キツネとカミサマ (ろんめ)
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Chapter 001 二人の目覚め
1-01 海のセルリアン


どこまでも青い海に、船が飛行機雲のような波を立てていた。

少し遠くに、虹色の輝きに頭を彩られた山が見える。

そんな船で、少年が一人空を仰いでいた。

 

「……」

 

黒い髪の少し眠たげな彼は、火山の方をチラリと見て、

港にある人影に目を向けた後、

すぐ空に視線を戻した。

 

 

 

 

 

一方ジャパリパークでは、巨大黒セルリアンとの戦いを終えてから

二週間ほど経っていた。

かばんとサーバルは港まで散歩にきていた。

 

 

「あ、あれ見てかばんちゃん!」

 

「え、 どこ?」

 

「あそこだよ! 海の上!」

 

 

水平線に、船が見えた。

よく見るとそれはこちら側に向かっているようだ。

もしかしてヒトがやってきたのか、という期待が

かばんの心を躍らせたころ、腕につけたラッキービーストが

警告を発した。

 

 

 

「注意、注意、海の方向にセルリアンが観測されました」

 

「海にセルリアン…? 」

 

 

頭の上にハテナを浮かべ、かばんは船の方向を見ていた。

 

海の中に蠢くモノに気づくことはなく、ただただ平穏ないつも通りの海に

見えていたことだろう。

 

「ちょっとボス! 海にセルリアンなんている訳ないじゃん!」

 

 

 サーバルちゃんはそう言って船に向かって手を振りながら

「おーい!」と声をかけた。でも残念ながら船に乗っていた人には聞こえなかったみたいだ。

 じっくり船を観察してみた。船って呼んでいるけど、

どちらかというと少し大きめのボートといった感じかな。

 

「キケン、キケン、早く海からはなれて」

 

 

またラッキーさんが警告している。

 

 

「サーバルちゃん、ラッキーさんもこう言ってるし、少し離れてみよう?」

 

「でも……だってあれって船でしょ?だったら誰かが乗ってるかもしれないよね?

セルリアンに襲われたら危ないよ!」

 

「確かにそうだけど、ここからじゃ助けるのは難しいかも。

一旦隠れて様子を見た方がいいと思う」

 

「そっか……うん、わかった、じゃああそこの陰に隠れよう!」

 

 

ボクとサーバルちゃんは近くにあった木の陰に隠れてしばらく様子を

見ることにした。しばらくして船がさらにこっちに近づいたころ、

サーバルちゃんは我慢できなくなったらしく、

「セルリアンなんてどこにもいないじゃん!」

と海辺に近づこうとした。

 

「サーバルちゃん、もう少し待ってみようよ」

 

「だいじょーぶ! ボスが間違えただけだって!」

 

サーバルちゃんは怖がることなく港の水ぎりぎりのところに立って、

なんともないよという風に腕を振って合図した。

ホントにラッキーさんの勘違いだったのかな?

 

「ほら、ボスの勘違いだったでしょ!」

 

と言ってサーバルちゃんは船に向き直った。

ボクももう問題ないかと思ってサーバルちゃんと一緒に

船に向かって声をかけた。

……やっぱり聞こえなかったみたいだ。

 そんな時、海の底から唸るような音が聞こえてきた。

 

「…! かばんちゃん!もしかして……」

 

本当に海にセルリアンがいるのか、

そう思う間もなく、高い波を立てて

海面に青と黒が半端に混ざったセルリアンが顔を出した。

 

「大きい……それに、腕がある」

 

「どうしようかばんちゃん、あんなセルリアン見たことないよ」

 

「さっきの所に隠れよう。見つからないうちに」

 

そそくさと木の陰に隠れ、じっくりとセルリアンを観察した。

色はさっき見た通り黒、そしてとても深い青でよく見ないと

海と間違えてしまいそうだ。

 

「それに黒いってことは…ラッキーさん、あれをここから調べられますか?」

 

「マカセテ」

 

ラッキーさんはピピピと音を立てるとすぐに結果を教えてくれた。

 

「セルリアンから大量のサンドスター・ロウが検出されました」

 

「あれ? 火山からはもう出てこないようにしたはずだよね…」

 

「他のところから出てきたのかもしれない……それと、セルリアンは水に

弱かったはずだよね?」

 

「ホントだ! でも全然へっちゃらみたいだよ?」

 

「だとしたら、あのセルリアンは水に強く進化した可能性があるかもしれない」

 

「ええっと、つまり……もう水は効かないってこと…?」

 

分析すればするほど、今までとのセルリアンとの違いが

はっきりと頭に浮かび、対処法が思いつかない。

 

 

……どうやらセルリアンが船に気づいたみたいだ。

腕を振り上げ、打ち付けて大きな波を起こすつもりらしい。

なんとか、ここからでもボクにできることはないだろうか。

紙飛行機は届く距離じゃないし、セルリアンの意識を

誘導できそうなものも見当たらない。

今できるのは、あの船の人が無事に陸にたどりつくことを

祈ることだけだ。

 

 

 

セルリアンは腕を振り下ろした。

波が起こり、船が大きく揺れた。

その揺れで乗っていた人も危険だと思ったのか

船のスピードがさっきまでよりずっと速くなった。

そんな船の前方にセルリアンの腕が現れた。

海の中を通して回り込んだみたいだ。

 

「もしかしたら、頭もいいのかも……」

 

あの巨大セルリアンだって前足を使って地面を揺らして

バスを吹き飛ばして…

 

……あまり思い出したいことじゃない。

 

船は急旋回してセルリアンから離れ始めた。

セルリアンも腕を使って何とかとらえようとしているけど、

さすがに船の速さにはついてこれないらしい。

諦めたのか腕をすべて海の中に沈めた。

 

 

 

でも、そんなに甘い話じゃなかったみたい。

 

突然船が飛んだ。

セルリアンが腕をすべて使って海の中から投げ飛ばしたようだ。

船が全速力だったこともあって勢いよくこちらに向かって飛びながら

大きくひっくり返りはじめた。

乗っていた人は船から振り落とされて、

船と人は森の中へと飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……もう大丈夫みたい。あの人を探そう。」

 

「うん、ケガしてたら大変だもんね」

 

そんな会話をしてから船に乗っていた人を探した。

船は森の中ではとても目立つので船もその人も

すぐに見つかった。

船はさかさまになっていたけど壊れているようには

見えなかった。

乗っていた人も、目立つような切り傷とかは見えなかったけど、

もしものことがあるので二人でロッジまで運ぶことにした。

 

「でも、ロッジに手当てできるフレンズっているのかな?」

 

「昔ヒトがいたはずだから、手当ての道具とかならあるかもしれないよ」

 

「カバン、手当てをするときはボクが手順を教えるよ」

 

「さすがボス! いざというときは頼りになるね!」

 

 

バスがないから着くころには夜になってそうだなあ、と思いながら

歩いていたけど、まさか到着するのが月がてっぺんまで登るころに

なるなんて思ってもいなかった。

 

 

 



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1-02 おめざめ

天井にシミが見える。

なんとなく顔に見える部分がないか探した。

体を起こすと背中と腕と足と……とにかく

全身に痛みを感じる。

寝る前に何か無茶なことでもしたかな。

 

「……どこだろ、ここ」

 

こんな部屋に見覚えはない。

寝る前に何をしていたか一向に思い出せない。

 

「疲れてるのかな……」

 

なんとなく服をあさってみると、ポケットから手帳が見つかった。

裏を見てみると、そこには……

 

バタンッ!

 

「うわっ!」

 

突然ドアが開く音がして飛び上がってしまった。

 

「あ、驚かせてごめんね! 元気になった?」

 

そこには大きな猫耳と尻尾のあるオレンジに近い色の髪と

ヒョウのような柄の服を身に着けた女の子がいた。

 

「……誰?」

 

「わたしはサーバルキャットのサーバル! あなたは?」

 

「僕は……コカムイ ノリアキ、…かな。その…よろしくね」

 

「コカムイノリアキ…って動物なの?」

 

「え、僕は人間だよ?」

 

「やっぱりそうなんだ! 外のヒトは少し長い名前なんだね!」

 

 

外の人とか僕が人間じゃないかもと思ってたこととか

色々と気になることはあるけど、今一番大事なのは……

 

「名前はノリアキで、コカムイっていうのは苗字だよ」

 

「ミョウジ? それって何?」

 

やっぱり苗字知らなかったみたい。

 

「苗字っていうのは、なんというか……家族を表すもの、って感じかな」

 

「ヒトって家族にも名前があるの!? すごーい!」

 

何がすごいんだろう。

ヒトとして生まれた僕には人間じゃない動物の感覚は

わからない。……あれ、人間じゃない?

 

「そういえばさっきサーバルキャットって……キミって人間じゃないの?」

 

 

「そうだよ、わたしはサーバルキャットの”フレンズ”なんだ!」

 

「フレンズ?」

 

「ええと、フレンズっていうのはね……」

 

 

 

 

 

 

そこからサーバルにフレンズについて教えてもらった。

どうやらフレンズとはこのジャパリパークにいる動物が

サンドスターに触れてヒト化した生き物らしい。

なんでここに来たのか覚えていないけど、

おもしろそうなところだ。

 

「それじゃあ……あ、なんて呼べばいいのかな?」

 

「コカムイ、でいいよ」

 

「わかった!コカムイくん! よろしくね!」

 

本当に元気な子だ。

 

「そういえば、おなかすいてない?」

 

「あ、そういえば……空いてるかも。じゃあ、身支度してから行くよ」

 

「待ってるね!」

 

サーバルが部屋から出ていった。

そのあとでもう一度手帳の裏を見た。

 

"Kokamui Noriaki"

 

手帳の裏に書いてあった名前を名乗ってしまったけど、

本当にこれは自分のものだろうか?

誰かのものだったら申し訳ないな。

待たせちゃいけないし、適当に支度は済ませて

ご飯を食べに行こう。

 

 

 

部屋を出てから気づいたけど、この建物のつくりを知らない。

どこにサーバルはいるのだろうか。

 

「適当に探すしかないかな…」

 

そんな風に適当に探していたら思ったより時間がかかり、

着いてからすぐに

 

「もう! 遅いよコカムイくん」

 

と言われてしまった。

案内してくれればよかったのに。

 

見てみると、サーバルのほかに帽子をかぶった子と

目の色が左右で違うのと黄色と黒の頭の鳥?のフレンズがいた。

 

帽子をかぶった子が近づいてきて自己紹介をした。

 

「あ、はじめまして……かばんといいます」

 

「…ああ、はじめまして、コカムイです。…キミは?」

 

「……かばん、です」

 

「……名前は?」

 

「…かばんです」

 

 

つい何回も聞き返してしまった。

なんともいえない不思議な名前で、しばらく反応に

困ってしまった。

そんな様子を見てオッドアイの人…じゃなくてフレンズが

クスッと笑っていた。

手元を見ると何か描いているみたいだ。

 

 

「珍しい名前だね、どうしてその名前になったの?」

 

「かばんちゃんはかばんを持ってるからだよ!」

 

おもしろい冗談を聞いた。

カバンを背負っている赤ちゃんなどいるものか。

 

「わたしが名前をつけたんだよ!」

 

とサーバルが付け足した。

 

なんだろう、ジャパリパークというのは本当に

不思議にあふれた場所なんだなあ。

 

 

「…………」

 

 

予想外の出来事だらけでどう言葉をかければいいかわからない。

すると、サーバルがまんじゅうを手渡してきた。

 

「はい、ジャパリまんだよ」

 

「…食べられるの?」

 

「食べられないものなんて渡さないよ!」

 

というので、食べてみることにした。

…おいしい。中には餡が入っているわけではなかったが、

食べやすい味で、お腹も空いていたからか

すぐに平らげてしまった。

 

「まだいっぱいあるよ!」

 

とカゴごと差し出してくれたので、もう3つ

 

いただくことにした。

 

 

 

「ふぅ~満足……」

 

満腹になって椅子で伸びていると、

かばんちゃんが近づいてきた。

 

「あの、少しいいですか?」

 

「ん、どうかした?」

 

「コカムイさんは、ジャパリパークの外から来たんですよね、

外の世界ってどんな感じなんでしょうか?」

 

「外から……来た、のかな?なんか思い出せないんだ」

 

「覚えてないんですか!?」

 

「うん。ここのベッドで起きたけど、寝る前何してたか一切覚えてない」

 

「それってもしかして、飛ばされたせいかな…」

 

「飛ばされた? 僕が寝る前何してたのか知ってるの?」

 

「はい。昨日、港で……」

 

 

 

 

かばんちゃんから港で起きたことを聞いた。

船に乗っていたのは僕らしいけど、一切身に覚えもないし、

船の運転の仕方も全く知らない。

しかも話を聞く限りではセルリアンとかいう化け物に襲われていたらしい。

 

 

「……理解が追い付かないよ」

 

「ボクも、海にいるセルリアンは初めて見ました。

なので、一度としょかんで博士たちに相談してみようと思うんです」

 

「博士?」

 

「ええ、としょかんに住んでいるフクロウの……」

 

 

バンッ!!

 

「うわあッ!」

 

 

今日二度目のドアが開く大きな音でまた飛びあがってしまった。

今度は一体誰だと振り向いたら、網目模様のマフラーを巻いた

女の子が立っていた。

 

「あっ、アミメキリンさん」

 

アミメキリン、確かにそう見えなくもない…のか?

 

「はじめまして、僕は…」

 

「待って! 私が推理してあげる。この名探偵アミメキリンが!」

 

 

 

「名探偵……?」

 

いきなりの展開に困惑したがアミメキリンと名乗ったフレンズは

構うことなく推理を始めた。

 

「そのなんとも言いたげな表情…ドアの音だけで飛びあがる臆病さ………

これらの証拠から、私にはあなたが何なのかお見通しよ! あなたは……」

 

「………」

 

「あなたは……」

 

と繰り返したきり、フリーズしてしまった。大方推理が

浮かばなかったんだろう。

このまま待っても面倒だし、自分から名乗って終わらせよう。

そう思って口を開いたとき、サーバルの方をチラッとみたキリンが

思い出したかのようにこう言った。

 

「あなたは…ヤギね!」

 

「なんでそうなるのさ!?」

 

そのあとヒトだと言って誤解を解こうとしたが、

「今度こそヤギよ!」と変な意地を張っていて

余計に疲れてしまった。



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1-03 ものわすれ

「それはそうと先生! マンガの方はどんな感じですか!?」

 

キリンはオッドアイのフレンズに話しかけた。

「それはそうと」とか言える立場ではないと思うけど、

またヤギの話に戻るのは勘弁なので黙っていた。

 

どうやら先生と呼ばれたフレンズは漫画を描いているみたいだ。

キリンが先生と呼んでいるのを見ると彼女は

人気なのだろう。

 

「ふふ、また面白いことが起こってネタには事欠かないだろうね」

 

と言ってこちらに視線を向けた。

 

「自己紹介が遅れたね。私はタイリクオオカミだ。

オオカミと呼んでくれて構わないよ」

 

改めてみてもオッドアイが特徴的だ。

オオカミさんはすぐに覚えられそうだ。

 

「それと、そこにいるのがこのロッジアリツカの管理人、

アリツカゲラさんだ」

 

「アリツカゲラです。」

と軽く礼をした。

 

「どうも、お世話になります」

とつい礼を返した。

 

「ところで、キミはジャパリパークの外から来たそうじゃないか」

 

「ああ、そうらしいですね…」

 

「おや、他人事みたいな言い方だね」

 

「何も覚えてなくて、実感がわかないっていうか。寝ぼけてるのかな……」

 

「ふむ、外の世界について聞けるいい機会だと思ったが……」

 

「すみません、覚えてなくて」

 

「いや、別の話題ができたよ」

 

「……?」

 

「外からやってきたヒトが謎の記憶喪失。

…むしろこっちの方が興味深いかもね」

 

「そういえば、オオカミさんはどんなマンガを描いてるの?」

 

「見てみるかい?まだ描きかけだが、序盤くらいなら大丈夫だ」

 

 

見てみると、どうやら探偵マンガみたいだ。

所々怖い場面も描かれている。

ただ文字は書かれていない。フレンズは文字は書けないのだろうか。

 

「”ホラー探偵ギロギロ”ってタイトルだ」

 

ホラー探偵、と聞くと時々入る恐ろしいコマも理由がわかる。

 

「ところで、キミは”見るだけで記憶を失うセルリアン”というものに興味はないかい?」

 

「み、見るだけで……?」

 

しかも記憶を失うとか今の状況にひどく合致して……まさか、

 

「そのセルリアンは虹色という珍しい色をしていてね、

サンドスターの色によく似ているんだ」

 

そういえば僕を襲ったセルリアンの色は……聞いてなかった。

 

「物珍しさに近づいてしまうフレンズもいるらしいけど、

そのセルリアンと目が合うと気を失うんだ。そして……」

 

「そ、そして……」

 

「それを見たものは少しづつ記憶をなくしてしまい、

最後には自分のことすらも忘れてしまうんだ」

 

「…………」

 

「ふふ、いい顔いただき…!」

 

さ、最後には自分が誰かも忘れる……

自分を覚えていない……それって…

 

「あ、作り話だから、あまり深く考えない方がいいよ」

 

「つ、作り話……」

 

一気に気が抜けて、テーブルに突っ伏してしまった。

よく考えれば当たり前じゃないか。

かばんちゃんの話によれば僕は昨日この島に来たばかりだ。

ジャパリパークの外にはいないセルリアンの被害に遭うわけがない。

オオカミさんの話し方が上手でついつい引き込まれてしまった。

 

「大丈夫かい……? 少し怖がらせすぎたかな、ごめんね」

 

「あ、そういえば」

 

本当にふと思い出した。

こんなつまらん作り話で落ち込んでいる暇はない。

 

 

「ねえかばんちゃん、さっき聞きそびれたけど『博士』って誰?」

 

「博士はジャパリとしょかんにいるアフリカオオコノハズクのフレンズさんです。

助手のワシミミズクさんといっしょに住んでいます」

 

つまりフクロウのフレンズってことか。

博士という分には多分頭はいいはずだ。

 

「海にいたセルリアンとか、今までにないことが起こったので、

一度博士さんたちにも相談してみようと思うんです」

 

「僕もついて行った方がいいよね」

 

「はい。コカムイさんも何か、記憶のこととか思い出す方法があるかもしれません」

 

「目的地はジャパリとしょかんだね、途中ゆきやまちほーとみずべちほー、しんりんちほーを通るよ」

 

突然声が聞こえてきた。

周りを見渡してみるけどそれらしいフレンズはいない。

誰かが隠れているのか……?

 

「あ、ここです」

 

とかばんちゃんが手首の腕時計のようなものを指し示した。

 

「え、これが?」

 

「はじめまして、ボクはラッキービーストだよ」

 

「喋ってる……」

 

腕時計の形をしているくせにビーストとは何事か、

どうせならラッキーウォッチと名乗れ、と思っていたら、

表情に出ていたのか、

「元々は自分で動けるガイドロボットだったんですけど、

……その、いろいろあって」

とかばんちゃんからあまり説明になっていない説明が入った。

 

「そっかあ…まあいいや、続けて」

 

「わかったよ」

 

するとジャパリパークの地図らしきものが空中に映し出された。

ホログラムというやつだろう。ハイテクだ。

 

「今はここのロッジにいるよ。島を反時計回りにまわってとしょかんにいくのが

一番簡単なルートだよ。少し時間がかかるからから途中で休憩をとるよ」

 

「それで、どこで休むの?」

 

「ゆきやまちほーの温泉宿がおすすめだよ」

 

「ゆきやまちほーかぁ……」

 

雪山には特に思い出とかはないけど、

なぜか少し懐かしいような気持ちになった。

 

「でも、雪山は登るのも越えるのも大変だから、バスがある方がいいよ」

 

バス、というとやはりサファリバスだろう。

ただしどこにあるのか一切知らない。

そもそも運行しているかどうかも怪しいところだ。

なぜかヒトがかばんちゃんしか現れないし、ロッジの管理もフレンズだけが

やっているように見える。

 

「で、バスはどこにあるのかな」

 

「もしかしたら、港の近くにまだあるかもしれません。

壊れてしまいましたが、直せば何とかなるかも」

 

「え、かばんちゃんあのバスを探しに行くの?」

 

「うん、今回は自分で行くから、あった方がいいと思う」

 

「今回は、ってことは前にも行ったことあるんだ」

 

「あ…はい。一週間くらい前に料理を頼まれて、

その時は博士たちが飛んで連れて行ってくれました」

 

「へえ、そうなんだ」

 

せっかくだから、いろいろ聞いてみ「じゃあ、まずはバス探しをしようか」

 

ラッキービーストに邪魔された。

仕方ないから移動中に聞くことにしよう。

 

「じゃあわたしもついてく!」

 

ということで、かばんちゃんとサーバルと僕(とラッキービースト)で

バスを探しに行くことになった。

 

 

 



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1-04 ばすさがし

ロッジを出発して……どれくらいだろう?

時計とかは持っていないので時間がわからない。

太陽で判断できるけど出発した時の高さは覚えてない。

まだ少しかかりそうだから色々聞いてみよう。

 

「ねえかばんちゃん、ラッキービーストってこの辺りにもいるの?」

 

「はい。多分いると思います」

 

「必要なら他のラッキービーストと通信して呼ぶこともできるよ」

 

「通信もできるんだ! 便利だね」

 

「そうなんだよ! ボスはときどきとってもかっこいいんだ!」

 

じゃあその「ときどき」以外はそんなにかっこよくないのかな…

 

「通信は必要ないかな、見つけたらでいいや」

 

「わかったよ」

 

「あ、そういえば、かばんちゃんは今までどうしてたの?」

 

「それは、話すと結構長くなりますけど……」

 

「いいから聞かせて!」

 

「はい。わかりました……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほどなるほど……すごいね」

 

全部聞いたけどそれに尽きる。

話によると多分かばんちゃんはヒトのフレンズだから

それも何か関係してるのかもしれない。

 

「そうでしょ! かばんちゃんはすっごいんだよ!」

 

サーバルは嬉しそうだ。

見ていて仲がいいのがよく伝わってくる。

あと、何か聞きたいことってあったかな…

 

「見て!バスがあったよ!」

 

とサーバルが指を差す方を見ると、

黄色い車体で屋根に耳のついたバスがあった。

やっぱりサファリバスみたいな見た目だ。

 

「あれ、運転席しかないね」

 

「巨大な黒セルリアンの時に、後ろのほうは少し遠くの安全な場所に

置いておきました」

 

「そうなんだ、でも…タイヤが壊れてるね」

 

バスは立ってはいたけどタイヤが一つパンクしたせいで傾いている。

取り替えないと走れなさそう。

 

「かばんちゃん、どうすればいいのかな……?」

 

「うーん、どこかに代わりのタイヤがあればいいんだけど……」

 

目的がバスさがしからタイヤさがしに切り替わろうと

していたその時、後ろから声が聞こえてきた。

 

「あ、あれは、かばんさんなのだ! ひさしぶりなのだ!」

 

振り向くとそこには二人のフレンズがいた。

キコキコとぺダルを漕ぎながら

歩いたほうが早いと思うスピードでこっちに来ている。

 

 

「やあかばんさんに、サーバルにー……知らない人ー」

 

知らない人と呼ばれた。

いや、正しいけど、「知らない人」って呼び方は…。

 

「あ、はじめまして、コカムイっていいます」

 

「”コカムイ”? 聞いたこともない動物なのだ。

 

フェネックは知ってるのか?」

 

「わたしも聞いたことないねー」

 

そっか。フレンズは動物の名前で呼ばれてるから

名乗ったらその名前の動物だと思われるのか…。

これからは自己紹介にヒトだと付け加えよう。

 

「コカムイって動物じゃなくて、僕はヒトだよ」

 

「お前もかばんさんと同じヒトなのか!?

でも、よく見たら納得なのだ!

尻尾も耳もない動物なんてヒト以外いないのだ!」

 

耳、あるんだけどなあ。

 

「で、コカムイさんはどうしてここにいるのかなー?」

 

「昨日、船に乗って島に来たんです。

コカムイさんは覚えてないみたいですけど」

 

「ほーほー、島の外から来たんだねー。

それで、覚えてないってどうしてー?」

 

「セルリアンに襲われて船ごと吹っ飛んで……ってことがあって

それで忘れちゃったのかもね」

 

一切覚えてないけど多分そんな感じだ。

 

「って、そうなのだ! 忘れてたのだ!」

 

とこっちを向いて、

 

「アライさんはアライさんなのだ! よろしくなのだ!」

 

「わたしはフェネックだよ。よろしくねー」

 

「そして、かばんさんにいいお知らせがあるのだ!」

 

とアライさんは乗ってきたものから

真新しいタイヤを持ってきた。

 

「ふっふーん! アライさんたちはかばんさんのために

”まんまるのぴっかぴか”のを見つけてきたのだ!」

 

これは思わぬところで手間が省けた。

 

「ありがとうございます、アライさん」

 

「じゃあ、さっそく取り付けよう」

 

ラッキービーストの指示に従ってタイヤを取り替えた。

これで後ろの車体と合わせれば多分問題なく走るだろう。

 

「よーし! じゃあ後ろのがあるところまで行こう!」

 

ラッキービーストの自動運転のためにかばんちゃんが

運転席に座り、僕とサーバルが歩いて、

アライさんとフェネックが”ばすてき”なものに乗って

バスの後ろ側まで向かった。

 

”ばすてき”についてはアライさんに

「それは何て名前?」

ときいてみたら

「”ばすてき”なものなのだ! 博士たちに貸してもらったのだ!」

と言っていた。

 

そんな感じでなんなくバスの後ろも見つかって合体させて、

ロッジに戻ることにした。

 

「二人とも、またねー!」 「ありがとうございました!」

 

「じゃあね、また今度」

 

「それじゃあ元気でなのだ!」

 

「またねー、コカムイさんもがんばってねー」

 

 

 

 

 

 

 

ロッジに戻るころには、空はオレンジ色になっていた。

オオカミさんとアリツカゲラさんが出迎えてくれた。

 

「おかえり、無事に見つかったみたいだね」

 

「はい。アライさんとフェネックさんのおかげで」

 

「じゃあ、明日には出発するということですね」

 

「うん。少し疲れちゃった」

 

「それにお腹も空いたよ」

 

「それなら、ジャパリまんを持ってきますね」

 

 

 

アリツカゲラさんは朝とは違う味のジャパリまんを

持ってきてくれた。

いろんな味があるからしばらくは飽きることはなさそうで

少し安心した。

そしてお腹が満たされると眠くなってくる。

 

「それじゃあみんな、おやすみー…」

 

「おやすみー! また明日!」

 

サーバルはまだ元気が残ってそうだ。

多分夜行性だからかな?

 

朝起きた時の部屋で寝ることにした。

布団に入ってみたけどなかなか眠れない。

……そうだ。

せっかくだから日記を書いてみよう。

あれ、日付は……まあいいか

 

『ジャパリパークに着いて 1日目

 

この日はセルリアンに襲われてそれ以前のことを全然

覚えていない。

この日の出来事は全部かばんちゃんが教えてくれた。』

 

 

『2日目

 

自己紹介をしてジャパリパークやかばんちゃんの旅について

教えてもらったりした。

バスを見つけて明日から図書館に向けて出発する。

 

 

初めて出会ったフレンズ

 

かばん(ヒト) サーバル

 

タイリクオオカミ アリツカゲラ

 

アミメキリン アライさん

 

フェネック                            』

 

 

こんな感じでいいかな。

日記はローマ字の名前が書いてあった手帳に書いた。

さて、明日に備えて寝ることにしよう……

 

 

 

 

 

 

 

 



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1-05 げぇむぼぉい

今、ジャパリバスは最初の目的地のゆきやまちほーに向かっている。

 

窓から外を眺めてみると自然にあふれた景色が広がっていて、きれいだ。

バスは電池で動いているのでガスも出ないから環境にも優しい。

本当にハイテクなバスだ。

 

こんなものを作れるならきっと元々僕がいたであろう場所には

もっと便利なものがあってとても暮らしやすかったと思う。

はてさて、なんでジャパリパークに行こうと思ったのか。

何かの拍子に思い出せないかな?

 

「コカムイさん、ゆきやまちほーが見えてきましたよ!」

その声を聞き、バスの進む方向を見ると、真っ白な雪山が見えた。

この山の上に温泉があるみたいだ。

 

そしてバスは雪山を登っていく。

少しスピードを落として、雪にタイヤがやられないように慎重に運転している。

かばんちゃんが運転しているように見えるけど、

全部腕についたラッキービー…長いからボスでいいや。

ボスがバスとつながって運転している。

 

 

「寒くなってきたね、あとどれくらいで着く?」

 

「だいたい15分くらいだよ」

 

「まだかかりそうですね」 

 

「うう…やっぱり寒いのは慣れないや」

 

「サバンナは暖かいから、こういうところは苦手なんだね」

 

 

何か羽織るものがあればよかったけど、

持ってなかったしロッジにもなかった。

これだけは我慢だ……

 

「雪山にはどんなフレンズがいるの?」

 

「雪山いるのは、キタキツネやギンギツネ、カピバラとかだね。

寒さに強いフレンズがほとんどだよ」

 

「まあ、当たり前だよね……」

 

 

雪山は綺麗な景色が一面に広がっているけど、

綺麗な景色で寒さはしのげない。

というかかばんちゃんは半袖なのに寒そうにするしぐさがない。

 

そうだ、初めて会うフレンズにはあいさつしなきゃいけないし、

いつまでも特徴がないあいさつじゃダメな気がする。

何かいい感じに印象に残るもの……何か………………「到着だよ」

 

その声で我に返った。

どうやらぼーっとしていたみたいだ。

 

 

「ここに温泉があるんだ…」

 

見たところ普通の温泉宿って感じだ。

バスの音を聞きつけたのか、中からフレンズが出てきた。

灰色の長い髪と紺色の服を着ている。

首元の大きい蝶ネクタイと黒い普通のネクタイ……両方つけてるのは珍しい。

 

 

「……あら? かばんにサーバルじゃない。それと……」

 

「あ、はじめまして、コカムイでーす」

 

「え、ええ……はじめまして。私はギンギツネよ。よろしくね」

 

 

いきなり軽い感じの自己紹介はよくないかも、

ギンギツネは少し戸惑ってるみたいだし。

やっぱり普通が一番なのかな?

 

 

そんなこんなでとりあえず入ることにした。

中に入るとギンギツネに似たオレンジの服のフレンズが

意気消沈した様子でぺたりと座りこんでいた。

 

 

「キタキツネ、かばんたちが来たわよ」

 

「……そう」

 

 

気だるげな声でキタキツネと呼ばれたフレンズはそう返した。

とりあえず自己紹介から入ってみよう。

 

 

「あ、はじめまして。コカムイです。今日はここにお世話になります」

 

 

んー……少し丁寧すぎたかも。

フレンドリーな感じとうまく両立できたらカンペキ。

 

だとか考えているうちにキタキツネがゆっくりと顔を上げた。

 

 

「……もしかして、男の子?」

 

「え?……うん」

 

 

開口一番性別の確認をされるなんてびっくりだ。

でもフレンズは女の子しかいないから珍しく映ったのかもしれないね。

 

「じゃあ……あるんだよね」

 

 

 

…………え、何が?

 

 

 

と考えているとキタキツネは立ち上がって手招きをした。

まあついて行ってみるしかないか。

 

ふとギンギツネの方を見ると顔を赤くしているような気がした。

 

 

 

「……これ、見て」

 

 

指さす方を見てみると何かの筐体が倒れていた。

 

 

「男の子でしょ? 力、あるんだよね」

 

なるほど、力仕事の話か。

ないことはないけど一人でできるかと言われると怪しい。

 

「これ、重そうだからかばんちゃんとサーバルにも

手伝ってもらえば楽にできるんじゃない?」

 

「わかった。ギンギツネ、ギンギツネも手伝って」

 

 

かばんちゃんとサーバルを呼んで、五人で機械を立てることになった。

 

 

「そういえばこれって何?」

 

「げぇむだよ」

 

「へぇ、ジャパリパークにもゲームってあるんだ……」

 

「よーし! がんばるぞー!」

 

 

五人がかりともなると簡単にゲーム機は立ち上がった。

ついでに電源を付けてみるとゲームも立ち上がった。

 

 

「これでまたげぇむできる。ありがとね」

 

「どうしてこんな重い物が倒れたの?」

 

「わかんない。気付いたら倒れてた」

 

少なくとも倒れたら音くらいすると思う。

キタキツネたちがいないときのことだったのかな?

 

 

「ちょっと来なさい」

 

「うわわっ!?」

 

 

ギンギツネに少し離れたところまで引っ張られた。

 

 

「キタキツネのさっきの言葉……あれどういう意味なの?」

 

「キタキツネに直接聞いた方が……」

 

「聞けないからあなたに聞いてるのよ!」

 

 

そういうギンギツネの顔は少し赤かった。

どうやらさっきの「じゃあ……あるんだよね」という発言についてらしい。

 

 

「ああ、それは”男の子なら力あるよね”って意味だよ」

 

「そ、そそうだったのね……」

 

合点がいったみたいでよかった。

 

「キタキツネ! ご、誤解しやすい言い方はやめるのよ!」

 

 

ギンギツネは顔がさっきより赤くなっていたので、

「へんなギンギツネ……」

とキタキツネがつぶやいていた。

 

 

それにしても、このゲームが気になる。

 

 

「そうだ、ゲームやってみてもいいかな?」

 

「うん、いいよ」

 

 

ゲームスタート!

 

 

内容は格闘ゲームだ。

一応あらすじはあるみたいで、

 

『ジャパリまんを奪っていくセルリアンが現れた!

撃退してジャパリまんを取り返そう!』

 

という内容が張ってある紙に書いてあった。

格闘ゲームならもっとしっくりくる設定があるはずだけど、そこまで気が回らなかったのかな?

出てくる相手もセルリアンって感じじゃない、と思ったら紙は別のゲームのものだった。

 

 

 

 

 

でもゲーム自体は面白くてついつい夢中に……ってあ!

待った!ピンチだ!落ち着いて……ここをこう避けて…

相手が空中にいる間に………

 

 

 

「……すっかり夢中ね。もう3回目じゃないかしら」

 

「……仲良くなれそう」

 

 

 

 

YOU WIN!/ パンパカパーン

 

 

やった!勝った!第3ラウンド完!

 

 

 

 

 

 



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1-06 キツネ宿の夜

ふぅ~。

 

一旦休んでからまたやろう。

 

少しお腹が空いたからジャパリまんが食べたい。

 

 

「ねえキタキツネ、ジャパリまんってどこにあるの?」

 

 

「…さっき、あっちの辺りでボスが持ってたよ」

 

 

ボス、ってことはラッキービーストだね、

 

ついでに見てみるチャンス、ラッキー!……なんちゃって。

 

 

キタキツネが指さしたあたりに来てみると、温泉が見えた。

 

見回してみるけどそれらしきものはいなかった。

 

 

 

「こういうときは呼んでみた方がいいかな……おーい、ボス~」

 

 

少しすると、ぴょこぴょこと足音を立てて青い耳と尻尾をもった小さいロボットが

 

頭にジャパリまんの入ったかごを乗せて出てきた。

 

 

「何カ用カナ」

 

「えーとねー………とりゃぁ!」

 

「アワワワワワ……」

 

 

不意打ちでボスごとジャパリまんを取ることにした。

 

「ジャパリまんノ一人占メハダメダヨ」とか言ってたけど

 

こっちはボスそのものが目当てだ。

 

僕にも一体くらいお付きのラッキービーストがいてもいいじゃないか。

 

ジャパリまんは2つもらって残りはカゴと一緒に他のボスに渡した。

 

 

「そういえばもうこんな時間か……ボス、今何時?」

 

「今は大体7時くらいだよ」

 

 

ボスの声が後ろから聞こえてきたので振り返ったら、

かばんちゃんの手首のボスが反応していた。

 

 

「あ、かばんちゃん、そういえば何してたの?」

 

「サーバルちゃんと一緒に前に作ったかまくらの近くにいってきました」

 

「かまくら……ってかばんちゃんが作ったの?」

 

「そうだよ! もうなくなっちゃってるかと思ったけど残っててよかった!」

 

「コカムイさん、そのラッキーさんは?」

 

「ああ、僕にも一体いた方が何かと便利かなって思ってね」

 

 

 

部屋に戻ると布団が3つ敷いてあった。

 

 

「あれ、同じ部屋なの?」

 

「え、どうかしたの?」

 

「…えっと、一人でゆっくり眠りたいなって」

 

「じゃあ、奥の部屋にこの布団持ってくね!」

 

「あ、自分でできるよ」

 

 

布団を隣の部屋に動かした。

さて、これからどうしようかな。

 

 

「ねえ、おんせんに入ろうよ!」

 

「え、温泉? って待って腕引っ張らないで!」

 

「ほら、早く入ろうよ!」

 

「一緒に入るの!?」

 

「え、一緒に入るのはいや?」

 

 

冗談だよね、いくら元が動物だからって一緒にお風呂なんて……

ギンギツネとかばんちゃんは顔を赤らめているから

サーバルだけわかってないみたい。

 

 

「今日は何かと一人になりたいんだ、先に入っててよ」

 

「そっか…。じゃあかばんちゃん、入ろう!」

 

 

なんとか危機回避できてよかった。

その後、キタキツネとゲームで対戦することになった。

 

 

 

 

 

ピコピコ ピコピコ……

 

 

 

ゲームは結果だけ言うとキタキツネの勝ちだった。

普段からこのゲームをやってるからある意味当たり前かもしれない。

それでも善戦できたからまあいいか。

 

 

 

 

「そういえば、サーバルたちが入ってるお風呂とは別のお風呂があるわ。

そっちに入ったらどうかしら?」

 

 

 

 

「……いい湯だな~」

 

夜の景色もまた綺麗でいい場所だ。

ついうとうとしてしまいそうになるくらい気持ちいい。

 

 

「いい湯だねねね……」

 

 

「そうだねねね……って、え?」

 

 

知らないフレンズが入ってきた。

 

「カピバラだよよよ……」

 

 

この際そんなことどうでもいい。

せっかくサーバルたちと違う方に入ってきたのに構わずこっちに入ってくるフレンズがいるなんて……

ギンギツネが止めてくれればよかったのに。

そんなこと言っても仕方ないしもう十分温まったからさっさと上がろう。

念のためとはいえタオルを巻いていてよかった。

 

 

 

 

 

「さあ、今日の日記を書こう」

 

『3日目

 バスでゆきやまちほーにある温泉宿に来た。

ゲームを立て直してから遊んだ。

 ついでにラッキービーストを捕まえた。

 明日はみずべちほーとしんりんちほーを越えて図書館につく予定

 

 初めて出会ったフレンズ 

 キタキツネ ギンギツネ カピバラ』

 

 

こんな感じで大丈夫だろう。

 

 

「じゃあ、寝ようかな……」

 

「オヤスミ、コカムイ」

 

「ん……んー?」

 

 

なにかがしっくりこない。

 

何だろう。なにかむずむずする。

 

 

「あ、ボス。コカムイじゃなくて、”ノリアキ”って呼んでよ」

 

「ワカッタヨ、ノリアキ」

 

 

よし、自然な感じになった。

 

苗字で呼び捨てはパークガイドロボットらしくない。

 

 

 

「それじゃあ、おやすみ、ボス」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

丑三つ時くらいのこと

 

 

「えっと、日記は………」

 

ピピピ

 

「ノリアキ、コンナ時間二ドウシタノ?」

 

「……ふふ、なんでもないよ」

 

 

そう言って手帳をしまった。

 

 

「月が、綺麗だね」

 

「ソウダネ」

 

「……そうじゃなくて、こんな時は『死んでもいいわ』っていうんだよ?

 

 

………なーんてね、冗談。だって、今夜は月が青くないから」

 

 

月が雲に隠れて、暗くなったような気がした。

 

 

 

「肌寒いし、寝よっと。おやすみ、ラッキー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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1-07 らいぶらりー

「二人とも、またねー!」 「またね、キタキツネ!」

 

「またね、待ってるわ」 「またげぇむしようね」

 

「それじゃあ、行きますね」

 

 

 

 

ジャパリバスはみずべちほーの方角に向けて走っている。

ついさっき山を下りて、平坦で暖かい地域に入った。

 

「この辺りにはたしかPPPってアイドルがいるんだっけ」

 

「ソウダヨ、5人ノフレンズデ構成サレルアイドルユニットナンダ」

 

「他にも、マーゲイなどのフレンズが住んでいるよ」

 

「時々ライブヲシテイルカラ、他ノチホ―カラノフレンズモ多クイルヨ」

 

「でもここは目的地じゃないから通り抜けるよ」

 

 

かばんちゃんのボスと僕のボスの連携プレーでみずべちほーが説明された。

多分ロボットは息をしないけど、同じパークガイドだから息を合わせるのは簡単みたい。

でもその能力はもっと別のことに生かすべきだ。

 

 

水辺はロッジの辺りや雪山とは違った景色の美しさがあるいいところだ。

遠目にPPPのライブ会場らしきステージも見えた。

今日はライブがないので閑散としている。

その様子はすぐに見えなくなってしまった。

 

 

しばらくして、森が見えてきた。

 

「そろそろデコボコした道に入るから、気を付けてね」

 

そうボスが言うとバスがガタガタと揺れ始めた。

それほど大きい揺れじゃないから構わないけど、

景色が見づらいのは少し残念だ。

 

 

「あとどれくらいで着く?」

 

「20分くらいだよ」

 

「そっか、じゃあもうすぐ………あれ?」

 

 

バスが止まってしまった。

 

 

「ちょっと、どうしたの?」

 

「もしかして、電池が切れちゃったんじゃ……」

 

「ボスー!」

 

「アワワワワワ……」

 

「じゃあ、ここから歩くの……?」

 

「ココカラ歩クト、大体40分クライダヨ」

 

 

フリーズしたボスの代わりに僕が捕まえたボスが説明してくれた。

 

 

「電池は持っていきましょう。」

 

「でもとしょかんじゃ充電できないよ?」

 

「博士たちなら、こうざんまで飛べるから頼んでみるよ」

 

 

そんなこんなで歩き始めた。

でも歩いてみるとバスに乗るよりゆっくりと周りを見れる。

速く行けない分こういうところで楽しまないとね!

 

 

「しんりんちほーには森にすむフレンズが多いよ。

としょかんにいるフクロウのほかにも見つかるかもね」

 

 

フリーズから復帰したボスが説明を始めた。

それからしばらく歩いていると、

まっすぐな道の横に植物のアーチで覆われた脇道があった。

 

 

「こっちの道は?」

 

「そっちはクイズの森だよ。ジャパリパークのアトラクションの一つなんだ」

 

「へぇ、面白そうだね」

 

「マッスグ行ッタ方ガハヤイヨ」

 

「………」

 

「今回は急ぎましょう、コカムイさん」

 

「……そうだね」

 

 

クイズの森は諦めてまっすぐ行くことにした。

道の端を見ると、標識がまとまって倒れていた。

 

 

 

 

 

 

木の多いところを抜けて、広い場所についた。

奥に図書館らしき建物が見えて、ボスが「到着だよ」と言った。

 

 

「博士ー! 助手―! いるー?」

 

サーバルが二人を呼ぶと、建物の中から

白と茶色のフレンズが出てきた。

 

 

「サーバル、図書館では静かにするのです」

 

「大きな声出さないと気づかないじゃん!」

 

「それはいいとして、そこにいるのは誰ですか?」

 

「はじめまして、コカムイです……あ、人です」

 

「それで、我々に何の用ですか?」

 

 

かくかくしかじか……とこの島にきて起こったことを

簡単に博士たちに説明した。

 

 

「……詳しいことは中で聞くのです」 「ついてくるのです」

 

 

図書館の中に入ると、椅子に座るよう勧められた。

座ると、博士がかばんちゃんとサーバルに話しかけていた。

 

 

「まずコカムイにだけ話を聞くので、邪魔しなければ好きにしていいですよ」

 

「コカムイさんだけに聞くんですか?」

 

「お前たちしか知らないことについてはその後で聞くのです」

 

「かばんちゃん、上に登ろうよ!」

 

 

それから質問をされた。

自分について覚えてること、持ってる知識、とかいろいろ。

博士が質問して、助手がそれを紙にメモしていた。

 

 

「そのラッキービーストは?」

 

「雪山で捕まえたんだよ」

 

「そうですか……あとは、料理はできるのですか」

 

「え、料理?……まあそれなりには」

 

「博士、こちらも期待できそうですね」 「そうですね助手」

 

「「……じゅるり」」

 

 

見返りに料理を作らされるのだろうか。

 

 

「博士ーこれなにー?」

 

「これ、倉庫にあったんですけど……」

 

上からサーバルが何か持ってきた。

あれは……ペンキの缶みたい。

 

 

「それは”ぺんき”というのです」 「色を塗るときに使うのです」

 

「そーなんだ! どうやって使うの?」

 

「はけを使って塗るので「うわぁー!?」

 

 

サーバルが階段で缶を持ったまま転んだ。

缶を手放してしまい、ひっくり返った。

 

 

「おっとっと……あ」

 

僕はよけられたけど、足元にいたボスが缶ごと頭からペンキを被った。

缶を持ち上げると、ボスは真っ赤になっていた。

 

 

「あ、ごめん!」

 

「アワワワワワ……」

 

「サーバル、何をやっているのですか」 「ちゃんときれいにするのですよ」

 

「と、とりあえず洗わないと、水道ってどこ?」

 

「”じゃぐち”なら外にあるのですよ」

 

 

急いで水で洗ったけどペンキが落としきれなくて、

結局ボスは赤色に染まってしまった。

 

 

「えっと、ごめんねボス……」

 

「大丈夫ダヨ」

 

「こんなに赤くなっちゃったし、これからは『赤ボス』って呼んであげるよ」

 

「それなら、かばんちゃんのボスと分けられるね!」

 

 

事故だったけど、まあ区別しやすくなったし結果オーライってことで水に流そう。

ペンキは流れなかったけど。

 

僕が赤ボスの毛を乾かしているうちに、

かばんちゃんが博士の質問に答えていた。

 

 

「セルリアンについてはわからないことだらけなので、

海の近くのフレンズに気を付けるよう伝えておくだけにするのです」

 

「わかりました。ありがとうございます」

 

「それと、かばん」

 

「はい?」

 

「……コカムイには十分気を付けるのですよ」

 

「…どうしてですか」

 

「あいつ自身についての記憶だけがきれいになくなっている。

質問の答えからそう考えられるのですが……」

 

「きれいさっぱりなんて怪しいのです」 

 

「それに、船と一緒に吹っ飛んだだけなのでしょう?

記憶喪失が演技の可能性もあるのです」

 

「でも、疑うなんて……」

 

「信じるのは自由なのです。ですが、お前やサーバルに何かあってからでは遅いのですよ」 

 

「…………」

 

「さて、では電池を充電するためにこうざんまで飛んで行ってやるのです」

 

「それと、博士が帰ってくるまでに料理を作るのですよ」

 

「……助手、お前も行くのですよ」

 

「…………………当然です、私は博士の助手なので」

 

「………」

 

 

 

 

 

 

「それでは行ってくるのです」 「逃げてはいけませんよ」

 

「逃げないよ!」

 

「かばんちゃん、話終わったんだ」

 

「……あ、はい。これから博士たちのために料理を作ります」

 

「あれ、かばんちゃん、どうかした?」

 

「いえ、なんでもありません。コカムイさんも手伝ってくれますか?」

 

「いいよ、何作るの?」

 

「いつものカレーにしようと思います」

 

「おっけー、あそこのキッチンだよね!」

 

 

そう言ってコカムイさんはキッチンに向かって走っていった。

ボクは、コカムイさんが嘘をついているなんて思いたくはない。

 

……外の世界からやってきた『ヒトの仲間』だから。

 

 

「かばんちゃん、食材ってどこー?」

 

「あ、今行きます!」

 



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1-08 くっきん&りーでぃん

カレー作りの始まりだ。

かばんちゃんが一通りの道具と食材を持ってきてくれた。

何回か作って慣れてるみたいだ。

 

かばんちゃんが持ってきた食材を見ると、

見慣れない粉末が数種類あることに気が付いた。

 

 

「かばんちゃん、これは?」

 

「それはスパイスです。これを混ぜてカレーの素を作ります」

 

「スパイスから調合するの……!?」

 

「あ……はい。そうですけど…」

 

 

スパイスから作るカレーなんて見たことない。

いや、見たことがあったとしても忘れているが。

これを当たり前のように言っていることからして最初に作った時から

スパイスから作っていたってことだ。

 

 

「僕は何すればいい?」

 

「サーバルちゃんが野菜を切ってくれてるので、そこで洗ってください」

 

「わかったよ」

 

「はい、全部切ったよ!」

 

「ありがとう、でも随分と多いけど……」

 

「たくさん作るからね!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その頃、博士と助手はこうざんに着いていた。

 

「わぁぁ、いらっしゃぁい! 紅茶飲みにきてくれたのぉ?」

 

「これを充電しにきたのですが、先にいただくとしましょう」

 

「充電している間はお湯が出ませんからね」

 

 

電池を充電器に入れた後、二人は紅茶をゆっくりと味わっていた。

 

 

「博士、コカムイについてのことなのですが…」

 

「今は様子見でいいのです」

 

「そうではなくて、外から来たコカムイなら、

我々が読めない文字も読めるかもしれないのです」

 

「……! それもそうなのです」

 

「帰ったら片っ端から読ませましょう、博士」 「そうですね、助手」

 

 

二人がそんな話をしているとカフェの扉が開き、トキが入ってきた。

 

 

「いつもの紅茶、淹れてもらえるかしら」

 

「ごめんねぇ、今電池充電してるからもうちょっとだけ待ってほしいなぁ」

 

「そう……あら、博士たちじゃない」

 

 

トキは紅茶がおあずけになり手持ち無沙汰のようだったが、

ふと思い出したように言った。

 

 

「そうだ、博士たちにも練習の成果、聞かせてあげる」

 

「…まあ、聞いてやらないこともないのです」

 

 

博士たちが断れなかったのは、自分たちが電池を充電しているせいで

トキが紅茶を飲めなくなっているからだろう。

 

 

「…わた~しはぁ~~ト~~キ~~! なかま~~をさがし~~てる~~!………」

 

「相変わらずですね、博士」  「ええ、ですがあの諦めない根性だけは褒めてやるのです」

 

 

間もなく充電が終わり、こうざんから飛び立つ博士たち。

少しふらつきながら飛んでいたのはトキの歌のせいだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうすぐ博士たちがこうざんに飛んで行ってから一時間がたつ。

……と赤ボスが教えてくれた。

なぜ一時間かというと充電に一時間かかるから、らしい。

今ちょうどほとんど作り終わって盛り付けに入る直前だ。

 

一時間近くかかったのは主に僕が火付けを手こずったり

水をこぼして火を消してしまったり野菜洗いに時間がかかったせいだ。

 

火付けは手こずりすぎて他の作業を終えたかばんちゃんにやってもらった。

火を消してしまったことについては、本当に申し訳ない。

 

 

「冷めないようして、博士さんたちが帰ってきたら盛り付けましょう」

 

「つかれたー!」

 

「ボクが火を見てるので、コカムイさんも休んでていいですよ」

 

「ありがと、かばんちゃん」

 

 

僕が火を見ようかとも言いたかったけど、

消してしまった前科持ちだから言い出しにくい。

 

図書館にあった動物図鑑を読み始めようとしたとき、

博士と助手が電池を持って戻ってきた。

 

 

「この匂い、間違いなくカレーですね」 

 

「すぐに食べられますよ!」

 

「さすがかばんなのです!」 「今すぐいただきますですよ」

 

 

そこからはもうすごい食べっぷりだった。

辛い辛いと言いながらカレーを飲むような勢いで

食らいつくしてしまった。

 

 

「満腹、満足なのです」 「これで、”電池”の分はチャラなのです」

 

 

……なんかやたらと電池を強調していた。嫌な予感がする。

すると博士がおもむろに立ち上がり、こちらにゆっくりと歩いてきた。

 

「コカムイ」

 

「………はい」

 

「お前には、図書館にある本を片っ端から読んでもらうのです」

 

「さあ、さっさとするのです」

 

「うわわっ!?」

 

後ろから助手に持ち上げられ、体が宙に浮いた。

そのまま図書館へと向かっていく。

 

「待って、これぐらい歩けるから!」

 

「逃げられては困るのです」 「暴れると落とすですよ」

 

 

中の椅子に座らせられて、目の前に本の山が積みあがった。

 

「とりあえず今日はこれだけ読むのです」

 

「10冊くらいあるけど……」

 

「読み終わったら本の内容を紙にまとめるのですよ」

 

「そんなぁ……」

 

「ボクも手伝いましょうか?」

 

「ありがとう、助かるよ…」

 

 

本を読み始めると、博士と助手はどこかに行ってしまった。

 

 

 

「ですが博士、一人で十分なのでは?」

 

「分かっていませんね、かばんがここにいれば毎日料理が食べられるのです」

 

「なるほど、名案ですね」 

 

「たくさん読ませて、長くここにいてもらうのです、我々は賢いので」

 

「ええ、そうしましょう、我々は賢いので」

 

 

 

 

 

 

 

博士たちが持ってきた本は動物図鑑などの生き物の本が多かった。

なんで読ませるのか聞いたところ、博士たちでは読めない字があるかららしい。

多分漢字や英語だろう。

 

本を読み終わるころには日が沈んでいた。

明日からも本を読まされるんだろうな……

明日に備えて日記書いて早く寝よう。

 

 

『4日目

図書館に着いた。博士と助手に会った。

ボスがペンキで赤くなった。

かばんちゃんとカレーを作った。

本を読まされることになった。

しばらくここにいることになりそうだ。

 

初めて会ったフレンズ

 

アフリカオオコノハズク (博士)

ワシミミズク      (助手)』

 

 

 

「おやすみ、赤ボス」

 

「オヤスミ、ノリアキ」

 

 

 

 

 

 

 

次の日も本を読むんだけど……どういうことだこれは。

目の前にあるのは昨日よりも高い本の山。

 

「え、これを今日中に読めと……?」

 

「……どうかしたのですか」

 

「どうもこうも……こんないっぱい読めないよ!」

 

「だったら次の日も読めばいいのです」

 

「一体いつまで読ませるつもりなの……!?」

 

「ずっとここにいていいのですよ」

 

 

どういうことだろう、気に入られたのかな……?

 

 

「料理できましたよー!」

 

「待ちくたびれたのです!」 「いただきますですよ……!」

 

博士たちは料理まで文字通り飛んで行ってしまった。

 

「もしかして……料理が目当て……?」

 

 

ガツガツと料理を貪る二人を見ていると、なんだか……

 

「かばんちゃん、僕の分は!?」

 

「ええ!?」

 

 

 

とにかく食べよう、話はそれからだ。

 

 



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1-09 大脱走!?

僕は今、本を読んでいる。

可愛い女の子が動物と触れ合う絵本だ。

……冗談じゃない。いろんな意味で。

 

 

「どうしたんですか、その本……?」

 

「博士がこれ読めってさ」

 

 

時間稼ぎのつもりなのかな。

 

 

「ひらがなしかないから博士たちでも読めるのにね…」

 

「だったら読まなくても……」

 

「ところがどっこい、感想を書けと言われててね」

 

「…………大変ですね」

 

 

ただずっとこんな調子というのも困りものだ。

少なくともまともな本を読ませてもらえるように交渉しよう。

 

 

「博士、他の本はないの?」

 

「絵本では不満なのですか?」

 

「不満だよ! ほら、ジャパリパークの極秘資料とか、

もっと面白いのないかな?」

 

「今探しているのです、今は待つのです」

 

「じゃあ僕も探すの手伝うよ」

 

「変に荒らされては困るのです、おとなしくするのです」

 

 

このフクロウめ、そんなにかばんちゃんのカレーが食べたいか。

実際とてもおいしかったけど。

 

 

 

 

午後からも読書だけど、交渉の成果か

まともな本だけを持ってくるようになった。

それでも冊数が多い、次は減らしてもらおう、

というかまずそれを交渉するべきだった。

 

 

読んでいると、本ではなくファイルが出てきた。

表紙には『サンドスターとフレンズについての報告書』とあった。

何かの報告書かな。ワクワクしてきた。

 

 

 

 

報告書……火山…サンドスター…フィルター…動物、あるいは動物だったもの……

フレンズ化……セルリアン…『保存と再現』……………

 

 

サンドスターとフレンズについてこんなに詳しく書かれているとは。

コピーした文書みたいだからどこかに研究所があったのだろうか。

この島にも、探したらあるかもしれない。

というか、こういうのでいいんだよこういうので。

変な絵本など必要ない。こういったのを読ませてくれたらずっとここにいてもいい。

 

 

……それは困る

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

博士たちのために要点をひらがなでまとめたら日が暮れた。

だけど自分で読み返してみても平仮名だけの文は読みにくい。

…どこか間違っていたりしないかな?

  

 

 

案外頭は疲れていたみたいで、横になるとすぐに眠ってしまった。

……ってあ、日記……明日でいいか……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真夜中、博士がコカムイの眠っているところに入ってきた。

 

 

「まったく、メモを渡さないとは……」

 

博士はコカムイが書いたファイルについてのメモを探しに来たようだ。

低い本棚の上、机の上を探したけど見つからない。

困り果てた博士がコカムイの方を見ると、寝ている彼の横に紙が落ちていた。

何回か寝返りを打ったせいでしわがついている。

 

 

「やれやれ、しっかり管理してほしいものです……おや?」

 

 

博士の目に手帳が映った。

 

「そういえば、日記を書いているようでしたね」

 

パラパラとページをめくる。

博士の目に留まるようなことは書いてなかったはずだ。

 

「まあ、こんなものですかね」

 

博士は手帳を置き、メモを持って出て行った。

 

 

 

 

数分後、目を開き、起き上がった。

 

 

「びっくりしちゃった……起きようとした瞬間に来たんだからね……」

 

 

階段を下りて建物の外に出て、バスがあるところを目指す。

 

 

「こんな夜中にどうしたのですか、ラッキービーストまで連れて」

 

「あ、博士……」

 

運悪く見つかってしまった。

でも、何とか言いくるめればバスまでたどり着くことはできそう。

 

「別に何でもないよ、その、私……」

 

博士が怪訝そうな表情を浮かべる。

 

「……お前、本当にコカムイなのですか?」

 

「……あ」

 

間違った。

この状態で誰かと話すのは初めてだったからかもしれない。

 

「ま、待って待って! その、少し寝ぼけてるだけで……」

 

「それにしては、はっきりした返事ですねぇ……」

 

「む、ぐぐぐ……」

 

「なぜ下りてきたのですか」

 

いつの間にか助手までやってきている。

でも捕まったらまた面倒になりそうだし、何とか逃げおおせるしか……

 

「…あれ、皆さんどうしたんですか」

 

案外大きな声が出ていたのか、

かばんちゃんとサーバルちゃんが出てきた、二人とも眠そう。

 

とはいえ、この状況じゃ私のやりたいようにはできない。

仕方なく作戦を変えることにした。

 

 

「かばん、気を付けるのです。今の…」

 

「いやー、バスに落とし物しちゃってねー」

 

「そうですか……ボクも探すの手伝います……」

 

 

寝ぼけているからか判断力は落ちている。

不幸中の幸いといったところだ。

三人でバスに乗った。こっそり赤ラッキーを運転席に乗せる。

 

 

「ねえねえ、落とし物って?」

 

「……………」

 

「あの……コカムイさん…?」

 

「……出発していいよ」 「ワカッタヨ」

 

 

バスのエンジンがかかり、図書館から離れ始める。

 

 

「ど、どうしたんですか?」

 

「……! 待つのです!」 「逃がさないのです!」

 

「博士たち、なんで怒ってるの!?」

 

二人の大声にサーバルが驚いたのか大きな声を上げる。

眠気は吹き飛んでしまったようだ。

 

「赤ラッキー、スピード上げて」 「ワカッタヨ」

 

「こ、コカムイさん! 一体何を………」 「か、かばんちゃ……」

 

 

二人を眠らせた。これを使うのは久しぶりだね。

 

「コカムイ、図書館に戻った方がいいよ」

 

「……あれ? ああ、こっちもいたっけ」

 

かばんの腕に手をかざした。

 

「ア、アワワ……検索中、検索中、再起動シマス………」

 

 

あとは、あのフクロウたちだ。

 

「かばんたちをどうするつもりですか!」

 

「別に何かするわけじゃないよー………というより、自分の心配した方がいいよ?」

 

 

青い炎を二人の前に出す。

これ、人間の間では狐火と呼ばれているらしい。

 

「うわぁ!?」 「な、なんなのですか!?」

 

 

案の定二人はとても驚いている。

驚きすぎてケガしなきゃいいけどね。

 

 

博士と助手をまいた後バスは平原近くまで来た。

眠っている二人をゆっくりな姿勢にさせて、

手帳に日記を書いておいた。

 

 

『5日目

 

今日は本を読んだ。

博士たちが絵本も読ませてきて大変だった。

でもサンドスターとフレンズについていろいろ分かった。

サンドスターは火山から出てくるらしい。少し気になった。

 

初めて出会ったフレンズ なし』

 

 

「ふふ、ありがとね、赤ラッキー。おやすみ」

 

「……オヤスミ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

清々しい朝だ。小鳥が歌い、花は咲き乱れる。……じゃなくて、

目を開くと、ジャパリバスの中だった。

いつの間にバスに乗っていたのだろうか。

 

ふと窓から外を見ると図書館はそこにはなく、

一面の草原が広がっているだけだった。

 

 

「…………え?」

 



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1-10 へいげんふぁいと

「えーっと……あ、赤ボス! ここどこ?」

 

「ココハ、ヘイゲンチホ―ダヨ」

 

 

平原……かばんちゃんに聞いた話によると、

ライオンとヘラジカが合戦ごっこをしていた場所だったよね。

今は仲良くやってるみたいだけど、どうしてここに……?

 

 

「ふわぁ~……あれ、どうしたんですか?」 

 

かばんちゃんが起きた。

 

「あ、かばんちゃん。ここが、へいげんちほーって赤ボスが……」

 

「え……?」

 

まだ少し寝ぼけている様子だったけど、

バスの外を見ておかしいことに気づいたみたいだ。

 

「あれ、なんでここにいるんでしょう……?」

 

「昨日、何があったか覚えてる?」

 

「昨日は何事もなく寝て……その間に何かあったのかな……」

 

 

とりあえずバスの外に出て周りを歩いてみることにした。

サーバルは起きる様子がないから赤ボスに見ていてもらっている。

 

「といっても、何かあるわけじゃないよね……」

 

見渡す限り静かな緑の大地が広がっているだけだ。

 

「まずは、図書館に戻った方がいいかな」

 

 

 

バスに戻ろうと振り返ったとき、

じっと見つめるような視線を感じた。

 

「…………?」

 

視線のする方を見ると、灰色の服装が目立つ女の子と目があった。

 

「あ……」

 

こっちを警戒しているのか、

少し仕草がぎこちない。

 

「はじめまして、僕はコカムイ…人間だよ。君は?」

 

「わたしは……ハシビロコウです、はじめまして……」

 

「「………」」

 

 

どうしよう、会話が続かない。

何を話そうかな…と迷っていると、後ろから草が揺れる音が聞こえた。

後ろにはかばんちゃんとサーバルと赤ボスがいた。」

 

 

「サーバル、やっと起きたんだ」

 

「夜行性だから! ……あ、ハシビロちゃんだ!」

 

「二人とも、久しぶりだね」

 

「ハシビロコウさんも元気そうで何よりです」

 

「……そうだ、せっかくだからヘラジカ様に会ってきたら?」

 

「それもいいね! かばんちゃん、行ってみようよ!」

 

「でも、図書館に戻った方が……」

と言いかけて、かばんちゃんは僕の方を向いた。

 

「……行ってみてもいいんじゃない?」

 

「ね、コカムイくんもそう言ってるし、行こ行こ!」

 

 

 

みんなでバスに乗って、

ハシビロコウの案内でヘラジカのいるところまで向かった。

 

 

 

「やあやあ二人とも、元気そうで何よりだ! それで、そちらは?」

 

「はじめまして、人間のコカムイです」

 

「おお、ヒトなのか……! ………ふむ」

 

なぜかヘラジカは全身をじっくりと観察している。

 

「お前………オスか?」

 

「えっ? あ……はい」

 

どこかで聞いたやり取りだ。

ヘラジカは自分の考えが当たって得意そうにしている。

 

 

「どうかしました?」

 

「いや、珍しいものでな。できるなら、一度手合わせ願いたいものだ」

 

「て、手合わせって……勝負?」

 

「その通りだ!」

 

 

そんなに戦いに慣れている訳じゃないし、

立派な角を見ても歯が立つとは思えない。

どうやって断ろうかと考えていると

緑の忍者っぽいフレンズが紙風船と棒を持ってきた。

 

「あ、あの………どうぞ」

 

「……どうも」

 

曰く、紙風船を体につけて戦い、

風船を割られてしまった方の負けらしい。

危なくないようにとかばんちゃんが考えた戦い方と聞いた。

 

「まあ、危なくないなら……」

 

付ける場所は自由だったから左腕の手の甲の側につけた。

詳しく言えば手首とひじの中間あたり。

なんとなく動かしやすい方がいいと思ったからだ。

 

対するヘラジカは頭のてっぺん。

立派な角で守られているからかなり理にかなっていると思う。

そこまで考えているかは疑問だけど。

 

 

「いざ、尋常に勝負!」

 

「お、お手柔らかに……」

 

 

 

結果だけ言えば当然だけど負けた。

左腕を隠すように半身になって構えたけど、

ヘラジカの力に片手では1秒も持たず、

左腕も使おうとしたところをやられてしまった。

決着まで10秒もかからなかったような気がする。

 

 

「まあ、仕方ないよね」

 

「だが、面白い発想だ! それに、私は感じるんだ……」

 

「感じる?」

 

「ああ、お前の中にある、強いものの魂を!」

 

「は、はあ……」

 

「次に勝負できる時を楽しみにしているぞ!」

 

「じゃあ、またここを通ることがあればその時に」

 

 

ほんの少しの間だったけど、

勝負の緊張とヘラジカの気迫で少し疲れてしまった。

 

 

「そうだかばん、せっかくここまで来たんだ、ライオンのところにも

顔を出してやるといい」

 

「……そうですね、コカムイさんも…」

 

「うん、行ってみよっか」

 

 

 

「またな、コカムイ! 次も楽しみにしているぞ!」

 

「あ、あはは……それじゃあまた…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かばんたちがライオンの城に向かっているころ

 

図書館にて

 

 

「博士、コカムイはどうするのですか?」

 

「今は放っておくのです、そうすれば、あいつの本心を見極められるのです」

 

「本心……ですか?」

 

「昨夜のあいつがコカムイではない誰かだとすれば、

コカムイはそのうち……まあ数日のうちにここに来るのです」

 

「もし来なければ、あれが……」

 

「私は、コカムイを信じるですよ、例の件で分かったこともありますし」

 

そう言って、博士は昨日驚いて木にぶつけた左腕をさすった。

 

「それにしても、あの青い炎はなんだったのでしょうね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とうちゃーく!」

 

「これがお城……思ったより大きいね」

 

「入口はこっちですよ」

 

すぐ近くに来ると、遠目で見た時には感じなかった迫力をひしひしと感じた。

周りを見ると、迷彩柄の服を着たフレンズがいた。

 

「赤ボス、あれは?」

 

「アレハ”オーロックス”ダヨ」

 

「オーロックス……聞いたことないな」

 

「オーロックスハ野生種ガ絶滅シテシマッタ動物ナンダ」

 

「……そう、なんだ」

 

少し沈んだ気持ちになってしまったが、

挨拶しようと近づいた。

オーロックスもこっちに気づいたらしく振り向いて……

 

「動くな!」

 

槍を向けられた。

 

「怪しい奴め、一体何者だ?」

 

「に、人間のコカムイです……」

 

「ヒトだと? まあいい、大将のところに……」

 

「ま、待ってください! コカムイさんは悪い人じゃありません!」

 

かばんちゃんが事態に気づいて助け舟を出してくれた。

 

「か、かばんの知り合いなのか、すまない……」

 

「いえ、お気になさらず……」

 

 

かばんちゃんの顔の広さを感じた瞬間だった。

ライオンのところまでオーロックスが連れて行ってくれた。

 

 

「大将、かばんたちが来ました」

 

「入れ」

 

 

中から凄みのある声が聞こえてきた。

百獣の王というくらいだ、相当な大物なのだろう。

 

「失礼します」

 

「……オーロックス、下がれ」

 

 

ライオンがそう言うとオーロックスは礼をして

部屋から出て行った。

 

緊張する。下手な振る舞いをしたら

ガブリとされてしまいそう……

 

「はぁ~何回やっても疲れるなぁ~」

 

「え?」

 

「よく来たね~、楽にしていいよ~」

 

いきなりの変わりっぷりに面食らったが、

とりあえ楽な姿勢にした。

 

「それで、そこのキミは?」

 

「はじめまして、人間のコカムイです」

 

「ヒトなんだ……見たところオスみたいだけど、かばんとは”そういうの”なの?」

 

「え、どういうのですか?」

 

「なんだ違うのか~、面白そうなのにな~」

 

 

ライオンは案外親しみやすいとわかった。

野生動物のイメージはほとんど当てはまらないのかもしれない。

 

 

「そういえば、ヘラジカは元気にしてる?」

 

「はい、さっきまでヘラジカさんのところにいましたけど、とっても元気でしたよ」

 

「元気なのはいいけど、ヘラジカは元気が有り余って大変なんだよね~」

 

「わたしだっていつも元気だよ!」

 

 

 

 

 

 

 

そんな会話をしばらく続けた後、図書館に戻ることにした。

 

 

「またね~」

 

「またね、ライオン!」

 

 

 

 

 

 

「平原も、いろんなフレンズがいるんだね」

 

いつの間にか太陽が真上まで昇り、昼になっていた。

 

 

「……そういえば、なんでへいげんに来てたの?」

 

「……なんででしょう」

 

「二人も、分からないんだ」

 

「博士たちならきっと知ってるよ!」

 

「……そうだといいけどね」

 

 

ついさっきまでは気にしていなかったけど、

日記の5日目のところも書かれていた。

……いつ書いたんだっけ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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1-11 らいぶらりー・りたーんず

僕たち三人が乗ったバスは、図書館のすぐ近くまで来ていた。

目が覚めたらそこは平原だった……と訳の分からないことが起きたので

まず図書館に戻って博士たちに話を聞こうという考えだ。

 

 

「着いたよ」

 

「結構、時間かかっちゃいましたね」

 

「ハハ、そうだね」

 

平原を出発するときはてっぺんにあった太陽が

太陽4つぶんくらい傾いていた。

 

 

「博士ー、助手ー………ん?」

 

試しに呼んでみたら、

二人が目にも留まらぬ速さで後ろから回り込んできた。

 

 

「うわぁ!? う、後ろから来た……」

 

「お前、コカムイなのですか?」

 

「え、コカムイだよ……?」

 

「本当なのですか?」

 

なんでそこから疑われなくちゃならんのか。

僕が平原に行っている間に偽物でも現れたのだろうか。

 

「博士たちどうしたの?」

 

「……おほん、別に、なんでもないのです」

 

「あの、ボクたち気づいたらへいげんにいたんですけど、

何か知ってませんか……?」

 

「……なぜ平原に行ったのか、分からないのですか?」

 

「はい……」

 

「そうですか……」 「博士、どうしますか」

 

「少し考えるので、ここで待っているのです」

 

と言って二人は少し離れた場所で話し始めた。

いくら博士たちでもそこまでは分からないのも仕方ないかもしれない。

 

「平原に行った張本人たちが、分からないんだもんね……はぁ」

 

 

博士たちが戻ってくるまで暇だから、図書館で何か読もうかな。

そう思ってフレンズについての報告書などがあると教えてもらった

地下の本棚をあさった。

 

「大体ホコリ被ってる……博士たち、手を付けてなかったのかな」

 

背表紙のタイトルだけ見ても漢字が多く、

博士たちは読めないと諦めていたのかもしれない。

一つだけきれいなファイルがあったが、それは昨日読んだものだった。

 

「なにか面白そうなのは……お、これいいかも!」

 

僕は、『ジャパリパーク全図』という本を手に取った。

 

 

 

 

 

コカムイさんが図書館に入ってすぐ、

博士たちがこっちに戻ってきた。

 

「おや、コカムイはどうしたのですか?」

 

「本を探しに、図書館の中に……」

 

「そうですか、まあちょうどいいのです」

 

「今から話すことはコカムイには黙っているのですよ」

 

「えー、なんでー?」

 

「……できればサーバルにはあっちに行ってほしいのですが」

 

「……わかったよ」

 

サーバルちゃんは不満そうな足取りで

図書館の方に行ってしまった。

 

「さて、『コカムイには気を付けろ』と言いましたが……少し訂正するのです」

 

「訂正……ですか?」

 

「普段は問題ないのです。ただ、性格が変わったとき、そのときは要注意なのです」

 

「性格が変わる……ってどういうことですか?」

 

「……博士」 

 

「そうですね、詳しく話す必要があるのです」

 

 

博士から、昨日の夜に起きたこと、

そのときのコカムイさんの様子を話してもらった。

 

「覚えてませんし、なんだか信じられません……」

 

「ですが、実際に起こったことなのです」

 

「特に気を付けることをまとめると、自分のことを『私』と呼ぶ、

青い炎を出す、という点なのです」

 

「助手が言ったことに加えて、ラッキービーストのことを

『赤ボス』ではなく『赤ラッキー』と呼ぶことも判断点になるのです」

 

注意するところについては分かった。

でも、まだ納得できないことがある。

 

 

「あの、コカムイさんに問題がないのなら、コカムイさんには話してもいいと思います」

 

そうボクが言うと、博士たちは困ったような表情になって顔を見合わせた。

 

「確かにかばんの言う通りかもしれません。

ですが、まだ『すべて演技』の可能性もあるのです」

 

言うべきか迷ったのかもしれない。

でもそれは、あまりに残酷な考え方だった。

 

「そんな、そこまで疑わなくても……!」

 

「コカムイ自身に悪意はなくとも、コカムイから『相手』に無意識に

情報を渡してしまうことも考えられます」

 

「今は、我々だけで情報を共有し、様子を見るのです」

 

「……そうですか」

 

「かばん、重く考えなくともよいのです。……大丈夫ですよ」

 

「……はい。ちょっと、様子見てきますね」

 

 

 

 

 

 

 

かばんも建物に入った後、外には博士と助手だけが立っていた。

 

「ところで博士、コカムイに悪意がある可能性については、どう考えているのですか?」

 

「低いでしょうね、あそこまでしてここから逃げる意味がないのです」

 

「……なぜあんなことを」

 

「さあ……我々にもっとヒトについての知識があれば、

分かったのかもしれませんね」

 

「そうなると、博士」

 

「ええ、『かんじ』というものを覚えるべきなのです」

 

「それはそうと博士」

 

「はい……?」

 

 

 

助手とは別の方向から声がしたのでそっちを見ると、

すぐ近くに本を持ったコカムイが立っていた。

 

 

「い、いつからいたのですか!?」

 

「い、今来たばっかりだけど」

 

「そ、そうなのですか……」

 

会話を聞かれていたわけではないと知って博士は安堵した。

 

「ところで博士、何の話してたの?」

 

「え、いや……気にしなくていいのです」

 

「そっか……じゃあ、もう一つ聞いてもいい?」

 

「なんですか?」

 

「僕、昨日の晩何かしちゃった?」

 

「……!?」

 

「……い、一体どういう意味ですか」

 

「ここに着いたときに博士、『本当にコカムイなのですか』って聞いたよね?」

 

「それが、どうかしたのですか……?」

 

「それって僕が、僕じゃないようなことをしたってことじゃない?

もっと言えば、それのせいで、僕たち平原に行ったんじゃない?」

 

「…………」

 

「博士?」

 

「……はぁ……違うのです」

 

「……あれ、そうなの?」

 

「そうなのです、別にお前は何もしていないのですよ」

 

 

博士は言葉を発しながら、体の震えを抑えていた。

 

「……そっか。あ、この本借りていい?」

 

「え、ええ。ちゃんと返すのですよ」

 

「分かってるって」

 

数秒の沈黙が通り過ぎた後、

助手が口を開いた。

 

「ロッジに戻るのですか?」

 

「うん、とりあえずやることはやったから戻ろうかなって」

 

「そうですか……気を付けるのですよ」

 

「心配しなくても大丈夫だよ」

 

 

その後、コカムイたちはバスに乗って図書館を出発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

博士は、図書館の一番高いところで一人考えにふけっていた。

 

「コカムイのやつ、案外鋭いのでヒヤヒヤさせられたのです」

 

目を閉じ、昨晩のコカムイとさっきのコカムイを順番に思い浮かべた。

 

「細かいことはかばんに任せて、私はあいつが本を返しに来るまで待つとしましょうか」

 

遠目に映る火山の輝きが、少し陰ったような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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1-12 はんたーず

ロッジまで戻ったら、午前にしたことも合わさって思いのほか疲れたので、

その日はもうあまり動かずにオオカミさんと色々お話して

日が暮れたらさっさと寝てしまった。

 

 

 

 

『6日目

 気が付いたら平原にいた。

 ヘラジカと戦いごっこをさせられて、

 その後ライオンの城に行った。 

 平原にはもっとフレンズがいたみたいだけど運悪く会えなかった。

 図書館で本を借りた。

 博士たちの反応からして昨日何かあったのは確実。

 5日目の日記は書いた覚えなし。眠かったから?

 

 初めて出会ったフレンズ

 ヘラジカ ハシビロコウ パンサーカメレオン 

 ライオン オーロックス』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日……

 

 

「かばんちゃん、バス借りてもいいかな?」

 

「いいですけど、どこに行くんですか?」

 

「一度港に行って、僕が乗ってきた船を見てみたいんだ」

 

「セルリアンが出たら、危険じゃないですか?」

 

「そうかもしれないけど、早めに確認したいんだ」

 

「……そうですか、気を付けてくださいね」

 

「うん、日暮れまでには戻ってくるよ」

 

 

赤ボスに運転してもらって、僕は港に向かった。

 

バスで移動している間、借りてきた『ジャパリパーク全図』を読んでいた。

すると驚いたことに、ジャパリパークはこの島だけではないみたいだ。

この島はキョウシュウちほーで、一番近いのはゴコクちほー……

少し古いかもしれないけど、それぞれのちほ―の詳しい地図まで載っている。

ただ少し重いから、キョウシュウちほーの部分だけを持ち歩きたい。

 

「それぞれのちほーに住んでるフレンズも書いてある……」

 

図書館の辺りを見ると博士と助手について書いてある。

サーバルはサバンナ、かばんちゃんは……書いてなかった。

ロッジの辺りは……あれ?

 

気づいたら、バスが止まっていた。

 

「赤ボス、どうしたの?」

 

「セルリアンガイルヨ」

 

少し遠く開けたところに青いセルリアンがいた。

バスと同じくらいの高さと大きさだ。

 

あのファイルに書かれてたのは、

音と光に反応して、石が弱点、無機物と反応して生まれることなどなど……

今重要なのは弱点と反応の部分かな。

 

「下手に動けばってことか……赤ボス、振り切れない?」

 

「?コノ辺リハ、スピードガ出シヅライカナ」

 

周りは草木が多く地面も平らじゃない、動きにくいのも納得だ。

まだこっちに気づいてはいないから大丈夫だけど、

やり過ごす方法を考えないと……

 

 

 

「はあっ!」

 

パッカーンとセルリアンが砕け散った。

 

「……あ」

 

セルリアンを退治したフレンズがバスに気づいたようだ。

 

「はじめまして、キンシコウよ」

 

「は、はじめまして、人間のコカムイです」

 

ここに来てからの恒例になっていることだけど、

自己紹介にいちいち「人間の」を付けなきゃいけないのは

なんだかもどかしい気分だ。

 

「……それ、バスよね?」

 

「ああ、今日はかばんちゃんから借りて、

 港の方まで行こうと思って」

 

「そうなのね……そうだ、またセルリアンが出たら危ないから、

 しばらくついて行っていいかしら?」

 

「はい、助かります」

 

 

キンシコウさんも乗せてバスが進みだす。

ジャパリパーク全図にキンシコウさんについて載っているか

調べてみた。

 

……あった。

 

『霊長目オナガザル科シシバナザル属 キンシコウ

 

 

 フレンズとしてのキンシコウはセルリアンハンターとして活動している。

 同じハンターのヒグマ、リカオンと行動を共にすることが多い。

 

 

 

 ……※セルリアンハンターとは

 

  セルリアンを狩ることを専門とするフレンズ。

  高い戦闘能力や連携力を持つ。』

 

 

ざっとした概要だが、大体分かった。

この本は本当に便利だなあ。

このまま返さずに持ち逃げしてしまいたいくらいだ。

 

 

「……セルリアンって、出るときはわらわらと出てくるんですか?」

 

「そうね、たくさん出たときは手を焼いたけど、最近は少ないわ」

 

「前ニ、カバンタチガ火山ノフィルターヲ直シタカラ、

 サンドスター・ロウノ量ガ減ッテイルンダ」

 

「サンドスター・ロウの量の影響が大きいの?」

 

「ソウダヨ」

 

「そういえば、キンシコウさんはなんであの場所に?」

 

「見回りよ、この辺りはセルリアンが他より多いから」

 

それは、サンドスターを出す火山がすぐそばにあるからだろうか。

ふと火山から視線を下にずらすと、二人のフレンズの姿があった。

 

 

「あら、ヒグマにリカオンね」

 

「キンシコウか。 ……そいつは?」

 

「人間のコカムイさんよ」

 

「あ、はじめまして」

 

「これから港に行くから、私がしばらく護衛につくことにしたの」

 

「そうですか、じゃあ私たちも見回り続けますね、

 キンシコウさんも気を付けて」

 

「ええ、またね」

 

あっさりと会話は終わった。

あくまで推測だけど、セルリアンは話し終わるまで待ってくれないから

会話を手短に済ます癖がついているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

その後数分ほどして、バスは港についた。

 

 

 

「ここが、港……」

 

 

ここが、僕が初めてここに降り立った地であるらしいのだが、一切記憶にはない。

景色を眺めるのはすぐにやめ、船を探した。

かばんちゃんの言う通り、船は茂みの中にあった。

 

「ここまで飛ぶってことは、かなりスピード出してたんだね……」

 

記憶をなくす前にしていたであろう危険運転に呆れつつ、

船を観察した。

 

様子を見るとひっくり返ってはいるが、目立つような傷はない。

葉っぱや泥を落とせば、無傷と言って差し支えない。

キンシコウさんに手伝ってもらってひっくり返して見ても、

海に浮かべればすぐに動きそうだ。

 

例のセルリアンが恐ろしいのでそんなことはしないが。

 

せっかくなのでハンターのキンシコウさんにも

例のセルリアンについて聞いてみることにした。

 

「キンシコウさんは、海にいるセルリアンって知ってます?」

 

「海のセルリアン……?見たことも聞いたこともないわ、どうして?」

 

「それは……」

 

かばんちゃんから聞いた海のセルリアンが出た時の状況を

キンシコウさんに話した。

 

「……海にセルリアンはいないものだと思ってたけれど」

 

「僕もかばんちゃんから聞いただけだし、

 多分出てきたのは一回きりですけどね」

 

「でも、そうね……ヒグマたちにも話して気を付けておくべきかも」

 

 

 

「見たいものは見れたから、ロッジに戻ろうと思います」

 

「分かったわ」

 

バスに向かおうとした、その時。

地面が揺れ、唸るような音が響いた。

 

 

「……これは?」

 

「火山ノ噴火ダヨ」

 

そう言われて火山の方を向くと、火山から出るサンドスターが

いつもよりも多く、高く昇っている。

 

「あら、前の噴火からもうかなり経ったのね」

 

「赤ボス、噴火ってどれくらいの間隔で起こるの?」

 

「バラツキガアルケド、短イトキハ1、2ヶ月デ起キルヨ」

 

「火山が噴火すると、フレンズが増えるのよ」

 

「サンドスターが、増えるからか……」

 

 

噴火の光景に若干圧倒されつつも、

なぜか気分が高揚し移動中見える間はずっと眺めていた。

 

 

「今日はありがとうございました」

 

「どういたしまして、じゃあ、またね」

 

セルリアンが出たときはどうしたものかと思ったが、

無事にロッジに戻ってくることができた。

かばんちゃんには日暮れまでに戻るといったけど

もう太陽は半分以上沈んでいる。……まだセーフ?

 

「えーっと……た、ただいま?」

 

「おかえり、コカムイくん!」

 

外が暗くなってもサーバルは元気だ。

……むしろ夜の方が元気か。

 

「かばんから港に行ったって聞いたけど、どうだったんだい?」

 

「ええと、途中でセルリアンが出てハンターのキンシコウさんが……」

 

「ふむふむ、それでその次は!?」

 

昨日もこんな調子でオオカミさんに質問攻めにされた。

どうやら漫画のいい材料になるみたいだ。

覚えてないような細かいところまで聞いてくるから疲れる。

それでも、その後に生き生きとした顔で漫画を描くオオカミさんを見ると

あんまり悪い気はしない。

 

「……そろそろ寝ます」

 

「そうか、おやすみ」

 

「おやすみなさい……」

 

 

 

『7日目

 

 港まで乗ってきた船を見に行った。

 一切見覚えがなかった、あと傷ついてなかった。

 初めてセルリアンを見た。

 ジャパリパーク全図は便利だった。

 火山が噴火した、キンシコウさん曰く

 噴火の日にはフレンズが増えるらしい。

 

 

 初めて出会ったフレンズ

 

 キンシコウ ヒグマ リカオン』

 

 

手帳をしまい、そのまま眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……そして再び、”彼女”が目を覚ます。

 

 

 



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1-13 目覚め

「火山の噴火、案外早く起きてくれて助かったなぁ……」

 

布団をどけて、服についたゴミを払い落とした。

 

「確かー、アリツさんが見回りしてるから、

 それにさえ気を付ければ、外に出られるね」

 

外にさえ出てしまえば……いや、

ロッジに戻る時がもっと危険かも。

 

「ま、それはその時かな」

 

 

今は外に出ることが先決。

扉に耳を当てて外の音を伺う。見回りは既に終わったのかな?

足音とかは一切聞こえない。

大丈夫そうだからとりあえず部屋から出た。

 

部屋から出たあとは最短ルートで出口に向かう……といきたいけど、

より万全を期して、誰もいない部屋の前を通ることにした。

ロッジの作りはよくわかっている。

 

「誰も、起きてないよね……」

 

誰にも会わず気づかれず、外に出ることができた。

これでしばらく自由に動ける。

……もっとも、これから更なる自由を求めて火山に向かうわけだが。

 

 

 

とはいえ、バスを使うのは音、赤ラッキー、かかる時間と、

あまりいい選択肢ではない。

 

……ヒトの体でも使えるだろうか。

そう思って少し念じたら、体が宙に浮いた。

制御も問題なくできて、スピードも十分に出せそうだ。

 

「……流石、私が見込んだだけのことはあるね」

 

体を勝手に使ってしまって申し訳ないけど、

もうそれもこれで最後だ。恐らくは。

 

火山を目的地として、私は飛んで行った。

 

 

 

 

 

火山への道のりの半分程度に差し掛かったころだろうか。

港の様子が見えるようになってきた。

多分それだけ高くまで飛んでいるのだろう。

 

「あそこが、私たちの……」

 

片方は無理やり連れてこられたようなものだけど、気にしない気にしない。

それにしても、あれは我ながらうまくやったものだと思う。

本来なら後回しにしてもよかったけど、あの二人がいたのは運がよかった。

 

「……行かないと」

 

いつの間にか止まって港を眺めていた。

体を火山に向け、再び動き始めた。

 

 

 

 

 

火山に到着した。

近くから見ると、辺りが暗いことも合わさって本当にきれいだ。

今日は噴火があったからいつもよりも豪華に見える。

存外時間があったから、目的を果たす前にもう少しだけ

火口のまわりを見てまわることにした。

 

「これが四神かぁ……」

 

そっと持ち上げて眺める。これは多分……どれだろう?

あの四人がこれを使ってフィルターを直すところ……

今でも鮮明に思い出すことができる。

 

私も、もうすぐ……!

 

そう考えると、顔が自然とほころぶ。

なんだかいてもたってもいられなくなってしまった。

 

 

「早く……」

 

そんな私の気持ちに応えるように、火口からサンドスターの塊が飛び出した。

 

「……アハ」

 

 

手をかざす、サンドスターに向けて。

念じる、こっちにおいでと。

 

そして私に向かって引き寄せられたそれは、

私の中に入り、光を発した。

その光は私の視界すら奪い、私の体を作り替えてゆく。

 

光が収まった後、私の体は白い髪と同じ色の耳、二本の尻尾、

そして、ルビーのような紅い瞳を持つ狐のフレンズの姿になっていた。

 

生身の体を手に入れたのはいつ以来だろう。

ずっと夢見ていたものに、ついに手が届いた。

 

火山を飛び立つ私は、恍惚としていた。

 

そして、私は来た時と同じようにロッジへと飛んで行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰ってきた私がすることはたった一つだ。

その気になれば一分もかからないが、

姿が変わっているから下手をすれば怪しまれる。

慎重になってロッジの部屋に戻った。

 

私は再び念じた。

私の体から分離するように眠る彼の体が転げ落ちた。

それを抱え上げ、元のように眠らせる。

 

「本当に感謝してるよ……ありがとう」

 

そして願わくば……これからも。

 

 

久しぶりだ。体を手に入れるのは。

それだけではない、あの時からずっと願っていたものを

手に入れることができたんだ。

 

こんなの、うれしくないわけがない。

 

自分の耳をあやすようになでた。

初めてだよ、こんなこと。

 

鏡は何処にもないけど、目を閉じれば自分の姿が瞼の裏に浮かぶ。

それを隅から隅まで眺めていると、朝まで続けてしまいそうだ。

それも仕方のないことだと思う。

 

 

そんな感じでしばらく一人で楽しんでいたときに、

物が落ちるような音がした。

 

「ッ!?」

 

おかげでしばらく硬直していたけど、

しばらくたっても何も起きない。

 

もし音を聞いてサーバルあたりが起きてきたら面倒だ、

今はここを離れなければいけない。

 

「でも、すぐ戻ってくるからね」

 

眠っている彼にそんな言葉をかけて、私はまたロッジの外に出た。

 

 

 

 

 

 

ロッジの外。

耳と尻尾で感じる風が気持ちいい。

この初めての感覚は今しか味わえない。

だから、しばらくそこに佇んでいた。

 

「……やっと……『友達(フレンズ)』になれた」

 

そんな言葉が、思わず零れ落ちた。

 

 

私は、ロッジを去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、彼女は気づかなかった。

彼女がロッジに出入りするときに、彼女を見つめていた者の姿に。

 

「……これはまた、面白いことになりそうだねー」



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Chapter 002 不穏な島巡り
2-14 忘れモノ?


……眠い。

昨日は早めに床に就いたはずだけど、寝た心地がしない。

悪い夢でも見たのだろうか。

 

動こうとしない気だるげな体を恨みながら、

天井にあるシミを眺めていた。

 

 

バタンッ!

 

ドアが開いた。

 

「おはようっ!」

 

この声はサーバルだ。

こんなに元気な声が聞こえてくるとこっちも元気になる気がした。

だが、体は動かないし声は出ない。

その代わり、妙に感覚が冴えている気がする。

 

「ちょっと、起きてよ!」

 

急かされてやっと起き上がることができた。

 

「ふわぁ~……おはよう……」

 

「大丈夫? すごく眠そう……」

 

「……問題ない、といいな……」

 

起き上がった僕の体は、横向きに倒れ込んだ。

 

「ええっ!?」

 

二度寝したい。夜がもう一度明けるまで。

 

「もう、起きて、起きてってば!」

 

「そんなにムキにならないでー……」

 

 

 

なんやかんやで結局起こされた。

ロビーにはもうみんな集まってジャパリまんを食べていた。

 

「おはようございます、遅かったですね」

 

「うん、なんだか眠くてね……」

 

ジャパリまんを食べた。

なんだかいつもよりおいしい。元気が出る気がする。

 

「アリツカゲラさん、これ、いつものジャパリまん?」

 

「そうですけど、どうかしました?」

 

「……いや、なんでもないよ」

 

疲れた体に栄養満点のジャパリまんがよく効いただけだろうね。

……こんなすぐに効果が出る気はしないけど、まあいいや。

 

それはともかく、これからどうしよう。

これ以上やるべきことが思いつかない。

記憶は、具体的な方法がないし、帰るのは、いろいろな理由で無理だ。

だったら、行ったことのないところにでも行ってみるべきかな……?

 

そうなると、バスを使ってまた移動することになる。

ロッジは居心地がいいから離れるのは名残惜しい気もする。

別に戻って来ないわけじゃないけどさ。

 

 

 

突然、ロッジの扉が開かれた。

いつしかのキリンを思い出した。

そこにはフェネックが立っていた。

 

「フェネックさん、おはようございます」

 

「おはよー、かばんさん。それに、コカムイさんもまた会ったねー」

 

「あの時はどうも……あれ、アライさんは?」

 

「アライさんならすぐに来ると思うよー」

 

その言葉通り、すぐにアライさんが白いフレンズを連れてロッジに入ってきた。

 

「かばんさん、大発見なのだ!」

 

「あ、もしかして昨日のサンドスターで生まれた子?」

 

「きっとそうに違いないのだ! ええと、

 名前は……そういえば聞いてなかったのだ」

 

「わ、私はイヅナっていいます……」

 

アライさんが連れてきたフレンズはそう名乗った。

 

格好を見てみると、ぱっと見は真っ白だけど

よく見ると服に赤や黄色の綺麗なアクセントが施されている。

白い尻尾と耳……キタキツネに似ている。

 

「この姿は……きっとキツネの仲間なのだ!」

 

「散歩してるときにアライさんが見つけたんだよー」

 

「これも、アライさんの”かんさつりょく”の力なのだ!」

 

 

「はじめまして、僕は人間のコカムイ。よろしくね」

 

「あ、の……! おほん、はじめまして」

 

イヅナは何か言いかけて少しせき込んだ。

 

「はじめまして、かばんです」

 

「サーバルキャットのサーバルだよ!」

 

 

とその場にいる一人ひとりがイヅナに自己紹介をして、

アライさんがイヅナを見つけた時の話で盛り上がっていた。

 

すると、ぴょこぴょこと音を立てて赤ボスがイヅナに近づいた。

イヅナもそれに気づき、少しかがんで赤ボスを覗き込んだ。

 

「ハジメマシテ、ボクハラッキービーストダヨ」

 

「はじめまして、よろしくね、赤ラッキーさん」

 

 

「ねえねえ、イヅナちゃんは何が得意なの?」

 

「え、私の得意なこと……ですか」

 

イヅナは思いつかず困っているようだ。

 

「よーし! アライさんが見つけてやるのだ、外に行くのだ!」

 

「ゴーゴー!」

 

「ええっ!? ちょ、ちょっと待ってくださーい!」

 

サーバルとアライさんに連れられ、外に出て行ってしまった。

 

「元気だね、あの二人……」

 

「新しい友達が増えて、きっとうれしいんだろうね、

 それにあの子、なかなかいい表情するねぇ……」

 

「サーバルちゃんもアライさんもとっても楽しそうですね!」

 

「……そうだ赤ボス、”イヅナ”って動物について教えて」

 

「マカセテ」

 

赤ボスは検索を開始した。

開始した……が、電子音は勢いをなくし赤ボスは震え始める。

 

「検索中、検索中……」

 

「赤ボス、分からないなら正直に言って?」

 

「……ゴメンネ、ボクノデータデハ”イヅナ”ニツイテ分カラナカッタヨ」

 

「オオカミさんとかは知ってますか?」

 

「私もイヅナなんて動物は聞いたことがないね……」

 

「ボクも、わからないです」

 

「あ、私も……」 「名探偵であるワタシにもさっぱりだわ!」

 

「じゃあ、図書館なら何か分かると思います……

 そこから帰ってきたばかりですけど」

 

 

確かにわからないフレンズのことだったら図書館が一番だ。

でも見る限りイヅナは狐だから……

 

「その前に雪山に寄るのもありかもね、狐のことだし

 キタキツネたちに聞いたら何か分かるかも」

 

「それなら、雪山に寄ってから図書館に行きましょう」

 

 

奇しくも、初めてここに来た時と同じルートで

同じ目的地へと向かうことになったのだった。

 

 

 

……ふと横を見ると、何やら考え込んだまま

固まっているフェネックがいた。

 

「フェネック、どうしたの?」

 

「……コカムイさん、妙には思わなかった?」

 

「妙?」

 

「ラッキービーストが、イヅナに話しかけたことだよ」

 

「……ええと、それがどうかした?」

 

「そっかー、聞いてなかったのかもね」

 

フェネックの言っている”妙な事”がよく分からなかったけど、

次にフェネックが発した言葉によって、それに気づかされることになった。

 

「……ラッキービーストは、普段ヒトにしか反応しないんだ」

 

「そ、それって……」

 

その言葉の意味について考えていると、別の疑問が脳裏に浮かんだ。

 

 

あれ、イヅナ確か、『赤ラッキーさん』って言ってたよね……

昨日生まれたフレンズが、ラッキービーストは普通赤じゃないって知っていた?

ここに来るまでに見かけただけ?

それにしては迷いなく『赤ラッキー』と呼んでいた……

 

そして、僕は彼女の姿に強い既視感を覚えていた。

いくつもの疑問が混ざり合い、無邪気に二人とはしゃいでいる彼女の姿が

異質なものに見えてしまった。

 

「君は、一体……」

 

 

彼女の紅い瞳と目が合った時、こちらに向かって微笑んでいたような気がした。



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2-15 キツネ宿とイヅナ

バスに乗り、僕たちは再び雪山に降り立った。

 

「キタキツネ、ギンギツネー、いるー?」

 

二人を呼ぶと、ギンギツネだけが出てきた。

 

「あら、いらっしゃい……今日はたくさん来たわね」

 

今回はイヅナとアライさんとフェネックが加わっているから、6人。

前の二倍の人数になっている。

ここにいるキタキツネとギンギツネを合わせれば8人。

ついでに言えばその半分が狐だ。

 

「キタキツネは、ゲームしてる?」

 

「ええ、朝ご飯食べたら今日もすぐに飛んで行っちゃって……

 ふふ、なんであそこまで夢中になるのかしら?」

 

ギンギツネは不思議に思っているみたいだけど、

僕には分かる。楽しいよね、ゲーム。

……外の世界で僕はどんなゲームをやってたんだろう。

まあ、いくら考えても思い出せないようなことは置いておいて、

早めに本題に入ってしまおう。

 

イヅナの腕を引っ張って、ギンギツネの目の前に連れてきた。

 

「この子、見ての通り狐のフレンズだと思うんだけど、何か知らない?」

 

「うーん……立ち話もなんだし、とりあえず入って」

 

畳の上に座って話を始めた。

 

「私、イヅナっていいます……はじめまして」

 

「私はギンギツネよ、よろしくね」

 

「それで、何かわかる?」

 

「ぱっと見だとキツネってことしか分からないわね……

 お話してみたら何かヒントが出るかもしれないわ」

 

「んーそっか……ちょっと歩き回ってきていいかな?」

 

「え、行っちゃうの?」

 

「ちょっと見て回るだけだから、ギンギツネとおしゃべりしてて」

 

「……わかった」

 

口ではそう言ってたけどなんだか不満気だ。

そんなイヅナをギンギツネに任せて僕は宿の中を探索することにした。

ちょっと見てみたいところがある。

 

「ここかなー?」

 

流石に温泉のすぐ近くにはない。

 

「……ここは」

 

お客さん用の寝室だ。

 

「ここは、ね」

 

キタキツネがゲームをしている。

 

「すごーい! やってみたい!」

 

「だ、ダメ! そんなに引っ張ったらこわれちゃう!」

 

「アライさんにもやらせるのだ!」

 

「そっちのは動かないよ……」

 

サーバルとアライさんに振り回されて大変そうだ。

キタキツネがこっちに気づいた。

 

「……あ、助けて」

 

助けを求めている割には落ち着いている。

ように見えるけど本当は大きな声を出すことも面倒なのかもしれない。

 

適当に二人をなだめた。

そういえばフェネックは何をしているのだろう。

そう思って周りを見回してみると、ギンギツネとイヅナから

少し離れた場所にいた。

 

大きな耳をそばだてて二人の会話を聞いているみたいだ。

……いや、確かに怪しいと思うことはあったけど、

そこまでしてイヅナの発言を聞く必要があるとは思えない。

 

それにフェネックは何かを確信しているような素振りをしている。

何かあったのだろうか。

 

二人を観察しているフェネックを観察しても何もわからないから

自分の探し物を続けることにした。

 

 

 

 

 

……あった、キッチンだ。

宿というからにはこれくらいはあるはずだけど、

見つけるのに時間がかかってしまった。

 

キタキツネたちは一切使っていなかったはずだが、

設備も道具もきれいに揃えられている。

大方ギンギツネが時々手入れしていたのだろう。

 

ただやはりしばらく使われていなかったからか、

食材は見当たらず、かまどに入れる薪なども近くには見えない。

 

「何かあれば作ってもよかったんだけどね」

 

何かあれば大儲け、ていう気持ちでキッチンを探っていると、

見慣れないビンがあることに気づいた。

 

「なにこれ……?」

 

ビンをくるくると回してラベルを見ると、

”Curry Powder”という文字があることに気づいた。

つまりこれはカレー粉だ。

博士たちへのいいお土産になるかもしれない。

 

「どうせ使わないだろうし、もらって……いいよね」

 

カレー粉をこっそりと自分のバッグにしまった。

 

 

 

探し物を終えた僕はイヅナとギンギツネのところに行った。

 

「ギンギツネ、何かわかった?」

 

「それが、正直言ってお手上げよ。

 イヅナちゃんみたいな子のことは聞いたことなくて」

 

「そっか……」

 

「わ、私……どんな動物だったんでしょうか」

 

「こればっかりは博士たちに頼るしかないかな」

 

「すぐに出発するの?」

 

「いや……ゲームする」

 

「え……えっ?」

 

 

意を決し、キタキツネがゲームをしているところまで向かう。

前回のリベンジ、せめて一矢報いたいところだ。

前回の敗北……善戦はできたが、及ばなかった。

今回こそは1度でも勝利を奪い取りたい。

 

「何を熱くなってるのかしら……?」

 

「……ふふ」

 

 

 

 

 

 

少し遡って、イヅナとギンギツネのやり取りを

聞いているフェネックである。

 

 

「イヅナちゃんが目を覚ましたのはどこ?」

 

「えっと、ロッジの近くです」

 

フェネックの知る限り、ロッジの近くに生息しているキツネはいない。

 

「自分の名前以外分からなくて、どうしようか迷ってるときに

 アライさんに見つけてもらって」

 

「なるほどね……」

 

相槌を打ってはいるものの、恐らくギンギツネは何も

分かっていないだろうと思った。

 

「あと……そうね、得意なことってあるかしら」

 

「と、得意なこと……?」

 

答えに困ったイヅナが黙り込み、少し静かになる。

すると少し遠くでゲームをしているキタキツネたちの声や

宿の中を歩き回っているコカムイの足音が聞こえた。

 

「分からないです……」

 

「うーん……それにしても、綺麗な毛並みね」

 

「そうですか?」

 

「真っ白でとっても綺麗、赤い目も素敵よ」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

予想外にも褒められ、イヅナは頬を赤らめている。

あの真っ白さと赤い目。フェネックはウサギを思い浮かべた。

 

その後も会話は続いていくが、めぼしい情報が得られなかったため

フェネックの意識は会話から逸れ始めた。

 

 

 

 

 

思考にのめり込み、ピクリとも動かない。

物陰でしゃがみ何も言わずにそこにいる彼女は置物のようだ。

 

「フェネック、こんなところでどうしたの?」

 

「っ……ちょっと考え事だよー」

 

コカムイに声を掛けられ、ビクッと反応した。

 

「そろそろ出発しようと思うんだ」

 

「わかったー、すぐ行くね」

 

ほのぼのとした普通の会話。

だが、互いに心中は穏やかではなかった。

 

 

「(イヅナちゃんが嘘をついてるのは分かるけど、それ以外は全然。

 コカムイさんも気づいてもおかしくないけど……)」

 

 

 

「キタキツネに、また負けた……はぁ」

 

対するコカムイは、ゲームに負けたことで落ち込んでいる。

ただの敗北ならまだ元気はあっただろう。

しかし今回は前回以上の完敗である。

さらに偶然に偶然が重なった結果だ。

 

『な、なんで……?』

 

『ボクの勘、だよ』

 

 

 

「はは、勘ってすごいな……」

 

 

バスで図書館に向かう間彼が落ち込んでいたことを、

イヅナ以外知りうることはなかった。

 



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2-16 三度、図書館へ

「博士、また来たよー!」

 

2日ぶり、そして3度目の図書館訪問だ。

 

「で、今回は何の用ですか」

 

「この子について教えてほしいんだ」

 

「イヅナです、は、はじめまして」

 

「イヅナ……という名前ですか」

 

博士たちは少し悩んで、

「そうですね、とりあえずついてくるのです」

とイヅナを図書館へ連れて行った。

 

博士たちは流石話が早くて助かる。

 

「じゃ、僕もちょっと調べものしてくるね」

と言って、僕も図書館に向かった。

 

 

 

イヅナたちがテーブルに着いて話をしている。

多分僕の時のような会話だろう。

 

僕は階段を上り、上の階の書庫に入った。

 

この書庫には百科事典や国語辞典、図鑑が揃えられている。

手始めに動物図鑑を手に取り、『イヅナ』について調べた。

 

案の定、この図鑑には載っていなかった。

 

続いて手に取ったのは百科事典だ。

動物図鑑に比べ2倍の厚みがあり、重い。

書庫の隅にあった椅子に座り、事典を開いた。

 

索引を見て『イヅナ』の記述を探す。

しばらく目を走らせているとそれらしいものが見つかった。

 

飯縄権現(いづなごんげん)、そして飯綱(いづな)という項目だ。

手始めに飯綱の方を読んでみることにした。

 

『飯綱は管狐に同じ。管狐とは日本の伝承上における憑き物の一種である。

 名前の通りに竹筒の中に入ってしまうほどの大きさなどといった伝承が

 いくつかある。

 別名飯綱、飯縄権現と呼ばれることもあり、

 また狐憑きとして語られることもある……』などなど。

 

なるほど、これを見る限り飯綱とは狐憑き……つまり狐の幽霊といった

ところになるだろう。

続いて、飯縄権現についての記述を見てみよう。

 

『飯縄権現は多くの場合白狐に乗った剣と縄を持つ烏天狗の形で表され、

 五体あるいは白狐に蛇が巻き付くことがある。

 一般には戦勝の神として信仰され……』云々。

 

上に乗った烏天狗やら巻き付く蛇やらは抜きとして、

ここまで記述があるならほとんど確定と言っていい。

イヅナは狐の幽霊、あるいは神の片割れということになる。

ここに書いてあったことを要約して手帳にメモした。

といっても、まだ疑問は残っている。

 

 

「ということで、赤ボス、質問してもいいかな」

 

「マカセテ、ボクニ分カル事ダッタラ答エルヨ」

 

「じゃあまず、フレンズになる時にそれ以前のことは忘れちゃうの?」

 

「ソレハフレンズ化シタ時ノ状態ニヨルケド、

 動物ダッタトキノ事ヲ覚エテイル個体モ珍シクナイヨ」

 

つまり、場合によりけりということ。

あまり参考にならないかもしれない。

 

「で、次に……幽霊ってフレンズになれるの?」

 

「データニハナイケド、ツチノコノヨウニ未確認生命体ガ

 フレンズ化シタ例ハ存在スルヨ、タダ……」

 

「ただ……何?」

 

「サンドスターガ触レルコトガ出来ル実体ガナイト、

 フレンズ化ハ難シイト思ウヨ」

 

サンドスターが触れられる実体、幽霊は別として神様なら

神社とかのご神体がそれにあたるのかな?

でもロッジの近くにそんな建物はなかったはずだ。

 

「じゃあ物のついで、噴火すると……その……

 空気中のサンドスターが増えたりするの?」

 

最後にしたのはどうでもいい質問だけど何となく気になる。

サンドスターがどういった風に動物に触れてフレンズ化するのかに

関係している気がしないこともない。

 

「普通ハソウナルヨ。今モ……」

そう言いながら赤ボスは目を光らせた。

そうしてキョロキョロとして、僕の方を向いて動きを止めた。

 

「赤ボス、どうしたの?」

 

赤ボスは答えることなく光った目でこっちをずっと観察している。

正直不気味でならない光景だ。

しばらくして目は発光をやめ、赤ボスは首……と呼べるかどうかわからないが、

頭の辺りを傾げた。

 

「ノリアキカラ、普通ノフレンズト同ジ位ノサンドスターが検出サレタンダ」

 

さっき目を光らせたのは空気中のサンドスターを観測するためだろう。

実際に濃度を観測して伝えてくれるつもりだったんだと思う。

でも、その代わりによく分からない事実が告げられた。

 

「それが、何か問題なのかな?」

 

「ウン、今カラ説明スルネ、マズ……」

 

 

赤ボスがしてくれた説明をまとめるとこうだ。

まず人間は、体内に多くのサンドスターを保有することはない。

ジャパリまんなどを食べて少量を摂取しても、自然と抜けていく。

さらにジャパリまんなどに含まれるサンドスターの吸収率はフレンズの方が強く、

人間と比べ20倍近くに及ぶらしい。

そして、普通なら食事以外にまとまったサンドスターを摂取する方法はない。

この島で育った植物などはサンドスターを有するが、それからの摂取効率も

ジャパリまんとほとんど変わりはないらしい。

 

そして、赤ボスは説明をこう締めくくった。

 

「ノリアキ、君ハフレンズ化シテイル可能性ガ高イヨ」

 

 

 

数分、沈黙が書庫を支配した。

別に唖然としていたわけではないし、赤ボスから告げられた

可能性について思い当たる節はあった。

朝ジャパリまんを食べたとき、妙に元気が出る気がしたことを覚えている。

 

「でも、フレンズはみんな女の子だよ」

 

ようやく口を開いた僕の言葉にしばらく黙り、こう返した。

 

「フレンズノ中ニハ『元となった動物のオスの特徴』ヲ持ツ個体モイル、

 ノリアキガ知ッテイル中ダト、ライオンガソレニアタルヨ」

 

ライオン、彼女の持つ立派なたてがみ。

それは本来オスの個体が持っているものだ。

 

それを僕のケースに当てはめるとするなら、

フレンズの素体となるヒトのメスの体に『元となったヒトのオスの特徴』が現れ、

結果としてフレンズ化したが前とほぼ変化はしなかった、となるのだろう。

 

そして、赤ボスは続けた。

 

「フレンズハ『サンドスターの塊』ガ当タルコトで生マレルンダ、

 ソシテ……」

 

「そのサンドスターの塊は火山が噴火した時だけ出てくる……ってこと?」

 

赤ボスは首のない体で頷いた。

 

「だったら、フレンズ化は昨日起こったってことだね、

 僕は昨日そんなものに当たった記憶はないけど……」

 

みんなに聞いてみたら、何か分かるかもしれない。

イヅナについて調べた結果も話すべきだろうか?それも含めて考えよう。

そう思い書庫を出たところ、赤ボスが階段に躓いた。

 

「アワワワワ……」

 

小さい赤ボスの体は階段をキレイにクルクルとまわりながら落ちていく。

もうそろそろ階段も終わりかと思った頃に赤ボスが壁に当たって方向転換、

あと数段残したところで横から落ち、その下にあった赤い……ペンキ缶に……

 

 

ボチャン。

 

再び彼?……の体はペンキまみれになってしまった。

しかもこの短期間で。

全く、とんだアンラッキービーストだ。



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2-17 狐火見るより明らかなのに

「じゃあ洗うの……頼めるかな?」

 

「まかせるのだ! アライさんにおまかせなのだ!」

 

今、ペンキに頭から突っ込んでペンキまみれになった赤ボスを

洗うことをアライさんにお願いしているところだ。

 

「コカムイさんは調べもの終わりましたか?」

 

「あ……」

 

どうしよう。イヅナについて話してしまうべきだろうか。

それと、自分のフレンズ化について。

まだ曖昧なことも多くて、話すには考えがまとまっていない。

 

「……まだもう少し調べたいものがあるから、また行ってくるね」

 

「はい、わかりました」

 

今は、話さずにいることに決めた。

 

書庫に再び向かうとき博士たちを見ると、

いつの間にやらフェネックがその会話に加わっていることに気づいた。

ロッジや雪山でのことといい、フェネックはイヅナの件について

かなり積極的に関わろうとしているように見える。

アライさんを避けているわけではないのでその点は問題ないはずだが、

普段ずっと一緒にいるアライさんから離れてでも話すくらいには興味を持っている。

 

またテーブルを見るとたくさんのファイルや本が乗っていた。

イヅナについて知るためにいろいろ引っ張りだしたことがわかる。

そのイヅナについて、それらのファイルとほとんど関係ない事典に載っていたのは

盲点であるに違いない。

 

 

「フェネックはイヅナに興味があるみたいなのだ」

 

「たしかに、ずっと博士たちと混ざって話してるもんね」

 

「アライさんには何を話してるのかさっぱりなのだ……

 でも、あんなに興味津々なフェネックを見るのは久しぶりなのだ!」

 

「きっと、イヅナさんについてたくさん知りたいんですよ」

 

「そうだよね! 新しい友達だし、フェネックと同じキツネだもん!」

 

そんな会話が聞こえてきた気がした。

フェネックがイヅナに疑いの目も向けていると知ったらどう思うだろう。

フェネックは、何かを知っているのかな……?

 

半分逃げるように書庫にやってきてしまった。

何もせずにただ考えているだけというのもあれなので、

今度は国語辞典を引っ張り出してきた。

 

音訓索引のページを開いて、『キツネ』が含まれる言葉を

片っ端から探した。

……キツネ色、狐福、狐窓、狐矢、狐日和、狐の嫁入り、九尾狐

……狐火。

 

ざっと見てみたけど、一番目を引いたのは狐火という言葉の説明だった。

 

『夜、人が火をともしていないのに火が燃える現象。

 青色の人魂のような炎と語られることも多い。

 ある場所の伝説では、ある主従が城を建てる場所を探していたところ、

 白いキツネが狐火を灯して夜道を案内してくれ、

 城にふさわしい場所まで辿り着くことができたという話もある。』

 

青い炎、か。そして白いキツネの伝説。

暇つぶしを兼ねて調べただけだったけど、思わぬ情報を得ることができた。

この部分もさっき書いたメモと一緒に記しておこう。

……やっぱり、イヅナは伝説に出てくるような

特殊な力を持った狐だったりするのだろうか。

 

……分からない、だからもう一つ調べてみたいことがある。

さっきの伝説、そして飯縄権現の説明にも出てきた白いキツネ、

いわゆる白狐(ビャッコ)。

白い色という点はイヅナにも共通しているから、

もしかしたらもっと何か分かるかもしれない。そうであってほしい。

 

「……なるほど、ね」

 

『白い毛を持つ狐、霊狐。稲荷神の眷属として奉納品などの題材に用いられる』

 

さらについでに稲荷神についても調べてみたけど、

かなり長々と書いてあったのでここでは省略しようと思う。

それについても忘れずメモをしておいた。

思ったより時間がかかったけど、その分確信を得られた。

 

「やっぱり、イヅナは普通の動物じゃない」

 

それがわかったのは一歩前進。

しかし、それで終わっていけないことは分かっている。

 

「確かめる必要があるね……3つ」

 

その三つが分かれば……

「一つ目、イヅナに記憶があるか」

これは直接確かめること、そしてイヅナと似た存在はどうだったか、

の二つで慎重に確かめよう。

ただ、直接確かめるには鎌をかけるくらいしか方法がなさそうだな。

 

「二つ目、記憶があれば、何が目的か」

記憶がなかったら、そのときはまた考えよう。

 

「三つ目、フレンズ化の経緯」

イヅナがただの動物じゃないなら、何か特別なものに当たって、

あるいは特別な方法で……などあるかもしれない。

 

 

 

そう、その三つが分かれば……どうする?

それを知って、イヅナを探って、何がしたいのかな?

本人が打ち明けてくれるまでそっとしておくべきじゃないのか?

こんな、疑うようなことなどせずに。

 

不意に頭に浮かんだ葛藤、あるいは迷い。

罪悪感に苛まれたか信じてあげたいと思ったか。

……でも、知りたいと思った。思ってしまった。

イヅナの、「知ってほしい」という声が聞こえた気がした。

それとも、これは自分勝手な幻聴だろうか。

 

 

 

 

下に降りると、赤ボスは綺麗になっていたが、

また浸かったせいで前よりも赤くなっていた。

 

「アライさんの力でもこれが限界だったのだ……」

 

アライさんは力不足を悔やんでいるみたい。

 

「大丈夫、こんなに綺麗なんだから!」

 

「あ、ありがとうなのだ」

 

「気にしないで、そういう日もあるから」

 

 

イヅナたちの方も終わっていた。

 

「あ、コカムイさん……」

 

「イヅナ、何か分かった?」

 

「いえ、何も……」

 

「我々でも力が及ばなかったのです」

「ただ、どこかで見た気はするのですがね」

 

「そうなの?」

 

「多分ですが……気のせいでしょうか」

 

この場でイヅナについて詳しい情報を持っているのは僕と、

記憶があるならイヅナも……最高で二人。

博士たちにだけでも話してあげる方がいいのかな?

 

「ねえ、博士」

 

「どうかしましたか?」

 

どうしよう、話せばあの夜にあったことについて話してもらえる可能性もある。

いや、やっぱりまだ分からないことだらけだ。

そして博士たちに話してもその疑問は解決しないだろう。

……まだ、黙っていよう、さっきの三つを確かめるまで。

 

 

「……どうして黙っているのですか?」

 

「あ、いや……そうだ、この本」

 

僕はジャパリパーク全図を取り出した。

 

「ああ、返しに……」「ずっと借りてていいかな?」

 

「…………」

 

その目をやめて、カレーをかばんちゃんにせびる二人を見るときの僕のような目は。

 

「それは、もらうのと同じなのです」

「つまり、それなりの”対価”が必要なのです」

 

「だったら……これでどうかな」

 

バッグからカレー粉を取り出して二人に差し出した。

 

「これは何ですか?」

 

「カレー粉、これを使えばスパイスの調合とかせず手軽にカレーを作れるよ」

 

「では、そうですね……」

 

すると博士と助手はコソコソと話し始めた。

しばらくするとこっちを向いてじりじりとにじり寄ってきた。

博士は僕の手にカレー粉を乗せて言った。

 

「では、このカレー粉とやらを使ってカレーを作るのです」

「かばんの手を借りずに作るのですよ」

 

そんな殺生な。

火をつけるどころか誤って消してしまうような人に向かって……

でも仕方ない、ジャパリパーク全図を手に入れるためだ。

 

「分かった、ちょっと待っててね」

 

カレー粉を携えて、台所に立った。

……まずは火を点けなくては。

気乗りしないけど覚悟を決めてかまどに向き合う。

 

……そこにあったのは青が目立つ炎がついたかまどと

その横に座って空気を送っているイヅナだった。

 

「……何してるの?」

 

「火は点けておいたよ!」

 

「そ、そっか」

 

炎は普通見るものと違って青い部分が多く

キレイに見える。イヅナの点け方が上手なだけかもしれないけど、

ついさっき狐火について調べた身からすると少し気味が悪い。

 

そして周りを見てみるとまな板がある辺りにカレーに使う

野菜が揃えられていることに気づいた。

 

 

「あれも、イヅナが用意したの?」

 

「うん、本に書いてあった通りに持ってきたよ」

 

イヅナは本を読むことができるらしい。

ここで問い質してしまいたい気持ちだったけど抑えて

カレー作りに専念した。

 

イヅナが手伝ってくれたおかげでトントン拍子に料理を進められた。

一度、手伝ってもいいのかと聞いてみたら

「手伝っちゃいけないのはかばんちゃんだけだから!」と答えた。

 

突っ込みどころの多い料理だったけど無事に()()()()完成させた。

「よし、これで盛り…つければ……」

 

「こ、コカムイさん、どうかした?」

 

「ご飯……忘れてた……」

 

「……あ」

 

カレーを作るのに夢中でご飯を炊くのをすっかり忘れていたのだ。

 

「コカムイ、まだなのですか」「さっさと持ってくるのです」

 

カレーのにおいを嗅ぎつけた博士たちが催促する。

 

「ど、どうしよう、の……コカムイさん」

 

今から炊いていたんじゃ絶対間に合わない。

どうにか、ごまかすような方法は……

手掛かりを探して周りを見渡すと、少し遠くに悠々とジャパリまんを食べる

フェネックとアライさんがいた。

こっちはこんな状況なのに…………いや、もしかしたら、

 

「赤ボス、お願いできる?」

 

「マカセテ」

 

「え、どうするの……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お待たせ、完成だよ」

 

差し出されたお皿の上にはジャパリまんが乗せられている。

 

「なんですかこれは」「我々をバカにしているのですか」

 

当然こんな声が上がってくる。

 

「まあまあ、食べて見なよ」

 

怪訝そうな顔をしつつも、二人はジャパリまんにかぶりついた。

 

「……!? こ、これは」

「中にカレー……新食感なのです」

 

反応を見るに好評でよかった。

起死回生の一手、『ジャパリカレーまん』だ。

 

その後、もっととせびる二人に二個ずつカレーまんを食べさせることになり、

僕は無事にジャパリパーク全図を自分のものにしたのだった。



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2-18 湖とごあいさつ

図書館で一泊した僕たちは図書館から出発しようとしている。

 

「またロッジに戻るのですか?」

 

「それなんだけど、今度はサバンナの方を通ってロッジに戻りたいな……

 って思うんだけど、どうかな?」

 

「さんせいー!」 「それもいいですね」

 

「じゃあそうしよう、赤ボス、どれくらいかかる?」

 

「大体5日クライカナ」

 

「五日なら……大丈夫ですね」

 

「うん、そうだねー」

 

何故かフェネックが博士に同意した。

 

「大丈夫って?」

 

「アライさんたちはじゅん」「アライさ~ん」

 

何か言いかけたアライさんをフェネックが止める。

 

「あ、なんでもないのだ!」

 

「私達はもう少し図書館にいることにするよー」

 

「そうなんだ……じゃあ、またね……だね」

 

するとフェネックが近づいて、耳打ちをした。

 

「イヅナちゃんのこと、どこまで分かった?」

 

「っ!?」

 

不意の質問に驚くと、フェネックは口に人差し指を当て

”静かに”のサインを示した。

 

「……まあ、普通のフレンズじゃないってとこまでは」

と小声で質問に答えた。

 

「そっかー、じゃあ大丈夫だねー」

 

まったくもって何が大丈夫か分からないと考えていると

顔に出ていたようでフェネックはクスクスと笑っていた。

 

フェネックは何を知っているのだろう?

ただ僕の目には何か決定的なことを知っているように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

図書館を発ったバスは最初の目的地の湖畔に向かっている。

せっかくジャパリパークを回るからまだ行ってない場所はさっと通るだけでも

行ってみたいものだ。

 

その湖畔に行くために今バスは平原を横切っているのだが……

遅い、とんでもなく遅い。

前に見た”ばすてき”とほとんど変わらない。

 

「赤ボス、5日ってのはこのゆっくりな運転での日程?」

 

「ソウダヨ」

 

「景色が見やすくて、私はいいと思いますよ」

 

僕としてはヘラジカあたりに捕まるのも面倒だから

早めに平原は抜けてしまいたい気持ちもあるのだけれど……

 

そんな僕の不安をよそに、バスは平原を抜け、湖畔に入った。

 

「……大きい湖だね」

 

「とってもキレイですね」

 

透き通るような青い水が視界いっぱいに広がり、

水面に反射した日の光がまぶしい。

見ているとさっきまで頭にあったいろいろな蟠りがとけていく。

といってもそのほとんどは……お察しだ。

 

 

「ビーバーさんとプレーリーさんの家まで行ってみましょう」

 

湖畔にはビーバーとプレーリーが作った家がある。

かばんちゃんとサーバルが最初に湖畔に訪れたときに

二人の家づくりを手伝ったと聞いている。

 

「わかったよ、進路を少し変更するね」

 

数分もしないうちにバスは湖畔の家についた。

近くに川が通り、見晴らしもいい。立地も申し分ない素敵な家だ。

 

「ビーバーさん、プレーリーさん、いますか?」

 

かばんちゃんが二人を呼ぶ。

程なくして、薄い茶色の上着と緑のチェックのスカート、

首元に白いモフモフがあるフレンズが出てきた。

 

「かばん殿、久しぶりであります!

 そちらの方々は?」

 

「こっちがコカムイさん、そしてイヅナさんです。

 ……ビーバーさんはどこへ?」

 

「ビーバー殿は川で泳いでいるであります、

 すぐに戻ってくるはずでありますよ」

 

どうやらビーバーの方は今はここにいないみたい。

だとすると今目の前にいるのはプレーリードッグの方だろう。

一応自分からも自己紹介をしておこう。

 

「はじめまして、僕はコカムイ、よろしくね」

 

「……イヅナです、よろしくお願いします」

 

「よろしくであります!」

プレーリーはそういった後、僕とイヅナの顔を交互に数回

首を振って見た。

 

「……顔に何かついてる?」

 

「いえ、そうではなく……”ご挨拶”をさせていただきたいであります!」

 

”ご挨拶”という言葉を聞いて頭に何かが引っ掛かった。

そういえば前にかばんちゃんの旅の話を聞いたとき、

それについて話していたような……忘れてしまった。

イヅナの方を見てみるとすでに数歩後ろに下がっていた。

……何か心当たりでもあったのかな。

 

「こ、コカムイさん、前!」

 

イヅナに促されて前を見ると、プレーリーがすぐそこまで迫ってきていた。

 

「え?」

 

すぐさまバックステップ、プレーリーから離れた。

プレーリーは突然僕が後ろに下がったから腕が空振ってバランスを崩した。

手の高さからして頭をホールドしようとしていたのだろう。

 

「な、なんで逃げるでありますかっ!?」

 

急に迫ってきたからだ。

とはいえ少しかわいそうな気がしたので謝ろうかとも思ったら、

相手はまだあきらめていない様子。

再びこっちに全速力で迫ってくる。

 

仕方ないからタイミングを見てもう一度バックステップ。

再びプレーリーを避けようとした、したのだが……

 

「うわわっ」

 

つまずいて仰向けに転んでしまった。

 

「捕まえたであります!」

 

さしずめ狩られた小動物の気分だ。

命乞いでもすれば見逃してもらえるだろうか。

 

プレーリーの顔が心なしかゆっくりと近づいている気がする。

そのまま”ご挨拶”とやらを……

 

「こ、コカムイさんっ!」

 

そんなのお断りだ。何をするかは知らないが。

 

勢いよく横に転がってプレーリーから逃れた。

コケるというアクシデントに見舞われたが、なんとか

プレーリーの挨拶を回避することに成功したのだ。

文面だけを見ると、「挨拶を回避」とはなかなかシュールなものだ。

 

「むぐぐ、仕方ないであります……」

 

よく分からないけどようやく諦めてくれた。そう思っていたら、

今度はイヅナに向かって歩き出した。

ターゲットを変更しただけだった。

 

「え、わ、私ですか……?」

 

イヅナへと向かうプレーリーの足取りがだんだんと速くなる。

イヅナは足が竦んだのか一歩も動けない。

……何か別の意味で危ない気がする。

それからの行動は速かった。

転がったときに服についた土を払うこともなく

走り出し、イヅナを勢いよく押して逃がす。

 

「っ、コカムイさんっ!?」

 

プレーリーの方を向いて確認するとすぐそばまで来ていた。

一寸先はプレーリー。

頭を両手で抑えられ、他の誰よりも強烈な『ごあいさつ』を

されてしまったのだった。

 

 

 

 

……のだが、今僕はバスの中でイヅナの看病をしている。

 

何を思ったのか、『ごあいさつ』を見たイヅナが卒倒してしまった。

家に運ぼうにもイヅナを抱えて梯子は上れないから、

バスの中のベンチに寝かせている。

された僕が一番驚いているはずだけど、

イヅナにとってもあれはかなり刺激が強かったみたいだ。

 

そんな過激な挨拶をしたプレーリーはというと、

家の前でビーバーの説教を受けている。

 

 

「だから、誰彼構わず『ごあいさつ』しちゃダメっていったはずっスよ!」

 

「うう……ごめんなさいであります、

 もうしないであります……」

 

「ねえ、プレーリーも反省してるしもう許してあげたら?」

 

「どうっスかね……この約束もかれこれ6回目っスよ」

 

そう言うビーバーは当然怒っているけど、拗ねているようにも見える。

というか6回目ってことは僕のほかに少なくとも5人は被害者がいるのか……

見ていていたたまれないのでビーバーに話しかけた。

 

「どうしてそんなに怒ってるの?」

 

「……」キッ

 

睨まれた。質問を変えよう。

 

「ええと、その、挨拶って……」

 

このあと何と続けようか迷っていると、

プレーリーが間に入ってこう言った。

「ビーバー殿とは毎朝毎晩欠かさずしているでありますよ!」

 

……なんと、それは驚きだ。

プレーリーの告白を聞いてビーバーは挙動不審、

慌ただしく歩き回り始めた。

 

「ぷ、プレーリーさん!? そういうことは……もう!

 ……ちょっともう一回泳いでくるっス……」

 

その場にいられなくなったのか再びビーバーは川に入ってしまった。

 

「び、ビーバー殿……いつもはあんなに怒らなかったのでありますが……」

 

残された僕たちにも微妙な空気が流れる。

空を見ると日が沈みかけ、橙色になった部分が広がってきている。

 

「プレーリーさん、早めにビーバーさんに謝っておいた方がいいよ、

 自分からもう無差別にしないって言ってあげた方が、

 ビーバーさんも安心できると思う」

 

もうすぐ日も暮れる。

このままの空気で明日を迎えることになってしまったら

僕たちも安心してさばくちほーを目指すことができない。

 

「そ、その通りであります、ビーバー殿に謝らなくては!」

 

プレーリーがビーバーを追って走り出す。

かばんちゃんとサーバルもその後ろについていく。

バスで寝ているイヅナの様子を見たら、問題なさそうだから

僕も3人についていくことにした。

 

 

 

探し始めて25分くらい、ビーバーは家から少し離れた水辺で、

川に足を入れてピチャピチャと水を蹴飛ばしていた。

ビーバーの後ろを見ると使われずに放っておかれた丸太が積まれている。

 

「び、ビーバー殿!」

 

プレーリーの方を向いたビーバーの顔は悲しそうに見えた。

心配でついては来たけど僕たちの出る幕じゃない。

少し下がったところで二人を見守っていることにした。

 

「……なんっスか?」

声は小さく、目はプレーリーの方を見ていない。

 

プレーリーにも少し迷いが生まれたみたいだけど、

深呼吸をして覚悟を決めたみたいだ。

 

「その、私が、誰にでも『ごあいさつ』をするせいで

 ビーバー殿を悲しませてしまって、それを、何回も……」

 

「いいんスよ。全部オレっちのわがままっス」

 

「だ、だから!」

 

「……」

 

「もう、2度と、ビーバー殿以外には『ごあいさつ』をしないと、

 誓うであります!」

そう言い、ビーバーに”とびっきり”の『ごあいさつ』をした。

どこらへんがとびっきりかといえば、そこらへんだ。

……誓いの挨拶、とでもいったところか。

 

「ぷ、プレーリーさん……」

 

いい雰囲気なので、僕たちはバスの方に先に戻った。

 

 

 

 

……戻ってきた2人は、とても機嫌も仲もよく見える。

雨降って地固まるとはこのことだ。

なんだか友達以上の何かを感じるのはさっきのものを

見てしまったからだろうか。

 

「では、おやすみであります!」

「一応気を付けるっスよ」

 

「うん、おやすみ」

 

かばんちゃんとサーバルは二人と一緒に家の中で、

僕はイヅナを看るために一緒にバスで眠ることになった。

 

「イヅナ、あの時なんで倒れちゃったの?」

 

「そ、それは……その……」

 

答えてくれなさそうだ。本人も分からないのかもしれない。

……せっかくだ、聞いてみるか。

 

「話は変わるけど、イヅナってフレンズになる前のことって覚えてるの?」

 

「えっ!? な、なんで?」

 

「……気になるから」

 

「そっか、でもごめん、何も覚えてないの」

 

「……そうなんだ」

 

どっちにしろ、フレンズ化の前のことについて話してはくれないようだ。

うろたえていたから少し怪しいけどな。

でも本人の口から「覚えてない」と聞いたことは一つの情報として

役に立つ時が来るかもしれない。

なるべくなら来てほしくないのだが。

 

今日の分の日記を書いた。

一応昨日の分も確認しておこう。

 

『8日目

 今日は噴火で生まれた新しいフレンズと出会った。

 名前はイヅナ。

 雪山と図書館に行ってイヅナについて調べた。

 辞書や事典にいろいろ書いてあった。

 詳しくは後ろの方にメモした。

 

 赤ボスによると、僕はフレンズ化しているみたいだ

 

 初めて出会ったフレンズ

 イヅナ』

 

『9日目

 ジャパリパークを反時計回りに回ってロッジに戻ることにした。

 今日は湖畔でプレーリーとビーバーに会った。

 プレーリーに”あいさつ”をされて、イヅナがぶっ倒れた。

 

 初めてであったフレンズ

 ビーバー オグロプレーリードッグ』

「こんな感じでいっか、おやすみ、イヅナ」

今日も少し疲れたから横になるとすぐに寝てしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おやすみ……ノリくん」



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2-19 ツチノコとヒトの記憶

今、バスはさばくちほーの入り口に差し掛かっている。

僕の希望によって、ツチノコのいる遺跡に向かうことになったからだ。

 

なぜツチノコに会うかといったら、

普通の動物とは違うフレンズの記憶について聞きたいからである。

 

道中サーバルとかばんちゃんにも聞いてみたら、

「わかんないや!」「ボクも、覚えてません」と言っていた。

一応記憶がある例として僕もいるけど、なるべく多くのフレンズから

話を聞いておきたい。

図書館で博士たちやフェネックたちに聞いておかなかったことを

今になって後悔している。

 

ひとまず、イヅナについて調べてから僕のフレンズ化についても調べたい。

どこかにそれっぽい施設でもあればすごく助かるのだけれど。

 

そうこうしているうちにバスはトンネルに入ってゆく。

砂漠の入り口と言ってもトンネルの入り口だ。

あの熱い地域を少しの間とはいえ通り抜けるのはよろしくない。

 

トンネルに入ってしまったらあとはもう早いもので、

あくびをする間もなく遺跡の入り口に到着した。

 

「ここが遺跡……! 何の遺跡なんだろう」

 

「ココハ、”さばくちほー”ノ”アトラクション”ダヨ」

 

「……あはは、そっか」

遺跡に対して抱いた一種のロマンのような興奮は、

赤ボスの極めて機械的な言葉によって沈んでしまった。

 

「ツチノコって、遺跡のどこにいるのかな」

 

「出口の近くかな……? でも、遺跡の中を調べてるかも……」

 

つまりどこにいるか分からないってことか。

だったらせっかくだ、アトラクションとやらを体験しながら

ツチノコを探すのも悪くない。

ツチノコ探しというと、一昔前のブームのような響きで悪くない。

 

大きな扉を思い切り開け放……とうとしたらすでに

体を横にして通れるくらい開いていた。

足元を見ると下駄のようなものが挟まれている。なんだか原始的なストッパーだ。

こういうところが、閉鎖されたテーマパークのような雰囲気を感じさせる。

というか実際その通りだろう。

となると、ラッキービーストは職員のいないサファリパークで

ずっとフレンズたちの世話をしていたということに……少し、寂しいな。

でも、まあ……そんなしんみりする場面でもない。

ちゃっちゃとゴールにたどり着いてツチノコも見つけよう。

 

……待った、暗い。

 

「赤ボス、照らせる?」

 

「マカセテ」

 

赤ボスの目がいつもより強く光って遺跡の暗闇を照らし出す。

それでもまだ暗く、何か出てきそうな感じがする。

目を凝らしてなんとか見ようとすると、

天井近くの壁に照明のような飾り付けがある。

だけどそれをいつまで睨みつけてもそれが光ることはない。

 

「こ、こんな中を探せっていうの?」

 

「いくらなんでも暗すぎるよぉ……」

 

「大丈夫! こんなときはね……」

 

と言ってサーバルが扉に近づく。

そして挟んであった下駄を引っ張って扉を閉めてしまった。

外から差しこむ光がなくなって、赤ボスの目以外に

光源がなくなってしまった。

 

「サーバル!?」

 

「へーきへーき! こうするとね……」

 

カチカチと音が奥から少しづつ近づいてきながら通路の奥に光が現れ始める。

そしてその光は僕たちのすぐそばにも現れ、

入口の開けた場所を照らし出した。

そして間髪入れずにスピーカーからアトラクションの

開始を知らせる音声が流れた。

 

「こういうところはまだ動いてるんだね……」

 

職員がいなくなってどれくらい経ったのかは知らないけど、

ろくなメンテナンスもなしにここまで動くとは一種の永久機関でも

搭載されていたりするんじゃないか?

あるいはラッキービーストにメンテナンスの機能が備わっているか……か。

興味深いかもしれない。

僕が技術者だったら何か分かったのかもしれないけど、

まだ碌な専門技術を習っていない僕では……あれ?

自分は何歳だったっけ?……思い出せない。

 

今まで意識していなかったけど存外僕の記憶喪失は重い症状だ。

ただフレンズ化とは関係ないから……なんでだろ。

 

イヅナの件でバタバタして忘れかけてたけど、

僕自身も結構謎を抱えている存在だ。

その辺りは今探しているツチノコと似ているかもしれない。

……別に探されているわけではないけど。

 

 

 

「ええと、こっちだったかな?」

 

今は前に遺跡を訪れたことのあるかばんちゃんが僕たちの案内をしている。

サーバルも同行していたけど、覚えてないらしい。

まあ仕方ない。

 

しばらく歩くと派手に崩れた橋があった。

 

「……ここ通れるの?」

 

「はい、……多分」

 

「大丈夫なの……?」

 

少し危なっかしかったけど、問題なく通れた。

だけどヒヤヒヤする。

できれば二度と通りたくはない。

 

そこからまたしばらく進むと、大きな黒い岩石に塞がれた出口が現れた。

 

「こっちの非常口から外に出られます」

 

さて、遺跡の中にはツチノコはいなかった。

出口のところにはいるだろうか。むしろいなかったら困るよ。

チラッとイヅナの様子を見ると、あちこち見回して目をキラキラさせている。

こういう遺跡に興味があるのか……少し意外だ。

 

 

「イヅナ、もう行くよ」

 

「え、ま、待って!」

 

「はは、置いていかないってば」

 

 

遺跡を出ると日の光に照らされた石碑が出迎えた。

急に明るくなって目がチカチカする。

手で日の光を遮って周りを見てみると、フレンズが一人いた。

あれがツチノコかな?

 

 

「はじめまして、君がツチノコ?」

 

「……? ボクはスナネコですよ」

 

「そっか、あ……僕はコカムイだよ」

 

「もしかして……ヒトですかー?」

 

かばんちゃん以外の人を見るのは初めてなのか、

興味を持っているようだ。

 

「うん、そうだよ」

 

「そうですか……」

 

 

……え、何この落差。

スナネコは飽きっぽいって聞いてたけど、ここまでなんだ……

 

「……ええと、ツチノコがどこにいるか知ってる?」

 

「いえ、ボクもツチノコに会いに来ましたから」

 

 

スナネコも知らない……か。

でも他のところに行ったっている保証はないし、

しばらくここで待ってみるのも一つの手だろう。

 

遺跡っぽく作られたといっても、なかなか面白そうだ。

せっかくの観光だし目一杯楽しんでもバチは当たらないはず。

 

 

と色々見たり少し戻って黒い岩を観察したりして時間を潰したけど、

待てど暮らせどツチノコは現れない。

 

 

「だったら、ボクの家に行ってみますか?

 入れ違いになったのかもしれません」

 

そういうことでスナネコの家にまで行ってみることにした。

けど、バスでものの数分。

この距離で入れ違いなんて起こりうるのか不思議でならない。

 

スナネコの家はよくある洞窟だ。

昨日ビーバーたちの家を見たので否が応でも比べてしまうけど、

動物の家なんて大体がこんなものだ。

そう考えるとあの二人の建築能力の高さがうかがえる。

 

ただの洞窟だし特に見るものはない……と思ったら、

少し端の方の地面に絵のようなものがある。

描いてから時間がたったのかかすれているけど、遠目で見ても

かばんちゃんとサーバルらしき絵があるのがわかる。

 

絵を見ているとスナネコが砂の中からジャパリまんを掘り出して

一人に一つずつくれた。

 

 

「もらっていいの?」

 

「これくらいはいいですよ」

 

「……ありがとう、いただきます」

 

 

地味に朝ご飯を食べてなかったからありがたい。

 

「……そうだ、今度お返しにジャパリカレーまんでも食べさせてあげるよ」

 

「おお、楽しみにしておきますね」

 

言葉遣いは興味なさげだったけど、声の調子は嬉しそうだった。

 

 

「でも、ツチノコさんはいませんね」

 

「やっぱり遺跡にいるのかもですね」

 

結局遺跡……だよね。

多分探し足りなかっただけなんだろうな。

 

もう一回バスで遺跡に戻ると、ちょうど出口にツチノコらしきフレンズがいた。

 

 

「……ん、なんだお前?」

 

「こ、コカムイです……ツチノコ、さん……ですか?」

 

「ああ、オレがツチノコだ、何か用か?」

 

つっけんどんな態度をしているけど、拒絶ではない。

言葉遣いがキツいから最初は面食らったけど、普通に話せそうだ。

……と思ってたけど、ツチノコの目がサーバルと合った途端に顔をしかめた。

 

 

「おい、お前!」

 

「え、私何かした!?」

 

「しらばっくれるんじゃねぇ! 挟んどいた下駄外したのお前だろ?」

 

「……あ」

 

……この感じからして前科持ちだな。

 

「……まあいい、というかお前、ヒトか?」

 

「うん、そうなんだ」

 

「ほう、かばん以外にこの島にヒトがいたなんてな」

 

「ええと、僕は島の外から来た……みたいなんだけど」

 

「外からだと!?」

 

 

今までの中で一番の食いつきっぷりだ。

カレーを食べるときの博士たちでもここまでの反応は見たことがない。

まあ当然そんな反応が来たらたじろいでしまうもので、

「うん、でも記憶が……」

 

「外にヒトの群れはあるのか!? どんなシステムだ!?

 お前はどんなことをしてたんだ!?」

 

という風に1から10まで問い詰められ、

僕について説明するのに30分くらいかかった。

疲れたけど、自分の状況について整理するのには結構役立った。

もちろん、イヅナについての辺りと僕のフレンズ化については隠して話した。

というかイヅナについては名乗らせただけで

ツチノコはほとんど興味を持たなかった。

やっぱり傍目から見たらただの白いキツネのフレンズということだろう。

 

 

 

「ふむ、じゃあ外の様子はからっきしか……」

 

「ごめん、覚えてなくて」

 

「いや、外にヒトの群れがあるって分かったことは大きい。

 だが、海のセルリアンか……」

 

そもそもの話、フレンズはジャパリパークの外に出たらフレンズ化が解ける、

と例のファイルに書いてあった。どちらにせよ見に行くなんてできない。

 

さて、こっちも質問に答えたし、ツチノコにもそれとなく聞いてみよう。

「ツチノコって、フレンズになる前のこと覚えてる?」

 

「フレンズになる前か? 覚えてるには覚えてるが、

 面白い話とかはないぞ」

 

「いや、気になっただけ、ありがとね」

 

「? まあ、いいけどな」

 

ツチノコは、『覚えてる』ってことか。

あくまで一人のフレンズの話だが、イヅナだって覚えてる可能性は否定できない。

本人は否定しているけど、怪しいのは事実だからね……

 

 

「そういえば、ツチノコどこ行ってたの?」

 

「あ? ずっと遺跡の中だ。どこにも行ってねえよ」

 

やっぱり探し足りなかっただけか。

 

 

さて、ここに来た目的は果たしたし、次のちほーでも目指そうか。

 

「……待て」

 

「あれ、どうかした?」

 

「お前、外の世界のこと知ってんだろ?」

 

「まあ、”知識”としてならそれなりにね」

 

「……だったら、遺跡のアレについて……」

 

突然ツチノコが小声でボソボソと何かをつぶやき始めた。

どうしたのかと様子を見ていると、突然大きな声を出した。

「よし! コカムイ……だったか? ちょっとついてこい!

 いいもの見せてやる」

 

「いいもの……?」

 

「ああ! お前なら何か分かるかもしれないな……」

 

そうか、遺跡の中でツチノコが分からないものについて

僕が何か分かるかもしれないってことで見せたいのか。

まあ、少し見るだけだったらいっか。

 

「わかった、それってどこにあるの?」

 

「よし、こっちだ!」

 

そして僕とツチノコは遺跡に入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……その後、数時間にわたる遺跡探検とツチノコの解説、

そして遺跡にあるものについての考察。

 

頭も体も使い果たし、予定を変更して僕たちはその日

スナネコの家にお世話になるのだった。

 

 

 

『10日目

 

 今日は砂漠の遺跡を訪れた。

 遺跡探検と入れ違いが重なって、ツチノコに会うのに

 遠回りをした。

 ツチノコはフレンズになる前のことを覚えているみたい。

 その後は遺跡の中で振り回されてへとへとだ。

 

 初めて出会ったフレンズ

 ツチノコ スナネコ』



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2-20 密林に溺れるジャパリバス

「ここがジャングル……木がいっぱいだね」

 

さばくちほーを出発し、今僕たちはじゃんぐるちほーに来ている。

木がいっぱいと言っても、図書館のあるしんりんちほーよりも

木の背丈が高いように思える。

草も深く生い茂り、日光が入らず暗くなっているところもある。

そして何よりも……

 

「砂漠のすぐ隣にこんな湿った地域があるなんてね……」

 

「サンドスターの影響でこんな風になっているんだよ」

 

久しぶりにかばんちゃんのボスから説明してもらった。

万能物質サンドスター。これさえあればこの島の大体の出来事を説明できそうだ。

 

「北に森林、南にジャングル……」

せめてもう少し段階的に変化すれば……とも思ったけど、

自然現象に何を言っても無駄だよね。

さて、小難しい話はやめにして、ジャングルにいるフレンズの話でもしよう。

 

「サーバル、ジャングルにはどんなフレンズがいるの?」

 

「前に来た時に会ったのは、ジャガーとカワウソと……フォッサと……」

 

「ジャガーさんとカワウソさんにはお世話になったんだよね」

 

「へえ、何してもらったの?」

 

「前に話しましたけど、橋を架けるときに……」

 

 

かくかくしかじか。

 

 

「ああ、その時の話だね」

 

「ジャガーのおかげで、川を渡れたんだったよね」

 

「……その川の話だけど、バスで通れる道はあるの?」

 

「マカセテ、ちゃんと通行できる場所のデータは入っているんだ」

 

「……だったらいいけど」

 

任せてと言われても、どこか不安に感じてしまう。

まだ10日だけど、ラッキービーストのポンコツさは

十分に見せられてきた。

いつもは普通に頼れるから心配はないけど、何かあったら助けてあげなきゃ。

 

 

「出来るなら、いろいろ回って行きたいな」

 

「私も、ジャングルのフレンズさんを見てみたいです」

 

「ワカッタヨ」

 

 

そんな感じで回り道に回り道をしていろんなところを通ったけど、

フレンズの姿は一向に見えない。

 

「あれ、なんでだろう……」

 

「もしかしたら、バスを怖がってたりするんじゃ?」

 

「イヅナさんの言う通りかもしれませんね」

 

「えー、バスなんて怖くないよ!」

 

「サーバルが慣れてるだけだったりして」

 

確かにこんな見慣れない黄色の大きな物体が動いていたら

警戒されても仕方ないかもしれない。

緑の多いジャングルだとなおさら目立つだろう。

……よく考えたらジャパリバスが目立たないところなんてない。

目立たなきゃサファリバスとして不便だ。

 

「適当なところにでも止めて、歩い……うわわっ!?」

 

ガコンッ!という大きな音を立ててジャパリバスが右に傾いた。

 

「ボス、どうしたの?」

 

「アワワ……」

 

「赤ボス、状況分かる?」

 

「アワワ……」

 

僕とサーバルの呼びかけに2人?は揃った言葉を返した。

 

「右のタイヤが引っ掛かってるみたいです」

 

運転席に座ったかばんちゃんがボスたちの代わりに状況を説明してくれた。

バスから降りて四人がかりで持ち上げようとしたら、

左のタイヤまで沈んで引っ掛かる始末。

少なくとも僕たちだけでは手に負えない事態になった。

 

「どうしよう、これ」

 

「もっとフレンズがいたら持ち上げられるかもだけど……」

 

「じゃあ、そのジャガーさんとか探してみる?

 せっかくだし、歩き回ったら誰かいるかも」

 

「そうだね、せっかくだもん!」

 

イヅナは妙にウキウキしている。

一応ボスにバスの場所を記録してもらって、僕たちは

フレンズを探しに歩き始めたのだ。

 

少し歩くと視界が開け、下の方に大きな川が見えた。

 

「湖と比べて濁ってるなあ……」

 

「川ノ流レガ緩ヤカナ所ハ、砂ノ粒トカガ漂ッテイルカラ

 濁ッテイルンダヨ」

 

「そうなのね……」

 

イヅナは興味ありげに川を見つめている。

別にずっと見てても何も見えないはずだけど、それを言うのは

少し野暮な気がしたのでやめておいた。

 

フレンズを探すため、僕たちは川に沿って歩き始めた。

 

 

「というか、暑いね、じめじめしてる」

 

「ジャングルハ高温多湿ダカラ、コマメニ水分補給スルノヲオススメスルヨ」

 

「……できればしたいんだけどね」

 

あいにく水筒の類は持っていないし、川の水を飲めと言われても困る。

とどのつまり、体を熱しすぎないようにしながらジャングルを抜けるまで

我慢を続ける他にない。

 

「わあ、何あれ? 初めて見た!」

 

こんな状況なのに、イヅナはとびきり元気そうだ。

ジャングルの蒸し暑さよりも新しいものを発見するワクワクが強いみたい。

 

「ねえねえ、あれ果物じゃない? 取ってみようよ!」

 

「うえっ!? ひ、引っ張らないでよ!?」

 

地面の辺りにあった果物めがけて走り出した。

ついでに僕の腕を強く引っ張ったから痛いのなんの。

少しその元気を分けてほしいものだ。

 

イヅナが見つけた果物は、黄色いリンゴくらいの大きさの果実だった。

食べてみるとみずみずしい。風味はメロンだ。

今まで見たことのない珍しい果物だった。

 

「ソレハ『ペピーノ』ダネ」

 

「「ペピーノ?」」

 

「”ペピーノ”ハ、南米ノジャングル、山脈ニアル果物ダヨ」

 

「なんべい……?」

 

「コカムイさん、知ってるの?」

 

「……どこだったっけ」

 

外の世界にそういう場所があるなら知識として知っててもおかしくない……とは

思うけど、知らない。知名度が低い場所か、勉強不足か、記憶喪失……

あるいは万能物質サンドスターのせい……!?

……そんなわけはない。

とりあえず謎が一つ増えたって認識でいいや。

 

「ペピーノ……とかいうの、まだいくつかあるね」

 

「サーバルちゃんたちにも持って行ってあげようよ!」

 

「そうだね、みずみずしいから水分補給にちょうどいいよ」

 

適当に3、4個取ってかばんちゃんのところに持って行った。

 

「はいこれ、ペピーノとかいうやつ、どうぞ」

 

「あ、ありがとうございます」 「おいしそー!」

 

かばんちゃんちゃんとサーバルは一個ずつ果物を食べた。

 

 

「さて、これからどうしましょうか?」

 

「僕はもう少し探してみるのもありだと思うよ」

 

「アンイン橋の近くならいるかもしれないよ、行ってみようよ!」

 

「うん、そうしよっか。ラッキーさん、道案内お願いできますか?」

 

「マカセテ」

 

案内に従ってジャングルを歩いていく。やっぱりフレンズは全然見えない。

 

「まさか、セルリアンとか出てたり……ね」

 

「……」

 

ふっと空気が重くなる。

誰も現れない不自然さに僕の一言が重なって、

最悪の想像が脳裏によぎってしまったに違いない。

 

「……もしもだよ! そんな、気にしなくてもいいって、きっと」

 

「……だ、だよね?」

 

「……大丈夫だよ、サーバルちゃん」

 

「……うう」

 

かばんちゃんがサーバルを励ましてなんとか明るくしてくれてるけど

重くなった空気と縁起の悪い想像は晴れはしない。

余計なことを言ってしまった。

 

不安になってイヅナの方を向くと、着いてきてはいるけど

顔はどこか遠くを向いていてこちらの会話はどこ吹く風。

多分聞こえなかったんだろう。

それならそれでいい。わざわざイヅナの気分まで沈める理由はない。

 

 

 

 

「ここがアンイン橋だよ」

 

僕のせいで、橋に着くまでほとんど会話もなく歩いていた。

だけど、そんな重い気分もアンイン橋の光景を見て吹き飛んだ。

 

「わあ、橋がつながってる……!」

 

かばんちゃんが初めに架けた飛び飛びの橋は、

綺麗に繋がった一本の橋になっていた。

そして、完成した橋の周りにはたくさんのフレンズがいた。

こんなに集まってたのなら、他の場所にいなかったのも納得だ。

 

「お、かばん、元気にしてる?」

 

「はい、おかげさまで。ところで、この橋は?」

 

「すごいでしょ! わたしたちで作ったんだよ!」

 

「え、どうやって?」

 

「おととい博士たちが来てね、ジャングルのフレンズを集めて

 アンイン橋を繋げろって言ったんだ」

 

「一体どうしてだろう?」

 

「君たちが通りやすいように、だってさ」

 

「そこまで配慮してくれてたんだ……!?」

 

橋の工事を手配してくれた博士たちにも、

たった2日で橋を完成させてくれたジャングルのフレンズのみんなにも

お礼をしないといけないな。何がいいだろう?

細かいお礼は後で考えるとして、2つ持っていたペピーノを

ジャガーとカワウソに渡した。

 

「途中で採ってきたものだけど、どうぞ」

 

「くれるのかい? ありがとう」

 

「わーい、おいしー!」

 

「ふふ、もう食べてる……」

 

 

気になってイヅナの様子を見てみたら、

少し離れた場所でフレンズたちとおしゃべりしていた。

楽しそうだったから放っておくことにした。

 

「そうだ、みてみて!」

 

カワウソが石を手に持ち、ジャグリングを始めた。

最初は3つだけど、4つ……5つ。

ついには6つの石を回している。

 

「すごーい!? 前より石が増えてるよ!」

 

「器用だね……」

 

「あれ、そういえばバスはどうしたんだい?」

 

「ああ、それが……」 かくかくしかじか。

 

「そっか、タイヤがはまっちゃって……」

 

「なんとか持ち上げられませんか?」

 

「見てみないと分かんないけど、やってみないとね。

 バスはどこにあるんだい?」

 

「ラッキーさん、バスまでの案内お願いします」

 

「マカセテ」

 

「イヅナー! バスに戻るよ!」

 

「えっ、はーい! ……じゃあ、またね」

 

「またねー!」

 

イヅナはフレンズたちにバイバイをして、

僕たちはジャパリバスのあるところに戻ってきた。

 

「うわあ、こりゃ深く沈んでるね……ん!」

 

ジャガーが持ち上げると少し車体が浮いた。

 

「私も手伝うよ!」

 

サーバルも加わって更に高く浮きあがる。

でも長くはもたないはずだ。

元通り沈まないように何か策を考えないと。

何か、何か……

 

「げ、限界っ!」

 

「一旦、下ろすよ……」

 

サーバルたちの支えがなくなり、バスは元通り地面に溺れ……ない。

平らな地面の上にタイヤが接地して、問題なく走れそうだ。

 

「これなら運転は問題ないよ」

 

ボスもうれしそうな声を出す。

……でもなんで?

 

「よかったね、コカムイさん」

 

そう言うイヅナはなぜか得意げで……もしかして、イヅナの仕業?

そもそもバスがはまったのもバスから降りる理由作りで、

ジャングル観光が終わったから元通り……とか?

 

「コカムイさん、どうかしたの?」

 

……いや、考えすぎか。

いくらイヅナが不思議な力を持ってる可能性が高いからって、

こんなイタズラめいたことしない……しないよね。

とりあえず、僕の中では今回の件はラッキーとアンラッキーが

重なったってことにしておこう。

 

 

 

「じゃあ、また、元気で!」

 

「ジャガーさんたちも、お元気で!」

 

「またねー!」 「またあれ見せてね!」

 

「じゃあ、またいつか」 

 

 

頭の中に若干のもやもやを抱えながらも、僕たちコカムイ一行は

ジャングルを後にしたのだった。

 

 

 

「次は、サバンナだね」

 

「サバンナ! 久しぶりだな~」

 

「サーバルの故郷、だったね」

 

「カバ、元気にしてるかな?」 「きっとそうだよ!」

 

「だよね! ……あ、縄張り、取られちゃってるかも!?」

 

「と、取られてたらどうするの?」

 

「新しいのを見つけるんだ!」

 

「はは、なんか問題なさそうだね……」

 

 

 

「……イヅナ? どうしたの、ボーっとして」

 

「……なんでもない」

 

 

 

 

「……ちょっと、懐かしくなっただけ」

 

「あれ、イヅナ、何か言った?」

 

「……ふふ、なんでもないよ」

 

 



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2-21 ただいまさばんな、只今サバンナ

「サバンナだー!」

 

僕たち4人を乗せたジャパリバスはサバンナに到着した。

さばんなちほーはかばんちゃんとサーバルが出会った場所で、サーバルはその前から

ここで暮らしていたらしい。

 

ジャングルとは打って変わって地面に生えた草は茶色がかっている。

木も密集せずにぽつぽつと生えている。

見晴らしも日差しも良くて、それなりに快適な場所だ。

 

 

「せっかくだし、降りて歩きたいね」

 

「バスは、どうしましょう?」

 

「マカセテ、ボクガ責任ヲ持ッテバスヲ連レテイクヨ」

 

「お願いします、赤ラッキーさん」

 

4人ともバスから降りてサバンナの土を踏みしめた。

特にサーバルは久しぶりに帰ってきたから感慨深いようで、

木に登ったり下りたりジャンプしたりと忙しい。

 

「ジャンプ力がすごいっては聞いてたけど、見るのは初めて……」

 

地面から2、3mはありそうな木にジャンプ一回でスッと飛び乗る姿を見て、

似た姿をしててもやっぱり違う動物なんだな、と思ったり

フレンズ化しても自分にはなんにも起きないんだな、と思ったり。

 

 

「……どうしたの?」

 

「いや、もし思い出したら、もっといろいろできるようになるのかなって思ってさ」

 

「それって、ここに来る前の記憶のことだよね」

 

「うん、未だになんでこの島に来たのか分かってないし」

 

「やっぱり、思い出したいよね……」

 

「……イヅナ?」

 

「…………私は……」

 

「イヅナも、思い出したいの?」

 

「え、いやそうじゃなくて、その……」

 

イヅナは目を左右に動かしてしばらく考えてから、こう言った。

 

「忘れちゃったことなんて、気にしなくていいかなって、思うんだ」

 

「……まあそういう考え方もあるよね」

 

なんで忘れたか分からないし、思い出せる保証も無く思い出す方法も分からない。

それなら、そんなものにこだわらないで忘れてしまったことそのものも

忘れてしまった方がいいのかな?……分からないや。

 

 

 

 

 

 

 

「あ、池だね」

 

「カバいるかな?」

 

少し歩くと池のあるところに来た。

普段カバはこの辺りにいるらしい。

 

「カバー! いるー?」

 

「……あらー?」

 

サーバルの呼びかけから数秒後、

大きな水しぶきと音を立てて水の中からカバが現れた。

 

「サーバルもかばんも久しぶりねぇ……ところで、

 そこの彼とキツネの子はどなた?」

 

「はじめまして、コカムイです」 「い、イヅナです」

 

カバは僕とイヅナを頭のてっぺんから足までゆっくり見て、

「……そっちの彼は少しかばんに似てますわね」

と言った。

 

「ああ、僕は……一応、ヒトなので」

 

「そういえば、かばんもヒトの子でしたわね」

 

「でね、コカムイくんは島の外から来たんだよ!」

 

「あら、この島の外から?」

 

「うん! でもコカムイくんが来た時に海にセルリアンが出てきて……」

 

 

それからしばらく、サーバルは僕が島に来て起きたことをかばんちゃんとの

思い出を交えてカバに話していた。

僕も体験したことだったから尚更、サーバルが楽しそうに話しているのはうれしい。

カバは相槌を打ちつつサーバルの話に聞き入っていた。

 

 

「……サーバル、楽しそう」

 

イヅナもカバと一緒に話を真剣に聞いている。

 

「そういえば、イヅナは僕が島に来た直後のことは知らないんだったね」

 

「え、あ……うん」

 

「まあ、聞いてわかると思うけどそんなに面白い話はないよ」

 

「そんなことないよ」

 

「そう? ……きっとサーバルの話し方が上手なんだね」

 

「…………」

 

といってもサーバルはいつまでしゃべる気だろう。

結構長くしゃべってるけど話のネタが尽きる様子はない。

どこまで話が進んでいるかと耳を傾けた。

 

「それで、ご飯を炊き忘れたコカムイくんがね……」

 

驚き桃の木山椒の木、ブリキに狸に蓄音機。

まだ三回目の図書館訪問までしか話してないみたいだ。

サーバルが時系列に沿って話しているならの話だけど。

 

 

「かばんちゃん、話長くなりそうだし、ちょっとそこらへん歩いてくるね?」

 

「あ、はい、分かりました」

 

「コカムイさん、私もついてくよ!」

 

僕とイヅナ(と赤ボス)は池から少し離れて、

その辺りの草むらを歩き回ることにした。

バスに乗ってたときには気づかなかった何かがあるかもしれない。

 

「この近くは……何も、ない?」

 

見渡す限り普通のサバンナ。

見晴らしがいいから特に何もないことがよくわかる。

 

「私たちも、何かお話して過ごしませんか?」

 

イヅナは早々に諦めてしまったようだ。

でもわざわざ疲れる必要はないし、それでもいいか。

 

「そうしよっか。 どんな話がいいかな?」

 

「……じゃあ、サバンナの次に行く場所の話」

 

「げ、現実的……」

 

僕はジャパリパーク全図のキョウシュウのページを開いて、

さばんなちほーの辺りを指さした。

 

「今いるサバンナがこの辺りで……」

 

「で、今までこうやって移動してきたから」

とイヅナは指でロッジからサバンナまでの

今まで通ってきたルートを指でなぞった。

 

「次はゆうえんち……って場所かな」

 

「遊園地ってことは、メリーゴーランドとかあるんだよね!」

と目をキラキラさせて迫ってくる。

 

「遊園地、知ってるんだ……」

 

「……え、ま、まあね!」

 

急にしどろもどろになる。分かりやすい。

遊園地なんて普通の動物は知らないし、イヅナは何も覚えてない()()

なんだけどね……

 

 

「ほ、ほら! もうサーバルちゃんの話も終わったんじゃない?」

 

「……そうかもね、戻ろっか」

 

ここで追及しても意味はないと思うから、ひとまず気にせず

カバたちのいる池に戻ることにした。

 

 

 

「あ、コカムイさん」

 

「コカムイくん、どこ行ってたの?」

 

「ちょっと散歩、で、これからどうする?」

 

「えっとね、次は私の縄張りまで行こうと思うんだ!」

 

「サーバルの縄張りっていうと……」

 

「かばんちゃんと初めて出会った場所、だよ!」

 

「最初は狩りごっこだったね」

 

そう言うかばんちゃんはどこか懐かしそうだった。

 

「カバ、またね!」

 

「ええ、気を付けるんですのよ」

 

「それじゃあ、また」

 

 

カバと別れてからおよそ30分。

歩き続けた僕たちは他と比べて少し大きな木のところまで来た。

 

「ここでちょっと、きゅうけーい!」

 

「ふふ、最初もここで休憩したんだったね」

 

そうだったのか、ここも二人の思い出の場所なんだ。

木の周りを見てみると、サバンナのほかの場所とは違った感じがする。

座れそうな木が横になっていたり、テーブルが置かれたりしている。

かつて、ここにいた人が使っていたのかもしれない。

 

「ずっと歩いてると疲れちゃうね」

 

30分くらいと言えど、サバンナは道が舗装されているわけではないし、

日射しを遮るものも少ないから疲れは案外たまりやすい。

 

「ここからサーバルちゃんの縄張りまで、どれくらいあるの?」

 

「えーと……確か川を越えて壁を登って……」

 

「……まだまだあるんだね」

 

「大丈夫! 少しずつ行こう!」

 

「じゃあ、そろそろ出発しましょうか」

 

 

木陰を出発するとき、後ろについてくるジャパリバスを見て、

今からでもこれに乗って楽をしてしまいたいと思ったのはここだけの話だ。

 

その後はサーバルの言う通り川を越え崖と呼ぶには低い壁を登り、

草の間にあるけもの道を通ってサバンナを進んでいった。

 

「ここだよ、ここが私の縄張りなの!」

 

とサーバルが言う。

ただ他の場所と見た目はほとんど変わらない。

それも当然だ。動物の縄張りはヒトの家のように表札もなければ

町や国のように明確な区切りは見えない。

その辺りで生きる動物だけがそれぞれの縄張りを知っているのだろう。

 

サーバルは着いたらすぐに木に登って周りの景色を見渡した。

 

「えへへ、何にも変わってないね」

 

僕から見ても何か変わった様子はないけど、

サーバルが言っているのはかばんちゃんと会った時と比べての話だ。

その一切変わらない景色がサーバルの思い出を強く蘇らせたのか、

木から大きくジャンプして地面に降り立った。

すると、

「がおー! たべちゃうぞー!」

 

「たべないでくださーい」

 

と言いながらかばんちゃんと狩りごっこみたいな

追いかけっこを始めた。

といってもどっちも遊んでいるみたいで、

子供のようにはしゃぎまわる姿は微笑ましい。

 

しばらく眺めているとサーバルがかばんちゃんに追いついた。

 

「えへへー、たべちゃうぞー!」

 

そしてかばんちゃんのセリフが来るか来るかと思っていたら、

「サーバル、食べちゃだめだよ」

とかばんちゃんの腕から予想外の声が聞こえてきた。

 

「え……ボスが、私に話しかけたよ!」

 

「ラッキーさん、どうしてですか?」

 

「え、なんで、なんでしゃべったの!?」

 

「こ、コカムイさん、どうしたの?」

 

 

しまった。予想外の出来事につい過剰に反応しちゃった。

ただ喋っただけなら別に「なんでだろう」で終わったけど、イヅナの件がある。

赤ボスが反応したのが何でもないことだったら……

疑惑のそもそもの始まりが間違っていたことになる。

だとしたら、イヅナに対して申し訳ない。

 

「いや、ちょっとびっくりしただけ」

 

「そう……で、なんでしゃべったの?」

 

「僕たちラッキービーストは、ヒトの危機の場合のみ

 フレンズと話すことが許可されているんだ」

 

「……え?」

 

ヒトの……危機?

さっきの狩りごっこにもならないじゃれあいが?

少し判定が緩い、いや、厳しい?どっちでもいい。

あれくらい判断できないのだろうか。

それとも、サーバルと話したかった?

ロボットと言えど感情がありそうな振る舞いが多々見受けられる。

普段はしゃべれないからここぞとばかりにポンコツっぽくしつつ

喋ったりしたかったのなら、少しかわいいかもしれない。

 

「そっか……サーバル、もう一回」

 

「がおー!たべてやるー!」

 

「食べちゃダメだよ、ジャパリまんがバスにあるから、

 それで我慢してね」

 

さっきよりも長くしゃべった。

やっぱり、話してみたいだけだな。

 

それはさておき、イヅナに関してはヒトの危機的状況じゃなかった。

やはり別の理由があるに違いない。

 

「がおー!たべちゃうぞー!」

 

ボスが反応してくれたことに味を占めたサーバルは、

その後しばらく「たべちゃうぞー!」を連呼していた。

ボスも小言を挟みながらいちいち反応してあげてたあたり、満更でもなさそうだ。

 

 

 

『11日目

 

 今日はジャングルとサバンナを訪れた。

 ジャングルでバスがはまって大変!だけどいろいろあって脱出。

 ジャングルのみんながアンイン橋を完成させてくれていた。

 博士たちの采配に感謝。

 

 サバンナではカバと出会った。

 ボスとしゃべる方法をサーバルが見つけて、

 長い間それで遊んでいた。

 

 初めて出会ったフレンズ

 カバ ジャガー コツメカワウソ』

 

ジャングルのフレンズは……僕が会話した二人だけにとどめておいた。

 

そうこうしているうちに夜になって、僕たちは

サーバルの縄張りで一夜を過ごすことにした。

 

 

 

「赤ボスも、あのボスと同じ?」

 

「ウン、ヒトガ危機的状況ノ時ニハフレンズト話セルヨ」

 

「……僕は”ヒト”で”フレンズ”だけど」

 

「大丈夫ダヨ、かばんヤ君ノヨウナ場合デモ、

 ”ヒト”であれば会話することを許されているんだ」

 

「そう…………え?」

 

今、何て?

 

「赤ボス、『かばんや』ってまさか、かばんちゃんも?」

 

「かばんモ、ヒトノフレンズダヨ」

 

なんてこった。でも、記憶の面では違いがある。

ただの個体差か、あるいは何か大きな違いが……?

……眠い。

 

「まあ、いいや、寝る。おやすみ」

 

「オヤスミ」

 

 

明日は、遊園地だ。

……誰もいない、遊園地。



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2-22 ゆうえんちと紫の影

 錆が所々にあり、動きそうには思えない観覧車。

欠け、隙間に雑草が生え、よりここを廃墟に見せる地面のブロック。

人っ子一人見えない寂れたパークの遊園地。

少し前まではフレンズさえもあまり近づかず、セルリアンが多くいたという。

そのセルリアンも今は数を減らし、本当に何もいなくなった。

 

「……流石にこんなのに乗りたくはないかな……そもそも動くの?」

「修理スレバ不可能デハナイヨ」

「乗ってみたい?」とイヅナに聞かれた。

「……やめとく」

 

 いくら何でも危なすぎると思うけどイヅナやサーバルは気にしていないみたいで、

メリーゴーランドの白馬に乗ったり回らないコーヒーカップに腰掛けたり、

彼女たちなりに楽しんでいるようで何よりだ。

 

 遊園地……か。外の世界では……いや、やめにしよう。

島の外について考えているといつも記憶のことが付いて回る。

やっぱり、気持ちは改めるべきなのだろうか。

 

 

「コカムイさんっ! こっちこっち!」

 

「どうしたの、イヅナ」

 

 ついていった先にはお化け屋敷やそのほかの建物に入って楽しむ

アトラクションが集まって建てられていた。

 

「見て、これってお……えっと、何かな?」

 

「……まあ、お化け屋敷みたいなものだね」

 

 イヅナ、絶対お化け屋敷って言いかけてたよ。

間違いなく覚えてる、記憶なくしてなんてないよ。

そんな心の声は誰に聞かせることもなく消えてゆくのだった。

 

「入ってみようよ!」

 

「いいけど……ん?……っ!?」

 

 上の看板を見てびっくり仰天。

このアトラクションの名前は『霊界からの恐怖! 九尾狐の罠!』

という少し前のアニメのようなタイトル。

もしかして、狙ってるのかな……でも、イヅナの尻尾は九本もない。

とか考えている僕を置いてきぼりにして、イヅナはズンズンと歩みを進めていく。

 

 成り行きに流されてお化け屋敷に入ってしまったけど……

何も起こらない。当然スタッフがいないからだ。

壁や床には禍々しい模様もあるし、天井から時々一反木綿のような

ヒラヒラも垂れてきている。

だけどそれらには一切変化はなく、また他に何かが飛び出してくるわけでもない。

ただちょっと不気味なだけだ。

 

「な、何にも起きないね……」とイヅナは少し口の端を引きつらせて言った。

 

「当然だと思うけどね……うわっ」

 

 ついに何か起きた!と思ったら人魂みたいな青いのが

目の前に吊るされただけだった。驚いた声も我ながら抑揚がない。

 

「一体どうして……うわぁ!?」今度はイヅナが驚いた。

 

 その声と同時に何かが床に落ちる音とが聞こえ、

イヅナの前に青い人魂とそれに糸で繋がっていた棒とボスが上から現れて

下へと落ちていった。

 

「……ボス?」

 

 そのボスは青い。

赤ボスとは違う個体のようだ、多分、このお化け屋敷のメンテナンスやら

何やらを担当しているのだろう。

 

「……ボスが、これ吊るしてたの?」

イヅナは驚きすぎたのか少し涙目だ。

 

「お客様に楽しんでもらえるために……」

 

「それで落ちてきた、と」

 

 このボスは僕たちを怖がらせるために頑張ってくれたみたいだ。

ただ、吊るした人魂よりも落ちてきたボスの方が驚かれていたのは

皮肉と言わざるを得ない。

 

「ぼ、ボクは管理に戻るよ……」

 

 そう言ってトボトボと裏方に戻っていくボスの背中はとても悲しげだった。

背中なんて、ほとんどないも同然なんだけどね。

 

 だけど、その後もそのボスは頑張ってくれてたみたいで、

時々大きい物音がしたり、スピーカーから悲鳴が聞こえて来たり、

お化け屋敷のセットがガラガラと音を立てて崩れたり。

……最後は事故かもしれない。

 

 

 まあ、普通のお化け屋敷ではありえないようなタイミングで

音が鳴ったりして、むしろ楽しむことができた。

怪我の功名というのだろう。あのボスには感謝しないとね。

 

「普通のお化け屋敷とは違うねー!」

 

「普通のお化け屋敷、知ってるの?」

 

「…………」

 

 あからさまにイヅナが目をそらす。

だんだんと化けの皮が剥がれてきているみたいだ。

別に今は無理に聞き出したりはしないけど。

この様子だとそこまで隠しておきたいことでもなさそうだし、

しばらくしたらポロっと話してくれるんじゃないかな、と思う。

 

 

 でも見てみたら当のイヅナは問い詰められないかと慌てているらしく、

 

「ね、ねえ! その、今度はあのメリーゴーランド」

「動かないよ」

「こ、ここ、コーヒーカップ」

「回らないよ」

「じぇ、ジェットコースターは……」

「乗れないよ」

「か、観覧車!」

「……何を慌ててるのさ」

「う、うう……」

 

とジェットコースターよりも目まぐるしい話題転換。

顔を真っ赤にして両腕が忙しなく動いている。

 

「ほら、ゆっくり楽しもう? 何も逃げないよ」

 

「うん……そうだね……」

 

 イヅナの元になったものが狐の幽霊ってことは分かるけど、

ここに来てから何をしたかが分からない。

記憶があるなら、ここに来た理由とか、目的があるかもしれない。

もしあるのなら、協力してあげたいと思う……のがイヅナについて

調べたり探ったりする理由の1つ。珍しいから知ってみたいのが1つ。

後者が7割。

 

「こ、コカムイさん、し、自然がきれいですねー……」

 

「ここ遊園地だから、自然は少ないよ?」

 

「あ、あは、ですねー……」

 

 だけどなんだろう、この様子を見ていると、たとえ記憶があったとしても

ただの行き当たりばったりで来たんじゃないか……と思えてくる。

 

 

 

 

「コカムイくん、楽しかった?」

「ま、ぼちぼちね。お化け屋敷に入っただけだからさ」

 

「私たちは『メリーゴーランド』に乗ったんだ!」

 

「へえ……動いたんだ」

 

さっきは動かないと言ってしまったが、前言撤回。

 

「ラッキーさんが特別に動かしてくれました」

「特別に?」

 

「かばんは『暫定パークガイド』だから、定期的に遊具が動くか

 確認する必要があるんだ」

 

「……で、本音は?」

「頼まれたから動かしたよ」

 

「……正直だね」

 

サバンナのことといい、ボスって結構融通が利くんだね。

実に有能なロボットである。

 

「さて、他に見てみたいところとかある?」

 

「はーい! 私『ばすてき』なもの……? があるところ見てみたい!」

 

「そういえば、そんなものもありましたね」

 

「え、ええと……『ばすてき』って何?」

 

「前にアライさんとフェネックが乗り回してたものだよ

 博士がどうとか言ってたけど、ここにあるの?」

 

「図書館に行ったときに聞いたんだ! 私も一回乗ってみたくて!」

 

「へぇ、どこにあるか詳しく知ってる?」

 

「うーん、わかんない!」

 

「だよね…………赤ボス」

 

「マカセテ、遊園地ノ中ニアル『ばすてき』ラシイモノヲ検索スルヨ」

そして検索を始めてから数十秒後、

 

「見ツケタヨ、コレカラ案内スルネ」

 

「ありがと、じゃあ行こうか」

 

赤ボスの案内に従って歩くこと数分、

以前アライさんとフェネックが乗っていた例の『ばすてき』が

十数台と並ぶ場所についた。

 

「おー! いっぱいあるー!」

 

「好キナモノニ乗ッテイイヨ」

 

「じゃあこれにする!」

と言ってサーバルが乗った乗り物は、屋根に張ってあるシートの柄が

サーバルの体の模様によく似た車両だった。

車両と呼ぶには少し弱々しい気もするけれど。

 

「かばんちゃんも乗ろうよ!」

 

「あ、うん」

 

2人は一緒に乗ってペダルをキコキコ……

あっちに行ったりこっちに行ったりメリーゴーランドの周りを一周したり……

 

「……楽しいのかな」

「結構楽しいのかもしれないよ! 私たちも……」

「……やめとく」

「そ、そう……」

 

 

「…………」

「…………」

 

 

イヅナは結構残念そうだ、サーバルとかばんちゃんを見ながら

時々こっちをチラ見してくる。

……仕方ない、

「……せっかくなら、乗ってみる?」

 

「え、いいの!? やったー!」

子供のようにはしゃぎまわるイヅナ。

なぜか腕に抱きついてきた。

 

「ほ、ほら、乗るなら早く!」

 

「わーい!」

 

サーバルでも乗り移ったのか。

 

イヅナは白と赤の模様が入ったものを選んだ。

 

まあそんなこんなで僕たちもペダルをキコキコと……

別に迫力とか爽快感はないけど、

「……悪くはないかな」

「あれ、なにか言った?」

「なんでもない」

 

遊園地も、フレンズこそいなかったけど楽しい場所だった。

 

 

 

 

 

バスに乗り、ロッジに戻る道の途中、ロッジの真南にあたる森の近く、

 

「ゆうえんちも楽しかったね!」

 

「そうだね……あ、コカムイさんって、島の外にある遊園地とかは……」

 

「……思い出したらね」

 

「……そうでしたね、すみません」

 

「気にしなくていいよ……イヅナは知ってる?」

 

「わ、私!? 私もよくわかんないかなー……」

 

「……本当に?」 「ホントだよ!」

 

「……そう、まあいい…や……っ!?」

 

「コカムイさん、どうかしました?」

 

「かばんちゃん、あそこ、林の奥……」

 

「……っ! あれって……」

 

「なになに……あ、セルリアン!」

 

「しっ! 気づかれるかも」

 

林の奥、木の枝の影からわずかに零れ落ちた月明かりが、

紫のセルリアンを静かに照らしていた。

大きな体、石は向こうにあるようでこちらからは見えない。

そして、そのセルリアンの最も目を引くものは……

 

つい「何あの腕……」と言うと、 「こ、怖い形……」とサーバルが言う。

 

それもそのはず、そのセルリアンの腕は大鎌を思わせるような反った刃のよう。

赤ボスに聞いてみてもデータにない、という新種のセルリアンだった。

 

「海のに続いて……」

 

「大丈夫だよ、コカムイさん。あっちは気づいてないから、

 ゆっくり離れれば大丈夫」

 

「……ボス、慎重に頼むよ」 「ワカッタヨ」

 

幸いにも、そいつに気づかれることなくその場から

立ち去ることができ、無事にロッジへと戻ってきたのだった。

 

戻った後、オオカミさんに色々聞かれたりしたのは言うまでもないが、

それについては省くことにしよう。

まあそのあとは日課を終わらせて、眠りについたのだった。

あのセルリアンについては、ハンターたちに話して

警戒してもらうことにしよう。

 

『12日目

 遊園地で遊んだ。

 お化け屋敷に入った、ボスは健気だ。

 イヅナは隠す気があるのかどうか……

 帰り道、腕が鎌の形をした紫のセルリアンを見た。

 赤ボス曰く新種、海の個体といい不思議だ。

 

 初めてであったフレンズ

 なし』

 

 

もうすぐ二週間か……

様々なことが次から次へとやってきてめまいがしそうだ。

なるべくなら、早く慣れてゆっくりな日常を過ごしたい。

 

眠い、眠るとはいいことだ、いやなことをすべて忘れられる。

 

自分について全部忘れてしまった僕が言うのもなんだけど、ね。

 



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2-23 定期充電

「トイウワケデ、充電ニ行ッテホシインダ」

 

「……どういう訳で?」

 

早朝、日の出からまだ1時間も経っていないような時間に、

僕は赤ボスによって叩き起こされたのだ。

 

「充電って、まだ電池切れてないじゃん」

 

「電池ガ切レナイヨウ定期的ニ充電ヲスルンダ」

 

「……一理ある」

というかそれが常識だ。

 

ただそんなことを言っても……

「充電設備って、こうざんにしかないって言ってなかった?」

 

「ウン、ダカラ少シ長丁場ニナルカナ」

 

「なるかな、じゃなくて! 無責任だよ……赤ボス」

 

ともあれ二度寝するわけにもいかず、渋々ロッジのロビーに行った。

 

「おはようございます、コカムイさん、今日は早いですね」

 

アリツカゲラさんはいつも通りの雑務をこなしている。

 

「おはよう、アリツさん。赤ボスに起こされちゃってね」

 

まだ辺りは少し薄暗くて、とんでもなく早い時間に起こされたと

改めて感じるのだった。

 

「ボスに……、何かありました?」

 

「バスの電池を早めに充電しろ、だってさ」

 

むしろよく考えれば、一回一時間ほどの充電で十日近くも

無充電で動ける方がいい意味でおかしいのかもしれない。

 

「充電ですか……どこでできるんでしたっけ」

 

「こうざんの頂上辺りの……ジャパリカフェ? とかいう場所だったよね」

 

「ソウダヨ」

 

「観光しながらとはいえ、二日近くかかってるから、まっすぐ行っても、

 半日かそこらは掛かるかもね」

 

「あーあ、鳥のフレンズだったらひょいって飛んでいけるのになー!」

 

「そうそう……ん?」

 

声をした方を見ると、イヅナが立っていた。

 

「おはよう! の……コカムイさん!」

 

「おはよう……なんでこんな早くに?」

 

「んー、別に? なんか早起きしちゃった」

 

それなら、まあいいや。それよりも充電の件だ。

せっかくゆっくりとできるかと思ったのに来た道を逆戻り?

しばらくは旅行気分を大事にしたいな……

 

 

「アリツさん、ひょいって飛んでいけない?」

 

「わ、わたしですか!? そう言われましても……」

 

「あれ、何かあったの?」

 

「それが、ボスがバスの充電を…………」

叩き起こされたことからイヅナが来るまでの会話をざっと話した。

 

 

「……だったら、いい考えがあるよ」

 

話を聞いたイヅナは、得意げな顔をして頷いた。

 

「いい考えって……何するの」

 

「いいから、行こっ!」

 

「え?」

 

腕を強く引っ張られた、痛い。

 

「ちょっとイヅナ、痛い、痛いって!」

 

「赤ラッキーさん、電池は引っ張ったら取れるよね?」

 

「ウン、丁寧ニ扱ッテネ」

 

「おっけー! じゃあ私とコカムイさんの二人で行ってくるね!

 午前中には戻ってくるから!」

 

そして、ジャパリバスの電池とは対照的に、

僕は乱暴に連れ出されてしまったのであった。

 

 

 

 

イヅナは胸を張って歩いている。

僕は意外と重い電池を抱えて歩く。

まさか徒歩で向かう気ではあるまいな。

 

「……この辺りまで来たら、もう大丈夫……だね」

 

ロッジが見えなくなってきたころ、イヅナが突然立ち止まった。

 

「そろそろ何するか教えてくれたっていいんじゃない?」

 

「そうだね、でも、その……驚かないでね?」

 

「何するの……?」

 

「わ、私……空が飛べるの」

 

「…………」 「…………」

 

しばらくの沈黙。

辺りは静まり返り、風の音が聞こえる。

もう辺りも明るくなってきたからだろうか、小鳥のさえずりも

耳に届くようになっていた。

まるでここには誰もいないかのように思える静寂が、その場を包んでいた。

 

「えと、コカムイさん?」

 

「……イヅナ、バスに乗れば、早く着くんじゃないかな」

 

「……し、信じてっ……く、くださいよっ!」

 

「イヅナ、君には博士たちのような羽はないんだよ」

 

「で、でも私、狐だから」 「……イヅナ」

 

「ホントだって! ほ、ほら!」

 

そう言ってイヅナは、本当に飛んだ。

いや、飛んだというよりは浮いた、と言った方が正しいだろう。

 

「ほ、ホントに飛んだ……」

 

狐の霊とすると……まさか何かの妖術とか……?

あるいは幽霊だから浮けるとかかな?

その辺りの考察は後回し。地形を無視してこうざんに向かえるなら

確かにバスなんかよりも早く着く。

 

「でも、僕はどうするの?」

 

「それは私が、持ち上げてあげる」

 

「……落とさないでね」 「……うん」

 

 

 

「じゃあ、行くよ」

 

イヅナのその言葉で、心の準備をした。

空を飛ぶなんて初めて、こ、怖くないかな。

背中にイヅナの手が触れて、いよいよかと思ったそのとき、

世界が下に動いた。

 

のではなく、僕が上を向いただけだった。

何事かと思っていると、膝の裏にもイヅナの腕が触れる感覚がした。

これってもしかして……

 

「お、お姫様抱っこ……!?」

 

ああ、なんてことだ。

普通は逆であるはずなのだが。

 

「イヅナ、なんで!?」

 

「こっちの方が落としにくいから」

 

「そ、そっか……」

 

そう即答されてしまうと反論もできず、

はたまたここで体勢を変えるわけにもいかず、

そのまま空中を進んでいくより他ならなかった。

 

まあ、地面が見えないのと、背中を支えられているってことで、

あんまり怖くはなかったけど。

 

 

 

 

しばらく飛んで、視界の中に山頂が現れ始めたころ、

イヅナは少しずつ降下していき、

ジャングルにあるロープウェイ乗り場に降り立った。

 

イヅナが地面に降りた後、ようやくお姫様抱っこから解放された。

 

 

「イヅナ、なんでここに降りたの?」

 

「ロープウェイを使うからだよ」

 

イヅナが指さす先には、ペダルを足で漕いで進む仕組みの

ロープウェイがあった。

 

「飛んで行っちゃダメなの?」

 

「ダメだよ、ここにロープウェイは一つしかないから、

 帰る時に見送りをされて、その時山頂にロープウェイが無かったら、

 『どうやって登ってきたんだろう?』って思われちゃうじゃん」

 

「……なるほど」

 

「というわけで、漕ぐよ!」

 

 

じゃんけんをして、登りは僕が漕ぐことになった。

 

「これ、地味にきついね……」

 

これを漕いでいると昨日の『ばすてき』を思い出す。

こっちは一人だけで漕ぐように作られているけど。

 

 

 

 

「はあ、はあ……」

 

「とうちゃーく!」

 

登りは何もせず呑気に鼻歌を歌っていたイヅナ。

そりゃ元気にジャンプする体力も残っているだろう。

 

「は、早く休みたい……」

 

九割ほど棒になっている足を引きずって、やっとの思いで

ジャパリカフェにたどりついた。

 

 

ドアを開けると、カランカランと音が鳴り、

おしゃれなレンガ造りの内装が目に入ってきた。

 

「わぁ、いらっしゃぁい! ようこそジャパリカフェへ!

 どうぞどうぞ、ゆっくりしてってぇ!」

 

入ると、白い毛のモフモフのフレンズがいた。

多分このカフェのオーナー、といったところだろう。

 

「じゃあ、お言葉に甘えて……」

 

椅子に座ってテーブルに腕を伸ばして伏せた。

 

「そうだぁ、何飲む?」

 

「何があるんですか?」

 

「いろいろあるよぉ、紅茶に……最近はコーヒー……?ってのも

 教えてもらったんだぁ」

 

「じゃあ、アップルティーってあります?」

 

「アップルティー……りんごのだねぇ、今淹れるからちょっとまっててねぇ、

 そうだ、そこの……」

 

「あ、イヅナっていいます」

 

「そうなの、よろしくねぇ、イヅナちゃんは何にする?」

 

「じゃ、じゃあ私も、アップルティーで」

 

「分かったよぉ、じゃあ少しまっててねぇ」

 

そう言うとモフモフのフレンズは紅茶を淹れ始めた。

……ってあれ、名前を聞いていなかった。

 

「僕はコカムイっていいます、その……あなたは?」

 

「ありゃ、あいさつが遅れちゃったね、わたしはアルパカだよぉ、

 よろしくねぇ」

 

「よろしくお願いします」

 

アルパカ、か。

すぐにアップルティーは入ったようで、お盆に

カップを二つ乗せて持ってきてくれた。

 

「はい、どうぞ!」

 

「ありがとうございます」

 

「そんなにかしこまらなくてもいいんだよぉ、ゆっくりしてってねぇ」

 

「いただきまーす!」

 

紅茶をいただいた。りんごの香りが程よく鼻腔をくすぐる。

味もとてもいい。いいカフェなのに客が少ないのは、やっぱり立地のせいかな。

あるいは……そうだ、今はまだ朝だ。

 

 

 

おいしい紅茶と十分な休憩を取ったおかげで、

ようやくまともに活動できるようになった。

 

「僕たち、この電池を充電しに来たんです」

と言ってジャパリバスの電池を見せた。

 

「ああ、それなら上だよぉ、ついてきてね、ぇ」

 

アルパカさんについていき、屋上の充電装置に電池をセットした。

 

「でも、少し前にハカセたちが来たばっかりな気がするけどねぇ」

 

「切れる前に前もって充電しろって、赤ボスに言われちゃって」

 

 

 

やっぱり充電には一時間かかるみたいだから、

それまでカフェの中でゆったりさせてもらうことになった。

 

「アルパカさんは、いつからここに?」

 

「んん……いつだったかなぁ~、あんまり覚えてないんだぁ」

 

「そうなんですか」

 

時間の流れにルーズ、気にしていないみたい。

一日一日しっかり日記をつけている僕の方が神経質に思えてきた。

やっぱりそういうところを細かく気にするのはヒトぐらいかもしれない。

 

「いやぁ~最近はお客さんがちょっとずつ来るようになってうれしいなぁ」

 

「最近は、ってことは前は少なかったんですね」

 

「そうなんだよねぇ、なんせつい最近初めてのお客さんが来たんだもの」

 

「え……!? その初めてのお客さんっていうのは……」

 

「かばんちゃんと、トキと、サーバルだよぉ、その三人が来てから

 ぼちぼちお客さんが来るようになったんだぁ」

 

「……今日はまだトキさんは来てないんですね」

 

「まだ早いからねぇ、こんな早いのは私も初めてだよぉ」

 

やっぱり赤ボス、いくら何でも起こすの早すぎだよ。

なんだか今になってだんだん眠くなってきた。

 

「寝ても、大丈夫ですか?」

 

「だいじょうぶだよぉ、ゆっくりおやすみ」

 

「充電終わったら、起こしてあげるね」

 

「よろしく、イヅナ……」

 

そして机に突っ伏したまま、眠りに落ちてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「コカムイさん、コカムイさん!」

 

体を起こすと、イヅナがこっちを覗き込んでいる。

 

「……あー、終わったー?」

 

「うん、もう終わったよ」

 

「そっかー、じゃあ帰ろっか―」

 

「……大丈夫? まだ眠そうだけど」

 

「大丈夫、電池はー?」

 

「あ……はい、どうぞ」

 

イヅナから電池を受け取った。

 

「よし、アルパカさん、お世話になりましたー」

 

「また来てねぇ、まってるよぉ!」

 

「また来ます!」

 

目元をこすりながら、ジャパリカフェを後にした。

 

外に出ると、日はそれなりに昇っていた。

芝生が生えている方を見ると、来た時には暗くて見えなかった

模様のようなものが芝生に浮かび上がって見えていた。

 

「あれ、草が所々……」

 

何か描かれているのかな、と考えられるけど、広く描かれてるから

どんな絵なのかさっぱり見当がつかない。

 

「ちょっと飛んでみたら見えるかもだよ!」

 

「……下が見えるように飛んでね」

 

「任せて! ……ほら、こっち」

 

手招きされたので、イヅナの方に向かった。

イヅナは僕の腰のあたりに手を回して飛び上がった。

 

「これって、コーヒーカップだね」

 

地面の芝生は、コーヒーカップの絵が見えるように刈り取られていた。

 

「私にも見せて!」

とイヅナは顔を僕の左肩に乗せた。

そうすると僕の背中にイヅナの体がぴったりとくっつくのだ。

 

「い、イヅナ、そ、そんなに……」

 

「えー、どうしたのー?」

 

横目に見えるイヅナの顔はにやついていた。

悪い狐だ。

 

「も、もう十分だから降りよう?」

 

「……はーい」

 

 

 

 

 

 

「……コカムイさん」

 

 

地面に降りて、ロープウェイに向かおうとしたとき、

後ろから呼び止められた。

 

「あれ、忘れ物でもした?」

と軽く茶化してはみたけれど、イヅナの表情は真剣そのもの。

何か悪いことでもしたかな、と起きてから今までやったことが

次から次へと脳裏に浮かんでは消えた。

 

「ねえ、コカムイさんは、外に帰りたいって思う?

 もし、何も思い出せなくても」

 

「と、突然どうしたの?」

 

「…………聞かせてほしいな」

 

イヅナの表情はよく見ると、真剣そのものだけどその中に

悲しみのような、恐れのようなものが見て取れた。

 

「……まだ、分かんないけど、もし誰かが待ってるなら、

 帰らなきゃいけないと思う……かな」

 

「……だよね!」

 

そう答えたイヅナは明るい声を出していたけれど、

イヅナから放たれる雰囲気は、暗いままだ。

 

「その、ロッジにか……戻ろっか」

 

なんとなく、『帰ろう』とは言えなかった。

 

 

その後ロッジに戻るまで、一言も言葉を交わすことはなかった。

 

 

 

ロッジには、アライさんとフェネックが訪れていた。

 

「フェネック、久しぶり」

 

「久しぶりだねー、コカムイさん」

 

僕に挨拶をしてから、イヅナを一瞥した。

イヅナはフェネックを意にも介していないようだ。

 

「ちょうどいいところに来たのだ! 『パーティー』のお誘いなのだ!」

 

「パーティー?」

 

「遊園地の方で、フレンズさんが集まってるみたいです。

 この前の大きいセルリアンを倒したお祝いと、

 新しいフレンズさんの歓迎、みたいな感じらしいですよ」

 

「ちょうどいいっていうのは、バスの電池のことかな」

 

「その通りなのだ、さあ、早く行くのだ!」

 

「行こう、かばんちゃん!」

 

ロッジにいたのは四人だけだったらしく、

ぞろぞろとバスに乗り込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みんなパーティのお話で盛り上がっている。

だけど、私の頭の中には、さっきのノリくんの言葉しかなかった。

 

 

…………ああ、やっぱり、ノリくんは外に帰ろうとするかもしれない。

だってノリくんはとっても優しいから、

自分が覚えてなくても、誰かが待ってるかもって思ってる。

だから、ちゃんと対策しておいてよかった。

 

……ノリくんを待っている人なんて、ここ以外のどこにもいない。

でも、ノリくんは知らないんだよね。

 

だから、教えてあげなきゃ、理解らせてあげなきゃ。

 

「さあ、僕たちも……ってどうしたの、楽しそうだけど」

 

ああ、想像してみると顔が綻ぶ、触れる尻尾が止まらない。

 

「いいこと、思いついちゃった」

 

「いいこと? 僕にも教えてよ」

 

まずは、『あれ』からだね。

 

「ふふ、ナイショ」

 

 

 

絶対に、離さないんだから。

 

 



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2-24 双尾の狐の化けの皮

「わぁ、賑やかだね!」

 

遊園地に着くと、数十、いや百人を越えるかもしれないフレンズたちが

ワイワイガヤガヤ楽しんでいた。

 

その中の一人がかばんが来たことに気づくと、

今日の主役の一人とお話ししようと次から次へとやってきて、

サーバルと共にフレンズの人ごみの中へと消えていってしまった。

 

 

「かばんの到着よ! さあみんな、盛り上がっていきましょう!」

 

ステージに立ったフレンズの一人が声を上げると、

その近くにいた観客が沸き上がった。

 

「赤ボス、あの子は誰?」

 

「アイドルユニットPPPノメンバー、ロイヤルペンギンコト”プリンセス”ダヨ」

 

ああ、あの子が例のPPPってアイドルなんだ。

 

更にバックヤードから他のメンバーも出てきて会場のテンションはさらに急上昇。

……僕はあんまりこういったことは好きじゃないかな。

うるさくて、少し蒸し暑い。

 

「イヅナはどうする……って、あれ」

 

イヅナに声を掛けたけど、いない。

 

「どこ行ったんだろ……」

 

360度見回してみて、目を凝らして見て……いた。

……って、嘘だろ。

 

「……ステージのすぐ前じゃん」

 

イヅナは最前列でPPPのライブを聞いている。

いつの間にそんなところへ。

流石にこの人数の間をかき分け進んでいくのは難しいし、

ライブを楽しんでるみんなにも悪いよね。

 

ひとまずイヅナはほっといて、静かにお祭りを楽しむことにしよう。

 

 

そこら辺のベンチに座って、さあ何をしよう。

 

「せっかくだし、PPPについて調べてみよっか」

 

そして取り出すのはジャパリパーク全図。

『ジャパリパークで便利なものランキング(コカムイ調べ)』で

堂々の2位を飾る、非常にオススメできる本だ。

ちなみに1位は言うまでもなくサンドスターである。

 

「PPPは確か……」 「みずべちほーニ生息シテイルヨ」

 

「そうそう、ありがとね赤ボス」

 

みずべちほーのページを開いて読む。

上から下までじっくりと、何回も繰り返して。

なぜこんなに念入りに読んでいるかというと、ページの中に

PPPについて書かれている項目が一切ないからである。

 

「あれ、なんで?」

 

フレンズ索引を見てみればメンバーのフレンズとしての情報は載っているし、

小話のような感じで前代のPIPのことも書いてある。

だけど、今ライブをやってる5人のことはない。

 

「この本が出たのは……この年だけど、今から何年前か分からない」

なんせ忘れてるからね。

 

「大体、2年ホド前ダヨ」

 

「……赤ボス、さすが」

 

で、2年前のガイドに一切載ってないってことはそれ以降に今のPPPが結成された

って考えてもいいのかな。

ま、書いてないなら仕方ないか。

 

 

 

「一人でいるのもなんだし、誰かとお喋りしようかなぁ……」

 

誰かいないかな、と見てみたら、コーヒーカップの辺りにオオカミさんがいる。

何か紙みたいなものを立ててフレンズに向けて話しているようだ。

 

「オオカミさん、何してるんですか」

 

「ん? ……ああ、コカムイか。見ての通り、漫画の読み聞かせだよ」

 

「読み聞かせ……?」

 

「わたしは、読み書きはそれなりにできるけど、読めない子は分からないからね、

 だから読み聞かせもするし、絵だけで話が分かるように工夫してるんだ」

 

「……本当だ、よく考えてるんですね」

 

絵を見るだけで大体の状況がわかるし、キャラのセリフも想像しやすい。

何日もロッジにいたり泊まったりしていたのに、今初めてこれを知ったことが

情けなく思える。

まあ、ゴタゴタしてたから……

 

その後、それまでそこで聞いていたフレンズと一緒に聞かせてもらった。

面白かったし恐ろしかった。オオカミさんはとても語りが上手、いっそ

絵本作家になって読み聞かせ専門になった方がいいんじゃないかと思うくらいだ。

 

冗談交じりにそう言ってみると、

「わたしは漫画が好きなんだ、博士に初めて見せてもらった本が漫画でとても

 面白くてね、それ以来夢中になっちゃったんだ」とオオカミさんは言った。

 

「そうなんだ……」

 

僕の頭にはあのとき博士に無理やり読まされた可愛い絵本が浮かんできたけど、

博士もちゃんと本を選ぶことができるんだね。

 

「そこで、だ」

とオオカミさんが話題を変えた。

 

「わたしはもっと多くのジャンルに挑戦する必要があると思う」

 

「今はホラーとミステリーのミックス、みたいな感じだね」

 

「うん、でも少し毛色を変えてみたいと思うんだよ」

 

「じゃあ、少し赤めにするのはどうでしょうかね?」

 

「そっちの毛色じゃなくってね……」 「あはは、冗談ですよ」

 

「……で、今までとは全く違うものを描いてみたい」

 

「違うもの……ですか」

 

ホラーとかミステリーの真逆、と考えると、

ほのぼのしたコメディとかギャグテイストなものになるだろう。

 

「それにせっかくだからキミを主人公のモチーフにしてみたい」

 

「僕、ですか?」

 

別に構わないけど、あまりにかけ離れた描写をされて

おかしなイメージがついたりしないか心配だ。

まあそこは、オオカミさんが何とか配慮してくれるだろう。

 

「どんなジャンルにするんですか」

 

「うむ、そこが悩みどころなんだけど、キミは男の子だ」

 

「まあ、そうですけど……?」

 

「キミをモチーフにするならこの島の物語にしたいんだ、

 そしてフレンズはみんな女の子だ」

 

「……そうですね」

 

目の前に例外がいるということは黙っておくとして、

少し嫌な予感がするね。

 

「だとしたら、わたしが描くべきものはずばり『ラブストーリー』だ!」

 

予感は間髪入れずにその通りになった。

ギャグマンガとかに出されておかしな扱いを受けるよりは

マシだろう。多分主人公のはずだし。

 

「そうですか、頑張ってくださいね!」

 

「待て」

 

立ち去ろうとするとオオカミさんに制止された。

 

「な、なんでしょう……」

 

「やはり今までキミから聞いた話だけでは、描ききれない部分もある。

 だから、もっと聞かせてほしい、特に恋の話を!」

 

「そ、そんなこと言われても、そういう話は……」

……あったっけ? 何かそれっぽいことは……ない。

 

「いいや、キミが気づいていないだけかもしれない。

 聞かせてくれ、わたしが判断する!」

 

「ええ……!?」

 

その後数十分間、いつもよりも激しく詳しく1から10まで

念入りに問い質され、終わるころにはへとへとになっていた。

 

 

 

「はぁ、はぁ……熱が入るととんでもないな……」

 

気が付けばPPPのライブも終わり、フレンズたちも思い思いの相手と

おしゃべりをしたり、はしゃぎまわったり、遊具で遊んだりしている。

 

「イヅナは、どこに行ったのかな?」

 

集まっているフレンズたちをそれぞれ回って声掛けしてみたけどイヅナの姿はない。

 

「少し離れた場所で休んでたりして……」

と思い遊園地の外側の辺りをぐるっと回って探した。

すると、森の中に入っていくイヅナが遠くに見えた。

 

「あっちの方向は、港、だったかな」

 

何をしに行くんだろう、一応見に行こう。

ただいなくなったら心配されるかもしれない。

 

「赤ボス、かばんちゃんに僕はイヅナを追いかけて港の方に行ったから、何か

 用があるならその辺りに来てって伝えてくれる?」

 

「ワカッタ」

 

赤ボスはぴょこぴょこと跳ねながらかばんちゃんを探して離れていった。

 

「さあ、見失わないように追いかけないと」

 

そう思って振り返り走り出そうとしたそのとき、背後にいた何かにぶつかって

しりもちをついてしまった。

 

「い、いてて……」

 

「ごめんなさい、踊ってたらぶつかっちゃったわ」

 

「いえ、大丈夫です、じゃあちょっと急いでるんで」

 

僕は急いでイヅナを追いかけた。

 

 

 

「……あら、これは?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

PPPのライブも終わり、アライさんやフェネックさんとのお話も終わって、

気づけばもう夕方。

たくさんいたフレンズさんたちも少しずつ自分のいたちほーへと帰っていく。

 

「サーバルちゃん、そろそろボクたちも帰ろうか」

 

「うん……でもまずはコカムイくんを探さないと」

 

「そうだね、コカムイさんはイヅナさんと一緒かな?」

 

「必要なら我々がひとっ飛びして見つけてきてやるのですよ」

「ええ、ちょいちょいと連れてきてやるのです」

 

博士と助手が振り向いて飛び立とうとすると、

赤いラッキーさんがやってきた。

 

「これは、コカムイと一緒にいたラッキービーストですね」

「なにかあったのですか?」

 

そう問いかける博士たちの言葉には反応しない。

横を通り過ぎてボクのところまでやってきた。

 

「ノリアキカラ伝言ヲ預カッテイルヨ」

 

「コカムイさんから……?」

 

わざわざボクに話しかけるということは、多分危ないことに

巻き込まれているわけではない、と思う。

危険に巻き込まれていたら博士たちに対しても返事ができるはずだ。

それに、そのときは多分通信で連絡してくれると思う。

 

「『イヅナを追いかけて港の方に行ったから、何か用があったらその辺りに来て』」

とコカムイさんの声が赤いラッキーさんから流れた。

 

「港、ですね」 「では我々が」

 

「はい、お願いします」

 

 

「少しよろしいかしら?」

 

声のする方を向くと、ジャングルであったインドゾウさんがいた。

 

「あ、インドゾウさん! どうかしました?」

 

「さっき男の子にぶつかっちゃって、そのときその子がこれを落としたの」

 

インドゾウさんは手帳を手渡してきた。

 

「これ、コカムイさんの……でもどうして?」

 

「気づいた時には遠くに行っちゃってて……しょうがないから、その子と一緒にい

 たそのボスについてきたの」

 

「じゃあ、ボクが渡しておきます、ありがとうございます」

 

「いいの、ぶつかった私が悪いんだから、じゃあよろしくね」

 

「はい」

 

そして、インドゾウさんは行ってしまった。

 

「コカムイの手帳ですか」

「何が書いてあるか気になるのです」

 

「え、迎えに行かないんですか」

 

「これを見てからでも遅くないのです」

「さあ、早く開くのです」

 

2人に促されて、手帳を開いた。

コカムイさんは日記を書いていたみたいで、1ページに1日分、

毎日書いていた。

 

「日記ですか」「それほど気にするものではないですね」

 

「いえ、待ってください、8日目のところ、

『詳しくは後ろにメモした』ってあります」

 

「メモ?」

 

「イヅナさんについて調べたことが書いてあるみたいです」

 

「イヅナについて……!? よこすのです」

 

イヅナさんの名前を聞くと博士は目の色を変えて僕から手帳をひったくった。

慌ててページをめくり、メモが書いてあると思われる部分を十数秒凝視して言った。

 

「かばん、何と書いてあるか教えるのです」

 

博士には読めない漢字があったみたい。

 

手帳を受け取り、メモの内容に目を通した。

 

「これ、よく調べてありますね……ん?」

 

『イヅナ』について調べたことをまとめていたものだったけど、

その中でも一段とボクの目を引くものがあった。

 

「狐火……?」

 

メモによると、『青色の人魂のような炎』と書いてあった。

青色の炎……どこかで聞いたような気がする。

 

「博士、この狐火って言う青い炎が気になる……」

 

「あ、青い炎!?」

 

「っ、知ってるんですか?」

 

「知ってるも何も、お前たちが平原に行った前夜、様子の違うコカムイが

 我々を脅かすために…………まさか」

 

「狐、とついていますし、イヅナさんが使える可能性もありますね」

 

「他の項目には?」

 

「ええと、『飯綱』ってところには憑き物の一種とか……」

 

「憑き物、つまり人にとり憑くということなのです」

「すると博士、あの時のコカムイは」

 

「ええ、イヅナがとり憑いていた可能性が高いのです」

 

「……そんな、どうすれば」

 

「とりあえず二人を迎えに行くのです、イヅナには後でゆっくり話を聞くことにしま

 しょう、かばん、お前も一応ついてくるのです」

 

「……はい」

 

 

ボクは博士に運んでもらって、助手は赤ラッキーさんを抱えて、

ボクと博士と助手でコカムイさんがいるであろう港に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この辺り……でしょうか」

 

かばんが降り立ったのはあの船がある茂みの近くだった。

そして、船のすぐ近くに、イヅナはいた。

 

「イヅナさん?」

 

かばんが声を掛けると、驚いたように振り向いた。

 

「え、かばんちゃん? は、博士たちも、どうしたの?」

 

「そろそろロッジに戻るから迎えに来たんです、コカムイさんはどこに?」

 

「わ、わかんない……」

 

「ふむ、コカムイはお前を追いかける、と赤いラッキービーストに伝言を

 残していましたが……」

 

「わ、私、会ってないよ」

 

先ほどのメモを見てしまった3人には疑いの気持ちがあった。

だが周りを見てもコカムイの姿はなく、コカムイはイヅナを見失ってしまったと

考えるのが妥当といったところだろう。

 

「あれ、イヅナさん、それ……どうしたんですか?」

 

「……え?」

 

しかし、かばんの目は『あるもの』に釘付けになっていた。

 

「なんで、尻尾が()()あるんですか?」

 

「え、尻尾……?」

 

イヅナは、その質問の意味を理解できなかっただろう。

そうだ、2本で何がおかしい。

かつて火山でフレンズとして目覚めたときも、その尻尾は2本だったではないか。

 

「そ、それが何か……?」

 

「だってイヅナさん、最初にアライさんが連れてきた時からずっと……」

 

かばんが言葉を紡いでいくと、博士と助手もその違和感に気づく。

 

「ずっと、尻尾は1本だったじゃないですか、

 キタキツネさんやギンギツネさんと同じように」

 

「……あ…ぁ……」

 

彼女はようやくその異変に気付いたようで、息が漏れるような声を発している。

普段彼女から見えにくい場所にあることで、本人も気づかなかったのだろう。

 

「あーあ……」

 

観念したように声を上げると、彼女の周りに虹色の輝きが漏れ出した。

かばんたちの視界が一瞬光に閉ざされ、視界が開けるころには気を失ったコカムイが地面に横たわり、彼女の尻尾も()()()()()()1本に戻っていた。

 

「あ、コカムイさん!」

 

かばんは彼に歩み寄ろうとしたが、イヅナがかばんに近づいたため、

かばんは足を止めた。

 

「イヅナ、やはりお前がコカムイにとり憑いて……」

 

「かばんちゃん、手帳を届けに来てくれたんだよね」

 

イヅナは博士の言葉を遮り、かばんが手に持っていたコカムイの手帳を奪い取るようにかばんの手から引き抜いた。

 

「あっ……」

 

「私がノリくんに渡しておくね」

 

そう言ってイヅナは手帳を開き、何かを書き始めた。

 

『13日目

 

 今日は赤ボスに叩き起こされてこうざんに充電に行った。

 イヅナが空を飛べるなんて驚いた。

 アルパカさんが出したアップルティーはおいしかった。

 午後は遊園地でお祭り。とても賑やか。

 オオカミさんの読み聞かせを聞いたり久々に質問攻めにあって

 ちょっぴり疲れた。

 

 初めて出会ったフレンズ

 アルパカ・スリ』

 

 

「何を書いてるんですか……?」

 

「何って、日記だよ? 今日はノリくん疲れちゃって起きないだろうから、

 私が代わりに書いてあげようと思って!」

そう言うと日記を書き終えたであろう手帳をコカムイの懐に入れた。

 

「イヅナ、お前には聞きたいことが」

 

「ねえ、かばんちゃん」

 

イヅナはまたもや博士の言葉を遮り話し始めた。

 

「私、ちょっと旅したくなっちゃった」

 

「…………はぇ?」

 

突然の素っ頓狂な言葉に、同じくかばんも素っ頓狂な声を出した。

 

「私、一人でこの島を回ってみたい。 だから、しばらくの間よろしくね」

 

「え、何を……」 「イヅナ、話を聞くのです!」

 

「じゃあ、またね、()()()()()()

 

白い煙――よく忍者とかが出すあれである――が辺り一面を覆い隠す。

風がそれを振り払うと、当然ながらイヅナはいなくなっていた。

横たわるコカムイはそのままに、イヅナだけが雲散霧消してしまった。

 

「……コカムイさんを連れて帰りましょう。 赤ラッキーさんはボクの鞄に

 入れておきます」

 

「……イヅナ、お前は一体、何がしたいのですか……?」

 

博士の問いに答える者は、すでにここにはいなかった。

 



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Chapter 003 『ALIEN』が止まらない
3-25 キツネたんていコカムイ!


「というわけで、これから話し合いを始めるのです」

「……どういう訳で?」

 

 どこかで、いや昨日聞いたやり取りと共に、博士が話し合いの始まりを告げた。

奇しくも僕は昨日と同じようにとんでもない早朝に叩き起こされたこともここに記しておこう。

 おかげで強い眠気に襲われ、今の状況をまともに把握できていない。もっとも、昨日のあの後のことを覚えていないこと、起きたら何故か昨日の分の日記が書かれていて、懐に赤い勾玉が入っていたこととかも相まっての混乱だ。

 普段通りに起きていても戸惑っていたに違いない。

 

「博士、質問」

「さっそくですか……いいでしょう」

 

 なぜか随分と偉そうな博士は放っておいて、質問をしよう。

 

「まず、何について話し合うのか、そしてこの話し合いに参加してるみんなの参加理由を教えてくれるかな」

 

「……わかったのです、しっかり聞くのですよ」

 

博士は説明を始めた。

 

「まず議題、これは昨日のイヅナの行動についてどう対応するか、なのです」

「そういえば、イヅナがいないね、どうしたの?」

「……それについては後で話すのです」

 

続けて、円卓のような形にセットされた机の周りに座っているみんなの、参加理由を博士は教えてくれた。

 

 まず博士と助手、『言うまでもなくこの島の長だから』らしい。

僕は『ある意味被害者だから』だそうだ。何の被害者なのか一向に見当がつかない。

かばんちゃんは『事件現場に居合わせたから』。だからその起きた事件が分からない、と博士に言ったが聞き流されてしまった。

 そして、最も不可解だったのが、フェネックだ。

 

「フェネックは別に居合わせたわけじゃないんでしょ?」

「フェネックは『重要な証言』を持っているのです」

「うん、そうなんだー」

「……そっか」

 

どうせここでは詳しく教えてもらえないだろう、と悟ったからひとまずはそれで納得することにした。

 

「さて、他に質問はないですね?」

博士の問いに声を上げる者はいなかった。

 

「……では、本題に入るのです」と助手が続けた。

「まず、昨日の出来事を振り返るのです」

 

 そしてイヅナが僕にとり憑いていたこと、尻尾の数の変化、どこかに行ってしまったことを初めて聞いた。話し合いの席についていた中で驚いたのは僕だけだったが、少し離れた場所で見守るサーバルとアライさんはびっくりしていた。

 

「”とりつく”って、なんだろう?」

「むむ、きっとすごいことなのだ!」

 

「……で、それがどうかしたの?」

 

 とり憑かれていた張本人が言うのもあれだけど、なにか脅威になることとは思えない。すると博士は呆れたように昨日の出来事の続きを語りだした。

 

「イヅナが逃げた後、一応周りを確かめたのです、すると……」

「すると、何?」

「船が壊されていた、のですよ」

 

 船が……というと博士はイヅナが壊したと判断しているみたいだ。実際にイヅナが壊したとすれば、その目的は島の外に出さないため、と考えるのが最も妥当だ。

 

「イヅナは、何がしたいのかな……」

「それが分からない状態だから、放置しておくのはまずいと考えているのです」

 

 僕にとり憑いてこの島で、いやこの島に()()、何をするつもりか。

この島にやって来て……待てよ、だとすると……

 

「イヅナが、僕の記憶に何かした可能性もあるってことか……」

「それって、コカムイさんの記憶喪失のことですよね」

 

「コカムイ、お前にとっても看過していい話ではないはずです」

「……そうだね、じゃあフェネックの証言とやらを聞きたいな」

 

今ここで話をしている中で、フェネックだけは全く以て手の内が見えない。

 

「わかったー、話は火山が噴火した日まで遡るんだけどねー……」

 

『私はその日の夜途中で起きちゃって、ロッジの近くまで軽く散歩してたんだー。すると火山の方から白い毛のキツネ、今思えばイヅナちゃんだね、彼女が飛んでロッジの入り口前に降りてきたんだ』

 

「とすると、キミは僕たちより早くイヅナの存在に気づいてたんだ」

 

ロッジでの違和感への鋭さ、ゆきやまや図書館での態度はすべて、これを目撃していたからってことか。

フェネックはボクの言葉を肯定しつつ、まだ続きがあると言って再び話し始めた。

 

『初めて見る子だったのと、夜遅くだったから気になって、しばらくロッジの前で出てくるのを待ってたんだ。そのうちイヅナちゃんは出てきた、そしてどこかにまた飛んで行ったんだけど、なんだかロッジに入る前と何かが違う気がしたんだ。話を聞く限りだと、多分尻尾の数が変わってたんだと思うなー』

 

火山の方向から飛んできた、そしてサンドスターの噴火。ここから推測すると、イヅナがフレンズになったのはこの夜のはずだ。この考えを話してみた。

 

「イヅナが初めて姿()を見せたのはその翌日……辻褄も合っていますね」

「ですけど、何か引っかかりますね」

 

 かばんちゃんの言う通り、引っ掛かりがあるのは確かだ。でも、それを説明するのは不可能じゃない。

 

「ただフレンズになるだけなら普通は、サンドスターに当たるだけでいいはず、わざわざ僕をこの島に連れてくる意味はない……でも僕はここにいる」

「ある程度考えはまとまっているようですね」

 

「うん……まず、僕の考えを話すために、もとになる根拠をいくつか話すね」

 

 まず1つ目、僕自身のフレンズ化。日記にも一応書いてあるけど、みんな驚いていた。イヅナと狐火のことで頭から飛んでいたみたいだ。

 2つ目、フェネックの証言にあった、イヅナの尻尾の違い。僕は翌朝ロッジにいたから、尻尾が変化したなら入る時は2本、出ていくときは1本だったはず。つまり、火山の帰り、イヅナは僕にとり憑いていた状態のはずだ。

 3つ目、図書館の資料にあったこと、忘れているかも知れないけど、フレンズになるためには『サンドスターに触れることができる実体』がなければいけない。そしてイヅナは調べた限り恐らく霊体だったはずだ。

 

 この3つの証拠から、真実が導き出せるはずだ。

 

「じゃあ、話すね。ここではイヅナの目的を『フレンズ化』に絞って考えるよ。イヅナがまだ狐の霊だったころ、ジャパリパークを見つけたんだと思う、そしてみんなと同じようにフレンズになりたいと思ったんだよ」

 

 ただの予想だけど、多分当たっていると思う。

 

「でも、イヅナだけではそれはできなかった、イヅナにははっきりした()がなかったんだ。だから、イヅナはフレンズになれなかった」

 

 でも、イヅナは諦めずにフレンズになる方法を探した。

 

「そしてイヅナはヒトにとり憑いて、その姿でサンドスターに当たることにより、フレンズになろうとした。そして、とり憑くヒトに僕を選んだ」

 

 どうして僕が選ばれたのかは分からない。気まぐれか、あるいはまだ隠された意図があるのか。

 

「この島にやってきてから、イヅナがとり憑いて博士たちに脅かしを掛けたこともあったよね、もしかしたらそれは、僕がずっと図書館にいると不都合だから、変化を起こそうとしたのかもしれない」

 

 このあたりは全く証拠のない妄想に過ぎないけどね。

 

「ついに火山が噴火した日、イヅナは僕の体に入り込んで飛び出したサンドスターに触れて、フレンズになった。同時に、僕もフレンズ化してしまったんだ」

 

 これで、僕が突然フレンズになった理由も説明できる。

 

「ロッジに帰ってきたイヅナは、僕と分かれて僕をベッドに寝かせてロッジを立ち去った、その出入りをフェネックに見られた、そして翌朝アライさんと出会って『イヅナ』としてロッジに戻ってきた」

 

「これが、今の僕の考え……かな」

 

 僕の話を聞いて、みんな考えている。どこか間違いがあるなら言ってくれるとうれしいな。

 

「あの、質問いいですか」

「何、かばんちゃん?」

 

「あの、もしとり憑くならボクでも良かったんじゃないかなって」

「ああ、それは……かばんちゃんがフレンズだからダメだった、と思う」

「え、ボクがフレンズって、遊園地での話聞いてたんですか?」

「えっ、ま、まあね」

 

 本当はサバンナで赤ボスに聞いたことだ、それはさておき……

 

「実際はイヅナがフレンズ化して僕も一緒に、じゃなくて、()()()()()()()することで、()()()()()()()イヅナの魂もフレンズになった、ってことだと思う」

 

「つまり、フレンズはそれ以上フレンズ化しないから、イヅナさんはただのヒトであるコカムイさんに……ってことですね」

「それならば、ヒト以外のフレンズにとり憑かなかった理由も説明できますね」

「そうですね助手」

 

 

 ということで、とりあえずイヅナとフレンズ化についての結論を出すことができた。あとは、これからどうするか……てとこだけど、

 

「ひっ捕らえて本人の口から話を聞くべきなのです」

「その通りなのです」

 

 博士たちからこんな過激な意見が出てくる……それほど過激でもないか?それはさておき、なかなか思い切った判断だ。

 

「ボクは、イヅナさんが戻るまで待ってもいいと思います」

「かばんはイヅナに友好的に接してもらったからそういうことが言えるのです」

 

「……もしかして狐火で脅かされたこと根に持ってるの?」

 

「そんなわけないのです、我々は寛大なので」

「ええ、我々は寛大なので」

「どうだか……」 

「私は、博士に賛成だけどなー」

「……フェネックも?」

 

「もしイヅナちゃんの目的が達成なら、島から出てっちゃうかもしれないよ?」

 

 確かにイヅナの目的を『フレンズ化』だけと考えればそれでもいい。ジャパリパークはこの島だけじゃないから、別のとこまで飛んでってもいいわけだ。

 

「……でも、イヅナは船を壊した。 恐らく僕を島の外に出さないために……なら、まだここでやりたいこととかも残っているかもしれないよ」

「それも、判断はしづらいですよね」

「だから、イヅナちゃん本人に聞くのが早いと思うなー」

 

「…………」

 

 話し合いは恐らく煮詰まってきたころだ。そろそろイヅナについてどうするか一応の結論を出す時が来たのだろう。

 

 

「……僕は、手荒な真似は反対だ、話してくれるときは多分そう遠くないと思うし、イヅナは、悪いことをしようとは思ってない、そう感じるんだ」

 

「……お前がそう言うなら、分かったのです、お前が今回の一番の被害者といえる人物です、決定権はお前にあるのでしょう」

 

「……博士」

 

「さて、我々はセルリアンハンターにお前たちが見た『紫の新種』を警戒するよう言いに行くのです」

「我々も忙しいのです」

 

「お前も色々あって疲れたでしょう、しばらくここでゆっくりするといいのです」

「新しい発見があったら、我々がここに来るですよ」

 

「じゃあ、そうさせてもらうよ、二日連続で早起きさせられて、眠くてたまらないからね」

 

 博士たちはロッジを去ってしまった。その後に、フェネックが話しかけてきた。

 

「イヅナちゃんのこと、悪い子じゃないって思うんだ、どうして?」

 

「まあ、何となくだけど……」

 

 ジャングルでいろんなフレンズと仲良くしてたり、遊園地ではしゃぎまわったり自分の記憶があることがポロっとばれてしまうような失言をしたり……

 記憶のこととか、まだ彼女が何をしたのか一向に分からないことも多い。

 

 

だけど、「なんか、悪いことできなさそうだな、って思ってね」

 

 

 それでも、こうざんで『外に帰りたいの?』と僕に聞いた時の顔、悲しみと恐怖が浮かび上がっていた顔が、脳裏にこびりついて不安を誘うのだった。

 

 



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3-26 れんあいたんてい!?

 例の話し合いの後二日くらいは、僕はロッジでかばんちゃんとかオオカミさんとかと他愛のない話をしたり、外を散歩したりしてのんびりと過ごしていた。

 そしてそのまた翌日、日記に記すなら『17日目』と書かれるであろう今日、オオカミさんにマンガの大まかな設定が組みあがったから意見を聞きたいと言われ、今僕は緑のジャパリまんを食べながら話を聞いているのだ。

 

「設定……ですか、結構早く決まりましたね」

「まだぼんやりとしているけどね。でもやる気が出ちゃってね、寝ても覚めてもアイデアが止まらないんだ!」

 

ラブストーリーという路線はオオカミさんにとって非常に魅力的だったようで、生き生きとしているのが嫌というほど伝わってくる。

 

 

「それはいいことですが、ホラー探偵の方は?」

「そっちは遊園地の祭りで読んだ分で一段落、しばらくこっちに本腰を入れるつもりさ」

「そうですか、それでタイトルは決まりました?」

 

「ああ、自信があるよ、聞いてくれ、『恋愛探偵ジロジロ』!!」

 

 その口上だと歌いだすみたいだよ……というのは冗談で、なんだそのタイトル、冗談だろ? と言ってやりたい気持ちだ。

 

「恋愛探偵はまあいいとして、ジロジロって何ですか」

「ホラー探偵ギロギロに寄せてみたんだ」

 

「まあ、そうでしょうけどね……探偵は続けるんですね」

「ちょっとは慣れたものがあると描きやすい、それにキリンに『探偵はなくさないでください!』と頼まれてしまったからね」

 

読者の要望に応えすぎる作者というのも考え物だけどね……

 

「あれ、そういえば読み聞かせになるんですよね、大丈夫ですか?」

「問題ない、情熱的に読み上げてみせるよ」

「いや、そういう話じゃなくて……」

 

 声に出して読むには恥ずかしいセリフがそのうちわんさかとあふれ出してくると思うんだけど、気にしないのかな。

 

「……はっ、そうか!」

 

 ……もしかして気づいた?

 

「そうだ、私一人では臨場感に欠ける、二人以上いた方が掛け合いが……」

 オオカミさんのあふれ出る想像力は彼女を自分の世界へと連れ去り、その後数分トランス状態で放たれる独り言を僕はジャパリまん片手に聞いていた。

 

「……ハッ!」

 

 ようやく正気に戻ったか。まあそれはさておき、詳しい設定について聞きたい。もうタイトルはこれくらいインパクトがある方がいい、どうにでもなるといいさ、と考えてしまおう。

 

 

「で、主人公の設定は……?」

 

「文字通り探偵さ、恋を応援する……ね、呼ばれなくてもやってくる、気が付けば陰からこっちを見ている神出鬼没の探偵……」

 

「……迷惑ですね」

「……えっ?」

 

 そんな困った顔でこっちを見ないでほしい。呼ばれなくてもってとんだお節介だし、気が付けばこっちを見てるって不審者やストーカーの類じゃないか。しかもそれが他人の恋のためって……たちが悪いとしか言いようがない。

 

 タイトルは不服と言ったが、設定も、と付け加えておこう。いっそギャグマンガの方がいい扱いをしてくれるような気がしてきた。

 

「その主人公のモチーフが、僕なんですか?」

「いや、主人公はオリジナルで、キミは最初の依頼人、というポジションで物語に絡ませようと思う」

「……依頼したんですか?」

「いや、主人公の独断さ」

「でもまあ、最初の依頼で終わるなら……」

「いや、その後も末永く主人公と友情を結ぶキャラにしたいんだ」

 

 分かっていたけどまあそうだよね、頼んでないのにアドバイスされてその後もしばしば事件に巻き込まれる苦労人キャラ……そのうち刺されてそうだね。

 いやむしろ、頼まれてもいないお節介を野次馬根性で行い、見境なく首を突っ込むようなキャラにされなくてまだ救いはあったと思うべきか。

 

「その設定、文句言われません……?」

「大丈夫だ、さっきキリンとアリツカゲラにも聞いてみたが、なかなかいい反応をしてくれたよ」

「……なんて言ってたんです?」

「キリンは『斬新な設定、絶対面白くなりますよ!』、アリツカゲラは『こ、個性的で、初めて見ます……』と言ってくれたよ、悪くないと思うね」

 

 待ってくれオオカミさん、キリンちゃんの方は確かに称賛していると思う。だけどアリツさんの方は間違いなく当たり障りのない言葉で気を遣っているだけだよ。キリンちゃんの方もオオカミさんが描くってことで色眼鏡が入ってるに違いない。キリンちゃん、立派な探偵になりたいならそういった先入観の類は取り払ってしまった方がいいよ。

 

「せ、設定はもういいとして、設定そのままじゃ身も蓋もありませんから、なにかそれっぽいキャッチコピーを考えてみましょう」

 

 疲れてきた。

 

「キャッチコピーか……『あなたの恋、柱の陰から勝手に応援します』」

「却下でお願いします」

 

 柱の影からって……もはやそういう趣味の悪質な人にしか聞こえなくなってしまうよ、ああ、行く末が案じられる。顔から血の気が引いてくるような感覚が出てきた。

 

「ん? 何だかよく分からないけど、いい顔いただき!」

 

 よく分からないのは僕の方だと、声を高らかに言いたい。というか青ざめた顔がいい顔と言える辺り、やっぱりホラー探偵を描いている方がいいような気もするけど……本人がやりたいならそれでいいや。

 

 

「じゃあ、完成楽しみにしてますね、僕はちょっと外の空気を吸ってきます……」

「待て」

「…………」

 

 遊園地でのお祭りを思い出した。

 

「キミは物語の最初の依頼人だ」

「依頼してませんけどね」

「やっぱりそれらしさが欲しい、キミの周りで、できればキミ自身のことで、何かそういう『予感』を感じなかったか?」

「ありませんね」

 

 さっさと切り上げて外に出よう、そういう話は得意じゃないんだ。じゃあなぜ今まで話せてたかっていうと、マンガの話だし、何よりオオカミさんの奇天烈な思考回路に困惑させられていたからだ。

 

「待て、いや待ってくれ、少しでいい!」

「ビーバーさんとプレーリーさんがいい感じでしたね、それじゃあ」

「ちょ、ちょっと、キミは!?」

「…………」

 

 

 

 何故か何も話す気になれず、無視して外に出てきてしまった。でもオオカミさんは結構頭がいい、わざわざ詳しく話さなくても、それっぽく話を作って描き上げてくれるだろう……それに、あんまりそういうことは話したくないよ、だって……

 

 

 

 

 

 …………嫌いだ。

 

 

 

恋の話なんて嫌いだ、色恋沙汰なんて大嫌いだ。

だってそのせいであんなひどい目に遭ったんだ。あんなことが起きてしまったんだ、絶対に忘れられ……る…もん、か…………?

 

 

「……えっ? ……なんで?」

 

 

 そんな目に遭った覚えはない、何かされた覚えなんてない。ここに来てからそんなこと一切起こってない。……だったら?

ここに来る前、島の外の記憶? 思い出せる? 思い出せない。分からない、何があった、僕は逃げてきた? 何から、誰のせいで…………?

 

「うぅ……頭痛い……」

 

 めまい、ぐるぐる、止まらない。

そして、まあ有り体に言えば、僕は気を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……お……コカ…イ……」

 

「………ん……?」

 

 目を覚ますとベッドの上……ではなく気を失う前と同じ場所だった。博士が倒れているのを見つけて起こしてくれたみたい。

 

「全く、疲れているとはいえ、そんな場所で眠るとは行儀が悪いのです」

「あはは、ごめん、何か思い出したような気がして……」

 

しかし、思えば動物はこんな風に地べたに寝っ転がって眠るものも少なくないと思うのだが。ともあれこの時、僕にはそういうことを言う余裕はなかった。

 

「……記憶が戻りかけたのですか?」

「そんな気がするんだけど……」

 

 倒れる前、倒れる前ー……あれ、また忘れちゃった。

 

「んー、気のせいかも」

「……そうですか、まあ気長にやるのです」

「そうするよ、で、何かあったの?」

 

 それを聞くと博士は一層引き締まった顔をして、凛々しくなった。これでもう少し身長と威厳があればだれもが認める博士になれることだろう。

 

「…………」

「は、博士、睨まないで……?」

 

「……ふぅ、ヒグマたちから報告が入ったのです」

「……新種のセルリアンのか」

「彼女たちはそれを探していましたが、別のものを見つけたのです」

「……別のもの?」

 

 

「……ええ、我々も一度見に行きましたが」

 

 と言って博士は一呼吸入れた。おかげで妙な緊張感が漂った。

 

「……な、何があったの?」

 

「秘密の研究所、のような建物だったのです」

 

「……だったら」

 

 そこに、ジャパリパークについての研究資料がある可能性が高い、ならば、

 

「何か面白いこと、もしかしたらイヅナみたいな不思議なフレンズのことも分かるかもしれない」

 

 あわよくば、僕のようにオスの特徴が強く現れたフレンズのことだって。

 

 

 

 

「……今すぐ向かう?」

「……そのつもりで来たのですよ」



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Chapter 003 イヅナの一人旅編
3-27 白い狐の一人旅 前編


 私は逃げた。あの森から。

怖かったから、拒絶が、恐れられることが。でなければ、今こんなに顔を歪ませている理由が説明できない。

なんとかあの3人の前では平静を装えていた……はずだ。

でももうここには、誰も見ている人はいない。

 

「……うぅ……ゃ、やだよ……ノリくん……」

 

 ならば、ここで泣き出したとしても、誰も咎めやしないはず。

ノリくんだって、許してくれるはず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……どれだけストレスを抱えたとしても、寝て覚めれば少しはマシになるというもので、森の中で一夜を過ごした私は、これから何をしようかと思案していた。無意識に、『彼』とお揃いの赤い勾玉の輪郭を指でなぞっていた。

 

「うふふ……」

 

 かばんちゃんには旅に出ると言ったから、本当に旅をするというのも悪くない。1人で行動していたとしても別段気に留めたりはしないと思う。

 

 だったら、どこがいいかな?サバンナ、見る物なさそう、遊園地、フレンズすらいないね、それに博士たちがうろついてるかも。ジャングル……私は蒸し暑いところはあんまり好きになれない。こうざん、カフェしかない。

 

 さばく……暑いところだけど、遺跡は私ももう一度自由に見て回りたいと思っていた所だ、それに、ツチノコちゃんにも意外と興味がある。

決めた、さばくに行ってみよう。

 

 

 

 遊園地近くの森から、空路で約1時間、ゆったりと空の旅を楽しんだ頃に、さばくとジャングルとの境界が見えてくる。サンドスターのおかげってことは知ってるけど、とっても不思議な景色だよね。陸上でも特に湿っているジャングルのすぐ隣に乾いた土地の代名詞ともいえる砂漠があるんだもの。

 

 

 ジャングル上空から砂漠上空に入ると、今までと違ったカラカラとした暑さ、むしろ熱さというべき熱線が空から降り注ぐ。少し前の記憶をたどって、遺跡へとつながるスナネコの家へと入っていった。

 

 

「お邪魔しまーす……」

 

「……ん? だれですか?」

 

入ってきた音に気づいたのかスナネコが起き上がった。

 

「イヅナだよ、起こしちゃった?」

 

「大丈夫ですよ……」

 

長居しても迷惑になるだけだろうし、さっさと失礼して遺跡に行こう。

 

「あ、遺跡に行く通り道だから、またね」

「……もう行ってしまうのですか?」

「……ダメ?」

 

 呼び止められてもうどうしようかと迷っているとスナネコは地面の中からジャパリまんを掘り出して渡してくれた。

 

「せっかくだから、食べてください」

「え、くれるの?」

 

 スナネコはコクコクとうなずいた。

くれるっていうのなら、いただいておこうかな。

 

「イヅナは、ツチノコに会いに行くのですか?」

「うん、そうだよ」

「じゃあ、その、用が終わったら……」

 

とそこまで言って少しソワソワし始めた。

 

「その……ボクとも、お話してくれませんか」

 

「……いいよ!」

 

 

 

「じゃあまたね」

「……はい」

 

 スナネコもやっぱり、なんだかんだ言って仲良くしたいって思ってくれてるんだね。初めて見たときは飽きっぽい子って印象だけだったけど、案外あてにならないものだな。

 

 そして、目的地の遺跡にとうちゃーく!

ツチノコはいるかな? いなくても勝手に観光してるけどね。

 

 重い扉を通って入る。()()()()を外すと怒られるし、はたまた外さないと明かりが点かない。だけど私には狐火がある。前にノリくんたちと一緒に来た時には使えなかったけど、今なら思う存分使える。この遺跡を呑み込むくらいの大きさだってなんのそのだよ!

 

「ツチノコちゃーん、いるー?」

 

 呼びかけてみたけど、遺跡の中に私の声が木霊するだけだった。近くにはいないみたいだから、適当にフラフラ歩き回ってみよう。

 

「この壁、とっても意味深な模様だけど、結局最近の人が作った施設なんだよね……」

 

 そもそもの話、このジャパリパーク自体が少し前の海底噴火でできた島だから、そんな過去の文明なんてありやしない。……ってこんな夢のない話はやめにして、別のところに行ってみよう。

 

「海底噴火か……案外使えるかも」

 一応それだけは頭の片隅にとどめておこうかな。

 

 

 もっと奥まで進んでみると、迷路に入った。

 

「飛んじゃえば一気に進めるけど……」

 流石にそんなことをするほど無粋じゃない。でも迷路の壁、というか仕切りは木製か……焼き払えないことも……だめだめ! 私はそんな危ないことはしないもん!

 

  とはいっても、ただ歩き回ってるだけだとだんだん飽きてきちゃうよね、そろそろツチノコちゃんに会いたいな……どこにいるのかな? 多分そこら辺にいるとは思うんだけど……とりあえず、迷路を抜けてみよう。

 

 

 迷路を抜けたら、長い一本道の奥の方に人の影が見えた。あれがツチノコちゃんかな? と様子をうかがっていたら、その影が角を曲がって見えなくなっちゃった。私はちょっぴり不気味な感じがして、狐火を増やして大きくしてそろりそろりと曲がり角に近づいた。

 

「……い、いるのかな?」

 

 怖がってても始まらないよね、一思いに行ってみよう、そう思って一気に飛び出した。

 

 

「ねえ! きみは……」

「うわァー!? きゅ、急に飛び出すんじゃねぇ!」

「うわわ、ごめんなさい!」

 

 でもツチノコちゃんだってこっちの様子を窺うように隠れてたじゃない!

 

「……まったく、驚かせやがって。……今日は一人なのか?」

「うん、ツチノコちゃんに会いに来たんだ」

「……そうか」

 

 立ち話もなんだから、ってことで出口の辺りまで歩いてそこに座ってゆっくり話をすることにした。

 

「ねえツチノコちゃん、まだここにセルリアンはいるの?」

「さあな」

 

「ねえ、いつからここにいるの?」

「さあな」

 

「ねえ、スナネコちゃんとは仲いいの?」

「……さあな」

 

 もう、なんで生返事しかしてくれないのかな。

 

 

「……真面目に答えてよ」

「そう言われてもな、オレはこういう世間話は苦手なんだ」

「遺跡の話だったら、日が暮れても話していられるのに?」

「そ、それは、あれだ。ここは神秘的だからな」

「……ここ遊園地のアトラクションだよ?」

「うるせえ、ヒトがいなくなっちまえばどこだって遺跡みたいなもんだ!」

 

 

「……だったらこのパークも、『遺跡』って呼べるのかもね」

「なんだ、急にしんみりとしやがって」

「私も、昔は活気があっても時が経つにつれて廃れていってしまった……そんな場所を知ってるから」

 

「それって、この島の外の話か?」

「うん……聞きたい?」

「あ、ああ。外のことは気になるからな」

 

 

「……やっぱり、やめた」

「フン、期待させやがって」

「期待してくれてたんだ」

「……ちょっとだけな」

 

「……ふふ、でもやっぱり、まだ誰にも話しちゃいけない。全部終わらせてからじゃないと」

「……マジの目だな」

「うん、私は本気だよ?」

 

 今はまだまだ足りない、ノリくんが、絶対にこの島から出ないって、そう思うように、もっとたくさんやるべきことが残ってる。

 

「……なあ、一つ聞いていいか?」

「なに?」

 

「さっきから浮かんでるコレ、なんだ? 見たところ、青い炎みたいだけどな」

「ああ、これ。人は『狐火』って、そう呼んでるよ」

「自由に操れるんだな、それに少し暖かい、燃え移るのか?」

「うん、燃え移るよ、フレンズになってからは、出すためにサンドスターを使うようになったみたいだね」

 

「は? お前、フレンズになる前も……」

「ツチノコちゃん、少し知りすぎちゃったね」

 

そう言って少しずつツチノコちゃんににじり寄っていく。

 

「な、なにする気だお前!?」

「あはは、冗談だってば」

「冗談に聞こえなかったぞ……?」

 

 

 

 

 その後しばらく、ツチノコちゃんと遺跡とか、お祭りとかの他愛のない話をして、少なくとも私は盛り上がったと思う。

 

 

 

 

「じゃあ、スナネコちゃんとも約束してるから」

 

「……最後に一ついいか」

 

「いいよ、何が聞きたいの?」

 

「……お前、コカムイのことどう思ってるんだ?」

 

「え、何? もしかして……」

 

 場合によるけど、あるいは色々とやることが増えるかもしれない。

 

「勘違いするな! ……お前があいつの話をするときの目が、他の話をする時と違ってたように見えたんだ」

 

 ああそっか、ツチノコちゃんってやっぱり目ざといね。で、でも、その……はっきりと言っちゃうのは少し、は、恥ずかしい……

 

「の、ノリくんは……だ、大好きっていうか……あわわ……」

 

 や、やっぱり誰かにはっきり言うのはちょっとまだ……

 

「……そう、か」

 

「な、なんで聞いたの?」

 

「……お前、危なっかしく見えるんだよ」

 

「失礼な、私はサーバルちゃんみたいなトラブルメーカーじゃないよ!」

 

「じゃなくて、どんなことでもやりかねないって意味だ」

 

「そんな……ノリくんのためになることしかしないよ!」

 

「……やっぱり危ねえな、まあ、やりすぎるなよ?」

 

「大丈夫、それくらいは考えるよ、じゃあスナネコちゃんのところ行ってくるね」

 

「ああ、またな」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……と、そんなことがあったんだ」

 

「……ツチノコらしいですね」

 

 スナネコちゃんと、今日あったことを話している。もちろんスナネコちゃんに聞かれたらまずいことは隠してあるから、上に記したことすべてを話したわけじゃないよ。

 

そう、私の思いは、まだ隠しておかなきゃ……

 

 

「明日はどうしますか?」

 

「明日かぁ……へいげんに行ってみようかな」

 

 湖畔は行きたくない事情があるからね……

 

 

「ふわぁ~……今日は楽しいことがたくさん聞けて満足です」

 

「私も楽しかったよ、おやすみスナネコちゃん」

 

「おやすみなさい……」

 

 

 ……ノリくんはどうしてるかな?

やっぱり一緒にいたいな、一時じゃなくて、ずっと。

そのために、手を抜いちゃだめ。……そうだよね?



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3-28 白い狐の一人旅 後編

 さばくちほーを後にして、再び空を飛んでいく。嫌な思い出が残る湖の上を通り過ぎて、すぐ近くのへいげんまでやってきた。

 

 穏やかな天気、開けた景色、目に優しい草木……快適で過ごしやすくて、とっても素敵な場所、全部終わったらこの辺りにお家でも作ってゆったりと暮らすのも悪くないかも。

 

 でも今は一応旅の最中、そういうことはまた後で。……さて、ライオンが先かヘラジカが先か、どっちでもいいけど迷っちゃう。

 

 

「そうだ、じゃんけんで、右手が勝ったらヘラジカ、左手が勝ったらライオンのところに先に行こっと!」

 

 最初はグー、じゃんけんポイ! あいこでしょ、あいこでしょ、あいこで……

 

「……決まるわけないじゃん」

 

 何考えてんだろ、サーバルのおっちょこちょいな部分が伝染っちゃったかな?

 

……ハッ!? もしかしてツチノコちゃんが言ってたのってこのこと!?

 

「……そんなわけないか」

 

 近い方から先に行こう、ということで先にライオンのお城にお邪魔させてもらうことにした。

 

 

 

 

「よく来たね~……あ、はじめまして、かな? でもなぜか初めてって気はしないねぇ」

 

 一応初対面、ってことになってるから、軽く自己紹介をした。あとかばんちゃんたちとも面識があると言っておいた。

 

「えへへ、ちょっと一人でいろんなところを回ってみたいなー、って思って」

 

「ほうほう、まあ何もないけどゆっくりしていきなよ」

 

 私と話している間も、ライオンはゴロゴロ寝っ転がってたまに柱で爪とぎをしたり……マイペースな人……というかフレンズだなぁ。

 

「…………」 「…………」

 

 

 あれれ、会話が始まらない。ゆっくりしろって言われたけど、文字通りホントにゆっくりってことなんだ。で、でもせっかく来たんだから、ただ寝っ転がってるだけはもったいないなぁ……

 

「ライオンさんは普段どんな風に過ごしてるんですか?」

 

「ここでゴロゴロしたり~、ヘラジカたちとねー……前にかばんが教えてくれた”玉蹴り”みたいなのをやってたりだね」

 

「玉蹴り、っていうとサッカーみたいなものかな……」

 

「”さっかー”……? へえ、外ではそう呼んでるんだねぇ」

 

 かばんちゃんのひらめきは活きているみたい、とっても賢くて優しくて、尊敬しちゃうな、でも、ちょっとばかし邪魔なんだよね、ヒトの仲間を探すためにこの島の外に出ようとしている点においてだけは。だとしてもかばんちゃんを傷つけるのは忍びないから、なるべく穏便に事を進めないとね。……ってあれ?

 

「そ、外ではって……?」

 

「え、コカムイから外にある玉蹴りに似た遊びのことを聞いてたんだろ?」

 

「あ、ああ、はい、そうです」

 

 あ、危なかったかもしれない。そうだ、私はここで生まれたフレンズ……ってとりあえずここでは通しておかないと、そのうちみんな知ることになるけど、それだって適切なシチュエーションがあるんだ。口を滑らせないようにしないと……

 

 

「ええと、じゃあ、みんなサッカーを楽しんでるんだ」

 

「……そうなんだけど、ヘラジカは『たまには昔からの合戦もやりたい』って言ってるんだよねぇ……最後にやった時のルールなら怪我人は出ないけど、いまいちやる気でないんだよね~」

 

 怪我しないとはいえ、常にピリピリするような合戦に気乗りしないのは共感できる。

 

「そうは言っても、時々わたしが相手すれば満足して帰ってくれるんだけどね」

 

「戦うのが好きなんですね……」

 

「ヘラジカと仲はいいと思うんだけど、戦い好きなところだけはよく分かんないなぁ~……」

 

 怪我しないように配慮してくれてたけど、初対面のノリくんに戦いを仕掛けてくるくらいだったもんね、あの時は私も影ながらちょっぴり手助けしてあげたんだ。

 それにしてもあの夜は災難だったなぁ……ちょっと夜の散歩に出ようと思ったら博士たちに見つかっちゃって、そのまま図書館で寝る訳にもいかなくなって、バスで平原までくる羽目に……全部博士たちのせいだよ全く。

 

 

「……で、イヅナはどう?」

 

「ど、どうって……?」

 

「どうってそりゃ、楽しんでるか、ってこと。キミ、フレンズになって間もないんだろ?」

 

「そうだなあ……まあ、結構楽しんでる……のかなぁ?」

 

 ノリくんやかばんちゃんたちとジャパリパークを巡って、いろんなフレンズに出会って遊んだりおしゃべりしたり……あとは遊園地でばすてきなものにも乗ったし、ノリくんとこうざんまで飛んで行って紅茶をごちそうになったりした。

 って感じのことを話した。

 

「それはよかった、フレンズになって、今までと違う体に変化して人知れずストレスを貯めちゃう子も少なくないからさ」

 

 とっても楽しい。だから、この島に来てよかった。

もう、ひとりぼっちじゃないんだもん。

 

「他にもいろいろありますよ、図書館に行った時、博士たちがノリくんに『料理を作れ』って吹っ掛けて、カレーが完成したはいいけどお米を炊くのを忘れちゃっててそれで……」

 

 まだまだ短い時間だけど、たくさん思い出がある、それに、こうやって誰かに思い出を話すなんて初めて。()()()とはそういう話とか全然できなかったし、ヒトと話したこともなかったから。とっても、楽しい。

 

 

 

 

 

 話し終わると、ライオンがゆっくりとやってきて私のすぐ横に座り、小声でこう言った。

 

「ねえねえ、キミ、コカムイのことどう思ってるの?」

「うぇ!? ど、どうして?」

「いいから、わたしにだけ教えておくれよ」

「う、じゃ、じゃあ……」

 

 こっそりと、ライオンに耳打ちした。

私の言葉を聞いてから、ライオンはずっとニッコニコだ。

 

「そんなに面白いですか……?」

「んー? 面白いっていうか、今までこういうこと全然無かったから、物珍しい気持ちなんだよ」

 

「……なんで分かったんですか?」

「分かるよ、コカムイの話をするときだけ、テンションが違うからさ」

「うぅ……」

「ま、応援してあげるから、頑張りなよ」

「……はい」

 

 

 その日はライオンのお城にお世話になって、次の日にヘラジカが普段過ごしている場所まで向かうことにした。

 

 

「じゃ、また面白い話聞かせてね!」

「あはは、はい、また来ます」

 

 

 

 城を出たら周りの目を気にしつつ、こっそりと飛行開始。遮蔽物とかはないから、見ようと思えば丸見えなんだけど、念のため、ね?

 飛べば下の地形とかは一切合切関係ないもの、10分もしないうちにヘラジカのところまで着いてしまった。

 

 

 

 

 

「やあ、よく来たな! ……ふむ、初めまして、か?」

 

「はい、はじめまして、イヅナです」

 

 ヘラジカ、結構おおらかで仲間思い、優しい、だけど戦い好きで戦闘狂……ってほどじゃないけど戦いを仕掛けてくることがある。ノリくんに突然戦いの申し入れをしてきたくらいだからね。

 

 

「ふむ……」

「……?」

 

 ヘラジカは私の狐耳と尻尾を物珍しそうに観察している。

 

「これ、珍しいですか?」

「……いや、お前から、強い者の気配を感じるのだ」

「……うぇ?」

 

 え、何それ、なんで!?

 

「まるで、あの時のコカムイのような……」

 

 嘘、私が手伝ったことバレてるの? 『強い者の魂』ってアレ適当じゃなかったってことかぁ、さ、流石だなぁ……

 ……と、考えると、次に考えられる言葉は、

 

「わたしと一度、手合わせ願いたい!」

 

 だよね、そうに決まってる。

 

 

 

「あ、これが紙風船でござる」

 

「ありがとう、カメレオンちゃん」

 

 カメレオンちゃんに受け取った紙風船を右腕の手の甲側に付けた。こうするとノリくんと対になってる感じでなんだかワクワクする。

 

 

「……では、行くぞ!」

 

 ヘラジカとの一騎打ち。前とは違ってフレンズの体だから、力、瞬発力、体力全て前よりも高くなって動きやすいはず。もっとも私は霊体だったからそういう身体能力は一切なかったんだけどね。

 

「……はあっ!」

 

 ヘラジカが一気に突進してくる。まともに受けたらひとたまりもない、右にかわした。

 

 左にかわすと紙風船をつけた右腕がヘラジカに近くなってしまう。右に避ければ、左足を軸にして後ろを向いても右腕をかばうように立つことができる。

 

「…………」 「…………」

 

 初撃をかわし、均衡した状態に入る、どちらかが動いた時点で再び大きく戦局が変化するけど、しばらくは膠着するだろう。

 

 さて、どうしよう、狐火を使ってかく乱……アンフェアだね、今は使わない方がいいや。どうやって頭の風船を狙おう?

 

「むむ……」

 

 お互いに向き合いながら一歩一歩右へ右へと動く、そしてお互いの位置が入れ替わった時、ヘラジカが再び攻めてきた。

 

突っ込んでくるのを避けて……え!?

 

「はあぁぁぁ!」

 

 何とヘラジカは突っ込み切る直前にブレーキをかけ急停止して、体を反転させて私の紙風船を貫いた。あまりに突然の出来事、予想外の頭脳プレーに反応できなかった。

 

 

 

 

 

「す、すごい……」

 

「いや、君もなかなか慎重で攻めにくかった、楽しかったよ、ぜひまた戦おう!」

 

「あ、あはは……はい……」

 

「だが、やはりコカムイを彷彿とさせる立ち回りだったな」

 

 ええ……ノリくんとやった時は本当に一瞬と言っても差し支えないほど短かったのに、立ち回りの癖を大体掴んでるってこと? 天才、と呼ぶべきセンスを感じるよ。

 

 戦いが終わったら、ライオンさんの時と同じようにノリくんたちとこの島を反時計回りに回った時のお話をしたり、53回ほども続いた合戦のお話を聞いたりした。

 

「そう、あれは18回目だったか、あれはハシビロコウが私たちの仲間に加わって初めての戦いだった……」

 

「そのときに、一体何が……?」

 

「うむ、それはだな……」

 

中略

 

「そ、それは大変でしたね……」

 

「ああ……ところで、お前たちは図書館から左回りに来たのだろう? なぜここに寄ってくれなかったのだ?」

 

 ええと、ノリくんはヘラジカと戦って体力を使うのを避けたくて……じゃなくてヘラジカを避けて? はさすがにないか、ノリくんに限ってね……とはいえ正直に話して落ち込まれるのもあれだし、それっぽい理由をでっちあげよう。

 

「あの時はちょっと時間が押してて、一度行ったところは通り過ぎよう、ってことになったから……です」

 

「そうか……そうだ、こちらから訪ねるのも悪くはないかもな、よし、今度ロッジ、で良かったか? そこに向かうと伝えておいてくれ」

 

「は、はい、機会があれば……」

 

 

 

 

 その後、わざわざ戻るのもためらって、はたまた図書館の近くにいくわけにもいかず、数日ヘラジカやほかのみんなのところで寝泊まりさせてもらった。

 

 

 そしてある日、竹刀を持って稽古のようなことをしている時のことだった。

 

 

「う、うぅ!?」

 

 突然の頭痛に襲われた。

 

「だ、大丈夫でござるか!?」

「イヅナちゃん、どうしたの……!?」

 

 心配してカメレオンちゃんとハシビロちゃんが振り向いて駆け寄ってくる。

 

「何があった!?」

 

 2人の声を聞きつけ、ヘラジカやほかのフレンズもやってきた。

 

 

 ひとまず、原因は分かった、対処しないといけないから、我慢してでもみんなを安心させないと……

 

「ご、ごめん、これ頭にぶつけちゃって……しばらくすれば収まるから、大丈夫」

 

「ほ、本当でござるか……?」

 

 声を出さず、ゆっくりとうなずく。

 

「分かった、無理せずに休むんだぞ」

 

「……はい」

 

 みんなホッとしてゆっくりと元の場所に戻った。

 

 

 さて、原因を取り除かないと。

この頭痛を引き起こしたのはノリくんの記憶の断片が取り切れておらず、一部がよみがえったからだ。辛い記憶が蘇って、拒絶反応に似たものを引き起こしている。それが私にもリンクしちゃったんだ。

 早急にそれを再び取り除いて、頭痛は収まった。この『お揃いの勾玉』が無かったら、対処は難しかったかもしれない。

 

 記憶の残滓が残ったのは、その記憶に強い感情が籠って、ノリくんに強く引っ付いたからに違いない、それに加えるとするならば、()()記憶を取り除いたときの私が不完全だった、というのも一つかもしれない。

 

 

「こんなに強い反応、よほど辛かったんだね……」

 

 でも、もう彼は何も覚えていない、だから、もうそれに苦しめられる必要なんてない。

 

「……大丈夫、だよ」

 

 

 嫌なことは、全部私が忘れさせてあげるからね?



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Chapter 003 Side コカムイ
3-29 けんきゅうじょ


 ロッジの南、緑の葉をつけた木が生い茂る森の奥。海岸線のすぐ近くに、その建物はあった、まるで、周りの目を遮るように隠されて。屋根には緑の覆いが掛かり、壁の周りにツタがびっしりと行き渡り、保護色になって空からは見えなかった。そのツタの張り付き方も、おおよそ自然にそうなったとは考えづらい。

 

「ここがその研究所、みたいな場所?」

「ええ、詳しくはそこにいるヒグマに聞くのです」

 

 ヒグマさんに説明を丸投げした博士は、壁の周りをグルグルと回って調べている。聞くところによると助手は図書館に残っているそうだ。とりあえずそっちは任せて、ヒグマさんに話を聞こう。

 

 

「じゃあ、聞かせてください」

「分かった、私たちが紫のセルリアンを探していたことは知っていると思う」

「それはまあ、僕たちが見たやつだからね」

 

 遊園地の帰りに見たセルリアン、今までにない腕を持ち、おそらく新種、と赤ボスは言っていた。……あ、一応赤ボスもここに連れてきている。

 

「別に大したことがあったわけじゃないが……探してたら、あった。……えっと、まあ……それだけだ」

 

「随分ざっくりしてるけど、そんなもんだよね」

 

 

 さて、見つけた経緯に大事そうな話はなかった。あえて挙げるとするならこれほどまでに分かりにくい建物を見つける目の鋭さくらいかな。

 ひとまず、この建物がどんな役割を果たしているのか調べよう。研究所かもしれないし、もしかしたら何もないっていう可能性も考えられる。

 

「コカムイ、これを見るのです」

 

「どれどれ……」

 

博士が指さしたところを見ると、看板らしきものがツタに隠れている。この近くに入口があるとみていいだろう。看板には『ジャパリパーク中央研究所 キョウシュウ支部』と記されている。

 

「やっぱり、研究所みたいだね」

 

「やはりですか、では入口を探すのです」

 

「探すって言っても、ツタ取るだけでいいんじゃない?」

 

 さっきも言ったようにこの建物の外壁をびっしりとツタが覆っている。ツタの間からも別のツタが見えて、何重にも重なっていることが分かる。こんな状態になるのに一体何十年かかるというのだろう? いっそ火でも放ってやろうか……と考えていると、イヅナの狐火は引火するのかな、と取るに足らない疑問が頭に浮かんできた。

 当然火を放つなんてことはしない。僕はそういう危ないことをする人間では……あれ、フレンズだっけ? まあいい、とにかくツタは切り刻んで取り除くことにしよう。

 

 

「入口は多分看板側にあるはずだよ」

 

「では、看板側はお前に任せるのです」

 

「博士は?」

 

「他の場所に入口がある可能性もあるので、近くの探索をするのですよ」

 

「そう、じゃあよろしくね」

 

 

 ツタを切り刻みたいんだけど、僕は刃物の類は持ってきてないしサーバルのような立派な爪があるわけでもない、かといって引きちぎるのも手が痛そうだからやめておきたい。だがここにはセルリアンハンターの3人がいる……んだけどヒグマさんとキンシコウさんは博士についていったみたいだ。

 

 

「リカオンさーん、手伝ってくださーい!」

 

「あ、はい、オーダー了解です!」

 

 リカオンさんは爪やらなんやらを駆使してどんどんツタを捌いていく、しかし一向に建物の壁は見えてこない、一体どれだけ厚い『緑の壁』なのやら、しかし夏でも涼しそうで省エネにはちょうどいいと言えるだろう。そもそも自然にこんな厚い壁ができるはずはないのだが、何があったのだろう。

 

 さておき、僕も何もするわけにはいかず、控えめにツタを引っ張ったり絡まったツタをほどいたりしてささやかな支援を行っている。

 

 続けること数分、看板側の外壁に張り付いていたツタは取り除かれた。取り除かれたのだが……ない。

 

「い、入り口がない……?」

 

「確かにただの壁ですね」

 

 こっち側ではなかったというのか。だったらこっち側に看板を立てないでほしいものである、でもよく思い出せば看板もツタに飲み込まれそうになっていた。もしかしたら片づけた看板を立てかけておいただけだったのかもしれない。

 

「仕方ないか、じゃあ右回りにツタを外しましょう」

 

「分かりました」

 

 

 一部を取り除いてしまったらあとは結構楽なもので、巻き付いているものをゆっくりほどく感覚でのんびりと作業ができるものだ。

 

「リカオンさんは、セルリアンハンターの中ではどんな仕事してるの?」

 

「私は、偵察が得意ですね、セルリアンの様子をうかがって有利に戦えるような位置や方向を探りますよ」

 

「そうなんだ、セルリアンが相手だと危ない目に遭うのも少なくないと思うけど、そういうことってあったの?」

 

「危ない目、ですか……最近だと、巨大な黒いセルリアンのときですかね、目の前でどんどん大きくなるところは特に恐ろしかったですよ」

 

 とこんな風に、話している内容は別としてほのぼのとした雑談を繰り広げることができたのだ。

 

 

 黒セルリアンか……僕は話に聞いただけだけど、硬く、大きく、強い、滅多にないほど大きい脅威だったみたいだ。

 

「そのセルリアンは、海に沈めたんでしたよね」

 

「はい、ボスが自分ごと船に乗せて……沈めた後は、固まって小さい島になったんです」

 

「島に、って言ってもその上を歩きたくはないかな……あはは」

 

 そこまで恐ろしいセルリアンが海に落としただけでやられるとは信じがたいけど、

現にやられちゃってる訳だからまあ、そういうものなんだろうね。

 

 そして、すべてのツタを取り除いた。扉は看板があった面の左側――つまり一番の遠回りをして扉を発見したのだった。

 

 扉に取っ手は見当たらず、自動ドアであると思われる。何かの間違いで動かないかなとノックしたり強めに叩いたりしたが、うんともすんとも言いはしない。とにかく入口を見つけただけでも十分な収穫だ、博士たちを呼びに行こう。

 

 そう思い辺りを見回したその時気づいた。ツタが、周りの木々に絡みついていることに。幹にはグルグルと巻き付けられ、枝々からもツタが垂れ下がっている。その様子は、まるでここがジャングルではないかと錯覚させてくるようだ。

 

「今まで気づかなかったけど、ツタまみれだね……」

 

「ええ、そういえばそうですね……ってどこに行くんですか?」

 

「入口は見つけたから、博士たちのところにね」

 

「私も、ついていきます」

 

 

 

 研究所から少し離れ、森の中で博士たちを探すが、ツタが先ほどよりも密集し、気を抜けば足をとられかねない。

 

 

「博士ー! ど……んんっ!?」

 

 後ろから口を塞がれた。見ると博士がいて、口に指をあてて『静かにしろ』と僕に示している。

 何が起こっているか分からないからおとなしく従って、小声で状況を確認することにした。

 

「博士、なにがあったの?」

 

「紫のセルリアンが現れたのです」

 

「……! どこ?」

 

「ここからは……死角になっているのです、それよりも、大事なことがあるのですよ」

 

 大事なこと、今この状況でこれより大事なことなんて、イヅナがどうなった、くらいしか思いつきそうにない。

 

「あのセルリアンですよ、あいつは、ツタを出してくるのです」

 

「……ツタ?」

 

「ええ、胴体からビューっと生えてきて、周りに絡みつくのです、奴自身に絡まりそうなときは、鎌の形の腕で切り裂くのです」

 

 なるほど、あの時見たあの腕はそういう目的だったんだ……ともあれ、ツタとなれば研究所にも関わっているだろうし、ただの新種で片づけられる話ではなくなった。

 

「……今は?」

 

「ヒグマたちが別方向から様子を探っているのです、我々も見える位置に移動するのですよ」

 

 促され、博士についていく。移動すると、木々の間の少し開けた空間にそのセルリアンがいた。その周りを見てみると、ヒグマさんとキンシコウさんがそれぞれ離れた場所に隠れているのがチラリと見えた。

 

 

「セルリアンは日向の光に寄ってきた、って感じかな」

 

「……どうしましょうか」

 

 リカオンさんはジロリと観察している。

 

「ツタに足を引っかけられたら厄介か……」

 

 セルリアンは現状こちらには気づいていない様子。だが放っておく訳にもいかないだろう、僕は戦う力はないので、今はとにかく観察を続けて何かいい考えを……

 

「仕方ないですね、私が気を引いてやるのです」

 

「博士……?」

 

 博士はおもむろに立ち上がり、飛んで木の上まで昇った。そして音もなくセルリアンの後ろから近づき、一撃、一撃で腕を一本持って行った。一瞬見えた博士の目はサンドスターで輝いていた。

 

 その攻撃を博士の合図、そして畳みかける好機と見たか、ヒグマさんとキンシコウさん、そしてリカオンさんが木の影から飛び出し攻撃を加える。ツタを放ち腕を振り回し抵抗するも、瞬く間にセルリアンはその石を砕かれバラバラになってしまった。

 

 

 

「……気を引くってレベルじゃないよ」

 

 そうだ、入口を見つけたと教えなきゃ、と僕も茂みから出て博士に話しかけようとした。博士もこちらを向いて、

「……っ! コカムイ、後ろに!」

 

 突然の警告にたじろぎながらも後ろを確認する。そこにはさっきのとは比べ物にならないほど小さいセルリアンだった。しかしその色はさっきと同じ紫。本能的に発された頭の中の警告通り、その個体もツタを伸ばし、僕の足に絡めてきた。

 

 

「……っ、ていやぁ!」

 

 思わずその足を大きく振る。するとセルリアンはその力に持ち上げられ、けん玉の玉のごとく大きく振り回されて木に激突。石が砕けたらしくバラバラになってしまった。

 

「あ、危なかった……かも……」

 

 体から力が抜け、ペタリとその場に座り込んだ。

 

 見ようによればシュールな光景であったかもしれないが、僕の心臓はこれでもかというほどバクバクと動き、僕の第六感は未だ命の危険を報せ続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてここだけの話であるのだが、セルリアンを振り回した時のコカムイ、その目は数分前の博士と同じようにサンドスターに輝いていた。そして、その瞳がイヅナと同じように紅くなっていたことは、その場の誰一人気づくことはなかったのである。



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3-30 はいれませんよ?

セルリアンを倒した後、木の葉をツタをかいくぐって研究所の建物まで戻ってきた。

 

「なるほど、これが入口ですか」

 

 博士は扉をコツコツと叩いたり、何かをかざすための端末部をいじったり横に引っ張って開けようとしたりと様々な方法を試したが、扉がその努力に応えることはなかった。

 

「ならばコカムイ、その赤いラッキービーストに聞いてみるのです」

 

「あ、うん。ねえ赤ボス、どうにかして開けられない?」

 

「マッテテ、検索スルネ」

 

 いつもの電子音と共に赤ボスは扉の前を、建物の周りをしばらくウロウロして、解決策を探っているようだ。その間に僕ももう一度どうにかできないか試してみたけど、やはりどうにもならない。

 

「扉についたこの端末も、全然反応なし、か」

 

「ラッキービーストに頼るとしましょう」

 

 まだ検索は続いている。手持ち無沙汰だ、何か話しておこう。

 

「建物のツタも周りのツタも、あのセルリアンが原因なのかな」

 

「おそらくは、ただ今まで誰も気づかなかったのが不思議なのです」

 

 すると、キンシコウさんがこう言った。

「そういえば、前からこの近くに来るフレンズは少なかったですね、私たちも、見回りで少し近くに寄るだけでしたし」

 

「なにか、フレンズを遠ざける物でもあったのかな……」

 

話しているうちに検索が終わったようで、赤ボスはこちらに戻ってきた。

 

 

「赤ボス、どうだった?」

 

「ドウヤラ、研究所ノ電源ガ落チテイルミタイナンダ」

 

「電源……?」

 

「普段ハ屋根ノ『ソーラーパネル』デ発電シテイルヨ」

 

 赤ボスの話によると、屋根の覆いでソーラーパネルでの発電ができなくなった。しばらくは予備電源を使っていたらしいけど、それもとっくの昔に切れてしまったらしい。

 

「ソーラーパネルガ使エレバ、オヨソ一週間デ利用デキルヨウニナルヨ」

 

「じゃあ、そこの覆いを取ればいいんだな、任せろ」

とヒグマさんが屋根に登って覆いを取っ払ってしまった。

 

「じゃ、あと一週間後、ってわけか」

 

「ソ、ソレナンダケド……」

 

「何か問題でもあるのですか?」

 

「ココニ入ルニハ、『パークガイド以上の権限』ト『カードキー』ガ必要ナンダ」

 

「随分なセキュリティですね」

 

「その分、期待もできるってもんだよ」

 

 ただ、どうやって用意しようか、カードキーは探すだけだ……どこにあるか見当がつかないが。『パークガイド以上の権限』……? どこかで聞いた言葉だ、パークガイド……

 

「確か、かばんは『暫定パークガイド』とやらになっていたと聞きましたが」

 

「『暫定パークガイド』……! それだ! 赤ボス、可能なの?」

 

「ウン、かばんナラ、ココノセキュリティヲ解除デキル筈ダヨ」

 

「だったら、問題はカードキーか……」

 

「はて、どこにあるのでしょうか?」

 

 博士の疑問も当然のものだ、目星を付けるなら図書館だ、それ以外の場所にカードキーを保管している様子が想像できない。

 

「探すなら、図書館だね」

 

 だけど一応ロッジとゆきやまは探しておいても悪くはないだろう。

 

 

赤ボスが、ソーラーパネルが稼働しているか確認してくれた。

 

「さて、これからどうする?」

 

「これ以上ここにいても仕方ないから、僕はロッジに戻るよ」

 

「コカムイは私が運ぶのです、お前たちは……自由にしていいのです」

 

 その日はそのままロッジに戻って、そのまま休むことにした。オオカミさんがまだしつこく迫ってきたけど、博士に物を言わせて静かにしてもらった。……オオカミさんが強引に来たからとはいえこうするのはいい気分ではなかった。

 

 

 

 

 翌日、博士と助手がいくつかファイルを持ってロッジまで飛んできた。

 

「博士、これは?」

 

「一夜かけてあの研究所に関係がありそうな資料を集めてきたのです」

「これはほんの一部ですがね」

 

 一つ目の表紙を見てみると、ジャパリパークの開発計画が書かれていることが分かる。それを持ち上げて一つ下のファイルを見ると、研究計画と表に書かれていた。

 なるほど、研究所に関わっていそうなものを片っ端から調べて情報を、あわよくばカードキーの場所も探し当ててしまおうという算段か。

 

「図書館にはあとどれくらい?」

 

「ざっと20はありますね」

 

「……まあ一週間あるし、ゆっくりやろうよ」

 

 

 

 パラパラとファイルをめくると、中ほど辺りに建築物のページを見つけた。その部分の目次にはカフェになっている建物やロッジ、図書館などの見知った建物の名前が載っていて、そこから少し下に『ジャパリパーク中央研究所 キョウシュウ支部』の名前が他の建物と分けて記されていた。

 

「研究所は95ページ目からか……」

 

 初めに概要、そして研究内容が書かれている。概要はよく見る社交辞令のようなものだったので飛ばして、研究内容。具体的に大きく分ければ『そのエリアのフレンズの生態』、これはどこの支部でも行っていただろう。そしてもう一つ、『サンドスターの性質、サンドスターの保存』という項目があった。

 

「性質、は分かるとして保存……?」

 

「何か引っかかるのですか?」

 

 博士が読んでいるページを覗き込んだが、難しい漢字があって読めなかったのか僕に説明を促してきた。

 

「保存と聞くとセルリアンの『保存と再現』について書いてあった資料を思い出すけど、文脈を見る限りサンドスター()()()()の保存を目指しているみたいなんだ」

 

「それが何か?」

 

「いや、どうやるのかな……って」

 

 動物由来のものに触れればフレンズが、無機物に触れればいずれセルリアンが生み出されるサンドスター、これを一体どうやって保存するというのだろう。答えが見えている気がするのだけど、あと少しというところで引っ掛かって出てこない。

 

「……後にしよう」

 

 考察は後にして、次のページを読み進めよう。

 

「……研究所のことはここまで、か」

 

 あくまで計画、結果について書いてあるはずもない、残りのページは今、それほど大事になることは書いていなかった。

 

 

「ところで、かばんに研究所の件は話したのですか?」

 

「うん、軽く説明しておいたよ」

 

「早めにカードキーとやらを手に入れておかねばなりません、これから更にもってくるので、何か分かったらすぐに知らせるのです」

 

「わかった……ところでさ」

 

「何ですか?」

 

「イヅナのことは、どうする?」

 

 研究所はあくまでこの島について、フレンズやセルリアンについて知りたいから調べる。ただ、イヅナのこともおろそかにしてはいけないと思う。

 

 

「……ふふふ、ようやくイヅナをとっ捕まえる覚悟が決まったのですね」

 博士は少しニヤリとして言った。

 

「博士!?」

 

「冗談なのですよ……さておき、何か行動を起こすことにしたのですか?」

 

「やっぱり、待つだけじゃ始まらないから」

 

「ですが、まずは接触をしないと話もできないのです」

 

 助手の言う通りだ。だからまずはイヅナと出会うためにその方法を考えなくては。

 

「呼んだら来てくれないかな?」

 

「そんな簡単に行きますかね……?」

 

 何か簡単でも策を講じておくべきか、策というほど大層なものはできそうにもないが。

 

「おびき寄せ……なんて無理か」

 

「あれ、集まってどうしたんですか?」

 

「あ、かばんちゃん……とサーバル」

 

 二人が外から戻ってきた、大方散歩じゃないかな。サーバルに気づくのが遅くておまけみたいになってしまったのは気にしないでほしい。

 

「イヅナと会うために、何かした方がいいのかなーって」

 

「何かする……?」

 

「ほら、呼ぶとかおびき寄せるとか」

 

「うーん、普通に呼べばいいと思いますけど」

 

「……そうだよね」

 

 その考えで悪いところもないと思うけど、博士たちは不服のようだ。 

 

「はあ……二人とも甘いのです」

「あのキツネが何をしてくるか分かったもんじゃないのですよ」

 

 その様子がおかしく思えたから少し離れて小声でかばんちゃんに話しかけた。

 

「ねえ、なんで博士たちはイヅナを敵視してるの?」

「分かりません、だけどイヅナさんも博士たちに冷たいな、ってところはありました」

「何かあったのかな」

 

「え? イヅナちゃんと博士たちって仲悪いの!?」

 

「さ、サーバルちゃん!?」

 

「…………」

 

 サーバルが反応して大きな声を出してしまった。博士たちが顔をしかめている。

 

「ま、まあ! 何かしたいなら、博士たちの考えを聞かせてよ」

 

「そうですね、おびき寄せるべきです」

 

「何を使って?」

 

「イヅナと言えど狐、食べ物がいいのです」

 

「博士たちじゃあるまいし……」

「釣られるんでしょうか?」

 

「コカムイ、どういう意味なのですか」

「聞き捨てならないのです」

 

 イヅナのこととなると妙に耳ざといのはなぜだ。ともかくイヅナが引き寄せられるような食べ物なんて……なんて……

 

「いや、”アレ”ならあるいは……」

 

「何か思いついたんですか?」

 

「うん、赤ボス……用意してほしいものがあるんだ」

 

「マカセテ」

 

 赤ボスに、()()()()()を揃えて図書館に持ってきてくれるように頼んだ。

 

「図書館でないといけないのですか?」

 

「そうだけど、任せて……食べ物に釣られるのは博士たちだけじゃないよ!」

 

「……今度こそ、どういう意味なのですか」

 

 

 博士にその後説教を食らうことになったが、どうでもいい。博士たちは例の『ジャパリカレーまん』を食らって黙ることになるのだから。

 



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3-31 みえない”やせい”

 研究所を見つけてから3日、例のごとく日記に記される日付は『20日目』、とでも言うべきか、今日はおそらく暇になるだろうと思っていた。

 博士が持ってきたファイルはあらかた読み終わったが、役立ちそうな情報は手に入れられなかった。

 

 一応ロッジの中にカードキーが存在していないかかばんちゃんにも協力してもらって調べたけど、こちらも同じく見つからなかった。

 

 見つからなかったという報告だけでもしておこうかと思ったが、新しいものを渡されることは明白、今日は休みたい気分だったから次の日に図書館に行くことにした。

 

 どうせまたすぐに忙しくなる、今日ぐらいはゆっくりして、これからの出来事に備えておこうと思っていた。

 

 

……そう、思っていた。

 

 

 

 

「コカムイ、久しぶりだな! 待つだけというのは悪いと思って、今日は私から来ることにした!」

 

 ヘラジカさんがハシビロコウさんと共に空から飛来してくるまでは。

 

「ひ、久しぶりだね……どうして?」

 

「うむ、少し前にイヅナが来てな、手合わせしたらお前のことを思い出したんだ」

 

「い、イヅナがっ!?」

 

「お、落ち着け、あれは……どれくらい前だったか」

「……4日前です」

 

「おお、そうだった! ハシビロコウ、流石だな」

「えへへ……」

 

「で、僕を思い出したっていうのは?」

 

「これはあくまで感覚だが、イヅナとお前の戦い方がよく似ている、そう感じてな」

 

「な、なるほど……?」

 

 感覚と言いきられてしまったらこちらからは言いようがない。僕がヘラジカさんと手合わせしたのはイヅナがフレンズになる前、だったら似ているのはとり憑いたイヅナの干渉があったせいかもしれない。

 

「……あ、ジャパリまん食べる?」

 

「いや、後にする。戦いの前に物を食べては存分に動けない」

 

 ……ああ、分かってた、戦い方が似てるとか思い出したとか、要はそういうことだよね。

 

「コカムイ、今再び、手合わせ願いたい!」

 

ハシビロコウさんが竹刀や風船を持ってきている時点で気づいていたよ、でも思い出せば再び手合わせすると約束してしたようなしてないような……もうどう転んでも戦うんだ、考えるのはやめた。

 

 

「コカムイさん、その、気を付けてくださいね?」

 

「……程々に頑張っておくよ」

 

 受け取った紙風船を前と同じ右腕につけて、竹刀を握りしめる。妙な焦燥が胸に広がる。思わず首にかけた勾玉を握りしめていた。

 

「……ふう……」

 

 収まってきた、もしかしたら勾玉のおかげかもしれない、心なしか体が軽くなったように感じる。

 

 

「準備はいいか?」

 

 10mくらい離れて向かい合っている。

 

「……はい」

 

「ハシビロコウ、合図を」

 

「わかりました」

 

 

 程々にこなすといっても適当にやってしまっては失礼だし、ヘラジカさんは納得してくれないだろう、集中してちょっとでも太刀打ちできるように頑張ろう。

 

 

 

「よーい……はじめっ……!」

 

「行くぞ、はぁぁぁあああっ!」

 

 突進、横方向に動けば避けるのは難しくない。

 

「……ふぅっ!」

「……っ!」

 

 横を通り過ぎる瞬間に急停止しての突き、体をくねってかわした。次に横向きに走って――所謂サイドステップだ――一定の距離を保つように立ち回る。

 

「フゥ……」

 

 正面きって突っ込んでも正面で立ち向かっても勝ち目はない。ある程度離れていれば相手がこちらにたどり着くまでに回避行動が終えられる、しばらく膠着状態を演出して時間を稼ごう。

 

「…………」「…………」

 

 耳が冴える、風の音がいつもより鮮明に聞こえてくる。ヘラジカも攻めてくる素振りは見せない、隙を伺っているのか、こちらの策に乗ろうとしているのか。

 

 昨日の夜小降りの雨が降った。この辺りにできた狭いぬかるみが足跡を克明に残している。下手をすれば足を取られるかもしれない。大げさだが何が起こるか分からないし、絶対の信頼をおけるものはない。

 

「どうした、来ないのか?」

 

 挑発ともとれる言葉、ヘラジカはこの状態がこれ以上続くことを好まないようだ。

 

「ヘラジカさんが、来ればいいじゃないですか」

 

 言い返した……ってことでいいだろうか、少し気分が高じて、普段通りの言葉遣いでないことが言っているときも自覚できた。

 

「……ふ、では遠慮はしないっ……!」

 

 走ってくる。しかし何かがおかしい。

 

「……?」

 

ひとまずそのままの場所はまずいので、横に移動した。

 

「ふぅ…………っ!?」

 

移動したのにヘラジカはこちらに向かっている、それも移動方向を変えることなく。

 

「行くぞ、はぁっ!」

 

「……くぅ…っ!」

 

 懐かしきバックステップで距離を取る、そしてヘラジカ後方の地面についた足跡を見て、ヘラジカがカーブして移動したことに気づいた。

 

「避ける方向が逆だったら、攻撃できませんでしたよ?」

 

「なに、その時はまた突っ込むさ」

 

 計算ずくか天性の才能か、ともかく滅多な方法では勝てないと思い知らされることとなった。

 

 どうすれば……そう思ううちに再び勾玉を握りしめていた。不安になると握る癖でもついてしまったかな。でも、握ると再び体が軽くなる、サーバルくらい跳べそうな気分だ。

 

「本当、とんでもないや」

 

 

 頭の回転が速くなってきた……接近戦では敵わない、かといって遠くから狙う武器はない。何か思いもよらない方法がないものか。

 

「…………」

 

 ヘラジカは再び飛び掛かる用意をしている。早く、何か、何か……

 

「……試してみるか」

 

 ふと思いついた一手。成功する保証はどこにもないが、一撃でも決めるにはこの方法しか思いつかない。

 

 足音が響く。ヘラジカが動き出す前に走り出した。突然向かっていく僕に警戒している。

 

おおよそ5m、さあ、ここで流れを変えよう。

 

「っ、何!?」

 

両足で踏み切って大きくジャンプする。思い出してもらえばわかると思うがヘラジカは頭に風船をつけている、だとすればここからはヘラジカの風船が丸見えであることはすぐに理解してもらえると思う。

 

「なるほど、そう来たか」

 

ヘラジカは振り下げられる竹刀を受け止めようと自分の竹刀を横に持って構える。

 

……でもね、そうじゃないんだ。

 

僕は竹刀を逆手に持って、大きく掲げた。

 

ここから()()()に、射線は通っている。

 

左手で勾玉を握って、狙いを定める。やがてジャンプの最高度に達し、落下が始まろうとしたその時……

 

「……せいやぁっ!」

 

竹刀を投げた。

 

「…………っ!?」

 

 およそ普段ではあり得ないほど正確な直線軌道を描いて飛んだ竹刀は、ヘラジカの風船を中心に捉え、割った。

 

 

「すごーい!」

「びっくりです……」

 

 

「……見事だ」

 

 

僕は勢いよく踏み切って、投げた。であれば勢いも相当だ。そして幾分か強く投げすぎたせいで、姿勢が崩れている、つまり……

 

 

「わっ、うわわっ!?」

 

 着地を失敗し、ゴロゴロと転がった挙句木に背中をぶつけた。

 

ここで思い出してほしい、僕は紙風船を右腕につけた。さて、今一体どんな状態だろう?

 

「……あ」

 

紙風船が転がった衝撃で割れてしまったことはすぐに理解してもらえると思う。

 

「え、えっと……引き分け?」

 

 ヘラジカの意表を突いた戦いは、どこか残念な形で幕を閉じることになった。

  

 

 

 

 その後はロッジの中に入って、ゆっくりジャパリまんを食べながら談笑していた。

 

「いやはや、まさかあんな攻撃をしてくるとはなぁ」

 

「あはは、さっきは無我夢中で」

 

「しかし、ヒトの野生開放か……」

 

「え、野生開放?」

 

「ん、知らないのか?」

 

「知ってるけど、なんでその言葉が?」

 

「なんだ、気づいてなかったのか? ジャンプした瞬間のお前の目は文字通り『輝いていた』。野生開放の特徴だ」

 

「……そうだったんだ」

 

 妙に身体能力が上がっていたのも野生開放の効果だったのか。

 

「それにやはり、イヅナとどことなく戦い方が似ている」

 

「イヅナ……あっ、イヅナについて聞いてなかった!」

 

 なんとなく有耶無耶になっていた。

 

「ヘラジカさん、イヅナのその後について聞かせて!」

 

「分かった、戦った後か……数日私たちのところにいて、その後は分からないな」

 

「そっか……何か無かった? その、不思議なこととか」

 

その問いには、ヘラジカではなくハシビロコウが答えた。

 

「そういえば一度、イヅナちゃんの具合が悪くなったことがある」

 

「……うむ、そんなこともあったな、すぐに治ったようで安心したが」

 

「……それっていつのこと?」

 

「確か、3日前だよ、その午前だったかな」

 

 日記で示すと17日目、オオカミさんの話を聞いたり研究所を見つけたりしたあの日だ。午前と言うとオオカミさんの漫画の相談を受けていた時間だ。特に重大なことはないように思えるけど……

 

「あれ、待って……?」

 

その頃、僕も何かおかしなことがあった。そうだ、博士に起こされる前、なぜかロッジの正面で気を失っていた。おそらく午前のことだったはずだ。気を失う直前のことは覚えていないけど。

 

「でも、関係があるとはなぁ……」

 

 同じ時間帯に変異が起こっていた、偶然と片付けても問題はないはずだけど……

 

「まあ、覚えておこうかな。ありがとう、ヘラジカさん、ハシビロコウさん」

 

「なに、今日は楽しませてもらった、礼を言うのはこちらだ」

 

「コカムイ君、その……またね」

 

 来た時と同じように、ハシビロコウの手を借りて、ヘラジカは空を飛んで満足げにへいげんへと帰っていった。

 

 

「明日は、図書館に行かないとね」

 

「私たちもついていっていい?」

 

「いいよ、ここ数日ロッジにいたからね」

 

 カードキーを確認して、イヅナをおびき寄せる食べ物を作って、あとは野生開放、これについても調べたい。……うん、目先の目的はこんなもんかな。

 

 じゃあ、今日は久しぶりに日記を載せて締めることにしよう。

 

『20日目

 

 今日はヘラジカがハシビロコウと一緒にロッジまで飛んできた。

 十数日ぶりに戦わされた。

 その代わり、野生開放について少し知ることができた。

 明日は図書館で、目下の目的を整理しよう。』

 

 ……ふむ、取り立てて面白い日記ではなかった。だけどきちんと毎日書いているからそこは安心してもらいたい。

 

 ちなみに、日中の運動が良い方向に働き、その日はいつもよりもよい睡眠を取ることができた。

 

 

 



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3-32 お狐様にお供え物を

「というわけで、報告に来たよ」

 

「ご苦労なのです、いい結果は……出なかったようですね」

「仕方ありません、次を読むのです」

 

 ジャパリバスでロッジから数時間、予定通り報告にやってきた。博士たちはよほど待ち遠しかったようで、テーブルの上に資料が山のように積まれている。

 

「食べ物の方は大丈夫かな?」

 

「ああ、ラッキービーストたちが一昨日あたりから忙しなく動いていましたね、厨房へ行けば用意しているはずですよ」

 

「じゃあ、先に確認を……」

 

「ダメなのです」「先にこっちなのです」

瞬く間に詰め寄られ、攫われてしまいそうだ。

 

「そんなぁ……」

 

「じゃあ、ボクたちが確認しましょうか?」

 

「じゃあお願いするよ」

 

「かばんちゃんに任せてね!」

「サーバルちゃんは?」

「私は付き添い!」

 

「あはは、よろしく、赤ボスに聞けば何を用意させたか分かるよー……」

 

 会話が終わったと思われたのか否か、言い終わらないうちに博士たちが一刻を争い僕を連れ去っていく。僕の声はドップラー効果よろしくおかしく聞こえていたかもしれない。

 

 

 

 

 

「さて、この中から少しでも手掛かりが見つかればいいのですが」

 

「その前にさ、野生開放について載ってるものはないかな?」

 

「……これはまた、どうしてですか?」

 

「まあ、かくかくしかじか……」

 

 昨日の出来事について簡単にまとめて話した。

 

「……本当なのですか?」

 

「誓って本当のことだよ」

 

「博士、これは」

「ええ、非常に興味深いのです」

 

「そんなに?」

 

「当然なのです、そもそもヒトという動物が他の動物にない能力を持っているのです、その野生開放となれば、未知数の力を発揮できるに違いありません」

 

「でも、やったことといえばジャンプして竹刀を投げただけだし……」

 

「ならば今野生開放をして実験をすればよいのです」

 

「や、野生開放か……」

 

 集中して力を出そうと踏ん張ってみるが、変化する様子はない。昨日のことを思い出して勾玉を握ってみても、何も起きなかった。

 

「あれ……?」

 

 やっぱり昨日は結構集中していたからこそできたのかもしれない。

 

「今は不可能、ですか。まだ慣れていないのかもしれませんね」

「では、とりあえず今わかっていることだけで考えてみましょう」

 

「ジャンプと、投げること?」

 

 はてさて、そんなことから一体何が分かるのだろう。身体能力が上がった、というようにしか捉えらえない気もするけども。

 

「この2つは些細なことに思えますが、大きなヒントがあるのです」

「コカムイは、どちらだと思いますか?」

 

 助手に突然クイズを出題された。ええと、なんとなく重要そうなのは、投げること、の方かなぁ……?

 

「投げること?」

 

「その通りです、では詳しく説明するのです」

 

 

 博士の説明はこうだ。ヒトは高い投擲――つまり投げる――能力を持っているらしい、先のヘラジカとの戦いで、それが普段より高くなっていた。そこから、少なくとも体を動かすことにおいては、他の動物と同様にその動物の、この場合はヒトの長所を伸ばしたものになると考えられるそうだ。

 

 

「……情報が少ないので、今はここまでですね」

「さあ、次はこれを読むのですよ」

 

 未だ知らぬジャパリパークの秘密とカードキーの場所を求めて、僕はファイルを静かに開いた。

 

 

 

 場面は変わって。

 

 ボクとサーバルちゃんは、コカムイさんが赤いラッキーさんに頼んだ食材の確認のために厨房に来ていた。

 

 ラッキーさんたちが用意したであろう食材がいくつか台の上に載っていた。

 

「ええと、これでいいのかな?」

「わぁ、いっぱいあるね!」

 

 コカムイさんが何を頼んだのか聞いていなかったからちゃんと用意されてるか分からない……赤いラッキーさんを呼んで確認してもらった。

 

「これは味噌ですね」

「ソノ後ロモ見セテクレルカナ」

「はい、これは……」

 

「豆腐ダネ、今回ハ、コレガ一番大事ナンダ」

「なにこれ? 水が入ってる」

 

「ヤワラカクテ崩レヤスイカラ、気ヲ付ケテネ」

 

「平気平気!…………うわぁ!?」

「サーバルちゃん!?」

 

 地面ギリギリでキャッチ成功して、なんとか崩れなかった。

 

「もう、気を付けてね」

「ごめんなさい……」

 

 

 

「後は野菜とお米と、それにお魚もありましたね」

 

「全テノ食材ヲ確認シタヨ」

 

「よかった、……じゃ、じゃあコカムイくんに知らせたら?」

 

「サーバルちゃんは?」

 

 サーバルちゃん、少しソワソワした様子だ。

 

「わ、私はここで待ってよっかな~……って」

 

「お魚、食べる気でしょ?」

 

「かばんちゃん、なんで分かったの!?」

 

「お魚に目が釘付けだったよ」

 

「うう、でも、食べたい……」

 

「きっとサーバルちゃんの分も作ってくれるよ」

 

「……そ、そうだよね! うん、我慢する」

 

「じゃあ、知らせに行こっか」

 

 

 

 

 

 

 

場面は再び変わって……

 

 

 今回博士たちが用意してくれたファイル、そこに書かれていたのは研究所の建設についての進捗報告がほとんどだった。建材がどうとか人手がこうとか書かれているだけで役に立つものは皆無。

 

「もっとちゃんと選んでよ……」

 

「仕方ないのです、読めない字もあったので」

 

「それはいいとして、こんなものを調べてカードキーが出てくると思う?」

 

「…………」

 

「この島を出ていくときに持ってっちゃった、ってオチじゃないかな」

 

「……では、一体どうすれば」

 

「うーん、入り口をぶっ壊す、とか。どう、赤ボス」

 

「研究所ニ被害ガ及ンダトキハ、島全体ニ警報ガ発令サレルヨ」

 

「警備がしっかりしているのはいいことですが、そこを何とかできないのですか?」

 

「…………」

 

 赤ボスは露骨に落ち込んだ、要はどうにもならないということだろう。

 

 

「何か、何か方法は……」

 

「とりあえずさ、何か食べて気分転換しようよ、イヅナの分もまとめて僕が作るから」

 

 かばんちゃんとサーバルも、ちょうどいいところにやってきた。

 

「コカムイさん、食材は全部揃ってましたよ」

 

「ありがと、じゃあ作るとしようか」

 

 イッツクッキングタイム、というやつだ。

 

 

 

 

「じゃあ、まずは今日の主役を作ろうか」

 

 誰かに話しているようだけど、そばには赤ボスがいるだけ、要は独り言だ。

 

「『油揚げ』、これを使えばイヅナも釣られるはず」

 

 普通は豆腐を薄切りにして揚げて作られる、しかし油の温度の調整が難しく、火傷するかもしれない。

 

「ですので、すでに完成した油揚げがこちらにあります」

 

 3分程度で終わりそうな感じで出された既製品の油揚げ、ボスたちがせっせと作ってくれたのだろう、その苦労に敬意を表しつつ丁寧に料理を作りたいと思う。

 

「テーマはずばり和食! イヅナの服も巫女装束に似た感じだし、きっと効果は抜群だよ」

 

 油揚げは味噌汁を作るのに使うことになっている。ご飯、味噌汁、そして焼き魚。まさに和を体現した料理になるはずだ、当然作り手が上手だったらの話だが。

 

 しかし、ヒトには知恵がある。そしてその知恵を未来へと残す技術がある。大層なことを言ったが、つまりはレシピ本を使って普通に作るのだ。妙なアレンジは失敗のもとであるよ。

 

「じゃあ、まずはお湯を沸かして…………あれ?」

 

 皿に乗せた油揚げを持ち上げようとしたら、手にもふもふした感触が感じられた。

 

「あっ、くすぐったいよ」

 

「……!?」

 

 イヅナだった。まさか油揚げ単体でおびき寄せられるとは。

 

 

「イヅナ、な、なんで?」

 

「なんでって、その、いい匂いがしたから……」

 

 と、とりあえず、油揚げは効果てきめんだったってことでいいのかな?

 

「じゃ、じゃなくて! イヅナ、お話ししようよ、なんでその、こんなことというか……なんて言えばいいんだろ」

 

「分かってるよ、私のことを知りたい、ってことでしょ?」

 

「まあ、端的に言えば」

 

「そっか、そうだよね、私のことも、目的も、全然話してなかったもん」

 

「……だから、どうするか決めるためにもキミのことを知らなきゃいけない」

 

「うん……でも話すと長くなりすぎるし、ゴチャゴチャしちゃうかな、だから……」

 

 

 そう言うとイヅナはどこからか青いセルリアンを出した。持ってきたとか引っ張ってきたとかじゃなくて、『出した』。その様子を言えば、サンドスターが集まってセルリアンになったのだ。

 

「セルリアン……!?」

 

「気にしないで、フレンズになってから呼び出せるようになったの」

 

 呼び出すというよりかは、作りだすといった方が適切だろう。いや、そうじゃなくてセルリアンを作る、というところから疑問を持つべきか。そう考えているうちに、イヅナはセルリアンに腕を突っ込んだ。

 

セルリアンはしばらくもがいていたけど、力尽きたようでぐったりとした。そして次の瞬間砕け散った。

 イヅナが突っ込んでいた手の中には、虹色の星型の結晶とカードが握られていた。

 

「……それは?」

 

「こっちはカードキー、ノリくんこれ探してたよね」

 

 ヒラヒラとそれをなびかせながらイヅナは僕にそれを差し出した。僕がそれを受け取った後、イヅナは虹の星を目の前に突き出した。

 

「……それで、こっちは?」

 

「まあ、見てて」

 

 何をするのかと不思議に思いつつ見ていると、イヅナは星にかじりついた。せんべいを咀嚼するような音が聞こえて、星の5つある足のうちの1つが欠けていた。

 

「た、食べた……?」

 

 その後もそれを食べ進め、1本、また1本と足がなくなっていく。

 

そして残った胴体を、丸ごと口に放り込んだ。

 

やがて、咀嚼する音が聞こえなくなったが、まだその星の成れの果てを口の中に全て残しているようだ。

 

「ね、ねえ、何して……んぐっ!?」

 

 

 口で口を塞がれた。それだけではなく何かが流れ込んでくる。即座に虹の星を口移しされていると分かった。

 それだけに留まらず、舌まで入れてきた。

 

「ん……んんっ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 十数秒経ったのち、ようやく解放された、しかしその後に待っていたものは、走馬灯のように速く頭の中に映し出される映像の数々。

 

「こ、これ……は……?」

 

「それは、私の記憶、サンドスターで形を持たせて、ノリくんにもあげたの」

 

「……イヅナの、記憶?」

 

今見えているこれは、イヅナがこの島に僕とやってくる前の――

 

「そう、ちょっと恥ずかしかったかな。でもここまでやれば、()()()に勝ったって言えるよね!」

 

「ア、イツ…………?」

 

 どこか恍惚とした様子のイヅナの声も、聞こえているけど理解できない。頭を流れる彼女の記憶の数々が、恐ろしく鮮明で、はっきりと理解できて。

 

 

「ねえ、イヅナ、なんで!?」

 

混乱。

思わず荒ぶる声。

 

「答えてあげたいけど、博士たちが来ちゃうかもしれないから、それに答えは、考えればわかるはずだよ」

 

「なん、で?」

 

「ごめんね、混乱させちゃったね」

 

ゆっくりと、イヅナの腕が僕を抱え込む。

 

イヅナに、抱きしめられている、思わず、突き飛ばしたくなる。

 

「またね、ノリくん」

 

「僕は――」

 

 イヅナの記憶が、今まで信じてきたことを嘲笑うように否定した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「僕は――誰『だった』?」



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3-33 『自分』を夢見て

「待って、待ってよ!」

 

「…………っ!」

 

 必死に呼び止める。一瞬だけ止まってくれた。

 

「ご、ごめん、でも、分かってくれるって、信じてるから」

 

「……なんだよ、それ」

 

 なんて自分らしくない言葉遣い、でもそんなことを気にしていられようか。自分というものが今、跡形もなく崩れようとしているのだから。

 

イヅナはもうそれ以上何も言わずに行ってしまった。

 

 

 

 

 ペタリと、力なく座り込む。どれくらいの時間が経ったのだろう、赤ボスが僕の様子に気づいてテクテクと歩み寄ってきた。

 

「ノリアキ、ダイジョウブ?」

 

「ノリアキ……そうだ、僕は、『コカムイ ノリアキ』……そうだよね……?」

 

 先ほどまでは茫然自失としていたが、話しかけられて少し自分を取り戻した。

 

「ソウダヨ、ノリアキハ”ジャパリパーク”ノ大事ナ”お客様”ダヨ」

 

「お客様? 自分が誰かも分からない、どんな人間かも分からない僕が?」

 

「確カニノリアキノ過去ハ分カラナイケド、今マデノノリアキノ様子ヲ見レバ、悪イ人ジャナイッテ分カルヨ」

 

 気休めだ、中身のない励ましだ。

 

「……ありがと、赤ボス」

 

 それでも、存在を肯定してくれる者がいてくれることは、自分にとってどれだけ救いとなるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

「料理、作らないと。サーバルたちの分も作るって約束したから」

 

「モウ大丈夫ナノ?」

 

「大丈夫じゃないけど、何もしないよりはいいかなって」

 

 元々の計画では油揚げを入れた味噌汁を中心にしてイヅナを釣るつもりだったけど、その必要はなくなってしまった。それでも用意してもらった食材を無駄にするわけにもいかないし、まあせっかくだからってことで作ろう。

 

 料理に夢中になれば、きっとその間だけは忘れられる。

 

 

 さて、一番初めにご飯を炊こう。いくつかあるかまどの1つをこちらで使って、残りの所で味噌汁やらなんやらを作る算段だ。

 

「火はこんな感じかな」

 

 妙な不安にでも駆られて碌にできないかと思っていたが、意外にも難なく火を点けることができた。

 

 そうしたらさっさとお米を洗ってそのお米と水を鍋に入れて火にかけてしばらくしたら炊けるのを待つのみだ。しかし白米だけでは料理とは言い難い。この時間に味噌汁と焼き魚を作る。

 

 まずは焼き魚、これは焼き網があったのでそれを使って焼き上げることにした。

 

「……はあ」

 

 焼き加減を調整しなきゃいけないから、焼けるまでは手を離せない。

 

「ノリアキ、ボクガ見テイテモイイ?」

 

「赤ボス、できるの?」

 

「マカセテ」

 

「じゃあお願いするね、僕は味噌汁にとりかかるよ」

 

 そうは言ったものの赤ボスでは少し心配で、何度か離れたまま赤ボスがちゃんとやっているか確認した。

 

 

「……味噌汁か」

 

 お湯を沸かして、いや沸く前からわかめとか油揚げは入れておくべきか? そんなときのための料理本、こういう時は本当に役に立つ。

 

「ふむふむ、なるほど……」

 

 本の言う通りにやっておけば間違いはないはずだ、包丁をトントンと鳴らして食材を切って鍋に入れて水も入れて火を点けて……作業はトントン拍子に進んでいく。

 

 

 

 

「ノリアキ、魚ガ焼ケタヨ」

 

「あ、分かった」

 

 味噌汁が吹きこぼれそうな様子はないから、少し置いといて焼き魚を皿に乗せよう。

 

 ……よし、これに軽く塩を振って、焼き魚は完成だ。

 

 

 

 その後しばらく鍋とにらめっこ――別にただ見ていたわけじゃないが――していたら、お湯がグツグツと煮立ってきた。このタイミングで火を弱めて沸騰を抑える。

 

 そしてこのタイミングで味噌を投入する、ここまで本に書いてあった。

 

 あとは流れ作業でご飯の確認もしながら、とうとう仕上げの段階に入った。

 

 

 

 

 

「……じゃあちょっと味見を」

 

 味噌汁を少しすくって、フーフーと息をかけて冷ましてから味見した。

 

「……む、味がしない」

 

 お湯の量に対して味噌が少なすぎたのかな?

 ということで味噌をもう少し溶かして馴染むまで混ぜて、もう一度。

 

 

「……あれ、まだダメだ」

 

 

 仕方ないからもう少し増量した。

 

 

 

「まだまだ薄すぎるかな」

 

 

 こんなことってあるのだろうか? そう思いつつこれじゃあ出せないからもっと入れた。

 

 

 

 

「味は出てきたけど……」

 

 

 全然足りない。

 

 

 

「なんでこんなに味がしないんだろう……」

 

 ええい、こうなったら2倍の量を一気に入れてしまおう。

 

 ……まあこれだけ入れれば十分に味は出たはずだ、博士たちを呼ぼう。

 

 

 

 

 

 

 

「ようやくですか」「では、いただきますなのです」

「いただきまーす!」

「じゃあ、いただきます」

 

 4人ともまずは魚から手を付けるみたい。

 

「この箸とやら……なかなか持ちづらいのです」

「サーバルには使えないのではありませんか?」

 

「え?」

 

 サーバルは早々に諦めて魚は手を使って身と骨を分けていた。

 

「大丈夫、ちゃんと洗ったから!」

「サーバルちゃん、はい、ティッシュ」

 

「ありがとー!」

 

 そう言ってサーバルは手を拭いていたけど、あれは食べ終わってからもう一度洗わないと脂は落ちそうにない。

 

「もぐもぐ、この魚はおいしいのです」

「ご飯との相性もなかなか、いいのです」

 

 喜んでもらえてなによりだ。赤ボスが見ていてくれたおかげでもあるから、あとでもう一度お礼を言っておこう。

 

 

「では次に……えっと」

「味噌汁、だよ」

 

「そうでした、味噌汁をいただくのです」

 

 博士が一口味噌汁を飲んだその瞬間、ピタリと固まった。

 

「博士、どうしたのですか?」

 

 博士の様子を疑問に思いつつ、助手も一口。

 

「こ、これは……」

 

「しょっぱいのです!?」「何なのですかこれは!?」

 

 博士たちの様子はとてつもなくしょっぱいものを飲んだような反応だった。

 

「えー、そんなにしょっぱいの?」

 

 そこまでしょっぱく作った覚えはない。サーバルも一口飲んだ。

 

「うみゃー!? しょっぱーい!?」

 

「ええ!?」

 

サーバルにまで……

 

「その、ボクも飲んでみますね……」

 

続けてかばんちゃんも一口。途端に顔をしかめた。

 

「こ、これは、とっても塩辛いですね……」

 

 かばんちゃんも、ということは味噌を入れすぎてしまったんだな。

 

一応僕も口にしておこう、最後に入れた後は味見をしなかったから。

博士の器を受けとってゴクリと飲んだ。

 

「……しょっぱくないよ?」

 

「お、お前は何を言っているのですか!?」

 

 何を言っている、と感じているのは僕も同じだ。

 

「というか、全然味しない」

 

「冗談はやめるのです、まるで塩を飲んでいるようなしょっぱさなのですよ」

 

 流石に冗談だと思う。そんなにしょっぱいならこんなすまし顔なんてできっこないに決まっている。

 

「塩かぁ……」

 

 おもむろに人差し指につけて塩をなめてみた。

 

「あれ、味がしないや」

 

「お前、熱でもあるのではないのですか?」

 

 そう言われて手のひらを額に当ててみたけど、別段熱くなっているようには感じない。

 

「ボクガ健康診断ヲスルヨ」

 

 赤ボスにサンドスターや体温の様子などをスキャンしてもらった。少しの間解析して、結果を教えてくれた。

 

「体ニハ、一切ノ異常ナシ」

 

「じゃあ、問題ないんじゃない?」

 

「大アリなのです、味を感じていないのですよ!」

 

「赤ラッキーさん、味を感じなくなる原因って、何ですか?」

 

「……ソウダネ、ヒトノ場合、風邪ヲヒイタリシタ時、アルイハ……()()()()()()ヲ感ジタ時、ガ主ナ原因ニナルト思ウヨ」

 

 強いストレス、ああ……そういうことね。全部合点がいった。

でも何があったか話せと言われればきっと上手く説明できないだろうから、しばらく誤魔化しておきたい

 

「だとすれば、コカムイ、何かあったのですか? あるいはイヅナが――」

 

「――博士」

 

「……何なのですか?」

 

 少々強引に話を遮った。

 

「これ、研究所のカードキー、博士に預けるね」

 

「こ、これをどこで?」

 

「……もらった」

 

「っ!? やはりイヅナが……」

 

 

「ねえ」 

 

「……今度は何ですか」

 

「僕、少し雪山の2人のところにいようかなって思ってる、だから研究所に行く準備ができたら、雪山まで迎えに来て」

 

「…………は?」

 

 少し突拍子もないことを言ってしまったようで、博士はキョトンとしている。

 

「じゃあかばんちゃん、雪山までバスに乗せてくれる?」

 

「あ、はい。……でも」

 

「大丈夫、落ち着いたら、話すから」

 

「……分かりました」

 

「じゃあ、博士、また」

 

 バスに乗って、雪山を目指して出発した。

 

 

 

 

 

「はあ……とことん自分勝手ですね、イヅナも、お前も」

「そういう意味では、似た者同士かもしれませんね」

「……やれやれなのです」

 

 

 

 

 

道中、

「こ、コカムイくん、大丈夫なの?」

 

「大丈夫だよサーバル、少しお世話になるだけだから」

 

「……そうじゃなくて」

 

「大丈夫だよ……大丈夫」

 

 自分に言い聞かせているようで、いや実際に言い聞かせていて、滑稽に感じられる。だけどこれをやめてしまったら、何かが壊れてしまいそうで。

 

 結局ほとんど会話もないまま、雪山に着いた。

 

「じゃあ、コカムイさん、あんまり思いつめないでくださいね」

 

「うん、分かった、ありがと……またね、サーバル」

 

「……うん」

 

 サーバルは目を合わせてくれなかった。

 

そのまま、バスは行ってしまった。

 

 

 

 

 

1人になると、ついさっきイヅナに受け取ったイヅナの記憶のことを思い出してしまった。

なんて残酷な事実だろう。

 

 

イヅナのやったことが残酷? 違う。

 

 

僕がやったことが? そうではない。

 

 

ただ、その事実が、僕の信じた『僕』を壊してしまった。

 

僕が記憶が無いなりに精々信じて目指したものを覆してしまった。

 

そうだ、僕は、いつか外に帰る時も来るんじゃないか、そう思って今までここで暮らしてきたんだ。

 

 

 

 

 

僕とは違う、『自分(だれか)』を夢見て。

 



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幕間 イヅナの記憶編
0-34 イヅナの思い出 前編


『カミサマって、なに? カミサマは、私たちを守ってくれるの?』

 

 初めてカミサマというものについて知ったとき、こんな質問をした。

 

『何かと思えば、中々難しい質問じゃな。……そうじゃな、守るというよりかは――』

 

あれは、私が『目覚めて』すぐのことだった。

 

 

 

 

 私はイヅナ、知っていると思うけど、化け狐だ。狐の妖怪といっても様々な種類がある。その中でも私は、管狐と呼ばれる憑き物の一種らしい。

 ただここの神主様によれば、私はちょっとした事情のせいでただの管狐とはわけが違うみたいだけど。

 

「神主様、おはようございます!」

 

「おはよう、寝坊助にしては早い朝じゃの」

 

「も、もう寝坊助じゃないですよお……」

 

 

 私たちがいる神社は、とある町のはずれにある。その町は大きくはないけど、ここに訪れてくれる人は少なくない。私は霊体だから、私の姿を見ることができる人はそう多くはないけれど。

 まあこの神社の仕事は忙しすぎず、それなりに細々とやっていけているらしい、それでもこの神社にお仕えしている人はこの神主様1人だけだから、最近辛い仕事が増えたと愚痴を言っていた。

 

 

 当然、この神社に居つく化け物の類は私だけではない。他の幽霊の子もいるし、時折妖怪もちょっかいを掛けようとやってくることがある。来るたびに神主様が退治するのだが、時々我慢強い妖怪が何度もやってきてそのままなし崩し的に数年ほど住み着いてしまうこともあるみたいだ。神主様曰く、こんな風に化け物が住みつくことのある神社は珍しいみたい。それも、神主様の体質に原因があると聞いている。

 

 

 ちょうど今は、妖怪になった化け狸が一匹住んでいる。ここに住み着いたのは私が目覚める前のことで、神主様からは『ポン吉』と呼ばれている。その名前の由来は何か聞いてみたら、ただ適当にそれっぽい名前を付けただけだった。『イヅナ』というしっかりした名前をもらえた私は幸運なのだろう。実際ポン吉に「お前みたいな名前が欲しかった」と言われたことがある。でも神主様は『寝坊助』としか呼んでくれない。

 

 

 さて、そろそろ私が神主様に『寝坊助』と呼ばれている理由を語らなければいけない頃合いだろう。それについて説明するには、私たち化け狐の一生について話すことから始めなければならない。

 

 化け狐の一生、それは動物霊が生まれることから始まる。動物霊は自我を持たない、ただそこに存在しているだけ。

 だがしばらくすると、その動物霊たちも自我を持つようになる、いわば物心が付くようなものだ。この出来事を『目覚め』と言って、『目覚める』とは自我を持つことなのだ。

 しかし、この段階でそれぞれの違いが現れ始める。

 

 一般に動物霊として誕生してから数十年から百年ほどで目覚め、それぞれの特徴をもった個体に変化していく。具体的なところは省くが、この段階で目覚めることができない個体が現れる。こんな霊は、そのうち消滅してしまう。

 

 

 そのボーダーラインはおよそ200年、これを越えても目覚めない個体はいずれ消滅するとみなされ見捨てられてしまう。

 

 私も、200年経っても『目覚めない』個体の1人だった。ただ他と違っていたのは、その後およそ1300年、消滅しないままここに残り続けたことだ。

 

 この神社に生まれた今の神主様が赤ちゃんの時から、いや神主様の遠いご先祖の時代から私は動物霊として存在していたことになる。

 

そして、ようやく自我を手に入れたのがここ数週間のことだ。自分の存在をはっきりと認識して、自由に体を動かせる。霊体だけど。

 

 眠っているうちになかなか私は知る妖怪は知る有名な存在になっていたみたいで、同じく私の存在を知っていたポン吉は、「天変地異が起こるぞ」とあたりに言いふらしていた。迷惑極まりない。

 

 およそ1300年、目覚めずに眠っていたというのが、私が寝坊助と呼ばれている所以である。

 

 

 はて、つい数日前ようやく自分を認識した者がなぜこんなに流暢に自分の身の上話や周りの話をできるのだろう。実を言ってしまえば分からない。ただ、神主様の説明は聞いてすぐに理解できた。他の狐は飲み込むのに数週間かかることも珍しくないらしく、神主様は「強い力を持つが故、眠りが長くなったのかもしれぬな」と言っていた。

 

 実際、強い力を持つ狐霊は200年ギリギリまで眠っていることがあるらしい。妖怪の類は長く生きれば生きるほど強い力を持つようになる。力の増え方は眠っていても目覚めてからも変わらないが、目覚めが遅くなればなるほど伸びしろが長くなる。

 

 ちなみに1300年という歳月も、私の妖力量を神主様が計って試算した数値だ。その昔からここに神社があったわけではないからね。

 

まあどちらにせよ、他の子と比べて気の遠くなるような歳月を眠って過ごしていたことになる。

 

 いくら強い力を持つとはいえ、起きてすぐのときは眠気のようなもやが頭にかかっていて、おかげで私は能力を不完全なまま誰か――たしか少年だった気がする――にかけてしまった。後にそのことを神主様が知るとカンカンになり、3日の間目が合うたびに説教をされたこともあった。

 

 

 ……能力、そう、能力だ! それについても説明しておく必要があるに違いない。霊はある程度以上の力を持つと、個体特有の能力を持つようになる。特有と言っても十数年に一度のペースで同じ能力を持つ個体が現れるといわれている。

 

 勘がいい人はもう分かっているかもしれないけど、私が手に入れた能力は普通のものではなかった。

 

 『記憶』……ヒト、動物を問わず――もしかしたら無機物にも――記憶に干渉することができるらしい。

 

 だから、前述した不完全なままかけた能力、それはその人の記憶に影響を与えたんだと思われる。

 

 

 

「なあイヅナ、知ってるか?」

 と話しかけてきたのはポン吉だ。

 

「…………」

 

「待て、記憶を覗こうとするな」

 

 バレてしまった。

 

「……主のこと?」

 

「なんだ、もう見ちまったのか? まあそうだ、お前もそのうち見つけなきゃいけないぞ」

 

「……うん」

 

 管狐は、目覚めてから数年のうちに主を見つけ、使えるのがしきたりだ。その主というのはいわゆる『飯綱使い』という職業の人たちのことだ。

 

 

「ただ、お前は難しいかもしれないな」

 

「ポン吉もそう思う?」

 

「ああ、寝坊助イヅナに仕事は難しいな」

 

「だから、も、もう寝坊助じゃないんだって!」

 

 

 神主様にも、私が主を見つけるのは困難だと言われている。

 

 第一に、少し有名になりすぎたみたい。1300年も眠っていた霊が目覚めたとあればその話は瞬く間に伝わる、遠くにも私を知る者がいるらしい。

 

 そしてもう一つ、能力が強すぎること、つまり能力が主にとって不都合になる可能性が高いらしいのだ。記憶に干渉されては主の側がいいように扱われるかもしれないし、何か起こった時にこちらに疑惑の目が向くことも少なくないみたい。

 

 そんなことも重なって並大抵の飯綱使いは尻込みしてしまい、私の主に名乗り出る者は当分現れないだろう、というのが神主様の見解だ。

 

 

 

「ま、神主様は優しいからお前もここに置いてくれるだろ」

 

「……そうだね」

 

「それにしても驚いたぜ、神主様も俺も、向こう1000年は寝続けるんじゃないかって思ってたからな、神主様が言うには、何かがお前の魂を『刺激』した結果、目覚めちまったんじゃないかってさ」

 

「……うん」

 

「おいおいなんだよ、そんな落ち込んで」

 

「この神社、人は来てくれるけど、他の幽霊のことかは全然いないな……って」

 

「ああー……そりゃアレだ、お前が強すぎるんだな、能力然り妖力然り、とんでもないオーラ放ってるから、あまりそういうのに敏感じゃない人は来るけど、敏感に反応する(あやかし)とか動物は寄ってこないんだ」

 

「……神主様は?」

 

「神主様とかはそういうのに慣れてるからな、お前の気に当てられたりはしないさ」

 

「……そっか」

 

「寂しいのか?」

 

「寂しいよ、でも、大丈夫……ふふふ」

 

「ハァ…………」

 

「な、なんでため息なの!?」

 

「なんでってお前、例のアレだろ?」

 

「そ、そんな言い方しないでよ、だって、私の……運命の人、なんだから」

 

「……呆れるな」

 

 

 なんでか呆れ顔のポン吉のことは置いておくとして、私の運命の人、それは前にも言った『私が能力を掛けた男の子』だ。

 

 神主様に聞いた、「どんな者も、能力が不安定なうちはよほどのことがない限りそれを行使することは少ないのじゃ」と。

 

 それはつまり、彼に能力を使う『よほどのこと』があったということだ。そしてそれはつまり、私の運命の人であるからに他ならない。

 

そう話せば、

 

「もう1万年寝ていた方がいいのではないか?」と神主様に言われ、

「ハハハ、天才狐の考えは分からないな」とポン吉に揶揄され、

ともかく散々な言われようだった。

 

 

 でも、そうに違いない、彼のことを思うと何か分からないとても不思議な感情が身をよぎる。他とは違う特別を感じる。

 記憶を操る私の記憶があいまいではっきり誰とは分からないのが残念だが、私の感覚すべてが運命を感じている。理屈で説明できるものじゃないけど、運命なんてそんなものに決まってるよ。

 

 

 

 

「お前、本当に信じてるのか?」

 

「うん、彼は私にとって『カミサマ』みたいなものなの」

 

「……それを聞いたら神主様怒るだろうな」

 

「いいの、私にしか分からないことだもの」

 

「だろうけどな、まあ、やりすぎるなよ?」

 

「え……何を?」

 

「ま、俺にとっても何となくだが、その運命の人について語ってるとき、その時のお前の妖力が――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――とんでもなく、どす黒く見えるんだよ」

 

 

「……アハハ、冗談でしょ」

 

 

真っ黒なわけないじゃない、こんなに純粋な思いで、こんなに真っ白な狐なのに。



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0-35 イヅナの思い出 中編

「やっぱり、見つからなかったかぁ……」 

 

今日で、私が目覚めてから1年、案の定、私の主になってくれる飯綱使いは現れなかった。

 

「ま、そんな落ち込むなよ、俺はこうなると予見してたけどな」

 

「ポン吉……」

 

「おかげで俺の懐もこれ以上ないほど潤った!」

 

「なっ、賭けてたの!?」

 

 この化け狸、他人の事情――人間に例えるなら就職事情――を金づるとして……

 

「ハハ、冗談だ、でもお前も予想できなかったわけじゃないだろ?」

 

「……そうだけど」

 

 要は、私が強すぎて主が見つからない、嫌味に聞こえるかもしれないけど、実際にそういうことなんだ。

 

「ま、そう焦るな……お前は半端な存在じゃない。だったら数千年に一度の力を持つ人間だってお前の所に現れてくれるだろ」

 

「そ、それって……!」

 

 やっぱり私には運命の――

 

「……頭の中がピンク色だな」

 

「何よ! ……でも」

 

 この1年の間、ポン吉にはこれ以上ないほどお世話になった。他の子――ポン吉以外の妖怪や幽霊――は、私を怖がって誰も近づいてくれなかった。神社に参拝してくれる人も、私を見ることができる人はいなかった。できることといえば私からちょっと悪戯を仕掛けるくらいだ。その後神主様に叱られた。

 

 それは置いといて、ポン吉はそんな私の心の拠り所の1つになってくれた。神主様でも、未だだれか分からない運命の人でもない、妖怪の友達の一人として、私と接してくれた。

 

 

「ポン吉のおかげで、少しは、寂しくなかった……ありがと」

 

「…………イヅナ」

 

 

 ポン吉がゆっくり近づいてきて……手を私の顔にかざして……デコピンをした。

 

 

「うう、いてて……」

 

「なんだよしんみりとしやがって、まだ1年だろ? これから長いんだから、そういうことは今生の別れの時にでも言ってくれよ」

 

「……ふふ、うん、そうする」

 

「というか、1300年生きてても寂しさとか感じるんだな」

 

「だ、だって眠ってた時のことは覚えてないし……」

 

 だから、今自覚している私――『イヅナ』という存在は少し前に()()を迎えたと言える。

 

 

「……そうだ、未だいない主の件で神主様がお前に話があるってさ」

 

「わかった……というか、ポン吉は大丈夫なの?」

 

「俺か? 俺の主は神主様だ、お前が目覚める前までな」

 

 さらっとポン吉が衝撃の告白。いつもポン吉は大事なことを物のついでのように言うのだから困ったものだ。

 

「……だから、お前とこんな風に何気なく話せるのも、神主様に力を分けてもらったおかげなんだ。……だからお礼なら、神主様にまとめて言っておきな……じゃあな、イヅナ」

 

「そっか、じゃあ行ってくるね」

 

 ポン吉の力じゃなくて、あくまで神主様の力。それを気にしているのか、ポン吉の背中は少し(うれ)いを帯びているように見えた。

 

 そしてこの時、ポン吉が「じゃあな」と私に言ったことを気にも留めなかったし、その意味も分からなかった。

 

 

 

 

 今の時間は正午、この時間帯、神主様は境内の掃除をしていることが多い。

 

「神主様、お話って何ですか?」

 

「来たか、寝坊助……いや、イヅナよ」

 

「……神主様?」

 

 聞き間違い? いやそんなはずはない、確かに今神主様は私のことを『イヅナ』と呼んだ。初めて寝坊助ではなく、神主様が付けてくれた名前で呼んでくれた。

 

「せっかく()()()()()()()お前に付けてやった名前じゃ、今日ぐらいはそれで呼んでやらないと、って思ってな」

 

 今日、ぐらいは……?

 

「イヅナ、、前々から思っていたことじゃが、お前を飯綱使いに任せるには、お前は強すぎる。この神社の看板として置いてやろうとも考えたが、こんな狭いところに縛り付けるのは好まぬ」

 

「神主様、それって……」

 

「イヅナよ、独り立ちし、自分の意志で生きてゆくのじゃ」

 

「…………」

 

「安心せい、お前は強い、1人で十分やっていける」

 

「そんな、私、ここに――」

 

「駄目じゃ!」

 

 強い、威圧するような声。

かつて私を叱った時も、こんな声は出さなかった。

 

「行ってこい、イヅナ。立派にならぬうちは、ここに来るのではないぞ」

 

 私は……私は――

 

「…ぅ……神主様……」

 

 辛い、寂しい、でも、覚悟を決めなきゃ。

 

「今まで、ありがとうございました……」

 

 

 

「――行ってきます」

 

 ポン吉に別れは言えなかった。だけど、ポン吉が私に言った言葉を思い出して、すでに神主様から聞いていたんだな、と気づいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あてもなく、ただどこへというわけでもなく、私は1年間過ごし慣れ親しんだ神社を飛び出した。

 

 

 初めに都会に行ってみた。

ひしめく人混み。

天高く並び立つビルの森。

レールの上を定刻通り走る列車。

 

 人々の中に、神も、妖怪も、幽霊も、心の底から信じている者はいなかった。

 

無神論、科学による否定、「いたら面白い」という娯楽としてのオカルト。

 

華やかで、賑やかで、その国の先端を行っている、中心都市。

きっと人間はここで暮らしたり、買い物をしたり、友人や恋人と遊んだり――

 

人間にとっては、これ以上ないほど楽しいところだろう。でも私にとって、そこは息苦しい場所である以外に存在のしようがなかった。

 

 私は、人と機械にあふれた都を去った。

 

 

 

 

 やはり私には、地方の信仰が深い土地でのびのびと暮らすことの方が向いているのかもしれない。

 

以前住んでいた神社がある土地、それよりもずっと田舎と呼べる地域にやってきた。

 

 緑にあふれ、空気も水も澄んでいて、時間が過ぎることへの焦燥は人々から感じられなかった。もっとも、都会の人々と比べての話だけど。

 

 この村には神社が2社あった。2つの建物は村を挟んで対極の位置に存在していた。この村の神社はお稲荷様を祀っているものと、あとよく分からないものを祀っているものがあるみたいだ。

 

 この村の人たちの生活、食事、祭事――挙げられることは尽きないだろう。けれども私にとってはそんなことはどうでもいいこと。

 

 私の目に留まったのは神社の扱いだった。2つあるうちの、お稲荷様を祀っている方――その神社は境内の掃除がなっていない、どころか一切していない。それなりの大きさがあるにも拘らず全く手入れがされていない。その分の労力はもう1つの神社にのみ費やされているようだ。

 

 ここの人たちはいい人が多いのかもしれない。神のことも信じているのかもしれない。だけど稲荷を軽視するところに定住しようとは思えない。

 

ふと私がこの神社を再建させてあげようかとも思ったけど、やっぱりやめた。

 

 その後いくつか街や村を巡ってみたけど、私が気に入るものは見つからなかった。

 これは不運だろうか、もしくは私の高望みだろうか。

 

 

 

 

「はあ……」

 

 私はとある港の岸壁に腰掛け、足をゆらゆらと揺らしていた。もちろん幽霊だからやろうと思えばすり抜けるし足もないようなものだけど。

 

もう黄昏時、沈みかけている太陽が水面に反射してとても美しかった。

 

「……海の、向こう側」

 

そうだ、何もこの国にこだわる必要なんてないじゃないか。

 

こことは言葉も文化も何もかも違うけれど、だからこそ私に会った場所が見つかるかもしれない。

 

 

そう思って、私は海を渡ることにした。

 

 

 

 

海の上をユラユラと漂って数時間、私は海の真ん中――海に真ん中なんてあるのかな? まあいいや――に、いくつかの大きな島の集まりを見つけた。

 

「なんだろ、ちょっと寄ってこっかな」

 

 どの島に降り立とうか、建物は少ないながらもポツポツと点在している、だけど興味を惹かれるものはなかった。結局、よく目立つ大きい火山のある島に降りることにした。

 

 

「っとと、どんな場所かな?」

 

 人の気配は感じない……植物が多くて、和やかな空気だ。元居た陸地と変わらぬ景色、唯一異なるのは仰いだ山頂から虹色のキラキラした何かが天に昇っていることだけだ。

 

 多分探せば誰かいるはず、空を飛んで探してみよう。

 

 私が降りたところは港、火山の方を向くと右手に森や平地、左手に褐色の地面と草、多分サバンナ……とかいうところだ。その奥には深緑の木々が生い茂っている様子が見える。……きっとジャングルだ。

 

人が居そうなのは……右手の方向かなぁ……

 

 さてさて、そちらにしばらく飛ぶと、開けた場所と木でできた建物が見えてきた。きっとこの中に誰かいるはず!

 

私は扉をすり抜けてその建物の中に入った。

 

 中を見ると……いた……だけど、何かおかしい。

確かにヒトのように椅子に座って何かを書いているけれど、頭からは動物の耳が生えていて、ヒトの耳もついている。少し視線を下に落とせば、尻尾も生えている。

 どうやら、ここの住人も一風変わった人たちのようだ。

 

「オオカミさん、マンガはどうですか?」

 

「アリツカゲラか、うん、いい感じだよ……ジャパリまん? ありがとう、頂くよ」

 

 さっきまで何かを書いていた方はオオカミ、そしてオオカミに話しかけたのはアリツカゲラというらしい、そして机の上にあるのはマンガらしいから、『書いて』ではなく『描いて』と訂正することにしよう。

 

 その後も会話をこっそりと聞いたけど、彼女たちの不思議な姿の理由は分からなかった。あの山のキラキラが……と予想することはできるけど、いまいち確証がないからもっと明確な証拠が欲しい。

 

 どこかに資料館でもないかな、と思いながら私はその建物から立ち去った。

 

 

 

  森から離れるように移動し、次に着いたのは雪山、その麓には旅館らしき建物があった、おそらくここにもあの不思議な動物の耳や尻尾を持つ人がいることだろう。

 

 しかしてその中にいたのは、金髪と銀髪の狐の特徴をもった2人だった。

 

「キタキツネ、いつまでゲームしてるの?」

「えぇー、もうちょっとー……」

「朝からそう言い続けてもう昼過ぎじゃない……」

 

 まさか狐がいるなんて……それはそうとして、『キタキツネ』や『ギンギツネ』は動物の種を表す名前だ、それでお互いを呼んでいるということは、この子たちのほかに『キタキツネ』、『ギンギツネ』はいないということになるのかな?

 

 そう考えると『アリツカゲラ』はよく知らないからいいとして、『オオカミ』は示す範囲が広すぎる気がする…………もしかして略して呼ばれていた? そう考えるのが自然だ。

 

 しかし、ここにもこの子たちのことが分かるようなものは置いてなかったから、次を目指すことにした。

 

「……あれ?」

「どうしたの、キタキツネ」

「……だれか、いたような気がする」

 

 

 

 

 

 

 ここで進む方向を大体直角に曲げて、次に到着したのは水辺の土地だった。

 

 水が広がっていて、少し飛び出したところに何かが建設されている。まだ完成していないようだ。

 

 覗いてみると、似た格好をした5人組が歌ったり踊ったりしている……これは、人間たちの言うところの『アイドル』というものなのだろうか?

 

 どちらにせよここに探し物はないと思うし、早く次に行きたいからすぐにそこは立ち去った。

 

 

 

 

 そして再び、森が見えてきた。

今度はその奥に何やら高い建物が。もしかしたら期待できるかもしれない。

 

 そしてその期待通り、そこは図書館だった。図書館となれば、私の欲しい情報が手に入るに違いない。

 

 そこにはフクロウが2人、もしかして司書さんなのかな? まあ話しかけても聞こえるはずはないから、勝手に本を漁ってしまいましょう。

 

 

 

 しばらく、まあ大体3ヶ月程度そこに入り浸って、そこにあった本のあれやこれやを引っ張り出して読んでいった。

 

 そのおかげで、フレンズ、サンドスター、セルリアン等々、この島で過ごして行く上での基本的な情報はあらかた手に入れることができた。

 

そのうちこの島にも愛着がわいてきて、ここで暮らしてもいいかな、と思い始めるようになってきた。でも、私は霊だからみんなに話しかけることができなくて寂しい。

 

 そこで、みんなと話せるように生身の体が欲しい、私は考えた。みんなと同じフレンズになれば、みんなと友達になれるに違いない、と。

 

 そのために、私は火山の噴火に目を付けた。サンドスターが沢山火山から噴き出すその日、火山に赴いてそれを浴びればフレンズになれるはず。

 

 

 そこで、私はしばらく火山の近くで待機し、その日を待った。

 

 

 

 

 

そして、その日はやってきた。

 

 

轟音、地面の揺れ。

 

それとともに虹色の輝きが天高く舞い上がった。

 

私はその中の塊の1つに近づき、ゆっくりと手を伸ばして――

 

 

 

 

 

――すり抜けた。

 

 

 理解ができなかった。何度も手を伸ばし、その度に手は空を切った。

 

ああ、そうなのか、霊である私には、霊でなくなることすら許されないのか。

 

 

 空しい気持ちで、まだ一縷の望みを持ったまま、サバンナへと飛んでいくサンドスターを追いかけた。

 

着地点の近くに、誰かいる。その近くに、何か落ちている。

 

より低くまで降りると、それが帽子であることが分かった。サンドスターはそれに吸い込まれるように落ちていく。

 

 

 

そしてその帽子に触れた瞬間、そこから影が伸び、紛れのない”ヒト”が生まれた。

 

「あ、あれは……?」

 

背中にかばんを背負い、少しおびえている彼女は、サバンナの向こうへと歩みを進めていく。

 

「……アハハ……」

 

 フレンズの誕生、私がなれなかった存在。

 

憧憬、嫉妬、羨望。

 

そんな気持ちをごちゃまぜにしながら、私は彼女のあとについていった。



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0-36 イヅナの思い出 後編

 鞄を背負った彼女についていく。当然彼女は私に気づかない。お話できたら、とっても楽しいはずなのに。

 

 

 サバンナをしばらく歩くと、向こうの木の上に誰かが寝ている。目を凝らしてよく見るとサーバルだった。この辺りは彼女の縄張りで、よく他のフレンズと狩りごっこをしたりして遊んでいる。

 火山の近くで噴火を待つ間、何度かサバンナに訪れることもあったから彼女のことも知っている。もちろん、彼女は私を知らない。

 

 ピョコっとサーバルの耳が立った。鞄を背負った子の足音を聞き取ったみたいで、木から大きくジャンプして着地した。

 

 始まる追いかけっこ、サーバルからしたらよくやる狩りごっこ、しかし追いかけられる方からしたらたまったものではない。

 

 程なくしてサーバルが彼女を捕まえた。

 

 その後しばらくの問答、彼女たちは図書館を目指すようだ。そしてサーバルが鞄を背負った彼女に『かばんちゃん』という名前を付けてあげたみたいだ。

 

 

 そのセンスは置いておくとしても、素敵なことだ。

 

 フレンズになる前、どんな人だったのかは知らない。だけどかばんちゃんはついさっきフレンズとなった。

 

そんな彼女のためにサーバルが付けた名前。かつて私が、神主様に付けてもらったような――生まれ変わった者のための名前。

 

 少なからず、かばんちゃんに親近感がわいた。自分がなりたくてもなれなかったフレンズという存在だから、思いを投影しているのかもしれないけど。

 

 

 

 このままサバンナにいる訳にも、はたまた再び火山に行くわけにもいかない。私は2人の後についていくことに決めた。もっと、かばんちゃんの姿を見ていたかった。

 

 木陰で休憩したり、木登りしたり、川に落ちて、小さなセルリアンをやっつけて、小さな池でカバに出会って――

 

 橋にいた大きなセルリアンをやっつけた。1人じゃない、2人の力で。もし私がフレンズになれていたら、彼女たちと共に――

 

 ジャングルを離れても、サーバルはかばんちゃんについていくみたい。

 

夜はゆっくりと眠る。ラッキービーストが喋れることに私も驚かされたのはここだけの話。

 

 2人と1体はどんどん進んでいく。ジャングル、こうざん、さばく、こはん、へいげん――

 

 

 

 そしてついに、彼女たちは図書館へとたどり着いた。

 

 博士と助手は何の動物か教える見返りにかばんちゃんに料理を作ることを要求した。かばんちゃんはサーバルの手助けも借りつつ、難なくカレーを完成させた。ただしその後辛さのせいでひと悶着あったんだけども。

 

 かばんちゃんは自分がヒトであると告げられた。これについては平原でハシビロコウの推測もあってあまり驚きはしなかったけど、ヒトがこの島から絶滅したと聞いた時には一切の言葉を失っていた。

 

 ヒトのキョウシュウエリアからの撤退。図書館の奥に大事にしまわれていた書物の中に書いてあるのを読んだことがある。無論、私がそれを教えることはできない。

 

 ともあれ、かばんちゃんは次なる目的を見出したようで、ヒトの縄張りを探すことにしたみたいだ。

 

 

 

 次に訪れたのは水辺のちほーで、そこでは3代目となるPPPが初めてのライブをしていた。博士にもらったチケットで見学したりしてその後なんやかんやあったけれど、今日のところはあまり深く言及はしない。……する日が来るとも思えない。

 

 でも、ここで人を最後に見たのは港であるという情報を2人は得ることができた。ただ、それは昔のことらしいし、この島にもうヒトがいないことは私が確認している。

 

 その次に着いたのが雪山。ここの温泉旅館にキタちゃんとギンちゃんがいるからここのことは印象深い。キタちゃん、などと呼ぶのは何だか親しくなったような気がするからだ。……気がするだけだ。

 

 温泉に浸かるみんなはとても気持ちよさそうだった。羨ましい。

 

 

 次はロッジ。私が見た第一フレンズのオオカミさんがマンガを描いているこの建物の名称だ。正確にはロッジアリツカ……これはアリツカゲラさんが付けた名前だったかな? ともかく今の名前はそうなっている。

 

 お化け騒動の時は、ついに私の姿が見られてしまったのか、と少し焦った。しかし、もしかしてこれを機に私も2人と一緒に行けるかもしれないという希望を持ってしまった。あえなくその望みが打ち砕かれてしまったことは言うまでもない。

 

 

 紆余曲折、様々な試練を乗り越え、多くのフレンズと仲良くなったかばんちゃんとサーバルは、とうとうこの島の港とそこから広がる海を目にした。

 

 しかもお誂え向きに外に向かうための船もある。これならこの島の外にあるヒトの縄張りも探すことができるはず。――あれ、フレンズはジャパリパークから出たらフレンズ化が解けるんじゃなかったっけ、かばんちゃんは外に出ても大丈夫なのかな?

 

 ヒトのフレンズは珍しいから分からないかもしれないけど、あとでもう少し図書館で漁ってみることにしよう。

 

 

 

 

 

 

 ……いよいよ生まれた島を離れ、外に仲間を探しに行くのか。

 

 短い間で、全然お話できなかった。けれど、見守っているだけでも楽しかったし、彼女たちがこれからどうしていくのかが楽しみでならない。

 

 きっとどんな場所でも、頑張れるんだろうな。

 

 

 ――そんな私の気持ちに、暗雲が立ち込める。

 

 

 おそらく、地面が揺れたのだろう。海に浮かぶ船、そしてかばんちゃんとサーバルの体が、不自然に大きく揺れた。

 

 様子を見に行った2人を追いかけた先で私が見たものは、今までと違う、黒いセルリアン。他の色をしたものとは違う禍々しさを、『狐』としての第六感が()()()()と感じ取っていた。

 

 セルリアンハンターも駆け付けて、いよいよ事が大きくなってきた。

 

 

 かばんちゃんたちは火山に向かうみたいで、どちらの様子を見ていようか少し悩んだけど、いつも通りかばんちゃんについて行くことにした。

 

 火山についた彼女を待っていた最初の出来事は、アライグマとの出会いだった。それは他のフレンズとの出会いと違って中々乱暴な挨拶であった。

 

 よく見れば、アライグマはかばんちゃんがフレンズになった時に近くにいた子によく似ている……おそらく本人なのだろう。

 

 そしてアライグマのお供のような立ち位置のフェネック。彼女は冷静かつおっとりな性格で、周囲の様子を観察することが得意に見える。行動力は高いが突っ走りすぎてしまうアライグマとは互いをフォローしあうという意味でぴったりのコンビだろう。

 

 ぼうし騒動の後は、フィルターを復活させてサンドスター・ロウがそのまま外に出てしまうことを防いだ。

 

 私の力でサンドスター・ロウにちょっかいを掛けられないかなー、と思って試してみたら、ちょっぴり思い通りに動かせた。でも妖力では動かしにくい。何か工夫がいるかもしれないと力の掛け方を変えてみたりとしたけれど、その成果が出る前にフィルターは修復された。

 

 

 サンドスター・ロウの放出が収まってもそれ以前に出てきたものは消せない。故に黒いセルリアンはサンドスター・ロウを吸い込んで先ほどよりも巨大になっていた。

 

 ここまで強大になってしまえば並大抵の方法では倒すことができない。そこでかばんちゃんの作戦を用いて船ごと海に沈めてしまおうという魂胆らしい。

 

 外に出るための船、それを犠牲にしてでもパークの皆を守りたいという覚悟――かばんちゃんがただ優しいからでは説明できないような、かつてパークを守ろうとした者の意思を、あるいは無意識の記憶を引き継いでいるような気さえしてきた。

 

 

――覗いてしまおうか?

