40×2 〜ツイン・フォーティーズ〜 (uco)
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本編
一.邂逅


 その戦いは熾烈極まりないものだった。

 

 突如として海の底より現れた、人類に仇なすもの、深海棲艦。そしてそれに対抗しうる唯一の力を持った、鋼鉄の艤装を身にまとう少女たち——艦娘。

 

 彼女たちの戦いはいつ果てるとも知れず、人々は長らく深海棲艦の脅威にさらされ続けた。

 

 この状況を打破すべく、全軍を挙げての深海棲艦殲滅作戦が決行される。

 

 大型艦娘を中核とした連合艦隊で敵主力部隊を討ち、残存兵力を支援艦隊と連携して殲滅を図る。かつてない大規模な作戦だった。

 

 幾千幾万の砲弾が湯水のように撃ち放たれ、艦娘たちは傷つきながらも、勝利を信じてこの激しい砲火の中に身を投じていった。

 

 ほぼ全艦娘を投入したこの作戦は、一応の成功を収め、深海棲艦を組織的な活動を行えないまでに壊滅させた。

 

 しかし、その代償は決して小さくはなく、特に敵機動部隊による鎮守府強襲では大きな犠牲を払う結果となった。

 

 それから一年あまり。破壊された庁舎や工廠などの設備の再建も一通り終わり、ようやく鎮守府に平穏な日々が戻りつつあった。

 

 

 開かれたシャッターの外から頭だけ覗かせて、阿武隈は工廠の中をじっと見ていた。中は薄暗くて、目を凝らさないとよく見えない。

 

 この姿勢のまま、かれこれ五分ほど経過していた。あまり足を踏み入れたことのない場所だから、どうしても気後れしてしまう。下手に機械に手を触れて壊したりしないだろうかと。

 

「んーっ」

 

 目線を上下左右に動かし、必死に中を探るも、お目当てのものは見当たらない。そんなとき、

 

「なにうなってんのさ」

 

「ひっ!」

 

 突然の背後からの声とともに、首筋になにか冷たいものが当たる感触があり、阿武隈は短い悲鳴をあげた。

 

 ばっと振り返ってみれば、三つ編みを肩から垂らす艦娘が一人、ペットボトル片手ににやにや笑って立っていた。

 

「北上さん!」

 

 こんな他愛のないイタズラを、阿武隈は今までなんどもこの北上にやられてきた。ただ、今阿武隈の目の前にいる北上は、彼女の記憶の中の姿とすこし違っている。

 

「なにか用? どっか壊れた?」

 

 そう言いながら工廠の中へ入って行く北上は、セーラー服ではなく、つなぎの作業着を着ていた。

 

「違います。北上さんに会いにきたんです」

 

 イタズラには慣れているとはいえ、すこし抵抗したくて阿武隈はわざと不機嫌そうに答えた。

 

「嬉しいこと言ってくれるねえ。そんなとこ突っ立ってないで中入りなよ」

 

 手招きされて、しぶしぶ阿武隈は中に入った。直射日光が当たらないからか、中の空気はひんやりとしていた。

 

「よいしょ。それで、あたしになんの用?」

 

 その辺に転がっていたなにかの箱に腰掛け、北上はペットボトルの封を切った。

 

「北上さん、今あたしたちの部隊が遂行中の作戦は知ってますか」

 

「……んーん」

 

 スポーツドリンクを一口二口飲んで、北上は首を振る。

 

「南方の海域に深海棲艦が現れたので、その撃滅作戦を行ってます」

 

 一年前の戦い以降、深海棲艦の数は激減していたが、全くいなくなったわけではない。週に一度くらいは目撃されるし、たまに数隻がまとまって出現することもあった。今回のケースは後者にあたる。

 

「へえ、それで?」

 

 さも興味なさそうに北上はちびちびとペットボトルに口をつけている。

 

「敵艦隊の中に、人型の艦がいるんです」

 

 阿武隈が答えると、北上の眉がぴくりと動いた。ペットボトルを持った右手が止まる。

 

 たまに現れる深海棲艦はほとんどが人とは似ても似つかない異形の艦。明確に人のような顔と手足を持つ大型艦や、鬼・姫と呼ばれる上位の深海棲艦は、この一年の間ほぼ目撃されていなかった。

 

「こないだもそれで騒いでなかったっけ」

 

 北上のいうとおり、二週間ほど前にも鎮守府近海に駆逐棲姫が現れていた。あの戦い以来初めて鬼クラス以上の艦が出現したということで、すこし鎮守府内がざわついたことはまだ記憶に新しい。

 

 とは言え、駆逐艦一隻くらいではそれほど脅威でもなく、最初の報告から数日後に神通があっさり撃沈したという。

 

 でも今回はすこし違う。

 

「今度のは重巡なんです。たぶん重巡棲姫……」

 

 さすがの北上も目を丸くして阿武隈の顔を見た。

 

 大型艦の姫クラスともなれば、その火力と装甲は並みの戦艦を軽く凌駕する。

 

 さらに今回現れたのは、見た目は重巡棲姫とよく似ているが、以前の交戦記録と比較して火力・装甲ともに上回っているように思われた。

 

「すでに二回、戦ってるんですけど、全く歯が立たないんです。だから……」

 

「それで、あたしにどうしろって?」

 

 北上が阿武隈の話を遮って言った。

 

「超強力な装備でも作って欲しいの?」

 

「違います!」

 

 冗談めかして言う北上に、阿武隈は語気を強めた。

 

「北上さんに一緒に来て欲しいんです。一緒に、戦って欲しいんです!」

 

 工廠内に阿武隈の声が響いた。

 

 北上はしばらく阿武隈の顔をじっと見つめていたが、不意に顔を背けてペットボトルを一口。そして一息ついてから口を開いた。

 

「あたしは戦わないよ」

 

 そう言うだろうとは阿武隈も予想していた。それでも、言わずにはいられなかった。

 

