだろうか。
それは復讐である。仇討ちの仇討ちなど、世界はそうして動いてきた。

 日本では忠臣蔵や曽我兄弟に代表されるように、仇討ちというのは華であった。物語として多くの民衆の人気を博したのである。

 清々しいまでの“義”である。しかし義という一字だけでは、人間語れないのだ。いつだって血に濡れて、酷く井戸の底のような悲愴は冷たい。心胆はここにある。

 回り始めたコマを止めるのは容易なこと、しかし廻り始めた“理”という星を止めるのは不可能に近い。それと同じだ。
だからこそ、止めた人というのは偉大なのであり、偉人なのである。




 ところ変わりてここは熱田。諏訪国より南西に位置する交易の中心地であり、大和国東海道平定軍の本陣が置かれている場所でもある。兵士たちが忙しく走り回る、そのような陣を諏訪国国主の八坂神奈子は訪れていた。

 

神奈子「…ふむ、相も変わらずせわしい処だな」

 

 彼女が今回ここを訪れた理由。それは諏訪国統治がある程度落ち着き、そこに駐屯させる兵士の要請と、今回の入諏報告のためである。神奈子は晴れて一国の主となった訳だが、彼女はその前に大和国の一将軍であり、上司で大将軍のタケミナカタに報告の義務があるのだ。

 

神奈子「さてタケミナカタ様は何処かな」

 

 

 

 

 

 

 近くにいた兵士からタケミナカタの居場所を聞き出した神奈子は、陣所に沿うように流れている川の畔へと足を運ぶ。そこには舟に乗った人々が水上を行き交う、その様な光景を暇そうに見つめている大男がいた。

 

神奈子「タケミナカタ様」

 

 神奈子がそう声を掛けると目の前の男はこちらへと振り返って気の抜けた笑みを見せる。

 

タケミ「…やあ神奈子、今戻ったのかい。」

 

神奈子「はい。諏訪国を無事手に入れられました故にそのご報告へと参りました………おや?」

 

 一礼とともにタケミナカタへと報告を終えた神奈子は、彼の手に握られた紙切れに気付いて声を発する。そのことを読み取ったタケミナカタは彼女が質問するよりも前に言葉を返した。

 

タケミ「あ、気になる、これ。」

 

神奈子「え、ええ…まあ」

 

タケミ「はは…、朝廷からの吉報だよ。()()()が見つかったてね」

 

神奈子「あの子?」

 

 

タケミ「長かったよ……永かった。ここ千年で現れるって突き止めたまではよかったんだけど、…何せ場所がね。見当もつかなかったから各地に忍びを放ってたけど、いやはや。こんなにも近くに出るとはね。」

 

神奈子「???…すみません、よく意味が分からないのですが…」

 

タケミ「ははは。わからなくていいよ。よくよく考えたらこの事あんまり人に言っちゃいけないしー」

 

神奈子「ええ………」

 

 なんだそれ、神奈子は素直にそう思った。それに気付かないタケミナカタはググっと背伸びをして、その場で立ち上がる。そして本陣に戻ろうと身を翻した。

 

タケミ「さて、それじゃあ富士の山でも見に行こうかな。」

 

神奈子「…ご出陣ですか?」

 

タケミ「ああ、吉報には吉報で答えろ…って彼女に怒られそうだからね。ま、挨拶がてら行ってくるよ………日高見国(ひたかみのくに)に。」

 

 タケミナカタは去り際にそう零すと、どこから現れたか顔全体を笠で隠した者に命令を飛ばして自身も本陣に戻って行った。神奈子はその後ろ姿に拱手をして彼の武運を祈ると、遠く東の空を見る。

 

神奈子(日高見国___未だ恭順しない東の大国か…。本当に()()()とは、誰なんだろうな。………ま、詮索しないほうが身のためか)

 

 神奈子はその脳裏に先ほどの笠を被った者を思い浮かべながら目を閉じる。

彼女の後背には、尚も人・物が活発に行きかっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 その頃、諏訪国では一大事が起きていた。

 

 

「殺すなら殺せ…。俺を殺せえッ!諏訪の巫女ォッ!!」

 

 地面に一匹の妖怪が倒れ、彼を馬乗りに押さえつけている女性に向かって叫んでいる。その女性は、東風谷宇歌であった。

 

宇歌「ああああああッッ!!!」

 

 宇歌はその眼をぎらつかせて手に握ったナイフをその妖怪の首へ目掛けて振り下ろす。

 

瞬間、鮮血が飛び散った。

 

 

 

 時は少し前に遡る………。

 

 

 

 

 

 

 

 

諏訪子「ああ~久々だよ、こんなだらだらするの…。最近は何かと忙しかったからねぇ」

 

 陽当りのいい広縁に寝転がる諏訪子は、茶菓子を食い散らしながらポリポリと腹を掻く。軽く欠伸をすると小春日和の朗らかな匂いが鼻をくすぐる、気持ちの良い昼下がり。

 

宇歌「すーわーこーさーまー!!」

 

 …ああ秋雨だ、いや稲妻かな。早いとこ逃げよう。

宇歌の怒気に、そそくさと逃げ出そうとした諏訪子は、その襟首を彼女にガシっと掴まれる。

 

諏訪子「うわー!放せー!」

 

宇歌「駄目ですっ!!諏訪子様、そんなにだらけていてはいけませんよ!貴女はここの神様なんですから!!」

 

諏訪子「いいじゃんいいじゃん!今日くらいさあ!神奈子も一旦帰って行ったし何もすることないし!!」

 

宇歌「もし民たちに今の諏訪子様を見られてしまったらどうするんですか!?この神社はお終いですよぉ!!」

 

諏訪子「ええ!?そんなに!?」

 

 

主「…あのー」

 

諏訪子「なに!」

宇歌「なんですか!」

 

主「いや…、見られたらっていうか、もう見られてるんですけど」

 

 言い争っていた彼女たちの前に現れたハクの一言に、二人は固まって彼の方を見る。

 

「ははは…」

 

 ハクの横には苦笑いした町人が申し訳なさそうにそこにいた。

 

諏・宇「「………。」」

 

 

 

 

諏訪子「我こそが祟り神洩矢諏訪子である。…して人間、この我に如何なる用件かな?」

 

 床に落ちていた菓子くずを急いで掃除した諏訪子は、どっしりとその場で胸を張ってその町人に向き合い大仰にそう言い放つ。そんな彼女の後頭部をハクは軽く叩く。

 

主「今さらおせーよ」

 

諏訪子「あーうー…。」

 

 諏訪子が悲しそうにうなだれてしょんぼりする。すると横にいた宇歌が彼女に代わって話を進めようと発言した。

 

宇歌「と、ところで何用でしょうか?お茶お持ちしましょうか?」

 

「いえお構いなく。…実はですね、先程から国門の前に妖怪が一匹座り込んでるんですよ。」

 

宇歌「妖怪が!?そ、それで誰か怪我人などは!」

 

「ああいやいや!それが妙なんですよ。その妖怪、そこに座ったまま何もしないんですよね…。門番の一人が近づいて声をかけても黙ったままだし、だから怪我人などは出ていません。」

 

宇歌「そうですか…。」

 

 宇歌が安心したかのように胸をなでおろす。すると先ほどのことから立ち直った諏訪子が言葉を挟んでくる。

 

諏訪子「で、私たちにどうにかしてほしいんだね?」

 

「は、はい!何卒どうか!」

 

諏訪子「よし!じゃあ早速い「諏訪子様」…ん?」

 

 諏訪子が声を上げてその町人とともにその現場に赴こうかという時、突然宇歌がそんな彼女の名を呼び引き留めた。

 

 

宇歌「私に…私に行かせてくださいっ!!諏訪のみ…風祝として、何時までも諏訪子様のお手を煩わせるわけにはいきません!」

 

 宇歌が力強く己の覚悟を発露させる。一瞬それを危険だからと否定しようとした諏訪子だったが、彼女の眼を見て今日までの宇歌の成長を思い出す。

“何かが変わりつつある”………そう言ったのは自分だ。だったら、少しくらい賭けてみても、期待してみてもいいのかもしれない。

 諏訪子は優しく微笑んで宇歌の腕をぽんっと叩く。

 

諏訪子「………それじゃ、お願いしようかな。」

 

宇歌「…!!は、はいっ!!お任せ下さい!!」

 

 諏訪子の了承を得た宇歌は依頼に来た町人とともに門へと向かうために彼女の前を去る。

 

諏訪子「…ハク」

 

主「んー?」

 

 諏訪子はハクの名を呼ぶ。彼は諏訪子の方を見ずにそれに答えた。

 

諏訪子「宇歌を助けてやって」

 

主「…はーいよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 途中、後ろから追いついてきたハクと合流した宇歌たちは、無事に諏訪国門へと到着する。そこには、確かに妖怪が一匹………赤みがかった毛色の妖狐がいた。

 

「あれです。宇歌様、居候様」

 

主(居候様って…)

 

宇歌「成程、あの者ですか。」

 

 町人は門の傍で見守り、その妖怪には宇歌とハクが近づいて行く。その間も妖怪はその場を動くことも、首を上げてこちらを見ることさえしない。そうしてついに、彼女らは妖怪のすぐ傍までやって来た。

 

 

「___よう」

 

 宇歌が声をかけようとした瞬間、目の前の妖怪が不意に声をあげる。これに宇歌は多少驚きながらも、それまでの彼の行動を問いただす。

 

宇歌「………何用ですか、貴方。」

 

「…おいおい、まさか忘れちまったのか?この顔。」

 

宇歌「はあ?そんな、貴方みたいなよう……か…い。………ッ!?」

 

 

「へへっ、どうやら思い出したみてぇだな。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

宇歌「………貴様っ、よくもぬけぬけと…!」

 

「会えて嬉しいぜ諏訪の巫女。お前も嬉しいだろ?親の仇に会えて」

 

 お道化たように紳士的な一礼するその妖怪は、憤怒の表情で静かに心を燃やす宇歌を尻目に話を続ける。

 

「今日、ここに現れたのは他でもねぇ…、過去の事を片付けに来た。おい諏訪の巫女、俺と戦え」

 

 臆した様子もなく毅然とそう言い放つ妖怪は、その妖気をだだ洩れさせる。それに合わせるように、宇歌も己の霊力を高める。

 

主「宇歌ちゃん……。」

 

宇歌「退がってて下さいハクさん。…私にも譲れないものがあるんです。」

 

 

 宇歌と妖怪が互いにひとつ歩み寄る。そしてその妖怪は小刀を一本下に落した。

 

宇歌「…何ですか、それは」

 

「これから始めるのは野蛮な殺し合いじゃねぇ、果た仕合(はたしあい)だ。最後の息の根はこれで止めろ、俺もそうする。」

 

宇歌「………分かりました。母さんの仇です…!」

 

「おういいぜ、…来いよぉ!」

 

 




