シルクロードオンライン¬(differentiam) (hachu)
しおりを挟む

奇譚収遺使禄.Ⅶ
白霊討伐戦①


Copyright © JOYMAX.CO., LTD. All rights reserved.
Copyright © 2012 WeMade Online Co.,Ltd. All Rights Reserved.


 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

草木も眠る丑三つ刻。

 

地面を乱暴に穿った、みすぼらしい入り口からは想像できない程に、

その施設は広く深く入り組んでいる。

 

そして地下なのに、何故かぼんやり明るい。

 

 

この施設――――遺跡は、始めは権力者を祀るに相応しい内観をしているが、

進むほどに岩だらけの洞窟へと変わり、そう思うと草が生い茂る空間が広がっていたり

大層デタラメ、気にするのも面倒になるような構造をしている。

 

最も奇妙なのが、深く潜るほど頻繁に目にする、

天井や壁面から顔を覗かせた “街のように巨大な生物” の、青白い体躯。

その体躯が壁面を這う深層、洞窟が繋いだ数ある地下空間の一つ。

 

一人の少女が膝に手を付き、苦悶の表情を浮かべている。

 

 

 

 

寒月(ハンユエ):「ハァ……ハァ…………」

 

 

 

 

ショートボブが似合う、眼鏡が知的な印象を誘う十八歳。

容姿こそ幼いが、それに似合わぬエロチックな体型をしている。

 

戦闘を終えた彼女は膝に手を付き、大きく息を荒げている。

 

呼吸と共に上下する、発育した巨乳と肢体。

特に後ろから眺めると、張りと丸みのある尻が(はかま)を大層引き伸ばし、

そういった場では無いにも関わらず、男達の情欲を煽ってしまう。

 

その彼女が、細切れになっても蠢き続ける、黒い物体に苦言を漏らす。

 

 

 

 

「なんて…………ハァ……しぶとい生物…………ハァ……驚異的……!」

 

 

 

 

『雷帝』の所以たる、その雷孔を出し尽くしてしまった。

彼女は優秀な剣士だが、肝心な所でガス欠になるキライがある。

 

 

 

 

花雪(ファーシュエ):「誰じゃ、この道にせよと申した不届き者は……ハズレじゃ」

 

 

 

 

同じく苦言を漏らす、モデルのようにスラリとした十八歳。

 

片手を腰にやった軽く見下すようなポーズ、それがとても良く似合う。

やはり体型に似つかわしくない豊満な巨乳が、呼吸で大きく前後している。

 

花雪も剣士ではあるが、職業は『商人』と言った方が正しい。

 

彼女のイラ付きの理由は、いま蠢いている黒い物体にもあるが、

お気に入りの寒月が大層消耗しており、そうなった原因にも起因している。

 

 

 

 

炎暗剣(イエン・アンジャン):「詮索は無しだ。そういう吊し上げは、心が濁った者のする事だと思わないか?」

 

 

「全然思わぬ、お前じゃからな」

 

 

 

 

体格の良い青年・イエンが諭すと、花雪が間髪入れずに反論を行う。

 

イエンは体格の割に、まるで少年のような容姿をしており、

それがコンプレックスなのか必要以上に男らしく振る舞って見える。

 

左眼を『眼帯』で覆っているが、

やはりそれもキャラ作りの一環にしているように見える。

 

何故ならその眼帯にはあまり必要とは思えない、

いわゆる “カッコイイマーク” が刺繍されているからだ。

 

 

 

 

魏圏(ウェイ・クァン):「急ぐぞ、宝漁りは帰りだ。白霊がまだ生きててくれればいいが……」

 

 

 

 

その彼らをイエンよりも大柄な男が統制する。

 

この班のリーダー、額に傷のある、今時ポニーテールで、

それでも頼り甲斐がある印象、自称:女の気持ちが判る男、ウェイである。

 

彼が言った “宝を漁るな” とは、もう一人のおてんば娘に向けられたものだが、

その娘は指示を無視して辺りを物色している。

 

他班に遅れを取る訳にはいかない、よってその娘は放って先へ進む。

 

 

 

 

「この感じ……こっちだ、我が左眼がそう告げている……」

 

 

 

 

蠢く物体が塞いでいた通路。

すぐ先で十字路になっていた道の一つを、イエンは真っ直ぐ指し示す。

 

 

 

 

「他は上りじゃろうがッ! 何が左眼じゃッ! このクソ雑魚平民めッ!!」

 

 

「おいっ! 蹴るなよ、痛いぞっ!」

 

 

「うるさいッ! 遅れるな! 男が前じゃッ!」

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

【挿絵表示】

 

【挿絵表示】

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

「全員、止まれ――――」

 

 

 

 

先頭イエンはある物を発見し、皆を制止する。

 

 

 

 

「また行き止まり……じゃあ、無いようだな」

 

 

 

 

行き止まりの中心にぼんやりと光る『歪み』

彼らが普段お世話になっている、彼らにしか見えない、

ある『遺跡』を小さくしたような物だ。

 

イエンはそれに手をかざし、感触を確かめる。

 

 

 

 

「これも “次元門” みたいなもんか……この感じ、一方通行だな―――――本当だ! 信じてくれ!」

 

 

 

 

花雪の冷たい視線を感じたイエンは正直に訴え掛ける。

人はこうやって厨二を卒業していくのだ。

 

 

 

 

「おそらく炎帝神武が使っていたもの、通って問題ない」

 

 

「やはり(わらわ)のユエが一番信用できるな――――何をボケっと突っ立ておる?」

 

 

「早くして、後がつかえてる」

 

 

「判ったよ! 男が前だろ!」

 

 

 

 

歪んだそこに飛び込むと、床が自分に向かって起き上がる。

 

床が自分をすり抜けると、今度は落下しているような感覚に襲われるが、

歪んだ景色が像を結んでいくのに比例し、坂道を下るような感覚へ、

そして、いつもの慣れ親しんだ重力へと戻る。

 

これを使う時は、いつもこんな気持ち悪い感覚を覚える。

 

 

 

 

「おい、死体の山じゃないか――――何だありゃ、石像か!?」

 

 

「アレが…………白い方の “千年さん” ……」

 

 

 

 

景色に焦点が合っていく中、

イエンとユエが最初に見た物を報告する。

 

 

 

 

「やはり人間の顔…………近くにいるのか……遠くにいるのか…………判らない……」

 

 

「眼鏡がズレているからじゃ――――もう、しょうがないのう」

 

 

 

 

花雪は、ユエの鼻に引っ掛かっているそれを取り、

胸の汚れていない布でレンズを拭き、また顔にセットする。

 

自分の物ではないけれど、自分の物より優しく扱う。

 

 

 

 

 

 

秦始皇帝陵・地下六階:大空洞――――

半径|一里$500メートル$ほどのドーム状空間、赤黒い光が内部を照らしている。

 

『地下六階』とは便宜上の呼称であり、

次元門を経由した今、正確な場所は判らない。

 

そこには既に百名近い気功家達が集結し、

それに匹敵する蛇と人間を混合した “異形の生物” が戦を繰り広げている。

 

我方は一目で劣勢と判るほど押されている。

 

道中見かけた巨大生物の体躯はどうやらここが終着――――発生源のようだ。

壁際の地面から幾本も伸び上がり、

空洞を網の目のように張り巡り壁を貫通している。

 

太さは家ほどもあり、その長さはとても想像が付かない。

 

そして空洞の奥に佇む、色白で髪の長い女性。

此度の討伐対象、千年の悠久を生き抜いた白蛇『白霊』

その “頭部” に相当する部位だろう。

 

あまりに精巧な擬態、綺羅びやかな衣装まで着込んでいる為、

空間を歪ませる妖気と足元から伸びる蛇の体躯がなければ、造形は完全に人間、

いや、それ以上だ。

 

ただし女型と言ってもその大きさは人間の十倍(ガンダム)ほどはある。

似たような個体は道中にもいたがそれより遥かに美しい。

 

十三輪の大きな光背装飾が蜃気楼のように揺れ、

妖怪や人間の域を越えた、“神” のような存在感を放っている。

 

 

 

 

「孫玄の言った通りだ。思っていた程デカくないのは嬉しいが、なんと言うか……」

 

 

 

 

白霊の足元は妖怪で固められ、周囲には大量の人間の死体、

それと石像のような物体が幾つも配置されている。

 

地下にも関わらず明るいせいもあるが、不気味としか言えない光景だ。

 

 

 

 

「ウジャウジャいるぞ……ここで産み出されていたのか……?」

 

 

 

 

彼女が産み出した子供達を見回し、イエンが嫌悪の表情を作る。

 

 

 

 

「北東組、ウェイ隊のウェイだ! 教えてくれ、どうなってる! 始まってどれくらい経つ!」

 

 

 

 

結盟の頭領・ウェイが、隊長らしく他隊と情報交換を行う。

傷の手当を受けている男が応えるが顔色は悪い。

 

 

 

 

『こっちだ、ウェイ……俺たち南東も来たばかりだ。そんなに経ってない』

 

 

「そんなに経ってない? そんなに経ってないのに、ボロボロじゃないか……」

 

 

『だが逃げられん……出口が無い、多分アイツの『根』が塞いでる……その所為(せい)でアイツもアソコから動けないようだが…………ぐっ!』

 

 

 

 

道中の巨大な体躯は、全て白霊から伸びる『尾』である。

遠くへ行くほど枝分かれし、末端にはもはや彼女の意思は介在していない。

 

彼女が吸収する栄養とは人間を含めた『生物』であり、

その様子と形状から、頭部以外は便宜上『根』と呼称されている。

 

触れた者を取り込む性質だけが暴走し、存在が長安住民に認知され始めた。

それが今回、討伐隊が編成された理由である。

 

 

 

 

「あそこで倒れている奴! 覚えてる、“北” に行った奴だ!」

 

 

 

 

イエンが倒れている者を指差し、もう意味の無くなった情報を報告する。

 

一度は東西南北に別れ、新たな通路が開き、

今度は『北西・北東・南東』に別れ、今に至るからだ。

 

官・民・無法者、様々な者が迷宮のように掘り進み、

しかも巨大な根の気分次第で開閉するため、イエンでなくとも経路の把握は困難だ。

 

 

 

 

「南東は壊滅か?」

 

 

『いや、アソコに元気な奴もいる――――』

 

 

 

 

指し示された左翼。

前衛三人、後衛三人で構成された、ローマ帝国・聖騎士民間混成チームが戦っている。

 

前線やや後方に陣取り、力強い剣術と気功に似た魔法を振るい、

化物をほとんど一撃で殺している。

 

その為か、彼等の周りだけは子供の数が少ない。

 

 

 

 

「例の胡人(こじん)か……」

 

 

 

 

味方だと言うのに、ウェイは警戒した表情を作る。

 

遥か西方から訪れた彼等には “胡人” や “異邦人”

差別的な意味で “色目人” など様々な呼び名があるが、

中華では『大秦人』と呼ぶのが正しい。

 

秦の始皇帝は中華の西の都、この長安に咸陽という国都を定めていた。

ローマ帝国は世界の西の都、そのため大秦と呼ばれている。

 

 

 

 

『此処に降りる前、やたら硬くてデカイのがいたんだが……奴らがあっさり倒しちまったよ』

 

 

「アイツらはどうして傷も負っていない……弱そうな奴も多いのに!」

 

 

「隊列……ね。軍師が使う戦術を小規模で実現してる……かなり訓練してる」

 

 

 

 

納得のいかないイエンに、武術全般に造詣の深いユエが、

“軍隊でもなければ使う事は無いだろう” と、頭の片隅に捨て置いた知識を掘り返す。

 

 

 

 

「訓練だと!? そんなの俺だって、みんなやってる!」

 

 

 

 

狼狽するイエンを差し置き、花雪が歩み出る。

 

 

 

 

「うろたえるな――――(わらわ)象棋(じょうぎ)を学んでおる、平民のお前と一緒にするでない」

 

 

 

 

貴族らしい佇まいで髪を払い、下目遣いに言い放つ。

 

 

 

 

「あれは遊びだッ! 俺だってやった事はあるッ!」

 

 

「妾のは象牙職人が彫刻したやつじゃ、お前達のは板とかに墨で書くタイプじゃろう」

 

 

「そうだよッッ!!!!」

 

 

「私達は寄り集まっても足し算、彼らは掛け算……戦術ってそーゆうもの」

 

 

 

 

数名の逼迫した大声が同時に響く。

 

 

 

 

アレ(・・)だーーーッ!!』

 

 

『アレが来るぞォーーーッ!!』

 

 

「――――っ!?」

 

 

 

 

声が注意した先は討伐隊の最前線。

 

つまり白霊が、

胸の前へ平行に掲げた両掌で『何か』を圧縮するような構えを取っている。

 

 

 

 

「なんだ…………アイツ、何をしてる……?」

 

 

 

彼女の『構え』は蛇でも人間のそれでも無く、

生命力を攻撃力へ変換する『人でなし』、気功家の構えに似ている。

 

真っ黒な歪みを潰していったある瞬間、それが真っ白な光へ変わり、

彼女を中心に閃光が走る。

 

 

 

 

「ぐあっ……――――なんの光だ!?」

 

 

 

 

太陽にそうするように、眩しさの元へ両手をかざす。

 

その隙間から垣間見えた異形の景色。

白霊に攻撃を仕掛けた最前線のチームがみるみる堅いもので覆われ、

いや、人体が周囲の物質を巻き込み堅い物質へと変異していった。

 

 

 

 

「固まっちまった……? もしかして――――アレ(・・)は全部人間なのか!?」

 

 

 

 

“アレ” とは、まばらに配置されていた石像を指すのだろう。

 

 

 

 

「石に、なったのね……?」

 

 

 

 

ユエが眼鏡の位置を調節し、確認する。

 

 

 

 

『くそっ! まただ……仲間がアレにやられた……あの光をモロに受けて……まだ前の方で石になってるんだ…………誰でも良い、早くあの化物を殺してくれ……っ!』

 

 

 

 

男は腹部から肩にかけて凄惨な傷が刻まれ、血が滴っている。

動くと命に関わる。

 

それでも助けに行きたい仲間がいるため、早く排除して欲しいと言っているのだ。

 

 

 

 

「加勢する!! ファーとユエは負傷者の救助! 今の光には注意しろ! 呂晶(ルージン)は何処だ!?」

 

 

「注意って……どうしろと言うのだッ!?」

 

 

 

 

イエンが当然の質問を行う。

 

 

 

 

「知らん! 光ったら後ろにでも飛び退け!!」

 

 

「飛び退けと言われても……」

 

 

「行くぞ――――ッ!!」

 

 

 

 

不安を抱えたまま交戦中の班へ助太刀に入る。

いざ戦闘を開始すると、子供達の相手に手一杯で本命を見る余裕が無い。

 

光ったらマズイと判っていても、急に避けられるだろうか。

あれこれ気にしていると、目の前の相手にも集中できない。

 

 

 

 

Valkyrie(ヴァリキエ):「収まったか……前進、1隊列分進む――――ヘレン、どうだ?」

 

 

 

 

金髪碧眼、中性的で役者のように美しい容姿だが、

近寄り難い冷徹な印象を放つ女性聖騎士。

 

彼女が問い掛けると、同じく金髪碧眼、

こちらは愛らしいツインテールの少女が答える。

 

 

 

 

Helen(ヘレン):「まだ……もう少し……!」

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

「コイツら……強いぞ! 上の階より遥かに強靭だ!」

 

 

「盾で受けるなッ! なるべくスカせッ!」

 

 

「だから “盾などいらん” と言ったのだ――――ッ!!」

 

 

 

 

イエンとウェイが白兵戦を開始する中、

花雪は光が来ないかチラチラと白霊を見ながら、負傷者を引っ張り後退する。

 

その負傷者の腹を突き破り、鮮血と共に刺々しい触手が飛び出す。

 

 

 

 

「きゃああああっ!!」

 

 

 

 

触手が、いや、地面を潜ってきた白霊の尾先が

突き破った負傷者の腹を通り、再び地面の中へと引っ込んでいく。

 

これは最初に分岐した、本物の尾という事だろう。

 

 

 

 

「どこっ!? どこじゃっ!? この下かっ!?」

 

 

「――――そいつはもういい! 別の奴を!」

 

 

 

 

正面上方の白霊、周囲の子供達に気を取られている隙に、

地面から飛び出す尾が一人づつ気功家を刺し殺す。

 

強引で強力な立体的布陣、作戦などではどうしようもないレベルだ。

そもそも作戦を立てようにも、隊を越えた連携など不可能だ。

 

 

 

 

「ウェイ……もう討伐などと言わず戻ることを考えるべきだ。投石機でもあれば楽勝だろうが、ここはアイツに有利すぎる」

 

 

 

 

イエンが撤退の提案を行う。

 

 

 

 

「だから、出口がないと言われただろう……!」

 

 

「なっ……じゃあ何か、俺達は調子に乗って奴の巣へまんまと落ち、化物に喰われるまで戦うしかないってか!?」

 

 

 

 

状況を分析したユエも苦言を漏らす。

 

 

 

 

「ここまで上手くいき過ぎてた……早く降りなきゃって、退路なんて考えてもなかった」

 

 

「クソッ……なぜあの異邦人達は、ああも淡々としていられるのだ?」

 

 

 

 

他の者が傷つき疲弊していくのに対し、ローマ帝国チームは苦戦する様子が無い。

 

昨日の一件もあり、得体の知れない者達とは思っていたが、

結果の違いを見せつけられ、実力の差を痛感する。

 

今の状態で一番頼りになりそうだが、昨日の一件もあった以上、

意思疎通できる見込みもない。

 

 

 

 

「――――そういえば、呂晶はどこだ?」

 

 

 

 

ウェイはその原因を作ったメンヘラ放蕩娘を探す。

さっきまでその辺りにいたハズだが。

 

 

 

 

「奴ならあそこだ、何故かスゴイ数に追われてる……大丈夫か…………おい……そっちは……!」

 

 

 

 

背が低め、白黒の髪を二つのお団子に結んだ女。

彼女はダッシュからの勢いそのまま、ローマチームに向かって跳躍する。

 

 

 

 

呂晶(ルージン):「ハロォオオオオーーーッ!色目人(ガイジン)サァーーーンッ!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白霊討伐戦②

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

「ハロォオオオオーーーッ!色目人(ガイジン)サァーーーンッ!」

 

 

Valcs(バルクス):「昨日の女!」

 

 

 

 

無骨で獣じみた顔の戦士、バルクスが叫ぶ中、

呂晶はローマチームが組んだ陣、その中心の地面を突き、

拳の先から水蒸気を爆発させる。

 

 

 

 

「アレは、俺の……!!」

 

 

 

 

呂晶が放ったのは、イエンが得意とする氷系気功『狂夜訣』

威力は彼の半分にも満たない。

 

だが拳のすぐ前、神父・マニュエルの片足が(くるぶし)ほどまで凍りつき、

地面に接着される。

 

それを確認した呂晶は気味の悪い笑みを浮かべ、心なしの自己紹介を行う。

 

 

 

 

「マイネーム、イズ……――――マッドネス」

 

 

 

 

呂晶を追っていた大量の子供達がそのまま、ローマチームめがけて突っ込む。

指揮官のヴァリキエが歩み出ながら、チームに指示を下す。

 

 

 

 

「……全員、後退」

 

 

Manuel(マニュエル):「oh、ウゴケマセーン!!」

 

 

 

 

整えた髭をこさえた、二つ分けのマッシュルームカット。

知的な印象のマニュエルが片言で叫ぶ。

 

 

 

 

「ちっ――――各自、ヘレンと身を守れ。神父は私が守る」

 

 

「ヴァリキエ様…………!!」

 

 

 

 

ヘレンが手を伸ばしかけた瞬間、“ドギャッ” という鈍くて嫌な衝撃音と共に、

数百キロはあろう子供が二匹、宙を舞う。

 

ヴァリキエが細い身体に似つかわぬ腕力で盾を振るい、

かち上げたのだ。

 

その後は乱戦になる――――乱戦を、狙っていた。

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

Rusila(ルシラ):「きゃあああっ!!」

 

 

 

 

化物に囲まれた中心から、女性の声が響く。

ポニーテールで淑やかな印象、ハープを携える “吟遊未亡詩人” ルシラの叫び声。

 

戦場に音楽家を連れる理由は判らないが、とにかく放ってはおけない。

 

 

 

 

「何やってんだアイツ……――――助けに行くぞ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウェイ組も助力に入り、あらかた倒し終えた後、

ヴァリキエは呂晶を睨み付ける。

 

 

 

 

「すいません神父さん……ウチの馬鹿が迷惑かけちゃって……ケガ無いっスか?」

 

 

「oh......ダイジョブデース」

 

 

「は……離せっ! 女猿!!」

 

 

 

 

ヘレンのハスキーな声が響くと、

ヴァリキエ以外の全員も ”それ” に気付く。

 

 

 

 

「お前、こんな時に何をしているッ!!」

 

 

 

 

只でさえイラついているイエンが、放蕩娘に耐えきれず叫ぶ。

 

 

 

 

「確か―――― “マッドネス” と言ったな」

 

 

 

 

ヴァリキエがギリシャ語で話し掛ける。

呂晶が話せるのを知っているからだ。

 

 

 

 

「は? 言ってねーし」

 

 

 

 

呂晶もギリシャ語で返す。

 

 

 

 

「名前はいい……私が知りたいのは “それ” の意図だ」

 

 

 

 

乱戦を鎮めた先、ヘレンの後ろ手を締め上げ

彼女の首に片刃で大型の矛・大刀(だいとう)をあてがう呂晶。

 

その切っ先は人間相手には不必要なほど大きく、持つことも難しいであろう重量感で、

呂晶がバランスでも崩せば簡単にヘレンの首を飛ばしそうだ。

 

 

 

 

「起点になるのは、その “神父” だろ。チームで動けば無敵とでも思ってんだろうが、その気になればいつでも崩せるって教えておきたかったの」

 

 

「……なんの脅しだ」

 

 

「脅しじゃあ無い、お前らが自慢気に披露している戦法は、アタシらの “善意” で成り立ってる」

 

 

 

 

ローマチームの一人一人を見回し、最後に捕らえたヘレンに言い放つ。

 

呂晶が話すギリシャ語は治安が悪い地域で使われる、

スラングが混じったイオニア訛り。

同じ言語でもローマチームが使う、上品なコイネーやラテン語訛りのそれとは違う。

 

だがこの場では、彼女が中華で “どういった立場の人間” なのか伝えるのに、

この上なく効果的だ。

 

 

 

 

「 “盗人(ぬすっと)” ……猛々しい……ッ!!」

 

 

「美味しいとこだけ持ってこうとしてんのはどっちだ。こっちに危ない役だけやらせて気に入らないんだよ――――」

 

 

 

 

後ろからヘレンを覗き込み、耳に唇が触れる距離で、

やはり脅すように言う。

 

 

 

 

「お前らも少しは前に出ろ」

 

 

 

 

ヘレンは嫌悪の表情を浮かべ、顔をそむける。

 

矢面(やおもて)には立たないが、隙あらば討伐を狙える位置。

そんな有利な場所をキープし、それを他隊の前身具合に合わせ、

相対的に調節しているように見えた(・・・)ことが、呂晶は気に入らないと言っているのだ。

 

ほとんど言い掛かりで|MPK$モンスター・プレイヤー・キル$を仕掛けた。

 

 

 

 

「そんなつもりはない――――が、そう見えても仕方無いだろう」

 

 

「そう見えるって事は、そういう事だ」

 

 

 

 

言いながらヘレンを離す。

 

どうこうするつもりは無いだろう事は周りも察していたが、

掴まれていたヘレンは収まる訳がない。

 

憤怒の表情で杖を構え、威嚇する。

 

 

 

 

「ウチらのシマで勝手されると困るんだよ。少しは意思疎通も必要だと思うが? 知らずに迷惑掛けちまう事があるそうだしな?」

 

 

(勝手も何も、元々競争だがな――――……)

 

 

 

 

ウェイは理解している為、彼らには悪いが呂晶に指摘はしない。

 

余所者で、慣れない土地に少なからず疎外感を感じているだろう彼らに、

イニチアシブを取るための発言だ。

 

確かに、もし何処かの班が決死の特攻でもして、活路が生まれたとしても、

そのチャンスを制すのは常に良い位置にいる彼らだ。

 

と言うより、そういったチャンスを(したた)かに狙っていたハズ。

ならばそこに、少なからず負い目も持っているハズ。

 

 

 

 

『北西組が来たぞォーーーッ!!』

 

 

 

 

最後の援軍が到着する声が響き、ヴァリキエが指示を出す。

 

 

 

 

「一旦離れるぞ」

 

 

「殺されかけたお礼にお茶会でもいかがかしら? ――――冗談はおよしになってッ!!」

 

 

 

 

ヘレンはワザとらしいジェスチャーで反対する。

 

 

 

 

先に吹っ掛けたのはお前だ(・・・・・・・・・・・・)。調子に乗るとこういう目にも合う、皮肉は可愛くないぞ」

 

 

 

 

ヴァリキエはヘレンの頭にポンと手を乗せる。

『先に』というのは、昨日の一件を指している。

 

ヘレンは内心ショックを受けた後、恨みの籠もった様子で呂晶を睨み付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二チームは離れた岩陰に身を潜め、

花雪が見張りを担当する中、情報共有を行っている。

 

 

 

 

「で? アタシら後から来たから判らない事だらけだ」

 

 

 

 

呂晶が切り出す。

ヴァリキエは男のような動作で水をあおり、一息付いてから口を開く。

 

 

 

 

「我々、南東組が降りた時、奴は一人だった。最初に二十人ほどが斬り掛かり、飛び散った肉片から大量の子供達が生まれた。同時に ”閃光” が放たれ、二十人は石になった」

 

 

「――――あの白い光か」

 

 

「おそらく奴が持つ、最も強力な “奥の手” だろう。初弾で使うあたり性格は大雑把だ」

 

 

「性格だと? 手の内を隠す知恵が無いんだろ」

 

 

「そうとも言えん。実際、最も効果的なタイミングではあった」

 

 

「その後は?」

 

 

「救助のため第二波が続いた。子に阻まれ苦戦し、二度目の ”閃光” で更に犠牲者が出た。それで大方の射程は判ったが、以来、それ以上近付けないため決め手が無い」

 

 

 

 

ヴァリキエは素早くもハッキリした口調で伝える。

軍隊経験者の喋り方だ。

 

 

 

 

「よって我々はヘレンの大規模魔法で仕留める算段を立てたが、魔力を集中すると奴と奴の子供が反応し、標的にされる。そのため可能な準備だけ進め、安全な隙が出来次第、発動するつもりでいる」

 

 

 

 

そこまで聞き、呂晶が口を挟む。

 

 

 

 

「私達を囮にしてか。コイツに反応するならコイツを囮にすれば良いんじゃないか?」

 

 

「――――ッ!」

 

 

 

 

嫌悪な表情で呂晶とヘレンが睨み合う。

この場で昨日の続きを始めてもおかしくない雰囲気だ。

 

 

 

 

「――――なんて言ったんだ?」

 

 

 

 

ギリシャ語に乏しいイエンが、ユエに通訳を求める。

 

 

 

 

「 “あの子を囮にしろ” って」

 

 

「おまっ……こんな女の子に、よくそんな事が言えるな!!」

 

 

 

 

ヴァリキエが返答する。

 

 

 

 

「彼女はこの戦場で最大の攻撃力を持つ、我々の切り札だ――――最優先で守る」

 

 

 

 

それを聞いたヘレンは、拗ねたような顔で目を逸らす。

“今更そんなこと言っても遅いのよ” という乙女心だろうか。

 

 

 

 

「栄光の勝利に犠牲はつきものだ、全滅するよりマシだろう……もっとも、隙を作る前に我々以外(・・・・)が全滅しそうな有様だが」

 

 

 

 

ヴァリキエは氷のような視線を向ける。

まるで “我々以外が全滅” しても、一向に構わないと言わんばかりに。

 

 

 

 

「呂晶――――」

 

 

「分かってる」

 

 

 

 

ウェイと呂晶が横目でアイコンタクトを取る。

『アイツは全て判っている、体よく利用はできないぞ』という確認だ。

 

 

 

 

中華の連中(アタシたち)は功を競い、班を越えた連携が取れない……一班で討伐する力を持つのはコイツらだけだ)

 

 

 

 

今回の討伐戦は、白霊の首級を挙げた一班に多大な報奨が贈られる。

 

その報奨とは大きめの『宝くじ』に当たったような額だ。

だが『宝くじに当たった成金』とは、自分でのし上がった貴族などとは違い、

得てして身を滅ぼすものだ。

 

そうならいよう、ふんぞり返っているだけで大金が舞い込む武官職に、

貸し出すだけで賃貸料が入ってくるような領地までサービスされる。

これらは全て国民から徴収された税金で支払われる。

 

つまり、この討伐戦は白霊との戦いであると同時に、

他隊との討伐(レース)でもあるのだ。

 

ローマチームと共同戦線を張るなら、彼らへのメリットを提示しなければならない。

金より大事な “自分達の命” が危機に晒されている状態では、

首級を渡す程度しかそのメリットが思い付かない。

 

 

 

 

「――――おいっ! アイツ、怪我したとこ引きちぎってバラ撒きおったぞ! ……あっ、なんか動いとるっ!!」

 

 

 

 

見張り役の花雪が顔を出し、状況を伝える。

 

 

 

 

「子供の発生条件は?」

 

 

「二種類ある。下半身から産み出す、今のように飛び散った肉片が成長する」

 

 

「マニュアルとオートか……」

 

 

「前者は攻撃されない限り前に出ず、減ると補充される。後者は焼いたり凍らせた場合は産まれ難いが、そもそも精霊の効きが悪い」

 

 

 

 

精霊とは、彼等で言うところの気孔全般を差すのだろう。

 

 

 

 

「子は親を守っているのか?」

 

 

「今、親を取り囲んでいる女型がそれだ、さしずめ親衛隊だよ。知能もあるようで強さも他の比ではない。肉片は無秩序に行動し、何処かへ行ってしまった物もいる」

 

 

「強さは悪趣味さに比例するってか」

 

 

 

 

鱗や肉片、オートで産まれた個体ほど人外、岩石生命体のような造形をしている。

実際に成長する際、無機物すら取り込んでいるのだろう。

 

親衛隊は女性の面影が強く、ちょうど ”不気味の境界” にあたる造形。

どちらも下半身以外は蛇の面影すら無い。

 

 

 

 

「子は無限に沸くと思うか?」

 

 

「産む際に少なからず体力を消耗している。が、それでも無限と大差ない」

 

 

 

 

“消耗戦ではこちらが先に全滅する” という話だろう。

 

 

 

 

「スネ噛りは、一気に潰さないとダメか……」

 

 

 

 

二人の言葉は同じ言語でも微妙に違う。

それでも構わず進めるため、端から聞いている者には理解し難い。

 

疲れもある為だんだんと、

“終わったら教えてくれ” という気分になってくる。

 

 

 

 

「石化の射程距離は?」

 

 

「白霊を中心に、半径は大体あの死体までだ。高さは知らん」

 

 

「クソッタレ、アタシらの射程の倍だ」

 

 

「コチラも似たようなものだよ」

 

 

 

 

ヴァリキエが指差した死体は、白霊から五十メートル程の位置。

 

的が巨大で感覚が狂うが気功の有効射程を越えている。

威力減衰は免れず、そもそも気功の効きは悪い。

 

 

 

 

「石化を解く方法は?」

 

 

「無い。死ぬと少しづつ戻る、死因はおそらく窒息だろう」

 

 

「で、あの死体の山か……」

 

 

 

 

呂晶は砂の地面に、矛の柄で布陣の様子を描いていく。

足元の子は△で「衛」、肉片は○で「肉」の一文字が付け加えられる。

 

描きながら炎孔で黒く焦げつかせ見易くしている。

この女は大雑把に見えて意外と手先が器用だ。

 

 

 

 

「フッ――――つまり、ここは俺の出番だな」

 

 

 

 

布陣を見下ろしたイエンが、冗談か本気か判らない事を言う。

どちらにしろ構っている余裕は無い。

 

 

 

 

「奴があそこから動けんのは幸運だが、不自由しいてる様子も無い。千年生きた化物だ、私達とは戦の概念が違うのだろう」

 

 

 

 

押し黙る呂晶。

沈黙により空気がだんだんと重たい物になっていく。

 

元々競争相手であるため、軽い会話も出来ない。

辛うじて意思疎通しているのはヴァリキエと呂晶だけだが、

一方が黙ってはそれも続かない。

 

“何でも良いから早く喋って欲しいもんだ” と、ウェイは思う。

 

 

 

 

「――――私達が一斉に攻撃を仕掛け、懐に入る」

 

 

 

 

呂晶がハッキリした声で切り出す。

 

 

 

 

「お前さあ……」

 

 

 

 

やっぱり喋って欲しくなかった。

 

子供達の印を上書きするように、半円状の位置から何本も中心へ線を引く。

多い、隊の人数を越えた。

 

()とはローマチームを除く中華種族全員を指しているのだろう。

責任を取れない事を考えている、ウェイは軽く目眩を覚えた。

 

 

 

 

「囮の件はそれで済む、お前達は魔法でも何でもやればいい」

 

 

「玉砕覚悟か?」

 

 

「そうじゃない、もちろん倒す気で行く。ただし私()にも可能な限り、お前達がお前達同士でしている事をしてもらう。こっちは全滅必至だが、お前達を道連れにする戦力は残ってる」

 

 

「脅す必要はない。判った、シーナにもバフを掛けよう」

 

 

 

 

“バフ” とは、彼らにとって容易く与えてはいけない神聖な物なのだろう。

ヘレンが耐えきれずに立ち上がる。

 

 

 

 

「もう聞いていられませんッ!! あんな蛇女などワタクシ一人で十分ですわ! “我らが最強なる御使いよ”!!」

 

 

「待てッ! まだ落とすな!!」

 

 

 

 

ヴァリキエが声を荒げる。

 

ヘレンが魔法を発動すると同時、目を瞑り無防備になった彼女の顔めがけ(・・・・・・・)

呂昌が気孔の爆発力で加速させた “渾身の槍投げ” を放つ。

 

 

 

 

「――――危ないっ!!」

 

 

 

 

爆発音で攻撃された事に気付き、ヘレンが目を見開く。

 

 

 

 

「――――っ!!」

 

 

 

 

ヘレンが仕掛けた天空からの物体落下攻撃、炎の小道・そこに在る(フレイムレーン・メテオロッス)は、

空洞に穴を開け侵入し、白霊の光背装飾を何本か折り、

何もない地面に深い穴を開けた。

 

脳天に直撃すれば戦いを終結させたであろう『切り札』は、

投げ付けられた大刀のせいか、何らかの準備が足りなかったのか。

どちらにしろ本来の成果を挙げる事は無かった。

 

 

高い天井に空いた穴から、陽の光がわずかに差し込む。

白霊は天井の穴を少し眺めた後、それを開けた本人へ視線を移す。

 

 

 

 

「シィイナアアアアァーーッ!!!!」

 

 

 

 

ラテン語で中華種族を指す言葉を叫びながら、

バルクスが毛深い腕で双剣を抜き、呂晶に襲い掛かる。

 

 

 

 

「……待て」

 

 

 

 

ヴァリキエが干し肉を放ると、

バルクスは素早い方向転換でそれに飛び付いた。

 

 

 

 

「戦闘の許可をッ! このシーナを黙らせる!! ……あとこれは何だッ!? 馬鹿にしているのかッ!!」

 

 

 

 

ヘレンは言葉を失い、固まっている。

ツインテールの片方が首の辺りで断絶され、断たれた白金の髪が宙を舞い落ちていた。

 

 

 

 

(お……オシッコちびりましたわ……)

 

 

 

 

使用済みの大気の乙女(イルマタル)と、左眼の光が薄らいでいく背後から、

白霊の子供が一匹、ヘレンに伸し掛る。

 

 

 

 

「……――――ひっ!!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白霊討伐戦③

「……――――ひっ!!」

 

 

 

 

爬虫類が苦手なヘレンは、蛇と人間が混合した顔のおぞましさに悲鳴をあげる。

彼女が飛び退くように離れると、それは音を立てて崩れ落ちた。

 

喉元には呂晶の大刀が深々と突き刺さっている。

潜んでいたはぐれがヘレンの魔力に呼応し、襲いかかる所だったのだ。

 

それを見たバルクスは無言で元の位置に座り、

不機嫌そうに干し肉を噛じる。

 

 

 

 

ルシラ:(あら、結局は食べるのね)

 

 

ウェイ:(あの飛び付き方では致し方あるまい)

 

 

Luria(ルリア):(好きなのよねぇ~)

 

 

イエン:(干し肉が奴の好物という訳か)

 

 

ユエ:(一生懸命食べてる……動物的、カワイイ……)

 

 

 

 

武骨で誇り高い男のアイデンティティーが干し肉によって汚染される中、

大刀に繋がるピアノ線を手繰りつつ、呂晶は続ける。

 

 

 

 

「イヌ……いや、バフとやらでは足りない」

 

 

「――――っ!」

 

 

「――――っ!」

 

 

 

 

ルリアとユエがたまらず吹き出す。

 

ルリアはルシラと同様ハープを携え、

おっとりしつつも、流行りに敏感な “お洒落な女” という印象だ。

 

バルクスは一瞬止まったが、再び干し肉を噛じり出した。

女の嘲笑など捨て置け、誇りとはそういう物ではない。

 

 

 

 

「今くたばってる奴らの “蘇生” と、負傷者の治療を。お前達なら出来るハズだ」

 

 

 

 

どちらかと言えば、これが呂晶の本命である。

ローマチームは自分より遥かに強力な治療術を持っている。

 

ただ、他にも何かしているようだったので先程は曖昧な言い方をした。

もらえる物は何でももらっておけ。

 

 

 

 

「なあ、バフという物の効果も知らんのに、なぜ足りないと判る?」

 

 

「交渉術でしょう」

 

 

 

 

イエンがユエに尋ねる中、

ヘレンがヒステリックな声を上げる。

 

 

 

 

「ユマラの治療術は……PTの者でも――――っ!!」

 

 

 

 

そのヘレンを、ヴァリキエが片手を上げて制止する。

 

 

 

 

「我々が治せるのは仲間だけだ。理由は話せない……出来るのにやらないのではない、出来ないんだ」

 

 

「んなこたぁ判ってる、治療も蘇生もお前らだけが出来る訳じゃない」

 

 

 

 

再びイエンが尋ねる。

 

 

 

 

「……奴は、何でも知っているような口ぶりだな」

 

 

「いや、アレは確信は無いが当たりが付くって感じだ」

 

 

「ウェイもよく判るな。交渉術というやつか……」

 

 

「イエンは素直すぎ」

 

 

 

 

ユエが呆れていると、見張り役の花雪が顔を出す。

 

 

 

 

「まだ終わらんのか!? 妾は早く帰ってもう寝たいぞ――――あっちもなんか諦めムードじゃ」

 

 

 

 

今度は呂晶が片手を上げて制止する。

 

 

 

 

「妾は貴様の召使いではないぞっ!!」

 

 

 

 

花雪が不機嫌そうに顔を引っ込める。

 

 

 

 

「出来るか怪しくとも、出来そうな(・・・・・)死体なら転がってるだろう。そいつらだけで良い」

 

 

「失敗すれば……おぞましい結果になりますのよっ……!」

 

 

 

 

(――――ガキはチョロいな、お前らの回復術も盗んでやる)

 

 

 

 

「失敗しようがどうせ死体だ。可能性があるなら、少しでも戦力の補充がしたい」

 

 

「良いだろう」

 

 

「良いワケありませんわっ!! 主への冒涜ですわよ!?」

 

 

 

 

ヴァリキエと呂晶が立ち上がる。

 

 

 

 

「この地の者が従うのはこの地の神だ。我々もこの地にいる以上、ある程度の柔軟性を持つべきだ」

 

 

「アタシは神なんて信じちゃいないけど?」

 

 

「価値観という意味だよ」

 

 

「さすがキリスト教、詭弁が上手いことで」

 

 

 

 

皆も重い腰を上げる。休憩は終わりだ。

 

 

 

 

「この女の言う通りにするおつもりで……?」

 

 

「――――そろそろ私の装備もガタが来る、後が無いのは我々も同じだ」

 

 

「でも……っ!」

 

 

「ヘレンも少し休め、顔色が悪い」

 

 

 

 

ヴァリキエはヘレンに耳打ちした後、皆に指示を出す。

 

 

 

 

「治療とバフは私、神父、ルシラで行う。バルは肉片を片付けろ。ルリア、ヘレンを頼む」

 

 

「ヘレンっちぃ、おいでぇ~」

 

 

「くっ……! 目が三つになっても知りませんわよ……ッ!」

 

 

 

 

(――――目が三つか、是非見てみたいものね)

 

 

 

 

「決まりね。イエン、アンタは何人か連れて時間を稼げ、逃げるのは得意でしょ」

 

 

 

 

呂晶は続けて、他隊へ呼び掛ける。

 

 

 

 

「手の空いている者ォーーッ!! 距離を取り雑魚を掃除しろォーーッ!! 異邦人が協力し態勢を立て直すッ!! ……アタシは蘇生の手伝いだ」

 

 

 

 

イエンは眼帯ではない方の目を細くし、遠くを見ている。

 

 

 

 

「フッ……別にあの白蛇を倒してしまっても、かまわんのだろう?」

 

 

 

 

察したヴァリキエが宋語で話しかける。

 

 

 

 

「そこの武人、危険な役をやらせてすまない。かなりの腕と見たが、奴は突付くだけで大量の子を産む。治療に集中するため攻撃は控えてくれ」

 

 

「フッ――――まぁそういう事なら役割のみに徹しよう、俺も左眼の解放にはリスクを伴うからな……解放すればあっという間なのだが……」

 

 

 

 

遠目に聞こえた会話について、ヘレンがルリアへ質問する。

 

 

 

 

「――――あの方、そんなにお強いんですの?」

 

 

「片目にすごい力が宿ってるって言ってるぅ~」

 

 

「ワタクシにさえ視えない大気の乙女(イルマタル)……ルリア様はお視えになりまして?」

 

 

「可哀想だからぁ、そこまでにしてあげよぉ~?」

 

 

 

 

白霊は下を這い回る人間には興味を示さず、

時折、細長い舌を出し入れし、一点だけを見ている。

 

サーモグラフィーで岩の向こうに隠れている少女の体温を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イエンは白霊に向かって罵倒し続けるも終始無視されたが、

戦力の補充と強化は予想よりスムーズに進んだ。

 

しかし回収できたのは、比較的白霊から遠くで倒れた者のみ。

足元で倒れた者は化物に喰われる様を見ているしか無かった。

 

運良く息を吹き返した者も到底戦える状態では無い。

回復した負傷者もバフによるドーピングで無理やり立たされているようなものだ。

 

動ける数は四~五十名程だろうか。

秦始皇帝陵突入時の四分の一まで減っている。

 

彼らは白霊から距離を取った地点に集結している。

 

 

 

 

「おい、呂晶よ……乾坤一擲(けんこんいってき)の前に一つ、妾と願掛けの勝負をせい」

 

 

「――――? 今、忙しいんだけど」

 

 

「お前の象棋は板か……象牙か?」

 

 

「――――? アタシは瑪瑙で自作してたよ…………何、その顔?」

 

 

「うるさいっ!! 引き分けじゃッ!!」

 

 

 

 

空洞に散らばる子供は掃討されたが、

その分、白霊の足元には女型の子供が補充されている。

 

 

 

 

「ヴァリキエ、大丈夫か――――?」

 

 

「問題無い……これだけの人数に施したのは初めてだが、ルシラのサポートのおかげだ。ありがとう」

 

 

「いいのよ、役に立てて良かった」

 

 

 

 

化物と人でなしの戦いは、

双方仕切り直しと相成った。

 

 

 

 

「……ハァーッハッハッハ!! 白蛇め、何も言い返せまい!! 目を合わせる事すら怖いと見える! 懸命な判断だ、さすが千年生きただけはあると褒めておこう……何故なら俺のこの左眼に晒された者は、なんと一瞬で凍り付き、俺がこう……拳を握って放すとだな、ソイツはまるで雪のように……」

 

 

 

 

イエンが白霊を引き付けている間、

呂晶が集まった全員に作戦要項を伝える。

 

 

 

 

「ウェイ組のルージンだァッ!! お前達は情けなくも、奴の石化攻撃に敗北したッ!!」

 

 

『なんだと!?』

 

 

『仲間の死を愚弄する気か!!』

 

 

 

 

ざわめいた矢先、続けて口にする。

 

 

 

 

「だが奴の石化は!! 一度放てば、しばらく使えないと判明したァッ!!」

 

 

(――――ん?)

 

 

 

 

そんな確証はあっただろうか。

 

 

 

 

一度(・・)だ――――ッ!!」

 

 

 

 

ウェイが怪訝に思う矢先、呂晶は指を一本立てて強調する。

 

 

 

 

「一度無駄撃ちさせ、一斉に懐に入り、決着をつけるッ!!」

 

 

 

 

立てた指を力強く白霊に向ける。

 

 

 

 

「一気に殺れば子供も生まれないッ!! それでこのカビ臭ぇ洞窟とおさらばだッ!!」

 

 

(アイツ……デタラメ言ってねーか……?)

 

 

 

 

ウェイの焦燥感が高まる。

おそらく周りを奮起させるためだろう。しかし――――

 

 

 

 

(閃光を連続で放つ可能性だってある……よしんば倒せても、その後ウジャウジャ子供が沸くかもしれん……甘言を弄して失敗したとなれば、後で責任を追求されるのは俺なんですけど……)

 

 

 

 

ウェイが胃を痛くするのとは裏腹に、他隊の者は真剣にそれを聞いている。

 

隊を越えた連携など行うべくもなかったが、

個々で打つ手のない以上、号令程度でも依る物が欲しい。

 

褒賞が限られているため自然と何処の隊が討伐するかの競争になった。

けれど、競争しなければいけない理由も無いのだ。

 

皆、上階からの連戦で憔悴しきっているが、

最短ルートを目指したおかげで無用な戦闘を回避出来た。

 

『人でなし』『跳躍者(ジャンパー)』と蔑まれる彼等は結局、最善を尽くし、

各々の最善が、軍隊も近付けない地下要塞・秦始皇帝陵最深部、

難攻不落の固定砲台・白霊に届く最終アタックを可能にせしめた。

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

その最終アタックの提案者は、

皆の顔を見回しながら、左右の人差し指を大きくかざす。

 

 

 

 

「まず足元の奴を出来るだけ殺れッ!! 手強いぞッ!?」

 

 

 

 

おそらく自分達を表す右を、半分ほど左に近付ける。

 

 

 

 

「奴が閃光の体制に入ったら私が大声で合図する!! 死にたくなければ後ろへ……飛び退けェッ!!」

 

 

 

 

左を上下に揺らしてから、右を勢い良く離す。

 

 

 

 

「そしたら全力、前進ッ!! 全力、攻撃ッ!! 同胞の仇をミンチにしろ!!」

 

 

 

 

左右の拳を力強く振り回し、“ボコる” ジェスチャーを行う。

 

 

 

 

「なあ、呂晶……そんな強制する感じじゃなくてさ、ホラ、俺ら指揮官じゃ無いから、そういう事あんまやっちゃダメって言うか……指示には責任が生まれるって言うか……」

 

 

 

 

ウェイの女々しい耳打ちが終わらぬ内、

呂晶が血走った目で反論する。

 

 

 

 

「言い訳なんて自分(テメー)が弱い証拠だろうがよォ、コラ? ゼッテー負けねーぞッ!? ゼッテー負けねーぞッ!?」

 

 

 

 

呂晶は自他に喝をいれるように、叫びながら歩く。

ついでに適当にあった誰かのケツを叩き、気合を入れる。

 

 

 

 

「きゃあっ!! …………屈辱的……」

 

 

 

 

“負けない” とは、誰に対してだろうか。

 

 

 

 

「ヴァリキエ、私達は――――?」

 

 

 

 

ルシラが指示を仰ぐ。

ローマチームのメンバーがヴァリキエに注目するが、

彼女はルリアの精神回復術を受ける、後方のヘレンを見ている。

 

 

 

 

「同じだ。あの子を守り、奴の首を落とす――――主とアレクシオスの加護があらんことを」

 

 

 

 

ヴァリキエは顔、胸、右肩、左肩の順に十字を切る。

十字と言っても乱暴な仕草のため、とても歪で曲線的な十字だが。

 

ローマ帝国の国教キリスト正教会(オルトドクス)の慣習であるが、

皇帝アレクシオス一世・コムネノスを呼び捨てするのは彼女の癖だ。

 

 

 

 

「主と、皇帝の加護があらんことを……」

 

 

 

 

ルシラが復唱し、バルクスと神父も十字を切る。

彼等は信仰の大きさは違えど、皆キリスト正教の使徒である。

 

ヘレンもそれに気付いて目を閉じ、ヴァリキエに向かって十字を切る。

 

ヘレンだけは横に切る際に左、右、左と往復させる。

これも彼女の癖だ。

 

 

 

 

「各自展開ィイイーーーッ!! 奴を囲めェエエーーーッ!! オラ、もっと広がれ広がれェエエッ!! 仲良しこよしじゃねーぞォッ!!」

 

 

 

 

呂晶は両腕を広げ、全員を両翼に展開させる。

 

 

 

 

「オイ中二ィイイイイーーッ!! テメー、いつまで発病してやがるッ!?」

 

 

「――――お前が “引き付けろ” と言ったのだろうッ!!」

 

 

 

 

ウェイは相変わらず女々しく、呂晶へ耳打ちする。

 

 

 

 

「呂晶さん、ちょっとアイツを意識しすぎじゃないッスかね? もう少しこう……各々の判断に任せても……」

 

 

「ゴチャゴチャうるせぇ薄顎ッ!!」

 

 

 

 

――――えっ

 

 

 

 

「来るぞッ!?」

 

 

 

 

“薄顎” と呼ばれたのは初めてなのに、

流れるようにスムーズに出た感じだった。

 

 

 

 

(コイツ俺のこと、いつも心の中で薄顎って言ってやがったのか!)

 

 

「攻撃開始ィイイイイイ――――ッ!!」

 

 

 

 

半円状に展開した布陣から一斉に射程内に入る。

赤青黄の気功、剣気、矢が一斉掃射される。

 

無用に接近はしないが、十分に閃光の範囲内だ。

 

 

 

 

( ――――■#$%&■#$%&(お茶会は終わったか?)

 

 

 

 

声のような不気味な音が響く。それを合図に、

強力な親衛隊が蛇特有の高い鳴き声をあげ、気功家達へ蛇行を始める。

 

矢が当たりそうで当たらない。

 

 

 

 

『今……何か聞こえなかったか!?』

 

 

『気のせいだ!! 集中しろ!!』

 

 

 

 

白霊は無表情、動きの鈍い子供を掴み無造作に投げつける。

恐ろしい程の腕力だ。

 

 

 

 

「来たぞッ!! 一対一で戦うな、伍で対応しろ!」

 

 

 

 

“グシャッ” という衝撃音が連続で響き渡る。

白兵戦闘が始まった。

 

どいつから串刺しにしてやろうか、それとも術で我が子ごと肉塊にしてやろうか。

白霊が尾を振り、彼らを物色していると――――



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白霊討伐戦④

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

「おい、整形ブス――――お前の相手はアタシだ」

 

 

 

 

 

 

一人の女が両腕を広げ、悠然と歩いてくる。

白霊は顔を動かさず目だけを下に向ける。

 

 

 

 

 

 

「デケー顔しやがって……エラ削んの忘れてんじゃねーよ」

 

 

 

 

 

 

神のように神々しい、巨大な化物――――

 

威勢を張ってはみたが目を合わせるとやはり怖い。

足が震えそうだ、気持ちで負けるな。

 

 

 

 

 

 

「上で神武(カミタケ)を殺ったのは…………アタシだよ」

 

 

 

 

 

 

『フラグ』という言葉がある――――

物語において、特定の展開や状況を暗示させる行動だ。

 

戦いの最中に故郷へ想いを馳せる自分本位な者は『最初に死ぬ』

為政者はその罪が回り回って『身を滅ぼす』

陽気な黒人は『生き残る』

 

これらは根拠も因果関係も無いものの、一種の『道徳観念』のように定着している。

 

 

 

 

 

 

「弱ぇ癖に無様に立ち上がりやがって、惨めったらなかったぜ(・・・・・・・・・・)

 

 

(――――……)

 

 

 

 

 

 

この女がしている『死者を冒涜する行為』とは、

悪人が自滅する際の典型的な『暗示(フラグ)』である。

 

 

根拠も因果関係も無い、非科学的な『フラグ』――――

なぜ物語の作者達は、その『フラグ』を蔓延させようとするのか。

それは彼らが、幼少期から宗教じみた『道徳観念』を刷り込まれて来たからである。

 

幼少に教わった事を疑いも無く『正義』と信じ込み、

そのまま疑いもせず大人になり、また子供達に同じことを教え込む、

そんなものは正義などでは無い。

 

では、その正義でも善でも無い『偽善者(ウソつき)』達が、

こぞって定義する『悪』とは何なのか――――?

 

 

『悪』の定義とは、『殺傷しても大丈夫な者』である。

 

 

人間(・・)とは誰しも、『相手を悪者に仕立てた時』に最もパフォーマンスを発揮する、

卑劣な生き物である。

 

例えば、『とあるキャラクター』に『善良な市民』などを虐殺させる。

 

ここで言う『善良な市民』とは、主人公に『好意的』

もとい、『主人公と利害関係を共有する仲間』

もとい、『主人公を正義と誤認させる(・・・・・)為の生贄』である。

 

善良な市民を殺して(フラグを立てて)しまった』為に、

『とあるキャラクター』は『殺傷しても大丈夫な者』へと昇格され、

主人公によって殺傷され、それがさも『当然の報い』かのように断罪される。

 

この一連の流れによって主人公の利益こそが『正義』となり、

『正義の利益』に反する者が『悪』と定義される。

 

 

なぜ物語の作者達が、わざわざこんな定義をするかと言えば、

相手を悪者に仕(フラグを)立てれば殺傷しても良い”

相手を悪者に仕(フラグを)立てないと主人公サイド(じぶん)が悪者になってしまう”

という、浅ましい『道徳観』を幼少期から刷り込まれているからだ。

 

これが巷に蔓延する、偽善者(ウソつき)が小賢しく立ち回るための処世術、

反吐が出る『被害者正義(ワンピース)理論』である。

 

法的倫理に則れば、『とあるキャラクター(ドフラミンゴ)への殺傷』が許されるならば、

誰が誰を殺傷しても許されるハズだ。

例えミンゴが統治下の民を虐げていようと、海賊モドキにとやかく言われる筋合いは無い。

 

ルヒーが弁護士、もしくは警察機構の人間であり、

且つ、独自に制裁できる権利でも持っていれば話は別だが、

彼は “自分は頭が悪いので何も判らない” と自白しており、

少なくとも弁護士で無いのは確かだ。

 

 

 

 

 

 

神武(アイツ)は、生きてる価値なんてこれっぽっちも()ぇ、死ぬべき迷惑野郎――――ガイジとおんなじだ」

 

 

 

 

 

 

ルヒーがしている事とはつまり、

“障害児は、オレの仲間に迷惑掛ける(オレらの税金で暮らしてる)から許せねぇ、だから殺傷(ボコ)した、一件落着だ”

と言っているのと、本質的に同義である。

 

相手が悪者である『フラグ』さえ立てれば、誰が誰をボコしても良いのだから。

『利害関係』が一致する者にとっては、ルヒーは英雄にすら見えることだろう。

 

『利害関係』を共有することが『道徳』であり、

『道徳』を刷り込む教科書こそ『宗教』であり、

『相手を悪者にする行為』とは『殺しの免罪符』である。

 

相手を悪者にした者こそ『正義』であり、

『正義の利益』に反する『悪』は必ず滅びる。

 

だがこの女は、神仏、占い、おまじない、

それら全ての『嘘』を一切許さない『(せいぎ)』の人でなし(・・・・)

特に『道徳観念』などという『奴隷のすゝめ』は反吐が出るほど大嫌いだ。

 

だからそれを『真実』で否定してやる時、

体調最悪でも、ヤクでダウナーになっていても、

足が震えるほど恐怖していても――――

 

いつの日も自分は、『最高のパフォーマンス』を発揮出来る。

 

 

 

 

 

 

「ホント、マジで笑えたよ――――」

 

 

 

 

 

 

この化物――――白霊は、特に悪い事はしていない

 

『悪』と言うのであれば、ひっそりと地下で暮らす化物の住まいを荒らし、

褒賞欲しさに『彼女』やその『仲間』を虐殺している、自分達の方だ。

 

悪人は嘘など付かず、悪人を全うするべきだ。

ルヒーのような “俺は馬鹿だからよく判らないけど” などという、

女々しい免罪符を掲げるな。

 

浅ましい『フラグ』などクソ喰らえだ。

 

呂晶は相手が化物であろうと、相手を『悪者』にはしない、

例え相手に、善悪を理解する知能がなかったとしても――――

 

 

 

 

 

 

「せめて潔く死ねば良いのによ、アイツ、いざ自分がヤバくなったらさ――――」

 

 

 

 

 

 

自分に願い、自分で叶える為に。

 

 

 

 

 

 

「泣きながら “化物は裏切るから許してくださぁ~い” って、命乞いしてやんの!」

 

 

 

 

 

 

自分の心に、折るべき『フラグ』を刻み付けろ。

 

 

 

 

 

 

(――――……)

 

 

 

 

 

 

少しの間、二人の時間が止まっているようだった。

 

 

 

 

 

 

「来ーい、来い、来い――――」

 

 

 

 

 

 

体制を低くし、手を叩いて挑発する。

 

 

 

 

「来ーい、来い、来い」

 

 

 

 

突然、地面から白霊の尾が突き上がる――――

身体を傾け、間一髪で避ける、耳を切られた。

 

突き出た尾がしなり横薙ぎを仕掛けてくる――――

のけぞり、柔らかい体を活かし、バク宙で回避する。

 

 

 

 

「あの野郎……! 見てるこっちが冷や冷やするぜ!」

 

 

 

 

ウェイが横目で心配するが、援護できる余裕は無い。

 

 

 

 

(お前が殺られたら、一体誰が合図すんだよ……!!)

 

 

「来ーい、来い、来い――――」

 

 

 

 

呂晶は再び悠然と歩き、手を叩いて挑発する。

 

 

 

 

(誰かが白霊の相手をしなきゃいけないのは判る……お前が相手するのが理に適ってる事も……)

 

 

「さ、来ーい、来い、来い――――」

 

 

 

 

盗塁を狙う走者のように、どこまで前へ出れるかのチキンレースのように。

呂晶は一歩一歩、未知のデッドゾーンに踏み込んで行く。

 

 

 

 

(だが、例え合図を出せても、お前は逃げ切れるのか(・・・・・・・・・・)? バフってやつの凄さで、舞い上がり過ぎてないか?)

 

 

 

 

尾が引き抜かれ、叩き付けるように上方から襲う――――

側宙で回避する、大きくは避けない。

 

何故なら、ほら来た――――

返す横薙ぎも地面に手を付け、大きく伏せて回避する。

 

 

あの勢いで叩き付けられたら、トマトのように潰されるだろう。

あの勢いを生む膂力に捕まれば、やはりトマトのように握り潰されるだろう。

 

そう思いつつ上を向いた瞬間、呂晶の顔がひきつる。

白霊が腕を振りかぶり『巨大な光弾』を放っていた。

 

 

 

 

(そうだ――――コイツは元々、そっち系(・・・・)だった)

 

 

 

 

爆発音が響く。

 

大刀から “無いハズの盾” に持ち替え、内部で腕をクロスし、

後ろに転がって衝撃を逃し、何とかブロックした。

 

得意の装備スイッチ――――にも関わらず、大量の鼻血が溢れる。

 

 

 

 

「ペッ…………ノロイんだよ、ダイエットしろ、ブスッ」

 

 

 

 

立ち上がって鼻を拭い、また悠然と歩き出す。

光弾は炎功では無く、毒を伴う術。

 

だが気分が悪くならない、体が軽い。

バフってやつのせいか。

 

 

 

 

「来ーい、来い、来い――――」

 

 

 

 

白霊の左肩が燃え上がる。右翼の誰かが援護の気孔を放った。

着物が燃え、火傷していない肌が露出する。

 

右翼が片付き始めている、もうすぐコイツは丸裸だ。

 

 

 

 

「来ーい、来い、来い――――」

 

 

 

 

今まで一人を一、二撃で処理していたであろう白霊。

無表情のままだが、首を真下に傾けねばならないほど接近した呂晶に――――

明らかにイラついている。

 

 

 

 

「来ーい、来い、来い」

 

 

 

 

盾を “布” にしまい、代わりに大刀を引き抜く。

 

 

 

 

「来ーい、来い、来い」

 

 

 

 

それをゆっくり振り上げ、ゆっくり振り下ろす。

 

 

 

 

「来ーい、来い、来――――」

 

 

 

 

瞬間――――叫びながら反転し『一日一回の巫舞』を解放、

全力で地面を蹴る。

 

 

 

 

「来たぞオオオオオォオオオオオォーーーーッ!!!!」

 

 

 

 

身体から青白いオーラが迸る。

 

 

 

 

『――――っ!!』

 

 

 

 

全員、声に合わせ雷功・神歩幻影でバックステップする。

ここまで生き残った精鋭達、閃光の射程距離は完全に把握している。

 

陽の光のような残像が扇状に広がっていく中、

その後ろを唯一人、自力で走り抜ける。

 

 

 

 

一、二、

 

触った、触ってやったぞ……!

あの女キレてやんの、よく判んねーけどザマーミロッ!

 

 

 

 

三、四、

 

後ろは片付いてたのか、やるじゃないか。

 

 

 

 

五、六、

 

速い、今のアタシの速さは、大陸一だ。

 

 

 

 

七――――

 

景色が明るくなる。

 

 

 

 

 

 

「ルージィイイイイイン!! 急げえええええええぇーーーッ!!」

 

 

 

 

(任せろ、薄顎――――ッ!!)

 

 

 

 

八、九歩目で気孔を爆裂させ、走り幅跳びのように大きく跳躍する――――

 

なびくマフラーが石に変わり、着地の衝撃で割れる。

同時に反転し、今度は全速力で前へ駆ける(・・・・・)

 

 

 

 

「大体無事だなッ!? 突っ込めえええええぇえええええぇッ!!!!」

 

 

(大体って、おま――――ッ!)

 

 

『オ゛オオオオオオオォォォォッ!!!!』

 

 

 

 

全員巫舞を解放し、決死の突撃を敢行する。

それは相乗効果により各々の力を限界以上に引き出す。

 

もう一度、赤青黄の気功、剣気、矢が一斉掃射される。

 

距離を意識せざる得なかった牽制とは違い、

踏み込み、威力を倍加させた中距離攻撃が炸裂する。

 

 

 

 

『出し尽くせッ!! これで最後だッ!!』

 

 

『オ゛オオオオオオオォォォォッ!!!!』

 

 

 

 

下半身では近接組が肉薄し、

今までのお礼とばかりに刃を突き刺し、最大出力の気功を流す。

 

 

 

 

(――――……っ!!)

 

 

 

 

白霊の筋肉が大きく引きつる。

 

 

 

 

『効いた……! 強靭なのは皮膚だけだ!!』

 

 

『死ねええええぇ……化物ォーーーーッ!!』

 

 

 

 

尾で払い除けようとするが、続け様の攻撃により上手く的が絞れない。

その場から動くことも――――出来ない

 

 

 

 

(――――……ッ!!)

 

 

 

 

左翼の誰かが放った十字弓(クロスボウ)が、揺れる右目を貫いた。ナイスだ。

白霊は斜め後ろに傾いた首をすぐ様元の位置へ戻す。

眉一つ動かさないのが気持ち悪い。

 

 

 

 

(だが、これは――――……)

 

 

 

 

ウェイは気孔を収束させながら周囲に目を配る。

 

飛び散った鱗や肉片が岩土と混ざり、うねうねと動き始めるが、

生物の形を成すにはまだ掛かる。

 

 

 

 

(いけるかもしれん…………てか、イケるわこの作戦ッ!!)

 

 

 

 

そう思った時――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「キャアアアアアアァアアアアアアァアアアアアーーーーーーッ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『うわあああぁっ!!』

 

 

『なんっ……つー、声だ…………クソォッ!!』

 

 

 

 

景色を歪ませる甲高い咆哮により、全員が耳を塞ぐ。

白霊が自分を抱え込むように閃光の体勢に入る(・・・・・・・・)

 

あれほど大規模な術にも関わらず、二撃目が思ったよりずっと早い。

やはり、アイツを信じたのがいけなかった。

 

 

 

 

(どう責任取れば良いんだ!? とにかく逃げ――――……)

 

 

「逃げんなアアアアアアァーーーッ!!!! 計画通り(・・・・・)だアアアアアアァーーーッ!!!!」

 

 

 

 

鼻と耳から血を流し、白霊の肩までよじ登った呂晶が、

上からだと響くせいか白霊にも及ぶ叫び声を上げる。

 

 

 

 

“計画通り” なワケがあるか――――誰もが思う

 

 

 

 

だがこのタイミングでは、懐に入った近接組が逃げ切れない。

飛び散った鱗や肉片は新たな生物を成そうとしている。

 

これ以上戦力が低下すれば、もう手立ては無い、

ここで倒し切るしか道は無い、

 

何より、前方の戦友を見捨てては――――武侠がすたる!

 

 

 

 

「師よ……ッ! 俺に力を与えてくれええええええぇーーーッ!!」

 

 

 

 

ウェイは残りの全巫舞を収束し、助走を付けたやぶれかぶれの雷孔を放つ。

それは一本の線となり、無数の線が同時に走る。

 

 

 

 

(――――ッ!!)

 

 

 

 

おそらく、どれかが弱点を突いたのだろう。

難攻不落の固定砲台が轟音を立て、ついに地面に手を突いた。

 

『真上から見下ろす者』には、うなじ(・・・)がガラ空きだ。

 

 

 

 

「もらったあああああああああああぁッ!!」

 

 

 

 

白霊の頭上を跳躍していた呂晶が、空中で炎功を爆裂させる。

 

 

 

 

「――――……ッ!!」

 

 

 

 

加速された斬撃が無防備な首をギロチンの如く斬り裂き、

赤黒い鮮血が吹き出した。

 

 

 

 

「まだまだあああああああああああぁッ!!」

 

 

 

 

矛先からダメ押しの『爆功』が炸裂する。

この女の抜け目無さはこういう時頼りになる。

 

一瓶百貫文は下らぬだろう白霊の血液が爆散し、

呂晶はそれを滝のように浴びる。

 

 

 

 

(首に入った!! うおおおおっ――――……!)

 

 

 

 

此度の討伐戦は『白霊の首を落としたチーム』に、

莫大な報奨が支払われる。

 

ウェイは力強く拳を握り、その力が――――緩む

 

 

 

 

(浅い――――……)

 

 

 

 

首から吹き出した血液が炎を消し、煙を上げている。

 

人間なら即死の深さ。

だが相手は人間の顔をしていても、人間ではない。

 

 

 

 

「そうだった…………アイツの気功は…………」

 

 

 

 

見た目と衝撃は派手だが、溶かし斬るほどの熱を込められない。

 

 

 

 

「げっ――――!?」

 

 

 

 

千切れたうなじの筋肉が蠢き、矛を締め付けるように融着した。

黒蛇・小々と同じ『肉体再生術』

 

柄にしがみ付いて垂れ下がると同時、呂晶の青白いオーラが弾け飛ぶ――――

 

 

 

 

 

 

「ちょ……っ…………」

 

 

 

 

 

 

白霊の巨大な片目がぐるりと回り、文字通り『目の前の者』を捉える。

 

 

 

 

 

 

「あっ……あはは…………」

 

 

 

 

 

 

その生命を握り潰すように、巨大な瞳孔が力強く収縮する。

巫舞もバフも切れ、力が入らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「い、意外と美人……っスよね…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

閃光が走る――――



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白霊討伐戦⑤

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

(ああ……これだけの被害を出してしまっては、武官の道は断たれただろうな……)

 

 

 

 

美しい光と共に、ウェイに走馬灯のような情景が浮かぶ。

 

 

 

 

(て言うか、この距離、武官とか言ってる場合じゃないんじゃあ……?)

 

 

 

 

全員が優しい光に包まれ、各々の大切な人を思い浮かべる――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヘレンっちぃ、いけるぅ~?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘレンはゆっくり目を見開き、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう、もう落ち着きましたわ――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この世界を睨み付ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「必中ですわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(――――――ッ!! ――――……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瞬閃が閃光を掻き消すと、地面で少量の岩がはじけ飛んだ。

 

 

 

 

『――――……?』

 

 

 

 

目を開けると白霊の上、赤い天使の輪が広がりながら消えていき、

そこに在った物は “ゴロン” と音を立てて転がっていた。

 

 

 

 

『石に…………なって、ない……?』

 

 

 

 

大砲を撃った後のような、低音の余韻だけが響いている。

厚い天井が破れ、朝の光が地下に差し込む。

 

 

 

 

『誰が…………殺ったんだ……?』

 

 

 

 

ヘレンが呼び寄せた隕鉄が地面を破り、地下に到達し、

呂晶が斬り付けた大刀の峰に正確にヒットし、

押し出された刃先(・・・・・・・・)が首を飛ばしたのだ。

 

『首を撥ねた武器を持つ者が』と言うのなら、

白霊の討伐者とは、いま石ころのように転がり落ちている呂晶という事になるが、

この場にいた全員にとっては――――

 

 

 

 

『あの子だ…………』

 

 

 

 

左翼後方――――空中に描かれた真っ赤な『陣』のようなものを、

目を瞑ったまま杖の一振りで火の粉に返す少女。

 

どう見ても首を撥ねたのは、彼女が放った一撃だ。

自分達の中に『アレ』を放てる者がいないのだから消去法でそうなる。

 

脳の指令を失った白霊の体は轟音を響かせ、地面に崩れ落ちる。

 

 

 

 

『オオオオオォォォォーーーッッ!!!』

 

 

 

 

勝鬨が上がる、今こそ最もドーパミンを分泌させる瞬間である。

この時の為に戦っていたと言っても過言ではないのだから。

 

 

 

 

『ぅおらああああがぁああーーーーッ!!!』

 

 

 

 

特に死を覚悟してからの反動、此度の勝鬨は最高の快感だ。

叫ばない方が勿体無い。

 

 

 

 

「クソッタレ――――……っ!!」

 

 

 

 

呂晶は白霊の死体に埋もれ、悔しさに震えていた。

右肩が脱臼して痺れている。

 

天地がひっくり返る衝撃で何も判らなかったが、

一度喰らった事がある(・・・・・・・・・・)から判る。

 

 

 

 

(額に傷を付けた……あのガキの攻撃……ッ!!)

 

 

 

 

切っ先に首を飛ばしたような手応えもあったが、

同時に反対側から山をぶつけられたような重さを感じた。

 

外で起きている勝鬨は、あのガキに向けられたものだろう。

 

下手をこき、醜態まで晒してしまった。

“首を撥ねたのは私だ” と言ったところで、失笑に吹かれるだけだろう。

 

頑張ったのに――――

 

 

 

 

「くそっ……クソッ……!!」

 

 

 

 

片腕が使い物にならず、死体から這い出るのに手間取う。

他にもムカつく事がある。

 

やっとの思いで脱出し、手放した武器を探す――――やはり

 

 

 

 

「……クッソオォッ!!」

 

 

 

 

天塩にかけた自慢の『人斬り包丁』が割れている。

二度もメテオを受け止めたのだ、当然と言えば当然だ。

 

完全に折れなかったのは不幸中の幸いだが、

峰から走る亀裂は切っ先まで達している。

 

修復できるかは怪しい。

 

 

 

 

(一体コレに、いくら掛けたと思ってやがる……ッ!!)

 

 

 

 

破損が広がらぬよう慎重に拾い上げる。

身体中に痛みが走る。くそっ、何もかもイラつく。

 

 

 

 

(完璧に、“計画通り” だったのに――――……っ!)

 

 

 

 

本当に、上手く行き過ぎたほど『計画通り』だった。

危機に陥ったこの化物は、死に物狂いで二度目の閃光を放つ(・・・・・・・・・)と思っていた。

 

誰もがその発生を予期し、注意喚起したり、走り抜ける余裕さえもある、

あの無防備で隙だらけの大技(・・・・・・・)

 

 

 

 

(――――千年生きた化物だ、私達とは戦の概念が違うのだろう)

 

 

 

 

敵に囲まれた状態でそんな隙を晒すなどあり得ない。

千年の悠久を生き抜いた、神の如し生物に対し――――

 

 

 

 

(――――千年生きても、やっぱ馬鹿は馬鹿じゃん)

 

 

 

 

そう思った。

 

『放った直後』では無い、『放つ直前』こそが最大のチャンスなのだ。

だが、世にも恐ろしい『千年さん』が石化の体勢に入れば、

どうせどいつもこいつも、ビビって逃げ出そうとしやがる。

 

『二連射の可能性』を告げれば、馬鹿共がグチグチと反論し、

作戦が実行できないのは判っていた。

 

自分が死ぬかもしれないその時になっても腹を括れない凡愚共、

そんな奴らに足を引っ張られてたまるか。

 

 

 

 

(だから仲間を人質にして、逃げられないようにしてやった(・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

共に戦う仲間すら出し抜き利用する、自分以外は全て凡愚、

この女はそんな危険思想を持つ、とても性格の悪い女だ。

 

誤算があるとしたら、斬り付けた後の『爆功』――――

 

『爆功』は下手をすれば自爆しかねない危険な技。

特に巫舞の状態で本気を出せば、どれ程の威力になるか検討も付かない。

 

かつてのトラウマが蘇り、威力を抑えてしまった。

結局の所、自分がビビってしまったのだ。

 

 

 

 

(だって、死ぬと思ったんだもん…………)

 

 

 

 

全て思惑通りに運んでも、最後の最後に詰めを誤る。

誰にも転嫁出来ない自分のミスで。

 

自分はいつもこうだ。本当は出来る子なのに、

どれだけ頑張っても誰も称賛してくれない――――

 

そうなる理由も理解している、全て理解している。

辛い選択を理解した上で、それでもその道を進んでいる。

 

でも覚悟してるからと言って、受け入れてる訳じゃないんだ。

 

 

 

 

「――――……。」

 

 

 

 

あのガキを睨みつけてやろうと探すが、

ローマチームはすでに背を向け、帰投を始めている。

白霊が死に根が収縮したことで塞がっていた出口が開いたようだ。

 

それに、彼らは此処に長居できない――――

みだりに使えぬと判っていても、彼等がいれば、

還らぬ者や、これからそうなる者に、それを施してもらいたくなる気持ちを、

抑えられなくなるからだ。

 

見回すと、他の者は残党処理をしている。

手の空いている者は腕を組み合ったり、死体から鱗や血を採取している。

 

 

 

 

(……思った通りじゃん)

 

 

 

 

生前の肉片は生物になるが死後の肉片は生物にはならない。

“自分でちぎった” と聞き、なんらかの『意思』が必要なのだろうと思った。

 

まあ、生前飛び散ったのはなるだろうが、知った事か。

上下がなければ雑魚共は雑魚だ。

 

しかし――――ついさっきまでお通夜みたいな顔をしていたのに、

全員、なんと雄々しい面か。

 

 

 

 

(いつもこーゆう男らしい顔してれば、アタシの股もこうやって濡れようもんなのに……)

 

 

 

 

違う、オシッコちびってた――――

感触がサラサラしてる、血みどろだから判るまい。

 

怖かった――――

奴の瞳孔がぎゅーっと細長くなった時、もうダメだと思った。

しばらく夢に出そうだ。

 

 

体を見ると、護具が所々石になっている、新調しないと。

前髪も先が重い、これ以上白髪になったらどうしよう。

瞬きすると睫毛がポロポロ落ちる。

 

前髪はまだ良い――――まつ毛ってまた生えるのか?

まあ、生き残っただけでも上等だろう。

 

 

 

 

「うん、そうだよ…………あのガキに、泣きべそかかせる楽しみが…………出来たんだし……」

 

 

 

 

そう思いながら、心の安定を図る呂晶の顔は、

様々な感情が交錯し、ちょっぴり泣きべそをかいていた。

 

 

 

 

「ぐすっ……」

 

 

 

 

彼女はまだ知らない。

白霊の生き血が身体中の穴から吸収され、肉体が変化を始めていた事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よくやったヘレン。さすがだ」

 

 

 

 

肩に手を置かれ、ヘレンは頬を紅く染める。

 

 

 

 

「んっ、そんな、今回は調子が悪くて……皆様に助けられましたわ」

 

 

 

 

ヴァリキエが剣をかざすと、ヘレンも杖をかざし、

お互い『乾杯』するように軽く叩かせる。

 

聖騎士(エクィテス)の間で一時期流行した挨拶。

二人は共に聖騎士であり、貴族だ。

 

 

 

 

「勝鬨を挙げる逞しい男達――――ああ、クラクラしちゃう……ダメっ! 私には夫がいるのよ……っ!」

 

 

「よし――――ならば皆、今宵は朝まで飲み明かそう」

 

 

「それな……」

 

 

 

 

人類屈指の腕力を誇り、酔うと更に強くなるヴァリキエを止めるのは、

バルクスといえど容易ではない。

 

 

 

 

「私は遠慮しておきます――――神父ですので」

 

 

 

 

マニュエルもキャラを捨て、キッパリと断る。

本当の神父では無いが、こういう時に神父を装えるのは便利だ。

彼等も彼等なりに勝利を喜んでいる――――

 

だが、勝ち戦だと言うのにルリアの顔は険しい。

 

 

 

 

(蛇達のヘレンっちへの反応は、異常だった――――)

 

 

 

 

あれは襲い掛かっていたのではない。

まるで縋り付いていた(・・・・・・・)ようだった。

 

『ヘレンを囮に使う』という呂晶の読みは正しかった。

 

 

 

 

(この地の妖怪すら従えるのであれば、あるいは――――……)

 

 

 

 

険しい顔に笑みが宿る。

 

だがその笑みは勝利を喜ぶ物では無く、

普段のマイペースな彼女のものでも無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

【挿絵表示】

 

 

【挿絵表示】

 

 

【挿絵表示】

 

 

【挿絵表示】

 

 

【挿絵表示】

 

 

【挿絵表示】

 




~あとがき~
主人公:Lv90代前半
補正:力極
マスタリー:槍90、炎70、氷30、雷5、内功85

秦始皇帝陵の解放はLv90キャップの解放と同時でした。
トップランカーが90前半では、あの人数で白霊は倒せないです。画像データでは白霊のLvが100になってますが、仕様変更後のもので、この時は105になります。
「わーっ」といって倒せる敵でも無く、実際の討伐風景はもっと漫然としたものになっています。

ギリシャ語の訛り云々はかなり適当です。
「巫舞」は「闘神」というシステムで1分間移動と与ダメが倍になり、
Lv95くらいからは「蒼神」にランクアップして、仲間と同時に使うと効果が伸びます。

EUPTはカースガード(状態異常防御魔法)があるので氷系気功で凍りません。当時はEU黎明期でカースガードのLvを上げてない人、上げてても忘れてる人が多かった為、神父が凍りました。
PvPを意識するようになりカースガードの掛け忘れは無くなっていきますが、ようはあんな感じの事があって意識するようになっていきました。(MPKは滅多にないですが)

ヴァリキエが舌打ちするのは、自分は装備が壊れそうなほど負担がかかっているのに、神父がカースガードすら忘れていた為です。実際にこんなような文句はよくありました。実際は装備が壊れ易いのはクレリックの方ですが。
「我々も後がない」というのは、余裕があるように見えたEUPTも、ヴァリキエがかなり疲弊し、ヘレンの調子も悪く、メテオを一度外してしまった事に起因します。

8人編成が基本のEUPTですが、黎明期ということで6人となっています。
中華は元々ソロプレイ用なので、PTに入ってもあまり恩恵が得られません。
EU登場時からの「キャラ作成時にEU選ばないとゲームオーバー問題」は現在も継続しているようで、残念ながらもう治らなそうです。

花雪の象棋の質問ついては、これから大一番に向かう呂晶を励まそうとしています。
花雪は呂晶を密かなライバルと思っています。嫌いだけどちょっぴり好きです。
呂晶なら(家が良家なので)象牙だろうと予想し、引き分けにしてあげようという優しさです(しし座のアナタは絶好調的な)
「勝たせてあげる」といった感覚は彼女は持たないため、引き分けでも優しくしてるのです。
もし象牙以下の板や何かなら、それはそれで勝てるからOKという打算もありました。

ただ瑪瑙と聞いて「それ良いかも」と思う精神的な敗北+「自分と一緒じゃなくて寂しい」を感じてしまい、なんとかあら探しして「自作」の点で自分は職人に作ってもらったから勝ってる、つまり最初の予定通り引き分けだと主張しています。
けど、「自作」というのも楽しそうと一瞬思ってしまい、悔しそうな感じになっています。

裏の意味では、お前の戦術は、板(素人の奇策)か? 象牙(玄人の定石)か? という占いに対し、瑪瑙(私は自分の道を行く)という結果です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

カミタケと1000年さん

Copyright © JOYMAX.CO., LTD. All rights reserved.
Copyright © 2012 WeMade Online Co.,Ltd. All Rights Reserved.


 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

この化物と戦い始め、何刻が経っただろうか。

何日も戦い続けているように思えるし、ほとんど経っていないようにも思う。

 

陽の光が届かないため感覚が狂う、急がなければならぬというのに。

 

 

 

 

「なんとも、厳しい攻撃だ――――……」

 

 

 

 

炎帝・神武は乱れる息を整え、

これまでの戦いで得た情報から彼我の戦力差を分析する。

 

 

 

 

――――地中を這い回る尾と降り注ぐ数多の術により、懐に飛び込む事が出来ない

 

炎帝の由来たる炎功も効きが悪く牽制にもならない。

意を決し、捨て身で斬りつけた首の斬り口すらもう塞がりかけている。

こんな小さな槍では奴の首を落とせない。

 

それに奴は、まだ力の深淵を見せてはいない、

おそらく何らかの奥の手を持っている。

 

黒殺竜・楊汀を屠り、

江湖のみならず中華最強と謳われる炎帝がその命を賭していると言うのに、

妖怪一匹に弄ばれているなど情けなくて笑えてくる。

 

もっと真面目に鍛錬を積んでおくべきだった。

 

親友だったアイツのように――――

 

 

 

 

(いいや、こんな化物を想定した鍛錬など……この世界には存在せんか)

 

 

「……。」

 

 

 

 

武人をじっと観察している、千の悠久を生き抜いた白蛇・白霊は、

武人の筋肉がわずかに力を緩めた様子を見て、

象棋で言うところの『詰み』の気配を感じ取った。

 

上半身を人間の女性に擬態している白霊は、

口を動かさずに、どこからか声を発する。

 

 

 

 

「お前は何年生きた?」

 

 

「――――っ!?」

 

 

 

 

化物が喋った。

 

“あの姿なら喋れそうだ” とは思っていたが、

いざ喋られると面食らう。

 

 

 

 

「…………二十六年だ」

 

 

 

 

白霊は無表情のまま笑う。

 

 

 

 

「二十六……あっはっはっはっはっはっは!!!」

 

 

 

 

――――そりゃあ、そうだろう

 

“千年さん” に比べりゃ、俺の人生など笑えるほど短いのだろう。

 

だが奴は人間のような姿をしていても人間では無い。

化物如きに笑われていると思うと無性に腹が立つ。

それ以上に、誰も救えない自分に腹が立つ。

 

すると突然、白霊の巨躯が溶けるように萎んでいく。

 

 

 

 

「なっ――――……!?」

 

 

 

 

唐突な出来事、何が起こっているか理解出来ない。

 

新たな術による攻撃か、

それとも ”コレ” は始めからそういうもので、

幻惑のような物と戦わされていたのか。

 

白霊は萎んでいったある地点から一瞬で消えたように無くなり、

羽織っていた人間の十倍はあろうサイズの着物が、バサバサと音を立て崩れ落ちる。

 

その下に、『小さい何か』が蠢いている。

 

 

 

 

「よいしょ…………よいしょ…………」

 

 

 

 

『蠢く者』は声を発している。

それは着物から這い出ると立ち上がり、自分と神武を交互に見比べ、

人間のように言語を発する。

 

 

 

 

「少し小さ過ぎたか……まあ、丁度いい(・・・・)

 

 

 

 

真白な肌と真黒で長い髪をした――――裸の幼女

 

それも幼馴染である月英の、

自分が彼女を好きだと自覚した、その時分の姿。

 

 

 

 

(そんな…………馬鹿な……)

 

 

 

 

いや、微妙に違う。

目元が少し大きく、鮮明な記憶を思い出すと他にも違う部分がある。

 

特に腰裏、奴が先程まで居た地点に向かい、

長い『尾』のような物が伸びている。

 

 

 

 

(頭部を、凝縮させたのか……?)

 

 

 

 

槍を握る手に力が籠もる。

今この幼女、もしくは体躯に繋がる尾を切れば、おそらく殺す事ができる。

炎帝・神武は確信に近い直感でそう思った。

 

 

 

 

「ぐっ……!」

 

 

 

 

だが、斬れない。

これを斬る事は、自分の『存在理由』を斬り捨てるのと同じだからだ。

 

親や友人、あるいは今の月英の姿であれば、

逆上して斬る事も出来ただろう。

だが、これだけは斬ろうとしても体が動かない。

 

そんな神武に意を介さず、

裸の幼女は長い尾を引きずりながら、無防備に歩み寄って来る。

 

 

 

 

「二十六、二十六か…………クックック……」

 

 

 

 

白霊は理解している。

相手が逆上し、斬り付けられるといった想定もしていない。

1+1=2のように “2以外の可能性” など、考えていない。

 

例えば猛獣。

腹が満たされていれば、獲物に食らい付きはしない。

つつけば怒りもするだろうが、距離を取っていれば襲われる可能性は皆無と言える。

 

それでも心配なら、

自分より近くに自分より興味を引く物でも置いておけばいい。

それで『100%』襲われる事はない。

 

理論ではなく本能だ。

千年の悠久で人間を観察し、人間よりも人間を知り尽くした蛇が、

『100%襲われる事の無い擬態』を取ったのだ。

 

斬りつける事など、出来るハズが無い。

 

 

 

 

「ワシは千二十六歳じゃ、スゴイじゃろう?」

 

 

 

 

何がスゴイのだろう。

 

 

 

 

「千年生きている事は知っている……知っているから此処へ来た」

 

 

「違う、二十六と千二十六じゃ……ほれ! この ”二十六” のとこが一緒じゃ、すごいじゃろう!?」

 

 

 

 

――――馬鹿だ

 

幼女に擬態したため、知能も幼女並になったのか? いや、違う。

 

千年生きて得られたのが、

恐るべき妖力と確率を越えた本能への理解、そして幼女並の知能なのだろう。

 

コイツは人間のような姿だが、人間ではない。

その成長は、人間が千歳生きたものとは概念が異なるのだ。

 

 

 

 

「――――偶然だ、人間は数十年は生きる。数十に一つは二十六だ」

 

 

「そうかのう、スゴイのに……判らんヤツじゃ」

 

 

「それを言う為に、その姿になったのか」

 

 

「ワシは千二十六年でこの強さじゃ。そのワシに二十六年のお前が一太刀いれた。ワシが二十六年の頃と言ったらそう……こんなんじゃったな」

 

 

 

 

親指と人差し指の間に、一寸ほどの隙間を作る。

 

 

 

 

「それは無い」

 

 

「なんでじゃっ! こんなんじゃったもん! お前は生まれておらんから見た事がないっ!」

 

 

 

 

コイツ、判っていない――――

おそらく自分が縮んだ事を忘れ、縮尺を誤っている。

 

 

 

 

「ワシはこの世界がどれだけ広いか見てみたい、世界の果てがどうなっているか見た事がない、人間がワシの尾を突ついてウザいのじゃ」

 

 

 

 

ガイジか――――?

前後も成り立っていない、支離滅裂だ。

 

 

 

 

「ワシの子は馬鹿じゃから思うように動かん、四聖どもは金魚の糞じゃ、小小はイエスマン」

 

 

 

 

『小小』とは、ここまで案内した黒蛇の擬態だろうか。

 

 

 

 

「そろそろ、“尾を突付く以上の事” をされるじゃろう…………お前がワシを守ってくれ」

 

 

 

 

炎帝が守りし者、

それは ”中華で最も安全な者” を意味する。

 

白霊がそれを見抜いたのかは判らない。

 

 

 

 

(馬鹿はお前だ)

 

 

 

 

神武は再び腕に力を込める。

 

猛獣は満腹であれば襲ってはこない、だが腹が減れば話は別だ。

 

時が経てば決心も固まる、

斬れなかったのはさっきの話だ、化物め――――

 

 

 

 

「……。」

 

 

 

 

神武が槍に力を込める際の、

首筋から肩へ伝わる力を白霊は見逃さない。

 

 

 

 

「んん~~~っ!!」

 

 

(――――なんだ? 背伸びをして、槍を……)

 

 

 

 

幼女が『抱っこ』をせがむような愛らしさに、

固まりかけた決心が吹き飛ぶ。

 

目をぎゅっと(つむ)り一生懸命に腕を伸ばして、

片足でよろよろと背伸びをする様子に――――

 

つい、槍を差し出してしまう。

 

 

 

 

「おお、すまんのう」

 

 

 

 

戦闘中、しかも敵に武器を差し出すなど、

とんでもない失態であるにも関わらず。

 

 

 

 

「武器なぞ触るのは、もう何年ぶりじゃろうな」

 

 

 

 

武人の命とも言える槍を、白霊に掴まれる。

 

 

 

 

「瓶は持っておろう?」

 

 

「瓶? あ、ああ……」

 

 

 

 

腰に括り付けていた、白霊の血を詰めようとしていた革の水筒を差し出す。

もはや化物の言いなりだ。

 

 

 

 

「はあ? そんなんじゃダメじゃ、お前もけっこう馬鹿じゃのう……――――よっ!」

 

 

 

 

白霊が自分の腰、人間で言う腎臓のある辺りに ”ずぶり” と手を突っ込む。

そして禍々しい揺らめき、妖怪が使う気孔『妖気』を発する。

 

 

 

 

「――――ッ!!」

 

 

 

 

それを目視し、神武はようやく我に返る。

 

 

 

 

(そうだ…………俺は化物と戦っていたんだ……)

 

 

 

 

白霊は術を使いながらも、伏せた顔から上目遣いで覗き、

神武の表情を見逃さない。

 

 

 

 

「――――よし」

 

 

 

 

”しゅぽんっ” という気の抜けた音と共に、白霊が何か取り出した。

 

 

 

 

「持て」

 

 

 

 

硝石で作られたであろう『透明な筒』

 

気の抜けた音と可憐な声に気を取られ、

我に返り掛けた神武は、また化物の言いなりにそれを手に取る。

 

 

 

 

「でりゃああっ!!」

 

 

 

 

白霊は突然、槍の切っ先に『左手首』をあてがい、

倒れ込むようにして

 

 

 

 

「――――ッ!?」

 

 

 

 

手首を切った。

 

 

 

 

「なっ……何を!?」

 

 

 

 

神武は魂とも言える己の武器を捨て、よろめく幼女を支える。

槍が地面に落ちる “ガラン” という金属質の音が響く。

 

自分はこれ(・・)を成そうとしていたと言うのに、

まるで過ちを犯してしまったかのように、

 

槍を離してしまう。

 

 

 

 

「ほれ、これが欲しいのじゃろう……?」

 

 

 

 

神武が持つ瓶にそれ(・・)が注がれ、みるみる溢れていく。

溢れているのに、それは一向に止まる様子が無い。

 

 

 

 

「お前、血が……腕が…………」

 

 

 

 

傷口が深い、深いなんてものじゃ無い。

左手は手首とかろうじて皮で繋がり、ぶら下がっている。

 

 

 

 

「あー……」

 

 

 

 

白霊はキョロキョロと見回し、

神武が腰に括っている『革の水筒』に目を付ける。

 

 

 

 

「それを寄越せ――――」

 

 

 

 

右手で奪い、乱暴に左の肘関節に叩き付け、

握り飯でも握るように再度、禍々しい妖気を発する。

 

 

 

 

「……。」

 

 

 

 

神武は、もうその意図が判っている。

だから斬り付けようなどとは考えない

 

――――考えたく、無い

 

 

 

 

白霊が右手を開くと、小さな塊が出来上がっていた。

それで先程の瓶に栓をする。

 

 

 

 

「うむうむ」

 

 

 

 

白霊は栓をポンポンと叩きながら、満足気に頷く。

 

 

 

 

「そうやって……何でも身体から作ったのか? 着物や装飾も……」

 

 

 

 

つい、今聞くようなことでは無いことを聞いてしまう。

 

 

 

 

「うむ、腹から糸を紡いでな」

 

 

 

 

半ば不可能と諦め掛けていた、

一瓶百貫文は下らぬだろう白霊の血液を手に入れた。

 

何でも創り出してしまうような、その源を。

 

 

 

 

「何せ暇じゃからな、織物はかれこれ五十年ほどやっておるのじゃ」

 

 

(これがあれば、月英は――――)

 

 

 

 

月英を凌辱した挙げ句に毒を飲ませ、

親友の楊汀に反逆を強制させた苗族の暗殺者達。

 

地上で拷問した奴が言い残した、月英を救える唯一の『万能薬』

おそらく、先程の『自分を守れ』とは、この見返りで――――

 

 

 

 

「効果は、月が一回満ち欠けるまで(・・・・・・・・・・・)じゃ」

 

 

 

 

――――っ!!

 

 

 

 

「お前の体に付着した、お前のつがいに付着した毒……生き物を殺す為の物では無い」

 

 

 

 

細く先の割れた舌を素早く出し入れし、難しい宿題でも考えるような顔で喋る。

 

神武にわずかに付着した月英由来の繊維や分泌物。

それに含まれる更に微量な毒の分子、

更にそれが発する『中性子線』をその舌ですくい取り、解析したのだ。

 

 

 

 

「もっと大それた事をする為に作られ、それを成す事が出来なかった不完全な物じゃ」

 

 

 

 

月英が含まされたのは只の毒では無い。

 

気功家達が世話になっている遺跡の『歪み』

それとウランを半端に生成した物を混ぜ合わせた放射性物質(・・・・・)だ。

 

それは月英の肺を始めとする臓器に蓄積され、

この時代はおろか、千年後でさえ身体から排除する方法は無い。

 

 

 

 

「戦っておる時から気になっとったが、それを治すのが目的じゃろう? 無理じゃ」

 

 

 

 

そもそも白霊の血でさえ万能薬では無い。

驚くべき効能はあっても、見方を変えれば毒と同義だ。

 

 

 

 

「……――――っ!!」

 

 

 

 

神武が崩れ落ちる。

 

友を殺し、奴等を拷問し、陰気な洞窟をここまで降り、

やっとの思いで手に入れたと言うのに。

 

 

 

 

「ひと月しか…………ひと月しか保たないと言うのか…………」

 

 

 

 

あんまりだ。

門家の闘争に巻き込まれた親友の妹、そして自分の想い人。

 

何の罪も無い月英が、凌辱の挙げ句、遊ばれるように毒まで含まされ、

苦しみ悶えて死ぬ運命など。

 

 

 

 

「これを飲ませても……ひと月後に月英は…………ぐっ……!!」

 

 

 

 

苦しみを一ヶ月伸ばしたとして、何の意味があるのだろうか。

 

恨みは既に果たしている。

奴らは四肢を断つ拷問を加え、既に殺してしまっている。

 

 

 

 

「俺の……俺の所為で…………俺の……」

 

 

 

 

自分が楊汀を殺したから。

妹を人質にされ、門家に反逆した黒殺龍を自分が殺したから、

月英は毒を含まされた。

 

自分が殺されていれば、親友と想い人は死ななかった。

この化け物にさえ、ただ晴れない自分の恨みをぶつけていただけ、

この化け物でさえ、何の罪も無いのだ。

 

自分が死ねば良かったのだ――――

 

なんて、あんまりな仕打ちだ。

 

 

 

 

また来れば良いじゃろう(・・・・・・・・・・・)

 

 

「――――ッ!!」

 

 

 

 

化け物のその言葉で、神武は顔を上げる。

 

 

 

 

「いや、違うな……ひと月に一度、その月英とやらの元に赴くことを許す(・・)

 

 

 

 

白霊は千切れ落ちそうなその手で命ずる。

いや、手首から先は垂れ下がっているので、腕で命ずる。

 

 

 

 

「以外はワシを守れ」

 

 

 

 

その腕からは止め処なく血液が溢れ落ちている。

その雫に釣られ下を向くと、地面に大きな血溜まりが広がっていく。

 

神武が考えているのは、命令そのものに対してでは無い。

この化け物の溢れる生命力、

そして “月に一度” という『継続性』のある言葉。

 

 

 

 

(そういう事か……月英を生かし続けたいなら、”生涯化物の配下になれ” と……)

 

 

 

 

世界を敵に回せ――――と

 

 

 

 

思っていたものとは違っていた。

だが、例えそうなったとしても『助ける』と誓ったのだ。

 

 

 

 

「――――腕の血を止めろ」

 

 

「かすり傷じゃ、こんなもん」

 

 

「止めるんだ」

 

 

 

 

神武は白霊の千切れかけた手を優しく持ち、

傷口を合わせる。

 

 

 

 

「守ってくれるか?」

 

 

「ああ、だから止めろ」

 

 

「裏切らない……?」

 

 

「しつこいぞ、早くしろ」

 

 

「むぅ」

 

 

 

 

白霊が不満気な表情を作ると、傷口が融合するように接着していき、

千切れる前のキレイな肌に戻った。

 

 

 

 

「それと、その姿にはもうなるな(・・・・・・・・・・)。混乱する」

 

 

 

 

神武が発したのは命令でもお願いでも無い、『交換条件』だ。

世界を敵に回すための。

 

 

 

 

「ダメじゃ、この姿はお前の欲望そのものじゃ(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

「――――なんだと?」

 

 

「お前はひと月に一度、つがいの元へ赴き使命を全うする。そしてこの姿を見続ける事で、永遠に使命に束縛される」

 

 

 

 

 

 

 

 

今、『永遠』と言ったか――――?