 

――何か、一線を越えてしまいそうな気がした。

 

 

 

 

 

 セルリアンは光におびき寄せられる。

 

そのため、太陽が沈んだ妖が現れる夕刻、作戦が開始された。

 

運転席だけになったジャパリバスのライトを利用してセルリアンを海まで誘導して、船ごとボチャン、という算段だ。

 

枝がタイヤに引っ掛かってもハンドリングで吹き飛ばす。今日のボスは本気だ。

 

だとしても、都合よくいかないのは何かの約束なのだろうか。

 

セルリアンが地面を揺らしてバスを飛ばし、2人を食べようとしている。

 

そんなことさせない。使えるすべての妖力を集中させて、セルリアンの動きを止めようとする。

 

だけど、止まらない、止まらない、どうして?

 

私の力はこんなちっぽけなものだったの?何もできない。

 

 

サーバルがかばんちゃんとボスを庇って一度食べられて、決死の思いでかばんちゃんがセルリアンからサーバルを奪還した。

 

しかしセルリアンは止まらない。再びその輝きを奪おうと腕を振り上げる。

かばんちゃんが、松明を持って狙いを自分に――

 

 

 

 

 

 

――まただ、また止められなかった、奴はうんともすんとも言いはしない。私の力はどうなっている?自分の妖力を辿って原因を探った。

 

――――――分かった。『記憶』に干渉する私の力、これが原因だ。

 

 この『力』はまだ完全に覚醒しきっていない。あまりに強い物を持ってしまった弊害なのだろうか、湧き出てくる妖力がすべてここに吸い込まれてしまっている。もうほとんど覚醒していてあと少し、それでも今、この瞬間、セルリアンと戦って彼女たちを救うことは私にはできなかった。

 

 

 

――『私だって、悪さする妖怪を懲らしめたいよ、ポン吉!』

 

『い、イヅナは……ダメだ、その、周りにとばっちりが行くかもしれないだろ』

 

『ええー、それくらい制御できるって』

 

『と、とにかくダメだって、神主様に言われてるんだ、な? 我慢してくれ――』

 

 ポン吉のあのときの言葉は、神主様が止めたのは、私が戦えないことを隠すためだったのかな、私を傷つけないために……? 神主様は、全部お見通しだったのかな……

 

 

 失意の中、私にはもうこれ以上彼女たちの行く末を見守るなどという傲慢なことは言えず、そんなことをしたいという思いすら完全に擦り切れていた。

 

 ただ後から博士の記憶を覗いた限りでは、島全体にボスが信号を送り、多くのフレンズがかばんちゃんを助けるために駆け付け、結果としてかばんちゃんの救出にも成功し、黒いセルリアンも海に沈めることができたらしい。

 

 

 それだけは本当によかった。……だけど、それはかばんちゃんやサーバル、島の皆が団結してつかみ取ったものだ。私はみんなの友達にも、セルリアンを倒す助けにもなれなかった。

 

 

――――私はずっと、蚊帳の外だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このままじゃ、終われない。

 

どこかにあるはずだ。私でもフレンズになることができる方法が。

 

四神、オイナリサマ、ツチノコ……そんな伝説上の存在だって、フレンズとなった記録がある。私と違うのは一体何?

 

 

私だって、フレンズになりたい。『友達(フレンズ)』になりたい。

 

 

その一心で、セルリアンを海に沈めてから3日、私はその可能性をとある資料から発見した。

 

その可能性は明確ではなく、不確かなものだった。

 

 

だとしても、その可能性に縋らない手はない。

 

私はそんな希望を胸に、かつて私が住んでいた神社、あの町に帰ることにした。

 

再び、ここに戻ってくると誓って。



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0-37 イヅナの思い出 終編

――『カミサマって、なに? カミサマは、私たちを守ってくれるの?』

 

『何かと思えば、中々難しい質問じゃな。……そうじゃな、守るというよりかは救う、カミサマとは、我々を救う存在じゃ』

 

『救うのと守るのって違うの?』

 

『その通り、似ているかもしれないが、儂は別物だと考えている』

 

『……よくわかんない』

 

『簡単じゃ、「救う」ということは理解できるか?』

 

『う、うん……そっちは、なんとか』

 

『……難しいかもしれんが、神を守るのは我々の方なのじゃ』

 

『どうして?』

 

『いくら神と言えど、その神を信じる者なしには存在できない。神を信じ、その心の中で「守り続ける」。それが、我々にできることなのじゃ』

 

『……むずかしい』

 

『はは、別に「神」というのは物の例えじゃ。それはある人にとっては偉人や格言かもしれないし恩師かも知れない、はたまた神そのものかもしれない』

 

『カミサマを信じなくてもいいの?』

 

『お前が信じ、心の中で守っているもの、それがお前の「カミサマ」じゃ。それが宗教上の「神様」である必要はない』

 

 私はその意味が分からなくて、首を傾げた。

 

『――「カミサマ」というのは人それぞれが心の中に持つ一つの絶対的な存在じゃ。「神様の教えに従って生きる」「この言葉にふさわしくなれるように生きる」といったな……大事な人やものとは少し異なった、ある種の憧れの対象……それは自分と対等ではなく、自分の上にある存在なのじゃ』

 

『……んー?』

 

『ふ、まだ寝惚けておるのか?』

 

『ち、違うよ! もうわかったもん!』

 

『ははは、それはよかった』――

 

 

 

 

 

 

私が見つけた可能性。それはこんな資料の中に隠されていた。

 

『双頭の動物のフレンズ化における現象についての報告』

 

 この中にあった記述について一部を引用して紹介することにしよう。

 

『xxxx年01月27日 ジャパリパークキョウシュウエリア内で双頭のヤギが保護された。健康状態は悪くなく、より注意していれば直ちに問題はない状態だったため、研究所近くで保護観察を行うことに決定した。』

 

中略

 

『xxxx年02月25日 キョウシュウエリアにて火山の噴火が発生、大量のサンドスターが放出された。これによりフレンズが増えることが予測されるため、当エリアの職員はしばらくの間フレンズの数や種類、珍しい行動に特に配慮する。』

 

 

『xxxx年02月26日 ジャパリパーク中央研究所キョウシュウ支部の付近で保護観察を行っていた双頭のヤギにフレンズ化の反応が見られた。それだけでなく、他のフレンズに見られない極めて稀有な現象も確認されたので、それらについて整理し、追って報告する。』

 

 

『xxxx年03月02日 双頭のヤギのフレンズ化についての報告 

 件のヤギは、フレンズ化に際して2人のフレンズに分裂した。互いに同種のヤギのフレンズであり、持つ身体的特徴に一切の違いは見られない、双子のような状態である。また件の個体は2つの頭でそれぞれ異なる食べ物の好みを持ち、分裂した2人のフレンズも同様の違いを有していた。』

 

 

『xxxx年03月03日 双頭のヤギのフレンズ化についての簡素な考察

 まず双頭の動物が双子のフレンズに分裂したことについて、これはサンドスターとの反応の際、動物がもつ「意識」もしくは「自我」の数を「動物の数」と認識しフレンズと変化したと推測できる。よってこの現象は、動物に複数の自我もしくは意識がある場合、つまりヒトの多重人格に近い現象が起きている場合、同様にフレンズ化に際して同じ現象が起きる可能性を示唆している。

 そして異なる草の好み、これは前より考えられてきたフレンズ化以前の記憶、これを持っている可能性の根拠になりうる。ただしすべてのフレンズに同様の傾向がみられるわけではないので、これについては熟考の必要がある』

 

 

『xxxx年03月13日 双頭のヤギについて、さらなる研究のためにゴコクエリア研究所へと移送することが決定した。よってこの報告はこれにて完結し、以降の研究についてはゴコクエリア研究所にて報告書を新たに作成することになっている。』

 

 

 ここまで読んだ上で、特に注目してほしい部分はこれだ。

 

『多重人格に近い現象が起きている場合に同じ現象が起きる可能性』

 

 

 同じ現象というのは、2人のフレンズになったことだ。もし私がただの動物や妖怪の類だったならば、流し読みするか感心するかで終わっていた所だろう。しかし、私はそんな存在ではなかった。

 

 私は化け狐、とりわけ管狐と呼ばれる種族だ。管狐を従える者を飯綱使いとも言うが、彼らは使役する狐を他人に取り憑かせることができる。人にとり憑いている状態、すなわちそれは1人の体の中に複数の意識がある状態であり、この双頭のヤギと同様の状態である。

 

 ともすれば私がすべきことは、外の世界でとり憑く人間を探し、その体でジャパリパークへと舞い戻り輝きをその身に浴びることなのだ。

 

 しかし、誰でもいいというわけではない。幽体と違い、人の体は空を長く飛ぶことは難しい、精々連続で2時間程度が限界だ。ならば船で向かうことになるが、化け狐は連続して人にとり憑き続けるということができない。正確に言えば、とりついた状態でその人間の意識を乗っ取るにも限度があるということだ。

 

 だが、こちらはとり憑かれる人間との相性によって、乗っ取る時間を際限なく伸ばすことができる。相性が最高に抜群な相手の場合、理論上その体がもつ限り半永久的に乗っ取り続けることが可能になる。

 

 

 だから私は魂の相性が良い人間を探すのを目標にした。でも、長く神社に戻ってきていない。生半可な状態で戻ってくるなと言われたけど、長い間誰とも話せず、とても寂しかった。いくら叱られても構わない、神主様と、ポン吉とお話がしたい。私は懐かしの神社にようやく戻ってきた。

 

 

 私が神社に着いたとき、ポン吉が箒を持って境内を掃除していた。

 

「……っ! い、イヅナか?」

 

「うん……えへへ、帰ってきちゃった。神主様に、叱られるかな?」

 

「え、ああ……神主様が見たら、怒られちまう、かもな」

 

 ポン吉はちょっぴり挙動不審というか、そわそわしている。

 

「ねえポン吉、神主様はどこ?」

 

「っ、あ……いない」

 

「え、そう……買い物?」

 

「…………」

 

「ふふ、なんというか久しぶりだね、元気にしてた?」

 

「まあ、な……」

 

「神主様ったら、私が帰ってきたってのにどこ行っちゃったんだろ? 戻ってくるまで待ってよーっと」

 

 そう言って私は賽銭箱の前にある階段に腰掛けた。

 

「…………ぇよ」

 

「……? 何か言った?」

 

 ポン吉の顔を覗き込んでみると、その両目から涙が頬に一本の線を描き、地面の石畳に小さなシミを作った。

 

「神主様はもう、帰って、来ねぇよ」

 

「……どういう、こと?」

 

「……死んじまった、2ヶ月前に、急死した。……年だったのかもな」

 

「……やな冗談、ポン吉、神主様はどこ? 元気なんでしょ?」

 

「冗談なわけ、ねぇだろ……神主様は、土の中だよ」

 

 人差し指を地面に向けて、やるせないようにポン吉は吐き捨てた。今になって神社の様子を見ると、掃除自体はされているけど、人が来たような形跡が一切見られない。

 

「周りの人達は悲しんだし、亡くなってすぐのうちは来てくれたりもしたよ。だが、神主のいない神社に継続して来るような奴なんて、よほどの物好きだけだ」

 

「……妖怪とか、幽霊の子もいないね」

 

「まあな……普通の神社ならいないんだ、元に戻ったんだろ」

 

「…………」

 

 

 私が持っていた淡い希望も、神主様の衝撃的な死去の報せにその小さな光は霞むように消えてしまった。丸3日間、何をするというわけでもなくただ呆然と縁側に寝転がって、太陽と月が出て沈むのを眺めていた。

 

 

 そしてそのまた次の日のことだった。

 

「イヅナ、お前はどうして戻ってきたんだ? お前の方で何かあったんだろ」

 

「……もう、どうでもいいの」

 

 恩返しもできないまま、神主様はいなくなってしまった。きっと、何かしなければけないんだ、だけど、そんな気力は潰えてしまった。数か月もの間誰かと話すことさえできなかった孤独と、彼女たちの役に立てなかったという無力感。それによってすり減らされた心に、あの訃報がとどめを刺した。

 

「何も、したくないや」

 

「そんな訳にはいかないだろ、帰ってきた時のお前は、確かに疲れていた。だけど、ほんの少しだけど目は輝いていたし、何か強い望みがあったように見えたんだ」

 

「気にしないで。私、ここで過ごすことにしたから」

 

「や、やめてくれ、いいんだ、縛られるのはオレ1人で。オレは神主様の使い、というか式神、みたいなのに成っちまったから、最期までここを守んなきゃいけねえ」

 

「だったら私だって、神主様に恩が――」

 

「神主様は、お前が一人前になることを望んでた、俺も同じだ、考えなおせ、強いショックで落ち込んでるだけだ……落ち着けば、立ち直れる」

 

 

 一人前……なりたいと思ったものにはなれず、守りたいと思ったにものすら力を貸すことができなかった……こんなに未熟なのに……

 

「……あー、お前が何を考えてるかは知らんが、力が足りないなら強くなればいいし、半人前なら一人前になれるよう努力すりゃいい、だから、そのー、思い詰めるな、それと、前を向いてくれ、お前だけでもな」

 

 そっか、そうだよね、そう思うことにしよう。

 

 

「ありがと、ポン吉にしては、いいこと言うじゃん」

 

「な、どういう意味だ!?」

 

「ふふ、大人になったんだね」

 

「ったりめーだ! これでも目覚めてから30年だからな!」

 

「え、私の15倍生きてそれくらいなの?」

 

「う、うるせえ、お前は長く眠ってた分成長してたんだよ……多分」 

 

「……ふふ、あはは!」

 

「わ、笑うな!」

 

 よし、気を取り直して、とり憑く人間を探そう。初めの計画通り、私と相性のいい人間がターゲットになる。霊感が強くて、稲荷神と親和性の高い人がそれにあたると推測している。

 

 

「よし、今から動かないと!」

 

「ああ、その調子だ」

 

 私が神社から出発しようとしたその時、神社に来客が現れた。見ると、高校の制服を着た男の子だった。背丈や雰囲気から察して、多分3年生の子だと思う。

 

 これは少し後にポン吉に聞いた話だが、この時期、この辺りの高校は夏休みに入るところが多いらしい。だとしても、これから寂れ行く神社に訪れる人というのは珍しい。

 

「あっ……」

 

 ここまで書き連ねた言葉だけでは、ただの物好きな参拝客としか思えないだろう。

 

 でも私は、彼を知っている。彼が、ただの人ではないと私のおぼろげな記憶が告げている。

 

 今になって、初めて『能力』を使った時のぼんやりした記憶が、文字通り霧が晴れるように鮮明に目の前に映し出された。

 

 

 

 

「みいつけた……!」

 

 私が、初めて力を掛けた人、私の運命の人。私の憧れ。

 

 なんて素敵なことだろう。まさか今会えるなんて。

 

 

 彼は、どこか疲れているように見えた。深く、絶望しているような。思えば、2年前に初めて彼を見たときもそんな様子だった。

 

 彼は、賽銭箱にいくつか小銭を入れて、少しの間拝んでいた。

 

 その後、その横に置いてあったおみくじを引いて、中身を見ることなく破り捨てた。なんと縁起の悪い。

 

 

 ――これは余談だけど、おみくじを結ぶ行為はは神様と縁を結ぶという意味を持っている。それを破り捨てるとは、何かと縁を切りたいのか、はたまた自分の運命に尋常でない不満を感じているのか。

 

 一体そのどちらなのかは私には計り知れないことだ。けれど、彼の痛々しい姿をこれ以上見ていたくない、心が痛い、胸が締め付けられる。

 

 俯いて神社を去ろうとする彼を止めようと近づいた。

 

 すると彼は歩みを止めて振り返って、私と目が合った。

 

 

 

 ――目が、合った。

 

 彼なら、もしかしたら。

 

 私は彼にとり憑こうと、額に手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――

 

 結果としては、大成功だった。

 

 私と彼の相性は非常によかった。理論上の最高、とまではいかなかったが、十分だ。完全ではないので永遠にとり憑けるというわけではないが、人間の寿命から言えば永遠と呼んでも差し支えない年月だ。

 

 絶対に彼を連れていかなきゃ、もはや形振り構っている余裕などありはしない。連れ去る形になったとしても、彼を逃がすわけにはいかない。

 

私がずっと憧れて、信じてきた人、神主様がかつて私に教えてくれた「カミサマ」という憧れの存在。彼は、私の、私だけの「カミサマ」だ。

 

 今から、彼をジャパリパークへと連れていくための準備をしよう。様々な意味で一番邪魔なのが、彼の記憶だ。初めて見たときも、さっきも彼は辛そうだった。それに行動を見ても、何か嫌なことがあったに違いない。いやな記憶は全部、忘れさせてあげたい。 

 

 そして記憶が残っていたら、彼はジャパリパークの外へ出ていこうとするかもしれない。これが大きな問題だ。私がフレンズ化して彼と分かれた後も彼をあの島のみんなと馴染ませなくちゃいけない、だから島に着いてからずっと私が体を操ることはできない、彼が島のみんなと仲良くなるために彼に自由に行動をさせる。

 

 すると彼が島の外に出ようとすることは非常に面倒だ。他にも策は打っておくけど、記憶を失わせてすぐ島の外に出ようと思わないように仕向けよう。

 

 ……記憶をすべて失くしてしまったら、それはもう今の彼とは別人だ。

 

 

 

 ――だから、彼には新しい名前をつけてあげよう。

 

神主様が私に名前をつけてくれたように、

 

サーバルがかばんちゃんにつけてあげたように。

 

 

狐神(コカムイ) 祝明(ノリアキ)

 

 私と、『()』の()()()『神』様(カミサマ)の、2人のこれからが『祝』福され、『明』るいものでありますように。

 

 ふふ、我ながら、とっても素敵な名前だな。

 

 当然、ノリくんにもこの名前を教えなきゃいけないから……この手帳に書いておこう。

 

でも、読めなかったりしたら大変だから、ローマ字で『Kokamui Noriaki』っと。

 

 

 

 さて、すぐにすべきことは終わらせた、最後に、挨拶をしていかなきゃ。

 

 

「神主様、私に名前を付けてくれて、1年間お世話してくれて、たくさんのことを教えてくれて、ありがとうございました。恩返しはできなかったけど、私は、私の『カミサマ』を見つけられました。 ……さようなら、神主様」

 

「……行っちまうのか」

 

「ポン吉も、今までありがとね、いっぱいお話したり、励ましてもらったり」

 

「……ああ、たくさんしたな」

 

「きっと、もう私はここに戻ってこない、だから、言わせてもらうよ。ポン吉、本当に、ありがとう」

 

 ポン吉の目から涙が溢れる、その涙は、私たちを祝福する涙だ。

 

 私も、ついもらい泣きしちゃった。

 

「ああ……ああ! さよなら、イヅナ」

 

「……さよなら、ポン吉、元気でね」

 

 

 

 

 

 

 

 ジャパリパークへの移動はボートを使う。

 

 とり憑いた状態だと、長い間、少なくとも島に着くまで飛び続けることができないからだ。

 

 ボートに乗って、エンジンを掛ける。その音と共に、気持ちもだんだんと高揚する。

 

 

今、ここから始まるんだ。

 

 

 

イヅナ()とノリくん』の、

 

 

 

『キツネとカミサマ』の物語が。

 

 

 

 



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Chapter 004 想いは強く、願いは脆く
4-38 げぇむぼぉい・あどばんす


 

 

「えっとこうやって……うわわっ、でもまだ……ここだっ!」

 

 強烈な必殺技がCPUキャラに炸裂、辛くもハードモードの敵に勝利を収めることができた。これもキタキツネのご教示のおかげだ。

 

「やるね……でも、もう一つ上があるよ」

 

「アドバイスありがと、キタキツネ、でもそれはもう少し後になると思うかなぁ……あはは」

 

「……いつまでやっているのかしら」

 

「いいじゃん、たまには羽目を外したくなる時だってあるんだよ」

 

「……それを言い続けてもう3日目ね」

 

「……キタキツネ、今度は対戦しようよ」

 

「わかった」

 

「聞きなさい」

 

 

 ギンギツネの言う通り、雪山にお世話になって今日で3日目だ。おそらく今日で一週間が経つ頃だから、今日か明日には博士が呼びに来てくれることだろう。

 

 

「大体、そんなにダラダラしていいと思ってるの?」

 

「いいじゃない、簡単な料理は作るし、朝はちゃんと起きるし布団も片づけるよ、雪かきとかもお手伝いしたでしょ?」

 

「それはそうだけど……で、でも! それ以外の時間はどうかしら、ゴロゴロしてるかゲームしてるか、まるでキタキツネが2人に増えたようだわ!」

 

「……ボクだって、最近はちゃんとしてるよ」

 

 いつの間にやら1人プレイを始めていたキタキツネが答えた。

 

「ゲームをやりながら言っても説得力ないわよ」

 

「まあ、でもまあ、楽しいし、2人とも仲良くなれたしさ」

 

 

 たった3日と言えど、ある程度まとまった時間一緒に過ごせば、なんとなく人となりとか分かりやすい癖を知ることができる。

 

 キタキツネは()()()()な性格で、ゲームが大好き。ここにそれしかないからだけど、格闘ゲームが大得意。今まで磨かれた技術と動物由来の勘とも言える類稀なゲームセンスには舌を巻くほかない。勘にのみ言えば、普段のよくある場面でもその片鱗を垣間見ることができる。

 

 ギンギツネはしっかり者で、しゃきっとしてて、けれどどこか抜けている感じ……かな。考えることは苦手ではないし、理性的な方ではあるのだけれど。抜けているように見えるのは、ヒトとフレンズの常識の違いというものが原因かもしれない。

 

……とまあ、こんな感じに、注意深く見ていればこれくらいは分かる。伊達にゴロゴロしていたわけではないのだ。

 

 

「仲良く、なったのかしら?」

 

「なったよ、ほら、呼び方はともかく、ギンギツネ、僕に敬語で話すことなくなったでしょ?」

 

「まあ、そうね……」

 

「それって、打ち解けられたからじゃないかな」

 

「――ふふ、どうかしらね」

 

 なぜか、鼻で笑うようにそう言われてしまった。

 

「あそこまでダラダラしているのを見たら、なんだか敬語を使う気にならなくなったわ」

 

「……むむ、ひどいや」

 

「うん、ギンギツネ、ひどいんだよ。いっつもいい所でげぇむをやめさせようとしてくるの」

 

「それはあなたが夜遅くまでやってるからよ」

 

「……ボクたち夜行性だよ」

 

「ともかく、一番の盛り上がりで止めるなんて、悪魔の所業だよー!」

「……そうだ、そうだー」

 

 微力ながらもキタキツネが加勢してくれた。ギンギツネをからかうのはささやかな楽しみになっている。

 

「あ、あなたたちねぇ……! はぁー……」

 

 ギンギツネは、苦笑いをした後大きくため息をついて、心なしか穏やかな顔になったように見えた。

 

 

「……でも、元気が戻ったようで何よりね」

 

「え?」

 

「あら、覚えていないの? ここに来た時、本当にひどい顔だったわよ」

 

「え、そうなの、キタキツネ?」

 

「うん、『全クリまでやりこんだゲームのデータが消えたとき』みたいな顔だった」

 

「また分かりにくい例えね……」

 

「そ、そんなひどい顔してたんだ……」

 

「……通じるのね」

 

 

 だけど、『セーブデータが消えた』という表現は言い得て妙なのかもしれない。僕はこの島に来る前の記憶の一切を失っている。脳内のセーブデータが丸ごと消されてしまった。あまつさえ新しい名前を付けられている。まさに『強くてニューゲーム』と表現してもいい状況だ。

 

 

「だけど、元気になってよかった」

 

「心配してくれてたんだ、ありがと、キタキツネ」

 

 

 しかし少し落ち着いて思い起こすと、イヅナの記憶にあった『自分』の服装と、今僕が身に着けている服は異なっている。多分イヅナが着せ替えたと思うんだけど、学校の制服のような恰好から、白を基調とした和風な洋服みたいな服に変わっている。

 

 それも相まって、今ここにいる『狐神祝明』と、かつて外にいた『自分』が同一人物に思えない。記憶を失くしているから当然ということではなく、例え記憶を全て取り戻したとしても、僕はかつての『自分』に戻ることはできないだろうとなぜか直感している。

 

 

 

「でも、何があってあそこまで落ち込んでたの?」

 

「……やっぱり、気になる?」

 

「え、ええ」

 

 普通ではないほど落胆していたそうだから、並大抵のことではないと気になるのも仕方のないことだ。

 

「まあ、そうだよね……ふぅ」

 

「…………」

 

 ギンギツネは固唾を飲んで次の言葉を待っている。

 

「……あ、キタキツネ、調子はいい?」

 

「うん、絶好調」

 

 ……あ、倒した。最高難易度というのによくやるものだ。

 

「教えてくれないの!?」

 

「え、教えてほしいの?」

 

「べ、別に言いたくないなら無理しなくてもいいけど……」

 

 僕が突然キタキツネに話しかけたときのギンギツネのあのびっくりした顔! とっても面白い。

 

「全く、こんなことして楽しいのかしら?」

 

 それが顔に出ていたようで、ギンギツネに呆れるようにそう言われてしまった。

 

「うん、キタキツネとゲームしてると楽しいよー」

 

「そ、そうなんだ……えへへ、うれしいな」

 

「……で、私はどうなの」

 

「ギンギツネはー、……面白いよ」

 

「……どういう意味なのかしら」

 

「あ、あははー……」

 

 

 そうこう話しているうちにお昼時になった。僕は今日も簡単な料理を作った。今日作ったのは具の少ないカレーのようなもので、ジャパリまんに付けて食べられるようにしてある。この食べ方は、前にゆうえんちでやったお祭りの時に披露されたものだ。

 

 

「もぐもぐ……」

 

「なかなかのものね、いつものジャパリまんでもこれを付けるだけで大違いだわ」

 

 2人ともいたく気に入ってくれたようで、こちらも嬉しい。料理に関してはまだ火を点ける動作がぎこちないけど、それ以降の作業はもうスラスラと行うことができる。

 

 なんだろう、フレンズ化の恩恵だったりするのかな? フレンズになる前にでも、自分ひとりで料理を作る機会でもあればフレンズ化前後の違いが分かったんだけど、残念だ。

 

「料理も、おいしくなったね」

 

「そう言われても、3日しか作ってないよ?」

 

「……ああ、そっちも気づいてなかったのね」

 

「それって、どういう……?」

 

 ()()()()と言われる辺りで、うっすらと話の流れが見えてきて冷や汗が流れた。

 

「あなたが最初に作ったの、ひどい出来だったわよ」

 

「すごく、しょっぱかった」

 

「それでもって、作ったあなたが食べて失神したんだから、片づけが大変だったのよ」

 

「……そうだったんだ、ごめん」

 

「いいのよ、別に」

 

 雪山に来た翌日の記憶が曖昧なのはそのせいだったのか。

 

 その後、今日の()()()()カレーを食べきってギンギツネと一緒に食器や調理器具を片づけた。

 

 

 

 

「コカムイさん、この島に来てどれくらい経ったの?」

 

「ええと、大体一か月だとは思うけど……」

 

 念のため日記を確認してみたら、昨日書いた日記は23日目のものだ、とすると今日は24日目ってことになる。

 

「細かく言えば少し短いけど、大体一か月だね」

 

「ふう……色々あって大変じゃない?」

 

「そりゃまあ、短い間に本当にたくさんのことがあって……」

 

 一か月も経っていない、とても短い間だ。その間しか、僕は『狐神祝明』ではなかった。なのに、『狐神祝明』としてのアイデンティティが今ここで崩れそうだ――などと言うのは滑稽だろうか?

 

「まだまだ、僕がどんな人間か自分でもよく分からなくてさ」

 

 名前も知らない『自分(誰か)』であった時間の方が、ずっとずっと長かったというのに。

 

「何か悩んでるなら聞くわよ?」

 

「話せるような悩みは、ないかなぁ……」

 

 おいそれと話せるような悩みじゃないからね。イヅナと面と向かって話をして、決着をしなきゃいけない。

 

 

 

「そういえば、イヅナちゃんはどうしてるの?」

 

「うぇ、イヅナ?」

 

 ちょうどイヅナについて考えているところにその名前が出てきて、ちょっぴりビクッと反応してしまった。

 

「イヅナは今ちょっと、自由奔放に旅してる」

 

「へえ、そうなのね」

 

「だから、あの祭りの日からあんまり会えてないんだよね」

 

「……イヅナちゃんって何の狐なのかしら、『イヅナ』っていうのは動物の名前じゃないわよね」

 

 口が裂けても狐の幽霊だなんて言えるわけがない。

 

「それは、今調べてるとこ」

 

「あら、そう……イヅナちゃん、今何してるのかしらね」

 

「さあね……」

 

 僕が最後に見たのは3日前だけど、ヘラジカさんのところに数日いて、その後図書館に来るまで何をしていたか不明瞭なんだよね。イヅナが来たタイミングも丁度いいのが怪しい。

 

「――悪さしてないといいけど」

 

 

 

 ――イヅナの目的か。

 

 記憶の中ではフレンズになりたい、って言ってた。

 

 それだけじゃないっては分かるけど……いや、イヅナがこの島に来た最初の目的はもう達成されたと考えるべきだ。

 

 となると、その後にしたいことがあって、そのために今動いているとしよう。

 

 

 よし、手帳も使って整理しよう。

 

 イヅナがやった大きなことといえば、ボートを壊したのと、僕に彼女の記憶を見せたことだ。

 

 『理解してほしい』という趣旨の発言、さらに記憶の中で『自分』に執着しているような言動があった……それを顧みると、僕をこの島に引き留めようとしている……のかな。

 

「外に出たって、僕には何もないのに」

 

 そんな言葉が、口をついて出てきた。

 

 半分は自嘲の言葉、もう半分はここまで対策をしてもまだ足りないと感じているイヅナへの言葉だ。

 

――ホント、オーバーキルだよ。

 

 

 

 ふと、キタキツネと目が合った。

 

「……なんで泣いてるの?」

 

「え……? ああ、今日は遅く起きたから、まだ眠いのかもね」

 

「ねえ、今度は対戦しよう?」

 

「……ごめん、気分じゃないや、後でね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日の早朝、僕は足にかかる衝撃と共に乱暴に起こされた。その起こし方からして、いつも起こしてくれるギンギツネではないと、起動前の頭でも考えることができた。

 

 目を開けると、いかにも偉そうに博士が仁王立ちしていた。博士にもっと身長があれば、威圧感も出せたことだろう。

 

 

「……うう、博士、なんで?」

 

「やれやれ、自分で頼んでおいてそれですか? まあ、いつかのように地べたで寝ていないだけマシというものです」

 

「ふあぁ……ごめんごめん、準備するね」

 

「呑気なものです。尤も、いつまでも落ち込んでいるのも考え物ですがね」

 

「……ん、なにか言った?」

 

「なんでもないのですよ、さあ、早くするのです」

 

 

 手帳、ペン、勾玉、その他一式……問題ないね。

 

「えっと……よし、じゃあ、2人に一声――」

「まだ寝ているのですよ」

 

「来るの早すぎるよ……って、まだ太陽昇ってないじゃん!?」

 

 やけに暗いと思えば、そこまで早かったのか。

 

「はぁ……あまりうるさくすると起こしてしまうのですよ?」

 

「……じゃ、メモでも残してくよ」

 

 書置きを畳んだ布団の上に置いた。

 

「読めるのですか?」

 

「さあ、なんとかなるんじゃない?」

 

 もし読めなくても、雰囲気で察してくれることを祈ろう。

 

「……では、行くとしましょう」

 

 赤ボスを自分の前に抱えて、以前のように博士に僕を持ってもらいながら、空を飛んで研究所まで向かった。

 

 



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4-39 ラボラトリー

 ロッジの南の海岸近く、ツタを出すセルリアンの出没が記憶に新しい森の中。木々の合間を縫って目を凝らせば、そこから港を見ることもできるだろう。その森の中に隠されるように建てられた研究所に到着した。

 

 そこにはすでにかばんちゃんと助手がいた。かばんちゃんの方は眠そうな顔をしているから、助手に無理やり起こされてしまったのだろう。

 

「……ぁ、おはようございます、コカムイさん」

 

「おはよう、かばんちゃん。……眠そうだね」

 

「はい、でも大丈夫です」

 

「無理はしないでね」

 

 かばんちゃんにそう言うと、助手が一言、

「無理をするという意味では、お前の方が心配なのですよ、コカムイ」

と言った。

 

「え?」

 

「そ、そうですよ、大丈夫なんですか?」

 

「か、かばんちゃんも……?」

 

「コカムイ、あの味噌汁のこと、まだ忘れていないのですよ」

 

「博士までぇ!?」

 

 そんなにしょっぱかったのかなぁ……?

 

「まあ、元気に反応できるならマシになったのでしょうね」

 

 

 

 

「じゃ、早く入ろうよ」

 

「もう開いているのですよ」

 

「え、そう?」

 

 扉に近づくと勝手に開いた。自動ドアのようだ。

 

「でも、ロックはどうなったの?」

 

「ボクが解除して、いつでも開けられるようにしておきました」

 

「そうなんだ……かばんちゃんも見ていく?」

 

「はい、ボクも気になりますから」

 

 入り口をくぐって、ようやく研究所に入った。

 

 研究所の中は壁も床も天井も真っ白だった。規則的に黒い線が入っているけど、反射で眩しくてかなわない。

 

 少しして、ようやく目が慣れ建物の様子を見ることができた。

 

 博士と助手も続いて中に入ってきた。

 

「なるほど、これが研究所というやつですか」

「面白いものがありそうですね、博士」

 

 

 まず最初に目についたのは、奥にある大きなモニターだった。その下には、キーボードのような操作盤がついている。視線を動かすと、いくつかの扉が見えた。おそらく分けられた部屋があるのだろう。さらに階段や印刷機なども見ることができる。

 

 大きな机が置いてあって、その近くを一体のラッキービーストがあっちこっちと忙しなく動いている。机は綺麗になっているけど所々ホコリを被った棚もあり、掃除は行き届いていないみたい。

 

 

「コノラッキービーストハ、ソーラーパネルヲ起動シタ時ニ再稼働ヲハジメタンダ」

 

「じゃあ、一週間前からここの掃除をしてたんだ」

 

 たった一週間、一体でこの建物のすべてを綺麗にしろ、というのは酷というものだ。むしろよく一週間もの間ひとりぼっちで頑張ったものだ。しかし、ラッキービーストに独りを寂しがる心はあるのだろうか。

 

 

――愚問か。

 

 

 

 

 

「ジャア、()()()()()()()()()()ヲ起動スルヨ」

 

 赤ボスがモニターに近づき、なにやら通信を始めた。そしてすぐにモニターに電源が入って、文字が表示された。

 

『Japari Park Central Research Institute :Kyoshu Area Section』

 

「ジャパリパーク中央研究所キョウシュウエリア支部」と書いてあるようだ、多分。

 

 その文字が消えて、次に『JPCRI』というロゴが現れた。それもまもなく消えて、真っ白な画面に変化した。

 

 するとスピーカーらしき機械から、ラッキービーストによく似た声が聞こえてきた。

 

 

『こちらは、ジャパリパーク中央研究所キョウシュウエリア支部です、アクセス権の認証をしてください』

 

「認証……?」

 

「あ、多分ボクのラッキーさんにお願いすればできると思います」

 

「まかせて」

 

 かばんちゃんのボスが光って、それに連動してモニターにもウィンドウが表示された。そこにゲージが表示されて、処理が進むのと共にパーセンテージが上昇していく。

 

 

『通信中、通信中……「暫定パークガイド かばん」を認証しました、データベースへのアクセスを許可します』

 

 画面が目次に遷移した。『マップ』『フレンズ』『施設』『製造』『研究』などの項目が箇条書きになって並んでいる。

 

 

「どうやって操作するの?」

 

『そちらのタッチパッドで、カーソルの操作を行えます』

 

 言われた通りにタッチパッドに触れると、本当にカーソルを動かせた。どうやら、ノートパソコンにあるようなものと同じ要領で動かすことができるみたいだ。

 

 何を調べようか悩んでいると、博士がコンピューターに質問をした。

 

「この”こんぴゅーたー”とかいうものでは何を調べられるのですか?」

 

『…………』

 

 コンピューターの中のラッキービーストは博士に反応しなかった。代わりに僕が聞いてみることにした。

 

「ここでは何を調べられますか?」

 

『はい、まず大きな五項目について説明いたします』

 

 今度は反応してくれた。博士は不満そうにしている。

 

「コイツもヒトにしか反応しないのですか……」

 

「まあまあ、とりあえず聞こうよ」

 

 五項目、というと恐らく箇条書きになっている五つのことを指しているはずだ。

 

 

『初めに、「マップ」――これはキョウシュウエリアの地図、もしくはジャパリパークの他のエリアの地図を表示いたします』

 

 地図と言えば図書館にあった「ジャパリパーク全図」がある、これと何か違う点はあるのだろうか。

 

「それは、この本にあるのと同じもの?」

 

『こちらの「マップ」は、本部のデータベースを参照し常にアップデートされており、天気予報も行うことができます』

 

「うわぁ、比べ物にならないほどハイスペック……」

 

「コカムイ、()()()()()()とは何なのですか?」

 

「ああ、それはこれからの天気を予測したもので、知ってる限りだと一週間後の天気くらいは予測できたはずだよ」

 

「むむ、ヒトというのは興味深いことをするのですね」

 

 

『続いて「フレンズ」、これはこの島にいるフレンズの種類や大まかな生息地、健康状態を知ることができます』

 

「え、どうやって?」

 

『各地にいるラッキービーストより、リアルタイムで情報を受信しています』

 

「……特定のフレンズを追跡することってできる?」

 

『はい、可能です』

 

 とんでもないことだ、この研究所は名実ともにこの島の中枢機関であることに間違いはない。

 

 

『「施設」、これはこの島にある人工、天然を問わない建物あるいは地域の状態を知ることができます。こちらもラッキービーストと情報を共有し、セルリアンの出現状況も確認できます』

 

「セルリアンも……」

 

「そんなことが可能なのですか……!?」

 

 助手も驚いている。しかしフレンズの状態を知れるなら、セルリアンの情報も手に入れられることに何ら違和感はない。

 

『「製造」、これは主に原材料の生産、ジャパリまんの製造の状況を確認できます』

 

『「研究」の項目では、この研究所で行われた実験や研究の報告データ、そして学会に提出された論文を閲覧することが可能です。そして必要ならば、これまでの項目全ての情報について、印刷をすることが可能です』

 

 

 

「……なるほどね」

 

「コカムイ、お前は分かったのですか?」

「我々でも少し混乱しているのです」

 

「すみません、ボクもちょっと……」

 

「そっか……使ううちに慣れたりしない?」

 

「慣れることができるなら、問題はないのですが」

「如何せん、あいつ我々には反応しないのです」

 

 それが一番ネックになるところだね。もしかしたら博士たちじゃ操作すらできないかもしれない。

 

「とりあえず、操作できるか試してみてよ」

 

 博士がタッチパッドに触れると、ごく普通にカーソルが動いた。操作の可否という点については杞憂だったようだ。

 

 

 

 

 

 

 

「では、どうするのですか?」

 

「うーん、研究についてみる前に、やってみたいことがあるんだ」

 

「というと?」

 

「まあ、見てて」

 

 僕は『フレンズ』の項目を開いて、コンピューターのボスに話しかけた。

 

「イヅナを追跡してくれるかな」

 

『……「イヅナ」というフレンズはデータベースにありません』

 

「え、データベースにない?」

 

『追跡対象の分類に沿った名称、あるいは学名を指定する必要があります』

 

「イヅナの学名……一体どういう名前なのでしょうかね?」

 

 イヅナはもともと幽霊で、妖怪とかその辺りの類だから、学名とか分類とかつけようがない。そこまで細かく指定されたら事典でも引っ張ってこないと言えそうにない。

 

「なんとか、特徴で指定できないかな? その、「体毛が白い狐」とかさ」

 

『申し訳ありません、そのような追跡は不可能です』

 

「ええー……」

 

 便利だなと思ったけど、意外と融通の利かない機能だ。

 

「コカムイ、どうしますか?」

 

 

「仕方ないや、研究の項目を見よう」

 

 その項目には、様々な分類に分けられた実験記録や報告、論文が保存されていた。題名を流し見していくと、提出された日付がもっとも最近のものを見つけた。

 

「ねえ、この記録の日付は?」

 

『これは、2か月前の記録になります』

 

「2か月前……」

 

 恐らくその時点でこの島にもうヒトはいない。ならば他の場所で行われた実験の記録ということだ。

 

「この記録を提出した研究所はどこ?」

 

『ホートクエリア研究所です』

 

「ホートクエリア、ってことは……」

 

「そこに、まだヒトがいる可能性が高いって事ですね!」

 

 この情報に素早く反応したのはかばんちゃんだった。彼女にとって、ヒトが生存している場所があるという情報はこれ以上ない吉報だろう。

 

 しかし、ホートクエリアというとこのキョウシュウから遠く離れていると書いてあった気がする。

 

「ホートクエリア以外に、ヒトが居る地方はどこ?」

 

『2ヶ月前の時点で、キョウシュウエリア以外の研究所は問題なく運営されています。巨大セルリアンの脅威に関連し、現在キョウシュウエリアへの立ち入りは禁止されています』

 

「じゃあ、他の場所にはヒトがいるんですね」

 

 異常なのはむしろこの島だった、ということか。しかし、立ち入り禁止のエリアにある研究所を開放して、なにか問題などは起きないのだろうか? それに、『2ヶ月前の時点』という表現も気になる。

 

『現在、何らかの理由にて本部、他の研究所との通信が断線されています』

 

「じゃあ、通信はできない、と」

 

『この島の施設で完結する機能は問題なく作動していますが、新たな記録の受信、送信、他エリアの施設との通信は不可能です』

 

 少し前まではどこも大丈夫だったらしいけど、今の状態は分からない。この島に巨大セルリアンが現れたのも突然のことだった。何が起こっていても不思議ではない。特に、サンドスターなんて常識外れの物質が存在しているところでは。

 

 

 

 ――サンドスター……?

 

 何か、何かが引っ掛かる、大事なことを忘れているような……。

 

 

 キョウシュウエリア支部の記録の題名を一通り見ると、頭に引っ掛かっていた物の正体が分かった。

 

「サンドスターについての記録がない……?」

 

「――なるほど、確かに見当たらないのです、ですが、それが何か?」

 

「前に、図書館にあった『建設計画』……だったっけ? それに『サンドスターの保存』って研究項目があったんだ」

 

 それを思い出し、この研究所から提出された記録を『サンドスター』のキーワードで検索した。しかし――

 

「この通り、サンドスターに関する研究結果は出てこない……ねえ、サンドスターの研究について、閲覧することはできるかな?」

 

『暫定パークガイドの権限では、その資料の閲覧はできません』

 

 なるほど、権限が足りなかったということか。なんとかして見たいものだけど、何か方法はないだろうか。

 

 

「かばんちゃん、頑張ってもっと偉くなれない?」

 

「えぇ!? む、無理ですよ……」

 

 まあ、そりゃそうか。

 

 しかしなんというか、肝心なところで役に立たなかったりするのはこっちのAIみたいなやつも赤ボスたちも変わらないものだ。

 

「サンドスターについての資料がそんなに重要なのですか?」

 

「あ、ああ……まあね」

 

 特に気になることが一番多い分野だからね。

 

 

 ぽつりと、博士がつぶやいた。

 

「……カードキーはどうでしょう」

 

「……?」

 

「カードキーならあるいは、いけるかもしれないのですよ」

 

「じゃあ、試してみよっか」

 

 博士からカードキーを受け取って、少し迷った後赤ボスにカードキーを読み取らせてメインコンピューターと通信してもらった。

 

 

『カードキー読み込み中……ライセンスレベル最大、認証しました』

 

「え、えっと……見れる?」

 

『只今表示します』

 

 一瞬のうちに『サンドスター』のキーワードを持つ記録がずらりと画面に表示された。

 

「物は試し、ですね」

 

「……本当にいけたよ」

 

 ここまでくると、セルリアンの体内からこのカードキーを引っ張り出したイヅナがいよいよ何者なんだと本気で考えてしまう。

 

「……よし、見てみよう」

 

 

 僕は、一番上の記録にカーソルを合わせ、そのファイルを開いた。

 

 

 



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4-40 見つけてサンドスター

『サンドスターの性質についての考察と推論』

 

『キョウシュウエリアにおいて、サンドスターは島の中央に位置する火山より噴出している。

 

 サンドスターの接触によるフレンズ化、気候条件の変動、サンドスター・ロウと関連したセルリアン(Cellien)の生成については他エリアと同様の現象が発生する。

 

 この報告では、キョウシュウエリアにおける実験、観測の結果などから、サンドスター及びサンドスター・ロウの性質について考察する。

 

 始めに結論を述べると、サンドスターの性質の一つに、「再現」というものがあると考えている。そして、サンドスターの中心ともいえる性質は、「記憶」ではないか、とも考えている。

 

 

 先の女王事件に関連し、現時点でセルリアンに保存と再現の性質があることは周知の事実だが、「再現」という性質に関しては、元々サンドスターが持っていたものではないか、と考えているのが今回の考察の前半だ。

 

 その根拠の一つ目が、フレンズ化である。

 

ご存知の通り、フレンズ化とは動物やその遺物がサンドスターに触れることによりヒト化する現象のことだ。

 

我々は、このフレンズ化という現象を動物がヒトの体を再現していると解釈した。

 

 また気候変動においても、サンドスターが気温、湿度、日射し等を再現する形で操作していると考えられる。

 

 そして、再現という性質は、普通フィルターを通して浄化されたサンドスターのみが持ち、サンドスター・ロウには備わっていなかったと推測できる。

 

 サンドスター・ロウにも再現の性質が備わっているならば、無機物がヒトの形をとることも不可能ではないからだ。現にフレンズ化が発生しない気候がサンドスターの影響を受けて、気候を再現していることがその根拠として挙げられる。

 

 セルリアンがヒトの形をとっておらず、他の再現と言えない形となっているのは、再現という性質を持たないサンドスター・ロウを体を構成する主物質としているからであろう。

 

 セルリアンが、輝きを奪うことなくして「再現」を行うことができないのも、サンドスター・ロウに「再現」の性質が備わっていないからと考えられる。

 

 更にこの仮説は、かつて存在したフレンズ型セルリアン、通称『セーバル』の存在によっても補強される。

 

 同個体はサーバルの持つ特別な輝きを奪うことによりセルリアンが変異することにより誕生した。その結果サーバルに酷似した容貌に変化することとなる。それが、サンドスターのみが持つ再現という性質に影響された結果であることは明らかである。

 

 変異した後の容貌が、他でもないサーバル――セルリアンが奪った輝きの元の持ち主――によく似ていることも、それを物語っている。

 

 

 

 ここからは、「記憶」の話をしようと思う。

 

 サンドスターの持つ性質の中枢を担っているものは、「記憶」であると我々は考えている。

 

 そこで大きな根拠となるのが、フレンズ化における傾向だ。

 

 まず、同じ種のフレンズは、同じ容姿となる。

 この特徴に、我々は注目した。

 

 なぜ、同じ種のフレンズは同じ見た目となるのか。同じ動物に、同じ「サンドスター」という物質が触れるのだから当然、という考え方が今までなされてきた。しかし同じ種と言えど、個体ごとに差はある。今までの考え方を貫き通すのは非合理的だろう。

 

 そこで唱えるのが、今回の仮説だ。

 

 もしサンドスターが、それぞれの粒子の中に同一の「記憶」を内包しているとしたらどうだろう。

 

 フレンズ化の際、その種に合わせた記憶が引き出され、それをもとに「再現」という性質を発現させているとしたら、このような傾向にも説明を付けることができる。

 

 また、フレンズはフレンズ化の直後から言葉を話すことができ、自らの体をヒトと遜色ない精度で動かすことができる。

 

 言葉や会話、体の動かし方、これらはヒトの場合、普通幼少期から何年もかけ記憶するものだ。それらをフレンズ化直後に行うことができるのは、サンドスターからそれらに必要な「記憶」を引き継いでいるからと言えるのではないだろうか。

 

 

 サンドスターに内包されているであろう「記憶」、もし実際に存在しているのであれば、その記憶はヒトの文化に大きく影響を受けていると言わざるを得ない。

 

 ヒトの言葉を扱えることはもちろんのこと、種によってはヒトの間で語り継がれてきた”伝説”の中の特徴を持っているフレンズもいる。また、ツチノコなどの未確認生命体のフレンズも存在している。

 

 これらの存在もまた、「記憶」がヒトの影響を受けていることを示唆し、サンドスターが持つ「記憶」の存在の証左になっているといえよう。

 

 先ほど述べた「セーバル」について、「サーバル」と記憶を共有しているような出来事がいくつかあったと報告を受けている。サンドスター、すなわち「輝き」のやり取りによって、サーバルの記憶が一部移動したと考えられる。

 

 元々セルリアンは輝きを奪うだけの存在だったが、輝きの中にはサンドスターだけでなく「記憶」というものも含まれていた。記憶をセルリアンが体内でサンドスターに変換しているのか、あるいは逆であるのかは定かではないが、「サンドスター」という物質と「記憶」という現象の間に、深い関連性がある可能性は高いとみている。』

 

 

 

 

 

 

――パークガイド権限では閲覧できない、サンドスターについての資料。

 

 どういった経緯、思惑で閲覧を制限したのかは定かではないけど、それほど重要な情報だったと分かる。未知の物質の情報が、悪意ある第三者の手に渡らないようにしたかったのだろう。

 

「記憶……か」

 

「……? その言葉に、何か思い当たりが?」

 

「いや、なんでもないよ、博士」

 

「……本当なのですか?」

 

「……強いて言うなら、僕、全部忘れちゃってるから」

 

「あ…………そ、そうでしたね」

 

 博士は気分を落とした。言い方が悪かったのか、申し訳なく思わせてしまった。

 

――イヅナの、記憶を操る能力が……サンドスターに影響を与えられたなら……?

 

 次なる情報を得るために、一つ下の『サンドスターの保存』についてのファイルを開いた。

 

『サンドスターの保存

 

  本実験は、以下の四項目を調査するために行われる。

 

1.サンドスター、及びサンドスター・ロウの性質を保ったまま保存することの可否

2. 1が可能な場合の、保存に用いる容器

3. 1が可能な場合の、保存に適した環境

4. 1が不可能な場合の、サンドスター・ロウの危険性を低下させる方法』

 

 このファイルに連なって、多くの実験記録が保存されていた。

 

 その一つ一つを詳細に記述していては数万文字に及んでしまうと考えられるから、必要と感じた部分を要約して以下に記そう。

 

 

 

 まず、サンドスターの性質を保ったまま保存すること、これは可能のようだ。記録を読む限り、研究所から少し離れた海岸沿いにもう一つ建物があって、現在そこでサンドスターとサンドスター・ロウの保存が行われているらしい。

 

 次に、保存するときの容器、これは非常にユニークなものが使われていた。植物だ。海水を染み込ませた植物のツタを凍らせて、それを使いサンドスターを包むことによって保存する。

 

 この島の保存施設でもこの方法が採られており、氷が解けないように極低温で保存する必要があるため冷凍コンテナのような作りになっているらしい。

 

 海水に浸し、凍らせることによって強固さが増すと考えられていたが、実験によって、セルリアンの出現率を抑えられるかもしれない、という可能性が浮上した。それによりこの方式が発案され、承認された。

 

 記録を読む限り、セルリアンの出現を抑えるという効果は明確に立証されたわけではないが、実際に出現していないので問題なしと思われているようだ。

 

 そしてサンドスターの保存に成功したため、どうやら4番の実験は行われなかったようだ。

 

 とこんなことを記録から読み取り、他の部屋を調べていた博士たちを呼んで話した。

 

 

「ヒトは、こんな実験も行っていたのですね……」と助手は驚いている。

 

「サンドスターの保存……」

 

「セルリアンをどうにかすることはできなかったけど、ここまで進めた実績はあるってことだね」

 

 

 ここで、博士が言った。

「しかし話を聞くと、海水がセルリアンに有効であることは証明されていないようですね?」

 

「実験の機会が少なかったのか、セルリアンが海を避けるから実行に移せなかったか……想像するしかないね」

 

 

 もう少し詳しく調べてみよう、まだ何か分かるかもしれない。

 

「まだ調べるのですか?」

 今の博士の言葉は、「まだサンドスターの保存について調べるのか」という意味だろう。記録が多いことも相まって、かれこれ1時間は読み続けている。

 

「これに他より厳重なロックが掛けられてたってことは、それだけ重要な何かがあるはずなんだ」

 

「……では、我々は他の部屋を見てくるのです」

 

「あれ、調べ切ってないうちに呼んじゃった?」

 

「気にしないでいいのです、では行ってくるのです」

 

 そう言って博士は部屋に入り、助手はその隣の部屋に入った。

 

「じゃあ、ボクも行きますね」とかばんちゃんは2階に上った。

 

 

 

 

 

 

 ファイルを閉じて、更に下に表示された記録をしばらく見て回ると、気になる記述を見つけた。

 

『実験の最中、ツタを出し操る技能を持つセルリアンが出没した。討伐のため手元にあった海水を掛けたが、溶岩になることはなかった。』

 

 ツタを出すセルリアン……研究所の近くに現れたセルリアンの特徴と合致している。何か実験と関係しているかもしれない。それを調べるためには……

 

「海岸沿いに保存施設があるって書いてあったよね、それを見に行こう……赤ボス、場所は分かる?」

 

「マカセテ、データベースカラ位置情報ヲダウンロードシテ、案内スルヨ」

 

「ありがとう、じゃあ博士たちの様子も確かめないとね」

 

 

 まず、博士のいる部屋に入った。

 

 その部屋は壁も床も天井もさっきいた部屋と同じように真っ白で、さらに綺麗になっているように見える。ベッドがいくつかあって、よく見ると奥の棚に薬品の類があって、ベッドも医療用であると分かる。どうやらここは医務室のようだ。

 

「おや、終わったのですか?」

 

「うん、まだやることはあるけど、みんな集めてからね……で、ここは医務室、なのかな」

 

「恐らくは……ここで、怪我人の治療をしたのでしょうね」

 

 棚の薬品をいくつか手に取ってみたが、用途が分かるのは消毒液や包帯などの怪我の処置をするための道具だけだった。

 

「ここにあるのは治療用のものだけだね」

 

「実験に用いるようなものなら、助手のいる部屋にあるそうなのです」

 

「そうなんだ、じゃあ調べ終わったらコンピューターのある部屋に集まってね」

 

「分かったのです」

 

 

 

 部屋を出て、すぐ隣の扉に入った。

 

 その部屋はなるほど、確かにいかにもな実験室だった。理科室で見るような机が4つほど並び、こちらも奥に棚がある。そこには懐かしのアルコールランプやエタノール、塩酸、ヨウ素液etc……とにかくたくさん置いてあった。

 

「お前は使い道が分かるのですか?」

 

「まあ、学校の実験で使ったものくらいならね」

 

「”がっこう”……ヒトがほぼ必ず通うと言われている施設ですね」

 

「ほぼ必ず、っていうのは僕の国の話だけどね」

 

「それはいいとして、知ってる物について片っ端から教えるのです」

 

 助手にせびられ、ほとんど無くなった記憶をなんとか絞り出して置いてある道具の使い方を説明した。存外、小学校でだけ使ったようなものはほとんど忘れかけていた。

 

「ふぅ……疲れた」

 

「では、私は前の部屋に戻っているのです」

 

「わかった、僕は2階行ってくるね」

 

 

 助手と一緒に部屋を出ると既に博士も部屋から出ていたようで、二人は合流してそれぞれの調査の結果を報告している。

 

 

 

 2階に上ると、そこは下の階の部屋と違って、職員がくつろぐために作られた場所であると一目見て分かった。

 

 ドリンクバーには多くの種類の飲み物が用意されていて、イスもゆったりとできる造りになっている。寝転がれるソファーもあり、研究に疲れた職員がここで疲れを取っていた様子が想像できる。

 

「あ、コカムイさん、調べものは終わりました?」

 

「うん、おかげさまでね……ここは、休憩所かな」

 

「そうみたいです、広くてのびのびできますし、あっちにゲーム機もありましたよ」

 

「へぇ、ゲームねぇ……」

 

 キタキツネが喜びそうだけど、ここまで来ることを面倒くさがりそうだなー……と考えながら、かばんちゃんが指さした方に歩いていった。

 

 ゲーム機があったのは、仕切りを隔てた仮眠室の中だった。そこの少し低いテーブルの上に、それらは置いてあった。

 

 4つの、折り畳み式携帯ゲーム機。ご丁寧にすぐそばに機数分のゲームソフトまで用意されている。当然、充電器も数がそろっている。

 

「わあ、すごい」

 

 持ち運びできるなら、キタキツネがわざわざここに来る必要もないし、確かこの機種には通信機能もあったから、一緒に遊べることだろう。肩に下げてきた鞄に4セットまとめて放り込もうとした。だけど入りきらなくて、仕方なく本体を1つポケットに入れた。

 

 そして、かばんちゃんのいるところまで戻った。

 

「じゃあ、下に降りよっか」

 

「あ、はい」

 

 

 

 かばんちゃんと共に1階に降りて、これからの予定を話すことにした。

 

「ひとまず、海岸沿いにあるっていうサンドスターを保存してる建物、そこに行こうと思うんだ」

 

「なるほど、確かに気になるのです」

 

「赤ボスに案内してもらう予定だけど、みんなで行く?」

 

「我々はついていくのです」

「当然なのです」

 

「ボクも、一緒に行きます」

 

「じゃ、行こっか、案内よろしくね、赤ボス」

 

「マカセテ」

 

 

 赤ボスに先導され、僕たちはサンドスターの保存施設に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、彼らが見えなくなった頃、研究所の扉が開かれ、中に入る者がいた。彼女は純白の尻尾をなびかせ、音を一切立てずにそこまで歩き、静かにメインコンピューターの操作を始めた。

 

『こちらは、ジャパリパーク中央研究所キョウシュウ支部です。御用は何でしょうか?』

 

「うーんと、そうだね……じゃあ……ゴコクエリア研究所の記録を、見せてほしいな」

 

『分かりました』

 

 彼女はモニターに表示された記録のリストを見て、ある記録に目を止めた。

 

 しばらく思案したのち、コンピューターにこう言った。

 

「時間、ないよね……印刷、してくれるかな?」

 

『分かりました』

 

 

 

 プリンターから出た紙をホチキスで留めて一通り目を通し、ハッとしたかと思うと、先ほどの「時間がない」という言葉はどこへやら、彼女は椅子に座って悠々とその資料を読み始めた。

 

 その目に微かな悲しみを湛えながら。

 

 



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4-41 その束縛は塩の味

 赤ボスの案内に従い、サンドスターを保存している建物に到着した。

 

「……ここ、みたいだね」

 

 それは、一見して山中にあるような小屋のようだった。しかし赤ボスの説明を聞くと,それは地下に広い保存空間が広がっているそうだ。

 

 入口とおぼしき扉には研究所にあったのと同じセキュリティロックが施されていたが、こちらはカードキーだけで解除することができた。ただ、こちらの解除に必要なカードキーの階級は研究所よりも高いので、研究所よりも入りにくくなっているようだ。

 

 扉を開けると暗闇に包まれた階段が奥深く続いている。

 

 まもなく天井の照明が点き、その階段の全貌を照らす。

 

 

「じゃあ、行こっか、まず僕が様子を見てくるよ」

 

「では、後から我々が」

 

 

 踏み外さぬよう、一段一段ゆっくりと慎重に降りていく。足音が狭い空間に反響し、どことなく不気味に感じられた。

 

 やがて平らな通路に入って再び前へ前へと歩いていく。すると突き当りに、何の仕掛けもない金属の扉があった。その扉には横長の長方形の形をした窓があり、その窓は結露し曇っている。

 

「よし……んっ?」

 

 開けようと扉を引っ張ると動かない。どうやら電子ロックが掛けられているらしい。一昔前の牢屋に付けられていそうな古臭い扉からは想像もできなかった。

 

 赤ボスが通信してその鍵を外すと、開いた扉の隙間から身震いするほどの冷気が漏れ出した。ふと思いついて扉に触れると、とてつもなく冷たかった。

 

「っ、寒い……」

 

 扉を開け切って内部を見ると、白いもやがゆっくりと晴れて、吊るされた無数のツタの塊が視界に入った。それらは霜がかかったようにうっすらと白い。

 

 しかし中にはツタが解けて中身のサンドスターが漏れ出しているものや、吊り下げるためのフックから外れて床に落ちているものもある。床は心なしか濡れていて、塩のような結晶もちらほらと見えた。

 

「これって、溶けてたりしたのかな?」

 

「研究所ノ停電ニヨッテ、冷房ガ稼働ヲ停止シテイタ影響ダネ」

 

 

「な、なんですかここは!? とんでもなく寒いのです!」

「凍えてしまうのですよ……」

 

 様子を見て2人も建物の中に入ってきた。見ての通り寒がっている。

 

「寒さが辛いなら、外で待っててもいいよ」

 

「心配無用……なの……です……」

「こ、これくらい、なんのこれしき……」

 

「……とんでもなく震えてるけど」

 

「我々も、自分の目で見なければ……」

「そうです……この島の長なので」

 

 あくまで見たいと言うのなら止めないけど、この様子では体調を崩しかねない。

 

「赤ボス、2人についていてくれる?」

 

「ワカッタヨ」

 

 赤ボスに様子を見させて、本格的に危なくなる前に外で安静にしてもらおう。後顧の憂いを無くしたところで、本腰を入れて調べよう。

 

「これは、雪山みたいな空気ですね」

 

 かばんちゃんもやってきた。

 

「雪山はもっと、綺麗な空気だった気がするけどね」

 

「ふふ、そうですね」

 

 何かあっても困るし、赤ボスは博士たちの方に遣っている。僕たちも2人で調査をしよう。

 

 

 

「……で、調べるんだけど」

 

「どこを見ればいいんでしょう……?」

 

 平らな床、天井、等間隔で吊られている植物の塊。その光景が途切れることなくずっと続くように見える。

 

 明かりは床に設置された弱い茶色の光だけで、下手をすれば転倒もやむなし、といったところだ。

 

 

 壁を伝って進んでも入口以外に扉は見当たらず、体温だけがゆっくりと奪われてゆくのみだ。やがて博士たちとも成果なく合流して、一度寒さから逃れるため、地下の長い通路に戻った。

 

 

 

「サンドスターがあるだけだったのです」

 

 確かに見た目だけではそうだった。しかし、かばんちゃんのボスに内部の解析もお願いしていた。これで、何か見えない物も見つかるかもしれない。

 

「ラッキーさんの解析によると、中にサンドスター・ロウが入っているものもあったそうです」

 

「ですが、研究所の情報の再確認に過ぎないのです」

 

 目視も機械による調査も芳しくなかった。ここは基本情報をもう一度確認してみることにしよう。

 

「赤ボス、この建物の詳しい情報を話してくれる?」

 

「ワカッタヨ、研究所ト通信シテ”データ”ヲ取得スルネ」

 

 十数秒後、通信が終わった赤ボスによってこの施設の情報が伝えられた。

 

『この施設は、サンドスターの保存のために造られました。この施設の冷却設備等は、全て研究所にて管理しています。初稼働時から現在に至るまで、セルリアン出現と言ったアクシデントは一切起こっていません。』

 

「だってさ」

 

「となると、ここを調べたのは無駄骨だった、というわけですね」

 

「……暑くなったら駆け込めばいいんじゃない?」

 

「寒すぎる場所は好みではないのです」

 

「あはは、そっか」

 

 これ以上ここで手に入れられる情報はないから、さっさと研究所に舞い戻った。

 

 

 

「……これからどうしましょう」

 

「一通り調べたので、また後日、としても悪くないのです」

 

「コカムイは、どう考えていますか?」

 

「そうだねぇ……あれ、ホチキス?」

 

 テーブルの上に、見覚えのないホチキスが置いてあった。

 

「誰か使った?」

 

「いえ、我々は違うのです」

「ボクも違います」

 

「……そう」

 

 研究所のボスにホチキスは預けて、話を続けよう。

 

「気になると言えば、さっきの説明にあった『アクシデントは起こっていない』って言葉だよ」

 

「ええ、アクシデントならこの島で散々起こったのですからね」

 

 それって、どのことだろう。僕がここに来てからのことでも心当たりがいくつもあって分からないや。

 

「ええと、とにかくセルリアンが出てないってところが引っ掛かったんだ」

 

「確かに、セルリアンが出現した、って資料にも書いてありましたね」

 

「ですがあの施設からは出ていない、つまり」

「別の建物で出現した、と考えられるのですね」

 

 ここまでは推測で……あとは別の建物がある証拠が見つかれば確実になる。

 ここはメインコンピューターさんに聞いてみよう。

 

「そうなるね……ねえ、この島に、廃棄された実験室、みたいなものはない?」

 

『……サンドスターに関連する実験室が、セルリアンの襲撃により廃棄されました』

 

 ――ビンゴ。

 

 あのセルリアンはきっとそこから出て来たものに違いない。廃棄されたとしても、サンドスターが残留している可能性は十分にある。

 

「では、向かいますか?」

 

「いや、やめておこう」

 

 その建物は存在を確認できただけで十分だ。いまさら行っても記録以上の情報は取れないと思うし、セルリアンがまだうじゃうじゃいる可能性もある。行くとしたらハンターの3人に協力を仰ぐことにしよう。

 

「それより、一度ボートの様子を見に行くよ」

 

「では、我々も」

 

「いやいや、僕一人でいいよ、危なくなったら赤ボスを通して助けを呼ぶから」

 

 壊れたボートの観察に4人でぞろぞろと向かっても意味なんてない。

 

 むしろここにある薬品やら機械やらをもう少し詳しく見てくれた方がきっとこれからの役に立つこと間違いなしだ。

 

「くれぐれも、気を付けるのですよ」

 

 

 

 

 

 かばんちゃんが研究所に来るために乗ってきたバスを借りて、ボートのある場所までドライブ。といっても運転しているのは赤ボスだけどね。

 

 今回はセルリアンが出てくるなんてこともなく、至って普通にボートを発見できた。

 

 前にキンシコウさんと協力してひっくり返した時と見た目はほとんど変わらない。

……ハンドルが無くなっている以外は。

 

 なるほど、ハンドルを取ってしまえば運転などできまい。というイヅナからのメッセージか。

 

 しかし、それだけではない気がする。イヅナはかなり用心深い。

 

「赤ボス、内部のスキャンはできる?」

 

「ダイジョウブ、マカセテネ」

 

赤ボスの双眸から発された緑の光がボートをスキャンして、その結果が出された。

 

「どうだった?」

 

「コ、コレハ、機関部ガ丸ゴト抜キ取ラレテイルヨ」

 

 機関部というと、エンジン回りの機械を全部ということだろうか?

 

「それはそれは、随分と大胆だね」

 

「タダ、取ラレタ部分モ綺麗ダカラ、部品ガアレバ直シヤスイト思ウヨ」

 

 大胆かつ、丁寧。ぜひとも見習いたいね。

 

 

 

 と呑気に考えていると、すぐ近くから誰かの気配を感じた。よく知る、今一番会いたい人物の気配だ。

 

「……イヅナ」

 

「あ……ノリくん」

 

 相手にとってこの遭遇は予想外だったみたいだ。ここに来たってことはボートの確認が目的だろうか。「犯人は現場に戻る」とはよく言ったものだと感心する。

 

「ノリくん、えっと、そのー……」

 

「イヅナ、戻っておいで」

 

「……え」

 

 説得して、ひとまず大人しく過ごしてもらおう。

 それから仲良くなればいいし、それに、まだ――

 

 

「イヅナの記憶、見せてもらったおかげで、たくさん、ホントにたくさんのことを『知る』ことができた」

 

「……私のこと、分かってくれたの?」

 

「……あはは、どうだろうね、でもまだ手遅れじゃないよ、例え外で何をしたとしても、ここでならみんなと仲良くなれるし、ゆっくり暮らしていける。僕も、君も」

 

 宥めるための言葉は、ただそのためだけに紡がれた。

 

「の、ノリくん……!」

 

「だから、おいで? 博士たちには怒られちゃうかもしれないけど、それも全部、許してもらえれば――」

 

 

 僕はイヅナに歩み寄った。腕を彼女の方に伸ばしてゆっくりと。足を取られることのないように。

 

 ただ、油断した。イヅナも、僕に歩み寄る姿勢を見せてくれたから、つい小走りになってしまった。それが、引き金になった。

 

 すこしつまずいた。転びこそしなかったけど、ポケットに入れていたゲーム機を落としてしまった。

 

 

落としたゲーム機を、イヅナが拾った。

 

「……これは?」

 

「ああ、ゲームだよ、キタキツネにあげたら喜ぶと思って」

 

「……へぇ、キタちゃんに、ね」

 

 この発言を後悔したのは、少し後のことだった。

当然、今は彼女の地雷を踏みぬいたことに一切気づいてなどいない。

 

「……そうだ! ゲーム機4つあるんだ、だから雪山で一緒にやろうよ、キタキツネと、ギンギツネも一緒にさ」

 

「……いらない」

 

「い、イヅナ?」

 

「いらないよ……」

 

 イヅナの様子が一変した。先ほどまでの明るい空気はどこへやら、重く、どんよりと、ずっしりと、頭で理解するより先に、感覚が危険信号を発した。

 

 イヅナの顔が見えた。――泣いていた。

 

 

 

「ひどい、ひどいよノリくん、なんでこんなに意地悪するの? なんでキタちゃんと? ぎんちゃんと? 私のこと分かってくれたんじゃなかったの……どうして、どうしてそんなに優しいの? 私だけでいいんだよ、ノリくんは私だけの『カミサマ』なんだよ、取らないでよ! やめて、やめて! なんでこんなことするの、キタちゃんも、アイツも……みんなでゲームしなくてもいいじゃない、私がいればいいじゃない、なんで目を逸らすの? 私がずっと寂しかったって、誰かと一緒にお話したかったって、知ってるはずなのに。……でももう、誰でもいいってわけじゃないの。ノリくんと、ノリくんと一緒にいたいだけ、奪わないで、邪魔しないで!」

 

 

 聞き取れた限りでは、こんなことを言っていた。

 

 端正な顔は涙に濡れて、抑揚は崩れて、速さもぐちゃぐちゃに変わって、まくしたてるように、時に言い聞かせるように話していた。

 

 しかし、その言葉が僕にも、イヅナ自身にも、はたまた他の誰かに向けられたものでもなく、ただ、壊れた蛇口のように意味もなく言葉だけがこぼれているのだと、そう感じた。

 

 放っておけない。そう直感し、イヅナに駆け寄って手を伸ばした。けれど――

 

 

「やめてっ!!」

 

その手は掴まれず、代わりに突き飛ばされた。

 

「うわぁ!?」

 

 イヅナの全力がかかった一撃だった。僕は勢いよく飛んで、木の幹に強く頭を打った。

 

「い、イヅナ……」

 

 奇跡に等しい確率でも、手を掴んでくれたら――そんなバカげた希望を持って、再び手を伸ばした。

 

 けれど、もはやイヅナの目に僕は映っていなかった。

 

「ダメ、ダメだよ……? 雪山なんかに行っちゃ……危ないよ、狙われてるんだよ……?」

 

体から力が抜けていく、意識が朦朧とする。赤ボスが助けを呼ぶために、赤く発光しながらけたたましくサイレンを鳴らしているけど、その騒音すらも僕の意識を助け出すことはできなかった。

 

 

「悪い子、とっても悪い子……懲らしめてあげなきゃ……ふふふ……」

 

 

 

 ああ、頭を打って、僕もおかしくなっちゃったのかな?

 

 意識を失う間際、イヅナの赤いはずの瞳が――

 

 

 

 

 

 

 ――はっきりと、緑色に見えたような気がした。

 

 

 



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4-42 ゆきやまと紫の幻影

 目を覚ますと、真っ白な天井があった。

綺麗にされていたから、顔のようなシミは見つからなかった。

少しして気を失う前のことを思い出し、勢いよく体を起こした。

 

「……っ! イヅナは?」

 

「ああ、起きましたか、心配したのですよ?」

 

 見回して、周りの様子を把握した。

 

 ここは研究所の医務室だ。僕が横たわっていたベッドの隣に低い椅子があり、そこに博士が座っていた。

 

「博士……」

 

「かばんのラッキービーストに通信が入って、文字通り飛んでいくとボートの隣に倒れるお前が……という顛末なのです」

 

「ああ、そう……ごめん、草か何かにつまづいて――」

 

 博士が眉間にしわを寄せたのが見えたから、ついそこで言葉を切ってしまった。

 

「やれやれ、この期に及んでそんな嘘が通じるとでも?」

 

「……ええと」

 

「それにたった今、お前がイヅナの名前を出したのです」

 

 ――はあ、つい本当のことを隠してしまう癖は、いつからついてしまったのだろう。

 

「……私が着いたときには、倒れたお前と赤ボスしかいなかったのです」

 

「……そう」

 

 何か取られてはいないかと懐や鞄を探ったが、物が無くなっているということはなかった。ただし、落としたゲーム機の一つはイヅナに持っていかれたようだ。

 

 しかし、説明するにしてもどう表現しよう、イヅナの、あの言動を。イヅナは――恐れていた、妬んでいた、求めていた――一体どうすればいいのだろう?

 

 うまく言葉にできる気がしない。

 

 

「…………話してはくれないのですか?」

 

「……ごめん」

 

「落ち着いてからでいいのです、ですが、あまり長くは待たないのですよ」

 

「うん、分かった」

 

 

「長くは待てないのです、私も、そしておそらく――イヅナも」

 

 そう呟いて、博士は医務室の扉を開けて出ていった。

 

 

 

 

 

 一人残されて、再び仰向けに寝転がった。

 

「……赤ボス?」

 

 赤ボスの名を呼ぶが、反応はない。部屋の外にいるのかな。

 

 二度寝したいなと思ったら、眠気はすっきり覚めている。強く打ったはずの頭も痛みはほとんどしない。とはいえ、安静にしていた方が吉だろうと思い、眠れなくても目は閉じようとした瞬間――

 

『悪い子、とっても悪い子……懲らしめてあげなきゃ……ふふふ……』

 

 気を失う前に聞いたイヅナの言葉がフラッシュバックした。

 

「っ!?」

 

 思わず再び体を起こし、衝動的にベッドから降りて気が付けば身だしなみを整えていた。

どこかに眠っていた本能が「こんなことをしている暇はない」と警鐘を鳴らしていた。

 

 こうなってしまうともう元には戻れず、仕方なく研究所のロビー――メインコンピューターがある部屋――に行った。

 

 

「起きて大丈夫なのですか?」

 

「眠る気にならなくてね」

 

「まあ、ジャパリまんでも食べるのです」

と袋に入ったジャパリまんを差し出してきた。

 

「ありがとう」

 

 椅子に座っていただくことにした。お腹が空いている気はしなかったけど、体は求めていたようであっという間に食べきった。

 

「助手とかばんちゃんはどこへ?」

 

「……ああ、そういえば伝えていませんでしたね、お前は一晩眠っていたのです」

 

「じゃあ、僕がイヅナに会ったのは昨日のこと?」

 

「ええ、助手は図書館、かばんはロッジにそれぞれ戻ったのです」

 

 そうか、一晩も寝ていれば頭の痛みも和らぐはずだし、道理で眠気もしなかった訳だ。

 

 赤ボスが膝の上に乗って、目を緑にピカピカと光らせて何かしている。

 

「健康ノ問題ハナイミタイダネ」

 

 やっていたのは健康診断だったみたいだ。しかし、緑色に光った目を見ていると、これまた昨日のイヅナの様子を思い出してしまう。あれは、ただの見間違いだったのかな。

 

「重い怪我ではないのですね、安心しました」

 

「――心配してくれてたんだ」

 

「当然です、この島の長なので…………何か?」

 

「ううん、別に」

 

「さて、まだここでやることはありますか? ないなら……私が送ってやるのですよ」

 

「うーん、じゃあ雪山まで」

 

「忘れ物の無いようにするのですよ」

 

 あはは、小学生じゃあるまいし、忘れ物なんてしないよ。

 

――小学生の時実際にどうだったかは……やめにしよう、考えても分からないことだ。

 

 

 

 博士に持ってもらって、雪山までひとっ飛びだ。

 

着くまでだんまりというのも暇だから、空中で博士とお話をした。

 

「お前が図書館で寝泊まりすれば、我々が読めない本を読んでもらえるのですがね」

と言ったので、博士の方を向いて

 

「そんなこと言って、絵本を読ませたことは忘れてないよ?」と返した。

 

「……むむ、まだ根に持っているのですか」

 

「博士だって、イヅナとの一件、水に流せてないんじゃない?」

 

 そう言うと博士は少しニヤリと笑って、

「ヤなやつなのです」と。

 

「顔と言葉が合ってないよ」

 

「いいえ、よく合っていると私は思いますよ」

 

「はは、そっか」

 

 でも、実際はイヅナと博士の関係はどうなっているのだろう。話を聞く限りだとあまりいいとは言えない出来事があったみたいなんだけど。

 

 ――この際だ、聞いてみてもいいかも。

 

 

「博士は、イヅナのことどう思ってるの?」

 

 そう問いかけると一瞬驚いたような顔を見せ、少し考える素振りを見せた。

 

「そう、ですね……一言でいえば、ムカつくのです」

 

「ムカつく……か」

 

 確かに好き勝手やってたり、怪我させたり、気に入らないと思われても仕方ないようなことはしていた。僕はイヅナを見捨てたくないけど、博士がそうでなくても、文句を言うことはできない。

 

「ええ、ムカつくのです、あいつはいつも逃げてばかりですから」

 

「逃げてばかり?」

 

「お前にとり憑き、夜の図書館で出会った時も、狐火を使ってすぐに逃げました……ゆうえんちでのパーティでも、適当な言い訳を付けて逃げた上に、私とは話そうとしなかったのです」

 

「……そうだったみたいだね」

 

 確かに博士たちへの反応はイヅナが二人を疎ましく思っているような感じを受ける。

 

「邪険にされることに怒っている、と感じてますね?」

 

「え、ああ……うん」

 

「3日ほど前、イヅナがお前の元に現れたときはどうでしたか? 昨日会った時は? お前の話を、まともに聞きましたか?」

 

 それは……違う。イヅナは自分が言いたいことだけを話して、やりたいことだけをやって去っていった。だけど、昨日の様子は自分を制御できていないように見えた。切り捨てるには、残酷すぎる。

 

「お前はきっと、イヅナに対して何かしないといけない、そう感じているのでしょうね」

 

「…………」

 

「ですが、それはお前だけにしかできないことですか? 我々には協力できないことですか?」

 

「……分からないよ」 

 

 イヅナに、何をすればいいかなんて。だから、誰にできるか、なんて分からない。

 

「このまま逃げ続けていては、いつか自分を見失うのです。誰かが、あいつを自分自身と向き合わせてやらなければ、いけないのです」

 

「向き合わなきゃ、いけない……」

 

「それはお前も同じですよ、コカムイ」

 

「……っ」

 

 心当たりがあった、ずっと前の出来事から。

 

 図書館でイヅナについて調べて、その正体を知った時も、僕は隠した。

 

 イヅナの記憶を見せられて、『僕』が外では僕じゃない誰かだったことを知った時も。

 

 あまつさえ昨日イヅナと出会ったことも、隠そうとしていた。

 

 

「お前たちはよく似ているのです、何かが違えば、お前がイヅナのようになっていた可能性もあるし、これからお前がそうなってしまうかもしれない」

 

「だから、向き合うことが必要なのです、お前も、イヅナも……さて、着いたのです」

 

「ありがとう……博士」

 

「それと、思い詰めすぎる必要はないことも、覚えておくのです」

 

「……うん」

 

「では、私はもう行くのです、今度図書館に来た時は、またあの『ジャパリカレーまん』を作るのですよ」

 

 そう言って、博士は図書館の方向に飛び立った。

 

 

 

 

 

「キタキツネ、ギンギツネ、ただいまー」

 

 声を掛けたけど、中から返事は聞こえない。

 

 居間に入ってゲーム機を入れた鞄を下すと、テーブル、というかちゃぶ台の上にメモが置かれていることに気づいた。僕が書いたものかと思ったけど、違うみたいだ。

 

読んでみると、

『ゆのはなをみにいきます きたきつね』

と書いてあった。

 

 全部ひらがなで、少しつたない字だけど、読むことはできた。

 

「へえ、文字書けたんだ……」

 

 書けるなら読むこともできるのかな、と考えたけど、よく考えればあのメモは急いでいたせいで漢字かな交じりになっていた。これでは読める物も読めない。

 

「けど、湯ノ花かあ」

 

 湯ノ花が装置に詰まっていると温泉が出なかったり電気が使えなかったりするから、詰まったとあれば見に行くのも不思議ではない。

 

 ただ僕はその装置のある場所を知らないから出かけても遭難してしまう。帰ってくるまでゆっくりしよう。そう思い鞄からゲーム機を取り出した。

 

 しかし、電源ボタンを押しても電源が入らない。充電切れかな……と考え充電プラグをコンセントに差してゲーム機につなぐと、充電ランプが点灯した。

 

 ということはつまりもう電気は使えるんだ。となると湯ノ花は除去したということになるし、待っててもすぐに帰ってくるはずだ。

 

 

「暇だなー」

 

 研究所では面白いことを多く知ることができた、だけどヒトのフレンズについては分からなかったし、オスの特徴を持つフレンズについても言及されている資料はなかった。やっぱり初めての現象なのかな。

 

「セルリアンに、サンドスター……」

 

 ツタを出すセルリアンを生み出す原因になったのは、サンドスターを保存する研究だ。だけど、サンドスターを保存することで何が起きるのだろう。産業利用? 研究材料の長期利用を可能にする……? セルリアンが発生して、一つの実験室を廃棄することになっても続行したんだ、何かあるに違いない。

 

 

 

 その思考を遮ったのは、地面だけでなく空気をそのまま大きく揺さぶるかのような轟音だった。

 

「……雪崩?」

 

 外の様子を確認した。確かに雪が大きく崩落して雪崩が起きている。しかし、それとはまったく別の方向で起きていた事が、僕の目を釘付けにした。

 

 

 紫のセルリアン。かつて研究所にいた、ツタを出す個体と全く同じ形状だった。

 

 そのセルリアンに、キタキツネが襲われている。ギンギツネも助けようとしているけど、キタキツネがいるところはギンギツネよりも高い地形で、2人の間は急な坂だ。手間取っている。

 

「赤ボス、博士たちを呼んで! 図書館近くのボスに連絡を!」

 

「ワカッタ!」

 

 応える赤ボスの声は普段より覇気のあるものだった。

 

 でも、グズグズしていればキタキツネは食べられてしまう。

 

 今にもセルリアンはその鎌型の腕を振り回し、キタキツネをその毒牙に掛けようとしている。

 

「ど、どうすれば……」

 

 僕が助けに行けるのか? そもそも間に合うのか?

 

 きっと間に合わない、だけどこんなところで指をくわえてキタキツネが食べられるところを見ているわけにいかない、いく訳がない。

 

 

やるんだ、助けるんだ。

 

 

そう思った僕の体は、思考よりも早く、他のどんなものよりも早く、動いていた。

 

 

 

「……ボク、もうダメなのかな?」

 

「ダメよキタキツネ、私が助けるから! 諦めないで!」

 

 風を切って、ギンギツネの視界を横切って、僕は『飛んで』、セルリアンの攻撃範囲からキタキツネを持ち上げて連れ出した。

 

 その時は、僕は自分が一体何をしたのか理解していなかった。

 

 

「大丈夫、キタキツネ?」

 

「あ……」

 

 キタキツネはびっくりしているみたいだ。そりゃあ、突然現れて助け出された、となっても理解が追い付かないだろう。

 

 だけど、キタキツネの視線は、なぜか僕の()()()に向いていた。

 

「コカムイさん、どうしたの、それ……?」

 

「ど、どうしたって……?」

 

 再びキタキツネの方を見ると、僕の腕の中でお姫様抱っこの形で持ち上げられているキタキツネが、()()()()を指さした。

 

「あれ、何かついてる?」

 

 キタキツネを下ろして頭の上を探ると、手に不思議な感触がした。例えるなら、イヅナの狐耳のような……しかしそれだけでなく、頭の上に触れられたような感覚がある。

 

「え……えっ!?」

 

 思いついたように、両の手でそこについている狐耳を触る。確かにそれは、紛れもなく僕についているものだった。

 

 さらに、後ろに視線を向け背中を見下ろす。

 

 そこには確かに付いていた。キタキツネやギンギツネと同じ形で、イヅナと同じ色の、純白の尻尾が。それは本当に真っ白で、下手をすれば雪と見分けがつかないほどだ。

 

「耳も、同じ色……?」

 

「う、うん……それと、髪の毛も白くて……目も、赤い」

 

 それは、イヅナの特徴と合致している。それが指し示すこと、それは――

 

 

「一体、なんで……?」

 

 

 

――僕は、キツネになってしまった。

 

 

 



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4-43 白狐はもう一人

 

「嘘、なんで……?」

 

 一体原因は何だ……? キタキツネを助け出そうとして飛び出したまではいいけど、その行動と今の状態が結びつかない。

 

「コカムイさん、セルリアンが――」

 

 いや待てよ、少し前にヘラジカと風船割り勝負をした時、無意識のうちに野生開放をしていた。とすれば、今まで眠っていたものが今表に出――

 

「コカムイさん!」

 

「っ!? え、えっと……何?」

 

「『何?』じゃなくて、セルリアンよ!」

 

 ギンギツネの指さす方を見ると、今までのやり取りをしているうちにこちらの位置に気づいたセルリアンが、ゆっくりとこちらに向かっている。

 

「これは、いったん逃げよっか」

 

 赤ボスを通して博士たちに連絡はしたから、ここは退いて遠くから様子を窺うだけにとどめよう。

 

 キタキツネをさっきのように持ち上げようとすると、キタキツネは抵抗して僕から一歩距離を置いた。

 

「あ、ごめん……何かしちゃった?」

 

 キタキツネは静かに首を横に振った。

 

「ギンギツネが、逃げられない」

 

「……ああ、そっか」

 

 

 ギンギツネはキタキツネを助けるために近くまで来ている。キタキツネを安全な場所まで連れて、戻ってきてギンギツネも……間に合うか?

 

 雪山はギンギツネにとって動きやすい地形だけど、この辺りは複雑な起伏があって時間がかかる。セルリアンはそれをものともせずに移動しているし、変形して攻撃もできる。順番に連れていくのは厳しいか……

 

「ただそうなると、ここでセルリアンを撃退するしかなくなる」

 

「……できるよ、絶対」

 

 キタキツネは自信に満ちている。なぜそんなことを確信できるのか、一切の見当がつかなかった。

 

「……な、なんで言い切れるの?」

 

「『勘』……だよ」

 

「キタキツネ、そんな変なこと言ってないで、まずあなただけでも逃げなさい!」

 

「ダメだよ、ギンギツネを置いていけない」

 

 セルリアンをも一度確認すると、ゆっくりではあるがさっきよりも確実に近づいてきている。

 

「もう一度セルリアンから離れよう、キタキツネ」

 

「大丈夫だよ……ねえ、ボクを持ってもう一回飛んで? できれば、降りやすいように」

 

「上から叩くつもり?」

 

「うん、上からなら、石も見えやすいから」

 

 ……この作戦で大丈夫か? しかし今取れるほかの手は、隠れてやり過ごすこと、順番に運ぶこと……ここで倒せば、危険は去る……リスクはあるが、やってみよう。

 

「ギンギツネは、ちゃんと隠れててね、それとキタキツネ、危なくなったら方法を変えるよ」

 

「うん」

 

「じゃあ、やろうか」

 

 

 キタキツネの腕の下に手を通して、手を離せばすぐに攻撃の姿勢を取れるような体勢にした。勢いよく飛び上がって、セルリアンの真上から様子を探る。

 

 

「石はどこだ……」

 

「……隠れてる?」

 

 上からは見えない位置に石を隠しているのかもしれない。

 

「こ、こっちからも見えないわ!」

 

 どうやら、下にいるギンギツネの側からも目視はできないようだ。じゃあ、ギンギツネの逆側からなら見えるだろうか。

 

「……ない」

 

 少し高度を落としてギンギツネと対角線上の場所に行って確認したけど、石は見えない。

 

 適当にセルリアンの注意を引き付けながら、もう一度高度を上げた。

 

「……体内に隠してるのかもね」

 

「……むむ、倒しにくいタイプの敵だね」

 

 ……やっぱり、ゲームに例えるんだね。

 

「一度セルリアンに傷をつけないと、石は出てこないかも」

 

「じゃあ、ボクを落として。ボクが一撃決めて、あいつの弱点を外に出す」

 

「キタキツネ、でも……」

 

「だいじょうぶ、勘でうまくできる……はず」

 

「……分かった」

 

 

 心もとない部分はある。だけどあくまでキタキツネがやることは石を露出させることだ。弱点が見えたら、僕が攻撃してセルリアンにとどめを刺す。

 

「……じゃあ、行くよ」

 

「うん」

 

 セルリアンの高さの3倍くらいの高度でキタキツネを離した。

 

 落ちていく。キタキツネが右腕を伸ばした。手の指の先からサンドスター――あるいはけものプラズム――が七色の光を放ちながらキラキラと舞っている。

 

 やがて落ちていくうちに足と頭の位置が逆になった。とっさに目をそらした。

 

 よく見ていないから想像だが、おそらくキタキツネはセルリアンに強烈な爪の攻撃を与えたのだろう。セルリアンの表面にできた大きな切断跡と、そこから覗く石がそれを物語っていた。

 

 そうしたら、あとは僕の出番だ。

 

「よしっ……決めるッ!」

 

 急降下してセルリアンに当たる直前に一回転。足に体重と勢いを全て込めて、いわゆる”かかと落とし”を無防備な石に容赦なく当てた。

 

 

「おお……『必殺技』だね」

 

「必殺技にしては……少し地味じゃない?」

 

「……ゲームの話? それよりセルリアンは?」

 

 セルリアンは石を完膚なきまでに砕かれ、今にもバラバラになって消えてしまいそうだ。少しずつサンドスターが霧散していき、どんどん小さくなってゆく。

 

「おかしいわね……普通のセルリアンならすぐに消えるはずなのに」

 

「……まだ終わってないってこと?」

 

「……第二形態」

 

 ボソッと聞こえたキタキツネの呟きは放っておいて、とにかくツタを出すことといいこの新種のセルリアンは油断ならな――――あれ?

 

「ねえ、こいつツタとか出した?」

 

「いえ、そんなことは無かったけど?」

 

 間違いなく同じ形状だ、同じ能力を持っていてもおかしくない。……そう考えているうちにセルリアンは全て霧となって消え、石が割れて消え去った。

 

 

「……ふう、なんともなかったようね」

 

「――っ!?」

 

 2人が安堵の表情を見せる中、僕は砕けた石の中から何かが零れ落ちるのを見て、思わず右手を突き出して『それ』をつかみ取っていた。

 

 

「……どうかした?」

 

 突然の行動を訝しんだキタキツネが尋ねてきた。

 

「ああ、何か落ちたように見えて」

 

 僕は手を開いて、握りしめた『それ』をキタキツネにも見えるように出した。

 

「それって……石?」

 

「勾玉……だよ」

 

 それは、真っ白な勾玉だった。白い勾玉が、セルリアンの石の中から零れ落ちたのだ。それは一切のくすみのない白で、もし雪の中に落ちていたら見失っていたに違いない。

 

「妙ね、普通はこんなものないわ」

 

「……だよね」

 

キタキツネは「きっとレアドロップだよ……!」と言いながら一気に詰め寄ってきた。

 

 今までにそんなことがあったとは聞いていないし、研究所にもそんな記録はなかった。キタキツネの言う通りレア……いや、超激レアと言っていいほど珍しいことだ。

 

 更にこの勾玉の形は、よく見覚えのあるものだった。今僕が首に下げている赤い勾玉――これは恐らく、イヅナが僕に持たせたものだ――と瓜二つだ。

 

「……もしかして」

 

 考えたくもない可能性だけど、そうであると論じるために必要な根拠は十分に揃っている……本当に嫌気がさすような可能性だけど。

 

「まあ、とりあえずの危機は去ったんだし、戻りましょ?」

 

「そうだね、二人とも、怪我はない?」

 

「うん、大丈夫」「ええ、おかげさまでね」

 

「――よかった」

 

 とりあえず歩いて旅館まで戻ることにした。途中で残したメモについて文句を言われた。

 

「というか何よあのメモ、私たち、漢字の方はさっぱりよ?」

 

「ひらがなは読めるんだね……キタキツネが字を書けるのも驚いたよ」

 

「げぇむのために、文字は大事だよ……漢字も書けないだけだもん」

 

 言われれば確かに、文字が読めなければゲームの説明も読みようがない。キタキツネにとっては必然的に身に着けるべき能力だったんだ。

 

 しかしそれよりも、左腕にある尻尾が触れる感触と強く握られる感覚が気になって仕方ない。

 

「……キタキツネ?」

 

 キタキツネはさっきからずっと左腕にくっついている。ついでに尻尾もぴょこぴょこと揺らしながら擦りつけている。上手くギンギツネの意識を誘導したり死角になるように移動しているのでギンギツネは気づいていない。

 

「ん、どうしたの?」

 

 とすっとぼけているが、その口角が微かに上がっているのを見逃しはしなかった。

 

 結局、旅館に到着するまでキタキツネはずっと僕の左腕にくっついているままだった。

 

 

 

 

 旅館に着くと、待たせていた赤ボスが出迎えてくれた。

 

「ノ、ノリアキ……?」

 

「あはは、そうだよ」

 

「……ソ、ソノ耳ト尻尾ハ、キツネノモノダネ」

 

 戸惑っているみたいだ。と言っても会話はしてくれるから、一応ヒトとして扱ってくれているのかな。

 

「なんか、急に生えてきてね」

 

「ボス、何か知らないかしら?」

 

 ギンギツネが聞くと……反応しなかった。

 

「……あ、そうだったわね」

 

「赤ボス、何か知らない?」

 

 今度は、無い首を横に振って答えてくれた。

 

「ゴメンネ、コンナコトハ初メテナンダ」

 

「ボスも知らないのね」

 

「あのキック、かっこよかった……!」

 

 キタキツネは妙なところに注目して盛り上がっている。

 

「キックといえば、飛んでたわね」

 

 そう、この姿になると飛ぶことができるようになった。十中八九イヅナの影響を受けているに違いない。フレンズ化の時にとり憑かれていたからだろう。

 

「……イヅナちゃんにそっくり」

 

「やっぱり?」

 

「……うん」

 

 

 すると、外で雪の上に着地する微かな音が聞こえた。ヒトの耳では聞き取れないほど小さい音だった。

 

「博士かな」

 

 キタキツネのところに向かう前に、図書館に連絡するよう赤ボスに頼んでおいた。確かにそろそろ到着してもおかしくない頃合いだ。

 

「さて、突然呼び出したのですからちゃんとした節め――」

 

 旅館の中に入ってきた博士は僕を見るなり言葉を失った。そして一歩遠のき、格闘するようなポーズを取って……威嚇、しているんだろうか?

 

「なるほど、再びコカムイにとり憑いて……何をするつもりですか?」

 

「ま、待って待って、とり憑かれてないよ!」

 

「嘘も大概にするのです! 第一その耳と尻尾は何なのですか?」

 

「え、ええ……?」

 

 どうしよう、完全に僕がイヅナにとり憑かれていると勘違いしている。どうにかして誤解を晴らさないと。

 

 とにかく何か話して場を持たせようとすると、キタキツネが喋った。

 

「ち、違うよ……? とりつく……? ってよく分からないけど、イヅナちゃんじゃないと思うよ」

 

「……ですが、その耳と尻尾――」

 

「――尻尾!」

 

思わず大きな声が出た。博士はビクッと反応してもう一歩下がった。

 

「ど、どうしたのですか?」

 

「尻尾だよ、尻尾を見て、ほら、一本しかないでしょ?」

 

「……え、当然じゃない?」

 

「……いや、一本ということは……勘違いだったようですね」

 

「分かってくれてよかった」

 

「しかし、なぜそんな姿に?」

 

「ええと……じゃあまず、さっき起きたことを説明するね――」

 

 例のセルリアンの出現と、狐の姿になったことについてなるべく細かく博士に説明した。

 

 

「そんなことが……」

 

「『キツネ化』って今は呼ぶけど、それが起きたきっかけが、野生開放の時と似ている気がしたんだ」

 

「野生開放と……?」

 

「ただ時間で収まったりはしないし、『キツネ化』と『野生開放』は別物みたいなんだ」

 

「……確かに今のお前からは、野生開放時特有のオーラは感じないのです」

 

「じゃあ、今野生開放してみたら?」

 

「……ふむ、より動物に近くなったことで、野生開放をしやすくなっているかもしれませんね」

 

 そ、そんな単純な話なのかな……まあ、試してみる価値はあるか。

 

 集中するために、立ち上がって屈伸をした。

 

「じゃあ、やってみるよ」

 

 目を閉じて精神を集中させる、深呼吸をして体に力を込めると、フッと体が軽くなるような感覚を覚えた。間違いなく、あの時の感覚と同じだった。

 

「――できた!」

 

「ふむ……」

 

 もう一度目を閉じ力を抜くように念じると、感覚は元に戻った。

 

「野生開放、できるんだ」

 

「あ、もう戻してしまったのですか、少し試したいこともあったのですが……まあ後でいいでしょう」

 

「それより、これを見てほしいんだ」

 

 ポケットから、白い勾玉を取り出して博士に手渡した。博士はそれを物珍しそうに観察し、僕に返した。

 

「それがセルリアンが落としたという勾玉ですか」

 

「博士はそんな話聞いたことある?」

 

「いいえ、生まれてこの方聞いたことがないのです」

 

 博士も知らない、ということか。やっぱり、ただの偶然では片づけられない。

 

「更に研究所の個体と同じ形とは……」

 

「でも、ツタは出さなかったんだ」

 

「不思議なこと……で済みそうにはありませんね」

 

「赤ボス、研究所に何か無いかもう一度行こう」

 

「……マッテ、研究所カラデータガ送ラレテキタヨ」

 

「……データ?」

 

 赤ボスに聞くと、研究員に付き添うラッキービーストはいつでも研究所と通信をしてデータをダウンロードできるようだ。僕の場合はカードキーを使ったことで権限が付与され、その機能を利用できるようになったそうだ。

 

「で、そのデータって?」

 

「セルリアンノ出現情報ダヨ」

 

「それが一体どうしたというのですか?」

 

 セルリアンは、さっき倒したんだ。いるとしても小さい個体か関係のないものだけだろう。そう考えるのが普通だ。だけど胸騒ぎがする。わざわざ赤ボスが教えるってことはもしかして――

 

「ノリアキ、サッキノ個体ト同ジ形ノセルリアンガ、『へいげんちほーの湖近く』ニ出現シテイルヨ」

 

「なっ、本当なのですか!?」

 

「博士、やっぱり偶然じゃないよ、これ」

 

「ええ、どうやらそのようです」

 

 

――かくして、その不安は現実のものとなった。

 

 

 



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4-44 湖畔に降りる白狐の使い

 

 飛ぶことができるということは、かくも便利である。今までであれば博士などに持ってもらうしか飛んで移動する方法はなかったが、このように自力で飛べると持ち物も分担できて非常にありがたい。現に今、僕赤ボスを前に抱いて飛んでいる。

 

「セルリアンノ出現場所ハ、湖畔ノビーバータチノ家ノ近クダヨ」

 

 するとこのように、会話をしながらの移動も簡単だ。つい数十分前まで博士に送り届けてもらっていた身とは思えない。

 

「便利は便利ですが、一体なぜでしょうか?」

 

「……さぁ」

 

 心当たりはある。しかしなぜと説明しようとすると「なるべくしてなった」というようにしか答えられない程度の理解だ。出発前に少し試してヒトの姿に戻れることは確認したが、目の色だけは赤いままだった。何度やっても、元の黒い瞳に戻ることはなかった。

 

ともあれ、結局こっちの方が身軽なので今はキツネの姿だ。

 

 

 

「……あれがビーバーたちの家だね」

 

「セルリアンは……いました、あそこなのです」

 

 

 雪山に現れた紫のセルリアンと同じ姿の個体が、ビーバーたちの家から十数m離れたところで徘徊していた。

 

 同じ見た目、というのはセルリアンの中では珍しくないが、ここまで特異な形をしたものが一日に二体も出現するのは稀であるはずだ。

 

「まずビーバーたちの安全を確保するのです」

「うん」

 

 セルリアンに気づかれぬよう、家の裏から回り込んで入った。中では、二人が身を寄せ合って怯えていたが、外の様子は確認していたみたいだ。

 

「大丈夫? 怪我はない?」

 

「えっと、こ、コカムイさん……っすよね?」

「そ、その耳は何でありますか……?」

 

「――あっ……えーと、後で話すよ、何があったか聞かせてくれる?」

 

 尻尾も生えていることに二人は気づき、耳と合わせて非常に気になっていたみたいだけど、ここで聞くことは諦めて起こったことを聞かせてくれた。

 

「何が起きたって言われても、特に大きなことは起こらなかったっす、朝、気が付いたら家の前に大きなセルリアンがいて、それからずっとここにいるっす」

 

 確か今はお昼、太陽の昇り具合からして13時くらいだ。

 

「じっと隠れているのでありますが、一向にここから離れようとしないので、助けも呼びようがなかったのであります、二人が来てくれて、本当に心強いであります!」

 

 そう言うプレーリーの顔は実に晴れやかで、この数時間セルリアンのせいでどれだけ不安な気持ちになっていたかが読み取れる。

 

 

「さて、博士……二人で倒せる?」

 

「私としては、問題ないと思いますが?」

 

 あのサイズなら野生開放した博士なら十二分に相手をできる上、僕もいる。更に両方飛べるとなれば討伐はさほど難しいことではないと思う。上手く行けば不意打ちで何もさせずに倒せるかもしれない。しかし……

 

「すぐに倒さずに、しばらく戦うこともできる?」

 

「可能ですが、何かあるのですか?」

 

「……調べたいんだ、少なくとも、ツタを出せるかどうかは」

 

 そのためにも、一撃で倒すわけにはいかない。

 

 

「二人は、ここで隠れててね」

 

「はい、気を付けるっすよ」

 

 

 

 家を出て、お互いに飛び上がる。そして僕はセルリアンの正面に立った。

 

「さあ、こっちはどうかな」

 

セルリアン越しに博士の姿を確認した。博士は音を立てずに飛ぶことが得意だ。だからセルリアンの視界外を飛び、弱点の石の位置を確認してもらう。

 

「あとはそれまで、こいつを泳がせる」

 

 本当に泳いだら固まって溶岩になってしまうが……まあどうでもいいことだ。

 

 

 やることは簡単だ。適当にセルリアンの前をうろついて挑発する。挑発を理解できるとは思わないが、少なくとも目の前に動く生き物がいたら襲うだろう。

 

「……来た」

 

 案の定、セルリアンはこちらを捕捉して攻撃を始めた。

 

 その攻撃はと言うと、体に付いている大きな鎌型の腕を振り回したり地面に刺したりと、ただ力任せの粗暴なものだった。ツタを出すこともなく、ただ這うようにこちらににじり寄りながら周囲の地形を少々破壊する。ツタを使った()()手を使ったアレとは大違いだ。

 

「でも、雪山のやつとは全く同じか……」

 

「恐らくそうでしょう、外側に石がありませんでしたから」

 

 ご丁寧に石の場所まで同じらしい。

 

「もう調べなくてもいいのでは?」

 

「いや、もう少しだけ、ね?」

 

研究所のやつとは違う……しかし、雪山と同じ可能性は高い。だったら、『可能性は高い』じゃなくて、『絶対に同じ』と言えるくらいの確証を手に入れたい。

 

「赤ボス、雪山のセルリアンの見た目は分かる?」

 

「マカセテ、ボクノデータノ中ニバッチリ保管サレテルヨ」

 

「……何をするのですか?」

 

 簡単なことだ。機械の力を使って、二つのセルリアンの共通点をはっきりさせる。

 

「赤ボスにあいつをスキャンしてもらって、()()を掴むんだよ」

 

「まるで探偵ですね」

 

「探偵、知ってるの?」

 

「オオカミの漫画を見せられたことがあるので」

 

 そうか、オオカミさんか。今は少し方向を模索しているところだけど、ホラー探偵ギロギロは面白いと聞いている。……しかし、今描いている方の『れんあいたんてい』とやらも、一度途中で見た限り面白くなりそうなのがなんだか複雑な気分だ。

 

 そういえば構想についてオオカミさんが――後にしよう。今日は余計な思考が多くなっている気がする。

 

「じゃ、スキャンよろしく」 「マカセテ」

 

 赤ボス恒例のスキャンだ。今回はいつもより長くかかった。

 

「で、結果は?」

 

「99.9%同ジダヨ」

 

「残りは何が違うのですか?」

 

「石ノ中ニ、何カ別ノ物ガアルンダ」

 

 なるほど、こちらにも勾玉のような何かが入っているということか……ともあれ、調べたいことは知ることができた。放置しても被害が出るのは明白。ここで倒す。

 

 そのために、まずは弱点を露出させる。

 

「じゃあ、石を攻撃して外に出さなきゃね」

 

「では、私が一撃加えます、そしてお前がとどめを」

 

「僕が?」

 

 博士がとどめまでやってしまっても問題はないというのに。

 

「一度、お前がその恰好で戦う姿も見ておきたいのです」

 

「……ま、そういうことなら」

 

 

 博士はセルリアンの背後まで飛んで行った。僕も大回りをして同じように背後に回った。植物の影に隠れて、博士が攻撃するのを待つ。

 

 博士がチラッとこちらを見て目で合図をした。「今から攻撃する」ということだろう。僕は頷いた。

 

「では、行くのです」

 

 一瞬にして、博士の纏う気配が変化した。

 

「野生開放……」

 

 僕もすぐに飛び出せるように身構えた。今か今かと攻撃の瞬間を見逃さぬよう目を光らせた。

 

 

 そして博士がセルリアンにゆっくりと近づいたように見えて――一閃、音のない一撃がセルリアンの体を抉り取った。

 

 その攻撃の瞬間に、影から飛び出して一気に接近した。抉れた傷跡から石がはっきりと見えた。石の中心に、緑色の何かがぼんやりと見えた。

 

 

「さてと、どうとどめを刺そうか――」

 

 雪山の戦いと違い横から接近しているため、降下した時のエネルギーを利用した足技は使えない……だったら爪だ。キツネの姿なら、キタキツネが使ったような爪が使えるはずだ。

 

「こう、かな」

 

 サンドスターを指先に集めて、爪の形に変化させることができた。

 

 スピードは十分に乗っている。このまますれ違いざまに切り裂いて終わりにしよう。

 

「よし――ここだッ!」

 

 

 確かな手ごたえがあった。あっけなくセルリアンは塵となって消え、残された石が砕け、その中から緑色の勾玉が零れ落ちた。

 

それを拾い上げて、よく観察した。

 

「……やっぱり、そっか」

 

 こちらも、形がよく似ている。僕が着けている、赤い勾玉に。

 

「コカムイ、それは?」

 

「勾玉、これもセルリアンの石の中に入ってたんだ」

 

「やはり、普通ではないですね」

 

 普通でない原因も、大方分かってしまったが。

 

「ビーバーさんとプレーリーさんの様子を見に行こう」

 

 

 

 二人の家に入ると、安堵した空気が流れていた。ここからも見通しは良いから、戦っている様子を見ることもできたのだろう。

 

「二人とも、無事でよかったっす」

「私たち、ずっとドキドキしっぱなしでありました」

 

「ハハ、そんな大層なものじゃないけどね」

 

 ともかくも、大きな被害は出なかったし、怪我をしたフレンズもいないから対応は上出来だったと言えるだろう。

 

「そういえば、その恰好は……?」

 

「――あ、ああ、いろいろあってね、正直なんでなのか僕もまだ分からなくて」

 

「そうっすか……」

 

「それより、とってもかっこよかったであります! ビューって飛んで行ってザクっと一撃で!」

 

「私が攻撃したのを忘れているのです」

 

「まあまあ、博士」

 

「それに……ハッ!」

 

 突然プレーリーが何かに気づいたように硬直した。

 

「な、何ですか?」

 

「プレーリーさん、どうかしたっすか?」

 

 次に発せられたのは思いもよらない、むしろもう思い出したくなかった出来事を強く想起させるものだった。

 

 

「そういえば、コカムイ殿に『しっかりしたご挨拶』をしていなかったであります!」

 

「あ、ああ……それはもう、いいよね?」

 

「プレーリーさん!」

 

「あ、ビーバー殿、今のは思い出しただけで、本当にするわけじゃないのであります……」

 

「はぁ……」

 

「一体何が?」

 

「まあ、面倒だし説明するよ……」

 

 

 一番初めに湖畔を訪れたとき、『ごあいさつ』とやらの餌食になったことは記憶に残っているだろうか。実はそのとき『ごあいさつ』されたのは右の頬だった。

 

『いきなり、しっかりしたごあいさつをしてしまうのは失礼だとビーバー殿に教えてもらったであります!』

 

 という言い分らしい。よく分からないが、一応ギリギリのところで助かったのでビーバーには感謝している。

 

 しかしイヅナが卒倒した後に、「今度こそは!」と迫ってきたのは恐ろしかった。まあビーバーの教えが僕とプレーリーの両方をある意味で守ったと言えるのかもしれない。

 

 

「……そんなことが」

 

「どうなるかと思ったよ」

 

 あの時を思い出して、ついつい右頬をさすっていた。

 

 

 ……そういえば、イヅナはすぐに卒倒してしまったから右頬にされたとか云々のあたりは一切知らない――

 

 

『これで、アイツに勝ったって言えるよね!』

 

――あ、

 

『キタちゃんも、アイツも……』

 

――そんな、馬鹿げている。

 

 

 いや、実際にそうだとすると、セルリアンが雪山と湖畔に送り込まれた理由は……嘘だ、こんなことがあるのか?

 

 こんな、子供みたいな理由が。

 

 

 

 

「……コカムイ?」

 

「博士、今回の()()が偶然じゃないことは分かるよね」

 

「……ええ」

 

 突然の問いに、博士は少々訝しげに答えた。

 

「じゃあ、この事件の()()は?」

 

「……! コカムイ、それは」

 

 分かってる、やるしかない、もしかしたらイヅナを責め立てるようなことになってしまうかもしれない。だけど――

 

「さっき、探偵みたい、って言ったよね」

 

「確かに、言いましたが」

 

「なるよ、探偵に。『自分(イヅナ)』のやったことにだけは、向き合ってもらわなくちゃいけないから」

 

 そう、だから――

 

「明日、図書館に行くよ、()()をしよう、証拠を揃えるために」

 

「今日はどうするのですか?」

 

「今日はまた雪山にお世話になるよ、温泉にゆっくり浸かりたいからね」

 

「……そうですか」

 

 僕の言葉を聞いて、博士は思案している。その表情は少し憂いを帯びていた。

 

 

「じゃあ、また明日」 「……また、なのです」

 

 

 

 

 博士は、やがて僕がイヅナを問い詰めることになると危惧しているのだろう、そして博士がその原因の一端を担っていると感じているのかもしれない。僕に、あんな言葉をかけたから。

 

――でも、僕はやらなきゃいけない。

 

一番イヅナに近づけるのは僕だから。僕はイヅナの過去を知っているから。

 

 

――これは、僕にしかできないんだ。



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4-45 キタキツネと温泉と

 

 旅館に戻ると、ギンギツネから何があったのかをしつこく聞かれた。

 

 『雪山に出たのと同じ形のセルリアンが湖畔に出た』とだけ伝えて、勾玉やその他もろもろの事実と推測は隠しておいた。

 

 疑惑が高まっているとはいえ、まだ確信に至るほどの証拠がない。その証拠は明日から集めるから、今日はこのことは忘れてゆっくりキタキツネとゲームをしよう。確か研究所から持ってきた機械が鞄の中に入っているはずだ。

 

 

「……よし、ちゃんとあるね」

 

 鞄の中には3台のゲーム機と、4台分の周辺機器があった。イヅナはゲーム機だけ持って行ったから、充電器などは持っていないはずだ。

 

 

「キタキツネー! こっちおいで!」

 

「んー、なに?」

 

 呼んでみたら、奥の部屋からキタキツネが目をこすりながらやってきた。髪の毛がちょっぴりピョコっと跳ねているのもあって、キタキツネがさっきまで寝ていたことはすぐに分かった。

 

 

「キタキツネのために、研究所にあったゲームを持ってきたんだ」

 

「っ! げーむ!?」

 

「うわわ、ち、近いよ?」

 

 『ゲーム』の3文字を聞いた瞬間にキタキツネの目は野生開放ばりに輝き、先ほど4mほど離れていたのが気づかぬうちに眼前にキタキツネの顔が迫ってくる距離になった。

 

「はい、携帯ゲーム機って言って、充電……つまり電気を貯めれば持ち運んでどこでも遊べるんだ」

 

「わあ……すごい……!」

 

 キタキツネはゲーム機の蓋をパカパカと開閉したり、表を見て裏を見て、また表をじっくりと見たりしては夢中になっている。

 

「ねえ、これどうやって遊ぶの?」

 

「こうやって開けて、ここのボタンを押せば電源が付くよ」

 

 キタキツネは言われた通りにボタンを押した。すると画面が光りだし、いわゆるホーム画面が開かれた。

 

「そ、それで次は……?」

 

「ええと、ちょっと待ってね」

 

 鞄の中からプラスチックのケースを取り出した。その中にはゲーム機で遊ぶためのゲームソフトが4つずつ入っている。ケースも4つあるから、元々は分けて入れていたものがなぜかまとめられているらしい。

 

 その中の『スマッシュシスターズ』というタイトルのソフトをキタキツネに渡した。

 

「これを……ここに入れるとゲームができるよ、他のを入れれば、別のゲームができるんだ」

 

「すごい、同じゲーム機で……!」

 

 ゲームセンターにあるような筐体からすれば、とてつもなく大きな進化と言えるに違いない。現にキタキツネは大興奮だ。

 

「とりあえず今は『これ』やろっか」

 

「うん!」

 

 

 

 起動してみると、前に遊んでいた人のデータが残っていた。しかしキタキツネは「一からやりたい」と言ってそのデータを消去した。キタキツネがそうするなら、と僕もそれに倣ってデータを消した。

 

「これって通信をして複数人でも遊べるみたいだね」

 

「つうしん……ってなに?」

 

「えーと、このゲーム機同士でデータをやりとりして、一緒に敵と戦ったり、プレイヤー同士で対戦ができるんだ」

 

「……でも、別のゲーム機だよ?」

 

 ……そっか、今まで通信ができる機会に触れたことが無いから、離れててもつながることができるって発想が出ないんだ。僕だって、一切知らなかったらそんな考えは出てこない。この機能を考えついた人は想像力が豊かだったんだろうな。

 

「大丈夫、離れてても繋がれるのが『通信』だからね」

 

「じゃあ、何人でできるの?」

 

「ええと、4人まで、ってあるね」

 

 キタキツネの耳がピンと立った。

 

「じゃあギンギツネともできるね!」

 

「そうだけど――って待って!?」

 

 キタキツネは僕が肯定するのが早いかギンギツネの方に飛び出して瞬く間に捕まえて連れてきてしまった。

 

「ちょっとキタキツネ!? 私はゲームとかそういうのは……」

 

「いいからやろうよ! 楽しいよ!」

 

 普段のめんどくさがりなキタキツネからは考えられない様子で、見ているとまるでこの瞬間だけはキタキツネとギンギツネの立場が逆転しているように見えた。

 

「も、もう、仕方ないわね……」

 

 結局根負けしたギンギツネは、最後のゲーム機を持って『スマッシュシスターズ』をはじめからプレイすることとなったのだ。

 

 

「すごい、いままでのゲームと全然違う……!」

 

 遊んでいる姿はとっても楽しそう。

 

「よかった、キタキツネのために持って来たかいがあったよ」

 

「良かったわね、キタキツネ」

 

 僕の言葉を聞くと、キタキツネの指の動きが一瞬止まって、またすぐに動き出した。ほんの一瞬だったけど、今まで一切の滞りなく動いていた指が止まった様子は僕の目に鮮明に焼き付いた。

 

 そこから少し視線を上に向けると、キタキツネは少し俯いてその表情が見えづらくなっているが、その顔は少し赤みを帯びているように見えた。耳もさっきまでよりも動きが多くなり、尻尾は忙しなく上下左右に振れていた。

 

「そ、そっか……ボ、ボクのために……」

 

 小声で何かをつぶやいていたけど、ヒトの耳では聞き取れなかった。キツネの姿になっていたらあるいは、その声を聞くことができたかもしれないのに。

 

 

 

 しばらくやっているとシングルプレイだけでは物足りないと、3人で対戦しようとキタキツネが持ちかけてきた。当然断る理由はない。

 

「よし、頑張ろっか」

「まけないよ……!」

「うう、私はどうすればいいのかしら……?」

 

 そして、数時間にわたる熾烈な戦いが幕を開けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

――日は落ちて……そう、今は大体7時頃だろう、僕は赤ボスが持って来たジャパリまんを頬張っていた。

 

 思えば初めて赤ボスと出会ったのはこの雪山だった。その時はまだ赤ボスは青かった。けど……まあいいや。

 

 対戦が終わった後も、キタキツネはストーリーモードを進めている。

 

「キタキツネ、程々にしてね」

 

「……うん」

 

 応えてはくれるけど、生返事だ。筐体でやっていた時よりも夢中になっている。

 

 ところで対戦の結果だけど、勝率は僕とキタキツネで大体五分五分、一度だけギンギツネのラッキーウィンがあった。といってもだんだんと勢いを増していく戦いについてこれなかったのか、1時間くらいのところでギンギツネはリタイアしてしまった。

 

「初めてなのに、キタキツネはやっぱり上手だね……格闘ゲームに近い、ってのもあるんだろうけど」

 

「……それについていけるあなたも大概だと思うわ」

 

「あはは、そりゃどうも」

 

「けど、キタキツネがアレにはまりすぎたらあなたのせいよ?」

 

「それは、まあ……気を付けるよ」

 

 ギンギツネだってそれなりに楽しんでたくせに、とは言えなかった。ギンギツネの目は結構真剣だったからだ。やっぱりキタキツネが大切なんだ。

 

「……まあ程々になら、悪くないとは思うわ」

 

「……?」

 

「キタキツネ、今まで本気でゲームをして遊べる友達がいなかったの、私は、ゲームに関してはこの通りの体たらくだから」

 

 そのことをキタキツネがどう感じていたかは分からないけど、ギンギツネはその状態をあまりよく思っていなかったらしい。

 

「だから、貴方には感謝してるわ、キタキツネとゲームで分かりあってくれて」

 

 自分のことを全部忘れてしまった僕にも、ゲームで誰かと友達になることはできたみたいだ。

 

「それに、今日はゲームまで持ってきてくれて……」

 

「――あ、どういた」 「だけど」

 

「っ……!?」

 

 突然変わった声色に驚いて押し殺したような声が出てしまった。

 

「あのゲームの扱いは気を付けて、ね?」

 

「……は、はい」

 

 ギンギツネを怒らせるようなことは特に避けた方が吉だと、直感で理解した。

 

 

 

 

 しばらく自堕落にしていると、赤ボスがこっちに来た。

 

「ノリアキ、ソロソロ温泉ニ入ッテ寝タ方ガイイヨ」

 

「もうそんな時間なんだ」

 

「ああ、温泉に行くなら、今大きな方にカピバラが入ってるから、もう片方に入ってちょうだい」

 

「分かった、じゃあ入ってくるね」

 

「ええ、ごゆっくり」

 

 

 少しわざとらしいギンギツネの送り言葉を聞いて、小さいほうの温泉に入った。今日こそはカピバラもやってこないし、ゆっくりと浸かることが出来る。

 

 

「……はぁ」

 

 快適なお湯に浸かって、思わずため息が漏れた。今日はたくさんのことがあって、見えない疲れもたまっているに違いない。

 

 しかし、いくら考えないようにしていても、こうやって何もしない時間ができれば、自然と今日の出来事について考えに耽ってしまう。

 

「……イヅナ」

 

 本当に、イヅナがやったのか?

 

 あのセルリアンは、あるいは本当に新種が偶然に3か所に現れただけだったのか?

 

 ……その答えはきっと、あのセルリアンたちが持つ特徴を考えればわかることだ。

 

 ツタに、白と緑の勾玉……

 

 研究所にいたのはツタを出して、それ以外は出さない。ツタを出さないセルリアンの石の中には勾玉があった……

 

それは、それはきっと――

 

 

 

――そんな僕の考え事は、突然にして聞こえた水音にかき消された。

 

 

「……キタキツネ?」

 

 僕のすぐ横の所に、キタキツネが入ってきた。

 

「こっちに入ってるって、聞かなかった?」

 

「うん、ギンギツネに聞いたよ」

 

「じゃあなんで――」

 

「だから、こっちに来たんだよ」

 

 そう告げるキタキツネの表情は、ああ湯気のせいなのか、どこか魅惑的な、本能に語り掛けるようなものだった。

 

 

「ねえ、()()()()……その、今日のこと、お礼が言いたかったんだ、助けてくれて、ありがと」

 

「あ、いいよ、別に……え?」

 

 キタキツネが、僕の名前を呼んだ。思い返せば、今まで一度も名前を呼んでくれたことはなかった。そのことに気づいた僕に対して、キタキツネは追撃を続ける。

 

 少し、こっちに身を寄せてきた。些細な変化かもしれないけど、その変化は確実に僕の心に強い印象を与えた。

 

「そ、そっか、初めてだったね……ねえ、()()()()って呼んでも、いい?」

 

「う、うん……」

 

「えへへ、ありがと」

 

 僕の返事に満足げなキタキツネは、ついにその肩を僕の肩にぴったりとくっつけた。

 

 

「き、キタキツネ……?」

 

「……どうしたの?」

 

 自分が何をしているかの、分かっているくせに。でも彼女は何を言うでもなく、ただただ肩を寄せて、そこにいるだけだった。

 

「今日のノリアキ、とってもかっこよかった」

 

「……そう」

 

「飛んできてボクを助けてくれたし、あのキックも強くて、それにそれに――」

 

「……」

 

 

 

 

 

「もう、返事、して?」

 

鈍い反応をする僕に対し、キタキツネは水面下で腕を絡めて、そう言った。

 

 こうなると、触れているのは肩だけではない。彼女の髪が、耳が、僕の顔や頭に触れる。柔らかな腕が、脚が、何をするわけでもなく、ただ触れている。しかし、今にも動き出し、その全てをぶつけてきてしまいそうな雰囲気が、彼女からは感じられた。

 

 そのまま耳をピクピクと動かし、耳元で彼女は囁いた。

 

「ねえ、ノリアキの『耳と尻尾』、見てみたいな……?」

 

 温泉の熱と、キタキツネの体の熱でのぼせてしまいそうな頭でも、言っていることはすぐに理解できた。

 

 なぜかその言葉を無視するわけにいかず、僕は彼女の言う通りに、キツネの姿になった。

 

「ふふ、きれいだね……」

 

 するとキタキツネは、絡めているのとは()()手で僕の耳を撫でようとした。すると当然、キタキツネと僕は向かい合う形になってしまう。これ以上はいたたまれなくなって、目を閉じ、体をキタキツネから離れる向きに動かした。

 

 それでもお構いなしにキタキツネは僕の耳を触り始めた。それもただ触るのではなく、優しく、それはもう優しく撫でるように、時に、くすぐるように。

 

 それは数分か、それとも数十分か。キタキツネの()()が終わって彼女が上がるまで、僕は身じろぎもできずにそこにいた。

 

「……のぼせちゃった」

 

 キタキツネは名残惜しそうな声を出して、絡めていた腕を外し、小さな水音を立ててゆっくりとお湯から体を出した。当然、ずっと目は閉じたままだから、他に何をしたかは知りようもない。もしかしたら彼女の顔は赤かったのかも知れないが、それも確かめようのないことだ。

 

「えへへ、また入ろうね?」

 

 そう言って、彼女は旅館へと戻っていった。

 

 

 キタキツネが行った後もしばらくの間、僕の心臓は最高速で拍動を続けていた。

 

 のぼせてしまったのか、温泉に、あるいはキタキツネに?

 

 しかし、僕の感覚は、別の何かをずっと告げているように感じられた。

 

 その証拠に、ほら。

 

 

 ――温泉に映る僕の顔は、とても青ざめて見えている。

 

 

 



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4-46 実験を始めよう

 翌日、僕は雪山の旅館から図書館へと飛んで行った。

 

 出発する時に二人が見送ってくれたけど、気恥ずかしくてキタキツネと目を合わせることが出来なかった。去り際に、チラリと見たときのキタキツネは、気味が悪いほどニコニコしていたような気がした。

 

 

 

「おはよう、博士、助手」

 

「おはようなのです」「思ったより早いのですね」

 

 ちなみに、今はおよそ7時くらいだ。

 

「実験が長引いちゃうかもしれないからね」

 

「実験、といっても何をするのですか?」

 

()()を使うんだよ」

 

 ポケットから勾玉を二つ取り出して、手の平に乗せて見せた。

 

「なるほど、これが博士の言っていた……」

 

 助手が緑の方の勾玉を手に取った。しばらく眺めて、僕の手に返しながらこう言った。

 

「これが石の中にあった、というのは確かに不思議ですが、それの何が問題なのですか?」

 

 それは当然の疑問だ。しかし助手もこれも問題ないこととは考えていないらしく、あくまで僕の考えを探るための質問らしい。

 

 

「あくまで可能性だけど、これを使ってセルリアンを作った……っということがあるかもしれないんだ」

 

 我ながら突拍子もない考えだ。

 

「しかし、そう言っても……」

 

 そう言っても事実がどうかは分からない。このままではただの戯言で終わってしまう。

 

「だから、実験をするんだ……で、お願いがあるんだけど」

 

「無茶でなければ、引き受けるのですよ」

 

「ありがと、博士、じゃあ、そこら辺にいるセルリアンを、数体ここまで連れてきてくれないかな?」

 

「……分かったのです、行きましょう、助手」

「ふむ……分かりました、博士」

 

 僕がその意図を話していないから、二人は何が目的か分からないまま、蟠りを抱えた状態でセルリアン探しに出かけていった。少なくとも、僕にはそう見えた。

 

 

 

「セルリアンを連れてきて、どうするんですか?」

 

「あ、かばんちゃん」

 

 一応いた方がいい、という言い分で、博士がかばんちゃん()()を図書館に連れてきたらしい。ロッジに置いていかれたサーバルの悲しみや計り知れない。

 

 僕は再び勾玉を見せつつ、さっきと同じでは面白みがないと思い考えを一つ伝えることにした。

 

 

「勾玉なんだけど、こっちの白いのが雪山、緑のが湖畔のやつ」

 

「色が違うんですね」

 

「色は違うけど、共通点はあるんだ」

 

「共通点……ですか?」

 

「うん、例えば、この白い勾玉が雪の中に落ちたらどうなると思う?」

 

 かばんちゃんは数秒考えてから答えた。

 

「見失ってしまいますし、偶然見つけることもできない……と思います」

 

「そして湖畔は緑が多い、この色の勾玉なら、見つかりにくいはずだよ」

 

 だったら、色が違っているのは誰かが意図的に仕組んだものと考えるのが道理だ。

 

「そっか、それでコカムイさんは」

 

「まあ、それだけじゃないけどね……今は、博士たちを待とうか」

 

 

 

 待つことおよそ30分、二人が静かに飛んで帰ってきた。その向こうを見ると、小さな青いセルリアンが4、5体博士たちを追いかけてきている。もっともこれは博士たちの誘導だから、どちらかと言えば()()()()()()()()()()()、と言うべきかもしれない。

 

「ほら、言う通りに連れてきたのです」

 

「ありがとう、じゃあそいつらを倒してくれるかな、えーと、なるべく一か所に集めてからね」

 

「……こう、でいいですか?」

 

 博士は造作もなくセルリアンの集団を倒した。全て砕け散って、その周囲にサンドスターの欠片がおびただしく散らばった。

 

「そうそう、じゃあ僕の番だね」

 

 白い勾玉だけを手に取ってサンドスターの欠片の中心に置いた。そして両手で勾玉の近くにサンドスターをかき集めた。

 

「何をするつもりなのですか?」

 

「うーん、少し待って……」

 

 かき集めただけでは何も起こらなかった。早く済ませないとサンドスターが空気中に飛散してしまう。また博士たちをセルリアン探しに行かせるのは可哀そうだ。

 

「……こっちでやってみようか」

 

 物は試しにとキツネの姿になった。なんとなく、霊的な力が沸いて出てくる感覚を覚えた。

 

「それがキツネの姿なんですね……!」

「こうして見るとなるほど、イヅナによく似ているのです」

 

 初めてこの姿を見たかばんちゃんと助手は驚いたり感心したりと新鮮な反応をしている。でも今、それに反応している暇はない。

 

 

「記憶……サンドスター……!」

 

 もし本当にサンドスターと「記憶を操る能力」の間に関係があるならば、僕にもイヅナの能力の一部を使ってできることがあるかもしれない。

 

「……っ」

 

 イヅナの能力の一部を引き継いでいる保証はないし、サンドスターを思い通りに動かせるとも限らないけど、サンドスターを集めるくらいなら……!

 

 じわじわと勾玉に向かってサンドスターが吸い寄せられていくが、それが集まって塊になるような様子は一切見られない。

 

 

「……だ、ダメなのかな」

 

「やれやれ、こうすると早いのですよ?」

 

「……博士?」

 

 声がして隣を見ると野生開放をした博士が佇んでいた。少し目を細めて手をかざしたかと思うと、サンドスターが数倍の速さでまとまり、変化が見られてきた。

 

「フレンズは()()()()()()ならある程度思い通りにできるのですよ、流石にサンドスター・ロウとなると普通のフレンズでは不可能ですが」

 

 様子を見ると言葉通り、サンドスターは集まっているがサンドスター・ロウは僕がイヅナの能力の残滓らしきものを使って動かしていること以外の反応がない。しかし、勾玉にサンドスターが集まって、今に実験の結果が出ようとしている。

 

 

 その様子に、博士も気づいてきたようだ。

 

「勾玉に何か……結晶?」

 

「多分、セルリアンの石だよ、だから――」

 

 僕が言い終わる前に反応は急加速、勾玉を中心に紅い宝石のような石が生成された。それは間違いなくセルリアンの弱点である石だった。

 そして間もなく石を中心にゲル状の体組織が形成され、さっきのセルリアンより一回り大きい赤のセルリアンが一体、そこに現れた。

 

 

「こ、これは……」

「セルリアンを、作ったんですか……?」

「こんなことが……」

 

 この現象に対する反応は三者三様だ。

 

「気を付けて、石の中を見てほしいんだ」

 

「い、石を、ですか……?」

 

 意外にも率先して見に行ったのはかばんちゃんだった。前から思っていたことだったけどやっぱり肝が据わっている。

 

「あ、勾玉があります」

 

「でしょ? 博士たちも、ほら」

 

「確かにあるのです」

 

「つまり、これは……」

 

「そういうこと」

 

 そう言いなが僕はセルリアンの石を攻撃して倒した。バラバラになった石の中から、白い勾玉が前の状態のままで出てきた。それを拾い上げて、博士たちに向き直った。

 

 

「と、こんな風に、この勾玉を使ってセルリアンを生み出せるんだ」

 

「それは分かったのです、しかし、形は?」

 

「さっきの、赤かったよね、僕が『赤くなれ』って念じてたんだ」

 

「ふふ、本当なのですか?」

 

「こ、こんなところで嘘はつかないよ?」

 

 そんなことをするユーモアはないし、したとしても面白くできるセンスも持ち合わせていない。

 

「それは信じてやるとして、それから何が分かるのですか?」

 

「あのセルリアンは誰かが作ったってことと、サンドスター・ロウを動かせるフレンズにしかできないってことだよ」

 

 僕はさっきキツネの、恐らくイヅナの力だったものを使った。その力はとても弱いものだった。しかし、その力の大元であるイヅナならば、あの大きさのセルリアンを生み出すのに十分なサンドスター・ロウを集めることは不可能ではないはずだ。

 

「なるほど、それを確かめるために実験を……」

 

「うん、そういうこと」

 

 

 それに、信じたくはないけどイヅナには動機もあるはずだ。これだけの証拠がそろえば、認めさせることは不可能じゃない。

 

「これからどうするつもりなのですか?」

 

「ど、どうって?」

 

「そんな証拠を集めるということは、イヅナの罪を暴く意思があるのですよね?」

 

「つ、罪……」

 

 そんな大層なものじゃない。あの時のイヅナは錯乱していた。そのまま踏み切ってしまったに違いない。だから、『罪』ではなく『過ち』と向き合う手伝いをするんだ。

「……イ……」

 これ以上道を踏み外してしまわないように。だから、罪じゃない。罪であってはいけない。イヅナは間違ったことをしたけど、絶対に悪いわけがない――

 

「コカムイ!」

 

「っ……」

 

「大丈夫なのですか、考え込んでいたようですが」

 

「大丈夫、問題ないよ」

 

 まだ博士たちに話していない根拠もある。どうなったとしても認めてもらうところまではいかなければ。そうしなければ、イヅナを変えることはできない。

 

 

「一段落したし、『ジャパリカレーまん』でも作るよ」

 

「…………」

 

「ん、博士?」

 

 博士はいつも通り凛々しい目をしているけど、やはりその中には不安の感情が見える。そんな時はいつも、僕に陳言を言うんだ。

 

「一人で抱え込むのはよくないのですよ」

 

「あはは、何のこと? ……とりあえず、作ってくるね」

 

「…………」

 

 

 カレーまんを作って三人に振舞ったけど、博士はいつもの半分も食べていなかった。やがてかばんちゃんは助手に連れられロッジに戻り、僕は久しぶりに図書館に泊まって調べものをすることにした。

 

 

「こっちのは、『生態の観察』か」

 

 研究所には及ばないとはいえ専門的な資料もあり、一般社会に出版されているような本も多くあるから、別の意味で調べていて楽しい場所だ。イヅナの素性について大きな手掛かりを得たのも、ここにある百科事典からだった。

 

 今は余り使う機会のない『ジャパリパーク全図』も、ここで出会い、さっき作ったジャパリカレーまんで二人を説得したことは記憶に新しい。

 

 僕にとり憑いたイヅナが初めて大きな行動をしたのもこの図書館で過ごした夜のことだった。

 

「なんで、懐かしんでるんだろうね」

 

 気が付けばもう夜。博士たちにとっては違うだろうが、昼行性の生き物は眠りにつく時間帯だ。

 

 ――そして、出発の時だ。

 

 

 

 

 キツネの姿に変化した。今まで誰にも話していないことだけど、この姿になるには『自分(キツネ)』というものを強く意識する必要がある。そのせいか否か、この姿の時はイヅナの居場所が分かる。

 

 

――火山だ。

 

 

サンドスターが絶えず湧き出ているあそこなら、セルリアンを生み出すためのサンドスターは十分な量が確保できるに違いない。サンドスター・ロウはフィルターで防いでいるけど、イヅナの能力がサンドスターにも影響力があると分かった以上、フィルターを壊さずにサンドスター・ロウを取り出す方法を持っていると思った方がいい。

 

――けど、そんなことはどうでもいい。戦いにいく訳じゃないんだ。

 

 

 

「…………行こう」

 

胸に抱えた赤ボスに、静かに言った。赤ボスは、ただ黙っていた。

 

「待つのです」

 

「――博士、助手」

 

 呼び止められて振り向けば、そこには博士と助手がいた。

 

「一人で抱えるなと言ったのです」

「何かできることがあれば我々も」

 

「必要ないよ、僕がやる、僕しかできない」

 

「――コカムイ」

 

「だから、二人にできるのは僕がここに戻ってくるのを待つことだけだよ」

 

「……ですが」

 

「じれったいな、僕はもう行くよ」

 

「だったら我々も――っ!?」

「そ、それは――」

 

 狐火、いつかイヅナが二人を足止めするために使ったものだ。

 

「僕は大丈夫、だから安心して待ってて?」

 

「……コカムイ」

 

 

 

 ――飛んだ、火山へと。

 

 不毛ないさかいを、終わらせるために。

 

「待ってて、イヅナ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「逃げられると、思わないでね?」



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4-47 狐の複製品

 火口から噴き出るサンドスターが、月の光に照らされ満天の星の下に輝いている。今夜は満月だ。雲一つ浮かんでいない夜空に、燦燦と、有象無象の星たちとは比べ物にならないほど明るく、そこにある。

 

 火口近くに降り立って、ヒトの姿に戻った。イヅナはこの先の、少し小高い所にいるはずだ。

 

 

 

 想像通り、イヅナはそこにいた。こちらに背を向けて立っている。純白の尾が月光を反射して、一段と綺麗に見える。

 

「――イヅナ」

 

 名前を呼ぶと、ゆっくりと振り向いた。イヅナの顔には驚きの色が見える。

 

「ノリくん、な、なんで……?」

 

「ちょっと、確かめたいことがあってね」

 

 一歩ずつ、距離を詰めていく。少なくとも、飛びついて捕まえられる距離まで。

 

「え、えと、この前はごめんね? わ、私、気持ちが抑えられなくなって……」

 

「大丈夫、気にしてないよ、それより……」

 

 

 

 

 

「なんで、セルリアンをけしかけたりしたのかな?」

 

「……え」

 

 イヅナは驚いていることに変わりはない。しかし、その目はより強い驚愕の感情に染まって見えた。

 

 1、2歩イヅナは後ずさって、若干しどろもどろな声で話し始めた。

 

「し、知らない……そんなの……」

 

 あくまで白を切るみたい。そりゃそうか、でも、引き下がるわけにはいかない。このまま、逃げ続けさせるようなことはしちゃいけない。

 

「雪山と湖畔にね、セルリアンが出てきたんだ。同じ形で、同じ色のね」

 

「そ、そんなのただの偶然だよ!」

 

 確かにここまで聞いただけなら偶然なんだけど、まだ言い終わってないよ。焦るのは分かるけどせめてもう少し聞いてから反論してほしいな。

 

「まあまあ、そんなに焦らないで? そのセルリアンの形が普通じゃなかったんだよ」

 

「…………」

 

 イヅナは頬を膨らませて黙っちゃった。はたから見ればかわいいけど、やったことの規模が可愛くない。

 

「前にゆうえんちに行った時に見た、紫のセルリアン……覚えてる?」

 

「……」

 

 声は発さずに、コクリと頷くのみだった。

 

「それと同じ()のセルリアンが、さっきも言ったように雪山と湖畔に出たんだ」

 

 ここまでは、食い気味に反論してきたこと以外に目立った反応は見られない。

 

――予定通り、切り込んで話を聞くことにしよう。

 

「イヅナでしょ、そいつらを送ったのは」

 

「――っ」

 

顔が強張った。その表情は悲しいのか、怒っているのか、いい感情でないことは確実だが。

 

「……ち、違う……私に、そんな力……」

 

「図書館で、僕に君の記憶を見せたとき、イヅナ、何したっけ?」

 

「そ、それは」

 

「セルリアンを出して、そこからカードキーとか(イヅナの記憶)を出したんだったよね」

 

 あの時、なぜいちいちセルリアンを出してから僕に渡したのかは分からない。だけど、今大事なことはイヅナにはセルリアンを出すことが出来るということだ。

 

「『フレンズになってから、できるようになった』……とかなんとか言ってたよね」

 

「そ、その時は確かにやったけど、今回のは違うんだよ?」

 

 

 しぶとい、まだ認めないつもりみたい。気が付くとイヅナとの距離が離れていたから、少し歩みを進めてさっきよりも近づいた。

 

 その行動はイヅナにとって恐怖を煽るものだったようで、半歩後ずさろうとしていたけど、ギリギリのところで踏みとどまっていた。

 

 

 さて、当然この場で認めてもらわないといけないんだけども……どう外堀を埋めていくべきか、()()()はもう持っている、だけど最初に切ってもイヅナがしらばっくれるようなことがあったら手が無くなる。

 

 事実を説明しながら根拠を一つ一つ示して、とどめに()()を使う。基本的な方法だね、それで十分だ。イヅナはバレないように頑張ったみたいだけど、一対一の話し合いで相手を煙に巻く方法は使っていない。

 

 

「一つずつ、話していくよ、それで、全部聞いてから……認めて、ほしいな」

 

「…………」

 

 イヅナは目をそらした。

 

 今はそれでも構わない。最後に、しっかりこっちを見て認めてくれればそれでいい。

 

 イヅナは、この島の『友達(フレンズ)』に憧れて、友達になりたいと思った。イヅナの記憶を見ていく中で、それを知った。だから、それを叶えるために、イヅナがのけものにされるなんてことは絶対にあってはならない。

 

 寂しいんだ、怖いんだ、だから間違えたんだ。変えなきゃ、それがイヅナのためだから。……僕にしかできない。落ち着いて、ゆっくりと、少しずつ。

 

 

 

 

――深呼吸をした。

 

 

 勾玉を二つ出して、イヅナに見えるように持ち上げた。

 

「これ、セルリアンの石の中にあったんだ」

 

 何も持っていない方の手で、イヅナの首に下げてある赤い勾玉を指さした。

 

「その赤い勾玉と、同じ形だね」

 

イヅナは無言で勾玉を掴み、隠すような仕草を取った。

 

「実験をしたんだ、これにサンドスターを集めると、セルリアンになった」

 

「……それが、何?」

 

 イヅナの口調、というか話し方がいささか刺々しいものになっているように感じる。ちょっぴり心に来るものがあった。

 

「そして、ね。この石からできたセルリアンは、『赤くなれ』と念じたら赤くなった。つまり、『形』や『色』を自在に調節できる可能性がある」

 

 形と色の部分を強調していった。それはつまり、そういうことだ。

 

「い、言いがかりだよ!」

 

「だったら……だったら、この勾玉の形状の一致はどう説明するの? それに、勾玉なんて持ってるのはこの島で僕たちだけだよ」

 

「……で、でも、偶然、だよ」

 

「偶然かぁ……便利な言葉だね」

 

「……っ」

 

 どうしても逃れたいなら僕にでもなすりつければいいのにとは思うけど、それは気が咎めたりでもするのだろうか。

 

「わ、私、やってないよ、珍しいこととは思うけど、ありえないことじゃないもの」

 

「じゃあ、研究所に出たのと()()()()セルリアンが、他二箇所にも出た……って言いたいの?」

 

「そ、そう!」

 

 またもや食い気味な返事だ。でも今の言葉で()()することが出来たから、まあ良しとしよう。言い換えれば、言質を取れたということだ。

 

 イヅナは知らない。研究所に出たセルリアンに、ツタを出す能力があることを。

 

 

 

 

「そもそも、セルリアンを送り込むような理由なんてないよ!」

 

 なるほど、次は動機の話か……心当たりはある。別に話してしまってもいいんだけど、それをイヅナが望むかどうかは……きっと望まない。そもそもこんな話はしなくても問題はないから、適当に流しておこう。

 

「それを言っちゃったら、他のみんなにそんな理由なんてないよね」

 

「……だったら、誰もやってないってことになるよ」

 

「でも、イヅナにはある」

 

「ないよ!」

 

「いや、あるよ。でも聞きたい? あんまりいい話じゃないと思うよ」

 

「分かんないだけじゃないの……?」

 

「あはは、ええと、そうだね……『なぜセルリアンを雪山と湖畔に送ったのか』……それが動機と深く関係してるんだよね?」

 

「っ……し、知らない」

 

 言葉でどう言おうと、態度や仕草を見れば何を考えているかはおおよそ予想がつく。まあいいや、どうやら予想通り動機の話はしない方がよさそうだ。どこで()()するか分かったもんじゃないからね。

 

 

 次の話を切り出して……そろそろ終わりにしたいんだけどな。

 

「その話は置いといて……2か所にセルリアンが出たって言ったけど、それ以外の場所でそんなセルリアンが出たって話は一切ないんだ」

 

 イヅナは声を返しこそしなかったけど、こっちをまっすぐ見ている。話を聞く気にはなっているみたいだ。

 

「つまり、二つのセルリアンは雪山と湖畔とでその場で生まれた、ってことになる」

 

「……それで?」

 

「じゃあ仮に生み出した人が居るとすると、その人は雪山と湖畔を行き来したってことになるんだ」

 

「そんな人、いないよ」

 

 イヅナは否定を続ける。しかしその声に勢いはなく、一度否定したから続けているくらいの感情しか感じない。動機の話のせいかな。だったら悪いことをしてしまった。

 

「……『いた』って体で話すよ? するとその2地点をなるべく短時間で移動することが出来ないといけない」

 

「……うん」

 

「この場合では、『空を飛べる』っていうのが当てはまるんだ。博士たちやイヅナのようにね」

 

 現時点では僕も当てはまるんだけども……ややこしくなりそうだから話には出さないでおこう。

 

「そしてもう少し踏み込むと、イメージしてセルリアンを生み出す以上、あのセルリアンの『形』を知っていなきゃいけない」

 

 空が飛べて、かつ研究所に出た紫のセルリアンを見たことがある……その条件で絞り込むと――

 

「イヅナと博士……この時点で容疑者はこの二人に絞られるんだ」

 

 

 容疑者なんて言葉は、責め立てる意味合いが強すぎて使いたくないけど、身も蓋もない言い方をしてしまえばそういうことになる。

 

 そして、『この時点で』という言い方をしたってことは、さらに選択肢を減らす方法があるということだ。

 

 しかし、次の言葉を発する前に、イヅナが割り込んで話し始めた。

 

「じゃあなんで、私が怪しいの? 私、何にもしてないよ……?」

 

「……セルリアンが持っていた能力」

 

「……能力?」

 

 さっきのやり取りで十分に察していたけど、やはり知らないか。

 

「研究所にいたセルリアン、そいつは『ツタを操る』能力を持っていたんだ、なぜかは知らないけどね」

 

「つ、ツタ? 何のこと?」

 

「でも、昨日雪山と湖畔に現れた2体にその能力はなかった」

 

「そ、それが……?」

 

「そしてその2体の”石”の中に、勾玉が入っていた」

 

 

「とどのつまり、昨日の2体は研究所に出たセルリアンの形を真似た『複製品(コピー)』だったってことだよ、それを作ったのがイヅナ、君だ」

 

 そして、そんな粗雑な複製品(コピー)を作ることが出来た存在も、イヅナ以外にはいない。

 

「イヅナ、君がコピーを作ったのは、動機はどうであれ自分の仕業であることを隠すためだ、そのために()()セルリアンを真似たものを生み出した」

 

「ち、ちが――」

 

 言い返そうとしたイヅナを手で制止して、続けた。

 

「もしツタを操る特性を知っていれば、その能力を付け加えたはずだよ」

 

「だから違うの! だって、博士にだって……!」

 

「博士には無理だ。博士は、あのセルリアンがツタを出すことを()()()()()

 

今までの条件をすべて合わせて考えれば、もう答えは明白だ。

 

「『研究所のセルリアンを見たことがある』、『空を飛んで移動できる』……そして、『ツタを操る能力を知らない』、この三つを満たすのは、イヅナ、君だけなんだ」

 

 

 研究所のセルリアンを見たことがなければ、あの形を真似ることはできない。

 

 空を飛べなければ、午前中のうちに雪山と湖畔にセルリアンを生み出すことはできない。

 

 ツタを操る能力を()()()()()()、それを付け加える以外の選択肢はない。

 

 

「正直に言ってね、移動方法とかは蛇足なんだ、だって……」

 

「違う、私は、私は……」

 

「あのセルリアンを実際に見たことがある者の中で、ツタについて知らないのはイヅナだけだから」

 

 これの説得力を増すために、今までダラダラと話していただけだ。この証拠だけで、既に『犯人』は決まっていた。これも容疑者と一緒で、使いたくない言葉だったんだけど。

 

 

「だったら……」

 

「……?」

 

 イヅナは崩れ落ちて、ぺたりと座ってうなだれた。

 

「私はどうしたらいいの……? 無理だよ、もう戻れないよ……気持ちがどうにかなっちゃって、止められなくて!」

 

「大丈夫、まだ戻れるから、だからまず謝れば――」

 

「ダメだよ! あんな、あんな……許してもらえるわけ」

 

「例え許してもらえなくても、謝らなきゃ! 『許してもらえないかも』なんて逃げる理由にならないよ!」

 

 これは、助言か? 励ましか? はたまた追い打ちか?

 

 分からないよ、僕までこんなに感情的になっちゃって……でも、さっき挙げたもののどれだとしても、最後までやり通す義務がある。我儘だ。でも、やらなきゃ。

 

 

「いや……いやッ!」

 

 突然勢いよく立ち上がって、振り向いて逃げようとした。咄嗟に腕をつかんで留めようとした。

 

「待って、逃げ、ないで……!」

 

 強い、何て力だ。是が非でも逃れようとする意志を感じる。

 

 だけど、今度こそは、逃がさない。

 

「やだ、離して、やなの! だめ、やめて!」

 

 子供のようにぐずって逃げようとし、力がさらに強くなった。

 

「……ぁああ!」

 

 こっちも、本気になるんだ。キツネの姿に変わって、野生開放した。体に力がみなぎる。しっかり腕をつかんで、もう離さない。

 

 

数十秒の間そんな攻防が続いて、まだまだ長くなりそうと思ったその時。

 

イヅナがふと、こちらを見た。本当に何気ない一瞥だった。

 

しかし、イヅナの視線は僕から離れなかった。

 

 

「……っ、うわわ……」

 

 突如としてイヅナから力が抜けて、その反動で一気にこっちにもたれかかった。後ろに倒れかけて、しかし野生開放のおかげか踏みとどまることができた。

 

 我に返り様子を見ると、イヅナが僕に抱きついている。

 

 イヅナが顔を上げた。その顔は、ただの喜びではない。恍惚とした、妖しい笑みが、その顔に浮かんでいた。

 

 いつもとは違う、すこしねっとりした口調で、イヅナは言葉を紡いだ。

 

「え、えへへ……ノリくん、どうしたの? その耳と尻尾」

 

 指摘を受けて、そういえばついさっきキツネの姿になったんだ、と意識した。

 

「え、よく分からないけど、この姿にもなれるようになって――」

 

「うれしいっ!」

「うわわっ!?」

 

 突然イヅナがその全体重を僕に預けた。突然の重心の変化に対応できず、尻もちをついてしまった。イヅナも一緒に倒れ込み、僕の膝の上に乗っている。

 

「そっくり、私とホントにそっくり……!」

 

 僕の耳を、尻尾をもふもふと撫でて、イヅナの口角は先ほど以上に吊り上がった。

 

 

 この状態はいつまで続くのか、と昨日の温泉のことを思い出しながら考えていると、全身から力が抜けていく。そのまま仰向けに倒れた。

 

「な、なんで……?」

 

「えへへ、ノリくん、私の『カミサマ』……こんな素敵な姿になってくれるなんて、やっぱり運命なんだね……!」

 

「う……うぅ……」

 

 なるほど、本当に耳と尻尾はそっくりだ。まるでイヅナの複製品(コピー)のように……となぜか僕は呑気に考えていた。

 

 

 

「私が、もっと素敵なところに連れて行ってあげるね!」

 

 額に水滴が落ちた。イヅナがうれし泣きでもしているのかと思ったら、水音はいくつにも増えて、やがてそれが雨音であることに気づいた。

 

 おかしいな、空を見てもはっきりと月と星が見える。雲一つありはしない。

 

「ふふ、雨だ……」

 

 そうか、今は太陽が出ていないからわかりづらいけど――

 

 

 これがいわゆる、天気雨(狐の嫁入り)ってやつか。

 

 

 イヅナに持ち上げられる感覚を覚え、朦朧とした僕の意識は、雨粒と共に地面に落ちた。

 

 



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4-48 白いキツネはカミサマの使い

 目を開くと、真っ先に目に入ったのは天井の木目だった。手足の感覚から、布団を掛けられていると分かった。電灯はついてないけど辺りは明るい。夜は明けたのだろう。

 

 しかし体を起こそうとすると、動かない。正確に言えば、手足が動かない。感覚はあるのだが。頭は動かせるから、きっと手足だけに何かされている。

 

 動かないと言うと拘束が真っ先に頭に浮かぶけど、今回の場合は力すら入らない状況だ。後は……キツネの姿のままだ。意識を失ってもヒトの姿にはならないらしい。

 

 

 まあ、現状を分析するとしたらこんなところだろうか。ここがどこかは分からないが、少なくともロッジや図書館のような僕が訪れたことのある建物じゃないはずだ。

 

 

今は何もできない。果報は寝て待てとも言うし、二度寝でも――

 

 

ピシャン!

 

 再び眠りに落ちかけた意識は、障子が開くような音に引っ張り起こされた。

 

 

「……あ、起きた?」

 

 イヅナの声だ。 なんとか動く頭をどうにかしてイヅナを見ようとするも、限界がありイヅナの姿はチラチラと視界の端に映るだけだ。

 

「イヅナ、体が動かないんだけど、どういうこと?」

 

 そう問いかけると、ふふ、と笑う声が聞こえた。

 

「えーと……なんて言えばいいのかなぁ? 私の能力(ちから)については知ってるよね?」

 

「記憶を操るとかなんとか、ってやつ?」

 

 そんな風に言われてはいるものの、サンドスターに影響を与えられたりと……いや、もしかしてサンドスターは本当に……? ――じゃなくて、どこまで影響を及ぼせるのか不透明な能力だ。……手足が、記憶をどうにかして動かなくなるものだろうか。

 

「そう! それを使ってぇ……その、『無意識』ってとこ、かな? そこに『手と足が動かせない』って何度も言い聞かせて、つまり暗示だね!」

 

「じゃあ、勘違いしてるだけ……?」

 

「うん、そういう感じ」

 

 ここまで応用が利く能力だったのか。確かに『記憶』……人の内面に干渉できるんだ、生半可な能力じゃないに決まってる。

 

 でも、勘違いしてるなら何とかこっちも暗示の力で動かせるようにできるのではないか?

 

「……ん、ぐぐ……!……ダメだ」

 

「無意識の深い深い所に暗示をかけたから、ちょっとやそっとじゃ解けないよ?」

 

 イヅナは、僕の心の中を読んでいるかのように的確な言葉をかけた。

 

「なんで、こんなこと?」

 

 そう聞くと、イヅナは「なんでそんなこと聞くの?」と言いたげなポカンとした表情を数秒の間浮かべていたが、やがてそれは不気味なほど明るく穏やかな微笑みへと変わった。……いや、至って普通の笑顔だったはずだ。しかし僕の目には、不気味に見えていた。

 

「だって、ノリくんは私の大事な大事な『カミサマ』だもの、絶対に、誰にも渡しちゃいけないの」

 

 『カミサマ』……またそれだ。イヅナの記憶の中でも出てきた覚えがあるけど、具体的にどんなものなのかよく知らない。

 

「その『カミサマ』って何度も聞いた言葉だけど、一体何なの?」

 

 イヅナは目を閉じてしばらく思案し、こう答えた。

 

 

「カミサマはね、いっちばん大事な、人とか、物とかで……ただ大事なんじゃなくて、他のどんな”もの”よりも大切な、他の何に代えてでも守んなくちゃいけないものだよ」

 

「……どういうこと? それが、『カミサマ』である必要なんてあるの?」

 

 イヅナは質問の意図を測りかねたようで、戸惑いつつも一応答えは返してくれた。

 

「カミサマ、って呼び方に疑問があるの? ……呼び方なんてどうでもいいんだよ、要はそれが、世界一大事ってだけだから、だから『カミサマ』は絶対で、私にとってそれはノリくんなんだよ」

 

「絶対……?」

 

 だったら、それのためになら、何をしてもいいのか、どんなことでもするつもりなのか?……他の誰かを傷つけたとしても?

 

「うん、だから、何か困ったことがあれば何でも言って? 私が解決してあげる」

 

「何でもって、そんなこと……」

 

 僕の顔を覗き込むイヅナの目は至って本気だ。頼めばなんでもやってくれるに違いない。それが、ひどく恐ろしいことに思えて。

 

「おかしくないよ、だって私は『白狐』だもの、ノリくんも知ってるでしょ?」

 

 

 

 

「――白いキツネは、カミサマの使いなんだからさ」

 

 カミサマの、使い……

 

「ね、お願いがあるなら、遠慮せずに……なんでもしてあげる」

 

 ……あはは、イカれてる。どんなことでもするだなんて……しかもそれを狂言やパフォーマンスではなく、本当にやると思わせるほどのことを、イヅナはしてきた。

 

 どうすれば、この状況を変えられるのだろう。……何か、恐ろしい覚悟が必要なのではあるまいか。イカれた決意を抱かなければいけないんじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 ……待てよ、本当に何でもしてくれるというのなら、

 

 

「……じゃあ、さ」

 

「うん」

 

「じゃあ、手足を動かせるようにしてくれるかな?」

 

「……え?」

 

 聞こえなかったのかな? だったらもう少し大きな声でもう一度……

 

「ええええぇぇぇ!?」

 

 言おうとしたところにイヅナの絶叫が割り込んできて、やむなく黙っていることにした。

 

 するとイヅナは忙しなく腕を掴み自分を抱きしめるような姿勢をとったり落ち着きない仕草を見せながらブツブツと独り言を始めた。

 

「そ、そんな、確かになんでもしてあげるって言ったけど……で、でも、動かせるようにしたら逃げられたり、ああ、でも約束しちゃったぁ……うぅ……」

 

 前言撤回、やるといったらやるだけの覚悟はあるけど、イヅナは少し律儀すぎる。ここまでのことをするなら不都合な要求は押し殺すだけの思いを……って何を考えてるんだ。

 

 

 しばらく一人で悶えていたイヅナはようやくまともに話せるようにはなった。

 

「うぅ、じゃ、じゃあ暗示を解くけど、その……逃げないでね?」

 

 目に涙を溜めてそう言う。

 

「…うん、わかった」

 

 今はこう答えておこう。当然僕にも別の目的があるから当分は逃げないし、こうしなければこの場が収まらない。

 

 イヅナが僕の額に手をかざした。何かが頭の中に流れ込んでくるように感じ、やがてそれが言葉であることに気づいた。

 

 

 『動かせる、動かせる……』と声が延々と頭に中に鳴り響き、しばらくして本当に手足が動かせるようになった。しかし同時に、『飛べない、飛べない……』という別の声も聞こえてきた。恐らくは、キツネの姿でも飛ぶことが出来ないようにイヅナが新しい暗示をかけているのだろう。

 

 飛べないのは不便だけど、手足が動くならまあ文句はない。

 

「よい、しょっと……」

 

 ようやく自由に動かせるようになった手で体を起こし、足でゆっくりと立ち上がった。

 

「…………」

 

 イヅナは不安そうにこちらを見つめている。僕が逃げないか、本当に疑っているのだろう。

 

「……ほら、これで、どう?」

「ぁ……」

 

 とりあえず、イヅナを軽く抱きしめてあげた。これで信用してくれるとは思えないけど、気休めにはなってくれるとありがたい。

 

 

 

 イヅナから離れて自分の姿を改めてみると、服が変わっていることに気づいた。

 

 昨日は洋服を着ていたが、今はイヅナが着ているものによく似た白い生地に所々赤や別の色のアクセントが入った特徴的な和服になっている。言うなれば、神社に仕えている人が着るような。

 

「あれ、この服は……?」

 

「ここにあった服だよ、寝てる間に着替えさせてあげたの!」

 

「そ、そう……」

 

「それと、体も綺麗にしておいてあげたよ!」

 

「……そう」

 

 どこまでやったかは聞く必要あるまい。聞きたくもない。余計な方向に話が発展する危険がある。どこまでやったかは……イヅナのほんのり赤くなった顔からおおよそ予想がつけられる。

 

 しかし今はキツネの姿だ。イヅナを見ても分かるように、この姿は和服と非常に相性が良いように思える。少なくとも前に来ていた服よりはよく似合っているのではないかと、そう思う。

 

「えへへ、その、とっても似合ってるよ、ノリくん」

 

「…あ、ありがと」

 

 着付けはしっかりしている、イヅナが得意だったかあるいは何か超能力でも使ったか、どちらにせよ着心地もいいものだ、結構気に入っている。

 

 

 

 

 ……何をしよう。何か大切なものを忘れてしまっている気がするけど、多分今考え込んでも分からない。一度座って、イヅナにもう少し詳しく話を聞くことにしよう。

 

 

「イヅナも座って、ちょっと尋ねたいことがあるんだ」

 

「うん、なんでも聞いて?」

 

「なんでセルリアンを送り込んだの?」

 

「うぇ!? いきなり……?」

 

「いきなりも何も、一番の疑問だよ」

 

「わ、分かるでしょ?」

 

 見当はついてるけど、実際にイヅナから聞かないと納得できない。それくらい荒唐無稽な考えだ。……できることなら否定してほしいくらいに。

 

 僕が一言も発さずイヅナをじっと見据えていると、イヅナは観念したように口を開いた。

 

 

「ぷ、プレーリーの方は分かるでしょ? その、ほら、あの時の……!」

 

 そう話すイヅナは歯ぎしりしている。よほど腹立たしかったのだろう。しかし……

 

「あ、言い忘れてたんだけど、その時僕が()()()のは、ここ、右のほっぺただよ」

 

「あ……え?」

 

 あっけにとられたようで、ぽかんと口を開けている。少しして我に返り、

「そ、そう……でも、その……ダメ、ダメなの! 許せない!」

 

 許すとかどうとか、イヅナはそう言う立場にはいないと思うんだけど……まあ一応()()()()()の方も聞いておこう。

 

「で、雪山は……?」

 

「き、キタちゃんが、ノリくんと、ゲームで仲良く遊んでて……ずるい……」

 

 なんだろう、子供を相手にしている気分だ。実際に、イヅナが目覚めたのは2年位前のことだ。もしかしたらほぼ子供と同じような精神年齢なのかもしれない。

 

 

「……イヅナ」

 

「私がノリくんを連れてきたのに、なんでキタちゃんばっかり……」

 

「そもそもその割に、どっかに行っててあまり一緒に過ごせてなかったじゃん」

 

「それは、このお屋敷のお手入れをしてたからなの!」

 

 屋敷……そういえばこの建物はどこにあるんだ? ジャパリパークのあの島の中にあるのか? ジャパリパークの中の別の島に連れていかれた可能性は0じゃない。

 

「屋敷か、ここはどこ?」

 

「うーん……それは秘密♪」

 

 

 とても楽しげにそう言われた。知られたら困る場所……となれば島の中の可能性が高いか。

 島の中なら、博士たちにも手出しができる。だからどこにあるか知られたくない、と考えるのが道理だけど、推測の域を出ない。

 

 そうだ……この屋敷とやらを調べて、何があるのかを知りたい。

 

 

「ねぇ、この建物を見て回ってもいいかな? どんなものがあるのかなー、って気になるんだ」

 

「どうして?」

 

「どうして、ってどういう……」

 

「欲しいものがあるなら、持ってきてあげる。食べたいものがあるなら、作ってあげる。知りたいことがあるなら、できる範囲で教えてあげる。この部屋から出る必要なんてないよ?」

 

 とどのつまり『外には出るな』ってことなんだ。困ったな、せめて一人になる時間がないと行動を起こしにくくなってしまう。

 

 とにかく今は、少しでも外に出られるように交渉しよう。この機会を逃せば外に出るチャンスが当分掴めなくなる恐れも十分にある。

 

「なんで、そこまでしてくれるの? 僕のことは、僕でできるよ」

 

「……今更聞くの? ふふ、いいよ、ノリくんのためなら何度でも言ってあげるから」

 

 

 

 イヅナがこちらに一気に詰め寄り、腕を大きく開いて、僕に飛びついて抱き着いた。そして、耳元で――

 

「大好きだよ、ノリくん」

 

「……あ……ぁ」

 

ああ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――最悪の気分だ。

 

 誤解のないように言っておくと、イヅナが嫌いだとか、この状況が気持ち悪いとか、そんな感情は一切抱いていない。

 

 しかしこの感覚はそう、少し前にオオカミさんと()()漫画について話していた時に感じたものと同じだ。キタキツネが温泉に入ってきたときに覚えた感覚と同じだ。

 

 イヅナにではない、自分にでもない……誰にも、何にも向けられていない、嫌悪。

 

 

 

 訳がわからない。理由なんて分かりっこない。

 

 ただ、ただただ……気持ち悪い。

 

 

 イヅナが僕から離れた。いや、僕がイヅナを引きはがした。なるべく優しく、だけど。

 

「……ノリくん?」

 

 イヅナは僕の様子を不思議に思っている。また、顔色が悪くなっているのかもしれない。

 

「ああ、今は調べものとかいいや。ちょっと、寝たいな」

 

「う、うん……大丈夫?」

 

「……多分」

 

 イヅナが僕に声を掛けている。僕を心配してくれている。だけど、その声は聞こえない。何を言っているか分からない。

 

 

 そのまま布団に潜って、眠気のままに目を閉じた。

 

 



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4-49 夢と現

 ……ここは、どこ?

 

 

 あれは信号だ。並ぶのは、住宅だ。まっすぐと続いているのは、道だ。

 

 青い空だ。緑の葉が美しい並木に、虫が止まっている。

 

 燦燦と輝く太陽の光が、アスファルトに反射して眩しい。しかし、暑くはない。温度は、感じられない。

 

 試しに葉っぱを触ってみた。何も感じない。本当に触っているのかな。

 

 コツコツ、と靴で地面を鳴らしてみた。音は聞こえる。

 

 そうだ、と思いついて、右のほっぺをつねってみた。

 

 痛くない。どうやらここは、夢の中。

 

 

 でもここは、僕の知っている場所じゃない。僕の知る世界は、ジャパリパークだけだ。イヅナに全てを忘れさせられ、名前を与えられ、連れてこられ、過ごしたみんなの島だけだ。

 

 この場所は、街だ。文明がある。ヒトが居る。でも、きっとフレンズのみんなはいない。フレンズのみんなが言うところの、『ヒトの縄張り』だ。

 

 ふと振り返ると、長い階段の上に鳥居が見えた。あれは赤いのかな? 夢の中のせいか色が若干くすんで見える。

 

登って何があるのか確かめたいと思った。だけど、明晰夢であることとは裏腹に僕の体はそちらの方向へは進まなかった。仕方なく、僕は学校に行くことにした。

 

 

 

 学校だ。時計がある。今は何時だ? ……時計が読めない。

 

 昇降口に入ると、何となく自分の靴箱が分かった。開けると内履きがあった。履き替えた。自分の教室も同じように、どこにあるかが分かった。

 

 

 教室に入った。誰もいない。黒板に書かれた日付は……何日だ? よく見たら、何も書かれていない。

 

 きっと今は、夏休み。だからここには、誰もいない。

 

 

 ――はずだった。

 

 だけど、そこにはいた。誰か、女の子が、倒れていた。

 

 教室の後ろの方だった。頭が窓の方を向いて倒れている。

 

 誰だろう、僕の、『自分』のよく知っている人である気がする。だけど誰だろう。うつ伏せに倒れているから、顔が見えない。顔を見ようとしても、近寄れない。

 

 それどころか、どんどんその子の姿がぼんやりとしていく。

 

 誰、誰、誰?

 

 

 

 

 

 

 ――教室には誰もいなかった。

 

 ただ、ボロボロになって、綿の飛び出したぬいぐるみがあるだけだ。

 

 

 

 

 僕は、何だか別の教室に行きたくなった。だから、一つ上の階に行った。上の階の方が、高い学年だ。なぜか知っている。

 教室に入った。誰かが座っている。

 

 女の子だ。彼女はこちらを見ている。悲しそうだ。何かしてしまったのかな。

 

 僕は教室を歩き回っていた、とりとめもなく。なんだか止まっている気にはなれなかった。

 

 だけど不思議だった。座っている女の子は、ずっとこっちを向いていた。

 

 僕がそちらを向くたびに、彼女と目が合った。

 

 誰だったんだろう。

 

 教室を出るときには、もうその子は見えなかった。

 

 

 

 

 

 そうだ、公園に行こう。公園には大切な友達がいる。

 

 僕がそこに来るように呼んだんだった。どうして忘れていたのかな。

 

 彼はブランコで揺られていた。楽しそうだ。小さいころから、ずっとこんな風に遊んできたんだった。彼女と一緒に、3人で。

 

 彼は僕に気づくと、ブランコから降りてこちらに歩いてきた。

 

 彼は僕に話しかけている。だけど、その声は聞こえない。僕も、声を出せない。

 

 仕方なく、シーソーで遊ぶことにした。

 

 

 上がって、下がって、動かなくて、上がって、浮かんだままで。下がって、降りて。

 

 楽しかった。久しぶりに、子供に戻れた気がした。

 

 ()は彼にかくれんぼをしようと言おうとした。声は出なかった。

 

 残念、でもブランコは2人分ある。

 

 脚を畳んで、伸ばして、勢いを付けて。

 

 地味だ。地味だけど、()はこういうのが好きだ。

 

 ゆーら、ゆーら。

 

 

 遊び終わった。神社に行こう。さっきは入れなかったけど、今ならいける気がする。

 

 そして、公園の出口に差し掛かった時、

 

『困ったら、いつでも言えよ、オレは、()()()()は、いつだってお前の、そう、――――の大事な大事な親友だからな』

 

『……自分で言うのか。』

 

 振り返ると、彼はいなかった。

 

 

 

 

 

 

 階段を一歩一歩上がる。

 

 身長の3倍はある鳥居をくぐる。

 

 神社だ。

 

 奥に本堂が見える。そして、その手前に女の子がいる。

 

 お祈りしているのかな?

 

 女の子が合わせていた手を離して、こちらに振り向いた。

 

 あれ、誰だっけ、知っている気がするんだけど。

 

 その子は笑っている。寒気がする笑顔だ。何かをあざ笑っているみたいな表情だ。

 

 その子はゆっくりこっちに近づいてきた。

 

 彼女が近づくほどに、『俺』の記憶は氷解するように解けだして蘇っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 ――はあ、なんでだ。完璧に忘れたつもりだったんだけどな。あいつも妙なトラウマ抱えちまってるのか? 難儀なことだ、『俺』じゃないくせに。ただ、今『俺』がこんな風にものを考えられるのも、ある意味そのおかげなのかもな。

 

『どうして、忘れちゃったの?』

 

『いんや、覚えてるぜ? 忘れているのはアイツだからな』

 

『でも、あの子が生まれたのは……』

 

『ああ、そうだな、だが、もういいだろ? お前も、俺の記憶(一部)だ』

 

『あら、うれしいことを言ってくれるのね』

 

 別にそういう意味で言ったわけじゃねえんだけどな。

 

「……リくん」

 

 『俺』が、逃げちまったからか?

 

「……ノリくん!」

 

 まあ、もう潮時か。

 

『じゃあな』

 

『もう行っちゃうの? 早く、思い出してね……?』

 

 

 

『――カムくん?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……っはぁ……はぁ……」

 

 頭痛がする。何があった? 何か、夢を見たような……

 

「大丈夫、ノリくん? 具合はどう?」

 

「……?」

 

「ごめんね、私が力不足なせいで、うなされる羽目に……」

 

 そんなことを言われても、今の僕の体調とイヅナの力の因果関係がよく分からない。

 

「力不足ってどういうこと?」

 

「ノリくんのその症状はね、記憶の『綻び』のせいなんだ、私が掛けた記憶の封印の、ね」

 

「記憶の封印……それって、この島に来る前の記憶?」

 

 僕が、僕になる前の記憶。それの封印に綻びが生じて、夢を見たり、気分が悪くなったりしているってことなのか。あれ、どんな夢だったっけ、忘れちゃった。ロッジで倒れたときも、もしかしたら夢を見ていたのかもしれない。

 

「そうなんだ……最初に『キミ』に封印を掛けたとき、私はまだ『寝ぼけ』てて、力も不完全だったの、だから、不安定な封印になっちゃったんだ」

 

 不安定な封印……寝ぼけてやった仕事は適当になってしまう、ということか。でも、いまいちピンとこない。

 

「でも、確かもう一度掛けたよね? この島に来る直前に」

 

「ああ、それなんだけど、新しく封印を掛けた、ってわけじゃないんだ?」

 

「と、いうと?」

 

「最初に封じた記憶をAとするね、その後にBという記憶も封じようと思った。その時にBを封じる”術”を新しく掛けるわけじゃないの、Aを封じた術を『拡張』して、『AとBを封じる術』に変えるんだ」

 

 つまり僕の場合は、不安定な術を拡張し、すべての記憶を封じるように変えたってことだ。

 

「つまり、不安定な術を拡張したから、不安定な部分も受け継いだんだね、でも

新しく掛けられない理由でもあるの?」

 

「……うん、この術は一人につき一つしか掛けられない、だから拡張以外の方法はなかったんだ」

 

 

 確かにそれなら全て理屈が通るはずだ。何もおかしなことはない()()()。でも、違和感を覚えている。なんでだろう、何か見落としているような……

 

「……あ、だとしてもさ、一度解いて、もう一度掛ければ……」

 

「そしたら、どうする?」

 

「……え?」

 

 冷たい目だ。不安に飲み込まれて、どうしようもなく恐れている。

 

「もし思い出したら、ノリくんはまた忘れたいと思う?」

 

「……思わないよ」

 

 そう答えるとイヅナは微笑んだ。だけど、悲しい笑みだ。無理して笑っているから、少し引きつっている。

 

「だから、その方法は使えないの」

 

「掛けられる側の意志が、影響するの?」

 

「うん、今の私の力じゃね、忘れることを『許容』していないと、封じることはできないの、『拒絶』されたら無理だし、普通の人は忘れてもいいなんて思ってないから」

 

「今の、ってことは……」

 

「しばらくして力が強くなれば、多分できるよ、私、まだ目覚めたばっかりだもの」

 

「そ、そっか」

 

 

一瞬暗示をかけていることと矛盾しているのではと思ったけど、暗示で『覚えさせる』のと『忘れさせる』のは別物だ、と納得できる。だから特に問題はないはずなのに……なんだろう、この感覚は。さっきのイヅナの言葉の中に、とんでもない事実が隠れている気がする。どれだ、どうしてだ?

 

 

 僕は、イヅナに記憶を封じられて…………あ――

 

「『忘れてもいい』と思わなきゃダメってことは、さ……ここに来る前の『僕』は、そう思ってたってこと?」

 

「……そういうことになっちゃうね」

 

 すぐさま僕は、質問したことを後悔した。疑問に思ってもそれを心の中にとどめ、忘れるように努めるべきだった、と。一種の否定だった。僕が今まで思い出そうとしていた記憶は、かつての『(自分)』が忘れようとしていたものだった。

 

「……嘘だ」

 

 僕は、中身のない言葉を言って、心の外殻が割れてしまわないように抑えるのが精一杯だった。殻が割れてしまえば、絶望が心の奥深くまで染みわたってしまう。

 

「そうだよ、不安定なら、ちょっとの違いだって起こる、違う、違うに決まってる……」

 

 大丈夫、思い出して悪いことなんて何一つない。きっとイヅナの嘘だ。僕が思い出そうと思わないように、騙そうとしてる。

 

 でも、気分が落ち着かない。何かしていないといけないような感覚に押し潰されてしまいそうだ。

 

 

「あ、もうお昼だね、待ってて、今からお昼ご飯作るから……って、どこ行くの!?」

 

「ちょっと歩き回ってくるだけ、いいでしょ?」

 

「え、ノリくん、待って――」

 

 イヅナの言葉を待たずに障子を開け、そそくさと部屋から飛び出した、のはいいがその後何をするか考えていなかった。結果、イヅナに言った通り適当に歩き回っている。

 

「何か、何か忘れてるような……」

 

 言ってしまえばイヅナのせいで十数年の記憶を忘れているのだけど、そんな冗談ではなく、最近のことで何か大切なことを忘れている気がする。

 

「……赤ボス!」

 

 疲弊していたのか知らないけど、とにかく赤ボスの消息が分からないことを思い出した。イヅナと対峙していた時は一切行動は起こさせていなかったけど、一応後ろに連れてきていた。

 

「この屋敷にいるのかな?」

 

 おいていかれた可能性も十分ありえる。だけど、『赤ボスを探す』、という実に分かりやすい直近の目的を見逃しておけるほど、僕の心に余裕はなかった。

 

「探さなきゃ……!」

 

 実に明確で、必要性のある目標。それを追い求めて”未来”へ進むことに、すでに僕は満足感を覚えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、そんな子供だましのような脆弱な満足感は、長続きせずに崩れることになる。

 

 

 なんのことはない、縁側に吊られている赤ボスを見つけただけだ。『赤ボスを見つける』という目標を迅速に達成した。たったそれだけのことだ。

 

 だけど、なんとか見出した『大変そうな』目標が『いとも簡単に』達成されたことは、どうしようもない不愉快な気分を呼び起こすのみだった。

 

「ア、ノリアキ……」

 

「……はぁ。赤ボス、どうしてそんなことに?」

 

「突然スリープ状態ニナッチャッテ、気ガ付クトコウナッテイタンダ」

 

 

 赤ボスの縄をほどいて下しながら、次の質問を続けた。

 

「ここがどこか分かる?」

 

「ゴメン、GPS機能ニエラーガ発生――」

 

「一番近いラッキービーストと通信」

 

「……エ?」

 

「できるでしょ? 一番近いボスと連絡して、そのボスのGPSの情報を受け取れば、大体どこかはわかるはずだよ」

 

 僕の言葉は、いつもと比べ物にならないほど早口だった。『目標』に対する不愉快さと、赤ボスに対する苛立ちが募り、右足で床を叩いていた。

 

 程なくして赤ボスの通信が終わった。

 

「エエト、ココハ『ヘイゲンチホ―』ダヨ」

 

「平原、か。道理で快適だと思ったよ」

 

 しかし平原にこんな建物は見当たらなかった。どういうことだ?

 

「ココハ、ライオン達ノ城ヨリ海辺ニ近イ「林の中」ニアル、『和風アトラクション』……ニナル予定ダッタ建物ダネ、事件ノセイデ、開放ノ前ニ廃棄ニナッタミタイダヨ」

 

「へぇ……」

 

 つまり砂漠の遺跡と同じタイプの施設ってことか。ジャパリパーク全図に載っていなかったのもそのせいか。それにしてもアトラクションらしき仕掛けが見られない。まだ遭遇してないだけか、作られる前に……ってことか。

 

「一応アトラクショントイウ”括り”ダケド、休憩所ニ近イ”コンセプト”デ設計サレタラシインダ」

 

「……やたらと詳しいね」

 

 その後に赤ボスに聞いたところによると、研究所と連携したおかげで今までよりも多くの情報を受け取れるようになったらしい。全く、その情報をもっと生かしてくれないものか。

 

 

 

「まあいいや、図書館近くのボスに通信、できる?」

 

「マカセテ」

 

 今は特に何かひどいことをされたとかはないけど、これからどうなるか分からない。イヅナもそうだし、僕にも精神衛生上よろしくない出来事が起こりつつある。博士と連絡して現状を伝えておくことは悪くない。

 

「ツナガッタヨ」

 

「……ありがとう」

 

 

 そして僕はしゃがんで赤ボスに顔を近づけ、そのスピーカーから声が聞こえてくるのをじっと待ち始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、

 

『コカムイ! これはどういうことなのですか!?』

 

 突然と聞こえてきた爆音に、顔を近づけたことを後悔した。

 



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4-50 カミかくし

 私、コノハ博士は朝から、いえ、昨晩から最悪の気分だったのです。理由は他でもないコカムイの単独行動、我々に情報を隠しての行動。

 

 思えば初めてイヅナがここに訪れたときからコカムイは知っていることを隠していました。アイツには人を、というかフレンズを信じる心というものがないのでしょうか? 私は昨日の晩からずっとそれが頭に引っ掛かり――

 

「博士」

 

 ああ、少し考えすぎてしまいましたね。助手はこういうタイミング丁度良く声を掛けてくれるのです。

 

「助手、かばんは連れてきましたか?」

 

「はい、ここに」

 

 いつも通りのかばんの姿。しかし助手は理由をその場で言わなかったのですね、図分と困惑している様子です。

 

「あの、ボク、なんで……?」

 

「理由はほかでもありません、コカムイのことです」

 

「コカムイさん? そういえば昨日もここに泊まって調べものをするって言ってましたね……今はどこに?」

 

「それが分からないから、お前の力……というか知恵を借りたいのです」

 

 我々も十分に賢いのです。しかし、ヒトであるかばんは我々の思いもよらない方法を思いつくのです。何が起こるか分からないこの状況、借りれるものはサーバルの手でも借りたいのです。

 

……いえ、サーバルでも、は言いすぎですね。

 

 

 

 

「どういう状況なんですか?」

 

「説明しましょう、昨晩、コカムイが単身で火山に向かったきり、戻ってきていないのです」

 

「火山に?」

 

「コカムイが言っていたところによると、イヅナがそこにいたらしいのです、少なくとも昨晩は」

 

「イヅナさんの所に向かって、今も戻っていない、と……」

 

「要約すればそういうことです、そこで、これからどうするべきか、一度お前を交えて話す必要があると感じたのです」

 

 ……はぁ、「大丈夫」だの何だのと大見得切って出ていったのに、ここまでいらない心配を我々にさせるとは、戻ってきたら一度”お仕置き”でもしておくべきかもしれませんね。

 

 

「……やっぱり、何か起きたんですか?」

 

「というと?」

 

「いえ、本当に、何かまずいことが起きたのかなー、って思って」

 

「あったに違いないのです」

「助手の言う通りです、コカムイは赤ボスも連れていきました、無事なら連絡の一つも寄越すはずなのです」

 

 そこにトコトコと一体のラッキービーストが近づいてきた。呑気なこいつは何が起きているのか一切知らないのです。

 

「あ! だったら、こっちから赤いラッキーさんに通信すればいいんじゃ……」

 

「それが出来れば苦労はないのです、我々は赤ボスに直接つなぐ方法を知らないのですから」

「他のラッキービーストと違うのは見た目だけで、中身は一緒ですから」

 

「そっか、そうですね……」

 

 あちらからなら……と考えてみても、コカムイの行動が制限されていたりすれば不可能、あてにはできないのです。

 

「どうにか、居場所を知ることが出来れば……」

 

「ええ、その後どうするかはそれからです」

 

 コカムイは一体どこにいるのか。はて、それを知るためのいい方法はないものでしょうか。

 考えるのです、この島の全てを虱潰しに調べるのでは時間がかかりすぎる。しかしそうでもしないと”そこ”にいないことが保証できない。なるべく短時間で広範囲を調べる方法……

 

 

「――ラッキーさん」

 

「……ラッキービースト?」

 

 突然のかばんの言葉に、ついオウム返しに問い返してしまいました。

 

「コカムイさんを捜すよう、島中のラッキーさんに頼んでみる、とかどうでしょう?」

 

「島中にとなると……研究所から指令を出すのはどうでしょうか、博士?」

「名案なのです、早速……」

 

『任せて、島中のラッキービーストに指令を出すよ』

 

「っ!?」

 

 突如後ろから聞こえた電子音に、思わずシュッと細くなってしまったのです。恐る恐る振り向くと、そこにはさっきのラッキービーストがいました。

 

「お、驚かせるななのです……」

 

 返事はないと分かりつつも文句を言うと、私はさらに驚かされることになりました。

 

『……ごめんね、驚かせるつもりはなかったんだ』

 

「え、ええ?」

 

「ラッキーさんが、博士に喋った?」

 

 つまりこれは、いわゆる『ヒトの緊急事態』というものが訪れている、と考えていいのでしょうか。

 

『話を聞く限りお客様に想定外の事態が発生しているらしいから、研究所に問い合わせた結果、フレンズへの干渉が許可されたんだ』

 

「なるほど……少し話がそれますが、研究所が再起動する前はどうだったのですか?」

 

『それぞれの個体の判断だよ』

 

 ああ、要は裁量次第、という話だったのですね、もしかしたら”かばんのボス”も、もう迂闊にサーバルと話せなくなっているやもしれないですね。

 

『でも、そんなに厳しくはないんだ。話しかけるとかの無闇な干渉をしなければ大丈夫だよ』

 

 しかし会話は原則禁止、そこから考えると研究所はコカムイに危険が迫っている、と判断したようですね。

 

『後は結果が帰ってくるのを待つだけだよ』

 

「ラッキーさん、ありがとうございます」

 

「……これで進展すればいいのですが」

 

 

 一応捜査方針の進展は見られた。けれども私の気持ちは芳しくない。

 

「博士、何か心配なんですか?」

 

「もし、ラッキービーストが簡単に入れないところにいるとしたらと考えると、おちおち待っている気分にはならないのです」

「それは例えば、火山の頂上付近や遺跡などのことですか?」

 

 確かに到達困難な場所、でも私が心配しているのは時間を掛ければ行ける場所の話ではないのです。

 

「ラッキービーストが入れないように締め切られた場所があったら……!」

 

「……! もしそうなら、そこを探すことはできませんね」

 

 イヅナがそんなことに気づかないとは思えない。確実に捜索を妨害するための策は張っているに違いないのです。だったらそこを我々が探す必要が――

 

 

『ジャパリまんを食べて、落ち着いたらどうかな』

 

 ラッキーがカゴ一杯のジャパリまんを持ってきてくれました。普段積極的にできない分のサービスでしょうか。

 

「……頂くのです」

 

 これを食べて思い出したのですが、ジャパリカレーまんは美味しかったのです。だからどうしたという話ですが、シンプルながら癖になる味なのです。もしあれが二度と食べられなくなったらと考えたら……!

 

 居ても立ってもいられないのです、早く見つからないのですか?

 

 

「でも、何ができるのでしょうか……?」

 

「コカムイさんは、大丈夫って言ってたんですよね。だったら少しでも信じてあげましょう」

 

 聞かせるつもりのなかった独り言でしたが、かばんは聞き取って私に言葉を返した。

 

 ……信じる、ですか。

 

 そうですね、あいつに信じろだのととやかく言う前に、まずは自分が信じてみるべきでしょう。

 そうしてから、アイツには私の模範的な姿勢を見習ってもらうことにしましょう。

 

 

 

 

 

 ふゎぁ……少し落ち着いたら眠くなってきました。思えば昨晩から一睡もできていない気がするのです。

 

 『果報は寝て待て』とも言います、ここは寝て英気を養い、来るべき、『イヅナを懲らしめる機会』に備えることとしましょう。

 

「私は仮眠を取ってくるのです、助手、進展があれば呼んでください」

 

「分かりました。博士、お大事に」

 

「……私は病人ではありませんよ」

 

 すると助手はやたらニヤニヤしてこう言うのです。

 

「目の下にクマがありますよ、コカムイのことがよほど心配だったようで」

 

「なっ!?」

 

 助手の言葉を聞いたかばんも、私の顔をまじまじと見つめて、

「確かにありますね、心配なのは分かりますけど、寝ないとダメですよ」

と至って純粋な目をして言うのです。

 

 助手が私をからかうのはよくあることです、しかしかばんは助手の意図に気づいていない様子。いつもの賢さはなぜこういうところに表れないのでしょうか。

 

「私が心配なのはアイツが作るカレーまんだけなのです! も、もう行くのです」

 

 寝床に向かおうとする後ろから、

「博士は相変わらず素直じゃないですね」という助手の声と

「照れてるんでしょうか?」と単純に疑問に思っているようなかばんの声。

 

 

 

 寝転がった後も、二人の言葉が頭の中に残響として残り続け、昨晩のように私の眠りを妨げ続けるのです。

 

「私が、心配……?」

 

 心配しているのは確かでしょう。しかしそれは長として、そして食べ物のため……のはずなのです。

 

 ですが、もしコカムイが記憶を取り戻したとしたら、アイツの縄張りの話を聞けるのでしょうか?

故郷の友人や家族の話を、そこでの思い出を、アイツが話して、私が聞く。

そんなことがいつかあるのかもしれない。

 

 それは、きっと楽しいことなの…で……す……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「博士、博士!」

 

「……ん、どうしたのですか?」

 

 眠気をまとったまま、目をこすってなんとか意識を覚醒させた。

 

「ラッキービーストからの連絡です、おそらく”赤ボス”からだと」

 

「何ですって!?」

 

 思いがけない吉報に眠気は吹き飛び、私は飛び上がって通信を受け取ろうと部屋を飛び出そうとしたところを、助手に呼び止められた。

 

「博士、こっちです」

 

 振り返ると、助手が下を指さしている。その方向を見るとラッキービーストがいた。通信を受け取ったのはこいつでしょう。

 

「焦りすぎですよ、心配も程々に、です」

 

「う、うるさいのです……!」

 

 相変わらずの助手の軽口に言い返しながら、ラッキービーストに確認をした。

 

「どこからの通信なのですか?」

 

『他のパークガイドロボットからの通信です』

 

どいつもこいつも、肝心なところで融通が利かないのはロボットの宿命なのでしょうか。仕方ないと分かりつつも、こんな状況なのもあって腹を立てずにはいられませんでした。

 

「そんなことは分かっているのです! 詳しく”どこ”からの通信か教えるのです」

 

 そして私が『詳しく』と要望すると、少しの沈黙の後にこのロボットは更なる油を私の苛立ちの炎に注いだのです。

 

『個体番号-Lackey-K-127-R からの通信です』

 

「詳しく、とはそういう意味ではありません! どこに()()のか教えるのです!」

 

『現在、同個体のGPS機能にエラーが起きており、位置情報は提供できません』

 

「こ、こいつ……」

 

 進展があると思えば、なんという体たらく。こいつもあの赤ボスもヒトの安全を守るつもりが無いのではと感じてしまうほどポンコツではありませんか。

 

「……博士、向こうにいるであろうコカムイと話せばいいのでは」

 

「…………」

 

 さ、さすがは助手なのです、どんな状況でも冷静なのです……うぅ……やはり二人いる、というのはこういう時に吉と出るのですね……はぁ……

 

「い、今そうしようと思っていたのです」

「……ふふ、そうですか」

 

「な、何を笑っているのですか」

 

「いえ、何でも?」

 

「…………」

 

 こうなった助手は取り合うだけ時間の無駄、分かっているでしょう? さっさとコカムイに繋ぐのです、私は賢いので。

 

 

「では、通話をつなぐのです」

 

『分かりました』

 

 聞きなれた電子音が鳴った。あちらから声が聞こえてこないから、まだ時間がかかる様子です。……思えば、このラッキービーストはやけに礼儀正しい、というか格式ばった言葉遣いをするのです。こいつらにも性格のようなものがあるのでしょうか。

今度研究所に行った時に確かめてもらうことにしましょう。そのためにもいち早く連れ戻さなくては。

 

 

 ラッキービーストの電子音は止みません。調子でも悪いか、「でんぱ」とかいうものが繋がりにくいか、でしょう。……どちらも同じようなものですね。

 

 まだ通話は始まりません。業を煮やした私は小声でラッキービーストに尋ねました。

 

「……まだですか?」

『もう繋がっています』

 

 すでに繋がっているのに、声が聞こえてこない? その事実は、私に様々な想像をさせました。声が出せない状況化にあるとすれば……隠れているか、逃げているか……口を塞がれている、あるいは喉を潰された……?

 

 決壊したダムのようにあふれ出す負の想像に不安が募り、ついに私はラッキービーストを掴み上げ、全力で叫んだのです。

 

「コカムイ! 返事をするのです、これはどういうことなのですか!?」

 

するとラッキービーストの向こうから、あいつが驚く声が微かに聞こえて来たような気がしたのです。

 



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4-51 説得は厳しく、誘惑は甘く

 

「……ごめん」

 

『全く、一向に声が聞こえないので何かあったのかと思ったのですよ』

 

「ええと、そっちから何か言ってくれるかなぁ……って思ってて」

 

『まあいいのです、そっちの状況を説明するのです』

 

「分かったよ。ここはどうやら――」

 

 

 博士に、この屋敷の大まかな場所と、昨日の晩の出来事についてなるべく簡潔に話した。時間をかけすぎると怪しまれる危険があるからだ。それと飛べないから自力での脱出も不可能だと伝えておいた。

 

「……大体こんな感じかな」

 

『なるほど……』

 

 研究所で調べれば、この屋敷の詳しい場所についても知ることが出来るだろう。その気になれば博士たちがここに乗り込むことも不可能ではないと思う。当然その隙に逃げ出すことも不可能じゃない。けど……

 

『コカムイ、お前は何がしたいのですか』

「……どういう意味?」

 

『今回だってイヅナに連れ去られることを防ぎたいなら、我々と一緒に行けばよかったのです、前からずっと、お前が本当にしたいことが分からないのです』

 

 そう語る博士の声はどこか涙ぐんでいるように聞こえる。

 

 

 ……僕がしたいこと。

 

 

「そりゃ、いっぱいあるよ。でも……そうだな、仲良くなりたい。それに、イヅナにも、色んなフレンズと仲良くなってほしい。………勝手すぎる、かな?」

 

『……ええ、とんでもなく。でも、悪くないと思いますよ』

 

「そっか、ありがとね」

 

『お礼などいりませんよ、それで、今すぐにでも我々はそちらに行けますが?』

 

 どうやら博士は心の準備ができているようだ。頼めば一晩もかからずにこの事件は収束する。

 

「いや、しばらく様子見してて。手を出さなきゃ、調べててもいいからさ」

 

『何かするのですか?』

 

「うん、例え僕がここから出られるようになっても、イヅナは変わらない」

 

 きっと新しい方法で、(カミサマ)を手に入れようとするだろう。

 

「だから、ここで説得する。形だけでも、心を入れ替えてほしいから」

 

 目覚めてからたった数年とはいえ、今までの経験によってできた人格は簡単には変えられない。けど、変わるための足がかりくらいは、ここで作ってあげたい。

 

 きっとそれも難しい。しかし、やるしかない。

 

 

『分かりました、何かあれば、また連絡するのです』

「うん。じゃあまた」

 

 通信を切った。

 

 その後は、しばらく屋敷の中を調べて回った。

 

 庭はとても広く、屋敷ごと壁で囲まれている。キツネの姿なら登れるかもしれないけど、試しはしなかった。庭は鮮やかな植物、小さな川と池、石庭のある枯山水と、日本のお屋敷にあるような要素がぎっしりと詰まっていた。

 

 部屋の数も多く、見ていく中で最も目を引かれたのは刀だった。後ろに掛け軸があり、その手前にある刀掛けに厳かに鎮座するように置かれていた。多少興味が湧いたけど、触れる気にはなれなかった。

ふと振り返ると逆側の壁にも同じように刀がもう一本置いてあり、驚くと同時に物騒だな、と感じた。

 

 

 

 そうこうしているうちにかなり時間が経ったようで、イヅナが僕を呼ぶ声が聞こえた。

 

「ノリくーん! ご飯できたよー!」

 

 跳ねるように楽しげな声で、思わずふふっと笑ってしまった。遅れても悪いからすぐに行こう。赤ボスはいない方がいいと思うから、目立たないところに隠れてもらった。

 

「お待たせ、一体何を作ったの?」

 

 声を掛けながら部屋に入ると、横に二人分の膳が置かれ、その上に料理が乗せられている。その膳の一つの前に座っていたイヅナは、僕に気づくとスッと素早く立ち上がって駆け寄ってきた。

 

 

「ノリくん! えとね、今日作ったのは、筍の味噌汁と、サバの味噌煮とお浸しと――」

 

 料理の名前を一つ一つ並べ立てる声は喜びに満ちていた。僕にご飯を作ることがそんなに嬉しいことなのかと疑問に思ってしまうくらいに。

 

 

……しかし、

「鼠の天麩羅、ね……」

膳の真ん中に堂々と置かれたそれは僕の目を強く引いた。

 

 狐へのお供え物と言えば油揚げが有名だが、それは元々代用品だったらしい。初めのうちに供えられていたのは鼠の天麩羅だったそうだ。しかし天麩羅は保存や作りやすさなどに難があり、いつしか代用品として油揚げが用いられ、やがてそれが主流となった、ということみたいだ。

 

 しかし、なんでこんなことを知っているんだろう。……サンドスターのせい、かな。記憶がどうとか、って言ってたし。

 

 解決できない疑問の原因をサンドスターに丸投げしたあとは、イヅナが作った料理を頂いた。

 

 一言でいえば本当においしい。詳しく語るのは難しいからやめておくけど、とにかくおいしい。他の言葉が浮かんでこないほどに。でも、もし博士たちに食べさせたら、と考えると楽しみな反面、少し恐ろしい。

 

 ……でも、イヅナが博士たちのためにここまでのものを作ってくれるのかな? 嫌味でもなんでもなく、純粋にそう疑問に感じた。

 

 

 

 

「ノーリくん!」

 

 昼食を食べ終わると、イヅナは手っ取り早く皿を片づけて、僕の右腕にくっついた。キラキラと目を輝かせて、ギューっと抱きついている。

 

「ど、どうしたの?」

「別にー?こうしてたいだけだよ」

 

 その言葉は本当で、イヅナは何もせず、ただ僕にくっついているだけだ、それだけで、何より満足そうだった。

 

「……動きにくい」

「じゃあ、動かなくてもいいんだよ? ずっと、ずーっと、ここにいてくれたら、とってもうれしいな」

 

 それも、きっとイヅナの本心だ。イヅナは外に出ることを望んでいない。この閉じた世界の中で、(カミサマ)とずっと一緒に過ごすことだけを願っている。

 

「でも……」

 

 今は、その願いを叶えることはできない。僕は、まだこの島で僕ができることは気づいていないことも含めてたくさんあると思う。それに、まだこの島に来る前の記憶を取り戻していない。

たとえそれが『狐神祝明』の記憶ではないとしても、『狐神祝明』になる前の『自分()』が、どうして全てを忘れたいと思ったのか。それを知りたい。

 

 

イヅナを手でゆっくりと引き離した。

 

「でも、ずっとここにはいられないよ」

「……なんで? 何が足りないの? 欲しいものがあるなら、私が――」

 

「無理だ。僕がこの屋敷に閉じ込められている間は、それは絶対に手に入らない」

「……やだよ、行かないで」

 

 それはきっと、自由って呼べるんだ。束縛されることなく、自分の望んだことをできる。イヅナは、僕からそれを奪おうとしている。

 

「どうしてそんなにここから出ようとするの? 私が何でもしてあげるのに……」

 

「『何でも』……ね。それも、僕をここに留めるため? そんなのいらないよ」

 

 したいことがあるなら自分でやりたいし、自分でできるから。

 

「そんな……嫌、置いてかないで……」

 

 少しきつい言い方になってしまったから、フォローはしてあげなきゃ。イヅナを傷つけるのが目的じゃないんだ、イヅナにも、もっと多くのものを見てほしい。色んな事をしてほしい。イヅナが外の世界で、そうできなかったことを知っているから。

 

「やだ、どうして……? やめて、いなくならないでよ……!」

 

「僕は、屋敷(ここ)から出ていく。だけど、君を置いていくつもりもないよ」

 

「……どう、いうこと?」

 

 イヅナの心はボロボロだ。ボロボロになって、『カミサマ』に縋り続けている。だから、ここで手を差し伸べるんだ。イヅナが、自分を取り戻すために。

 

「一緒に行こうよ、絶対そっちの方が楽しいからさ……僕が楽しくしてあげるから」

 

「でも、私……」

 

 多分イヅナの心は揺れ動いている。それでもあと一押し足りない。納得してもらう方法はないものか――

 

 

 

 イヅナの決心もつかず、僕は良い手段を考え出すことが出来ず、停滞した状態のまま時間が刻一刻と過ぎ去っていく。僕の思いは伝えたが、彼女の気持ちに踏ん切りをつけさせる”言葉”、それは一体どこにあるんだ?

 

「……やっぱり、できない」

「イヅナ?」

 

「私、悪いことしたんだよ。もう戻れないよ、だってセルリアンに襲わせるなんて、でも死なせるつもりじゃなかったんだよ? だから、許して……あぁ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい――」

 

 まずい、思っていたよりも傷は深かったんだ。

 

 とっさにイヅナの所まで駆け寄り、両肩を掴んで少し揺さぶった。

 

「イヅナ、気を確かに、落ち着いて」

「ごめんなさい、ごめんなさい、私、う……うぅ……」

 

 こうなったら後のことは後、今を何とかしよう。そう決意しイヅナを抱き寄せた。

 

「うぇ、ノリくん?」

「……大丈夫、僕はイヅナの味方でいるよ」

 

 背中をゆっくりと優しくさすって、もう片方の手で頭を撫でた。そして耳元で、穏やかに声を掛け続けた。

 

 しばらくそうしているとイヅナも多少落ち着きを取り戻したようで、昂っていた呼吸も心音も平常に戻りつつある。

 

 これで落ち着いて話ができると。……そう、油断した。

 

ビタン! でも言うような音と共に畳に体を叩きつけられた。何事かと思えば、イヅナに押し倒されたらしい。手首をガシッと押さえつけられ、身動きが取れない。

 

「な、何を……?」

「えへへ、ノリくん……もう、限界」

 

 イヅナは手首から手を離し、今度は僕の首にかけた。

 そして、少しずつその手に力をかけていく。

 

「……ぅ、イヅナ……!?」

 

 突然首を絞められた苦しみと、さっきのような状況になった時に必ず襲ってくる動悸が重なって、上手く抵抗できない。

 

 イヅナと目が合った。焦点が合っていない。何かをつぶやいているけど、意識が混濁しているみたいで、支離滅裂で話にならない。

 

 とにかくこのままじゃまずい。言葉は届かない。この手を振りほどかなければ。野生開放をして、少し持ち直した。腕に力が入るようになり、どうにか手をはがして起き上がることが出来た。

 

 僕は危機を脱した。でもイヅナはまだ正気を取り戻していない。

 

 もう一度、今度は強く肩を揺さぶって声を掛けた。

 

「イヅナ、落ち着いて」

 

「私、ノリくんと一緒に、邪魔なのは、いらないから、やだ、捨てないで……」

 

「イヅナ!」

 

 ビクッと肩を震わせてイヅナは目を見開いた。自分がさっきまでしていたことに気づき、わなわなと震えて縋りついてきた。

 

「あ、ああ…………」

 

 おかしな行動は止まったけど、落ち着いたようには見えない。

 

「ご、ごめんね、その、どうすれば」

 

 その証拠にイヅナは手が落ち着きなく動き、しまいには服を脱ごうとさえした。

 

「ま、待って! ほら、深呼吸、落ち着いて?」

 

「う、うん……ふ、すー、ふぅー……」

 

 何度か深呼吸を繰り返して、ようやく本当の落ち着きを取り戻してきたみたいだ。

 

 

 

 

「大丈夫?」

 

「……なんとかね」

 

 それはいいことだけど、イヅナの顔が上気していることが少し気になる。

 

「ごめん、取り乱しちゃって、で、その、ね……一緒に、寝てほしいんだ」

 

「……え!?」

 

 謝罪と共に飛び出した斜め上の頼みに仰天し、一度収まった『動悸』が再び起こり始めた。

 

「私、何でもしてあげる、って言ったでしょ、ノリくんのためなら、この体だって――」

 

「す、ストップ!」

 

 動揺のあまりいつもと違う言葉が出てしまった。……ああ、それはどうでもいいんだ。とにかく今はダメだ。

 

「だ、ダメだよ、ダメだって……」

 

 思考がまとまらず、同じ言葉を繰り返すのみ。拒絶の意志だけは伝わってくれれば楽なんだけど……

 

「気にしなくていいよ、初めてだもん、緊張するよね」

 

 一切伝わっていなかった。

 

「そうじゃなくて、まだ互いのこと、深くまで知らないのに……」

「だから、深くまで知るために、ノリくんが、欲しいんだ」

 

 説き伏せる手段が見つからない、こうなったら力づくで拒否しても罰は当たらないはずだ……多分。

 

「それに……さ」

「な、何?」

 

 急にイヅナの表情がイタズラっ子のようになった。小悪魔のような顔への変化に戸惑っていると、イヅナは、僕の心を深くまで抉る刃を放った。

 

「私、気になるな、ノリくんにとっての、『心の奥深くの自分』って、何?」

 

「……ぇ?」

 

「ノリくんに、深い自分を作る時間なんて、なかったよね」

 

「あ、ぁ……」

 

 一か月前に生まれた『心』に、全てを消されて生まれ変わった『僕』に、確かにそんなものなんてない。だから、それを作ろうとしているのに。

 

「だから、さ、思い出作りだよ。この島での、一番大きな『体験』……ね? 素敵じゃない?」

 

膝から崩れ落ちた。イヅナが抱きかかえた。体は動かない。糸が切れてしまった。『刃』に切り裂かれてしまった。イヅナが僕の服に手を掛けた。抵抗する理由を、失いつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

――だけど、一つ、たった一つ。

 

 言葉にするのも忌まわしいものだけが、イヅナを受け入れることを拒んでいた。

 

……『嫌悪』。

 

 今気づいた。これは好意を()()()()()事への嫌悪だ。なぜかは分からない。忘れてしまっても、何か『深く』残るものがあるのかもしれない。

 

 そんな嫌なものだけが、僕の心の最後の支えになっていた。こんなものいらない。かなぐり捨ててしまいたい。だけど、僕が『僕(自分)』を手に入れるまで、全てを思い出すまで、これは大事にとっておこう。

 

 

 

「それは、できないよ」

 

「ダメなの?」

 

「……ごめん」

 

 イヅナは僕の服を整え、手を引いて一歩下がった。

 

「いいの、無理に誘ったのは私だから」

 

 残念そうに言いつつも、諦めた雰囲気は感じられなかった。イヅナは部屋から出ていってしまい、三時ごろの屋敷には、なんとも言い難い、重い空気が漂っていた。

 

 

 

 

 その夜、イヅナは昼と同じように食事を持ってきてくれた。だけど目を合わせようとせず、膳も昼より離して置いていた。

 

 食べ終わった後、イヅナに片づけさせるのが申し訳なく思い。自分で食器を片づけた。持っていこうとするとき、イヅナは引き留めるように手を伸ばしかけた。

しかしその手は伸び切らずに引かれ、彼女が僕に声を変えることもなかった。

 

「なるべく早く、話を付けないと……」

 

 皿を洗いながら、そんなことをつぶやいていた。

 

 

 

「じゃあ、私は別の部屋で寝るね」

 

「うん、僕はちょっと風を浴びてくるよ」

 

「……冷やしすぎないようにね。……おやすみ」

 

「…………おやすみ」

 

 

障子を開けて、縁側に出た。思った通り、風が心地よい。

 

空を見上げると、小さな星々と共に、少し欠けた月が浮かんでいた。

 

「月が、綺麗だね」

 

その呟きに、言葉を返す者はいなかった。

 

 



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4-52 『僕』はどこにいる

 

 昨夜の出来事もあり、僕は中々イヅナに対して込み入った話をすることが出来ずにいた。イヅナも気まずく思っているようで、あの日のように積極的にくっついてくることは……まあ、少なくなった。

 

 念のため、次の日から毎晩赤ボスに頼んで博士に通信をつないでもらっている。しかし進展がないため、「悪くない」とか「様子見」だとか、ごまかす言葉しか紡ぐことが出来なかった。

 

 

 そして、屋敷に来てから6日目、この島に来て32日目の夜。博士は早口で告げた。

 

『明後日で1週間になりますね、これだけかけて説得できないなら、あとどれだけかけても無意味でしょう。明日の夜、結果が出なければ、我々は屋敷に乗り込みます』

 

 それもそうだな、と思える話だ。しかしそれを言う博士の様子がおかしいように思える。

 

「博士、焦ってるの?」

 

『なっ……なんでもない、のです。むしろ焦るべきはお前ですよ』

 

 不自然な返答だったけど、追及しても仕方ない。

 

「分かったよ」

 

『では、他に何か?』

 

「あ、どうでもいい話だけどさ、今日でこの島に来て32日目、まあ、大体1か月なんだ」

 

『……もうそんなに、いや、まだ1か月でしたか』

 

 1か月、たったの1か月だ。こんな短い時間に、たくさんのことが起きた。……あはは、そうだよね。これだけの時間で、人格の『奥深く』まで作れるわけがない。

 

『1か月、お前が外で過ごした十数年からすれば、短すぎますね』

 

 博士は知らない。僕が全てを忘れて新しく生まれた、『生後一か月』の人格であることに。

 

「あ、はは……そうだね」

 

『気にすることはないのです、新しい思い出は作り放題ですから』

 

 僕にとっては、その新しい(唯一の)思い出が僕の全てだ。

 

「そう、だよね。……おやすみ、博士」

『おやすみです、頑張るのですよ』

 

 赤ボスをいつものように隠し、僕は布団で眠りについた。

 

 

 

 

 翌日、期限の日。6日目までと変わらない朝だった。

 

 「……今日で、終わらせなきゃ」

 

 やっぱり気まずいところもあるし、どうやって納得してもらおうか、そのビジョンが見えない。しかし、善は急げだ。

 

「朝ごはんの後に話そう、なるべく早く」

 

 そして、朝食の時間がやってくる。

 

 

「今日の朝ご飯はね――」

 

 イヅナが料理の名前を並べあげるが、思考に沈んでいた僕の耳には聞こえなかった。

 

「……ノリくん?」

 

「あ、なんでもないよ」

 

「そう?」

 

 訝しげな眼で見られた。そうだ、緊張のし過ぎもよくない。食事の時間ぐらい心を落ち着かせよう。どうせこの後嫌になるほど気を張り詰めるんだ。

 

「……今日も、鼠の天麩羅か」

 

 ご丁寧なことに毎日、毎食これが出ている。例えるなら……なんだろう。給食の牛乳みたいな感じだ。実際に給食を食べた思い出はないが、知識はある。

 

まあ、おいしいから文句はない。

今日の昼と夜もこれが出るのかな……と考えたけど、そうだった、今すぐ説得してここを出ていくんだから、多分これは食べられない。

 

 

「ごちそうさま。……イヅナ、話があるんだ」

「……!」

 

 食べ終わると同時、逃げる隙を与えず、話を切り出した。

 

「やっぱり、僕はここに閉じこもっていられない。それに、イヅナと一緒にいろんなものを見たいんだ」

「そう、考えは変わらないんだね」

 

 穏やかな表情を浮かべていたものの、どこか底知れない不気味さを感じた。まあいい、僕だけが思っていることを話しても仕方がない。

 

「イヅナはどうして、ここに閉じ籠ろうとするの?」

「閉じ籠りたいんじゃないよ、ノリくんと、一緒にいたいの」

 

 やっぱり、君の考えも変わらないんだ。だけど、安心した。その願いが変わらないなら、そこを説得の材料にできる。

 

屋敷(ここ)にいなきゃ、一緒にいられないのかな」

 

 閉じ籠らなくても、いくらでも方法はある。実際に、イヅナがフレンズになってから少しの間、かばんちゃんやサーバルも一緒に島を巡ったりできたんだ。

 

「確かに、屋敷(ここ)の外でも、一緒に過ごせるよ、でもね」

 

 そこまで言いかけて、口を覆って悲しそう顔をした……と思うと、笑った。いや、ニヤついている、指の隙間から、口角が恐ろしいほど吊り上がり、よだれが垂れているのが見えた。目やその周りの筋肉もヒクついているように見える。

 

「でも……()()()()()()と一緒にいることはできないでしょ?」

 

「ぇ……え? 僕、だけと……?」

 

「そう、外にいたら、別の子が寄ってきちゃうじゃない」

 

 待って、それじゃあ、ヅナは他に誰もいない場所がいい、っていうのか。……一瞬、説得は諦めて明日の博士たちの助けを待とうかとも考えた。

 

 でも、それじゃ意味がない。何のために1週間も待ってもらったと思ってるんだ。

 

 

「僕は、イヅナといろんなところに行きたい、博士たちと色んなことをしたいんだ、だから、ずっとここにいるなんてできない」

 

「……どうして、私も外に出そうとするの?」

 

「こんな場所に引きこもってたって何もできないよ、何も分からないよ!」

 

「知る必要なんてないの、ノリくんは、私といればそれでいいの」

 

 暖簾に腕押し、どうしようかな、と迷うような素振りさえも見えない。イヅナは、僕だけと一緒にいることしか考えていないのか……? 僕の話を聞こうと、外に出ようとするような『形』すらも、彼女は見せてくれない。

 

 イヅナの心を揺さぶる言葉って、一体何なんだ?

 

 

「じゃあ、私は準備があるから」

 

「じゅ、準備って、何の?」

 

「明日、博士たちが来るんでしょ? それに備えておかなきゃ」

 

「……! 聞いてたんだ……」

 

 気づかなかった、そうか、初日以外はキツネの姿になっていなかったから、イヅナが近くにいることに気づかなかったんだ。初日は通信をしている時、イヅナは料理をしていた。2日目以降、寝る前にした全ての通信は盗み聞きされていた。

 

 そもそも吊るされていた赤ボスを解放したんだから、それに気づかれたら通信を警戒されてもおかしくない。……こればかりは抜かったとしか言いようがない。

 

「別に、盗み聞きしようとしたわけじゃないんだよ……その、ノリくんの声を聴いたら、ぐっすり眠れるかな~、って思って」

 

 言い訳か? でも言いくるめようとしている風には見えない。話を逸らそうとしてるかもしれないから、本題を続けることにしよう。

 

 

「イヅナ、準備って何をする気?」

 

「どうしよっかなー……あ、セルリアンに見張らせるのもアリかもね」

 

「え、セルリアンに……!?」

 

 常識的に考えてセルリアンに見張りなどできるわけがない。そこら辺のフレンズか何かに気を取られてどこかに行ってしまうのがオチのはずだ。だから――

 

「『できるわけない』……って、思ってるの?」

「っ……」

 

 イヅナなら、それができるのか? セルリアンを作り出すだけでは飽き足らず、それを操るだなんて……

 

「できるんだ、私なら」

「そんなのどうやって――」

「私の能力(ちから)……記憶だけじゃない、サンドスターもなんとかできる力……具体的なのは省くけど、とにかく”できる”んだよ」

 

 もしかしなくても博士たちが危険にさらされることになる、このまま説得に失敗するなら、赤ボスでこの情報を伝えないと――

 

「でも、それは無理なんだよ」

「は……?」

 

 僕の心を読んでいるかのようにイヅナは会話をする。まさか、本当に……?

 

「……ふふふ」

 

 不敵で不気味で妖しい微笑みを浮かべ、イヅナはそれを持ち上げた。

 

「これ、なーんだ?」

 

 それは、赤ボスだった。

 

「アワワワワ……」

「……なんだ、捕まえてたんだね」

 

 なるべく動揺を悟られぬように、素っ気ない感じに言った。

 

「えへへ、びっくりしたでしょ……分かるよ」

 

 びっくりするほど無邪気な笑顔……そして無表情。可笑しな芝居を見ているような表情の変化に戸惑うばかりで、状況を変える策は頭の中に欠片も無かった。こうなると、もはや取り繕う余裕さえ失ってしまう。

 

「あ、ええと……」

 

「誤魔化さないで、もう何もないんでしょ、割り切っちゃっていいんだよ」

 

「そんなこと、できない」

 

 一人でここから出ていくのは、明日博士たちが来てからでもできる。例え負け戦でも、叶わぬ願いでも、せめて今日だけは、今日が終わるまでは諦めたくない。

 

 

「……うふふ、強情だね」

 

「……イヅナこそ」

 

 半ば吐き捨てるようにそう言った。

 

「でも、そこまでして何かをする必要ってあるのかなぁ?」

 

 しかし、強情と言えばイヅナの方も大概だ。まだ僕の心を折ろうとしているらしい。

 

「私なら、ノリくんの望むものを、()()()()どんなものでもあげられるんだよ?」

 

「だったら今、()()は一緒にこの屋敷から出ることだよ」

 

 結局は押し問答。手を変え品を変え言葉を変えどんなことを言い合っても、互いの主張は一切変わらない。自分がこうしたいから従えという千日手。感情論でしかないから、相手を納得させる()()は存在しない。だから、最後まで主張し続けるしかない。

 

 尤も、イヅナは初めのうちから僕の『外に出よう』という意思を潰して従わせるつもりだったけど。

 

 

 ――そして、まだそれを続ける気のようだ。

 

「違うよ、ノリくんが本当に欲しいものは、それじゃない」

 

「……何が分かるのさ」

 

 キツイ言い方になったけど、実際、イヅナに何が分かるのだろう。100歩譲って、10年以上の付き合いだったとすれば分かってもおかしくないと言える。だけどそうじゃないし、そんな長い付き合いが()にできたわけがない。

 

「分かるんだよ、ノリくんが何を考えてるか、手に取るように……ね」

「じゃあ、言ってみてよ、僕が何をしたいのか」

 

「え~っと、どうしよっかなー」

 

 あからさまにもったいぶっている、その目は奥の方を見通すような真っすぐな視線を向けていて、真剣にこっちを見ているようにも取れた。顔が”にへら”とだらしなく緩んでいたのであまりそんな感じはしなかったが。

 

「そんなに焦らないで? ……もしかして、焦らされるのは嫌い?」

 

 ……顔に出ていたのか。それにしても、ここぞとばかりにいろんな意味で煽ってくるものだ。落ち着け、口車に乗ってはいけない。それに言われっぱなしも癪に障るからちょっとだけ言い返してやろう。

 

「分からないから言えないだけじゃないの?」

 

 イヅナは一瞬驚いた表情を見せたけど、すぐに元の笑顔に戻った。

 

「そこまで急かすなら、仕方ないなぁ」

 

 イヅナは僕に近づき、ごく自然に抱きついた。そして、耳元で囁いた。

 

「『何もしないこと』、それがノリくんの望み、だよ」

「そんな訳ない、デタラメだ」

 

 こんなふざけた話があるか。でも同時にイヅナがさっき言った言葉の理由が分かった。

 

『そこまでして何かする必要があるのか』――

 

 その言葉は、このデタラメな主張を補強するための前準備だったんだ。

 

「デタラメじゃないよ、私、()せてもらったから」

 

「……何を」

 

「過ごす時の様子とか、記憶、とか色々ね?」

 

 この一週間、イヅナの方も探りを入れていたんだ。こんなバカげたことのために、よくやるものだ。

 

 しかし、過ごし方? 記憶? そこからどうやって『何もしないこと』が望みだなんて考え付くんだろう。

 

「ノリくんの記憶……私が、私の『記憶』をあげた後の数日、研究所に行く前に雪山に泊ってたとき、ほとんど『何もせず』に、ゆっくりしてたよね」

 

「え? いや、料理とかはしたし、それに――」

 

 記憶のことでショックを受けてて、中々アクティブに動こうと思えなかったせいだ。

 

「ここに来てからの数日はどう? 時々散歩したりはするけど、残りはほとんど座ってたり寝転んでたり、『何もしてなかった』。けど、とっても幸せそうだったよ」

 

「それは、休憩だって」

 

「1日の大半を使うことを休憩って言うのかなぁ? 私の説得も、気まずいってだけで後回しにしてたのに……ノリくんだって、ここでの暮らしが快適だったんじゃない?」

 

「それは……それでも」

 

「わざわざ辛い場所に行かなくても、私が、好きなだけ甘えさせて――」

 

「それじゃダメなんだッ!」

 

 

 叫ぶように言うと、イヅナは一瞬怯んだ。その隙にイヅナを突き飛ばした。勢いは無かったから、一歩遠ざかっただけだ。

 

「だって、何もしなかったら、誰とも触れ合わなかったら、僕がいた証拠ができない、無くなっちゃう。僕には何もないのに、どんな記憶も思い出も人間関係もこの体さえも僕のものじゃないのに」

 

「だから、私がノリくんがここにいるって証明して――」

 

「信じられないよ! イヅナしかいなかったら、イヅナがいなくなったら、何もなくなっちゃう」

 

「私は裏切らないよ、いつだってノリくんと――」

 

「そもそもイヅナが全部無くさなかったら、『僕』が無くなれって願わなかったら、こんなことにならなかった! こんなバカみたいなことで悩まなくてよかった、堂々と生きていられた! どこにもない、僕が生きた証拠がない、僕が誰か分からない、どこにいるか分からないっ! だから、だからだからだからだから! 作らなきゃ、僕がここにいるって証明しなきゃ、だから――」

 

 イヅナが一歩前に迫ってきた。

 

「ノリくん、私が」

「だから――邪魔しないでよッ!」

 

「ひっ……? の、ノリくん?」

 

「ッ、ハァ、ハァ……」

 

 へたりと力なく座り込んだ。もはやイヅナは僕に声を掛けることが出来なかった。そのまま、逃げるように部屋から出ていった。

 

……虚しい。行き場のない感情を八つ当たりのようにぶつけただけだ。

 

 本当に何もありゃしない。

 

 

 

 縁側に通じる半開きの障子の影から赤ボスがひょっこりと体を出した。イヅナに解放された後、心配になって見に来てくれたんだろう。

 

「ノリアキ、ダイジョウブ?」

 

 ノリアキ、ノリアキ……そうだ、僕は狐神祝明だ。ここにいる。ここにいるんだ……

 

 赤ボスを抱え上げ、離さないようにぎゅっと抱きしめる。赤ボスは何も余計なことを言わない。ただそこにいて、僕のことを認めてくれる。

 

「赤ボスは、いなくならないよね」

「……ウン、『パークガイドロボット』トシテ、ノリアキニツイテイクヨ」

 

「あはは、よかった」

 

 赤ボスだけは、大事にしないと。

 

 



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4-53 カミサマの願い事

 朝日がまぶしい。今の時間は何時頃なんだろう。あの後、どうしたんだったっけ。

 

 ……そうだ、赤ボスを抱きかかえたまま何もせずに一日を過ごしたんだ。暗くなったころに博士から通信が来たけど、話すことが無いから繋がなかった。多分今頃突入の準備をしているか、あるいはすぐにでも来るかもしれない。

 

「……結局、ダメだったか」

 

 現状を把握したら急にお腹が空いてきた。そういえば昨日の朝から何も食べていなかった。体育座りで赤ボスを抱えて俯いていたからだ。思い出せばイヅナが食事を持ってきていたような気もしたけど、よく覚えていない。

 

 そうだ、あの後のイヅナはどんな様子だったんだろう。まともに見れなかったせいでそれも分からない。……ダメダメだな。

 

 

 ともあれ、一度落ち着こう。

 

「赤ボス、ジャパリまんって用意できる?」

 

 閉じられた屋敷の中で何を言っているんだとは思うけど、今できる腹ごしらえではこれが唯一の手だ。イヅナは博士たちが今日来ることを知っている。料理に何かおかしなものを入れる危険があるんだ。

 

「マッテテ、一昨日ミツケタ「ジャパリまん」を取ってくるね」

 

 意外にもジャパリまんはあったようで、僕の腕から離れて赤ボスはそれを取りに行った。

 

あれ……見つけた?

もしや、赤ボスも探索していたのか? もしそれがイヅナに捕まる原因になったとしたら……まあいいか、赤ボスが捕まって何かあったわけじゃない。

 

 程なく赤ボスがジャパリまんを二つ持ってきてくれた。それを頬張りながら、これからどうするかを考えた。

 

「でも、もうすることなんて……」

 

 ちょっと、いや結構疲れた。到着次第博士たちがどうにかしてくれるはずだ。一応怪我人が出ないように何か手伝うのが手一杯だ。

 

 そうだ、こんなときは綺麗な庭でも見て心を落ち着けよう。心労のせいで思考がネガティブに寄っている可能性も否めない。

 

 

 

 そう思い立ち寄った庭を見て、言葉を失った。

 

 セルリアンが、庭を歩き回っている。セルリアンに歩くような足があるかは疑問だけど。

 

「な、何これ?」

 

 おびただしいほどのセルリアン。大きさも形も色も様々だったけど、その中に一段と目を引くものがいた。

 

 ――紫のセルリアン。

 

 雪山と湖畔を襲ったコピーのセルリアンが、その体色も両腕にある大きな鎌の形もそのままに跋扈していた。見回すと、この形のセルリアンが一番多かった。イヅナはこれを気に入ったりしたのだろうか。

 

 セルリアンがはびこる庭の様子は、普段の静かな庭とは比較もできないほど賑やかだった。紫、青、緑、赤、白……見慣れたものもそうでないものもたくさん。しかしセルリアンは時々こちらに体を向け、不気味な一つ目でこちらを見ることはあっても襲い掛かってくることはなかった。

 

 小さいセルリアンに近寄って頭……というか角のような部分を軽くなでると、喜ぶように目を細めてピョンピョンと飛び跳ねた。

 

 

――もしセルリアンがフレンズを襲うようにできていなければ、仲良くできたのか。

 

 

 そんなもしもは今となっては存在しようもないし、イヅナと仲良くすることすらできていない僕が考えるのは、きっとおこがましいことだ。

 

「でも、なんで襲ってこないんだろう?」

 

 セルリアンは何であれ近くに『輝き』があればそれを取り込もうとするはずなんだけど……攻撃したら相手も敵対するとかかな?

 

 そうは考えたものの、セルリアンとはいえ襲ってこない生物? のようなものを攻撃するのは気が引ける上に、もし本当に敵対したら空を飛べない今、この数のセルリアンは手の付けようがない。

 

「外は、どうなってるんだ」

 

 イヅナがどうやってこの量のセルリアンを生み出すだけのサンドスターを用意したかは謎だけど、この数を用意できるなら外にも配置していておかしくない。昨日もそんな趣旨のことを口走っていたのを覚えている。

 

博士たちがここの場所を把握していることも恐らく知っている。本来大量に外に配置すれば怪しまれるけど、場所が割れているなら外にも配置した方が守りやすい。守ろうとしている僕が外に出たがっているのは何の皮肉か。

 

「もしかして、赤ボスなら外の様子分かったりしない?」

「……ア、サンドスターヲスキャンスレバ、セルリアンノ居場所ガ分カルカモ」

「じゃあ、お願いできるかな」

 

 赤ボスは壁の近くに行ってスキャンを始めた。セルリアンたちは赤ボスにも無反応だった。こっちからは『輝き』が感じられないからかもしれない。

 

「外ニモセルリアンラシキ『動くもの』ガアッタヨ」

 

「そっか、ありがとう」

 

 やっぱり外にも配置していた。博士たちは空を飛べるけど、地上近くに降りてきた時が危ないか。赤ボスを通して連絡を…………やめた。今更話なんてできない。

 

「はぁ……中で休んでようかな」

 

 今僕にできることは何もない。待っていても博士たちは来るし、イヅナも何かしてくるはずだ。いつもの朝食の時間に来なかったことは気になるけど、大方博士たちの対策をしていたに違いない。

 

 

 畳の上に仰向けに転がって、ボーっと天井のシミを眺めた。時間が過ぎてゆく、一秒、十秒、一分、十分と。時間が経つにつれて体から力が抜けていく。いや、抜けているのは力じゃない、変えたいという願いだ。

 

 何もない、何も起きない。起きるまで寝ていよう。果報が来てくれればうれしいけど、待つだけの僕に選ぶ権利はない。

 

 どうして、こんなことになったんだろう。『僕』に、こうなることを止められたのかな? もしや全部、『僕』が()()()()前に決まっていたんじゃないか。頭に過るのは責任から逃れるための言い訳。もう眠ってしまおう、その方がバカなことを考えずに済むから――

 

 

 

 

 

 

「……うぇ!?」

 

 腹部への強い打撃を受け、僕の意識は眠りから引っ張り起こされた。

 

「こうして起こすのは三回目ですね」

 

「……こんな乱暴に起こされたのは初めてだよ、博士」

 

「今は急ぎです、今度があれば優しく起こしてやるのですよ」

 

「あはは、それはよかった」

 

 そういえば、周りを見てもいるのは博士一人だ。

 

「助手とかは、どこに?」

 

「助手、それとヘラジカとライオンは、屋敷の周りのセルリアン……あくまで敷地内だけですが、それらの駆除をしているのです」

 

「……そう」

 

 駆除か。きっとその中にはさっきピョンピョンと飛び跳ねていたセルリアンもいるんだろう。そんなことを考えている暇じゃないのは分かるけど、よく分からない気持ちになった。悲しい、のかな?

 

「外のセルリアンは?」

「そっちはまあ、この壁を越えられないでしょうし、後回しでもいいかと」

 

 それにしても、ヘラジカとライオンか。平原にこの屋敷があるのなら援軍としてこの二人に協力を仰ぐのはよく考えれば当然のことだ。でも、来てもらったってことは、この件のことを話したってことになる。

 

()()二人も、事情を知ってるの?」

「ええ、説明は必須でしたから」

 

「な、なんて説明したの?」

 

「端折りつつあることないこと混ぜて話しましたが」

「え、待って、あることないことって……」

 

「お前が碌な説明をしなかったせいですよ」

 

 は、話せるわけがないよ。だって、その、あの、話そうと思い起こすだけで眩暈がしてしまうから……比喩でもなく本当に。

 

「要約すれば、『イヅナがコカムイを無理やりにでも手に入れるために連れ去った』という感じで伝えたのです」

 

 ……大体合ってるから別にいいか。

 

「何も言わないところを見るに、おおよそそんな感じだったのですね」

 

 それでも、どうしてドンピシャで言い当てられたのかを不思議に思い

「どうしてそんな風に伝えたの?」と聞くと、

「何となく、アイツを見ているとそんな感じがしたのですよ」と博士は遠くに視線を移して言った。

 

 そっか、博士は何となく感づいてたんだ。博士ってもしかしたら僕が思っているよりも賢いのかもしれない。カレーとか、食べ物に関する出来事が強く印象に残って、賢いと感じるような印象が薄かったから、ちょっぴり意外だった。

 

「な、なんですか、その目は」

 

「博士って、賢かったんだね」

 

 博士の目が細くなり、剣呑な雰囲気を発した。まずい、地雷を踏んでしまったかもしれない。

 

「え、えっと」

「いえ、構いませんよ? そうでしたか、私のことを賢くないと、ええ。いいのです、怒っていないのです」

 

 明らかに博士は怒っている。もしかしたら、イヅナの時も無意識のうちに彼女の気分を害してしまったことがあるかもしれない。……気を付けなきゃ。

 

「ほう、説教中によそ見ですか!?」

 

「わ、いてて!」

 

 頬をつねられた。結構痛いけど、博士が頑張ってジャンプして僕の頬に手を伸ばしているのを見ると少しほっこりした。

 

「全く、いつも一言余計なのです、黙って私を敬えばいいのですよ」

「あはは……ごめんね」

 

 

 すると、外の方から足音が聞こえた。その音が聞こえたすぐ後に障子が開いて、助手、ヘラジカ、そしてライオンが部屋に入ってきた。

 

「なるほど、屋敷とはこういう建物なのですね」

「ライオンの城と似ているな!」

「おお、過ごしやすそうだね~」

 

 屋敷の内部を見た三人の反応はまさに三者三様だった。

 

「二人とも、久しぶりだね」

 

「私とは久しぶり、というほどでもない気がするが、とにかく助けに来たぞ!」

「でも私とは久しぶりだね~、元気にしてた?」

 

「まあ、ね。今はこんな有様だけど」

 

 ヘラジカの方は全然変わらぬ元気さで安心した。しかしライオンがこっちを見てニヤニヤしているように見えたのが少し引っ掛かった。何かおかしなことでもしてしまったのかな。

 

「ねえ、ライオン、何か――」

 

「さあ、これからのことを話すのですよ!」

 

 ライオンに問いかけようとした言葉は博士の言葉と手拍子と共にかき消されてしまった。

 

「聞きたいことなら、後で聞くよ」

 

 そうだね、まずはここを出ていってからだ。

 

「では、『作戦』について話すのです、まずコカムイ」

 

「う、うん」

 

 博士は一度言葉を切って、僕をまっすぐに指さしてこう言った。

 

「お前はもう一度イヅナを説得するのです」

 

 それはまさに青天の霹靂、思いもよらないチャンスだと思うと同時に、これ以上何ができるのだろうと、尻込みしてしまった。しかしこの期に及んでなぜ博士は僕に説得をさせるのだろう。

 

「な、なんで?」

 

「博士、まだ何の作戦か話していないのです」

「そう言えばそうでした、助手、作戦名を」

 

「はい、その名も、『イヅナ捕獲大作戦』……なのです」

 

 捕獲作戦……?

 

 博士たちはイヅナを捕まえるつもりだったのか。でも、だったら尚更僕に説得をさせる理由が分からない。

 

「お前の疑問もまとめて説明してあげますから、まず最後まで聞くのです」

 

 

 博士の作戦はこうだ。

 

 博士たちはロープと網を持って来た。それは今外に置かれている。網でイヅナの身動きを制限し、ロープ、いわゆる縄を使って縛り上げて運ぶ算段らしい。

 

 この作戦の欠点は、イヅナに隙が生まれないと逃げられたり、狐火などでの反撃が容易であるという点だ。だから僕に説得をさせ、イヅナの注意を別の所に引き付けておく必要があるらしい。

 

「それに、これはチャンスでもあります。説得に成功すれば、これらの手荒な手段は必要ではないのですから」

 

 確かにそうだ、そうなんだ、またとないチャンスなんだ。だけど、僕は失敗した。一週間もここにいて、心を微塵も動かすことが出来なかった。昨日はあまつさえ怒鳴って、感情を乱暴にぶつけてしまった。

 

 もう、説得だなんて――

 

「あー、コホン」

 

 突如、ライオンが大きくわざとらしくせき込んだ。

 

「どうかしたのですか、ライオン?」

 

「いやね、ちょっとコカムイくんにアドバイスをと思って」

 

「アド、バイス……?」

 

 それをもらったところでどうにかなるものか。そんな思いもあったけれど、何か変わるかもしれないという淡い希望を抱きつつ僕はそれを聞くことにした。

 

「大したことじゃないよ、ただ、ここまで来ちゃったら一度”プライド”を捨ててみるのもいいんじゃないかな~……ってね」

 

 プライド、僕のプライド? それが、説得の邪魔になっていたのか? 本当にそうだったなら、僕はなんて馬鹿げているのだろうか。

 

「無意識のうちに、『これは使いたくない』って思ってた方法、思い切ってそれを使うのも手じゃないかな?」

 

 無意識のうちに僕が忌避していた手段――それはきっと、『アレ』だ。

 

 『アレ』を使ってしまえば、イヅナの言葉を、彼女が夢見ていた存在を肯定してしまうから。僕が、認識されなくなってしまうかもしれないから。

 

 ライオンの言う通り、本当にプライドが、自分を認めてほしいという思いが、その方法を使うという考えを、頭の中から消し去っていた。

 

――もうここまで来てしまったんだ。例えずっと前からこうなると決まっていたとしても、それを変えることは不可能じゃないはず。

 

「ありがとう、ライオン。活路が見いだせた気がするよ」

 

「それはよかった、頑張ってね、コカムイくん」

 

 

 博士が再び手を叩き合図をした。

 

「では我々は()()()()の準備にかかるのです」

 

「……分かった」

 

「あくまで最終手段です、我々のことは気にせず、ガツンと言ってやるのですよ」

 

「あ、あはは……ありがと、助手」

 

「お前なら大丈夫だ、その強さを見せてやれ!」

 

 ヘラジカは僕の背中を手のひらで叩いた。程よい痛みと共に、覚悟が決まった気がした。

 

「ありがとう、ヘラジカ、行ってくる」

 

 キツネの姿になって、イヅナの居場所を把握した。イヅナのいる部屋へと向かった。

 

 

 

 

 

「入るよ、イヅナ」

 

「……ノリくん?」

 

 その部屋は明かりが遮られ、前がほとんど見えなかった。声が聞こえなかったら、イヅナの場所も掴めなかった。

 

 狐火で明かるくすると、イヅナは布団の上に座っていた。髪や耳の様子からして、つい先ほどまで寝ていたことが分かる。

 

「どうしたの、まだ、私を外に連れ出そうと?」

 

「イヅナ、僕は――」

 

 

「いいよ、行っておいで、私はここにいるから」

 

 その、希望を失った声に驚愕した。目を見ても、光が感じられない。こっちを見ているけど、見ていないようにも思える。

 

「どうして、僕はイヅナと一緒に外に行きたいのに……」

 

 言葉を出そうか出さまいか、迷うように口をパクパクさせていたけど、やがて一つの言葉が出てきた。

 

「そればっかり」

 

 その瞬間に、堰を切ったように言葉が濁流のごとくイヅナの口からあふれ出した。

 

「ノリくんはそればっかり、私はここでノリくんと幸せに暮らしたいのに、ノリくんはここでの暮らしをずっと拒んでる、ノリくんも楽しんでたのに――」

 

 思いが強くなりすぎると、同じ言葉しか出てこなくなるみたいで、イヅナはこんな言葉を十回近くは繰り返し喋り続けていた。

 

 

 だから、それもここで終わらせよう。

 

「イヅナ」

 

 僕は、手を伸ばした。

 

「ノリくん、私はもう嫌、ここで一緒にいられないなら、私は……」

 

「前に、『何でもしてあげる』って、言ってくれたよね」

 

 それは、『カミサマ』という存在を認めること。

 

「僕と一緒に外に出ることは、その『なんでも』には入らないの?」

 

 そしてイヅナにとっての『カミサマ』という存在が、僕であると認めること。

 

「イヅナの言う、『”カミサマ”の願い事』は、聞いてもらえないのかな」

 

 一度考え、イヅナを壊してしまうかもしれないから、『カミサマ』を認めたくないから、心の奥底にしまった方法。

 

 

 イヅナは泣いた。

 

 それもそうだ、彼女の言ったことを言質として、彼女自身の願いと正反対のことをさせようとしているんだから。

 

「ずるいよ……そんなの……」

 

 だから、こう言われてしまっても仕方のないこと。この方法も失敗かと、そう思った時、

 

「……ぅぅ……」

 

イヅナは、僕が伸ばした腕を掴んだ。

 

「イヅナ……」

 

「あと、一回だけだから……!」

 

「え……?」

 

「だから、『カミサマのお願い』はあと一回だけ! ……今回は、ノリくんと一緒についていってあげる」

 

 一緒に出るという願いを聞いてくれるということにも驚いたけど、あと一回は聞いてくれると言ったことにも驚いた。びっくりしているうちに、イヅナは僕の額に手をかざした。

 

「これで、飛べるようになったよ」

「あ、ありがとう……」

 

 でも、一体なんで……

 

「ノリくん、『カミサマ』って呼ばれることが苦手だったよね、そう見えた。だけど、『カミサマの願い事』って言った。そこまでしてノリくんがしたいことなら、私はついていかなきゃって思ったんだ」

 

「そこまで、『カミサマ』にこだわるの?」

 

「うん、だって白狐()は、カミサマの使いだから」

 

 まだまだ、僕はイヅナを理解することが出来ない。今も迷っている。イヅナを変えるために動くべきか、今のままのイヅナを理解しようとするべきか。

 

 変えるなんて、傲慢だ。理解するだなんて、おこがましい。どっちもどっち、そう思う。だから、どっちがマシとかそういう基準じゃなくて、僕がどうしたいかで、決めることにしよう。

 

 

 

 ひとまず、縄で捕縛するような事態は避けられた。

 

「博士、入って大丈夫だよ」

 

「全て聞いていました、うまくいって何よりです」

 

「うぇ、博士……」

 

 博士の姿を見て、イヅナは露骨に嫌そうな顔をした。その様子を見て、博士も眉間にしわを寄せた。

 

そして博士は実にわざとらしく話を始めた。

 

「おやおやイヅナ、私は今回のことはお咎めなしとしようとしていましたが、そんな反応をされては考えが変わってしまいますね……助手」

 

「はい」

 

 どこからともなく現れた助手がイヅナを後ろ手に縛ってしまった。

 

「え、え!? なんで?」

 

「あえて言うとすれば、博士を敬わなかったから、なのです、ヘラジカも運ぶのを手伝うのです」

 

「縛るのは、コカムイが失敗した時だけじゃないのか?」

 

「事情が変わりました、一度外に持って行ってから図書館まで運びます」

「ヘラジカ、お前は外まで運んだら帰っていいのです」

 

 事情が変わった、ね。大方嘘なんだろうな、と思うくらいに手際よくイヅナは外に運ばれてしまった。

 

「では、こいつは借りていくのですよ、コカムイ」

 

「ああ、うん」

 

 

 そしてどういう風の吹き回しか、屋敷の中でライオンと二人取り残されることになってしまった。

 

「ともあれ、うまくいってよかったよ」

「あはは、ライオンのアドバイスのおかげだよ」

 

「褒めたって何も……いや、応援くらいはしてあげよっか、頑張れコカムイくん、まだまだ始まったばっかりだよ~」

 

「うん、そうだよね、全部これからだ」

 

 応援の言葉を述べつつも、ライオンのニヤニヤが止まっていなかったのがやはり気がかりだったけど、まあいいか。

 

「じゃあ、これからどうしよっか」

 

「……あ、セルリアン!」

 

 今更思い出した。屋敷の敷地内のは片づけられてたけど、外のはほったらかしじゃないか!

 

「ああ、それなんだけど、あのセルリアンたち、なぜか全然襲ってこなかったんだよね~、外のも中のも」

 

 一切襲ってこない……多分イヅナが何か細工したんだけど、能力についても謎が増えるばっかりだ。

 

「じゃあ、図書館までついていくよ」

 

「私は城でゴロゴロしてようかな~……ふわぁ~……」

 

 じゃあねと言いながら、大きくあくびをして、ライオンは行ってしまった。

 

 

 じゃあ、僕も行こう。

 

 赤ボスを抱えて、図書館まで飛んでいく。今日は雪山に……と思いながら、そこにキタキツネがいることを思い出してやめにした。久しぶりにロッジにお世話になろう。

 

 キタキツネは、どんな思いを持っているんだろう。イヅナともども、何が起こるか一切予測できなくて、心の底からドキドキさせられる。

 

 どちらにせよ、思いに応えるには僕の中にあるこの「嫌悪」とケリを付けなければいけない。

 

 

 まだまだ、大変に(楽しく)なりそうだ。

 

 そんなことを思いながら、僕は数日ぶりの空を悠々と飛ぶのだった。

 

 



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Chapter 005 帰ってきた(非)日常
5-54 その悩みは事件の予感


「なるほど、ここがPPPのライブステージなのね!」

 

 屋敷から脱出して翌日のみずべちほー。そこにある本格的なライブステージを見て感激に浸っているのはこともあろうかアミメキリンだ。

 

「なんで僕たちが……?」

 

「元はと言えば、ノリくんがあのことを話したせいじゃない」

 

 イヅナがたしなめるように言った。今日はロッジで僕とゆったりするつもりだったらしく、それを邪魔されてご立腹のようだ。それでも一緒にいる方がマシということで、二人でキリンの引率を務めている。

 

「そう、ここで私は、名探偵への第一歩を踏み出すのよ!」

 

「そう上手くいくのかなぁ……」

 

 この場所で僕たちは一つの()()に巻き込まれるのだが、まずはここに来た経緯を話さなければいけないだろう。

 

 その話は、屋敷から出た日、図書館からロッジへと向かう途中から始まる。

 

 

 

 

「――そろそろ機嫌直したら?」

 

「……博士がひどいんだもん」

 

 図書館を発ち、ロッジに向かう途中の空、イヅナは今までに見たことがないほど膨れていた。

 

 博士の説教か……イヅナだけにするから、って言って上の方の部屋でしたようだ。助手に足止めされて聞けなかったから、どんな内容だったのか気になるところではある。しかし、この様子を見るにいいものじゃなかったんだろう。

 

「あー、博士もなんだかんだ気にかけてくれてたんじゃないかな」

 

 よく考えれば、イヅナがこんな風に拗ねているところを見たことはない。

 

「それでも、『あのしょっぱい味噌汁はお前のせいなのです』とか、八つ当たりみたいなことまで言われたんだよ」

 

 ……あの味噌汁のことか。考えようによってはそうかもしれない。

 

「気にするだけ無駄だと思うよ」

 

「うーん、それもそうだね!」

 

 すると、イヅナが飛ぶ方向を突如こちらに変えて僕の左腕に抱きついた。

 

「わわ、どうしたの突然」

 

「だ、ダメ……かな?」

 

 腕を抱きしめる力を強めて、潤んだ声でそう言われた。

 

「……別に、いいよ」

 

 重心を大きく崩されながらのやせ我慢。飛び方の調整に神経をすり減らし、ロッジに着くころにはへとへとになっていた。

 

 

 

 

「コカムイさん! ……何事もなかったようで安心しました」

 

 ロッジに入ると、こちらに気づいたかばんちゃんが声を掛けてくれた。

 

「かばんちゃんも話聞いてたんだ」

 

「はい。でも、ラッキーさんからの通信が入った後、『算段は付きました、お疲れなのです』って言われて、無理やりここに戻されちゃって……」

 

「博士も乱暴だね!」と僕の後ろからピョコっと飛び出したイヅナが一言。

 

「わっ! あ、イヅナさんも来たんですね」

 

 イヅナも相手がかばんちゃんなせいか、博士の話をしていた時とは打って変わって声も表情も明るくなっている。

 

「えへへ、ノリくんがどうしてもっていうからついて来たの」

 

 言い方が意地悪だけど、あながち間違ったことは言ってないから別にいいか。

 

 

 さて、今日はここに泊まるつもりだけど、部屋は空いてるのかな。ロッジにお客さんが多くいるという話は聞いていないが、もし埋まっていたらどうしよう。

 

「アリツさん、いるー?」

 

「はーい、どうしました?」

 

 呼んだらすぐに来てくれた。

 

「前に泊まってた部屋って空いてる?」

 

「はい、空いてますよ。イヅナさんはどこの部屋にしますか?」

 

「はいはーい! ノリくんと一緒の部屋がいい!」

 

「えっ、イヅナ?」

 

 その言葉を聞くと、アリツさんはしばし考えるようなしぐさを見せて、次に見えたのは穏やかな微笑み。

 

「……ふふ、分かりました」

 

「でも、あの部屋ってベッド一つしかなかったけど……」

 

「それがどうかしたの~?」

 

 わざとらしく少し間延びした声でイヅナが問いかけてきた。案の定分かってて言っているようだけど、どうしよう……まあ、ここはおどけた感じで流せたらラッキーなのかな。

 

「あはは、そしたら僕の寝る場所が無くなっちゃうよ」

「一緒のベッドで寝ればいいじゃん!」

 

「確かあの部屋のベッドは二人分の大きさがありましたよ」

「ほら、アリツカゲラさんもこう言ってるよ」

 

 アリツさんからイヅナへの流れるような援護射撃で、着々と逃げ道が塞がれてゆく。アリツさんは静かに微笑んでいる。和んでいるのかどうかは定かじゃないけど、

面白がっている節はあると思う。

 

「でも……」

 

「どうして~? うふふ、もしかして――」

 

 そこでイヅナは一度言葉を止め、僕の耳元に顔を寄せて、小さく息を吹きかけるように囁いた。

 

「一緒に寝ちゃったら、()()できないの?」

 

「……何のこと?」

 

「え……ふん、別に、気にしないで」

 

 無反応が過ぎたのか、イヅナも今回は諦めたようで引き下がった。

 

「でも、何もないなら大丈夫だね、同じ部屋でお願いね」

 

「はい、分かりました、と言っても何か用意するようなものはないんですけどね」

 

 私も料理が出来たらなぁ、と言いながら、アリツさんはどこかに行ってしまった。もしかしたら、部屋の掃除でもするのかもしれない。

 

 それよりというかやっぱりと言うべきか、イヅナは最後まで同じ部屋で寝ることを諦めていなかった。この執念深さは一体どこから湧いて出てくるのやら。

 

 

 

「でも、夜まで結構時間あるね」

 

「今はー、2時くらいかな?」

 

 窓を開けて身を乗り出し、目の上に手をかざして遠くを眺めながらイヅナがそう答えた。

 

 そうか、まだ2時なんだ。結構あるどころか真昼だった。

 

「だったら、今までなにがあったのか聞かせてよ!」

 

 ロッジに来たことを聞きつけたサーバルがやってきた。

 

「な、長くなるよ……?」

 

 正直に言って話したい出来事じゃない。情けなかったり色々ときわどかったりと危ない話も混ざっているから、なんとか話を短くして切り抜けたい。

 

「だいじょうぶ、まだまだお昼だし、時間はいっぱいだからたくさん聞けるよ!」

 

「時間はいっぱいでも、サーバルはいいの……?」

 

「? ……あー、だいじょうぶ、ジャパリまんもたくさんあるから!」

 

 僕の苦し紛れに放った言い逃れ紛いの心配をサーバルは”空腹の心配”と解釈したみたいで、カゴ一杯のジャパリまんをテーブルに乗せて一切の邪心のない顔で『準備OK』のハンドサインをした。

 

「いいじゃん、サーバルちゃんにも聞かせてあげなよ」

 

「……イヅナは、聞かせてもいいと思うの?」

 

「ほぇ、どうして? 何かまずいことでもあった?」

 

「イヅナは屋敷での自分の言動を振り返って、サーバルに聞かせちゃまずいことがあると思わないの……?」

 

 そう尋ねても、イヅナは戸惑うように、首を左右にまるでメトロノームのように傾げ、肩をすくめて「分かんないや」と言った。

 

 イヅナの無自覚な様子と話してもいいのかという葛藤に悩まされていると、サーバルから追撃が入った。

 

「教えてよー、気になるよー!」

「そうだぞ、面白いことはみんなに話さないと」

 

「そんなこと言われたって…………え、誰?」

 

「だ、誰とは失礼だな、忘れてしまったのか?」

 

 突然別の方向から聞こえて来た声の方を振り返って、僕は更なる災難を予見した。

 

「お、オオカミさん……!?」

 

 何気ない話の最中であれば、別段ここまで驚くようなことはなかった。しかし、今サーバルが僕から聞き出そうとしている話の内容が内容なだけに、余計に反応してしまった。

 

 そして、オオカミさんもその過剰な反応を見逃すことはなかった。

 

「その様子、随分面白そうな話をしてるね、私にも聞かせておくれよ」

 

「お、オオカミさんにもですか?」

 

「ああ、もしかしたら、()()()()()()()()()かもしれないだろ?」

 

「……っ!?」

 

 ここでも僕は多大なる余計な反応を見せてしまった。冷静に考えれば、『面白い話は漫画のネタになるから聞きたい』という至極真っ当な話だけど、余計な方向に神経を張り詰めていたせいで痛いところを突かれたようなしぐさをしてしまった。

 

 二連続でそんな妙な反応を見せれば、獲物探しのごとくネタを手に入れようとしているオオカミさんの興味をこれ以上ないほど引くことは火を見るより明らかだった。

 

 

「……ふふ、ますます聞きたくなったよ、まだ何も言っていないのになかなかいい顔をしてくれるじゃないか」

 

「んんー? ……ああ、そういうこと」

 

 オオカミさんの追及をどうかわそうかと考えていると、イヅナが納得の声を上げた。

 

 確か、イヅナは僕の記憶を覗いたと言っていた。するとオオカミさんの『恋愛探偵』の話も知っているはずだ。今の話の流れとそれを合わせて考えると……

 

 とにかく、例の『嫌悪感』のような何かがまだ僕の中に巣くっている以上、精神衛生上悪い状態になることは間違いない。その証拠に、イヅナの顔に”しめた”と言いたげな表情が張り付いている。

 

「話してあげよう? オオカミさんにとって『役に立つ』話のはず……だよ」

 

「ほう、それは楽しみだ」

 

 二人は顔を見合わせ笑っている。

 

 

 

「じゃあ、どこから説明しようか」

 

 最終的に僕の方が折れて、予定よりも詳しく説明をすることになった。

 

「私がノリくんをお屋敷に連れて行ったところから――」

 

 どこから話そう。研究所の発見の下りからでもいいけど、そうなると『恋愛探偵』の話をした直後から説明が必要になって、結果としてほぼ全部話すことになってしまう。

 

「そうだね、雪山と湖畔にセルリアンが出たところからにしようか」

 

「えぇ!?」

 

 不都合な部分を抜き取って話そうとするなんて、そんなことはさせない。これはささやかな仕返しみたいなものだ。

 

「詳しく話さないといけないから、そこはどうしても抜かせないんだ」

 

「う、その通りだね……」

 

 言葉では同意してくれてるけど、渋々といった様子だ。

 

「セルリアンが出たのかい?」

 

「うん、しかも普通のセルリアンじゃなくて、両腕が鎌になった紫のセルリアンなんだ」

 

「紫の……ね。でも、それだけじゃないんだろ?」

 

「そう、二つの場所に出たセルリアンは全く一緒の形で、しかも石の中に――」

 

「え、え? かばんちゃん、話についていけないよー!」

 

 初めに話を聞かせてと言ったサーバルを置いてけぼりにしてしまいながら、僕はキツネの姿や勾玉の実験、イヅナとの対決について話した。

 

 

 

「それで、残念ながらイヅナに眠らされちゃって、屋敷までー、って感じ」

 

「ふむふむ、屋敷に行った後はどうなったんだい?」

 

 色々と重いイヅナについて話したくはない。丸投げして逃げてしまおう。

 

「あー、いや、それからはイヅナに聞いて」

 

「わ、私が!?」

 

「私は引き続き君から聞きたいけどね」

 

「と、とにかく、ここからはイヅナ! じゃ、僕はちょっと外に行くから」

 

「の、ノリくん! 待って!?」

 

 イヅナが縋るような声で引き留めるけど、そんなものは気にしない。ここから先の出来事を理由も込めて詳しく話したりしてみろ、例の症状が出てくること請け合いだ。

 

 そんな理由でロッジの建物から緊急離脱したはいいものの、緊急離脱らしくその後の行き先は決めていなかった。そんな訳で、どこに行こうにも行けず、部屋と部屋をつなぐ橋の上で何となく風を浴びていた。

 

 

「あら、貴方は……」

 

 声を掛けられ、そちらを見ると網目模様のマフラーをしたフレンズがいた。どこかで見たことがある、何か衝撃的なことを言われたような……

 

「たしか君は……ええと、ヤギだっけ?」

 

「失礼ね、私はアミメキリンよ! それより貴方、誰だったかしら、誰かに似ているのだけど」

 

 ここまで聞いて、キツネの姿のままだったことを思い出し、それを解いた。

 

「これで分かるかな」

 

「あ! 貴方コカムイね! ……待ちなさい、さっきの白い姿、もしかしてヤギの姿を隠していたの!?」

 

「ヤギじゃなくてキツネだよ」

 

 白かったらヤギなのか……? それよりも、キリンはヤギに対して並々ならぬこだわりがあるように思える。

 

「そうなのね……」

 

 キリンはどこかしょんぼりした沈んだ表情を浮かべている。少ない記憶の中にあるバカみたいに明るい様子は見られない。

 

「どうかしたの、落ち込んでいるようだけど」

 

「……そうね、一人で考えててもしょうがないわ」

 

 数秒の間目をつむり、覚悟を決めたようにカッと目を見開き、僕をじっと見据えてこう言った。

 

「島の外から来た貴方を見込んで相談があるの」

 

 その鬼気迫る言葉に、僕は息を呑み静かに次の言葉を待った。

 

 

 

「私は、どうしたら名探偵になれるのかしら」

 

 どんな難事件よりも難しい謎が、そこに誕生した。

 



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5-55 めいたんていの極意!

「私は、どうしたら名探偵になれるのかしら」

 

「……難しい問題だね」

 

 反射的にそう思ったし、よく考えても難しい話だと感じる。名探偵……というのが具体的にどんなものかよく分からないけど、おそらくキリンは『どんな事件でもスパッと解決する』ような探偵をイメージしているだろう。

 

「どうして僕に相談を?」

 

「……この前、ヒトの世界には先生が書くような探偵の本が沢山あると聞いたの」

 

 僕は静かにうなずいた。確かに探偵をテーマとした漫画や小説は多く出版されている。と言っても僕は有名どころをいくつか読んだだけで、詳しく知っているわけではない。

 

「外から来た貴方ならそういう本について知っているはず、だから貴方に名探偵になる方法を教えてほしいの!」

 

 なるほど、理由は分かった。だけどキリンは名探偵どころか探偵であるかどうかすら怪しい状況だ。まずは基礎的なところから身に付けさせるべきだと思う。

 

 

「ええと、思い出すから少し待ってて」

 

「……なるべく早くね」

 

 思い出すとは言ったけど、思い出せる訳はない。でも前に言った通り本そのものについての記憶は引き出せるから、適切なキーワードがあれば大丈夫なはず。

 

 それより、基礎的なところ……人の話を聞く、決めつけない、調査を怠らない、困ったら周囲に話を聞いてみる……とかかな。何だか人として必要なことが多い気がする。

 

「そう、思い出した」

 

「お、思い出したのね! 一体何かしら?」

 

 キリンは目を太陽のように輝かせて……は言いすぎか。少なくとも満月くらいには輝かせてこっちを見ている。

 

「まず、探偵に必要な五か条、これを覚えてもらうよ」

 

「い、五つね…ええ、覚えて見せるわ」

 

 若干不安な感じを見せつつもしっかりやるつもりみたいだ。やる気だけは本物だ。ともかくとっさに考え付いた五か条をキリンに伝授した。

 

 

 1 相手の話は最後まで聞く

 2 決めつけず、ありえないと思っても考えてみる

 3 捜査は隅々までやる

 4 困ったら周りに相談

 5 間違えたら素直に直す

 

 

 ……あー、まあ、実際に探偵になるのに必要ではあるから、問題ないと思うことにした。僕自身がキリンに言ったことをできているかと言われれば、それはそれで答えに悩んでしまうけど……

 

「な、なるほど、考えを改めないといけないわね……」

 

「参考になったのなら良かったよ」

 

 外に出てからそれなりに時間もたった。そろそろイヅナたちがしている忌々しい話も終わるころだと思うから、ロッジの中に戻ろう。少し風に当たりすぎて肌寒くなってしまった。

 

「待ちなさい! ……じゃなくて、待って、ください」

 

 急に丁寧な口調になったキリンに戸惑いながら、一度足を止めた。

 

「まだ、これでは名探偵への道が見えたとは言えないわ……もっと、何か無いかしら」

 

「そう言われても……やっぱり数をこなして経験を積む、くらいしか言えないや」

 

 その言葉を聞き目に見えて落ち込んだが、顔を上げて今度はこう言った。

 

「分かったわ、でも、貴方が知っている探偵について、少しでも教えてくれないかしら」

 

「……まあ、それくらいなら」

 

 まだ日は傾いていないから話す時間は十分にあるだろうと思い頷いた。それに、もしかしたら何かの断片だけでも思い出せるかもしれないと、この期に及んでそんな希望を持っていた。

 

「やっぱり、漫画のキャラがいいのかな」

 

「……? 漫画じゃないものもあるの?」

 

「小説って言ってね、漫画と違って、文字だけで物語を表現するものがあるんだ」

 

 「文字だけで」と聞いて、キリンの顔が少しこわばったように見えた。読めないからそういう反応になっても仕方ない。図書館に何冊かあることを期待して、知っている漫画について話そう。

 

 

「その漫画はね、高校生が薬を飲まされて小学生になっちゃうのが始まりなんだけど……」

 

 そんな感じで説明を始めると、すぐにキリンから待ったがかかった。

 

「ちょっと待って、”こうこうせい”とか”しょうがくせい”って何かしら……?」

 

「あ……そうだね、体が縮んじゃったって言った方がいいか」

 

「え、ええと……?」

 

 突拍子もない展開を聞いたことのない言葉で説明されれば困惑するのも当然で、これからはその辺りも考えて話すように気を付けよう。……そう考えるとなかなか表現しづらいな。

 

「さっきのは忘れて! 薬を飲まされて体が縮んだ! 探偵事務所に転がり込んで、薬を飲ませたやつを見つける、そして行く先々の事件を解決する! ……って物語だよ」

 

「な、なるほど……ね」

 

 如何にも分かったかのような相槌を打っているけれど、多分分かってない。これじゃあんまり興味も湧いてこないはず。もっとシンプルに分かりやすくするには……アレだ!

 

「その小さな探偵はね、とある博士が作った発明品を使って事件を解決してるんだ」

 

「……博士! 博士はそんなものを作っていたの!?」

 

「あはは、図書館にいる博士のことじゃないよ」

 

「と、図書館以外にも博士がいるの……?」

 

 思わぬ方向から勘違いが現れた。この島では『博士』というと図書館にいる”アフリカオオコノハズク”の博士を示す固有名詞のことになるようだ。

 

「気にしないで、とにかくそういうすごい人が居るってことだから」

 

「なら、一度会ってみたいわね」

 

「いや、現実にはいないよ、その……ギロギロみたいに」

 

「そう……残念ね」

 

 キリンの様子が普通ではないほど落ち込んで見えたのは、キリンが敬愛するオオカミ先生の『ホラー探偵ギロギロ』が現実にいないと再確認させられたから……かもしれない。ひょっとしたらそんな発明品がないことを悲観しているのかも。

 

 

「……で、その”はつめいひん”とやらはどんなものなのかしら」

 

「キックが強くなる靴、針を飛ばして眠らせる腕時計、声を変える蝶ネクタイ、ボスのように通信できるバッジ、いつでもどこでもサッカーボールを出せるベルト……とかとか」

 

「よく分からないけど、すごいのね」

 

 ……よく分からないんだね。

 

 

「そうだ、小説とやらに出てくる探偵のことも聞きたいわ」

 

「そうだな……シャーロック・ホームズでいいかな、詳しくは分からないけど」

 

 シャーロック・ホームズについての本なら、何冊か読んだことがある。そう、例えば『そして誰も』……これは別の作者だったし、探偵も出てこない。少々記憶が混乱している。ともかく思い出したから今この本についての知識はいらなくなった。

 

「しかし、何から話せばいいか」

 

「何でもいいわ、普段からそのしゃ、何だったかしら」

「シャーロック・ホームズ」

 

「そう! その……普段からその名探偵のように過ごして、少しでも近づきたいの!」

 

 そう言いつつも、その名探偵の名前を覚えることはすでに放棄してしまったようだ。

 

 ……あれ、確かシャーロック・ホームズって、暇なときは麻薬をやって退屈を紛らわせていたような。キリンの熱意は本物だ。それを知ったら本当に真似しかねないとも思ってしまう。

 まあ、ジャパリパークに麻薬はないから大丈夫だろう。……大丈夫、だよね?

 

 僕はその探偵についてあることないこと教えてひとまずキリンの追及を逃れた。他の探偵の特徴も混ざっている気がするけど気にしていたら日が暮れる。

 

 

 

「……ありがとう、貴方のおかげで一歩名探偵に近づけた気がするわ」

 

「よかった、これからどうするの?」

 

「今日も先生の漫画を見せてもらうわ」

 

 なるほど、別におかしなことではない……って何故か探偵のような思考回路に切り替わっている。長く話をしたせいかな。あれ、待てよ。

 

「でもオオカミさん、まだ次の話は描き上がってないって言ってたような……」

 

 キリンの体がビクッと大きく飛び跳ねた。

 

「お、おととい完成した話を見せてもらうの」

 

「へぇ、それってどんな話だったの?」

 

「……なぜそれを聞くのかしら」

 

「キリンって、ずっとロッジにいるよね、だったら一昨日できた時点で見せてもらってるんじゃないかなー、って」

 

 一体何故かどうしてか、キリンはびくびくと震えている。それはさながら真相を言い当てられようとしている犯人のように。そこで、僕の頭に一つの可能性が浮かんだ。取るに足らない考えだけど、尋ねていけない話ではなかった。

 

「もしかして、途中の話を覗き見するの?」

 

「な、なな、なななな、なんてことを言いだすのっ!?」

 

 その動揺ぶり、図星に違いない。

 

「ダメだよ、ちゃんと完成してから見せてもらわなきゃ」

 

「……」

 

 キリンは俯いて返事をしなかった。もしかして、いじけちゃったのかな。どうしようかと迷い、結局声を掛けずにロッジに戻った。

 

 僕が戻ると例の話はずっと前に終わっていたらしく、世間話や聞くに()()()()話をイヅナとオオカミさんはしていた。かばんちゃんとサーバルはいなかった。アリツさんに聞くと『みはらし』の部屋にいるらしい。

 

 声を掛けるとオオカミさんが獲物を狙うような輝かしい目でこちらを見た。

 

「やぁ、遅かったね。全く、こんなに面白い話は君自身から聞きたかったよ」

 

 その顔はまさに「いいネタ頂きました」と言わんばかりのもので、漫画家魂たくましいものだ、と一種の感心さえ覚えた。

 

「外でキリンとばったり出会って、探偵の話をしてたんだた」

 

「その話、詳しくいいかな? 最近キリンの様子が少し変わっていてね。詳しく言えば、落ち込んでいるんだ」

 

「どうすれば名探偵になれるのか、って悩んでたよ。……僕なりに、アドバイスみたいなことを言ったけど、どうなるかな」

 

 

 

「――へー、キリンちゃんと楽しく長話してたんだ」

 

 後ろから聞こえる不満気な声。その主は言うまでもなくイヅナだ。

 

「遅くなってごめんね。でも……」

 

「ふぅん……無理やり連れだしておいて、他の女の子と楽しくおしゃべりするんだ……」

 

「え、イヅナ、待ってよ、僕はただ……」

 

 なんとか弁明しようとイヅナに近づくと、突然腕を大きく広げて僕に抱きつき、がっちりとホールドした。

 

「分かってるよ、ほっとけなかったこと。ノリくん優しいものね……分かってるから、別に怒ったりしないよ?」

 

 イヅナはそう言いながら、僕を抱きしめる腕の力をどんどんと強めていく。だんだんと体に痛みが現れる。

 

「い、イヅナ、痛い……」

「ふふ、怒ってないよ?」

 

 怒っていることを隠そうともしない態度でそう言われても、どう信じればいいのやら。

 

 イヅナの力はとどまることを知らず、同様に体の痛みも比例して強くなる。いっそ力づくで振りほどいてしまいたくても、イヅナが傷ついてしまうかも、とそうすることもできず……しかし、心の中では叫んでいた。

 

『痛い、離してイヅナ!』

 

 普通であればこんな心の叫びは誰にも届かずに終わるのがオチだ。でも、この場合そうはならなかった。

 

「っ!」

 

 イヅナが何かに驚くように僕を離し、一歩下がった。何か予想外の事態が起きたのかと辺りを見回してみても、何も変わったことはなかった。そこで僕は、もしかしたら心の叫びが届いたのか? などと馬鹿げた推測を始めた。

 

 そして何ということだろう。その馬鹿げた推測は当たっていたのだ。

 

 

『もしかして、ノリくんもテレパシーを使えるようになったの!?』

 

 頭の中に、イヅナの声が響いた。

 

『て、テレパシー……?』

 

 試しに頭の中でそう呟くと、イヅナが僕を見て頷いた。

 

『やっと、使えるようになったのね! きっかけはどうあれ、よかった!』

 

 その言葉を皮切りに、イヅナからたくさんのテレパシーについての情報が頭に流れ込んだ。

 

 要約するとこうだ。

 

 このテレパシーの能力は妖の類が眷属などとの通信やらなんやら……に使うもので、僕たちが、というか僕が使えるのはイヅナの影響らしい。

 

 しかしそこにはしっかり狐の幽霊と人間との差があり、イヅナは僕より早く使えるようになったけど僕は今までからっきし……。

 だからイヅナは僕から考えていることを読み取る目的で今までテレパシーを使っていたようだ。

 度々イヅナが僕の心を見透かすような言動をしていたのはこれのせいみたいだ。しかし、僕が使えないからといって勝手に心を読むのはいかがなものか。

 

 

『えへへ! これでいつでもどこでもお話しできるね』

『……便利だね』

 

 寝ても覚めても四六時中イヅナの声が頭に響き渡るというのは考えてみれば恐ろしいことなんだけど……今はイヅナの機嫌を損ねないようにしよう。

 

 それと、眷属という言葉を聞いて一つ気になることが出来た。

 

『イヅナがテレパシーを使えるようになったのって、いつ?』

『ええと、ノリくんに私の記憶を見せてからだよ』

 

 ……イヅナの記憶を見てから。それはつまり、僕がイヅナの体内にあったサンドスターを摂取してから、と言い換えることが出来る。

 

 僕がキツネの姿になったのも、もしかすると……

 

 

 バタンッ!

 

 どこかで聞いたドアの音で僕の思考は遮られた。キリンがロッジに戻ってきた。反対側から足音が聞こえそちらを見ると、かばんちゃんとサーバルも下に降りてきている。

 

 外はもう暗くなり始めている。そろそろ夜のジャパリまんを食べる時間ということだ。

 

 ワイワイと話をしながらジャパリまんを食べている。

 

 キリンたちは探偵の話をしているようだ。

 

「そうだ、コカムイくんからどんな探偵の話を?」

 

「小さな探偵の漫画の話です!」

 

「小さな探偵……悪くない」と妖しい表情のオオカミさん。

 

「どんな探偵なの?」とサーバルが聞く。

 

「聞いて驚きなさい…………あれ、ええと……」とキリンはしどろもどろ。記憶力を鍛える訓練も必要みたいだ。

 

「えー、覚えてないの?」

 

「お、覚えてるわ! 確か、声を変えられるのよ!」

 

「すごーい! まるでマーゲイだね!」

 

 サーバルの何気ないその一言が、僕たちを事件へと駆り立てる。

 

 

「……サーバル、今、なんて言ったの?」

 

「え? だから、声を変えられるなんてマーゲイみたいだなって」

 

「マーゲイ? マーゲイは声を変えられるの?」

 

「うん! PPPのライブの時も、プリンセスの声真似でピンチを救ってくれたもん」

 

 キリンは目をぎらぎらと輝かせて、少し気味が悪い笑顔を浮かべている。

 

「ふふ、ふふふふ……」

 

 たまらず僕は声を掛けた。掛けてしまった。そう、とんでもないことに声を掛けてしまったのだ。

 

 なんと声を掛けたのかもう覚えていない。その後のキリンの行動が記憶にベッタリと焼き付いてしまった。

 

 

 僕の肩を掴み、揺さぶり、抱きついた。先ほどのイヅナのように。しかし先に言っておくと、その行動にイヅナのような好意は籠っていない。ただ、活路を見つけたが故に感極まり、おかしな行動に出てしまっただけだ。

 

「やりました、やりましたよ師匠!」

 

「し、師匠?」

 

「私、これで名探偵になれるやもしれません!」

 

「え、えぇ?」

 

 何の脈絡もない抱擁。声に出さずとも聞こえる「いい顔いただき」の声。そして同じく聞こえる『……何してるのかな』という怒りの声。混乱でどうにかなりそうだが、何とかこらえてキリンを落ち着かせた。

 

「待って、落ち着くんだ!」

 

 キリンを引き離して、両の肩を叩き言った。幾分かマシになったように見える。

 

「探偵たるもの、いつでも落ち着かなきゃ、ハードボイルド、だよ」

 

「……は、はい! すみませんでした、師匠!」

 

「ところで、その師匠って言うのは……」

 

「もちろんコカムイ師匠のことです! 私に、名探偵としての道を示してくれました!」

 

 そう笑顔で言い放つキリンに、この状態じゃ”ハーフボイルド”どころかスクランブルエッグも厳しいかな、と思いながら、イヅナを今度はどうあやそうか思案していた。

 

イヅナが僕の方に寄って、テレパシーではなく耳打ちでこう言った。

 

「……12.7秒」

「……何が?」

 

「アイツがノリくんに抱きついてた時間だよ」

 

 呼び名が「キリンちゃん」から「アイツ」に変わっている辺り、相当怒っていることがうかがえる。

 

「今日の夜だけど、最低でも10倍はお願いね?」

 

 10倍となると127秒……少なくとも2分はしろ、と。

 

 まあ、減るもんじゃないしそれくらいならいいか、とかやっぱり同じ部屋で寝るつもりなんだ、と考えながら、「明日、PPPのところに行ってきます!」とオオカミさんに言うキリンを温かい目で見ていた。

 

 

 そんな目で見ることが出来たのは、翌日、「師匠も行きましょう!」と言われることをまだ知らないからだった。

 



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5-56 アミメキリン少女の事件簿

「マーゲイに声真似の方法を教えてもらえば、名探偵と呼ばれる日もそう遠くないわ!」

 

『ノリくん、この子本気で言ってるの?』

『十中八九、本気だと思う』

 

 キリンは努力の方向を間違えなければいい結果を出せると思うし、何が役に立つか分からないから無駄とは言えない。ここは温かい目で見守ることにしよう。

 

 それに、なんやかんやあって”みずべちほー”に寄る機会は今までなかった。せっかくだから観光気分で楽しむのも悪くない。

 

『……なるほど、確かにそうだね』

 

 今まで通りに僕の心中を読み取っているイヅナも、テレパシーで賛成の意を示してくれた。

 

 

「でも、いつもの会話を全部テレパシーでする必要ってあるの?」

 

『ノリくんへの言葉は、ノリくんにだけ伝えたいの。他のみんなに聞かせる必要なんてないよ』

 

「……あはは、そう」

 

 イヅナの言ったことに偽りはないと思うけど、計算高い面もある。

 

 例えばテレパシーに対して声を出して答えれば、僕は傍から見れば一人で喋っていることになる。果たして意図しているのかどうか、でも周りに人が居る場面ではテレパシーで返す他ない。

 

「たまには声を出さないと、出し方忘れちゃうかもしれないよ?」

 

「……じゃあ、程々にしよっかな」

 

 イヅナはわざとらしくせき込んで、そっぽを向きながらそう言った。

 

 

 

「キリン、あんまりあちこち歩いてると見失っちゃうよ」

 

「え、すみません師匠!」

 

 僕は些細な軽口のつもりだったけど、思いのほか重く受け止められてしまった。

 

「でも、はしゃぐ気持ちは分かるから、気にしないで、それより……」

 

「はい、なんですか師匠」

 

 キリンが傷つかないように適当なフォローを入れて質問に話を切り替える。しかし、突然に師匠と呼ばれ始めて複雑な気分だ。しばらくは慣れそうにない。

 

「マーゲイさんに会うって話だけど、約束を取り付けてないよね?」

 

 すると、キリンは見ていて滑稽に思えるほど自慢げな顔になった。

 

「ふふふ、師匠、冗談はおやめください」

 

 なんと、キリンは既にアポを取っていたのか? 信じがたいがだとすればキリンは僕が思っていたよりずっと手が早いということになる。

 

「え、じゃあいつの間に……」

 

「私にそんな時間があったと思いますか!」

 

 ……まあ、人間もフレンズもそう短い間に成長することはできないよね。

 

 呆れるくらい清々しい開き直りだけど、僕もおかしな期待をしていたのは確かだし、むしろ微笑ましいくらいの気持ちだ。

 

「もうキリンちゃんは放っておいて、二人だけで見て回ろうよ」

 

 イヅナはキリンの様子を見て呆れているようにも取れるけど、多分はじめから二人きりになりたくて、丁度今をチャンスと見てこう言ったんだろう。

 でも何かトラブルを起こさないとも限らないから、キリンを一人にするわけにはいかない。

 

「見守るだけだから、ずっと縛られたりはしないよ」

『……ノリくんになら縛られたいな』

 

「あはは……」

 

 キリンのことも心配だけど、イヅナもイヅナで気がかりだ。

 

 

 

 ライブステージの近くに着くと、キリンは他の物には目もくれず舞台裏の控室に行くと言い、走って行ってしまった。しかし、キリンは控室の場所を知らない。

 

 見失ったキリンを探しつつそうこうしているうちに、置いていかれた僕たちも舞台裏に着いた。

 

 

「ここにキリンちゃんがいるのかな?」

 

「あら、あなたたちは……?」

 

 中では、PPPとおぼしき五人のフレンズがいた。踊っていたから、ダンス練習の途中だったんだろう。声を発したのはプリンセス……だと思う。かつてイヅナのせいでハチャメチャしたゆうえんちでのパーティーで見かけたときはセンターにいた記憶がある。

 

 奥を見ると、サーバルとかと若干似たまだら模様のフレンズが立っている。多分マーゲイだ。ロッジを発つ前、彼女はPPPのマネージャーをしているとオオカミさんから聞いている。

 

「あ、すみません、僕はコカムイです。こっちはイヅナで……今、人探し、というかフレンズ探しの最中で……」

 

「コカムイ……ああ、あなたが博士の言っていた……!」

 

「博士?」

 

「ええ、表のステージの設営もやってくれたし、ちょくちょく顔も出してくれるわ。その時に聞いたの」

 

「そう、なんですか……」

 

 言葉が浮かばずおざなりの返事をしていると、プリンセスは口に手を当ててクスッと笑った。

 

「そんなにかしこまらなくていいわ、私はプリンセス、よろしくね」

 

「……うん、よろしく」

 

「オレはイワビーだぜ、よろしくな!」

「ジェーンです、お見知りおきを……」

「……コウテイだ。よろしく」

 

 プリンセスに続いて三人からも挨拶を受けた。でも、向こうでボーっと立っている子が残っている。

 

「……フルル、あなたもよ」

 

「んー?」

 

 フルルと呼ばれた子は、プリンセスの声を聴いて振り向き、ようやくこちらに気づいたようで、テクテクとこちらに歩み寄ってきた。

 

「ジャパリまん持ってないー?」

 

「……え? ああ、持ってるけど……」

 

 鞄から一つ取り出して手渡すと、「ありがと~」と言って能天気にもぐもぐとジャパリまんを頬張り始めた。

 

「あの、ええと……」

 

「ごめんなさいね、この子いつもこんな調子なの」

 

「あはは、大丈夫だよ」

 

 話しているうちに、フルルはジャパリまんを食べきってしまった。すると、僕の方に手を差し出した。

 

「……もう一つ」

「えー!? ちょっとフルル、流石にそれは……」

 

「気にしないで、でもその前に、一応、……改めて、名前を聞いてもいいかな?」

 

「フルル……あ、フンボルトペンギンのフルル」

 

「ふふ、ご丁寧にどうも」

 

 もう一つジャパリまんを渡すと、今度はそれを口にしながらさっきの立ち位置に戻っていった。

 

 思えば、マーゲイさんはマネージャーだけどこのやり取りに何か口を出すことはしなかった。そこの所が緩くなっているのか、はたまた博士の紹介がうまく働いたのか。後者だったら後でお礼をしておこう。

 

『……いつまで油売ってるの?』

 

 そんなことを考えていると、イヅナにわき腹をつつかれながらそう言われた。……言われた? テレパシーだから「言う」という表現はおかしいような気もするが……まあいい、とにかくそう言われたのだ。

 

「そうだった、アミメキリンを見なかった? ここに来るって言ってどっかに行っちゃったんだけど」

 

「いや、来てねーぜ?」

 

「ほら、やっぱり迷子だよ」

 

 

 キリンを捜しに行くかここで待つか、どちらにしようか悩んでいると、そう、確か……ジェーンだ。ジェーンが僕に尋ねた。

 

「今日はどうしてここに?」

 

「あー、それも話さなきゃだね、マーゲイさんにも聞いておいてほしいな」

 

「え? 私もですか?」

 

「聞いてくれれば、理由は分かるから」

 

「はあ……」

 

 マーゲイさんは合点がいかず、一体どんな理由なのかと色々想像している様子だ。

 

 じゃあ、昨日キリンに出会った所からでいいかな。名探偵になりたいという相談と、外の『声を変える』探偵の話、それとマーゲイさんの『声を変える』特技が結びついて――

 

 そして結局みんな聞きに来たから、全員にかくかくしかじか――と言っても七割方上で終わったが――、今に至るまでの色々を話した。

 

 ……いや、フルルは他のみんなが移動したから何となくそれにつられて来ただけ見えた。話している間ふとどこかにいなくなって、いつの間にか戻ってきたりした。

 

 

「――と、こんな感じでね」

 

「外には不思議なヒトもいるんですね」とジェーン。

 

「あくまで漫画の話だけどね」

 

「漫画……前に一度オオカミに見せてもらったことがある。たしかそれも……」

「……あ! ホラー探偵ギロギロね」コウテイが思い起こすようにそう言うと、それを聞いてプリンセスが思い出したみたいだ。

 

「探偵……なんかロックじゃないな……」と例の探偵について聞いた結果のイワビーの独り言。

 

 ロックと言うなら”ハードボイルド”とかどうかなとか考えてみたものの、「感情に流されない」ハードボイルドは、どこか激しいイメージのあるロックと相性が合うのか甚だ疑問に感じ、言うのはやめておいた。

 

 それと、これ以上時間をかけるとまたイヅナに小突かれそうだ。

 

 

「……コカムイさんの話を聞いて、『名探偵になりたい!』と思っていたキリンさんがここに来ることを決めた、という話でしたっけ?」

 

「そう、そこでマーゲイさんにお願いできれば、って思ってるのが――」

 

 ()()()()()、キリンに『声真似』というものを教えてほしい。本気でやってもらおうだなんて突然悪いし、無理はさせられない。だから――

 

「キリンさんの指導ですね! 分かりました、やらせていただきます!」

 

「……え」

 

 驚いた。「お願い」を言い当てるのは話の流れから考えれば難しいことではない。それよりもマーゲイさんが何故やる気に満ち溢れているのか分からない。

 

「ええと、どうして二つ返事で……?」

 

「私、キリンさんの気持ちが分かる気がするんです。憧れるものに近づくため、その人と同じことをしようって気持ち……私はそんなことできませんから、こんな形でやってますけどね」

 

 マーゲイの言葉に、プリンセスも賛同した。

 

「私もPPPに憧れて、三代目を結成するために頑張ったの。だからマーゲイの言ってること、分かると思う」

 

「……そんなことが」

 

 ともあれ、やってくれるのはいいことだ。PPPの事情もあるから時間については相談が必要だけど。

 

「それはマネージャーである私に任せてください!」

 

「ありがとう、……じゃあ、キリンにもこの話をしないとだけど……」

 

 昨日の話もしてそれなりに時間は経ったはずだけど、未だキリンは現れない。一体どこで何をやっているというのか。

 

「しかし、探偵が迷子とはね……探しに行こ、イヅナ」

 

「ううん、私はここで待ってるね」

 

「じゃあ……え? 待ってる……!?」

 

 引き留める手をどんな手段を使っても振りほどいてついてきそうなイヅナがまさかそんなことを言うとは。

 

『ほら、キリンちゃんがここに来たら教えてあげるから』

『そっか、そういう使い方もあるね』

 

 携帯電話もなく、通信機能のあるラッキービーストも使いやすいとは言えない。確かにテレパシーと呼ぶくらいだ、こうやって使うのがちょうどいいかもしれない。

 

「二人とも、どうしたの? いきなり静かになっちゃって」

 

「気にしないで、ノリくん、寂しがり屋だから。よしよし」

 

 頭を撫でられた。

 

「ち、違うって……もう、探してくるね!」

 

 突然のことにどきまぎして、逃げるように出てきてしまった。

 

 

 

 

 ……ふふ、頭を撫でられて照れるノリくんもよかったな。

 

 なかなか一気に踏み込むことは難しいから、外堀から埋めていく方が手っ取り早いのかな? 逃げ場が無くなれば、諦めてくれるはず。

 

 うーん、ノリくんが戻ってくるまで暇だなあ……

 

「あ、フルル! 勝手に持ってきちゃダメよ!」

「でも、お腹すいたー」

「もう、さっき二個食べたばかりじゃない」

 

 見ると、フルルが勝手にお菓子の箱を持ってきてプリンセスが叱っているみたい。

 

「赤ボス、あのお菓子は何?」

「多分、昔ニ企画サレタモノダネ。コノ島カラノ撤退ト共ニ製造ガ停止サレタケド、最近ノ研究所ノ復活トカデ、『島が再建された』ッテ判断シテ、再ビ製造ヲ開始シタラシイヨ」

 

「勝手にまた作り始めちゃったの?」

「ウン、ソウミタイ」

 

 この島を管理しているAI?はそこまで考えて判断できるんだ。もしかして、研究所にそのAIがあったとか……ありえない話じゃないね、後でノリくんに言ってみよう。

 

「これは今日の練習が終わってから」

「えー」

「そんな目で見てもダメよ」

 

 流石、厳しくするところは厳しい。私も真似した方がいいのかな?

 プリンセスは壁の隅にあるテーブルにそのお菓子の箱を置いた。

 

「キリンちゃん、まだ来ないね」

 

「時間を無駄にはできないわ。色々あって中断してたけど、練習を続けましょう」

「そうだな、次のライブまでそう遠くない」

「よーし、やるぜー!」「はい、頑張りましょう!」

「お菓子食べたかったなー」

 

 練習を再開するらしい。フルルは名残惜しそうにしつつも、しっかり練習には参加するみたいだ。

 

「いいでしょ、この一人一人の個性が出てくる様子! おおー、流石PPP、練習前も美しい、マネージャーをやれて幸せですー!」

 

 

一瞬、響く足音。

 

「はあ、はあ……ようやくたどり着いたわ……」

 

何故か息が荒いキリンが奥の方から出てきた。

 

「キリンちゃん、どこに行ってたの?」

 

「え? 私は向こうから入って、PPPがいないか部屋を一つ一つ見ていたの。まさかここに全員いるなんてね……」

 

 キリンは屋内でウロチョロしていた。外に行ったノリくんが見つけられないのは当然だ。

 

「私、ノリくんを呼んでくるね!」

 

 私は部屋から飛び出した。そしてテレパシーで呼びかける。

 

『ノリくん、キリンちゃん見つかったよ!』

『え、どこにいたの?』

『建物の中の部屋を回ってたみたい』

『だから外にいなかったんだ……』

 

 やり取りをしているうちに出会うことが出来た。

 

「キリンはみんなの所?」

「うん、急ごう!」

 

 走って舞台裏に戻る途中、耳をつんざくような叫び声が聞こえた。

 

「な、無くなってるー!?」

 

「……今の声は?」

「マーゲイだよ、何かあったみたい!」

 

 さらに急いで駆け付けると、マーゲイがこれ以上ないほどあたふたしていた。

 

「マーゲイさん、どうしたの?」

「ない、ないんです……」

「……ない?」

 

「音楽を流すための丸いあれが、無くなっちゃったんです!」

 

 動揺で無くなった物の名前が出てこないみたいだ。

 

「……もしかして、CDが?」

 

「は、はい、ちょっと前まではあったのに……」

 

 CDが無くなる、そんなことがあるのかな? 私たちが来てあたふたしたから? でも、私たちはずっとここにいたし……あ

 

『私は向こうから入って、PPPがいないか部屋を一つ一つ見ていたの』

 

 まさか……?

 

「慌てないで! 私がこの事件、華麗に解決してあげるわ」

 

 キリンが声を上げ、指を掲げてこういった。

 

「ズバリ、犯人はこの中にいるわ!」

 

 どうしよう、このままだと碌な調べもなしに推理ショーが始まっちゃいそう。ノリくんも突然のことに反応が遅れてる。仕方ない。私が止めてあげなきゃ。

 

「でもね、キリンちゃん」

 

 私が声を掛けると、手を下ろして静かに次の言葉を待っている。若干得意げだ。場の空気に呑まれているんじゃないかな。

 

「今一番怪しいのは、あなただよ」

 

「……ええー!?」

 

 本当に、この子名探偵になれるのかな……?

 

 



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5-57 『犯人』はここにいる?

 

私の言葉に、キリンちゃんだけでなくPPPのみんなも驚きを隠せていない様子。

 

「なんか、探偵が事件を起こしてるような……」

 

 ノリくんはちょっぴり呆れ顔。そんな顔もとっても素敵。

 

「イヅナ、一応理由を教えて?」

 

 ノリくんにそう言われたら、断れる訳がないじゃない。

 

「分かったよ、キリンちゃんが、ずっとどこにいるか分からなかったの。だから、何をしてたか分からないよね」

 

「それは、アリバイがないってことだね」

 

「あ、え……ララバイ?」

 

「ああ、キリンちゃんは寝ててもいいんだよ、私が子守歌(ララバイ)を歌ってあげるから」

 

「ね、寝る訳ないじゃない!」

 

 アリバイも知らない名探偵が、どこの世界にいるのでしょう?

 

 

 冗談はさておき、事件の捜査の基本は現場を調べることと聞き込み。まずは現場がどこかを知るために聞き込みをしよう。

 

「マーゲイ、CDはどこにあったの?」

「そこの、音響室……という部屋です」

「そう、ありがとう」

 

 じゃあ、一度音響室に入って中の様子を確かめよう。

 

「ちょっと、私を差し置いて進めないでよ!」

 

 キリンちゃんもついてくるみたい。私の邪魔ばっかりするんだから。

 

 中に入ると、ステージの音響設備にCDプレイヤー、それと何故かお菓子の箱がテーブルに載っている。よく見るとフルルが持って来たものと同じだね。

 床にも箱がある。ただ他のものと違って乱雑だから誰かが――大方キリンちゃんが――散らかしたんだね。

 

「ここ、一度入ったわ、ゴチャゴチャして大変だったの」

 

「ゴチャゴチャ、ね……」

 

 ゴチャゴチャして、かゴチャゴチャ()して、か。どっちでもいいけど、一番怪しいことに変わりないね。

 

 

 ひとまずCD探しは置いといて、もう一度マーゲイに聞き込みをしよう。

 

「CDが無くなったことに気づいたのは何でかな?」

 

「そ、それはですね……」

 

 マーゲイはその時の状況を語り始めた。

 

『お願いします、練習をさせてください!』

 

『コカムイさんから聞いてます、いいですけど、PPPの方をどうするか……』

 

『今日の所は自主練でもするわ、確か「CDぷれいやー」とか言うのがあったはずよね』

 

『それを使えばPPPもそれぞれの練習ができる……! では、取ってきますね』

 

 

「それでプレイヤーとCDを取りに行ったら、なぜか部屋が荒れてて、CDが無くなってて……」

 

「なるほど、そのCDを最後に見たのは?」

 

「ええと……今日の朝一番に来て色々練習の準備をしていた時ですね。その準備の途中にプリンセスさんが来ました」

 

「ええ、私も少し手伝ったから、朝にそれを見ているわ」

 

 つまり、無くなったのは今日の朝以降のこと。

 

「他のみんなは、その後にCDを見た?」

 

 私が問いかけると、マーゲイとプリンセス以外の全員が否定した。

 

 こんな言い方はよくないけど、犯行時刻は今日の朝、準備を終えて音響室を出てから発覚までのようだ。

 

 

 

「……あはは、どっちが探偵なんだろうね」

 

「そ、そんな! 師匠、私だってやれますよ!」

 

「やれる……ね。キリンちゃんがやったんじゃない?」

 

「そんなことしないわ、探偵だもの!」

 

 キリンちゃんにCDを隠す動機なんてないしどうせ事故みたいなものだけど、一番大切な手掛かりを握ってるはず。これがマーゲイとかだったら聞きやすかったのにな。

 

「まあまあ、落ち着いて。探偵には落ち着きが大事って、昨日も話したよね」

 

「…………はい、覚えてます!」

 

「やけに間があったけど、大丈夫かな……?」

 

 やる気だけあって物覚えが悪いのは考え物。さっきまで何をしていたかすら忘れられては困る。早めに言いくるめて聞き出そう。

 

「じゃあキリンちゃん、私たちと別れてここに来るまで、何をしていたか教えて?」

 

「……ふふ、分かったわ、そうあれは確か――」

「ついさっきのことでしょ、早く話しなよ」

「い、イヅナ……」

 

「ぐ、は、話すわよ……」

 

 辛く当たる言い方にノリくんは何か言いたげで、少し凹んだキリンを見てさらに悲しげな表情をした。

 

 ノリくんが優しいのは知ってる、だけど私以外にそこまで甘く振舞う必要はないのに。特に今日のキリンちゃんは無理やり私たちを連れだした挙句問題を起こしている。

 

 こんな体たらくじゃ名探偵なんて夢のまた夢。ここらで身の程をわきまえるのが誰にとっても一番良いことに決まってる。

 

 気づかぬうちにキリンを見る目が刺々しくなっていたみたい、一度こちらを見たそいつが逃げるように目をそらした。

 

 

「ええと、二人と別れて舞台裏に入った後、PPPとマーゲイを探して部屋を一つ一つ見て回ったの」

 

「さっき聞いたわ、もっと詳しく。部屋で何したの?」

 

「わわ、待ってイヅナ、そんな責めるような言い方ないよ……こほん。キリン、部屋で何か変わったことがないか、思い出してみて」

 

 私の詰問を止めて、優しい声で、怖がらせないようゆっくりとキリンに語り掛けている。

 

 なんで、そんなにその子に優しくするの?私は悪い子なの? 悪い子だから優しくしてくれないの?

 

 屋敷で掛けてくれた言葉も、私から自由になりたいだけだったのかな。

 

 どうしてキリンばっかり、ノリくんのことを誰よりも考えてるのに、こんなバカみたいな騒ぎ、全部私に任せてノリくんは寛いでいてくれればいいのに。

 

 なんで、なんで――

 

 

「イヅナ、イーヅナー、おーい」

 

 気が付くと、ノリくんが目の前で手を振って私の名前を呼んでいた。

 

「ごめんね、考え事してて……」

 

「いいって、キリンから一通り聞き終わったよ」

 

 そっか、私の代わりに聞いてくれてたんだったね。考え込みすぎて忘れかけてた。でもそんなことより、私は不安で仕方ない。

 

「ねえ、私、悪いことした?」

 

「え? ……誰も悪くないよ。強いて言えば、運が悪かった、とか? ……あはは」

 

「そう、だね、()()、悪くないよね」

 

 ()()、悪くない。だから、()()悪くない。

 

 

「そうだ、キリンは特に物をいじることはしなかったけど、一度音響室で躓いて、その時物が散らかったかもしれないってさ」

 

「絶対その時だよ、態々隠しちゃって……」

 

「あ、はは……恨みは深いね、PPPのみんなにも聞いてみる?」

 

「……必要ないと思う、それよりCDを探しましょ?」

 

「それもそっか、じゃあ僕から手伝いを頼んでくるよ、イヅナは先に探し始めてて」

 

 ノリくんはみんなのいるところに行ってしまった。すぐ一緒に探して欲しかったけど、キリンに頼む役は任せられないから仕方ないや。今からノリくんの所に行っても、何もなさそうだし。

 

 

「ホント、物も事もややこしくしちゃって……」

 

 CD探しの第一手は、音響室の片づけでした。足の踏みどころも分からないほど床に散らばった箱にコード。一体何が起きればここまでひどい状況になるのか想像もつかないな。

 

 箱は重ねて机の上に、コードは束ねてカゴの中。とても時間のかかる作業で、いつの間にかノリくんも手伝いに来てくれていた。

 

『キリンちゃんはどうしてる?』

『聞き込み。自分でしないと納得できないってさ』

 

 私には、少しでも探偵気分を味わいたいがための聞き込みにしか見えなかった。大人しくCDを見つけるのが最も賢いと思う。

 

『でもこの様子じゃ、キリンには片づけさせない方がいいかもしれないね』

 

『……だね、きっともっと散らかすに決まってる』

 

 どうして探偵になんてなりたがるんだろう。事件なんて起きないのが一番なのに。

 

『人探しとか、失くし物とか、事件じゃなくても探偵の出番はあるはずだって』

 

『なるほど……って、ノリくんも私の心読んだの?』

 

『なんとなくだよ、無闇矢鱈に読んだりしないさ』

 

 なんだ、残念。私みたいに隙あらばテレパシーで心を読んでたって文句ないのに。むしろうれしいのに。それでも最近ノイズがかかったりするのは「読まれたくない」という感情が関係してるのかな。

 

 ノリくんには、いつもいつでも私のことだけを考えてほしい、私の全てを知ってほしい。でも、この想いは読み取ってもらえないんだろうな……

 

 

「……あれ?」

 

 予想外のものが出てきて、思わず声を出しちゃった。これは何だろう、何かの包み紙みたいだ。

 

「何か見つかった?」

 

「えっと、これだよ……」

 

 それをノリくんに渡した。ノリくんはそれを眺めて記憶と照らし合わせている。……あ、何か分かったみたい。おもむろに立ち上がって、机に乗せたお菓子の箱と包み紙を見比べている。

 

「やっぱり、このお菓子の殻だよ」

 

 納得する言葉とは裏腹にノリくんの表情は訝しげだ。

 

「何か、おかしいの?」

「ちょっと、ね……」

 

 すると、お菓子の箱を一つ一つ念入りに調べ始めた。上面底面を確かめて、側面も見るだけでなく触って確かめている。何故か十数個もある箱を全て調べ終え、それでも表情は曇っている。

 

「もう捨てちゃったのかなあ……」

 

「ノリくん、何か気になるの?」

 

「気になるけど……後でいいかな、今はCDを見つけよう」

 

 何が気になるのかは教えてくれないみたい。いいもん、勝手に覗き見するだけだもんね。

 

「…………」

『…………』

 

 あれ、またノイズがかかって分からない。ひどいや、どうしてそんなに隠したがるの? 過去に考えてたことは読み取れないのを知っての仕打ちなの?

 

「覗き見は感心しないね」

「気づくってことはノリくんも覗いてたでしょ」

 

「あはは、まさか。イヅナが分かりやすいだけだよ」

 

「そ、そうなの?」

 

 私って分かりやすかったのかな。だったら今日考えたこととか昨日考えてたあんなことやこんなことが筒抜けだったり……? は、恥ずかしい、もうお嫁にいけない! こうなったらノリくんに責任取ってもらうしか……!

 

「分かりやすいなぁ……」

 

 

 その後も音響室の中をノリくんの記憶を探る時のように念入りにねちっこく調べたけど、どこからもCDは現れなかった。

 

「誰か、少しでも気になることがあったら言って! 何が重要な手掛かりになるか分からないもの」

 

「じゃあ、私が――」「僕から少し――」

 

 キリンちゃんとノリくんの声が被った。羨ましい。

 

「じゃあ、ノリくんから」

 

「ちょっと、なんで私が後なの?」

「キリンちゃんの方が後だったから」

「そうだったかしら……?」

 

 嘘はついてない。実際にキリンちゃんの方が優先順位は後だったもの。ノリくんがキリンちゃんから反発が出る前に話し始めた。

 

「音響室からお菓子の殻が出たけど、あのお菓子っていつから置いてあった?」

 

「昨日です、昨日ボスがいっぱい来て置いていったんですよ」

 

「赤ボス、本当のこと?」

 

「ウン、事情ガアッテ、”お菓子”ハ始メニ”みずべちほー”ニ持ッテ行クコトニナッタンダ」

 

 事情はこの際いいや、その殻は多分昨日に出たんだね。だけど、それとCDに何の関係があるのかな?

 

「それが、何か?」

「食べたくなったんじゃない? わたしもお腹すいたー」

「ダメよフルル、それどころじゃないわ」

 

「とにかく、音響室になかったということは! 誰かがその部屋から持ち去った。それができたのはマーゲイとプリンセスの二人だけです!」

 

「キリンにも可能だよ」

 

「はうっ!? しかし、私は犯人じゃありません、なので犯人は二人のどちらかです!」

 

 始まっちゃったよ。これじゃあ話が進まないうえに余計に混乱してしまう。

 

「そ、そんなことしません!」「犯人なんていないわよ!」

 

「だ、だったらどうして……二人以外に、誰が持ち出せたのかしら……」

 

 キリンちゃんは誰かがCDを持ち去ったという考え方に固執してる。この視野の狭さじゃ、何も見えてなさそう……

 

 そこに、ノリくんが再び声を上げた。お願い、このにっちもさっちもいかない状況をなんとかして!

 

「そう言えば、お菓子の箱は全部音響室に置いてあるの?」

「ああ、ボスたちが全部そこに置いていったらしい」

 

 キリンちゃんのせいでヒートアップしてるマーゲイとプリンセスの代わりに、コウテイが答えてくれた。

 

 すると、同じく熱くなっていたキリンちゃんが何かに気づいたように部屋の隅に視線を向けた。

 

「待って、あの箱は誰が持って来たの?」

 

「あの食べかけの箱? フルルが勝手に持って来たのよ」

 

「そう、ふふ、ふふふ……」

 

 聞くにおぞましい不気味な笑い声を上げ、高らかに宣言した。

 

「分かったわ、CDを持ち出したのはフルルよ!」

 

「よりにもよってそんな訳――!」

 

「なら、確かめてみなさい」

 

 キリンちゃんに言われるがまま箱の中身を見たプリンセスが「あっ」と小さく声を出した。

 

「どうやら、あったようね……」

「でも、どうしてフルルさんが?」と明らかに狼狽するジェーン。私もその気持ちはよく分かる。

 

 ……まさか、キリンちゃんが正しい推理をするなんて。

 

 

「それは私が説明するわ……そう、これが事件の真実よ!」

 

 事件を締めくくる、彼女のクライマックスな推理が始まった。

 

 

Act.1

『事件は、私たちがみずべちほーに訪れることで始まった。

 師匠たちとここにやってきた私は、探偵修行という言葉に浮かれていたの。

 思えば、これが大きな失敗、探偵として反省すべき点だったわね。

 浮かれた私は、一人で飛び出してしまったの』

 

Act.2

『私と逸れた師匠たちは、仕方なく舞台裏に向かったわ。

 そこでPPPのみんなやマーゲイと挨拶していたのね。

 だけど、そんな和やかな風景の裏で、事件は始まっていた』

 

Act.3

『一人になった私は、師匠たちとは違う入口から舞台裏に入った。

 そして、PPPを見つけるために部屋を一つ一つ見て回ったの。

 でも、そこでもう一つアクシデントが起きた。

 音響室で足を滑らせ、そこにある荷物を散らかしてしまったの。

 このとき、CDが食べかけのお菓子の箱の中に入り、そのまま蓋をされてしまった』

 

Act.4

『ここから、事件は加速するわ。

 私が別の部屋を探し始めたとき、フルルが音響室を訪れた。

 食べかけのお菓子の箱を持っていくためにね。

 そして、その箱にはCDが入っていた。

 そうとは知らず、フルルは箱を持って行ってしまったの』

 

Act.5

『そして、事件の発覚。

 私がPPPの下にたどり着いて、それぞれの練習の話がまとまった。 

 そして練習のためにCDを取りに行ったマーゲイが、CDが無くなっていることに気づいたの。

 こうして偶然にも、音響室にあるはずのCDが、別の場所に誰も知らないうちに持ち出されることとなった……』

 

 

『箱を持ち出したのはフルル。でも、箱にCDが入ったのは私のせい。つまりこの事件、発端は紛れもなく私だったの……!』

 

 

『Complete!!』

 

 キリンちゃんの、クライマックスな推理は終わった。

 

 

「……話してて、悲しくならない?」

「うるさいわね! ともかくこれで解決よ!」

 

 自分で起こした事件を自分で解決、とんだマッチポンプ探偵もいたものだね。

 

「でも、キリンちゃんのせいで大変だったんだよ、謝らなきゃ」

 

「あ、謝る?」

 

「そう、悪いことをしたら、すぐに謝らなきゃダメだよ」

 

「そ、そうね。その、迷惑を掛けたわ、ごめんなさい……」

 

「いいですよ、悪気があったわけじゃないですし、こうして無事に戻ってきましたし」

 

「しかし、お菓子の箱の中か、こんな偶然もあるものだな」

 

 これで一件落着めでたしめでたし……かな?

 

「キリン、いい推理だったよ。事件の発端は別として、もう教えられることはない。免許皆伝だよ」

 

「そ、そんな! 師匠がヒントをくれたからです!」

 

「そうかもしれないけど、一つの事件を丸く収めた。キリンはもう立派な探偵だよ」

 

「…うぅ…あ、ありがとうございます! でも、まだ終わりじゃありません、まだまだ頑張って、いつの日か必ずや名探偵になってみせます!」

 

「……うん、頑張って」

 

 二人の間に交わされた固い握手。まあ、これはこれで、いいのかな。

 

 

 

 キリンちゃんはここに残って練習をするみたい。私たちはここらでお暇することにした。

 

「本当に、免許皆伝でいいの?」

 

「いいんだよ、元々教えられることなんてなかったから」

 

 そうは言ってるけど、厄介払いを済ませたいだけだったり……ううん、ノリくんに限ってそんなことあるわけない。

 

「じゃあ、今日はもうどうする?」

 

「そうだね……あ、雪山に行こうよ」

 

「ゆ、雪山?」

 

 予想外の場所に驚いてオウム返しになっちゃった。

 

「そう、二人には悪いことしちゃったでしょ、謝りにいかなきゃ」

 

「で、でも今日はいいんじゃ……」

 

 恐る恐るノリくんの方を見ると、静かに微笑んで私を見ていた。ちょっぴり怖い。

 

「イヅナ、さっき言ったじゃん。『悪いことをしたら、すぐに謝らなきゃ』って」

 

「そういえば、そんなことも言ったような……」

 

「さ、行こ?」

 

 ノリくんはキツネの姿に変わって、私をお姫様抱っこして無理やりに連れていく。

 

 ……こういう強気なノリくんも、大好き。

 



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5-58 謝罪の言葉ときつねうどん

 

「こ、心の準備が!」

「あのセルリアンが来た時、二人は心の準備なんてできなかったじゃん!」

 

「ひ、引っ張らないで~!」

 

 僕たちは雪山の温泉宿の前で、バカみたいな問答を繰り広げていた。

 

 宿まで着いたは良いものの、入ろうとした途端に飛び降りて逃走を試みた。僕もとっさに引き留めようと引っ張った結果、数分にわたる無駄な格闘が幕を開けた。おかげでそこらは足跡まみれ。

 

「ぜぇ、ぜぇ……この期に及んで……」

「で、でも、怖くて……」

 

 気持ちは分からなくもないけど、それを言ったらいきなり不思議なセルリアンが目の前に現れた二人は――こりゃ水掛け論か。

 

「ほら、覚悟を決めて、何かあったら僕がフォローするから」

「う……うん、ノリくんと一緒なら!」

 

 それにしても、中々やかましく格闘してしまった気がするけど、ギンギツネとかが出てくる気配はない。声というのは案外響かないものだ。

 

 

 

「お邪魔しまーす……でいいのかな」

 

 数日ぶりの温泉宿は、初めに静寂で出迎えてくれた。耳をすませばゲームの音くらい聞こえてこないかなあとしばらく聴覚に神経を注いでいたけど、やっぱり何も聞こえなかった。

 

「今日は留守みたいだねー、また後日」

「多分奥にいるよ、ほら行くよ」

 

「……はーい」

 

 入ってすぐのところにあるゲーム機の筐体が置いてあるコーナー……ここにキタキツネはいなかった。思い出せば携帯機をプレゼントしたからそれで遊んでいるに違いない。

 

 入口近くにいないとしたら十中八九奥の部屋にいるはずだ。いなかったら戻ってくるまで待つことにしよう。

 

「しばらく会ってなかったけど、元気にしてたかな」

「しばらくって、どれくらい?」

「大体……十日くらい」

「そんなに? どうしてだろう……?」

 

 その十日のうちの七日分は誰かさんによってお屋敷に軟禁されてて、軟禁される前の数日は同じ誰かさんが起こしたセルリアン騒ぎの調査やらなにやらで時間を食われて……大体そんな感じだったね。わざわざ言ったりはしないけど。

 

「うぅ……ごめんなさい……」

 

 わざわざ言ったりはしない。だけどイヅナの方が勝手に心の声を盗み聞きしてくるのだから、まあ仕方ない部分もあるんじゃないかな。

 

「悲しくなるくらいならいっそやめればいいと思うけど……」

「そんなの嫌! いつだってノリくんの想いを聴いてたい! それに……」

「……それに?」

 

 経験則からして、まともに聞いても理解できる論理じゃないだろう。でもまあ、だからといって「聞く意味なし」と切って捨ててしまうのは可哀想だ。

 

 無理に覚悟を決めさせて謝らせようとしてるんだ、これくらいは真面目に聞いてあげないと、と思いイヅナの言葉を待っていると、イヅナは僕の歩く道を先回りして目の前に立ち、上目遣いでじっとこちらを見た。

 

「それに、例えノリくんに世界の何よりも嫌われても、私はノリくんが大好きだから」

「……うぇ?」

 

「えへへ~、大好き~!」

 

 いきなり抱きついてきた。顔が若干赤くなっているのを見るに言っていて自分でも恥ずかしくなっちゃったのかな。かくいう僕も少し体が熱い、めまいになりそうだ。

 

 

「挨拶もなしに、何をお熱くやっているのかしら」

 

 後ろから、前に三日ほどお世話になった時に聞きなれた声が聞こえた。奇しくもその声の調子は前と同じような窘める感じの声。

 

「久しぶり、ギンギツネ……見えなかったから、どこかに行ったのかと思ったよ、キタキツネは元気?」

「ええ、あの子はいつも通りゲーム三昧よ……で、いつまで抱き合ってるの?」

「あ、ああ、ごめん」

 

 ギンギツネが現れてもイヅナは一向に僕から離れようとせず、とうとう言われてしまった。僕が引き離すと哀愁を込めた目と共にテレパシーであんな言葉やこんな言葉を……頭が痛い。

 

 恐る恐るギンギツネの顔を見ると、怒りとも呆れとも取れない、むしろどこか虚無の感を覚えるチベットスナギツネのような表情をしていた。キツネだけに。

 

「もっと慎みのある人だと思っていたんだけど」

「あはは……それは褒め言葉として受け取っておくよ」

 

 何もないと思われたその表情の中に、ほんの一瞬悲しみの色が浮かんだように見えた。しかしハッとしてもう一度ギンギツネの顔を見ても、その色が再び現れることはなかった。

 

「キタキツネはどこに?」

 

 尋ねると、ギンギツネは入口から見て右側の方向に向き直り、その先にある部屋の襖を指さした。

 

「あそこの二つ並んだ部屋の奥の方にいるわ」

 

「ありがと、じゃあ行こっか」

 

 その部屋に向かおうとすると、後ろからギンギツネに呼び止められた。

 

「ちょっと、キタキツネの前でその……お熱くやらないでね」

「あ、熱く……? どうしてそんなこと……」

「それはそう、その……教育に悪いから」

 

 ひとしきり意味不明なことを口走った挙句、不安げな様子を見せながらどこかに立ち去ろうとするギンギツネ。とっさに呼び止めた。

 

「待ってよ、どこ行くの?」

「どこって、どうして?」

「ギンギツネも一緒に来てよ、大事な話だから」

 

 そう言ったら、突拍子もなく口をパクパクさせて狼狽し、プルプル震える手で僕を

指さして大声を出した。

 

「だ、大事な話って、一体何の挨拶なの!?」

「え? 挨拶じゃなくて、前に出たセルリアンのことだけど」

「……ああ、そうなのね」

 

 前にもまして理解に苦しむギンギツネの言動について、これ以上考えることは諦めた。気が付けば、さっきまでのやり取りの間にイヅナがケロっとできるくらい平常心に戻っている。これから謝る自覚があるのか甚だ疑問だ。

 

 

「入るわよ、キタキツネ」

 

「ん…………! ノリアキ!」

 

 ともかく、キタキツネとも久しぶりに会い、これで雪山セルリアン事件の当事者は揃ったことになる。

 

 キタキツネは僕に気づくと、寝転がっていた体をビクッと起こして素早く立ち上がり、数回瞬きをするうちに目の前まで駆け寄ってきていた。僕の手を握って身を乗り出してじっと目を覗き込んでいたけど、数秒経って自分のしていることに気づいたのか顔を赤らめ一歩下がった。

 

 無論、その行動をイヅナがよく思っていないのは言うまでもない。

 

「え、えっと、久しぶり……どうしてたの?」

「色々あったんだけど、それについてイヅナから申し開きがあるから聞いてほしいな」

 

「申し開きじゃないよー……」

 

 そっか、申し開きだと言い訳みたいな意味になっちゃうか、まあいいや。

 

 イヅナは二人の前で正座した。二人もそれにつられてイヅナの前に座った。僕は少し離れてゆったり座った。

 

「え、ええと……その……」

 

 早速言葉に詰まったイヅナはテレパシーで助けを求めるのみならずチラッとこちらに視線を向けた。テレパシーが第一手段として選ばれている辺り、相当の信頼を置いているんだなと感じる。

 

『一思いに言っちゃえば、あとは何とかなるよ』

 

『……わかった』

 

 

 

 宿に着いてから何回目のやり取りか、ようやく話す気になってくれた。

 

「この前、雪山に出た紫のセルリアンを、あれをここに送ったのは、私なの。……危ない目に遭わせて、ごめんなさい」

 

「………」

「え、どういうことなの!?」

 

 その後、セルリアンを送り込むに至った動機や、僕を屋敷に連れ去った時の顛末をイヅナは事細かに、僕が話せる以上に詳しく話した。そして再び、「ごめんなさい」という一言で締めくくった。

 

「……ひどい」

「そういう事情で……」

 

 二人の表情は複雑という一言で説明できる。イヅナに対してどのような感情を持っているのか、その詳しいことについては分からないが、複数の感情の中で揺れていることは確かなようだ。

 

 ギンギツネは自分やキタキツネを危険にさらしたことへの怒りと、そこまでにある意味で追い詰められたイヅナへの憐憫……だろうか。ひとえに複雑といっても二つの感情とは限らない。ギンギツネの目には別のことへの懸念も見て取れる。

 

 対するキタキツネは……よく分からない。というよりも、僕の心のどこかが理解することを拒んでいるようだ。どうやら温泉であった例の出来事がまだ記憶に強くこびりついているらしい。つまり、キタキツネは……

 

「……どうしましょう」

 

 ギンギツネが言葉を求めるようにこちらを見た。彼女としてもイヅナをどうするかについては決めかねているみたいだ。

 

「そう、だね……イヅナもこうやって謝ってるから、あとは煮るなり焼くなり好きにすればいいと思う」

「……の、ノリくん?」

「煮る? 焼く? さ、流石にそんな……」

「いいじゃん、やろうよギンギツネ」

 

「嘘、キタちゃんまで?」

 

 ほんの冗談というかことわざだったんだけど、キタキツネのノリが案外良いのは驚いた。しかし、本当に煮たり焼いたりするのは可哀想だ。

 

「冗談だって、だけど何か頼みごとがあるならできる範囲でやってあげるよ」

「そ、そうだよね、冗談、冗談……」

 

 思ったより傷は深いみたい。ごめん、イヅナ。

 

「そう言われてもねぇ……」

「そうだ、()()()()? っていうの、もっと食べてみたい」

 

 ふむ、料理か。今まで通りカレー系統のものを作っても味気ない、何かいいアイデアはないかな……

 

「じゃあ、きつねうどんとか、どう?」

「……いいかもね」

 

 ここに来てから麺類は食べたことがないからうってつけだ。それに「きつねうどん」という名前もいい。そうしよう。問題は食材の準備だけど……

 

「赤ボス」

「マカセテ、図書館ナラ明日ニハ準備デキルヨ、ココダト明後日ニナッチャウケド……」

 

「じゃ、図書館で作ろっか」

 

「それはいいけど、私たちはどうやって図書館まで? バスはないみたいだけど……」

「僕たち二人が飛べるから、一人ずつ運べば四人で飛んでいけるよ」

 

「飛べるって便利ね」

「あはは、本当にそう思うよ」

 

  こうして、セルリアン事件のお詫びとして、きつねうどんを二人に作ってあげることになった。図書館で作るから、きっと博士たちにもせびられるだろうけど。

 

 

 

「じゃあ、今日は泊まっていって構わないわよ」

「ノリアキ、ゲームしようよ」

 

 それも悪くない。どうせ今日は予定もないから。でも、帰らないと心配されるかも。

 

「赤ボス、ロッジのかばんちゃんに『今日は雪山に泊まります』って伝言できる?」

「モチロンダヨ、ボクニマカセテ」

 

 赤ボス、前よりも多くのことが出来るようになっている気がする。これももしや研究所の復活が影響している可能性がある。本当に興味深い場所だ。落ち着いたらもう一度…………あ。

 

「待って、やることがある」

 

「じゃあ、ゲームできないの?」

 

「大丈夫、すぐ戻ってくるから」

「え、どこに行くの?」

 

 イヅナが怯えた目で見つめてくる。テレパシーで知ってるならわざわざ聞く必要なんてないのに、よほど信じたくないらしい。

 

「湖畔まで行って帰ってくるよ、この勢いでプレーリーたちにも謝っておこうよ」

「そんなぁ……」

 

 

 ”みずべちほー”から飛んできた時のように、お姫様抱っこでイヅナを運んだ。

 

 

 湖畔で起きたことは、いちいち事細かに書いても凡長になるだけだから、ここにあらましだけを記しておくことにする。

 

 キタキツネたちにしたのと大体同じようにイヅナはプレーリーとビーバーに謝った。結果は丸く収まった。むしろ雪山の二人よりも柔らかい態度だったと感じる。

 こちらの二人は家に籠っていて、間近でそのセルリアンの脅威を味わっていないからかもしれない。

 

 ついでにと湖畔の二人も明日のきつねうどん祭りに誘ったけど、断られてしまった。他に何かすると言ってもいらないと言うから、何かあった時に手伝いか何かをすることにしよう。

 

 そういえば、湖畔の二人の家の内装がどこか前と変わっている気がしたけど、何分二人と親交が深いわけではなかったから、多分気のせいか模様替えだと思い追及はよしておいた。ただ、少し広くなったような、あとベッドらしきものが増えたような、そんな印象を受けた。

 

 それは置いておくとして、ひとまずイヅナはセルリアン事件に巻き込まれた四人に謝って、ひとまず許してもらえた形だ。これで少しでもイヅナが過ごしやすくなればいいと思うけど、果たしてどうだろうか。

 

 

 

 今日の夜は雪山の宿に泊まったが、特に何もなかった。本当に何もなかった。

 

 夜分遅くまでキタキツネとこっそりゲームで遊んで、二人に厳しく叱られたとかそんなことは絶対にない。決して。

 



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5-59 食後の紅茶を――と共に

さて、翌日僕らは空を飛び、片道数十分の道のりをたどって図書館に行った。

 

到着したとき、僕が頼んだ食材その他諸々は既にボスたちによって用意されていた。

まあ、置いてある野菜類のほとんどは博士たちが畑から常習犯的に”ちょいちょい”と持ち去っているものらしいのだけど。

 

昨日のうちにボスを通じて連絡したから、二人は一応の成り行きを把握している。

ボスたちが食材を厨房に運ぶのを手伝い、個別に頼んだ料理の本も準備しておいてくれている。

 

 

「よし、準備は万端だね」

「ところで、その『きつねうどん』とはどういう料理なのですか?」

「ええと、確かこの本に……あった」

 

僕は料理の本の中の『きつねうどん』のページを開いて、その写真を見せた。

 

「なるほど、これが……これは、前に作った『みそ汁』のような料理なのですか?」

「みそ汁とは違う……かな。スープに浸したうどんっていう麺を食べる料理だよ」

 

今まで麺類を作ったことが無いから、博士たちも”うどん”がどういう料理か皆目皆式見当がつかないに違いない。

 

「しかし、『きつね』と付いているのはどういった理由で……?」

「――イヅナちゃんをゆでるんだよ」

 

「い、イヅナをッ!?」

「だからあれは冗談だってば!」

 

昨日の発言といい、キタキツネはイヅナを煮たり焼いたりすることにご執心らしい。

許すような態度を見せていたけれど、そのおっとりした様子の裏にある静かな怒りが、隠しようもなく燃え盛っている。

 

「……キタキツネのギャグはいいとして、本当のところはどうなのですか?」

「それは簡単で、油揚げを乗せたうどんのことを『きつねうどん』って呼んでるだけだよ」

 

「油揚げ? それは一体……」

「そこは説明すると長くなるからさ、先に作り始めようよ」

 

 

 

――かつて苦労した着火。それどころか誤って消しさえしてしまった。

でも今なら狐火がある。この美しい青の炎を使えば、かまどに火を点けるのなんて朝飯前だ。

 

度々怪談のネタとして語られ続けた怪異をこんなことのために使うのは少し気が引けた。でもイヅナも前に使っていた気がするし、何だって使いようだ。

 

「まずはお湯を沸かして……」

 

お湯が沸くまでには時間がある。それまで薬味のネギでも切ろうかなというところに博士がやってきた。

 

「お、お湯が沸くまでひ、暇ではないのですか? その……ひっ、きつねうどんの由来の話でも……」

「火が怖いなら無理しなくてもいいよ」

 

「こっ、ここ、怖くなどないのです、少し……恐ろしいというか……」

「それを、『怖い』って言うんじゃないかな」

 

 

ひとまず火の番はイヅナに任せて、かまどから離れて他の食材の準備を始めた。

 

「何を準備するのですか?」

 

「薬味のネギと、うどんの()()に使う出汁の材料だよ」

 

出汁に使うのは鰹節や醤油やみりん、料理酒など様々あるけど、それを詳しく話しても長ったらしくなるだけだ、博士には『色々使う』で誤魔化した。

 

すると、博士が瓶の林の中から一つを手に取った。

 

「これは使わないようですが、何なのですか?」

「それは酢だよ、すっぱいよ」

 

「本当なのですか」と疑問に思った博士は、小皿に少し酢を注いで、一気に呷った。

 

「…っ! すっぱいのです!」と露骨に顔をしかめている。

 

博士が矢鱈大きい声を出したせいで、不思議に思ったキタキツネが離れたところからこちらの様子を窺っている。

博士の顔と持っている瓶を交互に見て、大体のいきさつを掴んだようだ。

 

「だから言ったのに……使わないから置いといて」

 

「これは恐ろしいのです、間違えて飲んだりしたら……」

 

間違えて調味料を飲む事態など到底訪れる気などしないけど、博士はそう思っていないらしく、仰々しい様子で酢の瓶を他の瓶から少し離して置いた。

 

博士の『恐ろしいものリスト』の中に『酢』が書き加えられた瞬間であった。

 

 

 

 

「そろそろ茹でてもいい頃合いかな」

 

 お湯はグツグツと煮立ち、見ているだけで熱気を感じ、近寄るだけで蒸気に当てられる。

 

「うどんの玉は……」

「これだよ、これを……あわっ!」

 

ざるに入った人数分のうどんの玉持って来たイヅナ。思ったよりも重かったみたいで、バランスを崩してこぼしそうになっている。

 

「うわわっ……ふぅ、無事でよかった」

 

 

「むぅ……うどんなんていいから私も心配してよー」

「どうでもいいなんて言っちゃダメだよ」

 

このうどんが僕たちの手元に届くまで、沢山のラッキービーストがうどんの素になる植物を丁寧に育てて、それをまたまたラッキービーストが挽いて粉にして、そこからできた生地を打ってうどんにして……

 

とにかく、今僕が持っているうどんには多くのラッキービーストたちの苦労やアライグマの……アライグマ?

 

「あれ……なんでだろ」

 

別にアライグマは関係ないはず、ない……よね。

でも何故か何かがあるような気がしてならない。よく分からないけど今度会ったらお礼でも言った方がいいのだろうか。よく分からないけど。

 

「……いいや、とにかく茹でるよ!」

 

ちなみに、博士はやっぱり火が怖くて僕がかまどに近づくと同時に逃げてしまった。

 

 

うどんがしっかりと茹で上がったら、水を切って、器につゆを注いでうどんを入れる。

そして第二の主役である油揚げを乗せてその上には薬味のネギを添える。

こうして、きつねうどんは完成するのだ! ……口調が伝染《うつ》った訳ではない。

 

「じゅるり、これは……」

「新しい方向の料理なのです……じゅるり」

 

「さあさあ、どうぞ召し上がれ」

「ノリくんも食べるんだよ!」

 

誰かが食べ始めるのを皮切りに――大方博士か助手だが――みんなうどんをすすり始めた。

……おいしい。僕は気の利いた食レポはできないが、とにかくおいしい。

 

キタキツネとギンギツネは箸を使えるのかな、という疑問がふと頭をよぎったが、問題ないらしい。

というか前に宿で作ったときにも箸を使って食べていたはずだ。相変わらず僕の記憶力には難があるようだ。

 

 

「もぐもぐ、そういえば……んぐ、『きつねうどん』の由来を……ん、まだ聞いていなかったのです……」

「……あはは、飲み込んでから喋ろうよ」

 

全く、とんだせっかちさんだ。でも、そんな博士を見ていると和む。

 

「んー、どうやって説明しよう……」

「だったら私に任せて!」

 

「……イヅナ、いいの?」

 

イヅナは大きく胸を張って答えてくれた。

 

「もちろん! 私を誰だと思ってるの?」

 

確かに、ある意味きつねうどんの由来を説明するにはもっとも適任な存在かもしれない。

そうなんだけど……イヅナの様子がどこか引っ掛かる気がする。

躊躇う理性を抑え付けつつ、イヅナの考えていることをテレパシー経由で読み取った。

 

『へ、えへ、えへへ……! ここでいい所を見せたら、ノリくん、私のこと褒めてくれるよね! うふ、うふふ、ノリくん……!!』

 

……そんなことだろうとは思ってたけど。

もう少し、優しくしてあげた方がいいのかな……?

 

 

「えっとね、うどんに乗せた”油揚げ”っていうのは、豆腐を揚げて作った食べ物なんだ。油揚げは、古くから人々が稲荷神の使いである狐にお供えしていたものなんだ! あ、元々は鼠の天麩羅だったんだけど……まあそれはいいや、とにかく油揚げは狐に供え続けられてたから、いつしか油揚げといえば狐っていうイメージができたんだよ! だから油揚げを乗せたうどんのことを”きつねうどん”と呼ぶようになったんだ……それとそれとー、なんで油揚げになったかって言うとね、元々お供えしてた鼠の天麩羅の用意が難しくて、簡単な油揚げにしたところ、それが広まっていったんだ。で、なんで鼠の天麩羅かっていうと――」

 

 

とにかく早口だった。僕を軟禁していたときにもこれ程のマシンガントークは聞いたことがない。

話は脱線し、稲荷神とその眷属である狐の関係性の話題にまで発展している。

やっぱり『神様』の話だから熱が入ったのか、あるいは褒められたいがためにここまで熱くなれるのか。

……どちらかといえば、前者だと思いたい。

 

「イヅナちゃん、博識なのね……」

「……へんなの」

「は、早すぎて聞き取れないのです……イヅナ、イヅナ?」

 

博士の呼びかけもむなしく所謂”トリップ状態”にインしている。

 

「コカムイ、何とかするのですよ!」

「僕は、聞いてあげてもいいと思うな」

 

僕の言葉を聞いた博士は大層驚いている。そんなに不思議なことだろうか。

対して博士の隣に座る助手は、博士の様子を見て微笑みながら言った。

 

「別に、甘やかす必要などないのですよ?」

 

「でも、今まで()()してあげられなかったからさ、少しは……甘くてもいいかなって」

「……そういうものでしょうか」

 

助手も、あまり共感はしてくれないようだ。

構わない、今は別にそれでもいい。

イヅナの今までを知っているのは僕だけだから。でも、博士たちにも、話すべきなのかな……

 

 

「はぁ、はぁ……ノリくん、その、ど、どうだった?」

「分かりやすかった、いい説明だと思うよ」

「……ぁ! えへへ、照れちゃうな……」

 

本当に嬉しそう。

 

――まあ、いいか。僕だけがイヅナを理解してあげるっていうのも、存外悪くないかもしれないな。

 

「……おほん、前から思っていたのですが、コカムイは料理が中々出来るのですね。外の人間はみんなそうなのですか?」

 

「うーん、何度も、言うけどね、その……」と言いかけると、博士は例の事情を思い出してくれた。

 

「あー、お前に聞いても駄目ですね、イヅナは知っていますか?」

 

問いかけられたイヅナは、ゆっくり首を振った。

 

「ごめん、私、外の世界で分かるのは神社の周りのことだけだから……」

 

イヅナの記憶の中では、彼女はほとんど境内から出ていなかった。

周りが近寄らなかったから、自分から近づくことも無くなったんだ。

記憶の中には、イヅナの『寂しい』という感情が色濃く表れていた。

 

 

そうこう思い出しているうちに、いつの間にか場の空気はしんみりとしたものに変わっていた。

 

 

「ふむ、食べ終わったら何か飲み物が欲しくなりますね」

「では、紅茶を淹れさせるのはどうでしょう、博士」

「ナイスアイデアなのです!」

 

明らかに突然の提案とやや無理やりな賛成。

ともあれ、二人もこの空気を良しとしなかったらしい。

 

「じゃあ、僕が淹れてくるよ。茶葉はどこ?」

「私が中から取ってくるのです」と助手が飛んで行った。

 

 

 

助手を待っている間に赤ボスから紅茶の淹れ方を聞いていたら、キタキツネが僕に近づいてきた。

 

「あ、その……ボクも、手伝って……いい?」

 

思わぬ提案にキョトンとしていると、自分が変なことを言ったと思ったのかしょんぼりとしながら後ずさりした。

 

「……珍しい、ね。いいよ、手伝ってくれた方が有難いからさ」

「が、がんばる……!」

 

助手から茶葉を受け取り厨房に行くとき、なんとなく後ろを見た。

 

イヅナは不満そうな、妬んでいるような目で、

ギンギツネは愛おしそうな、見守るような目で、

微動だにせず、二人はその対照的な目をキタキツネに向けていた。

 

思わず、その様子を立ち止まって眺めていた。

キタキツネは僕を追い越したところで、僕が止まっていることに気づいた。

 

「……ノリアキ?」

 

キタキツネはその視線に気づいているのかそうでないのか、しかし振り返ることなく進む。

 

「ううん、なんでもないよ」

 

 

本当に平和で、もう何も起きない()()が待っているはず。そう思っていた。

昨日の雪山での光景や、先のキリンとの出来事で、僕は忘れていたのかもしれない。

 

この島に来てから、僕が目覚めてからずっと……僕が体験してきた日常は、非日常であったことに。



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5-60 すっぱい想いをまぜてとかして

 

「むむう……」

 

茶葉とティーポットを交互に眺めて、キタキツネが不思議そうな顔をしている。

 

「あれ、どうしたの?」

「紅茶って、ホントにこの葉っぱからつくれるの……?」

 

今度は茶葉と本にある紅茶の写真を見比べ、信じられないといった表情でこちらを見た。

 

「一回淹れてみれば分かるって」

 

とはいえ、紅茶を淹れた経験なんてない。淹れ方に関しては赤ボスに全幅の信頼を寄せて、やるだけやってみることにしよう。

 

 

 

「ええと、まずは水を汲んで火にかける……」

「沸騰シタラ、スグニ火カラ離シテネ」

 

「わあっ!? ひ、火……?」

「あ、ごめんキタキツネ、沸かすときは離れてていいよ」

 

やっぱり、フレンズは火が苦手な子が多いんだな。

 

「ノリアキは、平気なの?」

「あはは、まあね」

 

僕はキツネの姿でも火が怖くない。イヅナも火は平気だ。

狐よりもヒトに寄っているからかな。イヅナに関しては、狐火を出すような妖怪が火を怖がると言うのも変か。あれ、霊だったっけ。

 

「それにしても珍しいね、キタキツネが手伝いたいって言うなんて」

「そう……かな?」

 

キタキツネはお世辞にも活発な性格ではない。別に活発なのが良いというわけではないが、我先にと手を挙げるのを見れば、何かあるのかと勘繰りたくなる。

 

「ボク、ノリアキに何も恩返ししてなかったから……」

「恩返しって、何か……あの時の?」

 

一番に思いついたのは、例のセルリアン騒ぎの時に助けたことだ。

 

「そ、それもあるけど……」

 

何かを言いかけて口ごもるキタキツネ。

その姿を見て一瞬、イヅナのようにテレパシーが使えたら、と思ってしまった。

僕も、なんだかんだ言ってテレパシーの存在に甘えようとしているのかもしれない。

 

「他に何かしたかな?」

「えと、その、ゲーム……」

 

……なるほど。

 

「そっか、研究所から持って来たゲーム機の――」

「そ、そうじゃなくて!」

 

珍しくキタキツネが声を張り上げ、僕の目の前までやってきた。

数秒経ち、キタキツネは我に返ったように元の調子に戻った。

 

「あ、ごめん……大きな声出しちゃって……」

「いいよ、僕もおかしなこと言っちゃったみたいだし、その、続き、聞いてもいい?」

 

キタキツネの気持ちを汲み取れなかった、本当にまだまだだ。

 

「うん……ノリアキと一緒にゲームができて、とっても楽しかったから……ありがと、って伝えたくて」

 

「一緒にかあ……他の子とやったりとかはないの?」

 

薄々そうとは思っていたけど、案の定キタキツネは首を振った。

 

「ないよ……初めは興味を持ってくれる子もいるけど、みんな一回きりで飽きちゃう。だから、ずっとゲームで遊んでくれる人は、ノリアキが初めてなんだ」

「……そうだったんだ」

 

キタキツネも、ずっと寂しい思いをしてたんだ……イヅナのように。

初めて、キタキツネの感じていたことを、言葉で聴くことが出来た。

 

前に彼女のそれらしい感情を目の当たりにしたのは温泉の……

ああ、なんで好き好んで嫌なことを思い出そうとするのか。

このことについてこれ以上考えていると、目の前のお湯のように沸騰してしまいそうだ。

 

「僕も、キタキツネとゲームするのが――」

「ノリアキ、”お湯”ガ沸イタヨ」

「………ありがと」

 

どんな時でも、どんな雰囲気になっても仕事を全うする有能ロボット赤ボスの呼びかけで、僕はすでにお湯が沸いていることに気づいた。

 

「……っ! 火だ……」

 

さっきは夢中で火に気づかず僕に近づいたキタキツネも、気づいて怯えながら後ろに下がった。

 

 

 

「じゃあ、このお湯をティーポットに……」

 

残念ながらティーバッグじゃないから、茶こしを使って茶葉が入らないように慎重に入れる。

 

「葉っぱは入れないの?」

「あはは、入れたら飲みにくくなっちゃうよ」

 

本当に葉っぱを入れたことはないから、実際のところは分からないけど。

 

程なくして、ティーカップは紅茶でいっぱいになった。

 

「後は、これをカップに注ぐだけだね」

「あ、ボクがやりたい。まだ、何もしてないから」

 

「それもそうだね、じゃあ後はお願いしようかな、赤ボス、カップへの注ぎ方を適当に再生して」

「マカセテ」

 

赤ボスがキタキツネに注ぎ方を教えている。

フレンズへの過干渉は厳禁というルールがあるから、『注ぎ方の音声を再生する』という体を取っているけど。

 

さてどうなるかなと見ていると、キタキツネはこっちに向かってきた。

そして僕の体を半回転させ、背中を押して厨房から追い出そうとする。

 

 

「え、ええっ?」

「後はボクがやるから、全部任せて?」

「そ、そう言われても……」

 

キタキツネが背中を押す力がなくなり、僕は振り返った。

 

「いいから、任せて?」

「……大丈夫?」

「うん、ボクがしっかり持っていくから」

 

真っすぐに僕を見つめる目はとても真剣だった。

だけど、その目を見ていると、威圧されるような心地でもあった。

 

「……分かった」

 

まあ大したことではないからと、結局キタキツネに仕上げを任せて僕はみんなの所へと戻った。

後から思えば、ここで無理を言ってもキタキツネを見守っていれば、それから起こることを止められたんだ。

 

――だけど、止めることが正しかったと言い切ることは出来ない。

 

 

 

 

「おや、紅茶はどうしたのですか?」

「キタキツネがすぐに持ってきてくれるよ」

 

そう伝えると博士は不安げな顔になった。

 

「大丈夫なのですか、少しどんくさそうですが」

「あはは、せめておっとりって言ってあげて?」

 

「……もってきたよ」

 

お盆に乗った6つのティーカップ。

少しよろめいて、中の液体もユラユラ揺れている。

 

カップは丁寧な円の形に並べられ、まるでリボルバーの弾倉のようだ。

そのせいなのか、ふと頭にロシアンルーレットという言葉が浮かんだ。

 

「ありがと、じゃあ……」

「……ボクが配っていい?」

 

ここまでやらせたなら、と配るのもキタキツネに任せた。

今更僕が配っても何ら変わりはしないだろう。

もう、()()()は仕込まれていたのだから。

 

 

間もなくして、全員に紅茶が配られた。

 

「ふむ、見た目は悪くないのです」

「これが紅茶なのね……」

 

「不思議な匂い……」

カップを持ち上げ、イヅナはそう言った。

 

「いただきます」

 

紅茶を一口含んで、飲み込んだ。

おいしい。アップルティーじゃないのが残念だけど。

 

「じゃあ私もいただきまーす」

 

続けてイヅナも紅茶を口にした。

そして、それは起こった。

 

「っ……!?」

 

イヅナの体が突如硬直した。

ティーカップが地面に落ち、中の紅茶が撒き散らされた。

 

思わず体が動き、崩れ落ちたイヅナに駆け寄っていた。

「イヅナ! 何か――」

「す、すっぱーい!?」

 

「……え?」

 

何が起きたのか、イヅナが何と言ったのか、理解するまでにコンマ一秒遅れてしまった。

みんなも、イヅナが何を言っているのか分からないようだ。

 

「すっぱい……のですか?」

「私のは、そんな味じゃないけど……」

 

どうやらイヅナの紅茶だけが変な味だったようだ。

なんでだろう。確かめようにも、もう紅茶は土にじっとり染み込んでいる。

 

「うぇ、けほっ、こほっ……」

 

イヅナは何度もせき込んでいる。見ていていたたまれない。

 

「どうしよう、口直しでも……」

 

と手を伸ばして掴んだのは僕のティーカップだった。

 

「あー、でも飲みかけ……」

「の、ノリくんの飲みかけ!?」

 

イヅナは突然元気に動き出し、持っていたカップを慎重にひったくってガブガブとボクの飲みかけを飲み干した。

その時に気管に入ったのか、またゴホゴホ咳をしている。

だけど、さっきよりはマシになったようだ。

 

「……やれやれ」

 

 

その後は特に何もなく、飲み切ったカップや道具を片づけた。

ここでもキタキツネは積極的に手伝ってくれた。

横でキタキツネがカップを洗っているのを見ると、なんだか妙な気分だ。

 

「でも、一体なんでイヅナのだけ……?」

 

答えは殆ど分かっているはずなのに、独り言のように僕はそう言った。

 

「……日頃の行いが悪いからだよ」隣でキタキツネが言った。

 

僕は彼女に何も言うことが出来ず、そのまま片づけは終わってしまった。

その後、僕は調味料が置いてあるところを調べた。

 

「やっぱり、減ってる……」

 

僕の予想通り、酢が入った瓶はその量を減らしていた。

更に言えば、博士が離して置いた酢の瓶は再び他の瓶の中に紛れていた。

 

恐らく、イヅナの紅茶だけに酢を入れたんだ。

そして酢を入れられるのも、酢が入った紅茶をイヅナに渡せるのも……

 

「はぁ……」

 

憂鬱な気分だ。

彼女は、どうしてこんなことをしたのだろう。

必死で記憶を辿るうちに、一つ思い出した。

 

博士が酢を飲んだ時、遠くから彼女がこちらを見ていたことを。

もしかしたら、それを飲んだ博士の反応を見て、嫌がらせをしようと……?