【補足】

熱田(あつた):現在の愛知県名古屋市熱田区のことで、草薙の剣を祀る熱田神宮があることでも有名。本小説では大和国東海道平定軍の本陣が置かれる、交易と交通の要衝。

タケミナカタ:大和国の大将軍で、東海道平定軍の総大将を務める大男。八坂神奈子の上司。

日高見国(ひたかみのくに):富士山以東の関東全域を支配下に置く東日本最大勢力の国家。大和国との全面戦争を控えている。


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第三十七話 怨嗟の円環

 彼は伝説となった。


世界を救って

 彼の背後にはこの言葉があった。
この言葉こそが彼を彼たらしめんとする言葉であり命題であった。

 伝説の真の始まりとは、
ひとりの少女の心根に灯った、一種の気づきにも似た、彼に対しての定義づけだったのだ。


「“狐燐火(こりんか)”」

 

宇歌「…破ァッ!!」

 

 妖狐から放たれる火球を、宇歌は霊力を纏ったお祓い棒で弾き返す。キッと鋭い眼光で相手を刺す宇歌とは対照的に、終始その妖狐は不敵に笑っていた。

朗らかな昼下がりに似合わぬ殺伐とした気配と騒ぎに、諏訪国国門には多くの民衆が集まってきていた。その様子を見て、更に表情を険しくさせた宇歌は、その妖狐に向かって恫喝するように言葉を発する。

 

宇歌「ッ、貴様!……私の後ろの人たちには手を出さないと、誓えますか!」

 

「ハッ!…誰がそんな野暮なことすっかよ。俺の目的は元よりただお前ひとりだ」

 

主「宇歌ちゃん!!」

 

 騒めく民衆たちを背に、ハクは宇歌の名前を呼び彼女を振り向かせる。

 

主「大丈夫だ!…もしものことがあってもこの人たちはオレが責任もって守る!だから目の前の戦いに集中しろ!!」

 

宇歌「…っ!はい!!ありがとうございます!」

 

 そう彼女はハクに向かって軽く一礼すると、再び妖狐を睨みつけてお祓い棒を構える。そしてそれを縦横無尽に振り空中に印を結ぶと、大量の霊力の弾を周囲に出現させて、それを相手に向けて乱れ撃った。

 

「“狐狸隠れ(こりがくれ)”」

 

 妖狐はぴょいっと跳びあがって一回転すると、そのまま霞のようにその場から消えてしまった。

 

宇歌「くッ…!?ど、どこに!」

 

「ここだよ、諏訪の巫女。」

 

 急に自分の後ろから聞こえた声に背筋が凍りつき、瞬間思いっきりお祓い棒を声がした方へ向かって振りぬく。しかし、それは妖狐の身体を捉えることはできなかった。彼は宇歌から距離を取るようにバク転しながら離れていく。

 

 

宇歌「……どういうつもりですか」

 

「…あー?」

 

 低い声でそう呟く宇歌は俯いて目元が見えない。対して妖狐は頭を搔きながら眉をひそめる。

 

宇歌「先程、私を後ろから攻撃できましたよね?…何でしなかったんですかッ!!」

 

 そう語気を強めて宇歌は叫ぶ。妖狐は口角を上げて静かに笑いながらこう言った。

 

「……言っただろ?これは殺し合いじゃなくて()()()()だって。お前にとっては俺を殺して親の敵を討つことが目的だろうが、俺の目的は少し違っててな…。ま、ちっとばかしこっちから仕掛けねえとアレか…」

 

宇歌「……ふざけないで…ッ!」

 

 

 そこからは妖気を纏った赤い弾と、霊力を纏った白い弾がぶつかり合い衝撃波が巻き起こる。砂塵が吹き荒れて空の青さが霞みゆく下で、狗剱ハクは彼らの戦いを見ていた。

 

…正直話の見えない戦いだ。宇歌ちゃんは目の前に母親の仇が現れたことで、相手を殺すことしか考えていない。対してあの赤毛の妖狐は何を考えている?オレたちがここに来るまでの国門での沈黙の居座り…、なぜそうする必要があった?ただ人を襲いたいってわけでも、宇歌ちゃんを真っ先に殺したいってわけでもない。あの妖怪は今、一体何のために戦っている?

 

主「“過去の事を片付けに来た”。…確かそう言ってたよな」

 

過去の事とは、おそらく宇歌ちゃんの母親を殺したことを言っているのだろう。では、片付けるとはどういうことであろうか?その過去の時点で既に、片は付いているのではないのか?

 

主「…何にせよ、過去のどうこうはオレには知る由もないことだ。」

 

だが、奴の表情を見るに()()()()()()()()気がする。…それが何なのかは、もちろん見当も付かないが。

 

 

「“独狐伽羅(どっこきゃら)”ァ!」

 

 カラフルな狐火の弾幕が妖狐の周りに展開される。その大技に合わせて、宇歌もお祓い棒を目の前で構えて印を結び始める。

 

宇歌「……“封魔陣”ッ!!」

 

 その狐火を取り囲むようにして無数の霊符が展開される。妖狐の攻撃が宇歌に向かって飛んでくるのを、その霊力の陣が抑え込む。そして、互いの攻撃同士がぶつかり合った衝撃で封魔陣内で爆発が起こった。

 

「グッ…!?」

 

 妖狐はその場から逃げようと先ほどの技を繰り出そうとするが、間に合わずにそのまま飲み込まれていった。

爆発が収まると、宇歌は彼が倒れているであろう場所へと駆けていく。右手にはお祓い棒を、左手には先ほど約束していた小刀を、律儀に拾い持っている。そして、砂煙の中から倒れている相手を探し出すと、お祓い棒を喉元に当てがい馬乗りになって押さえ込んだ。

 

 

宇歌「…ははっ。何か、言い残すことはありますか?」

 

 宇歌は静かに笑って、そう倒れている相手に溢す。問いかけられた妖狐は荒く呼吸をしながら、特に組み付かれてることに対して抵抗もせずに、ゆっくりと答える。

 

「最期に…っ、教えてくれ…!はあ……はあ……。」

 

 時折咳き込みながら何処か遠いところを見るようにして、その妖狐は次のように述べた。

 

 

「お前は、“死ぬ時に笑う”のか…?」

 

宇歌「………は?何を言っているんですか?」

 

 

「くっははは…。そうだよなあ、普通笑わねえよなあ?……でもよ、お前の母ちゃんは笑ったんだ。それに、俺に“ごめんね”なんて言葉なんて残していきやがって…。ホント、意味わかんねえ」

 

 

「ど、どういうこと…ですか…ッ!」

 

「…知りてえよな。お前は遠くで見てただけだもんな。……いいぜ最期に話してやるよ、あの日の。俺が()()()()()()()()()()あの日の出来事を。」

 

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

~12年前 諏訪国~

 

 

「うーかーちゃー-ん!!!」

 

 玄関先から発せられる大音響が空気を震わす。それを聞きつけて二人の対照的な表情をした者たちが、一人はトタトタと走ってきて、もう一人は不機嫌そうに歩いてきた。そうして走ってきた方の子が、その大音響の主に抱きつく。

 

 

「母様っ!」

 

「おーよしよし、起きてたかー我が可愛い娘よ!」

 

 一片の曇りもない清純そうな灰色の瞳に、腰まである緑の髪をひとつに結ったその女性は、自分に抱き着いてきた女の子の頭をそう言ってわしゃわしゃと撫でまわす。そうして高い高いと、その子を抱き上げていると、もう一人家の奥から歩いてきた幼女に愚痴を溢される。

 

「…お務めご苦労様だけど、朝っぱらからあんたの大声とテンションは頭が痛くなるんだけど…。そゆとこ、どうにかしてくれない?“稲禾(とうか)”」

 

 

 第二十三代目諏訪国巫女“東風谷(こちや)稲禾(とうか)”。彼女が上記の言葉を聞くか聞かないか、抱きかかえていた子に向かって言葉を投げかけた。

 

「宇歌ちゃん!今日はお母ちゃんと一緒に出掛けるよっ!」

 

「え!?どこ!ねえどこに行くの!」

 

「あっはは!それはねぇ……お楽しみだよー!!」

 

 

「ねえ、ちょっと稲禾!聞いて…」

 

「ごめん諏訪子様!そんなわけだからさっ、ちょっと宇歌ちゃんとお出かけしてくるねー!」

「くるねー!!」

 

「あっ!?おいちょっと待て!!」

 

 くるりと宇歌を抱きかかえたまま身を翻した稲禾は、そのまま町の方へ脱兎の如く駆けて行った。その袖を捕まえようと諏訪子は裸足のまま外へと飛び出すが、稲禾たちがもう社前の階段を下りて行ってるのを見て諦める。

 

「…まったく、何であの子はあんなにも自由奔放に育ったかなー…。まあ巫女の仕事自体は真面目というか、それ以上に頑張ってくれてるからあまり強く言えないんだけどさ…。あーうー」

 

 

 

 

 

 

 

 

「わああ……!!」

 

「どう?綺麗でしょ?」

 

「うん…!」

 

 朝焼けに照らされた黄金色の稲穂。それが目の前いっぱいに広がる田んぼ畑。秋の肌寒い風がその稲の一本一本を梳くように流れていく。ざわざわ、ざわざわと、稲同士が擦れあう音がその風に運ばれて鼓膜を振動させる。嗚呼…胸をすくような焦燥、そしていっぱいに弾ける高揚…。神々までもがこの光景に恋をしてしまいそうな色めく秋。その只中を二人の親子は歩いていた。

 

「秋っていいよね」

 

 不意に隣を歩く稲禾がそう呟く。

 

「人間たちが頑張って植えて育てた作物が実を結ぶ季節だよ。汗水たらして働いていたみんなが一斉に笑顔になるんだ、そして互いにその喜びを分かち合う………アタシそんな秋が大好き。」

 

 

「……わたしも大好きー!」

 

「あはは!宇歌にそう言ってもらって、みんなも嬉しいと思うよ!」

 

「んんー-?…どうして?」

 

「それはね、宇歌の名前の由来が…」

 

 瞬間、稲禾は自分たちの行く手を遮るようにして立つ者が前方にいることに気付く。そしてそれに目を向けた彼女はその者の正体を認識した。

 

妖怪____ッ!