 

 

 

 

 

 

 

 

何年経とうと、例え月英が老いさばらえる年齢になったとしても、

自分が使命を投げ出さないよう、生涯を縛るつもりだ。

 

月英が ”もういい” と言っても、

自分が ”もういい” と投げ出したくなっても、

もっと愛する者が出来ようと、

 

そういったもろもろの可能性を潰す気なのだ。

 

 

 

 

「二十六年でこれじゃからな、ワシの年になればワシを越えるかもしれん、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

心に思うと同時に心を読まれた。

もうすでに、心まで支配しているのだろうか。

 

 

 

 

「お前にもワシの血を飲ませる」

 

 

「……。」

 

 

 

 

月英を永遠に生かし、自分を永遠に束縛させる『自信』があるのだ。

『欲望』がどうのと、その『方法』にも検討が付いている口ぶりだ。

 

人には意志があり、永遠に束縛することなど出来ない。

『もう嫌だ、やめた』と思えばそれまでだ。

 

だがコイツは人間には不可能な、

『もう嫌だと思わせない方法』すらも、持ち得ているのかもしれない。

 

月英を生かし続けられると言うのに喜ぶべきことか判らない。

自分は今、恐ろしい契約を交わしているのではないだろうか?

 

 

 

 

「ワシの血は解毒薬ではない、ワシの意思を伝えるものじゃ」

 

 

 

 

コイツは人間のようなナリをしていても、

人間では無いのだから。

 

 

 

 

「お前達の体に入れば、お前達の意思を体に伝える」

 

 

「……。」

 

 

「意思によって体は繋がっている、それは判っておろう?」

 

 

 

 

そんな事判るか――――

 

 

 

 

「 ”生きたい” という意思の塊が生き物じゃ。ワシの血を入れ続ける限り、多分、その生き物は死すことはない……いや、絶対」

 

 

 

 

生涯どころでは無い、悠久の時を縛るつもりだ。

まるで蛇のように狡猾な奴だ。

 

 

 

 

「ああ、心配するでない。ワシもたまに舌を噛んで、ワシの血を飲んどる。だからワシも死なん(・・・・・・)

 

 

 

 

一つも笑えないジョークだ。

 

 

 

 

「……御託はいい、俺は早速、これを月英の元に届けるぞ」

 

 

「猶予はきっかり一日じゃ、それを過ぎれば此処への道を『根』で閉ざす」

 

 

「脅す必要など無い――――」

 

 

 

 

――――俺は約束は守る男だ

 

そう言いたいが、言ってやることは出来ない。

親しい者との約束すら、守れなかったのだから。

 

 

 

 

「一つ言っておくが……」

 

 

 

 

だが、人間を言い成りに出来ると思い上がっている、

この頭の悪い化け物に言い返してやりたい。

 

 

 

 

「月英の目はそんなにデカくない、お前の擬態も完全では無いようだな」

 

 

 

 

どうやって『その姿』を知ったのかは知らないが、

本当の『その姿』は、自分が誰よりよく知っている。

 

 

 

 

「ぶっ……あっはっはっはっはっは!」

 

 

「――――何が可笑しい?」

 

 

「ククク……強い上に面白い奴じゃ、お前は……あっはっはっは!」

 

 

「俺は冗談など言っていない」

 

 

 

 

化け物の笑いのツボなど判るか。

 

 

 

 

「ワシはお前の欲望を形作っただけじゃ……そう言ったじゃろう」

 

 

「そう聞いた、だから――――」

 

 

「あー、やめよやめよ、天丼はお腹いっぱいじゃ」

 

 

 

 

訳が判らない事ばかり言う、話にならない。

 

 

 

 

「お前のような遺伝子は、こういう姿形と動きに発情するからのう」

 

 

「遺伝……子?」

 

 

「ワシは月英とやらを真似てはおらん、月英とやらがお前の欲望に近いのじゃ(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

「――――っ!!」

 

 

 

 

やっと理解した。

 

自分は、幼女並の知能しか無い畜生如きに、

『お前は月英の心ではなく顔に惚れた、しかもロリコンだ』と言われている。

 

 

 

 

「……。」

 

 

 

 

何も言い返せない、実際に斬ることが出来ないのだから。

何も言わず、月英の元へ歩み出す。

 

 

 

 

「あっ……! ちゃんと戻ってくるのじゃぞ! 裏切ったら食べちゃうんじゃからな!!」

 

 

「――――心配するな、誰にも触れさせはしない」

 

 

 

 

神武は悠然と歩きながら、両腕を広げる。

 

 

 

 

「黒殺龍亡き今、この炎帝神武が中華最強の男だ……今にお前も上回る、そしてお前は永遠に俺の物だ」

 

 

 

 

月英を生かす、その為だった行為が、

行為の為に、月英を生かす事へと変わっていく。

 

 

 

 

(誰の追随も許さなんだ天賦の才を持ち得し雄が……最も弱いと認識する子供の雌に蔑まれ、嘲笑われる……)

 

 

 

 

白霊は恐怖と束縛により、人間の心を操る。

 

 

 

 

(お前の知らない、抗う事の出来ぬ欲望――――可愛く嘲笑う練習でもしておくか)

 

 

 

 

人間よりも、人間を知り尽くしているから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

奇譚収遺使禄.Ⅹ
ジャイアント・リサイタル


 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

呂尚(ルージン)「痛ああああいッ!!痛くないって言ったのにぃいいいッ!!」

嘘づぎぃッッ!!ヘレンの嘘づぎいいいいいッッ!!

 

頭に革袋を被せられた女。

動けぬように拘束され、腹部に剣を突き刺されている。

死に至る深さだ。

 

女の名は呂尚、20歳。

音を表す「呂」の字に、輝きを表す「晶」で呂晶。

 

 

 

…であったが、

投獄れた折、看守を何名も殺傷して逃亡した為、中華全域で指名手配されてしまい、

何かと不便なので、歴史上の人物にあやかり、呂尚と改名した。

 

Valcs(バルクス)「何なんだコイツ!!死んでもおかしくない量吸わせてるんだぞ!

うわっ、煙でこっちがやられそうだ!クソッタレ!」

 

毛深い男は人より鼻が効くせいか、革袋から溢れる煙に涙を流している。

おまけに呂尚が暴れるため一思いに刺す事が出来ない。

その結果、更に悲惨な結果となる。

 

 

「殺し゛て゛や゛る゛う゛うううッ!!この拘束を解けええええええッ!!

ごれがなげればッ!!お゛前なんがッ!!お゛前なんがああああああ!!」

 

 

身体中の穴という穴から血と体液を流す。

これ以上は失禁する水分も残っていない。

『前日から飯を抜く』というアドバイスに従っていてよかった。

 

これはローマPTが仲間を迎える際に必要な『契り』である。

 

拷問でも黒魔術でもなく、やる方も好きでやっている訳ではない。

元々、『こんな儀式楽勝だ』と言っておきながら、いざ始まると意見を180度飜えしたのは呂尚である。

 

その理由は痛みだけでなく、痛みを忘れさせる『ある処置』が効かないせいもあるが。

 

 

Valkyrie(ヴァリキエ)「おそらく、かなりの耐性があるのだろう。訓練時代にも一人、こうやって廃人になった同僚がいた。おい神父、空気を吸わせるな。ケツからも流し込め。もうどうなろうと知ったことか。」

 

ローマPTリーダーであり、貴族出身の女性聖騎士:ヴァリキエが言う『空気を』とは、『阿片の煙以外を』という意味である。

 

Manuel(マニュエル)「呂尚サーン、お尻失礼シマース」

 

神父は医療行為に従事する医者のように、

なんのためらいもなく女性の下半身を顕にする。

 

 

その様子を、痛そうな、辛そうな顔で覗いている魔法少女、ヘレン。

大人社会で軽んじられないよう18と偽っているが、本当の年齢は16歳だ。

その少女には、見るに耐えない凄惨な現場である。

 

だが、あの女が苦しんでいると思うと、なぜか下腹部が熱くなってくる。

ダメだと判っていても覗いてしまう。

 

Helen(ヘレン)「(主よ、卑しいヘレンをお許しください…。)」

 

 

「早ぐぅうううう…!!早ぐ終わりにし゛て゛ぇぇぇ…!!

謝るがらぁぁぁ…ごめんよぉおおお…だって犬っころみだいだが、ら゛あ゛あああああああッッ!!!」

 

相手が何を言っても、絶対に耳を貸してはいけない。

さっさと済ませる以外に、楽にしてやれる方法はないのだから。

バルクスの深い一刺しは彼女のためであり、誇りを傷付けられたからではない。おそらく。

 

「(なぜだ?全然酔えない。以前ならもう天国にいるハズだったのに。地獄だ。ここは地獄だ。コイツらは悪魔だ、蛮族だ。)」

 

「…治った。」

 

「よし、次は私と神父だ。」

 

「おおおお゛前ら゛…ごの痛み゛、げっじで忘れぬ゛…いづが、必ず、ふぐじゅ…を…」

 

 

「やっと気を失ったか。丁度いい、今の隙に済ませるぞ。五月蝿くてかなわん。」

 

「oh.復讐ハ何モ生ミマセーン」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暫くして、ここは訓練として訪れた秦始皇帝陵の地下洞。

 

白霊が退治されるも、未だはびこり発掘を妨害する彼女の子供達。

それらを退治すべく、ヘレンがアースクエイクを放った・・・はずが。

 

「フォーザキーン!フォーザラーンッ!!皆さんその場を動かないで!…いきますわよォッ!」

 

「あいやぁああああああッ!救命阿(じゅうみんあ)あぁあああ…!」

 

「そこの釣りっ!動くなと言ったでしょう!早く!地割れが閉じますわ!」

 

「この人達怖いよぉぉぉ…。」

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

「…なるほど。ウィザードは投擲兵で、吟遊詩人(バード)は輜重兵か。各々が1個の隊を一人で成す。だから8人隊(コントゥベルニウム)ではなく、縮小百人隊(ケントゥリア)なワケね。」

 

「そうだ。飲み込みが早いな。」

 

 

長安の麯院街の一角にある、高級宿屋で朝食を取る一行。

高官御用達の店だが、白霊を討伐した彼等はいつでも手厚い待遇が受けられる。

昨今の行商ブームも手伝い、食事は更に安く、美味しい物が気軽に食べられるようになった。

 

そんな豪華な食事中でも、ヴァリキエと呂尚は訓練の復習に余念がない。

 

 

「でもやっぱりやりすぎじゃない?ここまでカッツリ分担してたら身動きとりにくいし、欠員が出た時ヤバイわよ」

 

「それは我々も対策すべきと考えている。仲間内で教えられる技術は共有し、有事の際は各々を肩代わりする事が理想だ。」

 

「だから3人もいやがったのか…。」

 

 

 

「こんな女にレクチャーした所で無益ですわ。どうせ釣りしか出来ませんもの。バルクス、この辛いの食べてくださいまし」

 

ヘレンは、香辛料の効いた汁が掛かった、蒸し鶏の細切れを、隣のバルクスの皿へ盛っていく。

 

 

「うむ。辛い物は腹を壊すからな」

 

バルクスはヘレンには甘い。

 

 

呂尚は面制圧力もヘレンやルリアに遠く及ばず、仲間を守る術も持たない。

残る役割は、敵を仲間の元へ誘導する偵察兵科、『釣り』だけだ。

 

素早い身のこなしと汎用性の高い呂尚は、釣りという役割には向いてはいるが、如何せんその釣り自体の必要性が高くはない。

 

 

「何よ。アタシの()()のおかげでデカイのすぐ狩れたじゃない。効率が良くなんのよ、アタシがいると」

 

 

呂尚の言う『アレ』とは、

治癒に使っていた内功心法を応用し、相手の生命力を弱らせる術である。

妖怪の鱗が病に侵されたように朽ちていき、攻撃が通り易くなった。

以前は考えもしなかった使い方だ。

 

白霊戦以降、気孔の操作が急激に上達した為、気まぐれで妖怪に対し、内功を()()()()()流したところ、治癒とは逆の現象が起きたのだ。

 

ただし操作が上手くなったのは、体内で練り上げる内功心法のみ。

外向けの炎功などは相変わらず、集中できずに破裂してしまう体質が治っていない。

 

 

「あのような禍々しいアルス…、コチラが病気になりそうですわ」

 

そして内功心法・改は、黒魔術を彷彿させるその効果から、潔癖症であるヘレンの評価が低い。

 

 

「そう言うな。異邦人の我々にとって、地元民である彼女の存在はとてもありがたい」

 

「誰にでも優しいのですわね…。」

 

「ん、何か言ったか?」

 

 

 

呂尚は他愛ない会話も根に持つ。

新技を否定され、自分の好物である辛い物も食べようとしないヘレン。

更に…

 

 

(そういえばこの間もコイツ、アタシの胸が小さいってバカにしやがったんだ…。)

 

呂尚に復讐心…いや、イタズラ心がメラメラと沸いてくる。

 

 

 

 

「ヘレン気をつけなぁ、あんまり好き嫌いしてると…

 

―― デブるよ?」

 

 

 

「…ッ!」 「…ッ!」

 

レスバトルが開始された。

呂尚の第一手に、関係のないルリアとルシラの手が止まる。

女性が体型を気にするのは万国共通だ。

 

 

(ククク…w あの年頃であの巨乳。自分が太って見えないか、さぞ気になってしょうがないハズだ。)

 

 

多少強引だが、“デブ”というワードにさえ結びつけばいい。

思春期のヘレンにはそれで十分な打撃だ。

 

 

 

「あら、ふくよかな女性は美しいのですわよ。ご存知ありませんの?お姉様。」

 

ヘレンが胸に手をあて、上品に返す。

 

 

(コイっツ…ッ!)

 

 

呂尚の予想は外れた。

 

幼少から魔法を扱っていたヘレンは、周りから奇異の目で見られる事に慣れている。他の子より乳が張った程度の事を、一々気にはしない。

急に大きくなってきたので困り物ではあるが、同時に誇りにさえ思っている。

 

 

(何だこの無根拠な自信は。これじゃまるで私の方が、つまらん事気にした安い女みたいじゃないか!…誰だ?コイツに余計な事吹き込みやがったのは?)

 

 

「ああ。女は少し位、肉が乗ってる方がいい。」

 

 

(お前かよッ!犬…ッ!)

 

 

呂尚はバルクスに、心の中で舌打ちする。

 

 

「ほら、ごらんなさいませ。」

 

ヘレンはバルクスに軽く手を向ける。

 

 

彼等のみならず、西方ではこの手の、“脂肪信仰”が流行しているのだろう。

多寡は違えど、似たような文化は中華にもある。

そして、そういった文化が出来上がる()()()も又、万国共通だ。

 

呂尚が第二手を仕掛ける。

 

 

「それってさ、女性の美しさは外見じゃない。ていうのと同義なのよ?」

 

 

「…?」

 

ヘレンは言葉の意図が判らず、怪訝な顔をする。

呂尚は心に残るよう、ゆっくり強調して言う。

 

 

 

「みんな…、()()()()()()()()()()。」

 

 

 

「…ッ!?」

 

ヘレンは焦って周りを見回す。

バルクスも他の者も、食事に集中し目を合わせない。

 

 

「え…っ?」

 

得体の知れない胸騒ぎがヘレンを襲う。

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

そう、誰もヘレンを太っているとは思っていない。

男性陣とヴァリキエは女性の悩みに疎く、判らない事に口を挟まないだけだ。

 

 

ルリアやルシラに至っては、“ふくよかな方が美しい”という言葉が、

ライバルを油断させる為の物と知っている。

 

 

――そして、こうも思っている。

 

 

ヘレンは、幼さを残す愛らしい顔立ちながら、発育が良く、出る所は出て、締まる所は締まり、若さ特有の、はじけんばかりの張りがある。

極めつけは体毛が少ない事だ。まつ毛は長い癖に、腕や足は薄い産毛しか生えておらず、毛を剃っている所すら見た事がない。

 

こちらは過酷な旅の中、苦労して見た目に気を遣っているというのに、ヘレンと居るとそれすら霞んでしまう。

 

何処へ行っても彼女目当ての男が声を掛けてきて、その対応にもウンザリしている。というかこの美少女が、正直憎い。

 

 

――少しぐらい、余計な事を気にすればいい。

 

 

 

それらが醸し出す微妙な空気は、ヘレンに誤解を与えるには十分であった。

 

 

 

「まさか…。ふくよかな女性は、みにく、い…?」

 

ヘレンが自分の胸を見下ろす。

 

 

 

常識が、みるみる崩れ去っていく――

 

 

 

拳をキツく握り、胸を隠すように押しつぶす。

それはヘレンが初めて年相応の、悩みやコンプレックスを持った瞬間だった。

 

赤飯でも欲しいところだ。

 

 

「姐さんも好き嫌いとかないよね?」

 

 

「そうだな。私は酒に合えば上等だ。この辛い肉も大いに酒が進みそうだ。」

 

 

呂尚がニヤリと笑う。

 

 

(そう、コイツは酒のせいで舌が馬鹿になっている。だから何でも喰う。飢饉になっても草を食って生き延びるタイプだ。)

 

 

 

「ぐっ、うぅ…。」

 

 

トドメが入った。

ヘレンは観念した面持ちで、バルクスの皿へ盛った棒々鶏を、自分の皿へ戻していく。

 

 

「ヘレン、お前は太っていないと思うが。」

 

 

「バルクスは黙っていてくださいませッ!」

 

 

不貞腐れたバルクスの喉から、クゥーンという高い音が鳴る。

 

 

 

(ざまーみろ犬め。お前がなだめれば、なだめる程、コイツは気にしていくんだよ…クックックw)

 

 

 

「はいは~い、ルージンっちぃ、意地悪はそこまでねぇ~」

 

 

 

ルリアが気を利かせて助け舟を出した。

レフェリーストップである。

 

 

「ふっふっふ~ん。あんむ。」

 

呂尚が満足そうにうなぎの包子を頬張る。勝利の味だ。

 

自分は気孔を使っていれば、いくら食べても体重は増えない。

その迷信を、呂晶は疑ってもいない。

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

「んで、ほーして姐さんあクレいックふぉ?」

 

改めて隊列の話に戻し、ヴァリキエに尋ねる。

 

 

「うむ。聖騎士という出から癒やしのスキルを学んだ。私は神に祈る資格はないが仲間の為であれば許されるだろう。まぁ、魔物に集られる点で聖職者は騎士と同じだ。私にはお似合いだよ。」

 

「それって、やろうと思えば誰でも出来るの?」

 

「いや、ある程度の素養…治療であれば聖職に付いた事があるとか、深い繋がりがなければ奇跡は起きない。どの程度かと聞かれると判らんが、それで飯が食える程度のスキルは必要だろうな。」

 

「じゃーアタシは無理か。でも達人姉さんですら防御役ってんだもんなぁ」

 

「岩を割るくらい貴様も出来るだろう。」

 

「姉さんはズバッていくじゃん。アタシはなんか、ボゴォ!みたいな。」

 

「貴様の武器は戦鎚の用途も含んでいるからな。それでかまわんだろう。私は単に…女々しいだけだよ。」

 

ヴァリキエも根は闘士だ。強さの追求は楽しい。

暗殺に重きを置くバルクスと違い、自分と近い理想像を持つ呂尚の意見は、今までの旅では得られなかったものだ。

それに2人は良家の出身ながら、勘当同然の扱いを受けている共通点があり、お互い何かしらのシンパシーを感じあっている。

 

「(姐さんですって?新参者の分際でヴァリキエ様をあだ名で呼ぶなど。どこでも一人はいますのよね。こういう図々しい者が。)」

 

 

それがヘレンにとって不愉快な理由らしい。

 

 

「この穢らわしい女と食卓まで囲む事になるだなんて。まさに悪夢ですわ」

 

 

ヘレンは呂尚に対して、歯を剥き出し、

大げさに、頭と顎を掻くようなポーズを取って威嚇する。

 

呂尚も負けじと歯を剥き出しながら、

胸の前で、大きな玉を2つ掬い上げるようなポーズで威嚇し返す。

 

 

機嫌が悪そうなヘレンを、ヴァリキエがなだめる。

 

 

「ヘレンとルリアの魔法はPT内でも随一の破壊力だ。私達など及びもしないさ。」

 

 

そうだ、ワタクシは切り札なのだ。猿女め、少しは敬え。

ヘレンは棒々鶏を噛まずに飲み込みながら、心の中でしっかり呂尚を罵倒する。

 

 

「ただルリアはなんというか、芸術志向でな。」

 

Luria(ルリア)「アタシぃ~魔法って性に合わないのよねぇ。嫌いな上司ぃ思い出すのよぉ~

 

マイペースな女性メンバー、ルリアが会話に加わる。

ルリアはルシラと同様、呂尚やヘレンより年上な、大人な雰囲気を漂わせる女性だ。

 

 

「そう言うな。頼りにしている」

 

「ルリちゃん他に特技あるの?」

 

「あたしぃはバルドよぉ~ん。どっちかっていうとぉ、そっちが本職ねぇ~。

ミンストレルだったしぃ」

 

 

ミンストレルとは宮廷に仕える芸者である。

 

のほんとした性格と対象的に、出身も曖昧、謎に包まれたルリアだが、

ヘレンと同じく、大陸で数人しか扱えぬであろう伝説級魔法を操り、

一方、ハープ術ではルシラの師を務めるなど、彼女の能力には底が知れない。

 

呂尚も『音で出来る事など』と最初は馬鹿にしていたが、

効果は先日の白霊戦の通りである。

 

音術も魔法も根っこが同じ理屈だから、と本人は言うが、その理屈をどこで学んだかも謎だ。

 

 

 

「投擲と兵站か。ルリちんめちゃくちゃ重要じゃん!」

 

 

「任せてぇ~ん」

 

 

 

ただし魔法に関しては、

ヘレンは一網打尽の大規模魔法を得意とするのに対し、

ルリアはどちらかと言うと単体専門である。

 

大規模魔法も使えるが、

地面に立方体の穴を開けたり、炎や氷で美しい動物を形作ったりと、

攻撃に使えぬ事もないが、大道芸にその真価を発揮する。

 

一度だけ、『超上手く出来ちゃったからぁ、コレは撃ちたくなぁ~い』と、

仲間が死にかけてるにも関わらず駄々をこねた事すらあった。

 

そしてルリアは、ヘレンの使う

炎の小道・そこに在る(フレイムレーン・メテオロッス)と、

追尾魔法に相当する術を持たない。

 

ヘレンはほとんどの魔法を唱える際、

木の実の運び屋(インテリゲーレ・ベクトール)

おまじない・盗まれた物は返る(マギアバウンドヘレン)

この二つのフォース系魔法を基礎に構築する。

 

これが相手に魔法を磁石のように引き寄せる役割を果たし、

成功すれば彼女の口癖のごとく『必中』を成す。

 

ルリアはこれを表向き使うことが出来ない為、

魔法をよく外す。

 

同じ伝説級魔法を扱うルリアとヘレンだが、

微妙に流派が違うのかもしれない。

 

元よりヘレンの魔法は生まれつきで、

師匠である『夕日の魔女』から伝授された、メテオ等の魔法も、

夕日の魔女が独自に開発した物だ。

 

希少な魔法使いの中でも、更にヘレンは特殊な存在なのだろう。

 

 

 

「でもそれでいくと、WIZとクレの組み合わせは1番ダメね。」

 

 

ッ!?

 

 

呂尚が箸、皆が手掴みで食事を取る中、木製の『マイ突き匙』で食事をするヘレン。初めは気持ち悪いと思いながらもやめられなくなった、鯉の膾。いざそれを頬張ろうとした手が止まる。

 

「なぜそう思うのだ?」

 

「一見万能そうだけど、後衛のWIZに前衛スキルなんて手持ち無沙汰よ。有事に代わりにならない死にスキル。て事は、いたとしたらソイツは仲間の為じゃなく、自分の為を想定してる。仲間をあんまり信用してない。」

 

 

「(この釣り専、言うに事欠いてぬけぬけと…!)」

 

 

「まぁ、そう言われればそうだな」

 

 

「(ヴァリキエ様…っ!)」

 

 

「そんな事はぁ、ないと思うよぉ。魔力があればぁ、祈りも強くなるしぃ。」

 

 

彼等が言う祈りとは、呂晶の自分に願い自分で叶える物ではなく、

神と呼ばれる空想上の生き物にお願いするそれである。

 

 

「それにほらぁ、ヴァリちんだってやられちゃう事もぉ、あるかもしれないじゃなぁ~い?」

 

 

「そうか、やはり私では信用に足らないか。」

 

 

「ごめぇ~ん。そういうワケじゃ~」

 

 

「いいんだ、自業自得のいたすところだ。」

 

 

「ヘレンは魔法の他には?天幕?」

 

呂尚は、ヘレンの故郷で『テルタ』と呼ばれる、野宿用の天幕を張る技術を、それと違うと判っていながら嫌味として言っている。

 

 

「ワタクシもWIZバドですわ。魔法の他にハープを嗜んでおりますの。」

 

「ほう、初耳だな。」

 

 

ヴァリキエ意外の空気が、一瞬ヒリついたように感じた。

 

 

「あ~、ハープといえばぁ~。こないだぁ、ルシランがねぇ~」

 

 

その反応で呂尚は理解した。

ルリアはマイペースに見えて気が利く女だ。彼女が自分から話題を変える時は、何かに気を効かせた証拠でもある。

 

つまり、皆も半ば気付いているだろう事。

 

普段から必要以上に、仲間の詮索はしないのだろう事。

 

ヴァリキエは戦闘以外は察しが悪いので、気付いていないだろう事。

 

そして…

 

 

「ヘレンはWIZクレか。」

 

「ですから、ワタクシはWIZバドと申しましたでしょう。」

 

「ふむ、神は二物を与えないという。同じ貴族の出だというのに、その歳で多様な努力をしたのだな。それに比べ、なぜ私はあんな無駄な時間を…」

 

「ヴァリキエ様!お褒め頂くようなことは…!」

 

「あれはぁ、誉めてる訳じゃないのよねぇ~」

 

 

呂尚は一瞬考えた顔をしたが、すぐに笑顔に戻る。

 

 

「じゃあさ!今度、跳躍者(ジャンパー)の好感度上げる催し、ってか祭りみたいの開くんだけど。主催はウェイね、そこでヘレンとルリちゃん演奏してあげてよ~!ルシラさんもお願いできる?」

 

「え~。ワタシのぉ、そんな大層なものじゃないしぃ~」

 

「そんな事ないよぉ~!西方の音楽なんて滅多に聞けたもんじゃないし、それに、そんなお硬い場でもないからさ。薄顎も困ってんのよぉ出し物なくて。二人もやってくれるわよね?」

 

 

行方不明の夫に操を立てる未亡人、ルシラが答える。

 

Rusila(ルシラ)「ごめんなさい。私、お祭りとか、男性が多い場所にはいけないの。熱気で充満する男の匂い・・あぁ、想像するだけで誓いを破ってしまいそう…。」

 

「欲求不満だもんね…。」

 

「ワタクシも遠慮しておきますわ。人に聞かせる為ではなく、精神統一のために習得したものですから」

 

「欲求不満だもんね…。」

 

「違いますわッ!」

 

「いいじゃないかヘレン。知人の音楽を肴に酒が飲めるなど、こんなに粋な事はない。それに我らはこの地の民と親交を深める事も任務だ。是非に頼む」

 

「ヴァ、ヴァリキエ様…!」

 

ヴァリキエは人生を壊すほどに、酒に目がない女だ。

酔って暴れると手がつけられない為、仲間がつれなく、旅をしてから控えていた。

だが最近は呂尚という止め役が出来たおかげで、夜な夜な高級中華酒を満喫している。

 

 

「じゃルリちゃんとヘレン、二人で決まりね!祭りは3日後の夕方、渭城の広場!必要な物は言って!用立てるから!」

 

 

 

(ごめぇ~んヘレンっちぃ。もう私にはぁ、どうしようもなぃ~)

 

ルリアは声に出せない為、心の中でヘレンに謝罪した。

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

ローマPTの豪華な朝食から1時間後。

 

ここは長安の北にある、木々が生い茂る森林地帯だ。

 

一本の木が軽い衝撃に揺れ、葉が舞い落ちる。

 

 

 

そこには細い腕で木を殴り、後悔するヘレンの姿があった。

 

 

(くそっ!あの女猿にまんまとハメられた!)

 

 

そういえば先日、隠していた治療術を施してしまったのだった。

仲間にも秘密にしていたのに。完璧に出来るようになったら披露して、驚かそうとしていたのに。

なんて迂闊なことを。

 

…いや、いつもそうだ。どうしてこう、挑発されると意地を張ってしまうのだろう。

 

 

「しかも3日後だなんて…。時間がありません。とにかく少しでも練習するしかありませんわ。」

 

 

あれは嘘ではない。絃楽器のたしなみはある。

そして自分にしかない、まだ誰も聞いた事のないような、確かな音楽性だって。

『誰も』というのには、自分も含まれるが。

 

だが、ルリアやルシラのように神秘的な効果を乗せる事は無理でも、

普通に演奏するだけなら誰にだって出来るハズだ。誰にだって。

 

 

「…森に入ると落ち着きますわね。」

 

朝のシンとした森の、太めで座り心地の良い枝に狙いを定め、

テレポートでふわりと腰掛けてから、少女はハープをかなでる。

その人間離れした美しい光景を見れば、人はお伽噺の耳長族でも彷彿するだろう。

 

 

そして・・・ぶりり~ん。

 

 

鳥が一羽はばたく。

こ、これは調律が悪いだけですわ。確かこうして・・・ぶりり~ん

 

 

「はぁ…。」

 

やはりそうだ。故郷でもカンテレだけは苦手だった。

 

 

他の子と同じように音が出せない。

自分の手足のように楽器を使う事が出来ないのだ。

笑われ、焦って力を入れた際に指を切ってしまい、絃に触れる事すら怖い。

 

その経験からか、音楽自体がすかした、おっと言葉使いが悪い。すましたものだと思うようになり…

音楽とはキレイな部分だけを見せて欺くような、ホントは隠された部分にもっと大きな可能性があって…

 

 

――とにかくイケ好かないんですの。ぶっちゃけワタクシ根暗ですもの。

 

 

そんな気持ちがあるせいか、練習にも目標を見出せない。

その後も悪戦苦闘するが、とても人に聞かせられる物でないのは確かだった。

 

自他から求められる評価を考えれば、ヘレンの『人に聞かせられる物』のハードルは、普通のそれよりも、圧倒的なまでに、高い。

 

 

「はぁ…。休憩ですわ。」

 

逼迫した状況では消耗も早い。

 

 

寝そべり、葉に揺れる光柱を眺めていると、故郷を思い出す。

随分遠くまで来たというのに、一体何をやっているのだろう。

この地の言語も早くマスターしなければいけないのに。

 

言語も気候も食習慣も、何もかも違う世界を幾つも越えてきた。だが、自分は何一つ変わっていないと実感する。

 

 

指がヒリヒリする。赤くなっていないか確かめる。

 

 

「…まだいけますわ。」

 

その時、指の間から、ヘレンの成層圏が屈折させる菫外線をも捉える左目が、1スタディオン先の水溜りを飛行する、蚊をとらえた。

 

 

「虫…。忌々しい生き物。」

 

森では定期的に、魔除けをソナーのように打ち出さないと、すぐ虫が寄ってきて大変なのだ。

寝てる隙にテルタに潜りこまれたらどうしようもないが、起きてさえいれば虫ごとき、恐れはない。

森に充満するエレメントは、いつだってワタシの味方をしてくれる。

 

杖は木の下に置いて来たので、バランスを崩さず使える、右手と左腿で代用する。これだと加減はきかないが、知ったことか。

 

 

必要以上に強烈なソナーを打ち込む。

 

 

1スタディオン先の蚊が失速し、よろよろと遠くへ去っていく。

ざまーみろ。ワタクシの視界を汚した罰だ。

 

しかし今のは季節を間違えると、毛虫がぼとぼとと降ってくる荒業でもある。

放った直後にそれを思い出し一瞬焦ったが、ワタクシは森のスペシャリスト。そのようなミスは犯しませんわ。

 

 

改めて、何も無いが、ヘレンにとっては満ち満ちたそれに手をのばす。

 

 

触り、形を変え、()()は小さな氷から振動、炎、雷へ形を変える。

そんなことはしないが、その気になれば1日中だって遊んでいられるだろう。

 

「フフ…。魔法であれば手足のように扱えますのに。アナタは全然言うことを聞いてくれませんのね。」

 

 

弾くことが目的ではない。一時の手持ち無沙汰と、ちょっとした憎たらしさを晴らすため、ヘレンは光の柱にも似た細長い物質を、それが持つ本来のものとは違う用途で、つねるように弄ぶ。

 

 

ギュイーーーン!!

 

 

ヘレンを中心に音の風が吹いた。

何羽も鳥がはばたき、小動物が走る。

パラパラと葉が舞い落ちる。

 

「(今のは何?リス…いや、鹿の断末魔にも似た音だった。コレから出たのか?)」

 

ワタシが夢想していた、美しさと穢れの表現、それとこのハープという楽器が繋がったかのような。

 

もう一度出来るか?一体どうやった?

今にも消えそうな、この、頭に雷が落ちたかのような閃きが消えぬ内・・・

 

 

そう、雷だ。

 

 

雷の精霊を顕現させた時、絃を・・・

 

 

 

「ギュイーーーンッ!!」

 

 

 

そうか、そういうことかリリン。あるいは手足のように!

空気であって空気でない、これこそが本当の!

 

あの女猿め、見ていろ。度肝を抜かして差し上げますわ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日もヘレンは秘密の特訓をするため、一人足繁く森へと通う。

 

ヘレンが森に入りしばらくすると、夥しい数の鳥が一斉に飛び立つ。

同時に響く断末魔のような音。

 

それは遠目から目撃した住人に、世界の終わりの前触れではないか、という不安を募らせる不気味さだった。

 

 

その次の日、ヘレンは町で唯一の、そしてアラビア人が営む楽器屋を訪れていた。

西方と東方を融合させた独自の楽器を制作し、昨今の交易ブームも相まり、東西のあらゆる楽器を広く浅く扱っている。

 

なぜか金鍛冶も同席している。

 

 

「本当か?本当にこんな堅いのを張っていいのか?しつこいようだが、これは楽器に使うものじゃない。羊の腸か、繊維なんかを使った方が絶対に良い。」

 

「判らない方ね。そんな物ではもちませんの。とにかく太いのを一本お張りなさい。実演いたしますわ。」

 

 

 

店が揺れ、通行人が振り向く。

 

 

 

「お、お嬢ちゃんは、魔神か・・?」

 

「失礼ですわね。これこそが音楽の深層。アナタ方がありがたがっている物は表層にすぎませんのよ」

 

「それはよく判らんがコイツは新しい音色だ。こいつで曲を奏でた日には・・・ご、ごくりんこ」

 

「いやースゲーもん見たね、いや聞いたね。長年金属触ってきたがこんな音鳴るんだな!これはなんて名前の音楽なんだ?」

 

「そうですわね、名前はまだありませんが、あえて名付けるなら・・・」

 

微かに帯電する、鋼鉄の絃に目をやる。

 

 

 

 

「フっ…、―――。ですわ。」

 

 

 

 

「―――だってよ!メタトロンみたいな響きだな、ラッパのやつ!」

 

「ウフフ、よかったら明日のリサイタルに足をお運びになって。ワタクシの晴れ舞台がございますの。音楽の歴史が変わる瞬間ですわよ。」

 

 

「よし、出来たぞ!調律はできんが、ついでにコイツも作ってみた。」

 

「なんですの?」

 

「撥だよ。いくらなんでも直接弾いちゃお嬢ちゃんの指が可哀想だ。コイツも鋼鉄だが限界まで小さく薄くした。軽いが丈夫なはずだ。」

 

 

丁寧に手を取り、言葉ではなく動作で使い方を教えてくれる。

 

 

「まぁ、ありがたく使わせていただきますわ。それでお代は?」

 

「いいって事よ。代ならとびっきりの演奏で返してくれな!」

 

「フフ、どうぞお任せになって。では。」

 

 

風呂敷を抱え、杖も持たず、フラフラと森の方へ歩いていくヘレン。どことなく顔色が悪い・・・を遠目から見かけた呂尚。

 

「(睡眠不足か?)」

 

順調な仕上がりに手応えを感じながら、尚も彼女に大恥をかかせるため、こちらも祭りの宣伝に余念がない。目玉はもちろん、美女二人の西方音楽披露である。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

この女はやる気になると、どこまでも最善最悪を尽くし尽くす。

 

(アタシが本気になればどうなるか、あの小娘に教えてやる!)

 

 

 

 

 

 

 

 

ウェイ主催の祭り開催日。

呂尚の商人家系ゆずりの宣伝力が功を奏したか、渭城近くの広場は人でごった返している。

 

中央に見世物のステージがあり、正面には立ち見席と、その後ろに飲食席がある。

それらを囲むように、沢山の出店が並ぶ。

 

 

そして夕刻、衆人環視の中、中央ステージにて、前座・ルリアの歌と演奏が始まった。

 

謙遜していたものの、さすがに場数が桁違いだ。

さして興味のなかった男達も、流れてくる幻想的な音楽に酔いしれ、あるいは西方に思いを馳せ、涙ぐむ者もいた。子供はルリアのマネをし、野良犬は今にも眠りにつこうとしている。

 

「皆ルリっちの歌声に面食らってるね」

 

「ん?ああ、なんといってもヒック。我が隊のバードだからなぁ…。ぶふっ!ハッハッハァーッ!!舐めるなよアレクシオォーースッ!!」

 

素の声から想像できないソプラノと、細い体に似合わぬ声量。それでも無理のないレベルに抑えているようで、柔らかい余裕とゆとりを演出している。

 

歌詞の意味までは判らないが、発音が気持ち良い。

貴族の嗜みと言われたオペラを、民間に聞きやすくアレンジしたものだろうか?

それらが時々に合わせたビブラートの強弱によって、優しいマッサージのように体に浸透してくる。

 

どのような気持ちで聞けば良いのか。

どう身を任せれば、余すとこなく堪能できるのか。

一人一人へ微笑みかけ、観衆を指揮するかのように全身で音を奏でる。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

ルリアは元々、人間のレベルではない音楽を奏でるよう作られている。

そして意味もないが、250年間、暇さえあれば練習してきた。

 

あるいは楽しげな、あるいは踊り出したくなる、祭りに合わせた演奏も可能だったが、観客の疲労度が高めである事を感じ、あえてハープが得意な癒やしの音楽を選択したのだ。

 

たまった疲れも浄化されたことだろう。実際にそういう効果を込めた。

 

それはとても効果的で、皆がルリアの虜になってしまうと同時に、次に控えるヘレンには残酷な追い打ちとなった。

 

 

一度演奏してしまえば、音楽の天使ルリアに勝てる者など、この世界に存在しない。おまけに本人も、人前で演奏するのは嫌いではないときている。

もしヘレンが完璧に演奏できたとしても、元より彼女の前では、比べるに値しなかっただろう。

 

マイペースで気が利くルリアも、音楽だけは手を抜けないという、弱点があったのだ。

 

 

 

 

演奏は無事終了し、暖かい歓声と拍手に照れながら、ルリアが用意された席につく。

 

 

主催のウェイも満足し過ぎて、大福のような顔をしている。

すでに祭りの成功は約束されたと、数人を除き、皆が確信していた。

 

 

「さすがね、予想以上よ。この世の物とは思えない素晴らしい音色だったわ」

 

「ルージンっちぃ、わかってるのよぉ~。アタシィを前座にした訳ぇ~」

 

「ふふふ、場は最高にあったまった。いよいよメーンッイベントゥッ!ね」

 

やたら強調した発音と共に、呂尚の目がカッと開く。

 

 

「前から思ってたけどぉ、ルージンっち、性格悪いよねぇ~」

 

「ルリっちぃ…そんな事言って、あんさん顔が笑ってますでぇ~ぃ?」

 

「えへへぇ~。だってぇ、完璧少女があたふたする顔ぉ、見たいじゃなぁ~い?」

 

正直ヘレンの張り詰め方は、時折、こちらが心配になるほどだった。

衆人環視の中、下手な演奏をしてしまい、落ち込みはするだろう。だがこれを機に、何でも完璧にこなさなくてもいい事も、覚えて欲しい。

 

全てはフォロー次第でどうにでもなる。大丈夫。自分はその辺りの自信はあるし、なによりあの子は、本来張り詰める必要もない程、健気で純粋で…

 

絶対的な存在だから。

 

 

「げっへっへっへっへ、ワイら、腹黒でおまんがなぁ~あきたきたぁ!」

 

 

壇上に上がるヘレン。

目印より少し前の位置から、軽やかに後ろ足を引き、スカートをつまむと同時に少し腰を落とす。

 

「今宵はお忙しい中、皆さんに足をお運びになって頂き、大変感謝いたします。」

 

 

「イェ~イッ!!ヘレンの演奏力はァーッ!中華一ィーッ!!」

 

「そこの女性、ご静粛に願いますわね。」

 

 

暖かい笑いが聞こえる。ルリアの演奏のおかげか、会場の雰囲気も和やかだ。

 

 

「まずは皆に憩いの場を提供してくださった主催者、ウェイクァン氏、そして今しがた、幻想的な音楽を提供してくださったルリア氏へ、今一度大きな拍手を。」

 

柔らかい羽のように両手を広げ、視線と拍手を二人に集める。

確かに、あどけなさの残る16歳の少女が、例え本当に貴族の娘であったとしても、普通に生きて来て出来る所作ではない。

 

「続いてこちらは、一風変わり大変刺激的にございますわ。心身の弱い方はやや後ろへ。刺激が欲しいという方はどうぞ、立ち上がって前の方にお越し下さいませ。」

 

 

ざわざわ。

 

『心身って?』

 

『よっ!嬢ちゃん!パンツ見えちまうぞ!』

 

 

あらやだ、というわざとらしい動作で、太腿にちょこんと手をやるヘレン。

かわいい。暖かい笑いが起こる。

オヤジギャグをパフォーマンスで中和し、会場の雰囲気とオヤジの名誉を保ったのだ。

 

 

『(刺激…まさか。しかし…)』

 

 

男衆はオヤジギャグのせいか、前列をキープするため、無言の牽制を繰り広げていた。ヘレンのプロ意識に応えようと、観客の移動はスムーズに進む。

 

 

「どうぞ遠慮せず前の方へ…よろしいようで。それではこれより、音楽の深淵をご覧いれますわ。お覚悟はよろしくて…?」

 

 

 

 

 

 

 

――この愚民共め。

 

 

 

 

 

 

 

(…えっ?)

 

 

その落差に全員が虚をつかれ、食事を取っていた者、酒をあおっていた者、出店に並ぶ者もヘレンに注目し、混みきった広場は静寂に包まれた。

 

 

 

ハープを持つ手がだらりと垂れ下がり、

天空に掲げられた指先が一気にそこへ振り落とされる。

 

 

 

 

ギャギャギャン!!ギャギャギャン!!ギャギャギャンギャギャン!!!!

ギャギャギャン!!ギャギャギャン!!ギャギャギャンギャギャン!!!!

 

ギュイィイイイイイーーーーンッ!!!!ギュウゥウウウウウーーーーン!!!!

 

 

 

耳をつんざく、巨大な断末魔が響き渡る。

 

聴覚が耐えられる音量を、越えている。

 

そして明らかに物理的で、巨大な衝撃が、一定間隔で全身を叩く。

 

 

 

ギャギャギャンギャギャン!!ギャンギャンギャンッ!!!!

ギャギャギャンギャギャン!!ギャンギャンギャンッ!!!!ギャイーーィイィイイイイン!!!!

 

 

 

大地が、空気が、震えているのだ。

 

 

 

「お、あぁ…。うぁ…?」

 

皆、状況が理解できない。嗚咽のような声を出す。

子供が恐怖で泣き喚き、犬がけたたましく吠える。

だがそれらの音も、巨大な断末魔にかき消され、塵ほどの音もなさない。

 

ここにはいたくない。脳が警報を発する。

だが思考が働かず、逃げる事はおろか耳をふさぐ事すら出来ない。

耳をふさいだとしても意味はないが。直接全身に響いているのだから。

 

 

「ヴゥウ゛ライゼドゥッッ!!ラ゛イザンブェイドゥザンヴァイ゛ッッ!!」

 

 

広場の何割かが尻もちをついた。

ヘレンが激しく首と体を振り、床を貫きそうなほど足を踏み抜く。

悪魔のような声で、亡者語か何かを叫んでいる。

 

 

「シガンヴェエエッ!!ドォダァドランヨンライ!ゼイルウ゛ゥゥゥーーーッ!!!!」

 

 

黄金の滝と称され、長安の女性達が密かに憧れるツインテールが、上下左右Z軸へと乱暴に振り回される。

叫びは断末魔と呼応し、土石流のようなメロディを奏でる。

 

 

「(これは歌…なのか…?)」

 

 

魔族が魔王を称えるならば、それもあるだろう。だがここは魔界ではない。

かような儀式はこの大陸に存在しないのだ。

 

 

 

「ギャア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ウ゛ォオオオオオオオオッッ!!!」

 

 

淑やかで美しいヘレンが、凄惨な拷問でも受けているかのように、ガニ股で叫ぶ。

 

 

呂尚は立ち尽くしている。

自分のせいでヘレンがおかしくなってしまった、ここまでするつもりはなかったと、柄にもなく恐怖し

 

「あわわわ…。ごめんなさい…ごめんなさい…」

と許しを請うていた。

 

しかし、自分の発した声は聞こえない。

他の者も恐怖に慄くばかり・・と思われたが、更に取り返しのつかない方向へと発展していた。

 

爆音の激しい最前列から少しづづ、魔に耐えきれず発狂する者が表れたのだ。

 

嗚咽は悲鳴となり、首を抑え手を伸ばしたり、頭を抱え苦しんだり、全体的に頭は低く、拳の位置が高くなっている。

自分の体を掻きむしり、ヘレンの動きに追従する者まで現れていた。

 

特に衛兵、鍛冶屋や蔵番、ヴァリキエなど、抑圧された凶暴性を秘めた者ほど、その傾向は強かった。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

ギャンギャンギャギャーーーンッ!!!!

「イビュワンダヴァアアアッッ!!!!」

 

 

発狂は波のように強まり、

 

ある者は雄叫びを上げ、獣のように狂う。

 

ある者は強引に前へ行こうと、他者の上を這うように進む。

 

ある者は隣の者と体を叩き合い、体当たりや殴り合いに発展する。

 

かがり火はついに火柱と合いなり、時折爆発している。

 

 

 

ヘレンは目を見開き血走らせながら、左目を光らせ、観衆を舐るよう、一人一人にガンを飛ばしていく。

 

 

ギャンギャンギャギャーーーンッ!!!!

「ウ゛ゥ゛ゾォヴァアアアアアアッッ!!!!」

 

 

血走っているのではない、目から赤い涙が流れている。

 

ヘレンはまぶたの裏と涙腺の血管が弱い。

最初は驚くが、慣れた仲間にとっては鼻血程度のイベントだ。

だがそれを知らない観衆にとって、それは悪魔の降臨を確信するに十分であった。

 

 

ギャンギャンギャギャーーーン、ギャンギャンギュアアアアッ!!!!

「ツ゛ゥエ゛イゴンジョア゛ア゛ア゛ア゛アアアアアアアッ!!」

 

 

地面は震え、怒号と化す。阿鼻叫喚の様相はもはや地獄であった。

 

 

ギャ―ンギャーンギャギャーーンギャンギャンギャーーーンッ!!

「ィビュラァリィヴァディズヴァ゛ア゛ディィヨ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ーーーーー!!!」

 

 

右を向けば白目を剥き徘徊する者が。

あそこではファーシュエが座り込み、失禁している。ハンユエはすでに意識を失っており、左側を向けば、イエンが泡を吹く老人を抱えて涙を流し、

届かぬ悲痛な声で衛生兵(口の動きからそう思われる)と叫び、薄顎は抜刀している。

 

こんな時でも大した奴だ。

この場を収める為、あの魔王に斬りかかるべきか逡巡しているのだろう。

 

相手はあの白霊を討伐した少女だ。しかも今はエクストリーム状態。少なく見積もっても白霊より強い。薄顎程度では斬りかかったとしても結果は見えている。薄顎もそれは理解しているだろう。

 

 

ギャギャギャンギャギャン、ギャギャギャン!

ギャギャギャンギャギャン、ギャンギャンギャン!

 

「……ギャア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ウォオオオオオオオオッッ!!!」

 

 

 

地獄はやわらいだと思うと更に激しくなり、

ヘレンの姿勢は良くなったと思えば獣のようになる。

 

 

 

ギュイィーーーーンギュゥーン!!!!

ギャルギャルギャルギャルギャーーーーーーーーーーンッッ!!!!

 

 

間奏か?歌声がやむと演奏が激しさを増す。

ひどい。せっかく歌が弱まったのに、どうしてそんな事をするんだ。

 

 

 

…すると、突然ハープの断末魔が弱まり、ヘレンが美しい声を響かせる。

 

 

ゆっくり、囁くように、何かを歌っている。

 

 

 

 

「Si vis mundi… (お前が世界を望むなら)」

 

「Ora in corde tuo… (お前の心で祈れ)」

 

「Si vos vere volo…(お前が本当に望むなら)」

 

「Mundus tuum est…(世界はお前のものだ)」

 

 

「Operuit in hoc mundo stercore tuum est…(このクソにまみれた地べたはお前のものだ)」

 

 

 

ギャンギャンギャギャーーーンッ!!!!

「イビュワンダヴァアアアッッ!!!!」

 

 

再び地獄に戻る。今のはなんだったのだろう。

規則性も判らぬ恐怖は数分間続き、最後に一際大きい断末魔が響き渡る。

 

 

ギャ―ンギャーンギャギャーーンギャンギャンギャーーーンッ!!

「ィビュラァリィヴァディズヴァ゛ア゛ディィヨ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ーーーーー!!!」

 

 

 

 

…余韻が薄れるにつれ、反比例するように観客の声が鮮明になる。

魔界は、現実の色を取り戻していく。

 

 

終わった、のか…?やった、解放されたのだ。

もう苦しまなくていいのだ。だが、認めたくないこの感情はなんだ?

ほんの少しだけ、地獄が過ぎ去った事に、寂しさに似た気持ちが去来したような。

 

…そんなハズはない。これは安堵や、何か別の感情がそう錯覚させているだけだ。断じてこれ以上の断末魔など求めてはならない。

 

 

「ア、アイツ一体…、ぬ、何を。ゆって、たんだ。」

 

呂律が回っていない。

 

「たぶんずっとラテン語でぇ~。…口には出せないような事を。」

 

 

ステージ上では天使の顔をした悪魔が、

着衣を乱し、うっとりした表情を浮かべている。

 

血の涙を親指でぬぐい、唇に塗りつけ、その潤んだ唇を動かす。

 

 

「ハァ、ハァ、愚民共…、ハァ、如何…だったかしら…?」

 

 

 

『ヴォオオオッ!!』

 

『ンべアアアッ!』

 

『ヒェアッ、ヒェアッ、ヒェアアアアッ!!』

 

『クソガァーッ!!犯らせラァーッ!!』

 

 

前の方は一体どうしたというのだ?

粗暴な面もあったが、根は善良な人々だったじゃないか。

 

これではまるで、飢えた荒野で商人を見つけ、なりふり構わず襲いかかる時の盗賊だ。あの魔女が皆を悪魔に変えてしまった。

 

 

 

「今、犯させろと言った者…。壇上へ上がりなさい」

 

 

『ウォオオオオオ゛!!俺だぁあああっ!!』

 

 

拳をふりまわし、ドスンドスンと詰め寄り、

三回りも小さい少女に向かって、今にも喰いかからんと威嚇する巨漢。

その口は大きく開き涎を垂らしている。

かつては物静かで、姉の命令を忠実にこなしていた倉庫番、その成れの果てだ。

 

 

『剥けああああああ!!』

 

『犯せああああああ!!』

 

『食いちぎらあああ!!』

 

 

かつて戦場で盛んに行われたという一騎打ちとは、あるいはこのような物だったのかもしれない。

 

 

 

「醜く肥えた大豚さん…。お覚悟はよろしくて?」

 

 

「こいやぁあああがぁああああ!!」

 

ドンドンと両拳で胸を叩きながら、巨漢は腰を激しく前後に振る。

 

 

 

「ハァアアッ!!」

 

ヘレンが天空に掲げた腕を体ごとハープへ叩きつけ、15本の鋼鉄絃に一直線の火柱が走る。

 

 

 

バギュイィイイイイイ!!!

 

 

 

球状に広がる金切音と雷撃により、二百斥を越える男が矢のように吹き飛ばされる。男は雄叫びをあげながら観客に突っ込み、巻き添えで罪の無い何人かが宙を舞った。

 

「(一般人に魔法をブチ込みやがった!間違いなく大惨事だ。大惨事なのに雄叫びを上げている…だと?)」

 

 

 

「ワタクシのステージに勝手に上がらないでくださる?」

 

身を乗り出し、自分を抱くような妖艶なポーズで言い放つ。

 

歓声が上がる。

 

 

やりすぎだ。やりすぎなのに歓声が上がる。

やりすぎだから歓声が上がる。

 

 

巨漢の下敷きになった者達も、拳を天に掲げている。

腕が折れているため、掲げられたのは肘までだが。

 

 

「(なぜだ…。被害だけで言えば、今のは市街地に投石を打ち込まれたレベルだ。なぜ喜べるんだ。勝利したのか?戦争に。最前線の奴等は)」

 

 

呂尚の思考が追いつかない。

 

そう、ここにはルールも常識もない。ただ己の本能を解き放つのみ。

言葉はいらない。頭ではなく、体で理解していた。

 

 

「ヘレンっちぃ。すっごいウットリ顔でぇ、ルージンっちぃ見てるよぉ。あれは完全にぃ~。処女イキの顔ねぇ~」

 

 

お前もこうしてやった事があったな、そんな見下した感情が、言葉ではなく体で理解出来る。

 

なぜこうなった?わからない。

確かなのは、あの満足気なドヤ顔がムカつくってことだ…!

 

「(アイツ絶対、高い所から魔法をぶっ放すのが好きなんだ!)」

 

 

 

「もう一曲いきますわよっ!!汚らわしい豚共ォーーーッ!このワタクシに跪く事を許可して差し上げますわアァーーーッ!!」

 

『ヴォオオオーーー!!』

 

激しく裏返るヘレンの声。誰も跪く様子はない。

 

 

地獄が再来する。確信する。

耳が、脳が、胸が。

もうこれなしでは生きていけない体にされてしまった事を。

 

 

 

呂尚は悔しさに拳を震わせている

 

「わた…、私は…」

 

「もうWIZバドってぇ~。認めてあげたらぁ~ん?」

 

「わたしは・・・ゼッテェー・・・認めねェェーーーッ!!ヴォオオオォーーーッ!!」

 

 

呂尚は駆け出す。獣の群れへ飛び込む。

 

担がれ、投げられ、殴り、殴られ、ケツや胸を鷲掴まれ、服がズタズタに破れ半裸になりながら、

 

 

 

「認゛め゛ね゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!」

 

 

 

と、獣のような雄叫びを上げ続ける。

 

祭りは最凶のクライマックスを迎えたのだ。

 

そう。言葉なんざ、いらねんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

第一回、跳躍者祭:軽症30、重症7、死亡1(かろうじて蘇生)

 

 




ヘレンのマスタリー:
WIZ100、クレリック100 ⇛ WIZ100、クレリック80、バード20


秦始皇帝陵での「釣り」の様子は、コチラの動画の後半に写っています。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8914306

中国種族のソロ狩りの3倍以上の効率を発揮するEUPT狩り。
ウォーリアー(剣士)とクレリックが前衛を務め、WIZとバード(3~4人)が後衛を務め、釣りがmobを引っ張り、狩るのが基本でした。

1(又は2)芸に特化するEU種族に対し、中国種族は器用貧乏で、mobを釣る役割意外でEUPTに入る事はできません。その釣りに関しても、バルクス(チェイサー)のボーガンスキルの方が優秀であり、これによる成長速度差は大きな問題でした。
「中華をPTに入れると効率が悪くなるのでお断り」というPTも多かったです。

EU種族は(当時は)2つの職を極める事が出来ました。これを利用し、
クレリックの人が抜けたらウォリアー+クレリックの人が代わりを務めたり、
WIZクレの人が新しく入ったら、WIZバドの人がバードを務める、なんてスイッチを行っていました。

バード(吟遊詩人)は主にMPを回復させる役です。他にも色々出来ますが、2人いないと使えない技があったりと、サブスキル(たしなみ)の印象が強いです。

WIZ+クレは自分を回復出来るためソロ狩りにも対応でき、初期に流行りました。
ただ、クレリックは前衛職のため、PT狩りではクレリックが抜けたとしても、体力の低いWIZクレは代わりを務められず、WIZバドの方が優秀だという事で、今度はWIZバドが流行りました。
WIZクレの人は肩身が狭いので、せっかく覚えたクレスキルを回収し、バドスキルを覚え直したりといった事がよくありました。

そんな当時の状況を再現したのが、この、ヘレンのWIZクレ→WIZバド転向の話です。
また、バードの初期スキルには、恐ろしいほどの不快音で敵を攻撃したり、遠ざけたりするスキルがあって、それは現代でいうところのエレキギタ―の音なのかな?と思い、エレキハープというものを考えました。(エレキハープは実際にあります。)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

奇譚収遺使禄.Ⅸ 「二人の逃避行」
京兆府長安女子監獄所


 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

そこには絶対的なヒエラルキーがある。

 

 

 

「実子を殺した者」は最下層、次が「役人や衛兵の近縁」

 

「体の弱い者」、不倫や詐欺を働いた「嘘付き」

 

「普通の者」

 

「腕っぷしの強い者」

 

賄賂を用意できる「良家の娘」の順に高くなる。

 

 

 

良家の娘ってのは昔の私だ。

 

もちろん一番上にいるのは「重犯罪者」

 

 

 

 

今の私だ。

 

 

 

 

重犯罪者はすぐ死刑になるのが通例だ。

だがなぜか、いつまで経っても死刑にされず、デカイ顔し続けてる奴がいる。

この牢房七不思議の一つ。

 

シャバでは優遇される「容姿の良い女」は、ここではあまり良い目に合わない。

男女から性欲の捌け口とされるから。

 

コネがあったり、賄賂でも渡さぬ限り――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――夏の乾燥した気候、大きな煉瓦で固められた建造物。

 

配益と検断を行う「京兆府長安監獄所・女子棟」は、

天聖令に違反した罪女、及びその疑いがある女が収容される。

 

 

強制労働を強いられる事になった者。

懲罰を与えられる者。

裁判や中央への送還を待つ者。

 

それらがまとめて放り込まれる、悪女の巣。

 

女達が犯した罪は、窃盗、売春の軽犯罪から、

殺人・強盗の重犯罪に至るまで、多岐に渡る。

 

 

刑期は極端に短い。

 

 

死罪にならなければ…まぁなってもだが、

どんな罪でも数年で出られる。

 

理由は獄中の過酷さ、それ故の獄死の多さだ。

 

 

その監獄所の一角にある「渭三号牢房」は、大体一坪ほどの半球空間。

 

中には六、七の罪女がすし詰めになり、

女特有の甘い匂いが充満し、暑苦しさが倍増している。

 

天井には小さな格子があって、雨がそのまま入ってくる。

横の窓は拳が通る隙間しかない。

 

薄暗くて通気性も悪い。空気は最悪だ。

 

 

その狭苦しい空間に、もっと暑苦しい女が加えられる。

 

 

 

 

 

呂晶(ルージン)、入れ」

 

 

 

看守の声が響き、太い木製の檻が開かれた。

 

狭い通路を歩かされて来た女は、

乱暴に首枷を外され、突き飛ばされるように中に入る。

後ろで木製の檻が勢いよく閉じた。

 

突き飛ばされた勢いで髪が跳ねる。

黒くて先が白い、ストレートヘアー。

 

 

 

その新参者に、牢房の奥に座る、短い髪の女が声をかける。

 

 

「よう、お前…。呂晶じゃねーか」

 

 

壁の真ん中に陣取るその女は、

まるで自分こそ牢房の主である、と誇示しているかのようだ。

 

 

 

「よう、端和。久しぶりね」

 

 

新参者は、主に向かって

馴れ馴れしく挨拶する。

 

 

「まーた何かやったのか?」

 

 

「まぁ、ちょっとね…。」

 

 

「今回も期待してるぜ、脱獄王…あははっ!なんつってな!」

 

 

 

「…」

 

 

脱獄王と呼ばれた二十歳の女、

呂晶はひどく落ち込んだ顔をしている。

 

 

「どうした?らしくねー顔して」

 

 

呂晶は右手で左手を抱え、

うつ向きながら言葉にしていく。

 

 

「…ごめん。わたしね、今まで沢山の人にヒドイ事してきたから、

もうそんな事しちゃダメだって。だから今回は心を入れ替えて、

罪を償おうと思ってるんだ…」

 

 

 

牢房に静けさが訪れる。

 

 

 

『…』

 

 

『ぐ…っ!』

 

 

『ぶほぉ…っ!』

 

 

『ぶふっふふ…っ!』

 

 

 

牢房にいる女達が、

咳払いしながら堪えている。

 

 

 

『ぎゃっはっはっはっは!!似合わねーッ!マジ似合わねーッ!!』

 

 

『大丈夫ッ!!オメーにゃ誰も期待してねぇからッ!!』

 

 

『あざとォーいッ!!あざといよ呂晶ッ!』

 

 

 

足や壁を豪快に叩き、女達がけたたましく笑う。

 

 

そう、これが私達の、

馴染みを迎える歓迎だ。

 

この渭三号は、ここじゃ一目置かれる牢房で、

同時に私の古巣でもある。

 

多少の入れ替わりはあったようだが、半分以上は知った顔だ。

 

 

 

『アンタの償うはあざといよォオオオ!ぎゃっはっはっはっは!!』

 

 

馬鹿な事で笑っているのは判っている。

 

面白いかどうかじゃない。どう面白くするかが大事だ。

私達なら箸が落ちても笑いに変えられる。

ウチら最強。

 

 

外にも仲間はいるが、アイツらは温室育ちで刺激がない。

言っちまえばアタシもそうだが、

さすがに、それはコイツらにも言ってない。

 

だが一つや二つ、秘密があるのは皆同じだ。

 

 

()()()じゃねーからっはっはぁ!!気分で選んじゃダメ~!ショッピングじゃねぇからココぉっ!…はぁ!…はぁ!」

 

 

この一際デカイ声で笑っているのが楊端和。

ここを仕切ってる。(てゆーかそろそろ笑いすぎじゃね?)

 

 

端和とは以前ここで、体を重ねた仲だ。

ちなみに口癖は血祭り。

 

2年で出るハズが、獄中で強盗や傷害を繰り返し、

今ではダントツの古株だ。

 

投獄最長記録でも狙ってるんじゃ?と噂されている。

 

本当の名はアイシャ。

楊端和という名は、アイシャみたいな可愛い名前じゃ舐められる

という理由で、

歴史上のとても強かった人物にあやかり、自分で付けた名らしい。

 

 

「お前は歴史など知らんだろうけど」と言われたが、

端和こそ、私が歴史の勉強できる家の出とは知らんだろう。

 

 

初めてブチ込まれた時、最初はぶつかりもしたが、

右も左も判らなかったアタシに甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。

アッチの方も色々教えこまれたが。

 

そう、私がバイに目覚めたのは、全部コイツのせいだ。

 

 

腕っぷしが異常に強く、ケンカをしてはよくタコ殴りにされた。

(タダではやられてない)

 

その後は決まって夜這いに来て、

お詫びといわんばかりに天国へ連れていくのでタチが悪い。

 

『皆寝てるから大丈夫だ』なんて言ってたが、周りにはバレバレ。

盗み見てオナってる奴もいたくらいだ。それはそれで興奮したけど。

 

多少痩せたようだが、偉そうな所を見るとまだ腕は健在だろう。

 

 

 

「この前はなんだっけ?」

 

 

「商人を殺った。」

 

 

「その前はなんだっけ?」

 

 

「商人を殺った。」

 

 

「て事はぁ~?今回はぁ~?」

 

 

大きな動きで、

端和がリズム良く質問する。

 

 

「ちょっとさぁ…毎回同じだと思わないでよ。…商人を殺った」

 

 

呂晶は首を、親指でトンと叩く。

 

 

「よくやったァッ!!ぎゃっはっは!この子怖ぁ~いっ!

お前もそう思うだろッ!?おぉッ!?」

 

 

中年のオヤジのように膝を叩きながら、

端和は横にいる、初対面の女に紹介する。

 

 

『強盗殺人か…やるじゃん』

 

 

「まかせろ」

 

 

こうやって初対面同士の仲を取り持つ。

牢房の健全な運営に欠かせない仕事だ。

 

放っておくと大抵トラブルになるからな。

 

 

たまに下手をこいてしょっぴかれるが、

端和がいると思うとそんなに嫌ではない。

 

適度に捕まっておかないと、国中で指名手配なんて事になるしね。

 

 

だがコイツ、人には理由を聞く癖に、

自分がしょっぴかれた理由は絶対話さない。

今回も多分聞けないがそれでいい。実はもう調べて知ってるし。

 

ただ判ったところで意味はない。コイツの口から教えて欲しかった。

 

 

牢獄暮らしのコイツは知らんだろうが、

アタシは外じゃもう、そこそこ有名な武侠だ。

 

あまり馬鹿も出来なくなってきた。

 

コイツと会うのはこれが最後だ。

今やったらケンカでも勝っちまう…いや、殺してしまうだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

「…Θορυβώδης(トリボディス), κλείστε(キィステ) το() (うるさい、口を閉じろ)」

 

 

 

イチャつきムードに水をかけるように、

低血圧、冷たく刺すような、大人になりきれてないハスキー声が、

隅の方から発せられる。

 

言語も、上品な発音も、何もかもそぐわないその声は、

一筋の瞬閃のように、この場を貫いた。

 

 

 

 

おや?

 

 

 

 

『アイツ、今朝入った新人。ガイジンだから言葉が通じねーんだ。なーに話しても仏頂面、

構うだけ無駄だ。なんか目も気持ち悪ぃし』

 

 

女囚の一人が、少女の情報を伝える。

 

 

 

んん~??

 

 

 

少女の髪は埃にまみれているが、それでも白金のように輝いてる。

一目で異質だと判る。

 

その異質な少女と、呂晶の目が合う。

 

 

少女の左目が光っている。

 

 

それは薄くだが、

暗がりだからよく目立った。

 

 

 

「うっそ…まじ?」

 

 

 

 

「…チッ」

 

 

 

金髪の少女・ヘレンは、目を逸らして舌打ちする。

二人共トレードマークの二つ縛りではないため、

お互い気付くのが一瞬遅れた。

 

 

「あらぁ、あらぁ~?」

 

 

呂晶の顔が、ぱぁっと明るくなる。

こんな所で絶対お目にかかれないような奴に、お目にかかってしまった。

 

 

「なになになに~?」

 

 

ヘレンは壁の方を向いて無視する。

 

 

「優等生が柄にもなく、イケナイ事に手を出しちゃったってか!?ぎゃっはっはっは!

ウケるゥー!サイコォー!ヤバァーイ!」

 

 

「…」

 

 

「あの剣士ッ!!まさか切り札をここで使ってくるとはぁああああッ!!」

 

 

やられた~とでも言うような、

大袈裟に苦しむリアクションをとる。

 

 

『ぎゃっはっはっは!!なんだそりゃ!』

 

 

ヘレンと呂晶の第二言語、

ギリシャ語は、他の者には理解できない。

 

だが、呂晶のコロコロ変わるオーバーアクションが面白く、

他の女もゲラゲラ笑う。

 

ヘレンも呂晶と同じく、投獄されて間もないのだろう。

普段の涼しげだが上品な格好をしている。

 

汗と埃で汚れてはいるが。

 

 

 

「どうしたんだい、そんな顔をして。んん~?」

 

 

 

呂晶は彼女の隣に座って肩を抱き、もう片方の手を広げる。

 

 

 

「ここは私の家のみたいなものでね…汚いが好きなだけ寛いでくれ給え、絶対強者よ。

んん~?ぎゃっはっはっは!!ぶわぁっはっはっは!!」

 

 

 

 

「イガイト、ビジンデスネ」

 

 

 

 

笑い飛ばす呂晶と対照的に、ヘレンが中華語で静かに呟いた。

 

 

 

「こいっ…つ…ッ!」

 

 

呂晶が立ち上がる。

眉間に皺を寄せ、怒りを顕にしている。

 

 

『外人が喋った…』

 

 

 

意外と美人っスね、とは、

先日の白霊戦の折、呂晶が絶体絶命の際に口にしてしまった言葉だ。

 

他の者は知らないが、呂晶にとっては苦々しい記憶である。

 

 

(この野郎…、あの後さんざんコケにされたんだぞ。

せっかく定着してきた私の二つ名「シルク王」が、「意外と美人」になりかける程だった。

威厳を取り戻すのに苦労した…この業界舐められたら終わりだってのに)

 

 

 

たどたどしい中華語が、更に呂晶の癇に障った。

 

 

 

「お前…。入ったばかりだろうから教えてやるが、そんな態度じゃ二日と保たないぞ」

 

 

「善良な者は火刑に処されたりしませんわ。神は全て見ておられます…アナタの事も」

 

 

「…ッ!」

 

 

 

私は神が大嫌いだ。

死後や一人でいる時…人間の恐怖につけ込み、勢力を拡大する集団とその象徴。

クソするとこもSEXも見てるってのか?気持ち悪い。

 

コイツら男のタマ掴んだけで手を斬るんだぜ?

どっちが蛮族だ。

 

神聖であると偽り、その実、最も狡猾な吐き気を催す悪だ。

 

その大っ嫌いな神の名が、

大っ嫌いな奴から出てきた。

 

 

 

――私の全てを賭けて、コイツが信じる物を、否定()()()()()()()()()

 

 

 

 

呂晶は何も言わずに離れる。

 

言い合いをしてる内はジャレ合いで、

ケンカでも無ければ殺し合いでも無いからだ。

 

 

(慣れない暮らしだろうから色々教えてやろうと思ったが止めだ。

とことん追い打ちをかけてズタボロにしてやる。

刑と言えば火刑しか思い付かないガキ!ここでも人生でも、アタシは先輩なんだよッ!)

 

 

 

兎にも角にも情報収集だ。まずはここから始める。

呂晶は檻に掴まり、外にいる看守に声をかける。

 

 

「看守…!看守ぅ~!」

 

 

一人の看守がこちらに近付いてくる。

 

 

「おお、立枷(リーチアン)じゃん!奥さんと子供元気?群賢だったよね、家は」

 

 

立枷と呼ばれた看守は、他の看守に聞こえないよう、

小声で無愛想に答える。

 

 

『残念だったな、もう引っ越した。いつまでもお前らの言いなりになると思うな。

お前には今までの礼をたっぷりさせてもらう』

 

 

「ああ、そうだった。確か…」

 

 

呂晶は目を細め、囁くように言う。

 

 

「利人市だったね。」

 

 

看守の顔色が青くなる。

 

 

『お前…何でそれを?』

 

 

「よく聞きなクソッタレ…アタシがそんな事も調べずここに来ると思うか?」

 

 

『…家族に手を出したらお前を殺してやる』

 

 

「なに怖い事言ってんのよ!元気か聞いただけじゃん!…外にいるアタシの仲間は判んないけど。

それよりさ…」

 

 

明るく声を張り、他愛ない会話というアピールをした後、

呂晶は看守に長々と耳打ちする。

 

 

「…に取りなしてくれ、タレコミがあるってな」

 

 

看守が怪訝そうな顔をしている。

 

 

「私が来るのはこれで最後だ。シャバに出たらお前が憎んでる奴をまた殺してやる。

今までの礼だ、遠慮はするな」

 

 

『本当か…?なら站籠(チェンロン)だ。光徳の站籠。留守にした間に妻を寝取ったクソ野郎だ』

 

 

「光徳の站籠だな、任せろ。それより今の件頼むぞ」

 

 

『ああ、しばらく待っていろ』

 

 

そう言い残すと、

看守・立枷は狭い通路を歩いていった。

 

 

 

…危なかった。

 

頭に地図を展開し、立地や奴の給料から、引っ越し先を二つに絞ったが、最後は勘が当たった。

 

手段を選ばず出る事も可能だが、リスクは避けたい。

やることも残ってるしな。

 

 

(それにしても弱みをペラペラ喋りやがる…懲りない奴だ。なぜ私が報酬もなく

殺し等せねばならない。しかもそんな使えそうな相手を)

 

 

 

看守へ根回しを済ませ、次に牢房の女達からも情報を集める。

 

 

「この外人の子、何やったの?誰か知らない?」

 

 

『看守が話してるの聞いたよ。榷場(カクバ)の外じゃなくて、中から来たんだ。

密輸だろうけどコイツは道を間違えたって主張してる。でも見つからずに入れるハズあるか?

どうせ助かりたくて嘘付いてんだよ。あ、最後のはアタシの推測だ』

 

 

女囚の一人が答える。

娯楽の少ない牢房では、探偵ごっこも立派な暇つぶしだ。

 

 

(…例の消える技か。大方盗賊に見つからないよう使い、そのままうっかり

関所も越えちまったって所か。文化の違いもあるだろうが、運もなかったな)

 

 

榷場とは関所を兼ねた市場のことだ。

 

国外から来た商人は、

そこで税を納める代わりに証明書を受け取り、貿易を行う。

 

中華からは絹、茶、陶器、最近では特に過剰供給の銅銭が輸出され、

国外からは宝石や家畜、地方特有の珍品が輸入される。

 

国外の商品を、“外から中” へ運び込む事はあっても、“中から外” へ運び出す事はおかしい。

その意図を調べるため、ヘレンは拘留されたようだ。

 

 

(あれ以来、姿を見せないと思ったら行商に手を出していたとは。にしても、あの仲良しこよしが一人ってのは妙だ。コイツは聞き分けも悪そうだし、あの剣士から捨てられたのかもな)

 

 

 

獄吏(ごくり)はラオだって。豚の老虎凳(ラオフーデン)

 

 

「ラオ?にしちゃキレイなもんだな。」

 

 

呂晶は眉をひそめる。

獄吏とは取り調べを行う担当官だ。

 

 

『なんか、大秦(ローマ)の貴族かもしれないって。いいよなぁー上流階級は。アタシの時は貧民街ってだけでロクに言い分も聞きゃしなかったのに』

 

 

『アタシもあのオヤジ嫌い。アソコに何か隠してんじゃねーかって、

中までほじくり返してジロジロ見てきやがったぜ』

 

 

『あのナリじゃヤル女もいねーから溜まってんだよ。シャバでもゼッテー何人か犯ってる。

あの豚を捕まえりゃいいんだ。すぐ殴るし』

 

 

その獄吏の話題になった途端、女囚達から不平不満の嵐が起き、

端和もそれに参加する。

 

 

「外人つっても、こんな子供じゃさすがに同情しちまうな…」

 

 

それを聞いて呂晶は微かに笑う。

 

 

(コイツは姉御肌っていうか、意外と優しいんだよな。まぁそこも嫌いじゃないんだが)

 

 

 

…ん?

 

 

 

「年少じゃないのか?コイツの歳なら」

 

 

『成人らしいよ。なぁ、おい』

 

 

女囚の一人が、

隣で用を足している女を肘で突つき、質問する。

 

 

『ん?ああ、18っつってたよ…おい!ひっこんじまっただろ!』

 

 

『ぎゃっはは、クソッタレ~』

 

 

本来の意味で使うには憚られる言葉を、本来の意味で使う。

不自由の中でのせめてもの自由だ。

 

 

(18…いいとこ15~6ってとこだ。まぁ、それ位でもなきゃ女が旅など出来んか。

アタシでも16の頃ったら、計画練ってた程度だ。外人は見た目より若くみえると聞いたし)

 

 

 

呂晶は考えながらヘレンを見る。

 

 

(いや…確か逆だ。コイツ、サバ読んでやがる!…何のため?舐められないため?

…それだけの為に?)

 

 

 

『はしゃぐなッ!!囚人共ッ!!』

 

 

 

看守の怒号が飛ぶ。

女囚達は声の方を睨む。

 

 

 

『呂晶、出ろ』

 

 

思ったより早く準備を終え、看守・立枷が声をかける。

 

 

 

(早いな、頑張りすぎだろう。まぁ必要な情報は揃った。後は…)

 

 

 

数人の看守に首枷を付けられる呂晶に、

端和が不機嫌そうに話かける。

 

 

 

「もう行くのかよ!何だってんだ、つまんねぇなぁ…」

 

 

 

不機嫌そうな端和に、

呂晶はいつもの調子で返す。

 

 

 

「端和。弟はお前の事、もう許してるっつってたよ」

 

 

 

「なっ…!」

 

 

 

端和が口を開け、唖然とする。

 

いつもヘラヘラしてる端和のこんな顔は、中々お目にかかれない。

思わずニンマリする。

 

 

 

「わざわざそれ言いに来たのかっ!?死人にでも聞いたのかよ気持ち悪ぃ。

イタコかテメーは」

 

 

 

首枷が付け終わる。

名残惜しいがもう行かなければならない。

 

呂晶は振り返らずに言う。

 

 

 

「ここの王はお前だよ。じゃあな」

 

 

 

「呂晶。」

 

 

 

端和が立ち去る背に声を掛ける。

 

 

 

「ん?」

 

 

 

わかってる。

誰かに言ったら血祭り、だろ。

 

言わないし、言った所でどーでもいいような

 

 

 

「たまには家に帰ってやれよ。シルク王」

 

 

 

呂晶は口を開けて、唖然とする。

 

そして、軽く笑う。

 

 

 

「(何が気持ち悪いだ。この負けず嫌いめ)」

 

 

 

ふり向かずに手を上げる。

 

 

 

今回は端和に別れを言う為に来た。

でもやはり、しみっ垂れたのは似合わない。

 

最後までカッコ良く去らせてもらう。

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

呂晶の戦場は徐々に広く、激しい物になっている。

 

今までの家出まがいの武侠旅ではなく、これからは本格的に華僑となり、

独り立ちせねばならない。

 

戦友の死の報を一人、二人、三人と聞くうち、怖くなった事もある。

別れは言える内に言わねば、二度と言えなくなるかもしれない。

 

彼女が生きようとしているのは、そういう世界だ。

 

 

 

『アイツほんとに何しに来たんだ?』

 

 

「さぁな。自分の家とでも思ってんじゃねーのかここが。ぎゃははは!」

 

 

『ぎゃははは!マジで思ってそ~。』

 

 

 

家も国も捨てた、悪人の呂晶にも、心の拠り所がある。

それは悪人以外にとっては、悪なるものである。

 

 

そして悪人の呂晶にも、譲れない矜持がある。

それは悪人以外にとっては、

 

やはり、悪の矜持である。

 

 

 

 

――私の全てを賭けて、コイツが信じる物を、否定()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

それから一刻後。

 

 

渭三号牢房の前に、醜く太った獄吏・ラオが立っている。

 

ラオは鼻息を荒くし、

牢房内の少女へ威圧的に命令する。

 

 

 

『ヘレン・アプリケント!!出ろッ!これより貴様の取り調べを行うッ!!』

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

【挿絵表示】

 

 

【挿絵表示】

 




楊端和ことアイシャは、私のギルドでかつてエースだった人がモデルです。最後の方にちょっと映っている、アイシャタイプのキャラで御伽草子という人ですね。
性格は普通の優しい方で、世話を焼いてくれたのは本当ですね。
(アッチの方は教えられえないです)

レベルが高くて、一緒に戦っても足手まといになってしまって、
力になりたいなぁとずっと思っていた人です。

彼が引退した後、次にエースとなったのが私です。
引退と言っても宣言する事は稀で、最近あまり見なくなったと思っていると、もうINしなくなったりが普通です。

彼を見なくなってしばらくして、
御伽さんのレベルまで@3、2、1…そして越える。
目標にしていたのに、あまり嬉しくなかったのを覚えています。

MMOは初期が一番賑わって、後は衰退するだけなので、
御伽さんだけでなく、私がエースになる頃にはけっこうな人がいなくなっていました。
新しい人も入って大分様変わりはしてましたが。
以後は彼に習って、そんな新人の世話を焼いたりしてました。

この監獄は、呂晶にとって、そんないなくなった人達がいる、思い出の場所という事になります。
皆メインは盗賊だったので監獄です。

別れを言える機会など滅多にありません。
こんな場所があったらいいな、という場所です。監獄だけど(笑)

シルク王というのは、私がロールプレイングの一環で自称していた呼称です。(呼称を付ける機能があります)

自分で言うのも何ですが結構強くて、同LV帯のギルメン二人相手に一人で勝つ程でした。
でも相手が落ち込んじゃったので、

「俺が1番強いから気にすること無いんやで」
という感じで付けたのが始まりでした。

仰々しい呼称ですが、しばらくすると浸透してきたのか、からかわれていたのか、
職業戦など行くと「王が来たぞー!」みたいに言ってくれる方もいました(笑)


ギルドのエースとしての自覚を持つように、かつての御伽さんのようにならなければ、という自分への戒めですね。
海賊王とか空の王とかもいますからw

でも不思議な物で、その名に恥じないようにと思っていたら、実際にその名に恥じないような実績を残す事が出来た、
と、少なくとも自分では思っています(笑)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

奇譚収遺使禄.Ⅴ 「花雪と寒月」
燻る気持ち


Copyright © JOYMAX.CO., LTD. All rights reserved.
Copyright © 2012 WeMade Online Co.,Ltd. All Rights Reserved.


 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

東方と西方を繋ぐ荒れ果てた荒野、河西回廊。

その河西回廊の南に壁のようにそびえ立つ死の谷・祁連(チーレェン)山脈。

 

その祁連山脈の麓――――一人の女が、

ドス黒く変色した『もう消える事のない傷』を抑えている。

 

女はいつものようにリスクとリターンを計算する。

落ち着いた影響なのか、今なら冷静に振り返ることが出来る。

 

 

 

 

「生き残ったから良かったようなものの……」

 

 

 

 

死にに行くような戦いだった。

 

 

 

 

「もし死んでいたら……」

 

 

 

 

何の意味も無い、只の『犬死に』

理性では確実に “無駄な努力だった” という解答が出ている。

 

 

 

 

「生き残った……――――生き残ったから、何だってんだ?」

 

 

 

 

その解答を自分で導いておきながら

 

 

 

 

「死んでいたら……――――何だってんだよォッ!!」

 

 

 

 

その解答を導いた自分を、否定する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アタシは “何か” の為に命を懸けて戦った!! 例え生き残ろうが死のうが!! アイツを殺せようが殺せまいが!! 腹に傷が残ろうが残るまいがッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アタシが正しい事をしたのに変わりは無いんだよ――――!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分で導き出した解答を ”絶対的な基準” で否定する。

その女には自分の感情よりも

 

 

 

 

信じる物がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アタシは…………アイツを……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正しい事をしているのに。

なぜ世界はこんなにも、自分に厳しいのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ユエ)、もっとじゃ……もっとかけろ!!」

 

 

 

 

祁連山脈から少し離れた河西回廊の砂漠道。

まだ若い、十代の娘達が “何か” に砂をかけている。

 

 

 

 

「ダメ、花雪(ファーシュエ)……これ以上かけても、もう……」

 

 

「ふざけるなっ!! “これ” を誰かに見られたら……(わらわ)達はおしまいじゃ!! おしまいなんじゃァッ!! とにかく砂を…………砂をかけるのじゃ!!」

 

 

 

 

花雪は必死の形相で砂をかける。

十八歳の女子が盗賊に恐怖する、ありのままの姿で。

 

その顔は涙だけでなく、”血” にまみれている。

 

 

 

 

「クソ……!! アイツさえこなければ…………アイツさえこなければ……!!」

 

 

 

 

『ユエ』と呼ばれた十八歳の女剣士は花雪を見つめている。

目が真っ赤に染まっているが、こちらは泣いたせいではない。

 

 

 

 

(死んだ者、殺した者……次にこの地を通る時、ほとんど骨となったそれらと、この子はまた目を合わせる事になるだろう……この子が死の恐怖に立ち向かうには早すぎる)

 

 

 

 

片方が割れた眼鏡。

その奥にある真っ赤な瞳で、花雪を見つめる。

 

 

 

 

「大丈夫、大丈夫だよ、花雪……アナタの願いは、私が叶えてあげるから――――」

 

 

 

 

そう言ってユエはもう一度、優しく、

穢された花雪を抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は少し遡る。

11世紀末、西暦1099年の春――――ここは『宋』の時代の中華

 

第七代皇帝『哲宗(てっそう)』とその右腕、宰相(さいしょう)章惇(しょうとん)』が国を納め、

外では敵国が宋を囲み、内では政治家が権力闘争を行ってはいるが、

おかげで商業は発展し、物々交換から貨幣制度に移行して久しい。

 

火薬や活版印刷、羅針盤なども発明され、航海による貿易も盛んになり、

芸術も大きく発展している最中。

 

中世前期から中世盛期へ。

様々な価値観や文化が変わる、歴史の転換期とも言えるような時代だ。

 

 

 

 

「つまんねぇらぁ~……」

 

 

 

 

その忙しい時代にも関わらず、暇を持て余している者が一人。

 

雄大な黄河が流れる自然豊かで肥沃な大地『蘭州』

その蘭州の森を貫く獣道のような街道。

ここをジョギングしたら澄んだ空気と柔らかな陽射しに包まれ、

さぞ晴れやかな気持ちで走れそうな。

 

そんな街道を一望出来る、これまた景色の良さそうな崖の上。

そこに寝転び下を見下ろす一人の女、名は呂晶(ルージン)、歳は二十。

 

その呂晶は虚ろな顔で独り言を呟いている。

 

 

 

 

「じっしぇきポインろらおにあぁー……(実績ポイントなのにな)」

 

 

 

 

背丈は女の中でも低め。

長い髪をツインテールにした後、『長方形のお団子』のような形にまとめている。

その髪は漆黒だが、所々、三割ほどが真っ白の(まだら)模様。

 

やや吊目で大きい目と、自慢の二重まぶた。

それなりに整った顔立ちに、まあまあ魅力的なボディライン。

つい指で突つきたくなるような手入れの行き届いたプニプニの肌。

 

好きな男は好きそうな、以外と手が届きそうな『(たか)低嶺(ひくね)の花』

逆にこのくらいの女が男心をくすぐり、

集団(サークル)に混じれば『姫』扱いされるのかもしれない。

 

だが、細く整えた眉に主張の強いアクセサリー。

どうやったかは判らないが、やり過ぎとも思える程に『盛った』まつ毛。

 

総じて『ギャル』と呼ばれる風体に、

そのメンヘラ具合を現す、鋭利に人を見下す目つき。

 

それが相手に『好きになったら負け』という闘争心を掻き立て、

『部屋もさぞ汚いことだろう』と、貞淑さの無い本性まで見抜かれ、

彼女の人生を幸薄いものにしているのは明らかだ。

 

そして傍らに携えた身の丈よりも大きい『矛』

その鋼鉄の切っ先は自傷行為(リスカ)用にしてはあまりに巨大で狂暴(メンヘラ)だ。

 

”ファッションで持ち歩いている、イケてるでしょ?”

と言い訳した所で、冗談にもならない。

即刻、通報されてお縄に付くような『凶器』

 

何より、その身に纏う『黒装束』

背中や腰、袴の横から太腿を露出したりと『健気な努力』の跡は見えるが、

どれだけお洒落に着こなそうと『マイナス100点』なのは言うまでも無い。

 

何故ならこの服は、『好きになった負け』どころでは無い、

何もしなくても殺しに来るような盗賊(テロリスト)が纏う服だからだ。

 

 

 

 

「スゥー……プァ―……」

 

 

 

 

その呂晶は暇過ぎて阿片(アヘン)を “キメ” ている。

 

最近、シラフの時でもボーっとしたり、

突然気分が高まり過ぎてしまうので控えていたが、

あまりに暇で解禁してしまった。

 

陶酔感はあるが、あまり気持ち良くない。

やる前の気分がダウナーだった為、それに引っ張られたのだろうか。

 

昔はこの辺りも栄えていた。

襲いきれない程の商人、賞金稼ぎの辻斬り。そして血に飢えた同業者。

ソイツら武侠(ヤクザ)が日々雌雄を決し、弱肉強食の淘汰を繰り返していた。

 

でも今は、自分しかいない――――

 

 

 

 

「こぉ~こあもぉ~、らぁめられぇ~……(ここはもうダメだね)」

 

 

 

 

頭をフラフラと振り、脳に阿片を行き渡らせる呂晶は、

『行商人』が通るのを待っている。

 

『行商人』とは、ある地域から別の地域へ商品を運ぶ、運送業者のようなもの。

ある地域でありふれた物が、別の地域で同じ重さの『金』に相当する値で売れる。

と言っても、それは相当上手くいった場合だけだが。

 

行商に全財産を投資する者は珍しくないし、

多大な財を築く者もいれば、身を滅ぼす者もいる。

身を滅ぼす理由の大半は呂晶のような『盗賊』の所為(せい)なのだが。

 

とにかく、行商人への『盗賊行為』とは、金を盗むよりよっぽど金になる。

 

 

 

 

「でも……ここ以外も微妙なんだよな……」

 

 

 

 

吸った量が少なかったのか、質が悪かったのか、

醒めるのが早い気がする。

 

荒野で待ち伏せてもいいが、正直、荒野で待つのは辛い。

何日も飢えと戦うハメになるし、広すぎて商人とかち合わない事もしばしばある、

身を隠せる場所も少なくリスクが高い。

かと言って、軍に囲まれた町中では戦いどころではない。

 

ということで中華の西端、黄河の中流、蘭州の『虎穴山』と呼ばれる地点で、

崖に寝そべり眼下の街道を監視する。

 

ここは昔から『餌』が釣れるポイントだが、

警戒されたのか今では通る商隊も少ない。

 

 

 

 

たまに見つけると小物すぎる――――

 

農家の爺が小麦か何かを運んでやがる。

孫に小遣いでも渡すために頑張ってんのか?

 

 

 

 

たまに見つけると大物すぎる――――

 

大勢の護衛を引き連れてとても手が出せない、まるで大名行列だ。

あれを落とすにはコッチもかなりの数――――五十は要る

 

 

 

 

あとは、軍隊なんかがたまに通る。

 

結盟総出で大物狩りなんてのも燃えるが、結盟にも死人が大勢出る。

ならば幾つかの『結盟』で組んで、連隊規模で作戦を練り――――

 

 

 

 

「……って、今時、そんなガチで盗賊してる奴なんていないか。結盟(ウチ)の連中だって最近は――――」

 

 

 

 

『結盟』とは、詰まるところ仲間だ。

いつも一緒に活動する結盟もあれば、ただ籍を置くようなもの、

やたら守秘義務が強い結盟もあったり、形態は様々だ。

 

『学校』や『会社』という概念が乏しい時代。

目標を同じくする武侠が集い、活動や情報共有を行う集合型コミュニティ。

ヤクザの『組』や、マフィアの『家族』という概念が一番近いかもしれない。

 

 

 

 

アタシは自分が所属する結盟に、ちょいちょい不満を持っている――――

 

まあ人間関係、全てに満足というのも稀だ。

夫婦でさえ妥協して暮らしているのだから。

 

気に入らなければ変えれば良い、面倒なら我慢すれば良い、

今はそれよりも――――

 

 

 

 

「戦いてぇー……」

 

 

 

 

試合とか、そういうのじゃダメなんだ――――

 

そんなことの為に鍛えた訳じゃない、

“何か” の為に、命を懸けたい。

 

自分は一応『盗賊』なので、『商人』を襲うのがそれに近い気がする。

その『商人』を襲うにも条件がある、何でもかんでも襲えば良い訳じゃない。

 

九割は『護衛の数』で決まる、多少はこっちより多くても構わない、

というか大体の場合、向こうの方が多い。

盗賊はいつでも人材不足だし、好き勝手な連中ばかりで集まりも悪い。

 

自分の場合、四人程度なら一人でイケる。

何故なら自分には――――まあ、さんざん使い古された手ではあるが、

一度、姿を見せてから後退し、追ってきた足の速い者から斬り殺す、

『偉大教師剣心』という戦法があるからだ(他の奴がなんて呼んでるかは知らない)

 

これを使えば、例えば相手が四人だとしても一対一を四回勝てばいい。

勝ち続けられるなら理論上、相手が百人だろうと二百人だろうと殺れる事になる。

 

一人で仕事をすることが多かった私は、

護衛が付いた商隊に手を拱いていた折、ある『戯画』をキッカケにこれを閃いた。

 

ねちっこい性格のせいか、かなりハマった。

似たような事を考える奴は他にもいたのか、それとも私を真似たのか、

ちょっと前の盗賊界隈ではけっこう流行った戦法だ。

 

だがその内、商人の中にも対策をしてくる奴が現れた(現れるまで時間は掛かったが)

追って来ないのだ――――

 

 

以前、『偉大教師』を仕掛けた際、

商人が護衛に言った『追ってはダメだ』という声を聞いて以来、

アタシはあからさまに仕掛けないようにしている。

 

だが、同業で続けてる馬鹿はいるだろう、

そうなると『対策』も流布されてるハズだ。

 

おそらく今、例の大名行列なんかに仕掛けたら、

素通りされ、指を差して笑われるほどに型落ちの戦法だろう。

 

まあ、そういう相手がいたらコイツをブチ込んで、

仲間が殺られて怒った所を誘い込む、なんてのも楽しそうだが。

 

 

 

 

「まっ――――リスク高いからやんないけど」

 

 

 

 

大体、何人か殺しただけでは意味が無い――――

 

積荷を崩し、回収し、追手や新手と戦いながら逃げ切らなければならない。

その為には人手がいる。

相手が百人いたなら、最低でもその半分は欲しい。

 

積荷を回収するのは面倒だけど、それもなければ『快楽殺人者』と変わらない。

殺しは手段であって、命を懸けるのはあくまで『目的』だ。

殺すだけならさっきの小麦爺でも殺ればいい。

 

とは言え、自分は金に困っている訳でもない。

実家が金持ちだからだ、勘当同然ではあるけれど。

困ったら、気は進まないが親にたかればいい話だ。

 

金では『目的』足り得ない。

では、何なら良いのか――――? 自分でも判らない。

 

ただ、『何かしなければ』という想いだけが、

心にずっと燻っている。

 

 

 

 

「いや、待てよ……?」

 

 

 

 

護衛の奴らだってそうだ。

せっかく修練した武功を試す機会が欲しいハズだ。

 

四人程度の少数編成なら、護衛も自分の腕に自信があるって事。

相手が一人なら数の優位で油断を生む、だから追ってくる――――

 

 

 

 

「護衛は四人くらい、それでいて、アタシがギリギリ勝てる相手。積荷は宝石がベストね! 布や銅銭はかさばるしぃー」

 

 

 

 

呂晶は『理想の恋人条件』を考えるように、年相応の表情を見せる。

考えているのはどうしようもなく悪い事だが。

 

 

 

 

(まっ、今の御時世、そんなカモみたいな商隊もいないだろうけど――――)

 

 

 

 

「つーまんねーのぉ~~っ!」

 

 

 

 

(さすがに眠くなってきた。一応、もう少し粘ってから帰っか――――)

 

 

 

 

半ば諦めてはいるが、習慣になっているこの監視を続ける。

 

 

 

 

ん?