「どうしてです。北上さんの力が必要なんです。北上さんじゃないと……」

 

「別にあたしじゃなくたってさ、ほら、木曾だっているじゃん」

 

 北上は人差し指を立てて、彼女の姉妹艦の名前を挙げる。

 

「木曾さんには先日来てもらいました。でも……木曾さんも北上さんを連れてきたほうがいいって……」

 

 木曾の雷撃能力は、一撃で戦艦の装甲を貫き、撃沈するだけの威力がある。それでも重巡棲姫の分厚い装甲は破れず、わずかにダメージを与えただけだった。あげく、反撃をくらって、木曾は大破する羽目になった。

 

「ああ、そういえばこないだ派手にぶっ壊して帰って来てたっけ」

 

 姉妹艦なのに大破した理由を聞いていないのか、北上は合点がいったという風にうなずいている。

 

「でも次やれば倒せるかもしれないし、他にも神通とか強い子はいるでしょ」

 

 なわばり意識でもあるのか、深海棲艦は出現した場所からあまり動かない。先日の駆逐棲姫は鎮守府に向かって来ていたというが、それはかなり珍しいタイプだ。

 

 だから、一度討ち漏らしてもまだチャンスは大いにある。北上の言うように、火力の高い艦娘を連れて、何度も戦えばいつか勝てるかもしれない。

 

 しかし、それではダメなのだ。上位の深海棲艦が存在すると、その周辺に別の深海棲艦が出現する可能性が高くなることが経験的にわかっている。だからこそ、前の戦いでそれらの深海棲艦をことごとく殲滅したことで、深海棲艦の数は激減したのだ。

 

 倒すのに時間がかかればかかるほど、深海棲艦の脅威は増すことになる。そして、もしかしたら別の鬼や姫を生み出してしまうかもしれない。いつまでも野放しにしておくわけにはいかなかった。

 

「あたしはもう十分戦ったしね」

 

 宙を見つめながら北上は言った。

 

 重雷装巡洋艦だった北上は、かつて鎮守府内でも一位二位を争うほどの戦果を挙げてきた。その強力な魚雷攻撃によって立ちはだかる凶悪な深海棲艦を撃破する様は、阿武隈も幾度も目にしてきた。十二分すぎるほどに北上は戦ってきた。

 

「だから、あたしは戦わない」

 

 ——大井さんがいないからですか。

 

 喉元まで出かかった言葉を、阿武隈はぐっと飲み込んだ。それは言ってはいけないことのように思われたから。

 

 きっと間違ってはいないし、北上も本当はわかっているはずだ。

 

 でもそれを言ってしまえば、北上は怒るだろう。怒りをあらわにして、阿武隈に罵詈雑言を投げかけるだろうか。それとも、凍りつくような冷徹な瞳を投げかけてくるだろうか。

 

 どちらの北上も、阿武隈は見たくはなかった。

 

 北上と同じく重雷装艦だった大井は、一年前の鎮守府強襲で敵艦隊に単身突撃していき、そのまま帰ってこなかった。

 

 大井も北上に負けず劣らず、あちこちの海域で戦果を挙げた武功艦。北上とのコンビは尊敬と賞賛を込めて、日頃北上が自称していた「スーパー北上さま」に掛けて、スーパーズならぬ「ハイパーズ」と呼ばれていた。

 

 二人は私生活でもとても仲良しで、どこに行くにもいつも一緒。鎮守府内を手を繋いで歩いている姿がよく見られた。

 

 それほど仲睦まじい二人だったから、大井が沈んだときの北上のショックは計り知れないものだったろう。ところが、戦いが終結したあと、ひょっとしたら後を追うのではないかと周囲がハラハラするなか、当の北上は平然としていて、泣き叫ぶことも、ふさぎ込むこともなかった。

 

 しかし、その後、北上は突然艦種の変更を願い出た。巡洋艦から工作艦に。

 

 それ以来、北上は海に出ていない。

 

「だいたい、あたしが出たら弾薬ごそっと減るからねー。大淀が許可しないでしょ」

 

 予算が最盛期の百分の一くらいに減らされているらしく、最近の鎮守府は慢性的な資材不足に悩まされている。

 

 現在艦隊の総指揮を執っている大淀は、いつも資材配分に苦慮しているそうだから、北上の指摘するとおり、許可されないかもしれない。

 

 重雷装艦としては弾薬消費が軽い木曾が、ぎりぎり許されるラインだった。

 

「で、でもこういう事態ですし、大淀さんも——」

 

「それに、あたしは魚雷ぶっ放すくらいしか能がないしね。その点、阿武隈は色々できて器用だし、あたしなんかよりずっと役に立つよ。だからこそ水雷戦隊の旗艦なんて任されてるわけだし」

 

 阿武隈の言葉に耳を貸さず、北上はすらすらと淀みなくまくし立てる。

 

 北上は褒めてるつもりだろうけど、阿武隈は一つも嬉しくなかった。それがたとえ嘘ではなくても、この場を逃れるために出てきた言葉にいい気はしない。

 

 それに、いつも自信に満ち満ちていた北上が、そんな風に言うのが悲しかった。

 

「あ、でも艤装が壊れたりしたら遠慮なくおいでよ。明石ほど手早くはないけど、ちゃんと直してあげるからさ」

 

 振り向いた北上が、にっと笑った。

 

 これ以上なにを言っても、聞いてはくれなそうだった。

 

「……なんで北上さん、工作艦なんてしてるんですか?」

 

 このまま尻尾を巻いて帰るのもいやなので、阿武隈は前から気になっていた疑問を口にした。

 

 北上が戦いたくないのはわかる。けれど、工作艦なんてなりたいと言ってすぐなれるようなものでもないだろう。夕張みたいにしょっちゅう工廠に出入りしているならいざ知らず。

 

「んー、昔取った杵柄ってやつかな」

 

「なんですそれ」

 