 

 その者がこちらへと近づこうと歩みを始めるのとほぼ同じタイミングで、稲禾は宇歌を自分の後ろへと守るようにして隠す。そして互いの顔が見える距離までその妖怪が来ると、稲禾に向かって話しかけてきた。

 

「…お前が諏訪の巫女だな」

 

 褐色の毛をたなびかせた妖狐の少年は、そうドスのきいた声色でこちらを威嚇するかのように睨みつける。稲禾は宇歌の手をギュッと握りしめて、その場の殺気をぶち壊すようなあっけからんとした表情でそれに答えた。

 

「うんっ、アタシがそうだよ!」

 

 その言葉を聞いた途端に先ほどから発せられていた殺気がより鋭さを増す。毛が逆立ち、目がつり上がり、口が三日月に裂ける。

秋風に揺れる鬼灯。漂う狐火に、辺りは朝だというのに徐々に薄暗くなっていく。刻は正に丑の刻、妖怪の時間が始まる。

 

「そう、か…ッ!」

 

 

「……逃げなさい宇歌」

 

「え…?」

 

「いいから早く!!」

 

「っ!!」

 

 母の迫真めいた声に、宇歌は反射的にその場から駆け出す。少女の足音だけがデクレッシェンドしていく不思議な空間、そこにピンと張った殺気という名の琴線。それを掻き鳴らしたのは妖怪の吼噦(こんかい)だった。

 

「お前、一か月前に狐の妖怪を二匹退治したよな」

 

 質問であった。

 

「…確かに退治したわ。……それがあなたのお仲間だから復讐しに来たと、そう言いたいのかしら?」

 

 漂う妖気が一段その禍々しさを上げる。

 

「違え。…お前が殺したのは俺の両親だ」

 

「ッ!……でも、あなたのご両親は人間たちに危害を加えていた。確かにあなたに恨まれる動機は分かるしアタシを殺そうとすることも理解できる。…でもね、アタシだってタダでやられる訳じゃない。それにあなたみたいな妖怪の子供なんて、私の相手にもならないと思うけど?」

 

 懐から取り出した護身用の小刀を抜き放ちながら、稲禾は自身の霊力を高め始める。対して妖狐は左手の人差し指をビシッと自身の左方向へ向けて指す。その突然の行動の意図に、稲禾は理解が追い付かずに固まっていると、再度吼噦。

 

「あの山を見てみろ」

 

 言葉につられて彼が指す方を見てみると、そこには木が伐採されて禿げた山が存在していた。

 

「あの山は俺たちが暮らしていた山だ。…そしてお前が父と母を殺した山だ!」

 

「!」

 

 確かに…!あそこは自分が依頼を受けて退治に向かった山だ。……でも何かおかしい。あんなに禿げた山だったか?

 

「…俺たちはあそこの山で静かに暮らしていた。ここら辺の人間に手を出しゃアンタが黙ってないからな、山の恵みで自給自足しながら暮らしてたんだ。」

 

 濃い妖気が微かに霧散して朝の光が差し込んでくる。昔語りをするように妖狐は歩き始めた。

 

「そこの山には上質な檜が生えていて、この辺りじゃ珍しいだろ?だからちょいちょい人間が伐採しに来てたんだ。そいつらは精々二、三人だったんで、俺たちとしても干渉せずにいたんだが……ある日を境に全てが変わった」

 

 水の中に墨滴を落としたかのように徐々に周囲が暗くなっていく。妖狐はこちらに背を向けて立ち止まる。

 

「…あの日、俺たちの山に人間たちが大挙して押し寄せてきた。そして俺たちにこう言った“山から出ていけ”。資源を独占するんだとさ、迷惑な話だぜ。……俺たちはこの山に依存した生活を送ってたからな、もちろんソイツらの命令には従えないわけさ。そうして妖術で化かしたりして山を守ってるうちに…、アンタが来たってわけだよ。」

 

「………」

 

『あの狐どもにヨメを傷つけられただ…、巫女さん助けてくれ!』

 

 

「アンタは騙されてたんだ、あの人間たちに。……到底信じられないってか?そういう顔してるぜ…アンタ」

 

『あそこの山に新しく住み着いた狐のせいで新しく橋も架けられないよ…』

 

 

 

「……正直、あなたの言葉をそのまま鵜吞みにはできないわ…。あなたが噓をついてる可能性だってあるもの」

 

 稲禾は小刻みに震えそうになる手を握りこんで抑える。心臓の鼓動が速くなる、やけに息苦しい。

 

「そうだよな」

 

 あっさりとその妖狐は引き下がる。

 

「…そういえば、お前の国の門が新しくなるんだってな。何でも丈夫な()の材木を使って……アンタそれがどこから運ばれてきてるか聞いたことはあるか?」

 

『巫女様…え、えーっとそれはですね…。この前巫女様が退治してくださったあの山から…』

 

『それにしては大量だねー』

 

『あっ、えと、他にも檜が見つかったもんで!はい!』

 

 

「諏訪の社も改築されるそうじゃねーか。随分と急な話だな、おい!」

 

『諏訪子様っ!改築とは随分と急な話ですね!』

 

『うーんそうだね、私もついこの前聞かされたんだ。…材料が足りないって言ってたのに不思議だなあ』

 

 

「俺たちが暮らしてた山は今やまっさらだ!お前たちが森を踏み荒らして動物たちもどっかに行っちまった!!木を伐られすぎたあの山は()()()()()()んだよックソォー-!!!」

 

『『ヒソヒソヒソ』』

 

『あれ…、あなたたちそんな大人数でどこに行くんですか?』

 

『っ!…いえ巫女様、そんな大した用でもありませんよ。時間がないんで失礼します…』

 

『???』

 

 

「………」

 

『…後悔するぞ人の子よ、こんな蛮行…ゆる…されッ!』

 

「っ」

 

『私はお前を恨むッ!!!』

 

 

「ごめんなさい!!!」

 

 稲禾は地面にその頭をこすりつけていた。

 

「……別に俺はお前を恨んでないとは言わないが、お前を殺すためにここに来たんじゃない」

 

 妖狐はぐいっと顔を近づける。

 

「俺が本当に殺したいのは、お前に指図した人間だ。」

 

「…っ!!」

 

「何人かいるはずだよなァ…、ソイツらの居場所を教えろ。そしたらお前と、向こうで隠れて見てる()()()()には手は出さないでやる…どうだ?」

 

 娘…? 瞬間稲禾はハッとして後ろを振り向く。するとそこには先ほど逃がした自分の子である宇歌が、草葉の陰に身をひそめながらこちらを見ていた。

 

「…あの子ッ!」

 

「おっと!動くなよ…、口だけ動かせ。俺の質問に答えろッ!!」

 

 物凄い剣幕で、今にも嚙みついてきそうな空気を纏わせながら、妖狐の眼光が鋭く稲禾に突き刺さる。目を閉じて歯を食いしばり、暫く小刻みにその肩を震わせていた彼女だったが、不意にすんとその全ての動作が収まると、右手に持っていた小刀をカランカランと妖狐の目の前の地面に放り出した。

 

「……おい、何の真似だお前」

 

「…彼らにも家族がいる。いずれあなたのように肉親を失った憎しみに駆られて、あなたの前に現れるでしょうね」

 

「それがどうし…」

 

「だからアタシを殺して。」

 

 

「………はあ…?」

 

 稲禾は立ち上がる。

 

「アタシひとりの死をもって、この憎しみの連鎖を断ち切りたい。これ以上の犠牲を出したくない。」

 

「詭弁だ!!」

 

 妖狐は声を震わせて反論する。

 

「お前を殺したら、お前の後ろにいるお前の子が!復讐に駆られるんじゃねえのかッ!それじゃあ断ち切ったことにはならねえだろよ!!」

 

「うん。だからあなたはここを離れて」

 

「はあッ!?」

 

「ここから西、都よりももっと西にいったところに。…あなたのような妖怪たちが集まる()()がある。身勝手なお願いなのは分かってる、でもここで暮らすよりもずっといいわ。だから…」

 

 

「アタシを殺して」

 

 辺りに漂っていた妖気は完全に霧散し、風光明媚な黄金色の景色が広がる。向き合う二者の間に一陣の風が吹き抜けた。

 

「いかれてるよ、アンタ」

 

 妖狐は落ちている小刀を拾い上げる。

 

 

「約束しよう…。お前ひとりを殺して仇討ちとし、両親への手向けとする」

 

「約束して…。アタシを殺したらあなたは西の果ての山へと向かうの」

 

 刹那、妖怪は駆けだした。

 

 

「…父と母の仇だァァァッッ!!!」

 

「ごめんね…」

 

「っ…!ッッ!!」

 

「……宇歌!!!」

 

「……へ…?」

 

「“            ” ッッ!!!」

 

 

 鮮血が舞った。

そして、それは朝焼けに染まる地面に同化するように、辺りへと飛び散る。その時の妖狐の瞳に映った彼女の顔は、最初に会った時のような天真爛漫な笑顔だった…。

 

 

 

 

 

 

そこの記憶が、母が最期に私に向けて言った言葉の記憶が、今の宇歌()にはない。

 

 




【補足】
東風谷稲禾(こちや とうか):第二十三代目の諏訪国の巫女で宇歌の母。自由奔放で活発的であり、困っている人はほっとけない性格。やや破天荒な面も見られるが、社の仕事自体は真面目にこなす。多くの人に慕われていた彼女だったが、妖怪に殺されて若くして亡くなった。

吼噦(こんかい):狐の鳴き声のこと。


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第三十八話 希望理想之夢


 人は、心に理想を抱く。

決して叶うことのない夢を、現実離れした空虚な希望を抱く。


 故に、人は愚かだ。

だが、心に理想を抱く者は、そうではない者に比べて、実に人間だ。


 人間は愚かな生き物だ。

でも、いやだからこそ、過ちを改めて前に進むことができる。

過ちのない人生など、それこそ空虚でつまらない幻想である。




「…あの後俺はあいつに言われた通りに西へと向かった。そこには本当に妖怪たちの楽園があってな、暫くはそこで厄介になってたんだが…。どうも最期のあいつの顔が頭ん中に張り付いて消えねぇ」

 

 妖狐は再度宇歌に質問する。

 

「なあ、死ぬってのは怖えよな。誰かに恨まれて死ぬってのは恐ろしいよな。しかもあいつの場合小っちぇ子供まで残してよ…、他人の代わりに死んだんだ………。」

 

 妖狐の瞳が少し潤む。

 

「なのになんであいつはっ、最期あんなにも笑顔だったんだ?…今日はそれを聞きに来た。」

 

 こうして妖狐の話が終わると、一時の静寂をもって刻は動き出した。

大地を揺らさんとばかりに騒めく人々。その妖怪が言ったことは本当なのか?だとしたら大問題だぞ!稲禾様は、稲禾様は!ただ妖怪に無残にも嬲り殺されたんじゃなかったのか!!