 

 

 

 

んん?

 

 

 

 

いた――――……



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

真夜中の旅団

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

いた――――……

 

 

 

 

(馬に乗った商人ひとり……弱そうだ、護衛は四人)

 

 

 

 

二人は余裕、二人は何とか殺せそう。

積荷は少ないが厳重、陶器か? あの規模じゃ宝石は無いか、

ヘラヘラ談笑してる――――無警戒

 

まず出頭に商人を殺し、そのまま走り抜ける。

怒りで追ってきた奴を一人づつ殺し、誰もいなくなった所で荷を吟味し、

気に入った物をまるっと――――

 

 

 

 

「……って、ありゃウチの連中じゃねーか!!」

 

 

 

 

――――アタシが所属する結盟、『真夜中の旅団』

 

人情に熱い商人上がりの武人、魏・圏(ウェイ・クァン)とその仲間が立ち上げ、

自由な気風で頭角を顕してきた新進気鋭の結盟。

 

とは言え、かつての群雄割拠に比べて穏やかな昨今、

頭角と言ってもたかが知れている。

 

昔は一人、飛び抜けたエースがいたそうだが、私が入る前に抜けてしまったそうだ。

一緒に仕事をした盗賊仲間が所属していて、

『エースの穴埋めを募集している』と紹介され、籍を入れた。

 

結局、その盗賊仲間だった女の子は『自分には向いていない』と、商人に転向した。

仲間だから襲う事は出来ない。

 

――――で、その転向した商人っていうのが

あそこの真ん中で馬に乗ってる遊珊(ユーシャン)先生、アタシとタメだ。

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

タメなのに何故『先生』かと言うと、

結盟の女達は皆、先生に作法や化粧、喋り方なんかを教わってる。

 

元・花魁で、男を惚れさせるテクが半端じゃないのだ。

代わりに皆は、先生に弓術や気功を教える。

 

腕力は無いのに、最近じゃ気孔で補ったけっこう強い矢を放ってくる、

動く的にもほとんど外さない。

一芸に秀でる者とは、他の事でも吸収が早いのだろう。

 

そして何より、肌が幼女のように瑞々しい。

あれが花魁だったと言うのなら、男はやはり幼児体型が好きなのだろう。

 

私は女の特権でよくあの肌に抱きついている。

『バイ』だと気付かれるのが嫌で一線は保っているが、

一緒にいるとムラムラして正直ヤバイ。

 

だがそんな先生も、肌の秘訣だけは教えてくれない。

 

 

 

 

「そんなっ……何もしてないのよ? 本当なの……」

 

 

 

 

と言ってごまかし、それがまた可愛い。

 

だが、絶っ対! 何かしているハズだ。

その遊郭の秘術、いずれ頂いてみせる――――

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

商人だろうと盗賊だろうと構わず受け入れ、それでイザコザが起きないのは、

(ひとえ)に結盟主・ウェイの人徳だろう。

 

今、先生の横で護衛している、長身で眉間に傷があって、

長い髪を一つに束ねてる、顎の薄い男がそれだ。

 

この結盟は面白そうな事なら何でも挑戦する。

気が弱い奴もいれば、気が荒い奴もいる。

 

下手な正義感は持たず、以前は盗賊業も手伝ってくれて、

けっこう居心地が良かった。

 

 

 

 

「でも、今はコレ――――」

 

 

 

 

増えた人員の育成、装備、その他活動資金を捻出するため始めた行商。

やり出したらハマったらしく、

最近じゃ遠足気分で色んな所を行ったり来たりしてるそうだ。

 

ウェイは私と同じく商人家の出だから性に合ってんだろう。

と言うか、盗賊業の方がみんな無理に合わせていたのかもしれない。

 

私は逆に、『行商なんて興味ない』と断っていたが――――

 

 

 

 

「いざ見るとアイツら、格好のカモじゃん……」

 

 

 

 

いつもあんな具合なのか――――?

 

まあ、ウェイがいればそうそう殺られはしないだろうけど。

アイツ、あれでそこそこ強いし。

 

 

 

 

「久々のカモが結盟とはなぁ……あー、もうっ!」

 

 

 

 

近頃は盗賊界隈も繋がりが薄く、同業がどれだけ続けてるかさえ判らない――――

 

私が未だに昔ながらのポイントで張ってるのも、

この情報不足に起因する。

 

 

 

 

「それを解消すんのも、結盟入った理由なんだけど……――――おっ?」

 

 

 

 

ウェイ達の後方、茂みに隠れて動く『黒い物体』が二つ。

両手で筒を作りその方角を注視する。

 

 

 

 

(盗賊、二人か――――動きが慣れていない、ルーキーだ)

 

 

「殺るのかぁ……? いくのかぁ……? いけーーっ!!」

 

 

 

 

本来なら結盟の助けに入るところだ。

でも、久々に見つけた同業だけに先輩心からついつい応援してしまう。

 

 

 

 

「おおお、いったーーっ!」

 

 

 

 

自分が手を出せない分、余計に感情移入しているかも。

 

 

 

 

「殺れぇーッ! 薄顎を殺れぇーッ! アイツは顎が弱点――――ああ~……」

 

 

 

 

先に飛び出した一人が集中攻撃に倒れ、

それを見たもう一人は理性を失って突っ込み、やはり集中攻撃に倒れた。

『偉大教師』すらも知らないとは。

 

 

 

 

(何やってんだよ……)

 

 

 

 

あれでは『特攻』だが、それなら最低でも一人は道連れにせねばならない。

あれでは只の『犬死に』だ。

 

 

 

 

「アタシがやったらなぁーっ! アタシがやったらなぁーっ!」

 

 

 

 

違う、アタシがやっちゃいけないんだった――――

 

 

 

 

「賊って……実はまだ、結構いるのか?」

 

 

 

 

判ってれば一緒に殺ったものを。

いや、アレは殺らないよ? 別のをよ?

 

 

 

 

「それも、違うか――――」

 

 

 

 

正直あのレベルと行動しても ”一人よりマシ” って位だ。

付き合いって言うか、指導って言うか、目的が別の物に変わりそうだ。

 

 

 

 

「アタシは別に、金なんていらないんだ……」

 

 

 

 

この燻った気持ちをぶつけられる『敵』が――――

 

 

 

 

「ちょっと待て!?」

 

 

 

 

ハッと気付いたように、寝そべりかけた身体を起こす。

 

 

 

 

「敵が欲しいんなら――――……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




********* あとがき *********

このゲームでは(以前は)商人、ハンター、盗賊という3つの職を好きに選べました。
ゲーム黎明期が終わった時期、「☆1システム(積荷が少ない商人は襲えない)」「一定レベル差の商人への攻撃不可」などが追加された頃の話です。初期のスタープレーヤーが続々引退し、職業戦が停滞した時期でした。
自信がないプレーヤーは「システムで保護された交易」レベルが高いプレーヤーは「寄り集まって圧倒的物量」と、世界観がゲーム臭くなってしまった記憶があります。

早朝あたりは単独交易してたプレーヤーもいましたが、その時の動画です。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4523999

盗賊がとにかく減って、『自分以外いないんじゃないか?』と思うほどでした(やってる人はやってたみたいですが)
特に盗賊は高Lvプレーヤーが少ないと思ってましたが、初期の人がいなくなった影響で気付かぬ内に自分がトップランカーに食い込んでいたようですね。

その辺りを反映し、呂晶は周りがサボっている(とまではいかないけど)
『世界が腑抜けてしまった』という思いを感じ、何かスゴイ事をしたい、でも何をすればいいか判らない、そんなフラストレーションが溜まっています。

燻る大きな理由は他にもあって、そちらは次の回になります。
とにかく『自分がアクションを起こしていくべき立場になった』という事ですね。それに気付いていくのも次回になります。

また、この『ギルド員が二人の盗賊に攻められたのを虎穴山で見ていた』というのは実話になります。
職業自由のギルドで、私は商人は絶っっ対やりたくなかったのですが、他のメンバーはけっこう自由にやってました。
皆が楽しそうに交易するチャットを見て、疎外感を感じ、チャットを閉じて虎穴山近くでボーッとして、『久々の獲物!』と思ったら仲間で、二人のPC盗賊に追われていました。どちらにも加勢できない、という気まずい立場でした。

よって、次回もその後にギルメンと対面した時の、ほぼ実話になります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

死線と永炎

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

「クソッ……! 新手の賊かッ!?」

 

 

 

 

結盟『真夜中の旅団』結盟主、魏・圏(ウェイ・クァン)は、

二人の賊を撃退した直後だと言うのに新たな気配を感じ、

悪態を付きながら気配に槍を向ける。

 

同行する一人の商人、三人の護衛も、

その気配へ最大限の注意を払う。

 

 

 

 

「……。」

 

 

 

 

一人の女盗賊がコチラを ”じっ” と見つめていた。

 

 

 

 

「あれ……お前、呂晶(ルージン)じゃないか! なにやってんだ!?」

 

 

「あら、奇遇ね。元気にしてる?」

 

 

 

ウェイが最初に気付き、

馬に跨る商人、元・花魁の遊珊(ユーシャン)が様子を尋ねる。

 

 

 

 

『呂晶ッ!? ビックリさせるなよ~……趣味が悪いぞ?』

 

 

 

 

呂晶は盗賊の黒衣装を着ているが、

口布を下げ、傘を後ろにかけて顔が見えていた為、

『顔見知り』だと判り、一同に安堵が広がる。

 

この子はよく訳の判らない事をする為、見かけたがてら驚かせようとしたのだろう。

ある意味いつも通りなので『一つの笑い話』として済まされる。

 

 

結盟『真夜中の旅団』では今、

呂晶を除き ”空前の行商ブーム” が起きている。

 

仲間と遠足気分で行商するのは楽しいものだ。

そして今回はその道中、唯一参加したことの無かった仲間が現れた。

 

ある意味素敵なサプライズだ。

 

 

 

 

『一瞬、”ドキッ” としたぞ! もうこんなイタズラするなよ?』

 

 

 

 

和やかな空気が皆を優しい気持ちにさせるのだろう。

タチの悪いイタズラにも大したお咎めはない。

 

それとは逆で、

盗賊衣装の『放蕩娘』は無愛想な顔をしている。

 

皆につかつかと歩み寄ってくる。

 

 

 

 

「お前、まだ盗賊やってんのか……あんまり真夜中の面子って、バレる素振りはするなよ?」

 

 

「……。」

 

 

 

 

ウェイが声をかけても何も言わず距離を詰めてくる。

なんだか、怖い。

 

この ”人でなし” も、さすがに結盟の行商は襲わないだろう。

所属するコイツも一部のような物なのだから。

 

むしろコイツが金を納めないから、

俺が一生懸命、活動資金を捻出してる訳で。

 

 

 

 

(いやでも、コイツなら…………もしかして……万が一……)

 

 

 

 

ウェイが身構えるか迷っている間に、

呂晶が間合いに踏み込み、そして

 

 

 

 

「――――……おっ、おい!?」

 

 

 

 

そのまま通り過ぎる。

 

 

 

 

「何してんの? いこ」

 

 

「お、おう……」

 

 

 

 

……ついてくる。

 

盗賊がピッタリと、まるで仲間のように。

いや仲間なのだが。

 

 

 

 

「お前も行商に興味が出てきたか。今日は天気も良いし、良い交易日和だろう?」

 

 

「――――……。」

 

 

 

 

無視される。

 

この女のワガママぶりは知っている。

いつもアレやコレや五月蝿いが、黙っていると逆に心配になる。

 

”なんでもいいから喋って欲しい” と、ウェイは思う。

 

 

 

 

(――――コイツら、盗賊が一緒に歩いてんだぞ……? 何ヘラヘラ談笑してやがる)

 

 

 

 

一方、呂晶は、

仲間の『危機感の無さ』にイラついている。

 

 

 

 

(みんな変わっちまったなぁ……前はもう少しこう、ギラギラしてたっていうか)

 

 

 

 

呂晶がやっと声を出す。

 

 

 

 

「――――襲われる?」

 

 

「ん? なんだって?」

 

 

 

 

ウェイは ”喋って欲しい” と考え込んでいた所に、

いざ喋られて動揺する。

 

 

 

 

「だから――――さっきみたいに、よく襲われるの?」

 

 

「ああ、見てたのか。そうだな、あの手の輩は結構来るぞ。まあ勝てないと判るとトンズラしてくが」

 

 

(勝たれたらオマエラどうするつもりだ……まあ荷を置いて逃げるんだろうな。結局盗賊ってのは荷を奪う事が仕事だし、コイツらもガチで利益を追求してる訳でも無いんだろう)

 

 

 

 

呂晶は『必要な情報』を集めるために、質問を続ける。

 

 

 

 

「儲かってる?」

 

 

「利益か? おう、ビックリするぐらい儲かるぞ。別のトコじゃあり余ってる物が、コッチじゃ死活問題だったりするからな。申し訳ないくらいの値で売れる」

 

 

「ふーん……」

 

 

 

 

再び沈黙する。

 

 

 

 

(コイツ、こんなに大人しい奴だったか……?)

 

 

 

 

相手が喋らずに不安なため、

コチラの方が饒舌になってしまう。

 

 

 

 

「しかしどうした、暇なのか? ”黄巾” も ”死線” も散って賊もバラバラになったからな。一人だと出来る事は少ないだろ」

 

 

 

 

――――『黄巾賊』

 

かつて朝廷に対して武装蜂起した農民達。

三国時代のキッカケとなったその彼等に ”畏敬の念” を込め立ち上げられた、

現代の盗賊集団である。

 

かつてと同様、現代でも鎮圧され消滅はしたが、

積荷の強奪方法や盗品売買の下地を作り、現代盗賊の元祖とも言える存在だ。

 

 

 

 

――――そして『死線』

 

黄巾賊消滅の後、すぐに頭角を顕し、国を揺るがす程に成長した盗賊集団。

その縄張りは『小国』とも言える程膨れ上がり、多数の武侠を輩出した。

 

残虐非道の限りを尽くし、

彼等のせいで交易その物の存在が危ぶまれた事もあった。

 

だが、美形の青年、風格ある中年、危ない女など、

彼等はワルに憧れる ”中華の不良娘達” にとって一種のスターとも言える存在であり、

対をなす武装護衛組織『旅渦武侠魂』と人気を二分する程であった。

 

 

呂晶くらいの年頃は皆、『死線』と『旅渦』の容姿や戦績を比べ、

どちらが強いか議論したり、好きな武侠の似顔絵を描いたり、

衝突する噂を聞きつけては戦場まで見物に行く、

命知らずの追っかけ(・・・・)すらもいた。

 

呂晶は死線の、特に自分と同じく大型の矛 ”大刀” を扱う、

『永炎』という盗賊の大ファンだった。

 

彼と肩を並べて戦場に出る事を夢想し、

修練と盗賊活動に精を出していた。

 

そして、いざ肩を並べられる頃になり

 

 

 

 

――――死線の頭領が一線から退く

 

それから死線はあっという間に散り散りとなり、

呂晶の憧れる永炎も、歴史の表舞台から姿を消した。

 

 

彼等の存在自体が、今では夢だったかのように語られるが、

呂晶にとっては夢ではない。

 

何故なら、彼女が今持っている大刀。

 

それは憧れの永炎が使用していたもので、

彼に頼み込み、お古を頂戴したからだ。

 

 

緊張を跳ね除けて声を掛けた時、頭角を顕してきたルーキー盗賊の一人として、

“最近頑張ってるそうだね” と、彼が自分を知っていたのがとても嬉しかった。

 

この譲り受けた大刀でこれからという時に、彼等はいなくなった。

その『もう遂げられる事の無い想い』が、未だに呂晶の中に燻っている。

 

交易ブームとなった昨今、結盟内で自分だけが頑なに盗賊を続けているのは、

それが理由なのかもしれない。

 

 

 

 

「――――うん、暇だからアタシも護衛する」

 

 

「おう、それはありがたいな。ありがたいんだが……その……」

 

 

 

 

言葉を濁すウェイに、呂晶はイラついた調子で返す。

 

 

 

 

「なに?」

 

 

「その格好が、な……」

 

 

 

 

黒い盗賊衣装――――

 

そもそも黒い必要はないのだが、

色々考えるとこの色に落ち着く、盗賊衣装。

 

商人と盗賊が仲睦まじく歩いているのもおかしい。

他人に見られたら、あまり良い噂は立たないだろう。

 

 

 

 

「ああコレ、もういらね――――……」

 

 

 

 

上に着ていた盗賊衣装を乱暴に脱ぎ、草むらに投げ捨てる。

 

初めて着る時はワクワクしながら袖を通し、

色んな思い出がある服だが――――もういらない

 

 

 

 

「その三輪いいね、アタシも付けようかな」

 

 

 

 

呂晶はウェイ達が背負っている、

三本の矢が扇状に開いたような『光背を模した装飾』を指差す。

 

 

 

 

「ああ、これは護衛の印みたいなもんだ。護衛会の(ギルド)に行くともらえるぞ」

 

 

「ふ~ん。左右対象じゃなくて、片側に寄せるのもいいかもね。片羽もがれた蝶々的な」

 

 

 

 

呂晶が言ったような物を、

実際に思考兵器として運用する大型の人間型機械が、

遥か未来、一人の天才大尉の協力により製造される事になる。

 

 

 

 

「いやぁ……それはどうかと思うぞぉ……?」

 

 

 

 

コイツの趣味はどうしてこう、

”もがれた” とか、”血の色” とか、そんなのばっかりなのだろう。

 

耳たぶにはいくつも穴を開けてるし、

腿やケツの布はワザと破って肌を露出したりする。

まあ、好みは人それぞれだが……

 

 

 

 

「えー、絶対カッコイイよ~! ウェイはセンス無いなぁ」

 

 

 

 

――――まあいいか

 

コイツが仲間の輪に自分から入るなんて。

刺々しい奴だと思っていたが、少しは柔らかくなったようだ。

 

 

 

 

「よし、呂晶! お前、何運びたい? けっこう値の移り変わりが激しいから、先見眼がいるんだ。出発した時と着いた時で値段が全然変わってたりするからな!」

 

 

 

 

自分の趣味に、子供が興味を示した際の父親のように、

子供の興味を損なわないよう、子供の要求を聞きつつも、

自分の知識を自慢する。

 

 

 

 

「そうね……種籾(たねもみ)なんか、いいかも」

 

 

「種籾ぃ?? そりゃ初めて聞いたぞ。さすがにそれはどこも自作してるだろうし、なけりゃ国が貸し出すぞ。逆に、一番行商に向かん物じゃないか?」

 

 

 

 

”普通の解答は来ないだろう” と思ってはいたが、

あまりに意図が判らないため逆に質問してしまう。

知識をひけらかしたかったのに。

 

 

呂晶は邪悪な笑みを浮かべている。

 

 

 

 

「――――やれば分かるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




前回に引き続き、脚色していますが実話です。暇だったのでしばらくギルメンの行商についていきました。
この時呂晶が捨てるのは挿絵の衣装ではなく、古い方の衣装です。
Ⅴ章ではなく、Ⅷ章あたりに新調する物ですが、なんとなくイメージで乗せています。


ギルド「真夜中の旅団」は私が初期(1番最初は神心会というギルドを自分で作りましたが、誰も入らないのでやめました)
から引退まで所属していたギルドです。
とにかく楽しいをモットーに色々とやりました。下記は私が作ったギルドの動画です。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1480181
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1219847
一瞬ではありますが、サーバー最強のギルドだった時期もあります。

私がこのゲームに出会ったのは2006年の1月、友人家に遊びに行った時プレイしていたのを見ました。
当時は一般的にはオンラインゲームの黎明期で、私は近所に出来たネカフェで初めてリネージュⅡをプレイし、
こんなに面白い物かと驚いた物です。
その頃で、友人からの勧めでPCを買って(18万のPCを友人が11万まで値切ってくれて、浮いたお金で焼き肉を振る舞いました)
最初はリネとシルクやってましたが、基本無料と友人に流され、シルク一本に落ち着きました。
フリーターだったので、とてもハマったものです。

「黄巾賊」は実際にいた盗賊ギルドです。
その友人がスゴイ強いというのですが、私がそれを見る前には散り散りになっていました。

「死線」のモデルも「Route.4」という盗賊ギルドで、これも友達が強いというのですが、
私はまだ低レベルだったのでその実力が判ってなくて、でも賊の頂点なんだな、とは漠然に思っていました。
4号線?なので、しせん、としました。

「永炎」とは「EtanalFlame」という実際にいたプレイヤーです。
彼は数少ない『動画制作者』でした。

2006年というとiphoneもない、PCは愚か、動画なんて聞いた事もない、そんな時期でした。彼の動画を見て、メチャクチャかっこいいと思いましたね。神動画というと古い言葉ですが、私にとっては正にそれでした。
今でも彼の動画は、ニコニコのこのゲームでは1位の視聴回数を誇っています。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm425326
(私はシルクロードオンラインで検索すると3位のようですね)

彼の大刀を受け継いだ、というのも実話です。LV64か68の大刀+5だったと思います。「印章」というレア装備でもなく、+5は当時最高峰ではありましたが、そこまで価値ある物ではないです。が、私にはとんでもないプレミア品でした。
まぁ露天で売ってらっしゃって、買えないのでべらぼーに安く売ってもらったのですが(笑)「最近頑張ってるね」というのも実際に言われた台詞です。
運営主催の交易イベントの際、たまたま戦場で顔を合わせ、「アナタは!」のように言ったら、そう返して頂きました。
といってもレベル差があったので、肩を並べるというには至らなかったです。

3日間のイベントの前半で、その際彼は「ウチは前半(たぶん)は手を抜いて、後半は本気出そうと思ってます。でないとイベントを潰しちゃうので」と言ってました。
運営主催のイベントを潰してしまう心配をするとは、恐ろしいもんだと思いました。

「旅渦武侠魂」というのも、実際にいた「旅渦侍魂」というギルドがモデルです。
中国には侍という概念がないそうなので、侍の所を武侠としています。商人&ハンターギルドについては知識が浅いのですが、多分1番有名なギルドだったと思います。史実的には、ギルドの事を「行」というらしいのですが、政治的な意味合いが強く、区別するため、ゲームのギルドは「結盟」と表しています。

私は挿絵にgif画像を使ったり、いわゆる「動画師」なのですが、その動画を始めるキッカケが、
エターナルフレイムさんに憧れ、彼や他の動画師が引退してしまい、

「動画が見たいな、じゃあ自分で作ればいい」と始めたのがキッカケです。
彼らの幻影を追っていた、その一環でしょうか。次回に呂晶が行うのも、私がそうやって行った物の一つになります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

プライスレス① ~お金より大切な物~

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

「突破されたぞぉーっ!」

 

 

「うわー、速すぎて追いつけなーい!」

 

 

 

 

十一世紀末、黄河中流沿岸部・蘭州――――

自然豊かな街道の一角で、行商人とその護衛、そして盗賊が戦闘を繰り広げている。

 

 

 

 

『オラァ!! 死にてぇのか――――ッ!!』

 

 

 

 

護衛の壁を突破した盗賊。

馬に跨る女性商人に大声で威嚇する。

 

 

 

 

「ごめんなさい、私は逃げるわっ!!」

 

 

 

 

身の危険を感じた女性商人は、馬を捨ててその場から退避する。

 

 

 

 

『この箱だ――――! 厳重に運んでやがった、絶対に宝石に違いないッ!』

 

 

 

 

括り付けていた紐を斬り、盗賊は仰々しい箱を奪い取った。

 

 

 

 

『よし、ずらかるぞッ!! いや、待て――――』

 

 

 

 

護衛達は大層悔しそうな表情をしながらも、ワザとゆっくり追っているような、

取り返したいのか判らない動きをしている。

 

 

 

 

『何かおかしい……アイツら、様子がおかしい』

 

 

『軽い――――なんだ、何が入っている?』

 

 

 

 

盗賊達は襲った隊商と、奪った商品の様子がおかしい事に気付く。

何から何まで『演技臭い』のだ。

 

 

 

 

『開けるなッ!! 罠かも――――……』

 

 

 

 

隊商を守る一人、女の護衛がニヤリと笑う。

 

 

 

 

『なんだ、こりゃ……?』

 

 

 

 

盗賊は玉手箱でも喰らったように素っ頓狂な声を上げる。

その様子を見て、もう一人の盗賊も同じく箱の中を覗く。

 

 

 

 

『これは…………種……籾?』

 

 

 

 

中には稲の種、それが一掴みほど包まれた小包が、

申し訳程度に “ちょこん” と封入されていた。

 

 

 

 

「ぶふっ…………くっくっく……!」

 

 

 

 

追撃する『演技』をしていた一人、結盟・真夜中の旅団の首領・ウェイが、

吹き出すと同時にそのまま倒れ込む。

 

 

 

 

「ぶわぁっはっはっは!! 見ろよあの顔ォオオオオッ! だから言っただろッ!?」

 

 

 

 

倒れた状態のまま盗賊を指差し、腹を抱えて笑い出した。

 

 

 

 

「やっ、やめてぇえええ大臣様ッ!! そっ、それを持っていかれたら……アッ、アタシらは、ふ、冬を越せねぇんですうううっひひひひひ!!」

 

 

 

 

更に呂晶が『笑いを誘う笑い』を行い、他の護衛もそれに続く。

 

 

 

 

『アンタッ――――! ワシらから種籾まで奪おうっての……ばっはっはっは!! 鬼畜じゃーッ!! っはっはっはっは!!』

 

 

『き、鬼畜とかやめろよおおおおぉっ! 戦う前に、笑い死ぬっ……いーっひ、いーっひ!』

 

 

 

 

四名の護衛は次々と地面に倒れ、下品に笑い転げている。

人とはこのように、走っている時に笑うと転がってしまうのだ。

 

 

 

 

「みんな、ちょっと笑い過ぎじゃないかしら……可哀想よ、あの人達だって必死に……フフッ――――あっ、ごめんなさい!」

 

 

 

 

淑やかで上品な女性商人、二十歳の遊珊(ユーシャン)も思わず笑ってしまう。

一方、二人の盗賊はその意図に気付く。

 

謀られた――――それは判ったが、何故わざわざこんな事を?

 

 

 

 

「ああー……ウケる…………」

 

 

 

 

女護衛は、涙を拭いて立ち上がる。

 

 

 

 

「民から種籾まで奪うような悪徳大臣は…………成敗しないとね?」

 

 

『――――ッ!!』

 

 

 

 

両刃で大型の矛『大刀』を向けられた盗賊達、

その表情が一気に憎しみに染まる。

 

 

 

 

『殺す……ッ!!』

 

 

 

 

一人が大きく踏み出し、跳躍する。

そのまま怒りに任せて、曲刀を振り下ろす矢先――――

 

 

 

 

「――――ッ!!」

 

 

 

 

火薬が弾けたような爆発音と共に、賊が握っていた曲刀が勢いよく吹っ飛び、

木の幹に深々と突き刺さった。

 

 

 

 

「ノロイんだよ、握りも甘い……そして何よりもぉ~?」

 

 

 

 

女護衛はフィギュアスケートのように柔軟なポーズを取りつつ、

片足でクルクルと回っている。

 

戦いの動きと言うより、舞のような動きだ。

 

 

 

 

「――――“速さ” が足りないッ!!」

 

 

 

 

軸にしていた足を “ビシッ” と広げ、大刀の切先を賊の首に “ピタリ” と止めて言い放つ。

“キメ” ているのだ――――

 

炎孔の爆発力で斬撃を加速させ、賊より重い武器、賊より遅い初動、

にも関わらず賊より早く振り抜き、曲刀をふっ飛ばした。

 

 

 

 

「呂晶、最初と最後…………ぐふっ、同じ意味だぞ……?」

 

 

 

 

最初はこの行商をどうかと思っていたが、

いざやってみると意外に楽しく、悪ノリを始めたウェイがツッコミを入れる。

 

 

 

 

「ああああぁぁぁ……やらかしたぁ…………わざとよ!? わざとなんだから!」

 

 

「やっちまったんだろおおおおお!! だっせぇえええええ!! ドヤ顔だっせえええええ!!」

 

 

 

 

盛り上がる隊商とは逆に、賊は憤慨している。

 

 

 

 

『この……醜い金の亡者が!』

 

 

 

 

自分達もかつては、真摯に武術を追求する身だった。

世話になっていた武術門家が何者かによって燃やされ、行き場も失い、

仕方無く盗賊に落ちぶれた。

 

落ちぶれたからには、落ちぶれたなりに真摯に生きようと、

プライドを捨てて盗賊業を真っ当している。

 

なのにコイツらは――――国の誇りを売り飛ばし、財を貪る商人でありながら、

自分達をからかう為に、こんな手の込んだ謀りをして笑い者にしている。

 

 

 

 

『この女ァーーーーッ!!』

 

 

 

 

曲刀を吹っ飛ばされた賊は盾を投げ付け、同時に自らも突進する。

 

 

 

 

「――――っ!」

 

 

 

 

女護衛が盾を弾いた隙に、素手で懐に入り込む。

矛使いは間合いに入れば怖くない。

 

そのままタックルするように腕を取り、背後に回る。

 

 

 

 

『やれッ!! お前の矢で貫け――――……え?』

 

 

 

 

女護衛を羽交い締めした瞬間、賊は驚愕する。

重い――――こんな華奢な女の、どこにこんな重さが。

 

 

 

 

(悪く思うな……!)

 

 

 

 

意図を察したもう一人、弓矢を持った賊が、

素早く弦を引き、女護衛の腹に向かって矢を射掛ける。

 

 

 

 

破天神弓、秋風鉄血矢――――

 

格上相手に素手で立ち向かった覚悟に応えるため、

仲間ごと貫くつもりで、回転飛翔する貫通力の高い矢を放った。

 

 

 

 

『なっ……!?』

 

 

 

 

直後、羽交い締めにしていた賊の、

歯を食いしばっていた口が開く。

 

 

 

 

(軽い――――……)

 

 

 

 

あんなに重かった女が、今度は羽のように軽い。

どころか上に引っ張られ――――

 

女護衛は賊の腕を跳躍で振り切り、柔らかい身体を活かして仰け反り、

賊の頭を掴んで制止する。

 

 

 

 

(頭の芯を抑えられた――――動けないッ!!)

 

 

 

 

仲間の矢に貫かれるのは自分だけだ。

 

 

 

 

「おっ、と……」

 

 

 

 

“キンッ” という高い金属音が響くと、矢は賊の足元に突き刺さった。

 

 

 

 

「呂晶――――そりゃ、カワイソ過ぎだ」

 

 

 

 

ウェイが自分の持つ槍を軽く当て、飛んでくる矢の軌道を変えたのだ。

 

 

 

 

「ちっ……キメ(・・)るじゃん」

 

 

 

 

呂晶は賊の背後に着地し、背中を肘でドンと叩く。

賊はよろめきながら呂晶とウェイを見る。

 

 

 

 

「残念でした、またどうぞ」

 

 

 

 

手の平をぷらぷらと振り、“シッシ” と追い払うジェスチャーをする。

 

 

 

 

『…………っ!』

 

 

 

 

二人の賊は苦虫を噛み潰したような顔をした後、

何も言わずに立ち去る。

 

言いたい事は腐るほどある、だが何を言っても負け惜しみだ。

悔しければ修練して雪辱を晴らすしかない。

 

 

 

 

『くそっ…………抜けん……!』

 

 

 

 

賊が木に刺さった曲刀を抜き、その姿が見えなくなったのを確認してから、

隊商は今の一戦を振り返る。

 

 

 

 

「やっぱり、弱い奴の時は開けさせないとダメね――――」

 

 

「そうだな…… “コイツ” が日の目を見ないのも寂しいしな」

 

 

 

 

通称、『无价(プライスレス)交易』

 

特に価値の無い種籾を仰々しい箱に忍ばせ、

高級品と勘違いした盗賊をおびき寄せる『修練』である。

 

 

ルールは一つ――――なんら価値の無い種籾だが、

これが飢饉で残された『最後の希望』と信じ込み、守り抜く。

 

ただし命は賭けない、危ないと思ったら即逃げる。

所詮は二束三文で買えるありふれた種籾だ。

 

『戦いたいなら、襲われれば良い』

『襲われるだけなら、元手はいらない』

それが呂晶が考案した无价(プライスレス)交易である。

 

こちらは命を賭けて行商している訳では無いので、

何となく、襲ってきた賊にも手心を加えるのが通例になった。

 

賊からすれば、自分達をからかう為だけの『遊び』である。

だが、やっている呂晶達は至って真面目に楽しんでいる。

 

 

 

 

「お~よしよし……誰もお前の価値を判ってくれないねぇ~、私はお前の価値をちゃんと判ってるよぉ~」

 

 

 

 

呂晶はこの種籾に『妹妹(めいめい)』と名付け、妹のように可愛がっている。

それが他の者にも伝播したのか、最近これに対して愛着が沸いてきた。

 

初めは “何の意味があるか” と思ったが、これはこれで良い鍛錬にもなる。

常に実戦に身を置き、それを楽しむという事、

いざという時の硬直を取り払ってくれる。

 

実戦では、その硬直が生死を分かつ場面が多々ある。

 

そしてこの女は皆をノセるのが上手い。

つまらない事でも何だか楽しい事をしている気がしてくる。

 

 

 

 

(金は、別の所でも稼げるしな――――)

 

 

 

 

結盟員の楽しさを重視するウェイは、結盟員のやりたい事を最大限バックアップする。

 

おそらく過去に誰もした事がない、自分達だけの行商。

共に修練を重ね、絆が深まっていくようにも感じていた。

 

比較的安全、戦えて金銭的な損害も出ない、何より楽しい。

ちょっとした発明のような気分だった。

 

 

 

 

だが、その遊びに『ある男』が一石を投じる事となる――――



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

プライスレス② ✛お前とはやらん✛

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

「そこの隊商――――止まれ」

 

 

 

 

呂晶達の進行方向、

馬に跨る盗賊がゆっくりと歩み出る――――単騎だ

 

 

 

 

「馬上より失敬…………死にたくなくば、荷を置いて去れ。命までは取らん」

 

 

 

 

やけに鼻に掛かった、時代劇のような喋り方だ。

 

 

 

 

『なんだぁ、テメェ……?』

 

 

 

 

護衛の一人が威圧する。

数の優位もあってか乱暴な振る舞いで、その様はどちらが盗賊か判らない。

 

 

 

 

「あの人、眼帯よ? もしかして……」

 

 

 

 

盗賊経験のある遊珊が気付き、呂晶に確認する。

その呂晶は彼を睨み付けながら呟く。

 

 

 

 

「ハイエナの……イエン」

 

 

 

 

呂晶は彼をよく知っている。

 

 

炎暗剣(イエン・アンジャン)――――

 

以前に決闘を挑まれ、死闘の末に引き分けた、

『炎』という名でありながら『氷系気孔』の使い手。

 

ただし呂晶もイエンも、あのままやっていれば自分が勝ったと思っている。

 

 

 

 

「……その名は好かん」

 

 

 

 

古い二つ名を呼ばれ、イエンも相手が呂晶である事に気付いたようだ。

言いながら下馬し、片手に剣、片手に盾を持ち――――

 

歩み寄る。

 

 

 

 

「あの時の借りを返す――――」

 

 

 

 

イエンは余裕のある居で立ちから、剣を上段に構え、深く腰を落とす。

その構えは他に類を見ないほど大袈裟で、変則的な構えだ。

 

 

 

 

「全員、円陣で防御しろ――――遊珊は馬から降りておけ」

 

 

 

 

ウェイは相手の気配から手練である事を察知し、結盟員達に警戒を促す。

各々が間隔を開け、馬を囲むような隊形へ広がる。

 

 

 

 

「気を付けろ……アイツは、まあまあ早い」

 

 

 

 

呂晶も大刀を構えて前に出る、珍しくやる気だ。

 

肝心な所が抜けてる、痛い奴だが――――

という一言は結盟員の油断を誘うため、心の中だけで呟いた。

 

戦ったのはかなり前、自分は大幅に成長している。

その成長を確かめるには打って付けの相手だ。

 

やはり、盗賊から護衛に転身したのは正解だった。

 

 

 

 

「スゥー……、フゥー……」

 

 

 

 

イエンは深呼吸して息を止め――――

 

 

 

 

「シッ――――!!」

 

 

 

 

地面を蹴り、一歩目からトップスピードで駆け出す。

盾持ちとは思えない超人的な速さだ。

 

 

 

 

(前より早い、でも――――ッ!)

 

 

 

 

呂晶が『半端』に使うことを得意とする――――炎功・火魂陣

 

己が持つ武器に、激しく燃え上がる程の熱を込め、

甲冑ごと相手を溶かし切る気功――――

 

なのだが、呂晶は熱を込められず爆発して弾けてしまう為、

『半端』に使っている技だ。

 

 

この斬撃を爆裂加速させる使用方法は、イエンと戦っている最中に編み出したもの。

これによって劣勢を覆し、彼を撤退に追い込んだ。

 

 

 

 

(今のアタシは、これ(・・)を自由に使えるんだよ――――ッ!!)

 

 

 

 

イエンのトップスピードに間に合わない(・・・・・・)タイミングで、

真横に大刀を振りかぶり、炎孔を集中させる。

 

間に合わないタイミングだから、タイミングが合う。

 

 

 

 

(もらった――――ッ!!)

 

 

 

 

蘭州の森に爆裂音が響く――――が、

横一閃に振られた大刀は、何もない空を斬った。

 

 

 

 

「そう来る事は読んでいる……」

 

 

 

 

トップスピードだったイエンが、間合いギリギリ外で “ピタリ” と急停止した。

 

 

 

 

(何ぃっ!?)

 

 

 

 

大きく空振りした呂晶は大刀に引っ張られ、

真後ろを向き、背中を見せてしまう――――絶対的に不利な体勢

 

 

 

 

(フェイントかよっ!! 馬鹿が治ってやがる!!)

 

 

 

 

100から0になったイエンのスピードが再び100になり、

呂晶を斬り付ける。

 

 

 

 

(だが――――やはり抜けている(・・・・・・・・)ッ!)

 

 

 

 

背を向けた呂晶はイエンが踏み出した気配を感じ、薄く笑う。

今仕込んだ爆裂気功は、全力の『半分』だけ――――

 

もう一度爆発音が響き、ほぼ同時に大きな金属音が響いた。

 

 

 

 

「二連撃か……ッ!」

 

 

(受けやがった!!)

 

 

 

 

呂晶が二度目の爆発を起こし、もう一回転加速させた大刀、

それをイエンは体を丸め、盾でブロックした。

 

 

 

(やっべ、二回しか考えてなかった!! この後どうする――――ん?)

 

 

「ぐっ……!」

 

 

 

 

イエンの体が横に流されている。

 

 

 

 

(軽っる――――!!)

 

 

 

 

男とは思えない軽さ。

体を丸め、地面から足を離した為に、踏ん張る力がゼロなのである。

 

そのままイエンは流され、

呂晶の斜め後方、ウェイのいる方へと吹っ飛ばされた。

 

 

 

 

(あ……)

 

 

 

 

イエンをウェイに、『パス』した形になった。

 

 

 

 

「ふんッッ!!」

 

 

 

 

イエンは丸まった状態のまま空中で回転し、

不安定な体勢から脱した。

 

 

 

 

(二人掛かりで悪いが、殺らせてもらう……)

 

 

 

 

イエンと対峙したウェイは、槍を短く持ち、

『火魂陣』を呂晶とは違う、本来の精度で炊き上げる。

 

 

 

 

「つッ!!」

 

 

 

 

槍の切っ先から炎のブレードが迸り、コンパクトな袈裟斬りを放つ。

が――――

 

 

 

 

「――――ッ!?」

 

 

 

 

イエンが消えた。

炎のブレードは地面を切り裂き、熱によって土が吹き飛び、長い亀裂を穿った。

 

 

 

 

(何処だ……!)

 

 

 

 

ウェイは咄嗟に視点を緩め、『どこにも向けない』ようにした。

どこも注視しない方が目のどこに映っても捉えられるからだ。

 

だが、いない――――目のどこにも動く物は映っていない。

 

 

 

 

(て、ことは……!)

 

 

 

 

首を左に傾け、後方を見る。

 

切っ先を振り下ろした為に上がった、反対側の槍の柄先。

そこにイエンの片足が着地していた。

 

 

 

 

「甘い――――ッ!」

 

 

 

 

ウェイは振り下ろしていた右手を上げ、左手は逆に下げ、

槍をコンパクトに動かしながら左後方、後頭部に対する攻撃を防御する。

 

金属音が響く――――

 

イエンはお互い後ろを向き合っている状態で、上を取った地の利を活かし、

剣を半円を描くように振り下ろし、後ろへ斬り付けていた。

 

ウェイにはほとんど見えていなかったが、後頭部を狙うと踏んで防御を成功させた。

背中を斬り付けられていたら死なずとも結構痛い思いをしていたハズだ。

 

だが――――

 

 

 

 

(軽っる――――!!)

 

 

 

 

イエンが放った剣撃は、すこぶる軽かった。

無茶な体勢で放った為に攻撃に体重が乗っていなかったのだ。

これなら背中でも大して痛くなかったかもしれない。

 

驚異的な速さと、どこから来るか判らない変幻自在の剣撃。

 

それだけに重さに欠け、おまけに威力の低い氷系気功。

自然と相手を倒すのに時間が掛かる。

 

相手の護衛を倒し終えた頃には仲間の盗賊は荷を奪っている。

自分は最後に、残り物を漁る。

 

故にハイエナ――――だが、そのイエンも呂晶と同じく成長している。

 

 

 

 

「行ったぞ――――ッ!!」

 

 

 

 

馬を囲むように展開していた為、内側に入られては迎撃が間に合わない。

イエンはその馬と、側に立つ遊珊に突っ込んでいく。

 

 

 

 

「きゃあっ!!」

 

 

 

 

遊珊が目をキツく閉じ、体を縮こませて悲鳴を上げる。

完全に無防備――――これ以上ないと言える程に隙だらけだ。

 

華奢な体、その白い肌の好きな場所を斬り裂き、

内部にある真っ赤な急所に深々と剣を突き刺すことが出来る。

 

 

 

 

「――――女は殺らん」

 

 

 

 

以前は呂晶に決闘を申し込みながら、

矛盾するその言葉を吐き捨て、風圧と共に走り去る。

 

その頬は少し、赤らんでいる。

 

 

 

 

「先生ッ――――あぁ!?」

 

 

「うおっ!?」

 

 

 

 

呂晶とウェイが自分の身に起こっている事に気付き、驚嘆する。

 

 

 

 

(取れねぇ……っ!)

 

 

 

 

武器と手の平の間が凍て付き接着している。

会合の瞬間、武器を伝って氷孔を流したのだ。

 

だが、多少握りは悪くなっても、

武器を手放した訳でもないし、すぐ溶けるので特に意味は無い。

 

“貴様に気孔を流してやった” というメッセージを伝える為だけの、

つまりは『魅せ技(と、本人は思っている)』である。

 

 

 

 

「フッ……」

 

 

 

 

鼻で笑うイエンは既に包囲の外まで走り抜け、

その手にはいつの間に掠め盗ったのか、仰々しい箱が乗せられている。

既に積荷を攫っていたのだ。

 

倒すのに時間が掛かり過ぎるため『倒さず荷を奪う』ことに特化した。

イエンもまた、成長しているのだ。

 

 

 

 

「フッ……――――じゃねぇよ! キッタネェなッ!!」

 

 

 

 

呂晶は凍った手を “どうしてくれんだよ” と言わんばかりにイエンへ向ける。

 

“気孔を使った分だけ体重が減る” という迷信が出回る昨今、

使用者の間では『気孔とは体内から発生している』という見解が根強い。

そして氷系気孔の源となるその『水分』

これもやはり『体内由来である』という見解が強く支持されている。

 

なので呂晶は生理的にそれを“汚い”と思ったのだ。

 

 

 

 

「あの殿方……やっぱり速いわね、イキナリこっちに来るからビックリしちゃった……」

 

 

 

 

遊珊はすでに呂晶の方に駆け寄っている。

狼狽して悲鳴を上げていたとは思えない冷静ぶりだ。

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

(あれだけで顔を赤くしちゃうなんて、可愛いわ……女性経験が乏しいのかしら?)

 

 

 

 

遊珊は元より全く狼狽していない。

 

これ以上ない程にか弱く、隙だらけで痙攣するように、

小さく “キュッ” と体を縮こませる。

 

そして可愛らしくも、耳を塞いでしまうほどに甲高い悲鳴。

男はその姿を見ると本能的に――――守ってあげたくなってしまう

 

 

 

 

(でも、私知ってるの……ああいう殿方に限って、下の “お筆” がとっても凶悪な “おべべ” で……)

 

 

 

 

元・花魁である遊珊は怯えた表情を見せながらも、

内では激しく気分を高揚させ、頬を紅潮させている。

 

 

 

 

(どうしましょう……あんな顔をされたら、上に乗って、優しく優しく、とろけるような手ほどきをしてあげたくなっちゃう……きっとあの真面目で凛々しい顔を、子供のようにあわあわさせながら、ウブで、思わず私がキュンとしちゃう反応をして…・・そして私に何度も何度も謝罪をしながら、我慢に我慢を重ねた限界を、意思に反して一気に飛び越え、はち切れんばかりに猛り狂ったそれを、力強く、そして激しく、乱暴に、私の中を壊すように掻き混ぜながら、肥え太った芋虫のように躍動を重ね、密着させた上壁を貫くほど、ドビュン……ッ! ドビュン……ッ! 止める事も叶わず、噴出を繰り返してしまう……! そして狂おしく……情けなくも――――果ててしまうのね……)

 

 

 

 

遊珊は妄想の中で、イエンをしゃぶり尽くしている。

 

 

 

 

(ああ……本当はもっと、もっと……! でも、そう……いいのよ、アナタが悦んでくれるなら、私はそれだけで嬉しいの。大丈夫よ、もう謝らないで……ねっ?)

 

 

 

 

その目を潤ませた紅潮は、一見するだけでは怖い目に合い、

今にも泣き出してしまうようにしか見えない。

 

つまり、先程の悲鳴は『演技』であり、

ああするだけで自分が攻撃されないと見抜いていた。

 

それは、思わず二枚目な捨て台詞を吐かせるほどに、

イエンの心に深く杭を打ち込んだ。

 

 

 

 

「大丈夫――――っ!? 先生、アタシの後ろに……」

 

 

 

 

呂晶が心配して声を掛ける。

 

 

 

 

「ごめんなさい……私、いつもアナタに助けてもらってばかり……」

 

 

 

 

遊珊は悲しそうに、そして悔しそうに目に涙を滲ませる。

 

 

 

 

「いいの、気にしないで――――」

 

 

 

 

呂晶は遊珊を手で護りながら、男らしく、そして二枚目に答える。

 

女は、女の泣き顔を見ると、男以上にその感情を共有してしまう。

胸が締め付けられ、恋愛にも似た感覚を想起してしまう。

 

つまり遊珊の本能に直接訴えかける『術』とは、男に対してだけ使われる物では無い。

というより、その気になれば誰でも落とせる。

 

ただし、結盟主であるウェイに対しては、それを意図的に抑えている。

 

コミニティの長を虜にしてしまうと、

どこまでも自分に注力するあまり、周りを巻き添えに身を滅ぼしてしまう。

ひいてはコミニティの崩壊を招き、それにより何処からか恨みすら買う、

結果、自分に損害が及ぶ。

 

遊珊は『オタサーの姫』にならないよう(・・・・・・)日々、心掛けている。

 

以前はその才能を溢れるままに垂れ流し、遊郭の女達と育ての親にさえ嫉妬と恨みを買い、

重大な政治殺人犯に仕立てられてしまった。

同じミスは犯さない、遊珊もまた成長しているのだ。

 

ちなみに歳は呂晶と同じ二十歳であり、イエンよりも一つ歳下である。

 

 

 

 

(あの女、今、俺のことを “殿方” と――――……いや、今は戦闘中だ)

 

 

 

 

そしてイエンは現在、自分の集中を掻き乱す元凶である、あの悪しき女を、

『絶対に意識しないよう意識』しながら――――箱の紐を解いている

 

だが、その警戒心に満ちた表情でわざわざ相手に見せつけるよう紐を解く姿は、

“攻撃したくば、いくらでもして来い” という、自信の顕れにも見える。

 

 

 

 

「――――……っ!!」

 

 

 

 

場に緊張が走る――――

その場にいる全員が悔しさを噛み締めながら、荷を解くイエンの手元に注目している。

 

 

そして――――

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん、なんだこりゃ……種籾か?」

 

 

 

 

 

 

 

きた――――

 

呂晶はいつもの薄ら笑いではなく、静かに、そして激しい怒りの炎を秘めた、

真っ直ぐな口調で言い放つ。

 

 

 

 

「おいハイエナ…………汚ぇ手でソレに触れるな」

 

 

 

 

イエンは眼帯ではない方の目を細める。

 

 

 

 

「お前達、馬鹿なのか?」

 

 

「あぁ? テメーにだけは言われたくねーよ……!」

 

 

 

 

呂晶の握る拳が震えている、本気で怒っているのだ。

 

 

 

 

「その種籾はなぁ、妹妹はなぁ……」

 

 

 

 

呂晶は目を見開き、この世界に向けて言い放つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アタシらの最後の希望なんだよッ―――――!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんだよ……!!

 

 

 

 

なんだよ……!

 

 

 

 

なんだよ……

 

 

 

 

 

 

森に囲まれた荒れた街道で、呂晶の叫び声が木霊する。

 

キマっている――――キメようとした演技ではない

希望の光を卑下され心から憤慨しているのだ。

 

 

 

 

「……ッ!」

 

 

 

 

全員が戦慄き、唾を飲み込む。

 

 

 

 

(呂晶……お前…………とうとうその域まで…………)

 

 

 

 

もはや、尊敬するしかあるまい。

これ程の自己洗脳能力を持った奴だったとは。

 

 

 

 

(まったく……とんでもない奴を結盟に入れちまったな……!)

 

 

 

 

ウェイは呂晶の才能に恐怖すると同時に、

自分の選見眼に、確かな手応えを感じていた。

 

 

 

 

 

 

无价(プライスレス)交易はここに――――

 

 

極まったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前達、こんな事が楽しいのか――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

えっ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イエンは種籾を放り、呂晶に渡す。

 

 

 

 

「あっ…………おい!」

 

 

 

 

呂晶は放り渡されたそれを両手で受け取りながら、

キョトンとしている。

 

 

 

 

「そんなに農業がしたいなら、武器を(くわ)に持ち替えるんだな――――」

 

 

 

 

イエンは口笛を吹いて馬を呼び、その場を去ろうとする。

 

 

 

 

(え、何で? 意味が判らない……何故コレを、そんな風に扱えるんだ……?)

 

 

 

 

呂晶は激しく狼狽している。

 

 

 

 

「おいッ! 逃げんのかッ!? こんな貴重なもん放っといて! お前それでも盗賊かッ!?」

 

 

 

 

馬に乗ったイエンは振り返り、

眼帯では無い方の目で一瞥する。

 

 

 

 

「お前とは()らん、ここには俺が求める物は無かった……――――ハァッ!!」

 

 

 

 

馬を蹴って走り出し、風のように去っていく。

 

 

 

 

「カッコイイ……」

 

 

 

 

遊珊が呟く。

そう、ハイエナイエンの癖にやたらキマっている。

 

 

 

 

「……。」

 

 

 

 

真夜中の旅団は固まったように茫然としている。

これではまるで自分達が、いいを歳をこいてイタズラを叱咤された、

子供ではないか。

 

 

 

 

「眼帯のイエンか、アイツまだ盗賊やってたんだな……」

 

 

 

 

その沈黙をウェイが破り、話を切り出す。

呂晶はまだ呆然としている。

 

 

 

 

 

 

(お前達、こんな事が楽しいのか――――?)

 

 

 

 

 

 

 

目眩がしてきた。

こんなに大切な物を、あんな奴に。

 

 

 

 

『言われちまったな……』

 

 

『だな……まあ最近は、知ってる奴しかいなくなってたからな』

 

 

 

 

結盟員達が口を開き出し、

頭領のウェイがその雰囲気を総評してまとめる。

 

 

 

 

「そろそろ潮時かもしれん、十分楽しめたし、もういいだろう」

 

 

(こんなに大切な物なのに、こんなに大切な物なのに、こんなに大切な…………え?)

 

 

 

 

呂晶は、自分が大事に抱えた種籾に目をやる。

 

 

 

 

(なんだコレ、アタシなんでこんなもん、大事に抱えてんだ?)

 

 

 

 

自己洗脳が解けた。

と言うより、イエンの言葉によって『一気に冷めた』という感じだろう。

 

 

 

 

「どうだ、呂晶――――?」

 

 

 

 

ウェイは優しくも、ほぼ決定しているような、

意見を求めるというより宥めるような調子で声を掛ける。

 

 

 

 

「ん、そうだね……次は別のことしよっか――――」

 

 

 

 

種籾の袋、その中身を辺り一面に、勢い良く放り撒く。

それは広がり消えながらキラキラしているようにも見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

街に向かって帰投する真夜中の旅団。

結盟主のウェイが今後の方針を打ち出す。

 

 

 

 

「じゃあ練習も済んだって事で、次は本番――――キャラバンの護衛をやってみないか?」

 

 

「キャラバン?」

 

 

 

 

呂晶は聞き返す。

キャラバンとは、隊商が寄り集まった大きな隊商だ。

 

 

 

 

(そんな上等なもんが、まだウロついてんのか?)

 

 

「すごい大所帯の隊商があるんだ、しかも報酬がめちゃくちゃ良い! なあ、遊珊?」

 

 

「ええ――――最近、私達、集まりが無い時はそっちに参加してるのよ」

 

 

 

 

遊珊はウェイにではなく、呂晶の方を向いて言う。

 

 

 

 

「……。」

 

 

 

 

ウェイは少しだけ違和感を感じる。

遊珊は誰にでも優しいが、何故か自分にはそっけない気がする。

 

 

 

 

(オヤジ臭いのかな? 俺……)

 

 

「大所帯…………アレか……!」

 

 

 

 

呂晶はハッとそれに気付く。

あの百人はいそうな、獲物の候補に入れていなかった大名行列。

 

 

 

 

「お、知ってんのか? 仕切ってるのはまだ十代の女の子なんだが、よく出来た女の子達でな……」

 

 

(女の……子?)

 

 

 

 

呂晶の顔が険しくなる。

 

 

 

 

(アタシにはんな事、言った事もねー癖に……)

 

 

「とにかく物は試しだ。ちょうど明日出発予定だから、お前も参加しようぜ!」

 

 

「そんな飛び入りで参加できんの?」

 

 

 

 

呂晶は疑いの目で見ている。

オイシイ話には絶対裏があるものだ。

 

 

 

 

「ああ、来る物拒まずってやつだな。だがまあ、ちょっと、指示には従わんといかんな――――」

 

 

(来る物拒まず、指示に従う……か)

 

 

 

 

『自由』と『強制』という意味では、真逆の言葉が入り混じっている。

 

大抵そういう場合どちらかに無理があったり、

どちらかが『嘘』である事を、呂晶は知っている。

 

 

 

 

(だが、“アレ” がどういう仕組で運用されているかは興味があった……)

 

 

 

 

見極めるのも面白いかもしれない――――

 

それに、あれだけ大規模なら、

血と悲鳴が飛び交う大規模戦闘も行われているかもしれない。

 

 

 

 

(アタシがついに肩を並べる事が出来なかった、死線の連中がやってた戦いが――――)

 

 

 

 

呂晶が考え込んでいると、遊珊も参加を勧める。

 

 

 

 

「私もアナタが来てくれたら頼もしいわ。嫌じゃなかったらだけど、どうかしら?」

 

 

 

 

行商は長い時間をかけて移動する、ほとんどは退屈なものだ。

知り合いが多い方が楽しいのだろう。

 

それが決め手になったのかは判らないが、呂晶の顔は明るい。

 

 

 

 

 

 

「やる…………アタシ、やるよ――――っ!!」

 

 

 

 

 

 

振り向いた呂晶の返事はとても弾んだ声で、

まるで少女のように胸をときめかせていた。

 

『悪い事』ばかりして来た放蕩娘が、初めて『善い事』をする瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

<img src="/storage/image/qm94nl0n5u2NhEJkaFZANqs8sosF4eMQBwG59p8R.jpeg" alt="qm94nl0n5u2NhEJkaFZANqs8sosF4eMQBwG59p8R.jpeg">

 

 

 

 

 

 

 




******あとがき******

プライスレス①の挿絵は実際にプライスレス交易をしていた所です。

私はついに、初めて盗賊から護衛に転職しました。決め手はギルメンが襲われる所を見て、戦う機会は襲われる方が多いと気付いたことです。ただ、実際やってみたらそうでもなかったです、全然襲われない事もあったり。きっと職業戦自体が衰退を初めていと事と、次回の『とあるキャラバン』も関係していたのかもしれません。

とにかく誰にも襲われないという緊張感の無さが嫌で、最初は、最後の挿絵のように “沢山商品を積んでるぞ~” と、全体チャットなんかして盗賊に襲われようとしていました。ですが、襲われたら襲われたでリスクが大きい為、少し減らそうと思ったのですが『だったら一個でよくない?』と、本当は何百と積めるそれの、一番安い物一つだけ乗せてみました。これがプライスレス交易の始まりでした。

盗賊プレイヤーが襲いに来て、普通は輸送動物がやられると “ドバーっ” と積荷が散乱するのですが、我々の場合はそれが “ちょこん” と一つだけ散らばり、激戦の末に輸送動物を落とした盗賊の人が、チャットで

「は?」

と言った時には、ディスプレイの前で爆笑したものでした。当時は行商隊も少ない中、我々もかなり本気で防衛してたので(普段使わない課金アイテムとかまで使ったり)、滅多にいない大物の獲物と思ったのでしょうね。その後に『~~こういう理由なんですよ』と事情を説明すると、

「ふ~ん、そうだなんだ、頑張って」

みたいな、『別に俺そんな事で怒らないし?』みたいな返答で、また爆笑していました。今思うと大変失礼な事で、あの盗賊の方々には大変申し訳なく思っております。ただ何回か繰り返すとやはり見知った顔しかいなくなったり、劇中のイエンのような事を実際に言われて冷めちゃった、という感じでした。
やはりアツイ戦場というのは中々巡り会えないもので、『せっかく護衛に転職したのに……』という寂しい気持ちはありましたが、そんな時に誘われたのが次回の話になります。次回もほぼ実話です。

遊珊に関しては、いわゆる『オタサーの姫』みたいのがギルドに一名いまして、引き抜きやら何やらでかなり荒らされました。なのに皆、庇うんですよ。その姫を。
遊珊はとても出来た女性という設定で、その子とは似ても似つかわないのですが、それが影響しているかは判らないですが、Ⅴ章ではかなり重要なポジションとして、準レギュラーとして登場いたします。

ちなみにそのオタサーの姫は、かろうじて正気を保っていた私が責任を持って除名しました。幹部の私を怒らせたのが運の付きやでぃッ(・ω・)9゛


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

送元二使安西

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

西方と東方を繋ぐ荒れ果てた荒野『河西回廊』

 

その最先端である重要拠点『敦煌』

羌族の西夏と多民族国家の宋に挟まれ、衰退の一途を辿っていた砂漠都市。

 

最近この都市は『ある行商隊』のおかげで経済を立て直し、

かつての繁栄を取り戻しつつある。

 

その行商隊は宋と西夏を交易で繋ぐことにより、

繰り返される両国の戦争をも沈静化させた。

 

その『敦煌の英雄』とも言える行商隊を率いるのは――――

若干、十八歳の小娘である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここって、こんなに人いたっけ……?」

 

 

 

 

盗賊から商隊護衛に転職した二十歳の女・呂晶(ルージン)は、

以前とは違う活気に満ちた敦煌に困惑する。

町並みはさほど変わっていないが単純に人が多い。

 

以前、この近くにある石窟を荒らそうと訪れた際は、

出歩く者も少なく寂れた町だと思っていたが、

今は広場に様々な出店が並び、その全てに客が並んでいる。

 

 

 

 

「ああ、ここも様変わりしたよな……ほとんどは一緒に行商する連中だが」

 

 

 

 

長身で長髪を一つに縛る、額に傷のある武侠魏・圏(ウェイ・クァン)が答える。

彼は呂晶が所属する結盟『真夜中の旅団』の頭領であり、

今回、呂晶をこの商隊に誘い出した者だ。

 

 

 

 

「これ全部、商人と護衛!? こんなに殺しきれなぃょ……」

 

 

 

 

『敦煌』は、宋が誇る西の都『長安』の西北西に、

歩きではとても行きたくない距離にある。

 

 

 

 

「誰も殺さんでいい、あと、そういう冗談は絶対にやめろ――――俺まで追い出されるだろう」

 

 

「やっべ……アタシ、緊張してきたかも」

 

 

「それにしてもお前、荷物が少なくないか……?」

 

 

 

 

呂晶はおもむろに『キセル』を取り出し、煙草のような物を吸う。

 

 

 

 

「んぁー? うぇうい、こんあおんえほ (別に、こんなもんでしょ)」

 

 

「お前なあ、場所考えろ……やめたんじゃなかったのか?」

 

 

「やぇてあいよ(やめてないよ) スゥー……プァ~、あぁ……アーシ帰っていいかな?」

 

 

 

 

呂晶が吸っているのは、甖子粟(えいしぞく)の樹液を乾燥させた――――つまりは阿片だ

阿片は煙で吸うと即効性がある。それによる気怠さのせいか、

呂晶の頭に『ドタキャン』という言葉が浮かぶ。

 

 

 

 

「見て見てぇ~、アイツぅ~……ハゲェッ! 頭ハゲてやがんの! アッハッハー! ウケるぅッ!」

 

 

 

 

阿片のせいか、元の性格からか、

大して面白くもない事を聞こえるように笑う。

 

 

 

 

「なんだァ、ハゲェ……? こっち見やがって……やんのかぁッッ!?!?」

 

 

「安心しろ、みんな味方だ――――」

 

 

 

 

ウェイは呂晶の肩に手を置いて静止し、

嘲笑された男の方へ “すまない” という調子で手を上げる。

 

呂晶が落ち着かない理由が、

“敵に囲まれているような気持ち” が原因だと見抜いているようだ。

 

自称『女の気持ちが判る男』だからだ。

 

 

 

 

「……ビビってなんかない、ちょっと驚いただけ」

 

 

 

 

呂晶もウェイの意図を察する。

 

 

 

 

「物流も盛んになった上に、これだけの武侠が色々買い込む訳だからな……相乗効果、つーのか? 景気も良くなるんだろう」

 

 

 

 

心の師が掲げた “天下布武” という夢を受け継ぐウェイにとって、

町の発展とは、とても興味深い事柄だ。

商人家系の出身という事も相まってか、どうしても裏方目線で見てしまう。

 

ウェイが言おうとしているのは、大型スーパーとレジャー施設を融合させ、

どちらか目的で来た客がどちらにも金を落とす、

『シナジー効果』と呼ばれるような事だ。

 

 

 

 

「隊商、様々……ってか」

 

 

 

 

呂晶はそれが気に入らない。町が発展するのは良い事のハズだが、

悪者にとっては、良い事というのは悪い事なのかもしれない。

 

 

 

 

「そういや呂晶、“敦煌の南門” は通ったらダメだぞ、通ると死んじまう言い伝えがあるんだ」

 

 

 

 

ウェイは自慢気に知識をひけらかす。

 

 

 

 

「言い伝えじゃねーよ、歌だろそれ? 多分、送元二使安西(そうげんにしあんざい)だ」

 

 

「え、そうなのか。どういう歌だそれ?」

 

 

 

 

ウェイがひけらかした知識は、『とある歌謡』が伝言ゲームのように伝わる内、

その意味を大きく変えてしまった物。

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

元々は民間伝承ではなく『送元二使安西』という詩である――――

 

教養があれば誰もが知っている有名な詩なのだが、

まず、教養を得る自体が金持ち以外には難しい。

 

ウェイも字や算盤を扱う程度の教養はあるが、

所詮は田舎の一商人の息子、詩を知らないのも無理はない。

 

対して呂晶の家は成都一の大企業、高級装飾具店『呂礼屋』を経営している。

つまり、呂晶は『ヴィトン』や『グッチ』のような、

高級ブランド会社の “お嬢様” なのである。

 

 

 

 

「くっだらない歌よ、聞かない方が良い」

 

 

 

 

呂晶の両親は地主として勢力を拡大すべく、娘に『|科挙$官僚になる為の国家試験$』の勉強をさせていた。

財ある家の者が科挙を突破し、政治家となって国を動かす、

すると『士大夫』と言って、晴れて貴族の仲間入りを果たすのである。

 

その科挙の科目の一つ『進士科』

文系に相当するような分野の勉強で目にしたのが、この『送元二使安西』という詩だ。

 

その昔、科挙を突破した士大夫が残した詩で、

呂晶が目標とすべき『伝説の先輩』が書いた詩という事になる。

 

当の呂晶は士大夫を目指すどころか、家出をした挙げ句に阿片に溺れ、

ついには盗賊まで落ちぶれてしまった訳だが。

 

 

 

 

「気になるな、そんな言い方されると」

 

 

「とりあえず、南門を通ったら死ぬってのは迷信だ――――ま、あんな所通りたがる物好きは、アタシくらいのもんだろうけど」

 

 

 

 

そう、送元二使安西――――アタシはあの歌が気に入らない

 

今から三百年以上前、中華が『唐』と名乗っていた頃。

長安の高級官僚『王維(おうい)』という “コウモリ野郎” が書いた詩賦(しぶ)の一つだ。

 

西の彼方にあるウイグルの『安西』という、

かつて楼蘭があった辺りに派遣される事になった『元』という友人を、

王維が長安の西門『渭城』まで見送る話――――

 

昨晩さんざん飲んだ挙げ句に、朝っぱらから迎え酒まで飲ませ、

“敦煌の南門、陽関を出たらお前は死ぬんだ” と言って悲しみながら、

その辺に生えてた柳を一本折り、元に(せんべつ)のごとく渡す。

旅立つ者を見送るとは、おおよそ思えない内容だ。

 

 

当時からしたら――――まあ、今もそうだが

西方ってのはワケ判んねー奴ばっかりで、ワケ判んないことで殺されるなんてザラだ。

更にその大半は、生き抜くには困難な砂漠地帯。

 

ワケ判らん奴らと寄り添わねば生きていけない。

温室育ちの王維からすれば、元は死にに行くようなものだったんだろう。

 

だが、そんなに心配なら渭城までと言わず、楼蘭に一緒に行ってやればいいし、

苦労してるのは元の方なのに、王維はその歌で有名になって、

唐の、今で言う戸部大臣くらいの地位まで登り詰めた。

 

 

七言……えっと、なんだっけ――――そういう形式の歌謡だ

御父(おとう)に『科挙の勉強だ』と言われ、有名な歌手の舞台に連れて行かれた事がある。

実際は御父が見たくて私を連れ出したのだが。

 

まぁ~~とにかく聞いてて眠くなる、そして途中から、

『帰ったら酒のつまみに何を食おう?』という事しか考えられなくなる、そんな歌だ。

しかも、終わったと思うとまた始まって計三回繰り返す、もはや地獄だ。

 

当の、通ったら死ぬと言われる『陽関』とはここをずっと行った所にある、

半分砂に埋まった南門のことだ。

 

ほとんど門の体を成していないし、みんな別の所から出入りしている。

ウェイのように験を担いで近付かないようにしてる奴もいるが。

 

アタシは石窟を荒らすために最初にここへ訪れた時、嬉々としてその南門を往復した。

そして楼蘭よりもっと西のカラコラムという雪山まで行って、

イシュタルと呼ばれる女型の化物もブチ殺した。

 

でも未だ、アタシは生きている―――やはり文官というのは嘘付きだらけだ。

その文官の中でも特にこの王維は曲者なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




送元二使安西の王維はとても尊敬された歴史上の人物です。
呂晶はそういう物ほど嫌いなので、あえてコケ降ろしています。ので、コウモリ云々はアテにしちゃダメです。

送元二使安西の『お前は死ぬんだ』は、実際には『これが今生の別れとなるだろう』的な意味です。
伝言ゲームで迷信が出来てしまったように、
呂晶も適当に勉強していたので、偉そうに言っておきながら、多少間違って記憶してたという感じです。

ただ、歴史的な詩が、時代によってどのように受け取られていたか?
それは時代ごとの情勢によって変わり、決して一定ではなかったハズなので、そんな所を表現したかった訳です。

そして私は、どうしても元の方の気持ちが知りたくなってしまいます。
どんな気持ちで「死地に向かった」のか?それとも死にに行くつもりなど無かったのか?
その辺を、今後、呂晶が死地に乗り込む描写で描いていきたいです。

親に殴られた嫌な思い出があるのに、嬉々として陽関を往復する呂晶には、少し可愛さを覚えます。
なんだかんだ旅が好きな子なので、観光として外せないポイントだったのでしょう。

送元二使安西で検索すると、日本語バージョンの歌が出てくると思うので、
酒のつまみに何を食おう?と考えてしまうか、試してみて頂けたらと思います。

日本語バージョンも何を言ってるか全然判らないのですが、唯一判る所で、おそらく飲みたくなると思います。

最初の挿絵はゲーム内の敦煌で南門から入っていきます。
2枚目の方は実際(現在)の南門、陽関に近い感じですね。
ゲームだと陽関と、もう一つ有名な玉門関は、それぞれ敦煌の南、西門に相当しますが、実際はお互いかなり遠く、
それぞれ100km以上?離れた場所にあるようです。町の門というより関所ですね。

とりあえず小説内ではゲームと実際を混合した、独自の縮尺になっています。
長安から敦煌だけで馬で旅しても2ヶ月位かかると思うので。そこはちょっと1週間くらいに縮めるつもりです。
更に気孔を扱う武功家はある古代遺跡を利用し、身一つであれば更に移動を短縮する事が出来ます。

移動が早すぎる場合はそれを使ったという感じです。


王維に限らず詩を書く人は、悲しい事があると筆を取ったそうです。
しかも詩の出来によって出世が左右されたりするので、詩は本当に重要な事だったようですね。

何かに似ています。そう、芸能人等が行う、「インスタ映え」ですね。
インスタと、戦場カメラマンのような要素も含んでいたのかもしれません。

悲しい事は、悲しいだけでなく、出世のチャンスでもあったのは間違いないと思います。



ゲームでは「盗賊⇔商人」の変更を繰り返すと、一部の方から「コウモリ」なんて呼ばれたりします。
まさに、盗賊から護衛に転身した呂晶にアテはまります。

王維も呂晶と同じように、事情があって「朝廷⇔反乱軍」のコウモリをしていたのですが、
本人はそんなつもりがなくても、呂晶のように悪く思う人はいるでしょう。
同様に、呂晶も目的があって転身しましたが、やはり悪く思う人はいるハズで、
次回はその辺りを言及されるシーンがあります。

呂晶がイラついているのも、自分は、自分が嫌いな王維と同じではないか?
という気持ちがあるのかもしれません。

もう一人の歴史上人物、楊貴妃ですが、
丁度この宋の時代に、楊貴妃伝というか、彼女を取り巻く伝記が編纂されて、

1000年に一度の美女、1000年さん、今で言うアイドルのような扱われ方だったのかもしれません。
やはり呂晶は楊貴妃が嫌いで、楊貴妃にデレデレしてる男達も嫌いです。
女同士の対抗心なんかもあるのでしょう。
そんな中、楊貴妃にように扱われる美しい大臣の娘が現れ、それの護衛をするハメになります。

アイドルとは人気が高い女性で、ファンもいます。
ではファンでない人は、何故ファンにならいのか?

可愛くて、ダンス等なにかしら秀でた特技があり、
好意を寄せる相手としては、本能的に好きになってしまうに妥当なアイドル。

一つ足りないのは、見返り。だと私は思っています。
愛しても見返りがない。ならば逆に、「好きにならないようにしなければいけない」。
減点方式といいましょうか。
「アレが足りないからダメ」、「自分の好みじゃない」、「興味がない」

本人もキレイな女性だとは判っている。
ただ愛しても見返りがない。好きになり、尽くしてしまえば、尽くした分だけ損をする。

『ファンにならない』とは一種の防衛本能で『好きにならないよう努力する』
という点が含まれるのではないかと私は考えています。

呂晶も花雪やユエに対して、
実は好みではあるが、防衛本能で、好きにならない努力をしています。
そして女性なので、楊貴妃に対して同様、そこに「対抗心」というものが加わります。

そういった愛情と嫉妬、憎悪などが絡み合う心的描写に注目してもらえたら嬉しいです。

今後の呂晶の行動に大きく関わってきます。

ちなみに、ちょっと出た「楼蘭」ですが、
私がプレイしていたサーバーがROURANサーバーだったので出しました。
今は統合でなくなっちゃいましたけど。


あと、国家試験を突破した者が士大夫となりますが、
花雪のような伝統貴族は、試験が必要だったのか?
それともコネのような感じで必要ないのか?そこだけ判らなかったので、気になる所です。

楊貴妃はワキガだったのでは?という説は一応あるそうです。
もしかしたら、呂晶のような子が言った出まかせが、そのまま伝わってしまったのかもしれませんね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

安史の乱 ✛千年に一度の巨乳美女✛

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

安史の乱という時分の事だ――――

 

唐の皇帝『玄宗(げんそう)』その新妻で “傾国の美女” と謳われた『楊貴妃』

玄宗は楊貴妃を溺愛していた、良い歳こいて巨乳が好きだったからだ。

 

玄宗が治めていた唐に対し、同じく良い歳こいて楊貴妃に惚れ過ぎて、

娘ほど歳下の楊貴妃の養子になったサマルカンド出身の『安禄山(あんろくざん)

ソイツがクーデターを起こし、長安を制圧した。

 

安禄山てのは “楊貴妃が手に入らない嫉妬で反乱を起こした” とまで言われる、

どうしようもなく痛い男だ。

 

 

その際、唐の役人だった『王維』も寝返り、クーデター側に加わった。

玄宗は捕まり、調子に乗って贅を貪っていた楊貴妃も自害させられると、

王維は “自分は捕まって無理矢理働かされていた” と手練手管を駆使し、

二人がいなくなった唐へと寝返り直したのだ。

 

だからアタシは『王維=コウモリ野郎』と覚える事にした。

未だに『送元二使安西』を覚えているのは、この記憶法が良かったからだろう。

 

 

 

 

ちなみに『寝返りを繰り返したコウモリ野郎』とは、アタシの推論だ――――

 

だが間違いない、王維は『安史の乱』以前は昇進したり降格したりで、

卯建(うだつ)の上がらない男だった。

楊貴妃を見せびらかす玄宗がムカついたのだろう、だから反乱軍に寝返り、

玄宗が捕まれば “反乱軍は用無し” と言わんばかりに朝廷へ返り咲いた。

 

『送元二使安西』での『元』に対しての見送りも、打算があるとしか思えない。

悲しい事が起こる度に筆を取る奴だぞ――――? 本当に悲しんでるワケあるか。

 

悲しむ顔の裏で、“良い詩の題材が出来た” と喜んでいたに違いない。

(インスタ)映え』というヤツだ。

 

この説を王維好きの御父に話したら、ぶん殴られた挙げ句に、

『お前は何故そう捻くれてばかりなんだ』と失望された。

だがアタシはこの説を覆す気はないし、女の顔を殴った御父も許すつもりはない。

 

 

 

 

――――楊貴妃だって気に入らない

 

これはアタシだけじゃなく中華の女は大抵そう思ってる。

三百年も昔の女だと言うのに、最近、当時の話が編纂されたとかで一躍有名になった。

 

中華の女は事あるごとに楊貴妃と比較される。

『楊貴妃はもっと淑やかだった』とか『上品だった』という具合にだ。

顔も判らない大昔の女だぞ――――? やってられるか。

 

ナンパの文句まで『君はまるで楊貴妃のようだ』という台詞が流行った程だ。

男にとっては『楊貴妃のようだ』は褒め言葉かもしれないが、

他の女に似てるという理由で好かれても嬉しくも何ともない、

喜ぶ女もいないでは無いが、楊貴妃より生物的に優れたアタシは我慢ならない。

 

当の楊貴妃と言えば、没落貴族の出身で、

取り柄と言えば顔と歌、舞、胸がデカイ――――男に媚びる為に生まれたような女だ。

 

見た目は(私には及ばないだろうが)可愛かったかもしれないが、

頭も良くないし強い訳でもない、アタシは楊貴妃に劣る物ナシだ。

 

なのに私は『人でなし』と蔑まれ、アイツは『千年に一度の美女』と持て囃される。

老いる寸前――――三十半ばで死んだから、噂に尾ひれがついたに違いない。

 

偶像(アイドル)』ってやつだ。

その偶像に、男共が嫉妬で戦争を起こした。

その偶像に、何百年も経った今も踊らされる。

 

女の奴隷みたいな男共も気に入らない。

だからアタシは、そういう教養のない男が楊貴妃の話をする度、

『楊貴妃は小便を漏らす小便娘、おまけにワキガでだから盛んに香を炊いていた』

と、教えている。

 

 

――――もちろん嘘だ

 

だが、教養の無い奴はこんな嘘すら見抜くことが出来ない。

夢が崩れたのか、揃って顔を青ざめやがる。

 

アタシが軍師だったら、

“『楊貴妃に限ってワキガなど……』群臣達が動揺しておりますぞ”

という報でも聞こえきそうな勢いだ。

 

そう、アタシは密かに楊貴妃の流言を流している――――だから勝てる

 

奴はもう死んだ女、付けられた傷は決して修復しない。

対して、生きてるアタシは傷を付け放題だ。

 

楊貴妃だって人間なのだから鼻もほじればクソもする、

アタシは現実を教えてやってるんだよ。

 

 

 

 

「……おい、聞いてるのか呂晶?」

 

 

 

 

そうだ、この隊商も若い女が仕切ってるらしい。

 

てコトは、それにヘラヘラ付き従ってるウチの頭領であるコイツも、

玄宗や安禄山みてーなもんじゃねーか――――?

 

 

 

 

「な、なんだよ……」

 

 

 

 

そんな事を考えながら、呂晶はウェイの顔を睨みつける。

 

 

 

 

「……アタシは、あの歌が気に入らない」

 

 

 

 

ウェイを睨みつけながら、呂晶はその視線で様々な不満をぶつけている。

 

だが、そのほとんどはここの所燻っている感情や、個人的な主義趣向によるイラ立ち、

おおよさウェイとは無関係のことだ。

 

 

 

 

「まあ……お前が “気に入らない” ってんなら、スカした内容なんだろ――――俺達、人でなしにゃ似合わねぇなっ!」

 

 

 

ウェイは、自称『女の気持ちが判る男』である。

呂晶の不満までは判らないが、深く追求せず共感してやろうと、

彼女がよく他人から言われる『人でなし』という言葉を使った。

 

人を斬り殺すことが生業の武侠全般にも使われる為、

『俺達』と加えることで連帯感を生もうとしたのだ。

 

しかしこの図らいは、呂晶にとっては逆効果となる。

 

 

 

 

「はあ!? テメーみたいな田舎商人と一緒にすんなッ!! ウチは皇室にコネ持ってんだぞッ!?」

 

 

 

 

この、黒人がお互いを “ニガー” と罵り合う類のスラングは、

同類にしか許されない行為だ。

 

二人とも、今は行商に参加する同類の立場ではあるが、

呂晶の本質は今でも『盗賊側』であり、

ウェイに対しても『お前もどうせあっち側だろ』という、

裏切り者を見るような感情が残っている。

 

 

 

 

「お、おう……悪かったな……」

 

 

(なんだコイツ、せっかく慰めてんのに……反抗期か?)

 

 

 

 

呂晶の機嫌はどんどん悪くなる。

そのイライラは周りに、ウェイにも伝播していく。

女とはそういう物である。

 

 

 

 

「なあ、この後イラつく事があっても、絶対に悪態だけはつくなよ、絶対だぞ? あと、この間まで盗賊やってた事も絶対に言うな」

 

 

 

 

呂晶が問題を起こす気配を察知したウェイは入念に注意する。

 

これから参加するのは結盟がする呑気な行商ではなく、

沢山の人間が一つの目的を達成すべく動く『団体行動』である。

正直、この女が一番向いていない場所だ。

 

 

 

 

「大丈夫だ、アタシはどこでも上手くやれる」

 

 

(その得体の知れない自信が一番心配なんだよ――――あっ……)

 

 

 

ウェイはハタと思い付いたように、

懐から『紙切れ』を取り出し、呂晶に渡す。

 

 

 

 

「ほらよ」

 

 

「何だコレ、膠泥(こうでい)活字か?」

 

 

 

 

昨今の宋は『印刷技術』の発展がめざましい。

『膠泥』という煉瓦のつなぎ目に使うセメントで文字を型取り、

それを並べて文章を作って活版印刷を行っているのだ。

 

 

 

 

「 ”花雪象印商隊、掟、近接護衛の項” ……こんなもん配ってんのか?」

 

 

 

 

この商隊ではそれを使って新人への初期講習を行うのだ。

ウェイは人差し指を立て、

おそらく自分が過去に受けたであろうレクチャーを呂晶に行う。

 

 

 

 

「いいか呂晶、“積荷は人の命より重い” んだ、よく覚えとくんだぞ? この商隊のルール、其の一だ」

 

 

 

 

団体行動に向けての予習である。

 

 

 

 

「へっ……そりゃ、そう思ってる奴にはそうだろうけどね」

 

 

 

 

呂晶は聞く耳を持たないどころか鼻で笑って紙を放り捨てる。

ルールや決まりといった言葉はこの女に使ってはならない、

絶対に破るからだ。

 

レクチャーは其の一で終わってしまった。

 

 

 

 

「あっ……そーゆうトコだぞ、お前っ! 俺には構わんが、絶対に花雪(ファーシュエ)さんと寒月(ハンユエ)さんには言うなよ!?」

 

 

 

 

ウェイが紙を拾いながら出した、花雪と寒月という名。

それを聞いた呂晶の顔が険しくなる。

 

 

 

 

「それ……この隊商仕切ってるっていう、十代の子達?」

 

 

「そうそう、その二人だ――――初めは普通の行商隊だったそうだが、それをここまで大きくしたんだ。お前にも、あの子達を見習って欲しいよ……」

 

 

「ふーん……」

 

 

 

 

呂晶は他人と比べられるのが嫌いだ。

比べられる自体は構わないが、自分が下にされる事が許せないのだ。

 

 

 

 

「小娘が仕切る隊商ねぇ……アタシはこれから、ママゴト(・・・・)に付き合わされるって訳か」

 

 

 

 

当然、悪態を付く。

 

 

 

 

「言うと思ったぜ、だが――――そうでも無いぞ」

 

 

「は?」

 

 

「この商隊は今まで一度も荷を奪われた事がない(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

「なんだと……?」

 

 

「言うなれば “安全神話” だ、みんなその話にあやかろうとしてる。それで商隊がいくつも傘下に入ってデカくなった、実力は折り紙付きだ」

 

 

「安全、神話……」

 

 

 

 

ウェイが言った言葉を反芻する。

『安全』とは即ち、『呂晶のような盗賊に対して』という意味だからだ。

 

つまり、一度も盗賊に負けた事がない。

 

 

 

 

「安全ならリスクがない訳だから、乗れば確実に儲けられるだろ? 金だけ出資する協賛者も増えてるって話だ」

 

 

「確実、か……どんな奴だ? その十代の女ってのは」

 

 

 

 

呂晶は真剣な面持ちで質問する。

“確実に盗賊に勝つ” とまで言われては、敵として無視する訳にはいかない。

 

今回は味方だが――――

 

 

 

 

「なんつーかなぁ~、こう……楊貴妃みたいな人だ! 上手く言えんが、これが一番しっくりくるぜっ!」

 

 

(出たなァ……)

 

 

 

呂晶はニヤリと笑う、禁句が出た。

禁句ではあるが流言を広めるチャンスでもある。

 

 

 

 

(可愛い女を見れば、すぐ楊貴妃――――ッ! そのナンパ文句は、もはや死語だと判らせてやるッ!!)

 

 

 

 

周りにも聞こえるように、呂晶は大きく息を吸う。

 

 

 

 

「いーい、ウェイッ!? 歴史の勉強したこと無い、アンタは知らないだろうけどッ!!」

 

 

「おい、おい……! 呂晶っ!」

 

 

 

 

ウェイは聞いておらず、呂晶に『高速肘打ち』をしている。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

偶像 ✛二人はアイドル✛

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

「楊貴妃って子はね!! ホントは小便漏らすわ、ワキガはヒドイわ、臭っ……さくてしょうがなかった、てのが歴史的見解――――おぉうッ!?」

 

 

「……。」

 

 

 

 

気付くと、この商隊を率いる十代の小娘、

副長・寒月(ハンユエ)が呂晶の顔を覗き込んでいた。

 

おかっぱの上にお団子を乗せた髪型。

パッチリした大きい目を、ぼんやりさせて見ている。

その顔には『眼鏡』を掛けている。

 

 

 

(呂晶っ……! 挨拶、挨拶……ッ!!)

 

 

 

 

ウェイが必死に肘打ちしている。

 

 

 

 

「ど、ども……眼鏡、珍しいね」

 

 

 

 

多少引き気味に声を掛ける。

突然だった為、最初に目に入った眼鏡の感想を述べてしまう。

 

 

 

 

(ホントに小娘だ……こういう場で自分より年下の女って初めて見た……てか、胸デカッ!)

 

 

 

 

副長・ユエは、眼鏡の奥のぼんやりした瞳に映る呂晶に、

おずおずと言葉足らずの質問を行う。

 

 

 

 

「……誰?」

 

 

 

 

上司が見慣れない新人に声を掛けているのだ。

しかし、その姿は上司とは思えないほど大人しく、あどけない印象だ。

 

 

 

 

「……は?」

 

 

 

 

呂晶はその様子にイラついたのか、威圧で返す。

 

 

 

 

(なんだァ、この無愛想な眼鏡は……上下関係舐めとんか? 先輩のアタシが “ども” つったら後輩はだまって “どうも初めましてコンニチワッ!!どうも初めましてコンニチワッ!!” だろうが? 二回だぞ、壊れたエクスマキナみてーに全力で二回言え、でねーとテメーぶっ殺すぞ)

 

 

 

 

――――という声を飲み込む

 

そう、此処での自分は雇われの身、相手が上で下なのは自分だ。

そして此処では、いつもの盗賊のような礼儀は許されない。

 

 

 

 

「楊貴妃が臭かったなんて聞いた事ない、あの人はお香が好きだっただけ……アナタはもっと、歴史の勉強をした方が良い」

 

 

 

 

部下に威圧されて怒ったのか、ユエは “ムッ” とした様子で返す。

教養を示せるという事は、このユエもまた上流階級である。

 

 

 

 

(こんの、ガキィ……ッ!!)

 

 

 

 

歳下に知ったかぶりをされる、

『呂晶が許せないランキング10』に入る出来事。

 

これが盗賊同士であれば大刀の切っ先を口に捩じ込み、

相手が上手く喋れないのを判っていながら――――

 

 

 

 

『あァ? “ごめんなさい” も言えねぇのかテメーは? オラ、口が裂けんぞ……あァッ!? 聞こえねぇーよッ!!』

 

 

 

 

と、謝罪を要求する場面である。

ただしユエは上司であり呂晶は盗賊だった事を口にしてはならない。

 

 

 

 

「へっ……へぇ~! そ、そうなんだぁ~……ごっめぇ~ん……」

 

 

 

 

と、顔をひきつらせて言う他に無い。

様子を見ていたウェイがたまらず割って入る。

 

 

 

 

「(おい、呂晶……!) ちっす、ユエさん! こいつ俺の結盟員なんスよ! 腕も立ちますから宜しくしてやって下さい!」

 

 

 

 

呂晶は嫌悪感丸出しで顔を背ける、どちらが歳下か判らない。

その呂晶をユエは “じっ” と見つめている。

 

 

 

 

「そう……がんばって、アナタは右側中列」

 

 

「へ~~い」

 

 

 

 

わざと嫌味な表情を作り、間の抜けた声で返事をする。

それを聞いたユエは “コクン” と頷き、スタスタと歩いて行ってしまった。

 

 

 

 

「おい……イキナリ、“は?” とか言うのは止めてくれ……頼むぞ、トラブルだけは起こすなよ、責任持てないからな?」

 

 

 

 

責任感の強い男、ウェイは眉間を抑えている。

まだ一合目だと言うのに少し目眩がしたようだ。

 

 

 

 

「あの子、ずいぶんサッパリしてんのね……てかアンタ、何? 惚れてんの? キモイよ?」

 

 

 

 

呂晶は年齢こそ二十歳だが、その精神は少女のままで成長が止まっている。

イラつけば触る物全てを傷付ける。

 

 

 

 

「そんなんじゃない……ユエさんはな、剣術と気功の達人なんだ。あの若さで大したもんだよ、しかも上流階級の娘さんときた」

 

 

「上流ねぇ、たかが知れてるけど」

 

 

 

 

"ウチに比べれば” という言葉は飲み込む。

 

 

 

 

(まあ、コイツ位の男は、あーいう小娘に塩対応されるのが堪らんのだろう)

 

 

 

 

呂晶は、『気功の達人』という言葉に興味を覚える。

自分は気孔を集中すると破裂させてしまう体質で、

大分前に『あくまで気功は補助』として諦めた経緯がある。

 

その気功を主体に戦う剣士――――

自分と全く違う系統だからか、嫉妬もなく単純に好奇心だけを覚える。

 

それに、あの自分を偽らない感じ、無愛想だが嫌いではない。

近所に住んでいた歳の離れた恥ずかしがり屋の男の子を思い出す。

 

 

 

 

(ただ、あの発育の良い胸だけはけしからん……いかにも “良い物食ってます” って感じだ)

 

 

 

 

そして呂晶は “バイ” である。

よって可愛い女子に出会うと、憎しみと愛情が入り混じった独特の感情を抱く。

 

 

 

 

(ククク……組み伏せてあの胸をムリヤリ揉みしだき、あの無愛想に嬌声を上げさせるのも悪くない……)

 

 

 

 

その憎しみと愛情の相乗効果が悦楽を産む。

手を握っては開きを繰り返し、恍惚の笑みを浮かべている。

 

背中から性欲の視線を向けられるユエは、

その豊満な胸を揺らしてスタスタと歩きながら、

新人達の顔を確認しつつ先程の言葉を思い出している。

 

 

 

 

 

 

――――眼鏡、珍しいね

 

 

 

 

(これが視力を補助する道具だと、しかも名前まで知っていた……初めて見た人は必ず、“それはなんだ?” と聞いてくるのに……)

 

 

 

 

 

 

呂晶の不良のような格好と佇まい、

そしていい加減ではあったが教養がある様子を想い比べる。

 

 

 

 

「……人は見た目によらない」

 

 

 

 

一方、ウェイは、呂晶の狂気を宿す顔が

“一戦交えたい欲求を持っている” ものだと確信する。

 

 

 

 

「ダメだぞ、あの子には手を出すな」

 

 

「なーに、ウェイ、やっぱ惚れてんの?」

 

 

 

 

ニヤリと笑い返す。

 

 

 

 

「別に、あの子に “イイ” と言わせれば、誰も文句は言えないわ」

 

 

「あの子を挑発するつもりだろう……やめておけ、お前でも勝てるか判らん」

 

 

(挑発? 夜這いや誘惑でなく……勝てるも何も、ありゃ確実にノンケだろ。コイツの考えはオヤジ臭くてよく判んねーな)

 

 

「大丈夫だよ、あからさまにアタックしたりしない。自由時間とか、そういう時にするよ」

 

 

 

 

二人の会話は噛み合っていない。

 

 

 

 

「ダメだ――――あの子は隊の副長ってだけじゃなくて、大臣の娘なんだよ」

 

 

「大臣ッ!?」

 

 

 

 

大臣とは、呂晶が親に目指させられていた『士大夫』の中でもトップ。

王維が晩年その地位に就いたレベルであり、

国の権力者の中でも “上から何番目” というレベルである。

 

地方の成金である呂晶の家を軽く飛び越え、貴族中の貴族だ。

 

 

 

 

「確か、戸部の……なんだったかな? 左か右の……」

 

 

 

 

ウェイは意味も判らず聞き、意味も判らず忘れていた知識をほじくり返す。

 

『戸部』とは財務省や経済産業省、その他、色々を合体させたような、

国家予算を一手に動かす執行機関であり、

権力を持ちすぎぬよう『左曹』と『右曹』に分けられている。

 

だが、それでも有り余る権力を持っている組織だ。

 

 

 

 

「嘘でしょ……? 上流どころか、最上級みたいなもんよ……何でそんな子が、こんな田舎で行商してんだよ……」

 

 

 

 

『商隊』とは言うなれば『動く宝箱』である。

人気の無い所で貧しい者がそれを発見すれば、

場合によってはその場で盗賊デビューしてしまう程に魅力的な物。

 

そんな危険物を運ぶような仕事を大臣の娘が行うなど、

余程の事である。

 

 

 

 

「そんなに変か、金持ちなら行商も得意じゃないのか?」

 

 

 

 

ウェイにとっては『金持ち』とはそれ以上でも以下でもない為、

その異質さには気付かない。

 

 

 

 

(ダメだ、コイツじゃ話になんねぇ……大臣の娘が副長で、気功の達人? そしてこの人数……この隊商、何もかも異常だ……)

 

 

 

 

呂晶が頭を悩ませていると、例の “もう一人” が姿を表す。

 

 

 

 

『花雪嬢が来たぞーッ!!』

 

 

 

 

男の声が上がると、周りがざわ付く。

 

それは上司を迎える声というよりも、

もっと嬉しそうな、“待ちに待った” ようにも聞こえる。

 

 

 

 

「何?」

 

 

 

 

この商隊にとっては恒例行事だが、初参加の呂晶には未知の出来事だ。

 

 

 

 

「花雪さん、商隊の長だ」

 

 

(おさ)……」

 

 

 

 

呂晶は声の方向へ振り返る。

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

優雅で自信に満ちた歩き方。

スラリとした、女性としては長身の若い女が現れた。

 

髪は栗毛色、顔は透明感のある印象を抱かせながら、

目や鼻などの大事なパーツは西方人の良い所だけを持ってきたような顔立ち、

薄い唇――――

 

顎がやや “しゃくれて” いるように見えるのは、性格が出ているのかもしれない。

唯一の欠点と言えるそれだが、もしそれが無ければ、

西方の少女のような幼すぎる顔立ちになっていただろう。

 

その『欠点』があることで、少女と大人の中間のような、

高飛車で妖艶な、吸い込まれるようにミステリアスな印象を醸し出している。

つまり、弱点が強みとなってしまった――――奇跡の調和

 

肌は血管が透けてしまいそうな程に真っ白、

とても戦闘向きな容姿ではないが、美しい。

 

『可愛い』と『綺麗』と『エロ』が同居したような姿、

という表現がしっくり来る。

 

そして、その胸の大きさもまた、戦闘向きでは無い。

 

 

 

 

(あれで十八!? しかもまた、デカイ……)

 

 

 

 

呂晶も形には自信があるが、大きさは中の上程度。

花雪のそれは一目でそれを凌駕する。

ついつい、自分のと見比べてしまう。

 

さっきのユエも、花雪に勝るとも劣らない迫力であったが、

『それ自体の大きさ』は、身長との対比を考えると花雪が勝っているだろう。

 

つまり、長身だけに尚更 “デカイ” のだ。

 

 

 

 

「アイツも……かなりの上流階級だ……」

 

 

 

 

呂晶はゴクリと唾を飲み込む。

どれだけ良い物を食えばあそこまで育つのだろう?