もし今日紅茶を淹れなくても、いずれこうなったのかどうかは分からない。

 

だけど、例えば、酢じゃない、もっと危険な毒のようなものが手元にあったら、キタキツネは……それを入れるのかな。

 

「はは、まさか、そんなわけ……」

 

恐ろしい想像がグルグルと頭の中を駆け巡る。

根拠なんてない、ただの想像だ。

だからこそ、根拠を以て否定することもできなかった。

 

 

「ノリくん、どうしたの?」

「イヅナ……!」

 

気づいたら後ろにイヅナがいた。

まずい、イヅナに感づかれるわけにはいかない。

もしこれを知ったら、一体どんな行動に出るか分かったものではない。

 

「な、なんでもないよ」

 

テレパシーで読み取られないように全力で念じながらそう答えた。

 

「本当に? ううん、嘘でしょ。隠そうとしてるのバレバレだよ」

 

やっぱり隠し事はできないか。

でも、読み取られさえしなければ、()()隠そうとしてるかまでは分からない。

 

せっかく丸く収まろうとしてるんだ、ここで騒ぎを大きくだなんてしたくない。

 

「あ、はは……気のせいだって」

「様子が変だよ、何を隠してるの? 私に話してよ」

 

 

ダメだ、ようやく平穏になろうとしてるんだ。

 

今日はもうロッジに戻って、またかばんちゃんやサーバルとかとも一緒におしゃべりをするのも悪くない。

 

そうだ、久しぶりに砂漠に行って、ツチノコと外について話すのもいい。

 

ジャングルに行って、じっくり見て回るのも悪くない。

 

平原で、お城とかお屋敷のするのも乙かもしれない。

 

だから、だから……

 

 

「あ、分かった! キタちゃんなんでしょ? 私の紅茶をあんなのにしたの」

「ち、違う……」

 

「もう、なんでそんなに青ざめてるの? 私怒ってないよ。あのおかげでノリくんの飲みかけがもらえたんだから!」

 

そうだ、怒ってない、もうひどいことなんてしないはず。

嫌がらせって言っても、可愛いものじゃないか。気にする必要なんてない。

ないんだよ、なのに、笑う膝が、早くなる拍動が抑えられない。

 

 

「だから私、キタちゃんにお礼してこないと――」

「っ、やめて!」

 

イヅナがどこかへ行こうとしているわけではなかった。

なのに、僕はイヅナの手首を掴み、どこにも行けないように引き留めた。

 

「……あはっ、うれしい」

 

かなり強い力で握っているにも拘らず、表情を歪めることはなく、痛みを我慢している様子もない。

むしろ、口角を吊り上げ顔をほころばせている。

 

「……とにかく、僕が話を付けるから、イヅナはロッジに帰ってて」

「そこまでキタちゃんをかばいたいの?」

 

「……話は、聞かなきゃ」

「わかったよ、ノリくんはそういう人だもん。今日はロッジでノリくんを想いながら一人で寂しく寝ることにするね」

 

「……別に、話が終わったら戻るよ」

 

 

 

キタキツネたち二人を連れて雪山に戻ろうかというその時、博士に袖を引っ張られた。

そのまま連れられ、離れたところで話をした。

 

「コカムイ、あの紅茶のことですが……」

「……ああ、災難だったね」

 

「ですが、あんなことが出来たのは……、っ」

 

咄嗟に手を出して博士の言葉を止めた。

 

「大丈夫、どうにかするから」

「いつもそんなことを言って、お前は……ちゃんと私の目を見て話すのです!」

「…………」

「そうですか……もう、知らないのです」

 

行ってしまった。

代わりに助手がこちらにやってきた。

 

「博士は拗ねているだけですから、心配はいりませんよ。……ですが、他に言い方はあったはずです」

 

「……うん、次に来たら、謝るよ」

 

助手にも、目を合わせることができなかった。

 

 

……ああ、僕は何をして、何を守ろうとしているんだろう。

協力してくれるはずの博士に対して、何もかも隠してばっかりだ。

 

このままでは、自分をも見失ってしまう。

そう思っていても、博士を追いかけて謝りに行くことはできなかった。

 



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5-61 目を見て、真を読み取って

 

「……どうしたの?」

「き、キタキツネ……」

 

雪山の宿、右を見れば白銀の景色が一望できる廊下で、僕とキタキツネは向かい合っていた。

雲から顔を出した半月の光が、廊下の床に二人の影を作っている。

 

「今日の、紅茶のことだよ。……キタキツネが入れた」

「……あれのこと?」

 

人差し指を頬に当てて、首をかしげてすっとぼけている。

今でも信じられない、キタキツネを追及するなんて……

いや、責め立てるわけじゃない、ただの事実の確認だ。

 

「うん、イヅナのにだけ、別の何かが入ってたんじゃないかな、って思ってさ」

「……そうなの?」

 

紅茶に他の物が入っていたか、キタキツネが分からないわけはないのに。

 

「ティーポットには入れられないから、カップに酢が入れられたんだと思う」

「そっか、イヅナちゃん、気の毒だったね」

 

まだ、白を切っている。

キタキツネは、僕が感づいたと気づいているはずなのに。

 

「キタキツネだけだよ、酢を入れることができたのは」

 

「……ばれちゃった?」

 

笑った。屈託もなく、邪念もなく、ニッコリと、純粋に。

でも、確かにその目には普通でない想いが込められている。

 

髪型も髪の色も、目の色も、服装も体形も違う。

それなのにキタキツネにイヅナが重なって、僕はその面影を幻視した。

 

「……っ、うぅ……」

 

急なめまいに襲われた。

キタキツネの中にある感情を、改めて強く認識したせいだろう。

立っていられなくなり、膝をついた。

 

「ノリアキ、だいじょうぶ?」

 

心配するような言葉と共に歩み寄ってくる。

しかしその声色に焦りの色はなく、本当に心配しているのかは分からない。

あるいは、自分ならどうとでもできると思っているのか。

 

「ん、気にしないで、それより、なんで……?」

「それは……なんかいやだけど、イヅナちゃんと同じだよ」

 

「イヅナと、同じ?」

「うん、ずるいって思っちゃったんだ。ノリアキと、イヅナちゃんが仲良くしてるのが」

 

その言葉を聞いて、キタキツネに重なって見えていたイヅナのような面影が鮮明になり、イヅナとは形を変えて僕の目に焼き付いた。

それでも、キタキツネが持つ感情はイヅナと似通っている。

 

イヅナはキタキツネを疎ましく思いセルリアンをけしかけ、

キタキツネはイヅナへの妬みで紅茶に酢を入れた。

 

実際にやったことの規模は全く違う。

しかし、もしキタキツネにセルリアンを操ることができたら、間違いなくイヅナと同じことをすると直感した。

 

 

「……なん、で」

「……? きこえなかったの?」

 

「そうじゃなくて、どうしてこんな、嫌がらせみたいな……」

「うーん……どうしてかな?」

 

首を左右にこてん、こてんと交互に傾げ、ゆらゆらと長い金髪を揺らした。

穏やかに微笑んでいるが、その表情は困っている。

 

「わかんない、どうしてなの、ノリアキ?」

 

キタキツネが僕に迫り、更に距離が縮まった。

少しでも体を前に出せば、体がぶつかってしまうだろう。

 

「……っ!」

 

キタキツネは腕を伸ばしたが、僕に触れた途端にさっと手を引っ込めた。

その代わりに、更に一歩隙間を縮めた。

 

顔を見ると頬が紅潮していて、息が荒くなり肩を大きく上下させている。

キタキツネがすぐ近くにいるせいで、前髪が目を覆いその隙間から目が見える。

しかしそれが、却って彼女を艶やかに見せた。

 

「ち、近いよ……?」

 

絞り出すようにそう言うのが精一杯で、キタキツネを押し戻す気持ちも自分が一歩引く元気も湧いてこなかった。

 

「ダメ?」

 

そう尋ねながら、キタキツネは両腕を僕の背中に回した。

そのまま体を強く僕に押し当て、胸に顔をうずめた。

 

「えへへ、あったかい」

「そりゃ、雪山の空気と比べたらね……」

 

僕は何を言っているんだ。

そうじゃなくて、今のこの状態はまずい。

 

「ずっと、このままがいい……ねえノリアキ、なんでなの?」

 

キタキツネの心音が伝わってくる。

それに共鳴して、僕の心臓もドクドクと鳴る。頭がガンガンと鳴る。

 

「……それは」

 

僕は知っている。少し前にも、ついさっきにも、思い知らされたばかりだ。

でも、キタキツネに言っていいのか、僕が、していいことなのか?

 

 

 

「――きっと、疲れてるんだよ、色々あったからさ」

 

結局、僕は誤魔化すことにた。

もしかしたら、全部僕の思い違いかもしれない。

 

キタキツネはものぐさで、多くのことをギンギツネに頼っている。甘えん坊とも言い換えることが出来るだろう。

今日は珍しく外出して図書館まで行った。

その疲れが出て、甘えん坊な性格が僕に対しても出てしまったに違いない。

 

……ほら、言い訳や理由なんて、いくらでも用意できる。

 

「……そうなの?」

 

それでも、キタキツネは納得がいかない様子だ。

 

「あはは、そうだって」

「…………」

 

未だ釈然としないキタキツネだが、ある程度我に返ったようで赤面しつつ腕を解いて僕から離れた。

 

「キタキツネ、一つだけ約束して? もうあんなことしないって」

「……うん、約束する、もう、イヅナちゃんにあんなことはしない」

 

ああ、何かしたわけでもないのに疲れた。

ひとまず、この言葉を聞くことが出来ただけ安心というものだ。

 

「……行かなきゃな」

 

キタキツネの方を向くと、俯いているのが見えた。

前髪に隠れてその表情を読み取ることはできない。

 

「帰っちゃうの?」

 

顔を上げることなく尋ねてきた。

 

「終わったらロッジに戻る、ってイヅナと約束したから」

「……そう」

 

彼女は口惜しい声色で、ポツリとそう言うのみだった。

僕は戻る前にギンギツネにも一声かけようと屋内に入った。

 

……もしこの時振り返ってもう一度キタキツネの目を見ていたら、そこに宿る真意を読み取ることが出来たはずだ。

例え分かったとして何ができたかは分からない。

それでも、僕が一度気づいたはずの狂気を見落としたことに変わりはないだろう。

 

 

「じゃあ、僕はロッジに戻るよ」

「でももうこんなに暗いわよ、泊まっていけばいいじゃない」

 

「うぅ、ごめん、イヅナの約束だから」

「……そう、なら仕方ないわね」

 

ギンギツネは残念そうだが、それとは何か別の思惑があるようにも感じ取れた。

 

「それじゃ、また」

「ええ、今度は博士にもらった紅茶をごちそうするわ」

 

どうやら彼女は紅茶の味を気に入ったらしい。

こうざんに続き、ジャパリパークに紅茶文化が広がりつつある。

僕が感じた()()とは、これのことだったのかな。

 

 

 

「……あはは、すっかり暗くなっちゃった」

 

飛ぶためにキツネの姿になり、赤ボスを片手に抱え脚に力を込め今飛び立とうかというその瞬間、後ろから服の袖を引っ張られた。

 

「うわわ……な、何?」

 

ほとんどが忘れているだろうけど、今着ている服は和服だ。

洋服よりも、袖を引っ張られたときに崩れてしまう。

 

崩れた服を整えながら振り返ると、そこにいたのはキタキツネだった。

 

「……キタキツネ?」

「え、えと……一緒に行っちゃ、ダメ?」

 

しどろもどろになり、手を()()()()と振りながらキタキツネが尋ねた。

 

「まあ、僕は構わないけど……ギンギツネはいいって言ってた?」

「……ぅ」

 

露骨に目を逸らしたのを見るに、何も言わずに出るつもりだったらしい。

それにしても、黙って外出しようとする行動力があるとは驚きだ。

それも、もしかしたら……

 

「あら、こんな所にいたのね」

 

宿の中からギンギツネが出てきた。

キタキツネを探していたらしい。

 

「ギンギツネ……」

「ほら、戻るわよキタキツネ」

 

「えー、でも……」

「……? どうしたの?」

 

宿の中に戻ろうとしないキタキツネを怪訝に思っているようだ。

ここは、僕が助け舟を出すべきだろうか。

 

「待ってギンギツネ、キタキツネは……むぐ」

 

フォローに入ろうとしたところでキタキツネに手で口を塞がれた。

 

「その……ボク、ノリアキについていきたい」

「んぐ……はぁ……らしいけど、いいの?」

 

ギンギツネは大層驚いている。無理もない、僕もキタキツネがこんなことを言い出すなんて夢にも思わなかった。

勿論、紅茶に酢を入れたりするとも全く思っていなかった。

 

「……いいじゃない。行ってらっしゃいキタキツネ、怪我だけはしないようにね?」

 

少しでも、心配したりどうするか考え込んだりするかと思っていたら、案外即決でゴーサインを出した。

むしろ、ギンギツネの笑顔は心配事が解決した時のように明るかった。

 

「……コカムイさん?」

「……! ああ、行っていいんだね」

 

こちらの言葉を待たぬほどの速い決断に度肝を抜かれ、反応がコンマ一秒遅れてしまった。

 

「じゃあ、キタキツネをよろしくね」

 

「わかった……じゃあキタキツネ、赤ボスを持っててくれる?」

 

赤ボスを手渡すと、何も言わずコクリと頷いて両腕で抱えた。

続けて、赤ボスを持ったキタキツネをお姫様抱っこの形で抱え上げた。

 

「行ってらっしゃい」

「……いってきます」

 

僕に抱えられたまま、キタキツネは手を小さく振った。

 

 

 

「……しかし、どうして一緒に行きたいなんて?」

「……」

 

キタキツネは答えない。視線は遥か下の地面に向いている。

とはいえ、下を見るには首を真横以上に曲げる必要があるから辛そうだけど。

 

「下が見たいの?」

「……気になるだけ。見るのは、こわい」

 

「あはは、それもそっか」

 

今の高度は大体50メートル前後か。

結構飛んだから僕は慣れてきたけど、キタキツネは二回目だ。

それに自分で飛んでいるわけじゃないから、怖いのも仕方ない。

 

「……えっと」

「…………」

 

話すことがなくなっちゃった。

イヅナはあっちの方からわんさか話題を出してくれるから話には困らなかったけど、キタキツネはやっぱり無口だ。

 

「ふふ……」

 

というより、何もせずとも今のこの状態が彼女にとっては心地の良いものなのかもしれない。

 

時折僕の白い狐耳に向けられるねっとりとした熱い視線には、何度も背筋が凍りそうになったけどそれも仕方ない。

あの時温泉でされたことの感覚が未だ耳に残り、例の()()の度に激しく蘇るのだから。

 

「あ、そういえばゲームは持ってきてる?」

「む……ボクが忘れると思うの?」

「……あはは」

 

三度のジャパリまんよりゲームが好きなキタキツネのことだ。

あの携帯ゲーム機はお風呂の時以外四六時中肌身離さず持っていてもおかしくない。

 

「ずっと持ってるの?」

「……うん。だって、ノリアキがくれたから」

 

その言い方だと、少々ニュアンスが異なってきそうだ。

 

「そろそろ、ロッジに着くよ」

 

ゆっくりと降り立った。時間にして数十分だろうか。

キタキツネは名残惜しいようで、降ろそうとしても動く気配がない。

 

だったらもう少しこのままでもいいかな、と思っていたけど、それを良しとしない者がいた。

 

「……っ! お、降りてキタキツネ!」

「えー……? ……わかった」

 

なんとなく急いでいることは理解してもらえたようで、渋々だけどキタキツネは降りてくれた。

その直後、ロッジの扉が開けられた。本当にギリギリだった。

 

 

「ノリくーん!」

 

ロッジから飛び出してきたイヅナは、文字通り一直線に僕に飛びつき抱きついた。

 

「思ってたより遅かったね、どうしたの?」

 

それはキタキツネを連れてきたから……と答えたい。

しかし答えられない、なぜか。

 

「イヅナ、く、苦しい……」

 

イヅナの抱きしめ方があまりにも強く、声がうまく出せないからだ。

しかも、こんな時に一番役に立つべきであろうテレパシーは使えず、イヅナが読み取ってくれる気配もない。どうしてだ。

 

しかも、後方から送られてくる視線が恐ろしい。

具体的に言えば、キタキツネがいる方向から送られている。

 

「ノリくん、ノリくん……! ……ん?」

 

腕の力が弱まった。どうやらキタキツネに気づいたらしい。

 

「けほっ、うぅ……」

 

イヅナの腕から開放された僕は、その場に崩れ落ちた。

 

「あれ、キタちゃん、どうして来たの?」

「……ボク、来ちゃダメだった?」

 

お互いに激しい言葉はない。

しかし、声の中には押し殺した刺々しさが見え隠れしていた。

 

「……あはは、とにかく、一度中に入ろ?」

 

僕の言葉を聞いて、一応は納得した様子で二人とも建物に入ってゆく。

 

ただ入るだけなのに、どこか牽制しあっているような動きをしていた。

それを見て、ここから前途多難な日常が待ち受けているんだろうな、と今更ながらに感じたのだった。

 



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5-62 その心、火気厳禁につき

 

ロッジに入ると、ほとんどいつも通りの光景が広がっていた。

 

かばんちゃんとサーバルがジャパリまんを食べ、アリツさんは部屋をあちこち駆けずり回っている。オオカミは原稿を仕上げているみたいだ。

 

唯一違うのはキリンで、彼女だけロッジにはいなかった。

後から聞いたところによると、”みずべちほー”に泊まり込みで()()に行っていたらしい。

全く、相変わらずの熱意だなと感心させられる。

 

 

入ってきた僕たちに気づいたサーバルが、ジャパリまんを口にくわえて両手にジャパリまんを持って駆け寄ってきた。

 

「はふっ……もぐもぐ、ほはえりー! やはいあんあえう?(おかえりー! ジャパリまんたべる?)

「ありがと、でも飲み込んでから喋ってくれないと、何言ってるか分かんないよ?」

 

僕の言葉を聞いて、サーバルは勢いよくジャパリまんを飲み込んだ。

勢いあまって喉に詰まらせあわててかばんちゃんに水を求める様子は、傍から見ると賑やかで微笑ましい光景だった。

 

 

「ハハ、サーバルは変わらないね……ところでコカムイくん、一ついいかな?」

「ああ、キタキツネのこと? 『行きたい』って言われたから連れてきただけだよ」

 

この一言だけでオオカミは何か心当たりを得たらしく、所謂『いい表情をいただいたときの顔』でキタキツネに向けて問いかけた。

 

「へぇ……一体どうしてだい?」

 

「ふぇ、ぼ、ボクは別に……」

 

「ふ、ふふふ……恥ずかしがることはない、さあ、話してみたまえ」

 

その質問はキタキツネにとって痛いところだったようで、フルフルと小刻みに首を振りながら後ずさりし、そっぽを向いて逃げ出してしまった。

 

「おやおや、怖がらせてしまったかな」

「……程々にしてね」

「心配はいらない、心霊現象に深入りしたら碌な目に遭わないと知っているからね、引き際は心得ているさ」

「そ、そっか……」

 

キタキツネのあの反応は心霊現象とは違うと思うけど、まあ物の例えだろう。

僕としても深入りされたい事情ではないから、早めに見切りをつけてほしいものだ。

 

 

でもせっかくキタキツネが遠出したんだから、ロッジに籠っているのは味気ない。

一緒にどこかに行こうと思ったけど、本人がいないところで進めるのもよくないか。

そう思った僕は、キタキツネが戻ってくるまで適当に雑談をすることにした。

 

「今日は図書館で何を?」

「きつねうどんっていう料理と、あと紅茶を飲んだくらいかな」

「あ、うどんって言う料理は一度本で見ました! ……その時は断念しちゃったんですけど」

 

「紅茶! そうだよ聞いてよかばんちゃん、私の紅茶にむぐっ!?」

 

流れに乗ってとんでもないことを口走ろうとしたから、ハンカチで口を覆った。

別にクロロホルムとかは含ませていない。

 

「はいはい、それは喋っちゃダメだよ」

「むぐ、んぐー!」

 

「えっと、何かあったんですか?」

「あー、気にしないで、大したことじゃないから」

「はあ……そうですか?」

 

若干不審に思っているようだけど、それ以上の追及はしてこなかった。

 

「それよりも、かばんちゃんは最近どう? ……えーと、この島の外のこととか?」

 

話を逸らすつもりっだったが、言っているうちによく分からない話題にしてしまった。

 

「外……行ってみたいとは思ってるんですけど、少し怖くて」

「……海のセルリアンのことだね」

 

僕は直接見たことがない。だけど、かばんちゃんは勇気がある部類に入る。

そのかばんちゃんが怖いと言うくらいだ、並大抵の存在じゃないのだろう。

 

「……イヅナは何か知らない?」

「うぇ、私? ……あー、そっか」

 

あの時船を運転していたのは僕にとり憑いたイヅナだ。

話に聞くアクロバティックな運転もイヅナがしたものだから、彼女に聞けば何か手掛かりがつかめるかもしれない。

 

「でも、本当に突然だったから……えーと、確か腕がいっぱいで、本当に早く動いて大きくて、でも”石”は水面に出してなかったよ」

「やっぱり、水が平気ってなると段違いに厄介だよね」

 

いつかは、そいつと対峙することになるかもしれない。

それまでに、どうにかそいつを退治する方法を見つけなければ。

……駄洒落じゃないよ。

 

 

それと今更ながらに気づいたが、キタキツネが曲がり角の陰に隠れ、顔だけを出してこちらの様子をうかがっている。

 

「……キタキツネ?」

「…………」

 

何も言わずに、キョロキョロと辺りの様子を確かめている。

その目線がオオカミに合うと、ビクッと飛び跳ねて頭も隠してしまった。

 

「はっはっは、随分と警戒されているようだね」

「他人事みたいに言ってるけど、オオカミさんを怖がってるよ?」

「うーむ、別に食べたりはしないけどねぇ……」

 

それでも待っていると、トボトボと、時折オオカミを見て尻込みしつつもこっちに来て、迷わず僕の隣の椅子に座った。

……オオカミから遠い方の椅子に。

 

「ふふ、なるほどねぇ……」

「怖いよ、助けてノリアキ……」

 

オオカミの仕草にますます怯えたキタキツネは、僕の腕にしがみついた。

オオカミは得意げに微笑み、イヅナはそれを忌々しげに見ている。

 

「と、とにかくさ、明日から何するか決めようよ、ずっとロッジにいても暇でしょ?」

「……別に」

 

そっぽを向いたキタキツネに、これ以上ないくらい無愛想に返された。

あれ……これはつまり、外に出たくないってことかな?

 

「えぇー、じゃあロッジにいるの……?」

「……ノリアキが一緒にいれば、散歩くらいなら」

 

どうやらキタキツネにロッジから離れるつもりは無いらしい。

まあ、キタキツネがそう言うなら、ロッジでゆっくりするのも悪くはないか。

今まではゆっくりできると思った途端に新しいトラブルが舞い込んできた訳だし、これくらいは別に構わないだろう。

 

「ダメダメ! そんなのダメに決まってるって!」

 

すると、意外にもイヅナから文句が飛んできた。

 

「……休んじゃダメなの?」

「え、ええ? なんでノリくんまでキタちゃんの味方になってるの!?」

 

味方というより、キタキツネの意見に思うところがあったり、それもそうかと納得させられたりしただけ、なんだけど……

 

「ノリくんをたぶらかすなんて……! こ、この女狐ぇ……」

 

イヅナが小声であらぬ誤解をささやいている。

というより女狐って……あはは、イヅナもじゃないか。

 

「でも大丈夫、私が目を覚ましてあげるからね……?」

 

しかしイヅナは立ち直りも早いようで、けろっと元の表情に戻ると、キタキツネと同じように僕の隣の椅子に座った。

むしろ、なぜ今まで隣に座っていなかったのか、という方が不思議でならない。

 

 

「イヅナちゃん、おかしなこと言ってる。そっとしておいてあげよ?」

 

キタキツネはこれが好機とばかりに掴んだ僕の腕を引っ張って、イヅナから離れるように促した。

 

「そういう訳にもいかないよ」

 

何にせよ、ロッジに引きこもるのも良くないしなあ、どうにかキタキツネの興味を引くことが出来れば良いんだけれど。

 

ゲームなら言うまでもなく興味を持ってくれるに違いないんだけど、そう上手くは……いや、名案がある。

少なくともキタキツネを連れ出すことにおいてなら、これ以上ない殺し文句があるではないか。

 

「研究所に行こうよ、あのゲーム、研究所から取ってきたんだよ。まだ何か残ってるかも」

「ゲームが、あるの……!?」

 

予想通り、大きく食いついてくれた。

最近の出来事のせいで幾分かキタキツネの印象が揺らいでしまったけど、ゲームが好きという点だけは今でも疑う余地がない。

 

「詳しくは知らないけど、他にもゲームソフトがあるかもだよ」

「じゃあ、行ってみる……!」

 

まんまと釣られたキタキツネ。ともあれ、これで研究所にもう一度行くことが決まった。

今度は、前に読めなかったものをどんどん読むことにしよう。

 

 

さて、話しこんでいるうちに随分と遅くなってしまったようだ。

 

「じゃ、そろそろ寝ようかな……」

「ノリくん寝るの? だったら――」

 

「イヅナも、また明日ね~」

「……はーい」

 

事あるごとに一つの部屋で寝ようとしてくるから、油断も隙もありゃしない。

 

寝てる間に忍び込んだりはしてないから、そこはありがたいけど、まさか僕が起きる前に抜けだしたり……してないよね、そう信じたい。

 

「キタキツネも、おやすみ」

「おやすみ、ノリアキ♪」

 

キタキツネはやけにウキウキだ。

こんなにはしゃいでいたら、今日の夜は眠れないんじゃないかと不安になる。

 

……ま、眠くなったら寝るよね。

 

今この場で一番眠気を催している僕は、早足で部屋まで行き、布団をかぶって眠りについた。

 

 

 

 

 

――そして、これはコカムイが眠りについた後のロビーでの出来事である。

 

ロビーに残されたキタキツネは、椅子に座り足をゆらゆらと交互に揺らしていた。

同じく残されたイヅナはコカムイがいなくなるとすぐに部屋に行ってしまい、かばんとサーバルも同様に”みはらし”へと向かってしまった。

 

そんなこんなで、今ロビーにはキタキツネとオオカミだけがいる状況だった。

アリツカゲラは……ロッジのどこかにはいるだろうが、今からの話には関係のないことだ。

 

「みんな行ってしまったようだけど、キタキツネくんはまだ寝ないのかい? 」

 

「……オオカミさんはどうなの?」

 

キタキツネはオオカミの質問に答えずに聞き返した。

体をオオカミに向けておらず、まだ警戒していることが窺える。

 

「私は、もう少しこれを描いてからにするよ」

 

「……でも、紙が裏返し」

 

ゲームで鍛えたのかどうかは定かではないが、キタキツネは洞察力がそれなりにあるようだ。

 

キタキツネの指摘する通り、オオカミは先ほどから原稿の紙を裏返しにしていて、続きを描くつもりはないように見える。

 

「ハハハ、キタキツネくんは目ざといね、キリンくんの助手になってもらいたいくらいだよ」

 

冗談交じりにオオカミは言葉を返した。

 

「……ホントは何がしたいの?」

「なに、大したことじゃない、キミと話がしたいんだ」

「……!」

 

オオカミの言葉に、キタキツネは大きく反応した。

所々体をこわばらせて、息を呑んでオオカミの次の一言を待っている。

 

「緊張しなくていい、少し、コカムイくんについて話そうじゃないか」

 

コカムイの名前を聞いて、キタキツネの目の色が変わった。

さらに毛を逆立てて、今にもオオカミに飛び掛かりそうな気迫だ。

 

「ふふ、キミは素直な子だね……」

 

およそ殺気と言っても過言でない視線を浴びながらも、オオカミは何でもないように話を続けている。

しばらくして必要ないと悟ったか、キタキツネから放たれる威圧感は鳴りを潜めた。

 

オオカミはそれを待っていたかのようにすかさず口を開いた。

 

「単刀直入に聞こう、キミは、コカムイくんをどう思っている?」

「ど、どう……?」

 

おそらく、キタキツネにもコカムイと過ごして感じるところはあるだろう。

しかし彼女は、その感情を一言で表す言葉を知らない。

ましてや、今までの殆どを二人きりの宿で過ごしてきたキタキツネが、()()()()を知り得るはずはなかった。

 

 

「答えにくいならそうだ、どんな気持ちになったかとか、何をしたいと思ったか、とか。バラバラでもいい、聞かせてほしいんだ」

 

オオカミがキタキツネにこんな質問をしているのも、別に適当な相手を選んだわけでないことは分かると思う。

 

オオカミはキタキツネがロッジに来てから今までの時間のうちに、彼女がコカムイに対して特別な感情を抱いていると感じ取ったのだ。

 

それは普段からネタを探す貪欲さゆえか、あるいは今描いている漫画の内容ゆえか、ともあれこの短時間にここまでの結論にたどり着く彼女には称賛を送りたい。

 

キタキツネも、何とか自分の中の語彙を駆使して、質問に答えている。

 

「その、ずっと一緒にいたい、一緒にいると、ポカポカする」

「ふむ……じゃあ、イヅナくんについてはどう思う?」

 

「そ、それは……」

「答えにくいかい? いいんだ、正直に、ね」

 

オオカミの言葉を聞いてもしばらく葛藤していたが、そのうちに覚悟を決めたのか彼女はゆっくりと語り始めた。

 

「……ノリアキが、イヅナちゃんと仲良くしてるのを見るの、やだ」

「ほう……?」

 

「だから、嫌なことした。紅茶に、すっぱいものを、入れた」

 

この答えには、オオカミも驚かされた。

キタキツネが、彼女自身の想いを自覚しないまま、ライバルを傷つける行為に走っている。

 

では、彼女がその想いを自覚したら?

……好奇心と恐怖心が、オオカミの心の中でせめぎあった。

 

 

 

キタキツネの心は、火のついていないカンテラだ。

 

誰かが火を点けてやることで、彼女は明かりを手に入れる。

その明かりで道を照らし、その思いを成就させるために進むのだ。

 

……しかし、そのカンテラに入った油が揮発油だったら?

 

火を点けた途端爆発的に燃え上がり、そのとめどない炎は周囲はおろか本人さえも焼き尽くしてしまう。

 

道の終点にいる、コカムイでさえも。

 

 

 

しばらくの間、オオカミは考えに考え込んだ。

時間にして数分、しかし彼女にとっては数時間に感じられただろう。

 

「キタキツネくん、それはずばり、”恋”って言うんだよ」

 

そして、オオカミは火を点けることを選んだ。

 

「……こい?」

「そうさ、彼を独り占めしたい、一緒になりたい……そう思う強い気持ちのことさ」

 

「独り占め……一緒……」

 

それを聞いたキタキツネの顔は、安心したようなものだった。

キタキツネは、ようやくこの行き場のない想いの名前を知り、その想いの先を行きつく先を手に入れたのだ。

 

「……ありがとう、オオカミ。今日は、眠れそうにない」

 

「ハハハ……そうか、体調だけ崩さないように、ね」

 

キタキツネはおやすみと告げ、部屋を目指しいなくなった。

 

 

とうとう、ここに残っているのはオオカミだけだ。

彼女は、裏返しにした原稿をめくって眺めた。

 

そのページでは、二人の女の子が一人の男の子を巡って言い争っている。

そしてその奥であたふたする自称「恋愛探偵」。

 

「……決めた。彼の話は、漫画にはしない」

 

オオカミは彼らの未来を空想し、自分の原稿と見比べて小さく笑う。

 

「ハハ、事実の方がよっぽど奇じゃないか」

 

オオカミが眺めている原稿は、まだ完成していない。

 



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5-63 レアアイテムを探し出せ!

 

今日の朝は、体にくっつく謎の感覚によって目を覚ました。

 

「ぇ……何、これ……」

 

何かが体にぴったりとくっついていて、身動きが取れない。

体から離そうとすると、しがみつく力を強めてきて少し痛い。

 

「ん……んん……!」

 

それでもなんとか引きはがすと、それが眠っているキタキツネだと気づいた。

 

「キタキツネ……? あれ、なんで……」

 

必死に思い出してみても、キタキツネと一緒に寝た記憶はない。

もしかして、僕が寝てる間に入り込んだのかな?

 

「イヅナはしないと思ってたけど、まさかキタキツネがとはね……」

 

振り解いた後もキタキツネが起きる気配はない。

穏やかな寝息を立てて、僕の代わりに布団にしがみついて眠っている。

 

「そういえば、キタキツネの部屋決めてなかったっけ」

 

行く場所がなくて、僕の部屋にたどり着いたってことかもしれない。

そう考えると、悪いことしちゃったな。

 

こんなにゆっくり寝てるなら起こすのも悪いかな。

僕は起き上がって、支度をしてロビーへと向かった。

 

「ん、ノリアキ……」

 

キタキツネが初めから僕の布団に潜り込むつもりだったことに気づけるはずもなく、この先それを知ることもないだろう。

 

 

 

起きた後は特に何も起こらず、とんとん拍子に研究所に到着した。

今日研究所を訪れたのは僕とキタキツネ、そしてイヅナの三人。

まあ、少し考えれば当然と言える顔ぶれだ。

 

「ここが研究所だよ、来るのは何日ぶりかな」

「すごい、機械がいっぱい……!」

「ふん、はしゃいじゃって……」

 

キタキツネは目をキラキラと輝かせている。

前はゲームセンターにあるような筐体でゲームをしていたから、こういう機械に関しては他のフレンズよりも興味があるんだと思う。

 

「赤ボス、研究所のシステムを起動して」

「ワカッタヨ」

 

すぐさまコンピューターが起動し、聞きなれたラッキービーストの声が部屋のスピーカーから響き渡った。

 

『こちらは、ジャパリパーク中央研究所キョウシュウエリア支部です、アクセス権は認証されています、ようこそ』

 

さて、とりあえずログインしたけどこれからどうしよう。

キタキツネには”ゲームを探す”って言ってるから、記録を色々見る前にそっちを済ませた方がいいかな。

 

「じゃ、ひとまずこれは置いといて、先に何か無いか探しに行こっか」

「うん、楽しみ……!」

 

 

前に来た時、ゲームを見つけたのは二階だった。

それを話すと、瞬く間にキタキツネは二階へと上って行ってしまった。

僕も遅れてキタキツネについていき、まず二階から探し始めることになった。

 

といっても、今更何か見つかるのかな……?

 

「ノリアキ、これ何?」

 

声のする方を見ると、キタキツネが花瓶を持ち上げていた。

 

「ああ、花瓶だよ、花はボスたちが活けてるのかな」

 

そう考えると、やっぱり研究所にも水道が通ってるってことか。

当たり前っちゃ当たり前だけど、なんとなく、通ってないんじゃないかって思わせられるのが、この島の怖いところだ。

 

 

「……なんか、ジュースが飲みたくなってきた」

「外と違って、ここには水……か、こ、紅茶……しかないものね」

 

これは、紅茶に酢を入れられたことが相当なトラウマになってるな。

絵面では地味だけど、キタキツネはかなり効果的な攻撃をしたようだ。

 

だったら、尚更別の飲み物を探さないとね。

今のままじゃ、イヅナはこの島で水しか飲めなくなってしまう。

 

「研究所って言うんだから、冷蔵庫でもないものかな……」

 

僕の探し物がゲームからジュースに移り変わろうとしたその時、襟を後ろから引っ張られた。

 

「……ノリアキ、ゲームが先」

「あはは……はーい」

 

自分で言い出しておいてアレだけど、ゲームが残っているとは思えないよ。

一体どこを探せば見つかるのやら……そんな気持ちでゲーム探しに取り掛かった僕は、キタキツネを見て驚愕した。

 

 

「……キタキツネ、何処を、探してるの?」

「こういう所に、レアアイテムがあるんだよ」

 

キタキツネはテーブルの足の裏から観葉植物の鉢の底、壁の継ぎ目までくまなく。文字通り()()()()()()探していた。

 

「……ゲーム探しも、ゲーム思考なんだね」

 

建物の細かな傷やヒビにまで目を付けるのを見ると、デバッガーかあるいは建築士ではないかと錯覚してしまいそうになる。

 

 

「全く、どうしてこんなものに夢中になれるのかな」

「イヅナもそう言わないであげて……そうだ、ジュースでも探してきたら?」

「……キタちゃんと二人きりにはさせない」

「あはは……そっか」

 

イヅナこそ、一体どうしてこんな人()にここまで夢中になってるんだろう?

……そんなことを思ってしまった。願わくば、聞かれていませんように。

 

 

それから早数十分、案の定と言ってしまってはキタキツネに悪いが、やはりゲームに関係する物は見つからなかった。

 

「……無かったね」

「おかしい、ノリアキ、嘘吐いたの?」

 

僕に詰め寄るむくれっ面のキタキツネ。

 

「嘘じゃないよ、もしかしたらあるかもな~……ってだけだし、ま、まだ一階は見てないよね!」

 

キタキツネがじと~っとした視線を向けてくる。

この様子じゃ、機嫌を直すのにかなり骨が折れそうだ。

 

「……一階、見に行こ」

 

それだけを言って、僕を階段の方向に強く引っ張り始めた。

 

「うわわ、せめて袖は引っ張らないで!」

 

普段とは比べ物にならないほどの力に抗えず、無様にも抵抗できないまま医務室まで連れていかれてしまった。

 

 

「一階にはいよいよ無いと思うけど……」

「どこにも無かったら、ノリアキは嘘つき」

「そ、そう……」

 

ただ機嫌を悪くしているだけかもしれないが、淡々と紡がれる言葉になんとなく背筋が寒くなった。

すると、キタキツネがこちらを向いて一言。

 

「嘘だったら、おしおきだよ……?」

「……アハハ、嘘じゃないからおしおきは無しだね」

 

いっそのこと、イヅナに頼んでセルリアンから偽造してもらうのも選択肢の一つか。

でも、”おしおき”とは一体どんなものなのか、少し気になる気持ちもある。

 

「医務室か……まあ、変わってないね」

 

手当て用の薬品棚も多分変わってないし、ベッドもシーツが綺麗に敷かれている。

一番可能性があるのは薬品棚だ、当然消毒液とか包帯とか、そういう目的の物しか置かれてないけどね。

 

「何かあるかもしれないし、いくつか持ち出したいけど……赤ボス?」

「少シナラ補充モデキルカラ、持ッテ行ッテ大丈夫ダヨ」

「良かった、何か入れ物といいけど……これにしよっか」

 

薬品棚の下の少し高い段に、黒い鞄があった。

ファスナーでしっかり閉じることができて、薬とかを持ち運ぶのに適している。

 

「消毒液と包帯、それと薬箱は……うん、色々入ってるね」

 

あまり多く入れて嵩張っても良くない、この辺りにしておこう。

 

「じゃ、こんなもん……か、な……?」

「……ゲーム探しはどうしたの?」

 

わ、忘れてた……さっきにも増してご立腹だ、このままでは間違いなく探索の終わりを待たぬまま”おしおき”に突入してしまう。

 

「手当ての道具を探してたんだ、もしキタキツネが怪我しちゃって、手当てできなかったら大変でしょ?」

「……ボクが怪我した時のためなの?」

「だって、キタキツネが痛がる姿なんて見たくないから」

「…………えへへ」

 

どうにか機嫌を直してもらえたみたい。その証拠に、キタキツネは横を向いて頬に手を当てているけど紅潮した頬が指の隙間からのぞいている。

 

「この部屋は探し終わった?」

「うん……あ、ノリアキ、それちょうだい」

「え……うわわっ!?」

 

後ろからキタキツネに飛び掛かられて、薬を入れた鞄をひったくられた。

 

「えへへ、”ボクのため”のお薬だから、ボクが持ってるよ」

「……ああ、まあ、そういうことなら」

 

 

医務室から出ると、そこにはコップ一杯のジュースを飲むイヅナの姿があった。

僕たちのところに来なかったのは、ここにしかないジュースの虜になっていたからみたいだ。

 

「イヅナ、そのジュースは?」

「ノリくん、それがひどいんだよ! あそこの冷蔵庫の中にあったんだけど、それが今まで隠されてたの!」

 

イヅナが指さす方向を見ると、見えにくい部屋の隅に確かに冷蔵庫があった。

しかし、そこは前に調べたときには確かに何もない場所だったはずだ。

 

「ボクガ説明スルヨ」

 

なぜだろうと首を傾げていると、またもや赤ボスが現れて教えてくれた。

 

なんでも、長い間研究所が休止状態で冷蔵庫が稼働していなかったため、中の飲料がダメになっていたらしい。その飲料の処分と冷蔵庫の整備のため、研究所の復活と共に一時的に持ち出していたようだ。

 

「まさか、この島でジュースが飲めるなんてね」

「原料ハ栽培シタ果物ナドヲ使用シテイルヨ」

 

「……なるほど」

「ノリアキ、感心してないで次に行こ?」

 

キタキツネはこういう飲み物にあまり興味を持っていないようだ。

 

「わかった、イヅナはどうする?」

「もう少しだけここにいるよ、今度はあれが飲みたいな~」

 

すっかりジュースに取り憑かれた化け狐のイヅナを置いて、医務室の隣にある比較的危ない薬が置いている部屋を探すことにした。

 

 

部屋に入ると、所狭しと並べられた棚に薬に息苦しくなる。

前に助手と調べたときには調べ切れなかったから、万に一つは見つかる可能性があるかもしれない。

 

「あまりに多いから、手分けしようか」

「そう……だね、そうする」

 

キタキツネが右の方に行ったので、僕は左の壁際から調べることにした。

 

「……まさか、こんな形でまた漁ることになるとはね」

 

気になったものは手に取って詳しく表示などを見てみる。

石灰水やヨウ素液など、特に何でもないものが多いが、時々塩酸らしき酸性の液体や非常に毒性の強い粉末も置かれていた。

 

……鍵もかけずに置いておくべき代物ではない。

 

「赤ボス、調べ終わったらこの棚か部屋に鍵を掛けたりできない?」

「ジャア、後デ研究所担当ノ”ラッキービースト”ニ要請シテオクネ」

 

これで、誰かが間違って持ち出したりすることは無くなる。

でも、もうちょっとだけ何があるか見てみようかな。

 

 

――沢山見ていった中で、研究員が作ったとみられる薬が一際目を引いた。

その薬は専用の棚にまとめて保管されており、一つ一つのラベルに効能と使い方が詳しく書いてある。

 

僕がその棚を調べ始めるころにはキタキツネも右側を調べ終わり、しょんぼりした表情で僕と一緒にその棚を探った。

 

「”けものプラズム活性化薬”に、”セルリアンによく効く液体”……水なの、これ?」

 

そしてこっちには”セルリアンの何かとどうにか反応する薬”がある。

ふざけているのか? いや、おそらく本気だっただろう。しかしこれの正確な効能を発見する前に、彼らはここから出ていくことを余儀なくされたんだ。

 

しかし、”セルリアンによく効く液体”はないんじゃないかな……?

 

もちろん、フレンズやセルリアンとは関係のない薬もある。

 

例えばここにある”液体眠り薬”がそれだ。

この薬は強い効果を持ち、ハンカチに染み込ませて吸わせるだけで数秒のうちに標的を眠らせることができる。

これが使用例に書いてある辺り、これを作った研究員はよほどの推理マニアに違いない。

 

「こんなの何に使うんだろうね……」

 

その瓶を持ち上げると、横にある白い粉末の瓶が目についた。

これも同じ研究員の作った物らしい。

その名も”安全な睡眠薬”……彼または彼女は不眠症だったのだろうか。

こちらも使用例が犯罪を匂わせる記述になっている。

本当に何に使うつもりだったんだ? と、そう思いながら薬を奥の方に仕舞った。

 

「ま、”セルリアンによく効く液体”よりかはマシかな」

「ええと……うわぁ!?」

 

キタキツネが薬の瓶を落としてしまった。

こぼれてはまずいと慌てて両手で受け止めたら、例の”水”だった。

 

「ご、ごめんなさい……」

「大丈夫、こぼれてないし、ただの水だよ」

 

”水”を元に戻すため受け止めた姿勢から立ち上がると、棚の様子に違和感を覚えた。

はっきりどこがとは言えないけど、何か変わっている気がする。

 

「ノリアキ、どうしたの?」

「いや、なんでも……って、なんで息切れしてるの?」

「お、落としちゃってびっくりして……」

「本当に大丈夫だから、落ち着いて」

 

キタキツネをなだめつつ、”水”を棚に戻し、棚の扉を閉めた。

 

 

 

「おかえりノリくん、キタちゃんとの探し物デートは楽しかった?」

 

ロビーに戻ると、藪から棒にそんなことを言われた。

考えるまでもなく不機嫌なんだろうけど、僕としては腑に落ちない。

 

「そんなこと言うくらいなら、イヅナも来ればよかったのに」

「な、ノリくんは分かってないよ! この飲み物を前にして、前にして……!」

 

苦しそうなイヅナ、珍しいジュースを飲むことと僕と一緒にいること、イヅナはその二つからジュースを飲む方を選んだ。

 

でも、今までのことから考えると迷わず僕の方に来るような気もする。

それとも、イヅナにとって飲み物というものが特別に大事なのかな、疑問の浮かんだ頭の中に、自分の声が聞こえてきた。

 

『一体どうしてこんな人()にここまで夢中になってるんだろう?』

 

「……っ!」

 

少し前に頭に浮かんだ考えだ。フラッシュバックし、再び脳裏にこびりついた。

イヅナはその時何も言わなかった。だけど、聞いていたんじゃないか?

それで、遠慮の気持ちが生まれて、結果として葛藤して……

 

――僕は、イヅナを傷つけたのか?

 

 

「あ、えっと、ノリくん、そんなに考え込まなくても……」

「別になんでもないよ……そうだ、そんなにジュースが気に入ったなら、頼んでロッジとかにも用意してもらおうよ、赤ボス、できる?」

「え……?」

 

「マカセテ」

 

……これでいい、はずだ。

 

「あ、もう探すところないね……どうする?」

「えと、ノリくん……?」

「ボクは楽しかったから、もういいや」

「よかった、じゃあ帰ろっか」

 

僕はひょんなことから始まったゲーム探しを終えて、研究所を後にした。

 

「ねぇ、ノリくん? ……急いでるの?」

「急いでないけど、そう見える?」

「なんだか、焦ってるみたいだよ……」

 

ポンポン、とイヅナの頭を軽くたたいた。

 

「気のせいだって、なんなら、今日はゆっくり帰る?」

「……ううん、早く帰りましょ?」

 

 

僕たちはまっすぐロッジに帰った。

その後のことは語るに足らないから、まあいつも通りと思って構わない。

 

……一つだけ気になったことがあるとするなら、キタキツネが薬鞄を異様なまでに大事に抱え、僕でさえ開けるのを許されなかったことくらいだ。

 



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5-64 コノハ博士は敬われたい

 

……ない、ないのです。

 

「博士、上の本取ってくれない?」

「……なぜ私に?」

 

お前はキツネの姿なら飛べるはずなのに、どうして私に行かせるのですか。

 

「ほら、ノリくんのお願いだよ?」

 

だったらお前が取りに行けばいいではありませんか、コカムイの為ならどんなことでもするのでしょう?

 

「ふふ、博士……一度くらいなら良いのでは?」

 

助手、お前だけは私の味方だと、そう信じていたのですが、お前もコカムイの肩を持つのですね……

 

「…………」ピコピコ

 

……キタキツネ、お前は黙ってゲームですか。

何も口出しせずただの傍観者でいようとするなんて、随分といいご身分ですね?

 

 

「一体、どうしてなのですか……」

 

ああ、足りない、全然、全っ然足りないのです!

 

「……っと、…うのです……」

「博士……?」

 

 

 

「もっと! 私を! 敬うのです!」

 

コカムイたちの体がビクッと震えて硬くなりました。

ようやく私の威厳に気づいた様子で、まったく情けないのです。

 

しかし、助手は飄々とした顔で叫ぶ私とコカムイたちをニヤニヤと眺めているのです。

助手のやつ、前からこういうところがあるのです。

全く、こういった点については本当にいけ好かないのです……!

 

「敬えって、どういうことなの?」

 

「文字通りなのです、イヅナ、お前には私を敬う気持ちがないのです、コカムイも、キタキツネも、そして助手も!」

「……おや、私もですか?」

「そういう所なのですよっ!」

 

「いいですか、私は博士です、この島の長なのです、偉いのです、敬うのです!」

 

そう言って、私はテーブルに置かれたジュースを一杯グビッと飲み干しました。

やれやれ、いきなり大きな声を出すと喉に良くないですね。

 

 

「敬うって言ったって、どうすれば……」

 

「コカムイ、お前それでもヒトなのですか? それくらい自分で考えるのです……と、言いたいところですが、仕方ありません。私は賢いので、特別に『敬い方』というものをお前たち()()に教えてやるのです」

 

「ふふ、やはり私も入っているのですね」

「当然なのです、なにしろお前は博士()の助手なのですよ?」

 

最も博士()の存在を理解し、誰よりも私を敬うべき存在である助手。

その教育が出来ていなかったこと、それは私の最大の失敗だったのです。

 

しかし、それも今日を以て終わり。

まずはこの四人に私の敬い方を教育し、名実ともに私は『この島の長』になるのです!

 

 

そこで私は、まず初めに四人を横並びに正座させました。

……ふふふ、いい眺めなのです。

 

「では、基本の基本から始めるとするのです」

 

「その()()って言うのはこの正座のこと……?」

 

「その通り、やはり”腐ってもヒト”、中々の察しの良さなのです」

 

「ちょっと博士、ノリくんが”腐ってる”って一体どういうつもり?」

「……ノリアキにおかしなこと言わないで」

 

私がコカムイを褒めてやると、その両隣にいるキツネ二人から同時に反発が飛んできました。

やれやれ、この二人には”ことわざ”と言うものの情緒が理解できないのでしょうか。

 

「それを言うなら”腐っても鯛”だと思うけど……」

「同じようなものです、しかし分からないと言うなら、二人には後で教えてやっても構わないのですよ?」

 

「嫌味な言い方……」

「……むかつく」

 

このキツネ二人は……!

コカムイもこの反応には苦笑いを隠せていませんね。

 

「キタキツネがストレートに言う辺り、相当だなぁ……」

 

私の教育もこの二人には効果が薄そうなのです、本命を助手とコカムイに絞って、あとの二人はまあ、いるだけで十分ということにしておきましょう。

 

「……おほん、では、続けるとするのです、助手もしっかり聞くように」

 

「ええ、博士が満足するまで聞いてあげますよ」

 

こ、この……! 助手は私が道楽で教育をするとでも思っているのでしょうか?

 

助手に対しては他よりも徹底的にやる必要がありますね、むしろ助手はこれからもずっと私といるのですから、素より必要なことだったのです。

 

 

「……まあいいでしょう、続けるのです。お前たちは敬うと言ってもその方法を知らないでしょうから、まずは形から入ることにしますよ」

 

「正座じゃ不満なの?」

 

「それはあくまで”基本の基本”、これから”基本”をお前たちに教授してやるのです」

 

「……そっか」

「で、その基本って何? 早くノリくんと本を読みたいの」

 

「まあ落ち着くのです、基本ですから実に簡単ですよ、そう、跪くのです」

 

「……本気?」

 

……少し、風が冷たくなった気がしたのです。

いえ、風が目に沁みているだけかもしれませんね。

 

 

「私はイヤだよ、博士に跪くなんて!」

「……ノリアキ、”ひざまずく”って何?」

「気にしなくていいよ、どうせしないんだから」

 

「そこ、内容もですが私語は禁止なのです」

 

キタキツネが残念そうに目を背けました、まあ自業自得なのです。

 

しかしイヅナはむしろ勝ち誇ったような顔でコカムイを一目見て、コカムイもイヅナと一瞬だけ目を合わせ、何かを悟ったような表情になりました。

こいつら、時々以心伝心ではないかと思うことがあるのですよ。

 

イヅナはずっとコカムイを見続けているのにコカムイが一瞬だけしかイヅナを見なかったことには、ほんのちょっとだけ哀愁を誘われましたがね。

 

 

「しっかり私の敬い方を学べば、すぐに終わるのです」

「全く、博士は見境がないのですね」

 

ふと、助手がそう呟きました。

 

「助手、それはどういう意味なのですか……?」

 

「そのままですよ、私やコカムイはともかく、話を聞きそうにないイヅナとキタキツネまで巻き込んでいるところがそう、尊敬に飢えているように見えますね」

 

ああ、私は激怒したのです。

必ず、かの邪知暴虐の助手を正さねばならぬと決意したのです。

 

 

「助手……言っていいことと悪いことがあるのです、もう私の()()()()袋の……何かが切れたのです」

 

「キンカン袋じゃなくて堪忍袋、それと切れるのは緒だよ」

 

「う……うるさいのです、今はそんなことどうでもいいでしょう?」

 

「博士、言って悪いと言えば、『跪け』もどうかと思いますよ? 敬ってほしいなら、他に方法もあるはずなのです」

 

「し、しかし一体どうすれば……」

 

「それについては私たちで考えますよ、博士はどっしりと博士らしく待っていてください」

 

「……では、そうするのです」

 

本当に任せていいのか、そんな気持ちはありました。ですが、それ以上に助手たちがすることが楽しみだったのです。

……敬うことを、強制してはいけないのかもしれませんね。

 

 

 

 

なんやかんやあって博士の敬い方講座から脱出した我々は、図書館のすぐ近くの森で作戦会議を開始したのです。

 

「というわけで、何をするか考えましょう」

 

「本当に考えなきゃダメ?」

「……めんどくさい」

 

「まあまあ、助手のおかげで正座から抜け出せたんだから、これくらい手伝ってあげようよ」

 

流石、コカムイは冷静でしっかり物を考えてくれるのです。

これは、博士が惚れるのも納得ですね……ふふ、冗談です。

 

……心の中で冗談を言っても、ツッコミ役がいなくて寂しいだけでした。

この冗談は今度タイミングを見計らって博士に言ってやるとしましょう。

いえ、いっそのことコカムイに仕掛けるのも悪くないかもしれませんね。

 

とびっきりの冗談(爆弾)なのです、使いどころはよく見極めなくては。

 

ああ、また脱線してしまいました、気を取り直して考えましょう。

 

 

「そもそも、”敬う”っていう言葉が曖昧だよ、何をすればいいのやら」

「博士のことだし、カレーでいいんじゃないの?」

 

「そうは言っても、普通に出したのでは文句を言われそうなのです……」

 

「……」ピコピコ

 

「ちょっと、キタちゃんも真剣に考えて!」

 

ゲームに夢中になりながらもコカムイに擦り寄るのを忘れない辺り、キタキツネも筋金入りですねぇ……

 

「……サプライズ」

 

「そういう手もあるね、でも博士からの頼みだからサプライズになるかどうか……」

「博士は意外と単純です、少し工夫すれば簡単に落ちますよ」

「あはは、そうかもしれないけど、言い方が……」

 

この反応、悪戯を仕掛ける側としては悪くないのです。

否定も拒絶もせず、しかしそんなことはあり得ないと確信している。

そんな相手にこそ、この冗談(爆弾)は高い効果を発揮するというのが私の持論なのです。

 

 

「我々が真剣にやれば博士も文句は言えないですから、とりあえず効果の高そうな料理で攻めることにしましょう」

「まあ、それには賛成だよ」

「だったら、ジャパリカレーまんみたいに、普通じゃない料理にするのはどうかな?」

 

ふむ、イヅナの意見もアリなのです。

問題はその”普通じゃない料理”をなるべく早く考案しなければならないことなのですが……

 

「何か……アイデア……」

 

並大抵の問題ではありませんね、コカムイもこの通り頭を抱えているのです。

 

「ではこの際、赤いラッキービーストに助言を求めてみてはどうでしょう?」

「赤ボスにか、いいね、赤ボス…………あれ、赤ボスは?」

 

コカムイがキョロキョロと辺りを見回すも、赤ボスは見つからない様子です。

私から見てもいる気配はありませんね。

 

「ねえノリくん、もしかして、置いてきちゃったんじゃ……」

 

「これは、そうかもね……待ってて、すぐに連れてくるから」

「分かりました、行ってらっしゃいなのです」

「気を付けてね、ノリアキ」

 

「あはは、大丈夫、すぐ戻るからさ」

 

さて、飛んで行ったコカムイが戻ってくる前に、我々も博士の喜ばせ方を考えねばなりませんね。

パーティーグッズでも用意して派手にやればコロッといける気もしますが、私には前に甘く考えて痛い目を見た経験もあります、あまり油断するのも考え物ですね。

 

 

「では料理は後回しにするとして、雰囲気作りの……」

「――っ!?」

 

突如としてイヅナが異様なほどの驚きを見せました、どうかしたのでしょうか?

 

「イヅナ、どうしたのです?」

「い、いや、何か、嫌な予感と言うか、ううん、私も行ってくる!」

 

それだけ叫ぶと、イヅナも飛び上がって図書館の方へと一目散に向かってしまいました。

訳も分からず取り残された私とキタキツネは顔を見合わせ、ひとまずイヅナを追いかけることにしたのです。

 

 

そして戻った先で見たのは、およそ信じがたい光景でした。

 

「こ、これは一体……?」

 

おびただしい数の大小のセルリアンと、それらを相手取る博士とコカムイ。

 

つい先程まではいなかったはずのセルリアンが異常発生しているのです。

なぜこれ程の量のセルリアンが、なぜイヅナはこれを察知したかのように飛んで行ったのか……

いいえ、理由を考えるのは後です、今はこいつらを片づけなくては。

 

 

「キタキツネ、お前は安全な所へ」

「ううん、ボクも手伝う」

「……なら、くれぐれも気を付けるのですよ、コンティニューはできないのですから」

 

目視で判別できる限りでは、およそ五十体の大小のセルリアンの群れ。

一番大きい個体で大体3m、イヅナやキタキツネの約二倍の高さなのです、もちろんセルリアンは横幅の方も3m程あるのですがね。

 

「ここは、小さい奴らから倒すのが賢明でしょうか」

 

半分以上のセルリアンはよく見る小型の個体なので弱いのですが、数が集まると厄介になります。

しかし簡単に撃破できることに変わりはなく、こいつらを掃討すれば戦いやすくなることでしょう。

 

「行けますか、キタキツネ」

「うん、いつでも行ける」

 

……なるほど、最初から野生開放ですか、やる気に満ち溢れているのはいいことです。

途中でガス欠にならなければ、の話ですがね。まあいいでしょう。

 

「我々も加勢しましょう、遅れずについてくるのですよ」

「……わかってる」

 

およそ5対50の戦い。

ですが実力の差は歴然で、セルリアンは次々と数を減らしていき、それほどの時を待たず全滅させることができたのです。

 

一番多く討伐したのはイヅナでしょうね、空を飛び回って石のある方向から爪や足で強烈な一撃を叩き込み、一番大きいセルリアンさえも砂の城を崩すように倒してしまいました。

 

数で比べるのもどうかと思いますが、討伐数で言えば続いて博士、私、キタキツネが横並びで、意外にも一番倒した数が少ないのはコカムイでした。

 

「いやはや、お前が一番手こずるとは予想外だったのです」

「あはは、そう言われても、僕はキツネの姿になってやっと何とか戦えるような感じだからさ……」

 

「ま、まあ、コカムイはずっと私を庇いながら動いていましたから、それも関係あるのでしょうね」

 

コカムイへのフォローをする博士からは、不思議と先程までの高圧的な雰囲気は消え失せていました。

 

「あ、博士、さっきの”話”はまだ何をするか決まってないから、もう少しだけ――」

 

「ああ、それはもういいのです」

 

「え? もういいって……」

 

「あの後考え直しました、別に威張らなくても、私らしく()()()構えていればそれで十分だと。それと……さっきは、ごめんなさい、なのです」

 

「ああ、いいよ、気にしてない」

 

いや、まさか博士がこんなことを言い出すなんて……

 

「は、博士……」

「ふふ、何ですか、助手?」

「もしや、先ほどのセルリアンに何かされたのでは……?」

「……はぇ?」

 

「博士が、これほど謙虚になるなんて、普通ではないのです、大丈夫ですか博士、熱でもあるのでは――」

「う、うるさい、うるさいのです! 私は至って正常なのですよ! 気が変わりました、助手、お前だけには特別指導が必要なのです!」

 

 

ああ、この感じ……いつもの博士なのです。

 

賢く、それでいて自分の気持ちに正直な博士。

 

素直で、からかい甲斐のある博士。

 

これこそ、私が助手を務める博士に他ならないのです。

 

「ふふ、楽しみですね」

「その言葉、よく覚えておくのですよ?」

 

博士、貴方はなんて愛おしいお方なのでしょう。

 



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5-65 吹雪と共におやすみなさい

 

図書館で起きた『セルリアンの大量発生』から数日、図書館やロッジを度々行き来してはしゃぎ回った僕たちは一度雪山の宿に顔を出すことにした。

 

ギンギツネは「昨日も来たじゃない」と苦笑いを浮かべていたが、ようやく紅茶を淹れる練習が終わった、と言って紅茶を振舞ってくれることになった。

イヅナは紅茶と聞いて複雑そうな顔をしていたけれど。

 

そういった経緯で、僕はゆっくり座って外の様子を眺めていたのだ。

そこにキタキツネがやってくるところから今日の話は始まる。

 

「これじゃ、外には出られないね」

「風が寒いな……」

 

そう言いながらキタキツネが僕に寄り添う。

 

今日は激しい吹雪が吹いている。

雪山育ちのキタキツネが「寒い」と言うほどだから、滅多にない規模の吹雪なんだろう。

宿の屋根が吹き飛んでしまわないか心配だ。

 

「キタちゃん、寒いからって抜け駆けはずるいよ!」

 

イヅナはキタキツネのいない方向から同じように寄り添い、腕を絡めた。

 

両隣に誰かがいると、外の吹雪など文字通り”どこ吹く風”と眺めていられるくらい暖かい。しかも二人ともモフモフのキツネだからより一層暖かく感じる。

 

イヅナはこの状態をいいことに尻尾を僕の体にこすり付けている。

後からそれに気づいたキタキツネが対抗してきたことも、もはや言うまでもないのだろう。

 

 

「そうは言っても、こうベッタリとされると暑くなっちゃうよ……」

 

「ふふ、だったら無理やり振りほどけばいいじゃん」

 

僕が出来ないことを知っていて、イヅナはこんな物言いをする。

予想通り一切動けない僕を見て、とても満足そうにしている。

 

「……やっぱりノリくんは優しいね」

 

言葉を紡ぎながらイヅナは姿勢を変えて、僕を抱きしめようと腕を広げた。

 

「……何してるの」

 

当然、キタキツネが放っておくはずもなく、声を掛けられたイヅナはその場でピタッと止まり、二人は一言も発さずににらみ合いを始めた。

 

「キタちゃん、邪魔するの?」

「『抜け駆けはずるい』って言ったのはイヅナちゃんだよ」

 

おもむろに二人とも立ち上がって向かい合うと、今にも激しい争いが始まりそうな雰囲気が辺りに立ち込めた。

 

……まあ何にせよ、二人が離れてくれたおかげで動きやすくなった。

 

しばらく様子を見ていても状況は変わりそうになく、僕はその場を離れて適当に歩き回ることにした。

赤ボスもあの場所にいるのは辛かったのか、僕が動き出すと同時にピョコピョコと飛び跳ねながら後ろについてきた。

 

 

適当に歩き回ると言っても、一応目的はあった。

研究所でキタキツネに渡した鞄、その中には薬箱などが入っている。

ただそれだけのはずだが、キタキツネは何故かずっとその鞄を開けさせようとしなかった。

 

もしや、中身を見られたくない理由でもあるのだろうか。

そうは言っても、あの場で渡してから特に妙なものを入れる隙もなかったし、一度見ても罰は当たらないだろう……多分。

 

「……あった、これで間違いないね」

 

台所の隅に、まるで隠すようにその鞄はちょこんと置かれていた。

その置き方さえも、僕の好奇心をくすぐるのだった。

 

「なんだか、緊張しちゃうな……」

 

誰かの秘密を探る時は、得てして胸が高鳴ってしまう。

世に名を轟かす名探偵も、こんな気持ちをしていたのだろうか。

 

震える手でファスナーを開け、真っ暗な鞄の内側を覗き込んだ。

暗すぎてよく見えない、窓の明かりが入る場所まで移し、鞄の口を大きく開いて再び中を見た。

 

「……何もないや」

 

予想に反し、薬箱や包帯など研究所で渡したものしか中に入っていなかった。

まあ当たり前のことなんだけど、期待に胸を膨らませていた身からすれば些か、というか非常に拍子抜けだ。

 

「……赤ボス、これからどうしよっか」

「一度戻ルベキダト思ウヨ」

「あー、確かにそうかも」

 

何も言わずに探しに出ちゃったから、もしかすると怒ってるかもしれない。

様子を見に行くなら早い方がいいだろうな。

 

 

「二人とも、ど、どう……?」

 

さっきまでの場所に戻ると、二人は何も言葉を発さずに座っていた。

座っている場所に若干の開きはあるけど、険悪な空気はなくて少し安心した。

 

「どうって、ノリくんを待ってたんだよ……?」

「……突然いなくなるから心配した」

 

怒ってはいなかったようだけど、不安に思っていたらしい。

……これからは気を付けないと、いずれ恐ろしいことが起きそうだ。

 

「別に、探しに来てくれてもよかったのに」

 

「そうしたいのは山々だったんだけど、キタちゃんがね……」

「イヅナちゃん、ボクのいないところで何するか分かんないから」

 

なるほど……お互いに牽制しあって動けなくなっているうちに僕が戻ってきたと。

 

「なら一緒に探せばよかったんじゃ……?」

 

すると二人は顔を見合わせ、二人ともそっぽを向いてしまった。

 

「でも、そうは言ったって……」

「どうしてイヅナちゃんと……」

 

ああ、まあ、譲れないところとか、プライドとか、そういう類のものがあるのかもね。

下手に踏み込んで刺激しない方が吉だろう、”触らぬ神に祟りなし”って言うしさ。

 

……あはは、”神”だってさ。

 

 

見たいものも見て、拍子抜けして暇になっちゃった。

この天気じゃ温泉に入っても吹雪いているせいで行き帰りのうちに冷え切っちゃいそう。

やることもないし、転がって寝るかゲームかしかないや……

 

「ふわぁ~……」

 

大きなあくびがこぼれ出た。

もし今昼寝をしたら夜眠れなくなったりしないかな……?

 

「ノリくん、眠いの? 私が寝かしつけてあげる!」

「違う、ノリアキはボクとゲームするんだよ」

 

「またなの……?」

 

このままだと再びさっきと同じ状況になること間違いなしだと感じた。

 

しかし、実際にそうはならなかった。

大げさだが、この場の空気を一変させる救世主が現れたのだ。

 

「みんな、そろそろ紅茶をどうか……し、ら? あら、二人とも何をしているのかしら?」

 

ギンギツネだ。彼女が言っている通り、ティータイムにしないかということらしい。

この際重要なのは紅茶ではなく、イヅナとキタキツネがいがみ合う状況を終わらせたことだ。

 

その場しのぎになるかも分からないんだけど、あとは僕が何とか……で、できるのかな……?

……まあ、それは後で考えよう。

 

 

「あれ、紅茶の用意ができたの?」

「ええ、すぐに淹れられるわ、だけど……」

 

ギンギツネは途中で言葉を切って振り返り、障子の間から見える向こうの部屋を指さした。

 

「あっちの部屋にテーブルがあるわ、座った方が飲みやすいでしょ?」

「確かにそうだね、そっちに行くよ」

 

ギンギツネの後について行こうと立ち上がると、それより早くキタキツネがスッと立った。

何事かと一瞬様子を見ている間に、片手でイヅナの腕を引っ張ってもう片方の手でギンギツネの背を押し、僕一人と赤ボスを部屋に残して部屋から出てしまった。

 

「ちょ、ちょっとキタキツネ、いきなりどうしたのよ!?」

「わわ、何なのキタちゃん!」

 

キタキツネは二人の言葉に一切耳を貸すことなく、テーブルがあるという部屋まで一直線に入って行った。

 

 

「あはは……キタキツネは時々こうなっちゃうのかな」

 

彼女の行動の意図はおおよそ理解できる。

きっと僕を、イヅナかギンギツネのどちらとも二人きりにしたくなかったんだ。

 

イヅナへの対抗意識は言わずもがな、でもギンギツネに対して似たような感情を持っているとは驚きだった。

当然イヅナに向けるものとは違うのだろうけど、長い間親しく過ごしてきた相手に対しても、やっぱり嫉妬はするものなんだな。

 

そう考えると、どこか気が咎めるような、そんな気持ちに苛まれた。

 

 

「今温泉の方からお湯を取ってくるわ、待ってて」

「お湯って、紅茶に使うの?」

 

温泉のお湯を飲用に使うと聞くと、お風呂のイメージからか抵抗を感じてしまう。

 

「安心して、温泉って言っても、湯船に入る前のを取ってくるから」

「そっか……よかった」

 

紅茶が入るまではくつろいでいて、とのことだったから、背もたれに体を預けて全身の力を抜いた。

 

ここ数日は文字通りキタキツネを抱えて飛び回ったり、博士に頼まれて難しい本を読んだり、寝る時に布団に潜りこまれていたり……

 

とにかくトラブルとは別の形で、楽しむ方向でかなりの疲れを溜めていた。

それもあって温泉でリラックスしようと思い訪れたのだが……やっぱりこの吹雪じゃ厳しいか。

というか、そんな天候の外にお湯を取りに行くギンギツネも大変だな。

 

「紅茶楽しみだね、ノリアキ」

「ああ、まあ、そうだね」

 

「…………」

 

予想していたことだけど、イヅナの表情は芳しくない。

 

「ギンギツネ頑張ってたみたいだから、きっとおいしいよ!」

「あ、あはは……」

 

その後もキタキツネはギンギツネの努力や図書館での感想を交えて紅茶の魅力を話し続けるのだけど、明らかにいつもよりも声が大きい。

まるで、イヅナにわざと聞かせているような声量だ。

 

 

「そう……? 私は紅茶なんてもうウンザリ」

 

耐えかねたイヅナがぼそりとつぶやいた。

キタキツネと違い聞かせる意図は無かったはずだが、キタキツネの大きな耳はその呟きを聞き逃さなかった。

 

「そっか、残念……()()()()?」

「え、き、キタキツネ……!?」

 

ドンッ! とテーブルを叩く強い音が響いた。

 

「だ、誰のせいだと……」

「落ち着いてイヅナ、大丈夫、今度のは大丈夫だから……ね? キタキツネも、シーッ!」

イヅナに声を掛けながら優しく頭を撫で、それを十数秒続けたところで段々落ち着きを取り戻してきた。

 

「ごめん、ノリくん……」

「うぅ………」

 

一応危機は脱したが、空気はどんよりと重く変わっていた。

早くギンギツネが戻ってこないものかと、吹雪を見ながら思い始めたその時、ようやくギンギツネは姿を見せた。

 

「ごめんなさい、思ったより時間が掛かっちゃって……」

「いや、無事でよかったよ」

 

「ありがとう、すぐに持ってくるから待ってて?」

 

服に着いた雪を払いながらギンギツネは台所に消えた。

間もなくして、お盆に四つカップを乗せて戻ってきた。

 

「さ、今日は一段と寒いからこれでも飲んであったまりましょ」

 

「いただきます」

 

吹雪やその他諸々で冷え切った体に、温かい紅茶は本当によく沁みた。

心の氷がゆっくりと解けていくような気分だ。

 

相も変わらず、イヅナはそれに手を付けていないけど、あの出来事を思い出せば、やはり仕方ないと言うしかないのかもしれない。

 

 

紅茶を半分ほど飲んだ頃、キタキツネに袖を引っ張られた。

 

「ノリアキ、ボクの鞄ってどこだっけ?」

「え、確か……台所にあったよ、取りに行く?」

「ん……一緒に行きたい」

 

「あ、イヅナは……待ってて?」

「……うん」

 

キタキツネに押される形で台所へと入った僕は、真っ先に鞄のあった部屋の隅へと向かった。

しかし、そこに鞄は置かれていなかった。つい数十分前まで置かれていたはずなのに。

 

「あれ、どうして……んんっ!?」

 

振り返ろうとした途端、何か布のようなもので口元を覆われた。

振りほどこうとしても体に力が入らない。

 

動きが遅くなった頭を何とか回転させて、研究所にあった液体の眠り薬、あれを嗅がせられたという結論になんとか達した。

 

すると、キタキツネが鞄を開けさせなかったのは――

 

 

 

「ねえキタキツネ、本当にこれでいいの?」

 

意識を失い倒れたノリアキを見て、ギンギツネがそう言った。

 

「大丈夫だよ、それより、イヅナちゃんはギンギツネにお願いしたよね?」

「……ええ、そうだったわね」

 

複雑な顔をしながらも、ギンギツネはボクを手伝ってくれる。

 

ギンギツネが、台所からイヅナちゃんのいるテーブルに戻った。

イヅナちゃんのカップは、少しだけ飲まれているみたい。

 

「ギンちゃん、何も入ってなくても飲みにくいな」

 

やっぱりそうだよね、イヅナちゃんのだけ、()()()が入れてあるから。

 

そしてそこに、ギンギツネが白い粉末の入った瓶を差し出す。

 

「だったら砂糖を入れてみたらどうかしら、甘くなれば飲みやすくなるはずよ」

「……おお、名案だね」

 

イヅナちゃんは感心しながら、ティースプーンで一杯、もう一杯と()()()()()()()()を紅茶に混ぜ合わせていく。

……もっと、もっとだよ、もう二度と、起きられなくなるくらい入れるの。

 

あ、ずっと見ててもダメだった。

眠っているうちにノリアキを縛っておかないと。

 

動けなくしなきゃいけないけど、縛りすぎてもよくない。

とりあえず後ろ手に縛って、一応足も縛り付けておいたよ。

 

「えへへ……!」

 

作業を終わらせて、もう一度イヅナちゃんの様子を見た。

 

ちょうど、眠り薬入りの紅茶を口にするところだった。

ちゃんと砂糖も混ぜているから、味は甘いはず。

だってイヅナちゃんが紅茶を一気に飲んでいるもの、甘いに決まってる。

 

「ふぅ……砂糖を入れると飲みやすいね」

「え、ええ……そうね」

 

 

薬は、すぐに効いてきた。

 

イヅナちゃんの頭が、ユラユラと揺れ始めて、やがて体全体を大きく揺らした。

手の力が抜けてティーカップを落とし、カップが割れる音と共に紅茶が床に広がった。

 

そのままイヅナちゃんも椅子から転げ落ち、スヤスヤと寝息を立て始めた。

 

……作戦は、成功。

 

 

「えへへ、やったねギンギツネ」

 

ボクは眠ったイヅナちゃんの体を抱えた。

 

「キタキツネ、一体イヅナちゃんをどうするつもり?」

「えへへ、秘密」

 

 

ボクは吹雪の激しい外に出た。

中からギンギツネの呼ぶ声が聞こえるけど、例えギンギツネでも、ボクの邪魔はさせないよ。

 

強い風と共に雪が吹き付ける今日は、本当に絶好の日和だね。

 

「素敵だね、イヅナちゃん、キミとは、ここでお別れだよ」

 

 

 

さよなら、イヅナちゃん。

 

――吹雪と共に、おやすみなさい。

 



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5-66 雪の中にも15分

 

目を覚ますと、真っ暗な部屋にいた。

 

体を覆うような温かみと、手首と足首に走る圧迫感が、眠気を誘い、また同時に眠りから僕を引き上げようとしていた。

 

「ん、うぅ……」

 

朦朧としたままの意識の中で、何が起きたのかを懸命に思い出そうとした。

 

そうだ、雪山の宿に来て、紅茶を飲んで、その後は……?

確か、キタキツネと台所に行って……眠り薬で……

 

なんとなくだけど、思い出せた。

とにかく、非常にまずい状況であることは確かだ。

すぐにここから出て、外がどうなっているか確認しなければならない。

 

「ぐ、かなりきつく縛ってるね」

 

しかし、腕は後ろ手に組んだ状態で縛られ、足もガッチリと固定されて自由に動かせない。

 

そしてもう一つ、僕の動きを阻害する暖かい何か。もうこれは、確かめるまでもないだろう。

……キタキツネだ。

僕の胸に顔をうずめているから、狐耳が口元にツンツンと触れている。

 

そんなキタキツネは僕を強く抱きしめ、スヤスヤと幸せそうに眠っている。

僕をこんな状態にしてここに連れてきたのも、間違いなくキタキツネだろう。

 

「はぁ……イヅナは、どうしてるかな?」

 

キタキツネがこんな行動を起こしたとなれば、イヅナは絶対に黙っていないはず。

一度テレパシーを繋ごうと念じてみるも、反応がない。

 

何も返ってこないのは、イヅナが寝ている時か気を失っている時か……

どうあれ、今イヅナが頼りにならないことは分かった。

 

 

だったら、まずは自分でどうにかしなければ。

 

まず、部屋を観察した。

暗いせいで内装はよく見えないけど、宿の中であることは間違いない。

外の吹雪の音が、ここからでも聞こえている。

 

……数秒経って、キツネの姿になれば夜目が利くのではないかと思い出した。

すぐに姿を変え、辺りを見回した。

 

予想通り、視界が開けて宿の和風な内装がよく見えるようになった。

 

しかし、この姿でキタキツネに抱きつかれていると例の温泉でのことを思い出してしまい、何だか血の気が引いてしまった。

 

 

「……うぇ、あ、おはよう、ノリアキ。気分はどう?」

 

もぞもぞと動き、目元をこすってキタキツネが目を覚ました。

 

「あんまり、良くはないな……」

「そっかぁ……何がいけないの?」

 

「とりあえず、この縄を解いてくれるとうれしいな」

「……ダメ。そうしたら、逃げちゃう」

 

「……そっか」

 

予想通りの答えだった。

一瞬引きちぎってはどうかと思いついたが、身動きが取れなくて無理だったし、野生開放したとしても僕にそんな力はない。

 

「……せめて、足だけは」

「ダメ」

 

食い気味に否定されてしまった。

最近は、段々とキタキツネも押しが強くなってきたように感じる。

 

「えへへ、ノリアキ、素敵……」

 

頬を上気させ、息を荒くし、恍惚とした表情で僕の()に手を伸ばした。

 

思わず目を閉じ顔を逸らした。

それでも、彼女の手から逃れることはできない。

 

どうしよう、どうすればいい?

 

無理やり逃げ出す方法は使えない、物理的にも精神的にも。

イヅナの時と同じく、話をして解放してもらえるように図ろう。

 

それと、今回はあまり悠長にしていられないかもしれない。

イヅナが一体どうなってしまったのか、無事である保証はない。

 

とりあえず、会話をしよう。

 

「ねえ、他にやり方は無かったの……?」

「……こうしないと、ノリアキが取られちゃう」

 

「でも、その……動けないよ」

「ノリアキがボクだけを好きになってくれたら、外してあげる」

「ええと、そうじゃなくて……」

 

「大丈夫、ノリアキなら分かってくれるって信じてるよ」

「これじゃ、ゲームできないよ……?」

 

キタキツネはいつかのように首を傾げ、悪戯っぽく笑った。

 

「ゲームは後でいいよ、いつでもできるもん。ノリアキの方が大事だよ」

 

ゲームを出しにして解いてもらおうと考えたけど、当てが外れた。

三度のジャパリまんよりゲームが好きなキタキツネがここまで言うほど、僕は……ああ、頭が痛い。

 

 

とにかく今は部屋から出るために、自力で縄を抜けなければならない。

話がどっちに転んだとしても、キタキツネ自身から僕を解放しようとはしないだろうし、出してもらえることになっても随分後のことになるだろう。

 

「イヅナ……」

 

こんな状況だ、返事のないイヅナのことはやはり心配になり、つい声に出てしまった。

 

もう察しが付くだろう、今のキタキツネの目の前でイヅナの名を出すことの意味を。

そして案の定、気が付いたときにはもう遅かった。

 

「ノリ、アキ……?」

 

キタキツネの手がわなわなと震え、次に両手で顔を覆い隠した。

表情は見えず、怒っているのか泣いているのか分からない。

ただ、静かな部屋にガチガチと歯を鳴らす音がしばらく響いていただけだ。

 

「そっか……」

 

やがて音も止み、キタキツネは顔から手を下ろした。

彼女は目を閉じて、強く唇を噛み締めていた。

 

ゆっくりと瞼を開くと一筋の光が頬を伝い、その瞳からは一切の光が失われていた。

 

「アハハ……やっぱりノリアキはイヅナちゃんの方が好きなの?」

 

「そうじゃなくて、キタキツネ、イヅナをどうしたの?」

 

「ノリアキ、ボクのこと嫌いなの? なんで、ボクのどこがダメなの? ねえ……ねぇ!」

 

肩を揺さぶってこちらに語り掛けてくるだけで、全く話が通じない。

キタキツネは相当取り乱している、目の焦点も合っていないように見えるし、錯乱のあまり舌も回っていない。

 

「落ち着いて、僕はただ……っ!?」

 

言い切る前にキタキツネに唇を塞がれた。

口の中にキタキツネの舌が入ってきて、僕の口の内側を舐め回した。

両手両足を封じられているから抵抗なんてできなかった。

 

「ぷはっ、はぁ、はぁ……」

「え、えへへへ……んん…!」

 

一度顔を離したと思えば、キタキツネはまたすぐ同じように唇を重ねた。

僕の感覚も麻痺してしまったのか、蛇のようにうねって口の中を蹂躙するキタキツネの舌は先ほどよりも甘く感じられた。

 

それから、何分が経ったのだろう。

キタキツネが満足し唇を完全に離したころには、互いの口の周りは混ざった唾液でどうしようもなく汚れていた。

 

「えへ、とっても甘いね……」

 

キタキツネが耳元で囁いているが、返事をする気力はなかった。

 

「汚れちゃってる、拭いてあげるね」

 

ハンカチで口元を拭いてくれた。

もしかして、僕を眠らせた時に使ったハンカチなのかな? どうでもいいや。

 

キタキツネは同じハンカチで自分の口周りの唾液も拭き取った。

 

「えーと、お腹すいたでしょ、ジャパリまん持ってくるね」

 

お腹をさするジェスチャーをしてから立ち上がり、部屋から出ていった。

かと思うとすぐに扉の影から顔をひょっこりと出して言った。

 

「大人しくしててね?」

 

それだけ言うと、今度こそ本当に行ってしまった。

 

 

「大人しくだなんて、できないよ……」

 

今のこの状態に甘んじることなんてできない、早くここを脱出してイヅナを探さなければ。

念のためにもう一度テレパシーを送ったけど、残念なことに今回も返事は戻ってこなかった。

 

それに、どれだけ力を込めても縄は千切れそうにない。

やっぱり一度従順になって、チャンスを窺うべきなのだろうか。

 

そう思い始めたころ、棚の後ろから青い希望の光が見えた。

 

「もしかして、赤ボス……?」

 

僕の問いかける声に応えるように、赤ボスが棚の影から現れた。

 

「ノリアキ、助ケニ来タヨ」

「ちょうどよかった、赤ボス、この縄なんだけど……」

 

「マカセテ、除草機能ノ応用デ、ロープモ切断デキルヨ」

 

その言葉通り、赤ボスはカッターを精密に操り、固く結ばれた縄をまるで豆腐を切るように切断してしまった。

 

こうして、ようやく僕は自由の身となった。

 

「ありがと赤ボス、イヅナの様子は分かる?」

「ゴメンネ、ボクニモ分カラナインダ」

「そっか、じゃあ僕が探さないと……」

 

自由になった以上、これ以上この部屋にいても危険なだけだ。

外でキタキツネが待ち伏せしていないことを確認し、部屋から飛び出した。

 

「ここからどうする……ギンギツネは、ダメ、だな」

 

紅茶を飲んだあの場にはギンギツネもいた。

僕が台所から戻らなかったら不審に思うはず、なのに今まで音沙汰がないのは、ギンギツネもキタキツネと協力しているからに違いない。

 

「だとしても、肝心のイヅナがどこにいるか……」

 

手掛かりが欲しいなら僕が眠らされた台所に行くのが最初だ。

しかしキタキツネはジャパリまんを取りに行くと言った、鉢合わせる危険が大きい。

 

「赤ボス、ジャパリまんってどこにあるの?」

「……台所ニハ、置イテナイヨ」

「意外だね、でも好都合かな」

 

ジャパリまんがないなら、バッタリ会う可能性は低くなる。

 

すぐに向かおうと一歩踏み出したその時、ドッと眠気に襲われ、膝をついた。

 

「うぅ、何これ……!?」

 

もしかしなくても、眠り薬のせいだ、あの強力な薬はまだ効果が残っているらしい。

 

「でも、行かなきゃ」

 

落ちてしまいそうな意識をギリギリで保ちながら進み、気が付くと台所に到着していた。

眠気のせいで道中の記憶はすっぽりと抜け落ちている。

 

「とりあえずで来た、けど……何もないか……」

 

置いてあるのは紅茶のセット、包丁や泡立て器などの調理器具だけだ。

 

「包丁、か……」

 

眠気でどうにかしていた僕は、なんとなく包丁のある方へと歩いて行った。

イヅナを探さなければいけないと分かっていたのに、今にも意識は夢の世界に沈んでしまいそうだ。

 

 

「っぐ、う……!?」

 

そんな意識は、鋭い痛みによって瞬時に現実へと引き戻された。

 

痛みの元を辿ると、そこは左腕だった。

痛みの原因は包丁だ、左腕に突き刺さっている。

じゃあ、誰が刺したのか? それも簡単だ、見るとしっかりと包丁の柄を握っている。

 

――僕の右手が。

 

「フーッ、フー……はあ」

 

反射的に包丁を引き抜くと、傷口から血があふれ出てきた。

 

「アワワワワ、ノリアキ、大丈夫? すぐに手当てを……」

「大丈夫、むしろ、目が覚めたよ」

 

「デ、デモ……」

「気にしないで、フレンズは治癒能力高いんでしょ、すぐ治るって」

 

今はこんな傷よりも、イヅナを探す方が先だ。

どこでどうなっているか分かったもんじゃない、一大事にでもなったら大変だ。

 

その点、キタキツネは錯乱しているだけだから、後でギンギツネが上手く取りなしてくれることを願おう。

 

「でも、まだ少しボーッと……まあいいや」

 

再び沈みかけた意識を横薙ぎの傷一つと引き換えに呼び戻し、イヅナを探すため包丁を置いて台所を後にした。

 

 

「ノリアキ、どこ行くの……?」

「……イヅナを探すんだよ」

 

配慮も誤魔化しもなく、単刀直入に言い切った。

何か反応があるかと思ったが、キタキツネは先刻のような慌てようを見せることは無かった。

それでも、吊り上がった口角は隠しきれていなかった。

 

「イヅナちゃんは見つからないよ」

 

そんな表情のまま、さも当然かのようにキタキツネは告げた。

 

「見つからない? 一体どうして?」

「だって、()()()()()()()()()()()()()()

 

「真っ白……?」

 

正直に言ってその言葉の意味するところを理解しかねる。

確かにイヅナは髪も尻尾も服も白ずくめだけど……それが一体?

 

「えへへ、でももうどうでもいいよね、戻ろう、ノリアキ?」

 

キタキツネは僕の方に歩き出し、こちらに向かって手を伸ばした……しかし彼女の動きは止まり、突如にして後ろに強く引っ張られた。

 

「もうやめて、キタキツネ!」

「ギンギツネ、今までどこに……」

 

ギンギツネはキタキツネを羽交い絞めにして動きを封じた。

キタキツネはそれを振りほどこうと激しく抵抗している。

 

「なんで、放してよギンギツネ! 助けてノリアキ、ノリアキ!?」

「お願い、正気に戻って、こんなの間違ってるわ!」

「違う、違う……! ボクは、ただ……」

 

しばらくしてキタキツネは抵抗を止め、ガックリと項垂れ、膝から崩れ落ちた。

 

「キタキツネ……」

 

一時の沈黙がその場を支配した。

キタキツネは徐に立ち上がり、よろよろと体を不安定に揺らしながらどこかに歩いて行ってしまった。

 

キタキツネが見えなくなると、ギンギツネが話しかけてきた。

 

「その、本当にごめんなさいね、キタキツネもだけど、イヅナちゃんのことも」

 

「イヅナに何があったか知ってるの?」

 

そして、ギンギツネから僕が眠らされた後の話、キタキツネに頼まれて今回のことに協力したことを聞いた。

 

「ごめんなさい、私があの時止めていれば……」

「今は気にしないで、それよりイヅナを見つけないと」

「え、ええ……って、それどうしたの!?」

 

指を差された左腕を見てみると、流れ出た血で服の袖が真っ赤に染まっていた。

 

「ん、ああ……左腕(これ)? 後で手当てするよ」

「でも血がいっぱい……」

 

「大丈夫……大丈夫だから、それよりイヅナはどうなったの?」

「え? ああ……キタキツネが外に連れて行って……その後は分からないわ」

「外のどこかに置いてきた、ってことか」

 

ようやくキタキツネの言葉の真意を掴むことができた。

『白いから見つからない』というのは恐らく雪の中に置いてきたからだろう。

 

「赤ボス、外はどうなってる?」

「吹雪ハアル程度落チ着イタヨウダヨ」

「なら、また激しくなる前に見つけないと」

「だったら私も……」

 

「いや、ギンギツネは残って。連れ帰ったらイヅナを温めないといけないし、キタキツネも心配だから……」

「……そう、ええ、分かったわ、早く戻ってきてね」

「うん、行ってくる」

 

 

 

かくして僕は念のためのスコップを持って、宿を飛び出した。

全方位に神経を張り巡らせ、イヅナらしき反応がないか念入りに調べた。

 

キタキツネは空を飛べない。

僕が眠っていた時間は分からないけど、そこまで遠くに行く時間は無かったはずだ。

ましてや激しい吹雪の中で、イヅナを抱えた状態で。

 

そう思い宿の付近を見て回っているが、イヅナらしき影は見えない。

やっぱり、念のために持って来たスコップを使うことになるのだろうか。

 

「近くに隠すなら、そうなるよね……」

 

遠くに隠せず、それでも適当にはできない。

もし僕がそんな状況で隠すなら、雪の中に埋める。

いずれ本人にも見つけられなくなるが、この場合それでも構わないと考えていただろう。

 

埋められたものを探すなら空を飛んでいても仕方ない、僕は雪面に降り立った。

 

「赤ボス、不自然に雪が荒らされてたり、雪が固くなってるところを探すよ」

「ワカッタ」

 

今度は直感だけでなく、足の触覚、そして視覚を限界まで研ぎ澄ませて探し始めた。

ちょうど雲が晴れてきて、日光が雪に反射して非常にまぶしい。

それでも、今やめるわけにはいかない。

 

 

「……この辺り、雪も固いし他と比べて変わった様子だね、赤ボス、一度掘ってみよう」

「ウン」

 

イヅナを傷つけないようになるべく水平にスコップを入れて雪を掘り始めた。

最初のうちはスコップで丁寧にやっていたけど、段々まどろっこしくなってサンドスターの爪で掘り起こし始めた。

 

冷たい、指先が痛い、本当にここで合っているのか?

何故だろう、そんなことを考え始めたころに光明は見えてくるものだ。

 

「あっ、これって……!」

 

雪の隙間から、白い布が顔を出した。

これは、おそらく袖の辺りだ。

 

「イヅナ、やっぱり……!」

 

その後は指先の痛みも左腕の痛みも忘れ、夢中になって生き埋めになったイヅナを掘り起こした。

しばらくして全身が雪から救い出されたが、イヅナの体は冷え切り、雪のように白い肌は血の気を感じさせないほど不健康に白んでいた。

 

すぐさまイヅナを抱え上げ、宿にいるギンギツネの所に向かった。

 

「おかえり……イヅナちゃんひどい状態ね、任せて、すぐに温めるから」

「任せて、いいの?」

 

「ええ、しっかりやるわ。貴方も、早くその腕を治療した方がいいわよ」

「あ、ああ……じゃあ、手当てしてくる」

 

赤ボスの案内のもと薬箱を見つけ、傷口に消毒をして包帯を巻いた。

ついでに包丁は付いた血を洗い流しておいた。

 

 

手当てを終えてイヅナの許に行くと、すでに処置を終え宿の浴衣を着せられ、血色の戻った肌のイヅナが()()()()と眠っていた。

 

「ひとまず、これで安心よ」

「……うん、ありがと、ギンギツネ」

 

「それで、もう空が暗いけど今日はどうするの……?」

「……あはは、どうしようかな」

 

穏やかに眠るイヅナの姿を見て安心するのと同時に、先のことを思い浮かべると表現しようのないのない暗雲が心の中に立ち込めるのだった。

 



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5-67 ひとつだけ

その日の夜、雪山の宿を抜け出した僕は図書館に足を運んだ。

今夜は、イヅナともキタキツネとも一緒にいたい気分じゃなかった。

 

だからイヅナにはロッジに行って待っているようにお願いしておいた。

僕が翌朝図書館で寝過ごしても、きっと迎えに来てくれるはずだろう。

 

そして、図書館に来たのはなにも二人の手から逃れるためだけじゃない。

 

「やれやれ、ようやく身の上を話す気になったようですね」

「それと、相談したいことができたから……」

 

博士に、僕とイヅナの間に起きた出来事について洗いざらい話し、そしてキタキツネとの話もして、これからどうするべきか助言をもらおうと考えた。

 

「私もやっと信用されるようになったということなのですね、感慨深いのです」

「それはいいけど、助手は……?」

 

僕と博士は向かい合って椅子に座っているけど、そこに助手の姿はない。

 

「この話は私だけが聞くべき、とか言って先に寝てしまいました」

「……そっか」

「別に構わないでしょう、それとも、私では不満ですか」

 

「……いいや、博士を信じてるよ」

「嬉しいことを言ってくれるのです」

 

 

 

「じゃあ、どこから話せばいいかな……?」

「お前はどの時点の話から知っているのですか?」

 

「この島に来る前のイヅナの記憶なら、一度見せられたから話せるよ」

「ほう、それで外でのお前の記憶は?」

 

そっちはまだ記憶に()を掛けられている。

分からないと言い首を振った。

 

「おかしな話ですね、イヅナの記憶は持っていて自分の記憶がないとは」

「あはは……自分でもそう思うよ」

 

「まあこの際構わないのです、そのイヅナの記憶を、話してください」

「分かった、まず、イヅナの生まれたところから――」

 

 

イヅナの記憶を見手から時間が経っている、もしかしたら記憶が曖昧になっているかもしれないから、今一度確認しなおそう。

 

 

イヅナは、千年以上()()()いた狐の霊魂だった。

もっと眠り続けると思われていたが、ある日何故か突如イヅナは()()()()

 

イヅナが目覚めたのはとある神社で、そこは幽霊や妖怪が集まりやすい場所だった。

 

しかし妖魔に対抗する力を持つ人も、イヅナと同じ妖も彼女に殆ど近寄ろうとしなかった。

イヅナが長い間眠っているうちに手に入れた力、『記憶を操る』という強すぎる力故に恐れられたせいだった。

 

そんな中普通に接してくれたのは年老いた神社の神主と狸の妖怪のポン吉だけだった。

イヅナが目覚めてしばらくの後、神主はイヅナの修行のため神社から彼女を送り出した。

 

イヅナが放浪の末にたどり着いたのがこのジャパリパークキョウシュウエリア。

そこにいた”フレンズ”の皆に憧れて自分もフレンズになろうとしたけど、存在が希薄になっていたせいか霊体ではサンドスターに触れられず断念。

しかし偶然その噴火の日に”かばんちゃん”が生まれ、イヅナは彼女について行って島を旅した。当然、かばんちゃんたちは気づかなかったけど。

 

その旅の終わりに出現した黒セルリアン。

イヅナも立ち向かおうとしたけど一切の攻撃ができなかった。

 

イヅナの強い力は、それを保つために多くの妖力を消費するせいで他の術に力を回せなくなっていた。

加えて能力も術も発展途上で、その時点では太刀打ちできなかった。

結局フレンズの皆の手でセルリアンは海に沈められ、イヅナは何も出来なかった。

 

そんな失意の中で、イヅナはある報告書を見つけた。

それを読んで、『ヒトに取り憑くことでフレンズになれる』という希望を見つけたイヅナ。

 

彼女は取り憑き先を見つけるために神社に戻ってきた。

しかし神主はイヅナがジャパリパークにいる間に急死していた。

悲しみを背負いつつ、イヅナはかつて見た『カミサマ』を『外の世界の僕』の中に見つけ、ポン吉と神主に別れを告げて僕に取り憑いてジャパリパークに戻ってきた。

 

 

「……結構端折ったけど、大体こんな感じだよ」

 

「そしてこの島に上陸した後、あの噴火の日にお前と共にフレンズになり、何も知らないふりをしてお前たちの目の前に現れた、と言う流れでしょうか」

「うん、そう……だね」

 

「なるほど……その後のことは私も大方把握しているので、確認はいらないのです」

「……うん」

 

話してみれば何のことはないもので、なぜ今までひた隠しにしてきたのか分からない。

でもそれは今だから言えることで、この瞬間になる以前は話す勇気も必要もなかったんだ。

 

 

「では、次は今日のことを聞きましょうか、それを話しに来たのでしょう?」

「やっぱり……言わなきゃいけないよね」

 

「ええ、今すぐに話すのです。ここに来て日和るようなら締め上げてでも聞き出すのですよ」

「あはは……怖いな」

 

 

キタキツネの錯乱した様子を鮮明に覚えている。

二度と剥がせないほど脳裏に堅くこびり付いている。

 

雪の中に埋まっていたイヅナのこともはっきりと思い浮かぶ。

冷たくて、真っ白で、力のない様子が二度と溶けない氷のように頭の中で凝り固まっている。

 

……まだ、怖い。

 

「でも、言わなきゃ始まんないよね……」

 

きっと、今ならまだ逃げることができる。

だから今のうちに話しておきたい。

いつか追い詰められて選べなくなる前に、選択肢が残っているうちに、立ち向かいたい。

 

 

 

「……そう、そこまでの事態になってしまったのですね」

「一体どうすればいいのか、分かんなくなっちゃってさ」

 

博士は手を口元にやって考えていたが、何か思い付きを得られたようで少し口角を上げていた。

 

「コカムイ、お前は今の関係をどうしたいのですか?」

「関係を、ってどういう……?」

 

「漠然とでいいのです、大方今の関係を壊したくないのでしょう? どちらかを心に決めたなら、もっと別の顔をしているはずなのです」

 

博士の言う通りだ、判断を付けられなくて宙ぶらりんになった結果、今僕はここにいるのだから。

 

「もう、あんなの見たくない、あんな、恐ろしいいがみ合いなんて」

 

僕がそう言うと、博士は「予想通りなのです」とでも言うような表情を浮かべた。

 

「だったら、これ以上ない方法があるのですよ」

「最善の方法ってこと……?」

 

そんな方法があるなら、是非ともご教授願いたいものだ。

 

「この方法を()()出来れば、小さな諍いがあったとしても大きな目で見れば丸く収めることができるのです」

 

博士は「継続」という部分を強調した。

つまり、もう一時の策ではどうにもならない事態に発展してしまったということだろう。

 

しかしそれも仕方ない、僕がそれをして少しでも解決に向かうなら……

 

「それで、その方法って?」

「なに、難しい話ではないのです、一度しか言わないのでよく聞くのですよ?」

 

すると博士はテーブルに身を乗り出し、僕の眼前に人差し指を突き付けた。

 

 

「コカムイ、お前が二人とも()()()しまえばいいのです」

「……え?」

 

 

「……やれやれ、何故固まっているのですか?」

「いや、だって……」

 

「まさか考え付かなかったのですか? それとも、考えないようにしていた……とか」

「いや、でも、他にもやり方は――」

「存在しないのです」

 

無慈悲にも博士は断言してしまった。

 

「お前はさっき『最善の方法』と言いましたが、それは違うのです」

「違う? ならどういうこと……?」

 

「今私が言ったのは『最善』ではなく『唯一』の方法なのです。事態を穏便に収めることを目的とした場合、ですがね」

「なっ、これしか選択肢はないって言うの!?」

 

「コカムイ、もしお前が片方を選べば、選ばれなかった方が必ず……ええ、必ず荒事を起こすでしょうね」

「それは、そんなこと……」

 

「あり得ない? あの二人の言動を見て一体なぜそんなことが言えるのですか?」

 

確かに、博士の言う通りだ。

イヅナも、キタキツネも、最後には手段を選ばなかった。

 

「なら、事態が収まるまで雲隠れでもすれば……」

「そうなれば、間違いなく二人の潰し合いが始まりますね」

「どうしてさ……」

 

「片や相手のもとにセルリアンを送り込み、片や相手を雪の中に埋めてしまった……そんな二人がもっと直接的な対立をしていないのは、互いの感情がお前に向いているからなのです、そのお前がいなくなれば、感情の矛先は……」

 

博士はそこで言葉を切った。

しかし、そこまで言われてしまえばその先に続く言葉は容易に察することができる。

 

感情の矛先はそれぞれに向き、憎しみとなって、血で血を洗うような争いになるのだろう。

 

 

「もう、これしかないのかな……」

 

「おほん、こう言うのもアレですが、いっそのこと開き直って楽しめばいいのです、これ以上自分を追い詰めてもいいことないのですよ」

 

「……」

 

アハハ、『選べなくなる前に』だなんて言える状況じゃなかった。

そもそも選択肢なんて無かった、もう僕には一本道しか残されていない。

 

「しかしお前から提案すると言うのも荷が重いでしょう、あの二人には私から話を通しておくのです」

「そんな、別にそこまで……」

 

「いいのです、相談を受けた以上最後まで責任を持たねばなりませんし、もしかしたら、有耶無耶にされるかもしれませんからね」

「あはは、そう」

 

まだ、何が何だかよく分からない。

頭が真っ白になってしまった。それくらい、博士の案は衝撃的なものだった。

 

 

「蛇足ですが、ついでにもう一つ言っておくのです、お前がどうしても片方を選ぶと決めた場合の話ですが……」

 

正直に言って、もう聞きたくなかった。

それでも、耳を塞ぐほど落ちぶれたつもりはない。

 

「その時は()()()()()()()()()()()くらいの覚悟が必要だと、必ず覚えておくのですよ」

「……分かった」

 

こんな話、もうたくさんだ。

明日のことは明日考える、今日はもう寝てしまおう。

今夜は図書館の寝床にお世話になる。

 

そこに向かおうとすると、博士に呼び止められた。

 

 

「コカムイ……怖いのですか?」

「何……? そりゃ、怖いよ、どんな恐ろしいことが起きるか分かんないしさ」

 

「いいえ、そうではないのです」

「そうじゃないって?」

 

博士はどこか言葉に詰まっている様子だ。

 

「お前を見ているとその、二人そのものではなく……あの、そう、もっと別のものに、形のないものに怯えているように見えるのです」

「……!」

 

流石、博士は賢いな。

 

「そうかも……きっと怖いんだ、好意を向けられることが」

「……! しかし、それでは……」

「いいよ、これで全部解決するなら――!?」

 

目にも留まらぬ速さで博士は僕の目の前まで飛び込み、強く肩を揺さぶった。

 

「良い訳がないでしょう!? そうしたらお前は、本当に壊れてしまうのです、今でもボロボロではありませんか!」

 

「あは、アハハ……なんか、分かったような気がするよ」

 

外の世界の僕は、全てを忘れることを望んだ。

その時の気持ちって、きっとこんなものだったんだろうな。

 

「ああもう、さっきの言葉は撤回するのです、お前を壊してまで解決など出来ません!」

「やめて、それ以外に方法はないんでしょ?」

 

「なら、心が壊れてしまってもいいと言うつもりですか、私は許さないのです」

 

「……やだよ、そんなの」

「だったら尚更――」

 

「だったら、決断する時までに克服すればいい話だよね」

 

博士は度肝を抜かれたような呆けた顔になった。

 

「お前は、自分がどれだけ無茶なことを言っているか自覚しているのですか?」

 

「十分ね、でも当てはあるよ」

「……一応、聞いておくのです」

「ありがと……僕が思うに、怖いのは分からないからだよ、なんで怖いのか分からないから、だから、何が怖いのか()()()()んだ」

 

「思い出すということは……ですが、頼んだとしてやってくれるのですか?」

 

「大丈夫だよ、前に『あと一回だけ』って言ってたから」

「……ふふ、”最後のわがまま”という訳ですか」

 

 

イヅナは記憶の封印が不十分と言っていた。

そしてそのせいで度々発作のような症状が起きるとも。

 

きっとそれは、『僕』が忘れたがっていたトラウマだ。

形の見えないトラウマに、ずっと悩まされ続けてきた。

 

だから、そんなのはここで終わりにしよう。

 

 

「じゃあ、今日はロッジに戻るよ」

 

「まさか、今すぐに話をするのですか?」

「善は急げ、ってね」

 

「……では、おやすみなのです、いい夢を見るのですよ」

「あはは、それは保証しかねるかな」

 

例え選択肢が一つしかなくても、結末にたどり着くまでの道は好きに彩ることができるはずだ。

運命の一本道には、まだ先がある。

 



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幕間 『天都神依』は物語る
−1-68 話劇


――ここは、夢の中だ。

体がフワフワと浮いているような感覚を覚える。

 

……ええと、そうだ。

あの後ロッジに戻り、イヅナに記憶を戻すように頼んだ。

案の定説得が必要だったけど、その過程は重要じゃない。

 

とにかく説得には成功し、記憶を戻してもらうことになった。

 

 

しかし、ただ記憶を戻すだけでは思い出した記憶を辿るのに時間がかかってしまう。

それに、思い出した記憶とそうでない記憶がごちゃ混ぜになってしまう。

 

だから、”夢を見る”という形で『僕』の記憶を追体験できるよう、眠る前にイヅナに頭の中を弄りまわしてもらった。

 

その結果が、今のこの状態だ。

 

所謂”明晰夢”、というやつだ。

でも自由には動けず、意識もぼんやりしたままだ。

これから何か変化が起きるのだろうか。

 

ゆっくりとなら、頭を回して周りを見ることができる。

 

夢の世界に果てはない。

果てしないほど遠くの”空”に、虹色だったり白黒だったり訳の分からない物影が見える。

それの形を形容することはできない。

 

 

そんな摩訶不思議な空間の中にポツリと一人、まるで僕のように佇む人影が見えた。

 

その人影は向こうを向いていて顔は見えない。

だけど彼だけは、この世界の他のものと違って鮮明に見ることができる。

あれは、学校の制服かな? ズボンを履いているから、間違いなく男子だ。

 

記憶の中にいるからか、僕は彼に対して強烈な既視感を覚えていた。

それも、『前に見た』と言う感じではなく、もっと重要な、僕にとって大きな存在。

 

誰だろう、知りたい。

そう思うと自然に体が彼に近づいていくようだ。

 

しかし、その動きは遅い、じれったい、ゆっくり、ゆっくり……

 

ついに後1メートルほどまで近づいたとき、それ以上近づけなくなった。

手を伸ばしても届かない、叫ぼうとしても声は出ない。

 

それでも必死にもがいていると何の因果か、彼は僕に気づいたようだ。

彼がこちらに振り向く、僕は絶対に彼の顔を見逃さぬよう、しっかりと目を見開いた。

 

 

――彼は、僕だった。

 

 

「……え?」

 

『僕』の顔を認識した途端、世界が()()()なった。

体が自由に動かせる、声も出せる、足も地に着いた。

 

「君、は……?」

 

僕がこんな服装をしたことはない。

間違いなく外の世界にいた時の僕だ。

 

僕が『僕』の答えをじっと待つと、『僕』はゆっくりと口を開いた。

 

「……やっぱり、こうなっちまったか」

 

「やっぱり……?」

 

まるで、今の状況を予見していたかのような物言いだ。

 

「ああ、大方自分とそっくりな顔が目の前にあって混乱してんだろ? 心配すんな、俺も一緒だよ」

「え、え……?」

 

「しかし、まさか神社の神主みたいな服を着るようになるとは()にも思ってなかったけどな」

 

僕と顔はそっくりだ、声もほとんど同じだ、だけど、この短い、やり取りともいえない会話でも僕は確信した。

 

彼は、僕じゃない。

でも彼は悪くない、僕が変わってしまったんだ。

()変わってしまったんだ、イヅナに名前を付けられて。

 

 

「だが思い出しに来たってことはつまり、俺の記憶が悪さしてるんだな?」

「わ、悪さとかそんなんじゃ……」

 

「いいんだ、お前がここにいるのも俺がかつて向き合えなかったせいだからな」

「……どうして」

 

「どうして忘れたいと思ったのか、か? そうだな、折角こんな形で会えたんだ、しっかり全部説明してやるさ」

「えっと、でもこっちの事情とかも話さないと……」

 

彼は手をヒラヒラと振り、顔も横に振った。

 

「ここはお前の頭の中、俺はお前の事情を大体分かってるよ」

「ああ……そうなんだ」

 

テレパシーで無理やり覗かれているみたいで少しモヤっとするけど、細かな説明が必要ないならそれはそれでいいか。

 

 

「じゃ、さっさと話し始めるとするか、結構衝撃的な記憶もあるから気を付けろよ?」

「う、うん……」

 

「……いや、少し待て、話す前に、いくつか聞いてもいいか?」

「……いいよ」

 

彼は軽く咳ばらいをして、問いかけをしてきた。

 

「お前は外の世界に帰りたいと思うか?」

「……ううん、記憶を見たなら分かると思うけど、僕の居場所は外にはないよ」

 

「そうか、じゃあそんな状況にしたイヅナを恨んでるか?」

「……いいや、不思議と、そういう気持ちはないよ」

 

「……あの二人が怖いか?」

「怖いから、思い出そうとしてるんだよ」

「ああ、ああ……色々聞いて悪かったな、最後に一つだけいいか?」

「……うん、最後だよ?」

 

「分かってる」、と彼は軽く笑って一変、真剣な顔になった。

 

「……覚悟はできてるか?」

「できてるよ」

 

「それは良かった……ああ、自己紹介がまだだったな」

「そう言えば、そうだったね」

 

そっか、彼の名前が、外の世界での僕の名前だったんだ。

 

「改めて初めまして、狐神君」

 

もう、僕と彼は別人だ。

 

「俺の名前は、天都神依(アマツ カムイ)だ」

 

かくして、天都神依は物語る。

外の世界で彼を巡って起きた、たった一つの惨劇を。

 




今回は幕間の前置きということで短めです


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−1-69 寸劇

 

キーンコーンカーンコーン……

 

『起立、礼!』

 

終業のチャイムが鳴り、今日も放課後が訪れた。

両手を組んで腕を大きく伸ばすと、凝り固まった体が少しはほぐれてきた。

 

もう4時頃になるが太陽は高く日射しは強く、もうすぐ真夏になることをひしひしと感じさせられる天気だ。

 

「ふう……今日の授業も終わったか」

「あ、あのー……」

 

声のする方を向くと、隣の席の女子が申し訳なさそうにこちらを見ている。

 

「はぁ、いつものか?」

「う、うん、いつもごめんね」

 

「気にすんな、北城の解けない問題はいつも分かりやすいからな」

「ど、どういう意味……!?」

「ハハハ、で、今日はどこだ?」

「ええと、ここの計算なんだけど……」

 

普段のように解き方を解説していると、これまた普段のようにアイツがこちらにやって来た。

 

「おー、神依は今日も北城の専属教師か、大変だな」

「そう思うんなら代わってくれよ、俺より頭いいだろ、()()()()?」

「それはそれは、非常に魅力的な提案だけど、お断りさせてもらうよ」

「ちぇ、そうかよ」

 

何が『魅力的な提案』だ、そもそもこの専属教師のような付き合いが始まったのはコイツが『神依が教えてやればいい』とか言い出したせいなのにな。

 

「それに神依、”木葉博士”ってあだ名で呼ぶのは高校生になってもキミだけだね」

「別に広めようとしてるわけじゃねぇよ」

 

 

その後も適当な雑談をして時間を浪費していると、今度は隣のクラスからよく知る人物がやって来た。

 

「カム君、一緒に帰ろ! ……って、今日も子守りなの?」

「ぼ……わたしは子供じゃない!」

「はいはーい雪那ちゃん可愛いでしゅねー!」

「や、やめてよ!」

 

コイツが隣のクラスからやってきて北城を子ども扱いしてからかう。

高校に入ってから何十回と見せられたいつもの光景だ。

 

 

 ”……さて、ここで登場人物を整理しておこう、ちゃんと聞けよ?”

 

まずは俺、天都神依、まあさっき言ったから別にいいよな。

 

んで次は……”木葉博士”にするか。

 

俺が記憶の中で木葉博士と呼んでいたのが「木葉 遥都(キバ ハルト)」、小学生の頃からの付き合いだな。

簡単に説明すると、すごく頭が良い、知識も豊富。

そんな訳でいつの間にか博士って俺が勝手に呼ぶようになった。

いつもそう呼んでる訳じゃないし、まちまちだけどな。

 

次に、俺の隣に座ってた女子。

 

彼女の名前は「北城 雪那(キタキ セツナ)」。

遥都と違って中学からの知り合いだな。

どんな人間かはこれから説明できるから省くが、なんというかゲーマー気質な奴だな。

 

最後、隣のクラスからやって来た女子。

 

名前は「神無岐 真夜(カンナギ マヤ)」。

幼稚園くらいからの付き合いで、今あげた三人の中では一番長く時を過ごしている、所謂幼馴染という奴だ。

ま、お前ももしかしたらピンと来たかもしれないが、コイツは気を付けて見とけよ。

 

”じゃあ、気を取り直して記憶を辿るとするか。”

 

 

「そこら辺にしとけ、それにもう今日の分は終わったぞ、帰るか?」

「うん、早く行こうよ!」

「お、おい、引っ張るなよ」

 

真夜が俺の手を引っ張るが、如何せん力が強すぎる。いつか手首が千切れてしまわないか心配だ。

 

「こっちも相変わらずだねぇ……」

「遥都、感心してないで助けろよ!」

「あわわわ、私はどうすれば……」

 

慌ただしい放課後、いつの間にやら他の生徒はみんな帰っちまった。

時計を見て、授業が終わってからもう30分も経っていることにようやく気付いた。

 

「おいおい、もうこんな時間か?」

「今更気づいたのかい? 君たちがじゃれあっている間に15分は過ぎたよ」

「じゃれあってねぇし、真夜が来たのはついさっきだろ」

「……ふむ、そうだったかい?」

 

今更忘れたふりが通じるかよ。

中学の時のあの神経衰弱、俺は一生忘れられないね。

気が付いたら全部のカードをあいつに取られてたからな。

 

……ま、問い詰めてもはぐらかされるだけか。

 

「まあいいや、帰るぞ」

「ああ、そうしようか」

 

俺たち二人が揃って教室を出ると、後ろから真夜と北城がすぐさま追いかけてきた。

 

「カム君、私を置いていくとはどういう了見?」

「真夜ちゃんはまだしも、わたしを置いてくのはひどいですよ」

「何よ雪那ちゃん、宣戦布告?」

 

二人も視線がバチバチと音を鳴らしているが、最近になるとそれに対する驚きも無くなった。

一番初めのこんなやり取りは中三の頃だったかな、最初はあたふたして止めに入ったけど、ここまで続けばもう慣れたものだ。

 

「仲良しだな、こいつら」

「心の底から言ってるのかい……!?」

 

目に見えて狼狽える遥都、しかしコイツの場合は本気か冗談か分かりづらいな。

 

「おいおい、俺が今まで嘘ついたことあるか?」

 

すると遥都は指を折って数を数え始めた。

 

「ええと、1、2……」

「律儀に数えなくていいんだよ!」

 

 

 

なんか面倒になって言い合いを始めた二人を黙らせ、さっさと帰路に就くことにした。

 

「考えてみりゃ、学校で色々することはあってもこう、四人で帰るのは初めてじゃないか?」

「夏休みを前にして色々休みになったりしたからね、たまには悪くないんじゃないかい?」

「ま、それもそうだな」

 

「私は明日から文化祭の準備だよ……何も夏休み前から始めなくてもいいのに」

「聞く限りだと、この学校の文化祭かなり大きなことやるらしいからな」

「それにしてもなんで私が……」

 

「日頃の行いが……ふふふ」

 

北城は落ち込む真夜を見て憐れむように笑った。

 

「もう……雪那ちゃんはひどいや」

「まあ、ドンマイ」

 

 

それにしても、学校でよく絡む四人の家が揃って同じ方向にあるというのは相当の偶然、小さな奇跡みたいなものだな。

幼馴染の真夜は当然として、遥都もそうだし果てには北城までだからな。

 

”……今考えると、ある種の運命だったんだな。”

”本当におぞましい運命だが。”

 

 

 

「ただいまー」

「おかえり神依、今日は学校どうだった?」

「どうって別に、いつも通りだよ、何もないって」

「何も無いことないでしょう、神依はいつもこうなんだから」

 

「……いいだろ、俺は荷物(コレ)片づけるから」

 

いつもと変わらない母さんの質問をスルーして、二階にある自分の部屋に行った。

夏になると二階は暑くてたまらないが、扇風機を付ければある程度しのげるし、煩い母さんのいる一階よりは過ごしやすい。

 

「ホントに、いつも通りだからな……まいっか、宿題するとしよう」

 

考えたくもない。

きっと、明日も今日と同じ一日になることだろう。

 

 

 

「……そんな訳もねぇか」

 

翌日の放課後、真夜は昨日言っていた文化祭の準備、そして遥都は何かの用事で居残りとなった。

そしてどういう風の吹き回しか俺と北城が二人で帰ることになった。

 

「こうも珍しい日が続くとはな」

「そんなこと言って、ホントは()()と二人きりで嬉しいんでしょ?」

「……嬉しいのは北城の方じゃないのか?」

 

「えへへー」

「はぁ……」

 

御覧の通り、北城の一人称は”ボク”である。

今まで北城のこの一人称を聞いたのは俺と二人きりの時だけだ。

 

なんでも昔憧れてたゲームのキャラの一人称がそれで、真似してるうちにそれが頭に染みついちゃったらしい。

成長するにつれ流石に恥ずかしくなり隠すようになったらしいが、驚きや怒りのあまり漏れ出てしまうことも少なくない。

 

 

分かれ道に差し掛かると、先を行っていた北城が振り返った。

 

「ねぇねぇ、今日はこっちの道行こうよ、気になる場所があるんだ」

「こ、こっち側は……いや、分かった」

 

実を言うと、さっき北城が指した道の方が早く帰ることができる。

しかし、とある事情で俺はこっちの道を避けていた。

 

北城の”気になる場所”がその原因の場所でないことを祈りつつ、俺は北城の後ろについて行った。

 

 

「あー、ここか」

 

石造りの階段があり、その先には赤い鳥居が建っている。

これは神社だ。

昔に、この神社は稲荷神を祀っていると聞いたことがある。

 

そして、この神社こそが俺がこの道を避けてきた理由だった。

小さい頃、遥都と真夜には話したんだっけか。

中学くらいから本気で避け始めたから北城に話す機会はなかった。

 

ただでさえ北城はインドア派だからな、この神社に興味を持つこと自体珍しいことに感じる。

 

「ねえ、ここってどんな神社なのかな?」

「……帰るぞ」

「ええ!? ちょっとちょっと!」

 

触らぬ神に祟りなし、向きを改め立ち去ろうとしたが、回り込まれてしまった。

 

「待ってよ神依、ボクのお願い聞いてくれないの?」

「早く帰らないと心配されるぞ」

「まだまだ明るいよ! ……もしかして入りたくないの?」

「もしかしなくてもその通りだ、帰るぞ」

 

何でもいいからここから離れたい。

それが俺のためになるし、そうした方が絶対に喜んでくれる。

 

「じゃあさ、なんで入りたくないかだけ教えて……?」

「え、どうでもいいだろ……」

 

「良くないよ、神依この神社のこと知ってるでしょ、さっき『ここか』って言ってたもん」

「げ……勉強はできないのに、妙な記憶力はあるんだな」

「”妙な”なんて言わないで、ゲームで鍛えたんだよ!」

 

「へぇ……格ゲ「わー、わー!」

 

言葉を大声で遮られた。

しかも耳元で叫ぶもんだから耳がキンキンして辛い。

 

「大きな声を出すな、一体どうしたんだよ?」

「しー!」

 

北城は口に人差し指を当てて静かにしろとのサインを発している。

 

「誰かに聞かれたらどうするの……?」

「聞かれるわけねぇだろ、大体格ゲー好きだからって「わー!」

 

「……分かった、もう言わねぇよ」

「もう、大きな声出すのもその、恥ずかしいんだからさ」

「じゃ、帰るとするか」

 

「……」 「……」

 

「……騙されないよ、神依」

 

しかし、まわりこまれてしまった。

 

 

「そんなに聞きたいのか?」

「うん、だって真夜ちゃんとか遥都君には話してるんでしょ?」

「まぁ……そう、だな」

 

全く、中々痛いところを突いてくる奴だ。

 

「ボクだけ仲間はずれなの……?」

「そういうつもりじゃない、単に話す機会が無かっただけだ」

 

中学からとはいえ、北城とは一番付き合いが短い。

そこに引け目か何かを感じてしまっていたのかもな。

 

”ま、それだけじゃなかったんだが……”

”それに、今のこれもタダでは終わらなかったからな”

 

「神依、真夜ちゃんと遥都君は名前で呼ぶのに、私だけ苗字で呼ぶよね」

「そ、そりゃあ、成り行きと言うか、な?」

 

「ボクだけ、ボクだけ……!」

「お、おい、北城?」

 

北城は俺の言葉を聞いていない。

 

「神依、ねえ」

 

俯いたまま一歩……

 

「どうして、ボクだけ……」

 

また一歩と俺に近づいてきて……

 

「神依、神依――」

「だー! 面倒だな、ったく、仕方ないから話してやるよ」

 

「……神依、ホント?」

 

顔を上げた北城の目には涙が溜まっていた。

 

「本当だからさっさと涙拭けよ、ほら、ハンカチ」

「ん、ありがと」

 

 

俺は石垣の壁に寄りかかって、かつての思い出を想起しながら話を始めた。

 

「ここの神社な、『天津神社』って名前なんだ」

「”アマツ”……ってもしかして?」

 

「ああ、ちょっと漢字は違うがな。で、俺の爺ちゃんがここの神主をやってる」

「なら、なんで神依はここに住んでないの?」

「爺ちゃんがな、『この神社は儂一人で十分』って言って聞かなくて、結局別居したんだ……」

 

「でも、それだけじゃないんでしょ?」

「……ハハ、敵わねぇな」

 

それまで見通されたら、もはやお手上げだ。

 

「信じられないかもな、だけど本当のことだ。爺ちゃんは、妖怪とか幽霊とか、そういう類のものを家族、特に俺に近づけたくなかったかららしいんだ」

「妖怪に、幽霊……!?」

 

「なんでも、俺はよく引き付ける体質なんだとさ」

「そっか……あれ、でも引き付けるならどこに住んでも同じじゃない?」

 

き、北城のやつ、なんでこうも重要な部分ばっかり突いてくるんだ?

 

「あー、爺ちゃんも同じ体質で特に強いらしい、俺の体質は爺ちゃんからの遺伝って聞いたな。父さんにはそんなの無かったみたいだけどさ」

 

「そっか、お爺ちゃんに引き寄せられてるんだ」

「まあ、”神社”って場所に寄せられてるのも多少はあると思うけどな」

 

……まあ嘘は吐いてないし、これで納得してくれるだろ。

ああ、さっさと帰りてぇ。

 

「思いやりのあるお爺ちゃんなんだね」

「まあな、小さい頃は結構遊んでくれたし」

 

よしよし、このまま当たり障りのない思い出話とかに話題を変えられれば――

 

「そんな優しいお爺ちゃんに会いたくないなんて……もしかして、喧嘩でもした?」

「そうじゃねぇ、会いたくないわけじゃないし会いたいさ、だけど爺ちゃんのために行かねえんだ」

 

俺は空を見上げ、あの日のことを思い出した。

 

 

そう、あれは小学校に入学する直前の初詣の時の話だ。

それまでは自由に神社に遊びに行けていたのだが、その前の夏ごろから父さんに止められて行けなくなっていた。

 

小さい頃から()()()()()俺は、時折そこにいる不思議な奴らと遊んでいた。

今回の正月はしばらく遊べなかったのもあっていつもよりもはしゃいでいると、抜け出した俺を見つけた爺ちゃんにこう言われたんだ。

 

『神依、お前は勝手に歩き回ってはいけないのじゃ』

『どうして? ()()()()()がいて楽しいし、みんな優しいよ』

 

『それは儂も知っておる。だが、お前は人だ、彼らの持つ妖気に当てられ続ければ普通ではいられない』

『でも爺ちゃんはずっとここにいるじゃないか』

『ああ……儂はもう変わってしまった、それでもお前には普通の人として生きてほしいんじゃ』

『……爺ちゃんの言ってること、よく分かんないや』

 

『それでいい、お前は父さんたちと一緒に暮らすのじゃ』

 

爺ちゃんの目は潤んで、しわがれた声も心なしか哀れみを帯びているように聞こえる。

それも、今必死に思い出してそんな気がしているだけなのだが。

 

『オレ、爺ちゃんに会えないの?』

『そんなことはない、年に一度、正月の時はしっかりとお祓いをしてやる、とびっきりのご馳走も用意する。じゃから、寂しいかもしれんが我慢してくれぬか……?』

 

『……分かった、爺ちゃんがそう言うなら』

『ありがとう、すまない、神依――』

 

その後、俺は約束通り正月にだけこの神社に訪れている。

それも家に来た爺ちゃんにお祓いをしてもらってからだ。

 

お祓いをしているから妖も寄ってこなし、年に一度会えるとはいえ寂しいものは寂しい。

いつしかそんな寂しさを忘れるため、普段はこの道を通らず、神社のことも爺ちゃんのことも考えないようにしていた。

 

父さんや母さんも、俺のそんな気持ちを察してくれたのか、あんまり俺の前で爺ちゃんの話題は出さなかったな。

 

 

 

「――い、神依!」

「……っ、お、おう」

 

思い出に浸るあまり我を忘れちまってたみたいだな。

 

「で、結局なんで会いに行かないの?」

「……約束、したからだよ」

 

「約束……そっか」

「聞かねぇのか?」

「ボクはそこまで野暮じゃないよ♪」

「じゃあ、今度こそ帰るぞ」

 

立ち去る前に、もう一度だけ神社を見上げた。

俺の目には懐かしい鳥居と、その向こうの妖しい喧噪がぼんやりと映っていた。

 



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−1-70 惨劇

 

「んでもって、今日は遥都と二人で下校か、真夜はアレだし……そういや北城もか」

「ああ、北城さんも災難だったね」

「……ま、仕方ないとも言えるだろ」

 

今日は北城も文化祭の準備のに駆り出されている。

 

”人数が足りない”という理由で、真夜が無理やり北城を文化祭準備班のメンバーに巻き込んだのだ。

北城を巻き込んだ理由と言えばおおよそ分かりきっていることだが、ここまでやるとはな。……いや、ここまでやる奴か、アイツは。

 

 

「でも、こういう風に帰るのは珍しいね」

「ああ、こんなときはいつも真夜と三人だったからな」

 

「……」 「……」

 

「話すこと、ないね」

「良くも悪くも、真夜(あいつ)が賑やかしだからな」

 

だとしても、過剰なスキンシップは勘弁願いたいものなのだが。

待てよ、そう考えると今日はある意味安心して帰れる日じゃないか。

もっとこんな日が増えればいいのに。

 

 

「遥都、勉強の方は最近どうなんだ?」

「……まさか、君にそんなことを訊かれるとはね」

「そうか、いつも通り問題ないんだな」

「ハハ、冷めた振りをしても分かるよ」

 

「だったら皮肉めいた返しはやめてくれよ?」

「ふむ……善処しよう」

 

学年トップの余裕か、頭のいい奴って捻くれた性格をしてることが多いように感じるのはなんでだろな?

 

「それはそうと神依、君って好きな人はいるのかい?」

「な、なんだよ藪から棒に」

「いや、高校に入っても君のそういう話は一切聞こえてこないものだからね、少し心配になって」

 

まあ、確かに色恋沙汰は全然ないし、そもそも他のやつのそういう話も俺の耳には一切届いていない。

……嫌われてるのか? 違うよな、そう信じたい。

 

「遥都だって似たような感じだろ?」

「ああ、残念ながら周りに魅力的な方がいないからね」

「へへ、そうかよ」

 

見ての通り遥都はお高く止まってるように見える節があるから、今後どうなるか少し心配だ。……なんか、コロッと騙されそうだ。

 

「話を戻すとして、いるのかい、神依?」

「忘れてなかったか……あー、居ないよ、そんなの」

「……本当かい?」

「……本当だ」

 

記憶を辿ってみても、”好き”というまでに強い感情を抱いた相手は思い浮かばないな。

 

「こんなこと訊いて何になるんだ?」

「何になるとかじゃなくてほら、気になるからさ」

「ま、別にいいけどな」

 

てっきりそこでこの話は終わるものと思っていたが、遥都は納得のいっていないような神妙な顔をしていた。

 

「なあ神依、本当に、いないのか?」

「ああ遥都、本当に、いないんだ」

 

「……そうか」

「なんでそこに拘るんだ?」

「いや、もう気にしないでくれ、それより夏休みの予定はあるのかい?」

 

さっきまでとは一転、遥都は話題を変えたいようだ、まあ興味の薄い話だったしいいか。

 

「予定か、あー、料理かな」

「毎年恒例のだねぇ、でも神依は毎日自分の弁当作ってるじゃないか、”夏休みの予定”とは少し違うんじゃない?」

「それはそれ、これはこれだ、家族全員分作んなきゃいけないんだよ」

 

「神依の母さんが実家に帰るから、だったね」

「ああ、そしてそれが、俺が料理を作るきっかけになったんだ……」

 

「……その話も毎年聞いているよ」

「この際だ、今年も聞いてくれ」

「きっと、オレはこの話を来年も聞くんだろうね」

 

”もう、話してやれなくなっちまったけどな”

 

 

俺が生まれてから母さんが初めて実家に帰ったのは、俺が小学5年生の夏休みだった。

それまで手のかかる俺の世話に追われて、少し遠くの実家に帰る機会がなかった母さん、だけど俺も高学年になりようやく少し楽になって、母さんは実家に帰る時間を取れた。

 

母さんは実家の家族と楽しくやっていたので良かったが、問題はこっちに残された俺と父さんに襲い掛かったんだ。

 

食事はいつも母さんが作ってくれていたし、用事がある時はインスタントで済ませていた。

しかし今回は久しぶりの帰省で少し長く母さんが家にいないため、父さんが代わりに料理をしてくれることになった。

 

……そう、それが悪夢の始まりだった。

 

『……うぇっ!? 何だこれ、まずいぞ父さん!』

『まさか、そんなわけ……んぐっ、何だこれは、一体何なのだ!?』

『父さんが作ったんだろ!?』

 

父さんの料理は絶望的に不味かった。

 

その物体はとても食えたもんじゃなかった。

というか、俺はその時忘れていたんだ、父さんはカップラーメンを作る時でさえお湯をこぼしてしまうほどの料理下手だということに。

 

『かくなる上は……俺がやるしかないか』

 

丁度その頃学校で家庭科の授業が始まり、調理実習も一回だけだが体験していた。

このまま父さんの料理を食べ続ければ一週間と持たない。

 

調理実習で習得した数少ない料理スキルと、レシピが載っている教科書と料理本を駆使して俺は必死に二人分の料理を作った。

 

かくして母さんの帰省中に餓死してしまうことはなく、なんとなくその後もぼちぼち料理を続けたおかげでそれなりに料理が作れるようになった。

 

 

「今俺が料理を作れるのは、あの時の涙ぐましい努力のおかげだったんだ……!」

「ふわぁ~……確かに神無岐や北城さんより上手だもんね」

「その通りだが、なんで欠伸してるんだ? 俺が一生懸命話してるってのに」

 

「ポカポカした陽気で、眠気が誘われるのさ」

「嘘つけ、単に聞き飽きただけだろ! それに今は夏だ、ポカポカというよりメラメラだぞ!」

「分かってるじゃないか……ふわぁ~……」

 

遥都は大きな欠伸を繰り返している。

こんな炎天下でそんな様子を見せられると、少し心配になってくる。

 

「おいおい、大丈夫か?」

「……問題ないさ」

「なら、いいんだけどな」

 

こうして、その後も取るに足らない雑談をしながら、真っ直ぐ家に帰った。

 

 

 

次の日は、一学期の最終授業日だった。

授業を終えて教室から出ていく遥都と北城を眺めた後、俺も支度をして学校を後にした。

どうやら今日は遥都も用事があるらしい、何とは教えてくれなかったが。

 

「まあ今日は、一人で寂しく帰るとするかな」

 

校門に差し掛かったところで後ろから何やら走るような足音が聞こえてきた。

 

なあ急いでる人もいるんだな、と特に気に留めず次の一歩を踏み出そうとしたその時、件の足音は俺の真後ろまで到達し、俺の腕が強く引っ張られた。

 

「うわっ、何だ何だ!?」

「”なんだ”じゃないよ、私だよカム君!」

 

「……なんだ、真夜か」

「むう、また”なんだ”って言ってる……」

 

妙なところに凹む真夜を見ながら、強く引っ張られて痛みを感じる左腕を撫でていた。

 

「で、なんでいるんだ、文化祭の準備はどうしたよ?」

「えへへ、すっぽかしちゃった、ささ、帰ろ」

「よし、今すぐ行ってこい」

 

「……帰ろ?」

「ああ、俺は帰る、お前は準備に行ってきなさいな」

「えー、なんで遥都君みたいな言い方なの?」

 

俺はそんなつもりじゃなかったけど、そんな風に聞こえたのか?

 

「長く過ごしてたら口調が伝染ることもあるだろ」

「遥都君より長い付き合いの()()喋り方は伝染らないのにね」

「そりゃお前、俺が女口調だったら違和感しかないだろ」

 

手を顎に当ててしばし思案に耽り始めた真夜。

おいおい、いちいち考えるようなことか?

 

「……そうだね」

「何だよその間は」

 

「いや、でもカム君なら女装すればもしや……」

「恐ろしいこと考えんじゃねぇ!」

「恐ろしくなんてないよ、カム君って案外中性的な部分もあるからそこを強調すれば……うん、いける」

「”いける”、じゃなくてな?」

 

真夜の着せ替え人形になるなんて死んでもゴメンだぞ、いや、むしろ人形扱いさせられた時点で死んだも同然だ。

”……ああ、死人と同じさ”

 

 

「あれか、文化祭の出し物に”女装”でもあるのか?」

「そうじゃないけど……えへへ、楽しくなっちゃって」

「ったく、やっぱり準備には行かないのか?」

「うん、私の分はきっと雪那ちゃんがやってくれるよ!」

 

「だといいな……」

 

その後は適当なことを駄弁りつつ、燦燦と輝く太陽の下をトボトボと二人で歩いた。

 

しかし、喋っていると一人で帰る時よりも時間が短く感じられる。

暑さにさらされる体感時間が減るのは遥都のどんな素晴らしい知識よりも役に立つだろうと、暑さにやられた頭でそう考えていた。

 

 

 

「あ、もう家まで来たのか。んじゃ、また明日な」

「ま、待ってカム君!」

 

「……どうした?」

 

真夜はまごついた様子でもじもじと身をくねらせている。

 

「え、ええと、やっぱり、何でもない」

「……そうか、言える時でいいぞ」

「うん、じゃあ、また明日ね」

 

クルっと向こうを向いて、逃げるように走り去ってしまった。

俺はそんな真夜の姿を、彼女が見えなくなるまで眺めていた。

 

「まさか……な」

 

 

 

一学期の最終日、昨日よりも太陽は熱く輝き、校長先生は「真夏のようないい天気」とそれを形容した。

どう考えたって程々な気温の方が良いだろうにと、心にもないであろう社交辞令に対してもツッコミを入れてしまうほど俺の精神は暑さに苛立っていた。

 

 

終業式の後には、”死ぬな”とか”万引きするな”とか小学生の頃から聞かせ続けられたいつものアレを言われる学活が待っている。

 

今はちょうど、その学活の始まりを待つ休憩時間だ。

 

「あー、あちぃ……」

「今夜は熱帯夜になるかもしれないね、夕立がありそうな様子だけど、果たしてどうなるか……」

「夕立って雨か? だったら是非とも降ってほしいところだな」

 

「うぅ……神依……」

 

呼ばれて振り向くと、北城が俺に飛び掛からんとする姿勢でいるのが見え、思わず数メートル飛び退いた。

 

「おい北城、今日は間違っても引っ付くなよ、俺を殺したくなかったらな」

「……明日なら、いい?」

「それは明日の俺に聞くんだな」

 

「ふむ、オレの経験上、こう言うときの神依は明日も断るね」

「ひどいぃ、神依ぃ……」

「余計なこと言うなよ!」

 

「まあまあ、怒ると余計に暑いよ?」

「うぐぐ……ああ、そうだな」

 

こんな気温でも遥都はキレッキレだ。

遥都と北城を見ていると、もし真夜もこのクラスだったらと想像して寒気がする。

 

……おお、少し涼しくなった。

 

 

『……では、みんな夏休み明け元気に学校に来るように!』

 

『起立、気を付け、さようなら!』

 

 

「ねえ神依、ちょっと手伝ってほしいの」

「手伝う?」

「うん、その、文化祭のアレなんだけど、昨日真夜ちゃんがサボったせいで本格的にヤバくて……」

 

なんてこった、昨日俺は何に代えてでも真夜を準備に行かせるべきだった。

 

「それで、真夜ちゃんがいても人手が足りなくなって……」

「仕方ねぇ、半分俺の責任だから、手伝うよ」

「あ、ありがとう、神依!」

 

さっき寒気がするとか言ったが、違うな。

真夜は違うクラスにいても俺の手を煩わせるとんでもない奴だ。

……そこが、最高に面白いんだけどな。

 

「遥都、お前は先に帰っていいぞ」

「ああ、待つつもりもないさ」

「こ、こいつ……! ハハ、またな」

「……ああ、またすぐ会うさ」

 

 

そうして俺は準備に駆け付け、真っ先に真夜を叱りつけた。

 

「真夜、昨日のせいでみんなに迷惑をかけ、剰え俺まで巻き込んでるんだ、忘れるなよ」

「はい……ごめんなさい」

「じゃ、さっさと終わらせるか」

 

と思っていたものの、一年生グループの中で真夜が指揮を執っていたせいもあり、昨日の不在が大きく響き仕事は山のように残っていた。

……コレ、一年生に回した奴も相当だな。

 

なんやかんやで必死こいてそれらすべてを片づけた頃には時間はもう既に4時、途中の食事帰宅の時間を抜いてもとても長く作業していたことが分かる。

 

 

 

 

「ああー、疲れた……」

 

俺は誰もいない教室の窓際で、明るい空を見上げ黄昏ていた。

 

「明日から夏休みか、ただ……」

 

高校に入って、四人とも変わった。

何故か、もうすぐ今までのように過ごせなくなるような、そんな予感が頭を過った。

 

「……神依」

 

北城の声だ。

震えている。

 

「ん、北城か――」

「待って! そのまま、そっちを向いてて?」

 

北城は大声で俺を制止した。

何か、見られたくない事情でもあるのか……?

 

「ねえ、神依」

「ああ……どうした?」

 

北城の声は更に震え、潤んでいるようにも聞こえる。

開いた窓から、強く冷たい風が吹きつけた。

 

「神依って、優しいね」

「なんだ、突然?」

「中学の時から、何か言いつつ手伝ってくれたし、最近になっても勉強を教えてくれるし……」

 

北城の口から、沢山の思い出話があふれ出した。

言われてみると思い出すような話も多く、よく覚えているなと……身が強張った。

 

「神依、ボク、ずっと言いたいことがあったんだ」

「……ああ、何だ?」

 

その先に紡がれる言葉が何か、俺は知っている。

 

 

「ボク、神依のことが、す――――――」

 

「…………?」

 

ポツリと、雨音が一つ聞こえた。

 

俺は声を出さない北城を不審に思い、北城の方を向いた。

 

北城は硬直し、目を見開き顔は真っ青、脂汗を流している。

 

「北城、どうした……っ?!」

 

そこで、俺は北城のすぐ後ろにいる人物に気が付いた。

その瞬間北城は力なく倒れ、そいつの全身が見えた。

 

「真夜……!」

 

夕立が、強く、強く降り出した。

雨音が、すべてをかき消してしまう。

 

 

倒れた北城を見ると、背中にナイフが刺さっている。

他にも刺し傷がいくつもあり、真夜には返り血がべっとりとついている。

 

「真夜、どうしてこんなこと……」

「え? ただの泥棒猫退治、それだけだよ」

 

「あ、ぁぁ……!」

 

苦しそうなうめき声をあげる北城を踏みにじり、真夜は俺の方に足を踏み出した。

 

「ずっと、ずっと前からカム君が好きなの、カム君と結ばれるためにどんなことでもしてきたの、今更横取りなんて許さないよ、ねえ、雪那ちゃん?」

 

「やめろ、こんなこと……」

 

真夜はお構いなしに俺に近づく。

北城はもうピクリとも動かない。

 

「カム君、大好き、ずっと私と一緒にいよう、ずっと、ずっと―――っ!?」

 

今度は真夜がさっきの北城と同じように硬直した。

口をパクパクさせるが声は出ず、代わりに血が飛び出した。

 

 

「き、北城、お前……」

 

自分の背中に刺さったナイフを抜き、真夜の喉に突き刺したんだ。

喉から一度引き抜き、自分がされたように真夜の背中をめった刺しにしていく。

 

その度に真夜は声にならない声を上げ、北城は幾度も返り血を浴びる。

やがて、真夜が動かなくなるころには北城の制服は元の色をとどめていなかった。

 

「神依に、言わなきゃ……」

 

しかし北城も出血が激しく、もう長くはもたない。

力を失った手からナイフが零れ落ち、床に当たる音は夕立が隠した。

 

足元はもう定まらない、もう二度と叶わない。

 

ゆっくりと手を伸ばし、たった一度、はっきりと言った。

 

「かむい……だいすき……」

 

俺はその手を掴み取ることができなかった。

空を掴んだ手は落ちて、死体が二つ転がった。

 

「あ、ああ、嘘だ……嫌だ!」

 

 

もう見ていられなかった。

俺はその場から逃げ出し、夕立の中をがむしゃらに走った。

 

「はぁ……はぁ……」

 

いつの間にか俺は、神社まで走ってきていた。

この際仕方ない、雨が止むまで神社に入れてもらおう。

 

こんな目に遭ったんだ、今更妖怪や神の祟りなんて……

 

「……ん?」

 

神社の中に、今まで感じたことのない強い気配があった。

それにつられて目を向けると、真っ白な光に包まれた()()がいた。

 

ぼんやりと、それでいて輪郭が明確に見えるようなそれは、とても美しかった。

 

「アレって……キツネ……?」

 

無意識のうちに、吸い寄せられるように歩き出していた。

”きっと俺は、救いを求めていたんだ”

 

そして北城のように、それに向かって手を伸ばした。

”俺が掴めなかった手を、掴んでもらおうとしたんだ”

 

「俺を……」

 

俺が発した言葉は、あの二人とは似ても似つかなかったけど。

 

「俺を――助けてくれ」

 

強い光が俺の体を包み込み、意識と共に、()()()()()()()()ような気がした。

 

 

 

 

 

「ん、んん……?」

 

家の、俺のベッドだ。

昨日は何かあったのか?

なんだかとても疲れている気がする。

 

ともあれ、今日から夏休みだ。

 

「おはよう、母さん」

「おはよう、神依」

 

母さんはキッチンで朝ご飯を作っている。

今日は土曜日、しかし毎週末は家にいる父さんが今日は見当たらない。

 

「神依、その、大丈夫なのかい、神社で倒れてたってお爺さんが連れてきてくれたけど」

「ああ、爺ちゃんが……? でも、何もないよ?」

 

神社になんて行った覚えはないし、爺ちゃんとの約束を俺が破るはずもない。

 

「あれ、今日土曜日だよね、父さんは?」

「ああ、さっきのことで爺さんから話があるみたいだよ、なんだか険しい顔をしてたけど……」

「……そっか」

 

 

今日の気温はどうなるかな、と何気なしにテレビの電源を付けた。

 

『続いてのニュースです、昨日、○○高校にて二人の女子生徒がなくなる凄惨な殺人事件が発生しました』

 

「か、神依!」

「あれ、俺の高校じゃん、何かあったのか?」

 

『事件が発覚したのは昨日の午後五時ごろ、教室で倒れている二人の女子生徒が発見されました』

『被害者はこの学校に通っている”北城雪那”さん(15)と、同じく”神無岐真夜”さん(16)……被害者は現場に落ちていた同じナイフで殺害されており、凶器からは被害者二人の指紋のみが検出されました』

『警察はいくつかの証拠から、被害者同士で争った結果の事件という見方を示しており、現在事件の動機を調べています』

 

ニュースを見て母さんはわなわなと震えながら涙を流している。

 

「神依……真夜ちゃんに雪那ちゃんが、なんで、こんな……」

 

恐ろしい事件だなとは思ったが、予想以上に狼狽する母さんの様子にぎょっとした。

そして、さも当然かのように母さんが呼ぶ名前に違和感を覚えた。

 

「なあ、母さん」

「何だい、神依……?」

 

「その”まや”と”せつな”……って、誰だ?」

 



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−1-71 幕間劇

目の前に広がった、天都君の記憶の中の惨劇に、そしてそれを物語る彼の言葉に、彼のこの強烈な記憶をいとも容易く封印したイヅナの力に……

 

とにかく多くのことに、僕は言葉を失っていた。

 

 

「これが、あの夏の出来事だ、今から……大体2年前の話だな」

「この思い出が、ずっと、僕を……」

 

今まで形の見えなかった恐怖、だけど今はっきりとその姿を見た。

 

この記憶が原因になっているなら、トラウマの発動スイッチにイヅナやキタキツネが関わっていることが多かった理由も説明できる。

 

恋と、嫉妬と、惨憺たる悲劇……一つの形の、破滅。

 

「天都君が忘れようと思ったのも、分かる気がするよ」

「ああ……だが、まだ続きがあるんだ」

「続き……!?」

「安心しろ、もう恐ろしいことは起こらないぜ」

 

それを聞いて少し安心した。

だけど、それなら残りに話すこととは一体何なのだろう?

 

「まあ、後は二回目にあの白い狐に会うまでの2年間、俺がどう過ごしてたかって話がほとんどだ」

 

確か、イヅナの記憶では”二度”、天都君の記憶に封印を掛けていた。

イヅナの言う通り彼に掛けた封印に綻びがあり、何らかの原因で思い出してしまった、そう考えるのが妥当だろう。

 

 

「ま、今すぐ続きに行ってもいいんだが、区切りがいいし今度はお前から少し聞きてぇな」

 

「ぼ、僕が? でも、何を話せばいいか……」

 

「そうだなぁ……お前の記憶をいくつか漁ったんだが……」

「な、何やってるのさ!?」

 

そういえば、ここは記憶の空間だった。

彼が僕に記憶を見せられるなら、逆に記憶を覗かれてもおかしくないんだ。

ああ、天都君が時々話をして、残りの時間ずっと黙っていたのは記憶を覗いていたからか……

 

 

「ふむ……聞くなら最近の話だな」

「……天都君」

 

言葉遣いも性格も違う。

彼が記憶を失くす前の僕だなんて今でも信じられない。

 

もしかして、記憶以外の何かもイヅナに弄られたんじゃないかな。

だってほら、こんな記憶の空間を認識できるようついさっき弄ってもらったばっかりだし。

 

 

「んー、やっぱ()()()()の話か? それとも将来の夢……」

 

もう一度よく見てみると彼の瞳は黒い。

キツネの姿を手に入れて以降瞳が赤く染まってしまった僕との大きな違いだ。

 

「おい狐神君、何か自己申告で話したいことはないか?」

 

天都君は、僕にないものを持っている。

彼が生きた人生は僕よりずっと長いし、社会も知っているし、きっと外に帰る()()場所がある。

 

 

「おーい、聞いてるのかー?」

「……」

 

「――おい!」

「うわわっ!?」

 

どうやら、また考え込んじゃっていたみたい。

 

「ごめん、聞いてなかったよ」

「ハァ、まあいいぜ……そうだ、この際重い話はナシにしよう」

 

彼なりの配慮の形なんだろうけども、そもそも僕は早く続きが聞きたい。

 

「そう言われても、別に話したいことなんてな……」

「じゃあ俺から聞こう、そうだな、好きな食べ物は何だ?」

 

「ええと……」

 

好きな食べ物かぁ……ここに来てからジャパリまんばっかり食べてるからなぁ……

美味しかった料理と言えば、イヅナが作った稲荷寿司とか、鼠の天麩羅とかが美味しかったな。

あと果物だと林檎かな……

 

でも、狐にお供えするはずの物を狐のイヅナが作っちゃっていいものかな?

 

「……ええと、あれ?」

「あと趣味ってあるか?」

「こ、今度は趣味……?」

 

 

趣味なんて呼べるものは……ゲームくらいしかないか。

 

時々キタキツネと格闘ゲームで遊んでいるけど、未だに完全勝利できた試しがない。

それに対してキタキツネはと言うと、一旦波に乗ると一切手が付けられなくなる。

 

しかも調子が良くなると止めようと言っても聞いてくれなくて、止めさせようとしたギンギツネと半刻程にわたる鬼ごっこを繰り広げた。

あの時のキタキツネの目は恐ろしかった……ゲームに対する想いは、僕への執着心と通ずるものがあるように感じる。

 

 

……って、あれれ?

 

「じゃなくて、何なのさこの質問!?」

「すまん、嫌な質問だったか?」

 

「嫌じゃないけどさ、まるで初対面の時にするような質問で……」

「だって、初対面だろ?」

 

そもそも、対面するはずがないと言うのは野暮なのかな?

 

「そんなこと、僕の記憶を覗けばいいじゃない」

「……おいおい、なんか自分の内側を覗かれることへの感覚が麻痺してないか?」

「いいんだよ、防げないんだから、慣れなきゃ」

 

防げる方法があるなら、是非ともご教示願いたい話だけど。

 

「でも、テレパシーを悪用されてるんだろ?」

「イヅナは、そう言ってたね」

「だよな、じゃあ俺が、そのテレパシーを繋がれないように手伝ってやるよ」

「……できるの、そんなこと?」

 

適当を言ってるようにしか聞こえないけども、どうしてもって言うのなら試してみてもいいか。

 

「詳しい原理は聞くな、だけど任せろ、しっかりイヅナの野郎を止めてやるぜ」

「イヅナは女の子だよ……」

「……そんなの気にするな!」

 

あはは、天都君って明るいな。

 

そんなことを考えていると天都君が僕の横まで歩いてきて、肘で脇腹をつつかれた。

夢の中なんだから瞬間移動でもすればいいのに。

 

 

「わわ、どうしたの?」

「なぁ、ぶっちゃけた話、あの二人についてどう思ってるんだ?」

 

軽い調子で口にしているけど、その様子に似合わず中々重い質問だ。

 

「ええと、一言じゃその、うまく表現できないよ」

「聞き方が悪かったか、なら単刀直入に……好きか?」

 

「うぇ!? べ、別に、嫌いじゃない……けど」

「もっとはっきり、な?」

「や、やめてよ! そもそも、あんな話の後によくこんな質問できるね……?」

 

僕がそういうと、天都君の顔から一瞬にして表情が抜け落ちた。

ぎょっとして一歩間を空けて様子を見ると、胸に手を当て、目を閉じて何か考え事を始めた。

 

 

「ま、そんなケチケチせずに教えてくれよ?」

 

しかし十数秒後、その様子を忘れさせるように明るい声と表情が戻ってきた。

 

「まだ、自分の気持ちがどっち側なのか分かんないんだ」

「だとしても、心に決めるなら早いほうがいいぞ」

 

「やっぱり、そうなのかな……」

「ああ、確実に。後回しとか、変に放っておくと碌なことにならないぞ、()()()()()、な」

「っ! ……あは、は、説得力、すごいね」

「ハハ……まあな」

 

 

――涙。

 

天都君の頬に一筋走った淡い光。

 

二人を目の前で失った悲しみ、手を取れなかった後悔、止められなかった自責の念。

 

「ごめん……天都君」

 

記憶の中にも、天都君の激しい感情が色濃く残っていた。

心の底から悔やんで、悲しんで、耐えきれなくなって、偶然とはいえ全てを忘れることになった。

 

それを、僕は蘇らせてしまったんだ。

 

 

「謝るなよ、俺の記憶がお前を苦しめてたってことなんだろ、気にする必要なんてない」

「本当に、そうなの?」

「ああ……おほん、それよりだな」

 

わざとらしい咳払いと共に天都君の声色が一変して、彼は話題を切り替えるように促した。

 

「そのだな、”天都君”ではなく、名前で、”神依”と、そう呼んでくれないか?」

「えっと、神依……君?」

「そうそう! 予想通り、名前の方がしっくりくるな」

 

呼び方を変えてほしい……か。

かつて、僕が赤くなる前の赤ボスにした頼みと同じだ。

しかも、今と同じく出会った直後の頼みだった。

 

「いつまでも後悔し続けても仕方ない、切り替えようぜ、()()()

「うん……ありがとう」

 

神依君は、きっと優しい。

でも、真夜さんと雪那さん、その二人の想いのどちらにも応えることは叶わなかった。

 

優しい彼を雁字搦めにしてしまったもの、それを、この先で知ることができるのかな。

 

 

「さ、呼び名も決まったところで、今まで生きてて一番驚いた話、とかどうだ?」

「生きてて……って僕はまだ――」

「おいおい、確かに短い間だけどな、お前は絶対ハプニングの渦中に何度もいたって断言してやれるぞ!」

「あ、ははは……」

 

 

天都君と話していると何だか調子が狂うな。

元気……なのかな、僕よりも勢いがあって、言葉に力がある。

 

きっと、僕に無くて、天都君に有るものが分けているんだ。

なんだろう、好みだとかの些細なことじゃなくて、もっととても大きなことだ。

 

「しかし、俺は1()8()()()()()()()()()()が、自分そっくりの顔のやつと話すなんて初めてだし、それが一番の驚きだな、不思議な気分だ」

 

……18年。

 

それだ、僕たち二人を決定的に分かつもの。

生きてきた年月と、その間に積み重ねられた経験。

……そしてそれの上に成り立つ、『自分』。

 

「天都君って……ううん、なんでもない」

「んー、自己完結されても困るけどな、ハハハ」

 

 

僕がずっと追い求めて、作り上げようとしていたもの。

 

彼が持っていた、彼のもの。

僕が手にすることの叶わない、存在証明。

自分自身を認めてあげることが、僕にはできない。

 

「いいから天都君、早く話の続きを聞かせてよ」

「おう、そろそろ行くか」

 

語る過去も、何もかも持ち合わせてなんていない。

 

「第二編のはじまりはじまり……ってな」

 

 

でも()()()()なら、僕を認めてくれるのかな?

 



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−1-72 茶番劇

 

……梅雨。

 

毎年、誕生日の季節になるとこの島国にやってくる一つの年中行事だ。

 

「じとじとジメジメ、嫌な季節だなあ……」

「そう嫌わなくても、君の生まれた季節だろう?」

「……関係ねぇだろ」

 

 

雨が降り続いて気分が落ち込むのに加え、少し後に期末試験を控えている。

俺や遥都はそこまで問題じゃないが、クラスの中で勉強が苦手な奴らは阿鼻叫喚。

 

気候だけならいざ知らず、教室の雰囲気までどんより落ち込むこの時季は正直に言って好きではない。……もっと言えば、嫌いだ。

 

嫌いと言っても程度ってやつはあるし、誕生日パーティーの時はヤなことを忘れられるから好きなんだけどな。

 

 

「でも、確かに気が滅入るね、一週間近く降り続いてるんだから」

「ああ、運動会が梅雨入りの直前で助かったな」

 

残念なことに、俺には雨に濡れながら運動をする趣味はない。

 

「そういえば神依、今年の()誕生日会はどうするんだい?」

 

遥都は言葉がわざと子供っぽく聞こえるようなアクセントで話す。

……やっぱり何だか、ムカつくな。

 

「誘わなくても来るんだろ? 別にいつも通りさ」

()()()()()、神依と家族さんとオレ……でいいのかい?」

 

さっきのは普段もよくある言い方なんだが、今日の遥都は矢鱈と妙なアクセントで話してくるな。

何かあったのか?

 

「そりゃそうだ、誕生日会はずっとそうやってたろ?」

「……ああ、『ずっと』そう、だったね」

 

からかってくると思えば気を落とす、そんな様を見ると、本当に雨続きで気持ちが沈み切ってるのかと流石に心配になってくるな。

 

 

「遥都、今度気晴らしにどっか出掛けるか?」

「え……どうしたんだい、突然」

「いや、何か悩んでるように見えたからな」

 

遥都は勉強熱心だし偶には、リフレッシュも必要だろう。

それに、ここ最近一緒にどっかに行くことが少なくなっちまったからな。

 

「ふむ、そうか……なら、そうしよう」

「なんだ、珍しく素直だな」

 

直後、”待ってました”とばかりに微笑む遥都。

大抵の場合、悪だくみか()()()()の前兆だ。

 

「ああ、神依に心配されたら終わりだからね、気分転換も必要と思うさ」

「へぇ、なんだ、軽口言えるなら案外大丈夫じゃねぇか」

「そうでもないよ、今オレの心は()()神依に心配をさせてしまった罪悪感で一杯だからね、ハハハハハ」

 

突然、遥都が大きく笑った。

教室にいる他のクラスメイトが何事かとこちらを見ている。

 

「遥都、お前俺のことを何だと思ってんだ……?」

「優しくて、能天気で、あんまり人の心配をしない冷たい奴かな」

 

矛盾だらけの遥都の答えは、今まで幾度となく聞かされたものだ。

 

「今回も言うが、それテストに書いたら0点だぞ」

「ハハハ、オレにテストの話をするのかい?」

「……そう返されたら、もう言葉が無いな」

 

「じゃあ、出掛けるのはいつにするんだい?」

「無難にテスト後じゃないか、それなりに近いしな」

「時期はそうするとして、どこに行こうか……」

 

やっぱ、そこが問題だよな。

遊園地は疲れそうだし、一緒に買い物……なんて性格じゃないよな。

喫茶店、水族館? ……妙な場所しか思い浮かばんな。

 

「ああ、出掛ける日までに俺がいい場所調べとくよ」

「それなら任せてもいいかい? オレは少し疎いからね」

「よし……任せとけ」

 

今更”俺もよく分からない”だなんて言えるはずもなく、テスト勉強と共に、ネットや図書館を使って”いい場所”を探し続ける十数日間を過ごした。

 

「どれどれ、この店の売りは”カップル限定メニュー”と……アホかッ!」

 

遥都の気分転換のために、俺のストレスが溜まりまくる日々であった。

 

 

 

そして、お出掛けの当日。

 

「神依、これは……」

「すまねぇ、俺には無理だった」

「なるほど、数十日かけても見つからず、結局公園にしたんだね」

「悪いな……」

 

それっぽい場所が載っていないだけでなく、少し良いと思った所には必ず”カップルにおススメ!”の文字がありやがる。

苛立ちと共に()()()()()()()()()()が俺のストレスを増大させる。

だったら無難に行こう、ってことで街で一番大きい公園を選んでしまった。

 

 

「でも、公園でくつろぐのも良いじゃないか」

「……そう言ってくれると助かる」

 

遥都のための外出なのに、逆に俺が慰められるなんてな……

 

「噴水を見ながら、神依のように頭を空っぽにして過ごすのも乙なものだよ」

「そうだな……って、遥都お前!」

「ハハハ、神依といると安心するよ」

「そりゃあ、良かったよ……!」

 

なんだ、俺の杞憂だったのか。

でも俺の幼馴染と言えるのは遥都くらいだし、こういう付き合いは大事にしないとな。

 

 

「だが、なあ……日が暮れるまでここで座ってるつもりか?」

「む、もう30分も経ったんだね」

 

俺が声を掛けると、遥都は腕時計を確認してそう呟いた。

そして立ち上がり、大きく体を伸ばした。

 

「だけど、行く宛はあるのかい?」

「あぁ……いや、無いな」

「なら行きたい場所があるんだ、そこで良いかい?」

 

なんだかんだ言って、遥都も楽しみにしてくれてたんだな。

 

「おう、何処なんだ?」

「そうだね……『行ってからのお楽しみ』、かな」

 

お出掛けの時の常套句を楽しそうに言う遥都につられ、俺の顔もついつい綻んでしまった。

 

 

 

「へぇ、意外だな」

 

空間いっぱいに満たされる電子音、そこを行き交う人影。

チカチカ光る色とりどりのLEDに、ジャラジャラと聞こえるメダルの金属音。

 

俺たちはショッピングモールのゲームセンターに足を踏み入れた。

 

「意外とは心外だね、ゲームをしないように見えるかい?」

「ああ、お前がやってる所,一度も見てねぇからな」

 

家で遊ぶ時も俺が遊ぶのを遥都が見ているだけだった。

遥都とできる話は本か映画の話ぐらいだったけど、それのお陰でゲーム三昧の人生を送らずに済んだから、遥都には感謝しないといけないな。

 

ちなみに遥都は推理物の小説が好きで、かつて俺も無理やり読まされた。

面白かったから文句はないが、推理作家に詳しくなっちまった。

 

 

「しかし、本当に見たことないぞ?」

「……あまり、大っぴらにできないジャンルだからね」

「……マジか?」

 

遥都がいつもの悪い顔をしているのが恐ろしい。

 

”大っぴらにできない”と言うと、具体的に何だ?

ギャルゲーとか、美少女ゲームとか、グロテスクなゲームを……?

 

「まさかお前、ヤバい奴やってんじゃ……」

「もちろん、何もやってないよ」

 

そうか、やっぱりそうだったか……ん?

 

「あー、やって、ないのか」

「ん、何か残酷なモノでもやってると思ったかい?」

「誰かさんの物言いのせいでな」

 

いつもの悪い顔に気づいてたのに乗せられちまった。

今回はあんまりだが、本気で俺を嵌めた時の遥都は本当にいい顔をする。

 

 

「んじゃ、やっぱゲームはやってねぇのか」

「機会が全然なくてね、だからこそ、こういうのに憧れてたんだ」

 

遥都はポケットに手を突っ込んで、中からがま口の財布を取り出した。

やたら硬貨の音が鳴るのと財布が異様に膨れているのを見て、相当な小銭が入っていると思われる。

 

「ここでは、遊ぶのに100円玉が要るんだろ?」

「そうだが、何枚入ってるんだ、それ?」

「大体……5000円分くらいかな」

 

となると大体50枚ってことか、多すぎだろ。

 

「なんでそんな量持ってるんだ?」

「元々誘うつもりだったんだよ、それで予め両替しておいたんだ」

「いやまあ分かるが……今日で遊びつくすつもりか?」

 

ゲームセンターで5000円も使うなんて、クレーンゲームに余程欲しいものが入荷した時くらいしか思い浮かばない状況だ。

 

「まあでも、全部使う訳じゃないよな」

「え、使わないのかい?」

「使うつもりかよ! ……遥都、お前本当に”ここ”に来たことないんだな」

 

この世間知らずさんは、よく俺を騙すくせに所々本物の天然も入ってるから手が付けられない。

 

 

「だから、何かお勧めがあったらまずそれを遊ぼうと思うんだけど、どうだい?」

「なら、アレにするか」

 

俺が指したのは、車の運転席を模した筐体の某有名なレースゲームだ。

何台かあるから対戦もできるし、操作も多分難しくないから遥都でも何回かやればできるようになるだろう。

 

「あれは、何だい? 車のハンドルが見えるけど」

「見ての通り、車を運転するんだ」

「なるほど、これをマスターすれば運転免許が取れるのかい?」

「そんな訳あるか! 教習所のシミュレーターじゃねぇんだぞ」

 

軽口を飛ばしあいながら、それぞれ機械にお金を入れてゲームを始めた。

 

 

「神依、これ、どうやって選ぶんだい……?」

「ハンドル回せ、動かしたい方にな」

 

「なあ、決定って……」

「ハンドルの真ん中にボタンあるだろ? 押せば決定だ」

 

「神依、少しアクセルが遠いなぁ」

「ちょっと待て、調整してやる」

 

と、初めてのゲームに混乱する遥都を手伝いながら、普通より時間をかけてようやくレーススタートに漕ぎ付けた。

 

開始直前、横を見ると緊張からか遥都は手が震えている。

 

「ゲームだろ、リラックスしろよ」

「そう言われても……神依、何故ニヤついてるんだ?」

「いやー、遥都のこんな姿初めて見たからな」

 

文武両道で非常に博識で落ち着いていることが多く、度々焦りとか緊張からは縁遠い存在だと感じる遥都だがまあ、人間味のあるところを見てホッとした。

 

 

「お、始まるぞ」

「あ、ああ……!」

 

カウントダウンが3つ続いて、スタートの合図が鳴らされた。

 

「よし、勝つぜ!」

「神依、なんでいきなり加速したんだ!?」

「”1”の時にアクセルを踏めばスタートダッシュができるんだ!」

「早く言ってくれよ!」

「ハハハ! 悪い悪い」

 

難易度は50cc、いわばイージーだ。

遥都も2位と3位の間を行き来してるが、開始早々の差もあってかなりの距離が開いている。

 

しかし二ラップ目、偶然順位が落ちて良いアイテムを手にした遥都が追い上げを始めた。

 

「は、速い!」

「いつまでも1位でいられると思わないことだね!」

 

手にしたのは黄金のキノコ、()()()()()()()()()()()だ。

小さな矛盾は気にしない。

 

無闇矢鱈に使えば落下するようなアイテムをその頭脳で有効活用し、遥都は俺との距離をズンズンと縮めていく。

そしてついに抜かされようとしたその時、事件は起きた。

 

 

「……ぶふっ!?」

 

俺は噴き出した。一体何を見たのか。

 

知ってるかもしれないが、このゲームはキャラのフレームに自分の顔写真を入れられる。

遥都はその写真を入れていた……お姫様のフレームに。

それに飽き足らず、妙なキメ顔をしてやがった。

 

遥都に抜かされるその瞬間、その顔写真が画面に大きく映し出されたのだ。

 

「ぐ、卑怯な手を……!」

「ハハハ、このティアラ、まるで女装みたいだね」

 

「っ……!?」

 

そして遥都のもう一言が、笑いで崩れた俺の操作を決定的に破壊した。

しかし、今回は笑いではなく発作的な恐怖心だったんだけどな。

 

”そうなった理由は、少し前を思い出せば分かるはずさ”

 

結局ズルズルと順位は落ちてしまい、このレースは遥都が1位、俺が最下位と『面白い』結果に終わることとなった。

 

 

「ハァ、ハァ……無駄に疲れたぜ」

「さあ神依、2回戦に行こうか」

「いや、ああ……次はエアホッケーにしないか?」

 

今日は、もうレースはしたくない。

 

「神依がそう言うなら、そうしよう」

「助かる、ありがとな」

 

その後も、俺と遥都はそれなりに羽目を外して遊びまくった。

 

 

「このゾンビ、数が多いね……」

「来たぞ、右に2体だ!」

「了解、撃ち抜いてやるよ!」

 

「あのぬいぐるみとか良さそうだぞ」

「冗談じゃない、お菓子を狙うよ」

「……よし、掴んだ!」

「落ちないで……そのままそのまま……取れた!」

 

俺も出す分は出したが、当初5000円分あったという遥都の小銭は約3時間の内に4枚ぽっちに減ってしまった。

 

「今日は楽しかったな」

「ああ、新鮮な気分だったよ、また来よう、神依」

「そうだな」

 

”ちなみに俺は、今後3週間の週末、連続でゲームセンターに駆り出されることを知らない”

”最初のうちは遥都の小遣いの心配もできたが、最後の方はまあ、ヤバかったな”

 

”ともあれ、何よりも楽しかったのは事実だし……”

 

”これが、俺に訪れた最後の『まともな夏』だった”

 

 

高校2年の話はここで終わり、ついに最終学年が訪れる。

 

3年になってやって来た一人の転校生。

彼女の行動が、図らずも俺が手にしていた”偽物の平穏”をかき乱し、目も当てられない程グチャグチャに壊してしまうこととなる。

 

「ここに、転校するんだ……うまく、やっていけるかな」

 

だけど、それはまた次の話だ。

 



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−1-73 奇跡劇

7月、梅雨も定期テストも終わり、多くの生徒が夏休みへの期待に胸を膨らませる季節。

 

しかし、3年生にとってはこれから進路を考える一つの大きな節目であり、高校最後の1学期の終わりは、彼らに否応なく残りの時間が少ないことを思い知らせる。

 

 

「複雑だ……気が付けばもうこんな時期か、ハァ……」

「やっぱり、この学校に思い入れとかあるんですか?」

「ま、これで仮にも2年とちょっと通ってるからな」

 

思い出と言っても2年生の頃の話がほとんどだ。

何故かは知らないが、1年の思い出は殆ど残っていない。

 

慣れるのに精一杯だったか、あるいは時間が経ったせいか、それでも中学のことはぼちぼち覚えてるわけだ。

高1の記憶だけスッカラカンに抜け落ちてるのは不思議と言わざるを得ないな。

 

 

「神依さんは、進路どうするんですか?」

「進路かぁー、大学には行きたいが、どの大学に行くかな……」

 

大きく仰け反って腕を伸ばすと、後ろにいた遥都と目が合った。

 

「この時期に希望が定まってないって、危機感を持った方がいいんじゃないかい?」

「だろうけどな、行けるとこで一番いいの目指すか」

「もうちょっと考えた方がいいんじゃ……?」

「あー、夏休みのうちに考えとくさ」

 

 

さてと、ここまでの話で当然疑問に思ったに違いない、俺と遥都と会話をするこの人物は一体誰なんだ、と。

 

彼女こそが、先に述べた転校生だ。

 

名前は白銀文未(シロガネ フミミ)、どこから来たんだっけか、事情や前の高校は知らないが、とにかく今学年になって現れた転校生だ。

 

かなりの優等生で、テストでも遥都が危うくトップを陥落しかけ、危機と言う危機を高校で初めて彼に味わわせた張本人である。

引っ越し先の家が割と近くにあったためか、紆余曲折あって仲良くなってしまった。

 

若干遥都の追っかけのようになっている節があるが、遥都がそれに言及することはない。

気付いてないのか無視しているのか、どちらにせよ学校での遥都は相変わらず本の虫である。

 

 

「後回しは良くないよ神依、オレが図書室にある進路関係のいい本を紹介してあげよう」

「おお、助かるぜ」

「善は急げ、すぐに向かうよ」

 

その言葉通り図書室まで直行した遥都の後に続いて俺も図書室に行った。

例に漏れず、白銀も俺たちについてきた。

 

図書室に着くと遥都は慣れた足踏みで本棚を漁り、自分と俺の分の本を数冊持ってきて机に置いた。

 

「じゃ、オレは推理小説(コレ)読んでるから」

「進路の本は俺だけか?」

「もちろん、オレの進路はもう決めたからね」

「へいへい、奇妙な本ばっかり読ませやがって」

 

 

”奇妙な本ばっかり”、というのは本当の話だ。

ただの推理小説ならいざ知らず、名作の中の問題作を探し当てては実験でもするかのように俺に読ませてくる。

しかも感想文まで要求してくるんだから適当にも読めないのが困りものだ。

……まあ、お陰で学校の宿題が楽にこなせるようになったけどな。

 

話を戻して、なんと遥都は感想文の傾向? か何かを分析して、一つそこから俺の性格を探ろうと模索しているらしい。

お前は博士か! ……木葉博士だったな。

 

「お前もしや、コレの感想文なんて書かせないだろうな……?」

「そんな気はないけど……書くかい?」

「遠慮する、進路ガイドの感想なんて書けやしないぜ」

 

 

「ええと……その……」

 

声がして振り返ると、手持ち無沙汰の白銀が困った顔で手を動かしていた。

 

「白銀さんも、コレ読む? 神依のよりは面白いよ」

「進路ガイドと比べたら、そりゃな」

「え、いや、私は別に……座ってるだけでもいいから」

 

白銀はまごついている様子だ、ひとしきりウロウロした後、遥都の隣の椅子に座って、読んでいる本を覗き込んだ。

 

「白銀さんも興味あるのかい? だったらもう一冊あるから……」

「ま、待って、その、このままで……」

「え……そうか、分かった」

 

二人が肩を寄せて本を読んでいるのに、俺の手に握られているのは退屈で中身の薄い進路ガイドだ。イヤになって本を閉じ、前の二人の様子を眺めることにした。

 

「……もう一冊、あるんだけど」

「……いりません」

「……そう、か」

 

遥都は知らないが、白銀の方はいい気分のようだ。

見ようによっちゃ、中々()()()()()なんじゃないか?

 

「……っ!?」

「神依、どうかしたかい?」

 

頭が痛い、視界が真っ暗になった。

耳鳴りがする、口の中が乾いていく。

 

「いや、何でもない」

 

そうだ、何でもない。頭はガンガンと痛んでいるが大したことではない。

今日は具合が悪いだけかもしれないし、もしかしたら退屈な本を読んだからかもしれない。

本当に何もなく、読み終えてから頭痛が襲ったのだって少し時間差があっただけだ。

 

だからこの程度の不調、()()()()()()()()()()()()()

 

「ほ、本当に何でもないのかい?」

「ああ、この本が退屈すぎて辛かっただけだ」

 

ほら、もう一切痛くない。

これでいい、よく分からないが、分からないままの方がいいと直感した。

 

 

「その、は、遥都さん……?」

 

白銀が、そろそろと授業の時のように手を挙げた。

 

「えっと、その……な、何か私にお手伝いできることはないですか!?」

「いや、別に何も無いけどな」

「そう言わずに……ほら!」

「ほら! ……って言われても、特に行事も何もないし」

 

まあ、そうだろうな。

でも白銀は納得いかないみたいで、まだまだ食い下がる。

 

「で、でも、何か……ないんですか!?」

「な、何が君をそこまで駆り立てるんだい……!?」

「ふっ、アハハハハ……!」

「神依、笑っている場合かい?」

「いや、だって、ハハ、面白くて、ハハハハ!」

 

理由は知らんが、そうかそうか、つまりはそういうことだな。

 

「遥都の、()()()()の手伝いだ……博士のお手伝いってことはつまり、助手だな」

「じょ、助手ですか……!」

「おい神依、勝手に進めないでくれ」

 

遥都が止めるが知ったことか。

小学生の頃から”木葉博士”というあだ名を広め続けて早8年、ようやく俺の努力が一つの形で報われるのだ。

 

「木葉博士の、白銀助手だ、いいだろ?」

「わぁ……はい!」

 

白銀は目をキラッキラに輝かせている。

ここまで喜んでくれるなら、俺の数十秒での思い付きにも甲斐があったというものだ。

 

「なぁ、神依……?」

「おいおい、不満なのか?」

「ああ、大いにね、博士呼びはまだしも、助手なんて必要ないよ」

「えぇ……!?」

 

遥都のこれ以上ない直球な物言いに、白銀は撃沈……とまで行かなくともそれなりのショックを受けている。

 

「なるほど……なら白銀助手はやめだ」

「そうしてくれると有難いよ」

 

確か、フルネームだと白銀文未……だったよな。

 

「ミミ助手……いや、ミミちゃん助手だな」

「……は?」「……え?」

 

二人は揃って素っ頓狂な声を上げた。

 

「我ながら名案だな、じゃあもうこんな時間だ、俺は帰るぞ」

「ちょっと待て、神依!?」

「えっと、わわわ、何が何だか……」

 

去り際にでっかい爆弾を投下して、俺は颯爽と図書室を後にした。

これで、今まで遥都にやられた悪戯の10分の1はお返しできたはずだ。

10年近くにわたって遥都が増やし続けた()()はまだまだたくさん残されている。

 

……素晴らしいことだ。

 

 

 

「……さて、ついて来てないよな?」

 

校門前で振り返ると、昇降口付近は下校する生徒で一杯だが、そこに見知った顔は何一つ見られない。

 

「ようやく一人で帰れるぜ」

 

ちょうど最近、一人で帰りたい理由もできちまったしな。

 

俺は帰り道に、分かれ道を()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()神社の方へ進んだ。

 

「何も、変わんねえな」

 

階段から見上げた神社は、見た目だけはかつて俺の目に映った姿と全く同じだった。

……その神社を守る神主(爺ちゃん)がいなくなっても、外見は変わらぬ様子をとどめていた。

しかし、かつてそこにいた妖の気配は、微かな一つの気配を除いて無くなっていた。

 

爺ちゃんは死んだ。

一か月ほど前に、何の前触れもなくぽっくりと逝った。

最期に何を思ったのか、俺たちに聞かせる間もなく。

 

今でも神社には入れない。

約束をした爺ちゃんが死んでいなくなっても、この場所から妖が消えてしまっても、入りたくなかった。

 

俺が神社に入っても、誰もいないし、爺ちゃんも叱ってはくれない。

そしたら、本当に爺ちゃんが死んだと思い知らされる。

 

葬式には出られなかった。

その日はずっと家で泣いていた。

 

色んな事情で家族が神社を捨てたのに、みんなが神社も爺ちゃんも忘れたのに、妖怪も見限ったのに。

俺だけは、爺ちゃんの死を受け入れられないまま時間が止まっている。

 

でもそれって、俺だけは爺ちゃんを忘れてないってことじゃないのか?

 

「どっちが、いいんだろうな」

 

答えは出せない。

だけど、例え神社に入れなくても、今日ここに来れたのは良かった。

 

「けど……なんでだろうな」

 

それほど遠くない過去、誰かとここに()()()がする。

誰だろう、その人は……

 

「ま、いいや、分かんねぇこと考えても、()()()()()()だけだ」

 

用事も済んだし、さっさと帰るか。

 

 

 

「ただいま」

「お帰り、今日は少し遅かったねぇ」

 

母さんはソファーで本を読んでいる。

 

「ああ、ちょっと図書室行っててさ」

「本読んでたのかい? だったら神依にも読んでほしいのがあるんだよ、ほら」

 

そうして母さんが読んでいた本を手渡された。

紅白で表現された珍しい配色の表紙には、『忘れたものを思い出すための本』と書いてある。

 

「……なんだこれ」

「いい本なんだよ、神依も」

「いらないよ」

 

そんなつもりじゃなかったけど、何故か食い気味に断ってしまった。

 

「なんだい、つれないねぇ、私なんてこれで思い出し放題、仕事が増えて大変だよ」

「大丈夫なのか?」

「そりゃ問題ないさね、こんなに元気元気さ!」

 

すると母さんは両腕をグルグルと回し始めた。

非常に元気である反面、これは非常に不味い兆候だ。

 

「……あ」

 

案の定、ここで母さんの動きがピタッと停止した。

またぎっくり腰だ……腕を回したのが原因なのは初めてだが、この症状そのものは何回も見ている。

 

「またか……母さん、ほら横になって」

「あ、ああ……済まないねぇ神依」

「全くだ、今帰ってきたばっかりだぞ?」

 

母さんももう年だと言うのに、この(はしゃ)ぎようは全く変わらない。

 

「じゃ、俺は部屋に行くから、収まるまで大人しく寝てろよ?」

「ああ、ごめんね……」

「……気にしなくていいよ」

 

だからこそ、この年に達しても父さんと母さんは仲が良いんだろう。

……時々、俺の居場所が無いと感じるくらいには。

 

「疲れたな……」

 

なんとなくベッドに横たわり目を閉じた。

疲れて寝過ごしてしまったようで、次に目を開けた時、既に日付は変わっていた。

それでも眠い目を擦り、空っぽになった腹を満たすため、制服に着替えて階段を降りた。

 

 

そして学校にて普段と変わらぬ一日を過ごし、今日もまた家に帰ろうと教室を出たその時、横から声を掛けられた。

 

「あの、神依さん……」

 

声の主は白銀だった。

そう言えば、遥都と白銀はあの後一体どうなったんだ?

 

「おう、どうした?」

「相談があるんですけど、少しいいですか?」

 

急いで帰る事情もないから、白銀の相談とやらを聞くことにした。

 

 

「その、遥都さんのことなんですけど……」

「も、もしかして、遥都と何かあったのか?」

 

流石に悪ノリが過ぎてしまったかと冷や汗をかいたが、白銀は首を振って否定した。

 

「いえ、そうじゃなくて……遥都さんの好きな食べ物とか、知ってますか?」

 

白銀はもじもじしながら俺に尋ねてきた。

 

「あいつの好物か……チーズと、カレーと……饅頭とか、だな」

「そうですか、ありがとうございます!」

「だけど、なんで俺に聞くんだ? あいつ本人に聞いた方が早いだろ」

 

”その質問は俺にとってのパンドラの箱だったんだ。でも、俺はそれを白銀に問うてしまった、愚かにも、かつての惨劇を忘れたせいで。”

 

「その、それは……」

 

あからさまに白銀は口籠った。

様子からして、相当言いにくいことなのは確かなようだ。

もしや、喧嘩などしていないだろうか、仲直りのための食べ物なのか……?

 

「ああ、言いにくいなら言わなくていいぜ」

 

風に当たろうと思い、俺は教室の窓を開け放って外を眺めた。

 

「いえ、私、遥都さんが……」

「……」

()()……なんです……」

「なるほどな、そういう訳か」

 

振り返ることなく、そう答えた。

”否、この時俺は振り返ることが出来なくなっていた”

 

「ま、アイツの迷惑にならない程度なら手伝ってやるよ」

「……あ、ありがとうございます」

 

案の定と言えばそうだが、まさか遥都のことを好きな人が現れるとはな。

まあ親しくなるとそんな気がしないだけで、案外人気はあるのかもな。

 

「あ、私、委員会の仕事があるのでこれで……」

「分かった、まあ……頑張りな、ハハ」

「……はい! じゃあ、また」

 

外を向いたままひらひらと手を振って、白銀がいなくなるのを待った。

 

 

「……行っちまったか」

 

脂汗がにじみ出て、体がどうしようもなく重い。

これは嫉妬? 違うさ、()()()()()んだから、そんな感情抱きようがない。

 

「なんで、だよ」

 

なんとなく、理由は分かっている。

 

”好き”という言葉が、俺の消しようのない悪夢のような過去を想起させたんだ。

悪魔のような奇跡が、偶然にも俺を幸せな夢から覚まして()()()

 

なんで、俺は忘れていた?

それは確かそう、神社だ。あの日の記憶は、神社に行った所で途切れている。

 

 

「ん、遥都か? ちょっと用が出来たんだ」

 

遥都に電話を掛けた。

 

「会えるか?」

 

確かめなければ、あの二人のことを。

 

「あの公園はどうだ? 小さい公園だ、昔よく遊んだろ?」

 

そう、まだ小学校に入りたての頃、3人で遊んだんだ。

 

「ああ、また公園でな」

 

携帯の電源を切って、空を見上げた。

そういや、白銀のことはどうしようか。

 

「どうでもいいか」

 

……どうせ、俺には関係のないことだ。

 



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−1-74 開幕劇

 

真っ赤な夕焼けの空に、血のように赤い太陽が浮かんでいる。

細々と浮かぶ雲が太陽に掛かり、影はまるで日食のように暗い影を地面に落とした。

 

「……よ、急に呼び出して悪いな」

「それは構わないさ、だけど、一体どうしたんだい?」

 

小さい頃3人で遊んだ公園。

頭には長閑な記憶しか残されていないはずだが、記憶の中の空も今のように赤く想起される。

 

「一つ、確認したくてな」

 

夕焼けが水たまりを照らし、赤い光を反射した様は血溜まりのようだ。

 

「真夜と北城のこと、覚えてるか?」

「……神依、どうして、今それを?」

 

遥都は目を見開き、じっと、俺の一挙一動を見逃すまいとしている。

それも当然か、2年経った今更言い出すことじゃない、俺がその話題を避けていたのなら。

 

「……思い出したんだよ、あの二人のこと」

「思い出した……? それって一体……」

「忘れてたんだ、この2年間、ずっと」

 

遥都は急にベンチから立ち上がった。

しかし首を振って深呼吸をして、なんとか自分を落ち着けようとしている。

 

「忘れてた……か。きっと、ショックだったんだ」

 

ショック……か。

心が壊れ切ってなかったら、きっとそう感じるんだな。

 

「ああ、惨かったし、衝撃的だった」

「神依?」

 

懐かしむような俺の話し方に、疑問を持っているようだ。

俺も、自分がどうしてこんな風な話し方になっているのか理解できない。

 

「酷かったよ、俺の目の前で、二人が殺しあったんだから……な」

「……ぇ」

 

ポカンと口を開けて、遥都は一切の言葉を失った。

目は焦点を見失い、一歩後ずさり、力なくベンチに座り込んだ。

 

「……時たま、遥都の返事がおかしかった理由が、やっと分かったよ」

「あ、あぁ……」

「ずっと知りながら、隠してくれてたんだな、お前も、母さんたちも」

 

そして、俺が得体の知れない恐怖に悩ませられ続けたのも、忘れてしまったせいだった。

……それでも、あの白い狐には感謝してるけどな。

 

 

座って俯いたまま、遥都は俺に尋ねる。

 

「……神依、どうして、あんな事件が起きたんだ?」

「あの二人を見てたら、分かるんじゃないか? だからあの時、()()()()()したんだろ?」

「……ああ、簡単な話、だよね」

 

遥都から見ても、いや傍目から見ていても、真夜と北城が俺に対して並々ならぬ想いを寄せていることは明白だったことだろう。

 

「でも、なんで”あの日”だったんだろうな」

 

一学期最後の日、北城がその日を選んだのは一体何故だろう?

それを考えることに意味が有るかどうかは判らないし、今更北城に聞くこともできない。

 

「俺に、止められたのか……?」

 

目に焼き付いた鮮血の景色に、それを防げなかった後悔に、押し潰されてしまいそうだ。

2年前に放り出した責任が、そっくりそのまま戻ってきた。

 

「神依、自分を責めるな。もう、終わったことだ」

「終わった……ああ、とっくの昔に、終わってたんだ」

 

 

でも、防げなかったのか? 既に終わったことなのか?

グルグルと、何度でも思考は廻りゆく。

 

自分を責めて、擁護して、責任を感じて、言い訳をする。

答えは出ない、正解の用意されていない問題は、考えることを止められない。

 

「でも、怖かったんだ……」

「神依……」

「北城は真っ直ぐだった、悪い奴じゃなかった、でもアイツは真っすぐすぎた」

 

自分の想いに真剣で、想いを曲げることを考えなくて……

だから、壁にぶつかった時に、曲がれなかった。

壁を貫き進んで、邪魔するものを消し去って、そうしなければ北城は先に進めなかった。

 

「遥都も、何となく分かるだろ?」

「分かる、気がする。……勿論、一番理解してるのは神依だよ」

 

小さく、消え入りそうな声でも返事はしてくれる。

俯いたまま発される声には、弱々しくも感じられる”芯”があった。

 

「オレ達のような外野には、計り知れないことばかりだ」

「……ハハ、外野ってか」

 

こんなに長い付き合いの遥都でさえ、あの2人は外野にしてしまった。

それ程までに排他的で、閉じ切った恋情だったんだ。

 

 

「でも、何を言っても、俺が恐れてたのが一番なんだ」

「…………彼女たちの、何が怖かったんだい?」

 

その言葉が発されるまでに、十数秒の沈黙があった。そこに込められていたのはきっと、『事情を知って力になりたい』、しかし『嫌なことを思い出させたくない』という相反する思いだ。

 

「へへ、よく聞いてくれたな、幼稚園に通ってた頃の出来事でな、俺と、真夜しか知らなかった話だ」

 

だけど、俺はその言葉を言って欲しかった。

どんな形であれ必要とされたいと思ってしまうのは、彼女たちの性質が伝染ったせいなのかもしれない。

 

 

 

それはさておき、年長の頃、まだ遥都と出会う前に俺が体験した、背筋が凍るような話をしよう。

あの白い狐がいなければ、俺はこの体験を一生の間一度たりとも忘れることはなかった。

 

『カム君、こっちだよ!』

 

年長になって、俺は初めて真夜の家に招待された。

まだ幼いとは言え、生まれて初めて女の子の家に入るというのだからそれなりに緊張していた。

 

『わわ、待ってよ!』

 

それに対し、真夜はまるで何度も人を家に招いているかように平然と振舞っていたのを覚えている。

 

『えへへ、ここが私のへやだよ!』

『わぁ、キレイ……』

 

整頓されつつもほんの少し散らかっている様子がどこかメルヘンチックで、置いてある家具は他の部屋と変わらないのに、ここだけがまるで別の空間であるかのように感じられた。

 

『ねぇカム君、なにして遊ぶ?』

 

真夜はベッドに腰掛けて可愛らしいクッションを抱きかかえた。

 

『僕は別に……真夜は何がしたいの?』

『むー、私が聞いたのにー……』

 

真夜は頬を膨らませて文句を言う。

しかしその膨れっ面もすぐにしぼんで、笑顔になった真夜は自分の横をトントンと叩いて俺もベッドに腰掛けるよう促した。

 

促されるままに座ると、真夜は頭を傾けて俺の肩に乗せた。

今では全くそう感じないが、当時は幼心にもドキドキしてしまっていた。

 

『じゃあカム君、何か思いつくまでずっとこうしてよっか』

『……うん』

 

目を閉じて穏やかに呟く真夜だったが、状況に気圧された俺は彼女の言葉にただ頷くことしかできなかった。

 

真夜は言葉通り、ずっと俺の肩に寄りかかり続けた。

何かする訳でも言う訳でもなく本当にそのままの状態が数分経ち、しかし体感では1時間は過ぎたように感じられた。

 

 

『……ねぇ、カム君』

『……なに?』

 

彼女は立ち上がり、ベッドへ向けて後ろ向きにクッションを投げ捨てた。

 

『カム君に、見せたいものがあるんだ!』

 

クルクルと余分に回り、俺の方を向いて真夜は高いテンションでそう言った。

先程までの静かな様子はどこへやら、俺はなんとなく恐ろしい気持ちになった。

 

『待っててね、ここにあるんだ』

 

一際大きなクローゼットの下の引き出しを開けて、その中から何やら箱を取り出した。

その箱も大きく、まだ小さな真夜がそれを抱える姿は危なげだった。

 

『うーん……よいしょ!』

『おおきい、なにが入ってるの?』 

『えへへ、見てのおたのしみだよ!』

 

 

真夜はその箱の蓋を開けて、中から何かを抱き上げた。

 

『じゃーん! かわいいでしょ?』

『……え?』

 

真夜が抱きかかえたソレを見て、言葉を失った。

何を言えば、どうすればいいのか分からず、ただ狼狽えていた。

 

『それ、なに……?』

『ちゃんと見て、()()()()()でしょ?』

『う、うん……でも、どうしてそんなに()()()()なの?』

 

確かにそれはぬいぐるみだった。

だが寧ろ、ぬいぐるみ()()()もの、と言った方が正しい代物であった。

 

ぬいぐるみの全身が切り付けられ、傷という傷から綿があふれ出し、首は座らず、縫い付けて直された手足は別のぬいぐるみの物だった。

 

『これが私のお気に入りなの! かわいいキツネちゃんでしょ?』

『あ、あぁ……』

『……? どうしたの、カム君?』

『あ、わわ……ぬいぐるみ、嫌いなの?』

 

”お気に入り”?

ボロボロになるまで傷めつけ、継ぎ接ぎにすることをそう呼ぶのか。

もっと拙い言葉だったはずだが、その時の俺はそう思った。

 

『嫌い? どうして?』

 

心底不思議そうに言い、箱を倒して中にある別のぬいぐるみも外に出した。

転がり出てきたものは全て、真夜が抱き上げたぬいぐるみと同じように継ぎ接ぎだらけでボロボロだった。

 

真夜はその中から一つ、白い狐のようなぬいぐるみを持ち上げて立ち尽くす俺に渡した。

勿論それも、手足は別の動物の色と形になっていたが。

 

『大好きだよ! だから、かわいくしてあげたいの!』

 

屈託のない笑顔で、自分の行動の一切を疑うことなくそう言い放つ真夜。

 

その後俺がどうしたか、全く覚えていない。

だが、俺はもう真夜の家に行ってもあのぬいぐるみを見ることはなく、それ以来ずっと、この日の出来事を忘れることはなかった。あの日までは。

 

 

「ま、こんなとこだ」

「………」

 

遥都は絶句して、それだけでなく固まっている。

 

「おいおい、”終わったこと”って言ったのは遥都だろ? 気にすんな」

「ああ、しかし……そうか。そんなことがあったなら、納得だよ」

 

「ハハ……真夜も北城も、悪い奴じゃなかった、そう思いたい」

 

純粋で、しかし、さっきも言ったように彼女たちは余りにも純粋すぎた。

 

化学か何かで習っただろ? 純粋な酸素は毒だって。

生きるのに必要なものでも純度が高すぎると死を招くんだ。

 

愛だとか言うものも、きっと生きるために必要だ。

だけどそれも、強すぎたら身を亡ぼす。

 

「でも、だとしても、あの2人の想いは、俺には重すぎたんだ」

 

純粋すぎる愛で死なないためには、フグのように自分自身が純粋すぎる愛(ソレ)を抱かないといけないのかもしれない。

 

 

 

「もう1回言うけど、ありがとな、遥都。黙っててくれて、それと、この話を聞いてくれて」

「どういたしまして、だけど神依……その、大丈夫か?」

「やっぱ心配か? でも大丈夫だ、思い出した以上、どうにかしなきゃいけないからな」

 

一度大きく深呼吸をして、公園から立ち去ろうと歩き出す。

遥都に一声掛けようと振り返ったその時、丁度遥都も声を発した。

 

「神依」

「……どうした?」

 

「きっと、オレには計り知れないほど、疲れてると思う、だから、こんな時こそ、オレが力になる、だから――」

 

遥都は決意を込めて、真っすぐに、言葉を届けた。

 

「困ったら、いつでも言えよ、オレは、()()()()は、いつだってお前の、そう、神依の大事な大事な親友だからな」

「……あ、あぁ! ありがと……な」

 

嬉しかった、何より遥都が、”木葉博士”と初めて自称してくれたことが。

自分を肯定してくれた、そんな気がした。でも――

 

「だけど、()()こそ、思い詰めるんじゃないぞ?」

 

遥都に、これ責任を負わせるわけにはいかないんだ。

 

「分かってるさ、()()()、神依」

「ああ、()()()()、遥都」

 

だから、もう一度だけ、会いに行こう。

出会えるかどうか分からない。でも、最後にもう一度だけ、縋りたい。

 

 

「ついに、来ちまったな」

 

神社、爺ちゃんがいた神社。二度と来ないと、そう思っていたはずだったが。

 

「いない……か?」

 

目が曇って、見えるはずのものも全然見えない。

目を擦りつつ、なんとか賽銭箱まで辿り着いた。

 

「これで最後だ、拝んでおくとするか」

 

5円玉を2枚、空っぽの賽銭箱に放り込んで、大きく鐘と手を鳴らして祈った。

『あの白い狐に、会えますように』と。

 

目を開けて振り返る途中、お御籤《みくじ》の箱が視界に入った。

中を覗いてみると、まだ残っている。

 

「………」

 

一つ引いて、ゆっくりと開けた。

 

『大吉』と、そう書いてあった。

 

「……っ!」

 

衝動的に破り捨てた。

爺ちゃんには、絶対にするなと釘を刺されていたけど、止められなかった。

 

何が大吉だ、幸運だ。

今更、良いことなんてこれっぽっちも待ち受けているものか。

ああ……稲荷神がどうした、祟ればいいさ。

 

これ以上悪くなったって、知ったもんか。

 

 

しばらく息を荒げていたが、少し平静を取り戻した。

 

「もう、いいさ」

 

奇跡は二度も起こらない。

明日からまた、憂鬱で楽しい日常が待っているだけだ。

 

もう、こんな神社とも、あんな過去とも、お別れしよう。

 

2度と振り返らないと心に決め、神社の出口に向かって歩き出したその時、その瞬間、懐かしい何かを感じた。

 

「……これって」

 

見上げると、空中を漂い、こちらに向かってくる白い狐と目が合って―――

 

 

 

 

 

 

 

 

”これが、俺の物語だ”

 

”お前は、間違えるんじゃないぞ、祝明……?”

 



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Chapter006 天都は狐に非ず
6-75 狐神サマの悩みは絶えぬ


 

「あ、ノリくーん!」

 

長い悪夢から現実へと戻ってきた僕を、イヅナの熱い、熱い抱擁が出迎えた。

 

「うぇ、なに……?」

 

勢いよく抱きつかれ、せっかく起こした体は再びベッドに押し倒された。

 

「やっと起きたよー……ノリくん、2日間もで眠ってたんだよ?」

「え、2日も!?」

 

確かに寝ている間は時間の流れが分からないけど、そんなに長い間眠りについていたとは()にも思わなかった。

 

『あー、思ったより時間掛けちまったみたいだな』

 

頭の中で神依君の声が響き渡る。

記憶を見終わった後もこうして彼と話せるのはいいことだけど、誰かとの会話と被った時に大変になりそうだ。

 

「イヅナ、僕が寝てる間に何かあった?」

「ううん、大きなことは特に……あ、博士が一度来たよ、()()()()をしに」

「そっか……結局、博士が話してくれたんだ」

 

博士は最終的に止めるような言い方をしていたけど……「どうにかする」と言った僕を信じてくれたってことなのかな?

 

『”博士”ねぇ……この島の博士がどんな奴か、一度見てみたいもんだな』

『近いうちに会えると思うよ』

 

もう一度博士に会って、近況や方針をもう一度話し合わないといけないからね。

でも、記憶の底から湧き出てくる恐怖心がこれで収まったのかどうか、今はまだ確認が付いていない。

 

「でもノリくん、私、キタちゃんと仲良く、って言われても……」

「その話は後、長く眠ってたせいでお腹が空いたからさ」

「……あ! ごめんね、すぐ持ってくるから!」

 

急にドタバタと忙しく体を動かしてイヅナはベッドから飛び出した。

その姿はそそっかしくて危ない様子だ。

 

「焦らないで、着替えながらゆっくり待ってるよ」

「だったらもっと急がないと!」

「え……!?」

 

イヅナは野生開放をして、纏う気配を色濃く変えた。

……この島に来て恐らく初めて見るイヅナの野生開放が、まさかこんな形でお披露目されるとは思いもしなかった。

 

そのまま勢いよくドアを開けて部屋を飛び出したイヅナだったが、すぐに戻ってきたようで、扉の影からひょっこり顔を出した。

 

 

「ところでノリくん、もしかして何かしたの?」

「え、何かって?」

「なんでか、ノリくんの考えてることが読み取れないの、どうして?」

 

なるほど、神依君に妨害を頼んだから、テレパシーを悪用して考えていることを読み取れなくなったんだ。

半信半疑だったけど、本当に効果があったんだ。

 

ともあれここは、なるべく当たり障りのない答えにしておこう。

 

「……ああー、扱いが上手くなって、防げるようになったんだ」

 

答えても、イヅナは返事をしない。

ピッタリと止まり一切動かず、目をキョロキョロと回して何か考え事をしている。

 

『もしかして、防がないで読み取らせて、と言われるんじゃないか?』

『うぅ、そう言われたらもう術がないよ……』

 

頭の中の声に答えても、まだイヅナは思案を続けている。

そして、一言だけ、呟いた。

 

「……そう」

 

それだけ言って、イヅナは本当に向こうに行ってしまった。

 

『ま、良かったんじゃねぇか?』

『あはは……冗談じゃないよ』

 

何も言わずに去って行ったイヅナは、正直に言って不気味だった。

自分の想いをストレートでぶつけてきて、気に入らないことがあれば迷わず文句を付けるイヅナが、『僕の考えを読み取れない』という比較的大きいはずの事象に対してたった一言で決着をつけてしまった。

 

これは、発作とは違う。

イヅナの何かが変わったかもしれないという考えが、僕に拭いようのない不安を押し付けるのだ。

イヅナの考え方を変えようと、かつて僕は頑張っていたというのに。

 

「気にしても、仕方ない……か」

 

今はそう割り切るしかない……兎に角、早く支度をしなければ。

 

 

 

ロッジのロビーでは、イヅナがジャパリまんと何か飲み物を用意していた。

 

「~~♪」

 

陽気な鼻歌と共に揺れる白い尻尾からは、先程までの”冷たい”雰囲気はまるで感じられなかった。

……その変わりようが、僕の背中に冷たい戦慄を走らせるのだけど。

 

「あれ、ノリくん来ちゃったの?」

「……うん、来ちゃったかな」

 

僕の姿を見て更にルンルンになったイヅナは、危なげな浮いた足取りで近くのテーブルに朝食を置いてくれた。

 

「じゃ、いただきまーす」

「ごめんねノリくん、ロッジにも料理ができる食材があればよかったんだけど……」

「気にしないで、食べ物ならボスたちに頼めばいいし、今朝はジャパリまんの方が食べやすいよ」

 

ロッジで作るのが厳しいなら、図書館でも、はたまた平原のお屋敷に行ってもいいだろう。

まあ、やりようは幾らでもあるってことだ。

 

『ここまでお前の心配してくれるなんて、結構いい子じゃないか』

『きっと、”あの二人”もいい人だったんだろうね』

『……はは、おいおい、そんな言い方無いだろ?』

 

人間、余裕がなくなると言動にも焦りが出てくるというもの。

僕の場合、その原因が『イヅナが少し変な気がする』というだけなのだから、手に負えないのを通り越してそれにさえ苛立ってしまう。

 

『……ごめん』

『別に、謝んなくていいぜ、終わったことだ……』

 

 

これから何をしよう。

何か必ずやるべきことが在るはずなのに、それが一体何なのか頭に浮かんでこない。

 

途方に暮れて何となく周りに視線を向けると、あっちのテーブルで普段通りマンガを描いていたオオカミと目が合った。

 

「……ふふ」

 

オオカミさんは僕と目が合うや否や、紙とペンを持ち目を爛々と輝かせてこちらをじっと見つめた。

”二日間も眠っていた間の夢の内容を教えてくれ”と言わんばかりの彼女の目は、ペンよりも多くのことを語っている。

 

抜け目ないと言うべきか、或いは強欲と呼ぶべきか。

ネタ探しに余念のない彼女の魔の手が、未だロッジの遠くまで()()()伸ばされていないことに安堵するべきか。

 

「……今回はノーコメントだよ」

「えぇ!?」

 

何にせよ、相手が必死なほど揶揄いたくなる気持ちは生まれるのだ。

普段の仕返しと思えば、罰などは当たるまい。

……むしろ、多分当てる側だ。

 

「オオカミさんも、もっと僕以外からも話題を見つけたらどうかな?」

「それも一理あるけどねコカムイ君、キミはもう少し自分が珍しいことを自覚するべきだよ、色々な意味でね」

 

ヒトから生まれたフレンズに、キツネの姿、この島唯一のオスのフレンズ……確かに、パッと思い付くだけでも相当の希少価値がありそうだ。

尤もそれは偶に考え直してみればの話で、普段は全く意識する余地がない。

 

「まあ、言いたくないなら構わないよ……十分話のネタになるからね」

「ネタって、一体何を……?」

「2日も寝続けていたこと、イヅナちゃんから聞いてないのかい? 眠る期間を延ばして誇張を加えれば、立派なお話になるよ」

 

「……なるほど」

 

その気になれば、漫画に描く話題なんて、文字通り現実の出来事の数だけ用意できる訳だ。

 

「ただ、詳しい話を聞けば更に深くまで描けるんだけど……」

 

そこまで口にして言葉を切り、オオカミは横目でこちらをチラ、チラ、チラ……合わせて大体五度見くらいした。

しかし、それに対する僕の答えは、当然決まっている。

 

「ノーコメント、だよ」

「ふ、むぅ……」

 

変わらぬ反応に落ち込むのも束の間、新たなるアイデアを手に入れた漫画家は再び紙にペンを走らせる。

 

「ええと、こうして、筋書きはそうだな……眠りから覚めなくなった……奔走して……最後はキスで……」

 

話の骨組みと共に放り出される独り言からは、フレンズ版”眠り姫”の予感がそこはかとなく漂っている。

 

 

『あの漫画家さんは、いつもあんな調子なのか?』

『最初は、冗談好きのフレンズって印象だったんだけど……』

 

オオカミが決定的に変わったのは間違いなくお祭りの日だ。

黒セルリアン退治から一か月経った記念のあのお祭りから、彼女の圧倒的と形容すべきほど執念深い取材が始まったのだ……恐らくは。

 

『へぇ、てっきり、お前はイヅナとキタキツネ以外のことで悩まないと思ってたよ』

『酷い誤解だね、でも悩みというよりは……困ってるだけかな』

『ともあれ、祝明君は大人気って訳だな』

 

大人気……か。

 

「そんな生易しい言葉で済めば良かったのにね……」

「ノリくん、どうかした?」

「ううん、別に」

 

気付かぬうちに声に出てしまっていたようだ。

脳内で会話するなんて初めてのことだから、今後は慣れないとね。

 

 

 

そうしたら、本格的に今日の予定を()()()()で決めることにしよう。

2日間も眠っていれば博士たちにも幾らか心配を掛けているだろうし、疲れていても怠けられる段階ではない。

 

『じゃあ神依君、行きたい場所を教えて?』

『俺に聞くのか? まあ、図書館が無難だと思うがな……』

『やっぱり最初はそこしか無いか』

 

図書館と言うのは便利な場所だ。

色んな本があるし博士と助手もいるから、困ったらそこに行けば何かしら進展を得られる。

 

後のことは博士に報告をしてから考えるとして、日が天辺に達する前にロッジを発つことにしよう。

早くに用事を済ませれば、他に何かする時間も取れる筈だ。

 

「……よし」

 

座っていては無為に時間が過ぎてしまう。

とにかく体を動かすために、まず勢いをつけて立ち上がった。

 

「ノリくん、突然どうしたの?」

「図書館に行こうと思ってさ、イヅナもおいでよ」

 

置いていくのも悪いから連れて行こう、そう思い声を掛けた。

しかし、予想外にもイヅナの反応は芳しくない。

 

「え、図書館……?」

「あれ、行きたくないの?」

「う、うん……ちょっと今は、博士には会いたくなくて、ごめんねノリくん、今日は一人で行ってきて」

 

イヅナはロッジに残り僕だけで図書館へ行ってくれ、と……そういうことらしい。

 

「ああ、うん、行ってくる、ね……」

「行ってらっしゃい、ノリくん」

 

胸元で小さく手を振るイヅナに見送られ、僕はロッジの扉を開けた。

今日の朝は存外静かで風の音もしない。

 

コツ、コツ、コツ……

 

ペンをリズムよくテーブルに当てる音だけが、時計の針の音のように響いていた。

 

扉が締まりその音が止むと、沢山のあらぬ考えが脳裏に過っては消え、不安だけを頭の中に置き去りにした。

 

 

イヅナが、僕から離れたがった、別に大したことじゃないはずなのに、胸に穴が開いたような心地だ。

訳が、分からない……今まで、こんな気持ちになるはずはなかったのに。

 

変わったのは、僕?

きっとそうだ、神依君の記憶を見て、彼の人格を身に宿して、僕はまた、変わってしまった。

 

「ノリアキ、起キタンダネ」

 

赤ボスの声がする方を向くと、ロッジの向こうからテクテクと赤ボスが歩いてくる。

 

「これから図書館に行くんだ、赤ボスもおいで」

「ワカッタヨ」

 

少ししゃがんで腕を伸ばすと、その中に赤ボスが飛び込んだ。

軽い準備運動もして体を温め、これでいつでも出発できる。

 

 

そういえば、今朝はかばんちゃんとサーバルが見当たらなかった。

いつもはロッジで過ごしているはずだけど、僕が寝ている間に何かあったのかな。

 

……まあいいか、後で確認しよう。

 

「じゃ、早く行こっか」

 

白の尻尾と耳を現し、空へと一気に飛び立った。

 

上空は肌寒く、身も心も凍えてしまいそうだ。

吹雪のように冷たい風を浴び、ふとキタキツネのことを思い出した。

 

「キタキツネ、大丈夫かな」

 

最後に見たキタキツネの様子を思い浮かべると、胸が締め付けられるような思いと共に、何故かほんのり暖かい。

キタキツネのあんな姿をもう一度見たいと思ったのは、寝惚けているのか、違うのか。

 

どちらにしても、正気じゃないな。

 



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6-76 木葉は散った

 

今日という日は、珍しく太陽を灰色の雲が覆っていた。

その向こうには変わらず太陽があり、雲越しにボンヤリとその輪郭を捉えることができる。

その朧気な太陽が何故だか僕の心を丸写しにしているように見えて、不愉快な気分になった。

 

無論、晴れていれば眩しすぎて太陽など見れたものではないのだが。

 

「僕は、太陽より月の方が好きだな、なんとなく」

『……同感だ』

 

もしや、雨でも降るのではないだろうか。

後に杞憂となる不安を胸に抱えつつ、図書館に向け空を進んでいく。

 

道中の火山、火口から噴き出す()()が普段より少ない気がした。

 

 

 

博士は図書館の中で一冊の本を読んでいた。

……まあ、一度に二冊読むことなんてないけど。

 

「ええと、やあ、博士」

「……コカムイですか、例の話はキチンと二人に伝えておきましたよ」

 

博士は本に栞を挟み、パタンと閉じて体をこちらに向け、頬杖をついた。

 

「お前はお前で随分と長い間グッスリしていたようですが、よく眠れたのですか?」

「まあ、お陰様でね。見ての通り元気だよ」

「……ふふ、別にどうも見えないのです」

 

 

「ところでそれ、何の本?」

「何の変哲もない本ですよ、()()()()()()()()、ね」

 

驚いて本を奪い取って中身を覗き込むと、博士の言った通り、僕が読むのと同じような()()()()()()()の文字の列が所狭しと並んでいた。

 

「博士、漢字読めるの?」

「最近学び始めたのです、流石にひらがなとカタカナだけではどうしようもありませんから」

 

栞の位置は表紙から4割くらいの所にあり、そこそこ読み進んでいることが分かる。

探偵小説のようで、表紙には邦題と共に"A Study In Scarlet"と書いてある。

今度機会があったら読もうと思い、本は博士に返した。

 

「博士もこういうの読むんだね」

「この島の長として、観察眼を身に着ける必要があるのですよ。どれどれ、今日のコカムイは……まあ、そうですね」

 

頭から爪先まで一通り僕の様子を眺めた後、再び本を開いて目を活字の列へと向け、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「……話したいことがあるなら聞きますよ。ただし先に言っておきますが、結局はお前自身の判断が全てなのです」

「うん……忘れないよ、絶対」

 

 

僕に全てが掛かっているという実感は、未だ確かに得られていない。

でも、神依君の記憶を通して、何か使命を知った気がする。

僕たちは、自身が置かれた状況が面白いほど似通っている。

そして片方の関係はバラバラに崩れ去ってしまった。殺し合いという惨たらしい結末によって。

 

博士との会話で今の解決法が出た矢先に、僕は()()()()()()を知ることになった。絶対にあんな結末にはしないと自分に誓った。

もしかしたらカミサマって本当に存在するんじゃないかって、そう思ったんだ。

 

『そりゃ、君のことじゃないのか、祝明君?』

『あはは、イヅナに言わせたらね』

 

「何なのですか、黙りこくって」

「……何でも、じゃあ聞いてくれるかな」

「ええ、いつでも」

 

 

僕は二日間にわたる夢の、その内容を博士に聞かせた。

実体験ではなく聞いた話であるとはいえ、このような恐ろしい出来事の顛末を話すのは自分自身にも負担がかかる。

誰かに説明するためには話を整理しなければならず、そのためにはもう一度全てを頭の中で再生し直す必要があるからだ。

 

もしも自分の目の前で起きた出来事だったとしたら……

神依君は全てを言葉で話した訳ではない。しかし忘れようとした忌まわしい記憶が鮮明な映像として目の前に蘇ったら、それに因って負う心の傷は自ら語ることの比ではないはずだ。

 

『だとしても、お前が気に病むことはないんだぜ』

 

痛い、神依君の優しさが、僕の心には痛くて堪らない。

 

……ともあれ、神依君の記憶のこと、そして今、神依君の人格が僕の頭の中に棲みついていることを博士に伝えた。

 

 

「その”カムイ”とやらの記憶はいいとして、これで例の発作は収まるのですか?」

「さあ……もう少し様子を見ないと、分かんないな」

 

発作は不定期的にやってくる上、来る時とそうでない時の境界線が明確になっていない。完全に治ったことを確認するにはそれなりに長い時間が必要になることだろう。

 

「やれやれ、まだ波乱は続くのですね」

「あ、あはは……」

 

博士はテーブルに積み上がった本の山の頂点に読んでいた本を置いて、建物の外へと歩いて行った。

 

『あの子がこの島の”博士”か……』

『うん、元の動物は”アフリカオオコノハズク”で、フレンズの中でも頭は良い方だよ』

『なるほどな……』

 

神依君は博士に結構興味を持っているみたいだ。

十中八九、親友の遥都君繋がりだと思うけど、不思議な偶然もあるもんだね。

 

 

探偵小説か……そう言えば、キリンは元気にしてるかな。

あの事件の時から度々”みずべちほー”を訪ねたり泊まったりして、マーゲイさんだけでなくPPPとも相当お近づきになっているみたいだ。

あれから、彼女は探偵として成長したのだろうか、そして、そもそもキリンに探偵の才能はあるのだろうか。

 

「赤ボス、動物のキリンって頭は良いの?」

「”キリン”ハ頭ノ悪イ動物ジャナイヨ、タダ……」

「ただ……何?」

「大キク目立ツノハ知能デハナクテ、強サダヨ」

「……キリンって、強いの?」

 

首が長くて身長の割に細身で、どこかか弱い印象を持っていたけど、やっぱり野生動物だ。

 

ええと、赤ボスに説明してもらったところによると……

 

そもそもの話、身長のわりに細いとしても体重は1トン近くもある。

高い瞬発力と、強烈な蹴り。受けたらヒトは死ぬらしい。

そして長い首を使った非常に強い打撃。1対1ならライオンにも勝てるとか何とか……

 

「……強い」

 

ここまでの強さなら探偵よりセルリアンハンターの方がよっぽど向いている気がする。

まあ、某漫画の”眠る探偵”も柔道のできる強い探偵だったし、悪くはない。

 

戦いは強いポンコツ探偵と……寧ろマッチしているくらいだ。

しかしそうなるとキリンが眠らされて、声を変える訓練は無駄になるのかな……?

 

「ま、いいや」

 

とにかく、今度機会があったらキリンに会いに行くことにしよう。

なるべく、PPPの所にいる時に。

 

 

 

折角図書館に来たんだからと、僕は本を持ってきて読むことにした。結構厚い本だから博士か助手に許可を取って、図書館から持ち出してロッジでじっくり読もう。

ロッジには色々居るから集中して読書ができるか不安だけど……

 

「そういえば、助手……」

 

今日は助手の姿が見えない。どこかに出掛けているのかな。

なんとなく気になるから博士に尋ねてみよう。

今博士は外を歩き回っている。曇りとはいえ程よい風が吹いていて、快く散歩ができる天気だ。

 

「博士、ちょっと聞いてもいい?」

「構いませんが、一体何ですか? 私は今、休むのに忙しいのです」

「あはは……」

『こういう冗談は、遥都の奴とそっくりだな』

 

懐かしさに浸る神依君は置いといて、博士はそよ風を浴び気持ちよさそうにしている。相変わらず、空は灰色のままだけど。

……早速本題に入ろう。

 

「今日、助手の姿が見当たらないんだ、何処にいるの?」

「助手のことですか、気になるなら当ててみるといいのです」

 

博士はもう少しこの調子を続けたいみたいだ。なら、それに乗るとしよう。

 

「喧嘩して、出ていっちゃったとか?」

「そんな訳ないのです、そこ……なのですよ」

 

博士は図書館に向かって指を差した。その方向を見ると、何やら扉のようなものがあった。助手はその部屋の中にいるらしい。

 

「今日はずっと部屋の中?」

「ええ、昨夜から出てきてないはずなのです」

「……やっぱり喧嘩した?」

「あ、あり得ないのです!」

 

強い調子で否定された。

頬を膨らませ、腰に手を当ててあからさまに怒っているようだ。

余りにもあからさまで、本心がよく分からないけど。

 

「……本ですよ、あの中なら落ち着いて読めるそうです、私には理解できませんがね」

「そう? 僕は静かな場所の方が集中できると思うよ」

「あの部屋、薄暗いうえにクモの巣が張っているのですよ……」

「あ……そうなんだ」

 

でもまあ、クモの巣が張るような所謂”ボロい”雰囲気が好きな人もいるだろうし、そこで本を読みたいというのも強ち理解できない話ではない。

 

「じゃ、そっとしておくよ」

「その方が良いのです、助手の読書を邪魔すると碌な目に遭いませんから」

「例えば、どんな目に遭うの?」

「聞くのですか? ……いいでしょう、話してやるのです」

 

 

”あれはそう、遠くない過去、昨日の話なのです”

”……案外最近の話なんだ”

”はいはい、黙って聞くのですよ”

 

「助手、助手! 居るのですか?」

「ここに居ますよ博士、どうしたのですか」

 

”ロッジから帰ると、助手は本を読んでいたのです”

 

「いえその、確認しただけなのです」

「……ふふ、博士は寂しがり屋ですね」

 

”そして、助手は読書を再開したのです”

”別に普段通りというか、平和だね”

”ここまでは、なのです。私は『寂しがり屋』という言葉に腹を立ててしまったのですよ”

 

”……何やってんだか”

”聞こえてるのですよ! とにかく、私は助手にちょっかいを掛けることを決意したのです”

 

「一体何の本を読んでいるのですか?」

 

”私は座って本を読む助手の後ろから覆いかぶさって本を覗き込みました”

 

「は、博士、首が重いのです……」

「ふふふふ……私は軽いのですよ」

「……」

 

”恐らく、助手はここで私の意図を悟ったのでしょうね”

”……”

”なぜお前も黙っているのですか……? こ、怖いのですよ……”

 

「時に博士、今日はロッジに行ったそうですね」

「え、えぇ? まあ、行きましたよ、少し用事があったので」

「コカムイには会いましたか?」

 

「……いいえ? 何でも昨日からずっと眠りこけているようで」

「なるほど、それは残念でしたね」

 

”真意が理解できない質問というのは、それだけで途轍もなく不気味なのです、私はこの時点で逃げ出したい気分でしたから”

 

「ざ、残念とは……?」

「博士、少し耳を……ゴニョゴニョ……」

「……っ!? あ、ありえないのです……」

 

”……助手が具体的に何を言ったかは、聞かないでほしいのです”

 

「もしそうだったら私は、私は……明日まで命があるか怪しいのですよ……じょ、冗談なのです、よね?」

「ふふ、さぁ?」

 

”恐怖でガタガタ震える私を尻目に、助手はさっきの部屋に向かったのです”

 

「では博士、私はここで本を読むので、()()邪魔をしないで下さいね?」

 

”ガチャリと扉を開く音がして、助手はそれっきりあの部屋の中なのです”

 

 

 

「これ以上詳しくは語れないのですが、助手は恐ろしいのです」

 

それはさておき、博士の話を聞いて、僕には思うところがあった。

 

「……やっぱり、喧嘩じゃないのかな、ソレ」

「私も、そんな気がしてきたのです」

 

助手が一体何を博士に耳打ちしたのか非常に気になるところではあるんだけど、残念ながら僕にはそれを知る手段がない。

テレパシーの悪用みたいな方法で思考を読み取れたら出来そうだけど。

 

『思考がイヅナと似通ってきてるぜ、知らないものはそれでいいだろ』

『……今回は諦めるよ』

 

「よし、助手に一度謝ってくるのです」

 

僕たちが脳内会議をしている間に、博士は何やら覚悟を決めた様子だ。

 

「じゃ、今日はこれで……」

「待つのです」

 

頃合いに思って立ち去ろうとしたら腕を掴んで引き止められた。

 

「私の恐ろしい記憶をわざわざ話してやったのです、今日一日はカレーまんを私たちに沢山食べさせるべきだと思わないのですか?」

「……はは、分かったよ、今日はここにお世話になるね」

「では、行ってくるのです」

 

博士はゆっくりした足取りで、時々怯みつつも扉へと歩みを進める。

 

 

今日は図書館に泊まるとして、明日は何をしよう。

 

『あれ、雪山は行かないのか?』

『今はちょっと、ね』

 

発作とは別に、キタキツネと会うことへの抵抗が残っている。

あまり長く放置しても拗れるだけなのは分かっているけど、もう少し自分の時間が欲しい。

 

『……よかった、まだ無事だな』

「あはは、どういう意味さ」

 

「コカムイ、何か言いました?」

「……何でもないよ」

「そう、ですか」

 

 

何処に行くのが良いだろう、砂漠かあるいは平原か……

楽しい思案に耽りながら、ハチャメチャ模様が広がる扉の奥をじっと眺めていた。

 



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6-77 お宝は誰のもの?

 

砂漠――それは、多くの生き物を拒み、時に死を連想させる不毛の土地。

そこに何万何億と積もった砂粒の、その上を歩く者がいた。

 

 

「ハァ、ハァ……」

 

真上から照りつける強い日差しに、カラッカラに乾いた熱風。

早くどこかの日陰に入らなければ干からびてしまう。

 

「なんで、()がこんな目に……」

 

自分で体を動かせるようになったと思ったらすぐコレだ、俺は祟られてるのか?

……少し、身に覚えがある気がするな。

 

『祝明……おい、祝明!』

 

頭の中で必死に声を掛けても返事はない。

そりゃそうか、意識不明、ある意味眠ってるってことだからな。

 

「ジャパリパークと言っても、砂漠ってのは過酷な環境に変わりねぇな」

 

 

砂ばかりの場所から少し離れ、岩肌の多く見られる地域に辿り着いた頃、俺はようやく日光をやり過ごせそうな穴を見つけた。

 

「だけど、大丈夫なのか……?」

 

入ろうとした途端に崩れて生き埋め、だなんてことも十分有り得る。しかしこのままでは真昼の太陽に焼き殺されてしまう。……背に腹は代えられない、一度入ってやり過ごすことにしよう。

 

「あの狐を呼べたらな……」

 

テレパシーと言えば悪用されているイメージしか無いが、この距離でも言葉を送ることのできる便利な能力だ……祝明が起きてさえいれば。

何とも不便なことに、俺はテレパシーを使えず、また狐の恰好になることも、勿論空を飛ぶことも不可能だ。

 

祝明が起きてさえいればすぐに代わってイヅナを呼べるし、何なら自分で飛んで安全な場所に行くことだって可能だ。

何も持たない人間にとって、自然というものは斯くも厳しい。

 

「赤いなボスも図書館に置いてきちまったし……どうしようもねぇな」

 

それでもこの岩穴の中はまだ外と比べて快適だ。

……奥を見ると真っ暗闇が広がっていて、何か出てきそうでとても恐いけどな。

 

 

俺がなぜこんな状況に置かれているかと聞かれれば、運がなかったと答える他にない。だが、多少の経緯は話しておこう。

俺…というか祝明は、図書館から出発し、この”さばくちほー”まで飛んできた。確か「ツチノコ」とか「スナネコ」にもう一度会ってみたいとか何とか、まあそんな理由だ。

 

ところが不運にも飛んでいる途中、砂漠で突如砂嵐が発生し、それに巻き込まれて砂の上に墜落した。打ち所が悪かったのかは知らんが祝明は意識を失い、何の因果かもう一つの人格になっている俺が表側に引っ張り出されたというわけだ。

 

「赤いボスは安全って言ってた筈なんだがな」

 

確か、赤いボスは何と言っていただろうか。たしか祝明が赤いボスに砂漠の危険について確認したとき――

 

『砂漠デハ砂嵐ヤ、塵旋風ノヨウナ気象現象ガ発生スルコトガアルヨ』

『それって、大丈夫なの?』

『空ヲ飛ンデイルナラ、普通ノ現象に巻キ込マレルコトハ無イヨ』

『”普通の”ってことは、何か普通じゃないのも起きるのかな……?』

『”サンドスター”ノ影響デ、通常ヨリ大規模ナ発生ニ変化スルコトモ……稀ニアルヨ』

 

稀にある……か。

 

「運悪くそれを引いたってか、ツイてないぜ」

 

疲れが溜まって、俺は岩の上に寝転がった。正直に言って痛いがまあ、さっきよりは多少楽になった。比較的広い穴で助かった。……まだ助かってないが。

 

 

「あーあ、全く……ん?」

 

横になって辺りを見回したおかげで、新しいものに気づいた。

 

「なんだこれ……」

 

目に付いたそれを拾い上げると、壺であることが分かった。中を覗き込むと、何やら束ねられた紙が入っている。

それを取り出し広げると、地図……というより何かの建物の見取り図のようになっている。

 

「まさか……宝の地図か?」

 

俺がそう思ったのも伊達じゃない。その図には赤いバツ印が付けてあった。古典的というか、よく見る有り触れた書き方だが、一目見て”それだ”と思わせるには最も効果的である。

 

問題があるとすれば、俺は今、宝探しなんてやっている場合ではないことだ。

面白そうだから、祝明が起きたら探してもらうことにするか。

 

「早く起きてくれよなー……」

 

 

 

コツ、コツ……

 

「っ!?」

 

いつの間にか俺まで眠っていたみたいだ。

外から入ってくる光の様子からして、大して時間は経っていない。

 

だが今大事なのはそれじゃなくて、この岩穴の奥から聞こえてきた誰かの足音だ。

何処かに続いているのか? だったら、間もなくやってくる誰かに助けてもらえるかもしれない。

 

敵と、俺の勘違いだけは勘弁願いたいが果たして……

 

「……」

 

もしセルリアンのような敵対生物だったらと考えると、迂闊に音を出すこともできない。起きる時にさほど音を立てなかったのは幸運だった。

 

緊張する俺に対し、近づく足音の主は呑気なリズムを保ったままだ。

コツ、コツと段々音が大きくなり、ついにその姿を現して――

 

「……お? だれかいるのですかー?」

「……フレンズか」

 

緊張が解け、体の力も抜けて座り込みそうになる所をなんとか堪えて、目の前にいるフレンズを観察する。

毛は薄いベージュで、髪はそれほど長くない。記憶を探ったところ、多分コイツは”スナネコ”だ。

 

「ええと、お前はスナネコか?」

「はい……どこかで会いましたか?」

 

スナネコはじっと俺の目を見て黙っている。スナネコの顔は何かを思い出そうとしているような怪訝な表情だ。

 

「もしかして、コカムイ……ですかぁ?」

「え? あ、ああ」

 

危ない、否定してしまう所だった。外から見たら俺はコカムイだ。この島ではな。

 

「やっぱりそうでしたか、前に会った時と違う感じだったから、わかりませんでした」

「ああ、色々あって……ね」

 

スナネコに人格云々の話をしても理解してもらえないだろうから、下手に混乱させるより”コカムイ”で通す方が良いだろう。

 

「でも、どうしてここに?」

「遭難しちゃってな……その先はどこに繋がってるんだ……い?」

「この穴を通ると、ボクのお家の近くに出ますよ」

「そのお家から、砂漠の出口に行けるのか?」

「はい、地面の下の道からみずうみ? に出られますよ」

 

いつもの口調が飛び出しやがる、俺って演技ヘタクソなんだな。

それはさておき、湖と言うと湖畔、平原の近くだな。スナネコについて行けばこの砂漠から出られるわけだ、コイツに会えたのは不幸中の幸いだったな。

 

「お、僕をそこまで連れて行ってくれ……ないかな? ここで何かしたいなら待つけど」

「なんとなく来ただけだから大丈夫ですよ、遅れずについて来てくださいね」

「ああ、ありがとう」

 

スナネコに先導されて、俺は真っ暗な洞穴を進んでいく。

俺は夜目が利かないから度々体を岩にぶつけて痛い。こんな時こそ狐の姿になれたらと思うが、未だに祝明は目覚める様子を見せない。

 

結局、体のあちこちを痛めつつも俺は洞穴を抜け、スナネコの家に暫し世話になった。

 

 

「この道をずっと進めば、みずうみに出られますよ」

「色々ありがとな、最後に一ついいか?」

 

俺は懐から宝の地図を出してスナネコに見せた。

 

「これ、何か分かるか?」

「んー……さぁ? ツチノコなら何か分かるかもしれません」

「ツチノコって何処にいるんだ?」

「この道の途中の、”いせき”とか言う場所にいますよ」

 

なら丁度いい、もしかしたら祝明に頼ることなく宝を見つけられるかもな。

 

「ありがとう、じゃあまた、な」

「はい、また会いましょ」

 

 

そして俺は、さっきのように暗いトンネルを歩いていく。洞穴と違うのは、このトンネルが広いことだ。まあ、広いのはそれで怖い部分もあるけどな。

 

「なんだかんだ言って助かったな、運が良いんだか悪いんだか」

 

この調子ならボスにも会えるはずだ。ボスに通信を頼めば迎えに来てもらうことも簡単だろう。図書館にいる赤いボスに繋げば、博士とかに送迎してもらえるかもな。

当然、さっさと祝明に交代して飛んで帰るのが一番だけどな。

 

さて、そんなことを考えながら歩くうちに、遺跡の入り口らしき大きな扉の前に着いた。

 

「遺跡ってのは……これだな」

 

祝明の記憶を覗いてみて、ここが遺跡であると確信できた。

 

「ま、アイツが起きるまでの暇潰しにはなるといいな」

 

ゆっくりと扉を開いて、暗い遺跡の中へと足を踏み入れる。

 

 

また、暗い場所だ、これで何回目だろうか。今日一日だけで3日分の暗闇は堪能できた気がする。

 

「誰かいるかー?」

 

暗がりの向こうへと声を掛けても、戻ってくるのは反響した俺の声だけだ。とりあえずこの暗さだと歩くのが大変そうだから、明かりを点けよう。

 

「扉を閉めたら点くんだったな」

 

案の定、下駄を挟んで扉が閉まらないように工夫されている。しかし仕方ない、外れたらまた挟めばいいだけだ。

扉が閉まるとパッと遺跡の中が明るくなって、アトラクションを紹介するアナウンスが空間に木霊した。

 

「よし、これで……」

「あああぁぁぁあああぁぁ!!」

「わッ!?」

 

アナウンスの声を掻き消す程に大きい声が突如真後ろで響きだし、俺は驚いて数メートル前へと飛び上がった。

 

「お、驚いた……」

「オレのセリフだ! 突然ズケズケと入ってきて、しかも挟んでおいた下駄まで外しやがって……折角挟んどいたのに毎回毎回……」

「あ、あぁ、悪い」

「お前に関しては2回目だ、全く……」

 

いや、アイツの記憶によるとあの時下駄を外したのはサーバルだ。そんなことに意味なんて無いけどな。

 

「ごめん、暗いと動き辛くてさ」

「……仕方ねぇか、で、今日は何の用だ?」

「ああ、こんな地図を拾ったんだ、ツチノコなら何か知ってるかもって思って、ほら」

 

地図をツチノコの目の前に広げると、すぐさまツチノコの目の色が変わった。

 

「……おい、これ、何処で拾った?」

「砂漠の洞穴みたいな場所で、壺に入ってたよ」

「そ、そうか、ちょっと貸してくれ」

 

破れないように、しかし力強く俺から地図を奪い取り、見開いた目をギョロギョロと走らせている。血走ったようにも見える目はさながら蛇そのものだ。

 

 

「ハハハ、凄いぞぉ! まさかこんな物があるなんて!」

「何か分かったのか?」

「ああ、これは間違いなく、この遺跡の地図だ。オレが言うんだから絶対にそうだ!」

 

誰が見ても分かる位興奮したツチノコは、宝の在り処について途轍もない早口で解説をし始めた。

 

「いいか、これはこの遺跡の見取り図になっていてだな、全域の様子が記されている。オレはこの遺跡のほとんどを回って構造を把握しているから断言できる。だがこの宝を記すバツ印、これが描かれた部屋をオレは知らない。普通では行けない部屋……つまり、お宝は隠し部屋にある可能性が高いんだ! そしてこの地図によると隠し部屋に一番近いのは……あっちだ!」

 

ツチノコは目にも留まらぬ速さで駆けていく。その先にあるお宝を探し求めて。

 

「お、おい! 待ってくれよ!」

 

俺も遅れてツチノコを追いかける。しかし、どんどん距離は離れていく。

 

「は、速い……」

 

遺跡は曲がり角が多く、なんとか見失ってしまわないよう食らいつくのが精一杯だった。数分間も走り続け、ようやくツチノコの足が止まった。

 

「ここの壁だ……オラァ!」

 

強烈な蹴りを一発、壁に叩き込んだ。

壁の一部が凹んで、またその周りもグラグラと揺れた。しかし、完全に崩すとまではいかなかったようだ。

 

「下がってろ、危ないぞ」

「あ、あぁ……」

 

壁を蹴りつけ、様子を見て再び蹴り付けて……足が壁に当たるたびに轟音が響いて心臓に悪い。そんな作業がしばらく行われ、耳が鳴り響く轟音にも慣れてしまった頃、ようやく壁の向こうの隠し部屋が姿を現した。

 

「おぉ……これが……」

「ここまで厳重に隠してるとは思ってもいなかった、見つけられたのは地図があったお陰だ」

 

下手をしたら崩れ落ちそうにも思えるが、ツチノコは臆することなく進む。……確かに、崩れる程脆いならもう崩れているか。俺も後に続いた。

 

 

部屋は閉じられ、一切の明かりが入らないため真っ暗だった。

また暗がりか、と思いつつ足を踏み入れたその途端、部屋の明かりが点けられた。

 

「な、何だ!?」

 

眩しさに目が慣れると、部屋中央の台座に乗せられた壺と、その中に満杯に入っている硬貨が視界に入ってきた。

そして、盛大なファンファーレが鳴った。

 

『おめでとうございます! その壺の中のジャパリコインは、全部あなたの物です! 本日は「遺跡の宝探しイベント」にご参加いただき、ありがとうございました!』

 

「……イベント?」

「とにかく、このジャパリコインは全部オレたちの物ってことだ」

 

ツチノコは大量のコインを手に入れてご満悦だ。

だけど俺には引っ掛かるところがある。主に、部屋の隠し方について。

あんな厳重に、というか頑丈な壁で隠したら、場所が分かっても開けられるはずがない。

 

しかし、ツチノコが崩した壁を見て納得した。そこには明らかに機械があった。

きっと、何か仕掛けを解いたら開く仕組みだったに違いない。

 

「とんだ力技だな……」

 

祝明も狐の姿ならこれくらいできるのか? だとしたら、恐ろしいこと極まりないな。

 

 

俺が壁を調べ終わるころに、ツチノコはコインで一杯の壺を持って部屋から出てきた。

 

「良かったな、宝が見つかって」

「ああ、だが、分け前はどうする? ほら、この地図はお前が持って来たものだし、オレが全部もらう訳にはいかないぞ」

 

「んー、じゃあ、1枚くれ」

「……たった一枚か?」

「いっぱい持っても嵩張るだけだし、思い出にするなら1枚で十分だ」

「そう、か……じゃあ、これから何か困りごとがあったら、遠慮なくオレに相談してくれて構わないぞ」

 

1枚のジャパリコインを俺に渡しながらツチノコが言う。やはり葛藤は残るのだろうし、この好意はありがたく受け取ることにしよう。

 

「なら、そうさせてもらうよ、じゃあ、また」

「ああ、またな!」

 

ジャパリコインを握りしめ、遺跡から立ち去った。

 

そのままトンネルを抜け、湖の近くに出てきた。

俺は大きく伸びて、明るい太陽にコインをかざした。

 

「大事にしないとな」

 

これは、俺がこの島で初めて作った、大切な思い出だ。

 

 

『んん……あれ?』

『なんだ、ようやく起きたのか?』

『どうして神依君が体を……?』

『いいから早く代わってくれ、図書館まで飛ぶぞ』

 

頭の中を適当に弄り、人格を交代した。闇雲にやったらよく分からんが出来た。

もしかしたら俺には才能があるのかもしれないな。

 

「あれ、ツチノコに会いに行かなきゃ……」

『さっき会ったばっかりだ、俺がな』

「じゃあ、戻ったら怪しまれちゃうね」

『だな、赤いボス連れて、早くロッジに帰ろうぜ』

「そう、だね」

 

 

今日の砂漠での記憶は、俺の心の中だけに留めておこう。

俺だけが知っている、”天都神依”の思い出として。

 



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6-78 憧れは海を越えて

 

砂漠に行った日はまた図書館でお世話になったから、ロッジに帰ってくるのは2日ぶりってことになる。

テレパシーを含めて一切の連絡を取っていなかったけど、図書館までイヅナが迎えに来たりとかはしなかった。

 

――仲違いってことになっちゃうのかな。

キタキツネとの関係も心配だけど、イヅナも捨て置けない状況にある。

 

『お前、結構ボロボロだよな』

『あはは、神依君もそう思う?』

 

2人とも受け入れる……か。本当にそんな結末が存在するのだろうか。イヅナとキタキツネの間の亀裂は勿論のこと、僕と2人の間にも何かドロドロしたものが生じつつある。

 

でもまだ何か起きたわけじゃないし、何か起きる兆候が強く見られたわけでもない。しばらくの経過観察だ……息を整えて、なるべく自然に扉を開けた。

 

 

「えっと、ただいまー……イヅナ、いる?」

「あっ、ノリくん……」

 

イヅナは目が合うや否や顔を逸らしてそっぽを向いてしまった。回り込もうとしてもその度に背中を向けられてしまう。

 

『拗ねてるな、こりゃ』

 

脳裏に響く神依君の声はどこか他人事のようだ。実際は他人事に近いんだけど、ちょっと悲しい。

 

「い、イヅナ? 何か不満なの……?」

「ん……」

 

下に垂れて力なく揺れる尻尾と、ペタリと座った狐耳が、イヅナも同様に落ち込んでいることを静かに語っている。

 

「ねぇ、ノリくん……そこまでして、私に隠したいことがあるの……!?」

 

静かに、それでいて力強く、どす黒い声色。でも一方で甘ったるい声にも聞こえてしまい、どっちが正しいのかは分からない。……熱でもあるのかな。

 

「そこまでして」と言うのは、例の、テレパシー防ぎのことだろう。

好き勝手に心を読まれることを神依君が不憫に思っての提案だったんだけど、イヅナはこの行動を違った意味でとらえたようだ。

 

『裏切りと感じたのか……余計なことしちまったか?』

『大丈夫、何とかなるよ、調整は出来る?』

『ああ、テレパシーの通り道を細くして防いでるから、その都度開けたり閉じたりすれば、祝明にもできるぞ』

 

それは好都合だ。イヅナとの関係が壊れるのは本意ではない。別の方法を示してある程度イヅナが心が読めるようにしよう。あるいは、僕からも時々干渉してあげるのがいいかもしれない。

 

「ねぇ、イヅナ、だったら提案があるんだ――」

「今は聞きたくないの、後に、して」

「あ……」

 

イヅナは奥の部屋の方に行ってしまった。

仕方ない、この話はイヅナが戻ってきてからにしよう。

 

 

 

「イヅナさん、大丈夫なんですか?」

「……? ああ、かばんちゃんか、大丈夫、時間が経てば話せるようになるよ」

 

何だか久しぶりに見た気がするかばんちゃんだけど、何やら机に資料のようなものを広げて、サーバルと一緒に読んでいる。

 

『でも、サーバルは読めてるのか?』

『……多分、読めてない』

 

「それ、どうしたの?」

「えっへん、研究所からもってきたんだよ!」

 

机から1枚取り上げて、読めもしない資料を得意げに突き出すサーバル。相変わらずの快活な様子に、ちょっぴり顔が綻んだ。

 

「これって、船の資料?」

「はい、セルリアンと一緒に沈めた船の”設計図”、ってものみたいです」

「けど、なんで設計図なんて……」

 

既に沈んでしまったものの造りを知って、一体何に使おうと言うのだろう。

でもそれは浅はかな考えだったと、次の言葉を聞いて悟った。

 

「ボク、やっぱりこの島の外に行ってみたいんです」

「……外に?」

「この島の他にもヒトが居るって分かったんですから、とにかく、一度だけでも会ってみたいんです」

 

かばんちゃんが外の世界に憧れていたなんて、一度たりとも考えもしなかった。僕が、もう外に戻ることを諦めてしまったせい、かな。……戻る場所なんて、()にはもう無いから。

 

 

「それで、船の設計図を……」

「船そのものが無くても動く仕組みが分かれば、船の代わりになるものを作れるかもしれないって、そう思ったんです」

 

確かにそれはその通りかもしれない。だけど、それを行うには多くのものが足りない。技術、材料、知識……既にある何かを使わなければ、船の代わりなど到底用意できるものではない。

 

「それで、何か掴めたの?」

「……いえ、まだ具体的には何も」

「なら、僕が乗ってきたボートを使えば或いは……」

 

イヅナが中の機械を抜き取っちゃったけど、戻せば多分動くはずだ。この島でまともに海を渡れそうなのはこれくらいしか無いように思える。あとは、ボートに燃料が残っているかどうかが大きな問題になるくらいか。

 

 

「でも、コカムイさんの船に乗って行っちゃったら……」

「気にしないで、島の外に行く予定はないし、まず動くかどうかの話だからさ」

「確か、イヅナさんが壊しちゃったんじゃ……」

「壊したというより、中の機械を丸々取っちゃっただけなんだ。だから、戻した後に動かせるか調べなきゃいけないんだけど、ボスはできる?」

 

尋ねると、腕時計の方のボスが答えてくれた。

 

「うん、内部の構造をスキャンすれば、稼働可能か調べられるよ」

 

なら、後でボートの所まで行って、ボスにスキャンをお願いすればいいだけだね。

 

『ボスって色々便利なんだな』

『これくらい機能が無いと、ここでは使い物にならないんだろうね』

『だろうな……昨日痛感したよ』

 

 

「じゃあ、もしボートが動かなかったらどうするの?」

「……コカムイさん、どうすればいいんでしょう?」

 

サーバルの言う通り、ボートが必ず動くという保証がない以上、他の手段も考えておく必要がありそうだ。

この島の中で船に流用できそうなもの……同じく機械であるジャパリバスなら工夫すればある程度の距離を渡るのは可能だろうか。

 

「バス、とかはどうかな」

「やっぱり、バスを使うの?」

「……サーバル、”やっぱり”ってどういうこと?」

 

すると、サーバルは「しまった」と言う風に手で口を押さえた。

 

「え、えっとね、外に行きたいかばんちゃんのために、バスで船を作るつもりだったの」

「サーバルちゃん、そうだったの?」

 

なんと、既にバスを船に改造するというアイデアはフレンズの中で出てきていたようだ。

 

「それって博士のアイデア?」

「そうだよ、コカムイくんが島に来る前からみんなで準備してたんだけど……」

「有耶無耶になっちゃった、ってことだね」

 

僕が島に来たのと丁度同じタイミングで海に現れたセルリアン。あんなものがいては安心して海へ飛び出すことができないから、島から出る前に、絶対にそいつを退治しなければならない。だけど、今はまだ手の打ちようがない。

 

 

「乗り物は、ボートかバスを改造するか、海のセルリアンは後回しにするとして……次は目的地、だね」

「目的地は決めてるんです、”ゴコクエリア”、そこに行くつもりです」

「ゴコクエリア……ね」

 

久しぶりに”ジャパリパーク全図”を開いて調べてみよう。

ここにキョウシュウエリアがあって、ゴコクエリアはかなり近い場所にある。

この島以外のエリアは正常に活動をしているらしいから、向かうならまず一番近いエリアに行くのが確かに合理的だろう。

 

今話をしてハッキリさせられるのはここまでだろう、それよりも気になることがある。

 

「ねぇ、もし外でヒトの住んでる場所を見つけたら、かばんちゃんもそこで暮らすの?」

「それは……分かりません。ボクが何処にいるべきなのか、まだ」

「えーと、難しい話は分からないけど、私はずっとかばんちゃんと一緒にいるよ!」

「サーバルちゃん……! ふふ、ありがとう」

 

 

いるべき場所……ね。

 

『……なんだ、しんみりしてるのか?』

『あはは、はは……』

 

居場所、僕がいる()()所……大丈夫、ここにある、イヅナが、キタキツネが、望んでいる、用意してくれている。

探しに行く必要なんてない。気にするな、考えるな。

 

――僕は、島の外に行きたいの……?

 

 

「別に、行かなくてもいっか」

「……コカムイさん?」

 

「っ、ああ……ボートの確認のことだよ、僕が行かなくても、ボスにお願いできるからってことでさ」

 

また、考えていたことが口に出てしまった。何か原因があるなら、見つけて治した方がいいかもしれないな。

 

「それじゃあ、ボートを早速見てきますね」

「うん、いってらっしゃい」

「あ、待ってよかばんちゃん!」

 

2人はバスに乗り、ボートの場所に向かったようだ。彼女たちが居なくなって、ロッジのロビーには僕1人が残された。

 

 

「イヅナと、そろそろ話せるかな」

 

なんだか、僕があの屋敷に連れていかれた時と状況が似ているような気がする。イヅナが落ち込んで、僕がイヅナを説得しに行く。

色々なことがあったけど、結局のところ何も変わっていないのかもしれない。

 

唯一何かが変わったとすれば、僕がそれを肯定しているということだけだ。

 

 

「おや、良いことでもあったのかい?」

 

イヅナの部屋に向かう途中、すれ違ったオオカミにそう声を掛けられた。

 

「良いことなら、これから沢山起こるよ」

「ほう、それはそれは……素晴らしいね」

 

言葉とは対照的に、オオカミの顔は晴れやかなものではなかった。

 

「そう言うオオカミさんは、悪いことでも起きたの? 複雑な顔をしてるけど」

「いいや……まだ、何も。悪い予感なら、幾らでもしているけどね」

「……そっか」

 

やり取りの中でオオカミの真意を推し量ることはできなかったが、彼女がそう言うってことは恐らく何か起こるのだろう。

 

 

 

「イヅナ、入っていい?」

 

ノックをして声を掛けても、中から返事は返ってこない。ドアノブを捻ると、鍵は掛けられていなかった。

 

「あ……は、入るよ……?」

 

ゆっくり扉を押し開けて、部屋の中を覗いた。厚いカーテンが閉められて真っ暗になった一室、そのベッドの上に、扉の隙間から入った光を反射して艶やかに輝く白いものがあった。

 

「イヅナ、寝てるの?」

 

扉を全開にして凝視すると、イヅナは寝ているわけではなくベッドに腰掛けているだけと分かった。イヅナは突然の光に眩しそうに目を細め、光の抜け落ちた目をこちらに向けた。

 

「ノリくん……」

「イヅナ、ごめんね、その……知られたら恥ずかしいような考え事も沢山あってさ、それで、僕から神依君にお願いしたんだ」

「うん、ノリくんにだって、隠したいことはあるよね……私、ノリくんに――」

「だ、だけど!」

「……?」

 

イヅナの思考が悪い方に流されていると感じて、少々無理やりに遮った。僕だって、ただ謝るだけのために来たわけじゃない。イヅナを悲しませるだけで終わりだなんて、絶対にあってはならない。

 

『テレパシーを通せるように、お願いね』

『任せとけ』

 

……よし。

 

「だけどさ、時々なら……まあ、構わない、よ?」

「え……えっ?」

「な、なんで驚いてるの……?」

 

イヅナは俯いて、手を顔の辺りに当てて何かをしている様子だ。しかし、暗くてよく見えない。

確かめようと一歩イヅナに近づいた途端にイヅナが僕に抱きついて――

 

「んーー!」

「んぐっ!?」

 

キスをした。強く、何よりも力強く、僕を抱きしめながら。

 

そして、何か液体が口の中に流れ込んでくる。

この味は……多分イヅナのサンドスターだ。

その証拠に、この島に来てからのイヅナの記憶がフワフワと僕の頭の中に流れ始めている。

 

「ぷはぁ……えへへ」

 

長い長い接吻を終えて、イヅナははにかむように笑った。

 

 

僕の頭の中は、少しやかましかった。

 

『何でこのタイミングで記憶を入れるんだよ!? 折角整理した頭の中がゴチャゴチャになるじゃねぇか!』

『……頑張れ、神依君』

 

 

そんな僕の脳内をよそに、イヅナの気分は非常に盛り上がっている。

 

「ノリくん、聞こえるよ、ノリくんの心の声が……!」

「あはは、やっぱり、ちょっと恥ずかしいな」

 

そして、僕の気分も昂っている。きっと今、僕の顔は真っ赤だ。

 

「えへへ……大好き、大好きぃ……!」

 

イヅナは僕を抱き締める。ガッチリと、もう2度と離すまいと、言いたげな様子で。でも、それは叶わない。

 

イヅナの腕が当たる部分が少し痛くなってきた頃、イヅナは一度僕から離れ、部屋の扉を閉めた。すると唯一の光源が断たれ、部屋は再び暗闇に包まれた。

 

「あれ、イヅナ……っ!?」

 

背中に、柔らかい感覚を覚えた。視界が良くないせいで余計に感覚が鋭くなり、思わず飛び跳ねそうになってしまった。

 

「えへへ……真っ暗だね、ノリくん。ここなら誰も、気づかないよ?」

「でも、い、イヅナ……」

 

今は神依君が頭の中に……!

 

『心配しなくたってデリカシーはある。俺は()()とするさ』

「じゃなくて、心の準備がぁ……!」

 

 

バタンッ!

 

 

「……?」

 

勢い良く扉が開く音。

確かにそれは、この部屋の扉の音だった。

 

「……あ」

「ぎ、ギンちゃん……!」

 

僕は体勢の都合で見えないけど、どうやら扉を開けたのはギンギツネのようだ。

 

「ご、ごめんなさい、後でまた……」

「いや、良いよ、急用なんじゃない?」

 

イヅナに抱き締められながら言うなんて不格好だけど……もう諦めた。

 

「そう、そうよ! キタキツネを見なかったかしら?」

「いや、今日は見てないよ」

「そんな、ロッジにもいないなんて……!」

 

8割方の事情は察した。だけど一応、ギンギツネに尋ねてみる。

 

「ギンギツネ、どうしたの?」

「どうしたもこうしたも無いわ……」

 

彼女から戻ってきたのは、予想通りの返答だった。

 

「いなくなっちゃったのよ、キタキツネが!」

 



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6-79 叶わぬニューゲーム

「キタキツネがいなくなったって、どうして?」

「それが、目を離した隙にフラっと出掛けちゃったみたいで……近くを捜しても見つからなかったから、コカムイ君のところに行ったんじゃないかと思ったんだけど……」

 

ギンギツネは落ち着きなく部屋を歩き回り、ブツブツと文章にならない言葉を並べ立てている。時々頭を掻きむしり、髪の毛は右の側頭部だけ不自然に荒れていた。

 

それと、ギンギツネからの呼び方が”コカムイさん”から”コカムイ君”へと昇格を果たしている。まあ、それはどうでもいいことだ。

 

「……早く見つけてあげないとね」

「だけど、一体どうすれば……!?」

 

普段は冷静沈着でクールな印象のあるギンギツネだけど、今の様子を見るとやっぱり脆い面があるんだと思わされる。精神の面でも、また彼女の頭髪のためにも、解決は早ければ早いほど良いだろう。

 

「キタキツネは、どこに行っちゃったのかな……」

 

早く探し出さなければならないのに、キタキツネが行きそうな場所が思いつかない。キタキツネは滅多に外出をしない性格だったからさ。

 

だとすると、キタキツネが”行きそうな場所”から目的地を割り出すのは不可能に近い。

 

「ギンちゃんは、心当たりとか無いの?」

「あの子が行く所なんて、コカムイ君の場所以外思いつかないわよ……」

 

長くキタキツネと共に過ごしてきたギンギツネでも分からないとなると、どうすればいいのかな……?

 

 

一度、雪山で手掛かりを探すべきだろうか。でもキタキツネは、気紛れに出掛けて行ってしまったような気がする。

 

「誰かがキタキツネの姿を見てると良いんだけど、聞いて回るのも時間がかかるし……」

「入れ違いになる可能性も、考えられるわね」

 

『斯くなる上は、()()()()じゃないのか?』

『じゅ、絨毯爆撃って?』

『要はあれだ、虱潰しにやるしかないだろ』

 

なるほど、神依君の言う通りそれが確実な方法だけど、一体全体どうやって島の全てを調べればいいのか……

 

「――あ!」

「何か思いついたの?」

 

この方法なら、間違いなくキタキツネの居場所を探し出すことができるはずだ。

 

「赤ボス、この島にいる全部のボスに、キタキツネを探すように頼めるかな?」

「全部のボスに!? さ、流石にやりすぎじゃないかしら……?」

「……マカセテ、研究所ヲ通シテ”全ラッキービースト”ニ”キタキツネ”ヲ捜索スルヨウ通達スルヨ」

 

よし、これで少し待てば、キタキツネの情報が赤ボスに入ってくるはずだ。

 

「ねぇギンギツネ、一度雪山に行ってもいいかな」

「いいけど、何かあるの?」

「別に……気まぐれ、かな、あはは」

 

万に一つ、何か良いものが見つかるかもしれないし。

 

 

赤ボスを抱え上げて、急いでロッジから出て出発の準備をした。……まあ、キツネの姿になったら準備完了だ。

 

「イヅナ……イヅナ?」

 

僕が赤ボスを抱えているから、イヅナにギンギツネのことを頼もうと振り向くと、不貞腐れているイヅナがいた。

両手の人差し指の先をトントンとくっつけて、如何にも不満気な様子だ。

 

「……ギンちゃんね、任せて」

「あ、うん……」

 

ギンギツネが部屋に入ったタイミングが悪くて、イヅナのお楽しみが中断されちゃったせい、かな。

後で、僕から何かフォローを入れておこう。今何かしても、駄目そうだし。

 

 

 

今日の雪山はいい天気で、見上げると雲一つない青空が見える。

こんな日は雲のある日よりもむしろ寒くて、飛んでいても風が冷たくて凍えそうになる。キツネの姿なら毛皮があるから多少マシにはなるけど、やっぱり寒いものは寒いな。

 

宿に着いたら、一通り見て回りながら変わったことが無いかを調べた。

概ね、前に来た時から何か変わった様子は無く、記憶の中の宿と同じ光景だ。

 

「ゲームは……持って行ったんだね」

「……こんなことを調べて、一体何になるのかしら?」

 

ギンギツネは時間が経つにつれて苛立ちを募らせている。しかしどう足掻いても、赤ボスに発見の報せが入るまでは派手に動くことができない。

……自分にできることが何もないという歯痒さが余計に、ギンギツネの神経を逆撫でしているのだろう。

 

『俺、ギンギツネの気持ちが分かる気がするな』

『……神依君が?』

『ああ、なんでだろうな……』

 

神依君とギンギツネ――共通点は見出せないけど、お互いに通ずるものがきっと何かあるんだろう。

多分神依君は今、外での記憶を頭に思い浮かべているんだ。

 

 

 

しばらくしても宿の中からは目ぼしいものが見つからず、僕は宿の周りへと足を延ばすことにした。

ギンギツネの話によると、キタキツネが宿を立ち去ったのは今日の朝らしいから、まだキタキツネの痕跡が残されているはずだ。

 

「赤ボス、今日の雪山の天気は?」

「今日ハ、一日中『晴れ』ノ予報ダヨ」

「それはよかった」

 

多少風は吹くだろうけど、今までの時間でキタキツネの足跡を消せるほどの強さではないはずだ。

雪面スレスレを飛び回ってみると、簡単に足跡を見つけることができた。

 

「この足跡は……キタキツネ? ギンギツネのかもしれないけど……」

 

足跡が向いている方向を見ると、どうやらロッジの方向に爪先がある。多分、ギンギツネの足跡だ。

 

「じゃあキタキツネのは……うわっ!」

 

突如、胸に抱えた赤ボスが振動しながら音を発した。まるで携帯電話だ。

 

『受信中、受信中……別個体のラッキービーストから通信が入りました』

「もしかして、キタキツネを見つけたの?」

『”フレンズ-キタキツネ”を平原の屋敷にて発見しました』

 

赤ボスから響いてくる声は、いつもの機械的な声とは違う明瞭な発音だった。

……それは良いとして、屋敷か。かつてイヅナが僕を軟禁するために使った場所だ。

 

早く2人にも伝えて、急いでそこに向かおう。

 

 

 

「ねぇ、本当にそこにあの子がいるんでしょうね?」

「うん、ボスたちを信じよう」

 

キタキツネの居場所を伝えてもギンギツネの不安は収まるところを知らず、空を飛びながらでも何度も僕に尋ねてくる。気持ちは分からなくもないけど、高速で飛びながら会話をすると口の中が乾いてちょっぴり辛い。

 

「大丈夫だよギンちゃん、落ち着いて」

「え、ええ……」

 

テレパシーで僕の心中を察したのか、イヅナがギンギツネを宥めてくれた。こういう時ばかりは、テレパシーの存在を有難く思える。

 

『だったら、ずうっと聞かせてくれてもいいんだよ……?』

『……まだ、遠慮しておくね』

『あ……えへへぇ……!』

 

まあ、イヅナが嬉しそうで何よりだ。これで、機嫌を直してくれたかな?

 

『べ、別に悪くなってないよぉ……?』

 

それはそうと、イヅナの声が間延びしているのは何故だろう。……可愛いからいいけどさ。

……あっ! き、聞かれてないよね……?

 

『安心しろ、俺が守っておいた』

『き、気が利くね……』

 

イヅナに対してこんな感情を抱いたことに、自分でも驚いている。

発作が治りかけているからだろうか。しかし、これは飽くまで兆候でしかなく、確かな証拠が得られるまで油断はできない。……でも、()()()()()になり得るモノって一体何なんだろう。

 

――そしてもう一つ、僕はキタキツネに対しても、同じような感情を抱くことができるのだろうか?

 

 

 

それらの答えを見つける前に、僕たちは屋敷へと到着してしまった。

 

「ジャア、通信ヲ出シタ”ラッキービースト”ヲ此処ニ呼ビ寄セルネ」

 

赤ボスが簡単に交信を行うと、普通の青いラッキービーストが向こうからやって来た。恐らく、彼がここを管轄しているのだろう。

 

「キタキツネは中にいるの?」

「そうだよ、キタキツネは殆ど動かず、その場に留まっているよ」

「ありがとう、じゃあ迎えに……あれ?」

 

イヅナとギンギツネが見当たらない。ボスと話し始める前は確かに後ろにいたのに。

驚いてキョロキョロと探していると、空中でジタバタと暴れるギンギツネとそれを抑えるイヅナが見えた。

 

『……何やってるの?』

『えーと、キタちゃんは任せるから、私たちは雪山に戻ってるね!』

『な、何で?』 

 

ギンギツネが暴れている辺り、イヅナの独断だと思うけど、どういう風の吹き回しかな? てっきり何か起こらないように率先して見張りに来ると思ってたけど。

 

「降ろしてイヅナちゃん! キタキツネの無事を確認しなきゃ……!」

「そ、それはノリくんに任せて、ね?」

「私だってあの子に会いたいわよ!」

 

ギンギツネは語気を強めたけど、暴れることは止めて、こっちを見ている。……つまり、僕の答えが重要になる。

 

「……任せてギンギツネ、ちゃんと今日のうちに連れて帰るからさ」

「そ、そう……」

 

『じゃ、よろしくね、ノリくん♪』

 

ギンギツネは大人しくイヅナに連れていかれた。

でも、どうしてイヅナは……?

 

『多分、例の博士がした話が関係あるんじゃないか?』

『……2人とも、貰っちゃえって話?』

 

まだ僕はそうすると決めたわけじゃない。……まだ。

幾ら考えてもそれ以外の選択肢は思いつかないから、多分そのうちそう決断することになってしまうけど。

 

でも、その話が関係しているなら理由は付けられる。キタキツネとの時間もちゃんと作って、ってことだ。……イヅナは、辛くなかったのかな?

 

『考えるのもいいが、早くキタキツネのとこ行ってやれよ』

『あ……うん!』

「じゃあ、案内を頼めるかな」

「任せて」

 

 

ラッキービーストの先導に従うと、刀が置いてある部屋へと辿り着いた。

 

キタキツネはゲームをしているみたいで、襖越しにも電子音が聞こえてくる。中に入ると、部屋の真ん中で寝っ転がりながらゲームをする彼女の姿があった。

 

「……ノリアキ!?」

 

音に気づいたキタキツネが、振り返って僕を見つけ、驚きの声を上げた。素早い動きでゲームの電源を落とし、正座をして乱れた髪をテキパキと整えた。

 

「そんなに堅くならなくていいよ、僕は迎えに来ただけだからさ」

 

僕がそう言うとキタキツネは姿勢を崩し、僕の方に足を伸ばした。キタキツネはスカートが短……何でもない。

 

「キタキツネ、どうして突然ここに来たの?」

「……前に、イヅナちゃんがノリアキをここに閉じ込めたでしょ? 何したのかなって、気になっちゃって」

「……そうなんだ」

 

行動は突発的だったけど、キタキツネなりの理由があったんだ。……今日の僕の気まぐれと、よく似ている。

 

理由も分かったし今回の件は解決したけど、このまま雪山に帰るわけにはいかないよね、折角イヅナが気を利かせてくれたんだから。

 

「もう少し、ここでゆっくりしよっか」

「……帰らなくてもいいの?」

「まだ大丈夫だよ」

 

こんな時だからこそ、普段とは違う何かができるはずだ。

 

「ゲーム……は忘れちゃったから、何か、お話しようよ」

「お話……?」

「そうそう、最初に会った時は何したっけ、とか。色々あったけど、今は忘れてさ――」

「無理、だよ」

 

「……え?」

 

キタキツネは僕に抱きついた。

 

「もう、この気持ちを知っちゃったもん。忘れられない、忘れたくない……!」

 

……甘い毒は、もうキタキツネの心を芯まで侵し、染め上げてしまった。

 

「……そう、だよね」

 

僕たちはもう戻れない。

 

「じゃあ、お昼寝でもしよっか」

 

だけど、それでいい。

 



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6-80 「妖刀・天狐」…みたいな

 

「……あれ?」

 

お昼寝をしていたはずだけど、いつの間にか起きてしまったみたいだ。どんな夢を見たんだっけ……覚えてないや。

 

「ん……むにゃむにゃ……」

 

左腕にしがみついたキタキツネは、まだ深い夢の世界の中だ。キタキツネが起きるまで僕も動けないし、この際だから二度寝しよう。

 

そう思って目を閉じた……んだけど、もう一度眠りに落ちる前にユサユサと振り起こされた。

 

「ノリアキ、寝ちゃダメ……!」

「キタキツネ、起きてたんだね……でも、その……」

 

起きて早々、眼前にキタキツネの顔があった。と言うか、視界がキタキツネの顔で塞がれていた。

 

「か、顔が近いよ……?」

「……んっ」

 

ピタッと、互いの唇が一度軽く触れて……

 

「ん~~っ!」

 

長く、深い、接吻が、一方的に行われた。

舌が中まで攻め込んで来て、口の中を余すことなく舐め回されるオマケ付きだった。

 

名残惜しそうに唇を離した彼女の顔は林檎のように紅潮し、息は荒くなり、首元に暖かい空気が触れて、くすぐられているような気分だ。

 

キタキツネの頭に手を伸ばして、柔らかな狐耳に触れた。

 

「ひゃっ!」

 

触り方が悪かったのか、キタキツネは耳をピョコっと揺らしてビクンと跳ねた。

 

「あ、ごめん……」

「だ、大丈夫、だよ」

 

元々赤かった頬が茹で上がったように血色を強め、キタキツネ自身は両手で耳を押さえて悶々としている。

 

 

「ねぇノリアキ、ギュってして?」

 

僕を正面から見つめて、大きく腕を広げた。潤んだ瞳が、今まで見たこともないほど綺麗だった。

そんなキタキツネが抱き締めてと願うのだから、()()僕が無下にできるはずは無かった。

 

キタキツネを強く抱き締めて、2人でゴロンと横になった。背中に回ったキタキツネの手が、白い僕の狐耳へと伸びた。柔らかい感触が、何より心地良かった。

 

そして、一緒にお昼寝の続きをした。

 

 

 

 

――島。大きな島。

真ん中の辺りに山があって、何故か島の中に様々な気候帯の地域がある。山からはキラキラと輝く不思議なものが昇り、まさにこの島のトレードマークだ。

 

僕はフワフワと浮いていて、空から島を見下ろしている。ちょびっと念じるだけで地面に降り立ち、歩き回ることさえできる。ちょうど、夢の中で図書館に到着した。

 

図書館の本棚を漁る博士と助手。後ろを向くとイヅナがいて、もう一度前を向くと二人は消えていた。振り返ると、もうイヅナもいなかった。

 

とどのつまり――僕は今『夢』の中にいる。

 

「っ……!」

 

そのことに気づいた瞬間に視界が開け、周囲の様子がハッキリと見えるようになった。

明晰夢、って言うんだっけ。寝ている時くらい、ゆっくり休ませて欲しいんだけどな。

 

「まあそう言うなよ、さっきまでお楽しみだったろ?」

「……何も言ってないんだけど」

 

そんなやり取りと共に現れたのは神依君だ、きっと彼がこの夢を用意したんだろう。別にいらないけど。

寝ている時くらい頭を休ませてほしいのにな。

 

「ハハ、ちょっとぐらい話そうぜ? どうせ長い時間じゃないんだ」

「……長くないって、どれくらい?」

「俺の見立てだと……大体10分だな、この現実みたいな夢の寿命だ」

「そう……おやすみ」

 

「って、おいおいおい! 夢の中でまで寝る奴がいるか!」

「むにゃむにゃ……」

「ハァ、仕方ないな、折角頑張ったっつーのに……」

 

神依君が何か独り言を言っているけど、段々とよく聞こえなくなる。

グラグラ、ユラユラ……

 

「げ、嘘だろ、もう()()()のか? 早すぎるだろ! ……イヅナの奴、相当凄いんだな…頭を少…弄……けであ……長い時…夢…を――」

 

意識が朦朧としてきたけど、神依君の目論見が失敗したことは何となく理解できた。そんなところで視界は霞に包まれて、”明晰夢”はまた”ただの夢”に逆戻り。

 

もう一度夢を見れるなら、今度はキタキツネがいる夢がいいな。

 

 

 

「んぅ……キタキツネぇ……んん?」

 

目が覚めた直後、違和感と共に妙な不安を覚えた。なんとなく()()()()()、そしてその感覚の正体を掴んだ。

 

「キタキツネ、いない……」

 

眠りに就く前には確かにいたのに、今その姿はどこにも見当たらない。

 

「どこ、どこ……!?」

 

別段気に病むことではない筈なのに、少しキタキツネがここを離れているだけなのに、なんで動悸が激しくなるんだろう。どうして手の震えが収まらないんだろう。

 

「探さなきゃ……!」

 

”キタキツネを見つけなければ”という強い衝動に駆られ、頭で考えるよりも先に足が部屋の出口に向かって動き始めた。

怖い、怖い、怖い……! 今になって漸くギンギツネが異様なほど焦っていた理由を理解し、それに共感してしまっている。

 

 

『おい祝明、落ち着けって! 俺が夢ん中で余計なことしたのは悪かったけどさ……』

「うるさい……!」

 

僕の気持ちを鎮めようとする神依くんの呼び掛けも、今の僕にとっては雑音と何ら変わりない。この時の僕は、必要とあらば地球の裏まで飛んで行きかねない程に乱心していた。

しかし不幸中の幸いか、丁度部屋を飛び出したところで一心不乱の捜索劇は終わりを迎えてくれたのである。

 

「うわっ! いてて……」

「わわっ……」

 

部屋に戻ってきたキタキツネと部屋のすぐ前で正面衝突。お互いに尻もちをつき、キタキツネが持っていた籠入りのジャパリまんが数個床に転がった。

 

さて、”捜索劇”は終わったけど、”乱心”の方は残念ながらまだ終わっていない。キタキツネにぶつかったことに気づいたときの狼狽えようと言ったら、まあ何とも情けない。

 

「あっ……! ごめん、キタキツネ、怪我してない? ジャパリまんも転がっちゃって、ごめん、起きたらキタキツネが居ないから焦っちゃって……」

「うぅ……大丈夫、落ち着いて、ノリアキ」

「え、あぁ、うん……」

 

キタキツネが宥めてくれたお陰で、幾ばくかは平静を取り戻すことができた。それでもまだ落ち着かないから、とりあえず床に転がるジャパリまんを拾って籠の中に入れることにした。

何も考えずにただ手だけを動かす。すると、不思議と気分が落ち着いてくる。

 

「……ふぅ」

 

――落ち着かなきゃ、僕がこんなザマじゃ駄目だ。

 

予想に反し、ジャパリまん拾いは心の平穏に大いに役立ってくれた。……これから先、これ以上のトラブルなんて幾らでも起こるだろう。この程度のことで狼狽していては話にならない。

 

「落ち着いた?」

「うん、なんとかね」

 

「よかったぁ、えへへ……!」

 

籠を脇によけて、キタキツネは僕に抱きついた。さっきよりキタキツネがご機嫌になったように見えるのは気のせいだろうか。

 

 

「ノリアキ、お腹空いてない?」

 

キタキツネはジャパリまんを手で小さく千切って差し出した。

 

「ありがとう……あっ」

 

それを受け取ろうと手を伸ばすと、キタキツネはジャパリまんを引っ込めてしまった。僕が手を引くともう一度差し出して、取ろうとすると再び引っ込められた。

 

「……ノリアキ」

 

キタキツネは人差し指で自分の口元にトントンと触れた。

もしかしてと思い、雛鳥のように口を開けてキタキツネの持つジャパリまんに顔を近づけた。

 

「……えへへ」

 

優しい手つきで口の中へと運ばれるジャパリまん。ゆっくり口を閉じたけれど、キタキツネの指が口から離れようとしない。指を噛むといけないからジャパリまんを咀嚼することもできず、変な感覚だ。

 

「むぐ……もぐ……」

 

舌を使ってどうにかジャパリまんを飲み込むことはできた。その分の空きが中に出来て、キタキツネの指が口の中を撫でまわした。

このままでは止めてくれそうに無いと思い、仕方なくキタキツネの指をペロペロとしばらくの間舐めていると、満足したように指を引っ込めてくれた。

 

そしてそのまま、僕の唾液がついた指を口に咥えた。

 

「んふふ……」

 

様子を見る限り、僕と同じように舐めているんだろう。まあ、幸せそうな顔をしているしいいか。

 

 

 

ひとしきり()()した後、キタキツネはそのままの手で僕の袖を引っ張った。服がちょっぴり湿った。

 

「ねぇノリアキ、ここで何したの?」

「何って聞かれても、殆ど来てないから……」

「じゃなくて、()()()()()()()何したの?」

 

ああ、キタキツネは僕が軟禁されていた時の話を聞きたいらしい。

 

「特にこれといったことは……料理を食べさせてもらったくらいかな」

「りょ、料理……!?」

 

僕の想像以上に、いや予想外にキタキツネは動揺している。

 

『ま、初めての奴にとっては難しいからな』

『……どういうこと?』

『……それくらいは自分で考えるといいぜ』

 

あっさりと神依君に見捨てられてしまったけど、この際だから考えてみよう。

 

キタキツネがイヅナとのことを尋ねたのは対抗心からだろう。何をしたか聞いたってことは多分……同じことをするか、或いはそれ以上のことをしたいから。

そして、料理と聞いて驚いたのはつまり……そういうことか。

 

兎にも角にも、こんなことでキタキツネの気分を落とすなんてナンセンスなことだ。

 

 

「ねぇキタキツネ、そんなことより2人でこの部屋を調べてみようよ」

「そんなこと……? そ、そうだね」

 

キタキツネの手を引いて半ば無理やり部屋探しに取り掛かった。そして意外にも、キタキツネは積極的に探索に食い付いてくれた。きっとゲーマーの血が騒いだに違いない。

 

しかし、彼女がとんでもない物に興味を示すとは思わなかった。

 

「ノリアキ、これなに?」

 

キタキツネは軽く反った細長い形の物を手に取った。

 

「ああ、それは”刀”って言うんだ、そこを握って引っ張ってごらん?」

「う、うん……わっ!」

 

鞘から抜き取られた刀は、光を反射して銀色に鋭く光った。と同時に、キタキツネの目が()()に釘付けになっていることに僕は気づいた。

 

「キレイ……!」

「それは、何かを斬るときに――」

「ノリアキ、これ持ってみて!」

 

半分押し付けられるような形で、僕は刀を手にした。

 

キタキツネの目は輝いている。いやむしろ血走っているというべきか、彼女の瞳は猟奇的な光を湛えていた。口角を上げ歪んだ口と、その隙間から見える八重歯がなんというかまあ……可愛く見えた。

 

「ねえねえ、構えてみて!」

 

口調が若干変わって、さっきまでより活力的になったみたいだ。

一先ず、言われるまま適当に刀を構えてみる。

 

「えへへ、かっこいい……!」

「確かに、格好いい刀だね」

「ううん、ノリアキがかっこいいの……!」

「そ、そっか……」

 

口から一筋のよだれを垂らすキタキツネ。その姿を見ると彼女の言葉を否定できなくなってしまった。この表情が見られなくなることが、凄く惜しくて。

 

 

「でも、何か足りない……」

 

キタキツネはこれ以上の何かを欲して、部屋を舐めまわすように観察した。程なくして、部屋のちょうど反対側にあるもう一つの刀を見つけた。

 

「あった!」

 

そこからの行動は素早かった。およそ10mほどある部屋の端から端までを数秒で往復し、気が付いたら目の前に2本目を持つキタキツネが立っていた。

彼女の目は、他の何よりも()()()()()

 

「はい、2本持ってみて?」

「わ、分かった……」

 

刀を構えてみせると、それを見てキタキツネは更に恍惚とした表情になった。よく分からないけどまあ、キタキツネが満足しているならそれで十分だ。

 

 

『折角だ、名前でも付けたらどうだ?』

『名前?』

『ああ、あった方がいいんじゃないか』

 

名前、刀の名前か……

 

『「妖刀・天狐(アマツキツネ)」…みたいな?』

『……なるほど、もう片方は?』

『んー、「霊刀・飯縄権現(イヅナゴンゲン)」、とか』

『……そうか』

 

名前の付け方がよく分からないからそれっぽいのを記憶の中から選んだけど、神依君は感心しているらしい。

まあ、よかった……のかな?

 

 

 

「あれ、ちょっと暗くなったね」

 

いつの間にやら太陽は大きく傾いて、もうすぐ地平線に沈んでしまう。早めに帰らないとイヅナとギンギツネも心配することだろう。

刀を元に戻そうとすると、キタキツネに止められた。

 

「ノリアキ、持って行こ?」

 

キタキツネに言われるまま僕は2本の刀を携えて、屋敷を後にしてしまった。

 

『なんだ、持ってくのか?』

『あ、あはは……』

 

断れない自分に呆れつつ、断りたくないとも思っている。

何だかんだ言って僕自身もこの状況を望んでいるのかもしれないと、最近そう思い始めるようになった。

 

「ノリアキ、飛んでくの?」

「……もうちょっと、歩いてから帰ろっか」

「ぁ……うん♪」

 



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6-81 奥の手の名は狐火 

 

 平原を2人で歩くこと数十分、陽は沈み切り、日光に隠れていた月が顔を見せた。

 

 雲のない空にはまばらに星が光りだし、薄暗い地上で姿を見失わないようにと、キタキツネは腕を絡ませてきた。

 開けた土地に吹き通る風が耳を揺らし、仄かな月光は彼女の毛並みを鮮やかに照らし出す。

 

 そんな長閑な情景を楽しみつつも、何か言い表せない悪い予感がする。……複雑な思いは、僕が何処に行ってもついて回るようだ。

 

 

「もう、真っ暗だね」

 

 一度暗くなり始めると、真っ暗になるまでの時間はそう長くない。

 何か悪いもの――セルリアン以外思いつかないが――でも草むらから飛び出してきそう。生憎、そいつらをゲットできるような道具は持ち合わせていないのだ。

 

「そろそろ、飛んでいく?」

「そうする、ちょっと怖いよ」

 

 そう言いながらキタキツネは腕の力を強め、更にガッチリと僕にくっついた。……あざとい。

 

 飛び立つ前に、狐火を走らせて周りの様子を見た。なるべく遠くに出したけど、突然現れた明かりにキタキツネは大層驚いていた。彼女を落ち着けながらじっくり見ると、ライオンの城らしき影に気づいた。

 

 

 ――そしてそれは、僕が「相当歩いたんだな」などと考えながらキタキツネを抱え上げようとした矢先の出来事であった。

 

 ……轟音。

 

 直後、微かに耳に届いた枝葉の擦れる音から察するに、それは木が倒れた音だった。遠くで細々と砂煙が上がった、間違いなくあそこが現場だ。

 現場はかなり遠い。そこで起きた音がここまで響いたのはつまり、そういうことだ。

 

「……どうしよう」

 

 何が起きたのか確かめたい。だけど恐らく危険だ、キタキツネを危ない目には遭わせたくない。

 

「行こう、ノリアキ」

「行くって、あの音の場所に?」

 

 キタキツネはコクリと首を縦に振った。

 

「でも、危ないんじゃ……」

「その時は、”刀”の出番だよ」

「……あはは、そうだね」

 

 誰かが危険なことに巻き込まれているなら見過ごすわけにはいかないし、セルリアンが関わっている可能性もある。慎重にならないとだけど、現場までは全速力だ。素早くキタキツネを抱え、フルスロットルで飛んで行った。

 

 

 その先で目にしたのは、無残になぎ倒された幾つもの木と、その周りで交戦するフレンズとセルリアンの姿だった。

 セルリアンはさておき、フレンズの方はそれなりに緊張しながら戦っている。命が懸かっているのだから当然だ。

 

 しかし、彼女たちの目に焦りや驚きの色はない。

 

 彼女たちにとってセルリアンの出没はさほど特別なことではなく、今夜は”()()()()()()()()()()()()()”……ということになるんだろう。

 

 僕はセルリアンを攻撃する群れの中によく知るフレンズを見つけた。

 

 

「……ヘラジカ?」

 

 ボソッと零れ落ちた言葉だが、向こうはしっかり拾ってくれた。

 

「ん? おお、コカムイじゃないか! こんな夜中にどうしたんだ?」

「いや、大きな音がしたから気になってね」

「ああ、この木か。すまない、私の攻撃で倒れてしまってな、ハハハ!」

 

 ヘラジカは辺りに転がる木を見回して、豪胆に笑った。

 

 ゆっくりとヘラジカの近くに降りて、キタキツネも地面に降ろした。

 

「セルリアン退治、手伝うよ」

「いいのか? ……分かった、恩に着るぞ!」

 

 息を整え、刀を抜いて両手に構えた。

 

「む、それは何だ?」

「刀だよ、屋敷から持ってきたんだ」

 

「それは構わないが、使えるのか?」

「……大丈夫!」

 

 夜闇の中に青い凶星がいくつも浮かび、場に緊張が走る。尤も、セルリアンは本能に従って襲い掛かるだけなのだが。

 

 

「ねぇ、ボクはどうすればいいの?」

「キタキツネは隠れてて、すぐに片付けるから」

「き、気を付けてね……?」

 

 さっきまでは元気だったのに、キタキツネは途端に勢いを失くしている。やっぱり実際にセルリアンを目の当たりにすると怖いのかな。

 

 それとも……?

 

 何はともあれ、そうこうしているうちに近くのセルリアンを撃退していたカメレオンやハシビロコウなどがヘラジカの近くに戻ってきた。

 

 

「よし、集まったな。全員、もう一度突撃だ!」

 

『おー!』

 

 

 ヘラジカの号令で一斉にセルリアンの群れの中に突っ込んでいく。

 

「はあっ!」

 

 掛け声と共に刀を振り抜く。

 鋭い刀は弧の軌道を描き、セルリアンの柔らかい部分を無情にも切り捨てる。

 

 切り離された部位は宙を舞い、サラサラと輝きを零しながら解けて消えてしまった。

 

「す、すごい切れ味」

『周りの奴に当てるなよ?』

「……気を付けるよ」

 

 セルリアンの体はまるで”切れる水”のようで、どれだけ切り裂いても刃こぼれはしない。

 余りの手応えの無さに、刀を振りすぎないかヒヤヒヤさせられる程だ。

 

 しかし刀と言えども”石”を壊すことはできないようで、石に当たるたびに高い金属音を立てて刀が弾かれる。

 

 この時ばかりは、刀が傷ついてしまわないか心配になる。

 

 

「それなら……!」

 

 刀を鞘に戻して、()()()セルリアンの石に叩きつけた。鞘が飛ぶと悪いから両手で叩くことになるけど、石を砕くならこれが確実だ。

 

「おお、やるな!」

「ふぅ、後何体?」

 

「お陰で、あと2体だ」

 

 なら、もうすぐ終わりだ。残りは任せて、キタキツネの様子を見に行こう。

 

 見ると、キタキツネは木の陰で縮こまって僕の様子を見ている。何だか不憫に思えて迎えに行こうとしたその時――

 

 

「ッ……キタキツネ、後ろ!」

「え? ……うわあっ!」

「く、間に合って!」

 

 地面スレスレを飛んで、横向きにキタキツネを連れ去った。

 さっきまで彼女がいた場所には、大きなセルリアンの腕が重々しく叩きつけられていた。

 

「危なかった……」

「ありがとう、ノリアキ、その、また……」

 

 震える彼女を慰めて、ヘラジカの近くの木の陰に隠れ、手招きをした。

 

「ん? 何か――」

「シーッ!」

 

 僕の仕草を理解してくれたのか、みんな静かにこっちに来てくれた。

 小声でハシビロコウが尋ねる。

 

「何があったの?」

「あそこ、セルリアンだよ」

 

 セルリアンがいる方を指さすと、ヘラジカが反射的に体を動かした。慌てて引き止め、状況を説明した。

 

「駄目、アイツは大きい。作戦を立てなきゃ……ほら、隠れて」

 

 

 大きなセルリアンはヘラジカが倒した木の辺り、開けた空間にいる。

 あの大きさだと林の中で活動するのは厳しいから、しばらくはあの場に留まってくれるはずだ。

 焦らずに作戦を立て、確実に討伐しよう。

 

「作戦か……私はよく分からん。任せていいか?」

「分かった、まずアイツの石の場所が知りたいな……」

 

 自分で飛んで行こうかと思っていたけど、カメレオンが手を挙げてくれた。

 

「では、拙者が見てくるでござる」

「大丈夫?」

「もちろん! こういうのは忍びの役目でござるよ」

 

 次の瞬間カメレオンの姿が消え、僅かに草が揺れるのを感じた。揺れたと言っても、そよ風が吹いた時のような小さい揺れだったけど。

 

「流石、って言うべきかな」

 

 

 セルリアンについては彼女の情報を待つとして、どうやってなるべく安全に倒そうか。

 ここしばらく遭遇していないせいか、奴らの習性について綺麗さっぱり忘れてしまった。

 

「何か、セルリアンの気を引く方法って知ってる?」

「例えば、音を立てるとか、かな?」

「音……ね」

 

 フレンズが立てればその子が危険に晒されるし、石を投げたとしても奴の注意を引くほどの大きい音は出せないだろう。

 

「他に何か手があればいいけど」

「ならば、火を使うのはどうだ? 前の戦いでかばんが使っていたと聞いたのだが」

「火って言えば……ノリアキ?」

「やっぱり、そうなる?」

 

 狐火を使えば多分上手くいく筈。戦い方は、刀で地道に相手の体をそぎ落とすのが無難だろうか。

 

 

「セルリアンの石、見てきたでござるよ!」

 

「ありがとう、どこにあった?」

「ここから見て背中の方向で、かなり大きかったでござる」

 

「地面から狙える高さ?」

「ええ、その通りでござる、それと、腕が4本も生えていたでござるな」

 

 

 よし……これで作戦は決まった。

 

 狐火で誘導しながら刀で腕を切り落とす。力を削ぎながら頃合いを見て、石を攻撃して倒してしまおう。

 空を飛べば気付かれずに近づけるし、みんな火を使うのは恐いだろう。となると僕がやるしかないようだ。

 

「じゃあヘラジカ、僕が合図をしたら手伝ってね」

「分かった、気を付けるんだぞ!」

「了解、ヘラジカこそ、勢い余って飛び出さないでね?」

 

 

 いよいよ作戦開始だ。

 

 まずはこの位置から狐火を向こう側に出現させる。

 力が届くか多少不安はあったけど、特に問題なかった。

 

 予想通りセルリアンは狐火の明かりにおびき寄せられ、狐火を取り込もうと乱暴に腕を振り回している。お陰で更に木が倒され、セルリアンのいる空間がもっと広くなった。

 

「じゃ、行ってくるね」

 

 音を立てないように空を飛びつつ、木の陰に隠れて様子を見る。

 

 セルリアンの粗雑な攻撃は意外にも功を奏し、開けた視界のために簡単に近づけなくなっている。

 

「腕は石の近くに3本、逆側に1本……」

 

 弱点を守るために戦力をある程度集中させている。

 

 

 と、いうことはつまり――

 

「狙い目は1本の方だね、まず確実に斬らないと」

 

 一振りの刀を両手で持つ。一撃に力を込めて、間違いがないようにしなければ。

 

 そして位置の調整をする。気付かれないよう慎重に、セルリアンの近くの木に身を隠し、タイミングを見計らう。

 

「こう、かな?」

 

 これ見よがしに狐火をちらつかせ、狙いの腕が僕の近くに来るように試行錯誤。数回の移動と合わせて、突進と同時の一閃で斬り捨てられるようにした。

 

 

「ふぅ……」

 

 大きく息を吸って、吐いて。

 

 構えた刀が月光を跳ね返し、風が止み一瞬の無音が訪れた。

 

「――ハァッ!」

 

 気が付くと既にセルリアンの腕は斬り飛ばされ、自分はセルリアンの向こう側の芝生に足を付けていた。

 

「……!?」

 

 刹那の間に斬撃を受けたセルリアンは、当然何が起こったのか理解できていない。

 

 しかし攻撃されたことだけは本能で感じ取ったようで、狐火を追っていた腕を四方八方へと振りかざし、邪魔な倒木だけを増やした。

 

 

「後3本、どうしたものかな」

 

 ここまでやったら後は()()でどうにかなるだろうか。

 

「……野生開放」

 

 フワッと体が軽くなると同時に、サンドスターが体から抜けていくような感覚を覚えた。

 これも、間隔が空いたせいなのかな。

 

「まあ、いいや」

 

 どちらにせよ、セルリアンを倒すことには変わりない。

 

 

「……ッ!」

 

 

 木の幹を足場にして蹴っ飛ばし、一気に加速して腕を斬りつけた。ついでに胴体にも一閃を食らわせて、セルリアンの体に大きな裂傷を作った。

 

 そして方向転換。

 

 勢いのままに今度は別の木を足場に飛び出した。開けた空間の真ん中にいるセルリアンは、全方位からやってくる斬撃を防ぐことができない。

 

 2本、腕を斬り落とし、哀れなセルリアンは一本の腕と弱点の石を残すのみだ。体はその殆どを削ぎ落された惨めな姿である。

 

「最後の1本、もらうよ!」

 

 

 

 

 ――窮鼠猫を嚙む、という言葉がある。

 

 

 

 死にかけのセルリアンも文字通り死力を尽くして抵抗した。

 僅かに身を捩った、その程度の動きだった。

 

 だけどそのお陰で刀は石に当たり、硬い石は刀を跳ね返した。

 

「……あッ!」

 

 慌ててもう片方の刀を手に取ろうとする。

 

 しかし、既に眼前に迫る最後の腕。

 

 反射的に目を閉じ、腕を出し抵抗にならない抵抗を試みた。

 

 

「…………?」

 

 僕は、攻撃を受けていない。

 不思議に思い目を開けると、目の前に広がる光景に驚いた。

 

「キタキツネ……!?」

 

 

 地面に転がるセルリアンの腕、既に砕けた石。

 月光を浴び、静かに佇む(キタキツネ)

 

「ノリアキ……」

 

 ゆらり、視線が僕の目を射止め、彼女は座り込む僕に縋りついた。

 

「大丈夫? ケガしてない……!? ノリアキ、ノリアキがケガしちゃったらボク……! ねぇ、死んじゃったりしないよね? もうセルリアンは倒したよ、ノリアキ、もう大丈夫、大丈夫だよね……? 嫌だ、もう危ないことしないで、ね? ゆきやまにいようよ、ずっと、ずっと一緒にゲームだけして、ねぇ、ノリアキ……! だって、外に出なくてもいいもん、危ない目に遭って、ボクが勝手に出掛けちゃったから、こんなところで、ごめんなさい、ごめんなさいぃ……!」

 

「ッ……」

 

 泣きじゃくって、今この瞬間すら僕がいなくならないように爪を立て離すまいとしがみ付く。

 

「今度は、僕が助けられちゃったね」

「……うぇ?」

 

「ありがと、キタキツネ」

「う、うぅ……!」

 

 

 今は、こんな言葉しか掛けられない。

 自分が恨めしくなり、目を逸らして空を見上げた。

 

 

 木の葉に隠れて、月は見えなかった。



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6-82 イヅナちゃんだって!

「ふわぁ~~……ねむい……」

 

 今日の図書館はポカポカ陽気。とっても暖かくてウトウトしちゃうな。

 

「すぅ、すぅ……」

 

 眠たいのはノリくんも一緒みたいで、もう少しで本に顔を埋めてしまうところだ。

 

 赤ボスを膝に乗せて、うつらうつらと頭を揺らしている。赤ボスも眠っているような仕草をしている。ロボットのくせに。

 

「でも、いいなあ……」

 

 赤ボス、羨ましいな、ノリくんと一緒に眠れるなんて。私もノリくんの膝の上に乗って寄りかかって眠りたい。

 

 

 ……そうだ!

 

「私には妖術があるんだった! ……ずっと忘れてたけど」

 

 テレパシーとかサンドスターとか記憶とかまどろっこしい能力ばっかり使ってたけど、私が妖狐たる所以は妖術。

 

 そういう所をノリくんにアピールしていかないと! 最近ノリくんとキタちゃんの距離が近くなってる気がするから……

 

 私が甘くしたのが間違いだったんだ、あくまでノリくんの一番は私なのに!

 

「キタちゃんなんて、ノリくんがここに来てから狙ってきた2番手じゃないの」

 

 

 格の違いを見せつけてやるんだから。

 そうと決まったら、早速変化の術で”狐”になっちゃおう。

 

 ――ボンッ!

 

 白い煙が私の体を包んで、それが無くなると動物の狐になった私の姿が現れた。

 

「~~っ♪」

 

 流石私、久しぶりでも妖術の腕は全然衰えてない。

 1000年近く眠っていた甲斐があった……のかな?

 

 

 ……とにかく、早くノリくんの膝に乗らなきゃ!

 

「コーンッ♪」

 

 全速力で走り出し、ノリくんの膝に飛び掛かる私。

 

 ……あ、赤ボス邪魔だよ!

 

 ドーンッ! っと赤ボスを足で蹴っ飛ばして、無事に膝の上に座ることができた。

 

 

「アワワワワ……」

 

「……ん?」

 

 ノリくんを起こしちゃった。

 眠たげな目をこすりながら不思議そうな顔で私の方を見た。

 

「もしかして、イヅナ?」

「……!」コクコク

 

 この姿でも私を分かってくれる。

 やっぱり私とノリくんは赤い糸で結ばれているんだよ!

 

 

「どうしたの、狐に化けたりして」

 

 私を撫でながら尋ねる。

 上手に撫でてくれるからとっても気持ちいい。

 

「キュ~!」

「あはは……やっぱり喋れないよね」

 

 

 

「……あれ?」

 

 それからしばらくの間ノリくんは私をモフモフしていたけど、何かを思い出したみたい。

 

「そういえば、赤ボスを乗せてたような……あ」

 

「……コン」

 

「そっか、無理やりどかしちゃったんだ……」

 

 それでもノリくんは私を怒ったりしなかった。

 ただ、”よしよし”と私の頭を撫でてくれる。

 

 えへへ、やっぱりノリくんは優しいな。

 

 

 

 でも、そんな私とノリくんの平穏を乱す奴が現れた。

 

「ノリアキ、この本読めないんだ、何て書いてあるか教えて?」

「どれどれ……えーっと、これは……」

 

「キュー!」

 

 我慢できずに、つい声を上げてしまった。

 

「わわっ、どうしたの?」

 

「コン……!」

 

「何て言ってるのかな……?」

「それ、イヅナちゃん?」

 

「うん、今は化けてるみたいなんだ」

「へー……」

 

 

 なんだ、キタちゃんにもバレるんだね。

 でも、白い狐なんてこの島に私くらいしかいないし、ある意味当然かな。

 

 でも、今私は優越感を覚えている。

 

 うふふ、だってキタちゃんにはこんなこと絶対にできないもの。

 ノリくんの膝の上は私だけのもの……

 

 そもそもノリくんだって私が独り占めしようと思ってたのに、博士が変な提案をするから。

 

 

 ノリくんが構わないなら()()()()始末しちゃってもいいんだけど……

 

「~~っ♪」

 

 ”()()()()()()()()()()()()()()”と思いを込めつつもう一度鳴いた。

 

 でもノリくん、本当に貴方は優しすぎるよ。

 

 

 

 ノリくんに一通り本の読み方を聞いた後、キタちゃんは図書館の中に戻って行った。

 それでいいの、私とノリくんの時間を邪魔しないで。

 

 キタちゃんがいなくなったら、ノリくんは先程と同じように私に構ってくれるようになった。

 

 勿論、ノリくんが本を読めないように私から何回もちょっかいを掛けている。

 

 

「あはは、イヅナったらもう」

 

 そんなことを言いつつ私を()()()()くれるんだから、満更でもないのは丸わかりだよ。

 

 

 ノリくんは色んな所を触ってくれるけど、やっぱり耳と顎の下が特に良い。

 

 顎の下って言うと猫をイメージするかもしれないけど、狐だって似たようなものだよ。

 イヌ科だけど。

 

 でも同じ「食肉目」だし、まあいいよね。

 研究所とかで沢山お勉強したからよく知ってるんだ。

 

 

 

 そろそろお昼、ノリくんも再び眠気に襲われているみたい。

 

「……コン?」

「あはは、やっぱり分かる?」

 

 勿論分かるけど、私が分かったことに気づくノリくんもすごいよ。

 

 やっぱり私たちは運命の赤い糸で……うふふ!

 

「お昼寝しよ、おやすみ」

「コーン……」

 

 ノリくんの膝の上で丸くなって眠る。

 この世に、これ以上の幸せがあるのかな。

 

 あるとしても、必ずノリくんが関わっているに違いない――

 

 

 

 

「……ねぇ、ねぇ、ノリアキ?」

 

 忌々しい声が聞こえる。

 何、また本を読んでほしいの?

 

 そんなの博士か助手に頼めばいいじゃない、私たちのお昼寝を邪魔しないでよ。

 

「ん……うわっ!?」

 

 ノリくんが驚いている。

 どうしたのかな。私も目を開けてみて、その理由を知った。

 

 

「こーん……で、いいの?」

 

 き、キタちゃんが三つ指座りで狐の鳴き真似をしている。

 

 ……首輪をつけて!

 

「き、キタキツネ? どうして首輪なんか付けてるのかな……?」

 

「……こんこん」

 

「えっと、”こんこん”じゃなくて……」

 

「ボクはノリアキのペット」

「ち、違うって!」

 

 止めるノリくんの声も聞かず、キタちゃんは続ける。

 

「ご主人様、好きにしていいよ?」

 

「え、いや、えーと、その……」

 

「こん……こーん」

 

 ノリくんの足に擦り寄るキタちゃん。

 

 拙い鳴き真似が却ってあざといと言うかいやらしいと言うか……

 

「うぅ……」

 

 ノリくんもキタちゃんの予想外の行動に()()()()

 

 私だって、ここまで大胆な手段に出るとは思わなかったよ。

 

 

「キタキツネ、こんなことしなくていいから」

 

 そうだよ、代わりに私がやるから!

 

「じゃ、じゃなくて……あ、えーと、もうやめて、キタキツネ!」

 

 ノリくん、今私の心の声に反応してくれた!

 

 私の心を読んでくれたってことだよね、ついにノリくんからも……嬉しい……!

 

 

「ま、全く……」

 

 困り果てるノリくんを他所に、キタちゃんは満足げに狐の真似を続ける。

 

 し、しまいには……

 

「コン♡」

 

 お腹を見せるような格好になって、いやらしい鳴き真似をした。

 

 

「き、キタキツネ、それは……」

 

「こらー!」

 

 もう見ていられない。

 私は変化の術を解き、キタちゃんに覆いかぶさった。

 

 そしてこれ以上可笑しなことをしないよう、首から首輪をはぎ取った。

 

 

「あ、そんな……」

 

「そんな、じゃないよ! なんでこんなことしたの!?」

 

「だってイヅナちゃん、ノリアキと仲良くしてて……」

 

 

 羨ましかった、ねぇ。

 でも前にキタちゃんが失踪した時、2人きりになる時間をあげたじゃない。

 

 博士のアイデアを叶えるために仕方なく。なのに……

 

「自分のことばっかり、何なのよこの女狐!」

「め、ぎつね……?」

 

「それって、イヅナもなんじゃ……」

 

 

「ねぇイヅナちゃん、どいてよ」

「……やだよ」

 

 腕に力を込めて振りほどこうとするキタちゃんを私も力づくで抑え込む。

 

「んー! 離してよ! 何がしたいの?」

 

「な、何って……」

 

 ……そういえば、反射的に飛び出しただけだったな。

 気付いた途端力が抜けて、その隙をつかれて脱出を許しちゃった。

 

 

「はぁ、はぁ……首輪(それ)返してよ」

「いいけど、この首輪どこにあったの?」

 

「どうして聞くの?」

「ど、どうだっていいでしょ」

 

 別に、何かに使う訳じゃないよ、本当だよ?

 

「……図書館の物置」

 

「そう、まあありがと」

 

 首輪は投げてキタちゃんに返した。ちょっと強めに投げて渡した。

 案の定掴むのに手間取っていた。

 

 ……首輪かぁ。

 

 狐に化けて首輪を付けたら、ノリくん喜んでくれるかな?

 

 

 

「コカムイ、そろそろお昼です。何か料理を作るのですよ」

 

「もうそんな時間? 今日は何にしよう」

 

 食いしん坊の鳥がノリくんに食べ物をせびりに来た。

 自分で作れないなら、かばんちゃんにでも頼めばいいのに。

 

 そんなことを考えていると、奥の方から助手が何か言いながら飛んできた。

 

「博士、食材が無くなったのです!」

「な、何ですって!? 一体どうして?」

 

「分からないのです、置いていた場所から綺麗さっぱり……」

 

「どうしよう、食べ物が無かったら何も作れないね」

 

 

「斯くなる上は……」

「ええ、それしかありませんね」

 

「もしかして、何か方法があるの?」

 

「当然なのです、我々は賢いので」

「ええ、我々は賢いので」

 

 オウム返しのように似たセリフを言う2人。

 うふふ、フクロウなのにね。

 

「畑から()()()()()()と、ええ、簡単ですよ」

「じゃあ、博士たちが取って来ればいいね」

 

「そう、なのですが……」

 

ここで博士は言い淀んだ。

あーあ、嫌な予感がする。

 

「実は我々、過去にも何回かその、ちょろまかしたのでですね、ラッキービーストたちにマークされているのですよ」

 

「なので、我々が取って来るのは厳しいかと」

 

「分かった、じゃあ僕が――」

「待つのです!」

 

博士がノリくんを制止した。……もう、悪い予感が辺り一杯に漂っている。

 

 

「コカムイは料理の準備をするべきなのです」

 

「なので、食べ物を取って来るのはイヅナとキタキツネ(そこの2人)に任せるのです」

 

「……そっか」

 

道理は通ってるけど、博士たちの言いなりになるなんて癪だな。ノリくんなら大歓迎だけど……

 

じゃなくて、ノリくんに負担は掛けさせないよ。

 

「ううん、ノリくんは準備なんてしないで休んでて? 私たちが食材もお料理も用意するから」

 

「ちょっとイヅナちゃん、なんで……えっ!?」

 

ひっそりとキタちゃんに耳打ちした。

 

「もう、ノリくんにいいとこ見せるチャンスだよ?」ヒソヒソ

 

「う、うん……」

 

キタちゃんにはノリくんの話をすれば説得は簡単。

扱いやすいけど、私もノリくんの話をされたら同じように乗っちゃうんだろな。

 

うふふ、全然嫌じゃないけどね。

 

 

「では、キタキツネは助手に運ばせるのです。取って来る野菜も、助手の指示に従うのですよ」

 

「はーい!」

 

「何なのですか、その返事は……」

 

「えへへ、そんなことより早く行きましょ?」

 

キタちゃんを抱えた助手に付き従って、私たちはジャパリパークの野菜畑へと向かった。

 

 

 

 

 

そして、3人が図書館を発った後の話。

 

「どうしたのですか、浮かない顔をして」

「……2人が、争っててさ」

 

「なるほど、それは心配でしょうね」

 

博士は妙に納得した声色だった。

2人の様子を見て察したのだろう、伊達にこの島の長はやっていない。

 

「ですが敢えて言わせてもらうのです、()()()()()で動揺していてはこの先生きていけないのですよ……文字通り」

 

「軽い諍いなど広い心で受け止める……そのくらいの覚悟が必要になると、努々忘れないことですね」

 

「……そうだね」

 

コカムイの言葉に、力は籠っていなかった。

 

 

「私は先に道具を用意してくるのです、お前は待っているのですよ」

 

博士はその場を後にして、図書館の物置へと向かった。

 

 

「……ふぅ、ひとまず上手くいきましたね」

 

ブルーシートを掛けられた高い山が、物置の中でひと際大きな存在感を放っていた。

 

博士がその覆いをはぎ取ると、ブルーシートの下から大量の()()が姿を現した。

 

 

「バレないかヒヤヒヤしましたが、騙せてよかったのです」

 

博士たちは食べ物をこの中に隠していた。『無くなった』というのは大きな嘘だったのである。

キタキツネにこの食べ物が見つからなかったのは博士たちにとって実に幸運だった。

 

 

「コカムイの様子を見るに、やはり我々がやるしかないようですね」

 

 

こんな嘘をついた理由。

それはイヅナとキタキツネに関わりを持たせ、コカムイと()()()()()ところである程度の仲になってもらうため。

 

これは彼には不可能なことだし、さっきの様子を見て彼女たちの対処を彼1人に任せるのは危険だと博士は判断したようだ。

 

 

「この島の大きな()()()()()は、我々で対応しなければなりません」

 

物置を通る隙間風が博士の羽を揺らした。

 

「……もしくは、()()になるのでしょうか」

 



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6-83 もしもカミサマがいないなら

 

 

「では、コレとソレと……アレを取ってきてくださいね」

 

 メモを指さして読みながら、助手がイヅナちゃんに野菜を入れるための袋を渡した。

 

「はいはい、量はどれくらい?」

「大体5人前なのです」

 

 ”ごにんまえ”……重くないのかな?

 でもいいや、袋はイヅナちゃんに持たせるから。

 

 彼女が持つメモを後ろから覗き込むと、”ネギ”や”にんじん”などと書かれている。

 

「それを持ってくればいいの?」

「そうね……早く行きましょ」

 

 素っ気ない返事と共に彼女は歩いていく。

 

「む……なんで冷たくするの」

「別に、気のせいじゃない?」

 

 イヅナちゃんったら、どうして不機嫌なのかな?

 先にノリアキに目を付けてたってだけで自分ばかり得しようとして、ずるい。

 

 

「ラッキービーストに見つからないうちに帰ってくるのですよ!」

 

「分かってる、静かにしないとバレちゃうよ」

 

 不満を抱えていると、ついついキツイ言葉で当たっちゃう。

 

「は、はいなのです……」

 

 別にいいや。早く帰ってノリアキに会いたい。

 でも、料理なんて何を作ればいいんだろう?

 

 これから取りに行く食べ物よりも、そっちの方がずっと不安だな。

 

 

「キタちゃんはコレをお願いね」

「……うん」

 

 よいしょと野菜を引っこ抜き、イヅナちゃんが持つ袋に投げ込んだ。

 

「おっとっと、もう……」

 

 その後も、イヅナちゃんの指図するまま野菜をかき集めていった。

 

 

 

「……よし、これで全部かな」

「じゃあ、早く帰ろうよ」

 

「ううん、待って?」

「……なに?」

 

「折角2人きりになれたんだよ、何かお話しましょ?」

「……いいけど」

「うふふ……」

 

 イヅナちゃんは袋を放り投げ、空を見上げながらフラフラと歩き回った。

 

 

 

 

「ねぇ、お話はしないの?」

 

「焦らないでよ、時間はたっぷりあるんだから」

 

 ……でも、やっぱりじれったい。

 イヅナちゃんから持ちかけてきた話なのに。

 

 だけど一度イヅナちゃんの想いを聞きたかったから、多分いいチャンスだよね。

 

 

「イヅナちゃん……イヅナちゃんにとって、ノリアキは何なの?」

 

「何って? ……勿論大好きだけど、一言で言うならやっぱり、”カミサマ”……かな」

 

 やっぱり、その答えなんだ。

 ボクには意味が分からない。

 

 

「カミサマ……? ノリアキは神様じゃないよ、ボク達と同じフレンズだもん」

 

 

「どうして? 私は、どうしようもなくノリくんを信じてるの」

 

「どうしようもない私を、ノリくんが救ってくれたの」

 

「カミサマと呼ばずして、何て呼べばいいの?」

 

 

「でも! ノリアキは、神様じゃない、なんでもできる訳じゃないよ……」

 

 おかしいよ、イヅナちゃんは絶対におかしい。

 

 

「それでもね、私には、()()()にはそんな存在が必要なんだよ」

 

「どういう、意味? 一緒にしないでよ……」

 

 

「ううん、同じ。じゃあ、もしもカミサマがいないなら…誰が私たちを救ってくれるの?」

「……救、う?」

 

「そう、キタちゃんだって、ノリくんに救われたんでしょ」

 

 ボクは、救われたのかな……?

 

 ノリアキに出会って――

 

 

「……」

「ね? 私の言う通りでしょ」

「それでも、”カミサマ”なんて呼び方変だよ」

 

「あはは、それまたどうして?」

「た、確かにノリアキは私たちに必要、だけど神様みたいなことは出来ないもん」

 

 

「うふふ、”神様みたいなこと”って何?」

 

「それは……」

 

 上手く言えないけど、ボクたちにはどうにもできない奇跡とか、そういう凄いことだと思う。

 なんとか言葉にして、イヅナちゃんに伝えた方が良いのかな。

 

 でも、イヅナちゃんは話し出した。

 ボクの考えを全部台無しにする言葉を紡ぎ始めた。

 

 

「私が思うに、カミサマって言うのは()()()()()()()()()

 

「そこに()()だけでいい、存在するだけでいい、私たちが信じるだけでいい――」

 

「それが、カミサマ(ノリくん)なの」

 

 

 

「……訳、分かんない」

 

 すると、イヅナちゃんは後ろから僕を抱き締めて、耳元で甘く囁く。

 

「なら、キタちゃんも信じようよ、ね?」

「信じる?」

 

「そう、私達も仲良くしましょ? ノリくんも博士も、そうして欲しいみたいだし」

「ボクは、ノリアキとゲームがしたいだけ……」

「それなら尚更、私と喧嘩してる暇なんてないじゃない」

 

 

 正論、なんだろうな。

 もう反論することがない。

 

 せめてもの思いで出来た抵抗は、思考停止して座り込むことだけだ。

 

 

「もう、キタちゃんったら…ってあれ? 何か足りない。ええと、あそこの畑にあるはずだね」

 

 袋を持ち上げ、イヅナちゃんはまた野菜を取りに行ってしまった。

 

 

「アレ? 何シテルノ?」

 

 しばらく何もせずにいると、ボスがやってきた。

 

「あっち行ってよ、青狸、今はおしゃべりしたくない」

 

「? ボクハ”狸”ジャナクテ――」

「うるさい!」

 

 掴んで乱暴に投げ捨てると、ボスはよく飛ぶ。

 

「アワワワワ…」

 

 ボスの声は茂みに消えた。

 

「あらら、騒ぎを起こしちゃダメだよ?」

「…もう帰ってきたんだ」

 

「うん、私の勘違いだった!」

 

 イヅナちゃんの朗らかな笑顔を、どうにか崩したくて仕方ない。

 ノリアキを完全にボクの物にしたら、できるのかな。

 

 ……そんな未来が全然見えないけど。

 

「そんな暗い顔してないで、もう帰ろ?」

 

 立ち上がり、脚に付いた土を払って助手のいる畑の入り口まで歩いて行った。

 そして来た時と同じように、ボクは助手に体を運んでもらった。

 

 

 

 

「じゃあ、料理の時間だよ、キタちゃん!」

「ボクも作るの?」

 

「あれ、ノリくんにお料理食べさせてあげたくないの?」

 

「…ボクも作る」

「うふふ、素直ね」

 

 

 イヅナちゃんは慣れた手つきで食材や道具を揃えていく。

 

 どうやら今日も”きつねうどん”を作るみたい。

 ……火は、怖いな。

 

「キタちゃんは料理の仕方って知ってる?」

「……ううん」

 

「やっぱりね……包丁の使い方、教えてあげるよ」

「うん、ありがと」

 

 

 ――トントントン。

 

 ネギを細切れにする音が響く。

 ボクは野菜を綺麗に切り分けて、イヅナちゃんは麺を茹でている。

 

 あとは、時間を待つだけだ。

 

 

「それで、ここからが()()だよ」

 

「本番? もっと何か作るの?」

「そうじゃなくて、料理に欠かせないもの」

 

「……ボク、料理のこと分からない」

「ああ、そう言えばそうだったね」

 

 

()()()、だよ」

「……何それ?」

「大丈夫、キタちゃんのために詳しく教えてあげるね」

 

 そうして、隠し味について要らないことまで事細かに教えてもらった。話を聞いて、1ついい案を思い付いた。最高の隠し味を。

 それを、今から用意する。

 

「……キタ、ちゃん?」

 

 ナイフ。

 

 ()()()()に、最近は持ち歩くようにしている。

 ちょっと痛いけど、ノリアキのためなら全然惜しくない。手首を切れば、十分な量が出てくるはず。

 

 

「……あ、ダメダメダメー!」

「わっ……」

 

 慌てて動き出したイヅナちゃんによって、手からナイフが弾かれた。

 

「はぁ…そんなもの入れちゃいけないよ!」

「何ならいいの?」

 

「コレだよ!」

 

 胸元に当てた手から、虹色の星が現れた。

 

「これは、私のサンドスター…けものプラズム、って呼んだ方がいいかな?」

「…どっちでもいい」

 

「そうね、キタちゃんのサンドスターも、ほら」

 

 私の額にかざされた手に、同じような星が握られた。

 

「これならお料理に入れても大丈夫!」

「でも、イヅナちゃんにしかできないよ、それ」

 

「でしょ? だから、私と仲良くしようよ」

「……へんなの」

 

 やがてうどんが茹で上がった。

 そこにボク達2人のサンドスターを混ぜ込んで、野菜と油揚げを入れて、”特製きつねうどん”の完成だ。

 

 

「できた……!」

「これも私のお陰、いいことあるでしょ?」

 

「何が言いたいの?」

「……打算でもいいから、まずは仲直りしよ?」

 

 ボクに向かって伸ばされたイヅナちゃんの手。

 とりあえず、掴んでみることにした。

 

 

「仲直りって言うほど、仲良くなかったけど」

 

「キタちゃん、そんなこと言っちゃダメ……」

 



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6-84 輝くうどんを召し上がれ!

 

 

「これ……光ってる?」

 

 

 それが、うどんを見て出てきた最初の感想だった。

 感想と言うよりも事実に近いけど、()()()()()()なんて出来事、生まれてこの方体験したことがない。

 

『こりゃまた、恐ろしい料理が出てきたな』

 

『……ヤバい?』

『父さんが作る料理ぐらいにとんでもない見た目の代物だな』

『あはは、見た目だけで済んでくれるといいけど……』

 

「ノリアキ、食べないの?」

「ああ、まずはゆっくり見てから、ちゃんと…食べるよ」

 

 落ち着け、落ち着いて考えよう。

 料理を知らないキタキツネならともかく、イヅナも一緒に作ってる。

 

 食べられない訳はないし、光っているのにも理由があるはずだ。

 ……多分、サンドスターが入ってるんだろう。

 

「…いただきます」

 

 もう食べるしかないと、意を決して麺を少しすすった。

 

「…おいしい」

「でしょ、2人で頑張ったんだから!」

「イヅナちゃん、くるしい…」

 

 きっと相当な力で抱いているに違いない。止めようかと思ったけど、その前にキタキツネは解放された。

 

 それにしても、このうどんは美味しい。

 何だかよく分からないけど、とにかく美味しい。

 

「…もしかして、何か入れた?」

「分かる? とびっきりの隠し味だよ!」

 

 こんなに光り輝いて強い自己主張をする隠し味なんて本当に珍しい。でも…おいしいからいいや。

 

『あぁ、毒されてるな』

『…気にしないで』

 

 冷めないうちに食べてしまおうと、黙々と口の中に食べ物を放り込んでいく。

 

「ん…ごちそうさま」

「えへへ、満足してくれた?」

「うん、2人ともありがとね」

「……うん」

 

 キタキツネはイヅナの後ろに隠れてこっちを見ている。いつの間にか仲良くなったのかな? 簡単に解決できる確執じゃなかったと思うけど。

 今その話を出すのは無粋と思い、思い出した時に聞くことにした。 

 

 

「ノリアキ、喉乾いてない?」

「また、何か淹れてくれるの?」

「な、何がいいかな…?」

 

 別に飲める飲み物なら何でも構わないんだけど…”何でもいい”って言ったらむしろ困らせてしまうかもしれない。

 

「じゃあ、紅茶をお願いするよ」

「わかった…!」

 

「…あれ、イヅナは行かなくていいの?」

「私は、大丈夫」

 

 一目見て分かるほどの苦い顔。まだ紅茶は怖いみたい。そりゃあ、2回も紅茶の被害に遭ってるんだもんね。

 

『…キタキツネ(アイツ)は飲み物に何か混ぜるのが好みなのか?』

『あはは、そうじゃないことを祈るよ』

 

 紅茶が来るまでにはそれなりに時間があるだろうし、少し辺りを散歩することにしよう。

 

「あ…」

「心配しないで、すぐ戻ってくるから」

「…うん」

 

 

『いいのか、置いてって』

「1人になりたかったから」

『そりゃ残念だったな、俺がいるぜ』

「あはは…っ、うぅ…!」

 

 強烈な吐き気。それと共に襲い掛かる倦怠感。

 どちらもあの料理を食べ終わったころから現れ始めていた。

 

『大丈夫か、やっぱり何かまずいものでも…?』

「問題ないよ、()()()()()()()

 

 症状の原因はサンドスター、これは疑いようのない事実だ。なぜなら、頭の中に流れ込む2人の記憶が今の症状を引き起こしているのだから。

 

「流石に、2人分が一気に来ると、辛いね…」

 

 誰かから取り出したサンドスターを取り込むと、その誰かの記憶を見ることができる。

 今までに何度か体験したけど、2人のサンドスターを混ぜるとこんな副作用が起きるとは。

 

「う、そろそろ…収まったかな」

 

 もう、全身汗だくだ。

 喉もカラカラ、本当に紅茶が飲みたくなった。

 

 

『こんな状態で聞くのもアレだが、どんな記憶だったんだ?』

『イヅナの方はいつも通りだよ。キタキツネは…言い表しがたいね』

 

『…それって』

『別に、何かあったわけじゃないよ。逆に、()()()()()()んだ』

 

 

 彼女の記憶を、その中のキタキツネの一日をもう一度思い起こした。

 

 …朝起きて、ジャパリまんを食べて、ゲームをして、夜になったら温泉に入って、またゲームをして、寝る。

 また起きて、食べて、遊んで、入浴して、寝る。

 

 次の日も、次の日も、同じように、ずっとそれを繰り返しているだけ。

 

 それ以外に表現のしようがない。

 だって、それしかしていないんだから。

 

 記憶の世界に色がない。楽しいはずのゲームも、ずっと一緒に過ごしてきたギンギツネも、その周りに多少色が戻るのみだ。

 

『色が無いってことは、色すら覚えないほど…ってことか』

『もちろん、それだけじゃないんだけど…』

 

 そう、そんな記憶にも鮮やかな色が戻り始める瞬間があった。

 

 それは、かばんちゃんがゆきやまの旅館を訪れた時。微かに、しかし確実に世界全体が、失った色を帯び始めた。

 

 そして、僕がジャパリパークに訪れてから。

 キタキツネと会って、時々ゲームとかをして遊んで…そうしていくうちに、少しずつ記憶は色彩を取り戻していった。

 

 

『なるほど。で、今は?』

「あはは…()()()()()()()()()

 

『…つまり、ほとんどが白黒の景色に?』

「…うん」

 

 一体いつの記憶からかな?

 神経を張り詰めて探っても、その瞬間が掴めない。

 気が付けば、記憶は再び色褪せたものに変わっている。。

 

『ぶっちゃけ、悩む意味なんて無いと思うがな』

『そう、かもね』

 

 もうこんなことは忘れて、気分を入れ替えよう。

 

 

「何がいいかな…そうだ!」

 

 思い出したように1冊の本を取り出す。

 ”ジャパリパーク全図”、長い間存在すら忘れていた気がする。

 

『なんだ、そんなもん持ってたのか』

『思ったより使い道がなくってね…』

 

 かと言って博士に返すのも惜しい。もっと役立てる方法があるなら、喜んでそうするんだけどね。

 

「…”ゆきやま”」

 

 開いたページには、そこに住むフレンズのことが書いてある。

 キタキツネの情報も載っているし、その下には”パークガイドさんの一言”という欄がある。

 

 ”お耳と尻尾が素敵なフレンズさんです。人見知りな性格なので、優しく接してあげてくださいね!”

 

『ハハ、傑作じゃないか』

「こっちは、ギンギツネか」

 

 ”この子もお耳と尻尾がモフモフで素晴らしくて可愛くて最高です! クールだけどおっちょこちょいなのも素晴らしいです!”

 

『…ま、個性的な紹介文じゃないか?』

「物は言いようだね…あ、もしかしたら」

 

 目を閉じて、もう1回記憶を遡る。

 記憶の中に、そのパークガイドの姿があるかもしれない。

 

「う…ダメか」

 

 その人の姿が出る前に、映像はぶつ切りになって消えてしまう。研究所に行けば、昔ここで働いていた人のリストは見られるのかな。

 …大して興味があるわけじゃないけど。

 

 

「…ノリアキ、こんなところにいた」

「ごめん、もうできたんだね」

「…はい」

 

やって来たキタキツネにのの場で紅茶を手渡された。

 

「ありがとね、わざわざ…持ってきてくれて」

 

すぐにひとくち口に含めば、紅茶の香りがいっぱいに広がる。

前から思ってたけど、質のいい茶葉なんだろう。

このパークの畑を作った職員は実にいい仕事をした。

 

 

あのセルリアンがいなきゃ、今でも――

 

「…あれ?」

 

視界がグルグル、頭がモヤモヤ、脚に力が入らない。

 

「もし、かして――」

 

足に掛かった紅茶の熱を最後に、何も感じない深い眠りに落ちていった。

 

 

 

「…すぅ、すぅ」

 

 

「大成功…! やっぱり眠り薬(コレ)があってよかった」

「キタちゃん? 何やってるの…って!」

 

「こ、これって、キタちゃんまた―」

「しー…ノリアキが起きちゃうよ」

 

「そうじゃなくて、また薬なんて入れて!」

「イヅナちゃんが見張ってたら、入れられなかったんだけどな~」

「もう、どうするの? ノリくんはこの通りぐっすりだし」

 

()()()、ボク達がお世話してあげないと」

「お、お世話?」

「そうそう、ちゃんとお布団に寝かしつけてあげるんだよ」

「そ、そうね、ノリくんは寝ちゃったもの、私たちの力が必要だよね」

 

 

「でしょ、だからイヅナちゃんはまずカップをお願い! ボクがノリアキを運ぶから」

「…ちょっと待って、待ってよ!」

 

「イヅナちゃん、その紅茶ノリアキの飲みかけだよ」

「ノリくんの!? …って、全部こぼれてるじゃん!」

 

「……」

「あれ、キタちゃんもう行っちゃったの? もう…早く洗わないと」

 

 

 

 

「…止めるべきだったのでしょうか?」

「放っておきましょう。おいしいものを食べてこその人生なのです」

「…そうですね。しかし、それは私のセリフなのですよ」

 

「いいではありませんか。…どうぞ、今日のジャパリまんは格別です」

「…まあ、今日の所はこれで我慢しましょう」

 

ジャパリまんを頬張り、遠くから響く喧噪に耳を傾けた。

 



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Chapter 007 外の世界への道標
7-85 海のセルリアン、再び


 その災いは、けたたましい波の音と共に現れた。

 島を取り囲む海を縦横無尽に泳ぎ回る怪物は多くのフレンズの不安を煽り、一人のフレンズの旅立ちを妨げた。

 

 過去に現れたのは一度きり。

 まさに水のように実体のない化け物が再び姿を現したその日、僕達はキリンに呼ばれ”みずべちほー”に足を運んでいた。

 

 

「…あ、来てくださいましたか師匠!」

「師匠…? って、ああ、確かそうだったね。今日はどうしたの、用を聞いてないんだけど」

 

「どうもこうも、私の成長した姿を師匠にお見せしたかったんですよ」

「でも、オオカミさんには見せないの?」

「先生にはつい先日お会いしました! その時に師匠がいなかったので、今日こうして呼んだんですよ」

「…そっか、悪いことしちゃったね」

「気にしないでください! 2回目だから、私も緊張せずにできます!」

 

 しかしなるほど、先にオオカミに見せていたんだ。

 ロッジに寄った時、やけに彼女が上機嫌だった理由が分かった。

 

 となると、キリンには期待して良さそうだ。

 

「し、師匠、そんな目で見られると流石に緊張してしまいます…」

「キリンさーん、そろそろ準備始めますよー!」

「はい、今行きます!」

 

 マーゲイに呼ばれ、キリンは奥の控え室に駆け足で向かっていった。

 

 そうして、その場には僕とイヅナだけが残された。

 

「…ノリくん、あの子にどんな目してたの?」

「ただの期待の目だけど…えっと、ダメだった?」

「…別に」

 

 そう言いつつも、イヅナは相当強い嫉妬を覚えている様子。

 表情は何一つ変わらず、いやむしろ無表情だからこそ余計に恐ろしい。キタキツネも来ていたら一体どうなったことか。

 

 キタキツネは僕に眠り薬を飲ませたことをイヅナに密告され、3日間ギンギツネの監視下に置かれている。

 それも確か今日で終わりのはずだ、タイミングが良いのか悪いのか。

 

 

「師匠、お待たせしました!」

 

 変わらぬ姿のキリン、その後ろからPPPのみんなが何かを持って現れた。

 そして、深呼吸をしながら不思議な構えをするキリンの正面に大きな丸い的を置いた。

 

「あのさ、何をするのかな?」

「ご覧の通り、これからこの的を壊します!」

「…え、探偵は? 声を変える修業は?」

 

 それを尋ねると、少し寂しそうな表情をしてキリンは答えた。

 

「私は気づきました。フレンズには特技というものがあると」

「つまり…無理だったんだね」

「だから、私は私自身の特技を伸ばすことにしたんです!」

「それが、これ?」

 

 まあ、キリンの言う通りかな。

 あの時は舞い上がってただけだろうし、こうして自分に合った道に進んでくれるならそれより良いことはない。

 

 …でも、まだ探偵の方は諦めていなさそうだ。

 

「まあ、とにかく見ててください!」

 

 大きく息を吐き、左の拳を硬く握りしめて目を閉じた。

 マーゲイやPPPのみんなも固唾を飲んでキリンを見守っている。

 

「……ハアッ!」

 

 キレのいい掛け声と共にキリンが的を貫いた――その瞬間。

 

 

 ザブーンッ!

 

 

「……?」

 

 外の方から、異様に大きい波音が聞こえた。

 

「何かあったんでしょうか?」

「かなり大きかったわよ、嫌な予感がするわ」

 

 自然の波とは一線を画すほど鈍重で、目に見えなくとも大きな質量を感じさせるその音に空気は一変し、未知への不安が足元に重く立ち込めた。

 

「…行ってみよう、イヅナ」

「師匠、私も行きます! セルリアンが出てきたらこの名探偵アミメキリンが退治しますよ!」

「分かった、頼りにしてるよ」

「はいっ!」

 

『…ノリくん』

『大丈夫、危ないことはしないから』

『そうじゃなくってー…』

 

「さっさと確認して、続きを見ないとね」

「ええ、私の邪魔をしたツケは払ってもらいましょう!」

 

「ノリくん!」

「うわわっ…」

 

 強く引っ張られた腕を撫でながら振り向くと、涙を流して無言の目線で訴えかけるイヅナの姿があった。

 

「分かってるって、後で、ね?」

 

 頭と耳を優しく撫でて、軽く抱き寄せた。

 

「…ずるいよ」

「あはは、ごめん」

「…いいけど」

 

 

 楽屋から出ると、水浸しになったステージの様子が目に飛び込んだ。水は海辺に近づくほど多くなっている。

 つまりは、海から沢山の水が飛んできたということだ。

 

「師匠、あれを!」

「あれは…! まさか、こんな姿だったとはね」

 

 キリンの指差す方向には、海上をスイスイと移動するセルリアンがいた。

 

「嘘、海の中に…?」

「もしや、前に博士が言っていた”海のセルリアン”という奴か?」

「本当にいたんですね…」

「と、とんでもなくデカいぞ…?」

「ここ、これは大事件ですよ!?」

「こ、こわい」

 

 後から現れたみんなも、奴の姿を見てそれぞれ感想を口にする。

 僕も初めて見たけど、随分と不気味なフォルムだと感じた。

 

 タコのような楕円形の頭に付いた目玉が周りを見渡し、先端が口になった太い腕が何本も胴体から生えている。

 今水面から出ているのは2本だけだが、海中にもその腕を潜ませていることだろう。

 

 深海がそのまま形を持って水面に浮き出てきたような、底知れなさを体現する青黒い体。なるほど、確かに海のセルリアンと呼ぶにふさわしい。

 

「赤ボス、”としょかん”に連絡をお願い、『海のセルリアンが出た』って伝えれば分かるはずだから」

「マカセテ」

 

「イヅナ、アイツに間違いないよね」

「うん、間違いない。アイツが船を壊したの」

「…それはイヅナだよね」

「…うん」

 

 どさくさに紛れ嘘をつくイヅナを戒める。流石のセルリアンも無実の罪を被せられたら堪ったものではないだろう。

 

「さて、博士たちが来るまで待つべきなのかな」

「下手に刺激して襲ってきたら大変なのでは…?」

 

 それについてはジェーンの言う通り、勝算が薄い戦いを仕掛けるべきではない。隠れて1、2枚ほど写真に収めるくらいが丁度いいのかな。

 

『逆に、ここで逃せばまたしばらく現れない可能性もあるぞ』

『この島を離れる可能性も、ね』

 

 今はサンドスターのある範囲のお陰かこの島の近くで活動しているみたいだけど、外にある人の街に行ったら何が起こるか…

 

「でも、今は様子見かな」

 

 今、セルリアンは岸から遠くの沖にいる。

 互いに手出しができない状況だし、今になって浮かんできた理由も知りたいから文字通りしばらく泳がせておこう。

 

 

 

「ん…あれは…?」

 

 観察を続けていると、海ではなく陸に不思議なものを見た。

 海沿いに普通…というかよく見る形のセルリアンが4、5体ほど集まっていた。

 

「水が嫌いなはずなのに、珍しいね」

「海のアレと関係があるのか?」

 

 しかし、真に驚くべき出来事がその直後に起こった。

 

 ザブンッ!

 

「え、飛び込んだ!?」

 

 どぶから大蛇が出てきたような光景だった。

 ”セルリアンが”、()()()()、『海に』飛び込むだなんて。

 

 飛び込んたセルリアンたちは何処かへ泳ごうとしていたが案の定すぐに固まって身動きが取れなくなり、半分溶岩化したような体のままブクブクと沈んでしまった。

 

「絶対、普通じゃないよ!?」

「イヅナも、理由は分からない?」

「だって私、セルリアンなんて”作れる”ことくらいしか…」

 

 明らかに何かが起きている。さっきの光景も、どこか違和感があった。

 飛び込んだセルリアンたちが、何かに引っ張られていたような…

 

 

 バサッ!

 

「あれが、噂の”海のセルリアン”とやらですか」

「我々も初めて見ますが、確かに脅威ですね」

 

 博士と助手が、おおよそ彼女たちにふさわしくない大きな羽音を立てて現れた。

 

「博士、来てくれたんだ!」

「勿論、呼ばれたら来るのです」

「奴の姿を確認出来て、少しは急いだ甲斐がありました」

「博士! …2人が来てくれて頼もしいわ」

 

 2人に気づいて、離れて海を見ていたみんなもこちらに駆け寄ってきた。

 

「我々に任せるのです、この島の長なので」

「しっかり解決してやるですよ、この島の長なので」

 

 セルリアンの出現からずっと重苦しいままだった空気も、博士たちの登場によって和らいだ気がする。

 長の力は偉大だな。

 

「…では、奴への対処を考えましょう」

「幸いにも、海と空で行動できるフレンズが揃っているのです、可能なら撃破してしまいたいところですがね」

 

 PPPが海で、フクロウとキツネ合わせて4人が空で活動できる。合わせて9人、それなりのセルリアンを撃退するには困らない人数だ。

 

 問題は、あのセルリアンがほぼ間違いなく()()()()の域を超えた強さであるということだけど。

 

「でも、見えない部分に何があるか分かりませんよ?」

「ふむ…どちらにせよ退治するなら、もう少し陸地に近づいてもらわねばなりませんね」

 

「あ、でも…」

「他に何か?」

「…いや、後で話すよ」

 

 セルリアンの集団入水については関係があるって決まったわけじゃないし、余計な情報を渡す必要もないだろう。

 

「そうですか、なら早く方針を決めましょう」

「それなんだけど、倒すにしても海じゃなくて陸地で戦いたいんだ」

「…と、言うと?」

 

「確かにPPPのみんななら海でも戦えるかもしれないけど、まだそうするにはアイツのことを知らなすぎると思う。海の中でやられたら助けに行くのも難しいから、まず僕達が戦いやすい場所におびき寄せよう」

 

「師匠に賛成です! 海の上で戦ったら私の出番がありません!」

「あはは…」

 

 キリンの強い後押しもあって、そのまま僕の言った戦法を取ることに決定してしまった。

 

 

 そして戦いを始める前に、こっそりイヅナと話をした。

 

「それで、なんだけどさ…どうにかして、アイツの腕を陸に引っ張れないかな?」

「陸に…?」

 

「うん、確かめたいことがあってね」

「…分かった、私の妖術で何とかするよ!」

「あはは、ありがとう」

 

 そんなこんなで、セルリアン撃退作戦の幕が開いた。

 

 

「大きな音を立てれば来てくれるかしら」

「では、私が!」

 

 マーゲイが名乗りを上げ、早速大きく息を吸い込んで準備を始める。

 

「我々は少し離れていましょう」

「耳も塞いでおくべきなのです」

 

 言われた通り耳を塞ごうと腕を上げ始めたその瞬間、マーゲイの咆哮が響き渡った。

 

「アアァァァァァ!!」

 

「うわわわ!? 高い…!」

「これは、トキの声真似でしょうか…」

「うう、少し頭が痛いのです…」

 

 トキの声ってとんでもなく高いんだね…

 耳を塞ぐのが間に合わなかった僕は勿論、備えていた博士たちもその声に頭を痛めている。

 

「…?」

 

 しかし効果はてきめん、セルリアンは無事こちらの存在に気づきゆっくりとその巨体をくねらせこちらに泳いでくる。

 

「来たのです…!」

「よし、僕がアイツの気を引くよ」

「ノリくん、気を付けて…」

 

 攻撃を避けるため空中に飛び上がって、遠巻きにセルリアンの様子を観察する。セルリアンは目をこちらに向けてはいるが攻撃することはない。

 

「もしかしたら、マーゲイさんを狙ってるのかもしれない」

 

 おびき寄せるための声を出したのはマーゲイだ。セルリアンが声の主を聞き分けられるなら彼女を狙うのもおかしい話ではない。

 

「もうちょっと、離れておきます…」

 

「ほら、こっちだよ」

 

 パチパチと手を叩いて誘導を試みた。

 するとセルリアンは案外単純なもので、この程度の物音も聞き逃さずこちらに注意を向けてくれた。これもフレンズを狩るための注意深さ…なのかな。

 

 セルリアンは元々出していた1本の腕の先を向け、うねりながら僕を捕まえようとする。

 

「っ、危ない…っと」

 

 大きな動きで撹乱し、一度も掠ることなく無事に注意を僕一人に引き付けることに成功した。

 そのまま岸に足を付け、息をついて一歩下がった。

 

「とはいえ、少し遠いね」

 

 セルリアンは陸地を警戒しているのか距離を取って僕達の様子をうかがっている。この距離では互いに攻撃が届かないだろう。

 

「もう一押し、必要かな」

「ですが、奴が警戒しているならこれ以上近づくとは思えないのです」

「だから…イヅナ、いける?」

「準備できてるよ、アイツが腕を伸ばしたら絶対に逃がさないから!」

 

 意気も十分みたいだ。

 

「じゃあ、もう一度だね」

「師匠、お気を付けて!」

 

 再び距離を詰めて攻撃を待つ。

 相手も突然の接近を多少なりとも訝しんでいるようですぐに攻撃はしてこない。

 

「そんな知能があるとはね…」

 

 なら、僕の方が先手を打つべきだろう。

 腕を伸ばさせることが目的だから、攻撃には飛び道具を使うのが一番だ。

 

「何か良いものは…」

 

 極端な話、刀を投げる攻撃が一番大きいダメージを期待できる。でも戻ってこない可能性が高いからリスキーなことはしたくない。

 

「…石ころ」

 

 陸地の方にいくつか転がっているそれを使いたい。だけど今更取りに戻るのもどうかと思う。

 …だったら、陸にいるフレンズに投げさせよう。

 

「キリン、1つ頼んでいい?」

「はい、何でしょう?」

「あのセルリアンに石を投げてくれる? なるべく思いっきりね」

「…分かりました!」

 

 キリンは特に力が強いらしいから、うってつけの役回りだ。

 

「とりゃあ!」

 

 ありったけの力で投げられたであろう石ころは、綺麗な直線の軌跡を描いてセルリアンの体に食い込んだ。するとセルリアンは反射的に反撃を始めた。真っ先に標的になるのは一番近くにいた僕だ。

 それをかわしながらじわじわと距離を開け、岸の近くに誘い込んでいく。

 

 

 隙をついてイヅナを確認すると、目が合ってウィンクされた。どうやら問題ないみたいだ。

 

 次の瞬間、痺れを切らしたセルリアンが一直線に腕を突き出し僕を捕らえようとした。

 

「イヅナッ!」

「任せて、捕まえるのは私だよ!」

 

 イヅナの手の先から七色に光る太い縄が伸び、突き出されたセルリアンの腕にグルグル巻き付いて縛り上げてしまった。

 

「ほら、こっちにおいで…!」

 

 陸に上げようと引っ張ると、抵抗してセルリアンも海へと引っ張ろうとする。

 

「私たちも手伝いましょう!」

 

 PPPの5人もイヅナに加勢して、1対6の綱引きが始まった。優勢なのはイヅナたちで、ピンと伸びたセルリアンの腕が陸地に打ち上げられている。

 

「…よし、斬ってやる」

 

 刀を抜き、上から狙いを定めた。

 滑空するように素早く降下し、一回転して叩き斬った。

 

 刀の長さが足りず斬れない部分もあったが、腕は十分にダメージを受けた。

 さらにイヅナたちとセルリアン自身の両方から引っ張られているため、腕はその力に耐え切れずに千切れて弾け飛んだ。

 

「うわあっ!」

 

 力の行き所を失くしたイヅナたちは揃ってしりもちをつき、セルリアンも後ろに大きく仰け反った。

 

 セルリアンは突然腕が無くなったことに驚いたのか、見たこともない速さで海の中へと消えた。

 

 

「…行ってしまいましたね」

「でも、僕達にも十分戦えることが分かった、大きな収穫だよ」

 

 得体の知れない恐怖も、その本質に気づけばなんてことはない。”幽霊の正体見たり枯れ尾花”と言うようにね。

 

「イヅナ、大活躍だったね」

「えへへ、ありがとう」

 

「師匠、私はどうなんですか!?」

「キリンも、キレのある投げ方で良かったよ」

「お役に立てて光栄です!」

 

「ところで、あの”腕”はどうする?」

「アレですか? …おや」

 

 千切れ飛んだ腕を確かめると、腕に何かが起きている。

 虹色の粒子が腕の周りに漂って、腕自身は段々と黒く、真っ黒に変色している。

 

「これって…」

 

 やがて、それは”溶岩”に変わってしまった。

 

「なんででしょう?」

「へえ、不思議なこともあるのね」

 

「…いや」

 

 そんな言葉で片づけて良い訳がない。必ず理由があるはずだ。

 

 セルリアン、海水、溶岩、適応、進化――

 

 

「…まさか」

「何か分かったのですか?」

 

 そう、歯を失った鳥のように。

 

 空を飛べなくなったペンギンのように。

 

「もしかしたらあいつは、海でしか生きられないんじゃないかな」

 

 海に適応したセルリアンは、陸で生きる力を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところで、我々を呼んだ意味はあったのですか?」

「…多分」

 



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7-86 ゆけ、セルリアン討伐隊!