 北上は着任したときから巡洋艦だったはずだし、彼女が特別機械工作が好きだという話も阿武隈は聞いた覚えがない。

 

「あたし手先だけは結構器用なんだよ。なんなら阿武隈、改装してやろうか」

 

 そう言って北上は、掲げた右手をわきわきといやらしく動かしてみせた。

 

「いりません! もういいです、失礼しました!」

 

 阿武隈は踵を返すと、肩を怒らせながら出口に向かって歩き出した。

 

 北上はよくこうやって話をはぐらかす。人が真面目に話してても、ぬらりくらりとかわしてしまう。それが、今の阿武隈には無性に腹立たしかった。

 

 工廠を出てすこし歩いたところで、背後から北上の声がした。

 

「また遊びにおいでよ」

 

 顔だけ振り向くと、シャッターの下で彼女が手を振っていた。

 

 阿武隈は答えず、前を向き直ってまた歩き出す。

 

 陽の光に照らされたからだろうか、阿武隈は顔が熱くなるのを感じた。



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二.逡巡

 翌日も阿武隈は工廠の入り口に立っていた。だが、この日は中を覗いて目を凝らすまでもなく、お目当ての人はすぐ見つかった。

 

 阿武隈が中に入ると、なにか作業をしていたその人はすぐに顔を上げて笑った。

 

「昨日の今日で本当に来たんだ」

 

 呆れたように北上が言う。けれど、その声はこころなしか弾んでいるように聞こえた。

 

「北上さんが来いって言ったんじゃないですか」

 

「いつでも来ていいよって意味で、なにもすぐ来いとは言ってないよ」

 

「じゃあ帰ります」

 

「来たばかりで帰らなくてもいいじゃん。あたしも休憩しようと思ってたところだしさ」

 

 北上は持っていたスパナを工具箱にしまった。

 

 帰ろうと背を向けていた阿武隈は、仕方なく北上に向き直った。

 

「今日は出撃はないの?」

 

「はい。今日は午前中に作戦会議があって、明日再出撃です」

 

 午後からは非番だった。出撃に備えて英気を養えということなんだろう。阿武隈はお昼を食べたあと、自室で本を読んだり、うとうとしたりと、ゆっくり過ごしていたのだけれど、ふと散歩でもしようかと外に出た。

 

 そして、気がついたら工廠に足が向かっていた。

 

「じゃちょっと付き合ってよ」

 

 と言って、外した手袋を放り投げて、北上はすたすたと歩き出す。

 

「どこいくんですか?」

 

「いいからついて来て」

 

 北上は振り返りもせず、手招きだけして工廠を出ていく。

 

 律儀に従う必要もないと思うが、自分から訪ねた手前断りにくい。阿武隈は慌てて北上の背中を追いかけた。

 

 歩いたのはほんの数分。連れてこられたのは、間宮のお店だった。

 

「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」

 

 『甘味処間宮』と染め抜かれたのれんをくぐると、奥から給糧艦の伊良湖が出て来る。北上を見てちょっと驚いてるみたいだった。

 

 おやつ時はもう過ぎていたからか、店内に他のお客さんはいない。北上はさっさと席を決めて腰を下ろしていた。

 

 伊良湖に軽く会釈をして、阿武隈も北上と向かい合うように座った。

 

「どうぞ」

 

 すぐに伊良湖がお茶とおしぼり、それにメニュー表を持ってくる。テーブルにそれらを並べながら、ちらちらと北上の様子をうかがっていたが、本人は全く気にせずにおしぼりで手を拭いていた。

 

「奢ってあげるから、なんでも好きなの頼んでいいよ」

 

 メニューを開くなり北上が告げた。

 

「そんな、悪いです」

 

 北上に連れてこられはしたけれど、奢ってもらう理由はない。阿武隈は首を振る。

 

「あたしが奢るって言ってるんだから、阿武隈は素直に奢ってもらえばいーの」

 

 ちょっと口を尖らせる北上。俺の酒が飲めないのか、ならぬ俺のスイーツが食えなのかとでも言いたげだった。

 

「ほらこのデラックスジャンボパフェとかでもいいよ」

 

 嬉々として北上はメニューをめくる。ここで固辞して機嫌を悪くされるのも嫌なので、阿武隈は言われたとおりご馳走になることにした。

 

「へー、サツマイモフェアだって。スイートポテト、サツマイモモンブラン、お芋のタルト……」

 

 北上はメニューの間に挟まっていたキャンペーンメニューを取り出して、阿武隈にも見えるようにテーブルの上に置く。けれど、

 

「それ、もう二週間くらいやってますよ」

 

 すでに阿武隈も何度か食べている。クリームが乗ったサツマイモパイがお気に入りだった。

 

「え、そうなの? なんだ、全然知らなかった」

 

 北上はちょっとつまらなそうに顔をしかめた。それでもまだメニューに目を落としていて、「うわ、大学芋まである」なんてブツブツつぶやいている。

 

「北上さん、あんまり来てないんですか?」

 

 さっきの伊良湖の様子を見ても、北上が間宮に来るのはかなり久しぶりなのではないだろうか。

 

「んー、あんまりというか、全然来ないねえ」

 

 予想通り、というよりも予想以上の答えが返って来た。

 

「全然って、全く来ないんですか?」

 

「うん。一年ぶり以上じゃないかな」

 

 一年以上と言えばつまり、あの戦い以降一度も来ていないということ。そんな人がいきなり、しかも作業着で来れば、伊良湖が驚くのも無理はない。

 

「なんで……」

 

 どうして一年も来てないのか。どうして今になって急に訪れたのか。ふたつの疑問を込めた「なんで」だった。隼鷹みたいなよほどの辛党でもなければ、月に一度くらいは来るだろう。

 

「だって、一人で来たって楽しくないじゃん」

 

 北上のその答えは、阿武隈のふたつの疑問のどちらの答えとも取れるものだった。

 