彼らの動揺はもっともである。彼の言を是とするならば、十二年前に稲禾が殺された遠因は、彼女に妖怪退治を依頼した人間たちにあるということになる。しかしながら、今までそのようなことを証言した者はいなかった。よって、彼女が妖怪に虐殺されたということを民たち一様、諏訪子ですら信じて疑わなかったのである。

…だが、所詮はいち妖怪の言葉。その内容の衝撃性ゆえに爆発的な混乱を生んだが、直ぐにそれらはその妖怪を罵倒する言葉に変わっていった。確かに稲禾が亡くなってから、諏訪国は()()()()()()()。それこそ大和から危険視される程に…。

皆、心に一抹の、現状に対する不自然さがよぎる。もしかしたら…、そう思う者も決して少なくない。…だが皆が皆、自分たちに非があるとは思いたくないのである。故に、罵詈雑言を浴びせる。

 

 

(成程…)

 

 そして、そんな中で唯のひとりだけ、この状況を冷静に分析している者がいた。諏訪の社居候の狗剱ハクである。

その妖狐が言うことが正しいとすれば、これまでの彼の不可解な行動にも納得がいく。ここで彼が噓をついていると仮定しても、その噓にはほぼ何の益もない。…確定とまではいかないが、少なくとも暫定するだけの証言の辻褄は合っていると思う。前にも言ったが、オレは過去のそのやり取りを直接見てるわけではない。…よってこの混乱を収め、その妖怪の証言の是非を判断できるのは、今彼に馬乗りになっている宇歌ちゃんしかいない。遠くからでも、彼らのやり取りを見ていた彼女しか…。

 

主「ん…?」

 

 ハクは不意に門付近にごった返す人込みから、そそくさと隠れるようにして抜け出す一人の人間を見つける。宇歌の方をちらりと確認し、あまり猶予がないことを理解すると、彼はその場から消えた。

 

 

 

 

 

 

 

宇歌「………ふざけるな」

 

 今まで沈黙して彼の話を聞いていた宇歌は、そう一言だけ呟くと、その胸倉を掴んで倒れてる妖狐の身体を無理やりに引き起こした。

 

宇歌「貴様が母様の為に涙を流すなッ!!!」

 

 宇歌の拳が振り抜かれる。

 

「ぐッ…!?」

 

宇歌「母様を殺した貴様が…ッ」

 

 もう一発殴る。

 

宇歌「今更何を言う…ッ!」

 

 殴る。

 

宇歌「…十二年だ!!あれから十二年間、私は貴様を殺すことだけを理由に生きてきたッ!!」

 

 殴る拳伝いに生温かい液体が流れ出てくるのを感じる。しかし、そんなものお構いなしとばかりに宇歌は殴り続ける。

 

宇歌「やっとだ…!やっとッ、これで終わる……この短刀一本で終わらせられるっ!!そしたら楽になれる…よねえ?私もうむりだよつらいよくるしいよお…。おまえをころしたらすべてがおわる、おまえをころしたらかあさまがむくわれるラクになるラクに、こころガ…スッとっラク…に…ッ」

 

 宇歌は自身の髪の毛をぐちゃぐちゃにして呂律も回らない。その過程で妖狐の胸倉を掴んでいた手は緩み、彼はどさりと後ろの地面に倒れた。

 

「………そうか、それがお前の()()なんだな。…オレも半端な覚悟でここに来たんじゃない、()()()()()()も当然できてるさ。……いいぜ、やれよ」

 

 宇歌の目からは色が抜け落ち、どす黒い(あな)へと変貌する。そして、すっと倒れている妖怪の首元に小刀を突き当てると、途端に先ほどまでの妄言のような言葉がピタリと止まり失声した。

 

「でも…本当にいいのか…?あの日、お前の母ちゃんが残した言葉は、これを望んでいたか?」

 

宇歌「………」

 

「………はははっ、冗談だ。“お前が言うな”、だよな…」

 

宇歌「……っ」

 

 

「殺すなら殺せ…。俺を殺せえッ!諏訪の巫女ォッ!!」

 

宇歌「ああああああッッ!!!」

 

 宇歌はその眼をぎらつかせて手に握った小刀をその妖怪の首へ目掛けて振り下ろす。

 

瞬間、鮮血が飛び散った。

………しかし、それが真っ赤に染めたのは倒れている妖怪でも、小刀を握った人間でもない。

 

「はあッ…はあッ…!?」

 

宇歌「………えっ?」

 

 血で染まったのは、真っ白な狼であった。

 

 

主「待って宇歌ちゃん」

 

 振り下ろされた刀の刃を素手で受け止めたハクは、その掌からドバドバと血液を流しながらも話を続ける。

 

主「お母さんのかたき討ち…の前に一人だけ、話を聞いてもらいたい人がいるんだ。」

 

 そう言うとハクは後ろを向く。それに合図されたかのように、一人の初老の男性が宇歌の方へと歩み寄って来た。彼は彼女の近くまで来ると膝から崩れ落ちるようにして座り込み、地面の土を握りしめ目線は下向きに語り始めた。

 

「…その妖怪が言っていることはすべて本当だ、宇歌様…ッ!」

 

 宇歌の瞳にか細い光が灯る。

 

「私たちはっ彼女…稲禾様に噓を吐いたんだッ!!あの妖怪たちが悪さをしていると、私たちの命が危ないと!!……すべてはあの山の資源に目がくらみ、それを独占したいがための意地汚い私利私欲のためだったんだ…!……稲禾様が亡くなって私は己の過ちに気づいた、でも自らの罪を告白できなかったんだぁ…恐ろしくてッ!!」

 

 宇歌の瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。

 

「その後、宇歌様と諏訪子様…そして国中の皆が妖怪を憎み始めた…!私も自分の罪の意識を押し隠してその流れにこの身を投じることで、…私は悪くない悪くないとッ…!そう思いながら今日まで生きてきた。でもッ!!それじゃダメなんだって今気づいた!!ちゃんと本当のことを言わなきゃ、真実を話さなきゃって!!!……そこの少年に言われてハッとしたよ」

 

 男性の瞳からも涙が流れ始める。そして、己の額を地面にこすりつけた。

 

「だからよお!!殺すなら私にしてくれッ!!その妖怪じゃなくてッ。殺して、それで宇歌ちゃんの気持ちが少しでも晴れるなら私は喜んで死ぬよッ!!それが私の罪滅ぼしだ!!!」

 

 遂には額を地面に打ち付けながら激しく慟哭した。彼の懺悔を聞いて、やっと周りの人々も察し始める。…私たちはずっと勘違いをしていた。

 

宇歌の手から小刀が滑り落ちる。彼女はその妖怪とハクの返り血で濡れた自分の掌で目頭を押さえて、流れて止まらない涙を止めようとする。そして小さく叫喚し始めた。

 

宇歌「じゃあ…ッ!私はどうすればいいのッ!!ほんとは殺したぐない……誰も殺したくないのに…!ずっと心はやるせなくて!!こんなっ…、こんなことっ、てぇ…!」

 

主「宇歌ちゃん」

 

 

宇歌「ハク…さん……っ」

 

 ハクはしゃがみ込み、血で汚れてない方の手で彼女の肩に触れる。

 

主「…実はオレも宇歌ちゃんと同じなんだ。オレも、オレの仲間を殺した奴を死ぬほど殺したい…!………でも、そんな恨みつらみの気持ちだけじゃあ…オレたちってきっと何も為せないんだ。…オレたちは過去を生きてるんじゃない、現在(いま)を生きてる。前に進むってのは残酷なことだよ…。でも、宇歌ちゃんはひとりじゃない。…周りを見てごらん」

 

 宇歌はハクに言われた通りに周りを見渡す。そこには、皆一様に地面に膝を付いた民たちがいた。そして、彼らも静かに泣いていた。

 

宇歌「……ー-っ!!」

 

主「ここには、キミのために泣いてくれる人たちがいる。キミと一緒に苦しんで悲しんでくれる人たちがいる。…それに、キミのためなら命すら惜しくないって人もね。」

 

 ハクは先ほどの男性にも目をやる。

そして宇歌は先日町の鍛冶屋で掛けられた言葉を思い出していた。

 

『宇歌様、我ら諏訪の民は皆、貴女様のお味方です』

 

宇歌「あぁ…っ!!」

 

 

 

主「彼らを導けるのはキミしかいないよ、宇歌ちゃん。」

 

宇歌「……はい」

 

主「彼らが前へと進むために必要な言葉を。」

 

宇歌「…はいっ」

 

 自分の手で擦りすぎて血だらけになった顔で、彼女は少しだけはにかんで見せた。彼女は妖狐に馬乗りになっている状態からすくりと立ち上がり、諏訪の民たちと向き合う。

 

 

宇歌「みなさんっ!!!」

 

 彼女の声に合わせて、民たちは総じて悲哀の顔を上げる。宇歌は胸の前でぎゅっと拳を握りこんで言葉を発する。

 

宇歌「…私たちは許されざる間違いを犯しました。過去…私たちは妖怪のお二方を殺し、山の自然を殺して、東風谷稲禾をもッ()()()が殺しました。」

 

 民たちはハッと息を吞む。…彼女の言葉は続く。

 

宇歌「しかし私たちは、私たち全員の罪を許しましょう。私たちが、私たちの罪を許し合いましょうっ!」

 

 民たちは互いに互いを見合う。…彼女は後ろを振り返って、倒れている妖怪とその隣の初老の男性とを見やる。

 

宇歌「そして共に前へと進みましょう!…人と人が、否、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()国を!みなさんで共に創り上げましょう!!…もう二度と、こんな悲劇を起こさないために!!さあッ!!!」

 

 宇歌の言葉に感化されて人々は立ち上がる。彼らの前にいたのは眩いばかりの太陽であった。私たちを照らし導いてくれる……それは正に女神。

 

 

宇歌「諏訪国はこれより新たに始まりますっ!!!」

 

「「「…うおおおおおおおッッ!!!!」」」

 

 蒼穹に向かって希望、理想の夢が弾ける。涙は大地に染み込み、秋風に吹かれて次第に乾いていく。

 

…そして人々の歓声に紛れて吼噦がひとつ。

 

 

「“誰かを憎んじゃいけないよ”…か。………やっぱりあいつの娘なんだな、諏訪の巫女。…あいつが笑った理由、ちょっとだけわかった気がするよ。」

 

 

 

 

 

 

 

『宇歌!!!』

 

宇歌「…っ!?」

 

 少女は空を見上げる。

 

『“            ”ッッッ!!!』

 

 

宇歌「………うん。ありがとう、母様」

 

 

色づく秋も深し。黄金波打つ、稲の国。

 

 




【予告】

次回、第三章 諏訪大戦篇 最終回。



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第三十九話 秋風にさようなら


 秋が好きなんだよなあ。

風が冷たくて、陽が暖かくて、空が高くて。

 深呼吸したくなる。

肺が冷たいね、鼻先が痒いね、指先が悴むね。

 旅に出よう。

紅葉が綺麗だ。
落葉も乙なものだ。
丸裸も侘しい。

 何が言いたいかっていうと秋っていいよね。



 国門でのひと悶着が一先ずの解決を見た後、オレたちは倒れている妖狐に手当てを施した。その最中彼は妙に晴れやかな顔をしており、宇歌ちゃんと未だ若干のぎこちなさはありながらも親し気に会話をしていた。先ほどまでの彼らの関係とは大違いである。そのことにオレは少々驚きつつも、宇歌ちゃんたちにこの疑問を吐露する。すると、彼らは顔を見合わせて互いに微笑むと、オレに向かって一言発した。

 

「「さあ…?」」

 

主「はあ!?」

 

 予想外の回答にオレが固まっていると、宇歌ちゃんが若干呆れたような眼差しをこちらに向けてぼやいた。

 

宇歌「だって恨みの感情だけじゃ前に進めないって、ハクさん言ったじゃないですか…。」

 

主「いやいやだとしてもだよ!急に変わりすぎじゃないっ!?」

 

「風祝の言う通りだぞ坊主。仲良くして何が悪い?」

 

主「いやだからっ仲が良すぎんだよ!アンタらの場合!!」

 

 ハクが狼狽える様子を見て、二人はケラケラと大きく笑う。そして、少しだけ真剣な顔に戻ると、その心の内を話し始めた。

 

 