 

 

 

 

「そうだ、あの人も官吏の娘さんらしい――――判るのか?」

 

 

「ああ……アタシと同じ匂いがする」

 

 

「ぶわっはッ!!」

 

 

 

 

唐突に吹き出した。

 

 

 

 

「……何?」

 

 

 

 

呂晶が目を細めて質問する。

 

 

 

 

「いや、ナイスジョーク……」

 

 

「ちっ」

 

 

(まあ、コイツにはウチが金持ちとは言ってないからな、言ったら言ったでウゼーだろうし……)

 

 

 

 

気を取り直して説明する。

 

 

 

「あれは訓練で身に付ける歩き方だ、先生のエロいのとも違う。人の上に立つのが決まってる、そういう奴が受ける訓練」

 

 

 

 

人格や所作、その他もろもろの訓練――――

俗に言う『帝王学』

 

教える内容は家によって様々だが、

先祖代々の集大成とも言える独自教育であり、大体は選任された家庭教師が施す。

 

士大夫が『新興貴族』であるとすれば、

花雪の家は先祖代々続く『伝統貴族』である事を意味している。

 

 

 

 

「そうなのか? 自然体に見えるが……」

 

 

「そう見えるまで訓練すんだよ」

 

 

 

 

――――だが、なかなか良い

 

ああいう高飛車な令嬢を組み伏せて、

あの育ちに育った胸をムリヤリ揉みしだき、嬌声を上げさせるのも悪くない。

 

 

 

 

(やば、ちょっとムラついてきた……)

 

 

 

 

呂晶の趣味は、ノンケの女に自分の性癖を暴露し、

『嫌がる相手を腕力で組み伏せながら女の良さを教え込む』という、

あまり褒められないものだ。

 

呂晶から性欲の視線を浴びる当の花雪は、ユエが待つところまで歩み寄る。

そして、用意された壇上に、やはり優雅な動作で昇る。

 

胸を少し張り、下目遣いで部下たちを見回しながら、

肩に掛かった髪を邪魔そうに払っている。

 

 

 

 

(さあ、お高い子猫ちゃん……その可愛いらしいお口から、どれだけ上品な声を聞かせてくれるのかしら?)

 

 

 

 

呂晶もその雰囲気に飲まれて心の声が上品になる中、

安全神話を誇る『花雪象印商隊』の長、花雪がその第一声を発する。

 

 

 

 

「そこの貴様――――……“来た” ではない、“いらっしゃった” ……じゃろう?」

 

 

(ジャローンッ!)

 

 

 

 

呂晶が目を見開いて口をすぼませ、“ひょっとこ” のような顔で驚く中、

長を称える世辞が飛ぶ。

 

 

 

 

『よっ、商隊長ッ!! 今日もお美しい!!』

 

 

「黙れ――――皆の者、今回も(わらわ)に付き従えることを光栄に思え」

 

 

(わら……えっ? 冗談?)

 

 

「今回の商人、輜重兵は――――合わせて五十じゃ」

 

 

 

 

花雪は、紙に書かれた参加者のリストを読み上げる。

 

 

 

 

『おおぉ~~っ!!』

 

 

 

 

その数に感嘆の声が漏れる。

 

 

 

 

 

 

「そして護衛の数は―――

 

 

 

 

――― “百” じゃ」

 

 

 

 

 

 

『オオオオォォォーーッ!!』

 

 

 

 

更に大きな歓声が上がる。

 

 

 

 

(百だとォッ!?)

 

 

 

 

驚かざるを得ない。

いくら腕に自信がある呂晶でも同時に相手出来る数は四人、

それが五十人の商人と輜重兵、更にそれを百人体勢で守っている。

 

一人で突っ込みでもしたら、

触れる前に弓矢でミンチにされる数――――

 

 

 

 

「毎回、増えてるな……今回は今までで一番多いかもしれん、二人の名が知れ渡ってきたんだ」

 

 

 

 

恩人が掲げていた天下布武を夢見るウェイ。

名が知れたり上がったりとは、心が踊る事なのだろう。

 

 

 

 

「俺達も活躍して、二人に認めてもらおうぜッ! ウオオオオォォーッ!!」

 

 

 

 

拳を握り、周りの大勢がそうしているように高らかに掲げる。

 

 

 

 

(なにが、“認めてもらう~” だ、相手は小娘だぞ?)

 

 

 

 

呂晶が嫉妬とも呆れとも言える感情を募らせる中、

花雪は優雅に手を滑らせて言い放つ。

 

 

 

 

「お前達の積荷の安全は保障しよう――――平民共、今回も妾の手となり、足となるのだぞ?」

 

 

 

 

一際大きな雄叫びが轟く。

 

 

 

 

『YEAAAAAAAAAAAAAAHーーーーッッ!!!!』

 

 

 

 

男達が拳を上げ、“我こそは” と飛び上がりながら、

どこかで聞いた西方の言語で叫ぶ。

 

その声は耳を塞ぐ程の大きさ、とても気合が入っている。

これはこれで士気が高いのかもしれない。

 

 

 

 

(おいおい、家庭教師……お前、一体どんな教育したんだ? 親の顔が見てみてーよ……)

 

 

 

 

盛り上がるウェイや周りと対照的に、

呂晶は耳を塞ぎながら一気に冷めていた。

 

 

 

 

(タイプじゃない)

 

 

 

 

この隊商の人気がどういったものか、判った気がする。

 

“一度も落ちた事が無い” と言うから気になったのに、

長も副も小娘、やはりママゴトだ。

 

 

 

 

(……しかし、男はあーいうのが良いのか?)

 

 

 

 

花雪のそれは “媚びる” とは対照的な、“突き放す” といったもの。

前者を砂糖とすれば、花雪のそれは塩だろう。

 

 

 

 

(塩対……ってんなら、私だってそっち系だと思うが……まあ、アタシは先生一筋だけど)

 

 

 

 

呂晶はこれ以上考えるとまたイラ付きそうなので、

小さな声で――――

 

 

 

 

「ダッセ……」

 

 

 

 

とけなして、終わりにした。

 

 

 

 

(まともにやったことも無いから判らんが、こりゃ、長い交易になりそうだ……)

 

 

「……」

 

 

 

 

花雪は壇上から、

一人、冷めている呂晶を怪訝な顔で見つめる。

 

 

 

 

(あの生意気な顔、どこかで見た――――……)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

戦象 ✛社長専用機✛

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

「すっげぇーっ!! 戦象だぁーっ!」

 

 

 

 

盗賊から商隊護衛に転身した女、二十歳の呂晶(ルージン)は目を輝かせている。

 

 

 

 

(あの小娘達っ! こんなモンまで用意してんのかよ!)

 

 

 

 

象は以前にも見たことはあったが見世物用の小ぶりなヤツだった。

 

 

 

 

「オラッ!! オラァッ!! いいんかッ!? コレがいいんかッ!?」

 

 

 

 

珍しい物が大好きな呂晶。

本人曰く『ただ珍しいだけではダメ』だそうだが、この戦象はお気に召したようだ。

目をキラキラ輝かせ、とても嬉しそうに象の脇腹をボコンボコンと殴っている。

 

と思うと突然、無表情になって後ずさった――――

どうやら臭い匂いがしたようだ。

 

 

 

 

「…………すっげぇーっ!!」

 

 

 

 

離れるとまた目を輝かせ、象の周りをぐるぐる回って観察する。

 

 

 

 

「ケツ……っ! デケェーんだけど!! マジウケるよッ! ねぇ!?」

 

 

 

 

呂晶が所属する結盟『真夜中の旅団』

その首領で引率を行うアラサー、ウェイが解説する。

 

 

 

 

「物見櫓も兼ねてるそうだ、立ったらもっとデカイぞ」

 

 

「アタシ乗っていいっ!?」

 

 

 

 

嬉しそうに振り向く、まるで少女のような顔。

その顔でピョンピョンと跳ねながら、備え付けられた『台座』を指差している。

 

 

 

 

「 ダ、メ――――」

 

 

 

 

ウェイは目を閉じ、ゆっくり顔を振る。

 

 

 

 

「人を乗せるべく調教されし象……その上に備え付けられし台座……一体、その目的は? ……勿論、人が乗るため」

 

 

 

 

呂晶は演劇でもしているような、大袈裟な身振りで語りだした。

 

 

 

 

「あの台座に座りし者……最も相応しき者とは……? それはアレに乗りたい奴――――(すなわ)ちアタシだ」

 

 

 

 

親指で自分を指す。

『人が山に登るのは、そこに山があるから』というようなことが

言いたいのだろう。

 

ウェイは顔を近付け人差し指を立て、真剣に忠告する。

 

 

 

 

「ダメなものはダメだ。お前は目を盗んでも乗るだろうから言っておくぞ、アレに乗るのは花雪(ファーシュエ)さんだ」

 

 

「なにぃ……?」

 

 

 

 

呂晶は花雪を睨み付ける。

彼女はこの商隊の隊長であり国を動かす大臣のご令嬢でもある。

才色兼美、財力も象も兼ね備える十八歳は、部下の商人達に指示を出している。

 

 

 

 

「三号の滑車が欠けておる、馬鹿者がどこかにぶつけおった――――藁が寄れていないか確認せい、ガラス細工が割れておれば “貴様はクビじゃ” と、三号の者に伝えよ」

 

 

『ハッ! 直ちに荷を開封し、確認いたします!』

 

 

 

 

指示を出された商人長、

彼は一回りも歳下の小娘に大声で返事する。

 

 

 

 

「ああ、待て待て。やはり藁は交換しろ――――何度か雨が降られたじゃろう? 湿気で撓っとるじゃろうからな……カビも生えとるやもしれん」

 

 

 

 

ここで言う藁とは『緩衝材』のことだ。

 

 

 

 

『ハッ! 全て交換させます――――おーい、馬車隊ィーーッ!! 藁を交換するぞーーッ!!』

 

 

 

 

一人に指示を出すと、次の者がお目通し願う。

 

 

 

 

『花雪殿、伝者が参っております。通してよろしいでしょうか?』

 

 

「……通せ」

 

 

 

 

伝者にしては身なりの良い者が通され、礼儀正しく挨拶をする。

 

 

 

 

『花雪様、ご機嫌うるわしゅう、御父君から言伝を預かって参りました』

 

 

「妾は忙しい、手早く済ませ」

 

 

『御父君はこう仰っております――――商売に精を出すのは結構だが、次の誕生会では重鎮にお披露目する故、髪を黒くし必ず長安の別荘にいるように』

 

 

「またか…………代わり映えのない奴じゃ!!」

 

 

 

 

花雪は美しい顔を歪め、眉間に皺を寄せる。

それだけの事を言うために何度も伝者を寄越す父を嫌悪している。

 

 

 

 

「髪は戻さん、会は一日前倒さねば出席せん、援助を打ち切りたくば好きにせよと伝えよ――――そしてお前はその陰気臭い顔を二度と見せるでない」

 

 

『しかし、御父君にも都合が――――……』

 

 

「ええい、そんなもん妾が知るかっ!!」

 

 

 

 

スラリと伸びた手を大きく振って追い払う。

伝者は礼儀正しくとも父の従者、言伝というより説得に来たのだろう。

花雪にとっては敵のようなものだ。

 

そこへ、この商隊の副長、花雪と同じく十八歳で大臣の娘の寒月(ハンユエ)が、

割って入るように相談を持ちかける。

 

 

 

 

「花雪、三号馬車の人、替えて――――荷の扱いが雑」

 

 

 

 

ユエは主に護衛と戦闘を管轄している。

商人と輜重は花雪の管轄だ。

 

 

 

 

「妾もそう思うのじゃがな、ミスった訳でもないのに替えられんよ」

 

 

「花雪は意外と優しい――――なら、アレ(・・)は他の馬車に乗せよう」

 

 

 

 

『アレ』とはガラス細工のこと、

ステンドグラス製でペルシアから輸送を経由されて来た物だ。

高価な割れ物だけに二人の共通の懸念材料なのだろう。

 

伝者は『取り付く暇ナシ』と思ったか、諦めて退散したようだ。

それを横目で見ながら花雪が返答する。

 

 

 

 

「お前も意外と辛辣じゃからな。まあ、ここまで誰も割らなかった(・・・・・・・・・・・・)のじゃ、妾達が割る訳にもいくまい――――頼む」

 

 

「判った、任せて」

 

 

 

 

ユエは返事をすると馬車へ向かう。

荷を安全に運ぶもろもろを指示しておくという事だ。

 

二人の意思疎通はあまり言葉を必要としない。

ユエがわざわざ確認に来たのも、本当は伝者にイラつく花雪の加勢に来たのだ。

花雪もそれが判っていたので、伝者を無視するようにユエと会話を始めた。

 

一方、象にハシャいでいる呂晶は何とも子供っぽい。

ウェイは『ウチの子はどうしてこう情けないんだ』という態度で呂晶を注意する。

 

 

 

 

「この象はな、商隊の旗印《はたじるし》でもあるんだ、お前が乗ったりしたら俺まで怒られるから絶対にやめろ」

 

 

 

 

戦象は『動く物見櫓』であると同時に、花雪象印商隊の『シンボル』

商隊の長である花雪は社長同然、つまりは『社長専用機』でもある。

 

護衛がおいそれと乗ってはいけないし、遊びに来た訳でもないのだ。

 

 

 

 

「あのご令嬢の愛馬かよ…………じゃいいや、なんかクセーし」

 

 

「お前なぁ……」

 

 

 

 

ついさっきの『おねだり』するような愛らしい態度からの落差に、

ウェイは唖然としてしまう。

 

 

 

 

「うるさい、いい大人が象の一匹や二匹で騒ぐな、昔はアレを並べて横陣敷いてたんだぞ。その様っつったらもうなぁ……」

 

 

 

 

呂晶は目を細め、手を広げ、まるで昔を思い出すように語る。

つい今まで窘められていたというのに、すでに窘める側に回っている。

 

 

 

 

「お前も見たこと無いだろ……」

 

 

(ここん所、メンヘラが激しいな――――阿片のせいか、それともイラつくことでもあったか? イラつき、イラつき、イラつき……ハッ!)

 

 

 

 

自称、女の気持ちが判る男・ウェイはピンときて、

呂晶の肩に手を置く。

 

 

 

 

「フッ……まぁ女ってのは色々大変だもんな(・・・・・・・・)、俺はちゃんと理解してるぞ……」

 

 

 

 

目を閉じ、首をゆっくり振りながら、

囁くような二枚目声で呟くと――――

 

 

 

 

「ん、どうした?」

 

 

 

 

呂晶が眉を八の字にして、ドン引きしている。

 

 

 

 

「――――ッ!!」

 

 

 

 

直後、火薬が弾けたような爆発音と共に、

ウェイの右手が勢い良く弾かれる。

 

 

 

 

「痛ってえええええッ!! なんだぁッ!? ヒステリックかッ!?」

 

 

 

 

周りの者が音に驚いて見回したが、忙しいのですぐ作業に戻った。

 

 

 

 

 

 

<img src="/storage/image/qNICGRIYP6ZoW8kx7lx2p600ch7MdXtxb70sNEsW.jpeg" alt="qNICGRIYP6ZoW8kx7lx2p600ch7MdXtxb70sNEsW.jpeg">――――炎壁術・赤塔

 

体表から炎孔を噴出させ、気孔耐性を高める防御術――――なのだが、

それを維持できないため炸裂させたのだ。

 

呂晶の炎功は見た目と衝撃は派手だが、大した熱をこめられない。

爆発加速させた斬撃は脅威だが、気孔自体の威力はウェイや他の者より遥かに貧弱だ。

 

だがいくら貧弱でも、密着した所で弾ければかなり痛い。

今の『火壁』も手加減はしている、でなければウェイの指が飛んでいただろう。

 

 

 

 

「騒ぐな、汚物を消毒しただけだ――――」

 

 

 

 

とは言え、そもそも気功とは明確な殺意をもって放つ『武器』

冗談でも仲間に矢を射掛けないのと同様、

町中で気功を放つようなモラルの無い気功家は少ない。

 

 

 

 

(呂晶……お前、反抗期ってやつなんだな……)

 

 

 

 

ウェイはヒリヒリする指を加え、“シュン” としている。

呂晶はというと目を合わせず、

自分の下着を父親の物と一緒に洗われた時のような顔をしている。

 

 

 

 

ここは西夏と宋をつなぐ河西回廊の重要拠点、敦煌――――

花雪と寒月を筆頭に総勢百五十名が、

宋の西の都『長安』に向け積荷を運ぶ旅に出ようとしている。

 

積荷はこの敦煌では、あまり価値を持たない。

だが長安以東に運べば申し訳ない値段で売れる物や、

輸送を繰り返される内にいつしか同じ重さの『金』を上回る値が付く物すらある。

 

他には学術的な資料や、値打ちは無いが大切な贈り物などを託される。

 

 

 

 

(私が思わずくすねたくなるような、宝石もな……)

 

 

 

 

綺麗で珍しい物が好きな呂晶は、

馬車に積まれた宝石箱にそろりと手を伸ばす。

 

 

 

 

「呂晶……」

 

 

 

 

西夏と宋は『敦煌』を奪い合っている――――

その戦争状態の両国を堂々と往来しているという事、

それはひとえに行商人が、国の枠をも越えた『権力』を持つことを示している。

 

彼等が行き交う『河西回廊』は長安から敦煌だけではなく、

敦煌から西方のウイグルやもっと西方、

八千メートル級の山々が連なるヒマラヤ・カラコラム山脈を越え、

ペルシアや、もっと西の『ローマ帝国』まで延々と続いている。

 

たまに嘘か誠か、エジプトやアフリカ由来の物まで紛れ込むらしい。

今回、呂晶達が長安へ運ぶ積荷も、ほとんどは敦煌よりもっと西方由来の物ばかりだ。

 

 

 

 

「――――喝ッ!!」

 

 

「うわぁっ!! ビックリしたぁ!!」

 

 

 

 

宝石に手を伸ばす呂晶にウェイが “喝” を入れる。

 

『商人』はラクダや水牛、馬が引く車に積み込み作業を行っている。

積荷は陶器等の割れ物も含まれるので、物によっては箱に藁を敷かねばならない。

 

『輜重兵』は矢を始めとする消耗品、水、人と家畜の食料、

他にも薬や天幕など、生活用品の管理で大忙しである。

 

対して、呂晶のような『護衛』は楽なものだ。

簡素だが食事も出るし最低限の水も支給される。

必要なのは武器と装備、それで同行するだけでたんまり報酬が頂ける。

 

盗賊も出てこなければ旅行気分で丸儲けだ。

一見、穀潰しにも見えるが、多くの護衛を従える商隊はそれだけで盗賊を萎縮させる。

 

呂晶も盗賊時『この隊商を落とすのは無理だ』と諦めていたが、

商人達はその『諦めさせる』という『安全』を買っているのだ。

 

 

その代り、護衛の命は積荷より軽い――――

 

盗賊が現れたら体を張って守らねばならないし、

負傷の度合いによっては生きたまま砂漠に打ち捨てられる。

『介錯』を頼む程度の権利はあるが。

 

砂漠での『物資』とは、『人の命』より重いからだ。

 

 

 

 

「お前、今盗ろうとしただろ」

 

 

「し、してねーよ……! スリなんてダセー事はしない、ちょっと見ようとしただけだ」

 

 

 

 

呂晶の声は不自然に上ずっている。

 

 

 

 

「俺達は見張りをするのも仕事だ、お前が盗んでどうするんだよ」

 

 

「だから、してないって……そんな奴がいたら、アタシが真っ二つにしてやるんだからっ!」

 

 

 

 

ツンデレのような事を言いながら周りを見渡す。

 

 

 

 

(コイツら、毎回こんなお宝運んで、よく魔が差さないな。関心するよ……それとも価値も判らず運んでるのか、もしくはそれ以上の報酬を頂いてるのか……)

 

 

 

 

さっき、一番遠くから来たという『大秦(ローマ)』の積荷を覗いた――――

ローマはアタシが最も興味を持つ国だ。

だがラテンやギリシャで書かれた書物と、絵画だけだった。

 

内容は神を祀る物――――一番つまらない物だ

 

前に、敦煌の近くにある『石窟』っていう場所に乗り込んだ時も、

隅々まで深したのに結局こういう物しか見つからなかった。

 

『旅費の足しにでもなれば』と、出来の良い物だけ盗み出し、

ここの役人に売り払った。

 

後で聞いたらその役人『仏教』を信じてる奴らしくて、

盗品だとは気付かず『これは石窟に納めるべきだ』とか抜かして、

ご丁寧にも元の場所へ納め直したらしい。

 

神に携わる人間てのはどうしてこう馬鹿なんだろう。

盗んで売ってを繰り返し、永久機関でも出来上がるかと考えた程だ。

 

 

こっちの方の神は海を蒸発させたり、山を吹っ飛ばしたり、

死ぬほど手があったりする、もはや妖怪だ。

 

一方、ローマで信仰される神は随分人間味がある――――と言うかほぼ人間だ。

一応、海を割ったり自己蘇生できる『設定』らしい。

神話など所詮、愚民を扇動するための作り話(フィクション)なのだから、

盛りに盛った方が騙しやすいと思うが。

 

逆にローマの民は愚民では無いからこそ、

あまり人間離れした神は信じてもらえないのかもしれない。

 

 

アタシはいつかローマの女と、

『兄弟の契りを交わす』という目標を持っている――――

 

故郷でアタシと同じ武器を使っていた『髭オヤジ』が、

同じく『髭の王』とそういう事をしていたからだ。

 

だったらアタシは『異国の女』とだ。

皆が憧れる西方のもっともっと西、大陸の反対側の奴と契りを交わすんだ。

 

人間は強い子を作る為『自分と違う強さを持つ相手』を求めるらしい。

子を作るつもりの無い私だが、異国の姉妹なら何かを託すに申し分ない。

地元の奴とつるんでもつまらないし、古き王と同じでは癪に障る。

 

私は今にこの河西回廊の王、『シルク王』となるのだから――――

 

 

 

 

「呂晶、どうした? 一人で頷いたりして……」

 

 

 

 

コイツはキモイから無視しよう――――

 

だが、まあ、大事なのはそこじゃない。

遥か西方のローマ帝国から運ばれた、おそらく公的な学術資料。

こんな物の運搬すら任されるほど、この隊商は信頼されてるという事だ。

 

領土を拡大する『軍隊』、内政を司る『官吏』、民衆を扇動する『宗教』

それらと違う新たな勢力となりつつある、物流を統べる『行商人』

 

この隊商はその中でも、おそらく最先端を切り拓いている。

ここまで勢力を拡大した理由は『象』と『護衛の数』だけでは説明が付かない。

他にも何か理由があるハズだ。

 

 

 

 

(そうなると……おそらく大臣の娘である、あの二人……?)

 

 

『ファー殿……――――どうぞッ!!』

 

 

 

 

呂晶が戦象の方を向くと、そこから気合の入った声が響く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

マジキモいんですけど ✛行商プロローグ✛

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

「……?」

 

 

 

 

呂晶は自分の世界から引き戻される。

どうやら、戦象に乗り込む花雪を何名かがエスコートしているようだ。

 

 

 

 

(なんだぁ? 一人目が四つん這い、次が膝に手、最後の坊主が頭をかしげ――――って、まさか!?)

 

 

 

 

花雪は冷めた目で、四つん這いの男を見下ろす。

 

 

 

 

「毎度、ご苦労なことじゃ」

 

 

 

 

スラリと伸びた足を大胆に振り上げ、堅い厚底を意に返しもせず踏みつける。

そして、男に全体重を押し付け――――乗った

 

 

 

 

「……次じゃ」

 

 

『ファー殿ッ!! どうぞッ!!』

 

 

 

 

二人目の男が叫ぶ。

花雪は片足のまま直立し、不安定な背中の上でもヨロめいていない。

美しい見た目によらず、身のこなしは良いようだ。

 

 

 

 

(体幹をしならせ、振り子のように安定させる……舞踊に通じたボディバランス……キモイけど)

 

 

 

 

呂晶は花雪の動きから、どういった武術を扱うか予想している。

 

 

 

 

( “剣舞” を取り入れた門派は多いが、大抵は実戦向きじゃない――――眼鏡に比べれば大した使い手じゃなさそうだ)

 

 

 

 

花雪は次の男、また次の男を踏み付け、階段のように上まで登った。

最後の男は頭を踏まれている。

その様子を眺めていた呂晶は、口に手をあて鳥肌を立てる。

 

 

 

 

(うっわ……マジ……ッ! キンモーーーーッ!!)

 

 

 

 

最後に踏まれた男、『うっ』つった――――!

小さく『うっ』つったぞ、うわあああああっ!!

 

 

 

 

(感じてんのか……感じてんのかお前ェーーーッ!?)

 

 

 

 

呂晶は自分の体を抱くように、二の腕をさする。

花雪は象の上に括り付けられた座席に着座する。

そこにはいつでも使えるよう、日傘も備え付けられている。

 

 

 

 

(奴隷……その為だけの? それがしたいが為に雇った?)

 

 

 

 

いや、アイツら従者じゃなくて護衛だぞ――――?

しかも重装備だし、『直属の親衛隊』って感じ。

 

もしかして立候補っ!? 立候補かよォーーッ!!

最後の奴! お前、そのために坊主にしたんかッ!?

 

 

 

 

「ヴォオエッ!!」

 

 

「……っ!」

 

 

 

 

呂晶が激しく嘔吐くと、それが聞こえたのか、

象上の花雪はビクリ反応し、顔を伏せる。

 

 

 

 

(妾だって……っ! 好きでやっている訳ではない……!)

 

 

 

 

真っ赤に赤面した顔を伏せ、その顔は恥ずかしさ染まっている。

 

 

 

 

(登るのに難儀していたら手を貸してきて、甘えていたら、何か、どんどんエスカレートしたんじゃ……!)

 

 

 

 

幼少から(あが)められるように育った花雪は、

笑われたり蔑まれることに、人より羞恥心を覚えてしまう。

 

でも、さすがにコレは自分でもどうかと思っている。

これではまるで踊り子――――いや、偶像だ

 

 

 

 

『ファー殿、お怪我はありませんか!』

 

 

「ある訳なかろう、馬鹿者め……」

 

 

 

 

内心は恥ずかしさで一杯だが、周りに悟られぬよう冷静に徹する。

経営者とは部下に対して、小さな事でも威厳を保たねばならないのだ。

 

この花雪専用戦象『昇降(あぶみ)役』は希望者が交代で行っている役割だ。

最初は腰や腿を掴んで持ち上げていたが、

『貴族の女性にベタベタ触るのはどうなんだ』というフェミニストが声を上げ、

彼等が相談した結果、勝手にこのような形に落ち着いた。

 

 

 

 

(体を触られるのは嫌じゃったから、それは良いのじゃが……)

 

 

 

 

『昇降』という名の通り、降りる際にもコレを行う。

その時は人数を増やす決まりである。降りる時の方が危ないからだ。

 

 

 

 

(やっぱり、妾がやらせていると思うじゃろうな――――……)

 

 

「――――整列じゃッ!!」

 

 

 

 

花雪が大声で指示を飛ばす。

 

 

 

 

『整列ーーーッ!!』

 

 

『整列ーっ!』

 

 

『整……』

 

 

 

 

各班のリーダーが叫び、全体に指示を伝えていく。

散らばっていた商人と護衛がせわしなく整列を始める。

 

関所の狼煙を参考にした『リレー式命令伝達』

商隊が大きくなるにつれ後方に花雪の声が届かなくなり、その解消で考案した物だ。

 

町中では大して効果は無いが、

『移動形態』になるとこの伝達が大きな意味を持つ。

 

 

 

 

「呂晶、馬に乗れ――――俺達はこっちだ」

 

 

「整列って? 行軍でもすんの?」

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

「まず、前から後ろに向かって商人と輜重兵を並べる、その両翼を護衛が並走するんだ、俺達は右翼だな」

 

 

「んん……つまり、どうしろって?」

 

 

 

 

馬に乗りながら尋ねる。

慣れたウェイには当たり前の事でも、新参の呂晶には情景が浮かばない。

 

 

 

 

「花雪さんが先頭で舵取って、皆がそれに付いて行く感じだな。蛇みたいに長い隊列になる」

 

 

「 “先頭の花雪” って――――賊が来たら、ご令嬢が蹴散らすの?」

 

 

 

 

意外だ――――てっきりアイツは中央とかに陣取って、

危ない役は他にやらせると思っていた。

 

 

 

 

「いや、前から賊が来たら舵を横に切って、斜めに横陣敷くみたいになるな」

 

 

 

 

乗馬したウェイは身振り手振りを使い、その様子を説明する。

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

「賊を早期発見するための “物見櫓” って訳だ。それに、先頭は甲冑着た古参が守ってる」

 

 

「なーんだ、そゆコトね……」

 

 

 

 

呂晶は『へっ』と言うような、落胆した顔をする。

不敗の安全神話を誇る行商隊、その中でも一番安全なのはやはりご令嬢だ。

 

 

 

 

「横陣と言っても進み続けるぞ。いちいち止まってたら埒が開かん、賊が掛かって来ない時は無視しちまえば良い」

 

 

後ろに食い付かれたら(・・・・・・・・・・)?」

 

 

 

 

呂晶は一瞬で、隊列の『ウィークポイント』を見抜く。

と言うより『自分ならそこを攻める』と言いたいのだ。

 

この商隊は長い隊列を活かし、基本的に賊には横陣を敷いて対処する。

蛇の頭は重点的に守られ、常に移動して的を絞らせない。

左右は護衛が壁のように展開し、矢が雨のように降ってくる。

 

だが『最後尾』を攻撃されれば、蛇の尾が食い千切られるかもしれない。

千切られたら、それだけ積荷を奪われる。

 

あれこれ説明するより戦場を想像させてやる方がこの女には伝わるのだろう。

 

 

 

 

「それが一番ヤバイ。ユエさんが助太刀に出たりするが、最悪の場合は切り捨てるしかない。護衛は厚くしてるが、死人も一番多く出てる」

 

 

「最後尾は消耗品、か――――」

 

 

 

 

商人側の『勝利』とは賊の殲滅ではない、対して『敗北』とは積荷を奪われること。

死人の多寡は勝敗には影響しないのだ。

 

例え何人死のうと積荷が無事なら『勝ち』である。

逆に死者が出なくとも積荷を奪われてしまえば『負け』なのだ。

 

護衛はまさに『消耗品』だ。

 

 

 

 

(死人は出ても、積荷は奪われた事がない―――― “人より荷物の方が大事” てのは、本当らしい)

 

 

 

 

『安全神話』とは、『人』ではなく『積荷』に対して向けられたもの。

そして、その積荷を奪われたことが無い。

 

情にとらわれず任務を全うする。

弱点を補って余りある程に、この商隊は――――強い

 

 

 

 

「新人は後ろで、古参になるほど前に行くんだ。お前が中列なのは俺の推薦のおかげだぞ? まあ色々教えてやるから、やりながら覚えていけばいい」

 

 

 

 

ウェイは自慢気に解説するが、呂晶はうすら笑いを浮かべている。

 

 

 

 

(それじゃ、中列のお前は普通の評価(・・・・・)ってことじゃねーか……)

 

 

 

 

だが、少し判ってきた――――

基本は飴と鞭、従順な者ほど取り立てていくスタイルだ。

活躍して、のし上がるってのも面白いかもしれないな。

 

 

 

 

『ファー殿』

 

 

「うむ」

 

 

 

 

花雪は先端に(かぎ)がついた棒を受け取り、鞭を入れるように(はた)く。

象が大きな鳴き声を上げ、立ち上がった。

 

 

 

 

「おお……やっぱり、何度見てもデカイな!」

 

 

 

 

立ち上がるとやはり、デカイ。

それ以上に、こんなに重量感のある物が立ち上がる事に驚く。

剣で斬り付けてもビクともしないだろう。

 

 

 

 

(所詮は、“小娘” か――――)

 

 

 

 

その様子を見て、呂晶の表情は冷めたものへと変わった。

 

 

 

 

戦象てのは『戦う象』寿命は極端に短い消耗品だ――――

 

アイツそれを鈎で刺さなかった、腹で叩いた。

剣で斬ってもビクともしないんだぞ?

 

それを『慈しむ』ってことはアレはハリボテ、戦象じゃなくて只の『象』だ。

戦うために調教されたなら、戦いの中で死なせるべきだ。

 

 

 

 

(アイツは戦象という道具の摩耗を、ケチっている(・・・・・・)

 

 

 

 

呂晶はガッカリしたような『期待外れ』といった顔をしている。

 

花雪象印商隊が掲げるスローガン『積荷は人の命より重い』

道徳的な観念はさておき、行商にとって『シンプル且つ重要な命題』だ。

 

だが『実際にそう思っている』と『そう在ろうと思っている』では、

その言葉以上に結果に違いが現れる。

 

大切なのは、努力すべくは―――― “そうなってから”

 

 

動物を痛めつける事への『忌避感』これは誰もが持つ『本能』だ。

 

この本能を持たない者達は無用に餌を取り過ぎ、

生態系を破壊し、食糧が無くなり死に絶えた。

だから今生きている人間は、誰もがこの『本能』を持っている理屈になる。

 

『行商』という危険な仕事は、

人間のあらゆる危機回避本能が最大限の警報を鳴らす世界。

『ビビリ』は肝心な所で判断を誤る。

 

まず思想を強制的にでも曲げ、無用な本能をどうにかして捻じ伏せなければならない。

そうして出来上がった人間性から、ようやく成すべき事が見える。

 

『そう在ろう』とするだけでは正解の道筋が判らず、

どう頑張っても結果には辿り着けない。一般的に『無駄な努力』と呼ばれるものだ。

 

同じように呂晶は人から動物まで、

あらゆる生き物を斬り殺し、刺し殺してきた。

だが、元々は温室育ちの小娘であり、最初から『人でなし』だった訳では無い。

 

 

一人の武侠を殺すこと――――

それは一族を破滅させ、先祖代々が築いた物を無に返し、

妻を路頭に迷わせ、子供が泣き喚くようにしてやる事だ。

 

それを何人にも行ってきた。

初めは苦悩し『それ』を見て躊躇った。

 

だが『ある事』をキッカケに、

脳の奥底に封印されていた回路が、他を押しのけるように繋がった。

自分が『それ』になろうとした時、ようやく本能をねじ伏せたのだ。

 

――――死体になれば、みんな同じ

 

 

以来、人を殺すことに快感を覚えるどころか、

スイッチを入れるように頭を切り替え、

歪ではあるが戦闘と一般生活を共存させる術も覚えた。

 

大抵の武侠は多かれ少なかれ、こういった経験を辿っている。

だからこそ、動物に対する所作一つで判る事がある。

 

 

 

 

(アイツは死人を出した事を悔いる、“ビビリ” だ――――)

 

 

 

 

花雪はその名のように、雪のように冷徹な雰囲気を纏っているが、

根は冷徹になりきれない真人間。

 

重装備の親衛隊に守られ、

本物の戦闘をしたことも無ければ人を殺したことも無い。

武侠の世界はビビリのお嬢様が大成できる世界ではない。

 

『小娘』とは年齢だけを指しているのではなく、

経験や知識、思想、全てを指している――――自分とは違う

 

 

 

 

(もう少し、似た性格だと思ったんだけど……)

 

 

 

 

自分の好みと思った相手が、相容れない性質だったと気付き、

寂しさを覚える。

 

この商隊も隊列も、賊との戦いを想定した物ではない。

基本は数の威光による『戦闘回避』

 

『安全神話』とは優秀さに付随した実績ではなく、

何とか見栄を張り、保ってきただけの『ハリボテ』

 

たまたま上手く行っていたに過ぎない、大事を成すつもりもない、

満足したら辞める、終わりの決まったママゴト。

 

 

 

 

(この商隊は、大層成功してんだろうよ――――でも、歴史に刻まれるような発展性は無い。アタシがその気になれば簡単に上回れる)

 

 

 

 

呂晶が偉そうに導いた分析は、『半分』当たっている。

 

花雪と寒月は、官吏の中でも最高峰である『戸部』を仕切る大臣の娘。

いずれは親の決めた相手と見合いをし、有力者の妻として悠々自適に生涯を全うする。

行商などする意味など無いのだ。

 

二人が修めた武術や帝王学は、

彼女達の『商品価値』を少しでも伸ばしたいという父親の思惑が介在している。

どれだけ努力を重ね一廉の人間になろうとも、親の道具なのだ。

 

二人はそれを良しとせず、月並みではあるが、

『決められたレールよりも自分達の道を歩みたい』と思っている。

そして一人立ちならぬ二人立ちをするべく、この『定期交易事業』を立ち上げた。

 

それは既に、十代の小娘が成したとは思えない程にその規模を拡大させている。

 

だが、世間知らずの令嬢が自由に生きるなど所詮は乙女の戯言でしかない。

女なら一度は抱く夢だ。

 

彼女達の生い立ちと活動は特殊だが、特殊な者の中では至って普通の存在なのだ。

本人達もそれは理解している。

 

それでも、『ママゴト』で終わらせるつもりはない――――

 

 

 

 

(花雪……)

 

 

(判っておる)

 

 

 

 

花雪と寒月がアイコンタクトを取る。

二人の意思疎通はあまり言葉を必要としない。

 

性格も特技も正反対だが、二人で一つを成す連携能力は、

姉妹を越えた双子の域に達している。

 

正反対だから惹かれ合う、磁石のように。

 

 

 

 

「出発じゃ――――ッ!!」

 

 

 

 

『出発ーーーーッ!!』

 

 

『出発ーーッ!』

 

 

『出……』

 

 

 

 

長い隊列の前から後に向かって、花雪の指示が伝達されていく。

花雪が舵を取り、皆がそれに続く。

 

不敗の安全神話を誇る花雪象印商隊が、

その長い体を蛇行させる。

 

 

 

 

『花雪隊ーーッ! がんばれよーーッ!』

 

 

『いってらっしゃーい! また来てねーーっ!』

 

 

 

 

周辺の住民達や、露天で働く者達が、

花雪隊に手を振っている。

 

 

 

 

羌族の西夏と、漢族主体の宋――――

繰り返される両国の戦争によって、

衰退の一途を辿っていた砂漠都市、敦煌。

 

この都市は最近、ある行商隊のおかげで経済を立て直され、

かつての繁栄を取り戻しつつある。

 

その行商隊は宋と西夏を交易で繋ぐことにより、繰り返される戦争をも沈静化させた。

そして、送元二使安西で有名な陽関ではなく、

彼女達のもたらす財で新設された、新しい南門から出立する。

 

 

 

 

「この商隊も、随分長い物になったのう……」

 

 

 

 

花雪は住民に手を振りながら、後方を確認して呟く。

 

花雪と寒月、二人の本当の意味での『一人立ち』とは、

通常のそれより困難な、おおよそ不可能な道だ。

 

彼女達の父親は国を動かす地位に就いている、宋の全てが親元のようなもの。

その親の意向を跳ね除ける――――

 

少なくとも中華の未来を担う大商人という肩書、それを示す結果が必要だ。

そして『行商人』という者の地位自体、『行商』という業界自体の価値を、

誰もが想像できない程に、自分達自身で高める必要がある。

 

行商のトップに立ち、物流を統べるだけでは足りない。

国を越える権力機構を築くまで自分達が成長させる。

 

大臣すら口を出せない、大臣以上の地位を得る。

これは二人の娘が父親に仕掛けた静かな戦いでもある。

時間はあまり無い、自由に動けるのは十代の間だけだろう。

 

初めは護衛に金を注ぎ込み、ほとんど赤字であった。

焦りはしたが、最優先すべきは『安全性』であると考え、

愚直にそれを追求し、短期間でそれは『安全神話』と呼ばれるまでに成長した。

 

結果、博打のように不安定だった行商を、

『定期便』という、『物を確実に輸送する手段』へと変えた。

 

その機構は『投資』という概念を産み、一つの商隊を株式企業へと成長させた。

利益も出るようになり、それはどんどん巨額な物となり、

今では家の財力に頼る必要さえ無い。

 

次に二人が目指すのは『私財による公共事業への参入』である。

まだまだ先は長い。

 

しかし、一度でも失敗すれば――――

せっかく付いた協賛者は離れ、道は潰えるだろう。

 

他にも問題はある。

二人は親に対して、行商活動はあくまで『将来の為の経済勉強だ』と説明し、

内容も全く危険の無い、別の商売であると嘘を付いている。

 

しかし、戸部の右曹と左曹を仕切る優秀な父親達は、

娘が付く浅はかな嘘を見抜いている。

 

護衛の中には密かに送り込まれた監視が混ざっている。

『貴族の体を触るのはどうなんだ』と、声を上げたフェミニストがそれだ。

 

今、二人が自由に行商を行えるのも、

『やりたい事をさせてやったのだから、その後は親の言う通りにしろ』

という心理的、現実的な貸しを作る為に、父親が野放しにしているに過ぎない。

 

『これ以上は危険だ』と判断されても何らかの手を回され、

それと判らぬよう、この隊商は自然消滅させられるかもしれない。

彼女達の親がその気になれば造作も無い事だ。

 

彼女達はギリギリの所で戦っている。

慎重を重ねた隊商の性質も、失敗できない立場を表している。

 

 

世間知らずの令嬢が『自由に生きる』など、乙女の戯言でしかない。

口では何とでも言えるのだから――――

 

だが花雪と寒月は、大真面目でそれを成そうとしている。

 

 

 

 

(家の財力、偶像としての偽りの尊敬、使える物は何でも使ってやろう……踏んで士気が上がるなら安いものじゃ)

 

 

 

 

この象もその一つ。

協賛者を得るためには広告塔となる『シンボル』が必要だった。

 

大食漢だけに餌代とその輜重代、実際のところ単なる金喰い虫だ。

そして金以上に、入手する事が困難な代物。

 

失う訳にはいかない――――

『戦わせる為の戦象』では無いのだから

 

 

 

 

呂晶が間違えているのがこれらの点だ。

そしてもう一つ間違えている点は、彼女達は『二人で一つ』ということ。

 

花雪には長所もあれば短所もある。

花雪の足りない部分を、完璧なまでに補っている者こそが――――



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

忘れ物は、忘れて初めて忘れ物

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

『護衛達ーーッ! 盗賊に負けんなよーーッ!』

 

 

『元気な顔で戻ってこいよーーっ!』

 

 

 

 

窓や建物の上から顔を出し、住民が手を振っている。

 

 

 

 

「まるで、敦煌の英雄――――て感じだな」

 

 

 

 

呂晶は相変わらず、冷めた目でそれを眺める。

 

盗賊を生業(なりわい)とし、名が知れることを恐れ、

仕事をする度に誰かを破滅させ、『人でなし』と蔑まれる自分とは正反対だ。

 

 

 

 

「そりゃそうだ。西夏にも宋にも、この敦煌にだって、出資してる人間は大勢いるんだ。国を越えて、皆の期待を背負ってるんだよ」

 

 

 

 

ウェイは呂晶に説明するというより、自分に言い聞かせるような面持ちだ。

 

 

 

 

「花雪さんと寒月さんは、皆の期待を背負った……ちょっとしたヒーローなんだよ」

 

 

 

 

ウェイが少年の折、彼の命を救った名も知らぬ武人。

武人の墓標に名前の代わりに刻まれていた文章。

その『天下布武』の夢を継いだウェイ。

 

彼にとって花雪象印商隊とは、自分の夢への解答例なのだろう。

 

 

 

 

「何がヒーローだ、出資者なんてのは、詰まるところ金の亡者だ」

 

 

「またお前は、そういう事を言う……」

 

 

 

 

ウェイは眉間に手をあてる。

センチな気分に浸っていたのに、冷や水を浴びせられた。

 

 

 

 

「そんでもってお前らは、国の誇りを売り飛ばし、異文化を持ち込む、悪の尖兵って訳だ」

 

 

 

 

商隊は敦煌では歓迎されるが中華の全てでそうという訳ではない。

行商人が物の価値を変動させ、それによって破産する者もいるし、

昨今の『通貨崩壊』の元凶が行商人にあるという説を唱える者もいる。

行商人を恨む者だっているのだ。

 

『国の誇りを売り飛ばし、異文化を持ち込む』という批判は、

伝統を重んじる勢力が行商人に対して声高に叫んでいる台詞だ。

 

 

 

 

「お前はホント、都合いい時だけ “国の誇り” とか言うんだよな……」

 

 

 

 

つまり呂晶は、なんだか悔しかったので、

どこかで聞いた言葉で罵っただけだ。

 

この女は、そんな大層な志など持ち合わせていない。

 

 

 

 

「何言ってる、アタシは国民が困ってれば、もう――――すぐ助けちゃう女だ。今も困ってる人がいないか探してる、逆に困ってる人がいないと困るレベルだ」

 

 

 

 

呂晶は思い付いたように辺りを見回す。

 

 

 

 

「そうか、そいつはレベルが高けーな……」

 

 

「で、どんくらい掛かるのよ、コレ? ちんたら歩きやがってさ……」

 

 

「えっと……予定通りなら七日だな」

 

 

「はぁああああっ!? 七日ァッ!?」

 

 

 

 

それを聞いて、呂晶が今日一番の驚きを見せる。

 

 

 

 

「嘘でしょ? 長安まででしょ? アタシなら二日もあれば……!!」

 

 

「お前のは馬を潰すまで走らせて、替え馬も潰して、最後は巫舞で全力疾走した計算だろう。商隊は牛やラクダもいるんだ、それに歩幅を合わせなきゃならん――――仲間内で記録を狙うのとは違うんだ」

 

 

 

 

『真夜中の旅団』では遊びと訓練を兼ねたイベントで、

この手の競争や鬼ごっこをよくしている。

 

馬を潰さず、素早く目的地に到着する訓練だが、

あえて馬を温存せずに『最後は自分で走る』という趣旨を台無しにする奇策により、

前回は呂晶が優勝した。

 

抗議する仲間に向けて言い放った一言は、『卑怯とは言うまいね』

 

 

 

 

「七日…………無理だよ……そ、そんなに……っ!」

 

 

「ちなみに片道七日だから、往復なら倍掛かるんだ、休みはほとんど無いぞ」

 

 

 

 

ウェイは暇な旅行を嫌がる娘に『こんなの序の口だ』と言うようにレクチャーするが、

呂晶は暇な時間を憂いている訳では無い、もっと重大な失念をしていた。

 

 

 

 

「ウェ……ウェイぃ~…………」

 

 

 

 

ぎくり――――

珍しくしおらしい、嫌な予感がする。

 

 

 

 

「あ、アタシ……そんなにかかると思ってなくて……か、かっ、替えの下着…………持ってきてないよぉ~……!」

 

 

 

 

なぁ~~~にぃ~~~――――っ!?

 

 

 

 

「どっ、ど……どうしよう…………も、もう出発しちゃった……」

 

 

 

 

呂晶の顔は焦燥を通り越し、泣きそうになっている。

 

 

 

 

(わ、判らん……! 女の気持ちが判る俺でも、それがどれほど深刻な事か判らん……!)

 

 

 

 

だが、この動揺っぷりは相当ヤバイのだろう――――

コイツの形相のせいか、俺まで変な汗かいてきた。

 

 

 

 

「今すぐ調達してきなさい――――ッ!! すぐ追いつけば大丈夫だからッ!!」

 

 

 

 

呂晶の焦りが伝播したのか、ウェイも火急の指示を飛ばす。

 

 

 

 

「今からぁ!? でっ、で、でも……そんな急に言われてもっ……サイズとか、デザイン的な……」

 

 

「いいか呂晶ッ!! 野宿は三日が二回だ、天幕はある! 途中で一回か二回は町に入る、だから用意は三日分で足りる!!」

 

 

「えっ、ええ? 早いぃっ! もう一回言って!?」

 

 

 

 

軽いパニックを起こしているのか、全然頭に入ってない。

 

 

 

 

「飯は出るからオヤツはいらーーーーんッ!! とにかく行け行け行け行けェーーーーッ!!」

 

 

 

 

ウジウジする呂晶を無理にでも動かす為か、

まるで戦場のような勢いだ。

 

 

 

 

「あっ……アイヤーッ!! わかったああああああぁーーーッ!!」

 

 

 

 

呂晶は馬で駆け出す。

右翼を並走する者達が、『何事か』と視線を集める。

 

 

 

 

(くっそぉおおpお……七日もありやがるなんてぇ……! 聞いてねぇぞそんなのぉ……!)

 

 

 

 

ウェイはその後姿を見送っている。

 

 

 

 

(まったくあの女は……生理中の自覚があるのか?)

 

 

 

 

呂晶の情緒不安定は典型的な『それ』の所為に見えるが、それの所為ではない。

大体いつも情緒不安定だ。急に他人が憑依したように性格が変わる。

 

 

 

 

(なんだコレ……なんだコレェ!? なんか、スッゲー恥ずかしいよぉ……っ!!)

 

 

 

 

修学旅行で忘れ物をしてしまった時のような、なんとも言えない焦燥感。

しかも下着――――集団行動が苦手な呂晶は、行商には全く向かないタイプだ。

 

 

 

 

『どうした姉ちゃん、もう出発だぞ? 下着でも忘れたかァ?』

 

 

『そんな訳ないだろ、催したんだよ、察してやれ』

 

 

(ちきしょう……ちきしょう……! 商人の癖にッ!!)

 

 

 

 

『獲物』と見下していた者達に、見下されたような気持ち。

しかも女にとってあるまじき失態、呂晶の心中は如何な物だろうか。

 

 

 

 

もう行商なんか行きたくない――――っ!!

 

 

 

 

(今の奴等、顔を覚えたぞ……! このままフケて、顔でも覆って、今の奴等をぶっ殺――――……っ!!)

 

 

 

 

「呂晶――――ッ!? 呂晶~~! ここよ~~っ!」

 

 

 

 

同じく『真夜中の呂団』の結盟員、元・花魁の遊珊(ユーシャン)が、

“ぴょんぴょん” と跳ねながら両手を振っている。

 

 

 

 

(先生っ!? そうか……先生も来てたんだった!)

 

 

 

 

馬を止めて反転し、しばし歩調を合わせる。

 

 

 

 

「どうしたのよ、そんなに慌てて……?」

 

 

「実は…………替え゛の下着……忘れぢゃっだの…………だがらっ、今がら゛っ…………調達っ……しでぐる……ぐすっ」

 

 

 

 

呂晶は泣きそうになっていた。

誰も下着を忘れた事など判らないが、本人には恥ずかしくて堪らないのかもしれない。

 

 

 

 

「まあ、可哀想に……私、余分に持ってきてるから、貸して上げましょうか?」

 

 

「えっ……いいの!?」

 

 

「勿論よ、同じ結盟でしょ? それに私、輜重班なの。他にも色々融通きかせられるのよ」

 

 

「先生ぇ~~っ!!」

 

 

 

 

満面の笑顔で、馬から落ちるほど乗り出し、

力一杯、遊珊に抱きつく。

 

 

 

 

(先生……! アンタって人は……アンタって人は本当に……!)

 

 

「あらあら……もう、この子ったら、よしよし……」

 

 

 

 

傍目には仲の良い姉妹のような、或いは教師と生徒のように映る。

その実態は、お互いにドス黒い思考を絡め合う淫靡な物であった。

 

 

 

 

(先生、良い匂い……あっ、ダメ……そこ、撫でられただけで、イカ、され……っ)

 

 

 

 

ビクン、ビクン――――

 

 

 

 

『輜重の遊珊が抱き合ってるぞ……女同士はいいよなぁ』

 

 

『おい、テメェッ――――! あの子、遊珊っていうのか、彼氏いんのか?』

 

 

『けっ、お前じゃ無理だよ。諦めろ』

 

 

『判らんぞ、チャンスは七日もあるんだからな……あっ! 俺、自由時間でなんか買って渡そう』

 

 

『抱きついてる女、白目剥いてるぞ……あれ抱き付いてるんじゃなくて、発作か何かじゃないか?』

 

 

 

 

商隊の男性陣が遊珊について会話していると、

同僚の女性陣がそれに参加する。

 

 

 

 

『はあ? あの人、絶対、お金払えばやらしてくれる系だよ。私アンタらより詳しいんだから』

 

 

『おいブスッ!! あの人はそんな安い女じゃねぇよッ!!』

 

 

『ひっど……! この商隊って、お金は良いけどこういうの嫌だよね……』

 

 

『ねぇ~、男多いし……』

 

 

 

 

不敗の安全神話を誇る、花雪象印隊商。

二人の小娘が親元を離れる為に始めた行商は、今や企業と言える程に成長を遂げた。

その様相はさながら社員総出の出張、『社員旅行』のようでもある。

 

ここまで規模を拡大した理由は、

広告塔の象と安全神話の他に『三人の偶像』に起因している。

 

この商隊には、花雪の強烈な塩対応にハマったファーシュエ派、

寒月の笑顔を守りたいユエ派。

 

そして、じわじわと勢力を拡大する影の派閥、輜重の遊珊派が、

5:3:1の割合で存在する。女性を含めた無派閥は全体の一割に過ぎない。

 

遊珊は呂晶の『ツボ』を的確な優しさと羽のような柔らかさで捉えながら、

思考を巡らせている。

 

 

 

 

(掴むのは胃袋ではない……物資を制する者が全てを制する……)

 

 

 

 

女とは古来より、男が持ち帰った獲物の所有権を、

『いかに周囲の反発を生まずに確保するか』という戦略に心血を注いできた生き物だ。

 

依存や共感、世話や嘘、それらを駆使し、

それと判らぬ行動を取りながら強かに目標を達成する。

 

例えば旦那のいない間に妻が部屋を片付け、感謝されると共に、

『旦那が大事にしている物を把握』

『自分に聞かなければ在り処が判らないよう勝手に配置変えする』

などがその一端だ。

 

 

 

 

(この子は単純だから簡単だわ……いつも気を張り詰めているから、好きな相手が出来れば運命と信じ込み、とことん、とことん、のめり込んでしまうのよね?)

 

 

 

 

遊珊は呂晶と同じ二十歳であり、

幼児プレイの他にも大小様々なプレイに深く精通している。

 

相手が望み、相応の『時価』を支払えば、花雪の真似でもやってのける。

相手が男でも女でも対応する。

 

 

 

 

(もうすぐ、私無しではいられない体になるわ……)

 

 

 

 

呂晶が秘密にしている出自についても何故か知っている、

女の本能を体現したその女は薄く笑う。

 

国外の政治的賓客、国内の重鎮。

それらを相手し、癒やすべく、国中から集められた遊女の精鋭達。

その精鋭達が凌ぎを削る女のコロシアム、京兆府長安遊楽街一丁目、遊郭。

 

そのNo.1に君臨していた女王、源氏名(コードネーム)(アゲハ)の遊珊』

 

『強さ』とは武術や経済力だけではない、遊珊は文字通り女の武器を使って戦う。

決してそれとは判らぬように。

 

 

 

 

(成都一の成金の娘、大臣様の御令嬢、この業界は権力者に溢れている――――私にとっては格好の餌場……)

 

 

 

 

花魁とは、そういうものである。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

蘭州の蚩尤

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

この商隊の人員は、どこかしら頭がまともでない連中だ――――

世界一危険な道『河西回廊』を誰もが羨む宝箱を引っさげ闊歩する。

 

おまけに『定期便』なる体制を敷き、わざわざ通る日時と場所を予告している。

年頃の娘が、毎日決まった時刻に裸でスラムを往来するようなものだ。

 

この商隊には中華に一握りしか存在しない、

『気功家』と呼ばれる超能力者が集まっている。

 

古代から『暗殺』を生業としてきた彼らは、世界からその存在を信じられていない。

それは彼らにとっても都合が良い事、

気功家が増えすぎてしまえば自分達の希少価値も薄くなるのだから。

 

気功家は軍隊のような画一化された強さを持たず、

修練や才能によりその強さを大きく変える。

その中でも更に強者、エリート中のエリートの強さはまさに、一騎当千。

 

彼等は太古から同門対決を禁じ、群れる事を嫌い、お互いの接触を削って生きてきた。

だが歴史は『中世』という転換期を迎え、世界は商業を中心に回り、

取り分け『行商』という業界が注目された頃から、気功家の体勢にも変化が生じる。

 

一攫千金の仕事に彼らは吸い寄せられるように集まった。

弁護士を目指す者は司法試験を受けるように、医者を目指す者は医大に通うように、

『行商』とは気功家の就職先No1だ。

 

誇り高き気功家が金などに執着する様を嘆く派閥もあるが、

彼らも世界の一部である以上、時代の流れには逆らえなかったようだ。

 

『行商人』に気功家が集まれば、それらを襲う『盗賊』にも気功家は集まっていく。

今や同門対決など当たり前、希少な気功家が消耗品のように死ぬ世界となった。

気功家が行商を縄張りにするにつれ一般人は反比例するように、

行商それ自体に手を出さなくなった。

 

世界と関わりを持つようで、世界と断絶された世界。

誰も見たことの無い遠い地へ旅をする、それを生業とする彼等、

そこで彼等が体験する出来事、それは彼等にしか判らないことだ。

 

そして百名を越える、過去最大規模の気功家が集まるこの商隊は、

その数倍の人員で構成された軍隊よりも遥かに強い。

 

だが、千年先の科学すら越える夢のような力を持ちながら、

その力をちっぽけな物に使っている事を、彼等は知る由もない。

 

 

この商隊の人員は、どこかしら頭がまともでない連中だ。

 

何故なら『気功家』とは、

頭がまともでない連中なのだから――――

 

 

 

 

 

 

<img src="/storage/image/HR9zTBuLVrKCY0v6dbbQDp4fagv3tYi1aGVphUvL.jpeg" alt="HR9zTBuLVrKCY0v6dbbQDp4fagv3tYi1aGVphUvL.jpeg">

 

 

 

 

 

 

行商四日目――――盗賊から護衛に転向した二十歳の女、呂晶(ルージン)はイライラしている。

 

 

 

 

「遅っせーなぁ……」

 

 

 

 

商隊の進みが遅い、ラクダや水牛に歩幅を合わせているからだ。

一、二日目は知らない事が多く、人前でイカされたりと新鮮な体験が多かった。

だが、四日目ともなるとそうもいかない。

 

 

 

 

「暑っちぃァー……」

 

 

 

 

南に(そび)える祁連(チーリェン)山脈、延々と続く乾燥した大地、

たまに人や動物の骨が埋まっている以外、何もない荒野。

 

その荒野をひたすら『南東』に向かって進む。

 

 

 

 

 

 

<img src="/storage/image/30jYH2q71WwBCangfimXwzfCNYLNBc5WEF31YsTW.jpeg" alt="30jYH2q71WwBCangfimXwzfCNYLNBc5WEF31YsTW.jpeg">

 

 

 

 

 

 

湿度が低い代わりに砂漠の直射日光がキツイ。

地面からの照り返しに挟まれ、ジリジリと焼かれている気分だ。

そして――――

 

 

 

 

「右翼中列――――ッ!! ふくらんでおるぞォッ!! しっかり妾の後につけェい!!」

 

 

「アイアイヤー……(アイアイサー)」

 

 

 

 

この指示だ。

 

 

 

 

(めんどくっせ、こんな所で盗賊なんかこねぇよ……ポイントがあんだよ、ポイントが)

 

 

 

 

呂晶は面倒そうに位置を修正するが、

花雪の位置から見ると呂晶のいる右翼中列が膨らんでいる。

 

後続がそれに釣られてしまえば、商隊は益々バラけて守り辛くなり、

砂煙で視界も悪くなり良いことはない。

 

膨らんだ部分を『数十人の盗賊』に襲われたら、

喰われた部分がゴッソリもっていかれるだろう。

 

『右翼』と言ってもその翼を羽ばたかせてはならないのだ。

『安全神話』を誇る花雪象印商隊に失敗は許されないのだから。

 

 

 

 

数十人規模の盗賊(・・・・・・・・)が、今もいたらの話だけどな……)

 

 

「呂晶、気分はどうだ?」

 

 

 

 

顔色の悪い呂晶を心配し、彼女が所属する結盟『真夜中の旅団』頭領、

アラサーで女心の判る魏・圏(ウェイ・クァン)が声をかける。

 

 

 

 

「干からびて股も濡れねーよ……アソコに氷柱(つらら)をブッ刺してくれ」

 

 

「俺には言えない冗談だな」

 

 

「これはね、女ってのは感じると股が濡れちゃう生き物(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)なんだけど、汗に水分取られちまったから、今、氷柱を刺したら色々キモチイイだろうな(・・・・・・・・・・・)――――っていうジョークなの」

 

 

 

 

卑猥なことを連想する言葉を、

卑猥なことを連想するように強調する。

 

 

 

 

「それは判ってる、俺は童貞じゃねぇ!」

 

 

「魔法使いはいねーのかァー……アタシのアソコを濡らした奴には、童貞を卒業するチャンスをやるぞォー……」

 

 

「濡れんで良い、そのまま干からびてろ」

 

 

「違う」

 

 

「何が違うんだ?」

 

 

「女ってのは、馬に乗ってれば勝手に濡れるもんだ。バレないようにこっそりオナってる奴もいる、恥ずかしいから誰も言わないだけだ」

 

 

「マッ……マジか? ご、ごくりんこ……」

 

 

 

 

ウェイは唾を飲み込み、周りの女性をチェックする。

すぐ隣に一人いるというのに。

 

 

 

 

「暑いのぅ――――……」

 

 

 

 

先頭を征く、この商隊の長で大臣の娘・花雪(ファーシュエ)

敦煌よりはマシになってきたものの、まだまだ暑い。

 

戦象の背に揺られながら荒野を警戒しつつ、

小さめの剣で『ライチ』の皮に切れ目を入れている。

 

鞘と柄に金の装飾が施された、骨董品のような剣――――

 

 

 

 

「アイヤー……相変わらず不味いのぅ……」

 

 

 

 

本来の『ライチ』は、葡萄の渋みを取って爽やかさを加えたような透き通る甘さだが、

このライチは小ぶりで筋っぽい。

 

行商は時間が掛かるため『行商中も出来る商売があるのでは』と、

様々な植物を各地で栽培させている。このライチがその一つだ。

 

だがライチは本来、亜熱帯気候で栽培される作物で、

気候の違いなのか上手く育たない。

 

最初は『食べていれば解決策が思い付くかも』と思っていたが、

もはや在庫を腐らせない作業に成り果てている。

 

 

 

 

「日傘ではダメじゃァー……日除けでも取り付けるかのぅ……」

 

 

 

 

白磁器のように真っ白な肌の花雪、彼女は『日焼けをしない体質』だ。

日焼けしても黒くならず、次の日に赤くなってしまう。

メラニン色素が少ないからだ。

 

 

 

 

「妾も、日に焼けてみたいものじゃ……」

 

 

 

 

よく周りに、『肌の白さを保つために日焼けを避けている』と誤解される。

自分の肌は他人と比べてあまりに白い為、どちらかと言えば日焼けしたい。

 

でも他人は黒くなるのに、自分は赤くなる、

赤くなった肌は恥ずかしくて威厳を保てない、

だから肌に軟膏を塗ったり傘を差したり、面倒な『日焼け対策』をしなければならない。

 

 

 

 

「そろそろ、髪も染め直さんといかんしのぅ……」

 

 

 

 

花雪の本当の髪色は現在の栗毛色ではなく、艷やかな漆黒であった。

真っ白な肌に、真っ黒な髪。

まるで『幽霊』のような見た目が嫌だった為、薬を塗り込み髪を脱色したのだ。

 

しかし、美しい髪を痛める行為など大臣家で許されるハズも無い、

だから家出した際に方々手を尽くし、まず初めにしたのが『脱色』だった。

親や家臣達が褒めちぎるので、あえて穢してやったという訳だ。

 

現在、この商隊の半数近くの『ファン』を持つ花雪だが、

髪が黒いままであれば更に二割程、その勢力を伸ばしていたかもしれない。

それ程に美しく、ミステリアスで、クールな彼女に似合うコントラストだった。

 

 

 

 

「日除けを作るとなると、素材や重量を考えねばのぅ……視界も悪くなって――――あ、そうじゃった、確かそれでやめたんじゃった」

 

 

 

 

今までの経験から象の装備は最良にしてある。

飽くなき向上心は持ち歩いているが、『思考のループ』は効率が悪い、

メモしておかないとダメだ。

 

 

 

 

「ぺっ……!」

 

 

 

 

ライチの種を布に吐き出し、優雅な動作で放り捨てる。

たまに下の護衛に当たったりするが気にしない。

 

彼等にとってそれは、とてもとても貴重な物らしいから。

地面に植えるよりも、ずっとずっと。

今も下の護衛が、落ちた種を物欲しそうに眺めている。

 

 

 

 

(平民には妾の唾すらありがたいのじゃろう、気持ちの悪いコトじゃ……)

 

 

 

 

優雅な動作は体に染み付いてしまい、

種を捨てる時にも表れる自然な動きになっている。

 

でも、これは髪のように直そうとは思わない。

親から褒められた事がないからだ。

 

 

 

 

「やっと、見えてきおったか――――……」

 

 

 

 

遠くに深い森が見える。

そして蜃気楼ではない、本物の水が流れる『黄河』が見えてきた。

今まで荒野だったと言うのにこの違いは何なのだろうか。

 

 

 

 

「蘭州が見えたと伝えよォーーッ!」

 

 

『蘭州が見えたぞーーッ!!』

 

 

『蘭州が見えたぞー!』

 

 

『蘭州が見……』

 

 

 

 

 

花雪の指示がリレーのように伝達され、

長い隊列の後ろへ伝わっていく。

 

 

 

 

「やーっとかよぉー……もうケツが痛てぇーよぉー……」

 

 

「山場は越えたな、蘭州より先はもう楽なもんだ」

 

 

 

 

呂晶とウェイにも嬉しい知らせだ。

商隊が目指していたのは敦煌と長安の中間、旅の中継地点である『蘭州』という地だ。

 

南方にしつこく見えていた『祁連山脈』

その険しい山々を縫って流れていた黄河が、最初に出会う『平地』である。

 

ウェイの『山場を越えた』という発言は、

過酷な荒野を抜けたと同時に『祁連山脈の終わり』という意味も含んでいる。

 

 

 

 

 

 

<img src="/storage/image/obOmXRGIgkJxaOCRgco50djdp70LGpluyzhYjsbP.jpeg" alt="obOmXRGIgkJxaOCRgco50djdp70LGpluyzhYjsbP.jpeg"><img src="/storage/image/fe07XWcL5fItr0NZw9aAmrqlBc55NJzf02enOx6E.jpeg" alt="fe07XWcL5fItr0NZw9aAmrqlBc55NJzf02enOx6E.jpeg">

 

 

 

 

 

 

水を塞き止める祁連山脈が無くなる為、東へ流れていた黄河は蘭州で急転換し、

西夏から宋への道を阻むように、ほぼ直角の北へと流れを変える。

 

 

 

 

「ホント、つまんねー道中だったぜ、干からび損だ――――ガラララ、ぺッ!」

 

 

 

 

呂晶は砂を含んだ唾を吐き出す為か、ここまでの旅をけなす為か、

残った水を口に含み贅沢に吐き出す。

もう水は、貴重な物資ではないからだ。

 

 

 

 

「そうか? 景色も良かったじゃないか。祁連が平らになっていくのを見守り、砂漠にだんだんと草が生えていく――――自然の壮大さっつーのかな」

 

 

 

 

いきなりポエムのような事を言い出す。

自分達が移動した道のりを、自然が変化していく様子に例えている。

ウェイはこう見えて感受性が高いのだ。

 

 

 

 

「判ってない、人間が自然に感動したように(・・・・・)思うのは、“此処を縄張りに出来んじゃねーか” って期待と、絶対潜んでるだろう猛獣を警戒する本能が混ざり合ってんだ」

 

 

 

 

雄大なポエムを、偏屈な哲学でぶち壊す。

 

 

 

 

「お前、たまに本能とか難しい話するよな……どうでもいいじゃないか、感じようぜ、ナチュラルを」

 

 

 

 

ウェイはどこかで聞いた西方の言葉を使う。

 

 

 

 

「確か、蘭州で一泊するんだよな。何が美味いんだ、あの森ん中じゃ?」

 

 

 

 

呂晶はそれをスルーし、遠くに見える森林地帯を指差す。

 

 

 

 

「麺類だな、ソバとか」

 

 

「気功が出来た場所なら、変わった気孔の使い手とかいるんじゃないか? アタシは ”闇” とか、そういう気功が使ってみたいんだ」

 

 

「そんな系統はねぇ、自分で編み出せ」

 

 

 

 

 

 

<img src="/storage/image/eWYhAESamrJ1Lmaglj39GfmkSzUOi2cqcc63cnKW.jpeg" alt="eWYhAESamrJ1Lmaglj39GfmkSzUOi2cqcc63cnKW.jpeg">

 

 

 

 

 

 

蘭州は気功家が一日一回だけ使える『巫舞』そして気功自体の発祥地と言われている。

『巫舞』とは気功家にとってのメジャー技術だ。

師父から伝授される者もいるし、訓練中や生死の境で自然と覚える者もいる。

 

効果は単純に力が『倍』になる。筋力も、気孔も、俊敏も。

激しく使えば消耗も速く平均的な持続時間は一分(かん)

 

『火事場の馬鹿力』のようなものだが、誰かが使えば彼らにはすぐ判る。

巫舞を使うと、『赤黒い独特の気孔』が迸るからだ。

 

使った負荷は、自身へモロにフィードバックされる。

耐え難い疲労感が襲い、翌日は筋肉痛でまともに動けない。

そのため気功家にとっては『未来の自分から借金をする』感覚らしい。

 

使い所を誤れば、まさに『逆境』に陥る。

だが使い所を見極めれば、気功家にとって『最後の切り札』となる。

 

巫舞とはそれ自体の力では無く、『どの場面で使用するか』

その『先見眼』を問われる、気功家にとっての試金石だ。

 

もし、赤黒い気功を迸せる者がいたら、

その一分はその者にとって何にも変えられない時間。

命を燃やしている最中だ。

 

 

 

 

「それに、麺なんて何処でも喰えるだろ――――他にないのかよ、虎肉とか美味そうなのは」

 

 

「おま……っ! 麺料理ってのはな、“具が美味い” とか “スープが油っぽい” とか、そういうんじゃない、小麦の風味っていうのか――――此処の麺を喰わなきゃ “麺通” とは言えないんだぞ」

 

 

 

 

『気功』とはこの巫舞を『体に負荷が無いよう操る技術』として

確立されたと言われている。

 

生み出したのは蘭州でも特殊な、古来より暗殺を生業としてきた『(きょう)族』

特に女性だけで構成される『九黎(きゅうれい)』の末裔、

『蚩尤』という暗殺集団は気功を更に発展させ、死体を蘇らせる術さえ使うと言う。

 

昨今、巷を騒がせ、殭屍(キョンシー)と呼ばれる『目を瞑って戦う女型の剣士』こそ、

その蚩尤が作り出した兵器ではないかと噂されている。

 

 

 

 

「おい麺王、小麦ってのはな、“寒いトコが美味い” と相場が決まってんだよ。ここのは美味いんじゃない、単に一杯取れるだけだ。麺料理てのは、いかに味のない麺を美味く食うかに懸かってんだよ」

 

 

「あー、判ってねぇ、判ってねぇ! この小娘ときたら……牛肉を煮込んだスープと、小麦のハーモニーはたまらんと言うのに……」

 

 

「牛肉って、具は関係ないんじゃなかったのかよ……」

 

 

 

 

蚩尤は強く、その血を遠くでも引く者は気功を発現し易い。

もしくは『気功を発現出来る者』とは、この地の末裔だけなのかもしれない。

 

ここ『蘭州』はそういった暗殺民族など、キナ臭い者達が住む信用ならない土地。

表面上は行商人にも寛容だが、怒らせると何をするか判らない不気味さを纏っている。

 

 

 

 

「ところで、それ――――辛い?」

 

 

「おう、辛いのもあるぞ」

 

 

「よし、今日の晩飯はそれだ」

 

 

「お前は色々ウルサイ割に、結局は何でも辛くしちまうからな」

 

 

「違う、辛けりゃ良いってもんじゃない――――あ、そうだ。着いたら先生と打ち合わせしとかないと」

 

 

 

 

気功家以外の名産と言えば、『化物のように大きい虎』が生息している。

 

蘭州の虎退治は気功家の『登竜門』と言われており、

どれだけ大きい虎を倒せたかが一種の勲章になる。

近隣の町には気功家が倒した巨大虎の毛皮が記念のごとく飾られている。

 

他には、黄河が貫く肥沃な土地柄を活かし『麦』が名産である。

麺類はどれもコシがあって美味い。

中華麺――――即ち『ラーメン発祥の地』とも言われている。

 

 

 

 

 

 

<img src="/storage/image/pOZWXVrbK6gdz3HF9B97rkrgMXp8A6DnUN5ImWUK.jpeg" alt="pOZWXVrbK6gdz3HF9B97rkrgMXp8A6DnUN5ImWUK.jpeg">

 

 

 

 

 

 

町はそこそこ発展しているが、旅の中継地点『宿屋街』という面持ちが強く、

長安に比べれば遥かに田舎だ。

 

あとは森ばかり。

蘭州とは、そんな土地である。

 

 

 

 

遊珊(ユーシャン)嬢ォーーッ!!」

 

 

 

 

その蘭州の宿屋街に、男の叫び声が響き渡る。

離れた所で沢山の気功家がその様子を見物している。

 

 

 

 

『蘭州一の宿を取りましたアアアアァッ!! どうか今宵は! この俺と付き合って下さいィイイイッ!!』



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

社内旅行 ✛生死を賭けた✛

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

『蘭州一の宿を取りましたアアアアァッ!! どうか今宵は! この俺と付き合って下さいィイイイッ!!』

 

 

 

 

身なりを整えた男が花束と絹を差し出し、女性に告白している。

『絹』は女性にとって宝石に匹敵する価値を持つ、ようはプレゼントだ。

 

 

 

 

「ありがとう、嬉しいわ……――――」

 

 

 

 

花雪象印商隊は黄河を『船』で渡る。

船への積み込み作業を行うべく毎回この蘭州で一泊するのだ。

 

その時間を利用してナンパや告白、逢引など、

『男女の恋模様』が盛んになる場所でもある。

 

行商は明日をも知れない危険な業務、意中の相手を前に迷っている暇などない。

生死を賭けた社内旅行とも言える、商隊独特の文化である。

 

 

 

 

「でも、ごめんなさい――――私、今夜は結盟の女の子と泊まるの……ホントにごめんなさいね」

 

 

 

 

男は崩れ落ち、この世の終わりのような声を上げる。

 

 

 

 

『ああ……もうだめだぁぁぁ……おしまいだぁぁぁー……ッ!!』

 

 

 

 

こういった『告白の噂』は、その日の内に商隊全てに駆け巡る。

この男は今夜、蘭州一の宿に一人寂しく泊まり、

明日からは『盛大に振られた奴』として肩身の狭い思いをするだろう。

 

 

 

 

『ほーら、やっぱりだ、アイツに落とせる訳が無いんだよ』

 

 

 

 

その様子を見ていた護衛達が、金銭のやり取りをしている。

 

 

 

 

『ちきしょう……でも、失敗して逆に良かったわ』

 

 

『ああ、男もいない事が判った。負けても損はしてねぇ』

 

 

『おい、何で “男がいない” と言い切れる?』

 

 

『遊珊嬢は、“女の部屋に泊まる” と言った。男がいたらあんな美人を行商に行かせるか? つまり、導き出される答えは――――……』

 

 

『おお……確かにそうだ!よし、次回は俺が……っ!』

 

 

 

 

告白が成功するかの『賭け』も大いに繁盛する。

娯楽が無い為、自分達で作り出さねばならないからだ。

 

『あの男が遊珊を落とせるか?』のレートは、意外にも『成功する』が優勢。

 

何故なら『成功する』に賭けておけば、

告白が成功した場合、悔しいが金は得られる。

告白が失敗した場合、金は失うが美女が誰かの物になる喪失感は避けられる。

つまり、『成功する』に賭けた方が得なのだ。

 

ただし勿論、この賭けには『裏で糸を引く者』が存在する。

 

 

 

 

「おら――――アタシの取り分よこせ」

 

 

 

 

呂晶は賭けの胴元に肘打ちする。

 

 

 

 

『おう、銀二両だったな、取り分は六だ――――しかしお前、何で判った? 普通は銀なんて賭けないぞ』

 

 

「……お金」

 

 

 

 

無愛想な顔で、賭けの報酬を受け取りながら更に手の平を広げる。

『情報が欲しければ金をよこせ』という事だ。

 

 

 

 

『まだ取る気か! せっこいなぁ――――で、どんな魔法を使った?』

 

 

「別に、“美人な子を誰かに取られて、おまけに金も取られたら男はどんな気持ちだろう” て、話してただけ、聞こえるように」

 

 

『そういう事か……なーんか偏ってると思ったぜ……』

 

 

「じゃね」

 

 

 

 

軽く手を振り、呂晶はその場を後にする。

 

 

 

 

(へっ……今夜、その “先生と泊まる女” ってのはアタシだ、馬鹿共――――)

 

 

 

 

呂晶は出発前、あの男が告白する事を聞いていた。

 

『事前にそれを遊珊に伝える』というノーマナー行為を行い、

その上で遊珊の分の賭け金も預り、二人分を賭けている。

 

あとは周りを誘導するだけ誘導し、二人で儲ける。

ただの出来レース、告白する者の気持ちを踏みにじる非道いイカサマだ。

 

 

 

 

(しかし、先生とお泊りか……楽しみだぜっ! いやっほうっ!)

 

 

 

 

呂晶は小さくガッツポーズする。

 

 

 

 

(この期にいっそ、『バイ』だとカミングアウトしちまおうか――――?)

 

 

 

 

あの落ち着いた先生がアタシの性癖を知って、

しかも、自分がずっと『そんな目』で見られていたと判ったら、

一体どんな顔するのかオラ、ワクワクしてきたぞ。

 

 

 

 

(いや、早まるな――――まだ慌てる時期じゃない)

 

 

 

 

良い線イッてる自信はある、だが失敗すればアイツのように人生が終わる。

思い出せ、初恋の女に告った日を、

思い出せ、周りにバラされてハブにされた日を、

そして思い出せ、初めて力任せに犯した、あの日の快感を。

 

 

 

 

(違う違う……これは、いま思い出したらいけない事だ――――)

 

 

 

 

そう、アタシは自分から告って、上手く行った試しが無いんだよ。

どうでも良い奴には惚れられるのに、惚れた相手とは上手くいかないタイプだ。

これはどうしようも無い、アタシはそういう運命なんだ。

 

あれだけの上玉を力任せに一発ヤッて、それで終わりってのは勿体無さすぎる。

先生が結盟辞めたりしたら、この楽しい日々も終わりだぞ?

 

ダメダメ、カミングアウトは却下――――圧倒的却下だ

 

旅ってのは人を浮ついた気持ちにさせるもんだ。

だからあの男だって、あんな身の程知らずな告白をする。

 

なァーにが『お付き合いして下さいィ~』だ、鏡で自分の顔見てから告りやがれ。

まず、あの見た目で終了だし、例え上手く行ってもアタシがお前を殺して終了だ。

お前は初めから『詰んで』いたんだよ。

 

 

 

 

(とは言え、馬のせいで大分ムラついてるし、先生と一晩一緒で耐えられるだろうか――――?)

 

 

 

 

アタシがムラつく訳だから、先生もムラついてる可能性が微レ存?

そして、我慢出来なくなった先生が、恥じらいながらもアタシに夜這いを……

なんて、まさかそんな、キャーッ!

 

……柄にも無く何考えてんだアタシは

 

アタシはそういうキャラじゃないだろう、

もっとこう、『頼り甲斐がある』のがアタシの魅力っつーか――――

 

 

 

 

(ヤッバ……こりゃ、一発オナっとかな、保たんッスわ……)

 

 

 

 

『メンヘラバイセクシャル』という属性を持つ呂晶は、

商人達が忙しく積み込みを行う中、自分を慰められそうな茂みを探す。

 

盗賊から護衛に転身したものの、

本人が言うように、上手く隊商生活に適応しているのかもしれない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

蘭州の渡し場にて

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

「なんじゃと――――……また渡し代を高くしたと言うのかッ!!」

 

 

 

 

コチラは同じ蘭州の黄河、船を係留する河川港の『渡し場』

商隊長の花雪(ファーシュエ)が、渡し組合の頭領と商談を行っている。

 

 

 

 

『すまんな、象の重さで船床が軋んで、毎回それを直すのが大変なんだよ』

 

 

 

 

この河川港には大小様々な船が十数隻と、

海にも乗り出せそうな大きい船が二隻係留されている。

 

この二隻は象と行商隊を運ぶため、花雪と寒月が家の財力で拵えた――――

と言うより、親に強請(ねだ)って買ってもらった船である。

 

 

 

 

「ふざけるなッ!! それはお前達が、この船を他にも貸しているから(・・・・・・・・・・・・・・)じゃろう!」

 

 

 

 

巨大なタラップを持ち、接岸能力が高い他、

バラスト水を排出して喫水線を調節する機構、後部が展開して積み下ろす機能、

船壁には矢を一方的に撃ち込む為の狭間(さま)が付いている等、

様々なギミックが搭載されており攻城兵器だろうと運ぶ事が出来る。

 

その代わりメンテナンスも相応の手間が掛かる。

渡し船には勿体無いほどの性能であり、ちなみに一隻は予備だ。

 

 

 

 

『コイツを使う商隊はアンタら位さ、それに、貸し出すのも承知で提供したのはお前さんだろう』

 

 

「それは、妾の行商に支障が無い範囲じゃッ!! 」

 

 

 

 

船の係留には維持費が掛かる。

花雪商隊は『レンタル可』にする事でそれを相殺させているのだ。

 

 

 

 

「お前達が、コレを “軍” に貸しておる事を、妾が知らんとでも思っているのか……!」

 

 

 

 

肩を突くように指を差し、敵を見るような目付きで睨む。

 

この船は『軍船』としても利用可能な為、蘭州を領土とする宋軍が用いている。

敦煌を領土とする西夏に対し、侵攻準備を整える為に。

 

そして、時には西夏に貸し出すこともある(・・・・・・・・・・・・・・・)

蘭州とは宋と西夏、どちらの味方でもあるのだ。

 

花雪はどちらの味方でも無い――――

両国の関係を悪化させ、行商をやり難くする、全てが敵だ。

 

 

 

 

『そう言われても、維持してるのは我々だ。交渉したいなら何日でも泊まっていけば良い、こちらは一向に構わない』

 

 

 

 

花雪商隊にとっての蘭州とは、商売相手であると同時に敵でもあるのだ。

 

 

 

 

「行商が長引けば、それだけ妾達の損害が増えると知っておろう……!」

 

 

『まあまあ、お前達も沢山稼いでいるんだろう――――?』

 

 

 

 

渡し場の頭領は顔を寄せ、声の大きさと低さを落とし、

囁くように口にする。

 

 

 

 

『我々が、それを知らんとでも思っているのか?』

 

 

「クソッ! 足元を見よって!」

 

 

 

 

花雪も声の大きさと低さを落とし、返答する。

 

 

 

 

「いいか……渡し業を行っておるのは、蘭州だけではないのだぞ……!」

 

 

 

 

一触即発――――そう思った瞬間、

渡し場の頭領は一歩引き、『怖い怖い』とでも言うように手を広げる。

 

 

 

 

『それなら……家畜の交換を西岸(ウチ)(ギルド)でやってくれ、そっちは余ってるから値引きが効く』

 

 

 

 

行商中は輸送動物の換装を頻繁に行う。

 

体力や怪我、病気などの具合の他、

平地は馬、砂漠は駱駝、湿地帯は水牛など得意とする道が異なり、

更には同じ馬でも地域によって質の違いまであるからだ。

 

そして同じ蘭州でも幾つかの派閥が凌ぎを削っている。

 

 

 

 

「農家と提携しておるとは初耳じゃな……」

 

 

『この間一本化したんだ。心配無い、この辺りは飼料が良いから家畜も皆、壮健だ』

 

 

「それは黄河が澄んでいた時の話じゃろう――――これ以上渡し代を上げたら、二度とここを使わんからな!!」

 

 

 

 

『黄河』は元々澄んだ綺麗な川だったが、

森林伐採の影響か土砂が流れ込み、今では文字通り『黄色い河』となっている。

 

 

 

 

『判った、判った……渡し代は高くなるが家畜は安くなる、アンタらの出費はほとんど変わらんし、ウチは家畜を買ってもらえる』

 

 

 

 

そう言いながら、渡し場の頭領は右手を広げる。

 

 

 

 

『これは懸命な取引だ』

 

 

「フン、それで商売が上手いつもりか――――」

 

 

 

 

花雪はその手を掴み、つまりは『握手』を交わした後、

髪をなびかせ後ろに振り返る。

 

そして、スラリと伸びる手足を振り優雅に去る。

 

 

 

 

『ふう……相変わらず、スゴイ剣幕だな』

 

 

 

 

肩に掛けた布で汗を拭いていると、部下が声を掛ける。

 

 

 

 

『頭領、花雪嬢は了承したんですか?』

 

 

『ああ、大した損は無いんだ。あれは社交辞令のようなもんだ』

 

 

『でも、羨ましいですよ。あの絶世の美女に、あんなに顔を近付けて怒鳴られるなんて』

 

 

『ふふふ……あんまり近くで叫ぶもんだから、顔に唾をかけられちまった』

 

 

 

 

頭領は自慢気に、自分の顔を指差す。

 

 

 

 

『うわ、頭領それ……逆に羨ましいッス』

 

 

『逆にじゃない、普通に(・・・)良いんだ。俺はあの子と話がしたくて、ついつい、いらん値を上げてしまうのかもしれん……』

 

 

『うわ、頭領それ……やっぱ普通にキモイっすわ……』

 

 

 

 

ここ蘭州は、表面上は行商人にも寛容だが、

キナ臭い者が多く住む、信用ならない土地である。

 

 

 

 

『なんと言うか、美人てだけじゃ無くオーラが違うんだよな……さすがは貴族だ』

 

 

『渡し場の頭領に、オーラとか判るんスかぁ~?』

 

 

『馬鹿野郎ッ! 俺はな、あの哲宗様にお目通りした事があんだぞ!!』

 

 

『うわ……それ、普通に嘘松っすわ……頭領引きますわ』

 

 

『うるせぇ若僧ッ!! 積み込み帳簿が上がってねぇぞ! 油売ってねぇで仕事しろ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全ての指示と商談を終えた夕刻――――

 

花雪は黄河が一望出来る見晴らしの良い宿で休んでいる。

蘭州に来た時は必ずここに泊まり、縁側から雄大な黄河を一望する。

 

 

 

 

「花雪、積み込みは終わった――――渡し代の件は?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

いっちょ、黄河に橋でも掛けようか

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

「花雪、積み込みは終わった――――渡し代の件は?」

 

 

 

 

同室の副長、寒月(ハンユエ)が遅れて到着し、

備え付けの冷茶を入れる。

 

 

 

 

「|十石$一石…76キログラム$につき一貫文上げるじゃと、替えの家畜も勧められたわ」

 

 

「もっと吹っ掛けられると思ってた、私達の稼ぎは知ってるハズ」

 

 

 

 

ユエも縁側に出て花雪に茶を渡す。

そして、やはり黄河を眺める。

 

 

 

 

「妾もじゃ……船大工に木材、ここでなければ維持費は馬鹿にならんと言うのにな――――」

 

 

 

 

花雪は礼も言わず、当然のように茶を受け取る。

 

 

 

 

「別段困ってもおらぬが、貸しを作れる故、家畜も幾らか――――おいユエ、冷たくないぞ」

 

 

 

 

礼を言わないどころか、ぬるい茶に文句を付ける。

 

渡し代の支出は微々たる物だが、

だからと言って天井知らずに上がっては後々困る。

 

ただし渡し代が上がれば、軍も黄河を渡り難くなる。

それは後々、自分達にそれ以上の益をもたらすかもしれない。

高い安いだけでは物事は測れない。

 

大臣の家系とは有り余る財を贅沢に使う訳ではなく、

節制する所は鬼のように節制しながら、必要な時は躊躇せず全賭けするような、

見ようによっては頭がまともでない家系だ。

 

 

 

 

「大体、元の渡し代が安過ぎる、騙しているようで気分が悪かった――――それ位なら、もう花雪にも出来る。鍛錬の一環」

 

 

 

 

そう言ってユエは、先生のように指を一本立てる。

 

 

 

 

「む……妾は、気孔が苦手じゃと知っておろう」

 

 

「こう」

 

 

 

 

ユエは茶を見せながら、氷系気孔を発現させる。

 

 

 

 

「この辺りと長安じゃ物の価値が違う……彼等は食料に困らない分、お金にも執着が薄いのかもしれない。森にはそういう民族が多い」

 

 

 

 

器を霜が包んでいくにつれ、白い冷気が立ち昇り、

ゆっくり凍る寸前まで茶が冷えていく。

 

一方、花雪は両手で器を持ち、

ユエと自分の物を見比べながら難しい顔で気孔を込める。

 

 

 

 

「治金屋の方はどうじゃった――――アイヤッ!?」

 

 

 

 

白い煙が立ち昇ったが、これは湯気である。

間違って炎孔を込めてしまったようだ。

 

 

 

 

「石炭を使った鋳造なら、洪水でも保つだろうって……こう」

 

 

 

 

器を持つ花雪の手を握り、花雪の手を通して氷孔を発現する。

相手の武器や体内を通過して気孔を発現させる『通し』と呼ばれる技術。

 

これを駆使すれば、鍔迫り行う相手の足を凍らせ地面に接着させたり、

様々な応用が効くようになる。

 

そして、相手を通して流す気孔は、

相手に『気孔の感覚』を教える上でとても有効な方法でもある。

気孔を教わる際には大抵、師父からこういった手ほどきを受ける。

 

 

 

 

「それは嬉しい知らせじゃ、して、金額は? ――――なるほど、こうするのか氷系は」

 

 

 

 

湯気が出る程熱かった茶がキンキンに冷えていく。

 

ユエは氷孔をメインには鍛えている訳ではないが、

それでも花雪より遥に高度な使い手である。

 

ただし、熱したり冷ましたりを繰り返すと、

茶の分子結合がわずかに変わり、つまりは味が変わる。

美味いか不味いかは飲んでみなければ判らない。

 

 

 

 

「炉を作るのに五千、一本三千、以降は半額」

 

 

「鉄骨六本、(げた)、両岸の工事も入れたら金三万か……うむ、やはりユエの冷やす茶が一番じゃ」

 

 

 

 

味の分子結合は容器や食器によっても変化する。

アイスを木のスプーンで食べると美味しく感じるのは、

プラシーボ効果もあるがそれだけではない。

 

この茶にはおそらく、その両方が作用している。

 

 

 

 

「多分それ位、どうする?」

 

 

「次回の行商を終えたら取り掛かろう、建設している間も金は増える、足りなければ出してもらう、その為の協賛者じゃ」

 

 

 

 

黄河――――世界で最も高い場所、ヒマラヤ山脈を水源とする。

 

同じ水源で、反対方向に流れるインダス川がインダス文明を作り上げたように、

黄河は黄河文明を作り上げた、中華の祖と言える大河。

 

それは古代より、農耕文明を発展させる代わりに物流を遮断してきた。

現在は宋が河西回廊へ進出するのを拒むように流れている。

 

 

 

 

「楽観はよくない、けど――――」

 

 

「金は運用してこそ、じゃもんな」

 

 

 

 

縁側から望むその壮大な河を眺めながら、

二人は『それ』が建築されていく様を想像する。

 

 

 

 

「うん、それに……早く渡ってみたい」

 

 

「じゃな! 皮筏子(ひはいし)や浮橋など、時代遅れに “してやる” のじゃ!」

 

 

 

 

『皮筏子』とは動物の皮で作った浮袋を幾つも連ねた簡易な小舟。

『浮き橋』はその小舟を沢山並べ、簡易な橋を作る技術。

どちらも人は通れるが、大量の荷物は運べない。

 

 

 

 

「この巨大な河に橋が掛かるなど、誰も、想像すらしておらぬじゃろうよ……」

 

 

 

 

彼女達の目下の目標は、『蘭州を流れる黄河に橋を掛ける』こと。

 

此処から長安・渭水までは黄河の中流域に入り、

朝廷はこれに橋を掛ける事が出来ない。

正確には歴史上、何度か橋が掛かった記録はあるが、その度に洪水で流された。

 

黄河は氾濫によって度々その形を変え、

橋を掛けるにはそれを安定させる『治水工事』が必要なのだが、

河をどのような形に治めるか結論が出ていない――――

 

というのが、橋を掛けない(・・・・)理由だ。

 

所謂、お役所お得意の『棚上げ状態』になっており、

『朝廷が手を拱いているのなら、各都市に先駆け民間で架けてしまおう』

という寸法である。

 

 

 

 

「思ったのじゃが、気孔で砂鉄を溶かせば安上がりではないか?」

 

 

「花雪……鉄に必要なのは炎じゃなくて、風、それに彼等はそういう仕事はやりたがらない……私も嫌」

 

 

 

 

『彼等』とは、自分達が雇用している、自分を含めた気功家の事だ。

一瞬の炎功を起こすのも大変なのに、長時間の使用などまっぴら御免なのだろう。

 

 

 

 

「ふむ、良いアイデアと思ったんじゃがな」

 

 

 

 

この地は森の木々が地盤を安定させ、橋を掛けるのに適したポイント、

そして橋は『鋼鉄製』でなければ流される。

鉄を作るには風が必要で、風を作るには水車が有効だ。

 

 

 

 

「そんな事を考えなくても、“炉” は大きな利益を上げる……」

 

 

 

 

蘭州に水車と石炭を使った最新鋭の『溶鉱炉』を建設する。

 

渡し業と宿泊施設で細々と生計を立て、

特産品と言えば何処でも取れる麦しか無い『鬼怒川』の如き蘭州を、

橋建設に合わせて『鉄の名産地』に変えてしまう計画だ。

 

 

 

 

「フッ、当然じゃ…… “あの黄河に橋を掛けた” という実績が付随するのじゃからな」

 

 

 

 

蘭州産の鉄は大ヒットするに違いない、いや――――させてみせる

橋が掛がれば渡し船は廃業だが、橋の通行料に『鉄』という新たな産業。

蘭州は生まれ変わる。

 

橋さえあれば行商人も、軍隊も、一般人までも、皆が気軽に往来するようになる。

人が増えれば物流は更に安全な物となる。

 

橋でも『安全神話』を作ったとなれば、花雪隊の名声は益々高まる。

人々は『花雪橋』と書かれた石碑を見て、彼女達を英雄と称えるだろう。

敦煌でもそうだったように。

 

費用は莫大だが、大規模な行商を繰り返したおかげで目処は立っている。

行商の過程で培った各分野へのコネクションにより、

建設に必要な職人の確保も可能だ。

 

今まで国にしか作れなかった物、

それはもう、国にしか作れない物では無くなるのだ。

 

 

 

 

「橋の次は道や関所、見張り台の整備じゃ、盗賊達も迂闊に襲ってはこれん――――」

 

 

 

 

それ以上に彼女達は、

『メリットなど後から付いて来る、来ないなら自分達で作れば良い』

そう考えている。

 

 

 

 

「いっそ、蘭州を買い取って国でも興すか?」

 

 

「良い考え、そろそろ橋の後を考えないと……まだ建ててないけど」

 

 

「あっはっはっは! お前の言う通りじゃ、まずは目下の行商じゃ!」

 

 

 

 

蘭州から少し行くと『虎穴山』という、

呂晶がよく張っていたポイントがある。

 

 

 

 

「護衛の統率、ぬかりなく頼むぞ――――そろそろ “出る” 頃じゃ」

 

 

 

 

盗賊にとっての餌場だけに、行商隊にとっても警戒地点。

 

 

 

 

「了解、親分――――」

 

 

 

 

ユエは最大の警戒地点を前に落ち着き払っている。

護衛は抜け目ないユエの担当であり、慢心もぬかりも無い警備体勢を敷いている。

絶対に、花雪を守る自信がある。

 

 

 

 

「ここまで来れたのも、お前のお陰じゃよ」

 

 

「花雪の願いは、私が何でも叶えてあげる」

 

 

「期待しておるぞ、我が第一の子分よ――――」

 

 

 

 

夕日に照らされた縁側、二人が杯を鳴らすが響く。

 

橋を掛ける公共事業は『国作り』の始り、

無限の利益を生み出す運送業『行商』はそれすらも可能にしてしまう。

 

 

 

 

「子分になった覚えは、ないけど」

 

 

「お前……今、“親分” と言っておったじゃろう」

 

 

 

 

ただし彼女達は、行商が何故それ程の利益を生むのか、

理解しているつもりでも、理解していない。

 

 

 

 

「皮肉で言っただけ、いつも偉そうにしてるから」

 

 

「ダメじゃもーん! 親分て言ったら子分なんじゃもーん!」

 

 

 

 

行商によって輸送された物は、同じ重さの金よりも高い値が付けられる。

だが『物』とは本来、金のように、ただ光るだけの、

電気を通すしか能が無い物質よりも――――遥かに貴重な物なのだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えー、どーしよっかなぁー」

 

 

 

 

盗賊から護衛に転向した二十歳の女、呂晶は、

もじもじして、勿体ぶっている。

 

 

 

 

『出発の時から良い女だって思ってたんだ、酒盛りでもして、俺と楽しい夜を過ごそうぜ』

 

 

 

 

久しぶりに、ナンパをされているのだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ナンパ師は告りたい ~超能力者の恋愛事情①~

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

「えー、どーしよっかなぁー」

 

 

 

 

盗賊から護衛に転向した二十歳の女、

呂晶(ルージン)はもじもじと勿体ぶっている。

 

 

 

 

『出発から目付けてたんだ、酒盛りでもして楽しい夜を過ごそうぜ』

 

 

 

 

茂みを探していた途中、同じ護衛と言う男から声を掛けられた。

久しぶりに、ナンパをされているのだ――――

 

やや短髪、平均より少し高い身長、細身だが筋肉質で大きい剣を帯びている、

力だけでなく俊敏性のある靭やかな体系、堂々とした雰囲気で頼り甲斐もあり、

呂晶にとって大事な判断基準である『姿勢』も自然体ながら安定している。

 

総じてタイプだ、頬に傷があるがヤンチャ感を出していて悪くない。

下の方の剣も気になる所ではある。

 

 

 

 

「でもぉ~、アタシぃ~、今夜はぁ~、友達と泊まる約束しててぇ~」

 

 

 

 

勿体ぶる割にキッパリとは断らない、『あと一押ですよ』という社交辞令である。

同時にこの茶番により、男がどの程度自分に気があるのか、

どれだけムードを盛り上げられるか、女に対する経験値を見極めている。

簡単に言えば試しているのだ。

 

 

 

 

『いいじゃねーか、その子には後で俺から謝ってやるよ。それに、ダチの新しい出会いを(・・・・・・・・・・)喜べない奴は(・・・・・・)ダチじゃねぇ(・・・・・・)

 

 

(ほう、コイツ……なかなかヤリおる)

 

 

 

 

呂晶はバイのため女友達に少し違う感情を持っているが、

女の友情とは大抵の場合、希薄だ。

 

しかし、それでも無碍(むげ)に出来ないのが『女の友情』である。

約束をドタキャンして男に付いて行けば自分の評判に触る。

 

『ダチの新しい出会いを喜べない奴はダチじゃない』とは、

もし呂晶がこの誘いを断れば、それは『女友達が断らせた』も同義であり、

 

“○○ちゃんを悪く言われたくないから付き合うしかなかった”

“○○ちゃんなら判ってくれると思ったから”

 

といった、後のドタキャンへの言い訳が可能になるのだ。

 

『女の友情を認めつつも、それより大切な出会い』というニュアンスを含み、

『その後も責任を取る』ような事を匂わせ『断りにくい誠実さ』を醸し出す台詞。

 

女はこういった『断りきれなくて仕方無く……』という状況を作ってやらぬ限り、

自分からは動けないものだ。

 

 

 

 

「でもぉ~、アタシ達ぃ~、まだ会ったばっかだしぃ~、イキナリ一晩過ごすのはどーかなぁ~って」

 

 

 

 

『ほぼほぼOK』の合図である――――でも、でもあと一押しが欲しい

 

今付いて行けば、友人の名誉は守れても自分は尻軽女になってしまう、

最低限そこの部分へのフォローが欲しい。

 

『ビビッと来たから』『運命の出会いに従った』など、

後になって言い訳にも使える、

ホイホイ付いて行っても尻軽にならない『アレ』が欲しい。

 

 

 

 

(判ってるな、アレだぞ……? アタシは、“殺し文句” を欲してるんだ……!)