「姉妹で来たりしないんですか?」

 

 自分がよく姉妹と来るものだから、つい言ってしまって、阿武隈はしまったと思った。北上と大井は姉妹艦だというのに。

 

「来ないねえ。球磨姉と多摩姉はよく一緒に来てるみたいだけど。木曾とってのもちょっと想像できないなー」

 

 阿武隈の心配はよそに、北上は何事もないようにしゃべっている。

 

 ただ、今の話は裏を返せば、北上が間宮に一緒に来てしっくりくるのは、大井だけだということなのだ。

 

 でも、それならどうして阿武隈を連れて来たのだろう。たまたまいたからなのか、それとも他に理由があるのだろうか。

 

「ねー、まだ決まんないの?」

 

 北上の声で阿武隈の思考が中断する。はっとして見れば、北上はメニューをうちわみたいにパタパタと振っていた。

 

「え、あ、じゃあ、サツマイモパイ……じゃなくて、サツマイモプリンにします」

 

「む、取られた」

 

 サツマイモパイはこの間も食べたからと、阿武隈はとりあえず目に入ったプリンにしたのだけれど、北上も目をつけていたらしい。

 

「じゃーあたしはサツマイモパイにしよっと」

 

 同じものを頼んだらダメなルールなんてないのに、北上はパイに乗り換え、厨房に向かって「すみませーん」と大きな声を上げた。

 

 伊良湖が出て来たのを確認すると、北上は、

 

「一口ちょうだいね」

 

 と、いたずらっぽく笑った。



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三.思案

 外に出ると、もう日は暮れかかっていて、あたりは薄暗かった。空気も冷えてきて肌寒い。

 

「いやー、久しぶりだったからつい食べ過ぎちゃった」

 

 北上はパイを食べ終えたあと、自分の分のプリンも注文したばかりか、それから立て続けにケーキやらお団子やら次々と平らげた。

 

 一口二口は阿武隈も味見させてもらったけれど、最後にチョコレートパフェが出て来たときは、さすがに気持ち悪くなった。

 

「よかったんですか、長居して」

 

 何時間もいたわけではないが、ちょっと休憩にしては長すぎる。それに間宮に行く前、北上はなにか作業をしていたのではないか。

 

「いいのいいの、今日はどうせ暇だったしね。明石も一日酒保に詰めてるし」

 

 と言いつつも、北上は工廠の方へ向かっていた。

 

 阿武隈はついて行く必要はないのに、なんとなく別れづらくて、黙って後ろを歩いていた。

 

 ところが、北上は工廠には行かずに、そのまま埠頭の方まで足を伸ばした。

 

「んー、風が気持ちいいなー」

 

 岸壁の縁でようやく立ち止まった北上は、両手を上げて力一杯背伸びをする。

 

 海の方はもう夜が侵食してきていて、空は濃い群青色に染まっている。振り向いて見れば、山の方にまだ茜色の空が名残惜しそうに残っていた。

 

「阿武隈、今日はありがとね」

 

 海を見ていた北上が不意に言った。

 

「あ、いえ、あたしこそ奢ってもらっちゃって、ごちそうさまでした」

 

 北上からお礼を言われるとは思わなかったから、なんと答えればいいかわからず、阿武隈はお礼を返した。お店を出たときにも一度お礼はしたのだけれど。

 

「それはもういいって」

 

 背中を向けたまま、くすくすと北上が笑う。

 

「つきあってもらわなかったら、なかなか行く機会ないからさ」

 

 北上は一人では行かないから。大井と二人で行っていたから。

 

 いつだったか、阿武隈は今と同じような光景を目にしたことがある。北上の報告書が提出されていないから探してきてくれと、提督に頼まれた時だ。

 

 あちこち探し回ったあげく、まさに今いるこの場所にたたずむ北上を見つけた。彼女は大井と一緒に海風に当たっていた。

 

 時々二人顔を見合わせて言葉を交わしたり、笑いあったりしていて、そこは完全に二人の世界になっていた。北上があんなに無邪気に笑うことがあるなんて、知らなかった。

 

 結局、そのとき阿武隈は声をかけることができなかった。

 

 昔のことを思い出していると、次第に阿武隈の心の中に寂しさと、同時に怒りにも似た感情が湧き上がってきた。

 

「北上さん」

 

 もしかしたら北上を傷つけるかもしれない。怒らせるかもしれない。けれど、言わないといけない。

 

「あたしは、大井さんにはなれません」

 

 北上に聞こえるように、阿武隈はっきりと声に出した。

 

 ほんのすこし間を置いて、北上が振り返る。目を丸くして阿武隈を見ていた。

 

「あたし、ずっと北上さんに憧れてました」

 

 黄昏時の雰囲気がそうさせるのか、阿武隈は普段なら絶対言わないようなことを口走っていた。

 

「いつも飄々としてるのに、戦闘になると誰よりも頼りになって……あたしとは正反対で、かっこいいなって思ってました」

 

 やる気なさげなわりには自信家で、でも自分の戦果を鼻にかけたりすることもない。そんなところも北上の魅力だった。

 

 阿武隈は淡々としゃべり続けた。北上は初めこそ驚いていたが、次第に落ち着いてきたようで、阿武隈と真正面を向いて黙って耳を傾けていた。

 

「大井さんが羨ましかったです。いつも北上さんと一緒で、北上さんと同じくらい活躍してて。ちょっと嫉妬したりもしてました」

 

 北上さんと同じ重雷装艦で、見てる方が赤面するくらい北上さんと仲良しで、阿武隈が持っていないものを持っていた大井さん。

 

「でも、あたしは大井さんになりたいわけじゃありませんし、大井さんの代わりにされるのも本意じゃありません。あたしはあたしとして、北上さんに憧れる一人の巡洋艦です」

 

 言い切ってから、阿武隈は頭がすーっと冷えていくのを感じた。

 