宇歌「…あのまま復讐を遂げたとしても、死んでいった者たちは浮かばれるのでしょうか。ハクさんの言葉と民たちの表情を見て、…母様のことを思い出しまして。あの人の笑顔を見てたら、何でも許してしまえる…それで前へ進もうという勇気を貰えたんです。」

 

 宇歌は憑きものが取れたような清々しい眼差しで空を見つめる。

 

「…あの日から、俺もずっと心がすっきりしなかったんだ。あいつを殺して俺は逃げて……それで万事解決なんて、そんな訳ないよな。“誰かを恨むな”って、あいつもそう言ってたしよ。…風祝の親は妖怪に殺されて、俺の親は人間に殺された。誰かを恨んで生きるのはもう充分だ…、そう思ったんだよ。」

 

 妖狐は目を瞑って自戒するようにそう述べた。

 

宇歌「…よし。」

 

 妖狐の頬に貼り付けたガーゼに軽く触れて治療を完了した宇歌はそのまま立ち上がる。そして彼に手を貸して立ち上がらせると、ハクに向きあって諏訪の社の方向を指さした。

 

宇歌「さあっ!みんなで諏訪子様の元へ帰りますよ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 妖怪と共に市井を歩く。普段の活気ある喧騒とは違う、町に妖怪がいるという非日常。それに恐れおののく人々もありながら、先ほどの国門付近での事件を見ていた人たちがいたことによって、大きな混乱には至らないでいた。諏訪国はあの瞬間に変わったのだ、私たちも変わらなければいけない…。市井は不思議な空気感に包まれていた。

 

 

 

「良かったのか、…俺がここに来て」

 

 社の横の、諏訪子がいる家屋の玄関戸に宇歌が手をかけた瞬間、後ろを付いてきていた妖狐がそう呟く。先ほど、過去を振り切ったような言葉をこぼした彼だったが、矢張り今ここにいる気まずさや、これから顔を合わせる人物とのことを想像したのだろう。

…そう思うのもしょうがない。ハクはその様な同情の言葉を掛けようとしたが、彼が声を出す前に宇歌がその妖狐の手を握った。

 

宇歌「大丈夫っ!!」

 

「……っ!」

 

宇歌「私を信じて!!」

稲禾『アタシを信じて!!』

 

 

 人は…眩しいな……。

 

「ああ…!」

 

 妖狐の答えを聞いてにっこりと笑った宇歌は、再度戸に手をかけてそのまま横にスライドした。

 

家の中は薄暗かった。ただいま戻りましたと、宇歌は奥にいるはずの諏訪子に向かって帰ってきた旨を伝える。その声を聞きつけて、てっきり玄関まで迎えに出てきてくれるかと思ったが、物音ひとつなく静寂が途切れることはない。

 

宇歌「不思議ですね…、諏訪子様ー!」

 

 彼女の声は空しく響く。三人は諏訪子を待たずして家に上がり込み、そのまま彼女を探し始める。居間の襖を開けたところで、その奥の広縁の上でちょこんとこちらに背を向けて座る諏訪子の姿を見つける。そこには今朝方のだらけ切った彼女の様子はなく、ただその背中には哀愁のみが漂っていた。

 

 

諏訪子「………」

 

 言葉はなく、ただ庭に落ちる枯葉だけを見つめていた。

 

宇歌「諏訪子さ…」

 

諏訪子「稲禾は」

 

 宇歌が諏訪子に向かって話しかけようとすると、背中を見せたままの彼女は不意に言葉を発した。

 

諏訪子「稲禾は…最期、どんな顔をしてた?」

 

 この質問に対して、妖狐が前へと進み出て答える。

 

「嫉妬するほど、清々しい笑顔だった」

 

 

諏訪子「……そっか」

 

 諏訪子は立ち上がって暫く黙祷の姿勢をとる。

…しばらくそうしていた彼女は、ひと区切りとばかりに軽く頷くと、澄み渡る空を見つめながらまた話し始める。

 

諏訪子「秋が来るとね、毎回あの子のことを思い出すの。呆れるくらい能天気だったけど、どこまでも明るくて元気な子だった…。稲禾がそう決めたんだったら、私はなにも言わないよ。……さーて!みんなでご飯でも食べようかっ!じゃあハク、準備お願いねー」

 

主「…はあっ!?なんでオレっ」

 

諏訪子「だって1番元気そうじゃん。そこの2人と違って怪我もしてないんだし。…あー、私はお菓子食べるので忙しいからパスね」

 

主「アンタも手伝えよ!てか、サボる理由づけ適当かっ!」

 

 そんなこんなでガミガミ2人で言い合いながら、なんだかんだで2人で台所の方へ歩いていく。側から見ればあの2人は兄妹に見えるのかもしれない。でも、大切な家族であることには変わりはないのだ。

 

宇歌「…とりあえず座りましょっか」

 

「…ああ。」

 

 

 

 

 

 

 

 台所では包丁のまな板を叩く音が響いていた。沸々と蒸気で押し上げられる鍋蓋をおぼろげに見ながら、諏訪子は包丁を握るハクへと心の内を吐露する。

 

諏訪子「…宇歌のこと、救ってくれてありがとうね」

 

主「……何のことだ?今回の件は宇歌ちゃん自身が乗り越えた、オレは何もしていない。」

 

諏訪子「まったく…そんな訳ないでしょ?兎も角、ありがとね。」

 

 今朝に炊いたご飯も、昼ごろにはすっかり冷えて硬くなっている。お櫃に入れておいたそれを水とともに鍋に入れて今作っているのが雑炊。直ぐに作れるものと言えばこれしかなかった。ハクは山菜を適当な大きさに切り分け、諏訪子はうつつな表情で鍋を熱している火の番をしている。

 

主「さて」

 

 山菜を全て切り終えたハクは、鍋が沸騰しているのを確認すると、まな板ごとその山菜を持ち上げて鍋の中に入れようとする。そして蓋を開けて何となく諏訪子の方を見てみると、彼女は静かに涙をこぼしていた。

 

 

主「おま…なに泣いて」

 

諏訪子「ごめんっ…ごめん違うの。だれが悪いとか、だれが憎いとかそんなんじゃなくて…っ。ただ、ただ悲しくて」

 

 諏訪子は童のようにグーにした両手でこぼれてくる涙を拭う。

 

諏訪子「…私にとってすごく残酷だね。でも、あの妖怪にとってもすごく残酷なこと。宇歌にとっても、諏訪国の人たち一人ひとりにとっても。……ねえハク、世界は残酷だね。」

 

主「……ああ。でも、それでも前に進まなきゃいけない。オレたち生者にはその義務がある。」

 

 ハクは諏訪子を抱き寄せる。

 

主「しばらく、そこで涙をひかせておけ。あの2人にその顔を見せるな。…ただ、お前の悲しみはオレが知ってる。」

 

 諏訪子は顔を押し当てていたハクのお腹からするりと抜け出すと、彼の後方へと回り込み白いフサフサとした尻尾に顔を押し当てる。

 

諏訪子「…こっちがいい」

 

主「…そうかい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 出来上がった雑炊を啜りながら、彼らは今後の事について話し合っていた。

 

宇歌「ですからここに住めばいいじゃないですかっ!」

 

「いいや俺は出ていくっ!第一おなごと一緒に住めるかあ!その辺の空き地に掘っ立て小屋でも建てて気ままに暮らすさ」

 

 話し合っていた…筈であったが、李内(りない)と名乗ったその妖狐と宇歌はあることで言い争っていた。それは彼がどこで生活するかという何とも些細なことであった。

 

宇歌「あれぇ?もしかして李内さん遠慮してるんですか?大丈夫ですよっ!うちは広いですから!」

 

李内「物理的なことを言ってるんじゃねぇ!」

 

 まあまあ、とハクと諏訪子は2人を抑える。

結局は宇歌の強引な押しに根負けし、李内はここに住むことになったのだが…。

 

 

 さてさて、まず大前提として諏訪国は“人妖共生”を掲げることと相成った。これは人と妖怪が同じ地域で暮らし、種族の壁なく互いに協力し合いながら暮らしていこうとする理念である。しかし、これはあくまでも理想であり、現状これが到底実現不可能なことは目に見えて分かった。だから、人妖共生は長期的且つ最終的な目標として定め、現実的なことから着手していくことになった。

 妖怪が人間を襲う理由は、人間が彼らの食糧となっているからである。まずこの常識をとっぱらねばならない。ハクの生きていた時代、妖怪たちは大きく二つに大別された。一つはある程度の知性を有して文化・集団を作り、農業畜産等の技術によって自給自足の暮らしを送れるようになった“強大妖怪”。もう一つは知性が低く、特定の集団を持たずに人間を襲う“弱小妖怪”。第一次人妖大戦前は弱小妖怪たちは人間を襲うことが出来ていたのだが、血の境界線が引かれた後は人間たちに接触することが出来なくなってしまった。これにより、弱小妖怪たちは生き残るために小規模の集団を形成し始めた。そこで彼らが始めたのが“狩り”と“採集”であった。獣を狩り、山や海の幸を採る。言わば縄文時代に近い生活を送っていたのである。こうして、ここに“妖怪は人間を食べずとも生きていける”という常識が誕生したのだ。

 ハクがそう語ると、皆が納得してそれを現代に再現させようという提案があがった。現在でも妖怪は人間を食べることは難しい。人間たちも抵抗をするし、近年では大和国のように強大な力を付けてきている“クニ”も出現してきている。それは言ってしまえば、食糧供給が安定してないのである。このことは大きな欠点だ。それを広く周知し、尚且つそれと同時に農業の仕方を伝播しよう。しかしながら、教えた農業の知識を実践できない程知性の低い妖怪たちが多数いるのもまた事実。その為、妖怪たちのリーダーとなれる人物を探さなくてはならない。妖怪たちをまとめ導き、人間たちとの共生をともに目指してくれる同志ともいえる存在が…。

 

ここまで議論が進むと李内がふと声を上げた。

 

李内「その人妖共生ってのに賛同してくれるかは知らないが、妖怪たちのリーダーみたいな奴には心当たりがある。」

 

主「本当かっ!」

 

李内「ああ。…俺が前まで西の果ての“妖怪の楽園”にいたって話をしただろ?そこには妖怪たちのまとめ役ってのがいてな…。そいつの名は“八雲(やくも) (ゆかり)”。何でも妙な術を使うらしいんだが俺も顔は見たことがない。いっつも屋敷の奥に閉じこもってて、楽園内の諸々のことは奴の式神を通してこなしてるらしい。…会ってみる価値はあるんじゃないのか?」

 

 これは渡りに船である。そう思ったハクは不意に立ち上がる。

 

主「よし!オレが行く!」

 

 その言葉に3人はハッと驚いたような顔をしてそれぞれ声を上げる。

 

諏訪子「ちょ…ちょっと待って。ハク、アンタの旅は大丈夫なの?」

 

主「旅なんてそのついでにでもできるさっ」

 

宇歌「…いえ!ここは言い出しっぺである私が直接…」

 

主「いきなり人間さんが妖怪の楽園に乗り込んで行っちゃ駄目でしょ」

 

李内「待て待て!ここは俺が行くべきだろう?アッチにも多少のツテはある、俺が…」

 