 

 海のセルリアンを追い払った後、僕達は日を改めてロッジに集まることにした。

 セルリアンの話をすると言うことで、セルリアンハンターの3人にも来てもらっている。

 

 あの場にいたキリン、監視を解かれてすぐに飛んできたキタキツネなども合わせて、今日のロッジは普段の数倍のフレンズで賑わっている。

 

 

「さて、呼んでないのもいるのですが…いいでしょう、今日お前たちを呼んだのは他でもありません、ついに”海のセルリアン”が現れたのです」

「奴への対処はこの島の総力を挙げて取り組むべきこと、心して話を聞くのですよ」

 

 2人の言葉で、それまでガヤガヤしていたロッジの空気が一瞬のうちに静まり返った。今日の声色は本気のものだ。

 

「まずは状況報告を…コカムイ、頼めますか」

「うん、バッチリ任せて」

 

 とは言ったものの、ちょっと緊張する。

 

「ふー…」

 

 息を整えて、頭の中を整理する。まずはセルリアンが現れた場所から説明することにしよう。

 

「昨日、”みずべちほー”の海にセルリアンが現れたんだ」

「そのようだな、今でも信じがたいが」

 

 もっともな感想だ。多くの、いわゆる一般的なセルリアンたちと戦ってきたハンターの3人にとっては特に納得できないことだろう。

 船と共に海に沈んだ黒いセルリアンを目の当たりにしていれば尚更。

 

「でも、本当なんだ」

「分かっている、疑っている訳じゃない」

「ふふ、ヒグマったら言葉足らずなんだから」

「…気を付ける」

 

「あはは、じゃあ話を戻して…僕は博士に連絡をして、来てもらったんだ。そしてその場にいたみんなで協力してアイツの腕を一本千切ったってわけ」

「キリンとPPPと、そのマネージャーも手を貸してくれたのです」

 

「そしてセルリアンは海の中に逃げた。…細かいところは省いたけど、これが大体の出来事だよ」

 

「それは分かった、しかし奴の姿を知りたいな…それも大事な情報だ」

「それについては大丈夫、赤ボスが写真を撮ってくれたからさ」

 

「ジャア、キノウ撮影シタ写真ヲ表示スルヨ」

 

 赤ボスをヒグマに手渡して、写真を確認してもらう。その写真に反応を示したのはサーバルだった。

 

「あ! コイツだよ、あの時の海のセルリアン!」

「…間違いない、この形でした」

 

 後から覗き込んだかばんちゃんも、サーバルの言葉に同意した。いよいよ、最初に現れた海のセルリアンと同じであることが確定した。

 こんな奴が2体いても迷惑だし、かえって安心した。

 

 

「確認が取れたところで、次は昨日明らかになった事実を確認するとしましょう」

「…ということで、コカムイ」

 

「ま、また?」

 

 僕がいるのをいいことに楽をしようと考えているらしい。仕方ない、僕がやるしかないみたいだ。

 

「そうだね、さっき言った”千切った腕”、それに秘密が隠されてたんだ」

「何か妙な力でもあったのか?」

「ある意味、そう言えるのかもね」

 

 海で生きる力、それはセルリアンにとって十分に”妙な力”と呼べる代物だ。この事実は、セルリアンがそれを手に入れていたことを示している。

 

「アイツの腕が地面の上で溶岩になったんだ。丁度、海に入ったセルリアンみたいにね」

「…ありえん、そんなことが」

「ほ、本当なんですか!?」

 

「しっかりとこの目で確かめたのです」

「よもや、間違いはありません」

 

 誰も想像していなかったであろうこの性質は、僕達にとっての最大の勝機と言ってもいい。極端な話、陸地に引きずり上げるだけでとどめを刺すことが出来るのだから。

 …勿論、その方法があるならの話だが。

 

 

「く、何が何だか…」

「海で戦えない私たちには辛い話でもありますね」

「そうでしょう…だから、ここに()()()を結成するのです」

「討伐隊?」

 

 いよいよ、今日の話の本題に入るようだ。

 

「今回の戦い、ハンターのみでは厳しいことが分かったと思うのです」

「ああ、悔しいがその通りだ」

「『弱点は補え』、チームを組んで海上での戦いを可能にするのです」

 

 

「…異論はないようですね」

「では、役割を振り分けましょう」

 

 博士はおもむろに紙切れを取り出して読み上げ始めた。

 どうやら役割はもう決めていたらしい。

 

「まず、我々2人とかばんが”司令”として全体に指示を出すのです」

「まあ、適任だな」

 

「そしてハンターの3人、それにコカムイとイヅナの2人を加えて”前線戦力部隊”とします」

「ぜんせ……なに?」

「サーバルは引っ込んでいるのです」

 

 なるほど、セルリアンと積極的に戦うのは僕達ってことか。まあ、昨日の様子を見ていればさほど不思議なことではない。

 刀はセルリアンの体を斬るのに役立つし、イヅナはセルリアンを拘束できる。2人とも空を飛べるから戦いやすい。

 

「それで、他の役割はどう?」

「オオカミとキリンにも戦ってもらうのですが、あくまで”後方支援”という形になりますね」

 

「あとは、その場の状況に合わせて柔軟に対応するのです」

「それはそれは、期待してるよ」

「当然なのです、我々は賢いので」

 

 博士の示した役割にも異論を示す者はいない。長らくその存在だけで脅威を与えてきたセルリアンを討伐する日が、いよいよここにやって来るんだ。

 

「今一度、パーク全土に情報を発信するのです、海にセルリアンを見かけたら報告するように…ね」

「次に現れた時が、奴の命日となるのです」

 

 僕もそのつもりだ。

 だけど、その前に話しておかなきゃいけないことがある。

 

 

「…博士、一ついいかな」

「おや、何か足りませんでしたか?」 

「ううん、まだ話してなかったことがあるんだ」

 

 博士の顔が曇り、いかにも”不機嫌”という顔で睨みつけられた。

 

「こ、この期に及んで…」

「ごめん、今から話すから」

「はぁ、言ってみるのです」

 

「博士が駆け付ける前のことだけど、小さなセルリアンが海に飛び込んでたんだ」

「…冗談ではないのですよね?」

「私も見たんだよ、ノリくんは嘘つかないよ!」

 

 博士は頭を抱え、助けを求めるように助手に目配せをした。

 助手が静かに首を振ると、かばんちゃんの方に同様の視線を向けた。

 

「ボクにもさっぱりです…」

 

 頼みの綱を両方失い、もう一度思いっきり頭を抱えてペタリと床に座り込んでしまった。

 

「だから、黙ってたんだ。関係あるかどうかも定かじゃないから」

「今の博士を見ると、それでよかったと思うぞ」

 

ヒグマから同意をもらえて、なんとなくホッとした。

 

「でも、本当に関係ないんでしょうか?」

「確かめる方法はなさそうね…」

 

 目の前でそれを目撃しても、理由が分からなければ解決のしようがない。セルリアンは倒しちゃえばいいんだけど、飛び込むのは止められないからな…

 

 

「分かりました!」

 

 ブレインのみんなが悩んでいるその時、もう一人のブレイン(名探偵)が高らかに声を上げた。

 

「分かったって、海に飛び込む理由がか?」

「はい、バッチリ任せてください!」

 

 キタキツネや博士たちが期待していない顔で、かばんちゃんが不安そうな顔で、サーバルは目を輝かせて、オオカミは見守るような顔で、それぞれキリンの次の言葉を待っている。

 概ねキリンの推理に期待はしていないのが実情だ。

 

 …だけど、だけどねイヅナ。

 歯ぎしりするのだけは、止めた方がいいと思う。

 

「……ふふ」

 

 心の中で呟くのとほぼ同時に、イヅナは何事もなかったかのような顔に戻った。

 

 どうしてキリンに対して当たりが強いんだろう…

 

『キリンの奴がお前にベタ惚れだからな』

『師匠って呼んでるだけだから、多分そういうのじゃないと思う』

『……だといいな』

 

 意味深なことを言うのは止めてほしい。

 神依君の過去がアレだから、言葉が妙な説得力を持っていて反応に困ってしまう。

 

 

「…おほん、では、私の推理を話しましょう」

 

 おっと、ようやく推理ショーが始まるみたいだ。

 

「ズバリ、セルリアンは海に行こうとしたのです!」

「…そんなこと、誰でも思いつくのです」

 

 博士がすぐさま一刀両断。

 

「そうじゃなくて、そう…あのセルリアンも、海で暮らしたかったんですよ!」

「そんなバカな!?」

「バカじゃありません、立派な推理です!」

 

「面白いじゃないか、理由を聞いていいかい?」

「流石先生、話が早い!」

 

 オオカミは肯定的、というかやっぱり弟子の成長を喜んでいるように見えるけど、何かのメモを高速で書いているのを除けば何もおかしくない。

 アレはマンガのネタだろうか。見境ないな。

 

「で、その理由ってのは何だ?」

「海のセルリアンです! 飛び込んだセルリアンも、あんな生活に憧れていたんですよ!」

「そ、そうなのか?」

「ヒグマ、取り合わなくていいのです」

 

「そうかな、僕は案外的を射ていると思うな。()()だって海に入って初めて生活できるようになったはずだから」

 

「お前が言うと、ちょっと考えてみたくなるのです…」

「博士、どういう意味ですか!」

「キリン、信頼も探偵の力の内だよ」

「むぐぐ、私も頑張らねば…」

 

 なんだか段々と盛り上がってきた。かばんちゃんやサーバルも、この話題について話しているのが聞こえる。

 図らずも、キリンのお陰でロッジの空気が軽やかになったようだ。

 

「全く、やかましくなってしまったのです」

「私は悪くない空気だと思いますよ?」

「ふふ、同感です」

 

「博士ー、ジャパリまん食べよ!」

「ええ、いただきますですよ」

 

 

 そんな空気の中、もっと先を見据えている1人のフレンズがいた。

 

「コカムイさん、イヅナさん、少しいいですか」

「何か用かな、かばんちゃん?」

 

「はい…1つ、頼みたいことがあるんです」

 



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7-87 ボートを直して

 

「――そっか、そうだったね」

「はい、あのセルリアンさえ倒せば、ボクは外に旅立つことが出来るんです」

 

 かばんちゃんの頼み事、それは港の近くに打ち上げられたボートを直すことだった。元々イヅナが弄って壊したものだし、修理自体は任せてしまっていいだろう。

 

 この時期になって頼みに来たのにも理由がある。

 かばんちゃんが今の今まで島の外に出られなかったのは、途中で海のセルリアンに襲われることを恐れたからだった。

 『打倒海のセルリアン』が現実的になった今だからこそ、彼女は僕達にこの話を持ち掛けているのだ。

 

 ともあれ、頼み事とあらば無碍にするわけにはいかない。…僕としては。

 

「イヅナ、今すぐ直せる?」

「ええと、研究所に置いてある部品を持ってくればすぐにでも」

「…お願いできますか?」

 

 イヅナの目をまっすぐに見据え、静かに言う。その双眸に並々ならぬ決意がたぎっていることは言うまでもない。

 

「わ、分かったって! 目が怖いよぉ…」

「あ、ごめんなさい…」

「じゃあ、私取りに行ってくるね」

 

 余程強い視線を向けられたのか、イヅナは半ば逃げるようにロッジを後にした。残された僕は手持ち無沙汰になってしまい、さほど腹が減ったわけでもないのにジャパリまんを口に含み始めた。

 

 椅子に腰かけてみんなの様子を観察すると案外多くのことに気づける。例えば博士、今はサーバルやキリンと仲良く談笑している。話が合わなさそうな印象だったから意外だ。

 それとヒグマは…助手に何か教えられているような雰囲気だ。前に料理を少ししていたと聞いたから、関係があるかもしれない。

 あとは…キタキツネ? と言ってもいつも通りだ。僕の隣でゲームに情熱を注いでいる。まあ、今はそっとしておこう。

 

 そんな風に観察を続けていると、同じように椅子に座って周りを見ていたオオカミとふと目が合った。

 

「ふふ、何か面白いものは見つかったかい?」

「あはは…まあね」

 

 それは良かったと呟いて、オオカミは手元に視線を戻した。普段からこんな人間……フレンズ観察をしているのだろう、既に手元の紙の半分は黒い文字で埋まっている。

 

「そりゃ、ネタが尽きないわけだね」

 

 一通り全員の様子を見終わったころ、ロッジの扉が開けられイヅナが戻ってきた。その腕には大きめの機械が抱えられている。若干重そうな様子で、彼女がそれをテーブルに置くと案の定ズシンと大きな音が鳴り響いた。

 

「おかえり、これがその機械?」

「そう、妖術を使って抜き取ったの」

「…術って便利だね」

「ノリくんにも使えるよ、私が教えれば!」

「じゃあ、今度お願いするよ」

 

 僕も機械を持ち上げてみると、分かっていたけど重い。金属がふんだんに使われていて、大きさ以上の重量感を感じる。これは僕が持って行った方がよさそうだ。

 

「ノリアキ、それなに?」

「ああキタキツネ、これからボートの修理に行くんだ、来る?」

「……」

 

 キタキツネはイヅナとかばんちゃんを交互に見て、にわかにイヤそうな顔をした。と思うとすぐに目を逸らし、何も言うことなく奥の方に行ってしまった。

 

「ふふ、なら私たちだけで行こうか」

 

 キタキツネの姿が見えなくなると同時に嬉しそうな声で言う。僕は少し妙に感じたが、『いつものことだろ』と頭の中で響いた声にそうかもと思いその時は気に留めなかった。

 

「この3人で歩くのは初めてかもしれませんね」

「前に島を巡った時はサーバルがいたから、そういえばそうだね」

「あの時は、まさかイヅナさんが外から来たなんて思いもしませんでした」

「えへへ、私にも色々あってね」

 

 自分の生まれた理由もイヅナの想いも何もかも知らなかった頃は、先の景色が真っ暗でも心のどこかでそれを知るのを楽しみにしていた。

 だけど、いつからだろう。先を知りたくなくなってしまった。

 ”このままでいい”と思うようになった。

 今が壊れることを恐れるようになってしまった。

 

 …深みに嵌ろうとしていた僕の意識は、風に草木が揺れる音によって現実に引き戻された。

 

「ノリくん、何か考え事?」

「あはは、()()()()()()()?」

「…それもそうね」

 

 僕は、既に毒気に当てられてしまったのかもしれない。

 

 

「見つけた、あのボートだよ」

「うわ、前よりひどくなってる…」

 

 久しぶりに姿を見せたボートは、全身ツタまみれの逆さづりの状態で僕たちを出迎えてくれた。ひっくり返っていたのは前に直した気がするが、記憶に定かではない。

 

「…ふふ」

「どうかした?」

「いえ、前にジャングルでこんなことがあったなって」

「そっか…」

 

 かつての旅に思いを馳せるかばんちゃんを横目で見ていると頭の中にイヅナのテレパシーが届いた。

 

『私知ってる、ボスとサーバルがツタに絡まったんだよ』

『ああ、確かイヅナも後を付けてたんだったね』

 

 そうは言っても、ボスやサーバルに比べてこの船は大きすぎる。ツタを操るセルリアンがまだこの島のどこかに潜んでいるのだろうか。まあ、見つけたら倒す程度でいいだろう。

 

「じゃあ、修理はお願いね」

「分かった!」

「あ、ボクも手伝います!」

 

 二人が茂みの中に消え、ガサガサという音があちこちから聞こえてくる。無数に響き渡る音、その源の一つに僕は声を掛けた。

 

「ところで、キタキツネはそこで何してるのかな」

「…気づいてたの?」

「ついさっきね」

 

 一際目立つ葉音を立てて、キタキツネは低木の中から姿を現した。

 

「一緒に来たいならそう言えばよかったのに」

「でも、イヅナちゃんが…」

 

 どうやら騒ぎを起こしたくなかったらしい。そのおかげと言うべきかイヅナの機嫌も少しは良くなった様子だった。もうキリンを見ても歯ぎしりなどしないだろう。そう願っている。

 

「まあ、座ろうよ」

「…うん」

 

 二人で隣り合わせになって海沿いに座り、揃って足を投げ出した。優しく吹き込む潮風が気持ちいい。

 キタキツネは肩に頭を預け、腕を掴んで軽やかに鼻歌を歌い始めた。

 

「…何の歌?」

「~♪ …ゲームのオープニング」

「ああ、聞いたことがあると思ったら」

「~~♪」

 

 包み込むような波音の中に響き渡る鼻歌は、心なしか寂しそうに聞こえた。

 

「…まだ終わらないみたいだね」

 

 林の中からは作業をしているであろう二人の声がまばらに聞こえてくる。手伝いに行こうかと思って立ち上がろうとすると、腕を強く引き戻された。

 

「…行かないで」

「困ったな、じゃあゲームでもする?」

「ゲームは置いてきたよ…」

「…そっか」

 

 まあ、隠れて付いてくるのならゲームなんてしてる暇ないし当然かな。それにしても、イヅナたちが遅い。そんなに時間のかかる作業なのだろうか。

 

 一度テレパシーでも送ってみようと思ったその時、隣にいたキタキツネの腕が解けて離れた。

 

「……え?」

 

 その直後に耳に入る一際大きな水音。

 その正体を理解する間もなく、後ろから柔らかい感覚に包まれた。

 

「ノリくん、私のいない間に何してるの?」

「イヅナ、キタキツネは…?」

「キタちゃんが、そっちの方が大事なの…?」

 

 抱き締める腕に強い力が込められ、僕の体が声にならない悲鳴を上げた。だけど僕は何も言わない。イヅナも一言とて発することはない。

 海の中よりも息苦しい沈黙を破ったのは冷たい声だった。

 

「キタちゃんなら海の中だよ、そんなにキタちゃんが大事なら…っ!」

 

 反応するのも叶わぬ速さで背中を押され、勢いよく海に叩き落とされる。しかし、海に入る前に腕を引き上げられて足が水に付くギリギリのところで僕の体は浮いている。

 背中を押したのも、僕を引き上げたのもイヅナだった。

 

「どうして…」

「ノリくん…今は大丈夫だけど、いつか本当に殺しちゃうかもしれないよ?」

 

 僕の体を地面の上に置きながらイヅナが言う。威圧や脅しなどではなく、どこか諦めの感情が入ったような言い方だった。

 

「そうは、させないから…!」

 

 僕には過去も何も無いけど、それだけは決めた。過去の惨劇を見て、絶対に()()させないと思った。

 この島が()()()()()()で出来た島だとしても…ね。

 

「ノリくん、本当にあなたは――」

「えいっ」

 

 イヅナの声を遮って、誰かが彼女の体を押した。

 

「……ほぇ?」

 

 素っ頓狂な声を上げてイヅナは海に落ち、無機質な水音が再び辺りに響いた。

 

「き、キタキツネ?」

 

 いつの間にやら海から上がったキタキツネがイヅナを突き落としたようだ。全身びしょ濡れになった姿がつい先程までの彼女の様子を想像させる。

 

「…ゲーム持ってこなくてよかった」

「そう、だね」

「ノリアキ、もう帰ろうよ、用事は済んだでしょ?」

「ええと、かばんちゃん、修理は終わった?」

「はい、ちゃんと動きます!」

 

 緑の中から弾んだ声が聞こえる。今更だけどまだ燃料が残ってたんだね。

 

「じゃあ、行こ」

 

 キタキツネが手を引いてその場から離れようと歩みを進める。

 

「ちょっと、イヅナは、かばんちゃんは…?」

「……ノリアキ」

 

 キタキツネが、一度だけこちらに振り返った。握られた手が軋むような音を立てた気がした。

 

「…か、帰ろうか」

 

イヅナも、飛べるから死にはしないだろう。…今は、そう思うことにしよう。

 



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7-88 火山からのSOS!

 あれから数日、特に何か起きるわけでもなくただ時間だけが過ぎていった。

 ハンターの3人は相変わらず見回りを続けているし、僕も研究所でセルリアンの出現情報を時々確認している。しかし目ぼしい情報は一つたりとも手に入れられなかった。

 そもそも研究所のデータに海中の状態が含まれているかも怪しいし、幾ら体が大きくても海に潜むセルリアンを見回りだけで発見するのは非常に難しい。

 

 セルリアンとの戦いではなく、その前段階にあった壁に正面からぶつかっているような状態だ。

 

「気長にやるしかないね」

 

 何はともあれ、平和なのは良いことだ。戦いになれば嫌と言うほど緊張しなければならないのだし、可能なうちに休んでおこう。…せっせと働くボスたちを見ると怠惰にしている自分が申し訳なくなるけど。

 

「そんなに仕事があるものかな…?」

 

 仕事の内容は分からないが何やら忙しいようで、3体くらいのボスが研究所の中を駆けずり回っている。

 少数精鋭と言えば聞こえはいいが、実情は人手…というか労働力不足なようで、色々と雑になっている。時間が経てば経つほど、際限なく研究所の中は荒らされていく。

 

「手伝った方がいいよね、これ」

「ジャア、ノリアキニハ……ア」

「赤ボス? 何か――っ!?」

 

 前触れもなく後頭部に受けた衝撃と共に、僕の意識はプラグを抜かれたテレビのようにプツンと途切れた。

 

 

 

「――くん、ノリくん!」

「…ん? どう、した?」

「よかった、目が覚めた…」

 

 体を異常に強い力で揺さぶられ、無理やりと言っていいほど乱雑に意識を呼び戻された。

 

「…っ!? 痛てて…なんだこれ」

 

 後頭部に走る鈍い痛み。コレのせいでまだ意識が朦朧としている。

 何があった? ()にはさっぱり分からない。

 

「来てみたら()()()()が倒れてて……もう、コレのせいね!」

 

 俺のすぐ横には大きめの段ボールが横向きに転がっている。開いた口からこぼれる無数の資料を見るに、相当な重さだろう。

 しかもこの段ボールは底が大きく凹んでいる。俺の意識を奪った凶器はコレに間違いないだろう。

 

「……ん?」

 

 ここまで考えて、俺は違和感を覚えた。何か引っかかる。イヅナの言葉もおかしい。

 俺は……俺は?

 

「ま、まさか…」

 

 ”血の気が引く”と表現するのだろうか。朝起きて遅刻に気づいたときの感覚に近いと言えば共感してくれる人も多いことだろう。

 朦朧としていた意識は霧が晴れたように明るくなり、否が応でも頭が冴えてしまう。

 脳内会議を無理やり開き、頭の中にいるはずの”アイツ”に声を掛けた。

 

『…おい、起きてるだろ? …祝明?』

『……』

 

 返事がない。()()()()()のだろう。

 

「ったく…」

 

 砂漠の時と同じだ。祝明が意識不明になり俺の人格が表に引っ張り出されたのだ。

 前と違うのは、その原因がマヌケだとしか思えないくらいだな。

 

 砂嵐ならまだしも、段ボールに頭をぶつけて交代とは……気が緩んでるんじゃないか?

 ま、こんな状況だし答えは望んでないけどな。

 

 

「大丈夫なの? なんか変だけど…」

「あ、ああ…大丈夫だ」

「…本当に?」

 

 そうだ、隣にイヅナがいたんだった。マズいかもしれない。万が一交代がバレたらケガの責任を負わせられかねない。…隠さねば。

 

「見ての通り、大丈夫だって」

 

 飛び上がって少し派手に動き、元気であると大々的にアピール。

 しかし、イヅナの視線は非常に冷たい。

 

「ハァ…」

 

 呆れるように大きくため息をつき、イヅナは俺の目論見の失敗を告げた。

 

「…そうじゃなくて、本当にノリくんなの?」

「え? いや、本当も何も――」

「嘘は止めた方がいいよ……えーと、()()()()?」

「うっ…」

 

 なんて勘の鋭い女だ。こんな短時間で見抜けるものなのか?

 

「やっぱりそう、言葉遣いが変だったし、テレパシーも通じないし…目は黒いし」

「は? 目がどうして?」

「ノリくんは()()()()()()()目が赤いの。確か、一度キツネになった時から」

「あー、そういえばそう聞いたような…」

 

 一々そんなことを覚えていられるものか。それはさておき、つまりは初めからバレる運命だったって訳だ。仕方ない、今回もアイツが戻るまで俺がちゃんとやってやるか。

 

 俺が椅子に座ると、イヅナはテーブルを挟んだ向こう側に座って俺を凝視する。まるで妙なことをしないように監視しているみたいだ。

 やれやれ、俺は子供じゃないっての。

 

 暇を持て余して何かを探しに立ち上がろうとすると、ちょうど牽制するように質問を投げかけられた。

 

「ねぇカムイ君、これが初めてじゃないんでしょ?」

「うおっと…まあな」

「いつ?」

「砂漠に行った時だよ、飛んでたら砂嵐に巻き込まれたらしくてな」

「それって大丈夫なの!?」

 

 ガタッと分かりやすい音を立てて瞬時に立ち上がった。しかも身を乗り出して食いかかるような前傾姿勢を取るものだから何ともおっかない。

 

「落ち着け、大丈夫だったから今ここにいるんだろ」

「そ、そうね…()()()()()大丈夫、問題ない…」

「ふう…」

 

 大きく息をついた。言葉は何も出てこなかった。

 イヅナはアレだ、依存的というか色々と不安定な気質を感じる。パッと見では特に問題なさそうだが、スイッチが入った時のこういう奴は経験上ヤバい。

 それに、祝明の話だと”キタキツネ”なるフレンズも同じような状態らしい。”不安定”に”不安定”をぶつけて安定してくれるならまだしも、間違いなく悪化するんだから手が付けられない。

 

 …まあ、最も度し難いのはこの状況を良しとして寧ろ安住を望んでいる祝明なのかもしれないけどな。

 ともあれ今はイヅナしかいないのが救いだ、もう1人が来ないうちに早く戻ってきてくれ。

 

 

「…っくしゅん!」

「風邪でもひいたのか?」

「うぅ…キタちゃんのせいでね…」

「そりゃ、災難だったな」

 

 実際にどうだったかは知らないが、話は合わせておく。大方都合よく記憶の捏造がされてるんだけどな。

 俺にも経験がある。それはそう、中学2年の頃の……いや、やっぱり思い出したくない。

 

「体は大事にしないと、祝明も心配するぞ?」

「大丈夫、ノリくんの前ではちゃんとするから!」

「じゃなくて…まあいい」

 

 不安にさせないよう気丈に振舞うと言えば聞こえはいい。あるいは別の所で気を引くつもりなのか。理解できないし、しない方が俺のためだ。どうせアイツが起きればまた頭の中で”もう1人の祝明”になるんだからな。

 

 ともあれ、まだ時間は掛かりそうだ。ふて寝でもするか。

 

「ちょっと寝る…」

「…うん」

 

 止められはしなかった。別に止める理由もないか。

 …しかし実に間が悪いものだ。ゆっくり休めそうなときに限って、俺の所には災難と呼ぶべき出来事がいくつも舞い込んでくる。

 

「ノリアキ、いる…?」

 

 今日という日も、その出来事は扉を開けて中に入ってきた。

 

「キタちゃん…」

「ん……?」

 

 一応誰が来たのか確かめようと、伏せた顔を上げて入口の方を見た。

 

「……あ」

「…何か付いてる?」

「き、北城…?」

 

 頭が回らなくなった。北城はもう死んだはずだ。目を塞ぎ頭を振って雑念を振り払った。そしてもう一度目を開ければ何のことはない、そこにいるのは紛れもなくキタキツネだ。

 

「ねぇ、今日のノリアキ変だよ」

「あぁ、いや、色々あって…」

 

 直接見るのが初めてだったから勘違いしただけに違いない。見てくれは北城に似てる部分もあるからな。それに…他にも様々、ゲーム好きとか、一人称とか。

 しかしまさか今になってアイツの幻影を見るとは、俺も未練がましい人間になったものだ。

 

「で、何て言えばいいかな」

「事情は省くけど、今()()()()()体は別の人格…みたいなのが動かしてるの」

「どういうこと…?」

「そうね、誰かがノリくんに取り憑いてるようなものだと思えばいいよ」

 

 流石の説明、かつて祝明に取り憑いていたイヅナだからこそのものだな。

 

「じゃあ、ノリアキは? 無事なの? ねぇ、ノリアキに何したの!?」

 

 しかし説明を聞くと、キタキツネは取り憑かれたように俺に掴みかかり祝明の名前を叫んだ。ある程度は覚悟していたがコイツもそうなのか。

 …それと肩に爪が食い込んで痛い。手加減を知らないのか?

 

「ええい、心配しなくても無事だから一々騒ぐな!」

「ひっ…」

「あ、すまん…とにかく一度落ち着いて、な?」

「ノリアキじゃない、怒鳴ったのはノリアキじゃない…」

「…ダメだこりゃ」

 

 この二人はどちらかと言うと、実力行使よりも精神攻撃で攻めてくる傾向にあるだ。攻撃する方も心に問題を抱えているのがややこしい話だけどな。

 

「はぁ…今度こそ寝るぞ」

 

 まさか今になってあの二人のことが頭から離れなくなるとは思いもしなかった。やれやれ、もう断ち切ったはずの過去なのにな。

 もう解決できない問題になってしまったんだ、俺の感情も一生決着がつかないに決まっている。

 

『あーあ、お前が羨ましいぞー…』

『……』

 

 次に目が覚めた時祝明が起きてくることを願って、誰にも聞かれたくない独り言を頭の中で呟いた。

 

 

 次の目覚めは俺が思っていたより早く訪れ、そしてそれは危機を知らせるけたたましい警報によって引き起こされた。

 人間の不安を掻き立てる実に素晴らしい音であった。これほどまでに”何かまずいことが起きた”と思うことは後にも先にもないだろう。

 

 俺はあり得ない勢いで跳ね起き、叫ぶ。

 

「何があった!?」

「分かんない、急に音が鳴って…」

 

『緊急事態です、緊急事態です』

 

 スピーカーからボスによく似た機械音声が聞こえる。しかしボスの声よりも無機質に聞こえ、状況もあってかなり不気味だ。

 そんな俺の心情に構うことなく、研究所のシステムは”緊急事態”とやらの概要を告げる。

 

『火山に異常な量のセルリアンの反応が現れました。近隣のフレンズや職員の避難を行い、2次災害の防止に努めてください』

 

「海じゃないのね…」

「十分に問題だがな」

 

『また、巨大セルリアンの出現に留意してください』

「…もう、あんなの出ないよね?」

「さあな、出ないことを祈るしかないさ」

「……」

 

 キタキツネは若干ナーバスな様子だ。イヅナも顔を伏せている。

 

「とにかくまず連絡だ。赤いの、手伝えるか?」

「マカセテ、ノリアキ」

「の…! まあいい」

 

 研究所の機材を操作してとしょかんのボスに通信を繋げようと奮闘する。その最中、突如としてイヅナが動き出した。

 

「私、行ってくる」

「おい、行くってどこに…」

「火山、私が今度こそ止めなきゃ…!」

 

 イヅナの目の中で何かが燃え盛っている。意気こそ良いが無鉄砲だ。

 

「待て、まず通信だ。それから向かおう」

()()()()()()が傷ついちゃダメ、カムイ君は待ってて」

「いや、俺も…」

「カムイ君、()()()()でしょ?」

「それは、でも……あ」

 

 イヅナはそれ以上俺の言葉を聞くことなく出ていってしまった。

 

「仕方ない、とにかく通信だ。頼む、出てくれ…!」

「……ノリアキ」

 

 それは、ここにいないアイツを想う囁きだろうか。少なくとも、俺の耳にはそう聞こえた。実のところは分からない。

 はっきりした事実があるとすれば、その囁きの直後に俺が自由を失ったことだけだ。

 



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7-89 グルグル巻きの神依君

 抵抗する間もなく俺は縄で全身を縛られ、医務室のベッドに転がされることになった。

 

「おい、何するんだ?」

「…博士は、呼ばせない」

「は…?」

 

 何を言っているんだコイツは。ハカセを呼ばなきゃイヅナ以外にこの緊急事態に対処する奴がいなくなってしまう。

 セルリアンハンターもいるにはいるが、果たして火山の異変に気付くかどうか。少なくともそいつ等がいるから安心だ、なんてことを言える状況じゃない。

 

「イヅナ一人で戦って、何かあったらどうするんだ?」

「関係ないでしょ…カムイ? には」

「覚えてくれて光栄だ…だけど、関係ないとは気に食わないな」

 

 祝明が意識不明の今、俺がアイツが戻るまでの時間を繋がなきゃいけない。同じ体を使っている以上、関係ないなんて有り得ない。

 

「それに良いのか、俺をこんな状態にしたら祝明の体も大変だぞ?」

「あ…うふふ」

「ど、どうした?」

 

 キタキツネは突然頬を上気させ、うっとりとした表情で何かを口走る。

 

「グルグル…ノリアキがグルグル…ふふふふ…」

「おい、おーい」

 

 呼びかけてみるもまともな反応は返ってこない。ダメだ、完全に自分の世界に入っている。

 

()()()みたいに、あの時よりもっとちゃんと、絶対にモノにしなくちゃ…! 」

「大丈夫なのか…?」

 

 いや、どう見ても普通じゃない。しかしこれはチャンスだ。

 キタキツネが俺にあまり注意を向けていない今なら、縄抜け脱出その他諸々、試す機会は残されている。

 

 頼むから気づかないでくれよ…?

 

「えへへ…イヅナちゃんに邪魔もされない、ギンギツネもいない、今度こそボクが好きにできるんだ…だから」

「うっ!?」

 

 縄抜けしようと身をよじっていた時、キタキツネに背中を踏みつけられた。手首にある縄の結び目をピンポイントで踏まれたせいで身動きがさらに取れない。

 

「カムイは…ボクの邪魔しないで? あんまり邪魔されると、()()()()()ケガしちゃうから」

「…なるほど、な」

 

 程なくして足は引っ込められ、俺を縛る縄は更にきつく縛られることとなった。

 

「で、やっぱりハカセは呼ばないのか、せめて火山にでも」

「……」

 

 無視を決め込まれた。

 研究所にやって来る可能性が少しでもあるなら、キタキツネは誰とも連絡も取らないつもりらしい。少なくとも、祝明が戻ってくるまでは。

 

 そしてそれ以上に厄介なのは、実力行使の可能性だ。ついさっき、キタキツネにその意志があることがはっきりした。俺の抵抗を止めるためなら、多少祝明がケガをしても構わない、と。

 むしろ、俺を牽制するために祝明を話に出したのかもしれない。

 

「~♪」

 

 …こうなった今、俺に何ができる?

 下手な抵抗はかえってキタキツネを刺激することに間違いないだろう。

 ”俺はどうなってもいい”とかカッコつけたことを言うつもりはないが、起きた時に自分の体が傷だらけだったら嫌だな。

 多分、祝明も同じ気持ちだろうし、俺も痛いのは嫌いだし、まず大人しくしておこう。

 

 ところで、ハカセはいつこの事態に気づいてくれるんだ?

 ハカセ…博士か…そういえば、遥都は元気にしているかな。俺としては『博士』というと遥都の印象が強い。

 頭の良いアイツなら、この状況を打開する策を思いつくのだろうか。アイツは、姿を消した俺を案じてくれているのだろうか。

 

 …考えるまでもないか。アイツが最後に掛けてくれた言葉を忘れたとは言わせない。

”親友”と言ってくれた、”またな”と言ってくれた。けど俺は……

 

 

「コカムイ、いるか?」

「ッ!」

「この声、ヒグマかな…?」

 

 ヒグマはセルリアンハンターの一人だ。祝明に用があるみたいだが、何だ?

 助けを求めようかと思ったが、さっきまでの考えを思い出して踏みとどまった。

 

「カムイ、暴れちゃダメだよ? ボクも、ノリアキの体に傷をつけたくないもん」

「…ああ」

 

 俺の体に布団を掛けて隠し、キタキツネはロビーへと足を進めた。

 ドア越しに、辛うじてだが二人の会話を聞くことが出来た。

 

「ヒグマ、どうかした?」

「お…キタキツネか。コカムイに見回りの報告と、何か変わったことが無いか聞きに来たんだ」

「そっか…」

「そういうわけだ。今コカムイはどこだ?」

「ううん…わかんない」

 

 全く、白々しいったらありゃしないな。

 だが、ヒグマはキタキツネの言葉を疑ったりしないだろう。それどころかアイツが俺を縛り上げているなんて夢にも思わないはずだ。 

 セルリアンの襲撃を警戒しても、普通フレンズが同じフレンズを襲うとまでは考えない。

 

「そうか…じゃあ、会ったら聞くことにするか。邪魔したな」

「うん、またね」

 

 だが残念なことにキタキツネは普通じゃない。

 それを知っているのは俺にハカセたちにギンギツネ…ヒグマも知っていれば、状況は好転したのかもしれない。

 

 そして逆に、知らなくてよかったとも言える。

 俺が見つかりそうになった時、キタキツネがヒグマの排除に走る可能性も否定できないからだ。

 縄に眠り薬にと道具には困っていない。セルリアンハンターと言えど十分やられてしまうだろう。

 

 

「ドキドキした~」

 

 ヒグマが研究所を去った後、医務室に戻るなり間延びした声を出した。

 呑気に背伸びなんてして、どうやら縛られている俺の気持ちが分からないらしい。

 

「そんなに睨まないで、違うって分かってるけど、ノリアキの体でそんなことされたら悲しいよ」

「……っ」

「ねぇ、ノリアキはまだ戻ってこないの?」

「さあな…」

 

 今日は散々だ。イヅナもキタキツネも、揃って俺のアイデンティティをぶち壊しにかかってくる。

 だけど、ちょっとだけ希望が持てそうだ。

 

「……」テクテク

 

 キタキツネが医務室に戻るとき、赤いボスが一緒に部屋に入ってきた。キタキツネはまだ気づいていないか、或いは気にも留めていないか。

 どちらにせよ、赤いボスが通信をしてくれれば火山に応援を頼むことが出来る。

 

 お願いだ、俺の考えに気づいてくれ…!

 

「……!」

 

 俺の視線に気づいたような仕草。もう少しだパークガイドロボット、俺の意志を汲み取ってくれ…

 

「…そうだ」

「…?」

 

 いきなりキタキツネは何かを思い出したように布団を手にした。

 そして、その布団で俺を巻き寿司のようにグルグルと巻いていく。

 

「…っ!?」

「これでもう動けないはず…!」

 

 縄だけで十分動けなかったのに、これ以上の拘束を増やすのか。

 キタキツネはそれで満足したのか医務室を出ていったようで、扉の音が僅かに聞こえた。

 

 それにしても、く、苦しい。息ができているのはもはや奇跡だ。布団に阻まれて周りの様子も見えない。もう終わりか。

 

 そう思った時、くぐもった声が外から聞こえてきた。

 

「…ワカッタヨ、マカセテ、()()()

「え…おい…」

 

 赤いボスはそれ以上の呼びかけには答えず、医務室に再び扉の音が響いた。

 

「ハハ…気が利くロボットだ」

 

 じゃあ、後はアイツに任せていいかな。

 肩の重荷が降りたような気がして、苦しい姿勢にも拘らず俺は安らかな眠りに就くことが出来た。

 



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7-90 甦る悪夢

 

「ついに『火山に行け』で終わるようになるとは…コカムイも()()()が荒くなったものです」

「今回はそれほどの事態なのでしょう、急ぎますよ、博士」

「分かっているのです」

 

 しんりんちほー上空、横並びに飛ぶ私たちの間に言葉が交わされる。博士は文句を口にしているものの、嫌な予兆を感じているのか表情は真剣そのものです。

 

「ラッキービーストに来た通信は、あの赤いラッキービーストからのものに間違いない…のですよね」

「多分そうですね、それが何か?」

「…妙に思うのです、声が聞こえなかったので」

 

 なるほど、そうでしたか。 

 何か理由があるのなら、よほど急いでいたのか若しくは声が出せなかったか。

 いくら急いでいてもラッキービーストなら持ち運びできるので、声が出せない状況にあった可能性の方が高そうですね。

 どんな状況かは想像しにくいですが、大方例のキツネたちが何かやらかしたのでしょう。

 

 …あるいは、通信を出したのがコカムイではない誰かだとしたら。

 

「とにかく急ぎましょう、博士」

「…それしかありませんね」

 

 罠の可能性も無きにしも非ず。ですが、羽ばたきを止めることは許されないのです。

 進むのをやめれば、落ちてしまいますからね。

 

 

「…見えてきましたね」

「ええ、しかし…コカムイたちの姿は見当たらないのです」

 

 火山の近くまで飛んできた私たち。足元にはやや開けた林が広がっています。博士の言葉通り、地上には一人のフレンズも見当たりません。

 向こう側にならいるのでしょうか。

 

「しかしいつも通りの景色ですね、博士」

「そう…ですね、そのはずなのですが…」

 

 博士は大粒の汗を額から流して息も荒くなっています。

 心臓を鷲掴みにするような不安感。私も、少し背筋が寒くなってきました。

 

「急ぎましょう、よく分かりませんが、急がなければ…!」

「気持ちは分かりますが博士、落ち着きましょう」

 

 慌てる博士をなだめながら火山上空を飛んでいく。丁度裏側に差し掛かった頃、我々はようやくフレンズの姿を見つけました。

 

「イヅナ…! そ、それと…」

 

 そして、彼女の周りを埋め尽くすように蔓延るセルリアンの姿も。

 

「セルリアンが、あんなに…!?」

 

 青、赤、紫、緑。

 地上はセルリアンの色に汚染され、火山の岩肌が露わになっているところは非常に少ない。

 奴らの狙いはイヅナただ一人。飛べることによる高い敏捷性と狐火、そして彼女が使う妙な技のお陰で孤軍奮闘の状態を保てている。

 

 しかし、倒せど倒せど減る気配を見せないセルリアンに流石のイヅナも顔に疲労の色を滲ませている様子。

 

「アイツはなぜこんな時ばかり頑張るのですか! 助けの一つぐらい呼んだって…」

「博士、まずはアレを何とかしましょう」

「…その通り、ですね」

 

 我々は急降下し、セルリアンの輪の中に飛び込みました。

 

「っ、博士、助手!?」

「イヅナ、色々言うことはありますが…今はこいつらを倒しましょう!」

「う…うん」

 

 イヅナは我々の登場に驚いていますね。どうやら我々を呼んだのはイヅナではないようです。やはりコカムイでしょうか。

 

「このセルリアンの多さ、やはり普通じゃないのです。ところで、コカムイはどうしたのですか?」

「ノリくん? …研究所で()()()よ」

「そ、そうなのですか…うわっ!」

「博士、気を付けてください」

「…面目ないのです」

 

 しかし妙ですね、コカムイが通信をしてきたものと思っていましたが、寝ているのなら他に誰がしたのでしょう。

 そういえば、コカムイの中に別の誰かがいるとかいないとか博士が聞いたようですが、それが関係しているのでは…?

 

「…後にしましょう」

 

 後からいくらでも確認できるのです、博士も少し危うい様子ですから戦いに集中しましょう。

 

「博士は、この状況をどう見ますか」

「相手は数だけ、空には手出しできないのです…つまり、我々の体力がどれだけ持つかがカギですね」

「持久戦というわけですね」

「…イヅナは大丈夫でしょうか」

 

「はぁ、はぁ……」

 

 息は相当荒いですね。動きも緩慢になりつつあるようです。攻撃も相当力任せ、余計に体力を消費していることでしょう。

 …結論として、これ以上イヅナを戦わせるのは良くないと言えます。

 

「おそらくセルリアンは増えません、一度退いてイヅナを休ませてはどうでしょうか」

「…ええ、見ていられないのです」

 

 二人でそれぞれを腕を掴み、イヅナを空へと連れ出しました。

 

「ちょっと、何するの!?」

「そんな状態で戦い続ける気ですか? 一度休息をとるのです」

「でも…! …うぅ」

「あの辺りが良さそうですね…助手」

「はい、博士」

 

 イヅナを下ろした場所は周りよりも平らな地形でした。さらに戦っていた場所より高いので、ここからでもセルリアンの様子を確認できます。

 

「食べ物はありませんが、息を整えるくらいはできるでしょう」

「…そうね」

「それで、お前一人で戦っていた理由は何ですか?」

「…研究所にいたらサイレンが鳴って、火山にセルリアンが大量発生したって知ったの」

「それなら、コカムイも来ればいい話なのです。コカムイは研究所にいたのでしょう?」

 

 流石は博士、私の考えていたことをしっかり言ってくれますね。

 一旦セルリアンを見下ろすと、宛てもなく彷徨っている姿が確認できました。まだ放置しても問題なさそうですね。

 

「…カムイ君のことは知ってる?」

「カムイ…ああ、前にコカムイから聞いたのです。随分似ていてややこしかったのでかなり印象に残ったのですよ」

「今、彼が表に出てるの。その時はキツネの姿になれなくて戦えないから、私だけが来たの」

「…なるほど」

 

 話の筋は通っていますし博士も納得しているからいい気もしますが、腑に落ちない部分が残るのでそれだけ聞いてしまいましょう。

 

「イヅナ、私からも一ついいですか? いえ、大したことではありません、お前がここに来るのが意外だったもので」

「…どういう意味?」

「…お前なら、セルリアンなんて放っておいてコカムイに付きっきりになると思いましたから」

 

「助手!」

「わ、私にだって…この島を大切に思う気持ちはあるよ」

「ふふ、では…そういうことにしておきましょう」

 

 反論こそしてきたものの、ほんの一瞬イヅナの視線が揺らぎました。

 私の見立て通り、やはり腹に一物抱えているようですね。

 

 そして私が話し終わると同時に博士が腕を引っ張り、少し離れたところで話が始まりました。多分説教をするつもりでしょう。

 

「助手、あれはあんまりな言い草なのです」

「ですが、意味はありました」

「一体どんな意味が有ったと?」

 

 博士が食い気味に尋ねてきます。

 

「さあ? 一つ言えるとすれば、ただの善意ではありません。そんなもので動くはずはないと、博士も薄々感じているでしょう?」

「そ、それは…」

 

 博士にも、もう少し”裏側”を見ようとする癖が必要だと思います。今のままの純粋な博士も大好きですが、ね。

 

「この話は終わりにしましょう、セルリアンが先ですよ」

 

 まだ納得いきませんか、博士?

 でも大丈夫なのです、博士に足りないものは全て私が補います。全てを任せてくれたって構わない所存です。

 

「そうですね、戻りましょう」

 

 でも、プライドの高い貴女にそんな不躾なことは言えませんね。

 

 

 イヅナは座りこんで、そこら辺にある石を適当に放って遊んでいました。

 

「イヅナ、体力は戻りましたか?」

「…元から大丈夫だもん」

「また意地を張って…まあいいでしょう、行けますね?」

「もちろん…!」

 

 まあ、暇を持て余して遊び始めるくらいなら心配はいらないでしょう。あとはもう少し落ち着いてくれたら完璧なのです。…二人ともね。

 

「時間こそ掛かれど、負ける道理はないのです」

「じゃあ早く行きましょ? 早く終わらせるために」

「もとよりそのつもりですが…その…狐火は、使わないでほしいのです」

「…ふっ、あはは!」

 

 突拍子もない博士の弱音にイヅナは声を上げて笑い始める。私も少々頬が緩んだのですが、笑いはしません。この手の博士のギャグには慣れているので。

 

「笑うななのです! じょ、助手も同じ気持ちなのですよ?」

「おや博士、まだ狐火が怖いのですか?」

「助手!?」

「あはははは…!」

「イヅナも笑いすぎなのです!」

 

 博士のギャグのお陰でいい感じに空気がほぐれました。

 落ち着いたとは言えませんが、張り詰めていた緊張の糸が緩んだのでいいでしょう。

 

「では、行きましょう」

 

 …実は私も、まだ火は怖いのです。

 

 

「…ていっ! やあっ!」

 

 派手な掛け声と共にセルリアンが次々と散らばっていく。当然ながら、散らばっているのはセルリアンの体だ。

 

「博士、元気があるのはいいですが、その勢いだと確実に疲れてしまうのです」

「暑苦しいの、キライ…」

 

 私が忠告しても博士は止まらない。

 …それなら、博士がガス欠になってしまわないよう私が博士の手助けをするだけです。そういう猪突猛進な所も、嫌いじゃないので。

 

「では博士、援護します」

「…助かるのです、背中は任せたのですよ」

「…お任せください」

 

「あーあ、じゃあ私も頑張らなくちゃね」

 

 

 時間にして1時間でしょうか。

 飛び回って攻撃を回避し、石に攻撃を浴びせる。そんな単調な戦いが永遠に続くかのようでした。

 

 しかし確実にセルリアンは数を減らし、地表を埋め尽くすほどにいたはずの奴らは綺麗さっぱり雲散霧消。文字通り影も形も消えてなくなりました。

 

「ふぅ、流石にこれだけ倒せば、もう終わりですね」

「うぅ、早くノリくんの所に行かないと…!」

 

 戦いが終わるや否や、イヅナは愛しの彼の名を口にして飛び立たんとばかりに足を前に出した。

 

「何を急いでいるのです?」

「キタちゃんと一緒に置いて行っちゃったの!」

「……あぁ」

 

 流石に、納得なのです。

 キタキツネ、どうか妙なことはしないで下さいね? またイヅナに暴れられたら面倒なのです。

 もしくは、二人で暴れるのですかね…?

 

「そういうことなら、後は我々に任せて行くといいのです」

「ありがと、はか……!」

「っ! これは…」

 

 地面が揺れた。

 

「噴火…?」

 

 揃って火口を見上げたのですが、特段変化は見られません。

 この大量発生も噴火の予兆とすれば不思議ではないのですが…

 

「あ…あれ…見て…」

 

 イヅナの震える声に驚き、彼女の指差す方に目を凝らした。

 

「…嘘、でしょう?」

 

 研究所の方角、それよりも海沿いにある森。

 あそこにも、研究所の施設があったと記憶しています。

 

 そびえたつ木々よりも高く、深い緑よりも色濃く、()()()はそこにいたのです。

 

 

「…黒い、セルリアン」

 

 もう、過去の話だと思っていました。

 

 ですが、忘れるはずもありません。

 かばんとサーバルを一度は取り込み、かばんに至っては輝きを失う一歩手前まで追い込まれたのです。

 

 島中の力を合わせて葬った、そのはずでした。

 なのに、今、私たちの視界には、その忌まわしき化け物の姿があります。

 

「研究所…ノリくん!」

「っ、イヅナ!」

 

 博士の制止を聞かずにイヅナは飛び出して、研究所へ見たことのない速さで飛んでいく。

 あれはもう、どうしようもないのです。

 

「まさか、まさか再びコイツが…海のセルリアンもいるというのに…」

「博士! まずはこっちが先です」

「…ええ、これごとき倒せないようでは、海のセルリアンなど相手取れるはずもありません」

 

 アレは相変わらず強大なのでしょう。

 

 しかし、我々には”経験”があります、ヒトの力もあります。

 …そして、奇妙なキツネの力も。

 もとより、負けるはずはありません。

 

「博士、指示を」

「討伐隊に伝令を出すのです…『戦いの時が来た』、とね」

 



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7-91 目を覚まして

 

 …体が痛い。

 何かに縛られているみたいで動くことが出来ない。

 

 目を開けた。真っ暗だ。だけど…少し暖かい。

 ゆっくりと、頭に血が通うようになってきた。

 

「…なに、これ」

 

 身をくねらせてみても、ちょっとやそっとでは何も変わらなかった。

 手首と脚に圧迫されている感覚があるから、そこが縛られているのかな?

 

「ぐ、うぅ……!」

 

 がむしゃらにジタバタ暴れると、視界を覆っていた何かは取れた。よく見ると、それは布団だった。

 ようやく見えるようになった周囲を見回す。

 

「医務室…そういえば、頭に何か…」

 

 ぶつかった記憶があるような、ないような。

 

「それより、この縄を外さないと…」

 

 …前に、キタキツネによってこんな風に縛られたような気がする。そのとき僕に抱きついていたのは、布団じゃなくてキタキツネだったけど。

 

 また、キタキツネの仕業なのかな。

 でも研究所には僕以外いなかったはずだし、キタキツネなら眠り薬を使うような気もする。

 

「赤ボス、いる?」

 

 いったん考えることを止めて、赤ボスを探すことにした。赤ボスは縄を切ることができて、前にも助けてもらった。

 …もちろん、別のこともできる。

 

「……」

「いない? 向こうの部屋かな…」

 

 なら自分で頑張ってみよう。刀を上手く使えば切れるかもしれない。ついでに服とかも切ってしまいそうで怖いから慎重にしなければ。

 でも先に、縛られた状態で刀を持つ方法を考えなきゃ。

 

 キツネの姿になって…もうなってた。

 そうしたら…テレキネシス? 残念なことにまだ妖術は習っていない。

 じゃあ刀を噛んで…やめよう、汚れてしまうし、首が変な方向に曲がりそうだ。

 

 

「うぅ、どうすれば…」

 

 どうも八方塞がりで何もやり様がない。キタキツネったら、何故かとても上手に縄を縛るんだ。ああ、どうしよう。

 しばらくの間悩んでいると、医務室の扉が開く音が聞こえた。

 

「ノリアキ、起きた…?」

「あ…!」

 

 部屋に入ってきたキタキツネは、どこか覚束ない様子の足取りでこちらに向かってくる。顔を見ると、ほのかに赤らんでいた。

 

「えへへぇ、やっと戻ったね…」

「戻ったって…それより大丈夫なの? なんか、不安定だけど」

「ノリアキ、大丈夫? カムイに変なことされてない? 突然変わっちゃったから心配だったよ…」

 

 薄々察してはいたけど、やっぱり話を聞いてくれない。話を聞かないままキタキツネは僕の膝の上に乗ってしまった。

 …まあ、これくらいは仕方ないか。それより詳しく話を聞こう。

 

「神依君がどうしたの、それに”変わった”って?」

「よく分かんないけど、ノリアキの体にノリアキじゃないのが入ってたんだ」

「それって…」

 

 砂漠の時みたいに、人格が交代してたんだ。きっとあの時頭を打ったせいだ。何が当たったのか覚えていないけど。

 

『そりゃ、聞かない方がいいってもんだ』

『…そっか』

 

 

「…それは分かった。で、この縄は?」

「えへへ…ダメ?」

 

 …随分返答に困る質問だ。言うまでもなく、許可なく人を縄で縛るのは…ダメじゃないかな。

 

「ダメというか何というか……はうっ!?」

「むぐ、ふふふ…!」

 

 突然のことに変な声が出てしまった。

 これってもしかして…首を、噛まれてる?

 

「ね、ねぇ…くすぐった…ぅ…」

「はむ、むむむ…んぐ…」

 

 甘噛みだから痛くは無いけど…あぁ…力が、抜ける…

 

「むふ…ぷはぁ」

「はぁ…どうして…?」

 

 そう聞くと、キタキツネはいつかのように首を左右にコクコクと傾けた。長い髪がつられて揺れて、僕は不思議と見入ってしまう。

 光が抜け落ちた彼女の瞳も、この時ばかりは綺麗に見えた。

 

「だって、最近してなかったもん」

「…初めてなんだけどな」

「いいの! それよりボク、まだ足りない…」

 

 ただでさえ近かった互いの顔がさらに近づき、もう目と目が触れあってしまいそうだ。

 

「た、足りないって?」

「わかるでしょ…もういっかい♡」

 

 これが終わるとき、僕の首はまだ繋がっているかな。

 

 

 

 それから、どれだけの時間が経ったことだろう。

 時計でその時間を計ったとすれば、大して長い時間でもないと思う。しかし、僕にとってそれは途轍もなく長い時間に感じられた。

 

 恐怖のせいか喜びのせいか。

 それもよく分からないけど、キタキツネが()()()()満足したことだけはその表情から読み取れる。

 ああ…頭がくらくらする。世界がぼんやり、まるで寝起きみたいだ。

 

「あう…うぅ…」

「えへ、えへへへ…」

 

 いつの間にか、手足を縛っていた縄は無くなっていた。

 

「ごめんねノリアキ、苦しかったでしょ?」

 

 視界の外に縄を投げ捨てながらキタキツネが言う。

 

「ううん、大丈夫」

 

 他にもっといい言葉はなかったのか。でも、それしか言えなかった。きっと疲れていたんだ。

 不思議と、キタキツネが()()()()()ことを嬉しく思うようになった。この状況に安らぎを覚えるようになった。

 

 …そして、イヅナに対しても同じ感情を抱くであろう自分に、嫌気が差した。

 

 

 ともあれ、安らぎの時間は長く続かなかった。

 けたたましくなるサイレンが、夢の空間から僕たちを悪夢のような現実へと引き戻した。

 

「な、何があったの!?」

「っ、ノリアキ…!」

 

 錯乱して縋りついてくるキタキツネを落ち着けながら、赤ボスを呼んだ。

 大声を出したら赤ボスはすぐに来てくれた。キタキツネは大きな音を嫌がっていたから、フォローが必要かもしれない。

 

「赤ボス、状況を教えて」

「検索中、検索中……!」

 

 いつもの機械音が、突如として緊迫した。

 

「緊急事態です、研究所のサンドスター保存施設が破壊されました。高濃度サンドスターの流出により、セルリアンの大量出現が予測されます。職員は近隣にいるお客様の避難を最優先とし、早急に事態の解決に当たってください」

 

 同じような警告が、いつもと違う流暢な声で何度も繰り返された。

 

「こ、怖いよ」

「…大丈夫、大丈夫だから」

 

 現場は”サンドスター保存施設”、つまり研究所からは近い。解決に向かうならすぐだけど、キタキツネをここに置いていくのは危険だ。

 そうだ、まず具体的に何が起きたのかを把握しよう。

 

「現場の状況を知りたいんだ、できる?」

「ジャア、現場ノ”ラッキービースト”カラ映像ヲ送ッテモラウネ」

 

 赤ボスは元のカタコトな機械音で答えてくれた。こっちの方が馴染みがあって安心する。

 そして間もなく、研究所の大きなモニターに映像が流れだした。

 

『……』

 

 そこには、以前見に行ったときとほとんど変わらない景色があった。青々とした草に葉に、天に向かって伸びたいくつもの木の幹。()()()()()異質なものがあることを除けば、至って普通の景色だった。

 …いや、むしろその()()()()()が、ごく普通の景色を非日常へと塗り替えてしまうのだろう。

 

「…これが、あの黒いセルリアン?」

「…!? なんで…」

 

 ボスの高さの視点だからか、ただでさえ大きいセルリアンは更に巨大に、より脅威に見える。

 

「保存施設は海に近いから…足止めできれば海に沈めることも…」

「嫌、危ないよ、行っちゃダメ…!」

「キタキツネ…今すぐ行く訳じゃないよ、まずイヅナに知らせないと」

「イヅナちゃんに…?」

 

 ギュっと強く、今までで一番と感じるほど強く袖を握られる。

 

「一緒に逃げよう? イヅナちゃんなんていいから…」

「それは…できないよ」

 

 僕も怖い、だけどこの島を見捨てられる訳がない。

 イヅナも、僕が付いていなきゃいけないんだ。

 

「お願い、キタキツネ…」

 

 僕には、このまま逃げることなんてできない。

 

「…わかった。じゃあ、キスして?」

「え? …ああ、うん」

 

 それだけでいいのか…とは思ったけど、まあキタキツネが望むなら…

 

「ん…」

「ふふ…んー♪」

 

 医務室の時とは違う、唇が触れ合うだけの優しい口づけ。袖を握る手も、少し緩んだように感じられた。

 

 できるなら、もう少しだけ――

 

「ノリくん! 黒いセルリアン…が……」

 

 部屋に、重い沈黙が立ち込める。

 

「あ、イヅナちゃん…?」

 

 前触れもなく開いた扉からイヅナが入ってきたのだ。

 …とても、悪いタイミングで。

 

「ノリくん…ノリくん…?」

「イヅナ……」

 

 名前を呼ぶ以外、僕にできることはない。

 謝罪? 釈明? そんなものは無意味だ。

 

 自分の思いを突き通すために、僕は全てを受け入れるしかない。

 

「ねぇノリくん…! ん、はむ…!」

 

 イヅナはキタキツネと違って、暴力的な、貪りつくすようなキスをする。

 でも、()()()()も幸せだ。

 

 

 そして…長く短い舌の交わりが終わり、ようやく本題に入れそうな感じだ。

 

「イヅナ、サンドスターの保存施設に黒いセルリアンが…!」

「私も、火山からそのセルリアンを見掛けて来たの…」

 

 火山に…?

 火山に行く用事なんて思いつかないけど、寝ている間に何かあったのかな。

 

「…その話は後、行きましょ、ノリくん」

「ど、どこに?」

 

「ロッジだよ、今博士と助手が討伐隊のみんなを集めてくれてるから」

「分かった。赤ボスも行こう」

「ワカッタ。ヒトマズ、セルリアンノ監視を指示シテオクネ」

 

 赤ボスは研究所のシステムにアクセス。映像を送ってくれたボスに引き続き記録をするように頼んだようだ。

 

「ノリアキ…」

「心配しないで、予想外の事態だけどきっと乗り越えられるから」

 

 イヅナはキタキツネを抱え先にロッジに向かった。

 赤ボスを抱えた僕は研究所の明かりが消えたことを確認し、すぐにその場を後にした。

 



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7-92 作戦開始

  

「あ、師匠!」

「おはよう、キリンももう来てたんだね」

「当然です! ジャパリパークのためならこの名探偵、何処へでも駆け付けますよ!」

 

 ロッジにはオオカミにキリン、かばんちゃんにサーバルがいる。気合の籠っているキリンとは対照的にサーバルは眠そう。

 かばんちゃんは帽子を目深に被って何やら考え事をしている様子だ。

 

 声を掛けようかと思ったけど、その前にオオカミが話を切り出した。

 

「さて、黒いセルリアンが再び現れたというのは本当かい?」

「確かに、この目で見たんだ…映像越しにだけどね」

「私たちは山から見つけた、セルリアンは間違いなくいるよ」

 

 今になって思えば、火山から見えるってことは相当大きいんじゃないかな。

 下手をすれば、以前この島を襲ったセルリアンよりも。

 

「忘れられた頃に甦った黒いセルリアン…随分と奇妙だね」

「それなんだけど、アレが生まれた理由に心当たりがあるんだ」

「なに…それは一体?」

「ええと、博士たちが来てからでもいいかな」

 

 オオカミはきょとんとして不思議なものを見るような目を向けてきた。

 そして、声を上げて笑った。

 

「ハハハ、まさか私を焦らすとはね」

「え、いや、そういう訳じゃ…」

「気にしないでくれたまえ、多少待った方がその分期待も膨らむものだ」

 

 オオカミの微笑みがより一層僕にプレッシャーを掛ける。

 …あはは、勘弁してほしいな。

 

 

「…そうだ、博士が来るまで漫画でも読まないかな?」

「え…今?」

 

 そんな状況じゃないと思うけど、オオカミはお構いなしに漫画を押し付けてくる。

 

「ほらほら、読んで!」

「あー、じゃあ」

 

 渋々表紙をめくり、目次を見る。

 それによると、この漫画には全部で13のお話が載っているらしい。

 道理で分厚いと思ったら、気合の入った一冊のようだ。

 

「それで、感想は?」

「まだ目次だよ…?」

「そ、そうか、すまない…」

 

 しゅんとするオオカミを横目に、漫画のページをめくっていく。

 

「これってやっぱり…」

 

 物語の筋書きの端々に、何処かで聞いたような、もっと言えば自分が体験したような展開がちりばめられている。

 中には、普通なら知りようのない出来事――眠り薬の下りとか――までも。

 

 それでもこういった要素はあくまでアクセントで、本筋自体はしっかりしているから文句のつけようがない。

 

「すごいよオオカミさん…面白い」

 

「フフ、そうだろう! こんな近くに最高のモデルたちがいるんだ、私の想像力も膨らんで留まることを知らないよ」

「あ、あはは…それは、良かった…」

 

 それと余談だけど、さっき話に挙げた眠り薬はヒロインらしき女の子が頻繁に使っていた。僅か13話の中で。

 

 …大丈夫かな、この物語。

 

『…一度誰がモデルか考えてみろ』

『あー、うん、そうだね…』

 

 それでもきっと、上手くまとまってしまうのだろう。

 僕たちの関係も、一度()()()()()()に監修を頼みたいものだ。

 

 

 

「コカムイ! …ああ、もう話は聞きましたか?」

 

 乱暴に扉が開けられ、博士と助手がハンターのみんなを引き連れて現れた。

 

「これで、揃いましたね…」

 

 かばんちゃんの呟きに、場の空気が引き締まった。

 ようやく、討伐隊の出番が来たことを実感したような気がする。

 

「まずは状況を整理しましょう」

「研究所近くの森に、黒いセルリアンが現れた…ですよね」 

 

「ああ、私もここに来る前、遠目にだが見てきた。間違いなくあの時のセルリアンと同じ形だ」

「でも、どうしてまた出てきたの? ちゃんと船と一緒に沈めたはずだよね…?」

 

 時間も経って、サーバルの目も覚めたみたいだ。

 

「それについては、コカムイ君が説明してくれるよ」

「そうなんですか、師匠!?」

 

 目を輝かせるキリン、袖を引っ張るキタキツネ…小さく舌打ちをするイヅナ。

 オオカミも地味に期待するような視線を向けてくる。…もしかして、この状況を面白がってるのかな。

 

「コカムイ、分かっているなら話すのです」

「あ、そうだね…博士はサンドスターを保存してた場所を覚えてる?」

「…確か、寒いところでしたね」

 

「そこがセルリアンに襲われたみたいなんだ、そのせいでサンドスターが漏れ出して、巨大なセルリアンになったんだと思う」

 

 博士と助手は顔を見合わせる。

 

「確かにあの量なら巨大化しても不思議ではありませんね、博士」

「なら、今のままではさらに厄介なことになるのでは?」

「あ…!」

 

 

「もしそうだとしたら、一刻の猶予も残されてないかもしれませんね」

 

 長らく沈黙を続けたかばんちゃんが、口を開いた。

 博士は待っていたと言わんばかりに質問をぶつける。

 

「かばん、何か考えはありませんか?」

「…博士、今の時間は?」

「時間? …太陽を見る限り、お昼前なのです」

 

 唐突な質問に戸惑いつつも、聞かれた通りに博士は答える。

 

「研究所…港は遠いから…もう大きな船もないし…」

「か、かばん?」

 

()と同じ方法は厳しいと思います、だから選択肢は……別の方法で海に沈めるか、セルリアンを倒すかの2つです」

 

 

 今はお昼前、前と同じ方法を使うなら夜まで待たないといけない。

 日没までの時間が長いと海から離れられたり被害が出たりする可能性が高くなる。

 今の時間を聞いたのはそれを確認するためだろう。

 

 そして前は最終的に船の明かりでおびき寄せ、ボスごと海に沈めた。

 勿論船も道連れだから、もうその方法を行うだけの準備が足りない。

 

 だから。

 

「根本的に違う方法が、必要なんだ…」

 

「…倒したりはできないの?」

「アレの大きさは前以上だ…まともにやれば、勝ち目はない」

 

「しかも、もっと大きくなるかもしれないんですよね…いくらハンターの私たちでも、そうなると…」

 

 そう、普通は倒せない。

 もし倒せたとしても、どれほどの傷を負うことになるか分からない。

 

 海に落として殺せる相手なら、そうする。

 相手の土俵に乗る必要は微塵もないのだから。

 

『神依君は、何かある?』

『いんや、何も。…悪いな、力になれなくて』

『…そっか』

 

「ハンターから見て、足止めはどれほど可能ですか?」

「少しでも持つかどうか…すごくキツいオーダーです…」

 

「かばんちゃん、大丈夫なの…?」

「安心してサーバルちゃん、きっとどうにかなるから」

「うん…だよね!」

 

 

 ただ事ではない問題だ、力を合わせて解決策を捻りだそう。

 

「キリン」

「はい、師匠!」

 

「どうして、セルリアンを海に落とせないと思う?」

「…コカムイ、何を言い出すのです?」

 

「なんで海に落とす方法が使えないか…それが分かれば、アイツを海に落とすために必要なことが分かると思うんだ」

 

「分かりました師匠…このキリン、頑張ります!」

 

 キリンは腕を組み、椅子に座って目を閉じた。

 なぜかその場の全員が息を呑み、キリンの言葉を待ち始める。

 

『ノリくん、大丈夫なの?』

『このままじゃ大丈夫じゃない、だから、頑張ろう?』

『…そうだね!』

 

 

「…わかりました」

「キリン…!」

 

 しばらくの時間を費やし生まれた答えに、全員が期待する。

 

「ずばりそれは、セルリアンが海に近づこうとしないからです!」 

 

「……」

「……」

 

 博士と助手は、顔を見合わせた。

 

 

 

「っ、それです!」

 

 その時、かばんちゃんがひと際大きな声を出した。

 

「セルリアンは海を嫌うから落とせない…なら、海岸ギリギリまでおびき寄せてから、無理やりにでも落としてしまえばいいんです」

 

「そうは言っても、セルリアンだって抵抗するのですよ?」

「…だから、『船』を使います」

「知っての通り船はもう…!」

「あ、そうか!」

 

 合点がいった。

 この方法なら、セルリアンを海に落とせる。

 

「はい、コカムイさんが乗ってきたボートを使います」

「あ、あんなに小さいのをですか?」

 

 キンシコウが驚く。実物を間近で見ているからこそ、この反応が出てくるんだろう。

 

「問題ないよ…イヅナ、妖術は使える?」

「任せて、ノリくんのためなら何でもするよ!」

「それは嬉しい限りだけど……ん?」

 

 後ろから控えめに引っ張られた。キタキツネだ。

 そのまま耳元で囁かれる。

 

「ボクも、その、ノリアキのためなら…」

「…ありがとう、キタキツネ」

 

 頭を撫でると、キタキツネは僕の手を捕まえてはにかんだ。

 いや、”にへらと笑った”と言うべき表情だった。

 

 最近は()()()鳴りを潜めているように見えるけど、キタキツネもキリンに敵対的な視線を向けている。

 感情を派手に出さないのが長所とも言えるが、キリンの身を案じればいつ爆発するか分からないのは恐ろしい。

 

 とはいえそれも、僕に扱えない問題ではないだろう。

 

 

「…おほん、我々は話について行けていないのですが」

「あはは、ごめん…じゃあ、改めて作戦を言うね。かばんちゃんから言う?」

 

「いえ、コカムイさんにお願いします。ボクでは()()()()まで賄えませんから」

「分かった…それじゃあ、よく聞いてね」

 

 黒いセルリアンを再び海に葬り去る作戦。

 その一から十までを、場の全員に語って聞かせた。

 

 

 

「…理に適っていると言えるでしょう。()()()()()

「ああ、本当に可能なのか?」

 

「確かに難しいけど、他に方法が無いんだ。…どうしても、最終的に()で押し切る必要がある」

 

「…他に、方法はないのでしょうか」

 

「多分、もっと良いやり方はいくらでもあると思う…だけど、それには前もっての準備が必要になるんじゃないかな」

 

 元々討伐隊は、海のセルリアンを主な仮想敵として結成されたもの。

 勿論、陸上のセルリアンと戦うこともできるが、この規模のセルリアンは様々な意味で想定外だ。

 

 たとえ急ごしらえの穴だらけな戦術でも、最も可能性の高い戦術ならば使う他ない。

 

 

 そして時間もない、僕達は作戦の最終確認を始めた。

 

「さっき言ったように、僕とイヅナがボートに乗り込むよ」

「我々は、セルリアンを誘導すればいいのでしたよね」

 

「…師匠、やっぱり私も乗せてください!」

 

 …予想外の提案だ。

 どうしようか悩む間もなく、イヅナがキリンに文句をつけた。

 

「キリンちゃんは誘導にあたるんでしょ?」

「でも、力仕事なら私がいた方がいいはずです…必ず役に立って見せますから!」

 

「…分かったよ」

「の、ノリくん?」

 

「大丈夫、やっぱり僕たちの仕事にも人手が必要だ。博士もそれでいい?」

「ええ、構いません」

 

 …と、多少の変化はあったものの作戦開始に向かって滑らかに話は進んでいく。

 

 

「では急ごう、早い方がいいのだろう?」

「うん、よろしく」

 

 セルリアンハンターの3人、博士と助手、かばんちゃんにサーバル、そしてオオカミ。

 合わせて8人が黒いセルリアンを誘導する役目を持ってロッジを出発した。

 

 …しかしここに、役目を負わないフレンズが1人。

 

「ノリアキ、ボクは何すればいいの?」

「キタキツネは、ここで待ってて」

 

 正直に言って危険だ。

 キタキツネは討伐隊の中でも後方支援の役だし、戦いもさほど得意じゃない。

 …あと個人的に、戦いの場に連れて行きたくない。

 

「でも、ボクだってノリアキのために…!」

「うん…だから、赤ボスをお願い」

「…赤ボスを?」

 

 キタキツネの腕に、赤ボスを預ける。

 

「戦いが終わるまで、赤ボスと…あとアリツさんと、一緒にロッジで待ってて欲しいんだ。お願いして、いい?」

 

 声はなく、彼女はコクリと頷いた。

 

「よかった、僕の大切な友達だから…よろしくね」

「…うん!」

 

 

 

 そして、僕達3人も港の海に浮かべたボートへ乗り込む。

 

「…いよいよ、始まるんですね」

「倒せる…よね?」

「できるよ、必ず」

 

 船のエンジンをかけ、その振動に耳を傾ける。

 

 アクセルを踏んで、このボートを脅威であふれた海に送り出そう。

 

「さあ…出航だ」

 



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7-93 海に沈むは黒い西日よ

 

「セルリアンは…?」

「この先なのです」

 

 セルリアンに見つからないよう、林の中を進む()()

 

「見えた…アレか!」

「では、手筈通りにやるのです」

 

 ボートに乗ったコカムイさん、そしてボク達と分かれて進む助手たち4人の動向を確かめながら様子をうかがう。

 

「どうだ、セルリアンの様子は」

「派手な動きはありませんね」

 

 博士とヒグマさんが前の方に出て危険を確かめてくれている。

 そのうちに、陽動に使う紙飛行機をサーバルちゃんと一緒に増やしていく。

 

「セルリアンが移動しそうになったら、それで気を引くのですよ」

「うん、沢山あるから任せて!」

「しー、アイツに聞かれるかもしれないだろ?」

「ご、ごめんなさい…」

 

 サーバルちゃんはしょんぼり。

 …それでも、紙飛行機を折る手は止まらないみたい。

 

「ところでかばん、ライオン達はいつ着くのですか?」

「どうでしょう…少なくとも、まだ掛かると思います」

「だろうな、前と状況が違う」

 

 念のためラッキーさんにライオンさんたちへの連絡をお願いしていた。

 杞憂に終わってくれればいいけど、ボクには嫌な予感がしていたから。

 

 何か…とんでもなく悪いことが起きる気がする。

 

「かばんちゃん、大丈夫? 顔色悪いけど…」

「かばんと言えど、不安くらい感じるでしょう」

「うん…大丈夫だよ」

 

 ボクが暗い顔をしていたら、サーバルちゃんも気分が沈んでしまう。

 先のことを考えるのも大事だけど、まずは目の前のセルリアンに集中しよう。

 

「…なあ、かばん」

「はい、何ですか?」

 

「いや…前に島の外に行くと言ってたが、それはどうなったのかと思ってな」

「ああ…海にセルリアンが出たせいでうやむやになっちゃいましたからね」

 

「でも、倒したら外に行けるね…!」

 

 嬉しそうなサーバルちゃん。

 さっきヒグマさんに怒られたことを気にしてるのかな、少し控えめになっている。

 

「そうか、代わりの船もあるしな」

「コカムイの奴、壊さなければいいのですが」

「コカムイ君に限ってそんなことないよ!」

 

 あ、また声が大きくなってる。

 気になってヒグマさんを見たけどよかった、今度は何も言わないみたい。

 

「アイツに限って…? サーバル、お前そんなにコカムイと仲が良いのですか?」

「それは、ええと…わかんない」

「一つ忠告しておくと、無闇に近寄らない方がいいのですよ」

 

「え、どうして!?」

 

 コカムイさんに近づかない方がいい…?

 一体どういうことだろう?

 

「博士、ボクにも教えてください、どうして――」

「……動きがあったのですよ」

「…あ!」

 

 海辺でさっきまで大人しくしていたセルリアンが急に体を動かし始め、その巨躯がどしんどしんと音を鳴らし海から離れていく。

 

「海から離れるみたいですね…」

「あまり離れられても困るのです、足止めしましょう…サーバル」

「え、私?」

 

 体をこわばらせるサーバルちゃんに博士が言う。

 

「その紙飛行機、今こそ出番なのですよ」

「そ、そっか!」

 

「さあ、掴まるのです。空から奴の気を引きましょう」

 

 博士が伸ばした手を、サーバルちゃんはガッチリと握りしめた。

 

「気を付けてね、サーバルちゃん…」

「大丈夫、夜行性だから!」

 

 

「ええ!? あ…行っちゃった」

「夜行性だから…?」

 

 どうしてかヒグマさんは最後の言葉に悩んでいる。

 

「きっと、サーバルちゃんなりの元気付けですよ」

「そうか、今は昼なんだがな…」

 

 …まあ、そっとしておこうかな。

 

 ところで、サーバルちゃんは今どの辺りにいるんだろう。

 木葉の隙間から空を見上げると、青空を背景に2人の姿が見えた。

 

「博士、どこに投げればいいの?」

「セルリアンの目の前を通って、海に届くように投げるのです」

「うーん…でも、ここからじゃ…」

「場所を変えましょう、あっちがいいですかね」

 

 セルリアンはまだサーバルちゃんに気づいていないみたい。

 きっと音を立てずに羽ばたける博士のおかげだ。

 

「えいっ」

 

 控えめな声と共に投げられた紙飛行機は綺麗な軌道を描き、セルリアンの正面を通り過ぎて海に落ちた。

 

 目論見通り、セルリアンは紙飛行機に気を取られ海の方に数歩戻っていった。

 サーバルちゃんたちも気づかれていない。

 

「やったよ、かばんちゃん…!」

「流石だね、博士もありがとうございます」

 

「この程度は当然なのです」

 

 戦いになることなく時間稼ぎができた。

 もう一度隠れて、今度こそボートがやってくるのを待つ。

 

「キンシコウ達も順調にやっているといいが」

「…ヒグマさんも、信じてるんでしょう?」

「…ああ、勿論だ」

 

 

 

 

「――はあっ!」

 

 パッカーン……と、小さなセルリアンが砕け散る。

 かばん一行と分かれた私たちは、周囲のセルリアンを取り除き、近くのフレンズを避難させるという大きな仕事をこなしている。

 

「ここのセルリアンはこれで終わりですね」

 

 キンシコウが額の汗を拭き、辺りを見回して言う。

 このポーズはいい…参考にさせてもらおう。

 

「この手際、流石はセルリアンハンターといったところだね」

「褒めていないでオオカミももっと手伝うのです」

「そうは言っても長い戦いだから、体力の温存は大事だよ」

 

「そうですね、焦らず、怠けず…しっかりやりましょう!」

 

 さて、慌ただしい仕事は一段落した、しばらくは周りの警戒と()()()()()()()をこなすことに気を向けよう。

 

「はてさて、応援はいつ頃来るのかな?」

「かばんも、いつになく慎重ですねぇ…」

 

「予想外がいくつも重なりましたから、仕方ないのかも」

「ええ、それは分かっているのです、ですが……」

 

 そこまで言って、助手ははっとしたように口をつぐんだ。

 

「助手さん、どうかしました?」

「いえ、気にしないでください」

 

 どうやら失言をしかけたみたいだね。

 

 私の予想では…”かばんの悪い予感が当たっていたら、増援が来ても勝てないのではないか”、と言おうとしたと思う。

 

 士気を下げる発言は問題外だから、避けるのも当然。

 

 尤も予想が外れていればそれこそ私の勝手な杞憂だ。

 …しかし、私も推理漫画を描いている身。そう易々と見込み違いはしないと自負している。

 

「セルリアンの気配をあっちから感じるね」

「ではその方向に向かいましょう」

 

 コカムイ君、それにイヅナちゃんも、戦闘力では未知数であると言わざるを得ない。

 きっといい方向に転ぶはずだ。私はそう信じている。

 

「だから…任せるとしよう」

「何がですか?」

 

 おっと、助手に聞かれてしまったようだね。

 

「え? ああ、今のは独り言で」

「今度はお前も戦うのです、さあ、前線に立つのですよ!」

「わわ、参ったなぁ…」

 

 仕方なく、先頭に立って気配を辿ることにした。

 

 さあ、この戦いの結末はどうなるのか…実に恐ろしい分、興味も湧いて溢れてくる。

『ホラー』というのは、恐怖を楽しむものだからね。

ああ、楽しみだ。

 

 

 

 

「…まだ見えませんか、師匠?」

「そろそろだと思う…いた」

 

 海岸に黒いセルリアンの姿を確認したら、僕はボートを減速させ岸に寄せて身を隠した。

 

「と、突撃しないんですか?」

「タイミングが大事だからね。探偵には、時機を待つ忍耐強さも必要だよ」

「な、なるほど…!」

 

 それはさておき、状況を確認しよう。

 

 ここからはセルリアンの姿だけが見える。

 目は海を向いていて、石は背中に確認できる。相当な大きさだ。

 

「…もう少し、近づいてみるよ」

「ノリくん、気を付けてね」

 

 ボートから陸に飛び移り、木々の隙間からもう一度海岸を見渡した。

 

「思ったより、大きいな」

 

 攻撃も相当な威力だろう。

 あの長い尻尾を叩きつけられたらひとたまりもないに違いない。

 

「でも、あの尻尾は使()()()()

 

 …うん、イメージはバッチリだ。

 ただ、セルリアンには陸の方を向いてもらわないといけない。

 

 注意を引くのは博士たちに任せるとして、僕たちも覚悟を決めよう。

 

 

「…いけそう?」

「うん、図体は大きいけど、この作戦なら大丈夫」

 

 アクセルに足を乗せた。

 

「合図は、必要ないんですか?」

 

「まあ見てて…行くよ!」

 

 一気に踏み込み、ボートは大きな水しぶきを上げて加速する。

 

 モーターの音と水の音が混ざりあい、海岸にひと際大きな開戦の号令が鳴り響いた。

 

 

「っ! かばんちゃん、この音は…」

「どうやら、始まったようですね」

「みんな、行きましょう」

「よし、やるとしよう」

 

 

「師匠、これって…」

「そう、今の音が合図だよ…キリンも構えておいて」

「わっかりました!」

 

 爆音に反応したセルリアンはこちらを凝視している。

 しかし海のお陰でアイツが僕達に攻撃する手段はほとんどない。

 

 どの足も、どの部位も、海水に浸かればたちまち使い物にならなくなる。

 

 セルリアンが海岸にいる限り、僕らは反撃のタイミングを自由に決めることが出来るのだ。

 

「ほら、博士たちも来たよ」

 

 もしセルリアンが逃げるなら、博士たちが足止めをする。

 必ずこの場で仕留める、逃がしはしない。

 

 

「イヅナ、準備は良い?」

「ふふ、もちろんだよ♪」

 

 じゃあ、まずは軽く挑発して注意を引くことにしよう。

 

「キリン、そこの石をセルリアンに投げて」

「はい!ふぅ……とりゃあ!」

 

 キリンはあらかじめ用意しておいた拳大の岩を掴み、全身を使ってセルリアンに投げつけた。

 反動でボートが横に揺らいでしまったがその分の威力は出たみたいで、セルリアンの目の下に食い込み小さな窪みが生まれた。

 

「へへん、やりました!」

「…よし、もう少し近づこうか」

 

 平行に進んでいたボートの進路を変え、セルリアンの目と鼻の先まで近づいた。

 …セルリアンに鼻が有るかどうかは疑問だけど。

 

「う…この距離で見ると怖いですね…」

「怖がる必要はないよ、これからコイツを海に引きずり落とすんだから」

 

 セルリアンが唸る。

 言葉も表情もないが、その立ち振る舞いからは敵意がひしひしと感じられる。

 

 しかしそれだけだ。

 海という大自然の防御があるため、セルリアンに僕達を攻撃する方法はおよそ()()しか存在しない。

 

「そろそろだよ…!」

 

 ここで、セルリアンは横を向いた。

 予想通りだ、正面を向いていたら()()を使えないからね。

 

 そう、セルリアンに残された唯一の手段は他でもない、尻尾だ。

 尻尾だけは、セルリアンが()()()()()ことができる。つまり、水に触れずに攻撃することが可能なのだ。

 

 そして尻尾で攻撃せざるを得ないこの状況が、僕らにとっての最大の勝機だ。

 

 

「…来たっ!」

 

 黒い大槌が風を切って横薙ぎに迫る。

 

「私が、ノリくんを守る…!」

 

 それと同時に、イヅナが妖術を使う。

 海のセルリアンの腕を捕まえた縄が同様に奴の尻尾にも絡みついた。

 

「一気に引っ張りましょう!」

「面舵一杯、全速前進!」

 

 陸に背を向けアクセルを限界まで踏み込み、尻尾からセルリアンを海に引き込もうとボートの全力を出す。

 

「ふぬぬー、私も頑張りますよー!」

 

 キリンは縄を掴みすかさず野生開放、持てる力の全てをそこに注ぎ込んでいる。

 

 

「…ぐっ」

「お、重いよ…」

 

 それでも、必死に踏ん張るセルリアンを落とすにはまだ足りない。

 

 だから、陸にいる博士たちに目で合図を送る。

 

「……」

「…! そうですか」

 

 博士が親指を立てた。…遠くて見づらい。

 

「さあ、セルリアンの体力を削りましょう」

「よし、分かった!」

「行くよー!」

 

 遠目にセルリアンと戦う博士たちの姿が見える。

 三方から攻撃を受けるセルリアンだが、まだ屈する気配はない。

 

「…ううっ!」

 

 それどころか、尻尾を振り回し逆にこちらを転覆させるつもりらしい。

 奴にそんな脳が有るかどうかは知らないが。

 

「し、師匠、どうしましょう!?」

「……イヅナ」

 

 一旦離して。

 

「あ…わかった」

 

 ボートとセルリアンを繋ぐ縄が塵となって消え、一先ずの転覆の危機は脱した。

 でも、予想以上の力だ。

 まさかボートの最高出力と力持ちなキリンの野生開放を合わせても動かないとは。

 

「いてて…どうすれば…」

 

 縄が消えたせいで尻もちをついたキリンが野生開放を解きながら呟く。

 

「…ノリくん」

「まだ手はある…セルリアンのバランスさえ崩せれば…」

 

 再びアクセルに足を乗せる。

 この海を、()()()()()()()として使わせてもらうことにしよう。

 

「師匠、大丈夫なんですか?」

 

「ああ、大丈夫。強いて言うなら…水しぶきに、気を付けてね」

 

「…え?」

「さあ、もう一回行くよ!」

「あわわ、急発進したらー!?」

 

 慣性に従って仰け反るキリンを支えつつ、大周りにセルリアンへと近づいていく。

 

「ここで……こう!」

 

 アクセル全開、一気に曲がる!

 

「食らいなよ、セルリアン!」

 

 ボートは大量の海水を巻き上げ、大きな波がセルリアンを襲う。

 全体に掛かるほどの波ではなかったが、足には十分な量が掛かって硬質化、セルリアンは力を弱めた。

 

「師匠、来ます!」

 

 だがセルリアンもこの攻撃で吹っ切れたのか、海水に構うことなく足を振り回して更に水を飛ばす。

 そしてそのほとんどは、セルリアン自身に更なる傷を与えた。

 

 

 ここらが()()、かな。

 

「イヅナ!」

「オッケー!」

 

 隙をついてもう一度妖術を発動、しっかりセルリアンの前足を捕まえた。

 今度こそボートを海に走らせ、奴を沈める。

 

「このまま…落ちろ!」

「もう、逃がしませんよ!」

 

 このセルリアン、やはり重い。

 しかしバランスを崩したセルリアンに抵抗はできない。

 されるがままに引き摺られ、海中へとその巨体をうずめていく。

 

 沈み、固まり、動けなくなり、波打つ1つの大岩と化す。

 

 かくして、黒いセルリアンは無事に討伐されたのだった。

 

 

 

「…終わったの?」

「うん…もう、終わったよ」

 

「じゃあ、私たちも戻りましょう!」

 

 陸に戻る途中、海に沈んだセルリアンをもう一度見ることにした。

 虹色の粒子をばらまきながら溶岩化するセルリアンは、その核である石だけを水面から覗かせている。

 

「こうして見れば、綺麗なんだけどな」

「あはは、ノリくんったら」

 

海のように深く、青々としたセルリアンの核が海に浮かんでいて――

 

 

 

 

 

 

――そしてそれは何の前触れもなく、海中から伸びた腕によって無残にも貫かれた。

 

「……何?」

「あ、あの腕はもしや…」

 

 …1つ、たった1つだけだ。

 海の中からこんな風に攻撃できる存在なんて。

 

「海のセルリアン…!?」

 

 僕の呟きに答えるように、セルリアンは海から他の腕も空中に伸ばした。

 その腕は10…20…30…もっとあるようにも見える。

 

 やっぱり、余力を隠していたんだ。

 

 水面から伸びる腕は沈んだ黒いセルリアンを丸く取り囲んでいる。

 一体、何が始まるんだろう?

 

 答えは案外簡単だった。

 

「嘘、食べてるの…?」

 

 海のセルリアンは、無数の腕で包み込み黒いセルリアンを丸呑みにしてしまった。

 すると、捕食者の体にうっすらと黒い模様が浮かび始める。

 十中八九、黒いセルリアンを取り込んだ影響だろう。

 

 

 ずっと海上にいても危険だから陸に戻ろう。そう思いアクセルを踏もうとしたその時。

 

「……?」

 

 ボートが、揺れているような気がする。

 

「師匠、何か来るような気が……うわぁ!?」

 

 フワッと視界が揺れた気がして、それはボートが()()()からだった。

 

「ノリくん!」

「イヅナ、キリン…! ()()()!」

 

 セルリアンに打ち上げられたボートから急いで脱出した。

 

 その直後、2本の腕によってボートは真っ二つに叩き折られた。

 

「あ、あのままだったら…」

「まだ、終わってない」

 

 イヅナの言葉通り、セルリアンの腕(触手)による攻撃は止むことが無かった。

 大小問わず何本もの触手が絶え間なく僕らを捕まえようと迫ってくる。

 

「早く逃げよう…!」

 

 刀を抜き、細くて斬れそうな触手は容赦なく斬り捨てる。

 

 そしてすぐに、セルリアンの触手が届かないであろう高さまで飛んで上った。

 

「2人ともケガはない?」

「大丈夫です!」

「ノリくんのおかげだよ…」

 

 

 ボートが壊されてしまったこと以外に被害はなかった。

 だが下を見ると、まだセルリアンの攻撃は終わりではないらしい。

 

 今まで隠されていた触手がほとんどすべてと言っていいほど水面から顔を出し、絡まって交わって太い1本の触手のような形になった。

 

 

 ――そして、その触手を海に強く叩きつけた。

 

「何をしてるんだろう…?」

 

 一度だけではない、何度も何度も強く海を叩き、次第に海が()()()()()……

 

「…まさか」

 

 これから起きることを察した僕は陸地に降りようとする。

 でも、後ろから引き止められて体が動かなくなった。

 

『こ、これって…』

 

 この感覚は、間違いない。

 イヅナの妖術で自由を奪われたんだ。

 

『ダメだよノリくん、もっと自分を大事にしなきゃ』

 

 声も出ない、呼び掛けることもできない。

 

 

 また、セルリアンが海を叩いた。

 

 揺れる水面は荒れ狂い、やがて大波がそこに生まれた。

 

 これでとどめだと言うように、一際大きく海を叩いた。

 

 大波は濁流と化し、辺り一面を呑み込んだ。

 



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7-94 目覚めよ、双尾の白狐

 

「ヒグマさん、ヒグマさん!」

 

 濁流が過ぎ去った後、僕達は地上に戻った。

 そこで見た最初の光景は、倒れるヒグマと彼女を揺り起こそうとするかばんちゃんの姿だった。

 

「かばんちゃん、ヒグマは…」

「まだ、大丈夫なはずです…!」

 

 かばんちゃんは手首に巻いたボスをヒグマの体に近づけ、検査をするように頼んだ。

 

「ラッキーさん、お願いします」

 

 数秒の沈黙の後、検査の結果が告げられた。

 

「――大丈夫、気を失っているだけだよ」

 

 ボスの言葉で、みんなの緊張が少し緩んだ。

 

 …でも、イヅナだけはずっと険しい顔で海辺のセルリアンを見ている。

 どうやら端からヒグマの容体には興味が無かったみたいだ。

 

「それで、博士とサーバルは? 確かその2人もいたよね」

「…はい、さっきのことを簡単にお話します」

 

 

『だ、大丈夫なのか? 海が揺れているぞ』

『まずい、このままではまずいのです…!』

 

『もしかして、大きな波を起こすつもりじゃ…』

『だったら逃げなきゃ!』

 

 ボクたちは急いで海岸から離れました。

 でも、十分に距離を取る前に波が来てしまって…

 

『あっ…』

 

『かばん、掴まるのです!』

『でも、サーバルちゃんとヒグマさんは…』

 

『私は大丈夫だから、かばんちゃんは空に逃げて!』

『安心しろ、私たちも海の藻屑になる気はない』

 

『お前は巻き込まれたら一番危険なのです、早く!』

『…! はい…』

 

 

 

「ボクは博士と空に飛んで、その直後に水が森を飲み込んでしまいました…その後に辺りを捜したら、ヒグマさんがここに」

 

「じゃあ、サーバルは…」

「今、博士が探してくれています」

 

 今は、無事を祈るしかない。

 結果論だけど、地上で戦うフレンズを2つに分けたのは正解だった。

 助手たちが活動している場所に波は届いていないことだろう。

 

 森の中は波に蹂躙された。

 海水は木の葉っぱの高さまで満ち溢れ、地上の枯れ葉は押し流されて散乱している。

 ついさっきまでの動乱の様子を、この景色は色濃く残していた。

 

 

 サーバルを捜して森の中を歩いていると、妙なものを見つけた。

 

「…溶岩?」

 

 少し開けた空間に、黒く固まった溶岩が転がっている。

 数はおびただしく、その辺りの地面は黒く染められていた。

 

 でも、なんでこんなところに?

 

「考えられるのは、セルリアンだね」

「イヅナ…」

 

 確かに、セルリアンは海水に触れると固まって溶岩になる。

 目と鼻の先に例外がいるのは置いておくとして、海水が辺りを満たしていたこの状況なら()()()()溶岩が転がっていても不思議ではない。

 

「だけど…流石にこの数はおかしいよ」

 

 この量の溶岩ができるとなると、相当な大きさか或いは大量のセルリアンがいたことになる。

 

 一応相当な大きさのセルリアンはついさっきまでいたが、それもあの例外に食べられてしまった。

 

「なら、セルリアンは沢山いたんだよ」

「…まさか、一体どこから?」

「火山…とかかもね」

 

 それはもしかしなくても、今日起きたセルリアンの大量発生のことを言っているのだろう。

 

「でも、イヅナたちが全部やっつけたんでしょ」

「分からないよ、もしかしたらいくつか見逃しちゃったかも」

 

 そう考えれば、有り得ない話じゃないのかな。

 

「もういいでしょ、みんな固まっちゃってるんだから」

「…そうかもね」

 

 今はサーバルを探すことにしよう。

 それと、海のセルリアンをどうするかも考えないと。

 

「今日ここで、倒すべきかな」

「無理はダメ…だけど、アレはこれからもっと強くなるかも」

 

 そうだ、セルリアンを食べられるってことは、フレンズを食べるより楽に力を付けられるということだ。

 いずれ、地上でも活動できるようになるかもしれない。

 可能性の話でしかないけど、手が付けられなくなる前に倒さなければいけない。

 

「今は、大人しいね」

「むしろ、不気味だな…」

 

 少し怯えているようだ。

 …珍しいな、イヅナがこんな様子を見せるなんて。

 

 

「――コカムイ!」

 

「あ……ヘラジカ、久しぶり」

 

 念の為に平原から呼んでもらっていたけど、今回ばかりはそれでよかったと思う。

 ヘラジカだけということは、多分僕たちを探しに来たのかもしれない。

 

「大体の話は聞いている、サーバルが見つかったから合流しようとなってな」

「分かった、博士たちは何処?」

「こっちだ」

 

 ヘラジカについて行くと、横になるサーバルとヒグマ、そして2人を看病するフレンズたちの姿があった。

 助手たちもいるから、離れて活動していた4人とも合流を果たしたみたい。

 

「サーバルは大丈夫?」

「多分…サーバルちゃんも、気を失っているだけみたいです」

 

 そうは言っても、全身が潮水に濡れていてとても寒そうだ。

 ロッジに連れて行って休めてあげるべきかもしれない。

 

 丁度ヘラジカとライオンの軍勢も到着したから、2人が抜けても戦力に問題はないだろう。

 勿論、2人を運ぶフレンズの分も差し引く必要はあるけど。

 

「博士、ヒグマとサーバルは…」

「今は戦えないでしょうね…ここは危険なのでロッジに戻すのもアリでしょう」

「じゃあ、ボクがサーバルちゃんを連れていきます」

「ヒグマは私が」

 

 かばんちゃんとキンシコウが名乗りを上げ、そのまま彼女たちに任せることとなった。

 

 

 

 その後、海岸沿いの森に残った者たちでこれからどうするかを話し合うことにした。

 

 場は重苦しい空気に満ち溢れる。

 黒いセルリアンを超える脅威(海のセルリアン)がすぐそこにいるという事実は、恐怖を覚えるのに十分すぎる理由だった。

 

 後から駆け付けたヘラジカ達や、離れて仕事をしていたオオカミたちはまだ実物を見ていない。

 でも、目撃者たちの様子から何かを察しているようだ。

 

「…戦うのですか?」

「放ってはおけないだろう?」

 

 

 ヘラジカの言うことは事実だ。

 博士が尻込みする気持ちも理解できないわけではない。

 

 しかし、どちらかの言い分を叩き折らなければ議論は平行線を辿るだろう。

 

 どちらにせよ、いつかは海のセルリアンと戦わなければいけない。

 なら、今が戦う時なのか。

 

 ほぼ作戦通りに黒いセルリアンとの戦いが進んだおかげでみんなの消耗は少ない。

 もちろん無い訳じゃないけど、それでも戦えないほどの疲労じゃない。

 

 だから、焦点は『海のセルリアンを逃がしてもいいか』という所に当てられる。

 

 海のセルリアンは、いともたやすく大波を起こすことができる。

 そして、この波による被害は非常に大きい。

 今周りの様子を見れば、そんなことはすぐに分かるはずだ。

 

 更に、海を渡れるセルリアンは何処へでも攻撃出来て、何処に現れるか分からない。

 

 それを考慮に入れれば、答えは自ずと決まってくる。

 

 

「戦おう、博士」

 

「っ!」

「ノリくん…!?」

 

 やっぱり、見過ごせない。

 博士が断っても、イヅナが止めても、コイツ(海のセルリアン)だけは今日、ここで打ち倒す。

 

「今やらなかったらきっと、もっと多くのフレンズが傷つくことになる」

「それは、そうだけど…」

 

 イヅナが目を伏せて、僕に縋りつく。

 珍しく、何も言わない。テレパシーも送ってこない。

 だけど、分かる。

 

「行かないで」、「危ないことしないで」、

「そこまでして救う意味なんてない」って、声を聞かなくても、目を見なくても、イヅナがそう訴えていることが分かる。

 

 また、勝手な想像かな?

 でもどうでもいい、我儘な話だけど、僕の考えは変わらないから。

 

 

「…ごめんね、僕は戦わなきゃいけない」

「なん…で…?」

 

狐神祝明()が、そういう人間だから、だよ」

 

 ()()()()()()記憶も無くて、本当に0からの始まりだったから。

 

 僕に与えられたのは、イヅナが付けてくれた名前だけだったから。

 

 どんな人間でもなかった僕だから。

 

 ――せめて、どんな人間でありたいかくらいは、心に持っていたい。

 

 ……あはは、キツネの姿(この見た目)じゃ、もう人間なんて呼べないかもしれないけどね。

 

 

 

「コカムイ…」

 

「博士にも、協力してほしい…今、海のセルリアンと戦えるのは空を飛べるフレンズだけだから」

 

「…確かに、陸上のフレンズではあの大波の前に成す術もありません」

「助手の言う通り、なのですが…うぅ…」

 

 博士は唸る。

 きっと、責任感と恐怖との間で葛藤しているのだろう。

 

「…いえ、覚悟は決めました」

 

 頭を振って、何かを捨て去るように博士は言った。

 

「博士…」

「コカムイ、そんな目で見るのは止めるのです」

 

 博士は笑った。

 若干ひきつったぎこちない笑顔だけど、いい顔だった。

 

「私はやるのですよ、この島の…長なので」

 

 すると、すぐさま助手が便乗した。

 

「どこまでも博士について行きます、この島の長なので」

「どういうことなのですか…?」

 

 心なしか、気持ちが緩んだみたいだ。

 これで、博士の想いは決まった。

 

 

 あとは、イヅナがどうするかだけど…

 

「ノリくん…私は…」

「…イヅナが良いなら、僕は一緒に戦いたいな」

 

 手を握り、目をまっすぐ見据えて言う。

 

「……」

 

 イヅナは目を逸らし、もう片方の手で僕の手を払いのけた。

 

 そして、両腕で、僕の体を、軋むくらいに抱き締める。

 

「…取り憑かせて」

「え?」

 

 耳元に口を寄せて、噛みついてしまいそうな距離で囁いた。

 

「もっと、ノリくんと()()()なりたい、ノリくんと一つになれたら、戦える気がする」

「…分かった、2人で(一緒に)、戦おう」

 

 まるで溶けるように、イヅナと僕の体が重なりあう。

 イヅナの魂が僕の中に入ってくるのを感じる。

 

 真っ白な尻尾が、2本に増えた。

 力が湧いてくるのを感じて、心なしか緊張も解けたような気がした。

 

「……行こう」

 

 

 

 僕達は、海のセルリアンの眼前に飛び込んだ。

 

 余程呑気にしていたのだろう、無防備にも奴は弱点をさらけ出していた。

 血のように赤く、宝石のように美しい石を。

 

 突然現れた僕たちを敵と認めたようで、触手を何本か突き出し威嚇をしてくる。

 

 

 しかしまだ手は出してこない。

 この際だ、最後の確認をしておこう。

 

『1つだけ、聞いていい? この姿で、野生開放はできるのかな…?』

『…ごめん、できないの』

『それは、どうして…?』

 

『サンドスターが足りない、疲れとかじゃなくて、()()()()()()()が不足してるんだよ。それに…』

 

『それに?』

 

『きっと、何かが変わっちゃうから』

『…何かって?』

 

 その言葉の意図するところを、僕は測りかねた。

 恐らくイヅナも具体的な『何か』は掴めていないのだろう。

 

 それでも推測をするのなら、それはきっと…

 初めてキツネの姿になった後に変わってしまった僕の瞳の色のような、そんな取り返しのつかないものなんだ。

 

『…大丈夫』

 

 それが、どうしたものか。

 

『何も変わらないよ。目の前の敵を倒して、また普段の日常に戻るだけ』

『そう…なの?』

 

『そう。だから、今まで通りに戻るだけ』

『だよね、よかった、そうだよね……怖いの、ノリくんが、私が、これ以上変わっちゃうことが…』

 

 そうだね、僕も怖い。

 そして、目の前の敵を倒さなければ、日常は変えられてしまう。

 

『行ける、イヅナ?』

『うん…もう、大丈夫』

 

 2人分の深呼吸をして、刀を2本、確かに構える。

 

「脳内会議は終わったようですね」

「ああ、もう準備はできたよ」

 

 

 さあ、倒してやろう、海のセルリアンを。

 その紅い宝石に、二度と癒えぬ傷を与えてやろう。

 

 こんな悪い夢、もう終わりにしてしまおう。

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ……もうちょっとだよ、サーバルちゃん」

「ヒグマ、あと少しでゆっくり休めますからね…!」

 

 2人を背負い、ロッジを目指す2人。

 やがてその視界に、目的地の目印が映った。

 

「キンシコウさん、あれを!」

「あ、もうすぐなのね…!」

 

 怪我人とわずかな希望を背負いロッジに舞い戻った2人は、ゆっくりと扉を開く。

 その中で()()()()が、彼女たちを出迎えた。

 

 

「あれ……?」

「誰も、いない?」

 

 

 そこで彼女たちを待っていたのは、底の見えない静寂だった。

 



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7-95 虹色を届けよう

 

 吐き気がするほど静かな空間(ロッジ)

 不安と一緒に強く抱き締めた機械(赤ボス)

 嬉しいほどに止まらない焦燥(恋心)

 

 そのどれもが、ボクを何処かへ駆り立てていた。

 …ううん、()()()なんかじゃない。

 

 その先には、必ずノリアキがいるはずだ。

 

 

「~~っ!」

「キタキツネさん、落ち着いて、ゆっくり座りましょう?」

 

 そう言われて何度座ったことか。

 そして何度立ち上がったことか。

 

 柄にもなく、じっとしていられない。

 不安で、怖くて、ここにいたくない、ノリアキに触れたい。

 

 大丈夫かな、怪我なんてしてないかな。

 ……まさか、負けてないかな。

 

 最後の可能性だけは、絶対にあり得ない。

 首を振って振り払おうとしても、根強い不安は簡単に抜けてくれない。

 

 

 

「はぁ……」

 

『ため息をついたら幸せが逃げていく』……昔、ギンギツネがそんなことを言っていた。

 

 でも、違う。

ノリアキ(ボクの幸せ) は、今ここにいない。

 だから、いくらため息をついたって関係ないよね。

 今すぐ帰ってきてくれるなら、息が切れるまで続けていてもいいのに。

 

「ため息ですか? 幸せが逃げちゃいますよ~」

「…関係ない」

 

 どうして、ギンギツネと同じことを言うんだろう?

 ギンギツネは()()()、最後の最後にボクを止めた。

 

 二人とも眠らせて、イヅナちゃんは雪の中に埋めて、ノリアキも逃げられないようにして、完璧だったはずなのに。

 …どうして、ギンギツネまで?

 

「アリツさん……」

 

 貴女も、ボクの邪魔をするの?

 

 

「そろそろ何か食べませんか?」

「…いらない」

 

 全然お腹が空いていない。

 もしかして、結構時間が経ってるのかな。

 ずっとノリアキのことだけ考えてたから、わかんないや。

 

「心配するのもいいですけど、疲れちゃいますよ」

 

 断ったのにアリツさんはボクにジャパリまんを差し出してくる。

 

「…いただきます」

 

 仕方ないから食べることにした。

 別に、味なんてしないけど。

 

 あーあ、ノリアキが口移しで食べさせてくれたらな。

 

 つまらないジャパリまんを食べ終わったら、赤ボスを抱き締めたままベッドに転がった。

 赤ボスには何の思い入れも無いけど、ノリアキがボクに預けてくれた。

 だから、それだけで何よりも嬉しい。

 

 そう、それだけで。

 …えへへ、ボクって本当にバカだなあ。

 

 

「……でも」

 

 まだ不安だ、どうしてだろう?

 そうだ、きっとイヅナちゃんのせいだ。

 

 イヅナちゃん、ノリアキに変なことしてないかな。

 戦いに行ったから多分してないと思うけど…

 イヅナちゃんってちょっとおかしいから、やっぱり怖いな。

 

 それに、()()()()()…っていう名前のもの。

 何処にいてもノリアキとお話できるみたいだけど、ずるい。

 ボクも欲しいな。

 そうすれば、眠っててもノリアキとお話できるのに。

 

「はぁ……」

 

 今日二回目の大きなため息をついた。

 ノリアキ…どうして、ボクは一緒に戦えないのかな?

 

 ゲームだったら、ボクもとっても強いのに。

 

 

「……」

 

 うーん、いつからだろう。

 ゲームをしてても、ノリアキのことを考えるようになったのは。

 

 ボクの記憶にはっきり残っているのは、雪山でセルリアンから僕を助けてくれたノリアキの姿。

 

 かっこよくて、きれいだった…あの真っ白なお耳と尻尾。

 イヅナちゃんとお揃いなのは気に入らないけど、ノリアキのそれを見ると安心する。

 

 …そうだ、真っ白なら、ボクと同じ色にできるかもしれない。

 赤ボスみたいに、ペンキに漬けて。

 

 寝てる間にできるかな?

 起きて変わった色に気付いたら、怒られちゃうかな?

 

「…むにゃむにゃ」

 

 なんだか不思議、思い出が蘇ってくる。

 

 ――一緒に、ゲームをした。

 ギンギツネも、他の子もそのうち飽きたりついていけなくなったりして止めちゃうのに、ノリアキだけはずっとボクに付き合ってくれた。

 

 ボクがコテンパンにしちゃっても、笑って悔しがるだけだった。

 ボクが難しいステージをクリアしたら、一緒に喜んでくれた。

 

 

 …じゃあ、イヅナちゃんには何をしたの?

 

「…前に聞いたような」

 

 ノリアキは、外の世界にはいない…って。

 カムイとかいう変な奴が、ノリアキの元々の姿だった…って。

 

 じゃあイヅナちゃんは…初めて会ったような人にずっと、あんなに強い想いを向けてきたの?

 

「へんなの…」

 

 イヅナちゃんはおかしいよ。

 『カミサマ』とか何とかおかしなことを言ってるのがその証拠。

 ノリアキがずっとイヅナちゃんと一緒にいたら、ノリアキまでおかしくなっちゃう。

 

 今は仲良くしててもいいけど、いつか必ず――

 

 

 

 頭に浮かぶ昔の景色が、ボクを段々と悔しくさせる。

 

「あの時、ちゃんとやっておけばよかった」

 

 今思うと、本当に絶好の機会だったんだ。

 生き埋めにするだけなんて、もったいないことしちゃったな。

 

「でも、()()大丈夫」

 

 今度はちゃんと考えて、もう逃がさないようにしよう。

 ノリアキも…イヅナちゃんも。

 

 どうすればいいんだろう?

 お薬は前に使ったから、2人とも気を付けてるかもしれない。

 でも、コッソリ入れればバレないかも。

 

 縄は赤ボスに切られちゃったから、別のモノで縛った方がいいかな。

 

 ああもう、イヅナちゃんがやるなら不思議な魔法でちょちょいのちょいなのに。

 

 セルリアンも作れて、戦う力もあって、空も飛べて…いくらなんでも強すぎる。

 …ボクは、イヅナちゃんに勝てないの?

 

「ねぇ、赤ボス…」

「……」

 

 赤ボスは無い首を傾げるだけ、本当に使えない。

 何でノリアキはこんなものを大事にしてるのかな。

 

 

 ……違う。

 

 

 むしろ、赤ボスのようにポンコツで一切使い物にならないモノでも、ノリアキが気に入れば大事にしてもらえるんだ。

 

 だから、ボクがイヅナちゃんに力で勝てなくても関係ない。

 ノリアキの心さえ奪っちゃえば、ボクの勝ちなんだ。

 

「ありがとう、赤ボス…!」

 

 キミのお陰で、ボクの勝ち方が分かったよ。

 

 

 無理やりなアプローチも、暴れることも、力で押し潰すことも、全部イヅナちゃんにやらせておけばいい。

 

 ボクは、()()()になる。

 

 ノリアキが疲れたとき、癒してあげられるように。

 ノリアキが困ったとき、助けてあげられるように。

 ノリアキが寂しいとき、その傍にいられるように。

 

 ノリアキがボクに依存するように。

 

 ボクがノリアキ無しで生きていけないのと同じように、ノリアキもボク無しで生きていけなくなるように。

 

 えへへ、完璧。

 

()()()()ゲームは、今までやったことないけど…」

 

 やらなくてよかった、無くてよかった。

 ボクの攻略対象(好きな人)は、1人しかいないもん。

 

 抱き締めた赤ボスが、悲鳴を上げちゃった。

 

 

 

 

「キタキツネさん、いますか…?」

 

 コンコンとノックをする音がした。

 無視したら扉が開けられて、アリツさんが入ってきた。

 

「なに…?」

「ちょっと、様子を見に…」

 

 そんなことを言いながら、アリツさんはベッドに腰掛けた。

 場所が取られて転がりづらくなって、邪魔だな。

 

「キタキツネさん、変わりましたね」

「…前に会った?」

 

「いえ、見掛けただけです…でも、その時と雰囲気がまるっきり変わったように思えて」

「ボクは…ボクだよ」

 

 変わったなんてとんでもない。

 前と同じでゲームは好きだし、ダラダラするのも好きだし、ノリアキも…

 そっか、それだけは変わったって言えるのかも。

 

 でも、『まるっきり』だなんて、心外だな。

 

 

「なんて言えばいいんでしょう…元気が、無いみたいで」

「言いたくないけど…多分、前からそう」

 

「そうですか? その時よりもっと、暗い…暗い目をしてるように見えます」

 

「…暗い?」

 

「悩み事でも、あるんじゃないですか」

「ない…ないよ…!」

 

 心に差した大きな影を、閉じ込めようと否定した。

 もっと暗いところに入れて、見分けがつかなくなるように。

 

 ボクだけの問題、ボクと、ノリアキ以外には解決できない。

 アリツさんなんて、必要ない。

 

 

 

 それにたった今、地面を揺らす波音が教えてくれた。

 『ノリアキが危ない』って。

 

「っ! 今の音は…海の方?」

「とっても、大きい音…」

 

 まだ少し残る振動が、ボクの心まで動揺させる。

 行かなきゃ…でも、ボクには戦えない。だから、ノリアキもボクを…

 

「赤ボス、ボクに出来ることはないの?」

 

 フルフルと体を横に揺らす。

 違う、喋って、ボクが欲しいのはこんな答えじゃない。

 

「あるでしょ、ノリアキの助けになる方法が…!」

 

 また、横に揺れる。

 

「キタキツネさん、私たちはここで…」

「違う、ノリアキを助けなきゃ…! ねぇ、教えて!」

 

 まだ、赤ボスは答えない。

 

「赤ボス……」

「ほら、私たちはみんなを信じて―」

 

 

 耳を鷲掴みにして…

 

「壊されたいの…?」

 

 赤ボスは、声の代わりにブルっと震える。

 ボクらしくない方法だけど、効いてよかった。

 

 赤ボスは扉を押し開け、足早にどこかへと向かっていく。

 きっとその先に、ノリアキを助けるための方法があるはず。

 

 もしなかったらその時は……ふふふ。

 

 

「…って、遅いよ赤ボス」

 

 いくら早足になっても、この短足じゃ仕方ないか。

 抱え上げて、赤ボスの向く方向で案内をさせよう。

 

 さあ、早くボクを連れてって?

 

「……私も行きましょう、キタキツネさんだけでは不安です!」

 

 

 

 後から()()()来たアリツさんも加わって、頼りない案内に従いながら足を進めていく。

 

 こっちの方角には、確か研究所があった気がする。

 今日もちょうど、この付近の道を通ってロッジに向かって来たんだった。

 

 この速さだと、まだまだ到着まで時間がかかりそうだ。

 足を速めよう。

 

「ちょ、ちょっとキタキツネさん!?」

 

 …呼び止められた。

 ついて来られないなら待ってればいいのに、鬱陶しいな。

 

「そんなに速く進むと、木にぶつかっちゃいますよ…」

「じゃあ、戻ったらいいじゃん」

 

 一刻を争う事態なのに、なんて呑気なの。

 

「キタキツネさん!」

「…まだ、何かあるの?」

 

「困ったときは、私もみんなも力になりますよ。だから――」

 

「邪魔なだけ。ボクの望むことは、ボクにしかできないよ」

「邪魔なんですか…ギンギツネさんも?」

「…?」

 

 なんで、ギンギツネの名前が出てくるの?

 むしろ、ギンギツネを引き合いに出せばボクが止まると思ったのかな。

 

「ギンギツネかぁ…邪魔してほしくないな」

「しませんよ、キタキツネさんのことを()()分かってるんですから」

 

 …一番?

 

「…そうだといいね。ボクも()()()()()()()()()

 

 特に、ギンギツネには。

 曲がりなりにもずっと一緒で、沢山お世話になったから。

 

「もう、行こうよ」

 

 立ち止まるつもりなんて無かったのに、余計な時間を使っちゃった。

 お願い、間に合って…

 

 

 

 赤ボスの案内に従うことしばらくして、地面の下に繋がる階段を見つけた。

 

「ここなの?」

 

 赤ボスが頷くようにモゾモゾと動いた。

 もう、本当に律儀なんだね。

 

 でも関係ない。今は…()()()、ノリアキの方が大事。

 

「く、暗いですね」

 

 それだけじゃなくて、寒い。

 床にも天井にも氷が張り付いて、溶けた水がピチャピチャと規則的な水音を立てている。

 

 ボクは雪山で暮らしていたからこれくらいは平気。

 アリツさんは随分堪えているみたいだけど、別にいいや。

 

 

 それより、ここには何があるんだろう。

 目を凝らして観察すると、奥の方に光が差し込んでいる。

 その上の天井に、地面を貫く大きな穴がある。

 

 他にも光に照らされて、乱雑に転がっている緑色の塊も見えた。

 

「何があったんでしょう…荒れてますけど」

「赤ボス、説明して」

 

 でも、説明してくれないよね。

 ボクは半ば諦めていたけど、赤ボスは違ったみたい。

 

 明後日の方向を向いて、何か喋りだした。

 

『サンドスター保存施設…海水デ冷凍シタ植物ノ中ニ()()()()()()ヲ保存スル施設。”巨大セルリアン”ノ破壊活動ニヨリ、機能停止中』

 

 それは話しているというよりも、独り言のような呟きだった。

 ボクたちじゃなくて、何もない空に語り掛けるような。

 

()()()()()()()()()()ヲ産ムダケデナク、活動ノ原動力トナル物質。コレヲ直接投与スレバ、運動能力ノ向上モ期待デキル』

 

 

 …そうなんだ。

 

 赤ボスはボクに話しているわけじゃないけど、間違いなくボクに教えてくれてるんだ。

 『これを持って行け』って、回りくどく教えてくれてるんだ。

 

 途端に、赤ボスが可愛く見えた。

 なんでだろう…ちょっとだけ、ノリアキに似てる。

 

 ”フレンズと話しちゃダメ”ってルールを頑なに守って、それでもボクの手伝いをしてくれるところが。

 

 

 ノリアキもそうだ。

 自分を勝手に縛って、それに苦しみながらみんなを助けようとしてる。

 

 ボクも、イヅナちゃんも、大事にする…って。

 

 博士が勝手に言い出したことで、どうしてもやる必要なんてなくって、それでも貫き通そうとして。

 

 

 そっか、だからノリアキは赤ボスを大事にしてるんだ。

 冷静に考えれば無駄なことに縛られてる自分を重ねて――

 

 

「キタキツネさん……笑ってますね」

「え……?」

 

「よかった、もうそんな風に笑わないんじゃないかと思って」

「そんなに、仲良かった?」

「…あ、ただの心配です、気にしないでください」

 

 

 この、緑色の塊だよね。

 触ると、確かに植物だって分かる。

 

「1つ、ノリアキに届けてくる」

「じゃあ私は、ロッジに幾つか運んでおきます」

 

 もしかしたら無駄かも…なんて、今更思っちゃった。

 大丈夫、無駄にしない。

 

 そう言い聞かせて、ボクは自分の直感に任せ走り出した。

 

 

 

 ――でも、()()()()()だって選ばなきゃ。

 

 ボクがノリアキを助けるんだ。

 セルリアンからも、イヅナちゃんからも。

 

 待っててね?

 いつか必ず、目を覚まさせてあげるから。

 



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7-96 踏み締めた、戻れない一歩を

 

「博士、右に!」

「こっちですか!? くっ、厄介な…!」

 

 海のセルリアンとの交戦が始まって十数分、未だ膠着状態が続いている。

 

 片や空中を飛び回る3人のフレンズ(僕達)

 片や神出鬼没の触手を操るセルリアン。

 

 触手を斬り落とそうと試みれば別の固い触手によって阻まれ、触手がフレンズを襲えばこちらもまた妨害に遭う。

 

 6つの目は互いの死角を補い合いつつ戦っているが、もはや数えるのも諦めるほどの触手に決定打は持てていない。

 逆も然り、無数にある触手とて限られた空間では敵を討ち取ることができない。

 

 

 攻撃力、機動力、その他様々にこの戦いを表現する方法は存在する。

 

 しかし現状では、そのどれもが戦力の拮抗を表すもの以外の何物でもなかった。

 

 

 まだ手はある、しかし、ある意味手詰まりだ。

 

 博士と助手が野生開放すれば、些かは有利に戦局を運べるであろう。

 しかしサンドスター切れになれば、一気に不利となるやもしれない。

 

 セルリアンにも、多少は力の余裕があることだろう。

 だがその力を攻撃に振り切ってしまえば、防御が疎かになる危険もある。

 

 体力勝負ならば、果たしてどちらが勝っているのだろう。

 フレンズの増援、なら大波や海上の敵にどう対処するのか。

 

 不安が思考を縛り付け、駒を進める手を止める。

 

 

「…助手、()()()()来るのです!」

「ふっ! 油断も隙も……ないですね!」

 

 挟むように叩きつけられた触手を右に避けて、お返しにと叩き切る。

 それを読んでいた別の触手が横から割り込み、助手にぶつかる寸前博士が現れ緊急脱出。

 

 こんな攻撃の応酬が、数十回と繰り返された。

 

「キリが無い…」

 

 ダメージが無いわけではない。

 この刀で数本の触手は既に斬り落とした。

 

 だけど数本、それを斬るために消費した体力とおよそトントン。

 

 こんな状況で、先に崩れ始めるのはいつだって()()()()だ。

 

「少し、というかかなり、心に来るのです…」

「博士…気を確かに」

 

 セルリアンは気楽だ。

 ただ本能の赴くままに、フレンズを狩っているだけだから。

 

 例え攻撃が当たらなくとも、次があるだけ、苛立つだけ。

 ()()()()()()まで考えないから、不安なんてない。

 

 

「本当、羨ましいよ」

 

 すれ違いざまの一閃で、更に触手を斬り飛ばした。

 

「大丈夫だよ博士、ちゃんと攻撃はできてる」

「え、ええ…へこたれてなるものですか」

 

 とはいえ、やっぱりジリ貧だね。

 

『ノリくん、一度私と代わって?』

『…大丈夫?』

 

 不安だけど、イヅナなら大丈夫。

 自分に言い聞かせながら、それ以上は聞かずに交代することにした。

 

 

 

 体が虹色の光に包まれて、それが消えるとイヅナ()の姿が露わになった。

 

「…イヅナ!?」

「今は詳しく聞かないでね? 私も戦わないとだから」

「はあ…そうですか」

 

 2本持っていた刀を1本鞘に納めて、ゆったりとした姿勢で構えた。

 

 セルリアンはというと、いきなり姿が変わった私たちを警戒しているみたいで触手の先をいくつも向けてきている。

 

「うふふ…私は、ノリくんよりも()()()よ?」

 

 言い終わるのとほぼ同時に、触手が私めがけて迫ってくる。

 待ってくれるなんて優しいね、容赦はしないけど。

 

「届かないよ…そんなもの」

 

 黒いセルリアンを海に引き摺り下ろすときにも使った縄。

 シンプルな妖術で、まだ本調子じゃない私でも使える数少ない術の1つ。

 

 全力を出せるようになるまでは…10年くらい待ってほしいな。

 

 縛られた触手は文字通り格好の的。

 それぞれ刀で切り裂いて、沢山の残骸を空中に散らした。

 

「2人とも、ボーっと見てないで手伝って?」

 

「え? …ああ、悪かったのです」

 

 最初の一撃は上手くいったけど、次からはすんなりと決めさせてくれないはず。

 博士たちと一緒に撹乱しつつ攻撃しないと防がれる、それくらいの力を持っている。

 

 そうじゃなきゃ、とっくにノリくんが倒してるはずだもん。

 

 私たちが予想した以上に、アイツは黒いセルリアンを取り込んで大きく力を増したんだ。

 

 

 なら、こっちも強くならなきゃ。

 

「博士、助手…野生開放をして」

 

「ですが、最後まで体力が持つかどうか」

「賢いんでしょ? 引き際くらい見極めてよ」

 

「…そうですね、この際後のことは後に考えましょう」

 

 セルリアンは余分な体を削れば足りないサンドスターを工面できる。

 でも、私たちはこの身一つで戦っている。

 

 持久戦になったら、私たちが不利になることは火を見るよりも明らか。

 

 短期決戦とはいかないだろうけど、本当の手詰まりになる前に打てる手を打つ。

 大丈夫、ノリくんと私なら絶対に負けない。

 

 

「我々も、そろそろ牙を剥くとしましょう」

「この島の長の力、とくと味わうがよいのです」

 

 2つの影が、残像となって音もなく視界から消える。

 その次の瞬間、無防備になっていた触手が2本はじけ飛んだ。

 

「あはは、派手にやるんだね…!」

 

「やる以上、加減などしないのです」

 

 そう言いながら、博士はもう1本切り裂く。

 さらに迫って来る触手の間をくぐり抜け、華麗な身のこなしで周囲を綺麗に()()した。

 

『体力不足とか…杞憂だったのかも』

『そんなことないよ、ノリくんの心配は無駄じゃない』

 

 この立ち回りもセルリアンの注意が私に向いていたからできたこと。

 そして今度は博士たちに注意が向いた。

 

 だったら…!

 

「私のことも、忘れないでね?」

 

 私たちのそれぞれが攻撃力を得たことで、セルリアンへの一方的な攻勢を掛けられるようになった。

 

 博士たちの余裕が持つ限り、この流れが止まることはない。

 

 

 

『…イヅナ、博士たちが』

 

『うん、少し疲れが見えてきたね』

 

 相も変わらず私たちの優勢で、海岸沿いには沢山の()()()()()()()()()()()()が散らばっている。

 

 …なんでこんな回りくどい言い方をしたかというと、全部が固まって溶岩になったわけではないからだ。

 

 体の青い部分は固まって溶岩になったけど、黒い部分は全く以てそのままに残っている。

 

 それはきっと、黒い部分は取り込まれた方のセルリアンに由来するからだろう。

 そして海のセルリアンの体は、地上で固まる。

 

 ならどうして黒い方は海で固まらなかったのか…

 考えれば疑問は尽きないけど、生憎思考に没頭できるほどの余裕はない。

 

 ちょうど今も、体力が無くなってきた博士たちへの対応が必要だ。

 

 

『着実に傷を与えてはいるけど…まだ()には到達してないね』とノリくんが言う。

 

『それどころか、近づくのさえまだ難しいんだよ』

 

 やっぱり体力勝負は無謀だと再確認した。

 ただでさえ、あのセルリアンがもつ持久力は半端じゃないんだ。

 

 

「そろそろ、ペースを戻す頃なのです」

「イヅナ、お前たちは大丈夫ですか?」

 

「当然、2人分あるからね…!」

 

 私は普通のフレンズよりも量が多いから、正しくは…まぁ、4人分くらいあるのかな。

 

 も、もちろん! ノリくんのおかげで9人分くらいの力は出せるよ!

 うん…当たり前。

 

「それはそれは…少し分けて欲しいですね…」

「…ダメだよ」

「分かっているのです」

 

 ノリくんと私の大事なサンドスターなんだから、誰であっても分けてなるものですか。

 

 …おっとっと、少し気がそれちゃった。

 セルリアンはどうしてるのかな。

 

 

 

 

「ゴォォォォォ……!」

 

 ――()えた。

 初めて、セルリアンの声…と呼ぶべきものを聞いた気がする。

 

 そしてその声は荒波のように粗暴で、海ではなく空気を揺らす咆哮だった。

 

「ふ、不穏なのです…」

 

 何をするつもり?

 また大波を起こすつもりなら思い通りにはいかない。

 

 ここまでの戦いで沢山の触手を失ったからね…海を叩こうにも前のような威力は出せない。

 じゃあ、何処までの波なら出せるのかな?

 

「怖いは怖いけど…」

 

 

 

「……え?」

 

 …違った。

 

 動きが違った。

 セルリアンは全ての触手をまとめ、今度は海の中に忍ばせた。

 

 原理が違った。

 セルリアンは叩いて海を揺らすのではなく、下から掬いあげるように波を起こした。

 

 高さが違った。

 この波はさっきよりも高く、私たちのいる高度まで届いた。

 水平距離を犠牲にして高さを稼いでいたんだ。

 

 

「また、煩わしいものを……」

「うわっ、放すのです!」

「…博士?」

 

 

 そして何より、目的が違った。

 

 波しぶきが晴れると、触手に巻かれながらもがく博士の姿が目に入った。

 

「まさか、博士を捕らえるために……博士!」

「待って、助手!」

 

 止めても聞かない、分かってた。

 この状況で助手が躊躇するはずない。

 

 私だって、ノリくんがこんな目に遭ったら迷わず飛んでいく。

 

 でも焦ったら…セルリアンの思うつぼだよ。

 

「くっ、うぅっ!?」

 

 ほら、捕まっちゃった。

 

 私は焦ったりしない。

 無策で相手の手の内に入るなんてことは絶対にね。

 

 …さて、どうしよう。

 

 見捨てるのは流石にかわいそうだし、戦力が減ったら困るのは私たち。

 どうにかして助けてあげないと。

 

「まだ多いんだよねえ……」

 

 セルリアンは体の形を自由に変えられるから、本体の大きさを引き換えに触手を補充できると思う。

 いくら斬っても減らないと思ったら、これが真相なのかもね。

 

『イヅナ、どうするの?』

『まずは様子見…焦っても仕方ないよ』

『だけど…時間が』

『ダメ、私たちも捕まっちゃいけない』

 

 最悪、見捨てるっていう選択肢も存在しないわけじゃ――

 

 

 

 

 

「……ダメだよ!」

 

『……ノリくん?』

 

 …まだ、見捨てられない。

 ここで諦めたら、僕は僕を名乗れない。

 

 

『待って、危ないんだよ!』

 

 二刀流…これが僕の戦い方だ。

 直線を描いて触手の森に飛び込む。

 

 邪魔をするなら、斬り捨てるだけだ。

 

『ノリくん、落ち着いて!』

 

 僕はイヅナと違って妖術を使えない。

 だから、触手は避ける。

 

 避けて、斬って、突き進む。

 

『ねぇ……ノリくん…』

 

 それに縄を扱えなくとも、狐火がある。

 セルリアンは確かに、狐火に目を奪われた。

 

 僕の体以外にも動くモノを用意してやれば、触手の動きも錯乱する。

 

『分かんない…どうして…?』

 

 そう、決めた、ずっと決めていたから。

 さっきも言ったでしょ?

 

『あ、はは……そうだったね』

 

 

 2人を縛るものから解き放ち、無理やり引っ張ってセルリアンの勢力圏から脱出した。

 

 一度地上に降り立ち、木陰に潜んで安全を確保する。

 

 

 

「た、助かったのです…」

「今回ばかりは、感謝しきれませんね」

 

「はぁ、はぁ……だけど、一難が去っただけ…()()()()()

 

 2人を助け出すために、随分と体力を使ってしまった。

 この感じじゃ、今度は僕が捕まってしまいそうだな。

 

「本格的に、辛いのです…」

「そろそろ、陸地のフレンズにも手伝ってもらいましょうか」

「ええ、波は怖いですが、我々で運べる人数ならまだ何とか…」

 

 

 博士たち2人がこの先の戦いについて話し合っている間、

 僕たちはこれまでの戦いを振り返っていた。

 

『ごめん、忠告を聞かなくて…』

『いいの、ノリくんが決めたことなら、私はずっとついて行くよ』

 

 

『…なぁ、今更だが、大丈夫か?』

『神依君! 今まで何を?』

『…考え事だ』

 

 イヅナが戦っている最中にも話しかけたけど返事が無くて、心配だった。

 

『考え事って…どんな?』

『いや、まぁそうだな…俺は、一体どうするべきかって思って』

 

『どうするも何も、神依君は神依君らしく…』

『らしく? …ハハ、良く言えるよな』

『っ…!』

 

 どうしてそんな、棘のある言い方を…

 

『あ、いや、悪い…ごめんな』

『神依君こそ…大丈夫なの?』

 

 神依君の悩み…そうだ、ずっと僕の話ばかりで、神依君のことなんて、記憶にある()()しか知らないんだ。

 

『すぐ終わらせる…聞いてくれるか』

『…聞くよ』

 

 もしかして、ちゃんと聞くのは初めてだろうか。

 彼の口から直接、その心に抱える思いを聞くのは…

 

 

「誰ですかっ!?」

「…?」

 

 博士の叫び声で現実に引き戻された。

 悪いけど、話を聞くのは後になるみたいだ。

 

『ああ、気にすんな…倒してからな』

 

 深呼吸をして、博士が声を掛けた方向を見つめる。

 誰が…来たのかな。

 

「あ、お前は…!?」

 

 奥の木陰から、そのフレンズの姿がひょっこり覗く。

 

 キツネ色の長い髪を揺らし、耳と尻尾をピンと立て、()()()()を抱えて彼女は現れた。

 

「キタキツネ、どうして…?」

 

 いつかのように小首を傾げ、一切悪びれもしない様子でキタキツネはその言葉を口にする。

 

「…えへへ、来ちゃった」

 

「『来ちゃった』じゃ、ないよ…?」

 

 キタキツネが抱える緑色の塊に気を引かれながら、彼女を窘める。

 

 しかし僕は、彼女が運んできたその塊こそが希望の道標であることを、まだ知らなかった。

 



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7-97 かくして、めざめて、九尾の狐

 

「中身が、サンドスター!? …って確か、保存施設の…キタキツネ、そこに行ったの?」

「うん、行ったよ?」

 

 まるで散歩に行っていたかのような言い草で、

 その瞳には一切の危険が映っていない。

 

「危ないよ! 黒いセルリアンがどこから出て来たか忘れたの?」

「確か…()()からだったっけ?」

 

「覚えてるじゃん! もし残ったセルリアンに襲われてたら……」

「…でもボク、襲われなかった」

「……」

 

 あくまで、悪いとは思ってないみたい。

 まあ、今ここにいる訳だし襲われなかったことは事実だろう。

 

「だとしても、待ってて…って言ったよね?」

「ちょっとは待ったし、赤ボスもここにいるよ」

 

 だから、言いつけは守ったって?

 滅茶苦茶だ、僕がどれだけキタキツネを心配して赤ボスを預けたのか、分からないのかな…

 

 どっと疲れが押し寄せてきた。

 体じゃなくて、心に重しが乗せられたような感覚だ。

 

 寒気に襲われて、汗まで吹き出してきた。

 

「ノリアキ、汗だくだね…」

 

 あはは、おかげさまでね。

 

 僕の気持ちに構うことなくキタキツネは抱きついて、胸元に思いっきり顔をうずめた。

 

「くんくん、すー、はー、はぁ、はぁ……! いい匂い…」

「え、ちょっと、そんな場合じゃないって…」

 

 キタキツネは止まらない。

 千切れそうなほどに振り回される尻尾にもその興奮具合は()()()なく現れている。

 

 わわ、服の中にまで手が……

 

 

「お、お前たち、何を盛りあっているのですか!?」

「この状況で、なんという…!」

 

「ぼ、僕じゃなくてキタキツネが…はうっ!」

「ふへへ、ノリアキぃ…!」

 

 首にまで噛みつかれた。

 力が、抜ける……

 

 すると、体からイヅナが半分飛び出してキタキツネを突き放した。

 

「キタちゃん、今はダメ…早く離れて?」

「む……はーい」

 

 …助かった?

 

「コカムイ、お前…」

「…何だかんだ言って、お前にもあるのですね」

 

 ちょっとだけ…助かってないかも。

 

 

 

「ふふ…まぁ、場が和んだところで? このサンドスターはどうしましょう」

「博士、笑わないで…」

 

 傷は浅い…そのはず。

 例え博士に笑われても、気にしない…関係ない…うぅ…

 

「ああ…失礼したのです」

「ともかく、これは大きなチャンスです…使い方が重要ですよ」

 

『ただの体力回復じゃ、またすぐに元通りになっちゃう』

 

 その通り、それにキタキツネが持ってきてくれたんだ…無駄にはしない。

 

「じゃあ…僕たちが野生開放するとか」

 

「…可能なのですか?」

 

「分かんない…でも、これだけあれば…どうかな、イヅナ」

 

『できるよ…でも、いつまで持つかな、それに、言ったよね?』

()()()()()()…とか何とか?』

 

 

『多分別々には戻れるよ…だけど、何て言えばいいんだろう…分かる? 怖いの、この姿で野生開放するってことは、私たちの魂が限りなく同化することだから』

 

『…どういう理屈?』

 

『野生開放は、文字通り力を解き放つ…だから、私の()()()()力も強くなって、ほぼ一体化しちゃうの』

 

 …なるほど、理解できない理屈じゃない。

 でも、何が怖いんだろう…同化なんて、イヅナからすれば願ったり叶ったりだと思うけど。

 

『分かんない…でも、私は…()が、()()()()を好きでいたいの…一緒じゃ、なくて』

 

『…大丈夫、戻れるんでしょ? ちょっとなら大丈夫。元々長く続けられるものでもないから』

 

『…うん、分かった』

 

 

「野生開放はできる…サンドスターのある限りね」

 

 その代わり、足りなくなったらどうしよう。

 限界まで戦って倒せなかったら、もう…

 

「そうですか…では、我々はサンドスターの補充に回りましょう」

「キタキツネ、まだあそこに残っているのでしょう?」

 

「うん…いっぱい」

「あ、そっか…」

 

 たとえ足りなくなっても持ってくればいいんだ。

 疲れてるな、肝心なことさえ思いつけなかった。

 

「ま、ただの役割分担なのです」

「その代わり、ちゃんと倒すのですよ」

 

「……任せて」

 

 

 

 博士たちは残りのサンドスターを取りに向かい、キタキツネは隠れて様子を見ている。

 

 そして僕とイヅナは切り開いた緑色の塊とにらめっこをしていた。

 

『イヅナ、どうすればいい?』

『集中して、この中身を全部食べちゃうイメージ』

 

 言われた通りにして、サンドスターを体に取り入れる。

 

 …不思議な気分だ。

 どこかの長閑な景色を見ているようで、心が安らぐ。

 

 動きの鈍った体に、活力が完璧に戻った。

 そして取り込んだ力を、すべて野生開放に使う。

 

 

 四方八方から現れた輝きが僕らを包み、2本の尻尾が9本へと数を増やした。

 

()イヅナ、この尻尾は…()

()最強の妖怪…九尾。さあノリくん、あの化け物(セルリアン)を倒しましょう?()

 

 

 

 これで、3回目かな。

 今度ばかりはセルリアンも本気になっている様子で、現れるや否や大きな波でお出迎えをしてくれた。

 

「もう、効かない…!」

 

 手を前にかざし、妖術で波を防ぐ。

 

 野生開放のおかげで、たった1つの新しい妖術を扱えるようになっている。

 

「ふふ…完璧ね」

 

 それは氷の妖術。

 目の前の物を凍らせ、生き物も化け物をも凍えさせ、死へと誘う術。

 

 野生開放の力を以てしても、目の前の僅かな空間を冷却する程度の出力しか出せない。

 

 でも、今の僕たちには、このセルリアンには、それで十分なんだ。

 

 だって、僕たちは2人だ。

 空も飛べて、縄も出せて、火も氷も使える。

 

 そして記憶を操る力(イヅナだけの力)で、サンドスターも自在に扱える。

 

 今この頭の中に、セルリアンを討伐する一連の筋書きが出来上がった。

 

 

 妖術で生み出した氷が、バラバラと散る。

 そしてその向こうに、セルリアンがいる。

 

「イヅナ…行こうか」

「うん、もう戦うの…飽きちゃった」

 

 9つの尾を潮風になびかせ、右手に周囲の、自分自身のサンドスターを()()()

 

 集めてこねて形にして、氷を砕く最上の武器を用意しよう。

 

「…ハンマーなら、使いやすいかな?」

「じゃあ、ヒグマの形にしよっか」

 

 ヒグマが使う熊手のハンマー、正しくは()()()とか何とか…まあいいや。

 使い方が変わることはないんだから。

 

 柔らかい輝きはゆっくりと、硬く鮮明にあの形をかたどる。

 柄を握って軽く一振り、虹色のハンマーのその先をセルリアンに突きつけた。

 

 声が、重なる。

 

「…()()()()()

 

 

 一歩踏み出し、加速を付けて飛び込む。

 狙いはただ一点、奴の触手の付け根。

 

「さあ、凍れ!」

 

 手の平をかざして、私の持つ感触の侭、触手の付け根を氷漬けにする。

 

「……ァァァァ!」

 

 セルリアンは異物感にでも苛まれたのか、呻くように声を上げた。

 

 でも、大丈夫。

 その感覚も、()()()()()()()から。

 

「砕くよ!」

 

 ハンマーに力を込め、振りかぶり重力に任せて氷へと叩きつけた。

 ピキピキとヒビが入り、広がって、粉々に散らばった。

 

 付け根の部分がそうなってしまえば、勿論その先の部分は…

 

 ビュンッ!

 

 制御を失った腕が行き着く先は海の中…ではなく。

 

 「キミは、あっちだよ!」

 

 森に向けて投げ飛ばした。

 ガサガサと枝葉が擦れる音が聞こえ、腕は木々の隙間へと姿を消した。

 

 セルリアンを取り込む力がある以上…海に放置していたらいつの間にか()()されかねない。

 もしかしたら無駄に高い耐久力も、一部の腕を取り込み回復したせいだったのかも。

 

 気づいた以上、もう放ってはおかない。

 

 さあ、その素敵な触手は…後何本残ってるのかな?

 

 

 

「コカムイ、サンドスターの到着なのです」

 

 やってきた補充の第一波は助手だった。

 空を飛び、サンドスターを入れた冷凍植物を抱えて持って来てくれた。

 

「ありがとう、今行くよ…てやっ!」

 

 丁度ピッタリなタイミングで一回り大きな触手を破壊。

 今度ばかりは投げにくそうだから、回復ついでに持って運ぼう。

 

「ふぅ…博士は?」

「時間をずらして、追々到着するでしょう」

 

 事前に話し合ったのだろうか、滞りなく助手は事実だけを告げて、再び保存施設に向かおうとする。

 

「待って…助手のもう1往復が必要かどうかは、様子を見て決めようよ」

「…そうですか、了解なのです」

 

 あっさりと引き止めに応じてくれた。

 説得に時間を使う余裕もないし、助手もそこを慮ってくれたんだろう。

 

「リフレッシュして、もう一回…!」

 

 

 …これで、38本くらいかな?

 

 いくら多いと言っても、流石に多すぎる、妙だ。

 

 取った触手は投げ飛ばしてるし、回復してるわけじゃないよね。

 

 そういえば、細い触手がやたらと増えたような気がする。

 

 

 ――なるほど、そういう訳か。

 私たちが1本ずつ撃破してるから、本数を増やして疲れさせようって手立てだね。

 

 だけど、僕たちには刀もある。

 細くなったとはつまり斬りやすくなったということ、どの道セルリアンに逃げ場はない。

 

「じゃあ、次は(こっち)の出番だね」

 

 うん、刀の方が軽くて振り回しやすい。

 ハンマーは威力こそあるけど重い、ヒグマはよくあんなモノを使いこなせるね。

 

「後悔しないでね、キミのせい…だからさ」

 

 だけど、斬った触手を陸に投げ飛ばすのが辛かったりする。

 それも助手に頼み事なきを得て、引き止めてよかったと心の底から思った。

 

 

 …ここで、1つの憂いが現実に近づいた。

 

「戦いの方は問題ないけど…不思議な感じ」

「本当に、一緒になっちゃったみたいでしょ?」

 

 僕たち2人の思考がごちゃ混ぜになって、どっちが私の考えなのか分からなくなってきた。

 

 こればかりはキタちゃんが見つけたサンドスターでも解決しないし、神依君に頼んでも…ダメそうだ。

 

 

「早く終わらせよう…思ったより負担が大きいよ」

 

 少ない触手をまとめて太くしたセルリアンは、怒りに震えている。

 もう触手は一本限り。

 

 今度こそとどめを刺すために、そう強く念じハンマーを握り直した。

 

「まずは…触手からもらうよ」

 

 僕たちの間を遮るものはなく接近は実に容易で、ついさっきまで苦戦していたのがまるで嘘のようだ。

 

 何なく目的の場所に辿り着き、最大出力で付け根を凍らせる。

 

「よーし、吹っ飛べッ!」

 

 景気づけにと一際強く叩いて砕き、支えを失くした触手は陸地に投げ捨てた。

 

 打ち上げられたその触手は、カラカラに乾いて溶岩へと()()()

変化していく。

 案の定、黒い部分はゲル状のままだ。

 

「…ま、後でいいね」

 

 海に放り込んでおけば済む話だし、もっと危ないのが目の前にいるからね。

 

 

「とうとう、石だけになっちゃったね」

 

 触手をすべて奪われて、残すは石とそれを囲む体だけ。

 これでは、そこら辺にいるセルリアンと何ら変わりない。ただ一つ、海にいること以外は。

 

「その石、壊しちゃうよ!」

 

 でも石は大きい、逃げられないように一撃で、確実に仕留めよう。

 キンシコウの持つ如意棒をイメージし、虹色の形にする。

 

 そして…セルリアンの石と体の()に突っ込む!

 

「よし…せーのっ!」

 

 挟まった如意棒に全体重をかけ、大きくしならせる。

 そのまま()()の原理を使ってセルリアンと石を分離、遥か彼方の空へと打ち上げた。

 

 

「…とどめっ!」

 

 

 如意棒を投げ捨て、素早くハンマーに切り替え。

 狐火をハンマーに纏わせ、全力を以て地面へと叩きつけた。

 

「ど、どう……?」

 

 着地点には土煙が舞い上がり、狐火と一緒に青い霧を作り出している。

 

 やがて強い潮風がそれを薙ぎ払うと、砕けてバラバラになった赤い石がそこかしこに散らばっていた。

 

「セルリアンは……倒せた、みたいだね」

 

 海にはもう、あの化け物の姿はない。

 

 勝ったんだ…

 やっと海の化け物への恐怖から解放されて、これからはもっと穏やかに過ごせることだろう。

 

 

 

「ノリアキ、大丈夫…?」

 

 戦いを終え、9本の尻尾は元の2本に戻っている。

 サンドスター不足も勿論のこと、野生開放の副作用も怖かった。

 

「大丈夫、終わったよ…!」

 

「やりましたね……もう博士の出番が無いのは残念ですが」

「あ…あはは、そうだね」

 

 博士はまだセルリアンを倒したことを知らないだから、サンドスターも持ってくるはず。

 …まあ、体力回復用に有難く使わせてもらうとしよう。

 

 

「ところで、お前たちが使っていた妙なものは何ですか?」

 

()()()()って聞かれても、いくつか心当たりがあるんだけど…」

 

 氷の妖術にサンドスター製の武器に、他にも有り余るくらい浮かんできそう。

 

「ほら、虹色の武器ですよ」

 

「ああ、サンドスターで作った…」

 

「サンドスターで? まさかそれも…イヅナの力で?」

 

「うん、そうだけ……っ!?」

 

 

 視界の端に、黒い何かを捉えた。

 それは、キタキツネに向かって――

 

「キタキツネッ!」

「えっ…?」

 

 

 噛まれた。

 

 比喩でもなんでもなく、キタキツネを庇おうと差し出した左腕が、肘のすぐ下まで噛みつかれた。

 

 何が、僕を噛んだ?

 

「これ、って…」

 

 黒い、黒い、ドロドロ。

 あの石よりも、()()()()()()赤い石。

 

 小さな小さなセルリアンが、僕の左腕を貪っていた。

 

「うぅ…」 

「ノリアキ!?」

 

「ぐ、しぶといセルリアンなのです…!」

 

 痛くない…早くもそんな感覚は奪われた。

 ただただ、鈍く重く腕が落ちていくように感じるだけ。

 

 

『もう、ノリくんから離れてっ!』

 

「腕に付いてるせいで…当たんない…!」

 

 下手をすればすぐに自分へのダメージとなるこの状況。

 僕が強気に出られない今この瞬間も、セルリアンは輝きをじわじわと奪い去ってゆく。

 

「ノリアキ、ボクが…!」

 

 野生開放をしたキタキツネが、僕の左腕に光る赤い石を狙う。

 

「っ、当たってよ!」

 

 だけど石は腕の周りを自由自在に動き、キタキツネの爪はそれを捉えることができない。

 

「もう、サンドスター、が……ぁ…」

「ノリアキ!」

 

 野生開放での消費も相まって、いよいよ限界…だ。

 膝をついてしまい、もうフレンズの姿が維持できるかすら怪しい。

 

 それでもまだ辛うじて保っているのは、きっとイヅナがいるからだ。

 イヅナに頼って、僕はまだ意識を残している。

 

 

「博士、早くサンドスターを……!」

 

 助手の願う声が聞こえる。

 

「ノリアキ、ノリアキぃ……!」

 

 キタキツネの悲痛な声が聞こえる。

 

『ノリくん、私が…死なせないから!』

 

 イヅナの決意の声が響き渡る。

 

『……祝明』

 

 ポツンと聞こえた彼の声には、どんな感情が籠っているのだろう。

 分からない、それを聞く前に、こんなことになってしまった。

 

 

 

「この塊、案外重……ん?」

 

 上空からの影が、助手の体に掛かる。

 助手はそれに気づき、博士の姿を見つけた。

 

「…あ、博士! 早くサンドスターを!」

「な、何があったのですか? 海のセルリアンは?」

 

「博士、いいから早く!」

「そう言われても、何が何だか…」

 

 初めて目にする焦り様で捲し立てる2人に、博士はただ困惑するばかり。

 きっと緊急事態なのだなと理屈では理解したものの、体が追い付いていかない。

 

 それもそのはず、博士の考えではまだ海にセルリアンがいて、僕がそれと戦っていて、博士自身はそれの補助。

 

 だから静かな海も、膝をつく僕も、泣きわめくキタキツネも、博士の理解の範疇外だった。

 

「と、とにかく、急ぐのですね…!」

 

 

 だが、そんなことで行動を止めるほど博士は愚かでなかった。

 だからすぐに声に従い、地上に降り立った。

 

 しかし、焦る彼女たちの心情に気づけるほど博士は賢明でなかった。

 だからキタキツネの凶行に、反応できなかった。

 

「き、キタキツネ…?」

「早く、それを渡してよッ!」

 

 野生開放した姿で、『サンドスターを奪う』ただその一点のみを目的として、彼女は博士に襲い掛かる。

 

 それ以外の考え事は全て頭から吹き飛んでいた。

 

 だからだろう、キタキツネの爪は――

 



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7-98 旅立ちの日に

 

 ――僕は、まだ生きているのかな。

 

 目は見えない。何も聞こえない。暑くも寒くもない。

 黒くない左腕が、ちょっとだけ重い。

 

 イヅナ、いるの…?

 

 しーんと、静かな空間が周りに広がっている。

 当たり前だけど、これは全部錯覚で、僕が見ている夢。

 

 だけど、夢の中でさえ何も感じないというのはいよいよ不気味だ。

 

 それもこれも、全部あのセルリアンに輝きを奪われ続けているせいだろう。

 

 

「…イヅナ、キタキツネ」

 

 2人の名前を呼んだ。

 返事はない。

 

「キタキツネ、イヅナ…」 

 

 呼ぶ順番を入れ替えてもう一度呼び掛けた。

 ()()()()響かない。

 

 

「いよいよ、死んじゃったのかな…?」

 

 自分で言っておいて無性に悲しくなった。

 

 …いや、死にたくない。

 死ねないよ…2人を置き去りにしてなんて。

 

「必ず、あのセルリアンも倒す…!」

 

 そう決意を固めてもすぐに目が覚めるわけではなく、結局手持ち無沙汰のまましばらく夢の中に立ち尽くしていた。

 

 何もせずに過ごしていると、空想が捗る。

 特に過去の出来事が、いくつも頭に浮かんでは消えていく。

 

 

 

 初めて、僕が目を覚ました朝。

 

 最初に見たのは、ロッジの天井に浮かぶ木目だったと記憶している。

 何気なく眺めた手帳で名前を知り、ずっとその名を名乗ってきた。

 

 もしかしたら別人の名前かも、などと今考えれば馬鹿げた心配を何度もしていたのが印象深い。

 

 

「あの時は、本当にまっさらで…」

 

 イヅナと初めて会った日。

 

 綺麗な耳と尻尾と瞳に見惚れていたような気もするけど、まさか心の奥底にあんな激情を隠し持っているとは思わなかった。

 

「…あはは、あの時は驚いたな」

 

 イヅナに彼女の記憶を見せられた時、キツネの姿になった時、誘拐された時。

 いつだって、思いもよらないことがイヅナに引き起こされる。

 

 もう、それも楽しみの1つでしかなくなったけど。

 

 …時々不安になる。

 イヅナが好いているのは果たして狐神祝明()なのかと。

 いつか見た神依君の幻影を、僕という形にして見ているだけなんじゃないかと。

 

 そんなことを考えるくらいには、僕の心はイヅナに毒されている。

 

 

 

「ゲームも、もっとしたかったな…」

 

 キタキツネとは、ゲームを通じて仲良くなれた。

 最初に会った時は、倒れた筐体を直すのを手伝わされたんだっけ。

 

 キタキツネは本当にプレイが上手で中々勝てなかったけど、楽しいことには変わりなかった。

 

 携帯機のゲームもプレゼントしたりして、きっと僕はキタキツネに対しても思い入れができていたんだ。

 

「だから…まさかね」

 

 イヅナを雪の中に生き埋めにした、あの日。

 きっと兆候はあった。間違いなくあった。

 

 ほら、温泉に入って来たり、イヅナの紅茶に酢を入れたり。

  

 極めつけは、研究所に行って眠り薬を手に入れたこと。

 僕のすぐそばでそれを取っていたのに、僕はそれに気付かなかった。

 

 止めていれば、あの出来事も少しは変わったかな。

 あるいは、時期がちょっとずれるだけかな。

 

「キタキツネ、キミは…寂しかったの?」

 

 博士のあの決断は、間違いなく生き埋め事件が引き金だった。

 

 だからちょっとだけ…事件(ソレ)が起こってよかったと思ってる。

 とっても、意地汚い話だけどね。

 

 

 

「…って!」

 

 いけない、これじゃあまるで走馬燈を見ているようだ。

 思い出は振り返らないで、これからどうするかを考えなきゃ。

 

「イヅナ…神依君…!」

 

 ここが夢の中ならいるはずだけど、今の今まで気配も感じなかった。

 何かがおかしい、切り抜ける方法は一体……?

 

「…助けて」

 

 暗闇も静けさもひたすらに孤独感を煽り、僕は何かを掴もうと重い左手をがむしゃらに引き摺りまわした。

 

 そして、僕の胸元でそれを掴んだ。

 

「勾、玉…」

 

 イヅナが僕の首に掛けた、赤い石の勾玉。

 奇しくも、今それを掴んでいる左腕は赤い石のセルリアンに侵されている。

 

「イヅナに…届いて…!」

 

 願う、祈る。

 お狐様、どうか僕を助けてください。

 

 

『やっと…見つけた!』

 

 やっと、見つけてくれた。

 体に、力が戻ってきた。

 

 左腕がまた黒い粘液に包まれ、忌まわしい程に赤い石が眼前に現れる。

 

 だけど、それももう… 

 

「イヅナ…!」

『ノリくん、掴まって!』

 

 右手で、イヅナの手を取る。

 強く引き上げられるように感じ、周囲の暗闇がスッと晴れていった。

 

 

 

「はぁ、はぁ……」

 

 戻ってきた。立ち上がった。前を見た。

 

 見つけた。

 

 博士に襲い掛かるキタキツネの姿を。

 

「……!」

 

 もう疲れた、何故立ち上がれたのか不思議なくらいに足元も覚束ない。

 だけど、動ける気がする。

 

 そのためにこの足で立ったんだと、そう確信していたから。

 

 

 

 キタキツネは博士からサンドスターを奪い取ろうとした。

 それ以外の考え事は全て頭から吹き飛んでいた。

 

 だからだろう、キタキツネの爪は――

 

 …博士に届かなかった。

 

 

「……!?」

「ノリアキ!?」

 

「ダメだよ、キタキツネ…?」

 

 黒い左腕を間に突き出し、キタキツネの爪を受け止めた。

 

 キタキツネを守るために差し出した腕で、今度はキタキツネから博士を守ることになった。

 

 そしてキタキツネの爪は、間違いようのないほど確実に当たっていた。

 

 ああ、何と皮肉なことだろう。

 

 僕たちが幾ら頑張っても傷つけられなかった赤い石に、意図しない攻撃が傷を与えたなんて。

 

 ――その傷が、さらに事態を悪化させることになるなんて。

 

 

「…ぐっ、うぅ!?」

 

 また、立っていられなくなった。

 今度はただの体力不足じゃない。

 

「ノリアキ!? どうして、石を砕いたのに…」

「とにかく、早くサンドスターを…」

 

「無駄だよ…もう」

 

「…無駄?」

 

 セルリアンは、この期に及んで生きようとしているらしい。

 石を砕かれ急速に無くなっていくサンドスターを、僕からすべて奪って解決しようとしている。

 

 この分じゃ、サンドスターを補充したとしても姑息な延命にすらならないだろう。

 そして、イヅナも…

 

 

『大丈夫、ノリくんは私が…』

『ううん…もういいよ、イヅナ』

 

 腹をくくろう、諦めることも大事だ。

 

「いいって、なん…で……え…?」

「もう、いいから…」

 

 イヅナを、()()()()()()()()

 

 もうこれ以上、こんな泥仕合には巻き込まない。

 例え僕のサンドスターが尽きたとしても、きっと死にやしない。

 

 でも、イヅナはダメなんだ。

 イヅナはずっと願い続けて、やっとフレンズになったんだから。

 

 セルリアンはきっと、僕のサンドスターを食らい尽くすだろう。

 そして、結局死ぬだろう。

 

 寄生して、全てを奪って、共倒れになるんだ。

 

 

「あ、ははは…!」

 

「ノリくん! セルリアンを早く…」

「いいんだ…はは…これで終わるから…」

 

「コカムイ、気をしっかり持つのです!」

 

「僕はしっかりしてるつもりだけどな…!」

 

 博士の心配通り、気が狂ったのかもしれない。

 でも、この判断に間違いはない。

 僕で終わらせれば、2人は襲われない。

 

 

 

『……祝明』

 

 あれ…神依君、どうかした?

 

『さっき言えなかった話、聞いてくれるか?』

 

 今?…でも、いいよ。

 今生の別れになるかもだからね。

 

()()()()()()()

 

『俺は、ずっと後悔してた…真夜も、北城も死なせちまったんだ…終いにゃ、遥都も置いてここに逃げてきた』

 

 仕方ないんじゃない?

 僕は、そう思うよ。

 

『…かもな。でも、俺が納得できないんだ』

 

 そういう気持ちも分からなくはないけど…どうするの?

 

『俺だって、助けられる奴は助けたい。それに…今、()()()()()()んだ』

 

『神依君、何を…』

 

『安心しろ、やり方は知ってる』

 

 

 突如として、その変化は起きた。

 

 重荷が降りて楽になったように、フッと体が軽くなった。

 サンドスターを奪われ消えかけていた耳と尻尾も、再び形を手に入れた。

 

 見ると、左腕が元の姿に戻っている。

 

「無くなってる…」

 

 セルリアンがいない?

 じゃあ、どこに……

 

 

「…っ!」

 

 そこで、僕は見てしまった。

 ヒビの入った赤い石を包む黒い粘液が、徐々に人の姿を模る様子を。

 

 全身から虹の粒子を撒き散らしながら、狐神祝明(天都神依)の姿になるセルリアンを。

 

「まさか、嘘だ、神依君……!?」

 

 体を形作りながら、その体が消えていく。

 

「…あぁ、こうやって話すのは初めてかもな」

「…最後だよ」

 

 ゆっくりと死に続けているのに、神依君は笑っている。

 

「まあこの通り、これでお前は大丈夫だ」

 

 ふざけた自己犠牲で、僕が救えると思っている。

 

「神依君が、死んじゃうじゃないか…!」

「気にすんな、貸し1ってことでいいだろ」

 

「死んだら貸し借りもないよ!」

 

 命を張る理由なんてない、勝手に死なれたら、僕は合わせる顔が無い。

 

「助けてなんて、頼んでない…!」

「そうか? ()()()聞こえたけどな」

「…あ」

 

 あの声は、神依君にも届いていたの…?

 

「それに、頼んでなくても助けた…祝明だって、記憶ごと俺を起こしてくれた…けど、俺は頼んでないだろ? だから俺も同じようにする」

 

「そんな屁理屈、聞きたくない…」

 

 そんなことは問題じゃない、神依君が()()()()()()ことの方が重大なんだ。

 

「俺は、あの日死んだようなもの。今ここにいる方が奇跡って話だ」

 

「だったら尚更、手放しちゃダメだ…!」

 

 

「‥‥悪いな、もう遅いみたいだ」

 

 そう言って、神依君は歯を見せて笑った。

 頬が引きつって口角が歪んで、痛々しい笑みだった。

 それでも、僕に目を逸らすことは出来なかった。

 

 手を伸ばした。

 行ってしまわないように、彼の心臓()めがけて。

 

 手は黒い体をすり抜けて、心臓まで辿り着いた。

 

「……!」

 

 僕が掴むとほぼ同時に黒い神依君は塵となって消え、石だけがそこに残された。

 

 やっとの思いで掴んだ石も儚く脆く崩れ去り、地面の上で欠片と散った。

 

 

 

「神依、君……」

 

 セルリアンとの戦いは終わった。

 

 終わってしまった。

 

 

 ()()を失い倒れる僕を、キタキツネが静かに受け止めた。

 普段よりとっても暖かい。

 このまま眠って夢から覚めたら、全部戻っていればいいのに。

 

 誰も、何も言おうとしない。

 危機は去って、今こそ前を向く瞬間であるのに、みんな止まったままだ。

 

 

 波音が、心地いい。

 セルリアンを殺す海だけが、今この場では生きている。

 

 痛い、突き刺すように痛い平安が治める中で。

 

「…………はぁ」

 

 心底退屈そうな、ため息がそれを乱した。

 

 ゆっくりと砕けた石のもとまで歩き、丁寧にそれを拾い上げた。

 

「…イヅナ?」

 

 声を掛けるとイヅナは退屈そうな顔を崩し、微笑んで僕の頭を撫でた。

 

「待っててねノリくん、すぐに終わるから」

 

 状況が理解できないキタキツネを尻目に、イヅナは博士の持ってきたサンドスターの塊を刀で切り開いた。

 ハッとして服をまさぐると、刀が1本無くなっていた。

 

 

「な、何をするつもりなのですか…?」

「黙って見てて…?」

 

 相変わらず博士に冷たいイヅナ。

 手に持った石の欠片をサンドスターの中に放り込んで、両手でグルグルとかき混ぜている。

 

 

 

 それを続けることしばらく、何か手ごたえを感じたような笑みを浮かべ、片手で掴んで引っ張った。

 

「…いてててて!」

 

「あ…!」

 

 イヅナが引っ張ったのは黒い髪の毛。

 そしてそのの先にあった顔は、神依君のものだった。

  

 肌の色がさっきと違う。

 セルリアンのような漆黒ではなく、僕と同じ文字通りの()()

 

 神依君らしき彼はむくっと体を起こし、掛かっていないホコリを払った。

 学校の制服を着ているのが見えて、それで彼が神依君であると僕は確信した。

 

「一体全体どうしてなのです!?」

「私なら、これくらい簡単にできるもん!」

 

 そう頬を膨らませて言うイヅナは、寂しそうに見えた。

 

「妙な風の吹き回しだな…俺を助けるなんて。祝明を助けた礼なら、有難く受け取っておくよ」

 

「それもあるけどねカムイ君……」

「…あっ!」

 

 イヅナは右手で神依君の首を掴み、囁く。

 

「ノリくんをこれ以上悲しませたら、許さないよ?」

「……ああ、分かってる」

 

 …複雑な気分だ。

 

 

 そんな心情を知ってか知らずか、神依君はよっこらしょいと立ち上がり僕の方へと歩み寄る。

 僕も何とかその足で立ち上がり、彼と相対する。

 

「…ええと」

「もう、大丈夫そうだな」

 

「……うん」

「よかった。じゃあ、早く()()寄越せ」

「…アレって?」

 

 残念ながら、皆目見当もつかない。

 呆れるように、神依君は続ける。

 

「…ジャパリコインだよ、懐にあるだろ?」

「ええ? ……ああ、あるけど」

「それだ」

 

 ジャパリコインを懐から取り出すも、その姿を見る間もなく神依君に奪い取られてしまった。

 

「…大事なの?」

「ああ、大事な思い出だ」

 

 

 それだけ受け取ると神依君はクルっと向こうを向き、歩き出した。

 

「そしたら、勝ったことを早く伝えないとな」

 

 …そっか、さっきまでセルリアンと戦っていたんだった。

 みんなに、伝えに行かなきゃ。

 

「待つのです」

 

 しかしそこで、博士が神依君の行く手を阻んだ。

 

「…どうした?」

 

「私への感謝はないのですか? お前を復活させるために使ったサンドスターは、私が持ってきたのです」

 

 なんとまあ、この空気の中で言えるものだ。

 この傍若無人さこそ、博士たる所以なのかもしれないけれど。

 

「ああ、ありがとな…()()()

 

 神依君はちょっと妙な呼び方をして再び歩き出した。

 

 僕としては”おかしな神依君”で済む話だったけど…

 博士にとっては違ったみたい。

 

 博士は神依君の背中を掴んで引き止めた。

 

「なぜ博士と呼ばないのです?」

「いや、こうやって目の前にすると…お前を()()とは呼べないんだ」

 

 そっか、きっと遥都君のことを思い出しているんだ。

 外の世界の親友で、神依君が『博士』とあだ名をつけ呼んでいた彼のことを。

 

 まあ、当然こっちの博士はそんな事情なんて知らないから…

 

「…それは、私への宣戦布告と取っていいのですね?」

「……は?」

 

 突拍子もない発言に呆然とした神依君を、博士は空へと連れ去る。

 

「おい、ちょっと待て、何を……」

「いいでしょう…図書館でミッチリと私の博士としての凄さを教えてやります」

 

「分かった、博士って呼んでやる、だから…」

「もう遅いのです! さあ、図書館へ行くのですよ!」

「なんで、おい、放せ……いや、放すな! でも、図書館かよ――!」

 

 叫び声を上げながら離れていく神依君を、僕はただただ見ていることしかできなかった。

 

 

 

 

「…アハッ、アハハハハハハ!!」

「イヅナちゃん、笑いすぎ…」

 

「やれやれ、博士にも困ったものです」

 

 助手も飛び立ち、どこかへ行こうとする。

 

「助手、どこ行くの?」

「博士の所に決まっているでしょう? ロッジの方は任せるのです」

「え、それって……あぁ」

 

 話を聞かないまま行ってしまった。

 助手にも…困ったものだ。

 

「仕方ない、僕たちだけでも行こうか」

 

 

 この後、姿を見せない博士たちがセルリアンに食われたんじゃないかという大きな誤解が生まれるのだが…

 それについては、詳しく話さないでおこう。

 

 

 

 

 

 ――あの日から、およそ1週間。

 

 急ピッチでジャパリバス製の船を作り直し、パーティもやり直し、ようやく準備ができたかばんちゃん。

 彼女の、旅立ちの日に。

 

 港から少し離れた海岸で、僕と神依君は2人で雑談をしていた。

 

 

「それで、結局戻らないのか?」

「…うん、ずっとこのままなんだ」

 

 あの戦いから、僕はヒトの姿になることができなくなっていた。

 

 それまでは念じれば狐耳も尻尾も消えていたのに、それがずっと残ったまま。

 野生開放の副作用は不思議なところに出てきた。

 

 正直、僕はそんなに気にしていない。

 ヒトの体に思い入れがあったわけでもないから。

 

 でも他にも何か見つかるかもしれないから、それはちょっと怖い。

 

 

「そう言う神依君こそ、水は大丈夫なの?」

「まあな、そこはイヅナが上手くやってくれたらしい」

 

 神依君は見た目こそ普通のヒトだけど、その正体は赤い石を心臓に持つセルリアンだ。

 だけど、自我を持っていて海水も平気な、いわゆる特別なセルリアンとして島では通っている。

 

 初めはツチノコや博士が興味を持って神依君の体を調べようとしたけれど、結局何も分からなくて諦めたみたい。

 イヅナに聞けばすぐだと思うんだけど、博士は頑なに嫌がっていた。

 

 でも確か研究所に、そういうセルリアン――たしかセーバルだったか――の資料があった気がする。

 今度、時間があったら漁ってみよう。

 

 

「…そろそろ行った方がいいんじゃないか?」

「あ、そうだね…神依君は?」

 

「いや、俺はいい…行ってきな」

「…うん」

 

 どうやら神依君は、まだ島に馴染めていないと思っているようだ。

 

 日が浅いせいか、あるいはセルリアンの体のせいなのか。

 いつか、彼もこの島に溶け込めるといいけどな。

 

 

 

「…あ、コカムイさん!」

「もう、もうすぐかばんちゃんが出発するところだったよ!」

 

 着くや否やサーバルの不満な声が聞こえる。

 

「あはは…ごめんね」

 

 となるとどうやら、僕の挨拶が最後になりそうだ。

 

「コカムイさん、お世話になりました」

「いや、あまり良くしてあげられなかったよ」

 

 かばんちゃん個人のためにできたことは少なかった。

 言い訳になるかは分からないけど、本当に()()あったから…ね。

 

「いえ、この島のために、戦ってくれました」

「あはは…そっか。…そうだ、これ」

 

 僕は手持ちのバッグからある本を取り出し、それを渡した。

 

「『ジャパリパーク全図』…ですか?」

 

「うん、外を旅するんでしょ? きっと役に立つと思って」

 

 もう僕が持ってても宝の持ち腐れみたいなものだから。

 せっかくなら、役に立ててもらいたい。

 

「…ありがとうございます!」

「じゃあ…元気でね」

 

 

 

「それじゃあみなさん、お元気で!」

 

 

 かばんちゃんは船で旅立って、その後を追ってサーバルたちが出発した。

 それを見届け、海に背を向けて歩み始めた。

 

 これで、日常に戻る。

 少し減ったけど、僕たち3人にはそんなに関係ないことだろう。

 

「ふぅ……」

 

 山のてっぺん、火口から綺麗な輝きがあふれ出ている。 

 今日の輝きは一層明るく、より素晴らしく見えた。

 

 それを眺める僕は…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「むぐ…ん……」

 

 突如後ろから布で口を覆われ、言うまでもなく眠りに落ちた。

 



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7-99 仮初めのエピローグ

 

 話は遡ること1時間ほど前。

 

 ロッジの一室で、2人のキツネが話をしていた。

 

「……」

「……」

 

 いや、まだ話は始まっていなかった。

 

 

 もはや必要も無いと思うけど一応説明しておくと…部屋にいるのはイヅナとキタキツネ。

 2人して外に出かけてしまったコカムイとカムイに置いて行かれ、それからずっとこの沈黙が続いている。

 

 お互い相手の目をやんわりとではあるが威嚇するように見つめ、この部屋に入ろうとしたアリツカゲラはドアノブを握ることなく退散した。

 

 身動きすら憚られる膠着状態。

 これはこれで一種の安寧と呼べるのかもしれないが、流石に嫌気が差してきたのだろう、1人が口を開いた。

 

 

「イヅナちゃん、お薬…使う?」

「……え?」

 

 ニコニコと笑って放たれたキタキツネの言葉に、イヅナは耳を疑った。

 

「ボクね…思ったんだ。そろそろ、もっとノリアキと()()()ならなきゃ…って」

 

 朱に染まった頬、そしてため息混じりに吐かれる言葉。

 イヅナは『()()()』という3文字の中に込められた意味を即座に理解した。

 

「それで、眠り薬(お薬)?」

「うん、イヅナちゃんにも手伝ってほしいな…って」

 

 可愛らしく首をかしげる黄色いキツネ。

 

「ふーん…」

 

 白いキツネはその様子を見てしばし思案した。

 

 相手の思惑はどうあれ、しばらく愛しの彼と大きな進展が無かったことも事実。

 これに乗っかって()()()()()のも別段悪い話じゃないと。

 

 しかし、何故こんな提案をしたのだろう、と。

 

「だけど意外、キタちゃんなら1人でやると思った」

「そうしたら、必ず止めるよね…?」

 

 眼を見合い、同時に微笑んだ。

 

「ふふ、当たり前でしょ?」

 

 なるほどなるほど、中々に頭が働くようだ。

 …と、イヅナは思った。

 

 

 

「それで、いつにする?」

「今日だよ」

 

 コンマ1秒も開けぬ即答。

 イヅナもその言葉に大きく頷いた。

 

 どうやら彼女たちの辞書に「我慢」という2文字は存在していないらしい。

 

 

「…ボクが眠らせて抱えるから、イヅナちゃんはボクを持って飛んでって」

 

「行くのはお屋敷でいいとして、キタちゃんが抱えるの?」

 

「イヅナちゃんなら、持ち逃げできるじゃん」

 

「…あはは! そうだったね」

 

 一切の隙を与えようとしないキタキツネをイヅナは面白がる。

 それも、己が力のみで目論みを達せられるが故の余裕なのだろう。

 

 いつでも始末できる…コカムイさえ許せば。

 実際には不可能でも、優位に立っているというだけで心には安らぎが生まれる。

 

 イヅナが出した結論は、『今日の所は手伝ってあげる』というものだった。

 

 

「なら早い方がいいね」

「ううん、かばんが出発してから」

 

 白狐の口笛が鳴る。

 

「そうね、騒ぎにならないように」

 

 

 落ち着いた足取りで出口に向かい、外と中の境界で振り返る。

 

「ねぇキタちゃん…私のことは嫌い?」

 

 キタキツネは面食らったような顔をし、目を細めて答えた。

 

「嫌いじゃないけど…ノリアキは渡したくない」

 

「あらら…奇遇だね」

 

 外に出ると、イヅナはキタキツネの腕を掴んで港まで一直線に飛んで向かった。

 

 

 

 その後は身を隠して、好機をじっと待ち続けた。

 

 誰にも見つからなかったが、もし誰かが見たら2人は正に仲良しだと勘違いされただろう。

 それ程までにくっついていたが、彼女たち自身は気づかなかったようだ。

 

 その話は置いておくとして、チャンスがやって来た。

 

「しくじらないでね」

「…ボスじゃないんだから」

 

 残念ながら、ジョークを笑う観客もくしゃみをするボスもいなかった。

 この時代のロボットにくしゃみをする機能はないのである。

 

「ノリアキ…」

 

 キタキツネはこっそり忍び寄るときでさえ名前を呟くのを忘れない。

 しかし聴覚に関しては鈍感なのかコカムイ、成す術もなくご就寝。

 

「やった…!」

 

 コカムイにご執心のキタキツネも、この結果には大満足である。

 

「よいしょ…」

 

 例のごとくお姫様抱っこでコカムイを抱える。

 それが一番楽なのだから、しょうがない話だ。

 

「上手くいったね、キタちゃん」

 

 その後は予定通りに港を飛び立ち、来たるべき時を迎えるべく屋敷へと胸を膨らませて向かう。

 

 

 

 真横に見える虹を通り過ぎ、平原と山の境界に差し掛かったころ。

 上空の風のいたずらだろうか、コカムイがにわかに目を覚ました。

 

「…んぇ?」

「あ、ノリアキ……!?」

 

 予想外も予想外。

 まさか、目的地に着くまでに起きてしまうなんて。

 

「わわ、どうしよう…」

「…ねぇ、キタキツネ?」

 

 頭が真っ白に、雪山の景色よりも真っ白に。

 

「ぁ…動けない…」

 

「…ぇ?」

 

 どうしてだろう。

 まさか、眠り薬の分量を間違えてしまったのだろうか。

 

 そんな不安に駆られてイヅナを見ると、空飛ぶキツネはもうこれ以上ないほど得意げに胸を張った。

 

「感謝してね? 私が手を打っておいたんだから」

「……ありがとう」

 

 例によって例の妖術。全くなんと便利なことか。

 

「ぇ…イヅナ?」

「もうちょっとで着くから、我慢して? ごめんね、ノリくん」

 

「え、ちょっと……うぅ…」

 

 眠り薬の追加投与。

 胸ポケットの布を噛んで器用に引っ張って、右手で口元にもう一度被せた。

 

 残り物だけど、効果は多分あるだろう。

 もう彼に逃げ場なんて残されていないから、ある意味ではただの気休めだけど。

 

 

 

その後は難なくトラブルも無く、眠ってしまいそうなほど平穏な道のりが続いた。

 

「…とうちゃく」 

 

「さあキタちゃん、準備を始めよっか」

 

「…うん」

 

 布団を敷き、その上にコカムイを寝かせる。

 自由に動けないせいか若干寝苦しそうに見える。

 

「もうちょっとの辛抱だからね…!」

 

 とは言っても、これ以上するべき準備はない。

 

 襖を全部ピシャリと閉めて、暗がりになった部屋で横たわる彼にまとわりつく2人。

 

 撫でられる感覚で目を覚まし、起こせない体を恨めしそうに見る彼の服に、イヅナがそろりと手を掛けた。

 それに合わせてキタキツネが、彼の首筋をぺろりと舐める。

 

「…?」

 

「大丈夫、全部私たちに任せて」

「ね、ノリアキ」

 

「……うん」

 

 諦めたように彼が目を閉じると、2匹の狐が暗闇の中で舞った。

 甘い、甘い、嬌声と共に。

 

 やがて言葉は鳴き声へと変わり、もはやその部屋の中に『人間』はいない。

 

 

 

 

 

 もし、襖の向こうの景色に耳を(そばだ)ててみたのならば。

 貴方にも、中の様子を窺うことができるかもしれない。

 

 ほら、鳴き声が聞こえてくるはず。

 

 

 ――こん。こん。こん。

 



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番外編 虹の雨よ降れ、バレンタイン
8-I きらきらのチョコレート


 

 …どうしよう。

 

 振り回され続けてすっかり忘れていた。

 まさか3日もイヅナたちを()()()()()()にしてしまうなんて。

 

 まあ、それもこれも全部博士とキリンのせいなんだけどさ…

 

「はぁ、はぁ…とにかく急がないと…!」

 

 もう遅いかな。…間違いなく遅い。

 でも、それはここで歩みを止める理由になんてならない。

 飛んでいる訳だけど、歩みは止まらない。

 

 先にどちらに行くか迷ったけど、屋敷の方が近そうだったからそっちに行くことに決めた。

 

 

「着いたはいいけど…あはは、入りづらいな」

 

 ”敷居が高い”と言うのだろうか。

 もう妙な気を遣う間柄ではないはずなのに、なんだか気が引けてしまう。

 

 しかし、ここで燻っていても何も始まらない。

 僕は意を決して屋敷の扉を開けた。

 

 

「た、ただいまー…?」

 

 恐る恐る声を掛ける。

 

 僕の声だけが木霊して、足音だけが反射する。

 居座るあまりの静けさに、進める足も怖気つく。

 

「イヅナぁ…い、いないの…?」

 

 もしかして何処かに出掛けているのかな。

 出て行っちゃったわけじゃ、ないよね?

 

「……」

 

 スー…

 

 襖を開ける音が床を伝い、部屋に差し込む光が僕の影を映す。

 視界に入った景色にもイヅナの姿は見当たらない。

 

「や、やっぱり出掛けてる…?」

 

 願わくばそうであって欲しい、が……

 

 ガチガチに体が固まる。

 震えながらノロノロと腕を上げて、そして。

 

 目の前が真っ暗になった。

 

 

 

「……だーれだ?」

「…イヅナ?」

 

「うふふ、正解!」

 

 目に掛けられた手が外れて、後ろにはイヅナがいた。

 

 

「あ、あぁ……えっと…」

「もう、遅いよノリくん、今日で何日?」

 

「み、3日……」

「そう、3日も経ったんだよ!」

 

 確かに会いに行けなかったのは僕が悪い。

 でも、だったらイヅナが来てくれればよかったのに……

 

「”待ってて”、って言われたから」

「…言ったような気がする」

 

 いくら何でも律儀すぎると思うけど、それなら仕方ないのかな。

 

「でも、()()()()来てくれて嬉しいな。お腹空いたでしょ? 準備してくるね」

 

「あ、分かった…」

 

 やたら上機嫌に厨房へと駆けていくイヅナ。

 あれ、なんで真っ先にここに来たって分かったんだろう?

 

 …きっと、テレパシーかな。

 

 

 

 

「お待たせー!」

 

 しばらくして、沢山の料理が食卓に運ばれてきた。

 そのどれもが、淡く虹色の光を放っている。

 

 よく見ないと分からない、だけど間違いなく全部にサンドスターが()()()()()

 今更とやかく言い立てることでもないけど、この光景はちょっぴりシュールだな。

 

「じゃあ、いただきます」

「うふふ、召し上がれ~!」

 

 料理を口に運ぶと、とろける味がいっぱいに広がった。

 いつも通り味はピカイチだ。

 

「…どう?」

「おいしいよ、イヅナ」

 

「えへへ、よかった! …ところで、今日はいつものとは別の隠し味も入れてみたんだ、分かる?」

「…別の?」

 

 ()()()()はイヅナのサンドスター。

 じゃあ、今日の料理に入ってるのは…?

 

 もう一口含んで、もっとじっくり味を確かめてみた。

 

 ……分からない。

 この料理の隠し味は本当に隠れている。

 

「分かる…?」

「え、ええと…」

 

 当てられなかったらきっと怖いことになる。

 でも特に味が変わったような感覚はしない。

 

 …となると、入れてもあまり味が変わらない物かな?

 

 この際だ、あてずっぽうに賭けてみるしかない。

 

 

 それは例えば味に関係なくて、でも入れると美味しくなるもの。

 そう、例えば…

 

「…心とか?」

「えっ?」

 

 …反応からして違うみたいだ。

 

 だけど…イヅナ?

 

「も、もう…!」

 

 顔を赤くして身をよじっているように見える。

 服をわしゃわしゃ乱す姿は明らかに興奮している。

 

「心ならいつも込めてるし…もう、ノリくんにあげちゃったよ?」

 

「あ…そ、そっか…!」

 

 外しはしたけど、大事は避けられたのかな。

 結局何が隠し味だったのかは気になるけれども。

 

「えへへ、お口開けて!」

「…あむ」

 

 まあ、いいかな。

 

 

 

「…ねぇノリくん、渡したいものがあるんだ。待ってて、今持ってくるから」

 

 食器を片づけたイヅナは、そんなことを言って再び部屋の外に消えた。

 

 まだ口の中にさっきの料理の味――特にサンドスターの後味――が残っている。

 心地よい風味なんだけど、ちょっと長引きすぎだ。

 それだけ、印象深い味でもあるんだろう。

 

「ふぅ…」

 

 ところで、”渡したいもの”とは、一体全体何だろう?

 何かモノを渡すようなイベントなんてあったっけ。

 

 ジャパリパークにはカレンダーが無いから日付の感覚がよく分からない。

 はて、この島に来てから今日で何日目なのだろうか。

 

「日記も途中から適当になってるし…」

 

 まともに日数を数えていたのも30日目くらいまで。

 それからは大まかな出来事とおおよその数が書かれているだけ。

 ここまで外界から隔絶された世界には、もはや時の流れなど必要ないのかもしれない。

 

 変化もなく、発展もなく、同じサイクルの中で停滞し続ける。

 自然なんて大体そんなものだし、革新的に進もうとしているのはきっとヒトだけなんだ。

 

 …僕は、進もうとしてるのかな?

 

 

 

「…ノリくん!」

 

 考え事をしているうちにイヅナが戻ってきた。

 持っているものを後ろ手に隠し、もじもじと振舞っている。

 

「え、えへへ…これ、あげるね」

 

 そう言って、可愛いリボンでラッピングされた箱を差し出した。

 四角い箱の外面にはピンクの模様が立ち並び、普通の贈り物でないことを強烈にアピールしている。

 

「…これは?」

「開けてみて…!」

 

 丁寧に結ばれたリボンを解きフタを開けると、中にはきらきらに輝くハート型のチョコレートが入っていた。

 

「わあ…!」

 

 綺麗な作りもさることながら、『きらきらに輝く』という表現も比喩ではない。

 サンドスター不足が心配になるけど、イヅナに限ってそんなことは起こらないのだろう。

 

「…食べてみて?」

「うん、いただきます…!」

 

 一口かじりつくと、イヅナの味がした。

 不思議と、チョコレートを食べている気はしない。

 

 ()()()()の食感や鉄の味がじんわりとにじみ出て、しみじみとした甘味が溶けだした。

 

 これを、なんと呼べばいいのだろう。

 

「おいしい?」

「…素敵な味だよ、イヅナ」

 

 パァッと笑顔があふれ出た。

 

「うふふふふ…ありがとね!」

 

 

 その後も、チョコレートをゆっくり時間をかけて食べ続けた。

 あまり時間をかけたせいで、手の熱で溶けたチョコが指先に付いてしまった。

 食べるのに夢中で、それに気づいたのは食べ終わってからだったけど。

 

「ノリくん、手…出して」

 

 言われるがままに右手を差し伸べる。

 

「…あむっ」

 

 指にしゃぶりつくイヅナ。

 

「んっ、んふふふ…」

 

 舌をチロチロと動かしてチョコを舐め取ってくれた。

 だけど、舐め方がねちっこいように感じる。

 

 指がふやけてきても、イヅナは口に挟んだ手を放そうとしない。

 芯までしゃぶりつくす勢いが見て取れる、紅い上目遣いが美しい。

 

 

「ね、ねぇ…そろそろこっちもいいかな…?」

 

 流石にやりすぎだから、代わりに左を差し出した。

 

 …でも待って、わざわざイヅナに舐めてもらう必要があるのかな?

 普通なら、手を洗えば済む話なんだけど。

 

「はむむ…!」

 

 結論が出る前にイヅナの口は僕の手を捕らえてしまった。

 

 じゃあ、もういいや。

 イヅナに全部任せることにしよう。

 

「じゅるる…!」

 

 指を咥えるイヅナから目が離せなくなる。

 真っ白な肌は紅潮し、髪の毛は忙しなく揺れている。

 

 耳に噛みついて、あのチョコのように食べてしまいたい。

 

 唾液まみれの右手を、こっそりゆっくり伸ばして……

 

「…ぷはぁ」

 

 ああ、そうこうしているうちに終わっちゃったみたい。

 バツが悪くなり、手は引っ込めてしまった。

 

 ところで…イヅナはまだ満足していないのかな。

 尻尾をブンブン振り回し、ちょっと下の方を見ている。

 

「じゃあ……次はこっち!」

「ま、待って、そこは…!?」

 

 これも…任せちゃっていいのかな?

 

 

 

 …はだけた服を着なおし、大きく息をついた。

 

「うゆぅ…ノリくん…」

「あはは…疲れちゃったね」

 

 抱きしめるイヅナの髪を手ぐしでとかす。

 そうすると、耳をぴょこんと揺らして悦んでくれる。

 

「えへへ…今日は私が先だったね」

「…さっきも聞いたけど、どういう意味?」

 

 2人が順番を争っているのは見れば分かる。だけど今日ほどに意識することは珍しい。

 …まあ、僕のせいと言われればそれまでだけど。

 

「えっとね、ノリくんに隠れてプレゼントを用意してたんだ…」

 

「そうだったんだ…」

 

 なるほど、そんな事情があったんだ。

 それにしても、妙な時期に重なっちゃったな。

 

「キタちゃんのも、そろそろできたかなと思って。 …確かめに行ってみたら?」

 

「…いいの?」

 

「いいよ、後で迎えに行くからさ!」

 

 …多分、その時になったらもっと求められるんだろうな。

 

「でも…そっか。じゃあ、雪山まで行ってみるね」

「行ってらっしゃい、ノリくん」

 

 襖を閉める直前、隙間越しに手を振った。

 

「…あ、うふふ!」

 

 気付いてくれたイヅナは手を振り返してくれた。

 名残惜しい気持ちが湧いてきて、このままでいたいと思った。

 

 

 雑念を振り切り襖を閉め、そして後ろを向いて、

 

「よっ」

「わっ!?」

 

 危うく尻もちをつきかけた。

 咄嗟に彼が支えてくれなければ危なかったよ。

 

「か、神依君、どうして…?」

「別に? 急いで飛んでるお前を見かけて、様子を確かめに来ただけだ」

 

「あはは、それは見苦しいところを…」

 

 もし空を飛べなければどうなっていたことか。

 …博士に運んでもらうだけかな。

 

「それで、どうしたんだ? 随分と楽しそうだったが」

「み、見てたの!?」

 

「そんな訳あるか」

 

 うぅ、チョップされた。

 

「はぁ、今の様子だけで大体分かる」

「あ、あはは…」

 

 とりあえず、大事な部分は隠して今までのことを神依君に話した。

 

「成程…つまりはバレンタインチョコだな」

「バレンタイン…チョコ?」

 

「バレンタインデーってやつがあってな、その日に渡すチョコのことだ。…それくらい分かるんじゃないのか?」

「あー、分かる気がするかも」

 

 神依君に言われるまで記憶と全然結びつかなかった。

 外の世界にはそんな日があるんだな。

 

 

「じゃあ、神依君ももらったことあるの? バレンタインチョコ」

 

「なっ、俺に聞くのか!?」

 

「……?」

 

 なんで驚くんだろう。

 もしかして貰ったことがないのかな?

 

 でも、チョコを貰う()()でしょ?

 だったらお母さんとかから貰うこともあると思うんだけどな。

 

「…いいだろう、聞かせてやる」

「あ、いいの?」

 

「その代わり! ちゃんと聞けよ? お前のせいで思い出しちまったからな…」

「…うん」

 

 すると、神依君は全身をいっぱいに使って深呼吸をした。

 な、何が始まるのかな……バレンタインの話、だよね?

 

 

「あれは、中学1年の終わりの話だ…」

 

 何と愚かなことだろう。

 その話が始まる直前になってから、僕は思い出した。

 

 神依君が、外の世界で何を体験したのか。

 

 …ごめん、神依君。

 

 そう思うと、自身の過去を語る彼の姿が哀れに見えてきた。

 



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-8-J 切り札はカッターナイフ

 

 2月14日、言わずと知れたバレンタインデー。

 

 しかし皆がその日を待ちわびているわけではなく、街を眺めると密かに暗い視線が辺りを飛び交っている。

 全く、まだ朝だというのにこの調子なのか。

 

 その視線の闇に当てられ、俺も若干沈んだ気分で学校に到着した。

 

 

 昇降口も、朝から異様な雰囲気だ。

 門の前に立ち、普段は元気な挨拶をみんなに配る男子生徒も今日はその声の中に仄かな怨嗟が籠っている。

 

 おいおい嘘だろ。

 バレンタインデーってこんなに暗い行事だったのか?

 

 小学校に通っていた時はこんなこと一切無かった。

 そもそも学校にチョコを持ち込むのは禁止だったし、渡すにしても学校の外だったからかな。

 

 中学初のバレンタインデーは、恐ろしい瘴気と共に俺を出迎えてくれたらしい。

 俺は、この空気を今日含めて3回も味わうことになるのか。

 

 雪を踏む音が耳の中に響く。

 気にしていなかったはずなのに、神経が尖って大きな音に聞こえてしまう。

 

 それとも全部俺の勘違いか?

 だとしたら何よりな話なんだがな……

 

「ん? あれは…」

 

 そんな俺は、下駄箱の辺りに見知った人影を見つけた。

 

「あ…やめとくか」

 

 見つけた人物は今声を掛けるべき者ではなかった。

 なんでかって言うと、この空気だからな。

 

 相手も俺に気づいた。

 …頼むから、まだ話しかけないでくれよ?

 

「あ、カムくーん!」

 

 …アウト。

 致し方ないことなんだが、周りの視線が怖くなる。

 

 ええい、かくなる上は無視だ無視。

 周りなんて気にせず教室に直行すると決意した。

 

「おはようカムくん、今日は寒いね」

「ああ、みんなの雰囲気も冷たいな」

 

 そう言うと、真夜はやっと気づいたように辺りを見回し、クスクスと笑った。 

 

「あはは、どうしちゃったのかな?」

「分かんないならいいんじゃないか」

 

「…そうね、じゃあ私は先に行ってるね」

「ああ、またすぐな」

 

 軽い会話の後、真夜は教室へと行ってしまった。

 同じ学級だからすぐに会うんだけどな。

 

 

 下駄箱から内履きを取り出し、代わりに登校靴を中にしまう。

 

「……ん?」

 

 変だ。下駄箱の中からいつもと違う匂いがする。

 でも、中には何も入っていない。

 

「気のせいか…?」

 

 そういえば、さっき真夜の奴俺の下駄箱を開けていたような…

 しかし中には何もないし、何か無くなったわけじゃない。

 

「疲れてるのかもな…」

 

 程なくしてこの問題は頭の片隅に追いやられ、俺もさっさと教室へ向かうことにした。

 

「おはようございまーす!」

「…元気だな」

 

 朝の挨拶当番は屋内にも配置されている。

 特に彼女が大きな声を出しているわけではないが、周りと比べると随分元気がいい。

 

「おはよう、神依!」

「ああ、おはよう北城…今日はやたらと元気だな」

 

 普段の北城のイメージは物静かだが、今日はまるで別人だ。

 いいことでもあったのか、もしくはこれからあるのか。

 

「神依は、元気じゃない?」

「あんまりな…まだ朝だぞ」

 

「でも、いいことあったんじゃないかな?」

「…何の話だ?」

 

「ふふ、照れちゃって…」

 

 そんなことを言われても、無いものは無い。

 適当にはぐらかしつつ、俺は教室へと急いだ。

 

 

「遅かったね、カムくん」

「ハハ、北城の奴に絡まれてな」

 

 ようやく背中の荷物を下ろせた。

 ええと、1時間目は数学だったかな。

 

「またなの?」

「いつものことさ、気にすることもない」

 

 残りの勉強道具も机の中にしまって、準備は終わった。

 

「今日、バレンタインだね」

「…だな」

 

 真夜は横目でこっちを見てくる。

 …その目は、なんだ?

 

 何か言えってことか…

 

「まぁ…期待してるよ」

 

「…うふふ、信じていいよ?」

 

 こういうイベントの日の真夜は実に盛り上がっている。

 俺は知っている、真夜が心の底で望んでいることを。

 

 でも俺は知ってしまった、あの日、真夜の家で。

 俺は……

 

 

 

 午前の授業がすべて終わり、生徒たちは思い思いに弁当の包みを広げ歓談と共に食する。

 

「カムくん、一緒に食べよ!」

「……ああ」

 

「オレもご一緒させてもらおうか、神依」

「あ…遥都、じゃなくて博士」

「どっちも一緒だね…やれやれ」

 

 あからさまに肩を竦めながら遥都は向かいの椅子に腰を下ろした。

 

「あ、私もいいですか…?」

「あら、北城ちゃんも来たの?」

 

 とどのつまり、いつもの4人組だ。

 俺も弁当のふたを開けて食べ始める。

 

 別に内容は詳しく言わない。

 説明したところで意味なんて無さそうだからな。

 とにかく、俺が作った弁当だからワクワクとかそういう気持ちが出てこないことだけは確かだ。

 

「カムくん、それ…」

「あげないぞ」

 

「か、神依…」

「お前の分もない」

 

 自分のがあるんだから、それで我慢してほしいものだが。

 

「じゃあ神依」

「なんであると思った…?」

 

 なんなんだ、俺の弁当はスーパーにあるような試食なんかじゃないぞ。

 親父の料理の悲劇を乗り越え、研究を重ね丹精込めて作り上げた一品一品が詰まっているんだ。

 

「それが分からないやつは…もぐ…許しておけないな…もぐもぐ…」

 

「あーあ、怒らせちゃったみたいだ」

 

 そんなこともあって、今日はあまり会話をせずに昼食の時間を終えてしまった。

 

 

 

 

「えー、つまりこの文章から読み取れるAの感情は……」

 

 念仏のような声が教室に反響する。

 こんな音を延々と聞いていると集中力が削がれてしまう。

 

 周りの奴も退屈そうに授業を受けている。

 たった1人、真夜を除いて。

 

「~♪」

 

 当の真夜も、国語を楽しんでいるわけではなさそうだ。

 

「はぁ…」

 

「神依、どうした?」

「っ、いえ、何でも…」

 

「…そうか、さて、次の段落だが……」

 

 ああ、この分なら1人で読んでいた方がよっぽど楽しいな。

 

 

「あはは、退屈だったね…カムくん」

「これに関しては同感だな…」

 

 ともあれ、これで今日の授業は終わりだ。

 そして、今この瞬間に今日のメインイベントが始まるのだ。

 

 なんとこの学校、今日だけ全ての部活動が()()()()になっている。

 すると集まる部活は集まって、それ以外は各々で楽しむという構図が出来上がる。

 まあ、楽しめる人たちは好き勝手やっているらしい。

 

 …中学校だというのに、果たしてこんな調子でいいのだろうか。

 ちなみに、学年末テストは来週だ。

 

 

 

「じゃ、俺は帰るか」

「すぐ届けるから待っててね~」

 

「…はいはい」

 

 ヒュ~ッと音が経ちそうなほど素早く行ってしまった。

 これだと、俺が家に着く前に真夜が先回りしそうだな。

 

「…ちょっと急ぐか」

 

 真夜が早く着くだけなら問題は無いが、アイツは勝手に俺の部屋に入る。

 母さんも一切の疑問なく部屋に上げてしまう。

 片づけとかの準備も全然やらず、何なら真夜が掃除をする。

 

 帰ったら部屋で真夜が寝ていた時の衝撃を、今でも鮮明に思い起こせるんだ。

 

「神依、今日は……あれ?」

「悪い遥都、もう帰る!」

 

 待つんだ真夜、少なくとも俺が帰る前に家に着くんじゃない!

 

「……おお、珍しい。名前呼びってことは、アレ本気だね」

 

 

 ええい、急げ。

 動け俺の足よ。できるならもっと動け!

 

 冷静に考えて馬鹿らしいことをしているのは分かる。

 しかし真夜が更に恐ろしいことをしかねないのはもっと理解してくれるはずだ。

 

 よし、あと少しだ。

 自宅近くの公園には時計があり、針は3時45分を指している。

 この時計は4分程遅れているから、今はおよそ50分頃だ。

 

 玄関の扉に手を掛ける。

 間に合ってくれ――!

 

「ただいま!」

「おかえり神依、真夜ちゃんが上がってるよ」

 

「……」

 

 間に合わなかった。

 俺の努力は、息を切らして走った500mの汗は、一切が無駄に――

 

「神依?」

「…ああ、分かったよ」

 

 仕方ない、気持ちを切り替えよう。

 別にやましいことは一切無いのだから、堂々としていればいい。

 

 …まるでこれから叱られる奴みたいな心構えだな。

 

 

「全く…」

 

 若干重くなった背中を伸ばして、1歩1歩を踏みしめながら自分の部屋へと進む。

 

 ガチャリ…

 

「おかえり、カムくん!」

「…お前はこの部屋の主か?」

 

「あはは、お邪魔してまーす」

 

 真夜はベッドの上に転がり、ぬいぐるみをいじって遊んでいる。

 

 名誉のために言っておくと、そのぬいぐるみは俺のものじゃない。

 一方的に真夜から押し付けられたものだ、2年前にな。

 ただ片づけると機嫌を悪くしてしまうから、仕方なしに部屋に置いたままにしている。

 

「見てよカムくん、この子かわいいでしょ!」

「2年前にも聞いたセリフだな、そしてお前はそれを俺に寄越した」

 

「チョコレートと一緒にね! …あ、今年のチョコも持ってきたよ」

 

 ピョコっと起き上がり、肩に掛けていたバッグから1つの箱を取り出した。

 正座になって、キッチリ俺に向き直る。

 

「…カムくん」

「あ、ああ…」

 

 両腕の先に差し出された箱を、俺も両手で受け取った。

 

「…食べていいか?」

 

 コクリ、静かに頷いた。

 

 箱の中からは、赤みを帯びたチョコレートが出てきた。

 イチゴが混ぜ込んであるのだろう、斑点がいくつか見える。

 

 大口一口かじり取る。

 

 ()()()()()、4年前から変わらない味を思い出した。

 

「それで…()()()()?」

「ああ…()()()()()

 

 一瞬目を見開いた真夜。

 だがすぐに表情を戻し、何ともないような笑顔で言葉を紡ぐ。

 

「そっか…ありがとう」

「礼を言うのは俺の方だ」

 

「…ところで、()()私以外からは貰ってないよね?」

「…? 当然だ」

 

「なら、よかった」

 

 

 その後にあったのは他愛のない言葉の応酬。

 無意味な会話を終わらせた頃には、既に外は闇に包まれていた。

 

「…もうこんな時間なの!?」

 

 何気なく外を眺めた真夜、大きく驚きの声を上げた。

 

「そろそろ帰らないと、親が心配するぞ」

「しないよ、絶対」

 

 言葉の終わりと同時に返された声は外よりも深い闇を湛えているように思え、また朝は来ないだろうと感じさせるのに十分なほどの淀みを孕んでいた。

 

「……でも、帰る時間だ」

「…わかった」

 

 返事と共に真夜の表情は明るく変わり、玄関を過ぎるころには先程までの様子を思い出せなくなっていた。

 

「じゃあまた明日ね、カムくん」

「ああ、またな」

 

 そして真夜が出ていくと、入れ違いざまに父さんが玄関に姿を見せた。

 

「あ、父さん?」

「おお、ただいま神依。真夜ちゃんが出てきたが、今年も来てくれたんだな!」

 

「あ、ああ…今年もな」

 

 父さんや母さんは嬉しく思っているようだけど、俺からしたら…

 

「父さんは少し安心してるぞ…」

「心配しなくていいっての」

 

 気に掛けるのなら、もう少し真夜のことを理解してくれ。

 

 

「おかえりなさい、もう少しで夕飯できますから支度してきてくださいな」

「ああ、そうするよ」

 

 父さんは部屋に戻り、きっと着替えやらするのだろう。

 

「神依、このお皿を運んでちょうだい」

「これか、今日も美味しそうだな」

「もう、今日もそんなこと言って…!」

 

 だけどそうか、父さんは俺の将来のことまで考えてくれてる。

 

 …自分で未来を決めるなら、身の振り方は考えないとだな。 

 

 

 

 翌日、2月15日。

 

 今日は昨日と違って明るい朝だ。

 心なしか太陽も燦燦としているように感じる。

 

「…寒いな」

 

 冬の晴れの日は何より気温が低い。

 手をこすりながら何とか途中の通学路を乗り切った。

 

 半ば凍りかけの手を動かし下駄箱を開ける。

 

 そして、俺の体は凍り付いた。

 

「…なんだ、これ」

 

 下駄箱に入っていたのは、プラスチックの袋。

 その中には、()()()()()()()()()()()()と1枚の紙切れ。

 

 その紙切れには、こうあった。

 

『答え合わせです、ボクのチョコの隠し味はコレでした! …気づいてくれた?』

 

「この字…この文章…!」

 

 紙切れに名前は書いていない。

 答えを合わせるような問題も受け取っていない。

 

 しかし俺は、すべてを理解した。

 だから真夜は昨日、俺の下駄箱を…

 

 そして、これの差出人は――

 

「なるほど、な…」

 

 手元にあるこの袋を、今すぐ捨ててしまいたかった。

 



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8-K 毛糸のマフラー

 

「はぁ、はぁ…なんでまた…?」

 

 本日2度目の大急ぎ。

 神依君のお話を聞いているうちに心も空も暗くなってしまった。

 

 というわけで、日付が変わらないうちにキタキツネのいる場所に向かわなきゃ。

 

 ”みずべちほー”との境界を超えると、空から雪が降ってきた。

 ピッタリ境界で降るか降らないかが分かれるのはジャパリパークでしか見られない光景に違いない。

 

 そして気温も急激に下がる。

 毛皮も一応あるけどやっぱり何か寒さをしのげるものが欲しいな。

 

「ふぅ…やっとだ」

 

 さあさあ、”ないものねだり”もここまで。

 もう僕は旅館に着いてしまったから、今日はこの寒さに悩まされることもあんまりないだろう。

 

 

 

「キタキツネー、いるー?」

 

 また、返事はない。

 デジャヴを感じ、今度も大丈夫なのかなという不安に駆られた。

 

「き、キタキツネー…?」

 

「…ノリアキ?」

 

 襖の向こうから声が聞こえた。

 

「あっ、キタキツネ!」 

 

 反射的にその方向へと駆け出し、襖を開けようと手を掛ける。

 

「だ、ダメだよッ!」

 

 でも、勢いよく止められてしまった。

 突然の声に驚いて開けかけた手も引っ込んだ。

 

「な、なんで?」

「ごめん、今日はその、恥ずかしくて…」

 

「恥ずかしい…? そ、そっか…」

 

 事情は分からないし、キタキツネが言わない限り知らない方がいい。

 もしかしたら、3日も放置したことを怒ってるのかもしれないし…

 

 とりあえず、背中を襖に付けて座る。

 そうすると、向こうからも襖に寄りかかる音が聞こえた。

 

 ごくわずかにキタキツネの熱を感じ、息が漏れる。

 急いで来た自分の熱と混ざったのか、キタキツネの方からも同じように吐息が聞こえる。

 

 この状況は気まずいな。

 

「……ゲームでもする?」

「…うん!」

 

 あってよかった携帯ゲーム機。

 無線通信機能もあるから例え相手に姿を見せられないときでも一緒に遊ぶことができる。

 …そんなときは絶対に訪れないとばかり思っていたけどね。

 

「遊ぶのはいつものでいい?」

「うん…負けないよ」

 

 

 ピコピコ、ピコピコ。 

 忘れかけてた『スマッシュシスターズ』。

 操作は手が覚えていてくれたから、なんとか場を繋ぐことができた。

 

 …最初だけ野生開放で辻褄を合わせたのは秘密だよ。

 

 

「…勝った!」

「うぅ…なんでぇ…?」

 

 髪の毛をわしゃわしゃとかき乱す音が聞こえる。

 キタキツネがゲームで負けた時にする癖だ。

 

 あとは親指の付け根を噛んだり口の中を噛んだり、頬をペチペチ叩いて落ち着こうとしたりと色々ある、あるけど…今はいいか。

 

「…もういっかい!」

「うん、いいよ」

 

 次はちょっと手加減しようかな。

 …でも、バレちゃうかもな。

 

「ノリアキ、マジメにやって!」

「…ああ、ごめん、次は本気でやる」

 

 案の定すぐに気づかれてしまった。

 あはは、キタキツネには敵わないや。

 

 だってその一挙手一投足と、キミが微かに動く音さえ、僕の集中力を削いでいくのだから。

 結局、それから一度も勝てなかった。

 とっても、楽しい時間だった。

 

 

「…ねぇ、キタキツネ?」

「んー…?」

 

 背中から聞こえる眠たげな声が、心を癒してくれる。

 

「その、ごめんね。3日も()()()()()()にしちゃって…」

「…寂しかった」

「だよね…ごめん」

 

 次ぐ言葉を失っていると、静かに開いた隙間から明るい橙色の何かが出てきた。

 広げてみると、長くてモフモフしていてあったかい。

 

「…これは?」

「ボクが作ったマフラーだよ、()()()()()()()()()()()()()()って()()()()()を掛けたの」

 

「あ、ありがとう…」

 

 これが、キタキツネが用意してくれたプレゼント…でいいんだよね。

 試しに首に巻いてみると、とっても温かい。

 

 それ以外の表現が見つからない。

 心の底から温められるような、そんな安心感を覚える。

 

 まるで、キタキツネがすぐそばにいてくれているみたいで。

 

「とっても嬉しいよ、キタキツネ…!」

 

「え、えへへ…よかった」

 

 僕の耳は、キタキツネが恥ずかしそうに服をいじる音を捉えた。

 普通なら聞こえないはずなのに、僕の気持ちも昂っているのかもしれない。

 

 

 少しでも彼女に触れていたくて、向こう側へとそっと手を出した。

 キタキツネの手が、僕を捕まえてくれた。

 

「ノリアキ、そこにいるんだよね…」

「うん、ずっといるよ」

 

「じゃあ、明日も…?」

「……」

 

 いられるならここにいたい。

 でもイヅナも置いておくことはできないんだ。

 イヅナに同じことを訊かれても、僕は答えられない。

 

「…いじわるなこと聞いちゃった?」

 

「ううん、いいんだよ」

 

 キタキツネ、確実にすぐそこにいるのにその姿を見ることができないなんて。

 手を強く握って、せめて離さないように努める。

 

 2人ともお互いの熱を感じながら静かに佇む。

 遠くから水音が聞こえてきて、眠ってしまいそうなほど穏やか。

 

 うつらうつら、分かるのは手と胸が暖かいことだけ。

 

 

「……そんなところに座って、何をしているのかしら?」

「っ、ギンギツネ!?」

 

 驚く僕に呆れるような目線を向け、襖の向こうにいるキタキツネに話しかけた。

 

「お風呂の時間よキタキツネ。早く出てきなさい」

「やだ、今日はダメ…!」

 

「わがまま言わないの…入るわよ」

「わわ、待って待って!」

 

 部屋に押し入るべく手を掛けたギンギツネを遮り、襖を完全に閉めた。

 

「そのさ…キタキツネが嫌がってるし、無理やりって言うのは…」

「あのねぇ、お風呂には毎日入らないとダメでしょう? 昨日も入ってないのよ」

 

 ぐうの音も出ないほどの正論に、もはや返す反論も思いつかない。

 

「そ、それは…じゃあ僕が話を付けるから、任せてくれないかな?」

 

「…分かったわ。なら、早くしてね?」

 

 不気味なほど柔和な微笑みを浮かべ、ギンギツネは向こうに行ってしまった。

 

 

 体が震えているのは寒さのせい。

 軽く動いて収めた後、キタキツネの方に声を掛けた。

 

「キタキツネ…やっぱり、ダメ?」

「どうしても、出なきゃいけないの…?」

 

 嫌がるキタキツネを外に出すのは心苦しい。

 だけどたった今約束してしまった、みすみす破るのは嫌だ。

 

「まず、僕が入って見てもいいかな。それでどうしても難しかったら、僕からギンギツネに伝えるからさ」

 

「……わかった」

 

 ススス…と襖は引かれ、僕は部屋に入った。

 でも、キタキツネはいない。

 

「あれ、キタキツネ?」

 

 と思ったら、部屋の隅にある布団が膨らんでいる。

 襖を閉めて、僕は彼女のもとに歩み寄る。

 

「もう、それじゃ部屋の中にいるのとおんなじだよ?」

「や、やっぱり恥ずかしいよぅ…」

 

 この調子じゃ僕と顔を合わせることも無理そうだし、お風呂に入るというのももはや問題外の話であろう。

 なら、もう仕方ないかな。

 

「…えいっ!」

 

 ごめんねキタキツネ。

 後で謝るから、まずその姿を見せて欲しい。

 

 

「……あ!」

「な、なんでぇ…?」

 

 膝下まであろうかという長さのキタキツネの髪が、肩にかかる程度にまで短くなっていた。

 普段の大人しめな雰囲気がいささか弱まり、身軽になったように感じる。

 

「髪の毛、切っちゃったの?」

「短くて恥ずかしいの…変でしょ?」

 

 ペタリと座り込んで上目遣いで僕を見上げる。

 思わず撫でようと出かけた手を引っ込め、言葉にしてキタキツネに渡す。

 

「全然変じゃない、かわいいよ、キタキツネ」

「ふぇぇ…!?」

 

 髪の毛の先をなびかせ、耳を撫でてあげた。

 

 頬を真っ赤に染めて、両腕で僕に抱きつく。

 そして、蕩けるような声で耳元に囁く。

 

「ノリアキ…ひとつお願いしていい?」

「ん…何かな?」

 

 

「お風呂…一緒に入って…!」

「えっ、それって…うわっ!?」

 

 キタキツネは僕を引きずる、無我夢中でお風呂へと向かっていく。

 

「さあ、脱いで!」

 

 服に手を掛けて、はぎ取るように僕を脱がせてしまう。

 

「待ってよキタキツネ、それくらい自分で…」

「んっ…!」

 

 唯一の頼みすら唇で奪われた。

 開かれた瞼の向こうにあった彼女の瞳は、虹と情の色に染まっている。

 

「ノリアキ、早く入ろ!」

 

 一体どうするのが正解なのか。

 分からないから、僕もこの心の中にある衝動に任せてみることにした。

 

 

 湯気が辺りを満たし、思考もぼやける空間の中。

 お湯の中に浸かり、僕たちは体を密着させていた。

 

 「えへへ…!」

 

 腕から指の先まで絡まりあい、体の境界もあやふやだ。

 

 熱のせいで呼吸は荒い吐息へと変わり、そのささやかな音さえ痺れるような興奮を誘う。

 

「はぁ…はぁ…! 匂い、やっと取れたね…!」

「匂い…?」

 

 恍惚と共に身をよじるキタキツネの肌は白く、淡く濡れて月明かりに照らされる。

 髪の毛が短くなったお陰で普段隠れていた部分まで露わになり、艶やかな体の線が強調されている。

 

「イヅナちゃんの匂い、ようやく無くせた。だから、次はボクの番」

 

 キタキツネは腕を解き、滑らせるように背中に回した。

 更に肌は密に触れ、零れる水音は煽情の種。

 

「ノリアキ…いいでしょ?」

 

「そ、それって…」

 

 言わんとしていることを、理解する。

 そして躊躇し、その間にもキタキツネは体をこすり付けて匂いを付けようとしている。

 

「はむ、ふふぅ…」

 

 いつかのように、僕の首筋に優しく牙を立てる。

 歯で規則的に刺激し、舌で染み入るように味わう。

 

 そして手も休むことはなく、僕の()()なところを撫でまわし反応を見て、からかうように妖艶な声を耳に刻み込む。

 

「……ぁ…」

 

 半分ほど、意識を失いかけていた。

 そんな焦点の合わなくなった目に止まったのは彼女の首筋。

 

 仕返しにとでも言うように、僕は彼女に噛みついた。

 

「ひゃっ!?」

 

 突然のことに驚いたキタキツネは、口を離して手も止まる。

 その隙に彼女の体を引き寄せて、身動きが取れないよう強く抱き締める。

 

「ノリアキ…んっ…」

 

 肌と肌が触れて、擦れて、擦れて、擦れて……!

 柔なキタキツネの肌が、整った胸のふくらみが、肉付きの良い腿の感触が、じわじわと理性を削り取る。

 

「キタキツネ…!」

 

 唇に、唇を重ねた。

 その合間を舌が縫い、口の中で唾液が混じる音が心を蕩かす。

 

 心も体も芯から温まり、準備は整った――

 

 

 その後、温泉の中で一体何があったのか。

 それはここで語れるようなことじゃないし、できることならもうしばらくは僕の胸の中の思い出に留めておきたい。

 

 つまりは、()()()()()()()()()()

 

 

 

「ふぅ……」

 

 お風呂から上がった後、浴衣に着替えた僕は外の風を浴びに出ていた。

 雪の結晶は月光に輝き、空に浮かぶ月は雪に彩られて美しかった。

 

「ちゃんと説得してくれたのね」

 

「…ギンギツネ」

 

 安心した様子のギンギツネは、僕の隣に立って空を見上げた。

 

「それで、なんであの子閉じ籠ってたのかしら?」

「髪を短く切って…それが恥ずかしいからだって」

 

 理由を告げると、ギンギツネはあっけらかんとして笑った。

 

「…ふふ、そんなことだったの?」

「そう、みたい」

 

 ふぅ、と大きく息を吐いたギンギツネ。

 

「…前と同じね、あの子。なんだか安心したわ、私の知ってるキタキツネから変わっちゃった気がしてたから」

 

「…そっか」

 

 ギンギツネにも、そんな心配があったんだ。

 

「じゃあ私は戻るわ…コカムイさんも、冷えないうちに入ってね?」

「そうだね…気を付けるよ」

 

 ギンギツネが行った後、僕は彼女にもらったマフラーの端を握った。

 じっくり触ると、柔らかい生地の中に硬めの毛糸があることに気づいた。

 でも、やっぱり温かい。

 

「変わらない…か」

 

 降り積もる雪を眺めた。

 この銀世界の景色は、きっと明日も変わらない。

 

 それでも、この景色を作る雪の結晶1つ1つはいつかすべて新しい雪に()げ替わってしまう。

 全然変わってないように見えても、全部が変わるんだ。

 外側も、中身さえも。

 

 

 握った手を、もう片方の手で包んだ。

 キタキツネ色のマフラーは、生きているように温かかった。

 

 

 

「――ノリくん!」

「イヅナ…来たんだ」

 

「勿論だよ、今日は…私もここに泊まろっかな~」

「…イヅナも?」

 

 イヅナはくふふと笑って僕に寄りかかった。

 マフラーを指の間でこすり合わせると、目を細めて言った。

 

「へぇ…! そうなんだぁ…」

「イヅナ、どうかした?」

 

「このマフラー、キタちゃんの香りでいっぱいね…!」

「あはは…キタキツネが作ったからね」

 

 ヒラッとマフラーを放し、イヅナは先に進んでいってしまった。

 

 そしてボソッと呟く声を、狐の耳は逃さなかった。

 

「…思い切ったね、キタちゃん」

 

 部屋の中に消えたイヅナを追って、僕も中に入った。

 

 

 

 焦って着替えたせいなのだろうか。

 マフラーと勾玉の紐が絡まり、ほどくのに時間が掛かった。

 

 一緒に身に付けているのは、難しい?

 出来るなら、そうではないと願いたい。

 

 

 ――雲に隠れた月は、果たして綺麗かな。

 



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第二部『病んだあの狐が愛してる。』
Ⅰ-100 プロローグなんて始まらない


 ――外側。

 

 僕は静かな海の上に立って、前を向いていた。

 向こうには島が見えて、山頂から虹が架かっていた。

 

 ふと気になって振り返り、僕は()を向いた。

 

 そこには何もなかった。

 手を伸ばせば果てに達する、ただの無だった。

 虚しかった。

 

 …世界が揺れる。

 

 そこで僕の頭に疑問が浮かんだ。

 前と()の間には、何があるのだろう?

 

 九十度僕は振り返って、また『前』を向いた。

 

 そこにはいた。彼女がいた。

 

 …世界が揺れる。

 

 手を伸ばすと、彼女と僕は重なり合った。

 彼女が見えなくなってしまったことを、僕はとても悲しんだ。

 

 世界が揺れる。

 揺れる。

 揺れる。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 目を覚ますと、見慣れた赤いラッキービーストが布団の上で跳んでいた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 研究所にカタカタとキーボードを叩く音が響き渡る。

 僕はエンターキーを押して、最後の操作を完了した。

 

 というのも赤ボスの定期更新の時期がやってきたから。

 何やらデータベースをアップデートするらしく、今日は起き抜けに雪山を飛び立ってここまで来ている。

 

「そして、書き込みが終わるまでは1時間…と」

 

 ラッキービーストは先進的な機械だと思っていたが、それでも時間が掛かるみたいだ。

 

 ただ待つのも暇だし、何か読みながら待っていよう。

 資料室から適当な研究資料を引っ張り出して流し読みをする。

 

 早速手にしたのはセルリアンの研究資料。

 

 あれ…これ読むの初めてだっけ?

 

 正直覚えてない、眠くて思い出せない。

 眠くてこれ以上読めない、無くならないように仕舞っておこう。

 

 

「でも、なんでこんな時間に…?」

 

 更新中の赤ボスは何も答えない。

 

 最近、赤ボスの色は”赤”というより”ピンク”じゃないかと思うようになってきた。

 …まあ、どうでもいいか。

 

 今更”赤ボス”という名前を”ピンクボス”には変えられないのだし、そんな名前は格好悪すぎる。

 

 外はまだ太陽が昇って間もなく、木の間から薄っすらと木漏れ日が差し込んでいる。

 でも、まだ夜と言った方がいいのかもしれない。

 そんなくらいにこの部屋は暗い。

 

「あーあ、お腹すいたなぁ…」

 

 いくらイヅナから貰い受けた力があるとはいえ、空を飛ぶのは結構疲れる。

 それに、何を食べる間もなく引っ張り出されちゃったし。

 

 研究所にジャパリまんってあったっけ?

 確かこの辺りに置いてあるはずだけど……

 

『ピピ…アップデートを完了しました』

 

 あまりにも早い完了の音。

 1時間と言っていたはずなのに。

 

「赤ボス…?」

「ゴメン、予想時間ハ”計算ミス”ダッタミタイ」

「…はぁ」

 

 なんだろう、この脱力感。

 

 

 肩を落とした僕に、容赦なくデータのチェックを要求してくる赤ボス。

 

「一応、ノリアキモ確認シテネ」

「はいはい…」

 

 コンピュータがアップデートの何を間違えると言うのか。

 

 …そっか、ついさっき計算を間違えていたね。

 妙に納得してしまうのが恨めしい。

 

「何を更新したの?」

「主ニ”人物”ニ関スル情報ダヨ」

「僕とか、神依君とかか…」

 

 対して必要な情報とも思えないけど、赤ボスからしたらそうでもないのかな。

 まあいいや、やるだけやってしまおう。

 

 コンピュータ経由で赤ボスのデータを呼び出す。

 僕のプロフィールらしき文章がモニターに表示された。

 

 

狐神 祝明(コカムイ ノリアキ)

 

 人間だったけど色々あってキツネのフレンズになった。

 空を飛べて、狐火も出せる。

 かっこいい刀を2本も持っている。

 

 イヅナとだけ、テレパシーが使える。

 昔はそれを悪用されて心を読まれていたらしいけど、もうそんな事は無くなったみたい。

 

 最近、キタキツネにもらったマフラーを所構わず着けていたためイヅナに怒られたことがある。

 マフラーの下にはちゃんとイヅナにもらった勾玉が輝いている。

 

 

「えっと……何これ?」

 

 一応、プロフィールって体だよね。

 それにしては、やたらとフランクな文体だ。

 

「各地ノラッキービーストガ協力シテ、皆ノ情報ヲ少シズツ集メテイルンダ」

「なるほど、そういう…」

 

 赤ボスにしか話していないこともちゃっかり載っている。

 機械にプライバシーの観念は無いのかな。

 

 ともあれ、これは無闇に見せられない。

 

「ジャア、次ニイクヨ」

「は、早いね…」

 

 

天都 神依(アマツ カムイ)

 

 人間…だったけど1度死んでイヅナにセルリアンとして蘇らされた。

 セルリアンの体にはまだ慣れていないみたい。

 

 珍しい体をしているけど、詳しいことはよく分かっていない。

 

 助手(ワシミミズク)は解剖をして内部を確かめる実験を提案した。

 博士(アフリカオオコノハズク)は激しく反対した。

 

 探偵小説が好き。

 

 

「まあ、こっちは…いいか」

 

 恐ろしいことが書いてあったけどまあ博士は味方みたいだし、神依君が長生きできることを祈ろう。

 

 …1回死んでるけど。

 

「頑張ッテ集メタヨ」

 

 赤ボスが無い胸を張っている。

 どうしよう…なんて言えばいいのかな。

 

「…次、行こっか」

 

 

【イヅナ】

 

 白いキツネのフレンズ。

 元々は妖怪(幽霊?)だったみたいで不思議な力を使える。

 

 ヒトやフレンズの記憶もなんか色々できるらしい。

 

 身長は―――、体重は―――スリーサイズは――――――――(検閲済み)。

 

 あまりにも過激なアプローチがフレンズたちの間でも話題になっている。

 おかげで雪山に近づくフレンズは大幅に減った。

 

 夜のアプローチも非常に過激で――――

 

 

「わわわわぁッ!?」

 

 再生を止めた。

 咄嗟に手が動いた。

 仕方なかった。

 

 恐ろしい文章が表示されるところだった。

 スリーサイズの検閲とか軽く吹き飛ぶくらいの衝撃だ。

 

 何をまとめてくれているんだこの島のラッキービーストは。

 

「ドウシタノ?」

「どうしたとか、こうしたとかじゃなくて…何、あの先の文章?」

「…『夜のアプローチも――』」

「読めって言ってないよ!?」

 

 ああ…もういいや。

 どうせ全て完璧にできていることでしょう。

 そうであって欲しい、でもアレは修正してもらいたい。

 

 …今のうちに、許可なく公開できないよう設定しておこう。

 

 いや、むしろ永遠に封じておくべきだろうそうに違いないはい封印。

 

「…訳分かんないよ」

 

 

 はぁ…早く帰って二度寝しよう。

 眠いし、何より疲れた。疲れたんだ――!

 

「他ニモ、運動量トカ食事量トカモ調ベラレルヨ」

「…そう」

 

 この際だ、赤ボスが満足するまで聞いてあげよう。

 

「――ノリアキ、最近運動量ガ食事量ト比ベテ多イネ」

「そ、そう…?」

 

 意外だ、そんなに運動している気はしなかったから。

 結構食べてるはずだけど、どこで沢山運動したんだろう。

 

「特ニ短時間ノウチニ激シイ運動ヲスルコトガ多イカラ―――」

「……そう」

 

 その後も赤ボスはもっとゆったりした運動とか何とか云々。

 よくもまああんなに話せるものだ。

 

 それに僕にそんなことを言ったってもう…仕方ないんじゃないかな。

 

「まあ、善処はするよ?」

 

 出来る限り…だけどね。

 

 

「赤ボス、もう帰ろっか」

 

 早く眠ろう、そうしよう。

 早起きさせてまでこんなものを見せる赤ボスはきっと意地悪に違いない。

 

 ふらつく足を抑え、最後の余力を振り絞って僕は空へ飛び立った。

 

 ああ、空は寒い。

 

 帰ったら暖かい布団に潜りたい。

 暖かい、尻尾の中に…

 

 

 帰ると、待っていたかのようにキタキツネが出迎えてくれた。

 

「おかえり、ノリアキ」

「キタキツネ…起きてたの?」

 

 えへへと意味深な笑みを浮かべた後、キタキツネは赤ボスを退けて僕に抱きつく。

 

「まだ2人とも寝てるよ。だから…()()()()()?」

「でも、昨日…」

「昨日はイヅナちゃんとだったじゃん…」

 

 あれ、そうだったっけ。

 ダメだ、何も思い出せない。

 

「じゃあ、2度寝してからね…?」

「えぇー?」

 

 起きた時から荒れたままの布団を整え、ぐったりと横になる。

 

「じゃあボクも一緒に寝る」

「あぁ…そう…」

 

 もはや返事も億劫になって、適当な声が口から漏れる。

 次の1文字が零れる前に、口が重なって塞がれる。

 

「ん…」

 

 あったかい、キタキツネも、お布団も。

 もう何もかもどうでもいいや…

 

 

 そして、()()()()()()ギンギツネに叩き起こされるその時まで、僕たちは暖かい布団の中でぐっすりと眠っていた。



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Chapter Ⅰ それは、束の間の凪のような一時。
Ⅰ-101 手錠も心を繋ぎます。


「……あのさ、これ…何?」

「これ? 手錠だよ」

 

 硬い感触に目を覚ますと、左の手首に手錠が掛かっていた。 

 もう片方はキタキツネの右手首に掛かっている。

 

「それは分かるけど…なんで?」

「…え?」

 

 そんなに可愛らしく首を傾げられても困るから。

 いや、本当に大変だからさ。

 

「なんで…手錠を掛けたの?」

「んー? …ダメ?」

「だ、ダメとかそういう事じゃなくてさ…」

「じゃあ大丈夫だね、えへへ♪」

 

 …ダメだ、取り付く島もない。

 

 キタキツネ含め、彼女たちはしばしばこういうことをする。

 

 今回もその内終わるだろうし、誰か死ぬわけでもないしまあいいけども。

 

「でも、不便じゃないかな?」

「問題ないよ、ノリアキと一緒なら」

 

 その”ノリアキ()”が困るんだけど…うぅ、まあいいや。

 キタキツネが楽しいならそれで良しとしよう。

 

 しかし、ふと手錠の出所が気になってしまった。

 

「これ、何処から持ってきたの?」

「えーと、研究所だよ」

「な、なるほどね…!」

 

 おのれ研究所、今思い返せばかつて事件を起こした眠り薬も出所はあそこだった気がする。

 

 他にも色々イケないものが隠されているに違いない。

 そうだ、この手錠が外れたら探しに行ってみよう。

 

 

「朝ご飯できたわよー!」

 

 ギンギツネの呼ぶ声が聞こえる。

 イヅナは隣で眠っている。

 

 今まで黙ってたけど、イヅナは僕に抱きついたまま眠っている。 

 つまり手錠にイヅナと、2つの枷が僕を縛り付けている。

 

 …片方は本物の枷だ。

 

「イヅナ、そろそろ起きて?」

 

 またギンギツネに叱られてしまう、彼女の怒った声はもうこりごりだ。

 

「んぇ、もう朝ぁ…? ……あ!」

 

 イヅナが突然飛び退いた。

 

「ど、どうしたの…?」

「私のセリフだよ…! 何この手錠!?」

 

 手錠を指さして怒りだすイヅナ。

 当然だ、手錠なんて受け入れられるわけもない。

 

 イヅナは僕の肩を揺さぶる。

 

「ズルい、私にも掛けて!」

 

 …知ってた。

 

 一瞬でもイヅナが手錠()()()()について怒ってくれるなどと期待したことはない。

 

 そんなことを考えたとすれば僕は愚かだ。

 僕は…愚かだ。

 

「ボクが掛けたんだよ!」

「他には…もっと手錠はないの?」

「これだけ…えへへ、残念だったね?」

 

 柔らかな笑みで、蕩けそうなほど甘い声でキタキツネがイヅナを挑発する。

 

 当然の如くイヅナは挑発に乗る。

 何をしても落っこちようがないほどにしっかりと乗る。

 

「ふふふふふ……喜ぶのはまだ早いよ?」

 

 不敵な笑みを浮かべるイヅナ。

 この先にあるもの、それはきっと。

 

 キタキツネにとっては望まない結果で、

 イヅナにとっては素晴らしい結果で、

 

 僕にとっては…頭を抱えたくなるような現実なのだろう。

 

 

「神様の使いを舐めないでよね…!」

 

 …そういえば、神様の使いだったっけ。

 

 そんな威厳も雰囲気もないから忘れていた。

 それがイヅナらしいと言えばそうなのだけど。

 

「ちゃんと見ててね…?」

 

 手錠の周りにサンドスターのキラキラが舞う。

 しばらくの後、イヅナの手に新しい手錠が現れた。

 

 輪っかが僕の右手首を捕らえ、もう片方はイヅナの左手。

 

 そう、両手に手錠を掛けられてしまった。

 なんということだろう、僕は頭を抱えることが出来なくなったのだ。

 

 …いや、よくよく考えたら手錠は両手に掛けるものだった。

 

 それにしても、この使い方は随分と奇抜だ。

 

 

「ど、どうして…?」

「残念だったねキタちゃん、サンドスターで物を作ることくらい朝飯前なんだよ?」

 

 サラっとセルリアンめいたことをやってくれるこのかわいい白狐。

 今は本当に朝飯前で、そろそろ何か食べたい頃だ。

 

「なんか最近、力が強くなってるよね…?」

「えへへ、段々調子が出てきたし…ノリくんのことを思うほどに、私は強くなれるんだ!」

 

 それは恐ろしい、1か月後にはパークを滅ぼせるようになるのではなかろうか。

 イヅナは何としても僕が繋ぎ止めておかなくちゃ。

 

 …まあ、手錠でも使ってさ。

 

「ボクだって、ノリアキのためなら強くなれるよ!」

 

 キタキツネがここぞとばかりに張り合ってくる。

 今2人にケンカされたら、僕は物理的に大変なことになってしまう。

 

 よし、止めよう。

 

「ねぇ、朝ご飯…食べない?」

「…そうだね、ギンちゃんも呼んでるし」

「この続きは…後でだね」

 

 つ、続き…?

 

 止めさせなきゃ…適度に痛がればやめてくれるかな?

 まずはご飯を楽しんで、その後のことは後で考えよう。

 

 なんか…まだ眠い。

 

 

「おはよう…って、今日は何?」

「えへへ、手錠掛けちゃった」

 

 僕たちの様子を見るなりギンギツネが眉をひそめる。

 

 僕はもう特に感じないけど、多分ギンギツネの反応が正常なんだろう。

 

「何に使うかと思ったら…そういうことだったのね」

 

 ギンギツネは手錠のことを知っていたらしい。

 

 キタキツネから手錠を取り上げなかった彼女を恨もうとは思えない。

 むしろこの状況がちょっと楽しい。

 

 しかしここで、致命的なことに気が付いた。

 

「…あ、そういえば、どうやって食べればいいんだろう」

「うふふ…そんなの」

「…決まってるでしょ?」

 

 2人の笑顔は雪より明るい。

 

 なるほど、それも計算の内だったなら、僕はもう何も考えずに全て2人に任せて生きてしまえるのかも。

 

 …両手の自由を奪われると、ヒトは変なことを考えてしまうものらしい。

 

 まあ、僕はもうヒトじゃないんだけど。

 

 

「食べづらいでしょうけど……何も言わないわ」

 

 この1か月近く、実はギンギツネも結構頑張ってくれている。

 

 イヅナが雪山に住むと言いだして、この宿は本当に騒がしくなった。

 

 それまでは僕が屋敷と雪山を行き来していたんだけど、とうとう僕が1日でもいないことに我慢ならなくなったらしい。

 

 まあそれにはキタキツネの起こしたある事件も関わってるんだけど…多分話すことはないだろう。

 

 要は一線を越えまくっただけだから。

 

「はい、あーん♪」

「あーん…もぐもぐ…」

「ノリアキ、今度はこっち…」

「うん…もぐもぐ…」

 

 ギンギツネの料理は美味しい。

 何というか、安心して食べられる。

 

 2人が作る料理は時々変なものが入ってるから、普段食べるにはちょっと怖い。

 

 イヅナはサンドスターとかを入れるし、キタキツネは髪の毛なんて入れてきた。

 

 あの時は流石に怒った、髪の毛なんて入れたら食べにくくってかなわないもの。

 ギンギツネが料理を習得してくれてすごく助かっている。

 

 ちなみにあの後はキタキツネも学習して、髪の毛は適切な長さにカットし、のどに詰まらないようちょっぴりだけ入れるようになった。

 

 …よく考えたら、髪の毛は入ったままだった。

 

 

「ごちそうさま」

 

 今日は不思議な食事ができた。

 

 途中からは口移しばっかりで、歯ごたえのあるものが食べたくなってしまったけど。

 

「……ん?」

 

 なんか、変な感じ。

 あ、これって…いや、どうしよう。

 

「ノリくん、どうしたの?」

「え、いや、なんでも…」

 

 大変だ、トイレに行きたくなってしまった。

 

 なら事情を話して手錠を外してもらえばいい…と思ったデリカシーの無いそこの神依君、それは違うんだ。

 

 

「くしゅんっ! なんだ、一体…?」

 

 

 イヅナとキタキツネのことだから、そんなことを言えば何が何でも一緒に来ようとするに違いない。

 

 間違いない、手錠を掛けていないときも覗こうと画策しているんだもの。

 現行犯逮捕したことだってある。

 

 それに、トイレだ。

 お風呂とかそういうこととかとは全く以て事情が違う。

 見られるのは絶対に恥ずかしい。

 

 彼女たちはそのちょっと違う感覚が良いというけれど…

 

「…ねぇ、いいかな?」

 

 …背に腹は代えられない。

 

 この先今日の出来事をダシにされそうで怖いけど、そこは”手錠”を上手いこと言い訳にして頑張ろう。

 

「うふふ、なぁに?」

「その…トイレ、行きたいんだ」

「そうだよね、行こ!」

 

 キタキツネに引っ張られてトイレへと一直線。

 本当にトイレに行きたいのは果たして誰なのか、深く考えさせられる瞬間だった。

 

 というか、多分察してたんだよね。

 その上で、僕が言いだすのを待ってたんだね。

 

 …いじわるだ。

 

「匂いで分かるよ?」

「…すごい」

 

 イヅナはまたテレパシー使ったんだね。

 まあいいや…もういいや。

 

 

「スッキリしたけど…なんかスッキリしないな」

 

 別に用を足しただけだし、他のことは一切していない。

 

 だけど、こうも堂々と見られているだけで全然違う。

 

「もっとスッキリしたい?」

「あはは…後でね」

 

 外を見ると太陽が昇っている。

 

 遅すぎて本当にそうなのか分かんないけど、まだお昼ご飯を食べていないから多分昇っている。

 

 とりあえず今日いっぱいはこのままとして、明日以降もこの状態が続くのだろうか。

 それは…ちょっと困るな。

 

 そのうち服は脱がなきゃいけないし、ずっとこのままはありえないと思うけども…ね。

 

 

「ねぇノリくん、何かしたいことある?」

「そう聞かれても、こんな感じだからね…」

「じゃあ…ぎゅってしよ?」

 

 有言実行、キタキツネはそれを言い出す前から僕にぎゅっと抱きついていた。

 

「あ、ズルいよ!」

 

 本日2回目の”ズルい”、頂きました。

 もふもふ…もふもふ…

 

 キツネは僕をダメにする。

 もしくは元々ダメだったのかもしれない。

 

「うふふ…」

「……?」

 

 ガチャンッ!

 

「えっ…?」

 

 突如響いた金属音が僕の意識を冴えさせた。

 

 ふと気が付くと、左手が自由に動かせる。

 

「逃げるよ、ノリくん!」

 

 お姫様抱っこで連れ去られる僕。

 どうやらイヅナが手錠の鎖を壊したみたいだ。

 

「ああっ!? ノリアキ…イヅナちゃん!?」

 

 地上からキタキツネの怒号が聞こえる。

 

 逃げようにもイヅナに抑えられてるし、僕とイヅナを繋ぐ手錠も外せそうにない。

 

「でも逃げるったって、何処に?」

「この際どこでもいいじゃん!」

 

 ああ、なんて無鉄砲なイヅナ。

 

 彼女は鉄砲よりも恐ろしい力を持っている。

 

 

 空をひとっ飛びに通り抜け、僕たちはロッジまでやって来た。

 

 流石にこの距離だ、キタキツネも時間が掛かってしまうだろう。

 

「いらっしゃ…え?」

「ああ、気にしないで…」

 

 入るなりアリツさんの困惑の声。

 仕方ない、事情を知ってても訳が分からないのだ。

 

「あ、師匠! …って、どうしたんですか?」

「色々あって、外せないんだ」

 

 嘘はついていない、外せるわけがない。

 イヅナが、こんなにウキウキしているんだもの。

 

「おやおや、今日は過激だねぇ…?」

「あはは、どうも」

「ふむ…これは描いてみてもよさそうだ、いいネタになるよ」

「あはは…どうも…」

 

 オオカミは絶対に僕たちを見て楽しんでいる。

 

 そこそこ彼女たちに対して理解がありそうなのが…ちょっと不安だ。

 

 

「あれ、師匠…これは?」

 

 キリンが千切れた方の手錠に気が付いた。

 

 流石探偵と言いたいんだけど、まだ師匠呼びは止めないらしい。

 

 師匠と口にするたびに、イヅナの力が強くなる。

 

「えっと…壊れてるね」

「ふふふ、なるほど…!」

 

 口ぶりからして、オオカミはキタキツネ(事情)に気づいたらしい。

 

 目ざとい漫画家だ、尊敬してしまう。

 

 

「先生、何に気づいたんですか!?」

「簡単だよ、もう1つ手錠がついていたんだ」

「それって…変ですね」

 

 キリンは何かを想像して混乱している。

 

 多分、キリンの中ではこの壊れた手錠もイヅナに繋がっているのだと思う。

 2つの手錠で、輪っかになる僕たち…

 

 そりゃ変だ。

 

「こっちはキタキツネに繋がってたんだよ」

「なるほど!」

 

 探偵もようやく気付いたみたい、想像しろって言う方が酷なシチュエーションなんだけども…ね。

 

「まあ、ここでしばらく…」

 

 

 ガチャンッ!

 

「…えぇ?」

 

 背後に響いたドアの音。

 勿論いるのはキタキツネ。

 

「はぁ…はぁ…ノリアキぃ…」

 

 嘘だ、いくら何でも速すぎる。

 野生開放は前提として、どうしてこんなスピードが?

 

「ノリアキのためなら…はぁ、いくらでも速くなれるよ?ねぇ…ボクを見捨てないで…?」

 

 息を切らしながら縋りつく彼女を見て、抱き返さずにはいられなかった。

 

 やっぱり、僕はキタキツネのことも…

 

 

 ガチャンッ!

 

「…え?」

 

 その音を聞くのは、今日は2回目だった。

 手錠の鎖が壊れる音。

 

 壊れられる手錠なんて、もう1つしかない。

 

「えへへ…これで一緒」

「あー! き、キタちゃん…!?」

 

 同じ策略に引っ掛かったイヅナは、悔しそうに地団駄を踏んだ。

 

「じゃあ帰ろ? 早く帰らないとゲームできないよ」

「あはは…イヅナは、どうする?」

「私も帰るよ、はぁ…」

 

 折角の時間を奪われてイヅナは落ち込んでいる。

 後でちゃんとフォローしておかないと。

 

 

「イヅナ…手錠、もう2つ作ってくれない?」

 

 1つ思い付きがあったから、こっそりイヅナに耳打ちする。

 ”耳打ち”だけでイヅナは恍惚としている。

 

「ノリくんのためなら…!」

 

 ちょっとの罪悪感が、心の中に生まれた。

 

 

「ただいまー…」

「おかえり、また騒がしくなるわね」

「あはは…」

 

 イヅナから手錠を受け取った僕は早速行動に移る。

 

 ()()()()()()()()部屋で、2人と一緒に座った。

 なるべく、ギンギツネに近づいて。

 

「…?」

 

 普段と違う距離感にギンギツネは戸惑っているみたい。

 でも大丈夫、すぐに終わるから。

 

「ねぇ…もう1回掛けてみない?」

「掛ける!」

「もう、がっついちゃって…」

 

 手錠の存在を知っていたイヅナは大人ぶっている。

 

 だけど僕は知っている。

 ノリノリのイヅナがものの数秒で手錠を沢山作ったことを。

 

 作りすぎて、沢山の手錠が塵となって消えたことを。

 

「…はぁ」

 

 ギンギツネは呆れ気味。

 この後に起こることをまだ知らない。

 

 

「じゃ、キタキツネから掛けてあげるね」

「えへへ…!」

 

 キタキツネの左手に手錠を掛ける。

 

「そしてイヅナも…」

「ノリくんに掛けてもらえるなんて…!」

 

 イヅナの右手にもう1つの手錠を掛ける。

 

 

――そして、2つの手錠をギンギツネの両手に掛けた。

 

「……え?」

「僕はちょっと用事があるから、2人ともここで待ってて…!」

 

 多分だけど、イヅナに2人を抱えて飛べるほどの力はない。

 だから追いかけられない…と思う。

 

 

「ノリくん…?」

「ノリアキ…?」

 

 

 後ろから何か恐ろしい音が聞こえてくる。

 僕は1人だし身軽だから、多分逃げ切れるはず。

 

「ちょっと、これどういうことなのよー!?」

 

 ごめんギンギツネ。

 でも、きっと大丈夫だから。

 

 た、多分…ね?

 

 



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Ⅰ-102 稲荷寿司をお一つ ~サンドスターを添えて~

 残月の光が色淡く世界に降りかかり、他の誰もが寝静まっているであろう早朝。

 小鳥の囀りも風の音すらもなく、無意識のうちに足音は殺される。

 

 眠たげに瞼を擦る彼を引っ張り、おおよそあり得ないと思っていた願い事を口にした。

 

「…お願い神依君、料理を教えて!」

「……へ?」

 

 眠気と、驚き。

 混濁した意識に入り混じった呆け声が、外へと逃げて山へ響いた。

 

 彼は髪の毛を掻きむしり、あくび混じりに喋り始める。

 

「ん、ああ…料理(それ)なら別に何でもないだろ、出来るんだから」

「あ、あはは…それが…出来なくなっちゃってて…」

「あぁ~…、さては、腕が鈍ったな?」

 

 目をパッチリ開き、彼は得意げに厨房へと歩き出す。

 ともあれ、教えてくれるようでよかった。

 

「その、お手柔らかにね…?」

「分かった…保証はしないけどな」

 

 

 ――彼の名前は天都神依。

 

 色々あってセルリアンになってしまったけど、見た目は僕とそっくりだ。

 もちろん、髪の色とか耳とか尻尾とかは違う。

 

 それに、同じはずの顔つきも表情のせいか印象が違う…と前にキタキツネが言っていた。

 

 さておき、僕が宿っているフレンズの体は本来神依君の物。

 僕は、イヅナの手で彼の体に宿された別の人格。

 

 少し前までは二重人格のように共存していたんだけど、神依君がセルリアンとして生き返るときに分離してしまった。

 

 その経緯については、詳しく説明してあるものが別にあるからここでは省こう。

 

 神依君は元々外で暮らしていたヒトで、この島で初めて目覚めた僕と違って外の知識がある。

 

 料理も得意で、体を通じて知識やスキルも受け継いでいた…はずだったんだけど。

 

 

『あれ…あれ?』

『ノリくん、どうしたの?』

『包丁が、使えない…』

 

 特殊な技術も必要ない、ただ包丁を下ろして切るだけの動作。

 いつの間にやら、そんな初歩的なものさえ全く覚束ない体になっていた。

 

『少し前まで簡単に出来てたのに、なんで…?』

『じゃあ私がやるよ、ノリくんは座って待ってて?』

『うん…お願い…』

 

 そんなに長い間手放していたわけでもないのに、一体なぜ。

 考えても分かる筈はなく、結局その日はイヅナのお世話になった。

 

 …でも、なんだか悔しい。

 

 初めてすることじゃなくて、少し前まで当たり前に出来ていたことだったから、無性に腹が立つ。また出来るようにならなきゃ気が済まない。

 

 多分、この気持ちを分かってくれる人も少なくないはずだ。

 

 

「まずは手の形から、怪我をしないことが一番だからな」

「確か、こんな風に丸めるんだよね」

 

 よく見えるように指先を丸める。

 神依君の顔を覆うように伸ばすと素っ気なく払われてしまった。

 

「…ま、それくらいは覚えてるよな」

 

 眠いせいかな、神依君の対応がいささか冷たいような気がする。

 

 でも、僕だってつい最近寝起きで連れ出されたことがあるし、もうちょっと頑張ってほしい。

 

 …って言えたらよかったんだけど、流石に酷なことをしちゃったかな。

 

「そんで、何処からできない?」

「切るところから…」

「初歩の初歩か…分かった、じっくりやろうぜ」

 

 ニンジンがまな板の上に置かれる。

 置いた神依君は、生暖かい目でこちらを見ている。

 

「……か、神依君?」

「ん? ほら、まずは好きに切ってみろ、どれくらいひどいか確かめてやる」

 

 …なるほど。

 

 コン、コン……コン。

 

 まな板と包丁が触れる音が不規則に響き渡る。

 怪我無く切れてはいるものの、形も厚さもまばらで料理に使うには少しトリッキーすぎるかもしれない。

 

 そして怪我がないことに安堵している時点で、僕の腕がどれほど凋落してしまったのかも察してしまえる。

 

 はぁ、こんなはずじゃないのに。

 

「おぉ…ひどいな」

「改まって言われると、ショックだな…」

「でもまあ、いいんじゃないか? そもそもがお前の腕前でもなかった訳だし、これが本当の始まりってことでさ」

「あはは…頑張ってそう思うことにするよ」

 

 結局その日は、ニンジンの切り方だけを練習して終わり。

 出来ればレタスもやりたかったけど、時間が足りなくて諦めた。

 

「…もうじき起きるんじゃないか?」

「そうだね。じゃあ、また明日」

「明日っ!? …分かった、明日のこの時間だな」

 

 僕達はその後も料理の特訓をすることを約束し、イヅナやキタキツネには秘密の料理教室がこっそりと早朝の宿で開かれることになった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「んじゃ、そろそろ何か作ってみるか」

 

 料理教室を始めてから一週間、ついにこの時がやって来た。

 包丁を握り、無数の野菜を肉を断ち切り、骨の多い魚には手を付けさせてもらえず。

 

「でも…何作るの?」

「ああー…何ができるか…?」

 

 包丁しか触っていないせいで切ることしか覚えてない。

 焼くとか、炒めるとか、茹でるとか…一切できない。

 

 お米ぐらいなら炊けるかな…?

 

 でも、そこのところは全部神依君にお任せだ。

 料理に慣れている神依君なら、それらしいアイデアも簡単に出せることだろう。

 

 長く静かな熟考を終え、固く閉じていた口を開く。

 

「……悪い、思いつかない。適当に頑張ってくれ」

「嘘ッ!? どうして、教えてくれるんじゃなかったの?」

「ほ、包丁の使い方は教えただろ…?」

「料理を教えてって言ったのに…神依君の嘘つき…!」

 

「…なんかお前、最近()()()()に似てきたよな」

「それって2人のこと? …あはは、照れるな」

「ああ、勝手に照れててくれ…」

 

 

 神依君は若干投げやりにそう言って、そっぽを向いてしまった。

 

 仕方ないから、自分ひとりで作れるものを考えよう。

 イヅナだったら、何を作るかな。

 

「ご飯…あんまり火を使わない料理…お寿司とかかな」

 

 確か油揚げもあったし、酢飯を作るための酸っぱい粉もあったはず。

 そんなに難しくないから、今朝は稲荷寿司を作ってみよう。

 

 じゃあ、まずは食材集め。

 

「あった、すっぱいパウダー!」

「…グミによく付いてる粉だろ、それ」

 

 料理の仕方はすっかり忘れてしまったけど、食べ物の置いてある場所はキッチリ覚えている。

 今日は…Cのパターンのはず。

 

 ギンギツネが良く配置を変えるからその都度覚え直さなきゃいけないのが大変で、繰り返しているうちに覚えるのが上手になってしまった。

 

 最近はキタキツネも配置を予測できるようになって、的確にお菓子をサルベージしてはつまみ食いしている。

 

 こうなっては、ギンギツネの対策もやむなしと言ったところだろう。

 まあ、結果として減るのは僕達のおやつなんだけど。

 

 

「ご飯を広げて、粉を掛けてよく混ぜてー」

 

 白いご飯粒に白い酢の粉で、どれくらい掛かったのか分かりにくい。

 ここは慎重に調整しよう、未来の僕のお口のために。

 

「…なぁ、俺が居る意味はあるのか?」

「え、食べてかないの?」

「気分次第だな…()()()じゃ、普通の食事なんて意味ないから」

 

「普通の食事じゃない…まさか神依君、フレンズを襲って…!?」

 

「そんな訳あるかっ! 俺は俺で上手いことやってるよ」

「ほ、他のみんなにバレないように…?」

「…本当に違うからな?」

 

「うん、知ってる」

「……急に正気に戻られても反応に困るな」

 

 

 一通り神依君をからかい終わったら、今度こそ集中して稲荷寿司を作ろう。

 

 

 あったかいご飯をすだれに広げ、パラパラとその上にお酢の粉を掛ける。

 さっくりと混ぜたら味を見て、お好みで酢の量を調整しよう。

 

 酢飯がお気に入りの味わいになったら、次は油揚げ。

 

 だし汁に砂糖に醤油を混ぜたタレと切って開いた油揚げを一緒に煮込んでしばらく置いておく。

 それで…まあ…程よい感じになったら、取り出してご飯を詰める。

 

「…どんな風に入れればいいかな」

 

「ん…どれ、ちょっと貸してみろ」

 

 鮮やかな手際で油揚げがあっという間に稲荷寿司へ姿を変えていく。

 

「神依君って、料理だと何でもできるんだね」

「俺の取り柄って言ったらこれだからな…ふう、後は出来るか?」

「もう覚えたよ、ありがとね!」

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 それからおよそ一時間の半分、つまり三十分。

 全ての油揚げがご飯で膨らみ、大皿に整然と並べられている。

 

 その光景は美しいという表現を通り越して、一種の感動さえ覚える。

 一週間練習してきた成果…をほとんど使わずとも、ここまでのものが作れるというのか。

 

「おぉ…完璧」

 

 神依君が仕上げた稲荷寿司は脇の皿に除けておいて、イヅナたちには僕が仕上げたものを食べてもらおう。

 

 ついでに()()()も入れておいて…っと。

 キタキツネもよくやることだし、多分大丈夫。

 

稲荷寿司~サンドスターを添えて~…って感じでどうかな。

…別に、名前はどうでもいいか。

 

「ふふ、丁度そろそろ起きる時間だね」

 

 真っ白な月は光を失い、太陽の明かりが風の音と一緒に厨房へ吹き込む。

 僕はその場所を後にして、二人が眠る寝室へと向かった。

 

 そっと襖を開けると、僕の影が膨らんだ布団に掛かる。

 

 枕の上で白と黄色の耳がピョコンと動き、音を聞きつけた二人はほぼ同時に目を覚ました。

 

「…おはよう、起こしちゃった?」

「ん…いいよ、ノリくんは何してたの?」

「ちょっとね…さあ、早く支度して食べよ?」

「…でも、ギンギツネまだ寝てるよ?」

「大丈夫だよ、もう用意してあるから」

 

 

―――

 

 

「わぁ…! これ、ノリアキが作ったの?」

 

 皿いっぱいのお寿司を見せると二人とも驚いた。

 

 片やキタキツネは口の端からよだれを零し、片やイヅナは神妙な表情で並ぶキツネ色の数々を眺めている。

 

「そう、全部僕の手作り」

「ノリくん、いつの間に…?」

「あはは…が、頑張ったよ!」

 

 イヅナに向かって手でキツネの形を作ると、イヅナも同じように返してくれる。

 

「…ねぇねぇ、食べていい!?」

 

 微笑むイヅナとの間にキタキツネが割り込んで、サンドスターより鮮やかに輝く目をして僕に尋ねた。

 

 いいよと言い切る前に一つ消えて、それを皮切りにどんどんとキタキツネの胃袋に放り込まれていく。

 

「えへへぇ…ノリアキの味がする…!」

「キタちゃん、私の分も考えてね…!?」

「もぐもぐ…早い者勝ちだよ…?」

 

 キタキツネの挑発するようなハンドサイン。

 稲荷寿司の消える速さは二倍になった。

 

 

 

 ――やがて名残惜しくも食べ終わり、僕はお皿を片づけるため居間を後にした。

 

「よいしょっと……あれ」

 

 さっきより少し厨房が広くなったような気がする。

 何故かとしばし思案して、神依君がいなくなったからだと結論付けた。

 

「どこ行っちゃったんだろう…」

 

 神依君が仕上げたお寿司も蓋を掛けたままになっているし、何も食べずに帰ってしまったのだろうか。

 

 一応お礼を言っておかなければと思って神依君を追いかける。

 

 外には寒々とした快晴が広がって、よく見渡せる景色にも彼の姿は見えない。

 

「…あーあ、せっかちだなぁ」

 

 別れの言葉の一つくらい聞いて行ってもよかったのに、でもわざわざ追いかけるような事情もない。

 また会ったらその時に伝えておこう。

 

 そうして考え事を片づけると、まだお皿を洗っていないことを思い出した。

 

 宿に戻ろうとしたその時、背中からもふもふに包まれる。

 

「…イヅナ?」

「……」

 

 静かに抱き締める腕の力は強く、張り詰めた表情から普通ではない何かを感じる。

 

 どう言葉を掛けようか悩んでいるうちに、耳に暖かな声が流し込まれる。

 

「ノリくん、聞いてもいい? あのお寿司、一人で作ったの?」

「え…神依君にも少しだけ手伝ってもらったけど…っ」

 

 力が一段と強くなる。

 腕を通して、辛さが伝わってくるような気がした。

 

「そっか、そうだよね…でも、()()()()()()()()()?」

 

 今度は正面から、覗き込むように僕を見る。

 その暗い瞳に、吸い込まれてしまいそうだ。

 

「なんで私じゃないの? 何かいけなかった? 信じられなかった? ねぇお願い…悪いことがあるなら直すから、私を頼って…?」

 

「イヅナ……」

 

 秘密が、何気なく作った軽い隠し事が、イヅナを傷つけた。

 意味なんてなかった、あるとすれば少しだけ、イヅナに頼むのが恥ずかしかった。

 

 それが致命的だったんだ。

 

 今からでも意味を与えよう、傷は浅いのが一番だから。

 

「…不安にさせちゃったんだね、ごめん」

 

 向かい合って、僕の方から抱き締める。

 

「ちょっとだけ驚かせようと思っただけだったんだ、でも…もうしない。次からは、イヅナにもちゃんと伝えるよ」

「そ、そんな…気を遣わなくても…んっ!?」

 

 唇で言葉を留める。

 何も、言わなくていいから。

 

「……」

「……♡」

 

 その時、雪山に強い風が吹く。

 舞い上がった粉雪が僕達を隠して、まるで、世界に二人きり――

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…あはは、大胆なことしちゃったな」

 

 少し前までならこんなこと逆立ちしても出来なかったのに。

 長らく過ごしているうちに、僕も随分と変わったものだ。

 

「…ノリアキ」

「キタキツネ、どうしたの? ……んぐ」

 

 厨房にやってきたキタキツネは、他のものには見向きもせず一直線に僕の元へとやってくる。

 

 そして、当然のことのように口づけをした。

 唇を離して悠然と佇むキタキツネに、僕は訳を尋ねずにはいられなかった。

 

「えっと、いいんだけど…どうしていきなり…?」

「イヅナちゃんばっかりじゃズルいもん」

「…み、見てたの?」

 

 こくんと頷くキタキツネ。

 

 風も朝の闇も粉雪も、キタキツネの目からあの光景を隠すには足りなかった。

 

「…あ、後でゲーム、しよ?」

 

 やりたいことをやって、言いたいことを言って、気ままなキタキツネは行ってしまう。

 

「でも、後でってどうして…あ」

 

 まだ洗ってなかったんだった。

 手にした大皿をくるりと回して、恥ずかしさから逃れるように一心不乱に洗い耽る。

 

 後で、水の無駄遣いだとギンギツネに叱られた。 

 その間も僕は、あの時の感触で頭がいっぱいで。

 

「…ねぇ、聞いてるのかしら?」

「え、あ…ええと…」

「もう、手際のいい洗い方なら教えてあげるわ、だから――」

 

「いや、いいよ」

 

「いいって、そういう話じゃなくてね…?」

「大丈夫、その時はイヅナに教えてもらうからさ」

「そ、そう…」

 

 そう口にすれば、ギンギツネはそれ以上何も言わない。 

 僕はゲームをしに、キタキツネの部屋へ向かう。

 

「~~」

 

 足取りがほんのりと軽い。

 何となく、気分が浮いているような気がする。

 

 彼女たちへのただの理解や共感じゃなくて、少し()()()ことが出来たような。 

 そんな感染にも近い同調が、僕の心の何かを埋めていた。

 

 だからこそ、足りなかった部分が酷く痛む。 

 この痛みが癒えた時、僕はどんな姿をしているのだろう。

 

 願わくばそれが、僕のよく知る姿でありますように。

 

 



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Ⅰ-103 イヅナ、狐巫女になる

「ノリく…おほん、ノリアキよ、わた…わらわに何か用か?」

「えっと…イヅナ?」

 

 今日はイヅナの様子がちょっと変だ。

 なんとなく声を掛けると何やら古風な返事がやって来た。

 

「別に、用って訳じゃないけど…」

「そ、そうか…」

「……」

 

 いや、やっぱり変だ。

 

 服装のおかげか見た目との違和感は少ないけど、普段の様子とあまりにも食い違いすぎて恐ろしい。

 

「ねえイヅナ、もしかして怒ってる?」

「そ、そういうことじゃ…ではない! ただ…」

「…ただ?」

 

 もじもじと尻尾をくねらせる。

 

 恥ずかしい時によくやる仕草だけど、イヅナは恥ずかしいことをしている気分なのだろうか。

 

「こういうのも、可愛いかなって」

「え?」

「…お、思ったのじゃ!」

 

 今日のイヅナは、不思議な白い狐巫女。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…ええと、その話し方は何処で覚えたの?」

「その、図書館にあった漫画…なのじゃが…」

 

 もじもじと漫画を差し出すイヅナ。

 恥ずかしいのは漫画か喋り方なのか、僕にはよく分からない。

 

 ええと、確かに表紙には可愛らしいキツネが描かれている。

 …睨まれちゃった。

 

 気を取り直して。

 内容は予想通り、今のイヅナのような口調のキツネが活躍する物語だ。

 かわ…面白いお話だと思う。

 

「そっか、これに憧れて…」

「ど、どうかの…変ではないか?」

 

 どちらかと言えば変だけど、慣れてないだけにも見えるかな。

 

「それは…もうちょっとしないと分かんないかも」

 

 ビクッとイヅナの耳が跳ねる。

 ちょうどこの漫画に描かれた狐の女の子のように。

 

「うぅ…まだ続けるのか?」

「イヅナが始めたんでしょ?」

「そ、それはそうなのじゃが…」

 

 耳を伏せて手をこまねく。

 そして困ったような表情で上目遣いをする。

 

 

 …待って、かわいい!

 

 

 正直に言って、最初の感想は”変なことやってるなぁ”ってだけだった。

 だけど、こんな風に恥ずかしがるイヅナを見るのは新鮮だ。

 

「…お願い、もう少しやってみて?」

 

 正直に言って、もうちょっと見てみたい。

 

「だ、だったらやるよ…のじゃ」

 

 ちょろいところも含めて、間違いなくかわいい。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「じゃあ、何かする…?」

 

 今日、僕たちは屋敷にいる。 

 朝一番に連れ去られた訳だけど別にいつものことだから気にはならない。

 

 連れてくる間ずっと無言だったから気にはなっていた。

 多分、口調を変える準備をしていたんだと思う。

 

「そ、そうじゃな…いつも通りではダメか?」

「…そっか、気負っても仕方ないよね」

 

 ああ、イヅナの初々しい姿だ。

 

 考えてみれば、こんな風に振舞う姿は初めて見るかもしれない。

 最初に出会った時から僕は振り回されっぱなしだったから。

 

「…そろそろお昼だね」

「そ、そうじゃな…」

「お腹空いたね」

「そ、そう…じゃな」

 

 緊張のせいか、同じ言葉しか言えていない。

 心なしか頭も回っていないように見える。

 

「…あ、何か作ればい、よいのか?」

「ええと…うん、お願いできるかな」

「よし、任せるのじゃ! …こんな感じかな」

 

 その後も、厨房の奥から細々と確認する声が聞こえる。

 

 どんな料理が出てくるか楽しみ…と思ったけど、別に料理は変わるわけないか。

 

 

「…このままで良いのかな」

 

 ずっと座ったままだけど、とてつもなく勿体ないことをしている気分だ。

 

 折角イヅナが頑張って口調を変えてくれているのに、僕はただ雛鳥のように口をぼうっと開けて料理を待っていて良いのか。

 

 いや、そんな筈はない。

 

「手伝おっかな…出来れば、おしゃべりもしたいし」

 

 イヅナも恥ずかしがりながら頑張ってくれてるんだし、僕もちゃんと向き合わないと。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 厨房ではイヅナがせっせと料理を作っている。

 美味しそうな食べ物の香りが部屋中を包み込んで、息を吸うたびに何だか楽しい気分になる。

 

「イヅナ、僕も何か手伝うよ」

「え? じゃあ………それを持ってくるのじゃ」

 

 イヅナはご飯の入った桶を指さし、数秒固まってから話し始める。

 まだまだ新しい口調に慣れていないみたい。

 

「これだね…はい、どうぞ」

「ありが…わわっ!?」

「おっとっと…イヅナ!?」

 

 僕の手から桶を受け取ろうとした瞬間、足元の段差に引っ掛かってバランスを大きく崩した。

 

 堪えようとするも耐えられず、そのまますってんころりん。

 

 何かに掴まろうと伸ばした手は桶を弾き飛ばし、イヅナは中に入っていた熱々の米粒を頭から被ることになってしまった。

 

「…だ、大丈夫?」

「もう、なんなの…? ……じゃ」

 

 真っ白でベトベトなご飯を払って、取って付けたような語尾は尚も健在である。

 

「これって酢飯かな…?」

「稲荷寿司を作ろうと思ったの…じゃが…」

 

 なるほど、そこはかとなくツンとした匂いを感じたのはそのせいみたいだ。

 酢飯まみれになったイヅナは全身からお酢の匂いを漂わせている。

 

 こんなことを考えるのもアレだけど…ちょっとだけ色っぽい。

 

 

「シャワーを浴びてくるのじゃぁ…」

「い、行ってらっしゃい…」

 

 トボトボと落ち込んだ足取りでイヅナは行ってしまう。

 何か今のうちに手伝えることはないかなと考えて、無難に厨房の掃除を始めた。

 

「あれ、お酒もあるんだ」

 

 さっきの衝撃で転がった瓶を棚に仕舞う。

 割れていなくてよかった。

 

「結構いっぱいある…何でだろう?」

 

 料理酒って訳ではなさそうだ。

 美味しいのかな、今度暇があったら飲んでみよう。

 

 ”このお酒が凄惨な悲劇を引き起こすなどと、この時の僕は夢にも思っていなかった…”

 

 …なんてね。

 幾ら酔ったところで何かが起きるものか。

 

 今やるべきことは掃除、お酒はお呼びじゃないですよ。

 

 

「そしてこっちは…イヅナの服から直接桶に戻したご飯……」

 

 ストップ…僕は何を考えているんだ?

 

 冷静に考えてみれば、誰かの体に付いたものが食べられる訳がない。

 でも少し前、僕の体に付いたご飯を、イヅナは臆せず食べていたような気もする。

 

「…ひ、一粒だけなら」

 

 ああ、ただの酢飯だ。

 残りはちゃんとゴミ箱に捨ててしまおう。

 

 これ以上、変な気が起こらないうちに。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「ふぅ…やっと完成したのじゃ!」

「よかった、その口調も段々板についてきたね」

「ふふん、わらわは物覚えが良いからの」

 

 出てきたご飯はいつもの和食に稲荷寿司付き。

 

 何があっても変わらない、実家の味と呼べる味。

 もちろん、僕にはここ以外に帰る場所なんてないんだけども。

 

「いただきます…!」

「じゃあ私も…あ」

「あはは、油断したでしょ」

「ゆ、油断なんぞしておらんっ!」

「……ふふ」

「…あはは、ちょっぴり楽しいのじゃ」

 

 イヅナの言う通りだ。

 

 いつも通りの食事のはずなのに、ほんの少し刺激を入れるだけでこんなに違うなんて。

 

 もったいないな、キタキツネにも聞かせてあげたかった。

 

「……ダメ」

「あ、あぁ…ごめん」

 

 二人きりの時にもう片方のことを考えてしまうのはまだ治らない悪い癖。

 

 何度もやらかして見透かされてきたというのに。

 僕って、ここまで割り切りの悪い性格だったっけ。

 

 きっとイヅナも怒って――

 

「キタちゃんだけには絶対聞かせないから!」

「……口調戻ってるよ?」

 

 驚いた。

 怒るには怒ってたけど、ベクトルが明後日の方向に飛んでいた。

 

「でもそっか…聞かせたくないんだ」

「だからノリくんをここに連れてきたんだよ?」

「…もう、口調変える気ある?」

「……もちろん、あるのじゃ」

 

 大きなレンコンを頬張って、シャクシャク鳴らしながら調子を整える。

 

 僕も同じ形のレンコンを口に入れ、顔を見合わせてからんと笑いあった。

 

 

「ほれ、あーんじゃ」

「あーん…もぐもぐ」

 

 お口の中でご飯の粒がほろほろほぐれ、油揚げに染み込んだ甘い汁がじわっと溢れ出す。

 

「あれ、いつもより美味しい気がする…!」

「気づいた? 今日は混ぜるサンドスターの量を多くしてみたのじゃ!」

「料理のうま味って…サンドスターだったの…?」

 

「確カニ、食べ物ノ()()()トサンドスター含有量ハ、比例ノ関係ヲ持ツトイウ研究ガアルヨ」

 

「急に出てきたっ!?」

「必要トアラバ、ボクハイツデモ駆ケ付ケルヨ」

「た、頼もしいね…?」

 

 赤ボスの出所はさておき、その通りなら料理にサンドスターを混ぜるのは合理的だということ。

 

 つまり髪の毛を入れたキタキツネも正しかったということ。

 

 髪の毛は口の中で溶けて虹に変わる万能調味料だったんだ。

 

「い、いけないよ…のじゃ!」

 

 僕が納得しかけたその時、イヅナは跳び上がって僕の両肩を掴む。

 後に続く言葉は…何となく予想できる。

 

「キタちゃんの髪の毛より、わ、わらわの髪の毛を食べるのじゃ! ほらっ!」

 

 彼女は何をとち狂ったのか、長くて白くて美しい髪の毛を僕の口に突っ込もうとしてくる…!

 

「ダメだよイヅナ! い、いくら髪の毛が美味しさの素になるからって…鰹節を削りもせずに食べる人なんていないでしょ!?」

 

「…そうかも」

 

 『かも』じゃなくて、間違いなくそうに決まってる。

 そもそも鰹節をそのまま食べるのなんてネコぐらいだ。

 

 普通に考えれば分かるはずのこと。 

 

 だから、そんなキラキラした目で僕を見ないで…?

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 それもさておき、イヅナはしばらく僕を膝で寝かせた後に解放してくれた。

 

 二人で肩を寄せ合いながら縁側に腰を掛ける。

 柔らかな風が頬を撫でる。空中を舞う葉っぱが一枚、イヅナの耳に引っ掛かった。

 

「ふふ…素敵な景色じゃ」

 

 指でそれをつまむと、僕の耳へと引っ掛けた。

 

「そうだね、本当に…綺麗だ」

 

 ふっと葉っぱを吹き飛ばし、風に乗っけて空まで運ぶ。

 向こうへ飛んで見えなくなると、新しい葉っぱが沢山飛んできた。

 

「…そういえば、最近はゆっくり話したことなかったね」

「あ…うん…」

「…もしかして、それで?」

「あはは、お見通しだね…なのじゃ!」

 

 ここまで来たなら意地だろう。

 それにこの不器用さが、却ってイヅナらしい気もするから好きだな。

 

 

「こうやって二人きりで落ち着いて座るのは…初めてかもね」

 

 …あれ、やめちゃった。

 

「こうでもしないと、キタちゃんに邪魔されちゃうから」

「邪魔しないための…って感じだったのにね」

 

「でも失敗じゃないよ。ノリくんが私たちの()()()受け入れてくれるお陰で、私たちは平穏に暮らせてるんだから」

 

「それなら良かった…って、言っていいのかな」

 

 僕達は変だ。

 とっても変な関係だ。

 

 いがみ合う筈の三角関係を、いがみ合わないために創ってる。

 

 だけど、それも楽しいと思うようになって…しまった。

 きっともう戻れないし、戻りたくもない。

 

 頭をそっとイヅナに預けた。

 

「うふふ、また寝ちゃうの?」

「寝ちゃダメ…?」

「いいよ…おやすみなさい」

 

 ふわふわ。

 イヅナの尻尾が僕の顔を覆う。

 柔らかで真っ白な暗闇の中で、僕は瞼を閉じた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…ええと、キタちゃんには絶対ナイショだからね?」

「うん、絶対言わないよ」

「し、信じるからね…」

 

 目を覚ましたら既に夕方。

 僕達は急いで雪山の宿へと文字通り飛んで帰った。

 

 ほぼ一日と言って良い時間の失踪。

 キタキツネの機嫌は雪山の吹雪より冷たくなっているだろう。

 

 せめて一言掛けてからとも思ったけど、きっとそれじゃ行けなかったんだよね…

 

 考えれば考えるほど、やっぱり難儀な関係だなあ。

 

 

「ノリアキ…どこ行ってたの? ()()()()()()()一緒に」

「えっと…平原のお屋敷まで」

「朝から…何も言わずにずっと…?」

 

 キタキツネは特に怒ったような仕草は見せず淡々と詰め寄ってくる。

 ただ、瞳から光が抜け落ちているように見えた。

 

 彼女は唇がくっつきそうなほど顔を近づけたと思うと、僕の体をぎゅっと抱き締めた。

 そして、息が混じった囁き声を耳に振りかける。

 

「分かってるよ、ノリアキは何も悪くない。全部イヅナちゃんの仕業なんでしょ?」

「…ええと」

「んっ…! 大丈夫、ボクは全部知ってるから」

 

 庇おうとした口は即座に塞がれて、もう何も言えない。

 

 名残惜しそうなキタキツネの腕が僕を放し、次はイヅナに向き直る。

 

「イヅナちゃん…二人きりで何してたの?」

「な、何もしてないのじゃ! ……あ」

 

「……じゃ?」

 

「き、キタキツネ! 気にしないで、その…」

「…えへへ」

 

 振り返ったキタキツネは、悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 悪魔はきっと、こんな風に笑うんだろう。

 

 悪魔に魅せられた僕が思うんだから、きっと間違いはない。

 

「気にしないで、ボクはなーんにも聞いてないの()()!」

「…あーあ」

 

 彼女の手が僕を引く。

 最高の殺し文句と共に。

 

「ノリアキ、早く入るのじゃ!」

「あ、ああぁ……!?」

 

 頭を抱えるイヅナを尻目に、ルンルンなスキップでキタキツネは僕を連れていく。

 

「ギンギツネー! ノリアキたちが帰ってきたのじゃー!」

「あら、その喋り方はどうしたの?」

「ええとね、イヅナちゃんが――」

「ま、待ってよキタちゃんッ!?」

 

 雪山は今日も穏やかで、そよ風一つ吹いていない。

 イヅナの突き通すような叫び声は、静かな銀世界によく響く。

 

 



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Ⅰ-104 お酒に呑まれて眠れない

「おひゃえり…ひぇへへ…どりぇがいい…?」

「ど、どうしたのイヅナ…?」

「あからぁ~…ろれにするぅ~?」

 

 この吐息、赤らんだ顔、回っていない呂律。

 

 『どれにする』と聞いておきながら選択肢を見せない支離滅裂さ。

 

 イヅナは見るからに酔っている。

 恐らくだけど、完膚なきまでに出来上がっている。

 

「えへへぇ~…!」

 

 柔らかな香りともふもふの尻尾が捕まえる。

 大変だ、このままだと晩御飯を食べる前に僕が食われてしまいそうだ。

 

 

 と、とにかく、今の状況を整理しよう。

 

 僕は神依君にとある仕事を頼むために、彼を連れて水辺のPPPのところまで出向いた。

 

 イヅナもキタキツネも伴わない外出だったけど、神依君と一緒であることと事情も考慮してオッケーを出してくれた。

 

 大人しくお留守番してくれている筈だったんだけど。

 イヅナのこの惨状は、一体何が起きたんだ…!?

 

 

「えっと、ご飯が良いんだけど…」

「ご飯~? えへへ、ご飯にはぁ、いっぱい()()()()入れておいたからねぇ~」

「お、お薬ッ!?」

 

 イヅナが好んで入れる薬なんておおよそ一種類しか思い浮かばないんだけど…他のが入ってたらどうしよう。

 

「あ、危ない薬じゃないよね?」

「えへへ、元気になるだけだよぉ…!」

 

 とりあえず…薬の種類は特定できた。

 

 まあ、誰かさんは危険な方のクスリでもキメているのかと言わんばかりの錯乱ぶりだけども。

 僕もそのうち彼女みたいになるかもしれないな。

 

「えへへへへ…すぐに温めてくるからね…うえっ…」

「だ、大丈夫かな…?」

 

 頭やら腕やらを柱にバタバタぶつけながら歩くイヅナ。

 そういえば、キタキツネとギンギツネはどうしているだろう。

 

 きっと、碌な状態じゃないんだろうな…

 

 何はともあれ、真実を確かめなければ始まらない。

 イヅナについて行こうと歩き出したその時、すぐ横の扉が開かれた。

 

「あ、キタキツネ!」

「ノリアキ…助けて…?」

 

 目に大粒の涙を浮かべてキタキツネが縋りつく。 

 こう考えるのは無粋だけど、通りがかるのを待ってたのかな。

 

 でも関係ない。

 そんなこと…今まで沢山あったから。

 

「安心して…必ず守るよ」

 

 僕がどんな食べられ方をしても、キタキツネのことは守ろう。

 そんな決意を心に、茶の間へと歩みを進めた。

 

 …それほど大層な事態じゃないんだけど。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…キタキツネは向こうで待っててもよかったのに」

「でも、怖いから」

「あはは、そうだよね」

 

 キタキツネの気持ちは本当によく分かる。

 

 分かるけど、僕の尻尾に抱きつくのは如何なものか。

 しかもそれに飽き足らず、指を毛に突き入れてくすぐるのだから一時も気が抜けない。

 

 キタキツネ…君は僕の味方だよね…?

 

「とっ、ところで…ん…ギンギツネは…?」

「……あっち」

 

 キタキツネが指を向けた方向を見る。

 扉の影が掛かった暗がりに、ギンギツネが倒れていた。

 

「…寝てるの?」

「イヅナちゃんにお酒を沢山飲まされて…ああなっちゃった」

 

 なるほど、酔い潰されてしまったようだ。

 可哀想だけど、もうこれ以上の被害には遭わないだろうし、安らかに眠れることを祈ろう。

 

 …生きてるよね?

 

「ギンギツネが寝ちゃったから、イヅナちゃんが代わりにご飯を作ったんだ」

「あぁ…そっかぁ…」

「ボクは隠し味しか入れられないから…えへへ」

 

 キタキツネが苦笑いと共に舌を出す。

 

 イヅナは晩御飯に『おくすり』を入れたというけれど、ギンギツネが再起不能になった時点で運命は決まっていたのかもしれない。

 

 アグレッシブな二人のせいで割を食っている常識人のギンギツネだけど、結果として僕に降りかかる過激なアプローチへの盾となっていたのだ。

 

 もちろん、最強の矛の前に成す術もないことの方が多いのだけど。

 

 

「ノーリくんっ♪ ごっはんだよー♪」

 

 ハイテンションが吹っ切れて雲の上へと飛び出すイヅナ。

 お盆の上の味噌汁が踊るように揺れてこぼれた。

 

「…お酒って怖い」

「本当に、その通りだね」

 

 こと二人に関しては素面でも「酔っていそうだな」と思うことがしばしばあった。

 

 まさか、お酒が入るとここまで悪化するなんて思わなかったけど。

 

「ちょっとフラフラだから、ゆっくり置くねぇ~」

 

 ガタンッ!

 

 あれ、『ゆっくり』ってどういう意味だったっけ。僕もこの空気で酔っちゃったのかな…?

 

「今日はぁ…ギンちゃんが寝ちゃったから私が作ったのぉ」

「イヅナちゃんのせいなのに…」

「えへへぇ~」

 

 イヅナはキタキツネが零した愚痴にも一切表情を崩さない。

 多分音が耳に入っていない。

 

「なぁんかボーっとするけど、頑張ったよぉ」

 

 その言葉通り、酔っているにも拘らず盆の上の料理はいつもと同じ美味しそうな()()だ。

 

 しかしこの中には大量のおくすりが入っている。

 …致死量までは入ってないよね。

 

 ご飯を前に葛藤していると、キタキツネにクイクイと袖を引っ張られる。

 後ろを向くと、両手をメガホンに耳打ちされた。

 

「ねぇ、食べるの…?」

「食べなきゃきっと怒るよ?」

 

 キタキツネは料理とイヅナの顔を交互に見て、諦めたように僕から手を離した。

 

「し、死なないでね…?」

「…うん」

 

 普段なら笑って流すような心配事だけど、状況が状況だから強く否定できない。

 

 ちなみに勘のいいヒトなら気づいたかもしれないけど、キタキツネはよく僕の命の心配をしてくれる。

 

 かつて眠らせたイヅナを雪の中に生き埋めにしたフレンズの発言とは思えない…っていうのは、意地悪な考えかな。

 

 

「じゃあ、いただきます…」

「どうぞ…うふふ♡」

 

 最初に味噌汁を口に含む。

 

 まず口の中に広がったのはサンドスターの味。

 今日のサンドスターは大体10割増しだ。そしてちょっと鉄の味もする。

 

 横目でイヅナの手首を見ると、治りきっていない切り傷の跡があった。

 

 …でも、食べる。

 

「今日は、色々入れたんだね」

「気づいた? えーとぉ……何入れたんだっけぇ…」

 

 お願い、怖いこと言わないで。

 

 イヅナは群を抜いて料理上手なことだし、泥酔してもまともにできると信じたい。そう思わなきゃ食べられない。

 

 せめて、口に出来ない物は入っていませんように。

 

 

「ノリアキに変なもの食べさせないでよね…!?」

「大丈夫だよキタちゃん、私はそんなヘマしないよぉ~」

「……嘘じゃないよね」

「うふふ…当たり前でしょ?」

 

 その言葉を言う一瞬だけ、イヅナの酔いが覚めたかのように見えた。

 

 キタキツネは意外にもそれを聞いて納得し、僕の背中に寄りかかりながらゲームを始めた。

 

 …僕も二人の様子を見て安心し最後の一口を飲み込むと、段々と体が火照ってきた。

 

「あ、あれ…?」

「うふふ、そろそろ効いてきたかなぁ…?」

「そっか…()()()()…」

 

 ご飯が美味しいせいで忘れてたけど、そういえば入ってたんだった。

 むぐぐ…意識すると余計に体が熱くなってくる。

 

「ほら、我慢しなくていいんだよ♪」

「え、ちょっと…!?」

「あ、イヅナちゃん――!?」

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 酔拳さながらタガの外れた怪力を発揮するイヅナに引き摺られ、勢いのままお風呂の中へと入れられる。

 

 服を脱がされなかったのも、今日に限っては幸運だった。

 …色々重なってとっても暑いけど。

 

「…溶けちゃいそうだね♡」

 

 すぐ横でイヅナが妖しげに微笑む。

 本当に溶けてしまうのではないかと思うくらい体が熱い。

 

 薬で内側から火照る温度と、雪山の空気でも冷め切らぬ温泉の熱に挟まれて頭が沸騰してしまう。

 

 皮肉にも思考はフリーズして、何を考える気も起きない。

 

「ノリくぅん…体が熱いの、なんでかなぁ…?」

「…お風呂のせいだね」

 

 何も考えられない…そう思っていた。

 

 だけど、イヅナの大ボケが辛うじて僕の理性を保ってくれたのだ。

 

 そのおかげで、僕は狂うことなく熱湯の中で悶え苦しんでいる。

 

「イヅナ、上がらない?」

「らめぇ…じゅうかぞえてからぁ…」

「二人とも、何してるの…!?」

 

 キタキツネの焦るような声が聞こえる。

 他の音は感じないのにそれだけは判って安心した。

 

 キタキツネは僕の体を揺さぶる。

 小さな波が立ち、お湯が混ざって新鮮な熱さが僕にやって来る。

 

「ノリアキの体とっても熱いよ、こんなのおかしいよ…!」

「キタちゃん~なんで連れてくの~?」

「イヅナちゃんも、こんな時にお風呂入っちゃダメだって…!」

 

 キタキツネはせっせと僕達をお風呂の外へと運ぶ。

 

 

 床の間で突っ伏しながら自分から昇る湯気を眺め、何となく瞼を閉じると次の瞬間にはキタキツネに膝枕をされていた。

 

 眠ってしまっていたみたいだ。

 

 目が覚めた僕に気づくと、互いの額に手を当てて熱さを比べてくれた。

 

「おでこ、まだ熱いね…」

「あはは、心配掛けちゃったかな…ごめん」

「ノリアキは悪くないよ、全部イヅナちゃんのせいだもん」

「…あはは」

 

 強く否定できないのが何とも悲しいところ。

 

「イヅナだって、悪気はなかったと思うから」

「あんな感じで悪気があったら、ボクびっくり」

「……だね」

 

 何はともあれ、お酒のせいでひどい目に遭った。

 

 ついでに盛られたお薬もまだ抜け切っていないみたいだし、もう少しだけ、キタキツネの膝に甘えていよう。

 

 

「…ところでイヅナは?」

 

 居場所を聞くとキタキツネはあからさまに眉をひそめる。

 しばし思案した後、渋々ながらも教えてくれた。

 

「あっちのお部屋に縛ってあるよ」

「し、縛ったんだ…!?」

 

 単純というか、効果的というか…

 こう言っちゃあれだけど、『悪質な酔っ払い』への対応だとしたら丁度いいのかもしれない。

 

「あのロープ、こんなことに使うはずじゃなかったのにな…」

 

 ……聞かなかったことにしよう。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「ノーリくんっ♪」

「…えっ?」

「い、イヅナちゃん!?」

 

 キタキツネの後ろにイヅナが立っている。

 ロープを両手に持ち、目にも留まらぬ速さでキタキツネを引っ張るとすぐに縛り上げてしまった。

 

「な、なんで…」

「キタちゃんこそ~、なんで縄ごときで私を封印できると思ったの~?」

 

 まだ、酔いは覚めていないみたいだ。

 

 イヅナはキタキツネを雑に放り出すと、千鳥足をはためかせて僕の方へと歩いてくる。

 

「か、体は大丈夫なの?」

「えへへへ、大丈夫じゃないかも~」

 

 湿った吐息を耳に吐き掛け、イヅナは僕を抱き締める。

 仄かに赤らむ柔肌が、ドクンドクンと脈打っていた。

 

「もうダメ…だからノリくん…ね?」

「やめてー、ズルいよー!」

 

 バタバタと音がする。

 キタキツネが縛られたまま暴れている。

 

 助けようにも、イヅナに拘束されて動けない。

 

「うふふ、キタちゃんはそこで見ててね…♪」

「ノリアキ、こんなのでいいのっ!?」

「いいよね、ノリくん?」

「…仕方ないよ、イヅナもこんなに酔っちゃってるし」

「そんな……」

 

 お酒の力で限界が消えれば、イヅナを止められる存在なんてこの島にはいないと思っている。

 

 だからここは大人しく従おう。それに、ちょっぴりだけ期待もしている。

 …薬のせいで。

 

「…ノリくん♡」

 

 目を閉じ、コツンと額を合わせる。

 尻尾が尻尾に巻き付いて、モフっと暖かく結ばれる。

 

 唇同士が触れ合おうとしたその時、僕の体は強い力で後ろに引かれた。

 

 

「……ノリアキ♪」

「き、キタキツネ…?」

 

 背中の側から耳に流し込まれるキタキツネの声。

 だけど、妙に上ずって聞こえる。

 

「お酒って、美味しいんだね…」

「の、飲んだの…?」

「ボクも酔っちゃったぁ…そしたら、()()()()()()()()?」

「…あはは」

 

 負けだ。もとより勝ち目も無かった。

 勝つつもりも、そんなに無かった。

 

「じゃあ最後に、ちょっとだけ…」

 

 キタキツネの手からお酒を受け取って一思いに呷る。

 

 何かが覚めるような感覚と共に全身に血液が駆け巡り、いよいよ衝動を遮るものは何もない。

 

 柔らかな体に顔をうずめ、包まれて、そして、溶ける。

 

 お酒って、結構すぐに効くんだね。

 そんなことを思いながら、僕はもふもふの中に溺れた。

 

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「……ん?」

 

 目が覚めると、僕は布団に一人で眠っていた。

 障子の隙間から日の光が差し込む。

 

 どうやら、もう朝みたいだ。

 

「いたっ…うぅ…」

 

 頭がキーンと刺すような痛みに襲われる。

 寝る前の記憶が思い出せない。

 

「……」

 

 頭を押さえながら辛うじて部屋を見回すと、隅っこに見覚えのない瓶が転がっている。

 

「『白狐』…まさか、お酒…?」

 

 荒々しい筆文字の形とラベルの模様。

 こんな感じの瓶に入っている飲み物を、僕はお酒以外に知らない。

 

 となるとこの頭痛は二日酔いのせいだろうか。

 

「お酒を飲むことなんて、無いと思ってたんだけどな…」

 

 未だよろめく体で壁を伝い、みんながいるであろう居間へと重い足を運んだ。

 

 

「あら、コカムイさんも起きたのね」

「な…何してるの?」

 

 居間では不機嫌そうなギンギツネが腕を組んで仁王立ち。

 その前で、イヅナとキタキツネが正座をして俯いている。

 

「今日という今日はハッキリ言うわ、あなた達、少しは抑えることを覚えなさい!」

 

 ビシッと指差すギンギツネ。

 

 その力強い言葉も、二人には届いていないみたいだけど。

 

「えぇ~…」

「『えぇ~』じゃないの」

「でも、今回は全部イヅナちゃんのせいだもん」

「それは…キタちゃんも乗っかってたじゃん!」

「…そうなの、コカムイさん?」

「あ、えっと…」

 

 しまった、僕の方に飛び火してくるなんて。

 むむ…どう答えるのが一番だろう。

 

 キタキツネの言葉を否定するのもかわいそうだし、かといってイヅナに責任を全部負わせるのも心苦しい。

 

 大方キタキツネの言う通りだけど、成り行きで僕も多少乗り気になった節があったから。

 

 だから僕は、かつての自分自身の選択を守り抜こう。

 

「ねぇギンギツネ、叱らなくてもいいんじゃない?」

「……え?」

「ほ、ほら、生きてれば色々あるし…わわわ…」

「…あなたもお説教ね」

 

 ギンギツネに首根っこを掴まれたかと思うと、そのまま腰を抱えて持ち上げられる。

 

「ノリくんッ!」

「ギンギツネ、やめて!」

 

 イヅナとキタキツネが同時にギンギツネへと飛び掛かる。

 

「…はぁ」

 

 突然視界がぐるっと回った。

 僕でさえどう動いたのか分からないほど速く。

 

 気が付くとキタキツネは僕と同じように片腕で抱えられ、イヅナも脚で固められている。

 

「ギンギツネ、強い…!?」

「うふふ…そうかしら?」

 

 僕に微笑みかけるギンギツネの瞳は、夜空よりも昏く輝いていた。

 

「とにかく、三人まとめてお説教よ…!」

 

 

 …その後、嫌気が差したキタキツネが逃げ出したり、狐火で脅かしてイヅナが逃げようと画策したりと色々あった。

 

 だけどきっと全て蛇足だから、もうこのお話はおしまいだ。

 

 それに僕は、今でもあの夜の出来事を覚えていない。

 

 イヅナたちは、酔っ払って何をしてたんだろう?

 

 

 



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Ⅰ-105 いつでもどこでもシャッターチャンス

「よく見るといいのです、これこそが新アイテム…ジャパリフォン!」

「ジャパリフォン…って、何それ?」

「その名の通り、”けいたいでんわ”というやつなのです」

 

 渡されたカタログのような本には平べったい機械の写真。

 外の世界では、”スマートフォン”という名前で呼ばれていたと記憶している。

 もちろん、実物をこの目で見たことはない。

 

 今日は大切な用があると神依君に呼び出されて、イヅナとキタキツネも伴って図書館まで来ている。

 

 二人も連れてくるようにと神依君には強く念押しされた。

 何をするつもりだろう…ちょっぴり不安。

 

「電話だってことは分かるけど…もしかして作るの?」

「まさか、作るのは工場のラッキービーストなのですよ」

「お前は好きなデザインを選ぶだけでいいのです」

 

 ぐいぐいとカタログを押し付けられる。

 この押しが強い雰囲気、博士たちから感じるのは久しぶりだ。

 

「そう言われても…そもそも必要かな…?」

「いる、絶対いる!」

「き、キタキツネ?」

 

 ひょっこり飛び出すキタキツネ。

 熱い視線と突き刺さる視線がチクチクと背中に届く。 

 

「ボク欲しいからほら、選んで!」

 

 …なんでキタキツネが急かすんだろう。

 

 今朝の様子を思い出してみればキタキツネはやたらと上機嫌だった。

 一枚噛んでいるとみて間違いない、だから何だって話だけれど。

 

「ええと…キタキツネのを選べばいいの?」

「ノリアキの好きなのでいいよ、ボクはお揃いにするから」

 

 そもそも遠く離れることも少ないから電話なんて持つ意味もないと思うけど、キタキツネにとってはそうではないのかも。

 あるいは、イヅナと僕を繋ぐテレパシーへの憧れかもしれない。

 

 兎にも角にも、四六時中呼び出し音が鳴る未来だけは避けたいと思う。

 

 僕はカタログのページをめくり、キタキツネっぽい色の機種を探す。

 しかしキツネ色とは思っているより派手なもので、落ち着いた色の多いこのカタログには見当たらなかった。

 

「…決まらない?」

「もうちょっと…ね」

 

 …一つ気になっているものがある。

 

 綺麗な()()のスマー…ジャパリフォン。

 よりにもよって、白い機種。イヅナと同じで真っ白、頭の中も、真っ白。

 

「…どうしたの、ノリアキ?」

 

 ぴたっと背中に張り付くキタキツネ。

 腰に腕を回し、熱い息の混じる声はトーンを落としている。

 キタキツネは、どうしてこうも勘が鋭いのだろう。

 

「わかるよ、ずっと一緒にいるんだもん」

 

 これならテレパシーなんて、キタキツネにとっては妬く程のものでもないのかもしれない。

 

 ともあれキタキツネの機嫌が悪いことだけは僕にも察せたから、白い携帯はやめにしよう。

 

 しばらく悩んで、結局僕は暗い赤色を選ぶことにした。

 血のように暗く重々しい紅の彩りに、意味もなく心を惹かれたから。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「わぁ…綺麗…!」

 

 およそ一週間後、オーダーメイドで製造された三台のジャパリフォンが温泉宿に届いた。

 

 二台は赤く、一台は白い。

 気が付かぬ間にイヅナも頼んでいたらしい。

 

「ふふ、イヅナちゃんはその色で良かったの?」

 

 僕と同じ色の携帯をひけらかしながらキタキツネが言う。

 

「念のため持つだけだよ、私はこんなもの無くたっていいから」

 

 ひらひらと構わぬ様子のイヅナは、そのままの調子でキタキツネの尻尾を逆撫でる。

 

「キタちゃんも…()()()()に頼ってちゃダメだよ?」

「…余計なお世話」

 

 プイッとそっぽを向いて部屋から出ていく。

 …僕の手を強く引いて。

 

 イヅナは何も言わずに、しかし真剣な眼差しで見守っていた。

 見失う間際にテレパシーで一言、『今日のご飯は私が作るよ』。

 

 それを、今伝える必要はあったのかな…

 

 

「これ、どうやって使うの?」

「説明書ならあるけど…」

 

 なにせ僕も初めて使うタイプの機械で勝手が分からない。

 そんな人のために、この世界には”説明書”というものがある。

 

 キタキツネが開いて、一言。

 

「…読めない」

 

 紙の束が宙を舞い、雪の中へと消えてしまう。見たところ随分と遠くまで行っちゃったみたい。

 健気な赤ボスもまた、それを取るために遠くへ消える。

 

 勉強のおかげで簡単な文章は読めるようになったキタキツネだけど、流石に電子機器の説明書となると話は違う。

 

「じゃあ、僕が読んであげる」

 

 ジャパリフォンは三台、説明書も三冊。

 取りに行った赤ボスには悪いけど、僕の説明書で事足りる。

 

 説明書に挟まれた初期設定用の小冊子。

 これを読めば、最初にすることは大体分かるはずだ。

 

「ええと、”セルリアンでも分かる初期セットアップ”……?」

 

 下の方に小さく『作:偉大なる博士』と書いてある。博士はセルリアンを何だと思っているのかな。

 

 もしかして、神依君のこと…?

 

「神依君、頭は悪くないはずなんだけどな…」

「ノリアキ、早くこれで遊びたいな」

 

 キタキツネはその辺の事情に興味がない様子。

 さっきから動かないジャパリフォンで楽しんでいるくらいだもの。

 

 偉大なる博士作の小冊子は、意外にも分かりやすく手順が示されていた。

 

 これなら案外セルリアンでも理解できるかもしれない。今度会ったら食べさせてみよう。

 …神依君にじゃないよ?

 

 

―――――――――

 

 

 設定はものの数分で終わる。

 むしろ充電に数十倍くらいの時間を使ったが、それはもはや仕方がない。

 

「…よし、こんな感じかな」

 

 ポチっと電源を入れれば、いつでも使うことが出来る。

 せっかくだから、試しに何か機能を使ってみよう。

 

 …何が良いかな、そもそも何があるのかな?

 

 分厚い方の説明書にも目ぼしいものは書いていない。

 精々、カメラの使い方が書いてあるくらいだ。

 

「でもカメラか…そういえば、使ったことないな」

「カメラ…って何?」

「写真って言う…景色を絵に残したものかな、それを簡単に作れる機械だよ」

「それがこの中に入ってるの?」

「そう…便利なものだよね」

 

 パシャリ、何の変哲もない雪山の景色がメモリーの中に収められた。

 

 明日も来年も多分、この景色は変わったように思えない。

 だけど、この景色は今この瞬間だけ存在する。

 その確かな証拠が、紅く小さな機械に残された。

 

「それでも…何も変わらないけど」

 

 もう一枚、今度は空に向けて。

 浮かぶ綿雲はもうそこを過ぎてしまった。

 

 雲に隠れた太陽は、本当にそこに有るのかな。

 

「……変なの」

 

 そんなの有るに決まってるのに、気分が浮かれてるのかな。

 ふわふわ…移ろいやすい雲のように。

 

「ねぇ、げぇむもあるよ…!」

「え、あるの?」

 

 ほんのりと笑みを浮かべ、キタキツネは画面を見せてくれた。

 楽しそうにビートを刻むリズムゲームだ。

 

「…LOSTっていっぱい出てるよ」

「……あ」

 

 

―――――――――

 

 

「ノリアキ、“でんわ”してみようよ…!」

「折角だもんね、でも…こんな近くで? 本当に繋がってるか分かんないかも」

「……じゃあ、ちょっぴりだけ離れる」

 

 心底不服そうにキタキツネは距離を取った。僕をじっと見つめて、体がすごく前のめりになっている。

 

 “離れる”という言葉は、想像以上にキタキツネの胸を締め付けている。

 

 僕も少し怖いと思ってしまった。

 

「…じゃあ、掛けるよ?」

「…うん」

 

 彼女の目線がジャパリフォンと僕の間で泳ぎに泳いで、時々溺れてグルグル回る。 時折、恥ずかしがるように顔をジャパリフォンで隠した。

 

『~♪』

 

「っ!」

 

 前触れもなく震え出した携帯()飛び上がり、キタキツネは恐る恐る応答のボタンをタップする。

 

『…もしもし』

『も、もしもし…?』

『良かった、ちゃんと繋がってるね』

『…ノリアキの声が、ふたつ聞こえる』

『僕も、キタキツネの声が二つ聞こえるよ』

 

 部屋の端っこに立つ二人。

 お互いを見つめあいながら、まるで遠くにいるかのように話をした。

 

 天気の話、ゲームの話、最近起きた出来事の話。

 それと、初めて会った時の話。

 

 こんな会話になるなんて思ってもいなかった。きっかけというものは予想できない偶然を運んでくる。

 いつでも出来る陳腐な話がとても楽しかった。

 

 そして、時間は矢のように過ぎ行く。

 

 

「…あれ、動かなくなっちゃった」

 

 突然通話が途切れて、どこを押しても反応しない。

 指先で弾いてみても、うんともすんとも言わないのだ。

 

「電池切れ? …って、もうこんな時間」

 

 気が付けば日は傾き、橙色の光が雪に反射して差し込んでいる。

 

「ほんとだ…もう夕ご飯の時間」

「…そうだね」

 

 しょんぼり充電ケーブルを繋いで、キタキツネと僕は居間へと向かう。

 

 彼女のはまだ使えるらしい。電池のやりくりが上手なんだな。

 …何というか、流石はゲーマー。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「ふう…」

 

 背中に落ちる雫を拭き取って寝巻を身に着ける。

 濡れた髪の毛をタオルでわしゃわしゃ、立ち上る湯気は尻尾から。

 

 何となしにジャパリフォンを手にして、夜の景色を写真に残した。

 

「三日月も…嫌いじゃないかな」

 

 とびっきりにズームして一枚、枠いっぱいのお月さま。

 本物と見比べていたら、意地悪な雲が隠してしまった。

 

 月があった場所にジャパリフォンを重ねると、逆さまになった月が僕を覗き込んだ。

 

「…あはは」

 

 

 ひとしきり夜の景色を再確認した後、昼間撮った写真を確認しようとアルバムを開く。

 

 画面に浮かぶ丸かっこ。

 その中に閉じ込められた数字が僕の頭に引っ掛かった。

 

「200枚? …そんなに撮ってたっけ」

 

 数えながら撮ってた訳でもないし、夢中になってたからそれくらいあっても不思議ではない…のかな。

 

 雪原の写真を探しにスクロール。

 真っ白な写真が僕の目に飛び込む。

 

 真っ白な…僕の写真だ。

 

「………え?」

 

 雪原はない、綿雲もない、青い空さえ写っていない。

 僕の映った写真だけが、ペタペタ貼り付け並べられる。

 

「…まさか」

 

 咄嗟に電話帳を開くと、僕の電話番号が登録されていた。

 つまり、これはキタキツネのジャパリフォン。

 

 同じ色だから間違えて持って来ちゃったみたい。

 お揃いも時には困りもの、だからイヅナは白を選んだのかな。

 

「……」

 

 震える指でもう一度アルバムを開く。

 キタキツネが僕のどんな姿を写真にしたのか、どうしても気になってしまって。

 

 広がるように現れる切り取られた時間の数々。

 

 写真を撮っている僕、空を眺める僕、雪を手にする僕。

 何かしている時の写真から、何気なく仕草を取っている写真まで、キタキツネは見境なくその記録の中に収めていた。

 

 もしくは、最初からそのつもりだったのかもしれない。

 ジャパリフォンを持つことを強く推していたのはキタキツネだったから。

 

「…ノリアキ?」

「っ! あ、キタキツネ…?」

 

 後ろから突然話しかけられ、驚き向き直って背中に隠す。

 うとうとした様子のキタキツネは、あろうことかジャパリフォンを探していた。

 

「知らない? ここに置いたはずなんだけど…」

「…多分、これかな」

「あ、ノリアキが持ってたんだね」

 

 キタキツネに渡して、彼女が画面を光らせる。

 その液晶の上に、僕の写真が大きく映しだされた。

 

「……見ちゃった?」

 

 何故か観念したように微笑む。

 僕も何故か今すぐにでも白旗を掲げたい気分だ。

 

「……」

 

「……」

 

 なんだか気まずくて話しかけづらい。

 

「ええと…風でも浴びない?」

「…うん」

 

 キタキツネも同じ気持ちだったようで、僕達は縁側に腰を掛けてゆっくり落ち着こうとした。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 ――キタキツネの横顔を見る。

 

 こちらを向いた横目と目が合って、瞳は吸い込まれそうなほどに美しく星空を跳ね返していた。

 

「…ノリアキ、怒ってる?」

 

 不安げに細まる目、手首を握りしめる指がわずかに力強くなる。

 

「ううん…ただ、びっくりしちゃった」

「そうだよね…ごめんね…」

「いいんだよ、撮りたいならいくらでも」

 

 キタキツネの手を握り返して、両手と尻尾で包み込む。

 

 そこにキタキツネの尻尾も加わると、雪山の風に当てられているとは思えないほど暖かい。

 

 尻尾のだけじゃなくて、心臓と血が擦れて生まれる熱が全身を駆け巡ってゆく。

 

「ノリアキ…いい?」

 

 キタキツネが僕に体を預ける。

 もっと、暖かい。

 

「ねぇ…キタキツネ?」

「……?」

「写真も悪くないけどさ…僕は、ずっとここにいるよ」

 

 腕を回して、ぎゅっとキタキツネを縛り付ける。

 ほっと、息を漏らす音が耳をくすぐる。

 

「…ありがとね、ノリアキ」

 

 ゆっくり体を離すと、朱に染まったキタキツネの顔が近づく。

 今度こそ本当に離れて、僕達は月を見上げた。

 

 

 ――――パシャッ!

 

 

「え…?」

「ん~~ッ!」

 

 シャッターの音に振り向くと、不意に唇が塞がれる。

 

 ぷはぁとイヅナが声を上げ、白いジャパリフォンをひらひらと振ってついさっき撮った写真を見せてくれた。

 

「…僕しか写ってないね」

「当然でしょ、というかズルいよキタちゃん、抜け駆けなんて!」

「もう、今日こそはって思ってたのに…」

 

 空気が何だか軽くなる。

 三人でいると、ほんのりと心が安らぐ。

 

 前までは安心なんて考えられない関係だったのに、時間は不思議だ。

 

 ただ今は、これを作ってもらってよかったと本当に思っている。

 

 

 その時強い風が暖簾を揺らし、雪の中から赤ボスが出てきた。

 

「…ノリアキ、説明書ヲ見ツケテキタヨ」

「あぁ…ご苦労様…」

 

 濡れてぐしゃぐしゃになった説明書を見ると、写真に撮ってみたくなった。

 今日という日の、他ならぬ記録の一つとして。

 

「…あれ、そういえば僕のジャパリフォンは?」

「私が持ってるよ、はい…どうぞ」

「なんでイヅナが…?」

 

 …まあ、いいか。

 

 パシャリ。

 

 



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Chapter Ⅱ 白銀世界にあなただけ。
Ⅱ-106 吹き付ける風が冷たくて、吹雪の中で眠ります


 …静かな海。

 

 空に浮かんだ月の明かりが、さざめく波を煌びやかに照らしていた。

 

 …静かだった海。

 

 いつの間にか凪の時間は終わっていて、段々と海の様子が荒れてきた。

 

 強い風に吹かれ、切り立った波に僕は飲み込まれた。

 

 空に手を伸ばすと、誰かの指先と触れ合って――

 

 

 僕は、吹雪の中で目を覚ました。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「はぁ、はぁ……く、うぅ…」

 

 片方は闇、もう片方は光。

 

 光の差す方は空を飛び交う雪で真っ白に染められている。

 闇でくぐもる方は洞穴の奥、雪山の脅威から僕を守ってくれている。

 

「あぁ…あったかい…」

 

 狐火が僕の体を照らす。

 

 普段は青いこの炎も、随分と赤混じりで不完全な焼け方になっている。

 別に、酸素が足りないわけではないけれど。

 

「あはは…迎えに来て、くれるかな……?」

 

 あの瞬間、僕は死ぬのだなと思った。

 

 生きているのは奇跡だ、僕の命の灯火は今この瞬間も赤く、不安定に揺らめいている。

 

 …奇跡は、いつまで続くかな。

 

「……」

 

 ゆっくりと思い起こす。

 

 この状況になった経緯を、一つ一つ。

 そして、彼女たちの気配を魂の感覚で探る。

 

「分からない…どこ…?」

 

 雪に遮られたか、何も感じ取れない程弱ったか。

 だけど、微かに誰かが近づく気配がした。

 

 それが雪に映った手の届かぬ蜃気楼でないことを願い、僕の意識は名残惜しくも現実を手放した。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「セルリアンの大量発生…それが、もうすぐ起きるって?」

「研究所のデータを漁ってたら、”その可能性が高い”…ってそこの赤いのがな」

 

 ある日、神依君が彼に貸していた赤ボスを引き連れて雪山にやって来た。

 

 どうやらそれは危険を知らせるためみたいで、博士や助手も島中を回り、セルリアンハンターは来るべき瞬間に備えているという。

 

 とそこで、何処で聞いていたのかイヅナがひょこっと飛び出して疑問を呈した。

 

「それって本当? 赤ボスが間違えたんじゃないの?」

「い、イヅナ…」

 

 最近になって、イヅナの赤ボスへの当たりが強くなったと感じる。

 赤ボスを神依君に預けるよう提案したのも彼女。

 

 もうちょっと、構ってあげるべきかな。

 

 対する神依君はイヅナの様子など意にも介さず、淡々と予測を告げる。

 …ちょっぴり、こういうところには憧れている。

 

「出るとしたら向こう三日だ、それくらいなら気を張ってても悪くないだろ。…誰かが酷い目に遭うよりは、な」

 

「…! そ、そうだね…」

「い…イヅナ?」

 

 神依君が付け足した一言が、イヅナの心を変えた。

 

「大丈夫、ノリくんは私が守るから!」

 

 コロコロと神依君への対応が変わるイヅナに戸惑う。

 話す言葉にひどく困って、つい適当に口走る。

 

「あ…折角だから、何か食べてかない?」

「いや、俺はまだ行く場所があるからな…悪い」

「ああ、気にしないで…ええと、気を付けて」

「そっちもな。それと、赤ボスは返しとくぞ」

 

 抱えた赤ボスを目を合わせる。

 心なしか、赤ボスの目が輝いているように見えた。

 

 イヅナの目は……別に、まあ、ね?

 

 …その日は本当に何事もなく終わり、運命の日となった今日。

  

 神依君が忠告にやってきてから、丁度()()()のことだった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「結局、何もなかったんだね…」

「まあね…あ、右から来てるよ」

「ホントだ、ありがと」

 

 セルリアンの話にはまるで興味が無さそうに、キタキツネはジャパリまんをくわえながらゲームと向き合う。

 

 張り詰めた緊張の糸が緩み、若干拍子抜けな気もするが僕はホッと胸をなでおろしていた。

 何だかんだ言って、何も起きないのが一番良いのだから。

 

「…静かだね」

 

 灰色の雲から空の欠片がしんしんと降り注ぎ、音を伴わぬ風が袖を揺らし頬を刺すように撫でる。

 

「ん…でも、変な感じ」

「変…って?」

「ムズムズする…磁場が、おかしい気がするんだ」

 

 磁場を感じる――キタキツネの第六感。

 彼女の勘が掴み取った異変は……

 

「…何も、ないよね」

 

 事実だけ言ってしまえば、それは()()の前の静けさだった。

 

 赤ボスの演算ミスだったのか、或いは途中で条件が変わったのか知る手立てはない。

 だけど、この”一日”という狂いが運命を大きく変えてしまった。

 

 

 ――轟音。

 

 

「っ…!」

「ノリアキ…何が…!?」

 

 空気が揺れた。

 遠くの山肌が、崩れて落ちていく。

 

 ああ…雪崩だ。

 しかも、ただの自然現象じゃない。

 

 それは、雪と共に滑り落ちる群青の川が嫌になるほど証明していた。

 

「セルリアン、まさか今になって…!」

 

 他の何を考えるよりも早く、僕はイヅナにテレパシーを飛ばしていた。

 

 

『イヅナ、雪山にセルリアンが!』

『そんな!? もう…赤ボスのポンコツ! とにかくすぐ行くね、待っててっ!』

 

 

「キタキツネ、少しだけギンギツネと一緒に待っててくれる?」

「わ、分かった…」

 

 イヅナは図書館で本漁り。

 三日間何も起こらなかったこともあって完全に油断していた。

 

 飛んで来るまで大体十分。

 セルリアンが先かイヅナが先か、願う前に出来ることを考えないと。

 

「でも、結構速いような…?」

 

 確たる根拠はない。

 しかし、セルリアンは一直線に宿へ向かっているように見える。

 このペースだと、イヅナは確実に間に合わない。

 

「…行くしかないか」

 

 せめてもの報せをイヅナに残す。

 

『イヅナ…やっぱり僕、先に行ってくるね』

『待って、私もすぐに――』

 

「…ごめん、必ず無事に戻るから」

 

 二本の刀を持って宿を発つ。

 倒しに行くこと、キタキツネには言わない。きっと止められてしまうから。

 

 雪の上を低く飛んでいき、青空が裏返ったかのような白と青の境界へと僕はその身を投じた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「ねぇ、キタちゃんッ!」

「い、イヅナちゃん…?」

 

 宿に辿り着くなり、私は感情の赴くままキタちゃんに掴みかかる。

 

「なんでノリくんを止めなかったの…?」

「…気付いたら、いなくなっちゃってた」

 

 じゃあ、何で追いかけなかったの?

 

 ああ、危ないから、きっとノリくんが待つように言ったんだ。

 一瞬で自問自答を終えて、さても消えない蟠りを抱えて。

 

 こんなことしてる場合じゃない。

 分かってる、分かってるから。

 

 俯く彼女をそっと放して、私は雪山の状況を確かめる。

 セルリアンは広く散らばり、山肌の所々に虹の欠片が撒かれていた。

 

「ノリくん、やっぱり一人で…!」

 

 テレパシーを送ろうかとも思ったけど、こういう時のノリくんはあんまり返事をしてくれないからやめた。

 

 それに、私のノリくんだもの。

 居場所は、私の心が知っている。

 

「イヅナちゃん、ボクも行く…!」

「そうだよね…まあ、邪魔にだけはならないで?」

「なる訳ないよ…!」

 

 溢れんばかりの想いを胸にした、何でもない一歩。

 外へと踏み出した途端、それと共鳴するように空気が揺れた。

 

 耳を塞ぎたくなるような恐ろしい音と共に、地面が壊れて流れていく。

 

「雪崩…また?」

「まさか、ノリくん…!?」

 

 恐ろしい想像に身の毛がよだつ。

 

 だけどこれは、想像というより予感だった。

 白いキツネの、確信にも近い予感。

 

 当たらないで、違っていて。

 そう願うほどに私の心は締め付けられる。

 

 一心不乱に飛び回る。毛先を凍らせるような極寒の向かい風にも、私の心は温度を感じ取れない。

 

 

『~♪』

『~♪』

 

「こんな、ことって…」

 

 少しずつ、灰色の空は吹雪いてきた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「やだ…ノリくん…どこ…!?」

 

 どうして分からないの、なんで感じ取れないの。

 こんな吹雪ごときで、私たちの繋がりが遮れるはずないのに。

 

 ノリくんのいる方向が、分からない。

 

「わた、私は…ノリくんを…早く、見つけないと…」

 

 目の前にモノトーンな壁が迫って、通り過ぎていく。

 

 ああ、全部真っ白なのね。

 私たちも、まっさらになっちゃうの…?

 

「っ…邪魔しないでよ!」

 

 セルリアンが爆散する。

 

 散らばったサンドスターは吹雪に乗せられ飛んでいく。

 虹色と黒のグラデーションが、私の視界を走り去る。

 

「もしかして、これのせい…?」

 

 感覚を研ぎ澄まして、ノリくんの()()()()()()()()()を探る。

 

 その感覚は空を舞うサンドスターに邪魔され、乱反射して地面に沈んだ。

 

「そっか、セルリアンが大量発生したから」

 

 きっと、ノリくんが倒したセルリアンの残骸から舞い上がっているんだ。

 

 それはサンドスター混じりの吹雪になって、セルリアンは死した後も私たちの邪魔をしてくる。

 

 これはさながら天然のジャミング。

 だけど悔しい、私は…こんなもので…!

 

「諦めない…私なら、私たちなら……あっ!?」

 

 一瞬にして目の前が真っ白になる。

 

 冷たい、顔が雪に埋もれている。

 

「っ…だれ…あ……ぁ…」

 

 首に受けた強い衝撃が、私の意識を雪に沈めた。

 

 私は…こんなところで倒れている訳にはいかないのに…

 

 

「……ふふ」

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「ハッ、眠っちゃ、ダメだ…」

 

 過去を振り返っていると、夢に落ちてしまいそうな気がする。

 

 平穏だったころの記憶が、甘くて甘くて仕方ない。

 

 未来は光で閉ざされている。

 暗闇の方が、僕を癒してくれる。

 

「やっぱり…何も感じない…」

 

 普段なら、多少離れていてもイヅナやキタキツネの気配を感じられる。

 だけど今は何もない、全くの無だ。

 

 吹雪のせい? あるいは、僕が弱っているせい?

 

 ()()()()()()()()宿()()()()()()()()()()()

 こんな時に限って、これでは持っている意味が無い。

 

 手元にありさえすれば、助けを呼ぶことが出来たのに…

 

「……?」

 

 そんなささやかな自己嫌悪に僕が陥っていたその時、誰かの足音が吹雪の音を貫き僕の耳を揺らした。

 

 すぐに音の主は姿を現す。

 僕が予想だにしなかった、彼女がやって来た。

 

「大丈夫かしら、コカムイさん?」

「あ、ギンギツネ…?」

 

 

―――――――――

 

 

「ありがとう…助かったよ」

「元気は無いけど、大丈夫そうで何よりだわ」

 

 ギンギツネは沢山の物を持って来てくれた。

 寒さを凌ぐブランケットにジャパリまんに水筒入りの暖かい飲み物。

 口を暖かく潤せば、活気も自然と戻って来る。

 

 頭も段々明瞭になってきて、焦ってギンギツネたちに何も言わず出発したことを申し訳なく思った。

 

 僕がもう少し辛抱強かったなら、みんなもこんな吹雪の中を歩き回る必要が無かったのだから。

 

 

「ごめんね…本当に」

「気にしないでいいわ、今は吹雪が収まるのを待ちましょう」

「…イヅナとキタキツネは?」

「もちろん心配よ…だけど私も結構、しんどい感じなの」

 

 辛くとも気丈に笑うギンギツネ。

 

 よく見ると髪の毛の先が固まっている。

 無理もない、こんなに沢山荷物を持って吹雪の中をずっと歩いてきたんだから。

 

「それも、僕のせいだよね…ごめん」

「だから謝らなくていいのよ。色々多めに持ってきたから、ゆっくりしましょ」

 

 彼女は肩を寄せ、大きめのブランケットを一緒に羽織った。

 

 暖かい…もし二人がこの状況をみればただじゃ済まない。

 でも、今だけは…許されるよね。

 

「ん…んぅ…」

 

 どっと疲れが押し寄せてきて、つい()()()()と微睡んだ。

 

「寝てもいいのよ、私が付いてるから」

「うん…ありがとう…」

 

 もはや、憂い事さえも面倒だ。

 

 頭をギンギツネにすっかり預けて、柔らかな毛並みの中に体をうずめて、眠る。深い眠りに落ちる。

 

 

 吹雪は静かだ。

 風の音以外何も聞こえないから。

 

 それしか見えなければ、それ以外聞こえなければ。

 何も無いのと一緒だから。

 

 音に包まれた静寂が、僕を昏々と眠らせる。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「うぅ…あれ……?」

 

 目を覚ますと、吹雪はすでに止んでいた。

 

 あれほど厚く空を覆い隠していた雲も何時しか流れ去り、お日様が明るく照り付ける。

 

 ()()()()()()()()()()()、私はゆっくり立ち上がった。

 そうだ、ノリくんを探さないと。

 

「くっ…! あ…頭、誰が…?」

 

 そうは言いつつも、犯人なんて分かりきっている。

 キタちゃんだ、わざわざ私を気絶させるのなんてキタちゃん以外に有り得ない。

 

 セルリアンの可能性もあるけど…それなら私はとっくの昔に食べられている。

 

 だから、犯人はキタちゃんだ。

 

「もう、最近は大人しいなって思ってたのに…!」

 

 油断も隙も全く無い。ノリくんは変なことされてないかな。

 

 急ごう、また吹雪いて来ないうちに。

 

 もう私たちを阻むものは何もない。

 ノリくんの場所も手に取るように分かる。

 

 そして、その近くにいる――

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 時は遡り、それは丁度雪山が吹雪に包まれた頃。

 

「やっぱりノリアキ、忘れて行っちゃったんだ…」

 

 ボクは無造作に放り出されたノリアキのジャパリフォンを掴み取る。

 

「…ふふ」

 

 手に持つだけでホッとする。

 だけど、早くノリアキを迎えに行かなきゃ。

 

 荒れた天気の雪山はボクだってすごく怖い。

 ノリアキがいなくなることは、それよりもずっと怖い。

 

 赤い端末を二つ、ボクたちの繋がりを手にして、ボクは――

 

「……?」

 

 何かを感じた。

 聞こえていない、見えてもいない、触れてもいない。

 

 直感が叫んだんだ、『振り返って』と。

 

 風が吹く。

 

 『それ』は暖簾を乱暴に揺らして現れた。

 

 飲み込まれてしまいそうな青色を携えて、『それ』は、蠢く。

 

「…ここは、壊させないよ」

 

 予定変更、とっても不本意だけど、ノリアキのことはイヅナちゃんに任せよう。

 

 ボクは宿(ここ)を守る。

 ノリアキの帰る場所を。

 

 …試してみる?

 ()()()、食べられるかどうか。

 

 



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Ⅱ-107 それは、青空を飛び回るような青

「ん…よっ、と…こっちだよ…!」

 

 ボクは旅館から離れて、小高い丘の上までセルリアンをおびき寄せた。

 とりあえず、これで旅館が壊される心配は無くなったかな。

 

「ふふ、セルリアンって単純…」

 

 ボクが動けば、ついてくる。

 ひょいと隠れれば見失う。

 

 ゲームの中のキャラクターだってちゃんと考えて動いてるのに、セルリアンったら情けない。

 

 …でも、あのキャラたちはどうやってモノを考えてるのかな。

 

「後でノリアキに聞いてみよ…っと、わわ」

 

 むぅ、風も雪も邪魔。 

 セルリアンよりこっちの方がずっと厄介。

 

 ゲームでもあるよね、敵よりギミックの方が面倒なステージ。

 

 でも、吹雪はいつ止むか分からないしギミックじゃないから攻略法もない。

 あーあ、天気を変える魔法の機械でもあればいいのに。

 

「だけど…ラッキー♪」

 

 四本足のセルリアンは目と鼻の先にいるボクを見失っちゃったみたい。

 ボクは()()を感じられるからこの視界でも居場所が分かる。

 

 変なことが起きる前に倒しちゃおう。

 

 ボクは雪の上からいつものように大きく跳ねて、上空からセルリアンの体へと爪を振るった――

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「ん…あれ…ギンギツネ?」

 

 僕を包み込む温もりは、いつの間にか布団だけになっていた。

 吹き込む寒さに震えながら、未だ覚めない目を覚まそうと光の方へと這い出した。

 

 …吹雪はもう止まっていた。

 

 後から思えば、寝惚けて馬鹿なことをしたものだ。

 吹雪が吹いたままだったら、僕はまた雪の底へ沈んでいたかもしれないのに。

 

 でもまあ、今回は無事だったしいいか。

 

「穴の中には…まあ、いないよね」

 

 吹雪が止まってからしばらく経ったのだろうか、ギンギツネはイヅナたちを探しに行ったのだろうか。

 

 だけど、何となく嫌な予感がしていた。

 ううん、予感なんかじゃなかった。

 

 だって今この瞬間も、()()()()()()()()()()んだもの。

 

「…! セルリアン、かな?」

 

 響く地ならし、揺れる空気。

 前から後ろへと吹き抜ける寒風が、横から殴られたように不自然に震えていた。

 

 何となく身の危険を感じて、僕は少し体を浮き上がらせた。

 

 空からなら辺りの様子も確かめやすいし、何よりまた雪崩に巻き込まれてちゃかなわないから。

 

 

「音の方向は…あっち!」

 

 自分の聴覚に従って飛んでいく。  

 ()()へ近づくほどに、大きな揺れが身体を襲う。

 

 少し盛り上がった丘を越えると、そこには広い広い雪原がある。

 白いキャンバスの真ん中で、銀と青の点が飛び交っているのが見えた。

 

「ギンギツネと、セルリアン…!」

 

 銀色の点はやや大きな青色の周りをピョンピョンと跳ねている。

 彼女が翻弄しているようにも見えるけど、体力が保つかどうか心配だ。

 

 対してセルリアンは大きく動くことはなく、時折ギンギツネの爪を軽く弾くのにとどまっている。

 

 姿は胴体らしき球にそこから伸びる四本の剛健な脚。

 脚は蜘蛛のように伸びてはいるが、少ない本数も相まっていびつなコピーに見えて仕方ない。

 

 その時、セルリアンが大きく雪を蹴って跳び上がった。

 

「あ…!」

 

 見慣れた攻撃なのかギンギツネは落ち着いた様子で避けて、飛んできた雪を軽く払った。

 セルリアンが着地すると同時にドカンと雪山が揺れて、沢山の結晶が辺りに飛び散ったのだ。

 

 …って、呑気に眺めてる場合じゃない。セルリアンを早く倒さなきゃ。

 

 そう思い至って飛び出しかけた僕の腕を、誰かが後ろから引っ張った。

 

 引かれた勢いそのままに、柔らかい感触が僕を抱き締める。

 

「わっ…!?」

「ノリくん、大丈夫だった…?」

「イヅナ…僕は大丈夫。でも、ギンギツネがそこで…」

 

 突然引っ張られたのはびっくりしたけど、イヅナであることには驚かなかった。

 

 まあ…今飛んでるしさ。イヅナじゃなきゃ届かないから。

 ともあれ、合流出来てよかった。

 

 …だけど、黙りこくるのは勘弁してほしいかも。

 

「…イヅナ?」

「そうだねノリくん…ギンちゃんも、助けなきゃだね…」

 

 イヅナは気だるそうに、どこか上の空な様子で、セルリアンへと向かっていく。

 

 …出来ればキタキツネの様子を聞きたかったけど、それを聞ける雰囲気じゃなかった。

 

 軽く声を掛けることすら躊躇うような、危うい冷たさ。

 イヅナの体は雪で底冷え、抱かれた腕に凍えが移る。

 

 イヅナは何か別のものを見ているかのようで、得体の知れぬ不安が募る。

 

 それを何とか引き剥がし、僕も刀を手にセルリアンのもとへと飛んで行った。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「ギンちゃん、調子はどう?」

「まあ…ぼちぼちって所ね。イヅナちゃんこそ寒そうだけど、大丈夫?」

「…アハハ、全然」

 

 脱力した視線をギンギツネに向ける。

 一瞬イヅナがギンギツネに何かするかもと思ったけど、杞憂だった。

 

 僕の方を振り向いて、イヅナは手を伸ばす。

 

「ノリくん、一本貸して?」

「あぁ、うん…」

 

 刀は二本持っている。

 白黒の一対のうち、白い方をイヅナに渡した。

 

「ありがと、早く片付けちゃおっか」

 

 そう言い終わる前に駆け出したイヅナ。

 アレくらいのセルリアンなら、もしかしたら僕の仕事は無いかもしれない。

 

 …一応、構えてはおくけど。

 

「よーし…えいっ」

 

 ある程度セルリアンと近づいたイヅナは、止まって目の前に狐火を灯した。

 

 イヅナがひらりと手の平を返せば、青い炎が横へ揺らめく。

 スッと動き出した青白い光に、セルリアンの視線は釘付けになる。

 

 そしてイヅナは、狐火と逆の方向に走り出した。

 

 さらに距離を詰めても、光に釣られたセルリアンは気づかない。

 

「…それっ!」

 

 ジャンプでクルっと一回転。

 回りながらセルリアンの胴体を斬り付けた。

 

 だけど…何も起きない。

 

「…あれ、浅かったかな」

「あら、ピンピンしてるわね」

 

 思いっきり斬られたはずのセルリアンは相も変わらず狐火を追っている。

 

 一瞬痛がるように飛び上がったら、イヅナの姿を捉えて吼えた。

 やっぱり、傷が浅くてすぐには気づかなかったみたい。

 

 セルリアンにもようやく怒りが湧いてきたのかな、地団太を踏んで威嚇している。

 

「ノリくん、助けてー!」

「あはは…僕の出番みたいだね」

 

 黒い方の刀を構えて一直線。

 イヅナに夢中なセルリアンの腕を細いところから斬り裂いた。

 

「どーん!」

 

 斬り落とした腕を、何故かイヅナが蹴り飛ばす。

 

「えっと…何で?」

「えへへ、何となく…」

「…そっか!」

 

 腕はもう空の青と同化して見えない。

 

 遠くに飛んでいきはしたけど、どうせすぐ消えるものだしいいか。

 もう腕のことは忘れた。

 

「そしたら…あんまり長引かせても仕方ないね」

「そうだね、さっさとやっちゃお!」

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「ふー…終わった…」

 

 程なくしてセルリアンは跡形もなく解体され、雪山のセルリアン騒動は終わりを告げた。

 

 というか終わりにしてほしい。

 今日はあまりにも事件が起きすぎた。

 

 普段ほとんど事件が無い反動と思えばそれでもいいけど、ポジティブに思えない程疲れてしまった。

 主にセルリアン以外の部分で。

 

「帰ろう…もう寝たいよ…」

「コカムイさん、さっきまでたっぷり寝てたのに…ふふ」

「寝てたの…? ギンちゃんの近くで…?」

 

 鋭い疑問が突いて刺される。

 反応までにコンマ一秒、早い。

 

「洞穴でグッスリ寝ているのを見掛けただけよ、すぐセルリアンを退治しに行ったから近寄ってはいないわ」

 

「…本当?」

「え、えっと…?」

 

 どう答えるのが正解か分からなくて、とりあえず言い淀んだ。

 一応、()()()()()()()()()()()を装って。

 

 ギンギツネの言葉を正しいとするなら、僕は彼女が立ち寄ったことを知らないことになるから。

 

「…まあ、そういうことにしとくね」

 

 若干の疑念を浮かべつつも、どうにかその場は収まった。

 でもそれも、イヅナが別のことを気にしているからだろう。

 

 さっきからイヅナは落ち着かない様子で、多分ココに居ない誰か(キタキツネ)のことを考えている。

 

「イヅナ、どうしたの…?」

「ううん…何でもないから」

 

 目を合わせずにそう言って、彼女は頭に手をやった。

 痛む所をさするように。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 案の定というか何というか、宿は至っていつも通りの様子だった。

 

 何が起きても変わらない場所というのは、底知れぬ安心感を与えてくれる。

 

 キタキツネはゲームでもしているのかな。

 

 今更ながら黙ってセルリアン退治に飛び出したことが後ろめたくなってきた。

 例えるなら、試合中の擦り傷が後から痛んできたような感じで。

 

 それでも途中で歩みを止めることは叶わず、宿の敷居を跨ぐのだ。

 

「ただいまー…」

 

 返事はない。

 代わりに、奥の方から何か作業をする音が聞こえる。

 

「キタキツネ、いる…?」

「ノリアキ…お願い、手伝って…!」

「だ、大丈夫!? ………え?」

 

 絞り出すようなキタキツネの声に焦って向かうと、息も絶え絶えに瓦礫を運ぶ彼女の姿があった。

 混乱しながらも周りの様子を見ると…大体分かった。

 

 

 まず最初に、屋根が突き破られている。

 

 綺麗な青空が建物の中からも覗けて、露天風呂でもないのに解放感にあふれている。

 勿論、こんな解放感は願い下げであるのだが。

 

 

 そして屋根を突き破ったもの。

 

 それもとても分かりやすかった。

 頭を抱えたくなるほどに明瞭な原因が、今そこで()()()()()()()()

 

 ああ、僕達はちょっと前にそれを見た。

 というか、斬り落とした。

 

 青くて半透明なセルリアンの腕。

 僕たちが最後に対峙した化け物の一部。

 イヅナが何気なく蹴り飛ばした青い彗星。

 

 

 考えれば考えるほどに納得がいく。

 

 今日の雪山に、屋根を突き破るほどの勢いで落ちてくるものなんてこれくらいしかない。

 

 まさか、今になって後ろめたいことが増えるなんて思いもしなかった。

 

 

「……ノリアキ?」

「なんか…ごめんね」

「え、どうして?」

「あのね、イヅナが――」

「わー、わー! キタちゃん、ほら、片付けよっか!」

 

 イヅナが分かりやすく焦っている。

 

 この感じなら、わざわざ僕が説明しなくても大体分かってくれそう。

 

 

「そっか…イヅナちゃんのせいなんだね」

 

 もう分かったみたい、すごい。

 

「あ…えっと…!」

「ちゃんと倒したはずなのにって思ってたけど、そういえば今日って()()()()()だった」

「キタキツネの所にもセルリアンが?」

「うん…蜘蛛みたいなのが」

「こっちのも、似た奴だったよ」

 

 ええと、つまり…

 

・雪山にセルリアンがいっぱい出てきた

・よく似たセルリアンが別々の場所に二体出てきた

・イヅナが斬った腕を蹴飛ばした

・その腕が宿の屋根を壊した

 

 ってことになるのかな。

 …何気なく箇条書きにしたけど、きっと前半にある二つは要らない。

 

 それはさておき、今回に関してはイヅナは謝った方がいいのかもしれない。 

 

 そんな風に考えながら二人の会話を聞いていると、話は予想外の方向へと流れ始めた。

 

「イヅナちゃん…もうちょっとでボクに当たるところだったんだよ? 危ないよ」

「でも…キタちゃんだって、私を危ない目に遭わせたじゃん! 自業自得だよ」

 

 真っ向からの言い争い。

 イヅナが言い返している()()()()のことがよく分からなくて、簡単に口を挟めない。

 

 躊躇う間にも、言葉の応酬は段々と熱を帯びてゆく。

 

「そんなこと、それっていつの話?」

「いつって、つい――」

「…まあまあ、二人とも落ち着いて? 今はこれを片づけるのが先だと思うわ」

 

「でも、イヅナちゃんが…」

「き、キタちゃんだって…!」

 

「はいはい、その話は後にしましょ。ほら、片づけるわよ」

 

 ギンギツネにぐいぐいと促されて、二人の言い合いは有耶無耶に終わった。

 

 でも珍しいな、ギンギツネがヒートアップした二人の間に入るなんて。

 普段なら止めるにしても落ち着いてからなのに。

 

 まあ、今日は普段より苛烈になりそうだから早めに止めたのかな。

 

 

「あはは…僕も手伝わなきゃだね」

 

 瓦礫の片付けに屋根の修理に、今日の騒動はまだまだ尾を引きそうな気配だ。

 

 でも偶にだったら、こういう刺激があっても悪くないのかもしれない。

 

 穴から覗く空を眺めて、僕はその眩しさに目を覆った。

 

 

 

―――――――――

 

 

 きっかけは、全く関係のないセルリアン騒ぎ。

 

 でも、始まりなんて終わりには気にされない。

 残るのは、過程の記憶と結果だけ。

 

 噛み合っているように見えた歯車は、いとも容易く狂わされる。

 

 まるで、新しい歯車を押し付けて組み込むようにして。

 

 いいや、違う。

 もうその歯車は組み込まれていたんだ。

 

 それに気づいたのは、気付かされたのは、変わってしまった後だったけど。

 

 

 …凪は終わった。

 また停滞が訪れるその時まで、僕達は変わり続けるしかない。

 

 望まなくても、変えられてしまう。

 

 そうでしょ?

 

 だって()()からそうだった。

 

 全部変えられて生まれたのが僕だから、また変えられるしかないんだ。

 

 でも大丈夫。

 

 全然、怖くないから。

 むしろ…嬉しいんだから。

 

 



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Ⅱ-108 呼び寄せ、客寄せ…それはよせ?

 壊れた宿の屋根の穴から、真っ青な色が見えている。

 

 だけど、それは移ろいゆく青空の色じゃない。

 無粋に被せられた冷たいブルーシートの色だ。

 

 今日も宿は沢山の青色にまみれている。

 

 そこかしこに木材を頭に乗せたラッキービーストの姿が見えて、指揮を執る赤ボスの色はやっぱりよく目立つ。

 

 

 ――例の騒ぎ(あれ)からかれこれ三日が経った。

 

 島全部を見ても大きな事件は他に無かったらしく、こうも仰々しく後処理をするのは雪山だけ。

 

 『他の場所は中くらいのセルリアンがポツポツと出て終わった』とイヅナに追い立てられながら博士が叫んでいた。

 

 というか今になって考えれば何を呑気に叫んでいたのか。

 

 不用意にここへ近づくたびに、博士は狐火の餌食になっている。

 

 そして、赤ボスの計算がちょっぴり間違っていた事もあった。

 

 神依君は申し訳なさそうだったけど、僕は気にしていない。

 

 むしろ、”ついにセルリアンも搦め手を…”とか冗談を考えられるくらいに感情はスッキリだ。

 

 チマチマと埋まる穴を見るのも、結構楽しい。

 

「ところで…ギンギツネは何をしてるの?」

 

 昨日から彼女は、建物の修理と別に何か作業をしている。

 

 何かの板に釘を打ったり、絵の具で何か描いたりと、明らかに全然違う。

 

「今は内緒よ。完成したら全部教えてあげるわ」

「…そっか」

 

 ウキウキとした様子からして楽しいことに違いない。

 僕も密かに胸を躍らせながら、キタキツネが呼ぶ方向に歩き出す。

 

 今日一緒に遊んだのはキタキツネの大得意な格闘ゲーム。

 

 カチャカチャとコントローラーが鳴り響く横で、やりたそうに見つめるイヅナの視線が印象的だった。

 

 …よそ見してたせいかな、今日は惨敗しちゃった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「見て、看板が完成したの!」

 

 とびっきりに浮ついた声でギンギツネが『看板』と呼んだ板を見せる。

 

 確かにそれは看板だった。

 

 よく見る温泉のマークに雪山の壮大な景色。

 

 筆がなぞった跡には黒く「温泉旅館はこの先」という形が辛うじて読めるように残されている。

 

 なるほど、()()()()()普通の看板と言って差し支えない。

 

 

 …問題は、宿の方向を示すであろう()()矢印。

 絵の具が水で滲み、これでは遠目で見ると血だと勘違いしかねない。

 

 この矢印一つだけで看板が呪いの品のように見えてしまう。

 

 ギンギツネはあんなに楽しそうに『これ』を描いたのかな、目を見張るべき美的センス。

 

 僕にはとてもできない。

 

 

「…なんか不気味、お化け屋敷でも作るの?」

「違うわよキタキツネ、これは普通の案内板!」

「普通ってなんだっけ…?」

「き、気にしても仕方ないわ…そうじゃないかしら?」

 

 キタキツネには賛同してもらえると思っていたのかな。

 

 芳しい反応を得られなかったギンギツネは誤魔化す方向に走り出した。

 

「そうよ、ね…どう使うかが問題だもの」

「どう使()()()かも大事じゃないかな…」

 

 頬に指を当ててキタキツネは首を傾げる。

 

 何を思い浮かべているのかな。

 きっとゲームのことじゃないかとは思う。

 

 確かに、ゲームは”使える物”と”使えない物”が割と明確に分かれている。

 

 実際はそこまで単純じゃないけど、制限は現実よりも多い。

 だから効率的な考え方が身に付いているのかも。

 

 まあ、キタキツネもそんなに深く考えていないのだと…何となく感じる。

 

 

「…と、とにかく説明するから、まずは静かに聞いてて!」

「ふふ、珍しいギンちゃん」

 

 イヅナがサラっとした様子で笑う。

 

 この二人が仲良く見える光景なんてなかったから、僕も少し『珍しい』と感じた。

 何となく微笑ましくも思った。

 

 ――後から思えば間違いだらけだった。それはもう色々と。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「つまり…ここにお客さんを呼ぶの?」

「ここを色々作り直して、確認しに博士たちが視察に来るみたいね」

 

 ギンギツネの話によると、全て博士が言い始めたことらしい。

 

 また懲りずに長話をしているなと思ったけど、そんな目的があったとは驚いた。

 

 なんでも『雪山の景色を楽しみたい』というフレンズがいるらしく、彼女のために島の長が動いているようだ。

 

 存外、名ばかりな役職でもないみたい。

 

 

「でも、他の娘がここに来るんでしょ? 私は嫌だな」

「ボクも、もっと静かに過ごしたい」

 

 案の定、イヅナもキタキツネも乗り気じゃないみたい。

 

 ギリギリ声には出ていないけど、”()()()()()()()()()()”と言いたげな視線がチクチクとギンギツネを刺している。

 

「…もちろん、理由はあるのよ?」

 

 流石にここまで分かりやすい態度だと、ギンギツネもハッキリ尋ねられる前に弁明を始めた。

 

「私も最初は断ろうと思ったわ。だけど、旅館を直すための色々なものが全然足りなくてね」

「それを…博士が?」

「そう、そしたら『引き換えに』ってことで無理やり首を縦に振らされたのよ」

 

 なるほど、あの二人は顔が広く、フレンズとの関わりも恐らくこの島で一番多い。

 

 だとすれば、それを笠に着て無理やり話を通すことも不可能ではないだろう。

 さながら、貴族と呼ばれていた人々のように。

 

 …まあ、中々嫌な”鳥貴族”だと言いたくなるけども。

 

 

「へぇ、私だったらその場で斬り捨てて焼き鳥にしたのに」

「…え?」

 

 なんか物騒なことを言い出したよイヅナちゃん。 

 

「さ、流石に冗談だよね…?」

「ふふ、やると言ったらやるよ? ノリくんとの静かな暮らしを邪魔されたくないもの」

「しゅ、手段は選んでね? …選べる限りは」

「ノリくんがそう言うなら、ちゃんと手加減するね」

 

 出来ることなら手を出さないのが一番なんだけど。 

 静かに暮らしたいんだから、恨みとか軋轢とかは()()()()()のが一番。

 

 僕達はどうなんだろう。

 

 そういう意味では、致命的なすれ違いが続いている気がする。

 それに、もう絶対に()()()()気もする。

 

 目を伏せて無為な考えに浸る僕の横で、説明をするギンギツネの明るい声が対照的に響いていた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「さて、大体納得したと思うし、そろそろ準備に入りましょうか」

「納得って…誰が?」

「当然みんなよ?」

「ボクはやだ!」

 

 ペタペタ床を叩いて反抗する。

 キタキツネはずっと反対の姿勢を貫いていた。

 

 イヅナの方はというと、ギンギツネの説得の甲斐あってか少し丸くなった。

 

「…これくらいは仕方ないよ、話もついちゃったらしいし」

 

 諦めた風に振舞ってるけど、イヅナの口はほんのりと歪んでいる。

 もしかして、招き入れた上で何かするつもりなのかな。

 

 意見を翻したイヅナを見ながらも、キタキツネは譲らない。

 

「ボクは…やだ…!」

「キタキツネ、どうしてそんなに…」

「ここには誰も来ちゃ嫌、ノリアキもそうでしょ?」

「…えっと」

 

 思わず言葉に詰まる。

 僕は構わないと思っているけど、キタキツネには…どう言うべきだろう?