 一瞬、北上は真剣な面持ちを見せたが、怒らせてしまったかと心配したのもつかの間、次の瞬間には顔をほころばせる北上がいた。

 

「うん、そーね。そんなつもりじゃなかったんだけど、そうとられても仕方ないよね。ごめん」

 

 と、北上は深々と頭を下げた。

 

「や、やめてください、そんな。北上さんを責めてるわけありませんから」

 

 慌てて北上の両肩をつかんで引き上げる。

 

 阿武隈は謝って欲しいわけではなくて、ただ彼女に自分の気持ちをわかって欲しかっただけなのだ。

 

 顔を上げた北上は相変わらず笑っていたが、眉尻の下がったその笑顔はとても悲しそうに見えた。

 

「あたしこそごめんなさい。こんなずけずけと……」

 

「んー、いーよいーよ。あたし、たまに周りが見えなくなることがあるからさ、こうしてはっきり言ってもらえるのはありがたいし。こんなことくらいで阿武隈のこと嫌いになったりしない、って!」

 

 北上はおもむろに手を伸ばしたかと思うと、言い終えると同時に阿武隈の前髪をむんずとつかんだ。

 

「ちょ、やめ、やめてください!」

 

 阿武隈が払うより早く北上は手を離して、意地悪く笑った。

 

 これまで幾度となく北上にいじられてきた前髪。鏡を見なくても直せるくらいに。久しぶりでも自然と手が動いて、ささっと前髪は整えられた。

 

「もうだいぶ暗くなってきたし、そろそろ帰りましょうかね」

 

 北上は両手を頭の後ろで組んで、元来た道を戻り始めた。

 

 空はすっかり暗くなり、星が輝き始めている。気温もますます下がってきていて、早く室内に入らないと風邪を引いてしまいそうだ。

 

「今日は甘いものたくさん食べられたし、阿武隈の本音も聞けたし、いい一日だったなー」

 

 上機嫌に鼻歌交じりで、北上がそんなことを言う。

 

 それを聞いて、阿武隈はついさっき自分が言ったことを思い出し、急に恥ずさがこみ上げきた。

 

「阿武隈がそんなにあたしのこと好きだったとはねー。いやー、しびれるねえ」

 

「ち、ちがっ……くはないけど、でも、違います! べ、べつに好きとかそんなんじゃ!」

 

 せっかく下がった血が、再び頭に昇ってくる。きっと明るいところで見たら、阿武隈の顔は耳まで真っ赤になっていることだろう。

 

「あたしそんなにかっこいいかなー。まいったなー」

 

 阿武隈の話なんて聞く耳を持たず、北上はわざとらしく大きな声で言う。

 

「あ、う……も、もう、北上さんなんか嫌いです!」

 

 どれほど阿武隈が怒鳴ったところで、北上はからから笑って意に介さない。

 

 本当に、北上のこういうところが、阿武隈は嫌いなのだ。



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四.出撃

 三回目の出撃だった。

 

 今回は敵随伴艦を素早く蹴散らせるように、空母を一隻連れて行くこととなった。ボーキサイトが潤沢ではないため、空母の実戦投入は久しぶりのことだ。

 

 すこしでも火力のある艦をと、駆逐艦から時雨、夕立、そして綾波が選ばれた。前回に引き続いて木曾も加わり、空母枠には千歳が入った。

 

 敵の射程に入る前に、千歳の空襲と阿武隈、木曾の甲標的による雷撃で随伴艦を削り、夜戦にもちこんで目標の重巡棲姫を叩く。

 

 これまで幾度も深海棲艦を打ち破ってきた鉄板の作戦だった。

 

 

 鉄板でも穴は開くし、折れ曲がることだってある。

 

 先制攻撃で随伴艦を減らすまでは良かった。ところが、敵の砲撃でいきなり夕立が大破。立て続けに、時雨まで大破させられてしまった。

 

 誤算だったのは敵艦隊の編成。前回までは旗艦の重巡棲姫以外は駆逐艦と軽巡しかいなかったのに、今回は随伴艦に重巡リ級が二隻もいたのだ。

 

 鬼クラスではないとはいえ重巡。その砲撃が直撃すれば、軽巡や駆逐艦の装甲では大ダメージは免れない。

 

「ううー、ちょっと攻撃は無理っぽいー」

 

「夕立ちゃんは下がっていてください。時雨ちゃんも!」

 

 二人とも制服も艤装もボロボロで、確かに攻撃は無理そうだった。

 

「まだ航行できるし、僕たちがおとりになろうか」

 

 と、時雨に言われたが、阿武隈は却下した。速度の出ない状態でおとりになれば、蜂の巣にされる可能性がある。

 

「千歳さん、まだ攻撃できますか?」

 

「だいぶ暗くなってきてるけど、まだあと一回くらいなら」

 

 まだ日没までは時間があるはずなのに、空一面黒い雲に覆われていて、かなり暗い。深海棲艦が制海権を握る海域でよくみられる現象だった。

 

 日が沈めば航空攻撃はできない。わずかでも明かりのあるうちに攻撃しておきたい。

 

 敵艦隊に空母がいなくて良かったと、阿武隈は心から思う。もし空母がいたら、千歳一人ではどうしようもなかったかもしれない。

 

「お願いします。とにかく随伴艦を沈めないと!」

 

 すでに駆逐艦と軽巡は撃沈した。あとは二隻の重巡リ級。もっとも、それで終わりではないのだが。

 

 千歳の航空隊による空襲が片方のリ級のに襲いかかる。攻撃機が放った多数の魚雷が炸裂し、リ級の眼前に大きな水柱を立てた。

 

 撃沈はできなかったが、艤装を半分ほど破壊することができた。

 

「綾波ちゃん!」

 

「はい!」

 

 この機を逃す手はない。可愛らしい声ながら、力強く返事をした綾波の魚雷発射管から魚雷が放たれる。

 