主「李内さんは人妖共生のシンボルとして諏訪国で頑張って貰う必要があるしなぁ」

 

 

3人「「「………」」」

 

主「まあまあ…。オレしか居ないでしょ?適任」

 

3人「「「はい…」」」

 

主「そんじゃ決定ね。あー楽しみだなぁ妖怪の楽園!」

 

 こうして、オレの次なる目的地が決まった。李内がせめてものあれで紹介状を書いてくれるとのことで、有り難く頂戴することにした。彼曰く、あまり効果は期待するなとのこと。どうやら妖怪の楽園は閉鎖的な所らしく、互いの干渉は少なかったらしい。それに普通に探しても見つからない場所にあるとのこと。その為、彼から場所の詳細と行き方を教えて貰ったところで、今度は諏訪国内の具体的な施策についての話し合いが始まった。

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 次の日、熱田での報告を終えた神奈子が諏訪に戻ってきた。正門から入り、市井を歩きながら社へと向かっているといつもとは違う雰囲気を感じ取った。それはまるで皆どこか浮き足立っているというか、不安というか、期待というか。…とまあ言った具合に、なんとも言えない不思議な空気感なのである。

 

神奈子「いったい私が留守の間に何があったというのだ…?」

 

 そう不安に感じつつも、社へと続く石段を一歩一歩のぼって行った。

 

 

 

神奈子「こっ!これは一体全体どういうことなんだっ!?」

 

 家の戸を開いて中に呼びかけてみるが何の反応もなく。仕方がないからそのまま居間へと向かうと、そこに広がっていたのは異様とも言える光景であった。

テーブルに突っ伏して寝る者、部屋の隅で丸くなって寝る者、大の字になってうつ伏せで寝るもの、部屋の柱に寄りかかって寝る者。しかもテーブルの上には字のびっしり書かれた木簡木簡木簡。このような奇妙な光景、これまで神様として長い間やってきた軍神八坂神奈子としても見たことがなかった。

 

神奈子「諏訪子ーーっ!!しっかりするんだ諏訪子ぉ!この居間で…何があったというんだ!?」

 

 

諏訪子「………ウルシャイ…ネカヒテ」

 

 神奈子により無理やり起き上がらされた諏訪子は、薄目を開けながらそう呟くとコテンとまた眠ってしまった。

 

神奈子「すっ諏訪子ーーーッ!!??」

 

 

 かくして、人間と妖怪と神様によって一晩のうちに作られた人妖共生を軸とした自治法は、その後諏訪国内に広く周知され大和国朝廷にも献上された。日本初とされるこの法律を“諏訪律令”という。現在、その異なる3種族によって編纂されたと伝わるこの律令の実在を認定する歴史家はほぼいない。日本において唯一つ、東風谷文書だけがその存在を認めているのである。

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 その日は今年一番の冷え込みであったのかもしれない。

 

 早朝、霜が降りたその地表を歩く生物は存在しない。人間は自分の家の中で縮こまり、動物はその身を隠し、植物は枯れ落ちる。循環の時が確実に近づいて来ている。

 

 遅れましたーとばかりに、遅刻した学生よろしく、何の悪びれもなくその鬱陶しい光を纏った太陽が、のそりのそりと這い出てくる。おせーよコンチキショーとばかりに鳥たちは鳴き始め、人間たちは身じろぎを始める。

 

今日も一日が始まる。しかし、ハクにとって今日は諏訪で過ごす最後の日であった。

秋風が湖を伝って彼の頬を切る。

 

「…うん、いい日の出だ」

 

 吉兆だな。やあ、早起きして朝日を見に来た甲斐があった。…しばらく見れないからな、この景色は…。しっかり目に焼き付けておこう。

 

 

 狗剱ハク。古の妖怪、されどその誕生から数えて十四年。彼の旅は始まったばかりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

神奈子「もう、行くのかい」

 

 そう寂しそうな声が背中に張り付く。荷物を背負子に載せて背負い、諏訪の社の拝殿に参拝していると神奈子から声をかけられた。彼女とは短い間の付き合いだったが、彼女がもたらしてくれた情報はまさに福音であった。オレが生きていた時代、月の都…。彼女がいなければ宙ぶらりんの状態のままであったことだろう。今のオレが地に足をつけて、しっかりと前に進めているのは神奈子のお陰だ。

 

主「ああ。…ていっても、恐らく一年ちょっとで戻ってくるよ。そんな心配するなって!オレ、その辺の妖怪に負けるほど弱くないよ」

 

神奈子「ははっ。…うん、そうだな。アンタは強いよ、胸張って行ってきな!」

 

 

 

 

李内「お、出発か。気を付けて行けよ」

 

 神奈子と別れて社から町へと続く階段を降りていくと、その途中で登ってくる李内と会った。彼とは何とも奇妙な縁だ。本来関わることのなかったであろう二人。一人は白狼で、もう一人は妖狐。共に復讐に駆られていたという共通点を持つ。そして何よりも、オレの進むべき指針を示してくれた男でもある。

 

主「李内さんもどうか気を付けて。…諏訪でも未だ妖怪に対する嫌悪感は拭えてない。宇歌ちゃんのことも支えてやって欲しい」

 

李内「おう!…俺は未来のために生きるぜ。」

 

 

 

 

諏訪子「諏訪国は変わったね。…まだ迷子だけど、でも着実に良い方向に向かってる」

 

 商店街の一番高い建物の屋根に座る諏訪子を見つけたオレは、高く跳び上がり彼女の隣に立った。思えば彼女との出会いは最悪だった。でも、それもほんのひと時のことで、和解してからはお互いに本音で話せる仲になっていった。修行に付き合ってやったり、変な術書を渡されたり、宇歌ちゃんのことを頼まれたり…。本当に色々あった、でも楽しかったなぁ。

 

主「じゃあ、迷わないようにオレが先頭に立って道を照らしてやるよ」

 

諏訪子「……ぷっ。なにそれ、キザっぽい。…でも、それもいいかもね」

 

 

 

 

 

宇歌「貴方は私の“希望"です。」

 

 諏訪子に別れを告げて国門へと向かう。そこには東風谷宇歌が立っていた。彼女が妖怪に襲われているのを助けてから、オレの歯車は回り始めた。彼女は一言で言ってしまえば不思議な女性だった。それでいて、諏訪子の言う通りどこか危うさを感じた。正直、諏訪子に彼女のことを救ってほしいと言われた時にはどうしようかと思った。…結果的に良い方向に着地できて、心底ほっとしたのは心のうちに仕舞っておくが。

 

主「希望…?」

 

宇歌「やっと分かりました、貴方が何者なのか。私が待っていたのは貴方です。…小さい頃に世界が変わりました。暗転して暗い海の中を必死に藻搔いてたと思います。そこを引き上げてくれたのは紛れもなく貴方です。…私を救ってくださってありがとうございました…っ!」

 

主「ハッ…そんな大層なもんじゃないよ。オレはオレだ(・・・・・・)……これまでも、これからもな。」

 

 

宇歌「…ふふ、はいっ!!いってらっしゃい!ハクさん!!」

 

主「ああ!世話になった!!」

 

 そうしてオレは諏訪国を後にした。目指す方角は西。目的地は妖怪の楽園。そこのまとめ役である八雲紫だ。

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

『………いけ、ハク。いくのだ…天の孫よ。』

 

 石の神も、彼女らと同じく祈った。

 

 





【あとがき】

 senyaさん、お疲れ様でした。貴女が私の青春でした。
そう、まりおさんの生配信を観ながらこのあとがきを書いている。ダンカグも明日には終わるし、明日にはダンカグ祭りか…。そして僕は明日はバイトだ。

世界は残酷だね。


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第四章 妖怪の楽園篇
第四十話 雪中旅路の果てに


 古代日本は〜という文言をよく見かける。
よくある提言だが、古代に日本という国家はない。そこには倭という地域があり複数のクニが雑居していた。まあこれも後漢書東夷伝の記述をもとにした史観なのであるが…。

そんなことを言ったら何も論じられなくなる?いやはや何かを論じるというのは思ったよりも難しい。生まれも環境も思想だって違う人間に、生まれも環境も思想だって違う人間が自分の考えを話すのだ。これだけ聞くとちぐはぐな結果になると思うだろう。しかし、そうならないのは我々に知能があり日本語という共通言語があるからだ。

 人間という境界はハッキリしてるのに、国という境界は曖昧だ。人間の幻想なのだから、当たり前だが。



 しんしんと降る雪に、ザクザクという足音のみが聴こえる。真っ白な世界に妖怪一人。最早どこが道なのかも分からないが、街道沿いに植えられている木を頼りに道の目星を付けて歩いて行く。どこかの駅家で聞いた話だが、大和国というのは急速に軍拡を進めていて近畿から五本の街道が各地に延びているらしい。東海道、東山道、北陸道、山陽道、山陰道の五本。街道を整備することは即ち兵站を確保することと同義である。街道がしっかりしていれば兵士や物資が送りやすくなり、更には人々が盛んに行き交うようになって商業も発展するのだ。

 そんな訳でオレは諏訪を出て東山道を西に進み、琵琶湖を横目に近江・山背を抜けて今は丹波に入るところだ。季節は秋を駆け抜けて冬に至る。

 

主「大分歩いてきたな。さてさて、ここらの人の話ではこの先は神隠し(・・・)地帯らしいな。…李内さんから聞いた情報と合致するな。」

 

 妖怪の楽園は人里離れた山中に存在しているらしい。人間との接触を断ち、容易く近寄られないように神隠しの噂を流しているのだとか。更には周囲に李内さん曰く奇妙な術を使ってその楽園自体の存在を外部から見えないようにしてるが、一部に術式の綻びがあり、普段はそこから出入りしているのだという。そんな綻びを探しながら山登りを開始して小一時間‥。

 

主「ここら辺…かな?」

 

 オレは掌から発している妖力の流れから、不自然に阻害している障害物を前方から感知した。恐らくこれは………ッ!?

 

主「……おいおい嘘だろ」

 

 目の前にある目に見えない障害物に触れてみたハクに走った感情は懐かしい(・・・・)であった。思わずその現実を疑ってしまいたくなるほど140万年という時は長過ぎた。ハクにとっては一瞬のことであったが、それはそれは永久の時の流れのように感じたはずである。

 

主「これは結界…しかも、“結界操術”で作られた結界だ…」

 

 この山の中腹を覆うように展開された結界から、ハクは懐かしき朧山での修行を思い出す。あの時、あの洞窟の社にて触れた青白晶。練られた上古の術式、血管を巡る螺旋……ああ間違いないっ!