 

「もう、コカムイさんが困ってるでしょ。わがままも程々にしなさい」

「で、でも…」

 

 キタキツネは引くに引けない様子だ。

 こうなったらもう、僕が宥める以外に手はないだろう。

 

 キタキツネの手を取って、額の髪の毛をさらりと払う。

 

「え、え…?」

 

 こつん。

 額と額をくっつけて、瞳をじっと覗き込んだ。

 

「ここ、こんなのじゃ…納得、しない、よ…」

「ねぇ、隠れちゃえばいいんだよ」

「隠、れる…?」

 

 そっと額を離しながら肯定するように僕は微笑み掛けた。

 

 ”納得しない”と言っていたけど、離れるとき彼女はとても寂しげだった。

 ほわんと漂う彼女の匂いが、まだ口の中に残っている。

  

 名残惜しくも、僕は口を開いた。

 

「そう、博士たちと居るのが嫌なら、少しの間だけ宿から出てっちゃえばいいんだよ。寂しいなら僕もついてくよ?」

 

「ん、うん…分かった」

 

 キタキツネはついに引き下がる。

 とても手強かったけど、なんとか説得には成功できた。

 

「…ノリくん、今の私にも。ほら、早く」

「あはは、分かったよ、イヅナ」

 

 どうしてか、代わりに別の何かを呼び寄せちゃったみたいだけど。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…ねぇ、()()()()()()()()()?」

 

 かつてない苛立ちの籠った声に、僕に抱きついていた()()()()()の腕が震える。

 キタキツネはギンギツネの姿を僕越しに見て、ため息をつきながら渋々離れた。

 

 説得から多分一時間は経っている。

 まあ、()()()()を目の前で見せられ続けたら、多分誰だって嫌になるに違いない。

 

 当事者でない限りは。

 

 

「この際だから今すぐやることだけ言うわ、『どうすれば上手にもてなせるか考える』。さあ、始めるわよ」

「あれ、もう始まってる?」

「ええ、考えるのよ」

 

 もてなす方法というと、なかなか難しいかもしれない。

 

 しかし意外なことに、キタキツネとイヅナの手がすぐにピンと挙げられた。

 ギンギツネが促すと、思いもよらぬ方法がその口から語られる。

 

「料理におくすり混ぜる」

「…キタキツネ?」

 

「温泉を干上がらせる」

「待ってイヅナ、それじゃ…」

 

「騒がしくして眠らせない」

「え、えぇ…?」

 

 もてなす…もてなす?

 

 はて、『もてなす』という言葉の意味は”嫌がらせ”だっただろうか。

 ううむ、ひょっとしたらその通りなのかもしれない。

 

 思い起こしてみれば、僕は言語学者ではない。

 日本語について学んできたわけでもないし、今話している言葉も神依君の記憶からの受け売りだ。

 

 果たして一体どこに、僕の記憶が正しいなんて証拠があるのだろう。

 ただでさえ書き換えられまくっているというのに。

 

 曖昧な知識で言葉の意味を凝り固まったものにするのは良くない。

 

 二人が僕の知らない『もてなす』という言葉の意味に則って考えを述べた可能性だって……

 

「いや、ある訳ない! そんなの『もてなし』じゃないよっ!」

「え~?」

 

「『え~?』じゃなくて! それにイヅナ、テレパシーで僕の考えを書き換えないで、というかいつの間にそんなこと覚えたの?」

 

「違うよノリくん、書き換えたんじゃなくて、私たちの想いが一つになってるの。だって私たちは運命共同体なんだから」

 

「それなら、もうちょっといい想いを一つにしようよ…?」

「それもそうだね、ノリくんはどんな想いが良い?」

「急に聞かれると悩んじゃうな、うーん…」

「ノリアキ、ボクはどうなの…!?」

 

 テレレレレン♪

 

 ジャパリフォンの着信音が鳴り響く。

 応答すると右耳からキタキツネの声が聞こえて、頭の中にはイヅナの声が捻じ込まれる。

 

 ゴチャゴチャしてて何も聞き取れない。

 僕は聖徳太子じゃないよ。

 

「イヅナちゃん、邪魔」

「キタちゃんが退けは平和に収まるんだよ?」

「待って、二人とも――」

 

 ガンッ!!

 

「……」

 

 一瞬にして全てが静まり返る。

 

 寒空を仰ぐ小鳥は囀るのを止め、風は鳴りを潜めて淀んだように吹き流れる。

 

 ジャパリフォンの音も頭の中の声も止み、宿にひしめき合うラッキービーストは足を止めて震えている。

 

 意外と痛んだのかギンギツネは机を叩いた手を擦り、氷柱のように冷たく鋭い声でたった一言。

 

「…もういい、私だけで考えるわ」

 

 ピシャ…襖の音が合図となり、ラッキービーストまたは働き始める。

 

 イヅナはギンギツネが向こうへ行ってしまったのを確認すると……僕に抱きついた。

 

「やったねノリくん、これで好き勝手出来るよ!」

「で、でも…」

「ボクも忘れないで?」

 

 キタキツネも競うように背中にくっつく。

 二人とも、ギンギツネには至って興味がないみたいだ。

 

 少なくともキタキツネは、彼女に対して思うところがあると思ってたんだけど、違うみたい。

 

「キタキツネ…ギンギツネのことはいいの?」

 

 今までは避けていたその質問を、思わず尋ねてしまう。

 いよいよ、彼女の無関心をこれ以上なく目の当たりにしてしまったせいだ。

 

「いいよ、もうノリアキの方がずっと大事だもん」

「…どうして?」

「えへへ…だって、好きになっちゃったから」

 

 そう言って、キタキツネは目を閉じて僕の方に頭を差し出す。

 

 ”撫でて”…ってことかな。

 他にどうするべきかも思い浮かばず、求められるままに手を乗せた。

 

「あふふ…」

 

 いつも通り、柔らかくて暖かい。

 耳をそっとなぞると、くすぐったい感覚が指先にも返ってくる。

 

 ふんわりとした髪の毛をかき分けていると、時間さえも忘れてしまう。

 

 やがて、僕もギンギツネのことをすっかり忘れてしまっていた。

 

 それに気づいたのは、晩御飯のジャパリまんを食べた後のこと――

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…コカムイさん?」

「ここにいたんだね…ギンギツネ」

 

 ギンギツネの口元がわずかに緩む。

 だけど間もなくキュッと結ばれ、彼女はそっぽを向いてしまった。

 

「今更…何かしら」

「いや…ええと、いい案は思いついた?」

「…ええ、問題ないわ」

「そっか、良かった」

 

「……」

「……」

 

「………ねぇ」

「…?」

 

「やっぱり、私だけで全部やるのは難しいわ。()()()()でいいから手伝ってくれないかしら?」

 

「別に、いいけど…」

「ありがとう…ええと、おやすみなさい」

「…うん」

 

 僕に向けて伸ばされた手は途中で引っ込められ、後は何を言うこともなく行ってしまう。

 

「ギンギツネ…」

 

 その胸の中で、彼女は何を考えているのだろう。

 一体どんな苦悩を抱えているのだろう。

 

 …傲慢かな?

 

 だけど今、ギンギツネを気に掛けることが出来るのは僕だけな気がする。

 

 このチャンスを掴めば、もっとギンギツネのことを知れるのかな。

 

 そこにもし、忘れようのない事実があったのなら、僕は…

 

 



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Ⅱ-109 銀色の密会

 夜。

 

 丑三つ時を迎えれば、ただの狐も白い妖狐も等しく寝床に就く。

 僕は布団を抜けて、こっそりと外へ出てきた。

 

 今日はイヅナともキタキツネとも別々に寝ていたから、恐らく気づくことはないだろう。

 

 対策は大丈夫。

 むしろ眠気の方が危険かもしれない。

 

 向かう先は温泉、開けた湯気舞う空間に足を踏み入れる。

 丁度、示し合わせたようにギンギツネが現れた。 

 

「来たよ、約束通り」

「あら…ふふ、丁度いいタイミングね」

「…それは?」

「あの洞穴まで持って行った毛布よ、覚えてるでしょ?」

「…あはは、忘れられる訳もないよ」

 

 ()()()からは既にかなり経っている。

 だからかな、その毛布は毛の先まで凍り付いていて見るだけで寒々しい。

 

「今日まで粘って正解ね、焦って取りに行ってバレちゃったらしょうがないもの」

 

 ギンギツネは押入れに毛布を仕舞い、代わりに絵の具と筆を持ってやってきた。

 

「さあ、始めましょうか?」

「それは良いけど…何をするの?」

「見ての通りお絵描きよ、それとも苦手かしら」

「あはは、あんまり得意じゃないかな」

「緊張しなくていいわよ、ただの描き直しだから」

「それって…看板の?」

 

 ギンギツネはコクリと頷いて僕に筆を手渡す。

 そして、温泉の端っこに立て掛けた看板とまっさらな看板を並べて、バケツに温泉のお湯を汲んだ。

 

「この絵、私は気に入ってるけど不評だったじゃない?」

「まあ…そうだったね」

 

 原因の大体十割くらいはそこに煌めく赤い矢印なんだけど。

 

「だからやり直すわ。だけど私一人じゃまた同じ結果になりそうじゃない、それでコカムイさんの意見も聞きたいと思ったの」

 

 ギンギツネは腕を組んで頷いている。

 まあ、真っ当な考え方なのかな。

 

「でも、なんで僕に?」

「真摯に向き合ってくれそうだから…かしら」

「そんな、買い被りだよ」

 

 僕にそんな誠実さがある訳ない。

 二人に感付かれるリスクを背負ってまでモノを頼むような存在じゃない。

 

 誠実なんて、真摯にだなんて…()()()だ。

 

「あなたが自分をどう思っているかは分からないけどね、私はあなたならやってくれると思った、だからお願いしたの。」

 

「………」

 

「大方、あの二人のせいでしょうけど、あなたは十分良く向き合ってると私は思うわよ?」

「あ、ありがとう…」

「なんか湿っぽくなったわね…うふふ、温泉だからかしら」

 

 そんな冗談を言って、ギンギツネは看板に取り掛かり始めた。

 

 …全部、お見通しみたいだね。

 

 どうしてだろう。

 悩むのが変なことのように思えてきた。

 

「ねぇ、僕は何処を手伝えばいいかな?」

「ああ、それなら――」

 

 

 ギンギツネの態度はイヅナともキタキツネとも違う。

 

 二人は、僕の存在そのものを受け入れてくれた。

 これは、僕がしてきた行動への肯定?

 

 存在そのものだけじゃなくて、為してきたことも無駄じゃないって。

 

 今までとは違う、別の暖かさ。

 どう形容すればいいかな、僕はそのための言葉が分からない。

 

 ただ、何とかして例えるのなら…()()()()()

 

 彼女の言葉を、僕はそんな風に感じた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「ふぅ…景色は出来たね」

 

 描き始めた時から、月は殆ど傾いていない。

 

 もう少し掛かるかとも思ったけど、案外早くに背景は完成した。

 

 まだ矢印と文字のスペースを塗らずに空けてあるものの、もう看板としての貫禄を十分に放っている。

 

「そうしたら後は文字と矢印だけど…ええと…」

「…僕がやるの?」

「も、もう仕上げまでお願いしちゃっていい!?」

 

 ギンギツネは手を組んでチラチラとこちらを上目遣いで覗く。

 

 つまり、文字も矢印も苦手だから僕に丸投げしてしまいたいのだろう。

 

 まあ…いいけど。

 

「仕上げくらいは少し手伝ってね…?」

「ええ、勿論よ!」

「…それと、静かにね。二人が起きたら大変だよ」

「え、ええ…勿論よ…」

 

 筆を持って、黒い絵の具を付けて文字の方から取り掛かる。

 

 筆で文字を書くのは初めてだけど、習字のようにやれば大丈夫なはず。

 

 …あれ、習字もやったことないや。もう感覚で書こう。

 

 結果として、元の看板よりかはいいけどそんなに綺麗ではない。

 言うなれば微妙な案内メッセージが完成した。

 

 普通に読む分には問題ないだろうね。

 

 ()()()()の時点で読めるフレンズの数が少ないのは大問題だけれど。

 

「矢印もそのままお願いね…!」

 

 でも、だけど、まだ矢印(これ)が残っている。

 

 文字が読めなくても、記号ならば何とか出来るに違いない。

 

 しかしはてさて、今度の矢印は何色で描こうかな。

 

 まず赤は論外。

 白は雪景色で見えにくい。

 黒は文字と色が被って彩に欠ける。

 黄色は色自体が見えにくくてよろしくない。

 

 紫…オレンジ…緑…ううむ、どうだろう。

 青もまあ悪くはないかな…?

 

 そうだ、折角なら聞いてみよう。

 

 大失敗したギンギツネだからこそ、それを踏まえた選択が期待できる。

 

 

「…ギンギツネは何色が良いと思うかな、矢印」

「赤はダメだから…朱色がいいわね」

「あぁ…僕が決めるね?」

「銀色も好きよ、絵の具には無い色だけど」

「大丈夫、僕が決めるから」

 

 ギンギツネに成長は無かった。

 少なくとも、全てを犠牲にする壊滅的な美的センスは変わらなかった。

 

 でも、それが正解かもしれない。

 

 ギンギツネが間違っている訳じゃない。

 ただ、ほんのちょっぴりだけ僕らの間にズレがあっただけ。

 

 

 矢印は『目に優しい』という謎の理由で緑色を選んだ。

 

 結果、形以外特に尖っていない矢印が出来た。

 

 これでよかった。

 後悔はしていない。

 二の舞だけは演じさせなかった。

 

 それで、十分じゃないかな…?

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 それから数十分。

 

 協力して仕上げに取り掛かり、最初よりはまともな看板が出来上がった。

 

 結構楽しかったし、ギンギツネと少し仲良くなれた気もする。

 

 でも、一つだけ。

 

「ねぇギンギツネ…これさ、夜にやる必要はあったの?」

 

 仕上げの途中から、ずっとそれが気になっていた。

 

 些細なことだと忘れるのは簡単だった。

 

 ギンギツネの様子が普段と大して違わなければ、ただの日常の延長線上だったなら、簡単に片づけられた。

 

 でも、そうじゃなかった。

 

 表情からは浮つきが見て取れるし、手足や尻尾の一挙一動も落ち着きがない。

 

 こればっかりは感覚だけど、とにかく不自然で仕方なかった。

 

 僕のそんな疑問を、ギンギツネは歯牙にもかけずに一蹴する。

 

「いいじゃない、別に…ね?」

「そ、そう言われても…」

「私は、コカムイさんと一緒にお絵描きが出来て楽しかったわよ」

「僕も楽しかったよ、だけど……っ?」

 

 ギンギツネは僕の唇に指を添える。

 

 その指は彼女の唇の上を滑り、ペロリと舐めて彼女は言った。

 

「コカムイさん…私、あなたに訊きたいことがあるの」

「…それが、こんな時間に呼んだ理由?」

「さぁ、どうかしら」

 

 彼女は誤魔化すように肩を竦める。

 彼女の目は肯くように見開かれる。

 

「で、訊きたいことって…?」

「あの二人…特にキタキツネかしらね。コカムイさんは、()()あの子が好き?」

 

「…今の?」

 

 ギンギツネはそこを強調して僕に尋ねた。

 

「昔と比べてあの子は変わっちゃったわ。見ての通りにね」

「…そう、だよね」

 

 僕と会うまでは、キタキツネも全く違う日常を歩んでいたんだ。

 きっと、とても平穏に。

 

「でもどうしてかしら、私には変わったように思えないの」

「ど、どっち?」

「両方。外面は変わったけど、中身はそのまま」

「昔からキタキツネはあんな感じだったの?」

 

「そんな訳ないわよ。きっと、()()()()()()()()()()()がいなかったんじゃないかしら?」

()()が…僕?」

「そうよ。私じゃ、キタキツネの()()()になれなかった」

「それは違う…と、思う」

「うふふ、気休めが上手なのね?」

 

 ギンギツネは自嘲するように笑って、昔話を語り始めた。

 

 ギンギツネとキタキツネが、初めて出逢った時のこと。

 吹雪の中で、二人は巡り合った。

 

 

 

―――――――――

 

―――――――――

 

 

 

『…ねぇ、待って?』

『えっ? ……あれ、あなたは?』

 

 誰もいないはずの雪の中から、自分を呼び止める少女の声が聞こえた。

 

 私がその方へと歩いていくと、あの子が雪の中から姿を見せた。

 

『ボクは…キタキツネ…? そんな、気がする』

『キタキツネ…ね』

 

 金色の毛皮は雪の中で際立って輝く。

 

 不用意に触れたら崩れてしまいそうな姿に、その美しさに私は目を奪われた。

 

『…そうね、一緒に来る?』

『…うん』

 

 彼女の前髪に掛かった結晶を払って手を引き歩く。

 

 キタキツネは、私の手を両手で掴んで強く引いた。

 

 痛かった。

 だけど、何も言わなかった、振り解けるわけもなかった。

 

 この腕の痛みよりずっと激しい痛みを、キタキツネは胸の中に抱えている。

 

 傍にいる人が離れて行ってしまうことを何より恐れている。

 腕を引くキタキツネの仕草から、私はそう感じたから。

 

 

『キタキツネは何処から来たの?』

『わかんない…気が付いたら、そこで寝てた』

『…今度の噴火で生まれたのかしら』

 

 名前を尋ねた時も自信なさげな答えだった。

 

 多分…そう。

 私は頭の中で出した結論に納得するのと一緒に恐怖した。

 

 この子はフレンズになって間もないのに、不相応に大きな不安を抱えてしまっている。

 

 動物だった頃、何か恐ろしい出来事に遭ったのかな。

 それとも、フレンズになってから?

 

『大丈夫よ、お家に着いたら何か食べましょう?』

『食べもの…うん、欲しい』

 

 どっちでもいい、これからキタキツネには私がいる。

 

『…うふふ』

 

 

 

―――――――――

 

―――――――――

 

 

 

「きっと嬉しかったのね。私を頼ってくれる子と会えたことに」

「……」

「もしかして悪く思ってる? あなたが私からキタキツネを引き離したんじゃないかって」

「そう…かもしれない」

 

 キタキツネはギンギツネに対する興味を殆ど…いや、全てと言っても良いほどに失っている。

 

 つい最近、それを間違い様がないほどハッキリと目の当たりにした。

 

()()()()()()()()()()()()()

 

「……!」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ギンギツネは遠くの空を見上げ、うわ言のように呟く。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 透き通った綺麗な声が、僕の耳には痛くて堪らない。 

 

「…なんて、昔の私なら思ってたんでしょうね」

「え…?」

 

 ギンギツネはこちらを向いて微笑む。

 ()()()()()()と言いたげな顔で、僕は彼女に化かされた。

 

「何よ、私がそんなに未練がましい狐に見える?」

「もう、気にしてないの?」

「ええ、あの子もお陰ですごく幸せそうだもの」

「…そっか」

 

 ギンギツネも、どこか冷めているようで。

 

 でも、まだキタキツネに対する情が残っているようにも思える。

 

 …前向きに捉えよう。嘆いたってしょうがない。

 

 

「今日はありがとう。看板作りも手伝ってくれて、お話も聞いてくれて」

「大したことじゃないよ…でも、どういたしまして」

 

 朗らかに笑って、柔らかい欠伸が湯気の中に溶けだした。

 

「…もう寝ましょうか、明日は早いわ」

「博士たちが来るんだよね?」

「そう、準備はこれで万端よ」

 

 看板を二枚抱え、ギンギツネは向こうの景色を眺め始めた。

 

「先に行ってていいわよ、私は少し涼んでるから」

「そっか…おやすみ、ギンギツネ」

 

 ワクワク、と呼ぶのだろうか。

 遠足の前夜みたいに浮足立って、僕は中々寝付けなかった。

 

 …でも、どうして?

  

 高揚感だけじゃなくて、大きな不安も僕を寝かせない。

 

 何も…起きないよね。

 

 …起きないで?

 

 ああ、早く寝たい。

 明日は、起きたくない。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…絶対に、思ったりしないわ」

 

 あの人に描いてもらった看板を、雪の中に念入りに隠す。

 

 いつかあの子がイヅナちゃんにやったみたいに、絶対に見つからないように。

 

「あなたの気持ち、今なら本当によく解るから」

 

 でも、それじゃあ見つかっちゃうかしら? …いいえ、私は見つけて欲しいの。

 

 密会はこれ限りで終わり。

 これからは隠れることなく、堂々と逢いましょう?

 

 そのためなら、私は――

 

「だから、あなたも解ってね?」

 

 どんな策を弄してでも、その未来を手に入れるから。

 

 



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Ⅱ-110 サンドスターは『調味料』です、異物混入じゃありません!

「…ってな訳で来たぜ、祝明」

「いらっしゃい、神依君」

 

 森の図書館からはるばる…という程でもない距離を渡って神依君一行が到着した。

 

 朝も早くてまだまだ寒い。

 来たばかりだけど、お疲れさまと言いたくなる程神依君たちは疲れた様子だった。

 

 

 今日の日に備えて、宿には雰囲気を出すための和風な装飾が施されている。

 

 発注はギンギツネ、デザインはイヅナ、作ったのはラッキービースト。

 

 中々に素晴らしい出来だと僕は思っているけど、それを見た神依君たちの反応は三者三様だった。

 

 「おぉ…いい感じだな」と神依君が言えば、「私にはよく分かりませんね、もっと派手でいいのでは?」と博士が。

 

 「まあ、こんなものでしょうね」と助手が何方とも捉えかねる感想を口にすると、イヅナはあまり肯定的な反応が無いことに頬を膨らませた。

 

 唯一褒めてくれた神依君に関しても、イヅナはあんまり親しくしようとはしない。

 

 それについては、仕方ないと思う他ない。

 

「まあまあの出来ですが…素材は最上ですね」

「博士ったら、自分が関わった所だけ褒めちゃってさ…」

「僕は素敵だと思うよ、この建物にとっても合ってると思う」

「あ…えへへ…!」

 

 ファサファサと大きく揺れる尻尾。

 

 こうも大袈裟に喜ばれると、僕の方が気恥ずかしくなってしまう。

 

「はいはい、じゃれつくなら奥に行くのです」

「別にいいじゃん。それとも…博士にはじゃれつく相手がいないから妬いてるの?」

「…ありえないのです」

 

 オーバーに首を振り、あからさまに肩を竦め、これ見よがしに呆れた笑みを浮かべる。

 

 どことなく、図星を突かれたような反応に思えるのは僕の気のせいだろうか?

 

「寂しいなら、私が相手をしましょうか?」

「なっ…はぁ…助手も、コイツの口車に乗ることはないのですよ?」

「いえ、博士があまりに分かりやすいものでしたから」

「…本当に必要ないのです」

 

 すごすごと博士は柱に背を預ける。

 

 博士って、こんなに打たれ弱かったっけ?

 

「ありゃ、早朝からショッキングなものを見たせいで参ってるのかもな」

「…ショッキングなもの?」

「ああ、この下にな――」

 

 パチパチ。

 

 ギンギツネの手拍子が会話を遮る。

 

「さあ、三人とも早く荷物を置いてきたら?」

「…おっと、そうするか。じゃ、この話は後でな」

「…うん」

 

 神依君たちはギンギツネに案内されて寝泊まりする部屋へと向かう。

 

 博士と助手は相部屋で、神依君は一人用の別室が用意されている。

 

 二つの部屋にはそれぞれギンギツネが独自の施しを加えていて、彼女曰く”最高の演出をするため”らしい。

 

「『最高の演出』かぁ…やっぱり、気合入ってるんだね」

 

 しかしここまで丁寧にするのなら、雪山に興味がある子も連れてきて良かったのではないかと思う。

 

 …なんで神依君たちだけなのだろう。

 

「まあ…その子なりの事情でもあるのかな」

 

 あるいは博士たちかギンギツネの事情か。

 どうでもいいか、どの道詮索するつもりはないもの。

 

 僕は僕の仕事をしよう。

 

 並ぶ沢山の稲荷寿司、その一つ一つに()()()()()()作業を……!

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…だけど、さ」

「ノリくん、どうかしたの?」

 

 流れるような手捌きで油揚げにご飯を詰めるイヅナ。

 

 その瞳に一切の迷いは無く、この状況への疑問もない。

 

 だけど、僕は不思議に思うのだ。

 

 果たしてこの稲荷寿司に大層な祈りが必要なのかどうかと。

 

「これって神依君たちに出すものじゃないよね…?」

「そうだけど…それが?」

「じゃあ、イヅナが食べるの?」

「ボクも食べる…!」

 

 机の下からひょこっとキタキツネ。

 

「いや、まあ、それは良いんだけどさ…」

 

 彼らに出す分はギンギツネがせっせと作っている。

 

 僕に料理は手伝えないけど、それにしてもこんな()()()に時間を費やしていて良いのかと思う。

 

 

 ちなみに気になる()()()の中身は大したことじゃなくて、僕の体から取り出したサンドスターを振りかけるだけだ。

 

「おいしくなーれ、おいしくなーれ……はぁ…」

 

 サンドスターは辛うじて風味付けになるかどうかの境界で、しかも完成品は二人が食べる。

 

「えへへ…美味しそう…」

 

 …完全に趣味だ。

 

 もしくは何か理由を付けて僕を拘束していたいのか。

 

 寿司を握りながら涎を垂らす姿を見ると、果たしてどっちか分からない。

 

 考えるのは止めよう。

 僕はただ祈るだけ、なにも考えずにサンドスターを振り掛けるだけ。

 

 …あとは頑張って、ギンギツネ。

 

 

「ん……」

 

 虫の羽音のように小さな声が漏れる。

 別段辛くは無いけど、体内のサンドスターが減っていくのは少しむず痒い気分だ。

 

 今、丁度1割くらいが稲荷寿司に消えている。

 

 だけどサンドスターを掛けていないお寿司も残りわずか。

 ほんの少し頑張ればすぐに終わらせられるはず。

 

「あれ、ノリくん疲れてる? 何だか輝きが弱いよ」

「え…そうかな」

 

 イヅナの言う通り少し疲れてはいる。

 だけど振りかけている自分の輝きを見ても、特段弱まっているようには見えない。

 

「疲れたなら遠慮しないで言って? ふふ、休憩しよっか」

「…そうするよ」

 

 下手をしたらイヅナは、僕よりも僕について詳しいのかも。

 

 もしかして、毎日のように僕の体から採った輝きを食べてるからなのかな?

 

 サンドスターの掛かっていない稲荷寿司を口にして、僕は思った。

 

 …流石に、自分を食べたくはない。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 太陽は昇り、大体お昼時。

 昼食の用意を調えたギンギツネが、手伝いを呼びにやって来た。

 

 真っすぐキッチンへ向かうと、神依君のお昼ご飯が載った盆を渡される。

 

 零さないように慎重に、神依君が待っているであろう部屋へと向かった。

 

 …コンコン。

 

「お、昼ご飯か? 入っていいぞ」

「こちら、昼食でございます…みたいな」

「ハハ、様になってるな」

 

 料理を隠す蓋を取って、部屋を後にする。

 襖に手を掛けた時、後ろから呼び止められた。

 

「まあ待てって、久しぶりだしちょっとは話そうぜ?」

「…そういうことなら」

 

 ちゃぶ台を挟んで向かい側に腰を下ろした。

 みそ汁にぷかぷかと浮く豆腐を眺め、中々食べ始めない神依君を妙に思った。

 

「…そうジロジロ見られると、食べ辛いな」

「あぁ…ごめん」

「気にしてないぞ。…これ、お前か?」

「ううん、ギンギツネが作った」

「そうか…うん、美味しいな」

 

 神依君はモグモグと食べ進めていく。

 

「祝明は腹減ってないのか?」

「さっき食べてきたからね」

 

 僕がそう答えると、彼は箸でつまんだ玉子焼きを残念そうに引っ込めた。

 

 少し考え込んで何か思い付いたのか、口の端を上げながら僕に尋ねる。

 

「…最近どうだ?」

「…わざとなの?」

 

 真剣に考えて()()()()だとしたら、彼は恐らく食べ物に夢中だ。

 

「どうどう、そう睨むなって。相変わらず二人と()()()やってるんだろ」

「神依君、無理は良くない。 そういうの、辛い話題でしょ?」

 

 ピクッと、口の端が反射的に動く。

 

「…やっぱ、まだ辛いな」

 

 おどけた調子も、何とか痛みを和らげられないか苦心した結果の産物。

 時間も、彼の心の傷を癒すには無力だ。

 

 みそ汁を飲み干して、部屋の隅っこに向けて彼は語り掛ける。

 

「祝明も()()()()だろ? 悪いな、あんな思い出残しちまって」

「やめて、神依君は悪くないよ」

「…へへ、ありがとな」

 

 神依君はフッと微笑んで、人参の煮物を口に運んだ。

 

 

―――――――――

 

 

「そうだ、何かして遊ぼうぜ。 暗くなってても仕方ないしな」

「…ごめん、食器を下ろさなきゃだから」

「な、なんだって……!?」

 

 神依君は崩れ、打ちのめされたように床に這いつくばる。

 まあ、芝居ができるなら十分に元気だろう。

 

「それじゃ、また後でね」

「おい、無視かっ!?」

 

 驚く彼の声を襖の向こうに仕舞い、キッチンを目指す。

 

 その途中、博士たちのいる部屋から何やら騒ぐ声が聞こえてきた。

 

「ギャー!?」

「…相変わらず元気みたいだね」

 

 構うことなく歩き続ける。

 気になる気持ちもあるけど、食器を片づけるのが先だ。

 

 …だけど、ちょっとくらいならいいかな。

 

 ものの数秒も経たぬ内に僕は好奇心に負けて、襖の隙間からそっと部屋を覗き込む。

 

 なんと襖の向こうでは、博士が見るも無残な姿で倒れ伏していたのだった――!

 

 

 

―――――――――

 

―――――――――

 

 

 時は少し遡って。

 

 ノリアキさんにカムイさんの元へご飯を運んでもらった後、私は博士と助手の部屋に向かった。

 

 

「二人とも、待たせたわね」

「ようやくですか、待ちくたびれました」

「じゅるり、我々はこれだけを楽しみに…コホン。さあ、早くするのです」

 

 何が出来たとも言っていないのに、博士たちは気が早い。

 まあ、その予想は全然外れてなんていないけどね。

 

「ええ。キタキツネ、イヅナちゃん、持って来て」

 

 私が二人に声を掛けると、料理を乗せたお盆を持って二人が現れた。

 

 揃いも揃って無愛想な表情。

 渋々やっているのは分かるけど、これじゃお客さんなんて寄り付かないわ。

 

「…どうぞ」

「くふふ、まさかイヅナ(お前)がギンギツネに顎で使われるとは、世の中何が起こるか分からないものですね」

「…っ!」

「えぇっ!?」

 

 ボウッと狐火が燃え上がる。

 博士(と()()()()()を食らった助手)が震え上がって、落とした箸は音を立てる。

 

「て、撤回するのです! ですから、それを早く消すのです…」

 

 博士が懇願するも、イヅナちゃんは狐火を引っ込める気配が無い。

 むしろ、歯の隙間から漏れる威嚇の声が大きくなっている。

 

 対応を思案していると博士と目が合った。さっきまでの態度が見る影もないくらいに怯え切っている。

 

 流石に声を掛けようと一歩踏み出したとき、意外にもキタキツネが声を上げた。

 

 

「…イヅナちゃん、やめよ? ()()()()脅しても仕方ないよ」

「こ、こんなの…!?」

「そうよ、やめなさい、イヅナちゃん」

「”そう”って、ギンギツネも我々のことを…?」

「…分かったよ」

「待つのですお前たち、一体我々を誰と――!」

「落ち着きましょう博士、争いは不毛です」

 

 助手に窘められ、炎の恐怖に縛られ、博士はぎこちなく正して座った。

 なんだ、博士も偶には可愛く振舞えるんじゃない。

 

「いただきます、なのです…」

「どうぞ、召し上がれ」

 

 博士は目に付いた卵焼きを一口。

 一噛みする前に、叫んだ。

 

「し、しょっぱいッ!?」

 

 …もしかして、塩と砂糖を間違えちゃった?

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「お、思わぬ伏兵だったのです…」

「あはは、ごめんなさいね」

 

 だけど妙ね、どうして間違えちゃったのかしら。

 

 わざわざ瓶に『しお』『さとう』とシールを貼って、穴が開くくらい凝視して間違いないと確信してたんだけど。

 

「うぅ…まだ口の中に味が残っているのです。これでは砂糖でも甘すぎになるのですよ…?」

「それは、これから調整するわ…」

 

 ともあれ、気持ちを切り替えましょう。

 引き摺っても良いことなんて無いもの…ね?

 

 

「時にギンギツネ、お前は暮らしにくくないのですか?」

「あら、どうして?」

「いえ…だって、()()()()がいるのですよ」

「博士は変なことを聞くのね。別にそう感じたことなんて無いわ」

 

 私だって時には悲しくなったり、辛くなったりもする。

 

 だけど、この宿から出て行こうなんて一度たりとも思ったことはない。

 もとより、私がいるべき場所はここの他には無い。

 

「そうですか…私には分からないのです」

「あら、時々は寒いけど快適な気候じゃないかしら」

「それも含めて、理解しかねますね」

「…そう、それは残念だわ」

 

 そう答えた私の声は雪のように冷たかった。

 自分でも知覚できる冷たさに、改めて私は身震いした。

 

 そう、やっぱり、そうなのね。

 

 納得で頭の中が一杯になる。振れる尻尾に指を通し、スッと通って蟠りが解ける。ああ、気持ちが良くてやめられないわ。

 

 なのに、博士が邪魔をする。

 

「ギンギツネ、私はそろそろ口直しが欲しいのです」

 

 渋々私は手を止めて、()()()の接待へと戻った。

 

「じゃあ、お茶でも入れましょう」

 

 部屋の隅に置かれた()()()()()

 熱々のお湯を温泉以外から持ってこられて、しかも熱さを保ったまま持ち運べる魔法みたいな機械。

 

 ノリアキさんに聞くと、魔法瓶と呼ぶこともあったみたい。

 名は体を表す…とは少し違うかしら、不思議なものね。

 

 まあ、手頃な紅茶でいいかしら。

 ノリアキさんが気に入ってるからか、この旅館は至る所に紅茶のバッグが備えられている。

 特に多いのがアップルティー。うふふ、よっぽど好きなんでしょうね。

 

「さあ、どうぞ」

 

 赤々と染まった液体を博士に差し出す。

 フーフーと冷まして大きな一口を飲み込んだ。

 

「……」

 

 ビチャッ。

 

 転がるティーカップ。零れる紅茶。

 硬直した博士は痺れるように痙攣して、痺れるように一言。

 

「ギャー!?」

 

 バタリ、鉄砲で撃たれた鳥のように博士は倒れ伏す。

 

 何故なのかを確かめるべく、私も紅茶を入れて飲んでみる。

 

「…あら、とっても酸っぱいわね」

 

 強烈に酸っぱい紅茶もなんだか懐かしいわね。

 だけど、私はこういう味も結構好みだわ。

 

「ぎ、ギンギツネ…」

「助手も一杯いかがかしら?」

「勿論、遠慮させていただくのです」 

 

 助手は博士へ憐れむような視線を向ける。博士、起きたら犯人探しでも始めちゃうかしら。

 

 まあ、どうせ落ち着けないって分かっていたもの、精々愉快だといいわね。

 

 やがて待ち受ける楽しい未来を想像して、私は一人で微笑んでいた。

 

 



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Ⅱ-111 雪に隠れる赤い虹

 ああ、雪山は真昼でも涼しい。

 湯気と炎の熱に溢れたキッチンの恐ろしさを忘れさせてくれる。

 

 やれやれ、一体何をしたらあんなサウナのような状態に出来るのだろう?

 

 身が引き締まるような冷たい風を全身で浴びていると、背後から聞き慣れた声がした。

 

「…ノリアキ、隠れよう!」

「え?」

 

 突拍子もない言葉に瞬きを忘れていると、キタキツネは頬を膨らませて僕に詰め寄る。

 

「もう、約束したじゃん。家出して一緒に隠れるって」

「ああ…そうだったね」

 

 つい顔を逸らして頬を掻く。

 別に家出とは言っていない。そう表現すると…なんか変な感じだ。

 

 その場しのぎで言ったことではないけど、まさか本当にやるつもりとは。

 

 そこは流石のキタキツネ、一度取った言質は何としても放さない。

 

 まあ、僕がすべき仕事も一段落ついたから、案外悪くない暇潰しかもしれない。

 

「…行くよね?」

 

 彼女はくっつきそうなくらい顔を近づけて肯定を求める。

 

「勿論だよ、でも…どこに行くの?」

「…あそこ」

 

 そう言ってキタキツネは向こうの山を指差す。

 確かそこには、温泉の管のバルブがあったと記憶している。

 

 そこまでなら山道も整備されているはずだし、何度か通った経験もある。

 

 あまり時間を掛けず、手頃に()()ができる目的地と言えるだろう。

 

 …手頃な家出って、何だろう?

 

「早く、余計なのに見つからないうちに行かないと」

「あ、そうだね…」

 

 キタキツネに手を引かれ宿を後にする。

 

 ふと視線を感じて振り返ると、遠くの窓の隙間からオレンジの瞳が覗いていた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「い、一体誰の仕業なのですかッ!?」

 

 目を覚まして正気を取り戻すなり、博士は怒号と共に事件の犯人を捜し始めた。

 

「博士、まず体を休めてはどうですか?」

「ならぬのです! 犯人を見つけるまでは、一歩たりとも…!」

「ふふ、『ならぬ』なんて一体どこの言葉?」

 

 まあ、博士については予想通りね。

 とはいえ、簡単に事件は解決しないでしょう。

 

 博士が寝ている間に助手と私で様々調べても、『誰か』を特定する証拠は見つからなかった訳だし。

 

「では博士、私が調べた情報をお教えするのです」

「おお…! 流石は私の助手なのです」

 

 あら、全部助手の功績になりそうだわ。

 

「まず、あの紅茶の酸っぱさの原因は電気ケトルでした――」

 

 それからしばらく、とある本で読んだ”捜査会議”のように事件の情報が助手の口から並べ立てられる。

 

 じゃあ、せっかくだし私の方で整理してみようかしら。

 

 まず助手の言った通り、原因があったのは電気ケトル。

 原因と言っても大したものじゃないわ。

 

 単純に、ただのお湯が()()()()()()()にすり替えられていただけ。

 

 まあ、これは文字通り蓋を開けてみれば簡単に分かることね。

 

 …正直、分かったと言えることは()()()()

 

 残りは役に立つかも分からない状況証拠。

 とある本に倣えば、アリバイと呼べるものかしら。

 

「とはいえ、それが役に立たないことはここまでの話で分かって頂けると思うのです」

「その通りですね、アリバイは意味を持たないのです」

 

 考えるまでもなく、犯人がやったのは『お湯をすり替えること』だけで、それは実を言えばいつでも出来る。

 

 お湯なんてほとんど誰も気に留めないし、言ってしまえばすり替えなくても直接注げばすぐだもの。

 

「ふむ…中々狡猾な犯人なのです」

「ええ、やったことの割には賢いと言えるでしょう」

「本当にその通りね」

 

 だけど、博士たちの頭の中では目星が付いているんじゃないの?

 

 証拠が無いから決めつけるのを恐れてるだけで、剥がしようのない()()()()がこびり付いているはず。

 

 目を見れば分かるわ。

 本当にあの子ったら、すごい事件を起こしちゃったものね。

 

「…ねぇ、ノリくん知らない?」

 

 行き詰っているところに、イヅナちゃんがやって来た。

 

「あら、見つからないの?」

「我々は知らないのですよ、ずっとここにいたので」

「そう…もう、どこに行っちゃったのかな」

「何ならジャパリフォンがあるじゃない、それにキタキツネと一緒にいるかもしれないわよ」

「ああ、ジャパリフォン…!」

 

 イヅナちゃんは思い出したように服を漁り始める。

 

「やれやれ、存在を忘れられているのでは、どんなに便利でも役に立ちませんね」

 

 博士が呆れているうちに白い携帯が姿を見せ、静かな部屋にコール音が響き渡った。

 

『……』

 

 だけど、いつまで経ってもノリアキさんが電話に出る気配はない。

 イヅナちゃんは次第に苛立ち始めた。

 

「もう、なんで…!?」

 

 イヅナちゃんはジャパリフォンを投げ捨てる。

 それを博士がナイスキャッチ。

 

「おっと、物は大事に…」

「うるさいよ、博士」

 

 

 ふわっと、サンドスターの輝きが白狐を覆う。

 

 説明しましょう、イヅナちゃんは野生開放をすることでノリアキさんのいる方向をその繋がりで感じ取ることが出来るの。

 

 普段も遠近くらいなら感じられるようだけど、何分この旅館は彼の気配が色濃く残っていて逆に探しにくくなるみたいね。

 

「いた……あれ、少し高い?」

 

 高いというと、恐らく標高のことでしょう。

 つまり、山の高いところまで行っちゃったのかしら。

 

 私の見立てによると温泉の源付近ね。

 

 イヅナちゃんの体の方向と最後に彼を見た時間から考えれば、それくらいが妥当なはず。

 

「あぁ、やっぱりキタちゃんもいる…!」

 

 落胆するような声が聞こえる。

 そして、訝しむ声も聞こえる。

 

「博士、やはりキタキツネの仕業では…?」

「そして恐れて逃げ出した…と、考えられなくはないのです」

 

 私は事情を知っているから違うと断言できる。

 だけど、まあ放っておいていいでしょう。

 

 私の言葉を信じてくれるとも限らないしそれに、私が何かしなくても事態は動きそうだし。

 

「ノリくんを連れ戻しに行かなきゃ…!」

「キタキツネをとっ捕まえるのですよ助手」

「分かりました、博士」

 

 一人と二人はそれぞれの目的を胸に同じ場所へ向けて飛んで行く。

 

 私も準備を始めようかしら。

 今から準備すれば、余裕を持って晩御飯が出せそうね。

 

 …ふふ、きっとみんなお腹を空かせて戻って来るはずだわ。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「よいしょ…っと。…ノリアキ」

 

 キタキツネはコンクリートの上に腰掛けて、隣を手でポンポンと叩く。

 

 ”そこに座って”ということだろう。

 促された通りにすると、ニッコリ顔で腕を絡ませてきた。

 

「えへへ、二人っきりだね」

「ふふ、そうだね」

 

 パタパタ足を揺らして喜びをアピールしてくる。

 

 わざわざ足で示さなくても、尻尾がこれ以上ないほど表しているというのに。

 

 だけどキタキツネにとっては、表現してしすぎるなんてことは無いのだろう。

 

 

「…綺麗な景色だね」

 

 下を見れば一面の銀世界。

 宿から見たのとは違う雄大な景色。

 

 でも、キタキツネの返答は雪のように淡白で冷たかった。

 

「そうなの? ボク分かんない」

「分かんないって、なん――」

 

 横を向いたら、キタキツネと目が合った。

 僕の目をずっと凝視している。つまり、それって…

 

「だって、ノリアキしか見えないんだもん」

 

 

―――――――――

 

 

 しばらくの間、僕とキタキツネはただ座って辺りを眺めていた。

 

 …いや、まあ、少し語弊があるけど。

 

 正確に言えば辺りを眺めていたのは僕だし、キタキツネはずっと熱い視線を惜しむことなくこちらに浴びせていた。

 

 しかし、飽きないものなんだね。

 

 そんなことを考えつつ早数十分。

 ふとした瞬間に、僕らを取り巻く状況は一変する。

 

 サク、サク。

 

 雪を踏みしめる音と共に、イヅナはやって来た。

 

 …怒っている、訳ではなさそう。それよりむしろ、悲しそう。

 

 イヅナも誘えばよかったかな? …なんて、キタキツネの前では口が裂けても言えやしない。 

 

「ノリくん、なんで私を置いていったの…?」

「あぁ…ごめん」

 

 だから僕には謝るしかない。

 他には何も言えない、弁明する手は落とされてるから。

 

「えへへ、羨ましいの?」

「…分かってる癖に」

 

 すんでのところで挑発を受け流す。

 僕はイヅナの次の行動に意識を傾注する。

 

 

 そうしてキタキツネから意識が離れたその直後、彼女は僕の隣から姿を消した。

 

 

「え、キタキツ――」

「私を見てよノリくん、ほらっ!」

 

 視界が真っ白に染まる。

 手の届く世界が、イヅナの胸の中に閉じ込められる。

 

 世界はあまりにも急に暖かくなって。

 

 眠気に襲われた僕は、そのまま――

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「さて、早いうちに白状した方がいいのですよ、キタキツネ」

「何のこと? ボク、何も分かんないんだけど」

 

 やたらと高圧的な態度で博士が詰め寄ってくる。

 

 助手も一緒になって『謝れ』とか『証拠は挙がってる』とか喚いてるけど、ボクは本当に何も知らない。

 またご自慢の()()に足を掬われただけなんじゃないかな。

 

 

 というか、そんなことはどうでもいい。

 

 ノリアキは…ああ、イヅナちゃんに眠らされてる。

 イヅナちゃんも容赦しないよね、折角二人きりになれたのに。

 

 まあ、立場が逆だったらおんなじことしてたけど。

 

 でも嫌だ。

 だって、今はその()()()()なんかじゃないんだもん。

 

「待つのです、どこへ行くのですか?」

 

 もう、本当に邪魔ッ!

 

 嫌な話だけど、『斬り捨てて焼き鳥にする』って言ってたイヅナちゃんの気持ちが分かったよ。

 

「……!」

 

 足を止めて、そっと、野生の心を呼び覚ます。

 力がみなぎってきて、自然と視線も鋭くなった気がする。

 

「くっ…我々はそんな脅しには怯まないのです」

「その通り、我々はこの島の長なのですよ」

 

 その言葉通り、博士たちは一歩も退く事無く毅然とボクの方を向く。

 

 でも残念。

 

 …()()()()()()()

 

 

「あっ……博士ッ!?」

「な、にを…」

 

 4本、七色の虹が弧を描く。

 そして、真っ赤な虹が雪を染めた。

 

「邪魔しないで、博士」

 

 ()()()()もそうだった。

 なんで博士はいつもいつもボクの障害になるの?

 

 …消さなきゃ。いつか、致命的な邪魔を入れられる前に。

 

「はぁ…っ!」

 

 より一層力を込めて爪を振るう。

 

「させないのですッ!」

 

 野性を解き放った助手が道を阻んだ。

 

 丁度いいや、まとめてやっちゃえ。どうせ助手もボクの邪魔になるんだ。

 

 爪をそのまま振り下ろすと、助手の振り上げた斬撃とせめぎ合う。

 

「く…うっ!?」

「どいてよ…今すぐ!」

 

 ボクの手は全てを突き抜けて助手を吹き飛ばす。

 ほっぺたに返り血が付いて、汚いそれはすぐに拭った。

 

「キタキツネ…正気に、戻るのです…! こんなこと、許されると…くっ」

 

 耳を貸しちゃダメ、絆されちゃダメ、躊躇っちゃダメ、殺さなきゃダメ。

 

 憎たらしい、反吐が出る、虫唾が走る。

 我が物顔で宿を歩き回って、ノリアキとボクの家に悍ましい匂いを持ち込んで。

 

 …こんなの、ボクたちの世界には必要ないよ。

 

 

「…えっ?」

 

 イヅナちゃんの、素っ頓狂な声。

 

「やめて、キタキツネッ!」

 

 そして―――

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 二本の弧を描いて鮮血が舞う。

 

 片方は僕の腕から。

 そして、自身の爪を止めようとしたキタキツネの腕から。

 

「あっ…!?」

 

 キタキツネの表情が歪む。きっと、僕の顔も痛みに歪んでいる。

 

 それでも僕は、キタキツネを安心させてあげないと。

 

「あ、はは……大丈夫?」

「はぁ…? 何を言っているのですかコカムイ、どう見ても…っ」

 

 博士を手で制し、なるべく穏やかにキタキツネへ話しかける。

 

「キタキツネ…安心して、僕は大丈夫だから」

「でも、でも…ボクはまた…」

「気にしないでいいよ。ほら、今度はこの傷だってお揃いみたいでしょ?」

「……うん」

 

 涙ながらも、キタキツネに笑顔が戻ってきた。

 後は時間さえ経てば、普段通りの様子に戻れることだろう。

 

「でも…なんで? イヅナちゃんに眠らされてたはずなのに」

「あはは、なんでかな? …きっと、”止めなきゃ”って思ったんだ。眠りながらでもね」

「そっか…えへへ、ありがと」

 

 手を伸ばしてキタキツネの頭を撫でるとペロリ、舌を伸ばして血を舐め取られた。

 

 キタキツネったら、こういう所はちゃっかりしてるんだから。

 

「ノリくん、私も私もっ!」

「えー? …もう、仕方ないなぁ」

「じゅるり…美味しいぃ…!」

 

 それから雪が降り始める時まで、僕たちはいつものように盛り上がっていた。

 

 わずかな痕を残して傷は塞がり、消えるときを想うと名残惜しくて。

 

 博士たち二人は複雑な表情。傷があらかた塞がったら、そそくさとこの場を後にしてしまう。

 

 

「キタキツネ、次からはこんなことしちゃダメだよ?」

「ごめんなさい…」

 

 念のために釘を刺しておく。

 キタキツネも本気で反省しているし、()()()()()何も無いはずだ。

 

 でもいつか、今日の出来事も忘れてしまう。

 

 そうなればまた、彼女の爪は誰かに向けて突き立てられるだろう。

 

 どうすれば、今日みたいな事件を防げるのかな?

 

 …一つだけ、今すぐに実行できるとても簡単な方法がある。

 

 一緒に閉じ籠って他には誰も寄せ付けなければ、その爪を向ける相手はいない。

 

 

 …でも、叶わないや。

 

 

 イヅナがいるから、イヅナを見捨てられないから。

 

 この世界にたった3人だけだったなら、僕たちの世界は平和になるのかな…?

 

 



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Ⅱ-112 心を映す湯けむりの、酷く歪んだ蜃気楼

「なあ、何があったんだ?」

 

 目が合う前に、焦りの籠った強い口調で尋ねられる。

 その気迫に気圧されて、ついたどたどしい口調で返してしまった。

 

「ちょっと…キタキツネが、ね…」

 

 そう言うだけで、大体を察し神依君は納得した。

 

「…ああ、それで二人のあの怪我か」

 

 だけど、これは悪い兆候では?

 そう思いつつも、キタキツネの印象を良くする方法は思いつかない。

 

 それにバツが悪くて、これ以上彼と向き合えない。

 …チラリと横目で様子を見ると、険しい顔をして何かを考え込んでいる。

 

 そして、神依君はこう言った。

 

「この件で()()解決したんなら、俺から特に言うことは無い。だけど…これで終わりじゃないだろ」

「……」

「何回目だ? 俺が知る限りだと二回目だが、知らない所でもあったはずだ。」

 

 僕は黙っている。

 神依君は続ける。

 

キタキツネ(アイツ)は間違いなくもう一度…いや何度でも繰り返す」

 

 何も言わない。

 まだ続く。

 でも、ちょっと変だな。

 

「幾ら歪な関係で繋ぎとめたって、必ずその反動が…!」

「分かってるよ」

「分かってるもんか、お前は…こんなので、良い訳ないだろ…?」

 

 やっぱりそうだ。

 認識にズレがある。お話の歯車が絶妙に食い違っている。

 

「…あはは、神依君ったら、勘違いしてない?」

「勘、違い…?」

「結局、()()は僕が望んだことなんだ。神依君が気負う必要なんて何処にもない。()()()()()()()()()?」

 

 まっすぐ、神依君の目を見る。

 みるみる、彼の目が驚きに見開かれる。

 

 やがて、弱々しい声が漏れる。

 

「…そうか」

 

 天を仰ぐように天井を見つめ、振り返って僕に背中を向けた。

 

 指先が震えている。何かを言いたそうに顔の影が数回動いて、それは形を持つことなく飲み込まれてしまった。

 

 床が軋む。

 一滴、木目の上に雫を落として、彼は部屋へと戻って行った。

 

「……お腹空いちゃった」

 

 そういえば、今日の夕ご飯って何だったっけ?

 

 ギンギツネに訊きに彼女の部屋まで行くと、代わりに僕を出迎えたのは博士だった。

 

「さあ、洗いざらい話すのです!」

「ええと、何を…?」

 

 奥の方から助けを求めるギンギツネの視線。

 

 どうしてか来客用のソファに僕が座らされ、愉快で楽しい推理大会が幕を開けてしまった…

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 …私、ギンギツネ。

 

 私は今、自分の部屋で捕縛されています。

 

 急に部屋に押し入ってきた博士と助手に自由を奪われ、事件の真相を話すように迫られているのです。

 

「わ、私は何も知らないわ…!」

「そんな筈は有り得ないのです。今話せばまだ慈悲を与えられるのですよ」

「本当に知らないのよ!」

 

 ああ、なんで私がこんな目に。

 と言っても、()()()()考えれば私以外いないのだけどね。

 

 イヅナちゃんは捕まえられない。

 

 キタキツネのせいでついさっき痛い目を見た。

 

 ノリアキさんに手を出せば、二人からの集中攻撃。

 

 まあ、私しかない。

 

 保身に走った合理主義ほど手の付けづらいものはない。

 私は今日も、新しいことを学びました。

 

 

 しかしさてさて、堂々巡り。

 

 お互いに証拠を持たない事件は、水掛け論の一途を辿っています。

 

 せめて体が自由なら、温泉のお湯を力いっぱい引っ掛けてやったのですが。

 

 …でも、神様は私に微笑んでくれました。

 

 どうしようもなくて()()()()途方に暮れていたその時、ノリアキさんが部屋まで来てくれたのです。

 

 運命か偶然か気まぐれでしょうか。

 兎に角、私たちにとっては僥倖だったのです。

 

 

 

「…それで、事件解決を手伝ってほしいと」

「その通りなのです。せめて犯人だけは突き止めなければ我々もアイツに説明が付かないのですよ」

「アイツって…『雪山に来たい』って言ってた子?」

 

 彼がそう尋ねると、苦虫を嚙み潰したような顔をしながら博士は頷いた。

 

「…アイツを止めるにも、理由を説明した方が諦めがつくはずなのです」

「そっか」

 

 俯いて考えに耽るノリアキさん。

 心配したけど、この結果を悲しんでいる訳ではなさそうね。

 

 とりあえずは良かった。

 

 来れなくなったその子は残念だろうけど、私は別にそうでもない。

 

 むしろ、大きな事件が起こらないかというのが私の心配だった。

 

 博士と助手は怪我をしたけど、実力のある二人だからこそ、傷もこの程度に抑えられた。

 …まあ、不憫な役を押し付けちゃったかしら。

 

「でもさ、僕は何を説明すればいいの? 『事件』についても、殆ど知らないのに」

「ああ、そうでしたか…助手」

「かしこまりました。では、『博士、酸っぱい紅茶で悶絶事件』の詳細を説明いたします」

「じょ、助手ッ!?」

 

 事件のタイトルから、所々に挟まれるジョークまで。

 ノリアキさんは助手の説明を終始苦笑いの様相で聞いていた。

 

「な、なるほど…」

 

 「推理はあんまり得意じゃないんだけど…」と言いながら彼は物思いに耽っている。

 

 さて、縛られてて暇だし私も何か考えようかしら。

 そうね、夕飯の献立なんか良いと思うわ。

 

 客人も来ていることだし、夕飯も旅館らしく和風にしたいわね。

 

 とすると、油揚げ以外を使ったお寿司なんて素敵かもしれない。

 

 もしくは定食?

 いいえ、ここは豪華にお寿司で行くべきね。

 

 幸いお魚はいくつか雪山の寒さで冷凍してあるし、材料もバッチリ。

 

「……ネ」

 

 ああ、腕が鳴るわ。

 

「…ツネ」

 

 不肖ギンギツネ。

 数か月間掛けて身に着けた料理の腕で、みんなを唸らせるお寿司を――

 

「ギンギツネッ!」

「はっ!?」

「ギンギツネ、どうするのですか?」

「え? …ああ、お夕飯はお寿司にする予定よ」

「…は?」

 

 あれ、博士が困り顔。

 もしかして、食べずに帰っちゃう予定だったのかしら?

 

「大丈夫よ、博士たちの分も作るから」

「いや、要らないのです」

「あら、そう…」

 

 なら、作る量は少なめになるわね。

 手間が減ったと思えばそれでいいかしら。

 

「というかそうではなくて! お前も知恵を絞るのですよ」

「まあ、まだ何も分かってないの?」

「…思い直せば、この件で我々は一日中悩んでいました。ほんの数分で分かる道理はなかったのです」

 

 うんうんと頷き合いながら勝手に納得する梟二人。そこに、ノリアキさんが爆弾を投げつけた。

 

「そもそもの話だけどさ…解決する必要あるの?」

「な、何を言い出すかと思えばコカムイ、それでは我々の威厳がですね――」

 

 旅館のため、この島のためと、様々な理由を付けて博士は事件解決の必要性を力説している。

 

 だけど妙ね、心なしか頑なな気がするわ。

 

 

 『威厳』…ね。そういうこと。

 

 

 せっかくだしここは一度、私が流れを変えてあげようかしらね。

 

 息を吸って、わざとらしく大きな声で私は言った。

 

「もしかして、恥ずかしいの? キタキツネにやられたことが」

「なっ…!?」

 

 あらあら、大層驚いたような顔をしちゃって。

 いくら黙っててもそんな表情じゃ、『図星ですよ』と言って回るのと同じじゃない。

 

 さぁて、もう一押し必要かしら?

 

 でもそれは必要なかった。

 心の声が滲み出ていたのか、私を見ると震え上がって敗北宣言。

 

「こ、降参なのです…アイツには、そっちを話しておきますよ」

「その方が良いわ、紅茶なんかよりよっぽど危機感を煽ってくれるもの」

 

 あっけない幕切れだけどこれにて一件落着。

 私もようやく安心して、お寿司作りができるわね。

 

 

―――――――――

 

 

「…では、もう失礼させていただくのです」

 

 博士も助手もやつれ顔。

 それも当然か、のんびり寛ぐには起きた事件が多すぎる。

 

 一刻も早く出ていきたいという想いが先走る足から面白いほど読み取れる。

 ま…まだ笑っちゃダメよ。

 

 これからカムイさんを含めた三人を見送る大仕事が残っているんだもの。

 

「…あれ?」

 

 エスケープ寸前に差し掛かって、二人は不運とエンカウント。

 平たく言えば、『しかしまわりこまれてしまった!』

 

「き、キタキツネ…!」

 

 死を目前にしたかのように怯える姿は、見ていて少し可哀想になってくる。

 あの子ったらまた、とんでもないことしでかしちゃったのね。

 

「ギンギツネ、お腹空いた」

 

 でもキタキツネは二人に全く興味がない。

 この感覚はそう…皮肉。

 

 やられる側が思うほどに、やる側は気にしてなんていない。

 

「ええ、だけど、博士たちをお見送りしてからね」

「…はーい。ノリアキ、あそぼ」

「うん、そうしよっか」

「…怯えているのは、我々だけということですか」

 

 消え入りそうな呟きは、私以外には拾われた?

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…それで、博士たちは帰ったんだ」

「今ギンギツネが見送りに行ってるとこ…あ、まずい…!」

「えへへ、貰ったよ」

 

 …三度目のゲームセット。

 

 ゲーム機の電源を落としたら、入れ替わるようにお腹の音が鳴った。

 

「ねぇ、ギンちゃんなんて待たないで作っちゃおうよ」

「うん…もうお腹ペコペコ…」

 

 ぐてっと転んだキタキツネ。こうして見ると動物みたい。

 いやまあ、元々は動物なんだけど、改めてそうなんだなって思った。

 

 尻尾をフリフリ、上目遣い。

 空腹の時でも彼女はあざといアピールを欠かさない。

 せめて、こういう時くらいは忘れて欲しいんだけどな。

 

「ノリアキが撫でてくれたら、空腹も忘れられる」

 

 脚にまで擦り寄られたら仕方ない。僕の手はまるで重力の向きが変わったかのようにキタキツネの頭に吸い寄せられた。

 

 ふわふわもふもふ。

 

 手を捕らえた後はしがみ付いてしっかり拘束。

 

「ノリアキぃ…えへへぇ…」

 

 キタキツネの顔が赤い。とても赤い。

 もしかして、空腹を引き金に()()()()まで叩き起こされたのかな?

 

 斯くいう僕もお腹が空いて疲れている。

 

 このまま流れで襲われてはかなわない。

 僕の目は自然と、奥にいる真っ白で美しいお狐様に向けられる。

 

 助けてイヅナ。もうなんでもいいから。

 

 イヅナは微笑んだ。僕の願いが通じた。

 

「もう、ノリくんったら仕方ないんだから」

 

 …かくして、僕の両手がもふもふの餌食になりました。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「ただいま…ってあら、楽しそうな状況ね」

「…あはは」

「みんなお腹空いたでしょ、今日は魚を沢山使ってお寿司にするから待っててね」

 

 二人の毛皮は暖かい。

 暖かいが故に、長く毛の海に浸かっていれば当然の如く暑くなる。

 

 ついに汗が滲んできた。

 そろそろ一度リフレッシュしないと…

 

「あぁ、ノリくんの汗ぇ…!」

「…ぺろり」

 

 …いけないと思っていた僕の思考が蒙昧だった。二人ともイケる口です。

 

―――――――――

 

「…あら、まだ続けてるの?」

「どうにも飽きないみたいでね…」

 

 食べにくいのは勿論のこと、食べさせてもらうのも至難の業だ。

 

 もしギンギツネに食べさせてもらったら、雪山が大噴火を起こすことになるだろう。

 

 …それって、特段珍しくもないのかな?

 

 まあいいや。今夜はお寿司だし、出来るなら自分の手で食べたい。

 

「時間が掛かるし、握りながら食べましょう」

「それだと、ギンギツネが食べられないんじゃ…?」

「そんなの気にしないで」

 

 疾風のごとき手捌きで吹き流される僕の言葉。

 

「でも……うぅ」

 

 準備が済んでしまえばもう口を挟むこともできなくて。

 季節外れの風鈴の音と、混沌の中で暖簾は揺れた。

 

 

―――――――――

 

 

 しばらくして幾つかお寿司が出来上がり、お皿に丁寧に乗せられて目の前にやって来る。

 

「さあ、召し上がれ」

 

 初めて食べる魚のお寿司。

 醤油を付けて恐る恐る口に運んだ。

 

「す、すごくおいしい…!?」

 

 待った時間は結構あるから、『すぐおいしい』とは言いにくい。

 

 …って、大事なのはそれじゃない。

 

 このお寿司が舌が可笑しくなる程美味しいこと。それだけが今は問題だ。

 

「うふふ、ちゃんと味わって食べなきゃダメよ?」

「ギンちゃ…んぐ、変なの入れてるんじゃないの? もぐ…信じられない…!」

「…説得力ないね」

 

 ふふっと笑ったキタキツネは、既に五皿も頂いている。

 そっと、口元のご飯粒を取ってあげた。

 

「あ…えへへ」

「んぐ、私もっ!」

 

 キタキツネへの対抗心で二つも付けたイヅナ。

 

 手を伸ばしたら止められて、あろうことか舐めるように要求された。

 

「ほ…ほら」

「わ、分かったよ…」

 

 まずは右側、優しく舐め取る。

 そして左側、やっぱり恥ずかしい。

 

「ふぅ……ん?」

 

 イヅナから漂う甘い香りに耐えかねて顔を引く。

 すると、右側にまだご飯粒が付いたままだ。

 

「あ、あれ…?」

「……!」

 

 無言でイヅナは訴えかける。『ほら、早く舐めてよ』と。

 

 僕はその通りにしながら、イヅナの手首を捕まえた。

 

「…あ」

「分かるよ、こっそり付け直しても」

 

 僕はしっかり取ったんだから、付けていなければ道理に合わない。

 

「もう、欲張りなんだから」

「そうかなぁ? …私はギンちゃんの方が欲張りだと思うけど」

「……?」

 

 文字にしてみれば、昨日聞いたような良くある小言。

 だけど音として聞くと、氷柱のように胸に冷たく刺さる。

 

 冗談ではない、核心を突いた指摘。”決して逃がさない”という意思が指先まで僕を硬直させる。

 おかげで、彼女の名前を呼ぶことすらままならなかった。

 

「あらら、何が欲張りなのかしら…?」

「しらばっくれるのね、分不相応にノリくんを求めるのが欲張りって言ってるんだよ?」

「私が、ノリアキさんを…?」

 

 ギンギツネは呆れた様子でクスクスと笑う。普段ならその通りだろうと僕も笑い飛ばせた。

 今日は違う、掴み所のない違和感が口を重く閉ざした。

 

 そしてその()()()を、イヅナは事も無げに突き崩す。

 

「それだよギンちゃん。ノリくんのこと、()()()()に呼んでなかった筈だよ」

「あら、ダメなら戻すけど」

「他にもある。少し前の夜中にこっそり二人で今日の準備をしてたよね」

「あなた達に頼んでも手伝ってくれなかったでしょ?」

 

 イヅナの指摘をギンギツネはのらりくらりと受け流す。

 

 けど、イヅナは動じない。

 僕は悟った。イヅナは持っている、ギンギツネが躱すことの出来ない決定的な事実を。

 

「じゃあ、()()はどうして?」

「…アレって?」

 

――”笑い”とは元来威嚇の意味を持つのだと、とある本で読んだことがある。自らの敵になり得る者への、最大限の警告だと。

 

 …白狐は笑った。

 

 獲物に牙を掛ける直前のように、真っ白な八重歯を光の下に晒して。

 そして、少しずつ刺し込んでいく。

 

「お湯の中にお酢を入れたの、ギンちゃんでしょ?」

「まあ、一体何を根拠に…」

 

「私見たよ、ギンちゃんがお酢の大きな瓶をこっそりキッチンから持ち出すところ。わざわざ()()()()()()()()()()()()、何がしたかったのかな?」

 

「…キタキツネに?」

「それ以外ないでしょ? イメージってやつがあるんだから」

 

 思えばその通りだ。

 『事件そのもの』が目的でない限り、こんな事件を起こすメリットなんて無い。

 

 そして事件が起きれば、キタキツネが真っ先に疑いの目を向けられる。

 

 でも、そこまでする目的なんて…

 

「教えてギンちゃん…見送りの時、博士たちに何て言ったのかな?」

「……」

 

 そっとイヅナが目配せをする。

 

 ここから先は、僕が聴くべきということだろうか。

 イヅナは…何かを察している様子だ。

 

 とにかく僕は、ギンギツネ本人に真意を確かめるしかない。

 

「ギンギツネ、本当にキミがやったの? もしそうなら、せめて…」

「…いいわ、理由だけでも教えてあげる」

 

 ギンギツネは俯いていた顔を上げた。

 

 観念したのか、その表情は妙に晴れやかで、真っ直ぐに僕を見つめる瞳には不思議なデジャヴを感じた。

 

 ――全ては一瞬だった。

 

 僕が彼女の目の美しさに囚われた瞬間の出来事。

 

「くっ…!」

「ぎ、ギンギツネ!?」

 

 イヅナとキタキツネの声が聞こえる。

 

「あ…」

 

 成す術もなく僕の視界は裏返った。

 暖かな風が耳を撫でる。

 全身を熱が覆う。

 

 ギンギツネが僕を抱き締めた。

 

「ぜぇんぶ、あなたの為にしたことなのよ、()()()()()()

 

 耳を塞ぎたかった、目を逸らしたかった。

 瞼を閉じて再び開くと、逃れようのない現実が眼前に迫ってきていた。

 

 凡そ彼女には似つかわしくない、幼い子供のような笑顔を浮かべ、掛け替えの利かないただ一つの欲望を口にする。

 

「…だから、褒めて?」

 

「あっ――!」

 

 ――ギンギツネとした初めての口づけは、ほんのり酸っぱい味だった。

 

 



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Ⅱ-113 銀のメッキが剥がれた日

 ――夜の雪山は、とても綺麗。

 

 初めて宿の窓からここを見た時、私はそう思った。

 救いようのないほど陳腐な表現だと自分でも思う。だけど、それが一番簡単で明確だった。

 

 こんなに美しく降り注いで、銀世界を照らす月光に、そんな辛気臭い顔は不釣り合い。

 

 …そうでしょ、博士?

 

『今日は大変だったわね』

 

 さっきから、言葉をすり替え誤魔化して、私は同じような呼び掛けばかりを続けている。

 でも、応えない方が悪いのよ。

 

 旅行の終わりの見送りに、他の話など出来はしない。

 

 仮に”出来る”と宣う輩がいるなら、私はそんな子と仲良くなどできないに違いない。まあ、そもそも仲良くするつもりも…おほん。

 

 兎にも角にも、そんな理由で私は中身の無い問いを続ける訳だ。

 

『そうだ、助手はどうだった?』

『…よくもまあ、ネタが尽きませんね』

『あら、とっくの昔に尽きてるわよ? 話題があれば質問なんてしないで自分から話すもの』

『…そうでしょうね』

 

 そうして、助手は口を噤んだ。

 漸く反応を貰えたと思ったのにね。

 

 気が変わった。それなら、私にだって考えがある。

 もう幾ら頼んだって旅館に入れてあげるものですか。

 

 …あらら、()()()()()()()()()()()

 

 

 楽しい時間ほど短く、つまらない時間ほど長くなると誰かが言っていた。

 

 しかし暇な時間も案外早く過ぎるもので、気が付けばふもとの雪に足跡を付けていた。

 

『じゃあ、ここでお別れね』

 

 私は特段何もせず、素っ気ない様子で別れを告げる。

 

 拍子抜けかしら、カムイさんもそんな顔を見せるのね。

 ()()()も、驚けばあんな顔をするのかしら。

 

『…待つのです』

 

 私の思惑通り、博士は私を呼び止めた。

 ちょっと引いたらすぐ()()ね、分かりやすいのは楽で助かるわ。

 

『…何かしら』

 

 顔だけ振り向いて、彼女の目を直に見つめる。

 ふっと動揺が瞳を横切る。

 数秒の間、言葉に迷うように口が空気を噛み締めた。

 

 博士は睨むように私を見つめている。

 

『どうして、止めないのですか』

『イヅナちゃん…それともキタキツネを?』

『両方…と、言っておきます。そしてコカムイも…もはや()()ではありません』

 

 ついつい笑ってしまいそうになった。そして、怒りに指が震えた。

 

 抑えた、我慢した、やり過ごそうとした。

 でも、気付いた。

 

 もう、胸の内に秘めておくべきことなんて何一つないんだって。

 

『そう…ね』

 

 こんな言い方、本当に不本意だけど。

 

()()()()()()()()()()…って言ったら、分かりやすいかしら?』

 

 驚いた三人の顔がまだ忘れられない。

 歪みそうになる口を隠して、顔を逸らして一言だけ。

 

 博士たちに、最後のお礼を言った。

 

『今日はありがとう。おかげで…()()()()()ができそうよ』

 

 

 

―――――――――

 

―――――――――

 

 

 

 …嫌な沈黙だ。

 空気は淀み、いつか感じた互いを刺すような視線だけが部屋の中を飛び交っている。

 

 ある者は驚愕と不信を噛み締め、またある者は諦観と怒りに目を細める。

 

 そして彼女は、まるで憑き物が落ちたかのようにニコニコと笑っている。

 

「やっと…やっと、伝えられたわ」

「…()()()、か」

 

 つまり、ギンギツネはずっと前から、この気持ちを胸の中にしたためていた。

 

 僕達の何気ない会話を、他愛のないじゃれ合いを、ある日のまぐわいを、想いを隠したまま、僕らの近くで静かに見続けていたんだ。

 

 その心中はどうだったのだろう。きっと穏やかではない。

 全て知ってから考えると、あの時のギンギツネの苛立ちようも納得がいくのだ。

 

『…もういい、私だけで考えるわ』

 

 あの言葉は、本心を隠したギンギツネが最後に見せた想いの欠片。

 

 今僕の体には、ギンギツネの恋心がまるごとのしかかっている。

 

 僕は一体、どうすればいい?

 

 

「ギンちゃん、早くノリくんから離れて」

「あら、折角こんなに近づけたのに、風情が無いのね」

「…いいから早く」

 

 キタキツネもギンギツネを睨みつける。

 右手の爪が、静かに臨戦態勢を取っていた。

 

「…もう、仕方ないんだから」

 

 「せめて最後に」と、ギンギツネはほっぺたに口づけをして僕の体を放した。ゆっくり僕から距離を取ると、二人の視線も離れず動く。

 

「うふふ、まさかこんなに熱い視線を向けられるなんて、夢にも思ってなかったわ」

「ノリくんも…同じ気持ちだっただろうね」

 

 更に空気が張り詰める。一触即発、むしろ放置していても起爆しそうな危なげな雰囲気の中で、まだギンギツネは笑顔を浮かべる。

 

 すると彼女はおもむろに、無防備な姿を曝しながら歩き始めた。

 フラフラとあてもなく、まるで気まぐれな風に煽られた葉っぱのように。

 

「ぎ、ギンギツネ…?」

「緊張しても良いことないわ、リラックスしてお話しましょ?」

「誰のせいだと思って…!」

「何が不満なの、キタキツネ?」

 

 突如グイっと顔を突き出し、目がぶつかりそうな距離で問いかける。

 

「ノリアキに抱き付いて、キスまでして…」

「それくらい、あなただって散々してきたでしょ? それに、()()()()()()()もしたでしょ…?」

「っ!」

 

 キタキツネが目を見開き、ギンギツネに掴みかかる。

 

「あらあら、どうしたの? 随分ノロマな動きじゃない」

 

 しかしギンギツネはそれよりも遥かに素早く動き、流水のような体捌きでキタキツネを抑えてしまう。

 

 この動きは前に見たことがある。確か二人がお酒に酔っ払った次の日のことだったはず、その時もギンギツネは強かった。

 

「ゲームばっかりしてるあなたが、私に敵うと思ったの?」

「う、うるさい…!」

「あらあら、格闘ゲームが好きなのに、現実だとこんな感じなのね」

 

 キタキツネもバタバタと抵抗するけど、拘束が解かれる様子はない。

 

 僕らが唖然と見ていると、更に驚くべきことが起きた。

 

「ひっ…!」

「うふふ…もしかして、怖い?」

 

 ――ギンギツネが、キタキツネの首筋にナイフを這わせたのだ。

 

「キタキツネッ!?」

「勢いに任せて動いちゃダメよ? 人生何が起こるか分からないもの~」

 

 そうは言っても、この状況でギンギツネが()()ことなんて限られている。

 

 でも、どうしてキタキツネを?

 

 何のために、脅しを?

 

 ほとんど分かってる、他の可能性なんて考えようがない。

 

 だけど、それを確かなものにするべく、逸る自分を抑えて彼女に尋ねた。

 

「簡単よ、私も()()に入れて欲しいの。一人だけ仲間外れなんて寂しいでしょう?」

「仲間…? 刃物を向けておいてよくそんなことが言えるね?」

 

 不満そうにイヅナが言う。ギンギツネは気にも留めない。

 

「決めるのはノリアキさんよ。誰も傷つけたくないなら…ね?」

「…違うよ」

「…ノリアキ?」

 

 『傷つけたくないなら』…なんて条件、有って無いようなものだ。ギンギツネもよく分かってる、だからそう言ってくる。

 

「誰も傷つけたくない…()()()、僕はこうするって決めたんだ」

 

 もしくは決めさせられたのか。

 今となってはどちらでもいい、それで幸せを手に入れたから。だからこそ、失いたくない。

 

 最初の形を、こんな風に曲げてでも。

 

「イヅナ、ごめんね」

「はぁ…いいけど、今回限りだよ。今度こそ、もう誰も近づけさせないから」

「…うん、分かってる」

 

 ギンギツネは腕の力を解いた。

 キタキツネがトボトボ歩き出し、僕に縋りつく。

 

「ノリアキ…」

 

 潤む瞳からこぼれた雫を拭って、優しく頭を撫でる。そして、そっと体から引き離した。

 キタキツネも、諦めたようで何も言わなかった。

 

「嬉しいわ、ノリアキさん」

「改めて、よろしくね…ギンギツネ」

 

 また、彼女の腕が僕を捕まえる。暖かい。柔らかい。でも、何かが冷たい。

 

 この空気のせいだ。

 心の底から喜べているのはギンギツネだけ。イヅナもキタキツネも、こんな状況を好ましく思えるはずがない。

 

 僕には、この縺れた糸をこのままにしておくことは出来ない。いつか必ず、引っ掛かった糸が千切れてしまうから。

 

 

「ルールを…決めなきゃね」

「ルール?」

 

「うん…今までは曖昧だったけど、この先…この状態を放っておいたら絶対に争いになる。だから、決まりを作らなきゃ」

「それもそうね。だけど、今夜は私が貰っていいでしょ?」

「…好きにすれば?」

 

 キタキツネの方を見る。彼女も、言うことがない様子で目を逸らした。

 ギンギツネは嬉しそうに微笑んで、僕を彼女の寝室へと連れ去ってしまう。

 

 その前に、一つ残ったお寿司を口に放り込む。おいしかった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「ノリアキさん、ノリアキさん、ノリアキさん……!」

 

 綺麗に敷いた布団の上に僕を転がして、ギンギツネはその上から掛布団ごと覆いかぶさる。

 小さな暗闇の中に閉じこもって、僕の匂いを嗅ぎ続けている。

 

 途中、何度か話しかけようかとも思ったけど、彼女の楽しみを邪魔するのも悪いと思ってされるがままになっていた。

 案外、こういう扱いが僕の性に合っているのかもしれない。

 

「ノリアキさん…私、ずっとあなたとこうしたかった」

 

 耳たぶをパクリ、くすぐったい。

 頭の奥を撫でるような声で、一方的に睦言は紡がれる。

 

「最初はね、同情とか哀れみとか、そんな感情と勘違いしてたの」

 

 僕があの二人に振り回されているのを見る度、ギンギツネは複雑な思いをしていたらしい。

 何故()があんな目に遭わなければならないのか、普通には暮らせないのかと思った…と。

 

「でも違った、本当は真逆だった」

 

 真逆ということはつまり、”僕”じゃなくて”ギンギツネ”が主語になる。

 

「なんで私は、あんな風にノリアキさんと仲良くできないのかなって…本当はそう思ってたの」

 

 哀れみという偽りの姿に隠れた感情の本当の姿を、ギンギツネは心の中で暴きだした。

 

 そして再び覆い隠した。

 全ては今日、確実にこの関係を築き上げるために。

 

「気づいた時、目に見えるもの全てが変わった気がしたわ。あなた以外の全てが色褪せて見えるようになったの」

「…全部?」

「そう、ノリアキさん以外の全てが」

 

 暗くてよく見えないけど、きっとギンギツネは恍惚としている。生暖かい吐息が鼻をくすぐって、頭がくらくらする。

 

 

 けどもっと、訊くべきことが残っている。

 

「ギンギツネ、ケトルに細工をしたのって…本当?」

 

「その通りよ、何か起これば良いなと思ったんだけど…ふふ、予想以上のことが起きてくれたわ」

 

 概ね、イヅナの指摘したとおりらしい。

 

 酸っぱい紅茶なら博士の疑念は否が応でもキタキツネに向く。

 無実の罪を着せられたキタキツネが何かやらかせば…という目論見で、知っての通り成功に終わった。

 

 『他のフレンズを宿に寄せ付けない』、そして『僕に想いを伝えるきっかけを作る』…そのために、博士たちは利用されたのだ。

 

 本当に、ギンギツネは策士だな。

 

「でも、もういいじゃない。こんな馬鹿みたいなこと、気にしなくても良くなったんだから」

「あはは、そう…かもね」

 

 博士たちは賢い。

 当分の間は、フレンズたちをここに近づけさせはしないだろう。

 

 そしてそんな状態が長く続けば、自らここへ立ち寄ろうとするフレンズもいなくなるだろう。

 現に、最近ここへ来なくなったフレンズがいる。彼女がこの宿の現状を誰かに話せば更に状況は加速する。

 

「もう…邪魔はいない?」

「強いて言うなら…ね」

「ダメだよ、気持ちは…知ってるけど」

「勿論、これはそのための()だもの」

 

 瞬間、ギンギツネの手によって掛布団が剥がされる。

 その手は服の中に滑り込み、みるみるうちに服がはだける。

 

「ギンギツネ…」

「いいでしょ? 今夜は、私だけのノリアキさん」

 

 そっと抱き寄せ、受け入れる。

 月明かりが、隙間からギンギツネの目を照らし出した。

 

「ずっと…ずっと一緒よ…?」

 

 ギンギツネが爪を立てる、皮膚が静かに悲鳴を上げる。

 

 永遠を求める彼女の愛が、水銀のように心を蝕む。

 だけど、それも素敵なことだと僕は思う。全てを手にした皇帝だって、かつて望んだことなのだから。

 

 

 ――銀のメッキを剥がしたら、もっと美しい銀色があった。



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Ⅱ-114 キツネ条約、波乱の締結

 突然だけど、僕は朝が弱い。眠たいのに無理やり起こされた日には、三時間以上の二度寝も辞さない。眠いものは眠いのだ。

 

 雪山に住むようになってから、輪をかけて寝起きが悪くなってしまった気もする。きっと、赤ボス以外のみんなが甘やかしてくれたおかげかな。

 

 別段恨み言を言うつもりもない、寝たいときに寝られる生活は至福以外の何物でもないから。

 

 だから、今日も僕はもっと寝る。

 

「ノリア……いが…」

 

 キタキツネが優しく体を揺さぶるけど、揺りかごみたいでもっと眠くなる。なんて言ってたんだろう、寝惚けて聞こえなかった。

 

 僕は深い眠りに落ちて、そして再び目が覚めると――

 

「それって、キタちゃんにばっかり有利じゃんっ!」

「イヅナちゃんの意見も自分勝手だよ…」

「堂々巡りね…あら」

 

 ――三人が、布団を囲んで何かを話し合っていた。

 

 

―――――――――

 

 

「ルール…?」

「そう、何か決めた方がいいって…ノリくん前に言ってたよね」

 

 確かにそう言った記憶がある。朝ご飯を食べながら、ゆっくり頭を目覚めさせていく。

 僕が起きたことによって話し合いは一時中断し、代わりに経緯の説明が始まった。

 

「ごめんね、寝ちゃってて…」

「いいよ、無理に起こしても悪いから」

 

 イヅナはニッコリと微笑む。

 やっぱり、甘々だ。

 

「それで、もう何か決まった?」

 

 僕が尋ねると、三人とも各々の調子で首を横に振る。まだ朝も早いし、話は始まったばかりなのかもしれない。

 

 だけど起きた時の様子を思い出せば、対立が激しかったような気もする。多分、誰も譲らないだろうからなぁ…

 

「…何かしら、意見は出たんだよね?」

「出たには…出たよ」

 

 歯切れの悪い返答。碌でもないアイデアのデパートに違いない。

 イヅナと目を合わせると、彼女の視線が虚空へと泳いでいった。

 

「どうするのがいいかなぁ…」

 

 公平にしたいなら、僕が考えるのが恐らく最善だ。何も案が思いつかないことを除けば、最も良い方法に違いない。

 

 …何も思いつかないことを度外視すれば。

 

「試しに一回、ノリアキさんに聞いてもらったら?」

「このままじゃ進まないもんね」

「む、むぐぐ…」

 

 イヅナは何か不都合でもあるのかな。文句の一つでも言いたげな顔だったけど何も言わず、結局はキタキツネからアイデアを発表しあうことになった。

 

 …そしてそれは案の定、大波乱の起爆剤となる。

 

 

―――――――――

 

 

 

「……え?」

 

 キタキツネの考えを聞いて、最初に出たのは困惑の声だった。

 詳細を省いてざっくり説明すると、”イヅナとギンギツネは理由なく僕に近づくな”という内容だ。

 

 そりゃまあ、「キタキツネにばかり有利」という意見も納得である。

 

「ほらね、キタちゃんひどいでしょ!」

「えー…?」

 

 キタキツネ、「何言ってるのこの子」って感じの目でイヅナを見るのは止めてあげて。

 立場が逆ならキタキツネも同じことを言ってる…はずだから。

 

「もう、あんまりケンカしちゃダメよ」

「…ギンちゃん、どうしてノリくんの手を握ってるの?」

「いけなかったかしら…?」

 

 惚けるように微笑むギンギツネだったけど、イヅナの瞳がどんより暗くなったのを見て、渋々ながら手を引っ込めた。

 

 今まで本心を隠してきた反動か、最近はギンギツネのアプローチが三人の中でも一番激しい。

 

 僕は料理に何かおかしなものを入れられるんじゃないかと心配したけど、特に味に変わりはなかった。ギンギツネも()()()()()ように作った…と言っている。

 

「じゃあ、今度は私の番だね」

 

 ギンギツネが握った僕の右手に湿っぽい感覚。スッと冷える感じがしたから、多分消毒用のアルコールが塗られたんだと思う。

 

「ちゃんと綺麗にしないとね…ふふふ」

 

 時折ギンギツネの方をチラリと見ながら、イヅナは手から腕まで頬を擦りつける。

 ギンギツネは自分の髪の毛弄りに夢中でこちらを見ていない。イヅナは少し不満そうだった。

 

「ノリアキぃ…! ふへへ…あむ…」

 

 左手に…生温い水気を感じる。

 この暖かさに混じる硬い感覚、指が噛まれている。

 

「キタキツネって噛むの好きだよね」

「だってノリアキ…じゅる、おいしいもん…!」

「あはは、そっか」

 

 きっとそれだけじゃなくて、二人への対抗意識もあると思う。

 

 彼女たちが競って何かをするとき、最後は必ずと言って良いほど過激なことが始まる。真上に昇る太陽を忘れたことなんて数え切れない。

 

 そして、キタキツネの『僕を噛む』という行為は僕の中で一つのボーダーラインとしての役割を持っている。

 

 これを越えると、彼女たちの行動が凡そ描写するには恥ずかしいレベルまで達する。

 ルール決めに支障が出ても悪いから、ここは無理にでも話し合いを推し進めたい。

 

 

「ねぇ、そろそろ本題に戻らない?」

「…別にいい」

「私も、もっとノリくんが欲しい」

「えぇ…?」

 

 そう言われてしまったら、成す術が無いようにも思える。

 あまりにも早い壁への直面に打ちのめされる中、泥舟という名の助け舟が出された。

 

「…話し合いをしましょ、ルールは大切よ」

「ギンギツネ…!」

 

 ギンギツネは後ろから僕の体を引っ張り、二人を腕から引き離す。

 彼女の柔らかなもふもふは、尚も僕を堕とそうと企んでいた。

 

 

―――――――――

 

 

「でも振り出しだよ、どうするのギンギツネ?」

「そうねぇ…あ、いい案が思いついたわ」

「じゃあ、早く言って?」

 

 心底つまらなそうにイヅナが急かす。

 ギンギツネが取り合わずに進めると、イヅナは拗ねてしまった。

 

「別にルールは一つじゃなくてもいいのよ。まずは幾つか決めて、食い違うところを上手く削っていくのはどうかしら」

「…まぁ、いいんじゃない?」

 

 確かに、まず大体の形を決めて、残りを足し引きで調整してあげれば、まっさらな状態から決めるよりもずっとやりやすいに違いない。

 

 流石ギンギツネ、論理的な策に関しては彼女が抜きんでているように思える。

 

「私だって、やればできるもん…」

 

 …僕の表情を見たのか、イヅナは更に拗ねてしまう。

 彼女が提出するルールについては、一層注意して見る必要がありそうだ。

 

 まあ、とんでもない抜け道があったって二人に抑えられて終わりな気もするけども。

 

「じゃあ、みんなお昼までに最低一つは考えてきましょう」

 

 そんな風にギンギツネが締めて、朝の話し合いは幕を閉じる。

 

 僕は、お昼の話し合いは落ち着いてできるかなと思っていた。

 うん…思っていた。

 

 よく考えれば有り得ないのは当然で、深くまで踏み込むほど言い争いは激しくなる。

 でも多分、これは直接見た方が早いかもしれない。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「ノリアキさん、そろそろお昼よ」

「あれ…もうそんな時間…?」

 

 朝の出来事から早数刻。

 

 今日の僕に空いている時間は無かった。

 いったん解散した後、キタキツネが僕に甘えてきたからだ。

 

 何でも『ノリアキの香りが無いと何も思いつかない』らしく、先程自分がとんでもないルールを提案したことは頭からすっぽりと抜け落ちているみたいだった。

 

 どうしようかなとも思ったけど、キタキツネはただ抱きしめて欲しいだけみたいだったからまあいいかと納得した。

 

 なにより、僕自身がモッフモフの尻尾の誘惑に負けてしまって、最後にはキタキツネを受け入れた。

 

 だけど一度言い分が通ってしまうと、望みは段々とエスカレートしてくる。

 

 例によって例の如く詳細は恥ずかしいから省くけどこっちもすごい。どんどんと連鎖していく。

 

 某”同じ色のぷにぷにしたものを四つくらい繋げて消していくようなパズルゲーム”もびっくりの連鎖なのである。

 

 

 …まあそれはさておき、午前いっぱいキタキツネの相手をしていた僕はもうヘトヘト。

 

 日によっては二人を相手取ることもあったから、それよりは元気が残っているかもしれないけど。

 

 うぅ、いつの日か愛情の過剰摂取で死んでしまいそう。

 悪い死に方じゃないけど、この二…じゃなくて三人を残したらとんでもないことになりそうだ。

 

 よし…やっぱり死ねないな。

 

「でも、一日一人が精一杯だよね…」

「じゃあ、そういうルールを作ってみたら?」

「あぁ…それも良いかもね」

 

 一週間は七日ある。

 2掛ける3足す1。

 

 上手く言いくるめてプライベートの時間を貰おう。

 でも、そういう日って何をすればいいのかな。一人になったことが殆ど無くて分からない。

 

「それは…実現してから考えよっか」

 

 風の吹き方によっては”三人一緒に相手をする日”に変貌する可能性も秘めているこの一日。

 無くなって困るものでもないけど、頑張っていい形で手に入れてみよう。

 

「それなら、何か食べながらお話しましょ」

 

 口に食べ物があると喋りづらい。

 ギンギツネはしっかりと反論しにくい状況を作ろうとしてるなぁ。

 

 彼女の静かな布石の打ち方に感心しながら、僕はお昼ご飯の待つ部屋へ匂いを辿って歩いて行った。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「イヅナちゃん、しっかり考えてきた?」

「うふふ、キタちゃんこそ…午前中ずっとノリくんに()()掛けてたよね」

「迷惑なんかじゃないもん」

「そう…ふふ」

 

 穏やかな口調ながらも、腹の内に秘める想いはどうだろうか。

 

 少し部屋が寒い気がするのは、窓が開いているせいではないのだろう。

 

「ノリくん、迷惑じゃなかったの?」

「あはは…そんな訳ないよ」

 

 ゆっくりと腰を下ろして、そして脚を伸ばした。

 

 ()()()()()()はイヅナからもキタキツネからもよくされる。

 そんな時、僕は決まってその問いを否定することにしているのだ。

 

「むぅ…ノリくんは優しいもんね…」

「イヅナにだって、欲しいならあげるよ?」

「…わかってるよ」

 

 これは、何も選べない僕のささやかな抵抗かな。

 せめての思いで、何も捨てたくはないのかな。

 

 まあ、どうでもいいや。小難しいことを考えるのは好きじゃない。

 

 知った不幸より知らない幸せ。

 そんな風に生きていたい。

 

 

―――――――――

 

 

「お待たせ、お昼ご飯よ♪」

 

 それから程なくして、ギンギツネが昼食を持って来てくれた。

 

 コトン、コトンと小気味良い音を立ててお皿が並べられていく。

 一通り配り終えると、ギンギツネはすぐ隣に座った。

 

「ふふ、どうかしら?」

「…あの、僕のだけ何か多いんだけど」

 

 綺麗な色をしたデザートが僕の分だけ用意されている。

 

「当然でしょ? ノリアキさんの為だけに用意したのよ」

 

 ここまで堂々としていると寧ろ清々しい。

 

 ギンギツネに言ってもどの道二人の分は出てこないだろうし、諦めて食べることにした。

 

 まず他のを全部食べてしまって、最後はデザートに手を付ける。

 

 ゼリーのような食感と程よい甘さ。そして――

 

「あ、あれ…」

 

 カラン。

 落としたスプーンが何かに当たって乾いた音を鳴らす。

 

「…おやすみなさい、とっても眠いでしょう?」

「ん…ぅ…」

 

 倒れ込んだ体をギンギツネが受け止める。

 柔らかい毛皮の温もりが、深い深い眠りへと僕を誘う。

 

 でも多分、こうなったのは…

 

「ぁ…」

 

 尻尾に視界が塞がれる。

 いよいよもう、限界だった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…あっ!」

 

 勢いよく体を起こす。

 我ながら凄い勢いだった、近く誰もいなくてよかった。

 

 バタバタと髪を揺らすと、同じくらいの勢いで記憶が戻って来る。

 

「そうだ、デザートを食べて…」

 

 慌てて布団を飛び出そうとした僕は、そこで妙な感触に気づいた。

 

 …布団の中に、もう一人いる?

 

「ん…あら、起きたの?」

「ギンギツネ…!」

 

 モゾモゾと這い出してきた彼女はねっとりとした体の動きで絡みついてくる。

 

 窓から外を見ると、もう暗くなり始めていた。

 

「薬を入れてたの?」

「そうね…お昼の()()()()が、ノリアキさんにとって刺激的になりそうな予感だったから」

 

 そう言いながら、彼女は僕の目を両手で塞ぐ。

 

「だから、僕を守ろうと…?」

「そう、無事に話し合いも終わって、ルールも全部決まったわ」

 

 何処からか紐で束ねられた紙を出して、パラパラと目の前でめくる。

 

 すると、手書きの整った文字で書かれた過激な文章の数々が視界に飛び込んできた。

 

「…あぁ、まぁ、刺激的だね」

 

 確かに彼女の言う通り、書かれているルールだけでも十分に刺激が強い。

 

 そこまで子供なつもりはないけど、その場に居合わせていたら耳を塞ぎたくなったに違いない。

 

「でも、デザートに盛るなんて」

「そうでもしないと飲んでくれないじゃない」

「まあ…そうだけど」

 

 この先も間々あることだろうし、一々目くじらは立てていられない。

 

 それよりもっと気になることがあった。

 さっきチラッと、書かれていたこと。

 

「ギンギツネ、ちょっと貸して」

 

 彼女曰く”ルールブック”を借りる。

 真っ先に開いたページ、三人のローテーション。

 

「…ない」

 

 休みが無い、プライベートが無い。

 別に良いけど、上手いこと潰されている。

 

 …まさかギンギツネ、コレが目的で?

 

 

 そして見つけたもう一つ。”見つけた”というほど大層でもないこと。

 

「あれ、もしかして?」

「そう、今日は私の日よ♪」

 

 ギンギツネに組み伏せられる。

 成程、だからキタキツネもイヅナもいなかったんだ。

 

「今朝はキタキツネに取られた分、しっかり貰わなくちゃね…うふふ!」

「あのさ…晩御飯は…?」

「…私を食べて?」

 

 …いただきました。

 ごちそうさまでした。

 

 もう眠いです、おやすみなさい。

 

 



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Ⅱ-115 リアルファイトもげぇむだよ

 シュッ、シュッ…

 

 まっすぐに腕が伸びて、握り拳が空気を貫く。静寂が支配する空間に、厳かな振動が響き渡る。

 

 その真剣な瞳から繰り出される攻撃を、簡単な表現に詰め込んでしまうのは忍びない。

 

 だけど、敢えて簡潔に今の状況を言うのならば。

 

 …キタキツネが、シャドーボクシングをしていた。

 

「もう、負けない…」

 

 少年漫画さながらのセリフと共に拳を突き出す彼女は、やはりあの日のことをまだ気にしているのだろうか。

 

 ギンギツネにいとも容易く取り押さえられた、あの夜のことを。

 

『格闘ゲームが好きなのに弱いなんて』

 

 ギンギツネが言った、特に深い意味もないであろう皮肉。

 

 それもキタキツネにとっては深刻な一言だったのであろう。

 そうでなければ、彼女の行動に説明が付けられない。

 

 まあ…件の出来事に関しては、ギンギツネが強すぎたような気もするけど。

 

「頑張ってるね、キタキツネ」

「だって、ギンギツネに勝たなきゃだもん…!」

 

 ゲームは時にその枠を超えてリアルファイトに発展する。

 

 …圧倒的にゲームの技術で勝っている方が仕掛けるリアルファイトも珍しいものだけど。

 

 

「やだなぁ、キタちゃんが暴れるたびにノリくんが怪我するんだもん」

 

 通りすがりに聞こえた言葉も、キタキツネの耳には届いていない。

 

 汗だくになりながらも拳を振るい続ける姿を見かねて、僕はキタキツネに声を掛けた。

 

「…そうだ、飲み物でも持って来よっか?」

「え? あ…ありがと…えへへ」

 

 拳の軌道が大きく揺れる。

 

 踏み込んだ足も覚束ない様子になって、表情は戦いを見据えるそれではない。

 

「あはは、ちょっと待っててね」

 

 もし本番が訪れたなら、途中で彼女に話しかけることだけは絶対にやめよう。

 そう、僕は強く心に決めた。

 

  

―――――――――

 

 

 キッチンまでやってきた僕は、文字通りの冷蔵()に置いてあるスポーツドリンクを探した。

 

 ドリンクは、いつの間にやら赤ボスが運び入れていた。

 多分、建物を改修した辺りのことだろう。

 

「あれ…どこに置いてあったっけ…」

「探し物はコレかしら?」

「あ…ギンギツネ」

「…うふふ」

 

 ギンギツネは中の液体を揺らしながら妖しく微笑む。

 

 今の僕には少し話しづらい相手だ。

 主に、キタキツネとの関わりで。

 

「気張らなくてもいいわよ、キタキツネのことでしょ」

「あぁ…まあ、そうだね」

「私は別に、あの子の気が済むまでやらせてあげればいいと思うわ」

「…そっか」

 

 ギンギツネはその振る舞いに余裕があるように見える。

 

 或いは見せかけかもしれないけど、それでも感じさせられる安心感があった。

 

「はい、変なものは入れてないわよ」

「……うん」

「あ、信じてないでしょ。もう、キタキツネに何か盛ったりなんてしないわよ」

「…あはは、信じるよ」

 

 そう、キタキツネ()()盛らない。

 薬を飲まされるのは専ら僕の役目だ。

 

 キタキツネもそうだし、彼女たちが薬に向ける信頼の正体は果たして何なのだろう。

 

 僕は()()()()()()し、昼にも()()()()()

 その内耐性がついて効かなくなりそうだ。

 

 まあ、それは一度置いておこう。

 

「ええと、ありがとね」

「ええ、キタキツネにもよろしく」

 

 はて、何を”よろしく”すればいいんだろう。

 困り果てた僕は揺れるドリンクの水面をじっと眺める。

 

 …このまま思考に沈んでも、きっとずっと答えは出ない。

 

 僕は考えることを諦めて、キタキツネのいる部屋まで行くことにした。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…相手が欲しい」

 

 キタキツネがそう言い出したのは、特訓を始めてから数日が経った頃のことだった。

 

「相手かぁ、務まるなら僕でもやるけど…」

「ノリアキはダメ!」

 

 絶対に認めないと首を強く横に振る。

 

「そ、そう…」

 

 そうは言っても、僕以外に()()()()()相手が出来るのかな。

 

 セルリアンを相手取れば言わずもがなで実戦だし、イヅナやギンギツネを相手にしても色々悶着がありそうだ。

 

 他の子たちは…様々な意味で巻き込むわけにはいかない。

 

「ねぇ、やっぱり…僕が相手するのが一番じゃないかな」

 

 もう一度彼女に問いかける。

 

「…ノリアキって、そういう趣味?」

「…えっ?」

 

 予想外の質問が飛んできた。

 

 ()()()()()()といえばつまり、痛めつけられて嬉しいのかどうかということだと思う。

 

 どうだろう、自分ではよく分からない。

 

「もしかしたら、そうかもね」

「そうなんだ…」

 

 僕の返答を受けてキタキツネは物思いに耽る。

 うん、おかしな返答をしてしまった。

 

 キタキツネを見る限り、嫌そうな様子ではないのが救いだ。

 

「手、こうして」

 

 そう言ってキタキツネは、パーの形をした手を観音様のように胸の前に立てる。

 

「…こうかな」

 

 鏡合わせのように僕が同じポーズを取ると、刹那の間に鋭い衝撃が僕の手を襲った。

 

「ていっ!」

「わっ!?」

 

 繰り出された拳は本気で、無防備な手の平は威力をそのままに貰って後ろへ飛んでいく。

 

 確かに痛い。でも不思議だ。

 

 受けた痛みよりもずっと大きい高揚感が、僕の頭の中を埋め尽くしている。

 

「キタキツネ、今のもう一回やって!」

「え? わ…わかった」

 

 その後も、幾度となく彼女の拳が僕の手を痛めつける。

 

 それが嬉しくて、楽しくて、悦ばしくて。

 

 収まることのない幸福感は言語中枢を麻痺させて、もう消えたはずのあの日の傷跡を疼かせる。

 

 キタキツネの爪が掻き切った僕の手首。

 思い出す度意識が飛びそうになってしまう。

 

 あの傷はまだ浅かった。

 もっと深く抉ったら、どうなってしまうのだろう?

 

「…ノリアキ?」

「…あぁ、何でもないよ」

 

 もしも彼女の拳を、掌以外で受けたとしたら?

 

 …考えに考えた末、僕は一度この衝動を心の奥底に仕舞っておくことにした。

 

 三人とも、僕の体に傷がつくことを良しとしないに違いない。

 でも、例えばこれが許されるのなら…ううん、やめよう。

 

 

 さて、僕の話は一旦お終い。

 ここからはキタキツネの話をしよう。

 

 ギンギツネへの対抗心を燃やし、現実での格闘を鍛えた彼女の武勇伝の顛末を。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「決闘だよ、ギンギツネ」

「あら、もう特訓は終わっちゃったの?」

 

 食って掛かってきたキタキツネに、ギンギツネはさらりと皮肉を返す。

 

「もう勝てるようになったもん…!」

「楽しみね、何のゲームかしら」

「ゲームじゃなくて…現実だよ」

 

 見せつけるようにファイティングポーズを取るキタキツネ。

 

 それを見たギンギツネは肩を竦めて、ニコニコと不敵な笑みを浮かべる。

 

「さあ、掛かっていらっしゃい?」

 

 開戦の時は想像よりも早く、キタキツネはギンギツネに飛び掛かっていってそして――

 

 

「うえーん、ノリアキ―!」

 

 

――負けた。

 

 

「よしよし、頑張ったね」

 

 二人の戦いは、傍から見ていても圧倒的な力の差を感じる一戦だった。

 

 まず、体の鍛え方が違う。

 と言っても、大きく違うのは単に掛けた時間だと思う。

 

 キタキツネはずっと前からダラダラするのが大好きだから。

 

 しかし差はそれだけかと問われればそうではなく、身のこなしという点でもやはり練度の差が垣間見えた。

 

「なんであんなに動きが速いの…?」

「あはは、本当にいつの間に鍛えてたんだろうね」

「今度は絶対に勝つもん…!」

 

 

 キタキツネの目が燃えている。

 きっと、ギンギツネの最後の言葉がまだ頭の中に響いているのだろう。

 

『大丈夫よキタキツネ、まだ伸びしろは沢山あるんだから♪』

 

 完膚なきまでに叩きのめした後の一言。

 

 悪びれもなくそんな言葉を吐く彼女が、その瞬間は都人のように見えた。

 

『ノリアキさんも、キタキツネを気に掛けてくれて嬉しいわ』

 

 そう言う彼女の瞳が曇っていたのは、最近キタキツネに構いすぎているからかな。

 

 ちゃんと彼女の日には相手をしてるんだけど、やっぱり気になるものだよね。

 

 

「そろそろ、この特訓自体も考え時かなぁ…」

 

 しかしキタキツネの心情もある。

 特訓を止めるにしてもそれなりの『結果』が必要だ。

 

 …八百長をしてみる?

 

 …勘が鋭いし気づかれてしまいそう。

 

 

 ああ、打つ手が思いつかない。

 これならいっそ、”ルール”で一切争えないようにしてしまいたい。

 

 争いを止めるルールそのものはある。

 

 だけどそれは『二人きりの時間を邪魔してはいけない』という限定的な制約だった。

 だからあの二人の()()は止められない。

 

「それでも全部禁止したら、ストレスも溜まっちゃうよね…」

 

 このルールも悩んだ末の妥協案だったのだろう。

 眠っていたから真実は分からないけど。

 

「あーあ…」

 

 カレンダーを見ると、今日はイヅナの日だ。

 さて、もうこのことについて考えるのは止めにしよう。

 

 時間が解決するといえば語弊があるけど、時間で悪化するようにも思えないから。

 

 『経過観察』って言ったら、聞こえは良いのかな。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 それからも、キタキツネは『打倒ギンギツネ』の目標を諦める様子はなかった。

 

 数週間が経った頃にはイヅナもキタキツネの思惑を把握して、度々ちょっかいを掛けてくるようにもなった。

 

「違うよキタちゃん、ここはこう!」

「こ…こう?」

「もう少し右、刺し違えてでも倒す気概で!」

 

 あれかな、キタキツネを鉄砲玉にする気なのかな。

 

 共通の相手がいるからか、二人の関係は良くなっているように見える。

 

 矛先を向けられたギンギツネのことが心配になるのだけれど…

 

「あらあら、あんなに仲良くなっちゃって」

 

 …まあ、気に病んでいる風には見えない。

 

 

「キタちゃんに足りないのは思い切りだよ、いざという時は手段を選んでなんてられないの」

「思い切り…」

「そう、後のことなんて考えなくていいの」

 

 それより気掛かりなのはイヅナの指導法だ。

 

 キタキツネも本気で受け止めてはいないと思うけど、何かの間違いでその通りに戦われたら大変なことになりそう。

 

 それに()()()()()()()()()なんて、かつて自分を生き埋めにした人物に向かって放つ言葉なのだろうか。

 

「一回くらいは強く言うべきなのかな…?」

 

 本当に『思い切り』というものが必要なのは、もしかすると僕なのかもしれない。

 

 

「私は、ノリアキさんはそのままで良いと思う」

 

 いつからそこにいたのか、ギンギツネの腕が後ろからぎゅっと僕を包む。

 

 洗い物の後なのかな、頬を触る彼女の手は少しだけひんやりとしていて気持ちよかった。

 

「でも僕はそんな、ちゃんとするべき時に厳しく接することもできないし…」

「そんなノリアキさんだから、こんなに良い毎日が送れてる。そうでしょ?」

「…そう、なのかな」

「そうよ、厳しくするのが良いこととは限らないもの」

 

 ギンギツネの抱擁は優しくて、そして強い。

 柔らかく、僕を逃がさないようにきつく彼女に縛り付ける。

 

()()()()…動かないで」

 

 ぴと…唇が首筋に触れた。

 

 牙が血管の上を滑るようにくすぐって、立てなくなった僕は彼女に掛かり切りになる。

 

「うふふ、大好きよ、ノリアキさ――」

「ギンギツネ、ノリアキから離れてっ!」

「…うん?」

 

 大声に手放しかけていた意識を呼び戻されると、キタキツネが腰に手を当てて仁王立ちしていた。

 

 僕の腕を取ると、強い力で引っ張られる。

 

「もう、折角のお楽しみだったのに…」

「今日こそ決着を付けるよ、ギンギツネ」

「うふふ…随分と良い思い切りね?」

 

 二人は、バチバチと視線で火花を散らしながら広い部屋(決戦の地)へと歩みを進める。

 

 

 僕が呆然とその後姿を眺めていると、この時を待ってましたとばかりにイヅナが駆け寄ってきた。

 

「ノリくん、腕は痛くない?」

「…あぁ、大丈夫だよ」

 

 二人の戦いの行方はどうなるのか。

 

 不安で仕方ない僕とは裏腹に、イヅナは笑顔を隠しきれていなかった。

 

「あーあ、上手いこと共倒れにならないかなぁ…?」

「やめてよ、縁起でもない…」

「冗談だよ、私たちも見に行こっか」

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 広間に並び立つゲーム機。

 その奥の空間で、かつても決闘が繰り広げられた。

 

 だけど今回の戦いは、更に僕達を強く驚かせる。

 

「う、嘘でしょ…?」

 

 それは凄惨な景色が広がっていたからか、違う。

 

「まさか、こんな…」

 

 目にも留まらぬ攻防が繰り広げられていたのか、それも違う。

 

「はぁ…はぁ…」

「…ええと、何て言えばいいのかしら?」

 

 

 ――キタキツネがもう負けていたからだ。

 

 

「そんな、特訓の成果はどうなっちゃったの!?」

 

 イヅナが驚きのあまり叫ぶ。

 僕も予想外だった。ギンギツネがこんなに強いなんて。

 

「うぅ…」

「だ、大丈夫…?」

 

 キタキツネを倒したはずのギンギツネさえ心配になるやられ様。

 

 ギンギツネは少し屈んでキタキツネへと手を伸ばした。

 その瞳に曇りなき憐憫をしたためて。

 

「……?」

 

 ――その動きがピタリと止まったと思うと、やがてギンギツネは力なく倒れ込む。

 

「ふふ、ふふふ…!」

 

 ギンギツネのお腹には、キタキツネの拳が深々とめり込んでいた。

 

「えぇ…!?」

「…よ、容赦ない」

 

 イヅナでさえ身構えたほどのどんでん返し。

 

 ギンギツネの温情を熱い拳で返したキタキツネは、ニコニコと笑って僕に話しかける。

 

「ねぇノリアキ。やっぱりボク、だまし討ちの方がやりやすいや」

 

 そんなことを言うキタキツネに、僕が返せる言葉もなくて。

 

「もう、ギンちゃんは気にしてたのに…」

「ギンギツネが悪いんだよ、ちょっぴりボクより強いからってさ」

 

 キタキツネはちゃぶ台の上のみかんを食べ始め、イヅナは倒れたギンギツネを座布団を枕にして寝かせた。

 

 平和の皮を被った混沌の中で、僕はただギンギツネの手をそっと握るだけ。

 

 でも、こんなひと時さえも『楽しい』と思ってしまうのは…僕の心が腐ってしまったせいなのだろうか。

 

 

 



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Ⅱ-116 布団の残り香、白い夢。

 今日という一日は、赤ボスの踏みつけによってその始まりが告げられた。

 

「ノリアキ、少シイイカナ?」

「んぅ…なに…?」

 

 赤ボスに叩き起こされるのもこれで何回目になるのかな。

 最初にそれをされた時から、赤ボスの起こし方はほんの少しも変わっていない。

 

 色んなものが変わり果てた生活の中でそれを想うと、寂しい気持ちにもなる。

 

 ただそれでも、何も知らなかったあの頃に戻りたいとは微塵も思わないのだ。

 

「付近デセルリアンノ出没ガ確認サレタヨ」

「倒しに行けってこと…?」

「…”イヅナ”ハモウ向カッタヨ」

「分かった、行ってくるよ」

 

 立ち上がって大きく伸びて、パチンと頬を叩いて目を覚ます。

 

 だけど目を覚ますのは後でもよかった。下手に意識が冴えたせいで、余計な所に気が回ってしまったからだ。

 

「あ、布団…」

 

 急いでいても、畳むくらいはしなきゃ。

 

 …セルリアンとどっちの優先順位が高いのかは知らないけど、とにかくそう思った。

 中途半端に起きた賜物かもしれない。

 

 そうして布団へ伸ばした腕が、横からガッチリと掴まれる。

 

「話は聞かせてもらったわ! 布団は私が片づけるから行ってらっしゃい、ノリアキさん」

「え? ああ…ありがとね」

 

 彼女に急かされて部屋を出た後、色々思考が脳裏をよぎる。

 

 ギンギツネ、随分と素早く出てきたなぁ。

 『話は聞いた』って…一体いつから聞いていたんだろう?

 

「ま、いっか」

 

 雑多な思考は雑多なままで、無意識の海に消えていく。

 

 それが大事な考えかどうか、忘れて判断も下せない。

 しかし忘れたということは、それほど大事じゃ無かったんだろう。

 

 少なくとも僕は、知らないものを大切にはできない。

 

 

―――――――――

 

 

「ふぅ、見掛け倒しだったね」

「大きいのが見た目と態度だけなんて、何処かの森の誰かさんみたい」

 

 ”何処かの森”といえば、僕は真っ先に図書館を思い浮かべる。

 

 そこにいるのは博士たちだけど、そんなに大きい見た目はしていない。

 

 むむ、僕の知らない誰かの話をしてるのかな。

 

「…ノリくん? ボーっとしてどうしたの?」

「え…? …ああ、赤ボスに朝早く起こされたせいでまだ眠くて」

 

 僕がそう誤魔化すと、イヅナは明らかに不機嫌な顔をした。

 

 怒らせちゃったかなと一瞬肝が冷えたけど、イヅナの怒りの矛先は赤ボスに向いているようだった。

 

「私一人で十分なのに、ノリくんの手を煩わせて…! 今度見掛けたら電源を止めてあげようかなぁ…?」

「赤ボスも、イヅナを心配してたんじゃない?」

「別にいいよ、ノリくんさえ…私を想ってくれたら」

 

 その後もしばらく話をしていたけど、やっぱりだんだん眠くなってきた。

 

 イヅナには先に食べててと伝え、僕は寝室に足を運ぶ。

 

 その途中で、ギンギツネが布団を片づけてしまったことを思いだした。

 

「畳でも、眠れなくはないかなぁ…」

 

 しかしそんな()()()()()は眠気という本能に凡そ勝てるはずもなく。

 

 僕は近頃減っていたお昼までの二度寝を決行しようと心に誓って、寝室の襖を横に引いた。

 

「……あれ?」

 

 だけど、床にはまだ布団が敷いてある。

 しっかり手入れはされているようで、皴もなく綺麗だ。

 

 …もしかして、二度寝することを察してくれたのかな?

 

 真実は分からないけど、そんなことはどうでもいい。

 

 居場所も知らないギンギツネへと心の中で感謝を伝え、僕の意識はふかふかの海の底へそっとその身を下ろした。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「あ…寝てる…」

 

 私の視線の向こうには、襖と戸の枠の隙間から見える彼の姿。

 

 普段から散々直視しているはずなのに、こうして見るとまた特別なように感じられてしまう。

 

「寝顔も素敵ね…ふふ…!」

 

 無意識のうちに零れる呟きを垂れ流し、私は袋に詰めた白い()()()を頬張る。

 

 美味しい。幸せの味が口いっぱいに広がる。

 そして私は朝から何というものを食べているのだろう。背徳の味が頭を白く染め上げる。

 

「…ギンギツネ?」

「ひゃっ!? …ど、どうしたのキタキツネ…?」

 

 咄嗟に袋を体で隠す。

 幸運にも、キタキツネはお菓子の存在に気づかなかったみたい。

 

「ギンギツネが、ノリアキの部屋覗いてたから」

「別に、キタキツネもよくやることでしょ?」

「…そうだけど」

 

 少し目を向けると、訝しげに首を傾げている。…怪しまれたかしら、それなら言葉は慎重に選ばなきゃ。

 

 考えている間に、お菓子は服の中へと隠した。

 

「キタキツネこそどうしたの? 朝ご飯ならもう作ってあるわよ」

「別に、何でもない」

「あら、そう」

 

 何でもないと言いつつも、キタキツネの視線は襖にチラチラ向いている。

 

 向こう側の様子を想像しているのかしら。

 まあ、精々想像してるといいわ。私は直接見てるから。

 

「…お腹すいた」

 

 しばらくするとキタキツネは行ってしまい、一人になった私は晴れて堂々とお菓子を食べられるようになった。

 

「ん…ノリアキさん…」

 

 そのまま私は、彼が目を覚ますまでずっとその寝姿を眺めていた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「ふわぁ~…お昼かぁ…」

 

 二度寝の後の目覚めとは、得てしてパッとしないものだ。

 

 僕は朦朧とする頭を振って、なんとか目の前の景色を認識した。

 

 ゆっくり起き上がって、今度は布団のことなんてすっかり忘れて、空っぽになったお腹を満たしに部屋を出る。

 

 そこで、ギンギツネと出くわした。

 

「……あ」

「あれ…何してるの…?」

 

 ギンギツネは僕を見ると固まって、横歩きで僕の後ろまで移動する。

 

「ええと…お布団、片づけるわね…!」

「…う、うん?」

 

 大きな音を立てて襖が閉じられる。

 

 ギンギツネの様子を訝しみつつも空腹には逆らえず、僕の心はご飯を夢見た。

 

 そのとき、床に落ちている白い髪の毛に気づいて拾い上げる。

 それほど長くないから、多分イヅナではなく僕の髪の毛だ。

 

「…まぁ、落ちてるよね」

 

 さほど気にせず髪の毛は適当に放り捨てて、僕は遅い朝ご飯を食べに行った。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「気づかれて、ないよね…?」

 

 ざわめく胸を押さえ、平静を保って私は彼の様子を確かめた。

 

 しばし眺めて、私は強く安堵する。

 ノリアキさんの様子が普段と何ら変わりなかったから。

 

「これなら大丈夫そうね」

 

 私が穏やかなため息を漏らせば、それを聞きつける狐がいる。

 

「何が大丈夫なの、ギンちゃん?」

「あっ…こほん、イヅナちゃんには関係ないわ」

「…ノリくんには?」

「……さあ、どうかしら」

 

 本当は大アリなんだけど、彼女相手にそれを素直に認めるのも癪で。

 十中八九誤魔化しきれやしないことを知っていながら、私はお茶を濁す。

 

「あはは、惚けちゃって。嘘ついたって良いことないよ~?」

「イヅナちゃんに話したところで、『良いこと』があるようには思えないわ」

「つれないこと言わないでよ、()()()()考えてたんでしょ?」

 

 素っ気なく突っぱねても、今日の彼女はまだ食い下がる。

 

 普段からこんなにしつこかったかしら。ノリアキさんへのアプローチは執着の二文字に尽きるけど、それは私も同じだから言うことはなし。

 

 それでも飽くまでノリアキさんに向いていて、私に矛先が向くのはコレが初めてな気もする。

 やっぱり、あの時派手にやった()()が効いているのかしらね。

 

 だったら、もっと煽り立てるのも悪くない。

 

「そうね、折角だから教えてあげるわ」

「おおー、太っ腹」

 

 …張り倒してやろうかしら。まあいい、それなら煽り返してやるわ。

 

「私はね、あなた達が持ってないものを持ってるの、あなた達が知らない、ノリアキさんのことを知ってるの」

「…へぇ」

「教えてあげるのはコレだけ、気になるなら自分で考えてみたら? ノリアキさんに聞いても答えは出ないと思うから」

 

 イヅナちゃんの顔が狐面のように強張った。

 

 いい気味ね。

 普段は飄々としている分、怒った顔を見るのは格別の気分だわ。

 

 一瞬、私は()()を見せつけて目の前で堪能して見せようかとも思った。

 

 だけど、隠して、見つけられない様を眺める方がずっと気持ちいいはず。

 そう言い聞かせて、衝動をもっと強い欲望で塗りつぶす。

 

「じゃあ、私はやることがあるから」

 

 代わりにくるんと背を向けて、悠々と歩く姿を見せつける。

 

 怒ってるかしら、歯ぎしりでもしてるのかしら。

 想像するだけでも、それは格別な愉悦だった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「ノリアキさん~♡」

 

 布団に彼を押し倒す。

 幾度となく繰り返されたことなのに、彼の初々しさは全く変わらない。

 

 緊張を示すようにピクピクと震える耳が可愛らしくて、ついつい噛みついてしまった。

 

「あっ…!」

 

 震える体を抱き締める。

 

「怖がらないで、私に任せて…?」

 

 今この瞬間、ノリアキさんが私の腕の中にいる。

 他の誰でもない、私だけのものになってくれる。

 

 ――今度は髪の毛に噛みつく。

 

 出来ることならこのまま彼を連れ去って、誰もいない場所で一緒に暮らしたい。

 

 ――優しく、痛まないように噛みちぎる。

 

 どうして、この時間が永遠にならないのかしら。

 

 ――口の中で髪の毛が解けて、サンドスターの味がする。

 

 どうして、一緒に消えてしまえないのかしら。

 

 ――虹は綿あめのように解けて消え、()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「…楽しそうだね、ギンギツネ」

「ええ。だって、あなたがいるもの」

 

 私たちが雪ならば、解けて混ざって一緒になれる。

 でも、本当に私たちが雪だったら、冷たくて解かせないのかな。

 

 …なーんて、変なことを考えるのね。

 

 全部解けるに決まってる。

 この胸に迸る熱が、全て熱しつくしてしまうもの。

 

 夜闇が私たちを覆い、白い夢が私たちを蕩かす。

 『夜は長い』というけれど、本当かしら。

 

 どんなに長くても、私の時間は一瞬で過ぎてしまう。永遠に続いて欲しいと願うほど、時間は短くなっていく。

 

 …カミサマは、とっても意地悪ね。

 

 

 どうすれば、この時間を永遠に出来るのかしら。こっそり首に回した腕を、気取られぬよう背中へ回す。

 

 ()()()には、きっとまだ早いわ。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「よいしょ…ふぅ…」

 

 早朝、草木も雪も、ノリアキさんも眠っている。

 起きないうちに、()()()()()()はやっておかなきゃ。

 

「ごめんね、少しだけ我慢して…?」

「ぇ…んぅ…」

 

 彼の上半身を優しく起こして、そっと枕を引き抜いた。

 

 代わりの枕は私の枕、何でもないのに嬉しい気持ち。

 私も簡単な存在になっちゃったものね。勿論、全然悪いことじゃないけど。

 

 彼の枕を取った後は、ポケットから袋を取り出す。

 真っ白な髪の毛がたくさん入った、()()()の袋の口を広げる。

 

「あはは、今日も沢山ね…!」

 

 丁寧に指先でつまみ取って袋に放り入れる。

 

 集中して、意識の全てを注いで髪の毛を回収する。そうしなければ、髪の毛は無意識のうちに口へと運ばれてしまう。

 

「これで全部ね…美味しそう」

 

 いつから隠れて髪の毛を集め始めたのか、もう覚えていない。

 

 これがずっと、私の毎日の楽しみだった。

 でも今は、もっと楽しいことがある。

 

 ノリアキさんの髪の毛を、そっとたくし上げる。

 

「……♡」

 

 起こしてしまわないように、痛がらせてしまわないように、私は恐る恐るそれに噛み付く。

 

 歯で挟んで、潰すように切り取って、舌でじっくり味わった。

 

 ずっと食べてきた、変わらない味。それなのに、全然違う。

 

 もう、私はこの想いを隠さなくてもいい。なのに私は、彼に隠れて()()を食べている。

 そんな取るに足らない矛盾が、スパイスのように甘い虹色を際立たせる。

 

「…ごちそうさま」

 

 どろどろに溶けた白色を飲み込んで、私は彼の隣で目を閉じる。

 今日のお昼ご飯は、イヅナちゃんが作ってくれた。

 

 

 



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Ⅱ-117 シロツメクサの解けぬ指輪

「…約束。破ったら、許さないわよ?」

 

 クローバー、またの名をシロツメクサの花言葉。

 四つ葉で『幸運』、三つ葉で『復讐』。

 

 他にも言うなら、それは『約束』。

 

 復讐とは、何のための復讐だろう。 …裏切られた『約束』のための?

 

 それはどんな復讐か。 果たしていつまで『許さない』のか。

 だとしたら、その復讐に終わりは訪れないのかな。

 

 本当に、ずっと『許さない』のなら。

 

「……うん」

 

 彼女の言葉を噛み締めて、僕はゆっくり首肯する。

 結ばれた()()を、じっと見つめた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…木の実?」

 

 僕が聞き返すと、ギンギツネは()()()()()笑みを浮かべる。

 

「ええ、雪山のふもとに、美味しい木の実が落ちてる森があるの」

 

 ご飯に使いたいから、一緒に取りに行って欲しいのだと言う。

 

 しかし…いや、そういうことか。

 

 彼女の顔を見て、僕はこんな朝早くに呼び起こされた理由を悟った。

 

「分かった。じゃあ…()()()行こっか」

「…っ! うふふ、そうね…!」

 

 音を立てないように、そっと支度を調える。

 顔を見せたばかりのお日様に照らされ、僕達はふもとの森を目指して宿を発った。

 

 

「…この辺り?」

 

 しばらく歩いていると、ギンギツネが森に差し掛かった所で足を止めた。

 

「あー…もう少し奥かしら…」

 

 ギンギツネはキョロキョロと見回し、今度は僕の手を引いて歩き出した。

 

 確かに、この辺の地面に見えるのは枯れ葉が殆ど。

 見上げてみても、それらしい実が生っている木は見当たらない。

 

「ところでなんだけどさ、今日取りに来たのって、何の木の実?」

「…木の実は、木の実よ」

「そ、そうなの…?」

 

 妙なところで力押しなギンギツネ。

 戸惑っていると、手の平に硬い感触がした。

 

「…ほら、これが木の実よ」

 

 ふと手渡された木の実。

 その形を確かめて、思わず呟きが漏れる。

 

「あぁ、木の実、だね」

「ふふ、でしょ?」

 

 ギンギツネから渡されたそれは、『木の実』としか形容できない不思議な形をしていた。

 見たことも無い、本にも載っていない。

 

 彼女の言った通り、「木の実は木の実」だった。

 

「さあ、程々に拾いましょうか」

「…うん」

 

 一つ一つ、小さな籠へと入れていく。

 籠が半分ほど埋まったら木の実拾いを切り上げて、ギンギツネは森のさらに奥へと僕を連れて行く。

 

 …なんとなく、ギンギツネの目的はこれだけじゃないと感じていた。

 

 この先には、何があるのかな?

 

 やがて、木々の隙間から差し込む光が強くなる。目を細めてしまうほどの白光の後、開けた原っぱが僕達を迎えてくれた。

 

 

―――――――――

 

 

「どう、初めて見るでしょ」

 

 そこは小さな緑の世界、豊かな命が生い茂っている。

 

 後ろの森が放つ閑散とした雰囲気をものともしない、しかし周りから取り残されたかのような楽園。

 

「…いい所だね」

 

 柔らかい草を撫でて、そっと腰を下ろした。

 ギンギツネは背中を合わせて座った。

 

「嬉しい、あなたと二人きりでこんな素敵な場所に来れるなんて」

 

 そう語りかけられるけど、僕は言葉を返せない。

 …頭の中にチラつく存在が口を噤ませる。

 

「ねぇ、ノリアキさん」

「何…かな?」

「お願い、今は私だけを考えて。ここには私とノリアキさんしかいないんだもの」

「ギンギツネ…だけ」

 

 でも、僕の頭はあの二人を忘れてくれない。

 思えばいつだってそうだった。僕は、誰か一人を想うことが叶わなかった。

 

 気づいた時には、そんな状況に追い込まれていた。

 

 尚も踏み切れぬ決意に、ギンギツネは火を灯す。

 

「ねぇ…何が()()なの?」

「じゃ、邪魔じゃないよ! ただ…あっ、ええと…」

 

 たった一言に平静を失った。

 手を振りほどいて、力任せに叫んだ。そして気が付いて、続く言葉を失った。

 

 ただ、『誰がいなくなること』だけを恐れている自分の姿を、ギンギツネの瞳越しに見てしまって。

 

「……ノリアキさん、あなたは何も気負う必要はないの」

 

 指先が優しく僕の頬をなぞっていく。

 

 そのくすぐったさは、まるで涙のようだった。流せない雫を、彼女が代わりに流してくれているようにも感じた。

 

「全部、私がやってることだもの」

 

 とても甘くて、全て任せて縋りたくなる。

 

「本当に…そうなの…?」

「そうよ。でも、まだ不安かしら?」

「…うん」

 

 まだ心に引っ掛かりが残っている。

 

 それはずっと前、やはりギンギツネが本当の気持ちを明かす前から生まれていた()()()だ。

 

 僕は、やっぱり――

 

「”不埒者だ”って、そう…感じてるの?」

「きっと…ううん、その通り…だね」

「だからそれはノリアキさんのせいじゃないし、私はそれでも良いと思ってる」

 

 今までも、そんな風に扱われてきた。

 イヅナもキタキツネも言葉には出さなかったけど、あの提案を受け入れた時点でそう言っているのと同然だった。

 

「忘れないで。あなたが誰か一人に本気になる時はそれは――」

「誰かが死ぬ時。…そうだよね?」

 

 ギンギツネは黙って、ただ、僕の手を握った。

 

 それでも、この心に巣食う躊躇いは完全には消えてくれない。なんて優柔不断で、情けなくて、恐ろしい。

 

 だけど心なしか、楽になれたとは思う。

 

「ありがとう、ギンギツネ」

 

 柔らかい風が、尻尾を波立たせた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 『本気』にならなくてもいい、一人に入れ込めば誰かが死んでしまうから。

 

 究極の意味では誰か一人だけのものにはならず、宙ぶらりんのままでいるのが一番。

 

 …そうなのかな。

 

「さっきはああ言ったけど、本気になっても悪くないんじゃないかしら」

 

 もし、それが可能ならば。

 

「三人とも本気でしてくれるなら、不平等じゃないでしょう?」

「そんなこと、出来るのかな?」

「私は、やってほしいわ…!」

「…そっか」

 

 真っ直ぐ、逸らさずに僕を見つけるギンギツネの目には、今日一番の迫力があった。…まだ早朝なのはさておいて。

 

 彼女は、100%自分のための感情を剥き出しにして僕の前に立っている。

 

「だからほら、私を見てっ!」

 

 原っぱの真ん中まで走って、ギンギツネは大きく手を振った。

 「こっちにおいで」と言うように、両腕をバッと広げた。

 

 僕は…一思いに、その腕の中へと飛び込んだ。

 

「ふふ、ノリアキさん!」

「ギンギツネ…これで、良いんだよね?」

「今この瞬間は…ね」

 

 寂しそうな笑みを浮かべて強く抱き締めるギンギツネ。

 

 やがて足がもつれ、僕達は緑の中に倒れ込んだ。

 未だ灰色を残す空模様と、彼女の鮮やかな毛並みの色が混ざり合って、真っ暗な視界に全て委ねた。

 

 意識が呑まれる間際、恍惚に悶える喜びの声が僕の耳を一口に包み込んだ。

 

「うふふふふ…! ようやく、私は手に入れたのね…!」

 

 

 

―――――――――

 

―――――――――

 

 

 

『ギンギツネ、ご飯は…?』

『待ってて、もうすぐ出来るから』

『…うん』

 

 私にそれだけを尋ねて、キタキツネは行ってしまう。

 行先は知っている、ノリアキさんのところだ。

 

 私は行けない。近づいてはいけない。

 

 キタキツネともイヅナちゃんとも違う、蚊帳の外にいるのだから。

 

『…はぁ』

 

 想像しなくとも憂鬱な気分になる。

 

 キタキツネはきっと、ゲームでもしてノリアキさんと楽しむのだろう。

 或いは彼に甘えて、時をも憚らずにまぐわうのであろう。

 

 私は、触れることすら叶わない。

 

『でも何時か、必ず…だからその時のために、今は耐えるのよ、ギンギツネ…!』

 

 大丈夫。まだこの想いは誰にもバレていない。

 

 それなら宿にも居られる。ノリアキさんを遠くから見ていられる。

 

 元々住んでいた私を追い出すのも道理に合わないし、私は彼女たちにとって無害な方だと思われているから。

 

 …キタキツネを心配する振りを続けている限り、私は排除されないだろうと踏んでいる。

 

『必要なのはチャンス…一気に状況を変えるための、切っ掛け』

 

 なるべくなら派手でキャッチーな事件が良い。

 巧妙に私の思惑を紛れ込ませて、気付かれたタイミングで全てを暴露する。

 

 なら、事態を複雑にするのは避けるべきね。

 

 用意した『謎』の先にいるのが私一人なら、より気づいて貰いやすいはずだもの。

 

『今回のセルリアンの騒ぎはまあ…僥倖だったかしら』

 

 彼に、一時だけでも近づけた。

 

 バレる危険もあったけど、気付かれなかったから結果オーライ。

 

 それに『壊れた宿』は、事件を引き起こすための布石に出来るに違いない。

 

 既に私から一度アクションを起こした。何かの拍子で知られる危険は前と比べて高くなっている。

 

 焦らず、しかし早急に事態を動かしたい。

 

『そういえば、博士が……そうね、そうしましょう!』

 

 上手く使ってやろうじゃない、賢い賢い博士たちを。

 もう、起こす事件の”切っ掛け”も決めた。

 

 そうよ、私は必ず――

 

 

 

―――――――――

 

―――――――――

 

 

 

「…ん、寝ちゃってた?」

「おはようノリアキさん、グッスリ眠ってたわね。やっぱり、早く起こしすぎたかしら?」

「ううん、ギンギツネの抱き心地があまりにも良かったから…」

「まあ、抱き心地だなんて…!」

「あはは…ぎゅっとする方だよ?」

 

 僕らは冗談を言い合って、ケラケラと笑いあった。

 努めて今までよりも気軽に、まるで()()のように。

 

 少なくとも今は、それができるから。

 

「私も夢を見てたわ、ノリアキさんがモフモフすぎたせいで」

「そうなんだ…ごめんね?」

「もう、どうして謝るの?」

 

 ギンギツネの指が髪の毛を梳いていく。

 ふうっと吐息が間を掠めて、緑の風が耳を揺らした。

 

 すると、ギンギツネが徐に僕の左手を持ち上げた。

 

「ノリアキさん…これを」

「これって…クローバー?」

 

 根元からポッキリと折られた茎を丸めて、左の薬指に巻き付ける。そしてその先を結びつけると、綺麗な白い花を付けた指輪が出来上がった。

 

「…前に本で読んだの。このお花には、『約束』って言葉が付けられてるって」

 

 さながらこれは、約束の指輪。

 

 

―――――――――

 

 

「ねぇ、私と約束して」

 

 病める時も、健やかなる時も。

 

 喜びの時も、悲しみの時も。

 

 富める時も、貧しい時も。

 

 どんな時でも、私だけを見て、そして愛してほしい。

 

 だけどそれは…もう、無理だから。

 

「私を、見捨てないで」

「……っ」

 

 お願い、そんな辛い顔をしないで。私が…私に手に入れられる最高の形が、これしか残されていなかっただけだから。

 

 だから、せめてこれだけは…

 

「…約束。破ったら、許さないわよ?」

「…うん」

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…さて、そろそろ帰らないとあの子たちが起きちゃうわね」

 

 雲の隙間から差し込んだ光に目を細めて、ギンギツネはそう言った。

 

 手で顔を覆って彼女は歩き出す。その表情も、手で覆い隠すようにして。

 

「…こっちの手、いい?」

「あっ…」

 

 彼女の片手が提げている籠を、僕の片手も持っていく。

 手と手を重なるように、取っ手を優しく握りしめた。

 

「あったかい…」

 

 どうしてだろう。言いたいことが沢山あったはずなのに、手を握ったら口が動かなくなった。

 

 なんとなしに彼女を見ると目が合って、互いに面食らって目を逸らした。

 そのまま僕たちは、来た道を戻って宿へと帰る。

 

 でも、全然大丈夫。

 きっと、雪山の寒さの中で生きるためには、この手の熱だけで満足だから。

 

 …ふと、気になって左手を眺めてみた。

 彼女に着けてもらった指輪は、まだ綺麗に残っている。

 

 この花の美しさも、いつまで続くのかな?

 

 考える僕の頭に、ふわりと何かが舞い降りた。

 

「…?」

 

 無造作に手に取ってみると、それは脆くも崩れて消えた。

 茶色の破片が散るのを見て、ようやく”それ”が枯れ葉であることに気づいた。

 

 見上げれば、今にも取れて落ちそうな葉っぱが沢山ある。

 

 ああ、なんと儚いのだろう。

 視線を左手に戻す。

 きっとこの白い花も、今日の陽が沈むころには色褪せて輝きを失ってしまうのだ。

 

 だからその前に…消えないように守らないと。

 

「ノリアキさん…!?」

 

 そう思ったら、体は勝手に動いた。

 無意識のうちに、僕の左の薬指は口の中へと差し込まれる。

 

「ん…れろ…」

 

 舌で指輪を捉え、壊してしまわぬよう丁寧に指から外す。

 そして、一思いに飲み込んだ。

 

「あ…!」

 

 きっと、ギンギツネは喉の動きを見て察してくれた。

 

「大丈夫、壊れてないよ」

 

 噛まず、潰さず、解かせず。細心の注意を払って、僕は胃袋へ指輪を下ろした。

 

 でもまだ、ギンギツネは不安な表情をしている。

 突然だから驚いちゃったのかな、ちゃんと説明してあげないと。

 

「…こうすれば、『約束』がずっと解けずに済むかなって……そう、思ったんだ」

 

 しっかり言おうと思っていたのに、僕の口ぶりは段々とたどたどしく変わっていく。

 

 きっと、拒まれることが、怖い。

 手を強く握って、抑えられないのはそのせいなんだ。

 

 視線が、ギンギツネに釘付けになる。

 

 なんて、言われるのかな。

 固まった僕の目を見て……ギンギツネは一言。

 

「…嬉しいわ!」

 

 ――サクッ。

 

 軽く踏み締めたその音は、崩れる葉っぱか雪の結晶か。

 ともあれ今この瞬間、『約束』は永遠のものになった。

 

 復讐は終わらず、また始まりも訪れない。

 

 三つ葉がそこに有るのなら、裂いて四つ葉にしてしまおう。

 

 作り物だって…ううん、作り物だからこそ信じられる。

 約束も、幸運も、その先にある幸せも。

 

 

 

 ――今になって思い出した、シロツメクサの花言葉。

 

 『私を想って』

 『私のものになって』

 

 確かに色々あるけれど、あの指輪はどれだったかな?

 

 …全部?

 

 それもいい、そんな欲張りも素敵だと思う。欲しいなら、あげるつもりだから。

 

 



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Chapter Ⅲ ユキヤマトリップ、オイナリトラップ。
Ⅲ-118 何処かの雪に思いを馳せて


 最近、イヅナが読書に勤しんでいる。

 

 何処からともなく持ってきた小説を読み漁っては、これまた出所の分からないノートにメモを纏めていた。

 

 初めは僕も横目で見ているだけだったけど、何度も見れば興味が湧く。

 いよいよ好奇心に突き動かされて尋ねた丁度その時、イヅナは僕にとある提案をした。

 

「ノリくん…別荘を作ろうよ!」

「…別荘?」

 

 なんとなしに訊き返すとイヅナは頷いた。

 

「そう、私たちの新しい家を作るの!」

「でも、平原にはお屋敷もあるよ…?」

 

 今は手入れもしていないから荒れているだろうけど、別荘として使うには申し分のない土地だ。

 

 それなのにわざわざ新しく作るとは、イヅナには別の思惑があるのだろうか。

 

 僕の考えを肯定するかのように、イヅナは更に言葉を紡ぐ。

 そしてその提案に、僕はひどく驚かされた。

 

()()()()()に別荘を作るんだよ。キョウシュウをいつ()()()()良いように!」

「ああ、いつでも捨てられるように……え?」

 

 固まった僕と、柔らかく微笑むイヅナ。

 

 これは、新しいタイプの無茶ぶりだった。

 

 

―――――――――

 

 

「す、捨てるって、どういうこと…?」

「今すぐ捨てるんじゃないよ、あくまで()()()()捨てられるようにするための準備だもん」

「…どうして、捨てなきゃいけないの?」

「それはまあ、色々あると思うけど…」

 

 そう言って、何食わぬ顔でイヅナは在り得る可能性を次々と列挙していく。

 

 セルリアンの大量発生に度を越えた異常気象や災害。この島のフレンズとの折り合いが悪くなる。ここでの暮らしに飽きる。

 

 そんな比較的在り得る可能性を挙げたと思えば、ラッキービーストの反逆とか博士の反逆(?)とか、些か信じられないような予想も口から飛び出した。

 

「とにかく、『何が起こるか』じゃなくて、『何か起こった』時にすぐ対応するための準備なんだよ…っ!」

「…そういうもの?」

 

 気迫に押されてそう尋ねれば、耳を揺らして頷いた。

 

「この小説だとね、主人公は相次ぐ不幸のせいで住居を転々としていたの! 私たちにだって、それが起こらないとも限らないでしょ?」

「ああ、小説で…」

 

 突拍子もないイヅナの決意に一応の納得が出来て、そして僕は、今度は何処に着地するのかと、柄にもなく楽しみになった。

 

 …いや、柄にもない訳ではない。

 

 むしろつい最近まで、こんな好奇心を押し殺して過ごしてきたんだ。

 漸く、素直になれる。

 

「別荘かぁ…楽しみだね、イヅナ」

「あ…! でしょでしょ、ノリくん!」

 

 だから、この新しい非日常を存分に楽しんでいたい。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「じゃあまずは、何処に建てるか決めなきゃね」

「そうね、この島の外と言っても、私たちは全く知らないから」

「…そんなことよりゲームしようよ」

 

 別荘計画の話を聞いて、キタキツネとギンギツネが話し合いに加わった。

 

 片方はあまり乗り気じゃない気もするが、興味があるからこそ来てくれたんだろう。

 

「ノリアキの手、あったかい…」

 

 …何に対して乗り気なのかは、よく分からないけど。

 

「じゃあ、私の考えを説明するね!」

 

 イヅナが話し出すと、僕達の目は揃って彼女に向けられる。

 

 僕達四人の中で、外の世界をまともに知っているのはイヅナだけだ。

 だから身も蓋もないことを言ってしまえば、この別荘計画の立案は殆ど彼女に託されている。

 

「まずは大前提だけど、別荘も”ジャパリパーク”の中に建てるつもりだよ」

「まあ、そうだね」

 

 基本的に、フレンズはサンドスターが無いと活動できない。

 

 ジャパリパークの外にどれくらいサンドスターがあるのかは知らないけど、神依君の記憶ではパークの外にフレンズもセルリアンもいなかった。

 

 わざわざギリギリを攻める理由もないし、建築予定地はパークの中で決定になる。

 

「そして、雪山ほどじゃないけど涼しい気候の場所が良いと思う」

「もちろん、景色も雪山と違う場所がいいわね」

「まあ、それは実際に見てみないとかな」

 

 理想は飽くまで理想のままで、この話し合いでは置いておいた。

 

 

 そして次に議題に上がったのは、ある意味最大の問題となるもの。

 

 きっかけとなる発言をしたのはキタキツネで、これもある意味彼女らしいゲーマーとしての疑問だった。

 

「ねぇ、移動はどうするの…? いくら本番が楽しくても、移動が遅かったらダレちゃうよ」

「やっぱりゲームみたいな言い方ね…?」

「だって、ゲームだもん…」

 

 そう言いながらキタキツネが遊ぶゲームは、心なしか移動が()()()()としていた。

 

 これは、彼女が現在進行形で抱えている問題だったらしい。

 

「それについては問題ないよ。転移、つまりテレポートをするから」

「そっか、それなら安心だね。…って、なると思う?」

「えへへ、ちゃんと説明するよ?」

「それは分かってるけど…あんまりサラっと言われちゃったら、驚くに驚けないな」

 

 テレパシーに続いてテレポート。

 まあ、気を抜いたら四六時中思考を抜き取られるテレパシーよりは人道的と言えるだろう。

 

 狐に人道を求めるのも変だし、僕は日夜を問わず()()()()()というのも嫌いじゃな……まあ、それはいいや。

 

 

 それにしても、最近のイヅナは歯止めが効かないな。

 

 サンドスターに糸目を付けずに戦えば、きっと一番強いのはイヅナになる。

 

「今度はテレポートって、いよいよ()()()()()ね。前から思ってたけど」

「すごいでしょギンちゃん。褒めてもいいんだよ?」

「素敵な提案だけど、今回は遠慮させてもらうわね」

 

 ギンギツネは皮肉交じりにイヅナをあしらう。

 

「ちぇっ、愛想が無いよね」

 

 イヅナも然程気に留めず、机の下から大きな画用紙を取って上に広げた。

 

 そこには、魔法陣のような面妖な図形が描かれている。

 恐らくはテレポートと深い関わりがあるのだろうけれど、無知故にハッキリ理解はできない。

 

「これを、テレポートに使うの…?」

「そう、特殊な物質でこの紋様を作って、妖力を込めれば出来上がり」

「ほ、本当にそれだけ…?」

「まあ一応、『どこに飛びたいのか』は詳しく想像しておく必要があるよ」

「そっか…あはは、当然だね?」

 

 話だけ聞けばとても便利で、だから僕は疑問に思った。どうしてイヅナは、今の今までこれを使わなかったんだろう?

 

 そんな僕の視線に気づいたイヅナは、あっさりと答えてくれた。

 

「今まではほら…そんなに長い距離を動く必要なかったから」

 

 そういえば…そうだった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 一通り計画を立て終わったら、玄関先に出て魔法陣を組み始める。

 

 と言っても組むのはイヅナ一人で、僕達は傍で見ているだけ。魔法陣のことは何も知らないから、仕方ないことかな。

 

「…よし、形はバッチリだね」

 

 でも僕だってただ見ているだけじゃない。

 

 せめて何かの役に立てるように、ついさっき教えてもらったテレポートの妖術の性質を、頭の中で何度も繰り返して覚えようとした。

 

 

一つ。テレポートの魔法陣は妖力を込めて起動し、通行するためにも妖力を必要とする。

 

二つ。使用するごとに起動が必要で、起動した人が自由に制限を加えることもできる。

 

三つ。一度行き先を決めたら魔法陣が変質するので、行き先を変えたいときは特殊な加工を施すかもしくは作り直し。

 

四つ。初めてテレポートをするとき、テレポート先の地面に起動済みの魔法陣が作られる。

 

五つ。テレポートしたい地点の近くに起動済みの魔法陣がある時、その魔法陣へ繋ぐことが出来る。

 

六つ。魔法陣同士の繋がりは一対一に限らない。

 

七つ。魔法陣はイヅナの愛で出来ている。

 

 

 …さて、教えてもらったなな…六つの性質はしっかり覚えて、いざという時に備えておこう。

 

 

「じゃあ次は起動かな…?」

「その前に、ジャパリパークの何処に飛ぶか具体的に決めておこうよ」

「…じゃあ、地図があればいいのかな」

 

 僕達が利用しやすい地図と言えば、すぐに思いつくものは一つしかない。

 

 ついて来たいという二人をそれぞれ抱えて、僕達は研究所へと向かった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「ずるい、ずるいよギンギツネー!」

「それは私も同じ気持ちだから、騒がないでよキタちゃん…」

 

 僕が誰を抱えて飛ぶのか。

 キタキツネとギンギツネがじゃんけんをして、お察しの通りギンギツネが勝った。

 

 勝負が決した時のキタキツネの顔は絶望一色だった。

 

 しかし、端から蚊帳の外に追いやられたイヅナの悲しげな眼も、僕はしばらく忘れられそうにない。

 

「はぁ…」

「まあまあ、そんなに落ち込まないで?」

「ギンちゃんには言われたくない!」

 

 だけど、何の錯覚か。

 イヅナの溜め息に、これとは別の憂いが混じっているように思えてならなかった。

 

 もしかして、何か隠してるのかな…?

 

「…っと、着いちゃったね」

 

 言葉の応酬も佳境を迎えず、生焼けのまま森へと降りる。

 

 中へ入ろうと扉の前に立ち、僕はそこで手が自由に使えないことに気が付いた。

 

「ギンギツネ、そろそろ…」

「あぁ、ノリアキさん、私高いところが苦手なの」

「……う、うん」

 

 突然、どうしたんだろう…?

 

「さっきまで空にいたから私怖くて怖くて、今でも腰が引けて動けそうにないわ。お願い、もう少しこのままにして…?」

「あはは、そう言われてもな…」

 

 視線は自然と後ろに向いた。

 

「…ギンちゃん、もう着いたよ」

 

 イヅナが冷たい声でギンギツネに降りるよう促した。

 キタキツネは静かだったけど、彼女の視線もまた厳しく僕の腕周りに突き刺さっている。

 

「…仕方ないわね」

 

 ギンギツネはヒョイと僕の腕から飛び降り、腰が引けているとは思えないほどしっかりとした足取りで研究所へと入っていく。

 

「…あはは」

 

 嘘だと分かってはいたけれど、一切の躊躇なくその嘘を投げ捨てる様はいっそ清々しかった。

 

「さ、入ろ」

「ノリくん、どうしたの…?」

「あ、ううん。何でもないよ」

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 研究所は相変わらず綺麗に手入れがされていた。

 用件を伝えると、担当のラッキービーストがすぐに対応してくれる。

 

 まるで、本当にパークの施設を利用しているみたいだ。

 

「これが、パーク全体の地図だね」

 

 久しぶりに見る全体図。記憶に残る『ジャパリパーク全図』のに載っていたのと多分同じものだ。

 

「それで、涼しいエリアは何処?」

『基本的に全てのエリアに一通りの気候が揃って存在していますが、寒冷な地域の分布が比較的に大きいのは”ホートク”と”ホッカイ”です』

「じゃあ、その二つのエリアの地図を見せて」

『かしこまりました』

 

 即座に表示が切り替わり、二つのエリアの地図が現れる。

 似ている気候のエリアたちは、しかし大きく違う特徴を持っていた。

 

「ホートクは他のエリアと地続きで、ホッカイはキョウシュウと同じく島だね」

 

 キョウシュウと比べれば随分と広大だけど、島は島だ。

 

「だったら、私はホッカイの方がいいと思う」

「そうね、何となくだけどイヅナちゃんに賛成よ」

「…キタキツネは?」

「ボクは、どっちでもいい…!」

 

 ぐっと手を握って誇らしげに宣言する。

 まあ、そもそも興味なさげだったし別にいいかな。

 

 斯くいう僕も、どっちでもいいと思ってたわけだし。

 

「じゃあ、ホッカイにしよっか」

 

 続けて、モニターにホッカイの中での寒冷な地域を示してもらう。

 

 ホッカイエリアにはここと同じ雪山だけでなく、広い雪原やタイガ、ツンドラと呼ばれる地域があるようだった。

 

 僕達はその中から雪原とツンドラの境界辺りを目途にして、適当な場所にマークを付けた。

 

「ここにテレポートするんだね」

「そう、誤差は大体1kmくらいの範囲に収まると思うよ」

 

 そんなこんなで、かなりあっさりと別荘地偵察計画がほぼ半分完成した。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 そうしたら、次に取り掛かるのは荷物の準備。

 

 ギンギツネは生活用品を集め、キタキツネはゲームで遊び、イヅナはいざという時のための備えを用意する。

 

 何が起こるのか分からないのはごく当然のこととして、何か起こった時により危険であることは間違いない。

 

 危険対策と言って持ち物リストを書き上げるイヅナはいつになく真剣だった。

 

 …『僕が関わるから』という理由だけでは、些か違和感を覚えるくらいに。

 

「よし…よし! 大丈夫、だよね…」

「イヅナ、気を詰めすぎじゃないかな」

「そんなことないよ! だって、十分気を付けなきゃ危ないし…」

 

 彼女の手に握られるメモを見れば、投げて使う毒薬や”サンドスター爆弾”なるものまでリストに書き加えられている。

 

 …言うまでもなく不自然だ。

 

「大丈夫だよ、とっても強いイヅナが一緒にいてくれるんだから」

「…ダメ、なの」

「ダメって…何が?」

 

 コロコロと鉛筆が転がる。

 それはイヅナの手を離れていき、やがて落ちれば拾えなくなる。

 

「だって…ほら、怖いじゃん…!?」

「…じゃあこの準備も、全部怖いから?」

「…う、うん」

 

 そう言って、怯えるようにコクコクとうなずく。

 

 これは流石に予想外だった。

 彼女がこんなにも強く、未知に対して恐怖しているなんて。

 

 でも僕は、イヅナの言葉を聞いて少しだけ緊張が緩んだような…そんな感じがしていた。

 

 



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Ⅲ-119 青空を見上げたら、蒼がありました

 雪原の中で対峙する一人と二人。

 真っ白な狐を挟み込むように、二人の狐が立っている。

 

「ほら、一気に掛かってきていいんだよ?」

「…うふふ、私も舐められたものね」

「特訓の成果、見せてあげるんだから…!」

「…ねぇ、怪我させないでねー! …ダメだ、どっちも聞いてないよ…」

 

 事の発端は、言わずと知れたホッカイ旅行。

 

 僕が行くのは既に決まったこと。

 しかし誰が一緒について行くのかで揉めた結果…今ここで戦いの火蓋が切られようとしている。

 

 …あ、切られた。

 

 雪山の戦いの第一幕。

 その始まりを告げたのは、イヅナが仕掛けた目くらましだった。

 

 有り余る雪を強く蹴り上げ、白い体を霧に隠した。

 

「先手必勝! 悪く思わないでねっ!」 

 

 声を出したせいで居場所は大体分かる、だけど有効な戦法だと思う。

 

 数的には不利だし、各個撃破にはちょうどいい状況だ。

 …まあ、戦いのセオリーなんて殆ど知らないけどね。

 

「キタキツネ、相手をしっかり見て!」

「わ、分かった…!」

 

 対する二人は役割分担。

 大まかに言えば、ギンギツネが囮になり、キタキツネが機会を見て攻撃をする算段に見える。

 

 ええと、数では勝ってるから…ね。

 

「ギンちゃんが相手かぁ…」

 

 イヅナが露骨に残念がる。

 

 それもそのはず、一対一の肉弾戦なら比較的にキタキツネの方が往なし易く思えるからだ。

 

 度々その片鱗を目にしたように、ギンギツネはそれなりに強い。

 そう考えれば、この割り振りも理に適っているかもしれない。

 

「…キタちゃんは様子見なんだ?」

「キタキツネ、()()()()()強いから」

「そうだね…二回もノリくんを傷つけた爪を持ってるもんね」

「うぅ…」

 

 心に突き刺さる皮肉を聞いてキタキツネの足取りが揺らぐ。

 余裕綽々な妖狐(あやかしきつね)は、盤外戦術も得意なようだ。

 

 

「…それで、来ないの?」

「まあ、譲ってくれるのね」

 

 声色に反して、ギンギツネの表情は険しかった。

 

 息継ぎごとに発されるイヅナの皮肉ではなく、そんな余裕を与えてしまう力量差に憔悴している。

 

 そして、自分が渦中にいるなら十中八九分からなかったと思うけど、ギンギツネはずっと攻めあぐねている。

 時折飛んで来る攻撃は防げているが…それだけだった。

 

「そろそろ、動いちゃおっかなぁ~?」

 

 攻めようとしても、思い通りに動けない。

 動きを阻むのは深い雪じゃなくて、全てイヅナの()()のせい。

 

 やり手のギンギツネをそこまで躊躇させるほど……刀という武器は強力だ。

 

「もう…厄介なもの持って来てくれたわね…!」

「えへへ、ノリくんに借りたんだー!」

 

 そう言いながら刀を抜いて、煌めく刃をブンブン振り回す。

 無邪気な姿が危なっかしくて、咄嗟に声を掛けてしまう。

 

「イヅナ、鞘に入れたままだよ!」

「あっ…はーい…」

 

 渋々イヅナは刀を収める。

 僕が見ていないと、何かの拍子に斬り捨ててしまいそうで恐ろしいな。

 

 だから「貸して」と言われても、『鞘に入れたまま戦う』という条件を付けて貸し出した。

 

 多分、鞘ごと当てても威力は()()()出るはず。

 

 …やっぱり、貸さない方が良かったのかな?

 

「正に”恋の鞘当て”ね…まさか、一方的に当てられる羽目になるとは思っても見なかったけど」

「大丈夫、二本あるから当て合いも出来るよ。…勿論、私から奪えたらの話だけど」

 

 ふふんと鼻を鳴らして挑発する。

 

 ギンギツネは反応しなかった。

 イヅナの後ろで…爪を尖らせ飛び掛からんとしているキタキツネを見ていたから。

 

「あははっ、分かりやすいね」

 

 だけどイヅナは後ろも見ずに、お腹に鞘を突き当てた。

 

「うぇっ!?」

「えーい、飛んでけっ!」

 

 無防備になったキタキツネの体を投げ飛ばした後、ご機嫌にギンギツネへ語り掛ける。

 

「…緊張しちゃダメだよ? 結果の気になる大事な場面でも、息を呑んでいいのは観客だけなんだから」

 

 …遠回しにイヅナは言っている。彼女にキタキツネの襲撃を感づかせたのはギンギツネの様子だと。

 

 尤もあのイヅナが、キタキツネの気配を全く感じていなかったとは思えない。

 だから、三割くらいの事実を混ぜた煽り立てといったところだと思う。

 

 

「イヅナちゃんって、本当に強いのね」

「……まあね」

 

 褒められたけど、イヅナはどこか釈然としないようすだった。

 皮肉を受け流される形になったのが気に食わなかったのかもしれない。

 

 だけどそんな表情もすぐに隠れ、イヅナは次の一撃を加えるべく鞘に入ったままの刀を構えた。

 彼女の殺気に当てられれば、ギンギツネも身を引き締める。

 

 投げ飛ばされたキタキツネは事前に決めた()()()()()の外。つまりは場外失格。イヅナとギンギツネの一騎打ちが、この戦いの幕切れを飾る。

 

「あの感じなら、怪我はない…よね…?」

 

 こんな戦いで同行者を決めるなんて僕としては反対だ。

 折角だからみんなで行こうと言ったんだけど、イヅナが強く反対した。

 

 「宿の手入れが必要」とか、「危険だから人数は多すぎない方が良い」か言っていたけけど、その本心は知っている。

 

 …知ってしまっているからこそ、僕は愚かにもイヅナを止め切ることが出来なかった。

 

「キタキツネ、本当に大丈夫かな…」

 

 戦いの行く末を横目で見守りながら、雪に埋まったキタキツネの所まで歩いていく。

 

 実を言うと、『場外』というルールを作ったのも僕だ。出来ることなら『降参』の決まりも作りたかった。

 それが為されなかった理由は、察してくれれば分かるはず。

 

「よい、しょっと…!」

 

 それほど深くは埋まっていなかったから、楽に起こすことが出来た。

 

 キタキツネは気を失ってはいなかった。ただ、失格になって意気消沈して、動く気力が湧かなかっただけみたい。

 

「えへへ…ノリアキ…!」

 

 …まさか、僕が起こしに来ると予想していたわけじゃない筈。

 

 

 キタキツネは一頻り僕の体に頬を擦りつけた後、思い出したかのように勝負の行方を尋ねてきた。

 

「ギンギツネはもう負けちゃった…?」

「ううん、まだ戦ってるよ」

 

 向こうへと目を向ければ、鞘と爪の激しい競り合いが繰り広げられている。

 

 かなり長い間戦っているだろうか。しかし、息を乱しているのはギンギツネのみ。イヅナは未だ狂わぬ動きでギンギツネの猛攻を往なしている。

 

 

 ――まだ、ギンギツネは野生開放を使っていない。

 

 力を呼び起こすには一呼吸必要だから、発動するまでが肝。

 攻撃の手を緩めればその分イヅナが攻め立てるから、むしろ『使()()()()()()』と表現する方が正しいのかも知れない。

 

「イヅナが先に決めちゃうか、ギンギツネが起死回生の一手を打つか…」

 

 立場上僕はどちらも応援できないけど、キタキツネはギンギツネに勝ってほしいに違いない。

 

 そんなキタキツネは…戦いの行方には目もくれず、僕に色々と悪戯をしてくる。

 耳に尻尾に、衣服に口に、腕やら手やら舌やらを容赦なく入れて這わせてくるのだ。

 

「ん…キタキツネ、あっ、あっちは見なくていいの…?」

「…負けちゃうよ、どうせ」

 

 あらら、本当に興味無さそうだ。

 こう言うのもアレだけど、今度は僕が関わってるから反応も違うだろうと思っていただけに意外だ。

 

 …もしかして、この悪戯も負けを察しての()()()だったりするのかな。

 

「でも、本当に負けるとは…あ」

 

 僕が可能性を語ろうとした瞬間、勝負は決した。

 幕切れは、ずっと前から予想された通りのあっけない終わりだった。

 

 

「…ノリアキ!」

 

 その結果を見て、僕の体は本気の力で押し倒された。

 

「ね、いいでしょ、行っちゃう前に!」

 

 言葉は同意を求めているけど、体は既に動いている。

 もう僕に選択肢はなくて、許されたのは首を縦に振ることだけ。

 

 倒れたギンギツネが心配にもなったけど…イヅナを信じることにした。

 

「もう…仕方ないなぁ」

 

 そう言い始める前に、肌は寒空に晒される。

 

 少しでも”許してあげた”という雰囲気を出そうとしたのは、どんなプライドを抱えた顔だろう?

 我ながら一度、鏡を見てみたくなった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 ――決闘の結果を受けて、最初のホッカイ旅行のメンバーが決まった。メンバーと呼ぶには少なく二人で、僕とイヅナがテレポートで赴く計画。

 

 意外にも、後から不満の声が上がることは無かった。

 キッチリとした勝負で決めたからか、或いはイヅナの力を改めて目の当たりにしたせいか。

 

 どちらにせよ、さっきの戦いが影響していることは確か。

 

「よし、荷物の準備は万端だね」

 

 半ばひったくるように持ってきた荷物の中身を確認する。

 

 イヅナったら、『重いしノリくんが持つ必要ないよ』なんて言って渡そうとしなかったけど、僕からしたら自分で何も持たない方がむしろ不安だ。

 

 取り返そうとしたイヅナだけど、説得の末に渋々従ってくれた。

 

「むぅ…」

 

 そんなこんなで、決闘に勝った方が不服そうに振舞うという不思議な状況になっている。

 

「…ふふ」

 

 実を言えば、頬を膨らませて不満を訴えるイヅナの姿もかなり好きだ。

 

 まずその見た目が可愛いし、どうにか機嫌を戻してもらおうと画策するのも楽しい。むしろ大したことなくコロッと手の平を返してくれたりしたら、それはもう物凄く愉悦的だ。

 

 こんなに可愛い生き物が僕の僅かな一挙一動で心を動かされて、剰え手玉に取られることさえ良しとしてくれていると考えたら。

 

「…ノリくん?」

「あぁ、何でもないよ…」

 

 少し反応が遅れたら、ジトーっとした視線が向けられる。じっと見つめてみると、今度は顔を赤らめて逸らしてしまった。

 しっかりと指を絡めて手を握ったまま。

 

 普段は愛を囁くことに一切躊躇しないのに、照れ隠しを見せるというこのギャップが堪らない。

 

 

「ところで、俺は何を見せられてるんだ?」

「折角だから、テレポートっていう凄いのを神依君にも見て欲しいなって」

「…これは、テレポートじゃないだろ」

 

 …ごもっともだね。

 

 そろそろ、本当に出発しようかな。向こうからの視線も結構痛いことだし。

 

「わ、分かった!」

 

 僕が目配せをすると、イヅナはすぐに意図を察して最後の準備に入った。彼女が離れたら、僕は一度深呼吸をして気分を()()()()()

 

「…ふぅー」

 

 何だろう、最近こういう風に気分を入れ替えるのが上手になった気がする。

 

「お前……雰囲気変わったか?」

「あはは、そうかもね」

 

 『必要は発明の母』とはまさにこのことか。驚くくらい、自分自身の感情のベクトルを操れている。

 

 あーあ、僕も変わっちゃったな。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「これで…よし」

 

 イヅナが呟いた。

 きっと、準備が終わったんだ。

 

「あとは念じてサンドスターを込めれば、次に立つのはホッカイの地面だよ」

「じゃあ出発だね」

 

 イヅナが言い終わるのに合わせて、間髪入れずに言葉を繋げる。 

 でもせめて、出発の挨拶くらいはするべきかな。

 

「二人とも、行ってくるね」

「…うん」

「気を付けてね、ノリアキさん」

 

 ギンギツネは顔だけを笑わせて朗らかに見送り、キタキツネは寂しそうな目で小さく手を振った。

 

 僕もそっと手を振り返して、魔法陣の上で待つイヅナの横に立った。

 

「…ノリくん」

 

 微笑んで、頷く。

 虹色のキラキラが魔法陣を彩って、虹の向こうに別の景色が見えた気がした。

 

 

 ――その時だった。

 

 

「あ、危ないッ!」

 

 ギンギツネが声を上げる。

 指さす方向には神依君、そして背後には、セルリアン。

 

「神依君…!」

 

 大きなセルリアンだ、魔法陣に注がれた大量の輝きに引き寄せられてやってきたのだろうか。

 触手の不意打ちが無防備な神依君を襲って、勢いよく()()()()()吹き飛ばした。

 

「ちっ…!?」

「僕が受け止め……う」

 

 軌道上に立とうとした僕を阻んだのは、皮肉にも僕が望んで手にした重い荷物だった。

 リュックに邪魔され動きの鈍った僕は、飛んでいく神依君の体を受け止められない。

 

 ――代わりに。

 

「きゃっ…!?」

 

 神依君は、まるでカーリングのストーンのようにイヅナに当たって魔法陣の上から押し退けた。

 

「くっ、セルリアンめ…!」

 

 荷物は足元に置いて、いつでも奴を叩きのめせるように戦いの姿勢を取る。でも何かが変だ。

 普段より、視界が妙に()()()ような気が…

 

「まさか、もう…!?」

 

 テレポートが始まってる?

 咄嗟に地面を蹴るも、広がる光からは逃れられない。

 

 広く形作られた魔法陣から出るには、あまりにも時間が足りなさすぎた。

 

 そのまま青空は虹色に染まり、僕達はホッカイへ飛ぶ。

 

 僕と……()()()が。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「早くあっちに戻らなきゃ…!」

 

 テレポートが終わる前にも、僕の口は叫ぶ。

 三人があのセルリアンに手を焼くだろうか、そうは思えない。だとしても、心配でならない。

 

 それにこんなアクシデントがあったんだ、一度準備も仕切り直して…

 

「…嘘でしょ?」

「ハハ…マジかよ」

 

 転移が終わって、ゆっくりと開けていく視界。

 

 最初に僕らの目に映ったのは鮮やかに晴れ渡る青空ではなく、何処までも昏い蒼を湛えたセルリアンの姿だった。

 

 



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Ⅲ-120 斯く綻びは広がりて

「…えい、この、このッ!」

 

 捕まえたセルリアンを雪の上に組み伏せて、わざと()()()()()()()拳で殴りに殴りまくる。

 

 やがてゴスッと鈍い音が響いて、セルリアンは砕け散る。

 

 そんな根性なしのセルリアンを私は名残惜しい目で見つめる。出来ることなら、もっと痛めつけてから殺したかったのに。

 

 飛び散ったサンドスターの結晶を握ると、抑えきれない感情で潰してしまった。

 

「イヅナちゃん、そろそろ、これからのことを考えましょ?」

「考えるも何もないよっ! すぐにノリくんの所まで行くんだから!」

「そう…そうよね」

 

 改めて納得するように頷いたギンちゃん。

 

 私がギンちゃんの様子に違和感を覚えたのと、()()()()()()のはほぼ同時のことだった。

 

「な、何するのキタちゃん!?」

「あっちには、行かせないよ…!」

「キタちゃん、自分が何してるか分かってるの? 今もノリくんが危険な目に遭ってるかもしれないのに…!?」

「じゃあ…ボクたちも連れてって?」

 

 キタちゃんの要求に私は息を呑んだ。

 なるほど、こうやって自由を奪ったのも全部その為なのね。

 

 …だったら尚更、言いなりになるなんて癪だな。

 

「無理だよ、そういう約束でしょ?」

「そっか…じゃあ、仕方ないね」

 

 返事を聞いたキタちゃんはそう言って、私を縄で厳重に縛り上げる。

 束縛は力強く、縄の食い込んだ肌が悲鳴を上げている。

 

「い、痛いってばぁ…!」

「えへへ…イヅナちゃんが悪いんだよ?」

 

 顔を歪める私を眺めて、キタちゃんもまた歪んだ笑みを浮かべていた。

 

 恨み言を()()()唱え、先に入ったギンちゃんのことを思う。

 キタちゃんが丁度縄を持ってるなんて、偶然にしては出来すぎだ。

 

 キタちゃんのことだし本当に運良く…運悪く? …まあ、そんな可能性もある。

 

 でもそうじゃなかったら、これって、本当にただの事故なの?

 …考えすぎかな、今はいいや。

 

 

「ほら、早く立ってよイヅナちゃん」

「はいはい、縛られてなきゃ早く動けるのにな~」

 

 背中を押されながら、光を失った魔法陣を振り返る。

 

 ま、私とノリくん以外には起動できないようにしておいたから大丈夫かな。

 もしもの為の備えって、やっぱり大事なのです。

 

 だからちゃんと使ってね、ノリくん。

 もしもの為の道具なら、リュックに一杯詰めておいたから。

 

 …とっても重くなっちゃったのは、ごめんね?

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「ハァ…ハァ…何でこんなに重いんだよコレ!?」

「あはは…イヅナに聞いて…?」

「あれか、転ばぬ先の杖ってか? コレのせいで転びそうだぞ…」

 

 彼の軽口を聞きながら、僕は木の陰に隠れてセルリアンの様子を伺っている。

 

 テレポートの直後に僕らを襲ったあの怪物は未だに健在だ。

 

 それどころか、連絡するために手に持っていたジャパリフォンを奪われてしまった。テレパシーは遠すぎる距離が悪いのか繋ごうとした途端に頭痛に襲われる。

 

 …僕らに唯一残された通信手段は、セルリアンに握られていた。

 

 

「あの様子じゃ、魔法陣もダメそうだね…」

 

 僕らが最初に立ったのは脆い雪の上。

 

 そこに出来た魔法陣も、暴れるセルリアンによって既に壊されてしまったことだろう。イヅナに貰った『魔法陣の説明書♡』によると、起動する前の魔法陣は簡単に壊れてしまうらしい。

 

 兎にも角にも、状況を打開するにはセルリアンを倒さねばならない。

 

「動けるかな、神依君」

「あぁ…厳しいかもしれねぇ」

「そっか…やっぱり、戦いは慣れない?」

「セルリアンなら何度もあの博士たちに倒させられたから、精神的には大丈夫だぞ」

「…オッケー」

 

 なら、多分だけど問題はない。

 初めて見るセルリアンなのはどちらも一緒だし、対策を立てさえすれば対応は難しくない。

 

 ともすれば、今重要なのは立てる対策かな。

 

「ええと、神依君って飛べたっけ?」

「…おいおい、変なこと聞くんじゃねぇよ」

「そうだよね、神依君に掛かればそれくらい簡単だよね!」

「…え?」

 

 なら、もう作戦は決まったようなもの。

 僕は物陰から身を乗り出して、悠々と空を舞うセルリアンを指差して言った。

 

「僕がこっちにセルリアンを追い込むから、神依君が空から撃墜しちゃって!」

「いや待て待て!? 俺は飛べないぞ…!?」

「…そうなの?」

 

 そしたら……この作戦は没だね。

 ちぇっ、期待して損しちゃった。

 

「もう、最初からそう言えばよかったのに…」

「そう言ったつもり…いや、言ってなかったか…?」

 

 悩む神依君を尻目に、僕は別の作戦を考え始めた。

 ともあれ、僕一人だけなら飛べるわけだし空飛ぶセルリアン相手に活用しない手はない。

 

 やっぱり、僕が空から地上に向けて追い立てて、神依君がそこを仕留めるのが効率的で簡単な気がする。

 

 よし、それで行こう。

 

 刀を一本帯刀し、僕は大回りして背後からセルリアンへと飛び上がった。

 

 

―――――――――

 

 

「はっ、せいっ!」

 

 素早く、しかし当ててしまわないよう慎重に刀を振るう。

 調整された殺意にセルリアンは気づかず、怖気づいて目論見通り僕から一目散に逃げていく。

 

 追う途中にも刀を振れば、面白いほど簡単にセルリアンは誘導されてくれる。

 

「神依君、そっちに行ったよー!」

「よし…任せろ!」

 

 どうしてこんなに回りくどく討伐するのかというと、それはジャパリフォンが心配だから。

 セルリアンはあろうことか、僕から奪ったジャパリフォンを核の近くに取り込んでいた。

 

 ジャパリフォンはサンドスターを電波代わりにしている。大方、飛んで来るサンドスターを吸収して栄養にしようと目論んでいるのだろう。

 

 フレンズが持っている輝きに比べれば電波代わりの明るさなんて微々たるものだけど、常にそれが飛んで来るというのは何とも魅力的だったようだ。

 

 …後生大事に仕舞っちゃってさ。

 

 気にせず核ごとぶった切ってしまおうかも考えた。だけど、今の状況では通信ができる装置をそうそう手放すことは出来ない。

 

 そんな訳で、神依君の持つセルリアンとしての力も借りて、ジャパリフォン奪還作戦は順調に展開している状況であるのです。

 

 

「ハァ…ッ!」

 

 神依君は()()()()()()()()でセルリアンの力らしき何かを使った。

 

 ()()は潮のように白く渦巻き、セルリアンを巻き込んでいく。

 

「本当に何なんだろ、アレ」

 

 神依君にこんな技があったなんて。ほぼ間違いなく、彼を蘇らせる時にイヅナが何か細工をしたのだろう。

 

 わざわざ手を加える必要なんてあったのかなとは思うけど、現に役に立っているから文句は言わない。

 

「ぜぇ…ぜぇ…!」

「燃費が悪すぎるのが玉に瑕…というか、瑕だらけだね」

「いいから…とどめ…!」

「オッケー、すぐやるよ」

 

 僕は高度を落とし、目を回したまま地に墜ちたセルリアンの傍に立つ。

 

「よいしょ…っと」

 

 翼を適当に踏みつけてやれば、パッカーンと音を立てて消えていく。

 核と同化しかけていたジャパリフォンも、特に壊れてはいない様子。

 

「…よかった、無事みたいだね」

 

 一先ずは安心して、すぐに気を引き締める。

 

 セルリアンの危機は去ったけど、ホッカイから帰る方法が無い。

 魔法陣も壊れちゃったし、迎えに来てもらう他ないだろう。

 

 まあ、キョウシュウまで()()()に飛ぶって言う手も………ない。嫌だ、疲れる。そもそも体力が持たない。

 

 

「さて、早く無事を伝えないと」

 

 僕もあの三人が心配だけど、向こうはもっと心配に違いない。早く声を聞かせて安心させてあげよう、

 

 電話機能を呼び出し、イヅナのジャパリフォンに掛ける。

 

『~♪』

 

「ふぅ…」

 

『~♪』

 

「ん…?」

 

 呼び出し音が、妙な方向から聞こえる気がする。

 

「おい、祝明…!」

「どうしたの、神依…君…」

 

 彼の手に握られるそれは、紛れもなくイヅナのジャパリフォン。爽やかな音楽で、僕からの着信をココに居ない彼女に告げている。

 

「嘘……じゃないか」

 

 僕の視線の先で、リュックの口がだらしなく開けられていた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…ねぇ、そろそろ諦めても良い頃じゃない?」

「その言葉、そっくりそのまま返してあげるよ。何と言われようと、二人をホッカイに飛ばしてなんてあげないからね。 …まあ、今は」

「…はぁ」

 

 ため息が電灯を揺らす。

 この変わり映えしない問い掛けも、数えてみれば二桁に乗っていることだろう。

 

 何をしても意見を翻さない私にギンちゃんも呆れて、本当に辟易とした様子だった。

 

 しかしそれよりも、私には聞きたいことがある。

 今だったら、何かしら反応が貰えそう。

 

「あのさ、さっきのセルリアンってギンちゃんの差し金?」

 

 問いを聞いて、ギンちゃんの呆れが深まったように見えた。

 

 何なの、人…じゃなくて狐が頑張って尋ねたのに!

 

「…そう思った理由は何かしら」

 

 …あ、でも理由は聞いてくれるんだ。ギンちゃん優しい! 容赦無く問い詰めてあげる!

 

「だって色々と出来すぎだもん、キタちゃんが()()ロープを持ってるなんて!」

 

 実はこのロープ、あんなことやこんなことをするときに使った『妖力を封じるロープ』なのです。道理で抜け出せないと思った。

 

「私のロープをキタちゃんが都合よく持ってたこと。それが何よりの証拠だよ!」

「…はぁ」

「何なのそのため息!?」

 

 ギンちゃんはこれ見よがしにと呆れている。真相が暴かれたのはその後のやり取り。

 

 その言葉は、私を本当に驚かせた。

 

「イヅナちゃん、貴方、どれくらいの間あのセルリアンを叩いてたか覚えてる?」

「…三分?」

「十倍よ」

「三十分っ!?」

 

 実はすごく根性のあったセルリアン。

 上手く調教してあげれば使い物になったのかなと、私はほんの少し後悔した。

 

 ええっと、それは良いとして…

 

「三十分もあれば、これくらいの道具はいくらでも用意できるでしょ?」

「そうだね、私ならこの()()の数は用意できるよっ!」

「…張り合われても困るのだけど」

「…うん」

 

 今の私は拘束されている。

 いくら沢山の道具を用意できたって、使えないんじゃ意味がない。

 

 せめてこのロープから抜け出すことが出来れば。

 

 もう、こんなことになるならもう少し適当に術式を組むんだった。

 

 いやでも、それじゃ……その、臨場感が出ないもん。

 

 惜しむらくは、さっさとロープを始末するなりこの呪いを解く為の妖術を作らなかったこと。

 

 …だって、もっとこれで楽しみたかったんだしさ。

 

 

 私が先にも立たぬ後悔をしていると、ドタドタと足音が向こうから響く。

 

 その音の主は至って明瞭で、彼女が発した言葉は極めて予想外。

 

「ギンギツネ、ノリアキから電話がっ!」

「…っ!」

「え、ノリくんから!?」

 

 実はリュックに自分のジャパリフォンを入れたままの私。

 

 テレパシーも遠すぎる距離では消費するサンドスターが尋常ではなく、意思疎通の手段はキタちゃんのジャパリフォンしか無かった。

 

 …早く、テレパシーの効率化をしないと!

 

「えっと…うん…そ、そっか、分かった」

 

 キタちゃんは愛しのノリくんと話しながらも、段々と表情を曇らせていく。

 

 その様子を見て、理由はすぐに分かった。

 きっとノリくんは私と話したがっているんだ。

 

 それもそのはず。テレポートに一番詳しいのは私だもの。

 

 キタちゃんは渋々、私の耳にジャパリフォンを当てる。

 

 あはは、ノリくんに求められてる。私は必要とされている。

 それ見たことか、こんなロープで縛ったって何の意味もないんだよ。

 

 

 浮かび上がりそうな心持ちで、私は彼に声を聞かせる。

 

「もしもしノリくん、大丈夫、怪我はない? セルリアンとかに襲われてない? リュックに入ってる物は無事? 安心して、私は万全の備えをしたから、困ったことがあればその中のものが役になってくれるはずだよ、それに――」

 

『ま、待って待って!? 早口すぎて聞こえないよ!』

「あ…ごめん…」

 

 しょんぼり。

 ノリくんを困らせちゃった。

 

 すぐに謝らなきゃだけど、焦ってまた迷惑掛けちゃダメだよね。

 

 そう思った私は黙って、じっとノリくんの言葉を待つことにした。

 

「……」

『……あぁ、そっか』

 

 しばしの沈黙の後、ノリくんは私の意図を察して、今向こうで起きている問題を教えてくれた。

 

『テレポートなんだけど、雪の上に飛んでさ、運悪く居合わせたセルリアンに魔法陣が壊されちゃったんだ』

「…なるほどね」

 

 その程度のハプニングなら私の予想の内ね。

 リュックに入れた予備の『魔法陣の粉』で十分に対応できる…はず。

 

 そう伝えても、機械の向こうから帰ってきた声は浮かない調子だった。

 

 そして不思議なことに、私はノリくんの反応に納得していた。その理由には、まだ思い至っていないけれど。

 

 

『魔法陣の描き方も、リュックの中に有る?』

「当然! 私は準備を怠らないよ!」

『…そう』

 

 腑に落ちたように頷く声はどこか上の空。テレパシーが繋がらなくても、考え事に気を取られているのはよく分かる。

 

「…ノリくん?」

 

 そしてこれも勘だけど、その()()()が私にとっても大事な気がする。

 

『ねぇイヅナ、一ついい?』

「うん、何かな?」

『…魔法陣の起動って、僕の妖力でもできる?』

 

「……あ」

 

 それはあの事故さえ無ければ、考えなくてよかったはずの条件。

 

 セルリアンが生み出した綻びは、確実に広がり始めていた――

 

 



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Ⅲ-121 在り得る未来の楽園で

「え、来てくれないの?」

『助けたいのは山々だけど、キタちゃんとギンちゃんに捕まってて行けないの!』

「そんな、捕まったってどうして…」

『イヅナちゃんがボクを連れて行ってくれないもん』

『勝負は勝負だもん、絶対にやだよ!』

 

 ジャパリフォンの向こうからガヤガヤと騒ぎ声が聞こえる。

 混沌としすぎていて聞き取れたものではない。

 

 だけど時折耳に入る言葉の端々を摘まんでみると、勝負の結果でまだ揉めているのだなと推察できた。

 

 イヅナを呼ぶにはキタキツネを説得しなきゃいけない、しかしこの分ではかなり骨が折れそうだ。

 

『ノリくん、向こうにも妖力の強い誰かがいるはず、妖怪でもフレンズでも…最悪ヒトでもいい。何とか利用して起動させて!』

 

「…出来るの?」

 

『ノリくんの妖力だと出来て八割、神依君を足しても精々九割弱。一気に注がなきゃ起動は無理だから、協力者は必ず要るよ』

 

「分かった、頑張ってみる。だけど…」

『他にもまだある? 遠慮しないで相談してっ!』

「ううん。ただ、イヅナが来てくれたら、そっちのほうが嬉しいなって」

『あ…じゃあ、私も頑張るね!』

「ふふ…それじゃ、また」 

 

『…最後に少しだけ。協力者は最悪ヒトでもいいって言ったけど、信頼できる相手にしてね。それとなるべく、協力者以外には存在を知られないようにして』

 

「…うん」

 

 イヅナの忠告に頷く。

 そして、彼女の声はそれっきりになった。

 

 

―――――――――

 

 

「よし、何が必要かな」

 

 キョウシュウとの通話を切ったら、次は今の状況を整理してみることにした。

 

「今俺たちはホッカイにいる。そして、帰る方法を失っている」

「そうだね、だけど幸運にも帰る方策はある。僕達に必要なのは実行するための妖力(協力者)だよ」

 

 イヅナの見立てによると、僕達二人で賄える量は九割に行くか行かないか。

 一気に注ぐ必要があるため、あと少しというのがむず痒い。

 

 

「一気に入れて足りないならほら、他の何かに妖力を貯めてはおけないのか?」

「それは無理かも」

 

 リュックの中で妖力を蓄えておけるのは『魔法陣の粉』だけ。

 それもごく短時間だから、回復を待っている間保ってはくれない。

 

「はぁ、だからこその”協力者”か」

「…結構、難しい話だよね」

 

 残り一割とはいえ、それほどの妖力を持っている存在はそう多くない筈。

 

 果たして見つかるのか、そして手を貸してくれるのか。

 狭き門だからこそ、イヅナも『最悪ヒトでもいい』と言ったのだろう。

 

「イヅナが来てくれれば万々歳だけど、頼りっきりにもしてられないか」

「しかしあの二人だって、お前が危ないならイヅナを行かせるんじゃないのか?」

「…さあ、何のつもりかな…?」

 

 僕は、やっぱりあの()()でプライドを刺激されたせいだと読んでいる。

 アレだけこっ酷く負けたら、相手にどんな形でも一泡吹かせたいと思うだろう。

 

 …僕に関してはまあ、信じてくれているのかな。生きて帰って来るって。

 

 

「まぁ、まず探してみようよ。魔法陣は後でも描けるし」

「…だな、遭難しない限り何処に行っても大丈夫な訳だ」

 

 まず一歩、宛ての無い一歩を踏み出す。

 目的は、()()()

 

 僕らの旅路を導くのは、後ろに残る足跡だけだ。

 

「…あ、消しとかないと」

 

 適当に足を振って、なるべくヒトっぽさを無くすように、フレンズや獣っぽい痕跡に書き換える。

 

「…几帳面だな」

「イヅナに忠告されちゃったからね」

 

 行く宛ても証も今はいらない。それは後々別荘を建ててから付けよう。

 

 だから今は、誰にも知られずに帰るために…ただひたすらにこの足を動かすのだ。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 雪原の中を、景色に馴染む白髪とよく目立つ黒髪の二人が駆け抜けていく。

 

 途中で足を止めたかと思うと、それぞれが近くの物陰に身を隠した。

 

 その付近を、真っ白な毛皮を持つフレンズが走って行った。

 しばらく息を殺した後、身を乗り出して辺りを探る。

 

『…まだいる?』

『いや、大丈夫だ』

 

 僕と神依君はハンドサインで意思疎通をする。

 

 右見て、左見て、また右を見て。

 近くにヒトがいないことを確認したら、神依君の元へと静かにダッシュする。

 

「よし、あの洞穴に隠れるか」

「…そうだね、そうしようか」

 

 誰にも見つからないよう慎重に歩みを進めて、僕達は暗い洞穴にその身を潜める。

 

 一見順調にも見えるこのステルスミッションは、ゴールさえも見えない八方塞がりの様相を呈していた。

 

 

「…今日で、ここに来て三日目だね」

 

 今まで、僕達は初めに降り立った場所の周りを重点的に探し回っていた。

 

 余計な移動をして体力を削りたくなかったのと、イヅナが迎えに来てくれることを期待したから。

 

 誤差があっても、イヅナが来るならこの近く。そんな訳であまり範囲を広げずに探してきたんだけど…

 

「…やっぱり、ダメ?」

『全然ダメ、二人ともホント頭が固くて…イタタ、やめてよキタちゃん…!?』

「だったら、二人とも連れてきたら?」

 

 向こうで色々やられているらしいイヅナの声は横に流して、逆転の発想で提案してみる。

 

『…やだ!』

 

 ダメだった。

 

「じゃあ、もう少し頑張ってみるよ」

『ごめんねノリくん、キタちゃんが分からず屋なばっかりに…わー!? やめ』

 

 …ツー、ツー。

 

 残念ながらツーカーとはいかず、助けは見ての通り絶望的。

 

 斯くなる上は、手を伸ばす範囲を広げて、今度こそ本腰を入れて()()()を見つけるしかないだろう。

 

 途中で事情が変わってイヅナが来たとしても、多少の距離なんてものともしないと思う。

 …だったら、最初から遠くまで探してもよかったのかな?

 

「ま、近くにはいないって分かったんだし、無駄じゃなかっただろ」

 

 僕の考えを話すと、神依君はそうフォローしてくれた。

 

 その言葉を聞いて、僕の心は幾分か軽くなる。巻き込んでしまったのは悪いけど、神依君が一緒にいてくれてよかった。

 

「…ん、どうした。俺の顔に雪でも付いてるか?」

「ううん、何でもないよ」

 

 彼の顔に薄っすらと浮かんだ戸惑いはすぐに消え、僕は神依君から僕らを取り囲む洞穴の壁へと視線を移した。

 

 この洞穴は、僕達が最初にホッカイの雪を踏んだからそれなりに離れた…であろう位置にある。

 遠いと言い切れないのは、ボスの不在で詳しい現在位置を知ることが出来ないから。

 

 ――ついうっかり、赤ボスの存在をすっかり忘れていた。

 

「ま、これであんまり寒くなくなるな」

 

 彼の言う通り、この洞穴は野ざらしの時と比べてずっと暖かくて快適だ。

 

 言ってしまえば当然だけど、こんなに環境が変わるとは思っていなかった。だから今、僕は一種の感動とも呼べる情動をこの身に抱いている。

 

 …外は、キョウシュウの雪山よりもずっと寒かった。

 

 毛皮である程度防御出来る僕でもこれだ。

 

 セルリアンの体が温度の変化に機敏かどうかは分からないけど、何でもないように振舞う彼も本当は魂まで凍り付くほどの寒さに震えているのかもしれない。

 

 …ああ、神依君は凄いな。

 

「…またか、やっぱり何か付いてるか?」

「うん…後ろに、黒い髪のお化けが…」

「な、なんだってっ!? …って、嘘だろ」

「えへへ…ぐえっ!?」

 

 神依君の握り拳が僕のお腹に飛んで来た。

 

「ったく、変なこと言いやがって」

「…ごめん」

 

 妙に暖かい洞穴の中。

 既に寒さからは逃れたはずなのに、神依君の肩が震えている。

 

 寒さが後を引いているのかな。

 

 もしくは、お化けに怯えてる?

 

 …彼の心に、()()()()()()がいるのかな。

 

「…在り得ない。だよな…()()

 

 虚空へ向けた彼の声も、僕の耳には聞こえなかった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 しばらくの休息の後、僕達はこの先の方針を決めるための話し合いを始めた。

 

 でも、僕は…

 

「…さて、これからどうする?」

「うん、何もしたくない」

「…どうする?」

「何も」

「どうする?」

 

 怒気を孕んだ声は、とっても怖い。思わずうめき声を漏らしてしまった。

 

「うぅ…」

「そりゃ、何もしないって訳にはいかないだろ。食べ物だってその内底をつくぞ」

「そっか、食べ物もあるかぁ…」

 

 食べ物くらいボスからジャパリまんを貰えば済む話だと思うかもしれない。僕もそう思う。

 

 しかし、イヅナからボスへの接触を禁じられているのだ。

 

 『存在がヒトにバレる』とか、『赤ボスが悲しむ』とか『向こうの得体の知れないジャパリまんじゃなくて私を食べて』とか。

 

 …とまあ、残念ながら理由には事欠かない。

 

「でも、最悪隙を突いて盗めばいいじゃん」

「おいおい、お前に罪悪感は無いのか…?」

「別に盗むのが嫌ならいいけど…そうだ、女装する?」

「…何故そうなる」

 

 勿論無策な女装じゃない。自慢じゃないけど、この耳と尻尾はかなり立派なのだ。

 

 しっかり女の子に変装すればフレンズと間違ってくれるに違いない。運よく? …変装道具もリュックの中に入っているし。

 

 だから重くなるんだと、神依君は愚痴っていたけどね。

 

「それだって、ボスが()()()()時点で一発アウトだろ」

「うーん…じゃあ、やっぱり盗もっか!」

「…もう何も言わねぇよ、俺は」

 

 神依君は諦めた!

 

 

 …とまあ、食べ物のお話はそこで終わって、次の話題。むしろ本題と言える、()()()の話題に移った。

 

「とりあえず、闇雲に探しても無駄だよね」

 

 この数日の成果は本当に悲惨なものだった。

 

 特に悪い日にはフレンズどころかラッキービースト一匹見掛けることが出来ない程に。

 それほどまでに、この雪山は暮らしにくい土地らしい。

 

「でも、だからこそ! …良い人が見つかりそうだよね」

「気持ちは分からなくもないが、それって所謂ゲームの感覚だろ?」

「…多分」

 

 キタキツネの影響は、ホッカイに来ても衰えることを知らなかった。

 

「すると、フレンズじゃなくて何か()()を目指すのも悪くないかもな。建物は動かない」

「天空の城じゃない限りね!」

 

 他にもあるだろと神依君は言うが、これが一番良い例えだと思う。

 …だって、RPGの移動要塞の話をしたって分かってくれるとは思えないもの。

 

「まあそれは置いといて、妖力云々って言うくらいだ、神社とか寺とか、そういうのを探してみても悪くないかもな。」

「…地図が無い状況で、()()()()ならね」

「だよな、それが一番問題だよな…!」

 

 こんな状況でも、赤ボスがいてくれれば活路が見いだせたのだろうか。益々置いてきてしまったことが悔まれる。

 

 でも、無い手段について考えても仕方がない。

 

 こうなればいっそ、道案内の協力者も募ってしまうべきだろうか。

 

「他には…ボスを()()()()とか」

「いちいち物騒だな!?」

「どうしても困ったら()()すればいいって…イヅナが」

「…だろうな」

 

 それは何への納得なのかな。

 僕には分からなかったけど、彼が呆れていることだけは声色で理解できた。

 

 

―――――――――

 

 

 どれほどの間、僕達は話していただろう。

 結局、この状況を打開する革命的なアイデアは出てこなかった。

 

 やっぱり、地道に探していくしか道はないのかもしれない。

 

「…そういえば」

 

 この洞穴の奥は、一体どういう構造になっているのかな。

 

 リュックの中のジャパリまんを食べてお腹を満たしたら、ふとそんなことが気になってしまった。

 

「神依君、少し奥の方を見てくるね」

「おう、気を付けてな」

 

 まあきっと、危ない物も気を引くような物もないとは思う。

 

 だけど実際に見てみなければ分からない、何かレアアイテムが…と思うのは、やっぱりゲーム的な考え方に染まりつつあるからに違いない。

 

 そんな心意気で洞穴の奥を調べた僕は、その期待通りに気になるものを発見した。

 

「これって…包み紙?」

 

 しかも見覚えがある。

 砂漠など細かい異物が多い場所で配られたジャパリまんは、こんな紙で包まれていたことを覚えている。

 

「それがここにある、ってことは…」

 

 しゃがみ込み、文字通り本腰を入れて探り出す。

 これではゲームというより、探偵だ。

 

 誰の影響か探偵ごっこも嫌いじゃないから、結構ワクワクしてるけど。

 

 そして程なくして、僕は新たなる手がかりをその手中に収める。

 

「硬いけど、ジャパリまんの欠片だね」

 

 食べたときに零れたカスで間違いない。

 

 この気温とはいえ、それなりの形は保った状態だ。恐らく、食べられてからそれ程長い時間は経っていない。

 

「もしかしてここ、誰かの住処なのかな」

 

 僕の見立て通りだとしたら、本来の宿主が戻ってくる前に退散するべきだ。

 そうでなくとも、危険の中に転がり込んだまま胡坐をかいてなど居られない。

 

 この手に、洞穴を使う別の誰かを示す証拠がしっかりと握られているのだから。

 

 よし、早めに相談する方が良いだろう。

 

「神依君、この洞穴って本当に安全かな?」

「…妙なものでも見つけたか?」

 

 僕の口ぶりから何か不穏を感じたのだろう、心なしか彼の口調も引き締まっている。

 

 僕は拾った包み紙と欠片を出し、思い描いている()()()について話した。

 

「なるほど、危険かもしれない…か」

「…正直、どっちが良いかは分からない」

 

 ここに留まれば、洞穴の主に最悪襲われる危険がある。

 外に出れば、言うまでもなく極寒の世界が広がっている。

 

 明確に存在が分かる脅威は外の寒さだから、まだここに留まる方が安全に思える。

 

「タイミングにもよるが、脱出するだけなら二人掛かりで……ん?」

 

 

 …サクッ。

 

 

 入口の方から、()()()()()が聞こえた。

 

 僕達は即座に悟った。 

 この洞穴の主が、ここへと戻ってきたことを。

 

「っ…!」

 

 息を呑む。全身の毛が逆立つ。

 

 数秒の後、それは姿を現した。

 

 凶暴な存在でないことを祈りつつ、僕はそちらに目を向けた。

 

 

「あれ……お客さん、ですか?」

 

 

 僕達の眼前に姿を見せた洞穴の主は、雪と見紛うほどに白かった。

 

「ええっと…はじめまして、わたしはホッキョクギツネです!」

 

 そして、見紛う余地が無いほどに、キツネだった。

 

 



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Ⅲ-122 洞穴の一匹狐

「…ってことがあって、ここで寒さを凌いでたんだ」

 

 ここに来るまでの事の顛末を、重要な――というか説明に困る――部分は上手く隠して説明した。

 

 海の向こうからの旅人…そんなのが本当にいるかは分からないけど、ひとまず目の前の彼女には納得して貰えたようだ。

 

「それは、とっても大変でしたね…!」

 

 驚くような言葉を口にしながら、ホッキョクギツネと名乗った白いフレンズは僕らにジャパリまんの袋を差し出した。

 

「気にしなくていいよ、さっき食べたから」

「そうですか…じゃあ、こっちに入れておきますね!」

「あ…本当にいいのに」

 

 僕が止めるのも聞かず、彼女はジャパリまんをリュックに入れてしまう。

 

 流石に今更その好意を無碍にする訳にもいかず、僕は彼女の様子を黙って眺めていた。

 

 

 聞いての通り、彼女の名前はホッキョクギツネ。少し前からこの洞穴を巣にして生活しているらしい。

 

 その更に前には雪山の周辺を転々としながら過ごしてきたらしく、地形やフレンズの大体の居場所も分かるという。

 

「誰か探しているなら、わたしが力になりますよ!」

「ありがとう、すごく助かるよ」

 

 ふふんと鼻を鳴らして胸を張るホッキョクギツネの姿を見て、僕たちは洞穴の暗闇の中に差す一筋の白い光を目にしたのだった。

 

 

―――――――――

 

 

「ですが、わたしからもお願いがあります」

 

 早速何か聞こうとしたら、ビシッと伸びる彼女の手が僕の言葉を止めた。

 

「…お願いって?」

「……うぅ…ぐすん、およよよよ…!」

 

 オウム返しに聞き返すと、彼女は突然泣き出した。

 まさか、対応を間違えた…?

 

「えっ、ど、どうしたの…!?」

「あーあ、祝明が泣かせたー」

「神依君ッ!?」

「おっと…悪い悪い」

 

 安全圏から囃し立てる神依君を睨んで、僕はホッキョクギツネに視線を戻す。

 

 号泣というほどではないが、結構本気で泣いている様子。

 それでいて理由が全く分からないのだから、僕には宥めようがない。

 

 キタキツネだったら、ぎゅっとしてあげれば泣き止むんだけど…

 

 …まあ、ココに居ない彼女のことを考えても仕方ないし、この方法は多分キタキツネにしか通用しない。

 

 でも、イヅナとギンギツネなら…ううん、やめよう。

 

 ただでさえハグ目当ての嘘泣き三昧なのだから、これ以上徒に涙を流させる必要なんてない。

 多分、効くとは、思うけど。

 

 …って、そうじゃない。

 

「ホッキョクギツネ…ええと、僕のせいで泣いてるなら…」

「いえ、違うんです。ただ、久しぶりのお客さんで…およよ…」

 

 そう言いながら…彼女は僕に抱き付いてきた。

 

「え、ちょっと…!?」

「久しぶりの暖かみです、感激で……ハッ!」

 

 瞬間、何かに気づいたように彼女は僕から飛び退いた。

 

 そして抱きつかれて呆然とする僕と、僕を抱き締めた腕を交互に眺める。しばしの間逡巡して……泣いた。

 

「うわーん、ごめんなさーい!」

「ええっ!? ど、どうしようこ…」

 

『~~♪』

 

「で、電話っ!?」

 

 慌てふためく僕と、今度こそ号泣するホッキョクギツネと、けたたましく鳴り響く着信音。

 

 静かなはずの洞穴は、騒音が支配する地獄のような空間と化してしまった。

 

「…電話出とけ、アイツは俺が何とかする」

「あ、ありがとう…」

 

 正直少し出てくるのが遅いとも思ったけど、文句を言っている時間もない。

 

 流石にここはうるさすぎるから、洞穴の外に出てから僕はキョウシュウからの着信に応答した。

 

「…もしもし?」

『あ…ノリアキ、元気?』

 

 聞こえてきたのはキタキツネの声。

 まあ、キタキツネのジャパリフォンだからね。

 

「元気だけど…何かあった?」

『ううん、何もないよ。だけど、ちょっと不安で』

「…不安?」

『うん…ノリアキが、誰かに取られちゃうんじゃないかって』

 

 何故だろう、心当たりがあるのは。

 ついさっき、そんな感じの出来事に襲われた気がするのは、どうしてかな。

 

「僕はそんなことしないよ、安心して」

 

 だけど、わざわざ正直に話して不安がらせる必要も無い。僕とホッキョクギツネはそんな関係にはならないから。

 

『…本当?』

「ホントだよ」

『…分かった、信じる』

 

 その後、一言二言近況を伝え合って、キタキツネとの通話は何事もなく終わった。

 

 ジャパリフォンの画面を真っ黒に戻すと、口から思わずため息が漏れてきた。

 

「…あはは、すごい勘だね」

 

 それはよく聞く、()()()()()()というやつなのかな。

 流石に遠く離れたフレンズのハグを感知して妬かれるとは思わなかった。

 

「”信じる”…か」

 

 万が一にも裏切ってしまったら…考えるだけでも恐ろしい。

 でも、何処からが裏切りにカウントされるんだろう、もう三人になってしまったのだけれど。

 

 …まあ、勝手に女の子を引き入れたら間違いなく刺されるのに間違いはない。

 

「早く帰って安心させてあげないとね」

 

 洞穴の様子に耳を立てる。

 うーん、まだ泣き止んでいないみたいだ。

 

 任せろとは言われたけど、こっちの用事も終わったし全て任せきりにするのも忍びない。

 

 必要以上に音を拾う狐耳をペタリと座らせて、僕は洞穴の中へ戻ることにした。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 奥へと歩みを進めると、段々耳が痛くなる。

 その理由は言わずもがな、神依君の説得はまだ実を結んでいないらしい。

 

 彼女に抱きつかれてしまった張本人である僕が何とか言えば、どうにか収まってくれるかな。むしろ、そうであって欲しい。

 

「…なんで、緊張してるんだろ」

 

 海を跨いだキタキツネの不安が、後引くように後ろ髪を引く。

 

 頭を振って、髪の毛は払った。

 

「神依君、調子は…良くなさそうだね」

「まあ、見ての通りだ」

 

 未だにグスンと涙を流すホッキョクギツネ。

 さっきよりは落ち着いているみたいだけど、「時間が経っただけ」と神依君は言った。

 

「ねぇ、その…僕は気にしてないよ」

「…本当ですか?」

「うん、大丈夫だから、泣かないで?」

 

 …本心では、結構気にしている。主にあのゲーマーちゃんのおかげで。

 

「ありがとうございます、わたし、本当に誰かと話すのが久しぶりで取り乱してしまいました」

 

 そんなこんなで泣き止んでこそくれたけど、僕の言葉のおかげとは言い難い。

 神依君が感じた通り、この件の一番の功労者は過ぎた時間なのだ。

 

 …それに、久しぶりね。

 

 一瞬で吹いて止んだ風のように、一抹の不安が脳裏を過る。

 

 この肌寒さが、春の雪のように解けて消えてしまいますように。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「つまり、しばらくの間話し相手になって欲しいってことだね」

「はい! わたし、お二人のことを沢山知りたいです!」

 

 彼女が頼みたがっていた『お願い』とは、どうやらこのことだったようだ。

 

 でも、簡単そうに聞こえてその実結構難しい。

 いやまあ、話をすること自体もそれなりに難しいけど、問題は他にある。

 

「でも僕達、なるべく早く出発したいんだよね。…ああ、勿論出来る限りは頑張るけど」

「大丈夫です、どこかに行くならついて行きます! むしろ、最後まで案内しますから!」

「あはは…助かるよ」

 

 溢れんばかりのやる気がホッキョクギツネの手に表れている。

 

 ホッカイの案内人と、話し相手になるこちら側の住人。

 

 中々に頼りがいのある第一村人だと僕は心強く感じたけど、神依君は他に思うところがあるらしい。

 袖を引っ張り、苦々しい顔で耳打ちをしてきた。

 

「いいのか、連れてって」

「別に、魔法陣を起動できる誰かが見つかるまでだよ」

「だけどな…」

「問題ないよ。それに、ホッキョクギツネがいればボスに見つかることなくジャパリまんを回収できる」

「…ああ、そうかよ」

 

 よし、説得に成功した。

 神依君は理解してくれた、呆れてなどはいないはず。

 

 決してそんなことは…ない。

 

「じゃあ、これで決まりだね」

 

 喉元に引っ掛かった思いは無理やり飲み込んで、ホッキョクギツネに”案内”を促す。

 彼女は少しの間考え込んで、とある場所の名を挙げた。

 

「あ、神社なんてどうでしょう?」

「え、神社があるの!?」

「はい、少し遠い場所ですけど」

 

 だから最初に行くにはアレですかね、と彼女は笑う。

 しかし僕はそこに行くのだと、彼女の口から次の句が継がれる前に心に決めてしまった。

 

 神社…うん、まさにお誂え向きではないか。

 

 霊的なものに近い場所ならいい協力者も見つかるかもしれないし、運が良ければ神様そのものが手助けをしてくれるかもしれない。

 

「神社には誰がいるか…分かるかな」

 

 彼女は難しい顔でうなずき、左上に目をやりながら記憶の中の神社について教えてくれた。

 

「厳しい場所にある神社ですからね、私が偶然辿り着いた時にはオイナリサマしかいませんでした」

 

「待て、()()()()がいるのか?」

 

「はい、オイナリサマがいます」

 

 言い直された言葉を聞いて、神依君は固まった。

 その目は「マジかよ」とでも言うように見開かれている。

 

 …ああ、そういえば神依君は稲荷神社の神主さんの孫だったっけ。

 

 だとすればお稲荷様についてもよく知っているはずだから成程、この驚きようにも納得だ。

 

 まさか、祀っていた神様と直接である機会が巡って来るなんて、人生で一度だってある筈のない出来事だもの。

 

「そうか…稲荷神社か…」

 

 嬉しくないのかな、苦々しい表情だ。ううん、分かるはず。

 

 彼にとって稲荷神社が、ただ家族のこと思い起こさせるだけの存在じゃないことを。

 

 狐神祝明()になる前の天都神依()が、初めてイヅナに出会った場所。

 あらゆる悲劇を思い出した後に、全てを忘れてしまおうと逃げ込んだ場所。

 

 …悲しいかな、掛けるべき言葉はこの手に無い。

 

 

「オイナリサマはこのパークの…ええと、『守護けもの』? …らしいです。必ず力になってくれるはずですよ!」

 

「頼もしいね。それで、ここから真っ直ぐ行くと何日くらいかかる?」

「な、何日…?」

 

 あれ、反応が芳しくない。

 

 もしかすると、人間的な(そういう)時間の測り方には疎いのかもしれない。

 

 …訊き方を変えてみようかな。

 

「ねぇ、この穴には神社から寄り道せずに来たのかな」

「多分…そうだと思います」

「そっか…その間、何回()()()()()か覚えてる?」

「夜、ですか? うーん、三回ぐらい…だったかなぁ…」

 

 なるほど、長めに見積もって四日くらいか。

 実際に行くと考えれば、もう少し掛かると考えて損はないだろう。

 

「ありがとう、お陰で見通しが立ったよ」

「ふふ、どういたしまして!」

 

 入口から外の空を見れば、もうお日様は傾いて鮮やかに赤らんでいる。

 

 出発するのは明日かな。

 そうホッキョクギツネに伝えると、「じゃあ今日はいっぱいお話しできますね!」と大層喜んでくれた。

 

 

 ――西日が眩しくて、その笑顔に影が見えてしまった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 すっかり日も沈み、凍えるような寒さに眠れない闇の中。

 

 僕の隣で、暗闇の中でもよく見える真っ白な尻尾が躍った。

 

「…えーと、何て呼べばいいんでしょう?」

 

 思い出してみれば、ハッキリと自己紹介した記憶がない。

 僕としたことが、一番大事なはずのことを忘れてしまっていた。

 

「コカムイでもノリアキでも、呼びやすい方でいいよ」

「名前が二つあるんですか?」

「まあ…そんな感じかな」

 

 わざわざ苗字について話しても意味は無いだろう。その辺は彼女の解釈に任せるとした。

 

「…眠れませんか?」

「あはは、とっても寒くて」

「…そうですか? あ、でもそれなら一緒に…!」

「ううん、それはしなくて良いよ」

「…そうですか」

 

 昼間のように抱き付こうとする彼女を止めたら、随分と寂しそうな顔をされた。

 

 …割と危険な兆候かもしれない。

 

 一先ず僕が取った手は、話を逸らすことだった。

 

「そうだ、神依君のことは”カムイくん”って呼んでいいと思うよ」

「あぁ、はい」

 

 は、反応が悪い…!?

 

 話題間違えちゃったかな、僕への呼び方も訊かれたから安牌だと思ったんだけど。

 

 仕方ない、更に話題転換。

 

「…ホッキョクギツネは、今までどんなことしてたの?」

「えへへ…実は、何にもしてませんでした」

「な、何も?」

「はい、何も」

 

 遠い目で星空を見つめて、懐かしむように言葉を紡ぐ。

 懐かしく且つ、興味なさげに。

 

 その姿に、僕は別の誰かを重ねてしまう。

 

「恥ずかしながら、食べて寝て起きての、その繰り返しで」

 

 …寒い。原因は分かりきっているのに、どうしようもなく寒い。

 

「でも今日、それは終わりました。やっと新しい友達と出会えて、寂しくなくなりました」

 

 友達…そう、友達だ。

 

 久しぶりにできた友達だから少し距離感を掴みかねているだけなんだ。

 

 そう言い聞かせて、自分の体を掴もうとする手を抑えた。

 

 その手を、ホッキョクギツネが握った。

 

「ありがとうございます、コカムイさん。あなたに会えて、本当に良かった」

「…あはは 、こちらこそ」

 

 ニッコリと、首を傾げて微笑むホッキョクギツネ。

 

「明日からも、よろしくお願いしますね」

「…うん、よろしくね」

 

 震えて在り来たりな返事しか出来ない自分に、呆れることなど不可能だ。

 

 だから、僕は()()に縋ってしまう。

 

「あーあ、イヅナが一緒に来てくれてたらな…」

 

 だけど、その『もしも』は在り得ない。

 

 イヅナがいれば、既に僕たちはキョウシュウへと帰っていたから。

 

 だから…だけど…!

 

「さ、寒い…!」

 

 君は良いよね、寒さを凌ぐ手段を持っているんだから。

 

 絶対に凍えたりしない…寝袋(それ)の中にいる限り。

 

「神依君ばっかりズルいよ…!?」

 

 

 今日ほど、イヅナのもふもふを恋しく思った日は無かった。

 

 



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Ⅲ-123 泥棒は全力疾走の始まり

「…っくしゅん! うぅ…神依君めぇ…」

「悪かったって、今日もお前に使わせてやるからな…?」

 

 雪の少ない獣道を僕らは歩いていく。

 一番後ろを歩く僕は、一昨日強い寒さに晒されたせいか体調があまり優れない。

 

 神依君のように寝袋で眠れたら良かったんだけど、生憎リュックに入っていたのは()()()()寝袋一つだけだった。

 

「イヅナ…流石にこれはひどいよ…」

 

 理由はおおよそ察しがつく。

 その寝袋は、二人一緒に寝られるくらいの容量があったのだ。

 

 そして当初、ホッカイには僕とイヅナの二人だけで来る予定だった。

 

 …つまりそういうことである。

 

 

「やっぱり、わたしと一緒に暖まっていれば…」

「ううん、それは、本当に、要らないから」

「そう、ですか…」

 

 若干強めに断っておく。

 

 ホッキョクギツネは悲しそうな顔をするけど、僕は毅然とした態度で断る。

 

 少しでも流されて抱きつかれてみよう。

 そうなった日には着信音が鳴り止まなくなるから。

 

「…ごめんね、どうしてもって言うなら、神依君にしてあげて」

「お、おいっ!?」

 

 僕の言葉を聞いたホッキョクギツネは目を輝かせた。

 

 うん、やっぱり彼女は寂しいだけだ。そうと分かれば、これからは上手く神依君に擦り付けるとしよう。

 

「分かりました! カムイさん、ぎゅーですよ!」

「要らねぇよ!」

「あっ……そ、そうですか…」

 

 ふと、空が暗くなったように感じる。

 ミルクレープのように重なり合った雲は厚く、日光を通すまいと僕らの影を淡くする。

 

 何とも、丁度いいお天道様だ。友達なのかな? …あ、いないんだったね。

 

 

「…分かった、ぎゅっとしていいぞ」

 

 失言を察してフォローに入る神依君。

 しかし、少しだけ遅すぎたようだ。

 

「…ふん!」

 

 頬をこれでもかと膨らませる白い狐。僕じゃないよ。

 

 彼女は細い目で神依君を睨み、これ見よがしに言い放つ。

 

「そうですね、カムイさんが、()()()()()…ぎゅっとして欲しいって言うのなら、してあげてもいいですよ?」

「え、えぇ…!?」

 

 助けを求めるような視線、僕を見ないでよ。

 けしかけたのは僕だけど、傷つけたのは神依君だもん。

 

 視線の意味に気づいたのか否か、次に神依君が発した声の調子は諦めに近かった。

 

「じゃあ、要らないぞ」

「…え?」

「さ、時間を掛けすぎても良くない、早いとこ――」

「うわーん、捨てないでくださーい!?」

「え、マジかよ!?」

 

 マジだよ。

 

 そこは嘘でも「どうしてもお願いします」とか言っとかなきゃ。

 素っ気なく「要らない」なんて追い討ち掛けたらこうなるに決まってるって。

 

 あれ、もしかして神依君って…?

 

「そんな目で見るな、首を傾げるな!? と、とにかく、助けてくれ…!」

「わたしの、わたしの何が悪いんですか? 教えてください、何だって直しますからー!」

「そう言われても…って待て祝明、見捨てないでくれー!」

 

 

―――――――――

 

 

「…ふぅ、大変だな」

 

 まあ、こんな調子じゃあ、しばらく先には進めないだろう。

 

 僕は近くの木陰に腰を下ろして、落ち着くまで彼らの様子を見守ることに決めた。

 

「賑やかだね、羨ましい」

 

 心なき棒読み。自分でも驚いた。

 でも本当に騒がしいのは嫌いだ、この雪原のような、物静かな世界が僕にとっては心地よい。

 

 紙を一枚、広げる。

 

 ペラ…と耳をくすぐって、ここによく合う和音を奏でる。

 

 素敵な音だ。

 例えその紙が、途轍もなく下手な地図だったとしても。

 

「やっぱり、普段からペンを握ってなきゃこんなものだよね」

 

 その地図は、僕が頼んでホッキョクギツネに描いてもらったもの。

 

 発つ前に少しでも土地勘を掴んでおきたくて頼んだのだけれど、むしろ混乱してしまいそうだ。

 

「これが『ヒトの施設』、『雪山』を登って少し進んで…神社かな?」

 

 とはいえ、この地図を見るのも二回目。

 しっかりと観れば、彼女が伝えたかったことの半分は受け取れる。

 

「今のところは順調だね。難関はまだ通り過ぎてないけど」

 

 これから訪れると予想できる困難は大きく二つ。

 地図に強調して描かれた『ヒトの施設』と『雪山』だ。

 

 前者は勿論、ステルスミッション。

 後者はまあ、自然との闘いになることだろう。

 

 ヒトに見つかりたくないことを彼女には既に話してある。不思議そうな顔をされたけど、一応納得してくれた。

 

 なればこそヒトの施設は避けて通りたいけど、それを出来ない事情がある。

 

 地図を見れば分かる通り、神社に行くには険しい道を通らねばならない。そして、その道にも()()()()()()()()()()()()とがある。

 

 うん、話は簡単。

 

 ヒトの施設の近くを通らなければ、『通れるルート』に入れない。

 

「あーあ、なんで律儀に麓近くに建てちゃうのかな。もう少し適当になってもいいのに」

 

 幸い、交通規制の類は敷かれていない。

 白い体をした僕とホッキョクギツネは難なく通り抜けられるだろう。頑張れ神依君。

 

 ()()する前みたいに一つになれれば楽だけど、今となってはもう不可能だからさ。

 

 

「――じゃあ、ジャパリまん十個です!」

「よし、それで手を打とう」

 

 遠くから和解の声が聞こえる。なんて約束結んでるんだ。

 

「そろそろ戻り時かな」

 

 お昼ご飯のジャパリまん、僕の分まで取られないよね?

 リュックの中の在庫を見て、軽く絶望した。

 

「あぁ…五個しかない」

 

 でも、まあいいか。

 ジャパリまんのことは、()()()が訪れてからちゃんと考えよう。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 しばらく歩き、太陽が沈むころに辿り着いた山の麓。

 

「アレです、あそこにヒトが沢山います」

 

 ホッキョクギツネが指さす先には、ああ納得、ヒト以外に建てられなどしないであろう近代的な建築物が並び立っている。

 しかしその建物たちは雪山の景観を崩すことなく、まるでその生態系の中に溶け込んでいるかのようだ。

 

 少し目を凝らして見れば、看板が見える。

 

 きっと研究所なのだろう、建物の名を示すであろう文字列は吹き付けた雪に隠され『ホ』の先が見えない。

 

 まあ、言うまでもなく『ホッカイ』だろうね。

 

 景色との調和具合とか彼らの暮らしとか、他にも気になることは沢山ある。

 だけどそんな場合じゃないから仕方なく諦めた。

 

 …好奇心は狐も殺す? 試してみる気にはなれないかな。

 

「よし、見つからないうちに早く行こうか」

「いえ、少しだけ待ってください」

「…何かするの?」

「ジャパリまんを盗ってきます」

 

 シュッと消えゆく白い残影。

 

 彼女は用件だけを言って、僕の返事を待つことなく盗みを働きに行ってしまった。

 

「行っちゃった…神依君は聞いてたの?」

「まあな…ジャパリまん、足りないだろ?」

 

 苦笑いをする神依君。

 『足りない』と言うのは、さっき彼が結んだ可笑しな約束の代金だ。

 

「貰う側が取りに行くって…何のための約束?」

「知るかよ、ただまあ…楽になったな」

「あはは、そうだね」

 

 彼女の顔を見た限り、気にしているようには思えない。

 つい先程のいざこざも、久々に友達が出来て舞い上がったせいで起きた些細なトラブルなのだろう。

 

 そう、些細なことだ。だからこそ、僕はそれに足を掬われないように気を付けなきゃ。

 

「でもそれなら、ボスから盗んだ方が早いんじゃない?」

「おいおい、冗談だろ…?」

「…冗談じゃないんだけど」

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「そういや…悪かったな、祝明」

「え、どうして?」

「いや、俺がボーっとしてたせいで、セルリアンにやられて、イヅナを飛ばしちまっただろ?」

 

 ホッキョクギツネがジャパリまんを盗みに行って約数分。

 何もしない寒さが身に凍みたのか、神依君は感傷的な面持ちでそう口にした。

 

「別に、ただの不運だよ、お互いにね」

「…なんだ、俺と一緒じゃ不満なのか?」

「うん、イヅナと一緒が良かった」

「へっ、堂々と惚気やがって」

 

 …あれ、話が終わっちゃった。

 

 もう少しこう…深刻に掘り下げられると思ってたんだけど、言うほど気にしてなかったみたい。

 

 じゃあ、もういいや。

 

 僕の気になることを訊いてみよう。

 

「そういえばさ…セルリアンの体って、寒さとか感じる?」

「ん…? あぁ、俺は感じるぞ。イヅナ(アイツ)にやられたから特別って可能性もあるけどな」

 

 所謂()()()セルリアンがどう感じるかは分からないらしい。

 まあ、直接尋ねる訳にもいかないしね。

 

「本当に不思議だね、なんで、ヒトの自我のままセルリアンになったの?」

「こればっかりは俺に聞かれてもな…アイツは何か言ってなかったか?」

 

 聞いたことあったっけ?

 むぐぐ、記憶の海を辿ってみよう…あ、そうだった。

 

「確か前に一度尋ねたんだけど、『やったら、出来た』…って言ってたと思う」

「…はは、そうか」

 

 乾いた笑いを浮かべて、気の抜けたようにへたり、神依君は雪の上に座り込んだ。

 

「今更ながら、俺は自分の体が心配になってきた」

「大丈夫だって、突然崩れたりとかはしない筈だからさ」

「そうなったら…いや、心配するだけ無駄だな」

 

 雪を握って玉にして、ふわりと上に放り投げる。絶妙なコントロールで投げ上げられた雪玉はそのまま下に落ちてきて…バシャッ。

 

 神依君の顔が、キツネ顔負けの純白に染め上げられた。

 

「あはは、何やってるの…!?」

「知るか、突然やってみたくなったんだよ」

 

 飛び抜けに明るい声が返ってきた。

 

「ねぇ、神依君」

 

 だから、僕も明るくしてあげよう。

 

「今更だけどさ、神依君とここに来たこと、悪くないかもって思ってるんだ」

「…はは、ありがとな……へぶっ!?」

 

 

 ―雪を掛けて、沢山掛けて。

 

 彼の視界さえも、どんな青空よりも明るい(真っ白)に染めてあげよう。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「全く、油断も隙もありゃしない奴だ…!」

「…ごめんなさい」

 

 僕は白い。

 

 …うん、イヅナから貰ったお耳とか白い髪とか尻尾とかあるもんね。

 

 そうじゃなくて、もっと白い。

 

 想像するならそう、夏の砂浜で砂に埋まるような感じ。

 それを僕は今雪山で、途轍もなく冷たい雪の中でやって…やらされている。

 

「ホッキョクギツネが帰って来るまでこのままな…!」

「…ひゃい」

 

 だから僕は白い。

 

 雪で白い、体温が下がって白い。ああ、面白い、尾も白い。

 

「ぐすん、自由になったら電話してやる…!」

「あ、いや…それは本気で、シャレにならんぞ…!?」

「…冗談」

「は、ハハハ…げ、元気そうで何よりだ…」

 

 引き攣った笑みを浮かべる神依君。

 

 こうしてみると、どちらがお仕置きされているのか分からないなと…僕は呑気にそう感じた。

 

 

 …それから、果たしてどれだけの時間が経ったのだろうか。

 

 いつしか、僕の時間は雪の中で凍り付いた。一瞬の冷たさも永遠の氷漬けのように感じられ、ひと時の拘束はまるでコキュートスの氷獄のようだ。

 

 僕はそれ程までに、罪深いことをしてしまったのかな…?

 

 助けてイヅナ。

 

 この悪逆非道の地獄の門番を打ち倒して、僕を暖かい温泉の中へと、どうか…!

 

「どうして、どうして僕は…!?」

「分かったから、出してやるから、その恐ろしいモノローグを止めろ…!?」

「…えへへ」

 

 キタキツネの名前で牽制して、イヅナで望み通りの行動を取ってもらう。

 それだけだけど、何だか本当に飛んで助けに来てくれそう。

 

 例え傍に居なくたって強い味方だし、出来ることなら何かお土産を持って帰りたいな。

 

 …折角だし、僕も盗んでこようかな?

 

「おい、それはマズいだろ」

「わ、分かってるってば…!」

 

 変装道具が残っていれば忍び込めたんだけど、重いからと言って神依君があの洞穴の中に置いてきてしまった。

 

 まあ普通なら、妖術だのなんだので化かしてしまえば済む話だもの。用意するだけ無駄というもの。

 

「変装できなくても入る、なんて言わないでくれよ」

「そんなことしないから安心して、それにほら…もう帰ってきたよ」

「…らしいな」

 

 遠くから走り寄って来るホッキョクギツネの姿が見える。

 

 僕達と目が合うと、彼女は大きく手を振ってくれた。僕も手を振り返すけど、何かが妙だ。

 

 彼女の姿が近づいてくるほど、その直感は強くなる。

 

「なぁ…ホッキョクギツネって、一人だよな?」

「あはは、奇遇だね神依君。丁度僕も、同じ疑問を抱いてたとこ」

 

 そう、ホッキョクギツネの後ろに誰かがいる。

 

 一人じゃなくて、そして、フレンズのようで。

 

 そうしてもっと近づいて、彼女の声が耳に届く。

 彼女は大きくその手を振って、その一言を叫んでいる。

 

「…逃げてくださいッ!」

「なんか…”逃げて”って言ってるみたいだよ」

「なら、言う通りにしてやるか」

 

 

 そして、この距離まで来れば良く見える。

 

 ホッキョクギツネを追う者たちのその姿と、声が。

 

「待て、泥棒ギツネ!」

「食べたいなら分けてあげるから、待ってよー!」

「早く、早く逃げてくださーい!」

 

「もしかしなくても…ステルスミッション、大失敗?」

 

 確かめている時間は無くて、もう立ち止まってなどいられない。

 雪を蹴って、木々を縫って、僕らは脇目も振らずに雪山へと駆けていく。

 

 ああ…残念だ。何がいけなかったのかな。

 

 ううん、分かってるはず。

 

「やっぱり僕、思うんだ」

「…なんだ?」

 

 そう、全て方法が悪かった。

 

 『誰かが居る』と分かりきっている場所から盗むから、こんなことになったんだ。

 

「…ジャパリまんって、ボスから盗った方が絶対に早いよ」

「まだ言うかっ!?」

 

 



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Ⅲ-124 雪峡に響く

 逃げるキツネと追う二人。

 雪山に響き渡る声は、少しづつだけど確実に奥へと向かっている。

 

「ひゃー、ごめんなさーい!?」

「謝るくらいなら止まってくださいよ、ホッキョクギツネさん!」

「そうだ、話だけでも聞かせてくれ!」

「い、急いでるのでー!」

 

 急斜面を駆け上り、三人のフレンズが辺りに真っ白な雪を撒き散らしていく。

 周囲に舞った()()()()は、彼女たちの姿を僕らの目から覆い隠してしまった。

 

「…見えなくなったな」

「しかもみんな白いから、誰が誰だか…」

「つくづく、お前があの中に混ざってなくて良かったと思うぜ」

 

 そう言って、神依君はリュックから取り出した白いマントを羽織る。

 これで、晴れて彼も『真っ白け軍団』の仲間入り。

 

「妙な軍団だな、仲間割れしてそうだ」

「あはは、真っ最中だね」

 

 ホッキョクギツネには悪いけど、僕達は予定通りに神社を目指すと決めた。

 

 僕達は本来いてはならない人物だから、彼女を助けになど行けない。飽くまで()()()()()()()()()神社へとたどり着くことが目的だ。

 

 と言っても見失ってしまったから、今から助けようと思っても無理なんだけど。

 

「しかし、完全に見捨てるのは酷じゃないのか」

「まあ…途中で鉢合わせたりしたら、上手くやるよ」

 

 

 僕達は、少しだけ開けた木々の間を歩いていく。

 

 誰かが歩いているうちに出来た『道』なのだろう、ポツポツと木の枝が雪に刺さって立てられている。

 

「そういや、あの二人は誰なんだろな?」

「聞く限り、少なくとも片方は知り合いみたいだけどね。一方的にって可能性もなくはないけど」

「ま、そもそも俺らには分からん話か」

 

 彼女は()()()()の友達と言っていた気もするし、面識があっても不思議じゃない。

 

「じゃあ…どの動物なんだろうね?」

「片方はホッキョクギツネに似てるようにも見えたな」

「イヌ科の仲間ってことかもね」

 

 そしてもう一人の方は、結構長めの耳があったように見えた。…ウサギかな?

 

「どっちにしろ、上手く逃げ切れるといいな」

「うん…そう、だね」

「…どうした、何か気になるか?」

「ううん…別にいいや」

 

 そう、気にしている場合ではない。

 

 ホッキョクギツネの住処からヒトの施設までおよそ二日、行こうと思えばいつでも行ける距離にあったことも。 

 それにも拘らず、誰かと話すのが久しぶりだと彼女が言っていたことも。

 

 どんな理由があったところで、僕が深入りする理由はない。してはいけない。

 

 

 ――これ以上、僕は必要以上に誰かと仲良くしてはいけないから。

 

 

「神依君、今日はこの辺りで寝ようよ」

「そうだな、すぐ先も見えないくらい暗くなっちまった」

 

 …でも、僕じゃない誰かなら、それこそ神依君なら。

 

「おやすみ、また明日ね」

「ああ、また明日」

 

 彼女の心に踏み込んで、そして仲良くなれるのかな。

 

 分からない、分からないけど…一つ明確なことはある。これは、僕が決めるべきことじゃない。

 

 

 さあ、神社までの道のりも、もう折り返しだ。

 

 このイレギュラーな旅も、気付けばあと僅か。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「っ……はぁ、はぁ…」

 

 荒れ放題の息を振り撒いて、わたしは真っ暗な雪世界を見渡した。

 

 …よかった、もうあの二人は追ってきていないみたい。

 

「でも、カムイさんたちとはぐれちゃいました…」

 

 お二人はどこにいるのでしょう、出来ることならもう一度会いたい。

 

 折角、わたしに出来た久しぶりのお友達なんです。こんなことでお別れなんて、あまりにも寂しい。

 それはもう、今まで過ごしてきた一人きりの生活よりもずっと。

 

 うふふ、どうやら一度この楽しさを知ってしまうと、もう手放せなくなるみたいです。

 

 まるで、前にオイナリサマが言っていた『アブナイおくすり』のようですね。

 

 

「お友達…いい響きですね……あれ?」

 

 仰向けになって呑気に休んでいたわたしですが、大きなお耳は文字通り()()()異変を察知しました。

 

 ふむ、遠くから声が聞こえます。

 

「おーい………いるかー…?」

 

 この声は…誰のでしょうか? 遠くてうまく聞き分けられません。

 

 ですけど、口調からしてアレは二人組の片割れ、ホッキョクオオカミに違いないでしょう。

 

 なんとしつこい。

 この限りだと、ホッキョクウサギさんもまだ諦めていないと思った方が良さそうですね。

 

「とりあえず、穴掘り頑張ります…!」

 

 素早く動いて、わたしは隠れ家を()()します。

 

 一つだけでは心許ないですね、沢山作って安心感の獲得と欺くための準備をしておきましょう。

 

 そして盗んできたジャパリまんも半分まで減ったころ、わたしの穴掘りは無事に終わりを迎えることが出来ました。

 

「ふぅ…五つもあれば十分ですかね」

 

 五つで十分、一つで二分。

 

 オイナリサマに教えてもらった簡単な計算です。…でも、これ以外は知りません。

 

 …この先へ進めばもう一度、あの方に会えるのでしょうか?

 

 ああ、沈みかけていたお日様もいつの間にかお月様とすり替わってしまいました。

 

 なんとなく、辺りの空気も重くなったように感じます。

 

「…寝ちゃいましょう」

 

 また明日、明るくなってからカムイさんたちを探すことに決めて、雪の中に体を沈めます。

 

 深く深く、()()が一緒になってしまうほどに。

 

 

「お…ここにいたか」

 

 

 意識さえも沈み切ってしまう直前、わたしの耳を揺らしたのは…

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「ん、なんだ…この音?」

「え、音って…?」

「聞こえないのか? …雪を掘ってるような音だ」

 

 微かな音だが、確かに()()から響いてきている。俺たち二人以外の誰かが、この雪山で生きている。

 

 ホッキョクギツネ? 追いかけていた二人? それともセルリアン?

 

 その正体に関わりなく、『ここを動くな』という結論を本能が訴える。

 厄介事を引き寄せる必要はない、朝になれば安全に確かめられる、だからここに居ろと叫ぶ。

 

 疑う余地なく合理的な恐怖はしかし、好奇心とも似て非なる()()()()という衝動に上塗りされていく。

 

「僕には聞こえないけど…神依君?」

「なんだ、俺は何が気になるんだ…?」

 

 何故なのか、音の主が()()なんてどうでもいい。

 

 これを放っておけばもっと別の何かが知れなくなってしまいそうで。

 

 その恐怖は、身の安全を訴える臆病さよりも強くて。

 

 そう、結局恐怖に打ち勝ったのは、別のもっと強い恐怖だった。

 

「祝明、少し確かめてくる」

「そんな、こんなに暗いんじゃ危ないって、また明日…」

「それじゃダメだッ! た、多分、だが…」

 

 行き場のない感情に荒ぶった声は、遠くの樹上の雪を揺らした。

 

「ねえ…一体どうしたの…?」

 

 目に映るのは祝明の怪訝な顔。

 そりゃそうだ。こんな気が狂ったような衝動、他の誰かに解る筈もない。

 

「…怒鳴って悪い、だけど、行ってくる」

 

 イヅナの携帯を祝明の目の前に突き出し、ポケットに入れた。

 

「コレさえありゃ、こんな雪山の中でも連絡は付くだろ」

「そう…本気なんだね」

「心配するな…とは言えないが、なるべく早く戻って来るさ」

「…うん、気を付けて」

 

 

―――――――――

 

 

 懐中電灯から、まるで暗闇を切り込むように広がる光。

 驚かさないよう、でも聞こえるよう、静かな声を光の方へと響かせる。

 

「おーい…誰か…いるかー…?」

 

 返事は聞こえない。それもそうか。

 

 向こうだって、得体の知れない呼び声に返事をするほど能天気ではないということ。

 

「或いは全部、俺の幻聴だったか?」

 

 夜闇は俺の心を呑み込むように眼前へと迫ってくる。

 

「…おわっ!?」

 

 黒の中から赤いセルリアンが飛び出してきた。ハハ、時間が巻き戻っているようだ。血のように赤い。

 

 真夜中に、真夜(マヤ)の中に、駆け巡っていた赤色――

 

「あぁ…! いよいよ幻覚っぽくなってきやがった」

 

 まだ問題ない、セルリアンは本物だ。俺の腕を食おうとして…して…

 

「って、やべっ!?」

 

 今からでも戻るべきか? 我ながらヤバい気がする。

 

「いや、もう少しだけ、何か在るかもしれないんだ…!」

 

 沈み込んだ足を持ち上げて、前へ前へと踏み均す。

 

 間違いない、俺は目指しているものへと確実に近づいている。そんな奇妙な感覚が、俺の背中を押してくれている。

 

 これも幻覚だったなら、溺れてしまって構わない。

 

「お…ここにいたか」

「か、カムイさん…?」

 

 

 良かった…これは、幻覚じゃなかった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 雪の結晶をはらりと落とし、雪のように美しい髪の毛を引き摺って、ホッキョクギツネは体を起こした。

 

「…どうしたんですか、こんな夜中に」

「お前がここにいるような…そんな気がしてな」

「でもそれだけじゃ、来なかったでしょう?」

 

 彼女はほんの少し体をずらし、空いた場所を手で撫でて、座るように促した。

 

 その言葉に甘えて腰を下ろすと、抑えていた疲れが一気に腰を襲った。

 

 ああ…結構無理してたみたいだな。

 この腰の痛みは、ホッカイに来てからずっと我慢してきた疲れの全てだ。

 

「…?」

 

 すると、柔らかな暖かさが腰を包んだ。横を見ると、ホッキョクギツネが体を寄せて腰に腕を回していた。

 

「暖かくすれば、疲れも取れますよ」

「…ありがとな」

 

 どうやら、随分と分かりやすい表情をしてたみたいだな。でもいいか、無理して繕う必要なんてきっと無い。

 

 体を寄せてくるホッキョクギツネの片腕を取って、手を繋いだ。

 

「…カムイさん?」

「良かったら、聞かせてくれないか? どうして友達がその…ええと…」

「ふふ、気を遣わなくていいんですよ? 少ないのは本当のことですから」

 

 そう言いながら、カラカラと彼女は笑った。

 寂しそうな目をして、不釣り合いな程に明るい笑みを浮かべて。

 

 俺はゆっくり息を吐いて、今度こそしっかり尋ねる。

 

「教えてくれ、キミの…友達のこと」

「…分かりました」

 

 彼女の顔にも、今度こそ笑顔はない。悲しい表情がとても自然で、本当によく似合っていた。

 

 

―――――――――

 

 

「昔の友達って、ホッキョクウサギさんのことなんです。ずうっと前の話ですけどね」

 

 彼女が言う『昔』が果たしてどれほど前のことなのか、推測することは出来ない。

 

 ただその口ぶりから、彼女がかつての日々をとても遠いものだと思っているのだと、俺は感じた。

 

「今更ながら、わたしたちはとっても仲良し()()()…って、そう思ってるんです」

 

 やたらと強調されるその三文字は、彼女が立てた過去を遠ざけるための柵だ。

 

「もしかしたら、今からでも戻れるかもしれない」

「カムイさんは優しいんですね……いえ、話を戻します」

 

 

 ”雪山って、食べ物が少ないんですよ”

 

 

 そう一言懐かしむ声。

 

 美しい思い出話の取っ掛かりに聞こえなくもないこの言葉も、きっかけを暗示している。

 

「だからわたしも時々、食べ物に困っちゃったりしました。ボスやヒトのみなさんに中々会えなかった時は大変でしたね…ふふ」

「つまり、それって」

「盗んだりしましたよ、丁度今日みたいに」

 

 頭の中をいくつもの想像が飛び交い始める。

 

 湧き出るように現れる下種な勘繰りを気持ちで押さえ、じっと堪えて次の言葉を待った。

 疑いようのない答えを、彼女自身の口から聞くために。

 

 

「…ふふ、見つかったのは初めてですね」

「盗みがバレて、こじれた訳じゃないのか」

「ええ、()()()はきっと、今回が初めてだと思ってるはずです」

「一つ聞かせてくれ。ホッキョクウサギは、お前のことを…その、良く思っていないのか?」

 

 沈黙が響く。

 

 この質問が核心を突いたのだと、その静寂が雄弁に語っている。滲み出した寂寥の雫を目の端から零して、彼女は尚も笑った。

 

「きっとまだ、友達だって思ってくれてるんでしょうね。避けてるのは全部…わたしですから」

「なら、だったら尚更…?」

「無理ですよ、わたしのせいで、ホッキョクウサギさんは…」

 

 笑う、コイツはまだ笑う。

 

 口角が吊り上がって、見るに堪えないほどに顔が歪んでも、彼女は笑うことを止められない。

 

「ああ、きっと、わたしはあの子のことなんて何とも思ってなかったんです。だからまた盗んだんです。()()()()()、性懲りもなく」

「……そうか。嫌なこと、思い出させたな」

「いいんです、わたしなんて、別に…」

 

 また沈黙がやって来る。今度こそ何も語らない静けさには、寒空がよく似合う。

 

 声を掛けて慰めるべきだろうか。俺に、彼女の心を癒すことが出来るのだろうか?

 

 

「…”全部忘れて』”、それは、俺も…!」

 

 

 きっと同じだ。

 

 全部忘れて逃げたのだ。俺はもっと臆病で、確実な方法を使った。

 

 誰が違うと言っても、許してくれたとしても、俺はこの枷を外せない。

 

 

 俺には無理だ。 コイツの心に踏み込んで、それを癒すことなんて。

 

「…なぁ、寝ないか?」

「はい、そうしましょう」

 

 出来ることならば、この場所から今すぐに逃げてしまいたいと、そう、心の底から願った。

 

 お誂え向きな『逃げる理由』が向こうから現れてくれないかと、酷く怠惰な望みを抱いた。

 

 叶わないから俺は願って、優しく暖かな白に包まれて、深く深く…眠った。

 

 

 

―――――――――

 

―――――――――

 

 

 

 そして、再び日が昇り始めた頃のこと。

 

 

 ゴゴゴゴゴ……!

 

 

 俺たち二人は、時計よりも耳障りな目覚ましに目を開かされた。

 

「何でしょう、この音…!?」

「まさか、雪崩か…?」

 

 外に出てハッキリと音を捉えれば、すぐに分かった。聞き違えようのない鳴き声が、俺の元へ届いた。

 

「ああ…そういうことか…」

 

 ああ…憎たらしき神様、叶えてくれてありがとう。ただ、少し遅すぎるかな。

 

 

 吼えて、轟く、この銀世界に。

 

 怪物(セルリアン)の咆哮が、雪峡に響く。

 

 



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Ⅲ-125 小さな別れと大きな出会い

「なるほど、この分じゃ今回のセルリアンはデカそうだな…」

 

 咆哮の揺れは耳を塞いでも足りないほどに激しく、その衝撃で穴の入り口が少し崩れてしまった。

 

 崩れた雪を固めて気休め程度に入り口を補強しながら、俺は今の状況を考える。

 

「…まぁ、久しぶりの早起きって奴だな。こんな風に起こされたくはなかったが」

 

 まだ暗い外の景色をじっと睨みつけるも、セルリアンの姿は見えない。

 

 代わりに、真っ白な雪がアイツの毛並みのように見えてしまった。寝惚けてるな、俺。

 

「どうしてるかな…無事だと良いけど」

 

 祝明はそれなりに強いし…呑気に眠りこけていない限りは、不意を打たれたりもしていないはずだ。

 

 …そうだ、ジャパリフォンで連絡してみようか。元々その為に持ってきた訳だし。

 

 思いつくまま電源をポチっと押して携帯を点けてみると、俺はごく当たり前の問題に直面した。

 

「ぱ、パスワード…!? あのキツネ、しっかり設定してたのか…」

 

 まあ、よく考えたら当然…だな。

 

 妖の類とはいえ、セキュリティの基礎ぐらいは心得ていてもその存在ほど不思議じゃない。

 

「…四桁でも、時間は相当掛かるよな」

 

 やれやれ、やっちまったな。出ていく前に確認しておけばよかった。

 

 …というか、祝明も把握してなかったのか。()だったら恐ろしいくらい知られてそうなもんだが。

 

「ま、使えないものは仕方ないか」

 

 金属の塊、もといガラクタと化したジャパリフォンは、せめて無くならないよう丁寧に仕舞っておいた。

 

 

―――――――――

 

 

 ジャパリフォンがガラクタへと無事に回帰したお陰で、他にやることも無くなってしまった。

 だから、これからのことについてホッキョクギツネと話すことにしよう。

 

 …もちろん、行動計画という意味で。

 

「んで、何してんだ…?」

 

 ”話がしたい”とホッキョクギツネを呼ぶんだら、一体どこで学んだのか、彼女はガッチガチの正座をして俺をじっと見上げてきた。

 

 妙に純粋な目で見つめてくるものだから、とても話を切り出しづらい。

 

「べ、別に…今更硬くならなくてもいいだろ」

「『雪は踏んだら硬くなる』、オイナリサマのお言葉です!」

 

 つまり、この正座もオイナリサマ直伝って訳か。

 というか…その()()()()()()()は一体なんだ、まるで意味がわからんぞ?

 

「そもそも、俺にお前を踏んだ記憶はないんだがな…」

「じゃあ、今から踏んでみますか…?」

「へ、変なことを言うなっ!?」

 

 全くコイツは…今の状況を理解してるのか? セルリアンだぞセルリアン。

 

 しかも咆哮の威力からして――どっかのガキ大将を再現していない限りは――相当強い奴だ。そんな強敵の前で俺たちが呑気しててどうする。

 

 しかし、現に彼女の振る舞いは余裕の一言。

 

 なら変に緊張させても悪いか…俺も、肩の力を抜いて話すとしよう。

 

「ええと、このまま隠れてて大丈夫なのか? その…入口はしっかり崩れてたが」

 

 最初に確認するべきはコレ。

 隠れるか逃げるか戦うか…どれを選ぶにせよ、初めに方針を固めておくのが最善だ。

 

「そうですね…隠れていても、見つかるのは時間の問題かもしれません」

「セルリアンが輝きを追って来るなら尚更…か」

 

 正直、奴らがどれほどの範囲のサンドスターを察知できるのかは俺にも分からない。

 

 だが輝きに引き寄せられること自体は分かっている以上、奴らがやって来るのを指を咥えて見ている訳にも行くまい。

 

「なら戦うか…? いや、余計な体力を使いたくはないな」

「セルリアンは無視して、オイナリサマのところまで突っ切ってしまうのが一番だと思います」

「…それが、一番だろうな」

 

 昨夜散々歩き回ったから、雪山は非常に広いことが分かっている。

 

 気配を探りながら上手く避ければ、一度も鉢合わせずに乗り切ることだって無理難題じゃないだろう。

 

 

「そうと決まれば、祝明を呼びに行かないとな」

 

 俺が付けた足跡を辿っていけば、ある程度の時間こそ掛かれど『見つからない』なんて事態にはならないはずだ。

 

「ホッキョクギツネも一緒に行こう、もうここに戻ってくる必要も無いしな」

「はい、忘れ物もありません、バッチリですっ!」

「忘れ物…? 別に持ち物なんて…あぁ、昨日のアレか」

「はい、まだ3つ残ってますけど、食べます?」

 

 白い上着のポケットから紙袋入りのジャパリまんをが出てきて、口元に押し付けられた。ここまでされたら、押し返すのも悪いな。

 

「なら貰うか。今朝は何も食べてなかったから、腹が空いた」

 

 上着の中で温められたジャパリまんは、胃の中に入ってもホカホカと熱を放っている。

 

 ああ、久しぶりの食事は体に染み渡るな。ついでに飲み物も欲しいが、全部祝明が持ってるんだった。

 

 ハハ、さっさと迎えに行くべき理由がまた一つ増えちまったな。

 

「よし、そろそろ出発するか」

「わかりました、行きましょう!」

 

 固めた入口に足を掛け、体を外へと乗り出そうとしたその瞬間。

 

「――うわあぁぁ!?」

 

 盤石にしたはずの足元は崩れ、俺は雪の中へ勢いよく埋まることとなった。

 

「だ、大丈夫ですか…!?」

「問題ない。それより、今の()()()は…」

 

 祝明の声じゃない、だけどフレンズの声に違いない。

 

 そして今この状況、叫び声を上げるに至る原因なんて、ただ一つ以外には考えられない。

 

「ホッキョクギツネ。もしもの時は、誰かを抱えて逃げられるか?」

「心配いりません、任せてくださいっ!」

「助かるぜ…じゃあ、予定変更だな」

 

 まずはセルリアンに襲われているであろう、見知らぬ誰かを助ける。悪いが祝明はその後だ。ま、運が良ければ途中で会うだろ。

 

 それまで、変な怪我とかしてくれるなよ?

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「わわわ、こんなに大きいの珍しいですね…!?」

「怯むな。…少し厳しいかもしれないな、私が引き付けるから隙を見て逃げろ」

「でも、ホッキョクオオカミさんは…?」

「私も必ず逃げ切るさ。だからまずは、お前が…っ、来るぞ!」

 

 …まさか、セルリアンと出くわしたのがあの二人だったとはな。

 

「うぅ、二人とも私のせいで…」

「運が悪かっただけだ…アイツらも、俺たちも。そして()()()()、まだ何も起きてない、未然に防ぐ絶好の機会じゃないか」

「あっ…そ、そうですね!」

 

 戦いに関して、このセルリアンの体が持つ力は未知数。

 

 だからここで試してみることにしよう。果たして俺に、誰かを守る力が備わっているのかどうか。

 

 あの時の無力な自分から、変わることが出来たのかどうかを。

 

 

「よし、い――っ!?」

 

 

 飛び出そうとした体は引き戻され、強く尻もちをついて冷たさが腰を襲う。

 

 後ろを向くと、俺をこんな目に合わせた張本人が、他ならぬホッキョクギツネが涼しい顔で立っていた。

 

「やっぱりカムイさんは、ここにいてください」

「なっ、どうしてだ? 俺も――」

 

 身を乗り出して抗議する俺の肩は抑えられ、優しい微笑みと共に座らせられた。

 

「姿を見られたらいけないんでしょう? 大丈夫です、全部私が何とかしますから」

「そんな、でも…あ…!」

 

 立ち上がろうとして、ホッキョクギツネの目を見て、気が付いた。

 この戦いを通して…もう一度だけ、向き合おってみようとしていることに。

 

「…無茶はするなよ」

「はい、安心してください!」

 

 彼女はその余裕そうな笑みを顔に貼り付けたまま、一歩一歩と前へ進んでいく。俺はその様子を、ただ座って眺めていた。

 

「…ハハ、俺もこの程度か」

 

 やっぱり、戦うのは怖い。全て彼女がやってくれるという安心感で、俺の足は硬く凍り付いている。

 …無力なのは、戦うための体だけじゃなかったんだな。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 ようやく足が動かせるようになったら、俺はホッキョクギツネの思いを汲んで戦いには行かず、物陰に隠れて彼女たちの様子を見守ることにした。

 

 今更こんな決意に意味が在るのかは分からないが…もしもの時は必ず飛び出していくと、堅く心に誓った。

 

「今のところ、問題は無さそうだな…」

 

 前に出て戦うのはキツネとオオカミで、ウサギは邪魔しないよう立ち回りながら時折()()()()()を入れる。

 

 その連携が淀みないのも、やはり昔からの知り合いだからだろうか。

 

「ホッキョクギツネさん、右から来ますっ」

「ふっ…ありがとね! オオカミさん、回り込んでください!」

「分かった…!」

 

 共にセルリアンへと立ち向かう表情からは、昨日見せたような影は微塵も感じられない。

 

 俺のいる場所は日陰で、彼女たちが戦う地は日向。

 ホッキョクギツネは丁度よく、重苦しい影をここに忘れて行ってしまったようだ。

 

「俺の出番は無さそうか…?」

 

 しかしセルリアンもタダでは転ばない。

 

 ゴォォォォ…!

 

 吸っているのか吐いているのか分からない雄叫びを上げて空気を揺らし、三人の足元をグラつかせた。

 

「くっ…二人とも、大丈夫ですか?」

「私は問題ありません!」

「気にするな、この程度は何でもないさ」

 

 …尤も、その抵抗も無意味に終わったようだ。

 

「ホッキョクギツネが来てくれて助かった、私たちだけだったら危なったかもしれない」

「そういうお話は、終わってからお願いします!」

「…ふふ、そうだな」

「よいしょっ! …って、二人だけで盛り上がらないでくださいよ~!?」

 

 弱っているとはいえ、大きなセルリアンの目の前で日常のごとき無防備な言葉を交わす三人。

 

 きっとそれ程までに抱えている喜びは強く、そして、そう振舞えるだけの()がある。

 

 俺とは…違って。

 

「これで…トドメだッ!」

 

 あっという間にセルリアンは倒れ臥し、雪山に轟いた鳴き声ももう二度と聞くことはない。

 

 最後まで俺の出番も無いまま、戦いはその幕を引いた。

 

 

―――――――――

 

 

 壊れた虹が完全に霧消した頃、ウサギがキツネの方へゆっくりと歩み寄っていく。

 

「ホッキョクギツネさん、手伝ってくれてありがとうございます。ええと…こうして話すのも、久しぶりですね!」

 

「そうですね。ウサギさんもオオカミさんも…お久しぶりです。今まで沢山、迷惑掛けちゃいましたね」

 

「確かに、ジャパリまんを盗んだのは考え物だが…まあ、そんな話は後にしよう。今は喜んでいたい」

 

 幸せそうに話す三人の姿をしっかりと見届けて…俺は耳を塞いだ。

 

「わた……ウサ……あ……」

 

 背を向けて空を仰ぐ。俺の背後で今、彼女たちは本当の再会を喜び合っている。

 

 伝えられなかった言葉を紡ぎ、切れた絆の糸を結び直して、かつて失った形へと戻っていくのだろう。

 

「ハハ、俺には聞いてられないな」

 

 俺は逃げた、耳を塞いだ。

 ホッキョクギツネの心に向き合うことを恐れ、こうして距離を置いてしまった。

 

 資格ではなく心情が、あの三人の姿をこれ以上直視することを拒んだのだ。

 

 だが、これで良かった。

 

 俺にも、きっと祝明にも、あれ以上踏み込むことは不可能だったはずだ。そもそも、俺たちは帰ってしまうんだ。

 

「ふぅ…長くなりそうだし、祝明でも迎えに行くか」

 

 心の底から”これでよかった”と、俺は思う。これが俺みたいな余所者に出来る、精一杯の橋渡しだったんだ。

 

 

―――――――――

 

 

「だめ…しっぽさわっちゃ…ぁ…キタキツネぇ…んぇ…?」

「…行くぞ、祝明」

 

 咆哮の中で呑気に眠りこけていた幸せ者を叩き起こして、眠そうにするのも気にせず引っ張っていく。

 

「あれ、ホッキョクギツネは?」

「さっき言ったろ、向こうで楽しくおしゃべりしてるはずだ」

「んん…? 聞いたっけ…?」

 

 轟音の中で眠り続けていたこともあって、流石の寝惚けようだ。

 

「楽しくかぁ…良かったね…」

「ああ、そうだな」

 

 だからこそ、今から彼女たちを引き離してしまうことが申し訳ない。

 

 …申し訳ないが、オイナリサマの神社に辿り着く道を知っているのはホッキョクギツネだけだ。

 

「残りのジャパリまんも…お礼にするか」

 

 リュックの中には丁度五つのジャパリまん。

 ホッキョクギツネに三つ渡して、俺たちの手に二つ残ればピッタリ。

 

 せめて最後の餞別に、これくらいは贈っても悪くない。

 

「ねぇ、神依君?」

「あぁ、どうした?」

「顔、ちょっとだけ悲しそうだよ…」

「…短いとはいえ、一緒に旅した仲間だ。もうすぐお別れってなったら寂しくも感じるだろ」

「…そっかぁ」

 

 本当のことを言えば、戦うことも出来ずに隠れていた自分を不甲斐無く思ったりもしている。

 

「ほら、もうすぐ着くぞ」

 

 だがそれは、彼女たちとは関係ないだろ?

 小さな旅の別れくらい、晴れやかな笑顔で迎えてやるさ。

 

 

―――――――――

 

 

「もう、どこ行ってたんですか?」

「祝明を連れてきたんだが…心配掛けたか?」

「沢山しました、せめて一言…あ、言えなかったですね…!」

「ん…僕のせい…?」

「誰も悪くないです! ちょっとだけ…心配だっただけで…」

「沢山したって言ってたが?」

「ハッ!? そうでした…!」

 

 気の抜けた会話を楽しむ俺たち。

 こうして他愛のない会話を交わす機会も、あと何回残されているのだろう。

 

「そういえば、あの二人は?」

「…先に帰ってもらいました。やることがあるって言ったら、理由も聞かずに待ってるって言ってくれました」

 

 本当にいいお友達です、という彼女の表情は喜び六割悲しみ四割。

 

 その悲しみが何処に向けられたのか、間もなく俺たちは思い知る。そして、さっきの()()の答えも同時に知るのだ。

 

「でも、もうわたしは必要ありませんね」

「え、それってどういう…」

「……」

 

 無言で手を俺の背後に向ける。その方を振り返れば…

 

 

「セルリアンの気配を感じて来ましたが、どうやら杞憂に終わったようですね」

 

 

 赤い毛が特徴的な白い狐耳、輪っかをはめた美しい純白の尻尾。

 稲穂のように鮮やかな黄金色の瞳を見て、今更その正体を問うのは滑稽に他ならない。

 

「お、オイナリサマ…?」

 

 彼女は黄色い瞳を細めて、静かに頷いた。

 

 そして滑稽な俺でも、ホッキョクギツネの悲しみの理由が分かった。

 

 もう、彼女の案内は必要ない。目の前にいる神様に頼めばそれで十分だから。

 

「ホッキョクギツネ…」

 

 他愛のないおしゃべりも、きっと二度とない。

 

「これで…安心ですね。じゃあわたし、待たせてる子がいますから…でも」

 

 そこまで言って、緊張した声色で続きを紡ぐ。

 

「…わたし達、また会えますか?」

「あぁ…きっとな」

「よかった…! 約束ですよ!」

 

 今度こそ十割の笑顔で、彼女は走り去っていく。

 俺の心に引っ掛かった重しも、スッと取れたようだった。

 

「ホッキョクギツネさんも、寂しくなくなったんですね」

「…そっか、知ってるんだったね」

「ええ…あなた達は、私に用事があるんですよね」

 

 俺が頷くと、オイナリサマはニコリと笑って手招きをする。

 

「では、私の神社まで行きましょう。このオイナリサマが案内しますよ!」

「…自分で『サマ』って付けるんだ」

「お、おい、祝明!」

「うふふ、やっぱり変ですか?」

 

 寝惚けた祝明を小突いたら、オイナリサマがクスリと笑う。俺の顔も綻んで、朗らかな風が雪山に吹く。

 

「さぁ、すぐに行きましょう!」

 

 だけどオイナリサマって…案外天真爛漫なんだな。

 

 大空に腕を伸ばしてピョンピョンと跳ねる神様を見て俺は、信仰とは違う親しみが心に芽生えてくるのを感じた。

 

 



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Ⅲ-126 相談料はいなりずしっ!

「わぁ、綺麗だなぁ…!」

「…これは、すごいな」

 

 オイナリサマに案内されること数時間。

 

 幾万もの雪を踏み越え、不思議な霧の中を抜け、俺たちは神社を目の前にして石畳を踏みしめていた。

 

 久しぶりに立つしっかりした地面の感覚は、自分たちが()()場所にやって来たことを否応なしに想起させる。

 

 そして白いはずの雲さえ薄っすらと極彩色に染まった空は、忘れられぬ神々しさを地上に降り落としていた。

 

「改めまして…ようこそ、稲荷神社へ」

 

 俺たちの方を振り返って歓迎の言葉を述べるオイナリサマは、この世の存在とは思えない程に美しかった。

 

 ()()()…と、そんな陳腐な言葉しか思い浮かばなかった自分を恥じたくなる程に。

 

「奥へ案内します。詳しいお話は、お茶でも飲みながらしましょう」

「……」

「…ふふ」

 

 言葉を失った俺を見て、オイナリサマは俄かに微笑んだ。

 

「ほら、早く行かないと置いてかれちゃうよ」

「わ、悪い…すぐ行く」

 

 動き出した足取りも枷を繋げられたかのように重く、しかしその枷は暗い感情ではなかった。

 

 むしろ明るく楽しい思いで、そしてベタリと纏わりつくように俺をその場へと留めようとするのだ。

 

「あぁ…! 景色なら後でも見られるだろ…!」

 

 自分に無理やり言い聞かせ、枷をそのまま引き摺って行くように、俺は建物の中へとオイナリサマの後に続いて入っていった。

 

 

―――――――――

 

 

「では、すぐにお茶を持ってきますね」

「あ、でも…!」

「大丈夫ですよ、あなた達はお客さんですから」

 

 つい立ち上がろうとする俺を手で止め、オイナリサマはお茶汲みに行く。

 

 どうやら俺は、フレンズとも違う『神様』として彼女のことを見ているようだ。

 

 それが『オイナリサマ』との正しい付き合い方なのかはまだ分からないが、礼儀がなっていないよりはマシであろう。

 

「…そうだぞ、祝明」

 

 横で狐のように転がっている祝明を窘める。

 

「…え?」

「いや、流石にその体勢はくつろぎすぎじゃないのか?」

「オイナリサマは”楽にしていい”って言ってたよ」

 

 いやしかし、初めて上がる建物の敷地内でその姿勢はマズいと俺は思う。

 

「だが、限度というものが…」

「神依君こそ、そんなガッチガチに正座しなくてもいいんじゃないの?」

「俺はその、神社生まれなものでな…!」

 

 正直ものすごく緊張している。

 

 …え、神様? しかもお稲荷様? 本物?

 

 例え偽物だとしてもこんなにオーラを放っている存在に出会うことなんて普通一生に一度だってないぞ。

 

「もしかして、全部夢なのか…?」

 

 ジャパリパークもサンドスターも全部想像の産物で、俺がここに来ているのも全部夢の中の出来事。

 

 そして、ここに来た()()だって…

 

「…ッ!?」

 

 …違う、それは、ダメだ。それを夢にしてはいけない。

 

「神依君、どうしたの?」

「大丈夫、つねれば痛い、夢じゃない…!」

 

 問題ない、この空間の神々しさに当てられて少しおかしくなっただけだ。それに歩き疲れてもいたしな。

 

 もう少し時間が経てば、完全に本調子に戻ることだろう。

 

 

「…お待たせしました、美味しい抹茶ですよ」

「あ、ありがとうございます…!」

「もう、楽にしていいんですよ。そこの彼くらいになると…ふふ」

「おい、やっぱりくつろぎすぎだとさ」

 

 軽くわき腹をつついてやれば、祝明もやっと起き上がる。

 

 しかしオイナリサマを目の前に緊張する訳でもなく、平気そうな顔で抹茶を飲み干してしまった。

 

「おかわり、貰える?」

「ええ、少し待っててくださいね」

 

 まるで前からの知り合いのように振舞う二人の様子に俺は度肝を抜かれてしまった。

 

 万一にもオイナリサマに聞こえないようコッソリと小声で話しかけてみる。

 

「おい、緊張しないのか? 相手はオイナリサマだぞ…?」

「別に、白い毛ならイヅナの方が綺麗だし。それにただの神様でしょ?」

「そ、そうか…」

 

 何と言うか、最近は祝明も()()()()だ。俺と会った頃はもう少し初心で、常識に溢れていた気がするんだけどな。

 

「でも、抹茶はすごく美味しいね」

「…確かに、美味いな」

 

 今俺の前で赤い瞳で笑う祝明も、昔は黒い瞳をしていたそうな。

 

 ”朱に交われば赤くなる”、()()()()そういうことか。

 

「あーあ、茶柱立たないかな」

「…いや、抹茶でそれは無理だろ」

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…そろそろ、よろしいですか?」

「神依君、敬語似合わないね」

「と、時と場合ってやつがあるんだよ…!」

 

 祝明にからかわれる俺を、オイナリサマは微笑ましそうに眺めている…ように見える。

 

「本当に堅くならなくていいんですよ」

「では…じゃあ、努力してみる」

 

 今更ながら、この中で感覚が違うのは俺だけなのだと思い知らされる。

 

「うふふ、頑張ってくださいね」

「あ、ああ…」

 

 髪の毛を整えるふりをして、そっと目を逸らした。やっぱり、オイナリサマは美しすぎて却って目に悪い。

 

 …バレてないよな、この目線。

 

「さて、何処から話せばよいでしょうか」

「僕はオイナリサマとこの場所のお話が聞きたいな」

「あら、良いのですか? 私に用があるということですけど…」

「そうなんだけど、この不思議な場所のことが気になっちゃって」

 

 するとオイナリサマから尋ねるような目線が向けられたので、俺は小さく頷いた。

 

「…分かりました。では私の紹介からしましょう」

 

 テーブルを揺らし、勢いよく音を立ててオイナリサマは立ち上がった。

 

 …ビックリした。

 

「改めまして、私はオイナリサマです。ジャパリパークの守護けものとして、長きにわたって見守ってきました」

「じゃあ、キョウシュウのことも知ってるの?」

「はい、ですが最近はあまり時間が取れなくて…お二人はキョウシュウから来たそうですね」

「うん、テレポートで飛んできたんだ」

 

 あっさりテレポートの事実を告げる祝明に、オイナリサマも軽く苦笑いを浮かべた。

 

「テレポートですか…またとんでもないものを…」

 

 その後祝明がイヅナの存在を伝えると、オイナリサマはいくらか腑に落ちたように首を縦に振った。

 

「なるほど。外からの妖狐がいるのであれば、それほどおかしな話でもないですね」

 

 曰く、サンドスターの力とも違う妖力を大量に持つ外の妖狐なら、テレポート以上の妖術を扱うことも出来るという。ヤバすぎだろイヅナ(アイツ)

 

 なあ爺さん、神社にいる間にとんでもない妖術を教えてたとかそんな話は無しだぜ…?

 

 

「じゃあさ、次はここのこと教えてよ」

「結界のお話ですね、分かりました」

 

 神様はおもむろに立ち上がり、襖を全開にする。

 爽やかな風と共に、視界に鮮やかな空が再び舞い込んできた。

 

「ここは私の神社、そして私が作り上げた結界の内側です。あの空の虹色は、結界を張るのに使ったサンドスターの色なんですよ」

 

 彼女が空を指差し降ろすと、雲の中から虹色に光るキューブが落ちてきた。

 

「ほら、これがあの雲の色を作っているんです」

「そっか、そうだったんだ…」

「じゃあこの神社は元々、この山にあったものなのか?」

「それは…少し違います」

 

 襖を閉めて、再び座布団に腰を下ろしたオイナリサマ。今度はどこか懐かしむように、建物の中から空を仰いだ。

 

「この神社も、元々はもっと北にありました。この結界は建物を隠すだけではなく、移動させる為にも張ったものです」

「やっぱり、隠す力もあるんだな」

「そうでなければ今頃、ここはフレンズのみなさんで溢れているでしょうね」

 

 ”賑やかな光景も嫌いではないけど、私は守護けものですから”

 

 そう言って笑うオイナリサマに、俺は神様の抱える複雑な事情を垣間見た気がした。

 

 それにしてもなるほど…結界か。

 

 覆い隠す力のみならず移動も出来ると聞いてしまえば、やはり神様。イヅナにも一切劣らない能力を持っていると思わざるを得ない。

 

 というか、真正面から戦えばオイナリサマが勝つんじゃないか?

 

「この神社、場所を変えられるの?」

「かなり疲れますが、結界ごと動かしてしまえば結構簡単なんですよ」

「…すごい」

 

 ただ、祝明にそれを言っても良い思いはしないだろうな。

 俺はぬるくなった抹茶と一緒に、この客観的な考えも飲み込んだ。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「では今度は、お二人の話をお聞きしたいですね」

「そうだね、もう気になることも大体分かったし。いいよね、神依君」

「ああ、俺も賛成だ」

 

 というか、ようやくだな。

 ついにキョウシュウに帰れる。勿論、オイナリサマが願いを聞き入れてくれればの話だが。

 

 しかしそれも、まず頼んでみなければ分からない話だろう。

 

 ここまで話を祝明に任せきりにしていたこともあるし、ここは俺が事情の説明を買って出ることにした。

 

「俺たちのお願いっていうのは、さっき言ったテレポートに関わる話なんだ」

「ふむ…となると」

 

 オイナリサマもうんうんと頷く。これなら大体伝わったようだな。

 

「察してくれた通り、俺たちは帰れなくなった。テレポートの魔法陣を起動する妖力ってやつがどうしても足りなくてな」

「やはりそうですか…」

「…もしかして、難しい?」

「いえ…まあ、少しだけ面倒にはなりそうですね」

 

 そう呟く通り、オイナリサマの表情はイマイチ浮かばない。

 その原因もついさっきの会話を振り返れば、少し思い当たるところがある。

 

 例えばサンドスターの力と妖力が全くの別物だったなら、オイナリサマにも対処が厳しいかもしれない。

 

 イヅナはサンドスターも妖力もどうにか操れるが、それはアイツ特有の『記憶を操る力』を悪用した裏技みたいな使い方だ。

 なんだ、やっぱりアイツも滅茶苦茶じゃないか。

 

 まあ兎に角、神様にも出来ないことの一つや二つはあるだろう。

 

「いえそんな、暗い顔をしなくて大丈夫です! 何て言ったって私は神様ですから、必ず何とかしてみせますよ!」

「ほ、本当か…?」

「勿論です、信じる者は救われます!」

「神依君、本当に出来るか怪しくない…?」

「いや、信じよう…信じるしかない」

 

 こんなに美しい神様が、しかもあのお稲荷様”必ず”と言ってまで俺たちの手助けをしてくれるのだ、その言葉を信じなくてどうする。

 

「神依君も、そういう顔するんだね…あ、ううん、何でもない」

「お、おい、()()()()()ってどういう顔だ?」

「…何でもないから」

 

 ありゃ、黙っちゃった。ま、気にする程でもないか。

 

「あ、あの…一ついいでしょうか?」

「…ん?」

 

 声のする方に顔を向ければ、先程とは打って変わってもじもじとした態度のオイナリサマ。…どうしたんだ?

 

「そのですね、やっぱり私も神様なんです。お供え物が欲しいんです。そう、作りたての稲荷寿司が!」

「それなら任せてくれ、料理は得意なんだ」

「えへへ、ありがとうございます」

 

 少女のように可憐に笑う神様に一瞬視界がクラッと歪んだ。

 

「それで、お寿司の数なんですけど」

「ああ、幾つだ?」

 

 オイナリサマは一瞬ためらうように口元を覆い、やがて意を決したように静かに注文を口にした。

 

「…百個、作っていただけますか?」

 

「…百?」

「はい」

「一、十、百?」

「…はい」

「九十九の一つ上?」

「……はい」

「百鬼夜行の百…なのか?」

「はい、その通りです…!」

 

 稲荷寿司一つをおよそ50g、作るのにかかる時間を適当に一分としよう。

 

 …5kgの寿司を、一時間四十分掛けて作り続けるのか。いや注文(オーダー)キツすぎるだろ。

 

「一応聞いておくが、そんなに食べきれるのか?」

「それは安心してください。こう見えて私、神話級の胃袋を持っていますので!」

 

 そりゃ、本物の神様だもんな。

 

 だがそうか。稲荷神社は全国展開で、大量のお供え物が毎日のようにお稲荷様の元へと届けられる。

 

 生半可な胃袋では処理しきることなど到底不可能であろう、まあ納得だな。

 

「それともう一つ、冷める前に食べてくれよ?」

「私を誰と心得ますか、早食いだって強い神様、オイナリサマですよ」

 

 初耳だな、お稲荷様は早食いも得意だなんて。

 そんなこと、爺さんは一度だって教えてくれなかったよ。

 

「よし、頑張って作ろうね、神依君!」

「そして、なんで祝明はそんなに乗り気なんだ…?」

 

 

―――――――――

 

 

 そんなこんなで話はまとまり、俺たちは稲荷寿司を作ることとなった。

 

 途中、オイナリサマが油揚げを摘まみ食いしたり、祝明が普段の癖でサンドスターを入れようとしたりするなどトラブルは少々あったが、結果として何事もなく百個の寿司を作り終えることが出来た。

 

 …ああ、精神は擦り減ったがな!

 

 ともあれ、これで大仕事も終わりだ。キョウシュウに帰るまでゆっくりできる。

 

 大きく伸びて深呼吸をしているところに、ご機嫌な様子のオイナリサマがやって来た。

 

「神依さん、あの稲荷寿司とっても美味しかったです」

「ああ、それはよかった」

 

 神様の口にも合ったようで何よりだ。

 

 俺が危機感もなくそんなことを考えていると、オイナリサマはお寿司を飲み込んだその喉で、とんでもない爆弾発言を吐き出した。

 

「あんなお寿司をこれから毎日食べられるかと思うと、私本当に幸せです!」

「…え?」

 

 毎日、俺の稲荷寿司を食べる? 何を、言ってるんだ…?

 

「きょ、今日で終わりじゃないのか…?」

「もう、何を言ってるんですか。あの百個はただの()()料です、神様である私が直々に助けてあげるのですから、生半可なお供え物で足りると思わないで下さいね!」

 

 そう言って、オイナリサマは意気揚々とその場を去っていく。

 俺はその後姿を、まるで時が止まったかのように固まって眺めることしかできなかった。

 

 ああ、神様。

 俺は今日からしばらく、稲荷寿司製造マシーンとしてオイナリサマにこき使われるらしいです。

 

 でも、それも悪くないかもしれない。

 お寿司を頬張って笑顔を浮かべる美しい神様を見たら、そんな事さえ思ってしまう。

 

「けど流石に、毎日百個って訳じゃないよな…ハハハ…」

 

 うわ言のように呟いた言葉が願望まみれの希望的観測だったと気付かされる時は、そう遠くはなかった。

 

 



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Ⅲ-127 イヅナとイナリ

「はぁ……」

 

 チクタクと針の進む音が静かな部屋に響く。気持ちが悪いほど規則的に、無感情な音を撒き散らす。

 

 最初は退屈しのぎになったその音も、今となっては退()()の範疇に取り込まれてしまった。

 

「イヅナちゃん、今日のジャパリまんよ」

「今日のって言ったって、ずっと同じじゃん」

「ええ、そのセリフもずっと同じままね」

 

 ギンちゃんは昨日と同じように笑いながら同じようにジャパリまんを千切って、また昨日と同じように私の口に押し付ける。

 

 まるで同じ一日を繰り返しているようで、退屈を通り越して不愉快だ。

 

「……」

 

 今まではここで、ギンちゃんに『私を揶揄ってるの?』って尋ねてたんだっけ。

 

 そして『イヅナちゃんがそう思うならね』とまた、変わり映えのしない答えが返ってきていた。

 

「…どうかした?」

「ううん…ただ、楽しそうだなって」

 

 これまでと違う問いかけにギンちゃんは驚いたように目を細めて、平静を装ってまず一言、こう返した。

 

「あら、そう?」

「うん、本当に楽しそうだよ。私も()()()()してみたいな」

「うふふ、残念だけどそれは無理ね」

 

 細い目から向けられたのは見下すような、それでいて無関心であるような視線。

 

 野生動物に例えるなら獲物を見る目で、私に当てはめるならノリくん以外の有象無象を見つめる目。

 

 それ以上は会話もせず、ギンちゃんは今朝の給仕を終わらせた。

 

 

 一人暗い部屋に残された私は、今日もまた実らない思考に水をやる。

 

「このロープさえ解ければ…って、散々試したんだよね」

 

 私を縛るこのロープは、皮肉にも私が掛けた”妖力封じの術”で私を盤石に縛り付けている。

 

 フレンズになっても妖狐は妖狐。

 妖力に制限を掛けられればイマイチ体の力も出ないし、狐火もロープを燃やす前に掻き消えてしまう。

 

 まあそもそも、ロープには耐火加工をしてあるんだけどね。

 

「でも、こんな風に使うためにやったんじゃないよ~!」

 

 蝋燭から引火しないようにって思って付けたんだけど、こんな形で裏目に出るなんて思いもしなかった。

 

「ノリくん、元気にしてるかな…?」

 

 ああ、心配だな。

 本当ならホッカイにも私と一緒に行く予定だったのに…あのセルリアンのせいで!

 

 不幸中の幸いと言えるのは、一緒に神依くんが飛ばされてくれたことかな。

 

 神依くんなら万が一にもノリくんに手を出す心配はないし、ノリくんも――彼なんかが拠り所になるなんて癪だけど――独りきりよりは心強いはず。

 

 それに神依くん()()()、出来ることだってあるんだしね。

 

 

『――神依君、こっちの食べ物は準備できたよ』

 

「ふふ、ノリくんの声だぁ…!」

 

 

 そう、それはセルリアンである彼の感覚を経由したテレパシー。

 

 ノリくんと直接繋がるのとは違って機械的な、むしろ()()()()()()()とも言うべきテレパシーの応用術。

 しかも妖力じゃなくてごく少量のサンドスターを使うから縄対策も万全。

 

 …なんで私、この縄にサンドスター耐性まであげちゃったんだろ。

 

 まあとにかく…あの二人に捕らえられて暇な時間が生まれたからこそ、私はこれを開発できたのだ。

 

「うふふ、あの時に仕込んでおいてよかったなぁ」

 

 ”あの時”とは勿論、神依くんをセルリアンとして無理やり生き返らせたときのこと。

 

 当時の私に先見の明があったからこそ、離れていてもノリくんの声や姿を()()手に入れることが出来る。

 

 ありがとう、私。

 

「ふふふ、何がジャパリフォンよ。ノリくんとの愛と私の力があれば不可能なんてないもんね!」

 

 もしノリくんの声がずっと聞けないままだったら、私はおかしくなっていたかもしれない。

 ギンちゃんたちのあの行動だって、それが目的かもしれない。

 

 …もちろん、絶対にそうはならないよ!

 

「この感じなら、帰って来るまであと四日くらいかなぁ」

 

 窓の向こうの空を眺めて、雲のように流れる時間を無為に過ごす。

 

 今日もそうしようと思っていたんだけど何故だろう。何か一つが変わると、波が押し寄せるように普段と違う出来事が沢山やって来るのだ。

 

 そして今回の()()は、私が夢見てやまない海の向こうから訪れた。

 

 

「…うん、分かった。ボク、待ってるからね?」

 

 誰かと話すキタちゃんの声が、足音と一緒にこちらへと近づいてくる。

 

 あれはきっと電話だ、ノリくんと話しているんだ。

 そして声が近づいてくるってことは、きっと私とも話してくれるってことなんだ!

 

 心臓が激しく脈を打ち始めた。

 

 テレパシーとは違う、ノリくんが私だけに向けてくれる言葉。

 

 好き好んで見たいとも思わないキタちゃんのことも、今は待ち遠しくて仕方が無かった。

 

「早く、早く来てよ…あ!」

 

 一秒を一分に引き延ばしたような待ち時間の末、ようやくキタちゃんは私の前に姿を見せた。

 

 気だるげに私を見つめる彼女の手には、赤色のジャパリフォンが力なく握られている。

 

「ほらキタちゃん、早くそれを渡して!」

「あぁ…うん…」

 

 釈然としない様子のキタちゃんは携帯を投げて渡した。

 

 私がノリくんと話すのがそんなに気に食わないのかしら。ふふん、ご愁傷様。

 

「もしもしノリくん、待ってたよ! あのね――」

『あの、私は”ノリくん”ではないのですが…』

「え…?」

 

 意外にも電話から聞こえてきたのは女の声。私が唖然として固まっていると、その女はこちらの気も知らずに名乗り始める。

 

『初めまして。私、オイナリサマです』

「………は?」

 

 謀ったか…おのれ、キタちゃんめ。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

『それで、一応そちらにも連絡を入れておこうと思って…』

「ああ、そうなの…」

 

 なんでノリくんじゃないの、死んじゃえばいいのに。

 

 というか何その理由、保護者か何か? 死んじゃえばいいのに。

 

 そうだ、コイツ今ノリくんと一緒の建物で寝泊まりしてるんだった。…死ね。

 

『はい、お元気なので安心してくださいね! 必ず無事にそちらへお帰ししますので!』

「うん、ありがとうね」

 

 ま、ノリくんさえ返してもらえば後はどうでもいいんだけど。

 

「でも、用件はそれだけ?」

『…イヅナさんは鋭いですね』

「まあね…ってあれ、私名乗った?」

『いえ、コカムイさんからあなたの話を聞いたんです。キタキツネからも、あなたに代わると聞きましたし』

 

 ふーん…って、ノリくんが私の話を? すごく気になる、一体どんな風に話したんだろう。

 

 電話の向こうのオイナリサマとやらは、そんな私の疑問を察したように言葉を続けた。

 

『コカムイさんからは、可愛くて毛並みが綺麗で頭が良くて…とにかくべた褒めでしたね』

「あぁ…っ!?」

 

 べた褒め。ノリくんが。私を。…どうしよう、とっても嬉しい。

 

 もうオイナリサマの用件なんてどうでもいい、この気持ちだけで百年は生きて行けるような心地がする。

 

『あのー、イヅナさんー?』

「……あ」

 

 あ、危ない。もう少しで魂が完全にこの世との繋がりを絶ってしまうところだった。

 

 もうすぐノリくんも帰って来るんだから、まだ満足しきっちゃダメだよね。

 

 今度は口から直接その言葉を聞かないと! うふふ、ノリくんの恥ずかしがる姿が想像できる…かわいいなぁ…!

 

『…あの、イヅナさん?』

「…………はっ!」

 

 またまた危ない。あとちょっとで私の心が妄想に完全に浸って現実を拒絶してしまうところだった。

 

 ノリくんは現実にいるの。今も『セルリアン(神依くん)テレパシー』を通じて私にその声と姿を見せてくれているの。

 

『ねぇ、そこのお醤油取ってくれる?』

 

 ああ、出来ることなら私が取ってあげたい。

 そしてさりげなく指と指を絡ませて、そのまま…

 

「うふふ、うふふふふ…!」

『…あの、イヅナさんッ!』

「えっ!? な、何かあった?」

『”何かあった?”じゃないですよぉ…』

 

 どことなく弱った声のオイナリサマ。

 よく分かんないけど、困ってるならいいや。私を騙した罰だ疫病神。

 

『妖狐であるあなたに頼みたいことがあるんです、聞いていただけますか?』

「まぁ、内容によるけど」

 

 どんな形であれ、彼女は今ノリくんの身柄を預かっている。

 ノリくんを余計なことに巻き込ませないように、神様の機嫌には気を遣わないと。

 

 間違っても、「死ね」とか思っちゃダメなんだよ?

 

『お二人の帰還に、深く関わる話です』

「…聞かせて」

『はい、実は――』

 

 …そして私は、神様のお悩みを解決してあげた。正確には、アドバイスをしただけなんだけどね。

 

 ノリくんが帰ってこれるかどうかに関わるなら、手を貸さない選択肢は初めから用意なんてされてない。

 

 でも、その()()()の顛末はここでは省くね。

 だって…あんなの話したってつまんないし。

 

 まあ機会があったら、後で分かることなんじゃないかな。

 

『イヅナさん、ありがとうございました』

「…ノリくんのこと、絶対無事に帰してよね」

『ええ、約束いたします。それでは…』

「あ、ちょっと待って」

 

 見るからに電話を切られそうな雰囲気だったから、やや食い気味に言葉を止めた。

 そう、私にはこんな疫病神との会話よりやるべきことがあるんだ。

 

「ねぇ、ノリくんと話させてよ」

 

 だからキタちゃん、まだこのジャパリフォンは返せないよ。

 

 

―――――――――

 

 

「ノリくーん! ずっと話したかったよー!」

『あはは…ごめんね? 忙しくってさ』

「ううん、良いんだよ」

 

 ノリくんじゃなくても知らない土地に飛ばされたら、落ち着いている暇なんて無いのはよく分かってる。

 だからむしろ、今日こうして電話を掛けてくれたことがすごく嬉しい。

 

 それにお話できなくても私には…うふふ。

 

 …ああ、ダメ! 私の妄想なんかより、ノリくんの声の方が大事だよ。

 

『イヅナはその、まだ…縛られてるの?』

「そうなの、二人とも冷たくって…およよ」

『こればっかりは、僕がお願いしても聞いてくれなくてね…』

「え、そうだったの?」

 

 やっぱりノリくんは優しいな、自分が厳しい状況の中にいるのに私のことまで気遣ってくれるなんて。

 

『でも、説得には失敗しちゃったから…』

「それでも嬉しいよ!」

 

 だって大好きなノリくんが優しくしてくれるだけで、他のことなんてもうどうでも良くなるんだもの。

 

「えへへ、オイナリサマから聞いたよ。私のこと…沢山褒めてくれたんだよね」

『あっ、それは…あはは』

 

 困ったように笑うノリくん。きっと、電話の向こうではほっぺたを掻いているに違いない。ああ、かわいい。

 

「今度は私の隣で、私に直接聞かせてね」

『う…わかったよ。だからイヅナも…僕に聞かせて?』

「もちろん、約束だよ!」

 

 はにかむノリくんの表情も、想像してみるとたまらなくかわいかった。

 

 

―――――――――

 

 

 

 帰ってきた後の約束をノリくんと取り付けた私は、電話を切ったジャパリフォンをキタちゃんと同じように投げて返した。

 

「ズルいよ…イヅナちゃんばっかり」

「私の縄を解いてくれたら、ノリくんも説得以外の言葉を聞かせてくれるかもだよ?」

「…やだ」

「あーらら、頑固だね」

「だって、ギンギツネとの約束もあるもん」

 

 へぇ、ギンちゃん()()約束ね。

 

 ”ノリくん以外と交わした言葉なんてゴミ同然に扱う女の子”の一人であるキタちゃんがわざわざ大事にする約束なんて、きっと碌でもないモノだろうね。

 

 うふふ、もしかして脅されてる?

 

 昔に、キタちゃん自身がギンちゃんを脅してノリくんを監禁したみたいに――

 

「別に、抜け駆けされないようにしっかり縛っておくってだけの約束だよ」

「もう、私ったら信用されてないんだね?」

「……」

「…あれま、行っちゃった」

 

 用済みとばかりに私を無視して消えたキタちゃん。

 というか用済みって言いたいのは私の方だけど、この際それはいいや。

 

 

 何はともあれ、ハプニングまみれのホッカイ旅行も何事もなく終わってくれそうでよかった。

 

 神依くんを通して最初にホッキョクギツネちゃんを見た時は、危うく呪い殺そうとするところだったよ。

 

 だけどノリくんとも疎遠になってくれて、程よいタイミングで別れてくれて助かったな。

 

 次に現れたオイナリサマもどちらかと言えば神依くんの方を気にしている様子だし、今回のMVPは神依君に決まりだね。

 

 意識外のところで大活躍してくれる頼もしいセルリアンくんだなぁ。

 

 きっとこの先も、彼は変わらぬ活躍を見せてくれることでしょう。

 

「だーけど、まだ少し懸念も残ってるんだよね…」

 

 その不安の発生源は他でもないオイナリサマ。

 

 名前を聞いた時はこれ以上ないほど頼もしい協力者だと思ったけど、彼女の悩み事を知ってしまえばその信頼にもハテナマークが付く。

 

 まあ、だからこそのアドバイスだし、リュックに入れた魔法陣の見本だ。

 

「お願いだからちゃんとしてよね…神様?」

 

 どうか、私の『カミサマ』を無事に帰してくれますように。

 

 それだけが、私がかつて信じていたお稲荷様への願い事だよ。

 

 



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Ⅲ-128 オイナリサマに出来ぬコト

 僕の朝は、いつも誰かに起こしてもらうことで始まる。

 

「…祝明、もう昼だぞ」

 

 前言撤回、朝じゃなかった。

 

 …でも、朝って何だろう?

 

 この世の時間は何を以て『朝』と定義されるのだろう。それ次第では、今この時間だって朝と呼んでも差し支え――

 

「起きろ」

「いてててっ…分かったよ、起きるってば!」

 

 耳を乱暴に引っ張られる痛みに負けて、僕は渋々布団から出ることにした。

 

「うぅ…ギンギツネはもっと優しく起こしてくれるのに…」

「ぶっちゃけ、甘やかしすぎだと思うんだがな」

「あはは、羨ましいなら神依君もオイナリサマに頼んで優しく起こしてもらったら?」

「…ま、寝起きが良さそうで何よりだ」

 

 呆れるように首を振って、神依君は立ち上がる。扉の間際で振り返ると、もう一度僕に催促をした。

 

「もう昼ご飯は出来てるから、さっさと来いよ」

「…うん」

 

 神依君も気に入ると思うんだけどな、ぐっすり寝るの。

 

 そんなことを思いながら、僕は布団の中に再び潜り込んで二度寝を…

 

「…さっさと来いって言ったよな」

「あと…あと五年…」

「お前は神話の生き物か!」

 

 ズルズルと引っ張られていく僕は、三人のいるあの雪山が本当に恋しくなる頃だった。

 

 訪れるべし、ホームシック。

 

 

―――――――――

 

 

「キツネが百二十七匹、キツネが百二十八匹…」

 

 朝ご…じゃなくてお昼ご飯を食べ終えた後、僕は半ば強引に外へと放り出された。

 

 “運動して目を覚ませ”って何さ、疲れたら眠くなるんだってば。

 

「…あら、コカムイさん」

「百四十よ……ん、オイナリサマ?」

 

 声に呼ばれてそちらを向けば、オイナリサマは赤いお花畑で水やりをしていた。

 

 …指先から涼しそうな霧が広がってるから、多分水やりだと思う。

 

「眠たそうですね、今日もお寝坊ですか?」

「まあ…何と言うか習慣でね」

 

 そう答えると、オイナリサマはお淑やかに笑ってまたお花の方を向いた。

 

「…それって、何の花?」

「このお花ですか。彼岸花って名前です」

「あぁ、これが…!」

 

 揺らめく花びらはまるで炎で、一面に広がる赤色は血の海のようにも見える。

 

「うふふ…炎ですか」

 

 無意識のうちに呟いていたのか、オイナリサマが繰り返す。そして彼岸花を一本摘み取り、僕に向けて手渡した。

 

「知っていますか? 彼岸花には『狐の松明』っていう別名があるそうですよ」

「松明かぁ、ピッタリだね」

 

 指で弾くとピコンと跳ねる花びら。

 その様子が妙に可愛らしくて、ついつい食べたくなってしまう。

 

「あ、彼岸花には毒があるので気を付けてくださいね」

「毒っ!? ど、どの辺りに…?」

「全体に、満遍なく」

「茎も、葉っぱも、お花も?」

「それと球根もですね」

 

 何それ危ない。このお花畑、血の海じゃなくて毒の海だった。

 

「でも、しっかり毒抜きをすれば美味しく食べれるんですよ! 今朝の朝ご飯もこのお花の球根を使いましたから」

「…僕、朝ご飯食べてないけど」

「あらら、そうでした。じゃあ夕ご飯にも出しちゃいましょう」

「ありがとう、楽しみにしてるね」

 

 これから毒抜きをするらしい球根を幾つか籠の中に入れて、オイナリサマは神社の本殿へと入っていった。

 

「…あ、少しいいですか!?」

 

 …と思ったら、すぐに出てきた。

 

 

―――――――――

 

 

「あの、私から一つお願いがあるのです」

 

 最近どこかで聞いたような台詞を聞いて、僕は反射的に背筋を整えた。

 

 いや、まあ、一応神様だしさ?

 

「そ、そんなに緊張しないでください! 私の方が…深刻ですから…」

「あ…うん…」

 

 その申告通り非常に深刻な表情をするオイナリサマを見て、もう言葉通りに体の緊張を無理やり解すしかなかった。

 

「では本題に入ります。とりあえず、ついて来てください…」

 

 そう言って、オイナリサマは彼岸花畑の中を通って向こうへと歩いていく。

 

 僕はその後ろを、花を踏まないよう毒を食わらないよう戦々恐々としながらついて行った。

 

 やがてオイナリサマが立ち止まる。

 

 その足元には、何度も見た模様が描かれていた。

 

「これって…魔法陣?」

「コカムイさんなら、これが何の魔法陣か分かりますよね」

 

 僕はうなずく。何度も見たし、テレポートの魔法陣に間違いない。

 

 というか、テレポート以外の魔法陣を僕は知らない。あれ、もし違ってても判別付かない? 急に怖くなってきた。

 

「あなたが思っている通り、これは()()()()のための魔法陣です」

 

 それ見ろやっぱり違うじゃん!

 テレポートじゃなくて瞬間移動…って、言い換えただけか。ビックリした。

 

 でも、何か問題があるのかな?

 見たところ、不完全な部分があったりするようには思えないんだけど。

 

「で…お願いって?」

「お、教えていただきたいのです。『妖力』…とやらの使い方を」

「……え?」

 

 意外にも、オイナリサマにも出来ないコトがあったようだ。

 

 

―――――――――

 

 

「そっか、オイナリサマにも使えないんだね」

「ええ…神様である私は、サンドスターさえあれば大抵のことはどうにかできましたから」

 

 それも相当に凄いことだと思うけどな。

 さっき指先から撒いていた霧も、全部サンドスターを使って何とかしてた訳でしょ?

 

 …むぐぐ、神様ってすごい。

 

「それで、そっか…僕はある程度使えるから」

「お願いです、どうか私に御指南ください!」

「指南って…特に意識してやってる訳じゃないんだけど…」

 

 大体それに、やることと言ったら狐火出すくらいだし…

 やっぱり、もっとイヅナから教えてもらうべきかな。

 

「いえ、妖力を少し流し込んでいただくだけで十分です」

「な、流し込むだけ?」

「はい、大体の感じを掴めれば問題ない気がしますから!」

 

 敢えて言うよ、何でもありの神様め。

 

 でもまあ、呑み込みが早いなら――()()言うのも烏滸がましいかもしれないけど――()()()方としても楽だ。

 

 妖力を誰かに…というかイヅナとかキタキツネとかギンギツネに流し込んだ経験はある。ごく普通の意味で。

 

 あの時はねだられてやったんだけど、やけに心地よさそうにしていた。

 まあ、手を繋いでいたからかもしれないけど。

 

「…どうかしました?」

「少しだけ、考え事を」

 

 そう、経験があるから問題ないかと言われればそれも違う。特に精神面のことを考えれば。

 

 例えば向こうに帰ってから、オイナリサマに妖力を貸したことを知られたら…いやむしろ、必ず知られるだろう。テレパシー恐るべし。

 

 そうなれば、イヅナは不機嫌…で済めば良い方で、最悪の場合は殴り込みに掛かる。

 

「…私の顔に、何か?」

「ううん、何もないよ」

 

 規格外の強さを誇るオイナリサマなら、イヅナに対して遅れを取ることもないと思う。

 イヅナの本気度合いにもよるけど、ある程度は拮抗した激しい戦いになるはずだ。

 

 そうしたら多分、少しの怪我では終わらないと思う。なるべくなら、イヅナに痛い思いはさせたくない。

 

 だから、そんな未来につながる恐れのあるこの選択肢は選べない。

 

 

「…そろそろ、決断してくれましたか?」

「うん…決めたよ」

 

 でも大丈夫、僕には第三の選択肢がある。

 

 かつては僕の為に博士が用意してくれたようなある種の逃げ道を、今度は僕自身の手で見つけて選ぶことが出来るのだ。

 

「妖力は…神依君から貰ってくれるかな」

 

 神依君にも、魔法陣に必要な妖力の一割程度なら備わっている。

 

 少し流し込むだけで十分なら、彼の持つ妖力量で十分事足りるに違いない。

 

「……」

「あ、あれ、オイナリサマ?」

 

 不思議かな、オイナリサマは固まって返事が無い。

 

「…ハッ!」

「あ、気が付いた。大丈夫?」

「え、ええ…問題ありません。それで…お答えは?」

 

 あらら、気絶してる間に忘れちゃったのかな。まあ減るものでもないし、もう一回言おう。

 

「妖力なら、神依君に融通…」

「か、神依さんにっ!?」

「う、うん…?」

 

 どうしたんだろうオイナリサマ。

 もしかして、密かに神依君のことを嫌ってたり…?

 

「わ、分かりました。神依さんに頼んできますね!」

 

 疾風のごときスピードで走り去っていくオイナリサマ。

 

 走っているせいとは思えない程上向きに大きく揺れる尻尾。もしかして…()だったのかな?

 

「まあいいや、あとは神依君に任せよっと」

 

 やっぱりどんな形であれ、仕事は好きじゃないもんね。

 

 さあ、なんか眠いから寝てしまおう。怒られないように、神依君に気づかれない場所で。

 

 そうだ! お花畑で寝るっていうのも、結構ロマンチックでいいかもしれない。

 

 彼岸花の中に体を沈める僕は、襲い掛かる眠気のせいで全てを忘れてしまっていた。

 

 

 …そう、花の中で赤く迸る毒のことさえも。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「あーうー…クラクラするよぉ…」

 

 二度寝上がりによくある眩暈か、それとも毒に当てられたのか。

 

 何を考察しようと気分が悪いという現実は変わらず、僕が求めるものも冷たい水以外にありはしなかった。

 

「ホント、ついてないや」

 

 この神社っておみくじはあるのかな? あるなら引かせてもらいたい。中身は全て大吉で。

 

「おみくじなんて、全部大吉でいいよね…!」

 

 ついでに、花占いも全部『大好き』で構わない…というのはイヅナの談。

 

 都合の悪いことなんては全て捻じ曲げてしまおうというイヅナのやり方を考えれば、そんな占い方も納得かもしれない。

 

 それに僕は…そういうのも嫌いじゃないしさ。

 

「ぷはぁ…生き返るなぁ…!」

 

 柄杓に掬った御手水を一杯、一気に呷って飲み下す。

 あれ、飲んでも良い水だったっけこれ。まあいいや。

 

「でもそっか…もうすぐ帰れるんだね」

 

 最初に神依君と二人でここに飛ばされた時は、これからどうしようって本気で悩んだっけ。

 

 帰り道も無くなって、行く当てだってそもそも無くて。僕達が短い時間でここまで辿り着けたのも、巡り合わせが良かったからに他ならない。

 

 …じゃあ、神様にお礼参りでもしておこうかな?

 

「丁度ここ神社だし、悪くないかも」

 

 お仕事は神依君に押し付けて暇になったことだし、そうしよう。

 

 僕はすぐそこに見える拝殿まで、悠々と足音を鳴らしながら歩いていった。

 

 

―――――――――

 

 

「ええと…どういう順番だったかな…」

 

 とりあえず、思い出せる限りはその通りにしてみよう。

 

 …お賽銭箱の前に立って、まずはお賽銭。

 

 その次には鈴…だけどこの神社には鈴が無い。 じゃあこれは飛ばしていいね。

 

 最後は、拍手でもしておけばいいんだっけ?

 

「…やるだけやってみよっか」

 

 最初にお賽銭。生憎お金の類は一切持っていないから、サンドスターを固めて五円玉状にしたものを賽銭箱に放り込む。

 

 カランと乾いた箱の音は、空っぽなことを教えてくれた。

 

「まあ、参拝客なんていないもんね」

 

 若干寂しい気持ちになりながら、パチパチと二回手を叩く。

 

 今まで色々と、ありがとうございました。

 

 そしてどうか、三人の元へ無事に帰ることが出来ますように。

 

 

「…ふふ」

 

 向こうから喧騒が聞こえる。

 

「神依さん、ほんの少しだけですから!」

「分かった、やるから! 頼むから少し落ち着いてくれ!?」

 

 心が静まる水の音と、元気で騒がしい彼らの声を聞いて、僕の胸に何かがこみ上げてくる。

 

「あ…く、苦しいかも…」

 

 こみ上げる毒の残滓に僕は舌を噛み、今度は柄杓に頼ることなく顔を水に付けてガブガブと流し込んでいく。

 

「やっぱり…彼岸花の球根なんて食べられ……あ、ああっ!?」

 

 その時、僕は見てしまったのだ。

 

 あろうことか御手水に漬けられ、毒抜きをされている球根の数々を――!

 

 



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Ⅲ-129 落ちた御幣と拾われた心

「うぅ…ごめんね…?」

「全く、お前も不用心な奴だな」

 

 彼岸花の毒に当てられた祝明を寝かしつけると、太陽は一際赤く染まっていた。

 

 横になった祝明は時々苦しそうな呻き声を上げているが、一先ずさっきまでよりは楽になったように見える。

 

 だがしばらくは、彼岸花の球根なんて食べるどころか見たくもないだろうな。

 

「にしても、今日は疲れたな」

 

 妖力をオイナリサマにせがまれたと思えば、今度は祝明が毒に倒れた。

 

 これも向こうに帰る前の最後の一波乱だと思えば、少しは趣深く感じられるのか。

 

「いよいよその時も近いって訳だ」

 

 偶然に偶然の重なり合った予定外の旅路に、運命と呼びたくなるような出会い。

 

 オイナリサマ…昔爺さんが守っていた稲荷神社の、祭神様。

 

 もう二度と、稲荷のモノと関わり合いになることなんて無いと思ってた。本当に、何が起こるか分からないものだな。

 

「うぅ…お腹すいたぁ…」

「…分かった、お粥でも作って来る。だから大人しく待っとけよ」

「…うん」

 

 だがこの出会いも、向こうに帰る時が来ればお終いだ。

 

「…何か、話してみるか?」

 

 せめて最後に、会えなくなる前に。

 お稲荷様と、例えそれが完全な決別になってもいいから話がしたい。

 

 ついさっき結んだお粥の約束も忘れてしまうくらいの強い衝動が、俺の足を突き動かした。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 オイナリサマは、神社の離れにある書斎にいた。

 

 この建物は神社とは打って変わって洋風で、しかし森に隠れているから特に景観を損なうことも無い。

 収められている本は何万冊に達するだろう。ヒトの一生で、読み切ることは出来るのか。

 

 オイナリサマは入ってきた俺の姿に気づくと、読んでいた本を閉じてこちらに目を向けた。

 

「…コカムイさんは、落ち着きました?」

「ああ、オイナリサマの薬もやったし、このまま安静にしてれば問題ないだろうさ」

 

 俺に医学の知識はさっぱり無いが、外から見える症状は一通り収まっていた。

 

 薬にちゃんと効き目があれば、完治もそう遠い話ではない。…と伝えた。

 

「そうですか…良かったです。この一件は、私にも責任がありますから」

「…まあ、御手水で毒抜きしてたもんな」

「だって、参拝してくれるお客さんなんていなかったんです…!」

 

 顔を抑えて悲劇的に語っているが…そりゃそうだ。

 

 結界を通り抜けてまで参拝してくる猛者なんていないし、いたとしたらソイツに神は必要ない。

 

 もちろん言っても意味は無いから、俺の胸の中に仕舞っておくが。

 

「これからは気を付けような…?」

「はい、神に誓って」

 

 何言ってるんだこの神様。

 笑ってるってことは…ああ、ボケか。

 

「…それで、こんな時間にどうしました? コカムイさんの用事…ではないですよね?」

「ん、まあな」

 

 椅子を引いて差し出されたから、それに甘えて腰掛けることにした。

 

 すると向かいにオイナリサマが座り直して、俺たちは丁度見つめ合う形になった。

 

「話したいことがあるのでしょう? 私でよければお聞きします」

「ありがとう。でも、『私でよければ』なんて言わないでくれ」

「…え?」

「だってこの話は…オイナリサマ。貴女にしかできないから」

「……!」

 

 俺の言葉を聞いて数秒後、その意味を理解したようにオイナリサマは目を見開いた。

 そしてゆっくり、深く深く頷いて、とびきりの微笑みを俺に向けた。

 

「分かりました。神依さんのお話、しかと聞き届けましょう」

「…ありがとう」

 

 二度目のお礼を口にして、昔話を語りだす。

 

 そのお話の主人公は、神主様の孫だった。他ならぬ稲荷神社の家系に生まれた、他ならぬ俺のお話だった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 ――そしてこれは、俺が()()()()()()、もはや誰にも話す気のない思い出の一欠片。今になっても忘れられぬ、懐かしき爺さんとの会話。

 

 それは確か…九才の正月のこと。

 

 長い間爺さんと会えない暮らしにいよいよ嫌気が差して、律儀に正月まで待って抗議に行った話。

 

『ねぁ爺ちゃん、やっぱり一緒に住めないの?』

『無理だ。お前はここに住むには無垢すぎる…前にも話したであろう』

『うぅ…』

 

 ”無垢”という言葉を、恐らくその時の俺は理解していなかった。

 

 ただ爺さんの口ぶりから、何かが足りていないと言われていることは何となく察していたはずだ。

 

『でも、爺ちゃんが守ってくれればいいじゃん!』

『はっはっは…簡単に言ってくれるのう』

 

 豪快に笑った爺さんは、奥に入っていなくなってしまった。

 だけど戻って来ると知っていたから、俺はじっと爺さんを待っていた。

 

『…やっぱり、誰もいないな』

 

 俺がしょっちゅう神社を訪れていたころは、そこかしこに人ならざる者が犇めき合っていた。

 

 俺が年に一回、正月にしか来れなくなってからは…一度も見ていない。

 

『やっぱり爺ちゃんのお祓いのせいかぁ』

 

 言葉こそ交わせなかったが、彼らとは何回も一緒に遊んだ仲だった。

 姿すら見えないのは、とても寂しかった。

 

『待たせたな、神依』

『爺ちゃん…それは?』

 

 奥から爺さんが持ってきたのは、先にいくつかの鈴と白い紙が付けられたお祓い棒らしきものだった。

 

 爺さんが小さい頃の俺にそれを持たせると、風も無いし揺らしてもいないのに鈴はりんりんと鳴り出した。

 

『え、何これ!?』

『これは御幣。それも、妖の類を察知する力を持っている特別な物。じゃから、辺りに妖怪がいると鈴が鳴ってその存在を教えてくれる』

 

 途切れなく、自らを意識させるように鈴は鳴る、鳴り響き続ける。

 

『すぐ近くまでは来れずとも、これがあれば確かに”いる”ことが分かるだろう。せめて、これで…』

『爺ちゃん…』

 

 幼心に、爺さんの優しさと、俺を妖怪から引き離してしまったことへの後ろめたさを感じ取った。

 

 この御幣一本でそれは十分に分かった。…だから、気になって仕方なかった。

 

『ねぇ…どうしてそんなに、俺と妖怪を離そうとするの?』

『…一度だけなら、見せても構わんか』

 

 小さく呟いて、爺さんは俺に隠すように左の手袋を脱ぎ始めた。そして、着物の左腕の部分も大きく捲った。

 

 そういえば、服を脱いだところなんて見たこと無かったな。そんなことを思いながら、俺は爺さんの左腕を目にした。

 

 …それを見たのは、たった一回きり。

 

 「また見たい」だなんて、お世辞にも思えない代物だった。

 

『え…その色は…?』

 

 爺さんの左腕は、指先から肘の辺りまで塗りつぶしたように赤かった。

 まるで絵本で見た鬼のような、少なくとも人とは思えない見た目。

 

『…驚いたか?』

 

 子供の目には衝撃的にも程があって、しかし子供だったから、俺はそこで止まらずに爺さんに近づけた。

 

『さ、触っていい…?』

『ははは、よもやそんなことを言われるとは。…ああ、いいぞ』

『…硬い』

 

 指の先が触れただけで分かった。この腕は人間のモノじゃない。そして、他にも異変はあった。

 

『何で…鈴が…?』

 

 爺さんに近づけば近づくほど、御幣に付いた鈴の音が大きくなっていた。

 一歩近づけば大きくなり、もう片方を踏み込めばさらに大きくなる。

 

『まさか…爺ちゃん…?』

『そうか…やはり、もう…』

『なんで、どうして爺ちゃんが!?』

 

 爺さんは俯き、手袋をはめ、着物を元に戻した。

 俺は御幣を地面に落として、ただ茫然とそれを眺めていた。

 

 そして、爺さんは拾った御幣を俺に再び持たせて…

 

『神依よ、この世の妖怪には…特に執着心の強いモノがおる。人よりも粘着質で、一度心に決めた者を決して逃さぬ執念の妖怪がな。儂は、奴らのような存在からお前を守りたかった。お前は儂と同じく、妖を引き付ける魂を持っておるのだから』

 

 爺さんは左の手で俺の頭を撫でた。手袋越しの感覚は、確かに柔らかく暖かかった。

 

 

 俺が覚えているのは、ここまで――

 

 

 

『――そしてそれは神も同じで、場合によっては妖怪より質が悪い。気を付けろ。神は、気に入った人間を我が物にするためなら手段を選ばぬぞ』

 

「……え?」

 

『滅多にないことだがな。…さあ、今日は帰るがよい。その御幣、大事にするのだぞ――』

 

 

 

 ――あれ、こんな記憶、あったっけ?

 

 

「……」

 

 オイナリサマに洗いざらい話したから、今まで掘り起こされなかった部分から蘇ったのか…?

 

 神様が、気に入った人間…

 

 今更思い出した理由は分からない。

 

 分からないし、理由があるのかも定かじゃないけど。何かを勘ぐらずにはいられなかった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 さておき、それは俺が話さなかった事実で、全て頭の中での出来事。

 

 俺が()()()()()()を全て話し終えると、オイナリサマは頷いてまず一言呟いた。

 

「そうでしたか……道理で」

 

 いつの間にか現れたココアを口にし、彼女は天井を見る。俺も倣って喉を潤し、長く喋った疲れを癒した。

 

「…ああ」

 

 こうして全て話し終えると、途端に言葉が拙くなった。

 

 そうだ、この先は何を言えばいいんだ? そもそも、俺は何の為にオイナリサマにこれを話した?

 

 衝動に任せた向こう見ずの吐露は、何も実らず終わる未来しか見えない。

 

「……」

 

 オイナリサマも、額に手を当てて考え込んでいるように見える。

 

 それも当然だ。

 

 何の前触れもなく重々しい過去を語られた方の気持ちを俺は考えていなかった。せめて、もう少し早く考えが及べば。

 

 

 …ああ、そっくりだな。

 

 外の世界で、遥都に()()()()()ことを伝えたあの日。丁度その時も今も、別れを目前にしていた。

 

 やっぱり何も変わってないのかもしれないな、俺は。

 

「…悪い。おかしなこと、話しちまった」

 

 居たたまれない、もう戻ろう。

 俺はそっと椅子から立ち上がった。

 

「ま、待ってください! 何もおかしくなんてありません、神依さんの話が聞けて、私は…嬉しいです」

 

 オイナリサマも椅子から立った。

 

 だけど彼女は、立ち尽くして動けない俺とは違う。俺の目の前まで小走りでやって来て、両腕を固く掴んで離さない。

 

「…神依さん、あなたはきっと、外の世界から『逃げてきた』と思っているんでしょう」

「…そうだ」

 

 どんな言い訳で繕っても、その現実は消えやしない。俺は、逃げた。

 

「それでも、悪いことばかりではないはずです。こうして今、私たちは会えたのですから」

「……そう、なのか?」

 

 揺らぐ。甘い言葉に揺らされる。俺は、それを良しとしている。

 

「神依さん、私はあなたの味方です」

「…あぁ、ありがとな」

 

 そうだ、大した理由なんて無い。

 オイナリサマに聞いてほしかったから話した、それだけのことだ。

 

 話せて良かった、心がこんなに軽くなったから。

 

 

「例え私以外に味方がいなくなったとしても、神様の力でちゃんと守ってあげますからね!」

「…ハハ、そんな日が来ないといいけどな」

 

 とは言ったものの、割と可能性の無い未来じゃないぞ。

 

 良く会う中で俺に協力的に接してくれるのは、祝明と博士たち二人…つまり、合わせて三人。

 

 祝明の方はイヅナやキタキツネ…あと最近はギンギツネもか。その三人次第で対立することは十分予想できる。

 

 博士たちについてはそういった心配は少ないように思えるが、島の為とあらば…という片鱗は実は度々目にしている。

 

 料理で懐柔…それだって、限度ってものがある。

 

 だからこそ、オイナリサマがこんなことを言ってくれるのは本当に心強い。もうすぐキョウシュウに帰らねばならないのがとても名残惜しいな。

 

「神依さんは…ここに住み着いたりしてくれないんですか?」

「それは…悪い。一応、俺にも待たせてる二人がいるからな」

 

 祝明が電話した限りでは博士たち二人の話は出ていないようだが…多分、陰で愚痴ってるだろうな。

 

 『神依の作った美味しい料理は何処なのですか』とわめき散らす様子が簡単に想像できる。

 

「…そうですか、残念です」

 

 尻尾をぐでっと落し、耳をペタンと寝かせて、見るも分かりやすく落ち込んだ。…罪悪感が湧いてくる。

 

「そ、そんなにか…!?」

「そうですよ。私、神依さんのこと…結構()()()()()ますから」

「…っ!」

 

『神は、気に入った人間を我が物にするためなら手段を選ばんぞ』

 

 爺さんの言葉が、オイナリサマの言葉に共鳴して脳裏に深く焼き付いた。

 

 まさか…そんなはず、ないよな…?

 

 

「そうだ…神依さん、これを」

「…え、御幣?」

 

 オイナリサマに手渡されたのは、今更見間違い様の無いモノ。

 

 記憶の中と違うのは、鈴がついていないことだけ。

 

「私特製の御幣です。たっぷり神気を込めておいたので、きっと神依さんを守ってくれますよ」

「…なぁ。オイナリサマって、心が読めるのか?」

「え? …うふふ、まさか。私は覚ではありませんよ。神様ですけどね」

 

 首をかしげてニッコリと微笑むオイナリサマ。

 

 いつもならただ麗しく見えるだけのその姿も、今の俺には理解の及ばない、正に強大な神のようにしか思えなかった。

 

 風の無いはずの書庫で、白い()()が揺れた――

 

 



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Ⅲ-130 望みの在り処

「…そうだ、代わりと言っては何ですが、私の話も聞いてくれませんか?」

「ああ、俺でよければ聞くさ」

 

 俺がそう答えると、オイナリサマは途端に頬を膨らませる。

 

「…神依さんだから、話すんですよ」

「……あ!」

 

 そうか。これもオイナリサマなりのお返しなのだろう。

 

 しかし、ついさっきの自分の言葉まで忘れるとは…なんか、緩み切ってるな。

 

「…おほん。隣、座りますね」

「あ、あぁ…」

 

 オイナリサマは俺の右隣りに座って、悠々と背もたれに身体を預ける。

 

 こうして見ると…案外小さいんだな。何がって…背が。

 

「む、その目は…失礼なことを考えていますね?」

「ハハハ…覚じゃないって言ってたはずだが…」

「分かりますよ、私は()()なんですから! 多少は小柄かもしれませんが、その分この体にはサンドスターが濃密に詰まっているんですよ!」

「なんか、蜂蜜みたいな言い方だな」

「…うふふ、罠に引っ掛けられないよう気を付けてくださいね?」

 

 クスクスと屈託なく笑うオイナリサマは、先程までの心なしか冷たい雰囲気は何処へやら、昼間見た通りのキレイな神様に戻っていた。

 

「それで、何の話を聞かせてくれるんだ?」

「もう、神依さんはせっかちですね。大した話じゃありません…お別れの前に、お喋りしたかっただけです」

 

 一度そこで言葉を切って、遠い目をして本棚を見る。

 

「あなたが帰ってしまったら、ここもまた寂しくなりますからね」

「…誰か、呼んだりとかはしないのか?」

「さあ、呼べるようなお友達もいませんし……()()()()も、呼んだとして来れない状況でしょうし……あ」

 

 沈んだ空気を感じ取ったのか、オイナリサマはオーバーリアクションに手を叩いて立ち上がる。

 

「何か飲み物を持ってきますね。今度はそうだ、カフェオレなんてどうでしょう?」

「…カフェインまみれで眠れなくなりそうだな」

「だったら朝まで語り明かしましょう、今持ってきますね!」

 

 白い尻尾を大きく揺らし、話なんて一切聞かずに彼女は消えた。

 

 まあ、そういうのも偶には悪くない。…何か忘れているような気もするが。

 

 

「神依君…お粥はいつ来るのかな…?」

 

 

 でも、大事なことだったらそのうち思い出すだろ。

 

 カフェオレを待っている間、俺はさっき貰ったばかりの御幣をブンブンと振り回していた。

 

 幾つになっても、こういう棒を振り回すのって楽しいんだよな。先端によく揺れる飾りとかが付いていると尚のことワクワクする。

 

 何でだろうな、本能ってやつか?

 

「神依さん…あ」

「あ…悪い」

 

 お盆を持って戻ってきたオイナリサマに、子供っぽくはしゃぐ姿を見られてしまった。

 

「大丈夫ですよ、私も喜んでもらえてうれしいです」

「……ど、どういたしまして?」

 

 違う、そういう返答はおかしい。俺は眠さと恥ずかしさの相乗効果で、もう碌に頭が回らなかった。

 

「とりあえず、これでも飲んで一息つきましょう」

「…助かる」

 

 これで、状況も頭の中もリセットだ。

 

「うふふ、何のお話が良いでしょうかねぇ…」

「…俺は、ここにある本が気になるな」

「いいですね。だったら、さっき私が読んでいた本のお話でもしましょう」

 

 オイナリサマがひょいと指を向けると、ポルターガイストのように本が浮きあがる。

 

 摩訶不思議な力で手繰り寄せられた本の表紙は意外なもので、驚いた俺はつい題名を読み上げてしまった。

 

「『おいしい林檎の育て方』…?」

 

 本の後ろから目の上だけを見せて、白い狐耳がぴょこんと跳ねた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「――それなら、サラダに入れるのも悪くないんじゃないか?」

「なるほど、さっぱりした味わいの林檎ならそれもアリですね!」

 

 あれから数十分、俺たちは料理の話題で大いに盛り上がっていた。

 

 というのも、お互いに料理を研究しながら、その成果をまともに話せる相手がいなかったのだ。

 

 俺の場合なら祝明やイヅナとそういう話をする機会は少なかったし、博士たちに至っては気にしているのは料理法ではなく食べられる料理そのもの。

 

 火が怖くて料理の出来ない身だとは知っているが、俺からすれば寂しいことこの上ない。

 

「やっぱり、自分の知らない料理のお話は興味深いですね…!」

 

 オイナリサマも、結界の中で一人だったから話す相手が物理的にいなかった。

 

 例えいたとしても、この話題で語り合えるフレンズである保証もない。

 

 …そんな訳で、俺たちは揃いも揃って頭の中にこの情熱を燻らせてきた。

 

「俺も、こんな話は大昔に母さんとしたくらいだ」

「…お母様、ですか」

「ああ…って、どうした?」

 

 見ると、美しい黄金色の瞳に蝋燭の影が映って揺らめいていた。否、ただの光の現象ではない、もっと昏い色だった。

 

「いえ…何でもありません」

「…そうか」

「…あ、次はこれなんてどうでしょう、『カレー大全』!」

 

 軽く頭を振って新しい本を勧めるオイナリサマの瞳からは、既にさっきまでの色は消え失せている。

 

 俺も元に戻った彼女の様子を見て、藪を突っつくような真似はしなかった。

 

「カレーか、それなら散々作ったから自信があるぞ」

「本当ですか、楽しみです!」

 

 その後は彼女の雰囲気が突然変わるようなこともなく、俺たちは長い時間を料理の話題で語り明かした。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…ああ、もうこんな時間か」

 

 流石に夢中になりすぎたのか、窓から僅かに見える空は段々と白んできている。

 

「うふふ、楽しい時間はあっという間ですね」

「そうだな。だけど、そろそろ寝ないと…わっ!?」

 

 本殿へ帰るために立ち上がろうとすると、オイナリサマに肩を掴んで抑えつけられた。

 

「いいじゃないですか、とことん夜更かししちゃいましょう?」

「俺は、少し眠いぞ…?」

「じゃあ、眠くならないように喋りましょう、真剣な話をしましょう!」

「……それ、逆効果じゃないか?」

 

 ひっそり呟いた言葉はオイナリサマには聞こえなかったのか、或いは完全に無視されているようで。

 

 話の途中に取り出した本は全て浮いて本棚へ消え、代わりに一冊の分厚い本が俺の手元へとふわふわ漂ってきた。

 

「…これは?」

「それが何の本かは、見てみれば分かりますよ」

「…それもそうか」

 

 ぼやける視界を何とか凝らして、表紙の文字を読み上げる。

 

「『神様の居場所』…?」

 

 載せられた写真には大きく鳥居が映り、奥には小さく狐の像も見える。

 

「ヒトが書いた、『神様』についての本です。私にとっては、悪趣味な本としか言いようがありませんが」

「……」

 

 理由を尋ねようとする口を押さえて、表紙をめくる。

 

 そして数秒考える間もなく、オイナリサマがこの本を悪趣味と形容した訳を悟った。

 

 真っ先に目に入った第一章の見出しは、『現代に生きる”死んだ神”』。

 

「…な、なるほどな」

 

 確かに、生きている神様がこれを読んだらいい気分はしないだろうな。

 

 かと言って、著者にその可能性を考慮しろというのも酷だが。

 

「見出しこそ悪趣味ですが、内容は興味深いものですよ」

「…ふむ、そうらしいな」

 

 この章で取り扱っているのは、”人々と神の関係の変遷”らしい。

 

 要は、今と昔――とりわけ近代に入ってから――では神様の在り方がそれまでよりも大きく変化したのだという主張である。

 

 言われてみれば、実際にそうかもしれない。

 

 この本では、科学の発達に伴って、日常生活の中で神の占める割合が減った。神頼みではなく、『科学頼み』で物事を解決する割合が大きくなったと書かれている。

 

 それによって、一つの、もしくは幾つかの宗教の在り方が変わるのではない。

 

 それは神に代わる全く種類の異なる信仰の対象であり、言うなれば新たなる『神』であり、それまでの神を否定してしまうと。

 

「そして、そんな中でも残り続ける”死んだ神”…ね」

「本当に趣味が悪いですよね、私はこうして生きているのに!」

「ハハ…多分、この本を書いた人はそれを知らないんだぞ」

 

 なるほど、ここに書かれている考察は興味深い。

 

 そして、この本に対するオイナリサマの憤りも大体は理解できる。

 

「だけど…どうしてこの本を俺に?」

「それはきっと、不安になってしまったから…ですね」

 

 俺から本を取り上げ、パタンと閉じて胸に抱く。

 

「私は神様でした。フレンズになる前のことは覚えていませんが、それだけは確実なことです。でも…神様って、誰かに望まれるべき存在でしょう?」

 

 …そうか。

 

 目次でチラッと見えた第三章のタイトルは、『神様が生まれる時』。

 

 そして小見出しから、大まかな内容も類推できる。

 総合して考えれば、そこに『ヒトが望むことで神が生み出された』と書かれている可能性は十分に高い。

 

「元々神様は…望まれなければ存在できないんです…」

 

 不安に思うのも無理はない。

 

 外との交流を絶ってしまった彼女は、自らが望まれているかどうかを知ることが出来ない。

 

 いやもしかしたら、今も『オイナリサマ』のことを知り、信仰するヒトやフレンズは居るかもしれない。

 

 『稲荷』という云わば強力な”ブランド”を持つ彼女なら、不思議なことでは無い。

 

 だが…ここに閉じ籠っている限り、それを知る術はない。

 

「外に出てみようとは…思わなかったのか?」

「…いいえ」

 

 オイナリサマはページをめくり、焦点のバラついた眼で本をボーっと眺める。

 

「本当は知っているんです、このパークには、私を敬ってくれる方が沢山いることくらい」

「なら、どうして…」

「…私が、守護けものだからです」

 

 手を止め、顔を上げ、じっと俺を見つめて彼女は言う。

 

「私は『オイナリサマ』、ジャパリパークの守護けものです。どんな輝きを抱えて生まれようと、結局のところ本当の神にはなれない。お稲荷様としての自分を自覚してしまっているのに、私はフレンズの『オイナリサマ』であることしかできない」

 

 元々持っていたはずの存在意義と、与えられた使命との乖離。

 

 それはまるで前世の記憶に苛まれるような、魂に深い罅を入れるわだかまり。

 

「でも、私は絶対にへこたれません。だって…神様ですから!」

「…っ!」

 

 荒れ狂う感情に蓋をするように、オイナリサマは引き攣った笑みを浮かべる。

 

 そして今ばかりは、彼女が発した『神様』という言葉を、その通りに受け取ることなんてできなかった。

 

「…神と、守護けものか」

 

 今にして思えば、彼女は会話の中で神様という言葉を何度も、まるで俺たちに刷り込むように強く口にし続けてきた。

 

 或いはそう刷り込もうとしていた相手は、俺たちではなく彼女自身であったのかもしれない。

 

 

―――――――――

 

 

「…うふふ。今夜は、沢山聞いてくれてありがとうございました」

 

 オイナリサマは気が付けば普段の調子に戻り、先程まで漂わせていた悲痛な雰囲気など彼方へと置いてきた様子だった。

 

「それと明後日になれば、魔法陣を起動する準備は整います」

「…そうか、早いな」

「ええ、神様の仕事はとっても早いんです」

 

 重ねた言葉は、くすんだ白色。

 諦めきれない心を、事実という糸が縛り付けている。

 

「今日は遅くまで付き合わせてしまいましたね、どうかゆっくり休んでください」

 

 …俺なら、その事実を変えられるんじゃないか?

 

 俺はヒトだ。体がどうあろうと、宿る魂は外の世界の人間だ。

 

 オイナリサマだって、俺にこの話をしたのは、何かを期待したからじゃないのか? そうだとすれば、これ以外に在り得ない。

 

 

「おやすみの前に、一ついいか?」

「はい…なんでしょう」

 

 ヒトが、神様に手を伸ばす。

 

「俺は、稲荷を知ってる。フレンズとしてじゃない、神様としてのお稲荷様を知ってる」

「…ええ、そうでしょうね」

 

 でも、立場は逆になんてならない。

 

「他の奴は知らない、俺にどうにかできる話じゃない。だけど俺は…俺一人くらいなら、あんたが神様であることを望める」

 

 ヒトが望んで、神が叶える。かつて築いた関係のまま。

 

「例え俺以外に『お稲荷様』をそんな奴がいなくても、ヒトとして俺は神としてのあんたを望み続けられる」

 

 望むことはただ一つ、神が神であり続けること。

 

「……それじゃ、足りないか?」

 

 一瞬の沈黙の後、そよ風に上書きされてしまいそうなほど小さな水音が、二人きりの書斎に響く。

 

「いいえ…十分です…! …ありがとう、ございます」

 

 俺の望みは、優しい神様によって聞き届けられた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 …乾いた紙の音が、本棚に跳ね返り大きな耳へ入っていく。

 

 この書斎で起きる全ての音は、今この瞬間彼女だけのものだ。

 

「やっぱり、ありませんね…」

 

 彼が眠りに就いた後も探し物をしているらしい彼女は、見るに芳しい成果を得られていない様子。

 

 さても楽しそうに、ページをめくり続ける。

 

「うふふ…見つかるといいですね…」

 

 彼女が読んでいる本の名前は、『世界の神隠し事典』。

 

 きっと、彼女の探しているものが見つかることは無いだろう。

 

 何故ならば、神様のものが隠された神隠しなんて、今までのどの時間にも…古今東西にも…ありはしなかったのだから。

 

 



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Ⅲ-131 帰還、再び海を越えて

 俺たちがキョウシュウへと帰る日の朝。日も十分な角度で差し込む朝食の刻。

 

「あ、カレーだ!」

「私の最新作です、どうぞ召し上がってくださいね!」

 

 その日ばかりは、普段は熟睡している祝明も食事の匂いに釣られて早くに起き上がってきた。

 

「美味しそうだね、神依君」

「…そうだな」

「えっと…神依君?」

 

 これが、この神社で食べる最後の食事なのか。

 そう思うと、感傷でスプーンを握る手に力が入らなくなる。

 

「何でもない…いただきます」

 

 カレーを口いっぱいに頬張ると、スパイスの良い香りが鼻を伝う。追って、舌が甘辛いルーの風味を感じる。

 

 わずかに残る果肉の食感で、林檎が入れられていると分かる。

 

「美味しい…!」

「そうでしょう? 今日の為に用意した、特別な食材を沢山使っていますから」

「もしかして、あの球根も…?」

「うふふ…さあ? コカムイさんはどう思いますか?」

「あ、あはは、僕はどっちでもいいかな…」

 

 苦笑いと共にカレーを食べ続ける祝明。

 

 ゆらゆらと体のあちこちを揺らしながら口を動かすオイナリサマ。

 

 全て今日限りの光景、俺たちがここに置いていく景色。

 

「…神依君、食べるの早いね」

「あら、おかわりしますか?」

「頂くよ…だけど、一つお願いしていいか?」

「うふふ…何でしょう?」

 

 だからせめて、最後に一つ確かめてみたくなった。

 

「このカレー、うどんと一緒に食べてみたいな」

 

 オイナリサマは、その白い服でどんな風に”カレーうどん”を食べるのか…と。

 

 

―――――――――

 

 

 十数分の後、うどんを茹で終えたオイナリサマがボウルとざるに白い太麺を入れてやって来た。

 

 器に汁を注ぎ、麺を入れ、上からカレーを掛ける。

 

 一分にも満たない簡単な作業で、この極上の料理は完成する。ああ、外にいた時も何度もお世話になったっけ。

 

「出来ました。”カレーうどん”…で、良いんでしたっけ?」

「ああ、ありがとう。良かったら、オイナリサマも食べてみないか?」

「ではそうしましょう。私も、このような不思議な食べ方は初めてです!」

 

 更なる料理の可能性に目を大いに輝かせるオイナリサマ。

 

 しかし…これは罠だ。

 

 ”カレーうどん”という料理には、その名前からはおおよそ想像も付かない程凶悪な罠が仕掛けられている。

 

「コレは…ふふ、早く食べてみたいです…!」

 

 そうだ。食べるがいいさ、神様。

 

 下手な啜り方をすれば、飛び散ったカレーの汁がその美しい毛皮を汚すことになるだろう。ふふふふふ。

 

「初めて見るよ、神依君のこんな悪い顔…」

 

 祝明が何か言っているが、オイナリサマから目を離している暇はない。

 

 それよりも、早く食べるのだオイナリサマ。さあ、早く!

 

「では、いただきます」

 

 麺の隙間に箸を入れ、引き上げて勢いよく啜る。よし!

 

 吸い込まれる麺からは当然のようにカレーの汁が四方八方へと飛び散っていく。その調子だ。

 

 そして…!

 

「おお…!」

 

 ピト…と擬音の付いた動きで、オイナリサマの白い服に染みが生まれる。

 

 

 不思議と、俺は感動的な気分になった。何とか堪えたが、涙も出そうになった。

 

 

 ()()()()()のような例外はあれど、俺の中でオイナリサマとは完璧な存在であった。

 

 美しい外見に非の打ち所がない立ち振る舞い。神様と呼ぶのに一切の抵抗を生まない魅力。

 

 ここまでとなると、例え見つからないと分かりきっていても、何かしらの瑕疵を探そうとしてしまうのがヒトの性。

 

 だが、見つからないままでは俺も安心して未来…ではなくキョウシュウに帰ることが出来ない。

 

 だから、ささやかなイタズラ…もとい妥協策として、オイナリサマにカレーうどんの汁を浴びてもらうことにした。

 

 今朝のカレーを見て立案した、行き当たりばったり極まりない作戦。

 

「でも…良いな…!」

 

 作戦は成功した。

 

 完璧と称されるべき真っ白な布に、国民的料理の色を付けることが出来た。

 

 感無量なのである。

 

 

「あら…汚してしまいましたね」

 

 とうとう気づいたか。だがもう遅い。

 

 そんな風に指で拭ったって、白地に付着したカレーの色は…

 

「よし、取れましたね」

「…え?」

 

 嘘だろ?

 

 …マジで消えてる。

 

 俺がかつてカレーでYシャツを汚した時は何時間もかけて洗濯して…嫌だ、もう思い出したくない。

 

 それを、オイナリサマは、この一瞬で…?

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。今の、一体どうやったんだ?」

「…ああ、コレのことですか? …どうもこうも、神様ですから!」

「さ、流石だな…!?」

 

 もう、まともな言葉が出てこない。

 

 

 神様は…カレーうどんよりも強かった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…神依君、そろそろ元気になったら?」

「別に落ち込んでるわけじゃねえぞ…?」

 

 どっちかと言うと、落ち込むことになるのはこれから先だ。

 

 何故なら今から俺たちは、オイナリサマに長い別れを告げなくてはならないのだから。

 

「また、寂しくなるんだな…」

「あはは、それってオイナリサマの台詞じゃない?」

「かもしれねぇが、俺もだ」

 

 俺が彼女に対してどれほど大きな親しみを覚えているかは、今更語る必要も無い。

 

 なら俺が抱えている寂寥だって、『さもありなん』と誰もが言うさ。

 

「そう…? 僕は早く帰りたいけど」

「お前はそうだろ、アイツらがいるからな」

 

 羨ましいね、自分の帰りを熱烈に待ってくれる人がいるなんて。

 

 あの病み病みパニックの中に投げ込まれるのは御免だが、俺だって料理じゃなくて俺自身の帰りを待ってほしい。

 

「あぁ…もう一泊増えねぇかなぁ…」

「え、そんなに名残惜しいの…!?」

「まあな。かと言って、駄々こねてここに残ったりはしないさ」

 

 使う度に妖力が必要と言われちゃ、そう何度も世話になるのは忍びない。

 

 オイナリサマなら頼めばきっと聞いてはくれるが、それでもだ。

 

「はぁ…」

 

 仰いでみれば、もう見慣れた虹色の空が俺たちを見下ろす。

 

 この空だってとうとう今日で見納めだ。存分に眺めてやるとするか。

 

「なぁ祝明、アイツらが待ってくれてるのって…どんな気分だ?」

「まぁ、一言で言うなら…嬉しいな、とっても」

 

 隣に見えた微笑みは雲のように柔らかく、明るかった。

 

「へぇ、そんな感じか…」

 

 

 視線を空へと戻す。

 

 祝明は立ち上がって、向こうの黄色い畑へと歩いていく。

 

 俺はただ無為に時間を費やす。贅沢に時を使い、長き夢想に耽っている。

 

「美味そうな雲だなぁ…」

 

 呟いた言葉は何処までも無意味。

 

 目に焼き付けた景色も数分後には忘れ去っている。

 

 その代わりに、こうしていれば他の全てを忘れられる。

 

「神依君、空を見て!」

「ずっと見てるんだが…?」

「ほら、虹色のキラキラが飛んでるんだよ!」

「キラキラ…?」

 

 何だ、”キラキラ”って。

 

 確かに空は満遍なく輝いて見えるが、今日に限って何か変わったことがあるようでもない。

 

「俺の所からは何も見えねぇぞ…?」

「神依君が神社の下(そんな場所)にいるから屋根で見えないだけだよ…!」

 

 …ああ、そうか。祝明からは見えてるんだな。

 

 居る場所が変われば見え方も変わる…考えてみれば当然か。

 

「いいよ、俺はここでゆっくりしてるさ」

 

 アイツと俺とじゃ、見えてる世界が違うんだな。

 

「寂しいですか…?」

「別にそんなんじゃ…わっ!?」

 

 気が付くと、隣にオイナリサマが腰掛けていた。

 

「お、驚いた…!」

「うふふ、ごめんなさいね?」

 

 オイナリサマは美しい髪を揺らめかせ、尻尾の先に付いた輪っかで俺の手をコツコツ叩く。

 

 じっと俺の様子を伺う彼女の目に、じっとりとした雰囲気を感じた。

 

「その、魔法陣の準備は出来たのか?」

「出来た…というか出来てました。ずっと前から、妖力さえ注げばすぐに起動できる状態でしたよ」

「手際が良いんだな」

 

 もふもふから手を引っ込めて、俺はなんとなく立ち上がる。

 

 さっき祝明が見た”キラキラ”、まだ残ってるかな。そんな思考で足を出した俺は、後ろから手を引かれた。

 

「神依さん、今日で…帰ってしまうのですね」

「ん、あぁ…」

 

 肯定すると、俺の手を握る力が強くなる。

 

 腕を引かれ、何か言えばいいのかも分からず呆然とする俺に、彼女は囁く。

 

「神依さん…ここに、住んでみませんか?」

「…え」

 

 思ってもみない申し出に、驚いて俺は彼女を振り返る。

 

 そうして見つめた彼女の目には、間違いなく本気の色が浮かんでいた。

 

「住むって、この神社に?」

「この場所のこと…気に入ってくれてるんですよね」

「まあ、そうだが…」

 

 一昨日の夜にも言った、俺には帰る必要がある。ただの…義務としてでも。

 

「帰らなくても良いでしょう? どうせ、仕方なかったって諦めてくれますよ」

「い、いや、そんなはず…」

 

 無い、とは即座に言い切れなかった。

 

 やはり俺にとって、博士たち(あの二人)は唯の同居人のようで、向こうにとってもそれは同じとしか思えない。

 

「ほら、神依さんもそう思ってるんでしょう? なら、心配する必要も在りませんよ」

 

 …そうなのか?

 

 ここは居心地がいい。優しく気に掛けてくれるオイナリサマもいる。趣味の料理の話だってできる。

 

 帰る必要なんて、やっぱり無いのか…?

 

「…ちょっとだけ、考えさせてくれ」

「うふふ…あまり長くは待てませんよ?」

「分かってる、答えはすぐに出すさ」

 

 ここまで言って、ふと感じた。やっぱり俺は、逃げるのが得意なんだな…と。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…何してるんだ?」

「え、見ての通り寝てるんだけど…」

 

 しばらく考え込んでも答えの出せなかった俺は、祝明に助けを求めることにした。

 

 それにしても…祝明が納得できる答えを出してくれるかと聞かれれば、首を傾げるしかないが。

 

 相談したら普通に「住んでもいいじゃん」と言われてしまいそうなのが怖いところ。

 

「でも、何か用? もしかしてオイナリサマが呼んでたりする?」

「いや、俺も唯の暇つぶしだ」

「あ、そう…」

 

 興味を失った様子の祝明は、力を抜いてバタンと横になる。

 

「祝明は、帰ったら何するんだ?」

「んー? さあ、元に戻るだけじゃないかなぁ」

「…かもな」

 

 旅行は非日常への冒険。それが終われば、人々はまた同じ生活を繰り返す日々に戻ってゆく。

 

 俺にとってのその『生活』と、ここに住むことで送るであろう『未来』。

 

 それを天秤に掛ければ、俺の取るべき選択も見えてくるのかもしれない。

 

 

「俺、今まで何してきたんだろうな」 

 

 キョウシュウでの思い出か。何か…あったか?

 

 図書館にだってそんなのは無いし、他の場所にだって思い出せるような記憶はない。

 

 …いや。

 

「そういえば、コレがあったか」

 

 懐から取り出したのは小さなジャパリコイン。俺が、俺としてジャパリパークで受け取ったほぼ唯一のモノ。

 

 他に貰ったものなんて、セルリアンの体くらいしか思いつかないな。

 

「でもコレも、別に…」

 

 この”思い出”の為にオイナリサマの誘いを断れるかと聞かれて、首を縦に振れる自信はない。

 

 ああ…つくづく、俺は優柔不断なようだ。

 

「神依君、悩み事ー?」

「ああ、何と言うか…俺、本当に帰った方が良いのかな、って思って」

「じゃあ、帰ったらいいじゃん」

「え…」

 

 予想外な答えに驚く。もしかして、祝明も意外と俺に気を掛けてくれているのかもしれない。

 

「だってほら、またここに来たいならイヅナに頼めばいいじゃん。僕がお願いしてあげるよ」

「え…あ…そうか」

 

 よく考えてみればそうだ。何度も頼むのが申し訳ないってだけで、やろうと思えば不可能なことではないのか。

 

「ありがとう、じゃあ頼めるか?」

「勿論だよ。お悩みも解決したみたいでよかった!」

 

 何だかんだ言って、頼りになるな。

 

 自分とよく似た、しかし俺よりもずっと穏やかな顔を眺め、俺も顔を綻ばせた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「そろそろ…時間みたいだね」

「ああ、そうらしいな」

 

 俺たちは、揃って魔法陣のある方向を向いていた。

 

 目線の先では、虹色の粒子が狼煙のように立ち上がっている。

 

 恐らくオイナリサマが上げたのだろう。もしくは、魔法陣を起動したせいかもしれない。

 

「じゃあ行こっか」

 

 イヅナたちのことを考えているのだろう。軽やかな足取りの祝明に続いて、俺も虹の根元へと歩いていった。

 

 

「うふふ、やっぱり来てくれましたね」

「そりゃ、よく目立つ煙だったからな」

 

 虹の始まる場所――つまりは魔法陣――の傍で、オイナリサマは待ってくれていた。

 

 地面から放たれる光は、かつて雪山の宿で見たものと酷似している。間違いなく、魔法陣は起動している。

 

「これで帰れるんだよね、オイナリサマ!」

「ええ、今すぐに使えますよ」

 

 それを聞いた祝明は大きく跳び上がった。

 

 そして魔法陣の一歩手前で、白線の内側ギリギリで電車を待つ通学生のようにわたわたと足踏みをする。

 

 まあ、狐耳と尻尾を持った学生なんて見たこともないが…

 

「ほら神依君、早く帰ろ!」

「あ、あぁ。でも…」

「…神依さん」

 

 オイナリサマの目は暗い。俺は、祝明に言った。

 

「先に行っててくれ、少しくらいなら魔法陣も保ってられるだろ。…だよな?」

「ええ、大丈夫ですよ」

「分かった、じゃあ行くね!」

 

 尻尾をプロペラのように振り回して、祝明は光の中に消える。しばらくすると光も消えた。これで、もう一度起動しなくてはならなくなった。

 

「…悪いな、もう一度起動してもらうことになりそうだ」

 

 俺の言葉で全てを察したのだろう。俯いて彼女は言う。

 

「やはり、行ってしまうのですね…」

「でも心配しないでくれ。祝明に頼んで、もう一度こっちに来るつもりだからさ」

「…そうですか」

 

 そしてオイナリサマは、魔法陣へと歩みを進める。

 

 手を翳し、力を込めたように見えると、魔法陣は…

 

 

 

 

 …欠けた。

 

 

 

 

「…え?」

 

 次の瞬間、俺の体は暖かく柔らかい感触に包まれる。

 

「オイナリ、サマ…?」

 

 体重のままに倒されて、視界を遮られて、唇を塞がれる。

 

 何処までも一方的なアプローチに、一切の反応が出来なかった。

 

「っ…ど、どうして…?」

「どうしてって、神依さんは意地悪ですね。…あなたのことが、()()になってしまったからに決まっているでしょう?」

 

 好…き…?