 

 

 

 

呂晶は女性らしい仕草で顔を伏せながら、横目で男を捉える。

 

 

 

 

(お前がそれさえ言えば契約は成立する…… “ビシッ” とキメろよ)

 

 

 

 

ナンパ師に狩られる側だと言うのに、

まるで血に飢えた鷹のように鋭い眼光だ。

 

 

 

 

『なんつーのかな、上手く言えねーが……お前は理想の女なんだ、“一目でそれが判った” 』

 

 

(よォしッ! よく言った! 微妙だが許可するッ!!)

 

 

 

 

機嫌が良くない時なら却下もあり得るライン。

だが、馬の刺激でムラつき旅で浮ついた今であれば『一目惚れ』は十分合格ライン。

 

あとはこちらが『そこまで言うなら……でも、お酒飲むだけだよ?』と、

渋々な返答を行えば契約は完了する。

 

審査を済ませた呂晶が今まさに、“関所を通って良し” のサインを出そうとした時、

男が続けて口にする。

 

 

 

 

『お前は、俺にとっての “楊貴妃” ……っつーのかな……』

 

 

 

 

照れ臭そうに頬を掻く、粗暴な雰囲気から一転した少年のような笑顔。

いわゆる『ギャップ萌え』だ。

 

 

 

 

「はあああぁん……?」

 

 

 

 

呂晶の表情が一変し、眉間に皺を寄せた『ガンを飛ばす』それになる。

 

 

 

 

「おい、テメェ……楊貴妃ってのは小便タレのワキガだろうが」

 

 

『は? なんだって?』

 

 

 

 

背中の大刀を突如展開し、切っ先を相手に向ける。

 

 

 

 

「アタシがそんな風に見えるってのか!? オオオォッ!? 教養の無ぇクソッタレッ!! 舐めってんのかッ!! 殺っすぞッ!?」

 

 

 

 

戦闘態勢――――男の最後の一言は余計だったのだ。

 

 

 

 

『なんだと……お前……そりゃ、どういう意味だ?』

 

 

 

 

男の表情も一変し、武器を突きつける意思を問う。

女相手のため我慢はしているが目を見開き怒りを顕にしている。

 

 

 

 

「教養の()ぇクソッタレには判んねーだろうけどなァ、”教養の無ぇクソッタレ” ってのは、中華だと “お前は教養の無ぇクソッタレ” って意味だよッッ!!!!」

 

 

 

 

武術家に武器を向ける行為は、後戻り出来ない決闘の合図、

どちらか一人が死ぬ。

 

しかし、この感情の起伏は常軌を逸している。

到底、理解出来るものではない。

 

 

 

 

『お前……阿片(ヤク)でもやってんのか?』

 

 

 

 

やっている。が、今はやってはいない。

これはメンヘラな性格に起因するヒステリックだ。

 

 

 

 

「ゴチャゴチャうるっせぇッ!! ビビってんのかテメーアァッ!? ぶら下がってんのは “二本とも” 飾りかオォンッ!?ブチ折ってやっから抜けオラァッ!!」

 

 

 

 

大刀を短く回してナンパ男の股間を指す、今にもそれで刺しそうな形相だ。

 

闘争本能が満たされないと性欲を満たしたくなる。

性欲が満たされないと闘争本能を満たしたくなる。

 

一緒にいると身が持たない、直そうともしない。

だから呂晶は男が出来ない。

 

 

 

 

『まあまあ、お二人さん――――! 喧嘩なんて止めときなって! 俺等、味方同士だろ?』

 

 

 

 

通りすがりの背の高い男が割って入る。

ナンパ男には肩を叩き、刃物を振り回すヒス女には手を握って矛を下げさせる。

 

馬も真っ二つにする大刀を包丁のように簡単に扱うという事は、

おそらく手練だろう。

 

 

 

 

「なんだァ、テメエエエエェッ!? テメェもぶっ殺されっ……! てぇ、の……か…………」

 

 

 

 

呂晶は割って入った男を睨み付け、それをした事を激しく後悔する。

 

 

 

 

(ふざっ……けん、なよ……ッ! コイツぅ……滅茶苦茶イケメンじゃねーか(・・・・・・・・・・・・・)ッ!!)

 

 

 

 

ウェーブの掛かった肩まで伸びた髪、男にしては白い肌。

ペルシアかもっと西、アーリア系統との『ハーフ』であろう、

とろけるような甘い顔立ち。

 

唇の下から顎に続く、形を整えたオシャレな髭をこさえていて、

それが似合わないようで似合っている。

 

この髭を “朝チュン時” に指でなぞってイチャ付き、

 

『伸びて来たから、そろそろ剃ろうと思ってんだ』

『えー、じゃアタシ剃る』

『お前、そんなこと出来んのかよ』

『えー、アタシ刃物の扱い上手いんだよ』

 

といった、そんな細かい情景(シーンん)まで彷彿させる。

とにかく文句無しのイケメンだ。

 

 

 

 

『チャラ男はすっこんでな――――俺は、女の癖に矛なんか使ってるコイツに、今から稽古を付けてやんなきゃなんねぇ……』

 

 

 

 

粗暴なナンパ男がイケメンの腕を振り払う。

呂晶も意地を張り、汚い言葉で続ける。

 

 

 

 

「よく聞きな、カス……どうやら教養が無さすぎて、このアタシが、お前がエモノを抜くまで待ってやってる事も判んねーらしいな」

 

 

 

 

あと少し、ぶりっ子を続けていたら、このイケメンは『喧嘩の仲裁者』ではなく、

ナンパに困る自分を助ける『騎士(ナイト)』になっていたかもしれない。

 

でもこんなに喧嘩っ早くて汚い言葉を吐く女を、

好きになる男なんていない。

 

もっと勿体ぶって時間を稼いでおけば良かった――――全てこのカス野郎が悪い

 

 

 

 

『舐めやがって、もう女でも容赦しねぇ……』

 

 

 

 

ナンパ男が剣を抜く、その手をイケメンが上から抑える。

 

 

 

 

『判ってないなぁ? お前さんは、“地雷” を踏んじゃったの』

 

 

『……地雷だと?』

 

 

 

 

気功家にとっての『地雷』とは、

相手の足から雷孔を流す『獅子吼(ししほう)・地震』の事である。

 

獅子吼への対処は雷孔発生時に地面を踏んでいない事、

つまり、ジャンプすればいい。

 

 

 

 

『 “俺にとっての楊貴妃” ……だっけ? “誰かに似てるから好き” とか、女には気分悪くね?』

 

 

「――――!」

 

 

『――――!』

 

 

 

 

呂晶とナンパ男は、同時に狐につままれたような顔をする。

 

ナンパ男の方は、“君は楊貴妃のようだ” という流行りの口説き文句が、

単に流行っていただけで、大して喜ばれない台詞だと気付いたのだ。

 

 

 

 

『なんだ、そりゃ……付き合ってらんねーよ……』

 

 

 

 

ナンパ男はあっさり背を向け、その場を後にする。

勝ち目が薄ければ撤退する、戦もナンパもそれは変わらない。

と言うより、メンヘラとの揉めなど御免なのだろう。

 

 

 

 

「……。」

 

 

 

 

呂晶はまだ、狐につままれた顔をしている。

 

今まで、女をすぐ楊貴妃と比べる『楊貴妃厨』に腹を立て、

その度に頭がイカれた奴だと思われてきた。

 

でも、自分は間違っていなかった。

判ってくれる人がいた。

 

それだけに、このイケメンに醜態を晒した事が悔やまれる。

 

 

 

 

「礼は言わねーぞ……」

 

 

『あっ、ちょ、待てよ――――!』

 

 

 

 

呂晶がその場を去ろうとすると、イケメンが慌てて “通せんぼ” する

 

 

 

 

『待てよ、チビ助――――あんな甲斐性ナシより、俺の方が全然良い男……みたいな?』

 

 

 

 

イケメンは親指で自分を指差す。

 

 

 

 

「え……?」

 

 

『ぶっちゃけ言うと、グズグズしてたら先越されたって言うか――――……あの野郎が終わるまで、ずっと待ってた』

 

 

(なん……だと……?)

 

 

 

 

驚くべき展開、呂晶は思考タイムに入る。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黄金の精神 ✛超能力者の恋愛事情②✛

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

(まさかの、一日二連続……? オイオイオイ、やっぱアタシって、結構モテんじゃねーのか……?)

 

 

 

 

呂晶は澄ましていればそこそこ可愛い。

十六歳の時、地元の祭りで『ミス提灯クイーン』に選ばれた経歴を持つ。

 

明るく物怖じしない天真爛漫な性格が手伝ったのか、

それとも大企業の娘という『お嬢様感』が滲み出ていたのか、

“地元では” 一、二を争う人気があった。

 

ただし人気の絶頂は十六歳まで、程なくして『バイ』の噂が立ちモテ期は終わった。

 

以降は、旅の準備と修練を本格的に開始し、

偏屈な性格も顔に染み付き、実際にバイとしても覚醒し、

とんとモテなくなってしまった。

 

それでも、あの時の栄光を今も引きずっている。

 

 

 

 

「アレ見て口説くとか……アンタ、変態?」

 

 

『別に普通だろ、可愛いくて生意気とか……最高じゃね? ハネっ返りは即ち鮮度……みたいな?』

 

 

「アタシに聞かれても判んないし」

 

 

『それそれ! そういうの、スッゲーソソる』

 

 

「はあ……? 意味、分かんないし……」

 

 

 

 

人生二度目のモテ期を迎えた呂晶、これには『カラクリ』がある。

 

この商隊は『商人・輜重(しちょう)部隊』は女性の割合が高いが、

『護衛部隊』の女性となると副長ユエ、呂晶、その他数名で一割にも満たない。

 

護衛は、商人・輜重と関わりが薄く、

会社で言う『他部署』や、学校で言う『他のクラス』のようなものだ。

 

第一候補の副長・ユエは、いくらエロイ体の『ロリ眼鏡っ娘』で、

クラスのマドンナだったとしても、

大臣の娘とあっては住む世界が違い過ぎる、告った所で玉砕必死。

アイドルとして崇めるならともかく、ガチの相手を探すならユエは除外される。

 

 

つまり、呂晶が言い寄られる仕組みとは――――

 

男の集団に『手の届きそうな女』が混じると、『八割増し』に見える補正が掛かり、

イケメン達がそうでもない女を取り合う、

『工業高校効果』ならぬ『行商効果』である。

 

そして、蘭州は宿泊街と言っても風俗施設なども無く、

地元の女は蚩尤(しゆう)のような暗殺者も混じっている。

雇われの身である以上、地元民に対してトラブルは起こせない。

 

呂晶のみならず、男も皆、“たまって” いるのだ。

 

 

――――といった事情はあるが

 

『隊商をキッカケに出会い、仲睦まじく行商に参加する』

そういった、隊内恋愛をしているカップルがいない訳でもない。

 

毎日が修学旅行のようなこの仕事では、カップルは羨望の的である。

 

 

 

 

『俺じゃ可能性薄いかもだけど……俺達って、明日死んでもおかしくないだろ? だから、後悔したくないっつーか』

 

 

「後悔したくないから……何?」

 

 

『ぶっちゃけ、今からお前とヤリたい』

 

 

「…………っ!」

 

 

 

 

ド直球――――なのに、真摯な台詞にも聞こえる

 

『イケメン』と『そうでない者』では同じ言葉でも印象がまるで変わる。

『イケメン』が放てば、メラでさえメラゾーマ級の火柱を上げるのだ。

 

そして『イケメンの条件』とは、

どんな女でも果敢に攻め落とす選り好みしない『黄金の精神』

イケメンほど女性に対して理想が低かったりする。

 

 

 

 

「えー、イキナリそんな事言われてもぉー、てかアタシィー、女の子と泊まる約束してるしぃー」

 

 

 

 

顔を赤らめながらも、呂晶は茶番を再開する。

 

これは必要な手順の為、面倒でも省くことは出来ないのだ。

だが心はもう、『百パーOK』である。

 

自分のダメな所を見て、尚も好きと言ったポイントは高い。

しかもイケメン、断る理由など存在しない。

 

 

 

 

『マジか、友達か……女の先約は考えてなかった、つーか……』

 

 

 

 

イケメンは困った顔をしている。

メンヘラの思考は読み難い、返答には長考が必要だ。

 

 

 

 

(ヤッベ、露骨に嫌がりすぎたか……? クソッ! 黙って恥ずかしそうに頷いときゃ良かった……!)

 

 

 

 

呂晶は、『性行為は女とする方が興奮する』という歪んだ趣向を持っている。

性欲を他で発散出来るせいか、男への理想は青天井に高い。

 

普段は豪族でもない男にナンパされただけでキレるし、

わざわざ露出の高い服を着たり、少なければ破ってでも増やすのは、

その豪族を釣ろうとする呂晶なりのアピールだ。

 

バイだからと言って誰でも良い訳ではないのだ。

 

ただし今回に限ってはイライラした気持ちを発散する為、

たまにはイケメンとの火遊びも良いと考えている。

と言うより、火遊び超したい。

 

 

 

 

『まいったな……でも、諦めたくねーんだよな……』

 

 

 

 

イケメンは言葉を探す。ド直球『今からお前とヤリたい』は、

イケメンと言えど結構なMPを消費する『天地魔闘の構え』

続け様に気の利いた言葉など、ポンポンと出せるものではない。

 

 

 

 

(そうだ、諦めんなよ……! 何でも良いんだよ、さっさとアタシを落としやがれ……お前はアタシのアソコを “通って良し” だ!!)

 

 

 

 

呂晶が『通行手形』を配布しかけていると、

 

 

 

 

「よう兄ちゃん、やめとけ――――」

 

 

 

 

今時、長い髪を一つに束ねた、

歳の割りにオヤジ臭い、眉間に傷のある男が割って入る。

 

 

 

 

『っと、なんだいオッサン……コイツの彼氏か(・・・・・・・)?』

 

 

 

 

イケメンは、呂晶とオヤジ臭い男を交互に見回す。

 

呂晶に彼氏などいない、もし彼氏がいるのなら、

『今夜は女友達と泊まる』などとは言わず『彼氏がいるから』と断るハズだ。

なので、このオヤジ臭い男は彼氏では無いことが判る

 

 

――――と、思いきや

この手の『ナンパ中・後に彼氏見参』パターンはよく起こる。

 

何故なら女にとって彼氏がいる事は『ナンパを断る理由』にならないからだ。

断りたくなった時だけ、彼氏がいる事を理由にする。

 

こういった三角関係でのトラブルの九割は女の不貞によって発生するため、

イケメンはそれを警戒しているのだ。

 

オヤジ臭い男は、イケメンの質問に回答する。

 

 

 

 

「コイツは俺の妹だよ、そんでもってコイツは、あー……梅毒持ちだ」

 

 

 

 

そう言って、呂晶の頭に “ポン” と手を乗せる、

馴れた仕草だ。

 

 

 

 

『…………梅毒ぅ?』

 

 

 

 

イケメンは怪訝な顔で確認する。

 

呂晶は目を細くしてオヤジ臭い男を睨んでいるが、

ノースリーブから伸びる腕、破けた袴から露出する足に、

湿疹等は見られない。

 

 

 

 

(ちっ、つまんねー嘘付きやがって……)

 

 

 

 

イケメンは少し笑い、オヤジ臭い男の背中を叩く。

 

 

 

 

『カッコ付けんな……“俺の女だ” って言やぁ、十分なんだよ』

 

 

 

 

多少のアドバイスを残しつつ、その場を後にする。

去り際もやはりイケメンだ。

 

彼が去るのを細目で見送った後、

呂晶はその目を、横のオヤジ臭い男に向ける。

 

 

 

 

「アタシはアンタの生き別れの妹で、知らぬ間に梅毒になってたのか――――衝撃の事実だ?」

 

 

 

 

目を細めた顔をニンマリさせる。

 

 

 

 

「お兄ぃちゃーんっ! アタシ梅毒ぅ~んっ! 行商でいっぱい稼いで、お薬ちょーだーいっ!」

 

 

 

 

手首を反り返らせて身体を振り、大袈裟な演技をする。

 

 

 

 

「お前な、助けてやったのに、その言い方は酷くないか?」

 

 

「助けるぅ? アンタがアタシをぉ? ……ウッケる」

 

 

 

 

呂晶は呆れたように腕を広げる。

 

ウェイは呂晶が嫌がって見えたので助けた、他意は無い。

だが、呂晶が嫌がっていたのは演技である。

 

女のそういった演技を面倒と捉える男もいれば、

アトラクションと捉えて楽しむ男もいる。

 

なのに、それを真に受け、

彼氏でも無いのに律儀に助ける人間がいるとは思わなかった。

 

 

 

 

「これで確定したな――――お前はやっぱり童貞だ」

 

 

 

 

イケメンもそんな真人間がいるとは思わなかった為、

『彼氏が穏便に済ませる為に、嘘を付いたのだろう』と察し、身を引いた。

 

ウェイは助けたつもりになっているが、

簡単に言えば『余計なお世話』だったのだ。

 

 

 

 

「おい、俺は童貞じゃねぇ! 何歳だと思ってやがる!?」

 

 

「さあな……確か、四十はいってたよな?」

 

 

「いってねぇよ!! まだ二十代だッ!!」

 

 

 

 

ウェイは今年で二十九歳になる。

 

 

 

 

「あーあー、うるせー童貞だ」

 

 

 

 

――――悪い気はしない

 

今まで一人で戦う事が多かったし、誰かに助けられた経験などほとんど無かった。

ヘマして死にそうな時、自分で切り抜けなくてはならない盗賊とは違う。

これもいわゆる『行商効果』だ。

 

 

 

 

「とりあえず、ラーメン食い行こうぜ? さっきから腹が鳴らないかヒヤヒヤもんだったぜ……」

 

 

「とりあえずじゃねぇ、お前が来ないから探しに来たんだ――――辛いのある店、調べといたぞ」

 

 

 

 

自称、女の気持ちが判る男・ウェイは、典型的な『良い人』である。

だからこの歳になって妻もいない。

 

二人は蘭州でも穴場の店で、ただ辛いだけで無くしっかりとした味のある、

呂晶好みのラーメンに舌鼓を打った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この店、まーまー美味かっ……ゲァップ、たな。ウェイはどこ泊まるんだ? アタシは先生とだ、羨ましいだろ」

 

 

 

 

自慢気に報告する。

イケメンは逃したが、元々最強の保険を掛けてある。

 

 

 

 

「フッフッフ、俺は “(おとこ)の寝床” ってやつだ」

 

 

「おい、野宿は止めろよ……? 前の奴が臭かったら、アタシが隊列を離れて小娘に怒鳴られるハメになる」

 

 

 

 

歩きながら身振り手振りで説明する。

 

呂晶の護衛担当は右翼中列・ウェイの真後ろ。

そして呂晶は匂いに敏感な女、ちなみに特技は即尺である。

 

部屋の戸を閉めた途端に袴を降ろしカバリと咥える。

どんな男もこれでイチコロだ。

 

 

 

 

「風呂には入るよ、今夜は係留されてる “船” に泊まるんだ」

 

 

「船ぇ? 意味わっかんね……」

 

 

「中華を潤す河に揺られ、満天の星空を眺めて眠る……最高だぜ、お前にゃ判らんだろうガナー?」

 

 

 

 

ウェイは自然を愛する男である。

対して呂晶は、一銭にもならない星空よりも俄然(がぜん)宝石に目が眩むタイプだ。

 

 

 

 

「うっわ! それ絶対、蚊に刺されるぞ。こっち寄んな、病気が伝染る」

 

 

「まだ刺されてねぇよ……つー訳で、俺はこっちだ、宿の場所判るか?」

 

 

「大丈夫だ、アタシは子供じゃない」

 

 

「おう、また明日な」

 

 

「あいよ」

 

 

 

 

花雪象印商隊・総勢百五十名は明日をも知れない仕事の中、

ここ蘭州で思い思いの夜を過ごす。

 

川で体を洗い野宿で済ます者。

船に揺られ星を見て眠る者。

綺麗好きの女は高めの宿に泊まり、三日分の疲れを癒やす。

 

言ってみれば蘭州とは、過酷な行商の中での最高の楽しみポイントである。

 

 

 

 

(最悪だ――――)

 

 

 

 

意気揚々と待ち合わせの宿に参じた呂晶は、一転してシラけている。

 

 

 

 

「この子は美鈴(ミーリン)ちゃん、輜重班の同僚なの。優しくしてあげてね」

 

 

『はじめまして、呂晶さん! よろしくお願いしますっ!』

 

 

 

 

とても元気な、男に媚びるのが上手そうな女。

遊珊との恋路を邪魔するかのような女――――



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

裸の触れ合い ~中世中華のお風呂事情①~

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

『はじめまして、呂晶さんっ! 宜しくお願いしますっ!』

 

 

 

 

両サイドを細く束ね、後ろ髪を降ろしたツーサイドアップ――――

 

『二つ縛り』と『ロングヘアー』どちらにも憧れ、

どちらも自分の物にしたいけど、どちらの属性にもなりたくない、

優柔不断のムカつく髪型。

 

性格なんて問うでもない、コイツはムカつく女だ。

 

 

 

 

「あっ、ああ……よろ~っ!」

 

 

 

 

体をワザとらしくくねらせ片手を振る。

『対どうでもいい女友達用・営業スマイル』である。

 

 

 

 

「私、いつもは一人で泊まってたのだけど、今日は三人だなんて、何だか嬉しいわ!」

 

 

「えっ、このア……美鈴ちゃんも泊まるんだ?」

 

 

 

 

“このアマ” と言いそうになるのを堪える。

 

 

 

 

『私も、いつもは一緒に泊まる相方がいるんですけど、今回はその子が来れなくて……困ってたら遊珊先輩が誘ってくれたんです!』

 

 

 

 

やはり、可愛らしく元気に答える。

その元気さが癇に障る。

 

 

 

 

『お二人共、お邪魔しちゃってすみません!』

 

 

「そうなんだ~……よろ~っ!」

 

 

 

 

さっきと同じ社交辞令、

それを同じように言うので精一杯だ。

 

 

 

 

(邪魔なのは判ってんだよ……雌豚は牛舎に泊まって藁でも食ってろッ!!)

 

 

 

 

顔では笑顔を作りながら、

心の中では斬って、刺して、()ぜ殺す。

 

 

 

 

「それじゃあ、お風呂に行きましょっ! 良いお風呂屋さんがあるのよ~っ」

 

 

 

 

遊珊も掌を合わせて体をくねらせている。

呂晶と同じような動作にも関わらず清楚で、それでいて艶めかしい。

 

 

 

 

「私、案内しちゃうんだからっ!」

 

 

 

 

そしてぴょこんと両手でガッツポーズ、本当に嬉しそうだ。

 

遊珊は幼少の折、農業を営む実家から奴隷として売りに出された。

以来、遊郭から一歩も出ずに育った為、

こうやって友人と遊ぶ事は何よりも新鮮なのだ。

 

あくまで、“友人として” だが。

 

 

 

 

「うんー、そだねー、じゃそこいこー……」

 

 

 

 

つい棒読みになってしまう。

せっかく妄想でアレコレ練習したのに全部パーだ。

“友人として” 遊珊といることは、呂晶にはとても辛い。

 

 

 

 

(ガッカリだぜ……こんな事なら、イケメンとしっぽりヤッときゃ良かった)

 

 

 

 

呂晶と美鈴は遊珊に手を引かれ、

三人で手を繋いで浴場付きの宿屋に入っていく。

 

とても仲の良い三人娘だ、傍から見ていればだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あのあの……呂晶さんて、すっごく強いんですよね!? 遊珊先輩から聞きました!』

 

 

 

 

中華では風呂に入る習慣は地域によってまばらである。

乾燥地帯に至っては娘の結婚前日に近所から水をかき集め、

ようやく沐浴を行い、花嫁を清める民族もいる。

 

一方、蘭州は水源が近いため公衆浴室も多く営まれ、

豪族でなくても気軽に風呂を楽しめる。

 

 

 

 

「んまねぇ~、今の中華でアタシに勝てるのはカミタケくらいだ」

 

 

『その人知ってます! 江湖の火霊宮で、師範代の人ですよね! 私の友だちがお茶した事があって……』

 

 

 

 

美鈴は体を布で擦りながら呂晶に話し掛ける。

見た目通り人懐っこい性格のようだ。

 

ここは崖を利用して作られた黄河を眺める公衆浴場の一つ。

面倒だから天井を作らなかった為、露天である。

すぐ先にもここと同じような灯りと湯煙が幾つか見える。

 

露天風呂は千年後であれば貴重だが、

今は経営者ですらその付加価値に気付いていない。

 

日も暮れたため雄大な自然は拝めないが、

満天の星空を黄河が映す情景は、さながら天の川のように幻想的だ。

備えられた灯籠に照らされ、とても贅沢な気分が味わえる。

 

ただし灯籠の蝋燭には、利用者が自分で火を付けなければならない。

この露天風呂がある宿のお値段は、食事付きで一泊銀一両。

極東の島国の通貨、日の本の円に換算し一万円程度である。

 

 

 

 

(この雌豚、ブヒブヒ良く響く鳴き声だぜ……耳ん中まで獣姦されてる気分だ)

 

 

 

 

心の邪悪さはさておき、見目だけは麗しい裸体の三人娘の声が、

露天を仕切る竹や岩、湯面、お互いの柔肌に響き合う。

 

自分の声が湿っぽく反響し、湯気で息が苦しいせいか、

ついつい大きな声で喋ってしまう。

 

 

 

 

「やだ……今、あそこで何か動いたわ……誰か覗いてるのかしら……?」

 

 

 

 

髪を濡らし、生まれたままの姿を晒す遊珊は、

手ぬぐいを一生懸命伸ばして縮こまり、

月明かりが照らす黄河を怪訝な表情で眺める。

 

だが、黄河は湖のように広い河なので、

望遠鏡でも使わなければ対岸から覗ける距離ではない。

覗ける視力を有する者はいるが、

その便利な左眼を持つ者は遥か西方にいる、しかも少女だ。

 

そして、『望遠鏡』が作られるのは今から数百年後である。

とりあえず数百年は対岸から覗かれる心配はない。

 

 

 

 

「あはは、先生、ありゃ魚が跳ねたんだ。アタシが見張ってるから大丈夫……ふひっ……」

 

 

 

 

呂晶は頼もしい台詞と気持ち悪い笑いを口にし、

幼女のように穢れない裸体と、それが蠢く様を存分に視姦する。

 

遊珊が唯一つ纏う手拭いは、垢を擦る為のとても小さい物だ。

いくら引っ張って伸ばそうが――――いや、

引っ張るからこそ紐のように捩れ、

せいぜい片方の乳首に、細長いヘソの半分ほどしか隠せていない。

 

頼りない布切れに縋り付く遊珊の姿は隠していない時より遥かに情欲を煽る。

勿論、遊郭で身に付けた仕草である。

 

 

 

 

『魚ですか? この辺だと、花魚ですねぇ~』

 

 

「あはんっ……もう、ビックリしちゃったわ……エッチなお魚さんっ!」

 

 

 

 

黄河の魚に泡水を投げつけ、

伸びた手ぬぐいを太腿を合わせた上で折り畳む。

 

 

 

 

(エッチ! いただきましたッ!!)

 

 

 

 

呂晶は心の中でガッツポーズを決める。

いくら体を強張らせても、自分の一言で容易に弛緩し、

また一糸纏わぬ無防備な姿を晒させる。

 

女同士だから出来る、バイの役得である。

 

 

 

 

『夜の河って怖いですよねぇー……この辺は黄河妖怪が出るらしいですよぉ……? もしかして、今もあの川底に、ウヨウヨと……びっしりと……』

 

 

「やっ……いやっ……ちょっと!」

 

 

 

 

『黄河妖怪』もしくは『黄河怪』とは、

この辺りの河辺に生息する人型爬虫類だ。

獲物を水中に引きずり込み、集団で貪り喰う習性がある。

 

武器を扱う知能があり、人の皮を剥いで被ったり、

持ち物を身に付ける習性まである。

意味を理解しているかは不明だが『言葉』のような鳴き声を出す個体もいる。

 

まるで『人間になりたがっている』かのような黄河怪は、

その容姿も相まり、女性の『キモイ』の代表格だ。

 

定期的に駆除隊が結成されているが、水中を縄張りとしている為、

なかなか根絶に至らない。

 

 

 

 

『泡を投げられた恨みを晴らす為……醜い鱗肌が、集団で先輩に夜這いを……』

 

 

「もうっ! 美鈴ちゃんやめて……! 私、そういうの苦手なのよぉ……」

 

 

『おまえかー……? 泡投げたんは……おまえかー……?』

 

 

 

 

遊珊が縋り付いても美鈴は構わず怪談を続ける。

その一言一言が遊珊に悪寒をまとわせ、体を痙攣させる。

 

 

 

 

(テメッ……雌豚ァ……ッ! アタシの許可なく先生をイジメ……ッ! それはアタシが……ああっ!? お前のせいで、先生が……先生が……また、乳首を隠しちまっただろうがアアアァーッ!!)

 

 

 

 

呂晶はその様子を見ながら歯を食い縛り、目を見開いて笑う。

営業スマイルが崩れている。

 

 

 

 

『はあ……でも、副長以外の女性護衛なんて、憧れちゃいます』

 

 

 

 

美鈴が話を戻す。

話を行ったり来たりさせ、オチも結論もなく延々と続ける女の会話。

白黒付けねば気が済まない呂晶とは、同じお喋り好きでも性質が違う。

 

 

 

 

「別に……気孔使えりゃ、男も女も同じだよ――――てか、この石鹸スッゴ!」

 

 

 

 

呂晶は体外気孔が使えない分、体内気孔に秀でている。

筋肉の熱量を操作し、指先に人体で最も強力な大腿筋の力を宿し、

持ち上げる事も難しい大刀を棒切れのように振るう。

 

逆にそれ以外では筋肉質に見えないよう、

胸や尻、太腿の内部、いわゆるインナーマッスルに筋力を集中させる。

 

努力の甲斐あってか、呂晶は二十歳にも関わらず、

服装によっては十代中盤に間違われる事もある。

 

 

 

 

『これ、目の粗い布で擦ると、もこもこした泡が立つんですよ』

 

 

 

 

手拭いは(やすり)のように目の粗い物と、細かい物、

二枚を持ち込むのが女の嗜みだ。

 

 

 

 

「おおおお……スッゲ! 泡立ってきた! 泡が……おっ勃ってきたぁあああッ!! こりゃあ泡風呂じゃーッ!!」

 

 

 

 

呂晶は、遊珊を取られそうな怒りを手拭いにぶつけている。

 

中華屈指の俊敏性で手ぬぐいを擦ると、

高級石鹸がみるみる小さくなる代わりに無駄な泡が大量生産され、

石畳をヌルつかせていく。

 

 

 

 

「もう、呂晶……女の子は、エレガントに」

 

 

 

 

遊珊が指を立て、先生のように指導する。

 

 

 

 

『呂晶さん、面白ーいっ! ホント、こういう所が、花雪さん達の判ってる所ですよね~』

 

 

 

 

美鈴は石畳に広がる泡を眺めて感嘆を漏らす。

この泡は平民は滅多に肌に纏えないものだ。

 

 

 

 

「……シャハル石鹸でしょ、そんなに珍しいもんでもないよ」

 

 

 

 

『花雪』という名前を聞き、呂晶に冷静が戻る。

 

 

 

 

『珍しいですよ~! あとこっちはオリーブの石鹸、平民の私達には、ちょーっと手が届かない代物ですよね!』

 

 

(一緒にすんな、平民はテメーだけだろ……!)

 

 

 

 

三人娘が使っているのは、

地中海周辺で生産されるオリーブと海藻で出来た植物石鹸と、

中央アジア・キルギスの民が丹精込めて作る『シャ()ル石鹸』だ。

 

花雪象印商隊は中華女性の大好物、

西方の化粧品や美容品を数多く商っている。

 

長らく需要を見出されずにいたジャンルだが、

性と美を追求する中華女性の心を捉え、

今では貴族や良家を中心に、富裕層の妻、娘に大流行するに至った。

 

すると女だけで無く、プレゼントや献上品として、

男も金に糸目をつけず買い漁るようになる。

 

今では『申し訳ない値段』どころか、

小さな石鹸一つが『一般軍人の一月の給料』に相当するという、

呆れた値段にまで暴騰している。

 

金というのはある所にはあるようで、

西方美容品は中華の蔵に眠っていた死金を大量に引き出させた。

 

既にある需要を満たすのではなく、新たな需要を作り出す、

花雪と寒月の基本思想の賜物である。

 

そしてこれら美容品の卸先の一つが、

呂晶の実家である成都一のブランド店『呂礼屋』である。

 

 

 

 

『行商って大変ですけど、こういうの使ってると “ここに入って良かった~” って、思うんですよね』

 

 

「そんなの、体のいい在庫処分だよ、恩に感じる必要なんかない」

 

 

『ええ~、でも~っ! 結構、コレ目当てで参加してる女の子、多いんですよ~!?』

 

 

 

 

これらの高級美容品は輸送中の破損、浸水、汚れにより価値を落とす物がある。

花雪の図らいにより、それら『訳あり品』は、

女性隊員の購入希望者に『元値』で販売される。

 

『訳あり品』であろうと、末端価格の数十分の一とあっては希望者は後を絶たない。

過酷な旅であろうと『女は美に気を配るべし』という、

長が貴族の女性である花雪象印商隊ならではの配慮。

 

こういった配慮のおかげか、この隊は女性の離隊率が低く、

女達に釣られて優秀な男達も集まって来る。

 

安全神話以外にもこういった先見性こそが、この隊が繁栄した理由だろう。

 

 

 

 

『私もこういうの使ってれば、花雪さんみたいに白くなるかな……西方の人達って、ビックリするほど肌が白いですよね』

 

 

 

 

自分の体を見て、少し恨めしそうに呟く。

絶世の美女が間近にいる職場では、気になる事も多い。

 

 

 

 

「何言ってん “ろ” ーっ! 美鈴ちゃんはぁ、そんなの気にしなくてもぉ、十分、可愛いよ~!」

 

 

『えーっ!? 全然ぜんぜん! 私なんか、全っ……然ですよっ!! お二人の方が、何っ……百倍も可愛いですから!!』

 

 

 

 

両手を広げ、左右の二人へぶんぶんと振る。

湯を浴びたせいか、美鈴の顔は真っ赤だ。

 

 

 

 

(ウケんだけど――――ちょっと褒めたら調子に乗りやがって、平民の馬鹿女はからかい甲斐があるよ)

 

 

『あの、それって……戦闘の傷ですか?』

 

 

 

 

キョロキョロしていた視線に映った、呂晶の左腹部。

小さいけど、深い傷が付いている。

 

 

 

 

「……まあね、けっこう強い商……盗賊だったんだ」

 

 

 

 

駆け出しの頃、一人で襲った商隊――――

矢を掻い潜り弓手に肉薄し、勝利を確信した際、

相手が弓を射ずに矢を掴んで刺してきた。

 

相打ちのような形で殺しはしたが、

こちらも腹を抉られてしまった、その時の傷。

 

体に傷を付けた商人と、未熟な自分を心底恨んだ。

 

 

 

 

(クソ、めざとい女だ……傷の事なんて普通聞くか? デリカシーがねぇ……)

 

 

 

 

美鈴は呂晶が盗賊だったとは露程も思わず、

護衛として商隊を守った名誉の傷だと思っているだろう。

 

 

 

 

『私も、神隠し? は、視えるんですけど、気孔はからっきしで……やっぱり、霊宮で修行しないとダメなんですかね』

 

 

 

 

気功家達が『神隠し』と呼ぶ、世界に点在する歪み。

気孔によく似たそれを視認出来る者にしか、気孔は扱えない。

 

視える者が少ないため研究もされておらず、

自然発生したのか、何者かの手によって作られたか、

歪みについては何も判っていない。

 

諸説あるが、『古代の遺跡』という事でカタが付いている。

 

 

 

 

「そんな事ないよ~! 先生なんて、半年でアタシより上手になったもんね?」

 

 

 

 

顔を乗り出し、隣の隣にいる遊珊を覗く。

 

 

 

 

「あら、ホント? 呂晶がそう言うなら、自信付いちゃうわね」

 

 

 

 

頬に手をあてて顔を傾ける。

あざとく艶めかしい動きは遊珊の基本動作である。

 

 

 

 

「 “アレ” を使える弓手は中華でもそういないし、“ソレ” を当てるセンスがスゴイんだ」

 

 

『――――??』

 

 

 

 

二人にしか通じない言葉でワザと話す。

美鈴に疎外感を感じさせるための意地悪だ。

 

 

 

 

「私、アレしか取り柄ないのよ……なんて言うのかしら、性に合ってるのかしらね」

 

 

 

 

遊珊は手をくねくねと蛇行させる。

 

 

 

 

『お二人共、スゴイですね……私なんて、“親には大商人になって帰ってくる~” なんて言って出てきたのに、いつまで経っても下っ端です』

 

 

(誰の許可取って喋ってやがる……お前の貧乏臭い身の上なんてどうでもいいんだよ、空気読んでさっさと爆ぜろ)

 

 

 

 

すると美鈴が、ハタと気付いたように声を上げる。

 

 

 

 

『あっ! 遊珊先輩、お背中流します!』

 

 

「――――ッ!?」

 

 

 

 

呂晶は弾丸のようなスピードで顔を向ける。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Soap land ✛中世中華のお風呂事情②✛

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

『あっ! 遊珊先輩、お背中流します!』

 

 

「まあ、嬉しいわ、お願いしようかしら」

 

 

 

 

美鈴は先輩達に付いて行こうと一生懸命だ、

それが呂晶をイラ付かせているなど、つゆ知らず。

 

 

 

 

『すごーいっ! 先輩の肌、スベスベ……寒天みたい……』

 

 

 

 

二の腕や腰の、柔らかい所を突く。

柔らかな光沢を放つほど白く、触れれば滑ってしまうのに、

指で押すと、しっとり包み込まれるような初めての感触。

 

 

 

 

「それって……褒め言葉かしら?」

 

 

 

 

同じ人間とは思えない未知の物質、

確かに、肌と言うより寒天に近いのかもしれない。

 

 

 

 

『どうしたらこんな肌になるんですか? 美容法っていうか……』

 

 

「特には何もしてないのだけど……普段は研ぎ汁で洗ってるし、体質かしら?」

 

 

 

 

平民は米のとぎ汁や塩、灰などをブレンドし、各家庭でオリジナル洗剤を用いる。

 

対して遊珊が育った『遊郭』とは、

各地から輸送される高級美容品の『最終集積地点』である。

遊女は自分で調達もするし、男客もプレゼントとして貢ぐ。

 

十代中盤から長らく女王に君臨していた花魁・遊珊は、

同僚に分け与えても余る程の在庫を抱え、

それは何故か、遊郭から旅立った今でも増え続けている。

 

先程も世界最高級の布、紫の染料で染められたシルクを貢がれたばかり。

とは言え、肌は少なからず体質も影響している。

 

 

 

 

『えーいっ!』

 

 

 

 

魔性の肌に耐えきれなくなった美鈴は、

遊珊の後ろから伸し掛るように抱きつく。

 

 

 

 

「いやんっ! ちょっと、美鈴ちゃん、抱きつかないで……あっ、もうっ! そこは自分で洗うわ!」

 

 

『だって、気持ち良いんですもん! こうやって、先輩の垢を擦り付ければ……私の肌もおおおぉっ!!』

 

 

 

 

冗談とは思えない顔。

貴族が西方美容品に執着するに然り、

女は美容に対し、時に狂ったような形相を見せる。

 

 

 

 

『あっ! この先輩、イキが良くてなかなか掴めないぞ……よし、掴んだっ! 大漁じゃあああっ! 遊珊エキスを頂くんじゃあああぁーっ!』

 

 

 

 

美鈴は遊珊の肩と腰を持って固定し、

体を左右に擦り付けながら、訳の判らない事を口にしている。

 

 

 

 

「ちょっと、もうっ……くすぐったいわっ! 私は魚じゃないのよ――――ええいっ!」

 

 

 

 

体勢を入れ替え、

今度は遊珊が美鈴を押し倒し、反撃に出た。

 

 

 

 

『うわっ、ちょ……対面(トイメン)! 対面はキツイです! あんっ、顔近いですって! 先輩と私じゃ釣り合わないからっ! 見た目的に釣り合わないからっ! 対面だけはご勘弁をおおおぉっ!』

 

 

「あら? さっきの勢いはどうしたのかしら……抵抗しないなら、好きにしちゃうんだから!」

 

 

 

 

美鈴は恥ずかしそうに顔を手で隠している。

それを良い事に、今度は遊珊が体を擦り付ける。

 

 

 

 

『あははは! くすぐったい! これ、マジでくすぐったいですぅ!! あっはっは……あんっ……!』

 

 

 

 

横隔膜が痙攣して、笑い声が勝手に出てしまう。

 

油脂石鹸と女の肌が擦れ合う “キュッキュ” “ヌルンヌルン” という音が、

公衆浴室に何度も響き渡る。

 

石鹸は古代ローマ、ラテン語で『sapo(サポー)』という丘で羊を焼く儀式を行った際、

偶然にも油と灰が混ざって出来上がり、

それが『soap(ソープ)』という名の由来になったと言われている。

 

 

 

 

(こんの……野郎オオオォ……ッ!!)

 

 

 

 

その光景を目蓋を痙攣させながら、呂晶は怒りの表情で眺めている。

計画していたイベントの一つが、あろうことか雌豚に先を越されてしまった。

 

遊珊と美鈴はジャレ合っているだけだが、

呂晶にとっては『目の前で寝取られている』も同じ。

 

興奮しすぎて右手が股の間に伸びるのを必死で堪えている。

怒りも性欲も、色々と我慢の限界だ。

 

一方、遊珊はおふざけを楽しみつつ、呂晶の表情も見逃さない。

 

 

 

 

(物欲しそうな顔しちゃって……でもダメ、アナタのような子には、”これはタダでしてあげない” )

 

 

 

 

遊珊は中華が三千年に渡り追求し、高めてきた、

武、食、性の三大要素のうち、『性』の集大成である。

 

呂晶の『バイ』などとっくに見抜いている。

そのため、同じ行為であっても美鈴と呂晶では『値段の基準』がまるで変わるのだ。

 

 

 

 

(私の後輩をイジメた罰よ……そこで犬のように、お預けしていなさい……)

 

 

 

 

今も呂晶の情欲を煽りながら、嫉妬で美鈴に辛辣な対応をした呂晶の態度、

それが気に入らないのでワザと見せ付けている。

 

美鈴にはタダで施す『コレ』を呂晶が受けるには、

相応の対価を支払わなければならない。

 

金、才能、家柄、人生――――

遊珊への想いが強くなる程、遊珊はそれを狡猾に要求する。

自らは言わず、相手が自分から差し出すように。

 

呂晶はその内、楊貴妃に傾倒する皇帝が国まで差し出したように、

自分の全てを自分から遊珊に差し出す事になる。

 

性の化身はそうなるまで、止まること無く情欲を煽り続ける。

 

 

 

 

(ふふ……でも、これ以上見せ付けると、私に手を出しそうで怖いわ……)

 

 

 

 

覆いかぶさっていた遊珊は、

優しく美鈴を起こしながら声を掛ける。

 

 

 

 

「ほら、美鈴ちゃん、観念したなら、呂晶の背中も流してあげなさい」

 

 

 

 

虜は、生かさず殺さずが基本だ。

 

 

 

 

『はあ、はあ、はい――――……呂晶さんも、お背中流しますよっ!』

 

 

「えっ……、あ、あ~」

 

 

 

 

呂晶は落ち着き無く、目をキョロキョロさせている。

 

 

 

 

「アタシ、もう自分でやっちゃったんだ……代わりに、アタシが流してあげるよ」

 

 

『良いんですか! ありがとうございますっ!』

 

 

 

 

桶に座った美鈴の背中を、無表情で擦る。

この女を絶対に許さない――――

 

 

 

 

『あっ……ちょっと、痛いかも……です』

 

 

「うっそ、ごっめ~ん! 肌、弱いんだね!」

 

 

『そうなんですよ~、敏感肌っていうか!』

 

 

「それに柔らか~い! ぷよぷよして豆腐みた~い!」

 

 

『もうっ! 非道いですよ、私太ってなんかないです!』

 

 

「アハハッ、ウケるぅー」

 

 

 

 

狂気に満ちた笑顔を浮かべる。

冷静な判断力など残っていないし、そんな物は邪魔なだけだ。

 

黙って帰しはしない、何があっても実行する。

それしか、呂晶の頭の中にない――――



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

垢擦り対決・前 ~中世中華のお風呂事情③~

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

風呂から出ると、敷いてある藁を踏んで足裏の汚れを落とし体を拭く。

三人組の女が着替えを済ませ宿の方に歩いていると、

二人組の女とすれ違う。

 

 

 

 

『花雪商隊長、寒月副長! お二人も、この宿だったんですか!?』

 

 

「まあ、奇遇ですわね……こんばんわ」

 

 

 

 

美鈴(ミーリン)遊珊(ユーシャン)は、この商隊の長と副長、

十八歳で遊珊に匹敵する美女、花雪(ファーシュエ)寒月(ハンユエ)に挨拶する。

 

 

 

 

「こんばんわ」

 

 

「うむ、輜重班の者じゃな。どうじゃ、オリーブの石鹸は試したか?」

 

 

 

 

花雪と寒月は、経営者という立場を意識させず、

気さくに応対する。

 

 

 

 

『はい! とってもキメ細かい泡で、汚れが隅々まで落ちました!』

 

 

「うむうむ! そうじゃろう、そうじゃろう、アレは妾も愛用しておってな、植物とは肌にとっての――――」

 

 

「明日も早い、皆、今日は早く寝て」

 

 

「む……っ!」

 

 

 

 

花雪が講釈を垂れようとした所をユエが切り上げる。

こうしないと延々と語り続け、長くなるからだ。

 

 

 

 

「ええ、ご機嫌よう……」

 

 

『お二人共、失礼します!』

 

 

 

 

美鈴と遊珊が頭を下げ、二グループはすれ違う。

 

 

 

 

「……待て」

 

 

 

 

花雪が鋭い声色で引き止める。

講釈を聞かせる為に呼び止めたのではない。

 

 

 

 

「そこの者……妾に挨拶も無しか?」

 

 

 

 

目付きの悪い虚ろな表情、

長くて、黒と白の斑模様をした髪、背が小さい女。

 

挨拶をしない以上に何か気に入らない、得体の知れない感情が込み上がってくる。

こうやって会話し、同じ空間にいる事すら許してはいけないような――――

 

 

 

 

「ちぃーっす、こんあんあぁー……」

 

 

 

 

呂晶(ルージン)は目も合わせず、明後日の方向を向いたまま、

面倒臭そうな低い声で返事をする。

 

 

 

 

「こんばんわ」

 

 

 

 

寒月はそんな挨拶でも、律儀に返す。

 

彼女は “挨拶はされたら返すもの” と考えているからだ。

それが反抗的かどうかに関わらず。

 

 

 

 

「フン……行くぞ」

 

 

 

 

花雪は髪をなびかせ、しなやかに反転して浴場へ向かう。

 

 

 

 

『し、失礼しまーすっ――――呂晶さん、ダメですよ……あんな態度取ったら!』

 

 

 

 

あの二人は上司であると同時に、皇帝の側近である大臣の娘、権力の最上層。

本来なら口を聞くことも許されない、ほとんど天子の位にいる。

 

機嫌を損ねようものなら、どんなに強い気功家でも国家権力によって処刑される。

どころか、以前『報酬が少ない』と乱暴にゴネた護衛がいて、

その者は、その場で片腕を切断された。

 

あちらも貴族で居続けるため、平民如きに舐められる訳にはいかないのだ。

 

 

 

 

「ダメな事って、興奮してこない……?」

 

 

 

 

美鈴を横目に捉えた目を細め、薄く笑う。

 

 

 

 

『そんな……ダメな事は……ダメ……ですよ……』

 

 

 

 

言葉以上に裏がある言い方だった。

さっきまで普通に話していたのに、なんだか――――気持ちの悪い女だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アレは護衛の者じゃろう――――妾達は貴族なのじゃ、敬意は払わせんといかんぞ、ユエ」

 

 

 

 

脱衣所で服を脱ぎながら花雪が注意する。

 

護衛は粗暴な者が多い、腕が立てば立つ程に。

あの態度の悪さは、商人や輜重兵とは一線を画すものだ。

 

 

 

 

「あんな子、いなかったハズ……」

 

 

 

 

同じく服を脱ぎながらユエが答える。

 

部下の顔は全て確認しているが、

ユエは呂晶を『アンチ楊貴妃な二つ縛りの子』と覚えている。

呂晶がトレードマークの二つ縛りを解いていた為、判別出来なかったのだ。

 

同様に二人も髪を解き、花雪は靭やかなロングヘアーに、

ユエはお団子を “外す” と、ふんわりしたショートボブのような髪型になる。

 

 

 

 

「そうか、お前がそう言うのなら、商人の新人かのう……」

 

 

 

 

裸になり、戸を開けて露天風呂に出る――――

 

裸体を壮大な自然の空気に晒し、風を受け、

自分の匂いや蒸れを、広大な世界に解き放つ行為。

 

部屋の中でそうするよりも羞恥と開放感が折り混ざった、

本当の『裸』になった感触を全身で確かめ、思う存分楽しむ。

 

花雪はスレンダーで、どこまでも伸びる細長い手足に、

長身に似合った非の打ち所もない『顔程もある二つの巨乳』を、

“プルンプルン” と揺らしている。

 

寒月はボーッとした、隙だらけで無垢な顔立ちに眼鏡を乗せ、

それとは全く不釣り合いな『顔程もある二つの巨乳』に、

それすらも上回る、膨らみ過ぎた『桃尻』をピンボールのように弾かせる。

 

完璧な造形の花雪と、歪んでいるからこそ美しい寒月。

二人で並んで歩くだけで、世界中の男の好みを全て網羅してしまいそうだ。

 

『胸が無い』という要素だけは無いが、

『貧乳好き』とは女性への気遣い、そして、

『これからの発展過程』に思いを馳せる趣向であるため、正確には好みとは呼ばない。

 

 

 

 

「確かに、何処かで見た気がしたのじゃが……ん?」

 

 

 

 

気付いた時にはもう遅い。

一度、罠に掛かってしまえば、どう足掻いても回避は不可能だ。

 

 

 

 

「なんじゃ……床がヌルつ、く――――あっ……あーーれぇーーっ!」

 

 

 

 

上品な叫び声を上げながら、スラリと美しい脚を大開脚して、

オーバーヘッドキックをするようにすっ転ぶ――――

 

その花雪を、空中でユエが受け止める。

 

 

 

 

「石鹸の泡、さっきの子達が遊んだ跡……花雪、気を付けて」

 

 

 

 

背の高い花雪を、綿でも持つようにお姫様抱っこしている。

ユエは体外気孔にも、体内気孔にも秀でている。

 

受け止められた花雪は赤ん坊のように体を縮こませている。

 

 

 

 

「言うのが、遅いんじゃ……っ!」

 

 

 

 

二人は慎重に石畳を進み、

湯を浴びてから、改めて桶の上で体を洗う。

 

 

 

 

「まったく、毎度毎度……自分の体を洗うのは面倒じゃのう……のう、ユエ?」

 

 

 

 

体をユエへ傾け、意味深な言い方をする。

 

 

 

 

「ダメ、そこまで面倒見ない、そろそろ着替えも自分でして」

 

 

「妾はお前のように紐が結べんのじゃ~、のう~、ユエ~」

 

 

 

 

甘えた調子で、手拭いを泡立たせながら差し出す。

 

 

 

 

「絶対、嫌」

 

 

「では、こうしようぞ……着替えは妾一人で出来るよう頑張ろう、その代わり、体を擦るのは……」

 

 

「はあ、あっち向いて……」

 

 

 

 

しつこくワガママな花雪に押し切られ、

ユエはついつい手拭いを受け取ってしまう。

 

 

 

 

「やったぞ! 交渉成立じゃ! ほれ早う、早うせい、左肩からじゃぞ!」

 

 

 

 

嬉しそうに立ち上がり、後ろを向いて両腕を浮かせる。

 

花雪は家を出るまで着替えも垢擦りも、身の回りの世話全てを召使いにさせていた。

と言うより自分でする事を禁じられていた。

今時、貴族でも珍しい仕来りを保つ伝統貴族だからだ。

 

普段は偉そうに命令しているのに、

実は一人で着替えも出来ない小娘だと知られては商隊の士気に関わる。

ユエの苦労は絶えない。

 

 

 

 

「こんなの交渉でも何でもない、花雪はいつまで経っても子供……」

 

 

 

 

面倒そうに手拭いを折って立ち上がり、

言われた通り左肩にあて、細長い手に沿って滑らせる。

 

 

 

 

(フン、どっちがじゃ……)

 

 

 

 

『子供』という言葉を投げ掛けられた、大人の色香を漂わせる花雪が、

子供のように顔をしかめる。

 

 

 

 

「妾はのぅ、人に体を洗われるのが好きなのじゃ、くすぐったくて気持ちが良い、自分でやってもこうはいかんのじゃよ」

 

 

 

 

ユエの手が止まる――――

曇った眼鏡の奥から、怪訝な表情で花雪を見ている。

 

 

 

 

「花雪……それはあまり、人に言わない方が良い」

 

 

「どうしてじゃ? あ、脇と乳周りは蒸れる故、念入りに行え、足は指の間も忘れてはならぬぞ」

 

 

「まったく……はいはい、お股も擦って差し上げましょうか、親分?」

 

 

 

 

垢擦りを再開し、“やれやれ” と言う調子で冗談混じりに受け答えする。

 

 

 

 

「うむ、股座(またぐら)は優しく、妾が良いと言うまで続けよ――――特にくすぐったくて、いと気持ちが良い(・・・・・・・・)

 

 

 

 

再び、ユエの手が止まった――――

 

今度は目を見開き、怪訝な表情ではなく、

戦慄するように問いかける。

 

 

 

 

「それ、本気で言ってるの……?」

 

 

「おい、まさか知らん訳ではあるまい? 股を擦られると気持ちが良うて、妾は病み付きじゃよ」

 

 

(なんてこと……っ!)

 

 

 

 

ユエは顔に出さないが、心は激しく動揺する。

自分も大臣の娘だけに経験のあった事だ――――

 

そういった事を周りが教えてくれない、『教えてはいけない』と厳命されるため、

結果、自分がその手の知識を仕入れるのが遅れに遅れる。

そして仕入れる頃には、大抵の場合が『多大な恥』と引き換えになる。

 

常々『花雪は貴族をこじらせ過ぎ』とは思っていたが、

現実は予想を遥かに上回っていた。

 

 

 

 

「判った、これからは私が洗う――――でも、他の人に洗わせてはダメ、絶対ダメ」

 

 

「何故じゃ? 判るよう理由を述べよ、それでは清凌(シンリン)をクビにせねばならん、妾はアヤツ

をクビにしとうない」

 

 

 

 

清凌とは花雪付きの召使いの一人。

歳も近く気配りも効いて、召使いの中でも気に入っていた為、

沐浴の世話をさせている。

 

 

 

 

「理由は話せない、それがアナタの為……」

 

 

 

 

少し考えた後、花雪はある提案をする。

 

 

 

 

「よかろう……ならば全ては、お前の腕次第じゃ」

 

 

「どういう事?」

 

 

「これからお前の与える快楽が、我が家の名人を越えた暁には、奴をクビにする事を約束してしんぜよう」

 

 

「……判った」

 

 

 

 

貴族とはよく、この手の無理難題を賜える。

馬鹿馬鹿しい提案であるにも関わらず、ユエの表情は真剣そのものだ。

 

 

 

 

(花雪は何も判っていない、“それ” は後に、決定的な弱味になりかねない――――)

 

 

 

 

大臣家の娘ともあろう者が、奴隷に股を擦らせ『悦』に浸っている。

他人に知られれば一人で着替えが出来ないどころではない、

計り知れない『スキャンダル』に発展する可能性がある。

 

楊貴妃が後宮でお香を炊いただけで、ワキガと噂されるご時世なのだ。

 

ユエは楊貴妃のように美しい花雪の名誉を守る為、

この秘密を墓まで持っていく事を誓う。

 

清凌という召使いには、後で金を渡して口止めするか、

この世から抹殺しなければならない。

 

 

 

 

(花雪が “それ” を知るのはまだ早い……でも、この子を守り抜くと、私はあの日に決めた)

 

 

 

 

二人で旅に出た日を思い出しながら、

ユエは器用な手先を活かし、花雪の体を清めていく。

 

神経の集中する部分は指先を使い、神経が思わず反応してしまうように

触れるか触れないかの力でゆっくりと長く滑らせる。

そうして受け入れる準備が完了したそこへ、

緩急と強弱を変化させ、手加減せずに擦り上げる。

 

自分であれば、“ここはこうして欲しいだろう” と思い付く、

考えうる限りの方法を、最大限の注意を払って行う。

 

 

 

 

(思ったより難しい……これは自分の体を擦るより、何倍も神経をすり減らせる作業……)

 

 

 

 

大切な人の、大切な身体を清める――――

奉仕する表情は真剣そのものだ。

 

ユエは自分で気付いていないが、

彼女が行っているその作業は『愛撫』に他ならない。

 

 

 

 

「うむ……苦しゅうないぞ、じゃが背中や腰なぞ――――所詮は余興じゃ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

垢擦り対決・後 ✛中世中華のお風呂事情④✛

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

「うむ、苦しゅうないぞ……じゃが、背中や腰なぞ――――所詮は余興じゃ」

 

 

 

 

他人に身体を洗わせながら、

その様子を実況する女子は中華広しと言えどそうはいない。

 

 

 

 

「ほう、そこから足へゆくか……さてはお前、メインは最後に取っておくタイプじゃな」

 

 

 

 

士大夫の娘、貴族のユエが汗だくになっている。

屈辱的な心を少しづつ慣らしていくように嫌悪感がない部分から済ませていく。

 

結局、覚悟の揺らいだまま、

最後に残る “そこ” の部分へ来てしまう。

 

 

 

 

「判っておろうな? 前から後ろへなぞるようにするのが良いのじゃ……後ろから前とかでも、別に、良いが……」

 

 

(花雪、ここを擦る方法はその二パターンしかない、それでは “何でも良い” と言っているようなもの……)

 

 

 

 

いざ、そこに手を伸ばそうとした時――――ユエは重大な事実に気付く

 

 

 

 

「――――っ!」

 

 

 

 

とんでもない失態を犯すところだった。

 

 

 

 

(ここはとても、デリケートな部分……この、目の粗い方の手拭いでは、花雪の大事な所を擦り剥いてしまうかもしれない……)

 

 

 

 

目の細い手ぬぐいに持ち替え、限界まで摩擦を少なくする為に、

石鹸を擦って多めに泡立たせる。

 

大切な者の大切な部分を擦るのだから、

入念な準備を行うのは至極当然で、とても自然な事だ。

 

 

 

 

(いえ、ちょっと待って――――)

 

 

 

 

その時ふと我に返り、

至極当然で、とても自然な事を思う。

 

 

 

 

(私、一体、何をやっているの……?)

 

 

 

 

そして、仁王立ちしながら逃げ出したい緊張に耐える花雪も、

全く同じ事を考えている。

 

 

 

 

(妾は一体、何をやっておるのじゃ……?)

 

 

 

 

体を洗われるのは好きだが、奴隷に股を擦らせ悦に浸る性癖など無い。

 

ユエの性格を考え、あのように言えば

『これから毎回洗ってくれるのでは?』と企んだのだ。

 

いつも冷静沈着なユエを慌てふたせてみたいとも思った。

だが、イキナリ『ガチ』な擦り方をして来た為、

気圧される内に引っ込みが付かなくなってしまった。

 

 

 

 

(え、嘘じゃろ……コイツ、本気でやる気か……? 普通の女なら、気持ち悪くて布を投げ出す所じゃぞ、左曹では一体どんな教育をしとるんじゃ……)

 

 

 

 

ユエは気孔の達人、頭もキレる秀才。

その代わりコミニケーションを取るのが下手で、

その癖、しつこく負けず嫌いな子供臭い一面を持っている。

 

同じ歳で、同じ大臣の娘ではあるが、時々何を考えているのか判らない。

突然、『私のライバルは雷』とか、訳の判らないことを呟く事すらある。

 

そのユエは少しだけ冷静さを取り戻し、

人より秀でた頭を回転させ、この状況を正確に分析する。

 

 

 

 

(よく考えたら、この性癖は花雪の失態――――私が付き合う範疇ではない気がする……)

 

 

 

 

花雪は類稀なる美貌と鍛え抜かれたカリスマ性で、カーストの頂点に君臨する女。

その癖、負けず嫌いでワガママな子供臭い一面を持っている。

 

うっかり本の角で殴ってしまった時など、

その後、毎日ストーキングされ大層、頭を悩まされた。

しかもイキナリ『これからお前は妾の家来じゃ』とか言い出すし――――

 

毎日しつこく言うものだから、

洗脳でもされたように、今ではすっかり定着してしまった。

 

 

 

 

(ここまで擦り上げた私には、もう ”最後までしなければ落ち着かない” という気持ちが沸いている……でも同時に、“ここまで” と “この先” では、私が思う以上に、越えてはならない一線が引かれている気がしてならない)

 

 

(アレ、まだ触っておらんよな?触られておらんのに、触られたような感覚…。寒気がする。股座(またぐら)を擦られるなど、いくらユエであってもゴメンじゃ……妾は敏感な方じゃから、絶対変な声を上げてしまう……それは耐えられぬ恥じゃ……でもコイツ、怒るとけっこう怖いんじゃよな……)

 

 

 

 

花雪は仁王立ちして緊張に耐え、

ユエは背後に跪き、股の間の手拭いを上に向けて構えている。

 

 

 

 

(だからと言って、伝えようがない…… “花雪、俗世じゃアナタみたいな人を変態と呼ぶの” とでも? そんな事実を告げようものなら、プライドの高いこの子は癇癪を起こし、行商を投げ出して引き籠りかねない。私は薄布に包むような言い方が出来ない……絶望的)

 

 

(だからと言って、“ユエ、嘘に決まっておろうが、全くお前は世間知らずの馬鹿じゃのう” とでも言えば、プライドの高いコイツの事じゃ、また本の角で頭を殴られるかもしれん……あの時は気を失うだけで済んだが、いま気孔を放たれでもしたら、妾は一溜まりもないぞ)

 

 

 

 

宋の国家予算、軍事費、銀行、全ての金を統括する最高行政機関『戸部』

 

天子をも越える権力を持ったそれは、宋の第七代皇帝・哲宗により、

法を司る宰相・章惇を中心にした伝統貴族で構成される『右曹』

長官・戸部尚書を筆頭に実力でのし上がった新興貴族で構成される『左曹』

二つに分けられた――――

 

官吏としてそれぞれを取り仕切り、血で血を洗う権力闘争を繰り広げる宿敵同士、

右曹の大臣家と、左曹の大臣家。

 

宿敵同士の家に産まれた、二人の類稀なる才能を持つ娘達、

右曹大臣の娘、傾国のカリスマ、女王『花雪』

左曹大臣の娘、気孔の申し子、文武両道『寒月』

 

ふとした出会いをキッカケに少しづつ絆を深め、

駆け落ちするかの如く家を飛び出し、世界を旅する行商隊の結成に至る。

 

性格も特技も、家柄も正反対だが、

二人で一つを成すその連携能力は、姉妹を越えた、双子の域に達している。

 

 

 

 

 

 

 

 

(こうなったらもう、我慢するしかない……!)

 

 

(こうなったらもう、我慢するしかない……!)

 

 

 

 

 

 

 

 

正反対だから惹かれ合う、磁石のように――――

 

 

 

 

 

 

 

 

『どうもぉ~、湯加減はいかがどすえ?』

 

 

 

 

 

 

「うわあああああああーーーっ!!」

 

 

「キャアアアアアアアーーーッ!!」

 

 

 

 

 

 

旅館の女将が声を掛けると、二人は彫刻のようなポーズで固まる。

 

 

 

 

『あらまあ、泡だらけ……公衆の浴場ですので、遊んで汚すような事は控えて下さいな』

 

 

 

 

“若い子はしょうがない” と呆れるように、

女将は口元を抑えてその場を後にする。

 

女将が去った後、花雪は下にある泡だらけの石畳を力強く指差す。

 

 

 

 

「――――なぜ、妾達が怒られねばならんッ!?」

 

 

「仕方が無い……隊員の粗相は私達の責任」

 

 

 

 

そう言いながら、ユエは二つ持った桶の一つを差し出す。

 

 

 

 

「クソッ! 妾は召使いではないのだぞ!!」

 

 

 

 

二人はせっせと桶に湯を汲み、石畳の泡を流していく。

 

 

 

 

「考えたけど、花雪……やはり体は自分で洗って」

 

 

 

 

その作業をしながら、ユエが真剣な面持ちで口を開いた。

 

 

 

 

「その代わり、股だけは私が慰めてあげる……嫌だけど」

 

 

「それでは単なる変態じゃろうがっ!!」

 

 

「やっぱり、おかしいと思った――――」

 

 

 

 

ショートボブの眼鏡っ娘は、湯気で曇った眼鏡の奥から花雪を睨む。

 

 

 

 

「アイヤ、これはじゃな……」

 

 

 

 

しまった――――

カマをかけられた、ユエはそういう事に鈍いと思っていたのに。

 

 

 

 

「罰として、アナタが私の体を洗って」

 

 

「なんじゃと?」

 

 

 

 

秀才のユエはしつこい負けず嫌い、おまけに秀才特有の悪い癖がある。

気功には気功、武功には武功――――垢擦りには垢擦りで

 

“相手の土俵で相手を蹴散らしたい” という欲求がある。

 

先程の勝負、攻撃しようにも手が出せず、女将の横槍により無効試合となった。

まるで自分が、幸運にも外野に助けられた弱者のような。

あのまま続けていれば自分の方が負けていたと捉えられかねない、

 

ユエにとって到底納得できる物ではない。

 

 

 

 

「良い度胸じゃ――――……」

 

 

 

 

しかし、負けず嫌いに関しては花雪も同じ。

 

『失敗をバネに』『次回頑張れば良い』

そんなゆとりに満ちた戯言は永遠にうだつの上がらない平民の戯言。

伝統貴族はその血統において、どんな些細な敗北すらも許さない。

 

 

 

 

「まさか “股座(またぐら)だけは自分で洗う” などと、興冷めな台詞を吐くまいな?」

 

 

「ええ……私は花雪と違って、臆病なんかじゃない」

 

 

 

 

武術勝負であろうと、権力勝負であろうと、垢擦り勝負であろうと――――

勝負とは『臆した方』の負けである。

 

 

 

 

「なんじゃと!? お前も結構ビビッとったじゃろう! 手拭い持って “プルプル” しとったじゃろう!」

 

 

「ビビってない……邪魔が入らなければ()っていた」

 

 

「虚勢を張りおって、いとおかしじゃ……よかろう、妾のテクでお前を “ヒィヒィ” 言わせてやろうぞ……――――それを寄こせッ!!」

 

 

 

 

どこかで覚えた台詞で虚勢を張りながら、

花雪はユエの手拭いを奪い取り、素早く泡立てる。

 

 

 

 

「えっ……?」

 

 

 

 

そして仁王立ちするユエの背後に跪き、手を上に向けて構える。

 

 

 

 

「いきなり、そこ……? 私の時は……」

 

 

「フッ、知っておろう……妾は、好物は最初に齧り付くタチ(・・・・・・・・・・・・)じゃとな……!」

 

 

 

 

予想外の攻撃――――『初手股ぐら』

 

ユエのプランでは、敏感でない部分を擦られている間にダメージを分析し、

『アソコ』が耐えるに必要な覚悟の量を割り出す予定だった。

 

 

 

 

「それでは、すぐお腹いっぱいになる……栄養が偏る」

 

 

「馬鹿な……嫌いな物で腹を満たすなど、平民のする事じゃ……!」

 

 

 

 

伝統貴族とは、何時いかなる時も圧倒的権力で押し潰すのみ。

小細工を弄するなど矮小な平民のすることだ。

 

しかし――――

 

 

 

 

「……っ!?」

 

 

 

 

いざ『その体勢』で構えると、魔法に掛かったように腕が重くなる。

ユエの立体膨張した巨大な尻が目の前で強烈な威圧感を放つ。

先制攻撃を仕掛けたは良いが、これは自分にとっても諸刃の攻撃だ。

 

 

 

 

「良質な物を少量づつ摂取する、それが最も健康な――――……」

 

 

 

 

ユエの言葉を遮り、花雪は勝ち誇るように告げる。

 

 

 

 

「なんじゃ…… ”ビビって” おるのか、ユエ?」

 

 

 

 

時間稼ぎが見え見えだ。

話している間に心の準備と、声を我慢するための力を集中し、

局部(アソコ)』と『肺』の間に、『腹筋の壁』を形成するつもりだ。

 

だが、それをしようとする事は、“まだ体勢が整っていない” と、

自ら吐露しているようなもの。

 

 

 

 

(ならば今、局部を一擦りするだけで――――……!)

 

 

 

 

ユエの腰は砕け、命乞いの嬌声を上げるながら、

情けなく崩れ落ちる。

 

 

 

 

「……黙秘権を行使する」

 

 

 

 

『ビビっている』ほとんどそう言っているようなもの、

でも卑怯な嘘は付けない。

 

思惑を看破されてしまったユエは、

花雪の腕を跨いで正面に向き直り――――

 

 

 

 

()るなら一思いにして」

 

 

 

 

澄み切った声で言い放つ。

 

 

 

 

「ぐっ……何故、こっちを向く……!?」

 

 

 

 

見えない背後から、いつ手を伸ばされるかと待つのも緊張したが、

行為を見下ろされるこの体勢はプレッシャーが違う。

 

 

 

 

「妾の時は、対面(トイメン)ではなかったハズ……ッ!!」

 

 

 

 

ユエは “時間稼ぎは不可能” と判断、観念して覚悟を決めた。

 

臆した自分の名誉を取り戻すため、突き付けたハズの再戦――――

その再戦の決意が、相手の第一手で早々に吹き飛ばされてしまった。

あろうことか戦いの最中に臆し、盗賊に怯える小娘のように惨めに萎縮した。

 

自分はなんと未熟な武功家だろうか、

どのような恥辱も、この矮小な身には相応しい。

 

その武人としての魂が、丸裸で崖っぷちに喘ぐユエに、

起死回生の『背水の構え』を取らせたのだ。

 

 

 

 

「いつも偉そうな貴女が(かしず)く姿を、上から見下ろしたかったの(・・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

眼鏡の奥でユエの大きく丸い眼が見開く――――

慢心を捨て、己を逆境へ追い込み、魂を高めた今、三度目の失態など起こり得ない。

 

 

 

 

「そんなことを言って良いのか、生娘(きむすめ)……妾は敏感な部分を気遣う心など持ち合わせておらぬ」

 

 

 

 

対して、貴族の逆鱗に触れられた花雪は、

その刺すように鋭い眼光をユエへと突き上げる。

 

 

 

 

「絶望しろ……これは目の粗い方の手拭いじゃ(・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

花雪の脅迫とも言える口撃―――

触れただけで腰が砕け、身体中を痙攣させ、座り込んでしまう、

そんな敏感で鋭敏で繊細な秘部に、

(やすり)のように硬く荒々しい手拭いを構えられる。

 

それは、眼前に刃物を突き付けられる程の恐怖。

 

 

 

 

「確かにこれは、気分が良い――――癖になりそう」

 

 

 

 

それでも主導権は渡さない。

相手の脅迫に一切耳を傾けず、自分の意思だけを投げ付ける。

 

 

 

 

「花雪……早くその白魚のような手で、私の汚い所を悦ばせなさい(・・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

気持ちで負ければ、そのまま負ける気がしたから。

 

 

 

 

「世迷い言を……っ! 妾の真似をしているつもりじゃろうが、身体をピクつかせておっては滑稽じゃぞ(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

一見、威風堂々と覚悟を決めたように見えるユエだが、

こちらに向いた時から、その破裂するほど張りに張った両の太腿が、

不規則な間隔で左右同時に『痙攣』を繰り返している。

 

 

 

 

「そっちこそ、手がプルってる(・・・・・・・)

 

 

「くっ……!」

 

 

 

 

ユエの怯えるような痙攣、

それに怯えるように、構えた花雪の腕も震えと痙攣を繰り返している。

 

 

 

 

「目を逸らすでないぞ……! 今からこっ……この、ま、股座(またぐら)を、擦り切れるほど……ざ、残酷なまでに、激しくこっ、こすっ……擦り……っ!」

 

 

 

 

手拭いが少しづつ上がるにつれ、手の震えが激しさを増していく。

花雪の眉間には皺が寄り、目が真っ赤に血走っている。

 

 

 

 

「こすっ……こす、擦り上げ……きょ、きょ……嬌声、をおおおおぉっ……!!」

 

 

 

 

見下ろすユエは、痙攣し、意志に反して閉じようとする太腿を、

拳を外に反り返らせるよう強く握って耐えながら、

 

その震える目蓋を、キツく瞑った――――

 

 

 

 

 

 

 

 

「でえええええーーーいッ!! なぜ妾がこんな事をせねばならあああああぁーーーんッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

“パーン” という、瑞々しくも乾いた音が公衆浴場に響き渡る。

ついに緊張に耐え切れなくなった花雪が、手拭いを石畳に打ち付けたのだ。

 

 

 

 

「ほら……そうなるでしょ……」

 

 

 

 

助かった――――いや、勝ったのだ

 

少なくとも引き分け以上に持ち込んだのは確実、秀才の名誉は守られた。

強張っていた体の力を抜くと『巫舞』を発動した後のように、

疲れがどっと押し寄せる。

 

 

 

 

「うるさいんじゃッ!! 股座(またぐら)ぐらい、自分で洗わんかッ!!」

 

 

 

 

叩きつけた手拭いを拾い、乱暴にユエの胸へと投げ付ける。

気功の達人は手拭いを横目で捉えながら、

片腕だけを素早く動かし、あっさりそれを掴み取る。

 

 

 

 

「同意、それが最も効率的……」

 

 

 

 

当たり前のことを二人は身をもって確認し、

お互い背を向け合いながら――――

 

自分の一番敏感で穢れた部分を、恥ずかしそうに自分で清めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、美鈴ちゃん――――起きてる?」

 

 

『んん……なぁにぃ~?』

 

 

 

 

『起きてる』と言うより、『揺すって起こした』と言った方が正しい。

 

三人娘は簡易な寝巻きを羽織り、多少の会話を楽しんだ後、

広い部屋に布団を敷き、蝋燭を消して横になっている。

真っ暗で、大きな窓から満天の星々が見える部屋。

 

 

 

 

「そっちの布団、行って良いかな(・・・・・・・)?」

 

 

『え……うん、夜は冷えるもんね……暖っため合お……』

 

 

 

 

旅の疲れからか、端にいる遊珊はすぐ寝息を立て眠りに付いてしまった。

 

中央にいる呂晶は眠れず、

遊珊と反対側にいる美鈴に声を掛けた――――

 

 

 

 

 

 

「ありがと」

 

 

 

 

 

 

――――のでは無い

遊珊が寝静まるまで、身を潜めて獲物を待ち伏せていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

気持ち悪い ~超能力者の恋愛事情③~

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

真っ暗で、窓から星々が見える部屋。

 

 

 

 

「そっちの布団、行って良いかな?」

 

 

『え……うん、夜は冷えるもんね、あっため合おっか』

 

 

「……ありがとう」

 

 

 

 

美鈴(ミーリン)の布団に潜り込んだ呂晶(ルージン)は、

背中から体に響かせるように声を発する。

 

 

 

 

「美鈴ちゃんの家ってどこ? アタシんち、長安で鯉料理出してる」

 

 

『あっ、ウチも漁師……渭水だから近いね。漁師だけじゃ食べてけなくて、農家やってるの……“太公望の魚釣り” 知ってる?』

 

 

 

 

ウトウトしていたせいか、何気無く口にしてしまう。

 

『太公望の魚釣り』とは昔の伝説のことだ。

今から二千年前、周の軍師だった『太公望』は釣り好きだった事から、

しばしば『釣り師』として語られている。

 

軍師の癖に釣りが好き『下手の横好き』という意味だ。

 

今から三百年前の唐の時代、太公望の残した兵法書が注目され、

楊貴妃に傾倒した皇帝・玄宗が彼を称えた事で一躍有名になった偉人だ。

 

現在の宋でもその兵法書は刊行され、

物語風で読みやすい文章が多くの民に親しまれている。

 

 

 

 

「 “呂尚” でしょ、てコトは……磻渓(はんけい)河だ?」

 

 

『そうそう、よく知ってるぅ……』

 

 

「美鈴ちゃん歳いくつだっけ、アタシ二十歳(はたち)……」

 

 

 

 

言葉に合わせ、ピアノを弾くように美鈴の腰を指で叩く。

太公望は死後、尊敬を込められて『呂尚』という名で呼ばれるようになった。

 

『覆水盆に返らず』『柔能く剛を制す』といった故事も、

彼が残したものと言われている。

 

 

 

 

『もうすぐ十九だよ……一つ違いだね……』

 

 

 

 

自分の声を聞き、美鈴はふと我に返る。

 

『十九歳の娘がいる磻渓河の漁師』

実家を探し当てることが出来る、最低限の情報が揃ってしまったように感じた。

何故こんな個人情報を、執拗に聞いてくるのだろうか。

 

でも、眠いので深く考えるを止めた。

 

 

 

 

(気にし過ぎ……太公望の話なんて私が自分から言ったんだし、私もお風呂で色々聞いたし……え?)

 

 

 

 

腰を叩いていた指が下腹部まで降りて来ている。

 

『暖め合おう』とも言ったし女同士でもあるし、

それでも初対面で少し、馴れ過ぎではないだろうか。

 

こういう触れ合いはもっと仲が良くなって、信頼し合ってからするものだ。

 

 

 

 

(これって、やっぱりちょっと……くっつきすぎじゃ……?)

 

 

 

 

背中にほとんどピッタリと、

太腿の間から足を絡めるように――――

 

――――絡める?

 

 

 

 

『ちょっ……ねぇ、冗談やめて……』

 

 

「ええ? いいじゃん、”肌すべすべ~” ってやつ」

 

 

 

 

そう言って服に手を突っ込み、体をまさぐってくる。

触り方が完全に、女同士がふざけてするそれではない。

 

 

 

 

『私……もう寝たいから、そういうのはまた今度っていうか……』

 

 

 

 

“そういう気にさせようとしている触り方”

意中の相手にでもされない限り、特に、

女にされたら最も嫌悪感のある触り方だ。

 

さっきの会話もそうだ、この女は何か気持ち悪い。

気持ちの悪い女が、気持ちの悪い触り方をしながら、気持ちの悪い事を告げる。

 

 

 

 

「アタシね……女の子が可愛く見えて、すごく、“ムラムラ” しちゃうの」

 

 

 

 

訛りで関中、長安周辺出身だと判る。

魚について詳しいなら板前か漁師の家系と予想出来る。

 

似たような出身を偽れば親近感からペラペラと、

取り返しのつかない情報を漏らしやがる(・・・)

教養の無い女は、騙し甲斐が無い。

 

 

美鈴は、横目で背後の気色悪い女を見る――――

長くて、黒くて白い斑模様の髪。

狂気に満ちた表情は、人でなしと言うより化物にも見える。

 

 

 

 

『ね……いい加減、気持ち悪いから止めて、私……き、今日は疲れてるから……』

 

 

「止めてって何? アタシに触られたらキモイって事?」

 

 

 

 

呂晶の声のトーンが変わる、言ってる事がまともじゃない。

言い方も、雰囲気も、触り方も、

女同士がよくやる “それ” とは何もかも違う。

 

女同士でやるそれは、そんな風に『脅すような口調』の相手とは、

絶対しない。

 

 

 

 

『えっと……私、やっぱり、別々に寝たいって言うか……』

 

 

「は? お前にそんな権利あると思ってんのか(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

『えっ……? と、その……』

 

 

 

 

胸騒ぎがする――――怖い、どう返答したら良いのか判らない。

まるで自分が、普通なら巻き込まれない『万に一つの不運』に遭遇したような。

 

得体の知れない気持ちを抱えた美鈴に、呂晶は耳元で語りかける。

 

 

 

 

「アタシ、女の子が大好きなの(・・・・・・・・・)。特にアンタみたいな、媚び売るしか取り柄なさそうな子、もちろん性的によ――――意味判る? アンタ頭パーじゃん」

 

 

『えっと……えっと…………えっと……』

 

 

「アタシバイなの。これからアンタとエッチな事して、アンタ犯すから(・・・・・・・)

 

 

『――――っ!!』

 

 

 

ようやく『半分だけ』理解した。

今の自分の状況は、女同士で寝ているそれではない。

 

夜這いをかけられたんだ(・・・・・・・・・・・)

 

まだ違うかもしれない(・・・・・・・・・・)けど、とにかく身を守らなければ。

 

 

 

 

『その、私……ガチな人はちょっ……――――むぐううううぅ゛っ!?』

 

 

 

 

離れようとした所に背後から伸びてきた左腕。

頬を挟み込まれながら、そのまま右腕も掴まれ、

足は無理やり開かせるように絡み、一瞬で身動きが取れなくなった。

 

蛇が獲物に絡みつくように、あっという間の出来事。

 

 

 

 

『んんっ……! んっ、ふー! ふー! ふーっ……!』

 

 

 

 

顔を腕関節で挟まれ、頬と唇がひしゃげる。

漏れる唾液を止める事すら出来ない、どんどん呼吸が苦しくなる。

 

こちらが力を入れようが、入れまいが、関係無いように、

可動式の人形(フィギュア)を都合の良いポーズに変えるように、

“例え壊れても構わない” かのように。

 

女とは――――いや、人間とは思えない腕力。

岩に挟まれたように微動だにしない。

 

痛い。

 

痛みで息が上がるのに、口が塞がって息を吸えない。

叫ぶどころじゃない、必死に鼻呼吸しないと死んでしまう。

 

 

 

 

「ムカつくんだよ、アタシより良い体した女……この意味も無く張った乳とかさっ……!」

 

 

 

 

叫んで逃げ出したいのに、動けない。

爪先で絞るように、根本から手前に向かって右胸を何度も何度も引っ掻かれる。

 

何かの体術だろうか。

こちらは動けないのに向こうは右手が自由に使える――――こんなの卑怯だ

 

 

 

 

『んーっ! ふーっ! ふーっ!!』

 

 

 

 

呂晶が女に抱く感情は、美鈴と遊珊、花雪と寒月がお互いに抱く感情とは違う、

男が女に抱く愛情とも違う。

 

嫉妬や羨望、憎しみも性欲に変えるドス黒く歪んだ趣向。

『ムカつく女ほど興奮する』という感情。

 

最も信用ならない敵――――それが信頼する味方しか入れない、

好きな男にも見せないような聖域を、気付けば土足で荒らして穢している。

だから女は『レズ』や『バイ』を何より嫌悪する。

 

 

 

 

「ほら、女の子に触られると違うでしょ? こういうの初めてでしょ? アンタごときに言い寄る男は、自分が気持ち良くなる事しか考えてないからね……っ!」

 

 

 

 

呂晶は『自分が嫌悪される方法』をよく知っている。

嫌悪されればされるほど興奮する変態だからだ。

逃げようとする美鈴を押さえ込みながら、耳に言葉を流し込む。

 

 

 

 

「気持ち良いって、”ちょっとでも思ったら” アンタの人生終わりだから……今日から変態の仲間入りさせてあげる……アハッ……!」

 

 

 

 

細くて繊細な、気持ちの悪い指が胸をまさぐる。

蛇に這い回られているような嫌悪感。

 

初めての感覚――――

一生味わいたく無い感触を、ゆっくりゆっくり染み込まされる。

 

 

 

 

『……っ! ……っ! ぁ……ぃやっ!』

 

 

 

 

必死で首を振る、そんなのは絶対にゴメンだ。

今触られている胸も、自分も、そんな事の為にあるんじゃない。

 

 

 

 

「うるせぇ、殺すぞ?」

 

 

『うっ……!? ぐぅああぁあああ……!』

 

 

 

 

頬を挟む腕が異常に隆起する、文字通り歯を立てる事すら出来ない。

女の腕がこんなに堅くなるなどあり得ない、

多分、何かの気孔を使っているんだ。

 

息が吸えない苦しさより、顎が砕かれる程に痛い。

本気で殺されかねない。

 

 

 

 

『がっ……! お、ごぉ…………っ!』

 

 

 

 

違う、このままでは本当に死ぬ――――

 

『相手が可哀想』とか、『骨を砕けたら大変だ』とか、

そういう気持ちが欠片も無い力の入れ方。

 

握力を誇示する為に林檎を握り潰すように、

人形を気に入ったポーズにしようと “ポキリ” と折ってしまう子供のように、

この女は人の顔を、そんな程度にしか思っていない。

 

大切な胸を好き放題に揉まれているが、そんな事はどうでも良い、

胸より命を優先しなければ。

 

力任せにポーズを取らされる前に、自分からそのポーズを取らなければ。

 

 

 

 

 

『……っ!! ……っ!!』

 

 

 

 

動く左手で、締め上げている腕をタップをする。

今伝えられる最大限の降参の合図。

 

それをしたというのに、胸を揉んでいた右手が素早く離れ、

タップしていた腕も掴んで、強引にねじり上げる。

益々苦しい体勢にさせられた。

 

 

 

 

『あっ……! お……あ゛……』

 

 

 

 

死ぬ、本当に死ぬ――――

人間は、顔を腕で抑えただけで殺せるんだ。

 

降参したのに、どうしてそんな非道い事をするのだろう。

一体どうすれば許してくれるのだろう。

 

 

 

 

「声を上げたり、抵抗すれば腕をヘシ折る、判ったか?」

 

 

『……!! ……!!』

 

 

 

 

何度も頷く。

首は動かないが、それでも必死に力を込めて伝える。

 

 

 

 

「そうそう、お前は黙って、アタシの言う事だけ聞いてればいいんだよ……人形みたいにな」

 

 

(早くっ! 早くっ! お願い!! お願いしますっ……!!)

 

 

 

 

ようやく、少しだけ拘束が緩んだ。

 

 

 

 

『ぶはああぁーーっ! はあっ、はあっ、はあ……ふう……ふう……』

 

 

 

 

死ぬかと思うほど苦しかったのに、一気に呼吸が楽になる。

苦しかったのは窒息では無く、顔の圧迫が原因だったのだろう。

 

頭に昇っていた血が急に降りて、貧血のように気分が悪い、

背中が熱い――――

 

肌を伝ってくる体温が、信じられないぐらい熱い。

体温を体の中まで送り込まれているようで、ますます気持ち悪い。

 

呂晶は、顔色の悪い美鈴に伸し掛かり、優しく鼻先を触りながら囁く。

 

 

 

 

「アンタはアタシに、体の隅々まで犯される事を誓う……そうだな?」

 

 

『……っ! ……っ!』

 

 

 

 

感情と九十度違う方向に、何度も首を振るしかなかった。

何をされるのかよく判っていないが、

あんなに苦しい事は――――もう嫌だ

 

 

 

 

(まあ、お盛ん……)

 

 

 

 

静かに契約を結ぶ二人から、布団一枚隔てている遊珊(ユーシャン)

薄く目を開け、心の中で不満をつらつら述べる。

 

 

 

 

(本当は、“私に見てもらいたい” のでしょ……まるで構ってもらいたがってる子供……扱い易いのは良いのだけど、良い加減、あの子少し、うざったいわ)

 

 

 

 

遊珊は誰にでも優しい、でも善人ではない。

 

農家の両親に、奴隷として売り出された事を喜んだ。

親が耐え切れなくなり可愛い娘を奴隷として売り出すまで見下し、追い込み続けた。

遊郭こそ本当の我が家であり、生粋の遊女である。

 

『私に見てもらいたい』とは自信過剰ではなく、計算結果。

呂晶にとって自分は何者にも替えられない、失いたくない相手。

 

今まで、美鈴のようには襲わず『我慢してしまった』ために、

その苦労を無駄にする事はもう呂晶には出来ない。

我慢を続けた投資を回収する為、成就するまで我慢し続けなければならない。

 

だから、“あのように襲われる” といった心配もしていないが、

犬が縋り付いてくるような “発情している” 気配は感じていた。

 

のらりくらり躱すことも出来るが、それも面倒だった為、

今夜は『後輩の美鈴』という『生贄』を用意しておいた。

 

 

 

 

(親を殺して家の権利でも渡せば、すぐにアナタもイキ殺してあげるのに……もう少し狂わせないとダメなのかしらね……)

 

 

 

 

呂晶の才能と、実家の呂礼屋のバックボーンには興味がある。

だが、まだそれを差し出された訳でも無いのに、

気持ち悪いレズの相手など毛頭ごめんだ。

 

自分を安売りするなど花魁のプライドが許さない。

 

 

 

 

(あ、ダメ……もう眠いわ……おやすみなさい、仲睦まじいお二人さん……)

 

 

 

 

すぐ横から唾を混じ合わせる、ベチャベチャと淫靡な音が響いているのに、

遊珊は子守唄でも聞くようにスヤスヤと眠りに付く。

 

眠らないと、明日が辛いから。

睡眠は美容の始りで、美しさは自分の武器。

必要なら牢獄だろうと崖の上だろうと眠り、怠惰を貪る。

 

目的の為なら何でもする、ただし、

世界を食い尽くしても満たされない遊珊に、目的地など無いが――――



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

強制百合 ✛超能力者の恋愛事情④✛

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

無事に契約を交わし、美鈴という奴隷の主人になった呂晶は、

奴隷の美鈴に大きく口を開けさせ、なるべく汚いキスをしながら、

執拗に搾乳するように、美鈴の胸を絞っている。

 

『声を出すな』と厳命したにも関わらず、美鈴に問いかける。

 

 

 

 

「ねぇ、この胸さぁ……どうして、こんなに腫らしてんの……?」

 

 

 

 

手を休めずに話し掛け、”ある事” を邪魔している。

 

 

 

 

『……。』

 

 

 

 

美鈴は目と口をキツく閉じ、意識を閉ざそうとする。

 

 

 

 

「おい」

 

 

『……っ! わっ、わかりませ、あんっ……!』

 

 

 

 

そうしないと声が出てしまう。

力を入れていないと、意思と無関係に横隔膜が痙攣する。

 

声を出してしまうのが許せない為、出さないように健気な努力をしている。

呂晶はそれを邪魔している。

 

 

 

 

「ほーら、絞りしましょうねぇ……この、“生理前で” 腫れたお胸が、“乳絞りしてくれなきゃダメェ~ん” って言ってるもんね……だろ?」

 

 

 

 

目を見開いて、美鈴の顔を覗き込む。

脅しだ。

 

 

 

 

『……は……い』

 

 

 

 

普段より大きく張り、服がこすれても感じるほど敏感になっていた。

誰にも言わないような恥ずかしい事実が、この女には見透かされてしまう。

男なら判らなかった事なのに――――

 

胸を揉まれる程度、女同士なら日常茶飯事だ。

でも、今は気持ち悪くて吐きそうだ。

 

 

 

 

「ほーらほーら、ぎゅーっ……ぎゅーっ……あは、ウケる」

 

 

『うっ……!』

 

 

 

 

悔しい――――

自分の大切な部分を玩具にされて、笑われている。

 

 

 

 

「ここが、くすぐったいんだよねぇ~? ほらほら……」

 

 

 

 

花雪のような絶世の美人のそれに比べれば、

自分の物には価値が無いなんて判ってる。

それでも自分にとっては、どんな宝石より大切な物なのに。

 

 

 

 

「おい、いっちょ前に “ピクついて” んじゃねーよ」

 

 

 

 

勝手にそれを使っておきながら、笑って馬鹿にしている。

 

 

 

 

(この女っ……! 殺してやりたいっ……!)