 

主「生き…残りがいるのか…?」

 

 淡い希望である。しかし、そう片付けてしまうには余りにも衝撃的な事象。白狼族の生き残り______ハクにとってはあの日以来永劫の別れとなってしまった同族たちの子孫がこの先にいるかもしれない。

 

そう思うと同時に右手に力が入っていた。無意識に結界操術の力を発現させ、目の前の結界と共鳴するかのようにその術式を解いていく。ただの綻びに過ぎなかった通り道は、ハクによって広げられてその先の景色が見えた。

 

 ハクが綻びを見つけた場所は獣道すらない雑木林の中であった。それなのに、結界を解いた先にあった空間には整備された道が奥へと続いていた。道草に紛れて名前も知らない花々が広がり、その花弁が穏やかな風に揺れる。左右に蛇行した緩い上り坂の先には、確かに複数の妖気が感じられた。

 

主「…お邪魔しますよ」

 

 ハクは開けた入口を通り向けて結界の向こう側へ出る。すると、結界には自動修復機能でも付いているのか、彼の後ろでは結界が元の状態に戻り始めていた。…相当に高度な術式らしい。白狼族であるハクとしても、このような作用をする結界は見たことがなかった。

 

 

 

 

 

 それからしばらく、この道の先にあると思われる楽園を目指して歩を進めていたハクは、ある地点で足を止める。

 

主「これはこれは…」

 

 妖怪がくる…っ!

 

 

「お早いお着きでェ御客人〜。」

 

 空から飛来したのは、一見するとただの人間だった。短槍を小脇に抱えて外来物の外套を羽織った初老の男は、終始笑顔に努めているようだったが、その両眼の動きはこちらの腹を探っていた。

 

主「ここは妖怪の楽園…であってるかな?」

 

「そう…呼ばれておりますなァ外界では。…」

 

 その言葉の後に溜息を吐くように一拍を取ると、男は姿勢を正して軽く頭を下げた。

 

「ようこそ、妖怪の楽園もとい“幻想郷”へ…。あっしはここの主人である八雲紫様に仕える式、名前を五郎と申します。どうぞお見知り置きを」

 

 

五郎「…して、何用でここに参ったのですかなァ?」

 

主「これはご丁寧にどうも、五郎殿。オレは狗剱ハク、ただの妖怪だ。…ここへ来たのはある用事があってね。とりあえずこの手紙を見てはくれないか?」

 

 そう言ってハクは李内から預かった手紙を五郎に渡す。五郎は少々訝しげな顔をしていたが、それを受け取ると中身を読み始めた。

 

五郎「! 諏訪国……成程。人妖共生、その理念の実現の為に紫様にお会いになりたいと?」

 

主「ああ、今の妖怪たちの現状を見れば悪い話ではないと思う。その手紙にも書いてある通り、近年人間たちは力を付けてきている。オレたちの未来…延いては人間たちとの未来のため、八雲さんに協力をお願いしたいんだ。」

 

 頼む、とハクは頭を下げてお願いをする。それに対して五郎は腕を組んで何かを考え込むようにして数秒沈黙すると、答えを出したのか口を開いた。

 

 

五郎「…否、そういった理由であるのならばお通しすることは出来かねます」

 

主「くっ、そこなんとか頼めないか!」

 

五郎「成りませぬ」

 

主「……では、どうしたら会える?」

 

 

五郎「あっしを倒せば」

 

主「ッ!?」

 

五郎「御運が開けるでしょうなァ」

 

 不意に生暖かい風がハクの髪を揺らす。額には一条の汗が伝う。

 

五郎「ここ幻想郷では強い者が全て。…覚悟有れば構えませェ」

 

主「!!」

 

 その言葉を皮切りに、2人は干戈を交えた。

 

 

 

 

 

 

 

五郎「そりゃッ!」

 

 五郎は短槍を右手にこちらに突進してくる。それをハクは体を左に捻って横回転しながら避けた。自分の攻撃が避けられたことを気にもせず、続けて五郎は高速の突きを複数繰り出す。首、肩、右脇腹、左膝をそれぞれ狙って突き出されたその槍に対して、ハクはすぐさま後ろに跳び、瞬時に結界操術で錬成させた短刀を逆手に持ってそれらを打ち返す。山の中には甲高い得物の合わさる音がこだました。

 

主「づあッ!!」

 

 五郎のそれは槍術というより体術だった。過去、白狼親衛隊のタダノの槍使いを見ていたハクは、彼のそれが通常の槍術とは異なることを感じ取った。短槍の刃に近い部分の柄を持って、ただでさえ短い槍を相手にもっと短く見せる。それによりリーチは短くなるが、その分相手は自分の懐近くまで入り込んでくるようになる。そこを右手の槍をスライドさせて押し出して、一気に攻撃範囲を伸ばしたカウンターで急所を狙う。相手を騙して攻撃を誘いカウンターで必殺の一撃を繰り出す、武術ではこれを後の先と言う。

 

五郎「軽い軽いィ〜。御客人、もうちっと力込めねェと死にまっせ…!」

 

 五郎の場合、槍による攻撃は滅多にしてこなかった。その代わり、相手の隙を作り体勢を崩すために、掌底や足払いをかけてきた。体全体をひとつの流れと見なし、決して途切れることはない体術と槍術。全くもって隙がなかった、だが…。

 

主「“遠心(スイング)二倍(バイ)”!」

 

 不意に振り下ろしたハクの斬撃。それを槍で受け流そうとした五郎であったが、どうしたことかその攻撃を刃に当てた途端凄まじい衝撃を感じて、そのままハクの短刀に振り回させる形で体勢を崩した。瞬間、五郎の腹に鈍痛が走る。それにより吹き飛ばされる直前、ハクが自分の腹を蹴り上げているのが見えた。

 

主「飛んでけッ!!」

 

 ハクの蹴りによって吹き飛ばされた五郎は地面を転がる。その間痛みに悶えながらも先ほどの斬撃について考えていた。

 

五郎(さっきまでのとは明らかに違う…、異様に重い一撃。こやつ何を…)

 

 倒れた五郎はすぐさま立ち上がり、再度槍を構えて向き合う。

 

五郎「…ソレが御客人の能力かいィ~。肉体強化系の能力ですかな?」

 

主「外れ…、だよッ!!」

 

 ハクは両手の重力結解を両足に叩いて纏わせて、その部分の重力を軽くして五郎に向かって跳び出す。その動きを目で追うのがやっとであった五郎は、一瞬反応が遅れて彼の得物を縫うように懐に入り込んできたハクを正面に捉えたまま驚愕する。そのままハクは逆手に持った短刀を五郎の腹に…

 

 

主「これで、八雲さんに会えるかな?」

 

 刺さなかった。

飽くまでもハクは諏訪国からここ“幻想郷”への平和的な使者として訪れたのであり、これ以上のことは必要ないと判断した。故に短刀をすんでのところ止め、結んでいた結解を解く。相手からの返事を求めるハクは、五郎から少し距離を取って彼の目を凝視した。彼の額に汗が滲む。

 

五郎「ムッフッフッフ。お強いですなァ御客人…否、ハク殿。えェ、男には二言はございませぬ、直ぐにでも手配しましょう。ですが…」

 

 五郎は槍の刃の部分にカバーをかけて腰のところに差すと、くるりと反転しハクに背を向けこちらを振り返りながら勧告するようにこう言った。

 

五郎「紫様は他者を容易には信じませぬ。…それが人間とのこととなれば尚更。余り、期待はせぬ方がよいでしょうなァ」

 

 そうすると五郎は、こちらですと自分に付いてくるようハクに促す。ハクは彼の言葉通り彼のあとを追って歩き、一つの集落へと至った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 諏訪国のはずれにある小さな墓に、その妖狐“李内”はいた。さらっと積もった雪の化粧の地面には彼の足跡だけが残り、そこが余り人通りの多い場所ではないことを物語る。李内は雪の上も構わずどかっと墓の前に腰掛けて、懐から小さな握り飯を二つ取り出して、一つを目の前に供えた。そしてしばらくそのまま墓石を見つめた後、手元に残った握り飯に齧り付いた。一つの塊になっていた握り飯は口の中で米粒に分解されて咀嚼されていく。ほのかな塩味は悲しみにも似ている。偶には具なしのおにぎりを食べたくなる、今日はそんな日だ。

 

李内「俺はあんたとの思い出も記憶も数えるほどしかないな…。こうやって来るのは迷惑か…。」

 

 誰が答える訳でもなく、ひとり呟く。

 

李内「……ハクっていう妖怪が、俺らのために西に向かった。…あんたは望んでるかは知らないが……宇歌はそう望んだ。あんたも応援してやってくれ」

 

 

 

 

李内「ずっと気になってたんだが、…何であんたは“妖怪の楽園”のことを知ってたんだ?西の、都よりも西の楽園。人間はおろか妖怪たちの間でも知ってる者はごく一部だ。…その場所の事をなぜお前が知っていた?………ま、今となっちゃ永遠の謎か。」

 

 手に付いた米粒を食べながら、妖狐は白銀世界を見つめていた。

 




【補足】

遠心・二倍(スイング・バイ):遠心力の作用を二倍にする技。元ネタは、宇宙飛行における惑星・衛星の引力を利用した加速方法のこと。


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第四十一話 八雲紫


 僕は笑えてるだろうか。
ふと、日常のさなかにそう振り返ってみると、僕はいっつも何かに追われてる。焦ってるし、嫌などきどきもしている。こう感じてみると、ああ自分って生活リズム乱れてるなぁとか、病んでるなぁなんて思うのだけど、それを変えることって現実的に難しいよね。

でもね、変えられないって決め込んで、最初の一歩すら踏み出せない僕はさ。失敗することを恐れて、ただ惰性に時の流れを逡巡する僕はさ。いったいどこへ、向かっているのだろうね。



 私は何者なのか。

 

その問いをずっと続けてきた人生だった。妖怪はその父と母から産まれる場合もあるが、稀に無から誕生することがしばしばある。それはこの世で初めて誕生する種類の妖怪の場合だ。例えば鬼なら鬼の、天狗なら天狗の祖がこの世に生を受けた時、それは無から転じたのである。故に彼らに親は無く、彼ら自体がその種族全ての者の親となるのだ。

 

 私はきっとそれであったのだろう。

 

故に、私は何者だ?誰かが固有名詞を呼んでくれる訳でも無い、誰かが私という存在を定義づけてくれる訳でもない。でも、それは自由ということだった。自由なんて、誰でも欲しいと思う。事実私もそうだと思っていた時期があった。人間を脅かしてみたり、果てには人間の里を襲って取った首の数を数えてみたり、私は私を縛るものが何もない。だから自由だと、はしゃいでいた。

 

 私は孤独だった。

 

如何に自由がその手中にあろうと、孤独ほど辛いものはない。私は生まれた時から孤独だった。自由とは、孤独であったからこその副次的なものに過ぎなかったことを、私は痛いほどに知った。

 

『あなただーれ?』

 

 私は孤独の淵にいた。いつも森や林にある茂みの隙間に隠れては、こんなことばかりを考えていた。いつの間にか気が緩んでいたのだろう、ある日人間の子どもに見つかってしまった。私は、この辺では凶暴な妖怪として有名だったから、この子どもが私のことを他の人間に知らせたら厄介だなと思い、その子を殺そうと首に手を掛けた。その瞬間、女の子は泣き叫ぶどころか、あっけらかんとした笑顔でこう言った。

 

『…あっ、えへへ~いいでしょ?このお花の首かざり。すわこ様に作ってもらったんだよ~?』

 