 

 耳を塞ぎたくなる言葉にも、もう腕は動かせなかった。

 

「神依さん、本当に戻ってくるつもりだったんですか? もしかして、そのままいなくなっちゃう気じゃなかったんですか?」

「違う、そんなつもりは…!」

「…いえ、それだってもう、どうでもいいことですね」

「どうでも、いいって…」

 

 とっくに気づいていた。オイナリサマの行動の意図も、もたらされた結果も。

 

 聞きたくなかった、真実を、彼女は、その口で…!

 

 

 

「さあ、これでずっと二人きりですよ…神依さん♡」

 

 

 

 ――目の前が、真っ白になった。

 

 



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Ⅲ-131.5 閑話 キミのいなかった一日

『GAME OVER』

 

 何度も見た無機質なゲーム画面が、ここ最近は一段とつまらなく見える。

 

 今日でこれを見たのは何回目だっけ。とうとうボクは苛立ちが頂点に達し、すぐそばに置いてあったジャパリまんを乱暴に掴んで投げ飛ばした。

 

「あらっ…っと、食べ物は粗末にしちゃダメよ?」

 

 ジャパリまんをキャッチしたギンギツネが、軽く笑ってボクの口にそのジャパリまんを詰め込む。

 

「む…げほっ! 何するの…!?」

「何ってお昼ご飯よ? キタキツネったら、今朝から何も食べてないじゃない」

「別に、お腹空いてないもん…」

 

 力任せにギンギツネを突き飛ばすと、勢いよく尻もちをつく。

 

 でもギンギツネは文句を言わず、「お腹空いたら言ってね」とだけ言い残し何も無かったかのように元の場所に戻っていく。

 

 ボクのことを一切歯牙にも掛けていないような言動が更に腹立たしくて、今度は空っぽの籠を狙いを定めて投げつけた。

 

 …ふわりと飛んで戻って来た籠が、ボクの頭に被さった。

 

 それからボクはゲームを再開したけど…やっぱり集中できない。

 

 いつもは造作なくクリアできるステージで何回もミスをしてしまう。早くノリアキと一緒に進めたステージの続きをしたいのに。

 

 分かってるよ、そういうことだよね。

 

「ノリアキ…早く帰って来てよぉ…」

 

 最後に残ったジャパリまんも、やっぱり味はしなかった。

 

 

 何の面白みも感じられないゲームを早々に切り上げたボクは、寝室に布団を敷いてお昼寝をすることに決めた。

 

 どんなにつまらない時間だって、寝ちゃえば一瞬で過ぎてくれるから。

 

 起きた時にノリアキが隣で寝てくれてたらいいのにな。そう思って、ボクは目を閉じたんだけど…

 

「…ねむれない」

 

 待てど暮らせど世界はそのまま、夢の中には入れない。

 

 目を閉じて開けて、また閉じて…開けて。何度それを繰り返しても、瞳に映るのは変わり映えのしない天井の模様だけ。

 

「なんで…? 昨日ぐっすり寝ちゃったせいかな…」

 

 ボクは最近、規則正しい生活リズムを作り上げてしまっている。だって夜遅くまでノリアキとゲームをすることも出来ないし、やっぱり一人で遊んでも仕方ないんだもん。

 

 あーあ、どうして暇なときに限って時間は長くなるんだろう。

 

「…やっぱり、ゲームやろっかな」

 

 今度は懐から携帯ゲーム。ノリアキから貰ったプレゼントだけど、もう匂いは無くなっちゃった。

 

「……やーめた」

 

 つまんないよ、ノリアキが一緒じゃなきゃ嫌だよ、早く帰って来てよぉ…

 

 じゃあジャパリフォン…も、別にいいや。

 

 あは、あはははは。

 

 おかしいな、ノリアキと出会うまではずっと、こんな感じの生活をしてきた筈なのに。別に、ちょっと少し前の状態に戻っただけのはずなのに、どうして?

 

 どうしてボクは…こんなにつまらない生活を続けてこれたの?

 

「分かるよ、分かってるけどさ…!」

 

 知らなかったから、どんなに退屈でも退屈だと思わずにいられたんだよ。

 

 知っちゃったらもう、ノリアキ無しじゃ生きていけないよ…!

 

「ダメ…おかしくなりそう…!」

 

 布団を蹴散らして起き上がる。()()()布団じゃ全然癒されない。今すぐに、ノリアキの部屋まで行かないと…!

 

「あら、どうしちゃったのキタキツネ?」

「どいて、早くしないと…!」

「あー、そういうことね。まあまあ、これでも嗅いで落ち着きなさい?」

 

 朝はジャパリまん、今度は訳の分からないビニール袋。だけどボクの口に被せられたソレからは、とても安心する匂いがした。

 

「ぷはっ…な、なにこれ?」

「秘密よ♪ と言っても、キタキツネなら分かるわよね」

 

 これで少しは冷静になったでしょ、と揶揄うギンギツネにちょっぴりだけ感謝の念を覚えながら、やっぱりボクの心には疑いがある。

 

「もう、そんな目で見られることはしてないはずよ? 理由があるとするなら…見ていられなかったのよ。私だって、あなたと同じ気持ちだもの」

「……」

「うふふ、大丈夫よ。そろそろ帰って来るはずだから」

 

 ボクの両肩をポンポン叩いて、「イヅナちゃんにエサやりしに行かなきゃ」と独りごちて、ギンギツネはフラっといなくなる。

 

 まだ立ち尽くしているのは香りの余韻か、はたまた頭がフリーズしたのか。

 

「…訳分かんない、ふざけないでよ」

 

 こんなことの為に…お礼なんて言ってあげるもんか。そもそもギンギツネのせいで、ノリアキと居られる時間が減っちゃったんだ。

 

「そうだった、突っ立てる場合じゃない…!」

 

 ボクはあんなことしない。理解できない気紛れなんて怖いだけだよ。

 

 ボクはそんなの全部振り払って、ノリアキと一緒にいる為だけに生きてるんだよ。

 

 だから、早く行かなきゃ。

 

 あの部屋に、まだノリアキはいないけど。

 

 

「確かここに…あはっ、うふふふ…!」

 

 部屋に入ったボクは、一目散に押し入れの扉に飛びついた。そして適当に襖を開け放ち、中のお布団を手当たり次第に引っ張り出し、出来上がった海へと頭からダイブした。

 

 雪原で狩りをした時のように頭を真っ白なふわふわの中に潜らせたボクは、その中に仄かに漂うノリアキの匂いを存分に吸い込む。

 

「はふぅ…ふぇへへ…」

 

 蜂蜜よりも甘い匂いに脳みそが蕩けてしまう。

 

 あぁ、幸せだなぁ。

 

 今ここにその姿が無いとしても、ノリアキがここで暮らしていた証は確かにこの場所にあるんだ。

 

 大丈夫、ノリアキの帰ってくる場所は、ここ以外に無いんだから。

 

「もっと、もっとぉ…!」

 

 多分今のボクを外から見たら、とんでもなくだらしない姿をしているのだろう。

 

 頭から布団の海に突っ込み、宙に浮かせた脚と尻尾をバタバタと揺らして、絶え間なく嬌声を上げ続けているんだから。

 

 けど…そんな目なんて気にしていられない。

 

「ふへ、ふふふ…!」

 

 今度は幸せの匂いで、取り返しの付かないほど頭がおかしくなってしまう。

 

 でもいいんだよ、だって幸せだもん。

 

 

 

 そのまましばらく幸福に酔いしれてバタバタしていたボクだけど…ある瞬間、体の動きがビタっと止まってしまった。

 

「…?」

 

 飽きた? 疲れた? 絶対に違う。そんなものは来ないし、そんなものでボクの体は止まらない。だからボクが感じたのは…そう。

 

 もっと刺激的で濃厚な、逃し難き幸せの予感だった。

 

「ノリアキ…?」

 

 無意識のうちに、キミの名前が口から零れる。

 

 ボクは布団から頭を抜いて、勝手な足の動くままにふらふら歩いてゆく。

 

 そして、軒先で見つけた。

 

 あの光は、その中に見える姿は…間違いない。

 

「ノリアキ…!」

 

 ボクは駆けていく、キミを迎えに行くために。

 

 キミのいなかった一日は、もう終わった。

 

 



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Chapter Ⅳ 神とキツネと、逃避行。
Ⅳ-132 誤算と意外な忘れ物


「ただい…まっ!?」

 

 僕を取り囲む虹色の光が無くなると、ほぼ同時に…というかそれよりも早く誰かが僕の体に飛びついてきた。

 

「おかえりノリアキっ! さ、行こ!」

「い、行こうって…何処に…?」

「分かるでしょ、ほら…えへへ」

 

 相変わらずの飛び具合だなあ、と僕の口元は緩む。

 

 腕を引っ張られながら僕は、キタキツネが向かおうとしている先を考えた。

 

 まあ…旅館以外にないけどさ。

 

「ねぇキタキツネ、別に歩けない訳じゃないしそんなに引っ張らなくても…」

「でも疲れてるよね、お布団敷いてあるから一緒に寝よ!」

「そ、そう……え?」

 

 寝ちゃうんだ、こんな真昼間から。

 

「そんな、流石に生活リズムが…」

「うふふ。今更そんなこと気にしても仕方ないんじゃないかしら?」

「ギンギツネ…!?」

 

 今度は後ろから抱きつかれた。…あ、柔らかい。

 

「でも、ギンギツネも”昔は寝過ぎないで”って言ってたのに…」

「…ああ、それね。別にあんなの、ノリアキさんが二人と寝る時間を短くする為だけだったのよ」

 

 そっか、自分の性格に上手く隠した嫉妬心だったんだ。本当にやり手だね、あの日まで全く尻尾を掴ませなかったのも納得だな。

 

 そんなギンギツネの尻尾は今、僕の腕の中に潜り込んでいるのだけれど。

 

 二人に挟まれながら()()()()と歩いていると、不意にギンギツネの手が首元のマフラーへ伸びた。

 

「これも長く洗濯してないでしょ? 私が洗ってあげるわ」

「ダメ、ボクが洗うよ」

「珍しいわねキタキツネ、どうして?」

「…ノリアキが巻いてたマフラーだし、プレゼントしたのはボクだから」

「うふふ…そう言われちゃったら、私も手を引くしかないわね」

 

 言葉通りギンギツネの手はマフラーから離れて僕の腰へと回され、キタキツネは丁寧な手つきで僕の首からマフラーを取り払った。

 

「えっと、なるべく早く洗うからね…!」

「うん、よろしくね」

 

 仕舞う場所に困ったのか、キタキツネはマフラーを彼女の首へと巻き付ける。

 

 彼女の髪色と同じマフラーはその装いとも非常に噛み合っていて彼女の姿を可憐に引き立てる。

 

 もしかしたらキタキツネが着けた方が似合うのかもしれない。だけど多分、()()()()()()じゃないのだろう。

 

 

 僕がキタキツネを眺めていると、後ろからギンギツネの腕らしき暖かい感触が首を包む。

 

「ノリアキさん。キタキツネのが無くなっちゃったから、首元が寂しいんじゃないかしら?」

「え? …まあ、そうだね」

「うふふ、そうでしょ…!」

 

 今一つ意図の掴めない言い回しに戸惑う。

 

 程なくして僕は、ギンギツネの腕だと思っていた柔らかい感触の正体に気づいた。

 

「これって、マフラー…?」

「正解よ! 折角だから私も贈り物をしようと思って、あなたが向こうに行っている間に編んじゃったの」

「……ちぇっ」

 

 キタキツネの舌打ちを鼻で軽く笑い、ギンギツネはため息をたっぷり吐きながらマフラーの調子を整える。

 

 視界の隅に映った毛糸の縫い物は、ギンギツネの髪色と同じく美しい銀色の光を跳ね返していた。

 

「…ありがとう、ギンギツネ」

「喜んでもらえて嬉しいわ、大切にしてね?」

 

 マフラーを編んでくれた好意への嬉しさと、キタキツネのマフラーを外す瞬間を狙った狡猾さへの驚きと、これから二人のマフラーをどういう風に身に着けようかなという贅沢な悩み。

 

「あはは……ん?」

 

 

 …ドン! ドン! バタン!

 

 

「な、何の音…?」

 

 色々な想いがゴチャゴチャになった脳内は、旅館の中から聞こえてきた激しい打撃音によって綺麗に均されるのだった。

 

 

―――――――――

 

 

「ノリくん! おかえり! ずっと会いたかったよー!」

「え…えぇ…?」

 

 結論を言ってしまえば、音の正体はイヅナだった。

 

 イヅナは縄で縛られた体をうねって移動していた。相当急いでたからだと思う、乱暴な移動はあちこちに脚をぶつけてやかましい音を出していた。

 

「ノリくん、向こうは大丈夫だった? 怪我はない?」

「むしろ、イヅナの方が心配だけど…」

 

 勢いよく脚をぶつけてしまったに違いない、平気に見えても痛がっているのではないだろうか。

 

「私は平気! 見ての通り頑丈だからね!」

「そうね。イヅナちゃんは頑丈だから、放っておいても問題はないと思うわ」

「でも、この縄は無理な…」

「さ、行きましょ、ノリアキさん」

「いやいや、ほっとけないよ!」

 

 よりにもよってイヅナを縛られたまま放置するだなんて、僕には到底出来っこない。

 

 早く縄を解いてあげよう。

 

「今自由にしてあげるからね。ええと…この…縄は…」

 

 …どうしよう。

 

 すごく、見覚えのある縄だ。目的は伏せるけど、本当に高い頻度で使った。

 

 …そっか、この縄ならイヅナが抜け出せないのも仕方ないね。

 

「よし…これで、良いはず」

「ありがとう! やっぱりノリくんは優しいねっ!」

 

 全力で抱きつかれて、容赦のない接吻を浴びせられた。

 

 もう慣れた筈のアプローチも、しばらく貰っていないと刺激的に感じられる。

 

「むう…」

「悪いねキタちゃん、今日のノリくんは私が貰うから」

「何それ!? そんなの許さないよッ!」

「許さないってどういうこと? 貰うものは貰うんだから今日は諦めなよ」

「うふふふふ、それは私も黙ってられないわね…!」

「あ、えっと…」

 

 三人は流れるような会話で修羅場に入っていく。

 

 終わり方も同じくらい滑らかだったら楽になるんだけど、どうして物事というのは宜しくない方ばかり起きやすくなっているのだろう。

 

「大変だねぇ…赤ボス」

「…ノリアキガ無事デ、ウレシイヨ」

 

 まあ、三人とも引き際は弁えている。

 

 そして、僕が介入しても結果は変えられない、出来るのは黙って受け入れることだけだ。

 

「赤ボス、お煎餅ってある?」

「案内スルネ、ツイテ来テ」

 

 決定が下されるその時まで、僕はゆっくり休んでいよう。

 

 …多分、その後はのんびりする暇なんて無いだろうから。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「やっぱり、こうなっちゃうよねぇ…」

 

 ()()なものが終わった後、僕は暖かくなりすぎた布団の中で自堕落に転げ回っていた。

 

 けれど一先ず、これで直近の波乱は一つ終わった。イヅナたちも、一応満足して今はゆっくり眠ってくれている。

 

 今夜は、落ち着いてこの十数日間の旅の思い出を振り返ることにしよう。

 

「……ん?」

 

 そこで、違和感を覚えた。

 

 僕は、とっても大切なことを忘れちゃってないかな?

 

 何だっけ、絶対に忘れてはいけないものだったはずなのに。

 

「あれ、あれれ…?」

 

 またイヅナに記憶を弄られたのかな。だったら気にしなくていいんだけど、どうも今回はそんな気がしない。

 

 単純に僕が忘れているだけだと思う。

 

「うーん…分かんないなぁ…」

 

 これではおちおち気を休めて思い出に耽ることも出来ない。

 

 喉元に引っ掛かった言葉と魚の骨は大罪なのです!

 

「…やっぱり落ち着かない!」

 

 布団の中で燻っていても何も思い出せないと思い、体を動かすことにした。

 

 そして、何かを触っていればふと閃きが降りてくるかもしれない。

 

「旅行の荷物があった…は…ず」

 

 あれ…そういえば荷物って……あ!

 

「思い…出した…!」

 

 

 ――イヅナのジャパリフォン、神依君に預けたままだった!

 

 

「忘れてた~! 今から図書館に行っても…あはは、迷惑だよね」

 

 魔法陣に入ってから神依君の姿は見てないけど、多分戻ってきてからは図書館に直行しているはず。

 

 もう一度ホッカイに戻るって話もしてたし、早ければ明日には相談しに来るかもしれない。

 

「…うん、明日になったら取りに行こっか」

 

 いやー、スッキリした。

 

 連絡用にって渡してたんだけど、返してもらうのをすっかり忘れてた。

 

 これで落ち着いて…って気分でもないか。何だか一気に眠くなっちゃった。

 

「でも、イヅナには悪いことしちゃったかな…」

 

 どうせなら僕のを渡した方が良かったかも、と後悔にもならない()()()を考えながら、僕は瞼を閉じて眠りに就いた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…いえ、カムイはまだ帰って来てないのですよ」

 

 翌朝、図書館を訪れた僕が聞いたのは予想だにしない博士の返答だった。

 

「う、嘘でしょ…?」

「嘘をついてどうなると言うのですか、事実として我々はあの日から一度もカムイの姿を見ていないのです」

「…そんな」

 

 神依君、どうしちゃったんだろう。

 

 彼はずっと図書館で寝泊まりしていたから、帰って来るならここだって僕は確信していたのに。

 

「それより、我々は料理が食べたいのです」

「今は何とかヒグマに作らせていますが、やはりアイツの料理が最高なのです」 

「コカムイ、お前も作れるのではないのですか?」

「…いや、今はちょっと」

 

 神依君のレクチャーのおかげで虚無の状態よりかはマシになった。

 

 けれど、彼本人の料理と比較されるなんて堪ったものではない。彼の料理が上手すぎて。

 

「全く、我々の給仕係という役目も忘れてアイツは何をしているのですか」

「折角頼まれていた本も見つけたというのに、これでは渡せないのですよ」

 

 憎まれ口とも取れる言葉を声に出しつつも、二人の目には憂いの色が浮かんでいる。

 

「…神依君のこと、心配なんだね」 

「なっ!? ……まあ、そうとも言いますね」

「な、なにせ…我々の胃袋の危機なのですから」

 

 神依君は、この場所に帰るかどうか悩んでいた。

 

 けれど博士たちだって心配してくれてるんだから、帰ってあげても良いと僕は思う。

 

「じゃあ、僕は神依君を探してくる。会えたら、ここに来るよう伝えておくよ」

「では、お前に頼むとするのです」

「任せて、なるべく早くするからさ」

 

 博士たちに見送られながら、僕は一度雪山に戻ることにした。

 

 旅館の前で修羅場を繰り広げていたイヅナたちなら、神依君が戻ってくる現場を見ているかもしれない。

 

 …ホント、何処に行っちゃったんだろう?

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…ううん、私は見てないよ」

「…ボクも」

「私も、カムイさんのことは知らないわ」

 

 僕が尋ねるなり、三人はまるで示し合わせたかのように興味なさげな声でそう答えた。

 

「…ぶっちゃけ、見逃した可能性は?」

 

「まあ、ありえなくは…無いかな?」

「そもそも興味ないもん…」

「私も、魔法陣なんて全然気にしてなかったわ」

 

 あはは…本当にブレないね。

 

 だけど、これは希望が残っているとも言える。良かった、三人が神依君への興味を持っていなくて。…色んな意味で!

 

「うーん…こうなったら、電話でも掛けてみた方がいいかな…」

「電話って、どうして?」

「ええと、連絡用にイヅナのジャパリフォンを持ってもらってたんだ。…結局一度も使わなかったけどさ」

 

 状況が状況だから遠く離れたことさえ殆どなかったし、その珍しい瞬間でさえ電話を掛ける機会も着信音が聞こえることもなかった。

 

「多分、それは正解だと思うよ」

「イヅナ、どういうこと?」

「だって私のジャパリフォン、パスワードを入れないと何も出来ないようにしておいたから」

「…え?」

「何もって、本当に全部?」

「そう。発信、着信、メールの確認、ぜーんぶダメにしてあるの」

 

 …せめて、掛かってきた電話くらい出させてあげようよ。

 

「それで、パスワードって?」

「……5561、だよ」

 

 『5561』…語呂合わせだとしたら、『5561(コカムイ)』かな?

 

「そう、その通りだよ!」

「…ああ、()()()んだね」

 

 やれやれ、イヅナは全然変わらないな。むしろそれが可愛いんだけど、パスワードの件はマズいよ。

 

「…ねぇ」

 

 と、そこで。今まで沈黙を貫いていたキタキツネが手を挙げた。…いや、クリアして喜んでいるだけだ。

 

 呆れたように笑って、ギンギツネがイヅナに尋ねる。

 

「多分語呂合わせなのは分かるけど…『ノリアキ』でやらなかったのは何でかしら?」

 

 …ねぇ、それ、重要かな?

 

「し、仕方ないでしょ!? だったらギンちゃんは出来るの? 数字が語呂合わせ出来るようになってなかったの、忌まわしいことに!」

「同意するわ、数字の読み方を考えたヒトは死んだ方が良いわね」

「ボクもそう思う。本当にひどいよね」

 

 僕の感性が間違っていなかったら、ひどいのはこの会話の方だと思う。

 

 …と言うか、多分もう死んでるから。

 

 

「ま、まあ! その話は置いといて…神依君は、今何処にいると思う? 帰ってきて、図書館に行ってないなら何処にいるのかな?」

「想像なんだけど、一ついいかしら?」

 

 ギンギツネは想像と言いつつも、その考えに自信がある様子だった。

 

 僕は頷いて、彼女の言葉に耳を傾ける。

 

「もしかしたらだけどね…帰って来てないんじゃないかしら、彼」

「帰ってきて…ない…?」

「本当に帰ってきたのなら図書館に行かないのは妙だし、何かしらの痕跡も残すはずよ。彼が何も言わずに()()()()()()姿をくらます必要なんて何処にもないわ」

「そう…だね」

 

 だけど、帰って来ていないのなら一体どうして…?

 

「可能性は二つ。一つは、彼がホッカイに残る道を選んだという可能性」

「…もう一つは?」

 

 促すと、静かに頷いてギンギツネは口を開く。

 

 

「もう一つは…オイナリサマが、彼を無理やり向こうに引き留めてしまった…という可能性ね」

 

 

 彼女の言葉を聞いた僕は…何も、言えなかった。

 

 耳に引っ掛かった言葉が、まるで自分のことのように何度もリフレインするのだ。

 

 そして小さな決意が、僕の心の中に芽生えた。

 

 



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Ⅳ-133 翠晶に愛を込めて

 カチ、コチ、カチ、コチ…

 

 時計の針が音を鳴らす。書斎の大きな壁掛け時計だ。だがこんな音、あの日俺は聞いていたっけ。

 

 ああ、きっと聞いていたのだろう。そして、気にも留めていなかったのだろう。

 

 そんな他愛のない筈の音響が今は、俺を動揺させるように空気を揺らしている。

 

 湯気を昇らせるコーヒーは、熱さも味も分からなかった。

 

「……」

 

 何もかもが止まったような空間。針の音が辛うじて時の流れを教えてくれる。

 

 俺もここから動き出せば書斎からは逃げられるのだろう。

 

 …そう、書斎からは。

 

 オイナリサマは扉に鍵を掛けたりなどしなかった。それは慢心ではなく、確実な余裕なのだ。

 

 今の俺に、神社を取り囲む結界から逃げ出す術は何一つとして無いのだから。

 

「……」

 

 彼女は、本殿の掃除をすると言っていた。

 

 これから新しい生活が始まるのだからしっかり清めておかないと、と微笑んでいた。

 

 恐ろしく美しい笑みに、俺の体は硬直してしまった。妖の術ではない、縛るような縄さえ無い。

 

 『逃げられない』という認識だけで、彼女が俺を拘束するには十分だったという訳だ。

 

 諦めからは妥協が生まれ、絶望は帰還の意思を捻じ曲げる。

 

 

「…けど、これで良かったのかもな」

 

 最初から、俺の帰りを待っている誰かなんていなかったんだ。

 

 たった一人でも俺を待ってくれる誰かがいるとすれば。それは今ここで、俺を帰すまいとするオイナリサマ以外には在り得ない。

 

「いいじゃねぇか。ここにいれば平和で、楽だ」

 

 思えば初めてだな。

 

 新しい体を手に入れてから、こんな風に何の気兼ねもなく休んでいられる機会は。

 

「いいんだ…神様に、見初められちまったんだからな」

 

 ひとたび口を開けば、そこから出てくるのはこの状況を肯定する言葉だけ。

 

 果たしてこれが本心なのか、知る術はない。

 

 …だが、それで良いんじゃないか? 本心なんて曖昧な物、在ると信じてしまう方が恐ろしい。

 

 どうあれ俺は今、この状況を良しとしている。

 

 なら、無駄な精神力を使ってあれこれ思い悩む必要も無いだろう。そうだ、折角書斎にいるのだから、何か面白そうな本でも探してみるとするか。

 

「面白い本があるのはあの日に確認済みだからな。漁ってみれば、興味の湧く本の一冊や二冊はすぐだろ」

 

 これはそう、この書斎を舞台とした小さな探検だ。『面白い本』という秘宝を探すトレジャーハントだ。

 

 …ハハ、なんかワクワクしてきた。

 

「じゃ、行くとするか…!」

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「ほう、これは勉強になる本だ」

 

 『世界の鉱物図鑑』という本のページをめくり、俺は一人でうんうんと頷いていた。

 

「マラカイト…綺麗だな」

 

 見開きのページに大きく載せられた写真は、”孔雀石”とも呼ばれる不思議な模様が浮き出た緑色の宝石の姿を鮮明に写し取っている。

 

 他にルビーやダイアモンドなどの有名な宝石も勿論載っていたものの、俺の興味は専らこの宝石一つに向けられていた。

 

「もし昨日読んでたら、大した興味も湧いてなかったろうな」

 

 皮肉にも全ての余裕が奪われたせいで、俺はこんな風に後先考えずに座っていられている。

 

 それにしても素敵な石だな。一度本物を見てみたい。

 

「でしたら、用意しましょうか?」

「うわっ!?」

 

 前触れなく聞こえて来た声に驚き、本が音を立てて床に落ちた。

 

「わ、悪い、突然すぎて…」

「気にしないでください、驚かせようと思っていたので」

「わざとかよっ!?」

 

 反射的に突っ込むと、オイナリサマは面白いものを見たように口に手を当て笑った。

 

 俺は止めようのないため息を漏らし、本に付いてしまった埃を払う。

 

 というか、俺はどうして俺を閉じ込めた奴とコントをしているんだ…?

 

「…んで、何で分かった?」

「目がこれ以上ないほど釘付けになっていましたからね、気付かない方が変ですよ」

 

 そ、そんなに夢中だったのか…

 

「本当に用意できるのか?」

「当たり前です、神様の力を信じてください!」

 

 自信満々に胸を張るオイナリサマ。正直に言ってやめてほしい、オイナリサマの体形だと強調されるものが十分にありすぎる。

 

 俺は…そっと目を逸らした…

 

「うふふ、神依さんは初心ですね。かわいらしいです」

「…そ、それよりもだ! 出来るなら、早く持って来てくれ…」

「そうですね、少しだけ待っててください♪」

 

 分かりやすく声を弾ませて、オイナリサマは書斎を後にする。

 

 俺は目に焼き付いた景色を何とか取り払おうと、もう一度マラカイトの写真を凝視する。

 

 …余計に、思い出してしまいそうだ。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 しばらく悶え苦しんだ後、腹の鳴る音を聞いて俺は籠に入れられたジャパリまんを口に入れた。

 

 …これは稲荷寿司味だ。何と言うか、普通の稲荷寿司を食べたくなる味と食感だった。

 

 次は一緒に入っていたバターロールを頬張りながら、良く合いそうなコーヒーで喉を潤す。

 

 今度のコーヒーは味が分かる…とても苦い。砂糖とミルクを入れよう。

 

「…うん、美味い」

 

 程よくマイルドになった味わいが俺を癒してくれる。コップ一杯飲み干すと、随分と気が楽になったように感じた。

 

「にしても、至れり尽くせりだなぁ…」

 

 しばらく歩き回って気が付いた。

 

 この建物は書物庫の体で作られてこそいるものの、他の設備も充実しすぎているせいで、大抵のものはここだけで揃ってしまうということに。

 

 

「…少し横になるか」

 

 奥の扉を開けた先、本棚の森よりもかなり狭くなった部屋には一台のベッドが置いてある。

 

 目で確認した限りではダブルベッドで、シーツや掛布団は非常に肌触りの良い素材が使われている。多分かなりの高級品だ。

 

 この二つの部屋と用意された食べ物だけで、上等な『図書館ホテル』の一つくらいは名乗れそうである。

 

 …勿論、更に恐ろしいのはこれだけで終わらないことなのだが。

 

「ハァ…」

 

 ベッドに横たわって、極大のため息を天井に吹き付ける。

 

「あぁ…柔らけぇ…!」

 

 快適すぎる寝心地に、オイナリサマによって殆ど絆されかけていた緊張感にいよいよ止めが刺される。

 

 緩み切った体には眠気が差し込み、抵抗する理由も術も持たない俺はいとも容易く微睡みに陥落するのだった――

 

 

 

―――――――――

 

―――――――――

 

 

 

「ん、ぐぐ…!? うぅ…寝てたのか」

 

 …夢を見ていた気がする。

 

 それは夢らしく忘却の彼方へ葬り去られてしまっているが、どうにも心に引っ掛かる。

 

 はて、果たして俺が見た夢はどんなものだったろうか?

 

 数秒にわたる思案の末…思い出せないという結論に達した。

 

「オイナリサマは…まだらしいな」

 

 それほど長い間寝ていたわけではないのか、彼女の姿も見えないし気配も感じない。

 

 或いはマラカイトの確保に手間取っているのか…まあ、気長に待つのが得策だな。

 

「さて、本でも読むとするか」

 

 書斎に向かうため俺はベッドから立ち上がる。

 

 その瞬間、扉の向こうから崩れるような大きい音が聞こえてきた。

 

「…まさか、丁度よく帰って来たのか?」

 

 かすかな疑問を抱きつつも、予定通りに俺は書斎へと向かう。

 

 目的地の扉を開けた俺の目に飛び込んできたのは、本棚から飛び出し、崩れて幾つもの山を成す本の数々。

 

「…これの音だったのかよ」

 

 これから数分…数十分?

 

 兎にも角にも長くなりそうな片付けを想像し、大きなため息がカーペットを撫でた。

 

 

「よいしょ…っと! やっと終わった…全く、本の整理くらいちゃんとやっておけって…!」

 

 宝石を探しに行った神様への文句も程々に、俺は作業の途中で得られた()()()へと視線をやる。

 

「…だけど、悪いことばかりじゃなかったな」

 

 俺はただ棚に戻すだけではなく、大まかな内容で本をジャンル分けした。

 

 そのお陰だろう、俺は本のタイトルをしっかりと見て片付け、そして興味を惹かれた本は取り分けておくことができた。

 

「おお、こうやって積むと壮観だな」

 

 一番上の本を手に取って、鏡を見なくても分かるほど吊り上がった口角を手で降ろして、椅子に腰かけて悠々と読み始める。

 

 一冊目のタイトルは『赤狐と緑狸』。

 

 『いつも自分の得意料理で競い合っている二匹の動物が、どちらの腕前が上かを決めるために料理大会を開く』…というあらすじの、所謂童話だ。

 

 懐かしいかな、読んだことこそ無かったが、外の書店ではよく見かけたベストセラーの一冊である。

 

「何だかんだ機会は無かったが、興味はあったんだよなー」

 

 …へぇ、そうなるのか。

 

 この物語の結末は…三日三晩にわたる料理対決の末、結局二匹は和解して一緒に麺類のお店を開くというものだった。

 

 まあ、典型的な童話の語り口ってところだな。案外面白かった。

 

「んで、この本のスポンサーは『西洋水産』とね…」

 

 そりゃあ、題名からしてあからさまだもんな。

 

 この物語は随分有名になったらしいし、商品の宣伝効果も十分だったことだろう。

 

「…こんな神社の片隅にまで置いてあるくらいだもんな」

 

 脚立を取りに行った倉庫で見かけた時は驚いた。

 

 まさか外の食べ物――しかもカップ麺――があるなんて夢にも思っていなかった。

 

 オイナリサマは…じゅる…どうやって…ずず…用意したんだろうな…?

 

「それに今更だが…本の隣で飲み食いしてもいいのか…?」

 

 恐らくマズい。しかし、下手に焦って零してしまうのはもっとマズい。

 

 …このスープをしっかりと飲み干してから、落ち着いて片づけるとしよう。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「そして次は鉱物図鑑…その2」

 

 さっき俺が取り分けた本は、童話や図鑑や写真集など、文字よりも絵の方が多いものがほとんどを占める。

 

 小説は読むのに時間が掛かるからな、興味のある本は見つかったが後回しにしてしまった。

 

 そしてこれから読むのは、最初に読んだものとは違う鉱物図鑑。

 

「さあて、何処が違うかな」

 

 同じ題材を取り扱っていても、編集者が違えば内容は当然の如く異なる。

 

 そんな些細な違いを見つけるのも図鑑を読む楽しみだろう…と、ついさっき思い至った。

 

「ふむふむ……ん?」

 

 とある宝石に目が留まる。

 

 その宝石の名前は真珠。真珠貝によって作られる白く丸く美しい石だ。

 

「そうか…貝か…」

 

 思い出した。

 

 そう言えば、貝を使った料理を作るため、あの二人に貝類を大きく取り扱っている料理本を探してもらってたんだっけ。

 

 頼んだその日のうちに()()()()()しまったせいですっかり忘れていた。

 

「でも、もう読みになんて行けないな」

 

 俺はここから出られない。

 

 頼んだきりになってしまうことには罪悪感も湧いてくる。だけど、どうしようもない。

 

 …無駄な憂いが戻ってきてしまった。

 

 そう、思い出して、ただ気分を悪くしただけ。そんなことをして、良いことなんて今一度も起きなかった。

 

 外の世界に別れを告げた日(あの日)も、俺が意識を取り戻した日(あの日)も、そして…今日も。

 

 

 嫌な記憶から目を逸らした先に、今日は鉱物図鑑がある。

 

「健康に、長寿に、富ね…」

 

 この鉱物図鑑には、最初に読んだものと違って『宝石言葉』というものが載っている。

 

 要は、花言葉の宝石版ということだろう。俺がさっき読み上げたのは真珠が持つ宝石言葉の一部だ。

 

「こんなのもあるんだな……あ」

 

 そこで疑問が頭に浮かぶ。

 

 オイナリサマに頼んでしまったマラカイト、あの美しい緑の宝石はどんな言葉を当てられているのだろう?

 

「調べてみるか。ええと、索引から…」

 

 あかさたなはま…マラカイト…は、172ページ。

 

 172ページと言うと…この本の真ん中から少し後半寄りのページになるな。折角だ、ピンポイントで開けられるかチャレンジしてみるか。

 

 …おお、170ページ。惜しい、ほんの少しズレたな。

 

 さあ、マラカイトにはどんな言葉…が…

 

「………」

 

 …へぇ、そうか。

 

 何とも、タイミングの良い言葉があったものだな。

 

 そして俺は、ピッタリそれに心を惹かれてしまった訳だ。

 

 

「ハハハ…『()()()()()』か。凄いな、コレも神様のイタズラか?」

 

 

 ガチャ…扉の開く音。

 

 この『世界』の中で、そんな音を出す人物は一人しかいない。

 

 

「神依さん、持って来ました…! えへへ、少し遅くなっちゃいましたね」

「気にするな。別に俺も、暇はしてなかったからさ」

 

 本から視線を外し、オイナリサマの手元に向ける。

 

 両手に握られた緑色の宝石は、写真よりも暗い色をしているように見えた。

 

「折角なのでアクセサリーにしてきました! そのせいで時間が掛かっちゃって…」

「…ネックレスか」

 

 渡された輪っかには彩りを良くするためだろうか、緑の他にも輝く色がある。

 

 …だが、そんなことはどうでもいい。

 

 俺の気を更に引いたのは、オイナリサマの首にも同じネックレスが掛かっていることだった。

 

「なぁ、()()って…」

「うふふ、気付きました? そう、お揃いにしたんです!」

 

 ぐらり、地面が揺らいだようで、気力で足を踏ん張り耐える。

 

 そんな状態を知ってか知らずか、オイナリサマは笑顔で語る。

 

 …耳鳴りで、碌に聞こえない。

 

 

「勿論デザインだけのお揃いじゃありません! 加工の仕方も寸分違わぬ様にしましたし、形が崩れないように護術を何重にも掛けました! これが神依さんを守ってくれるようにお祈りもして、いつでも繋がっていられるように『通信』の――」

 

 

 俺は、オイナリサマを――その首元を――俺の手元を――お揃いの装飾品を――鈍く輝く緑色を――『危険な愛情』を――ただ、見た。

 

 

 ただそれだけで…眩暈がした。

 

 



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Ⅳ-134 欲したヒトと、神のワガママ

 風薫る昼。

 

 向こうに見える花畑は紅い花びらを風に揺らし、それを越えて吹き込む風は目の前の白い長髪の香りを俺の元へと運ぶ。

 

 …まあ風に頼らずともこんなに近ければ、香りは自然と鼻まで届くんだが。

 

「…なぁ、いつまで膝に座ってるんだ?」

「私が満足するまでです!」

 

 ちょこんと体を小さくまとめて俺の膝上に座ったオイナリサマは、尻尾の先で俺の顎を撫でながらそう言い放つ。

 

 やれやれ。今日もまた、面倒なことになるな。

 

 とうの昔から分かり切っていたことを再確認して、行く先の無い俺の手は緑のネックレスへと伸びていく。

 

 冷たい宝石の感触が、ただただ気持ちよかった。

 

 

「それで、今日は何が目的だ?」

「目的って…そんなの決まってます。神依さんと一緒にいることです!」

「そうじゃなくて、何故俺の膝の上に座っているんだ…?」

 

 言葉を変えて尋ね直すも、オイナリサマの顔に浮かぶ疑問の色は濃くなる一方だった。

 

 仕方なく、俺は説明をする方向で話を進める。

 

「だから、こうやって…そう、俺を監禁した時点で、目的はほぼ達成してるだろ」

「監禁と言うか、自由は与えているので軟禁なんですけど…それに人聞きの悪い言い方ですね…」

 

 …まあ、色々と突っ込みたいところはある。だがそうすると話がやや――

 

「”突っ込みたいところ”!? 神依さん、それについて詳しく…」

「なんで心が読めるんだよっ!? それと、そういうことは大声で言うもんじゃねぇ!」

「どうしても何も、神様だからです!」

「………」

 

 …よし、理解しようとするのは止めよう。

 

 そうだよな、だって…神様だもんな。ヒトの常識が通用しないなんてしょっちゅうだよな。

 

 だから勝手に心の中を読まれても、聞くに堪えない破廉恥な妄想を目の前で始められても…それは仕方のないことだ。

 

 

 うむ、そう考えてみると、途端に心が軽くなるものだな。

 

 しかし逆に、オイナリサマの心中は重く沈み始めている様子で、目の端っこから雫がほろりと…

 

「どうしよう…神依さんに呆れられてしまいました…」

 

 流石にオイナリサマのような少女が泣いている姿は見るに堪えず、俺もフォローに入るしかなかった。

 

「まあ、俺は大丈夫だ。だが何と言うか…お淑やかにな?」

「はい、神依さんがそう言うのであればっ!」

 

 オイナリサマは喜びと共に飛び上がる。

 

 早速お転婆の片鱗を見せ付けてくれる神様に不安を覚えつつも、俺は消えかかっていた質問を記憶の海から掬いだすことにした。

 

「まあいい。で、何を訊きたかったんだっけ…?」

 

 えっと…そうそう、膝に座ってる理由だったか。

 

「えへへ、これもスキンシップの一環です」

「…これはまた、随分と積極的な」

「当然です! これから私たちは一生をここで共に過ごしていくのですから、しっかり仲良くしなくては」

「ハハ……一生ね」

 

 さも決まったことのように語られる未来の設計図に、俺が口出しをする余地などない。

 

 しかしそうか。やっぱり…本気なんだな。

 

「む、疑ってたんですか?」

「別にそうじゃねぇよ」

 

 むしろ冗談の方が…いや、やめよう。

 

「だけど今日は特に積極的だな、何かあったのか?」

「…何も無いからです!」

「…え?」

 

 質問とは真逆の回答に戸惑う。

 

 それ以上に、オイナリサマから向けられる非難がましい表情に在りもしない過ちを見出しそうになってしまう。

 

「それは…つまり?」

「神依さんは、どうしてそんなにガードが堅いんですか!?」

「あぁ…うん」

 

 俺の諭したお淑やかさは一体何処へと投げ捨てたのやら。

 

 実質的な()()()とも呼ぶべきその言葉に、いよいよ俺は頭を抱える。

 

「あら、大丈夫ですか神依さん? お辛いようでしたら、代わりに私の膝をお貸ししますよ…?」

 

 気づけば彼女はこちらを向いて、肩に手を掛け俺を寝かせる。

 

 流れる水よりも滑らかな動きに、俺は為す術もなく倒されてしまった。

 

「うふふ、どうですか…とっても柔らかいでしょう?」

「あ、あぁ…」

 

 …驚いたな、本当に柔らかいなんて。

 

 しかオイナリサマはスカートが短いから、布越しじゃない柔肌の感触が俺の後頭部に…!

 

「な、なあ…」

「ダメです、ちゃんと寝ててください」

 

 天井を眺めていると、それを遮るようにオイナリサマが俺を見下ろす。

 

 キラッキラに輝く瞳が影に入って、昏く歪んだ口元から涎が零れ落ちてくる。

 

「あっ!? ごめんなさい、つい夢中になってしまって…」

「…気にすんな」

 

 今更顔に涎が掛かったくらいでどうこう言うかよ。昨日は料理にまで入れられたって言うのに。

 

「えへへ、今後は気を付けます」

 

 …俺の目の前でオイナリサマが盛り付けた皿に涎を掛け始めた時は、とうとう手遅れになったのかと思ったよ。

 

 全く、これ以上取り返しの付かない出来事を増やさないでほしいものだ。

 

「オイナリサマ」

「はい、神依さん」

「…寝ていいか?」

「どうぞ、お好きなだけ眠ってください」

 

 瞼を閉じると、手櫛が髪の毛を梳いていく。

 

 柔らかいふとももの枕と、ふわりと顔を覆うもふもふに挟まれて、自分が穏やかな眠りへと落ちていくのを感じた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 菜箸がフライパンの底を叩く。

 

 オイナリサマに料理を気に入られてしまった俺は、今日も二人分の晩御飯を作っている。

 

 分担は、朝がオイナリサマ、昼はまちまち、夜は俺。

 

 やれやれ、いつの間に彼女の生活リズムの中に取り込まれてしまったんだろうな?

 

「それと、毎食欠かさず油揚げが出てくるのはやっぱり運命なのか…?」

 

 しかし、今のところ油揚げに飽きが来ているという訳でもない。

 

 それもこれも…『オイナリサマの油揚げ活用術』とタイトルが付けられた本が優秀すぎるからだ。

 

「何なんだ…油揚げサラダって…?」

 

 レシピ()常軌を逸しているのは大前提のこと、出来上がった料理は美味しいというのだからオイナリサマは恐ろしい。

 

「神依さん、そろそろ出来上がりましたか?」

「ああ、後は仕上げだけだからもう少しだけ待っててくれ」

「はい! 神依さんの料理ならいつまでも!」

 

 また突拍子もないことを言うオイナリサマに笑って。

 

 彼女ならば本気で待ちかねないなと軽く畏怖して。

 

 また彼女に絆されようとしている自分を鏡で見て…それ以上、そこに映ったエプロン姿を直視できなかった。

 

 

「さてと、待たせたな。…今日は涎を掛けるなよ?」

「神依さんは私を何だと…じゅる…ふふふ…大丈夫です!」

「…いただきます」

「いただきます!」

 

 神の威厳も全て彼方へ放ってしまったオイナリサマと、今夜も共に食卓を囲む。

 

「今日の油揚げは一段と出汁を吸っていて…素晴らしい味ですね…」

 

 最初に箸が向けられたのは件の油揚げサラダ。

 

 オイナリサマはハフハフと大きな油揚げを一口に飲み込み、俺の油揚げへと視線を向ける。

 

「あ、あげないからな…!」

「……」

 

 無言の主張を向けてくるオイナリサマを尻目に、俺はさっさと油揚げに噛み付く。

 

 …すると、オイナリサマは目の前まで迫ってきて、俺の口から伸びる油揚げのもう片端を口にくわえた。

 

「…っ!?」

「ふふ…!」

 

 そのまま彼女が油揚げを頭ごと引っ張ると、ついに耐え切れなくなった油揚げは真っ二つに両断されてしまった。

 

「……全く、行儀が悪いんじゃないか?」

「…む」

 

 人から油揚げを奪うというあんまりな所業。

 

 俺が”行儀”という言葉を使ってそれを諫めると、オイナリサマは見るからに機嫌を悪くした。

 

「神依さんは…ロマンというものを知りません」

 

 …え?

 

「ロマンって、ただ行儀が悪いだけの…」

「神依さんはッ! 自分がくわえた油揚げにどれだけの価値があるのか全く分かっていませんッ!」

 

 …ああ…なんだ。発作か。

 

 新しい行動パターンに思わず身構えてしまったが、正体さえ判明すれば恐るるに足らず。

 

 俺は波立った心を落ち着けて味噌汁を啜る。…うん、味噌汁も良い出汁が取れているな。

 

「神依さん。私は神依さんが大好きです」

「うん」

「神依さんのモノなら、どんなものでも欲しいんです」

「うん」

「特に神依さんのた…体液とかは…ふふ…喉から手が出る程素晴らしいんです」

「うん」

「しかも、神依さんの唾液と油揚げの出汁が混ざった味ならそれは、そこらの山の一つや二つ潰してでも口にしたい味なんです!」

「…うん」

「真面目に聞いてくださいッ!」

 

 そう言われたって、真剣に聞くような内容じゃなかったしなぁ…

 

 なんてことを考えていると睨まれた。顔に出てたか? …ああ、心読めたんだったな。

 

「神依さんは、私に涎を飲ませてはくれないんですか?」

 

 ふむ、訳が分からない。

 

 如何にも当然と言う調子で彼女は言うから、俺の方が変だと錯覚しかねないな。

 

 とりあえず、返事は曖昧なものにしておいた。

 

「…まあ、そのうちな」

「ッ! や、約束ですよ…!」

「わ、分かったって。ほら、冷めないうちに食べろよ」

 

 俺との約束に満足したオイナリサマは、ようやっと箸に手を掛ける。

 

 するとどうだろう。見る見るうちに、皿から油揚げ()()が消えていくではないか。

 

 数ある食べ物の中から油揚げを正確にサルベージして奪い去っていく箸遣いの手際は、もはやプロフェッショナルと呼んで差し支えない鮮やかさ。

 

 だが俺としては…ちゃんと他の食べ物も口にして欲しい。

 

「油揚げばっかり食べても良くないぞ」

「良くないって、一体何に良くないのですか? 言っておきますけど、神様は風邪をひきませんし、サイコロも振りません!」

 

 何処で聞いたんだアインシュタイン。というか、そうじゃない。

 

「ほら…せっかく作った料理だからさ、しっかり全部食べて欲しいんだ」 

「今朝私が作ったご飯は、「あまり食欲がない」と言って残しましたよね? 忘れたんですか…?」

「…う」

 

 これは痛いところを突いてくる。

 

 でも…ほら、朝は食欲が万全じゃないことも多いし…な?

 

「神依さん?」

「…悪い」

 

 なんということだ。

 

 オイナリサマを窘めようとしたら、逆に謝らされてしまった。

 

 恐ろしや、神様。

 

 それでも、食べて欲しいことは変わらないというか…

 

 

 そんな俺の困った表情を見かねたのか、オイナリサマは指を立てて提案する。

 

「…なら、こうしましょう」

「…?」

「神依さんが「あーん」って言って、私に食べさせてくれればいいんです!」

 

 ガッツポーズで何を言っているんだ。

 

 ああ可笑しいかな、神様。

 

「でも、神依さんの手で食べさせてくれるなら私、()()食べ切っちゃいますよ?」

「…分かった」

 

 正直あまり気乗りしないし、オイナリサマに良いように乗せられてしまった気もするが、料理を食べてもらうためなら仕方ない。

 

 そしてやっぱり、料理を残してしまったことへの罪悪感もあるし。

 

 閉じ込められている身とはいえ、これくらいの配慮は必要だろう。変な話だがな。

 

 

「…ふふ」

 

 オイナリサマは雛鳥のように口元をスッと差し出して、俺が料理を運ぶのをじっと待っている。

 

 料理を箸で掴むとその瞬間、葛藤が心の中を駆け巡った。

 

 しかし、迷っている時間は無い。もう、約束してしまったのだから。

 

「あ、あーん」

「はむ…もぐもぐ…!」

 

 シャキシャキと音を立てて野菜が噛み砕かれる。

 

 淡く頬を染めて咀嚼するオイナリサマの表情に、俺はしばしの間見惚れてしまう。

 

 …ごくり。

 

 喉が小さく動くのを見て、俺は意識を引き戻される。

 

 そして満足げに微笑んだオイナリサマは、もう一度さっきのように口元を差し出した。

 

 その姿を見た瞬間に俺は、ある致命的な事実に気づく。

 

 そして急いで、フリーズし掛けの頭で計算を始める。

 

 こいつらを()()無くすために俺はあと何回、間抜けな声を出しながらオイナリサマに食べさせてやれば良いんだ…!?

 

 脳が弾き出した答えは……とってもたくさん。働けよ俺の脳みそ。

 

 後悔先に立たずとは言うが、オイナリサマ相手に安請け合いするんじゃなかったな。

 

「…うふふ、どうしたんですか?」

「な、なんでもない…」

「じゃあ…早く()()をお願いできますか?」

 

 何ともまあ不用心なことに…俺は忘れていたんだ。

 

 ヒトを化かして、欲望を意のままに満たしていくオイナリサマは、疑いようなく狐なのだということを。

 

「…はい…あ、あーん」

「もぐもぐ…ふふ、神依さんの料理はとっても美味しいですね♪」

 

 ああ黄金色に、瞳が光る。

 

 



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Ⅳ-135 神様の愛は命と引き換え?

『好き』

 

 その言葉を聞いて感じるものが、喜びではなく恐怖へとすり替わってしまったのはいつからだろうか。

 

 俺にだって好きな物はあるのに、誰かがその言葉を口にする度に耳を塞ぎたくなってしまうのは何故だろうか。

 

 …そのたった二音を、どうして誰かに向けることが出来なくなったのか。

 

()()()ハッキリ思い出しちまったのも、偶然な訳ないよな」

 

 間違いなく、全てオイナリサマのせいだ。

 

 彼女のことを考える度に、心の奥から湧き出るどす黒い恐怖が…俺の体を痺れさせる。

 

「だから、全部…! いや…違うか」

 

 オイナリサマは、飽くまで切っ掛けだ。引き金に力を込めただけだ。

 

 たった一度引き金を引くだけでこうなってしまうほど、俺が脆かっただけだ。

 

 そのくせ向き合うこともせず…目を逸らしていただけだ。

 

 

 …あの時と――ホッキョクギツネから目を逸らした時と――同じだ。

 

 

「俺は…また繰り返すだけなのか?」

 

 ()()()をまた思い起こしかけて、俺は辟易した。

 

「忘れろ…今は忘れろ…! 考えるのは、終わってからだ…」

 

 そうだ、さっきまで確かにこの足は前に進むために動いていたはずだ。

 

 まだ、向こうへと帰るための希望は全て潰えてなどいないはずだ。

 

 仮定を重ねて、確信の紛い物を拵えて…俺は、また足を動かし始める。

 

 

―――――――――

 

 

 さて…俺はオイナリサマに帰る道を絶たれ、結界の中に閉じ込められた。

 

 その言葉通り多くの自由を奪われてしまったものの、彼女は体の自由まで完全に奪うようなことはしなかった。

 

 だから、彼女が激しいアプローチを仕掛けてくる以外は、前までと同じように過ごすことが出来ている。

 

「確か、この辺にあった気がするが…」

 

 どうして、オイナリサマは俺にある程度()()の生活を与えてくれるのか。

 

 彼女の真意は未だ分からない。

 

 結界での防護に余程の自信があるのか、若しくはその生活の中で俺が自分から逃げなくなるように細工をするつもりなのか。

 

 そこにどんな目的があるにせよ、歩き回ることを許されているお陰で、俺も目的の物を探し当てることが出来た。

 

「あった、魔法陣だ…!」

 

 オイナリサマの手によって完全な形を失った、キョウシュウに帰るための魔法陣。

 

 様々な葛藤を味わいながら、それでも綺麗さっぱり諦めてしまうことが出来なかった俺は、この軟禁劇の始まりの場所で…何か、突破口になるものを探そうとしているのだ。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「欠けてるのは一部分だけか。…それだって、俺には直せないけどな」

 

 魔法陣の図面は前に俺も見せてもらった。

 

 非常に複雑だから再現することこそ不可能だが、その知識のおかげで魔法陣が不完全であることは理解できる。

 

 いや…まあ、横一文字に大きな切れ込みが入れられていたら、誰だって「壊されている」と感じるのだろうが。

 

「けど…綺麗な切り方だな。イヅナとか…知識がある奴ならこれくらいは簡単に直せそうだ」

 

 そして、俺には不可能だ。

 

 何か脱出のための糸口を掴めるかもしれないとここまで来てみたのだが…この体たらくでは到底無理そうだ。

 

「そうだな…周りも探ってみるか」

 

 今日の俺はなぜだか諦めが悪いらしい、魔法陣の周囲の…結界の中の自然を調べることに決めた。

 

「…変わった何かがあるようには見えないか」

 

 そして方針を転換した先でも、瞬く間に行き止まりにぶつかった。

 

 言ってしまえば、ごく普通の自然環境だ。

 

 少し草原を散策すれば見掛けられるような植物ばかりで、危険な虫なども見当たらない。

 

 動物さえ全く見掛けなかったが、肉はあったからオイナリサマがどこかから調達しているのだろう。

 

 それと空がおかしな色をしているお陰で色は若干変に見えなくもないが、それだって些細な変化で取り立てて言及するようなものでもない。

 

 そう、ここは至ってありふれた空間なのだ。

 

「いや…一つだけ、気になることはあった」

 

 唯一俺が感じた異常は、結界の端に辿り着けないこと。

 

 結界の端に触れようと近づいても、一定の距離まで近づくと結界が逃げるように向こうへと行ってしまうのだ。

 

 最初は元の位置に戻されたかとも思ったが、振り返ると神社からはしっかり遠ざかり続けている。

 

 果たして何処まで逃げていくのか興味が湧いてきたものの、あまり離れすぎて帰って来れなくなるのもいけないと思い今日は引き返した。

 

「まあ行くとしても、もう一回きりだろうがな」

 

 俺が再び結界を追いかける時が来るのならば…それは、脱出を試みる時だ。

 

 

「よし…これくらいにしておくか」

 

 これ以上、ここで手に入れられる情報は無いだろう。

 

 魔法陣に関して得られたものは予想通り何もなかった…嫌な予想だが。

 

 その代わり、結界に関して新しい知見を得られたのは大きい。脱出する時に直面する『予想外』が一つ減ったのだから。

 

「…まだ、折れてないさ」

 

 最後に、魔法陣の削られた部分の粉を集めて山型に積んでおいた。風の無い場所に置いたし、何処かへ飛ばされることもないだろう。

 

 魔法陣を使えない俺にとっては無意味な行動だが、やっておかなければ気が済まなかった。

 

「…帰ろう」

 

 神社へと帰る。

 

 いつか帰れるように、祈りながら――

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「おかえりなさい、神依さん。お散歩は楽しかったですか? …随分と、遠くまで行っていたようでしたけど」

 

 部屋に足を踏み入れるなりオイナリサマが掛けてきた言葉に…俺は面食らった。

 

 そして確信した。

 

 オイナリサマは勘付いている。俺が結界の近くまで行っていたことに。

 

 そして彼女の表情を見るに…俺のその行動は、好ましく思われていない。

 

「あぁ…ここがどんな場所なのか、気になってな」

「そうでしたか…だったら、私が案内して差し上げましたのに」

「悪い。迷惑を掛けるかと…思って」

 

 そこまで言って…オイナリサマの顔から、笑顔の表情が消えていることに気づいた。

 

 あ…あれ。俺、間違ったか…?

 

「…神依さん」

「は…はい」

 

 抑揚のない声で呼ばれて、思わず姿勢を正した。

 

「結界の中には出来る限り私の目を行き届かせています。ですが…それでも、時折不慮の事故というものは起こってしまうものなのです。もし遠出をするなら、必ず私と一緒に行ってください! 一人じゃダメです、危なすぎます…っ!」

 

 そして、姿勢を崩した。

 

 いや、オイナリサマが涙を流しながら俺に抱き付いてくるせいで、姿勢を変えざるを得なかった。

 

「神依さんは意地悪です…! 私を、こんなに心配させて…」

「悪かった、本当に悪かったから、な…泣かないでくれ…!?」

 

 ぶっちゃけ俺は、大声で怒鳴られるか叱られるかの二択だと思っていた。

 

 だから…そう。完全に意表を突かれて、どう返せば良いのか分からない。

 

 結局俺は、オイナリサマと同じようにあたふたと慌てながら、彼女を必死に宥めるより他は無かった。

 

 

「うぅ、ぐすん…もう、大丈夫です」

 

 それから十数分。

 

 まだ若干涙ぐんでいるものの、滂沱の涙を流していた全盛期の泣き方よりは随分とマシになった。

 

「ごめんなさい、取り乱してしまって」

「良いよ…それより、一つ聞いていいか?」

 

 あんな様子を見せられたから刺激するのも下策と思い、俺は無難に話題を変えることにした。

 

「はい…何でしょう?」

「オイナリサマって、どうやってこの結界の中を…その、見守ってるんだ?」

 

 一瞬『監視』と言う言葉が頭をチラついたが、棘のある言葉は厳禁だ。最悪、監禁ルートへ行く可能性もある。

 

 必死に言葉を頭から振り払っている俺の隣で、オイナリサマはそれに気付かぬ様子で説明を始める。

 

「んー…まあ、勘…ですか……ね?」

「…勘って、それだけ?」

「はい、大体なんとなくです。結界の近くの出来事なら、察知する方法はありますけど」

 

 あっけらかんと言い放つ彼女に唖然として、そして俺はある意味感心した。

 

 彼女は何も気張っていない。自然体で事に臨み、俺には想像の付かない能力を発揮してしまう。

 

 ハハ、これが神様か。敵わないな。

 

「じゃあ、結界近くのことはどうやって知るんだ?」

()()が内側から結界に向かって行ったら、大体分かっちゃいますね。その場合、結界が人に合わせてどんどん広がっていくので」

「広がっていく…なるほど、そういうことか」

 

 説明のお陰で、結界の果てに辿り着けない現象の理由が分かった。

 

「はい! 結界が広がったら維持するためのサンドスターも増えちゃうので、それで分かるようになってます。…神依さんも、近づいたんですよね」

「ああ、触れないかなと思ってさ」

 

 流石に『出られないか試してみた』は話す理由として不適当すぎるから、適当な嘘で誤魔化しておいた。

 

 それにも…心が読めるはずのオイナリサマは反応しない。

 

 或いは、気付いていながら見逃しているのか。

 

 それにしても、あの結界はかなり都合が悪いな。

 

 おかしな術を使っているのではなく、ただ広がっていくだけという単純さが実に厄介だ。

 

 何故なら俺が結界の果てまで辿り着くためには、オイナリサマのサンドスターが切れるまで結界を広げさせなければならないから。

 

 それは…ここから何十kmの距離になるだろう?

 

 それだけの距離を、追いつかれること無く逃げ切れるのか?

 

 そして逃げきれたとして…俺が出てくるのはあの雪山、結界の目と鼻の先だ。

 

「神依さん…どうしました?」

「いや…オイナリサマって凄いなって思ってさ」

「えぇ!? あ、ありがとうございます…!」

 

 照れているのだろう、頬を真っ赤に染めてオイナリサマは頭を抱える。

 

 そして俺は…光明の見えない脱出劇に頭を抱えた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「なぁ…気になることがあるんだ」

「神依さんの疑問とあらば、どんなことでもお答えしますよ!」

 

 例えばスリーサイズでも…と冗談めかして彼女は言うが、きっと本気なのだろう。

 

 だが俺には、そんな事よりもっとずっと気になることがある。

 

 気になるけど、出来るなら尋ねたくないこと。だけど尋ねなければ、俺はまた逃げることになる。

 

 だから…向き合わなければ。

 

 

「オイナリサマ…どうして、俺を好きになったんだ?」

「……え?」

 

 

 突然の真剣な質問に驚いたのだろう。

 

 オイナリサマの目は見開かれ、忙しなく動いていた手はピタリと動きを止める。

 

「どうして…ですか?」 

 

 それでも神様は数秒後には調子を取り戻し、口に手を当ててくすくすと笑う。

 

 そして俺の目をじっと正面から見つめ、彼女は答えた。

 

「理由は勿論、()()()()()()()()…ですよ」

「いや、俺は真面目に…」

「私だって真面目です!」

 

 彼女が本気ということくらい、声色で嫌と言うほど分かる。

 

 だけど俺は、その答えに満足できなかった。

 

「他には…無いのか?」

「他ですか? そうですね…私に掛けてくれた優しい()()も嬉しかったですし、見た目も…とても私の好みです。多分あなたの性格も……うふふ、色々ありすぎて言い切れません。ですから、一目惚れしてしまった…って理由じゃ、いけませんか?」

 

 俺は、首を横に…振りたかった。

 

 オイナリサマの持つ理由は、語られた分だけで十分すぎた。

 

 そして元々、彼女の想いそのものを否定する気なんてさらさらなかった。…筈だったのに。

 

 不満か?

 

 …いいや、認めたくなかった。

 

 今の状況が…俺をここに閉じ込めるという行為の原因(動機)が、普通の恋心であってほしくなかった。

 

 聞きたかったのは、もっと特別な何か。

 

 

 例えばそう…自分を守護けものの一人ではなく、『お稲荷様』という神様として見てくれた唯一の人間を、どんな手を使ってでも手放したくなかった…とか。

 

 

 俺の掛けた()()…自らを望んでくれる人間を、自分以外を望めないようにしてしまいたかった…とか。

 

 

 もっと言えばそこに、理解しようのない妄執があってほしかった。

 

 彼女が、強硬手段に及んだ理由に…それ相応の異常を求めていた。

 

 そうすることで…かつて殺し合いにまで及んでしまった二人にあった感情が、歪んでしまった全ての大元が、純粋な恋心ではないと信じたかったのだ。

 

「もう、神依さん…何か返事してください。聞いておいて黙っちゃうなんてひどいですよ?」

「…あぁ、素敵な理由…だな」

「そう…ですか? うふふ…でも、もっと素敵な生活をこれから一緒に作っていくんですからね…!」

 

 

 神様の恋に加減は無い。

 

 ただ想いのままに、彼女は力を振るう。

 

 それを抑えるタガが、そもそも存在していないのだ。

 

 法が、神を裁けるか? 人が、神を疎むことが出来るか? そして、力を以て排除できるか?

 

 否。否。否。

 

 だからこそ、オイナリサマは俺を捕まえた。

 

 …そしてそうだ。

 

 人間であるあの二人にも、そのタガが備わっていなかっただけなのだ。

 

 結果として望まぬ形に終わってしまったけれど、その未来を予言されたとしても、彼女たちの進む道は変わっていなかっただろう。

 

 

―――――――――

 

 

「神依さん、ずっと一緒にいましょうね♡」

「俺は…いつか死ぬぞ?」

「大丈夫ですよ。その体、セルリアンのものでしょう? だったら、ずっと生きられるように私が何とかしてあげられます」

「…そうか」

 

 俺の腕を掴む彼女は執着的で。

 

 向けてくる笑みは恍惚に歪んでいて。

 

 それでもこの腕を振りほどく気にはなれなくて。

 

 

 …逃げられないのか?

 

 神様が広げた、この結界の中からは。

 

 …逃げないのか?

 

 キョウシュウに帰るのだと、あの時決意を新たにしたというのに。

 

 

 オイナリサマは強い。だから、逃げられない理由はここにある。

 

 俺はとても弱い。だけど、逃げない理由は、どこにあるんだ?

 

 

 今にも圧し潰されてしまいそうな心で、俺は必死に希望の輝きを探していた。

 

 

 …違う、その虹は、俺の欲しい輝きじゃない。

 

 



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Ⅳ-136 錠の向こうに、空っぽの箱。

 書斎に足を踏み入れた俺が真っ先にしたことは、書斎の外の確認だった。

 

「さて…と。オイナリサマは来てないよな…?」

 

 扉の隙間から向こうに誰もいないことを確認した後、今度は周囲を見回し、些細な物音にも細心の注意を払う。

 

 なるべく自然体を装いながら座って辺りを探ってみたが、やはりオイナリサマの気配はしない。

 

「……よし」

 

 俺は気を緩めて、しかしまだ周りを確かめながら懐へと手を伸ばした。

 

 硬い感触に息を吐き、取り出してしっかりと形を目で確かめる。

 

 …間違いない。これはジャパリフォンだ。

 

「まさか、偶々返し忘れるなんてな」

 

 これの存在に気づいたのはついさっきのこと。

 

 神社で偶然栞を見つけ、本を読むときに便利だなと思って懐に仕舞おうとしたその時、ジャパリフォンが手にぶつかって俺はそれを見つけたのだ。

 

 完全に予想外の出来事だったが、俺にとっては実に僥倖だ。

 

 更に言うなら、今まで()()()()()気付いていなかったことは最高に都合が良い。

 

「流石のオイナリサマも、コレには気づいてないだろ」

 

 正直に言って、オイナリサマの読心術は完全に未知数である。

 

 ()()ための条件、読める情報の範囲、能力の影響を及ぼせる距離、そして……その存在の有無さえも。

 

 読心術そのものが俺を牽制するためのブラフである可能性もゼロではない。

 

 そして、本当に心を読めてしまう可能性もまた十分にある。

 

 

 だからこそ、あの全知全能の神様が絶対に知らないと断言できるジャパリフォン(コレ)は…祝明がここに忘れて行った最後の希望なんだ。

 

 俺はコレを見て…半ば諦めかけていた脱出の夢を、もう一度見ることが出来た。

 

 

「とはいえそれも…今限りの夢だ」

 

 次に俺がオイナリサマに会えば――彼女が読心術を使えるという前提だが――この秘密は知られてしまう。

 

 そうなれば…この手に握られた確かな希望の炎は、神様の吐息によっていとも簡単に吹き消されてしまう。

 

 夢が、夢のままに終わってしまう。

 

 現実に帰るために、必要なことはただ一つ。

 

 このジャパリフォンを使って、今出来る最善を尽くすこと。

 

 もしかしたら、今日コレの存在を知ったのは間違いなのかもしれない。

 

 いつか、コレの真価を最大限に発揮できる瞬間が訪れるはずだったのかもしれない。

 

 さても事態は後の祭りで……いいや、祭りの真っ只中だ。

 

 終わったものを巻き戻すことが出来ないように。

 

 既に始まってしまったものも、始まる前には戻せない。

 

「ならせめて、後悔しないようにやるしかないよな…!」

 

 このまま、何も出来ないまま()()にされてたまるかよ。

 

 俺がパークに来てから抱いた、恐らくは最大の決意。

 

 その目に映った機械の画面は俺に…パスワードを、要求している。

 

「……なるほど、そう来たか」

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「さて…これは予想外だな」

 

 見ての通り、ジャパリフォンにはロックが掛けられている。至極当然のこと、解かない限りはどんな操作も出来ない。

 

 何と言うか…パンドラの箱みたいだな。この錠を外した先に、希望が入ってるんだから。

 

 願わくば…災いは入っててくれるなよ?

 

「よし…じゃあまずは、推理の時間だな」

 

 開錠に必要なのは4桁のパスコード。

 

 単純計算で10000パターンあると考えて、全てを試している時間は無い。

 

 イヅナが何か()()()()()数列を設定していることを願って、それを見つけ出すのが最善策だ。

 

「候補はそうだな…誕生日と語呂合わせと…ってところか」

 

 俺はイヅナの誕生日を知らない、祝明のも同様だし、ぶっちゃけてしまえば今の日付も分からない。

 

 パークにに住んでいると、そういうものに気を配る必要が無くなるからな。精々、数日の予定さえ覚えていれば良い。

 

「研究所に行けば分かるんだろうけどな…ジャパリフォンも、日付は見せてくれないし」

 

 仮に誕生日から決められていたとして、俺の置かれた条件じゃ到底導き出せそうにもない。

 

 …誕生日の可能性は捨てた方がいいか。

 

「方針は決まったな。パスワードは語呂合わせで導く」

 

 昼食まであと三時間。

 

 今日の昼の担当はオイナリサマ。途中での乱入が無ければ、呼びに来るまでの時間は目一杯に使える。

 

「よし、始めるぞ…」

 

 時計の音鳴る書斎の机で、密かな戦いが始まった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「まずは候補を挙げる。人や動物、建物、持ち物…それぞれの名前だな」

 

 人や動物なら単純に、イヅナと祝明…そしてキツネ。

 

 建物なら雪山の宿と平原にある屋敷も候補だ。

 

 持ち物なら…イヅナが贈ったという勾玉とか、思い入れのある品が選ばれることだろう。

 

「候補は大体把握した。そしたら、簡単な奴から試していくとするか」

 

 画面の電源を入れて、パッと思いついた数字を入力していく。

 

 入れた数字は『0127( イヅナ)』。

 

 足りなかった部分は0で補い、四桁に揃えてさあ決定。

 

「…ダメか」

 

 画面が揺れて失敗を告げ、空っぽに戻った入力画面がまた俺を出迎える。

 

 一番可能性のある語呂合わせだと思ったが、残念ながら違っていたらしい。

 

 一応0の位置を四桁目に変えてもう一度試してみたりもしたが、結果は変わらなかった。

 

「なるほど…いや、次だ」

 

 悔やんでいる時間など無く、事実として今も差し迫っているのだから。

 

 

「他の名前…祝明…ノリアキか…?」

 

 とても、難しいな。

 

 どれほど千思万考を重ねても、俺に『ノリアキ』という文字列を数字に置き換える法則は思いつくことが出来ない。

 

 頑張ってみても…『キ』を『≠』に置き換えるのが精一杯だ。

 

「となると名前は難しいか…?」

 

 俺の中では、割と『イヅナ』を『127』に変換する語呂合わせが有力視されていた。

 

 それが違うことは既に、この機械によって無情にも証明されてしまった。

 

 早く、四桁ないし三桁の語呂合わせを知っている言葉の中から見出さなくてはいけない。

 

「キツネ…いや、無理だな」

 

 横暴を通して『キ』を『9』、『ツ』を『2』に変えたとして、『ネ』はどうあっても不可能だ。

 

「だったら、数字に変えられる音が多い言葉を探せばいいんじゃ…!?」

 

 良いぞ、この考え方は突破口になるやも知れない。

 

 となると何だ…どれが語呂合わせに適している…?

 

「『ヤシキ』はまず『84(ヤシ)』…さっきの通りキを9で…ダメか。『ユキヤマ』も…そもそもの話だな」

 

 地形や建物に当てはまりそうな言葉は見受けられない。

 

「『マガタマ』はダメ、着物に和服、刀…いや、思いつきそうにないな」

 

 仕方ない、一度最初の考え方――名前の語呂合わせ――に戻ってみよう。

 

 万に一つ、見落としている可能性が残っているかもしれない。

 

 無論、さっきと同じ思考方法では辿り着く先も同じだろうから、違ったアプローチで迫ってみるとしよう。

 

「さて…例えば俺なら天都神依だから…『カムイ』は難しそうだな。そして……ん?」

 

 いきなりあったかもしれないぞ…俺の見落としが。

 

 そうだ…祝明には、狐神(コカムイ)という苗字が有ったじゃないか!

 

 やれやれ、綺麗サッパリ忘れていた。

 

 なにせ…フレンズという苗字の無い存在と共に暮らす生活だ。

 

 祝明のことも名前で呼ぶようになっていたし、気が付かぬ間に頭の隅まで追いやられていたのだろう。

 

「『コカムイ』…少し無理してでも…5…5…61…か?」

 

 暗い書斎でよく映える、ジャパリフォンの明るい画面。入力された、四桁の数字。

 

 震える人差し指で、決定ボタンを押す。

 

「あ…!」

 

 次の瞬間、液晶に表示されたのはジャパリフォンのホーム画面。

 

 そう…成功だ。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「けど、本番はここからだ」

 

 ジャパリフォンのロックを解除したくらいで安心など出来ない。

 

 ここから俺は結界の外の情報を手に入れて、最終的に脱出まで漕ぎ付けなくてはいけないのだ。

 

「運良く三十分で解けたからな、まずは連絡だ」

 

 しかし声を出せば或いは、オイナリサマに感付かれる危険がある。

 

 今は、隠れて事を運ぶのが最善。例え、数時間後にバレてしまうのだとしても。

 

「なら、使うのはメールだな」

 

 文面も、読みやすいようなるべく事実だけを纏めて送ることにした。

 

 

『俺は神依だ。”5561”…パスワードを解いてメールを書いている。察しているかもしれないが、俺はオイナリサマによって結界に閉じ込められた。脱出したい。手を貸してくれないか? 力を貸してくれるのならなるべく早く、可能なら今日の正午までに空メールでも良いからメールを送って来てくれ。オイナリサマは強い、いつまでジャパリフォンを隠していられるか分からない。…どうか、頼む』

 

 

「よし…!」

 

 書いたメールの文章を読み直して、誤字脱字が無いことを何度も何度も念入りに確かめて、荒れ始めた息を、一度穏やかに抑えた。

 

「ハァ…ハァ…これで、いい…」

 

 さっきよりも大きく震える指で、『送信』を押す。

 

「…?」

 

 あれ、震えすぎたせいか?

 

 俺の指は、ついに液晶を触ることは無かった。

 

 あぁ、力も抜けちまったのか?

 

 俺の手は、もうジャパリフォンを掴んでいない。

 

 

「ねぇ、何が…”いい”…んですか?」

 

 

 …違う。

 

 震えのせいじゃない。

 

 だけど、震えのせいにしたかった。その方がずっと良かった。

 

「答えてください…コレで、何をしようと?」

 

 おかしいだろ。

 

 どうして…気付かれた…?

 

「神依さん…忘れちゃったんですか?」

「な、何を…?」

 

 やっとのことで振り返る。

 

 オイナリサマと…目が合った。

 

 光なく見開かれた彼女の瞳が怖い。そのはずなのに、視線を逸らすことは出来ない。

 

 彼女はジャパリフォンを投げ捨てて、大きく開いた腕で、俺を捕まえる。

 

「私は神様です…神様は何でも、どんなことでも知ってるんです。…隠し事なんて、出来る訳がないでしょう?」

 

 …痛い。

 

 強く抱き締められたせいで、腕が軋む。

 

 …痛い。

 

 希望を失うことが、こんなにも苦しいなんて。

 

 いっそこんなもの…初めから…

 

「そう、おかしな希望なんて必要ないんです。それはあなたを傷つけるだけ。希望なんて、簡単に裏切るんですから」

「そ…んな…」

「でも、安心してください。私は絶対に、神依さんを見捨てたりなんてしません…!」

 

 俺の希望を冷たく突き放しながら、暖かく体を掴んで離さない。頬に唇に口づけをしては、額を合わせて目を覗き込む。

 

 ああ、オイナリサマの目は美しい。

 

 取り込まれてしまいそうだ。

 

「あなたの傍に、私はいますよ。ずっとずうっと…()()()

 

 長らえる、沈黙。

 

 葛藤は無く、迷いなどなく、ただ畏怖に、口を動かせないだけの沈黙。

 

 やがて、俺を抱き締める彼女の熱で氷は解けて。

 

 心の錠前も、こじ開けられた。

 

「…本当に?」

 

 やっとのことで吐き出した言葉は…暗に肯定を示している。

 

 

「…はい、約束します」

 

 

 小指を結んで、指切りげんまん。

 

 やがて絡まった指は五本に増えて。

 

 もう片方の手も、俺の指を絡め取って。

 

 腕も、動けないように押し付けられて。

 

 脚も、彼女の素足が撫でて絡めて。

 

 部屋は変わって、押し倒されて。

 

 舌が入って、唾液が混ざって。

 

「うふふ…約束、しっかり叶えてもらいましたよ♡」

 

 

 抜け殻は、まだ魂を絞り取られる。

 

 

 

―――――――――

 

―――――――――

 

―――――――――

 

 

 

「……」

 

 真っ暗な書斎。

 

 足の指に何か当たって、急に眩しい光が目に飛び込んでくる。

 

「……あぁ」

 

 それは、かつての希望。

 

 …オイナリサマは、置いていったのか?

 

「…5561、だったかな」

 

 それは、友の苗字を象ったような、自らの名前をもじったような、不思議な数字。

 

 一縷の望みを掛けて、それの中身をまた確かめる。

 

 パンドラの箱の中に、希望が残っていることを希望して。

 

「…ハハ」

 

 俺の手から、ジャパリフォンが滑り落ちる。

 

 カランと鳴ったその音は、異様なほどに高く聞こえた。

 

 

「……だよな、そうだよな」

 

 

 ジャパリフォンからは、全てのデータが消えていた。

 

 あの一瞬で、果たしてどんな術を使ったのかは分からない。

 

 サンドスターで動く携帯だ、輝きを自由自在に操れるオイナリサマなら、多少のことは造作もないのだろう。

 

 …だからこそ、オイナリサマがわざと()()を残したことが、悪趣味に思えてならない。 

 

「パスワードなんて、もう意味ないだろ」

 

 それはまるで、空っぽの箱に鍵を掛けるようなもので。

 

 期待して開けた者を、酷くがっかりさせる安上がりなビックリ箱。

 

「けど…いいかもな」

 

 俺は落としたジャパリフォンを、もう一度拾い上げた。

 

「お互い空っぽなんだ…お似合いじゃないか」

 

 寝室の窓を開けて、遠くの空を眺める。

 

 ここからなら、何処へでも行くことが出来そうだ。

 

「…じゃあな」

 

 ジャパリフォンを、遠くの空へと投げ捨てた。

 

 …何故?

 

 それはきっと、自由への憧れ。

 

 自分の夢を、空っぽの箱に託した最後の抵抗。

 

 けれどそれも…これでお終い。

 

 錠も、箱も、無くなった。

 

 『5561()』にも二度と、頼れやしない。

 

 



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Ⅳ-137 綻び一つ、正体見たり

「やっぱり…行くつもりなの?」

「神依君のことは気になるし…それに、ジャパリフォンの中には大事な写真も沢山あるでしょ?」

「それは…うん」

 

 魔法陣に輝きを込めながら、イヅナは後ろ向きな言葉を零す。

 

 聞いての通り、イヅナはもう一度ホッカイへと赴くことに反対している。

 

「だって危ないよ…オイナリサマでしょ? 生半可なセルリアンよりずっと強いはず」

 

 イヅナの言葉に僕は頷く。

 

 オイナリサマの持つ力の大きさは、()()()でも何度も目の当たりにしてきた。

 

 無尽蔵なのではと感じるほどのサンドスターに、一瞬で妖力の使い方を習得する技量。

 

「戦いになったら…何分持つかも分からないんだよ?」

「…そうだね」

 

 色々と思うところはあるけど、それについては否定できない。

 

 僕達は勝てない。

 

 だけど…

 

「一度だけでも、確かめておきたいんだ。神依君が戻って来ないつもりなら、せめて…お別れの挨拶くらいはしたいから」

 

 神依君には、沢山のことでお世話になった。

 

 僕の頭の中にいた頃は相談や雑談の相手になってもらったり、最近では料理のレクチャーをしてもらったり。

 

 この島で出会えた唯一の同性の友達だから…そう簡単に、仕方ないと諦められはしない。

 

「…分かった、ノリくんがそう言うなら」

 

 そして、魔法陣はホッカイと繋がる。

 

「ノリアキ、気を付けてね?」

「ノリアキさん、イヅナちゃんに襲われてもしっかり反撃するのよ…!」

「あ、あははは…」

 

 キタキツネとギンギツネはまたもやお留守番。

 

 僕は危ないから待ってて欲しかったし、イヅナは元々のホッカイ旅行の埋め合わせだと言っていた。

 

「ほら、早く行こ?」

「うん…じゃあ、行ってきます」

 

 後ろの二人に手を振って、僕達は再び、ホッカイへ――

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「……オイナリサマ、それは?」

「これですね…ふふ、これは『不思議な水晶玉』です」

「…水晶玉?」

 

 はい、とオイナリサマは頷いて、彼女はそれを俺の目の前へ近づけた。

 

「覗いてみてください、何が見えますか?」

「俺の、背中…?」

 

 透き通るような結晶の合間を縫って目に差し込んできた光は、俺の体の像をしている。

 

 なんとなく視線の方を向くと…何も無い。

 

 また水晶を見れば、目に映るのは俺の後ろ姿。

 

 …そうか、これでは俺の顔は見えないんだ。

 

「もう、神依さんったら」

「…はは」

 

 俺としたことが…こんなことにも気付けないなんて。

 

 最近は()()()()()がよくある。体はまるで俺の体じゃないみたいに思い通りに動かないし、頭も前のようには回らない。

 

 この後ろ姿、俺以外の誰かに似ているような…?

 

「……」

 

 思い出せない、とうとう記憶力まで悪くなってしまったらしい。

 

 でも、何も問題は無い。

 

「そろそろお昼ですね…少しだけ待っててください。すぐに作ってきます」

 

 必要なことは…全部オイナリサマがやってくれるから。

 

 オイナリサマは優しく起こしてくれるし、ご飯も朝昼晩全て用意してくれる。お風呂だって全部お世話してくれて、夜も一緒に寝てくれる。

 

 だから…オイナリサマに任せておけば、大丈夫。

 

 

 大丈夫…だ。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「あちゃー…この感じ、知らない場所に出ちゃったね」

「そうなんだ…うーん…どうしよう…?」

 

 無事にホッカイへと辿り着いた僕達は、まず魔法陣を安全の為に『隠蔽の術』で隠してから周りの探索をすることにした。

 

 術はもちろんイヅナ製。拘束中に作った色々なものの一つらしい。

 

 …他にも何か作ったんだ?

 

 さておき、かなり簡単に使えるように作ってくれたみたいで、拙いながら僕も短時間で習得することが出来た。

 

「流石ノリくん! こんなに早く使えるようになるなんてすごいよっ!」

「あはは、ありがとう…」

 

 褒めてくれるのは嬉しいけれど…これも、イヅナが易しく作ってくれたおかげだよね…

 

 まあ…いっか。

 

「ノリくん、ここは危ないから、私から絶対に離れないでね?」

「え、でも二手に分かれた方が…」

「良いから一緒に行くの!」

「う…うん…?」

 

 大事に大事に手を繋ぎ、抜き足差し足で辺りを見回るイヅナと僕。

 

 数分掛けて、僕達は魔法陣から三つ先の木の向こうを確かめることが出来た。

 

「…あのさ、流石に遅すぎないかな?」

「……私も、そう思ってた」

 

 思いつつ、引くに引けなかったのだろう。

 

 僕の言葉を聞いて、イヅナはホッとしたように抜き足差しを止めて普通に歩き始めた。

 

 …うん、手は繋いだままなんだ。

 

「なんかこれ、デートみたいだね」

「で、ででっ、デートッ!?」

「…そんなに驚くこと?」

 

 なんとなしに呟いた言葉が、また状況をこんこん…こが…がらがら……

 

 …こんがらがらせた。

 

「そっかぁ…えへへ、デートかぁ…あはは」

「一応、他にちゃんと目的はあるんだからね」

「わ、分かってるよ! で、でもね…デート、なんだよ…?」

 

 デートじゃ…ないんだよ…?

 

 そうは思ったんだけど…僕の言葉で喜んでいるイヅナの手前、それを否定することもできない。

 

 迷いを表しあちこちへ揺らめいていた僕の手は、行き場のない思いを紛らわすように彼女の頭を撫でた。

 

「えへへ、ずっとこうしてたいな♡」

「もう、ずっとは困るよ…?」

 

 二度目のホッカイ旅行も…やっぱり大変そうだ。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「本が…読みたいな…」

 

 うわ言のように呟くと、オイナリサマが立ち上がった。

 

「取ってきますよ、どんな本が良いですか?」

「…生き物図鑑」

 

 自分で選びたい気持ちも僅かにあったが、彼女の好意を無碍にはできない。

 

 笑顔で彼女を見送ると、残る未練もすぐに消え失せていった。

 

「…どんな動物に、会って来たんだっけ」

 

 朧気ながらも俺は覚えている。

 

 今まで辿ってきた道のりの途中で、様々なフレンズと出会ってきたことを。

 

 けれど、名前とか…姿とか…性格とか。詳しいことを思い出そうとすると、途端に靄がかかったように何も考えられなくなる。

 

「図鑑があれば…何か分かるかも…」

 

 でもオイナリサマは、それをあまり快く思っていないんだろうな。

 

 俺が読みたい本の種類を言った時…その瞬間だけ、彼女の顔から笑みが消えていたから。

 

「オイナリサマは…思い出してほしくないのか…?」

 

 なぜ、どうして。

 

 考えようとする度に、頭はどんどん靄がかっていく。

 

 脳内でしばらく格闘して…結局、考えるのは止めた。

 

「多分、本当は何も()()()()()()んだろうな…」

 

 だから勝手に、脳が考えることを止めさせようとしているんだ。

 

 そう結論付けて、心を楽にして、オイナリサマを待ち続ける。

 

 

「――お待たせしました、神依さん」 

「ああ、ありが…とう…?」

 

 書斎から戻ってきたオイナリサマに手渡された一冊。

 

 注文通りに渡された、予想外の品。

 

「あら、どうしました?」

「…いや、何でもないよ」

「ふふ、そうですか…」

 

 ()()、生き物図鑑。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 …おかしい。

 

「何も見つからないね、ノリくん」

「…うん」

 

 これは…絶対におかしい。

 

「お腹空いたね、ジャパリまんでも食べる?」

「うん…ありがとう」

 

 これは…絶対においしい。

 

 …ってそうじゃなくて、とにかく何かが変なんだ。

 

 かれこれ早一時間近く、僕達は周囲の探索を続けている。

 

 最初のホッカイ旅行では使わなかったジャパリフォンのGPS機能も使って、見覚えのある地形もくまなく探している。

 

 なのに、それらしき場所は一向に見つからない。

 

 それどころかここはまるで…初めて訪れる場所のようだ。

 

「一体どうして…? まさか、何か見落としてるのかな…」

「ねぇねぇノリくん、そこの木陰に座らない? ゆっくりしたら、何か分かるかもしれないよ!」

「でも……うん、そうしよっか」

 

 木の幹に身体を預けて、肩に寄りかかって来たイヅナをそっと抱き寄せる。

 

 こうしていると、今の状況を忘れてしまいそうだ。

 

「今くらい、忘れたっていいじゃん。カムイくんだって、絶対に危ない目に遭ってる訳じゃないんだよ?」

「まあ…そうだね」

 

 ギンギツネに聞いた()()()()()のせいで無意識のうちに悪い方へと考えを偏らせていたけど、神依君な無事な可能性も十分にある。

 

 本当は、オイナリサマがドジを踏んで魔法陣を壊しちゃっただけなのかもしれないしさ。

 

 神依君の様子を確かめて、ジャパリフォンも回収する。

 

 最初から、焦るべき目的なんて何処にもないんだから、意気込まずに行くとしよう。

 

「ありがとう、イヅナ。お陰で気が楽になったよ」

「そうでしょ? 普段からもっと甘えたっていいんだよ…?」

「あはは、それは…よく相談しないとね」

「もう、誰と!?」

 

 その後も僕らはしばらく冗談を言い合って…太陽が真上にやってきた頃、もう一度神依君を探しに歩き始めた。

 

 

「じゃあ今度は、山のある方角を探してみよっか」

「ホッキョクギツネとやらは…見当たらないもんね」

 

 最初は周囲の地形の確認と一緒に、ホッキョクギツネの住処も探していた。

 

 彼女が見つかれば、そして住処に行けば、そこからもう一度旅路を辿って山まで行くことも難しくないと考えたからだ。

 

 しかし彼女の姿は見えず、あの洞穴も見当たらない。

 

 ここが方針の変え時だろう。

 

 神依君のいるオイナリサマの神社…その結界がある山を探しに、僕らは遠くに見える山の影に目を凝らした。

 

「結構遠いね…飛んで行こう」

 

 僕らは空高くへ飛び上がり、森を雪原を見下ろしながら山へと向かっていく。

 

 上空を吹いていく寒風に身を震わせればイヅナがくっついて暖めてくれて…そのおかげで、体のバランスは大きく崩れてしまった。

 

「わあっ!? こんなことって…!?」

 

 立て直すために慌てて身をよじれば、更に崩れて僕らは風に引き剥がされる。

 

「ごめんね、ノリくーん!?」

「き、気にしないでー!?」

 

 お互いによく分からない気の掛け合い方をしながら、僕達は地上へと落ちていく。

 

 ボフッと音が響き渡り、高く積もった雪へ深く沈んでしまう。

 

「なんで…こんなことに…」

 

 上空で無駄に寒がってはいけないという教訓を…一つ、得ることが出来た。

 

 

 

「よ…よいしょ…!」

 

 それからしばらくして…ようやく僕は、雪の中から脱出できた。

 

「ノリくん! 大丈夫…?」

「何とかね…でも、どうしてここが?」

「…キタちゃんのジャパリフォン。GPSが付いてるから、それで追跡したの」

「そっか…そんなことも出来たね」

 

 聞いたことはあるけど、忘れてた。

 

 こういう場面なら、真っ先に考え付くべきアイデアなのだろう。

 

 だけど如何せん普段からGPSなんて必要としない程一緒にいるから…全く頭に無かった。

 

 …待てよ。

 

 ジャパリフォンで…他の携帯の位置情報を調べられる? それってもしかしなくても、ストーカーし放題ってことじゃないかな…?

 

 でもまあ…ジャパリフォンを持ってるのは僕達だけだし…僕は今更別に構わないし…ま、いっか。

 

「カムイくんの場所もこれで探れたら楽だったのになぁ…」

「でも、前に試してダメだったんじゃなかったっけ?」

「そうだけど…あ! 今なら何かの間違いで見えたりしないかな?」

 

 …あはは、何かの()()()って言っちゃってるよ。

 

 でも、出来たら本当に助かる。

 

 ジャパリフォンを操作してGPS機能を呼び出すイヅナを僕は、期待半分諦め半分で眺めていた。

 

「…ノリくん」

 

 そして、イヅナが口を開く。

 

「キタちゃんのジャパリフォン…私のGPS登録されてない」

「あ…そっか」

 

 確かにキタキツネは、邪魔をしない限りイヅナが何処にいようと気にしなさそうだ。

 

「だったら僕のでやってみるよ」

「うん、お願い」

 

 GPS機能を呼び出し、神依君に渡したイヅナのジャパリフォンを追跡する。

 

 画面に見える『Now Loading…』、固唾を飲んで結果を見守る。

 

 そして、地図が現れた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「神依さん…海の生き物は面白いですね!」

「あぁ…そうだな…」

 

 確かに面白い。図鑑と言う本は今まで知らなかった知識を多く教えてくれる。

 

 だがしかし、読めば読むほど…俺の中で釈然としない気持ちが大きくなっていく。

 

「…オイナリサマ、やっぱり」

「あ! このナマコ…とかいう生き物、ぷにぷにしてそうで可愛いですね!」

「確かに…って、そうじゃなくて…」

「見てください神依さん、これも…」

「…頼む、聞いてくれっ!」

「あっ…ご、ごめんなさい…」

 

 突然出した大声に、オイナリサマはとても驚いた表情をしている。

 

 俺も驚いている。

 

 こんな声、もう二度と出ないと思っていた。

 

「ええと…どうしました…?」

「聞きたいことがあるんだ…大事なことだ」

「……はい、お答えします」

 

 オイナリサマはしばらく俺の目を凝視して、そっと逸らした。

 

 彼女の声色は、俺が聞こうとしていることを察しているかのようだった。

 

「教えてくれ…ここには…ホッカイには、どんなフレンズがいるんだ…?」

 

 …静寂。

 

「…ふふ」

 

 しばらくの沈黙の後、響いたのは微かな笑い声だった。

 

「な、何がおかしいんだ…?」

「いえ、ごめんなさい…神依さんが勘違いをしているようでしたから」

 

 ”勘違い”…?

 

 そう言われても、俺にはピンとこなかった。

 

 オイナリサマはそんな俺を見て、優しい微笑みで、『真実』を教えてくれた。

 

 

「神依さん。ここ、ホッカイじゃなくて…()()()()ですよ?」

 

 

 全ての希望を失った俺に更なる追い討ちを掛けるような、そんな残酷な『真実』を。

 

 



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Ⅳ-138 リターン・トゥ・新天地

「よ、よく分かんないけど…待っててね、神依君!」

 

 GPS探知の結果を知った僕たちは、すぐに踵を返しキョウシュウに帰るための魔法陣へと向かい始めた。

 

「でも一体どうして、反応が()()()()()に…? それにやっぱり、前は反応が無かった筈なのに…」

「うー…もう! 結界とやらの中に直接飛んで行けないのが腹立たしいよ!」

「それは仕方ないよ、入れない為の結界だから…」

 

 不機嫌なイヅナを宥めつつ、僕は考え事を続ける。

 

 イヅナのジャパリフォンに取り付けられたGPSの反応は、ホッカイの何処からでもなく、『ホートク』から返ってきていた。

 

 これは控えめに言って…とても大きな謎だ。

 

 機械の故障だと一笑に付すのは簡単なことだけど…その瞬間最後の手掛かりは無くなる。

 

 だから一度この結果を信じて…そして、理由を考えてみよう。

 

 いや、考えるまでもないか。

 

 ジャパリフォン…ひいては神依君がホートクにいるからこそ、こうなっている。

 

「それにしたって、突然出てきたのかな…?」

「逆にさ、反応が無かった時の方がおかしかったのかもだよ」

「…そっか、そうとも考えられるね」

 

 何らかの理由で反応が出てきたんじゃなくて、今まで反応が()()()()()()

 

 …それなら一つ、思い当たるものがある。

 

「イヅナ。あの結界って、外からのテレポートを弾くんだよね」

「というか…張った人(オイナリサマ)の許可なく物を通さない感じかな」

「それならもっと都合が良いよ。…GPSの反応も、上手いこと遮ってくれてたのかもだからね」

「あ、そっか! じゃあ、さっきは見られたのって…」

 

 合点がいったようなイヅナの笑顔に僕も頷く。

 

「まだ推測だけど…ジャパリフォンが、結界の外に出てきたからだと思う」

 

 GPS問題については片付いた。

 

 あとは、ホートクにある理由なんだけど…

 

「あのさイヅナ…テレポート先って、狂ったりはしないの?」

「普通ならしないはずだけど…あぁ、あの時は普通じゃなかったね」

「もしかして…セルリアンのせいで?」

「…多分」

 

 ホートク問題、無事解決…なのかな?

 

 何はともあれ、色々と迷惑なセルリアンだった。珍しいね…戦闘力と関係の無い二次災害を沢山起こす個体なんて。

 

「やっぱり、あの時こっ酷くやっておいて正解だったよ!」

 

 僕だって色々文句はあるから、痛めつけたことに得意げなイヅナにも…今日は何も言わないでおこう。

 

 …そっと、頭を撫でてあげた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「ノリくん、直接ホートクに繋いでも良い?」

「…うん、早い方がいいもんね」

「じゃあ少し待ってて、行先を変えるのはちょっぴりだけ手間だから」

 

 そう言ってイヅナは魔法陣に手をかざし、妖力で中身を弄りまわし始めた。

 

 手持ち無沙汰になった僕はまた木陰に座って、今度はゆっくりイヅナの様子を眺めることに決めた。

 

「……」

 

 イヅナは魔法陣を弄っている。

 

「……」

 

 …結構、長い。

 

 ちょっぴりだけ手間…と言ってたけど、本当はそれなりに手間なんじゃ…?

 

「イヅナ、急かす訳じゃないけど…後どれくらい?」

「…三分くらい」

 

 …やっぱり、面倒みたい。

 

 一から魔法陣を組む時は、掛かる時間はこれの半分くらいで済んでいた。

 

「ねぇ…やっぱり、一度帰ってからの方が早いんじゃ…?」

「それは…やだな」

「…え?」

 

 何気なく言ったアドバイスで、イヅナの顔に影が差した。

 

「だってもし帰ったら…キタちゃんたちに連れてくよう迫られるかもしれないじゃん!」

 

 けど…そんなに心配はいらないみたい。

 

「それはいいけど…時間が掛かるなら新しく作り直すのはどうかな?」

「……その手があったね」

 

 …ちょっぴりお茶目なイヅナだった。

 

 

 

 数分の後、今度はセルリアンに邪魔された結果ではなく…自らの意思で、僕たち二人はホートクの雪を踏みしめた。

 

「この景色…見たことあるよ」

「やっぱり、前に来てたのはホートクだったんだね」

 

 少し歩いて、ホッキョクギツネが住む洞穴も見つけた。

 

 これで今度こそ確信した。僕達は、()()()に戻ってきた。

 

「そしたら、ホッキョクギツネに事情を…」

「ダメ、あの子は今回の件と何も関係ないでしょ」

「関係なくは無いよ、神依君の友達だし」

「でもダメ、会うにしたって…神依君を連れて来ての方が良いと思う」

「じゃあ…そうするね」

 

 何やら、イヅナはホッキョクギツネに会いたくないらしい。

 

 斯く言う僕も彼女に大した用がある訳じゃないし、ここはイヅナの言う通りにしておこう。

 

「よかった…ノリくんがこれ以上”キツネ”に会ったら何が起こるか分かんないもん。あれ、前には会ってたんだっけ…? そしたら、最悪の場合あの子はもう…」

「…イヅナ?」

 

 少し離れたところで、イヅナがぶつぶつと何かを呟いている。

 

 肝心の内容は聞こえないけど、彼女の剣呑とした表情を見る限り…穏やかではなさそう。

 

「…始末しなきゃ」

 

 そして顔を上げたイヅナは聞くに物騒な言葉を口にして、さっきの言葉とは裏腹に巣穴へと歩き始めた。

 

「ま、待って! 何しに行くの…?」

「どいてノリくん…アイツ殺せない」

「こ、殺す必要ないってばっ!?」

 

 よく分かんない。何もかもよく分かんないけど…

 

 イヅナが、ホッキョクギツネに並々ならぬ敵意を向けていることだけはよく理解できた。

 

 …一か八か、抑えるよう説得するしかない。

 

「やめて…イヅナが思ってるようなことは何一つないから。それにホッキョクギツネは神依君と居た時間の方が長いし…神依君が相談に乗ったりもした筈だから、印象はそっちの方が強いと思う」

「でも…でも…!」

「お願い…ジャパリフォンを取りに行くんでしょ? オイナリサマが『白』だった時のことも考えて、余計な騒ぎは起こさない方が良いよ」

 

 カタカタと音を立てて刀が揺れる。

 

 握りつぶさんばかりの力で柄を握る彼女の手は…ようやく、落ち着きを取り戻したようだ。

 

「…ごめん、熱くなっちゃって」

「いいよ、ありがとう。不安なんだよね」

 

 全身でイヅナを抱き締める。

 

 ぎゅっと優しく暖めてあげれば…何もかも大丈夫だから。

 

 そう…思ってたんだけど。

 

「えっ、ちょっと…うわっ」

「うふふ、ノリくん…♡」

 

 イヅナにぐいぐいと押されて、ついには茂みの中へと押し倒される。

 

 赤く上気した表情を見て、その意味を察した。

 

「ダメだよイヅナ、こんなところで…」

 

 形ばかりの抵抗も、役目を果たす日は来ない。

 

「やっぱり不安なの…ねぇお願い、慰めて…?」

 

 そっと、口づけを受け入れて…

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「それじゃあ、そろそろ作戦会議といこっか」

 

 色々なことが()()()()後、イヅナはそんなことを言った。

 

「あ…うん」

 

 僕は、上の空で答えるのみ。

 

 頭の中では、さっきのとても()()()()光景がまだグルグルと回り続けている。

 

 なにせ新しい体験だったから、とっても…忘れがたい。

 

「ノリくん、大丈夫? もし足りないなら…」

「だ、大丈夫! 良いから続けて…?」

「…うん」

 

 若干不満げな表情をするイヅナ。

 

 …え、もしかして足りないの?

 

 イヅナの心情はどうあれ、今日これ以上は無理だ。続きを始めたら今度こそ歯止めが利かなくなってしまう。

 

 でも、あれはすごく…

 

「ノリくん、我慢しても辛いだけだよ? やっぱり…」

「…お願い、やめて」

 

 イヅナの声が脳内ですごくリフレインしてるから、それを抑えるのに精一杯だから。

 

「…分かった。私が話したいのは、オイナリサマが『黒』だった場合の為の準備のことだよ」

「確かに…必要かもね」

「うん。私たちに結界の中の様子は全然分からない。だから何があっても良いように、逃げる準備は万全にしておくべきだと思うの」

 

 僕は頷く。

 

「やっぱり、魔法陣を用意しておくのが良いかな?」

「結界の近くに作っておけば万が一カムイくんを攫うことになっても…すぐに脱出できるはずだから」

「分かった。じゃあ…お願いして良い?」

「勿論、私にしか出来ないコトだもんね」

 

 そんなこんなで作戦会議も早々に終わり、僕達はGPSの反応を辿りながら結界を目指していく。

 

 これは気のせいかな。

 

 結界に近づけば近づくほど、胸の中を這いずり回る焦燥が強くなっていく。

 

「魔法陣、作っておくよ」

「うん、よろしくね」

 

 結界という名の深い霧を目の前に、僕は心に芽生えた不安を一つ一つ摘み取っていくことにした。

 

 深く根を張った雑草を、力一杯引っ張るように。

 

 まず心の中で向き合って、彼と相対した時…迷わずに話しかけられるように。

 

 イヅナのジャパリフォンを…握りしめて。

 

 

「神依君はが帰って来ないのはやっぱり、オイナリサマのせいなのかな…?」

 

 最初に出るべき、一番大きな疑問。

 

 僕は知っている、神依君は最後に見た瞬間まで、キョウシュウへと帰る意志を持っていた。

 

 帰るべきかどうかという悩みに心を揺り動かされつつも、また戻って来れば良いのだと、結論付けていた。

 

 …まさか、迷っていたから?

 

 否定できない…一瞬差した気変わりで、彼が帰るのを止めてしまったという可能性も。

 

 でも…その気になれば、幾らだって否定できるはずだ。

 

「だから僕が考えるべきことは…こんなことじゃないよね」

 

 可能性は無限にある。(結界)を開けない限りどんな可能性もそこに存在し続ける。

 

 その不確定性の箱をこれから開けるんだ…僕に必要なのは、事実を受け止める覚悟。

 

 そしてその上で、行動すること。

 

「大したことじゃないよ…大丈夫」

 

 見失うな。

 

 その目で見た景色だけが本物だ。

 

 夢なんて見ちゃダメだ。

 

 これから、終わらせるんだからさ。

 

 

―――――――――

 

 

「ノリくん、()()オッケーだよ」

「分かった。そしたら次は、この結界だね」

 

 イヅナの声に目を開けて、僕に取り憑こうとする彼女の手をそっと受け入れた。

 

「もう覚悟は決まった?」

「バッチリだよ、大層な覚悟じゃないけどね」

 

 でも、明確な見通しを持ててよかった。

 

 今度はこの霧を見通して、神依君の元へと行こう。

 

 手を翳して、全ての感覚をイヅナに委ねた。

 

「やっぱり、結界を通るのは大変そう?」

『そうだね、かなり高度で頑丈な……うん?』

「…どうしたの?」

『何だか…妙に結界が緩いの、()が通った後だからかな』

「じゃあ、入れそう?」

『当然、この程度だったらすぐだよ!』

 

 イヅナが動かした僕の手が霧の中へと突っ込んでいく。

 

 すると、そこから台風の目のような穴がゆっくり広がり、霧が晴れていく。

 

 やがて通れるくらいまで大きくなったその穴に、僕らは体を潜らせて進んでいく。

 

 

『…ここが、結界の中』

 

 たった数日ぶりの、懐かしき虹の空。

 

 あの日の鳥居のその向こう。

 

 僕達が探していた彼が…虚ろな目をして座っている。

 

「…神依君!」

 

 声を掛けると、神依君はそれに気づいてこちらを見る。

 

「祝、明……!?」

 

 そして目を見開いて、僕の名前を呼んだ。

 

 覚束ない動きで彼は立ち上がって、一歩…また一歩、こちらへと歩み寄って来る。

 

 僕は、次の言葉を待っている。

 

 他ならぬ神依君の真意を確かめるために。

 

「…頼む」

 

 そして彼は、僕の腕を掴んで言った。

 

 

「助けてくれ」

 

 

 その時、僕のすることは決まった。

 

 



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Ⅳ-139 逃避行の始まり

「あら、お久しぶり…と言うほどでもありませんね。…コカムイさん?」

「…オイナリサマ」

 

 僕達のやり取りを聞きつけたのか、もしくは陰からずっと見ていたのか。

 

 神依君のあの言葉を待っていたかのように、丁度良くオイナリサマはその姿を見せた。

 

 彼女の顔には、目の笑っていない笑顔が張り付いている。

 

「またお会いできて嬉しいです。でも…折角帰れたのに何故またここへ?」

「分かってるよね。()は神依君の様子を確かめに来たんだよ」

 

 澄まし顔で心にもないことを言うオイナリサマに、僕は淡々と目的だけを告げることにした。

 

「うふふふふ! …僕()()は、の間違いではありませんか?」

「…っ」

 

 オイナリサマはそこに、あわよくば隠そうとした事実をぶつけてきた。

 

 どういう原理かは分からないけど、彼女はイヅナの存在を察知している。

 

 そしてわざわざ親切にもそれを教えられるほど…彼女には余裕があるらしい。

 

「…教えてくれるんだ? 隠してれば、不意を突けたかもしれないのに」

「勿論それも可能ですけど…必要ありませんから」

「……そっか」

 

 こうも開けっ広げに見下されると、一々腹を立てる気にもならないね。

 

 それを差し置いたとしても…僕のすることは変わらないけど。

 

「逃げるよ、神依君!」

「でも、結界が…」

「抜けられるよ、入って来れたんだからッ!」

 

 躊躇う神依君の手を引いて、一目散に飛んで行く。

 

「逃がしませんよ…?」

 

 当然、オイナリサマも追って来る。

 

 でも、攻撃は出来ないはず。

 

「おいおい、これじゃ俺が…!?」

「神依君だけは狙わないよ…イヅナの予想通りなら」

「なんだよ、そのイヅナの予想って?」

 

 僕は神依君を背負って、狙いにくいように低空飛行で結界を目指している。

 

 丁度オイナリサマとの間に神依君を挟めば、草木などの遮蔽物も相まって流石の彼女も易々と攻撃には踏み切れない…とイヅナは踏んだ。

 

『オイナリサマはカムイくんに惚れてる、だから撃たないよ!』

「…ってこと」

「いや、だけど……ああもう、この際信じてやるさ!」

「ありがと、任せてね」

 

 間もなく、結界との距離は数mにまで縮む。

 

 外側と違って、結界は色付きガラスのようなハッキリとした形を持っている。でもイヅナ曰く構造は同じ、貫くのに困ることはない。

 

 穴を空けようと手を伸ばす。すると…結界は接近を拒むかのように遠ざかって行ってしまった。

 

「…あれ?」

「内側から近づこうとすると逃げて行っちまうんだ。悪い、伝えるのが遅れた」

「それは大丈夫…広がるより早く近づければ良いからさ」

 

 幸い、速度を出す方法はある。

 

 もし懸念があるとすれば…彼女だ。

 

 オイナリサマは細い腕をこちらに伸ばし、神依君を引き留めようと声を掛ける。

 

「うふふ…追い詰めました。潔く諦めましょうよ、神依さん?」

「お断りだ、俺はここには居たくない」

「…そう、ですか」

 

 神依君の拒絶を聞くと、オイナリサマは悲しそうな顔で俯いた。

 

 僕はその立ち姿を一瞥して、すぐに距離を取りながら結界に突っ込む準備を始めた。

 

 悪いけど、彼女の話を聞く余裕なんて一切合切ある訳ないから。

 

「でも、折角の決意も様にならないね…おぶられたままだと」

「仕方ないだろ、追いつかれる方が様にならねぇよ」

「あはは、そうだね」

 

 ジャンプして、木の幹の壁を蹴り飛ばし、広がる結界へ向けて全速力。

 

 それでもまだ、結界の広がる速さには追い付けない。

 

『イヅナ、もっと加速できる?』

『いけるよ、行こ!』

 

 サンドスターを足に集めて、空中を蹴って更に伸びる。伸ばした手から爪を出し、結界に突き刺して引っ掛ける。

 

 今にも引っ掛けた爪が取れてしまいそうだけど、何とか追いすがることが出来たみたいだ。

 

「神依君、落ちてないよね?」

「なんとかな…それで、この硬い壁を破る算段もあるんだろ?」

 

 それはもちろん…

 

「…力づくだよ!」

「おいおい…本当に大丈夫か?」

 

 神依君は苦い顔をする。

 

 けれど、そもそもコレを通り抜けるには力で破るしか方法が無い。外と中では結界の見せる形が違うし、内側からこの壁を理詰めで解くには流石のイヅナも時間が足りなかった。

 

 …褒めるべきは、ここまで強固なものを作ったオイナリサマの力。

 

 やっぱり、真正面からの戦いは全力で避けたいところだ。

 

『一瞬だけ()()して、全力を叩き込む…!』

 

 尚も広がり続ける結界を蹴って、掴んだ手を支点にして大きく足を振りかぶる。

 

「一気に…蹴り抜けるッ!」

 

 遠心力と共に戻した足の先が結界に触れたその瞬間、野生開放をして九本の尻尾を露わにする。

 

 ぶつかったところから轟音と共に衝撃波が周囲を舞い、その強さは両腕で堪えなければ吹き飛ばされてしまう程だった。

 

 放った自分達でさえも驚いてしまう威力。

 

 しかし、更に驚くべきは――

 

「あっ…」

『こんなことって…!?』

 

 

 ――結界が、全くの無傷であったことだった。

 

 

「…当然でしょう? 私が丹精込めて組み上げた結界が、これしきの攻撃で壊されるはずはありません」

「嘘だ、外からは入って来れたのに…」

「それは綻びを小賢しく利用したにすぎません、残念でしたね?」

 

 掴んでいた手をとうとう離し、逃げていく結界から目を逸らせば、余裕の表情を湛えたオイナリサマが悠々とこちらに歩いて来る。

 

 さっきまで呑気に突っ立っていたのも、結界の強度を信用していたからだろう。

 

 神依君を背中から降ろすと、オイナリサマはまた彼に手を伸ばした。

 

「さあ、神依さん。そんなか弱いお二人よりも、私と一緒に居ましょう? 私なら、どんな脅威からもあなたを守って差し上げられます」

「へぇ…じゃあ、アンタ自身からも守ってくれるのか?」

「それは…どういう意味でしょう?」

「分からないのか、オイナリサマ? アンタが一番の脅威だって言ってるんだよ」

 

 神依君があまりに命知らずな発言をするもので、僕は思わず飛び上がってしまった。

 

 大丈夫なのかな、神様にこんなこと言っちゃって…

 

「ちょっと、挑発してどうするのさ…?」

「良いだろこれくらい、俺だってやられっぱなしは癪なんだ」

「まあ…仕方ないか」

 

 会った時とは打って変わって元気になっているようだし、()()()()()悪いことは特段なさそう。

 

 だから…大丈夫! そう僕は割り切った。

 

 でも、オイナリサマにきっとそんなことは出来ない。ほら見て、今に激怒して…

 

 

「ふふ、うふふふふ…」

 

 …笑ってる。小さな涙を流しながら。

 

「…神依さんは、私が嫌いなんですね」

「あ、いや、そう言うんじゃなくてだな…」

「ぐすん…じゃあ、どうしてこんなこと言うんですか…?」

「……えっと」

 

 突然態度をコロッと変えたオイナリサマに、神依君は非常に困惑させられている。

 

『流石は狐、ずる賢いね…』

『あはは、イヅナが言うのもアレだけどね』

 

 こんな体になっちゃった以上、僕が言うのも適わない。

 

 ともあれ僕達の目的を考えれば、これはあまりよろしくない兆候だ。

 

 神依君が彼女に絆されてしまったというのなら深入りはしないし出来ないけど…どうだろう?

 

「…もしかして神依君、気が変わったの?」

「な、そんな訳あるか。俺はキョウシュウに帰るぞ」

「誰も待っていなくてもですか…?」

「少なくとも祝明は迎えに来てくれた、それに博士たちだって…本当のことは、確かめてみなくちゃ分からないだろ」

「そう、ですね…」

 

 オイナリサマは目元の雫を拭う。

 

 そして、天を仰いだ。

 

 それが僕には、オイナリサマが決心した姿に見えた。神依君がたった今、思いを固めたのと同じように。

 

「では仕方ありません。やはり、力づくで引き止めさせていただきます」

「っ、やっぱそうなるよな…!」

 

 おもむろに腕を上げ、手の平をこちらに向ける。

 

 するとオイナリサマの背後から何匹もの白い狐が姿を現し、集団でこちらへと襲い掛かって来た。

 

「…逃げよう」

 

 また神依君を背負って、空を飛んでその場から脱出した。

 

「だけど、今更何処に行くってんだ? 結界は破れなかったぞ」

「残ってるよね、()()()()の魔法陣が」

「…ちょっと欠けてるけどな」

『大体の形が残ってるなら大丈夫! 修理までは無理だけど、インスタントなテレポートならそれで出来る』

「だってさ。それよりも今は…狐たち(こいつら)の対処だねっ!」

 

 オイナリサマの使い魔は、一匹一匹が飛行能力を持って僕達を追い続けている。

 

 しかも一丁前に変な弾を飛ばして攻撃してくるものだから、ただ逃げていれば良いという訳でもない。

 

 平たく言えば、とても面倒な相手だ。

 

『安心して、魔法陣まで辿り着ければ、必ず道は開ける。だから、心置きなく焼き払っちゃって!』

「因果関係がよく分かんないけど…まあ、いいか」

 

 右後ろから飛んできた弾を避けて、狐の動く軌道上に狐火を起こした。

 

 全速力で飛んでいたのだろう、狐は避けること叶わず丸焦げになってしまった。

 

 その様子を見ていた他の狐は怖気づく…ようなこともなく、さっきまでと同じように弾を撃ちながら突進してくる。

 

「なるほど、ただの使い魔らしいね」

 

 面倒な相手は本当に()()()()()の相手で、彼らの殲滅には数分と掛からなかった。

 

「あはは…こんなに楽だと後が怖いね。何が待っているのやら」

 

 オイナリサマの思惑とは何か。

 

 それについて考察を立てる前に、僕らは欠けた魔法陣のある場所に到着した。

 

『なるほど…綺麗に壊されてるね』

「…使えそう?」

『乱暴にされた跡も無いし、短距離の転移には使えそうかな』

「ラッキーだったね…行こう、結界の外まで」

「…あぁ」

 

 神依君は泣いている。気恥ずかしそうに目を逸らして、しっかりと涙ぐんでいる。

 

「…悪い、まさか本当に出られるなんて思ってなくてさ」

「気が早いよ、これから本当にするんだから」

「ハハ…そうだな」

 

 一瞬だけ周囲の気配を探ってみるも、オイナリサマがいる感じはしない。

 

 …まあ、いないならそれで良い。余計なことをされる前に出て行ってしまおう。

 

『お願い、イヅナ』

『分かった』

 

 イヅナに動かされた僕の手の先に、不思議な色の粒子が集まる。

 

 すぐに不完全な魔法陣は起動して、急速に広がった光が僕達を包んだ。

 

 

 そして、空中に放り出されたような感覚の後…

 

 

「…無事に、出てこれたようだな」

「まだ安心するには早いよ。向こうにキョウシュウへ帰るための魔法陣を用意してあるから、行こう!」

「おう…準備が良いな?」

「全部イヅナのおかげだよ」

 

 他愛のない会話もそこまでにとどめ、あらかじめ用意していた魔法陣の元へと向かう。

 

 途中でオイナリサマの妨害が入ることもない、とても順調な道のりだった。

 

 あまりにも順調過ぎてそら恐ろしかったけれど、その不安を口には出来なかった。

 

 …言霊が、叶えてしまう気がした。

 

 

「目印発見、もう少しだよ」

 

 木の幹に付けた印は、残り数十mの証。

 

 本当に、もう少しだ。

 

「ああ、これで……ッ!?」

 

 本当に、もう少しだった。

 

「そんなに急いで…どちらへ向かうおつもりですか?」

「オイナリサマ…ッ!」

 

 神依君の発した悲痛な叫び声。

 

 何故かそれを無視したオイナリサマは、僕に鋭い視線を向ける。

 

 その瞬間に電撃のような恐ろしさが体を走ったが…何とか耐え、現実から目を逸らすことなく立っていられた。

 

 そんなこちらの心境など露ほども考えることなく、オイナリサマは僕に話しかける。

 

「壊れた魔法陣をあんな使い方で活用するなんて…うふふ、コカムイさんはとても賢いのですね」

「……イヅナのおかげだよ」

「そうですか。では()()も、彼女の仕業ですね? ……許せません」

 

 そう言って、彼女は地面を踏み躙る。

 

 足元には、魔法陣がある。

 

「神依さんは行かせません、あなた達二人だけならおかえりになっても構いませんよ?」

「悪いけど、神依君に頼まれちゃったからね」

「『助けてくれ』…というお願いのことですか。神依さん、ダメですよ? あなたを助けられるのは…助けて良いのは、私だけなんですよ?」

「勝手なことを…!」

「うふふ、これからちゃあんと分からせてあげます。ですから…」

 

 オイナリサマはそう言って、魔法陣から降り数歩下がる。そして手の平をさっきのように魔法陣へ向けると…

 

「どーんっ!」

 

 …場違いな掛け声と共に、魔法陣を破壊した。

 

「…こんなもの、必要ありません♪」

 

 

 僕達は、その光景を目にした数秒後…

 

「行くよ」

「えっ、おい!?」

 

 神依君の腕を引き、さっきのように背中におぶって飛び立った。

 

「大丈夫、僕達がホッカイからホートク(ここ)に来た時の魔法陣はまだ生きてるから」

 

 吹き付ける風がとても冷たい。

 

 それでも、助けると決めた以上…僕は進む。

 

 

 今度こそ…逃避行の始まりだ。

 

 



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Ⅳ-140 或いは、茶番劇

「次は三体、左後ろからだ」

「分かった!」

 

 祝明は俺の示した方向に狐火を起こし、追いかけてきていたオイナリサマの眷属を焼き尽くす。

 

「残りはどう?」

「かなり遠くに見える、射程圏内に入るまでは時間が掛かりそうだな」

「…了解」

 

 あの檻みたいな結界から逃げ出して数十分。

 

 木の上スレスレを飛んでいる俺たちは、ようやく険しい山を抜けて雪原まで出てくることが出来た。

 

「しかし、出てきてからはアッサリだな…」

 

 つい口からそんな言葉が漏れる。

 

 それもそのはず。実際に追いかけてくるのは往なし易い眷属たちだけで、オイナリサマ本人は一切姿を見せていないのだ。

 

 そのお陰で遠くまで来ることこそ出来たが…

 

「なぁ祝明、オイナリサマは何を考えてると思う?」

「分からない…けど、都合の良い方へ転がったりはしないと思う」

「まあ、そうだよな…」

 

 オイナリサマの持つ力の大きさは、今まで散々見せつけられてきた。

 

 その上恐らく、まだ彼女はその力の底を見せていない。いやむしろ、彼女が全力を必要とする出来事なんて起こり得るのだろうか。

 

 そう思わされてしまうほど、彼女の力は強大だ。

 

 しかし今の状況はどうだろう。

 

 彼女はあれほどの執着心を抱いていたはずの俺に対し、高々数十体の眷属をけしかける程度にとどまっている。

 

 本気で逃げる俺を捕まえたいのなら、非常に不自然と言わざるを得ない。

 

 

「あれが全部嘘だったなら、俺も随分と気が楽になるんだけどな」

『ううん、オイナリサマは本気だった。私が保証するよ!』

「…ハハ、そりゃ本当だ」

 

 オイナリサマとイヅナはまあ…ある種の同類だし、それなりの共感覚はあるだろう。

 

 しかも勘の鋭いイヅナがこう言うのだとしたら、俺の抱いた希望的観測はいささかも役には立つまい。

 

「キョウシュウに逃げて…それで全部解決するのか?」

「今取れる手はこれしかない。きっとこれじゃ終わらせられないけど…少しの時間くらいは、稼げると良いかな」

 

 まあ…それが精一杯か。

 

「俺の無事は、任せて良いか?」

「勿論任せて…ええと、キョウシュウまでは」

「十分だ」

 

 祝明達は機会を作ってくれた。俺に考える時間をくれた。ここから逃げられたら、オイナリサマを鎮める方法を考えなくちゃならない。それは俺の仕事だ。

 

 どうだろう、一つ神社でも作ってみるか?

 

 …それだけじゃ、どうにもならなさそうだな。

 

 俺が逃げ出したせいで、間違いなく事態は複雑になるだろう。

 

 けどそれも仕方ない。対等な立場で話をするためには、こんな回り道しか辿るべき道が無かった。

 

 …最悪の場合、俺は祝明達の頑張りを無駄にしてしまうだろう。

 

 だからこそ、ほんの少しの誤算で水の泡になるであろう救出劇を敢行してくれた二人には、感謝の念しかない。

 

 せめて何か、恩を返してやりたいな。

 

 

『ノリくん、そろそろ到着するよ』

「だってさ、神依君」

「ああ、聞いていた」

「これからの予定は…一度ホッカイを経由して、そこからキョウシュウに飛ぶつもり。まあ、一応把握しておいて」

 

 その会話から間もなく祝明は地面へと降り立ち、俺も久しぶりにホッカ…ホートクの雪を踏んだ。

 

 緊急時だし他に方法もなかった訳だが、ずっと背負われたままなのは恥ずかしかったからな。

 

 ようやく自分の足で立てて心底安心した。

 

「早く行こう…今度こそ、壊されないうちに」

「そうだよ、これを壊されたら作り直しの暇も取れないからね!」

 

 祝明の体から出てきたイヅナが俺に催促する。

 

「分かった、さっさと行っちまおうか」

 

 魔法陣の上に立ち、もはや見慣れた光に包まれる。

 

 

 そして、今こそホッカイへ飛び立とうとしたその瞬間。

 

「……?」

 

 …視界に真っ白な何かが横切った気がした。

 

「おい、イヅ――――っ!?」

 

 その正体を確かめる暇もなく、俺たちはホッカイへと飛んで行く……

 

 

 

―――――――――

 

―――――――――

 

 

 

「…っ!? ぶ、無事なのか…?」

 

 俺は雪の冷たさで目を覚ました。雪に手を突き()()()()()()()体を起こして、自分の体の状態を確かめる。

 

 とそこで、俺はついさっきまで自分が気絶していたことに気づいた。

 

「一体何が…くっ…!?」

 

 思い出そうとすると頭痛がして、めまいがして周りの様子もよく見えない。

 

 祝明達は、どうしてるんだ…?

 

 そんな音を思ったその時、機能を取り戻した鼓膜に周囲の音が舞い込んでくる。

 

 耳を澄ますと…

 

「っ…はあっ!」

 

 祝明の声と。

 

 高く鳴り響く金属の音と。

 

「ふふ、それが全力ですか…?」

 

 

 …オイナリサマの、声が聞こえた。

 

 

「ハハ…失敗か?」

「ううん、テレポート()()成功したよ」

 

 呆然と呟いた俺の隣から、イヅナの声がする。

 

「なら、何故オイナリサマが…」

「分かるでしょ。テレポートする瞬間に飛び込んできて、一緒に付いてきちゃったの」

「なるほど、な」

 

 けど、どちらにせよ同じことだ。

 

 オイナリサマの手の届く範囲から逃げることは叶わなかった。

 

 これ以上逃げるための手も…打てるようには思えない。

 

「う、あぁ…!」

 

 オイナリサマの蹴りを受けた祝明が呻き声を上げる。俺のせいだ、俺を助けに来たせいで、祝明はあんな目に遭っているんだ…!

 

「大丈夫、方法はあるよ」

「…本当か?」

 

 再び心を覆いそうな絶望に、今度はイヅナが光を差した。

 

 全てを忘れてしまおうと縋ったあの日も、コイツはこんな風に手を差し伸べたんだっけ。

 

 ま、その結果は碌でもなかったけどな。

 

「カムイくん…オイナリサマはあなただけが目当て。あなたのいない場所に、彼女は現れない。だから…()()()()は通用する」

「頼む、教えてくれ…!」

 

 俺はこの作戦に乗った、再びイヅナに縋った。

 

「いいよ。その代わり、ちゃんとやってね?」

 

 

 これが俺ではなく…()()()救う作戦であることに、薄々気が付いていながら。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「ノリくん、お待たせっ!」

「っ、イヅナ…!」

 

 祝明がイヅナに手を伸ばし、イヅナは頷きその手を掴む。

 

 二人の手が触れた瞬間、イヅナの体が光に包まれ祝明の中へと入ってゆく。

 

 化け狐が取り憑くのと同時に、その尻尾は二本に増えた。

 

「往生際の悪い方々ですね」

「悪いね、神依君の元へは行かせないよ」

「ですがどうして…そこまで神依さんに肩入れするのですか?」

「聞いたでしょ? 頼まれちゃったからだよ」

「うふふふ、やっぱり不思議な方ですね…コカムイさんは」

 

 オイナリサマの手から、白い光の弾が瞬いた。

 

「こんな状況でなければ、仲良く出来たかもしれませんのに」

「ごめんね、僕にはイヅナがいるからさ」

「あぁ、そうでしたね」

 

 思い出したかのように呟きながら、手から放たれる光は祝明を狙い続けている。

 

 光弾を撃って、刀が切り裂く。

 

 何度かそのやり取りを繰り返した後、オイナリサマは世間話でも持ちかけるような調子で相手に尋ねた。

 

「ところで、イヅナさんは姿を見せないのですか?」

「イヅナの姿だったら、なんか容赦し無さそうじゃん」

 

 オイナリサマと違う緊張感のある声でそう答えた祝明は一瞬姿をくらませ、後ろから彼女に斬り掛かった。

 

「まあ、確かにそうですね」

 

 が、その攻撃も鋭いカウンターに身体ごと吹き飛ばされる。

 

「ううっ!?」

「…コカムイさん相手でさえ、こんなに力を出してしまいますから。これでも、抑えている方ですよ?」

「あはは、冗談がキツイね…!」

 

 雪まみれの体を起こし、諦めの混じった笑みを浮かべながら祝明はまた刀を構える。

 

「まあ、まだ続けるおつもりですか?」

「見ての通りね」

 

 刀が銀色に光る。

 

 祝明もオイナリサマも、見てくれは戦いに意識を向けているようである。

 

 …いや、まだだ。

 

 ()()のタイミングはもっと後。オイナリサマの余裕を、あの二人が最大限に奪い取った瞬間だ。

 

 

「でも私、一度イヅナさんとお話してみたいです。そちらが何かしない限り危害は加えませんから…どうですか?」

「でも……え、いいの? …分かった」

 

 もくもく…祝明の体が煙に包まれる。

 

 吹きすさぶ風が煙の衣を剥ぎ取ると、姿を見せたのは案の定イヅナだ。

 

「…初めまして、オイナリサマ」

「はじめましてですね、イヅナさん。一度ゆっくりお話ししたいと思っていました」

「そう、私はそうでもないけど」

 

 つれないこと言わないでくださいよ、と言いながらオイナリサマは馴れ馴れしくイヅナへと近寄る。

 

 表情を見る限り、イヅナは快く思っていないだろう。

 

 しかし、さっきの”何かしない限り危害は加えない”という言葉が効いたのか、イヅナは渋々と言った様子でオイナリサマの接近を許した。

 

 

 だが…妙だな。

 

 さっきから、オイナリサマは俺の方を見ない。居場所を確かめるような素振りもない。

 

 まさか、わざわざ見るまでもなく俺の行動は筒抜けなのか?

 

 大きな不安を胸に抱えたまま、隙を見逃さぬように二人の観察を続ける。

 

 

「お会いできて嬉しいです! 早速質問ですが、イヅナさんはどうしてこのパークへ。」

「え…? まあ、色々あるけど…過ごしやすそうだなー、と思って」

 

 …なんだ、雑談か?

 

 のどかな雰囲気になる分には一向に構わないが、静かな状態だと物音には気づきやすい。

 

 しばらく、実行の隙は生まれ無さそうだ。

 

「なるほど、確かに素敵な場所ですからね~…コカムイさんを()()()()()のも、それが理由で?」

「…なんで私が連れて来たって分かるの?」

「それは…ほら、なんとなくです。間違ってました?」

「はぁ、まあ合ってるよ。ノリくんを連れて来たのは…ほら、気に入っちゃったから」

 

 ま、()()()の祝明はまだ俺だったけどな。

 

 勝手に新しい名前なんて付けやがって。おかげで色々ややこしくなったじゃねぇか。

 

「気に入ったから…ですか。ふふ、私たち気が合いそうですね」

「…そうとは思えないけど」

「いいえ、必ず合います。だって相手は違えど、同じ気持ちを抱いているんですから」

「……」

 

 話の雲行きが怪しくなる。

 

 いや、元々雷雨みたいな状況の中で逃げてきた訳だが、俺には分かる。共感を求めてきたのは、あの言葉の布石に違いない。

 

「ねぇイヅナさん。あなたなら分かってくれますよね。神依さんを独り占めにしたい私の気持ちが」

「……そうだね、きっとよく分かるよ」

 

 

 …かくして、話の俺の予想通りに流れていく。

 

 

「なら、私の邪魔をしないで貰えませんか? あなただって、コカムイさんに余計な傷は負わせたくないでしょう? 私も、気の合うあなたを無闇に傷つけたいとは思いませんもの」

 

 まあ、こうなるよな。

 

 文字通り超越的な力を持つオイナリサマとて、イヅナとの戦いで余計な消耗を強いられたくはない。イヅナと休戦協定を結び、後は悠々と俺を捕まえるつもりなのだ。

 

「…どうですか?」

 

 でも、残念だな。

 

「ううん、ごめんね」

 

 イヅナは、その誘いには乗らない。

 

「あら…何故でしょう?」

「そうしちゃえれば楽なんだけどね…でも、ノリくんの頼みを裏切るわけにはいかないから」

「…なるほど。では、仕方ありませんね」

 

 二人は微笑み合って、一気に距離を取る。休戦協定は破綻した。もう戦いで決着を付けるしかない。

 

「オイナリサマ。私はこの一撃に、全力を込める」

「言ってしまって良いのですか? …まあ、結界を貫けない程度の全力、恐れる必要もありませんが」

 

 そして来た、イヅナからの合図。

 

 『全力を込める』ということは、そこがオイナリサマの隙を突く最大のチャンス。

 

 始めよう。大丈夫。一度乗ったからには、最後まで乗り切ってやるさ。

 

「はあぁぁぁ……!」

「うふふ、楽しみですね…あなたの全力が」

 

 

 イヅナの周囲にサンドスターが、そして妖力が集まる。やがて輝きを吸い込む渦は消え、イヅナは足を踏み出した。

 

 虹色を吸い込んだ尻尾が九尾の様相を呈し、限りなくゼロに近づいた距離から緊張の波動が打ち広がる。

 

 俺は、イヅナから託された短距離転移用の結晶を強く握りしめた。

 

 

「…ていっ! やあっ!」

 

 

 ついに、イヅナの攻撃が…

 

「ん……えっ!?」

 

 オイナリサマの()()へと届いた。

 

「これで決まりッ!」

 

 その声と共に、俺は転移の結晶を発動させる。

 

 最高の妖力を込めたイヅナの攻撃は…舞い上がった雪に視界を奪われたオイナリサマに向かって行き…

 

「これしきの妨害…!」

 

 防御の為に張られたオイナリサマの結界の横をすり抜けて…

 

「よし…行けるッ!」

 

 …その後ろにあった、起動していない魔法陣へと当たった。

 

「…なッ!?」

「悪いな、俺は行かせてもらう…!」

 

 転移の直前、妖力爆弾を上に放り投げる。これで俺が転移した直後、この魔法陣は跡形もなく消え去る。

 

 そのまま光に身を任せ、俺は魔法陣の向こうへと…!

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…うふふふふ、イヅナさん…やってくれましたね」

「まあまあ待ってよ、私にも考えがあるからさ」

「…お聞きしましょう」

 

 今にも殺しに掛かってきそうなオイナリサマを抑えて、私は作戦の概要を伝える。

 

 私が…()()()()()助けるために立てた作戦の一部始終を。

 

「…ってこと、分かった?」

「ええ、理解いたしました。じゃあ…こうするのが一番ですね」

 

 オイナリサマの手の平がこちらを向き、悍ましいほどの妖力の奔流が私を襲う。

 

 …そう、それでいいの。

 

「ありがとうございました、イヅナさん。やはりあなたとは、良く気が合いそうです」

 

 一体どんな術を使ったのか、オイナリサマの姿が消える。

 

 きっと…カムイくんを迎えに行ったんだ。

 

「私の仕事は…ここまでだね」

 

 そう、私は()()()オイナリサマと向き合った。全身全霊の策略を以て、ノリくんを守り、カムイくんを向こうへと逃がした。

 

 だから…安心して?

 

「ノリくんは…私たちはもう十分、頑張ったんだからさ」

 

 出来ることは、全部やったよ。

 

 オイナリサマは敵に回さない。

 

 神依君も逃がす。

 

 ノリくんの想いも、叶えてあげる。

 

 

 これが私の、最高の作戦。

 

 或いは、茶番劇。

 

 

 後は精々頑張ってね…カムイくん? 君の命は、君自身に掛かってるんだから。

 

 



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Ⅳ-141 掴んだ藁は、貧乏籤だ

「っと…やっぱり、ここか」

 

 もはや数えるのも億劫になるほど回数を重ねたテレポート。

 

 今回の着地点は、俺があれほど逃げ出そうとしていたホートクだった。

 

「ちょっとは期待してたんだがな…ハハ」

 

 イヅナが妖力で起動した魔法陣。

 

 実はそこには、違う二つの魔法陣が隣接していた。

 

 一つはキョウシュウとホッカイを結ぶ俺の目指していた魔法陣。もう一つは、ホッカイとホートクの結ぶもの。

 

 だが、イヅナが実際に起動したのは後者。

 

 どうやらイヅナは俺をこちらに飛ばして、オイナリサマとの戦いを避ける算段だったらしい。

 

「でもおかげで…祝明は無事だ。少なくとも俺のせいでってことは無い。それで一安心…だろ?」

 

 元より、それを承知でアイツの策に乗ったんだ。だから…ここからは俺の力で何とかしないと。

 

 そう言い聞かせて涙を拭って、俺は自らが置かれている状況を再確認する。

 

 …うむ、極めて良くない状況だ。

 

 ここに来る最短ルートである魔法陣そのものは壊したが、ここはオイナリサマの庭のようなもの。

 

 見つかるのも時間の問題だろう。当然ながら、俺を匿ってくれる奴なんていない。

 

 彼女の説得しか道は無いが、果たして手立てはあるのか…

 

「やれやれ、どうしたものかな…」

 

 その時唐突に、後ろから聞いたことのあるような声が聞こえた。

 

「あれ、もしかして…カムイさん?」

 

 振り向くと、その声の主は予想通りの人物だった。

 

「あ、やっぱりカムイさんだ! 覚えてますか? わたしです、ホッキョクギツネです!」

「あぁ…ちゃんと覚えてるよ」

 

 やっぱり…いたかもしれない。

 

 俺を匿ってくれそうなフレンズ。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「とりあえず、ジャパリまんをどうぞ」

「ありがとう、丁度何か食べたかったんだ」

 

 懐かしき紙袋入りのジャパリまんを頬張れば、温かく甘い味が口いっぱいに広がる。

 

「これ、温かいな?」

「あ、えっと、わたしの服の中で温めてましたから」

「っ…そうなのか」

 

 じゃあこの温もりは、ほとんどホッキョクギツネの熱だったんだな…まあ、悪くない。

 

「それにしても助かったよ、少し面倒事に巻き込まれててな」 

「面倒事ですか…わたしに何か出来ることがあれば、力になりますよ?」

「ありがたいけど、いいよ。これは俺にしか解決できない話だからさ」

 

 俺はハッキリと言い切る。

 

 すると案の定、ホッキョクギツネは浮かない表情を顔に浮かべた。心苦しいが仕方ない、彼女を巻き込むよりずっとマシだ。

 

「そうですか…じゃあ、頑張ってくださいね!」

「おう、頑張るぜ」

 

 彼女は柔らかな表情で激励を飛ばしてくれる。

 

 柔らかくて、突っつけば壊れてしまいそうな笑顔だ。

 

 

 …さて、話題を変えたいところだな。あのウサギ達のことでも聞いてみるとするか。

 

「そういえば…あの二人とは良くやってるのか?」

「はい、おかげさまで! カムイさんを見たのも、会いに行った帰りですから」

 

 恥ずかしがるように頬を指で掻き、ホッキョクギツネの声色は一転明るくなった。

 

 この話題選択で間違いは無かったようだ。

 

「別に、”おかげさま”なんて言われる程のことはしてねぇよ」

「でも、悩みを聞いてくれただけで嬉しかったんです! あんな話が出来たの、初めてでしたから…あっ」

 

 感謝の気持ちを熱弁するホッキョクギツネは、本人も気付かぬ間に口がくっついてしまいそうな程グッと近づいていた。

 

 それに気付き慌てて顔を引っ込めると、今度は両手の指を突き合わせてもじもじと視線を壁にやり始める。

 

「…なら、お礼は謹んで受け取っておくよ」

 

 お互いに居たたまれなくなった空間の中、先に音を上げたのは俺だった。

 

「はい、ありがとうございました!」

 

 彼女はもう一度お礼を言って、ペコリと大きく頭を下げた。

 

 混じり気の無い白色の尻尾が、ワサワサと楽しそうに揺れていた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…じゃあ、世話になったな」

「え、ちょっと、どこに行っちゃうんですか?」

「どこってそりゃあ……どこだろうな?」

「もう、行く宛がないならここに居てください!」

 

 肩を掴んで無理やり座らされ、続いてジャパリまんを口に詰め込まれる。

 

 もう腹は減ってないんだけどな…でも、美味い。

 

「わたしはカムイさんが居ても全く迷惑じゃないですし、むしろもっと寛いで欲しいくらいです」

「けどな…」

「面倒事があるから…ですか?」

 

 俺は頷く。

 

 するとホッキョクギツネは呆れたように溜め息を漏らし、やれやれと肩を竦めた。

 

「行く宛がないならどこに行ったって一緒ですよ、違いますか?」

「…まあ、そうだけどな」

 

 それでもやはり、彼女の身が心配だ。オイナリサマがこの場に居合わせたらどんな反応を見せるだろうか。自分勝手な天罰が百回降りかかっても収まらないのではないか。

 

「カムイさん、わたしの心配をしているならそれは筋違いですよ。私はカムイさんよりも強いですから」

「……そう、だったな」

 

 思い出した、彼女はフレンズだ。

 

 フレンズなら、知能と生半可な核を与えられたセルリアンの体なんかよりもずっと強靭に違いない。

 

 つまり…俺はまだまだ守られる側らしい、情けないことにな。

 

「落ち込まないでください、何かあったらわたしがちゃんと守りますから!」

 

 ホッキョクギツネのその言葉が、更に俺を落ち込ませる。

 

 そんなこと、彼女は露ほども知らないだろう。そして、知らなくていい。

 

 この悲しみは…俺の胸だけに留めておくのだ…

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…なるほど、ここがあの子のお家ですね」

 

 神依さんの感覚を辿って数分。私は神依さんの姿と、隣にいる忌まわしき白い泥棒ギツネの姿を見つけました。

 

 やはり、神依さんを見つけ出すことにかけて私の右に出る存在はこの世に居ませんね。

 

 どちらかと言えば、ここまで歩いてくることの方が疲れました。神様は普段あんまり歩かないので。

 

「でも、本当にホートクに送ってくださっているなんて…うふふ、イヅナさんも中々に親切な方ですね」

 

 私は結界さえあれば、どんな場所からでも結界の中へと瞬時に転移することが可能です。

 

 ですから…彼がホートクに来てさえいれば、追いかけることは容易なのですね。

 

「まあ、念には念を入れておきましょう」

 

 空中に描くは簡単な結界の設計図。そこに少しの輝きを込めれば、洞穴の入り口を中心とした小さな結界が辺り一帯を覆いつくす。

 

 夕焼け空を見上げれば、赤色と一緒に虹がうっすらと見えるようになった。

 

 この結界さえあれば神依さんは逃げられません。そして小さな結界に力を集中させたので、外からも容易には介入できません。

 

 破りたいなら四神の誰かでも連れてくるべきでしょうけど…それは現状不可能です。

 

「キュウビさんが変な気まぐれでも起こさない限り、これで安心ですね」

 

 まあ彼女の姿もめっきり見かけませんし、何処にいるかなんて誰にも分からないでしょう。協力を仰ぐのはさらに難しい。

 

 うふふ、完璧です。

 

「さぁて…もう少しだけ、様子を見守ってみましょうか」

 

 あの薄汚いキツネが何をやらかすのか楽しみですし…神依さんには、何か面白いドッキリでも仕掛けてみたいですね。

 

 …さあ、心地の良い闇が訪れます。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…いやいや、一人で寝れるって!」

「本当ですか、寒くありませんか?」

「さ、寒い訳ないさ…」

 

 やばい、焦って奇妙な口調になっちまった。そして心の声だからぶっちゃけると結構寒い。寝袋が懐かしい、やはりアレは必要だったのだ。

 

「じー…」

 

 ホッキョクギツネの無垢な目が俺をじっと見つめる。しばらく見つめあったら、彼女は意味もなく首を傾げた。なんでだ、あざといぞお前。

 

「神依さんは、一人の方が良いと?」

「どちらかと言えばそうだな…! ああ、この際寒いことは認めるさ。だが一緒に寝たら…事態は更にややこしくなること請け合いなんだ」

「いいじゃないですか、寒さには勝てませんよ?」

「やめ、やめろぉ…!」

 

 得意げなドヤ顔で彼女はもっふもふの…もう一度言う、もっふもふの! 素晴ら…とんでもない尻尾を俺の腕に絡ませてきやがった。なんて暖かいんだコレ、ヤバい。

 

「ほらほら、本当に必要ありませんか?」

「ぐぅ…あぁ…要る!」

「ふっふっふ、そうですよね!」

 

 俺が折れるのを待っていたのか、お許しを得ましたと言わんばかりの笑顔でホッキョクギツネは俺に抱き付いてきた。

 

「お、おい、それは聞いてないぞ!?」

「わたしが必要なんでしょう? 特別にサービスしてあげます!」

「い、至れり尽くせりだなぁ…!?」

 

 彼女に抱きつかれたまま、俺は戦々恐々として周囲を見回す。誰もいないはずなのに悪寒が止まらない。この世の何より暖かい”もふもふ”がここにあるのに、吹き込んでくる風が妙に冷たい。

 

 ついには入口から覗く星空が虹色に輝いて見える…いや、最後のは違うか。

 

「は、離れてくれないか…?」

「…あ、そうですね。あんまりくっついちゃ暑いですもんね」

 

 どっからやって来たそのポジティブシンキング。少し前の彼女の雰囲気を思い出すと違和感が湧いて止まらない。

 

 頼むからそんなに明るくならないでくれ。何にも変われていない俺が…何だか惨めに感じてしまう。

 

「じゃあ、尻尾だけ抱き締めちゃってください。それで私も…あったかくなりますから」

「…分かった」

 

 ホッキョクギツネの勢いに押され、言われるがままに尻尾を抱いて、釈然としない気持ちも一緒に胸に抱えたまま…俺たちは眠りに就いた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「あはは、あはははははは…!」

 

 思わず高笑いをしてしまった。

 

 許せません、絶対に許しません。ホッキョクギツネ…でしたっけ、決して無事には終わらせませんよ。

 

「よりにもよって手を出してしまうなんて…万死に値します」

 

 とはいえ、私もそこまで無慈悲ではないのです。だから殺さずに、じわじわと痛めつけてあげましょう。

 

 眠る神依さんの…すぐ横で。

 

 

「…うっ!?」

「ほら、起きてください。何幸せそうに眠っているんですか? 自分にそんな資格があると思っているんですか?」

「ぇ…オイナリ…サマ…?」

 

 あら、私のことは知っているんですね。恥知らずなキツネだと思いましたが、意外とそうでもないのでしょうか。

 

 …確か、会ったことがあったんでしたっけ?

 

 まあ、どうでもいいですね。えい。無防備なお腹を踏んずけてあげました。

 

「ガハッ…ぅ…!?」

 

 片手はお腹を押さえ、もう片方の手は起こすときに叩いた頭を押さえて…うふふ、忙しいですね。

 

 でももうすぐ、手が足りなくなっちゃいますよ。

 

「それっ、泣き所!」

「あぁ…なん、で…!?」

 

 膝下を蹴り付けてあげたら、茹でられたエビのようにうずくまってしまいました。これで血まみれにしたら本当にエビみたいな見た目になってしまいますね。残酷なのは嫌いなのでしませんけど。

 

「さあさあ、起きてください。気絶したら『めっ!』ですよ」

 

 声を掛けても起き上がる様子がないので、親切な私は髪の毛を引っ張って無理やり…ごほん、立つための力を貸してあげました。

 

 ああ、私はなんて優しいのでしょう。

 

「オイナリサマ…どうして…?」

「どうしてもこうしても、私の神依さんに手を出したホッキョクギツネさんが悪いんですよ? 人の持ち物に手を出してはいけないと習わなかったんですか? …ああ、だからジャパリまんを盗んだりしたんですよね」

 

 私には基本的に善の心しかないので忘れていました。世界には彼女のように神様でも救いきれない存在がいるのです。

 

 …うふふ、ホッキョクギツネさんったら、仕方のない子です。

 

「さあ、私が直々に身の振り方というものを教えて差し上げましょう」

「い…いや……うっ!?」

 

 反抗的な口には、セルリアンもどき…俗に言うスライムをぶち込んで…おほん、流し込んであげましょう。

 

 どうしようもない子にまで教えを施すなんて、私はとんだ善神ですね。

 

「分かりました…でしょう?」

 

 コクコク…うふふ、やっと自分の立場を理解したみたいですね。

 

 このまま心が死…じゃなくて、良い子になるまで教育してあげても良いんですが、念のために一つ聞いておきましょう。

 

「あなた…神依さんのことはどう思ってるんですか?」

「ご、もごご…」

「あぁ…スライム入れっぱなしでした」

「ぷはぁ…ふぅ…」

 

 少々乱雑にスライムを引き抜くと、彼女の口から安堵の溜め息。このスライム汚いですね、あとでお口に戻してあげましょう…でもまあ、今は地面へ。

 

「ほら、答えてください」

「か、カムイさんは…大切なお友達です…! それより、なんでこんな…」

「質問は許していませんよ?」

「が、あぁ…ごほっ…」

 

 なるほど、まだそこまでの想いには達していない訳ですか。

 

 …まあ、どっちでも良いですけど。

 

 いつか成長する可能性のある芽は、私たちの平穏な生活の為に全て摘み取っておかなければなりません。

 

 そしてその気持ちがなくとも、彼女は()()()()()神依さんに度を越えたスキンシップをしました。

 

 許せる訳…ありませんよね?

 

「とりあえず、このスライム咥えててください」

「ふごっ!? んー、んー!」

 

 さあ、お仕置きしちゃいましょう。

 

 

 

―――――――――

 

―――――――――

 

 

 

「…ふぅ」

 

 しばらくして、洞穴には私と神依さんの二人きり。

 

 烏滸がましくも神依さんに近づこうとしたあの薄汚くこれ以上ない程に忌まわしい常識外れな辺鄙で生まれた悍ましくて醜悪なキツネは…もうここにはいません。

 

 そして二度と、美しい空の下を歩くことは叶わないでしょう。もちろん、全て私の匙加減なのですが。

 

「はぁ~、久しぶりに爽快でしたね」

 

 そんな私がなぜまだここに留まっているかと言えばそれはもちろん…神依さんに寝起きドッキリを仕掛けるためです。

 

 一度本で読んで、やってみたかったんですよね。

 

 そしてもう、アイデアは私の頭の中にあります!

 

「さあ神依さん、あんな奴のより私の尻尾の方が快適ですよ」

 

 神依さんったら、あのゴミの尻尾を取り上げてからずっと抱くものが無くて寂しそうに寝ていたんです。

 

 だから、神依さんの為の私の尻尾を抱かせてあげました。

 

 朝起きて私の尻尾を抱いていたら…神依さん、驚くでしょうか?

 

 うふふ、とっても楽しみです…!

 

「そう考えれば…神依さんに背を向けて寝なければならないこの状況も、楽しいものですね」

 

 幸せな気持ちに包まれた私は、洞穴という酷くみすぼらしい睡眠環境でもぐっすりと、安らかな眠りに就くことが出来たのでした。

 

 

 

 

 

―――――――――

 

―――――――――

 

 

 

 

 

「……え?」

 

 朝、目を覚ました俺は手元の様子を見て驚いた。

 

 いいや、むしろこれは、絶望だ。

 

 結界の中で嫌と言うほど味わいそして、祝明達のお陰で逃れることが出来た…と思えていたはずの感情だ。

 

「これって、まさか…」

 

 俺に真っ先に現状を教えてくれたのは、辺りを包む激しい戦火ではない。安らかに眠るオイナリサマの姿でも、苦しみの表情を浮かべるホッキョクギツネの姿でもない。

 

「うふふ、おはようございます、神依さん」

 

 ただ一つ。

 

「…驚いて、くれましたか?」

 

 それは、ホッキョクギツネのものであるはずの尻尾に見えた…()()()()()()だったのだ。

 

 



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Ⅳ-142 前も後ろも一本道

「もう、神依さんったら。驚いてくれるのは嬉しいですけど、そこまで驚かれたら私の方がビックリしてしまいますよ♪」

「……」

「つんつん…あらら、凍ったように固まってしまって…うふふ」

 

 イタズラっ子のように頬を突っつかれ、ようやく俺は感覚を取り戻した。それでも目の前の現実を受け入れるのが精一杯で、体は全く動こうとしなかったが。

 

 それとも、これ以上逃げても無駄なのだと悟ってしまったのかもしれない。

 

「…なんでだ? どうしてそんなに、俺に拘る?」

 

 違う、これは質問じゃない、ただの八つ当たりだ。

 

「どうしてって…神依さんは意地悪なんですね。でもいいですよ、神依さんの為なら何度だって言います」

 

 だからやめろ。

 

「私は、神依さんのことが大好きです」

 

 答えないでくれ。

 

「神依さんと結ばれるためなら、どんなに遠回りでも、どれだけ長くの時間が掛かっても私はやり遂げるつもりです。…でも出来ることなら、もう逃げないで下さいね?」

 

 もう嫌というほど、分からされたんだ。

 

「好きな人に拒まれるのって、とっても辛いことですから」

 

 逃避行は、終わったんだから。

 

「ああ…分かったよ」

「…嬉しいです」

 

 神様は微笑んだ。

 

 神様に取られた言質は…絶対だ。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 洞穴の入り口に立って、外に向かって腕を伸ばす。まず指先が外と中の境界で硬い壁にぶつかって、やがて結界に手を突く形になった。いつ結界を張ったのかは知らないが、少なくとも二人きりで閉じ込められていることは事実だろう。

 

「なぁ…この洞穴、暖かくないか?」

「気づきました? 実は私が、こっそり暖めていたんです!」

「…だろうな」

 

 起きてからずっと、妙な快適さがずっとついて回ってきて不思議な気分だったのだ。振り返ったら、目が合ったオイナリサマにウィンクを飛ばされる。

 

 本当に、これだけを見たらただ美しいだけの神様なんだけどな。…待てよ、『美しいだけ』は貶している感じもするな。訂正しよう、オイナリサマは強くて頭もいい。今俺が置かれている状況が、それを如実に証明してくれている筈だ。

 

 壁を指でなぞった。結界は丁度冬の部屋のガラスのように結露している。昔はこういう風に落書きをして遊んでいると、みっともないとか言われて叱られたんだっけ。

 

「お絵描きですか? 可愛い絵ですね」

「え、あぁ…ありがと」

 

 でも今は、全く真逆の反応が飛んで来る。

 

「私も描いてみます! するする~……あ、水が垂れてしまって形が…」

「ドンマイ」

「…うふふ。初めてですね、神依さんから撫でてくれたの」

「え、そうだったか?」

 

 そうですよと頷いて、頭を撫でる俺の手を愛おしげに包むオイナリサマ。やがてその手を下に降ろし、頬ずりをして…指をしゃぶるのはやめてくれ。

 

「あっ…」

 

 思わず手を引っ込めると、絶望したような表情をする。目尻に涙を湛えた上目遣いにとうとう負けて、俺は左手の指を全て神様の口に捧げる運びとなった。…さっき撫でてたのは右手だろ。

 

「…神依さん?」

「…何でもねぇ」

 

 結界にゴツンと額をくっつけ、雪が降り積もる朝の森をボウっと眺める。昨日と何も変わりないその光景を見つめていると、否応なしに()()()()()()()()()()が際立って気になるのだ。

 

 一抹の不安、そして勇気と共に、俺は尋ねる。

 

「一つ気になるんだが、ホッキョ――」

「彼女ならもうここには居ませんよ? 遠くに…とても遠くに行ってしまいました」

 

 勇気を出して尋ねた言葉は、苛立ちを伴ったオイナリサマの無慈悲な宣告によって掻き消されてしまった。

 

「……そうか」

 

 ホッキョクギツネが消えた原因は、オイナリサマの他に無い。昨日の夜に何が起きたのかもきっと、想像に難くない。けれど、考えたくはない。

 

 何処までも無力な俺は、ただただ彼女の無事とこれからの平穏を祈るしかない。間接的に彼女の幸せを奪ってしまった者として、せめてそれだけは。

 

「神依さん、そんなことよりも…」

「…ん、何だ?」

「私たちのこれからの生活ですよ、どうしますか?」

 

 ホッキョクギツネのことを『そんなこと』で済ませてしまったオイナリサマに対し、若干の遣る瀬無い気持ちを感じたが、もはや話すべき言葉もない。

 

 しかしまるで俺に選択肢があるかのように話すオイナリサマに怒りを覚えて、俺は投げやりに彼女に問いかけた。

 

「どうするって、俺に選ぶ余地があるのか?」

「勿論です、私にも…ちょっぴりだけ、無理やりやっちゃったかな…という思いはありますから」

 

 カラカラと乾いた笑いをこちらに向けるオイナリサマにいよいよ我慢できなくなり、俺の腕は彼女の胸ぐらを掴んだ。

 

 あれほどの強さを誇るオイナリサマも持ち上げてみれば案外軽いもので、彼女の足は地面を見失っている。

 

 そんな状況にあっても、俺から怒気をまっすぐに向けられていても、オイナリサマは…普段の調子で笑う。

 

 それが、俺の神経を更に逆撫でするということも知らずに…笑っている…!

 

 右腕が、上がる。固く握りしめられた拳を振り上げ、彼女に向かって振り下ろす。さあ、言ってみろ…何か、言ってみろ!

 

「いいですよ」

 

 振り下ろした腕が、当たる寸前に硬直した。拒絶でも謝罪でもない…殴られることを受容した寛容な言葉が、意外にも俺の拳を止めたのだ。

 

「…あら、殴らないのですか?」

「なんで、殴られても良いって思うんだ?」

「だって神依さんですから。神依さんが私にしたいことであれば、どんなことでも受け入れますよ」

「…ハハ」

 

 …前言撤回。何が寛容だ?

 

 俺()、オイナリサマ()、することなら、どんなことでも。それはつまり、それ以外は認めないと…自分以外を見るなと言っているのと同じ。

 

 だから…笑ってんじゃねぇ!

 

「アハハッ…!」

 

 俺に殴られた瞬間、歓喜の声が洞穴に響き渡った。違うだろ、お前が出すべき声は、そんな声じゃないだろ。ホッキョクギツネは…そんな声を出さなかった筈だろ…!?

 

「こんなの…おかしいだろ…」

 

 馬乗りになって、振り上げて、再びオイナリサマに当てようとした拳は。

 

「いいえ、何もおかしくなんてありませんよ」

 

 何処にも行けない虚しさで、儚く力を失った。

 

 

「神依さん、そろそろ元気になりましたか…?」

「いや…もう少し、掛かりそうだ…」

「…そうですか」

 

 壁に背を着け体育座りをしてうずくまる俺の隣に、オイナリサマも腰を下ろした。顔に柔らかい尻尾が掛かって、前が見えないのが今はありがたい。

 

 俺の心は罪悪感で満たされていた。

 

 怒りに任せて怒鳴り付け、あまつさえ手まで上げてしまった。馬乗りになって見下ろしたオイナリサマの、喜びに歪んだ顔が瞼に焼き付いて離れない。

 

 おかしな話だが、オイナリサマが泣いて嫌がってくれればまだ心の蟠りも小さく済んだ。悪いことをしたんだから反省しなければと、そう考えるだけで終わらせられた。でも…彼女は喜んでいた。

 

 彼女は嫌がっていないのだから、許す以前に怒ってさえいないのだから…一体何が悪いのだと、俺は一瞬そう思ってしまった。

 

 だからまた俺は洞穴の暖かい空気の中で、深い慚愧の念に身を凍えさせるのだ。

 

「大丈夫です、神依さんは何も悪くなんてありませんよ?」

「違う、俺は…悪い奴なんだ…」

「自分のしたいようにしただけでしょう? 私は神依さんに本気で迫ってもらえて、とっても嬉しかったですよ」

「俺は何も見えてなかった…! 怒りに任せて暴れただけだ…」

 

 俺の、はらわたから絞り出したような懺悔の言葉も。

 

「うふふ…それの、何が問題ですか?」

 

 神様は甘ったるく優しい声で、こうも無慈悲に切り捨ててしまう。

 

「神依さんが十字架を背負う必要なんて何処にもありません。大丈夫、私は神依さんの全部を受け入れてあげられます」

「……それで、良いのかよ」

「私は良いと思います。…だから、後は神依さん次第です」

 

 オイナリサマが力強く抱き付いてきて、自然と俺の体勢は崩される。纏わりつくように俺の後ろに頭を持ってきた彼女は、悪戯っぽく耳に息を吹きかけながら囁いた。

 

「あなたがどうしても自分を許せないのなら、罪悪感を背負ってしまうのなら、そうしなくても良くなる日まで、私が傍であなたを支えます」

 

 遠い意識と揺れる心は、吐息で容易く吹き飛ばされる。

 

「だから神依さん…全部、私に預けちゃってください」

 

 今となっては思い出せないが…きっと俺はまた、頷いてしまったのだろう。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「キョウシュウ、帰りたくありませんか?」

「……え?」

 

 それまでの話の流れを一刀両断するオイナリサマの問いかけに、喜びよりも早く疑問が心に湧いてきた。俺が続く言葉に迷って凍り付いていると、察したようにクスリと笑って詳しく説明してくれた。

 

「流石に私もちょっぴり…端折って迫りすぎたかなーって思いまして。それに、一緒にキョウシュウで()()なら問題ないかなとも思ったんです」

 

 オイナリサマにもそういう考えがあるんだなと頷きつつ、サラっと聞こえたとんでもない提案に質問をぶつける。

 

「…待て、オイナリサマもキョウシュウに住むのか?」

「はい。少しだけ時間は掛かりますが、結界ごとキョウシュウに飛ばしちゃえば万事解決です!」

 

 さも得意げに語られる衝撃の事実を聞いて、俺は氷漬けにでもなりたい気分だった。

 

「それって…大変じゃないか?」

「いえ、こんなこともあろうかと普段から蓄えておいた力がたっぷりありますから、精々数か月分使えば問題ないはずです」

「…な、なるほどな」

 

 まあ、そうか。神様だもんな。それくらい造作もないよな。はあ。

 

「ですからキョウシュウにしばらく住んで、未練がバッチリ無くなったら…私とホートクに戻ってきて素敵な引きこもりライフを送りましょう!」

 

 何言ってんだこのひ…神様は。

 

「…それなら、結界閉じるだけで十分じゃないのか?」

 

 というか俺も何言ってんだ、引きこもりのアドバイスするんじゃねぇ。ついに狂ったか。

 

「…ハッ!?」

 

 あの…何だその目。『天才を見つけました』みたいな輝いた目でこっちを見ないでくれ。今までも十分キラ付いてたけどいよいよギラギラしてる、まるで真夏の太陽。

 

「言われてみれば…その通りですね!」

 

 もはや、何も言うまい。

 

 

 

「ところで…どうやってホッカイからここまで?」

「え? 普通にテレポートして来ましたよ」

「…その普通の中身を教えてくれないか?」

「あ、そういうことですか。分かりました」

 

 そう言ってオイナリサマは洞穴の中を見渡す。少しして、目当てのモノを見つけたような笑顔になると、彼女は土のある方へと歩いていった。

 

「よいしょ、こんな感じですかね…」

 

 彼女は何処からともなく取り出した虹色の棒の先で土をなぞっていく。その手先はまるで、子供が公園で地面に絵を描くような動きだ。

 

「何を描いて…あ」

「うふふ、分かったようですね」

 

 地面を覗き込むと、そこには幾度となく見た模様が描かれていた。もはや説明も必要無いとは思うが一応言っておこう、例の魔法陣だ。

 

「一度しっかり見ましたからね、覚えているんですよ」

 

 なるほど、しっかり壊した筈なのにどうやってと思っていたが、新しいのを作り直せるのなら納得。わざわざ壊した意味もなかったという訳だ。

 

「まあ実際はこんな風に…」

「…え?」

 

 ここまでは納得できた。だが次の瞬間、俺は完全に意表を突かれる。

 

「…空中に描いて転移しましたけどね」

「…マジかよ」

 

 オイナリサマの手の上に浮く魔法陣、手を伸ばせば触ることも出来る。しかしとんでもないな。宙に描けるのも驚きだし、もっとすごいのはその速さだ。ものの十秒足らずで完成していた。

 

「まあ、私は神様ですからね。この程度のことは朝飯前です!」

 

 グルルルル…

 

「……」

「…ええと、そういう訳なので、朝飯を食べに行きましょう!」

「ああ…そうするか」

 

 オイナリサマはこちらに手を伸ばす。テレポートするということなのだろう。俺はその手を掴んだ。

 

 瞬間光が洞穴を包み、周囲は既に白の中。

 

「……」

 

 さよなら…ホッキョクギツネ。それと…ごめんな。

 

 二度と()()戻っては来ないであろう思い出の場所に…せめて心の中で別れを告げて、そして去っていく。

 

 オイナリサマも…ごめんな。

 

 何とも交われない一本道を進んでいくしかないからこそ…今はまだ、この十字架は手放せない。

 

 



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Ⅳ-143 お引っ越しのご挨拶…?

 寒空を、風に吹かれて流れていく白い雲。今日の青空は青くて、あの場所みたいに薄く虹色に染まっていたりすることもない。

 

 自分の体も風に吹かれて、ゆうらゆうらと横に揺らめく。

 

 いつの間にか隣に置いてあった紅茶に口を付けると、とても懐かしい味がしてついつい泣きそうになった。…泣いてはいないよ。

 

「今日で…帰ってきてから一週間かぁ」

 

 ホッカイ…だと思っていた場所、ホートクに向かい、神依君を結界から連れ出して逃げ出したあの日。

 

 イヅナに全てを任せた後…神依君は命からがらまたホートクに逃げていき、僕達はイヅナの機転で何とか見逃してもらったらしい。

 

「神依君、無事なのかな…」

 

 多分、彼の安否を気にしているのは僕と…図書館のあの二人だけだ。

 

 キタキツネとギンギツネは元から全然興味なんて無かったようだし、イヅナもジャパリフォンのデータが全て消えていたことしか気にしていなかった。

 

 はあ…まあ、データが消えたのはショックだろう。その気持ちは分かるよ、だけど…

 

「別に、何時かのキタキツネの真似事をする必要はないんじゃないかな?」

「き、キタちゃんの真似じゃないよ! 私はキタちゃんなんかと違って堂々と、隠れずに撮ってるんだから!」

 

 僕の真横で写真を撮りながらイヅナは叫ぶ。片耳を塞ぎつつ、空いた手で頭を撫でてあげる。

 

「そっか、偉い偉い」

「えへへ…って、本当は思ってないでしょ?」

 

 分かりやすく頬を膨らませて抗議するイヅナ。何か言おうかと思ったら、イヅナの方から肩に頭を預けてきて今度は楽しそうな声を上げる。

 

「むふふ~♪」

 

 自己完結してしまったイヅナに声は掛けず、僕はまた空を見上げる。

 

 今日は、何かが起こりそうな予感がする。なんとなく…根拠のない第六感がそう告げている。こういうのを、()()()()()()…って言うのかな?

 

「むー、またキタちゃんのこと考えてるでしょ…」

 

 胸に顔をうずめて抗議するイヅナをまた宥めながら、確かに変わった空気の感覚を僕は心地よく感じていた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「……は?」

 

 事態を理解できない二人の素っ頓狂な声が、図書館の周囲に立ち並ぶ木々の中へと溶けていく。そりゃそうだ、オイナリサマは幾らなんでも話が早すぎる。

 

「ですから、神依さんは私と一緒に暮らすことになりました。雪山をちょっと下ったところにある神社でですよ…見ていませんか?」

()()と言うか、ついさっき()()()ようなものなのですがねぇ…」

 

 博士は頭を抱えながらそう呟く。まあ…頑張れ。胃が痛いのはよく分かるが、如何せん俺ではどうしようもない。

 

「それは良いんですよ、とにかく神依さんは私と暮らします。ですからこうやって、元々の同居人であるお二人にご挨拶をしに来ました」

「は、はぁ…」

「つまり、カムイを引き取ると…ひっ!?」

「どうして貴女如きが、神依さんを呼び捨てに出来るんですか…?」

 

 オイナリサマの光無い目に見つめられた博士は縮み上がり、口をパクパク開閉させて後退る。流石にこれはいけないな。

 

「オイナリサマ、気持ちは分かるが抑えて…」

「本当に分かってくださるのなら…止めないでください…」

「…ハイ」

 

 ダメです、無理です、不可能です。俺に神様は鎮められません。どうにかこうにか頑張れ博士、死なない程度に。

 

 とはいえ彼女は島の長。今も震え続ける体を律し、オイナリサマの機嫌を取ろうと掠れ掠れの言葉を紡ぎ始める。

 

「わ、わわ、分かりました。カムイ()()に…」

「…様」

「は、はいッ! カムイ様をお引き取りになられるということで、我々としましては、何一つ異存はございませんなのです!」

「うふふふふ、そうでしょう」

 

 …そりゃあ、ある訳ないよな。

 

 しかもこの二人の目を見ると…ただ圧倒的な力――この場合は武力――を目にしただけではない感情が読み取れる。

 

 それは何と言うか…権力への追従、みたいな。オイナリサマが持つ『守護けもの』もしくは『神様』という肩書は、同じく『島の長』という肩書を以て普段からふんぞり返っている二人にとってそれはもう強い、大好物のカレーよりも強いインパクトを与えているのだろう。

 

 その『守護けもの』の肩書も、今や俺を手中に入れるための都合のいい口実に使われているというのだから世話がない。彼女はその力で一体誰を守ると言うのか、まさか俺だけで十分なのか?

 

 …そうなんだろうなぁ。

 

 

「さて神依さん、お二人へのご挨拶も終わったことですし、私たちの神社(愛の巣)へと早く帰りましょう!」

「いや、もう少しだけ…待ってくれないか?」

「それは…何故ですか?」

「今までお世話になったんだからさ、俺も…二人に別れの言葉くらいは言っておきたいんだ」

 

 俺の言葉にオイナリサマは逡巡する。悩むようなことか、そんなに俺を他人と関わらせたくないか。

 

「まあそれくらいなら…分かりました」

「心配するな、手短に終わらせて来るさ」

「…はい!」

 

 俺がそう言った途端に彼女は目に見えて元気になる。…もうダメだこの神様、俺にはどうにもできない。

 

 そんな俺の心情などいざ知らず、気分上々の神様は手まで振っちゃって俺を見送る。ああもう、恥ずかしいからやめて欲しい。歩いて数秒、目的地見えてる、博士たち呆れてる!

 

「…ひっ」

 

 少し呆れたくらいで、睨まないでやってくれよ…

 

「…か、カムイ。本当に、行ってしまうのですね」

「ああ、それしか道は無いんだ。そんなに長い間じゃなかったが…世話になったな。まあこれからも、元気でいてくれ」

「カムイ、これは…」

 

 今日会った時からずっと抱えていた本を助手が俺に向けて差し出す。これは俺がホートクに飛ばされる前に探すよう頼んでいた本だ。

 

 そっか、俺がどんなに悪い想像をしていても、二人は待っててくれたんだな。でも…

 

「悪い、それは…受け取れない」

「…そう、そうですよね」

 

 助手は目を伏し、声を落とす。しかしその声色には確かに納得の片鱗があった。オイナリサマの様子から察して…いや、察さざるを得なかったのだろう。この瞬間から俺が、図書館の住人ではいられなくなることに。

 

 助手の目の中に燻っていた声を読み取った俺が感傷に浸っていると、後ろから違えようのない気配が飛ばされる。…短気なものだな。

 

「あぁ、そろそろ時間切れみたいだ。…じゃあな」

「はい、お元気で…なのです」

「今まで…お世話になったのです」

「…お互い様だ」

 

 最後の言葉を告げて、俺が踵を返した瞬間…途轍もなく強い向かい風が吹きつけて来た。その風は、まるで俺を図書館に引き止めようとしているようで、暖かい。

 

 けれども俺は、風に逆らう。

 

 ああそうだ、この風は心地いい。出来ることならまたここで暮らしたいな。

 

 本を読んで、料理を作って、一緒に食べて、時に二人につつかれて。

 

 失ってから気づくことが多すぎる。どうしてだ、どうして、持っている内に気づかせてくれなかったんだ。

 

「さて、神依さんの用事も終わったことですし、今度こそ…」

「もう一か所だけ、行きたい場所がある」

 

 でも、いいか。

 

 俺の人生はもう、神様に捧げられた。

 

 こんな悩みだって、持てるのは最後なんだ。我儘だって通させてもらう。

 

「祝明に、会いに行きたい」

 

 

 どうせなら後腐れなく、愛に生きたい。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「私が先に入って確かめてきます、神依さんと変なのを引き合わせる訳にはいきませんからね!」

「あぁ、任せたよ」

 

 俺は特に何も言うこと無くオイナリサマに従う。反対する理由もないし、第一彼女の意見を押しきれないしな。

 

「ですから神依さん、何処かに行ってしまわないで下さいね」

「ちゃんとここで大人しくしてるさ、だから早く…な?」

「約束ですよ…?」

 

 加えて「心配するな」と今一度言っておいたが効果は薄く、オイナリサマは何度も顔を出して俺が居なくなっていないか確かめに戻って来る。

 

 おいおい、俺が祝明を探したほうがずっと早いじゃないか。

 

 放っておいても埒が明かなそうだし、釘刺しとくか。

 

「早くしないと、俺が変な奴に絡まれるかもだぞー」

「ですが…むぐぐ…」

 

 俺の言葉が効いたのか、オイナリサマは名残惜しそうに振舞いつつも宿の中へと消えていく。

 

 そうだ、少し覗いてみるか。変なことやらかさないか心配だし。

 

 

「コカムイさーん、コカムイさんはいませんかー? 天都神依さんが呼んでいますよー」

 

 …早速変な探し方してるよ。

 

 まあ、不意に誰かと出くわすよりは堂々と振舞う方が間違いがないかもな。この屋敷にいるキツネ、祝明を除いた全員が、”出会ったら即戦闘”の危険がある粒ぞろいの爆弾だからな。

 

 それはさておき、オイナリサマの堂々たる宣言を聞きつけて姿を見せたキツネがいた。あの落ち着いた毛色は…ギンギツネだな。

 

「まあ、お客さんなんて珍しいわね」

 

 そりゃな。誰が好き好んでこんな(瘴気)まみれの宿使おうとするんだよ。ここの悪評は博士たちが巧妙に振りまいていたし、まあ誰も来ないだろうな。そしてそれこそが、一番Win-Winな関係なんだろうな。

 

 ああ、手伝いをさせられた時の記憶が蘇る。フレンズたち(あいつら)の大半がすごく面倒な性格してるんだよ…善良すぎて。

 

 宿に住むキツネたちが危険だと真実を言えば「そんなわけがない」と口を揃えて言い、雪山がセルリアンまみれになっていると嘘を言えば「助けに行かなければ」とチームを組みだす始末。

 

 考えに考え抜いた結果、彼女たち自身にしか解決できない問題を抱えているから、解決するまで関わらない方が彼女たちの為でもある…と――まあ事実だが――中々にきわどい説明をすることになった。

 

 え、解決するまでっていつまでだって? ……聞くなよ。

 

 

 ええと、ものすごく脱線したな。今の出来事に話を戻そう。

 

「そうですか、いい宿なのに…」

「まあ、来ない方が好都合なんだけどね」

 

 ギンギツネは手をひらひらとさせて、そう素っ気なく言い放つ。ホントにアイツは何時からだ? 全く気が付かなかった。

 

「ところであなたは、ギンギツネ…ですよね?」

「そうだけど…それが?」

「…いえ、何でも。でもあなた…幸せそうですね」

「うふふ、そうかしら?」

「ええ、何と言うか…良い雰囲気です」

 

 …マジで言ってやがるのか?というか意外だな、オイナリサマがギンギツネに興味を向けるなんて。聞いてみれば、オイナリサマの声は昔の知り合いに話しかけるような調子だ。

 

 神様だし…何かあったのかもな。

 

「ところで…カムイさんがノリアキさんに何かあるみたいね?」

「ええ、お引っ越しのご挨拶をしまして」

「ああ…それで」

 

 納得する声。

 

 ギンギツネからしたら奇妙だったんだろうな。祝明が救出しに行っても帰って来なかった俺が来ているという話も、それにオイナリサマがついて来ているということも。

 

 そして聡明なコイツならもう察しただろうな。俺が神様の手に落ちたことも。

 

「じゃあ呼んでくるから…少し待っててね」

「はい、分かりました」

 

 おお、やけにあっさり連れてくるんだな。オイナリサマは引っ込んでろ…とか言われてもおかしくは無かったんだが。

 

 まあ確かに…オイナリサマは一番信用の置ける人物の一人だ。

 

 祝明に靡かない、他の男にとんでもなく強い想いを寄せている存在。

 

 今のギンギツネはキタキツネよりむしろ…オイナリサマとの方が、余計な気を回さずに喋れるのだろう。

 

 それが一概に悪いことだと言えるのか…分からない。けどあの二人はお互いに、そんなことは気にもしてないんだろうな。

 

 

 はあ…外野から眺めているだけで胃が痛い。

 

「なんで、祝明は笑ってられんだ…?」

「呼んだ?」

「うわっ!? …って驚かすなよ、確かに呼んだけどな」

 

 深いため息を見せつけるように吐くと、祝明はごめんごめんと軽く笑いながら俺の隣に腰を下ろした。

 

「それで、どんな用? どうして戻って来れたの?」

「ハハ、戻っては来れたが…状況は全然良くなってないぞ」

 

 そう前置きをして、俺は再びホートクに転移してからの出来事を話した。洗いざらい、俺が完全に追い詰められるまでのごく短い時間での出来事を全て。

 

「……そんなことが」

「まあ俺は…言うなれば”詰み”だったんだ。祝明が気負う必要なんてない」

「そう言ってくれると気が楽になるよ。でも、ホッキョクギツネはどこに?」

「…分からない。さっき言った通り、オイナリサマに何か、碌でもないことをされたってことしか…」

 

 言えば言うほど自分が情けなくなって、段々と語気が弱くなる。

 

「神依君…」

「…いや、もう、どうしようもないよな」

 

 本当に手遅れだからこそ、もう考えない。時間は戻らず、流れて行った雲は引き寄せられないのだ。

 

 努めて俺は何でもないような声色で、重い気分を誤魔化し笑う。

 

「まあこの通り、俺はオイナリサマと暮らすことになった。機会があればまた会えるかもしれないし、そう重く取る必要はないさ」

「…そうかもね。じゃあ、イヅナにも早く戻ってきてって言われてるし…また」

「ああ、またな」

 

 祝明の背中を見送る。

 

 いつか、全く違う目で見ていた筈の背中に…どうしようもなく、親近感を覚えてしまっていた。

 

 



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Ⅳ-144 神様のネガイゴト

 そこは神社の書斎。向かい合うように椅子に腰かける神依さんと私。

 

「はぁ…」

 

 手の中にある絵本を眺めて、神依さんは大きくため息をつきました。最上級の困惑を込めてページに向けられる視線は美しく、少なからぬ嫉妬が私の心に湧き出してしまいます。

 

「神依さん」

 

 だから名前を呼んであげます。

 

 そうしたら私の目論見通りにほら、神依さんの困った瞳は私へと向けられるのです。ああ、私はなんて幸せ者なのでしょう、ついつい幸福の声が零れてしまいます。…もったいない。

 

「…あはっ」

「あのな…名前を呼ぶのはいい。けどせめて用事が有るのか無いのかはハッキリ言ってくれ」

「ごめんなさい、呼んだだけです!」

「まあ、知ってたさ」

 

 呆れるようにそう言いながらも、神依さんの表情には安心の色が見えます。

 

 うふふ。何だかんだ言ってやっぱり、神依さんも私と居るのが楽しいんですね…そうに違いありません!

 

 でもそんな困った顔をするなら、どうして絵本なんて読んでいるのでしょうか?

 

「神依さん、辛いなら読まなくても良いんですよ」

「…良く言えるよな、自分が差し出した本に向かってさ」

「冗談半分…というか、九割九分ですから」

「はいはい、一分は本気ってことだな」

 

 手に付けた以上はちゃんと読み切るさ、と言って神依さんは次のページをめくります。なんて融通の利かない方でしょう、愛しくて堪りません。

 

 

 私たちの幸せの空間の一角にある、知識の倉庫。

 

 難しい顔で簡単な絵本を読み進める神依さんと、その姿を緩み切った顔で眺めている私。

 

 この光景の発端は、私のとある一言にありました。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「神依さん! 何か願い事はありませんか?」

「願い事って…急にまたどうしたんだ?」

 

 私が神依さんにそう持ち掛けた時、彼はお昼ご飯を作ってくれていました。

 

 お昼の献立は少し特別な二人前のお好み焼き。二人で一緒に食べられるものが良いなという私の願いを神依さんが汲んでくれたのです。

 

 この空よりもずっと広い神依さんの心と優しさについて置いておくのは非常に心苦しく辛いことですが…まあ、ここは一旦、後回しにしましょう。

 

 とにかく、私の願いを叶えて頂いた以上、神依さんの願いも私が叶えて上げなくてはいけません。神様とはそういうものなのです。

 

 ――という説明を神依さんにしたのですが、反応は思ったよりも芳しくありませんでした。

 

「願い事って言っても、特に思い当たることもないしなぁ…」

 

 はたまたコレも脇道に逸れる話なのですが…神依さんのこの言葉を聞いて、私の胸は躍りました。

 

 ()()()()()()ということは、即ち今の生活に()()()()()()()()()()()ということに他なりません。

 

「あら、そうですか…?」

 

 私は首を傾げて微笑みながら、この喜びを噛み締めていました。

 

 しかし。それでも。何かお願いをしてもらわないことには気が済みません。

 

「それでしたら…この本を読んでみてはいかがでしょう」

「なんだこれ…絵本?」

「これを読めば、何かヒントが見つかるかもしれませんよ」

 

 私がそんな言葉と一緒に渡した絵本の題名は『アラジンと魔法のランプ』。

 

 願い事を何でも叶えてくれるランプのお話…まさに、神依さんに啓蒙するにはピッタリの絵本ですよね!

 

 神依さんはもっと欲深くなるべきです! 例えばそう…私の体を求めたりとか…

 

「ふふ、うふふふ…」

「…まあ、暇だしいいか」

 

 私は名案だと思っているのですが、神依さんから目立ったワクワク感は感じ取れません。やはり欲望が欠けていますね。

 

 ああ、神依さんが私にもっと、その溢れ出る欲望をぶつけてくれたら…!

 

「…はぁ」

「ハァ、ハァ…!」

 

 まあ、なんという偶然でしょう。何も示し合わせることなく、私たちのため息はピッタリ合ったのでした。

 

 …少し違うなんて野暮なこと、言いっこなしですよ?

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…何で付いてくるんだ?」

「…ずっと一緒って約束しましたよね?」

「確かにしたけど……このくっつき方は変だろ」

 

 あな悲しや。

 

 私はただ身動きが取れないように引っ付いているだけなのに、こんなことを言われなければならないなんて。

 

「それでも、私は離れません!」

「あー、じゃあ好きにしなって」

 

 愛しの彼の許可も貰って、晴れて私は引っ付きまくります。

 

 …おっとストップ。私のことを変な神様だとは思わないで下さいね。

 

 私の行動がごく一般的なつまらない価値観の中において『変』と形容されることがあるという事実は十分把握の上なのですが……私にだって、明確な目的があるのです!

 

 それは追々説明しましょう。

 

「それで、お願い事は決まりましたか?」

「そう言われてもな…どこまでなら叶えられるんだ?」

「私に()()()()()なら、どんなことでも」

「不可能なことって、例えばどんな?」

「文字通り出来ないことですよ、()()()()()()()()も含めて」

 

 ここまで明確に婉曲した表現を重ねれば、神依さんもバッチリ理解してくれることでしょう。…うふふ、頷いてくれましたね。

 

「なるほどな…それを聞いたうえで、やっぱりまだ思いつかない」

「むむ、嘘ついてませんよね?」

「つく訳ないだろ」

 

 言い分は分かります、ですが信じきれませんね。…えいえい、()()()()()()攻撃。

 

「わっ…」

 

 むふふ、とっても柔らかいでしょう。サービスカットも付けちゃいます。さあ、これでも本当に願い事が無いなんて言えるのですか?

 

「神依さん…私、何でもしますよ。だから、何でもお願いしてください」

「い、いや…無いぞ?」

「そ、そんなあっ!?」

 

 嘘ですよ、弱りに弱った神依さんを慰めてあげようと誘惑した時にはあんなに情熱的に求めてくれたというのに。

 

「神依さん。私では…魅力が足りませんか?」

「はあっ!? え、いや、魅力が無いとかそういう話じゃなくってな…」

 

 ビビッ。神依さんの口調から言い逃れの気配を感じました。

 

 身体的にはもう逃がしはしませんが、論理の上ではまだまだ逃げ道は残されていますね。この機会に潰してしまいましょう、私以外は見させません!

 

「じゃあ、どういう話ですか? ちゃあんと答えてくださいね?」

「ええとだな…うん、そうだ。()()()()()()んだ、だから…な?」

「へぇ…気分じゃない…」

「あぁ、そうなんだ。悪いな」

 

 なるほどそうですか。

 

 まあ、私の望んでいた最高の答えではないですが…及第点はあげちゃいましょう。この理由ならば、私にも手出しのしようがありますからね。

 

「うふふ、分かりました。ならば、その『気分』とやらになるまでお供いたしましょう」

「な…え?」

 

 私が諦めるとでも思ったのでしょうか、神依さんは驚いています。うふふ、かわいい。

 

「必ずその気にさせてあげますから、我慢が辛くなったら言ってくださいね。じっくりねっとりお相手いたします」

「…ハハ、敵わないな」

 

 諦念を滲ませた呟きを口に、目を空に向けた神依さん。私も倣って空を見上げれば、タイミング良く昼の流れ星がきらりと流れていきました。

 

 すぐにそれは流星群に姿を変え、何か言う時間はありそうです。

 

「お願い事、してみますか?」

「いいよ、オイナリサマが叶えてくれるんだろ?」

 

 サラっとそんなことを言ってのけてしまう神依さんに…私はまた、頬を赤く染めるのです。

 

 

 …勿論、ちゃんと誘惑はしますけどね!

 

 その後、神依さんを欲情させようと奮闘する私の数時間(長き)にわたる熱き戦いが繰り広げられるのですが…割愛します。

 

 私の勝ちという揺るぎない結果があるのですから、その過程を冗長に記しても仕方ありませんよね。

 

 そんな感じで物語の時間を夜に移し、お布団の上での談笑に場面を変えてお話いたします。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「はぁ…素敵です…!」

 

 つんつん。私は目の前の柔らかい筋肉をつっついて愉悦に浸っています。

 

 どうしてでしょう、神依さんの身体というだけで美しい彫刻のように思えてしまうなんて。

 

「くすぐったいな…うぅ」

「我慢してくださいね、あむ…はふはふ」

 

 一頻り指先で感覚を楽しんだ後は、神依さんの二の腕をパクリ! 溶けてしまいそうな柔らかさのお肉をしゃぶって、私は顔を蕩けさせています。

 

 ついでにぎゅうっと抱き締めてみれば、生肌が擦れて暖まります。

 

「ひああへぇ…!」

 

 神依さんも時々くすぐったさに身を捩じらせますが、嫌がってはいません。完全に篭絡してしまいました、私は罪な神様ですね。

 

 ついでに首元にもガブリ。

 

 彼の命を握ってしまっているという実感が、私の体の奥を沸き上がるほどに熱くします。

 

 気が付いたら…また襲っちゃってました♪

 

 

「はぁ…はぁ…そろそろ、限界だな」

「えー、私はもっと行けますよ!」

「頼む、勘弁してくれ」

 

 明らかに息を荒げて疲れた様子。最中も呼吸は激しかったのですが、今の調子とは別ですね。

 

 でも私の体力が有り余っているのは事実です。このまま終わるのも癪なので少しからかってあげましょう。

 

「もしかして…お願い事ですか?」

「ああ、それでいい。今夜はもう…ダメだ」

 

 …冗談だったのですがね? でも神依さんがそう言い張るのなら、否定することは出来ません。

 

「…分かりました。ですがサービスです! なんと特別にもう一つお願い事を聞いてあげましょう!」

「えぇ…?」

「あら、お気に召しませんでした?」

「疲れたんだ、寝かせてくれないか…?」

「あ、そんなことなら大丈夫ですよ」

「…?」

 

 私の言葉を聞いた神依さんは眉を顰めちゃいました。あらら、言葉足らずって怖いですね。

 

 この誤解を解くには行動が一番手っ取り早いでしょう。そう考えた私は、神様だけが自在に使える不思議な力(サンドスター)を使って彼の疲れを癒してあげました。

 

「あれ…なんか楽になったな」

 

 不思議そうに呟いてこちらを見る神依さん。目を合わせて頷いたら、ため息と生暖かい目が返されました。

 

「やれやれ、オイナリサマは凄いな」

「はい、神様ですからね」

 

 神依さんはぐいっと体を伸ばして考え事のポーズ。やっぱり律儀ですね、私へのお願い事を真剣に考えてくれるみたいです。

 

 そしたら私は神依さんの考えがまとまるまで…いつものように神依さんを眺めていましょう!

 

 むふふ、やはり真っ先に見るべきは表情ですよね。

 真剣に考える顔をまじまじと見られるチャンスは中々来ません。神依さんったら、請け負った仕事への責任感の割に思考の回数は少ない感じですから。

 

 それにしても素晴らしいです。

 

 額に寄った皴に、刺すような眼差し。キュッと結んだ口に当てた手がカッコよさを引き立てています。組まれた脚と頬杖も…ああ、美しい線です!

 

「…オイナリサマ」

「はいっ!」

 

 神依さんの口から発された迷いのない声、とうとう決まったんですね! わくわく。

 

「オイナリサマの願い事を…教えてくれないか?」

「…ふふ、分かりました♪」

 

 考えようによってはこの答えは、逃げと呼べるかもしれません。

 

 でも私は率直に、私について尋ねてくれたことがとても嬉しいのでした。しっかり答えましょう、最初から決まっていることですから。

 

 

 私はそっと手を組んで、希う言の葉をここに散らす。

 

「今日と同じ明日が、この『世界』で永遠に続きますように…」

 

 神依さんと私だけの『世界』で、永遠に。

 

「これが、私の願い事です」

 

 だから、そのために――

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「――ホッキョクギツネ(このゴミ)を、早急に片付けないといけませんね」

 

 結界の片隅。彼にも隠した、秘密の牢屋。

 

 そこには、私にとって知られては都合の悪いものが沢山ある。

 

 それは例えばこのゴミのような邪魔者だったり、ついつい飼い馴らしてしまったセルリアンだったり、意図せず手に入れたパークの極秘資料だったり。

 

「ですが今回は…やりすぎちゃいましたね」

 

 白い粗大ゴミは眠っている。静かに眠っているが、その寝顔は安らかではない。

 

 ひとたび起き上がれば、恐怖に歪んだ叫びと共に暴れ回るか…もしくは縮こまって眠っている時以上に動かなくなることだろう。

 

「あーあ、本当に最後まで処分に困る邪魔者ですよね」

 

 本音を言えばあのまま息の根を止めてホートクにポイしてしまいたかったが、なまじ面識があるし最近彼女には深い交友関係も出来た。

 

 彼女の口から私の悪評が広められるのも困るし、かといって殺したのがバレて神依さんからの印象が悪くなるのも頂けない。

 

「でもどうしましょう。出来るなら誰かに押し付けてしまって……あ」

 

 そこで私は思い至った。

 

 ホッキョクギツネが丁度良く依存してくれそうな体質で、彼女を見捨てられないようなお人好しで、彼女を受け入れる土壌の出来上がっている彼に。

 

「そうですね、上手く擦り付けちゃいましょう」

 

 そうと決まれば話は早い。計画もすぐさま思いついた。

 

 博士と助手を名乗るあの二人に()()()をして…そう、飽くまで島の為のイベントを装って…ふふふ、完璧だ。

 

 

「そして、神依さんも…」

 

 

 私はまだ、この『世界』は不完全だと思っている。

 

 私が想うのと同じくらい神依さんが私を想ってくれているかと聞かれれば、()()答えはノーだ。

 

 このネガイゴトを叶えるために、不完全な『世界』を変えるために。

 

「もう少しだけ、神様のお仕事が必要みたいですね。うふふ…!」

 

 



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Chapter Ⅴ きっと咲かない彼岸花。
Ⅴ-145 宝探しと始まる策謀


「えい、ここだっ!」

 

 僕の隙を突いて叩き込まれた強烈な打撃。

 

「わ、そう来るんだ!?」

 

 大きく右に吹き飛ばされながらも体勢を立て直し、容赦ない追撃にカウンターを決めた。

 

「むう、だったらこっちも…!」

「よし、いつでも来なよ!」

 

 キタキツネはそこで…Rボタンを深く押した。光り輝く世界、とうとう必殺技が発動されてしまう。

 

「あ、この体力じゃ…!」

「この勝負も…もらったよ!」

 

 体力ゲージがゼロとなり、無残に倒れ伏してしまう僕のキャラクター。

 

 十戦一勝七負二分。

 

 ボロボロと言う他に無い戦績を突きつけられて、僕の現実の体も力を失ってしまった。

 

「えへへ、すごいでしょー…?」

「…やっぱり強いね、キタキツネは」

 

 一時期は何とか追いすがっていた気もするんだけどな。いつの間にかまた大きく実力を引き離されてしまった。

 

 今ではこの試合結果が、僕達の日常である。

 

「当然だよ、いっぱい特訓したんだもん!」

「その代わり、現実の戦いはへなちょこになっちゃったのよね」

「…ギンギツネ!」

「うふふ、私としたことがつい口が滑っちゃったわ~」

「あ、待てっ!」

 

 …ここまで含めて、日常である。

 

 

「それで、どうしてここに来たの?」

 

 数分後、珍しくキタキツネに叩きのめされ、引き摺るように連れてこられたギンギツネ。

 

「ああ、コレが届いたのよ…」

 

 ボロボロになった服の懐から、同じく戦いの余波でしわくちゃになった僕宛ての手紙を取り出す。

 

 …予想通りと言ってはアレだけど、封は切られている。だが僕に手渡されたそれの署名は、なんとも意外な人物だった。

 

「へぇ…博士から?」

 

 その名前を口にすれば、キタキツネの表情は険しくなる。毛並みは激しく逆立ち、いよいよ敵意を隠そうともしない。

 

「中身は先に確認したけど、()()()()内容だったわ」

「…そう」

 

 ギンギツネの言葉を聞いて、キタキツネは殺意を抑えた。

 

 …助かった。こればかりは、僕から釈明しても信じて貰えなさそうだったし。

 

「イベントを開くんだ…『宝探し』?」

「そう、()()()()お誘いらしいわよ。まさかの…ね?」

 

 流石に、誘われなくても不思議じゃない程のことをした自覚はあるらしい。

 

 ああ、あの時は大変だったなぁ…

 

「で、参加するの? 私はノリアキさんに従うわ」

「…ボクも、そうする」

 

 ああ、そうなんだ。てっきり止められるかと思ったけど…それだったら、そもそも手紙も持ってこないよね。

 

「へぇ、意外ね。だぁいすきなお家に引き篭もらなくてもいいの?」

「引き篭もってなんてないし、ノリアキが行くならボクも行く」

「…そう」

 

 期待したほどキタキツネの反応が良くなかったのか、つまらなそうな呟きが零れる。

 

 不毛な争いがこれ以上続く前に、僕も早く決断しよう。

 

 そのために僕は、もう一度招待状の文面を見た。

 

 決して綺麗ではなく、しかし丁寧な子供のような字で、よく聞く博士の言葉遣いで『宝探し』へと招待する旨が書かれている。

 

 これと言っておかしなところは無い。参加条件も悪くないし、断る理由も見当たらない。

 

 無理矢理不可解な点を絞り出すとすれば…そこかな。やっぱり、僕たちは博士たちにとって進んで誘いたい人物ではないはずだ。

 

 それなのにこの手紙が届けられた理由……それも、気になるな。

 

「よし、行ってみよっか」

「え…ホントに? 本気で行くつもり?」

「え、うん。この手紙に書かれてる『宝探し』っていうのが気になるんだ」

「まぁ…そっか。うん、じゃあボクも行くよ」

 

 結構不満そうな表情をするキタキツネ。あはは、どうやら僕が誘いを断ると思っていたみたい。

 

「キタキツネ、本当は行きたくないんじゃ…」

「…そうだけど! ノリアキが、行くって言うから…」

 

 ポカポカと弱々しく胸を叩いてくるキタキツネ。本でそんな記述を見かけたときは変だなと思ったけど、いざ実際にされてみると可愛い。

 

「あはは、ごめんごめん」

 

 さっきコテンパンに負かされたことへのつまらない仕返しを遂げて、僕は手紙を懐にイヅナを呼びに行く。

 

 話は聞かれていたらしく、僕が部屋に入るなり二つ返事――返事じゃないけど――でOKしてくれた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 そして数日後――手紙に書かれた指定の日。

 

 『宝探し』の正体を探り、あわよくばその『お宝』とやらを手に入れてやろうと意気込んで、僕達は図書館への空の道を進み始めた。

 

 辿り着いた先で目にしたのは、その身長に似つかわしくない尊大なポーズを決める博士と助手の姿。怪訝に思って話しかけようとした矢先、二人は茶番をするかのような棒読みで喋り始めた。

 

「ふっふっふ…よく来たのです」

「あんな下手な誘いにホイホイと乗ってしまったお前たちを、我々は歓迎しましょう」

「……帰ろっか」

 

 うん、期待した割に…特に大したイベントは無かったみたい。そもそも他のフレンズの姿も見えないし、今回は本当にイタズラだと思う。

 

 キタキツネも早速退屈そうに草を弄っている。何より博士たちに真面目にやる気が無いのなら長居は無用だ。

 

「ま、待つのです!? 今のはほんのジョーク、冗談なのですよ!」

「えー、そんなこと言われても困るよ」

「そんなっ!?」

 

 素っ気なく突き放すと、今度は涙を流して崩れ落ちた。…面倒だなぁ。

 

「お願いですから、お日様がてっぺんに昇るまではここに居て欲しいのです! そ、そうでなければ我々は…!」

「……我々は、何?」

「…いえ、今の言葉は忘れるのです」

 

 意味深な言葉を言っておきながら、忘れるように言ってくる。

 

 何処かで見たような喋り方。…そうだ、RPGの重要そうで案外そうでもないモブキャラと同じだ。

 

 正直続きが気になるけれど、二人の立ち振る舞いからさっきまでの動揺は見られない。仕方ないから忘れた頃にそれとなく探りを入れてみるとして、今は諦めよう。

 

「とにかく、『宝探し』は本気で行いますので、そこだけは勘違いしないように」

「勘違いするようなことを言ったのは博士たちじゃん、ノリくんは悪くないよ!」

「ああもう…悪かったのです!」

 

 

 ヤケになって叫んだ後、「準備がある」と言って裏へと消えた二人。

 

 何というか…暇になっちゃった。

 

 戻ってくるまでどうしようかと考え始めたら、後ろから僕達を呼ぶ声が聞こえた。

 

「あ、イヅナさんたちがいますね。お久しぶりですー!」

「オイナリサマに…カムイくん。あなた達も来てたんだ」

「あぁ…まあな」

 

 オイナリサマに連れられて現れた神依君。ふと見て雰囲気が違うなと思ったら、いつの間にか見慣れない服に着替えていた。

 

「神依君、その服装って?」

「分かるだろ、オイナリサマのコーディネートだ」

「当然です、神依さんには相応しい服装で過ごしてもらいたいですから」

 

 満面の笑みのオイナリサマと、服の端を掴んで苦笑いする神依君。

 

 コーディネートの質はともかくとして、着ている本人の評判はそれ程良くはないみたい。ままならないものだね。

 

「それで、神依君もここにいるってことは…」

「察しの通り『宝探し』だ、詳細は全然聞かされてないけどな」

「僕に届いた手紙にも、碌に内容は書いてなかったよ」

「なるほど、まぁなんつーか…きな臭いな」

「…え?」

 

 発言の意味が分からず首を傾げていると、神依君に腕を引かれみんなの所から引き離されてしまった。

 

 小声で「他言無用だぞ」と念を押す彼に、僕は訳も分からないまま頷く。

 

 いまいちパッとしない反応に神依君は眉を顰めつつも、一応は納得してくれたのか話を始めてくれた。

 

「信じられないかもしれないが()()、オイナリサマの立案らしいんだ」

「…本当に?」

 

 前置きを聞いておきながら、その意外な事実について聞き返さずにはいられない。彼が大きく頷くのを見て、僕の中にも疑念が膨らんでくるのを感じた。

 

「遠回しに尋ねてみても何も教えてくれないし…ぶっちゃけ、何か目論見があるんだろうな」

「でも、オイナリサマの一番の目的は達成したはずでしょ? いまさら何を…」

「さあな、だがもしかしたら…」

 

 神依君の言葉はそこで途切れる。向こうにいるオイナリサマが僕たちを呼んだからだ。

 

「お二人とも、博士たちが戻ってきましたよー!」

 

 僕達は顔を見合わせて、これ以上の会話が出来ないことを同時に察した。

 

「…悪い、ここまでだな」

「ううん、ありがとう。僕も気を付けることにするよ」

「ああ、そうしろよな」

 

 

 …さて、実際のところはどうだろう?

 

 彼の手前忠告には従っておいたけど、()()気を付けるべきことなんて無いように思う。

 

 だって、オイナリサマが行動を起こした時からずっと彼女の標的は神依君ただ一人だ。()()()も僕は魔法陣から普通に帰れた訳だし、他の誰かに矛先が向くとは考えづらい。

 

 例外があるとすれば、きっとそれは邪魔をしてしまったときだけ。僕や…話に聞いたホッキョクギツネのように。

 

「怪しいのは事実なんだけど、僕が何かされるようにはね…」

 

 まあいいや。せめてもの情けとして頭の片隅には留めておくとしよう。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 考えをまとめてみんなのいる場所へ戻ると、図書館は訪れた時よりも()()()()()飾り付けで彩られていた。

 

 高い壁には地図らしき絵が描かれた布が貼り付けられ、建物の至る所に宝箱やジャパリコインを模した小道具が転がっている。そして冒険装束と言うべきマントを羽織った博士たちを見れば、誰もがここを『冒険の拠点』と呼ぶことだろう。

 

 この短時間で見事に図書館を変身させた二人の技量を称賛しつつ、どうして僕らが来る前にしておかなかったのかなと少し呆れた。

 

 当然余計な角は立たせない。

 

「流石だね、それっぽいよ」

「でもさ、こんなこと出来るなら早めにやっときなよ」

 

 ―そんな密かな努力は、イヅナによって簡単に突き崩される。自由すぎるよイヅナちゃん。

 

「あまりに急な()()だったので時間が取れなくて…だからその、無茶は言わないで欲しいのですよ」

 

 なるほど、そういう事情なんだ。

 

 まあ確かに、このクオリティの仕事を見せられてしまえば早々文句は付けられない。今回はこのまあまあ素晴らしい出来で納得しよう。

 

 …でも、失言は拾わせてもらうよ?

 

「そっか…で、決定って?」

「…忘れろなのです」

「えー、気になるんだけど」

「いいから忘れろなのですっ!」

「はいはい、ちゃんと忘れるってば」

 

 ”準備があるから出て行け”とまたまた僕を追い出す二人の声を背中に、もう一度推理を組み立てる。

 

 さっきからの博士たちの言動には、『逆らえない誰か(オイナリサマ)』の存在を匂わせるものがあった。神依君の証言と綜合すれば…もはや、疑う余地はないね。

 

 オイナリサマは絶対に何かを企んでいる。

 

 あーあ、神依君ったら大変だ。

 

 でも大丈夫。僕の経験に依れば…不安定な時期を乗り越えると結構平和になるんだ! だからそれまでなんとか耐えてほしい。

 

 …頑張れ、神依君ッ!

 

「…!」

「…?」

 

 あはは、ガッツポーズは伝わらなかった。

 

 



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Ⅴ-146 白黒付けたいボードゲーム

「では、前哨戦と参りましょう」

 

 博士は羽織ったマントを派手にはためかせる。そして後ろから姿を現した助手が、仰々しい前口上を述べ始めた。

 

「宝を求める探索者たるもの、戦略と知力を持っていなければなりません。我々とて、その力を持たざる者に謎を与えることは出来ないのです」

 

 助手はそこで一旦言葉を切ると、博士が向こうの方から何か平たく大きい、布に包まれた板らしき物を運んできた。

 

 あまり関係ないけど、こういうのって助手の仕事じゃなかったっけ…

 

「今回我々は、特別に用意したこの()()()()()()でお前たちの力を測ることにしたのです」

「我々に勝利するまで、お前たちが謎に辿り着くことは無いと思えなのです」

 

 博士はテーブルに板を置き、僕達からそれの姿を隠す布を勢いよく取り払う。

 

「これって…」

「新しいゲームだ…っ!」

 

 一目見るならチェック模様。刮目すればゲーム盤。

 

 前哨戦の舞台は…『チェス』だ。

 

「さて、ルールは全てこの本に記されています」

「制限時間はありません、全力を以て挑んでくるがよいのです」

 

 博士から本を受け取って、僕はみんなの様子を確かめる。

 

「へぇ…楽しそうだね」

「こういうのは私の得意分野だから、遠慮なく頼ってね?」

「ゲーム、ゲームっ! ノリアキ、早くやろっ!」

 

 どうやらみんなも、やる気は十分みたい。

 

「待っててね、すぐ勝ちに来るから」

「良い言葉なのです。その言葉、決して後悔しないように」

「…えっと、なんでちょっぴり良い雰囲気なの?」

 

 …イヅナがちょっぴり、妬いていた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 じゃあ、最初にルールを確認しよう。

 

 チェスで使う駒はなんと…ええと…そう、六種類って書いてあるね。内訳はポーン、ナイト、ルーク、ビショップ、クイーン、そして最後はキング。

 

 意外にも少ない、将棋は結構多いからチェスももう少しあると思ってた。考えてみれば、将棋は裏返ったりもするもんね。

 

 まあ、それは良いや。駒の動きも…見て覚えよう。そしたら定石を…覚える時間なんてある? 不可能ではないんだろうけど、これの過程を話したって仕方ない。

 

 …何と困った、チェスについて書けることなんて殆どないじゃないか。

 

 じゃあ実践で? まかり間違って駒の打ち方を解説するとしても、肝心の僕に碌な知識が無いんだから世話が無い。

 

 全く、誰だよこんなので勝負するように決めやが…おほん、とにかく弱ったね。これも博士たちの戦略って奴なのかな。違うか。

 

「試しにやってみよっか、誰からする?」

「はいはい! ボクやりたいっ!」

「分かった、じゃあ最初は僕とキタキツネでやってみよっか」

 

 そう言った瞬間、僕は周囲の空気の温度が一変したように感じた。

 

 キタキツネは驚き混じりの喜びの声を上げ、イヅナとギンギツネは押し黙って各々顔を背ける。そんな二人の顔に、様々な負の感情が複雑に混じり合った表情が浮かんでいたことは、今更取り立てて言うに値しないことだろう。

 

「…えっと、始めるよ?」

 

 自分の失策を感じ、苦し紛れに言い放った始まりの言葉に頷けたのは、キタキツネただ一人だった。

 

 

 対局を始めてから数十分。

 

 沢山あった駒も気が付けば半分ほどに数を減らし、勝負はいつ決まってもおかしくない状況にあった。

 

 僕達はお互い、時折ルールブックに目を向けながら慎重に駒を進めていく。

 

 序盤に移動範囲を間違えまくったせいで、二人ともそういうミスに敏感になってしまっているのだ。

 

 パチン。僕が置いた駒が軽く、そして心に重くのしかかる音を出す。

 

「…う、まずいかも」

 

 卵焼きの塩味がきつすぎた時のような声を出してキタキツネは唸る。あの時は本当にごめんね。

 

 それは良いとして…みんなには見えないこの盤面、次の僕の手でチェックを宣言できる駒は二つある。

 

 プロじゃないからよく分かんないけど、多分このまま行けばチェックメイト出来る気がする、恐らくは。

 

「…ふふ」

 

 微かにギンギツネが笑う。チェックメイトの判定はギンギツネに任せているから、これは…()()()()()()かな?

 

「むぅ…これで、どう…?」

 

 苦し紛れにキングを逃がしたキタキツネ。だけどその場所は、三つ目の駒の射程圏内だ。

 

「…チェック」

「あっ…!?」

 

 驚きに身を固めながらも、まだ負けるまいとキタキツネはキングを逃がし続ける。僕もそれを追いかけるように駒の包囲網を段々と小さくしていって、ついに…!

 

「あ、それ…チェックメイトね」

 

 ギンギツネが力の抜けた手先で盤を指差しそう告げる。終わりを感じ緊張が解けて、僕の指先からも力が抜ける。

 

 だけどキタキツネは逆に体を強張らせ、ギンギツネに疑いの目を向けながら尋ねた。

 

「う…ほ、ホントに?」

「嘘なんてつかないわ。あなたの負けよ、キタキツネ」

 

 素っ気なく答えた声に僕は疑いようのない真実を感じて、キタキツネも同様に負けを悟ったのだろう。テーブルに突っ伏し、足をバタバタさせて悔しがった。

 

「負けちゃった…最近は勝ち続きだったのにぃ…!」

「でも最初だからさ、慣れればきっと強くなれるよ」

「そしたら、ノリアキも強くなっちゃうじゃん…!」

 

 自分でも中々に空虚だと思う慰めをキタキツネに投げかけると、彼女は徐に顔を上げて恨めしそうにそう言った。

 

「あ、あはは…」

 

 目のやり場に困った僕はギンギツネに無言の助けを求める。

 

 ギンギツネは優しく僕の肩を叩いてキタキツネのもとへ。助かった、色々とこじれてはいるけれど、ギンギツネの言葉なら何だかんだ上手くいくはずだ。

 

 

「うふふ、キタキツネは本当にダメダメね?」

「っ!?」

 

 

 …と、思っていたんだけどな。

 

「…どういう意味」

「簡単よ、打ち方がなっていないの」

 

 その一言を皮切りに、ギンギツネはキタキツネの打ち方に多くのダメ出しを重ねていく。

 

 序盤の無駄な移動、次の手で取られると分かるはずの場所へ動かしたこと、自陣に踏み込まれる大穴を放置したこと、キングを進んで逃げ場のないところへ追いやったこと…他にも諸々。

 

 岡目八目とは言うが、それにしてもな彼女の慧眼に僕は驚かされる。

 

「こんな乱暴な打ち方じゃ、あの二人になんて勝てっこないわよ」

「うぅ…!」

「うふふふふ! 自分の実力が分かったら、もっと精進することね?」

 

 しかし僕の頭にもっと印象深く残ったのは、キタキツネを苛めるギンギツネの姿がいつになく楽しそうなことだった。

 

 

「じゃあ、次はノリアキさんね」

「えっ!?」

 

 すっかり意気消沈したキタキツネを傍目に、ギンギツネはこちらへ目を向けやって来る。

 

 たった今見せつけられた恐ろしい言葉の蹂躙劇の光景に身体が凍り付き、さながら僕は狐に睨みつけられた…えっと、狐?

 

「その…僕も、聞かなきゃダメ?」

「だーめ♪ ちゃんと反省しないと、強くなれないわよ?」

「…はーい」

 

 嗜虐的な笑顔が僕を見つめ、腕が絡みついて身じろぐことも出来ない。

 

 わざとらしい吐息で僕の耳を一頻りくすぐった後、ようやくギンギツネは僕の反省点を語り始めた。

 

 それでも…首筋を撫でる手は止まらないけど。

 

「そうね…ノリアキさんはまあ、問題ないんじゃないかしら?」

「…問題、ないの?」

 

 いつの間にか向かい合うように抱き付いていたギンギツネの体を受け止める。

 

 聞くも不安な彼女の「問題ない」発言について訊き返すと、口づけと共に肯定の意が戻って来た。

 

「確かに改善できる部分はあるけど…それも経験次第よ。それよりも私は、初めてなのにいい手を打てていることを褒めてあげたいわ」

「あ、はは…ありがとう」

 

 完全に予想外だったお褒めの言葉に僕はすっかり緊張を解きほぐされ、頬も自然とだらしなく緩んでしまう。

 

 とても和やかな空間だったけど…それを良しとしない人物が二人いた。

 

「ギンちゃん…早くノリくんから離れなよ」

「ねぇ、どうして抜け駆けしてるの…!?」

 

 それはイヅナとキタキツネ。まあ他にいないんだけど…

 

 二人は素早く僕に飛びつくと、体の至る所を引っ張ってギンギツネから無理矢理に引き離してしまった。

 

「あらら、もう少しこうしていたかったのに」

 

 ギンギツネは残念そうに、さっきまでキタキツネが座っていた場所に座る。そして、向かいに座るようイヅナに呼びかけた。

 

 次はギンギツネとイヅナの対局。

 

 もう少しだけ、練習は続く。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「うーん…やっぱりダメね」

「ダメじゃないもん、ギンちゃんの要求が高すぎるんだよ!」

 

 僕とイヅナの対局の後、ギンギツネはイヅナに向けてそんな一言を零した。

 

 どうしてイヅナに向けたのか分かるのかというと…だって、明らかにそっち向いてたし。

 

 もはやギンギツネの辛辣なアドバイスも恒例行事。

 

「ノリアキさんは流石ね、成長の兆しがしっかり見えているわ!」

 

 そして僕に向けられる手放しの称賛も、相変わらずだ。

 

「ギンギツネは本当によく褒めてくれるね」

「ええ、私は褒めて伸ばすタイプだから」

「…じゃあ、二人は?」

 

 チェス盤を挟んで座る二人を指差すと、ギンギツネは二人を一瞥だけして、またこちらを向く。

 

 その表情には、明らかに小馬鹿にした笑みが張り付いていた。

 

「別に伸びなくてもいいじゃない?」

「…そっか」

 

 この分だと、二人の指導をお願いすることは難しそうだ。かと言って僕がやってもギンギツネの気分は良くないと思うし…ダメかな。

 

 僕とイヅナの対局が終わって、四人全員が一度ずつ他の三人と対戦をしたことになった。

 

 戦績は上から、ギンギツネが三勝、僕が二勝、イヅナが一勝で、キタキツネは一度も勝てていない。

 

 キタキツネはこういうゲームが得意じゃないみたい。確かに思い出してみれば、キタキツネが好きなジャンルは格闘ゲームにRPGにアクションにと、チェスのような戦略系のゲームではなかった。

 

 

『現実での戦いが苦手なら戦略は…と思ってたんだけど、キタキツネはどっちもダメみたいね?』

 

 いつかのリアルファイト以来に聞いたギンギツネのストレートな罵倒が、キタキツネの心にまた深い傷を残している。

 

 何かする度にこうなるんだもの、また慰めてあげなきゃな。

 

 

 ギンギツネは自主的に練習を始めた二人の駒の置き方を観察しながら呟く。

 

「この感じだと…博士たちと戦うのはノリアキさんと私になりそうね」

「そう…なっちゃうのかな」

 

 二人で戦うと言ってもそれぞれ対局するのではなく、ダブルスのように二対二での戦い。そうするように博士に言われた。

 

 果たしてそういう方式をチェスで取り入れるメリットが何処にあるのかは知らないが、まあ押し切られてしまったので仕方ない。

 

 こちらから押し切ることも出来たけど…怪我人が出そうだったから止めた。流石に三度に渡って博士に負傷させるのは忍びないのだ。

 

「私は一緒に戦えて嬉しいわ。もしノリアキさんが()()()()()ちゃっても、私がそのミスを拾えるもの」

「あはは、その時はよろしくね」

「もちろんよ…うふふ、ノリアキさんには私がいないとダメなんだからね…」

 

 ギンギツネの腕がまた僕を抱き寄せる。掛けられる力は段々と強くなって、そう、その…物理的にお腹が痛い。

 

「ギンギツネ…少し、力を緩めてくれるとありがたいんだけど…」

「ノリアキさん? 大丈夫よノリアキさん、どんなことがあっても私が付いてるから…!」

 

 わーい。話が通じない。最近少ないなーと思っていたらとうとう来ちゃった。もしかしなくても我慢させちゃってたのかな。

 

 …じゃあ、しばらくこのままで良いや。

 

「安心して、あの偉そうなフクロウ共だって()()コテンパンにしてあげるし、()()()()の野蛮な行動に困ったときは()()助けてあげる。うふふ、今日の晩御飯は何がいい? ()()とびっきりに美味しいのを作ってあげるわ。そうだ、疲れたのなら()()マッサージしてあげる。だって、()()いないとダメなんだもの…うふふ、お願い、いいでしょ? 私()()を――」

 

 ガシャンッ!

 

 駒が飛び散り、空中でぶつかり合うような音が聞こえる。

 

「…キタちゃん?」

 

 イヅナの呆然とした声が、キタキツネの名前を呼ぶ。

 

 一瞬、僕がギンギツネにされるがままであることに彼女が怒ったのではと考えた。

 

 しかしキタキツネの目はこちらではなく、イヅナに向けられている。そして彼女は振り向き、重く荒々しい足踏みで図書館へと向かう。

 

「イヅナ…キタキツネ、どうしちゃったの?」

「チェスをしてて…私が趣味でいじめてたら怒っちゃって…」

 

 ああ…まあ、この際だ。何の悪びれもない犯行報告も目を瞑ろう。それよか奇妙なのはキタキツネがイヅナの方に来ないことだ。

 

「…でも、どうしてあっちに?」

「えっとね、キタちゃんが博士を倒すんだって。そうして、自分が強いって証明するんだって」

「止めなくていいんじゃない? 挑戦回数は無限だそうだし、あの子も博士にやられてくれば、自分の無力さが分かるはずだわ♪」

 

 ギンギツネはキタキツネが負ける姿を想像し、楽しそうに尻尾を振る。

 

 イヅナも呆れながら駒を集めているだけだし…やっぱり、キタキツネを心配しているのは僕だけみたい。

 

 …キタキツネに限った話でもないのが、また僕の心労を増やすのだけど。

 

「辛いなら、私の毛皮の中で眠ると良いわよ」

「じゃあ、お言葉に甘えて…」

「あ、ギンちゃんズルい、私も!」

 

 そして僕は、白とも銀とも見分けがつかない毛皮の中で、少し早いお昼寝の海に沈むのだった。

 

 

 

「…キタちゃんだ」

「…んぇ?」

 

 イヅナの声で起きると確かに、キタキツネが戻って来ていた。

 

「あ、起こしちゃった。ごめんねノリくん、まだそんなに経ってないのに」

「ううん、大丈夫だよ」

 

 申し訳なさそうにするイヅナを撫でて、ついでに強請られたギンギツネの頭ももふもふ。

 

 しっかり起き上がって迎えると、キタキツネは複雑な表情を浮かべて、なんか流れで僕に抱き付いてきた。

 

 この顔を見るに、恐らく…

 

「さあ、キタキツネもこれで自分の実力が分かったでしょ?」

「キタキツネ…どうだったの?」

「ノリアキさん、気持ちは分かるけど結果なんて最初から…」

「えっと…勝っちゃった」

「…え?」

 

 キタキツネは後ろを指差す。

 

 そこには、明らかに落ち込んだ博士と助手が立ち尽くしている。

 

「え…本当に、勝ったの? 」

 

 予想外の結果を聞き、目に見えて狼狽するギンギツネ。

 キタキツネはそんな彼女に向けて、とびきりの笑顔と明るい声で再び宣言する。

 

「…勝っちゃった♪」

 

 



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Ⅴ-147 怖いなぞなぞ、これなんだ?

「…それで、謎はいつ来るのかしら?」

「永遠に来ないのです、こんな勝ち方認めないのです!」

「ええと、そう言われてもなぁ…」

 

 椅子の上にふんぞり返り、リスのように頬を膨らませて多大なる遺憾の意を表明する博士と助手。

 

 『チェスの強さランキングキョウシュウ調べ』では、彼女たちが暫定最下位だ。

 

 そんな彼女たちはいつかの約束を忘れ、僕達に再戦を強く求めている。大方キタキツネ一人に負けてしまったことが相当悔しいのだろう。

 

「それだけじゃないよ。だってノリくん、()()()()()()()()()()()?」

「あ…そっか」

 

 さっきまで僕はお昼寝をしていた。何故ならキタキツネが戻って来るまでの時間が暇だったからだ。その睡眠時間が短いということは即ち、試合時間も短かったということ。

 

 要はかなり迅速に、それはもうスピーディーに決着がついてしまったということだ。

 

 なるほど、それは不満に思う気持ちも分からなくはない。

 

 まあ博士たちの気分が良くないのなら、僕は再戦を行うことも悪いとは思わないよ。…僕はね。

 

「ダメ、せっかくボクが勝ったんだよ! 潔く次に進ませてよ!」

 

 しかし見ての通り、勝利した張本人であるキタキツネは博士たちの態度に強い憤りを覚えている。

 

 頑張って打ち立てた自分の功績が無くなりそうになっているのだからキタキツネは本気だ。そして困ったことに、僕はキタキツネの気持ちもよく分かる。

 

 折角クリアしたステージをゲーム機の気分でもう一回やらされたりしたら、僕だって堪ったものじゃないもの。

 

 

「しかし、これでは我々の威厳が…!」

「だから、ボクがとっても頑張ったっていうのに…!」

 

 

 話し合いと…そう呼ぶのも憚られる程の水掛け論の応酬だけど、何処かで終わりを作らなくては。

 

「ギンギツネ、何か良い案はない? なるべく…両方が納得できるような」

「あらあら、随分な無茶ぶりをしてくれるわね?」

「え!? いや、難しいんだったら無理にとは…」

「…うふふ、冗談よ。私に全部任せてちょうだい」

 

 イタズラ成功とばかりに微笑むギンギツネ。体を密着させて囁かれた言葉が、背筋を刺激するように撫で上げた。

 

 すっかり硬直してしまった僕に、横からイヅナの声が掛かる。

 

「あ、私も考えるよノリくんっ!」

「うん、ありがとう…っ!」

 

 イヅナに笑いかけようとしたらギンギツネの指が…あ、くすぐらないで…!?

 

「ギンちゃん…!?」

「ん? どうしたのかしら~?」

 

 睨みつけるイヅナの視線から逃げるように、体を揺らめかせて僕から離れたギンギツネ。クスクスと笑いながら、彼女の双眸も鋭くイヅナを見つめている。

 

 二つ目の戦いの予兆を感じ、僕は半ば大袈裟な身振りで二人の視線を引いて言った。

 

「と、とにかく、妥協案を考えてみようよ!」

「…そうね、そうしましょう。イヅナちゃんもそれで良いわよね?」

「…分かった」

 

 大戦乱の始まりを何とか回避して、僕は安堵に息を吐く。あとはキタキツネと博士たち。

 

 もう。どうしてこう、平和に出来ないのかな…?

 

 

 

「ところでその案なんだけど、大まかな形はもう頭の中に有るわ」

「流石はギンギツネ、我々に次ぐ賢さの持ち主なのです」

 

 ドヤ顔でそう言い放つ博士たちにも、ギンギツネは肩を竦めて軽く流す。

 

 ギンギツネは机の上に紙を広げ、鉛筆を取り出して何かを箇条書きで記し始める。

 

 多分だけど、その一つ一つが彼女の考えた妥協案なのだろう。それにしても、短時間でこの数の案を考え付くとは、やっぱりギンギツネの頭は普通じゃない。

 

 …あ、えっと、”普通じゃない”っていうのは別に悪い意味じゃないよ!

 

「色々あるね…あ、だけど、方向性はどれも大体同じなのかな」

「その通りよ。チェスの戦いで勝敗が決まらないなら、別の何かで判断すればいいの」

 

 流石のギンギツネ、目から鱗が落ちる名案だ。と思ったら博士はまだ難しい顔をしてるけど、どうせ説得できるでしょ。頑張れ。

 

「ですが、そうするとチェスは…」

「んー、まあ、第一関門突破って扱いで良いんじゃない? 博士たちがどうしてもチェスに拘るのなら、再戦以外に手は無いけど」

「…いえ、お前の言う通りにしましょう」

 

 若干脅しにも近いギンギツネの説得は功を奏し、程なく新テーマの試練を行う運びとなった。

 

 そりゃね、”キタキツネより強い三人を含めたチェスの再戦”と”他のジャンルでの再戦”とを選べって言われたらみんなはどうする?

 

 僕が思うに、余程のチェス好きじゃない限りほとんどの人が後者を選ぶだろうし…博士ぐらいの頑固者じゃなければ、最初の敗戦を素直に受け入れると思う。

 

 そんな何もかもが意地によって混線したこの状況も、間もなく紐解かれようとしている。

 

「うふふ、これで決まりね。じゃあ、私が挙げた候補から次のテーマを選んで。どうしてもやりたい他のことがあるなら、私はそれでも構わないわ」

 

 ギンギツネはそう言うと僕達に目配せをする。

 

「あ、僕はそれでいいよ」

「私もー」

「…ボクも」

 

 若干遅れてキタキツネの同意の声が響くと、ギンギツネは笑顔で頷いた。

 

「で、では、我々は奥で会議をしてくるのです」

「大人しく待っているのですよ…!」 

 

 斯くして全員がギンギツネの案に同意し、事態は上手く収まった。

 

「うふふ、流石でしょ? 撫でたり褒めたりしてくれてもいいのよ?」

「ありがとうギンギツネ、本当に助かったよ」

「…ふふ♡」

「ズルいよ、ボクは?」

「キタキツネは話をややこしくしただけじゃない」

「…むぐぐ」

 

 キタキツネは文句を零しながらそれでも自覚はあるのか、首を垂れて後ろに下がった。

 

「さあノリアキさん、またお昼寝でもしましょう?」

「あっ…そうしよっかな」

「あ、あー!」

 

 キタキツネの叫ぶ声と、イヅナの恨めしい視線と、それから庇うように顔を包んだ尻尾の温もりの中で…僕は意識を微睡ませ、また暖かな夢の世界へと溺れて行った。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 ノリアキさんが眠りに落ちてから数分後、私の予想通り、そんなに経たないうちに博士たちはこちらへ戻って来た。

 

「決まったのですが、これは…どういうことでしょうか?」

 

 博士は、私の膝を枕にして寝ているノリアキさんを一目見て困惑の表情を浮かべた。

 

 まさか眠ったまま出迎えられるなんて、夢にも思っていなかったでしょうね。うふふ。

 

「気にしないで、ノリアキさんの手を借りるまでもないから」

「憎たらしいほどの余裕ですね…まあ、いいでしょう」

 

 とはいえ博士はやっぱり賢い。私も、物分かりの良い子は嫌いじゃないわ。

 

「絶対ノリくんに触れてたいだけじゃん…!」

「どうしてギンギツネばっかり…!?」

 

 …あの二人も、もう少し大人しくなってくれれば助かるのに。

 

「それで、どれに決めたの?」

「我々は…”なぞなぞ対決”を所望するのです!」

「分かったわ、ルールは私が書いた通りで良いわね?」

「ええ、構いません」

 

 とまあこんな感じに、トントン拍子で話はまとまった。

 

 そしたら私たちはそれぞれチームごとに分かれて、作戦会議を始める。

 

 まあ、今更言うまでもないけど確認しておくわ。

 

 ノリアキさんと私、そしてついでのキタキツネとイヅナちゃんがチーム…ええと、キツネ。博士たち二人がチームフクロウ。

 

 そして話し合いが始まると同時に、イヅナちゃんから非難の声が飛んできた。

 

「ギンちゃん、私たちルール聞いてないんだけど」

 

 ノリアキさんを占有していることへの文句だと思ったら、結構まともなクレームだったわ。

 

 イヅナちゃんはノリアキさんが関わると途端にポンコツになるイメージだったけど、案外そうでもないのかしら。

 

「まあ、ごくシンプルよ。 互いになぞなぞを出し合って、先に相手が答えられないなぞなぞを出した方の勝ち」

「…そのルール、先攻が有利な気がする」

 

 すると、ノリアキさんに関係なく年中ダメダメなキタキツネからそんな指摘が飛んで来た。

 

 この子ったら、なまじゲームの知識が有るだけにこういう所で厄介なのよね。全くもう、もっとその生まれ持った要領と頭の悪さを貫き通してほしいわ。

 

「心配しなくても大丈夫よ、博士たちに先手は譲ってるから」

「な、何も大丈夫じゃないじゃん!」

「しー、大きな声を出さないで? ノリアキさんが起きちゃうわ」

「あ、ごめんなさい…」

 

 あら、案外素直なのね。やっぱり嫌いじゃないかも。

 

「でも、先手を譲っちゃったらダメだよ…?」

 

 …やっぱり嫌い。

 

「心配しなくても、そうしなきゃ終わらないわ」

「…終わらないって、どういうこと?」

「想像してみなさい。私たちが先手で博士たちを粉砕したとして、あの二人がそれで納得してくれると思う?」

「そ、それは…」

 

 言い淀むのはそういうこと。やっと分かったようね。

 

「ね、一度博士たちにも見せ場を作ってあげて、それから勝たないといけないの」

「…そっか」

「これで一つ賢くなったわね、キタキツネ。この調子なら、あと数十年もすれば()()私に追いつくのも不可能じゃないと思うわよ」

「…えへへ」

 

 適当に褒めてあげたら得意げなどや顔。全くちょろすぎるわね。これだからキタキツネは…

 

「…って、やっぱりバカにしてるじゃん!」

 

 …前言撤回よ、驚いたことにちょっとは勘がいいみたい。

 

 普段から「磁場を感じる」とか何とか言ってるものね。本当に感じてるのは電波なんじゃないかしらと私は時々思うけど。

 

 それもまあいいか。さて、博士たちが来るまでの間、ゆっくりじっくり楽しむとするわ。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「さて、戦いの時なのです。ですが…」

「…まだ寝ているのですか?」

「言ったでしょ、私だけで十分なの」

 

 言葉と共に手で適当な挑発のポーズを取ると、博士たちの額に分かりやすい青筋が立った。

 

「なるほど。その言葉、本気のようですね」

「では、存分に後悔するとよいのです」

 

 盤外戦術は私の思い通り。

 

 ちゃちな煽りなのに、皆おしなべて挑発に弱すぎるわ。こんな感じでちゃんと生きていけるのかしら。私みたいなのにコロッと騙されそうで心配になっちゃうわね。

 

「うふふ、ちゃんと出来る?」

「…お気遣いなく。早速行くのですよ、博士」

「分かっています。おほん、では始めます。『朝は四本足――」

 

「人間」

 

「…えっ?」

「聞こえなかったのかしら。『人間』…って答えたのよ?」

「…ええと」

 

 戸惑う博士の様子に私は静かな苛立ちを覚える。

 

 何よ、出題者としての心構えが一切なってないじゃない。

 

「早く教えて頂戴。正解なのか、そうじゃないのか」

「…正解、なのです」

「ギンギツネ、さっきの話と違うじゃん…!」

「ああ、それね。…ふふ、気が変わっちゃったのよ」

 

 よく考えてみれば、何が悲しくて私が博士たちのご機嫌取りなんてしなきゃいけないのかしら。

 

 そうよね、むしろ一問出させてあげたんだから感謝されるべきだわ。

 

「それで…今度は私の番よね?」

「え、ええ…その通りですね」

「なら早速…『四月になるとみんなで自殺してしまう宝石って、なーんだ?』」

 

 私の考えたなぞなぞ、博士たちに解けるかしらね?

 

「じ、自殺…!?」

「なんと禍々しいなぞなぞなのでしょう…!」

 

 わざとらしく慄いてみせる博士たち。

 

 そういうの良いから、早いところ答えを出してくれないかしら。もしくは…降参でもいいけど。

 

「ギンちゃん、本当に大丈夫なの?」

「問題ないわ、だってこれは()()考えたなぞなぞだもの」

「そう言われても…納得できないな」

 

 ふむ、どうしてかしら?

 

 私はしっかり考えて、博士たちはそうじゃなくて、だから…ああ、そっか。イヅナちゃんは知らなかったのね、博士たちのなぞなぞ。

 

「博士たちの出したアレね、昔のお話に出てくる有名なものなのよ」

「…へぇ、初耳」

「きっと知識で押し切ろうとしたのね。だから初見の問題には対応できないはず…ほら」

 

 私が指さした先には頭を抱えて悩む二人の姿。

 

 そして私は確信した。アレは正解への糸を手繰る悩み方じゃない。手掛かりが何も見つからない時の姿だ。

 

 …勝った。

 

「早く諦めた方が身のためじゃないかしら?」

「いえ、まだなのです。我々はこんな負け方納得しないのです!」

 

 恐れていた通りになっちゃったわね。私が方針を変えたから? いえ、この様子を見る限りでは最初からごねるつもりだったようね。

 

 なら私にも考えがあるわ。私は何もしない。

 

 ただこのまま椅子に座って、この先の様子を眺めているだけよ。

 

 問題ないわ、すぐに駒は動き出すもの。

 

「ねぇ、そんなのおかしいよ…!」

「自分が呼び付けたんだから、進行ぐらいはちゃんとしてよね!」

 

 臨戦態勢のイヅナちゃんとキタキツネに威嚇された博士たちは身を細め、縋るように私へ視線を送る。

 

 うふふ、残念でした。

 

「あら大変! でも、あぁ…私はノリアキさんの様子を見ていなくちゃいけないわ。()()()()()()()、私にはどうすることも出来なさそうね…悲しいわ」

「ギンギツネ…っ!?」

 

 さあ、早く選びなさい。

 

 心優しいノリアキさんと違って、私はあなた達が細切れにされたとしても何も思わないの。

 

「わ、分かったのです。オイナリサマの用意した『謎』は、お前たちにちゃんと渡すのです」

「…そう、それすら自分で作らなかったのね」

「出来ることなら…作っていましたよ」

 

 こうして私は、誰一人血も涙も流すことなく事態を収拾させた。

 

 流石私ね。ここまでの働きをしたんだから、向こう数日はノリアキさんを独り占めする権利があるはずなのに…現実は悲しいわね。

 

 

「ところでギンギツネ、さっきの答えは何?」

「『真珠』よ。理由は自分で考えなさいな、その方が賢くなれるわ」

「…博士たちよりも?」

 

 キタキツネも賢さが好き? 私が羨ましくなったのかしら?

 

 暴れ盛りのこの子が賢くなりたいのなら、ノリアキさんの為にも手を貸すことは吝かじゃないわね。

 

「もちろんよ。 さあ、一旦帰りましょ」

「あ、それなんだけど…」

「…どうしたの?」

「ノリくんが起きないと、私たち帰れないかも」

 

 考えてみればそうね、私たち二人は飛べないもの。

 

「……起きるまで、本でも読んで待ちましょうか」

 

 ならばせめてもう少し、独占したっていいはずよ。

 

「ギンギツネ、ズルい…!」

「じゃあキタキツネは、ノリアキさんを叩き起こすのかしら?」

 

 楽しいわね、論理的に相手を言い包めるのは。

 

「う……ってそうじゃなくて、ギンギツネがそこを退けば…!」

「膝から降ろした拍子に起しちゃうかもしれないわよ?」

「もう、ああ言えばこう言う…!」

 

 

 一人を巡っていがみ合い、一つ間違えば流血沙汰に。

 

 でも私、今の関係性がとっても楽しいの。

 

 あの時、最初にノリアキさんを巡って対立した時…初めてこの子と、本音で対峙できたような気がしたから。

 

 勿論、一番はノリアキさんだけど…ね。

 

 



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Ⅴ-148 戻ってくるのはいつもこの場所

「…それで、手に入れたのがこの地図と」

 

 宿のテーブルいっぱいに『宝の地図』とやらを広げ、僕はそれを眺める。

 

 本当ならワクワクした気持ちが溢れてくるんだろうけど、起きたらすべてが終わっていた衝撃で僕の心の中は白けた気持ちが強い。

 

 あはは、なんなんだろう。

 

「確かにちゃんとした謎みたいだけど…はあ、自分で手に入れたかったな」

 

 地図を緩慢と眺めて、そんな風にふと呟くと、横から並々ならぬ緊張に震えた声が聞こえて来た。

 

「あ…そんな…!?」

 

 …ギンギツネだ。明らかに酷く狼狽している。

 

「ご、ごめんなさいっ! ノリアキさんに、そこまで思い入れがあるとは気付かなくて…それで私、なんとか負担を減らそうと頑張ったんだけど…いえ、こんな言い訳…あはは、私ったら…!」

「…大丈夫、気にしないで」

 

 大体もう終わったことだ、気にせず解く方に集中するとしよう。

 

 これ以上ギンギツネに考えさせたら、文字通り気が狂ってしまいそうだもの。

 

「あ、ありがとうね…! そうだ、私、少し頭を冷やしてくるわ…雪の中で…ふふふ…!」

 

 まだ明瞭ではない言葉を聞いて、”飛び込んで頭を突っ込んだりするのかな”とか茶化して考えながら、僕は黙ってギンギツネを見送った。

 

 今のギンギツネは本当に錯乱が過ぎるから、これでゆっくり落ち着いてくれると良いな。

 

「ノリくんノリくん! ギンちゃんが戻ってくるまでにこれ解いちゃおうよ!」

 

 だけどどうやら、僕はのんびり出来ないみたいだね。

 

「出来るのかな、全然取っ掛かりも見つかってないのに」

「それはこれから見つけるの!」

 

 なるほど、確かにその通りだ。

 

 横にいるキタキツネも割とやる気の様子。

 

「ボクだって、ギンギツネだけには絶対負けないよ!」

 

 いつも通り、ギンギツネへと向ける敵意がかなり強い。

 

「分かった、じゃあ試しにやってみよっか」

 

 こうして僕たち三人は、ブレインとも呼べるギンギツネを抜きにして宝の地図の解読を始めた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 地図と対峙した僕達が真っ先に行った作業は、地図に描かれている大まかな範囲の特定を行うことだった。

 

 地図の拡大率はどれほどか、この地図から得られる情報量は如何ほどか。

 

 それに大体の当たりを付けなければ、推理を始めることは叶わないと考えた。

 

「じゃあ初めに、周りの地形を確認してみよう」

 

 紙の端っこを指でなぞって、どんなものが有るか見て確かめていく。

 

 そしてそこに有ったのは、陸、陸、陸…海は何処にも見当たらない。

 

「そういうことね…」

「え、イヅナちゃん何か分かったの?」

「…キタちゃんも自分で考えてよ」

「ごめん、今ゲームで忙しいから…!」

 

 「ギンギツネには絶対負けない」と語ったのは果たしてどこの誰だったのか。まあ”騙った”と言うのなら、僕も十分納得するよ。

 

「あ、じゃあ解けたら教えて?」

 

 珍しく活気があるなとは感じたけど、やっぱりキタキツネはキタキツネだ。

 

 寄りかかって来た彼女の頭を撫でて、僕は謎解きに意識を戻した。

 

「この限りだと、地図の倍率は高そうだね」

「そうだね、島の内部…結構細かい所までズームしてるんだと思う」

 

 海岸が見えれば方角などから地方を特定することも出来たけど、これならこれで好都合。

 

 地図に描かれている模様が細かい地形の表現だと分かれば、これを手掛かりに詰めていくことも十分可能だからだ。

 

 そうだね…今から研究所に行ってデータベースの地図と照らし合わせてみれば、真実は一瞬のうちに明らかになるに違いない。

 

「ううん、それはやだ! 私は、私たちの力でこれを解きたい…!」

 

 そんな僕の合理的で論理的な方策は、イヅナの気持ちによって簡単に打ち崩される。

 

 ギンギツネなら賛成してくれたのかなと、ここにいない彼女のことを考えていたら、イヅナの手が僕の腿をつねった。

 

 

 

「地図の読み方は大体分かったね。次は…どうしようか」

「まだまだ序盤だし、大きな謎を見ていこうよ」

「となると、この暗号文を解くのがいいかな」

 

 地図の右上、方角を表すコンパスの下。

 

 そこには、おどろおどろしい赤文字で詩的な文言がつらつらと綴られている。

 

『気づいた時には既に目の前 逃げ場も行き先も他には無くなる

きっとあなたも気に入るはずだ 戻ってくるのはいつもこの場所』

 

 これが一段落目。

 

 これより先にも書かれてはいるんだけれど、この段落の文章よりどんどん抽象的になっていくからぶっちゃけ訳が分からない。

 

 最初から追っていかなければ分からないのだろうか?

 

「とは言っても、最初も十分抽象的なんだよね」

「それでも救いがある方じゃない? 私はこの文、何となく分かる気がするんだ」

 

 それは所謂、シンパシーと言う奴なのではなかろうか。

 

 普通のフレンズの範疇に収まらない境遇、そして力。

 

 よく似た真っ白な毛色に常軌を逸した執着心。…僕が指摘するのも野暮かもね、快いと感じているのだから。

 

「逃げ場も行き先も…か」

 

 確かにそっくりだ、イヅナもオイナリサマも。その力を以て逃げ場を全て奪い去り、想いの先を袋小路に収めてしまった。

 

 そしてそれも…()()()()()()だと。

 

「理解できない話じゃないね、暗号を解くカギにはならなさそうだけど」

「むー、やっぱりそっかぁ…」

 

 物は試しと縦書きとかの可能性も探ってみたけれど違う。

 

「最初に感じた通り、この不思議な文章から意味を汲み取るしかなさそうだね…」 

 

 

『神様はそこにいる 信じる限り救われる だから信じて 貴女の神様を 例えそれが私でなくとも』

 

 

 一番下にある言葉もやっぱり意味が分からない。けど何故か、心を惹かれる。

 

「ノリくん、一旦前の段階に戻ってみない? この文章と合わせれば、地図が何処を描いてるのか分かるかもだよ」

「…じゃあ、そうしよっか」

 

 

 そういえば…『貴女』って誰だろう。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「間違いない…雪山だよ、ここの地図だよ!」

「あ…本当だ…!」

 

 最初のステップに立ち返り地形から地域を割り出そうとした僕達は、案外早くに結論まで辿り着くことが出来た。

 

 ひとえにこれはイヅナの記憶力と、長い間ここに住んでいた経験のお陰に違いない。

 

 僕が分からなかったのはそう…みんなに縛られて、ほとんど外出が出来なかったからだよ。決して記憶力が悪いわけじゃないんだ。

 

「それしても舐められたものだね! オイナリサマったら、私たちがこれに気づかないとでも思ったの?」

「まあまあ、きっと本番はこれからなんだよ」

「…そうだよね」

 

 僕達はまた揃って地図を覗き込んだ。

 

 僕が本番はこれからだと言ったのは、単にイヅナを宥めたかったからじゃない。

 

 本当に、地図の範囲が分かっただけではどうしようもない謎だからだ。

 

「今度こそ、暗号文の出番だよね」

 

 この地図、地形や建物については事細かに、一蹴回って奇妙なほど丁寧に描写されている。

 

 しかし宝の地図に無くてはならないあの…宝の在り処を表す『×マーク』が、何処を探しても存在しないのである。

 

 わざわざこの形式にした意味とは? 思わずそう尋ねたくなるような謎を携えて、コレはテーブルの面積全てを占拠している。

 

「よし、次…読んでみよっか」

 

 次に読むのは二段落目。

 

 

『暖かいそれに浸かって幸せ だけど気を付けて もしかしたら 痺れちゃうかもしれないから』

 

 

 やっぱり詩的で曖昧で、それでいてこの文を書いた人物の考え方が明確に表れている。

 

 オイナリサマのセンスに舌を巻きながら、僕がすべきことはこれではないと思い直す。

 

「一応…次も読んでみようか」

 

 そして三段落目。この赤文字の文章は全部で四段落だから、これで最後のを読むことになる。

 

 我ながら、変な辿り方しちゃったのかも。

 

 

『大切な物を失くさぬように 失くしたのならば気づけるように 気付いたならば取り返すの 他の何を犠牲にしてでも』

 

 

 …全部真面目に読んでみて分かった。

 

 この文、段落ごとの繋がりがほとんど感じられない。詩にしても関連が薄くて…こういうの、何と呼ぶんだろう?

 

 いや…どうでもいいか。

 

 一つ一つに読み解けば良いと分かっただけ、ちゃんと進歩はしているんだから。

 

「…どうやって抜き出そうかな」

 

 『一つ一つ』とは簡単に言うけど、その範囲はしっかり考えなくちゃいけない。

 

 段落全てをまとめてなのか、重要なワードだけを取り上げて考察するのか。僕は今のところ後者だと踏んでいるけど。

 

「私は多分ね、最後のまとまりは大した意味がないと思うの」

「そうだね…関係あるのは前の三つかな」

 

 よし、細かなワードに注目して解いてみよう。

 

 これが雪山の地図だと分かった今、身の回り情報と結びつけながら読み下すことも出来るはず。

 

「”戻って来る場所”…”暖かいそれ”…”痺れちゃう”…”大切な物”…”取り返す”…」

 

 頭に引っ掛かる言葉を横のメモ帳に書き出す。

 

 先の二つは意味を考え易そうだ。前提を加味すればコレはそれぞれ、『宿』と『温泉』を意味しているのだと思う。

 

 わざわざ暖かい()()と呼んでいるのは、特定を遅らせるためだろうか。

 

「痺れるって何だろう…電気だとしたら、温泉で感電…?」

「あれじゃない? 心にビリビリって来るあれ…そう、恋だよ! 温泉…恋…ハッ!?」

「…次に行こっか」

 

 後の二つは特に曖昧な表現だ。

 

 大切な物と言われても一体全体何を表すかは分からないし、分からなければ取り戻しようもない。

 

「あー、また詰まっちゃったかなぁ…」

 

 宝…宝って何だろう?

 

 そもそも手に入れてないんだから取り戻すも何もないじゃないか。

 

「私も、頭がこんがらがっちゃってるよ…」

「…そうだね、少し休憩しよっか。休んだら、何か良いアイデアを思いつくかも」

 

 

 ついでに、ギンギツネの様子も確かめに行くことにした。

 

 ある程度は時間が経っているし、多少は落ち着きを取り戻してくれているとありがたいけど。

 

「ギンギツネ、調子はどう…って、あれ、ギンギツネ?」

 

 部屋の中に姿は見当たらない。外に繋がる襖が開いているから、去り際の言葉通り体を冷やしに行ったのかも。

 

 そこから体を出すと、すぐ近くに温泉が見えた。

 

 本当なら真っ先に確かめるべき場所ではないのだけれど、僕は何となくそっちの方に足を運んだ。

 

 もしかしたら僕も、キタキツネの言うところの『磁場』というものを感じたのかも…と後になって思った。

 

「…ここにいたんだね」

「あ…ノリアキさん…」

 

 意外や意外。ギンギツネは上の毛皮を脱いでシャツ姿になり、両腕を浴槽の中に浸している。

 

 …よく見たら温泉は空っぽで、腕は積まれた雪の中に突っ込まれている。

 

「お湯…入ってないの?」

「そうなのよ…多分、電気が止まっちゃってるのよね~」

「そっか…それで、なんでその姿勢?」

「楽なのよ…ふぅ、そろそろ落ち着けたかしら」

 

 起き上がって大きく伸びたギンギツネはこちらへと腕を伸ばす。

 

 彼女を抱き寄せてあげると、雪でよく冷えた腕が気持ちよかった。

 

「それで、謎は解けたのかしら?」

「いやー、それが詰まっちゃっててね…」

「なら私の出番ね、大船に乗ったつもりで任せて頂戴!」

 

 頬を掻きながらそう答えたら、ギンギツネは目を輝かせてそう言った。

 

「ううん…ちょっと、山の上の方に行ってこようかな。謎解きがいつまで掛かるか分からないし、電気は明るいうちに復旧した方が良いと思うから」

「そう…じゃあ、行ってらっしゃい♡」

 

 ギンギツネは頬にキスををして、僕を山頂の方へ押し出し押し切り進めていこうとする。

 

「え、でもイヅナにも伝えないと…」

「私がちゃんと言っておくわ、だから早く! 明るいうちの方が良いんでしょ?」

「そうだけど…わ、分かったよ。行ってきます」

 

 相も変わらず論理的に話の通じなさそうなギンギツネの説得は諦めて、僕は上の方の電力装置へ向かうことにした。

 

 こうなったら早く終わらせて全速力で戻って来よう。ギンギツネには煽り癖があるからとても心配だ。

 

 最近は割と慣れてきたけど、流石に怒ったイヅナと煽り立てるギンギツネを同時には相手取れない。

 

「吹雪は…吹かなさそうだね…」

 

 

 こうして…帰って来る場所(宿)から失われた大切なもの(電気)を取り戻すため、僕は空へと足を踏み出した。

 

 ただ、僕がこの答えに思い至ったのも、全てが終わった後の話である。

 

 



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Ⅴ-149 神様のお遊戯

 じめっと湿った空気の部屋に、有象無象が犇いている。

 

 生きてはいるが活気を持たず、ただただ怠惰に呼吸をしている。

 

 そして、確かに牢の中にいる彼女はまるで人形のように倒れ臥し、その生気亡き姿は私に彼女は本当は死んでしまっているのではないかと錯覚させる。

 

「…ぇ、オイナリサマ?」

「よかった、ちゃんと生きていたんですね」

 

 この時私は本当に安堵し、同時に彼女のゴキブリの如きしぶとさに強く感謝の念を覚えた。

 

 ああ、本当に良かった。

 

 もしあのまま死なれていたら、秘密裏に処理しなければならない粗大ゴミが増えてしまうところだったから。

 

「ところで調子はどうですか?」

「そんなの…けほっ…良い訳が、ないじゃないですか…」

「ふふ、それもそうですね」

 

 確かにここは酷い場所。

 

 元から相当に劣悪な環境だったけど、最近やった実験のせいで死に切れないセルリアンの残骸が散らばったりして、今では更に悲惨だ。

 

 結局自分で閉じ込めたのだけど、よくこんな場所で生きていけるなぁとは思っている。

 

 そもそも生きていなければ困るのだから、近いうちに十分な環境を…おっとっと、これからすることを考えればそれは必要ありませんね。

 

 大体、快適な暮らしをさせることも私にとっては不愉快極まりないのです。

 

 私の許可なく神依さんと知り合い、あまつさえ手を出したコイツだけは…

 

「さて、もう反省しましたか? 私に謝りたくなりましたか?」

「どうしてですか、わたしはただ…」

「…まだ口答えするんですね」

「うっ!?」

 

 煮っ転がし…じゃなくて寝っ転がした彼女の腹を()()()力で踏みつける。

 

 いけませんね、今日のお昼に作る予定のおかずの名前が出てきてしまいました。

 

「いい加減に理解できませんか…? 私は、あなたが神依さんに手を出したことが許せないんですよ…!」

「かはっ…だから、わたしは…わたしは…!?」

 

 突如として目を見開き、頭を抱えて呻きだしたホッキョクギツネ。…あ、決して私が頭を踏んずけているのではないですよ?

 

「あらあら、苦しそうですね…もしかして、()()()()が…?」

「や、やめてくださいッ! その名前を…出さないでください…!」

 

 神依さんの名前を口にした途端に取り乱す彼女。今日も完璧な反応だ。

 

「うふふふ…! えぇ、貴女がそう言うのでしたらそうしましょう…!」

 

 よし、大丈夫。問題ない…全て、計画通りに進んでいる。

 

 彼らに謎を送るいう形でお膳立てをすることも、無意識下に働きかけてホッキョクギツネに神依さんへの嫌悪感を植え付けることも、私の思い通りの結果を生んでいる。

 

 もうすぐ仕上げだ。

 

 ホッキョクギツネをあの場所に押し付け、私は神依さんの心を完全に手中に収める。

 

 …とはいえ、飽くまで最優先は身柄の押し付け。

 

 そのためにこれから、彼女に最後の()()()()を行うことになっている。

 

「そうだ、お腹は空いていませんか? 今日は()()()()()ので、少し奮発して持って来てあげましょう」

「え…本当ですか…!?」

 

 食べ物と聞いて、先程までの恐慌も何もかもを失って希望の表情を見せたホッキョクギツネ。

 

 隅々までが私の思う儘で、自分の力が恐ろしくなってしまう。

 

「ええ、()()()()()()()()()()()()

 

 壮大な飴と鞭の片割れ。私が用意した、極上の飴玉を彼女の口に放り込んであげましょう。

 

 脳みそが侵されてしまうほど、甘い甘い飴玉を。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「~♪」

「やけにご機嫌だな、良いことでもあったのか…?」

 

 鼻歌を歌いながら歩いていると、偶然すれ違った神依さんにそう声を掛けられた。

 

 結構探し…おほん、本当にタイミングの良い偶然ですね!

 

「うふふ、分かりますか?」

「そりゃ、スキップまでしてるからな」

 

 苦笑交じりの表情を浮かべた神依さん。

 

 私が彼の腕を抱いて優しく引き寄せると、彼の口角は穏やかに緩んだ。

 

「でも、ごめんなさいね? 最近、一緒にいる時間があまり取れていなくて」

「あー、まあ、そうかもな…?」

「今やっていることが終われば、神依さんとずっと一緒にいられます! 今度こそ私たちだけの、何の邪魔も入らない世界で…!」

「お、おい、くっつきすぎだって…!?」

 

 まあ、いけません。つい興奮しすぎてしまいました。でもそれも当然です。それくらい、私の思い描いている未来とは素晴らしいモノなんです。

 

 しかし今それを力説しても、きっと神依さんの心には届かないのでしょう。

 

 私は先走ってしまったことを詫び、彼を少し早いお昼ご飯に誘った。

 

「朝は早かったですし、私は少し長くかかる作業の予定があります。ですから…」

「分かった、そうしようか」

「うふふ、すぐに用意しますね」

 

 数日前からレシピを考え、幾度にも渡る試作を経て一つの完成形に至った煮っ転がし。神依さんも満足してくれたようで何より。

 

 レパートリーに新しく加わった料理で神依さんの胃袋を掴むことに成功した私の気分はまさに天にも昇る心地で、これなら今日の午後全てを使ってする予定の酷くつまらない調教も、存外楽しく終わらせられそうに感じた。

 

 

 食器を片付け終えた私が次に向かったのは自分の部屋で、そこには倉庫と同じく幾つもの秘密の品物が置いてある。

 

 ここに保管しているのは倉庫の物よりも比較的小さく持ち運びが楽で、そして閉じ込めておくより自分自身の手元で管理した方が良いと判断したものだ。

 

 とはいえ守りは厳重で、それらは全て施錠の術で堅く閉じられた扉の先の亜空間の中に入っている。

 

 昔から開けられるような同居人もいなかったし、今も神依さん以外に手出し出来る人はいないのだけど、それでも念には念を入れている。

 

 好きな人だからこそ見せたくないモノだって、そう少なくはないのだから。

 

「確かこの辺りに…あっ、倒れちゃ…わわっ!?」

 

 …その割に私、扱い方が雑なのは何なのでしょう?

 

 ああ、それは安全ピンが取れると爆発してしまうサンドスター爆弾ですよ。そっちはミニカー…ならいいでしょう。

 

「むむ…あ、これですねっ!」

 

 数分に渡るゴミ溜めとの格闘の後に、私の手には瓶詰めにされた虹色の液体があった。

 

 そういえばコレも割れ物ですね、今度この中はきちんと整理しておきましょう。そう、今度にちゃんとね。

 

「ラベルを確めて…よし、間違いありませんね」

 

 瓶を揺らすと一緒に揺らめく虹色の水面はとても綺麗で、思わずコレを飲み干したくなる衝動に駆られる。

 

 けど我慢。コレは今から使うものだし、それにあまり体に良い物でもないから。

 

「これで、より確実になりますね」

 

 頭の中に確実な成功のビジョンを思い描き、私はまた忌まわしき彼女のいる倉庫へと向かう。

 

 さあ、お説教のお時間ですよ。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 倉庫に戻ると、ホッキョクギツネは朝見たのと同じような姿で虚ろに寝転んでいた。

 

 娯楽も快適さもないこの場所では、それが最上の過ごし方なのでしょう。

 

「まあ、私には理解しがたいですけどね」

「…出来る訳、ないでしょう」

 

 私の言葉に耳を立て、歯ぎしりをしながらホッキョクギツネは身を起こした。

 

 その声には珍しく、強い怒りの感情が籠っているように聞こえる。

 

「どうしたんですか? 私、何かしたでしょうか…」

「…食べ物」

「…あっ!」

 

 そういえば、そんな約束もしていたような気がします。神依さんとのお昼ご飯に夢中で忘れていましたが。

 

「嘘はつかないって言ってましたよね…」

「ええ、嘘はつきません。ですが、神様とて間違いはあるものです」

 

 かみさまはウソつきではないのです、まちがいをするだけなのです。 

 

「…っ!」

「まあまあ、そんな顔しないで…とりあえずこれでも飲んでください、美味しいですよ?」

 

 そう言って彼女に差し出したのはそう、件の虹色ジュース。

 

 極彩色に輝く液体を見て彼女は一瞬顔をしかめたものの、口答えすることなく瓶を受け取った。貴女も成長しましたね、偉いです。

 

「…本当に、飲めるんですよね」

「保証しますよ」

「では……っ!?」

 

 瓶を上向きに呷り、口に虹色の液体が一滴…そう、たった一滴流れ込んだ瞬間、彼女の体はビクンと跳ねて、彼女は恐る恐る口から瓶を離した。

 

「こ、これ…ふふ、おいしいですね…!」

「そうでしょう、全て飲んでしまって構いませんよ」

「そうだった、まだこんなにたくさん…ふぇへへ…!」

 

 齧りつくように瓶の口を咥え、目を見開いて狂気的な表情で一気に飲み干すホッキョクギツネ。その姿を見て私は確信し、呟いた。

 

「これで、掴みはバッチリですね」

 

 彼女に渡した虹色の液体の正体。

 

 それは何のことは無い、単なる美味しい水だ。単純に美味しいだけだし、その分気が狂ってしまうくらいの味なんだけど、結局はただの水。

 

 場合によってはそれ無しでは生きていけなくなったり、それを手に入れるために他のフレンズを傷つけてしまったりすることもあるけれど……まあ、その理由もこの水が美味しすぎる所為なだけで、特に他の作用はない。

 

 私も最近一口飲んでみたんだけど、ただ普通に美味しいだけで面白みは無かった。

 

 やっぱり、神依さんの方がもっとずっと素敵な味。

 

 

 栓を抜いたバスタブの如き勢いで無くなっていく虹の水。あっという間にそれを飲み干したホッキョクギツネは、案の定おかわりを求めた。

 

 私はそれを抑え、交換条件を提示する。

 

「そんなに気に入ったというのならお渡しすることも吝かではありません。その代わりと言っては何ですが、私のお話を聞いてくれませんか?」

「はい、アレがまた飲めるなら…!」

「うふふ、よかった。じゃあ、()()()()()()()

 

 自らに敵意を持っている相手に、自分の考えを理解してもらうことはとても難しい。

 

 私は彼女を痛めつけて極限状態に置くなどの工夫を凝らしてなんとかやって来たが、やはり本能的な部分に訴えかけるのが精一杯だった。

 

 ならば、他のアプローチで話を聞いてもらう他に無い。

 

 例えばそう…病みつきになるほど美味しい飴を与え、それを渡す条件として鞭を振るえば、彼らは快くそれを受け入れるだろう。

 

 そして行く行くは、自らを傷つける鞭すらも飴の一部として認識してしまうかもしれない。

 

 とはいえそれは今回の場合重要ではなく…大事なのは、好意的に感じている相手の話はよく聞くということ。

 

 病みつきになってしまうほど美味しい『虹色の水()』を与えてくれるオイナリサマ(唯一の存在)

 

 …どうして、嫌いになんてなれますか?

 

 まあ、これは飽くまでなりふり構わない場合の手段。

 

 実態は水に依存しているだけだから私が美しく思えるはずもなく、しかし彼女のような薄汚い泥棒ギツネにはこれ以上ないほどお似合いだ。

 

「うぇ…っぷ…へへへ…!」

 

 そして、すべきことは終わった。

 

 彼女を眠らせ、特殊な解毒薬を使って虹色の水の効果を全て取り去った。

 

 次に目が覚めた時、彼女は無意識の中に私にとって都合の良い思想を固持した存在となる。

 

 あとは死なないように十分な装備を与えて、あの場所に置いておくだけだ。

 

 …ほんの少しのアクセントを添えて。

 

 

「こんな回りくどいゴミの処分も、もうすぐ終わってしまうのですね。そう考えるととても…爽快な気分です」

 

 でも、本当はもっといい方法があった。

 

 全て効率的に、あの子のように論理的に片付けていくのならば、私にはそれを行う能力もあった。

 

 じゃあ、どうして?

 

 分かり切っている。コイツが憎いからだ。

 

 例え殺してしまったとしても許せない。だから、全てを歪ませて生き永らえさせてやるのだ。

 

 繕いの言葉なんていらない。これは私怨だ。コイツ以外に行き場を失った憎しみだ。

 

 ごめんなさい、神依さん。例え真逆のベクトルを持った感情だとしても、この身を焦がすほどの強い想いを…本当は貴方以外に向けてはいけないというのに。

 

 だけどこれさえ終われば、また貴方の為だけに生きていけます。

 

 だから、もう少し待っていてくださいね。

 

「ふう…短いようで、長かったですね」

 

 謎は作った。すごろくの盤面も用意した。駒もこれから、置きに行く。

 

 神はサイコロを投げない。

 

 全て計算通りに、私によって選ばれた数字の通りに駒は進んでいく。

 

 

「…ゴールまで、残りは1マス」

 

 

 いつの間にか床に転がっていたサイコロを、私は一の目で置き直した。

 

 



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Ⅴ-150 在り得なかった筈の邂逅

「よい、しょっと…! これで復旧は出来たかな」

 

 電源装置の操作を一通りこなし、通電を示すランプが点灯したことを確認して、一仕事を終えた僕は深くため息をついた。

 

 そして早く戻ろうと足を踏み出したものの、続く二の足が動かない。

 

 存外に早く動き始めた電源装置を眺めて、ジャパリフォンを見て発ってからそれほど経っていないことを確かめて、横の長椅子に腰掛ける。

 

「久しぶりかもね、一人になれる時間は」

 

 いつだも何かにつけてあの三人のうちの誰かが隣にいたし、まだ記憶に新しいテレポート旅行も愉快な同行者がいたおかげで休める時間は長くなかった。

 

 常に孤独になることが出来ない時間を、むしろ息苦しく感じたことも少なくない。

 

 そうだ、もう少しだけここにいよう。

 

 時刻を確かめた限りではまだここにいても問題はない。ギンギツネのことは心配だけど、わざわざ様子を見に帰るほどでもない。

 

 もしイヅナとかが迎えに来るのなら、それだって落ち着いて待っていればいいだけの話だ。

 

「あはは。ちょっと寒いけど、素敵な時間じゃないか」

 

 毛皮に包まれて感じられなかった寒さを全身に受けて、僕は少し辺りを見て回ることにした。

 

 丘の上の方から見た雪原はどうしてだろう、ずっと住んでいた場所の景色のはずなのに何処までも新鮮な眺めだ。

 

 

「まあ新鮮って言っても、慣れればただの真っ白なんだけど」

 

 今日の雪原はとても穏やかな天気、空は青く澄み渡り向こうの地平線もハッキリと目にすることが出来る。

 

 それでも環境が急変しやすいのが雪山であるのだけど、まあ何とかなるだろうと僕は楽観していた。

 

 何かあってもイヅナたちが助けに来てくれる。

 

 彼女たちに尋常でない心労を掛け、あわや突発的な惨事すら引き起こしかねない危険な考えを、この時の僕はごく普通に抱いていた。

 

 …いつかのセルリアン事件は忘れてしまったのだろうか?

 

「真っ白だね…埋まっちゃったら、分かんなくなるのかな?」

 

 手の平で雪を掬えば、その白色に触発されて頭の中に様々な連想が浮かんで来る。

 

 イヅナの毛の色、そして哀れにも塗り替えられてしまった僕の色。

 

 記憶に新しいものを思い出せばオイナリサマにそして……()()()()()()()()

 

 彼女を襲った出来事については、僕も神依君も詳細は分からない。知っているのはホッキョクギツネと、彼女を甚振ったオイナリサマ本人だけだ。

 

「どう、なっちゃったんだろう…?」

 

 思い起こす度に、淡い後悔が記憶の中を駆け巡る。

 

 どんな形か知る由も無い結末を避けるための方法を考えてしまう。

 

 

「どうしようも無いよ、無かったよ…分かってるよ」

 

 

 仮に僕がホッキョクギツネと近づいて仲良くなったとしよう。そして彼女を神依君と引き離せば、今回のような事件にはならなかったかもしれない。

 

 その代わりに…イヅナたちが黙っていない。

 

 努力も虚しく、ホッキョクギツネに危害を加えた白いシルエットがオイナリサマからイヅナに変わっていただけかもしれない。

 

 何よりあの時の僕らには、オイナリサマが神依君に執着すると予想することなど出来なかった。

 

 だから、無用な危険を冒してまで僕が彼女に近づく理由なんて無かったのだ。

 

 

「だから…もうやめようよ…!?」

 

 

 普段ならここで折れて、考えることをやめている。

 

 けど今は不思議な気分だ。違う空間にいるせいかもしれない、無意味な続きを考え始めた。

 

 

 …じゃあ、僕がホッキョクギツネを匿って宿に迎え入れたなら?

 

 あはは、真っ先に思いついたのがそれか。最悪のパターンじゃないか。

 

 僕が強弁して押し切れば、ホッキョクギツネをここに住まわせるよう取り計らうことは不可能ではない…いや、必ず可能に出来る。

 

 その行動が何を意味するか、何をもたらすか考えることもまた僕には出来る。

 

 全てが終わる。

 

 一瞬にではなくじわじわと訪れる、決して切ることの出来ない破滅へのスイッチが押されてしまう。

 

 僕が彼女を引き入れれば、その立ち位置は三人と全く異なるものとなる。僕が()()()受け入れたホッキョクギツネと、向こうから迫って来た三人では。

 

 ああ、恐ろしい。みんな死んでしまう。

 

 死ぬのはいけない。何があろうと、命を落としてはいけない。

 

「だから、僕には何も出来なかった…」

 

 昔から分かっていた結論に今日も辿り着いて、僕は未だ明確に判明していない彼女の生死に心を痛める。

 

 違う、ホッキョクギツネだからじゃない。誰であろうと死んでしまうのは怖いんだ。

 

 頭に焼き付いた自分のものではない記憶が…悪夢が…

 

「でも、忘れちゃいけない…!」

 

 僕は分かっている。この記憶の必要性を。

 

 『死』という概念を過度に忌避し続ける僕の妄執の重要性を。

 

 だって、この想いが――!

 

「…ん?」

 

 ふと視界の端に映った気のした、”何か”の方を振り返る。

 

 何もない、ただの雪原。

 

「でも、確かにいたような…」

 

 僕の意識は完全にそっちへと向いた。

 

 見逃してしまった”それ”を確実に見ないといけないような、そんな気がして、僕は十分すぎるほど潰した時間のことも忘れてその影を追いかけた。

 

 

 

「あ…セルリアンだったんだ」

 

 影にはすぐに追いついて、落胆と一緒に安心した。

 

 セルリアンなら倒してしまえばいい。刀もあるから難しくない。

 

 よく見たら若干珍しい形をしているけど、僕はセルリアンマニアの類ではないから気にせず倒してしまうことにした。

 

「さあ、こっち向いて!」

 

 セルリアンの気を引くために僕は狐火を灯した。

 

 これは最近分かったことだけど、セルリアンは明るい昼でも狐火に反応してくれる。

 

 多分、この炎が強い輝きを持っているからだと思う。

 

「……あれ?」

 

 その筈なのに、本日のセルリアンは狐火に目をくれることもなくズンズンと向こうの方に行ってしまう。

 

 その異常を訝しみながら、僕は簡単な一つの結論を得た。

 

「もしかして、何か追いかけてる? この狐火より輝きの強い何かが、この先にあるってこと…?」

 

 ともすれば尚更放ってはおけない。セルリアンの追う存在はフレンズかもしれない。

 

 死に繋がる可能性を僕は放置できない。そういう性だ。恨むよ神依君。

 

「飛んで行けば、先回りできるかも…」

 

 後ろからの追撃ではなく、セルリアンと彼らが追う何かの間に入って戦うことを選んだ僕。

 

 やはり連絡はせずに飛んで行く。

 

 一人でどうにか出来るという自信が、妙なことにも染み付いていた。

 

 

 そして暫くの偵察を続け、セルリアンが向かっていると思われる洞穴を発見した。

 

 悍ましい光景だ。

 

 あわや百体にも上るであろう数のセルリアンが大挙して洞穴に入り込み、所狭しと犇めき合っている。

 

「あ、あんな中じゃ助からないよ…」

 

 一目見てそう直感した。論理的にも正しいに違いない。

 

 一縷の望みが残っているとすれば、それはセルリアンが未だに洞穴へと入ろうとしていること。

 

 まだ輝きは残っている? なら、それは守らなければ。

 

「輝きを吸ってセルリアンが増えてるとか、そういうのは無いよね…?」

 

 足を竦ませる悪魔のような思い付きは雪に埋め、刀を持った愚か者()は空から洞窟に飛び込んでいく。

 

 流石にさ、連絡しよ? …と、後々になって僕は思った。

 

 

「はあっ…てやぁッ!」

 

 しかし幸運にも、セルリアンは皆洞穴の中の何かに夢中で隙だらけだった。

 

 振り下ろされた刀に気づかないまま欠片と散り、隣がやられたセルリアンも反撃や逃亡の動きを見せようとしない。

 

 まさにセルリアンの入れ食い状態で、これがRPGだったら経験値が一杯だっただろうなぁ…なんて気の抜けた「もしも」を考えながら僕は彼らの数を減らしていく。

 

「っ…流石に少し疲れた…」

 

 刀の振りすぎで張ってきた腕を擦り、一瞬休もうかと思案する。

 

「やっぱりダメだ、フレンズがいるかもしれないし…!」

 

 全部倒せば休める。

 

 終わりの見えない殲滅作業にめまいがしたけど、それ以上に強い『死』への恐怖が体を突き動かした。

 

 間もなく、セルリアンは一匹残らず始末された。

 

 

「はぁ…はぁ…無理しすぎたかも…」

 

 

 伽藍()となった穴の中を見回し、僕は荒い息を吐いて膝をつく。

 

「誰か、いるのかな」

 

 洞窟は奥の方に続いていて、何やら光が漏れている。その光は異常なほど強く、日光の届かないこの空洞を真昼の雪原のように明るくしている。

 

 不用意に近づけば、目をやられてしまうかもしれないと感じるほどの光だ。

 

 だとすると、この先に誰かがいるとは考えにくい。

 

「もしかして、セルリアンはコレに引き寄せられてた…?」

 

 流石に外にまで光が漏れていたわけではないけど、これ程の光を発する道具ならセルリアンを引き付ける輝きの一つや二つは持っているかもしれない。

 

 放っておいてまたここに殺到されても面倒だ。

 

 回収して、光を隠しきれないのなら壊してしまおう。

 

「サングラス…なんて、ある訳ないか」

 

 腕で目元を覆うおざなりな抵抗を示し、光源の元へと足を進める。

 

 予想通り段々と光は強くなっていって、すぐに目を閉じないとそこにいられなくなった。

 

 僕は洞窟の壁を伝い手探りで目的の物を探し、やがてその手に固い球体を収める。

 

「こ、これ…?」

 

 瞼越しに見える光は一番強く、握った球からはかなりの熱を感じる。あまり長く握っていては不味いと直感し、高速で頭を働かせ始めた。

 

「ど、どうにか消えてくれないかな…」

 

 そんなことを言ったところで状況が変わるわけではないのは知っている。

 

 けれど、コレは何もかもが奇妙だ。

 

 電気が通っている訳でもないのに光り、その光量は尋常ではなく、終いには手の平サイズである。

 

 決してまともな出所ではない。オイナリサマの仕業かもしれない。

 

 あれ…オイナリサマ?

 

「まさか、宝物って…!?」

 

 確証はない、ないけど今はそんなことなど関係ない。

 

 あの地図に書かれていた文章を思い出せ、何か突破口が見つかるかもしれない。

 

 最後まで意味が通らなかった言葉…痺れる…ショート?

 

 いや、こじ付けか…?

 

「でも、試してみなきゃ」

 

 どの道他にすることもないし、第一このままでは手を火傷してしまう。

 

 僕はその光球を手に、洞穴をまた手探りで歩き脱出する。

 

 そして外に出たと確信した瞬間、大きく振りかぶって光球を空高くに放り投げた。

 

 光と熱が遠ざかるのを感じ、僕はゆっくりと瞼を開ける。

 

「や、やっと目が使えるよ…!」

 

 飛んで行く光を目で追えば太陽のように鮮やかに光り輝いていて、素早く落ちていく様子は時が加速したかのようだった。

 

 多分あれは雪に落ちた。もしショートする仕組みなら溶けた雪でどうにかなる…と良いな。

 

 あれ、推理通りならアレって宝物になるのかな…? まあいいや、あんなの要らない。例え宝だとしても、あんなの投げ捨てられて当然だ。

 

 

 ちなみにこの行動が後に災いし、光に集まったセルリアンをまた退治する羽目になるのだけれど…まあ、それはまた別のお話。

 

 

「まあ少しだけ、この中で様子を見てようかな…」

 

 早く帰れば良いものを、光から逃げるように洞穴へと戻っていく僕。

 

 そして踵を返し振り向いた瞬間、在り得ない光景を目にした。

 

「……嘘、どうして」

 

 暗くなった洞穴の中で、その毛皮が光を跳ね返し自らの居場所を示している。

 

「あなたはやっぱり…ふ、ふふ…そう、ですか」

 

 力なく乾いた笑いを零す彼女は弱々しくも確かにそこにいて。

 

 ずっとその無事を確かめたかった筈なのに、驚きで名前を呼んでしまった。

 

「ホッキョク、ギツネ…?」

「コカムイさん…助けて、くれませんか? とっても…寒いんです」

 

 

 僕の知っている――と言うのもおこがましいが、記憶の中にいる――彼女なら絶対に言わないであろう言葉。

 

 だけど彼女は見紛いようがない程に白くて。

 

 間違いようがないほど確実に、ホッキョクギツネだった。

 

 



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Ⅴ-151 楽園は壊させない

 かくかくしかじか。

 

 晴天の霹靂と呼ぶべき再会を果たしたホッキョクギツネから色々話を聞いて彼女が重度の記憶喪失を患っていると知り、僕は彼女をしばらくの間宿に置いておくことに決めた。

 

 怯える彼女は洞穴から中々出ようとしなかったけど、どうにか説得して連れてくることが出来た。

 

 徒歩数十分の道のり。

 

 宿に着いたころには日が少し傾き始め、雲も掛かって世界はほんのりと暗くなっていた。

 

「…ただいま」

 

 帰りを知らせる声も震えている。寒さなんかよりもずっと色濃い緊張が舌を痺れさせる。

 

「もう、遅かったじゃ…ん…ノリ、くん?」

「…ごめん、事情は説明するから」

「そ、そう…」 

 

 僕を迎えに出てきたイヅナは、隣に縮こまるように立っているホッキョクギツネの姿を見てとても驚いている。

 

 当然だ、僕も同じ気持ちだ。蜃気楼か、質の悪いダイヤモンドダストでも見たのかと思った。

 

 結局、僕は彼女を置いて帰ってこれなかったけど。

 

「じゃあ、根掘り葉掘り聞かせてもらうからね」

「…あ! は、はじめまして…」

 

 イヅナの睨みつける視線を浴び、ホッキョクギツネはブルブルと震えながらたどたどしい挨拶をする。

 

 その時つい僕の袖を掴んだせいで、イヅナから向けられる圧はもっと強くなってしまった。

 

「ひっ…!?」

 

 更に震えを強くしながら、ホッキョクギツネは袖を放さない。臆病な上に強情なのか、もしくは威圧される理由が分からないほど憔悴しているのか。

 

 このままでは悪いと感じ、僕はイヅナを宥める。

 

「イヅナ、今は抑えてくれないかな…?」

「…分かった」

 

 早く入ってきてねと言い残し中へ消えるイヅナ。

 

「あ、えっと…わたし、大丈夫でしょうか…」

「保証は、しかねるね」

 

 正直、既に薄っすらと後悔の念を感じている。

 

 こんなところに連れてこず、近場のフレンズに預けた方が良かったのかもと考え始めている。

 

「…だけど、出来る限りは守るつもりだから。危なくなったら、逃がすことにするよ」

 

 連れて来たのは僕の責任だ。彼女を捨てておいてはいけないと感じた。

 

 その理由は自分でもまだ明確に掴めてはいない。だけど僕はとにかく彼女を死なせたくなかった。

 

 今はきっと、それで十分だ。

 

「じゃあ、入るよ」

「は、はい…!」

 

 ようこそ、雪山の宿へ。

 

 彼女にとっては到底安らげるような場所じゃないけど、どうにかなりますように。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 僕が危惧していた通り、ホッキョクギツネの第一印象は驚くほど芳しくなかった。

 

「ふーん…偶然洞穴で出会った、ねぇ…?」

 

 猜疑の目が向けられる。

 

 それはギンギツネにとってはごく自然に持ちうる弱い疑いだったが、それでも今の弱り切ったホッキョクギツネを委縮させるには十分なほどの敵意だった。

 

「い、いえ、わたしは…」

 

 早速泣き出しそうな気配を感じて、僕はフォローに回る。

 

「本当に偶然だよ、それは間違いない」

「そうかしら。ノリアキさんは本当に…全てが偶然だって思ってるの?」

「う……」

 

 面と向かってそう尋ねられると、簡単に首を縦には振れない。

 

 斯く言う僕自身も、この件にはかなり疑わしい部分があると思っている。

 

「大体ね、ホートクにいるはずのこの子が、何の理由もなく()()キョウシュウに来るなんて…そんなこと、起こるはずがないでしょ?」

「それは…その通りだよ」

 

 鋭く核心を突きながら、ギンギツネはまだその名前を口にしない。

 

 一番の元凶は、僕の言葉で話題に挙げて欲しいのかな。

 

 …ならそうしよう。

 

「ホッキョクギツネは、オイナリサマが連れて来た。その可能性が高いと思う」

「いいえ、確実にそうよ」

 

 ギンギツネが僕の言葉に被せるように訂正した。

 

「曖昧な表現は良くないわ。テレポートを使った痕跡が見えない以上、現状他の可能性なんてありえないもの」

 

 更にギンギツネは続ける。

 

「オイナリサマが連れて来たのなら疑問は無くなるわ。イヅナちゃんの術に頼る必要も無いし、結界ごと飛んできたって話だし」

「じゃあ、オイナリサマに会って聞いてきたら…?」

 

 キタキツネが出した至極真っ当な提案。しかしギンギツネは首を振る。

 

「無理よ、結界がある場所が分かってないわ」

「…そうなの?」

「ギンちゃん曰く上手に隠してるらしくてさ、別に私たちは探してないからいいけど」

 

 更なるギンギツネの談に因れば、ロッジから海へと進んだ方向の何処かに有るのではないかとおおよその当ては付けられているらしい。

 

 …なんで?

 

「まあ、なぐ…乗り込めない以上これ以上は無駄よ。別の話をしましょ」

 

 何だか聞き捨てならない言葉が聞こえたような気がした。

 

「今、殴り込むって…」

「…ノリアキさん?」

「……そ、そうだね。話を変えよっか」

 

 でもまあ…時には聞き間違えてしまうことだってあるよ。けものだもの。

 

「それで、ホッキョクギツネ(この子)をどうするかだけど…」

「雪の中にポイッ!」

「却下よ、キタキツネ」

「うぅ…」

 

 落ち込まないでキタキツネ、こっち見ないでキタキツネ。流石にそれは賛成できないよ。

 

「じー…」

 

 …えっと、フォローしなきゃダメな感じ?

 

「大丈夫だよキタキツネ。今回はアレだったけどほら、この方法が役立つ日もいつか来るかもしれないからさ」

 

 それがいつかは知らないし、来るべきなのかも分からない。

 

 曖昧で不確かな慰めの言葉は、頭を撫でる手で有耶無耶に隠してしまうことにした。

 

「えへへ…」

 

 キタキツネは幸せそうに笑う。

 

 明らかな僕の嘘に気づいていないのか、それとも初めから真偽になど興味は無いのか。蕩けた表情を見る限り、心底どうでも良さそうだった。

 

「わ、わたし、捨てられちゃうんですか…!?」

「…少なくとも僕は、そんなつもりはないよ」

「そ、そうですよね…!」

 

 遅れて怖がるホッキョクギツネに安心させる言葉を掛けて、僕は休まらぬ頭で考える。

 

 

 ――僕はホッキョクギツネをしばらくここに住まわせておくつもりだ。

 

 原因はさておき彼女は酷く弱っていて、下手をすればそこらの小さなセルリアンにも食い殺されかねない。

 

 ただ生かすだけなら他の場所でも構わないけど、彼女が暮らしやすいのはやはり雪山だろう。それなら宿に置いておくのが最も安全だ。

 

 …ええと、非常に残念なことに”イヅナたちの存在を考慮しなければ”の話だけど。

 

(上手く説得できなきゃ…セルリアンより先にキタキツネ辺りにコロッと殺られちゃいそうなんだよね)

 

 キタキツネだって冷静に考えればそういうことはしないと思うけど、如何せん理性を失う頻度が他二人よりも多い。

 

(だからキタキツネには特に個別で対処して…イヅナとギンギツネには、直近の危険は無いはず)

 

 十分に回復させれば、ホッキョクギツネはホートクに帰すことが出来る。

 

 二人の懸念は理解できる。その可能性を絶ってしまう方法も提案できる。

 

 それでも怖いなら、彼女に手を出さないことを条件に世話を全て任せてしまってもいい。

 

 …死にさえしなければ、それで何とかなるはずだから。

 

「…ふぅ」

 

 改めて考えを纏め、落ち着いた息を自然と肺から吐き出せた。

 

 

「…決めたんだね」

「決めた。ううん…ずっと前から()()()()()()、イヅナ」

「あはは…そうだね、ノリくんはそうだ」

 

 僕の頭の中を…覗いていたわけではないだろう。

 

 ただイヅナとは無意識の段階から一番長い付き合いだし、イヅナだけは神依君の記憶を通して、僕の中にある恐怖を誰よりも一番よく知っている。

 

 イヅナは止めなかった。諦め混じりにも許してくれた。

 

 今度はそれを、宣言するだけ。

 

「ホッキョクギツネは…しばらくここに住まわせておくよ」

「えっ…!?」

「やっぱり、そう言うのね」

 

 対照的な反応。

 

 そんなので言葉は止められない。

 

「あくまで、体調が戻るまで。十分に回復したら、ホートクに()()()()送ってあげるつもり」

「で、でも、ノリアキ…!」

 

 机を揺らして叫ぶ。瞳には恐怖の色が浮かんでいる。

 

 切り札は、ここで使おう。

 

「やっぱり、僕じゃ出来ないことがある。身体の勝手もそうだし、少しは神依君に似てるから怖がられてしまうかもしれない」

 

 事実、彼女はサラっと流れるように出てきた彼の名前にも只ならぬ畏怖を示している。

 

「だからお世話は、みんなに任せてもいい?」

 

 …時間が止まった、ように思えた。

 

 みんな考えている。

 

 その心中は分からない。

 

 僕はただ祈るだけ。ホッキョクギツネの命が救われるように。

 

 

 そしてしばらく経った後…一人が口を開いた。

 

 ある意味僕が一番肯定の言葉を求めていた彼女が、声を出した。

 

 

「それだったら…ボクは、良いと思う」

「…ありがとう、キタキツネ」

 

 すると後の二人もキタキツネの様子を窺っていたのだろうか、次々に承諾の意志を示す。

 

「わたし、ここにいて大丈夫なんですよね…?」

 

 肯くと、儚い笑顔が咲いた。

 

 僕は一先ず形だけでも保たれた小さな楽園の未来に安堵し、そして次なる懸念を頭に浮かべた。

 

「問題はやっぱり、オイナリサマかな…」

 

 現状全ての元凶と考えられていて、会うことがとても難しい神様。

 

 どういう対応が一番なのか考えているとイヅナがこんなことを言った。

 

「大した理由じゃないんじゃない? 精々粗大ごみの処理ってところでしょ」

「い、イヅナったら…!」

「そだい、ごみ…? それって多分、良い意味じゃないんですよね…」

 

 落ち込んだホッキョクギツネは宣言通り早速ギンギツネに預けて、僕はまた癖となった思索に耽る。

 

 

 …けど、そっか。

 

 結局のところ厄介者を押し付けただけかもしれないなら、わざわざ会って事態が進展する可能性も低い。

 

 下手に彼女を連れて行って、今度こそとどめを刺されてしまっては話にならない。

 

「まあそうね、後々事実確認にだけ行ったら良いじゃない。この子を帰した後でゆっくりね」

「それが…安全かな」

 

 ため息が出るほど自分勝手な神様の話もコレでお終い。

 

 真っ白な新しい仲間を迎えて、宿はまた時を刻み始める。

 

 

「終わったなら、ゲームしていい?」

「もちろんだよ、時間取っちゃってごめんね?」

「いいよ。でもボクいっぱい我慢したから、ほら…褒めて?」

「ふふ。はいはい、偉いねキタキツネ」

「あっ、私は!?」

「イヅナちゃんは関係ないじゃん…っ!」

「わわ、わたしは一体どうすれば…?」

「ならホッキョクギツネちゃん、こっちでお昼ご飯を作るのを手伝ってくれるかしら」

「でも…わたしに出来ますか?」

「大丈夫よ、一から教えてあげる」

 

 

 紡がれる光景は平和そのもので、裏側に隠れているドロドロした心情なんて忘れてしまえる。

 

 例え本心がどうでも、普段からこんな風にしてくれればなぁと……諦めた夢を僕は笑った。

 

 

 

 ――こうして結ばれたまだ白い糸。それが赤く染まってしまう未来の可能性に僕は思い至らない。

 

 もう解けない運命で雁字搦めにされていた僕に、知る由もない。

 

 そして、知った頃にはもう――

 

 



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Ⅴ-152 ドジっ娘白狐はがんばれない?

『第269日目

 

 今日は大体いつも通りの一日だった。

 

 ホッキョクギツネを住まわせてから今日で三日目。大きなトラブルも見当たらないし、イヅナに聞いたところ体力の回復も良い調子らしい。

 

 反面、精神的にはまだ不安定に見える。今日も彼女の部屋からは度々うめき声が聞こえた。彼女曰く”思い出せない”記憶が苦しめているのだろうか、そう思うと他人事には思えない。

 

 彼女自身とも話し合って、ホッキョクギツネの記憶が戻ったらホートクに帰してあげることにした。

 ギンギツネはこれに不服の様子。理由を聞いたけどはぐらかされてしまった。

 

 それとやっぱり、僕が懸念していた嫉妬心は根深いみたい。

 

 ホッキョクギツネを帰して、この生活が元々の形に戻るまで大きな事件が起こりませんように。

 この一文をを末に添えるのも、すっかり癖になってしまいそうだ。』

 

 

「よし…こんな感じかな」

 

 今日の分の日記も書き終えて、僕は閉じたノートにペンを乗せた。

 深く息を吐いて体を伸ばしていると、珍しく気を利かせたキタキツネがお茶を淹れてくれた。

 

「ノリアキ、それ書くの好きだね。楽しい?」

「結構楽しいよ。文字に起こすために今日のことを思い出せるし、やっぱり…何だろう、ちゃんと形に残しておきたいんだ」

 

 ただでさえ素早く過ぎ去っていく時間に、楽しくも変わり映えのしない毎日。

 日記を書いていれば、普通は見過ごしてしまうような些細な違いさえも掘り出して大事に残しておくことが出来る。それはきっと、素晴らしいことだ。

 

 と言っても…再び日記を書き始めたのはホッキョクギツネと出会った三日前で、日付は僕がこの島に来てからの――僕が()()()()からの――日数。

 

 イヅナに聞いたら教えてくれた。毎日欠かさず数えているらしく、そのひたむきさには舌を巻いた。

 

 だから僕も、これが三日坊主にならないように努力しよう。

 

「そっか、まだ一年も経ってないんだ…」

「あはは、だから僕の歳はまだ…九か月足らずってことになるんだね」

 

 不思議な気分だ。

 外の高校生相応の知識があって、かつ普通の人間のように活動できているのに、体は一年にも満たない時間しか過ごしていないなんて。

 

「そう考えると、フレンズに近いかもしれないね」

「…確かに。ボクたちも、生まれてすぐに喋ったり動いたり出来たもん。じゃあノリアキ…ボクと一緒だね!」

「…多分、ギンギツネもだけどね」

 

 軽い気持ちでそう言うと、キタキツネの機嫌は途端に悪くなった。

 

「む、今はギンギツネの話しないで…っ!」

「ご、ごめん…」

 

 ズンズン頭突きをしてくるキタキツネを撫でながら、軽率な自分の発言を反省する。

 やるべきことも終わって眠いのかもと思い、キタキツネを布団へと誘った。

 

「寝る、寝るの!?」

「…そう、寝るだけ」

「…ちぇっ」

 

 体力が尽きる様子の無いキタキツネの元気っぷりに呆れ、僕は苦笑する。

 布団は二人の熱を包み、深くまで毛の絡みあった尻尾は融けて混ざってしまいそうだ。

 

 障子の向こうにぼやけて見えるお月様を薄目に、夜は静かに解けていった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「あ、お二人ともおはようございます! 昨夜は…ええと…そう、お楽しみでしたね!」

 

 目覚めて着替えて居間に出て、一番に掛けられる言葉がこれだとは。

 

「えっと…何処で覚えたのかな、その言葉」

「ギンギツネさんが、そう言ってあげると良いって…」

 

 思わず強張った口調でホッキョクギツネに尋ねるとそんな答えが返って来る。

 

「あはは、相変わらずだね…」

 

 ”いたずらごころ”に先制されて、なんだか眠気も抜けてしまった。

 

「うふふ、本当にお楽しみだったんでしょう?」

「…ノーコメント」

 

 笑わぬ目とニタニタした笑みを貼り付けてやって来たギンギツネには素っ気なく言葉を渡す。

 

「あら、もしかして怒ってる? ちょっと悪戯したくなっただけよ、そんな風にしなくたって良いじゃない」

「それより、朝ご飯は?」

「撫でてくれたら教えてあげるわ」

 

 別にそれくらいならいっか。そう思って頭に伸ばした腕は途中で捕まえられる。

 

「…どうしたの?」

 

 ギンギツネは問いに答えず、掴んだ腕を少しずつ下に引っ張っていくと、やがて僕の手は彼女の胸元へ…

 

「って、何してるのっ!?」

「あら、()()撫でてなんて一言も言ってないわよ。…ね、もっと良い場所撫でてくれない?」

「…っ!」

 

 僕は力任せに腕を振り払って、強引にわしゃわしゃと頭を撫でた。ギンギツネはまた不満気に頬を膨らませるけど、ちゃんと撫でたんだから文句は言わせない。

 

「ほら、早く用意してね」

「はいはい…でもノリアキさん」

「…な、何?」

「もっと乱暴な撫で方も…私は好きよ?」

「……そ、そう」

 

 人差し指を唇に当て、艶めかしく呟いて消えるギンギツネ。

 

 今朝も、彼女には勝てなかった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「ふう、美味しかった…ごちそうさま」

 

 いつも通りの昼食の後。

 

 食べ終わったてお箸を置くと、横から手が伸びかっさらう。

 

 驚いて手が伸びてきた方を向くと、ホッキョクギツネが両手で力強く箸を掴んでいた。

 

 …なんで、片方ずつなんだろう?

 

「えっと、え…?」

 

 困惑し、見ていることしか出来ない僕。

 

 ホッキョクギツネはその様子をどう誤解したのか、大変なことに気付いた様子でお皿まで持って行ってしまった。

 

「あ、一緒に皿もお下げしますねっ!」

「いや、それくらいは…あぁ、行っちゃった」

 

 ドタドタバタバタガンガンガン。

 

 見ていて不安になる足取りでキッチンに消えたホッキョクギツネ。

 

 十中八九ギンギツネの差し金だと思い、僕は代わりに彼女へ尋ねることにした。

 

「アレ、ギンギツネがさせたの?」

「ええ、彼女はとても精力的に働いてくれてるわ」

「…やめようよ、働かせるために置いたわけじゃないんだしさ」

 

 ガシャーンッ!

 

「あー、割れてしまいましたー!?」

 

 無言で視線を交わす僕とギンギツネ。

 

「それに…ほら、ね?」

「…確かに、考え直す必要があるみたい」

 

 深くため息を吐いて立ち上がろうとするギンギツネを止め、僕が代わりにホッキョクギツネの様子を見に行く。

 

 キッチンの状態を一目見て、僕は絶句した。

 

 床には破片が散乱し、ついでに調味料が池を作る。その中で派手にすっ転んでいるホッキョクギツネの姿勢は、目のやり場に困る如何わしさを醸していた。

 

「…大丈夫?」

「お、お手間をお掛けします…」

「うん、本当だよ」

 

 流石に僕一人では無理な惨状。とても放置はしておけない。

 

 安全の為、ホッキョクギツネに手頃なテーブルクロスを掛けてから、ギンギツネを呼びに行った。

 

 そしてギンギツネがやって来て、後始末は任せてと封鎖されたキッチン。僕は念のため、中の様子に聞き耳を立てる。

 

「あらあら、大変ね。可愛らしいドジなんて踏んで、ノリアキさんの気を引くつもりだったのかしら?」

「いえ、そういう訳では…」

「うふふ、幸運だったわね。もしもあなたが()()()()で彼を迎えていたら、私我慢ならなかったかもしれないわ…さあ、助けてあげる」

 

「……あ、危なかったかも」

 

 向こうに小さく聞こえた声で、さっきの行動が正解だったことを僕は悟ったのだった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 片付けが終わった後は、お茶を飲みながら居間でひと時。

 

「…まあ、元気出して?」

「はい、頑張ります…」

 

 項垂れたホッキョクギツネのその言葉を聞いて、調子が戻るまで長くなりそうだと感じた。

 

「わたし、やっぱりダメなんでしょうか」

 

 励まし掛けても暗いまま。彼女の非を無くす方向に持っていくことは難しいと思った僕は、それとなく矛先を逸らした。

 

「さあ、半病人を働かせるギンギツネも大概だと思うんだけどね…」

「でもわたしが大失敗した事実は無くなりませんよね。えへへ、わたしったら、本当にドジでマヌケで…」

 

 …根深いなぁ。ホッキョクギツネは笑いながら自嘲している。

 

 自分のことが何一つ分からない不安が彼女にそうさせているのだと、他人事ながら境遇の近い経験者として、僕はそんな風に考えていた。

 

 だから、ホッキョクギツネには親切にしたくて。

 

「だから、記憶も失くしちゃったんでしょうね」

 

 …だから、その言葉は捨て置けなかった。

 

「違うよ、ホッキョクギツネは悪くない。少なくとも、記憶を失くしたのはキミの所為じゃない…!」

「コカムイさん…」

「仕方ないことなんて沢山在るんだから、全部背負ってちゃキリ無いよ。その…だから…大丈夫、だよ?」

 

 勇んで声を上げたのに、最後は曖昧でグラグラしてて。

 

 そんな情けない励ましなのに、ホッキョクギツネは受け取ってくれた。そして気が楽になったと言って、安らいだ様子で微笑んだ。

 

「それで、もし良ければ…コカムイさんのお話を聞かせてくれませんか? 何となく、私とコカムイさんは似ている気がするんです。だから、何か参考になるかもって思って…」

「僕の話が役立つのなら…うん、話すよ」

 

 

 そしてギンギツネが戻って来るまでの間、僕は自分の今までの話をホッキョクギツネに語り続けた。

 

 目覚めた時の混乱。居もしなかった『自分』を見つけられない焦燥。

 

 イヅナとの出会いと、彼女の欲望と向き合った屋敷での日々。解決したかに見えて却って悪化し、望まぬ形で表に出てきたキタキツネとイヅナの軋轢。

 

 『最悪』を防ぐための三角関係に、自らの蟠りを無くすために呼び寄せた神依君との出会い。少しして、災害とも呼べるセルリアンとの戦い。

 

 そして最近になって、ギンギツネまでもがその想いを露わにしたこと。

 

 そのお話も終わって、いよいよホートク旅行の話をしようとしたその時、ギンギツネが戻ってきてしまった。

 

 

「…ふう、ここまでだね」

「”ここまで”…? 一体何をしてたのかしら」

「ただの昔話だよ、聞きたいって言うからさ」

「…そう」

 

 何度も聞いた無関心な返事。気にしてないかもと思ったら早速ホッキョクギツネをこき使い始める。

 

「ぎ、ギンギツネ…」

「…この子の肩を持つの?」

「そうじゃなくて、飽くまで回復を待ってるんだからさ…ちゃんと回復するようにしないと」

「分かってるわよ、それくらい…」

 

 珍しく負の感情を強く見せるギンギツネ。ホッキョクギツネが現れたことによる影響は、キタキツネだけにとどまっていない。

 

 やはり、近いうちにこっちの対処も考えなくては。

 

 ホッキョクギツネが帰れるようになるまでに、誰かが爆発してしまわない保証はない。ましてや、何も起こらない可能性の方が極めて低いのだから。

 

「ノリアキさん…偶には、捨てたっていいんじゃないかしら」

「…ホッキョクギツネのことを?」

「今回はそうだけど、別に今に限った話じゃないわ。見捨てないのは美徳だけれど、良いことばかりじゃないのよ…?」

 

 目に薄く涙を浮かべ訴えるギンギツネ。僕も事実として理解はしている。僕の行動が、三人に深い不安を植え付けていることも。

 

「それでも…ダメなんだ。それは出来ない。呪われてるんだよ、僕はきっと」

「ノリアキさん…」

「それに…ね? 僕が”コレ”を捨てちゃったら…もう、誰も死なない未来なんて絶対に保証できない。そうでしょ…ギンギツネ」

「…ええ、その通りね」

 

 記憶を取り戻すまでの辛抱。そう言って、僕はまだ時間を繋いでいる。

 

 けど…”ホッキョクギツネが記憶を取り戻せばまた元通りに暮らせるようになる”なんて世迷言の、いったい何処に保証があるというのだろう?

 

 ”忘れたい”と願ったであろう記憶を取り戻してしまって、果たして平穏が訪れるというのだろうか。

 

 少なくとも僕には無理だった。記憶を呼び起こして、神依君と出会って、決定的に世界は変わってしまった。

 

「大丈夫、思い出せれば終わるから。難しくてもさ、イヅナに頼めば割とどうにかなるよ…多分」

 

 僕はそう言って、ギンギツネから目を逸らした。ホッキョクギツネにも顔向けできる気分じゃない。

 

 あとどれだけ、このハリボテが保ってくれるだろう。

 

 向こうを走るホッキョクギツネの背中を見送りながら、僕は幻を大事に抱え込んでいた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「そっか、そうだったんですね…」

 

 聞いた。聞いてしまった。

 

 あの人の気持ちを、わたしを匿ってくれた訳を。

 

 嬉しかった。理由はどうあれ、自分を助けようと本気で思ってくれていたことに。

 

 そして、不安にも思ってしまった。

 

「わたし、向こうでも生きていけるんでしょうか…」

 

 自分の身に起きたこともまだ思い出せない。思い出すべきかどうかなんて分かるはずもない。

 

 怖い。

 

 同じことが起きたら、今度こそ死んでしまうかもしれない。

 

 その点、時折射殺すような視線も感じるけど、ここはまだ安全だ。

 

「ずっと思い出さなければ、ずっとここにいられるんでしょうか…?」

 

 上手に甘えれば、あの人はきっと自分をここに置いてくれるに違いない。

 

「えへへ…もう…一人で生きていける気がしません…」

 

 何とかして、繋ぎ止め続けないと。

 

 それが出来ないのなら、わたしは――

 

 



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Ⅴ-153 忘れてたアレが出てきたら

「ノリアキ、これどうなったの!?」

「…あ」

 

 キタキツネが見せつけるように広げた雪山の地図。藪から棒に何かと思えば、とんでもないものが出てきてしまった。

 

「ねぇ、どうして放っておいてるの?」

「あはは、割と本当に忘れてたんだ…ごめん」

「むー…」

 

 キタキツネはご機嫌斜め、一体何が不満だろう。

 

「ボクを無理に連れてって取ってきたんだから、ちゃんと最後までやんないとダメっ!」

 

 実際は自分から付いてきたんだけど…まあ、おちおち留守番できる状況でもなかった訳だし、それを言うのは野暮になるかな。

 

「分かった、じゃあ今日のうちに解いちゃおっか」

「うんっ! 早くしよ!」

 

 でも、何だかんだキタキツネも結構楽しんでいるのかもしれない。

 

 そうじゃなかったらきっと、こんな笑顔は浮かべない。

 

 

「お宝お宝ー…ノリアキは何だと思う?」

「そうだなぁ…実は、見当付いちゃってるんだよね」

「え、そうなの? …すごいっ!」

 

 爛々と目を輝かせて僕を見つめるキタキツネ。こうも期待されるとなんだか申し訳ない。

 

 言わなきゃ…ダメだよね。夢を壊してしまうのは悪いけど、現実は現実だから。

 

「えっとね、まず…この地図を作ったのはオイナリサマだよね」

「うん、そうだね」

「つまり、お宝を置いたのもきっとオイナリサマだと思う」

「…?」

 

 ここまでヒントを重ねてもキタキツネは気づく様子がない。

 

 中々どうして、心労を重ねさせてくれる。ゲームをしている時は鋭い勘を発揮するというのに、磁場は何処へと消えた?

 

 無い磁場なんかに頼れないから、僕は答えへの一歩を踏み出した。

 

「あるよね、キタキツネ。最近オイナリサマから受け取った()()が」

「…ま、まさか?」

 

 頷く。もう引き延ばすのも無駄だ。

 

「ホッキョクギツネだよ…オイナリサマの言う『お宝』は」

「嘘だよッ!? だってあんな…あんな奴!」

 

 立ち上がって怒声を発するキタキツネの肩を掴み、冷静に宥めた。最初は抵抗した彼女も、時間と共に落ち着いた様子。

 

 それでもまだ納得の色が見えないキタキツネには、丁寧に説明して解ってもらおう。

 

「大事なのは僕たちにとってじゃなくて、飽くまで()()()()()()()そう言い張ってること」

 

 そもそも、『お宝』なんて何処にもなかった。

 

 処分に困ったのか他の目的があるのかはいざ知らず、あの神様が拵えた宝探しの目的は『ホッキョクギツネを僕達に押し付ける』ことで間違いない。

 

 それは、現時点で浮かび上がっている幾つかの証拠が根拠となってくれることだろう。

 

「全部…嘘だったってこと…?」

「だろうね。この地図も、僕らをホッキョクギツネの元へ誘導するための道具だったんだ」

 

 僕は、今の時点で導き出せる最も確からしい真実を告げた。

 

 だけどキタキツネは首を振る。

 

 論理的にはそれを理解していても、彼女の感情は受け入れることを拒んでいるみたい。

 

「でも、こんな…成功するかも分かんないこと…」

「…どっちでも良かったんじゃないかな。僕らが失敗すれば、ホッキョクギツネはあの穴で凍え死ぬか飢え死にするだけだし」

 

 成功すれば、今の状況のようになる。

 

 どちらに転んでもホッキョクギツネを神依君から引き離せる以上、オイナリサマがこの成否に執着する必要はない。

 

「…わかんない、おかしいよ。だったら連れてこなくても良かったじゃん」

「それは”オイナリサマが”…ってこと?」

 

 キタキツネは頷いた。

 

 まあその通りだよね。この問いに対する答えは用意できない。()()()()()…説明できない。

 

「…趣味、だったり?」

 

 控えめに言って横を見る。見開かれた目は、盛大な気付きを孕んだ納得の色の光を跳ね返していた。

 

「単に、そうすればスッキリするから…とか。理由は多分、考えるだけ無駄だと思う」

「…そっか」

 

 地図を破いてポイしてぐったり。僕の膝に頭を乗せてキタキツネはふて寝を始めた。

 

「お宝…欲しかった…」

「あ、はは…今回は残念だったね」

「…うん」

 

 気分は斜めに四十五度。暗く湿った空気の中で僕らは互いの熱を食む。

 

 そんな時、この淀んだ空気を叩き壊すかのように、甲高い襖の音がピシャリと響いた。

 

 音の方を見れば、そこには不自然なほどに頬を紅潮させてハイテンションな笑顔を見せるイヅナの姿。訝しむ僕らなど気にもせず、イヅナは歓喜の言葉を叫ぶ。

 

「ノリくん! やっと…やっと見つけたよ…お酒っ!」

 

 …ギンギツネが、上手く隠してくれてたんだけどな。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 周知の事実だと思うけど、イヅナは酒癖が非常に悪い。

 

「そんな暗い顔してないでさ、お酒でも飲んで楽しもうよっ!」

「いいの? こんな真昼から…」

「へーきへーき、私も全然酔ってないでしょ~?」

 

 どれくらい悪いかと言えば見ての通りで、さながらその姿は暴走ジャパリバス。

 

 しかもお酒に弱いのに大量に飲みまくるせいで、質の悪さは時間と共に加速度的にスケールアップする。

 

 かつて酔い潰されたギンギツネが、更なる被害の拡大を案じて手の届かない場所に隠しておいたんだけど…とうとう見つかってしまった。

 

「忘れた頃だと思ったんだけどなぁ…」

「忘れる訳ないよぉ…こんな美味しいお水~」

「水じゃなくてお酒だから。ほら、あんまり沢山飲んじゃダメだよ?」

「や、やー!」

 

 瓶を力づくで取り上げようとすれば、赤子のようにわめいて抵抗する。

 

「もう…大変だなぁ」

 

 こっそりお酒へと手を伸ばしていたキタキツネも抑えて、僕はイヅナの酔いを醒ますため頑張ることに決めた。

 

 

 相当な量を飲んでいるのか、イヅナは完全にお酒に呑まれて惚けている。

 

 そんな前後不覚に近い状態でも瓶だけは離そうとしないのが恨めしい。

 

「我慢は良くないよ、ノリくんも一緒に飲も~?」

「イヅナ、今はそんな場合じゃ…」

「じゃあどんな場合なのっ!?」

「えっと、それは…」

 

 突然浴びせられた大声と答えの出せない問題を受けて、僕は返事に困窮する。イヅナは僕のそんな姿を見て、勝ち誇ったように言い放った。

 

「ほら、飲んでも問題ないじゃん…!」

「でも、飲みたい気分じゃないし…」

 

 ありのままの気持ちを伝えてみるけど、イヅナの顔に張り付いた笑みは崩れない。

 

 彼女は”なるほど”とでも言いたげな表情で頷きながら、お酒をコップに注いで飲み続けているのだ。

 

 到底、僕の想いが伝わったとは思えない。

 

 そんな僕の悪い予感を肯定するように、お酒が入って色気の増した悪戯っぽい笑みを浮かべてイヅナは耳元で囁く。

 

「ノリくん…イイこと教えてあげる。気分っていうモノはねぇ、無いなら無理やり作っちゃえばいいんだよぉ…?」

 

 酒混じりの吐息が耳を撫で、背中も優しく撫でられた。

 

 心地よい撫で方だったけど、キタキツネがイヅナを引き剥がしたせいで直ぐに終わってしまった。

 

 少し残念に思う僕の耳を引っ張ってキタキツネがたしなめる。

 

「もう、されるままなんてイヅナちゃんの思う壺だよ」

「キタキツネも、最初は飲もうとしてたよね…?」

「……」

 

 宙を泳いだキタキツネの目、先の見えないお酒の宴。

 

 対応の悪い僕達の様子にイヅナは辟易とし、深いため息を漏らした。僕も同じ気分だよ、どうしてこうなったの…?

 

「全く、ノリくんはしょうがないなぁ…」

 

 ぺちっ。イヅナが指を鳴らそうとした。

 

 ぺちぺち。上手く鳴らせない様子だ。

 

 …パチン。イヅナは手を叩いた。

 

「はい、お呼びでしょうか?」

 

 すると、外で待機していたホッキョクギツネが部屋の中に姿を見せた。

 

 彼女が持ってきたお盆には、新たな酒瓶に酒のおつまみ。どうやらイヅナは本格的に昼の宴を催すようだ。

 

「それにしても、イヅナもホッキョクギツネを働かせるんだね…?」

「ま、ギンちゃんがそうして良いって言ってたし」

「良いんです…わたしに出来るのは、この程度のことだけですから」

 

 お酒を求めるイヅナの器に淀みない調子で注ぐホッキョクギツネ。

 

 彼女が納得してるなら働くのは一向に構わないけれど…今はイヅナにお酒を飲まれると都合が悪い。

 

 そしてイヅナからお酒を取り上げる口実が何も思いつかないのは…もっと悪い。

 

「…どうしよう」

 

 心の声が漏れてくる。

 

「…ねぇ、ギンギツネ呼んでくる?」

「多分、解決しないと思う。ギンギツネ、お酒が結構トラウマになってるみたいだし」

「そっかぁ…じゃあ呼んでくるね」

 

 素知らぬ顔で立つキタキツネ。いきなり歩き出した彼女を数秒の間呆然と眺めていたけど、危ないところで我に返って引き止めることが出来た。

 

「待って、僕の話聞いてなかったの…?」

「聞いたよ、トラウマなんでしょ? だから連れてくるの」

「やめてあげてよっ!?」

 

 恨みが深いよキタキツネ。ニコニコ笑顔が恐ろしい。

 

 僕は今の様子を確かめる。あぁ…酷い状況だ。

 

 イヅナはホッキョクギツネを巻き込んで一人で宴会を開いている。おっと、たった今三本目の瓶が空っぽになった。凄い飲みっぷりだ、弱いのに。

 

「ホッキョクちゃん~、次の持って来てぇ~」

「はい、かしこまりました」

「イヅナ、もうやめて。 ホッキョクギツネもかしこまらないで」

「は、はぁ…」

 

 お酒を取りに行こうとしたホッキョクギツネを座らせて、僕はイヅナと向かい合って座る。

 

 そうだね、まどろっこしい策は止めにしよう。僕はイヅナからお酒を全て取り上げた。

 

「あ、私のお酒…」

「もう飲んじゃダメ、自分で酔ってるの分かんない?」

「酔ってないよぉ~…こんなに元気でしょ~?」

 

 確かに元気だけど酔っているものは酔っている。むしろお酒が入った方が威勢が良くなる人も少なくないだろう。

 

 兎に角容赦はしない、宴会はここで終わりだ。

 

「そんなぁ…まだ足りないのにぃ…」

 

 僕に頭を抑えられながら、バタバタと手を動かしてイヅナは無力な抵抗をする。

 

 これがまあしつこい。この体勢を維持するために苦労したりは無いけれど、今すぐ解決に持ち込むためにはイヅナの『飲む気』を消してしまう他に方法は無い。

 

 あんまり言いたくは無かったけど、あの()()()()の使い時が来たのかもしれない。

 

「そんなに…このお酒が大事?」

「大事だよー…!」

 

 これで言質は取ったから。あとは言うだけ、覚悟を決めた。

 

「そう…僕よりも?イヅナは、これを飲んで欲しくないっていう僕の言葉より、お酒の方が大事なの…?」

「えっ…いや…そういう訳じゃ…」

 

 ここに来て、ようやくイヅナが動揺した。

 

 今こそ攻め時だ、完全に飲む気を削ぎきるまで畳みかけてしまう。僕はイヅナを抱き寄せて、あやすように語り掛けた。

 

「絶対に飲んじゃダメって話じゃなくて、イヅナが飲みすぎだから言ってるんだよ?イヅナって時々周りが見えなくなっちゃうから、とっても心配で…」

 

 ここで、心配さをアピールするために抱き締める力を強くする。とどめの言葉は耳元で、甘く懇願するように。

 

「僕のお願い…聞いてくれないかな…?」

 

 イヅナの体が熱を帯び、ぐったり僕に寄りかかる。彼女の蕩けた表情から、酒乱の大災害が無事に終息したことを僕は感じ取った。

 

 そして僕も安堵のため息を吐いたその時、恐怖に染まった声が廊下から響いてくる。

 

「や、やめなさいよ!? 私、アレだけはまだ恐ろしくて…っ!」

 

 ギンギツネだ。いつの間にか姿を消していたキタキツネが呼びに行っていたらしい。

 

 そして襖が開けられる。

 

「ノリアキ、ギンギツネ連れて…きたけど…」

 

 キタキツネは部屋に入るなり、意気揚々としていた表情を硬くして押し黙ってしまう。

 

 どうしたんだろうと疑問に思ってコンマ数秒。僕はイヅナを抱き締めたままなことに気づいた。

 

「ノリアキ…? ノリアキは、ボクよりイヅナちゃんの方が大事なの…?」

「ま、待ってよ、これはそういうのじゃなくて…っ!」

 

 否定しようとして途中で口を噤む。僕を抱くイヅナの力が強くなったのだ。

 

「ノリくん…()()の…?」

「あ…えっと…」

 

 イヅナの追撃に僕が言い淀んでいると、また横やりが入れられる。

 

「ひどいわノリアキさん、私信じてたのに…!」

「ギンギツネまで乗ってこないでっ!?」

 

 唯一この流れを止められる筈だったギンギツネまで参戦してしまったせいで、もう状況はめちゃくちゃだ。

 

 三人に一度に詰め寄られ、僕はもはや笑うしかない。

 

「…ノリくん?」

「ノリアキ…!」

「うふふ、ノリアキさん♪」

「あ、あはは…」

 

 

 ――その後、僕は全員を満足させるために、一日の全てを使うことになってしまう。

 

 キタキツネとはゲームをし、ギンギツネとはゆったり添い寝。

 

 そしてイヅナは美味しいお酒をたらふくお腹に流し込んで、とても満足そうにしていた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「や、やっと終わった…」

「大変そうでしたね…わたしは、見ているだけでしたけど」

 

 今日の紅茶はホッキョクギツネが淹れてくれた。

 

 柔らかい椅子に座ってそれを口に含めば、一日の疲れがどっと溶けだして癒されてゆく。

 

「美味しいよ、ありがとう」

「ええ、お気に召したようで何よりです」

 

 一日の締めくくりをしようと例のノートを取り出してペンを握ったその時、横に立つホッキョクギツネが小さく呟くのを聞いた。

 

「でも…楽しそうだったなぁ…」

「…え?」

「あ、いや、何でもありません…!」

 

 慌てて手を振り誤魔化す姿が面白くて、僕はついつい笑ってしまう。

 

「ふふ…君が初めてかもね。傍から僕らの様子を見て”楽しそう”…って言ったのは」

「そ、そうなんですか。ふふ、わたしが初めて…あっ! か、片付けてきますね…!」

 

 部屋を出ていく彼女を見送り、ペンを持ち直して今度こそ書こう。

 

 だけどもしかしたら、ホッキョクギツネの言う通りなのかもしれない。

 

 うん…間違いない。今日は楽しい一日だった。

 

「…ん?」

 

 とそこで、妙な物音が聞こえた。辺りを探ってみると、どうやら押し入れの中から聞こえるみたい。

 

「だ、誰かいるの…?」

 

 恐る恐る、押し入れを開ける。

 

「アワワワワ…」

「…あ」

 

 中からゴロンと懐かしの赤ボス。何時か見たきりすっかり存在を忘れていた。今度は恐怖ではなく申し訳ない気持ちで、恐る恐るその体を持ち上げる。

 

「ご、ごめんね赤ボス…?」

「…別ニ、イイヨ」

 

 機械的なはずの赤ボスの声が、僕にはどうしてか怒りに震えているように聞こえた。



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Ⅴ-154 予感、悪寒、傍観。

「…それで、どうだった?」

 

 いつものように結果を尋ねると、イヅナは今日も首を横に振る。

 

 今日でホッキョクギツネを迎えてからおよそ二週間。未だにホッキョクギツネが記憶を思い出す兆候はなく、取り戻す手掛かりさえも掴めていない。

 

「やっぱり…あの子が拒絶してるのが大きいのかもね」

 

 イヅナ曰く、今の彼女の練度では拒絶している相手の記憶を弄ることはまだ出来ないらしい。

 

 無理矢理記憶を書き換えられないことに僕は安堵しつつ、”まだ”という前置詞に軽く戦慄した。

 

「それって、やっぱり怖がってるから?」

「まあ…そうかも」

 

 イヅナの返答は歯切れが悪く、何か別の可能性に思い至っているみたい。だけど、僕が詳しく尋ねる前にイヅナは向こうへと行ってしまった。

 

 

「少し、話してみようかな…」

 

 口に出したら怒られちゃいそうだけど、僕はホッキョクギツネに対して少なからず自分と似ている部分があると思っている。

 

 だから、話すことで彼女が記憶を取り戻すきっかけを掴めたら。

 

 そんな思いで僕は部屋の扉を叩く。

 

「はい、どうぞ」

「入るね、ホッキョクギツネ」

 

 中では敷かれた布団の上で、ホッキョクギツネが転がっていた。

 

「すみません、今朝から気分が優れなくて…」

「気にしないで、僕は大丈夫だから」

 

 僕がそう声を掛けると、ホッキョクギツネは安心したように微笑む。

 

「よかったです。イヅナさんには座るように言われちゃいましたから…」

「…そうだったんだ」

 

 イヅナのことだし、体調が優れないことに気づかなかったとは思えない。多分、わざとホッキョクギツネに辛い姿勢をさせ続けたんだ。

 

 素直に従うホッキョクギツネも考え物だけど、直近の問題はやっぱりイヅナたちだ。

 

 懸案はかくしてやはり形になって現れている。まだ明確な対立は無いけど、それだって時間の問題だろう。

 

「それで…まだ思い出せないかな?」

「…ごめんなさい。やっぱり時間が掛かると良くないですか?」

 

 尋ねるホッキョクギツネの声は怯えているように小さい。縋るように布団を握る手は彼女の精神状態を端的に表している。

 

 僕はこれ以上怖がらせないよう言葉と声色を選びながら諭すことにした。

 

「そう…だね。辛いことだとは思うけど、あんまり長くここに留まっていても良いことは多くないと思うんだ。覚えてないかもだけど、向こうにも君の友達はいるから」

「…友、達」

 

 その四音で、ホッキョクギツネの顔の陰が深まる。なんとなく悪い予感が身に走ったから、僕はもう少しフォローをしておくことにした。

 

「で、でも、無理したって早くはならないからね…! 休み休み頑張ればいいと思うよ。幸い、時間は十分にあるから」

「…はい!」

 

 ついに僕の行動は功を奏したようで、彼女の顔にも輝きが戻って来た。

 

 記憶の話はここまでにしておこう。確か、ギンギツネが何かの用事でホッキョクギツネのことを呼んでいたはず。

 

 それを伝えると、彼女は待ってましたと言わんばかりの勢いで部屋の外へと跳んで行く。

 

「あ、励ましてくれて、ありがとうございました…!」

 

 一旦戻ってきてそんな言葉を残し、それを最後にホッキョクギツネは行ってしまった。

 

「アレは、料理のレッスンかな…?」

 

 教えた分だけ技術を吸収してくれるからとても教え甲斐がある――と、ギンギツネが少し前に零していた。 

 

 三人の中で一番ホッキョクギツネとの関係が良いのはギンギツネに間違いない。何かあったとき、彼女が防波堤になってくれる嬉しいんだけど…

 

「…多分、手は貸してくれるよね」

 

 だって、最終的にホッキョクギツネはホートクに帰すつもりなんだから。

 

 そうやって理屈を重ねてもこの不安が消えないのは、僕が心配性になってしまったからではない。

 

 只ならぬ予感が、頭の中に鳴り響いているのだ。

 

 暖かいはずの部屋の中で強い悪寒に見舞われながら、僕はそぞろ歩きで部屋を後にする。

 

 とても寒いはずの廊下が、どうしてかふんわりと暖かかった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…あ、会うの…オイナリサマに?」

 

 冗談であってくれと願いながら訊き返す。イヅナの提案は、爪の先ほども冗談ではなかった。

 

「ホッキョクちゃんのことを訊くなら、それが一番手っ取り早いでしょ?」

「そ、そうだけど…」

 

 最短ルートが一番楽とは限らないし、今回の話に絞って考えれば危険は決して少なくない。

 

 ホッキョクギツネの記憶喪失の原因は、少なからずオイナリサマの占める割合が高いはず。オイナリサマは…危険だ。

 

「ノリくんの心配なら大丈夫、ホッキョクちゃんは宿に置いていくよ」

「…まあ、妥当だね」

 

 もし本当に会いに行くなら僕もそうする。だけどこれは最低限の予防策で、ホッキョクギツネの安全を確保するには全然足りない。

 

 あのオイナリサマはきっと平気で祟る。そんな神様に触れに行くんだ、並みの備えでは安心できない。

 

 …感情が顔に出ていたのかな。イヅナが呆れたように笑って、僕の不安を払拭するために言葉を紡ぐ。

 

「ノリくん…思い出してみて? オイナリサマはホッキョクちゃんの息の根を止めずに、私たちに押し付ける道を選んだの。きっと殺したくない理由がある筈、まかり間違っても殺しに来たりなんてしないよ」

「…間違いないよね?」

「もちろん。例え何かあっても、ノリくんだけは私が守るよ」

 

 あはは…そっか、僕しか守ってくれないんだね。

 

 そんなことを思って、僕は静かに首を振った。違うよね、イヅナは僕さえ守ってくれればそれで十分。

 

 イヅナが僕を守ってくれれば…僕は安心してこの宿にいるキタキツネにギンギツネ、そしてホッキョクギツネを守ることが出来る。

 

「じゃあ…行ってみよっか」

 

 ホートクでの真実を確かめに行こう。

 

 その上で決めるんだ。ホッキョクギツネに記憶を思い出してもらうか否か…そしてホッキョクギツネをこの先どうするか。

 

 願わくば、全てをオイナリサマと出会う前の状態に戻せますように。

 

 『そんなこと出来ない』と一瞬感じてしまったのは果たして予感か。それも一緒に、確かめて来よう。

 

 

「それで…結界はこの辺り?」

「多分そうだけど…やっぱり結界は見えないよね~」

 

 僕らは今、ロッジから東に進んだ辺りの場所にいる。この辺りには鮮やかな緑色を見せる平原と林が広がっていて、僕らが探っているのは丁度それらの境界だ。

 

 ホートクから結界を移してきたオイナリサマは、この周辺に見えない結界の出口を設置したと考えられている。目撃情報がここに集まっているかららしい。

 

 だからイヅナの妖術の力も使って探しているんだけど…これがまあ見つからない。

 

 ホートクの時はオイナリサマ自ら案内してくれたし、境界に特徴的な霧を漂わせていたから分かりやすかった。

 

 今回はそれが無い。オイナリサマが来る前と後で、この周辺の状態は何一つと言って良いほど変わっていない。神依君が戻りたがっていたから来ただけで…例えホートクに居ても同じような感じだったのだろう。

 

「何だろう、”会ってからどうしよう”って一生懸命考えてたのがバカみたいだよ」

「ふふ、会うのがこんなに大変だなんて私も思ってなかった」

 

 大変大変…と口にしながら、イヅナは楽しそうだ。

 

 その程良い手の抜きようを見ると、わざと二人きりの時間を引き延ばそうとしているようにも見える。

 

 僕に出来ることは何も無いから、文句なんて言えっこないんだけど。

 

「何か…呼んでみれば会えないかな…」

 

 ダメで元々の考えだけど、元々何も出来ないんだから試してみることにした。

 

「オイナリサマー! お話できないー?」

 

 思いっきり…まあ、三割くらいの声量でオイナリサマを呼んでみた。

 

 ……。

 

 案の定返事は無い。

 

「あはは…やっぱりダ――」

「え、ノリく――」

 

 予測しきっていた失敗に項垂れ、今度こそイヅナに全て任せようと思ったその瞬間…真っ白な霧が僕らを包み視界を奪っていく。

 

 僕はそれがオイナリサマの”招待”の証だと察し、その白に身を任せるのだった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「久しぶりだね、オイナリサマ。頼んでおいてアレだけど…どうして入れてくれたの?」

「うふふ。私は高貴な神様ですよ、頼みも伝えずに探り回る者に対して門扉を開くと思いますか?」

「あはは、そっか」

 

 どうやら、素直に頼むのが一番早い方法だったみたい。

 

「それで入れてくれたってことは…お話してくれると思って良いのかな」

「ええ。…内容によっては、少し場所を変えないといけませんが」

 

 オイナリサマはそう言って振り返る。僕らも彼女の背後へ視線を向けると、こちらへと歩いてくる人物がいる。

 

「祝明…それに、イヅナ?」

 

 よもや他に可能性は無いのだけど…一応確認しておくと、それは神依君だった。

 

「神依君も久しぶり。でも今日は、オイナリサマに確かめたいことがあって来たんだ」

「そうか…」

 

 神依君は一歩引いて僕らを見ている。大方、オイナリサマが明るくない顔をしているから行く先を警戒しているんだと思う。

 

 僕だって余計な刺激はしたくない。

 

 イヅナとの目配せで最後の確認をして…僕は遠まわしな表現で、ホッキョクギツネについて教えるようお願いをすることに決めた。

 

()()について()()()教えて欲しいんだ。頼めるかな?」

「……うふふ、そうでしたか。では、私の部屋でお話いたします」

 

 オイナリサマは含みのある笑いを浮かべ、僕達を彼女の部屋へと案内する。

 

 地図に書かれた『お宝』が『ホッキョクギツネ』であることは、今まではただの推測だった。だけど、今それが事実であると確かめられた。

 

「…福袋みたい」

「え、どういうこと?」

「あぁ、ただの独り言、気にしないで」

 

 外の世界では、年始に”福袋”と称して売れ残りの詰め合わせを売りつける商売が流行っているらしい。…まあ、全部とは限らないけど。

 

 処分に困っているものを他人の手に押し付ける…オイナリサマの行動はまさにそれで、もっと質が悪いとも言える。そもそも僕達は何も買っていないのだ。

 

 敢えて言うならば、喧嘩を売りつけられたような感じだけど…生憎、神様と戦いたいとは思わない。

 

 

 そんなこんなでしばし歩いて、扉の前に着いた時。扉の取っ手に手を掛けながら、オイナリサマが思い出したように僕の方を見て問いかけた。

 

「ところで、あの子はどうでしたか?」

「…え?」

 

 突如飛躍した質問に戸惑ってしまう。

 

 固まる僕を見たオイナリサマはクスリとして口を隠し、訂正して質問の意図を教えてくれた。

 

「…いえ、失礼しました。コカムイさんのことですからてっきりもう()()()しまったのかと」

「……えっ!?」

 

 コンマ数秒遅れて理解し、僕は素っ頓狂な声を上げた。

 

「ちょっと、なんてこと言うの!?」

「これはすみません…ふふふ…!」

 

 抗議の声を上げ食って掛かるイヅナをオイナリサマはひょいひょいと躱し、扉を開けて部屋の中へと招く。

 

「これからということですね、頑張ってください」

「そんなことしないよ、ホッキョクギツネはホートクに帰すから」

「あら、いつ頃ですか?」

 

 僕がその予定について話すと、オイナリサマは楽しそうに僕の顔を覗き込んで尋ねる。

 

「…記憶が戻ったら帰してあげるつもりだけど」

「…ふふ」

「何がおかしいの、私たちはふざけてないんだけど」

「うふふ、だって…コカムイさんも酷なことをするんだなって思ってしまって」

 

 クスクスとあざ笑うように肩を揺らす彼女は、とてもホッキョクギツネを憐れんでいるようには見えない。

 

「酷なことって?」

「アハハ、よりにもよって()()()()()()()()()()だなんて…残酷以外の何物でもないとは思いませんか…?」

「全てあなたの所為じゃない? 思い出さない方が良いような事を、あなたがあの子にしたんだから」

「……ええ。では、そのお話をしましょうか。少し長くなってしまいますが…構いませんよね?」

 

 僕達は揃って頷く。

 

 するとオイナリサマも満足げに頷いて、大層楽しそうに自らの所業を語り始めた。

 

 聞いて想像してそれだけで、痛いほどの眩暈を起こしてしまいそうな神様の遊戯を。

 

 

 

 ――そんなある日の自白劇。真っ白な影が部屋には三つ。

 

 

「そう…だったんだな……」

 

 

 部屋の外には黒い影。

 

 彼は見開いた双眸に、先に立たぬ後悔を深く湛えていた。

 

 もはや、彼に出来ることは何も無い。

 

 賽はもう、彼の手から離れてしまったのだ。

 

 



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Ⅴ-155 ぐるぐる悩んで、刻はすぐ

「――と、これで私から話すことは全部です。ご理解いただけましたか?」

「…うん」

 

 数時間に渡る独白。いや、数十分だったかな?

 

 時計が無いから分からない。けれど、それだけ長く感じる時間だった。

 

 彼女の発する一音一音が僕の気を遠くし、果たして何度耳を塞ごうと手が動いたのか…数え切ることはおろか、数える気すら起こせない。

 

「それで、コカムイさんはどうします? この話を聞いて、まだ彼女をホートクに帰すつもりですか?」

「あはは…まるでお説教だね」

 

 僕は皮肉めいた声色で言葉を返した。オイナリサマはそれを気にも留めず、ケラケラと笑って手を翻す。

 

「…まあ、結局はあなたたちの問題ですね。あの子はもう私の元には居ませんから」

 

 白々しい言い分に僕らも乾いた笑いで返し、用も済んだから神社は後にした。

 

 帰り際見えた虹の空。今の気分の所為だと分かっていたけど、その色が毒々しく思えて仕方が無かった。

 

 

「どうしよっか、ノリくん」

「うん…」

「とんでもない爆弾(モノ)抱えちゃったんだよ、いつ爆発するか分かんない」

「そうだね…」

「…ノリくん!」

 

 進行方向を塞ぐように腕を広げ、イヅナは僕の前に立ちはだかる。

 

 彼女の中にも、もどかしさが渦巻いているのだろうか。難しい顔をして、僕に真っ直ぐ問いを投げる。

 

「ノリくんは、あの子が記憶を取り戻すことが”良いこと”だと思うの?」

「…良いことって?」

「だから、それはつまり…そう、なったとして…大団円で終われると思ってる?」

 

 違うと思い、しかし声は出ず、僕はそっと首を横に振った。

 

 オイナリサマがホッキョクギツネに何をしたのかを聞いた以上、忘れてしまった『記憶』が碌な物じゃないことは殆ど明らかだ。

 

 そして極めつけに面倒なのは、僕自身が『記憶が戻ったら帰してあげる』とホッキョクギツネに直接話していること。

 

「今更、思い出してなくても帰ってくれ…なんて言えないよね」

 

 雁字搦めになってしまった現状を嘆くと、イヅナはクスリと微笑んで僕に囁く。

 

「確かに、あの子に取ってみればとんでもないことだね。だけど…私たちのことだけを考えるなら、それが一番簡単だよ?」

「そんな、無責任な…!」

「あはは、一番無責任なのはオイナリサマでしょ?」

 

 責任を転嫁して、”何も問題なんて無いんだよ”と語り掛けるそれはまるで悪魔の囁きで…何処までも甘く優しい言葉だからこそ僕は素直に受け入れられなかった。

 

「程度の問題じゃなくて、だって…一度引き取ったのに…」

 

 ギンギツネが聞けばまた、”気にしすぎ”だと言われてしまいそうな考えだ。だけど、僕はまだそれを大事に抱えていたかった。

 

 対するイヅナはそんな僕の様子を見て何かを思い出したのか、空を見上げながら懐かしむ声を出す。

 

「私だったら多分…まだノリくんと結ばれてない頃、もしあの子がノリくんと仲良くしてるのを見たら…今のオイナリサマと同じことをしてたかも」

「…イヅナ」

 

 話を聞いている時、何度も頭に浮かんだ考えだった。

 

 もしやイヅナも…キタキツネもギンギツネも、噛み合う歯車が違って同じような状況になっていたら、ホッキョクギツネに牙を剥いていたのではないかと。

 

 でも、本人の口から肯定されると…身を震わす思いだ。

 

「私からはもう一度…あの子はもう見捨てよう? 何でもかんでも抱えたら、真っ先に壊れちゃうのはノリくんだよ」

 

 イヅナの言葉に悪意はない。ただ純粋に僕の身を案じて言葉を掛けてくれている。何処までも()()すぎて、そのまま受け入れるには刺激が強すぎるけど。

 

「…じゃ、帰ろっか」

 

 僕の手を引いてイヅナは歩き出す。そして、ふと何かを思い出したように立ち止まった。

 

「あ、最後にもう一つだけ…私の見立てでは、記憶が戻る日も遠くないよ。その時が来たら選べないから、ちゃんと覚えておいて」

「……分かった、覚えておくよ」

 

 その後、宿までの道の途中…イヅナは他愛のない話を何度も僕に持ち掛けて来た。

 

 どうにも…応じる気にはなれなかった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 ――ホッキョクギツネの問題は厄介だ。

 

 イヅナの言う通り、あの子が記憶を思い出してしまったら素直にホートクに帰ってくれるとは思えない。

 

 あんな凄惨な目に遭わされたら、一人で生き延びることが出来なくなる程に『自分』を破壊されてしまっても仕方がない。

 

 もし彼女が縋ってきたとしたら、僕に見捨てることは出来ないだろう。

 

 僕が特段彼女に対して情を抱いているとは言えないけど、自分の今までの行動を論理的に分析すれば、それは間違いないと思う。

 

「かと言って、今すぐ帰らせるのもなぁ…」

 

 今だって、ホッキョクギツネは大きな不安を抱えている。

 

 記憶を失くし、これまでの自分の足跡を全て見失っているのだ。若干置かれた状況は異なっていたけど、その不安について僕にも理解できる部分は大きい。

 

 そんなホッキョクギツネを見捨てることなんて、僕には――

 

「いなくなれば、解決…?」

 

 天井を眺めて一人呟く。難しい問題に頭を抱える。

 

 でも答えは簡単で…僕達の視点に立つならそれは正しい。

 

 問題()()()()が消え去って、全部まるっと元の形に戻ってしまうのだ。それを解決と呼ばずして何と呼ぼうか。

 

 そう、問題は…ホッキョクギツネの視点で解決しないことだけ。

 

 初めからこれは、僕がホッキョクギツネを見捨てるかどうかの話だったんだ。

 

 一番厄介なのは、僕の(さが)だ。

 

 だけどそもそも、その『性』って一体何なんだろう? なぜ僕は今になって、到底再現され様の無い悲劇の記憶に振り回されているのだろう?

 

 これは…本当に僕の望みなの? 

 

「……」

 

 頭が痛い。

 

 幾ら考えても答えの出ない問題なんて最早うんざりだ。

 

 僕は書きかけの解答用紙をくしゃくしゃに丸めて投げ捨てて、ポケットからジャパリフォンを取り出した。

 

 

「ゲームでもしよ…」

 

 僕は最近、一人でも出来るパズルゲームをインストールしてよく遊んでいる。

 

 出所は研究所のデータベース。何処かの遊び好きな研究者さんがこっそり忍ばせていたのだろうか、とてもありがたいことだ。

 

「はぁ…どっちが良いかな…」

 

 盤面に見える有効そうな手は二つ。

 

 どちらを選ぶかで今後の盤面は大きく姿を変えることになるだろう。

 

 僕が好ましいと思っているのは最初に見つけた動かし方。指をそっちに動かして、動かして……動かない。

 

「なんでさ、関係なんて無いじゃん…!」

 

 分からない、どうして僕は()()()()()の?

 

 こんな…全然違うそれぞれに同じ感情を抱いているの?

 

 知らない。

 

 解りたくない。

 

 そうだ。

 

 僕は。

 

 

 ――選びたくない。

 

 

「そう…だよ…別に、どっちでも良いじゃん…」

 

 ジャパリフォンを乱雑に投げ捨てる。

 

 思えば僕は、今まで何か大きなことを決断したことがあっただろうか。

 

 

 僕がこの島に来たのだって、()()()()決断だ。

 

 僕はイヅナもキタキツネも()()()()()、両方に繋がれることになった。

 

 ()()()()()()本心を見せた時も僕に出来ることは残されていなくて、全部が手遅れだった。

 

 

「初めて…なの?」

 

 ホッキョクギツネを見つけて、関われば面倒なことに巻き込まれると直感的に理解して、その上で()()彼女を連れて来た。

 

 これが…初めて自分で決めたこと?

 

 だから、今になって選択を迫られているの?

 

 自分で引き寄せたから、自分で始末を付けろと言っているの?

 

 

 …だったら、関わらなきゃよかったな。

 

 今からでも…関わらないことって、出来るかな。

 

 

「あはは…ほっといたっていいよね…ゲームじゃあるまいし」

 

 パズルは自分で手を打たないと何も進まないけど、現実はそうじゃない。

 

 僕が何もしなくても風は移ろい、太陽も月も昇って沈んで、真っ白な雪はいつの間にか別の結晶に挿げ替わっている。

 

 僕が手放したサイコロは、誰かが代わりに振ってくれる。

 

 

「…ソレデ、イイノ?」

「…赤ボス」

 

 

 気が付かぬ間に来ていたようだ、赤ボスが僕の横に座っている。

 

「どうしたの、何か不満?」

「ノリアキハ、チャント選ブベキダヨ」

 

 あーあ、鬱陶しいなぁ、説教なんて。

 

「イツマデモ、任セッキリデハイラレナイヨ?」

 

 そりゃまあ…そうだろうね。普通は、いつか自立とやらをして生きていかなきゃいけないって、神依君の記憶の中の誰かが言っていた。

 

「ボクハ、責任ヲト…ア、アワワワワ…」

「あはは、本気で言ってるの?」

 

 そうだよ…普通はそうだ。

 

「僕にはイヅナがいる、ギンギツネもそうかな? その気になれば、二人は何時だって甘やかしてくれる。キタキツネも、一緒にダラダラする分には文句なんて言わない」

 

 赤ボスは震えている。

 

「デ、デモ…」

「どうして甘えるのが悪いのさっ!?」

 

 成長できないから? いつまでも甘えてなんていられないから? 人として可笑しいから?

 

 

 成長(そんなの)なんて要らない。あんなもの、有難がってなんてやるもんか。

 

 イヅナたちはいなくならない、ずっと一緒にいてくれる、終わりの日なんて来やしない。

 

 …そもそもなんで、他人を可笑しいだなんて簡単に断じられるんだよ。

 

 

 頭の中に浮かぶ、僕を責め立てる幾つもの言葉。全部神依君の記憶の中の産物だ、僕に向けられた言葉じゃない。

 

 どうして君の記憶はいつも、僕を傷つけるの…?

 

 ああ、知らなきゃよかった。

 

「イツカ、手遅レニナルヨ。ホッキョクギツネノコトナラ、今スグニデモ」

「…だったらなれば良いよ…そっちの方が楽だもん…」

 

 良いんだ、良いんだ、それで良いんだ。

 

 手遅れになれば何も出来ない、責任なんて何処にもない…!

 

 もう、何が起ころうと関係ない。

 

 

「あ、はは…早く、忘れないと…」

 

 

 重い足を引き摺って歩き出す。目指すのはイヅナの部屋。

 

 足が重いのはこの足枷の所為だ。全部投げ出して早く解放されてしまおう。

 

 もう少しだ、もう嫌だ。

 

「イヅナ…」

「…ノリくん? どうしたの、顔色悪いよ?」

 

 早く、これを、手放さないと。

 

「ねぇ、ホッキョクギツネのこと…任せてもいい?」

「…え?」

「嫌なんだ、選びたくない、全部イヅナたちが終わらせてよ。ね、良いでしょ…?」

 

 イヅナに抱き付いて、どちらかと言えば掴みかかっているようで。

 

 強すぎて痛いかもしれない、だけどイヅナはいつものように微笑み掛けてくれた。

 

「…うふふ、分かったよ。ノリくんがそう言うなら」

「あ…!」

 

 やっぱりイヅナは、僕の味方だ。

 

「さ、楽にして? 今のノリくん、辛そうで見てられないから」

「…うん」

 

 布団に一緒に横たわって、顔を埋めて夢の中。

 

 嫌なことを全て押し付けてしまった心は、何処かへ飛んでしまわないか不安になるほどに軽かった。

 

 でも空っぽなんかじゃない。虹色で満たされている。

 

 ほら、幸せだ――

 

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 

 ――幸せだ。私は幸せ者だ。

 

 ノリくんは責任を投げ出して、全てを私に押し付けて()()()

 

 嬉しい。ノリくんがこんなにも私を頼って、依存してくれているんだから。

 

「うふふ…じゃあ、さっさと始末しちゃわないとね」

 

 ノリくんの気が変わってしまわないうちに、あの子に危険を悟られてしまう前に。

 

 私が…ソレに気づいてしまう前に。

 

「前から嫌いだったんだよね…あの子」

 

 ポッと出の癖にノリくんの気を一丁前に引いて、しなくてもいい心配をノリくんにさせて。

 

 ノリくんに話したのはもしもの可能性の話だったけど、今の私の紛れもない本心でもあった。

 

 あははっ、どう痛めつけてやろうかな。

 

「ホッキョクギツネちゃーん、()()しに来たよー……って、あれ?」

 

 姿が見えない、お出掛け中かな…?