 この一撃でリ級は完全に沈黙した。浮力を維持できていないから、沈むのも時間の問題だ。

 

 残る一方に対しては、木曾が魚雷を放ち、時間差で阿武隈も雷撃した。

 

 阿武隈の魚雷は外れてしまったものの、木曾の方が命中した。まだ沈んではいない。それでも、かなりのダメージを与えたはずだ。

 

 空はさっきより黒くなっていた。いつのまにか日が暮れかかっている。時の経つのが早く感じる。

 

「阿武隈、接近して方をつけよう」

 

「はい、木曾さん。綾波ちゃんはリ級を攻撃してください。あたしと木曾さんで旗艦を狙います。千歳さんは下がっていてください」

 

「ええ、ごめんなさいね。あとはよろしく」

 

 風が強くなってきている。波に身体が揺さぶられる。

 

 敵は残り二隻、内一隻は中破。こちらは三隻が攻撃可能。不利でなはいが、火力的に有利とも思えない。

 

 それでも一縷の望みにかけてやるしかない。残る魚雷の本数を確認して、阿武隈は勢いよく波を蹴った。

 

 視界が悪くても、近づけば狙いは付けやすくなる。ただそれは相手だって同じ。

 

 まずは動きが緩慢になっているリ級に、綾波が魚雷を発射した。と、同時にリ級が猛烈な勢いで砲撃を始めたのだ。

 

 雨あられと降り注ぐ砲弾を綾波は懸命に避けるも、至近弾を受けてよろけたところに、次の砲弾が命中してしまった。

 

 そして、合わせるように綾波の魚雷が炸裂。リ級はゆっくりと海面に崩れ落ちて、沈んでいった。

 

 被害は受けたが、これで残るは旗艦のみ。敵の砲撃が緩くなって、阿武隈たちはさらに距離を詰めていく。

 

「いくぞ、沈め!」

 

 巨大な白い蛇のような艤装を体にまとわりつかせたその姿を捉えた瞬間、木曾が一気に魚雷を放つ。

 

 重巡棲姫は薄ら笑いを浮かべていた。いや、暗い上、近づいたとはいえまだ距離もあるからはっきりとは見えないけれど、阿武隈にはそう感じられた。まるで、そんな攻撃避けるまでもないとでも言いたげに。

 

 木曾の雷撃は命中した。だが、激しく立ち上った水柱がおさまった後には、まるで何事もなかったかのように悠然としている重巡棲姫の姿があった。

 

「くそっ、今のはいけたと思ったのに……って、うわっ!」

 

「木曾さん!」

 

 悔しがる木曾の右舷すぐ間近に砲弾が落ちた。着水の衝撃で砲弾が炸裂して、爆風が木曾の黒いマントをズタボロに切り裂く。

 

「ちぃっ、ぬかった」

 

「木曾さん、無事ですか⁉︎」

 

「ああ、なんとかな」

 

 至近弾でも相当の威力だったらしく、主砲がひしゃげていた。

 

 もう残るのは阿武隈の魚雷のみ。木曾でも貫けなかったのに、阿武隈の雷撃でダメージが通るのか、自信がなかった。

 

 でも、表面上なんともなくても、装甲は弱っているかもしれない。当たりどころによっては、一撃で仕留められるかもしれない。

 

 ふと、阿武隈の頭に北上の顔がよぎった。

 

 きっとこんなとき、北上は迷うことなく敵に向かっていくんだろう。今の阿武隈みたいに、自信を失くしたり、不安になったりすることもないんだろう。

 

 昔、改装を受けて雷装が強化されたとき、ちょっとは北上に近づけたかなと思った。

 

 けれど、北上みたいに強くなりたいっていうのは、そんなカタログスペック的な話ではないのだ。

 

「阿武隈、いけるか?」

 

 負傷したらしい右腕を抑えながら木曾が尋ねる。

 

 阿武隈は大きく深呼吸をしてから、答えた。

 

「はい、いきます。木曾さんは下がって!」

 

 北上の分までなんておこがましいことは言わないけれど、せめて一太刀浴びせないと、第一水雷戦隊旗艦の名が廃る。

 

 阿武隈は全神経を重巡棲姫に集中させて、残る全ての魚雷を発射した。

 

「お願い、いって!」

 

 見えはしないけれど、酸素魚雷が波立つ海の下を敵艦めがけてまっすぐに走っていく。

 

 阿武隈は距離を取りつつ、爆音が鳴り響くのを聞いた。

 

「当たった……」

 

 不気味な形の艤装から爆炎が上がるのが見えた。しかし、誘爆はその一回きりで、相変わらず重巡棲姫は暗い海の上に浮かんでいた。

 

「くっ……」

 

 阿武隈は言葉にならない声を出して、苦々しく敵艦を見た。

 

 わずかに敵の表情が変わったように感じられたけれど、気のせいだったかもしれない。

 

 なんにしても、仕留めることはできなかったのだ。

 

「また、ダメだった」

 

 三度目の正直とはならなかった。阿武隈はぐっと涙をこらえる。くやしいけれど、旗艦としてあまり恥ずかしい姿は見せられない。

 

「阿武隈」

 

 肩を落とす阿武隈に木曾が声をかけてきた。

 

 言いたいことはわかった。いつまでもこうしていても仕方がない。

 

「わかってます。全艦、この海域を離脱……?」

 

 顔を上げると、千歳たちも周りに集まってきていた。だが、なぜかみんな阿武隈の後方、同じ方向に視線を向けていた。

 

 なんだろうと、阿武隈が振り向くのと、声が聞こえてきたのは同時だった。

 

「いやー、やっと着いた」

 

 戦場のピリピリした雰囲気に似つかわしくない気の抜けた声。昨日、阿武隈か近くで何度も聞いた声。

 

「北上さん⁉︎」

 

 阿武隈は一瞬幻覚でも見ているのかと思ったが、周りのみんなも口々に北上の名前を呼んでいた。

 