 

 

『……んっ!?』

 

 

 

 

急にくすぐったい、思わず体が反応してしまう部分を、

指先が深く押し込んだ。

 

 

 

 

『……んっ……んん……っ!?』

 

 

 

 

口を抑える。気持ち悪いのに声が出た。

気持ち悪いから出たんだ。

 

 

 

 

『ふっ……うっ……んん……っ!!』

 

 

 

 

胸を絞った状態から、

今まで触らなかった突起を、爪先で一瞬だけ弾かれる。

 

 

 

 

『……ッ!? ……んんっ!? ふっ、んっ……っ!?』

 

 

 

 

急な突起への責めに意表を突かれ、声を我慢する準備が出来ていなかった。

恥を捨てて口を抑えなければ漏れ出てしまう。

 

 

 

 

(私の、ここ……なんで……なんでこんなに……立って……)

 

 

 

 

ズルイ――――

 

そんな風に触れば、その気がなくても、女なら誰でも声が出てしまう。

指を喉に突っ込まれれば、絶対に嘔吐(えず)いてしまうのと同じだ。

 

 

 

 

『ひあんっ……! う、ああ……』

 

 

 

 

耳を舐められる。

ねちっこく、渦に吸い込まれるように穴の中に舌が侵入してくる。

唾に濡れる嫌悪感で頭が空っぽになる。

 

もう片方の穴は小指を奥まで突っ込まれて、

耳穴に唾液が流れ込む音しか聞こえない。

 

 

 

 

(そっか、これ……この人……そうなんだ……)

 

 

 

 

“女だから全て判っている”

どころか、自分の知らない事まで知っている。

 

自分より性経験がずっとずっと多い。

 

耳穴は脳に繋がる器官。

そこを刺激されると感触と大音量で思考が遮断される。

 

必死に保とうとする思考が、音が鳴る度に振り出しに戻されてしまう。

音が鳴る一瞬、一瞬、知能が動物まで退化する。

 

“気持ちだけは屈しまい” とする、

その気持すらも忘れさせる――――悪魔の囁き

 

 

その間にも主人の指先は、太腿の内を下から上に、

少しづつなぞり上げている。

 

感触だけは感じている――――

でも、それが ”どこに向かっているか” 考えられない。

知能が動物と同じになっているから。

 

心地良い感触が、耳と、下の方から上がってくる事しか判らない。

粘着音がして、心地良い感触。

粘着音がして、さっきより少し上で、心地良い感触。

 

その繰り返し。

 

でも、次の粘着音の後に『一番欲しかった場所』にそれが来る。

 

 

 

 

『……――――っ?』

 

 

 

 

そう思った時、動物だった知能が人間に戻った。

耳から、舌が離れてしまった。

 

だから、それがすぐに判って、

泣きたい絶望が込み上げる。

 

 

 

 

(嘘だ……嘘だ……嫌だ、嫌だよぅ……)

 

 

 

 

絶対に苦しかった、絶対に気持ち悪かった――――

なのに、触らなくても判るほど、少しでも動けば卑猥な音を立てるほど、

股間が粘液を溢れさせている。

 

絶望に染まる脳に、舌の代わりに別の物が侵入してくる。

 

 

 

 

「好きよ」

 

 

『――――!?』

 

 

 

 

驚いて目を開ける。

意味が判らないけど、でも、こうしているという事は、

おそらく、そうなのだろうけど――――

 

 

 

 

「な訳ねーだろ、バーカ」

 

 

『……――――ッ!?』

 

 

 

 

一気に怒りが込み上げる。

色々と不満過ぎて、不満の言葉すら思い浮かばない。

目だけでなく口も開いてしまう程の、呆れた言葉。

 

背後の女を睨みつけようと首を振ったのに、

その顔が、勝手にひしゃげてしまった。

 

こんな顔を相手に見せる為に、振り向いた訳じゃない。

これは只の生理現象。

 

股がグショグショに濡れた時に触られたら、

女はこんな風に、情けなくて縋るような顔をしてしまうのだから。

 

 

 

 

『ふっ……ああぁん……っ!!』

 

 

 

 

だからこの顔を、この女に見て欲しかった訳じゃない。

 

 

 

 

(誤解だ……誤解なの! これじゃあ……これじゃあ……)

 

 

 

 

縋るような顔を自分から見せた。

自分から、”もっとして欲しい” と縋ったのと同じだ。

 

 

 

 

「可愛い声……ほら、舌出して……キスしてあげる」

 

 

 

 

声なんて、出した記憶が無い。

自分の愛液の沼に指を突っ込まれた、粘着音しか聞こえなかった。

 

違う、思い出した――――声を出していた

 

耳穴を犯されていた時から、下から上に上がってくる感触に合わせて、

その時から、動物のようにだらしない声を漏らしていた。

耳穴を犯されていたから判らなかった。

 

この女は胸だけでなく、体の隅々まで教え込むつもりだ。

喉にに指を突っ込めば嘔吐くように、くすぐられたら身を(よじ)るように、

意思と無関係に感じ、反応してしまう、女の体の不自由さを。

 

 

 

 

“ヌルリ、ピチャリ”

 

 

 

 

蛇が口内を這い回るように、唇と舌とを蹂躙していく。

気持ち悪い物が這い回る、その嫌悪感のせいで、

次第に顔と体の筋肉が弛緩して、ボーっとしてくる。

 

だからこの女の言う事に、従順に従ってしまう。

 

 

 

 

「ほら、横になんな……暖っため合お?」

 

 

 

 

手と手を正面から繋がれ、体の全部が密着する。

 

絶対におかしい、許されない――――

今しているこの格好、この手の繋ぎ方は、

”お互い” そうしたい相手だけがする、『愛し合う二人』がする格好だ。

他人を強姦するような外道は、こんな格好をしてはいけない。

 

こんなに優しく密着する格好なんて

――――好きな人ともした事がなかったのに

 

 

 

 

(外道の癖に……外道の癖に……人でなし(・・・・)の癖にっ!!)

 

 

 

 

陶器のように滑る熱い肌。

左腹部に傷がある意外は、幼女のような体。

 

さっき掬い取られたぬめりを、前と前とで繋いだ手に擦り付けられる。

口内だけでは足りないとばかりに、

美鈴のぬめりで、美鈴の指の間を愛撫してくる。

 

 

本当に、本当に、本当に気持ち悪い

 

――――憎い

 

憎くて気持ち悪くて、

もう、目を開けていられない。

 

 

 

 

(何が ”暖ため合おう” だ……! 私は、私はそれで良かったのに……こんな事をして、ほんの少しだけ触って、指を離して、私を、切ない気持ちにさせて……っ!!)

 

 

 

 

欲求不満など感じていなかったのに、

自分で太腿を擦りつけても届かない深い所に、

たまらない切なさを植え付けられてしまった。

 

何でも良いから、刺激が欲しい――――

 

耐えきれないもどかしさから、口内に入ったそれに吸い付いて、

握ってくるそれを握り返し、自分でも気付かぬ間に、

相手の足に股間を擦り付けてしまう。

 

 

 

 

( ”気持ち良い” って、どんな気持ちだったっけ……”気持ち悪い” のと、あんまり変わらないのかなぁ……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

美鈴は何度も何度も、

大刀の柄、その辺りにあった屈辱的な物を突っ込まれ、

望まぬ絶頂を強いられた。

 

声が出てしまいそうになると口を塞がれ、

いつしかそれに安心して声を我慢する事も怠けている。

 

 

 

 

『あぁっ、はあぁん……』

 

 

 

 

完全に弛緩し切って、

嬌声を上げそうになっては塞がれるだけの人形に成り下がった。

考えるのはとうの昔に面倒になり、意識も朦朧としている。

 

 

 

 

『あん、あん、はっ、あぁ……――――ッ!?』

 

 

 

 

休まず続いていた刺激が無くなっていた事に気付き、

急いで口を抑える。

 

 

 

 

「くっくっく、気付くの遅すぎ……」

 

 

 

 

嘲笑されている。

『言い訳の出来ない粗相』を犯してしまったことを。

 

 

 

 

(恥をかかされた……! 一生忘れられないような、恥をかかされたっ! もう嫌だ……!!)

 

 

 

 

責めながら少しづつ口の拘束を緩められ、

気付けば吐息が全て声になっていた。

快感をおねだりする為の、嬌声を上げてしまったのだ。

 

 

 

 

「あはは、判ってるよね? アンタ今、()()()()()()()()()? アンアン言って、必死で自分ん中に急須突っ込んでたぞ」

 

 

 

 

嘲笑している時でも、胸を焦らすような愛撫は継続する。

これさえしていればお前は発情しっぱなしなんだろう、と言わんばかりに。

 

 

 

 

「最低ぇ~……うわっ、ベットベト……次飲む人カワイソぉ~ん、宿の人に謝りなぁ?」

 

 

 

 

わざわざ大袈裟な口調で羞恥を煽る。

 

 

 

 

(最低なのは……お前だ……っ!)

 

 

 

 

拷問のような責め苦。

それを続けていたら受け側が朦朧として少し飽きてきた為に、

暇潰しで『心に一生残る傷』を付けて楽しんだ。

 

 

 

 

「雌豚が急須をダメにしちまったから、次はコイツだ……アタシの唾液がたっぷり染み込んでる……嬉しいだろ?」

 

 

 

 

リュックから太めのキセルを取り出し、

これから中に入れる物を目の前でよく見せる。

料理人が丸焼きにする兎を客の前で披露するように。

 

月明かりに照らし、噛んだ後や焦げた跡、

その細部まで記憶に残るように。

 

呂晶はそのキセルの口先で、美鈴のアバラを撫でながら命令する。

 

 

 

 

「ほーら……入れて欲しかったら “私は女相手に腰を振ってしまう変態レズビアンです” だ……言え」

 

 

 

 

美鈴が眉間に皺を寄せると、何度も零れた涙がまた一筋溢れる。

 

 

 

 

『いや……です……っ!』

 

 

 

 

もうこれ以上、絶対に言いなりにはならない。

あんな恥をかかせた女に、何があっても反抗してやる。

 

でなければこの後、一生、

この恥を抱えて生き続けなければならない。

愛する者と性行為をする度に、今日の忌まわしい記憶が蘇ってしまう。

 

 

 

 

「あぁ? 判った、殺されてぇんだな」

 

 

 

 

乳首を引き千切りそうな程、抓る。

比喩では無い、本当に引き千切るつもりだ。

 

 

 

 

『い゛ぃ……っ! あぎゃ……いっ! 言い゛ま゛ずっ……言い゛ま゛ずっ! わっ、わだ、し……はぁっ、はぁ…っ!』

 

 

 

 

強固な意思がものの一捻りで崩れた。

生死を賭けた行商に参加して、

死ぬ覚悟とはいかぬまでも、怪我する位の覚悟はしていたのに。

 

自分はこんなにも弱くて卑しい人間だったなんて。

 

 

 

 

(しょうがないよ……だって、痛いんだもん……こんなに痛かったら誰だって……無理だよ……)

 

 

 

 

蠢く虫を自ら口に招き入れるような――――

頭がおかしくなりそうな嫌悪感。

 

体の拒否反応を必死で抑え込み、

吐き出すように、言ってはならない台詞を口にする。

 

 

 

 

『わたし、は……ああっん、あ……』

 

 

 

 

口にし出すと途端に優しく、

触れるか触れないのタッチで、胸の下からアバラの辺りに、

キセルを下へ下へ這わせてくる。

素直に従うと、おかしい位に優しくしてくれる。

 

神経の上を通ると体が痙攣して跳ねるのに、

触れるか触れないかの位置を保ち続けるから、

痙攣が止まらない。

 

言おうとする言葉が上手く声に出来ない。

キセル一本で、自分の身体を自由にされている。

 

 

 

 

「アソコに届く前に言いな」

 

 

『おん、ひうっ……なに、あっ、腰、を……振る、うぅ……っ』

 

 

 

 

体が跳ねた時、絶望的な物が視界に映った。

 

 

 

 

(矢傷……あんなに、深く……)

 

 

 

 

憎くて仕方の無い女の下腹部にある、深い傷。

 

 

 

 

(嘘だ……乳首を拗じられただけで、あんなに痛いのに……この女が、この女がオカシイんだ……!)

 

 

 

 

痛かったに決っている。

それでもこの女は自分と違い、自分の意思を貫き通した。

 

強く、誇り高く。

 

それに比べて自分はどうしようもなく、

弱くて卑しい――――

 

 

 

 

『へ、変態……んんっ、ひっ……ひぐっ……』

 

 

 

 

嬌声か、嗚咽か、判らない。

泣きながら感じさせられて、体を玩具のように痙攣させる。

恥辱で、辛くて、辛くて仕方がない。

 

痛い事を避け、気持ちの良い方に流れてしまう体が許せない。

 

 

 

 

『レズ……う、あっ……レ、レズビアンです、あぁんっ!』

 

 

 

 

内股まで降りたキセルが急に上がってきたので最後は一息で言い切る。

なんとか、秘部に届く前に間に合った。

 

同時にそこから、泥水に勢い良く足を突っ込んだような、

大きくて粘着質な音が響く。

 

 

 

 

(どうして…?すごく…すごいのっ!)

 

 

 

 

恥辱の極みのような台詞を言ってしまった瞬間訪れた、焼けるような羞恥心。

そのタイミングに合わせたようにもたらされた、決して感じてはいけない、

仰け反るような鋭い刺激。

 

堪らない、ただそれを突っ込むより、

何倍も何倍も気持ち良い。

 

 

 

 

(こっちの方が良いよ……痛いの嫌、こっちの方が、全然……ぜんぜん気持ち良いの……)

 

 

 

 

口で吸う為のキセルを、変態のように股間に突っ込んでもらう方が良い。

あんなに沢山出たのに、あんな事を言わされたのに、

また沢山沢山、溢れてきてる。

 

これでもっと、もっとキセルで気持ち良くなれる。

 

 

 

 

「うっわ……グッチョグチョだよぉ~? ねぇ、レズビアンの変態さぁん……どうしてなの? スルーって、吸い込まれるみたいに入っちゃったよ――――おい、よがってないで答えろ」

 

 

『きっ…うぅんっ!! きも、ち、良ぃ……っ、です……んっ、んんっ!』

 

 

 

 

嫌いな女の唾液が染み込んだそれを、中に入れては出してを繰り返される。

身体の中の、奥の奥までそれを染み込まされる。

 

朦朧としていた意識がハッキリ戻ってしまった。

意識がハッキリした状態で、体と心が認めてしまった。

 

せっかく手が自由になったのに、口を抑えてもらえないから、

自分で口を抑えなければならない。

 

 

 

 

「何? 聞こえない、今、すっごく強く掻き回してんだけど? これが良い訳ないよね? 馬鹿になってんじゃない? ほら、痛い? 弱くする?」

 

 

『きっ、もち、いぃ…んんっ! す、すごく、イイ、もっ……もっと……』

 

 

 

 

仕方が無い。気持ち良いことは気持ち良いのだから。

痛いのは気持ち良くないから。

 

あと少しで、大きな波が来るのだから。

屈辱にも気付かない位、何も考えられない位、只々これが欲しい。

あとほんの少し、ほんの少しだから。

 

 

 

 

「もっと大きい声で言え、止めるぞ?」

 

 

『遊っ、しゃん……さん、にぃ……っ……きっ……聞こえ……』

 

 

「いいから言え」

 

 

 

 

乳首をつまんで擦ると、

刺激によるものか、恐怖によるものか、

 

美鈴の上半身が魚のように跳ねる。

 

 

 

 

『すごく、気持ち、良くて……っ! き、気持ち良いですっ!! あぁんっ! あぁっ! 気持ちイッ――――んぐぅっ!?』

 

 

 

 

言い終わるとすかさず口を塞がれる、そして薬指が口内に突っ込まれる。

指を噛んで、子宮に力を入れて、沢山快感を貪れるように。

 

 

 

 

「よーし、良く言った……ほら、ご褒美にアタシの指でかき回しまくってやるよ……お前ガバマンだからキセルじゃ細過ぎだ」

 

 

 

 

素早くキセルを抜き捨て、

間髪入れずに三本の指が突っ込まれる。

 

 

 

 

(これっ……! これなら届くの! これなら、これなら……!)

 

 

 

 

キセルが抜かれる引っ掻くような摩擦と、

同時に沸き起こった耐えられない切なさに体が反応した瞬間、

もっと太い物を突っ込まれ、充足感で一気に満たされる。

 

腰を思い切り振りたい、

沢山、身体の中をかき混ぜたい。

 

一番気持ちの良いものを目の前に吊るされたら、

耳を犯されなくても動物の知能になる事が出来る。

 

 

 

 

「そんなに良いのかよ、口抑えてやるから……ほら、ほら、これ好きなんだよな? うわ、すっご……あっ、ああ~……溢れてきた、ねぇ、超溢れてきてるよ? ねぇ、我慢しなくていいんだぞ? 我慢しなくていいんだぞ? ああ……ああ~…」

 

 

 

 

羽交い締めで口を抑えられ、足で無理やり股を限界まで開かされ、

逃げることも動くことも出来なくされて、

これ以上なく顕にされた秘部に、掻き出すように最大限の刺激を与え続けられる。

 

自分では絶対に出来ないような繊細で力強い指先の動き。

それが自分の意志を無視して、

“お前など、どうなろうと知ったことじゃ無い” とでも言うように、

敏感な部分を擦り削ってくる。

 

自分の意志を無視する、自分の限界を越えるような責めなのに、

自分の身体はそれに堪らない快感を感じている。

今までずっと、これを求めて生きて来たかのように。

 

 

 

 

『ふぅっ……! んんっ! んっんっんっ……んんッ!? んんーーッ!! んんーーッ!!』

 

 

 

 

美鈴は足の指を限界まで開かせ、

女とは思えない程の力で仰け反り、のたうち回ろうとする。

 

でも、呂晶がそれを羽交い締めし、微動だに出来ない。

死んでしまうと思うような激しさで、中を掻き出され続ける。

 

 

 

 

『んううぅっ!! んんんっ!! うんぐううぅっ!!ん゛ん゛ん゛ーーーーッ!!』

 

 

 

 

咥えた指を血が出るほど噛み締め、布団を引き千切るほど握り締める。

口が抑えられていなければ隣の宿まで聞こえるような叫び声を上げながら、

美鈴は股間から勢い良く液体を噴出させ続ける。

 

床と壁を、自分の液体で汚していく。

 

 

 

 

『ふーっ! ふーっ! ふーっ……えあっ。はぁ、はぁ、あっ……はぁ……!』

 

 

 

 

呂晶が口から指を引き抜き、

手を振って痛みを払った後、胸糞悪そうに言い放つ。

 

 

 

 

「っ()ぇ……おい、お前ばっかりよがってんじゃねーよ」

 

 

 

(私、何……一体、何を出したの……?)

 

 

 

 

小さい方を思い切り漏らしてしまったと思ったが、お漏らしとは絶対に違った。

尿道を押し広げる圧迫感もなかったし、

出るかもしれないと思った時には、もう勝手に通り抜け、流れ出ていた。

 

どこに力を入れたら止まるのか、止め方の見当もつかない、

その癖、アソコに力が入る度に勢いよく排出される。

まるで体が噴水にでもなってしまったような。

 

敏感で長い管を、水流が内側からなぞる爽やかで優しい刺激。

今まで一度も感じた事が無い、今までで最高の、とても嬉しい刺激。

 

 

 

 

(オカシイよ……こんなに、こんなに沢山……出ちゃったら、普通、何かあるでしょう……?)

 

 

 

 

壁まで飛んだ以外は呂晶にとって珍しくなくとも、

美鈴が潮吹きを体験したのは人生で初めてだ。

 

人生で一番大きな絶頂を、女によってもたらされてしまった。

どれだけ否定しても、美鈴はもう “変態” にさせられてしまった。

 

もう他人に対して、変態と罵る権利の無い人間にされてしまった。

 

 

 

 

「アタシのも舐めろ、犬みたいにがっつけ」

 

 

 

 

口を股で塞がれて驚く、陰毛がない。

まるで幼女のような股間、わざわざ処理しているのだろうか。

何の為に?

 

こんな物を舐めるなんて、本当に気持ち悪い。

それに――――

 

 

 

 

『うっ……んっ、じゅる……』

 

 

(気持ち悪い……なんで、女の子のアソコなんか……うぇえ、変な味……足の裏舐めてるみたい)

 

 

 

 

汚い部分を舐めさせられている事実が、

自分が今、人権を踏みにじられている最中なのだと、

美鈴に思い出させる。

 

 

 

 

「いいぞ……もっと突っ込んで掬い取るんだよ、キレイにしたら吸い付け、デケー蛭が血を吸うみたいに、思いっ切りだ」

 

 

(この人って、まるで……)

 

 

 

 

呂晶の普通の女とは違う態度に、ある人種を連想する。

この脅迫と、言葉遣いと、雰囲気。

 

これではまるで、

 

 

まるで――――

 

 

 

 

(盗賊じゃないか…っ!)

 

 

 

 

必死に股に吸い付き、股の間から見上げると、

 

 

 

 

(何を、吸って……煙草?)

 

 

 

 

自分を尻に敷き、さっき自分に突っ込んでいたキセルにしゃぶり付き、

何かを豪快に吸い込んでいる。

 

 

 

 

「……あっひゃっひゃっひゃ、ぐふっ……ひゃっひゃっひゃ……――――アンタもやる?」

 

 

(阿片……ッ!!)

 

 

 

 

けたたましく笑ったと思ったら、目を虚ろにして話し掛ける。

その目の焦点も定まっていない。

 

 

 

 

(最悪……だ……)

 

 

 

 

自分は、ヤク中の廃人に強姦された。

 

 

 

 

「じゃ~あ~……一番ヤバイのぉ、してやるからぁ……グチョグチョのを擦り付け合うとたまんないのぉ……これ味わったら、アンタはもう戻れない……“こっち側よ”」

 

 

 

 

そう言いながら美鈴の膝を掴み、まだ濡れそぼった股を、

ガバリと、背の高い草でも払うように開かせる。

 

 

 

 

『――――っ!!』

 

 

 

 

内股でピッタリと閉じていた、

まだ微かに痙攣する秘部が一気に限界まで開かれ、

露出した股間に空気が触れる。

 

散々好き放題責められ、無理やり変態に変えられた、

貞淑の欠片に至るまで破壊された “そこ” でも、

強引に開かれれば耐え難い羞恥を感じてしまう。

 

驚きと羞恥が混ざり、

高い所から飛び降りた時のような、内蔵がせり上がるような感覚。

 

なのにその強引な扱いに反応しように、これからされる事に期待するかのように、

また気持ちの良い愛液がじんわり溢れてくる。

 

その美鈴の大切な部分を、布でも扱うように、

呂晶は乱暴に自分の股間へ擦り付ける。

 

 

 

 

「あぁんっ……! ここ、ここぉん……! ここ、最高なのぉ……アンタのここ、アタシのと擦れてるの、判る? ほら、これ好きなのアタシぃ……っ!! 好きぃっ!超好きぃんっ!」

 

 

 

 

堪らなくなった呂晶は立ち上がって背を反らし、

腰を縦横無尽に振って擦り付ける。

 

美鈴を物のように扱い、快感を得るために様々な角度で、

手拭いのように擦り付ける。

 

 

 

 

「ほらぁ……お前も擦り付けんだよ……! ほら、こう、こうだってぇ……グチュグチュ押し付けるんだよぉ……! 馬でオナる時みたいにぃっ!」

 

 

 

 

乱暴にされているのに、さっきの鋭く連続的な絶頂ではなく、

頭がフワフワするような感覚と、じんわりと広がっていく淫靡な感覚。

 

粘液が絡まって、どこまでもどこまでもピッタリと密着し合う。

股間でパンでもこねているような気持ちだ。

 

 

 

 

『うっ……あ、あぁ……っ』

 

 

 

 

ほとんど意識の無いまま、人形のように扱われる美鈴。

それでも呂晶を悦ばせる為に、

ほとんど逆さまのまま、力なく腰を振って擦り付ける。

 

自分がどんな体勢になっているかも、もう判らないけど、

自分が気持ち良ければ、相手も気持ちが良いハズだから。

 

 

 

 

「あはっ、あひゃひゃひゃ……! あっひゃ……アイヤ~~ン……っ!」

 

 

 

 

拷問は日が昇り、美鈴が意識を失うまで続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主人の自分勝手な陵辱は、日が昇り、奴隷が意識を失うまで続いた。

 

 

 

 

「あーあ、もう潰れてやんの、ケツもまだだってのに……ま、一回目じゃ早いか、なあ?」

 

 

 

 

水を勢い良く叩いたような乾いた甲高い音が響く。

布団に対して垂直に寝そべっている、

美鈴の染み一つないキレイな尻に、真っ赤な手形が付いてしまった。

 

 

 

 

『…………』

 

 

 

 

薄目を開けた美鈴、

その口から流れ出る涎が、布団に染みを作っている。

 

 

 

 

「もっかい風呂入るのダルいなァ……ま、いっか! あ~、スッキリした!」

 

 

 

 

ふと、遊珊の方を見てみるが、

寝息を立てて泥のように眠っている。

 

バレてしまいそうなスリルも堪らなかったが、

いっそ、バレてしまいたい気持ちもあった。

 

女同士の痴態を見て、全てを理解した遊珊の顔を想うと興奮して堪らない。

でも、自分にとっては興奮するシチュエーションでも、

自分以外はそう感じはしない。

 

きっと気持ち悪いと思われてしまう。

だから、バレなくて良かったのだろう。

 

 

 

 

(先生の寝顔、超可愛い……スッキリしてなきゃ絶対襲ってたな、こりゃ……)

 

 

 

 

花魁であった遊珊にとって、この程度は睡眠の妨げにはならない。

寝不足は肌の大敵、ならば寝る。

それが出来るからこそ、花魁なのだ。

 

 

 

 

「とりあえず下着交換しとこ……ほら、アタシの履け、アンタが大好きな体液交換だよ」

 

 

『ぅ……ぁ…………』

 

 

 

 

蹴飛ばしてみたが、まともに返事も出来ない。

体を動かそうとする脳の指令が届かず、わずかに痙攣を起こすだけだ。

 

見た感じは大丈夫そうに見えても人間は意外と簡単に死ぬ。

ここで死なれては色々面倒だし、せっかく良い奴隷を見つけたばかりだ。

 

 

 

 

「クソ……おい、頭パーのビッチ、”脱いだら殺すぞ” ?」

 

 

 

 

仕方が無いので、せっせと美鈴人形に自分の下着を履かせ、

耳を掴んで脅しの言葉を吐き出す。

脳の中に響かせ、洗脳でもするように。

 

人間は簡単にコロッと死んだりするが、少し寝かせれば驚くほど回復もする。

家畜であろうと、雌犬だろうと、エンジニアであろうと、

奴隷は『生かさず殺さず』が基本だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜が明けた朝、呂晶にドラッグレイプされた美鈴は、

激しい嗚咽とトラウマに苛まれ、体調不良を理由に行商の辞退を申し出た。

『商人を辞めて、実家に帰る』と泣き喚いた。

 

その様子を見かけた呂晶が、

 

 

 

 

「美鈴ちゃん抜けるの? アタシ心配だから、家まで送ってあげる」

 

 

 

 

と、堂々と皆の前で告げると、美鈴は顔面を蒼白にさせた後、

嘘のように継続を申し出た。

 

“そこまで迷惑は掛けられないから” と――――

 

 

 

 

呂晶は渡し船に揺られ、

朝日が照らす、広大な黄河の先を眺めながら、その事を思い出す。

 

 

 

 

(あーいう、”オラオラ系” に弱そうなツラしてたから、てっきり、そーいうのがタイプと思ったのにさ……)

 

 

 

 

もう少し ”キャッキャ、ウフフ系” にした方が良かったか――――?

 

あんだけヒィヒィ言って、潮まで吹かせてもらって『帰りたい』だと?

まったく失礼な奴だよ。

 

アタシは “夜通し” 責めてやったんだぞ――――!?

『ギブアンドテイク』がセックスの基本だってのに、あの態度はなんだ!

どうしようもねぇわがまま女だ、商人共はみんなお子様だ。

 

でも逃がしてたまるか。せっかく見つけた玩具だ、

徹底的に調教してやる。

 

 

 

 

(そう、アタシは行商中に女を引っ掛けて――――『彼女』を作ったんだっ!)

 

 

 

 

機嫌が悪そうだが調子は良い呂晶に、

機嫌の良いアラサー男、ウェイが話し掛ける。

 

 

 

 

「どうだ、呂晶!? スゲーだろッ! これ、船の中に馬舎もあるんだぜッ!? 俺もこういう船で、海の行商とかしてみてーなぁ~っ!!」

 

 

「ああそうだな……お前ならやれるさ、童貞」

 

 

 

 

子供のように船にハシャぐウェイに、勝ち誇ったように返す。

恋人を作って独り身を見下す行為は、なんとも甘美だ。

 

呂晶にとって恋人とは、出来るのではなく作るもの。

そして集団での旅路では、発覚しないトラブルなど、日常茶飯事である。

 

 

行商五日目・朝――――



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

メンヘラ彼女とラブラブキメセク ~超能力者の恋愛事情③~

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

――気功家。

 

自然現象を操る超能力・気孔。

それを殺人技にまで昇華させた、『気功』を扱う者達。

 

様々な人種と文化が混在する中華においても、

にわかにその存在を信じられていない職業。

 

 

気孔とは、 “神隠し” と呼称された、

世界に点在する歪みを視る才能が無ければ、

体得が不可能とされている。

 

気功を修練する四つの『霊宮』と呼ばれる施設は、

それと繋がりの深い三つの武術門家が、共同運営で営んでいる。

 

入り口は同じく神隠しで隠蔽され、視えざる者には辿り着く事が出来ない。

 

辿り着いた者であっても、

定められた月謝を納めなければ、体得は許可されないが。

 

 

その力を一般人が目の当たりにしても、

『気功』は視えたとしても、『気孔』が視る事が出来ない。

その為か、にわかに信じられない『手品(トリック)』と言い捨てられてしまう。

 

その誤解は、気功家の技術隠匿に一役買っているとも言える。

 

 

だが、気孔を操る気功家達ですら、

自分が扱う力の正体を、科学的に解明してはいない。

 

科学という言葉すら存在しない時代。

 

 

 

 

気孔の実態は、時空を少しだけ操る力。

 

気功家の脳が体へ伝える信号。それは、

人のそれとは少し違い、ほんの少しだけ時空に干渉を及ぼす。

 

それらが体と周囲、自然に及ぼす影響。

 

 

時空をほんの少し早める。

過去の粒子が未来に衝突し、三次元世界で熱を発生させる。

 

時空をほんの少し遅める。

粒子が過去へ囚われ、三次元世界で分子の振動が弱まる。

 

時空をわずかに揺らす。

別次元の電子と干渉し、物質が際限無く電荷され、その逆も起こる。

 

 

 

刹那の間だけ、四次元に干渉する事を許され、

その副産物により、この世界で自然現象を操る。

 

 

 

 

ただし、性格がひん曲がっているせいか、

 

加減速させた時空が、体外に出た途端に反転し、

衝突した時空が、危険な暴発を引き起こす者もいる。

 

 

稀な気孔家の中で、更にその稀な体質を持つ者は、

過去に判明した事例では、全てが女だ。

 

四つの霊宮では、古くからその体質を持つ女に、

『気孔を伝授すべからず』という掟が設けられている。

 

理由は定かではなく、その理由を知る者はもういない。

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

行商5日目、夜――

 

 

 

「ごっめぇ~ん先生!アタシぃ、今日は美鈴(ミーリン)ちゃんと天幕するの!」

 

 

 

簡易な夕食を済ませた後、

野営用の天幕を集積する、輜重班の遊珊(ユーシャン)に、

盗賊から護衛に転身した二十歳の女、呂晶(ルージン)が申し出る。

 

 

 

敦煌から長安への中間地点、蘭州。

花雪象印商隊は今晩、昨日と同様、この地で野営を行う。

 

黄河を越えたは良いものの、海抜の低い地域だけに、

この辺りの道は勾配が多い。

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

森や竹藪に囲まれ、曲がりくねった街道では、

馬車の進みも遅くなり、商隊の速度が落ちる。

 

故に、まだ蘭州から出られていないのだ。

 

 

 

過酷な荒野を越え、気候も過ごし易いものになったが、

コチラはコチラで何かと大変だ。

 

 

 

「あら二人共、ずいぶん仲良くなったのね」

 

 

『あ、あの…は、はい。そうなんです…』

 

 

 

遊珊は、馬車の荷台をまさぐりながら二人に声を掛ける。

 

友人の呂晶を、さしずめ “夏休みの泊まり込みアルバイト” へ誘った身としては、

二人が仲を深め合う様子は、とても微笑ましい。

 

後輩の美鈴が、そういった状態では絶対にしない表情である事を除けば。

 

 

 

「はいっ、一番小さい天幕よ」

 

 

 

遊珊は二人分には小さい、ほとんど一人用のキットを差し出す。

夜はこれを各自が組み立て、軍隊と同様に夜営地を建設する。

 

見張りは体力自慢の夜勤組が交代で行い、

辛いが相応の手当が付く為、志願者には不足していない。

 

 

夜は疲れた体を癒す、安らぎの一時であるハズなのに、

差し出された天幕を見て、美鈴は顔を一層引きつらせる。

 

 

 

『(こんなに…小さい天幕なの…?)』

 

 

 

大きくても結果は変わらない、それは判っている。

 

それでも密着して寝るしかないであろう、頼りない支柱の長さは、

美鈴を絶望させるには十分だった。

 

 

 

 

通常は、大型天幕で10人程度が雑魚寝をしているが、

特に女性はそれが難しい場合もある為、一人用の天幕が常備されている。

 

『雑魚寝よりはマシだから』と、

体調や宗教的な理由を持ち出し、わざわざ一人用を借りる者もいる。

 

更に隊内には、

片方が一人用を借り、もう片方もコッソリ抜け出してきて、

一人用を二人で使う “恋仲のカップル” もいる。

 

 

輜重班にコネがあり、遊珊からも “公認の仲” である呂晶と美鈴は、

堂々と一人用の天幕を要求できる寸法だ。

 

 

 

「ありぃ~(ありがと)。あとさ、“アレ” 分けてくれないかな…?手持ちが切れちゃって」

 

 

「大丈夫だけれど…。アナタ、ちょっとやりすぎよ? 体を一番に考えてね」

 

 

 

アレとは、ケシの果汁を乾燥・精製した、つまりは阿片だ。

 

阿片はイスラム圏からシルクロードを通り、

医薬品として中華にもたらされ、各地で栽培も行われている。

 

 

傷つき、鎮痛薬として処方されている内、日常でも使用する者が現れ、

彼等は独自の吸引方法でこれを摂取する。

 

特に傷つき易い気孔家にはそういった者が多く、

呂晶もそれに漏れず阿片中毒である。

 

 

もっとも、呂晶の場合は戦いに身を置く前から、

本来と違う用途で使っていた阿片愛好家、いわゆる “アヘラ―” である。

 

実家が様々な美容品を扱っていた為、

その中に紛れていた阿片と、その使い方に、早くから精通していた。

 

蔵からくすねては仲間に勧め、

自分と同様に阿片中毒へと仕立て上げ、友人を悪友へと変えていった。

 

 

 

 

純度の高い阿片は、やはりイスラム圏から輸入される。

東のシルクロード、河西回廊を往来するこの行商隊は、

いわば中華に阿片を運び込む、最前線だ。

 

商売品としても、傷ついた者への薬としても、

“阿片が無ければ仕事にならない” という、困った者への迎え酒としても、

結構な量を常備している。

 

千年後であれば、立派な麻薬カルテルだ。

 

 

 

阿片は麻薬だが、この時代の法律『天聖令』では、

それを規制してはいない。

 

だからと言って、蔓延もしていない。

 

民間では、阿片中毒者の異様な形相を見て、

『阿片は塗るのは良いが、吸うと魂が抜かれてしまう』といった迷信が信じられ、

それを吸う者と、それ自体を忌避する者も多い。

 

そもそも、貴重な医薬品を無駄に炊くなど、

平民にとっては金を石に変えるような、無駄な行為である。

 

 

 

遊珊の古巣、遊郭では、

阿片を混ぜた香を炊き、客には判らないよう “媚薬” として吸わせたり、

日々のストレスを紛らわせたり、日常的に阿片と接した生活を送ってきた。

 

同僚の末期中毒者がどうなるかも見てきた為、

そうならないよう、呂晶を心配している。

 

言っても無駄と判ってはいるが。

 

 

 

「判ってる判ってるぅ!先生は優しいなぁ!」

 

 

 

天幕と阿片を受け取った呂晶は、

美鈴の手を引いて、スキップするようにその場を離れる。

 

隊とは少し離れた場所に、

手早く不格好な天幕を設営し、

 

もう我慢出来ないといった様子で、盛った犬のように美鈴を押し倒す。

 

 

 

「ふう…。じゃあ始めよっか?…ああ、美鈴。一日中アタシの下着履いてた気分はどうだった…?報告し合いっこしよう…?」

 

 

 

挨拶代わりに、首筋から腫れ上がった胸に向かい、

優しく手を這わせる。

 

がっつくように押し倒しても、焦らすような責めは忘れない。

 

自分であっても、そうして欲しいから。

 

 

 

『……。』

 

 

 

美鈴は昨日と同じように、なるべく反応はせず、

黙って、早く時が過ぎるのを願う。

 

呂晶もまた、昨日と同じようにそれを邪魔する。

まるで構ってもらいたがっている、子供のように。

 

 

 

「アタシは興奮したよ…。アンタの匂いが付いた下着がアソコに貼り付いて、そこを下から馬に擦り上げられて…」

 

 

 

自分が感じた刺激を表現するように。

美鈴が履いている自分の下着、その背部を引っ張り上げて食い込ませ、

左右に振って擦りつける。

 

自分の下着を美鈴に付着させ、美鈴の成分を自分の下着に付着させ、

二つを混ぜ合わせていく。

 

 

 

「こんな風に…一日中、アンタに愛撫されてるみたいだった。…えいっ!」

 

 

 

昨日の反省を活かして、イチャつく雰囲気を保ちながら、

お茶目に襟の中へと手を突っ込む。

 

美鈴が嫌悪で顔を背けた以外は、女同士では珍しくない光景だ。

 

 

呂晶には少し変わった癖がある。

胸を触る時でも、“服が邪魔になる段階” まで行為が進んでも、

最後まで服を脱がしきらない。

 

右胸を揉む時は左胸を隠し、

右胸の服を戻してから、左胸を顕にする。

 

袴を降ろして、股間に軽く触れてから戻し、

他の所を触ってから、また袴を摺り下げるといった、

“されている方も面倒になる” 行為を繰り返す。

 

 

服を脱がされ、大事な部分が空気に晒される瞬間、

女はどうしても体が一瞬、反応してしまう。

 

感じてしまう。

 

 

 

針で突付くような、小さい羞恥をしつこくしつこく繰り返し、

欲求不満では無かった体、欲求を拒否していた体を、

少しづつ発情させていく。

 

発情させられてしまうと、

今度はそれが、耐えられないような焦らしに変わる。

 

 

 

『あの…呂晶さん、私、ホントにもう…。痛ッ!!』

 

 

 

言いかけた美鈴の顔が苦痛に歪む。

乳首を強く抓られた。

 

言う事を聞かないと、必ずこれをしてくる。

 

言葉が判らない動物に鞭を打つように、

言葉が判るのに、動物のように扱う。

 

いつしか、これをされるだけで、

黙って言う事を聞く時の、合図になってしまう。

 

 

まだそうなっていない美鈴は歯を食い縛り、

意を決して意義を申し立てる。

 

 

 

『女の子となんて、嫌なんです…!本当に、本当にっ!』

 

 

 

昨日の自分と比べ、受け入れてはいけない理由が増えた。

だから今日は、昨日よりも、絶対に受け入れてはならない。

 

 

 

『ホントに、今日は…! そういう気分じゃないんです…!』

 

 

 

責められたせいなのか、

下着を交換して一日過ごした、変態行為のせいなのか、

 

ほんの少し愛撫されただけで、

美鈴の股は、それを待ち望んでいたかのように、

呂晶の行為を受け入れる準備を、必死に整え始めている。

 

昨日よりそうなるのが、ずっとずっと早い。

自分が絶対になりたくない自分に、変わっていく恐怖。

 

だから今日は、昨日よりも、絶対に受け入れてはならない。

 

 

 

ただし、今宵は呂晶も興奮しきっている為、

昨日のようなVIP待遇は行わない。

 

元々イチャつくようなプレイは得意ではないし、

本来の得意分野である “オラオラ系” で、自分を優先して慰める。

 

 

 

「うるせぇ、早く吸い付け。手抜きしやがったら、“お前の腹もアタシとお揃いにしてやる”」

 

 

 

袴を降ろして顔に跨がり、内股で座り込む。

目の前で半分脱げたそれを見て、美鈴は嫌悪の表情を浮かべる。

 

 

 

『(私の下着…ホントに履いてる…。気持ち悪いっ!!)』

 

 

 

闘争本能が満たされないと、性欲を満たしたくなる。

性欲が満たされないと、闘争本能を満たしたくなる。

 

一緒にいると身が持たない。

 

 

だから呂晶は恋人が出来ないし、出来てもすぐに破局する。

 

だから仮初の恋人を、自分で作る。

 

 

 

『(うぅ…。一日中馬に乗って、蒸れてて、お風呂にも入ってないのに…!私のもここに、少し混ざってるんだ…)』

 

 

 

美鈴が吐き気を堪えて奉仕する上で、

呂晶は片手を頬に当て、片手は美鈴の頭を股間へ押し付けながら、

体をくねらせて恍惚の表情を浮かべている。

 

 

 

「最高ォ~。やっぱ、するのもされるのも、即尺に限るわぁ~ん。これぇ…舌で洗い流されてく感じぃ…」

 

 

『(く、苦しい…!苦しいっ!締め付けないでっ!)』

 

 

 

太腿で美鈴の顔を強く締め付ける。

片手ではなく両手で頭を掴み、股間へ擦り付け始める。

 

相手にとっては最悪の体勢だが、いたわる気持ちなど微塵も持っていない。

 

快感が目の前まで来てしまえば、

美しい女性の顔も、愛玩具のそれへと基準が変わる。

 

叫びながら、腰を右へ左へこね回す。

 

 

 

「もっとぉ…!アタシが締め付けたら、ベロ突っ込むんだよ!馬鹿みたいに突っ込んで吸い付くんだよぉ…っ!!デカイ蛭ぅっ!デカイ蛭ぅっ!」

 

 

 

 

 

呂晶は人より頭が良い。

 

何事でも広く深く、様々な角度から追求し、

人よりずっと早く、物事の本質を見極める。

 

 

でも、

 

人より倍の早さで回転する頭が、次々に結論付けていく世界の真実に、

十代半ばで止まった未熟な心は、ついていく事が出来ない。

 

 

 

勝手に考え出しては止まらなくなる、早すぎる頭。

 

次々と明らかになる、辛い現実。

 

 

 

やるべき事は無限大に増殖し、

捨てたくない物まで、次々と火にくべなければならない。

 

 

立ち止まって休みたい。思い出との別れを惜しみたい。

 

 

思考はその時間を与えてはくれない。

 

理性はそれを許してはくれない。

 

 

 

 

 

動物のように快楽を貪り、全部忘れて馬鹿になりたい。

 

男でも女でも、馬でもいい。

 

 

 

そうしなければ、

挫けて立ち止まってしまう。

 

寂しくて、思い出に縋り付いてしまう。

 

 

 

 

 

「う…っ。はぁ、はぁ…!まぁまぁ良かったよ…。昨日より上手くなってんじゃん。頭はパーなのに、こうゆう事はすぐ覚えるんだな?」

 

 

『じゃ、じゃあもう…私、寝ますので…』

 

 

 

這い出て口を拭いながら、美鈴は背を向けて横になる。

呂晶はその髪を掴んでこちらを向かせ、額と額を合わせる。

 

 

 

「まーだそんな事が許されると思ってんのか?」

 

 

『ホントに…今日もずっと寝不足で、辛くて。毎晩こんなの…。最終日まで…保たない…っ!』

 

 

「いけない子だ。“嘘付きは泥棒の始り” だぞ?」

 

 

『嘘なんか…やめて!もう嫌なんです!いあ゛ぁっ!!』

 

 

 

乳首を抓る。

聞き分けの悪い雌豚への、服従の合図。

 

 

 

『ごめんなさい、ごめんなさい…。もう抓らないで…。これ以上抓られたら、伸びちゃう…うぅ…』

 

 

「残念、女には判っちまうんだよ。ホラ、これはなんだ?あぁん…?自分でしてたら、お前も欲しくなっちまったんだろ?」

 

 

『違う…。私は、私は…変態じゃない…っ! アナタとは違う!!』

 

 

 

美鈴の目から涙が溢れる。

出た後に自分で気付き、急いで顔を覆う。

 

男であれば罪悪感に苛まれ、相手を気遣ってしまう仕草。

鈍感な者でも『ここまでだ』と手を引くような、“萎える” 場面。

 

呂晶は鈍感ではないし、そういう場面ほど興奮する。

 

 

 

「最初は嫌な事ってね…?後で癖になるんだよ…。今からお前のココを、お前がしてたように “アタシがする” って考えたら、疼いてくるだろ? 頭を思いっきり締め付けて、好きなだけ腰振っていいんだぞ…?ほら、疼いてきただろ?」

 

 

 

太腿の内側に手を這わせると、

美鈴は恐怖からか、痙攣したように体を強張らせる。

 

 

 

『こなっ、いです…』

 

 

「馬鹿か?触ってんだぞ。ピクついたのがちゃーんと伝わってる」

 

 

『非道い…非道すぎる…。うっ…うぅ…っ!』

 

 

 

(いい具合だ。体力を削って体に染み込ませ、少しづつ洗脳してやる。最後の夜には、自分から股を開かせてやる)

 

 

 

“自分もそうされた事のある” 呂晶は、

経験から、到達可能な目標を定め、

 

自分の欲求を発散させつつも、必要なカリキュラムを施していく。

 

まともな人間を、変態に生まれ変わらせる行程。

 

 

手を這わされ痙攣した美鈴も、

それが恐怖からか、感じてしまったのか判らない。

 

現象としてはどちらも同じ事だから。

 

問題なのは、自分がどちらと思ってしまうか。

 

 

 

「ナメナメが欲しくなっちゃった、しょうがない変態ちゃーん。まずはこっちを吸い吸いしましょうねぇ~?アナタは泣き出すと五月蝿いでちゅからねぇ~?」

 

 

 

呂晶が取り出した “それ” を見て、

美鈴が目を見開き、狭い天幕の中で精一杯後ずさる。

 

“それ” に魂を抜かれる事を、恐怖している。

 

 

 

『お願いします…お願いします…!それ以外なら何でも…むぐぅうっ!』

 

 

 

美鈴の頭を素早く固定し、口の中へ押し込み、

指を擦って炎孔を発生させ、火を付ける。

 

一連の動作に一切の淀みが無い。

日常的に行っているであろう、手慣れた動き。

 

 

 

「はーい、吸って~…吸って~……止めて~…。頭を揺らして~…。おい、鼻から出してんじゃねぇよ」

 

 

 

大きな音がするほど頭を強く叩いてから、鼻をつまむ。

 

昨日の、朦朧とした状態でさせるのと違い、

二回目は、意識がハッキリした状態で行わせる。

 

”カウントしない” とか、”セーフ” といった言い逃れを、出来なくさせる為。

普通の人ではなくなる事を、強く自覚させる為に。

 

 

 

『げほっ!げほっ!いた、痛い…。や、やめて…。吸います…吸いますから…』

 

 

 

例え強要されたとしても、自分から摂取するそれと、

効果は何の違いも無い。

 

 

 

「いいんだよ~素直になりなぁ~?素直になるのは良い事だ。お前は最低最悪の変態になるんだ。アタシと一緒だ…嬉しいだろ?」

 

 

『(どうして私がこんな…この女のせいで、この女のせいで…)』

 

 

 

呂晶は耐え難い乱暴を施しながら、

優しく頭を撫でる。

 

人間は相反する命令を出されると、容易に精神が崩壊する。

倫理観や貞操観念を狂わせ、破壊し、洗脳を行っている。

 

肉体だけでなく、精神の陵辱も緩めない。

 

 

 

 

美鈴の体がゆっくり揺れ始め、

急に魂が抜かれたように、全身が弛緩する。

 

 

 

『(アレぇ?昨日と違う…フワフワして…シーン…ダメ。フワフワ…雲の上…ダメ。私…一度でいいから…ダメ。雲の上で…お昼寝してみたかったの)』

 

 

 

薬物が血管を通り、涙を流す美鈴の脳に到達すると、

瞳孔が開いて、目の焦点が定まらなくなる。

 

一時的に、知能が動物のように退化する。

 

 

 

「コイツはな、吸えば吸う程、このスカ頭を、もっとスカスカにしてくれるんだよ。少しづつ少しづつな…」

 

 

 

それは一時的なもので、

動物だった知能は、やがて元の人間に戻る。

 

一時間後には八割が戻る。

数日後には、“ほぼ” 十割が戻るだろう。

 

 

だが少しづつではあるが、

 

 

 

一回一回、確実に、着々と。

 

 

 

 

 

 

“脳に永遠に回復しないダメージを刻んでいく”

 

 

 

 

 

 

 

「末期の中毒者を解剖したら、脳が小さくなってたそうだ。萎縮した脳は二度と戻らない。今お前は、自分で自分を馬鹿にする為、一生懸命吸い込んでるんだよ、スカ頭」

 

 

 

頭を軽く叩く。

今何をしても、何をされたか考えられない。

 

ただの揺れにしか感じていない。

 

 

 

『(スカスカ…。憎い、気持ち良くて、嬉しい。…憎い、この女が…)』

 

 

「まぁ、今言っても判んねーだろうけどな。ほーら、無駄に張ったオッパイ揉んでやるからなぁ」

 

 

『(この女、嫌い…おっぱい、好き。アソコ濡れる。おっぱい…お前、嫌い)』

 

 

美鈴の虚ろな目が、

体をまさぐっている腕から、それを伸ばしている者へと、

ゆっくり向かっていく。

 

 

 

「アタシが憎いんだろう…? 憎いってのは最高なんだ。お前もすぐに判るよ…」

 

 

 

適当だ。

それらしい事を格好付けて言っているだけで、

特に意味はない。

 

意味の無い言葉をかけながら、

白黒の斑模様の化物が、美鈴の股間に顔をうずめていく。

 

 

 

『(憎い…から…? だからこんなに…。すごく、気持ち、良い…気持ち良いのは…憎い証)』

 

 

 

そういう言葉ほど、相手の心によく残る。

 

 

 

 

 

 

麻薬による脳への作用には、波がある。

 

朦朧とした意識の中、瞬間的に、

冷静な思考が戻る事もある。

 

 

 

 

 

 

『(気持ち…良い……、絶対に殺してやる……くものうえー)』

 

 

 

 

 

ただ、その時の思考は、

波に流され、破壊される脳細胞と共に、

 

二度と思い出される事は無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――行商6日目



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

イレギュラー ~商隊vs盗賊①~

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

――行商6日目

 

 

 

 

 

花雪象印商隊、右翼中列。

 

 

 

「よう呂晶、大分慣れたようだな。今日は顔の艶も良い」

 

 

「まーな!行商なんぞ、楽勝ってなもんだ」

 

 

 

 

 

 

同、輜重班・中後列。

 

 

 

「美鈴ちゃん、大丈夫?顔色が悪いわ」

 

 

『だ、大丈夫…。大丈夫です…』

 

 

「本当?辛くなったら遠慮なく言ってね。同じ輜重班なんだから」

 

 

『ありがとう…ございます…。』

 

 

 

 

『(先輩に相談したい…。でもこんな事、もし言ったりしたら嫌われちゃう…他の女の下着を穿かされているなんて…自分の下着も穿かせてもらえないなんて…!お父さん…っ!もう渭水に帰りたい…!)』

 

 

 

 

集団での旅路では、

発覚しないトラブルなど日常茶飯事だ。

 

でも我慢さえしていれば、目も眩む報酬が得られる。

この長い商隊は、同じ重さの金を運んでいるのも同義なのだから。

 

 

 

花雪象印商隊が、今回運んでいる積荷の総額。

 

その全てを宋で売り払えば、売上は金二万両にのぼる。

極東の島国の通貨、日の本の円に換算して20億円。

 

周辺の小国にでも進呈すれば、何年か属国として従えられる額。

 

 

そこから元値と経費を合わせた二千両、

これを引いた額が利益となる。

 

それを花雪、寒月を始めとする幹部、協賛出資者、参加者で、

三等分する。

 

 

つまり、150名の参加者達は6億円を山分けする。

 

新人と古参、護衛と商人で額は変わるが、

平均的な取り分は400万円。

 

それが一週間の行商で手に入り、往復すれば800万円だ。

 

更に定期便ではないが、花雪隊は敦煌の反対側、

タクラマカン砂漠を越えたウイグル族の国、和田(ホタン)まで事業を展開している。

 

そちらも参加すれば、更に倍の稼ぎが見込める。

 

 

真面目に働くのが馬鹿らしくなってしまう報酬。

 

一度その魅力を知ってしまったら、

麻薬のように、もう後戻りは出来ない。

 

行商人がどこかしら頭がイカれているのは、

この魔法のアイテム、お金の魔力によるものだ。

 

 

 

 

その魔力にも屈していない、成都一の大企業『呂礼屋』のお嬢様、

呂晶はお気に入りのポイントに差し掛かり、目を輝かせている。

 

 

 

 

「あ…。ここって…」

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

黄河中流の沿岸地帯から内陸に入った森林地帯、

通称・虎穴山。

 

この辺りからは街道も整備され、商隊の移動速度も早まる。

今日と明日を乗り越えれば、待ちに待った報酬が頂けるのだ。

 

 

同時に気も緩み、木々のせいで視界も悪い。

左右に転々とそびえる崖上からは、眼下を通る商隊が丸見えだ。

 

 

攻め易く守り辛い場所。

 

呂晶が、死線が、黄巾賊が、

幾多の盗賊が目を光らせてきた、伝統の実績ポイント。

 

 

商人にとっての、最重要警戒地点。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『…花雪殿。』

 

 

 

 

同、先頭。

 

花雪直下の近衛兵。

その一人が、象上の長へと具申する。

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

「妾はお前より高い位置から見ているのじゃ…。まだ待て」

 

 

 

 

正面に一騎。

真っ直ぐこちらに歩を進めてくる。

 

それについての具申と、

既に気付いているという返答だ。

 

 

 

 

 

 

「…前方ッ!!民間人じゃッ!!」

 

 

 

『前方ーッ!!民間人ーッ!!』

 

 

『前方ー!民間人ー!』

 

 

『前方…民間…』

 

 

 

 

正面から、牛車に跨がり荷を運んでいる老人。

“ほぼ” 民間人である報を、後方へとリレー式に飛ばす。

 

 

 

盗賊が民間人に偽装し、隊商を襲撃する。

 

過去に流行した手段ではあるが、

何故か最近では、全くと言って良いほど見かけない。

 

だが、見かけないからと言って、されない保証はどこにも無い。

 

 

荷台に布も掛けておらず、積荷に紛した仲間はいない。

確実に一人。だから民間人の報を飛ばした。

 

 

あの老人が盗賊である確率は、ほとんど無いと言って良い。

馬車に轢かれて死ぬより低い確率だ。

 

たった1人で、150人に勝てるハズが無いのだから。

 

 

それでも襲ってくるのなら、

千年後の未来で言う、頭のオカシイ “通り魔” のようなもの。

 

例え沸いたところで、

すぐに国家権力の番犬が駆け付け、お縄に付く。

怯える程の脅威ではない。

 

 

 

『爺ちゃーん!頑張れよーっ!』

 

 

『へぇ…、なんかすんまへん』

 

 

 

老人は頭をもたげ、すれ違う護衛に挨拶を返す。

見掛けは間違いなく民間人だ。

 

そもそも町を歩いている時にすれ違う相手を、

全て “通り魔かも” と気にしていたら、それこそ町など歩けない。

そんな事を気にする者はいない。

 

 

それでも気孔家は、最大限の警戒を払う。

 

通り魔はお縄に付くまでに、“必ず一名以上を殺傷する”

通り魔と民間人は、どちらも元は民間人。

殺傷したかどうかが、二つを分ける線なのだから。

 

自分が通り魔の被害に遭うなど、万が一の確率だ。

 

それでも万人に一人は、“必ず殺傷される”

 

 

気孔家達が死に物狂いで気孔を体得するのも、

その万が一に、自分が当たらない為でもある。

 

 

 

 

『治安は俺等が守ってやるからなぁー!』

 

 

『荷はなんだい?麦運んでんのかい?』

 

 

『へぇ、へぇ。そうでございます』

 

 

 

 

護衛達はジロジロと睨み付ける訳でもなく、

すれ違う老人に、気さくに声をかける。

 

内心では最後まで灰色だ。

 

 

相手が気孔家だった場合、その一刺しは、

 

 

 

通り魔どころの威力ではないのだから。

 

 

 

一撃で、自分や仲間を木っ端微塵にする破壊力。

 

後になって『ごく普通の老人に見えました』では、

到底済まされないレベル。

 

 

 

気孔という超能力を操る、臆病な強者達は、

臆病だからこそ、強者なのだ。

 

 

 

 

 

「(この爺、いつも麦運んでやがるな…。どんだけ麦好きだよ。いや、逆に嫌いなのか?)」

 

 

 

 

 

呂晶もその例に漏れず、すれ違う老人を目で追いかける。

 

ただ、この手の者は盗賊では無い。

 

この間まで盗賊だったのだから、

最もそれを見極める能力に長けている。

 

 

と言うより、

自分が盗賊をしていた時、品定めした老人だ。

 

 

 

 

「(あー…。なんかラーメン食いたくなってきた…)」

 

 

 

 

護衛達が注視する最中、一人だけ視線を前に戻す。

 

 

 

違和感を感じる。

 

 

 

戻した軌道の途中、やや上方、

木の葉が数枚、舞い落ちていた。

 

 

一箇所だけ。

 

枝に重い物が乗っていて、それが急に落下したような。

 

 

 

 

もう一度そこに目を向ける。

 

黒い物体が二つ、地面に落下したようだった。

 

 

 

 

 

「おいウェイ、アレ “盗賊” だぞ…いいのか?」

 

 

「あぁ…?つまらん冗談は止めろ。ありゃどう見ても麦好きの爺だろう」

 

 

 

 

老人から呂晶に向き直ったウェイは、

呂晶の指が差し示す方向へ、視線を向ける。

 

 

 

 

「いや待て。……まずいッッ!!」

 

 

 

 

 

イレギュラー。

 

普段なら遠方で発見し、弓兵の一斉射撃で迎撃すべき盗賊。

それが気付かれぬまま、隊列の横腹深くに侵入していた。

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

万全の体制を敷いていれば、滅多に起こらない事態。

それでも、いつか必ず起こる事態。

 

不運にも呂晶は、最初の戦闘でそれに遭遇した。

 

 

 

 

 

「右翼ーーッ!!賊ーーッ!!数ッ、弐イイイィッ!!」

 

 

 

 

 

ウェイが発見の報を飛ばす。

 

待ち伏せていたのか、

たまたま木の上から偵察していて、そこを商隊が通り掛かったのか、

それは判らない。

 

 

それでもあの黒装束は、間違いなく盗賊。

全員が老人に注目した、絶好の好機に襲撃を掛けた。

 

通り魔が最初の犠牲者に襲い掛かるように、

こちらに向かって駆け出している。

 

 

 

 

 

「おい、ウェイ!!叫んでる場合じゃねーぞッ!!」

 

 

 

 

 

射程に入った賊が急停止する。

一人は “それ” を邪魔されぬよう、盾を構えて守っている。

 

もう一人は姿勢を低くし、身を捻ったまま両掌を腰にあて、

いわゆる “カメハ○波” の体勢を取っている。

 

 

子供が遊びでしていれば、微笑ましいポーズ。

 

気孔家にとって、何よりも恐ろしいポーズ。

 

 

 

 

 

『右翼ーッ!!賊、弐ーッ!!』

 

  『右翼ーッ!!賊、弐ーッ!!』

 

 

 

『右翼ー!賊、弐ー!』

 

  『右翼ー!賊、弐ー!』

 

 

 

『右翼…賊…』  

 

  『右翼…賊…』

 

 

 

 

 

ウェイの発した報が、前と後ろに伝わっていく最中、

声に合わせるように、賊に赤い気孔が収束していく。

 

それを見た呂晶は、柄にも無く叫び声を上げる。

 

 

 

 

 

「ありゃ烈火だッ!!おいッ!!烈火を溜めてやがるぞッ!!」

 

 

 

 

 

――烈火暴焔波

 

球体状に収束した炎孔を、両掌から撃ち出す。

最もポピュラーな炎功であり、気孔で “最強の威力” を誇る大砲。

 

その炎の塊は質量を持ち、ライフリングによって貫通力を高め、

人ひとりを木っ端微塵にしても止まらない。

 

 

弱点は弓と同様、威力を保てる距離に限界がある事、

そして、高熱と大砲級の威力を発するまでの、“溜めの長さ”

 

全員が虚を突かれた状況では、どちらもクリアしている。

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

「弓隊が間に合わない…構えろッ!!俺達で軌道を変えるぞ!!」

 

 

「クソッタレぇええええ!!初仕事が壁かよォオオオオッ!!」

 

 

 

 

二人は馬をそちらに向け、背負っていた槍と矛を抜いて構える。

下馬している暇は無い。

 

 

 

ニトロの入った容器に、火を付けて投げるようなもの。

破裂した瞬間、炎と爆風を撒き散らす。

 

容器自体の強度もまちまち。

岩のように重くて硬い玉もあれば、空気との摩擦で破れる風船もある。

 

 

 

烈火暴焔波への対策は、

 

第一に、撃つ前に攻撃する。これはもう不可能だ。

 

第二に、避ける。とにかく遠くへ。

 

ただし、背後の商人達は避ける事が出来ず、

それを守る護衛も、この対策を取ってはならない。

 

 

第三の対策。

 

薄い方は武器の先端で弾けさせ、爆風より早く飛び退く。

硬い方はこちらも炎孔を集中し、弾いて強引に軌道を変える。

 

前者は軽いため弾速が早く、後者は重いため弾速が遅い。

放たれた瞬間、どのタイプか瞬時に見極める。

 

 

ただし、あくまで “比較的” であり、そうそう勘は当たらない。

 

野球で言うストレートやチェンジアップもある。

術者の性質によっては、カーブやシュート、ナックルさえもあり得る。

 

 

更に細かく分けると、

単体:火矢<火弾、貫通:烈火<熱風、広域:狂暴<炎洸など、

 

暴焔波系列は、種類もランクも覚えきれない程に数が多く、

しかもそれらが、“ほとんど同じ体勢から放たれる”

 

 

“防御など滅多に成功しない”

 

 

防御をしくじれば、大火傷を負うか、体が弾け飛ぶ。

 

 

 

 

 

 

呂晶とウェイは二人の中間、

賊の視線の先に、一馬身ほどの間隔を開ける。

 

背後の守るべき商人、そこまでの軌道を解放したのだ。

 

賊が釣られてここに撃ち込めば、

槍と矛をクロスして打ち上げ、高確率で上に軌道を逸らせる。

そのまま走り去れば、破裂しても爆炎ダメージから逃れられる。

 

 

だが、それが成功するのは、二人の中間に撃ち込まれた場合のみ。

それ以外なら確実に大惨事が起こる。

 

 

 

 

「(火傷は嫌だよぉ…!!火傷は嫌だよぉ…!!)」

 

 

 

 

夜も眠れない、ヒリヒリと蝕まれるような痛み。

最低でも顔は死守する。ていうか、ヤバそうなら避ける。

 

肌が醜く爛れるなどゴメンだ。

そうなる位なら、後ろの商人共が死ねばいい。

 

 

 

 

二人の武器の切っ先から火花が迸る。

 

導火線に火が付いた、ロケット花火を握っているような、

今にも逃げ出したい嫌な感覚。

 

 

 

 

賊の炎孔が収束し、第二の太陽が生まれようとした瞬間、

 

 

 

 

 

一本の矢がそれを貫く。

 

 

 

 

 

『…ッ!? ぐああぁっ!!』

 

 

 

 

 

賊の “真横” から飛んできた矢は、

収束した炎孔に直撃し、爆発霧散させた。

 

熱を発生する直前だった為、ダメージは少ない。

だが、出鼻を挫くには十分な一撃だ。

 

 

 

 

 

「今のは!…先生かッ!?」

 

 

 

 

 

賊と反対側、隊の後列を振り向く。

 

馬車の上に立つ輜重兵の姿。

視線とは違う方向に弓を構え、止めていた息を小さく吐き出している。

 

 

賊の視界の外、長い隊列と“平行” に飛んできた一矢。

 

護衛全員が虚を突かれた中、

突かれていたから放った、輜重兵の差し出がましい一矢。

 

痒い所に手が届く、気配りの達人・遊珊らしい一矢。

 

 

 

 

 

「(号令もないのに撃って良かったかしら?呂晶が指す方に盗賊さんがいるんだもの…。ビックリしちゃったわ)」

 

 

 

 

 

――抗魔弓術・霞の曲射

 

矢先に細く研ぎ澄ませた気孔を付加し、擬似的に二股、三股にした矢を放つと、

不思議と、気孔が集中する経脈や急所に誘導される現象が起こる。

この現象を利用したのが抗魔弓術。

 

誘導と言ってもほんの少し、ダウジング程度のおまじない。

 

“一寸ズレていれば死んでいた所” を、“死んだ” にする為の矢である。

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

炎孔消失を確認した遊珊は、

周りに小さく会釈をしながら、恥ずかしそうに馬車へ座り直す。

 

気配りの達人は、出しゃばらない。

 

 

 

彼女が得意とするのは、『曲矢』と呼ばれる技術。

 

遊珊は弓を引く力が弱い為、

矢尻から炎孔を噴出し、殺傷レベルまで弓威を高めている。

 

噴出する炎孔を利用して、飛翔角度を最大60度までカーブさせる。

 

相手が避ける方向を先読みすれば、

さながらミサイルのように敵をホーミングする、遊珊の奥の手。

 

 

曲矢自体は気孔家にとって容易だが、コントロールが難しく、

操るには、威力の代わりに繊細な気孔技術が要求される。

 

矢先に研ぎ澄ませた抗魔、矢尻に停滞噴出炎孔など、

聞いただけで目眩のする神経を刷り減らす作業。

 

遊珊はこれを、動かない三つまでの的であれば、三本同時射出で命中させる。

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

本人が言うように性に合っており、呂晶の爆発加速に然り、

気孔家はこの手の “性に合っている” を手に入れた時、

短期間で信じられないような成長を遂げる。

 

 

 

遊珊と並走している美鈴は、その美しい仕事ぶりを目の当たりにして、絶望の表情を浮かべる。

 

 

 

『(先輩、なんて事を…っ!あの盗賊が…、あの女を殺してくれたかもしれないのに…っ!!)』

 

 

 

『クソッ!!もう一度行く…!曲矢に気を付けろ!!』

 

 

 

炎孔使いの賊が、小指のちぎれかけた手で、

もう一度、烈火の体勢に入る。

 

 

 

『応ッ!…いや待て、“例の女だ”!!』

 

 

 

 

 

 




この5章ではゲーム開始1年位の設定です。
その為、ここでは烈火が最も強い技で、それ以上は文献はあるけど、
使い手は滅多にいない(カミタケくらい)形にしてます。

虎穴山の戦いについては、丁度この動画がそこから長安までの戦いになっています。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7389838

10年位前の動画ですね。ゲームが始まって3年くらい経った頃です。
なので、EU(ヘレン達)もガンガン参加してメテオやアースクエイクが飛び交っています。
盗賊ユーザーイベントという事もあって、盗賊がメチャクチャ多いです。丁度象もいますね。

開始当初は商人⇔盗賊のスイッチがその場で出来ました。民間人に偽装して襲うやつですね。
さすがに少しすると修正され、一定時間かかるようになり、ついにはスイッチに一週間かかるようになりました。なので、「最近は何故か見かけなくなった」手法です。

虎穴山はゲーム開始当初は最も激戦区でした。
レベル問わずいつも沢山の盗賊が目を光らせていたものです。
作者もレベルも低いのに見物がてらよく行ってました。

たむろしてると辻斬りみたいな護衛が現れて、全員斬り殺していったり、
すると更に強い盗賊が現れてやっつけてくれたり、とても楽しかった記憶があります。
ですが小説と同じで、1年も経つと閑散としてしまい、
昔の思い出に縋って一人で虎穴山に張り込み、寂しい思いなんかもした場所です。

こちらの小説では150人に二人の盗賊が挑んでいますが、
この時期は盗賊がとても少ない時期で、ここまではいかずとも似たような感じでした。

それでも活動していた盗賊はごく少数いて、やはり無謀な戦いを繰り返していて、
彼等はなぜそんな無謀な戦いを続けていたか、
次の次?辺りで、作者なりの見解を表現したいと思っています。


抗魔はゲームではクリティカル率アップの技です。
気功を消すような効果は無いのですが、名前が気功の相殺に適してそうだったので。
三つの的に三本同時射出も、そういう技があります。

遊珊はいわゆる、知型(気功重視)の弓使い、『知弓』になりますが、
これはゲームで最も弱い組み合わせでした。

弓は魔法攻撃力が低く、クリティカル技が多い武器ですが、
クリティカルは物理攻撃力に依存するため、知型では弓の性能を発揮しきれません。
しかも気功と弓では遠距離技が重複する為、意味がないのです。

それでも知弓の人は一定数いました。
結局、知弓が弱いというのは知弓の人が育てた結果、判る事なのですね。
最弱キャラを育ててしまったら、大抵辞めるか作り直しです。

このゲームも昨今のゲームの例に漏れず、むしろ先駆けというか、そういうのが多いです。
正解以外はほぼ外れで、その正解もアップデートでいきなり変わったりします。私はこういうのが大嫌いです。格ゲーの微調整でキャラ人気を操作するみたいな。

弱くても他にない取り柄がある、そういうのが楽しいと思うのですが、
おそらくそういう要素は、あまり商売に適さないのでしょう。

だからeスポーツはオリンピックで認可されないのだ、と個人的に思っています。
この辺りがタイトルのdifferentiam(ラテン語で論理否定)の由来ですね。

そんな事もあって、知弓に何か一芸を加えたい、そう思って付加した要素が
『曲矢』になります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

狂雷 ~青雷瞬く戦場に近付く無かれ~

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

『クソッ!!もう一度行く! “曲矢” に気を付けろ!!』

 

 

 

炎孔使いの盗賊が再度、

気功最強の大砲、”烈火” の体勢に入る。

 

 

 

『応ッ!……いや待て、“例の女” だッ!!』

 

 

 

右翼護衛から見て左方、賊から見て右方に人影が見える。

 

 

人影が稲光のような残像をなびかせると、

10歩(16.6メートル)はあろう距離を一瞬で跳躍し、

賊の側面、気功の射程距離まで躍り出た。

 

 

この隊の副長、寒月(ハンユエ)が援護に駆けつけたのだ。

 

だがそれ以上に、呂晶を驚かせた事がある。

 

 

 

 

 

「なんだっ!? …ウェイ、ウェイッ!今の、神歩みたいな動きだったぞ!」

 

 

 

 

 

――雷功、鬼影神歩・幻影

 

地面に電磁レールのような雷孔を走らせ、

その上をリニアモーターのように瞬間移動する。

 

全気功中、最も使用者が多い気功。

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

「“みたい” じゃない、アレがお手本だ。お前のは短すぎて横っ飛びと変わらないだけだ」

 

 

 

 

烈火の脅威が去った為、ウェイが安心して解説する。

 

呂晶も神歩幻影は使えるが、

射程が数メートルしかない為、自分で動く方が正確なのだ。

 

それでも、一生懸命練習したのに。

 

 

馬鹿にされた呂晶は、子供のようにふてくされて言い返す。

 

 

 

 

「じゃあ…、ウェイもアレくらい出来んでしょうね?」

 

 

 

 

ユエの神歩幻影は、女性の軽い体重を活かし、

ウェイの最高飛距離の1.5倍、20メートル強の長さを誇る。

 

神歩幻影の最中に、更に神歩幻影を敷設するウルトラC、

『神歩・臂影』に迫る飛距離を、それをせずに安定して実現させている。

 

 

リニアモーターと言っても、

左右の案内コイルに相当する物は存在しない。

 

故に、神歩幻影は方向と距離調整が難しい。

 

 

高出力モーターがついた(ボード)に乗り、

階段の手摺りを滑り降りるようなもの。

 

調子に乗って長距離を飛ぶと、バランスを崩して派手にすっ転ぶ。

障害物があれば勿論、止まる事なく激突する。

 

 

逆にそのスリルと疾走感が堪らない。

 

故に、頭のイカれた気孔家達に最も人気がある。

 

 

 

 

「出来る訳ないだろ。“本来は” ああなんだ…おっ?」

 

 

 

 

そのユエは、眼鏡の位置を整えてから、

大きく足を広げ、左手で掴んだ右腕を伸ばし、雷孔を集中させる。

 

二名の盗賊も、ユエを優先してターゲットにする。

 

 

 

 

 

『殺るぞ!! “あの女さえ” 片付ければ…!!』

 

 

 

 

 

彼女がこの隊商の大黒柱と知っているのだ。

 

ユエさえ始末すれば、今回は荷を奪えなくとも、

襲撃を繰り返す度、この隊は疲弊し瓦解していく。

 

この盗賊達の読みは正しい。

 

 

 

ユエと炎孔使いの賊は向かい合い、ほぼ同時に “溜め” に入った。

盾持ちの賊は間に入るように構え、炎孔使いを守っている。

 

 

二対一だ。

 

 

その様子を観戦するウェイは、

まったく焦りもせず、目を細めて不敵な笑みを作る。

 

 

 

「フッ…、勝ったな」

 

 

「は…? あんたキモイんだけど。きゃあッ!!」

 

 

 

連続的な閃光。

呂晶が女の子のような悲鳴を上げる。

 

ユエの体から、何本もの稲妻が鞭のように伸び、

周囲の空間を叩きながら、球体状に収束されていく。

 

腕を伸ばしているのは、自分への予期せぬ感電を防ぐためだろう。

 

 

そしてユエの方が、賊よりも気孔の収束が早い。

 

 

 

 

 

「よっこい…しょぉおおッ!!」

 

 

 

 

 

年寄りのような掛け声を上げ、二本の指をまっすぐ賊に突き出す。

親指は距離を測るためか、垂直に立てている。

 

ユエの指先が強く発光すると同時に、盗賊二名に “野太い” 稲光が炸裂した。

 

 

 

 

 

『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛…ッ!!』

 

 

 

 

 

前に出ていた賊が濁った悲鳴を数秒上げ、力尽きた。

 

吹っ飛ばされる訳でも無く、崩れ落ちるでも無く。

バランスの悪い人形を、ウッカリ触って倒してしまった時のように。

ピクリとも動かないまま、雷を受けたままの姿勢で倒れ込む。

 

 

人が倒れると、これほど大きな音がするのか。

 

そう思う程の勢いで、100kg近くある身体を、

重力のまま地面へ叩き付ける。

 

 

 

即死だ。

 

盾を構えた所で、雷を防御出来る訳もない。

 

 

倒れた衝撃のせいか、耳からドス黒い血が流れ出る。

 

服の隙間からも、同じくドス黒い煙が立ち昇っている。

全身が焼け焦げているのだろう。

 

遠目から見ただけで、体表にあれだけのダメージを確認出来る。

 

身体の内部を走った野太い雷が、筋肉や内蔵、心臓、脳を、

どのように傷付け去って行ったかは、想像に難くない。

 

 

この惨たらしい物体を誰かが見たとして、

可愛らしい18歳の小娘が作り上げた芸術だとは、とても思わないだろう。

 

 

 

だがそれ以上に、呂晶を驚かせた事がある。

 

 

 

 

「雷功使い…!しかも、“青い雷”!」

 

 

 

 

才能が無ければ、

いくら修練を積んでも扱えない気功。

 

 

中でも最も体得が難しいとされるのが、雷功である。

 

 

その雷功の華型とも言える「狂雷百虎陣」

更にそれを何本も収束して撃ち出すのが、ユエの放った『狂雷千馬陣』である。

 

 

 

下位の十狼陣、百虎陣までは、日の光のような黄色をしており、

“青白い光” が千馬の証である。

 

気孔家達は、色が変わる理屈までは判っていないものの、

 

 

 

『青雷瞬戦場対近付無 (青雷瞬く戦場に近付く無かれ)』

 

 

 

そう師父から教え込まれる程に、

青い雷功・千馬陣は、畏怖の対象とされている。

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

色が変わる実態としては、電撃の周波数が関係している。

 

持続が長い千馬陣は、空気中の窒素と反応を繰り返し、

その波長が青色のスペクトルを形成する。

 

 

夕日と同様に、距離が離れればスペクトルは赤方偏移を起こし、

千馬は遠くから見れば、赤みがかった紫に見える。

 

 

青く見えるのは、同じ戦場に居る者だけ。

 

 

師父達が口を酸っぱくして、偉そうに弟子に説教している、

“青雷瞬く戦場近付くなかれ” という状況は、実際には存在せず、

 

青い雷を見た時には、大抵の場合が手遅れなのだ。

 

 

 

 

 

『ぐうぅ…っあああぁ…!』

 

 

 

 

 

即死した盾持ちの賊の背後、

炎孔使いの賊も感電し、肩を抑えてよろめいている。

 

致命傷とまでは至らぬが、

かなりのダメージを負っている事が、一目で判る。

 

目を真っ赤に腫らし、赤い涙を流しているからだ。

 

身体の毛細血管が破裂している。

賊が視ている景色は、さぞ真っ赤に染まっている事だろう。

 

 

この、複数人への同時感電ダメージは、

雷孔の利点であると同時に、味方にも飛び火しかねない弱点でもある。

 

 

 

 

『商人共おおおおぉ……!!』

 

 

 

 

相棒が死に、烈火の収束も再度失敗した賊は、

呻き声のような怨嗟を吐きながら反転し、この場を離脱しようとしている。

 

 

逃げるつもりだ。

 

 

 

 

 

「……俺も青いのを見たのは、彼女が初めてだ」

 

 

「うぉぉっ!?」

 

 

 

 

千馬陣にビビっていた呂晶は、ウェイの声に驚き我に返る。

雷に恐怖する心は、誰もが持つ本能だ。

 

 

しかし、バツが悪そうに顔を赤くしている。

 

いつも偉そうに振る舞っている手前、

怖がってしまった時、人一倍恥ずかしいのだ。

 

 

 

 

「…ふんっ。けど、“千の騎馬も怯んで逃げ出す”ってのは言いすぎね。中華の野郎はなっ…何でも大袈裟に言いたがるんだから!」

 

 

 

虚勢を張って見下したものの、噛んでしまった。

最早、雷を怖がる “ツンデレっ子” でしかない。

 

 

 

「そういう語源だったのか?…まぁ、俺らの馬も逃げ出してないしな。怯みはしたが。どうどう、アレは味方だ」

 

 

 

 

この青い光の反応で出来る窒素化合物は、

植物の成長を促す。

 

 

その昔、ある修行者が毎日雷功の訓練をしていたら、

一帯に良質な草が生い茂るようになった。

 

草が生い茂った様子が “千の馬も養えそうだ”

というのが、本来の語源である。

 

 

それでも、大袈裟な表現に変わりはないが。

 

 

 

 

 

『あぁ…っ、ぐ…っ、ぐぎぃ…』

 

 

 

逃走を図ろうとする賊は、

感電のダメージが深く、足元がおぼついていない。

 

一歩一歩、苦しそうな呻き声を漏らしている。

 

 

ユエは表情一つ変えずにそれを眺め、

狂雷を放った腕を折り曲げ、指先を額に近付ける。

 

 

 

『い゛があああぁっ!!』

 

 

 

敗者が鞭打たれたかのように、賊が目一杯仰け反る。

体が(しゃちほこ)のように反り返って固まり、そのまま地面へ倒れ込む。

 

電撃が流れた箇所の筋肉が、脳からの信号と誤認し、

意思とは無関係に収縮を起こしたのだ。

 

 

 

 

「今っ!指先だけで雷撃を放ったのか!?あんなに早く、正確な位置に!!」

 

 

 

いつもの、人を小馬鹿にする冷めた調子を取り戻した呂晶が、

それを見て再び狼狽してしまう。

 

 

 

 

「……。」

 

 

 

 

額に指をあてたままのユエは、眼鏡の奥の丸くて愛らしい目で、

倒れた賊のダメージを注意深く、真剣に観察し、

 

もう一度気孔を込める。

 

 

 

 

『うっ…、ぐ……あがぁあああああッ!!』

 

 

 

 

倒れて反り返っていた賊が、

今度は反対に、膝を顔に打ち付けるほど蹲る。

 

 

まるで地ベタをのたうち回る、芋虫のように。

 

その様子を観察するユエも、まるであどけない少女が、

芋虫でも見下ろしているかのような顔をしている。

 

 

 

 

 

――相手の足元から静電気を流す、獅子吼・地震

 

通称・地雷、それに自分や他者の放った雷孔、

先程の狂雷などで生まれた、周囲の帯電を上乗せしたものが、

今ユエが放った『獅子吼・朗天』である。

 

つまり、自分が放出した雷孔を掬い上げ、相手にもう一度ブチ当てたのだ。

 

 

 

その小さい雷撃は、それ自体が与えるダメージは少ないが、

細く、身体の中へ絡み付くように、奥深くまで侵入してくる。

 

いつもはほんの少しの電気信号で動いている身体に、

突然、強力な電気を流し込む。

 

信号の受信器は容易に許容限界を突破し、

筋肉は最大限の収縮を引き起こす。

 

身体も神経も、その負荷に耐えられない程の収縮を。

 

 

帯電が生まれ続ける限り、ユエは拾っては撃ち込み、

拾っては撃ち込みを繰り返す。

 

 

強制的に身体の主導権を奪われ、

ユエの見下ろす前で這いつくばり、

 

ユエに見られながら、

自分自身で、自分の身体を、何度も何度も壊される。

 

 

 

ユエが最も得意とする、悪魔のような技。

 

 

 

拷問のような技。

 

 

 

 

 

 

「…確か雷功は、炎功より出が早いんだよな?」

 

 

 

体外気功を放てない呂晶は、

知識では知っていても、感覚としては判らない。

 

足りない感覚を、それが出来るウェイに尋ねて補う。

 

 

 

「そうだ。環境に左右されるから、威力は頭の良さに比例すると言われてる」

 

 

 

 

気功家が発する炎功の熱は、放出時に爆発的に高まる。

 

熱量の飛躍は、ゴムの反動のようなもの。

 

強靭なゴムを引くには物理的なタイムラグが必要となり、

総じて炎功は出が遅い。

 

溜めるにつれ質量も増え、威力に反比例して弾速は遅くなる。

 

達人が速度重視で放ったとしても、

秒速半理の更に半分が関の山。(125m/s=時速450km)

 

しかも大して進まずに、砕け散ってしまうだろう。

 

 

面制圧を目的とした大型ナパーム弾、狂暴暴焔波ともなれば、

10秒以上の溜めに加え、投擲のように空高く撃ち出さねばならない。

 

動く的を捉えるのは至難の技だ。

 

 

炎功とは、爆炎を撒き散らせるのが主な使い道であり、

直撃というのは稀である。

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

一方、雷功の弾速は炎功の千倍、

秒速三百里(150000m/s=時速54万km)

 

照準を合わされたら最後、回避は絶対不可能。

 

熱を生じるタイムラグが無い分、溜めも総じて炎功より早い。

その代わり、威力は総じて炎功より低い。

 

それでも、人を殺すには丁度良い威力。

 

 

破壊ではなく、殺人の為にあるような気功。

 

 

青い雷が瞬く度に、誰かが死んでいる。

 

 

もしくは自分が。

 

だから千馬陣は、気功家にとって畏怖の対象とされている。

 

しかし、いくら雷功の出が早いと言っても…

 

 

 

 

「あんなに早いもんなのか?」

 

 

「いや、獅子咆は特別だ。と言っても、俺はあそこまで早く出せんが」

 

 

 

 

ウェイは漢のロマンを追い求める、大艦巨砲主義。

 

長身の体格同様に技も大味で、

威力はあるが、いつも必要無いほど溜めが長い。

 

いわゆる遅漏。地面をのたうち回っている賊と同様、

男性気功家に多いタイプだ。

 

 

 

 

「当たり前だ。あの眼鏡…あの若さで仙人か何かか?」

 

 

「当たり前とはなんだよっ!当たり前とは!俺は馬鹿じゃなーいッ!!」

 

 

 

 

雷を正確に操るには、

気象学に物理学、地質学に物質工学など、様々な知識が要る。

 

戦闘レベルで雷孔を操る気功家は、頭も良いのだ。

 

 

 

その頭の良い、文武両道のユエは、

賊のダメージを確認し、後退して距離を開けている。

 

 

 

 

「(ん?止めを刺さない…。気功を出し尽くしたのか…? それなら!)」

 

 

 

呂晶は待ってましたと言わんばかりに、

後退したユエの代わりに前進する。

 

 

 

 

「嬲り殺しはアタシに任せなッ!」

 

 

「おい!!危ないぞっ!!」

 

 

 

 

その馬の手綱を強引に掴み、ウェイが無理やり制止させる。

 

それと同時に、

 

 

 

 

 

『放てええええぇッ!!』

 

 

 

 

 

中列隊長の号令と共に、

右翼の弓兵数十名が、一斉に矢を射掛けた。

 

 

 

 

「えっ、えっ?…うおおおぉっ!!」

 

 

 

 

呂晶の目の前から遠く先頭部まで、

数十の矢が見事な編隊を組むように、一列に飛翔する。

 

その後は少し乱れた編隊が、何度も矢の波を作っている。

一人につき三、四本の矢を連続で放っているからだ。

 

全員が “連矢” と呼ばれる技術を使っている。

 

 

扇のように放たれた百本はあろう矢は、

一点に向かって収束されていく。

 

 

 

 

『ぐっ、あ゛っ、ぎゃっ、っ…っ…っ…』

 

 

 

 

立ち上がれない賊に、絶命には十分過ぎる矢が、

ドスドスと音を立てて突き刺さっていく。

 

賊を中心に、たった数秒で矢の草むらが出来上がってしまった。

完全にオーバーキルだ。

 

 

右翼の50名の護衛、その半分以上を占める弓手達が、

一人の盗賊を蜂の巣にしたのだ。

 

 

 

 

「ああーっ!やられちまったよぉー…。アイツぅ…」

 

 

 

 

呂晶は馬を立てて急停止させ、賊を指差す。

 

弓手達はいつの間にか馬を降り、

いつもの布陣を完了させていたようだ。

 

 

 

 

 

「何で寂しそうなんだお前は…」

 

 

 

 

 

――霹靂矢・横陣

 

複数本の矢を一呼吸で連射する破天弓術の『霹靂矢』

それを横陣で一斉掃射する。

 

通常の迎撃戦であれば、この霹靂矢・横陣だけで勝負は決まる。

 

 

 

 

 

<img src="/storage/image/Y6neLjN80Usc2ZuPi1xJ5hAaq9S6gPUPpZeKok6J.jpeg" alt="Y6neLjN80Usc2ZuPi1xJ5hAaq9S6gPUPpZeKok6J.jpeg">

 

 

 

 

 

弓の射程は遠距離気功より長い。

矢に気功を付加すれば、更に弓威と射程距離は伸びる。

 

足を止めてのんびり気功を溜める時間など、

本来、花雪象印商隊が与える訳も無い。

 

呂晶のような近接組の仕事は、矢を掻い潜られた際の保険と、

弓手が下馬した際に、馬を預かる程度だ。

 

 

 

戦いとは規模が大きくなるにつれ、個の力量を統率力が上回っていく。

 

非凡な武侠の “匹夫の勇” は必要無く、

画一化と統制が成された強さこそが、常勝をもたらす。

 

 

一騎当千の強者(もののふ)が集う、花雪象印商隊は、

その数倍の人数の軍隊よりも、遥かに強い。

 

 

しかし、その花雪象印商隊でさえ、

 

徹底的な画一化と統制がなされた殺人集団、

軍隊を相手に、もしも “本当に戦う日” が来たならば

 

確実に負ける事になるだろう。

 

 

気功家は強いが、その性質は軍人よりも一般人のそれに近い。

 

集団戦には向いていない。

 

出来るのはせいぜい、号令に合わせて矢を撃ち込む程度だ。

 

 

だが、たかがそれだけでこの威力を発揮し、

 

たかがそれだけで盗賊が手を出せない、

無敵の商隊と成り得るのだ。

 

 

 

 

『ぎ゛…っ!ぎ…、ぎ…ぎぃ…っ!』

 

 

 

 

十数本の矢が深々と刺さった状態で、

賊は壊れた人形のように、奇妙な動きで、上半身を起き上がらせる。

 

力を入れた箇所からは、血が音を立てて噴出している。

 

 

 

 

 

何かを叫ぼうとしている。

 

 

 

 

 

 

『貴様等はああああぁ゛国の誇りを売り飛ばしッ!!異文化を持ち込む゛醜い金の亡者だああああぁ゛!!』




ゲームでの獅子咆は、「相手の武功発生を阻害する」
という、アクションぽい効果が書かれているのですが、

沢山のプレイヤーが何度も確認しましたが、一度も阻害する事はありませんでした。嘘スキルですね。信じられません。書いてある効果が発生しないなんて。まぁそういうゲームなので。

なので小説では、ユエちゃんに弄ばれるという、嬉しいような恥ずかしいような効果を加えました。これこそがdifferentiam(論理否定)です。

この効果がちゃんと実装していれば、結構面白かったんじゃないかなーと今でも思っています。
オンラインでアクション的な事はやっぱり難しいのでしょうね。

でもだったら「阻害する」とか何で書いたのって感じですよね。
それはスキル回収という課金アイテムを買ってもらうためです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

爆滅戦投神 ~何故なら我等には~

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

『貴様等はああああぁ゛!!国の誇りを売り飛ばし!!異文化を持ち込む!!醜い金の亡者ああああぁ゛!!』

 

 

 

 

声と共に、血を吐き出している。

片肺に穴が空いている。

 

 

それでも賊は叫ぶ。

 

 

 

 

『貴様等は無尽蔵の貨幣を生み出し…ッ!!貴様等のせいで!!通貨は崩壊したァッ!!』

 

 

 

 

演説。

 

 

気迫による熱気のせいか、血飛沫のせいか、

賊の体から、“赤黒い蜃気楼” が迸る。

 

 

放っておいても一刻も経たず死ぬ。

 

叫んだせいで、

叫び終わりが死ぬ時になった。

 

 

 

最後の言葉。

 

 

 

 

 

『賊がなんか言ってやがるぜ?』

 

 

『死に損ないィーーッ!!黙ってくたばれぇーーッ!!』

 

 

 

右翼の弓手達が、味方に預けた馬に跨がりながら、

それを見て嘲笑する。

 

こうしている間にも隊列は進み続けるのだ。

死に損ないの主張に構っている暇はない。

 

 

 

 

何より、その主張自体も怪しいものである。

 

 

宋の貨幣、取り分け銅銭の価値が崩壊し、

特に低所得層で、近年稀に見るインフレが起きている原因は、

行商人にあるとは言い切れない。

 

何故なら行商人が輸出している物こそ、

その国中に溢れた、使い道の無い銅銭だから。

 

銅銭を他国に流す事で、むしろインフレの解消を手伝っているのだが、

行商をしない者達には判らない事だ。

 

 

他には戸部が発行した、高利貸しを行う『市易法』や、

物価を調整する『均輸法』の大雑把な運用、改正により、

経済は混乱を極めている。

 

だが、それは商人にとっても迷惑な話であり、

現・戸部次官であり、首都・開封の知事でもある、呂嘉問(りょかもん)に文句を言うべき事だ。

 

この盗賊が宋の出身ではなく、西夏の羌族なのであれば、

その主張も判らないではない。

 

 

だがそれも宋で叫んだ所で、誰にも理解されない。

 

 

 

 

 

『大名気取りの蟻共ォオオオオッ!!我らは決して滅びなあああいッ!!』

 

 

 

 

 

肉体の限界はとうに越えている。

意思の力で、脳が停止するのを拒んでいる。

 

医者が心臓マッサージを止めた瞬間、患者の死亡が確定するように。

 

 

 

 

 

 

『今に我等が貴様等をッ!!一匹残らず踏み潰すッ!!』

 

 

 

 

 

 

叫ぶ以外の機能は停止し、生きているのではなく、

“ゾンビが叫んでいる” と言った方が正しい。

 

 

そのゾンビに、新たな矢が一本突き刺さる。

 

 

 

 

 

 

『何故ならッ!!我らに…っ、は゛っ……!!』

 

 

 

 

 

 

突き刺さった矢は赤黒い閃光を放ち、

炎功とは違う、大きな爆発を引き起こした。

 

 

上半身が袈裟斬りされたように千切れ飛び、

頭がもげ、内臓を撒き散らす。

 

 

賊は木っ端微塵に弾け飛んだ。

 

 

 

 

 

『いよぉっしっ!!』

 

 

 

 

 

虐殺を行った弓手の一人が、力強く拳を握る。

 

 

 

 

 

――破天神弓・爆滅戦投神(爆薬を括り付けた矢を放つ)

 

矢には着弾の瞬間誘爆する、圧力信管のような気功を込め、

括り付けた爆薬には金属片を仕込み、飛散したそれで周囲の数名を殺傷する、

 

技とも言えぬような技。

 

 

動けない一人に放ったのは、単に “派手に殺したかったから”

 

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

「……クソッ!」

 

 

 

 

動く物見櫓、

戦象から後方を確認していた先頭・花雪(ファーシュエ)は、

爆発の閃光に合わせて顔を背け、悪態を付く。

 

見慣れた光景ではあるが、未だに慣れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気功家は基本的に、一対一の戦いを想定した修練を積む。

 

誰の矢が当たったかも判らない、この圧倒的優位では、

弓手も逆にストレスが溜まってしまうのだ。

 

 

一種のトリガーハッピー状態である。

 

 

 

 

 

「(妾は物を運んでいるだけじゃ…!なぜ奴等はそれを邪魔しようとする…!?)」

 

 

 

 

盗賊に勝ち目など無い。

コチラは “そうなるまで” 体勢を整えているのだから。

 

 

 

 

「進路を戻すぞ…っ!」

 

 

 

 

花雪は眉間に皺を寄せ、

わずかに逸した進路を、再び最短経路に修正する。

 

少し歪んだ隊列は何事も無かったように、

元の一直線へと整頓される。

 

 

 

バラバラになった賊の肉片から、薄い炎が立ち昇っている。

 

爆薬の硝煙ではなく、自身の気孔。

それが自身を燃やし、溶かしている。

 

 

 

その様を見た右翼の護衛達に、ざわめきが起こっている。

 

 

 

 

『あの盗賊…。消滅死だぞ』

 

 

『本当か?爆滅の炎じゃないか? …あー、ありゃ消滅死だ。炎が青い』

 

 

 

 

気功家が死ぬと稀に起こる、化学反応。

“消滅死” の理由は判っていない。

 

 

怨念が立ち昇って起こるという説。

体内で練った気孔が制御を失ったという説。

気孔を多用すると、体が人でなくなるという説。

 

 

ある時は骨まで燃えて灰になり、ある時はみるみる凍って砕け散り、

その消滅方法は様々だ。

 

 

特に手練と呼ばれる気功家。その死体は残り難い。

 

英雄と名高い者ほど、最初から実在しなかったように、

姿を残さずこの世を去る。

 

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

『あの程度でか?生意気な賊だなッ!』

 

 

『賊が英雄のハズあるか。あれは気孔の使い過ぎだ』

 

 

 

 

醜い死骸を晒すよりは、そうなる方が誉れとされる。

 

そうなった者は、仲間から称えられて逝くのが常であるが、

今回は嘲笑する者しかいないようだ。

 

 

 

あの盗賊、あの二人は結局、

多少の矢と爆薬を消費させた程度で、何の意味も成さずに死んだ。

 

いわゆる犬死にだ。

 

 

 

 

『ユエさーんっ!見てくれましたかーっ!?俺が仕留めましたよーっ!!』

 

 

 

 

爆滅を放った弓手が、副長・寒月(ハンユエ)に両手を振る。

戦果をアピールしているのだ。

 