 

「ちぇっ…戻って来るまでお預け…?」

 

 私は高く昇った気持ちを少し地に落とし、床に腰を下ろして彼女の帰りを待つことにした。

 

 この間に、ノリくんに会いに行こうとは思わなかった。

 

 彼女の惨たらしい姿を想像して口角が醜く吊り上がったこの表情を、ノリくんだけには見せたくなかったから。

 

 

 

「――失礼いたします。()()をしに参りました…()()()()()

 

「…ホッキョク、ギツネ?」

 

 

 

 だから…これが運命だったというのなら、私は神様を恨むだろう。

 

 



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Ⅴ-156 花は咲かずに血で染まる

 煌々と輝く太陽の光を、おびただしい量の雪が照り返し、目に飛び込んでくる日光は刺すような鋭さを持って僕らに景色を教えてくれる。

 

 雪山の中でも落ち着いた土地――僕らの暮らしている宿――から数百mくらい歩いた辺りにある開けた場所。

 言い換えるならば電源装置の区画。

 

 そこまでの道のりは高く降り積もった雪で足場が悪く、歩けばその道のりは数km程にも感じられるけど、辿り着いた先はコンクリートという名の盤石な人工物によって舗装されているから、これといった過ごしにくさは感じない。

 

 空を見上げれば目と鼻の先に建てられた建造物が嫌でも目に入り、その光景は――荒れ狂う吹雪のように自然が猛威を振るう――この雪山の中にさえも、確実に人の手が入っているのだと僕に実感させる。

 

 しかし、ホッキョクギツネは僕をこんなところに連れて来て一体何のつもりなのだろう?

 

 僕の前を歩き、時々振り返って彼女が見せる一切の屈託がない笑顔からは…果たして何も読み取ることが出来ない。

 

 この本心の掴みにくさはかつてのイヅナたちにも通ずるところがあり、冷え切った空気に囲まれながら僕は背中に冷や汗を流した。

 

 何の理由も告げずにその場の凄みだけで連れてくるところが、如何にもそっくりなのである。

 

「うふふ…もしかして、寒いんですか?」

 

 ホッキョクギツネは一度立ち止まり、僕と歩調を合わせ肩を並べてそう尋ねてくる。

 

 気温に因らない寒気を理由に頷いてみると、なんとホッキョクギツネは自分の腕と僕の腕をまるで恋人がするように絡めて…何食わぬ顔で横に並んで歩き始めた。

 

「ホッキョクギツネも、寒いの?」

「いえ、わたしには厚い毛皮がありますから」

 

 そんな風に嘯きながら、ホッキョクギツネは絡めた腕を強く引く。

 

 彼女の言う通りの厚い毛皮の向こうから、それでも伝わって来るわずかな体の震えは、何よりも雄弁に胸中の不安を物語る。

 

「…まだ歩くの?」

「もう少しですよ。着いたらきっと、ノリアキ様にも分かりますから」

「そっか…」

 

 真っ直ぐ見つめる視線を追っても、僕の目には雪しか映らない。けれど目的地はハッキリしているみたいだ。

 

 そもそもが逆らえる状況じゃない。”大きな尻尾には抱かれろ”とイヅナも言っていたし、しばらくこのまま流されよう。

 

 僕がそう心に決めても、やはりまだ気になることは残っていた。

 

「ところで…その呼び方はどうしたの? ちょっと不自然な気がするんだけど」

「え…?」

 

 それとなく…という感じでもなく単刀直入に訊いてみれば、頭の上にハテナの輪っかを浮かせてホッキョクギツネはこちらを見つめる。

 

 予想外にも、呼び方の変化には無自覚みたいだった。

 

「ほら、前は”コカムイさん”って呼んでたのに、今は…違うじゃん」

 

 自分で”ノリアキ様”と言うのは恥ずかしくて何となく誤魔化した。まあ通じたので良し、ホッキョクギツネはやっと気付いて口を抑えた。

 

 そして、とんでもないことを口走った。

 

「ダメ、ですか…?」

 

 瞬間、脚が固まった。ホッキョクギツネの言葉に身体は脊髄反射的にその動きを止め、その代わりとでも言うように脳が高速で働き始めた。

 

「あれ、ノリアキ様…?」

「ごめん、少し待ってくれる?」

「は、はい…」

 

 不思議そうに首を傾げるホッキョクギツネを横目に、僕は遠い過去の話を思い出していた。

 

 そういえば何時だったろうか。僕の名前の呼び方が変わった時は。

 

 イヅナが僕を”ノリくん”と呼び始めたのは、キタキツネが”ノリアキ”と、ギンギツネが”コカムイさん”から”ノリアキさん”へと呼称を変えたのは、果たしてどの時だったか。

 

 その記憶と現状を照らし合わせて、ホッキョクギツネの状態をどう判断するべきか。

 

 僕には楽観視なんてできない。もしかしたら、否が応でもこの問題に関係させられるかもしれない。

 

 決して現状を甘く見れない頭で、僕は”最悪”が訪れていないことを祈るのみ。

 

 けれど、ホッキョクギツネが今この瞬間向かっている先を考えれば…祈るまでもなく、結果というモノが見えてしまうかもしれない。

 

「…大丈夫、そろそろ行こうか」

「はい♪」

 

 ジャパリフォンを使えば、今すぐにでも誰かを呼ぶことが出来る。

 僕の腕を絡め取るホッキョクギツネさえ振り払えば、この状況に変化を起こすことが出来る。

 

 ――出来なかった。

 

 この期に及んで、僕は選ぶことが怖い。

 この瞬間に彼女の腕を振りほどくことは即ち、拒絶することに他ならないのだ。

 

 放っておけば悪化の一途を辿るのだと分かっていても、一途な視線を向けるホッキョクギツネを突き放せない。

 

「もう少しです…あの場所まで」 

 

 無茶な背伸びは身を亡ぼす。流石にそこまでは行かずとも、あの時の僕の決断は着実に僕から自由を奪っていく。

 

 早く、自由が無くなる瞬間が待ち遠しい。”選ばないこと”を選んでいるとか、そんな心の声は聴きたくない。

 

 やっぱり僕は流れに身を任せ、全てを委ねてしまいたいだけなんだ。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 それから十数分の後、僕達は揃って薄暗い洞穴の中に腰を落ち着けていた。

 

 この場所こそがホッキョクギツネの目的地。彼女が初めに踏んだキョウシュウの地面。僕達が仕組まれた数奇な再会を果たした、きっと彼女にとっては運命の場所。

 

 しばらくの間、無言でくつろいでいた二人。

 

 おおよそ心地よくもあった沈黙を破ったのは、最も恐れていた『最悪』の呼び声であった。

 

「わたし…全部思い出しちゃいました」

 

 他に言葉は要らない。

 

 ホッキョクギツネのその一言で理解した。震えている理由も、僕をこっそりここまで連れ出した理由も。

 

「思い出さなければ良かった…たとえどれだけ不安でも、忘れたままの方が良かった…!」

 

 自分を見失うことへの不安と、悪夢のような記憶の苦痛。

 

 どちらの方が辛いかなんてそれこそ『人による』としか言いようが無いけど…彼女にとってより耐えがたかったのは、悍ましい過去の苦痛だったみたいだ。

 

 ”失った自分”は、どうにかして新しく作れるかもしれない。

 

 けれど全てを思い出し、”壊された自分”の人格を押し付けられてしまえば…もう一度忘れてしまう他に、その過去からは逃げる方法は無い。

 

「少し前までは”思い出したい”って思ってたのに、今では全部忘れてしまいたい…でも、そんなの無理なんですよね。こんなに深く、頭に刻まれてしまっているんですから…」

 

 ()()が出来ないなら、そして自らの力で自我を保つことが出来ないなら…何かに、誰かに縋るしかない。

 

 ホッキョクギツネはきっと、その道を選んだんだ。

 

 

「わたし…帰らなきゃダメですか? ここにいちゃ悪いんですか? ()()()()()、わたしはもう二度と戻りたくないのに…!」

 

 

 ついに想起した惨劇の記憶はオイナリサマへの畏怖を越え、”ホートク”という場所に対しての根強い恐怖として彼女の心の中に蠢いている。

 

 彼女は口を抑えて嗚咽を漏らし、膝を崩して這いつくばった。

 

「ホッキョクギツネ…でも、僕は」

 

 続く言葉を声に出来ない。

 

 大体、全てイヅナに任せてしまったんだ。”任せる”と言うのはつまり、道を選ぶ責任さえも投げ出したということ。

 

「…ノリアキ様?」

 

 今のまま時の流れに事態を任せれば、ホッキョクギツネは今度こそ殺されてしまうかもしれない。

 

 僕なら多分止められる。

 

 だけど、手を出したくない。自分の手で、事態を動かしてしまうのがやっぱり堪らなく怖い。

 

「ご、ごめん、そういうのは…イヅナに任せたから」

「お願いしますっ! わたしを…助けてください…!」

 

 ホッキョクギツネに抱きつかれる。それは”抱きつく”というよりも”縋る”という感じの振る舞いで、そんな彼女の姿に思わずさっきの自分の姿を重ねてしまった。

 

「いや、だから、それは…」

「あの時は助けてくれたじゃないですかっ!? どうして、今度はダメなんですか…?」

 

 そこを突かれると、僕としては非常に痛い思いだ。

 

 別に行動を一貫させる必要なんてないと言ってしまえばそれまでだけど、やっぱり途中で違えてしまうのは少し心地が悪い。

 

 一時の迷いが、ホッキョクギツネを助けようかという気持ちを僕の中に芽生えさせた。

 

 結局僕は、『全てをイヅナに任せる』という選択すら一貫できないのだろうか。

 

 

「ノリアキ様…わたしのこの想いが、オイナリサマによって歪められた結果のモノだとは分かっています。それでもわたしにとっては、掛け替えのない大切な想いなんです」

 

 潤んだ声を出して、同じく湿った瞳を上目遣いに向けて、まるで媚びるように尻尾を振って彼女は僕を繋ぎとめようとする。

 

「それに…わたしとノリアキ様はよく似ていますよ?」

 

 こっちの話も聞かず、自らに暗示を掛けるかのようにホッキョクギツネは早口でまくし立てる。

 

「ええ、本当にそっくりです。ノリアキ様もわたしと同じ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()…」

 

 嬉しそうに、得意げに、さも分かっているかのような口ぶりで、ホッキョクギツネは本当のことを並べ立てていく。

 

「だから、わたし()()は理解できるんです。ノリアキ様の想いも悩みも、わたしとなら共有することが出来るんです…!」

 

 臆病さを積み上げて建てた砦が、ガラガラと音を立てて崩れるのが聞こえた。

 

 立ち尽くす僕に、甘い表情を浮かべて彼女は言う。

 

「ね、ノリアキ様? わたしには、あなたが必要なんです」

 

 柔らかい笑みを不安に歪めて、ホッキョクギツネは僕に縋る。

 

「わたし、沢山役に立ちますから…だから…見捨てないでください…!」

 

 僕は呆然として、未だにどんな答えを出せばいいか決断できていなかった。

 

「待ってよ、僕はそんな…」

 

 今すぐには決められなかった。だから()()()()()、ほんの少しだけ判断を先延ばしにすることにした。

 

 ちょっとした休息の為に…()()()()()、僕はホッキョクギツネの体を押し戻して、離れてもらった。

 

 それが引き金だった。

 

 選択肢というモノは、人生の何処にでも転がっている。その気が無くても、意図せずしてスイッチを押してしまう場合も往々にして存在する。

 

 だからこれはただの不運だ。そう呼んで片付けるには、余りに恐ろしい出来事だったけど。

 

 

 僕に押し戻されたホッキョクギツネは一瞬、何をされたのか理解できていないような顔をして思考停止し、そして数秒の後に彼女の顔は全ての感情を手放した。

 

「ノリアキ…様…」

 

 そして次に見た表情は絶望。

 

 その言葉がこれほど似合う顔も珍しかった。その顔を珍しがることが出来るほどに、僕は薄情であった。

 

「あ、待って。流石に一存では決められないから考えるだけで、別に嫌って訳じゃ…」

「いえ、良いんです。分かってましたから。ノリアキ様は、わたしが邪魔なんでしょう?」

 

 引き攣った頬の上に乾ききった喜びのお面を貼り付けて、嘲るような口調でホッキョクギツネは話を続ける。

 

「ずっと感じてました。最初に連れ出してくれた時も、わたしを見た三人が機嫌を悪くときも…そしてさっきも。ノリアキ様は本当に困った顔をしてましたから」

 

 口に手を当て清楚に微笑む。ホッキョクギツネによく似合ったその清廉な仕草からはしかし、僕の知る彼女の雰囲気が微塵も感じられない。

 

「理解はしていました。でも受け入れたくなかったんです。ノリアキ様。わたしを助けたのは一時の気の迷いなんですよね。知り合いを見つけたから、何となく放っておけなかっただけなんですよね」

 

 ホッキョクギツネはまた僕の話を聞く間もなく、ただ自らを納得させるために喋り続ける。

 

 話せば話す程、未練に染まった彼女の顔は生気を失っていく。

 

 

「…だったら、仕方ありませんよね?」

 

 

 一転、ニッコリ。

 

 憑き物が落ちたように笑って、彼女は懐から鈍い銀色の光を放つナイフを取り出した。

 

 震える手で固く柄を握り、狂乱に染まった目と三日月のように吊り上がった笑みをこちらに向けながら、彼女はゆっくりと近づいてくる。

 

 そして鋭い切っ先を向け、勢いよく振りかぶって…

 

「ノリアキ様…ごめんなさい」

 

 ――輝く長い刃の先を、自らの左胸に突き立てた。

 

「あっ…!?」

 

 刺されることを覚悟した瞬間に僕が感じた暖かみは、ホッキョクギツネの胸から飛び散った血の温度だった。

 

「ア…ハハハ…ッ!」

 

 雪のように白い毛皮をおびただしい量の赤色に染めて彼女は嗤う。

 

 嗤い声を上げながら、胸から抜いた真っ赤なナイフで更に自分の体を傷つける。

 

 腕を斬り、手の平に刺し、指で撫で、脚を彩る。

 

 恐ろしい…そんな陳腐な言葉では言い表せない光景だ。いや、言葉で表現することなど叶わない。この悍ましい光景を、目でしかと観ることなく理解することなど神にだって出来やしない。

 

「はぁ…はぁ…ノリアキ様…♡」

 

 だけど、それよりも何が恐ろしいかと言えば、ボロボロになったホッキョクギツネがまだこちらへと歩みを進めていることだ。

 

 もう彼女の毛皮に、元の色を残した部分は残されていない。身体の端々からは虹色の粒子が溶けだしていて、死が目前に迫っているのは明らかだ。

 

 なのにホッキョクギツネは嗤っている。

 

「あはは…どうしたんですか、辛そうな顔をして…」

「だって、こんな…ひどい…!」

 

 ホッキョクギツネは負傷でまともに声が出ない。

 

 僕は目の前の光景に頭が回らない。

 

 死の匂いが漂う洞穴の最期の時間は、とても静かに流れていく。

 

「ノリアキ様、これがわたしの決断です。もはや一緒にいられないなら、こんな命を永らえさせるつもりなんてありません」

 

 だから悔いはないのだと、病的で、しかし溌剌とした声で彼女は告げる。

 

 僕はまだ動けない。

 

 血の記憶は、冷静を保つには余りにも鮮明過ぎた。

 

 僕の様子を嗤い、ホッキョクギツネが囁く。最期の言葉だと言って、意識を釘付けにする。

 

「二つだけお伝えして、わたしは()()()()と思います。自分の想いさえ抱けなかった、こんなわたしの言葉ですが…どうか聞いてください」

 

 

 

「ノリアキ様、愛しています。わたしのこと、忘れないでくださいね…?」

 

 

 

「…あ」

 

 一瞬で、身体から温度が消えた気がした。

 

 無くなったのは力だ。糸の切れた人形のように、ホッキョクギツネは物言わぬ姿となってそこにいる。

 

「や…やだ…」

 

 死んでる…本当に死んでるの?

 

「嘘でしょ、違うよ、まだ生きてる…生きてよ…!?」

 

 どうでもいいと思っていた。違った。死んだって気にしないと思っていた。違った…!

 

 そんな訳ない。簡単にこの()()が解ける訳が無い。

 

 死ぬのなんて、見たくない。

 

 特に、自分とよく()()姿をしているこの子の死なんて…絶対に。

 

「お願い、起きて…生きてるんでしょ…!? 死んだならそれでいいから、生き返ってよ…!」

 

 手から出した虹色をホッキョクギツネの骸に注ぎ込む。治療の体も成していない、ただ流し込むだけの無駄な作業。

 

 だったとしてもやめられない。

 

 手遅れにになった後の、卑怯な全力を注ぎこむ『振り』だとしても。

 

 遅すぎた全力を使うことで、僕が本気にならなかった事実を帳消しにしようとしているのだとしても。

 

 ホッキョクギツネの心を‥‥忘れようとしているのだとしても。

 

「あ、はは…ぁ…」

 

 そしてそのまま全てを出し切り、徒労は徒労のまま、眠り姫が目を覚ますこともなく。

 

 僕もまた、無為な眠りに堕ちるのだった。

 

 



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Ⅴ-157 奪い切れない、病みの輝き

 悪夢、というものを知っているだろうか?

 

 …いや、そんなことは聞くまでもないか。明確な事実をしらばっくれて誤魔化そうとするのは、僕だけで良い。

 

 早くも話が逸れたけどさておき、この言葉は文字通りの意味の他に、”目を逸らしたくなるような惨劇”を比喩して使われることもある。

 

 或いは忌まわしい過去の記憶を意味したりもするし、とりあえずカッコよく見せようと適当にくっつけられることもある。

 

 そして僕はというと、一番最後を除いた三つをこの身で経験している。

 

 そのうちの一つは記憶に新しい。

 

 あれは、正に”目を逸らしたくなるような惨劇”という表現がぴったりと当てはまる。現にその状況でも無いこの瞬間でさえ、僕は考えないように努めてしまっているのだから。

 

 ”…ああ、いっそ本当に悪夢だったらいいのに。”

 

 きっと『悪夢(この言葉)』で表現される出来事には、おしなべてそんな願いが込められているのだろう。

 

 裏を返せば恐ろしい。それは、自らの手で覚めない悪夢の中に自分を押し込めてしまうのと同じことだ。

 

 振り返れったら、ホッキョクギツネの幻影が見える。夜空の輝きは闇に消え、帰依した彼女を黒が照らした。幻に手を伸ばしたら、溶けて血潮になってしまった。

 

 …ところでホッキョクギツネは、あの時語った言葉の通り僕を愛していたのだろうか?

 

 イヅナの言葉を鵜呑みにして僕自らそう名乗る訳ではないけど、あの縋り方はまるでカミサマを目前にしているかのようだった。

 

「もう…わかんないのかな…」

 

 溶けた赤色を握りしめると、仄かな熱を確かに感じた。ああ、何と悪趣味な暖かみなのだろう。この温度は意識を失う前のあの瞬間を思い出させ、吐き気を催す。

 

 何とも律儀な悪夢だことで、好き好んでこんな夢を見ようとする自分の無意識にも呆れ果てた。

 

 手を振って液体を跳ね飛ばし、綺麗になった手の平を見て血濡れになった筈の服をはためかせる。そしてこの状況を不思議に思う。

 

「…ん?」

 

 気付くとそれは一瞬だった。ここは夢で更に、僕は夢の中で思考ができている。明晰夢を見ているのだろうか?

 

「だったらこんな景色、早く()()()欲しいけどな…」

 

 諦めも半分にそう呟いてみると、急に世界が明るくなった。いつの間にか僕は布団の上に寝転んでいて、見えるはずの天井はイヅナの顔に遮られている。

 

「あ、ノリくん…やっと、目を覚ましてくれた…!」

「イヅナ…? それに、キタキツネとギンギツネも…」

 

 三人は皆一様に僕の顔を覗き込み、揃って安堵の情念に顔を綻ばせている。イヅナは大粒の涙を流してギンギツネも瞳を潤ませ、キタキツネに至っては抱きつきまでして思いの丈を示している。

 

 何が何だか分からないまま体を起こした僕を、イヅナは泣きながら抱き締めて離さない。

 

 とりあえず、”ちゃっかりキタキツネを引き剥がす”といういつも通りの行動にとても安心した。

 

「ノリくん、二日も寝たきりだったから…とっても心配したんだよ…?」

「…ふ、二日も?」

 

 途端に疑問が湧いて出てくる。

 

 どうして二日も寝てしまっていたのか。寝ている間に何か無かったのか。そして、何より――

 

「……ノリアキ?」

「…いや、何でもないよ。それよりお腹空いたな、ご飯はある?」

「すぐに用意するわ。空っぽのお腹に刺激のあるものは悪いし、お粥にするわね」

「うん、ありがとう」

 

 ギンギツネを見送って、僕はそれとなく体を横たえる。

 

 怖気づいたんだ、ホッキョクギツネについて尋ねることに。確かに恐ろしい、彼女が死んだと聞いてしまうことも、その最期を改めて詳らかに認識してしまうことも。

 

 可能ならばこのまま蓋をして、『シュレーディンガーのホッキョクギツネ』にでもしてしまった方が随分と気楽だ。

 

 しかしそれは不可能だろう。かつて僕を突き動かした温厚で争いを嫌った恐怖より、この惨劇の向こう側を見てみたいという残酷な好奇心が強くなっている。

 

「食べ終わったら…かな」

 

 どちらにせよ、食事の前に血濡れた話は似合わない。

 

 奇妙なほど強くなった好奇心を訝しみ、これがホッキョクギツネを殺したのかと呪いながら、ギンギツネの作った口当たりの良いお粥を、少しずつ胃に流し込むのだった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 日記に記された日付。最後に日記を書いたのは『第280日目』だったと覚えている。僕が眺めているページには『第282日目』と、書いた記憶の無い言葉。

 

 そこには僕の物ではない可愛らしい文字で、僕の知らない出来事がつらつらと丁寧に書き記されていた。

 

 とても短い文章ながらも丁寧で、途中に差し込まれた若干難しい表現からも推察するに、これを書いたのはイヅナで殆ど間違いないだろう。

 

 やっぱりイヅナの字は読みやすい。これで一日の出来事がもっと詳しく書かれていたら完璧だったろうに。

 

「だって、時間が無かったし…」

「あはは…まあ、別に頼んだわけでもないから」

 

 代わりと呼ぶには短すぎる文章だけど、日記はその日のうちに書くのが僕のこだわりだ。何はともあれ、執筆の流れを絶やすことなく日付だけでも書いてくれたことが嬉しい。

 

 …しかし何度か読んでみると、僕はあることに気づいた。

 

「でも、丁寧だね。文の書き方とか、何となく僕のやり方に似てる」

 

 そう、言葉遣いとか改行の位置とか、諸々の細かい書体とかが僕の書いたものとよく似ているのだ。

 

 それを偶然の一致と片付けられるほど僕の好奇心は弱くない。尋ねてみると、イヅナは得意げに胸を張って言った。

 

「ノリくんの書いた文はたくさん読んだから!」

「あはは、なるほどね」

 

 時間が無かったって…きっと読みすぎたんだね。

 

 だけど、昔の習慣から惰性的に書いていた日記が…こうやってイヅナを楽しませることが出来たなら、コレにも十分な価値がある。

 

 今日という一日も終わったら、しっかりと書くことにしよう。

 

 次に書くであろう文章は、あまり明るい内容にはならないと予感しているけど。

 

 

「ところで…ええと、いい天気だね?」

「あは、そうだね。ずっと眺めてたい」

 

 隙間風の音が部屋に響く。

 

 ホッキョクギツネのことを尋ねようとしたけど、後ろめたさの所為で回りくどい言い出しになってしまった。

 

 無駄に引っ張っても仕方ない。単刀直入に訊くとしよう。

 

「ホッキョクギツネは、どうなったの?」

「…生きてるよ」

 

 イヅナからは、たった一言。僕の問いに驚きはせず――さっきの仕草から察していたのだろう――ただ簡潔に、僕の知りたかったことを教えてくれた。

 

 心の中に安堵が広がり、そして同時に疑問を抱く。僕の頭は臆病深いようで、心を癒した安堵の光はすぐにその闇に塗りつぶされてしまう。

 

「どうして…無事だったの…?」

 

 あの出血では到底助かりようが無かった。イヅナたちが来たとしても手遅れだろうし、第一助けもしないだろう。

 

 頭の中で色濃く渦巻いた僕の疑問の表情を見て、それを軽く一蹴するようにイヅナは笑った。

 

「忘れちゃった? ノリくん、気絶する前にホッキョクちゃんを治そうとしてたでしょ」

「そうだけど、全然足りなくて…」

 

 ――だから助かった訳がない。

 

 そう言うとイヅナは呆れたように笑った。微笑ましいものを見るような表情を浮かべて、その理由を丁寧に諭す。

 

「ノリくん、どうして二日も寝込んでたか分かる? ホッキョクちゃんの治療の為に、体の中のサンドスターを殆ど使い切っちゃった所為だよ」

 

 そう言われて、自然に手が左胸を抑える。

 

 空っぽになりかけたサンドスターを確かめようとしたのか、或いは彼女が負った傷を無意識に思い出したのか。そこには何もない。

 

「ノリくんの体にあるサンドスターは普通のフレンズよりもずっと多いの。その殆どを使われたなら、治らない訳はないでしょ…?」

「…そうだったんだ」

 

 サンドスターの使い過ぎで気を失った。二日も寝込んでいた理由としては実に納得できる。

 

 僕はその説明で全てが腑に落ち頷いた。けれどイヅナを見てみると、若干顔を歪ませてこちらを昏い眼で見つめている。

 

「うふふ…頑張ったね、偉い偉い…」

 

 暖かい手が頭を撫でた。甘くあやすような声を投げかけつつも、その語り口に僕はやっぱり嫌な予感を覚える。

 

 イヅナは続きに腕を広げて、僕をゆったりと抱き締めた。

 

「本当に頑張ったんだね…()()()()()()()()()()()()()()…」

 

 骨を折ってしまいそうな程の力。骨まで焼き尽くしてしまいそうな嫉妬の炎を、静かで愛らしい語調から確かに感じた。

 

 そのまま、屋根の雪が滑り落ちるまで僕は抱き締められていた。

 

 小さな雪崩は部屋に影を落とし、イヅナは僕を離して儚げに笑う。

 

「ホッキョクちゃんは()()()()()()。もう目は覚ましてるから、会いに行ってあげて」

「ありがとう、イヅナ。なるべく早く――」

「良いよ、ゆっくりしてても。だって…そういう決まりでしょ?」

「え…?」

 

 イヅナはそれきり、僕に顔を見せることなく部屋から姿を消した。

 

「…そっか」

 

 なんとなく察してしまった。

 

 僕も、部屋を後にした。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「あ…ノリアキ様」

 

 窓が開き、外が良く見える部屋の中。布団の上で体を起こし、ホッキョクギツネは綺麗な白い髪の毛を日光に照らされていた。

 

「…無事でよかった」

 

 ホッキョクギツネの髪の毛はイヅナのそれよりも明るい白で、雪の結晶とその輝きを同じくしている。

 隙間から床に漏れた日光が木漏れ日のように美しく、その様子は彼女の儚さを更に引き立てているのだ。

 

 だけど今の彼女には、それらの全てさえも些細なことに見せてしまう()()が施されている。

 

「包帯…いっぱいだね」

「えへへ、沢山ケガしちゃいましたから」

 

 …全部ホッキョクギツネは自分でやったことだ。けど直接口に出しては言えない、僕にも原因の一端がある気がするから。

 

「もう大丈夫なの?」

「見ての通りの有様ですが、ノリアキ様のお陰でもう問題ありません…!」

 

 腕に脚に巻かれた包帯は、僕が気絶する前に見た傷口の位置に綺麗に巻かれている。

 

 この丁寧な処置はギンギツネかな。

 所々肉に食い込むように巻かれているのを見ると、やっぱりこの包帯にも巻いた人の静かな憎しみが込められている。

 

「わたし…もう死んじゃったと思ったんですけどね」

 

 何ともなさげに彼女は言う。

 

 見開かれた目に輝きは無く、代わりに底の見えない深淵が映る。

 

「死んでほしく、なかったから」

 

 思わず手を掴む。冷たかった。

 

 温度も希望もない指を絡め、出所の知れぬ強い力で離さぬように手を引く彼女。

 

 雪を思わせる冷たい細指が、彼女が今にも融けて消えてしまうのではないかと僕に錯覚させた。

 

 そう考えた途端に、僕は強い力でホッキョクギツネの腕を捕まえていた。ここから消えたら今度こそ死んでしまう。

 

 実体験が鳴らす予感に収まらない警鐘が、僕に今までと違う感情を抱かせた。

 

「…ノリアキ様?」

 

 守らなきゃダメだ。

 

 庇護していなければ、今すぐにでも死んでしまう。

 

 守らなくては。

 

 今までの三人との生活と一緒に、ホッキョクギツネの命さえも。

 

「しばらく…安静にしててね」

「ええ、ノリアキ様がそうおっしゃるのでしたら――」

 

 嫌なことなんて何一つない。そうホッキョクギツネは言う。

 

 ああ、彼女はきっとその通りだ。

 

 また()()()のようにと命じれば喜んで自らの体を傷つけるだろうし、死ねと言えば本当に死んでしまうことだろう。

 

「本当に、自分の体を大事にしてね。死んじゃダメだよ…?」

「…ご心配を、掛けてしまいましたね」

 

 

 ――ああ、この感情は何だろう。

 

 今迄に抱いたことのある何かだけれど、確実に何かが異なっている。

 

 似ている、恐怖にそっくりだ。だけど違う。

 

 そうだ、自分の何かが脅かされてはいないんだ。僕は何も奪われないし、何も与えられない。

 

 ただ僕が一方的に彼女の生殺与奪を握っている。彼女はそれに反抗しようともしない。

 

「ホッキョクギツネ…君にとって、僕は何?」

 

「ノリアキ様ですか? そうですね、例えるなら…」

 

 徹底的に自分を失い、一切を僕に委ねてしまう…委ねてしまえる精神を。

 

 僕と何処かが似ていながらも、凡そ理解の及ばない彼女の心を。

 

 

「…カミサマ、でしょうか?」

 

 

 きっと僕は恐れていてそして同時に、”守らなきゃ”って…思ってるんだ。

 

 



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Chapter Ⅵ 忘れじの 絶たれた望み 希え。
Ⅵ-158 わがままふたたび、王手の後に


 パチン。将棋盤が聞き心地の良い音を鳴らす。

 

「これで…終わりです! うふふっ♪」

 

 オイナリサマの一言を以て、此度の対局も俺の敗北で幕を閉じる。

 

「さて、約束は守ってもらいますよ、ふふふ…!」

 

 顔の横で手を合わせて、オイナリサマは楽しそうに笑った。この後を考えると、俺にはそれが悪魔の笑みにしか見えないけどな。

 

「な、なぁ…二回目は無しってことにならないか?」

「ダメですよ、神様に二言はありません。ちゃんと()()()、お願いを聞いてくれますよね?」

「…分かった」

 

 オイナリサマの気まぐれで始まった”賭け将棋”。

 

 勝った方は負けた方に好きな『お願い』を一つできる…というルールで始まったこの勝負だったが、俺は惜しくも敗れてしまった。

 

 果たしてどんな恐ろしいお願いをされるのか…戦々恐々としていた俺に、オイナリサマは『次の戦いで勝てば帳消しにする』と条件を持ち掛けた。

 

 将棋の戦局自体は割と五分五分だったから、今度こそ勝ってやると意気込んで俺はその勝負を受けた。…まあ、罠だったんだけどな。

 

『…え?』

『あら、どうしたんですか? さっきまで自信満々でしたのに』

 

 二戦目を始めた途端、オイナリサマの打ち方が急変した。最初の戦いよりもずっと上手く、したたかな打ち筋。俺が罠に掛けられたと気づくのにも、そう時間は掛からなかった。

 

『いや…とっても、()()だなって』

『…うふふ、ありがとうございます』

 

 とんだ強欲な神様だ。一度だけでは飽き足らず、二回分の『お願い』を手に入れようと考えていたなんて。

 

 最初の接戦も俺に二戦目を決断させる為の程良い手加減に違いない。この空間も含めて全部オイナリサマの掌の上だったのだと、つくづく実感させられた。

 

「どんなお願いにしましょうか、悩んでしまいますね」

「…無茶は勘弁だぞ」

「うふ、保証はしかねますよ」

 

 …勘弁してくれないのかよ。

 

 やれやれ…元からな気もするが、今の俺は首を差し出しているのと同じ状況だ。

 

 『お願い』と柔らかく呼んでいてもその実態はただの命令で、内容がどれほど不服でも神様の力の前に逆らうことは出来ない。

 

 無理に背こうとすれば、頭の中を可笑しく弄り回されても不思議ではない。ホッキョクギツネ(実例)の存在を俺は知っているんだ。

 

「じゃあ、一つ目は早速使ってしまいましょう♪ 大丈夫、神依さんにとっても()()()()()お願いに間違いないですよっ!」

 

 元気よくガッツポーズをするオイナリサマ。

 

 キラキラと輝きに燃える目の色が恐ろしくて…ああ、たまらないな。

 

「耳を貸してください、ごにょごにょ…」

「…はぁっ!?」

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「何なんだ、この格好は…」

「よくお似合いですよ、神依さん!」

 

 俺は料理をしている。作っているのは御馴染みパスタ料理、その中でも少し難易度が高いと言われているカルボナーラだ。

 

 ああ…そうそう、卵黄を絡める工程が難しいんだよな。

 

 ええと、俺は至って普通にカルボナーラを作っている。

 

 さっきは格好がどうとか言ったが…所詮は料理、普通は精々エプロンを掛けるくらい。そうだろ?

 

 だから気にすることは無い、気にしてはいけない。

 

「よし…次は生クリームか」

 

 フライパンの上でパスタと絡めていく。焼いたベーコンやニンニクともよく混ざっていい匂いだな、順調だ。

 

 さて、もう少し馴染ませたら卵黄を入れて仕上げるとしよう。固まる前に取り出す。スピードが命だから気を抜けないな。

 

「……よし」

 

 卵黄を入れた。このまま一気に絡めて…

 

「それにしても素敵な()()()()ですね。さわさわ~」

「わあぁぁっ!? さ、触るな、料理中だぞ!?」

「えへへ、神依さんを美味しく料理してしまいたいです…♡」

「何言ってんだ、なんで急に発情しやがったっ…!?」

 

 振り解こうとしてもオイナリサマは離れない。とても料理なんてしてる場合じゃないが、俺はカルボナーラ作りを止めるつもりもない!

 

 ああ、もう少しなんだ、投げ出して堪るかコノヤロー!

 

「くっ…お皿に、移して…はぁ、はぁ…」

「神依さんのもふもふ…ハァ、ハァ…!」

 

 俺は断続的に襲ってくる刺激に身を震わせながらも、なんとかまともな形のカルボナーラを作り上げることが出来た。

 

「よし…最後は粉チーズだな…あっ!?」

 

 なんだ…これ。尻尾の中に、指が…?

 

「あら、ここが弱かったり…ふふ」

「ぐ、うあっ、え…や、やめ…」

「ふふ、うふふふふ…神依さん♡」

「あっ――」

 

 …まさかカルボナーラより先に、俺が食べられることになるとは思わなかった。

 

 

「はぁ、とっても美味しかったです…♡」

「分かった、それは良いから早く食べてくれ…」

「ええ、パスタの方ですよね。では…いただきます」

 

 出来上がってから随分な時間が経ったそれは、かなり冷めてしまっているように見えた。

 

 オイナリサマのフォークが麺を絡め取るも、やはり固まっていて回しにくそうだ。

 

「ん…えいっ」

「…汁が飛んでるんだが」

 

 やれやれ、神様は力で解決してしまった。美味しそうに頬を染めて食べている。嬉しいことは嬉しいが、その妙に色っぽい啜り方は是非とも止めていただきたい。

 

「…ごちそうさまでした」

「お粗末様でした…ところで、俺はいつまでこの格好のままなんだ?」

 

 説明が遅くなったな。

 

 既に察しているとは思うが、今の俺の体にはオイナリサマそっくりの耳と尻尾が生えている。

 

 色はどちらも雪を思わせる純白で、髪色が黒のままな俺の頭には似合わないのではないだろうか。オイナリサマは気にしていないようだが。

 

 尻尾にはしっかりと金色の輪っかが装着されている。はて、こだわりでもあるのか?

 

「言ったでしょう? 今日いっぱいはこの姿でいてください」

「そりゃ…分かってるさ」

「それにしても良くお似合いです。お望みなら、ずっと続けても良いんですよ?」

「いや、遠慮しておく。この姿じゃ、料理がまともに出来ないと分かったからな」

 

 皮肉交じりに断ると、オイナリサマはしゅんと体を縮めて申し訳なさそうな顔をした。

 

「それは…でも、ちゃんと理性で抑えれば…」

「思い出してくれ、さっきの行動の何処に理性があった?」

「う……いえ、違います、そうではありません」

 

 俺の的確な指摘を受けて言葉に詰まったオイナリサマだが、何か彼女なりの主張があるようだ。

 

 心なしか得意げな顔にも見える、良い予感がしないな。

 

「ええと…どういう意味だ?」

「そもそも、理性は道具です。本能を抑えつけるものではなく、本能が抱いた欲望を叶えるための手段を探す道具なのです」

「…それで?」

「私の本能は『神依さんを襲いたい』と言いました。理性は『今ここで襲ってしまえばいい』と答えを出しました。…私はそうしました!」

 

 …頭が痛い。風邪でも引いたかな?

 

「薬が必要みたいだ、何処に置いてある?」

「神依さんっ!?」

 

 オイナリサマの目の色が変わる。主に悪~い方向に。

 

 俺の進む方向に立ちふさがった彼女はすぐさま俺に抱き付いて、涙声で叫び散らした。

 

「見捨てないでください、神依さんが私の全てなんです、私には神依さんしかいないんです…!」

「あ、あぁ…」

 

 最初に俺以外を捨てたのはオイナリサマの方な気もするが、言わない方が吉か?

 

「神依さんが私から離れてしまうなら、もう、私は…ふふ…うふふ…!」

「わ、悪かったって…!」

 

 後を聞くのが怖すぎて、俺はオイナリサマに屈する。すると彼女の調子はさっきまでと逆転。まるで()()()()()()()ように、上目遣いで妖しく笑った。

 

「じゃあずっと、()()姿()でいてくれますか?」

「それは、考えさせてくれ…」

「…そうですか、残念です」

 

 少し押しが弱かったのでしょうか、と言ってオイナリサマは笑う。

 

 やっぱり神様の手の中か。

 

 頭上に生えた耳を触って、未来の自分に触れた気がした。

 

 腰の後ろの尻尾に触れて、くすぐったさに身体が跳ねた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 神社の日和は虹鮮やかに、昼も夜も美しい。

 

「くふふ、神依さん…♡」 

 

 俺の横に寝転がり、縁側で柔らかな陽の光を浴びるオイナリサマの姿もそれは綺麗だ。

 

 これでまともな人格をしていたら他に言うことは無いんだが、どうやらそこまで美味しい話は存在しないらしい。

 

「神依さん、一緒に寝ましょうよー…折角の狐の姿なんですからぁ…」

 

 まあ、言ってしまえば期間限定の姿だからな。この姿じゃないと出来ないことの一つや二つは有るだろうし、”物は試し”も悪くは無いか。

 

「じゃあ、そうさせてもらう」

「こっちですよぉ、うふふ…♡」

 

 とりあえず適当に転がってみると、普段よくやる寝方になった。

 

 これはこれで楽な姿勢だし日も浴びられる。だけど、イマイチ”狐”って感じはしないな。

 

「神依さん、丸くなってみてはどうですか?」

「…なるほど」

 

 丸まり方を知らない俺に、オイナリサマが実演で姿勢の取り方を教えてくれた。…おお、綺麗な円だ。

 

 可愛らしく縮こまった体と、この姿勢だからこそ強調される大きな尻尾。一見神様らしからぬ儚い可憐さを兼ね備えた眠り方は、俺をしてその視線を惹き付けられる。

 

 しばらくそれを眺めていた俺は、いつの間にか自分がオイナリサマに魅了されていることに気が付いた。

 

「神依さん、寝ないんですか?」

「ああ、いや、やってみるさ」

 

 俺は彼女の姿勢を真似ながら目を閉じる。瞼の後ろに、様々な記憶の中の光景が浮かんでは消えてゆく。

 

 大体はそう、オイナリサマの魔の手から逃げようとしていた時のものだ。散々力の差を見せつけられ、辛うじて手繰り寄せた助けの手も無駄だった絶望の記憶だ。

 

 不思議なものだな。

 

 あんな思いをさせられて、今でもそれを色濃く覚えているのに、それでももう彼女に魅了され始めているとは。

 

 或いは、それが神様なのかもしれない。

 

 力で支配するだけでは終わらず、心さえ篭絡しようと侵し入って来る存在。

 

「いい天気ですね…明日も、いい天気にする予定ですよぉ…」

 

 面白い寝言だ、森羅万象がその手の中にあるつもりなのか?

 

「ああ…そうか」

 

 …気に食わないな。

 

 俺は精々抗わせてもらう。ただ単純に、このまま心を奪われるのが嫌だから。

 

 別に構わないだろう。オイナリサマにだって、似たような理由で身勝手にも陥れた奴がいるんだ。

 

 全部が詰みの王手の後でも…我儘の一つくらいは通させてもらうからな。

 

 

「…ん?」

 

 いつの間にか寝ていた俺は、横で動いた音で起こされた。見てみると、オイナリサマも起きている。

 

 彼女は俺が反応したのに気づいて、気味が悪いくらいのニコニコ顔で話し掛けてきた。

 

「…そういえば、もう一つのお願いを伝えていませんでしたよね」

「なんだ、もう決まってたのか?」

 

 はい、と頷き深呼吸。

 

 彼女は単刀直入に、俺から策で勝ち取ったもう一つのお願いを口にした。

 

 

「神社を作ります、手伝ってください!」

 

 

 俺はそのお願いを聞いてから丁度三拍。

 

「…は、神社?」

 

 神社の縁側で、疑問の声を上げたのだった。

 

 



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Ⅵ-159 だから、”交渉”は”脅し”じゃないんだって!

 後日、日を改めて――流石に狐耳を付けたまま出掛けるのは嫌だったからな――俺たちは神社づくりの人手や材料を集めるために図書館を訪れた。

 

 幾らオイナリサマが神様だと言ったところで、ここキョウシュウではその名前も広まっていない。

 かと言って無理に労働力を集めようとしたらオイナリサマのことだ、間違いなく流血沙汰になってしまう。

 

 …だったら、顔の広いフレンズにまとめてお願いをすれば良いではないか!

 

 という訳で、他らなぬ俺の立案で図書館に赴き、博士たちに協力を募ることにしたのだ。

 

 普段は卓越した策略で事を進めるオイナリサマだが、何故かこの辺りのことに関しては脳筋さながらの強引さを発揮してくれて厄介極まりない。

 

 …はぁ、文句を言っても仕方無いか。

 

 

 閑話休題。斯くして、俺たちは博士たちに力を貸してもらうための交渉を持ち掛けたのだが…

 

「じゃあ、このプランで良いですよね?」

「はは、はい…わ、()()()()()()は、全力を()()()()してきょ、きょっ…!」

「博士、ダメです…我々は何時如何なる時も…冷静…ちんちゃくに…ひ、ひぃ…!?」

「…なんだ、この状況」

 

 俺が少し席を外した数分間の間に、交渉の席は一方的な恐喝の行われる場所へと目覚ましい変化を遂げた。

 

 いや、マジで目覚ましい。眠気が全部吹き飛びやがった。

 

「おかえりなさい、神依さん。交渉は見ての通り順調ですよ」

「見ての通りって…何処を見ればいい?」

 

 よく見ろ、博士たちガクガクじゃねぇか。交渉とかいう段階丸々すっ飛ばしてるじゃねぇか。

 

 だが、ものの数分でこんなに状況を悪化させた彼女の手腕だけは評価に値する。ああ、これ以上なく()()()()力だ。

 

「悪いのは博士たちですよ、私の言うことを聞かないんですから」 

「俺たちがしに来たのは話し合いだろ、怖がらせちゃ意味ない」

「それは、分かっているつもりですよ…?」

「…本当か?」

 

 理解しているのならこんな事態は引き起こさない。

 

 流石に大丈夫だろうと高を括って一瞬でも目を離した俺が愚かだった。

 

 まあ、一旦オイナリサマは置いておこう。問題はそこで縮こまって震えている博士たちだ。

 

「おーい、大丈夫かー?」

「…むりなのです」

「かえってください…なのです」

 

 さて、彼女たちは精神に重大な傷を負っているらしい。

 

 ホッキョクギツネの件と言い、オイナリサマは精神攻撃が得意と思われる。嫌な得意技だな、豊穣の神様らしくお花でも咲かせていればいいものを。

 

「…どうしました?」 

「別に、何でもねぇよ」

 

 博士たちをぶっ壊した張本人であるオイナリサマは、椅子に腰かけて優雅なティータイム。

 

「呑気してる場合か…?」

「まあ、神社の建設は焦る必要のある計画ではありませんから」

 

 それに話が出来る状態でもないから、と言って紅茶を一口。

 

 確かに言う通りではあるが…二人を追い詰めた張本人に言われても、納得感という奴が無いな。

 

 それでも事実は事実、生憎俺にも打てる手はない。

 

「それならまた日を改めるか?」

「いいえ、今日のうちに話を押し通してしまいましょう」

「だけど焦る必要はないって…」

 

 俺が逸ってそう問い詰めると、オイナリサマは目を伏しがちに首を振る。けど口が笑ってるのが丸分かりだ。

 

「確かに、建設()()()()は焦らなくても大丈夫です。ですが少し脅かしすぎました。もしかしたら次は、話すら取り合ってくれないかもしれませんよ? …まあ、それなら説得を諦めて、直接働いてくれそうなフレンズさんたちに当たれば良い話ですけどね」

「…ぐ」

 

 飄々と言い放つオイナリサマに俺は唇を噛んだ。

 

 全く、何が『焦る必要はない』だ。思いっきり急ぎまくってるじゃないか、こんな方法で回りくどい説得の道を絶とうとしてくるなんて。

 

 オイナリサマが避けたいのは計画の長期化、即ち俺が結界の外にいる時間が長くなることだろう。

 

 しかし、彼女にとってのリスクを背負ってまでも建設したい神社。

 

 やれやれ…裏には何が隠されてるんだろうな?

 

「じゃあ、待つとするか。焦らなくても良いんだろ?」

「…ふふ。ええ、そうですね」

 

 小さな意趣返しを事も無げに流したオイナリサマ。

 

 強引に見えた『話し合いモドキ』も…それさえもが彼女の策の一部だとしたら、何と恐ろしい。

 

 綿のようにふわふわした神様の横姿が、何か強固な意志を持ったものに見えたのだ。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 そうだ、ここでオイナリサマが新しく建てようとしている神社について振り返っておこう。

 

 俺も詳しい話を聞くまでは、神社の畳を撫でながら『これは神社じゃなかったのか…?』なんて馬鹿なことを考えていたからな。

 

 どんな計画であれ確認は重要だ。

 

 

 そういうわけで…はい、単刀直入な結論。

 

 オイナリサマが建てたいのは、結界の出口を守る言わば”ハリボテ”の神社。

 

 一見無駄とも思えるその決断には、幾つかの理由があった。

 

 まず一つ目に、神様としての視点。

 

 さて、結界の出入りについて考えてみよう。

 

 『何もない空間からオイナリサマが現れる』…その現象はやはり”神秘的”と表現されこそするものの、神様としての威厳は少々欠けてしまう。

 

 結界を利用しつつ体裁を保ちたい。

 

 そのためにはやはり慣れ親しまれた形式――つまり神社を利用するのが一番であるらしい。

 

 

 そして二つ目の理由が、この島のフレンズ。

 

 ここでオイナリサマ(神様)の視点から離れて、キョウシュウに住むフレンズたちの立場に立って考えてみるとしよう。

 

 例えば…オイナリサマの力を頼ったり、何か相談をしたいと思ったフレンズがいたとする。

 

 彼女たちはオイナリサマの居場所を訪れようとするだろう…そして今のままでは、何も無い草原を探して回ることになるだろう。少し前の祝明達と同じように。

 

 ハリボテを造ればそうはならない。故に建てる。

 

 

 三つ目。これは彼女曰く重要ではないが…自分の存在を知らしめるため、らしい。

 

 キョウシュウには、守護けものに関する言い伝えや伝説が全くと言って良いくらい出回っていない。

 

 オイナリサマ然り、四神然り…まともに知っているのは博士たちのような少し賢いフレンズに留まる。

 

 その現状を変えたい…という思いがオイナリサマにはある。

 

 

「…で、良かったんだよな」

「はい、完璧です♪」

 

 その旨を、ようやく話が伝わりそうになってきた博士たちに伝える。

 

 何事も、意欲や動機は話し始めの重要な切り口だからな。

 

 あ、学校に出すレポート課題に変な動機や感想を添えるのはNGだぞ。

 ああいうのは事実と、それを総合して導き出せる考察だけにするのがルールだって…理系の先生が言っていた。

 

「なるほど、そういう理由で…」

 

 まあ、博士はその称号を冠しておきながら理系ではないし大丈夫だろう。

 

 少々怪しい動機付けに思えるが、まだ精神薄弱の気がある二人の心にはスッと入って来る言葉だったらしい。

 

 ま…脅迫に比べたらそうだろうな。

 

 

「オイナリサマにも考えがあるんだ、難しい頼みじゃないし考えてくれるとありがたい」

「なるほど、少し…奥で助手と話し合ってきても良いでしょうか」

「ああ…いいよな、オイナリサマ?」

「はい、大丈夫ですよ」

 

 博士は疲れたような笑みを浮かべて、弱々しげに”ありがとう”と口にして奥に姿を消した。

 

 弱みに付け込んでいるようで後ろめたいが、とりあえず交渉は順調な兆しを見せている。

 

「うふふ、やっぱり私より神依さんの方がお願い向きですね」

「そりゃ…そうだろ」

 

 俺は博士たちとは親交があるし…何より脅迫なんて手は使わない。

 

「私の想いも伝わったようで…嬉しいです」

 

 オイナリサマは不敵に微笑む。その”想い”とやらも俺は…全部建前だと思ってるんだけどな。

 

 

 

 ――さあ、ここからは俺の心に秘めた裏話。

 

 そもそもの話…()()オイナリサマが、そんな些細なことに気を配るはずがない。

 

 この際自意識過剰だと謗られても構わないから言っておく…彼女の最優先事項は俺だ。

 

 神様としてのアレコレとか、ましてや島のフレンズのこととか…本心ではどうでもいいと思っているに違いない。

 

 ああ、賭けてやろう。向こう一か月の自由でもどうだ? ハハ、自由なんてそもそも無いって? 頭が痛くなるね。

 

 …ふぅ、軽口はさておき、オイナリサマがこんな嘘をつくメリットは何だろう?

 

 本当のハリボテは神社ではなく、掲げた大義名分なのではないだろうか。

 

 ここまで言ったら愈々察しが付かなくなるな、オイナリサマの目的とは?

 

 俺が今持っている情報で断定は出来ないが、推測だけは述べるとしよう。

 

 

 彼女の目的は…神社の『建設』、その作業の中にある。

 

 

 それは建てること自体かもしれないし、その過程の作業かもしれない。下手をしたら…建材が欲しいだけかもな?

 

 まあそんな冗談はさておき、この嘘が博士たちを説得するための有効な材料になるのは確か。

 

 始めから降りられる船でもないし、精々沈むまで乗り続けてやるとするさ。

 

 

 

 俺は声を掛けられて、本に落としていた視線を上げる。

 

 博士と助手が怯えるように細くなりながら横並びで立っていた。俺は更に優しい声色を心がけ、二人に尋ねる。

 

「結論は…出たか?」

「はい。我々は、()()()に紹介と手引きをすることに決めたのです」

「詳しい内容は今から…ですよね?」

「ああ、決めていこうか」

 

 俺は姿勢を正しながら、むず痒い背中をこっそり掻きむしる。

 

 お二人? あの傍若無人の博士たちが、俺たちをこんな風に呼ぶのか?

 

 オイナリサマ、あんたがほんの少しの間に与えた傷はどうしようもなく大きいよ。俺はむしろ、この二人には傲慢なままでいて欲しかった。

 

「ええと…ご要望は…」

「全部話すと長くなるから、前もって紙に書いといた。頼むのが難しいフレンズとかがいたら言ってくれ」

「わ、分かりました…なのです」

 

 すっかり丸くなってしまった口調の物悲しさを、まるで残滓のように後を引く語尾が強くする。

 

 俺は歯噛みしながら、薄っぺらな紙を差し出した。

 

 博士はそれを読み、助手と時折顔を見合わせて相談しながら、箇条書きにされた名前の頭にマルとバツを付けていく。

 

「割と、ダメな子も多いんだな」

「はい、前にジャパリまんを吹っ掛けすぎたりしてしまって…」

 

 力に任せて脅し紛いのこともしていたのだろうか。それにしても、今の状態を因果応報と切り捨てるには哀れ過ぎる。

 

 そして、作業の印として名前に〇×が付けられていくフレンズたち。

 

 その行動に確認を超えた意味がないと分かっていつつも、俺は背中に妙にぬめった汗を流すのだった。

 

 

「…こんなもの、でしょうか」

「そうか…まあ、十分じゃないか?」

 

 オイナリサマに紙を手渡す。軽く目を走らせて、彼女は頷いた。

 

「そうですね、これだけ協力してくれれば問題はないでしょう」

 

 うっすら口角を上げて紙を畳み、俺の隣に腰掛けた。

 

 まさか、まだ何かあるのか…?

 

「ご安心ください、今日はこれきりです。急いで負担を掛けても仕方がないでしょう?」

「…ああ、だな」

 

 正直、”どの口が言うんだ”…と返してやりたかったがあえなく断念。俺に神様を挑発する勇気はなかった。

 

「そ、それで、一体何を…?」

「そう震えないでください、ただのお礼です。ほら、前のお宝探しの時も手伝って頂きましたし」

 

 そういやそうだったな。アイツ一人を貶める為によくやるよこの神様も。

 

「お、お礼…?」

「この前は私の思い通りに良い宝探しが出来ました。それはあなた方のお陰です。ですから、今回もお願いするに至ったのです」

 

 おい、俺が言ったことだぞ。

 

 横目で軽く睨むとオイナリサマは俺に向けて手を合わせた。全く、そんなんでチャラに……するしかないんだろうな。

 

 けどまあ、博士たちの対応も軟化している。これくらいの嘘は目を瞑ろう。

 

 

「ですから、この先も何かあったら…よろしくお願いしますね?」

 

 

 …そう思った矢先、オイナリサマは想定外の爆弾を二人の元へ投げ入れた。

 

「ひっ! は、はいぃ…!」

 

 荘厳な姿から放たれる威圧に博士たちの様子も逆戻りだ。

 

 オイナリサマはとことんまで、この二人に安寧を与えたくないらしい。…いや、本当にそうなのか?

 

 もしや俺が、ほんの少し前までこの二人と一緒に生活していたから?

 

「…っ」

 

 目が合った。

 

 稲穂のように美しい黄金は、しかし正気の輝きを失っている。煌めく月のような光が、彼女の狂気を表すが如く光っていた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 もやもやした気持ちのまま帰ろうとした俺たちを、控えめな声で助手が呼び止める。

 

 不機嫌そうな顔をしたオイナリサマを寸前で制し、俺は助手の言葉を待つ。

 

 助手はオイナリサマに窺うような視線をチラチラと向けながら、ゆっくりと喋り始めた。

 

「最後に…よもや、後れを取ることは無いでしょうけど一つだけ。この頃…セルリアンの数が多いようです。どうか――」

「問題ありません。神依さんだけは、私が何に代えてもお守りしますから」

 

 強い語調でオイナリサマが遮った。やはり我慢できなかったと見える。

 

「そうですか…ええ、無駄な言葉でした。…それでは」

 

 助手は深く頭を下げ、それを最後に姿を消した。

 

 

 やれやれ、『俺だけは』…か。

 

 まあ、だろうな。

 

 それと…セルリアンか。

 

「何も無いといいけどな…」 

「私が、神依さんには指一本触れさせませんよ」

 

 オイナリサマがそう言うが、俺の中の不安は薄れない。むしろ根強くなっている気もする。

 

 けど、それ以上考えても漠然とした不安以上のことは分からず、俺は考えるのを止めた。

 

 後から考え直してみれば俺は…オイナリサマに甘えていたのかもしれない。

 

 何が起ころうとどうせ、俺に危害なんて加わりやしないのだからと。

 

 ああ、薄ら寒い。

 

 



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Ⅵ-160 無力なヒトよ

 今日の天気は曇り。

 

 見渡す限りに広がる灰色の空は決して気分の良くなる眺めではない。

 だが、高すぎない気温は作業をするのに丁度良いことだろう。

 

 遠くを見れば濃い霧が山頂を覆い、その一部が流れ出してきたのだろうか、辺りの森も薄っすらと霧が掛かっているように見える。

 

 フレンズたちの方がよっぽどそういう感覚は鋭いだろうが、俺が感じた限り雨が降る気配はない。今日は過ごしやすい一日だ。

 

 

 ――しかし、何故そんなものばかり気にしてしまうのだろう?

 

 

 ああ、答えは簡単だ。俺は暇を持て余していた。

 

 目の前には沢山のフレンズたちが行き交っている。

 

 ある者は木材を持ち、またある者は石を運び、もしくは協力して木を倒したりしている。

 

 そんな中、俺はオイナリサマに与えられた”現場監督”という立場に甘んじ、何をするでもなく無為な時間を貪り続けていたのだ。

 

「カムイさん、そろそろ材料が四分の一くらい揃うっス」

 

 俺はビーバーの報告に頷き、採取を止めて建材を運搬するようにお願いする。

 

 俺に出来る仕事はこれだけだ。

 

 作業をするフレンズたちを見守り、時にその報告を受け、オイナリサマに用意された通りの受け答えをして作業を更に進めさせる。

 

 まるでロボットにでもされたような気持ちだ。そう思った直後、ロボットに気持ちなんて無いと気づき、乾いた笑いが出た。

 

 いっそ雨でも降らないものかな。

 

 じっとり体を濡らしてくれれば、もっと心の籠った笑顔が出来るかもしれないのに。

 

「見たところは順調だな…」

 

 わっせわっせと声を上げ、丸太を運ぶフレンズたち。

 

 俺としては、見た目の可憐な少女たちに力仕事を任せてしまうのは非常に心苦しい限りだ。

 

 ただそれを理由に手を貸してしまえば最後、俺はオイナリサマから恐ろしいお叱りを受けることになる。…色んな意味で。

 

『神依さんに野蛮な仕事は似合いません! 所詮はただの労働力なんですから、顎でこき使うくらいがピッタリですよ』

 

 どうもオイナリサマの目線では、フレンズたちには彼女曰く”野蛮な仕事”が()()()()()()らしい。

 

 神様故の価値観か。俺には分かりっこないな。

 

「…暇だ」

 

 そう、オイナリサマへの文句など実はどうでもいい。問題が深刻なのは俺が手持ち無沙汰であること。

 その昔、キルケゴールという人物が『死に至る病』と言う名で絶望を形容した。今の俺が思うに、退屈も『それ』の一種である。

 

 一秒、また一秒と時間が流れ去り、何度目かも忘れてしまった溜め息が喉を鳴らした頃…転機はやって来た。

 

 

「た、大変であります! 向こうに、セルリアンが…!」

「セルリアン…!?」

 

 

 思わず立ち上がった。とうとう現れたか。

 

 助太刀に向かおうと一歩踏み出し、そこで俺は躊躇した。

 

 俺は碌に戦える力を持っていない。

 

 確実性を取るならば、オイナリサマを呼んで討伐に向かった方が良いと思ったのだ。

 

「…か、カムイ殿?」

「…ああ、すぐ行こう」

「では、案内するでありますっ!」

 

 俺は、騒動の中に身を投じることで退屈を紛らわそうとしたのか。

 

 いや…きっと、渦中にいるフレンズたちのことを案じての行動だろう。

 

 ただ一つ確実なのは、考えるよりも足を動かす方が大事であることだった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 プレーリードッグと一緒に走って約数分、若干霧が濃くなってきた林の奥に、騒がしい一団が集まっていた。

 

 彼女らの姿を視界に収めるなり、横を走るプレーリーはそちらを指差して叫んだ。

 

「――あそこであります! やはり、セルリアンが多いでありますね…」

「確かに、倒すのは骨が折れそうだな…」

 

 骨の一本や二本で済めば良い。最悪の事態になれば、その身に宿した輝きを全て吸いつくされてしまう。

 

 …そんな結末は御免だ。

 

「だがそうだな…アイツら、倒せると思うか?」

「ぐぐ…難しいと、思うであります」

 

 歯切れの悪い返答で察した、倒して乗り切るのは到底不可能だ。

 

 セルリアンに囲まれているフレンズも大体四人程度に見えるが、この数の差をひっくり返す戦力を期待するのは筋違いだろう。

 だからこそ、プレーリーもその場で戦うのではなく助けを呼ぶ選択を無意識のうちに行ったに違いない。

 

「それで、どうするでありますか…?」

「全員で何とか逃げられればいいが…っと!」

 

 話しながら、俺は霧の中から飛んできた攻撃をすんでのところで避けた。

 

「カムイ殿!?」

「さっきの声に反応して出てきたセルリアンだ。…多くて三体だな、これくらいなら倒せるか?」

「任せるであります! …あ、大声はマズいでありますね」

 

 キュッと口を結んでセルリアンを一蹴したプレーリー。

 

 俺たちは更なる襲撃を警戒して少し移動し、軽く救出の手筈を整えることにした。

 

「必要なのはスピードだ、もたもたしてたら俺たちも取り囲まれることになる。バッと出て、蹴散らして、広い場所へ逃げる」

 

 簡単に説明してやれば、納得したようにプレーリーも頷いた。

 

「他のフレンズ殿が多い場所へ行けば、一緒に戦えるでありますからね! 巻き込んでしまうのは申し訳ないでありますが…」

「緊急事態だ、仕方ない」

 

 オイナリサマが居れば文字通り蹴散らしてもらって終わりだったんだが…いや、越して考えている時間が勿体ない、さっさと終わらせてしまおう。

 

「合図をしたら飛び出す……行くぞッ!」

「了解、突撃でありまーす!」

 

 俺たちは同時に芝生を踏み抜き、霧の中へ飛び込んでいった。

 

 

―――――――――

 

 

「うぅ…セルリアンが多すぎるっス…」

 

 ビーバーの嘆く声が聞こえる。

 

 こちらからも声を上げて励まそうかと思ったが、その前にビーバーが明るく声を張り上げた。

 

「みんな、いつかチャンスはやって来るはずっス。絶対に、皆で逃げ切るっスよ…!」

 

 分かり切った空元気。だが、彼女の言葉に駆り立てられた闘志をここからでも感じる。

 

 俺は並んで走るプレーリーと目を合わせ、共に頷いた。

 

「蹴散らすであります…!」

 

 霧の向こうへ、セルリアンの壁へ、プレーリーが先導して突き進んでいく。

 

「助太刀に来たであります、逃げるでありますよッ!」

「あ…みんな、助けが来てくれたっス!」

「一応俺もいる。戦力になるかは微妙だが…こっちだ!」

 

 俺たちがやって来て、状況は一変した。

 

 フレンズ達を囲っていたセルリアンの塀は見る影もなく崩れ去り、みんながその隙間を通ってどんどん逃げて行く。

 

 俺が先頭を行き、プレーリーとビーバーが殿(しんがり)を務める。

 

 セルリアンたちは急襲に対応しきれていない、この調子ならば数分としない内に脱出できることだろう。

 

「付け焼刃の作戦だが、なんとか上手く行きそうだな…」

 

 進めば進むほど霧も薄く、見通しも良くなってくる。文字通り差してきた光明に俺はそっと胸を撫で下ろした。

 

 その光に…大きな影が掛かる。

 

「ん…何か、揺れてる…?」

 

 ふとグラついた地面。自然に止まった歩み。

 

 足を止めるべきではなかったと、思い知らされたのはその直後。

 

「あ、セルリアン…!?」

 

 一緒に歩いていたフレンズの一人が絶望の声を上げる。目を前に向ければ、彼女が指差した方向に奴はいた。

 

「げ、でっけぇ…うおっ!?」

 

 再び揺れた地面。

 

 頭が霧に隠されるほどの巨体で、木を根元から張り倒すゾウ型のセルリアン。

 鼻の部分は重機のショベルのようにも見え、溢れる武骨さは日常からの乖離と禍々しい殺意を感じさせる。

 

 一目見て分かる力の差に絶望し、俺は縋るように後ろを振り返った。

 

 そこにはフレンズがいる、そしてプレーリーとビーバーがいる。

 

「た、大変であります…!?」

「オレっち達、逃げ切れるんスかね…」

 

 …ダメだ、あの二人にも頼れない。

 

 フレンズたちも戸惑うように辺りを見回し、二進も三進も行かない様子だ。

 

 俺が…どうにかするしかないのか?

 

「あぁ…やってやるさ」

 

 俺は真っ先に、十分すぎるほどに絶望した。

 

 けどよく考えてみろ、本当に絶体絶命の状況ならオイナリサマが出てくるはずだ。

 

 そこだけは嫌と言うほど実感したし信用している。あの神様は、俺のピンチを放っておかない。

 つまりはまだ挽回の目があると――本当にこの様子を見ているのなら――思われている筈だ。

 

 精々ピンチを待っていろ、俺は自分で何とかしてやる。

 

 まず俺は、悲しみに暮れているフレンズたちを鼓舞することに決めた。

 

「みんな、諦めるのは早い。あの図体だ、動きはそう早くないはずさ。逃げ切れる…きっと行けるさ」

「そ、そうっスね…!」

「カムイ殿の言う通り、諦めるには早すぎるであります!」

 

 二人が声を張り上げれば、どん底に沈んでいた士気が戻って来る。

 

 何事もまずは気持ちだ、希望さえ持っていれば状況を打開する手段は必ずある。

 

 一旦進路を外れ、近くの物陰で作戦を練ることにした。

 

 

「戦法は簡潔に行く。脚を狙って動きを止めて、その隙に逃げよう」

 

 内容を告げれば全員が頷く。やはりあのデカブツに真正面から戦いを挑むのは避けたいらしい、当然だな。

 

「それで、後ろ向きな考えでありますが…もし、失敗したら…?」

 

 後ろめたそうなプレーリー。確かに、場合によっては雰囲気を損ねる発言になりかねない。

 でも、俺は必要な確認だと思う。それに、そうなった時の対処法も用意してある。

 

「失敗したらそうだな…俺が囮になるから置いて逃げてくれ」

「そ、そんなッ!? 無理っスよ!」

「そうであります! カムイ殿を見捨てるなんて…」

「どうどう、少し聞いてくれ?」

 

 途端に抗議しだすフレンズたちを制す。どうしてこうなるんだ、優しすぎか?

 

 かと言って、俺の対処法が変わる訳ではない。

 

「俺がピンチになったら黙ってない神様がいるんだ、何も問題ないさ」

 

 何と言うか、オイナリサマが俺を矢鱈と大事にしていることは彼女たちも勘付いていたらしく、案外簡単に説得は出来た。

 

 怖いし本当は使いたい手じゃないが…ま、本当に愛してるっているなら、精々利用されてくれよな?

 

「じゃあ、さっさとちょっかい出してずらかるとしようぜ」

 

 攻撃の合図をする。

 

 それに合わせてフレンズたちが陰から飛び出し、色んな方向から蹴りやら殴りやらを仕掛けセルリアンの体勢を崩した。

 

 俺はタイミングを見計らい、撤収の号令を掛ける。

 

「逃げるぞ、急げっ!」

 

 全員で一方向に走り出す。

 

 斯くして、無力なヒトが主導した戦略的撤退は、巨大なゾウ型セルリアンに対して多大なる勝利を収めたのだった。

 

 

 …そう。

 

 ゾウ型セルリアンに対して()

 

 

「あっ…!?」

「っ、ビーバー殿!?」

 

 セルリアンがビーバの足を掬った。

 

 最初に蹴散らしたセルリアンの大群が、今になって再び姿を現した。

 

「くっ…狙ってやがったのか? 狡猾な奴らめ…!」

 

 悪態を突くが現実は変わらない。刻一刻と魔の手はビーバーに迫る。

 

 ここが…切り札(ジョーカー)の使い時だ。

 

「頼むから、ババであってくれるなよ…!」

 

 咄嗟に駆け付けた俺は、ビーバーを起こし先に進ませる。

 

 なけなしの力で小さなセルリアンを足止めし、少しでも時間を稼ぐ。

 

「カムイさんっ!?」

「行け! …俺には神様が付いてるからな、すぐに合流できるさ」

 

 悲痛な顔をしながらビーバーは走り去る。

 ああ、これから死ぬ奴の台詞だったかな、さっきのは。

 

 まあいい。

 

 死ぬならば死んでしまえ。

 元々一度潰えた命なのだ、惜しむような希望も奪われたのだ。

 

 だけど…アンタは違うだろ?

 

「出て来いよ、俺を死なせたくないならな…!」

 

 迫りくるゾウ型セルリアン。

 

 山のような姿が視界を影に染め、俺は逃れようのない死を想像する。

 

 目を瞑り、もう全てを委ねるのみ。

 

 

 一秒…二秒…三秒…目を、開ける。

 

 

 俺は笑い、腕を伸ばし、降り注ぐ大量のサンドスターをその手に掴む。

 

 へへ…やっぱり、見捨てられなかったな。

 

「神依さんったら…神様遣いが荒いですね?」

「呼んだ覚えはないぞ、勝手にオイナリサマが来ただけだ」

 

 軽口を返し、怒られるかと思って一瞬身構えたが、彼女から返ってきたのは更なる微笑みだった。

 

「でも、神依さんは私を頼ってくれたんですよね…嬉しいです」

 

 ”あふふ”と笑ったその声は、甘くも恐ろしい悪魔のようで。

 

「そうだ、ついでに神依さん」

「…ん?」

 

 身震いする程邪悪な誘いを、神はヒトへと語り掛ける。

 

 

「守るための力とか…欲しくないですか?」

 

 



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Ⅵ-161 想いの力がここにある

「…あ、カムイ殿が来たであります!」

 

 件のセルリアンの処理を終えてから暫くの後、俺はようやく霧まみれの林の中から漸く出て来ることが出来た。

 

 そんな俺を真っ先に出迎えたのはプレーリドッグの声。見ればフレンズたちも全員無事な様で、俺は甚く安心した。

 

「ありゃ危なかったな、だがみんな怪我も無いようで…何よりだ」

「カムイさんのおかげっすよ!」

 

 彼女の晴れやかな声を後押しするかのように天気も良くなり、朗らかな日光が広大な湖の水面に跳ね返る。

 視界に映る美しい青色は、まるで空をそのまま地上へと持ってきたかのようだ。

 

 だがこれは、単に空が晴れたからではない。

 

 キョウシュウに戻ってきてから、ずっと暗雲の立ち込めるが如く闇に包まれていた俺の心。

 

 その心に”一縷の望み”が、”輝き”が戻ってきたのだからこそ、俺はこの水面に美しさを見出すことが出来ているのだ。

 

「ところで…あの大きなセルリアンはどうするでありますか? もし追ってきたら大変でありますが…」

「それなら心配は要らない、オイナリサマがバッチリ退治してくれた」

 

 ついでに、わらわらと出てきていた雑魚セルリアン共もな。

 落ち着いた調子で、不安を払拭するようにそれを話してやれば、もはや此度のセルリアンに関して後顧の憂いは無い。

 

 文字通り、これで”晴れて”建設作業に戻ることが出来るというモノだ。

 

「では、作業再開でありますね!」

「いや、それなんだが…今日のところは、用意できた建材を一か所にまとめて終わりにしたい」

「あ、そうっスか?」

「少し用事が出来てな…それに、働きすぎも悪いだろ?」

 

 最後にお礼のジャパリまんを配って、本当に今日は終わり。

 ”明日もよろしく”と言い残してから俺は湖畔を後にした。

 

 

「んで…何で隠れてたんだ?」

「”神様”とは荘厳な存在…簡単に姿を見せるものではないのですよ…」

 

 え、荘厳? 簡単に姿を見せない? 随分とユーモアに溢れる神様だな、尊敬するよ、うん。

 

 まあ本音のところは知らないし、追及する気もない。

 

「まあいいさ。それで、例の儀式は帰ってするのか?」

「勿論です! と~っても、大事な儀式ですからね!」

「へぇ…だから理由も適当に誤魔化させたのか?」

 

 オイナリサマはニコニコと微笑みながら頷いた。そして自然な動きで俺の手を取り、彼女は道を歩み行く。

 

 かつての俺なら絶望に染まり、まるで処刑場に行くような足取りでこの道を進んでいたことだろう。

 

 だけど今は少しだけ違う、きっと希望がこの先にある。

 

 オイナリサマがどんな思惑で与えたとしても…戦うための力は俺が道を切り開くための標になり得ると、心の底から確信していた。

 

「神依さんも、心なしか嬉しそうですね?」

「ああ…そうだな」

 

 寿命か痛みか。

 少なからず代償はあるだろう。だが、折れてなるものか。

 

 俺の想いが、この胸の中に有る限りは。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 結界の中心から見える虹色の空は、果たして何処の国から見上げた景色なのだろう。

 

 希望、絶望…そして希望。

 この景色の意味は俺の中で何度も反転した。

 

 全ての色を持ち、あらゆる姿を見せる蒼穹が…今日は、とても明るい。

 

「さて、座って待ってろとは言われたが…」

 

 視線を地面に降ろし、自分の周りを取り囲むように描かれた妖しげな紋様を観察する。

 テレポートに使ったイヅナの魔法陣が記憶に新しいが、この模様はそれとは明らかに違う。

 

 平たく言えばカクカクしている。六芒星と呼ぶはずだ、昨今では児童向け絵本くらいでしか見掛けない模様…というのは過言だろう。

 

 この紋様が外の街中にあれば唯の景観だけど、オイナリサマの物と思うと急激にオーラを感じてしまう。

 

 それほどの説得力を持たせる行いを彼女はしてきた。

 そしてそれと同じくらい…残酷なことも。

 

「ま…今は関係ないな」

 

 インパクトが強すぎて事あるごとに想起しちまうが、余りその印象に囚われ過ぎるのも悪いよな。

 

 よし、オイナリサマの良い所を探してみよう。

 

「……」

 

 ある筈だぞ、しっかり考えれば。

 

「……」

 

 神様だし、まあ…何か…そ、そう! 他のフレンズとは比べ物にならない程一途で…あと……見た目も、綺麗だ。

 

「性格は…いや、やめとくか」

 

 神と言えども短所はあるもの、触らぬ神に祟りなし。

 神の方から触ってきたら…どうしようもないけどな。

 

 そんなことを思いながら俺が独りの時間を潰していれば、しばらくしてオイナリサマも戻ってきた。

 

「神依さん、準備が出来ました! そろそろ儀式を執り行いましょう♪」

「…あぁ、頼む」

 

 何時か作った御幣を手にして、屈託もなく笑う神様。

 俺は背中に冷や汗を流しながら、真昼の流れ星に願いを込めた。

 

 

「それでは、真ん中に寝そべってください。頭はこっちで、仰向けで」

「分かった…こんな風か?」

「ええ、バッチリです♪」

 

 普段よりも上機嫌に鈴を転がし、オイナリサマは俺の体勢を丁寧に調整し始める。

 

「腕はもう少し上。筋肉も引き締めて…ふふ、脚はもっとこう…えへへ…」

 

 …調整、なんだよな?

 

「そろそろ…始めてくれないか?」

「…あっ!? で、ですね、そうしましょう…!」

 

 顔を引き締めてキリッとした表情になったオイナリサマだが…残念ながら、涎を拭いていないせいでカッコ良くはない。

 

 見る奴が見ればまあ…可愛いんじゃないか?

 

 

 俺の冷めた目も知らぬまま、オイナリサマは服に唾液を滴らせながら、祝詞らしき言葉を並べ始めた。

 

 …あれ、祝詞って神様が唱えるものじゃなかった筈だが。

 

『―――――――――』

「…?」

 

 ん…?

 オイナリサマ、何て言ってるんだ?

 

 日本語を喋っていると反射的にそう理解したはずなのに、俺の脳はそれ以上深入りすることをを拒んでいる。

 

『―――――――――』

 

 先程までと打って変わって、荘厳に響く声は鈴の音。

 いつか見せていた朗らかさだって、今この場所に在りはしない。

 

 改めて思い知らされた。

 

 どれだけ狂っていても、彼女は神様だ。

 

 綺麗な声が、脳みそを侵すようだ。

 

「解らないでしょう…? 人間には、聞き取れない言葉ですから」

 

 オイナリサマの手が、俺の胸に沈んでいく。

 黒い水しぶきが跳ねた気がして、そういえば体がセルリアンだったことを思い出した。

 

 心臓の辺りに感じた強い違和感が、自然とオイナリサマの手を拒絶した。

 

「っ…やっぱり、抵抗があるようですね」

 

 弾かれた手を横目に眺め不愉快そうに呟いた。

 つい声を掛けようとした俺の口を指で押さえて、オイナリサマの口が俺の耳元で優しく囁く。

 

「神依さん、力を抜いてください…痛いことも、悪いこともしませんから、私を受け入れて…?」

 

 その言葉は蕩けるように甘く…魔法でも掛けているのか、普段よりも心に沁み込んでくる感覚を覚えた。

 

 何を意識するでもなく、俺の体はオイナリサマの言う通りに動く。

 

 完全に力が抜けきった様子を見て、彼女は再び俺の体に手を沈めてしまった。

 

「さて…神依さん。これから貴方の体を弄ります。()()()()刺激があるかもしれませんが…どうか、耐えてくださいね?」

 

 指が心臓()に触れた。体が跳ねた。

 顔が熱くなる、憔悴に身が焦がれる。

 

「さあ、 儀式(手術)の時間ですよ…うふふ…!」

 

 オイナリサマは粘っこく、俺の体を書き換えていく。

 

 力が流れ込んでくるのを感じる。オイナリサマの感情が心臓を塗り潰していくのを感じる。

 

 身体に逃れられない鎖を結ばれて、もう絶対に逃げられなくなったのだと…感じた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「ひとまず…馴染んできたみたいだ」

 

 様々な意味で夢のような儀式が終わってから数時間後。

 

 儀式の直後はまともに動かせなかった手足も、もう今までと同じように操ることが出来る。

 

 更に俺は、サンドスターを手や体の表面に纏わせることが出来るようにもなって、確実な変化を実感していた。

 

「でしたら、実戦でその力を確かめてみましょう」

「それは、構わないが…誰が相手になるんだ?」

 

 いざ”実戦”と聞くと尻込みしてしまう。

 まさかとは思うがオイナリサマじゃないよな?

 

 どんな力を手に入れたところで――そもそも力の出所が彼女である時点で――オイナリサマに勝てる未来なんてものは見えない。

 

 戦いにも慣れていないし、そこらにいるセルリアンが相手だとありがたいのだが。

 

「そう言うと思って捕獲しておきましたよ、倒し易そうなセルリアン」

「…ありがたい」

 

 ”すぐに連れてくる”と言って、オイナリサマは向こうに消えた。

 まるで俺の心を読んだかのように行動する彼女は、時々ありがたくて常に恐ろしい。

 

 …って、もう戻ってきたか。

 

「さあ神依さん、パパっとやっつけちゃってください!」

 

 俺の目の前に放り出されたセルリアン。

 戦い方を決めるためにいったん思考に耽る俺。

 

 …セルリアンは怯えながら俺を見ている。

 

 …俺は教えてもらえなかった戦い方を探りながら、セルリアンを眺めている。

 

「…なぁ、どうすればいい?」

 

 結局、俺は尋ねた。

 生憎の現代っ子である俺は、説明書も無しに何か新しいものを使うことは出来ないのだ。

 

「イメージです…使いたい武器をイメージして、その手に掴むんです!」

 

 やけに熱の籠った解説をしてくれる神様。まさかとは思うが趣味じゃないよな?

 

 まあいいさ、戦えるのなら文句はない。

 

「俺の…使いたい武器…」

 

 何が良いだろう、見慣れているのにしたいな。

 

「刀…だな」

 

 アレなら、祝明が使っているのを何度も見たことがある。握り方も構えも知っているから、扱いやすいことだろう。

 

 そう思った俺は祝明の双刀の片方――確か『アマツキツネ』とか名付けてた気もするな――を思い浮かべる。

 

 そして頭の中で強く、出てこいと念じた。

 

「くっ…!」

 

 身体から何かが抜けていくのを感じる。

 目を見開くと、手の中に記憶とそっくりの刀が握られていた。

 

「その調子です神依さん、その刀でセルリアンをぶった切っちゃってくださいっ!」

 

 興奮に声を弾ませたオイナリサマを尻目に俺はセルリアンと相対する。

 

 体が軽い、刀の柄が手によくフィットする。

 

 斬れる。

 

 そう確信した。

 

「…ハァッ!」

 

 一瞬のうちに踏み切る。

 そして、()()()()

 

 セルリアンは、一刀両断に斬り捨てられた。

 

「…ふぅ」

 

 刀を鞘に戻して深呼吸。

 俺は変わった。この力を使えば、セルリアンとも戦える。

 

 それにしても刀は便利だな、これからも末永く使っていくとしよう。

 

 …そう、思った瞬間。腰に下げたそれは、鞘ごと消え去ってしまった。

 

「あ、あれ…?」

()()した武器は、役目が終わると消えてしまうんですよ」

「そ、そうなのか…」

 

 …なるほど、再現か。

 

 俺のセルリアンの身体を最大限に活用した肉体改造という訳だ。

 

 だが、役目を終えると消えてしまうというのは不便だな。毎回再現しなければいけないのか。

 

「相手に合わせて自由に武器を変えられる…素敵な能力じゃないですか! それに、再現した武器に合わせて身体能力も上がるんですよ!」

「おいおい…至れり尽くせりかよ…」

 

 何だかんだ言って、オイナリサマも俺のことを考えてくれてたんだな。

 

 いや…ずっとそうか。単に、少し方向性がズレているだけなんだよな。

 

「『武器図鑑』も用意してますから、使える武器のレパートリーもこれで増やせます!」

「お、おう…けど、慣れない戦いで疲れたみたいなんだ。少し寝ても良いか?」

「そうですか…」

 

 ぺったり眠った白い耳。

 寂しそうな顔をしながらも、オイナリサマは微笑んで俺を見送ってくれた。

 

「分かりました、ゆっくり休んでくださいね」

 

 しかし、この妙な気分はなんだろう…まさか、満足しちまったのか?

 

 やっと力を手に入れて、これからそれを使ってセルリアンと戦っていくはずなのに…少しだけ興が醒めたような気分だ。

 

「いや…本当に、疲れてるだけだな」

 

 深呼吸して背を伸ばすと凝った肩が結構痛んだ。戦いってやっぱ体力勝負なんだな、これから鍛えないと。

 

 …手の平を太陽にかざして、真っ赤な輝きを目に焼き付けた。

 

 

「コレが…セルリアンの力か」

 

 

 俺が願った戦う力は、既にこの手の中にある。

 

 

 そうだ。

 

 想いの力が、ここにあるんだ。

 

 もう、諦める必要なんてないんだ。

 

 



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Ⅵ-162 輝け、決意のある限り

 オイナリサマに戦うための力を授かった俺だが…寝床でぼんやりと考えを巡らせていると、この力が”戦い”以外の目的にも応用できることに気づいた。

 身に有り余る力を手に入れた喜びも夜には十分に収まり、冷静な思考が行えるようになったお陰であろう。

 

 自らのイメージだけで物体を再現できる能力…これ以上なく汎用性が高いではないか、ただのセルリアンを倒す凶器に終わらせてしまうのは勿体ない。

 

 俺は考えた。一番身近な環境で、如何様にすれば天から授かったこの力を存分に生かすことが出来るのかを。

 

「…アレ、だな」

 

 

 そう、俺が思いついた活用法とは――

 

 

「よし、この丸太は向こうの車に乗せて、まとめてラッキービーストに持って行ってもらってくれ」

 

 

 ――建材を運ぶトラックを再現し、作業を効率化することだった。

 

 

「了解っス! …それにしてもアレ、とっても便利な『キカイ』っスね?」

 

 車に輝かしい視線を向けるビーバー。彼女は普段からダムとかの建築物を作っているらしいから、それに役立つ道具にはやはり興味があるのだろう。

 

 どこから持ってきたのかと尋ねられ、俺は予め用意していた答えを返す。

 

「ああ、オイナリサマに貰ったんだ」

 

 容易に突っつかれる嘘でもなく、変に話が広がる真実でもない。

 我ながら、完璧な答えであった。

 

「へぇ、オイナリサマは凄いっスね~…あ、運んでくるっス!」

 

 ビーバーの背中を見送り、俺は予め書斎から持って来ておいた小説に目を落とす。

 

 昨日は本当にやることがなく、セルリアンが現れるまで手持ち無沙汰だった。

 今日も今日とて現場監督。何か問題が起きない限り、ただ時間を食いつぶすだけの退屈な立場。

 

 不謹慎だが、精神衛生上俺には娯楽というものが必要だった。

 

「……はぁ、疲れたな」

 

 目がチカチカする、こういう細かい活字は明るい屋外で眺める物じゃないな。

 

 結局一文字も読み進めることなく、俺は本を閉じた。

 

「やっば、何して時間潰そう…」

 

 指は空気を掴み、足先は虚空を蹴った。

 逡巡を重ねて頭の中で面白そうな何かをグルグルと探し続けて数分。

 

「そういや…コレがあったな」

 

 俺の手には、”再現”したばかりのルービックキューブが載せられていた。

 

 

―――――――――

 

 

「…よし、解けた」

 

 綺麗に二つに分かれた”知恵の輪”を投げ捨てると、用済みになったパズルは塵となって消えた。

 

 さっきので…ええと、何個目だっけ?

 

 近くの草むらは、()()()()パズルの成れの果てに覆われ濃い虹色に染まっている。

 具体的な数は数え忘れたが、時間はかなり使っているはずだ。

 

「さて、一度くらいは進捗の確認でもするか」

 

 報告にも来ていないし期待することもないが、パズルを解くのも頭の栄養を使う。

 

 ちょっと疲れたし、やる気も段々薄れてきたしと、俺が手を止めるのも当然の理由が揃っていた。

 

 それと…フレンズの近くに居れば、必然的にセルリアンも寄って来る。

 

 ”新しく手に入れた力を試したい”という気持ちも心の奥に昂っていた。

 

 自分の欲望に忠実で、気に入らない存在を片っ端から力で排除していくオイナリサマのことを()()()()()と、そう感じたこともあったっけ。

 オイナリサマに見初められてしまった俺も、十分に子供っぽいのかもしれない。

 

 歩きながら、そんなことを思った。

 

 

「カムイ殿、お疲れ様であります!」

 

 プレーリーは俺を確かめると、作業の手を止めてビシッと敬礼までして挨拶をしてくれた。

 あ…普通の声掛けの方だからな。

 

「お、おう…別に、俺は疲れてないさ。仕事が無いんだから」

「”みんなを取りまとめる立場は大変だ”…と前に博士殿に聞いたであります…ですから、カムイ殿もきっとお疲れでありますよ!」

 

 その後もプレーリーの口からは、博士が体験したという『上に立つ者の苦労』が壁を築くレンガの様に大量に並べられていく。

 果たしてその内の幾つがフィクションだろう、本物を数えた方が早く終わる気もするが。

 

 博士は以前からそうだった。もちろん十分に賢いのだが、博士はその賢さを利用してありもしない話を捏造するのだ。

 そしてそれを得意げに語ることで、自らの権威を高めていく。

 

 最後に、話が佳境に入ったところで助手が上手く茶々を入れて全てを台無しにする…それが、いつもの流れだった。

 

 懐かしいな。もう、あの漫才も見ることが出来ないのか。

 

「…カムイ殿?」

「ん? …ああ、悪い。やっぱり疲れてるのかもな」

「休養は大事っスからね。今日の分が一段落ついたら、一緒にどうっスか?」

「…なら、そうさせてもらうか」

 

 否定することは諦め、”俺は疲れている”という二人の言論に合わせることにした。

 

 ま…パズルは疲れるし、問題ないな。

 

「…って、そうだった。車は問題なく動いてるか?」

「バッチリであります! ラッキー殿がしっかり運転してくれてるでありますよ!」

 

 指差す先の車には、青いロボットが乗っている。

 運転席で車を制御し、空っぽになった荷台をこちらへ向け停めて、中からラッキービーストが姿を現した。

 

「悪いな、運転させちまって」

「大丈夫だよ。ボク()()の仕事は、ヒトのお手伝いをすることだから」

 

 『たち』…? と疑問に思ったら、急に出てきたボス軍団。

 

 彼らは力を合わせて積んであった丸太を持ち上げ、淀みない作業の流れで荷台に積みなおしていく。

 

 ラッキービーストが隊列を成して歩みを進める姿は壮観だ。

 もう少し彼らの体が青ければセルリアンの大群とも間違えられても不思議ではない、危なかったな。

 

 …ん?

 

「アワ、アワワワワ…」

 

 ラッキービーストの一体が大勢を崩し、そこからドミノ倒しのようにバタバタと隊列が崩れていく。

 支えを失った丸太は向こうへ転がってやがて湖に落ちたが、下手をすれば彼らは潰されていたかもしれなかった。

 

 あぁ…危なかったな。

 

「だ、大丈夫でありますか!?」

「えっと…オレっちは丸太を助けるっス!」

 

 ビーバーとプレーリーが慌てて飛び出していき、それぞれ丸太とラッキービーストの救助に当たり始める。

 

 俺はなんとなく手を翳し、彼女たちの助けになりそうな何かを再現しようと数秒ほど記憶の海を掬っていたが、特に何も思いつかず腕は力なく重力に行方を任せた。

 

「ま、大した事態でもないからな…」

 

 言い訳でもするように呟いて、空っぽになったトラックの助手席に乗り込む。

 

 フロントガラス越しに湖畔の喧騒を目にして、俺はふと懐かしい想いに襲われた。

 そっくりなんだ、外で見た景色と。

 

「何時だったかな…真冬でめっちゃ寒かったんだっけ…」

 

 正月、爺さんに連れて行ってもらった湖。

 俺は車に乗ったまま、こんな風に景色を眺めていた。

 

 懐かしさに涙が浮かぶ。同時に、二度とあの景色を見られないという事実に寂しさが募る。

 馬鹿野郎、取り返しの付かないものが多すぎる。

 

 これも全部、俺がアイツに望んじまったから――

 

「酷い人ですよね、イヅナさんは」

「っ! お、オイナリサマ…」

「尤も…彼女もヒトではなくキツネ、ですけれど」

 

 いつの間にか運転席に座っていたオイナリサマが隣で微笑んだ。彼女の神々しい外見と、俗っぽい運転席の組み合わせが絶妙に似合わない。

 

 気が付けば自分も笑っていた。オイナリサマは戯けることも茶化すこともせず、俺から悲しみさえも奪い去ってしまった。

 

 許されないのか、悲しむことさえも。

 

 視線を前に戻し、また湖畔を眺めた俺は、一分もしないうちに自分が思い出への感情を失ったことに気が付いた。

 

 それが悲しいかと言えば、悲しくなどない。

 

 この現状を悲しめるほどの感情もまた無くなっていることに気が付いて、涙はついに出なかった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…何で来たんだ?」

「うふふ、神依さんに会いたくなったので。私も、そんなに仕事はありませんからね~」

「もっと減りそうな気配だけどな、仕事」

 

 湖のほとりを歩きながら、俺とオイナリサマは言葉を交わす。

 

「神依さんの発想のお陰ですね。私もビックリしました、まさかこんな使い方を思いつくなんて」

 

 ”私なら精々巨大なボールを出して敵を潰すだけですねー”、と言ってクスリと笑う。

 

 …やれやれ。そんな発想が出るのもアンタだけだし、もっと言えば大量のサンドスターを工面できるのもアンタだけだ。

 そもそもの話で、神様に下界を心配する発想は無いらしい。少し前まではあったはずなんだが、一体全体どうしてこうなった。

 

 …っと、どうせいつものことだし、呆れるのもここまで。

 

 ラッキービーストの仕事ぶりを見ているうちに気になることが出来たから、ここらで一つ尋ねてみよう。

 

「再現したものは用済みになったら消える…だったよな。それって、誰が判断するんだ?」

「ああ、それは勿論神依さんですよ。神依さんが再現したものなら、何処にあっても神依さんの影響下にあります。ですから貴方が『不要だ』と判断した時点で、物体は形を失うのです」

 

 なるほど、予想はしていたが俺に権限があるのか。折角だし、もう少し踏み入った質問もしてみよう。

 

「それって…無意識に思ったとしても、消えるのか?」

「ふむ…戦いが終わった時の話でしょうか? それでしたら確かに…よほど強い想いで留めない限り、武器は消えてしまうかもしれませんね」

 

 無理に止めるくらいなら、作り直した方が楽ですよ。オイナリサマはそう言った。

 

 なるほど、論理的にも納得できる答えだ。あのトラックも俺が存在を望んでいる限り無くならないのだろう。

 

 そう、望んでいる限り。

 

「…改まって訊いてもいいか?」

「はい、何でも訊いてください」

「ああ…オイナリサマはどうして、俺にこの力をくれたんだ?」

「うふふ、不思議なことを訊きますね。貴方に必要なものを渡すのに、大した理由が必要ですか? ましてや、貴方がそれを望んでさえいるのに」

 

 俺に必要なもの…か。

 

 他にもあるさ、必要なもの。そして、俺が渇望していると言って差し支えないものが。

 

 言え、今がその時だ。

 力を持った、今こそが。

 

「オイナリサマ、俺は――」

「だから、ずっと一緒にいましょうね?」

「っ…!?」

 

 …力を以て、尚乱雑に、決意の言葉は潰された。

 

「私が神依さんに()()()()()を全部あげます、だから…離れちゃダメですよ」

 

 俺の望むものを与えるなんて、嘘っぱちだ。

 そうか、全部建て前か。神様も俗なものだ。これだったら、案外トラックの運転席も似合うかもしれないな?

 

「…分かってるさ」

「なら、いいんです」

 

 ああ、神様、違うんだ。

 

 神様は、望む方じゃない。いつだってヒトが、神様に望みを託すんだ。

 

 だからオイナリサマ。もしも本当にアンタが神様だっていうのなら、俺の本当の望みを汲み取ってくれ。

 約束した通り、俺がアンタが神様であることを望み続けるから。それが出来るように。

 

 …どうか、神様のままでいてくれ。

 

「それなら、一つ頼んでも良いか?」

「うふふ、何でしょう…?」

「聞かせて欲しいんだ…オイナリサマの、昔の話を」

 

 彼女は驚きに目を見開いた。そして心底興味深そうに口元へ手をやり、嬉しいのかどうかよく分からない笑みを浮かべる。

 

「ええ、ええっ! 良いですよ…うふふ。でも、どうして…?」

「気になるんだ、俺と出会う前に何してたのか…ってさ」

 

 それに、聞けば分かるかもしれないんだ。

 

 最初に会った時は清廉潔白でどこまでも美しいイメージだったオイナリサマが…果たしてどうして胸中に激情を秘め、ここまでの狂気を持ちうる人格になってしまったのか。

 

 ハハ、最高に興味深いだろ?

 

「うふふ…じゃあ、今日の夜にでもお話ししますね」

「そうだな、それがいい…」

 

 

「きゃあぁぁーッ!?」

 

 

「…?」

 

 遠くから聞こえた大きな叫び声。

 明らかに平常な出来事ではない…恐らくはセルリアンだ。

 

「行くんですよね、神依さん」

「当然だ。そのために、この力を貰ったんだからな」

 

 話はそこまで、時間など掛けていられない。すぐに俺は足を踏み出した。

 後ろは絶対振り返らずに、声の方へと駆けてゆく。

 

「絶対に、倒してやるからな…!」

 

 今迄ならば感じることのなかった筈の奇妙な高揚感が、俺の足を軽くしていた。

 かつて感じた悪寒など、ひと欠片すらもありはしない。

 

 



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Ⅵ-163 振るえ、震える白い手で

「声はこの辺りから……そこか!」

 

 前にセルリアンと遭遇した林とは変わって草原。

 青鮮やかな湖の傍で、群青の色をしたセルリアンの集団がフレンズを取り囲んで襲っていた。

 

 敵の数はおよそ二十。

 襲われているフレンズはたった一人。

 

 プレーリーやビーバーの姿はなく、辺りに丸太が転がっていることから建材を運んでいる最中だったのだろう。

 

 俺はすぐに彼女の元へ駆け寄ろうとしたが、セルリアンが攻撃を仕掛け始めている。

 立ち止まり一瞬考えて、このまま走っても、到底間に合わないであろうことを悟った。数の上でも遥かに劣勢で、少なくとも無傷の勝利は不可能だろう。

 

「どうする…?」

 

 声に出して自問する。

 与えらえた時間はそう長くない、思いついた手段を即座に取らなければ。

 

 …二通りだ。

 

 何らかの移動手段を”再現”してさっさと駆け付けるか。

 飛び道具になる武器を”再現”してこの場所から攻撃するか。

 

 幸いにして、遠方から攻撃できる武器の知識はオイナリサマに貰った『武器図鑑』を読んだお陰で幾らか頭に入っている。

 ならば瞬時にその記憶を掬い上げて、形にするだけだ。

 

 だが、今度の戦いは遠くから小突いて終わりではない。直近の危険を退けた後、あのフレンズを庇いながらセルリアンの集団を相手取る必要があるのだ。

 

 条件を頭の中で言語化し、最適な武器を知識から探して……見つけた。

 

「これで決まりだ、さっさとやるか」

 

 虚空から現れたその武器を握り、全身で振りかぶって投擲した。

 

 真っ黒な()が辺りの輝きを吸い込みながら、セルリアン目がけて一直線に飛んで行く。

 

 

―――――――――

 

 

「こ、こんなところで…」

 

 涙を浮かべながら唸った一人のフレンズ。

 

 丸太を運んでいる途中、不幸にもセルリアンの集団に出くわしてしまったのだろう。巡り合わせは更に悪く、近くに頼れそうな誰かもいなかった。

 

 このままでは、彼女は輝きを奪われてしまうだろう。

 

 そう…()()()()()()

 

「あれ、何か飛んで……っ!?」

 

 不幸中の幸いと言えることは、彼女が発したSOSの叫びが俺の元へと届いたこと。

 そして俺が、戦うための力を授かっていたこと。

 

 俺が投擲した漆黒の槍はセルリアンの一体を貫く。

 

 セルリアンの体は砕け、吸い込まれ、槍の一部となる。皮肉にも、彼らがこの先彼女に行おうとしていたことと一緒であった。

 突然の攻撃にセルリアン達は狼狽し、フレンズを襲う”手”が止まる。

 

 俺は全力疾走し、その隙を突いて驚きに膝をつく彼女の元まで辿り着くことが出来た。

 

「おい、怪我は無いか…!?」

「あ、ありがとう! で、でも…」

 

 お礼の言葉を口にしながら、尚も不安の声は消えない。

 

 確かにそうだろう、俺の攻撃は一体を串刺しにしただけで、周囲にはまだまだ大量のセルリアンが犇めき合っているのだから。

 

「大丈夫だ…俺が、まとめて倒すからな」

「え…?」

 

 呆けた声を出す彼女を横目に、俺はさっきの槍を地面から抜く。

 手で触った感覚だが、心持ち槍が重くなっている気がする。多分、セルリアンの残骸を吸ったからだな。

 

「さて、もう少しだけ手伝ってもらうぞ」

 

 槍をポンと叩き、積年の相棒に話し掛けるような調子でそう呟く。

 

 扱い方は、体が勝手に分かってくれた。

 

 今から始まる、快進撃だ。

 

 

「す、すごい…!」

 

 後ろから、漏れるような呟きが聞こえた。

 自慢げに微笑むのをこらえて、俺は次のセルリアンを横薙ぎに撃破する。

 

 これで大体半分。

 

 良いペースだ。大した疲れもなくやって来れているし、セルリアン達も俺を恐れているのか率先して襲いに来る個体は少ない。

 積極的な方が優位に立つのは戦いの摂理。

 このまま奴らを全滅させるのも時間の問題だった。

 

「そっちは大丈夫か…?」

「大丈夫よ、ええと…あなたが倒してくれてるお陰ね」

 

 とはいえ油断は禁物。

 俺は時々振り返りながらフレンズの様子も確認する。この戦いは護衛が第一だからな、セルリアンを倒す楽しさに呑まれないようにしなくては。

 

「ふっ…ところで、何て名前だっけ?」

「私? 私の名前は…あ、前っ!」

「ん…おっと!」

 

 注意の言葉を聞き、俺はすんでのところで迫ってきたセルリアンを貫いて撃破した。

 

「ふぅ…危なかったな。助かったよ」

「別に、こっちこそ…危ないところだったし」

 

 言葉を交わしながら周囲を確かめる。

 さっきの不意打ちが危ない所まで行ったからだろうか、若干前のめりになっているセルリアンがいた。

 

 そいつらを軽く槍の錆にして、俺は一度体勢を立て直すことにした。

 

「それで、名前は?」

「チャップマンシマウマ。で、あなたは?」

「神依だ。短い間になると思うが、よろしくな」

 

 ”フレンズ”改め、チャップマンシマウマを庇うように立ち回りながら周囲を確かめる。

 

 奴らも数が減ってきて、そろそろ焦りを見せてくる頃。

 

 一対一の戦いでは到底敵わないと思ったのか、奴らは何体かで纏まり、ぐちゃぐちゃに混ざり合って一体の大きなセルリアンに変貌した。

 

 そしてその大きなセルリアンは一体、また一体と増えていく。

 

「うわ、嘘でしょ…? こんなの初めて見たんだけど…」

 

 チャップマンシマウマが引いた声を漏らす。

 そんな彼女を横目に、俺は冷静に状況を分析していた。

 

 …なるほど、合体するタイプは珍しいんだな。

 

 思い出してみれば、博士たちにセルリアンの講義を受けた時も、そんなものがいるとは習わなかった。

 

 だが、要は巨大になっただけだ。もしかすると数体分の核が有るのかもしれないが、全部貫けば問題ない。

 穿ち貫く槍だって、セルリアンの輝きを大量に吸って鈍い輝きを放っている。

 

 倒せる。そう確信した俺は、槍の柄を強く握って一歩前に出た。

 

「ちょっと、本当にやるつもり!?」

「恐れることは無い、タダのデカブツだよ…コイツは」

「何それ…て、手も震えてるじゃん!」

 

 彼女は俺の手を指差した。

 

 その通り、真っ黒な槍は深い群青を前にしてガタガタと震えている。

 

 だが、これは武者震いだ。この震えは勇み立っているからこそ、心は決してセルリアンに屈してなどいない。

 

「バカじゃないの…? 逃げた方が良いに決まってるのに…!」

 

 確かにセルリアンは数を減らし、今なら余裕で逃げられるだろう。

 

 チャップマンシマウマの言う通り、敢えてここで危険な戦いに身を投じることなどせず、安全を取って逃げた方が良いのかもしれない。

 草食動物のフレンズである彼女の感覚に、よもや間違いがあるとも思わない。

 

「だけど、俺は戦う…!」

 

 ”危険だから”って逃げるんじゃない。戦わなければダメなんだ。

 

 ここで逃げては、オイナリサマに力を貰った意味がない。

 

 切っ掛けとなった、あのゾウに似たセルリアンとの遭遇。

 あの時に俺が取った選択を――『逃走』を――乗り越える選択が必要なんだ。

 

 そうだ、このデカブツは、()()()()()()()だ。

 コイツを倒すことで……この力を、俺が十分に役立てられているのだと、証明するのだ。

 

 そうだぜ神様、二度とアンタを頼ってなんかやるもんか。

 

 俺はもう一歩、絶対に退かないという意思を込めて、固く地面を踏みしめた。

 

「ホント、バカなんじゃないの…!?」

「…どういう、つもりだ?」

 

 俺の横に並び立つチャップマンシマウマ。

 行動の意図を掴めずに困惑していると、彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

 

「”助けられっぱなし”なんて癪だし、恩人が負けるところも見たくないの。だから、私も戦うわ」

「やれやれ、勝手に負けさせるんじゃねぇよ」

「ふふ、悪かったわね」

 

 ここで出会ったばかりの、互いに何も知らない者同士。

 

 だが俺たちの間に――この一時間にも満たない短いセルリアンとの攻防の末に――”絆”とも呼べる奇妙な信頼が、芽生えようとしていたのだった。

 

「じゃ、やるぞ」

「任せて、準備はバッチリよっ!」

 

 戦いは、続く。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「せいやッ! とりゃあッ! …悪い、一体擦り抜けた!」

「問題ないわ、全部蹴っ飛ばしてあげる!」

 

 チャップマンシマウマの蹴りがセルリアンの脳天――脳無しの怪物だが――に突き刺さり、見る影もなく砕け散って虹色の欠片と消える。

 

 飛んできた欠片を一つ取って槍に吸わせれば、やはり槍は重みを増して喜ぶように黒さを増した。

 情が移った故の勘違いかもしれないが、俺にはこの槍に心があるように見えるのだ。

 

 

 閑話休題。

 

 融合セルリアンとの戦いは、チャップマンシマウマの協力もあって非常に優位に進められていた。

 

 主な戦法は、リーチの長い武器を持つ俺が前に立って大立ち回りをし、倒し損ねた個体にチャップマンシマウマが止めを刺すというもの。

 成り行きで出来上がった、戦術と呼ぶには拙いものだが、十分に効果を発揮しているのでここでは良しとしよう。

 

 兎に角、奴らが合体した所で戦況がひっくり返るようなこともなく、全滅は既に時間の問題であった。

 

「まったく、どれだけ強いかと思えば見掛け倒しもいいとこね!」

「ま、さっきまでその見掛け倒しにビビってたんだけどな」

「そ…それは言わないで!?」

 

 チャップマンシマウマは慌てているが、これが事実。

 例えハリボテだとしても、体躯の大きさを以て敵を威圧するのは有効な手段なのだ。

 

 得てして巨大な生き物は――例えばゾウ型セルリアンも――ハリボテではないことが多い。

 

 だから普通は逃げるのが正しいし、セルリアンの奴らが大して強くなかったのは偶然の幸運だった。

 

「もう少しだ…ラスト、行くぞ」

「分かった、気は抜かずにね!」

 

 目の前に残された一体のセルリアン。

 

 まさか恐怖しているのか? 大きな体をノロノロと動かしながら、既に事切れた仲間の残骸を必死になって取り込んでいる。

 

 身体が少しずつ…ほんの少し大きくなったがやはり、雀の涙ほどの変化だった。

 脅威は無いに等しいが、油断は禁物。

 

 俺とチャップマンシマウマは目を合わせ、最後までいつも通りの戦い方を貫いて駆除することに決めた。

 

「さあ、終わりだ…!」

 

 最初とは比べ物にならない程重くなった黒槍。

 しかしどれほど重くなっても、俺はコイツの扱い方を知っている。

 

 脚を入れ、体重を掛けて、槍を下から振り上げた。

 

 そして怯んだセルリアンに、今度は上から重力に任せた叩き付けをお見舞いする。

 

 止めに突き刺してやれば今までのセルリアンは倒せた…のだが、最後のコイツは一味違うようだ、崩れそうな体を保ちながら逃げ出そうと這いずっている。

 

「逃がさないわ、食らいなさいッ!」

 

 だが、今更どうしようもない。

 

 勢いよく飛び出したチャップマンシマウマの足がめり込み、セルリアンは今度こそ事切れて、真っ青な体は虹色に変わって砕け散った。

 

 …これで本当に、戦いは終わった。

 

 

「ハハ、最後だからって張り切りやがって」

「良いじゃない、もう終わりよ?」

「そうだな…何事も無くてよかった」

 

 俺たちは顔を見合わせ、お互いに微笑んで、戻ってきた平穏を確かめ合った。

 

「…あっ、そうだった!」

 

 チャップマンシマウマは思い出したような声を上げると、そこに転がっていた丸太を抱え、小さくトラックの見える方向を向いた。

 

「ふぅ、助かったわ! カムイって確か…”ゲンバカントク”? って聞いたから、多分また会うかもね」

「ああ、そうだな。じゃあ、今度はセルリアンに捕まるなよ?」

「当然よ! …それじゃあ本当に、またね!」

 

 

 走って行くチャップマンシマウマの姿が見えなくなった後、俺も深いため息をついた。

 

「ふぅ…手応えは、あったな」

 

 セルリアンを倒すことができた。

 

 ほんの少し前まで、何の力も持っていなかった俺が。

 用意された運命に、ただ振り回されるだけだった俺が。

 

 与えられた力とはいえ、一人のフレンズを救うことが出来た。

 

「俺は、言う通りになんてならねぇ…」

 

 オイナリサマは、制御しきれると思っているのだろう。自分の与えた力だから、よもや牙を剥かれても負ける心配はないと。

 

 そうだろう、俺はオイナリサマには勝てない。

 

 だけど…突き刺すことが出来ないとしても、口の中には牙がある。

 

 決して折れない決意の(輝き)を、アンタは俺に与えてくれたんだから。

 

 

 



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Ⅵ-164 黒い槍刺す神の丘

「ふぅ…俺もそろそろ帰るか」

 

 周りに誰もいないのを良いことに、俺は大きなため息をつく。そして、手元の黒い槍に目を落とした。

 

 戦いが終われば、もう武器は必要ない。オイナリサマに言われた通り、役目を失った物体は消滅してしまう。

 

 俺は手に持った槍を見つめて、名残惜しい気持ちを乗せて呟いた。

 

「とうとうコイツもお役御免か……ん?」

 

 何だろう、槍の様子がおかしい。

 本当に名残惜しかったから、まだ消えるよう念じていない。つまり、何か別の現象が起きているのか…?

 

 握った槍はブルブルと震えている。

 まさかこんな風にして消える訳は無かろう、俺は念の為に槍を体から遠ざけて、成り行きをじっと注視する。

 

 …そして、その瞬間はやって来た。

 

「――うわっ!?」

 

 突然のことだった。

 

 槍の震えは頂点に達し、俺の手元から脱出して、宙に浮いて暴れ始めたのだ。

 

「お、おい…っ!」

 

 声を上げても、槍は言うことを聞かない。

 

 むしろ戻って来るよう叫ぶ度、反抗するように暴れ方が激しくなっているように見える。

 

 俺は痺れを切らして叫…ぼうとするのを堪え、深呼吸。槍を怒らせないよう、穏やかに言い聞かせる。

 

「分かった、お前のことを消したりなんて絶対にしない。だから、戻って来てくれ…」

 

 すると槍の態度は一転、コロッと大人しくなって俺の手元へと戻ってきた。

 この槍、やっぱり意思があるのか?

 

 というか…どうしようか、コレ。

 

「消えないなら、どっかに仕舞えたら良いんだが…おっ?」

 

 もう一度槍を握ると、今度は俺の身体が変化し始めた。腕の辺りがブヨブヨと柔らかくなり始め、その部位から槍がずぶずぶと体の中に入っていく。

 

 そうか、俺の体はセルリアン。

 

 だから、その力を使って”再現”した物は、俺の意志で自由に体の中に取り込むことが……え、出来んのそんなこと?

 

「何か原理が違う気もするが…ま、似たようなもんか」

 

 理由は知らんがとりあえず、槍を収納することは出来る。

 だから次に俺は、槍を自在に出すことが出来るのか試してみることにした。

 

「念じりゃ出てきてくれるか…?」

 

 頭の中で『出ろ』と一言、それで答えは明らかになる。

 

「…へへ、素直になっちまいやがって」

 

 毎回”再現”する必要なく使える武器。

 

 ああ…実に便利だ、コイツが俺の相棒だな。

 折角だ、名前でも付けてやるとするか。

 

「”ロンギヌス”…いや、殺意が高いな」

 

 流石に伝説上の()()()()()と同じ名前を付ければ、オイナリサマの心中も穏やかにはならない。

 

 もっと別の名前が無難だな。思いつかないが。

 

「略して”ロン”…とか、どうだ?」

 

 そう声を掛けてやると、喜ぶように槍はうねる。

 

「じゃ、決まりだな」

 

 ”ロンギヌス”の形を失わず、万が一指摘された時は”(ロン)”だと誤魔化せる素敵な名前。

 俺のささやかな反逆の意志を宿した黒槍。

 

 新しい仲間を胸に忍ばせ、俺はオイナリサマの元へ帰ってゆくのだった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 あれ以来、セルリアンの襲撃もその他のトラブルも全くと言って良い程なく、神社建設の為の建材は順調に集まっていた。

 数日もしないうちに十分な量が確保できる計算だ。

 

 ならば、建設計画が次の段階に進むのも道理に適ったことである。

 そして次段階の問題は、何処に神社を建てるかというものだった。

 

 そして突然こう言うのはアレだが…正直なことを白状すれば、神社の位置などはどうにでもなる。要はこの神社、結界の出口を置くだけの門だ。

 

 オイナリサマの結界は――ホートクから移動してきた時のように――出口の場所を変えられる、それも比較的簡単に。

 

 場所に関心を向けるとなればそれは…外の神社の本来の目的に添うような、謂わば信仰上の言い分を叶える為のこだわりでしかありえない。

 

 …だから、意外だった。

 

 オイナリサマが、神社を建てる場所にここまで固執するとは思っていなかったのだ。

 

「神様は、人々が訪れやすい場所に居を構えるのも大切なんですよ」

「奥の結界に閉じ籠ってるだけだろうに、そんなに重要か?」

「それでも彼らにとっての本命は神社です。参拝する方々にとって大事なことなら、力を入れるのが道理というものでしょう」

「へぇ、そんなもんか」

 

 どう考えても嘘くさいオイナリサマの言い分は聞き流す。

 

「神依さん、ちゃんと聞いてます?」

「聞いてるさ、今回はやけにその…フレンズたちを気に掛けるんだなって」

 

 俺なりの皮肉だった。だがオイナリサマの解釈は違った。

 

「うふふ…もしかして、妬いてくれてるんですか?」

「そんなんじゃないが?」

「照れなくていいんですよ。心配しなくても、私の一番は神依さんですから安心してくださいっ!」

「はいはい、信じてるぜ」

 

 信じるまでもない程、確かなことだからな。

 

「…お、見えてきたな」

 

 駄弁っていれば、時間というものは炎天下の氷のように溶けて消える。

 俺たちの前に、多くの木々と蔦に囲まれたロッジが姿を見せた。ここに来るのも久しぶりだ、大した思い出などないが。

 

 俺はノックをしようと扉に近づくが、オイナリサマは吊り橋の前で立ち止まったまま動かない。

 

「神依さん、こっちに来てください!」

「…何だ?」

 

 呼ばれるままにそちらへ行くと、オイナリサマは木に張り付いた蔦を引っ張って遊んでいた。

 

「べ、別に遊んでたわけじゃないですよ! その、知見を広める為です…!」

 

 無意識のうちに目が険しくなっていたのか、彼女から焦ったような白々しい弁明が飛んで来た。心配しなくても体の方が白い、腹の中は知らないけど。

 

「責めてないさ、時間はたっぷりあるんだろ?」

「そ、そうですね…あ、この植物は『アイビー』という名前でですね、素敵な花言葉があるんですよ」

「へぇ、どんな花言葉なんだ?」

「……『死んでも離さない』」

 

 思わず絶句した。俺は石像のように固まった首を捻り、ゆっくりとオイナリサマの方を見た。

 

 ”どうですか”と…そう尋ねるように、彼女は黙って輝かしい目をこちらに向けている。

 

「…そうか」

 

 辛うじて返事が出来ただけでも、俺にとってはこれ以上なく僥倖だった。

 

「まあ…そろそろ入るか。そのアイビーとやらも、帰る時にじっくり見ればいいだろ」

「そうですね。別に、お家で育てても良いわけですから」

 

 ボソリと呟かれた言葉を捨ておけず、俺は口を挟む。

 

「…別の花にしないか? もっと、鮮やかな花が好きだ」

「でしたら、書斎の本で探してみましょう♪ うふふ、帰ってからが楽しみですね…!」

 

 満面の笑みを咲かせたオイナリサマと、無花果(イチジク)のように何も咲かない気持ちの俺。

 

 真っ白な天然の薔薇の隣で、俺は真っ黒な造花の薔薇にでもなってしまいそうな心地だった。

 

 

「お邪魔します…」

 

 ロッジの扉を開ける。

 

「ええと…誰だっけ」

「アリツカゲラさんですよ、いますか?」

「はい、例のご用件ですね」

 

 先に足を踏み入れようとした俺を止めてオイナリサマが進み、勝手にアリツカゲラと話し始めた。

 

 俺はトントン拍子で話を付けていくオイナリサマを、液体窒素に浸された薔薇のようにカチコチに固まった状態で眺めているだけだった。

 

「これはまた…随分と、神妙な顔をしてるじゃないか。どうしたんだい?」

 

 オオカミの問いかけにも、碌な答えを持ち合わせていない。

 

「どうもしないさ…多分」

「ふふ、要領を得ないね?」

「神依さん、神社を建てる予定の場所に行ってみることになりました!」

 

 一方的に結論を押し付け、俺を強く引っ張っりながらオイナリサマはロッジから出ていく。

 心なしか、オオカミを見る目が暗く淀んでいるようだった。

 

「わ、引っ張るなって…!?」

「ああ、妬かせちゃったかな? いや、良い顔だね、アレは…」

「またオオカミさんはそんなことを…では、私は行って参りますね」

「うん、気を付けて」

 

 やたらと短いロッジの訪問。

 

 オイナリサマはムスッとした表情で押し黙りながらも、アイビーを引き千切ってポケットに突っ込むことを忘れなかった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…もう少し、ですね」

 

 しばらく歩いた道のりの上で、アリツカゲラがそう呟く。

 

 俺はその一言を聞いて周囲を見回し、浮き出た疑問に首を傾げた。

 

 少なくとも俺の目には、ここが今まで通り過ぎて来た道中と何か違う場所のようには見えなかったのだ。

 

 草むらも、遠目に見える木も、小さな池も、他と変わらず普通にあるのに。

 

 一体どうして、そこそこ長い道のりを歩いてまでこの近くに神社を建てるのだろう?

 

「なぁ、この辺に建てる理由でもあんのか?」

 

 俺は尋ねた。どちらかではなく二人に対して。

 答えたのはオイナリサマだった。

 

「まあまあ、予定地はもう少し先ですよ。ほら、あそこに小高い丘があるでしょう? 神社はその上に建てる計画なんです」

「それだって、ちゃんとした理由はあるんだろ?」

 

 微笑んで首で肯定すると、オイナリサマは俺の手を引いて少し立ち位置を変えた。

 

 もう一度丘を指差すオイナリサマ。従うように視線を向けると、さっきの場所よりも頂上の様子がよく見える。

 

「程良い登りやすさと、セルリアンが出た時の対処のしやすさ。この二つが主な理由ですね。勿論、見晴らしもとても素敵なんですよ?」

「見晴らしね…気にすることか?」

「しーっ、それは言わないお約束です」

 

 遠回しな指摘は、彼女の微笑ましい口止めに打ち破られた。

 

 フレンズ達を誤魔化すための数ある理由の一つであるなら、俺としても無策に突っついていざこざを増やす意味は無い。

 

「まあ、良い場所じゃないか?」

 

 …それにしても、自分の口から出てきた空っぽな褒め言葉には辟易したが。

 

 

「では、そろそろ再出発と行きましょう」

 

 アリツカゲラの号令で、俺達は残り僅かな道のりを歩き始めた。

 

 少しの時間で到着し、来た道を振り返って目にした下の草原の光景は、オイナリサマが言っていた通りの壮観だった。

 

「確かにこういう場所なら、参拝に来たフレンズ達も気にいるかもしれないな」

 

 小高い場所とであることもポイントが高い。

 土地の高低差とは、身分の高低差に繋がることがある。

 

 俺の家の神社も同じく、長い階段を上った先にあった。

 

 必ずしもそうとは言えないが、神様の鎮座する場所はやはり高い場所の方が良いと思う。

 

「神依さん、気に入ってくれましたか?」

「ああ…そうだな」

 

 これで神社が実際に使われるのであれば万々歳だったが、生憎それは見掛け倒しとなってしまうのだ。

 この土地が素晴らしくあればあるほど、俺は虚しい気持ちを覚えるというもの。

 

「私もこんな素晴らしい場所を紹介出来て、しかも神様が御住みになられるなんて…はぁ、感激です…」

 

 それでも、他人の感動に水を差す程俺はバカじゃない。

 

 何より、オイナリサマのトップシークレットだからな。バラそうにも出来やしないさ。

 

「だがそうなると、建材の運搬がネックになるな…」

 

 現在、集めた建材は湖畔近くの雨に当たらない場所に保管してある。

 

 湖畔とこことは山を挟んで正反対。丸太一本運ぶにも、かなりの労力を必要としてしまう。

 

 どうにか、俺の”再現”の力を使って楽をさせてやれないものか。

 

 重機…とかは良いかもな。

 ”再現”するために使うサンドスターの量を考えなければ…名案だ。

 

「それについては、私に考えがありますから…今夜、昔話のついでに」

「あるのか? なら、それも聞いてから考えるとするか」

 

 丘の頂点を見て、瞼を閉じて想像する。

 ここに建てられた神社の姿を、それとなく思ってみた。

 

 何だかんだ言って、みんなの努力の結晶になるんだからな。

 

 協力者の中に俺も入っている以上、何も感じないはずがない。

 

「…いい神社になって欲しいな」

「なりますよ、私の祝福があるんですから」

「なるほど、流石は神様だな」

 

 ぶっちゃけ、かなり信用できる言葉だ。誰よりも強いオイナリサマが、出来ると言ってくれたんだから。

 

「じゃあ、帰るとするか?」

「いえ、その前に…」

「……? あっ!」

 

 驚きの声はアリツカゲラで、何かと思えばセルリアン。

 

 オイナリサマがこちらを向いて、”倒せ”と視線で言っている。

 

 別にルートを工夫すれば避けられるし、大した戦意も俺にはないが…

 

「やれって言うなら仕方ない、槍でも…」

「弓です、弓が見てみたいですっ!」

「えぇ…? まあ、分かった」

 

 子供みたいな駄々をこねたオイナリサマだが、子供の我儘が一番厄介。しかも、最強クラスの存在に言われては尚更。

 

 無駄に楯突いて命を散らす趣味は俺にはないので、大人しく弓を”再現”することにした。

 

 初めて扱う武器だけど…例の適応力もあるし、セルリアンは小さいのが数体いるだけだし、倒せるだろ。

 

 雑念を振り払って、矢を弦に掛けゆっくりと引く。

 

「わぁ…カッコイイです…!」

「静かにしててくれ、集中できない…」

 

 狙いを定め、まず一射。鋭い射撃がセルリアンを貫いた。

 すかさず次の矢を番い、順番に撃ち抜いていく。

 

 数分と経たないうちに、セルリアンは皆姿を消した。

 

「うわあ…すごいですね…」

「流石神依さんです、弓の扱いもバッチリですねっ!」

「そうらしいな、上手く行って良かったよ」

 

 晴れ晴れとした称賛も、貰い物の力を使ったからか素直には喜べない。

 

 言葉通りには受け取れず、突っぱねるのも申し訳なく。

 

 宙を泳いだ手で弓を塵と消し、揃って丘を後にした。

 

「私も、弓を使って戦ってみたいものです…!」

「え? あ、あぁ…そうか」

 

 アリツカゲラの言葉に戸惑い、至近距離から飛んで来るオイナリサマの痛い視線に居心地の悪さを感じた、微妙な帰り道。

 

 出来ることなら、少し前の空気のままで過ごしていたかった。

 

 



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Ⅵ-165 昔話に抹茶を添えて

「どうぞ」

 

 コトリと小さな音を立て、目の前の机に湯呑みが置かれた。

 

「あぁ、ありがとな」

 

 覗き込むと見える綺麗な緑色の液体が、仄かに香ばしい匂いを漂わせる。

 

 俺はそれをゆっくりと飲み干して、差し出されたハンカチで口元をそっと拭った。

 

 …視線を感じる。

 

 オイナリサマが、じっと顔色を窺うようにこちらを見ていた。

 

「…どうでしたか?」

「美味しかったよ、また飲みたい味だ」

 

 包み隠さず褒めてあげれば、オイナリサマは頬を桜色に染める。

 

 そして湯呑みを片づけに行く彼女を、俺はなんとも穏やかな気持ちで眺めていた。

 

「ふぅ…」

 

 安堵の溜め息をつく。

 

 この程度のやり取りで一体何だと思うかもしれないが…実は劇的で、とても喜ばしい変化が起きている。

 

 なに、思った通り大したことじゃない。気兼ねなく褒めることが出来るようになっただけだ。

 

 誰をって?

 

 ハハハ…オイナリサマに決まっているだろう。

 

「一週間抹茶まみれ…そんな目に遭うことは無いんだな、俺…!」

 

 あぁ、感激で涙が零れそうだ。結構長かったんだぞ、これ。

 

 …いや、涙は拭おう。訳が分からず困惑している彼らに説明をしてやろう。

 

 大丈夫、少しの質問で説明は終わる。

 

 ええと…まず、褒められたら嬉しいだろ?

 褒められたくて、また作りたくなるだろ?

 一週間くらい同じのを作っちまうだろ?

 

 そう、そういうこと。

 違うって思っても無駄だ、オイナリサマはその類だった。

 

 まあ、過ぎた話だ。

 

 辛かったよ、一週間油揚げじゃない方の揚げ物が出まくった時は泣きそうになった。

 

 結局必死の説得を続けて今日になってようやく、安全にオイナリサマを褒める土壌を作り上げられたんだ。

   

 最初はビックリしたさ、まさか他人ならまだしも…オイナリサマを褒めることすらアウトとか考える訳が無いだろう?

 

 いや、他の人を褒められない生活もアレだが…この際ノーカウントだ。

 

 とにかく、言葉に気を遣う必要がまた一つ無くなった訳だから…まあ、生きやすくはなったと思う。

 

「それにしたって、根っこは変わらないんだけどな…」

 

 今更変える算段も思い付かないし、その前に俺の精神が捻じ曲げられることだろう。

 

「はぁ、嘆いても無駄なんだよな…」

 

 前から忍ばせていた想いを独白し、一頻り想起したら、案の定考え事は底を尽きる。

 

 すると、まるでそれを待っていたかのように、オイナリサマが戻ってきた。

 

「お待たせしました。寂しくありませんでしたか?」

「…オイナリサマと同じくらいかな」

「まぁ、それはそれは…うふふ…!」

 

 最近覚えた言い回しだが、結構効果は覿面だ。

 分かりやすく笑顔になった彼女は、俺の左隣の椅子に腰を掛ける。

 

「まぁ、それは良いじゃないか。昔話…だろ?」

「あぁ、そうでしたね!」

 

 早い内から本題を持ち出し、”寂しさ”という言葉からオイナリサマの関心を逸らす。

 

 これもまあ地雷を踏んだ話で…前に痛い目を見たからな。

 詳しくは話さないけど察してくれ、ただの予防策だ。

 

 

「何から話しましょう…ですが、いつ頃からが良いのでしょう…?」

 

 首を傾げてこちらを見る。

 どうやら俺に決めて欲しいみたいだ。

 

 俺は少し考えて、覚えている限り昔の話をして欲しいと頼んだ。

 

 オイナリサマはそれに頷き、ポツポツと思い出を語り始めた。

 

「私の中にある一番古い記憶は…そう、()()神社の前で立っていた記憶ですね」

 

 気が付けば、オイナリサマはそこにいたという。

 

 今は結界の中で彼女と日々を共にする、大きな稲荷神社の前に。

 

「そうか、じゃあ…目覚めた時からの付き合いなんだな」

「思えばそうですね…もしかして、妬いちゃいますか?」

「まさか、俺は別に狭量じゃないぞ」

「うふふ…それもそうですね」

 

 大体なんだよ、()()()()()()()って。その域に達したらもはや恐怖しかないぞ…?

 

 視線で恐怖の意を伝えると、私だってそんなことはしませんよ、と言ってオイナリサマはクスクス笑った。

 

「あぁ…次だ次。それで目覚めて、最初は何したんだ?」

「それがですね、覚えてないんですよ…」

「なんだ、忘れちまったのか」

 

 神様だからてっきり何でも覚えてるとばかり思っていたが、改めて考えればそんな訳ない。

 

 勘違いしたのはそう…同じ白い狐のほら、イヅナのせいだ。

 

 アイツは記憶を操るイカサマみたいな力を持ってるから、印象が混ざったのかもしれないな。

 

「…神依さん、考え事ですか?」

「わっ…ああ、何でもない、続けてくれ」

「…そうですか」

 

 視線を上げたら驚いた。

 

 オイナリサマが昏い目をして俺の顔を覗き込んでいた。

 

 多分、頭の中の考えを半ば読まれてたんだな。相変わらず、思想の自由も無い生活だ。

 

「神依さん?」

「ほ、本当に大丈夫だっ!」

「……」

 

 勝てない、従順になるしかない。

 

 俺は頭を真っ白にして、彫刻のように良い姿勢で固まってオイナリサマのお話の続きを待つ気持ちを見せた。

 

 …”お話してください”のポーズだ。うん。

 

「…次によく覚えているのは、四神の元を訪れた時の記憶ですね」

 

 そう呟いた彼女はおもむろに立ち上がり、横の棚から大きめのスケッチブックを取り出した。

 机の上でパタパタとそれをはためかせれば、間に挟まっていた何かの絵が滑り落ちてくる。

 

 手に取るとそこには…青、白、赤、黒…四人のフレンズらしき人物の、中々精巧な絵が描かれていた。

 

 つまり、彼女たちが四神なのだろう。

 

 話によれば、この絵はオイナリサマが暇つぶしに描いたものらしい。

 

 暇つぶし程度でこんな綺麗な絵を描けるなんて凄いな。思わずそう呟くと、舞い上がったオイナリサマは恍惚に身を捩じらせた。

 

 流石に話が進まないから、俺は続きを促した。

 

 コホンと咳き込み、調子を整えて話を続けるオイナリサマを見ながら俺は、まだまだ軽率に褒められやしないな…と、再び認識を改めた。

 

 

「四神とはそれぞれ…セイリュウ、ビャッコ、スザク、ゲンブ。私が最初に出会ったのは確か…ゲンブだった筈です」

 

 出会いとは、ゲンブが神社を訪れたのが始まりらしい。

 

 他の三柱と違い、彼女だけは神社にて初対面を果たしたのだとオイナリサマは言う。

 

「で、そのゲンブとやらが来た理由って何なんだ?」

「なんて言ってたんでしたっけ…『初めて目にかかるの。わしはゲンブじゃ。おぬしのような…』」

 

 途中まで妙な口調で――多分ゲンブの真似だろう――当時の会話を再現しようとしたオイナリサマだったが、突然に言葉が止まる。

 

 パクパク。

 

 声の出ない口は、その無音で必死さを教えてくれている。

 とりあえず、やんわりと続きを促した。

 

「…ような?」

「……ごめんなさい、これも覚えてないみたいです」

 

 かなり昔のことだからと、申し訳なさそうな言い訳をされる。

 

 だがそうだろう。

 

 オイナリサマは神様だ、普通のフレンズではない。果たして何年生きてきたのか見当もつかない。

 

 ”なら尋ねようか”という閃きが一瞬頭を過って、小胆がそれを抑えた。

 

 齢二十年弱。

 

 そんな短い人生しか送っていない俺に、人外の時間は長すぎる。

 

 数百年…数千年?

 

 想像するだけで眩暈がする。

 

 そして俺さえも、これからオイナリサマと共に永い時間を過ごすのだと想像した日には――

 

「っ…!?」

「か、神依さん、大丈夫ですか…?」

「ああ、すぐに治るさ…」

 

 正直堪ったものではない。

 

 だが心配はしていない、オイナリサマにはある種の信頼すら寄せている。

 どうせ受け入れさせられるんだ、数十年のうちにはな。

 

「気にしないで続けてくれ。思い出なら、他にもあるだろ…?」

「ええ、神依さんがそう言うのでしたら…」

 

 オイナリサマは落ち着かない様子で、繋がらない言葉を呟いていく。

 

 その音律もやがて聞き取れる形を持ち、聞き取れた文章は四神との別れの記憶を物語っていた。

 

「キョウシュウの火山にフィルターを作った時……四神のみなさんが体を張って、キョウシュウを救おうとした時の思い出…」

 

 それ以上の言葉を待つことなく、それがオイナリサマと四神の別れの話だと察しが付いた。

 

 だがそれにしては妙だ、オイナリサマの言葉に抑揚が無い。

 まるで普段の会話のように…今夜の献立を伝える時のように、何も無い。

 

 表情にも、それらしい起伏は認められない。

 

 

「あれから私はきっと、一人になっちゃったんですね…」

 

 

 唯一何かを感じられるのは彼女の言葉。静かな語調に隠された、どうしようもない哀愁の音。

 

 だけど絶対に、四神との別れを悲しむ感情などないことは確かで、俺はなんとなく笑ってしまった。

 

「…神依さん?」

「あぁ、悪い。オイナリサマにも、過去を悲しむ想いがあるなんてさ」

 

 皮肉を込めてそう言うと、オイナリサマも笑ってくれた。

 

 クスリ、目を細め、口を手で覆い、尻尾を揺らし、的外れな俺の言葉をあざ笑うように。

 

「そうですか? 悲しくなんてありませんよ。神依さんが居ますから」

「だろうな、分かってたよ」

 

 照れて笑って背伸びして、オイナリサマはまた語る。

 

 四神が消えた後の話。

 キョウシュウを去り、ホートクの神社に戻ってからの話。

 

 神社に結界を張って、中に閉じこもって一人暮らしを始めた話。

 

 面白いことに…話が進むほど、時間が今に近づくほど、話の内容に狂気が見え隠れしてくる。

 

 流暢で美しいオイナリサマの語り口だからこそ、俺はまるで彼女が過ごした狂気に至るまでの時間を再体験しているような気分になり、頭に集まった血液が血管を圧迫して痛めつける。

 

「どうしてか、出掛けて誰かと会おうとは思わなかったんです。…多分、無駄だと分かってたんでしょう」

「…どうせ、いなくなるからか?」

 

 神様の暮らす時間と、それ以外の生き物の時間は明らかに違いすぎる。

 

 それはフレンズになっても同様だったようで…動物をヒトの姿に変える奇跡でも、それだけは変えられなかったようで。

 

 同じ時間を共有できる相手である四神を失って…いや、普通に失ったのなら踏ん切りが付いたのかもしれない。

 

 四人が封印の礎となることで、他のフレンズのような再会の形すら奪われたのだ。

 

 強大な力を持つからこその別れが、彼女たちを永遠に隔てた。

 

「でもですよ、神依さん」

 

「…ん?」

「私は、これで良かったと思ってます」

 

 ホートクに閉じ籠って、読み切れない量の本を貪って、埋まることのない退屈に水を注ぎ続けた日々。

 

 オイナリサマはその空っぽな時間を、有意義だと言い切った。

 

「分かるでしょう? どうして私が、そう言えるのか」

「…ああ」

 

 今更白を切れるかよ。

 

 その一点の為に、為だけにアンタが行った凶行を、”俺には関係ない”なんて切り捨てられる訳ないだろう。

 

 だから、じっと耐えるのみ。

 

「何度でも言います、神依さん。あなたに会えて良かった」

「…ああ」

 

 何度も聞いた、何度も聞くだろう。耳を塞いだりなんてしない。

 

「神依さん、私はあなたに会って…全部を手に入れたんです」

「そう…か」

 

 じゃあ、皮肉だな。

 

 俺はオイナリサマに出会って、全部を奪われた。

 

 それじゃ飽き足らず…心まで奪う気か、神様?

 

 約束のように耳に囁く、嫌になるほど甘い言葉で。

 

「ずっと一緒ですよ、神依さん」

「ああ、改めて言われるまでもないさ。だって――」

 

 

 ――アンタは逃がさないだろ?

 

 

 ここでふと、オイナリサマが肯いたように見えた。

 

 いよいよ俺の考えは形を持つことなく消え去った筈であるのに、間際で掬い上げられたように錯覚した。

 

 或いはただ微笑んだだけかもしれないのに、俺の心は白い毛並みに捕まえられて不安に揉まれてゆく。

 

「そうだ、次はあのお話にしましょう」

 

 この動揺など知る由もなく、昔話は続きゆく――

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 しばらく話して小一時間、とうとう話題が尽きたと見える。

 

 俺は遊ばせていたシャーペンを置いて、オイナリサマに問いかけた。

 

「…もう話すこともないだろ、昔話はここまでにして良いか?」

「はい。じゃあ次は、現実的なお話ですね」

 

 ハリボテ神社を建設するための大量の資材を運ぶ方法。

 

 オイナリサマの考える案とは一体全体何だろう?

 自信満々だから一応期待はしているが、まともな方法であることを願っておこう。

 

「長くなりそうですし、もう一杯お茶を淹れてきますね」

「分かった、待ってるな」

 

 抹茶を口に、お菓子を茶請けに、真夜中の雑談は終わらない。

 

 今夜の月は、長かった。

 

 



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Ⅵ-166 運べや運べ、ハコベの上に

ガタンガタンと石を踏み、葉っぱを散らして枝をへし折り、車はタイヤを回して進む。

 

 風が掻き分け散らした青葉がフロントガラスに乗っかって、遮る視界は青空の向こう、大きな機械が飛んでいる。

 

 彼の物の名はヘリコプター。

 大きな建造物を空から撮影したり、急病人を空路で運んだりするときに使われるあの乗り物だ。

 

 間近で目にした時はその大きさに驚いたものだが、空高くに行ってしまえばその影は小さなおもちゃも同然。

 

 全力で目を凝らせば横の窓から中が見えるが、コックピットには誰もいない。

 

 いや、実際にはラッキービーストが搭乗しているが、体が小さくて見えないので殆ど同じことである。

 

 俺は地上からヘリコプターの様子を観察する。

 

「…今のところは異常ナシか」

 

 機械工学とか航空力学について俺は非常に浅学な身だが、一目見て問題が無いことは確か。

 

 外から見えないエラーは中のラッキービーストが報告してくれる。体制はバッチリだ。

 

 あのラッキービーストには感謝しなければいけない。不慣れな俺の操縦でヘリコプターごと墜落してしまう危険を承知で、彼は操縦の手伝いに名乗り出てくれた。

 

 ”ただのロボットだから気にしないで”…彼はそう言っていたが、俺は冷酷になどなれない。

 

 機械と言えど、他人に危険を押し付けてしまったという罪悪感と責任感がある。自然と、車の運転も慎重なものになっていた。

 

「落としちまったら、下にいる誰かも危ないもんな…」

 

 一切のトラブルも起きず、非常に安全な空路。

 だからこそ気が緩みそうになる度に、俺は自分に言い聞かせる。

 

 便利なものほど反動は大きく、効果が予期せぬ方向に発揮された時の弊害もまた大きいのだと。

 

 ”それ”を俺は十分に知っていて、しかし()()()()()いなかった。

 

 …まあ、これは後の話だ。

 

「オイナリサマは流石だな、空から運ぶなんて…思いつかなかった」

「アイデアを実現できたのは神依さんの力あってこそですから。だから、すごいのは神依さんですよ…?」

 

 冗談じゃないと首を振る。その力を俺に与えたのはどこの誰なのか忘れた訳でもあるまい。

 

 しかも、俺一人では車とヘリコプター、その両方を再現するだけのサンドスターを工面できなかった。そう、それもオイナリサマに融通してもらったもの。

 

 だから、オイナリサマの俺を褒める言葉を聞くごとに、むず痒い違和感が背中を走るのだ。

 果たして何時か、この感覚が心地よさに変わる日が来るのだろうかと夢想する。斯くもそれは、げに恐ろしき未来図であった。

 

『到着まで、残り30分の予定だよ』

 

 空中のラッキービーストから通信が届く。

 俺は同じように通信で返事をし、手を握って気を引き締めなおした。

 

 空路での輸送は十数往復までに及び、全ての建材を運び終わったのは運び始めてから九時間後のこと。

 

 赤い残光が横から照り付ける、心地よい黄昏時であった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 材料の準備が済んでしまえば、あとは建設の本工程に入るだけ。

 

 お手伝いのフレンズたちには今日の朝から建設予定地に入り、基礎工事に取り掛かってもらっている。

 

 基礎の完成には少なくとも一日掛かるようで…同じく一日をかけて行う材料の輸送と並行して行うには丁度良かった。

 

 輸送は全てヘリコプター頼みで、フレンズの手を借りることは無い。

 

 オイナリサマがこの方法を提案したのも、この点を含めて効率的な点が多かったからなのだ。

 

 

「ふぅ…これで四分の一か。まだまだ長いな」

 

 それは四回目の輸送だったか。

 日光が真上から差す正午時、俺は暑さと緊張の汗で濡らした額を拭った。

 

 既に、作業が始まってから三時間が経っている。暗くなると運べないから、時限はおよそ六時まで。

 

 現在の作業ペースでは25%ほどが明日の日程にずれ込むことになる。俺は少し焦りを感じていた。

 

 そんな俺の様子を見かねたのか、オイナリサマが励ましの言葉を掛けてくれた。

 

「大丈夫ですよ、時間はたっぷりありますから」

「ああ、心配なんてしないさ…少し、基礎の様子を見てきていいか?」

 

 ついさっきまでの焦燥を振り払うように、俺はわざと時間を無駄に使ってみようとする。

 

 本当ならさっさと湖畔に戻って五往復目に入るのが良いのだろうが、俺は少し道理から外れてでも余裕を持っておきたかった。

 

「良いですよ。でも、あまり長居していると…」

「分かってる、適当なタイミングで戻って来るさ」

 

 オイナリサマは目を細め、気乗りした表情ではなかったが一応は送り出してくれた。

 

 俺はひらひらと手を振って、丘の頂上を目指して歩く。

 風に吹かれた草が綺麗で、ひらひら緑が舞っていた。

 

 

「あ…カムイ殿、お疲れ様であります! もうお仕事は終わったでありますか…?」

「小休止ってところだ、すぐに戻るさ」

 

 こちらに気づき、やって来るプレーリー。

 俺は軽く言葉を返し、近くの木陰で脚を休めた。

 

「そうでありましたか…確かに、休憩は大事でありますからね」

 

 プレーリーはうんうんと頷きながらそう言って、俺の近くに腰を下ろした。

 

「お前も休憩か?」

「はい、お休みは大事であります!」

「ハハ、そうだな」

 

 背中を木の幹に預けて目を閉じれば、草の匂いが鼻をくすぐる。

 耳には風が枝葉を揺らす音が届き、伸ばした手は暖かな陽の光を受けて安らぐ。

 

 しばらく適当に腕を遊ばせていた俺は、指先に少し変わった感触があることに気づいた。

 

「…ん?」

 

 そっと掴んだ植物を見てみると、それは小さな白い花だった。

 

「へぇ、かわいい花だな」

 

 太陽の下に輝くその花は、こじんまりとした可憐さで俺の視線を引き付ける。

 

 俺はそれを摘み取って、深呼吸をして匂いを嗅いでみた。何とも言えない草の香りで、それでも長閑で癒された。

 

「それはもしかして、ハコベでありますか?」

「ハコベって…この花の名前か?」

 

 プレーリーは頷く。

 

「昔、図書館の本に写真があったであります。何だか…難しい文字で書かれていたでありましたね…」

 

 難しい文字か。

 

 ハコベ…繁縷(ハコベ)…ふむ、俺の記憶にはない。

 

 ”分からない”という感覚が喉に引っ掛かるようだったが、癒しの香りを鼻に感じればそんなことはどうでもいいというもの。

 

「…やっぱ良い場所だな、この丘は」

 

 俺は摘んだハコベをポケットに入れる。

 

 その内萎れてしまうとは理解していた。

 だから、ほんの少しでも長く眺めていたかった。

 

「じゃ、そろそろ戻るな」

「はい、カムイ殿もお仕事頑張ってくださいであります!」

 

 短い休憩はこれにて終わり、ジャパリまんと紅茶を胃に入れてから作業は再開される。

 

 その後、俺が再びこの場所へやって来たのは、材料運びが全て終わった午後六時過ぎのことだった。

 

 俺はすっかり元気を失ったハコベを休んだ木の陰に置き、そっと祈りを捧げて、その場を後にしたのだった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「さて…基礎作りも終わって、ついに本殿の建設だな」

「とうとうっスね…今まで、とても長かったっス」

「ついに、私たちの本領が発揮されるであります…!」

 

 早朝にも関わらず、集まったフレンズたちの士気は抜群だった。

 

 それもその筈。

 

 今日は更に太陽が昇ってから建設を始める予定だったのだが、彼女たちが自ら集合時間を早めてここに集まったのだから。

 

「けど、本当に良いのか? こんなに早くから…」

「大丈夫っス。オレっちたちも、早く作り上げたくてみんなうずうずしてたっスよ!」

 

 俺としては、外で流行っていた――というのも不謹慎だが――”やりがい搾取”の気配を感じて引け目を感じてしまう。

 

 しかしまあ、本人たちが望んでいるなら大丈夫か。

 よもや働き過ぎなんて無いだろうし、その気を感じたら俺が止めればいい。

 

 辛いのは…眠気がヤバい俺だけだ…

 

「あぁ…じゃあ、始めてていいぞ」

 

 宣言を待たずして作業を始めたフレンズたち。

 元気なものだ、羨ましいな。

 

「眠いなら寝ていて構いませんよ、何かあったら起こしますから」

「そうか。じゃあ、頼む…」

 

 普段ならいくらか恥じらいも覚えたであろうが、生憎この時はそんな余裕などなかった。

 

 俺は静かな木陰で、オイナリサマの膝枕に頭を預けて、ぐっすりと熟睡するのだった――

 

 

「……ハッ!?」

 

 

 何かに駆り立てられるように、俺は一気に体を起こして目覚めた。

 それは危険か、惰眠を貪る自分への警告か。

 

 ああ、警告だっただろう。

 

「あら、起こしてしまいましたね」

「オイナリサマ…なんで、服の中に手を?」

「…えへっ♡」

 

 俺を目覚めさせたのは、オイナリサマの手による()()()()感触だった。

 

 念入りに身体を弄られて、気持ちが良いのか悪いのか…ともあれ、微妙な目覚めだったことに間違いはない。

 

「はぁ…まあいい。神社はどんな感じだ?」

「そうですね、中々順調です。私が見た限りでは…一週間もあれば完成すると思いますよ」

「そうか…速い、な」

 

 材料の準備期間を差し引いたとしても、一週間で完成する建物の話なんて外の世界でも滅多に聞いたことが無かった。

 

 唯一聞いた話もどっかの国のお手抜き工事。

 

 フレンズたちは手を抜かないし、過失を起こす程技量に欠けている訳でもないから…日本の普通の工事と十分に比較できる。

 

 その前提に立てば、目の前の状況の異常さがよく分かる。 

 

 今の科学技術を駆使しても難しいことを、そういった機械に一切頼らない女の子たちが成し遂げてしまうかもしれないとは。

 

 つくづく、サンドスターとは恐ろしい現象を起こす物質である。

 

「はは、勿体ないな…」

 

 皮肉なものだ。

 

 奇跡の如き現象で生まれたフレンズたちの力を借りて造る建物が、何の奇跡も起こさないハリボテの神社だとは。

 

「彼女たちは力を存分に発揮していますよ…勿体ないことなんてありません」

「そういう意味じゃないんだけどな…だってあの神社、使わないんだろ?」

 

 何度も聞いた話をもう一度掘り返した俺の口調には、若干の苛立ちが籠っていたかもしれない。

 散々彼女たちの熱意を見た後だからこそ余計に、それに釣り合わない神社の扱いに憤りを感じた。

 

 そして考えを告げた後、自身の咎めるような言い方に罪悪感を覚えてしまった。

 

 バツの悪い気持ちでオイナリサマを見ると…彼女はけろっとした顔で、不思議そうに俺に尋ね返すのだ。

 

「え、使いますよ? ちゃんと偽装するじゃないですか」

「あー……そう、だな」

 

 訊く顔には、一片の疑問も無い。

 

 フレンズたちが協力して作った努力の結晶が()()()()()に浪費されることも、オイナリサマにとっては当たり前なのだろう。

 

 神の奇跡が、彼女たちを救うことはないのだろうか。

 

「良いんですよ、私の奇跡は神依さんだけのモノですから」

 

 澄まし顔で言ってのけるオイナリサマには一周回って敬服の念すら覚える。

 

 他でもない神様自身が、自らの奇跡をたった一人のモノだと、独占してしまって良いのだと宣言したのだから。

 

 …そんなこと、俺にはとてもできない。

 

 立ち上がり、槍を構えて歩き出した。

 

「あら、何処へ…?」

「セルリアン退治だ、向こうに見えたからな。ああ、それと…」

 

 不用心な神様の足元を見て、俺は眉をひそめた。

 静かにそこを指差して、ほんの一言くれてやる。

 

 

「…そこのハコベは踏まないでくれ。俺の…気に入った花なんだ」

 

 

 それだけを言い残して、俺はセルリアンに向かって飛び出した。

 

 

 

 ――ハコベの花言葉は、『集合する』。

 

 まるで、フレンズたちの群れを表しているかのような花言葉。

 

 素敵だろ?

 

 そうだ、だから邪魔なんてさせない。

 

 彼女たちは集まって力を合わせて、一緒に輝きを作り上げようとしているんだ。

 

 俺は…自分に出来る手助けを、してやらないとな。

 

 



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Ⅵ-167 今度こそ、逃げなくて良いから

 跡形もなく砕け散ったセルリアンの成れの果てが、塵のように肩へと降りかかる。

 

 鬱陶しいそれを手で払い、地面に柄を突き立てた武器に少し寄りかかって、俺は気の抜けた溜め息を吐いた。

 

「はぁ~…」

 

 今日の得物は大きな鎌。

 

 出てきたセルリアンと黒槍(ロン)の相性が悪かったから、何となく有利そうな鎌を”再現”して戦ってみた。

 

 結果、優位に立ち回ることが出来た。

 

「…午前なのにもう二回目か。全く、セルリアン(お前たち)も少しは休んでくれよ…」

 

 鎌の柄を引き抜き、役目を終えたソレを塵に帰してから、俺は完成間近の神社の様子を見に行くことにした。

 

 

「…立派だな。少し前までただの丘だったとは思えない」

 

 本格的な建築を始めてから、今日で丁度一週間。

 

 オイナリサマの見立て通り、約七日という短時間で工程は殆どが終わり、いよいよ完成まで秒読みの状況。

 

 知っての通り彼女たちの手際は素晴らしく、この先も特にトラブルは起きないだろう。

 

「ええと、何してんのかな…?」

「瓦を張ってるのよ、ほら、屋根の上にいるでしょ?」

 

 後ろから聞こえた声に振り返ると、そこには見掛けた縞模様。

 一拍置いて、少し前に共闘した彼女の容貌を思い出した。

 

「ああ、チャップマンシマウマか。…休憩中か?」

「そんなとこ、カムイも休めば? 一人でセルリアン退治して疲れてるでしょ」

「ああ…そうしようかな」

 

 何処に腰を下ろそうかと辺りを見回していたら、チャップマンシマウマが向こうを指差す。

 

 見るとそこには、木のテーブルとベンチが造られていた。籠入りのジャパリまんも置かれていて、まさに休憩にはもってこいの場所だ。

 

「良いな。頑丈で綺麗で座りやすい…これは、誰が?」

「プレーリーとビーバーよ」

「へぇ…流石、あのログハウスを建てただけのことはある訳だ」

 

 揃ってジャパリまんを口に入れ、俺たちはお互いの近況を伝え合う。

 俺からは倒したセルリアンの話、彼女からは建設中に起きた出来事のアレコレ。

 

 他愛のない世間話の中で、殺伐としていた俺の心は若干の潤いを取り戻していた。

 

 チャップマンシマウマは気難しくないし、過ぎた称賛を飛ばしてもこない。

 本当に気さくな友人みたいな感じで、過度に言葉を選ぶことなく会話ができる。

 

 俺はオイナリサマの結界に閉じ込められ、長い間()()()()話し相手を得られなかった。

 だから、うん…癒されるな、こういうのは。

 

 そう思った俺は…彼女との会話を切り上げることにした。

 

「あら、もう休憩は終わり?」

「プレーリーたちの様子見でもしようかと思ってな。思えばセルリアン退治ばっかりで…まともに様子を見れてなかったからさ」

 

 現場監督はオイナリサマに引き継ぎ、必要なことは彼女に一任していた。

 

「そ。じゃあ、歩き疲れたら戻ってきなさい」

「ああ、行ってくる」

 

 ごく短い時間だったが、有意義な休憩だった。楽しかった。

 

 だから、深入りは避けなければならない。

 自分の為に、何より彼女の為に、仲良くなりすぎることは禁忌なのだから。

 

 …さて、こんなことを考えてたって気が滅入るだけだ。

 

 俺は気を取り直し、今度こそ神社の様子を見に行った。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 …チャップマンシマウマの言っていた通り、みんなは瓦を張る作業に取り掛かっていた。

 

 下に積まれた瓦を数人で上に渡し、屋根に立つ数人がそれを受け取る。そして何かを屋根に塗り、隙間なく瓦を貼り付けていく。

 

 流れるように進んでいく丁寧な作業に、俺は自然と見入ってしまう。

 そして更に俺の目を引いたのは、作業途中の屋根の外観だった。

 

 何も無い平坦な屋根と、瓦が張られた後のよく見慣れた屋根の姿。

 

 このように対照的な様子が、すぐ近くに隣り合って見える光景は実に珍しい。

 

「…あれ?」

 

 それまでボーッと眺めていた俺は、ふと一つの疑問を覚えた。

 瞬間、さっきまでの呆けようが嘘のように頭が回る。

 

 脳裏をよぎり、グルグルと駆け巡った問いはやがて、口をついて呟きとなる。

 

「あの瓦って、一体どこから…?」

 

 木材の他に、基礎工事の為のアレコレとか石畳用の岩の確保をした記憶はある。だが、ああいった瓦とか接着剤を準備した覚えはない。

 

 フレンズのみんなは律儀だ、よもやコッソリ用意したとも思えないのだが…

 

「おお、カムイ殿! 見に来てくれたでありますか…!」

「まあな。ところで、あの瓦って何処で用意したんだ?」

 

 疑問を放置しておくのも気持ちが悪いし、丁度良く通りがかったプレーリーに訊いてみた。

 

「アレでありますか? オイナリサマが持って来てくれたのですが…」

「…考えてみりゃそうか」

 

 出所がよく分からない物の出自は、大体オイナリサマだと思っておいた方が楽だな、この際。

 

「うん…なるほどな。神社の方、何か問題はあるか?」

「全くのゼロであります、お二人が良い用意をしてくれたお陰でありますよ」

 

 手伝いこそしたけれど、面と向かって褒められると気恥ずかしい。

 俺は適当な相槌を打って、話を逸らそうとある提案をした。

 

「なぁ、邪魔じゃなかったらの話だけど…少しやってみても良いか? 俺に出来る仕事で良いからさ」

「いえいえ、大歓迎であります!」

「良かった…ええと、何が出来るかな…」

 

 話題を上手く変えられたことに安心し、本当に手伝うのかと自分の軽率な発言を咎めた数十秒。

 

 プレーリーはご機嫌な様子で俺を現場まで案内し、なんやかんやと話を付けて瓦を貼り付ける作業を俺に引き渡してくれた。

 

 よりにもよってこの仕事か…いや、信頼の証だろう。頑張らねばいかん。

 

「どういう風にすればいい? 生憎全然分からないものでな…」

「大丈夫っスよ。オレっちたちも、全部オイナリサマに教えてもらいましたから」

 

 なるほど、それなら俺にも出来そうだと納得する。

 

 しかしオイナリサマは、俺の知らない内に色々と仕事をしていたようだ。

 

 彼女に全てを任せたのは俺だし、文句を言う筋合いはないが…一言くらい、伝えてくれても良かったな。

 

 

「…ま、やってみるか」

 

 ビーバーの指南通りに瓦貼りを始める。

 

 まずは、屋根に接着の為のセメントを塗りつける。

 オイナリサマのお手製のようで、サンドスターの力で普通のセメントよりも塗りやすく、貼りやすいようだ。

 

 次に――というか最終段階だが――本命の瓦を貼りつけていく。

 

 隣と隙間の無いように、慎重に位置を確かめながら屋根に近づける。

 

 そっと、そうっと…

 

「…あっ!?」

 

 気を抜いた一瞬、瓦が手から滑り落ちた。

 

 体感時間は数分。かなり神経をすり減らした調整も虚しく、瓦はうっすらとキラキラ輝くセメントの上に落ちていく。

 

 そして…綺麗に貼り付いた。

 

「…え?」

「あ、えっと…」

 

 理解出来ない現象に戸惑う俺に対し、申し訳なさそうな顔をしたビーバーが説明をしてくれた。

 

「この瓦もオイナリサマ特製で…サンドスター入りのセメントと反応して、綺麗にくっつくように出来てるんっス…」

「へ、へぇ…」

 

 つまり、わざわざ調整するまでもなく綺麗な仕上がりになるセットで。

 

 俺が神経をすり減らしながら調整に費やした数分間は、文字通り全くの無駄ということで…

 

 そんな俺の様子を、ビーバーはずっと黙って見ていた訳で…

 

「いや、それなら先に言ってくれよっ!?」

 

 思わず叫んでしまったのも、今回ばかりは致し方ない。

 

「あはは、カムイさんが真剣にやってるから声を掛けづらかったんス…」

「まあ、失敗じゃないなら良いのか…?」

 

 俺はイマイチ釈然としない気持ちで作業を続けて…三十枚くらい貼ったところで、俺はお手伝いを切り上げて下へと降りた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「おかえり、向こうはどうだった?」

「見たところ、良い感じだったよ…けどその、”おかえり”ってのはやめてくれないか?」

 

 そういう意図が無いのは分かるけど、結構危ないセリフだからなぁ…

 

「え、どうして?」

「いや、そのだな、ええと、問題があるというか…」

 

 すげなく訊き返されてしまい、俺はしどろもどろに。

 

 …参ったな。

 

 オイナリサマに関わる事情を暴露するのはもっと悪いし、一体全体どうしたものか…

 

「神依さん、休憩ですか?」

「あ、オイナリサマ…!」

 

 神社に向かっていたのだろう、空を飛んでいたオイナリサマは俺の姿を見つけて地面に降りてきた。

 

 想像すればなんとやら。

 間が悪い気もするが、話を誤魔化せると考えればナイスタイミングだ。

 

 とりあえず俺は、オイナリサマの腕の中で存在感を放つ大きな箱について尋ねてみることにした。

 

「それは、何だ?」

「これは四次…五次元ポ…ボックスです」

「ご、五次元…?」

 

 なんか、用途が想像できる。

 

 というか四次元って、ポケットって言いかけてた!

 まあ、突っ込むだけ損かなぁ…?

 

「へぇ…何に使うんだー…?」

「どうしたのよ、そんな棒読みで」

「な、なんでもない…」

 

 頼む、突っ込まないでくれチャップマンシマウマ。

 

 コンプライアンス? 的に不味い表現となってしまう可能性があるかもしれないと思われる事態が有り得るわけで…

 

 ええい、何処で見たんだよあの青ダヌキをっ!

 

 ま、まあ…?

 言っても五次元だし、ボックスだし?

 

 然程…気にしなくてもいい、と、思う。

 

「…使い道は?」

「幾らでもモノを仕舞えます!」

 

 知ってた。

 

「何を入れてるんだ?」

「家具ですね、新しい神社には内装が必要ですし」

 

 良かった、目的は至極真っ当だった。

 

 真っ当な使い方をされない神社の内装だけど…まあ、気にしてたまるか。

 

「すごいわね…でも、沢山入れて重くないの?」

「チッ……いえ、全く重くないんですよ」

 

 何か破裂音が聞こえたぞ。

 オイナリサマから聞こえたぞ。

 ついでに、憎悪の表情も見えた気がしたぞ。

 

 …嘘だろ?

 

「オイナリサマ、抑えて」

「わ、分かりました…」

 

 もしも気が狂ってオイナリサマのフォローをするのなら…

 

 見ようによっては、俺との会話に割って入ったと捉えることも出来る。

 

 だけど自分に話しかけるのもアウトって、いよいよ祟り神の類じゃないか。

 

 …そして、大事な大事な()()()

 

 

 『話に割って入られただけで殺意の視線を向けるのはおかしいっ!』

 

 

 …ふぅ。

 

 普段からオイナリサマと暮らしてると、常識を忘れそうになるね。

 

 

「じゃあ、これから神社の方に持っていく訳だな」

「はい、神依さんも行きます?」

「んー…さっき見てきたばっかりだし…」

 

 ちょっとだるいしと呟いて、ハッとオイナリサマの方を見る。

 

 機嫌を損ねたんじゃないかとも思ったけど、彼女は特別思い詰めた様子ではなかった。

 

「…そうですか。それなら、私一人で行ってきますね」

「お、おう…」

 

 何だろう、今日のオイナリサマはやけに素直だな。

 

 いつもなら、食い破られるんじゃないかと思うくらいにしつこく食い下がって来るというのに。

 

 ま、そのうち戻って来るだろうし、ゆっくりしてるか…

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「さて、暇になっちまったな」

「…ん、だったら一緒に行けばよかったじゃない」

 

 ハハハと笑って俺は同意する。

 

 しかしまあ、幾ら暇でも取りたくない選択とはあるもので。

 

 わざわざ付いて行かなくても向こうから来るのだから、俺は大して同行したい気持ちじゃなかった。

 

「暇が潰せそうなもの…お」

 

 テーブルの上を手探りで探っていると、将棋盤を見つけた。

 駒も揃っているし、すぐに遊べそうだ。

 

 そう思って彼女を誘ったが、返事は芳しくない。

 

「ごめん、私ルール分かんないの」

「…じゃあ仕方ないか」

「前に博士に教わったけど難しいのよねぇ…ホント、よく出来るなって思うわ」

 

 …なるほど。

 

 巧拙を問わなければ誰にでも出来ると思っていたが…それはヒトの常識だな。

 

 フレンズは元々は動物だし、ヒトの遊びにも向き不向きが当然あるだろう。

 

 つまり、将棋もボツ。

 

 マジで、適当に会話してるくらいしか無いのか…?

 

 

 …いや、まだやることがある。

 

 

「…そうだ、セルリアン探そう」

「いや、そんな食べ物探すようなノリでっ!?」

 

 おいおい、突っ込まないでくれよチャップマンシマウマ。

 

 セルリアンは結局居るし、倒しても悪いことなんて無いだろ?

 

「そうじゃなくて、万一何かあったら…」

「あったら大変だから、何か起きる前に倒すんだろ?」

 

 フレンズ相手なら危険思想だが、セルリアンを相手取るならそれが正しい。

 

 今日はセルリアンの出現量が多いし、また現れた可能性も十分にある。

 

「そう…なら、私も付いてく!」

「…いいのか?」

「今更危ないなんて言わないでね。私は戦えるし、じっとしてるのも暇になっただけだから!」

 

 俺は頷く。

 

 そんな野暮なことは言わないさ。

 二人で戦う方が、一人きりよりもずっと良い。

 

「じゃあ、ちょっくら探すとするか」

「…あっ、あれ!」

 

 チャップマンシマウマが後ろを指差して叫ぶ。

 

 早々に見つけてくれたようだな。優秀な協力者で実に助かる。

 

 さぁて、軽く退治して…して……

 

「…なあ、チャップマン。アレ…一体だよな?」

「多分…すごく大きいけど、多分群れじゃないよ」

 

 影が見えた。

 

 その影は森を蠢く。

 

 正面の木の陰に姿を見せたかと思えば、同時に三つ隣の木の後ろにも見えるのだ。

 

 巨大すぎる。

 本能の恐怖が、アイツはハリボテじゃないと告げている。

 

「ど、どうするの!?」

「俺たちだけじゃ相手にならない。チャップマン、神社のみんなを呼んできてくれ」

「か、カムイは…?」

 

 …だろうな、その質問は絶対に来ると思った。

 

 そう心配そうな目をするな。誤魔化したりなんてしないさ。

 

「戻って来るまで足止めだ。頼むから早く帰ってきて、俺に無茶させてくれるなよ?」

「き、決まってるでしょ…食われるんじゃないわよっ!」

 

 

 叫ぶように吐き捨てて、俊敏な駆け足でチャップマンシマウマは丘を駆け上がっていく。

 

 対する俺は黒槍(ロン)を携え、ゆっくりと丘を下りていく。

 

 

「お互い怪我しない程度に…そうだな、腹の探り合いでもしようぜ?」

 

 セルリアンは、言葉の代わりに咆哮で応えた。

 

 俺は、槍を構える。

 

 思い出す。

 

 全くの無力だった頃、霧深き森の中でセルリアンと対峙した記憶を。

 

 でも俺は変わっていない。()()()()()で立ち向かうだけだ。

 

 だけど、一つの変化が俺に自信を与えていた。

 俺は決して臆することなく、セルリアンと向き合えていた。

 

 …だって。

 

 今度こそ、逃げなくて良いから。

 

 



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Ⅵ-168 戦いのイロハ、臆すべからず。

「はぁ…はぁ…っ!」

 

 まだ青い落ち葉を踏み散らして。

 遥か後方から聞こえる戦いの音を聞き、振り返りたくなる衝動を抑えて。

 

 …私は、全速力で走っていた。

 

「さっさと連れていかなきゃ…」

 

 カムイは、口では無茶をしないと言っていた。

 

「…し、信じられる訳ないでしょっ!」

 

 あの目は無謀にも突っ込んでいく目だ。そう私は確信していた。

 

 確かにカムイには力があるし、戦いを乗り越えて生きる意志も感じる。

 

 だけど、そんな些細な決意なんて一瞬で塗りつぶしてしまうくらいの…もっと強い()()が、アイツの目にあった。

 

「何なのよ…私よりずっと強いくせに…!」

 

 想像が付かない。

 アイツなら、並大抵のセルリアンなんて片手で捻るように倒せるのに。

 

 そんな強さを持っていても抗えない、抗う気すら起きない存在(絶望)があるなんて。

 

「もう…一々危なっかしい奴なんだから…!」

 

 今の私にできるのは足を止めないこと。

 

 早く神社のみんなにカムイの危険を知らせて、一緒に戦ってくれるようお願いすること。

 

 あと少しで着く。

 

「くっ…みんなっ!」

 

 息を荒げたくなる気持ちを抑え、腹に力を込めて呼び掛けた。

 

 そして私は、巨大なセルリアンが出たことと、カムイが奴を抑えるために戦っていることを手短に伝える。

 

「なるほど…事情は分かったであります! みなさん、すぐに向かいましょう!」

「そうっスね! カムイさんが心配っス…!」

 

 彼女たちが一緒に戦うと名乗り出たのは、私が協力を呼び掛けるよりも前だった。

 

「みんな…ありがとう…」

「お礼なんて…これくらい当然っスよ!」

 

 ビーバーの言葉を聞いて、私の涙腺は余計に緩む。

 

 ああ、私もしおらしくなったものね。

 普段なら、気兼ねなく頼み事だって出来たのに。

 

 それくらい…アイツが心配ってことなのかな。

 

「ですが…私たちだけで戦えるでしょうか…」

「確かに、前に出た奴より大きそうな雰囲気だったからね…」

 

 私の返事に、プレーリーはうんうんと頷く。

 

 私は例のゾウ型セルリアンとやらは見ていない。

 だけど、あの時戦った合体セルリアンと同じくらいだとカムイから聞いた。

 

 今回は、それよりずっと大きい。

 

 こんな場所で足踏みしている暇なんて無いと分かっている。

 

 だけど、焦って駆け付けたところで何が出来るのかという思いも募る。

 

 誰か、もっと強い助っ人がいてくれれば…

 

「…もしも、オイナリサマなら」

 

 神様なら、私たちを助けてくれるかもしれない。

 

 そうだ、オイナリサマは神社に来ているはずだ…

 

「オイナリサマは何処? 居ないの…?」

「あ…確か、用事があると言って図書館の方に歩いて…」

「と、図書館!? …いつ?」

「少し前っスけど…チャップマンシマウマさん?」

 

 決心したら、私の準備は早い。

 ほんの少しだけど、脚は休ませられた。

 

 もう一度だって走れる、アイツの確実な安全を取るためなら。

 

「オイナリサマのこと…探しに行って良い? セルリアンなら下ったところ、探すまでもなく見つかるから」

 

 一応聞くけど、有無は言わせない。

 

 時間なんて無い、何か一つでも手遅れになる前に、掴まねば。

 

「分かったであります。チャップマン殿とオイナリサマ殿が戻って来るまで、私たちがカムイ殿を支援するであります!」

「…ありがと、行ってくるね」

 

 ビーバーの指した方向へと私は駆け出す。

 

「間の悪い神様ね、カムイが危ないってのに…!」

 

 零れる独り言。

 誰も聞かないから独り言。

 呼ぶ声さえも独り言。

 

 オイナリサマを探して、私はプレーリー達と逆に丘を下りていく。

 

 私を邪魔するように吹き抜けていく風の中で、ふと思った。

 

 あのカムイでさえ叶わない存在(絶望)ってもしかしたら…オイナリサマなんじゃないか、って。

 

「だとしても、他に方法なんて無いのよ…!」

 

 それでも考える。

 もしそうだったらどうする?

 

 答えは出なかった。

 

「あ、いた…」

 

 出る前に、見つけてしまった。

 

 私が駆け寄る前に、オイナリサマが歩みを寄せてきた。

 

「チャップマンシマウマさん…でしたかね?」

「は、はい! 聞いてください、カムイが……っ?」

 

 アイツの危険を訴えようとした私を、オイナリサマは手の平一つで抑えてしまう。

 

「まあまあ、落ち着いて」

「は、はい…?」

 

 私は手で胸を押さえる。

 

 さっきまで抱えていた焦燥が一瞬で消え去ったようで、私は妙な気分に包まれた。

 

 キツネにつままれたような表情をする私を見て、目の前の神様はクスリと笑う。

 

「大丈夫ですよ。貴女が来ることは分かっていましたから」

 

 その言葉でついに状況が掴めなくなり、ただ困惑するしかない私に向かって、オイナリサマは囁いた。

 

「だから少しだけ…()()、いたしませんか?」

 

 …ああ、直感しちゃった。

 

 この先私に降りかかるのは、きっと碌でもないことだ。

 

 私は自分の勘の良さを、この時ばかりは恨んでしまった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「っ…中々やるな」

 

 槍を横薙ぎに振るい、牽制しながら先に付いた落ち葉を払う。

 

 チャップマンシマウマを送り出してから俺はずっと、このセルリアンと何にもならない小競り合いを続けていた。

 

「さて、応援はまだ掛かりそうか…?」

 

 ほんの一瞬だけ上の方を振り返ってみるも、誰かがやって来る気配はない。

 

 …まだまだ長引きそうだ。

 

 俺は巨大セルリアンのサンドスターを吸ってまた重くなった槍を一旦仕舞い、代わりにサイレンサー付きの拳銃を”再現”した。

 

「試してみるとするか。誤射の危険が無い内にな」

 

 再現した銃の型は…えっと、何だったかな。

 ”サイレンサー付き”という条件しか頭に残さなかったせいで忘れてしまった。

 

 うん、フレンズたちを音で脅かすのは悪いからな。消音は大事だ。

 

 果たして、本物のサイレンサーの消音性能が如何ほどなのか俺には知る由も無いが、そこは上手くサンドスターがやってくれるだろう。

 

 頑張れサンドスター。期待してるぞ。

 

 

「まず一発…食らいな」

 

 引き金を引く。

 狙いを定めた銃口から、鉛弾とは似ても似つかない光の弾が飛び出した。

 

「おっと、そういう感じか…!?」

 

 高速で突き刺さる光弾はセルリアンを貫き、苦しみの呻き声が聞こえる。

 

 若干俺の予想とは違う結果だが、武器としての性能は十分なようだ。

 

「まあ、イメージが曖昧だったからな…」

 

 明確に”再現”できなかった部分は補完されるのだろう。

 

 サンドスター様様。オイナリサマ様様って奴だ。

 

 …『様』を三つ重ねるのは微妙だな。

 

「まあいい、二丁で行こうじゃないか」

 

 同じ型の銃を左手にも”再現”し、二つの銃口でセルリアンを再び狙い撃つ。

 

 無慈悲な光弾が何度もセルリアンに突き刺さり、決して無視できないダメージを与えていく。

 この調子ならば、応援の出番なく倒せるかもしれないな。

 

 ならそれでいい。

 彼女たちを危険に近づけたくはない。

 

「まだまだ行くぜ、この調子で……っ!?」

 

 マズい。

 

 突然頭痛が…!?

 

「うお…やべっ!」

 

 痛みに頭を抱えてしまった俺。

 その隙を見逃すほど、間抜けなセルリアンではなかった。

 

 巨体の右腕を振り上げ、重力のままに叩き落とす。

 

 砂埃と葉の吹雪と、轟音が知らせる衝撃波に巻き込まれて吹き飛ばされる。

 

「ぐ、ううっ…!?」

 

 土まみれになって投げ出された俺は、再現した二丁の拳銃をどちらも失ってしまった。

 

「ちっ…()()が限界か…?」

 

 とりあえず俺は起き上がり、木陰に身を隠して状況を分析する。

 不幸中の幸いか、俺は先ほど襲いかかってきた頭痛の原因に心当たりがあるのだ。

 

 平たく言うなら、サンドスターの使い過ぎ。

 

 銃から放たれる光弾だが、何も無から生成されるはずはない。

 きちんと原料があって、それは俺の体内のサンドスター。

 

 銃の機能を”再現”するために、消耗品の諸々も能力で補充されるのだ。

 

「使いすぎなら、しばらく槍で戦うしかないな…」

 

 ”リロードを必要としない”という長所はあるが、今回はそれが仇となった。

 

 次からは気を付けないとな。

 俺は銃を引き付け、手に持って消去する。

 

 自分が”再現”し作り出したものは、多少離れていても制御下にあるのだ。

 

「じゃ、やるか」

 

 この隙にどっかに逃げられても困る。

 

 あの巨体でよもやそんな芸当は出来ないだろうが、体力を削っておくのも俺の仕事だ。

 

 応援が来るまで、もうちょっとの辛抱だ。…だろ?

 

「前半戦は、まだ終わってないぜ…!」

 

 手始めに、その右腕を貫いてやるとするか――!

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…やあっ!」

 

 乱暴に振り抜いた槍の先がセルリアンの胴体を抉る。

 

 飛び散ったサンドスターは日光を反射し輝いて、まるで小さな虹のよう。

 

「まったく…しぶとい奴だ…!」

 

 元から数えてなどいないが、数えきれないほど俺はコイツの体を切り裂いた。

 

 しかしコイツの力は衰えるところを知らず、未だにその巨体は健在である。

 

 こうなったら、セルリアンの『核』を破壊して芯から倒してしまう他に方法は無い。

 

「けどそれも…『出来たらやってる』って話か…」

 

 実のところ、コイツの核はもう見える。

 

 半透明な体の中央、分厚い皮膚の奥底に、光を歪ませ異彩を放つ巨大な核が、ハッキリとその姿を現している。

 

「一気に貫ける武器でもあればな…」

 

 一応手元に候補はある。

 

 散々サンドスターを吸い尽くし、異様な重さと硬さを得たこの黒槍(ロン)なら或いは、皮膚ごと核を破壊できるのではないか。

 

 だが確証はなく、下手をすれば武器を失う。

 

 体内のサンドスターをかなり消費してしまった俺にとって、それは非常に痛い損失となるだろう。

 

「不意を突くか、隙を作れれば…」

「無事でありますか、カムイ殿ーっ!」

「ん…ふっ、ようやく来たか」

 

 走るだけでへとへとになり、肩で息をするプレーリーを見て反射的に呟く。

 

 後からビーバーたちも合流し、この丘にいるほぼ全員がこの場に出揃った。

 

「プレーリーさん、だから急ぎ過ぎちゃダメだって…」

「うぅ、反省しているであります…」

「ともかくナイスタイミングだ。チャップマンは?」

「オイナリサマを探しに行ったであります」

 

 なるほど、確かにそれが一番確実だ。

 オイナリサマならこの程度造作もないだろうな。

 

「分かった。だけど過度な期待はしない、俺たちだけで倒すつもりで行くぞ」

「了解っス!」

 

 手をこまねいている分際で言えたことではないが、下手に手出しをされては困る。

 

 これは俺の戦いだ、俺がそう決めた。

 だから、直接オイナリサマの手を借りることだけは、絶対に避けたい。

 

「ですが…大きいでありますね…」

「ど、どうやれば倒せるんスか?」

「算段はある、協力してくれ」

 

 全員が頷く。

 巨大なセルリアンに恐怖を感じていても、闘志は失われていない。

 

 俺は安心し、全員に作戦を伝えた。

 

 

「――さて、始めるか。しっかり役目は覚えたか?」

 

 無言の肯定。

 もはや問いは無意味なようだ。

 

 俺は頷き、槍を構えて真正面に立つ。

 

 

「…行くぞ!」

 

 

 俺の号令と共に、フレンズたちは散り散りになった。

 

 一人その場に残った俺は、()()()までまた耐え忍ぶ。

 

「さあ、後半戦…ってとこだ」

 

 これ見よがしに槍を構え、戦いのポーズを取った。

 

 セルリアンは反応した。

 当然だ。

 今までこの槍で、この構えからの攻撃で、幾多の傷を与えられたのだ。

 

 無視できる道理はない。

 俺が倒れない限りこれで時間は稼げる。

 

 だが、そんな仮定は無意味だ。

 

「俺は負けないぜ。さあ、仕掛けてやる…!」

 

 放たれる斬撃は、敢えてセルリアンの表面だけを掠める。

 

 突き出して与えた貫きは、ほんの少し痒みを与えるように刺すだけだ。

 

 俺は本気で手を抜いて、セルリアンの注意だけを一身に受ける。

 

 お互いにいじらしい想いだろう。

 

 セルリアンは力を抜いている敵を仕留められず。

 俺はその瞬間を今か今かと待ちわびている。

 

 だが――

 

「…ようやく、合図が来たか」

 

 俺はセルリアンを飛び越し、あらかじめ決めていた方向へと動き出す。

 

 セルリアンは当然俺についてくる。

 他に奪うべき輝きも、倒すべき敵も存在していないからだ。

 

 プレーリーたちは、合図をして既に逃げてしまった。俺がそう指示した。

 

「そうだ、こっちに来い…!」

 

 

 そして、数分後。

 

 

「…よし」

 

 俺は小さくガッツポーズをした。

 

 理由ならすぐに分かる。

 

 だってその直後に…

 

 

 ――ガガガガガッ!

 

 

 踏んだ地面が崩れ落ち、奴は大きな落とし穴にハマったからだ。

 

 そう。

 

 これこそ俺が、俺たちが奴に強要した最期の隙。

 

 俺は飛び出した。

 

 構えた槍を、無防備なセルリアンの核へと向ける。

 

「ああ…終わりだッ!」

 

 勢いのままに突き刺し、まだ届かない槍を足蹴にして、更に深く、深く、暗い闇の中に黒を沈めていく。

 

 柄を伸ばし、両手で掴み、セルリアンを足場に、まだ深く。

 

 叫ぶ。

 

 核を貫く全力と、心を穿つ決意を込めて。

 

 

「おおおおおぉぉぉッ!」

 

 

 そしてすぐ、終わりはやって来る。

 

 



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Ⅵ-169 終わった戦に意味は無い

 目まぐるしい輝きの奔流が俺を中心に巻き起こる。

 否、正しくはセルリアンが中心なのだろう。

 

 しかし実際に渦の中心にいる俺にとって、そんな事実は些細なことであった。

 

「…倒したってことで、良いのか?」

 

 渦巻く光はとても眩しく、手元の黒しか俺には見えない。

 

 俺が中に()()のではなく、或いは呑み込まれてしまっているような。

 

 極彩色の明るさは、そんな不安の影を俺の心に落とした。

 

 だが、痛みはない。

 輝きが奪われる感覚もない。

 

「ま、勝ったって考えてもいいよな」

 

 さしずめこれは、セルリアンの最期の足掻きと言ったところか。

 

 ダメージこそ無いものの、自由に動けないのは中々に鬱陶しい。

 

 身を捩ってみても脱出できそうにないので、俺は思索に耽ることで暇を潰すことにした。

 

 

(…今度こそ、真っ正面から向き合えた)

 

 

 俺の頭の中は達成感でいっぱいだった。

 

 『巨大な敵に打ち勝った』という事実に冷静な思考力を奪われ、自分の手元にある力が飽くまでオイナリサマに分け与えられたものであるという認識が抜け落ちていた。

 

 しかしだからといって、俺が力に溺れる訳ではない。

 

 この忘却が俺を突き落とす先はそんな甘い落とし穴ではない。

 

 単に今なら取るに足らない小さなセルリアンでさえ、かつての俺には一切太刀打ちが出来なかったという事実を塗りつぶすだけだ。

 

 『オイナリサマが居なければ俺は戦えなかった』という事実を覆い隠すだけだ。

 

 勿論、現実を直視したくないという思いもあったのだろうが。

 

「まあ…いいか」

 

 無意識ではきっと察していて、これ以上の思考は意識をそこへ辿り着かせる。

 

 だから俺は自然と思考を打ち切り、早々にこの渦からの脱出を再び試みた。

 

 輝きの渦を見据え、握った槍を力いっぱいに突き刺す。

 

「ん…?」

 

 ずれた腕、得られぬ手応え、それは即ち違和感。

 

 目線を戸惑う心のままに、手元へゆっくり下ろした俺は。

 

「………あ」

 

 今になってようやく、槍が折れていることに気付いた。

 

 

 ――嵐のなかで、忘れるままに。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 少しだけ時は遡って―――

 

 

 

「お、お話って…何よそれ?」

「何と言われましても…普通の、とお答えするしかありませんね」

 

 ひどく根本的な質問に私も戸惑いながら、なるべく温和な笑みを浮かべるよう心掛けて彼女に話しかける。

 

 しかし目の前の彼女から浴びせられたのは怒りの声だった。

 

「わ、私の話は聞いてたの!? このままじゃカムイが危ないって…っ!」

 

 そのことは()()()()()

 誰よりもよく知っている。

 

 だから心配はあるけれど、まだ放っておける。

 

 神依さんの素質は目を見張るものがあるし、彼に与えた力も生半可じゃない。

 

 あの程度のセルリアンに遅れを取る可能性は極めて低いでしょう。

 

 万一のことがあれば、私には()()()

 

 それなら迎えに行けばいいだけだから…うふふ、実は完璧なんですよね。

 

 だから一言。

 

「…ええ、大丈夫ですよ」

 

 これだけで十分なんです。

 

「は…? な、何を言って…っ」

「大丈夫ですから焦らないでください…ね?」

 

 口を手で塞ぎ、黙らせてから同意を求めた。

 

 彼女…ええと、そう、チャップマンシマウマはコクコクと頷いて、大人しく私が指した切り株に座った。

 

 座った彼女の様子を見て、私の口から微笑みが零れる。

 

 そう…この()()です。

 

「うふふ…そのまま、大人しくしててくださいね」

「…っ」

 

 私は彼女の額に手を伸ばす。

 

 冷や汗を流し緊張した表情を浮かべているものの、抵抗する素振りはない。

 

「そう、良い子ですよ」

 

 些か従順すぎる気はする、でも悪いことじゃない。神依さんにも見習ってほしいくらいの素直さですね。

 

「何を、するんですか…?」

「頭の中を覗くだけです、痛くはしません」

 

 まだ使ったことが無いから本当に痛くないかは知らないけど…どうでもいいですね。

 

 自分にも…ましてや神依さんにも、コレを使う気はありませんから。

 

「始めますよ」

「は、はい…!」

 

 彼女から得られた同意の言葉に思わず微笑む。

 

 私は指先に思念を込めて、めり込ませるように指を脳みその中に突き刺した。

 

「うっ…!」

 

 あらら、やっぱり痛いのでしょうか?

 でしたら早くにやって終わって、無駄な苦痛は取り除いてあげないとですね。

 

 確かにこの子は神依さんと距離が近かったフレンズですが、()()とは全く違いますもの。

 

「すぐに終わりますよ…この辺かな…?」

 

 ぐちゅぐちゅと音を立てるように中で指を動かす。

 といっても、私が弄り回しているのは彼女の脳みそではありません。

 

 なんと形容すればいいのでしょうか。

 

 脳みそからアクセスできる記憶領域? …まあ、魂の一部みたいなものです。

 

 私はそこに干渉し、()()()()を彼女の記憶から奪い去る腹積もりなのです。

 

「ぜぇ、ぜぇ…まだ、続くの…!?」

「あー、ごめんなさい。まだ掛かりそうです」

 

 どれ程の時間が掛かるかはさておき、無駄に話しかけてくれなければ少しは早く終わるでしょう。

 

 彼女もそれを察したのか、さっきの一言を最後にずっと口を噤んでた。偉いですね。

 

 

 ただ、それでも記憶探しは難航している。

 私は悟った。このままではいけない。

 

「ふむ…やっぱり抵抗があるのでしょうか?」

 

 脅しの意味も込めて一言、そう呟いて反応を確かめてみる。

 

「っ…!」

 

 するとどうだろう。

 

 先程まで靄がかっていた記憶の中のイメージが、みるみるうちに鮮明で澄んだビジョンへと変わっていくではないか。

 

 面従腹背とは正にこのことかと、私は一人で腑に落ちていた。

 

 そして、記憶を探しやすくなってからわずか数分。

 

「見つけた…ふっ!」

 

 私はお目当ての記憶を探し出し、彼女の脳から抜き取ることに成功した。

 

「あぁっ…!?」

 

 脳みそから()()を抜いた途端に彼女は叫び、頭を抱えて蹲ってしまった。

 

 わぁ…痛そう。

 

「どうしましょう、”痛くしない”と約束してしまいましたが…」

 

 どうせそこら辺のフレンズです。

 約束なんて無碍にしてしまっても構いません。

 

 ただし、神依さんの印象が悪くなるのはいけませんね。

 

「そうです、約束を破ってはいけません」

 

 まあ、そういうわけで。

 

 

 約束は…無かったことにしましょう!

 

 

 なに、簡単です。

 

 チャップリン…じゃなかった、チャップマンシマウマが約束を忘れてしまえばいいだけの話。

 

 記憶領域に干渉できる私なら簡単です。ついでに暗示も掛けちゃいます。

 

 

「…()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()…」

 

 

 会話の記憶をすっぱ抜き、深層意識に語り掛けて偽の記憶を捏造する。

 

 これも相手が有象無象のフレンズだから出来ること。

 

 神依さんとの思い出を偽物の記憶で塗りつぶすなんて、私は嫌ですから。

 

 声を掛けたらそれで終わり、陰から様子を見て去るのみ。

 

 

 私が木陰に身を隠して数分後、ようやく彼女は気が付いた。

 

「あ、あれ…?」

 

 キョロキョロと辺りを見回しながら起き上がり、案の定戸惑う様子を見せながらも、彼女は段々と掛けられた暗示通りに確信を得てゆく。

 

「えっと、そうだ、オイナリサマを探さないと…図書館…早く行かなきゃ…!」

 

 私はその背中を見送って、彼女から抜き取った『神依さんの記憶』を覗いてみた。

 

「うふふ…素敵。本当、あの子に持たせておくには勿体ない思い出ですよ…♪」

 

 丁度欲しいものも手に入ったし、辻褄もしっかりと合っている。

 

 あぁ、やっぱり私は完璧ですね。

 

「ではそろそろ、本命(神依さん)のお迎えに行きましょう」

 

 神依さんの実力なら倒してしまっていても可笑しくない頃合い。

 

 貴方の心が手に入るまであとどれくらいでしょう。

 

 今日貴方の元に向かえば、それが分かるのでしょうか…?

 

 

 ときめく想いは、虹の根元へ飛んで行く。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…の。……カムイ殿!」

「ん…だ、誰だ…?」

 

 耳に刺さる声の主を確かめるべく、俺の瞼は開かれる。

 

「…カムイ殿。ご無事でありますか!?」

 

 眩しく、揺さぶられる視界の真ん中に、心配そうなフレンズの顔があった。

 

「…あぁ、えっと、俺は大丈夫だ」

 

 訳の分からない状況に一瞬面食らった俺は、とりあえず体を起こしてから今の状況を確認することにした。

 

 周りには沢山のフレンズたち。

 彼女たちはみんな、揃って心配そうな表情を俺に向けている。

 

 えっと…何があったんだっけ?

 

「揃い踏みだな…もしかして俺、セルリアンに襲われてたのか?」

「お、覚えてないんスか…!?」

 

 一番に浮かんだ可能性を尋ねると、隣にいたもう一人が驚愕の声を発する。

 

「…らしいな。残念ながら」

 

 ざっと記憶をなぞってみても、今の状況を説明できる過去を俺は覚えていない。

 

 …記憶喪失の可能性がある。

 

 そう思った俺は、覚えている限り最後の出来事を想起してみることにした。

 

「最後に覚えてるのは…そうだ。今日の朝、カレーを食べたこと…」

 

 …案外しょうも無い記憶が出てきたな。

 

 まあいい。

 今朝のことを覚えているなら、別に騒ぐ程の事でもない。

 

 なんか体が泥まみれだし、大方頭を打って記憶が飛んじまったとかそんな感じだろう。

 

「…カムイ殿」

「心配するな、しっかり思い出したさ」

「よ、良かったっス…!」

 

 騙すようで悪いけど、段階を踏んで認識を擦り合わせるのも面倒だ。

 

 大事になっていない内は、こう言って安心させておくのが無難だろう。

 

「もしかして、本当にセルリアンに何かされてしまったのかと…」

「心配するなって。俺の目が黒い内はそんなヘマしないさ」

「…ふふ」

 

 …カッコつけてみたら、笑われた。

 

「あ、違うんスよ!」

「違うって、何がだ…?」

「カムイさん、目が黄色なのに『俺の目が黒い内は…』って言ったっスから…」

「…は?」

 

 黄色い? 俺の目が?

 一体何の冗談だ、少し笑えないな。

 

「おい、ホントに黄色いのか…!?」

「ええ、黄色いであります」

「い、いつから?」

「”いつから”と聞かれましても…最初から、でありますかね?」

 

 身も蓋も無い事実に俺は閉口する。

 

 ()()と言うとこの場合、”建築準備を始めた時”という解釈になるだろうか。

 

 毎日顔を合わせていたのだから、途中で変化があれば何かと尋ねられるに違いない。

 ならその前、博士たちに頼みに行った時点では既に変わっていたと考えるのが妥当か。

 

 それで誰がやったかと言えば…はぁ、一人しかいないよな。

 

「ああもう、オイナリサマ…!」

「呼びましたか?」

「うおっ…!?」

 

 き…気付かなかった、いつの間に来てたんだ?

 

 慄く俺に首を傾げて、オイナリサマは質問を繰り返す。

 

「神依さん、私の名前が聞こえた気がするのですが…」

「ああいや、何でもないさ。ほら、意味もなく名前を呼びたくなる時くらい、オイナリサマにもあるだろ…?」

「…ええ、そうですね」

 

 首を傾げながらも、一応納得はしている。

 俺はこの話題に一段落付ける意味も込めて話を逸らした。

 

「それで、来てくれたんだな」

「勿論です、神依さんの危機なんですから」

 

 危機…か。

 

 残念ながら俺はその”危機”について詳しく覚えていないが、黙っていれば終わった話として処理されるだろうな。

 

 俺としても、事態はその方向に終息させたい。

 

「みんな、そろそろ戻らないか? もうここにいる理由も無くなったしさ」

「そうでありますね、神社の仕上げが待っているであります!」

 

 俺の一言に同意が飛んで、そこから一気にお帰りムード。

 みんな歓談を交わしながら神社へと歩いていく。

 

 この様子なら、特に探られることもなく帰れそうだ。

 

 

「…神依さん」

「ん、どうした?」

「私が何故ここに来たか、分かりますか?」

「何でって…ええと、オイナリサマだから。…ってのは、変か?」

 

 何の気なしに頭に浮かんだ理由を言ってみた。ある意味信じてるのかな。

 

 オイナリサマはその答えに一瞬満足そうな表情をしたものの、またすぐ俺に続きを尋ねる。

 

「…いえ。ですが、他に理由は?」

「他にって言われても、特に思いつかないな…」

「…そうですか。なら、良いんです」

 

 結局それ以上の追及はなく、俺たちも神社への帰路に就いた。

 

「帰ったら服を着替えましょう。泥まみれはあまり気持ち良くないでしょう?」

「確かにそうだな。でも、服あるのか?」

「はい、備えあれば憂いなしです♪」

 

 さっきまでの気難しさは何処へやら、晴れやかな顔のオイナリサマ。

 

 爛漫な彼女の表情を見て、俺も笑った。

 

 



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Ⅵ-170 代償の色は黒

「よいしょっと…はい、出来ました」

「うん、ありがとな」

 

 衣替えをしてすっかり綺麗になった装いをはたく。

 

 うむ、スッキリとした気分だ。

 

 やっぱり汚れたままは気になるからな、よかったよかった。

 

「けど、わざわざ和装にする必要なんてあったか?」

「私の趣味です、良いでしょう?」

「…まぁ、悪くはないな」

 

 着せ替え人形になった覚えはないが、ここは受け入れよう。

 やはり俺は、オイナリサマの微笑みに絆されてしまったようだ。

 

 自分が多少我慢しても、彼女が満足しているならいいか、と思うようになってしまっている。

 

「どうしましたか、何か思うところでも…?」

「…いいや」

 

 まるで祝明にそっくりだと、そう思っただけだ。言葉にする必要はない。

 

 それよりも、もっと訊きたいことが俺にはある。

 

「オイナリサマ、俺の目のこと…知ってるんだよな?」

「目、ですか? はて、何のことやら~…」

 

 嘘だ。

 話し方も怪しいし、明らかに目が泳いでいる。

 

 こんなに分かりやすい誤魔化しがあるか?

 

 それとも彼女なりのユーモアなのだろうか。大した悪戯じゃないことが更に追求の手を阻む。

 

 有耶無耶にして水に流したいという思考を抑えつけ、俺はとにかく訊いてみることにした。

 

「さっき聞いたが、俺の目は黄色いんだって? 有り得ない、元々黒かったんだ。オイナリサマが何かしたんだろ?」

「ど、どうして私なんですか…?」

「…アンタしかいないだろ、俺に何か出来るのは」

「な、なるほど…ふふ、その通りですね…♪」

 

 何やら悦に入っている様子だが…多分、言葉遣いの所為だよな。

 

 俺が彼女に見初められたのも、多分こういうところだ。

 

 今になって思い返せば、相当に気が有りそうな発言をしていた覚えがある。

 まあ、今更気を付けたって無意味なんだけどな。

 

「それで…()()()だろ? 将棋に負けた後の」

 

 俺はオイナリサマとの賭け将棋に負け、一日の間狐耳と尻尾を生やした姿で過ごしていた。

 

 そいつらは彼女の術で生やしてもらったんだが、その時ついでに目も黄色にされたと考えれば筋は通る。

 

 何と言うか、自分で確認できない部位を弄るとはオイナリサマも狡いものだ。

 

「うふふ、神依さんは聡いですね」

「認めるんだな」

「バレちゃいましたから」

 

 悪びれもせずに肩を竦め、オイナリサマは微笑んだ。

 

「まあいい。それにしても、この神社はよく出来てるな」

 

 

 内装はよく見ていなかったから、今更ながらに結構驚いている。

 

 この印象を上手く伝えられるほどの建物の知識は無いが、率直な感想を言えばとても綺麗だ。

 

「私が設計したんですよ。まあ…昔住んでいた神社と同じなんですけど」

「へぇ…じゃあ、その神社を作った人は相当なやり手だったんだな」

 

 さりげなく渡されたジャパリまんを食べながら感心する。

 

 丁度お腹が空いてきた頃だった。

 オイナリサマはこういう所で妙に気が利くから憎み切れない。

 

 ゴクリと最後のひとかけら。

 喉に残った後味を堪能しながら、俺の口は物寂しさを呟いた。

 

「…暇だな」

「…ええ、暇ですね」

 

 オウム返しのような、しかしどこか気持ちの良い返事。

 

 長閑だ。

 

 

 ――祝明の頭の中で、イヅナたちの行動に頭を悩ませていた時とは違う。

 

 ――ホートクの雪原で、オイナリサマから逃げ回っていた時とは違う。

 

 ――何より、セルリアンの脅威に怯えていたあの時とも、違う。

 

 

 一点の曇りも綻びも無い、平和なひと時。

 

「暇なのも…悪くないかもな」

 

 口を突いて出た言葉は真か。

 

 今迄が波乱の連続で、そんなことを考える心の安らぎさえ得られなかっただけではないのか。

 

 そんなつまらない考えは、今すぐ向こうへ捨ててしまえ。

 

 ならば今ある安寧を、全身全霊で謳歌せねばならぬのだから。

 

 

「神依さん、また将棋でもしませんか?」

「え、将棋か…?」

 

 思わぬ誘いに俺はしばしの間考える。

 例の大敗を抜きにして、将棋をしたい気分かどうか。

 

 安息を楽しむと言っても、別に惰眠を貪ったり暇を持て余したりするのとは違うよな。

 

 ま、将棋くらいは良いか。

 俺は同意の意を込めて、オイナリサマに釘を刺す。

 

「…賭けは無しだぞ」

「はい、分かってますよ」

 

 彼女はクスクスと笑う。

 俺を見つめる生暖かい目が気に食わなかったが、俺が弱かったのは確かだ。

 

 胃の中から戻ってきた不満を、そっと飲み下した。

 

「では、すぐに準備をして来ますね」

 

 斯くして、十数日ぶりの再戦と相成った。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「……」

「えっと…神依さん?」

「…何だよ」

「あの、その…元気、出してください…?」

「分かってるよ、もう少ししたらな…?」

 

 最初の対局から二時間。

 

 そう、二時間である。

 

 最初からぶっ続けの対戦、大体三回くらいはやっただろうか。

 かつての結果を鑑みれば、俺の全戦全敗は想像に難くない。

 

「大丈夫ですよ、練習すれば上手くなりますって…」

「なるだろうな、オイナリサマに勝てるかどうかは置いといて」

「う、うぅ…」

 

 オイナリサマは強すぎる。

 気が付けば不可避の王手を取られている。

 

 そこまでの流れを説明できないのも、ひとえに俺の弱さ故のことだろう。

 

「でも、前よりは善戦できてますよ! 私も、前と違って心は読んでませんし…!」

「…そんなことしてたのか」

 

 ただでさえ圧倒してるのにその上読心とは、彼女も賭けに本気だったという訳か。

 

 …読心が無くなっても縮まる気配の無い力の差は、考えない方が気分の為だ。

 

「ほ、ほら、私が教えますから、ね…?」

「別に嫌とは言ってないさ」

 

 何を教わっても勝てる気がしないだけで、な。

 

「まあ、また今度でもご教授に与ることにするよ」

「…っ! はい、バッチリ上達させて差し上げます!」

 

 そんなこんなで約束をして、将棋の時間は終わるのだった。

 

 

 

「ところで神依さん、お菓子はお好きですか?」

 

 場所を移して結界の中。

 ホカホカの炊き立てご飯を俺に差し出しながら、オイナリサマは唐突にそんなことを尋ねた。

 

「え、まあ嫌いじゃないが…それがどうかしたか?」

「うふふ、今度作ってみようと思いまして」

 

 そう言いながら、お惣菜の皿をテーブルに置く。

 一緒の小皿に取り分けて、俺の隣に彼女は座った。

 

 これまた静かな昼食時。

 

 静かじゃないのは、後ろの森を駆け抜ける風だけだった。

 

「お菓子と言っても、どんなのを作るかにもよるよな」

「考えはありますよ、まだハッキリ決めてはいませんけど」

 

 続く彼女の談曰く、焼いてサクサクにした生地のお菓子を作ってみたいそうな。

 

 そういったとりあえずの方向性はあるし、折角だから俺の好みに合わせたいということらしい。

 

「という訳で、コレをどうぞ」

 

 渡されたのは一冊の本。

 ご想像通り、様々なお菓子の製法が記されたレシピ本だ。

 

 出版年月日はなんと…ええと、今何年だ?

 

 …ま、まあ、結構最近なはずだ。流石の収集術である。

 

「食べ終わったら読んでください、じっくり決めていただいて構いませんから」

「分かった、そうするよ」

 

 結構大きめなこの本を、四苦八苦しながらなんとか仕舞い、俺たちはお昼ご飯の続きを楽しむ。

 

 何とか仕舞いこんだ後、どうせなら向こうにでも置いておけば良かったのではないかと…ああ、遅すぎる閃きは、なんとも物悲しかった。

 

 

「ふむ…探すとすれば、焼き菓子のページか」

 

 昼食後、わざわざ書斎にやって来た俺はパラパラとページをめくり、本の中から気に入りそうなお菓子を探していた。

 

 お菓子と言えば、小さい頃によく作ってもらった大学いもが印象深い。

 母さんは、揚げた芋に掛ける蜜をよく煮詰めて食感をカリカリにしてくれていた。

 

 出来ることなら俺も作ってみたいが、今回は小麦粉や卵を使うレシピになることだろう。

 

 大学いもはまた今度だな。

 

 どうせ…頼んだら材料やら何やら用意してくれるだろ。オイナリサマだし。

 

「今回はそうだな…タルトとかにしてみるか?」

 

 そして見つけた『タルトタタン』。

 タが三つ、声に出したくなる名前。

 

 さぞかしサクサクしているのだろうとワクワクしながら見てみれば…リンゴを煮詰めたしっとり風味のお菓子だった。

 

 …微妙だな、これは。

 

「”チーズタルト”…これにするか」

 

 生地を焼いて、チーズクリームを入れてまた焼いて、それで完成。

 

 火加減は注意が必要だが工程自体は単純。

 まあ初めてだし、こんなもんで良いだろう。

 

 

「よし…なら、材料の確認だな」

 

 本を携え立ち上がる。

 

 その時俺は、テーブルの向こうに無造作に置いてある一冊の本を見つけた。

 

 手に取ってみたらそれは、いつか読んだ記憶のある武器図鑑。

 

「ハハ、色々探したんだよな~…例えばええと…」

 

 本を開き、記憶の中の武器を探そうとして、思考が止まる。

 思考が止まれば手も止まり、開いた場所は長い刃物の頁。

 

「あ、れ…?」

 

 おかしい。

 

 確かに俺はこの武器を知っているはずだ。

 アイツも持っていた筈で、そうだ、名前も付けていて…そうだ。

 

 この武器の名前って、何だったっけ…?

 

「書いてるはずだ…この辺り…そう、刀…!」

 

 刀だ。

 日本刀だ。

 有名な武器じゃないか。

 

 どうして俺は忘れていたんだ?

 

「…妙だな」

 

 単なるど忘れとは思えない。

 よりにもよって刀を、その存在丸ごと忘れるなんて普通では考えられない。

 

「…良いよな、時間はたっぷりあるんだ」

 

 俺は更にページをめくり、覚えている武器と覚えていない武器をリストアップすることにした。

 

 すぐに、忘れたものだけ取り上げればよいと思い直した。

 

「…よし」

 

 メイス、覚えてる。

 棍棒、覚えている。

 ()()()()()()()()

 腕甲、知っている。

 ()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()

 大剣、これは分かる。

 

 なるほど…結構忘れているんだな。

 なんだ、何か共通点があるのか…?

 

「有るとすればセルリアンか…武器は戦うためのものだからな」

 

 その前提で共通点を考えるのなら…再現した武器か?

 しかしどうして、忘れる必要なんて…

 

「…あ」

 

 何気なくページをめくりながら、もう一つ覚えていない武器を見つけた。

 

 それは、『槍』―――

 

「あ…あぁ!?」

 

 痛い。

 

 頭を思いっきり殴られたみたいだ。

 

「ぐぅ…うぅ…っ!」

 

 割れそうなくらいの痛みの中で、暴風雨のように力強く降り注ぐ記憶の雫。

 

 俺は辛うじてその中の一粒を手で掬い、雫の中に見える知らない思い出を垣間見た。

 

「な、るほどな…?」

 

 脳裏に浮かんだ映像。

 碌に分析できるような冷静さも残っていないが、一つ確かなことはある。

 

 この妙な記憶喪失の原因は、オイナリサマに貰った能力に違いない。

 

 今日の記憶が曖昧にしかない理由もきっとそれだ。

 

 裏付けは正直言って少ないが、俺はさっき見た記憶の一部で十分にこの説を確信できる。

 

「槍が折れたのに気づいて、気を失ったんだったな…」

 

 真っ二つに折れた黒い槍。

 

 あの姿を見ると、折ってしまったことへの深い悲しみと、なんとも言い難き暖かな気持ちを感じる。

 

 感謝の想いに近いだろうか、沢山お世話になったのだろう。

 

「…ふぅ」

 

 そろそろ痛みも収まって、気持ちも落ち着いてきた。

 

 俺が取るべき行動はただ一つ。

 

 このことについて、オイナリサマに問い質すのみ。

 

「やれやれ、最高に質の悪いことしやがって…」

 

 脇に抱えた本は置いた。

 胸に抱いた想いは怒りだ。

 

 この事件、今の俺には真相が何一つ分からない。だからこそ腹立たしく、実にもどかしい。

 

 しかし案ずることは無い。

 

 俺がこの先何をすべきか、どんな決意を抱き続けるべきか、それはまだ見失ってなどいない。

 

 懸念があるとすれば、彼女が用意した代償がこの程度で終わるとは思えないことだろうか。

 正直に言って武器を忘れたくらいで何かあるとも思えないし、オイナリサマの目的も――有ると仮定した上でだが――果たせるとは考えにくい。

 

 そして、”再現”した武器を忘れるという説明では不十分な点が数多い。

 

「ま、そういうのも全部まとめて…本人に聞くのが一番早い」

 

 俺は、おぼろげに覚えているあの虹の竜巻のように…胸に渦巻く様々な想いを一度鎮めて、そそくさと逃げるように書斎を後にする。

 

 扉の軋む音が、やけに耳についた。

 

 

―――――――――

 

 

 白い狐の神様は、庭の花壇に水を撒いていた。

 

 入りの言葉に困った俺は、とりあえず声を掛ける。

 

「よ、オイナリサマ」

「あら、神依さん……その顔は」

 

 苦々しい顔でもしていたのだろうか。俺の顔を見たオイナリサマは何処か納得したような笑みを浮かべて。

 

「…もしかして、()()()()()()()()()?」

 

 これ以上なく自白のような質問を、俺に投げかける。

 

「ああ。だから、全部話せよ」

「……うふ、かしこまりました」

 

 

 この数十日間、俺とオイナリサマは一つの目的の為に働いていた。

 

 ハリボテの神社を建てるために、曲がりなりにも協力していた。

 

 

 …だけど、もしもオイナリサマに、別の目的があったとするならば。

 

 

 さあ。

 

 ハリボテはどっちだ?

 

 



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Ⅵ-171 決意の朋は、もういない。

「ではまず、前提から確認するといたしましょう」

「と、言うと…”再現”する能力からか?」

 

 オイナリサマは肯く。

 

 彼女は水やりをする手を止め、優雅な所作で俺の手を引っ張って書斎の中へと連れていく。

 

 自分の企みを勘付かれた後と言うのに、彼女が焦る様子はなかった。

 歩きながら、俺が聞いたことの無い説明を始める。

 

「…まず、”再現”とは何か」

「へぇ、そんなに根本的な部分から入るんだな」

 

 歩きながら聞くにはお堅い授業だな。

 無論、聞き流す気などさらさらない。

 

「これはセルリアンのみならずフレンズも、ひいてはサンドスター()()()()が持つ特性と言えます」

 

 時と場合によっては衝撃的な事実をサラっと言い放つオイナリサマだが、俺はその語り口には聞き覚えがある。

 

 研究所かどこか――他に選択肢はないが――の資料に、似たようなことが書かれていた筈だ。

 

「それと、”再現”と深い関わりを持つ性質が”記憶”です」

 

 記憶か。

 確かに大事だ、大問題だな。

 

「サンドスターには多くの記憶が内包されています。その全ては引き出せず、未だ底も知れていませんがね」

「で、それがどうしたんだ?」

「まだ続きますよ、焦らず聞いてください」

 

 俺の唇に人差し指を当て、彼女は俺を椅子に座らせた。

 

 ふう、ようやく落ち着いて話が聞けるな。

 胸の奥に煮えたぎる感情は…もうしばらく冷めそうにないが。 

 

「ええと、何処まで話しましたっけ」

「”記憶”の説明が終わったとこだ」

 

「ああ、そうでしたね。…おほん、この二つの性質は、フレンズの誕生、そしてセルリアンの行動原理の両方に影響しています」

 

 

 サンドスターが動物に当たってフレンズ化する時は、元となる動物に対応した記憶が引き出されてその特徴を発現する。

 

 セルリアンが”再現”をする際も、奪った輝きを使い内包する記憶を引き出して形状や機能を真似て自らの体を作る。

 

 

「ここで一つ注意しておきたいのが…サンドスターと輝き、そしてけものプラズムには些かの相違がある点です」

「うん…なるほど?」

「うふふ、しっかり分かるように説明しますね」

 

 サンドスターと輝きとけものプラズム。

 似ているようで何処かが違って、区別するにはとてもややこしい。

 

 彼女の口から説明を聞いている間、生物か科学の授業でも受けているような気分で、少し懐かしかった。

 

 だけど、それぞれがどう違うのかはしっかり理解できたから、一旦下にまとめてみるとしよう――

 

 

 

 ――まずは箇条書きで、三つの概要を記しておく。

 

・サンドスターは()()

 

・けものプラズムはサンドスターが反応し生まれた()()

 

・『輝き』は()()()()を引き起こすための()()

 

 

 『反応』とは、サンドスターから特定の記憶を引き出す作業のことだ。

 

 その際、『輝き』が触媒となって引き出される記憶の方向性を決定づける。

 

 そうして変化し生まれたけものプラズムはフレンズの尻尾や服を形作り、時には戦うためのエネルギーとなる。

 

 そして触媒と形容した通り…『輝き』は反応によって変化することが無く、本人の心持ちや体の状態でしか変わり得ない。

 

 だが、もっと重要なことがある。

 

 

 それは、反応に『輝き』が必要不可欠であること。

 

 

 サンドスターから何も無しに記憶は引き出せない。

 

 仮に試せば、内包する記憶の量が膨大過ぎて暴走を起こすそうな。

 

 

 セルリアンはそれ単体では『輝き』を持たない。

 

 だから、モノやフレンズから『輝き』を奪う。

 

 そうしなければ、自らの体を形作る物質さえ生成できないからだ。

 

 まあ、セルリアンはサンドスター・ロウを反応させて体を維持するようだが…それは関係ないから省いておく。

 

 

 もう一度だけ繰り返す。

 

 けものプラズムを作り出したところで、『輝き』は消えない。

 

 だから普通は、それの所為で記憶が消えたりもしない。

 

 

 最後にそれを強調して、オイナリサマの授業は小休止に入る。 

 

 

「…というわけで事前講座は終わりです♪ さて、次から本題ですよ」

 

 オイナリサマが懇切丁寧に説明してくれた…『輝き』。

 

 一体、どんな真実が待っているのか…

 

 

「神依さんにお渡しした能力。それは、記憶から物体を”再現”する力。だけど、セルリアンの使う”再現”とはちょっとだけ違うんです」

 

 

 棚から取り出した、箱入りのクッキーを皿に乗せる。

 

「まぁ…だろうな」

 

 熱い紅茶を添えて、落ち着かないティータイムが過ぎる。

 

「細かい説明は後に置いておいて、まずは結論を申しましょう」

 

 こんこんと咳き込んで、大げさな身振りで俺を見据える。

 決して逸らせない双眸をこちらに向けて、彼女は真実を告げる。

 

「『再現したものが消えた時、()()に関わる記憶が消える』…それが、この力の代償です」

 

 想定内。

 殆ど予想通り。

 

 けど、出来るなら外れていてほしかった。

 

「うふふ…薄々、気付いていたんでしょう?」

 

 オイナリサマの手に、俺が机に置いた『武器図鑑』が収まる。

 

 パラパラとめくり、『槍』が描かれた見開きを見せつけるようにこちらに向け、本の後ろ側から見えた目は愉悦に嗤っていた。

 

「良いから、続けろよ」

 

 苦虫を噛み潰して俺は次を促す。

 

「…もちろん。()()()()()()()()が、まだまだ沢山ですもの♪」

 

 ここからは唯の説明。

 俺がどれだけバカだったのかを知り、自らと向き合う時だ。

 

 

 俺は熱い紅茶を喉に流し込む。

 

 その液体で、もっと熱く、マグマのように煮えたぎる感情を冷やそうとした。

 

 愚かにも舌を焼いた俺は…これが怪我の功名か、少し頭が冷えた気がした。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「おそらく自覚はないでしょうけど……神依さんの身体は、かなり歪な状態で維持されています」

「…あぁ。そんなこと、これっぽっちも考えなかったな」

 

 ”歪”と言ってしまえば、周りには俺よりも歪んだ奴らが一杯だったからな。

 

 もとより自分の状態に目など回るはずもない。

 

 しかし、オイナリサマの言うところの”歪”とは精神的な問題のことではないようだ。

 

「セルリアンの身体に、ヒトの精神。しかも、心はヒトだった時と同じまま。うふふ…珍しいどころの話ではありませんよ」

 

 俺とは自我を獲得した経緯が異なるものの、オイナリサマの過去の経験には彼らが人格を得て活動した事例があるらしい。

 

 それを踏まえても、やはり”俺”と言うケースは珍しいそうだ。

 

「なるほどな。けど、話が見えないぞ」

 

 どれほどその希少性を――例えば、考古学者が掘り出した珍しい化石を見せつけるように――熱弁されても、残念ながら俺にはその脈絡が察せない。

 

 むしろ聞けば聞く程、話の焦点が本題から外れているようにさえ思える。

 

 だがオイナリサマは首を振った。

 必要な話ということか。

 

 まあどちらであろうと、俺に聞く以外の道は無い。

 

「神依さん、説明したでしょう? セルリアンとフレンズでは、サンドスターの使い方が異なると」

「ついさっき聞いたよ、それが?」

「ただのフレンズとセルリアンでも違うんです、神依さんに変わりがないとは思えないでしょう?」

「…確かに、な」

 

 そう言われれば納得はできる。

 

「ならどう違う? それで、なんで記憶が消える…?」

「単刀直入に言いましょう、『輝き』が使えないんです」

「…は?」

 

 絶対に必要な触媒と言っていたのに、使えない?

 

「正しく言えば…そもそも『輝き』を必要としていないから、無理やり”再現”しようとしたときに支障が生じる、と言ったところですね」

 

「…すまん、訳が分からない」

 

 重なる訂正で更に混乱が増した。

 『コンファンド』の魔法でも掛けられたような気分だ。

 

「コレは難しい話になるんですが…恐らく、イヅナさんが貴方を蘇らせる時に何か細工をしたんでしょうね」

 

「な、そんな話は聞いてないぞ…?」

 

「では、無意識だったのでは? 聞いた話だと、あの成り行きで先を見据えて細工したとは考えにくいですし」

 

 理由はこの際問わないとして、俺の身体が別段『輝き』を必要としていないことは理解した。

 

 全ての点を線でつなぐために、必要なステップは残り僅か。

 

 パズルのピースは、もうほとんどハマっている。

 だから次が、おそらく最後のピース。

 

 ”支障”って…何だ?

 

「『輝き』を使えない体なら、代用品を使うか、()()()()()()()()()()()()使()()か。私が与えた力の本質は、後者を可能にすること」

 

 それが、”支障”の正体。

 

「『輝き』とは即ち、記憶。反応の方向性を定めるため、貴方の記憶を強引に照らし合わせて利用させたのです」

 

「でも…『輝き』は、使っても消えないんだろ…?」

 

「それは普通に使った場合の話です。無理に利用した『輝き』は、そのために”再現”された物体と『同化』し…運命を、共にするのです」

 

「…なるほど、腑に落ちた」

 

 だからこそ俺は、”槍”が消えたタイミングで記憶を失ったのだ。

 槍に内包された『輝き(記憶)』が、物体の消滅と共に消えてしまったから。

 

 更に言えば、”再現”した物体は俺の一部でもあるから、輝きが俺の身体に残っていなくても記憶が共有される。

 

 そのタイムラグが更にこの記憶喪失の発見を遅らせ、深刻な事態を招いた。

 

 

「けど…それで、終わりじゃないだろ」

 

 

 幾ら論理的に理由を語られて、それを俺がどれだけ納得できたとしても、感情的な解決はやって来ない。

 

 そもそもだ。 

 オイナリサマは俺に断りなくこんなリスクを背負わせた。

 

 ふつふつ怒りを募らせ、しかし静かに詰問する。

 そんな波打つ想いを籠らせた俺の渾身の言葉さえも、オイナリサマには響かなかった。

 

 だから彼女は惚けて、肩を竦める。

 

「うーん…でも、もう殆ど話してしまいましたよ?」

「”理由”があるだろ…どうして隠してた!? もし話してくれていれば、俺だって注意して使ったのに…!」

「…あは、それですか?」

 

 こっちまで絆されそうな、軽やかな笑い。

 

 すぐにその表情は暗く影を落とし、神様は嗤う。

 

「困るからですよ、気を付けられては」

「………ぇ?」

 

 間抜けが息が喉から漏れる。

 と同時に、オイナリサマからは冷たい雰囲気が漏れ出す。

 

 その冷気に当てられた俺は、眉間に銃口を突きつけられたように硬直して動けなくなってしまった。

 

「うふふふ… 私をこんなに嫉妬させるなんて、神依さんはひどい人ですね?貴方が誰かのことを考える度に、誰かと話をする度に…私、本当に胸が張り裂けそうな想いだったんですよ?」

 

 もういい。聞きたくない。そう叫ぶ声は出ない、耳は塞げない。

 

「しかも誰かが危ない目に遭えば、自らの危険さえ顧みずに助けようと走り出してしまう。ねぇ神依さん…どうして私が、それを黙って見つめていなければいけないんですか…!?」

 

 

 息継ぎをして、決意表明。

 

 

 ”だから私、決めたんです。”

 

 

 貫かれそうなほど真っ直ぐに、俺の目を見つめて誓われた彼女の決心。

 

 これほどまでに残酷な献身を、俺がこの先目にすることは無いだろう。

 

 

「忘れてしまえば心配なんてしませんよね。危険に飛び込んだりしませんよね。私だけを、見てくれるようになりますよね…?」

 

 

 見ようによっては無邪気で、何処までも純粋な悪意。

 

 俺には毒だ、御しきれない。

 

「つまり…全て計画の内ってことか?神社を建てる話も、あのセルリアンも全部…俺にこの力を与えて、そして使()()()()ためだったって言うのかよ…!?」

 

「うふふっ…はい♡」

 

 アハハ、清々しい程元気のいい返事だ。

 俺からいっぱい元気を吸ったおかげか?

 

 もういいか。

 

 そんな諦めが俺の口をこじ開ける。

 

「そうか、どれもこれも俺を、陥れるための…」

「――違います。これは全部、ぜんぶ、ぜーんぶっ! ………神依さんの為なんですよ?」

 

 

 ……は?

 

 

「っ…ふざけんなッ!」

 

 感情の奔流、即ち『輝き』。

 

 どす黒い力の波が形を持ち、やがて蔓のようにオイナリサマに巻き付き、彼女を空中に拘束した。

 

「何が『俺の為』だ…何もかも、自分の為なんだろ…っ!?」

 

 我が身さえ焼き焦がし、剰えオイナリサマを傷つけようとするこの怒りは、果たして何処から湧いてきたのだろう。

 

 諦めきったと思っていた心の中に、まだ俺の知らない火種が燻っていたのだろうか。

 

 オイナリサマの言葉が油となったのか。

 

 とにかく、止まらない。

 

 感情の侭に、黒い熱はオイナリサマを蝕んでいく。

 

 表層は蔓。

 感情は炎。

 性質は毒。

 

 アイビーのように逃がさずに。

 とめどない熱で焼き尽くし。

 刻んだ呪いが身を(やつ)す。

 

 代償など最早知るものか。

 

 失った記憶は戻ってなど来ないのだ。

 

 ならば、燃やし尽くしてしまっても問題などあるまい。

 

「かっ…神依、さん…」

「はぁ…あぁ…?」

 

 吊るし上げられたオイナリサマは苦し紛れの声を発する。

 

 俺の名を呼ぶのでそちらを見上げると、当然彼女と目が合った。

 

「……うふ」

 

 ――嗤った。

 

 締め上げられているのに、こちらを見下ろして微笑んでいる。

 

「そうかそうか…元気そうで何よりだッ!」

 

 容赦はしない。

 オイナリサマを絡め取ったまま空中に打ち上げた。

 

 身体を投げ出された彼女に、尚も抵抗する様子はない。

 

 俺は蔓の先に力を込め、肥大化させ、質量の暴力を振るわんと狙いを定める。

 

 オイナリサマは、微笑んだまま動こうとしない。

 

 

”…どうぞ、神依さんのお好きなように”

 

 

 そんな言葉が、聞こえた気がした。

 

 なら、やってやるさ。

 

「……潰れろ」

 

 短い掛け声で振り下ろす。

 

 つい直前までは力の限り叫んでやるつもりだったが、出てきた言葉は存外に静かなものだった。

 

 俺はそれを訝しみ攻撃を止めるか或いは、早くその意味に気づくべきだった。

 

 だが、もう遅い。

 

「……っ」

 

 鋼の塊とも形容すべき蔓の先は、オイナリサマの身体を巻き込んで書斎の床へと容赦なく叩き付ける。

 

 轟音と共に床の埃が舞い、不愉快な塵に俺は眉をひそめた。

 

 やがて晴れた視界の中で、オイナリサマはこじんまりと座っていた。

 服はダメージでボロボロだが、俺を見つめる表情に陰りは一切見えない。

 

「力強いですね…ごほっ…私、惚れ直してしまいそうです」

「へぇ…なら、もう一回やってやろうか?」

「ええ、お好きなだけ、神依さんが満足するまで、私を嬲ってくださいませ」

 

 俺はオイナリサマに言われた通り、もう一度彼女を空に放り出してやろうと手の平を向け……突然やって来た退屈に、腕をそろりと下ろした。

 

「…やめた。こんなことしたって何になるんだ」

 

 虚しいだけだ。

 怒りに任せて行動したって何になる。

 

 自分でも記憶が戻る訳ではないと分かっていたろうに。

 

 …()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……?」

 

 あれ、今の一瞬…変な感覚がしたような。

 

 でも何も…ないよな。

 

「うふふ…神依さん、『輝き』って、どんなものがあるか知っていますか?」

「…藪から棒にどうした? そりゃあ…大事な記憶とかじゃないのか?」

 

 だからこそ、オイナリサマはそれを消し去るための罠を貼ったのだ。

 

「勿論その通りです。でも、それだけじゃないでしょう? 知っている筈です、もっと輝かしい()()が有る筈ですよ」

 

「もっと、別の…?」

 

 それを、俺が忘れているのか…?

 

「分からない、それは――」

 

「『感情』です。喜び、怒り、悲しみ…それは一過性の輝きですが、だからこそ…他の何より輝く瞬間があるんです」

 

 俺が尋ねるよりも前に、答えは示された。

 

 続く問いが俺に何を示すのか…分からない程、愚鈍じゃない。

 

「ねぇ、神依さん。さっきは…どんな『輝き』で”再現”したんですか?」

「……お、おい」

 

 それは…止めだ。

 

「あぁ…忘れちゃったんですね。私への怒りも…”誰かを守りたい”という決意も」

 

「ふざ…けるな…」

 

 俺はオイナリサマに掴みかかる。

 その力は弱く、彼女を支えきれないままに手放してしまう。

 

 怒りなんて、今更湧いて来ない。

 

 辛うじて…膝をつくことは免れた。

 

 

 文字通りの()()

 

 絶望に侵されるまま立ち尽くす俺の頬に口づけをして、オイナリサマは書斎を後にする。

 

「では、私は夕ご飯を作ってきます。落ち着いたらでいいので、来てくださいね」

 

 

―――――――――

 

 

 オイナリサマのいなくなった書斎で一人、目的を失った俺は自分の攻撃で散らかった本や椅子を片づけることにした。

 

 その間に、忘れてしまった存在を口に出して数える。

 

「……」

 

 当然…無言だ。

 忘れたものの名前を、一体どうして呼ぶことが出来ようか。

 

 やがてようやく声にしたのは、唯の乾いた笑いだった。

 

「ハ、ハハハ…」

 

 唯一の希望か、もしくは更なる絶望か。

 

 この笑いの原因は、いつまで経っても覚えている存在を挙げられないからではない。

 

 見つけたのだ。

 

 こんな今の状態でも覚えている()()()()を。

 

「冗談だろ。真夜、雪那…」

 

 神無岐 真夜(カンナギ マヤ)に、北城 雪那(キタキ セツナ)

 

 かつて外にいた頃の俺が、すぐ目の前で喪ってしまった二人。

 

 ずっとずっと忘れたいと思っていたこいつらを、俺は今でもハッキリ覚えている。

 

 もういいだろう。

 誰も見ていないんだ。

 

 俺は膝をついた。

 

「助けてくれよ…遥都…」

 

 次に出たのは古き親友の名。

 二度と会うこと叶わない、誰よりも大切だった朋。

 

 ぐらり、視界が歪む。

 

 

 でも、これだけじゃない。

 

 

「お前ならどうするんだ、祝明…?」

 

 俺とそっくりな、ある意味では半身とも呼べるアイツ。

 

 ()()忘れていないこの四人が、ボロボロになった俺の心を辛うじて保ってくれていると言っても過言ではない。

 

 けど俺はもう、怒る力さえも奪われてしまった。

 

 座ったままで書斎の天井を見上げる。

 

 

「…オイナリサマ」

 

 

 無意識のうちに呟いていた神様の名前。

 

 そうだ。

 オイナリサマは死なない、いなくならない、消えたりしない。

 

 他の誰よりも確かな存在。

 

 そう思うと俺は、一抹の安心感に包まれたような気がして――

 

 

 …外から雨の音がする。

 

 



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Chapter Ⅶ 白の狐よ、世界を化かせ。
Ⅶ-172 風邪ひきキツネとお世話焼き


 

 ぎゅうっと固く絞ったタオルを、仰向けに眠るキタキツネの額に乗せる。

 

 寝苦しそうだった顔が少し穏やかになって、僕の気分も良くなった。

 

 そうしたら次は、ギンギツネのお粥を取りに行かなくちゃなのかな?

 

 あとはそうだ、一緒に薬も取ってこないとね。

 確かキッチンに置いてあったんだっけ。

 

 だったら、とキッチンに行くために立ち上がろうとした僕の腕を、キタキツネが咄嗟に掴んで引き止めた。

 

「やだ、行かないでぇ…」

「え、でも…」

「ダメ、離れちゃイヤだよお…!」

 

 涙目になって駄々をこねるキタキツネ。

 

 普段はのらりくらりと理由を付けて躱しているところだけど、病人が相手になると妙な罪悪感が湧いてしまう。

 

 僕はその腕を払えず、もう少しだけキタキツネの相手をすることになる。

 

「そんなこと言われても…ほら、色々と取りに行かなきゃだよ?」

「ん~、じゃあついてくもん!」

 

 ぴょこんと勢いよく起き上がったキタキツネ。

 額に乗せたタオルは飛ばされて、床と湿っぽい音を立てた。

 

「ね、寝てた方が良いよ? 無理に立ったりしちゃ…」

「大丈夫、ボクは十分元気だから…ごほ、こほっ…うぅ…」

 

 タオルを弾き落としてまで立ち上がったキタキツネだけど、すぐに咳き込みながらまた布団に横になる。

 

 本当に元気ならそもそも寝てないし、まあ当たり前だよね。

 

 僕はもう一度タオルを絞って彼女の額に乗せ、長いオレンジの髪の毛を指で梳いて言い聞かせる。

 

「もう、風邪ひいてるんだから素直に寝てて…分かった?」

「…うん、寝てる。だから、行かないで…?」

「えー…?」

 

 わがままは止まらない。

 気が付いたら両腕でガッチリと引き留められていた。

 

 もう、仕方ないなぁ。

 

 僕は横に寝っ転がって、添い寝をするようにキタキツネにもたれかかった。

 

「少しだけだよ? お腹が空いたら何か食べなきゃだし、お薬も飲まなきゃいけないから」

「分かった…えへへ…!」

 

 心底嬉しそうに僕に抱きつくキタキツネ。

 

 嫌な気分じゃないけど、これじゃ風邪がうつっちゃうんじゃないかな…?

 

 軽い不安を抱えながら戯れてくるキタキツネをあやしていると、後ろの襖が開く音がした。

 

「ノリアキ様、キタキツネさん。お粥とお薬をお持ちしました」

「…ちぇっ、ホッキョクギツネか」

「ありがとう、丁度取りに行けなかったんだ」

 

 僕は起き上がってホッキョクギツネの手からお盆を受け取る。

 

 名残惜しそうな指が僕の腕を撫でたけど、流石にひっくり返しちゃまずいと思ったのか力は強くない。

 

「もう、心配し過ぎだって」

 

 空いた左でキタキツネの手を握る。

 手袋を外した指先の感触は、風邪の熱のせいもあって汗ばんでいた。

 

「えへへ…!」

 

 それでも嬉しそうなキタキツネ。

 そして、繋がれた僕達の手を羨ましそうに見つめるホッキョクギツネ。

 

「…こっち、する?」

 

 僕はお盆を床に置き、右手をホッキョクギツネに向けて差し出した。

 

「…はい♡」

 

 ホッキョクギツネも僕の手を取り、一時の穏やかな団欒を味わう。

 

「キタキツネさんは、私のこっちの手をどうぞ」

「いらないよっ!」

 

 三人で手を繋いで、円でも作りたかったのかな?

 

 キタキツネに手を弾かれたホッキョクギツネは、寂しそうな表情をして自分の手の平を眺めていた。

 

「…変なの」

 

 キタキツネが、理解できないようにボソッと呟いた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「ノリアキ様、持って来ました」

「ありがとう。ごめんね、何回も使い走りにしちゃって」

「良いんです、私はあなたのお役に立てれば幸せですから」

 

 そう言って、ホッキョクギツネは持ってきたリンゴを僕に手渡す。

 

 これはキタキツネのおねだりで、瑞々しい果物が食べたかったようだ。

 

 リンゴは栄養価も高いから、少しでも元気になるようにとホッキョクギツネが選んでくれたのだろう。

 

 相変わらず優しい子だ。

 

「これ…丸ごと食べるの?」

「……あっ」

 

 ちょっぴり、抜けてる部分はあるみたいだけどね。 

 

「そっか、そのまま渡しても困っちゃうよね」

「…も、問題ありません。お皿もありますし、ここで切れば良いんですよ」

「でも道具が………まさか、爪で?」

 

 フレンズの爪なら鋭いし、例の如くサンドスターの力もあるし出来ないことは無いだろうけど…

 

「そんな、とんでもありません! しっかり洗わないとばい菌が入っちゃいます…」

「だよね。でも、そうしたら…」

 

 一体何を使って切ればいいかな?

 

 僕がその質問を口にする前に、ホッキョクギツネは懐から()()()()を取り出す。

 

「用意はあります、()()を使ってください!」

 

 それは、鋭い果物ナイフだった。

 

「…うん?」

 

 何の脈絡もない果物ナイフの登場に、僕は思わず首を傾げた。

 

「ノリアキ様、どうかいたしましたか?」

「いや、えっと…え? なんで、こんなものが懐に…?」

「はい、いつでも使えるように、便利なものはいつも持っているんです!」

「いやいやいや、危ないって!?」

 

 い、『いつでも使えるように』って……そんな頻繁にナイフを使うの? 宿にいながら?

 

 あと、ホッキョクギツネが刃物を使()()って言うと否応なしに例の事件の記憶が思い起こされてしまう。いや本当に。

 

 …なんなの?

 

 『忘れないでください』ってなんだったのあれ?

 

 あんな強烈な体験、忘れたくたって忘れられる訳ないじゃんっ…!

 

 いやまあ、イヅナの能力を考えなかった場合の話だけど。

 

 

 …あれ、頭の中に声が聞こえる。

 

『ノリくん…何か、変なこと考えてない…?』

『えっと…何でもないよ…?』

『…そう』

 

 …テレパシーって怖いな。

 

 

 とにかく、ホッキョクギツネと刃物の組み合わせは危険だよ。

 

 僕の精神的な安定の為にも、この二つは引き離しておかなくちゃ。

 

「ホッキョクギツネ、それは持ち歩かないで。それと何か刃物を使う時は、必ず僕に相談してからね?」

「…はい、分かりました!」

 

 あれ…結構素直。

 

「ホッキョクギツネってなんか…理由を聞いたり、嫌がったりしないよね」

「勿論です。ノリアキ様の言うことは絶対ですから」

「…あはは、そっか」

 

 なんでだろう。

 一応僕の思い通りになってるはずなのに、すごく怖い。

 

「まあ、いっか…今日はありがたく使わせてもらうね」

 

 ホッキョクギツネから果物ナイフを受け取って、リンゴに刃を入れる。

 

「そうだ、皮はむいた方が良い?」

「…うん」

 

 口元まで布団で覆ったキタキツネは、耳をピクピク揺らしながら頷いた。

 

 いつもわがままと突拍子もない発言と行動とゲーム三昧で僕を困らせている……結構困ってるなあ。

 

 まあそれは置いといて――そんなキタキツネでも、体調を崩すとこんなにもしおらしくなる。

 

 風邪は良くないことだけど、これはこれで可愛いかもしれない。

 

「はい、出来たよ」

「ありがと…こんっ…」

 

 如何にもなキツネらしい咳をして、キタキツネはリンゴを食べ始める。

 何も言わずにむしゃむしゃと、美味しそうな表情をして食べていた。

 

 最後の一切れを飲み込んだら、キタキツネはまた布団の中に潜り込む。

 

 今度は頭まですっぽりと隠し、耳を澄ませると中から安らかな寝息が聞こえた。

 

「…しばらく、そっとしておいてあげよっか」

「うふふ…そうですね」

 

 僕達は小声でそんなことを言い合い、ホッキョクギツネは部屋を出ていく。

 

「…ふふ」

 

 対する僕はと言うと、キタキツネの横に寝っ転がってじっと彼女の寝息に聞き耳を立てていた。

 

 こんな時間が、ずっと長く続いたら。

 

「ノリアキ……おやつ…」

 

 光の見えないキタキツネの寝息は、目覚めの時など知らないのだろう。

 

 差し込む光に構うことなく、三時の夢に浸っていた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…え、薬が足りないの?」

 

 ギンギツネの言葉に尋ね返すと、彼女は難しい表情で頷いた。

 その視線はこちらではなく、彼女の手元の薬箱に向けられている。

 

「だって、風邪なんて珍しいことでしょう? 碌な数が残ってなかったのよ」

「そっか、確かに…こんなこと初めてだもんね」

 

 でも、薬がもう無いとなるとそれは大変なことだ。

 

 キタキツネの容体も、ここ最近は回復の兆しが見えている。

 

 だけど、それも薬をしっかり飲んでこそだ。薬を飲まなくなったら、底から一気に悪化に転んで行っても何も不思議じゃない。

 

「大変だね、早く次の分も用意しないと」

「…ええ、そうね」

 

 ギンギツネは薬箱の蓋を適当に閉めて素っ気ない返事をした。

 彼女の目には焦りも不安の色もなく、寧ろどこか期待の色さえ浮かんでいる気さえする。

 

 一度でもそう思ってしまったせいか…彼女がのんびりとミカンを食べる姿もまるで、何かを待っているかのように見えてしまった。

 

「…ギンギツネ?」

 

 だとすれば…僕が止めがたい感情に突き動かされるよう彼女の名前を呼んだことも、きっと可笑しなことではないのだろう。

 

 そんな僕の頭を撫でて、宥めるように彼女は言った。

 

「心配なんて要らないわ、キタキツネは治るから」

「…なんで、そんなこと」

「だって…薬ならどうせ研究所にあるでしょ? イヅナちゃんに取りに行かせれば問題なんて無いわ」

 

 ギンギツネは論理的だ。

 キタキツネの為の薬が無くなって、あわや危険が訪れかねないこの状況でも冷静だ。

 

「……そうだね」

 

 空気が冷たくて、少し指がかじかんだ。

 

 

「キタちゃんの為のお薬だね、分かったよ」

 

 キッチンを後にして、僕はイヅナの元へと向かった。

 

 理由は勿論研究所。

 一応のことを考えて、僕とイヅナで一緒に取りに行くつもりだ。

 

 …そのために、僕はイヅナがやっていた作業を止めてしまった。

 

 何をしていたんだろう。

 物を書いていたように見えたけど、イヅナは教えてくれなかった

 

 ”まだ秘密”って言ってたから、そのうち分かるかな…?

 

 閑話休題。

 今は研究所のお話に戻ろう。

 

「時間取っちゃってごめんね、ありがとう」

「気にしなくていいよ。私の時間は、ぜーんぶノリくんのモノだからさ」

 

 背中にくっつき、頬と頬をすりすりさせてくるイヅナ。

 

「もう、またそんなこと言って…」

「本気だよ?」

「はいはい、行こっか」

「うん♪」

 

 軽口は終わって、一緒に飛び立とうとしたその時。

 

 …サク、サク。

 

 軽く雪を踏む、重い足音が聞こえた。

 

「ノリアキぃ…どこ行くのぉ…?」

「えっ、キタキツネ!?」

 

 寝てたはずじゃ…

 というか、まだ熱も下がってないうちにこの子は…!

 

「キタキツネ、僕たちは今から研究所に薬を取って来るんだよ…すぐ戻るし、お願いだから寝てて?」

「やだ、行かないで」

「もう、また…!?」

 

 困った僕はイヅナに頼ろうと後ろを振り返って…

 

「……っ!」

 

 …イヅナの表情を見て、自分で解決しようと決心した。

 

「うーん…でもなぁ…」

「行くのだってイヅナちゃん一人で良いでしょ? ノリアキはここにいて?」

「……」

 

 薬は大して嵩張らないし、二人で運ばなければならない程の量がある訳でもないから、イヅナ一人でも運ぶことは出来る。

 

 だけど…なんだか、危ない気がするんだよね。

 

 もし、故意に違う薬を持ってきたりしたら…

 

 これを不信と呼びたくない。

 むしろ、長い時間を共に過ごしてきたからこその疑い。

 

 イヅナだって、余計な疑いを掛けられる余地が無い方が好ましいだろう。

 

「じゃあ…僕は、ここに残るよ」

「えへへ、ありがと…!」

 

 だけど、僕は行けない。

 

 だから…

 

「ホッキョクギツネ、いる?」

「はい、ここに」

 

 僕が呼び掛けると、塀の裏からホッキョクギツネが姿を現した。

 

 冗談半分で呼んだんだけど…そっか、ずっといたんだね。

 

「イヅナと一緒に、研究所までキタキツネの為の薬を取って来てくれる?」

「分かりました、ノリアキ様の仰せのままに」

 

 僕が頼みごとを伝えると、ホッキョクギツネは恭しく礼をしてそう言った。

 

 なんか…こういうのもやりづらいなぁ…

 

 でも、うん。直してもらうのは帰ってきてからにしよう。

 

「ねぇ、ノリくん…?」

「ごめんイヅナ、運んであげて?」

「…仕方ないなぁ。分かったよ、ノリくんのお願いなら」

 

 キタキツネを睨みつけ、しかし何も言わずに、イヅナはホッキョクギツネの首根っこを掴んで飛んで行った。

 

 ホッキョクギツネならキタキツネへの敵意も無い。

 イヅナが違う薬を持って行こうとしていても、彼女なら加担することもないだろう。

 

 だから、一先ずは安心かな。

 

「ふぅ…じゃあ、早く戻るよ」

「えへへ、はーい♡」

 

 宿に入る間際、僕はなんとなしに火山の方角を眺めた。

 

 山頂に根を張る虹が普段より高く立ち上っていたのは、何かの因果だったのかな。

 

 



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Ⅶ-173 ヤンデレにつける薬は無いの?

 雪崩。

 

 雪の深い山の中に長く住んでいれば、自ずと何度も目にする白色の崩落。

 

 迂闊なセルリアンが巻き込まれて見るも無残なバラバラになることも日常茶飯事。

 

 目と鼻の先の坂道でそれが起きることも、私にとっては大して珍しいことではなかったのです。

 

 …だけど、今日は違う。

 

 とっても珍しい、私でさえ初めて目にする白の流れ。

 

 その中に巻き込まれたイヅナさんを、私は呆然と眺めていました。

 

「ちょっと、見てないで早く助けてよー!」

「ああ、失礼しました」

 

 だけど…このまま放置し続けるのも悪いですね。

 

 そう思った私はイヅナさんの手を引っ張り、白と黒のコントラストが特徴的な資料の山の中から、数分掛けて彼女を引き上げた。

 

 靴に引っ掛かった紙切れをゴミ箱に放り、彼女はため息をつく。

 

「もう、ホントに災難だよ…」

「うふふ、こんなこともあるんですね」

「…笑い事じゃないってば」

 

 そう口にしつつ、呆れたような微笑みを浮かべるイヅナさん。

 

 何とも私には印象深い、研究所での初めての出来事。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 キョウシュウの南側。

 港を出て東、海沿いに進んだ森の中に隠すように建てられた研究所。

 

 見回して私が気になったのは、整然と片づけられた全体の内装。

 

「綺麗な建物ですね…誰かが掃除しているんですか?」

「ボス達がね。ここに住んでる子は誰もいないから」

「なるほど…」

 

 ボス、改めラッキービーストさん。

 

 この前ノリアキ様から”赤ボス”なるもののお話を聞いて、彼らについての知識を得ることが出来ました。

 

 詳しくは省きますが、私が思っていたよりもずっと器用みたいなのです。

 

 ここのボスも同じなのでしょうか?

 

 気になった私は、近くを歩くボスを試しに持ち上げてみます。

 

「いつもお仕事お疲れ様です。本当に助かっていますよ」

「…エヘヘ」

 

 私の言葉を聞いて、照れている様子のボス。

 

「ま、書類の整理は出来ないみたいだけどね」

「……」

 

 的確に刺さる嫌味を投げられ、耳をペタリと伏せるボス。

 

 …どちらがお好みですか?

 

 私は、悲しんでいる姿なんて見たくはありません。

 

「もう、イヅナさん?」

「はいはい。というかボス、フレンズに反応しちゃっても良いの?」

「…ボクたちラッキービーストがフレンズと接触しないのハ、「生態系の維持」の為だかラ」

 

 ”生態系の維持”。

 

 私にはとっても難しい言葉。

 でもイヅナさんは理解した様子で、首をうんうんと上下に動かしています。

 

「…()()()()()()。元々ヒトが使う研究所だもん、私たちと話したって…今更生態系がどうこうなることもないよね」

「…ああ」

 

 イヅナさんの解説で、私の頭も理解しました。

 つまり彼らは自分で考え、ルールに無意味には縛られないということ。

 

 やっぱり、ボスって賢かったんですね。

 

「これで、紙を片づける力があったらねー…」

「…い、イヅナさん」

 

 どうやら、彼女にとってアレは相当なストレスだったみたいで…窘めようにも、少し怖くて言い出せない。

 

 結局私は口を噤んで、しょんぼりと縮こまったボスを撫でてあげることしか出来ませんでした。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「さあて、そろそろちゃんと探そっか。ボス、薬品室」

「分かったヨ、ついて来テ」

 

 ちょこんと体を傾げたボス。

 くるりと回って尻尾をファサリ、踵を返して歩き出した。

 

「…ここだヨ」

 

 三歩。

 

 ちょこちょこと踏み出した足で、ボスは薬品室の前に着いてしまったみたい。

 

 ちなみに私たちは一歩も動いていません。

 

「へえ、ここなんですね…!」

「いや、なんで感動してるの…?」

 

 と言いますか、イヅナさんは素っ気なさすぎるんです。

 

 冷たいのは――私にとってはそうじゃないけど――雪山の風だけで十分。

 

 私はこの初めてを楽しみたい。

 

 扉の横には…薬を表すのでしょうか。

 見たことのない絵が四角い額の中に貼ってあります。

 

 初めて見る模様…どうにもワクワクしちゃいますね。

 

「はぁ、何やってるんだか…」

「もう、別に良いでしょう?」

「そりゃいいけど…私には分かんないな、その感じ」

 

 憎まれ口を叩きながら、止める気は無いのでしょう。

 イヅナさんは椅子に腰かけ、”お好きにどうぞ”と言いながら肩を竦めています。

 

 

 …では、好きにさせてもらいましょう!

 

 

「…ふふふ」

 

 止めどない笑い声が漏れてしまう。

 

 実は私、こういうハイテクなラボに入ったことが無かったんです!

 

 ホートクの方にもヒトがいる研究所はあったんですが…まあ、ジャパリまんを頂く時にしか入りませんでしたね。

 

 『健康診断』とか『体力測定』…とヒトの皆さんが呼んでいたことはもっぱら別の、よく分かんない場所でやっていましたから。

 

「おお…読めないけど、すごいです…!」

 

 一先ず私はボスに頼んで、ノリアキ様のデータベースを印刷して貰いました。

 

 なんでも、十数体のラッキービーストの力を集結し、数か月と言う時間を掛けて構成された非常に精緻な情報であるとか。

 

 実際に手に取ってみたソレは、私の想像以上の代物。

 

「あぁ…感激です…!」

 

 様々な意味で出遅れてしまっている私には、このような基礎を固めるための素材が必要不可欠。

 

 素晴らしい。

 

 これこそがこの研究所の最高傑作であると言っても強ち間違いではないでしょう。

 

「ちぇっ、まさかこんな風に悪用されるなんて…」

「いいえ、これは…ふふ、有効利用と呼んでください…!」

「…ま、私も言えた道理じゃないか」

 

 そもそも、ノリアキ様を知るために作ったデータです。活かすためなら幾らでも共有して然るべきでしょう。

 

 でも、この感情は何なのでしょうか。

 

 手の中に有るこの紙を仕舞いこんで、永遠に私だけのモノにしてしまいたいと願うこの衝動は、如何様に私を突き動かすのでしょう。

 

「…ノリアキ様」

 

 ぱあっと視界が明るくなって、拭い難い歓びが心を染めたその時。

 

 後ろから肩を叩かれて、私は我に返ってしまいました。

 

「はい、もう終わり。早く見つけて、お薬持ってこ?」

「…ああ、分かりました」

 

 この時私は、どれほどイヅナさんのことを恨めしく思ったでしょう。

 

 握った紙切れを思わずクシャリとひしゃげさせてしまい、慌てて仕舞って隠しました。

 

 でも、気付かれてしまったのでしょうか…?

 

「…うふふ。さ、ボス、早くここの鍵を開けて」

「了解……はい、これで開いたヨ」

 

 音もなく開錠された扉。

 ノブに手を掛け、私が先に部屋に立ち入る。

 

「……あ」

 

 そこに広がっていたのは、可能性まみれの空間でした。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「風邪薬の棚ハ、四番だヨ」

「ありがと、忘れてたから」

「番号が振ってあるんですか?」

「そう、最近整理して付けられたんだってさ」

 

 イヅナさんの言葉通り、並んだ棚の横の壁には大きく数字の書かれた紙が貼り付けられている。

 

 左の方から一、二、三…右端まで辿ると、九番まで分類されているようです。

 

 けれど詳しい分類の内容について、イヅナさんが教えてくれることはありませんでした。

 

 …今日は、キタキツネさんの為に風邪薬を取りに来ただけですもんね。

 

 他のお薬については、またの機会にするとしましょう。

 

「さあて、何だっけ…『総合感冒薬』? そうそう、それだったね」

 

 私には分からない難しい言葉を呟きながら、イヅナさんは棚を探っていく。

 

 とりあえず、私は黙って見ているだけで良いでしょう。

 

 じっと彼女の所作に注視しながら、私はノリアキ様が自分をここに同行させた理由を考えることにしました。

 

「研究所観察…は、勿論違いますよね」

「ん、何か言った?」

「いえ、独り言です」

「あぁ、そう」

 

 ロジックによってはこの思考、イヅナさんにとって悪い結論を導くことになるかもしれません。

 

 お口はしっかりチャックして、機嫌を損ねることは避けましょう。

 

 私は、平和に過ごしていたいだけですから。

 

 

 ――さて、本題に戻して。

 

 

 ノリアキ様は、私にイヅナさんと共にここに来るよう頼みました。

 

 そしてそれ以前――キタキツネさんが我儘を通す前――は、ノリアキ様自身がイヅナさんと同行する予定でした。

 

 

 …となると、どんな事実が導き出せるのでしょうか。

 

 

 きっと、ここに来るのが『私』である必要は無かった。

 

 そして、代わりを立ててでもイヅナさんを誰かと一緒に行かせた。

 

 つまり…イヅナさんを一人にしたくなかった?

 

「だとすると、私がするべきことは…」

 

 

 イヅナさんの監視。

 

 

 …そういうことになるのでしょうか。

 

 私の乏しい頭ではそれ以上は考えられません。

 

 とりあえず、妙な事が起きないか気を付けておきましょう。

 

「イヅナさん、もう見つかりました?」

「うーんと、もう少し掛かりそうかなぁ…」

「…手伝いますか?」

「いいよ。ホッキョクちゃん、こういうの不慣れでしょ?」

「…はい」

 

 ごく自然な協力の拒絶。

 率直に捉えるなら、私が戸惑わないよう配慮してくれたのでしょう。

 

 しかし()()()()を出してしまった後だと、どうにも邪推してしまいます。

 

「イヅナさん、少し訊いてもいいでしょうか?」

「…まあいいよ、探しながらで良ければ」

 

 彼女は一つ箱を手に取り、確かめる。

 

 けれどすぐに首を振って、若干苛立ちの混ざった表情で元に戻しました。

 

「ありがとうございます。その…最近眠れなくて、『眠る薬』とか…どの辺りにあるかだけでも、分かりませんか?」

「…っ」

 

 私の問いに、彼女の白い耳が固まる。

 

 けれどそれも一瞬の隙。

 

 すぐに調子を取り戻して、彼女は宙を見ながら思い出すようにボスの名前を呼ぶのです。

 

「あー、それね…ボス、どうにかできない?」

「じゃア、分類についテ印刷した紙でいいかナ?」

「そんなもんで十分じゃない?」

 

 イヅナさんの指示を受け、ボスは薬品室の外に出ていく。そして数分の後、頭に一枚の紙を携えて戻ってきた。

 

「どうゾ」

「ありがとうございます、どれどれ……ふむ、探すのでご一緒してもらえますか?」

「了解、解らないことがあったら任せてネ」

 

 眠る薬は五番の棚。

 

 場所で言えば、イヅナさんが現在進行形で探っている四番の隣。

 

 ありがたい場所です。

 そこなら、探し物をしつつコッソリ彼女の様子を見ることも出来ますね。

 

 

 ボスに棚の鍵を開けてもらって、ガサゴソと適当に探していきます。

 

「これは…」

「精神安定剤だネ」

 

「では、こちらは…」

「鎮痛剤だヨ」

 

「今度こそ…!」

「……違うヨ」

「…そうですか」

 

 探し物って難しいんですね。手間取るのも納得です。

 

 目立つピンクの箱だからつい取ってしまいましたが、そう都合良く行きはしませんね。

 

 違うなら用はありません、戻しましょう。

 

 そんな落胆と共に薬を置いた私の横から、イヅナさんの手が箱を掠め取るのです。

 

「ダメだよホッキョクちゃん…戻しちゃうなんて勿体ない!」

 

 興奮したように息を荒げた彼女ですが、私の感情は雪山の風のように冷え切っていました。

 

「イヅナさん、風邪薬は見つかりましたか?」

「あ、いや、まだそれは…」

「…私も探しますね」

「え、でも私一人で…」

「どうにかなるなら、こんなに時間は経っていないでしょう?」

「…うぅ」

 

 …おっと、いけません。思わず口調が強くなってしまいました。

 

「でも、隅々まで探したんだよ? だけど何処にも無くって…」

「つまり…研究所にも無いと?」

 

 湧き出た疑問を、私は足元のボスにぶつけます。

 

「…補充ニに遅れが出ることハ…たまにあるネ」

「えー、じゃあどうするの!?」

「落ち着きましょう、イヅナさん。…何か、代わりになりそうな薬はありませんか?」

「探してみるヨ。待ってて」

 

 ボスが言葉を切るとほぼ同時に、扉から別のボス達がたくさん入って来ました。

 

「…ここにいては邪魔になってしまいますね」

「…そうだね」

 

 私たちは風邪薬の件をボス達に任せ、ただ座っているのも暇なので少し散歩をすることにしました。

 

 海岸まで足を運び、眼前から吹き抜ける爽やかな潮の匂いを頭に満たすのです。

 

「いい景色ですね」

「まあ、そう……」

「…?」

 

 不自然に途切れた言葉。

 見ると、海を向いたまま硬直しているイヅナさん。

 

 私は未だに呑気で、軽口を叩く余裕も有りました。 

 

「イヅナさん、どうかしました? もしかして風邪がうつったり…」

「…違う」

 

 ゆったりと腕を上げて、焦るように前を指差す。

 

 私は指先から伸びる線を追って目を動かし……理解した。

 

 それと同時に、横に立つ彼女と同じように、未知への恐怖に身を凍らせてしまう。

 

 

「……船?」

 

 

 それはキョウシュウに帰ってきた、一隻の黒船だった。

 

 



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Ⅶ-174 会議、遥か彼方の。

「それでは、今の議題に質問のある方はいらっしゃいますか」

 

 ジャパリパークの今後の運営や研究の方針を決める、セントラルで開かれた大きな会議の真っ最中。

 

 会議室の奥、中央の少し高い議席。そこに座った進行が、全体に向けて問いかけた。

 

 その問いに手を挙げる者はいない。

 

 進行を執る彼女は全員の様子を見回し、小さく頷いて会議を進める。

 

「……では、次の議題に移りたいと思います。相音(アイネ)さん、議題の提案をお願いします」

「はい」

 

 「アイネ」と呼ばれた白衣の女性は呼びかけに応じ、長い銀髪を整えておもむろに立ち上がる。

 

 彼女の提案が最後の議題。

 

 若き研究者である彼女がこのような大きな会議で話すことも、提案の内容がギリギリまで隠匿されることも、どちらも非常に珍しいことであった。

 

 だから、彼らはアイネに多大な期待を寄せている。

 

 スクリーンの前に立った彼女が深くお辞儀をすると、大きくハッキリとした拍手が長くの間鳴り響いた。

 

 彼女は身をかがめ、カチカチとマウスを動かしてスライドを表示する。

 

「……!?」

 

 スクリーンに映し出された文字に、会議室の一同は言葉を失った。

 それと同時に、あれほど大層に響いていた拍手も一瞬のうちに鳴りを潜めた。

 

 だが、まだざわめきは起きていない。

 

 紛れなく目に飛び込んできた光の模様の意味を、彼らはまだ受け入れられていない。

 

「わたくしが提案する議題は、ご覧の通りです」

「それは、まさか…」

 

 進行の絞り出す声に一瞥し、彼女は改めて宣言する。

 

「わたくし…アイネ・スティグミは、キョウシュウエリアを再び”我々”の保護下に置く計画を、皆様に提案いたします」

 

 

 そのあまりにも唐突な提案に…会議室は今度こそ、混沌のざわめきに包まれた。

 

 

「ま、待ちたまえ! キョウシュウには強大なセルリアンが…」

 

「そちらこそお待ちください。今から、”キョウシュウへの再進出を行うべきである”…という主張の根拠を、一つ一つ提出する所存です」

 

「あ、あぁ…」

 

 有無を言わせぬアイネの口調に、真っ先に異議を唱えた初老の研究者は口を閉ざさざるを得なかった。

 

 周囲の者は、そんなアイネの様子を驚きの視線で見つめる。

 今この場にいる者たちは皆…アイネ自身を除いて、全員が話の脈絡を掴み損ねていた。

 

 ともすれば、彼女に異議を唱えて説き伏せられるのは自分だったかもしれない。

 

 しかし彼女への反感は起こらず、むしろ感嘆とした空気が充満しつつあった。

 

 彼らは、ジャパリパークを管理する研究者、もしくは飼育員として名を連ねる者たちの一員である。

 

 長きにわたってパークの為に知恵を絞り、時には骨身を砕いて環境の改善に努めてきたのだ。

 

 今の二、三言のやり取りで、アイネが論理的な根拠を以てこの計画を立案したことを彼らは確かに理解した。

 だから、静かに彼女の言葉に耳を傾けんとする。

 

 その光景は先程までとは違う。

 彼らの目には確かな希望があった。

 

 かつて自分たちの力不足によって手放さざるを得なかったキョウシュウを――見捨てざるを得なかったかの地のフレンズたちを――今一度守護する機会が、目の前にあるから。

 

 その可能性を、ハッキリと目の前に差し出したから。

 

 アイネは、この場の空気を支配した。

 

 

「まずは、現状に至る経緯を改めて確認させていただきます」

 

 クリックで()()()が捲られる。

 スクリーンに、キョウシュウエリアの空撮写真がその姿を見せた。

 

 このエリアの象徴ともいえる巨大な活火山。

 

 サンドスターによって生み出された、多様性に富んだ気候と鮮やかな景色。

 

 そして、島を取り囲む宝石のような群青の海。

 

 ここにいる彼らの多くは何の偶然か、過去にキョウシュウエリアに配属されていたパークの職員だった。

 

 そんな彼らは懐かしき日の思い出に浸り、そうでない者もキョウシュウの壮大な自然に目を奪われる。

 

 想いは一緒だった。

 

 

 『なぜ、この美しい島を手放さなければならなかったのだろう』

 

 

 アイネは彼らの無言の反応に手ごたえを感じながら、プレゼンを続ける。

 

「皆様の記憶にも未だ新しいでしょう。かつてキョウシュウエリアに、我々の力では対処不可能なセルリアンが出現しました」

 

 アイネは心苦しいような表情を浮かべ、次のスライドを映す。

 すると瞬く間に、彼女と同じ表情が部屋中の人間に伝染していった。

 

 巨大なセルリアンの写真。

 

 彼らにとってこの姿は、やはり嫌な思い出の他に意味を持たないのだろう。

 

「我々は…キョウシュウからの撤退を余儀なくされました。それが、今から十年ほど前の出来事です」

 

 スライドを流していく。

 

 そこには、彼女が語ったより数倍は詳しい成り行きが記されている。

 

 時間を掛けて、丁寧にまとめたのだろう。

 そんな大量の情報を抱えたスライドの数々を、彼女は一瞬のうちに過去のものとする。

 

 その姿の中に何か強い想いを見つけてしまうことも、決して過ぎた妄想ではない。

 

 彼女はやがてスライド送りを止め、大きく『展望』とだけ書かれたスライドを皆に見せながら言葉を紡ぐ。

 

「…ですが、やはり飽くまでそれは十年前の話です」

「今は…違うと?」

 

 輝かしい確信を目に湛え、彼女は肯く。

 

「だが、今でもセルリアンが闊歩している可能性だってある…そうだろう?」

「それも、可能性としては考えられます。ですが、そろそろ…良いんじゃないでしょうか」

「”良い”とは…何が?」

 

「”逃げること”です。我々は逃げました、連れていけない決まりとは言え、フレンズの皆さんを置いていきました。そのまま…十年も経ってしまいました」

 

 会議室が、水を打ったように静まり返る。

 紙をめくる音一つ聞こえない。

 

 アイネは空気を噛み締める。これほど雄弁な沈黙を未だかつて彼女は()()()ことがない。

 

 もっと雄弁に、そして朗らかに、キョウシュウについて話せるように。

 

 続ける、未来の為に。

 

「例えセルリアンがいたとしても、備える時間はあります。結果がどうなろうとキョウシュウの現状を見届ける。例えそれだけでも、すべきではないのですか?」

 

 ぽつぽつと彼女の言葉に反応し、同意の仕草を見せる者たち。

 

 概ね肯定的な態度を見せつつも、計画の是非には目を光らせている者たち。

 

 しかし、掲げられた目的に反対する者は見当たらない。

 

「それでは次のスライドから、具体的な段取りについてお話します」

 

 アイネはこの一日でもう何度目だろうか、自らの提案が受け入れられているという実感を得ていた。

 

 この提案は会議が終わる瞬間まで参加者の心を掴み、その噂は瞬く間にパークのあらゆる場所に広がり、アイネはセントラル中の職員たちから”センセーション”とも呼ぶべき大きな後押しを受ける。

 

 そして、わずか数週間で編成された第一調査隊がキョウシュウへと船を発たせるその時になっても、とうとうその熱が冷めてしまうことは無かった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「アイネさん、よろしくお願いします」

「こちらこそ、ご同行頂きありがとうございます。ミライさん」

 

 キョウシュウへと航行する大きな船の中。

 

 例の会議で熱狂的な支持を受けたアイネと、そして動物に熱狂的な愛を注ぐミライが出会い、目を合わせて手を握り合った。

 

「噂はかねがねお聞きしています。…なんでも、会議室の全員を説き伏せてこの計画を通してしまったとか」

 

「あはは、それは大袈裟ですよ。これはみんながキョウシュウという島をとっても大切に思っていたからこその結果だと、わたくしは思います」

 

「うふふ。ええ、そうでしょうね…!」

 

「それにまだ挑戦の段階です。結果は、これから確かめに行くんですから」

 

 その後も、アイネとミライはこの先に待ち受ける出会いや苦難を想像し、朗らかに語り合って意気投合した。

 

 二人とも、今回の調査の重要なポストに就いている。

 

 目的地に足を踏み入れる前から、チームの上に立つ彼女たちの関係は良い感じだった。

 

「ところでアイネさんは、キョウシュウにどんな思い出が?」

 

「え、わたくしの思い出ですか…?」

 

「私は、撤退の寸前までキョウシュウでパークガイドをやっていました。最後の時にも、ラッキーさんに色々なものを託して……だから、あの島への思い入れも深いんです」

 

 窓から碧を見つめるミライ。

 彼女の目には、古い友人に会いに行くような懐かしさがあった。

 

 瞼を閉じ、網膜に焼き付けた景色を咀嚼するように堪能した後、ミライはアイネの目を見て尋ねた。

 

「アイネさんも、あなたが言うように…『キョウシュウと言う島をとっても大切に思って』いるから、その力を持った言葉で、ここまで漕ぎ付けられたんでしょう?」

 

「わ、わたくしは……」

 

 アイネは口籠る。

 あの会議での溌剌さとは()()()()()様子だ。

 

 ぱくぱくと声なき声を発する彼女の口は、やはり彼女が腹に抱える何かの存在をハッキリと示していた。

 

「…ごめんなさい」

「あら、どうして謝るんですか?」

「必ず話します。いつか、その時が来たら…」

 

 口を抑える姿は、吐き出しそうになる衝動を抑えるかのよう。

 

 想像以上に思い詰めたアイネの仕草に、ミライはチクリと罪悪感が心に刺さるのを感じた。

 

「…分かりました。その時は、しっかりとお聞きしましょう」

「ありがとう…ございます」

 

 アイネは外を見る。

 ミライが見た時と同じ、碧が一杯に広がっている。

 

 海の反射の中に、微かな虹色が見えた。

 

 それは果たして希望となるか。

 

 清濁全て併せ吞む、果ての見えない虹だった。

 

「…ミライさん。到着してからの予定を、もう一度確認しておきませんか?」

 

 塩辛い想いを飲み込んで、アイネはゆったり微笑む。

 

 

 黒い船は進む。

 

 すっかり姿を変えたキョウシュウへと。

 

 きっと彼らの中では、キョウシュウは思い出のままだ。

 

 あの島の時間は、立ち去ったあの瞬間で止まったままなのだろう。

 

 

 けれど…時間は進む。

 

 諸行無常の響きの侭に、ヒトに、キツネに、変えられる。

 

 もう、思い出のキョウシュウの姿を見ることなど出来ない。

 

 彼らが湛えた郷愁は、叶うことなきノスタルジアだ。

 

 

 黒い船は進む。

 

 過去に向けて、時代錯誤を腹に抱えて。

 

 時代遅れの黒船が、キョウシュウへ舵を取っている。

 

 

―――――――――

 

 

 

 草葉が風に舞い鳴らす、淡き歓迎のファンファーレ。

 アイネは調査隊の先導を執り、十年ぶりの港に両の足を付けた。

 

「懐かしい…ついに、戻ってきたのですね…」

 

 彼女の目は、見上げた火山の輝きに釘付けになっている。

 

 ただ見惚れているだけでないことは、先程のやり取りを見れば明らか。

 見ようによっては昏い色が、瞳の奥を染めている。

 

「それでは皆さん、計画通りに。まずは、研究所にアクセスして現状を確かめましょう」

「了解しました。グループA、出発してきます」

 

 数人のまとまりがその場を離れ、港には一時的な本部が設営された。

 

 休憩スペースも用意され、研究所の起動が確認されるまで、残った調査隊のメンバーはここで船旅の疲れを癒すことになる。

 

 

 ――研究所は、キョウシュウが手放される直前にリフォームされた施設。

 

 

 そこには、未起動時でもパークのフレンズを支援するための様々な機能が実装されていた。

 

 ヒトが居なくなった後もフレンズが生きていくための施設。

 研究所のことを、多くの人々はそう捉えている。

 

 だがアイネは違う。

 

 研究所を、再び人が戻ってくるための施設だと考えている。

 

 なぜなら研究所には、キョウシュウの様々なデータを蓄積しておくプログラムが構築されていたからだ。

 

 完全に手放すつもりなら、そんな機能は要らない。

 

 フレンズの支援に、そのデータは必要ではなかった。

 だからそのデータは、戻ってきたヒトの為のモノ。

 

 再びここに来た誰かが、再びこの島を管理する基盤を得やすくするために残された。

 

 きっと、十年前の彼らも諦めていなかった。

 

「だから、その想いは受け継がないといけません」

 

 そうこうしているうちに、グループAのメンバーたちが本部へと戻ってきた。

 

「お疲れ様です、研究所は……え?」

「すみません。途中で()()()を見つけて、放っておけなくて…」

 

 リーダーらしき男性が頭を下げる。

 

「いえ、構いません。そして…その子は?」

 

 戻ってきた彼らと一緒に姿を見せた一人のフレンズ。

 

 彼女の様子をまじまじと見て、アイネは「確かに放っておけない」と納得した。

 

 彼女の体には無数の傷痕。

 こんなにも痛々しい姿のフレンズを、一体誰が放置して立ち去れよう?

 

 それにしてもこれは…あまりにも可哀想だ。

 

 アイネが掛けるべき言葉を思索しているうちに、フレンズの方から話しかけてきた。

 

 

「は、はじめまして。ええと、ホッキョクギツネ…です」

「ホッキョクギツネさんですね…はじめまして」

 

 

 同行者を失ったキツネは、島に戻ってきたヒトと出会う。

 

 奇しくもお互いに、島の外からやって来た者同士だった。

 

 



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Ⅶ-175 イレギュラーと潜入作戦

「どうぞ、ゆっくりしてください」

「はい、ありがとうございます」

 

 差し出されたお茶を一口飲んで、体に付けられた傷の痛みを癒す。

 

 ふう…と深呼吸をすると、穏やかに揺れる船の乗り心地がとてもいい。

 ふかふかの椅子も、わたしの体を呑み込んで離すまいと心を縛り付けてくる。

 

 改めて…ここは船の中。

 

 わたしは彼女たちが乗ってきた船の中に招かれ、優しい手当てを受けました。

 

 そういう訳でひとまず、()()()()()は達成と言ったところでしょう。

 

 「アイネ」と名乗るリーダーらしき女性。

 お茶入れ道具を片づけてきた彼女は、わたしの目の前に座ってあることを訊いてきた。

 

「…ホッキョクギツネさん。嫌でなければ、どうしてこんな酷い怪我をしたのか、教えてくれませんか?」

 

 まあ、当たり前の質問。

 丁度用意した”答え”もありますし、普通の返答をすることも吝かではありません。

 

 …ですが、わたしたちにも目的がありますからね。違和感の生まれない程度に引き延ばすとしましょう。

 

「それは…どうしてですか?」

「もしもあなたのその怪我がセルリアンの仕業なら…また他の子に、被害が出る可能性もあるんです」

 

 一呼吸吐き、歯噛みをするアイネさん。

 申し訳なさそうな顔です、これってそんなに辛い頼みなのでしょうか?

 

「私たちは、多くのフレンズさんを守らなきゃいけない。だから、きっととても辛いでしょうけど……出来るなら、教えてください」

「…分かりました」

 

 まあ、全然辛いことなんて無いのですけど。

 一応、渋々と言った様子でわたしは彼女の頼みを受け入れました。

 

 恩は売るべし。些細な事でも。

 

 …うふふ。

 

「実は…セルリアンにやられちゃって」

 

 はい、嘘です。

 もちろん、セルリアンなんて何処にもいません。

 

「…やっぱり。どんな、セルリアンでしたか?」

「大きくて…それと確か、黒かったと思います」

 

 適当な特徴ですけど、アイネさんたちにとっては捨て置けないそうな。

 

 まあ、それも()()()お話にすぎませんが。

 

「黒い個体、ですか……」

 

 手の平で口元を抑えて、目を見開いて心なしか荒くなる呼吸。

 

 瞳にはトラウマの色。

 

 いつかのわたしも、こんな目をしていたのでしょうか…?

 

「わたしはそのセルリアンから逃げて…怪我をしながら、それでも何とか隠れられて…あの人たちに、出会いました」

 

「…なるほど」

 

 わたしの言葉に彼女は何度も頷く。

 まるで、喉に引っ掛かった何かを流し込もうとするように。

 

 空気を飲んで喉を鳴らして……漸く、落ち着いた様子を見せました。

 

 そんな彼女にわたしは親近の念を覚えるのです。

 

 冷静ながらどこか焦燥を浮かべている目。心の寒さを癒すために震える体。きっと胸の奥底に抱えている、消えない記憶。

 

 ああ、わたしは鏡でも見ているのでしょうか。

 頭から伸びる長く美しい銀色は、鏡に塗られた金属の反射なのでしょうか。

 

 だから、わたしの白は映らないのでしょうか。

 

「……ホッキョクギツネさん?」

「…あ、いえ、気にしないでください」

 

 うふふ、変なことを考えたものですね。

 大丈夫、わたしは確かにここにいます。

 

 誰が何と言おうと――ノリアキ様が仰るのなら話は別ですが――わたしはわたし。そうでしょう?

 

 ですから……落ち着かないとですね。これでは、目的を果たせる気がしませんもの。

 

「あの、アイネさん。わたしからも、少しお尋ねして良いですか?」

「良いですよ、自分がお答え出来ることなら何でも」

「…ここに来た理由を、教えて欲しいんです」

「ああ…それですか。少し長くなりますけど…大丈夫ですか?」

 

 わたしは肯定の意を込めて微笑みながら頷きます。

 

 笑ったのは無意識の反応。

 最高の情報を得るチャンスをモノにした成功への安心感でした。

 

「始まりはそう…今から十年前のことです。…あ、月日の数え方って分かりますか?」

「はい、大丈夫です」

「よかった……そう、十年前。とても大きな黒いセルリアンが出た、あの日のことです――」

 

 

 そうして彼女の口からまず語られたのは、キョウシュウエリアの放棄が決められる原因となった事件のこと。

 

 

 確かに興味深い話でしたが、わたしは事前に聞いています。

 

 ですから、この場面でしたことは自分の記憶との符合。結果として、歴史に違いはないようでした。

 

「そして最近…わたくしが提案したからですけど、キョウシュウに調査隊が派遣されることになったんです」

「…調査、とは?」

「このキョウシュウが、十年のうちにどんな風に変わったのか。()()()()()()()()のに十分、安全になったかどうか」

「……!」

 

 とりわけわたしの注意を惹いたのはその言葉。

 

 …『ヒトが戻って来る』。

 

 このキョウシュウに新たな存在が現れる……否、元々ここに居た彼らが再び姿を見せる、と言ったところでしょうか。

 

「…アイネさん達が、ここで暮らすようになる。そういうことですか?」

我々(パーク)が再びキョウシュウに盤石な体制を築けると、そう判断されれば…そうなるかな」

 

 悪いことではないのでしょう。

 

 ヒトがいれば、フレンズだけでは不可能だった色々なことが出来ます。

 きっと今までより安全に、他のエリアのみんなと同じように暮らせます。

 

 だけど、この胸騒ぎは何でしょう。

 

 

 ”わたしがホートク出身だから? ”

 

 ”わたし達の生活にそれほど影響がないから?”

 

 ”わたしは今のままでも十分に幸せだから?”

 

 

 ううん。そんな理由じゃ説明できません。

 

 このモヤモヤした感情は、わたしが嫌がっている証拠。

 

 …ああ、何を?

 

「わたくしは戻って来たい。またここでみんなと暮らしたい。それで…みんなの暮らしをもっと良く、()()()()()()()

「…っ!」

 

 電撃が走ったような心地でした。

 取り返しの付かない閃きが、わたしの脳みそを掻き混ぜた瞬間なのでした。

 

 わたしは、今の暮らしが変わってしまうのが嫌なのでした。

 そんな可能性を、例え一片でも目の前に突き出されるのが堪らなく不愉快なのでした。

 

 『止めなければならない』と、無力な心で、想いました。

 

「そうですか…ありがとうございます」

 

 そう、感謝しなくてば。

 教えてくれたおかげで、まだ止める余地がある。

 

 方法は、全く思いつかないけれど。

 

「…あ、すみません。一度本部の方に行ってきますね。ホッキョクギツネさんは休んでいただいて構いませんから」

「……はい」

 

 返事は届かなかったでしょう。

 アイネさんはさっさと行ってしまいました。

 

 残された私はもう一つのミッションを思い出して、船の中を探し回ります。

 

 ありますように、風邪薬――

 

 

 

―――――――――

 

 

 

『……足止め?』

『うん。多分このままじゃ、あの船の人たちが研究所に着いちゃうと思うから』

『それは、問題ですか?』

 

 頭の悪い私には分かりません。

 尋ねるとイヅナさんは、おどけるように肩を竦めて答えるのです。

 

『さあ? でも…止めた方が良いよ。ホッキョクちゃんが今の生活を守りたいなら』

 

 イヅナさんの言葉の意味を知るのは少し後になります。

 ですが、従ってよかったと、今では切に思っています。

 

『…わかりました。何をすればいいですか』

『簡単簡単……私にボコボコにされて?』

『…え?』

 

 でも、こうも思います。

 やっぱりイヅナさんはわたしを嫌っているのでは、と。

 

『いたたた……これで、()()()()()の前に出ていけばいいんですね?』

『そうそう。こんなにひどい姿のフレンズ、誰も放っておかないって!』

 

 嬉々として言い放つイヅナさんには、雷でも降ればいい。

 

『…一人、明らかに放置しようとしていますが』

『…んー?』

『いえ、何でもありません』

 

 我慢、我慢。

 この程度の傷でノリアキ様との生活を守れるのなら安いものです。

 

『ところで、イヅナさんは何をしますか?』

『私は研究所をシャットダウンして、私達の痕跡を隠すことにするよ。万一のことも考えて他にもいろいろ策はあるけどね』

 

 そうしてイヅナさんは様々な計画を列挙していきますが…わたしが理解できたものは果たして半分もありません。

 

『とにかくわたしは、ヒトの足止め…』

『そうそう。でも、少しくらい言い訳は覚えておくべきかな。少なくとも、怪我をした理由くらいは』

『大丈夫です、覚えるのは…得意ですから』

『あはは、頼もしいね』

 

 ペチペチと適当に手を鳴らして、イヅナさんはわたしを嗤うのです。

 

 でも、気にすることはありません。

 

 ノリアキ様の為ですもの。

 あの人の為なら、わたしはどんなことでも出来るんです。

 

 それでも少し、辛いですけど。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「この部屋…お薬の匂いがしますね」

 

 休憩室を抜け出して、わたしはお船の探検中。

 歩いて探して数分したら、それっぽい部屋まで辿り着きました。

 

 覗いてみるとそこは、一段と清潔感のある部屋。

 目を引く家具は、真っ白なシーツの敷かれたベッドと奥にある棚。

 

 学校モノの漫画で見ました、これが噂の保健室ですね。

 早くに見つかって助かりました。

 

「さてさて、風邪薬はと…」

 

 とりあえず一直線に奥を目指したわたしは、適当に『かぜ』の文字を探してガサゴソと棚を漁ってみます。

 

 ええ、漢字は読めませんからね。

 その二文字が唯一の生命線となるのです。

 

「おっ、ありました」

 

 この『かぜ』と大きく書かれた小箱、よもや風邪をひかせる薬ではないでしょう。

 お目当ての物に違いありません。

 

「うふふ、良かったです」

 

 …我ながら薄い感想。ノリアキ様が言っていましたね。

 

 たまにはキャラを忘れて喜びを表現する時があっても良い…と。

 

 今がその時では?

 うん、やってみましょう。

 

 

 お、おくすり、ゲットだぜ…?

 

 

 …はい、恥ずかしいですね。声に出さなくてよかったです。

 

「でもこれで、キタキツネさんも安心でしょう」

 

 そう。

 

 本来わたしは、あの休憩室でのうのうと過ごしながら彼女たちに時折探りを入れるだけで良い立場なのです。

 

 でもやっぱり、あの子のことは心配でした。

 何より、ノリアキ様はキタキツネさんのお薬を御所望です。

 

 幾らイヅナさんの言葉に従って、ノリアキ様の為に動いているからと言って、()()を忘れてはなりません。

 

 あとはこのお薬を早くに届けられれば良いのですけど…やっぱり、難しいでしょうか。

 

 キタキツネさんのわがままに困っていらっしゃいましたし、ノリアキ様が直々に取りに来てくださるとも考え辛いですね。

 

「はぁ…しばらく、大人しくしていましょう」

 

 十分成果も出せたことです、勝手な行動はもう終わり。

 

 わたしは、怪しまれない内に元の部屋まで戻ることにしました。

 

 そして、その道の途中。

 

「……?」

 

 外の道、そっと頬を撫でる風。

 少し見下ろすと、それに靡いて煌めきを見せる青い海。

 もっと遠くを見れば、こちらに沢山の手を振る木々の海。

 

 一瞬その中に見えた、白いたなびき。

 

「イヅナさん、上手くやれてますでしょうか…?」

 

 彼女のことです、滅多なヘマはしないでしょう。

 

 でもやっぱり…不安です。

 これがどうか、要らぬ心配でありますように。

 

 目立つ毛皮を見たせいでしょうか。

 わたしの不安はどこまでも、募る一方なのでした。

 

 



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Ⅶ-176 事件の裏に、やっぱりキツネ

『警告:貴方は”ジャパリパーク中央研究所キョウシュウ支部”の全設備及びシステムを停止しようとしています。停止すると、再起動までこの研究所を利用することは出来ません。また、サポートもバックグラウンド状――』

 

「ああもう面倒! 良いから早く止めてってば!」

 

『…システム管理者の承認を確認。停止プロトコルを実行します。』

 

 ヒト製機械特有の、冗長で長ったらしい警告音。

 

 脳内で読み返すだけで苦痛なそれを遮って、私はシステムのシャットダウンをメインサーバーに命じた。

 

 そうすれば案外機械は従順。

 瞬く間に目に付く光と言う光が消え去り、研究所はその役目に一旦の暇を与ることとなる。

 

 ホッキョクちゃんを送り出してからおよそ十数分。

 

 完全な機能停止には時間が掛かるだろうし、これでもまだまだ油断は出来ない。

 

「私も一回落ち着いて、やることを整理しないと…!」

 

 なにせ、突然現れた船に対する急ごしらえの計画。だから何処に穴があるか分かったものじゃない。

 

 備えは万全に、決して見破られないように。

 

 左手に、私たちについての情報を入れたUSBメモリ。

 強く握りしめて、声に出してこれからの段取りを頭へと刷り込む。

 

「まずは、ホッキョクちゃんにあげた理由の辻褄合わせ」

 

 あの子にはセルリアンに襲われたと言わせる。

 だから、その証言と合致するセルリアンをこの周辺に放っておく。

 

「そして戻って、キタちゃんとギンちゃんに話をする」

 

 ()()()ノリくんにバレないように、こっそり進めないとね。

 薬の件はまあ…緊急事態ってことで押し通そっか。

 

「最後に、ホッキョクちゃんを回収する」

 

 潜入を続けさせるか引き上げるか、あの子の話を聞いてから判断しないといけない。

 

 場合によっては、強硬な手段に出ることも選択肢の内。

 なにぶん状況の転がり方が急すぎるもの。最悪を避けるためなら、多少の犠牲は仕方ない。

 

 …まあ、今の時点で頭に入れておくべきことはこれくらいかな。

 

『報告:研究所のシステムを完全にシャットダウンしました。以降、システムは施錠機能のみ待機状態となります。』

 

「さて…でも、まだここでの仕事が残ってるんだよね」

 

 データを抜き取るだけでは足りない隠蔽工作。

 それは印刷され、物理的な形を持つ紙の文書の処分。

 

 粗方はラッキービーストに任せて終わったけど、まだ処理漏れが残っているかもしれない。

 

 万一ここに入られて、更にその文書が運悪く見つかれば私たちの存在が露呈してしまう。

 

「私とノリくんは本来いない筈の存在…だからデータもちゃんと、無いモノにしておかないと」

 

 それからまた数分後。

 最後の確認を終わらせて、私は本当に研究所を後にする。

 

 

 そして、すぐに次の仕事。

 

 

「よしよし…うふふ」

 

 持ち上げた腕の先に…たった今、生を受けたばかりのセルリアン。

 

 ホッキョクちゃんに伝えた特徴の通り、よく見る平均的なセルリアンより大きく、サンドスター・ロウを多めに与えて黒くしている。

 

 ついでに身体は、()()()()()()()()()()()()形に調整した。

 ああ、一目見ただけで想起せざるを得ないでしょう…くふふ。

 

「ほら、行ってらっしゃいな」

 

 私はそいつに、研究所の外周を徘徊するよう指示を出す。

 

 核の中に私の因子を埋め込んでおいたから、このセルリアンは私の眷属。

 つまり命令は絶対、間違っても違えることはない。

 

「ま、誰か近くに来たら適当に襲っちゃっていいよ」

 

 危害を加えることを制限する理由はない。

 むしろ、どんどん危険性をアピールして研究所の人払いをして欲しい。

 

 …もう一体作っちゃおっか。

 

「よーし、行けーっ!」

 

 さてさて、少しだけ様子を確かめてから次のお仕事に移ろう。

 

 私は木の上に身を隠しながら、愛しの―そんなに愛しじゃないけど―我がセルリアンの動向を観察し始めた。

 

 

「……やっぱりノロマだねぇ」

 

 

 数分くらい黙って見ていたけど、その一言に尽きる。

 

 そこらの鈍重なフレンズよりも遅い動きだろうね。その分頑丈にしたから何も問題なんて無いんだけれど。

 

 後はまあ…ほら、そっちの方が威圧感あるし。

 

 どちらにせよ、あの子じゃ永遠に食い止めることは無理。

 時間稼ぎだと割り切っちゃうのが無難ね。

 

「だったら…せっかく稼いだ時間を無駄には出来ないかな」

 

 もういいだろう。

 

 私は低空飛行を心がけながら森を抜ける。

 隠れ隠れ、雪山に向かって飛んで行く。

 

「……あれ?」

「っ!?」

 

 でも…誤算があった。

 

「今、ホッキョクギツネさんのような影が見えた気がしたのですが…」

「………!」

 

 あの緑の髪の毛。

 赤青の羽が付いた帽子。

 間違いない、ミライとかいう奴だ。

 

「気のせいでしょうか…ですよね、ホッキョクギツネさんは空を飛びませんもの…」

 

 彼女の独り言を聞いて私は無音のため息をつく。

 このまま隠れていれば、なんとかやり過ごせそうだ。

 

「じゃあ、船まで戻るとしましょうか………と見せかけてッ! ……あれ?」

 

 もぬけの殻の茂みを覗き、一人で首を傾げるミライ。

 

「やっぱり、気の所為だったのでしょうか…?」

 

 今度こそ向こうに姿を消した彼女のことを確かめて、私は森に大きな風を吹かせた。

 

「ホント、ふざけた察知能力だね…」

 

 本当にギリギリだった。

 

 覗かれる直前で咄嗟に転移して事なきを得たものの、本当に姿を見られていたらどうなっていたか。

 

「ああ、忘れちゃダメ、二人に伝えなくちゃダメなんだから…!」

 

 私は気を取り直し、さっきより過敏に周りを見ながら雪山へ飛んで行く。

 

 

「…やっぱり」

 

 

 緑の中から刺し貫く、黄緑の視線に気づかないまま。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「あら、帰って……ん?」

「良いから静かに、話を聞いて。緊急事態なの」

 

 雪山に戻ってきた私は、先にギンちゃんを訪ねることにした。

 

「……はいはい、ちゃんと聞くわよ」

 

 キタちゃんは騒ぎそうだなと思っての判断だったけど、多分これで正解。

 

 ホッキョクちゃんの姿が無いことからも何かを察したのか、ギンちゃんは作業の手を止めて真剣に話を聞いてくれた。

 

「単刀直入に言うよ、外からヒトが来た」

「ヒトが? …目的は?」

「分かんないから、今ホッキョクちゃんに探らせてるの」

「ああ、それで戻ってないのね」

 

 ふむふむと頷いて、私の方に紅茶を差し出す。

 トラウマを抉るつもりなのかな、そっと突き返した。

 

 ギンちゃんは、何か聞きたげに私を見ている。

 

「…私の推理が聞きたいの?」

「ええ、イヅナちゃんとどれくらい考えが同じか気になるの」

 

 そう改まって尋ねられても、大した考察は無い。

 だから探らせてるんだもの。

 …ま、適当に答えとこ。

 

「別に、戻って来たいだけじゃないの?」

「まあ、集団の目的としてはそうでしょうね」

 

 私の返答をまるで『予想通り』とでも言うように薄い嘲笑で蹴飛ばすギンちゃん。

 

 ああ、不愉快だね。

 キタちゃんと違って遠まわしな分、余計に頭にくる。

 

「…何が言いたいわけ?」

「うふふ、私のも唯の推測。でも、誰か一人くらいは…集団と別の目的を持ってるものじゃないかしら?」

「そう? 土地の奪還って、ヒトが簡単に団結しそうな()だと思うんだけど」

 

 私の意見にギンちゃんはいい笑顔で首を振る。

 

 一見肯定しているようだけど、どうせ『予想通りの答えね』とか何とか思ってるんだ。ムカつく。

 

 ひとしきり得意げに微笑んだギンちゃんは、ようやく口を開く。

 

()()()()()よ。…それを旗に皆を導く人は、別の目的を腹に持っているもの。貴女にだって、そんな経験くらいあるんじゃない?」

「……まあ、思い当たる節はあるけどね」

 

 ギンちゃんが私たちの関係に自分を捻じ込んできた時なんて、()()の最たる例だ。

 

 博士たちを招いて宿のアピールをすると見せかけて…自分の想いを、より強いインパクトでノリくんに伝える土壌を作った。

 

 この程度の規模の催しでも、深い思惑は潜みうる。

 

 だったら今回の訪問だって、裏に何も無いと思う方が不自然なのかな――

 

 

「思い詰める必要は無いわ。イヅナちゃんの初動は理想的よ。だから紅茶でも飲んで…」

「やめて、苦手だから」

 

 マジでこの腹黒ギツネは。

 腹に酸化銀でも詰まってるんじゃないかしら。

 

「あら、ノリアキさんが出した時は普通に飲んでたじゃない」

「ノリくんなら良いの。絶対危なくないし、もし()()()()()()()許せる」

「うふふ…そういうものよね」

 

 うわ、共感された。

 なまじ否定できない分野だけに……いいや。疲れた。

 

「…そうだった、キタちゃんにも言わないと」

「キタキツネは、ノリアキさんが()()()()()()看病してるわ」

「…へぇ」

 

 それはそれは。

 幾つもの意味で好ましくない状態だね。

 

 ほら、澄ました顔してないでギンちゃんも怒れば?

 

 どうせ腹の中は熱く燃えてて、酸化銀を銀と酸素に分解してるんでしょ?

 だったら脂肪を燃やすべきだと思うけどな、私は。

 

 …わわ、睨まれちゃった。怖い怖い。

 

「はぁ……今は会わない方が良いんでしょ、キタキツネには私から言っておくから。…でも、薬は早く持って来てね」

「…そうだね。ホッキョクちゃんの様子でも見てくるよ」

 

 ノリくんに見つかる可能性もある。

 私は早めに立ち去ることに決めた。

 

 窓枠に足を掛け、ふと気になって振り返ったキッチンの中。

 

「…行ってらっしゃい♪」

 

 笑顔で手を振るギンちゃんに、雪玉を投げて私は飛んだ。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 海面スレスレをふわふわ浮かんで忍び込んだ船の中。

 

 ホッキョクちゃんは応接間みたいにレイアウトされた部屋で、優雅に()()()飲みながら佇んでいた。

 

 …あれ、今日って厄日?

 

「やっほ、元気してる?」

「…あ、イヅナさん。はい、さっき()()()()()()やられた傷以外は、至って無事ですよ」

「あはは、悪かったってば」

 

 それにしても大変だね、怪我するような出来事ばっかりで。

 ま、一回は自分でやったことだしノーカンかな。

 

「…あ。これ、キタキツネさんに」

「ん…風邪薬だ、何処にあったの?」

「船のとあるお部屋です。探検した時に見つけました」

 

 結構仕事熱心…いや、ホッキョクちゃんはそういう子だった。

 良くも悪くもノリくんに忠実、文字の通りの使いよう。

 

 …手放せない道具のこと、『呪いの品物』って呼ぶんだよね。

 

「それは大丈夫だけど……バレなかったよね?」

「問題ありませんよ。もし見つかっても、わたしは好奇心旺盛なフレンズですから」

 

 おどけて胸を張るホッキョクちゃん。

 わ、思ったよりある。

 

 予想外の対抗馬…は置いといて、ホッキョクちゃんのちょっとふざけた言い分も実は一理ある。

 

「…そっか、疑う理由もないもんね」

 

 ヒトにとってこの事件の元凶は疑いようもなくセルリアン。

 そもそも、ホッキョクちゃんは被害者の立場から揺るがない。

 

 もうしばらくは、この子を忍ばせておいても不都合は無いかも。

 

「じゃあ誰か来ないうちに、聞いたことを教えてよ」

「そうですね…ええと、結論から言っても?」

「いいよ」

「分かりました。彼女たちが来た目的は…キョウシュウに再び拠点を作るため、らしいです」

 

 ほうほう、意外にも予想通り。

 何か裏があるかと思ったけど…ま、どの道この子には話さないか。

 

「で、他には何か言ってなかった?」

「後は『十年前に放棄したこの島を~』…みたいなつまらないものだけで、役立ちそうなお話は有りませんでしたよ」

 

 おお、なんと有難い取捨選択。

 私もそういう無駄な決意は聞きたくない。

 

 必要な情報を選び取る能力と、一見何もしなさそうな人畜無害さを放つ見た目。

 

「…イヅナさん?」

 

 やっぱりこの子、スパイにピッタリ。

 

「何でもない。じゃあホッキョクちゃんには、続けて調査隊を探ってもらおうかな。なんやかんや言い包めればまだ居られるでしょ?」

「はい、みなさん優しいですから」

「……あはは、そっか!」

 

 この純粋無垢な感じ、濁りなく透き通るような感じ、それでいて罅の入った宝石みたいな感じ!

 

 堪らないね、ああ…結構嫌いじゃないかも。

 

「イヅナさん、それは?」

「魔法陣だよ、せめて一回はお家に帰らなきゃでしょ?」

「なるほど、そうですね」

 

 部屋に置いたら入れなくなったとき面倒だから、持ち運び式のモノを渡しておこう。

 

 例によって例の如く隙を見て開発した、その名も『魔法陣シート』。

 

 ギンちゃんの珠玉の名付けを回避して無難な名前になったこれ。

 

 少ない霊力を込めるだけでイメージ通りの場所に転移できるという馬鹿みたいな性能を有している。

 

「ま、上手く使って誤魔化そうね」

「でも、やっぱり長い時間空けていたらノリアキ様も怪しむんじゃ…」

「あー、大丈夫だよ、ノリくんって結構寛容だからさ」

「それは…わかります」

 

 私はその後柄にもなく、ホッキョクちゃんとノリくんについての色々なことを談笑して時間を過ごした。

 

 やっぱり他の二人に比べて、ホッキョクちゃんは敵意が無い分過ごしやすい。

 本当に、無害を装って入り込んでくるのが上手い子だ。

 

 だからいっぱい……利用してあげないと。

 

「じゃあ、一旦雪山に戻ろっか。お薬だけ渡してすぐにこっちに飛んでこよ?」

「ええ、そうですね」

 

 早速”魔法陣シート”を使うために広げて、行先である雪山の旅館を念じる。

 

「…? イヅナさん?」

 

 だけど、魔法陣は発動しなかった。

 コレに不備があった訳じゃない。転移の瞬間、雑念が入り込んできたんだよ。

 

 『さっきもこれ使えばよかった』……ってさ。

 

「まあいいや、行くよ」

 

 過ぎたことは仕方ない、これからのことを考えよう。

 後悔の声を振り払い、今度こそしっかりシートを発動して、私たちは雪山へとテレポートした。

 

 



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Ⅶ-177 秘密は誰でも持っている

 雪山へと戻ってきた私は真っ先にノリくんの元へ。

 

 ノリくんは、こんこんと眠るキタちゃんの隣で座りながらうたた寝をしていた。

 

「…ぇ、イヅナ?」

 

 優しく肩を叩いて目を覚ます。

 ボーっとした目で私を見つめるノリくんの手に、小さな箱を握らせた。

 

「はい、頼まれてた風邪薬」

「あぁ……ありがとう。でも、思ったより掛かっちゃったね?」

「うん、色々あってね~」

「……あはは、そっか」

 

 言葉や声とは裏腹に、気になるような目をしたノリくん。

 

 だけど、改めて私に深く尋ねるようなことはしなかった。

 

 分かってるんだ。

 こういう風に答える時の私には、話したくない隠し事がある…ってことを。

 

「じゃあ、キタキツネに飲ませてくるね?」

 

 渡した薬の外箱を見つめ、そう呟くノリくん。

 その言葉通り、彼はすぐに向こうへ行ってしまった。

 

 心なしか、その足取りは後ろ髪を引かれているかのよう。

 

「……やっぱり怪しいかぁ」

 

 今更ながら、あの外箱の見た目は些かポップだった。

 

 まるで外で売られているような――研究所には似つかわしくない――デザイン。

 

 恐らく本当に市販薬だから私には言い訳も出来ないんだけど…それでも、ノリくんは咎めずに受け取ってくれた。

 

「優しい……それか、臆病?」

 

 ノリくんには恐れがあった。

 

 ううん…()()

 どんな時でも。

 

 今のこの生活が跡形もなく壊れてしまわないか…いつだって、道の側溝のように付いて回る不安に怯えている。

 

 ホッキョクちゃんの一件から、まずまずその傾向は強くなっているみたい。

 

「大切にしてくれてるのは嬉しいんだけど…」

 

 想いが強くなればなるほど、相手を失う恐怖は膨れ上がる。

 それは他でもない私が一番よく知っている。

 

 何か、安心させてあげる方法があると良いんだけど……

 

「…イヅナさん」

「わ、ホッキョクちゃん? びっくりした、急に話しかけないでよ」

「ごめんなさい…でも、そろそろ船に戻った方が良いのではと…」

「あー、そうね。居ないのバレたら仕方ないし」

 

 誰よりも安全圏に居ながら、一歩踏み間違えれば一瞬で”側溝に落ちる”ホッキョクちゃん。

 

 一番のキーパーソンほど毎回難しい立場になるのは、一体どういう巡り合わせか。

 

 それとも、キーパーソンとはそういう人物なのだろうか?

 

「危ないのは戻る時だから、本当に気を付けてね?」

「ご安心ください、お手洗いに飛んでから部屋に戻るつもりですから」

「……おお、考えるじゃん」

 

 知識は無いけど閃きは随一。

 だから絶対、この子に余計な知識を与えちゃダメだね。

 

「それでは、行って参ります」

「うん、行ってらっしゃい」

 

 魔法陣シートを広げて、次の瞬間には跡形もなく姿を消したホッキョクちゃん。

 

「……はぁ」

 

 一人きりになった冷たい廊下で、私は白い吐息をばら撒く。

 

 ……課題が多すぎるんだよ。

 

 

 まず直近の調査隊。

 

 それにノリくんの抱えた不安。

 

 ホッキョクちゃんというダークホース的不安分子。

 

 頭がくらくらする。

 

 

 こんな時こそノリくんに思いっきり抱き付いて、両の肺が一杯になるほどノリくんを吸って、全部忘れてしまいたい。

 

 ()()()()

 

「今日は、キタちゃんに付きっきりだよね…」

 

 流石の私にも、あの子を隣にしてで気兼ねなくノリくんに甘えられる胆力は無い。

 

「……最悪」

 

 穴の開いた風船から抜ける空気のように漏れたこの言葉が、私の嘘偽りなき今の本心。

 

 割れちゃう。潰れちゃう。

 だから、嘘つかないと。

 

 そう…案ずることは無い。

 それぞれにちゃんと対処していけば、いつか必ず光明は差す。

 

 未来を見つめ、そんな風に自分を鼓舞したとしても。

 

 今の空は、曇りなんだ。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 船のお手洗いを後に、例の部屋へと戻ったわたし。

 ドアを開けた瞬間、それはそれは暑苦しい抱擁に襲われました。

 

「ホッキョクギツネさん、ホッキョクギツネさんですよねっ! 今までどこ行ってたんですかっ!?」

「ご、ごめんなさい。少しお手洗いに行ってまして…」

 

 ミライさんの腕を振りほどきながら、用意した言い訳をつらつらと述べてゆきました。

 

 すると少しの間時間が止まって、気の緩んだため息が部屋に響くのです。

 

「……なんだ、そうだったんですね」

「ご心配をおかけして、どうもすみません」

「いえ、あなたが無事で良かったですよ」

 

 そっと胸を撫で下ろし、椅子に座ったミライさん。

 

 わたしも向かいのソファに座りつつ、数秒前に付けられた彼女の匂いが気になって堪らないのです。

 

 勿論わたしが嗅ぎ分けられぬ道理は無いのですが、折角体に付けたノリアキ様の香りが薄れてしまいました。

 

 一人になれたら、またじっくり()()()()()()()()いけません。

 楽しい作業なので全然大丈夫ですけどね。

 

「それで、傷の方はどうですか?」

「おかげさまで、結構よくなりました」

 

 とりあえず”健康”をアピールするため、気ままに腕を振ってみる。

 

 わたしは自分を見られませんが、面白い光景だったのでしょうか。

 ミライさんはクスクスと微笑んで言いました。

 

「その様子なら、確かに大丈夫そうですね」

「…でも、お願いがあるんです」

 

 ガタッ。

 

 焦って立ち上がった――ように見せかけた――わたしは、脚でテーブルを揺らして鳴らす。

 

 そしてなるべく切実に、危機感が伝わるように、深刻な声で願いを告げるのです。

 

「……怖いんです。外に出たら、またセルリアンにやられちゃうような気がして…とっても」

「あっ…」

 

 息詰まった呟きで見開かれる瞳。

 気付きの色に染まった瞳孔は、嘘つきの姿をしっかりと跳ね返していました。

 

 けれど、彼女に自分の目を見ることは出来ない。

 

 だから、こんなにも慈悲深い同情をわたしに与えてくれるのですね。

 

「それは、辛いでしょうね」

「そ、そうなんですッ! …だから、あと少しだけ、この怖さが薄れるまでで良いんです。あの…一緒に居てもいいですか…?」

「…それはもちろん。大歓迎ですよ!」

 

 明るく、努めるように発した声の後、わたしの体を彼女の腕が包み込んだ。

 

 それはさっきの抱きつき方とは違う。

 こちらを確かに思いやった、とても柔らかい抱擁。

 

 暴走気味な部分はあるけどやっぱり、ミライさんは優しい人です。

 

 えへへ、騙してるのが申し訳ないですね♪

 

「…ありがとうございます」

 

 こぼれた涙は安心の証。

 

 最初から怖がってなんていなかったのに。

 

 あはは。

 

 もしかして。

 

 わたしって…嘘吐きに向いてる?

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…ねぇ、ホッキョクギツネさん」

「はい、どうかしました?」

 

 ゆったりと済ませた食事の後。

 

 ミライさんの唐突な問いかけにわたしは少し身構えます。

 

 けど、窓から外を懐かしそうに眺める彼女の姿を見て……そっと緊張を解きました。

 

「いえ、大したことじゃないんですけど…ホッキョクギツネさんは、いつからこの島に?」

 

 投げかけられた質問に、心も体ももっと緩みます。

 

 よかった、ただの世間話で終わりそうですね。

 

「結構最近ですよ、雪山でお世話になってます」

「…ふふ、確かにそうですよね。ホッキョクギツネさんと言えば”寒い場所”、ですから!」

 

 いつもの調子で元気よく身を躍らせるミライさん。

 

 そして、わたし自身も知らない『ホッキョクギツネ』の生態や様々な知識をひとしきり語り尽くして……ふと、素に戻った。

 

「……でも、なるほど。最近生まれた子なら、昔のお話も知りませんよね」

 

「昔の…?」

 

 突然話題に挙げられた物騒な言葉に、わたしの頭の中のスイッチが入れられる。

 

 瞬時に判断しました。

 これは聞くべきですね。

 

 さて、こちらの方から踏み込むべきでしょうか。

 

 わたしが言葉にあぐねていると、幸いにも向こうから語り始めてくれました。

 

「ええ。私たちが、キョウシュウを離れる切っ掛けの一つになった事件です。実は、アイネさんも関わっているんですけど……」

 

 何と、あのリーダーさんも関係しているとは。

 

 ますますしっかり聞かなくてはなりません。

 

 わたしが次の言葉に深く耳を傾けた。

 

 

 その瞬間。

 

 

「……っ」

 

 

 それはどちらの声だったか。

 

 

「ミライさん、勝手にそのようなことを話されては困ります」

 

 

 ”噂をすれば”とはよく言ったもので。

 

 

 全ての出来事の渦中に立つ調査隊のリーダー、アイネ・スティグミ。

 

 

 わたしが最も探るべき人物が、部屋の入り口を塞いでいた。

 

 

「あ、アイネさん、これは…!」

 

「噂話はお控えください。わたくし共は、そういう詮索を抜きにして協力しなくてはならないのですから」

 

「…はい、すみません」

 

「まあ…今回は良いですよ」

 

 一応のお咎めなしの言質を貰い、安堵の息を吐くミライさん。

 

 扉の枠に預けていた背を離し、わたしの方へと歩み寄って来るアイネさん。

 

「な、なんでしょうか…?」

 

 無言で放たれる威圧感に、わたしは思わず後ずさりをしてしまいます。

 

「ホッキョクギツネさん。一つ、貴女を思っての忠告です」

「は、はい…?」

 

 忠告?

 

 もしかして、ミライさんが言い掛けていた事件の話?

 

 

「…深入りは好くありません。適度に身を引いてください。長生きしたいなら……危険に、身を投げないで下さい」

 

 

 期待していたわたしに投げかけられたのは、更に理解を難しくする抽象的な言葉でした。

 

 きっと、随分と戸惑っていたのでしょう。

 

 アイネさんはわたしの目を見て首を横に振り……今度は優しい目をして、そっと髪の毛を梳いてくれました。

 

「…いいえ、気にしなくて結構です。それより、明日からの予定が決まったので、報告しに来ました」

 

「そうですよ、研究所。どうするんですか?」

 

 ミライさんの質問にまた目を鋭く光らせたアイネさん。

 

 その変貌ぶりに感心している間に、彼女は淡々と要旨を告げる。

 

「研究所の再起動ですが…新型セルリアンの脅威が未知数であるため、一時中断とします」

 

 

 …おお、中々好都合ですね。

 

 

 イヅナさんは足止めだけでも出来ればと言っていましたが、まさか延期にまで持って行ってしまうとは。

 

 それほどまでのセルリアンへの強い恐れが、ヒトの心に棲み付いている。

 

 きっとそういうことなのでしょう。

 

 

「了解しました。ですが、そうすると…?」

 

「代わりに、火山の短期調査を行います。サンドスター・ロウのフィルターの状態も併せて、周囲の実地調査も兼ねる予定です」

 

「…火山、ですか」

 

 

 その三文字(かざん)を聞いたミライさんの表情が険しくなる。

 

 

「余計なお世話かもしれませんが……アイネさん。あなたもしかして、焦って…」

 

「研究所の調査が行えない以上、それが妥当です。既に会議でも決定しました。…明日は、火山に登ります」

 

 有無を言わせず、ただ結論だけを告げるアイネさん。

 

「…わかりました。決定には、従います」

 

 悔しさと、悲しさと…諦め?

 

 そんな負の感情がぐちゃぐちゃに混ざったような顔をしながら、辛うじてミライさんは頷いた。

 

 わたしには…状況が理解できない。

 

「それでは、また明日。ホッキョクギツネさんも、ゆっくり休んでくださいね」

 

 

 何も理解が進まないまま、アイネさんは部屋を出ていってしまった。

 

 

 残されたミライさんとわたし。

 

 ミライさんは困ったように笑って、わたしに謝罪をするのです。

 

「ごめんなさいね、難しい話は苦手でしょう?」

 

「…いえ、大丈夫です」

 

 もう、事件について聞ける空気じゃない。

 

 カギを握るのがの事件なことは、火を見るよりも明らかなのに。

 

 

「おやすみなさい…ミライさん」

 

「おやすみなさい、ゆっくり休んでくださいね」

 

 寝室のベッドで、こじんまりと縮こまって横になったわたし。

 

 でも寝付けない。

 頭の中を、大きな疑問がずっと駆け巡っている。

 

 このままじゃ、とてもじゃないけど眠れそうにない。

 

「こんな時のための…ですよね」

 

 うん、きっと対処は早い方が良い。

 

 イヅナさんに相談しよう。

 

 暗闇の中でシートを広げて、念じて遥かな宿の中。

 

 

「十年前…この島で、何があったのでしょうか?」

 

 

 はらりと零れた呟きも、夜に溶けてほら無くなった。

 

 

 

――――――――― 

 

 

 

「あのキツネさんは…誰だったんでしょう…?」

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「もう少しで、きっと見つかる。……だよね、パパ?」

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 夜闇の中に黒は蠢き。

 

 白の中にこそ病みはある。

 

 誰もが秘めたる想いを抱え、しとしとと夜は更けていく。

 

 

 



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Ⅶ-178 虹の根元へ、山登り。

「…こうして見上げると、雪山から見るよりも壮大ですね」

 

「ふっふっふ、そうでしょう…なにせ、このキョウシュウのシンボルですからね!」

 

 遥か上方に見える虹が、わたしの虹彩に飛び込んでくる。

 

 ドクドクと胸が高鳴って、奥に秘めたる興奮が指の先を中から血の色で染め上げます。

 

 こんな風にワクワクした気持ちなんて、ノリアキ様に頭を撫でてもらった時以来です。

 

 まあ…九割減って感じではありますけれど。

 

「…でも、火山なんて本当に登って大丈夫なんですか?」

 

「ご安心ください! 元パークガイドであるこのミライが、少なくとも火山の安全は保障しますよ」

 

「うふふ、それは心強いですね」

 

 さてと、言い方からしてセルリアンの危険はあるらしいですね。

 

 まあそれも、わたしが蹴散らしてしまえば問題ないでしょう。

 

「いやぁ…まさかまたこの山に登れる日が来るなんて、感動的です…! アイネさんもそう思うでしょう?」

 

「同感ですね。しかしどうして、彼女が一緒に来ているのですか」

 

 厳しく目を細めるアイネさん。

 わたしに向けた視線は冷たく、昨日の夜の空気そのまま。

 

 度々わたし達二人と顔を合わせながら、何か言いたげにため息を吐くことを繰り返しています。

 

 その仕草はまるで、気まずい想いを抱えているみたい。

 

 しばしの間観察を続けていると、寧ろ彼女の立ち振る舞いからは罪悪感が見える。

 

 わたしを疎ましく思っているわけではないのでしょうか?

 ふと、そんな疑問を覚えます。

 

 

 …というわけなので、少し試してみることにしました。

 

 

「アイネさん。もしかしてなんですけど、昨日のことを気にしてたり――」

 

「準備に時間が掛かっているだけです。完了次第出発する手筈ですから…その、勘違いなさらぬ様に」

 

「……はーい」

 

 …まあ、今は気のせいということにしておきましょう。

 

 わたしが思わぬ手応えに感心していると、近くのラッキービーストが前触れもなく声を発しました。

 

『通信接続……Bグループの準備完了サインを受信しました』

 

「…アイネさん、これは?」

 

「今回の調査はわたくし達だけではなく、それぞれ別方向から登山する幾つかのグループに分けて行います」

 

「は、はぁ…?」

 

「簡単に言えば、他の人達も登るってことですよ」

 

「…なるほど」

 

 ミライさんの説明で何となく理解できました。

 

 まあ、わたし()には関係ない話ですね。

 

 あくまでわたしの目標はアイネさんとミライさんから情報を引き出してイヅナさんに伝えること。

 

 そこから、この調査隊を一早く本部に帰還させる方法を見つけることなのです。

 

 

「火山の初期調査は三日。例え小さなことでも、何か掴めるといいけど…」

 

 

 イヅナさんは、雪山に調査の手が入るまでに帰したいと言っていました。

 

 現状はどうでしょう。

 今は火山の調査をしているけど…それが終わる三日後。

 

 それぞれの地域に彼らの手が伸びても不思議ではありません。

 

 或いは()()()という接点があることで、雪山の調査が早まる可能性さえあると言っていましたし…

 

「はぁ、これじゃあ油断できませんね」

 

「ホッキョクギツネさん、何か言いましたか…?」

 

「…あっ、いや、セルリアンも出るでしょうから気を抜けないな~と、思って…」

 

「……ええ、その通りですね。十分に注意して登りましょう」

 

 …あぁ、危なかった。

 

 咄嗟に出てきた言い訳で、どうにかアイネさんを誤魔化すことが出来ました。

 

 でも、こんな小声にまで反応するなんて。

 わたしが考えているよりも、彼女の神経は尖っている状態のようですね。

 

 それは踏みあぐね、ジリジリと砂を鳴らす足が教えてくれています。

 

『ピピ…全グループの出発信号を検知しました…』

 

「……では、そろそろ行きましょう」

 

 パチンッ。

 

 無慈悲な足先に蹴り上げられた石が、木の幹に当たって虚しい音を奏でた。

 

 

 …まるで空洞。

 

 

 ほんの少しだけ、気になる木でした。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 砂利踏みそこの葉足蹴にし、三人とボスは歩み登りて。

 見えた長椅子平地の長屋、そこで一旦休みとなります。

 

「ふぅ…疲れちゃいました」

 

「慣れない地形ですからね、休めるときに休んじゃいましょう」

 

 ミライさんにジャパリまんを受け取って頬張る。

 この度貰ったのは運動に最適、水分補給の出来るジャパリまん。

 

 無闇に齧ると溢れちゃうので、注意して食べてくださいね?

 

「あむ、もぐもぐ…」

 

 冷たく喉を潤すひや水。

 火山の近くは暖かく、わたしにとってはむしろ慣れない気候。

 

 こうして適度に体を冷やせるのはありがたいことです。

 

「ところで…この小屋には何があるのですか?」

 

「見てみます? 少しくらいなら時間も取れますよ」

 

「はい、気になります♪」

 

 こういうオンボロな建物ってなんか興味をそそられますし、ノリアキ様へのお土産が見つかるかも知れません。

 

 内臓とは裏腹に熱くなった手の先を引き戸に掛け、振り抜くように開け放って、わたし達は埃まみれの小屋の中へと入っていきました。

 

「けほっ、こほっ…手入れが、されていませんね…」

 

「まあ…うっ! 十年放置されていたと考えれば…マシな方だと思いますよ」

 

 結構ポジティブなミライさんの談に感心しながら、わたしも彼女の後に続いて小屋の中を探り始めます。

 

 舞い散る埃と軋む床、落ちそうな明かりは白色灯。

 濁った窓の向こうには森、あの辺りにはロッジでしょう。

 

 まあ、それはそれとして、何があるのか漁ってみましょう。

 

 掃除だと思えば、これくらいの埃は大したものじゃありません。

 手近な箱の中に腕を突っ込んで探り始めます。

 

 そして、その数分後――

 

「うーん……ホッキョクギツネさん、何か見つかりましたー?」

 

「いえ、使えないガラクタばっかりです」

 

 早くもわたしは、『ここでノリアキ様へのお土産を探そう』などと愚かなことを、例え一瞬でも思ってしまったことを既に深く後悔していました。

 

 …はぁ、考えてみれば当然ですよね。

 

 長ーい間ほったらかしにされた小屋なんかに、碌なものが残っているはずがありません。

 有用なものは持ち去られているに違いないでしょう。

 

「何が悲しくて、お掃除のボランティアなんてしなきゃいけないんですかねー…」

 

「まあまあ、希望を捨てるにはまだ早いですよ」

 

「…そうですか?」

 

 ミライさんに励まされて、再び両手を動かし始める。

 別に彼女の言葉に唆された訳ではありません。

 

 ただ…暇だったので。

 

「…お、見つかりました!」

 

「え?」

 

 突如に叫んで立ち上がり、赤を掲げたミライさん。

 埃でくすんだ視界を睨むと、それは何やら覗き穴。

 

「…あの、それは?」

 

「双眼鏡です。思いもよらない掘り出し物ですよ!」

 

 興奮したままはしゃぎ出して、窓へと向かったミライさん。

 

 袖で適当にガラスを拭い、汚れが落ちないのを見ると力任せに開けてしまった。

 

 ふっふっふ…と、前に聞いたような笑いをこぼして、双眼鏡を目元に当てた。

 

「おおー、やっぱりよく見え………」

 

「…あれ?」

 

 自然観察をしたままに、彼女は言葉を失った。

 微動だにしない様子を不思議に思っていると、前触れもなく動き出す。

 

「あの、ミライさん……?」

 

 彼女はわたしに目もくれず、早足で扉へ一直線。

 

 外に出る間際に足を止め、こちらを振り返りもせずに一言だけを残したのです。

 

「少し行ってきます…アイネさんに、伝えておいてください」

 

「あ、そんな……」

 

 いよいよ姿はもう見えません。

 

 行く先すらも分かりません。

 

 ほったらかしに寂れた小屋と、答え合わせのない謎を残し、ミライさんはたった一人で何処(いずこ)へと消えてしまったのです。

 

「…一応、言っておかないと」

 

 ここから、アイネさんと二人きりですか。

 何とも気まずい巡り合わせに、埃が舞って目に付きました。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「おや、ミライさんは?」

 

「あ、あの…突然、何処かに走って行っちゃって…」

 

「…?」

 

 困ったように首を傾けるアイネさん。

 

 勿論隠せなどしない、わたしは事の顛末を洗いざらい彼女に話した。

 

「なるほど、そういうことでしたか…」

 

 得心があるように頷くアイネさん。

 

 表情はもはや慈愛の微笑み。

 

 わたしの話を聞きながらも、彼女は遠くをゆったりと眺めていた。

 

「……あ、向こうにフレンズさんがいます」

 

 指差し眺めた丘の向こう、原っぱに生えた高い草むら。

 

 アイネさんの言う通り、緑の中を縦横無尽に駆け巡る誰かの姿がありました。

 

「……本当ですね。何のフレンズでしょう?」

 

「ミライさんが居れば、嬉々として説明してくれていたに違いないですが…まぁ、仕方ありませんね」

 

「…ごめんなさい」

 

 わたしの謝罪を聞いた彼女は、からりと笑って受け流す。

 

「ホッキョクギツネさんの責任ではありませんよ。大方、素敵なフレンズさんを見つけて興奮してしまったのでしょう。ミライさんのことですから」

 

 軽口を添えて気を紛らわし、問題を全て捨て置いた。

 

 勿論ミライさんのことは、わたしより彼女の方が幾分かはよく知っていることでしょう。

 

 …でも、去り際のミライさんの雰囲気を思い出すとどうしても、真相が彼女の言う通りであるようには思えないのです。

 

「早く、戻ってきてくれると良いですけど」

 

「…あぁ、それはわたくしも同感です」

 

 当たり障りのない一言で、わたしは事実をひた隠す。

 ミライさんが何を見たのか、それは彼女にしか分からない。

 

「……」

 

 嫌な冷たさをした汗が、額を伝って目に入る。

 

「さあ、わたくし達は山頂を目指しましょう」

 

「はい……そうですね」

 

 ザラリ。

 

 擦れた砂利の音が耳を刺す。

 

 今日は、何もかもが痛いです。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 静かな登り道。

 耳を揺らし、音を届けるのは山肌を走るぬるい風のみ。

 

 ミライさんが居ないとこんなに静かになるんですね。

 

「ふぅ…」

 

 お陰で、溜め息をつくことさえ躊躇ってしまいます。

 

「……」

 

 珍しいものや懐かしいものを見つける度に盛り上がっていたミライさん。

 

 対して、アイネさんは物静かです。

 

 素敵なお花を見つけてもそっと撫でたりするだけで、殊更に主張するようなことは有りません。

 

 思い出してみれば、今朝からずっとそんな感じ。

 

 けれど、ミライさんの印象が強烈で意識する暇もありませんでした。

 

 そんな彼女が、唐突に口を開いたのです。

 

「…少し、よろしいでしょうか?」

 

 わたしは驚き、黙って頷く他にありません。

 

「いえ、大したことじゃないんです……けど、放っておけない気がして」

 

「…ええと?」

 

「表現し辛いんですけど、ホッキョクギツネさん…何か、隠しているような気がして」

 

「……っ」

 

 運命とは悪戯心の旺盛な存在のようで。

 

 ありえないと思っていたことが起きた直後に、もっと予想外な出来事を運んで来る。

 

 でも、何よりわたしの思考の外にあったことと言えば…

 

「いえ、別に責めているわけではなくて…もし不安なら、力になりたいなと思って…」

 

 …その言葉が、ただの善意で口にされたことでした。

 

「…大丈夫ですよ、わたしは」

 

「そうですか。それなら、良いんです…」

 

 もちろん、彼女に相談することなんて何一つありません。

 

 そう、ほんの少し意表を突かれただけ。

 

 わたしも彼女も、すぐに本調子に戻ることが出来ました。

 

 

 そして、間もなく。

 

 

「…見えてきましたよ、ホッキョクギツネさん」

 

「……アレが、そうなんですか?」

 

 

 わたしは、一番高い所に立って、尚見上げなくてはならない柱の前に…ようやく辿り着いたのです。

 

 ああ、なんて美しいのでしょう。

 

 

「ええ。あの穴から立ち昇るのが、この島に降り注ぐサンドスター。”ここ”が、”ここ”こそが、火山の山頂です」

 

 

 図りもせぬまま潤む視界。

 

 

 想うことなどたった一つ、ノリアキ様とここに来たい。

 

 

 …でも、不思議に思いました。

 

 

 それは、わたしが上を向いていたから。

 

 

「ようやく、戻って来れた……!」

 

 

 ずっと下を、火口だけを見下ろしているアイネさんが。

 

 

 とても奇妙に、見えたのでした。

 

 



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Ⅶ-179 神棲まう山

「あ、あの、あんまり近づきすぎたら危ないんじゃ…?」

 

 思わずそんな声が出る。

 当然でしょう、アイネさんが火口に向かって歩き始めたのですから。

 

 しばらく呆然と虹の柱を眺めていたわたしは、彼女の足音に意識を引き戻されました。

 

 そして、まるで催眠術にでも掛けられたかのような緩慢な足取りで向こうへと進んでいく彼女を目にしたのです。

 

「…き、聞こえてますか?」

 

 呼びかけに返事は無い。

 ただ、無感情な足音が響き渡るのみ。

 

「あ、アイネさんっ!」

 

 意を決して大声で叫ぶ。

 

 すると、ようやく彼女は動きを止めた。

 

「……ふぅ」

 

 やっと得られた反応にわたしは一瞬安堵し、すぐにぬか喜びだと知る。

 

 なぜなら、もう火口の間際まで行き付いていたから。

 

 わたしが何を言うまでもなく、彼女は立ち止まらねばならなかったのだから。

 

 それでもまさか、飛び込んでしまうようなことは無いでしょう。

 

 …無い、ですよね?

 

「アイネさん、どうしたんですかー…?」

 

 やっぱりどうにも不安です。

 彼女の元まで駆け寄って、一緒に火口を覗いてみることにしました。

 

 見下ろせば、一面に広がる虹の海。

 

 自然とは形容しがたいその極彩色が、直視できなくて堪りません。

 

 けれど、視線を惹かれてしまう。

 目を逸らしたいはずなのに、吸い寄せられて虹の中。

 

 ……怖い。

 

 どうしてアイネさんは、ずっと眺めていられるんでしょう…?

 

「……っ」

 

 そんな疑問を持って横を向いたわたしは、更なる後悔に苛まれることとなりました。

 

 見たものはアイネさんの瞳。

 

 何よりも明るい『輝きの源』に相対しながら昏く…その輝きを吸わんと深淵を覗く妄執の目。

 

 このまま堕ちて仕舞いたいとさえ願っているような、ごちゃ混ぜの狂気。

 

 わたしが彼女を覗いた時、彼女もまた、わたしを覗き込みました。

 

「…ホッキョクギツネさん、何か?」

 

 無色、無感情、無関心。

 

 何も無いことが、どうしてここまでの圧力をもたらすのでしょうか。

 

 威圧されないよう心を強く持ち、率直に疑問をぶつけます。

 

「質問なんですけど……ここでの調査は何をする予定だったんですか?」

「……あぁ、それですか」

 

 …奇妙ですね。

 

 この素っ気なさ。

 まるで、火山の調査に何も関心が無いみたい。

 

「別に、環境の変化とか、セルリアンの数とか…その辺を調べるだけです」

「セルリアン…じゃあ、危ないのでは…?」

「勿論細心の注意は払わせていますし、可能ならフレンズさんの力も借りるように言っておきました。そうそう、何か起きるはずはありませんよ」

 

 面倒くさそうに答えて、アイネさんはまた視線を火口に戻す。

 

 一応、尋ねておきましょうか。

 

()()()()()()……ここに、何をしに?」

「……火山の調査です」

「なら、調査をしましょう? 火口をボーっと眺めていたって、何か分かるとは思えませんよ」

「…代わりに、お願いできませんか?」

「……えっ?」

 

 アイネさんは、ずっと脇に携えていたファイルをわたしに預けた。

 

 中を見ると…読めないですね。

 

「わたくしの役目は、四神を模したオブジェクトの状態の確認です。ちゃんと置かれているか見るだけで十分ですよ」

「…はぁ」

 

 正直意味が分かりませんが…まあ、それだけで良いなら。

 

「アイネさんも、気が済んだら来てくださいね?」

「善処します」

「……そうですか」

 

 例によって投げやりな返答。

 この様子では来ないでしょうね。

 

 わたしはこれ見よがしにため息をついた後、諦めて調査を始めるべく火口から離れれてゆきます。

 

 振り返ってみると、アイネさんは動かずに火口を見下ろしたまま。

 

 

 ……イヅナさんだったら今頃、苛立ちのあまり突き落としてそうですね。

 

 

 そんな想像をし、自分の心の広さを褒めてあげて、わたしは一人で調査を始めるのでした。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「四神…これで間違いなさそうですね」

 

 アイネさんに手渡されたファイル。

 その中で唯一わたしの役に立った山頂の地図。

 

 それに示されていたのと同じ場所に、『スザク』らしき四神を模した石板はありました。

 

 なるほど。

 確かに周囲と比べれば異質で、見つけやすいオブジェクトです。

 

 何やら線に沿って虹色の光を放っている『それ』は、見るからに尋常でないオーラを放ちながら…唯そこに在りました。

 

「…うふふ、暖かいですね」

 

 そっと手を触れれば、ほんのりと伝わって来る柔らかい熱。

 石板だけれど、確かに生きているような心地がしました。

 

 何はともあれ…四つあるうちの一つ、これで確認が取れました。

 

 残りの三つも、ちゃちゃっと確かめてきちゃいましょう…!

 

 

「――さて、と」

 

 

 ファイルに挟んだ地図。

 最後の『セイリュウ』を丸で囲み、これでミッションコンプリートです。

 

「お仕事も終わりましたし、これからどうしましょうか…?」

 

 しばし勘案したのですが…ああ、そうでした。

 

 アイネさんを元に戻すのが先決ですね。

 

 あんな様子じゃ、探れる事実も探れませんから。

 

「でも、ただ戻っても()()()()になりそうですよねー…」

 

 時間が勝手に解決してくれれば都合良いんですけど、そう気楽に思える雰囲気ではありませんでした。

 

 何かしら、興味を引くための材料は用意しておくのが吉というものでしょう。

 

「なら…もう少し歩き回ってみましょうか」

 

 地図を見れば、近くにある物は大体分かります。

 

 カミサマ、どうかわたしに幸運が訪れますように。

 

 …わたしの祈るカミサマは、こんな山にはいませんけれど。

 

 

 

 山を下って約二分。

 思ったよりも簡単に、一つ目の手掛かりまでやって来ることが出来ました。

 

「これは……飛行機?」

 

 手元の地図に視線を落として、ペンで指すのはその飛行機(漢字)

 上に書かれたひらがなで、わたしは辛うじて読みを理解できます。

 

 言ってしまえば…試しに来てみた近場ですね。

 

 さて、何か見つかると良いのですが。

 

「…冷たい」

 

 コンコン。

 

 地面に刺さった機体を叩いて、若干鈍い音を立てる。

 

 …飛行機は確か、”金属”で出来ていると聞きました。

 

 ”金属”と聞けば『硬い』というイメージをわたしは持ちますが、この飛行機はそうでもないようです。

 

 その証拠に、叩いた部分が凹んでしまっています。

 こんな状態でまともに飛べるのでしょうか?

 

 いえ…壊れているんですけどね。

 

「放置されて古いから、脆くなったと考えられるネ」

「…ボスさん。アイネさんは置いてきて良かったんですか?」

「……返事が無かったかラ」

「ああ、そうでしたか」

 

 探る時間はまだまだ取れそうですね。

 ゆっくりじっくり、丁寧にやりましょう。

 

「ですが、何を探せばいいんでしょう…」

 

 何とも今更な疑問ですが、本当にそれが問題です。

 

 アイネさんの秘密を探るには切欠を作って話をするのが一番。

 ですが上手く話に引き込むには、その秘密の核心を突いた材料が必要なのです。

 

 ああ、最近キタキツネさんが嘆いていましたね。

 

 

『そんな……ダイヤモンドを手に入れるのに、ダイヤモンドが必要だなんて…』

『…あ、出てきた。もう四つ目だね』

『なんでイヅナちゃんばっかり…』

 

 

 …まあ、まさにそんな状況。

 

 これはイヅナさんみたく、偶然の牡丹餅を狙えばいいのですかね?

 

 でも失敗は出来ない。

 時間の制限だってある。

 

 直近のタイムリミットはアイネさんが正気を取り戻すまで。

 

 この辺りで、使えそうなものを見つけないと…

 

「……おや、これは」

 

 地面を掘ったらありました。

 役に立ちそうな何か、小さな箱の中に入れられて。

 

「ふむ…中に何か入っているんでしょうか」

 

 軽く振って見ると、中からカラカラと物が当たる音がする。

 

 わたしは飛行機の残骸から離れて、この箱の中身を確かめることに決めました。

 

「…綺麗な入れ物ですね」

 

 周りのそこかしこに付いた土を払うと、落ち着いた紺色の外装が姿を見せた。

 

 上品な色使い、まるで特別な誰かへの贈り物のようで。

 

 そう思うと土に埋められていたつい先程までの運命が、わたしには不憫に思えて仕方ありません。

 

「まあ、大事なのは中身ですよね」

 

 外側も重要ですが、本命は中にある贈り物。

 

 ええ…さぞ素敵なものなのでしょう。

 

 胸に抱いたそんな期待は…箱を開けると同時に、穴の開いた風船の如く虚しくしぼんでいく。

 

 

 空っぽでした。

 

 

「……ふぅ」

 

 そして、頭も冷めました。

 

 ダメですね。

 物で気を引く作戦は、どうせ上手く行かないことでしょう。

 

 少なくともわたしには無理そうな話です。

 

 自覚しましょう、自分の武器を。

 

 そう、わたしは警戒されていない。だから、無知を装ってそれとなく情報を引き出せばいいのです。

 

 イヅナさんにも散々言われたことではないですか。

 

「暇つぶしには…丁度良かったですけどね」

 

 小さな箱はポケットの中。

 何となく気に入ってしまいました。

 

 今度ノリアキ様に贈り物をするときは、これを参考にいたしましょう。

 

「さあ、ボスさんも…戻りましょう?」

「分かっタ。行こうカ」

 

 アイネさん、元に戻ってるんですかね?

 

 まあ…行けば、分かることです。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「四神の確認、ありがとうございました。それとごめんなさい…やっぱり、()()()()は消えないみたいで」

 

 わたしとボスが火口近くまで戻ってきた時、アイネさんは中くらいの岩に腰を下ろして休んでいました。

 

 こちらを見た瞳は至って正気。

 ようやく、普段の彼女に戻ってくれたようです。

 

 尤も…ともすれば直前までの()()調()()が彼女の素である可能性も、否定はできませんが。

 

「頑張りましたけど…一応、自分の目で確かめてみてはどうでしょう?」

 

 ファイルを返して、そう添える。

 彼女は中身を一通り眺めた後、わたしの提案に首を振った。

 

「…いえ、ホッキョクギツネさんを信じます」

 

 ニコリと微笑み告げられて、普通なら喜ぶべき場面なのでしょう。

 

 わたしも一応は愛想笑いをしました。

 

 けれど、彼女がまともに私の文章――頑張ってひらがなでいっぱい書きました――を読んでいないことは明白。

 

「それより行きたい場所があるんです。いいでしょうか?」

 

 つまり、その『行きたい場所』とやらが本命なのですね。

 

「はい、わたしは構いません」

 

 うふふ、当然ついて行きますよ。

 彼女自ら、秘密への手掛かりを差し出してくれているのですから。

 

「それで…どこなんですか?」

「火山からは降りてしまうんですけどね。…ほら、あの方角でしょうか」

 

 アイネさんが指差した方向。

 向こうに見える丘に立つ、赤い目印がよく目立つ建物。

 

 ()()のことはよく知っています。

 

「もしかして、あの神社ですか…?」

 

 …むむ、神社を探られるのは都合が悪いです。

 

 わたし達への直接の不利益はゼロですが、オイナリサマが居ることを知られるのは避けておきたいところなので。

 

「……ん? ああ、神社なんてあったんですね。そうじゃなくて、もっと下です」

 

 でも、アイネさんが言っていたのは別のものでした。

 

「…森?」

「そう、その中にあるロッジ。そこに興味があるんです」

 

 なるほど、神社ではないのですね。

 

 でも納得です。

 ロッジなら、十年前にも確かにあったに違いありません。

 

 そこなら、彼女の過去に関わる出来事もあることでしょう。

 

 それに、神社を探られないことは幸運ですね。

 

 

 安堵の息と手で胸を撫で下ろした…その時、心の中を見透かしたようにアイネさんは呟いたのです。

 

「でもそうですね…折角ですし、日を改めて神社にも行きましょうか」

「…そう、ですか」

 

 なんと不運なことでしょう、墓穴を掘ってしまったようです。

 

 

 



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Ⅶ-180 追って『未来』よ、そこにいるから。

 時は遡ること数時間前…ミライが()()を見つけて小屋を飛び出す少し前のこと。

 

 ロッジ付近の森の中。

 

 登山をする調査隊の動向を監視しながら、イヅナは調査隊をキョウシュウから追放する手筈を頭の中で組み上げていた。

 

 

―――――――――

 

 

「ふぅん…そろそろ出発かな」

 

 私は小さな使い魔(セルリアン)を放って、たった今登山を始めた隊員達の後を追わせる。

 

 視界共有の動作も確認。

 

 後は目立った行動が見られるまで、私は傍観を決め込むよ。

 

「よしよし、これで全部みたいだね」

 

 事前にホッキョクちゃんから聞いたグループの数と同じだけ、尾行用のセルリアンを向かわせた。

 

 リーダー(アイネ)のグループはホッキョクちゃんに任せてるし、この先はもう果報は寝て待て。

 

 勿論寝ないけどね、そんな暇無いし。

 

「よーし、頑張っちゃおー」

 

 パラっとめくってノートのページ。

 鉛筆で指すは十行目、思い描くのはキョウシュウから調査隊を追い返した後の計画。

 

 実を言うと、彼らをこの島から出て行かせる方法はもう思いついている。

 

 あまりにも単純な方法だし、勿体ぶるまでも無いから言うけど……セルリアンを出して、まだ危ないと思わせて逃げ出させるの。

 

 

 ね、簡単でしょ?

 

 …だから必要なのは、その()にどうするか。

 

 

 この方法で生まれるであろう欠点も補える、とても優秀な事後策が必要なのです。

 

「そう。飽くまで『調査』だから危なくなれば出て行くはず。だけど…その後がねぇ…」

 

 セルリアンの脅威が去っていない。

 

 そうと分かればどうするだろう?

 大まかに考えられる可能性は二つ。

 

 潔くすっぱり諦めてしまうか。

 

 もしくは、更なる準備を整えてからもう一度やって来るか。

 

 私たちの立場で言えば前者が良いんだけど、当然ながら後者が選ばれる可能性もある。

 

 …少なくとも()()()が来ない限り、私たちには分からない。

 

 だから、なるべく悪いケースを想定して方策を練る。

 

 練っているものの……情けない話、お手上げかもしれない。

 

 …思いつかないんだよ。

 

 彼らを、この島に入れないようにする方法が。

 

 それに、今の私の妖術のスペックじゃ不可能だ。

 あと数年は経ってくれないと、どう足掻いても出来る気がしない。

 

 でもどちらかと言えば、手段が思いつかない方が深刻だろうね。

 

 能力の練度なら多少は融通が利く。けれど、それ以前の問題だったら本当にどうしようもないんだもの。

 

 

「それでも、私がやらなきゃ…!」

 

 

 邪魔だ、アイツらは異物だ。

 どんな手を使ってでもこの島から消さないと。

 

 もしもの時は、彼らをヒトの群れにさえ帰さない方がいいかも知れない。

 

 それが最善策なら、実行するのにも、何も困ることは……

 

「……ん?」

 

 ふと肌を刺した違和感。

 それは遠くから感じた視線。

 

 まるで、山の上の方から……

 

「…っ!」

 

 体は咄嗟に動いた。考える暇もなかった。

 私は違和感の主に視線も顔さえも向けることなく、体を翻して木々の隙間に隠れた。

 

「あー…もしかして、パークガイドさんだったりするかなぁ…」

 

 火山の上は度々飛んで通っている。

 

 何があるかなんて全く意識していなかったけど……朧気ながら、ここを登った先に古い小屋が建っていたような記憶もある。

 

 まあ、どうでもいいや。

 

 とにかく、姿を見られたと直感した。

 その勘を信じるとすれば、私を見た誰かは確かめにやって来るかもしれない。

 

「やれやれ、なんで私がゆっくりできないかなー…」

 

 外の世界に意識を向ければ、ガサゴソ聞こえる遠くの草葉。

 何とも足がお速いもので、隠れる暇もなさげな様で。

 

 いいよ、追いかけっこが御望みなら付き合ってあげる。

 

 

 …精々、化かされないようにね?

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「くぅ……確かに、この辺に見えた気がしたんですけど…」

 

 高速で山を下り、勢いのままに緑の中へと飛び込んだミライ。

 

 不思議そうに周囲を見回し、片手に持った双眼鏡でより遠くの景色を確かめた。

 

「結構早く来たと思ったんですが……まさか、気付かれていたんでしょうか?」

 

 数分前…イヅナの姿を双眼鏡で発見したように、この場所から山の小屋まではそれなりの距離がある。

 

 それ程遠くからの視線に気づき、よもや危険を察知して逃げてしまうなんて。

 

 ミライの知る中にそんな超常めいた能力を持つ動物はいない。

 

 しかし彼女は…数少ない事実から導き出したこの突拍子もない推論に…納得するかのように得意げな頷きを見せていた。

 

 

「…ええ、そうでしょう。むしろ、それくらいでなければ説明が付きません」

 

 

 ふふ、と軽く息を漏らす。

 

 そして何となく向けた双眼鏡を覗き、口角を吊り上げた。

 

「私の勘も…衰えていないようですね!」

 

 双眼鏡をベルトに引っ掛け、ミライはスタンディングスタートの姿勢を取る。

 

 パークガイドにしては整っているそのフォームは、長年自然と親しみあってきた彼女が身に着けた、この大自然の中で逞しく生きていくための本能。

 

「…ふっ!」

 

 草を蹴り、風を切り、白いその影を追いかける。

 

「すぐに行きますからね、不思議なキツネさんッ!」

 

 全霊を込めた叫びは、どちらかと言えば好奇心に満ち溢れていて。

 

 そんな愚直で真摯な姿勢だからこそ、迫るものがあったのかもしれない。

 

 

 ……そう、物理的に。

 

 

「え…うわっ!?」

 

「追いつきました! さあ、姿を…あれっ?」

 

「くっ…本気になっちゃってさ…!」

 

 一瞬、ほんの刹那の間、イヅナの着物を掴んだ右手。

 

 しかしイヅナも黙ってはいない。

 すぐに手を振りほどき、ドロンと緑の中に姿をくらましてしまった。

 

 

 …じゃあ、振り出し?

 

 まさか、そんな訳は無かろう。

 

 

 この一瞬のやり取りで勢いづいたのはミライだった。

 

 当然の反応であろう。彼女は確信を得たのだ。

 

 ()()()見たフレンズの姿は、決して幻影ではないのだと。

 

 

「くぅーっ、今度こそ、捕まえますからね!」

 

(ああもう、厄介な勢いが付いちゃったよ…!)

 

 

 対して、この状況を好ましく思わないイヅナ。

 

 出来ることならば、今すぐ例の転移シートを使ってこの場から逃げ出してしまいたかったことだろう。

 

 だが彼女がその一手を指すことは無い。

 少なくとも今はそうするべき瞬間ではない。

 

 

(まだ、コイツが私を()()()()()()のかが分かんないんだよ…!)

 

 

 ただの臆病なキツネのフレンズか。

 

 もしくは何らかの秘密を握っている特殊なフレンズか。

 

 

 前者ならば、このまま無知な鬼ごっこを続けるのが一番だろう。

 

 後者ならば、多少の疑惑を増してでも逃げてしまう方が良いだろう。

 

 

(ああ、なんて不思議なキツネさんでしょう、ぜひ戯れたいですねぇ…!)