 北上は油の染みた作業着でも、オリーブドラブのセーラー服でもない、アイボリーのセーラー服を着て、艤装を身にまとっている。そして、なぜかドラム缶を一個、曳航してきていた。

 

「北上さん? 違うね」

 

 みんなが目を丸くする中、北上はそう言って、人差し指を左右に振りながら、チッチッチと舌を鳴らす。

 

「あたしは片舷二十門、全四十門の魚雷発射管を誇る、ハイパー北上さまだよ」

 

 腕につけた魚雷発射管を誇らしげに見せつけた北上は、にやりと笑った。

 

「ど、ど、どうして! な、な!」

 

 増援があるなんて聞いていない。ましてや北上が来るなんて。

 

 阿武隈の頭は軽くパニックしていて、うまく言葉が出てこない。他のみんなもあんぐりと口を開けたまま、言葉にならないみたいだった。

 

「んー、昨日甘いもの食べ過ぎたからさー、ちょっくら運動でもと思ってさ」

 

 それならランニングでもすればいい話だ。あれほど頑なに行かないと言っていたのに。

 

「それに、阿武隈が言ったんでしょ。来てくれって」

 

 ずるい、と阿武隈は思う。そんなことを言われたら、なにも言えなくなってしまうではないか。

 

「さてと、敵は……あいつねー。んじゃま、ギッタギッタにしてあげましょうかね!」

 

 未だに驚きを隠せずにいるみんなを尻目に、北上は進み出す。

 

 阿武隈はとっさに追いかけていた。まだ弾はあるし、支援くらいならできるはずだ。

 

「よっと」

 

 北上に気がついた重巡棲姫はわずかに驚いているようだったが、北上が動くのはそれよりも早かった。

 

 予備動作がほとんどなく、軽やかに北上は魚雷を放った。四十門全ての魚雷を一斉に。

 

 重巡棲姫が砲撃しようと動くのと、魚雷が炸裂するのはほぼ同時だった。

 

 何発の魚雷が命中したのかはわからない。天まで届きそうな水柱が立ち、空気がピリピリと振動するのを阿武隈は肌で感じた。

 

 戦艦でもあんな雷撃をくらえばひとたまりもないだろう。けれども、

 

「そんな……」

 

 艤装のいたるところがひび割れ、炎を立ち昇らせながらも、未だに重巡棲姫は沈んではいなかったのだ。

 

 北上でも撃沈できないなんて、もはやなすすべはないんじゃないか。阿武隈の頭は真っ白になって、その場に崩れ落ちそうになった。

 

「阿武隈、ちょっとこれ持ってて」

 

 北上の声に我に返った阿武隈の眼前に、突然魚雷発射管が飛んで来た。それも複数。

 

「わ、わっ!」

 

 慌てて受け止めたものの、阿武隈一人で抱えるにはいささか数が多い。重くてバランスを取るのがやっとだ。

 

 それもそのはず、北上は両手両脚の魚雷発射管を全部外して寄越したのだ。

 

 そして、彼女はなぜか持ってきていたドラム缶を引き寄せると、上から思いっきり拳を叩きつけた。

 

 敵を撃破できなかった腹いせかと思ったけれど、そんなことはなく、ドラム缶は竹を割ったようにぱかっと二つに開いて、中からは新たな魚雷発射管が姿を現した。

 

「な、なんですかそれ⁉︎」

 

 驚きの声を上げる阿武隈には脇目も振らず、北上は手早くそれらを装着していく。

 

 そのとき、阿武隈の耳には確かに聞こえた。北上が魚雷発射管を口元に寄せて、小さな声で、

 

「いくよ、大井っち」

 

 と、つぶやくのを。

 

 その言葉の意味を考える間も無く、北上は腕を伸ばして敵艦へ向け、言い放った。

 

「海の藻屑となりなさいな!」

 

 それは、まるで大井が乗り移ったかと思うほど、声も、言い方も、大井そっくりだった。



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五.帰還

 鎮守府に帰ってきたのは、もう日付も変わって夜明け前の頃。大破二隻、中破二隻でゆっくり航行してきたから無理もない。

 

 北上は艦隊のメンバーではなかったが、阿武隈たちに合わせてくれた。旗艦でもないのに先頭に立って、ドラム缶を引っ張りながら。時折鼻歌が聞こえたりもした。

 

 帰路の途中、北上は特になにも語らなかった。木曾たちは初めは複雑な表情をしていたものの、次第に敵を撃破できた喜びが勝ったのか盛り上がり始め、やんややんやと北上をもてはやしていた。

 

 まだ鎮守府は眠っているが、じきに動き出すだろう。ひとまず宿直室で休憩して、始業時間になったら大淀に報告に行くことにした。

 

 北上はどうするのかと阿武隈が尋ねると、

 

「あたしは正式に作戦に参加してないし、あとで一人で大淀に叱られに行くよ」

 

 と言って、ごろごろとドラム缶を転がして一人工廠の方へ歩いて行った。

 

 阿武隈は他の五人を先に行かせて、自分は北上の元に向かった。

 

「北上さん!」

 

「んー、阿武隈、どうしたの?」

 

 振り返った北上は、一旦ドラム缶を手際よく地面に立てる。

 

「あの、ありがとうございました」

 

 他にも言いたいことはあるけれど、まずはなによりお礼がしたかった。

 

「びっくりしたけど、本当にありがとうございました」

 

「いやいや、あたしは最後にちょこっと手を貸しただけだし。あそこまで頑張ったのは阿武隈たちでしょ」

 

「でも……」

 

 たしかに、随伴艦が残っていたら、北上はあんなに簡単に敵に近づけなかったかもしれない。木曾と阿武隈があらかじめダメージを与えていなかったら、北上でも撃沈できなかったかもしれない。

 

 それでも、勝利できたのはまぎれもなく北上のおかげだった。

 

「まあ、阿武隈が感謝してくれるなら、その気持ちはありがたく受け取るけどさ」

 