ユエは剣の切っ先で、後ろの燃えている肉塊を指す。

 

 

 

 

「ありがとう。五月蝿(うるさ)かったのでスッキリした」

 

 

 

 

右翼の護衛達に笑いが起こる。

 

 

 

 

『ははっ!怖いな、ウチの副長殿はっ!』

 

 

『人が弾けるのを見て、“スッキリ” だとよ!』

 

 

 

 

彼等にとっては珍しくもない光景だが、

年頃の娘が言うと、ギャップで笑えてくる。

 

ユエは屈託のない、可愛らしい微笑みを返した後、

雷功・神歩幻影で、軽やかに前列へ帰投していく。

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

無用な虐殺行為を窘める事も出来る。

だが、日常生活と戦場では、物事の基準はまるで変わる。

 

ユエはそれを理解している為、無用な正義感などは持ち出さず、

部下に余計なストレスを溜めさせない。

 

 

敵が現れれば、そこは戦場なのだ。

 

どれだけこちらが優位だろうと。

 

 

 

 

 

結局、あたふたしただけで出番の無かった第一発見者、

近接組の呂晶とウェイが、さっきの戦いを振り返る。

 

 

 

「言った通りだろ?ほとんどユエさんと弓隊がやっつけてくれる。俺達、近間(ちかま)は楽なもんだ」

 

 

「ああ、反吐が出る」

 

 

「しかし、消滅死なんて珍しいな…。あの盗賊、最期に何て言おうとしたんだろうな?」

 

 

 

 

 

斜め後ろで燃え朽ちていく肉塊を、

横目で振り返りながら尋ねる。

 

 

振り返らずに進む呂晶は、重い口を開けて答える。

 

 

 

 

 

 

「何故なら、我等には――」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ソクラテスの問答 ~このクソにまみれた、世界と自分~

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

「何故なら我等には、“守る物など無いからだ”」

 

 

 

 

元・盗賊の呂晶が、死んだ盗賊の代わりに、

彼が最後に言おうとした言葉を口にする。

 

 

 

 

「よく判るな。賊のスローガンか?」

 

 

 

 

ウェイは背後の呂晶に馬を並走させ、他愛ない会話を始める。

 

行商とは、そのほとんどが只進むだけの、

つまらない仕事だからだ。

 

 

そして、こういった事をする者がいる為、

だんだんと隊列が乱れ、花雪は怒号を飛ばさねばならない。

 

 

 

 

「アイツらには、ガラクタを一生懸命守るアタシらが狂人に見えるんだよ」

 

 

 

 

自分でも聞いた事のない賊の台詞。

なのに、何を言おうとしたかが判った。

 

 

 

 

「ふーん…。『俺は守る物がある方が強くなれる』気がするが。家族とか仲間とか」

 

 

「そりゃ、『なった気がする』だけだ。人を養おうとすれば身を粉にして働かなきゃいけない。責任が生まれるんだ」

 

 

 

 

『責任』という言葉にピンと来たのか、

ウェイは両手の人差し指で呂晶を差す。

 

 

 

 

 

「それだそれっ! 一人じゃ出来なかった事が出来るようになる。強くなってるだろ?」

 

 

「馬鹿か?身を粉にしてんだぞ?削った分弱くなるに決まってる。家族や仲間を人質にされたらお前はどうやって戦うんだ」

 

 

 

 

 

歳下の小娘に馬鹿にされ、

温厚なウェイもさすがにムッとくる。

 

 

 

 

 

「そりゃ強さと関係ねーだろ! 判んねーかなぁ、こう… “漲るパゥアー” ってやつがよ」

 

 

「判るよ。漲るパゥアー?…は、コミニティを保持する『本能』だ」

 

 

 

 

 

『本能』という言葉を聞いたウェイは、

今度は俯き、眉間をつまんで首を振っている。

 

 

 

 

 

「出たよ本能…。ああ、俺も本能は好きだぜ? 理由は知らないが、一日一回は『本能』って言葉を使いたくなっちまうんだ。本能チョー大好き、もう本能の事しか考えられなーいっ!」

 

 

 

 

 

頭の悪そうな、ギャル風オカマ演技。

大袈裟に呂晶の真似をしたジョークだ。

 

 

 

 

 

「それで間違ってないよ」

 

 

「ぬっ…」

 

 

 

 

 

渾身の演技をスルーされてしまった。

 

 

 

 

 

「人間は所詮サルだ。それを認めたがらないのも『本能』だ」

 

 

 

 

 

こちらはウェイの様子を例えたジョークではなく、

結論を述べている口調だ。

 

冗談が通じない雰囲気の為、ウェイも面倒ながら話を合わせる。

 

 

 

 

 

「そりゃつまり…“パゥアー” が漲るのは、猿でも持ってる本能のおかげだって言ってんのか?」

 

 

「同じ事二度言わすな」

 

 

「百歩譲ってそうだとしよう、でも別に良いじゃないか。本能だろうと煩悩だろうと。活力…そう、生きる活力が生まれるなら」

 

 

「活力じゃなくて “習性” だ。単にその習性の無い奴等が死に絶えたってだけだ」

 

 

 

 

 

堅苦しい話になると、呂晶は一層、面倒臭くなる。

 

本能という言葉を聞くだけで、

ウェイが頭を抱えてしまう程に。

 

 

 

 

 

「何でも知ってる偉い呂晶様に教えてやるよ。議論ってのは、 “譲り合いが大切なんだ”」

 

 

 

 

 

呂晶に嫌味をジョークで包んだ物、

『皮肉』を手渡す。

 

 

 

 

 

「譲るもクソもない。アタシは正しくてお前がパーだ。アタシは一歩も譲らない」

 

 

 

 

 

自分の言う事に相手が付いて来ないと、

イライラして、攻撃的な言葉を投げかける。

 

その行為は、他者から見れば邪悪に写る。

 

 

 

当の呂晶は、邪悪な行為を行っているつもりはない。

 

むしろ逆だ。

 

 

 

正しい事は、正しくなければならない。

そうでなければ、それは間違った世界だから。

 

 

 

 

なぜ凡愚共は、世界を嘘で満たしていくのか。

 

凡愚自身が気付いていようといまいと、

 

それは強盗よりも、殺人よりも、この世で最も罪が重い、

 

吐き気を催す邪悪だ。

 

 

 

 

自分は邪悪な者から世界を救う、正義の戦士。

 

自分は正しい事を述べているのに、

邪悪な者はそれを正しいと認めない。

 

だから、邪悪な者には憎しみを持って、

攻撃的な言葉を投げかけ、叩き潰し、

 

 

 

時には殺す。

 

 

 

誰からも理解されなかったとしても、正しいのは自分だ。

正しさとは、多数決ではないのだから。

 

呂晶はそう思っている。

 

 

 

 

 

「俺が百歩も譲ってるのに、お前は一歩も譲らない訳か。わがままって言葉は知ってるか?」

 

 

「まさか…。“一歩も譲らない” ってのは、さすがに “ジョーク” だ」

 

 

 

 

 

人間は、誰かと寄り添わなければ生きていけない。

 

“譲り合い” とは、

呂晶の言う『本能』に根ざした行動でもある。

 

 

“一歩も譲らない” とは、

 

自分の意見を曲げずに持ち続け、

他人がそれ以外を持つ事すら “許さない” という事。

 

究極のわがまま。

 

 

それは逆に実現不可能であり、この世で最も険しい道だ。

だから、一歩も譲らないと言うのは “ジョーク” だ。

 

 

 

 

 

 

「私の言う事以外、殺してでも “存在させはしない”」

 

 

 

 

 

 

自分ではなく、世界がそれを許さないから。

 

世界の一部たる自分が、それを正さなくてはならない。

 

誰かがそれをやらなくてはいけない。

 

例えどれだけ辛く、険しい道であろうと。

 

 

 

 

塗り固められた嘘を排除し、世界を正常な世界に戻す。

 

それでようやく、“正常” なのだ。

 

 

 

 

理想を求めてはいない。

 

ただ狂った世界を、“元に戻している” だけ。

 

 

 

 

少なくとも呂晶は、そう思っている。

 

 

 

 

 

「その本能が “ある奴” と、”ない奴” で生存競争して、ある奴が生き残ったんだろ? それは結局、ある奴の方が強いって事になるぞ」

 

 

 

 

 

呂晶の真剣な様子に、ウェイは冗談で濁さず、

真面目に話してやろうと考える。

 

全く興味の無い話だが、コイツにとっては挟持なのかもしれない。

自分が掲げる『天下布武』と同じように。

 

 

 

 

 

「ああ、そうも言える。だが『真理』じゃない」

 

 

 

 

 

『真理』という言葉を聞いたウェイは、

今度は怪訝な顔をする。

 

呂晶が一番言わなそうな言葉だからだ。

 

 

 

 

 

「真理? 神嫌いのお前が宗教やってるなんて、意外だな」

 

 

「違う、アイツらのは偽物。アタシのは文字通りの意味だ」

 

 

「その『真理』てのが、大切な物を守る以上の、パゥアーを与えるのか?」

 

 

「力なんて誰も与えない。それが真実ってだけだ」

 

 

「いよいよ判らんな…。お前の言ってる事は矛盾してるぞ」

 

 

 

 

 

“漲るパゥアー” の正体が『本能』だと言った口で、

今度は “誰も力など与えない” と言う。

 

ウェイの矛盾という指摘は正しく見える。

 

 

 

 

 

「…例えば、家族や仲間を生贄に捧げれば、“今より強い力” が手に入るとしたら?」

 

 

「そんな事ある訳ないだろう。力ってのは誰かに与えられる物じゃない、お前がそう言ったばかりだ」

 

 

「逃げんな。仮定の話だ」

 

 

 

 

 

 

なぜ、自分が “逃げている” と怒られなくてはいけないのか。

訳の判らない仮定を持ち出したのはコイツなのに。

 

だが、小娘に “逃げるな” とまで言われては、

大の男である以上、黙ってはいられない。

 

 

 

 

 

 

「…甘いぞ呂晶、それでも “捧げる前” の方が強い」

 

 

「理由は?」

 

 

「一人で戦うより、“複数で戦った方が強い” からだ。どうだ?負けを認めてもいいんだぞ?」

 

 

 

 

 

アラサーで大人なウェイは、『えっへん』という調子で答える。

 

“力を得る為には犠牲が必要だ” と問いたいのだろうが、

そんな意地悪な誘導に、乗りはしないのだ。

 

結盟の頭領たる者、たまにはこの小娘に、

人生の先輩である所を見せつけなければ。

 

 

 

 

 

「じゃあ、生贄にしたら “複数で戦うより強い力” が手に入るとしたら?」

 

 

 

 

 

ウェイは目と口を大きく開け、

『信じられない』とでも言うような顔を作る。

 

 

 

 

 

「おま…、ズリーぞッ! 後出しなら何でもアリじゃねーかっ!」

 

 

「“そういう事” だ。アタシらは本能によって勝ち残った種族だ。だからって、本能は最良の答えじゃない」

 

 

 

 

 

呂晶は究極の二択を迫った訳でもないし、

自分の言った事を翻してもいない。

 

ウェイのレベルに落とし、解説しただけだ。

 

どれだけ落とせば良いか判らないので、

今話している事で例えた。

 

ただその配慮が結局、話を混乱させてしまう。

知能レベルが離れた者同士では、会話が成立しない理由の一つだ。

 

 

呂晶の知能レベルでは、ほとんどの者と会話は成立しない。

 

どちらが上で、どちらが下かは判らないが。

 

 

 

 

 

「なるほど、話が見えてきた」

 

 

 

 

 

そんな呂晶とも、ウェイは意思疎通を試みる。

 

価値観の違う相手すら、理解しようとする “共感能力”

ウェイや遊珊はその能力が高く、

共感した上で、相手が欲する物を与えようとする。

 

だから二人の周りには、自然と人が集まってくる。

 

 

呂晶に無い物を持っている。

 

出来ない事が出来る。

 

 

だから呂晶は、辛辣な言葉を投げつけながら、

それでも彼等に惹き寄せられる。

 

 

 

 

 

「人より強くなるのは簡単だ。人が持つ本能を上回ればいい」

 

 

「それがお前が言う、『真理』ってやつか」

 

 

「そういう事。腹が減れば飯を食う、悲しければ涙が出る、それと変わらない生理現象を、“漲るパゥアー” だの抜かしてるお前は、『世界に嘘を流布してる』」

 

 

「生理現象だと…? 大切な物を守りたいと思う気持ちがか?」

 

 

 

 

 

『ムカつく言葉』に反応していては、話が進まない。

優しいウェイはいつも譲歩してしまう。

 

 

人と価値観が違う呂晶。

人の本能とも違う道へ進む呂晶。

 

人でなしの呂晶。

 

そんな呂晶の気持ちでさえ、

ウェイは理解してやろうと試みる。

 

 

誰にも理解されないのは、とても悲しい事だから。

 

 

きっと “コイツの中” では、

コイツは悪人ではないのだろうから。

 

 

 

 

 

「本能が真理じゃないなら、何でそんなに本能が好きなんだ? 嫌いな神にやたら詳しいのと同じか?」

 

 

「上回るなら理解しなきゃいけない。どうしてそうなったか。全部理解して、全部ねじ伏せる答え。だから真理は “最強” だ」

 

 

 

 

 

呂晶はそう言いながら、手綱を強く握り締め、

この世界を睨みつける。

 

 

 

 

 

「…もしも、お前が得た『真理』が、『お前の意に反した物』だったら、どうするんだ?」

 

 

 

 

 

理解も共感も出来ないままだが、

呂晶に合わせた言葉を使い、問いかける。

 

お互いの知能レベルが離れている以上、

わずかな共通項で話すしか、会話が成立する見込みが無いからだ。

 

どちらが上で、どちらが下かは判らないが。

 

 

 

 

 

「もしも、『最強の力』を得る為に『親を殺すしかなくなった』なら、お前はどうするんだ?」

 

 

 

 

 

だからウェイは、あえて究極の二択を迫る。

 

誘導でも意地悪でもない。

その答えで、“人でなし” の気持ちを、

少しでも理解してやりたかった。

 

 

究極の二択に、『親』を使った事にも理由がある。

 

『仲間』が何より大切なのは、

結盟の頭領たる、自分だけだと理解しているからだ。

 

どれだけ大切に思っても、

利益が共通しなければ、彼等は残酷に離れていく。

もう慣れきった事だ。

 

 

仲間にとっての『仲間』とは、

自分にとっての『仲間』とは、少し違う。

 

頭領である以上、その仲間の気持ちさえも、

理解してやらねばならない。

 

 

 

だから大切な者に『仲間と家族』ではなく、

さすがの呂晶でも大切な相手だろう『親』だけを対象にした。

 

『親はなんだかんだ反対しながらも、自分の旅を応援してくれている』

以前、呂晶が自分でそう言っていたからだ。

 

 

 

 

その親すらも大切でないと言うならば、

 

もう後は、大切な物が “自分自身” しか残らない。

 

 

 

 

 

 

世界を敵に回すしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

御父(おとう)は嫌いだから、たぶん迷わず “殺せる”。母上は迷う…だから迷う前に殺す。それも出来なきゃ、ヤクでラリって “殺してみるよ”」

 

 

 

 

 

バツが悪そうな笑顔で、呂晶は答えた。

 

 

 

 

 

「お前の考えはおかしいぞ…」

 

 

 

 

 

判らない。

 

 

 

 

 

「誰かの為に生きろとまでは言わん…!」

 

 

 

 

 

これだけ判ろうとしても、呂晶の気持ちが判らない。

 

 

 

 

 

「“お前の為にならない事”を、“お前がする” 意味なんて無いだろう!!」

 

 

 

 

 

理解出来ない。

 

何故そんな、殺したくもない親を犠牲にして、

自分すら犠牲にするような道を選ぶのか。

 

何故そんな、『難しいけど頑張ってみる』と言うような顔をするのか。

 

 

 

 

どんな価値観を持とうと、それは人の勝手だ。

価値観は人それぞれだ。

 

それでも “コレ” だけは止めさせたい。

 

 

 

 

呂晶にとっては違うのだろう。

 

 

だが自分にとっては、呂晶だって、

 

 

何にも変えられない、大切な仲間なのだから。

 

 

 

 

 

“自分自身ですら大切でない” など、絶対に止めさせるべきだ。

 

 

 

 

 

 

「アタシは嘘を付きたくないんだ。“このクソにまみれた、世界と自分に” 」

 

 

「ユエさんだけじゃない。お前だって仙人みたいだ」

 

 

 

 

 

 

自分の親を殺さないからと言って、

誰が “嘘付きだ” と咎めるのか。

 

 

 

 

 

 

「自分の意に反する事が、アタシの意なんだ」

 

 

 

 

 

 

それを聞いて、

ウェイが “キレた” ように形相を変える。

 

 

 

 

 

 

「なんだよそりゃ!! “頭の中にご主人様でも住んでる” ってのか!?お前はソイツの奴隷なのかよ!?」

 

 

「それいいな。“アタシのご主人様(ジューレン)はアタシだ”。なんかイケてる」

 

 

 

 

 

 

新たな真理を得たとでも言うような。

ウェイと反対に冷静な態度が、更にウェイの気持ちを逆撫でる。

 

 

 

 

 

 

「おかしい!!やっぱりソイツはおかしいぞ!!」

 

 

「なにキレてんだよ…ウッゼーな」

 

 

「思い浮かべてみろ!! “親を殺したお前の姿を” !!」

 

 

 

 

 

 

キレたようにではない。ほとんどキレている。

 

 

 

 

 

 

「薬でラリって!!フラフラ母親をぶった斬って!!お前は血みどろでヘラヘラ笑って!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「笑いながら!! “涙を流している” ハズだッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

周りの護衛や商人が、物騒な事を叫ぶウェイに注目する。

 

当のウェイは、

その情景を想像して、キレながら泣きそうになっている。

 

感受性の高い男だからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オイオイオイ…よく考えろよ。親を殺して力が手に入る訳がない」

 

 

「は?」

 

 

 

 

 

面倒そうに、人差し指を立て、

『ここテストに出るぞ』とレクチャーでもするかのように、

呂晶は言い放つ。

 

 

 

 

 

「誰も力なんか与えちゃくれない。最初に言っただろ? “なった気がするだけ” って。自分で辿り着くのが『真理』だ」

 

 

 

 

 

知能レベルが離れた者同士では、会話は成立しない。

呂晶の知能レベルでは、ほとんどの者と会話は成立しない。

 

どちらが上で、どちらが下かは判らないが、

 

呂晶は “自分が一番上” だと思っている。

 

 

 

最初から議論しているつもりは無く、

ただウェイに上から目線で、“教えてあげていた” だけだったのだ。

 

教えてあげたのに、感謝もしないウェイに対し、

心の中で『なんて失礼な野郎だ』とさえ思っている。

 

 

答えを知っているのだから、そもそも議論の余地は無い。

 

『一歩も譲る気が無い』とはこういう事であり、

よく女性の好みに挙げられる『何事にも自分の考えを持っている人』とは、

実際はこういった、とても面倒な者である。

 

 

 

 

 

「ああーっくでぇっ!!くでぇーんだよお前はいつもっ!」

 

 

 

 

 

偏屈なひねくれ者に呆れる、

 

 

 

 

 

「いつもそうだ!楽しく生きてりゃそれで……。おい…大丈夫か?」

 

 

 

 

 

そのウェイの表情が変わる。

 

呂晶の顔色が悪い。

俯いて、短く弱く呼吸し、ほとんど前も見れていない。

 

それを見て、ウェイはようやくその事に気付く。

 

 

 

 

 

「(そうか…、そういやコイツはいつも…)」

 

 

 

 

 

今回はウェイに誘われ、“たまたま” 商人側についていた。

 

呂晶はいつもこの場所で、

あの盗賊と同じように待ち伏せ、あの盗賊と同じように商人を襲撃していた。

 

 

“ああなっていたのが自分” であっても、何の不思議も無かった。

 

 

 

 

呂晶は目だけをウェイに向け、辛そうに睨みつける。

 

 

 

 

 

「何がだよ…? そんなにか弱い女と “思ってくれてんのか”」

 

 

「どうやら……。余計な心配しちまったようだ」

 

 

 

 

 

呂晶の弱々しい声に、

ウェイは少し考えてから皮肉を返した。

 

冗談が言える内は大丈夫だろう。しつこく聞いても逆効果だ。

 

 

ウェイはそう思っているが、

呂晶が顔色を悪くしているのは、

盗賊の死に様を自分に重ねたからではない。

 

 

 

 

 

 

呂晶は、幼少の頃から頭が良い子だった。

 

不意な災害に見舞われ、見知らぬ土地に一人で降り立った時も、

子供ながらに自力で帰還方法を見つけ出し、金を盗んで実行した。

 

 

普通なら “そういうものだ” と割り切るような事。

 

そんな事ですら、あらゆる角度から追求し、

根源的な部分にまで想いを “馳せてしまう”

 

 

辿り着いた世界の真理。

 

精神が成熟していない呂晶にとって、

それはどれも残酷な事ばかりだ。

 

 

神仏の一切は創作だと、とうに『結論』を出してしまった。

だから他の者が縋るような、“神” という精神的支えは無い。

 

それでも辿り着いてしまったからには、

その真実に殉じなければならない。

 

 

 

 

他の道は全て間違えだから。

 

自分の高い知能が、そう言っているのだから。

 

 

 

 

だが、四六時中そんな事を考えていては、

とても身が持たない。

 

 

辛くて耐えられない。

 

 

だから修練して、体を動かす事で思考が逡巡するのを防ぐ。

異性でも同性でも、強姦してでも快楽に逃げる。

 

 

 

 

麻薬で自分の脳をイジメ抜き、高い知能を低くする。

 

 

 

 

阿片とは、精神安定剤などあるハズも無いこの時代で、

メンヘラな呂晶にとっては精神を保つ、薬なのだ。

 

 

だが、呂晶の体調が悪いのは、

それらも関係しているが、それらとあまり関係は無い。

 

 

 

 

 

 

 

単なる寝不足だ。

 

 

 

 

 

 

 

(圧倒的な矢数…。見てから避けれる距離でも、あれじゃ逃げ場がない。緊張も殺気も無い、適当に放たれた矢。あーいう “数撃ちゃ当たれ” が一番避け辛いんだ)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

弓の三死・中貫久 ~勉強は将来何の役に立つの?~

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

(圧倒的な矢数だ。見てから避けれる距離でも、あれじゃ逃げ場がない)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

____________________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花雪象印商隊に参加する約一ヶ月前。

ここは長安の北にある森林地帯。

 

 

二十歳の女盗賊・呂晶は、”自分に照準を定める弓手” に、

驚異的なスピードで間合いを詰めている。

 

 

そして間合いを詰めながら、

相手の表情や動きを見て、“あるタイミング” を測っている。

 

 

 

 

「(まだ……まだ撃たない気か…?)」

 

 

 

 

接近しなければ弓手は倒せない。

 

だが一度(ひとたび)放たれたら、

自分のトップスピードを遥かに越える速度で飛翔してくる矢。

それに正面から突っ込むのは、並大抵の勇気ではない。

 

 

矢先を急所に定められるだけで、

焦燥感と恐怖を掻き立てられ、プレッシャーを与えられる。

 

先端恐怖症という本能だ。

 

 

 

 

矢を避ける事は難しい。

だが距離があれば、避けられない訳ではない。

 

ただし呂晶の位置はもう、

発射を見てから回避可能な距離を、とうに越えている。

 

あとは相手が撃ち出す際の “殺気” を読み、回避を行うしかない。

 

殺気と言っても詰まるところ『勘』だ。

相手の表情やわずかな動きから、『来る』と思った瞬間に避けるのみ。

 

 

見てから回避は間に合わない。

 

かと言って、相手が撃つ前にビビって避けようとすれば、

それこそ格好の的になる。

 

タイミングを合わせなければ矢は避けられない。

 

 

 

 

「(もう “デッドゾーン” を越えるぞ……近間でアタシに当てられると思っているのか?もうこのままイッちまうか…)」

 

 

 

 

矢を避ける事は難しい。

しかし、もっと難しいのは “当てる方” だ。

 

相手は的のようにジッとしてはおらず、

動く的には普通に撃っても当たらない。

 

 

だから呂晶は真っ直ぐではなく、

小刻みに方向を変え、的を散らしながら接近する。

 

最高速ではなく、最大戦速で。

 

 

 

 

「……。」

 

 

 

 

呂晶に弓を構える女性、遊珊。

彼女はブレる相手の動きに合わせ、正中線上に狙いを定め続ける。

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

巨大な武器を携え、迫り来る相手は、

ただ接近するだけで、焦燥感と恐怖を掻き立て、

プレッシャーを与えてくる。

 

接近恐怖症という本能だ。

 

 

 

 

呂晶は速度を緩めず、左前方に半馬身ほどステップする。

同時に遊珊の足元へ視線を落とす。

 

 

 

 

「(”あと二歩” …あと二歩でデッドゾーンを越える…!先生の戦速を、アタシの戦速が上回るよ!)」

 

 

 

 

接近してくる気功家は恐怖である。

 

自分を斬り殺す為、大きな刃物を振り回す、

通り魔より怖い、快楽殺人者。

 

おまけに超能力まで持っている。

 

そんな化物に接近されれば、

大人と子供、象と蟻ほどの戦力差。

結果は見えている。

 

 

紙で指を切った時の、あの耐えがたい痛みが、

切断面全てに駆け巡ると同時に、見慣れた体は二つに分かれているだろう。

 

 

 

 

「(“あと一歩” ね…)」

 

 

 

 

そんな状況でも遊珊は表情を変えない。

頭ではなく、体で理解しているから。

 

 

 

 

「(二歩……一歩ッ!! ここで先生は撃ってくるぅーーッ!!)」

 

 

 

 

呂晶は “デッドゾーン” と呼ばれる範囲を越える、一歩手前で跳躍する。

遊珊の細い首が上へ傾いていく。

 

 

 

 

「…っ!」

 

 

 

 

弓手は接敵される前に、相手を射抜かなければならない。

 

かと言って、相手が遠くにいる内に放っても、

いともあっさりと回避されてしまう。

 

 

接近される恐怖を耐え忍び、今にも放ちたい気持ちを堪え、

相手が回避できない距離まで我慢して “引き付ける”

 

引き付ければ引き付ける程、矢は当たり易くなる。

 

 

弓矢とは遠距離だけでなく、近距離で放っても良い、

『遠近両用』の武器である。

 

 

 

 

「(あれ…?……なんで…?)」

 

 

 

 

しかし引き付け過ぎてしまえば、

今度は命中率が途端に下がる。

 

弓を旋回させ、矢を定めて放つ。

この『弓の戦速』が、相手がステップや斬撃を繰り出す、

『近接武器の戦速』に追い付けなくなるのだ。

 

遠すぎず近すぎない必殺の間合い、

『デッドゾーン』で放つのが、弓術の基本だ。

 

 

勿論、それは相手もよく判っている。

 

デッドゾーンではジグザグに進んでくる為に的が絞り難く、

こちらが撃ち出す際の殺気も敏感に察知され、

憎たらしくもフェイントをかけ、引きの甘い矢は無慈悲に防御する。

 

渾身の矢を物ともしない体格や、装備の者もいる。

勘や動体視力が良く、ひらりと躱してくる者すらいる。

 

 

そしてコチラはどの場合でも、矢を外せば死が待っている。

 

 

デッドゾーン、

必殺の間合いとは、”必ず殺す間合い” ではなく 、

 

“必ず殺さなければいけない間合い”

 

 

 

苦労してデッドゾーンに引き付けた後は、

最終行程が残っている。

 

相手の動きを “先読み” しなければならない。

 

こちらが『撃とう』と思う瞬間は、

相手にとっても『撃たれる』と思う瞬間。

 

まるでシンクロしたかのように、

放つと同時に “勘” で回避される事などざらにある。

 

だから動きを先読みして放つ。

 

 

 

 

「(先生、なんで撃ってねーんだっ!?)」

 

 

 

「(まぁ、高いわね。一人でそんなに跳ね上がって… ”素敵じゃないわ”)」

 

 

 

 

呂晶は遊珊のデッドゾーン、

それを越える “一歩手前” で跳躍した。

 

もう一歩進めば、遊珊には死が待っている。

ならば遊珊は一歩手前で撃つしかない。

 

だから呂晶は、それを避ける為に跳躍した。

 

 

それでも遊珊は撃たなかった。

華奢な体に似合わない、据わった度胸で、

呂晶との我慢比べを制したのだ。

 

 

 

 

「…ふっ!」

 

 

 

 

小さく素早く息を吐き出し、矢尻に炎孔を付加して、

ビビって跳躍してしまった呂晶へ放つ。

 

空中ならば回避は不可能だ。

 

 

 

 

「(クソッ……弾け…っ!)」

 

 

 

 

呂晶も矛を回しながら炎孔を付加し、

遠心力を高めて急旋回させる。

 

廻し受けだ。

 

 

受けれるかどうかは運次第だが、

確率としては、受けられない場合の方が多い。

 

 

 

 

 

 

 

 

――キンッ

 

 

 

小さな金属音が響くと、

顔面に飛翔していた矢がわずかに軌道を変え、

左眼のすぐ横を通っていった。

 

 

 

 

「(惜しかったな先生……勝ちにしてあげたい位だ!)」

 

 

 

 

呂晶が着地する時、遊珊はそこにはいない。

 

完璧なタイミングで放ちながら、外れる可能性も考え、

用心深くバックステップしている。

 

弓で言うところの ”残心” である。

 

つまり、呂晶はまだデッドゾーンの中にいる。

 

 

 

 

「(ダメ……間に合わないわ…)」

 

 

 

 

遊珊は腰の矢籠から矢を一本抜き、

ほとんど弓を引かずに放つ。

 

威力を無視した速射だ。

 

 

 

 

「つぇええいっ!」

 

 

 

 

呂晶は着地した直後の一歩で爆発したように急接近し、

遊珊に “両手” を伸ばす。

 

そして次の一歩で急ブレーキをかける。

 

 

 

 

「………っ!」

 

 

 

 

慣性で少し滑り、二人は密着するように静止する。

 

呂晶の右手、短く持った「木」の大刀が、

遊珊の細い首筋にピタリと当てられている。

 

もう片方の左手では、

弓と、それにクロスされた矢をまとめて握り締め、

矢が発射されるのを食い止めている。

 

 

一瞬でも遅ければ顔面を貫いていたであろう矢先には、

(やじり)ではなく、「丸い玉」が付いている。

 

 

 

 

「………参ったわ。私の負けね」

 

 

 

 

立会人のウェイが試合終了を告げる。

 

 

 

 

「そこまでぇーーーいッッ!!」

 

 

 

 

ウェイの合図と共に、

観戦していた結盟員達が感嘆の声を漏らす。

 

 

 

 

『いやー!今のは惜しかったっす!アレを弾かれたらどうしようもないっすよ!』

 

 

 

『先生は引き付けるタイプだね。でも、あそこまで我慢する奴はアタイ初めて見た』

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

感想戦が始まった。

 

 

 

 

「アタシも驚いたよ。避けるまで待つ気かと思って、避けずに進んでやろうって思ってたんだけど、最後は飛ばされちまった。アタシをビビらせるなんて大したもんだ」

 

 

 

 

この日、長安北の森林地帯では、

結盟・『真夜中の旅団』が行う、月に一回のイベントが開催されている。

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

今回のイベントは、弓手の訓練をメインに据えた『矢を当てる大会』

 

”なるべく参加” が条件なので来ない者も多いが、

今日は遊珊が出席すると聞き、呂晶は顔を出した。

 

少し離れた所では、もう1チームが同様の訓練を行っており、

呂晶を相手にするこちらは、言わば『HARDステージ』である。

 

 

 

 

「ありがとう。でも、結局当てられなかったわ。ダメね、私…」

 

 

 

「先生、気に病む事なんて無い。アタシは矢を避けるのが得意ってだけだ」

 

 

 

 

矢を当てるには様々な定石が存在する。

 

正中線を狙う、身を伏せて避ける。

ならば足を狙う、飛んで避ける。

さらば飛ぶまで待つ、飛ばずに進む…

 

これらの定石が距離と状況により目まぐるしく変化していく。

 

大切なのは最大戦速を保ちつつ、プレッシャーに負けない事。

お互いに考えている暇などない。

 

『経験と度胸』が物を言うのだ。

 

 

弓とは、遠くの的へ美しく命中させる優美さのみが注目されがちだが、

実際の戦闘、特に一対一では、

優美さの欠片も無い、泥臭い戦いが展開される。

 

 

 

 

「ガイル、今ので幾つだ?」

 

 

 

『えっと、呂晶さんの7連勝っすね』

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

これを高めるには訓練で慣れるしかない。

 

今回は(やじり)の代わりに樹脂で固めた玉を付け、

撃つ方と避ける方に別れて、10本一試合を行う。

 

さしずめ、大学のサークル合宿のようなものだ。

 

 

 

 

「よし、あと3回で完全試合だなっ!」

 

 

 

 

完全試合とは、遊珊に十連勝するという意味でなく、

今日相手した弓手、全員に全勝するという意味である。

 

元々、避け役は交代で行うハズだったのだが、

呂晶が来たならばと、一人でやらされている。

 

勝利者には金一封が贈呈されるが、

それはウェイや皆が納める活動資金から捻出されており、

ほとんど納めた事の無い呂晶には受け取る権利は無い。

 

 

こうした訓練を行うのも、弓手のエースが行方不明となっている為、

後進の育成が大きな課題となっているからだ。

 

 

 

 

感想戦をしていると結盟主のウェイが近寄り、手を叩いて指導を始める。

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

「いいぞ遊珊!だが弓は(あた)らざれば死、貫かざれば死、久しからずばなんとやらだ!次は弾かれない炎孔を込めろッ!」

 

 

 

 

弓の三死『中・貫・久』

 

命中力、当たらなければ即ち死。

貫通力、当たっても貫かなければ即ち死。

持久力、貫いてもその技が続かなければ即ち死。

 

どれが欠けても即ち死ぬという言葉。

 

 

気功と縁の深い弓術門家、

『破天神弓』もこれを採用している。

 

 

破天神弓には『中貫久』の他に『体風動滅気魔盾絶(たいふうどうめつきまじゅんぜつ)』という言葉まである。

 

 

体格の良い相手には、貫通力を高めた秋風鉄血矢。

動きの早い相手には、面制圧の爆滅戦投神。

気功で守る相手には、相殺させる抗魔弓術。

盾を構えた相手には、音の壁を叩きつける絶殺弓。

 

 

気功家の弓手は、相手のタイプによって弓種を変える事も大切なのだ。

 

だたし、これはあくまで有効相性の覚え合わせであって、

出来なければ死ぬという程では無い。

 

 

弓を当てる、弓を避ける。

二つはとても難しく、取り分け難しいのは当てる方。

練習する事は山とあるのだ。

 

 

 

 

「嫌よ。」

 

 

 

「え…っ! 嫌!?」

 

 

 

 

遊珊はキッパリ拒絶する。

 

中貫久のありがたいお言葉に『嫌』

予想だにしない返答に、ウェイはすっとんきょうな声を上げる。

 

 

 

 

「そういう貧乏臭いのは性に合わないの……素敵じゃないわ。ごめんなさいね」

 

 

 

「ごめんなさいっていうか…。でもホラ、死んじゃうより良いだろ?」

 

 

 

 

気功家は命のやり取りを行う危険な職業。

 

しかしサークルは部活動とは違い、

『和気あいあい』と『ゆるく』活動するのが常である。

 

ウェイに “つん” とそっぽを向く遊珊に、愛の騎士・呂晶が馳せ参じる。

 

 

 

 

「おいウェイ。”久しからず” って、相手が増えてんじゃねーか。ソイツは伏兵潜ませる卑怯者だ。相手する必要なんか無い」

 

 

 

 

“貫きてもその技久しからずば即ち死”

戦場や一対複数を想定した文句だ。

 

中と貫で一対一を連想させながら、久でいきなり伏兵の登場を示唆するのは、

あまりフェアではない言葉ではある。

 

確かにそのような状況では、一人で殲滅しようとはせず、

こちらも数を揃えるか、逃げた方が良い。

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

「相手しなかったら戦いにならんだろ…」

 

 

 

「そんなん言ったら、“投石されたら即ち死” だし、“指揮官が殺られても即ち死” だろ」

 

 

 

 

眉間を抑えるウェイに、

呂晶はリズミカルに屁理屈をこねる。

 

 

 

 

「“地割れが起きても即ち死”、“隕石が落ちても即ち死”。一人の弓手に何でもかんでも背負わせんじゃねーよ!」

 

 

 

「だからな、“不意に囲まれちまう” 状況とかあるだろ?」

 

 

 

 

指を一本立て、ウェイは講義を続ける。

 

 

 

 

「”弓使いAさん” が伏兵に殺られたから、“俺等はそうならないようにしようぜ” って話だ」

 

 

 

「そーんなのっ!絶対いつか死ぬに決まってんじゃん、ねぇ狭霧?」

 

 

 

 

狭霧と呼ばれた、顔に入れ墨のある女性。

白髪だが歳は呂晶と同じ位だ。

 

狭霧は呂晶に『ウンウン』と真剣に頷いてから、ウェイの方に向き直す。

 

 

 

 

『貫かなくても、当たれば大体逃げてくぞ。アタイは無駄な殺生はしたくない』

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

狭霧は言いたい事をハッキリ言うタイプだ。

 

呂晶は『久』の部分を突っ込んでいるが、

狭霧は『貫』の部分が納得いかないらしい。

 

 

 

 

「ウェイ……サイッテーだな!一生懸命やってる女の子に “死ぬ” なんて言う奴はサイッテーだ!ねぇ狭霧?」

 

 

 

 

つい半年前まで一般人だった遊珊に、弓の極意は厳しすぎる。

 

狭霧は呂晶にウンウンと真剣に頷いてから、

ウェイの方に向き直す。

 

 

 

 

『アタイもそう思う』

 

 

 

 

呂晶と狭霧が結託してしまった。

 

 

 

 

「貫くってのは防具をだ。弾かれるような矢じゃダメって意味だ」

 

 

 

 

協調する女子二人に、ウェイは面倒ながらも指導を行う。

命に関わる事なのだからしっかり教えねばならない。

 

それを無視し、女子二人はヒソヒソ話を始めている。

 

 

 

 

「…ねぇねぇ、エッチに似てない?よくいるじゃん… “そこじゃない” ってトコ突っ込もうとする男…」

 

 

 

『ギャハハハ!!そーだ!一発で貫けない童貞がクタバレー!』

 

 

 

 

狭霧は大げさなポーズで腕を伸ばし、

ウェイを指す。

 

 

 

 

「そーだそーだ!童貞の癖に持久力なんて生意気だぞーっ!」

 

 

 

 

呂晶も大げさなポーズで腕を伸ばし、

ウェイを指す。

 

 

 

 

『ギャハハハ!!“貫きても早漏ならば即ち死” だ!!ウェイ終わったなぁーギャハハハ!!』

 

 

 

「……。」

 

 

 

 

狭霧は腹を抱えながら、ウェイを何度も指差す。

 

ウェイは目を瞑り、無の境地にて嵐が過ぎ去るのを待っているが、

そこへ呂晶が更に追い打ちを掛ける。

 

 

 

 

「ウェイ、お前な!弓使わねーからって好き放題言ってんじゃねーぞ!同じ童貞として可哀想だと思わないのか!?弓使いAに対して!!」

 

 

 

 

ウェイはたまらず大声で言い返す。

 

 

 

 

「好き放題言ってんのはお前等だろああああぁッ!!俺が作った言葉じゃねーし、俺は童貞でもねぇ!!弓使いAもたぶん童貞じゃねぇよっ!!」

 

 

 

 

二人を両手で指差し、ぶんぶんと振る。

それを見かねた遊珊が止めに入る。

 

 

 

 

「ちょっとみんな、真面目にやりましょう?……アナタもムキにならないで」

 

 

 

「う…っ。だってな遊珊、コイツらが…」

 

 

 

「もう、野暮な人」

 

 

 

 

遊珊が目を細めて窘めると、ウェイはシュンとしてしまう。

 

すると、まだ10代に見える若い男性、

ガイルと呼ばれた青年結盟員が話を戻す。

 

 

 

 

『まぁ、弓は後衛っすから、誰かが守れば良いっすよ。死ぬかもしれないなら尚更っす』

 

 

 

『アタイもそう思う。三死なんて出来ない弓手の方が多い。多いって事は死んでないってコトだ。みんなで守ってんだよ』

 

 

 

 

ふざけつつも、仲間の命が掛かったこの言葉と真剣に向き合う。

そこへ、ウェイが更に問題提起する。

 

 

 

 

「だがな、守ってくれる奴がいない時だって、やっぱりあるぞ? 逆に守らなきゃいけない時だってある」

 

 

 

 

幼少のウェイを助け、彼の心の師となっているのは、

渤海の “弓手の” 武侠である。

 

 

 

 

「俺が知ってる弓手なんてスゴかったぞ。一人で敵をバッタバッタと…」

 

 

 

「ゴチャゴチャうるせぇっ!先生が嫌がってんだろ!殺すぞッ!?」

 

 

 

 

真面目になりかけた空気を、

放蕩娘が掻き乱す。

 

 

 

 

「お…っ、俺…そんなに重罪か…?」

 

 

 

 

懇切丁寧に指導しているというのに、なぜ死罪にされるだろうか。

その理由はウェイの優しさにこそある。

 

 

この手の体育会系の指導は、まず徹底的に罵倒と否定を行い、

今までの価値観を白紙に戻してからでないと効果は薄い。

 

武功家だろうと軍隊だろうと、それは同じだ。

 

それをしていない為に、ありがたいお言葉も受け入れられないのだ。

 

 

 

 

「冗談はさておき、弓は最も ”苛烈な武術” と言われてる。それは接近されたら反撃の術が無いからだ」

 

 

 

 

掻き乱された空気を、

ウェイは再び真面目な方へと傾ける。

 

 

 

 

「はぁ?勝手に決めてんじゃねーよ。誰だそんなコト決めやがったのは?神か!?神ならアタシがぶっ殺してやる!」

 

 

 

「呂晶ーちょっとしつこいぞー。それに言い出した人はもう死んでるぞー」

 

 

 

 

“冗談はさておき” と言われては、呂晶は黙ってはいられない。

その冗談のような真理を真っ当すべく、命を懸けているのだから。

 

冗談でも大真面目だ。

 

 

 

 

「だったら弓なんか使うんじゃねぇよ!遠距離なんてテメーが弱い証拠だろうがよぉコラ?」

 

 

 

 

無視されると、呂晶はますますムキになる。

 

 

 

 

「なーにが “苛烈な武術” だ調子乗りやがって。体張ってから物言いやがれ!」

 

 

 

「あー…それはあの世で、三死を考えた奴に言ってくれ」

 

 

 

「アタシは ”あの世” なんて信じないッ!!」

 

 

 

 

『(めんどくっさ…)』

 

 

『(めんどくっさ…)』

 

 

「(面倒くさい子ね…)」

 

 

 

 

他の者達は空気を読んで “学習モード” に入っており、冗談はお腹一杯である。

そして呂晶の “神仏嫌い” もお腹一杯である。

 

 

 

 

『…貫通力が大事なら、“弩” はダメなんすか?』

 

 

 

「おお、良い質問だガイル」

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

(いしゆみ)とは、即ちボーガンの事である。

 

軌道が直線的な為、

城壁の上にいる敵を放物線状に狙うといった使い方は出来ないが、

ハッキリ言って弓より強い。

 

遊珊でなくとも、遠距離攻撃ならば弩の方が妥当である。

 

 

 

 

「弩は、作るのも所持するのも許可がいるんだ」

 

 

 

 

そこらの農民すら強力な兵隊に変える弩は、

軍隊を統率する ”武官” が認可しなければ、製造・所有が許されない、

軍御用達の兵器である。

 

そして気功家は、武官から『跳躍者』と呼称され、

不穏分子として見なされている。

 

 

 

 

「それに矢に触れないから、気功が通し難い。俺達には相性が悪いんだ」

 

 

 

 

軍御用達の弩であっても、やはり試した気功家はいる。

試行錯誤の結果、弓の方が良いと結論が出たのだ。

 

 

 

 

『誰も使ってないのには、理由があるって訳っすね』

 

 

 

「そうだ。まぁ正確には、今でも弩を使おうとする気功家はいるがな」

 

 

 

 

試行錯誤の末に得られた ”結論”

いつしか試行錯誤の ”過程” は忘れられ、結論だけが残る。

 

この結論を、後世に伝言ゲームのように伝えた物が ”風習” や ”仕来り” である。

 

 

過程はとうに失われている為、

風習や仕来りは伝言ゲームを繰り返す内、

元の目的が何だったか判らないほど(いびつ)に歪んだ物へと変わる。

 

 

目的も判らない物を強制された後世の者が、

ある時それに反発を起こし、風習や仕来りを消滅させる。

 

そして、また過ちが繰り返される。

何千年もの間、繰り返されてきたループだ。

 

 

 

 

『自分で使ってみないと納得できない気持ちはあるっすね。昔より今の方が技術が発展してるし、他にも試してる人がいるなら気になるっす』

 

 

 

 

過ちのループを防ぐ手段が、

”結論” だけでなく ”過程” も圧縮して伝える、いわゆる『勉強』である。

 

 

役に立つかも判らない、やりたくもない勉強。

生徒の『勉強は将来何の役に立つの?』という問いに、

教師は言葉を濁してしまう。

 

それは、勉強とはその生徒の為だけではなく、

半分くらいは、国やコミニティの為に教える物だからだ。

 

“馬鹿がいると皆が迷惑する”

そんな事を、道徳の模範たる教師が口に出来るハズもない。

 

 

 

 

『ガイル。そういうのはとりあえず従っておきな。アタイも家の掟には従ってる』

 

 

 

 

先人の気功家が挑戦し、失敗した、

弩と気孔を併用した戦術の確立。

 

それを成そうとすれば例外無く、人生を捧げて取り組む必要がある。

 

人生を捧げたとしても、高い確率で今までと同じ結論に行き着く。

それはとても非効率だ。

 

 

過程をよく知らないのであれば、賛同も反発もせず、

黙って従っておくのが無難である。

 

狭霧が言っているのはそんな事だ。

 

 

 

 

「そうだな。三死もアレンジを加えても構わない。だが、それが出来た理由についても、各々あとで考えてもらいたい」

 

 

 

 

学びきれなかった事を後で自分で補完する。

これを『復習』と言ったりする。

 

 

 

 

『理由かぁ…。なら、アタイは小兄に聞いてみるよ。小兄は頭が良いんだ』

 

 

 

 

その復習を忘れないよう強制させるのが『宿題』だ。

狭霧は三兄弟の末娘の為、宿題が出れば兄に教えてもらう事が出来る。

 

兄弟がいる者の特権だ。

 

 

 

 

「おーい狭霧ぃ…。ビビる事なんてない」

 

 

 

 

問題児の呂晶が、勉強を妨害する悪魔の囁きを行う。

 

 

 

 

「弓ってのは遠くから攻撃出来るから、”危機感” が薄れちまうだろ?」

 

 

 

『うん、薄れちまう』

 

 

 

「だからしつこく、”サボると死ぬぞ” って脅すんだ」

 

 

 

『……ッ!』

 

 

 

「ようは三死ってのは、“死ぬ死ぬ詐欺” だ」

 

 

 

 

狭霧が、目から鱗が落ちたような顔をする。

 

塾に通うなどして、まだ習ってない事を予習している『頭の良い子』は、

宿題の答えをネタバレし、趣旨を台無しにしたりする。

 

 

 

 

『詐欺だったのか…。じゃあアタイ、小兄に聞くのはやっぱりやめる』

 

 

 

 

狭霧はウェイを向き、宿題をサボる宣言をした。

 

 

 

 

「だからさ……後で考えろって言ってんだろ…」

 

 

 

 

こういったネタバレをする呂晶のような子は、

特に悪い事をしている訳でもない為、怒る事も難しい。

 

教師にとっては悩みの種である。

 

 

 

 

『遊珊さん、ほとんど呂晶さんに避けられてないっすよ。何かコツでもあるんすか?』

 

 

 

 

青年結盟員が確認している、戦績を記述した紙。

 

呂晶の7連勝中ではあるが、

敗因のほとんどに『弾かれ次射が間に合わず』

もしくは、『掠めるも致命傷ならず』と記述されている。

 

 

避けるのが得意な呂晶ですら、

遊珊の矢をほとんど回避できていないのだ。

 

 

 

 

「どうかしら? 相手が求める事をしてあげるようには……気を遣ってるわ」

 

 

 

 

ウェイは生徒の珍しい意見を拾う。

 

 

 

 

「求める事?それは初耳だな。聞かせてくれ、遊珊」

 

 

 

 

遊珊は立てた人差し指を顎に当て、

夕飯の献立を考えるような表情で感覚を思い出す。

 

 

 

 

「人は攻められたくない部分を、本当は一番攻めて欲しいと思ってるの。わざわざ判るように嫌がっちゃうのよ」

 

 

「??」 『??』 『??』

 

 

 

 

幾多の相手と “深い関係” を築いてきた、遊珊だからこそ可能な読み。

その独特の感性を、他者が理解するのは難しい。

 

皆が狐につままれた顔をしているのに気付き、

遊珊は慌ててフォローを入れる。

 

 

 

 

「あっ!…何言ってるのかしらね、私……忘れて、ね? 素人の意見だから…」

 

 

 

 

そして遊珊が困れば、愛の戦士は黙っていない。

 

 

 

 

「やっぱ、“花魁” は言う事が違うよねぇ~!!心を読まれちまうんだよ、心を!」

 

 

 

「……ッ!」

 

 

 

 

その単語が出た瞬間。

 

いつも優しく、柔らかい物腰の遊珊が、

目を見開く。

 

 

 

 

『えっ……先生って…遊郭の人なのかい? アタイ知らなかった…』

 

 

 

『遊珊さん花魁……なんすか…?スゴイ人、なんすね…』

 

 

 

 

場の空気が一気に不穏になる。

気まずい。

 

しかし、華奢な体にデカイ肝っ玉を持つ遊珊は、

そんな状況でも冷静に対処する。

 

 

 

 

「ええ、そうなの…。でも、あまり思い出したくない事だから……深く聞かないでもらえると嬉しいわ…」

 

 

 

 

清らかな心を持つ者が、不運に巻き込まれ、

辛いながらも健気に人生を歩んで来たような。

 

思わずそう感じてしまう憂いのある笑顔で答える。

この場で考えうるパーフェクトなフォローだ。

 

 

 

 

『まぁ、色々あるよね。アタイもそうだよ』

 

 

 

『僕も偏見なんかちっとも無いっす。気にする事ないっすよ』

 

 

 

「よく判らんが、困った事があればいつでも言ってくれ。力になる」

 

 

 

 

場の空気が遊珊を応援する物へと変わる。

 

だが、遊珊が困っていたら、

助太刀するのが愛の戦士である。

 

 

 

 

「はぁ?判ってねーなお前等…。スゲーんだぞッッ!!長安の花魁てのはッッ!!」

 

 

 

「(ちょ…っ)」

 

 

 

「中華だけじゃない、”外国の男もたらし込んでんだ!!” アタシは尊…敬ッ!しちまうねッ!!」

 

 

 

 

宋の西の都、長安の遊郭は、西方の政治的客賓をもてなすべく、

国内でもトップクラスの遊女が集められている。

 

 

 

 

『…そっか、アタイが先生から習ってた化粧は、遊郭直伝の技だったんだな…』

 

 

 

 

遊珊は困った笑顔を作りながら、

怒りの炎を燃やしている。

 

 

 

 

「(…呂晶……許さない…… ”指切りげんまん” よ…)」

 

 

 

 

呂晶がした事は、大学のサークルの集まりで、

『この子、風俗で働いててNo1なんだよ!スゴくない!?』

と言うような事である。

 

 

 

 

「よーし、感想戦は終わりだ!ほらほら位置に付け!次行くぞーッ!!」

 

 

 

 

 

ウェイの掛け声に合わせ、

呂晶は飛び跳ねるような軽やかなステップで位置に付く。

 

 

 

 

「キャオラッ!!」

 

 

 

 

(先生との試合~!楽しいなぁっ!楽しいなぁっ!でも手加減してあげな~い)

 

 

 

 

「……。」

 

 

 

 

遊珊は目を見開いたまま、薄っすらと笑っている。

彼女の周りを火花が叩いたように見えた。

 

 

 

 

「はじめえええぇいっ!!」

 

 

 

「っしゃーーッ!!」

 

 

 

 

体内気功で脚力を強化し、

呂晶は一歩目からトップスピードで駆け出す。

 

 

遊珊は引き付けるタイプ。

ならばデッドゾーンにいる時間を少しでも短くし、

相手にプレッシャーを与える為、最大戦速で接近する。

 

小細工する相手に、小細工など不要。

正面から押し潰すのみ。

 

 

 

 

「(ん?赤い揺らめき……もう撃つってのか。それともハッタリか?)」

 

 

 

 

遊珊が構えた弓。

その先が蜃気楼のように揺らめいでいる。

 

そして、まだデッドゾーンにも入っていない遠距離で、

矢が発射される。

 

 

 

 

「炎孔…!はや……っ」

 

 

 

 

矢尻と羽、そして弓をかける “筈” から炎を噴射し、

弓威ある一射が飛翔する。

 

だが、いくら弓威があっても、

さすがに遠すぎる。

 

 

 

 

「(コレは牽制だ……勝負は第二射…それをどう避けるか!)」

 

 

 

 

呂晶は半馬身ほど左にステップし、遊珊の動きを確認する。

 

 

 

 

「(え……次射の準備、してない…?)」

 

 

 

 

遊珊は矢を撃った姿勢で、力を抜いて弓を下げている。

 

次を矢筒から抜くでもなく、ポイントを変える訳でもなく、

氷のような視線を呂晶に向けている。

 

 

 

 

「(あの顔…何かで見覚えが…)」

 

 

 

 

熟練の弓手が矢を放った際、完璧な軌道と速度で飛翔した事を確認して作る、

バッターがホームランを確信した時のような表情。

 

“確殺の顔”

 

 

一抹の不安を感じた呂晶は、回避した矢に視線を戻す。

 

 

 

 

「(はぁ!?何でこっちにッ!?)」

 

 

 

 

確かに避けた矢が、

まるで自分を追尾したように、すぐ右横に来ている。

 

 

 

 

「ぐっ……ほぉ…っ!!」

 

 

 

 

右脇腹に激痛が走り、身体がくの字に折れ曲がる。

左に半馬身ステップした体を、更に半馬身飛ばす程の衝撃。

 

硬い玉を抉り込まされた、鈍い痛み。

 

 

 

 

『当てた…っ!先生が呂晶に当てたよ!!』

 

 

 

『すごいっす!今日初めてっすよ!』

 

 

 

 

「お…っ、おおおおう……!」

 

 

 

 

矢先は刺さらない丸型だが、樹脂で固めてある。

まともに喰らえばかなり痛い。

 

油断しきった脇腹なら尚更だ。

 

 

 

 

「スゴイぞ遊珊!!言った側からやってのけるとは!!」

 

 

 

 

優秀な生徒を褒め称える。

ウェイは褒めて伸ばすタイプだ。

 

 

 

 

「しかも曲矢じゃないかっ!いつの間に覚えたんだっ!?」

 

 

 

「ええ、そうね」

 

 

 

 

遊珊は視線も向けずに返事をする。

ほとんど無視しているのと変わらない。

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

遊珊は誰にでも優しい。

でも何故か、自分に対してだけは冷たい気がする。

少なくとも自分の記憶では、嫌われるような事はしていないのに。

 

ウェイは勘違いだろうと自分を納得させる。

 

 

 

 

「(人は心臓の無い方に安心を得るのよ。”アナタがどちら利きかは知らないけれど”)」

 

 

 

 

心臓の無い方、相手の右側に寄り添うのは遊女の基本だ。

 

ただし、緊張や刺激をもたらす為、

あえて左に付いたり、左の乳首を責めるというテクニックもある。

 

 

 

 

「ってぇ~…。へへへ……この先生め、よくもやったなぁ…っ」

 

 

 

 

呂晶は脇腹を抑えて蹲りながら、

それでも恍惚の表情を浮かべている。

 

 

 

 

「(結構痛いなコレ…。でも何だろう…先生の気孔が籠もってると思うと悪くない、かも…。えへ、えへへ…)」

 

 

 

 

気孔は体内から発生する。

 

好きな人の体内から出た物であれば、

大抵の物はご褒美に成る。

 

 

 

 

「次行くぞ!!位置に付け!!」

 

 

 

「ヤッベ……アタシMっ気あんのかな…」

 

 

 

「(気持ちの悪い子…)」

 

 

 

 

ニヤニヤしながら配置に付く後ろ姿を、

遊珊はさっきと同じ顔で眺めている。

 

熟練の弓手が当たる事を疑いもしない、

確殺の表情で。

 

 

 

 

「9回戦!!始め!!」

 

 

 

「愛に障害は……ないんだよぉッ!!」

 

 

 

 

再び一歩目からトップスピードで駆け出す。

 

矢を当てる訓練ではあるが、

呂晶にも幾多の戦いを勝ち残ってきた、

歴戦の気功家としての ”プライド” がある。

 

 

これ以上の失態は許されない。

 

 

 

 

「(また…っ?この距離で撃つつもりか!)」

 

 

 

 

再び遊珊の前に、赤い蜃気楼が揺らめいでいる。

そして躊躇もせず、矢を発射する。

 

 

 

 

「(また曲矢か…どっちに曲がる…!?)」

 

 

 

 

炎孔を噴出する、ミサイルのような矢が迫り来る。

 

 

 

 

「(いや、曲がるならあえて直進……でも曲がると見せて、やっぱり真っ直ぐ…?)」

 

 

 

 

考えている暇など無い。

 

 

 

 

「めんどくっせぇ…!」

 

 

 

 

真っ直ぐ進みながら、デッドボールにバントを決めるように、

太い刃先で矢を弾く。

 

デッドゾーンならともかく、遠距離ならば造作も無い。

 

 

 

 

「(曲がらなかった…。どうして避けないと判った? アタシ顔に出やすいのかな……ん?)」

 

 

 

 

弾いた瞬間、呂晶はそれに気付く。

 

呂晶がそれに“気付いた事に気付き”

遊珊は氷のような笑みを浮かべる。

 

 

 

 

「(ほんに(ホント)……武左な子でありんすえ(負けん気の強い子ね)…)」

 

 

 

 

炎が揺らめく背後に、“気孔を乗せていない” 二本目の矢が、

一本目に隠れるように、一瞬遅れで飛翔している。

 

 

 

 

「(炎孔の陰に………もう一本!)」

 

 

 

 

 

 

――馭花心弓・飛花

 

二本以上の矢を同時発射する『複矢』と呼ばれる高等技術。

 

遊珊はそれを放つ際、一本だけに炎孔を付加して速度差を作り、

命中までの到達時間にタイムラグを設けた。

複矢と見えない矢を忍ばせる『隠矢』と呼ばれる高等技術を複合したのだ。

 

 

実戦では滅多に御目に掛かれないような『魅せ技』

それだけに、初見で躱せる技ではない。

 

 

 

 

「(クソッタレッ!!)」

 

 

 

 

小さな打撃音と共に、

隠された二本目の矢が、呂晶の顔面に命中する。

 

身体は膝を折って前へ滑りながら、

顔は真後ろまで弾かれている。

 

 

 

 

『また当てた!!』

 

 

 

「……いやっ!…続行ォオオオオッ!!」

 

 

 

 

矢が顔面を貫いたにも関わらず、ウェイが試合継続の合図を出す。

 

 

 

 

「……ふん…ぬぁっ!」

 

 

 

 

呂晶は真後ろに弾かれた顔を、がばりと起き上がらせる。

その口には、矢が噛み締められている。

 

 

 

 

『あれは…っ! “真弓白歯取り!”』

 

 

 

『違うぞガイル!あれは ”真弓” じゃない…!偽物の弓だよ!』

 

 

 

「違ーうッ!!偽物なのは矢だ!!弓は本物だ!!」

 

 

 

 

飛翔する矢を歯で掴み取り、絶命を避ける『白歯取り』

これも実戦では御目に掛かれない、魅せ技である。

 

 

 

 

「(痛っでえええええええぇッ!!)」

 

 

 

 

呂晶の目から涙が溢れる。

 

 

 

 

「(喉……ッ!!喉があああああああぁッ!!)」

 

 

 

 

そう。この白歯取りは、”失敗” である。

 

遊珊の矢は、見事に呂晶の口内を貫いた。

ただし、この矢先に付いているのは貫かない樹脂の球。

 

 

喉奥に当たった ”後” に咥え、止めたように見せただけ。

 

 

つまりズル。

実戦ならば死んでいる。

 

 

だが、歴戦の気功家である呂晶の ”誇り” が、

“卑怯な手段” によって、敗北を拒否したのだ。

 

 

 

 

「……ぐぼぅぇえッッ!!」

 

 

 

 

たまらず矢を吐き出す。

 

いくら歴戦の気功家であろうと、

“誇り無きプライド” ではこれが限界だ。

 

 

 

 

「……げっ…!」

 

 

 

 

矢を吐いた目の前に、輪郭がボヤけた飛翔体が写る。

もはや何をどう足掻いても、どうにもならない距離。

 

呂晶は観念して目をつぶる。

 

 

 

 

「…でっ!…だっ!……きゃっ!」

 

 

 

 

ポコンポコンという、気の抜けた音を立て、

複数の矢が呂晶に命中する。

 

 

 

 

――破天神弓、霹靂矢・三連

 

初弾に複射と陰矢の二本、そのまま呼吸を開けず連矢を三射。

計5本の4連射である。

 

実戦なら隠矢で勝負は決っている。

残心どころか、もはや『死体殴り』級の用心深さだ。

 

 

 

 

連矢の弓威は、普段の呂晶なら簡単に防御できる、

速射重視で威力無視の弱いもの。

 

それでも体勢が崩れ、戦速の落ちた呂晶を捉えるには、

十分な弓威。

 

喰らった呂晶からすれば、まさに青天の霹靂のような矢。

 

 

始めに目立つ炎孔で蜃気楼を発生させていたのは、

手に持った五本の矢に迷彩を施す、カモフラージュ。

 

 

 

 

「そこまでええええぇーーいやぁッ!!」

 

 

 

 

その美しい弓術に、

審判のウェイもたまらずテンションが上がる。

 

 

 

 

「ちっきしょー…。あんなの避けられっかよ…」

 

 

 

 

おでこと鼻をさする呂晶に、

遊珊は相変わらず冷たい視線を向けている。

 

 

 

 

「おい遊珊っ!ホントにどうしたんだ!?誰に教えてもらったんだ!?」

 

 

 

「ええ、どうも」

 

 

 

「……。」

 

 

 

 

集中しているのだろう。

ウェイはそう考え、自分を納得させる。

 

 

 

 

「……10回戦ッ!!位置に付けぇーーッ!!」

 

 

 

 

『遊珊さん、マジパネェっす。決まり手は何て書けば良いんすかね。炎孔による隠矢の後に…』

 

 

 

『本当にスゴイよ。アタイはあんなの、”あの人” でしか見た事がない』

 

 

 

『あの人って誰っすか?』

 

 

 

 

狭霧と青年結盟員の話に、ウェイが加わる。

 

 

 

 

「そうだな。遊珊が “アレ” を使えれば、アイシャ以上の弓手になっていただろう」

 

 

 

 

ウェイは遊珊に無視されて、寂しかったのだ。

 

 

 

 

『ああ…確かに、遊珊さんには ”アレ” を引く力は無いっすね』

 

 

 

 

呂晶は所定位置に歩きながら、戦術を練っている。

 

 

 

 

「(先生、マジでやりやがる……。ヤッベ、最後は良いトコ見せねーと…)」

 

 

 

 

位置に付き、対戦相手の可愛い顔を睨む。

 

 

 

 

「……おい、先生いないぞ?」

 

 

 

「遊珊なら、お前が後ろ向いてる間に移動してったぞ」

 

 

 

「何だって!?」

 

 

 

 

周囲を見渡す。

 

いない。

 

おそらく、どこかの木の上を移動し、

既に身を隠している。

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

姿を隠して、相手を一方的に狙い撃つ。

 

 

『狙撃』するつもりだ。

 

 

こちらは位置が判らないのだから、

何時(いつ)どこから来るか判らない矢を、

少なくとも一射は回避せねばならない。

 

 

 

 

「そんなのアリかよっ!?聞いてねーぞっ!」

 

 

 

 

抗議する呂晶を見て、絶好の好機と言わんばかりに、

狭霧と青年結盟員が言い放つ。

 

 

 

 

『卑怯とは言うまいね』

 

『卑怯とは言うまいね』

 

 

 

 

「ぐ…っ!」

 

 

 

 

“卑怯とは言うまいね” とは、

以前開催された『長安~敦煌・馬レース』にて、

呂晶が反則技で優勝した際、抗議する皆に言い放った台詞である。

 

 

 

 

「(コイツら…!まだ根に持ってやがったのか…!)」

 

 

 

 

人を出し抜くのは気分が良いが、

出し抜かれた方は、結構いつまでも覚えている物だ。

 

 

 

 

「おい、これはナシだ!勝負になんねぇ!」

 

 

 

「ダ・メ」

 

 

 

 

ウェイは声に合わせ、首と指を左右に振る。

 

 

 

 

「テメェ…ッ!」

 

 

 

 

呂晶は出し抜く事は大好きだが、出し抜かれるのは我慢ならない。

呂晶に限った事ではないが。

 

 

 

 

「10回戦!!はじめぇーーいっ!!」

 

 

 

「(クソ…! 先生の可愛い顔が見えねーと、心の距離もやたら遠い気がするぜ…!)」

 

 

 

 

ロンリーな気分の呂晶は、結盟員達をチラリと覗き見る。

 

 

 

 

「……」 『……』 『……』

 

 

 

 

全員、明後日の方向を見ている。

視線から遊珊の位置を割り出すのは不可能だ。

 

 

 

 

「ち…っ!」

 

 

 

 

もう判った。

 

日頃の行いが祟ったのか、今この地は、

自分にとって完全アウェーである。

 

 

 

 

「(別に良いよ……勝負にならないのはアタシがじゃない… ”有利すぎてツマンネー” ってだけだ)」

 

 

 

 

呂晶の身体の周囲を、薄っすら赤い蜃気楼が覆っていく。

 

実際はそこまで有利では無い。

自尊心を保ち、己を鼓舞しているに過ぎない。

 

 

だが、呂晶が狙撃対策を持っているのは確かである。

 

避ける側にとって絶対不利に思える狙撃体勢だが、

気功家の弓勝負は、銃のそれとは少し違う。

 

 

 

 

「………。」

 

 

 

 

目を瞑り、耳を澄ます。

木々のざわめきと、鳥の鳴き声が聞こえる。

 

それに混じり、異質な風切り音が近付いてくる。

 

 

 

 

「(……来た…ッ!)」

 

 

 

 

閉じていた目を開く。

 

呂晶は、イキの良い魚が水面を跳ねるように、

急激に身を捻らせて跳ね上がる。

 

 

 

 

「でぇええええいッッ!!」

 

 

 

 

炎孔を爆発的に噴出させ、月面宙返りを行う。

呂晶を中心に、爆風が空間を歪ませ膨れ上がる。

 

同時に音が聞こえた方向に、大刀を素早く回しながら振る。

 

 

 

 

――炎壁術・赤塔

 

身体から炎孔を噴出させ、気功耐性を高める。

 

呂晶が使えば、

気功耐性が少ない代わりに、周囲に物理的な衝撃波を巻き起こす。

 

 

 

 

――黒殺槍法、旋風槍・血蛇風

 

同じく気功耐性を高める技。

熱風を吹き出す槍を高速回転させ、廻し受けを行う。

炎孔で強化された回転は、重い棒を巨大な扇風機に変える。

 

 

 

 

「(狙撃じゃ曲芸のような矢は放てない、それにコレは初めて見せる…先生でも予測出来ない!)」

 

 

 

 

呂晶が行っているのは、当てずっぽうの回避。

 

独楽(こま)のよう跳ね、回せる所をとにかく回しながら衝撃波を放ち、

『外れてくれる』もしくは『弾いてくれる』事に期待した、

運任せの防御。

 

 

単純だが、大抵の矢であれば、

これでほぼ致命傷は避けられる。

 

この “完全防御体勢” を貫くには同じく単純にパワーが必要だ。

 

 

弓はパワーを維持できる限界が二十歩(30m程度)と言われおり、

気孔を駆使しても、その1.5倍が関の山。

 

貫通力に優れた秋風系列矢であっても、

距離による威力減衰は避けられない。

 

 

弓矢とはそもそも、“狙撃に向いていない武器” なのだ。

 

 

 

 

 

 

「(そして先生は、 “絶殺” が使えないッ!!)」

 

 

 

 

 

 

――破天神弓、奥義・絶殺弓

 

鋼鉄弓と鋼鉄矢を使い、音速を越えた矢を放つ。

矢には粗い傘型の気孔を付加し、空気を振動させながら飛翔する。

それが音の壁を形成し、相手にソニックブームを叩き込む。

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

音速を越えているのだから、風切り音すら聞こえない。

 

どころか、音の壁に掠っただけで、

意識を持っていかれる厄介な代物。

 

 

張力100kgの馬鹿力と、馬並みの気孔出力が無ければ、

矢は音速に到達しない。

 

弓矢の材質や撃ち方、多くの部分を “絶殺仕様” に変更せねばならず、

繊細な遊珊とは真逆の思想から成る、力押しの弓術。

 

威力も汎用性もトップクラスの破天神弓最強技。

弓の王様が『絶殺』である。

 

 

 

遊珊はそれを放つ事が出来ず、

それでも狙撃を選んだ。

 

つまり、作戦を過った。

 

 

 

 

 

 

「(…嘘だろ……?)」

 

 

 

 

 

 

そう思った、呂晶の顔が引きつる。

 

 

月面宙返りをしている最中、

ブレた景色に紛れ込んだ、太くて長い物体。

 

”袋” が巻き付けられた矢。

 

 

 

 

 

 

「(爆滅……狙撃でだと…!?)」

 

 

 

 

 

 

――破天神弓・爆滅戦投陣

 

爆薬を括り付けた矢を放つ。

爆薬には金属片を仕込み、殺傷力を高める。

 

今回の試合形式では、金属片の代わりに “墨” が仕込まれており、

サバイバルゲームと同じく、これが急所に付着すれば “一本” である。

 

 

 

 

 

 

「(クソッタレ!炎壁が誘爆させちまう!!)」

 

 

 

 

 

 

呂晶が発生させた爆風に、爆滅矢が接触する。

赤黒い閃光と共に、爆煙と墨が弾け飛んだ。

 

 

 

 

 

 

『あの爆滅、真っ直ぐ飛んでったよ!?』

 

 

 

 

 

 

爆滅の矢は重く、空気抵抗が大きい。

真っ直ぐ飛ばないのだ。

 

そのため放物線状に飛ばし、

相手の足元の地面に接触爆発させるのが基本だ。

 

木々の枝葉が邪魔をする森林地帯で、

しかも狙撃のような精密射撃には、とても向いていない。

だから呂晶もその可能性を考慮していなかった。

 

遊珊は曲矢により、軌道を強引に ”真っ直ぐに曲げた” のだ。

 

 

 

 

 

 

『まさかの…! 遊珊さんの三連勝!!』

 

 

 

 

 

 

爆煙の中から、呂晶が姿を現す。

 

 

 

 

 

 

「……いや…っ! 続行ォオオオオオオオッ!!」

 

 

 

 

 

 

ウェイが続行の合図を出すのと同時に、

呂晶は地面を蹴り、矢が飛翔してきた方向へ駆ける。

 

その腕には ”盾” を携えている。

 

 

 

 

 

 

「(まさか “コレ” まで見せる事になるとはね…!)」

 

 

 

 

 

 

盾には墨がベットリと付着している。

空中で盾を構え、墨を防いだのは間違いない。

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

『呂晶さん、盾なんて持ってなかったっすよ!?』

 

 

 

「いや…アレはアイツの得意技なんだ。”アソコに隠してる” 結盟以外には内緒にしておいてくれ」

 

 

 

 

 

 

ウェイは呂晶の腰の辺りを指差す。

 

 

 

 

 

 

『……?』

 

 

 

 

 

 

刺突のみを目的とした、古代ギリシャのファランクス等とは違い、

両手で武器を扱う槍や矛の使い手は、盾を装備しない。

 

色々と邪魔だからだ。

 

 

ただし ”邪魔にさえならなければ”

不意な攻撃に盾を掲げる事が出来る。

 

 

 

 

 

 

『それよりさ…けっこう墨喰らってるぞ。いいのかウェイ?』

 

 

 

 

 

 

正中線は防御したものの、

それ以外には所々、墨が付着している。

 

実際の戦闘ならそれなりのダメージかもしれない。

一本と取るかは微妙な線だ。

 

 

 

 

 

 

「あれ位ならいいさ。続けた方が訓練になる」

 

 

 

 

「そこだああああああぁッ!!」

 

 

 

 

 

 

呂晶は走りながら炎孔を付加し、

盾を爆発加速させ、横に一回転する程の勢いでフリスビーのように投げ付ける。

 

 

投げ付けられた盾は呂晶の走る先、広葉樹の “幹” に命中し、

寺の鐘を打ったような轟音が響き渡る。

 

木が地震でも起きたように、小刻みに激しく揺れる。

 

 

 

 

 

 

「きゃああぁっ!」

 

 

 

 

 

 

盾が当たったすぐ横から、舞い落ちる葉と共に、

バランスを崩した遊珊が落っこちてきた。

 

 

 

 

 

 

「あ……ちょ…っ……やだ…っ!」

 

 

 

 

 

 

片足が枝に引っ掛かり、

縛り上げられたように、逆さで宙ぶらりんになっている。

 

真っ白な下半身を、腰からふくらはぎまで覆っていた、

薄く白色の(スカート)がみるみる ”めくれ下がり”

遊珊は慌てて右手で抑える。

 

 

てるてる坊主をひっくり返したような状態。

足の素肌が、太腿どころか細くくびれた腰まで露出してしまう。

 

中央の秘部だけは抑えたものの、

それ以外、下着の左右が丸見えだ。

 

動こうにも逆さではどうしようもない。

遊珊の白い顔がみるみる真っ赤な羞恥に染まっていく。

 

 

狭霧も慌てて青年結盟員の目を両手で抑える。

 

 

 

 

 

 

『ガイル危ない!!お前には早い!!』

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

『馬鹿な…っ!! 僕には試合を記録する義務が!!痛ででで爪…ッ!爪立ってますッ!』

 

 

 

 

 

 

遊珊の痴態を見て、

呂晶の前進速度がわずかに鈍る。

 

 

 

 

 

 

「(やば…っ!やりすぎたか?……いや、そんなタマじゃねーよな!)」

 

 

 

 

 

 

呂晶がデッドゾーンに入った瞬間、

遊珊は逆さに吊るされたまま、股を抑える手を素早く離し、

最速で弓を構える。

 

 

(スカート)が完全にひっくり返って裏地を向け、

下着の秘部どころかヘソまで露出し、

腰から下が靴を履いただけの下着姿になる。

 

変態のリクエストに嫌々応えでもしない限り、

絶対にしたくない、羞恥の極みのような格好。

 

 

上半身も短い(はだぎ)がめくれ上がり、

重力で顔の方に落ちているノーブラの乳房も丸見えになったが、

めくれ下がった裳がまたそれを隠した。

 

宙吊りになり、スカートで胸を隠すという、

斬新で破廉恥なスタイル。

 

 

その破廉恥な逆さ吊りのまま、顔色一つ変えずに弓を構えている。

 

 

 

 

 

 

「(どうぞ……わっちのこたなが宜しくありんしたら(私のこんなものでよろしければ))」

 

 

 

 

 

 

遊珊は自分の裸にも、下着姿にも、

”不動の自信” を持っている。

 

見られる事に多少の快感を持った時期はとうに過ぎ、

見られ慣れ、称賛され慣れている。

 

いわゆる『自信があるから恥ずかしくないもん』である。

 

 

 

 

恥じる仕草は勿論、相手の動揺を誘う

 

 

演技。

 

 

 

 

 

 

「(お好いに……(好きなだけ)ぬしのお目々で犯しんし(視姦すればいいわ)ッ!!)」

 

 

 

 

 

 

遊珊の弓から、矢が飛翔する。

 

 

 

 

 

 

「(さすがだよ先生…だからアタシは尊敬してるんだ!)」

 

 

 

 

 

 

前進スピードを緩めず、

走りながら一瞬だけ両足を付く。

 

 

 

 

 

 

「(でもそんな状態じゃ、大した矢は放てないよッ!!)」

 

 

 

 

 

 

呂晶が首を傾けると、顔があった所を矢が通り抜けていく。

 

 

 

 

 

 

「(最小の動きでしくじりささんした…!さすがでありんすえ呂晶!)」

 

 

 

 

 

 

次射は間に合わないと判断した遊珊は、

鉄棒選手のように身軽さで、枝に乗って跳ね上がる。

足が引っ掛かったのではなく、引っ掛けていたのだ。

 

更に高い枝に乗り、もう一段跳ねる。

 

 

 

 

 

 

――奔雷歩・快

 

神歩幻影を薄く足に纏わせ、脚力を向上する。

神歩幻影と同じく、気功家にとっての必須スキル。

 

軽い遊珊の体なら、木の枝に飛び乗る跳躍力を与える。

 

 

 

 

相手が前進すればコチラは後退する。

 

気功家の弓手が一対一を行う際の基本戦術。

呂晶が使う “偉大教師” と同じ理論。

 

 

 

 

 

「ハァアアアッ!!」

 

 

 

 

 

呂晶も遊珊を追うべく、

木の下から直角に、弾丸のように跳躍する。

地面に向けた木製大刀の刃先が、炎孔の爆発で半分吹っ飛んだ。

 

体内気孔で高めた身体能力に、炎功の爆発加速。

呂晶の跳躍力は、遊珊のそれを遥かに上回っている。

 

 

 

 

 

遊珊は空中で、

体を後ろまで捻り、矢を弦に掛ける。

 

 

 

 

「……喰らいんせ…ッ!」

 

 

 

 

体を撓らせるように横回転させ、

回転の途中で矢を放つ。

 

”踊り” と呼ばれる類の速射法。

弓を引くのではなく、“弓を押して” 張力を発生させた。

 

女性らしい軽やかさと靭やかさを持つ、遊珊に似合う撃ち方。

 

 

 

 

 

 

「(だから……それじゃあダメなんだよッ!!)」

 

 

 

 

 

 

呂晶は避けるでもなく、弾くでもなく、

虫を払うように、“手の平で” 払いのける。

 

遊珊の顔面を捉え続ける命中力と持久力、

精神力は目を見張る。

 

 

だが、曲芸のような撃ち方では、貫通力が無い。

 

 

相手が前進すれば後退する。

気功家の弓手が一対一を行う際の基本戦術。

ただし、そういった状況になった場合、大抵の弓手はジリ貧である。

 

 

呂晶が刃先が半分になった大刀を振りかぶる。

 

 

 

 

 

 

「もらったああああああ……あ…っ?」

 

 

 

 

 

 

木を飛び抜け、空中を跳躍する遊珊の裏側。

 

太陽を背にした上空から、

細い体を縫うように、何かが落ちてくる。

 

 

 

 

 

 

「えっ……なん、で………たっ!…だっ!」

 

 

 

 

 

 

雨のように柔らかく降り注ぐ、数本の矢。

呆気に取られた呂晶の額に、二本がヒットした。

 

 

 

 

 

 

「そこまでええええーーいッ!! 勝者…ッ!!遊珊んんんんーーっぬんッ!!」

 

 

 

 

 

 

テンションMAXのウェイが、試合終了の号令を飛ばす。

 

 

 

 

 

 

『アレはそういう狙いだったのか!先生は小兄より頭が良い!』

 

 

 

『ど、どうなったんすか!?上に撃ったアレが決まったんすか!?』

 

 

 

 

 

 

狭霧と目隠しされた青年結盟員が言っている ”アレ” とは、

 

遊珊が爆滅を放った直後、

木陰から上空に向けて霹靂矢で放った無数の矢だ。

 

 

それは直上まで飛翔した後、自由落下を始め、

呂晶の顔面を捉えた。

 

鏃が重い弓矢だから可能な、弩には不可能な芸当。

 

逆さのてるてる坊主も、木の上への退避も、

呂晶を誘導し、落下までの時間を稼ぐ為の布石だったのだ。

 

 

 

 

 

 

「(ちっきしょー…そういう事か……)」

 

 

 

 

 

 

呂晶も少し遅れて理解する。

 

実戦であれば自由落下程度の加速力なら、

炎功を宿した大刀を振り抜くだけで、風圧が矢を弾いたはずだ。

 

その場合は遊珊が真っ二つになっていた。

 

ただし今回はルールのある試合。

歴戦の気功家である呂晶を、素人の遊珊が見事出し抜いたのだ。

 

 

 

 

 

 

「きゃあああっ!」

 

 

 

 

 

 

その遊珊は空中でバランスを崩し、落下を始めている。

 

 

 

 

 

 

「よいしょ……っと」

 

 

 

 

 

 

呂晶は空中で、遊珊をお姫様抱っこの体勢で受け止める。

そのまま、木の一番高い枝へ着地する。

 

 

 

 

 

 

「やられたよ、先生」

 

 

 

 

 

 

眼下に広がる森林地帯を一望できる、見晴らしの良い高台。

 

少しの間、二人だけの空間だ。

 

 

 

 

 

 

「呂晶、さっきのあれ……ヒドイわ」

 

 

 

 

 

 

捕らわれたお姫様が、不機嫌そうに顔を背ける。

 

 

 

 

 

 

「悪い。会話…大変そうだったから。あーいう事は早めに言っちまった方が良いんだ。モテすぎんのも辛いだろ?」

 

 

 

 

 

 

『モテる』とは多くの異性から好意を寄せられる意味であり、

遊女が手厚く ”もてなす” 様が語源である。

 

呂晶は二つの意味で言っている。

 

 

八方美人には様々な苦労が在り、

それは八方美人を続ける限り、増える事はあっても減る事はない。

 

遊珊は気立てが良く、周りに自然と人が集まってくる。

なおさら苦労は増えていくだろう。

 

だからそうならないよう、”勝手に” 手を打ったのだ。

 

 

 

 

 

 

「あら、そういう企みだったの。素敵じゃないわ…ねっ!」

 

 

 

 

 

 

お姫様が王子の頬を、両手で力一杯つねる。

まさにお姫様のようなふてぶてしさだ。

 

 

 

 

 

 

「ふぃでででで…っ!ほいあえないほいあえない(降りられない降りられない)」

 

 

 

 

 

 

遊郭の出身であるなど、おいそれと口には出来ない。

ただ、話してしまえば楽になるのも確かだ。

 

秘密はしている方も辛く、打ち明けるには勇気が要る。

 

 

 

 

 

 

「いつか打ち明けなきゃいけない。アタシらは命を預け合ってんだから」

 

 

 

「それでも、秘密にするのが常識ってものよ」

 

 

 

 

 

 

気立ての良い遊珊が、珍しく食い下がる。

相当不満だったのだろう。

 

 

いくら秘密は無い方が楽だと言っても、許可なく暴露など普通はしない。

遊珊の怒りはもっともである。

 

 

 

 

 

 

「むしろ、打ち明けてからが盟友だ。だったら、早くそうなっちまえば良い」

 

 

 

「私の気持ちはお構いなしなのね……アナタって人は…」

 

 

 

「うん、アタシ自己中だからな」

 

 

 

 

 

 

片目を瞑って笑いかける。

全く悪いと思っていない。

 

 

本当は、遊珊がモテすぎるのが嫌だったから。

好きな人ほどイジメたくなってしまうから。

 

 

 

 

 

 

「素敵じゃ……ありんせん」

 

 

 

「その喋り方良いな。セクシーだ」

 

 

 

 

 

 

理由はどうあれ、

遊珊が泥臭く粘り、勝利に結びつける事が出来たのは、

呂晶のおかげである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

____________________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

試合も終わり、遊珊がばら撒いた矢を集めながら、

呂晶がこの後の提案を行う。

 

 

 

 

 

 

「よしオメーらッ!!この勢いで盗賊やっぞラァッ!!」

 

 

 

 

 

 

手を叩いて注意を引いた後、拳を強く握る。

試合の後は実戦をしたくなる物である。

 

体力があり余っている者だけは、だが。

 

 

 

 

 

 

「ウチらなら、どんな隊商だって落とせる!そうだろ狭霧!?」

 

 

 

『ごめん、アタイ行かない』

 

 

 

「え…っ」

 

 

 

 

 

 

狭霧はキッパリと物を言うタイプだ。

 

 

 

 

 

 

「はぁ…?ちょっと待って。アンタ、泣く子も黙る ”鬼殺勢家” の末娘だろ?鬼を殺す勢いはどうしたんだよ?」

 

 

 

『それは先祖が決めた苗字だ。アタイの属性じゃない。アタイは、鬼が相手でも無益な殺生はしないよ』

 

 

 

「おーいおい…。だって、“ガイルは行くもんなぁ?”」

 

 

 

 

 

 

青年結盟員には、行く前提で話を振る。

 

彼は後輩だけに押しに弱い。

まずは彼を懐柔し、二対一で狭霧も懐柔すれば良い。

 

後は芋づる式だ。

 

 

 

 

 

 

 

『呂晶さんサーセン……俺もちょっと、なんつーか無理っす』

 

 

 

 

 

 

 

その企みが崩れる。

 

 

 

 

 

 

 

「はあああぁ? んーだとテメェエエエ?」

 

 

 

 

 

 

大きな声で威圧する。

呂晶は目上の者を敬わない癖に、歳下にはとても厳しい。

 

 

 

 

 

 

『いやっ……マジっ…ほんと、サーセン!』

 

 

 

 

 

 

いつもは逆らわない青年結盟員も、今回は意思が固いようだ。

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと何ぃ? みんな、ちょっと見ない間に腑抜けちまったの?」

 

 

 

 

 

 

訓練の後の実戦など、疲れてあまり行く気になれない。

”楽しい事なら別ではあるが”

 

 

呂晶の問いに遊珊が答える。

 

 

 

 

 

 

「呂晶、気を悪くしないで。私達、最近は “行商” に力を入れてるの」

 

 

 

「……なんだと?」

 

 

 

 

 

 

行商と言う言葉を聞き、呂晶の表情が変わる。

 

 

 

 

 

 

『アタイも盗賊ばっかりしてたけど、行商もやってみると案外大変なんだ。他を襲うのが可哀想になっちまった』

 

 

 

 

 

 

矢を拾いに行っていたウェイが戻り、会話に参加する。

 

 

 

 

 

 

「おお、行商の話か!?俺達もそろそろ絹とか運んでみるか~!かさばるけど!」

 

 

 

『やっぱ陶器っすよ、あの割れそうなスリルがたまんないっす』

 

 

 

『アタイは何でも良いよ、のんびり散歩したい』

 

 

 

「私、今回は護衛した方が良いかしら?いつも守ってもらってばかりで悪いわ」

 

 

 

「いや。遊珊はいつも通り荷の調達に行ってくれ。このあと向こうのチームも合流する」

 

 

 

『アタイもそれが良いと思う。先生は商品の目利きが上手だ』

 

 

 

『遊珊さんなら、特産屋もがっつり値引きしてくれますもんね』

 

 

 

「そうだ、今日はノブの奴もやるって言ってたな。そろそろ来る頃だろう」

 

 

 

『マジっすか!ノブさん来るんすか!』

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

「……。」

 

 

 

 

 

 

周りが知らない話を進めていると、

耐え難い疎外感を感じる。

 

 

 

 

 

 

「呂晶、お前もどうだ?まだ参加した事なかっただろう。あ……おい、呂晶!」

 

 

 

 

 

 

呂晶は一人背を向けて、その場を後にする。

 

 

 

 

 

 

「勝手にやってろ……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

____________________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

弓を当てる、避ける事は難しい。

 

真夜中の旅団で当てる事に最も秀でるのが遊珊である。

 

 

遊珊は力こそ無いものの、

繊細な気孔技術と手先の器用さでカバーする。

 

だがそれ以上に、完璧なまでの読みとプレッシャーに動じない胆力、

飄々とした性格。

 

遊珊が秀でるのは取り分け精神面だ。

 

 

 

避ける事であれば、呂晶が最も秀でている。

 

持ち前の瞬発力と経験で、遊珊が相手でも10回中7回勝ち、

実戦ならば更にその勝率は上がるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「(緊張も殺気も無い、適当に放たれた矢。あーいう数撃ちゃ当たれが一番避けづらいんだ)」

 

 

 

 

 

 

 

 

ただし、花雪象印商隊の前では、

これらの技術や経験は全く意味を成さない。

 

 

 

 

 

 

 








*******あとがき*******
ガイル氏が活躍する動画は下記になります。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1480181

ギルドイベントの一つで、地域ボスを討伐に行った時のものです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

奇譚収遺使禄.Ⅳ 「魔女と聖騎士」
お前が殺したんだよ


 

 

 

 

 

――消えない…っ!もっと雪をかけろ!

 

 

 

 

 

北欧の深い森にある、慎ましくも神聖な村。

 

 

 

 

月夜に照らされた、

 

 

真っ暗で、

 

 

真っ白な広場。

 

 

 

 

二人の幼い少女と、

 

何人かの大人。

 

 

 

 

そして、赤い光。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『熱…い…たすけ、て…』

 

 

 

 

 

一人の少女が

 

 

 

 

 

 

 

燃えている。

 

 

 

 

 

 

 

『どうしてだッ!?どうしてこの子を燃やしたッ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちがう…!ワタシは…ワタシは…っ!」

 

 

 

 

 

 

 

『…ダメだ、もう死んでる』

 

 

 

 

 

 

 

「えっ…死んでる? 死んでるって…も、もう…動かないの…?」

 

 

 

 

 

 

 

『 “お前が殺したんだよ”ッ!! 』

 

 

 

 

 

 

「ひ…っ!」

 

 

 

 

 

 

大人が発した大声のせいか、

 

自分が犯した過ちに気付いたのか、

 

 

 

 

 

 

 

「うぅっ…ぅうぁあああああ…っ!!」

 

 

 

 

 

 

少女は泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さく弱々しいけれど、強い炎。

 

 

 

ギリシアの火。

 

 

 

 

燃えた少女は、日が昇っても燃え続けた。

 

 

もう骨だけになり、骨が溶けだそうとも、

誰も近付けなかった。

 

 

 

皆は消す事を諦めた。

 

 

 

燃え続けるそれを見るのはとても辛く、

話し合いをするという名目で、皆は家の中に入った。

 

 

日が高くなり、ようやく燃え尽きた時、そこには何も残っていなかった。

 

 

 

焦げ付いた後すら、雪が溶けて無くなった。

 

 

 

残ったのは、側に落ちていた、

 

火炙りになった少女が使っていた、杖だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜が更ける頃、

大人達は、“燃やした方の少女”をどう処罰するか、話し合っている。

 

 

 

『あの子は自力で歩けなかったし、病もどんどん悪くなっていた。

グスタフの家には悪いが、どの道近い内に死んでいただろう』

 

 

『だからと言ってお咎め無しにはできん。

グスタフがどうかじゃない、村に示しがつかない。いくら神の子であろうと』

 

 

『ワイナミョイネンの生まれ変わり、ギリシア女神の再来か…二人は同じ子供だぞ?立場が逆なら、こんな話し合いすらしていなかっただろう』

 

 

『歩けないあの子は奴隷にすらなれないんだ。子供は全て同じじゃない』

 

 

『あの子には今後、狩りに同行してもらう。森の恵みを村に分け与え、罪を償わせる』

 

 

『あの子は女だぞ。掟を忘れたのか』

 

 

『いや、その話は前からあったんだ。もっと先の話だと思っていたが』

 

 

『あの子は神の力を授かっている。動物達だって、まるで自分を与するように寄ってくる。

仕留めるのは容易い』

 

 

『むしろ今まで、自然と共存させなかったのが間違いだったのではないか?』

 

 

『それでもまだ子供だ。付いて来れるとは思えん』

 

 

『出来るようになってもらう。それが出来なければ…』

 

 

『奴隷に出すのか。神の子まで』

 

 

『それが掟だ、本人の意思は尊重するが。…お前はどうしたい?』

 

 

 

 

 

 

 

「ワタシは…ワタシは…」

 

 

 

 

 

 

 

 

――少女は夢を見ている。

忘れたくても忘れられない、遠い昔の記憶。

 

 

 

夢見がちな少女は、今日も夢を見る。

 

 

 

 

 

 

 

6歳の夢。

 

丁度10年前の、自分が狩りを始めた頃の夢。

 

 

 

 

神の子ではなくなってしまった日の夢。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

神の国

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『お嬢ちゃんっ、着いたぞぉっ!!』

 

 

 

 

「ワタクッ…ぬぁっ!」

 

 

 

 

驚いて変な声を出してしまった。

上品にしなければいけないのに。

 

 

 

 

「失敬。揺れが気持ちよくて、つい…」

 

 

 

 

何も積んでいない馬車。

 

何も積んでいないのを良い事に、はしたなく寝転がっていたら、

旅の疲れからか、そのまま昼寝をしていたようだ。

 

 

 

体を空に向けながら、

朦朧とした意識で、目と涎を拭う。

 

 

 

 

 

 

眩しい。

 

 

雲一つない青空。

 

 

とても晴れた昼下がり。

 

 

 

 

寝転がった自分と世界を隔てる板の向こうからは、

沢山の人の声が聞こえてくる。

 

 

村人全てが集まっても、

こんなに沢山の声にはならないだろう。

 

 

上手く動かない体を杖にもたれて起こし、

一伸びした後、

 

 

少女は馬車から元気よく飛び降りる。

 

 

 

 

 

「素晴らしいですわ…。まさに、神の国の再現…!」

 

 

 

 

 

少女は短い杖をついている。

 

 

足が悪い訳ではない。

 

巡礼者、という訳でもない。

 

 

 

 

杖は少女にとって、身を護る武器であり、

夢を叶える為の道具だ。

 

 

 

 

 

『気に入ったかい?嬢ちゃん』

 

 

 

 

 

亡くしてしまった、足の悪かった友人。

彼女が使っていた杖、アタランテを引っさげ、

 

意気揚々と馬車から飛び出し、新しい大地に降り立つ。

 

 

 

故郷に比べて暑い為、

短く丈を詰めたミニスカートが、風にはためく。

 

それを上品な動作で抑える。

 

 

 

 

 

 

「ええ、とっても!」

 

 

 

 

 

 

少女は満面の笑みで答える。

 

 

 

 

 

 

 

11世紀末、西暦1098年。

世界創造紀元6616年。

 

 

ここは、皇帝アレクシオス一世・コムネノスが統治する、

世界でも有数の近代国家、神聖ローマ帝国の首都。

 

コンスタンティノープル。

 

 

その中心にある、アウグスタイオン広場の噴水前。

 

 

 

 

つまり、世界の中心だ。

 

 

 

 

「ここまで御苦労でしたわ!それで、お代は?」

 

 

 

 

少女は出会った人と、なるべく多く話すようにしている。

お喋りが好きなのと、言語に慣れる為だ。

 

 

自分が流暢に話せるようになると、

鏡のように相手も色々と話すようになる。

 

それがとても楽しいのである。

 

 

 

…今回は途中で寝てしまったようだが。

 

 

 

 

最初は他人との距離感が判らず、迷惑な程に話し掛けてしまった。

 

 

人口が数百人の村では、

他人とは全て、共に暮らしていく仲間だ。

 

 

でもこっちでは、名も知らぬままにすれ違う、

行きずりの者の方が多い。

 

深く立ち入ってはいけない事も多い。

 

 

 

 

『お代なんていいよ、お嬢ちゃんと喋るのは楽しかったから』

 

 

 

しかし、そんな少女の心配を他所に、

話している相手は皆、とても楽しんでいる。

 

 

 

「いいえ、結構。ワタクシはさる名門貴族の娘ですわ。施しを受ける謂われはありませんことよ」

 

 

 

 

自慢気に、大袈裟に、

演劇のような動作と口調で、奢りを拒否する。

 

 

 

 

(貴族…?最近の女の子の間じゃ、こういうのが流行ってるのか?)