 私が手を掛けた女の子の首元には色とりどりの花で飾られたネックレスがあった。普通の感情ならこの時、花だ、綺麗だと思うのだろうが、私は違った。

 

『……羨ましい、』

 

 愛されてて羨ましい。誰かに必要とされてて愛されているあなたが羨ましくて、心底憎たらしい。そう思うのと同時に、いっそのことこのまま殺してしまおうかと思ったが、その女の子は私の羨ましい発言に対してこう返した。

 

『…ほしいんでしょ?ふふんっでもあげないもんね!これはすわこ様がアタシに作ってくれた特別なものだから!だからね、代わりに………はいっ!』

 

 女の子は私にくしゃくしゃになった花束?のようなものを手渡してきた。

 

『アタシの手づくりのをあげるねっ!どおどお?じしんさくなの!』

 

 

 

『………ははっ。あはっ……ははは…ッ!!』

 

 その時の笑顔は私史上最も気持ち悪い笑顔だったと思う。羨ましくて憎たらしくて馬鹿らしくて、でもこの少女の笑顔が誰よりもほかの何よりも眩しくて。そして何よりも、“誰かが私に何かをくれる”という行為が心底嬉しかった。彼女が私を必要としてくれて、彼女が私に感情を向けてくれて、私はその時に初めて幸せというものを感じた。そして、私はそこで初めてこの世に生まれたんだ。

 

 その女の子は地元の有力者の娘であった。まだ妖怪も人間も分からないような年頃であったからか、私が妖怪だと告げても特に嫌悪することなく毎日毎日くっついてきた。ところで名前はなに?と聞かれたので私はまだないと答えた。すると彼女は目をキラキラさせて、ふんすっと胸を張った。

 

『じゃあ!アタシが付けてあげるね!!…えーっとお』

 

 正直嫌な予感しかしなかった。こんな小さな子どもの考える名前だ、どうせ“はなちゃん”だとか色の名前だとかそんな安直な名前しか思い浮かばないだろう。

 

『それじゃあ…“スキマちゃん”はどうかなぁ?』

 

 …おいおい、私が予想していたよりも大分酷いの来たぞこれは。なんだ“スキマちゃん”って…。私がいつもどこかの隙間に入って病んでるからか、それは遠まわしに私が根暗だって言いたいのか?…いやこの子に限ってそれはないか。それにしても酷い名前だ、違う名前にしてもらおう。そう…考えていたのに

 

『嬉しい…。……て、あ』

 

 口から出ていたのはまったく正反対の言葉だった。は?いやちが…!

 

『ほんとお~!やった、それじゃあスキマちゃんよろしくね!!』

 

 それから私は“スキマちゃん”になった。

私と彼女はそれから毎日のように遊んだ。人目を盗んでは人里離れた森の中で、木漏れ日注ぐ川の近くで、高い高い山の上で、私たちは遊んだ。楽しいことだけじゃない。途中事故になりかけたり、妖怪に襲われたりなんかした。その度に私は彼女を守った。彼女のありがとうひとつでどんな苦労も報われる気がした。彼女とつるむようになってから、他の妖怪たちからよく言われたことがある。“人間と遊ぶなんて変わってる”。ああ、そうだろう変わってるだろう。それ自体は否定しないが、でもこれがスキマちゃん(わたし)なのだ。私は自由だ、自分の生きたいように生きて何が悪い。こう言って、それでも口答えしてきた奴は殺した。私と彼女の関係を、それ以上その汚い口で語って欲しくなかったんだ。他人なんて関係ない。

 

そんな日々を過ごすうちに彼女は成長して、年齢は十五を迎えるに至っていた。

 

 

『すぅ……スキマちゃんー-!!どこおおお!!』

 

 人里離れた森の中で少女は叫ぶ。

 

『はいはい…そんなに大きい声出さなくても聞こえるわよ。』

 

 少女の声に反応するかのように空間に隙間が出来て、その間隙から妖怪が出てきた。その妖怪はうんざりした顔をしながらも表情から嬉しさを隠せていない。

 

『それで…今日は何『ごべー-んっ!!』え、きゃ!?」

 

 彼女が私の胸に飛び込んで抱きしめてくる。顔を見ると目を腫らして鼻水を垂らしている。おいおいおい私の服でそれを拭くな、やめろ。

 

『どっ…どうしたのよ?』

 

『ごべーん!変な名前つけてぇ!!小っちゃいころのアタシばかだったあ!!そんな名前じゃスキマちゃん可哀想だよねっ!?ちゃんとした名前つけてあげるね!?本当にごべぇぇん…!!』

 

 …ああ耳が痛い。て、今ごろ気づいたのかこの子は。もういいよ今更だし。何だかんだ言って…私もその…、き…嫌いじゃないしっ。

 

『そ、そんなことないわよ。可愛らしくて好きよ、私。』

 

『ちゃんと昨日徹夜して考えて来たんだぁ…!ひっく、諏訪子様には叱られたけど、押し入れの中に入って外に蝋燭の灯りが漏れないように隠れながら考えたんだよぉ。…ふふんっアタシってば頭いい!!』

 

 あ、バカだこの子。

 

 

『では発表します!ドコドコドコドコ………じゃん!あなたの名前はこれから…“むらさき”ちゃんですっ!!』

 

 い、色の名前ー--!?安直だ、昔から何も変わってねー--!?相変わらずだ!

 

『フフっ…』

 

 でも

 

 

『あなたは、あなたってことよね』

 

『んー?』

 

『ねえ、この名前…少し変えてもいいかしら?』

 

 私はおもむろに紙を取り出してそこに“紫”と書く。

 

『この字、“むらさき”って読むけど、“ゆかり”っても読めるのよね。ゆかりの方が語呂がいいしこっちでも大丈夫かしら?』

 

『も!もちろんだよぉ!す…えっと“ゆかりちゃん”が望むものが一番だよっ!私の意見なんて風の前の塵に同じだよ!!』

 

『アハハ…!やっぱりあなたって見てて飽きないわね。』

 

 

 あなたがくれた名前に私はもう一つの意味を付け加えた。

 

“私とあなたが出会えた(ゆかり)を大切に”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『…アタシ決めたよッ!』

 

 私が嬉しさのあまり、慎みを忘れて無邪気に笑っていると、不意に彼女が立ち上がった。そして私の手を取って、いつになく真剣な表情で己の決意を述べた。

 

『アタシ…ゆかりちゃんの笑顔を守るッ!いっつもゆかりちゃんに守られてばかりだもん!ゆかりちゃんが笑って暮らせるように私頑張りたいッ!!』

 

 おいおい今度は急に何を言い出すんだこの子は。

 

『え、ええと…私は今でも十分に幸せよ?』

 

『ダメだよっ!ゆかりちゃんはアタシの隣で笑えてなきゃダメなの!いつでも一緒にいられようにならなきゃダメなのッ!!』

 

 まずい…だいぶ興奮気味だ。心なしか目も血走ってるような…。

 

『兎に角落ち着きなさい。…何かあったの?』

 

『………妖怪を、退治して来いって…言われたの』

 

 彼女はこの地域では名の通った豪族の跡取りだ。そりゃ妖怪退治の一つや二つこなしてもらう必要があるだろう。事実、私の目から見ても彼女の実力はその辺の妖怪どもに引けを取らないものであり、何をそんなに気迷い後ろめたそうにしているのか分からなかった。

 

『大丈夫よ。何をそんなに心配してるか分からないけど、あなたなら十分に『違うの』…え?』

 

 

『ねえ、ゆかりちゃんも妖怪だよね?…いいの?アタシゆかりちゃんの仲間を殺そうとしてるんだよ?』

 

 なんだそんなことか。

 

『いいも減ったくれもないでしょ?他の妖怪のことなんて…私には関係ないことだわ』

 

『関係なくないよッ!!』

 

『…ッ!?』

 

 

『アタシはッ!、知らない人でも誰かが死ぬのは悲しい…。ゆかりちゃんは…そうは思わないの?』

 

『思わないわ。』

 

 だって、私にはあなたがいてくれさえすればそれでいいから。

 

『……諏訪子様に聞いたんだ、“なんで妖怪を退治しなくちゃいけないの”って。そしたら“妖怪は人間を食べるから”だって。…ゆかりちゃんは何でアタシを食べないの?』

 

『そんッなの…友達だからに決まってるからじゃない!!』

 

 思わず語気を強めてしまう。意図せず彼女を怒鳴るような形になってしまい、この様に彼女の対して感情を爆発させたことのなかった私はハッと我に返った。何をやってるんだ私は。彼女が怖がって…

 

少女は一歩も引かずに、妖怪のことをただじっと見ている。

 

『でも、アタシ以外の人間は食べるんでしょ』

 

『………』

 

 それは…、そうだが。

 

『アタシとほかの人間って何が違うの?何を基準に食べる食べないの判断をしているの?』

 

 友達、あなたがすき、あなたがいないと、その感情しか私にはない。それじゃあ駄目なの…?

 

『…知ってる?ゆかりちゃん。人間ってね、みんなひとりひとりに名前があるんだよ。種族は同じだけれど、みんなまったく違う。そりゃ悪い人もいるよ、反対にいい人もいる。妖怪も同じでしょ?…ゆかりちゃんはいい妖怪。アタシゆかりちゃんの子どもっぽい笑顔、大好きだもん。だからね…訂正させて。アタシは人間じゃなくて“アタシ”、ゆかりちゃんは妖怪じゃなくて“ゆかりちゃん”。』

 

 そして少女は宣言する。

 

 

 

『アタシは、人間だとか妖怪だとかいう境界をなくす!アタシはアタシとして、ゆかりちゃんはゆかりちゃんとして、ひとりひとりが笑顔で生きれるような理想郷をつくる!そこでは人間も妖怪も一緒に暮らしてて…、アタシと…アタシの家族と一緒にゆかりちゃんも一緒に暮らすのっ!そしたらゆかりちゃんはアタシの隣で笑える(・・・・・・・・・)でしょ?アタシはアタシの大好きな人たちみんなでこの世界を笑って生きたい!!そして、笑って死にたい!!もう…こうやって隠れてゆかりちゃんと会うのは嫌なのっ!!家族にも隠しごとをするのも嫌っ!!だから…だからねっゆかり…ぢゃん…っ!!』

 

 最初は立派だったのに、最後の方になるにつれて涙で顔がぐしゃぐしゃになっていった。そんな彼女の背中をさすり宥めながら、私は大きな衝撃に包まれていた。

まさか、この子がそこまで考えていただなんて…。いや、追い詰められていたの間違いだろうか。どっちにしろ私の腹は決まった。

 

 

 

『分かってる…分かっているわ。だから、私にも協力させて、あなたの理想を一緒に叶えさせて……とっ、"稲禾“…。』

 

 

稲禾『っっっーーー!!!ゆかりちゃぁんっ!!』

 

紫「ああっ!…もう……フフっ」

 

 

 

 

 スキマ妖怪の物語はまだ続く…。

 






 想定の2倍くらいの文量になりそうなので、今回と次回とで分割します。もっとさらっと回想話は終わらせるつもりだったのですが、話の辻褄を合わせるためにもうちっとだけ続くんじゃ。


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