 そう言いながら、北上はテーブルみたいにドラム缶に片肘をつく。

 

「そういえば、それ、なんなんですか?」

 

 ずっと気になっていたドラム缶。二つに割れて、魚雷発射管が出てきたときは度肝を抜いた。

 

「これねー、昨日突貫で作ったんだ。結構良くできてるでしょ。でもさすがに二人分の装備持って行くのは無理があったね。もー重くてさー」

 

 ただでさえ、北上の魚雷発射管は数が多い。それをもう一セット運ぶのは大変だろう。

 

 でもそんなことより、阿武隈はその魚雷発射管のことが気にかかっていた。

 

「あの、この中に入ってたやつって……」

 

 それだけで北上はなにを聞きたいか察してくれた。

 

「あーうん、これね。大井っちの予備の装備」

 

 北上は愛おしそうに、腕の魚雷発射管を撫でた。

 

 驚きはなかった。きっとそうなんだろうと阿武隈は思っていたから。

 

「ずっと倉庫の奥に眠ってたんだよね。あたしも昨日まで気づかなかった」

 

 北上はこの一年、艤装保管庫には全く入っていなかったらしい。昨日の夜、自分の艤装を整備しようと取りに行ったときに見つけたという。

 

「正直、その瞬間まで迷ってたんだ。だって一年も海に出てないからね。不安だった。でも、これ見た途端に、なんていうか、勇気が湧いてきたんだ。大井っちと一緒に戦ってた頃を思い出してさ」

 

 不安という言葉が北上の口から出てきたのが意外だった。

 

 でも、言われてみれば彼女だって阿武隈と同じ艦娘で、戦わないときは一人の女の子だ。悩むこともあれば、心が落ち着かないこともあるだろう。

 

 そして、そんな北上がいつも余裕たっぷりだったのは、誰でもない大井がそばにいたからなのだろう。

 

「それで、ちょっとだけ、大井っちの力を貸してもらおうと思ったわけ」

 

 結果的にはそれが大正解だった。北上の怒涛の二連撃によって、あの深海棲艦は沈めることができたのだから。

 

「だからさ、あたしにお礼言うなら、大井っちにも感謝してくれると嬉しいな」

 

 薄紫に染まっていく夜明け前の空を北上は仰ぎみる。

 

「はい……」

 

 阿武隈が小さくうなずくと、北上は顔を下ろした。とても優しい微笑みが阿武隈の目に映った。

 

 こんな表情ができるんだと、阿武隈は素直に感激するとともに、彼女にこんな表情をさせてしまう大井に、ほんのすこし嫉妬した。

 

「あの、北上さん、これから先どうするんですか」

 

 ふと疑問に思って、阿武隈は尋ねた。まさか出撃はこれ一回きりで、また工作艦に戻るつもりなのだろうか。

 

「どうしよっかねー。まあ、大淀次第なとこもあるけど、また阿武隈たちと一緒に戦えたらいいなとは思ってるよ」

 

 こればっかりは北上の一存では決められないから仕方ないけれど、すくなくとも北上に戦う意志があることがわかって、阿武隈は嬉しかった。

 

「そのときまでに鍛え直しとかないとなー。さすがに毎回ドラム缶引っ張っていくのもまずいし」

 

 腰を左右に回したり、腕を伸ばしたりしながら北上は言う。

 

 たしかに、出撃の度に重いドラム缶を曳航されては艦隊行動に支障がでるから遠慮願いたい。

 

「北上さん、今度また一緒に間宮に行きましょう」

 

 阿武隈が言うと、ほんのちょっとだけ、北上はバツの悪そうな顔をしたが、すぐに笑った。

 

「いいけど、そのかわりあたしが誘ったときも付き合ってね」

 

 北上はどことなく恥ずかしそうで、なんだか可愛かった。

 

「もちろんです」

 

 次行くときは、北上の一人の友人として、一緒に行ければいいと阿武隈は思う。

 

「そろそろ行くねー。これ片付けてこないと」

 

 北上がぽんぽんとドラム缶を軽く叩く。すこしずつ空が白んできている。

 

「はい、すみません呼び止めて」

 

「じゃあね……よっと」

 

 ドラム缶を寝かせて、北上は歩き出した。

 

「あ、次は阿武隈のおごりね」

 

 阿武隈も艦隊のみんなのところへ行こうと、踵を返した瞬間だった。突然背後からそんな言葉が聞こえて、慌てて振り返った。

 

「な、なんでですか!」

 

「だって昨日、あ、もう一昨日か、あんなにおごってあげたでしょー」

 

「あんなにって、ほとんど全部北上さんが食べたやつじゃないですか!」

 

「そーだっけ?」

 

 絶対覚えているくせに、白々しくそんなことをのたまう。甘いもの食べ過ぎたと言っていたのはどの口か。

 

 今回の北上の大活躍をみれば、ご馳走したっていいのだが、また一昨日みたいにバカ食いされたらたまったものじゃない。

 

「まあいいじゃん。阿武隈の大好きな北上さんたっての願いなんだしさ」

 

 わざとらしく「大好き」を強調する北上。

 

 阿武隈はかーっと頭に血が上ってくるのを感じた。

 

「だ、大好きなんてひとことも言ってません!」

 

「えー、似たようなものじゃん」

 

「違います!」

 

 一昨日も同じようなやりとりをしたばかり。こうなるなら、血迷ってあんなこと言うんじゃなかったと軽く後悔する。

 

「あたしにはそー聞こえたけどなあ」

 

「だから——」

 

 はっと、阿武隈は息を呑んだ。日が昇り始めて明るくなってきた空に、北上の顔が照らされている。

 

 北上はとても楽しそうに笑っていた。

 

 ——やっぱり、北上さんはずるい。

 

 阿武隈にもこんな風に北上を笑わせられるんだと、こうして見せつけてくるのだから。



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