 

 

 

 

馬車乗りは少し怪訝な顔をしたが、

深く考えず、馬に乗り込む。

 

 

 

 

『気にすんな!貴族の娘から金なんて取れねぇよ!』

 

 

 

 

馬車乗りは気のいい中年で、更にとても気分が良い為、

今日は早く帰って家族サービスでもしようと考えている。

 

彼にも娘がいるのだ。

 

 

 

 

「ああっ、ちょっと!お待ちなさって!」

 

 

 

『じゃあなぁ~!!元気でな~!!』

 

 

 

行ってしまった。

 

施しを受ける謂われはないが、こうなっては仕方がない。

 

 

少女は頑固なタイプではあるが、

応用が効かないタイプでもない。

 

 

 

 

「ありがとう~っ!またお会いしましょう~っ!」

 

 

 

 

少女が大きく手を振ると、馬車乗りは手を振り返す。

 

気を取り直して、先程の続きを始める。

 

 

 

 

「すごい…すごいっ!この整備された石畳っ!あのビサンチウムの建築物ッ!」

 

 

 

ピョンピョンと飛び跳ね、地面をばんばんと踏みつけ、

両手を広げてくるくる回る。

 

 

世界に誇る美しい景色が、

メリーゴーランドのように回っている。

 

 

 

まるで、

 

 

世界が自分を中心に回っているかのように。

 

 

 

 

 

少女の上品で大袈裟なリアクションに、

道行く人々が驚いて振り返る。

 

 

ただ、少女を見る人々の顔は、笑顔だ。

 

少女の愛らしさがそうさせるのだろう。

 

 

 

 

 

「そして出店の、“たげ良い(かま)り”ッ!!おっさん、こいは何だがですわっ!? 」

 

 

 

そのまま大きくステップし、

露天の主人に話し掛ける。

 

 

 

『えっ?なんて言ったんだ?』

 

 

 

 

「あら、いけませんわ。ワタクシとした事が…」

 

 

 

興奮のあまり、

ここより北方の言語で喋ってしまった。

 

 

大陸では南へ行くにつれ、

少しづつ言葉が変わっていくのだ。

 

少しづつだったので何とか対応出来たが、

もう故郷の言葉では誰にも通じない。

 

 

 

 

「出店のご主人様、こちらの食物は、一体どういった由来の物なのかしら?」

 

 

 

 

コンスタンティノープルでも通じる、

ラテン語混じりのギリシャ語を、大袈裟に、上品に口にする。

 

 

 

 

『いやぁ。ただのパンなんだけどな…』

 

 

 

 

場違いな喋り方に、露天の店主は困惑する。

 

 

 

今度は逆に、上品になり過ぎてしまった、

…という訳ではない。

 

 

 

頭の良い少女にとって、言語に対応するなど当たり前である。

対応した上で更に、

 

 

“貴族たる者、優雅に喋れなくてはならない”のだ。

 

 

ただでさえ大変な、言葉という壁。

それでも普通に話せるだけでは足りない。

 

 

 

少女が乗り越えなければならないハードルは、

一般のそれより、圧倒的なまでに高いのだから。

 

 

 

 

「ただの、パン…と申しましたの?」

 

 

 

 

少女は目を見開く。

 

 

 

 

「なんっ…てことですの!?パンをタダで配ってらっしゃるだなんて!そこまで豊かなのですわね…。神の国、恐るべしですわ」

 

 

 

ゴクリと唾を飲み込む。

 

驚愕したのもあるが、少女はお腹が減っているのだ。

 

 

 

『いやいやっ!さすがにタダでは配ってないぞ。施しじゃあなくって、一般的な料理って事だ。値段はここに書いてある』

 

 

 

 

「まぁ。よく判らない方ですのね」

 

 

 

少女はいつも、

人より圧倒的に高いハードルを越える。

 

良い意味でも悪い意味でも。

 

 

それによって、周りが追いつけない事もしばしばある。

 

 

 

 

『とにかく一つどうだい!?今買ってくれたら、もう一つタダにしてあげるよ!これは本当だ』

 

 

 

「いいえ、施しを受ける謂われはありません。一つで十分、このバターパンを頂きますわ」

 

 

 

指を軽やかに跳ねさせ、

ピタリと止めて、一番安いパンを指差す。

 

そして、板に書かれている代金を渡す。

 

 

『いやいや、こっちも誤解させて悪かったしな!ホラ、こいつも食ってくれ!』

 

 

店主は普通のパンの3倍ほど料金が高い、

鶏の卵焼きと豚肉の塩漬け、野菜と調味料、

ようは全部乗せのパンを差し出す。

 

 

 

「そこまで仰るのなら、無碍にする謂われもありませんわね…」

 

 

 

『おうっ!もってけ泥棒っ!』

 

 

 

「ワタクシは盗賊ではありませんわッ!!」

 

 

 

『冗談だよ、冗談…』

 

 

 

 

(何なんだ一体…最近の女の子は皆こうなのか?)

 

 

 

 

お腹が減っていたので、少女は渡されたそれを、

早速、上品にかじりつく。

 

 

 

「…。これは…っ!」

 

 

 

卵はふわふわで、肉も脂が乗っている。

 

パンの柔らかくもサクサクした歯ごたえと一緒に、

美味しい空気が濃縮されたような風味が広がる。

 

旅の疲れを癒やす、濃い塩加減。

野菜の水々しさ。

 

 

故郷の材料で、同じように作っても、きっとこうはいかない。

素材と、料理人の腕が良いのだろう。

 

 

 

 

「とても美味しいですわね…これ」

 

 

 

ゴクリ、と音を立てて飲み込む。

 

頬に片手をあて、

目をつぶってゆっくり首を振る。

 

喉を流れていく感触、その余韻まで、

心ゆくまで感じている、といった様子だ。

 

大人と子供の中間のような、美しい少女がするその仕草は、

可愛らしくも、妖艶さを醸し出している。

 

 

作った方からすれば、

自慢の料理をこれだけ楽しんでもらえたら、

パン屋冥利に尽きるだろう。

 

 

 

 

『だろッ!?一番上手く焼けたヤツだからな!今度はお父さんやお母さんも連れてきてくれよ!

貴族のお嬢ちゃんっ!』

 

 

 

 

「…っ!」

 

 

 

少女の顔が一瞬引きつる。

 

店主が言った『貴族』という言葉は、

少女の大袈裟で、上品な振る舞いを揶揄したものだ。

 

 

 

「ええ、是非とも…」

 

 

 

少女は可愛らしい微笑みを浮かべ、その場を後にする。

 

 

少女が大袈裟に振る舞っている理由とは、

まさにこのように、

他人に自分を、貴族と認めて欲しいからだ。

 

 

なのに、店主に後ろを向けた瞬間、

少女の顔は暗くなる。

 

 

 

 

そして、少し歩いた所でもう一度、

ゆっくり、ハッキリした発音で、心を込めて言い直す。

 

 

 

 

「ええ、…是非とも」

 

 

 

 

すれ違う通行人が振り返る。

 

 

 

これは少女の癖のようなもので、

上品な発音を練習しているのだ。

 

 

演劇の練習のように、上手く言えなかった言葉を、

納得いくまで一人で繰り返す。

 

 

時には大きく身振り手振りを加えながら。

 

 

より明るく、聡明に、

 

美しく見えるように。

 

 

ただ今回の表情は、とても暗い。

 

 

 

 

「…ええ、是非とも」

 

 

 

明るく言わねば練習にならない。

なのに、どうしても暗くなってしまう。

 

 

 

 

嘘を付いた訳ではない。

本当にそう出来れば良いと思っている。

 

 

だから、嘘を付いたつもりはない。

 

 

 

 

 

『ミルクはいかがっすか~ッ!?ほら見て見て!このスタイルの良いビッチ牛、張りに張った巨乳を揉みしだき~…。ウマイッ!!絞り立てだよ~!!』

 

 

 

やや下品な宣伝が聞こえてくる。

 

牛乳の実演販売だ。

 

 

 

 

「ッ!」

 

 

 

 

少女は素早くそれに目をつける。

 

 

 

 

「まぁ!ミルクは好きでしてよ!」

 

 

 

暗かった顔が一気に明るくなる。

 

この笑顔とポジティブさこそ、

彼女が人や動物に愛される所以なのかもしれない。

 

 

 

 

『おっ、可愛いお嬢さんだ。よぉし!一杯絞っちゃうぞ!』

 

 

 

「いいえ、通常の量で結構ですわ」

 

 

 

『遠慮すんねぃっ!嬢ちゃんも大きなオッパイタンクだが、もっと大きくしてぇだろぉ~?このビッチ牛みてぇーに、パンパンにな!』

 

 

 

「いいえ、通常の量で結構ですわ」

 

 

 

そして断りつつも、

やはりサービスをされてしまう。

 

 

 

 

水は、味や衛生面を考えると、好んで飲む物は少ない。

 

この時代での一般的な飲み物とは、

ビールの前身エール、果実を磨り潰したジュース、

そしてこのミルクなのだ。

 

 

 

『今朝取れた果物はいかが~!』

 

 

 

 

「果物ですってっ!なんてこと…っ!」

 

 

 

少女はエールは苦手だが、

ジュースとミルクは大好きだ。

 

特に、二つを混ぜ合わせた物は最高だ。

 

 

 

 

「桃を絞って頂けまして!?」

 

 

 

 

急いでミルクを飲んで減らし、

木製コップの水位ならぬ、乳位を下げる。

 

 

 

 

『あいよっ!!デッケーのしといてやらぁっ!』

 

 

 

 

一番大きい桃が掴まれ、

手早く皮を剥かれ、専用の器具で絞られる。

 

残った果肉も撥ですり潰されていく。

 

 

その様子をワクワクしながら眺める。

 

 

 

 

 

『そこでいいかいっ!?』

 

 

 

「ええ、コチラに入れて下さいませ!」

 

 

 

 

牛乳の入ったコップを差し出すと、

そこに、磨り潰した桃ジュースが注がれる。

 

桃ミルクの完成だ。

 

 

 

指でかき混ぜ、濡れた指を舐めたあと、

コップを両手でもって味わう。

 

 

 

「はぁ…。濃厚な味わいと、澄んだ爽やかさ。まるで雲の上で、お昼寝をしているかのような…」

 

 

 

 

『そこの海で取れた魚の塩焼きだよ~!エビもあるよ~!』

 

 

 

 

新たな声が聞こえてくる。

 

 

 

 

「海の生き物!?(スオ)とどう違いますの!?」

 

 

 

桃ミルクを一気に飲み干し、

コップを返却して飛んでいく。

 

 

 

 

 

『蜂蜜を使った、甘~いお菓子だよ~』

 

 

 

 

「OHッ! KAッ! SHIィッッ!!」

 

 

 

 

 

 

そんな調子で出店を回っていると…

 

 

 

 

 

「うぅ~、もう食べられませんわ…」

 

 

 

 

出発地点の噴水に戻った頃には、

もう動く事はできない。

 

大理石で出来た縁に座りながら、半分寝転んでお腹をさする。

はしたない格好だがどうしようもない。

 

 

お腹もそうだが、一番苦しいのは胸だ。

 

ミルク売りの言うように、

歳の割りに大きく張っている。

 

 

元々、他の子と比べて発育は良い方だったが、

15の終わり頃から、急にどんどん張ってきて、

もう服のサイズが合わない。

 

 

「また大きくなっていますわ…」

 

 

豊満なバストは美しさの象徴、誇らしい事ではあるが、

だぼだぼした服はだらしなく、着る訳にはいかない。

 

 

締め付けに悩まされる。

 

 

そしてこの辺りは故郷より気温が高く、

余計に暑苦しく感じる。

 

 

慣れない胸の谷間の蒸れに、悩まされる。

 

 

動くとベタベタ付いたり離れたりして気持ち悪いが、

人前で胸に手を突っ込んで、汗を拭く訳にもいかない。

 

 

貴族とはかくも辛いものだ。

 

 

 

 

そしてもっと辛い事がある。

 

 

 

 

「…路銀がもうありませんわ。どうしたものかしら」

 

 

 

 




最初の挿絵はゲーム中のアトラス像です。
「私ヒールする!」と並んだ運営迷言「日本は、ない」の地球儀です。
やった者にしか判らない話ですが、わざわざこういう事言う運営なんです…なんか陰険ですよねぇ。まぁ開発があの国なんで


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

キリスト正教とギリシア神話

「…路銀がもうありませんわ。どうしたものかしら」

 

 

 

馬車代が浮き、色々とサービスもしてもらったのに、

何故かお金の減りが早い。

 

 

 

その理由は、少女が食いしん坊で、

且つ、ハシャギすてしまったせいもあるが、

 

牛乳と果物の抱き合わせの例に然り、

この市場の店主達は、

ローマ帝国でも屈指の、お金を使わせる “スペシャリスト” なのである。

 

 

例えば果物屋が行う、一番大きな果物を掴む事。

これは何と言う事はない。

 

常にその時、一番大きい物を掴んでいる。

一番大きい果物が売れれば、二番目が一番になるのだ。

 

ただ、何となく得した気分になってしまう。

 

 

田舎者の少女がそれらの策にハマってしまうのは、

致し方ないと言える。

 

 

とは言えこのままでは、

今夜は野宿せねばならない。

 

どころか、明日から生きる為には、

どこぞの裕福そうな門を叩き、

忌み嫌う “それ” にならなければいけない。

 

旅の目的を果たす余裕など、無くなってしまった。

 

 

 

「先程まで楽園(ヴァルハラ)にいましたのに、もう追放されてしまいましたわ」

 

 

 

少女のいた村では、お金など使わない。

 

村人が協力して生活し、

足りない物は町まで出て、毛皮と替えてもらう。

 

基本は物々交換だ。

 

 

 

「そう…っ!お金とはまさに、魔法のアイテムなのですわっ!」

 

 

 

大袈裟に上品な、

演劇のような振る舞いで言ってみる。

 

だが、言ってみた所で、お金が増える訳ではない。

 

 

 

「はぁ。ユマラは此処にはいないのかしら…」

 

 

 

少女はキリスト教徒である。

 

 

故郷ではグレゴリオ聖歌を歌わされていたし、

聖典の書き取りなどもさせられていた。

 

 

そう、やらされていた。

 

宿題のように。

 

 

勿論、(ユマラ)を信じ、祈りを捧げるが、

敬虔な教徒というよりは、ややミーハーな部類だ。

 

ただ、ある者が残した聖なる言葉だけは、

とても気に入っている。

 

 

目を瞑って、

呪文のようなそれを唱える。

 

 

 

 

「ただ信じなさい…さすれば神は…」

 

 

 

 

『ボチャンッ!』

 

 

 

 

「?」

 

 

 

 

後ろを振り向いて、

噴水に溜まった、水の底を覗き見る。

 

 

 

 

「これは…アクセサリー?」

 

 

 

そこには、赤い玉を幾つも紐に通したような、

腕輪のような物が沈んでいた。

 

 

 

 

(どなたか投げ捨てたのかしら?)

 

 

 

 

音の感覚、

波紋の中心と、底の腕輪との、三次元的なズレ。

 

光の屈折による勘違いかもしれないが、

それが投げ込まれたであろう、斜め上を見上げる。

 

 

 

 

(…まさか)

 

 

 

 

噴水の中心部分。

そこには大きな石像が佇んでいる。

 

裸でマントを身に着けた、変態の彫刻。

 

ではなく、おそらくギリシャ神話の神だろう。

何か、重い物を支えるようなポーズを取っている。

 

重い、とても重い物。

まるで空でも支えているかのように。

 

その神は、今にも押し潰されそうだ。

 

 

その石像が、これまた仰々しい、

正教会の十字マークが刻まれた、台座の上に築かれている。

 

 

 

誰かが向こう側から投げ込んだとしても、

その石像に当たってしまう軌道。

 

つまりアクセサリーは、

彫刻から出てきたのだ。

 

 

「神がワタクシを憐れみ、腕輪を吐き出したとでも…?ありえませんわっ!」

 

 

大袈裟に上品な、

演技のような仕草で否定する。

 

光の屈折でそう見えただけだろう。

 

 

少女は噴水に沈む赤い腕輪、

それを上から覗いてみる。

 

 

 

 

(とてもキレイ…)

 

 

 

 

思わず、水の中から掬い取ろうとする、

 

その手が止まる。

 

 

 

 

(…どうせ良い事はありませんわ)

 

 

 

 

落ちている物を拾うとロクな事がない。

 

幼少の頃、

町で落ちていた物を拾って、ヒドイ目に合った。

 

泥棒だと誤解されたのだ。

 

 

 

「ワタクシが好きなのは、長石でしてよ」

 

 

 

例え神の贈り物だったとしても、

炎のように赤い石など、興味はない。

 

自分にそう言い聞かせる。

 

 

それに、いくら透き通って見えても、

流れていない水は汚れている。

 

溜まった水に手を突っ込むなど、はしたない事だ。

 

 

 

 

(貴族は落ちた物など拾いませんのよ)

 

 

 

 

自分に言い聞かせたのか、神に祈ったのかは判らない。

 

 

少女は心の中で呟き、

噴水の上にいる、名も知らぬ神を見る。

 

 

すると、

 

 

 

 

『…ぬっ』

 

 

 

 

 

「はぁっ!?」

 

 

 

 

彫刻のやや上の部分、何も無い所から、

何かが出て引っ込んだ。

 

 

 

「目の錯覚…?今のは確かに」

 

 

 

 

刃物。

 

 

 

 

とても、とても大きい剣の、その先端のように見えた。

 

熊?いや、もっと大きい生き物、

ドラゴンでも斬る為の剣に見えた。

 

 

 

「神の国…、だから?」

 

 

 

 

少女は目をごしごし擦る。

 

人より不思議な物が視える体質だが、

あんな物質的な物までは視えない。

 

 

 

「ワタクシ、食べすぎて白昼夢を見たのですわね」

 

 

 

『そうとも限らんぞい…』

 

 

 

少女が独り言を呟くと、

横から声がした。

 

 

 

「?」

 

 

 

振り向くとお爺ちゃんがいた。

少女と同じく、杖をついている。

 

そのお爺ちゃんは疲れた様子で隣に座る。

 

 

 

「はじめまして、ワタクシはさる貴族の娘。アナタは?」

 

 

自分の胸に置いた左手、それが柔らかくしなり、

伸び上がるような、優雅な動きで相手へ向けられる。

 

 

『やぁ、旅のお嬢さん。ワシはこの噴水の管理を任されとる、ラビと言う。ラビと言ってもユダヤじゃないぞい?バリバリの正教徒じゃ』

 

 

 

「ごきげんようラビ様。随分手を入れてらっしゃいますのね」

 

 

 

少女は自分が座っている大理石を撫でる。

 

この噴水は、

思わず水に手を突っ込んでしまいそうになる程、キレイだ。

 

 

縁の大理石もピカピカに磨かれ、

側にあるベンチよりも、思わずこちらに座ってしまう。

 

 

 

「そして立派な彫刻…」

 

 

 

見ようによっては変態にも見えるが、

その厳かな佇まいが、

そう言えない雰囲気を醸し出している。

 

 

 

 

『あれはアトラス神じゃ。神の国を支えとる』

 

 

 

「神の、国…?」

 

 

 

神の国と言っても、アトラス神が支えるのは “本物” である。

神の国の “ような” このコンスタンティノープルを、ではない。

 

 

 

 

 

『お嬢さんは、ギリシア神話は信じるかい?』

 

 

 

 

 

――ローマ帝国は、キリスト正教を国教としている。

 

表向き、

ギリシア神話を信仰してはいない。

 

キリスト教とは、絶対の主たる神と、

神の子、ハリストス・イェズスと呼ばれる、

神と人間の中間のような人物を主人公とした、

作者不明の創作ストーリーだ。

 

 

キリスト教は他の神話を “邪教”と差別し、

その神々を悪魔として断罪し、

多くの古代神話と、それを信じる人々を滅ぼしてきた。

 

キリスト教とは悠久の歴史上、最凶最悪の、

 

“邪教”である。

 

 

この邪教は、狡猾な人心掌握術を得意とする。

 

 

PATER est DEUS 「父」は神である

FILIUS est DEUS 「子」は神である

 

 

このように、短くも難解な文句を広告塔として叫び、

人々の興味を引く。

 

 

それでいて絶対の神とは、

みだりに名を呼んではいけない、得体の知れない物として、

深く言及せず、黒幕として匂わせる程度に留める。

 

そして、

キリスト教の最大の武器であり、原罪とは、

人間の本能を捻じ曲げ、創作と結び付けた事だ。

 

 

人間は得体の知れない物に恐怖する。

 

裸となった、無防備な状態に恐怖する。

 

水辺に恐怖する。

 

手付かずの広大な自然に恐怖する。

 

 

これらは全て、外敵に対する防衛本能である。

 

 

人間は元々、『恐怖する生き物』なのである。

 

昔からずっと、そうだった。

 

 

人間世界は発展を遂げ、

いつしかその防衛本能が、何の為に在るかを忘れた。

 

 

キリスト教はその隙を突き、

 

『恐怖とは神が見ている証拠』として、

得体の知れない恐怖と、己が絶対神を結び付けたのだ。

 

大嘘を流布し、人間のみならず、

全ての生物と、その先祖代々を冒涜した。

 

昨今このキリスト教は、ローマ帝国のみならず、

東欧から西欧、北欧に至るまで、最大権力を有している。

 

 

ただし、

この地に古くから伝わる『ギリシア神話』は、

例外的にその存在を認められた。

 

キリスト教は、

絶大な支持を得るギリシア神話を駆逐する事が出来ず、

利用する方法を選択したのだ。

 

 

その利用方法とは、特に何もしない事。

 

ただし、

得体の知れないキリストの絶対神こそが “一番上” だとする。

 

 

するとどうなるかと言うと、

ギリシア神話の神々は、滑稽な物になるのだ。

 

ギリシア神話とは、

古代の人々が絶対神を想像して作った “お伽噺”

 

もしくは、ギリシア神話とは、絶対神が作った、

神の国と人間世界との、中間のような “試作物”

 

もしくは、無闇に神の名を口に出来ない、その “代替え”

 

キリスト教は、ギリシア神話を傘下に収めたのだ。

 

 

それは難しい作業ではあったが、

時間の問題だった。

 

ギリシア神話とは、完成されたストーリーであり、

登場する神々も名前があり、形があり、能力まで定義されている。

所詮は古代人が考えた、稚拙な冒険譚。

 

 

いくらでも否定できる。

 

そして、付けられた傷は、もう修復しない。

 

 

対して、アメーバのように形の無いキリストの神は、

否定のしようがない。

 

日々感じる恐怖と共にある、得体の知れない存在。

人々は、自ずとそちらに靡く。

 

“僕が考えた最強の神” 勝負は、キリスト教が制したのだ。

 

 

“ギリシア神話を信じる” 事は、すなわち、

その上位存在である、“キリストの絶対神を信じる” 事と、

ほぼ同義となったのである。

 

キリスト教の傘下に納まった為、

ギリシア神話は迫害を免れ、お伽噺程度の地位を許されている。

 

 

新興宗教でありながら、その遥か昔からあった神話を、

キリスト教の亜種であるかのように、人々に認知させる。

 

気付かれないよう、時間をかけ、

狡猾に、施しを行いつつ、手を変え品を変え、

受け入れられ易いよう、戒律や考え方を捻じ曲げながら。

 

このアメーバのような柔軟性で、他教を捕食する強さこそが、

キリスト教がここまで勢力を拡大した所以である。

 

 

 

「神話でしたら、ワタクシの故郷では、カレワラというルノラウルが信仰されておりますわ」

 

 

 

『カレワラ…。聞いた事ないのぅ、故郷はどこだえ?』

 

 

 

少女の故郷である、北欧のとある地域は、

キリスト教圏ではない。

 

だが、少女の村はキリスト教を信仰している。

 

 

少女が生まれる数十年前、村に幾人かの宣教師が訪れ、

キリスト教の一種、カトリックを伝えた。

 

そして元々あった “カレワラ” という神話と共存したのだ。

 

 

キリスト教にとって、

北欧のド田舎で受け継がれるカレワラなど、

ギリシア神話以上に与し易い相手。

 

 

パンや毛布を施された事により、

彼女の村はあえなく、カトリックに陥落した。

 

村の中心には、

教会を兼ねた、大きな孤児院が建設された程だ。

 

 

そして、少女にとって、

カレワラの最高神とは、医療の神、ユマラである。

 

その癖で少女は、

キリストの “神” の御名を呼ぶ時、ユマラと呼ぶ。

 

 

 

「ルーシよりも北。フィン族の末裔たる、スオミですわ」

 

 

 

少女はスオミの出身である。

でも正確には、スオミではない。

 

 

 

『というと…北欧神話か!?トールとか!ワシはあっちも好きじゃぞ!』

 

 

 

北欧神話とは、ヴァルキュリーやヴァルハラ等、

世界最強の男達、ヴァイキングが信仰する神話だ。

 

 

戦と強さを象徴した神々が多く登場し、

ヴァイキングは戦へ赴く際、

それに思いを馳せ、戦闘意欲を向上させる。

 

 

ヴァ系の発音が多いのは、戦を重んじる彼等の性質に起因する…

のかもしれない。

 

 

戦を重んじる故に、特に男子の人気が高い。

 

 

こちらもギリシア神話やカレワラ同様、

アメーバ教にとっては良質な餌だ。

 

 

「ああ、男子には雷神や、不滅の賢者が人気ありましたわ。でもルノラウルはお伽噺ですから。…あと、トールではなく、ウッコですわよっ」

 

 

少女は指を立て、

『知らないなら教えてあげる』と言わんばかりに、

高飛車な態度で説明する。

 

本当はスオミでないとしても、

その誇りは、少女の深い部分に宿っている。

 

 

「おお、ウッコ。雨を降らせ、伸び行く若芽のその上に…ですわっ!」

 

 

カレワラを古代から語り継いできた詩が、ルノラウル。

 

少女はその一説を、

両手を胸に手をあて、それを大きく広げ、

大袈裟で上品な、演劇のような動作で読み上げる。

 

 

カレワラには、北欧神話のトールに似た、

ウッコという神が登場する。

 

同じ北欧の神話だけに、源流を同じくするのかもしれない。

 

 

そして不滅の賢者、強固な老・ワイナミョイネン。

水を操る事を得意とする、魔法使い。

 

少女が “神の子” と呼ばれる、由来となった神。

 

ただし少女はワイナミョイネンの子としてでは無く、

その名と容姿から、ギリシア神話の女神ヘレーン、

もしくはヘレネーの生まれ変わりと呼ばれていた。

 

 

スオミではないが、スオミの誇りを持ち、

 

カトリックを信仰しながら、ギリシア女神の生まれ変わりと謳われる、

 

自称、貴族。

 

 

少女はそんな、

蜃気楼のようなアイデンティティーしか持たない。

 

 

 

『ウンコ…?その神は、畑に肥料でも撒いとるのかえ?』

 

 

 

「違いますわッ!!」

 

 

 

カレワラと北欧神話は、似ているけど違う。

 

本人には多少の違いこそ重要なのだが、

他の者には似たような物である。

 

 

 

 

『ワシにも信じる神話があるぞい。これは神降ろしの噴水というてな』

 

 

 

少女のスオミ魂に対抗して、

ラビは己が管理し、信じる、アトラス像を見上げる。

 

 

 

『たまに神が、神秘的な物を投げ込むんじゃよ』

 

 

 

 

「神が、物を…?人が神に捧げるのではなく?」

 

 

 

 

祭壇や聖火に贄となる物を放り込み、

神に祈りを捧げる文化は各地に存在する。

 

しかし、神が物質を与えるなど、聞いた事がない。

 

そもそも石や土、炎や風の精霊は、

神が与えた物だ。

 

その上、物まで与えてもらうなど、欲張りすぎだ。

 

 

 

『本当じゃよ。皆は信じようとせんがのう』

 

 

 

この地は、現在こそキリスト一強になりつつあるが、

 

元々は大小様々な宗教が人気を奪い合い、淘汰を繰り返す、

宗教覇権地帯でもあった。

 

おそらくその中の、淘汰されてしまった神話の一つだろう。

 

 

 

「なぜ迷信ではなく、本当と言い切れるのですか?」

 

 

 

『一度、神の子が出てきたんじゃ』

 

 

 

「神の子…?」

 

 

神の子とは、

キリスト教徒にとって、絶対神の象徴。

 

その言葉を聞いて、

さして興味の無かった少女の顔色が変わる。

 

 

 

 

自分もかつて、そう呼ばれていた事があった。

 

 

大分前。

 

そう、まだとても…

 

 

 

 

『小さい女の子じゃ。髪は黒と白の斑で、猿のような容姿じゃ』

 

 

「黒と白…どうしてそれが、神の子だと?」

 

 

『その子は誰も判らない、おかしな言葉を喋っておった。服装も全く違う、神の動物が描かれておった』

 

 

 

 

 

 

「…その子は、どんな奇跡を齎したのですか?」

 

 

 

 

 

迷信だろう。

でも、気になってしまう。

 

神の子と呼ばれる少女は、どんな奇跡を顕現させたのか。

 

 

 

自分のように、

 

失敗した奇跡ではなくて。

 

 

 

 




アメーバ教云々については、宗教嫌いな呂晶の観点なので、辛辣ですね。

当時の中国は仏教含めた宗教全般を禁止する動きがあり、
それを歓迎する呂晶の観点です。

ただ、キリスト教が他教を邪教と認定し、迫害してきた事は周知の事実です。
11世紀は魔女狩り等が行われるもっと昔、中世前期と言われる時代で、
その後よりも、遥かに聡明な価値観を持っています。
邪教認定と言っても、苛烈な迫害はまだありません。

魔女に対しても「アレは嘘なので信じちゃダメ」程度の御触書と、
過激派に対して鎮圧を行っていた程度です。

十字軍を境に、だんだんとエスカレートしていく感じでしょうか。

ギリシャ神話が生き残っていた理由については、今でも語られたりしますが、特に迫害したりはせず、『人気』がキリスト教に集まったのではないか、というのが私の仮説です。

ギリシャ神話についてはある程度、お伽噺という結論となり、
その後に邪教狩りが本格化された。
駆逐された古代神話は、時期的な事も影響したのではないかと思います。

とは言え、この時代は第一回十字軍で痛い目に合ったばかりの東ローマです。

そして魔法を使うヘレン。どう見ても魔女です。
人々が彼女が扱う強力な力を見て、どのように思うか、更にヘレンがそれをどう受け止めるか。
なるべく当時の感性を再現していきたいと思っています。
聖騎士も重要なポジションで登場し、あの姐さん重要な登場人物として出てきます。

キリスト教の傘下云々ですが、
我が国の八百万の神も、『GOD』ではなく『Kami』として、しっかりと神ではないとされています。

サンタクロースという施しを受け、ローマ帝国でのギリシャ神話のように、スオミことフィンランドのように、陥落してしまう…いや、もうしているかもしれませんね。

1000年後ではどういった勢力図になり、どのように今が語られるのでしょうか。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ワタクシは貴族の娘ですわ

 

 

『神の子は、しばらくこの地を満喫して、消えていった』

 

 

 

 

 

 

「…それだけ、ですの?」

 

 

『それだけじゃ』

 

 

少女は落胆する。

 

大して面白くもないお伽噺だ。

各地の神話などと比べれば、B級も良い所だろう。

 

 

 

「それでは本当だったという証拠になりませんわ。奇跡を目撃した、証人がいなければ」

 

 

『証人ならおるぞ。ワシじゃ』

 

 

「お爺様がぁっ!?」

 

 

 

思わず変な声が出てしまった。

 

遥か昔の神話かと思えば、お爺さんの昔話だったのだ。

 

 

 

『ああ。一週間かそこら世話してやったんじゃ。何でもかんでも珍しがる元気な子でのぅ。

お嬢ちゃんと同じ二つ縛りじゃったぞ、もっと短いこう…丸っこいやつ』

 

 

「ワタクシと、同じ…」

 

 

『丁度こんな、赤い宝石が好きじゃった。目を離すとスラムの方まで行っちまうのさ。連れ戻すのが大変じゃった。何が面白かったんじゃか』

 

 

ラビはそう言いながら、

水に手を突っ込んで、腕輪を拾い上げる。

 

噴水の管理人なのだから、

そこに投げ込まれた物はラビが管理する。

 

 

物であろうと、子供であろうと。

 

 

 

「それでは神の子とは呼べませんわ」

 

 

 

お伽噺ですらない。

どこぞの捨て子か何かを、勘違いしたのだろう。

 

 

 

『その子は一週間で、この地の言葉を喋れるようになった』

 

 

 

「ッ!?」

 

 

 

興味を失くした少女が再度、顔色を変える。

 

 

言葉を覚える大変さは知っている。

 

いくら子供の語学能力が高いと言っても、

一週間というのは盛りすぎだ。

 

例え自分であっても、無理だろう。

 

 

『おおよそ子供が使うような言葉じゃなかったがの。クソだのハゲだの』

 

 

「スラングまで…?」

 

 

勉強して覚えた言語ではない。

 

現地の者達と会話を繰り返し、

その表情や言い方をコピーした、現地調達の言語。

 

おそらくその子供は、

それが汚い表現とも、知らなかったのだろう。

 

 

『元気に見えて、必死の裏返しじゃったのかもな。今思い返すと、やる事なす事、ぜーんぶ言葉を覚える為にしとったような』

 

 

「本当だとしたら、確かに…」

 

 

言葉も判らない子供が、身一つで降り立ったなら、

不安で仕方無かったハズだ。

 

腹が減ったとしても、

それを伝える事すら出来ない。

 

それでも子供ながらに、生きる為に最善を尽くそうとした。

 

 

 

奇跡とはほど遠いが、

それだけにリアリティのある話。

 

 

 

「いえ、そんな子供…ありえませんわ。最初に言葉を覚えようとするなんて」

 

 

 

言葉とは、本当に重要な物だ。

 

大抵の地域では、

まだ上手く喋れない新参者に、優しく手を差し伸べる。

 

まだ上手く喋れない新参者とは、

“その地の言語を覚えようとしている” 者。

 

 

その地の言語を話す。

それはその地に同化し、その地に忠誠を誓う事を意味する。

 

その地に住まう者にとって、新参者の来訪とは、

コミュニテイを拡大するチャンスである。

 

だから、“おもてなし” を行う。

 

ただし、手を差し伸べるのは最初の内だけ。

いつまでも、もてなしている訳にはいかない。

 

新参者にはコミュニティの一部となり、

自分達と同じく、自分達のコミュニティの為に、

尽くしてもらわねばならない。

 

 

いつまでも経っても上手く喋れず、

コミニケーションが取れない者。

 

それは最早、厄介者でしかない。

 

 

 

この地に同化しない、

 

この地に忠誠を誓わない者。

 

 

 

 

 

 

スパイの疑いがある。

 

 

 

 

 

 

言葉とは時として、戦争の引き金にさえなる、

重要で、デリケートな物。

 

その神の子とやらは、

身一つでコンスタンティノープルに降り立ち、

幼いながらそれを理解していて、

 

 

最優先で言葉を覚えた。

 

 

 

 

そんな不気味な子供がいたら、

それこそ本当に…

 

 

『あ、よく考えたら一度じゃないかもしれん。ワシが知っとるのはその一度だけという事じゃ』

 

 

「どうやら…白昼夢を見ていらっしゃったのは、お爺様のようですわね」

 

 

皮肉を述べる。

明るく振る舞っていても、少女は根暗である。

 

皮肉屋さんなのだ。

 

 

少女にとっては、

自分以上の神の子など、いるハズがないのだ。

 

 

お爺ちゃんとは、大抵ボケているもの。

自分の過去の話を盛りすぎて、それこそ神話のように語る。

 

本当の神話はこの世界でたった一つ、

キリスト教だけだというのに。

 

 

『ま、この噴水を汚すような事はしちゃいかんぞい』

 

 

「ええ、そんな者がいたら、ワタクシが追い払って差し上げますわ」

 

 

『ほっほっほ、よっこいしょ』

 

 

今日も良い天気じゃ、

そう言い残して老人は歩いていった。

 

 

 

 

――そんな者がいたら、自分が追い払う

 

 

実際にそれを行う旨の発言ではない。

 

これは少女が旅で学んだ、

自分は敵ではない、この地の一部である事をアピールする、

皮肉交じりの処世術である。

 

 

「色んな方がおりますのね…」

 

 

少女も立ち上がり、

やるべき事を始める準備をする。

 

荷物から器のような物と、

字が書かれた紙を取り出している。

 

 

 

 

すると噴水の前を、綺羅びやかな馬車が数台通る。

 

その中から、数名の従者を連れた初老の男と、

その娘か孫とおぼしき、綺羅びやかな少女が降りてくる。

 

 

貴族だ。本物の。

 

 

コンスタンティノープル近辺の貴族か、

ルーシの辺りから観光に来た者だろう。

 

16歳の少女より歳下であろう、貴族の少女は、

赤い、ヒールの高い、リボンがついた靴を履いている。

 

名目としては、踵が汚れない為のヒール。

 

この地のように、舗装された場所のみを歩く事を前提とした、

実用性の全くない靴。

 

 

「可愛い…」

 

 

服も真っ白で、

レースやフリルが付いた美しい物だが、

少女は、その赤い靴に一目惚れしてしまった。

 

 

「一体、いくらするのかしら…」

 

 

貴族は従者を引き連れ、市場の方へ歩いていく。

すると、今度は別の方向から、大きな怒号が聞こえてくる。

 

 

 

『何度言えば判るんだお前はッ!!』

 

 

 

驚いて目をやると、奴隷が働いているのが見えた。

 

主人とおぼしき男に叱られている。

 

 

 

それに冷たい視線を送る。

 

 

 

 

 

 

 

(ここでも、ですのね…)

 

 

 

 

 

 

 

少女は、奴隷制度に辟易しているのではない。

 

確かにそれもある。

ただ、それ以上に辟易しているのは、

 

奴隷という地位に甘んじ、運命として享受している、

 

 

 

奴隷自身に対して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

貴族と、奴隷。

 

光と闇のようなコントラスト。

 

 

少女が美味しいと思ったパンに、

ミルクに、果物に、何の興味も示さず歩いてく貴族。

 

主人に殴られ、頭を抑えながら謝り、

卑屈な笑みを浮かべる奴隷。

 

 

 

その間に立つ自分。

 

 

 

 

 

 

 

(ワタクシはアナタ方奴隷とは違う。貴族なのですわ…)

 

 

 

 

 

 

 

 

路銀がない絶望的な状況の、

自称、貴族の少女。

 

それでも腐った顔一つ見せず、前を向く。

 

 

 

何故なら、

そのか細くか弱い少女は、

 

 

絶対的な存在だからだ。

 

 

 

 

 

 

 

「道行くコンスタンティノープルの皆様っ!!旅の皆様っ!!お初にお目に掛かりますわ!」

 

 

 

 

 

 

 

大きく愛らしい、ハスキーな声に、

 

道行く人々が振り返る。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ワタクシは、ヘレン・アップレケーンタ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘレンは大きく、優雅に

 

 

この世界に手を広げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴族の娘ですわっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

スオミ

「あ、あの…グスタフさん、こ、この度はほ、本当に、お気の毒な結果に、なって、しまい…」

 

 

『なんだ…?そう言えと言われたのか?村長達に』

 

 

「い、いえ…ワタシは」

 

 

『別にそんな事、無理に言わなくて良いさ』

 

 

「え?でも…」

 

 

 

 

『だから、あの子を返してくれないか?』

 

 

 

 

「あ…、あ、あの子は…もう…」

 

 

『欲しい物は何でもやるぞ。言ってみろ、服か、靴か、毛皮か?』

 

 

「い、いらない…」

 

 

『女共が好きな、ギラギラ光った石が欲しいのか!?』

 

 

「わたしは…」

 

 

『頼む、頼むよ…。お前が魔法を使って、どこかに隠したんだろう?骨だって一片も残って

無いじゃないか!!』

 

 

「そ…それは」

 

 

『骨が残らないなんて、おかしいだろ…?どこかにいるんだろう!?きっと腹を

すかせてるんだ!!すぐ会わせてくれ!!』

 

 

「できない…あの子は、あの子はもういない…」

 

 

『嘘を付くなっ!!孤児のくせに!!村の子供じゃないくせにいいい!!』

 

 

「痛い…っ!は、離して…!」

 

 

 

『お前は誰に生かされてると思ってるんだあああ!!』

 

 

燃やされた子供の父、グスタフ。

彼の只事ではない声が響く。

 

外で待っていた村人がそれを聞き、

荒んだ家の中に駆けつける。

 

 

『おい…?やめろグスタフ!!あの子は死んだんだ!!この子まで殺す気か!!』

 

 

村人の静止に、

首を締めていたグスタフは、簡単にその手を放す。

 

ロクに食事も取っていない為、

その形相に比べて、力はとても弱かった。

 

 

『あぁ…あの子は…。アタランテは、足が悪かったんだ…』

 

 

引き離されたグスタフは、

頭を抱えている。

 

 

『だからか…?村にいらない子だから、消したのか…?』

 

 

『違う、ヘレンもわざとじゃないと言っている!そんな子じゃないのは、お前も判っている

だろう…』

 

 

『なぁ…アタランテなど、初めからいなかったのか?妻も初めから…。本当は、俺は

ずっと一人で』

 

 

『しっかりしろ!妻も子供も病気だったんだ!!そんな調子じゃお前まで死んじまうぞ!!』

 

 

 

「わたし、は…わたしは…」

 

 

 

『あんまりだ…。あの子が、アタランテが何をしたんだ?骨も残さず、業火に

焼き尽くされるなんて…あんまりだ…あんまりだ…』

 

 

 

「うぁあああああ…!!」

 

 

 

『なんでお前が泣くんだ…?なんでお前が泣くんだよおおおお!!』

 

 

グスタフは立て掛けてあった棒切を取り、

少女に投げつける。

 

子供にするとは思えない、大人の全力で。

 

 

 

「うぁあっ!!」

 

 

 

『お前…っ!これはアタランテの杖だろう!形見を投げつけるなんて!』

 

 

『そんな物いらんっ!!あの子が消えたのはそれのせいだ!!あの子を返してくれ!!

あの子を返してくれ!!』

 

 

『いい加減にしろ!!あの子はもう長くなかった!!足の次は腕、腕の次は肺が止まり、

息が出来なくなって死んでいた!!』

 

 

『うるさあああい!!帰れっ!!帰ってくれええええ!!あああ…っ!』

 

 

『…行くぞ。お前は義務を果たした。村長達にはそう伝えておく』

 

 

「わ…わたしはぁ…!わたしはぁ…!」

 

 

『メソメソするな!!森でそんな調子じゃ、お前だってすぐ死ぬぞ!!お前はもう

子供じゃないんだ!!そんな物は捨てろ!!』

 

 

「あああぁぁぁ…!!」

 

 

捨てない。

 

これは、自分が殺してしまった、

あの子の杖なのだから。

 

 

『クソッタレ…孤児院なんて建てるからこうなるんだ…!』

 

 

 

 

 

少女は貴族ではない。

どころか、そこから最も遠い所にいる。

 

 

 

 

 

広大な森林地帯に生きる、フィン人の末裔、スオミ。

 

 

スオミは北欧に在る。

 

ローマ帝国より北で、ルーシ・キエフ大公国よりも更に北。

ユーラシア大陸の最北…ではなく、

少しだけ南。

 

寒いけど、もっと寒い地域で暮らす人々がいる。

オーロラも見えるが、もっと見える所はある。

 

世界最強のヴァイキングが蹂躙する、

イングランド、ゲルマン、フランク、

ノルウェー、スウェーデン、…等よりも東。

 

危険地帯からは少し外れている。

歴史の主役舞台から、取り残されてしまったとも言える。

 

北欧の東と言っても、白海よりは西。

 

一応、極東にある、白河という上皇が治めているが、

事実上は藤原家という一族が実権を握る、とある島国からは、

一番近いヨーロッパ。

 

 

ようするに、

何の特徴も無い、森と湖しかない所だ。

 

何の特徴もないが、

森と湖であれば、五万(ゴマン)とある。

 

 

とても昔、

ウラルという言語を話す者達の一部が、

民族移動をしている際、うっかり森林に迷い込んでしまった。

 

寒いけど、住んでみたら良い所だったので、

そのまま住み着いた。

 

スオミはその末裔だ。

 

少女はスオミでも珍しい、孤児院のある村で育った。

 

 

 

 

 

少女は捨て子である。

 

孤児院の前に捨てられた。

 

 

院長が、赤子の泣き声に気付いた際に、

おそらく姉か、使いの者か、

確実に親ではないであろう11~12歳の少女が、去っていくのが見えた。

 

去っていく少女は、真っ白で光沢を放つ、

高価な布を纏っていた。

 

捨て子もやはり綺麗な布に包まれており、

布にはヘレンという字が書かれていた。

 

正確には、

スオミ語で、“ヘレン” と読めなくもない字が書かれていた。

 

 

判るのはそれだけだ。

 

 

スオミで育ち、スオミの誇りを持っているが、

少女はスオミではない。

 

 

作るのに膨大な手間が必要で、

気候が合わなければ取れない、良質でキメ細かい糸。

それを贅沢に編み込んだ、とても高級なシルク。

 

それを当たり前のように身に纏っていた。

 

大きくなった少女は、

きっと自分は、家族は、上流階級の者だと信じた。

 

 

金髪碧眼の、

天使のように愛らしい少女。

 

よく何もない所を触り、オカシな事を喋るものの、

他の孤児達と同様、順調に育った。

 

 

少女が物心ついた時、他の子とは違う事が判った。

 

 

最初は屋根に出来た氷柱が、

その子のかけ声で一斉に落ちた。

 

次に、火打金を使わず、火を起こした。

 

子供達と手を繋ぎ、誰が一番長く立っていられるかという

“地震ごっこ” なる遊びを考案し、

 

最後は、雷雲を見た翌日、

空の真似をして、小さな雷を発生させた。

 

 

人口数百人の村で、

大人達は、その子を『神の子だ』と囃し立てた。

 

少女の名前から、ギリシア神話の女神・ヘレーン、

もしくは、ヘレネーの生まれ変わりと称した。

 

 

少女は得意になったのか、殺人事件を起こした。

 

 

神の子は問題児と見なされたが、

その特異な能力から、男にしか許されない狩りへの参加が認めらる。

 

狩人としてすぐに頭角を顕し、7歳で大きなヘラジカを仕留めた。

 

その角は村の誇りとして、

歴代の大物と同じく、村の公民館に飾られている。

 

 

狩人と言っても、少女の狩りは変わっている。

 

森に何日もこもり、

獲物を追い、弓で仕留めるのではない。

 

 

木の上にいるだけで、自然と動物が集まり、

適当な動物の急所に、素早く氷柱を伸ばし、絶命させる。

 

少女は力が弱く、獲物を持ち運べないので、

付き添いの狩人が村まで運ぶ。

 

 

魔法での狩り。

 

 

初めは、雪の降る場所でしか使えなかった氷柱。

春になり、雪が溶ける季節には、

水さえあれば使えるようになり、

夏には、何も無い所から氷柱を出現させた。

 

まるで、初めからそこに在ったように。

 

特異な力と、

獲物を獲れなければ売られてしまう恐怖が、

それを可能にした。

 

少女も必死だった。

 

 

ただし、村での魔法の使用は、固く禁じられていた。

 

村人に害を与えたり、

村人から無用な忌避を受けない配慮だ。

 

森の恵みを村に分け与え、

少女は村からの信用を回復させた。

 

事件の事も忘れ去られた頃、

以前のような神の子とまではいかぬまでも、

村一番の人気者に返り咲いた。

 

 

少女は杖をついている。

 

足が悪い訳ではない。

 

自分が殺してしまった、足の悪い少女が使っていたそれを、

自分の過ちを忘れないよう、持ち歩いている。

 

杖は少女の魔法を強め、精度を高めた。

 

魔法を顕現する方法は幾つかあったが、

少女は杖を使う方法こそ最適と判断し、練習を重ね、特化させた。

 

杖なしで魔法は使わない。

自分への戒めのように。

 

と言ってもその杖は、少女なりの改造を繰り返し、

元から残っているのは、もう支柱のわずかな部分しかない。

 

 

杖を振るい、獲物を仕留める。

 

少女はその杖に、狩りの女神にあやかり、

元の持ち主と同じ、アタランテという名を付けた。

 

 

 

 

 

そんな少女が育った村、

スオミは特殊な国家形態を取っている。

 

国が無いのだ。

 

特殊と言っても、この時代はスオミのように、

統治者のいない地域や、

まだ発見されたばかりの大陸もあった。

 

この頃の世界には、“空き地” が沢山あったのだ。

空き地と言えど、動物と同じように、人間も生息しているが。

 

 

広大な森林地帯には、村という沢山のコミュニティが存在し、

狩りで遠くまで行くと、別の村人と顔を合わせたりする。

 

たまに村長が共を連れて集まり、民族の方針を決定する。

 

スオミ、ハミ、カレリアの村々。

サーミは遠いせいか、出席率が悪い。

 

村長会議といっても、特に決める事もない。

困っている事が無いか、病気は流行っていないか、

情報交換が主な目的だ。

 

ちなみに、南のスオミは、北のサーミと仲が悪い。

 

仲が悪いと言っても、

大国同士が行うような、暴力的な解決方法は取らない。

お互い口を聞かず、影で悪口を言い合う位だ。

 

 

海岸部でもなければ、ヴァイキングも現れない。

どちらかというと、

ヴァイキングになる為、村を出て行く者の方が多い。

 

村を出て行った者は、大抵二度と戻って来ない。

死んだのか、もっと豊かな生活をしているのだろう。

 

森の外とは、ここより魅力的な場所なのかもしれない。

 

 

 

冬の寒さは厳しいが、水と食料は豊富だ。

 

作物の他に、キノコや木の実。

沢山の動物。

 

外敵と言える外敵もほとんどいない。

 

この辺りの熊は温厚なので、人を襲う事は滅多にない。

天敵と言えば狼くらいだ。

 

その狼も用心深いので、村を襲う事はほとんどない。

主に狩りのライバルとしてだ。

 

広い森林地帯では、

わざわざ争うまでもなく、食料が手に入る。

 

肉食動物達も穏やかなのだ。

 

 

人間の外敵に対しては、

寒さと、森という天然の要塞が守る。

慣れない者は森に迷ってしまう。

 

というより、森を切り拓く手間を考えると、

植民のメリットも少なく、

大国もあまり目を付けない場所なのだ。

 

海岸沿いの町では魚が取れて、行商船が行き来するが、

発展している代わりに、海賊が現れる。

 

戦争とは、人口が密集するからこそ起こるのかもしれない。

 

 

スオミは至って平和である。

誇れる物もあまりないが、それ故にのどかな村。

 

ドがつく田舎でもあるが、

自然を崇拝する村人達の精神性、民度と呼ぶべき物は非常に高い。

 

 

 

スオミの中でも、孤児院のある村は珍しい。

 

ここは比較的南にあるせいか、

フランクや、ルーシの宣教師が訪れる。

 

戦争から遠い、平和でのどかな様子に感動したのか、

宣教師の発案で、村の中心には、

教会を兼ねた大きな孤児院が建設された。

 

戦災孤児や、浮気で出来た子を養う代わりに、

村はカトリックから様々な物資援助を受ける仕組みだ。

 

その為この村は、カレワラを信仰するスオミでは珍しい、

カトリック教圏という事になる。

 

 

孤児院での生活は、基本的に、

男子は狩りや農作業の手伝い、

女子は家事や料理、服飾や伝統工芸の手伝いと、幼児の世話をする。

 

孤児院に滞在する神父が、礼儀作法や神学を教えたりもする。

 

勉強は教えていなかったが、

子供達が知識を欲する為、いつしか勉強会が開かれるようになった。

 

大人も子供も、誰でも参加出来る。

この村は大人も子供も、学習意欲が非常に高いのだ。

 

神父も時折、書物や知識を仕入れに、

町まで出かけなければいけない程だ。

 

 

神父のいない期間は勉強が出来ないので、

町へ商売に行っている者が、商売の仕方を教える。

 

村一番のカンテレ弾きや、服職人、

それらが授業を行ったりする。

 

村人全ての技術や知識を、村人全員が共有する。

その後、各自が育み、

新しい技術や知識が生まれれば、また村で共有する。

 

この村に “最良” の方法は存在しない。

 

狩りでも算術でも、答えを導く為の方法を、

幾通りも考え、皆で試行錯誤する。

 

魔法を使った狩りを試みるし、

算術も答えではなく、問題を考える。

 

娯楽が無いせいか、

広大な自然がどこまでも行ける気持ちにさせるのか、

勉強による向上は何より楽しく、いつしか勉強会は授業制と言えるほど、

毎日、決まった時間に開かれる事になった。

 

よって村人は、

個人差はあるが、総じて驚く程に頭が良い。

 

 

孤児院の男子は、優秀なら狩人か農家になる。

一人前になれば、嫁をもらう事も出来る。

 

町へ出ていく者もいるし、

中には海賊になると言って、ヴァイキングへ馳せ参じる者もいる。

 

女子は相当な例外を除き、狩人にはならない。

神聖な狩りは男の仕事だからだ。

 

村人の嫁にもらわれる者もいるし、

自信があれば、娼婦や召使いになる為、やはり町に出る。

 

村へ訪れる行商人や旅芸人の話を聞き、

大抵の子供は町に憧れているのだ。

 

 

子供達はよく言い聞かされる。

 

『良い子にしないと、奴隷として売ってしまうぞ』と。

 

実際にこれは、脅しではない。

素行の悪い子供が町へ売られる事は多い。

 

だが、町に憧れる彼等にとって、

奴隷になるという事は、そこまで恐ろしい物ではないのかもしれない。

 

 

この村の孤児達の未来は、

村の為に生きて死ぬか、奴隷、娼婦、召使い、海賊の一兵卒。

 

15の終わりに孤児院を卒業する際、

ある程度、自分の意思で職業を選択するが、

実際、選べるのはそれくらいだ。

 

 

だが、最初から奴隷を調達すべく運営される、

他国の “奴隷育成機関” たる本来の孤児院に比べれば、

 

この村の孤児院『アップレケーンタ』は、

 

遥かに先進的だと言える。

 

 

 

それでも、

大商人を目指したり、騎士を目指したり、

 

ましてや貴族になるなど、夢のまた夢だ。

 

 

卒業生に一人だけ、

本気で貴族になる夢を持った “痛い” 女子がいたが。

 

 

 

 

 

北欧の特殊な森林地域、

 

そこでも珍しい孤児院、

 

その中で一番珍しい、

 

 

 

魔法使いの少女。

 

 

 

 

 

少女は親を探す旅をしている。

おそらく貴族であろう、自分を捨てた親を探している。

 

再開を果たした時、貴族であろう親を失望させない為、

少女は貴族でないにも関わらず、

 

貴族の真似事をしている。

 

 

 

 

少女は母親を探しているが、父親にはあまり興味がない。

 

理由は本人にも判らない。

 

男の狩人に混ざって、狩りをして来たせいか、

父性には渇望していないのだろう、そう少女は思っている。

 

 

 

 

それは、少女が処女受胎で産まれた事が関係している。

 

勿論、父はいる。それは絶対なる神ではない。

母は聖なる心 “も” 持っているが、聖母マリアではない。

 

母は父を夢中で愛し、夢中で少女を身籠った。

 

 

 

 

少女は夢を通して、母と繋がっている。

 

 

だから少女は、母の呪縛から逃れる事が出来ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘレンは夢を見ている。

 

小さい頃から、何度も見た夢。

 

 

 

 

 

月、大きな満月が出ている丘。

 

 

その先に佇む、もう一人の少女。

 

 

 

 

 

小さい頃から見続け、

 

今ではもう、自分の方が大人になってしまったというのに、

 

歳下の少女は、変わらず自分に語りかける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――私がアナタのお母さんよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




シモ・ヘイヘやガルパンで有名な北欧のフィンランドです。
日本から一番近いヨーロッパだそうです。確か、世界一頭が良い国ですね。

フィンランドはスウェーデンに占領される西暦1300年位まで、
ほとんど歴史に登場しません。国になっていなかったからです。

スウェーデンによってカトリックに強制的に改宗される事になります。
それを考えると、穏便にキリスト教圏となったヘレンの村は幸運だったのかもしれません。
ただ一部は正教会圏になったりと、フィンランドはけっこうキリスト教に翻弄される地域ですね。

11世紀末にフィンランドにカトリックの孤児院があった可能性は低いと思われます。そもそも孤児院自体が珍しい物だったので。

ローマ帝国には昔から孤児院はありました。
上で言っているように、大抵が奴隷となります。

この奴隷と言うのが今章では重要なキーワードになってきます。
虐げられる代表格とも言われるし、意外と悪い待遇でないと言われたりする奴隷。それを更に独自の目線で描けたら良いなと思っています。

ゲームのヘレンの設定が孤児院出身なのですが、
設定を読んだ時、どう考えても「明日のナージャ」のパクリとしか思えませんでした。あと、なにか幾つかの話から設定を持ってきたような。
このゲームのキャラはそういうのが多いです。蚩尤とか。

なので、孤児院の名はアップレケーンタとしています。
アップフィールドのフィン語バージョンですね。

貴族がどうのは、単にお嬢様言葉を言わせたくて付加した設定です。
ナージャも貴族ですしね。

ただ、女の子は貴族や姫とかに憧れる物なので、
人には無い力を持ったヘレンは未だに現実を知らず、それになれると思っている感じです。結構ガチでやってる感じです。とても痛い子です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ルールに支配された世界

ヘレンの見る夢は、人と少し変わっている。

 

現実で魔法が使えるせいか、夢では更に高度な魔法を扱える。

それが現実でのヒントになる事もある。

 

 

鳥のように飛翔する魔法、それは試してはいけない。

 

 

夢の中では風を完璧に制御できる。

でも、人間を飛翔させる程の風とは、石や木の枝を凶器に変えるのだ。

 

アレは夢でも現実でも、試してはならない魔法だ。

 

 

 

ヘレンの夢にはルールがある。変わっているのはこちらの点だ。

 

 

夢を見る為のルールではなく、

夢の中が、ルールで支配された世界なのだ。

 

登場人物達は、皆がルールを守っている。

 

何故なら、『誰もが良心的な心を持たなければいけない』

というルールがあるからだ。

 

更にその世界では、『誰でもルールを設定出来る』というルールもある。

 

自分が『こうしましょう』と言えば、誰もがそれに従う。

誰かが『こうしよう』と言えば、自分もそれに従わねばならない。

 

 

でも、そのルールは納得出来る、

大切な事ばかり。

 

 

皆が良心的な心を持っているからだろう。

 

 

だが、『ルールの循環を招くルールは禁止』というような、

夢にしては妙にリアルな、細かなルールまで決められている。

 

この人はこれが出来ないルールなのに、

それをする時はこの人に頼まなければいけない、というような。

 

所謂、パラドックスを招くルールは禁止だ。

 

 

とにかく、夢の中はルールが支配する世界で、

そこではルールに違反する者は許されない。

 

ルールを守らない者には、

正義の戦士が天罰を下すのだ。

 

 

そこでの自分は、許されない事を正す、正義の戦士。

 

たまに、自分が罰を下される方のシチュエーションもあるが…

 

 

 

少女の妄想を具現化したような “設定” のある夢。

色んな夢を見るが、この前提は基本設定だ。

 

その他は普通の夢と変わらない。

 

ルールに縛られた夢を見るせいか、

何でも出来る魔法を持ちながら、

ヘレンは清く正しく育ち “すぎた” のかもしれない。

 

 

潔癖症のヘレンにとっては、

ルールが支配する世界は居心地がいい。

 

 

ただ、見たい夢が選べないのと、

何回かに1回、月の少女が現れる “ハズレ回”

 

その他にどうしても、

夢の中でも出来ない事が2つある。

 

 

一つはとても当たり前の事なのに、

何故かルールで禁じられている。

 

だから、現実の方で実現しようとしている。

 

 

もう一つは、

夢でも現実でも出来るハズなのに、

やり方が判らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シクロ様、おはようございますわ」

 

 

寝巻きから一張羅に着替え、

階段を降りた先の男に挨拶する。

 

 

『やぁ…よく眠れたかい?』

 

 

顔色の悪い宿屋の主人、

シクロが答える。

 

 

「ええ、とっても。良い羽毛を贅沢に使ってらっしゃいますのね」

 

 

『フフフ…気付いてもらえると嬉しいよ』

 

 

宿暮らしを始めて、5日が経った。

 

アウグスタイオン広場に面した、町の中心にあるこの宿は、

便利で食事も美味しいが、少々高級で宿賃も高めだ。

 

ここに泊まるのは経済的ではないが、

ずっといる訳でもない。

 

それに、安い宿に泊まっていては、

貴族としての品位が下がる。

 

明日の活力を得る為、こういう所の節約は禁物だ。

 

 

 

「ところでシクロ様…」

 

 

『その、シクロ様ってのはやめてくれないか?お客さんに様付けされるのは

どうもな…』

 

 

 

ヘレンは幼少の時に一度、孤児院を家出した事がある。

 

海岸沿いの町まで行ったが、あまり良い経験はしなかった。

その一つとして、同じ年頃の女の子達と遊んだ。

 

女の子達はママゴトの一種として、

自分達が貴族であるように振る舞う “貴族ごっこ” をしていた。

 

ヘレンも誘われてそれに混ざり、

 

『アナタはどこからいらっしゃったの?』

 

という質問に「孤児院」と答え、

嘲笑された。

 

 

気持ち悪い、汚いですわ、と。

 

 

以来、孤児院出身である事が恥ずかしくなり、

村の外では絶対に隠そうと誓った。

 

家出後、村に戻ったヘレンは、

こっぴどく叱られた後に、孤児達の前で宣言した。

 

「今日から自分は貴族ですわ」と。

 

 

今のままでは、町の女の子達のように、

自分の親も、自分を気持ち悪い、汚いと思うのでは、

そう考えたのだ。

 

変わらなくてはならない、と。

 

 

男子達は『カッケー!俺も貴族になる!』と同調し、

貴族ごっこはブームになった。

 

未だに続けているのはヘレンのみだが。

 

 

自分を馬鹿にした、町の女の子達がしていた仕草や喋り方。

それが、ヘレンが口にする “お嬢様語” のルーツになっている。

 

努力はしているが、

本物のそれとは、やはりどこか違う。

 

 

 

 

「呼び捨てだなんて。そうは参りませんわ、この宿のご主人様ですもの」

 

 

『む、そうか…』

 

 

 

悪い気はしない。

 

この子といると、なんだか自分が、

上流階級のような気分が味わえる。

 

貴族のせいで地獄を見た、自分でさえも。

 

 

 

「シクロ様、あちらの方角にある、大きな建物は何ですの?」

 

 

 

ヘレンは北東の方向を、真っ直ぐ指差す。

 

 

 

『ハギア・ソフィアの大聖堂だね。教会だよ』

 

 

 

「まぁ…あれほど大きな教会があるだなんて」

 

 

 

『ああ、初めて見る人はみんな驚くよ』

 

 

 

「ワタクシも負けていられませんわね」

 

 

 

肩にかかった髪を優雅に払い、

気合を入れる。

 

 

 

『おや…。今日も例のやつ、やるのかい?』

 

 

 

「ええ、日銭を稼ぐのは得意技ですの」

 

 

 

宿の玄関から見える、

アトラス像の噴水に向けて歩みだす。

 

 

 

『そうだ、食事はどうするかい?』

 

 

 

「夕餉だけ頂きますわ。朝は市場で何か食べて参ります」

 

 

 

『了解だ。いってらっしゃい、良い一日を』

 

 

 

「アナタも」

 

 

 

手を小さく振って外に出ると、

目も眩むような光に包まれる。

 

 

暑い。

 

 

故郷で体験した事のないような暑さ。

 

貧血を起こしそうになったが、

そうなる前に目が慣れる。

 

 

 

シクロはとても優しい。

ただ、それもお金を払える内だけ。

 

この世界は毛皮や肉ではなく、お金が最も大事。

お金は神の次に偉いのだ。

 

 

 

(ワタクシは狩人。ならばお金を狩るまでですわ)

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大道貴族芸人

 

【挿絵表示】

 

 

 

自称貴族の少女は、たった数日で、

世界の中心アウグスタイオン広場の名物となった。

 

少女が “それ” を始めれば、

あっという間に人だかりが出来るようになり、

今では少女にある “敬称” が付けられる程だ。

 

 

 

「それではお次は!この噴水から氷柱を召喚して差し上げますわ!」

 

 

 

アトラス像の噴水前、

観客達は、危なっかしくも噴水の縁に立ち、

手品を披露するヘレンを見上げている。

 

側にある籠には、『見物料はコチラに』

というプレートが立てられ、

中には銅貨がどっさり放り込まれ、数枚の銀貨も混じっている。

 

 

大体銅貨一枚で、質素な食事が一回出来る。

銀貨であれば一週間の食費がまかなえる。

 

宿代は食事無しで一晩、銀貨一枚。

最低でもこれだけは稼がねばならない。

 

初日はギリギリだったが、

噂が広まったのか、今ではそれくらい簡単に稼げるようになった。

 

今日はこの時点で、3~4日分のノルマは達成している。

 

 

 

「いきますわよぉ…っ!」

 

 

魔法を発動すると、ヘレンの少し前方に、

円状の揺らめきが現れる。

 

注視しなければ判らない程の揺らめき。

 

この世界と、ヘレンの視る世界を繋ぐ、

凹凸レンズのような、薄っすら青い蜃気楼。

 

そのレンズを通して見る先、

そこに在る水を、手も触れずに操る。

 

 

 

「ご覧下さいませッ!!」

 

 

掛け声と共に、水面を貫いて、

三本の氷柱が、高く、長く突き出した。

 

アトラス像の背丈も越えている。

 

 

 

『オオオオォォォ…ッ!』

 

 

 

広場に集まった見物客から、歓声が上がる。

 

 

下から上に突き出す仕組みは、

水面下で新しい氷を生み出し続け、

上の氷を押し上げているのだ。

 

 

 

『アイス…ッ!!ソォオオオオドッ!!』

 

 

声の大きい男性客が、

両手を大きく広げて称える。

 

 

『いや…アレはアイススピアだ!!』

 

 

男とは、尖った物を見ると、

すぐ武器に例えたがる生き物なのだ。

 

 

『今日のは長いなっ!』

 

 

『こんなに長いのによく折れないもんだ!』

 

 

 

ヘレンが行っているのは、大道芸である。

 

スオミからここまで来る途中、

路銀に困っていた折始めたら、意外にも大好評だった。

 

村では魔法を禁止されていたが、村の外ならやり放題である。

 

ルーシでその様子を見た、

“ダンテリオン” というジョングルールにスカウトされ、

しばらくの間、彼等に大道芸を教わりながら、共に旅をしたのだ。

 

 

ジョングルールとは、

フランク王国を中心に活動する、旅芸人の事。

 

音楽家、吟遊詩人、ダンサー、ジャグリングから手品師まで、

芸を持っていれば誰でも歓迎する。

 

一人では見せる芸にも限界があるが、

寄り集まれば、更に派手なパフォーマンスが行える。

 

 

『大道芸を見せるのだから、小道芸ではならない』と、

本場のかなり厳しい手ほどきをされた。

 

芸に厳しい者達ばかりだったけど、楽しかった。

大道芸人が行う、上品で大袈裟な動作は、

ヘレンが行う “エセ” 貴族の所作と、よく似ていたからだ。

 

ヘレンは貴族よりも、大道芸人の才能があり、

ベテランのダンテリオンはそれを見抜いたのだ。

 

 

彼等はフランク王国から旅をしていて、

そちらにUターンする為、途中で別れてしまった。

 

『正規雇用するので、フランクに来ないか』と誘われ、

迷いはしたが、本来の目的を果たす為、

コンスタンティノープルへの道を選んだ。

 

でも、彼等の教えは受け継いでいる。

 

 

 

 

「ありがとうーっ!ご声援、ありがとうございますわーっ!」

 

 

 

まず、大きな声と大袈裟な振る舞いで、人目を引く。

これがなければ始まらない。

 

普通は、頼りがいのある紳士が行う。

そういった人物の方が、芸に期待を持ってもらえるからだ。

 

少女のヘレンはその点で不利だが、

金髪碧眼の美しい容姿に、天使のような笑顔。

少女らしからぬ発育の良いスタイル。

 

それらが不利を覆す “目立ち度” を発揮する。

 

当然、男性客の比率が高くなるが、

男性は若い娘に対して、投げ銭の羽振りが良い。

 

全く問題は無い。

 

 

ヘレンの芸はレパートリーこそ少ないが、加減と応用が効く。

いきなり大きな事はせず、まずは手の内を隠す。

 

そして少しづつ派手な芸を見せ、

最後は時々の客層に合わせ、大きな物を披露する。

 

客が欲する物を提供する洞察力、

対応力と、ユニークセンスが問われる。

槍のような氷を作ったのも、その一環だ。

 

同じ事ばかりでは客も飽きて、次の日に来てくれなくなるのだ。

 

 

 

「なんとこの氷柱…ワタクシの合図で、一瞬で溶けてしまいますのよ!」

 

 

手を回すように軽やかに広げ、氷柱の先端へ注目させる。

 

白魚のように美しく跳ねる指先は、

観客の視線を、魔法にかけたように動かす。

 

動きに釣られて顔を回してしまう者さえいる。

 

 

 

『マジか!?』

 

 

『知らないのか?ヘレンちゃんの氷は合図で溶けるんだ!』

 

 

 

ヘレンは噴水の縁で、危なっかしくもくるりと回り、

片足で爪先立ちをする。

 

浮いた方の足は、地面と並行に伸びている。

 

バレリーナのようなポーズだ。

 

 

「雄々しくそびえ立つ氷達よ!その輝かしい舞台の幕を降ろし給えーッ!」

 

 

空に向けた杖を、両腕を広げていくような動作で、

ゆっくり下に降ろしていく。

 

氷柱はそれに合わせ、

先端から砂のように崩壊していく。

 

 

 

『オオオオォォォー…』

 

 

 

観客は溜息を漏らす。

 

杖を下げる動きに反比例して、

浮いていた足が、上へ上へと反り返っていく。

 

短いスカートは限界まで開き、

ヘレンの上半身が低くなるにつれ、

高く伸びた足から、滑るようにずり落ち、

少しづつ、その面積を小さくしていく。

 

 

 

『オオォー…おっ、おおお…?』

 

 

ヘレンは崩壊する氷柱に集中しているが、

男性客のほとんどは、

美しく伸びる足と、露わになっていく太腿の根本に注目している。

 

 

 

「…はいっ!氷柱は見事、その生涯を閉じましたわぁ!」

 

 

広げていた足を閉じ、

新体操のようなポーズでキメる。

 

 

『おぉ…っ?オオオオォォォ…!』

 

 

急に浮いていた足が降りて、太腿が隠されてしまい、

夢から醒めたように、

ヘレンの下半身から顔に視線を戻し、

現実に戻った観客が声援を送る。

 

気付いたら氷柱は消えていた。

 

 

 

「(もうっ!魔法をちゃんと見ておりませんでしたのねっ!)」

 

 

 

ヘレンは観客の目線から

隙あらばスカートの奥、太腿が伸びる根本の、

下着を覗こうとしている事を知っている。

 

その為、演目の前にフォース系の魔法を使い、

激しい動きをしても、Vライン以上は絶対にめくれ上がらないよう、

気を配っている。

 

大きく、ふわり、ふわりとはためきながら、

いつもあと1mmの不思議なスカートは、

魔法のように男性客を惹き付ける。

 

ヘレンはそこまでは計算している訳ではない。

 

自分の足が貴族にふさわしい、美しい物という、

自負として受け止めている。

 

 

 

「見物料は、コチラにお願いいたしますわっ!」

 

 

上半身を左に傾け、左足も伸ばして爪先を上げる。

手の平の先は、左にある籠を向いている。

 

芸を見た者は、そこに見物料を放るのだ。

 

見ておいて金を払わない、タダ見客というのは、ほとんどいない。

コインの枚数もケチったりせず、感動の度合いをそれで表現する。

 

 

神聖なキリスト教の精神が、人々を正直者にさせているのと、

この周辺は商人が多く、観客達も富裕層。

 

奴隷に仕事を任せて来ている者がほとんどだ。

 

 

世界有数の近代都市、コンスタンティノープルといえど、

娯楽は多い訳ではない。

 

金を取っていても税金で取られるか、娼婦につぎ込んで病気をもらう位だ。

 

可愛らしいイリュージョニストに投げ銭し、

お金の代わりにスマイルをもらう事は、

健全な使い道だと言える。

 

 

 

「ありがとう、ありがとうございますわっ!…まぁっ!可愛らしいお子様!」

 

 

親にコインをもらったと思しき子供が、

大人の真似をして、

緊張気味にコインを入れて、走って親の方に戻っていく。

 

 

ヘレンは一人一人に声を掛け、スカートをつまんで腰を落とす。

 

 

 

『今日も冴えてるねぃっ!』

 

 

「お褒めに預かり、光栄ですわっ!」

 

 

 

一つ芸をこなす度、何度も投げ銭に来る者もいる。

ヘレンの可愛らしい笑顔が見たいからだ。

 

すると、その様子を祝福するように、

後ろの噴水に変化が起こる。

 

 

 

「あら?噴水が…」

 

 

 

アトラス像を円状に囲む、幾つもの放水口。

そこから何本もの水流が、天へと舞い上がる。

 

神の国を支える、アトラス神を称えるかのように。

 

 

 

『知らないのかい?マルスとユピテルの正午は、ああやって水が舞うんだよ』

 

 

以前は安息日以外、毎日放水を行っていたが、

最近はマルスとユピテルの曜日だけとなっている。

 

そして、ヘレンが噴水を見るのは初めてだ。

 

 

 

(とてもキレイですわ…。まるで、透明な長石を飾り付けたような。水がこんなに美しい芸術を描くなんて)

 

 

 

水が飛ぶ仕組みも、大いに興味がある。

 

普通は、“地面がそう在ろうとする力” によって、

水は上から下に流れるハズなのに。

 

一体、どんな魔法を使っているのだろう。

 

 

しかし、大道 “貴族” 芸人たるもの、

目を奪いはしても、目を奪われるようでは失格だ。

 

 

 

「…それではっ!本日のフィナーレッ!!この放水を全て凍らせ、見事

消し去ってご覧に入れますわ!」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アリストテレス曰く、ゼロはゼロではありませんの

 

 

「…それではっ!本日のフィナーレッ!!この放水を全て凍らせ、見事消し去ってご覧に入れますわ!」

 

 

その場の空気や時事ネタと絡める。

 

この手の即興は、

応用の効くヘレンの大道芸の持ち味だ。

 

 

 

『本当か!?』

 

 

『なんだ!?凍らせて消すって事か!?』

 

 

『だからそう言ったんだよ!どういう事か判らんが!』

 

 

 

ヘレンは踊り子のようにクルクルと回り、

自分を抱くように屈み、念力を入れるように力を入れる。

 

その前方に、円状の蜃気楼が浮かび上がっている。

 

 

 

「ハァアアアア…ッ!」

 

 

 

この “溜め” は、本来必要の無い動作だ。

蜃気楼が出た時点で、全ての仕込みは終わっている。

 

後は、体を反り返させ、

優雅に力強く両腕を伸ばす。

 

口では別の事を言いながら、

意識を、イメージを顕現させる事に集中するだけだ。

 

 

 

「ご覧あそばせッ!!」

 

 

 

噴水の放水口から、無数の玉のような氷が、

勢い良く、ポポポン、という奇妙な音を立て、

クラッカーのように噴出する。

 

 

高い。

放水の勢いだけではない。

 

別の力が加わっている。

 

 

 

「くっ…うぅ…っ!」

 

 

思い付きでやってみたが、やってみると意外と辛い。

連続的に魔法を使用し続けるのは、思ったよりも集中力がいる。

 

 

 

『雹だ、雹が降ってくるぞ!!』

 

 

 

舞い上がった氷の雨が、放物線を描いて落下を始めた。

 

当たったら結構痛いかもしれない。

観客達が手で頭を守る。

 

 

仕上げだ。

 

 

 

「ええいっ!!…ですわ!」

 

 

ヘレンが勢いよく杖を振ると、

雹のように降り注ぐと思われた氷が、

空中で音を立て、ポップコーンのように一斉に弾けた。

 

 

『オオオオォォォーッ!!』

 

 

氷が弾けた影響か、

涼しげで柔らかい風が吹く。

 

 

『薬品だ!きっとすでに、水が凍る薬品を混ぜていたんだ!』

 

 

歓声と、タネを予想する声が上がるが、

ヘレンが仕込んだイリュージョンは終わりではない。

 

弾けた氷、

それが細かい屑となり、ゆっくり舞い落ちる。

 

 

 

『…? 雪だ!!雪が降ってるぞ!』

 

 

 

コンスタンティノープルは北半球の真ん中、

極東の島国よりは湿度が低く、過ごしやすいが、

典型的な四季の国。

 

現在は暑くなり始めた、ジューノの月。

 

この地でこの時期、雪が降るなど、

もう何万年ぶりだろうか。

 

 

観客達が両手を広げ、

舞い落ちる雪に触ろうとする。

 

 

ヘレンは細い指に力を入れ、腕を振りながら弾く。

高くてよく通る、ヘレンの声にも似た音が響く。

 

本来は必要無い動きだ。

仕掛けは、左手に持つ杖から発生している。

 

 

 

『おおっ!?』

 

 

 

『うわっ!』

 

 

 

雪が更に細かく弾ける。

 

光をプリズムのように乱反射させ、

キラキラと、虹色の輝きを放って消えていった。

 

 

 

『オオォ…あはははっ!』

 

 

溜息が漏れ、笑い声がする。

 

何が起こったのか判らないが、

皆が同じように驚いている様を見合って、

何故か楽しい気持ちになってしまう。

 

 

 

「お集まりの皆様方…、少しは涼しくなりましたかしらっ?」

 

 

足を揃え、大きく両手を広げる。

とても自慢気な笑顔だ。

 

魔法だけではなく、

この上品で可愛らしい動作も、

パフォーマンスの一つと言える。

 

 

 

『ウオオオオッ!!』

 

 

『ヒェアッ!!ヒェアッ!!ヒェアーーッ!!』

 

 

 

氷魔法は、ヘレンが最も得意とする系統だ。

 

氷は様々な分子結合を作れるので、扱いやすい。

 

生み出した氷の分子結合…

本人は分子結合など知りもしないが、

 

放水された水を媒体に、

二層の、非結晶質の結合を持つ氷を生み出し、

その結合を崩壊させる風を当て、弾けたように見せる。

 

弾けるタネは氷だけではなく、視えない風にもあったのだ。

 

 

一定の時間、一定温度と圧力でなければ溶けない氷。

魔法の副産物で起きる科学現象。

 

この分子結合の相を取る氷は、本来地球上には存在しない。

 

 

 

『何をやっとるんじゃ…』

 

 

噴水の管理人ラビは、

自分の住まいから遠目でそれを眺め、

頭を掻いている。

 

この時間、しばらく放水され続けるハズの水が、

止まっている。

 

雪に目を引く為かは判らないが、

おそらく放水口を凍らせて、ムリヤリ蓋をしているのだ。

 

詰まって壊れたりしないだろうか。

 

神聖な噴水で遊んだりして、

とんでもない事だ。

 

あとでしっかり注意をしておかねば。

 

 

 

『一体どうやってんだい、これは?』

 

 

 

見物料を入れに来た男が、タネについて質問する。

 

タネを聞くのは、無粋と言えば無粋だが、

さすがにコレは聞いてしまうのも無理はない。

 

 

 

「アリストテレス曰く、ゼロはゼロではありませんの」

 

 

指を斜めにピン、と立て、

授業を行うように説明する。

 

 

『どういう事だ?』

 

 

『ゼロじゃなきゃ…1か2だろ?』

 

 

 

前列の男達が顔を見合わす。

 

 

 

(やはり皆様、ここからそう言いますのね…)

 

 

 

故郷でもそうだった。

 

ゼロに見えるそれは、

見方を変えればゼロではなくなると言うのに。

 

ただこの感覚は、どうにも言語化し辛い。

 

あまりくどくど説明すると、

故郷のように『またヘレンがオカシな事を言い出した』

と、からかわれてしまう。

 

一度でも良いから、皆も視る事が出来れば良いのに。

 

 

 

「…仕掛けは、ギルド秘密ですわっ!」

 

 

 

最近覚えた言葉を使ってごまかす。

 

謎めいていた方が、

ミステリアスな雰囲気を醸し出せるだろう。

 

ヘレンはそう思っているが、

彼女にとっては当たり前の魔法も、

他の者にはそのままで、十分ミステリアス過ぎる。

 

 

 

『なんでぃ。お嬢ちゃん、ユダヤなのかい?』

 

 

「え…っ」

 

 

ヘレンの心臓が大きな音を立てる。

 

そして徐々に、

心拍が早まっていく。

 

 

 

(ミスった…?)

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

正当被害者決定戦

 

「…ギルド秘密ですわっ!」

 

 

 

『なんでぃ。お嬢ちゃん、ユダヤなのかい?』

 

 

「え…っ」

 

 

ヘレンの心臓が大きな音を立てる。

そして徐々に、心拍が早まっていく。

 

 

(ミスった…?)

 

 

この反応は、何か下手をこいてしまった時のもの。

 

負の感情を一気に高めてしまった。

 

 

ピントをずらすように、人と違った世界が視えるヘレンは、

感情の変動、いわゆる “その場の空気” もぼんやり目で視える。

 

そのセンサーは一般人より精度が高い為、

彼女のせいでは無い事でも、

彼女は自分が何とかしなければ、と思ってしまう。

 

 

 

「(ギルドとは、ユダヤが追放された集会ではありませんの…?)」

 

 

 

ヘレンの知ったかが、裏目に出た。

 

ギルドとは中華の行のようなもので、

商工業を統括、育成する組合だ。

 

確かにユダヤはそれを追われた。

そのせいで、誰もが嫌がる、高利貸しの仕事を始めた。

 

そして、ギルドを追い出された恨みを晴らすかのように、

高利貸に就くユダヤが、儲けなどを問い詰められた際、

嫌味として、

 

『ギルド秘密だ』

 

と返すようになったのだ。

 

 

図らずしもヘレンは、

ユダヤ芸人ではない事をアピールしようとして、

ユダヤと同じ事を口にしてしまった。

 

地域独特の、一過性の流行のようなもの。

流れ者のヘレンが知る由はない。

 

 

ユダヤ芸人という噂が立てば、

勘違いだとしても、収入に違いが出る。

 

それは、その日暮らしのヘレンにとって、

文字通り死活問題となる。

 

 

 

「…あの “迫害者” と間違われるのは、不愉快ですわっ!」

 

 

大袈裟に指を立て、

怒った演技だと判る、演技をする。

 

ヘレンの処世術の一つである。

 

 

 

昨今のキリスト教とユダヤ教は、

日々 “正当被害者”を決める対決を行っている。

 

これは、どちらがより憐れであるか示す勝負で、

勝利の暁には、世界の同情を勝ち取る事が出来るのだ。

 

 

同情とは、支持とほぼ同じ。

 

支持は、権力とほぼ同じ。

 

 

どちらも絶対に負けられない戦いだ。

 

 

キリスト側のターンでは、

『ユダヤは我らが信仰対象、ハリスを迫害 “し続けている”。悔い改めよ』

 

という、“信仰対象を銀貨で売られた時にのみ” 発動出来るカードを提示する。

 

決まれば、ユダヤにキリストの全てを認めさせ、

丸ごと傘下に納める程のカウンター技だ。

 

元々、ユダヤがハリスの裁判をローマに行わせたせいで、

その罪悪感から、ローマは文字通り十字架を背負う事となった。

傘下に入って然るべきなのだ。

 

ユダヤも嫌なら出て行けば良いのに、

なぜ改宗せず、ローマにはびこり続けるのだろう、と考えている。

 

 

対してユダヤ側のターンでは、

『キリスト教徒は “現在” ユダヤ教徒を迫害している。憐れな我々(こひつじ)よ』

 

という、同情を誘うカードが提示される。

 

嫉妬と銀貨欲しさにハリスを売り、しょうもない “諍い” のキッカケを作り、

その後もローマ帝国に喧嘩を売って来たにも関わらず、

 

“イジメる方が悪いに決まっている”

という、シンプルかつ大胆なクリティカル攻撃だ。

 

安易に放てばブーメランにもなりかねない危険な一手。

 

戦争に負け続け、国を失った彼等のみ発動条件を満たす、

決まれば起死回生の奥の手だ。

 

 

この勝負は先に頭に来て、

相手を虐殺してしまった方の負けとなる。

 

相手を冒涜し過ぎても、自分達の印象は悪くなる。

あくまで、自分達は被害者だと主張し続ける事が肝心である。

 

 

現在の所、権力面では、

『宗教界の殺し屋』こと、キリスト教が大きくリードしている。

 

だが、その短気な性格故に、

『宗教界の闇金帝王』ことユダヤに、じわじわと利権を巻き返されている状態だ。

 

 

お互い高度な人心掌握スキルを備え、

勤勉に励み、日々それに磨きをかけている。

 

非常にハイレベルな、世界すら巻き込み翻弄する、

最高峰の駆け引きの応酬だ。

 

 

 

 

「高利貸しをするユダヤがいたら、ワタクシが追い払って差し上げますわよ?」

 

 

腰に手をあてた前傾姿勢を取り、

ニヤリとした笑顔を浮かべながら、

 

“悪い子はいないか”

 

というように、指先をゆっくり右から左へと動かす。

 

 

 

『YEAHHHHHHッ!!』

 

 

『言うねぇ~っ!』

 

 

 

1000年後なら問題発言だが、この場では歓声が上がる。

 

上手くいった。

 

 

芸を行いながら、観客を一人残らず見定め、

先程の反応で好みも把握した。

 

この都市の者達は、ユダヤに様々なストレスを抱えている。

荒々しい言葉でけなしてやる事が、一番この地の住人と認めてもらえる。

 

観客にユダヤが紛れているかは判らないが、

高利貸し等、している方が悪いのだ。

 

それに、これは処世術であって、

実際に自分が追い出す訳ではないのだから。

 

 

 

 

『ヘレンちゃん!炎は出せないのか?“夕日の魔女” みたいに!』

 

 

 

「…ッ!」

 

 

 

観客の一人から、アンコールを要求される。

これはまだまだ絞り取れる、金儲けのチャンス。

 

である以上に、自分の芸を求められている。

 

アンコールは芸人冥利に尽きる、嬉しい要求だ。

 

 

だが、

 

 

 

 

「夕日の…魔女?」

 

 

 

 

夕日の魔女。

もしくは、炎の魔女。

 

コンスタンティノープルの北にある灯台。

 

そこにひっそりと暮らす、

夕日のように赤いマントを羽織る女性。

 

 

彼女は炎を操る “魔女” と噂され、畏怖されているが、

ヘレンはそれを知らない。

 

 

でも、問題はそこではない。

 

 

 

「炎を灯す、事は…」

 

 

 

火を付ける魔法は、

 

夢でも現実でも、出来る。

 

 

 

 

 

でも、

 

自分の意思で消す事が出来ない。

 

 

 

 

 

夢でも、現実でも。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ギリシアの火 ~ローマ帝国最終兵器~

『ヘレンちゃん!炎は出せないのか?“夕日の魔女” みたいに!』

 

 

 

忘れられない、苦い経験のある魔法。

使う度に、あの日の事を鮮明に思い出す。

 

なるべくなら使いたくない。

 

 

 

『夕日の魔女はお伽噺だろう?火打金も使わず、火なんて起こせるハズがない』

 

 

『親父が見たって言ったんだよ!』

 

 

『ヘレンちゃんなら出来るんじゃないか?なんたって…』

 

 

『もし出してくれたら、俺は “金貨” を入れてもいいぞ!』

 

 

 

それを聞いたヘレンは、

天使のように明るい微笑みで答える。

 

 

 

「…できましてよっ!!」

 

 

 

『オオオオォォォ!!』

 

 

 

炎は生活に欠かせない物。

今までも必要な時は、嫌々ながら使ってきた。

 

自分の意思で消せないと言っても、それは普通の事だ。

 

水でも消えないが、

永遠に、絶対に消えない訳ではない。

 

あくまで、“水では消えにくい” という位だ。

 

熱や大きさも操れるし、

氷の次に得意な系統とも言える。

 

 

 

何より、金貨と聞いては、黙ってはいられない。

 

一枚あれば、レアカードを引くまでガチャを…ではなく、

一週間は何もせずに、宿暮らしが出来る。

 

しかも一番良い部屋で。

 

 

 

『本当か!?何も使わず炎を出せるのか!?』

 

 

『大変なんだよなぁ~火付けるのって』

 

 

この時代の人々は、

一度火を付けると、何日もそれを絶やさない。

 

料理場のカマドには火が灯り続け、それでスープを煮込み、

食べた分だけ材料を足していく。

炎を灯すというのは、意外と大きなイベントなのだ。

 

 

大道芸で行った事はないが、背に腹は変えられない。

 

大丈夫だ、自分はもう子供ではないのだから。

 

 

 

「それではアンコールにお応えし、これより、あのアトラス像に、炎を灯してご覧に入れますわ!!」

 

 

 

炎とは上に伸びる物。

高い所、アトラス像にでも付ければ、安全のハズだ。

石像なら、熱を抑えれば溶ける事もないだろう。

 

たぶん。

 

 

 

「(大丈夫…焚き火を付けるのと同じ…同じですわ。熱は抑え、炎は大きく)」

 

 

 

アトラス像を、

敵でも見るかのように睨みつける。

 

 

 

 

 

 

 

(熱い、たすけて…)

 

 

 

 

 

 

 

「く…っ」

 

 

 

 

ヘレンは首を振り、再び集中する。

 

先程とは違う、

薄っすらと赤い蜃気楼が浮かび上がる。

 

 

注視しなければ、ほとんど見えないような歪み。

ヘレンの視ている世界を、この世界に映し出すレンズ。

 

 

観客達は息を呑み、アトラス像に注目する。

 

 

 

 

「…ご覧あそばせッ!!」

 

 

 

準備の出来た “そこ” にイメージをぶつけると、

轟音と共に勢い良く、大きな、とても大きな、

 

球体状の炎が灯った。

 

 

 

『オオオオォォォ…ッ!!』

 

 

 

成功だ。

 

炎は勢い良く燃え盛り、

煌々とした輝きを放っている。

 

 

 

『スゴイ!!こんなデケ―炎見た事ないぞ!!』

 

 

 

『ほらなっ!!言った通りだ!炎の魔法はあったんだよ!約束の金貨を入れるぞォーッ!!』

 

 

 

リクエストした男が、高々と金貨を掲げる。

 

 

 

『オオオォォ…ん?』

 

 

『あれ?』

 

 

 

歓声が上がりかけたが、期待外れの声に変わる。

 

 

 

『オイそれ、ソリドゥスじゃねーか!男らしくねーぞッ!!』

 

 

『なんだよ、ソリドゥスの方かよ~』

 

 

金貨を掲げた男は、先程と打って変わっていそいそと、

籠にソリドゥス金貨を入れる。

 

 

ソリドゥス金貨とは、混ぜ物の多い金貨である。

 

数百年、その品質を守り抜いてきたものの、

国家予算の7割に上る軍事費、それによる財政圧迫。

交易による、金の流出。

 

数十年前から、これらの補填を理由に改鋳が行われ始め、

その価値を一気に落としていった。

 

元々は100%近い純度を誇っていたが、今では30%程度。

しまっておくと劣化して、

金貨だった物が、銀貨になっていたりする。

 

 

ついに6年前、発行が停止し、純度の高い別の金貨が発行された。

 

役所に持っていけば価値に応じた新貨幣に交換されるが、

記念として残しておいた物だろう。

 

掲げたそれは、黄金の輝きなど無く、

錆びないハズの金が、錆びている。

 

おそらく、銀貨程度の価値しかないだろう。

 

 

 

『しょうがねぇ、俺が銀貨を入れてやるぜ!』

 

 

 

『輪っかだ!細い輪っかが仕込んであって、油が塗られていたんだ!』

 

 

 

『まるで、太陽が現れたようだな』

 

 

 

『第二の太陽だ!!第二の太陽を作り上げちまったんだ!!』

 

 

 

 

 

観客達が盛り上がっている中、

 

ヘレンは目を見開き、戦慄している。

 

 

 

 

 

 

――おかしい。

 

 

自分は確かに、アトラス像に大きな炎を灯した。

でもそれは、あそこまで大きい物ではない。

 

なにより蝋燭のような形で、球体の炎などイメージしていない。

 

 

多くの人々が行き交う、身近な広場の、

身近な彫刻の上に、

 

 

 

誰も知らない、

 

 

 

球体状の “何か” があるとでもいうのか。

 

 

 

 

 

 

 

(ですが今は…、そんな事を考えている場合ではありませんわ)

 

 

 

もっと大事な事を、

皆に伝えておかねばならない。

 

 

 

「この炎は水をかけても消えませんの。ですから絶対に、お手を触れないようお願い申し上げますわ」

 

 

 

ヘレンの注意に合わせるかのように、

 

放水口を覆っていた氷の蓋が溶け、

噴水が水を跳ね上げる。

 

像の真上にある炎球には、直接掛かってはいないが、

飛沫が飛んでも炎は勢いを全く弱めない。

 

 

 

 

『ギリシアの火かッ!ファラリカだッ!!』

 

 

 

「ファラ…?」

 

 

ギリシアの火というのは、

言われた事があるので何となく判るが、

 

ファラリカ…は、よく判らない。

 

だが、客に説明はしても、

教えを乞うようでは、大道芸人失格だ。

 

 

 

「…そういう事ですわっ!」

 

 

 

指を立て、やや溜めてから、軽やかに跳ね上げる。

よく出来ました、と言わんばかりに。

 

また見栄を張ってしまった。

知りもしないのに。

 

 

 

『オオオオォォォ…ッ!!』

 

 

 

兎にも角にも、理解が早くて助かった。

 

 

 

ギリシアの火とは、

ローマ帝国海軍、最重要機密兵器だ。

 

その実態は、水の上で燃える炎。

 

船からサイフォンという火炎放射器で放ったり、

陶器で包み、手榴弾として投擲する。

 

幾多の敵艦隊を、この炎によって轟沈せしめた。

 

帝国民達は代々、

海に煌々と輝くギリシアの火に拳を掲げ、勝鬨を上げ、

誇りとしてきた。

 

 

付いたあだ名が、帝国の太陽・火槍(ファラリカ)

 

 

神話(フィクション)ではない、現実での最強兵器。

 

 

男達のロマン。

 

 

奇しくも、

中華の気孔においても、最強の攻撃方法の名を冠している。

 

 

 

 

「それでは、本日はこれにて…」

 

 

 

後ろ足を引き、

スカートをつまみ上げ、軽やかに腰を落とす。

 

 

 

その様子を遠目から眺めていた、噴水管理人ラビは、

大口を開けて、呆然としている。

 

我がローマ帝国の中心、

神聖な神降ろしの噴水に、火をつけた。

 

なんという冒涜だろうか。

 

 

 

『よっ!帝国一のイリュージョニスト!』

 

 

 

『明日もやってくれよぉ~!!』

 

 

 

 

ヘレンは笑顔で上品に手を振り、稼いだ金を旅館に預けに行く。

 

 

 

 

観客達も芸の余韻に浸り、その場を後にしながら、

 

煌々と輝く第二の太陽を、振り返りながら思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれ?

 

 

 

 

 

 

 

 

――この炎、消していかないの?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

噴水前には、

 

 

『この炎、触れるべからず、いかなる責任も負いかねます』

 

という看板が立てられ、

 

少しづつ弱くなり、完全に消えたのは、

その日の夜が明ける頃だった。

 

 

 

 

 

 

 

ヘレンはその夜、宿から見える薄い炎を見て思う。

 

 

 

 

炎を使うのは複雑な気持ちだ。

 

焚き火程度には使ってきたが、

大勢に見せるとなると、やはり違う。

 

 

ただ、ウケた。

 

今までにない程に。

 

 

魔法のアイテム、お金を得る為には、

何かを犠牲にしなくてはいけない。

 

 

お金の為に奴隷になる者だって、大勢いるのだ。

 

 

 

自分はもう子供ではない。

 

安全に留意すれば、大丈夫のハズだ。

 

うまく付き合っていくしかない。

 

 

 

 

 

 

 

あの炎は朝には消えるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

でも、

 

 

 

 

 

 

 

自分が人殺しである事実は、一生消える事は無い。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。