 

 

 正解はと言えば…まあ半々なのだが。

 

 しかしミライは、この調査の裏でイヅナたちが暗躍していることを知らない。

 

 更に言えば、何かが起こっていることさえ気づいていない。

 

 そしてイヅナは、そのことに気づいていない。

 

 

(もう、一体どっちなの…?)

 

(ああ、早く出てきてくれないでしょうか…!)

 

 

 詐欺師は相手の嘘を訝しむ。

 化け狐は、逆に自分が化かされていないかを心配する。

 

 イヅナはそれを恐れるあまり、大事な事実を見落としているのだ。

 

 だから…彼女は空を飛ぶことすら出来ない。

 

 

「うふふ…そろそろ出てきてくれませんか? 怖くなんて無いですよ、一緒に楽しみましょう…?」

 

(『怖くなんて無い』って…そういう言葉が一番怖いって分かんない訳!?)

 

 

 緑を挟んだ膠着状態。

 

 先に動くはキツネかヒトか。

 

(…行くしかないか)

 

 衝動に駆られたのは、イヅナの方だった。

 

「ん…? ……わわっ!?」

 

 ガサガサッ!

 

 風より強く葉っぱを靡かせ、白い()が叢から飛び出す。

 

 そう…狐。

 フレンズではなく、動物としての狐だった。

 

「おや、これは…」

 

 先程まで楽しげに追いかけっこをしていたミライも、これには些か驚いた様子。

 

 しばらくの間、逃げて行くイヅナを小走りで追いかけて…

 

(見間違い? いいえ、確かにフレンズさんの姿をしていました。この私が間違えようはずもありません。では、なぜ…)

 

 ミライは考えて。

 

 イヅナは逃げて。

 

 尻尾が揺れて。

 

 それを見て。

 

(…いえ、どうでも良いですね)

 

 論理が、吹き飛んだ。

 

「うふふふ…普通の狐さんだとしても、捕まえさせてもらいます!」

 

「…っ!」

 

「おお、何てすばしっこい…っ!」

 

(ふふん、当然でしょ?)

 

 感嘆の呟きに満更でもないイヅナ。

 

 生憎、動物の姿をしていた彼女は…得意げな顔をする代わりに尻尾をフリフリすることで感情を表現した。

 

 その姿を見たミライ。

 

 

 彼女の理性が、爆ぜた。

 

「ハッ!? やはり、美しく、強い…! ジャンプ力もさることながら…揺れるもふもふの尻尾! 素早い跳躍を支える空間把握能力に加えて、美しく風になびくお耳! なんて素晴らしいんでしょう…これは、天からのお使いなのでしょうか…!? ああ、しっかりと拝まなくては…!」

 

 

 早口で何かを喚きたて、突拍子も無く土下座を始めたミライ。

 

 そんな彼女の姿を見たイヅナは。

 

(なにこの人、頭がおかしいんじゃないの…?)

 

 中々に、辛辣な感想を胸に抱いていた。

 

 

―――――――――

 

 

 …そのまま数分の間、ミライは土下座を続けていた。

 

 イヅナも前触れなくミライの狂気に触れてしまったせいか、何をするでもなくその場所でミライの奇行を眺め続けていた。

 

 しかしそんなシュールな時間にも、いずれ終わりはやって来る。

 

(…あ、今なら逃げられるじゃん)

 

 それに勘付いてしまえば、もうこれ以上ここで無駄に時間を潰す道理はない。

 

 イヅナはテレポートの術式を起動し、火山山頂付近の小さな施設に座標を合わせて転移する。

 

 そして一瞬のうちに、イヅナの姿は神隠しの如く消え去った。

 

「……ん?」

 

 そしてミライも…イヅナの気配が消えたことを肌で感じ取ったのだろう。

 

 転移が終わると同時に顔を上げ、土下座を止めて立ち上がった。

 

「あのキツネさんは、夢…? …いえ、そんな筈はありません。確かに居ました! …ハッ、アレはまさか、オイナリサマ…!?」

 

 ミライは知らない。

 

 この島に居を構えるオイナリサマの、ある種イヅナを超えた恐ろしさを…

 

「まあ、それは追々考えるとして…いやはや、衝動のままに動いてしまいましたねぇ…」

 

 困ったように頭を掻く。

 

 本当に自業自得なのだが…ミライは、何食わぬ顔で火山まで戻れる程の図々しさなを持ち合わせていなかった。

 

 それと、体力も。

 

「船に戻る訳にもいきませんし……あ、近くに良い場所がありましたね」

 

 だが彼女は思い出した。

 

 時間を潰せて、そして休むこともできる。

 そんなお誂え向きのスポットが…この近くにあることに。

 

「…では、ロッジに向かうとしましょうか」

 

 懐かしのロッジ。

 

 今でも沢山の思い出が残る…お客さんと、フレンズと、パークガイドの憩いの場。

 

 潤んだ目で見た空の先、誰の姿があっただろう。

 

 

 それはきっと………ミライと、あのホログラムにしか分からない。

 

 

 



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Ⅶ-181 遺灰も燃えたあの夜が

「すぅ……はぁ…」

 

 深呼吸。

 部屋の空気が肺の中を一杯に満たす。

 

 懐かしい匂い。

 また見たかった光景。

 ずっと来たかった…悪夢が始まった場所。

 

 そのどれもが、わたくしの記憶のそのままに残っています。

 

「まるで変わりませんね……森と同じ、自然みたい」

「そう、でしょうか?」

「…何か?」

 

 後ろから、ホッキョクギツネの声が聞こえる。

 

 振り向いて目を合わせると、彼女はぽつぽつと話し始めた。

 

 腰の引けた仕草をして、それでも芯の通った瞳でこちらを見据えながら。

 

「…いえ、何と言うか…自然って、ちゃんと変わってると思うんです。例え見た目が同じでも、中身は確かに違うんじゃないかなー…って」

「……そうかも、しれませんね」

 

 彼女の言う通り。

 

 もうあの瞬間のロッジには、どれほど願ったとしても帰れやしないのです。

 

「…あ、ごめんなさい。口を挟んでしまって…」

「大丈夫ですよ…本当に、そうですから」

 

 そう、戻って来ない。

 絶対、帰って来ない。

 

「いらっしゃい、お泊りかな?」

「こんばんは。タイリクオオカミさん…でしたか?」

 

 ロビーの奥からやって来たタイリクオオカミさん。

 記憶の中のロッジにはいない存在です。

 

 彼女もこの十年のうちに、ロッジに居着いたのでしょう。

 

「うん、知ってもらえて光栄だよ。そうだね…暗くなって、外も少し冷えてきただろう、お茶でも飲まないかい?」

「頂きます。…アイネさんも、飲みますよね?」

「…ええ、ありがとうございます」

 

 オオカミさんの持ち掛けは、実に丁度良い提案でした。

 

 過去の思い出に触れられるのは素晴らしいことですが……なにぶん気持ちが昂ってしまって、どうにも抑えが利かないのです。

 

「そこに座って待ってくれたまえ、すぐに用意してくるからね」

 

 指し示された椅子に座って、近くの窓を開け放つ。

 新鮮な冷風が吹き込んで、飛び出していくロッジの空気が頭を洗う。

 

 そのどちらもが懐かしい。

 

 ()()()も、わたくしはこんな風に過ごしていた。

 

「……パパ」

「…お父様が、何か?」

「いや…気にしないでください、唯の独り言です」

「…そう、ですか」

 

 言い訳は心にも無く、心はここに在らず。

 

 わたくしが抱いた興味は全て過去へとそのベクトルを向け、もはや感じ取れないほど希薄になった繋がりを血眼になって探ろうとしている。

 

 きっと今感じているこの感覚さえ錯覚。

 

 十年前が分かるものなんて、一切合切朽ち果ててしまったのでしょう。

 

 けれど。

 

 だからと言って、わたくしの時計が動き出す道理は無いのです。

 

 

 むしろ。

 もしも、全てが消え去った後なのならば。

 

 わたくしの時間さえ、一緒に朽ちて動かなくなるべきなのです。

 

 

「お待たせ。コーヒーと一緒に、私の()()()話は如何かな?」

「ぜひお願いします。アイネさんは…」

「…お好きにどうぞ」

「ふふ、じゃあそうさせてもらうよ?」

 

 こちらを向いて、くつくつと喉を鳴らすオオカミさんの目は。

 

 まるで珍しいものを観察するかのように、三日月の形に細まっていました。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…これは、私が古い友人から聞いた話だよ」

 

 そんな前置きから、彼女の怪談は始まった。

 

「その日の夜は、とても月が明るかったそうだ。森の動物たちも普段より活発で、真夜中になっても…葉っぱのさざめくような音が途切れることは無かったらしい」

「…騒がしい夜、ですか」

 

 珍しい、確かにそれは記憶に残ることでしょう。

 そう…わたくしのように。

 

「ふふ、一言で言ってしまえばその通りだね。けど、もっと風情のある言い方をしようじゃないか」

「オオカミさんはロマンチストなんですね」

「ああ、その方が好きだからね。…その友人が話すには、アレは”虫の報せ”だったらしい」

 

 彼女の語り口は童話を読み聞かせるかのよう。

 ホッキョクギツネさんは目を輝かせて、”早く続きを”と急かします。

 

 対してわたくしはと言うと…さほど、彼女のお話に興味はありませんでした。

 

 心は未だ過去の中。

 勿論、お話そのものは耳に入れています。

 

 ただ、味わう気になれないだけ。

 

「……さあ、その報せとは何だったんだろうね?」

 

 わたくしの胸中を察しているのか、オオカミさんはこちらを真っ直ぐに見据え、そんな疑問を投げかけます。

 

 しばらく目を合わせていましたが…答えが無いと知ると、肩を竦めて続きを語ります。

 

「…友人も、いつまで経っても止まない騒めきに不穏なものを感じたらしい。どうせ眠れないからとベッドを出て、外に様子を見に行った」

 

 言葉の終わりに席を立ち、丸い窓から腕を伸ばす。

 

 引っ込めた手の先には、緑の葉っぱが摘ままれていた。

 

「そこで友人は…在り得ない光景を目にしたんだ」

「…ありえない?」

 

 白い狐の問いかけに、狼はぐいと目を寄せる。

 

「そう、普通では考えられないほど、恐ろしい景色だ」

「っ……」

 

 額が触れ合ってしまいそうな距離で囁かれた低い声色に、彼女はゴクリと息を呑む。

 

 ふわり。

 

 窓から吹き込んだ風が、オオカミさんの髪の毛をぐしゃぐしゃに揺らめかせた。

 

「空を見たんだ…暗かったから月を確かめたくてね」

 

「確かに有ったよ。黄色く丸く、美しく。でも、様子が変だった」

 

「「どうしたんだろう」と足を踏み出した……その瞬間!」

 

 …激しい語調()の後。

 

 風だけが鼓膜を揺らす静寂の中。

 

 恐る恐る、ホッキョクギツネさんが尋ねる。

 

「…どう、なったんですか?」

「……月が、降ってきたんだ」

 

 …え?

 

「正しく言えば、黄色くて丸いセルリアンだったけどね」

「なんだ、セルリアンでしたか……って、良くないですよね」

 

 わたくしも驚かされました。

 

 いつの間にか話にのめり込んでいる…とても恐ろしい話術です。

 

「そうだね。でも状況はもっと悪かった。周りを見てみると、どこもかしこもセルリアンだらけだったんだ」

「……!」

 

 ……あれ?

 

「すぐに理解した。ずっと止まなかった騒めきは、セルリアンが起こしていたものだと」

「ひっ…」

「ふふ……そしてね、私の友人はそれに気づいて、居ても立っても居られなくなったんだ」

「どうして、ですか?」

 

 この話、何処となく…似ているような。

 

「友人の友人…フレンズだけどね。その夜彼女は、綺麗な月を高い場所から見たいと、火山に登っていたんだよ」

「……あ」

 

 分かってしまう。

 この話の終わりが。

 

「友人は急いだ。友を助けるため、必死に火山を駆け上っていった。転んで、すりむいて、血を出して。それでも、足を止めなかった」

 

「そして…どうなったんですか?」

 

「山頂で…そのフレンズはセルリアンと戦っていた。火口の間際に追い詰められて、一歩踏み違えば滑り落ちてしまうギリギリの場所で」

 

 それを聞いて、ホッキョクギツネさんもまた息を呑んだ。

 

 わたくしと同じように、結末を察してしまったのだろう。

 けど彼女はまだ幸せだ。

 

 わたくしと違って、()()()()()()から…

 

「…そう、悲しい顔をしないでくれ。あんまり良い顔じゃないよ」

「でも、友人の友人さんが…」

「大丈夫…だって友人は、彼女を助けるために山を登ったんだから」

「…じゃあ……!」

 

 希望に、白い狐の目が輝いた。

 

「ああ、ギリギリのところで助けに入って、なんとかセルリアンを打ち倒せた。そして二人はお互いにボロボロの体を支え合いながら、このロッジに帰ってきたんだ」

「ふぅ…良かった…!」

 

 ハッピーエンドに二人は笑う。

 わたくしはそっと顔を伏せる。

 

「ふふ、ドキドキしたかい?」

「はい、とっても…!」

「それは良かった。…あぁ、良い顔だね、ぜひ絵にしたいよ」

 

 なんて在り来たりな幸せでしょう。

 

 ええ、分かっていました。

 どんな物語だって、度を超えた理不尽はそうそう出てこないものです。

 

 …現実と、違って。

 

「…あれ、アイネさん?」

「少し、外の空気を吸ってきます」

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「……ふぅ」

 

 ロッジから抜け出し、真上に昇った月を見上げる。

 胸のざわめきが、この島に来てから一番大きく感じられます。

 

 あぁ…なんで、関係ないはずのお話で、こんなにも深い傷を負わなくてはならないのでしょうか。

 

 いいえ…傷口に塩を塗られただけ、かもしれませんね。

 

「あのお話のように、助けられたら良かったのに…」

 

 

 …パパ。

 

 

―――――

 

 

『アイネ、大丈夫か!?』

『…パパ?』

 

 敢えてあのお話に登場人物を当てはめるなら、わたくしは『友人の友人』。

 そしてパパは、『友人』という立ち位置になる。

 

 でも実際は、わたくし達は一緒に火山に来ていた。

 

 十年前のあの日、綺麗な月を二人っきりで見たいと、パパに駄々をこねて連れて行ってもらった。

 

 その結果…セルリアンに襲われた。

 

『くっ…アイネには手を出すな…!』

 

 パパは勇敢に戦った。

 力の弱いヒトだし、滅多に運動をしない研究員だし、勝てる訳はなかった。

 

 だけど、わたくしを守るために、歯を食いしばってそこに立ち続けていた。

 

『アイネ…逃げろ!』

『そんな、やだよ…! パパと一緒じゃなきゃやだ…!』

『ふ……うおおっ!』

 

 聞いたことのない雄叫びを上げて、パパはセルリアンを投げ飛ばした。

 

 一体。

 たったの一体だけど、そのセルリアンは砕け散った。

 

 パパはそれに目もくれず、一直線にわたくしの元へと駆け寄ってくれた。

 

『アイネは仕方ないな…逃げるぞ、一緒に』

『…うん!』

 

 嬉しかった。

 頼もしかった。

 パパが一緒にいてくれることが。

 

『よし…走れるか?』

『うん、大丈夫だよ!』

 

 パパが居てくれるなら、何も怖くない。

 

 そう思った。

 

 きっと、だからだ。

 

『…っ! アイネ!』

『えっ……?』

 

 神様は、わたくしからパパを奪っていった。

 

『そ、そんな…』

 

 目にも止まらぬ速さで現れた、大きな図体をしたセルリアン。

 

 ソイツはパパにぶつかって、勢いのままに突き進む。

 

『くっ…アイネ…!』

『あっ、そこは…』

 

 もう、分かるでしょう。

 

 火口。

 

 この島の全てのサンドスターを放出する、生と死が混ざり合ったかのような穴の中。

 

 パパは、そこに落ちていった。

 

『パパ…パパッ!』

『来るなっ!』

『っ…』

『来るなアイネ…逃げろ、お前だけでも……っ!』

 

 その後も、パパは何かをずっと叫び続けていた。

 

 穴の中に落ちて、聞こえなくなってしまうまで。

 

 

―――――

 

 

 パパが何を口にしていたのか、わたくしはもう覚えていない。

 あの後、自分がどのように助かったのかも、詳しくは知らない。

 

 だって、自分を守りたかったから。

 

 あの経験をそのまま持ち続けていたら、きっと今に至るまでに壊れてしまっていたから。

 

「…あそこに居たんだよね、パパ?」

 

 十年。十年という月日が経ってしまった。

 

 周囲の人はわたくしを気遣ってくれた。

 或いは、辛い記憶から遠ざけようとさえしてくれた。

 

 でもわたくしは、パパの近くに居たかった。

 

 パパと同じような職に就いて、同じような人生を送りたかった。

 

 そして、パパの残した何かに触れたかった。

 だから偽りの復興を推してまで、ここに来た。

 

 …でも。

 

「パパ…本当に、ここにいたの?」

 

 分からない。

 もう何も無い。

 パパに繋がる物なんて、ここでは何一つ見つからなかった。

 

 やっぱり研究所?

 

 あそこを起動すれば、パパのデータがある?

 

 でも、もうパパの書いた論文は全部読んだ。

 経歴も隈なく調べて、キョウシュウ以外にあるパパの痕跡は全て手に入れてきた。

 

 今更、あんな場所に…

 

「…やっぱり、あそこの天辺?」

 

 パパが最期を迎えた場所にこそ、きっと何かがあるはず。

 

 ううん、なければ可笑しい。

 

 だから例えわたくしだけでも…行かなくては。

 

「…ですが」

 

 研究者として、調査隊リーダーとしての体面もある。

 本心と建て前を両立するのは意外と難しい。

 

 さて、どうしたものでしょう――

 

 

「…アイネさん、わたしも一緒に見て良いですか?」

「……いえ、わたくしは中に戻るので」

「そうですか、残念です」

 

 

 とりあえず、今日は休みましょう。

 また明日…火山を調べる算段を立てよう。

 

 

 ……パパ。

 

 私は絶対に。

 

 見逃したりなんてしないから。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…で、どう?」

「……残念ながら。やっぱり、秘密を探るのは難しいですね」

「ふーん…ま、いいや。ノリくんも心配してるし、私は帰るよ?」

「はい、わたしもそのうちに」

 

 ふわり、イヅナさんの姿が虚空に消える。

 

「……パパ、ですか」

 

 何となく、深い親しみを込めて口にしていたようなその言葉。

 

「それって…『ノリアキ様(カミサマ)』みたいな存在なのでしょうか?」

 

 こてり。

 首を傾げて上を見る。

 

 夜空に浮かぶ真円が、わたしの白を照っていた。

 

 

 『月が綺麗だね』

 

 

 そう、言われてみたい。

 

 ノリアキ様。

 

 そちらの月は、綺麗ですか――?

 

 

 



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Ⅶ-182 風邪ひきキツネのその後は

 瞬間、体を包む空気がひんやりとした温度に変わる。急な変化に驚いて、きゅっと身体が強張った。

 

 何度転移をしてもやっぱり、この感覚には慣れそうにない。

 私はかじかんだ手を擦り合わせて、そそくさと旅館に入っていった。

 

「お帰り、イヅナ。…あれ、ホッキョクギツネは?」

 

 中では早速見つけたノリくん。

 急いでいる風だったけど、立ち止まってまで声を掛けてくれた。

 

 でも…その第一声は気に入らないな?

 

「…もう、真っ先にそれを訊くの?」

「あ、ごめん…」

 

 しょんぼりノリくん、耳がぺったり。

 尻尾も心なしか下がり気味。

 

 あはっ、かわいい…!

 

「うふ、冗談だよ。ホッキョクちゃんは、もう少ししたら帰って来る筈だから」

「そっか。…何をしてるのかは、教えてくれないんだよね?」

 

 今度はおずおず控えめに。

 耳が私を注視するようにピクピクと動いて、これも可愛らしい。

 

 …っと、ちゃんと答えてあげなきゃね。

 

「うん、もうちょっとだけ秘密。楽しみにね?」

「あはは、そうしておくよ」

 

 よいしょ、と桶を持ち直して、ノリくんは温泉の方へと向かう。

 

 桶にはタオルも入っていたし、まだキタちゃんの看病が終わっていないのかも。

 

 あの子ったら、まだノリくんの時間を独り占めしてるのね?

 

「あーあ、私も風邪ひいちゃおっかなー」

「あら、それはおススメしないわよ?」

「……ギンちゃん」

 

 暖簾をかき上げ、キッチンの方からギンちゃんが姿を見せた。

 料理中だったのかな、右手には包丁が握られているね。

 

 …怖いってば。

 

「…あぁ、()()は気にしないで? 野菜を切ってたのよ」

「逆に聞くけど…もしも私がそれ持ってたら、気にしないこと出来る?」

「アハハ、無理ね」

 

 合点がいったように頷き包丁を眺めて、ギンちゃんはキッチンに消える。

 

 またすぐに戻ってきたら、ひらひらと手を振って今度は何も無いことをアピールしてきた。

 

 お道化た様子に思わず息が漏れる。

 

 そんな私を見て笑ったギンちゃんは一転。

 緩んだ頬を引き締めて、冷たい声色で尋ねてくる。

 

「…それで、首尾はどうかしら?」

「追い出す方は大丈夫、締め出す方は難しいかな」

「ふぅん…やっぱり、そんな感じなのね」

 

 雪のように冷たく言い放つギンちゃん。

 

 この物言いには私もピキンと来た。

 そう、まるで氷にひびが入るように。

 

「それってどういう意味?」

「別に。流石のイヅナちゃんもこの程度かー、って思っただけよ」

「っ…!」

 

 …許せない。

 

 調査隊(アイツら)の内情を探って、追い出すために四苦八苦してるのは私だよ?

 

 なのに、どうして宿の中でぬくぬくと怠けてたギンちゃんにそんな謂れを受けなきゃいけないのかな?

 

「ふふ…まあまあ、一旦落ち着いて話しましょう? 結論を急いでも、良い解決策は出てこないわよ」

「はぁ……そうかもね」

()()、じゃなくて絶対そうよ。でも安心して、私に考えがあるの」

 

 くふふと笑った顔を向け、私を奥へと誘うギンちゃん。

 

 ああ、これ以上なくムカつく。

 

 でも何が一番腹立たしいかと言えば…私だけじゃ本当に何もできないことだ。

 

「どうしたの、イヅナちゃん?」

「…行くよ、すぐに」

 

 絞り出すようにしなければ、もう声さえも出なかった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「キタちゃん、起きてる?」

「あ、イヅナちゃん。…ギンギツネも」

 

 私が声を掛けるとキタちゃんはむくっと起き上がった。

 

 頬は血色良く赤らんでいて、トロンとしていた目つきもパッチリ。

 段々とキタちゃんの体調も快方に向かっているようだ。

 

「薬はちゃんと効いてるみたいだね。それとも、もう少し()()()()が良かった?」

「別に。暇だしゲームも出来ないし」

「…本当かしらね?」

 

 皮肉でも言おうとしたら、ギンちゃんに先を越された。

 

 良く思ってないのはやっぱりこの子も同じみたい。だからって、何かある訳じゃないけどさ。

 

「…それで、何の用? ホッキョクギツネは?」

「あら、気になるの?」

「朝ご飯から、ずっと見掛けなかった」

「そっか、心配?」

「…すると思う?」

「あははっ…」

 

 まあ、ホッキョクちゃんは用件にも関わるし、疑問のベクトルは間違ってない。

 

 ノリくんと同じ質問をしてきたのは驚きだしムカつくけど…まあ、捨て置こうかな。

 

「まあ、私は少し心配してるけどねぇ…」

「意外、どうして?」

「別に身の心配じゃないよ。あの子が()()しちゃわないか、気になってるだけ」

 

 一応、命の心配もしてない訳じゃない。

 

 ノリくんはあの子の自殺未遂に大きなショックを受けてたから、万が一のことがあれば更に対処が必要になっちゃう。

 

 一番手っ取り早いのは無理やりにでも記憶を消しちゃうこと。

 

 …だけど、ね?

 

 もしもそれが可能なら、極論キタちゃんとギンちゃんのことも忘れさせて良いってことになるの。

 だって、その前例が出来ちゃうんだもん。

 

 だから…難儀なものだよね。

 とりあえず、ホッキョクちゃんには死なないで頂きたいところかな。

 

「…で、何させてるの? ノリアキに隠す程大事なこと?」

 

 おっと、そうそう。

 本題はそっちだよね。

 

「勿論だよ。聞いて驚かないで? この島に…外からヒトがやって来たの」

「……」

「この島にヒトが居着けば、いずれこの雪山にも訪れる。その時、彼らは私たちをどうするかな? 放っておいてくれると思う?」

「…わかんない」

 

 頭を抑えて呟くキタちゃん。

 必死に答えを絞り出そうとしてるみたいだけど、まあ出ないよね。

 

 うん、それが正しい。

 

「そう、分かりっこないよね。そしたら…怖いよね? だから私は、その可能性を根っこから摘み取っちゃうつもりなの」

 

「…追い出すってこと?」

「当たり! そして幸いにも、()()()()()の算段は整ってるの」

「だから問題になるのが、『また来ることを防ぐ方法』ってことになる訳ね」

 

 結論はギンちゃんに取られちゃったけど、概ねそんな感じ。

 

「ノリくんには秘密だよ。余計な心配はさせたくないの」

「分かった、言わない」

「イヅナちゃん、それだけじゃないでしょ?」

「……分かってるから」

 

 …あぁ、言いにくい。

 

 でも、覚悟を決めなきゃダメだよね。

 全部ノリくんとの暮らしを守るため、この際余計なプライドは切り捨てなきゃ。

 

「…一緒に考えて欲しいの。アイツらを、永遠に締め出す方法を」

「うん、分かった」

 

 あっさり頷くキタちゃんに、安堵が一つとモヤモヤ一つ。

 

 ううん、気にしちゃダメ。

 私の葛藤は飽くまで私のモノなんだから、キタちゃんは関係ないもん。

 

 …よし、飲み込んだ。

 

「じゃあ決まりね! …でも、話し合いは後にした方が良いわ」

「ふふ、みたいだね」

「うんうん」

 

 ギンちゃんの言葉に私たちは揃って頷いた。

 言われるまでも無く、みんな足音に気づいていたから。

 

「キタキツネ、晩御飯のジャパリまん……あ、二人もいたんだね」

 

 お盆にご飯と飲み物を乗せて、ノリくんが部屋に戻ってきた。

 

「よいしょっと…何のお話をしてたの?」

「うふふふー…聞きたい?」

「…あ、どうせ秘密なんでしょ」

「あはは、バレちゃった」

 

 ふふ、と肩の力を抜いて、ノリくんはキタちゃんの口に千切ったジャパリまんを優しく宛がう。

 

 キタちゃんは頬を緩ませ、それを口にした。

 

「…別に、一人で食べられるんじゃないの?」

「こうしないと食べられない…って、駄々こねちゃって」

 

 困ったように笑いながら、ノリくんは次の一欠けをまた口元へ持っていく。

 

「…あっ」

「ふふ、残念だったね」

 

 私はその手からジャパリまんをもぎ取って、自分の口に放り込んだ。

 

「あぁ、欲しいならあげたんだけど…」

「…こうしたかったの!」

 

 まだ風邪だし、今回は目を瞑ろうかな…と、思っていた。

 けど、我慢出来なかった。

 

 出来なかったものは仕方ないよね?

 

「あはは、やれやれ」

「全く、二人とも子供で困っちゃうわね?」

「…説得力ないよ、ギンギツネ?」

 

 ギンちゃんは、手の中のジャパリまんに直接かじりついている。

 まるで飼い主に甘えるペットみたい。

 

 私もあんな風にしたいなぁ…

 

「…また後でね?」

「えへへ、約束だよ!」

 

 視線から察してくれたことに喜んで…私はその間ずっと、顔から笑顔が消えることが無かった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「じゃあ、そろそろ真剣な話題にしましょう」

 

 ノリくんはお風呂に入りに行った。

 部屋には私たち三人と、しれっと帰ってきたホッキョクちゃん。

 

 なるべく今日が終わる前に、結論を出してしまいたいな。

 

「最初に、ホッキョクちゃんからお話を聞きたいわ。色々と、調べてきたんでしょう?」

「はい! でも…どれからお話すればいいんでしょうか?」

 

 チラッと見たのは私の目。

 何を話すのか、私に決めて欲しいみたい。

 

「じゃあ、これからの調査計画はどう? 調べたんでしょ?」

「はい。それでお役に立てるなら、お話いたします」

 

 ホッキョクちゃんの話を要約しよう。

 

 火山の調査は今日一日で終わり。

 明日から研究所の探索を再開するらしい。

 

 そしてそれの成否に関わらず、終わった後は各地域の調査を始めるらしい。

 

 研究所の再起動に掛ける時間は最大で三日。

 

 めいいっぱい足止めしても、その時間が経てば奴らはこの雪山にもやって来る。

 

「追い出すなら、明日から三日のうちってことだね」

 

 勿論、研究所の再起動に限界まで時間を掛ける前提。

 

 それに途中で諦めて地方の探索に変える可能性すらあるから、いよいよ何もかもが油断ならない。

 

「それで、追い出した後の話…だったよね」

「二度と来られないようにする方法…難しいわよね。だけど、手立てが無いわけじゃないと思うの」

「…そう?」

 

 私は早々に思考を放棄してしまったけど、ギンちゃんは何か策があるらしい。

 

 こういうところは敵わないね。

 だからこそ、私たちの()()にギンちゃんが自分を捻じ込めたんだし。

 

「キョウシュウは島。陸続きの場所と違って、取り囲む海さえ制圧すればすんなり行くはずよ」

「海を制圧って…随分と簡単に言ってくれるじゃん」

 

 荒唐無稽な立案に私が苦言を呈すると、ギンちゃんはまた口元を歪めて笑った。

 

「セルリアンを生み出せば良いじゃない? ()()だってあるし、不可能な話じゃないはずよ」

 

 「そんなことも出来ないのか」と言わんばかりの態度には若干の苛立ちを感じるけど…まあいい。

 

 こういう場面こそ論理的に、だよね。

 

「今のアイツらは、相当な覚悟を決めてる。例えセルリアンが出たとしても、きっと相応の準備を整えて討伐にやって来るよ」

「…あらあら。だったら、もう何をしても締め出すなんて不可能じゃないかしら」

 

 それは、ギンちゃんの言う通り。

 

 脅威を示しても引き下がらない。

 私たちの存在を明かして交渉なんてタブー中のタブー。

 

 言葉でも武力でもダメなら、本当に方法なんて…

 

「じゃあ…ボクたち()()じゃ無理なんだね」

 

 『だけ』。

 

 その二文字は、私たち以外の存在を示唆している。

 

「…含みのある言い方だね、キタちゃん?」

「手伝ってくれるか分かんないし、もしかしたら危ないかもだけど……いると思うんだ。この不可能を可能に出来るフレンズが」

 

 そんな強大な存在、私は一人しか知らない。

 

 だけど。

 

「……本気で言ってるの?」

「でも、ボクたちじゃ無理なんでしょ…?」

「…あはっ。そう、だね」

 

 ()()()()()、端から私の頭には無かった。

 

 そもそも可能とも思っていなかった。

 

 だけど…そっか。

 

 ここまで万事が休すなら、その手段に賭けてみるのも悪くないかもしれない。

 

「出来るの? 説得」

「出来なきゃ終わり。やって見せるってば」

 

 きっと、利害は一致させられる。

 だから全ては交渉次第。

 

「心配なら、私が交渉のやり方をレクチャーしてあげるわよ?」

「…じゃあ、お願いしようかな」

 

 私がそう答えると、ギンちゃんは意外そうな表情をした。

 

 でもその顔は、すぐに柔和な笑みへと変わっていく。

 

「…うふふ。なら頑張っちゃおうかしら」

 

 失敗できない、絶対に逃せない。

 だから、必要なことは全部する。

 

 今のこの島を守るため。私は覚悟を決め直す。

 

 

 …消えてもらうよ。調査隊さん。

 

 

 



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Ⅶ-183 願い奉り白尾の狐

 シャラン…シャラン…

 

 静かに、そして荘厳に、鈴の音が境内に響く。

 美しく転がすような音色は、この場所でこそ神秘を纏う。

 

 ――私は、丘の上の神社に訪れていた。

 

「…反応なしか」

 

 ガラン、ガラン。

 

 ”ここにいるよ”と伝えるために、私はもう一度、さっきよりも強く鈴を揺らした。

 

 それでも、オイナリサマが出てくる気配はない。

 よく考えてみれば…それが普通なんだけどね。

 

 しかし困った。

 

 これが本場の門前払いかな。

 交渉の土俵にすら立てないんじゃどうしようもない。

 

「いない筈は無いし、無視されてるってことなのかなぁ…」

 

 寧ろその可能性が一番高い。

 

 きっと今頃、オイナリサマは神依君に夢中だ。

 ()()()を境に全く外で姿を見せなくなったらしいしさ。

 

 ちなみにその日、大きめのセルリアンがこの丘の近くに現れたらしいけど…

 

 ギンちゃんは”ここの神様”との関連を疑っていた。

 私としては、どうでも良いかな。

 

 いつかも分からない出来事の話より、今この瞬間オイナリサマが姿を見せないことの方が重大だから。

 

「はぁ…どうしたものかなぁ…?」

 

 文字通りこれじゃ話にならない。

 

 強行突破で結界の中に押し入ろうものなら殺されても不思議じゃないし、オイナリサマが自ら外に出るように策を練る他にない。

 

 勝算があるとすれば何だろう?

 

 真っ先に思いつくのはお供え物。

 やっぱり神様だし、物を捧げてご機嫌を取れば…

 

 

 ――なーんて、まどろっこしいこのこの上ない。

 

 

 そんな遠回しなのは御免だ。

 いつかノリくんがやったように、私は言葉で引きずり出してやる。

 

「ねぇ、お話しない? ヒトがこの島にやって来たの。ここも近いうちに調べられるよ」

 

 返事の代わりに吹く向かい風は、まるで「帰れ」と呼びかけるよう。

 

 もちろん、引き返すつもりなんてさらさらない。

 

「ヒトはちっぽけだけど、集団になると何を起こすか分からない。その結界だって、絶対に安全とは限らないよね」

 

 オイナリサマは、結界という名の安定に引きこもっている。

 

 だから、それを崩す。

 その術は詭弁でもいい。

 

 絶対的な安心に浸かった者は、それが揺らいだ時にのみ執着を見せる。

 

 それが心地よいほど強く、生まれ持った独占欲が強いほど激しく。

 

 

 だから、ほら。

 

 

 風が揺らいだ。

 

 

「考えてみて…ヒトの脅威を半永久的に取り去る策があるの。オイナリサマの力があれば、それが実現できる」

 

 もちろん、揺さぶって不安を与えるだけじゃダメ。

 

 十分に打撃を与えた後は、安心させてあげるの。

 失う恐怖を一瞬でも知れば、取り戻した安寧にはより一層強く執着する。

 

 私は経験で知っている。

 

 だってそうして、ノリくんの心も少しずつ毒に浸していったから。

 

 

 ふふ。

 

 

 …成功だ。

 

 

「…それで、私にどうしろと?」

「手伝って欲しいの。この島を守るために。だって…守護けものでしょ?」

「…あぁ、そんな括りで呼ばれるのはいつぶりでしょうか」

 

 漸く姿を見せたオイナリサマに、私は単刀直入にお願いを伝えた。

 

「ついて来てください。ハリボテの神社ですが、物は揃っていますから」

 

 それは吉と出る。

 オイナリサマだって、神依君との時間を奪われすぎるのを嫌う筈だし。

 

「そこでじっくりと、『策』とやらについて聞かせていただきましょう」

「ありがとね、オイナリサマ」

 

 …だけどオイナリサマは、『じっくり』と言った。

 

 

 どうしてだろう?

 この件を、それなりの脅威として見てくれたのかな?

 

 もしくは…おっと、こっちは良いや。

 

 他人の()()()()に、おいそれと首を突っ込むのも悪いからね。

 

 

 ――ともあれ、第一段階はクリア。

 

 

 私はオイナリサマとの交渉の場を手に入れた。

 

 むしろ、彼女を引きずり出した時点でほぼほぼ勝利しているとも言える。

 

 

 ここからは、悪しきヒトに打ち勝つための作戦会議の時間。

 

 大丈夫。

 もう、負けやしない。

 

 そうして最後の対談は、静かに静かに始まった――

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「……ん、んぅ~」

 

 眠たい眼をこすって身体を起こし、這いずるようにベッドから離れた。

 壁掛け時計を見上げると、まだまだ今は早い時間。

 

 それでも…身体を走った内なる冷たさに、二度寝をする気持ちなんて起こりません。

 

 これまでに無い緊張が、眠気を吹き飛ばしてしまったのでしょう。

 

「何時でも合図を受けられるようにしなければいけませんからね」

 

 声にして耳に言い聞かせ、少し強引にやる気を出します。

 

 …よし。大丈夫。

 

 硬く決意を込めて捻ったドアノブは、驚くほどに軽かった。

 

 

 

「――では、失礼します」

「…おや、もう行ってしまうのかい?」

「はい。わたしにも、”やるべきこと”がありますから」

 

 船に戻って、調査隊の皆さんの監視をするのです。

 

 イヅナさんが予防策は張っていますが、一応。

 

 確かな安全を手に入れる前に何かが起こらないように。

 

「そうか……じゃあ私は、とびっきりに面白いお話を用意しておくよ。次にキミが来てくれた時の為にね」

「ありがとうございます。いつかまた、機会があれば」

 

 …きっと、ありませんけど。

 

「じゃあ、行きましょうか。アイネさんも向こうで待っているはずですよ」

「そうですね、ミライさん」

 

 ロッジの扉が閉じた時、背を押す風がパタリと切れる。

 

 わたしにはその感覚が、まるで縁の途切れ目のように感じられた。

 

「ホッキョクギツネさんは、この部屋で休んでて良いですよ」

「すみません…わたしが、まだ怖がっているせいで…」

「気にしないでください、我々が好きでやっていることですから」

「…はい、ありがとうございます…!」

 

 そんな無価値な対話を終えて、ミライさんは部屋を出て行く。

 

 窓からしばらく外を見守っていると、彼女が数人を引き連れて森へと足を踏み入れていく姿を目にした。

 

 しっかりと見失うまで見守って、視線を部屋に戻す。

 

「さて…暇になりましたね…」

 

 なんとなく、ポケットから箱を取り出す。

 昨日火山で拾った、泥まみれだけど美しい小箱。

 

 わたしはあの後ちゃんと洗って、外側はピカピカになっています。

 

 内側は汚れていませんし、乾かなかった時が怖かったので放置しました。

 

 

「それにしても、一体何が入れられていたんでしょう…?」

 

 

 柔らかいクッションが詰められていて、乗せた指をふわふわと押し返します。

 

 上品な手触りの布は、やっぱり大切なものを仕舞っておくための入れ物のようで……

 

「……ん?」

 

 中をまさぐる指先を、つんと刺すかのような角。

 

 二本指でそれを引っ張ってみると、なんと四角く折りたたまれた紙が出てきたのです。

 

 好奇心の赴くままに、わたしはそれを開いてみました。

 

「なるほど、これは…!」

 

 手紙でした。

 それも、わたしの知っている人物に向けられた。

 

 文面はどうでも良いのです。

 宛名が非常に大事なんです。

 

 でも…そうですか。

 

 やっぱりこれも、関係があるのでしょうね。

 

「さて、いかが致しましょう…?」

 

 身も蓋も無いことを言ってしまえば、わたしが率先して何か働き掛ける理由はありません。

 

 飽くまで最優先は今の任務で、それを疎かになど出来ませんから。

 

 けれどそれとはまた別に、ほんの少し同情の心が湧いてきているのも事実です。

 

「…機会があれば、ですね」

 

 呟いて、思わず笑いました。

 

 今朝森で吐き捨ててきた”機会”という言葉を、まさかこんなにも早く使うことになるとは思わなかったから。

 

「……ふぅ、面白いですね」

「何が?」

「それは…っと、いきなりですね。交渉は終わりました?」

 

 突然出てきたイヅナさん。

 驚きはそっと抑えつつ要件を尋ねます。

 

「バッチリ説得してきたよ。むしろ向こうの方が乗り気だったかも」

「では、始めますか?」

「んー…まあ、そうなるけどね」

 

 歯切れの悪い口ぶりと、頬を掻く指。

 陶器のように白い手の先が、今日は荒れているように見えました。

 

 ええ、失敗できない作戦です。

 

 彼女もきっと内なる緊張に苛まれているのでしょう。

 

「大丈夫ですよ、わたしはイヅナさんを信じています。きっと、成功させられますから」

「…あはは、励ましてくれるの?」

 

 嘲るような笑みを浮かべたイヅナさん。

 でもその顔は徐々に歪んで、そのうち彼女は俯いて……

 

「………ありがと」

「いえ。わたしは無力ですから…これくらいは」

 

 何より、あの人の為ですもの。

 

 

「だけど…さ。ホッキョクちゃんは何も感じないの?」

「と、言うと?」

 

 指の先を突き合わせ、まごまごと振舞うイヅナさん。

 

 滅多に見せない遠慮がちな姿に戸惑っていると、細々と言葉を口にし始めました。

 

「…必要とは言え、()()()の力を借りるんだよ? ホッキョクちゃんは、絶対良い思い出とかないじゃん」

「ええ、そうですね」

「……いや、だからって、どうにかなる訳じゃないけど」

 

 一瞬だけ目を合わせ、彼女は気まずい様子で外を向いた。

 

「珍しいですね。イヅナさんが心配だなんて」

「ホントだよ。私おかしくなってるのかも」

 

 緊張のあまり気を配れなくなる…という話は聞いたことがあります。

 

 イヅナさんは逆なのでしょう。

 

 内に秘めた不安がとても大きいからこそ、外に目を向けて自分の心を直視しないようにする。

 

 今更ながらわたしも、胸が重くなってきたのを感じます。

 

「確かに、あの方のせいで嫌な想いを沢山しました。”死んでしまいたい”…そう思うくらいには」

 

 けれどこの胸に落ちた重しは、決して歩みを妨げるものではないのです。

 

「だけど、もうノリアキ様が居ます。こんなわたしを受け入れてくれています。だから…大丈夫です」

 

「…あはは」

 

 あっけらかん。

 

 向こうの椅子に、落ちるように座って。

 

「そう言われたら、もう何も返せないよ」

 

 憑き物が落ちたような顔で、彼女は笑った。

 

 

 ……ガチャッ。

 

 

「ッ!?」

 

 ドアの開く音に反応して、一瞬で姿を消したイヅナさん。

 

 相変わらずの早業に驚嘆しつつ、わたしは普通を装いながら扉の向こうを見つめます。

 

「あれ、お話する声が聞こえた気がしたんですが…」

「…ずっと一人でしたけど」

「そうですか」

 

 自分で聞いてもカチカチな声。

 これは氷河より硬いでしょう。

 

 けど幸運にも、ミライさんも同様に焦っているみたい。

 

 わたしの異変にも全くの違和感を抱いていません。

 

「…って、そうじゃなくて! …うぅ、やっぱりここにも居ませんよね」

「誰か、探しているんですか?」

 

 何気なく質問をして、直後に後悔した。

 ミライさんの目がギロリとわたしを見つめたから。

 

「アイネさんですよ! 先に研究所の調査に行ったと思ったのに、向こうにも姿が無かったんです…!」

 

 焦燥は激しく、ミライさんは手の甲に血管を浮かべてガシガシと頭を掻きむしる。

 

 まるで追われるような彼女の姿が…わたしには見ていられなかった。

 

「心当たりは、あります」

「ほ、本当ですか!?」

 

 イヅナさんに確認は取れた。

 わたしが一時欠けたとしても、問題なく作戦は行われるでしょう。

 

 今まで散々押しつけられてきたのです。

 

 …今日ぐらいは、わたしのわがままも許されますよね?

 

 

「行きましょう…火山に。アイネさんは、間違いなくそこにいます」

 

 

 

 



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Ⅶ-184 動乱と狂乱

「さて、最後の確認は済みましたか?」

「…うん、いつでも行ける。そっちこそ、もう準備が終わったの?」

「私は、どんな時でも備えを欠かしていませんよ。現に…()()()()()()が有るでしょう?」

 

 さも当然のように語るオイナリサマだけど…ああ、恐ろしい。

 

 自分でも、この計画の壮大さは理解しているつもりだ。

 どれだけの力が必要になるかも、同様に知っている。

 

 だから、まさか一切の準備もなく実行できるなんて思っていなかった。

 

「…そうだね、聞かなくても良かったかな」

 

 勿論味方だったら心強い。

 だけど、忘れたつもりは無いよ。

 

 …必要なら裏切る。

 

 オイナリサマも、言うまでも無く私も。

 

 これは、そんな硬くて脆い共同戦線。

 無論それ以上の協力なんていらない。

 

 存分に、神様の力を利用させてもらうとするよ。

 

「じゃあ、そろそろ始めちゃおっか」

 

 だけど最初は、私のターンだ。

 

 

「ふぅ……えいっ!」

 

 

 手を振りかざして、周囲にサンドスターを撒き散らす。

 

 たくさんたくさん。

 辺りに虹色が降り積もって山が出来上がるくらいに。

 

「もっと…多く…っ!」

 

 しばらくサンドスターを放出したら、次にちょちょいと妖術を掛ける。

 

 サンドスター・ロウと同じように、セルリアンを生み出す力を持った術。

 

 それを使って、輝きのある限りに量産していく。

 

 虹が尽きるまでセルリアンを生み出したら、そいつ等を使役して周囲を歩き回るように命令を与える。

 

 …これで、()()()()()()仕事は終わりだ。

 

「……ふぅ」

 

 額に滲んだ汗を、着物の袖で拭った。

 サンドスターを使うからかな…予想以上に消耗が大きい。

 

 まだまだ大丈夫だけど、これじゃペースが持ちそうにないなぁ…?

 

「おや、もうお疲れですか?」

「舐めないで…全然平気だから…っ!」

「良かったです、私の出番は遠そうですね」

 

 

 膝を付いてなるものか。

 諦めてなんてやるもんか。

 

 

 もう、道は開けている。

 

 

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 

 

 『――月さえ見えずに真っ暗で、道が見えなかった』

 

 

 

 

 

「はぁ…はぁ……っ!」

 

 静かな山肌に風が吹き、アイネの荒い息の音を遠くへと運んで行く。

 今日の風は一段と冷たい。

 

 棒のようにつった脚を単調に動かしながら、彼女はとうとう山の頂に舞い戻ってきた。

 

 今度こそ彼女は一人きり。

 

 今にも崩れ落ちそうな肩を、支える者などいない。

 

「は…ぁはは…! なんで来ちゃったんだろう…?」

 

 丁寧な口ぶりはすっかり抜け落ち、義務と使命で厚化粧をした本心が風に晒され剥き出しになる。

 

 彼女は十年前の世界に居た。

 

 視界には、在りし日の光景しか映されていなかった。

 

「あっ……」

 

 ビュウ…ビュウ…と音を立て、背中を押した強い風。

 ガラガラ体が崩れて倒れ、握った砂が石を噛む。

 

 もはや励ましの後押しすらも、アイネにとっては自らを傷つける攻撃であった。

 

「……行かなきゃ」

 

 さあ、この先などあるものか。

 既に終着駅まで辿り着いてしまった。

 

 或いは執着の心のみが、終わりを知らないのかもしれないが…

 

 

 ――果たして、その欲望が満たされ得るだろうか?

 

 

 狂おしい程に希う父親は、とうの昔に虹に溶けて消えてしまったと言うのに。

 

「やだ」

 

 昨日と同じように火口を覗きこんだ彼女は、そう呟いて煮えたぎる輝きから目を背けた。

 

 背けざるを得なかった。

 あのまま見続けていれば、また釘付けにされていただろうから。

 

「…探してみよう、自分で」

 

 一日遅れた仕事始め。

 よたよたと歩き出した姿は生ける亡者のよう。

 

 もしくは、心があの日に死んでしまったのだと思えば…大して不思議ではない。

 

 そんなことを考えながら、アイネは引き寄せられるように歩いていく。

 

 足取りの先には、あの飛行機の残骸があった。

 

 

「…ボロボロだね」

 

 

 一目見て、そんな感想が飛び出してきた。

 

 確かにひどく損壊している。

 あらぬ角度で地面に突き刺さっているところなど、見るに堪えない。

 

 しかし、アイネはその骸を見て口の端を吊り上げた。

 

 

「懐かしい…こうやって制圧しようとしたヒトも居ましたね」

 

 

 口ぶりは郷愁。

 帰ってきた敬語が余裕の復活を窺わせる。

 

 けれど見つめる瞳の色は歓喜。

 それも、仲間を見つけたかのような視線。

 

「わたくしも本当なら、こんな風に……」

 

 風に、たなびく。

 

 アイネは乱れた髪を整え、腰を低くして飛行機の陰を探り始めた。

 

 迷いなく土を掘る手つきは、そこに何かがあると知っているかのよう。

 

 

 そんなアイネの後ろを、骨を咥えたイヌが走りすぎていく。

 

 ここでは寧ろ珍しい、フレンズではない方のイヌだ。

 

 穴を掘り、咥えた骨を地面に埋める。更に何処から持ってきたのだろう、輝くサンドスターの結晶も一緒に埋めてしまう。

 

 土を足蹴に穴を埋め、彼は満足げに立ち去ってしまう。

 

 きっと、あの骨とサンドスターのことは…長くない内に忘れてしまうだろう。

 

 

 それはさておき。

 

 

 執念深く一か所を掘り続けていたようだが、とうとう何かを掴んだようだ。

 

「っ…あった…!」

 

 爪に何かが当たる音。

 それを聴いたアイネの目は大きく見開かれた。

 

 風を切るように動いた手。

 

 朽ち果てた骨を投げ捨て、その奥にある()()を掌に乗せる。

 

「やっぱり、火山で失くしてたんだ…!」

 

 彼女がとうとう見つけたそれは、小さなアレキサンドライトのあしらわれた腕輪だった。

 

 銀色に形作られた輪っかの内側には、『アイネヘ』と小さな文字が彫りこまれている。

 

 もしかしたら見えないかもしれない。

 涙を浮かべて、曖昧になってしまった視界では。

 

「…よかった、コレだけでも見つけられて」

 

 …だがそんな小さな文字など、文字通りアイネの前では些細なものだった。

 

 彼女は覚えている。

 深く鋭く刻まれている。

 

 その腕輪を貰ったのは彼女がまだ幼く、パークが今よりもずっと平和だった頃の話だ――

 

 

 

―――――

 

 

 

 ジャパリパークには、非常に多くの飼育員や研究者が勤務している。

 

 

 世界の何処よりも多くの謎と神秘が眠り、数多の命が犇めき合うまさに大自然。

 

 普通の動物園と同じような体制では、到底まともに業務が回るはずもない。

 

 だから、ここに務める人間の数は…ごく普通の施設のそれとは比較にならないほど多いのだ。

 

 

 …それはそれとして、ジャパリパークは海の上に誕生した離島の動物園である。

 

 

 中には本島から船で半日かかる距離の島もあり、おいそれと行き来ができる距離ではない。

 

 だから多くの職員は住み込みで働いている。

 

 起こるトラブルの数も桁違いで、例え休みだとしてもパークを離れられないから……

 

 長期休暇の時は、家族の方がジャパリパークまで出向いて共に時間を過ごすということも珍しくはない。

 

 因みに……こういう構造上、職員全員が同じように休みを取る訳にはいかないため、ジャパリパークの長期休暇は『二十四節気』を元に定められている。

 

 

 舞台は秋、『白露』の休みの間のこと。

 

 幼き日のアイネは母親とジャパリパークを訪れ、職員であった父親と長閑なひと時を過ごしていた。

 

 『二十四節気』によって分けられた長期休みは、年に四回訪れる。

 

 しかしアイネがこうして父に会えるのは、多くて二回の休みだけ。

 

 彼女がこの日を何より待ち焦がれていたのも、決して不思議な話ではないだろう。

 

 

 そして今度の休みは、アイネにとって他のどんな記憶より印象的な思い出だ。

 

 

 その訳は何故か。

 

 真実は、キョウシュウの紅葉が風に舞い上がった時にこそ見えることだろう。

 

 

「…ねぇ見てパパ! 葉っぱが赤くてキレイだよ!」

「はは、そうだな! 向こうはどうだ? あっちの原っぱの景色はもっと綺麗だぞ」

 

 父は丘の方を指差して言う。

 アイネは視線で指の先をたどり、目を輝かせておねだりをした。

 

「行く! つれてって!」

「よーし、肩に乗りなさい」

「わーい!」

 

 父に連れられ、真っ赤に染まった丘でフレンズ達に混じって走り回った。

 

 地面を踏むたびに木の葉が舞い、転んでも柔らかいクッションに倒れ込むかのよう。

 

「あははっ…!」

 

 全身全霊で紅葉を楽しんでいるアイネを、父は微笑ましげに見つめていた。

 

 

 

「…アイネ、父さんから贈り物があるんだ」

「それって、プレゼント?」

 

 まともに物を貰ったのなんて、果たしていつのことだろう。

 

 アイネは自らの短い人生の記憶を辿り、おおよそ初めてであるはずの父からの贈り物にとても歓喜した。

 

「中々会えないからね…また無事に会えるよう、お守りを渡すよ」

「お守り…?」

「ああ。アイネがこれを身に付けている限り……神様がどんな災いからでも、アイネを守ってくれるんだ」

 

 手首に通し、大きさを調節してアイネの身体にフィットした銀の腕輪。

 

 その中心で鮮やかな緑に光輝くアレキサンドライトに、アイネの目は釘付けになった。

 

「わぁ……ありがとう、パパ! 大切にするね!」

 

 どんな災いからも守ってくれる、父からの贈り物。

 

 これさえあれば…例え滅多に会えなくても、何も嫌なことなんて無い。

 

 …無い。

 

 ……無かった。

 

 

「…嘘つき」

 

 

 あの日までは。

 

 腕輪は、父を守ってなどくれなかった。

 

 いや、アイネ()生きているのだから、お守りの本領は発揮されたのかもしれない。

 

 その代償が父親の命とは、なんとも救い難いものだが。

 

 

「あれ、何処に行っちゃったの……?」

 

 

 更に不運は重なる。

 アイネの父が命を落としたその日、彼女は腕輪も無くしてしまった。

 

 大切な父からの贈り物。

 

 まさか父と一緒に消えてしまうとは……アイネは、この世の終わりを感じた。

 

 それどころか、願いさえした。

 

 

「パパが居ないなら、こんな世界…!」

 

 

 それでも、アイネは生き続けた。

 他でも無い父の面影を探し続けるために。

 

 父と同じ道を進んで、本部が放棄したキョウシュウの土を再び踏むことを夢見て。

 

 

 そして―――――

 

 

「……パパ」

 

 

 彼女はようやく、心の拠り所まで戻って来ることが出来た。

 

 

 ……だけど。

 

 

「…アイネさん」

 

 また。

 ここにも。

 十年経っても。

 

 平和な時間を奪おうとする者がいる。

 

「色々と…お話しすべきことがあります」

「…やめて」

「調査のこと、このエリアのこと。そして……お父上のことも」

「聞きたくない、あっち行って…」

 

 腕輪を握りしめ、アイネは後ずさる。

 その分だけ、ミライも距離を詰める。

 

 逃げることも、近寄ることも許さないというように。

 

 表情を殺して、ミライは努めて淡々と言葉を紡ぐ。

 

「アイネさん。私たちにはあなたが必要です。調査隊をまとめるリーダーが必要なんです」

「そんなの、誰だって…!」

「あなたしか……最初に声を上げたあなたにしか、務まりません」

 

 ミライの静かな、説得の言葉。

 

 ただ、アイネが普段の様子に戻ってくれるように。

 

 そんな思いを乗せた言葉への返答は…

 

 

「やだ」

 

 

 …拒絶だった。

 

 

「やだよ、やめてよ。わたしから……パパを奪わないでよッ!」

 

 

 他のことなんて考えられない。

 

 父親という凡そ大きすぎる欠如を埋められる存在は、彼女の世界に他にはない。

 

 負の方向に振り切れた、圧倒的な輝きの籠った叫び。

 

 

 その明かりに、引き寄せられて…!

 

 

「っ!?」

「…大丈夫、ですか?」

 

 

 日光を跳ね返し輝く、鋭い爪。

 

 アイネの少し上の空気を掻き切ったその斬撃は、死角から近づいていたセルリアンを確実に仕留めていた。

 

 ふと周囲を見回した彼女。

 

 案の定と言うべきか…山の上からは、島のあらゆる場所に蔓延るセルリアンの姿が本当に多く、よく見えた。

 

 呆然とするアイネに、ミライは告げる。

 

「やはり、この島はまだ危険です」

「や……やだ…!」

 

 最後の抵抗。

 

 力なく振り回された彼女の手。

 

「戻りましょう…パークセントラルに」

 

 

 ミライは優しく握りしめ…そう、穏やかに諭すのだった。

 

 

 



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Ⅶ-185 終わりの始まり

「……それにしても、良くここに居ると分かりましたね?」

「手掛かりがあったんです。昨日、丁度ここで見つけた」

 

 ホッキョクギツネが懐から箱を取り出す。

 

 手の平に乗せて、少しはみ出そうなくらいの大きさの箱。

 件の腕輪を入れても、まだ余裕がありそうな箱。

 

 アイネはそれを見て、とても大きく目を見開いた。

 

「それが…ここに…?」

「はい。この辺りでしょうか…そう、土を被って隠れてたんです」

 

 ホッキョクギツネが指差したのは、アイネがつい先程掘り出した穴の付近だった。

 

「…わたくしに、見せてもらっても?」

「いいですよ、どうぞ」

 

 手に取ったそれを、しばらく呆然と眺める。

 目の端からは涙がこぼれ、口は幸せを噛み締めるようにもごもごと動く。

 

 徐に蓋を開いて、腕輪を中に収める。

 

 …案の定、ピッタリ。

 

 箱がこの腕輪のために作られたことの、何より確かな証明だった。

 

「良かった…やっと会えた…!」

 

 アイネは蓋を閉じ、ぎゅっと箱を胸に抱くようにして瞼を閉じる。

 

 閉じた目の端からも雫は流れ落ち、言うまでも無くそれは喜びの涙だった。

 

「…ミライさん」

「そうですね」

 

 二人はその場を離れ、アイネを一人きりにしてあげることにした。

 彼女にだって聞かれたくない思いはあるだろう。

 

 そして何より…周囲にはセルリアンが蔓延っている。

 

 奴らを撃退するための時間もまた、ホッキョクギツネたちには必要だったのだ。

 

 

「……パパ」

 

 

 アイネは目を閉じたまま……今度は額に腕輪を当てて、伝わる冷たさにクスリと笑った。

 

 腕輪は何も答えない。

 鼓膜を揺らすのは風の音だけ。

 

 けれど、アイネは語り掛ける。

 

 自らの過去を清算し、今こそ次の目標へと進んでいくために。

 

「パパが居なくなってから…大変だった。みんな可哀想に思って優しくしてくれたけど……ダメ、立ち直れなかった」

 

 瞼の裏には、スライドショーのように記憶の光景が浮かんでいるだろう。

 

「何度も後悔して、自分が嫌になって…それでも、頑張ったの」

 

 その一つ一つをアイネは握りしめ、ぐしゃぐしゃに破いて捨てていく。

 

「沢山勉強して、意見を言えるほど賢くなって、今日ここに来た。全部、パパを取り戻すために」

 

 もう悪夢なんて必要ない。

 魔よけの銀が煌めいて、アイネは腕輪を手首に付けた。

 

 逸らさずに視線を向ける。

 

 虹の光を跳ね返し、彼女の想いに応えるように、腕輪はより一層強い輝きを放ち始めた。

 

 アイネは決意した。

 もう、余計な言葉なんて要らない。

 

 

「ありがとう。さよなら……()()()()

 

 

 絞り出すような辛い一言。

 そのたった一言で一体何が変わったのだろう。

 

 彼女の時計が一気に十年の時を刻むような、そんな奇跡は起こらない。

 

 けれど、無駄な決意ではなかった。

 

 止まっていた時計の針を、一ミリでも動かす。

 零を一に変える。

 

 風向きがふっと入れ替わり、背中を押してくれていた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 場面は変わって、ミライとホッキョクギツネ。

 アイネからそう遠くない砂利道の上で、セルリアンと相まみえていた。

 

 爪を振るい、戦うのはホッキョクギツネ。

 

 ミライはホッキョクギツネの戦況を確認しながら、この島の行く末を案じていた。

 

「予測していない大発生……一体、何が」

 

 逃げるための経路を確認してみれば、セルリアンの多さに辟易してそんな言葉が漏れる。

 

 彼女はこの惨状を一目見て、調査隊の力だけでは到底対処不能であることを一瞬のうちに悟った。

 

「これは…ダメかもしれませんね…」

 

 何を想うでもなく、諦めの言葉が口をつく。

 自然な流れであろう。

 

 例えば総員で大挙して攻めたとして、それで火山をどうこう出来るだろうか?

 

 ましてや、今ここに居るのはホッキョクギツネただ一人。

 

 彼女には露払いをしてもらって、少しでも長く時間を稼ぐ他に術はないとミライは考えている。

 

 

 島を調査することは諦めても、生きることを放棄したつもりは無い。

 

 

「願わくば元凶を探し当てたい所ですが……アイネさんを連れていくのが先でしょうね」

 

 ふー、すー、と息をする。

 予想外の重なった状況の中でも、論理的な判断は忘れない。

 

 それが、一流のパークガイドの矜持だ。

 

「ホッキョクギツネさん、少し行ってきます。すぐに戻って来ますが、どうかご無事で」

 

 ミライは行った。

 ホッキョクギツネは見送り、独り言のように呟いた。

 

「…イヅナさん、聞こえますか」

「一応ね。私のお仕事は終わったから」

 

 真っ白な空。

 近くを見れば、真っ白な狐。

 

 虚空からイヅナが姿を見せた。

 

()()()()は…やはりイヅナさんが?」

「そうだよ、説明もしたでしょ?」

「聞きました。でもいざ目の当たりにすると…信じられませんね」

 

 たった一人のフレンズが、まさか島を覆い尽くさんばかりのセルリアンを生み出すなんて。

 

 イヅナの埒外さを幾分かは知っているホッキョクギツネも、これには大層驚かされた様子だった。

 

「……セルリアンは、本物なんですよね」

「そうじゃなきゃ、向こうも本気にならないから」

「フレンズの皆さんも、襲われるんですよね」

「ま、セルリアンって()()()()()()だし」

 

 淡々と無情さを説くイヅナ。

 ホッキョクギツネが見せる不可解な優しさに、彼女は不審な目を向けていた。

 

「…まさか、同情してるの?」

「わたしは…出来るなら、誰にも苦しんでほしくありません」

「あぁ…そう」

 

 お人好し。

 そう言いたげに、イヅナの口が空気を噛んだ。

 

 けれど言葉は音とはならず、代わりに理屈が飛んでくる。

 

「私だって……こんなバレたらノリくんに怒られるような方法、好き好んで使ってるわけじゃないよ? でもほら、他に無いからさ」

「ええ…分かっています」

 

 ホッキョクギツネは舌を噛んで頷く。

 

 イヅナと違い、彼女は余計な犠牲を良しとはしていない。

 ()()()()()犠牲ならば、喜んで払うことだろう。

 

 ともあれ、今度のそれは必要なコストではないと考えている。

 

 だが彼女が幾ら反感を抱いても、今更作戦を中止することなどできない。

 

 ごめんなさい…そう呟く。

 名も分からぬフレンズたちの無事を、そっと胸の中で抱いたホッキョクギツネだった。

 

「ま、今回は諦めなって。それより、ホッキョクちゃんもまだ仕事が残ってるからね」

「大丈夫です、覚えていますよ」

 

 

 ホッキョクギツネに課せられた恐らく最後の任務。

 

 それは調査隊がこの島を完全に去るまで、最初に演じて見せた『被害者』の立ち位置をそのままに保っておくこと。

 

 『黒幕』のイメージを彼らに一切持たせないまま、不運にも撤退を強いられてしまったと思いこませておくこと。

 

 そのための駒として、ホッキョクギツネは実に重要だった。

 

「私はオイナリサマと最後の調整をしに行くから、そっちはすっかり任せたよ」

「ご安心ください、任された以上はやり遂げます」

 

 ゆらり。

 空間が奇妙に歪んだ。

 

 イヅナの姿は、まるで蜃気楼であったかのように跡形もなく消え去った。

 

「あと少しで、何もかも平和になる…」

 

 例え才能があって、ある程度楽しいことだとしても。

 誰かを騙し続けることに、ホッキョクギツネは疲れを感じていた。

 

 だから、ここに来てようやく鮮明に見えた終わり。

 

 彼女が深く安堵のため息をついた気持ちも、分かる人はきっと多いだろう。

 

 

 

「…お待たせしました」

 

 そこへ、アイネを連れたミライが戻って来る。

 

「アイネさん…」

「ご心配をお掛けしましたね。わたくしは、もう大丈夫です」

 

 アイネは晴れやかな顔をしていた。努めて明るく振舞っていた。

 

 決して無理ではない。

 この空元気は、いつの日か満ちる類の空箱だった。

 

「……無事で、何よりです。これからはどうするんですか?」

 

「私たちはキョウシュウから撤退します。でも、これで最後にする気はありません。……ありのままの現状を伝え、更なる準備を重ねて、また戻ってくるつもりです」

 

 希望に満ちた表情で宣言をするミライ。

 今度はホッキョクギツネが努める番だった。

 

 哀れみ、或いは冷ややかな目。

 

 気を抜けば向けてしまいそうになるそんな視線を抑え、努めて彼女は暖かい視線を作り上げた。

 

 生暖かい、嫌な温み。

 自分自身で、そう感じていた。

 

「…そうですか、寂しくなりますね」

 

 嘘をつくときは、言葉も選ぶ。

 

「大丈夫です、なるべく早く戻って来ますから」

「…ええ、頑張ってくださいね」

 

 だから彼女は、なるべく本心の言葉を使うことにした。

 

「さあ、研究所の調査に赴いた皆さんも連れ戻さないとですね」

「事態は一刻を争います、早く向かいましょう」

 

 そんなこんなで、またやり過ごすことが出来た。

 終わりまで、残り僅か。

 

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 

「今回の調査、決して芳しい結果を手に入れた訳ではありませんでした。寧ろ、厳しい現実を知ったと言えます。ですが―――」

 

 

 港の埠頭で、アイネが全員に向けて演説をしている。

 

 調査隊全員に向き合い、今回の結果を無駄にしないよう、芯の通った言葉で鼓舞している。

 

 良い言葉だ。ホッキョクギツネは思った。

 そして、虚しくなった。

 

「お別れ、なんですね……」

「少しの間です。そう寂しがらせはしませんよ?」

 

 ホッキョクギツネの隣に並び立ち、ミライが肩に手を置いて励ます。

 

 しかしミライは、隣のキツネが抱いていた感情の一欠片も理解していない。

 それが出来るだけの情報を持ち合わせていない。

 

「…えぇ、わかってますよ」

 

 責めるのは筋違いだ。

 隠したのは彼女の側だ。

 

 だからホッキョクギツネは、その一言で返事を済ませた。

 

 そう、わかっている。

 

 ミライがそんな言葉を自分に掛ける理由も。

 これから、この島で何が行われるのかも。

 

 よもや彼女こそが今この瞬間、この島で一番多くのことを知っている存在かもしれない。

 

 辛さを押し殺しながら息を吐く。

 知るということは、時に辛いものだ。

 

「…ミライさん、最後に一つ、訊いても良いですか?」

「ええ、何でもお答えします! あ、スリーサイズ以外で……」

「…ふふ」

 

 ”スリーサイズ”という言葉の意味を、ホッキョクギツネは知らなかった。

 けれど慌てるミライの姿が面白くて、笑った。

 

 それが、彼女がミライに向けた最後の笑みだった。

 

 

「もし、目標の目の前で壁に行き詰まったら、どうしますか?」

 

 

 次に向いたのは、問いだ。

 

 

「諦めませんよ。見えている限り、絶対に辿り着けると信じてますから」

 

 

 その問いは、ある種の情けだったかもしれない。

 

 

「ありがとうございます、答えてくれて」

 

「…うふふ、どういたしまして! 少しでも良いことが出来て、私も嬉しいですよ」

 

 ホッキョクギツネは顔を伏せる。

 

 先を思うと虚しくて、目を合わせる気にはならなかった。

 

「ミライさん、もうすぐ出航します!」

「分かりました! …ホッキョクギツネさん、それではまた…いつか!」

「はい……()()()、また」

 

 

 いつか。

 

 

 運が良ければ、()()()()()()()()にでも。

 

 

 出航の音が鳴る。

 

 

 それを耳聡く聞き付けたように、島に吹く風もふわりと変わる。

 

 

「さようなら…お元気で」

 

 

 永遠のお別れを、涼しい海の風に乗せて。

 

 

 終わりが始まる場所を、潤んだ瞳で見つめた。

 

 

 



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Ⅶ-186 果報は寝て待て

「…行ったよ。もう始められる」

 

 私は、転移で火山の頂上に現れる。

 そして一言、目の前に居るオイナリサマに報告した。

 

「……とうとうですね。この島が、私たちのモノになります」

 

 オイナリサマは無感動に告げる。

 

 事実、この島の行く末なんてどうでも良いんだろうね。

 放置すれば害になるかも知れないから、その可能性を元から絶っておくだけ。

 

「…ところで、まだ手順の方を聞いてないけど」

「問題ありません。全て私が執り行います」

「…そ、ならいいや」

 

 オイナリサマは色々と問題だらけな神様だ。

 

 だけど、力だけは本物。

 そこは信用しちゃってもいい。

 

 まあ、変なことをするようなら真っ先に止めるけどね。

 

「…始めましょうか、時間が勿体ありません」

 

 口にした言葉はそれだけ。

 本当に碌な説明なく本番にするつもりみたいだ。

 

 歩き出した彼女の後ろに付いていき、私はそれとなく目的地を尋ねてみた。

 

「…具体的には、何処でするの?」

「候補は()()。何処でも良いのですが…まあ、近いのは南ですね」

 

 …へぇ、そういうこと。

 

 私は火口に張られたフィルターを見下ろす。

 確かに…これ程のモノを作れるなら申し分ないだろうね。

 

 別の問題があって私は使わなかったけど……オイナリサマには、解決策があるのかな?

 

 ……本当に、隠し事の多い協力者って難儀だよね。

 

「”神のみぞ知る”……ってこと」

「…どうかしましたか?」

「別に、なんでもない」

 

 神も未来も、祈りよう。

 

 碌でもない願いだけはやめようと、心に誓った。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 徒歩数分、同じく火山の頂。

 朱雀を模したモニュメントが置かれる、火口の南側までやって来た。

 

 彼女の言う通りなら、ここで()()が行われるらしい。

 

「ねえ、本当に何も教えてくれないの?」

「…しつこいですね、必要ですか?」

「せめてさ…何が目的かくらいは、言ってくれたって悪くないんじゃない?」

 

 私がそう言うと、オイナリサマはこれ見よがしに溜め息をついた。

 

 なるほど、彼女はよっぽど詮索がお嫌いらしい。

 

 

 ――知ったことか。

 

 

 私は、何も分からないまま他人に――よりにもよってオイナリサマに――命運を任せるほど破滅的じゃないんだ。

 

 せめて目的は聞かせてもらわなければ…おいそれと開始の号令を受け入れる気にはならない。

 

「…準備ですよ。より確実に成功させるため、エネルギー…つまりけものプラズムを大量に確保したいのです」

「そう、コレで出来るの?」

 

 尋ねれば、首を振る。

 

「正確には、コレを使って()()()()

「……作る?」

 

 示された正解は、如何ともしがたい奇妙なものだった。

 

 

「…いつまでそこに立ってるんですか」

 

 …得心がいかずイマイチ呆然としていると、オイナリサマに手で追い払われた。

 

 仕方ない。

 彼女の言葉がどういう意味か、この目でしかと確かめよう。

 

 オイナリサマを見ると、屈んでモニュメントに手を触れていた。

 

 …何をする気?

 

「危ないので、巻き込まれないようにしてくださいね」

 

 …あ、一応注意はしてくれるんだ。

 じゃあ離れとこ。危なそうだし。

 

 正直、まだ何するか予想ついてないんだよねぇ…

 

「………紅き……を…」

 

 何かぶつぶつ呟いてるね。

 断片的に聞く限り、何かを召喚しようとしてるのかな。

 

 アレから喚び出すようなものなんて、私には一つしか考えられないけど……

 

 

「…っ!」

 

 

 来た。

 

 

 形容しがたき鳴き声だった。

 

 

 鳥のようで、また竜のようで。

 

 だけど姿を見れば、それは間違いなく…

 

 

「…スザク」

 

 

 南方を守護する神。朱雀の霊体であった。

 

 

「もう、なんてもの呼んでくれてんのかな…っ!」

 

 

 話に聞いた『守護けもの』、フレンズとしての朱雀の姿じゃない。

 

 外の世界の童話でも目にするような、完全に鳥の姿をした朱雀。

 

 真っ赤な身体から美しい羽を何枚も散らして、ソレは下界の神に向けて威嚇の声を炎に乗せて吹き付けた。

 

 

「相変わらず容赦がないですね、()()()。……いえ、こっちはただの霊獣でしたね」

 

 

 オイナリサマは軽い動きで難なくその炎を躱し、冗談ともに付かない言葉をソレに向かって投げつける。

 

 反応する訳ない。

 

 私はそう思ったけど…意外にも朱雀は止まった。

 

 首を傾げて、オイナリサマの言葉を逡巡しているかのような様子だ。

 

 

「へぇ、そうなるんだ…」

 

 

 一応『守護けもの』のスザクとの繋がりもあるみたいだし、鳥頭の片隅にオイナリサマの姿でもあったのかな。

 

 朱雀はオイナリサマを凝視し、ともすれば一気に口を開いて呑み込んで仕舞いそうな程に頭を近づける。

 

 …なるほど、オイナリサマの目的が分かった気がする。

 

 

「私が判るのですか、()()()?」

 

 

 オイナリサマの問いかけに、ソレは甲高い鳴き声で応えた。

 

 

 やっぱりそうだ。

 オイナリサマの目的は他でも無い説得。

 

 守護けものとの繋がりを利用して、必要なエネルギーを工面してもらうつもりなんだ。

 

 全部力任せに解決しちゃうかと思ったけど、オイナリサマも考えるものだね。

 

 

 そんな風に私は……勘違いをした。

 

 

「…ふふ」

 

 

 微笑み。

 邪悪な笑い声。

 

 私は戸惑った。

 

 オイナリサマ……本当は何を…?

 

 

「捕まえました」

 

 

 グラリ。

 

 

 空が揺れた。

 否、私の見間違いだ。

 

 揺れたのは他でも無い、朱雀だ。

 

「……!?」

 

 一番驚いたのは勿論朱雀。

 

 当たり前だよね、ついさっきまで好意を向けられていた相手から突如攻撃を受けたんだから。

 

 私は彼女の術式を解析する。

 あれは……重力を操る妖術?

 

 そっか。

 

 だから朱雀もいきなり体勢を崩したし、攻撃される瞬間まで反応できなかったんだ。

 

「オイナリサマ、これで本当に()()の…!?」

「問題ありません、計画通りです」

 

 ……そっか、じゃあ言うことは無いね。

 まあ別に、朱雀がどうなろうと構わないし。

 

 あまりに突拍子もない行動だから驚いただけで、想定通りなら問題ない。

 

 それよりも気になる。

 オイナリサマは、一体どんな方法でエネルギーを朱雀から奪うんだろう…!?

 

「…さあ、参考にさせてもらわないと」

 

 オイナリサマは私の予想を悉く裏切ってくれている。

 厄介な神様だけど、今は結構ワクワクしてるんだ。

 

 ……次の一手をほら、早く見せてみてよ。

 

「喧しいですね、黙っていてください」

 

 苦しみのあまり叫ぶ朱雀。

 その鳴き声を鬱陶しがり、オイナリサマは掛ける重力を強めた。

 

『ギィアアアァァ……アァ………ァ…』

 

 最初こそ更に大きな悲鳴を上げて抵抗していた朱雀だけど、段々とその鳴き声は力を失っていく。

 

 やがて…数分もしないうちに、完全に黙りこくってしまった。

 

「……ふぅ、やっと静かになりましたか」

 

 オイナリサマは飛んで、ぐったりと倒れ込む朱雀の胸の上に立つ。

 

 そして右腕を体内に刺し込んだかと思うと……未だドクドクと脈動する、赤い心臓を右の手に携えて腕を朱雀の体から抜き去った。

 

「まさか…そういうこと…?」

 

 とんでもない。

 

 ああ、何という蛮行だろう。

 そんな方法、私は思いつきもしなかった。

 

 彼女もやはり、一人の神様だ。

 

 ノリくんと同様、私たちとは存在の格が違う。

 ノリくんだってきっと、本気になればこれくらいは簡単に出来るもんね。

 

「……結構、粘っこい感じにくっつくんですね」

 

 背後で塵と化し儚く消えてゆく朱雀に一切目をくれることなく、彼女は手に持った”赤”を眺める。

 

 そして何ということだろう。

 

 段々と拍動に力を失くしていく心臓を……彼女はあろうことか、土の中に埋めてしまった!

 

「これで、後は時間を待つだけですね」

「あれ、もう終わりなの?」

「ええ、七日もすれば完全に準備が整うでしょうね」

 

 うーん、七日か。一週間か…

 

 まあそれだけの時間なら、奴らの準備も終わらないだろうね。

 この程度のコストで確実な成功を収められるなら、それはもう安いものだよ。

 

 ええと…もう本当にやること無いね。

 

「…なら、今日は解散で良い?」

「うーん……少しだけ、お話でもしていきませんか? 一応、心臓(コレ)の様子も観察しておきたいので」

 

 …どうしようかな。

 自分の欲望に忠実になるなら……早く帰りたい。

 

 だってしばらくお出掛け続きで、ノリくんと触れ合う時間が少なかったんだもん。

 

 だけど情報交換も……別の意味では魅力的だな。

 こんな機会、後にも先にも滅多にないはず。

 

「良いよ。()()()()…ね?」

 

 ノリくんに会いたい欲望を、私は好奇心で塗りつぶした。

 

「うふふ、ありがとうございます」

 

 白々しいお礼には愛想笑いを。

 

 わずかな時間ながら、彼女との会話からは幾つもの興味深い情報を得ることが出来た。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「……ん?」

 

 オイナリサマとのお話も終わり、そろそろ帰ろうと立ち上がった時。

 腰を浮かせようと突いた手に、覚えのない感触があった。

 

 不思議に思って下を向く。

 

 すると、信じられないものがあった。

 

「植物……こんな、火山の上に?」

 

 鮮やかな緑に輝く雑草。

 

 一本ならまだいい。

 

 だけど草は、周囲一帯に広く生い茂っていた。

 

 こんな場所に。

 しかも、さっきまで唯の岩肌だったのに…

 

「これが…朱雀の心臓の力です」

「まさかコレが目的で…?」

「あちらを見てください」

 

 オイナリサマの指差した先。

 

 幻想的な緑。

 立ち昇る虹と溶岩の横に広がるのどかな自然。

 

 その中心に立つ、一本の木。

 

 元気に伸びた枝葉の先には、まだ小さい果実が確かに形を付けていた。

 

「…すごいエネルギーを感じる」

「霊獣の恩恵を一身に受け育った樹木ですからね。まだまだ大きく天に伸び、沢山の果実を実らせますよ」

 

 …ビックリ。

 アレでまだ発展途上なんだ。

 

 そして理解した、()()という時間の意味を。

 

「あの実が完全に熟するまでが、”七日”ってことなんだね…」

「その通りです」

 

 オイナリサマ曰く――あの実が完熟すれば、桁外れのエネルギーを内包するようになるという。

 

 恐ろしいな。

 そんな”植物”の種まきを、たったの数十分で済ませちゃうなんて。

 

「……というか、結局教えてくれなかったね」

「あら、何をです?」

「目的の()。エネルギーを使って、()()するかってこと」

「焦らないでください、七日すれば分かりますから」

「…はいはい」

 

 何ともつかない言葉でお茶を濁したオイナリサマの表情。

 あれは疚しいことを隠してる顔じゃない。

 

 そう……説明するのが面倒なだけだね、多分。

 

 ……はぁ。

 じゃあ良いよ、引き下がる。

 

 彼女の言う通り、その日になれば分かることだもん。

 今無理に聞き出して機嫌を損ねるより、我慢して待ってた方が賢いよね。

 

 

 …”この程度の手間も惜しいのか”って気持ちはあるけど。

 

 

「まあ、アレですよ」

「……アレ?」

 

 オイナリサマは身振り手振り。

 頭を抱えて、何か言葉を思い出そうとしている。

 

 どうせ無駄にはなるけれど、これで最後だし一応聞いておくことにした。

 

「…あっ!」

「…思い出した?」

 

 余程いい言葉なんだね。

 自信が表情から本当によく分かるよ。

 

 オイナリサマが口を開く。

 

 私はその唇の動きに…空気の振動に、これ以上なく集中した。

 

 

 そしてついに紡がれる神託。

 

 

「『果報は寝て待て』…そういうことです♪」

 

 

 …………よし、帰ろう。

 

 

 うふふ、久しぶりにノリくんとゆっくりできる。

 

 そう考えると自然と足取りは軽やかになって、風船のように浮かれた気持ちはもう誰にも沈められない。

 

 

 ……今日は、ノリくんにうどんでも作ってあげたいなぁ。

 

 

 



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Ⅶ-187 とても静かな今朝でした

 …アレから一週間、決行の日。

 

 その日私は珍しく、普段よりも早くに目を覚ました。

 

 布団をどかせば夜明けの間際、二度寝も出来ない微妙な時間。

 

 仕方ないから時間を潰して、すっかり眠気を取ってから行こうと思ったけれど……なんと、縁側には先客がいた。

 

 ノリくんだ。

 

 縁側にゆったりと腰掛けて、ぼうっと空を眺めていた。

 

 ノリくんは私の姿に気が付くと、とても驚いたように目を丸くした。

 

「…イヅナ、もう起きたの?」

「ノリくんこそ、こんなに早いなんて珍しいね」

 

 すかさず返すと、肩を竦めた。

 

「あはは、いっつも遅いからね。…甘やかされちゃって」

 

 暖まるものが無いからかな。

 物寂しそうな目をしていたノリくん。

 

 私は隣に座って、腕に尻尾を絡ませて暖めてあげた。

 

 ノリくんはぐるんと巻かれた尻尾を撫でて、満足げに微笑んだ。

 

「…変な夢を見たんだ」

 

 私の手をぎゅっと握って、ノリくんは話を始めた。

 

「夢の中で、この宿に居たんだけどね……なんだか、様子が変でさ」

「…うん」

 

 ノリくんの手を握り返して、私はただ頷く。

 そっと尻尾も撫でてあげて、話しやすいようにゆったりと待つ。

 

 ぱくぱくぱく。

 

 しばらく声を出しかねて、ようやく二の句が紡がれた。

 

「……誰も、いなかったんだ。イヅナも、キタキツネも、ギンギツネも、ホッキョクギツネも。……怖くて、静かな宿が」

 

 震え。

 硬く捕まえられた右手が軋む。

 

 私にはただ、静かに続きを待つことしか出来ない。

 

「それでしばらく探し回って……あはは、足を滑らせたのかな? 温泉に落ちたような感覚がして、そして目が覚めたんだ」

 

 ノリくん……やっぱりまだ、不安で一杯なんだ。

 

 あぁ、私の所為だよね。

 

 記憶も全部消しちゃって、沢山沢山追い詰めて、一人で生きられないように歪めちゃって。

 

「…大丈夫、いつだって私がついてるよ」

 

 だから、私の責任。

 いつまでも隣で支えてあげなきゃ。

 

「……ありがとう、イヅナ」

「うふふ、気にしなくて良いんだよ。ノリくんの為だもん」

 

 それとなく体重を預けてくれたノリくんの体をぎゅうっと抱き締めて、二人で一緒に転がった。

 

「わわ、イヅナ…?」

 

 戸惑うあなたを上にして、冷たい床から守ってあげる。

 腕で捕まえて逃がさない、もがいたって絶対に離してあげない。

 

「ちょ、ちょっと…力が強いよ…?」

「…ぇ……あ、ごめん」

 

 あーあ、やっぱり抑えられなくなっちゃってる。

 

 緊張してるのかな、今日は決行日だから。

 

 ……はぁ、私が何かするわけじゃないのに。

 

 

 

 体を起こして背を伸ばして、肺から空気を全部抜く。

 

 おずおずと距離を取っていたノリくんは、こちらへ遠慮がちに質問を投げかけてきた。

 

「ねぇイヅナ。一つ…聞いてもいい?」

「ん…何かな」

「いや、違ったらごめんね。だけど、何か隠してるような気がして」

 

 ……あは。

 

「そう見える?」

「何となく…最近、出掛けることも多いし」

 

 私を見つめるノリくんの目は、複雑な猜疑心に塗れていた。

 

 信じたいけど、私ならやりかねない。

 そんな感情がありありと見て取れる。

 

 だけど、ある意味では嬉しい。

 

 ノリくんは私を見抜いてくれた、隠し事があることを探り当ててくれた。

 

 ありがとう…でも、教えられないかな。

 

「………」

「やっぱり…言えないことなんだね」

 

 刺々しい沈黙の風が肌を刺す。

 ノリくんの悲しげな目を見ていると、辛くて直視なんてしてられない。

 

「イヅナ、何をする気? まさか、三人を――」

「約束する」

 

 言葉を切って宣言する。

 

 ノリくんの気持ちもよく分かるよ。

 だから、こんな無駄な心配をこれ以上させたくない。

 

 

「キタちゃんにも、ギンちゃんにも、もちろんホッキョクちゃんにも。私は一切危害を加えない。……信じて」

 

 

 肩を掴んで、視線を真っ直ぐに合わせて言い切った。

 面食らったようにぱちくりと瞬きをして……ノリくんは不安そうにもう一度、私に尋ね返す。

 

「……本当、だよね?」

「うん、私の本心だよ」

 

 その質問は、やっぱり不安から生まれた。

 だからそれが跡形も無く消えるように、自信をもって答えてあげないと。

 

「そっか、わかった」

 

 信じたい想いを両手に、胸元の勾玉に祈りを捧げるように、ノリくんは深く頷いた。

 

 そして瞼を開け、ニコッと笑ったかと思うと……優しく私の唇を奪ってしまう。

 

「あっ……」

 

 離れて見えた悪戯っぽい笑みは、かつて私がノリくんに向けた顔みたいで。

 

「……いじわる」

 

 ああ、もう。

 クラクラしちゃったじゃん。

 

 

 

「じゃあ、ちょっと早いけど行ってくるね」

「あ、待って!」

「……?」

 

 名残惜しいけど時間は早い。

 

 指で唇をなぞり、口づけの感触を思い返しながら私が飛び立とうとしていると、思い出したように呼び止められた。

 

 振り返った先のノリくん――少し前の悪戯っぽさは蜃気楼のように消え失せ、普段の可愛い調子に戻っている。

 

 指と指を突き合わせ、控えめに言葉を切り出した。

 

「多分、なんだけどさ…()()()()、今日で終わりだよね?」

「そうだね…うん、多分そうなる」

 

 頷くと、パアッと顔が明るくなった。

 そして今度は、まくしたてる様な喋り方に変わる。

 

「じゃあ…さ、今日は早く帰ってきて? あ、出来たらで良いから…」

 

 積極さと控えめさ。

 二つの要素が丁度良く混ざったような物言い。

 

 グイグイと行きたいけど、断られるのが怖くて強気になれない気持ち。

 

 あぁ、やっぱりノリくんは可愛いなぁ。

 

「いいよ、必ず明るい内に帰って来る!」

「あ、いや、出来たらってだけで…」

「もう、そんなこと言わないで?」

 

 人差し指は「静かに」の指。

 

 ぴとっと押さえて私のターン。

 

「絶対にそうするよ。だって、ノリくんのお願いだもん!」

「…うん、待ってるね!」

 

 

 とても静かな今朝の模様、これ以上なく晴れやかだった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「……あれ」

 

 一直線に火山まで飛んで着けば、件の木の下で佇むオイナリサマの姿がある。

 

 ふわあと欠伸を漏らした神様。

 今日は神様も早起きみたいで、心なしか機嫌も良さそう。

 

 …もしかしたら、彼女にも良いことがあったのかもね。

 

「おはよう、オイナリサマ」

「……イヅナさんですか。おはようございます」

 

 声を掛けると、面倒くさそうに返事をされた。

 別にいいけど、眠たげなのは何とかしてよね。

 

「ねぇ、例の果物ってあれで完熟してるの?」

 

 枝を大きくしならせる、見るからに重そうな果実。

 

 何十個とぶら下がって艶やかに赤を照り返す姿はとても壮観、まあ見るからに完熟している。

 

 けれどやっぱり普通の果物じゃないし、何を隠されるか分かったものじゃないから、一応尋ねてみた。

 

「ふふ」

 

 オイナリサマは私の問いに深く頷く。

 満足の意の表情が、顔にぺったりと張り付いていた。

 

「申し分ない成長度です。朱雀の心臓を肥料にした甲斐がありました」

 

 おぉ…こわ。

 

 歯牙にも掛けず打ち倒した上、剰え()()呼ばわりまでして……いや、出来てしまうなんて。

 

 背筋が冷たくなっちゃう。

 火山だし、雪山よりずっと暖かいはずなのにな。

 

「計画に支障はないってことね。分かった」

 

 ともあれ、安心した。

 実を言うとこの一週間、ずっと不安で気が気じゃなかった。

 

 ありえないと分かっていても、調査隊(アイツら)が戻って来ないか怖くて怖くて。

 

 やっと、その不安から解放されるんだね。

 

「で、いつ始めるの?」

「すぐしましょう。私はイヅナさんを待っていただけですから」

「……意外、私にも役目があるんだ?」

「ええ、とっても大事な()()()()()です」

 

 突如任命された謎の役職。

 その意味を、私はすぐに知ることとなる。

 

「…ちょっと、何してるの!?」

「すぐに分かりますよ」

 

 思わず大きな声が出た。

 果実を一つ摘み取って、向こうに放り投げてしまったから。

 

 案の定、重力に引かれた赤い果実は岩の上に落ちる。

 

 脆い果肉は落ちる勢いに耐えられず、ぐしゃぐしゃに崩れてしまった。

 そして果実の中から沢山の輝きが溢れ出る様は、さながら決壊したダムのよう。

 

 …決壊したダムを見たことが無いのは、内緒だよ。

 

「で、これが何なのかな…」 

 

 

 ダムが壊れた後の様。

 水溜まりならぬ輝き溜まり。

 

 

 そんなのを作って何になると思ったけど……現実は、驚くほど貪欲にやって来た。

 

「あ、セルリアン…!」

 

 そうだった。

 セルリアンは、輝きを求めて徘徊してるんだった。

 

 あんなエサの海……見逃すはずがない。

 

「……まさか、そういうこと?」

「その通りです。ですからイヅナさんには、近寄るセルリアンの退治をお願いしたいのです」

 

 計画実行の本番。

 

 幾つ果実を使うかは分からないけど、間違いなく今より多くの輝きが放出される。

 

 セルリアンがそれを放っておく?

 バカ言わないでよ、来るに決まってる。

 

 例えオイナリサマでも、儀式の最中に襲われちゃかなり面倒。

 

 それで、私が必要ってことなんだね。

 

「理解したよ…でも、変じゃない?」

「変、とは?」

 

 オイナリサマは首を傾げた。

 何が変か分からない訳もないのに。

 

 やれやれ、とことん面倒は嫌いみたいね。

 

「あの木だよ。アレが一番輝いてるじゃん。なんで襲われないの?」

「…まあ、端的に言うなら…『()()()()()()()()()』ですね」

「…濃い?」

 

 確かにくどいくらい光ってるけど。

 

 別にそれが、セルリアンが襲わない理由になるってのかなぁ…?

 

「まあ…水は必要だけど、多すぎると溺れちゃう。熱も必要だけど、高すぎると干からびちゃう。そんなものだと思ってください」

 

 輝きも、眩しすぎたら近寄れない。

 確かに…道理に外れた説明ではないかな。

 

 だったらいっその事、果実も襲えなかったら楽だったのに。

 

「じゃあ、それで納得するよ」

「早く始めましょう、時間が勿体ないです」

 

 …まあいっか。

 

 それが必要なら、やるまでだもん。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 火口の真上。

 

 ふわりと浮き上がったオイナリサマは、空中で幾つもの果実を握りつぶしていく。

 

 サンドスターが溢れ出し、彼女の身体を囲むように立体的で幾何学的な紋様を形作っていく。

 

 魔法陣……ううん、それよりもずっと高度な術式。

 

 あんな精度で作れるなら、セルリアンに妨害される心配なんて無用だと思うんだけど……

 

「まぁ、精密()()()()()…ってこともあるか」

 

 単に集中力の問題なら、それはそれで重大になり得る。

 どうであれ、任された仕事に手を抜く気はない。

 

「さて、早速お出ましみたいだね」

 

 山麓の方から、沢山のセルリアンが火口へと這い上がって来る。

 

 私は空を飛んで、狐火や風の刃で次々と消し飛ばしていく。

 

 戦闘力の差は圧倒的。

 けど、決して簡単な戦いじゃないみたい。

 

「あはは、多いね…すごく」

 

 一言で言えば”四面楚歌”。

 そう、ここは山頂なんだ。

 

 地の利は有れど、相手はあらゆる方向から昇って来ることが出来る。

 

 道なんて有ってないようなセルリアンの移動法なら尚更、制限なんて無い。

 

 軍を立てての戦いならともかく、一人で縦横無尽に駆け巡る戦いに適した戦場では決してない。

 

 山頂を守りつつなんて条件が増えちゃったらもう…”大変”の一言で済ませて良いのかも分かんないよ。

 

「オイナリサマ、後どれくらい!?」

「五分…持ちこたえてください」

「ああもう…わかった!」

 

 体力も妖力も十分。

 大丈夫、問題は精神だけ。

 

 …そう、思ってたけど。

 

「あー……キミみたいなのも来ちゃうんだ」

 

 岩山を越えて姿を見せるは、小山の如きセルリアン。

 

 平地ならとても巨大に見えたろうけど、ここでは残念ながらただ少し図体が大きいだけ。

 

 まあ、きっと強いことに変わりはないけど。

 

「…さっさとしよ」

 

 もう考える時間も無駄。

 セルリアンなら倒すだけ。

 

「…せいっ!」

 

 セルリアンの眼前に狐火を出しながら、横っ飛びで視界から外れる。

 

 我ながら素早い動きだからね、アイツは私の居場所を見失った。

 

 そして私はもう…アイツの弱点を見つけてる。

 

「よし、これで決まり!」

 

 勢いよくかかとを入れて、小山の怪物は爆発四散。

 

「ふぅ、案外楽勝だったね」

 

 さて、強敵も倒しちゃったし、そろそろ準備も終わってくれるとありがたいんだけど……

 

 

「イヅナさん、こちらへ」

 

 

 …やっと、その時が来たみたいだ。

 

 

「何すればいい?」

「こちらに手をかざして、少し力を込めるだけで十分です」

 

 

 言われるまま、妖力を紋様に流していく。

 

 

 段々と、虹色の紋様が白い光を帯びてくる。

 

 

 ……あ、()()()()だ。

 

 

 溢れ出す光が、ついに臨界点を越えるとき。

 

 

「……わっ!?」

 

 

 一瞬だった。

 

 中心から広がる光が……私を、火山を、立ち上る輝きを。

 

 

 この島を、包み込んでいく――――――

 

 

 

 



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Ⅶ-188 神隠し

―――――――――

 

 ……うるさいな。

 

 ホームに足を降ろして、真っ先に思ったことがそれだった。

 

 

 ここはいつも人で溢れているが、今日はとりわけ足音の量が多い。

 はて、近所で何かの催しでもあったのだろうか。

 

 後ろの人に押されるように、オレは改札を通らされる。

 

 …何と言うか、それにしても歩き辛いな。

 

「はぁ…アイツに引き止められなきゃ、もうちょっと空いたのに乗って帰れたはずなんだがな…」

 

 だが、もはや全部過ぎたこと。

 電車だってもう降りてしまった。

 

 ここからは歩いて帰るだけ。

 未だ慣れない、一人暮らしのアパートに向かうだけ。

 

「……空が赤いな」

 

 綺麗な夕焼けだ、明日はきっと晴れるだろう。

 助かるな。

 

 今日の朝はかなり降られて、大学に辿り着くのも一苦労だった。

 

 まあ、今日の話はもういいだろう。

 

「ふぅ…」

 

 肺の空気と一緒に、頭の中も入れ替える。

 そうだった、今日は来週に提出する宿題が出されたんだったな。

 

 それなりに長いレポートだったし、今日から手を付けた方が良いだろう。

 

 入学して早々にこんな宿題とは、やはり獣医への道は険しいのだと思わされる。

 

「……ん?」

 

 …何だ?

 

「号外です、号外でーす!」

「おっ……とと、しまったな」

 

 ボーっとしてたら、いつの間にか新聞を押しつけられていた。

 嵩張るから普段は受け取らないんだが……

 

 まあ、コレも何かの縁か。読んでみるとしよう。

 

 オレは近くの柱に背を預け、一先ず大見出しだけ確かめてみることにした。

 

「………っ!?」

 

 そして、息を呑んだ。

 見出しに書かれた()()()に、オレの目は釘付けになった。

 

 

『現代の()()()!? 突如にして消えた”ジャパリパーク”の島』

 

 

 ジャパリパーク?

 消えた島?

 

 そんなのはどうでも良い。

 

 ただオレは…神隠しという言葉だけは、どうしても見過ごせなかった。

 

「……神依」

 

 神隠し。

 ああ、そうだろう。

 

 天都神依。

 

 まるで神隠しのように姿を消してしまった親友の名だ。

 

 まさか、こんな新聞で思い出すことになるなんて。

 

「一体、何処に行っちまったんだよ……」

 

 今更オレが何を言おうと、神依はきっと戻らない。

 神依が消えた次の日の台詞を、ただ思い出したように焼き直しているだけだ。

 

「……ジャパリパーク、か」

 

 神隠しと言うが、何があったのかは知らない。

 新聞の活字も、今はまともに読めそうにない。

 

 けど、正体も分からない親しみが湧いてきてしまったことも事実で。

 

「獣医なら、頑張りゃ行けるか……?」

 

 どうしてか、オレはそこに行こうとしていた。

 

 神依が消えたあの日から何となくで歩き続けていた。

 

 そんな俺の道に、妙な光が差してきた気がした。

 

「……ん?」

 

 着信だ。こんな時に。

 喋れる気はしないが、一応出なきゃな。

 

「…もしもし」

『あ、遥都くん! ねぇ、ニュース見た? なんか、ジャパリパークって動物園でね――』

 

 耳にスマホを当てると、甲高いアイツの声が聞こえてきた。

 全く、まだ話したりないって言うのかよ。

 

「ああ、それなら丁度号外で見たとこだ」

『そうなんだ! あのね、噂なんだけど、実は――』

「あぁ」

 

 オレ…これからどうしよう。

 

 夕日に向かって歩きながら、妙な縁で受け取った新聞のあの見出しがいつまでも気になって、向こうの声も耳に入らなかった。

 

『聞いてるの、木葉遥都くん?』

「なんでフルネームで呼ぶ? 安心しろ、ちゃんと聞いてるさ」

『……もう、あのね、友達の子が言うにはね――』

 

 …やっぱり、耳に入らないってのは嘘だ。

 

 

 ……うるさいな。

 

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 

「一体、どういうことですか…!?」

 

 アイネの叫びが部屋に木霊する。

 その切実な問いに答えを用意できる者はいなかった。

 

 暫しの冷え切った沈黙ののち、ミライがようやく口を開く。

 

「……ごめんなさい。何が起きたのか、全く把握できていないんです」

「それでも一つくらい、なにか分からないんですか…!?」

 

 肩を揺さぶって尋ねる。

 ミライは目を逸らし、横に立つ研究員に判断を仰いだ。

 

「…せめて、これくらいは」

 

 彼の答えを聞いて、ミライも決意した。

 

「どうか、取り乱さないでください」

 

 そう前置きし、彼女は現状を告げる。

 

 

「キョウシュウが……()()しました」

「なっ……」

 

 

 おお、なんと馬鹿げた物言いだろうか。

 

 だが、他に形容する術はない。

 

 ミライの言こそが最も簡潔かつ正確に、彼女たちの直面する現状を言い表していた。

 

「消失なんて、そんな…魔法みたいな…」

「『魔法』……ええ、丁度そんな感じですね」

「……っ」

 

 アイネは唇を噛み、腕輪をはめた手首をもう片方の手で強く握りしめる。

 

 鋭く刺すような視線を受け、ミライはまた顔を逸らした。

 

 何も分かっていないから、誠実になることさえ出来なかった。

 

「…なんでそんなに冷静なんですか」

「まさか、冷静だなんて…」

 

 アイネは苛立っていた。

 何より、部屋に居る彼らに目立った焦燥の色の無いことに。

 

 彼らは、自分のように焦っていないのか。

 

 まさか、この現状に諦めているのか。

 

 父親の面影を見つけたとはいえ、彼女は全く満足していない。キョウシュウを再びパークの手に取り戻さねば、彼女の目的は完遂しえない。

 

「どうして、ここに来て…!」

 

 セルリアン。

 上層部の反対。

 フレンズたちとのすれ違い。

 

 幾つもの困難を彼女は想定し、それでも成し遂げると決意した。

 

 だがこれはあまりにも予想外……いや、そう形容することさえ酷だ。

 

 考えてもみるべきだ。

 この中の果たして誰が、『目標そのものが消える』事態などというものを想定しうるだろう。

 

 

 否。

 なぜなら彼女たちは化かされた。

 

 だからもう、島の姿さえ掴むこと叶わない。

 

 

「詳しく教えてください、何か出来るかもしれません」

「……わかりました」

 

 頷いたミライの顔は苦い。

 

 その正体は罪悪感、アイネに現実を突きつけるという残酷な行いへの後ろめたさ。

 

「……覚悟は、していますよ」

「はい……こちらを、見てください」

 

 もう、ミライにだって退路はない。

 彼女は今日、決意が伝染することを再確認させられた。

 

 だから、伝えた。

 

 この悪い夢の全てを――

 

 

 

―――――

 

 

 

 ミライから全てを聞いた後。

 アイネは自分の考えを整理するため、寮の自室までゆったり歩いて戻ってきた。

 

 寝室のドアを閉め、重力と柔らかなベッドに身体を預ける。

 

「…ハハ」

 

 空気が口より押し出され、笑い声として形を持つ。

 続く溜め息、現状はとても難しいものだった。

 

 

 ()()

 

 

 そう形容された現象は、やはりその一言で全て。

 

 一つ、島の姿が消えた。

 二つ、島の座標に向かっても何も無い。 

 三つ、あらゆる観測機にも反応しない。

 四つ、消えた瞬間すら定かではない。

 

 何も無い。

 あるのはただ一つ。

 

 『キョウシュウが消えた』という揺ぎ無い事実。

 

 この怪奇現象を、マスコミは『神隠し』と称し大々的に報道した。

 

 だがアイネは実に妥当な表現だと思っている。

 

 こんな冷酷な仕打ち。

 ただの不運とは、自然に起きた現象とは思いたくない。

 

 どこかに神が居て、悪意を以て自分達からキョウシュウを奪っていったとしか思えない。

 

 

 ――そして、その考えは事実である。

 

 

「…万事、休す?」

 

 諦めたくない。

 そんな願望だけが先行して頭の中にある。

 

 手立てなんて無い。

 いっそ、憎き神様にでも祈るべきかもしれない。

 

 ……アイネに思いつくところで言えば、四神が比較的頼りやすいだろう。

 

 彼女には、何処にいるかも分からないが。

 

「パ……お父さん」

 

 神様なんてアテにならない。

 

 アイネは父に祈る。

 今迄と同じように。

 そして今は、腕輪がある。

 

 これで願いが届くようにと、一層強く握りしめる。

 

 

 これからも彼女は努力し続けるだろう。

 

 これまで通り、キョウシュウに戻って来られる日を夢に見続けるのだろう。

 

 絶えぬ努力と涙ぐましい物語が、その先に紡がれていくのであろう。

 

 

 ……しかしこの物語に、それを描く隙間はない。

 

 だから、この場で断言してしまうことにする。

 

 

 彼女たちの道は、希望は、閉ざされた。永遠に。

 

 

 

 そして、完全に閉ざされてしまったのは……『神隠し』をした側、キョウシュウの()()とて、全く同じことであった―――――

 

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 

 ――『神隠し』の正体とは、簡単に言えば結界だ。

 

 

 此度張られた結界は、オイナリサマが神社の周囲に張り巡らせているものと同質。

 

 唯一違うものを挙げるとするなら、それは結界の規模くらいなもの。

 

 即ち、神社の様子を思い出しさえすれば……今のキョウシュウがどんな状態にあるかも、容易に予想することが可能。

 

「…ま、一応メモしておこっか」

 

 いつか必要にならないとも限らない。

 やむを得ず敵対する可能性だって無いわけじゃない。

 

 だから、忘れないうちに書き記しておこう。

 

 キョウシュウを覆い隠した『神隠し(結界)』のことを。

 

 私は筆を執った。

 

 

 ……まずは、一番大事な特徴。

 

 結界は、中にあるもの全ての姿を包み隠してしまう。

 

 この島に移転してきた神社も、結界のせいで全然見えなかったよね。

 

 それと原理は全くおんなじ。

 結界を張った瞬間、この島は周りから観ることが出来なくなった。

 

 今頃外は大混乱かな。

 あはは。

 

 …あと、こっちも重要だね。

 

 結界のおかげで、誰も中には入れない。

 

 見えないようにするだけじゃダメ。

 闇雲に入ってこようとする調査隊とかがいるかもだから。

 

 

 見えない。入れない。

 これが全て。

 

 

「あ、終わっちゃった」

 

 結界だけど、多分本当にこれだけ。

 他に書くことが残ってない。

 

 シンプルイズベスト…って、言うんだろうね。

 

 これ以上なくその言葉を体現した結界は、やっぱり単純だからこそ強力だ。

 

 その性質の単純さゆえに、無駄な解説を弄する隙さえ残っていない。

 

「…でも、()()()についてなら書けるかな」

 

 多分だけど、この先何かに使えるとしたら()()()だよね。

 

 大量のエネルギーを内包した果実。

 もう、この説明だけで色々と使い道を想像できてしまう。

 

 イマジネーションが高鳴っちゃう。

 

 よーし、すらすらすら~って書いて……終わり!

 

「ふぅ、こんなもんで良いかな~…」

 

 毎日毎日外出続き。

 対策の案で頭はいっぱい。

 

 まあるく解決したんだから、もう余計なブドウ糖は使いたくない!

 

 パタンとノートを閉じちゃって、ノリくんの部屋まで一目散!

 

「ノリくん、撫でて~!」

「わわ…イヅナ?」

 

 ノリくんは座って本を読んでて……ううん、今はどうでもいいよっ!

 

「ほら、早くしてっ!」

「あはは、仕方ないなあ…」

「えへへぇ……」

 

 困った顔をしながら、それでもノリくんは優しくしてくれる。

 髪をとかす暖かい手の触り心地が、抱き締めるような眠気を運んで来た。

 

 うとうとしながらノリくんの顔を見上げると、ノリくんは神妙な顔をして空を見つめていた。

 

 目元をさすって、私は体を起こした。

 

「…ノリくん、どうしたの? お空に何かある?」

「ううん、そういうわけじゃないんだけど……」

 

 もやもやと、歯切れが悪い。

 訝しむような、自分自身さえ怪しむような口調で、恐る恐るノリくんは言う。

 

「…ねぇ、イヅナ。お空って、あんなにキラキラしてたっけ?」

 

 ピクリ。

 核心を突く疑問に体が震えた。

 

 ……バレてないよね。

 

 気を抜けば震える声を抑えながら、私はとぼけて見せた。

 

「……ずっと前から、そうじゃなかった?」

「…そっか。そうかもね」

 

 納得して頷いて、ノリくんはまた私を撫で始める。

 

 空がキラキラしてるのは、結界のせいだ。

 結界に使ったサンドスターが、光を跳ね返して輝いてる。

 

 まさか…気付かれるなんて思ってなかったけど。

 

 

「……あれ?」

 

 

 気が付くと、ノリくんの手が止まっていた。

 

「……ぅ…」

 

 いつの間にか寝ちゃったみたい。

 そっか、今日はいい天気だもんね。

 

「ずっと一緒だよ、ノリくん」

「…ん」

 

 耳元でそっと囁いてみると、ノリくんはふっと微笑んだ。

 

 夢の中で聞こえてるのかな。

 夢にも私が出てたらいいな。

 

 私も眠ろう、疲れちゃったもん。

 

 

 ゆうら、ゆうら。空のキラキラが雲にたなびく。

 

 ずっとずうっとこんな感じに、ノリくんだけと一緒にいたいな。

 

 ただ、そう思った。

 

 

 



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Chapter Ⅷ 病んだあの狐を愛してる。
Ⅷ-189 募る未練


 のどかで陽気な春の下。なんて心地の良い空気だろう。

 

『――い』

 

 ずっとこのまま、眠っていたい。 

 

『…おい、神依?』

「……なんだよ、遥都」

 

 やれやれ、どうして起こすんだ。まだ眠いのに。

 

『なにって……そろそろ行くぞ。()()()()の買い物も終わった』

「…そうか」

 

 ええと…あの二人……そうか、真夜と雪那か。

 

 思い出すのに時間が掛かった、バレたら怒られるだろうな。

 

 にしてもやっぱり、途中で起こされると頭が回らない。

 

「そういえば、どこに行くんだ?」

『…なあ神依、それはいよいよ寝惚け過ぎじゃないか?』

「うあぁ……仕方ないだろ、忘れちまったもんはさ」

 

 横を向いたら呆れた目。

 そんなに見たって、何も思い出さないぞ?

 

『…図書館。宿題に使う図鑑を借りに行く』

「なるほど。確かに、そう聞いた気がしなくもないな」

『はぁ……』

 

 はいはい。

 これ見よがしな溜め息なんて、俺には聞こえやしませんよ。

 

 だって、俺は。

 

『ところで神依』

 

 ……俺には。

 

 

『いつまで、昔を懐かしがってるつもりだ?』

 

 

 アイツらと会うチャンスなんて物、二度と巡っては来ないんだから。

 

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 

 虹色淡い空の下、風吹き草舞う縁側で。

 

「……ん」

 

 なんて寝心地のいい床だろう。

 

 ずっとこのまま眠ったままで……

 

「起きてください、神依さん」

「……オイナリサマ」

「うふふ、やっと起きてくれましたね?」

 

 ああ。

 アレは、夢か。

 

 そうだよな、そうでなくては。

 

「…んで、どうした?」

「うふふ、もう。お昼ご飯の時間に起こすよう言ったのは、神依さんじゃないですか」

 

 ああ、確かそうだったか。

 よく覚えてない、そう言ったら、オイナリサマにクスクスと笑われた。

 

「お昼寝も良いですけど、寝惚けてしまったら逆効果ですよ?」

「ああ、反省してる」

 

 よりにもよって、あんな夢を見たことも含めてな。

 

「ところで神依さん」

「…な、なんだ?」

 

 夢の中の遥都と同じような言い回しに、俺は思わず身構える。

 

 だけどまあ、言ってしまえばただの悪い予感だ。

 

 逆立ちしたって当たるわけが……

 

「どんな夢、見てたんですか?」

 

 ……外れてくれよ。

 

「あ、あぁ…まあ、悪夢かな?」

「悪夢……そうですか」

 

 咄嗟に出てきた言い逃れ。

 効果の程は怪しかったが、無事に追及は逃れられた。

 

 流石のオイナリサマと言えど、悪夢の内容を追求することは憚られたらしい。

 

 いや、別に悪魔みたいに思ってる訳じゃないが、今までの行いだけに……な?

 

「では、お昼ご飯をよそってきます。早く来てくださいね?」

「わかった、すぐ行くよ」

 

 オイナリサマは行ってしまった。

 俺も、あんまり怠けちゃいられないな。

 

 さっさと立って歩いていって、茶の間でゆっくり食事をとった。

 

 今日のお昼ご飯は、油揚げ入りのお茶漬けだった。

 

 

 

 その後。

 

 庭に出てきた俺は、ぼうっと空を見上げながら考えていた。

 

 あの夢のこと。

 この頃よく夢に見る、遥都たちのこと。

 

 けれどもしかしたら、”真夜たち”と言った方が良いかも知れない。

 それくらい真夜と雪那が出てくる頻度が高い。

 

 さっき見た遥都がメインの夢は、最近だとかなり珍しい感じだ。

 

 

「なんで今更…いや、今だからか?」

 

 

 オイナリサマの策略に嵌められた俺は、多くの記憶を失った。

 恐ろしい仕掛けだった、忘れられないトラウマだ。

 

 あれから与えられた()()は使っていない。

 

 だから記憶はあの時のまま。

 

 それでも、失った思い出の数は数えられない。

 

 ……数えられるわけが無い。

 

 そして、他の記憶が少なければ少ない程……残された()()()()の記憶が、砂漠を彩るオアシスの緑のように際立って思い起こされるんだ。

 

 

「未練がましいな、俺も…」

 

 

 これまた切っ掛けはあの日。

 俺は激情に任せてオイナリサマに殴り掛かった。

 

 強い想いという輝きもまた奪われ、今日という日まで再び燃え上がったことは無い。

 

 しかし、どんな理由ゆえか。

 

 俺の心を酸のようにじわじわと蝕み続けるこの未練だけは、ゆっくりゆっくりとその勢いを増し続けているのだ。

 

 どうしてだ。

 今更、こんな俺に何が出来ようか。

 

 当然思うところはある。

 

 

 あの日になる前に、二人の凶行を止める何かが出来ていれば。

 

 あの日、身を挺してでも共倒れなんて惨劇を止められていたら。

 

 忘れたいなんて願わなければ。 

 

 助けてなんて祈らなければ。

 

 

「……やり直せたら、どんなに良かっただろうな」

 

 

 それが今ある想いの全て。

 

 未来の姿が全く見えない。

 だから俺は、過去の亡霊に取り憑かれている。

 

 分かってる。もう何も出来ないって。

 

 イヅナ(アイツ)に縋って逃げ出してきたのだって、自分の無力さに気づいていたからだ。

 

「けど…やっぱり、辛いな」

 

 俺はまだ悔やんでる。

 過ぎたことだって割り切れればいいが、それが出来ない。

 

「……そりゃそうか。出来てたら、今頃こんなことにはなってないよな」

 

 

 ――だいたいここまでで一セット。

 

 

 こんな風にぐるぐる悩み続ける日々を、俺は何十日も続けている。

 

 ああいや、本当は何日ぐらいだろうな?

 

 唯でさえ暦と縁の薄いジャパリパークで、軟禁に等しい状況。

 日にちの感覚も、もうほとんど狂いつつある。

 

「あー、なんかしてーなー」

 

 多分できる、やる気があれば。

 けど、やる気も()()で持っていかれちまったよ。

 

 草むらの中。

 

 大の字に寝転がって日向ぼっこ。

 青空を見上げながら、爽やかな惰眠を貪る。

 

 またいつもと同じように、無駄に時間を過ごしていく……はずだった。

 

 

 そう、今日は少し違った。

 

 

 言うなれば運命の変わり目。

 

 とんでもなく大きな変化の切っ掛けが、いとも容易くもたらされた。

 

 

「神依さん、またお休みですか?」

 

 

 そう、オイナリサマによって。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…珍しいな、外に連れ出すなんて」

「うふふ。今の神依さんだと、ずっと結界の中にいたら息が詰まっちゃうかな~…と、思いまして」

 

 そう言ってクスリと笑う。

 いや、別に誰でも息が詰まると思うけどな。

 

 しかし……”今の俺なら”ってことは、これから変える気なのか?

 

「…あら、私の顔に何か?」

「いや、何も」

 

 ああ、まあ。

 疑うまでも無く、そのつもりに違いないな。

 

 備えても無駄だし、気楽にいこう。

 

 ええと、何をするんだろうな?

 

 

「けど火山に来てもな……ここって、できることが一番少ない場所じゃないか?」

「ご安心ください、しっかり目的はありますよ」

「…ならいいが」

 

 久しぶりに来たな、火山。

 前はいつだっけ、下手したらそれも忘れてるのか。

 

 ま…いいか。

 

 見渡す限り、あらゆる方向から島の景色を楽しめる。

 

 火口からはサンドスター。

 若干出やすいセルリアン。

 

 色々と勘案した結果、普通の火山だな。

 

 何か変わった様子がここから確かめられるということもない。

 

「こっちにあります、来てください」

「あ、あぁ……」

 

 オイナリサマの先導に続き、火口の周りを歩く。

 

 ぐるりと見える景色が移り変わっていく様子が……何というかまあ、素敵だったな。うん。

 

 …表現力の欠如。

 

「神依さん、見えてきましたよ」

「おう……え?」

 

 到着と言われ、オイナリサマが指さした先を見て、言葉を失う。

 

 ……え、この光景が、現実?

 

 蜃気楼とか幻とか、化かされてるわけじゃないよな?

 

「あそこが目的地、神依さんへのちょっとしたプレゼントです」

「…マジかよ」

 

 俺は、火山に緑が生い茂ってるなんて思いもしなかった。

 

 でも…いや、確かにな?

 

 ここに来る時、オイナリサマに負われて飛んできたんだけども。

 若干見えてた、下の方になんか緑の場所があるな~って思ってたよ。

 

 でも、麓の森と重なって錯視みたいになってるんだろうな……って思って放っておいてたんだ。

 

 ……なんでここに生えてるんだよ、植物。

 

 チラッと、オイナリサマを見る。

 説明を求めた俺の切実な視線は……

 

「そのお顔を見るに、疑問は沢山あるのでしょう。ですが、気にしないでください」

「気にするなって…え、本気で言ってるのか?」

 

 なんか、軽い調子で流されてしまった。

 

 結構頭に引っ掛かるんだけど、まさか教えない気なのか……

 

「神依さんがどうしてもと仰るのでしたら、カラクリをお教えすることも吝かではありません。ですが……」

 

 おほん。

 咳をして、俺の方をチラチラとうかがう。

 

 ああ、聞き返せってことか。

 

「…ですが?」

「そうすると若干、グロテスクな表現が…」

「素敵な緑だな、オイナリサマ。見てると、些細な疑問なんてどうでも良くなってくる」

「うふふ、そうですね」

 

 仕方ない。

 惨たらしいのは苦手だ。

 

 まあ、フレンズを生贄にだとかそのレベルじゃないはずだし、ここは軽く流すとしよう。

 

 

「それで、肝心のプレゼントって?」

「そう焦らずに。木の下まで行けばすぐに分かりますよ」

 

 くるんと背後に回られて、優しく背中を押されて歩く。

 そのまま大きな木の下までやって来た。

 

 木を見上げた俺は…オイナリサマの言葉の意味を理解した。

 

「なるほど、これか」

 

 鮮やかな緑の葉っぱを沢山、これでもかと広げた枝に……果実がなっている。

 

 その果実は赤く、また時には虹色に輝いて、とにかく普通の果物じゃないことは一目見て分かった。

 

「どうぞ」

 

 目配せをしたら、OKのサイン。

 俺は手を伸ばして、その果物を一つ摘み取った。

 

「…リンゴみたいだな」

 

 見た目からしてそんな形だったが、こうして手に取るとやっぱりリンゴだ。

 

 もちろん本物のリンゴとは違っていて、これは若干ぷにぷにしてて不定形。

 

 ま、こんな不毛の場所で元気に生えるような木の果実だし、それくらいは別にって感じだな。

 

「で、なんでこれがプレゼント?」

「聞いて驚かないでください! その果実には、非常に多くのサンドスターが内包されています」

「まあ、見るからにな」

 

 むしろ、サンドスターそのものですよって言われても不思議じゃないくらい虹色に溢れてさえいる。

 

「そうです。ですから、最近お疲れの神依さんにピッタリの栄養フードになるのではないかと思って……」

「栄養フードねぇ…」

 

 怪しさ抜群だけど…

 今回は、本当に心配してくれただけだろうな。

 

 ありがたく頂くとしよう。

 

「ん……お、結構いい味…!」

「えへへ、いっぱい工夫を凝らしましたから…」

 

 …工夫ね。

 

 ただの木に一体何をしたことやら。

 聞くとまたグロテスクになりそうだから追及はしない。

 

「……折角のお仕事ですもん、ただのエネルギー源じゃ不満でしたからね。上手に活用できてよかったです」

「…ん?」

「あぁ、気にしないでください、独り言です」

「そうか」

 

 そんなこんなでペロリと一個。

 なんか釈然としない流れだったけどまあ、そんなもんか。

 

 突然もらったプレゼントは、中々の逸品だった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 ……あれ?

 

 そういえば、アレって試したっけか。

 

 ああいや、今迄の話の流れとは全く関係ない。

 だけどふと、思いついたことがある。

 

 

 ……俺の能力って、オイナリサマを再現できるのかな。

 

 

 よし、やってみるか。

 

 丁度さっき食べた栄養フードで、必要なサンドスターも足りそうだからな。

 

 オイナリサマを再現と聞くと仰々しく考えてしまいそうだが、何も難しいことはない。

 

 いつも通りの再現。

 対象がオイナリサマになっただけ。

 

「ふっ……!」

「…神依さん?」

 

 まずは起こす、オイナリサマのイメージを。

 次に構築する、まずは体の中で、彼女の形を。

 

 これで、前準備は完了。

 

 

 そして最後に、外に向けて―――!

 

 

「……ぐっ!?」

「か、神依さん、大丈夫ですか!?」

 

 

 頭痛に襲われ、一瞬で何処かへと消えたサンドスター。

 失敗へのスイッチは一瞬。

 

 オイナリサマの再現は、叶わなかった。

 

 膝を付いた俺は、オイナリサマに背中を擦られながら、失敗の原因を探す。

 

 果たして、何がいけなかったんだ…?

 

「神依さん、突然どうして……あ」

「……ん」

 

 途中まで疑問形だったオイナリサマが、急に合点の言ったように声を出す。

 

 続く言葉に、俺は度肝を抜かれた。

 

「ねぇ神依さん、もしかして、私を再現しようとしました?」

「っ…!?」

「うふ、図星なんですね」

 

 動揺…は、仕方ない。

 問題は、オイナリサマに悪意を感じ取られないかどうか。

 

 無いけど、あるように思われたらお終いだ……!

 

「実は、セーフティを掛けておいたんですよ。神依さんが私を再現して、万一にも忘れてしまわないように」

「そ、そうだったのか……」

 

 説明も頭に入って来ない。

 とにかく無理ってことは理解した。

 

 それよか、俺が恐ろしいのは……

 

「今回はただの出来心ですよね? まさか、私を忘れようだなんて…」

 

 来た。

 もう小細工なんていらん。

 

 全力で否定しなければ。

 

「ないない! サンドスターがたくさん身体に入って、もしかしたらできるかなって思っただけだから!」

「うふふ、そうですよね……」

 

 安心したように微笑むオイナリサマを見て、俺も気が緩んで笑ってしまった。

 

 ハハハ、妙に清々しい気分だ。

 極度の緊張とは、こうも人をおかしくするものだな。

 

 

 

 ……あぁ、さっきの再現未遂でサンドスターをかなり持っていかれた。

 

 もう一個ぐらい食べて、サンドスターをもう一度補給したいな。

 

 

 ……あれ?

 

 

 なんか、果実が少なくなっているような………

 

 

「神依さん、どうぞ」

「え? …あぁ、ありがとう」

 

 なんだ、オイナリサマが先に摘んでくれてたんだな。

 

 …でも、一個か。

 

 もっと数があった気がするが…思い違いかもな。

 

 まあ、今はコレを食べて忘れよう。

 そのうち、また沢山生るに違いない。

 

 忘れよう。

 食べて、忘れよう。

 

 あんな未練も、忘れたいけど。

 

 

 



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Ⅷ-190 誕生日会が突然に…?

「ノリくん! お誕生日…おめでとーっ!」

 

 

 パァンッ!

 イヅナが鳴らしたクラッカーから、色とりどりのリボンが舞い散る。

 

 

「え、えっと…」

「もう一年かあ、長いようで短かったね。思い出をたくさん作ってきたけど、今日は今までで一番……」

「ちょ、ちょっと、待ってってば!?」

 

 全然わからん話の流れ。

 僕は思わずイヅナを止めた。

 

「……ん?」

 

 ことん。

 可愛らしい擬音を立てて、イヅナは首を傾げる。

 

 だけどそんな風にされても、僕にはやっぱり戸惑うことしか出来ない。

 

「イヅナちゃん、誕生日ってどういうこと?」

「そうよ。私たち、そんな話全然聞いてないわ」

 

 ほら、キタキツネとギンギツネも困惑してる。

 

「……?」

 

 ホッキョクギツネに関してはまあ……”誕生日”そのものを知らなくても、仕方ないのかな。

 

 

 そんな三人にはお構いなし。

 

 イヅナはただ僕だけを真っ直ぐ見つめて、うっとりとした表情で話し出した。

 

「今日はノリくんがこの島に来て365日目、つまり一年なの」

「うん」

「つまり今日はノリくんのお誕生日でしょ?」

 

 そっか、誕生日。

 

 僕が果たしていつ生まれたのか、色々と考える余地はあるけど……まあ、別に今日でいいのかな。

 

「…多分、そうなるね」

「そう。だから、お誕生日会を開くことにしたんだ!」

「そうなんだ…サプライズ?」

「うん、驚かせたくって」

 

 だったら成功だね。すごく驚いたよ。

 

 ……クラッカーの音に。

 

 

 ええと…さて、そんな感じに僕は丸め込まれた。

 

 けれど僕以外の不満は残ってるみたい。

 まずは、キタキツネが口をとがらせて文句を言い始めた。

 

「ねえ、だったらなんでボクたちに黙ってたの?」

「え? だって絶対に一番に祝いたいじゃん」

「ぐ…」

 

 一番が良いから黙ってた……か。

 

 何ともイヅナらしい答えだね。ちょっと安心しちゃった。

 けど、やっぱりキタキツネには不服なのかな。

 

「………確かに、そうだね」

 

 そうでもなかった。

 というか、説得されちゃった。

 

 でもまだ一言目だよ?

 

 もしかして、そんなに共感できる考え方だったのかな。

 

「ボクも…ノリアキの一番になれるなら、それくらいする」

 

 うん、そうらしい。

 

 とりあえずこれで、キタキツネの不満は解決……かな?

 

 

 あとは、ギンギツネとホッキョクギツネだけど……

 

 

「イヅナちゃんのことだし、もう準備も終わってるんでしょ? なら、今になって私からとやかく言うことは無いわ」

 

 

「……?」

 

 

 ギンギツネは半ば諦めてて、ホッキョクギツネは…眠たいのかな?

 

 ともあれ文句はないみたいだし……いいかな。

 

 

 みんなの様子を見て、イヅナがうんうんと満足げに頷く。

 

 景気づけにもう一つ、始まりの合図のクラッカーを鳴らした。

 

「よーし、話もまとまったし、早速始めよっか! 待っててね、キッチンにお料理がいっぱいあるから!」

「ああ、だからずっと立て籠もってたのね」

 

 ギンギツネがそう呟いた頃、イヅナは既に部屋の外。

 

 バタバタと走り回って、時に念力で空中に浮かせながら、次々にお皿いっぱいの料理をテーブルに運んで来る。

 

 美味しそう。

 確かにとっても美味しそうだけど。

 

 ……こんなにたくさん、食べられるかな?

 

 それと、ある食材のせいで色合いがちょっとね…

 

「…油揚げ、やっぱり多いよね」

「好きなんでしょうね、こんな風に埋め尽くしたいくらいには」

「イヅナさん、今日は張り切ってますね」

 

 感心しているホッキョクギツネ。

 

 キラキラな目でトントンと並べられていく料理を眺めている。

 長らくボーっとしてたけど、さっきの話は聞いてたのかな。

 

 一応、聞いてみよっか。

 

「えっと、ホッキョクギツネ……わ、分かってる?」

「はい。なにか、ノリアキ様にとって特別な日でしょう?」

「……あはは、すっかり忘れてたけどね」

 

 でも、お誕生日か。

 改めて考えてみると、とっても不思議な感覚。

 

 僕が生まれた瞬間ってきっと、あのロッジで最初に目を覚ました時だよね。

 

 それを覚えてるなんて珍しい。

 もっと言えば、生まれ方も普通じゃないし。

 

 ……それは、フレンズのみんなも一緒かな?

 

 ホッキョクギツネを見た。

 この子も、動物にサンドスターが当たって生まれたんだよね。

 

 やっぱり不思議だ。

 彼女を見つめる瞳に、好奇心が入りこむ。

 

 ホッキョクギツネは僕の視線に気づくことなく、イヅナに視線を向けている。

 

 しばらくの間じっと目で追い続けて、一言。

 

「…羨ましい」

「え?」

 

 小さく呟かれた言葉に、僕は驚いた。

 羨望と呼ばれる感情は、ホッキョクギツネとは縁の遠いものだと思っていたから。

 

 彼女は一瞬僕を見る。

 

 そして正気に戻ったように飛び跳ねて、しどろもどろな弁明を始めた。

 

「あ、いえ……イヅナさんは、一日も欠かさずに数え続けてきたんですよね。ずっと、今日の為に」

「うん…だと思う」

 

 またイヅナに視線を向ける。

 

 今度は分かった。

 秘められた想いは憧憬だ。

 

「あぁ、やっぱり羨ましいです……そんなこと、わたしには最初から不可能でしたから」

「…そっか。そうだね」

 

 ホッキョクギツネだけは、この島出身じゃないんだ。

 

 この島の外で、ホートクで出会った。

 だから、僕の最初の瞬間に立ち会えるわけもない。

 

 出会いの瞬間から既に閉ざされていた可能性。

 

 最初から僕と一緒に居られたイヅナに、いくら羨みの気持ちを抱いても何もおかしいことは無い。

 

「……でも、そこまで気にしてません」

 

 ふんわりと強く、腕を抱き締められる。

 柔らかな上目遣いで、彼女は頬を擦りつけた。

 

「今、一緒にいられる。それで、十分に幸せです」

「…そっか。ありがとう、ホッキョクギツネ」

 

 みんな、僕を必要としてくれている。

 

 でも僕はきっとそれ以上に、必要とされたがっている。

 

 だからこの優しさに甘えてしまう。

 溺れてしまう、温泉のように暖かなドロドロの中に。

 

 お誕生日会はきっと、もっといつもより盛り上がるはず。

 

 

「もうすぐ始まりそう…楽しみだね」

「はい、そうですね♪」

「ちょっと、ホッキョクギツネばっかりくっつかないでよ!」

「あらあら、もうお熱くなってるのね…?」

「もう、私が準備してるのにみんな何なのー!?」

 

 

 あれれ。

 おかしいな?

 

 この危なっかしい騒がしさが、もっと欲しい体になっちゃった。

 

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 

「じゃあ、改めて”おめでとう”の言葉を……」

 

 何処から出したかクラッカー。

 大きさはなんと今日一番、中身も音も最大級。

 そうだね、耳は閉じておこう。

 

 ふぅと大きく息を吸ったら、その時までのカウントダウン。

 

 

「3、2、1……!」

 

 

 さあ、ついに――!

 

 

「これ食べたい! ねぇノリアキ、取って?」

「…え? あ、うん……はい、どうぞ」

 

 遮るようにキタキツネ、僕にジャパリまんを取ってもらおうとする。

 

 味は質素ないつもの青。

 パーティーなのに、コレで良いんだ……

 

「私がこれがいいわ。お願いできる?」

「う、うん…いいよ。はい、ギンギツネ」

 

 それに続いてギンギツネ、こっちは天ぷら、見栄えが良いね。

 

「あ、あの、ノリアキ様……」

「…これだね、よいしょっと」

 

 ホッキョクギツネはおずおずと、お魚の握り寿司を指差した。

 

「……」

「えっと、その…イヅナは、どれにする?」

「…これ」

 

 涙目のイヅナ。

 

 この子がこんなに目を赤くしたのは……キタキツネがイタズラで、稲荷寿司の中にワサビを大量に混ぜ込んだ時以来というもの。

 

 勢いに押されて取っちゃった僕も悪いけど、かわいそうだなあ……

 

 とりあえず、イヅナが指差した鼠の天ぷらは取ってあげた。

 

 でも、どうしよう……

 

 

「ねえ、誕生日ってそんなに大事? ボクはよく分かんないけど」

 

 イヅナの気持ちを知ってか知らずか――十中八九わざとだろうけど――キタキツネが挑発するような言葉を口にする。

 

「あはは、キタちゃんには理解できないよね? 大丈夫、期待してないよ」

 

 イヅナもいつもの調子で煽り返して、視線はバチバチ。

 

 結局、普段と大して変わらないご飯の席になっちゃった。

 

「もう、二人とも落ち着いて?」

「でもキタちゃんは…!」

「イヅナちゃんが…!」

 

 この時ばっかりは口を揃えて、二人は互いを責め立てる。

 

 分かるよ、気持ちが抑えられないこと。

 だから、真ん中にいる僕がキッチリ収めないとね。

 

 頭を撫でながら、二人をそっと宥める。

 

「お願い、今日は我慢してくれないかな? ね、せっかく豪華なご飯がいっぱい並んでるんだからさ」

「ん…」

「で、でも……」

 

 イヅナは納得してくれた。

 キタキツネは若干渋っているみたい。

 

 じゃあ……アレ、やろっかな? 後が怖いけど…

 

「…キタキツネ、お口空けて」

「……あーん」

 

 大きく開いたキタキツネの口に、半分に割った稲荷寿司を押し入れる。

 

 出汁のよく染み込んだお揚げに、単純ながら美味しい酢飯。

 一段と気合の込められた、イヅナ一番の力作だ。

 

「…おいしい」

「うふふ、当たり前でしょ? だって私が作ったんだから…!」

「そう、だったね」

 

 美味しく食べてはいたけれど、”イヅナが作った”と言われると表情を苦くするキタキツネ。

 でも手ごたえはあった、もう一押しだね。

 

「これを食べられるのだってイヅナのおかげだからさ、どうにか…抑えてくれないかな?」

 

 パチンと手を合わせて、懇願のポーズ。

 

 やっぱり最後は頼んで落とす。

 単刀直入なお願いごとに勝る言葉は無いよ。

 

「…わかった。今日は、我慢する」

 

 ほらね。

 これで一件落着。

 

 気を取り直して、お誕生日会を楽しもう。

 

「丸く収まったところで、私から一ついいかしら?」

「ど、どうしたのギンギツネ…?」

「ふふ、あーん」

 

 大きく口を開けて、目の前で止まったギンギツネ。

 

 困った僕が固まっているのを見かねて、今度は耳元で静かに囁いた。

 

「…私にも、キタキツネみたいに食べさせて欲しいわ?」

「あ、うん…」

 

 やっぱり始まっちゃったよ、食べさせられ合戦。

 

 まあ仕方ない。

 今回はイヅナのお寿司の力で説得したけど、食べさせたことには変わりないもんね。

 

「じゃあ、これでどうかな」

 

 ギンギツネのお口に、サクッと香ばしいかぼちゃの天ぷら。

 

 あむっとくわえたギンギツネは……あ、あれ?

 

 どうしてだろう。

 いつまで経っても、食べようとするそぶりを見せない。

 

「……ん」

 

 …と思ったら、天ぷらを口にしたまま顔をこっちに近づけてきた。

 

 これって、反対側を噛めってことかな?

 

「む……んん?」

「ふふふ…!」

 

 ギンギツネは笑顔になった。

 勘だけど当たったみたい。

 

 

「な、なんて食べ方を…!?」

「ねぇ、ボクはそんな風に貰わなかったよっ!」

「あわわ…えっと、わたしはどうしたら…!?」 

 

 

 まあ、騒がしくもなるよね。

 僕が心の中で腑に落ちていると、ギンギツネはどことなく不満げ。

 

 こ、この先…

 

 僕には、何をすればいいか分かんないけどな…?

 

 すると、ただでさえ近いのに、ギンギツネはもっとにじり寄ってきて…!

 

「っ!?」

 

 え、抱き付いてくるの…!?

 

 いきなりの行動にびっくり。

 でもそれだけじゃ驚き足りない。

 

 間髪入れる隙もなく、ギンギツネは僕に全体重を預けてきた。

 

 そんな風になったら、もちろん座ったままじゃいられない。

 

 

 そのまま僕らは倒れ込んで、ついには上に乗られる形に…!

 

 

「ちょ、ちょっと…何やってるの!?」

 

 ナイスタイミングの横槍。

 ギンギツネを止めたのはイヅナだった。

 

「もうギンちゃん、好き勝手しないでよ!」

 

 よしよし。

 これでイヅナがギンギツネを説得してくれれば、きっと全部安泰だ。

 

「あら、じゃあ貴女もこっちに来れば?」

「え……?」

 

 あれ、動揺してるような。

 まさかとは思うけど、迷ってるのかな…

 

 怖いし、一応

 

「えっと、イヅナ? ちょっと、助けてくれると嬉しいんだけど……」

 

 天を仰ぐイヅナ。

 苦しそうに呻いて、胸元で手を握って、地団太を踏む。

 

 やがて、こちらを見る。

 イヅナの目は、とても綺麗に赤らんでいた。

 

 

「……ごめんね、ノリくん」

 

 

 …あはは。

 

 もう、パーティーはめちゃくちゃだね。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…はい、お茶ですよ」

「ありがとう……何も入ってないよね?」

「あ、当たり前ですってば!」

 

 全力で否定するホッキョクギツネ。

 まあ、当然だよね。

 

 よくよく考えたら、お茶に何かおかしな混ぜ物をする方が稀だった。

 

「えっと、お疲れですか…?」

「そうだね、かなりもみくちゃにされたから…」

 

 一線は越えてないけど、疲れたことに変わりはない。

 

 楽しかったけどね、やっぱり体力が保たないんだ。

 

 でも一年に一度だって思ったら、これくらいはしゃいじゃっても仕方ないのかも。

 

「明日から、また普段通りの毎日かあ…」

「あ、それなんですけど」

「…え?」

 

 もしかして、まだ終わらないのかな?

 

「どうやら、他にも何かやるみたいですよ。確か遊園地で、『()()()()()()()()』をするとか何とか……」

「…そっか」

 

 それはとっても、嬉しいな。

 

「じゃあ、今日は早く寝ないとね」

 

 大丈夫かな。

 

 楽しみすぎて、眠れなくならないといいけど。

 

 

「はい……ゆっくりお休みください、ノリアキ様」

 

 

 



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Ⅷ-191 遊園地にて泊まりがけ

 

「ぜぇ……ぜぇ…!」

 

 走る。

 息を切らして、足を引き摺って、進むことだけ考えて。

 

 うん、大丈夫。

 

 ここを撒ければ、このピンチさえ乗り越えればいい。

 そうすれば回復して、また次の戦いに臨める。

 

 だから今は早く、もっと速く、前に―――!

 

「……うわっ!?」

 

 転んだ。

 平地に足を取られた。

 何も無い所で転んでしまった。

 

 この分だと、いよいよ体力の方も限界かも知れない。

 まだ一時間も走ってないはずなのに……不甲斐無いな。

 

 でも悔やんでる暇はない。

 

 早く立ち上がって、逃げないと…

 

「うふふ…やっと追いついた」

「っ……!?」

 

 そんな、もう…!?

 いくら追い掛け慣れてるからって、流石に早すぎるよ。

 

 イヅナはじりじりと、心を嬲るようににじり寄ってくる。

 甘ったるく、毒のように戦意を蝕む言葉を添えて。

 

「ねぇノリくん、なんで逃げるの…?」

「あはは、逃げるに決まってるじゃん――」

 

 足を止めることなんて出来ない。

 

 僕は逃げ続けなきゃいけない。

 

 だって。

 

 

()()()()でしょ?」

 

 

 始まりは、今日の朝まで遡る―――

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「とうちゃく~! 久しぶりだね、遊園地っ!」

「そうだね。懐かし…くはないかな」

 

 そんなに何度も来た覚えも、大した思い出が残っていることもない。

 

 辛うじて思い出せるのは、島を挙げて開いたパーティーの記憶。

 

 イヅナが初めて素性を明かした()()()()は確かに印象的かもだけど、思い出って呼ぶには物騒すぎる。

 

 とどのつまり、なんにも無いって訳。

 それはこの蜘蛛の子一匹いない、閑散とした遊園地の様子と全く同じだ。

 

「まるで貸し切りだね、スタッフさんもいないし」

「そこは大丈夫、ボスたちにしっかり仕事させるから!」

 

 見回しながらしばらく指を遊ばせ、見つけたボスを指差すイヅナ。

 

 あれは…コーヒーカップの整備かな?

 僕たち五人の為だけに、中々苦労をさせちゃってるね。

 

 

「で、何するの? ボク、あんまり遊園地とか興味ないんだけど……」

「もしかして、昨日のお誕生日会の続きなのかしら?」

 

 イヅナに疑問を呈するギンキタ。

 二人は何も聞いてなかったみたい。

 

 昨夜のうちに『レクリエーションをする』と聞いていた僕とホッキョクギツネは、何となくお互いを見て微笑み合った。

 

 不思議なものだね。

 ただ知ってるだけなのに親近感が湧いてくるなんて。

 

「まーまー、それは後で説明するよ。それよりね、先に見せたい建物があるんだ~」

 

 詰め寄る二人をかわして、イヅナは飄々とした調子で疑問も受け流す。

 

「ホントだよね…?」

「嘘つく意味ないもん、信じちゃってよ」

「…言い方がうさんくさい」

「あはは、ひどいね~」

 

 今日のイヅナは()()()()だ。

 いつもなら言い返しちゃいそうなキタキツネの言葉にも、ほんわかと笑って対応している。

 

 僕としては、常日頃からこれくらい寛容だと助かるんだけど。

 

 ……難しいよね、やっぱり。

 

「ささ、早く行こ? 時間が勿体ないよ」

 

 上機嫌で僕の手を引くイヅナ。

 見せたい建物ってどんなのだろう。

 

 うーん…イヅナのことだし、やっぱり神社とかかな?

 

「うわぁ、何これ……!?」

 

 …そう思っていた僕は、目の前に姿を見せた現代的な建築物にとても驚かされることとなった。

 

「ふふん、立派でしょ? 私が設計して、ボスたちに建てさせたんだよ!」

「あ、ボスが建てたんだね…」

 

 そっか、あくまで設計……ううん、それでもすごい建物だなぁ…!

 

「なにこれ、へんなの」

「何よキタちゃん、この()()()の素晴らしさが分かんないの?」

「だって、ボクたちの宿が一番安心するんだもん…」

 

 まあ、あの宿には慣れ親しみすぎちゃったからね。

 今更ホテルがあるって言われて、そんなにワクワクしないのも仕方ないかも。

 

「ふふふ…この中を見ても同じことが言えるか、楽しみだね……?」

 

 イヅナは不気味に笑いながら、僕たちを中へ誘う。

 もしかしたら、罠でも仕掛けてあるんじゃないかな…?

 

 ……疑っちゃ悪いよね。

 

「じゃあ行こっか、時間も勿体ないし」

「さあさあ、四名様ご案内~」

 

 こっちを向いて、後ろ向きに歩くイヅナ。

 その先には、閉まったままの透明なドアが見える。

 

 あれ、このままじゃ危ないんじゃ…?

 

「ねぇ、そろそろドアが……」

「ん、どうしたの?」

 

 イヅナがぶつかると思った瞬間、なんとドアが勝手に開いた。

 

「……なんだ、自動ドアだったんだね」

「うふふ、ハイテクでしょ?」

「それはそうだけど…」

 

 ドキドキして損した。

 イヅナはなんかニコニコしてるし、僕の反応は思惑通り?

 

「もう、入るなら早く入ってよっ!」

「あっ、キタちゃんそっちは…」

 

 痺れを切らしたキタキツネ、イヅナが止めるのも聞かずに突っ走っていく。

 

 走る先は自動ドア……

 

「…わぁっ!?」

 

 …じゃなくて、ただのガラス。

 

 ぶつかる直前にようやく気づいたみたいだけど、時すでに遅し。

 走り抜けた勢いのまま、大きな音を立てて正面衝突を起こした。

 

「はぇ…うえぇ…」

 

 キタキツネはふらふらとよろめいて、ガラスには体の形のヒビが入っている。

 建てて早速、修理が必要になっちゃったみたいだね。

 

「あーあ、話を聞かないから…」

「あうぅ…ノリアキぃ…」

「もう、気を付けないとダメだよ?」

 

 図鑑には”キツネは臆病で用心深い生き物”と書いてあったけど……どうしてこう、奔放で猪突猛進な性格になっちゃったんだろう。

 

 最初に僕と会った時には、図鑑の説明のままの大人しい子だったのにな…?

 

「ごめんなさい、次から気を付けるね…?」

 

 反省は…してるのかな?

 耳も尻尾もしゅんとしてるし、見た目だけじゃなさそうだ。

 

 よしよし。

 痛かったよね、次は気を付けようね。

 

 そう声を掛けて、頭を撫でてあげる。

 

「きゃあ~っ!」

 

 ドンッ!

 

「…え?」

 

 すると聞こえてきた衝突音、そしてわざとらしい叫び声。

 

 い、いきなりどうしたんだろう?

 

 声のした方を見ると、少し前のキタキツネのようにガラスに張り付いているイヅナ。

 イヅナはふらふらと足取りを踏み、抱き付いて僕の方に頭を差し出した。

 

「ど、どうしたの?」

「わたし、ぶつかった。いたい。なでて」

「……はいはい」

 

 要は妬いただけ…()()って言っちゃ悪いかな。

 だってイヅナは本気だもんね。

 

 言われるままに手を動かしながら、僕は思い出す。

 

「ねぇイヅナ…入らなくていいの?」

「…あっ、そうだった!」

 

 慌てて離れようと……はせず、僕を引っ張りながらホテルに入るイヅナ。

 

「全く、騒がしいわね」

「皆さん元気で、わたしはよろしいと思います」

「そう、変わってるわね」

「……そうでしょうか?」

 

 

 元気なイヅナに先導されながら進む僕ら二人と、それを遠目で眺めながらホテルに足を踏み入れる二人。

 

 合わせて四人。

 

 その全員が、美しさに言葉を失う。

 

「あ……」

 

 まず目に付いたのはその煌びやかさ。

 天井にシャンデリア、地面は大理石、柱は何かの水晶だろうか。

 

 バランスというものを度外視し、とにかく『輝かしいもの』を搔き集めて形にしたような内装だった。

 それでいて、綺麗だった。

 

「あぁ…やっぱりいつ見ても綺麗……! ノリくんも、そう思うでしょ?」

 

 恍惚に頬を抑えて、消え入りそうに問いかける声。

 

「確かに綺麗だね。…少し眩しいけど」

「…そっか。なら少し控えめにするね」

 

 パチン。

 

 イヅナが指を鳴らすと、穏やかな光がロビーを包み込む。

 見上げると、天井のシャンデリアが柔らかなオレンジに染まっていた。

 

「さて、ロビーはこれくらいにして。お部屋の方を見に行かない?」

「うん、そうしよっか」

 

 イヅナの提案に頷いて、僕はみんなの様子をうかがう。

 

 ギンギツネとホッキョクギツネは腰を下ろしてロビーの見物。

 キタキツネは真ん中の噴水に手を突っ込んで遊んでいた。

 

「…そろそろかしら?」

「うん、寝るお部屋を見に行くってさ」 

「そう、じゃあ行きましょうか」

 

 ギンギツネが椅子から離れると、ホッキョクギツネも続いて立ち上がる。

 

 そんな中、気付かないまま遊んでいるキタキツネ。

 

 見かねた僕が呼ぼうとしたら、それよりも早くギンギツネが声を掛けた。

 

「置いてっちゃうわよ、キタキツネ?」

「え? ……わわ、待ってノリアキ!」

 

 ギンギツネが呼んだのに、引き止めるのは僕なんだね。

 まあ、別に大したことじゃないけど。

 

 幻想的な水の世界への旅から戻って来たキタキツネ。

 

 美しさを噛み締めているかと思えば、実際は手を合わせて寒さに歯を食いしばっている様子。

 

「うぅ…手が冷たい…」

「…キタキツネも大概妙なはしゃぎ方してるよね」

「えへへ、なんでだろ…?」

 

 なんだかんだ言って楽しんでいる様子。

 

「お部屋も楽しみだね」

「…うん!」

 

 素直に笑うキタキツネがかわいい。

 うん…やっぱりかわいい。

 それだけ。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「じゃじゃーん! ここが、このホテルで一番豪華なお部屋だよ!」

 

 四階建てホテルの最上階。

 

 広い部屋はロビーとは打って変わって木目調、質素かつ壮麗に雰囲気がまとめられていた。

 息を吸えば、木から香る仄かに甘い香りが心地よい。

 

 そして注目すべきはやはりインテリア。

 

 和風にアレンジされた大きなベッドはこの部屋とよく似合う。

 イヅナ曰く、外で言うところの()()()()サイズらしい。

 

 調度品も過不足なく揃えられている。

 もちろんとても多く、一週間泊まり続けたとしてもこの部屋の全てを味わいつくすのは不可能かもしれない。

 

「うわ、予想以上…」

 

 外に目を向けても、その美しさは絶えることが無い。

 壁に大きく嵌められた窓から遊園地と海が、反対の窓からは火山が見える。

 

 観覧車は海を背景に日光を受けて輝く。

 きっと夜も、ライトと月明かりで美しいに違いない。

 

 火山は打って変わって緑と山肌と虹色。

 この部屋の雰囲気も相まってこれ以上なく壮大な自然を感じられる眺めだ。

 

「…なんか、めまいがしてきた」

 

 確かに素晴らしい。

 この島で最上級の機能性を誇る建物と言っても過言ではないだろう。

 

 でも、その反面疑問にも思う。

 

「こ、こんなに凄いの必要なの……?」

「もう、要るから建てたんだよ?」

「いや、まあ、イヅナはそう思ったんだろうけど…」

 

 僕は困って苦笑い。

 その顔で気づいたのかな、イヅナはハッとしたように手をポンと叩いた。

 

 ”そういえば言ってなかったね?”

 

 前置きをして、イヅナはやっとここに来た目的を話し出す。

 

「お誕生日会の続き、レクリエーション。それを、この遊園地に泊まりがけでするつもりなんだ」

「それは…何日もかけてってこと?」

 

 コクコク。

 嬉しそうに頷く。

 

「…何をするの?」

「うふふ、よくぞ聞いてくれました!」

 

 今日一番の笑顔。

 真っ白な尻尾を千切れんばかりの勢いで振り回して、イヅナは宣言した。

 

 

「これから遊園地で…()()()()をするよ!」

 

 

 



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Ⅷ-192 ジャパリパークで捕まえて

「……鬼ごっこ?」

 

 僕は首を傾げる。

 

 ”誕生日”と”鬼ごっこ”という二つの言葉が、どうしても頭の中で結びつきそうになかったから。

 

 うーん、別に繋がってなくても良いのかな。

 イヅナは楽しそうにしてるし、それはそれで。

 

「イヅナちゃん、変な遊び考えたんだね」

「ふっふっふ…そう言ってられるのも今のうちだよ」

「……」

 

 意味深な物言いと、イヅナから一歩離れるキタキツネ。

 

 流石に警戒が過ぎるとは思うけど、日頃の行いを思い出せばあながち気にしすぎとも言えないのが悲しいところ。

 

「ああ、心配しないで! 危ないことは全然ないから!」

「本当でしょうね?」

 

 わたわたと手を振って釈明するイヅナ。

 珍しく問い詰める姿勢のギンギツネ。

 

「間違いなく本当だよ! 信じて!」

 

 コクコクと、イヅナは何度も首を縦に振った。

 

「ここまで言っていますし、信じてあげてもいいのでは…?」

 

 とどめはホッキョクギツネの一言。

 結局、イヅナを信じようってことで話は決まった。

 

「もう、みんな信じてくれないんだから!」

 

 ……遊びの提案たった一つでここまで疑われるイヅナも、身の振り方を考えるべきだとは思う。

 

 

 閑話休題。

 

 おほんと可愛く咳をする。

 そうして気を取り直したイヅナが、改めてルールの説明を始めてくれた。

 

「ルールは簡単、たったの三つ!」

 

 三つらしい。

 

「一つ、ノリくんは遊園地の中で逃げること!

 二つ、捕まったらその子と一日デート!

 三つ、期限は今日から一週間後まで!」

 

「うん……うん?」

 

 なんかこのルール、色々とおかしい気がする。

 

「待ってイヅナ、逃げるのって僕一人なの?」

「そうだよ」

 

「追いかけるのは?」

「私たち四人だね」

 

「それを、一週間も」

「大丈夫、しっかり休憩の時間は取るから」

 

 …そういう問題じゃないんだけどな。

 

 

「ボク、がんばる!」

「素敵な鬼ごっこじゃない、よく考えたと思うわ」

「え、えっと…わたしも、全力を尽くします…!」

 

 僕以外の三人には好評みたいだ。

 だって、追いかける側にはデメリットなんて一切ないもんね。

 

 前代未聞だと思うよ。

 鬼の方が多い”鬼ごっこ”なんて。

 

 なんかもう、逃げても無駄な気がしてきた。

 

「始まるのは今から一時間後! だからノリくん、その間に遊園地のどこかまで逃げてね!」

「…うん、分かったよ」

 

 仕方ない。

 やる以上は頑張らなきゃ。

 

 そんなこんなで謀られて、遊園地にて四面楚歌。

 

 一日デート権を賭けた鬼ごっこが今、ここに幕を開けようとしていた。

 

 

 

――――――――― 

 

 

 

「…あ、あれって」

 

 ホテルから少し離れた大きなメリーゴーランド、その裏に隠れることにした僕。

 

 しばらく様子をうかがっていると、遠くから見知った顔がやって来た。

 

 こちらを見つめる目は赤色。

 装いも同じく、かつて赤に染まった布をまとっている。

 尻尾は白と赤のしましま模様。

 物陰に隠れやすい僕の足元ほどの身長。

 

 …そう、赤ボスだ。

 

「赤ボス…どうしたの?」

「ラッキービースト代表トシテ、祝明ノサポートヲスルヨ」

「…いつの間にそんな代表に」

 

 まあまあ、そっちはどうでもいいや。

 

 サポート役はありがたい。

 逃げ時間の残りも知りたいし、マップもあって困らない。

 

 ハッキングが唯一の心残りだけど……別に分かって対処できることじゃないし、いざとなったら放逐すべし。

 

 そんな感じで良いかな。

 よし、赤ボスは連れていこう。

 

「早速聞くけど、後何分で始まる?」

「…アト二分ダネ」

「うわ、結構早いなぁ…」

 

 というか分かるのもすごい。

 用意周到だね。

 

 それはさておき、場所探しに時間を掛けすぎちゃったな。

 少しは周りの土地勘を掴んでおきたかったけど……仕方ない。

 

 ()()()見つかるまで隠れる作戦だったし、予定通りにしておこう。

 

 

「さてと、どれくらいで来るかな…?」

 

 僕の予想だと…遅くても十五分。

 救急車かな?

 でも、もし怪我をしたら本当に超高速で駆け付けてくれそう。

 

「ここに隠れたのは果たして正解かな…」

 

 メリーゴーランドはこの遊園地の中心。

 だからどの方向から来ても、袋小路にされること無く逃げることが可能だ。

 

 …ええと、相手が一人ならね。

 

 メリーゴーランドのあるこの広場は、ホテルから十数分歩いた所にある。

 あの四人なら大した時間もかけずに来られるだろう。

 

 まあそれも、僕の位置が最初からバレている前提のお話。

 

 大凶みくじを引いたとしても、同時に四人がやって来る展開はまずないと思う。

 

 イヅナとのテレパシーは()()()いる。

 一応、始まる前に一度シャワーも浴びてきた。

 

 だからテレパシーの逆探知も、匂いを辿った追跡も出来ないはず。

 

 となるといよいよ、赤ボスのハッキングを気にする必要アリなのかな…?

 

「ま、まだ可能性だから…」

 

 万一そうだとしても、上手に使うことが出来れば逆にこっちの狙いを誤解させることだって―――

 

 

()()()()

 

 

「っ…!」

 

 考えを巡らせているうちに、とうとう時間が来たようだ。

 赤ボスが、無機質に始まりの合図を告げた。

 

 そして――

 

「ノリくん、みーつけたっ!」

「えっ…」

 

 数秒さえ経つ隙もなく、かくれんぼが終わった。

 

「あ…うわっ!?」

 

 素っ頓狂な声を上げ、僕は慌ててメリーゴーランドから脱出する。

 振り返ると、イヅナが僕のいた場所を抱き締めていた。

 

 腕を放し、芝居めいた仕草でキョロキョロ。

 

 こちらを見てイヅナは頬を膨らませ、脇目も振らず走り寄ってくる。

 

「もう、避けないでよ~!」

「…そ、そういう遊びだから」

 

 僕の身体もクルリと反転。

 ジェットコースターの方向に逃げて行く。

 

 何か思惑がある訳でもなくて、そっちが一番近いから。

 

 だけど、前の視界にチラッと見えたホテルに考えを改めた。

 今、僕は誘導されているのかもしれない。

 

「赤ボス、ホテルからの最短ルートってどこ?」

「…コノ道ダヨ」

 

 ああもう、本当じゃん!

 

 咄嗟に横道の方へと逸れた。

 何を企んでいるかは分かんないけど、思惑通りになったらマズい気がする。

 

 暗い暗い裏通りを、狐火を頼りに駆けていく。

 

 

「……ふぅ、一旦は撒いたかな」

 

 ゴミ箱の裏に腰を下ろして、一時の休息。

 

 もちろん警戒は忘れずに。

 一体どこから飛び掛かってくるか、予想なんてさっぱり出来ない。

 

 隠れてる僕に配慮してくれたんだろう。

 胸に抱えた赤ボスが、控えめな音量で質問をしてきた。

 

「…ナンデ、誘導サレテイルと思ウンダイ?」

「そりゃ、今になって考えたらね…」

 

 どの方向にも逃げられる。

 

 一見それは、逃げる側にとって非常に有利な条件だ。

 

 だけど、追う側にだって出来ることはある。

 鬼が出てきたら、誰だってきっと逆方向に逃げ出すだろう。

 

 現れる方角でイヅナたちは僕の逃げ出す方向を制御できるし……広い遊園地、何かトラップが仕掛けられていないとも限らない。

 

 まして、こっちはホテルのある方向。

 

 さっきまでの一時間、最も活動しやすいのはホテル周辺の他に無い。

 

「罠なら、仕掛けた方に上手く誘い込んだ方が効率的だからね」

 

 さて、そろそろ体力も戻って来た。

 

 あまり長く一か所に留まるのも怖いし、そろそろ動き出そう。

 

「どっちが良いかな…」

 

 三方向に分かれる岐路に立って、少し悩む。

 とりあえず、全部の道に狐火を放ってみることにした。

 

 うーん、どれも同じかなぁ…

 

「じゃあ、とりあえず右。…おいで、赤ボス」

 

 吉と出るか凶と出るか。

 

 さあ、気楽にいこう。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…あ、ノリアキ~!」

 

 裏道を抜けると、早速キタキツネと出くわした。

 

 キタキツネは手を振りながら、まるで待ち合わせとしていたかのようにゆっくりと駆け寄って来る。

 

「…わわ、逃げないで!」

「いや、騙されないからね!?」

「ちぇ、バレちゃった…」

 

 危ない危ない。

 これが鬼ごっこであることを忘れそうになってしまった。

 

 キタキツネが獲物を狙う時の顔をしていなかったら、間違いなくあのまま餌食にされていただろう。

 演技面はまだまだで助かったよ。

 

 とりあえず逃げる。

 

「うぅ、もうちょっとだったのに…」

「良い戦術だったけど、まだ未熟みたいね?」

 

 お化け屋敷の近くまで差し掛かったところで、目の前にギンギツネが現れた。

 

 仕方なく進路を変更。

 しばらくのにらみ合いの末、僕らは噴水の辺りで向かい合う形になった。 

 

「……ギンギツネはどうなの?」

「私はもう少し様子見して、ノリアキさんが疲れるまで待とうかしらね~…」

 

 じわじわと、円弧を描くように文字通り()()()()ギンギツネ。

 

 なるほど。

 こちらが緊張で疲弊するのを待っているらしい。

 

「いいの? 追いかけて来ないならずっと休んでるけど」

 

 何となく挑発する。

 向こうも軽口を叩いてるし、まあいいでしょ。

 

 ギンギツネも気にした様子はない。

 むしろ面白そうにくすくすと笑って、尻尾と一緒に身体もゆらゆら。

 

 ギンギツネは回るように歩くのを止めた。

 

 人差し指を唇に、艶めかしい足取りで距離を詰めてくる。

 

「うふふ、口が上手くなったのね?」

「まさか、ギンギツネには敵わないよ」

 

 一歩一歩と、後ろにはお化け屋敷。

 ああ、そろそろ思いっきり走り出さないとな。

 

「ねぇ、ボクも褒めてよっ!」

「かわいいよ、キタキツネ」

「え、えへへへ……!」

 

 でも、その前に。

 

「ところで、一つ聞きたいんだけど」

 

 足元の()()は、ちゃんと処理しておかないとね。

 

「どうして、ホッキョクギツネはこの箱の中にいるの?」

「……っ」

 

 空気が凍る。

 緊張が走る。

 まるで吹雪の中のようだ。

 

 八重歯を光らせて、ギンギツネはまだ平静を保つ。

 

「……驚いたわ、まさか気付かれるなんて」

「あ、本当にそうなの? 適当に言っただけなんだけど」

「…うふふ。あぁ…これは一本取られたわね」

 

 でも、本当にいいのかしら?

 ギンギツネはまだ笑う。

 

 次に彼女はこう言った。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()――

 

 

「――ノリアキ様、ごめんなさいっ!」

 

 瞬間、箱を突き破ってホッキョクギツネが現れた。

 

「っと…」

「おっとっと…つ、捕まえさせていただきますっ!」

 

 避けられてよろめきながら、ホッキョクギツネは尚も食らいついてくる。

 僕の後ろに陣取って、隙あらば捕まえに来る構えだ。

 

 ギンキタが前からにじり寄る。

 こっちも当然放っておけない。

 

 …挟み撃ち。

 

 一番厄介な戦況に誘い込まれてしまった。

 

「あはは、上手く追い詰められちゃったね」

 

 今この状況を作り出すべく糸を引いていた黒幕。

 それはギンギツネで間違いない。

 

 段ボールの箱、お化け屋敷への誘導、最後の位置調整。

 

 一本取られた?

 悔しいけれど、それはこっちの台詞だよ。

 

「でも驚いたよ、まさか協力してるなんて」

「イヅナちゃんには「必要ない」って言われたけどね」

「あはは、らしいね」

 

 和やかに言葉を交わす間にも、僕たちの距離は縮んでいく。

 

 ……そろそろ限界だ、動かなきゃ。

 

 これ以上詰められたら、本当に二進も三進も行かなくなってしまう。

 

「無駄な抵抗はやめて、大人しく捕まってくれないかしら?」

「あはは、難しい相談だね」

 

 前か後ろか。

 そんなの()()()()()

 

「…ごめん、ホッキョクギツネ」

「え……きゃっ!?」

 

 燃え上がる蒼。

 怯んだ彼女の横を駆け抜ける。

 

「あっ、ノリアキが…!」

 

 行く先はお化け屋敷。

 暗く、狭く、入り組んだこの建物。

 

 追っ手を撒くための最高の条件が揃っている。

 

 この中に入って、全部仕切り直しに――

 

「…うふふ」

 

 その時聞こえた笑い声。

 

「もしかして、予測してないとでも思ってた?」

「……あ」

 

 ペタリ。

 

 手を壁につく。

 お化け屋敷の入り口を塞ぐ、木製の壁に。

 

 ペタリ。

 

 背中に手をつく二つの感触。

 ほぼ同時。

 キタキツネとギンギツネが、僕を捕まえた瞬間だった。

 

「…あら?」

「…ボクの方が早かったよ」

「あらあら、横取りは一丁前なのね」

 

 流れるように煽りながら、ギンギツネは肩を竦める。

 

「どうしましょう、これじゃ判定も出来ないわよね」

「じゃあ、コインを投げて順番を決めるとか……どうでしょう?」

 

 取り出された一枚のコイン。

 表は金で、裏は銀。

 はたまたこれは何の因果か。

 

 ホッキョクギツネの提案に、ギンギツネは手を叩いた。

 

「じゃあ、そうしましょう」

「…わかった。ホッキョクギツネちゃん、お願い」

 

 自然と二人は向かい合う。

 

 長く平生を共に過ごして来た者同士とは思えない、強烈な敵意をお互いに向けながら、この勝負の行く末を見守る。

 

 間に立ったホッキョクギツネ。

 二人の敵意などどこ吹く風、柳のように立っている。

 

「投げますね」

「ええ」

「…うん」

 

 パチン、親指で弾いた。

 綺麗な回転を描きながら、コインは真上に飛んで行く。

 

 空を舞い、光を放ち、再び彼女の手の中に。

 

 

「…では、開きます」

 

 

 そして、運命の女神が微笑んだのは―――

 

 

 



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Ⅷ-193 お化け屋敷の攻防

 今日の鬼ごっこはお休み。

 その代わりに、ギンギツネとの一日デート。

 

 つまりはそういうこと。

 勝負はギンギツネの勝ちだった。

 

 ”うふふ、運命は私に味方してくれるのね…!”

 

 お預けを悔しがるキタキツネの地団駄。

 蚊帳の外に置かれたイヅナの叫び声。

 

 たった数時間ながら、濃い思い出の多い鬼ごっこだった。

 

 二人とのデートの後、また鬼ごっこの続きが始まる。

 そっちも、あんな風になっちゃったりするのかな…?

 

 

 だけど、やっぱり気になるのはデートの中身。

 なんでも、入ってみたいアトラクションがあるとギンギツネは言う。

 

 どこかと思ってついて行くと……ああ、お化け屋敷だった。

 

「…なんで、よりにもよってお化け屋敷?」

「あら、嫌だったかしら? 昨日はあんなに入りたがってたのに」

「まあ、そうだったけどさ…」

 

 くすり、面白そうにギンギツネは微笑んだ。

 

 ギンギツネはこういうユーモアが好きなのかな。

 ううん…よく分かんない。

 

「ほらノリアキさん、あの子たちにも手を振ってあげたら?」

「……よく、そんな気になるよね」

 

 今日のデートはストーカー付き。

 

 危ないことが無いようにと、僕とギンギツネ以外の三人が遠目でずっと見守ってくれている。

 

 

 

「うぅ、なんでギンギツネが先なの…!?」

「本当なら私がノリくんを捕まえてたはずなのに…!」

 

 怨嗟の呟きが聞こえる。怖い。

 フレンズになって鋭くなった聴覚を恨んだ。

 

「みんなー! 私、とっても幸せよー!」

「……程々にね?」

 

 元気に手を振り、ここぞとばかりに煽り倒すギンギツネ。

 

「あれ、でも明日はキタキツネと……」

「だーめ。今は、私とのことだけを考えて?」

 

 風に吹かれた枝のように揺らめき、しなやかに寄りかかってくるギンギツネ。

 

 柔らかい尻尾。

 ふわふわの手袋。

 今日は一段と毛並みが整っている。

 

「…いつもより、綺麗だね」

「うふふ、分かる?」

 

 嬉しそうにギンギツネは微笑んだ。

 

「おめかししてきたの、特別な日になるから」

 

 ふわっと髪を靡かせる。

 それを見て、僕は考えを改めざるを得なかった。

 

 ただの綺麗じゃ、言い足りない。

 

「…じゃあ、入ろっか」

 

 けど、何て言えばいいか分かんない。

 だから僕は、ただ彼女の手を引くことにした。

 口下手で、ごめんね。

 

「いいのよ、別に」

「…え?」

「いいえ、何でもないわ。ほら、行くんでしょ?」

「あっ、うん…!」

 

 入口の脇に、昨日ここを塞いでいた木の板が立て掛けられている。

 

 こみ上げる笑いを噛み殺しながら、足でちょこんと小突いてやった。

 

 …あ、割れちゃった。

 

「…もう、何してるの?」

「あはは……」

 

 

 最初のゲートをくぐった先。

 

 華やかなテーマパークは一瞬にしてその姿を変え、おどろおどろしい暗闇の空間が僕達を出迎えてくれた。

 

「わあ、色々変わってる…」

 

 頭の片隅に、大昔ここに来た記憶がある。

 

 いつだったか、それは忘れた。

 でも来た気がする、何も覚えてないけど、とにかく覚えてる。

 

 そしてそんな僕の勘によれば、このお化け屋敷はリフォームされている。

 

「イヅナちゃんが改装したんですって、ホテルのついでに」

「へぇ…」

「最初からそのつもりで、全部計画してたんでしょうね」

 

 くふふ。

 そこまで推測を述べたギンギツネは、いきなり不気味な笑い声を漏らした。

 

「あぁ、ごめんなさい。ついつい昂っちゃって」

 

 た、昂る?

 ここは薄暗いよ。

 そういうこと言われると、違った意味で怖くなっちゃう。

 

 …でも、ギンギツネが言いたいことは別にあったみたい。

 

「……だって、デートは私が一番。曲がりなりにも私が、イヅナちゃんの計画を突き崩したってことだもの」

「そ、そっか…」

 

 …いまいち、よく分かんない。

 

 だけど、ギンギツネにとっては多分大切なことなんだろう。

 じゃあ、僕から特に言うことはない。

 

「うふふ。じゃあイヅナちゃんの分まで、存分に楽しんであげないとね~」

 

 …その煽り癖だけは、直した方がトラブルが少なくなると思うけど。

 

 

 袋小路のような行き止まりの壁に、乱暴に開けられたような穴と看板。

 

 看板には「入口」と書かれている。

 穴は、人が一人どうにか通れそうなくらいの大きさだ。

 

 どうやらここが、お化け屋敷の本当の入口みたい。

 

 ええと、そう…『怖がらせるアトラクション』としての。

 

 つまり、ここから本格的に怖くなるってことだよね。

 

「ノリアキさん…もし怖いなら、抱き締めてくれたって良いわよ」

「ど、どうしても怖かったらね?」

 

 ギンギツネが微笑みながら提案してくれるけど、流石にそれは遠慮したい。

 

 だって面目が立たないもの。

 

 僕も、”()()()()()()()()お化け屋敷くらいは平気なんだ”ってところを見せてあげなくちゃ。

 

「でも心の準備は出来てるからね、そうそう脅かしになんて―――わああっ!?」

 

 どっかーん。

 大爆発の音。

 

 びっくりして、思わずギンギツネに飛びついちゃった。

 

「…あらあら、思ったより早いのね?」

「こ、これは反則だってばぁ…」

 

 爆発って。

 多分危なくない爆発だけど、よりにもよって今来るなんて。

 

 ホラゲーなら終盤に出てくるやつじゃん、序盤はちまちまと恐怖心を積み立てていくのが定番じゃん!

 

「可愛いわね、ノリアキさんったら…!」

「……おほん! 次は無いよ。今度は驚いたりなんてしない、ギンギツネをエスコートするんだから!」

「楽しみね、頼りにしてるわ」

 

 若干ニヤつきながら寄りかかって来るギンギツネ。

 おかしい、どうして爆発に驚いていないの?

 

 ……まさか。

 

「…ギンギツネって、最近ここに入った?」

「さあ? 別に、お化け屋敷に忍び込んで()()()()()()をしたり……なんてことは全くないわよ?」

「…そっか」

 

 あぁ、早々に諦めた方が良い気がしてきた。

 

 ギンギツネの用意した仕掛け…響きだけでも恐ろしい。

 注意すればするほど、逆にドツボにハマってしまう気がする。

 

 …進みたくないなぁ。

 

「あら、どうしたの?」

「…なんでもない」

 

 まあ、そう言ってる場合じゃないのは知ってるよ。

 

 でも…進みたくないなぁ。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 十数分後。

 

 例の出落ちからようやく立ち直った僕は、心持ちギンギツネに寄りかかりながら次のエリアまでやって来た。

 

 次のエリアの入口は、廃墟にポツンと残っていそうなボロボロの扉だった……

 

「『保健室』ってあるわ。順路はこっちみたいね」

 

 ギンギツネが扉の上を見て言う。

 僕も上に視線をやると、確かにそんなことが書かれていた。

 

 でも、それより気になることがある。

 

「…学校だったっけ、ここって」

「いいの、気にしない方が吉よ?」

 

 それが吉なら、あの爆発は大凶じゃないのかな。

 一枚噛んでいると知った途端に、あらゆる言葉を怪しく感じてしまう。

 

「さあ、勿体ぶらずに入りましょ」

「え、ちょ、ちょっと……!?」

 

 色々とすっ飛ばしてギンギツネが入場。

 僕もついてく。

 一人は怖いから。

 

 …あれ?

 

 平気なところを見せるんじゃなかったっけ。

 

 いや。

 でも。

 

 怖いものは、怖い。

 

「ま、待ってよギンギツネ」

「もう、エスコートはどうしたの?」

「それは、余裕が出来たら……なんて」

 

 消え入りそうな声を振り絞った。

 言い終わった後のお屋敷は静かだった。

 

 気になるのはギンギツネの反応。

 

 しばし固まっていたかと思うと、急に堰を切ったように笑い出した。

 

「ぷっ…うふふ…!」

「わ、笑わないでよ…」

 

 お腹を抱えて笑う。

 清々しいくらいに大きく笑う。

 

 なんか、恥ずかしい気持ちも起きなくなってきた。

 

「ご、ごめんなさい…ふふ、だってあまりにも可愛いから…」

「か、かわいい…!?」

 

 と思ったら闇討ちされた。

 グサリ、音を立てて言葉が突き刺さる。

 

「…もういい、行くよ!」

「あっ、いきなり強引…♡」

 

 ギンギツネの手を引いて、脇目も振らず全速前進。

 

 仕掛けも知らない。

 甘い声も無視。

 

 突き進めば怖いものなんて何も――――

 

「あ、そこからゾンビが…」

「で、で……出たあっ!?」

「…うふふ、やっぱり可愛い」

 

 ごめんなさい。

 やっぱり怖いです。

 

 

 …その後は散々だった。

 

「ギンギツネッ、何か絡まってくる…!?」

「あ、もう少し上の方…そう、いい感じの陰になってるわ…!」

「助けてよー!?」

 

 ミイラにグルグル巻きにされ。

 

 

「この辺は平和……ふえっ? えっ!? つ、冷たいっ!」

「決まったわ…透け方も素敵ね…」

「ねぇ、流石にこれは…」

 

 幽霊に濡れた布を被せられ。

 

 

「ボス? まさかこれも…」

「……私を見ても、別に私が嬉しいだけよ?」

 

 壊れかけのボス…は、コスプレかな。

 

「だったら全然大丈――」

「…あら、固まっちゃった?」

 

 ついにはボスの基盤に触って感電。

 もう、お化けも何も関係なかった。

 

 

―――――――――

 

 

「つ、疲れた……というか、ズルいよギンギツネ…!」

「…あら、どうして?」

 

 ニヤニヤ、満面の笑み。

 いかにも満足そうで何よりだけど、僕はただただ大変だ。

 

「だってここの仕掛け、ギンギツネが()()()()んでしょ?」

「まあ、そうね」

 

 あっさり認めちゃった。

 さっきは()()()()たけど……面倒になったのかな?

 

 でも面倒に巻き込まれた回数は僕の方が多いから、僕の勝ちだね。

 

 …そんな訳はない。

 

「どこに何があるか、ギンギツネは大体知ってるんだよね」

「ええ、記憶力は良い方なの」

「……怖い訳ないよね」

「うふふ、そうなっちゃうかしら」

 

 誤魔化しか白状か、どっちつかずな態度の彼女。

 

 多分気分だ、楽しんでるんだ。

 僕も、もう少し楽に楽しみたかったよ。

 

「…もしかして、僕が怖がるのを見たかっただけなの?」

「まさか? そんな想い、たったの十割しかないわ」

「全部じゃん!?」

 

 たったの十割、すっごい言葉。

 

 もしかして、想いが限界突破して十割を超えることもあるのかな?

 

 ……うん。 

 

 してたね。

 とっくに。

 限界突破。

 

「……もう、やだよ」

「あら、まだ最後の仕掛けが残ってるのに」

「教えて、知ってたら怖くないから」

「……仕方ないわね」

 

 ゴニョゴニョ。

 

「……最後の最後に、それ?」

「ええ、中々いい仕掛けだと思わない?」

「同意はするよ、でも…ねぇ、ギンギツネは僕をいじめたいの?」

 

 ジト目を装って、なるべく呆れた声を出して言う。

 

 すると態度が一転。

 釈明するようにギンギツネは慌てて喋り始めた。

 

「と、とんでもないわ! ただ、ただね…?」

「…うん?」

 

 どんな言い訳が出るのかな。

 

 楽しみだった。

 開き直るとは思わなかった。

 

 むしろ、こっちは放置しておくべきだった。

 

 

「ノリアキさんが困る姿とか、苦しんでる姿とか……案外悪くないかもって、思い始めてるわ…」

 

 

 人間って、本当に驚くと叫ぶことも出来ないんだね。

 

 僕はもう人間じゃないけど、きっと根っこは変わってない。

 

 一番怖いのは、お化け屋敷じゃなくてギンギツネだった。

 

「…お願い、程々にしてね?」

「ええ、分かってる…つもりよ」

 

 付け足された一言が死ぬほど怖い。

 だけど、もう天に祈るしかないね。

 

 いざとなったらイヅナに守ってもらおう。

 

 うん。

 それが一番だ。

 

 ああ。

 

 イヅナって、頼もしいなぁ…

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 ギンギツネの助けもあって、最後の仕掛け()()は無事に通り抜けることが出来た。

 

 因みにその仕掛けはゴール前。

 床が脆くて踏むと一転、砂のプールに落とされる。

 

 最後の最後にバラエティ調。

 

 ギンギツネのセンスには本当に脱帽した。

 

「あぁ…やっと出られた…」

 

 最初から最後まで――捕まった瞬間から、今この時まで――ギンギツネの手の平の上で転がされっぱなしだった。

 

 ギンギツネはほくほく顔で、僕は今にも倒れそう。

 

 もしも僕らの姿を誰かに見られたら、何かおかしな勘違いをされそうだ。

 

「ねぇ、二人の様子おかしくない…?」

「まさか…手を出したの…!?」

「お化け屋敷は暗い空間です、事に及んでも不思議じゃありません…!」

 

 うん。

 だろうね。知ってた。

 

 ホッキョクギツネが論理的に興奮してるのは意外だけど、まあいいや。

 

 これで今日のデートも終わり。

 楽しいけど、とにかく疲労を重ねすぎた。

 

 ホテルに到着した瞬間、緊張が緩んで足がもつれる。

 

 あはは、かなりの()()ってやつかな。

 

 今夜はゆっくり寝て、明日のキタキツネとのデートに備えよう―――

 

「ねえ」

「…え?」

 

 部屋に向かおうとした僕の手を引く。

 もちろんそれはギンギツネ。

 

 ギンギツネは舌なめずりをして、妖しげに口の端を吊り上げた。

 

「どこに行くつもり? まだデートは終わってないわよ?」

「でも、お化け屋敷は…」

 

 チッチッチッ。

 軽快にに舌を鳴らして、たった一言。

 

()()デート」

「……あ」

 

 たったの一言で、全ての反論を封じられた。

 

「今日はまだ終わってないわよ。でも、どうしてもノリアキさんが寝たいって言うのなら……」

「待って、あの、ギンギツネ……」

 

 迫って来る。

 逃れられない。

 

 僕はもう、牙に掛けられた獲物だ。

 

「今夜はとっても…長くなりそうね♡」

 

 

 …その日、僕は知った。

 

 日付が変わる瞬間というものを。

 

 ギンギツネは言った。

 寝るまではずっと今日なのだと。

 

 ()()は長かったよ。

 

 



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Ⅷ-194 遊園地だってゲーム三昧!

「ノリアキ、こっちこっちっ…!」

 

 喜びを全身で。

 ぴょんぴょんと跳ね回りながら、キタキツネは僕を呼ぶ。

 

「あはは、はしゃぎ過ぎると疲れちゃうよ?」

「でもでも、じっとなんて出来ないよ~っ…!」

 

 はしゃぎ回る様はさながら、雪の上を跳ぶ狐のよう。

 やがて、僕の隣にすっぽりと収まったキタキツネ。

 

 上に掲げられたネオン看板は、真昼間というのに光り輝いている。

 

『ジャパリゲームセンター:暗くなるまでやってます』

 

 いよいよ、このネオンに意味は無いみたい。

 

 

―――――――――

 

 

 …今日は一日、キタキツネとデート。

 

 場所はもちろんゲームセンター。

 

 遊園地の外れにそびえ立つこのゲームセンターは、平面の広さだけならホテルをも凌ぐ広大な建物だ。

 

 時刻は朝の八時。

 赤ボスに聞いた開店時間とほぼ同時に、僕たちはここにやって来た。

 

「あぁ、ゲームがいっぱいある…!」

 

 もう慣れた自動ドアをくぐって、構内に足を踏み入れる。

 

 視界いっぱいに広がるゲーム機の数々。

 そして強烈な光、けたたましい音、無人なのに押し寄せる熱。

 

 もちろん初めてな僕達は、しばしの間この光景に圧倒されていた。

 

「……すごいね」

「えへへ、一日じゃ遊びきれないや…」

 

 既にキタキツネは臨戦態勢。

 

 あっちに行ってこっちに行って、思い思いに気に入りそうなゲームを物色している。

 

 …対する僕はというと。

 

「なんだか、目がチカチカしてきた…」

 

 滅多に見られない光の暴力に頭を痛めていた。

 キタキツネは何で平気そうなんだろう、僕より光には敏感そうなのに。

 

「こっちはクレーンで…あ、カードゲームの機械もある…!」

 

 いい意味で、鈍感だなあ。

 

 大好きなゲームに夢中だからこそ、全然気にならないのかも。

 

 だけど…どうにも後が怖い。

 

 なるべく気を付けていよう。

 何かあった時、キタキツネを介抱できるのは僕だけなんだから。

 

「…ノリアキ、なんでボーっとしてるの!?」

「ごめん、今行くよ」

 

 もちろん…ちゃんと楽しむよ。

 

 

「ノリアキ、最初はこれにしようよっ!」

 

 そう言って、キタキツネは()()()に座る。

 

 最初のチョイスはレースゲームだった。

 いの一番に対戦ゲーム…あはは、キタキツネらしいや。

 

「いいよ、でも…勝つからね」

「ボクだって、初めてのゲームなら負けないもんっ!」

 

 僕もシートに腰掛ける。

 筐体にそれぞれジャパリコインを入れて、ゲームスタート。

 

 最初のコースは海沿いの道。

 

 燦々と地を照らす太陽、波を受けて色づく砂浜。

 視点を変えて陸地を見れば、滑らかに舗装された道路と奥にずっと広がる文明。

 

 大自然と人工物が作り出す壮観な景色。

 

 ただのゲームとは思えない、とても綺麗な……

 

「ノリアキ、もう始まってるよ?」

「え、あ、ホントだ…!?」

 

 慌てて踏み出すアクセル。

 当然の如く最下位スタート。

 

 …ボーっとしてた。

 

 いや、単に景色に見惚れていただけ。

 今のは良すぎるグラフィックが悪い。

 

 ややこしいけど。

 

「でも、逆転の目はまだ残ってる」

 

 試合はまだまだ序盤も序盤。

 結果が決まったと言うには早すぎる。

 

 それに、このゲームには便利なアイテムがある。

 

 入手方法は透明な箱。

 

 コースの途中に配置された”それ”に車で突っ込めば、現在の順位に応じて便利なアイテムを手に入れることが出来るんだ。

 

 アイテムによっては、レースの戦況を一気にひっくり返すことだって出来る。

 

「ぶっちゃけ運だけど、きっと大丈夫…!」

 

 出てくるアイテムは順位によって変わり……順位が悪いほど、強力な効果のアイテムが出やすい。

 

 …と、横の紙には書かれている。

 

「さあ、良いの来てね…!」

 

 弾けるボックス。

 回るルーレット。

 

 クルクル来るのは…銀のたけのこ。

 

「あ、えっと……”加速アイテム”」

 

 横のガイドで効果を確認。

 なんでも、時間内なら何回でも使えるタイプのアイテムみたい。

 

 低い順位で出るアイテムだし、やっぱり中々の性能。 

 

 でも、今の僕とは相性の悪いアイテムだ。

 操作に慣れてない今、加速しすぎたらコースアウトしてしまう。

 

 あーあ、高速でオート運転をしてくれるアイテムが欲しかったな。

 

「えへへ、ノリアキ遅いね?」

「あ、もう二周目…」

 

 出遅れなかったキタキツネは一位でラップを通過。

 

 ぼ、僕だって!

 景色に、見惚れてさえいなければ……

 

「でも、まだまだ追いつける!」

 

 銀のたけのこも無駄じゃない。

 この一周の間に、順位を4位までのし上げることが出来ている。

 

 ……まあ、言ってもイージーだし。

 

 いや、ポジティブに考えよう。

 

 CPUは敵じゃない。

 僕が競うのはキタキツネただ一人。

 

 

 あと一周、全力で運転すれば―――!

 

 

「――はい、ボクの勝ち」

「…だよね」

 

 キタキツネも初めて。

 僕も初めて。

 

 お互いゲームには慣れていて、実力はほぼ互角。

 だったら、最初に大きく遅れた時点で勝ち目なんて無いも同然。

 

 結局僕は、二位に甘んじざるを得なかった。

 

 悔しいな。

 最初に、景色に見惚れてさえいなかったらな。

 

 あーあ。

 

 このゲームの画質が、もう少し悪かったらなぁ……

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「このぬいぐるみ、かわいい…」

 

 クレーンゲームに置かれたボスのぬいぐるみ。

 

 ガラスに張り付きそうなくらい顔を近づけて、中を見るキタキツネ。

 のほほんとした呟きがとても可愛らしい。

 

 確かにぬいぐるみも可愛いよ。

 だけど、キタキツネはそれしか見えてない。

 

 僕からはぬいぐるみとキタキツネ……可愛いものが二つも見えている。

 

 

 つまり、僕の勝ち。

 

 

 ………いや、訳が分からない。

 

 うん。

 

 ゲームで負けたからって、無闇に勝利を求めるのは止めよう。

 

 冷静に、落ち着いて、気を確かに。

 僕はキタキツネに声を掛けた。

 

「…それ、欲しい?」

「欲しい! ねえノリアキお願い…これ取って?」

 

 手を合わせて、首を傾けて、蕩けるような甘い声でのおねだり。

 これ以上なくあざとい仕草の欲張りセット。

 

 ……取ってあげない訳にはいかないな。

 

 こんなに素晴らしいものを見せられちゃったんだから。

 

「よし、僕に任せて」

「えへへ、ありがと~」

 

 鞄から巾着袋を取り出す。

 

 ジャラジャラ。

 

 今日の軍資金が武者震いをしている。

 違う、これは威嚇の鳴き声だ。

 

 詰まるところ、これはぬいぐるみへの宣戦布告。

 

 互いを擦りあう金属音は、奴を必ず手中に収めるという決意の音。

 

「じゃあ、始めようか」

 

 ゲームセンターの喧騒の中、息の音をふっと溶かして。

 一枚目を機械に呑ませる。

 

 チャリン。

 

 とても静かな聖戦の火蓋が、今この瞬間に切って落とされた。

 

 

「……最初に、奥行き」

 

 ぬいぐるみを取るための二つのステップ。

 

 まずは、一つ目のボタンを押してアームの前後の位置を決める。

 

 狙った位置に止めるため。

 とにかくアームを動かす感覚を掴むことが大事だ。

 

 最初のクレジットは捨てて、横からアームの様子を観察しよう。

 

「…なるほど」

 

 機械の横に陣取ってボタンを押す。

 

 限界までアームを後ろに下げ、動く速さと移動の限界との両方を知ることが出来た。

 

「次は横…」

 

 ぬいぐるみを手に入れるための第二ステップ。

 

 横に動かすことで、アームをぬいぐるみの上に陣取らせる。

 

 これもやはり感覚。

 このゲームは捨てて、勘を掴む方向に注力しよう。

 

 目を見開いて、準備は万端。

 

 思いっきりボタンを押し込み、横のギリギリまでアームを移動させた。

 

「……なるほど」

 

 ボタンを離す。

 するとそれからアームが降りて、開いて虚空を先が突く。

 

 少し掠って傾いたけど、すぐに戻って影響は無し。

 やっぱりラッキーは狙えない。

 

 ぬいぐるみを手に入れるのなら、全て計算した上だ。

 

「ノリアキ、行けそう?」

「任せて、大体掴めたよ」

 

 試行を重ねれば……多くてあと五回。

 そうしないうちに、勘もぬいぐるみも手に入る予感があった。

 

 何よりキタキツネのため。

 

 長く待たせちゃ悪いからね。

 

「じゃあ、二回目だ…!」

 

 機械との戦い。自分との戦い。喧騒との戦い。

 

 試行を重ね、神経を研ぎ澄まし早十数分。

 

 

 最初の予測通り。

 合わせて五回目の挑戦で、僕はぬいぐるみを排出口に落とすことに成功した。

 

 

「取れたよ、キタキツネ!」

「あっ…」

 

 キタキツネにそっと手渡す。

 

 …やばいね。

 

 何がやばいって、柔らかい。

 ぬいぐるみも、キタキツネの手も。

 

 それでも一番柔らかいのは、キタキツネの笑顔だった。

 

「え、えへへ…ありがとう…!」

 

 ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて、空いた手で僕の腕を掴んだ。

 

 うん、もふもふ。

 どうにかこのまま、一緒に日向ぼっこをしてたいけど。

 

 …まあ、そうも行かないよね。

 

「ノリアキ、次はあれをしたいな」

 

 とうとう来たか格闘ゲーム。

 

 いよいよ、キタキツネのギアも入っちゃったのかな。

 目をこれ以上なく輝かせて、ぬいぐるみが腕の圧で半ば押し潰されている。

 

 …ちょっと羨ましい。

 

「ほら、行こ?」

「おっと……あはは、引っ張りすぎだって」

 

 グイグイッと。

 片手とは思えない力で引かれ、僕らは格闘ゲームの元まで。

 

 正面の椅子に腰掛け、ぬいぐるみを頭の上に乗せたキタキツネ。

 

「……そこに乗せるの?」

 

 何というバランス。

 狐耳の力だけで支えるなんて。

 

「持ってると邪魔になるから」

「…うん」

 

 返事はもう素っ気ない。

 完全に対戦モードに入っちゃったみたい。

 

 僕も集中しよう。

 

 全力で…今度こそ勝たないとね。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 その後も、とても楽しかった。

 

 格ゲーの後は協力ゲーム。

 迫り来るゾンビを銃でどんどん撃ち倒していくホラーサバイバル。

 

 それが終われば今度は音ゲー。

 

 太鼓を叩いたり、丸い輪っかをなぞったり、一言では表せない厨二的なデザインのだったり。

 

 とどめは最初のレースゲーム。

 今度こそ、僕は一勝をもぎ取ることが出来た。

 

 …九敗と引き換えにね。

 

 

 ああ、とっても楽しいな。

 でも、そんな時間の終わりは唐突。

 

 

「ソロソロ、閉店ノ時間ダヨ」

「え、もう? ……うわ、本当だ。暗くなってる」

 

 日光の代わりにイルミネーションで照らされた街道。

 ネオンもいよいよ役目の時間で、建物の前に色とりどりの光を落としている。

 

 仕方ない、終わりなら帰らなきゃ。

 

 キタキツネの肩をそっと叩いて、頭から落ちてきたぬいぐるみは両手で受け止めた。

 

「…ん、どうしたの?」

「もう閉めるって、帰らなきゃだよ」

「……そっか」

 

 残念そうに俯いて、でもキタキツネは椅子を立った。

 

「……」

「ノリアキ? 行くんじゃないの…?」

「あぁ、ごめん。やけに素直だなって思っちゃって」

 

 今まで通りなら、きっと違う。

 ボスを脅しつけてでも、気が済むまでゲームをやろうとしていたはずだ。

 

 どういう心変わりだろう?

 

 キタキツネから出てきた答えは、おおよそ意外なものだった。

 

「その…ノリアキを、困らせたくないから」

「…え?」

「え、えへへ…」

 

 はにかむキタキツネ。

 ぬいぐるみを胸に、目を閉じて呟く。

 

「今日は楽しかった。だから、楽しいままで終わらせたいなって」

 

 不思議だ。

 うるさいゲームセンター、けたたましい機械音の中。

 

 小さな呟きが、こんなに鮮明に聞こえるなんて。

 

「…そっか」

 

 僕の相槌は、聞こえたかな?

 

 きっと答えは、微笑みの中。

 

「折角だし、ゆっくり歩いて帰らない?」

「うん、そうする…!」

 

 静寂の中へ、ゲームセンターの外へ。

 薄暗く仄かに暖かい、遊園地のまどろみに浸る。

 

「ノリアキ。このぬいぐるみ、大切にするね」

「…あはは、嬉しいな」

「それにね…今日のことは、絶対忘れない」

 

 蛍光と水しぶき。

 透き通るように美しい噴水の前。

 

 微かな明かりが、赤らんだ彼女の頬を照らし出す。

 

 横から肩に寄りかかって、キタキツネは潤んだ目で言う。

 

「ねぇ。今更、こんなこと言うのもおかしいけど……ずっと一緒にいようね、ノリアキ?」

 

 身体も重さも唇も、心も委ねたキタキツネ。

 

 そのまま少しずつ、僕らの顔は段々と近づいていって―――

 

「……もちろんだよ、キタキツネ」

 

 

 ――口づけは、誰にも見えないところで。

 

 

 



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Ⅷ-195 小休止、ホッキョクギツネに寄りかかって。

 鬼ごっこ一週間、四日目。

 朝ご飯の後、一昨日のように遊園地で一時間。

 

 すっきり休んだ背中を伸ばして、最後の眠気を口から解き放った。

 

「あ~、よく寝たなあ…」

 

 昨日の夜。

 ゲームセンターからホテルに帰り、夕食を食べたその後。

 

 キタキツネはいたく満足した様子で、そのまま部屋で眠りに就いてしまった。

 

 ギンギツネと違って何事も無く。

 

 ……本当に、本物だったのかな?

 

 そんな疑問が湧いてくるくらい、昨日のキタキツネはこう…ある意味で、しおらしい振る舞いをしていた。

 

「なんだかんだ言って…って感じなのかも」

 

 普段は嫉妬に悪戯にと、中々ひねくれた雰囲気を出しちゃっているキタキツネ。

 

 だけどやっぱり、根っこの部分は乙女なんだろうね。

 それが分かった昨日のお出掛けは、やっぱり素敵なものだったと思う。

 

 

 さて、思い出話はこれまで。

 

 もうすぐ始まりそうだし、鬼ごっこのことを考えよう。

 

「多分、前よりは逃げやすいはず…」

 

 もう僕を捕まえたから、キタキツネとギンギツネはお休み。

 賑やかし兼お邪魔キャラとして、遊園地の中を適当に徘徊するんだって。

 

 だから、今日僕を追いかけるのはイヅナとホッキョクギツネ。

 

 そして逃げるのは僕一人だから……うわ、めっちゃ白い。

 

『スタート、ダヨ』

 

 今日は頑張ろう。

 案外早く捕まっちゃったから、出来るだけ長く逃げられるようにしよう。

 

 そんな決意を抱いていた僕。

 

 

 …だけど、事件は起きた。

 

 

 それは、周囲を探ろうと隠れ場所から身を乗り出した時のこと。

 

「どれど……わっ!?」

「あっ…!」

 

 曲がり角で誰かにぶつかって、思いっきり尻もちをついた。

 

 すごく嫌な予感がした。

 なんか、とても聞き覚えのある声が聞こえた気がした。

 

 恐る恐る、顔を上げると。

 

「……あはは」

「えっと…これって、どうなるんでしょう?」

 

 尻尾を振って戸惑いながら…ペタリ。

 

 優しくとどめを刺すように、ホッキョクギツネは僕の頭に手を乗せた。

 

 

 

 そして、一時間後――――

 

 

 

「ど、どういうことなの…!?」

 

 絶望の声色。

 怨嗟と嫉妬を孕んだ視線の先に、ホッキョクギツネが座っている。

 

 彼女の表情は、ホワイトチョコレートのように甘い。

 その甘ったるさが、イヅナの絶望の正体だった。

 

「ねぇ、どうして…」

 

 唸る低い声。

 脅しのように光る爪。

 隙あらば突き刺さんと牙を見せ、イヅナは叫ぶ。

 

「どうして、ノリくんが貴女の膝で寝ているの…!?」

「え、えっと……捕まえちゃい、ました?」

 

 自信なさげな柔らかい笑み。

 見ている方が不安になるくらい、全く悪意のない表情。

 

 だけど、イヅナから見たら話は別。

 

 ホッキョクギツネが浮かべた笑顔は、これ以上なく意地の悪い勝利宣言も同然だった。

 

「なんで、私ばっかり…?」

 

 初日は何も出来ず。

 二日間ギンキタのデートを唇を噛んで見つめていた。

 

 そして今度こそと決意した今日……ホッキョクギツネに先を越された。

 

「こんなの絶対、おかしいよ…」

 

 地面にどさりと膝を付き、目元をこすって泣き出すイヅナ。

 イヅナの様子に戸惑い、座ったまま悩むホッキョクギツネ。

 

 そんな二進も三進も行かない状況の中、僕は。

 

「ん…むにゃむにゃ…」

 

 ……ホッキョクギツネの膝に頭を乗せて、すやすやと寝息を立てていた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 数時間後。

 

「…そっか。悪いことしちゃったかもね」

 

 ホッキョクギツネに事の顛末を聞いて、ささやかな罪悪感に苛まれていた。

 

 僕はなにを呑気に眠っていたんだろう。

 イヅナ、今頃きっと怒ってるだろうなあ……

 

「でも大丈夫ですっ! イヅナさんのことは、わたしがしっかり説得しておきましたから…!」

「すごいね、どうやったの?」

 

 僕は驚いて身を乗り出す。

 ホッキョクギツネにそんな才能が隠れていたなんて。

 

「うふふ、聞いて驚かないでくださいっ…!」

 

 彼女は得意げに胸を張って、手口を教えてくれた。

 

 

『今日、わたしがノリアキ様とデートすれば……残りの三日間、全部イヅナさんが一人で好きに出来ますよ』

 

 

「…って、言ったんです」

「そっか、一週間あるから」

 

 今日がダメでも、あと三日。

 しかもライバルが一人もいない。

 

 多少の妨害なんてイヅナから見れば有って無いようなものだし……確かに、駄々をこねて既成事実を覆すよりは楽そうだ。

 

「…じゃあ、今日はホッキョクギツネと?」

「うふふ、そうなっちゃいますね」

 

 気恥ずかしそうに笑うホッキョクギツネ。

 控えめな顔とは裏腹に、彼女の手足は僕を強く抱き締めて離さない。

 

 そのまま、困ったような声色で、彼女は呟く。

 

「でもわたし、何をすれば楽しいかが分からなくて……こうして、ノリアキ様といられさえすれば、それが一番の幸せですから」

 

 僕の頭をまた膝の上に乗せて、今度は顔に尻尾を乗せた。

 

 尻尾に視界が覆われる寸前。

 目が合って、真っ赤に染まった彼女の頬が見えた。

 

 ……緊張、してるんだね。

 

「…もう少し、寝ててもいい?」

「はい。ノリアキ様の心ゆくままに」

 

 手首を握る。

 血管に添わせた指から、彼女の拍動を感じる。

 

 ドクドクと激しく感じる脈動は……一秒、また一秒と経つごとに、おもむろにその間隔を長くしていく。

 

 やがて、すっかり落ち着いた様子のホッキョクギツネ。

 

「……ふふ」

 

 僕も安心して、再びの夢に沈んでいった―――

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「――――んぇ」

「…あ、お目覚めですか?」

「ん…もう夜…?」

「え? いえ、まだお昼ですが……」

 

 もふもふ。

 名残惜しいけど顔からどかす。

 すると、世界は突然昼になった。

 

 寝惚けてるのかな。

 そうだ、暗いのは目元を覆ってるからだね。

 

 ぐいーっと、背中を伸ばす。

 眠気を身体から一滴残らず絞り出す。

 

「おはよ……」

「おはようございます、ノリアキ様。よく眠れましたか?」

「うん…ホッキョクギツネの膝が柔らかかったから」

 

 屋根から透ける太陽は真上。

 

 お腹が空いてきちゃった。

 ずっと寝てただけなのに、エネルギーは沢山使ったみたい。

 

 ”じゃあ、向こうに食べに行きませんか?”

 ホッキョクギツネにそう言われて、僕は頷く。

 

 あはは、やっとデートらしいことが出来そうかも。

 

 そんな仄かな期待を胸に、レストランを目指して休憩所から出発した。

 

 

「久しぶりな気がするよ……こうやって、呑気にしてるのがさ」

 

 石畳を歩く。

 

 レストランまでの道を辿りながら、周りの景色を楽しんでいた。

 落ち着いて眺めてみると…素敵な眺望は本当に多い。

 

 鬼ごっこに明け暮れて――そんなにやってないけど――静かに楽しめなかったことを勿体なく感じるくらいだ。

 

 それはそれとして。

 こうして気を落ち着けてみるとまた、他のことにも気付いたりする。

 

 例えばそう……体の衰えとか。

 

 かなりの間、ぐうたら続きだったツケが回ってきたのだろう。

 

 合わせて三時間にも満たないような鬼ごっこと二日間のデートだけで、僕の脚はかなりガタガタになっていた。

 

「…あはは。たったの四日なのに、一か月は走り続けた気分だなぁ」

「久しぶりに動くと大変ですよね。わたしも体が鈍っちゃって……それで、最初の待ち伏せも取り逃しちゃいました」

「あぁ、そうだったんだ」

 

 なんだか、色々と想像できる話だね。

 もしも、ホッキョクギツネの調子が良かったら。

 

 『三人に同時に捕まえられる』…なーんて、奇跡的なことになってた可能性もあるのかな。

 

 

「…着きましたね」

 

 閑話休題。

 デートに戻ろう。

 

「お洒落だね、ここもボスが?」

「はい、やってくれてるみたいです」

 

 扉の前、地面に突き立てられた木の看板。

 赤いビビッドな文字で大きく、『Pizza』と書かれている。

 

「へえ…イタリアンなお店なのかな?」

 

 入ってみると、中は質素な木造建築。

 客席は暖かく居心地のいい造りで、窓の外には美しい潮。

 

 キッチンも覗いてみたところ清潔で、奥の方ではピザ窯が存在感を放っている。

 

「イラッシャイマセ、二名サマデイイカナ?」

「うん、二人だよ」

 

 ボスの目がピカピカッと光る。

 

 今のは呼び出しのサインだったのかな。

 奥から別のボスが出てきて、僕たちの前に立った。

 

「席マデ案内スルヨ。ツイテ来テネ」

 

 テクテクと歩くボスの後について席まで向かう。

 

 でも、ボスは背がとっても低い。

 

 だから前を向くとボスが見えないし、下を見ると前が危ない。

 この人選……かなり難あり、だね。

 

「注文ガ決マッタラ、”ベル”ヲ押シテ呼ンデネ」

 

 メニューを取って、開いて見てみる。

 

「おお、色々揃ってるね…」

「ノリアキ様、わたしにも見せてくださいっ」

 

 隣に座ったホッキョクギツネと肩をぐいぐい寄せ合って、ワクワクしながら一緒にメニューを読んでみた。

 

 一番大きく写真が載っているのはやはりピザ。

 なんか製法とか原材料とか色々PRされてるけど…まあいいや。

 

 次に目に入ったのはパスタ。

 ペペロンチーノにカルボナーラ、それと普通のトマトスパ。

 こっちも、結構良い材料を使ってるらしい。

 

 ミネストローネとかカプレーゼとか、スープの類も載っている。

 

 だけど僕の目をもっと引いたのはそう、デザート。

 

 よく知らないけど、流石イタリア。

 沢山の美味しそうなデザートがあるらしい。

 

「わたし、この”ティラミス”っていうのが気になります…!」

「ジェラート…ってアイスもあるみたい」

 

 まだ何にも食べてないのに、デザートで盛り上がっちゃう。

 

 このままじゃ時間だけが過ぎそうだから、とりあえずメインディッシュを注文することに決めた。

 

 ポーン。

 

 ベルを押すと音が鳴った。

 ホッキョクギツネはベルに興味津々。

 

「…何回も押しちゃダメだよ?」

「はい。ですから次の、デザートの時はわたしが…!」

 

 あはは、楽しそう。

 

 程なくしてやってきたボスに、ピザ一枚と二人分のパスタをお願いした。

 

「オマタセ、先ニ”パスタ”ダヨ」

「これが…カルボナーラ」

「そしてこっちがペペロンチーノ……う、ピリッと来るね」

 

 フォークを刺して、くるくるくる。

 

 巻き取ったパスタを口へと運ぶ。

 

 僕は普通に出来たけど、ホッキョクギツネは手間取っていた。

 手を添えて、一緒に巻き取ってあげる。

 

 そして、ソース滴るカルボナーラを自分の口へ――

 

「の、ノリアキ様っ!?」

「あはは、冗談だってば」

「もう、びっくりしてしまいましたよ…?」

 

 ぷっくら頬を膨らませて、パスタを口に運んでもぐもぐ。

 すると、次にパスタを取ったフォークを僕の口元に差し出した。

 

「…?」

「もう、食べてくださいっ」

 

 むぐ。

 半ば無理やりの侵入。

 

 甘く、コクのあるパスタが口の中を満たした。

 

「…ノリアキ様のパスタも頂きたいです」

「はい、どうぞ」

「あー……か、からっ…!」

 

 ペペロンチーノの辛さに悶えて、冷たい水をごくごく喉へ。

 ふうと息をついて額を撫でる姿が、どうしてか魅惑的だった。

 

「……顔に、何かついてますか?」

「ううん、何でもない」

 

 僕らが戯れている内に、ピザも出来上がり。

 よく分かんないから定番らしいマルゲリータを選んでみたけど、どんな味かな。

 

「お、大きい…ノリアキ様、こんなの口に入りませんよ…?」

「だから、()()で切って食べるんだってさ」

「…なるほど、流石です」

「あはは、僕が考えた訳じゃないけどね…」

 

 感心するホッキョクギツネに戸惑いながら、ピザカッターを転がしてピザを六等分にしていく。

 

 コロコロ~。

 ふふ、これ結構楽しい。

 

「よし、切れたよ」

「ありがとうございます……あむ…!」

 

 ピザをひと切れ、口を大きくして噛みちぎる。

 ぐいっと口からピザを引くと、とろけたチーズが糸を引く。

 

「……!」

 

 ああ、ホッキョクギツネは可愛いなぁ。

 口からチーズを垂らした姿も、驚きに目を見開いた姿も。

 

 …本当に、素敵だ。

 

 

「ノリアキ様、そろそろデザートにしませんか?」

「そうだね。じゃあ、今度こそ」

「はい、わたしが押しますっ!」

 

 ピンポーン。

 

 …ピンポーン。

 

「…ほ、ホッキョクギツネ?」

「ごめんなさい、ついつい嬉しくなってしまって…」

「…あははっ」

「わ、笑わないでくださいぃ…」 

 

 注文も、ボタンを押したホッキョクギツネにおまかせした。

 

 彼女の注文は、大きめのジェラートを一つだけ。

 スプーンも一つにして、一緒に食べたいみたい。

 

「えへへ…こういうの、憧れだったんです」

「そうだったんだ…はい、開けて」

「うふふ…あーん♪」

 

 冷たいものを食べさせ合って、どうにも胸が暖かくなって。

 とにかく、ジェラートよりもずっと甘い一時。

 

 日光の下の雪が融けるように、すっと過ぎ去って終わってしまった。

 

 

「…ノリアキ様」

 

 ボスたちが食器を片づけ歩き回る中。

 

 ホッキョクギツネが僕の膝に頭を乗せて、つぶらな瞳でこちらを見上げた。

 

「今度は、わたしがこうしても良いですか…?」

「…もちろん」

 

 これはお返し。

 僕の尻尾を彼女の目元にあてがった。

 

「えへへ、暖かいですね」

 

 両手でもふもふ。

 しばらく遊んで、やがて胸元で抱き締めた。

 

 窓から照らされた微笑みは、ふわふわと眠たげ。

 

「おやすみなさい、ノリアキ様」

「おやすみ……ホッキョクギツネ」

 

 穏やかな寝息。

 

 頭を撫でた。

 

 開かれた窓際。

 

 爽やかな風。

 

 手を伸ばした。

 

「くふふ…ノリアキさまぁ…」

 

 風が、手が。

 優しく、頬を撫でた。

 

 



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Ⅷ-196 島に広がる、鬼ごっこの輪

 清々しいほどの晴天。

 

 最初に僕が捕まった、噴水の広場の真ん中。

 

 向かい合って二人、始まりの時を待つ。

 

「……いよいよ、私一人になっちゃったね」

 

 噴水のてっぺんに虹が舞う。

 降り注ぐ水音が、宝石のようなイヅナの声を更に透き通らせる。

 

「つい昨日までは、みんなに先を越されてばっかりだった」

 

 唇を噛みながらの独白は、悔しさが空気越しに伝わって来る。

 

 それと一緒に、喜びも。

 まるで、獲物を目の前にした獣みたいな歓喜がある。

 

「でも、それも終わり」

「…うん」

 

 胸元に握りしめた拳。

 前髪で一瞬だけ隠れた目元は、もう希望の色に染まっていた。

 

「今日で終わらせるよ、ノリくん」

「…大丈夫なの、そんなこと言って?」

「もちろん。ルールも新しくするよ」

 

 新しいルール。

 

 もしかしてイヅナに有利な決まりかな?

 

 そう思ったけど、違った。

 

「最後の舞台は島全部。島の中にさえ居れば、どこに逃げてもいいよ」

「あはは…本気?」

「本気も本気。どこに逃げたって捕まえてあげるから」

 

 島の全てをフィールドにしても勝てる。

 

 イヅナはそう高らかに宣言した。

 凄い自信だ、僕には真似できそうもない。

 

「……後悔、しないでね」

「しないよ、私が勝つんだもん」

 

 

『今カラ一時間後ニ…初メルヨ』

 

 

「じゃあ、僕は先に行ってくるね」

「うん、すぐに行くから待っててね?」

 

 にこやかな見送り。

 だけど、次に会う時は追う者と追われる者。

 

 あはは、ワクワクしてきちゃうな。

 

 抑えられない胸の高鳴りと、同時に湧いてくる緊張と。

 

 そのどちらをも悟られないうちに、僕は遊園地を飛び立つことにした。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…ま、この辺で良いかな」

 

 遊園地を飛び立った僕の現在地はサバンナ。

 

 盛り上がった地形を探して、ひとまず池のくぼみに身を潜めていた。

 

「ふぅ~……ん?」

 

 息を吐く。

 すると、背後から聞こえる水音。

 

 振り返ると、掛けられたのは水ではなく疑問だった。

 

「あら、どなたかしら…?」

「わわ、先客さん?」

「そうだけど……あなた、何処かで見た気がありますわね」

 

 ザバァと波打ち現れた、彼女の名前は確かカバ。

 

 そう言えば、随分前にも会ったような気がする。

 

 だから向こうも安心したのかな。

 彼女は水浴びを続けながら、僕に質問を投げかけてくる。

 

「ここで何を? 見たところ、何かから隠れているようですけど」

「追いかけっこ…まあ、ただの遊びですよ」

「……狩りごっこ、みたいなものかしら」

「まあ、そんな感じです」

 

 敬語、おかしくないかな。

 関わりの少ないフレンズさん相手だと、ついついこんな口調になってしまう。

 

 まあ、いいか。

 

 とにかく返事をしながら、僕は隠れ場所を変えるべく立ち上がった。

 

「あら、気遣いなんて要らないのに」

「大丈夫です、行くべき場所がありますから」

「そう…頑張ってね」

「あはは、ありがとうございます」

 

 口に任せた出まかせを口に、僕はそそくさと池を離れる。

 

 イヅナは色々と本気でやって来る。

 厚意を断るのは申し訳ないけど、万が一にも巻き込む訳にはいかない。

 

 それに、一か所に留まるのが得策とも思えない。

 

「…まあ、ここで良いか」

 

 そうは言っても熟考は要る。

 

 僕は適当に移った木陰に腰を下ろして、青空にこの島を映し始めた。

 

 

 島の全てが鬼ごっこの舞台―――

 

 

 イヅナは簡単に言ってくれたけど、とんでもないことだ。

 

 しかもイヅナは平然と言った。

 あの行為そのものが、既に色々なことを示唆している。

 

 まあ一度はゆっくりと、初めから整理するとしよう。

 

「場所ごとの逃げやすさ…とかかな?」

 

 やはり序盤は大局を見る。

 

 広大な島……様々な環境が備わっているだけあって、やっぱり逃走が簡単な場所とそうでない場所の差は大きい。

 

 『逃げにくい場所』の方が致命的になりそうだし、そっちから行こう。

 

「サバンナ、砂漠、湖畔、平原、水辺、ロッジ付近の平地……」

 

 偏見に任せて、逃げにくそうな場所を上げる。

 

 心なしか、逃げやすい場所よりも多そうだ。

 まあ、それはそれで仕方ない。

 

「残りはジャングル、鉱山、火山、雪山、遊園地……うーん」

 

 こっちも案外逃げにくそう。

 

 ……というか、ね?

 

 ()()()()()()()()って前提があるせいで、どこを戦場にしても有利以上の条件で鬼ごっこが出来る気がしない。

 

 あれ?

 なんでむしろ、今まで捕まらなかったの…?

 

 ギンギツネの作戦が優秀だったのかな。

 

 ホッキョクギツネの件は、()()()って感じだったし。

 

「…集中しなきゃ」

 

 まあ、兎にも角にも僕は不利だ。

 運よく、その原因は大体掴めているけど。

 

「空を飛ぶ能力と、テレポート」

 

 前者は僕も持っている。

 後者はもしかしたら使わないかもしれない。

 

 それを差し引いても、この両方は強い不利要素として働いている。

 

 まずは前者。

 言わずもがなかもしれない。

 

 この力のせいで、多くの地形的有利不利がほとんど無くなる。

 

 多少の高さはチャラ。

 

 起伏に隠れたって上からの偵察でアウト。

 

 これから逃れたいなら…そう。

 入り組んだ地形と、上空からの視線を切る物が必要になる。

 

 でも、僕も飛べば問題ないって?

 

 ……残念だけど、そうは問屋が卸さない。

 

 理由は簡単、イヅナの方が速く飛べるから。

 空中戦の追いかけっこじゃ、瞬く間に僕が捕まってしまう。

 

 それに、逃げる側としては隠れて体力を温存した方が有利。

 

 だから空を飛ぶ力も、結局は僕にとって不利に傾くだけ。

 

「で、加えてテレポート」

 

 こっちの理由は簡単だ。

 

 テレポートで突然背後にでも来られたら負け。

 初日に避けられたのは単なるラッキー、次はない。

 

 …以上。

 

 ……やっぱり、諦めて捕まっちゃった方が楽が出来そう。

 

「でも、絶対にそうしてくる訳じゃない…」

 

 イヅナが僕に情けをかけて、普通の鬼ごっこをしてくれるかも。

 

 そんな()()()()()が僕の活力を残してくれている。

 だから今も必死に、僕は逃げるための策を考え続けている。

 

 傍から見たら滑稽かもしれない。

 

 でも、この鬼ごっこは遊びだから。

 こんなどうでもいいような遊びにこそ、僕たちは本気にならなきゃ。

 

 そろそろ、結論も出せそうだ。

 

「…火山のふもと、かな」

 

 一時間の猶予、もう残りも少ない。

 どうせ決まった正解は無いんだから、直感で選んでしまおう。

 

 もちろん理由はある。

 

 地形がある程度複雑。

 高低差の誤魔化しが利く。

 身を隠せる洞窟がある。

 見渡しも十分に良い。

 

 やっぱり島の聖地と呼ばれているだけあって、中々にいい条件。

 

 上手な立ち回りさえあれば、煙に巻くことは十分に可能だ。

 

 

 まあ、あとは運次第ってとこ。

 

 だから最後は願わないとね。

 

 神様にでも、カミサマにでも。

 

「どうにか、真っ先に嗅ぎ付けられませんように…」

 

 ボスが合図の準備を始めた。

 

 

 あと少し。

 

 

 始まる。

 

 

 最後の。

 

 

「鬼ごっこかあ……楽しそう、ワタシも混ぜていただけませんか?」

「……え」

 

 

 ……神隠しが。

 

 

 

 

―――――――――

 

―――――――――

 

 

 

 

『サア、始マリダヨ』

 

 

 ピコピコ。

 

 耳障りな電子音を鳴らして、ボスが最後の鬼ごっこの始まりを告げる。

 

「……そう」

 

 私は読んでいた本を机に置く。

 そうして少し身体を伸ばして、いよいよ追いかけっこの始まりだ。

 

「随分と余裕なのねぇ?」

「いや……まあ、そうだね。どっちかと言えば()()()志向だけど」

「…?」

「なるほどね…」

 

 頭上にハテナを浮かべたキタちゃん。

 いつも通りの洞察力で頷くギンちゃん。

 

 片方には伝わってるしこれで良いかな。

 

 改まって説明する義理もないし、時間も勿体ない。

 

 私は、さっさとホテルを出発した。

 

 

「くんくん、ノリくんの匂いは……こっちだね」

 

 遊園地に残されたノリくんの体の匂い。

 それを鼻で辿って、私は彼の元を目指す。

 

 普通だったら……始まる前からテレパシーでノリくんの位置を把握しておいて、始まったと同時にテレポートで一気に決着を付ける。

 

 初日も私は、そうやってノリくんを捕まえようとした。

 

 だけど今回、その戦法を使うつもりはない。

 

「あんな大口叩いたもんねー…」

 

 ”どこに逃げても捕まえる”って豪語したんだもん。

 

 こんな鬼ごっこ全否定の戦法で勝ったって、私は全然納得できない。

 

「うん、サバンナの方角で間違いないかな」

 

 だから、始まる瞬間まで読書に集中。

 間違ってもテレパシーを使わないように気を付けていた。

 

 ……あ、空は飛ぶよ?

 

 ノリくんも同じように飛べるし、のんびり歩いてちゃ日が暮れちゃうし。

 

「……空中戦は不毛になりそうだね」

 

 空から地表を眺めてみて、改めて私はそう感じた。

 

 こんな風に俯瞰してみると、意外と隠れられる場所は少ない。

 

 これがヒトの街の中なら、建物が絶対的な遮蔽物として機能してくれる。

 

 サバンナは見渡しが良いね。

 今のところ、ノリくんの姿は見つけられてないけど。

 

「もしかして、もう移動しちゃった?」

 

 こんなに見渡しが良い場所で、影も形も見えないなんて。

 

 匂いをもう一度嗅いでみてもイマイチ。

 遊園地に残った匂いと比べて、それほど濃くなっているようには感じない。

 

 だったらここも通り道かな。

 

 匂いの方向だけ調べて、早く次の行き先を見つけないと。

 

「…うふふ。久しぶりだなぁ、こういう感じ」

 

 テレパシーを手に入れてからのこと。

 私はずっと()()でノリくんの存在を感じ続けていた。

 

 でも今、こうしてその道具を封じてみるとどうだろう。

 

 微かな匂い。

 密かな足跡。

 細かな思考。

 

 それを頭の中で総合して、ノリくんの場所を探る必要がある。

 

 普段のように――ボーっと呆けていながら、ノリくんの情報が手に入るなんてことは絶対にない。

 

「…楽しい」

 

 いつもやるには、結構怖い。

 彼を常に感じていられないことは、とっても不安だ。

 

 でも今は、この瞬間だけは違う。

 

 恐怖が最高のスリルになって、私をこれ以上なく楽しませてくれる。

 

「水辺…そう、ここにも寄ったんだね」

「まあ、今日はお客さんが多いですわねえ」

 

 道中、サバンナの池。

 

 出会いがしらの言葉から、ノリくんが彼女に会ったことは明白。

 

 ……万が一にも、変なことが起きてないといいけど。

 

「あら、顔が怖いですわよ?」

「…大丈夫。ところで、ノリくんは何か言ってなかった?」

「いいえ、別に何も。すぐに何処かへ行ってしまいましたわ」

 

 ……嘘は、ないね。

 

 良かった。

 

 少しでも不審だったら、テレパシーとかを使ってでも事情を聴きに行くつもりだった。

 

 だけど彼女の様子を見れば、それをしなくても済みそうだ。

 

「邪魔したね。それじゃあ、私は行くよ」

「ええ、気を付けるのよ~」

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「この木陰、匂いが濃いね」

 

 池を離れ、しばしの間歩き回って見つけた場所。

 色濃く残っている匂いは、ノリくんがここに長い時間滞在していた証拠。

 

 だけどここに、ノリくん自身の姿は見えない。

 

 それどころか、この状況は少し奇妙で……

 

「…どうして? 匂いに先が無いなんて」

 

 くんくんと鼻を揺らしても、匂いの線は一つだけ。

 

 これはおかしい。

 

 ノリくんがここに来て、そして離れたなら……匂いの線は最低でも二本、伸びていなければ道理に合わない。

 

「もしかして、ここに隠れてる…?」

 

 気配は感じない。

 いくらテレパシーを封じても、身近にいるなら分かるはず。

 

 隠蔽…ううん、その線もない。

 

 私はノリくんに、幾つか自分の術を教えていたけど……まさか私を欺くことなんて出来ないはずだ。

 

「じゃあ、どうして…?」

 

 真っ直ぐ来た道を戻った?

 そんなことをする理由はない。

 

 匂いで捜索されるなんて、ノリくんは思ってもいないはず。

 

 それにこの推測が正しかったら、匂いの線は別の場所で分岐していなきゃおかしい。

 

 

「……八方塞がり」

 

 

 多分、それより状況は悪い。

 単に塞がれているだけなら、私がその中で捕まえればいいだけ。

 

 問題は一つ。

 

 八方塞がりの中から、()()()()()()()脱出されていること。

 

「まさか、こんなことって」

 

 悩む。

 テレパシーを使うか否か。

 

 自分に課した縛りを、解き放つかどうか。

 

「………やろっか」

 

 私にとっても八方塞がり。

 悔しいけれど、この状況を打開する術はない。

 

 だからせめて、ノリくんの居場所の方角だけでも知りたい。

 

「少しだけ、本気出しちゃうから」

 

 本音を言えば、ちょっぴり不安もある。

 私の知らない何かが、裏で起きているような気もする。

 

 ……ノリくん、何処にいるの?

 

 テレパシーを使って、彼の体に問いかける。

 

「…そう、火山の方向だね」

 

 たったそれだけ、確かめられた。

 

 そうしたらまた、テレパシーに縛りをかける。

 

「だって、これ以上は()()()になっちゃうもん」

 

 楽しい楽しい鬼ごっこ。

 あくまでフェアに、平等に、心行くまで堪能したい。

 

 だから邪魔は許さない。

 もしも()()()がいるとしたら、その時は…私も心を鬼にする。

 

 ノリくんはこの手で捕まえて、そして最後まで守ってあげる。

 

 

「待っててね、ノリくん」

 

 

 私はあなたのパートナー。

 何があっても、迎えに行くから。

 

 



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Ⅷ-197 神様の紛い物

 ヒュウ……ゴオオォ……

 

 ひんやりとした音が、僕の耳を揺さぶる。

 

「うぅ…ん…?」

 

 ゆらゆらと立ち上がりつつ思い出す。

 僕にはやるべきことがある。

 

 そう、鬼ごっこだ。

 

「起き、なきゃ…」

 

 体を起こそうともがくけど、手足がしびれて動けない。

 

 もうすぐイヅナが来る筈だから、早く逃げる準備を……

 

 

 ……って、そうじゃない。

 

 

「もっと、気になる事が…」

 

 少しは頭が冴えてきた。

 寝惚けている場合じゃない、この状況は明らかに不自然。

 

 まず、真っ先に確かめるべきことは一つ。

 

 ここは、どこだろう?

 

 僕は、目を開けた。

 

「うっ、眩しい…」

 

 差し込む光に瞼を細め、慣れて来てからもう一度。

 そうして、ようやく世界が見える。

 

 天井から滴る鍾乳石。

 奥深くに広がる深淵、真っ暗な地中への道。

 逆側を向けば遠くに見える、外に繋がる希望の光。

 

 まあ、簡単に言えば。

 

 冷たい岩に寝そべって、僕は洞窟の中に寝そべっていた。

 

「あれ、動ける…?」

 

 気が付けば引いていた体の痺れ。

 僕はおもむろに立ち上がる。

 

「どうしてこんなところに……うっ!?」

 

 後頭部を突如襲ってきた、殴られたような痛み。

 

 ドクドク。

 頭が脈を打つ。

 

 血がたくさん集まってきて、今にも弾けて溢れてきそうだ。

 

「や、やめよっか…」

 

 頭痛がひどくて集中が散る。

 気を失う前のことは、もうしばらく思い出せそうにない。

 

 今は、周囲の情報を探ることに注力しよう。

 

 

「……何も、ない」

 

 

 そりゃそっか。

 

 洞窟なんかに大したものなんて無いよね、RPGじゃあるまいし。

 

 眺める限り普通の洞窟。

 幾ら見渡しても、自然の神秘にただただ感銘を受けるだけ。

 

「…出よう」

 

 この洞窟の場所がどこか――きっと山の辺りだけど――今すぐには行動できなくても、早めに知っておいた方が良いはず。

 

 岩壁に手をつきながら立ち上がる。

 

 足場が悪い。

 一歩ずつ、転ばないよう、ゆっくりと。

 

「あと少し……あっ!?」

「やれやれ、もう目を覚ましちゃったんですね」

 

 僕のそんな確かな歩みは、一瞬のうちに打って崩される。

 

 服の襟を後ろから掴まれて、僕は硬い床に尻もちをついてしまった。

 

「いてて……だ、誰…?」

「誰と聞かれると……ふむ、困ってしまいます」

 

 この声には聞き覚えがある。

 気を失う前、微かに聞こえていたような気がする。

 

 振り返った。

 

 声の主を視界に収めるために。

 

 

「―――え」

 

 

 そして、絶句した。

 

 

「…うふふ、すっかり言葉を失くしてしまって。もしかしてワタシ、そんなに綺麗な見た目してます?」

「お……()()()()()()?」

 

 そう。光に照らされた彼女の顔は他の誰でもない、オイナリサマの顔を象っていた。

 

 さっきにも増して混乱する僕の頭。

 

 しかし、鬱陶し気な表情をして首を振り、吐き捨てるように彼女は言う。

 

「別にワタシ、オイナリサマじゃありません。それにワタシ、()()()が大嫌いですし」

「…そ、そうなの?」

 

 ああ、でも、落ち着いてきた。

 改めて冷静になって見てみると……色々違う。

 

「確かに、なんか黒い…」

「そうではなくてっ!」

「えっ!?」

 

 おかえり混乱。

 前触れの無い怒鳴り声。

 

 一体どの言葉が逆鱗に触れたのかは分からないけど、彼女は怒り出した。

 

 壁の岩を殴りつけ、手からサンドスターが巻き散るのも厭わず、半狂乱の状態で大きな独り言を叫ぶ。

 

「ワタシは断じてあんな……忌まわしい奴に、ワタシの()を奪ったアイツなんぞの姿に………あぁ、出来ることならやり直したいっ!!」

 

 僕は若干縮こまりながら、その声に耳を傾ける。

 

 正直とても怖かったけど、情報も搔き集めねばならなかった。

 

「…ど、どうなってるんだろう」

 

 聞いた感想を率直に言えば…”よくわからない”。

 

 でも理由はどうあれ、彼女が本物のオイナリサマを敵視していることは間違いないだろう。

 

 僕を気絶させてここに連れてきた犯人も、恐らくは彼女。

 出来ればその理由を尋ねたいし、早く落ち着いてくれないかな。

 

「ふぅ、ふぅ……失礼、取り乱してしまって」

 

 そんなことを思っている間に、段々と癇癪も収まってきた様子。

 この分なら、話にも応じてくれそうな気がする。

 

「ねぇ、少し質問してもいい?」

「ええ…答えるかどうかは内容によりますが」

「それでいいよ」

 

 どうであれ答えてくれるのなら、僕としては願った通り。

 

 …とはいえ、いきなり核心に迫ろうとするのは早急かも。

 

 話を始める意味合いも兼ねて、さっきからずっと気になっていたことを尋ねてみることにした。

 

「じゃあ早速。あなたって…セルリアン?」

 

 ピクリ。

 

 狐耳らしき黒い何かが、頭の上で揺れる。

 

「…まあ、そうですね」

 

 やっぱりそっか。

 予想通りでよかった、この黒さでセルリアンじゃなかったらどうしようかと。

 

 でも、セルリアンということは……

 

「じゃあ貴女は、オイナリサマの輝きをコピーして?」

「…ワタシはオイナリサマなんかじゃない、絶対に」

 

 今度の否定は強めの口調。

 

 だけど姿が姿だけに、オイナリサマと無関係と主張するには苦しい。

 どうであれ関わりはある筈だ。

 

 少なくとも、その形を取るようになった切っ掛けぐらいは。

 

「それでも、関係はあるんだよね」

「……別に、何も」

「だったら貴女は違う姿のはず。まさか、好き好んでオイナリサマを模した訳もないんでしょ…?」

 

 僕は、いつまた彼女の逆鱗に触れてしまわないかとヒヤヒヤ。

 

 言葉を選んで、強い口調にならないよう気を配って、僕は彼女に探りを入れる。

 

「…わからない」

「本当に? 何も、覚えてないの……?」

「はぁ……別に良いでしょう、ワタシのことなんて」

 

 深いため息。呆れの色。

 でもそれは、深入りされたくない想いの裏返し。 

 

「それより、他に質問は無いんですか? 出来るなら、もっと()()()質問が欲しいのですが」

 

 そう言って、この件への追及を逃れようとする()()()()()

 

 ご想像の通り、オイナリサマを模しているからイナリアン。

 頭の中だけで、僕は彼女のことをそう呼ぶことにした。

 

 間違って声に出して呼んでしまった日には……あぁ、想像するだけで恐ろしい。

 

 まあいいや。

 

 とにかく…ええと、そう。

 質問だよね。

 

「楽しい質問かあ……じゃあ一つだけ」

 

 核心に迫る質問に、多少のおどけをコーティングして、彼女に投げつけた。

 

「あと少しでさ、()()()鬼ごっこが始まる予定だったんだよね。……どうして、邪魔なんてしてくれたのかな?」

 

 軽い調子で口にしてるけど、僕はかなり怒っている。

 

 だって、僕たちの全力の遊びを邪魔されたんだよ。

 どんな理由だって許す気はないけど、それでも知る必要はある。

 

 聞かなければ腹の虫が治まらない。

 

「仲間に入れて欲しかった……とかじゃ、ダメですか?」

「あはは、そっかそっか。面白い冗談だね」

 

 だと言うのに、イナリアンから返って来た答えは()()

 

 言葉にした通り、本当に面白いと僕は思うよ。

 よくもまあ抜け抜けと、こんな嘘が吐けるものだよね。

 

「ですが、効果はあったと思いますよ」

「え?」

 

 意味の解らない一言。

 

 直後、そんな僕に思い知らせるかのように事態は急変する。

 

 

 風を切る音、そして―――

 

 

「…ノリくん、怪我はない!?」

「イヅナ…!?」

 

 不意に聞こえたイヅナの声。頭が反射的にそっちを向く。

 

 僕の目は、すぐにイヅナらしき影を見つけた。

 向こうも…僕を見つけたみたいだ。

 

「…あ、ノリくん!」

 

 僕の所からは逆光になって、彼女の影が色濃く見える。

 

 隣からクスクスと聞こえたイナリアンの笑い声。

 

 そちらを見ると、彼女は見せつけるように腕を広げ、お返しと言わんばかりのお道化た調子で僕に告げる。

 

 

「……ほらね。現にこうして、()が来てくれたでしょう?」

 

 

 その姿はまるで、渾身のイタズラに成功した幼子のようであった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…これ、どういう状況?」

「え、えっと…」

 

 洞窟の中に、僕とイナリアンが二人だけ。

 ついさっきまで鬼ごっこをしていた筈のイヅナから見たら、あまりに奇妙な状況だろう。

 

 僕も、どう説明すればいいのかまだ悩んでいる。

 

「ノリくん、()()()はセルリアンなの?」

「あ、うん。見ての通り、そうみたい」

「そっか、なるほどね…」

 

 イナリアンと僕の間。

 庇うようにイヅナは割り込んできて、イナリアンと相対する。

 

 背中越しにも感じる殺気に身の毛がよだつ。

 

 威圧の視線を向けられている筈のイナリアンは、恨めしいほどケロッとした様子で微笑を浮かべていた。

 

「大体分かった。貴女がノリくんを誘拐したんだね」

「まあ、誘拐とは人聞きの悪い…」

「人聞きね…あはは、そんなの気にしてる余裕あるの?」

 

 光を跳ね返して銀。

 握られた柄から伸びる長い刃。

 イヅナが刀をイナリアンの喉元目がけて突き出す。

 

「……貴女はここで、誰にも知られることなく消えるというのに」

 

 しかしイナリアンの反応も早い。

 すんでのところで体を横に滑らせ、彼女は凶刃を回避する。

 

「っ……物騒なモノを出しますね。残念です、もっと平和な解決が出来ないものでしょうか…」

 

 そしてまた、揶揄う様な口調で無い心から言葉を言う。

 

「そうだね、貴女がここで今すぐ消滅してくれれば、一番平和なんじゃないかな?」

「うっふふふ……冗談がお上手で…」

「冗談じゃない。早く消えなよ、セルリアン」

 

 イナリアンは身体を自在に滑らせ、イヅナは虚空に刀を舞わせる。

 

 息つく暇もない攻撃と回避の応酬。

 傍から見る限りでは互角、だけど僕には強い不安があった。

 

 それは未だ、イナリアンが攻撃に転じていないこと。

 

 もし仮に――イヅナの刀筋を完璧に捌けるような体術で――彼女がイヅナに攻撃を仕掛けたとしたら……

 

「…やるしかない」

 

 イヅナに守られてばかりじゃない、僕も戦わなきゃ。

 

 作戦は一つ。

 

 最善のタイミングを見極めて援護をする。

 この芸術のような攻防に裂け目を入れることなく、イナリアンだけを打ち倒せるように。

 

「ふぅ、そろそろでしょうかね…」

「……何をする気?」

 

 一瞬、洞窟を流れる風向きの変わり目に。

 イナリアンは後ろ向きのステップを踏んで、イヅナから大きく距離を取った。

 

 イヅナは距離を詰め返さない。

 

 刀を構えたまま、向こうの動きを警戒している。

 闇雲に突っ込んではいけないと、本能的に察知していた。

 

 張り詰めた沈黙。

 

 空気しか動かない暗がりの中。

 

 イナリアンは嗤った。

 

「……いえ、大したことではありませんよ」

 

 目が合った。

 

 セルリアンの目は昏い。

 未来も希望も過去もない黒。

 

 闇を迸らせ、イナリアンは踏み出す。

 

()()()()()を、果たすだけです―――!」

「っ……ノリくんッ!」

 

 イヅナの横を光のようにすり抜け、僕の数歩先まで迫るイナリアン。

 

 そうか、最初から、目的は僕。

 

 逃げなきゃ。

 僕が人質に取られたら、イヅナが自由に動けなくなる。

 

 まさか最初から、それが目的で……!

 

「……うふふ」

 

 嗤う顔。

 勝利を確信し吊り上がる口角。

 

 だけど、違う。

 

 何がって?

 

 それは、()()

 

「え」

 

 イナリアンが()()()()()()勝利。

 

 僕たちは見誤っていた。

 

「嘘、どうして――!?」

 

 

 イナリアンの、本当の目的を。

 

 

 …事実を知る時。

 

 

 冷たい岩に落ちる、イヅナの身体。

 

 

「と、言う訳で……()()()()()()()()()()()()()()?」

「う、あ……!」

 

 攻撃はたったの一度、お腹へ沈めた強烈な拳。

 一撃のうちにイヅナを倒し、イナリアンはイヅナを肩に抱える。

 

 そして僕には目もくれず、洞窟を立ち去ろうと踵を返す。

 

「……そんな」

 

 ダメだ。

 行かせるものか。

 

「待て、イヅナを――――ぐぅっ!?」

「やかましいですね。どうせ用済みなんですから静かにしていて下さい」

 

 イヅナと同じ、一撃での決着。

 

 強すぎる。

 

 互角に見えたさっきの戦いは、ただ遊んでいただけ…?

 

 無理だよ。 

 こんな奴に、敵う訳がない。

 

 

「…でも、お礼くらいは言っておかないといけないでしょうか。うふふ……ありがとうございました、祝明さん」

 

 

 去っていく。

 

 

「あなたは、最高の()でしたよ」

 

 

 そんな台詞と、絶望だけを残して。

 

 

 



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Ⅷ-198 破れる、刹那の間隙に

「……何か、来ます」

 

 徐に、オイナリサマが呟く。

 

「何かって…何だよ?」

「分かりません。ですが、強大な力を持つ何かが、この結界に近づいています」

「へー……えっ?」

 

 さらっと言ってやがるけど…強大な力?

 

 恐ろしい胆力だな。

 そう淡々と流せるような話じゃないだろうに。

 

「……それってやっぱ、問題なのか?」

 

 耳元の髪の毛を指にねじ巻きながら、オイナリサマは答えた。

 

「恐らく……脅威になる可能性は、十分に有るでしょう」

「……そうか」

 

 オイナリサマが恐れるほどの脅威。

 

 一体どんな奴なんだろうな。

 

 俺はソイツに対して恐怖と、同時に一抹の歓喜の念を覚えていた。

 

 この状況を土台からぶち壊してくれるようなもの。それをずっと、心のどこかで期待していたからだ。

 

 別に、今の暮らしを変えて幸せになれる保証なんて無い。

 実はそこまで、今の生活を不幸だと思ったことも無い。

 

 けれど、喉に引っ掛かる違和感がある。

 

 どれだけオイナリサマの愛を呑み込んでも流されずに残る、根深く差し込まれた抵抗がある。

 

 何の前触れもなく訪れた危機。

 この行く末を見守れば、違和感の手掛かりを手に入れることも出来るだろうか。

 

「待ってください、これは……!」

「オイナリサマ?」

 

 焦り声。

 初めて聞いたな、オイナリサマのああいう声は。

 

 これは”まさか”と言わずとも、相当ヤバい一件になるんじゃなかろうか。

 

 その予感を的中させるが如く、オイナリサマは読んでいた本を机に叩き付けて立ち上がる。

 そして、俺に向かって叫んだ。

 

「神依さん、今すぐ安全な場所に…!」

()()()って…この結界の中がそうじゃないのか…?」

「いえ、ここはもうすぐ―――!」

 

 彼女が言い終わるより早く、その時はやって来た。

 それはたった一瞬の間に、長く残る爪痕を俺たちに残した。

 

 全てが解決した後、どれほどの時間が過ぎようとも、俺はその瞬間に見た景色を決して忘れることはない。

 

 ごく簡潔に形容するならば、こう言う他に無いだろう。 

 

 

 ―――空が、砕けた。

 

 

「くっ……! 神依さん、私から離れないで…!」

「あ、あぁ…」

 

 結界の破片。

 地上に降り注ぐプリズムのような結晶。

 

 それは同じく降り注ぐ日光をバラバラに屈折させ、差し込む虹は天国のような光景を生み出していた。

 

「す、すげぇ…」

 

 これから起こる事件に期待を寄せ。

 差し迫った危機に僅かばかりの不安を覚えていた俺。

 

 それでも、この数秒間だけは、眼前に広がる幻想的な光景に心を奪われていた。

 

「綺麗、ですね……」

「…オイナリサマ」

 

 彼女とて、それは同じであった。

 

「……けど、何が起こったんだ?」

 

 視界を揺さぶり、視線を逸らす。

 心を無防備にさせる誘惑から逃れつつ、俺は至って真面目にこの状況の分析を始めた。

 

「結界を壊せるなんて、相当強い奴なんだろうな」

 

 感想みたいな考察だけど、真っ先に俺はそう思った。

 

 今となっては昔の話、俺がホートクの結界に閉じ込められた頃。

 祝明とイヅナが助けに来てくれたが、結界を正面から破ることは出来ていなかった。

 

 俺が知る限りイヅナは強い。

 そんなアイツでも成し得なかった結界の破壊。

 

 更に言えば、壊すのにそう長い時間は掛かっていないはず。

 

「想像するだけでもやべえな、これは…!」 

 

 こんな奴、いったい島のどこに潜んでたんだ?

 

 ……さて、見当もつかないな。

 考えるほどドツボに嵌りそうだ、もう少し情報が出てから改めて考え直すことにしよう。

 

 俺は目を開け、頭を上げる。

 

 プリズムは既に全て降り切った様子。

 向こうに外の光景が見えること以外、全て普通の景色に戻っている。

 

 そんな中、俺は遠くの林に人影を見た。

 

「……見間違いか?」

 

 だが、俺は自分の目を疑った。

 横を向いて、オイナリサマの姿を再び確認する。

 

「神依さん、何か気づいたことが?」

「いや…まだ、確かじゃない」

 

 そうだ。

 今も確かに、オイナリサマは俺のすぐ隣にいる。

 

 だからアレは、俺の見間違いに違いない。

 

 大体あり得ないだろ、()()()()()()()()……なんて。

 

「いや、でも…」

 

 考え直してみれば、あながち可能性が無いわけでもない。

 

 一つだけ…心当たりがある。

 あれは一体いつの話か、数十日は前だった。

 

 火山で妙な果物を貰って、溢れるサンドスターを持て余して”オイナリサマ”を再現しようと試みた思い出。

 

 セーフティに引っ掛かって完成こそしなかったが、再現自体は最後の段階まで進んでいた。

 

 完全にセーフティが機能していなかったか。

 もしくは、何か予期しない他の原因があったか。

 

「道理に沿って考えるなら、それが一番現実的か…」

 

 一応それなら、結界を壊せるレベルに達している奴の異常な能力の高さについても説明を付けることが出来る。

 

 どのみち火山のてっぺんには、サンドスター(栄養)満点の果物が実っている訳だし。

 

「…オイナリサマ、相手の姿は掴めたか?」

「……いえ。私の予想以上に、敵の隠密技術が高いようです」

「そうか…」

 

 今の時点で、打つ手はなし。

 向こう側が攻めてきて、姿を見せた時に叩くしかない。

 

 難しいな、強制的に後手に回らされるとは。

 

 向こうは好き勝手に手を打てる。

 出来るだけ時間を掛けて、こちらが焦れるのを待つことさえも。

 

 だが僥倖と言うべきか。

 

 向こうにも、然程の我慢性は備わっていなかったみたいだ。

 

 

 張り詰めた空気の中で、不自然に草が揺れた。

 

 

「―――神依さんっ!」

「っ、来たか…!」

 

 俺たちの反応は早かった。

 すぐに構え、いつ飛び出してきても跳ね返せるように備える。

 

 そして真っ黒な影が、俺を目掛けて真っ直ぐに飛んできた。

 

「…えっ?」

「ちっ、やっぱりそうかよ…っ!」

 

 さっき俺が見た通り。

 

 敵の正体は真っ黒なオイナリサマ。

 わざわざ確かめるまでも無くセルリアンに間違いない。

 

「お前、何が目的だ?」

「ワタシの目的? そんなの、決まってるじゃないですか」

 

 にこやかに、奴は笑う。

 

「あなたを迎えに来たんですよ、()()()()

「……は?」

 

 どうして。

 

 なんでお前は、俺を()()()()に呼ぶんだ――?

 

「ふふ…!」

 

 戸惑う俺を嘲笑いながら、奴の手がこちらへと伸びる。

 

 その手は俺に届く寸前で、白い影によって遮られた。

 

 

「不愉快ですね、私の姿を真似るなんて」

「ワタシこそ、好き好んで貴女の姿を取っている訳ではありませんよ」

 

 

 互いに睨み合い、同時に距離を取る。

 揃って不愉快な表情を浮かべて、緊迫した空気が辺りに満ちる。

 

 自然と生まれる沈黙。

 

 オイナリサマがそれを破り、黒い方へと問いかけをした。

 

「ところで貴女、どうやって結界を破ったのですか? 力があるとはいえ、生半可な方法では壊せないものであると自負していましたが」

 

「ええ。流石のワタシも、準備無しにアレを壊そうとすれば……かなり骨が折れたでしょうね」

 

 遠回しな言い回し。

 オイナリサマがすかさず続きを促すと、ため息を一つ。

 

 見下す笑みを張り付けて、それでも答えは教えてくれた。

 

「…利用させてもらったんですよ。結界の構成を()()()()()()()知っている方に」

 

 …どういうことだ?

 

 含みのある言い方をされて、俺にはさっぱり分からない。

 

 だが、オイナリサマはピンとくる何かを知っている様子。

 

 珍しく、俺にも聞こえるような大きい舌打ちをして、小さく一言呟いた。

 

「……()()ですか」

 

 苦虫を噛み潰すように歯ぎしりをするオイナリサマ、美味しいものを頬張るように口をもごもごと動かす黒いやつ。

 

 心に追い討ちを掛けるが如く、奴は詳しい説明を続けた。

 

「彼女の記憶の中に残った術式の一部を利用して、脆弱性を突かせてもらいました」

「その程度の記憶で破られる結界なんて、ただの役立たずなのですけどね…」

「では、()()だったのでしょう?」

 

 楽しそうに煽るなコイツ。

 額に青筋を浮かべたオイナリサマなんて初めて見たぞ。

 

「……正直に言って、貴女の立ち回りは上出来でしたよ。()()()()()

 

 オイナリサマも負けじと煽るが、相手は至って涼しい顔だ。

 

 まあ、余裕あるだろうな。

 なにせ、オイナリサマの最大の防壁である結界を破ってここに立っているんだから。

 

「ですが、この先は有りません。私と対峙した時点で、貴女の敗北は決しているのですから」

「うふふ……舐められたものですね」

 

 いよいよ戦いが始まりそうな雰囲気だ。

 オイナリサマが俺の方を向いて、避難を促す。

 

「神依さん、神社の中に隠れていてください」

「すぐに片付けて、ワタシが迎えに行きますからね…!」

「戯言を。貴女はここで滅びるのみです」

 

 バチバチと視線がぶつかり巻き散る火花。

 

 その圧に、逃げなければと分かっていても俺の足は動こうとしない。

 

 見かねた彼女の、叫ぶ声。

 

「神依さん、早くっ!」

「あ、あぁ…!」

 

 助かった、やっと足が動く。

 

 急かされるままに、俺はその場から逃げだした。

 向かう先は神社、その書斎。

 

 あの建物の周囲は林。

 逃げるにも隠れるにも、見晴らしの良すぎる神社の本殿より動きやすい。

 

 一応視線が通れば早くに相手を察知できるが、それは向こうも同じ条件。

 

 スピード勝負で俺に勝ち目はない。

 

 もしもの時が来れば、コソコソと隠れながら脱出の機をうかがうしか方法は無いと考えていいだろう。

 

「一番は、オイナリサマが勝ってくれることだけどな……」

 

 何だかんだ言って、オイナリサマの下が一番安全だった。

 けど、この胸のざわめきはなんだ?

 

 あの黒いやつを見ていると、どうしようもなく落ち着かない。

 

 ただアイツが脅威だからなんて、そんな理由じゃない。

 

「やっぱり変だ。アイツは、生まれるはずなんて無かった…!」

 

 考えろ。

 

 アイツは一体どうやって、あのセーフティをすり抜けた?

 

 その疑問の先に、全ての答えがある気がしてならなかった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 書斎に隠れてから、早一時間。

 あれから何度も地面は揺れて、空気は淀み、俺の神経は擦り減っていった。

 

「まだ、決着が付いてないんだな……」

 

 ドゴォ……

 

 何かが地面に叩き付けられる音、さっきから幾度となく聞いている。

 

 なんと激しい攻撃の応酬だろう。

 俺だったら、一分と保たないに違いない。

 

「……?」

 

 おかしいな。

 あの大きな音の後、何も外から聞こえてこない。

 

 まさか、終わったのか?

 

「……やっとか」

 

 疲れたよ、隠れているだけなのに。

 

 オイナリサマでも手こずる相手がいるんだな。

 この分の心労は、美味しいご飯でも作ってもらって埋め合わせてもらうとしよう。

 

 俺は書斎の扉を開け、外の世界を確かめる。

 

 

「………え」

 

 

 今日驚くのは何度目だろう。

 

「か、カムくん…!」

「……あ、神依さん」

 

 少し前までの面影など見る影もない、荒れ果てた景色。

 

 その中で、互いに睨み合いを続けているオイナリサマと黒イナリ。

 

 オイナリサマは俺を見つけて嬉しそうな笑顔を見せるが、黒イナリの方は膝を付いていて相当に疲れている様子だ。

 

 当然というべきか、オイナリサマの方が優勢であるらしい。

 黒イナリがまだ戦えていることには驚いたが、そう長くは続かないだろう。

 

 それは、酷く荒れた息と止まることなく上下する肩が証明している。

 

 

 だけど……何だ、この違和感は?

 

 

「…オイナリサマ、どうしたんだ?」

()()()()とは…どういう意味ですか?」

 

 聞き返されると返答に困る、元より形の無いただの感覚だ。

 

 それでも見過ごせるものじゃない。

 俺の直感が、絶えずそんなアラートを鳴らしていた。

 

 ……ふと、浮かんだ疑問をぶつける。

 

「なぁ…止めは刺さないのか?」

「えっ……?」

 

 オイナリサマは優勢だ、黒イナリはもうすぐ限界だ。

 ここで畳みかければ、程なく勝利を得られるだろう。

 

 なのにオイナリサマはそうしない。

 

「俺が言うのもなんだが、早くした方が良いんじゃないか?」

「あぁ、はい、そうですね…!」

 

 俺の言葉に、慌てて攻撃の準備を始める。

 

 

「…そろそろ、かな?」

 

 黒イナリが、そう呟いた。

 

 

「あ、あれ…!?」

 

 そして綻びは、その姿を見せ始める。

 

 

「…オイナリサマ?」

 

 準備を始めてから数分。

 未だに、彼女の攻撃は始まらない。

 

 ……いや。

 

 ()()()()()()のか?

 

「サンドスターが、ボロボロに崩れてる…?」

「なんでしょう、これ…」

 

 黒イナリを攻撃するために手元に集めたサンドスター。

 普段なら何かしらを形作って纏まるそれが、今はまるで砂のように脆く崩れ去っていく。

 

「あはは…っ!」

 

 元凶は、黒イナリか。

 

「貴女、何を………っ!?」

「オイナリサマっ!」

 

 突如立ち上がり、ダッシュで迫りくる黒イナリ。

 手元には鮮やかな黒を発するエネルギー弾、力を残してやがったか。

 

 でも、オイナリサマなら…!

 

「…えっ」

「あはっ、どうしちゃったの?」

 

 サンドスターが崩れる。

 オイナリサマが防御の為に集めた輝きも、一瞬のうちに散って消えていく。

 

 そして黒イナリの拳がついに、オイナリサマに届く。

 

「さあ、吹っ飛んじゃってっ!」

「お、おい…!?」

 

 ソニック、衝撃波、それは風。

 

 オイナリサマは飛んで行き、段々影は小さく消える。

 

「……」

 

 にこやかな表情。

 勝利の笑み。

 

 俺は確信した。

 

 

 黒イナリは最初から、この策を実行する時を待っていたんだ。

 

 

「何が、お前の目的なんだ…?」

「言ったでしょう、カムくん? ワタシは、貴方を迎えに来たんですよ」

 

 当たり前のようにソイツは言う。

 けれどそれは、全然道理に合わないことなんだ。

 

「おかしいだろ…どうしてお前が、俺をカムくんと(そう)呼ぶんだ…?」

「……カムくんが気付いたら、その時にちゃんと教えてあげますね?」

 

 切実な問いにも、碌な答えは返って来ない。

 

 ふざけやがって。

 こういう部分だけは、その姿にピッタリな振る舞いだな。

 

「…で、何してる?」

 

 さっきの会話の間からずっと、黒い奴は妙な術式を組み続けている。

 

 他に話題の種もなさそうだし、そこに踏み込んでみることにした。

 

「結界を張ります。そうして、()()()を永遠に締め出します」

「…出来るのか?」

「はい、貰うものは貰いましたからね」

 

 そう言って、黒イナリは掌の上に虹色の結晶を形作る。

 

 正直、結晶の形だけを見たらチンプンカンプンだが、感覚的に俺はそれの正体を理解した。

 

 

 ――なるほど、アレは。

 

 

「出来ました。念の為ですが、ワタシから離れないでくださいね」

 

 そう言いつつも、向こうの方から距離を詰めてくる。

 正直言って離れたかったが、余計な刺激をしたくない。

 

 俺は奴にされるがまま、奴の張る結界の中に巻き込まれた。

 

 

「やっと……取り返せた」

 

 

 世界が真っ黒な輝きに包まれる間際、そばから聞こえた呟き声。

 

 

 コイツの正体って、いったい―――?

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…あんま、変わんないな」

 

 よく見慣れた結界。

 同じ術式を使ってるらしいし当たり前か。

 

 強いて違う点を挙げるとすれば、昼なのに若干薄暗い程度だ。

 

 まあ、だから何だという話。

 

 もっと気にするべき、憂うべきことが、今の状況には溢れかえっている。 

 

「……はぁ」

 

 ため息の主は黒い奴。

 オイナリサマを締め出し、俺をこの結界の中に閉じ込めた張本人。

 

 しかし意外だな。

 

 目的を達成してご満悦かと思ったら、いの一番に出した声がため息になるなんて。

 

「どうしたんだ?」

「…残念なことに、招かれざる客がいるようです」

 

 …侵入者か、誰だろうな?

 

 オイナリサマはさっき飛ばされたばっかりだし…イヅナとかか。

 

 もしくは、ただ通りかかっただけのフレンズやセルリアンかも知れない。

 

 フレンズだったなら、なるべく穏便に済むよう説得しよう。

 

「出てきたらどうですか、そこにいるのは分かっています」

 

 黒い奴が威圧的に、茂みに向かって語り掛ける。

 奇しくもその緑は、最初に黒い奴が潜んでいた場所だ。

 

 色が揺れ、中から()()()は姿を現す。

 

「……バレちゃってたんだ」

「お、お前…!」

 

 率直に言う、驚いたよ。

 今日の世界は、とことん俺に驚愕を与えたいらしい。

 

「…神依君」

「祝明、どうしてここに…?」

「ウフフ……はるばる火山から、ご苦労様ですね」

 

 

 敵の策に掛かったオイナリサマ。

 俺を『カムくん』と呼ぶ、謎のセルリアン。

 一度破られ、再び張り巡らされた結界。

 

 

 そしてその中でおかしな再会を果たした……祝明。

 

 

 運命の歯車は刻一刻と狂いながら、奇妙にも噛み合い、尚も回り続けていく―――

 

 

 



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Ⅷ-199 カミは内、神は外。

「祝明、どうしてここに…?」

()()()を追いかけて来たんだよ。色々と、好き勝手やってくれたからさ」

 

 俺の隣に指を突き出し、続けてスッと刀を抜く。

 おいおい、まさか戦うつもりなのか…?

 

「やめとけ、勝てねぇって…!」

 

 俺は戦いを止めるべく、大きく声を張り上げた。

 

 他のフレンズだったら、もう少し穏便に割って入れたかもな。

 

 だが今回は祝明だ、下手をすれば――十中八九あのキツネたちのせいで――騒ぎがもっと大きくなる。

 何があろうと傷つけさせるわけにはいかない。

 

「神依君…」

 

 祝明と目が合う。

 

 悲しげな顔で、かなり思い詰めている様子だ。

 らしくない先走った行動も、余裕が無かったせいかもな。

 

 しかし、説得の効果は有ったようだ。

 

 祝明は首を振って、心を落ち着かせるべく深呼吸をして、ゆっくりと…刀を収めてくれた。

 そして、静かに声を出す。

 

「ねぇ、早くイヅナの居場所を教えて。どこに居るの? ここには見えないけど」

「…イヅナの?」

 

 オウム返しに聞き返す。

 拳を胸の前で固く握りしめて、祝明は俯いた。

 

「…コイツに攫われたんだよ」

 

 ……そういうことか。

 

 俺は、ついさっきコイツとオイナリサマとの間で交わされた会話の意味を、ようやく理解できた。

 

 この黒イナリが利用した()()とやら。

 それは詰まるところ、()()()のことだったんだ。

 

 ……アイツが、結界に関わってたのか?

 

 ふむ…その辺の話は分からない。

 

 オイナリサマは、俺に内緒で色々好き勝手やってくれてるからな。

 

 とにかく、コイツはイヅナを攫った。

 祝明はそれを追って、この結界に入ってしまった。

 

 

 ―――やっとこさ、話が掴めてきたな。

 

 

「あら、彼女を探して……うふふ、残念でしたね」

「それ、どういう意味?」

「彼女は途中で置いてきましたので、この結界の外側にいます」

「……え、結界?」

 

 キョロキョロ。

 

 戸惑うように、祝明は辺りを見回す。

 

 いきなりそんなことを言われて混乱する気持ちは分かるが、横を見たって何も分かんないんじゃないか……?

 

「見てください、ワタシたちの頭上……ほら、キラキラと光っているでしょう?」

 

 呆れたようにアハハと笑って、黒いイナリは空を指す。

 祝明も、指につられて上を見た。

 

 束の間の平穏。

 

 しばらく上を見ていた祝明は地上へ視線を戻し……自信無げに、俺に尋ねる。

 

「まさかここ…結界の中?」

「……そうだ」

「あら、お気づきになられませんでした?」

 

 黒イナリはそう言うが、多分気が付かないだろうな。

 

 俺の普段の生活でも、意識してないと結界があるのを忘れちまうし。

 

「でも、結界を通った覚えなんて無いよ」

「張り直されたんだよ、一回破られた後にな」

「……そういうこと」

 

 ようやく腑に落ちたように、祝明は何度も首を振った。

 

 しかし、今回ばかりは祝明も不運だったな。

 

 破られてから張り直すまでの間に入っちまうなんて、黒いイナリも予想してなかっただろ。

 

「でも、むしろ良かったかもな」

「……え?」

 

 祝明は俺の言葉に首を傾げている。

 だが、この状況はきっとラッキーだ。

 

 祝明はイヅナを追ってきた。

 

 イヅナは結界の外にいる。

 

 対立する理由なんて無い、結界から脱出さえしてしまえばその足でイヅナを迎えに行くことが出来る。

 

 その通りだ。結界に残るのは俺一人でいい。

 

 コイツらを巻き込む理由なんて、どこにも在りはしないんだから。

 

「…なぁ、祝明を外に出してくれないか?」

「え、どういった理由でですか?」

 

 ハテナを浮かべた黒イナリ。

 だがその反応も織り込み済みだ、気にすることは無い。

 

 論理的な利は、俺の方にあるんだからな。

 

「お前も、もうイヅナに用は無いんだろ? 祝明を外に出してくれさえすれば、全部丸く解決するじゃないか」

「それが、案外そうもいかないんですよね……」

 

 そう思っていたが、実情は違っていた。

 

「な、なんでだ?」

「率直に言ってしまえば…イナリの奴がいるからですよ」

「それならお前、勝ったばっかりじゃないか」

 

 コイツは…オイナリサマよりも強い。

 腹の中に異物が残る不本意な結果だが、それは事実だ。

 

 だからこそ俺は奇妙に思う、どこに不安がる要素があるって言うんだ?

 

「まあ、確かに勝ちはしました。ですが、()()()があの程度で諦める筈も無いでしょう。もしも彼を外に出すため、結界を緩めてしまえば、もしくは―――」

 

 そこまで口にして言葉を切る。

 

 セルリアンの黒い肌には、鈍色の汗が滲んでいた。

 

 黒イナリが危惧しているのは、そうか……オイナリサマが諦めずに仕掛けてくる()()()って訳だ。

 

 その考えは俺にも良く分かる。

 絶対に諦めないよな、あの神様は。

 

「じゃあ、ずっと閉じ込めておくつもりか?」

「いえ、ほとぼりが冷めた頃に出してあげますよ」

 

 なんだ。

 結局、黒イナリも結局俺と同じ腹積もりじゃないか。

 

 そう思ってしまった俺は、直後の言動に不意を突かれることとなる。

 

「ですから…少しだけ、()()()いただけませんこと?」

 

 危ない。

 

 そう叫ぼうと振り返って……声が出る前に、俺は口を抑える。自分の心配が、全くの無用だと気づいたからだ。

 

 祝明は事前に殺気を察知し、遠くの方に飛び退いていた。

 

「お、おいっ!?」

「あはは…やっぱり、こうなっちゃう?」

 

 祝明が浮かべた満面の笑みは、野生動物さながらの威嚇。

 

 対して黒イナリが向ける威圧は、神のように重々しく厳かなものであった。

 

 示威するように出した黒い球。

 膨大なエネルギーを内包し、不用意につっつけば刹那のうちに弾けて辺りを吹き飛ばすだろう。

 

「どうせ勝ち目は無いのです、痛い目を見ない内に降伏なさってはいかがでしょう?」

「えー、どうしようかなぁ……?」

 

 祝明は円を描くように足を踏み、黒イナリの動きを注視する。

 

 いっそう冷たい緊張が場を支配する中。

 一瞬だけこちらに目を向けて、こっそり俺にアイコンタクトを送って来た。

 

「えっと、ええと……?」

 

 わからない。

 祝明は何を伝えたいんだ?

 

「ちょっと、神依君……あぁっ!?」

「ワタシを差し置いてカムくんに話しかけるなんて、いい度胸ですね…?」

 

 急速な接近からの腹パン。

 速度の籠った一撃は、祝明の身体を数メートルに渡って吹き飛ばす。

 

 これは、内臓が心配だな…

 

「だ、大丈夫か…?」

「げほ、ごほっ……やるしか、ないみたいだね…!」

 

 笑う膝を叩き、すぐに立ち上がった祝明。

 毛の逆立った尻尾を垂らし、耳を逆立て二刀の構え。

 

 対峙するのは黒イナリ。

 本物のオイナリサマを自らの策に掛けた、恐らくは最強のセルリアン。

 

 祝明にとっては勝ち目のない……そして、何の意味も無い戦い。

 

 

「結局、こうなっちまうのか……!」

 

 

 その始まりを俺は、立ち尽くしながら眺めているだけ。

 

 頭に昇った熱も血も、握りしめた拳の痛みも。

 きっと持たない、何も無い。

 

 意味なんて、ない。

 

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 

 チュンチュン。

 小鳥が囀る。

 

 ひゅうひゅう。

 風が囁く。

 

「ん、あうぅ……こ、ここは…」

 

 がさがさ。

 寝惚けたまま、周りの草をかき乱しながら、私は目を覚ました。

 

「…森の中?」

 

 緑だ。森だ。静かだなあ。

 

 心安らぐ自然…ううん、全然休まらない。

 

 何か欠けてる、忘れてる。思い出さなきゃ、今すぐに。

 

「ノリくんと…鬼ごっこ…」

 

 そう、鬼ごっこ。

 それと、まだあるよね。

 

 どうして私は、こんなところに……

 

「そうだ、イナリアン…」

 

 私を気絶させたセルリアンの名前。

 ノリくんが頭の中でそう呼んでいたのを、テレパシーで読み取ったんだ。

 

「もしかして私、見逃されたのかな…」

 

 イナリアンは私に用があった。

 だから私をおびき寄せるために、ノリくんを捕まえた。

 

 そして私は捕まって……きっとその後、彼女は目的を果たした。

 

 だから私は用済みになって、ここで寝ていた。

 

「目的ね…何なんだろう」

 

 私はこうやって無事だし、食べる目的じゃないのは明らか。

 オイナリサマの姿から色々と憶測こそ出来るけど、ハッキリ信じられる証拠が欲しいな。

 

 そのために、今すべきこと。

 

「やっぱり、ノリくんを探さないとね」

 

 たくさん心配を掛けちゃってると思うし、早く姿を見せて安心させてあげないと。

 

 今回の件の調査はその後。

 お話の流れ次第では、手出しをしないことに決めるかも。

 

 兎にも角にも、まず探さなきゃ。

 

 

「ノリくん、どこにいるの……?」

 

 

 テレパシーの力を全開放。

 持てる能力を全て使って、ノリくんの居場所を検索する。

 

 結果が出るまで、およそ十秒。

 

 探り当てた事実に、私の頭は真っ白になる。

 

「……嘘、どうして」

 

 ノリくんは、結界の中にいた。

 この島を覆う結界じゃなくて、神社を守る結界の中。

 

 私が寝ていたここは、結界のすぐ近くの森。

 

 ノリくんは私の目の前、絶対に手が出せない聖域の中にいる。

 

「まさか、運悪く結界の中に入っちゃったの…?」

 

 理由は全然分かんないし、私は結界に入れない。

 

 だから、この話は一旦後で。

 

 彼の居場所を探る間に私は、周囲の奇妙さにも気付いていた。

 

 ところどころ、木の幹にみられる裂傷。

 開けた場所でもないのに剥げている地面の苔や草。

 

 ……私には分かる、コレは戦闘の跡だ。

 

「くんくん…でも、ノリくんの匂いはないね」

 

 じゃあ、ここの周囲で戦ったのはオイナリサマとイナリアン。そう考えるのが最も妥当かな。

 

 問題は、その戦いの結果がどうなったか。

 

 よもやオイナリサマが負けるなんて、実際に彼女と戦った私からしたら考えられない話なんだけど。

 

 でもイナリアンも一応、オイナリサマと同じ形してるし…

 

 それに……あ。

 

「そう言えば火山って、()()()()()()()()があったような…」

 

 まさか…ね。

 

「勝っててよね、オイナリサマ…!」

 

 色々可能性はある。

 だけど、一番良いのはそのパターンだよ。

 

 オイナリサマは神依君にしか興味ないもんね、言えばノリくんも返してもらえる。

 

 …()()()()()()って、なんか癪だ。

 

「だーけど、なんか雰囲気変わってる気もするんだよね…」

 

 なんだろう。

 この辺に漂ってるサンドスターの質…って言うのかな。

 どちらかと言うと『ロウ』の方に近いような、そんなイメージ。

 

 

「本当、余計な邪魔ばっかり……あ」

 

 結界の外周沿いに歩いていた私。

 とうとう森の中に、よく目立つ真っ白な影を見つけた。 

 

「……オイナリサマ」

 

 呟くように、呼び掛ける。

 

 元気よく話しかけようと思ってたけどね、オイナリサマが思ったよりどんよりしてたから流されちゃった。

 

「えっと、あぁ……イヅナさん」

「どうしたの、元気ないじゃん」

 

 本当に落ち込んでいる様子。

 返事にも、普段のような覇気や自信は見受けられない。

 

「あ、えへへ、はい…」

 

 コイツ、本当にオイナリサマ?

 

 ”イナリアンが化けてる”って説明された方が私は納得するよ。

 

「本当に大丈夫? 何があったの?」

「いえ、別に、私、そんな…」

 

 暖簾に腕押し、糠に釘。尋ねてみても、返事は曖昧。

 

 ならばと、私は直接要求をぶつけることにした。

 多分だけど、今の精神状態なら割とあっさり聞いてくれるでしょ。

 

「ねぇ、ノリくん返してくれない? この結界の中にいるんだけど」

「え、結界……?」

 

 いや、そこで首を傾げられても困る。

 結界と言えばオイナリサマ、そういうイメージだった。

 

「なに困ってるの、オイナリサマの結界だよ」

 

 だから私は補足する。

 何を当たり前のことを疑問に思っているんだと感じながら。

 

 そしてオイナリサマの答えとは、度肝を抜く意外な事実だった。

 

「そんな、結界は、()()()()筈じゃ…」

「…破られた?」

 

 あはは、今日はエイプリルフールかな。

 常識じゃ考えられないことばっかり起こってるよ。

 

「じゃあ、イナリアンは……貴女の姿をした黒いセルリアンは? 戦ったんでしょ、どうなったの…!?」

「……負けて、しまいました」

「あーあ……そう」

 

 正直、予想は付いていた。

 ここまで話を聞けば嫌でも…ね。

 

「で、何を呑気に座り込んでるわけ? 神依君を迎えに行かなくて良いの? 中で好き勝手されてるかもしれないのに…」

 

 でも、それでも理解できないことはある。

 

「迎えに…そうですね…」

 

 それはオイナリサマがこうやって、大人しく座っていること。

 

 何かをされたら、ましてや神依君に何かあったら。

 全力を以て、されたことの十倍くらいで返すような性格をしているというのに。

 

『訳が分からない』

 

 未だ往生際悪く、私にそう思わせる言葉を、オイナリサマは紡ぎ続ける。

 

「でも私…大丈夫でしょうか? もし、神依さんに拒絶されてしまったら…」

「……は?」

 

 ああもう、ムカつく。

 どうして貴女が、オイナリサマが。

 

 

 ……こんなに弱気なの?

 

 

「もしかして貴女……()()を、取られちゃったの?」

「あ、あはは…そうかも、しれませんね……」

 

 恐ろしい、なんてこと。

 オイナリサマの輝きが奪われた?

 

 

 ―――最悪だ。

 

 

 考え得る限り最悪のビジョンが……私の頭の中でカチカチと、音を立てながら組み上がりつつあった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「がっ、あ…ぁ……」

 

 祝明が倒れ伏す。

 黒イナリはその体を踏みつけ、適当に蹴飛ばす。

 

「の、祝明…!」

「ふぅ、これで静かになりましたね」

 

 急いで駆け寄ったが…ダメだ。

 完全に気を失っている。

 

 俺は無力だ、苦しいな…

 

 だけど一つだけ、黒イナリには確認しておきたいことがある。

 

「なぁ、さっきの戦いで使った、あの武器って…」

 

 黒イナリが祝明に向けて投げつけた、虹色の苦無。

 

 オイナリサマが、先の戦いで使っていたものと同じに見えた。

 

「うふふ、気付きました? ええ、彼女から…輝きごと頂いたんですよ」

 

 ペロリ。

 舌を指でなぞって、黒イナリは艶やかに扇子をあおぐ。

 

「…完璧、ですね」

 

 文字通り、完成された黒イナリの強さ。

 俺は、どうすればこの状況を打開できるのだろうか。

 

 ……ま、何したって無理だな、考えるのも嫌だ。

 

 俺は気を失った祝明の身体を背負って、神社の中へと運んでいく。

 

 

「羨ましいな、お前は……外に出られるなんて」 

 

 

 恐ろしい嫉妬で、止めどない本心。

 想いだけが先走る、俺の身体を置いていって、生霊のように。

 

 一歩、また一歩。

 そしてついには、一センチ。

 

 歩みは重く、重く、重く。

 

 



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Ⅷ-200 戦う、もう失わないために。

「…まだ座ってる気? いつまで落ち込んでるの?」

「いえ…ご、ごめんなさい……」

 

 オイナリサマは動かない。

 幾ら口で謝られても、行動が無いんじゃ困ったものだ。

 

「あーあ、どうしよっかなぁ…」

 

 ノリくんを助けるために、早く結界の中に入らなきゃいけない。

 

 一番の方法は、すぐそこで蹲っているオイナリサマに手伝ってもらうこと。

 だけど現在の彼女を見ていると、中々に難しそう。

 

 オイナリサマに協力を仰げば、万一の事態が起きても最悪、最後のライフラインだけは残る。

 

 私はそう考えていた。

 

 でも、現実はそう甘くなかった。

 

「神依さん…神依さん…」

 

 オイナリサマの輝きは、イナリアンに奪われた。

 こんな形で彼女が潰されるなんて、夢にも思わなかったよ。

 

「……イヅナさん」

「ん、なに?」

「私は、神依さんの隣に立つのにふさわしいのでしょうか…」

 

 …は?

 

 何を今になって。

 散々、力で好き勝手に自分の想いを通しておいて。

 

「そんなの、本人に聞くしかないじゃん」

「…そう、ですよね」

 

 カラカラと、鬼灯を揺らすように笑って、奪われた中身は空っぽ。

 

 そんな様子が彼女には堪らなく似合わなくて、心に芽生えた違和感と怒りが抑えられなくて……ついつい、言ってしまった。

 

「今の貴女にこんなことを言うのも酷だけど……良い御身分だね? 好き勝手やっておいて、何かあったらそんな風に()()()()()してればいいんだもん」

「わ、私は…」

 

 震えて頭を抱えるオイナリサマ。

 

 だから。

 違うでしょ。

 

 『()()()()()()』。

 

「甘ったれないで。例え輝きを奪われても、貴女はこの状況を打開できる力があるんだから」

 

 カギ括弧付きつきのオイナリサマは、ここには居ない。

 こんな奴を頼りにする義理も、私にはない。

 

「イヅナさん、どこへ…?」

「どこかから、中に忍び込めるかもでしょ?」

 

 確かに、『オイナリサマ』が一番の頼りだ。

 

 だけど。それでも。

 こんな状態の神様なんかに、私は祈ろうと思わない。

 

「私は何も待つ気はないよ。ま、精々早く立ち直ってね? ”守護けもの”の『オイナリサマ』」

 

 

 言いたいことは言った。

 

 

「―――私、は」

 

 

 私はもう、知らないよ。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「―――ふぅ、割と重かったな」

「か‥神依、君…」

 

 背負った身体を布団に下ろすと、それと同時に目を覚ました。

 

 意識を取り戻し、いきなり起き上がろうとする祝明を抑え、俺はそっと毛布を掛けながら言う。

 

「おう、お前はゆっくり休んでろ。怪我してるかもしれないしな」

「ダメだよ、早く行かなきゃ…」

 

 だが祝明は諦めない。

 布団を蹴飛ばし、ゴロゴロと不格好に転がって、よたよたと不安定に足を踏みながら立ち上がる。

 

「行くって、何しに?」

「戦うなら、今しかないよ…」

 

 俺は呆れた。

 頭でも打って戦闘狂になったか?

 

 どうであれ止めるしかない。

 肩を掴んで揺さぶり、若干語気を強めてたしなめる。

 

「お前、今の状況分かってるのか?」

「当然、しっかり理解してるよ」

 

 ニコニコ笑いながら、心にも無いことを言う。

 誤魔化そうとしたって、お前の様子を見ていれば分かる。

 

 現実を見ずに、無謀を働こうとしてることくらい。

 

 だから、俺はもっと踏み込んででも祝明を止める。

 

「してないだろ。負けたばっかりだぞ、”勝てない”って思い知らされたばっかりだぞ…?」

「まあ…そうだね」

「だったら…!」

 

 おかしい。

 

 俺の方が正しい、そのはずなのに。

 

 なのになんで、こんなに説得することが辛いんだ。

 

「でも今、このチャンスをを逃したら…()()()勝てなくなる」

「…どういう意味だ?」

 

 解ってる。

 

 本心では待っている、祝明の反論を。

 

 臆病な俺の論理武装を、全て解き放ってくれと願っている。

 

 

 でも、()()()()なんて、俺にはもう―――

 

 

「アイツ――イナリアンは確かに強いよ。だけど、無限のエネルギーを持ってるわけじゃない。オイナリサマとの戦いで、確実に消耗しているんだ」

 

 祝明は語った。

 実際にアイツと戦うことで気づいた感覚を。

 

「アイツは時々攻めあぐねてた。僕が無防備になったタイミングでも、時折唇を噛みながら見逃していた」

「だから、本調子じゃないと…?」

 

 得意げに頷く祝明。

 その神経がまるっきり理解できない。

 

 どちらにしたって、勝てないのは確実なんだろ…?

 

「今戦えば…後回しにするより、勝てる確率が高くなる」

 

 勝率が高くなる?

 

 戯言を。

 確かにゼロじゃないだけマシかもな。

 

 でも、何千分の一だ?

 

 どれだけの無茶を重ねて、ようやく掴める勝利なんだ?

 

 …騙されるかよ、そんな甘言なんかに。

 

「そもそも敵いやしないだろ? 俺も、お前も…」

()()()、手を組むんだよ」

 

 なんだ、その手は。

 こんな愚直に、真っ直ぐに突き出してきやがって。

 

 ……取れって言うのか?

 

「僕が、イヅナに教えてもらった妖術で神依君に取り憑く。そうすれば僕たちは、二人分の力を合わせて戦える」

「そんなこと、言われたってな…」

 

 どれだけ考えを巡らせても、その手の意味は解らない。

 

「どうして、そこまでするんだ……? こんな事しなくたって、お前は出られるんだぞ?」

 

 だから、優しく弾いた。

 

 なのにまた、手は差し出される。

 

「ねえ神依君。これはね、君にとってのチャンスでもあるんだよ」

「……俺に、とっての?」

 

 深く頷いて、祝明は続ける。

 

「今戦えば、変えられるよ。嫌なんでしょ、こんな現実。立ち向かわなきゃ、今なら、それが出来るんだよ……!?」

「っ……」

 

 

「ねぇ神依君。これ以上、振り回されていたい?」

 

 

 全く…卑怯な質問しやがって。

 そんな風に聞かれたら、頷ける訳ないだろう?

 

「……嫌だね、そんなの」

 

 

 決めた、俺は戦う。

 

 

「ちょっとくらい抗ったって、罰は当たらないよな」

「罰なんて、跳ね返しちゃえばいいんだよ」

「ハハ……そうだな」

 

 

 差し出された祝明の手を、俺は固く握りしめた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「あ、カムくん……おや?」

「…どうした、黒イナリ?」

 

 境内に入るや否や、冷え切った黒イナリの声色。

 彼女は俺に指を突きつけ、中にいる祝明に話し掛ける。

 

「残念ですが、隠れていても分かりますよ」

「残念ながら、祝明は隠れてなんて無いぜ」

 

 見せつけるように、俺はサンドスターで槍を形作る。

 どうしてか懐かしい形だ、祝明は良いチョイスをしたな。

 

「俺()()は、戦いに来たんだからな」

「……ふふ、なるほど」

 

 額に手を当て、わざとらしく呆れて見せる黒イナリ。

 

 次の瞬間には目を見開き、人を食う様な狂気的な表情で、しゃらしゃらと鈴を転がす。

 

「…カムくんは、()()()に騙されているんですね?」

「悪い狐はお前だろ、散々暴れてくれやがって」

 

 コテン、首をほぼ直角に倒す。

 

 手で引っ張ってすぐに戻し、両手で頭を抱えて、今度はわなわなと声を震わせてヒステリックな叫びを披露してくれた。

 

「ワタシは、カムくんの為に戦ったんですよ! どうして分かってくれないんですか…!?」

 

 何度も聞いたよ、()()()って。

 オイナリサマもそう言ってた。

 

 けどな…そんなの、もう散々なんだ。

 

「……ま、言い訳は後で聞かせてもらうよ。俺たちが勝った後にな」

「本当に残念です。まさかこの手で、貴方を傷つけなければならないなんて…」

「御託は良い、()()()

 

 構える。

 

 合図を唱える。

 

「おいで……()()()()

『分かったよ、神依君』

 

 返事は貰った。

 

 

 さあ、決戦の始まりだ。

 

 

「うおおおおっ!」

 

 まずは初撃。

 

 最速で踏み出し、全速力のスプリント。

 走りの勢いと腕の振りかぶりを乗せ、俺でも視認に困る速度で槍を下から振り上げた。

 

「ふっ…」

「まだまだ…!」

 

 振り上げた後は勿論…叩き落としだ。

 

 槍の先全体を使って圧し潰すように、か細い槍に詰め込んだ質量全てを利用する感覚で―――

 

『神依君、下がってっ!』

「了解…くっ!」

 

 攻撃を止めて飛び退くと、立っていた場所に降るのは斬撃。

 

「あら、不意を突いたと思ったのに…」

「あ、危なかった…!」

 

 祝明が声を掛けてくれていなかったら、今頃俺は真っ二つ。

 

 黒イナリの奴、いよいよ容赦なく俺を制圧する気だな。

 

 無論、そう来なくては。

 相手を本気にさせられなければ、例の()()()()も使えっこない。

 

「では、今度はワタシの方から参りますね?」

 

 言い終わるのと同時に、黒イナリは姿を消す。

 一瞬見えた魔法陣からして、転移の術だろうか。

 

 見回してみても姿はない、俺にはすっかりお手上げだな。

 

 

 だから…任せたぜ。

 

 

『…左後ろ、木の陰から!』

「分かった…!」

 

 右足を軸にターンし、槍の柄で防御。

 

「飛び道具か…!」

 

 寸前まで迫っていた矢を、食らうことなく弾き飛ばした。

 

「これも防ぎますか。なら…」

「させるかっ!」

「うっ…!?」

 

 次の矢を番えている間に接近。

 遠距離武器も詰められてしまえば木偶の坊だ。

 

 槍先と、脚。

 

 まずは黒イナリに二撃、先制攻撃を叩き込めた。

 

 黒イナリは咄嗟に脱出し、森の中へと姿をくらました。

 

『一旦下がって、建物を背に仕切り直して』

「ま、深入りは危険だよな…!」

 

 背後からの追い打ちを警戒しながら、見晴らしのいい神社付近で構えなおす。

 

「…調子は良い方だな」

『ここまではね。崩されないように、気を抜かないでね』

「当たり前だ」

 

 会話を交わしながら、油は断たない。

 

「祝明は掴んだか?」

『近くにはいない、治療してるのかも』

 

 視認できる範囲は俺が。

 死角や遠くは祝明が。

 

 

 二人分の視覚を利用した共同作戦、今のところは順調だ。

 

 

『…来る。刀を持ってるね』

 

 お、いよいよ第二陣か。

 

『覚えてる? 刀との戦い方』

「ああ、付け焼刃だけどな」

『なら大丈夫、足りない分は僕がサポートする』

「へへ、頼もしいこった」

 

 祝明が、頭の中でカウントダウンを始める。

 

『5…4…3…』

 

 ゼロになる時が、出現の時。

 その瞬間を、俺たちは見逃さない。

 

 

『―――0』

 

 

「ワタシは、絶対負けない…!」

「そろそろ休みな、満身創痍だろっ!」

 

 茂みから飛び出した狐の懐、刀さえ振るえない超至近距離に飛び込む。

 

 完全に先手を取った。

 主導権は俺たちの手の中だ。

 

「でも、その距離なら槍だって…」

「ああ、そうだな」

 

 

 だから、()でやる。

 

 

「ぐぅっ……!?」

「喰らえ…吹っ飛べっ!」

 

 全力を込めて、黒イナリを木の幹に叩き付ける。

 間髪入れずに横の蹴りを入れ、石畳の上に転がした。

 

「さて、そろそろ終わりか?」

「ま、まだまだ…!」

『まだ余力はあるみたい、くれぐれも…』

 

 ああ、油断なんてしないさ。

 きっちりと、倒せる内にやってやる。

 

 黒イナリはよろよろと、刀を構えなおして立ち上がる。

 

「ちっ、案外やれそうじゃねぇか」

 

 無防備に起きるならもう一撃くらい入れてやろうと思っていたが、俺の予想以上にコイツはしぶとい。

 

 アレを使うタイミングも、吟味しないとマズそうだな。

 

「カムくん…ワタシが、そんなに嫌い?」

「嫌いも何も、セルリアンだろお前」

 

 ついに始まった泣き落とし。

 茶番に付き合うつもりもないしと、適当に煽りの言葉を返す。

 

 直後、その選択を後悔した。

 

「だから何? カムくんだってセルリアンじゃんっ…! オイナリサマはフレンズだけど、やったことはセルリアンより悪辣じゃないっ!」

 

 跳ね返されたド正論。

 この時ばかりは、ほんの少し戦意が削られてしまった。

 

『……あれ?』

「どうした、祝明?」

『ううん、まだ推測だから…話せない』

 

 今のアイツの言動に、何か首を傾げる所でもあったのか。

 

 まあいい。

 そういう部分はブレーン様にお任せしよう。

 

 

『口調も変、内容も不思議。どうして、イナリアンが……?』

 

 

 答えには近づいてるみたいだな。

 

 だから、俺は俺の仕事を。

 一刻も早く、アイツを制圧しないとな。

 

「さあ、そろそろ終わりにしようぜ?」

「……いえ、そうは行きません」

「よく言うぜ、ボロボロの癖に」

 

 オイナリサマに勝った。

 確かに凄まじい戦績だが、如何せんそれにエネルギーを使いすぎたな。

 

 だからこのまま、堅実に連携を重ねれば勝てると、俺はそう確信していた。

 

 

「もう見つけましたよ、貴方達の()()は」

 

 

 だが、黒イナリは不敵に微笑む。

 

 

「へぇ、弱点って?」

「ブレーンは彼、戦いはカムくん。脅威は連携速度。ならば…」

 

 

 ()()()()()()()()()()

 

 

 呟きと共に、発動される妖術。

 

「……えっ?」

「………の、祝明?」

 

 次の瞬間、俺の目の前には祝明がいた。

 

「しまっ…神依君っ!」

 

 憑依が解除されたのか。

 

 だが慌てはしない。祝明は咄嗟に手を伸ばす。

 

 その手を掴めば、もう一度取り憑くことが出来る。

 

 

 ……でも。

 

 

「ぐあっ!?」

「そんなこと、許すはずないですよね?」

 

 黒イナリに、止められる。

 

「さて、形勢逆転です」

 

 パチパチパチ。

 

 仕事終わりの三拍子。

 軽く手を叩いて、黒イナリはゆっくりと距離を詰める。

 

 何より俺の心を嬲るため。

 

 最後の柱を、跡形もなく折ってしまうため。

 

「く、来るな…」

 

 思惑通り、俺の心はまた潰れかける。

 きっと、取り返しがつかなくなるまであと数秒。

 

 そこに手を差し伸べたのは…やっぱり、アイツだった。

 

 アイツはいきなり、自慢の推理を披露する探偵のように、物語りを始めた。

 

「神依君、勝てるかどうかは君次第。君が()()()()()に掛かってるんだ」

「は…どういう意味だよ?」

 

 またまたチンプンカンプンな言葉。

 だけど祝明の物言いは確信に満ちていた。

 

 アイツは、とても得意げに話しかける。

 

 まるで、犯人を問い詰める探偵のように。

 

「ねぇ、そこの黒いオイナリサマ」

「なんですか?」

「ずっと不思議に思ってたんだよね。どうして貴女がここに、こんな風にして存在しているのか」

 

 ゆったりと体を起こして、黒イナリを見上げて、祝明は問いかける。

 

 

「ねぇ、もしかして貴女って……()()()()()()()()()()()()()()?」

「…っ!?」

 

 

 まるで、何気ない日常の疑問を解き明かした幼子のような。

 

 そんな無邪気さに満ちた目で――

 

 

「どうして、それを…!?」

 

 

 ――祝明は、核心を穿ち貫いた。

 

 

 



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Ⅷ-201 黒の貫く虹模様

 黒イナリの妖術で、俺への憑依を無理やりに解除された祝明。

 

 俺たちが離れ離れになった後、始まったのは各個撃破の作戦だった。

 

 その最初のターゲットは祝明。

 

 黒い光弾が素早く放たれているが、今のところは間一髪で避けられている。

 

「ふっ…はっ…」

「ちょこまかと、すばしっこいですね…!」

 

 しかし当たり前だが無茶な回避だ、そう長くは続かない。

 俺たちが勝つためには、早く俺が助けてやらないと。

 

 そんなことを考えている内に、次の光弾が祝明へと襲い掛かっていく。

 

「ああもう、そろそろ当たってくださいっ!」

 

 だが、これもギリギリで回避。

 黒イナリが愚痴を言い終わる瞬間、背後の木に着弾した。

 

 

 ――そして、爆ぜる。

 

 

 漆黒の閃光が後ろの森を包み込んで、禍々しい虹色の雷が空へと昇っていく。

 そんな様子を背後に横目に、祝明は苦笑いを浮かべた。

 

「あははは……無理だよ、()()()()見せられちゃったら」

 

 閑話休題、手を振って。

 祝明は強引に話を戻そうとする。

 

「それよりさ、()()()()()()の答えはまだ?」

「…知ってどうするんですか、そんなこと」

「答え次第で、神依君の勝ちが確実になる」

 

 祝明が何故そこに拘るのかが分からなかったが……なるほど。

 

 これは何度も引っ張る意味のある、大事な質問という訳だな。

 

 

 ……ん?

 

 

「勝ちって……()()?」

 

 いや、その言い方はおかしい。

 

 一緒に戦うと言ったのは祝明じゃないか、どうして自分を蚊帳の外に置くような言い方をするんだ。

 

「そうだよ。もしもコイツが神依君から生まれていたなら、神依君は絶対にコイツに勝てる」

 

「世迷言を…ワタシの方が強いんです。だからワタシが、カムくんを守るんです…!」

 

 喉をはち切れんばかりに広げ、風を切るような叫びを上げる。

 

 そんな黒イナリの姿を確かめ、祝明は得心の行ったように呟く。

 

「……って言ってるし。やっぱり、神依君が勝つしかない」

「コイツの主張を、真正面から崩すために……か?」

「それもあるよ。だけど正確に言えば、少し違うかな……っと、危ない危ない」

 

 ケラケラと笑い、片や舌打ち。

 刀で真っ二つにされた光弾は、中途半端に雷を撒き散らして消滅した。

 

 もはや攻撃は歯牙にもかからず、攻略法は紡がれる。

 

「僕の推論が正しかったらね? アイツは、神依君に()()()()んだ。ゲームで例えるなら、君がアイツへの()()を持ってるようなものだよ」

「………悪い、よく分からない」

「え、えっと…」

 

 俺の率直な感想に、唖然。

 固まった体は、黒イナリの攻撃に反応してようやく動き出す。

 

 ごめんな、ゲームには割と疎くて。

 

 気を取り直し、祝明は数秒の間考えこんで、攻略の続きはとんでもない暴露から始まる。

 

「…実はこっそり、神依君の記憶を覗いちゃったんだ」

「おい」

「あはは、今回は見逃してよ」

「…まあいいさ」

 

 あっけらかんと言い放つ。

 あまりに態度が淡々としていて、追及する気は起きなかった。

 

 よく考えれば、そんなことをしている暇もなかった。

 

「セルリアンが生まれた原因は、神依君の”再現”で間違いない。だったらアイツの中には、絶対に()()()()()()()()()()がある」

「……核になる、輝きか?」

 

 大正解。

 

 そう言って、パチンと陽気に手を叩く。

 そしておもむろに目を瞑り、とても静かに作戦を告げる。

 

 

『輝きは、君が持つ想い。それは今もアイツの中で生きている。だから神依君……それを見つけて、()()()()()

 

 

「…そうすれば、アイツは碌に力を出せなくなるはず」

「打ち勝つ…か」

 

 全くコイツは、簡単に言ってくれる。

 お陰でやらなきゃいけないことだらけだ。

 

 輝きの正体に気づき、受け入れ、最後には打ち勝つ。

 

 

 ……俺に、出来るのか?

 

 

「出来るよ。出来るようになるまでは、僕が助けるからさ」

「…ああ」

 

 あの妖術がある以上、祝明が俺に取り憑いて二人分の目になることは出来ない。

 

 各個撃破をされる前に、状況を打開しないといけない。 

 一番の方法は示された、やる以外に道は無い。

 

「じゃあ、やるか」

「うん…!」

 

 黒をバッサリ斬り捨てて、今度は二人で並び立つ。

 

「カムくん? どうして、無駄なことを…」

「無駄になんてしない、俺たちは勝つさ」

 

 

 最終決戦、再戦だ。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…せいやあっ!」

「くっ、重い…!?」

 

 再戦の火蓋が切り落とされた、少し後。

 早速ながら、戦いの天秤は俺たちの方に傾いていた。

 

「心持ち次第ってのも、案外そうかもな…!」

 

 俺は常に、心を強く持つことを意識しながら戦っている。

 

 俺は強い、だから大丈夫。

 祝明がいる、だから大丈夫。

 何がどうあろうと、とにかく大丈夫。

 

 それが全て。

 

 普段の俺が聞けば、血迷ったかと思うような雑な作戦。

 

 しかしこれが大ハマり、俺たちの優勢は揺ぎ無いものになっている。

 

「はあぁぁぁ…てやっ!」

「ああっ……まさか、ワタシが…!?」

 

 黒イナリは既に満身創痍。

 

 止めを刺すのも時間の問題だろう。

 一つだけ()()もあるが……まあそれは、コイツに勝ってからの話だ。

 

 そもそも、まだ黒イナリの闘志は消えていないしな。

 

「でも、ワタシにだって、まだ秘策があるんです……」

「っ、それは…!」

 

 黒イナリが懐から取り出したのは、虹色の果実。

 火山の上に根を張っていた、例の大木の実。

 

 やっぱり、持ってやがったな。

 

 黒イナリはセルリアンで俺たちを牽制しつつ、大きな口でかぶりつく。

 

「ふ、ふふふ…!」

 

 齧った跡から虹がこぼれて、黒イナリの体躯を包み込む。

 与えた傷は瞬時に治癒し、溢れんばかりのエネルギーが全身より放たれている。

 

 薄々勘付いてはいたけれど、()()もやっぱり関係してたか。

 

「…何と言うか、皮肉なもんだな」

 

 オイナリサマもまさか、自分が植えた木が原因で自分が倒されるなんて、考えもしなかっただろう。

 

 ともあれ。

 

 黒イナリはこれを食べて、戦闘中にも素早い回復が出来るという訳だ。

 

「これで、仕切り直しです…!」

「あはは、そうかな?」

 

 刀で一閃、腕を飛ばす。

 

 治癒が完全に終わったタイミングで、祝明が不意打ちを仕掛けたのだ。

 

「こ、小癪な…っ!」

 

 もちろんそれへの対策も早い。

 黒イナリは、回復した潤沢なサンドスターを使って腕を再生する。

 

 だが、事実は変わらない。

 

 仕切り直しの直後に手痛い一撃を貰ったことも、貴重なエネルギーを早速浪費させられる羽目になったことも、頭には残り続ける。

 

 

「どうして、どうして上手く行かないんですかっ!? オイナリサマ(アイツ)は、倒すことが出来たというのに…!」

 

 

 ああ、さぞや苛立たしいだろうな。

 

 

 さて…祝明も頑張ってくれてるんだ、俺も手を緩めてはいられない。

 

 黒イナリを動かす輝きの色を見る為、こちらから会話を仕掛けていく。

 

「…さっきから思ってたが、なんでオイナリサマを目の敵にするんだ?」

「当たり前でしょう? アイツがワタシから、貴方を奪っていったんですから」

「奪っていった……ね」

 

 ピンとこないな、当たり前だが。

 

 そもそもの話、どうして最近生まれたばかりの黒イナリが、『俺を奪われた』なんて主張をするんだ?

 

 或いはそれが、輝きの手掛かりってことか。

 

「俺はそもそもお前のじゃないが」

「いえ、貴方はワタシのカムくんです」

 

 堂々巡りの水掛け論。

 永遠に続くであろう”あるなし”論争。

 

 ……何となくだが、この主張から探り当てるのは難しそうだな。別のアングルから問題を見つめてみよう。 

 

「…考えてみれば、()()()も奇妙なんだよな」

「そうですか? ()()()()呼び名じゃないですか」

「昔からって言われてもなぁ…」

 

 正直に言えば、思い当たる節がない訳でもない。

 

 幼馴染の真夜(マヤ)は、俺のことをずっと『カムくん』と、丁度今の黒イナリと同じように呼び続けてきた。

 

 ―――でも、真夜はもうこの世にはいない。

 

 それに万が一、黒イナリが真夜の輝きを糧に動いているとしても、奴の口調は真夜とは異なっている。

 

「訳分かんねえー…」

 

 前後の事情を勘案して、オイナリサマに酷似した姿の方はセーフティの結果起きたエラーとして納得できる。

 

 だが口調や、中身の人格はどうだ?

 

 輝き≒俺の記憶。

 

 どんな皮肉か、今でも真夜のことはよく覚えている。

 なのに俺の呼び方以外、黒イナリの口調は真夜のそれには殆ど寄っていない。

 

 これは、偶然で片付けるには些か大きすぎる問題だが―――

 

 

「……うおっ!」

 

 

 思考への横槍、黒い刃。

 回避は間一髪、こちらも油断ならない。

 

 幾ら疲弊していても、腐っていても、オイナリサマを討ったセルリアンということか。

 

「もう、戦いに集中してください?」

「ごめん、逃しちゃった!」

「気にするな、大丈夫だ」

 

 これまでの論理は矛盾が多い。

 それでも恐らく、正解から程遠い推論ではない。

 

 単純にピースが、閃きが欠けている。

 

 正解への正当な思考の飛躍。

 

 その糸口を掴めれば、()()()()にも手を出せる。

 

 

 全部もう、こっち側にあるはずなんだ。

 

 

「……槍が消えたら、槍を忘れた」

 

 祝明が呟く。それも見たのか。

 苦々しい記憶、オイナリサマの策略に嵌められた末の結末を。

 

 けど、どうして今…

 

「おい、どうしたんだ…?」

 

「なんで? 神依君の作った槍は、正真正銘あの一つ、世界に一つの代物。なのにどうして、槍についての全ての記憶が消えたのかな?」

 

「そりゃあ、槍についての輝きが込められてたから……」

 

 オイナリサマ本人からもそう聞いたし、間違いないはずだ。

 

 俺が槍全体をイメージして再現し、全ての輝きを注ぎ込んだから、まとめて消滅してしまったと。

 

 

 ―――だから、何だと。

 

 

「じゃあ、()()()()()()()で考えてみると良いのかも」

「それで、掴めるのか…?」

「さあ? 気付けるのは神依君だけだから」

 

 そうか、肝心なところは俺次第か。

 厳しいな、責任の在り処は全部ここになっちまうじゃないか。

 

 緊張する。

 

 これで、何も思いつかなかったら悲惨だな。

 

 

「……いや、そうか」

 

 

 だけど助かった。

 

 ぷかぷかと、突如にして脳裏に浮かび上がってきた一つの可能性。

 

 輝きの正体を真夜や、オイナリサマ一人に絞ることなく、文字通り()()()視点で見つめた末の結論。

 

 

 これなら、いけるかもしれない。

 

 

「…祝明、()()を使うぞ」

「そう? わかった。はい…どうぞ」

「あ、それは…!」

 

 放物線をなぞって、祝明の手から俺の手へ。

 

 ()()は綺麗なループ、一筋の虹。

 

 虹色の残像を描く、禁断の果実。

 

「この、薄汚い泥棒ギツネ…っ!」

「あはは、気付かなかったの?」

 

 回復直後の奇襲、腕を斬り落とし注意を斬られた腕に引き付けた瞬間、イヅナ直伝の妖術で果実を掠め取っていた。

 

 これが()()()()

 

 相手からエネルギー源を奪って、俺たちが利用する作戦。

 

 実行するには色々な前提が必要だったが、運よく全て揃ってくれていた。

 

「幾らお前といえど、コレが無きゃ碌に戦えないだろ?」

「な、舐めないでください…!」

 

 必死に反駁するが、それは図星の証。

 

 別にどちらでも良かった。

 有るなら盗むだけ、無いなら既に勝っている。

 

 で、今回は有った。

 

 

「じゃあ、存分に使わせてもらうぜ」

 

 

 大きな口で齧って、力をこの手に。

 

 溢れる活力を体内に押しとどめつつ、黒イナリへと歩み寄る。

 

「こ、来ないでください…!」

「ハハ、傷つくこと言うなよ」

 

 途中で祝明ともアイコンタクト。

 安全な距離を取りながら、エールを送ってくれた。

 

「……任せたよ、神依君」

「おう、すっかり任せとけ」

 

 祝明の戦いは終わった。これからは俺の独擅場。

 

 この力を制御できるかは分からない。

 万が一にも、巻き込む訳にはいかない……

 

 大丈夫。

 

 想いは、しっかりと受け取った。

 

「終わらせようぜ……もう、後悔はお終いだ」

 

 もう槍も仕舞った。

 全てを右手に、力を集めて。

 

「いや…やめて…カムくんっ!」

 

 左の腕で、黒イナリを打ち上げる。

 俺は地面から踏み切って、跳び上がりながら空中で捕まえる。

 

 全エネルギーを黒イナリに、体の中心に叩き込むその瞬間、懐かしい景色が脳裏に過る。

 

 外の世界の記憶、真実を思い出した夜のこと。

 

 

「……悪かったな、本当に」

 

 

 俺がもっと強ければ。

 俺がもっと賢ければ。

 

 俺にもっと……自信があれば。

 

「……終わりだ」

 

 そんな思いを断ち切って、先に進んでいくために。

 

 この拳は、必ず振り切る。

 

「嘘だよ……こんなこと…っ!?」

 

 勢いは止まらない。

 

 俺たちは山を越えて、雪の(いずれ)も通り過ぎて、遥か向こう先、蜃気楼の都まで。

 

 何処までも飛んで行く―――そう、思えた。

 

「…そうか」

 

 ここは、結界の中。

 辿り着く先は、結界の果て。

 

 先が無いと知った俺は、更に力を強めた。

 

 虹が眩しすぎて、眠ってしまいそうだ。

 

 

「……はは」

 

 

 最後の瞬間。

 

 

 拳に、確かな手ごたえを感じた。

 

 

 やっと…勝てたんだな……

 

 

 世界の砕ける音が、砕けた世界に響き渡った―――

 

 

 



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Ⅷ-202 未練との決着

 澄み渡る風は爽やかに、緑を揺らし吹き抜ける。見上げた空も草むらも、青く青くただ快い。肺から吐き出すため息は、爽やかに葉に吸われゆく。

 

 黒イナリが俺の手首を掴む。

 

「……とどめを、刺さないんですか?」

 

 背中合わせに座り込んだまま、黒イナリは呟いた。

 その声色はか弱く、少し前まで対峙していた彼女とはまるで別人だ。

 

「まあ、まずは聞けって」

 

 真っ黒な手を両手で包んで、せめてもの温もりを分け与えた。

 

 ああ、セルリアンの手は冷たい。

 俺の手も、こんな風に凍り付いてるのかな。

 

「……まだ、俺は後悔してる」

「後悔…?」

「ああ、終わった話だ」

 

 この記憶を口にするのは何度目だろう。

 

 血みどろに染まった教室、白狐との巡り合わせ、全てを忘れた呑気な一年、思い出してしまったあの日、遥都に嘘をついたあの夕暮れ、取り返しのつかない願い。

 

 苦々しい記憶を口にして、熱い吐き気が身体中を駆け巡った。

 

「二人兆候に気づいていれば、命懸けにでも止めていれば……いや、もっと早く、どちらか一人に選んでいれば」

 

 どうなっていたんだろうな。

 

 もしかしたら、少なくとも片方は絶対に死んでいたのかもしれない。

 誰一人として、死なずに済んだのかもしれない。

 

 だけど俺は、選ばないままに失わざるを得なかった。

 

 選ばなかった後悔が、自責の念が膨れ上がって……そして今日、また俺を傷つけたんだ。

 

「夢に出てくるんだ……『忘れるな』って言われてんのかな」

「でも…でも、そうすれば必ず良い結果になったなんて、言えないんでしょう…?」

「はは、正論だな」

 

 過去は変えられない。

 だから悔やむよりも、割り切った方が健康的だ。

 

 それは分かってる。論理的には理解している。

 

 理解しているだけで、感情が追い付かないんだ。

 

「……あの現実よりは、少しでも良くなったんじゃないかって。そう、思っちまうんだよな」

「……」

 

 黒イナリが俯く。はは、呆れられたか?

 

 そう思って覗き込んだら、プイッとそっぽを向かれてしまう。頬に垂れていた雫は見間違いだと思うことにした。

 

 だから、何でもないように話を続ける。

 

「なぁ…お前の輝きって、()()()()だろ?」

 

 ピクリ、黒い手が脈を打つ。

 図星か、やっぱり分かりやすいな。

 

 …誰に、似たんだろうな。

 

「だから……そう思ったから。お前に、止めを刺す訳にはいかなかった」

 

 黒イナリは、俺の輝きを取り込んで動くセルリアン。

 

 もしも倒せばその瞬間、外の世界への未練に関する記憶が全て消えてしまう。

 

 ならば、その輝き(未練)()()は果たして如何ほどなのか。

 それを考えた結果、余計にコイツを倒せなくなった。

 

「お前、本当に色々知ってたよな。俺を昔から”カムくん”と呼んでた、なんて話までしてた訳だし」

「…はい」

 

 肯定、弱々しく。

 

「一応聞いとく、どこまで知ってる?」

「………全て、文字通り()()です」

 

 真実、最も厳しく。

 

「なるほど…やっぱりか」

 

 未練、外の記憶の全て。

 

「そりゃ、倒さなくて正解だったよ」

 

 安堵、そして新たな不安。

 

 これから、どうしようかな……

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…もう、長くはこうしていられませんよね」

「そうだな、結界も壊しちまったし」

 

 今のオイナリサマに、どれ程のダメージや後遺症が残っているのか…俺には推し量りようもない。

 

 だから確実を取るなら、今すぐ行動を起こすべきだ。

 この事件の行く先の主導権を、俺だけが握っていられるうちに。

 

 でも…最善の道が解らない。

 

「どうにか、匿う方法があればな……」

 

 見つかれば十中八九、黒イナリは殺される。

 俺もコイツも、先の戦いでエネルギーはすっからかんだ。

 

 十分に休む時間があったオイナリサマに勝てる可能性なんて、万に一つにも無いと思った方が良い。

 

 …やばいな、お先真っ暗だ。

 

 どうしたものか、もしかして始めから詰んでたのか?

 負のスパイラル、考えるほどに落ち込んでいく感情。

 

 そこに、一枚の葉っぱが添えられた。

 

「……えへへ」

「ど、どうした…?」

 

 黒イナリの手がペタリと、俺の両目を覆う。

 まるで、『何も見なくていいんだよ』と囁きかけるように。世界が、色の無い明暗に包まれる。

 

「カムくん。もう少しだけ、こうして休んでいませんか?」

 

 甘く、破滅的な誘い。

 

 黒イナリはそうした先に待っている結末を知りながら……俺を、堕落の道へと引き摺り込もうとする。

 

「ワタシは別に良いんです。輝きなら、返せばいいだけですし」

「だから、その方法が………なっ!?」

 

 けれど、溺れてなんていられない。

 

 視界を覆うモノクロを取り払って、黒イナリと相対して。

 俺は、フルカラーの現実に言葉を失った。

 

「……うふふ、どうしたんですか?」

 

 黒イナリの、思ったよりも小さな手に一杯に握られ、俺に向けて差し出されている宝石。

 

 赤く脈打つそれを見て、瞬きする間もなくそれが黒イナリの心臓、つまりセルリアンの核であることを理解した。

 

「なんだよ、それ…」

「もう、分かってるくせに」

 

 敬語を捨て、真夜のような口調で詰め寄ってくる黒イナリ。

 

 赤い宝石を俺の左手に握らせ、心臓から伸ばした管を薬指に挿して繋げた。すると心臓はずぶずぶと、音を立てるように俺の身体の中へと沈んでいく。

 

 心臓が完全に沈むまでの間ずっと、戻ってくる記憶は走馬燈のように流れ、俺はそれらを一つ一つ振り返らされていた。

 

「これで、記憶は全部戻った。だからワタシが()()()()、カムくんはもう大丈夫」

「……は?」

 

 黒イナリは笑う。儚げにはにかむ。

 

「ごめんねカムくん。ワタシのせいで、こんなにボロボロにしちゃって」

 

 謝罪の言葉を聞かされて、余計に別れが際立った。

 俺は、お前が消えてしまうのをただでさえ恐ろしく思っているというのに。

 

「いいんだよ。ワタシは所詮再現。この口調も君への呼び方も、神無岐真夜についての記憶を取り出したコピーでしかない」

「嘘…だろ? 嘘、つくんじゃねぇよ…!」

 

 コピー。

 なんて無機質で、無情な言葉だろう。

 

 俺は…戦いの中でお前と相対した俺には、そうそう受け入れられる物言いじゃない。

 

 だけど、そんな俺を、黒イナリは嗤う。

 

「ワタシを、真夜だと思うの? ワタシはオイナリサマの(こんな)姿なのに」

 

 そう言って、グイっと近づく。

 黒イナリの、オイナリサマらしい部分を強引に見せられる。

 そうしているうちに、抱いていた疑いも薄れていく。

 

「そうだな、有り得ないよな……亡霊でも、取り憑かない限り」

「……うふふ」

 

 また嗤う。

 可愛らしい声が不安を煽って、俺は思わず聞き直す。

 

「…なあ、本当に違うのか?」

「何度も言ってるでしょ? ……でも、いいよ。カムくんが夢を見たいなら、見せてあげる」

 

 ステップ、スピン、足でねじって、腕を広げて、クルクルと舞って、止まって、最後にアイツはクイズを出した。

 

「……さて、()()()()()()()?」

 

 だけど、俺はそれどころじゃなかった。

 黒イナリの正体がどうとか、考えている余裕なんて無くなった。

 

「お前、体が……」

「あはは。核が無くなったからだね、もうそろそろ限界みたい。でも、心配しないで?」

 

 薄れていく虹の色を撒き散らして、透けて見える向こうの森に手を振って、アイツは俺に抱き付いた。

 

「今のワタシは消えちゃうけど……私はずっと、カムくんを見守ってるから」

 

 腕を放して、離れていく。

 

 向こうへ歩みを踏んで、踏んで。

 その度に、アイツの存在が希薄になっていって。

 

 

 …そして、終わり?

 

 

「………え?」

 

 

 そんなの、俺は嫌だ。

 

 

「行かせるかよ、みすみす」

「ちょ、ちょっと、カムくん?」

 

 アイツの身体を引いて、心臓と同じように、俺の身体にめり込ませていく。

 

 出来るはずだ。

 心臓だって出来た、槍と同じ要領だ。

 

 簡単な話だ。

 俺の中にさえいれば、オイナリサマからだって匿えるはずだ。

 

『……い、いいの? 中に取り込んでも、私しばらくは眠ってるよ? エネルギーも無くなっちゃったし、カムくんの分を取っちゃうかもだし…』

「構いやしないさ、居てくれればな」

 

 論理なんて知るか。

 

 ”行かせてはいけない”って、俺がそう感じただけだ。

 

『…………あは、嬉しい』

 

 失わなくていい方法があるんだ。掴まなくてどうする。

 

『じゃあ、早速だけどおやすみ……』

「ああ、いい夢見ろよ」

 

 頭の中に、寝息が響く。

 

「……結局、どっちだったんだろうな」

 

 俺が深読みしただけで、本当にただのコピーなのか。

 

 それとも、何か別の魂が入り込んでいたのか。

 

「多分、これからも分かんないんだろうなぁ……」

 

 だが、それでいい。

 今は、自分のやりたいように出来た。

 

 それだけで満足だ。

 

「…ここに居たって意味ないな」

 

 そろそろ様子を見に行こう、オイナリサマはどうしているだろう。

 

 アイツにやられた怪我も、あんまり酷いものじゃないと良いけどな。

 

「そう言えば、祝明は帰ったのか?」

 

 困った。

 気になることが多すぎる。

 

 折角事件が一つ終わったというに、何故俺がこんなに心を配る必要があるのか。

 

「でもまあ、そんなもんか」

 

 とりあえず神社に行こう。

 それから、この先のことは考えよう。

 

 その前に、一言だけ。

 

 

「……サンキューな」

 

 

 ある意味、お前のせいだ。

 

 でも、恨まないさ。

 

 お前のおかげで俺はまた、もう少しだけ、前を向けそうだ。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「わわっ、イヅナ…!?」

「えへへ、捕まえたー!」

 

 神社の境内で、祝明とイヅナがじゃれ合っている。

 

「もう、いきなりどうしたの?」

「あれ、鬼ごっこはまだ終わってないよ?」

「えぇ…?」

 

 元気なイヅナと、呆れる祝明。

 

 あんな災難に巻き込まれた後だけど、二人とも平常運転に見える。

 

「…じゃあ、明日一日デート?」

「そう、当然でしょ?」

 

 鬼ごっこか……そういえば、戦いの途中で聞いたような気もする。

 

 しかし、”捕まったらデート”とは妙ちくりんな約束をしたものだな。

 

「まあ、それは良いけど……それよりっ! イヅナ、怪我はない?」

「バッチリ無事だよ、ノリくんは…疲れてるね」

「あはは、油断できない戦いだったからさ…」

 

 ああ、本当にギリギリの戦いだった。

 

 祝明のアドバイスや助けが無ければ、俺が輝きの正体を思いつくのが遅れていたら、今頃負けていたかもしれない。

 

「……そっか。ノリくん、勝てたんだね」

「…まあ、神依君が居てくれたおかげだよ」

「それでも、ノリくんの力あってこそ。想像だけど、そうじゃないかな?」

 

 なんだ、アイツも良いこと言うじゃねぇか。

 

 ずっと『ノリくんノリくん』と呟いてる妙なキツネだと思ってたが、少しだけ見直したぞ。

 

 ……ほんの一瞬だけ、睨まれたような。

 

 気のせい…だよな?

 

「……強くなったね、ノリくん。私の教えをしっかり吸収しているようで、嬉しいな」

「あはは、ありがと」

 

 その後もしばらく、俺は木陰に身を隠しながら二人の様子を眺めていた。

 

 出て行って声を掛ければ良かった……と、今では思っているが、最初に隠れてしまったせいでタイミングを失ってしまった。

 

 ……でも、二人とも元気そうだ。

 

 俺のせいで余計なトラブルに巻き込んじまったからな、何事もなくてよかった。

 

「じゃ、遊園地に戻ろ!」

「えっと、良いのかな…」

「平気だって、神依くんが何とかしてくれるでしょ」

「そ、そうかな…」

 

 腕をグイグイと引っ張られ、祝明は不承な顔をしつつもついて行く。

 

 ああ、別にそれでいい。

 神社の後片付けもオイナリサマのことも、俺に任せてくれればいい。

 

 

 ―――ま、精々元気でな。

 

 

「…さて、そろそろ俺も行くとするか」

 

 オイナリサマは下の方か、探すのは疲れそうだな。

 でも、探さない訳にもいかない。

 

 やれやれ、困った神様だ。

 

「全く、どうして向こうから来ないんだか…」

 

 俺がその理由を知るのは、もう少し後。

 オイナリサマとの関係に変化が訪れる時までも、あと少し。

 

 

 ―――未練との決着はついた。次は未来を見るときだ。

 

 

「……ふっ」

 

 石段を下りる足音は、コツコツと軽く朗らかに。

 

 希望の音を踏みならして行く、正午の日が差す刻だった。

 

 



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Ⅷ-203 人間と神様

 山を下り始めて数分。

 石段から逸れた森の中で、俺はオイナリサマの姿を見つけた。

 

「見つけたぞ、オイナリサマ」

「……神依さん」

 

 オイナリサマは体育座りで、俯きながら地面の草を弄っている。

 それは神様らしからぬ、普段のオイナリサマの印象ともかけ離れた行動だった。

 

「らしくないぞ、何してんだ?」

 

 だから、真っ先に口をついて出てきた言葉が()()であることも、概ね納得できることだろう。

 

 オイナリサマは俺の問いかけに顔を上げ、何か言おうと口を開く。

 

 しかし、声は出ない。

 

「……ごめんなさい」

 

 しばらくの間躊躇った末、やっと出てきたのは謝罪の言葉だった。

 

「あー……なんだ、謝られてもな」

 

 俺は困った。謝るような事をされた覚えも、()()()()()()()無い。

 

 それに、こう言うのも失礼だが……オイナリサマは、自分の非を誰かに謝るような性格をしていない。

 

 ――少なくとも、俺のイメージの中ではな。

 

「俺は気にしてない、誰でも負けることだってあるさ」

「いえ、そうではないんです」

「……違うのか?」

 

 俺はてっきり、”黒イナリに負けたせいで俺を危険に晒してしまった”……なんて考えていると思っていたんだが、どうやら違うらしい。

 

 じゃあ何だ?

 こうなると、さっぱり見当もつかないな。

 

「よく分かんないし…その、続けてくれ」

「は、はい…っ」

 

 コクコク、恐怖に震えるように頷いて、パクパクと空気を噛む。相当な緊張が伝わってくる。

 

 そこまで畏まって謝るような事……あったか?

 

「私…神依さんの記憶、勝手に奪ってしまって…」

「…え?」

 

 …あ、確かにあった気がする。

 

 でも、そんなこと。

 

「それで、沢山神依さんに嫌な思いもさせてしまって…」

「………それを、謝ってるのか?」

「はい……謝って許されるとは、思っていませんけど」

「な…なるほど?」

 

 

 ―――――まさか、マジで言ってるのか?

 

 

「あの、改めて言わせてください。神依さん…ごめんなさい」

 

 

 ―――――あ、マジみたいだ。

 

 

「あぁ、うん…少し、気持ちを整理させてくれ」

「…はい」

 

 一度冷静に考えてみても、やっぱり現実を信じられない。

 しかし彼女の姿を見る限り、嘘なんかではなさそうだ。

 

 見よ、あの美しい土下座のフォルムを。

 川のせせらぎのように流れる髪の毛の中、真っ白に光る尻尾の流線美が―――じゃなくて…そう、謝罪。

 

 分からないな。

 

 一体全体、どういう心変わりが有ったんだ?

 オイナリサマが俺に謝るなんて、例え月が落ちてきても有り得ないことだと思っていたのに。

 

 掛けようと思っていた言葉は全て飛んでしまった。今の俺の頭の中は、彼女の毛並みのように真っ白だ。

 

 とりあえず、何か言うか。 

 

「まあ、その…アレだ。反省は、してるんだな?」

「…はい、とっても」

「…そうか」

 

 二の句が継げぬ、何も浮かばぬ。

 理由はともあれ心の底から反省している様子だし、これと言って特に付け足したい言葉がないからだ。

 

 だから、理由を考えてみようか。

 

「なぁ…言うのもアレだが、突然すぎやしないか? どうしてそう思ったのか、理由は分からないか…?」

「理由、ですか?」

 

 ゆっくりと首を傾げて、オイナリサマは枝葉の隙間から空を見上げる。

 

 儚げに揺れる耳は寂しく、目や口よりも物を言う。

 俺は不安げな手を握った、握り返された温度は冷たかった。

 まるで活気も輝きもなく、放したら消えてしまいそうだ。

 

 長い逡巡の末、やがて太陽が手の平分ほど傾いた頃、オイナリサマはまた謝罪の言葉を口にする。

 

「…ごめんなさい」

「構わないさ、分かんないんだしな」

 

 あと、彼女の前では言葉に出来ないが……こういう()()()()()オイナリサマも新鮮で、それに何だか可愛らしい気もする。

 

「ま、気にしても仕方ないことだ。とりあえず神社に戻らないか?」

「はい、そうですね」

 

 ゆらり、身体を不安定によろめかせながらも彼女は立ち上がる。

 心配して俺は腕を差し出したが、掴まれることは無かった。

 

 ふっと逸らしたオイナリサマの顔は、申し訳なさとバツの悪さに染まり切っていた。

 

 まだ、引け目を強く感じているらしい。

 

「責任を感じる気持ちも分かるが…程々にな?」

「優しいんですね、ありがとうございます」

 

 それを最後に、またオイナリサマは口を噤んでしまう。 

 

「はぁ……」

 

 オイナリサマの手を引きながら、石段をゆっくりと上りながら。

 

 俺は彼女の最後の言葉に心の中でだけ同意し、そして自分のお人好しとも言うべき質の悪さにため息をついた。

 

 突き放せばいいのにな、嫌いなら。

 

 ……じゃあ、そういうことなんだろうな。

 

 心の底から。困ったことに―――

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 神社に戻ってきて、緑茶を淹れてきて。

 

「ほら、飲んで落ち着こうぜ」

「えへへ、ありがとうございます」

 

 隣り合わせの座布団に腰を下ろして、俺たちは今後の予定を話し合ってみることにした。

 

「まあやっぱ、結界をどうするかだよな」

「…そう、ですね」

「もしかしてまだ、張り直すだけの体力は戻ってないか?」

 

 先の戦いは苛烈だった――それは黒イナリの消耗からもよく分かる――さしものオイナリサマといえど、それから逃れることは出来ないだろう。

 

 ……と俺は納得したが、事実は違うようだ。首を振って彼女は言う。

 

「もっと…深刻です」

「…深刻?」

 

 ゆったり開いた手の指先を、額に添えて瞑想を。

 

 閉じた目の端から雫が滴り、声は枯れ果てた砂漠の模様。

 

「忘れちゃいました。結界の張り方も、他の術の使い方も」

 

 パタン。

 力なく垂れた腕の先、手が畳と乾いた音を奏でる。

 

 術を使えなくなってしまったオイナリサマ。

 

 その原因に……幸運にも、俺に思い当たる節があった。

 

「…あ、もしかして輝きか?」

「多分、そうだと思います」

 

 黒イナリは結界を張った。

 オイナリサマの輝きを奪ってやっていた。

 だったら輝きの中に、諸々の技術が詰まっているはずだよな。

 

 でも、輝きなら……

 

「だったら安心してくれ、ほら」

「……こ、これは?」

 

 手を出して、その先から虹色の石を取り出す。

 

 それはオイナリサマの輝きの結晶。

 体内に取り込んだ黒イナリから急いで抽出した、世界の何よりも美しい宝石。

 

「輝きなら俺が取り戻しておいたからな、これで大丈夫になるんじゃないか?」

「あ、ありがとうございます! もう、何から何まで…!」

 

 ……今更ながらの思い付きだが、オイナリサマが自信を喪失したことも、彼女が輝きを失った影響じゃないのか?

 

 俺も昔、大量に輝きを失った時はかなり憂鬱な気分に支配されていた。

 

 オイナリサマの存在は割と輝きへの依存度が高そうだし、輝きを失った影響が顕著に表れても不思議なことではない。

 

 つまり、目の前にいる彼女のしおらしさも輝きを失くしたせい、ということになって………ええと、本当に返してよかったのか?

 

 まあ、この際だから彼女を信じよう。

 

 そもそも、いつまでもこの状態のままに放置しておくことだって嫌だもんな。

 

「で、自信は戻って来たか?」

「はい、元気がみなぎってくるようです…!」

 

 両手でガッツポーズを作って、にこやかに笑って。

 そんな姿を見ただけで、取り返した意味があるなと思ってしまって。

 

 こんな神様に惹かれてるなんて。

 

 嫌じゃないけど、なんか悔しいな。

 

 …負けた気がして。

 

「じゃあ、出来そうか?」

「はい、もう少し休んだらすぐに」

「ハハ、少しで良いんだな」

 

 改めて思った、彼女は規格外だ。

 本当に、俺たちなんかとは格が違うんだな。

 

 そして…そんな彼女でさえ、時にはこういう風になるんだな。

 

 そうだ、少しからかってやろう。

 

 このまま無罪放免にするのも、それなりに気に食わない。

 

「ところでだが…輝きを失くして初めて、やっと謝る気になったんだな?」

「あ、あはは………でも本当は、それだけじゃないんです」

 

 ポリポリとオイナリサマは頬を掻く。これも滅多に見ない仕草だ。

 まあ、フレンドリーになったと考えれば、割とプラスの変化に思える。

 

 気恥ずかしそうに微笑んで、独白の続きを。

 

「あの黒い私に、言われた言葉がありましてね」

 

 

『―――貴女って、本当に心を掴むのがヘタなんですね? ずっと二人きりだったのにカムくん、全然靡いてないじゃないですか』

 

 

「そう言われて、揺らいでしまって…その隙を突かれて、輝きを取られちゃいました」

「へえ…そんなことが」

 

 ――驚いた。

 

 黒イナリの発言がどうこうというより、オイナリサマに嫌味で揺らぐような心の隙間があったということに。

 

「きっと彼女が…私の姿をしていたからですね」

 

 それは…皮肉だな。

 

 アイツが嫌っていた自身の姿が、オイナリサマへの決定打になるなんて。

 

 そしてコレは、オイナリサマにとっても皮肉な事実だろう。

 

 黒イナリがあんな姿になった原因は、オイナリサマが俺に掛けた()()()()()に他ならないのだから。

 

 

 

「あの、神依さん…」

 

 いつの間にか、握る手の主導権は向こう側に。

 

「……私が、嫌いですか?」

 

 声も、手も、身体も、何もかも。

 まるで、雪中に置き去りにされた子狐のように震えながら、オイナリサマは俺に尋ねる。

 

 これは、慎重に言葉を選ばないといけないな。

 

「別に、嫌いじゃないさ。ただ…」

「…ただ?」

「もう少し、振舞い方を考えてもいいんじゃないかとは…思う」

 

 言い終わって見ると、オイナリサマは顔を伏せている。まあ、突き刺さるところは沢山あるだろうな。

 

 俺はまた、慎重に言葉を選びながら話していく。

 

「俺を拉致した件だって…ホッキョクギツネを痛めつけた件だって。きっと、他にやり様は有った筈なんだ。……()()()()()()()()、尚のこと」

 

 ここからが、多分本題。

 俺が伝えたいと思っていること。

 

「何だかんだ言って、オイナリサマには力があるだろ? 何も戦いだけじゃない、穏便に願いを叶えることなんて、造作もないことじゃないのか…?」

 

 目的の為なら手段を選ばない。

 

 場合によっては、それが最善なら、俺にも思うところはなかっただろう。

 

 だけど、オイナリサマなら別の方法で出来たはずだ。

 それが、俺の心にはやはり引っ掛かるのだ。

 

「…そうかも、しれません」

 

 オイナリサマは俺の言葉を認め、静かに涙を一滴流した。

 だけどそれはすぐに拭って、首を振って毅然とした顔。

 

 まるで、自分には涙を流す資格などないと言うかのような表情。

 

 一言。

 

 消え入りそうな声で呟く。

 

「今更、謝りになんて行けるでしょうか…?」

「…難しいだろうな」

「そう…ですよね」

 

 ホッキョクギツネの心に刻まれた傷は大きいだろう。

 会いに行けばまた傷を抉るだけになる可能性が高い。

 

 オイナリサマもそれを分かって、飽くまで夢物語として口にしたんだろうな。

 

 物悲しそうに微笑んで、この話は終いにした。

 

 

 ―――まあ、これくらいかな。 

 

 

 言いたいことは、言うべきことは、これで伝えた。

 

 別にこれで、過去を清算できたとは思っていない。

 

 だけど、今は十分じゃないだろうか。

 

 ポンポン。

 

 オイナリサマの肩を叩く。

 ただそっと、彼女に寄り添ってやるように。

 

「ま…どうしても俺が居ないと不安だって言うなら、傍にいてやるさ」

「え……?」

 

 ポカンと、気の抜けたような声を出すオイナリサマ。

 何だろう、まだ叱られると思ってたのかな。

 

 ハハ、俺はそこまで鬼じゃないさ。

 

 それにこの反応……まさか、忘れてるのか?

 

「だって…約束しただろ? 例え俺一人だけでも、オイナリサマが願う限りは望み続けてやる…ってな」

「か、神依さん…!」

 

 両手で俺を捕まえて、目を潤ませて息を荒げる。

 今度零れた涙の雫は、溢れた喜びの色をしていた。

 

 ぎゅ~…っと。

 

 俺を抱き締めるオイナリサマの腕の力は、段々と強くなっていく。

 

「よしよし…はは、仕方のない神様だ」

「えへへへ、神依さん…!」

 

 熱い口づけを交わし、抱擁は強く柔らかく。

 もう一度、神様との契約を交わす。

 

 

「ずっと、一緒に居てくれるんですよね…!」

「…ああ、約束する」

 

 

 俺とオイナリサマ。

 人間と神様。

 

 病みに黒ずんだ輝きは、奇しくも未練の怪物に漂白された。

 

 白く、白く、心の中まで。

 

 やがてまた、神の社を虹のベールが包む。

 

「あの、神依さんっ! 今夜は、久しぶりに一緒に…」

「今は抑えて…な?」

「は、はい…」

 

 はしゃぎ出したオイナリサマにも、今日の間は安心できる。

 

 けれどまだ、全部を元に戻すには早すぎる気もするから。

 

 今はただ一緒に。静かに彼女の腕の中に。

 

 

 二人を手繰り寄せた数奇な運命を、木漏れ日の中で偲び続けた。

 

 

 



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Ⅷ-END ハッピーエンドは終わらない

「ノリく~んっ!!」

「……ん?」

 

 遠くから声が聞こえて、僕は視線をそちらに向ける。

 噴水のしぶき越しに、ホテルの方から駆け寄ってくるイヅナの姿が見えた。

 

「あ、イヅナ…っ!」

 

 読んでいた手帳をポケットに仕舞い、僕はカフェの椅子から立ち上がって彼女を迎えた。

 

 ここは遊園地の噴水広場。

 つい昨日、最後の鬼ごっこを始める為に集まった場所。

 

 だけど今日、ここはデートの待ち合わせ場所。

 

 ここならお互い来るのに時間が掛からないからと、適当に決めたんだったっけ。

 

 

 ……まあ、どっちもホテルから出てくるんだけどね。

 

 

「えへへ、待った?」

「ううん、今来たとこだよ」

 

 待ち合わせのテンプレートのような、憧れの言葉を交わし合う。

 

「……ふふ」

「あはは…!」

 

 それが余りにも在り来たりで、小説の世界にでも入ってしまったかのように可笑しくて、僕たちは笑ってしまった。

 

 乱れた髪の毛を整えて、僕は声を掛ける。

 

「じゃあ、早速行こっか」

 

 肘のとこから指の先まで、通う血の熱をべったりと絡ませる。

 

 そのまま引くとイヅナはふわり、風に舞った葉っぱのように軽く寄りかかってきて、体を僕に預けながら歩く。

 

 目指すは1つ目のアトラクション、目的地は未定。

 

「最初は悩んじゃうなあ~……ねぇ、どれに乗ろっか?」

「最初だし、僕は穏やかなのが良いな」

「ふむふむ、じゃあアレでどう?」

 

 打って変わってイヅナが引っ張って、行き着く先はコーヒーカップ。

 

 ”穏やか”かどうかは回す人によるけど…まあ、いっか。

 アトラクションなんて、多少のスリルがあってなんぼだもんね。

 

「でも、動いてるように見えないな…」

 

 この遊園地には、僕たち以外のお客さんがいない。

 

 だからカップは勿論止まっているし、看板を照らす色彩豊かな電球の光もすっかりしぼんで消えてしまっている。

 

 本当に乗れるのかな。

 

 今更ながらにそんな不安を覚えてしまった僕の目の前を、赤ボスがテクテクと通り過ぎていく。

 

 赤ボスはコーヒーカップの管理室へ、入ってしばらくするとエンジンの駆動音と共にコーヒーカップが運転を始めた。

 

「ああ、そっか…!」

 

 なるほど、そうだった。

 

 赤ボスは研究所で特別な権限を貰っているから、こういう機械も造作なく動かせるんだったね。

 

 イヅナは元々知っていたみたい。

 驚く僕を見ながら、無邪気に追加の説明をしてくれた。

 

「動かすのは乗る時だけだから、とってもエコだよっ!」

「それが出来るのも、僕たちしかいないからだけどね…」

 

 ともあれ、問題は無さそうでよかった。

 

「じゃあ、早速乗っちゃおっか」

「えへへ、そうだね!」

 

 僕たちは青い柵のゲートを通って、アトラクションの中に入っていった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…っとと。これで、動くのを待てばいいのかな…?」

 

 僕らが選んだのは真っ白なカップ。

 もちろん、一緒に座って回るのを楽しむよ。

 

 だけど、やっぱりイヅナって白いね。

 こうして向かい合うように座ると、背後との境界線が中々に見分けづらい。

 

 まあ、それはイヅナから見た僕もかな? だけどそれが面白そうだから、この色を選んでみた。

 

「えへへ、とっても楽しみ…!」

「あはは、コーヒーカップにあんまり期待するのもどうかと思うけど…」

「む、そうじゃなくて、ノリくんと乗るから楽しみなのっ!」

「……」

 

 イヅナのいつも通りストレートな物言いに、僕はいつも通りたじろいでしまう。

 

 不思議だな。

 

 毎朝毎晩愛を囁かれて、そろそろ慣れてくる頃合いの筈なのに、まだ僕はその言葉に違和感を抱いている。

 

「…ノリくん?」

「あ…ううん、何でもないよ。まだ、少しだけ眠いみたい」

 

 僕は誤魔化した。

 流石に、考えていたことをそのまま言う訳にも行かなかったから。

 

 イヅナは大して怪しむ様子もなく、僕にグッドサインを送る。

 

「そう? だったら任せて、このコーヒーカップでバッチリ目を覚まさせてあげるから!」

「えっと、加減はしてね…?」

「うん、()()はするよっ!」

 

 堂々と張り切って、遠回しに思いっきり回すことを宣言したイヅナ。

 あーあ、僕が吐いたりしちゃったらどうする気なんだろう。

 

 …まさか、それが狙いじゃないよね?

 

「ささ、構えて? もうすぐ動き出すよ!」

「コーヒーカップって、こういう風に遊ぶものだったっけ……?」

 

 ああもう、怖いなあ。

 怖いけど、もう何を思ったって時間は止まらない。

 

 ほら、アトラクションが動き出した。

 

「よーし、行っくよーっ!」

 

 掛け声と共に、イヅナが中央のハンドルを回す。

 

 腕も大きく回り込ませて一度に一気に大回転。いくら何でも気合入りすぎでしょ…!?

 

「あばばば、”努力する”って何だったのさーっ!?」

「えへへ、いっけー!」

 

 グルグルグルリ、目が回る。

 

 努力は何処まで行っても努力で、自重という結果を伴うことはなかった。

 

 アトラクションの稼働が終わるまで、およそ数分。

 

 心の赴くままにコーヒーカップを回すイヅナの姿は、とても楽しそうだった―――

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「……ごめんね、はしゃぎ過ぎちゃった」

「ああ、うん、大丈夫だよ…」

 

 形ばかりの慰めを口に、近くの椅子に腰掛ける。

 ここは、コーヒーカップのアトラクションから一番近い喫茶店。

 

 ”コーヒー繋がりでここに来た”と言えば粋な計らいに聞こえなくもないけど、単に長く歩けなかっただけなんです。

 

 赤ボスに酔い覚ましの甘いカフェオレを頼んで、申し訳なさそうにしぼむイヅナの肩に頭を預ける。

 

「んふ、もふもふぅ…」

 

 柔らかい毛の中に顔を埋めてイヅナの匂いを吸ったら、少し気分が楽になってきた。

 

「ノリくん、その…」

「大丈夫って言ったでしょ。イヅナの気持ちもよく分かるから」

「あは、ありがと…」

 

 よしよし。

 イヅナの毛皮に癒されながら、僕もイヅナを癒してあげる。

 

 ずっと罪悪感に取り憑かれていた様子だったし、こうやって気を楽にしてあげないとね。

 

 なんだかんだ言って、羽目を外したイヅナのテンションもす…嫌いじゃないし。

 

「オマタセ、”カフェオレ”2ツダヨ」

「ご苦労様、赤ボス」

「何カアッタラ、遠慮ナク呼ンデネ」

 

 甘ったるいカフェオレでのどを潤して、ふぅと静かに息を吐く。

 イヅナもそろそろ落ち着いたかな。

 

 そう思って、様子を確認しようと横を向いた瞬間のことだった。

 

「……んっ!?」

 

 何かを確かめる隙もなく、視界はイヅナの顔でいっぱい。そして口づけと、口いっぱいに流れ込んでくる甘く暖かい液体。

 

 僕は逆らえるはずもなく、その液体をやむなく飲み干す。

 

「ぷはっ、はぁ……ちょっと、いきなりすぎるよ?」

「えへへ…!」

 

 ニコニコとご満悦のイヅナ。

 調子が戻っているようで何よりだけど、流石に不意打ちが過ぎる。

 

「別に飲ませるのは良いけどさ……同じだよ?」

「いいの、飲ませてあげることが大事なんだから」

 

 なるほど、そういうこと。

 

「そっか、じゃあ…!」

 

 仕返しだ。

 

「んっ!? ……んふふ♡」

 

 今度は僕から、イヅナに口づけ。

 そしてゆっくり少しずつ、カフェオレを舌に絡めて流し込んでいく。

 

 最初はお互い、カフェオレの味を楽しんでいた。

 

 だけど段々趣向が変わって、液体を全て飲み込んでしまった後も舌を絡め合い続け、始めの目的はプールに零したコーヒーのように消えていく。

 

 これではいけないと一度離れて、僕はイヅナに苦笑いを向ける。

 

「あはは、これじゃただのキスだね?」

「でも好き。もう一回しよ?」

「もう、仕方ないなぁ…」

 

 今度はお口をまっさらに、ただ舌を混ぜる深いキス。

 

「ん、んんっ…!」

 

 どちらのものとも分からない声が、ただ真っ白にミルクのように、頭の中を染め上げていく。

 

 空っぽの空に雲は無くって、青々とただ風は吹いてて。

 何も考えられないままに、寂しくカフェオレは冷めていく。

 

 キスの酔いが覚めたのは、しばらく後のことだった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 メリーゴーランド、ゴーカート、ジェットコースター、etc…

 

 僕たちは空が赤くなるまで、思い思いに相手を引っ張り振り回しながら、遊園地を楽しんで回った。

 おかげで体力はすっからかんだけど、楽しいから問題ない。

 

 とはいえ身体も思ったように動いてくれないし、そろそろ引き際なのかなあ。

 

「じゃあさ、最後にアレ乗らない?」

「アレ…ああ、観覧車だね」

 

 観覧車なら、最初から最後まで座りっぱなしで楽しめる。

 

 それに、「遊園地と言えば…」って感じのアトラクションでもあるし、トリを飾るのには相応しいかも知れない。

 

 いいね、乗ろう。

 

 何より今は、疲れなくて済むというのが一番素敵に思えるよ。

 

「赤ボス、動かしてくれる?」

「マカセテ」

 

 ピョコピョコと尻尾を揺らし、観覧車の方へと向かって行った赤ボス。

 今日最後の仕事だからかな、心なしかその歩みは弾んでいるように見えた。

 

 さて、動き出すまでには割と間がある。

 

「…僕たちはゆっくり行こうか」

「うん、わかったっ!」

 

 それまで、外周を歩きながら時間を潰そう。

 乗る前に一度、動いている観覧車を外から見てみたいしね。

 

 沈みゆく日が観覧車と重なって、まるで絵にかいた太陽のよう。

 

「…綺麗な景色だね」

「うふふ、ノリくんの方が綺麗だよ~♪」

「それって、喜んでいいのかな…?」

 

 まあ、別にいいか。

 ”かわいい”じゃなくて”綺麗”だし……え、綺麗? 本当に?

 

「……」

 

 ペタペタ頬を触って、真偽の程を確かめようとしてみるけど、当然分かる筈もない。

 

 鏡代わりの水たまりも探してみるけど、最近はずっと晴れだった。

 

「もう、私の言うことが信じられないの?」

「あはは、自分の顔は見えないからね…」

 

 はにかんで、またお日様の方を見る。

 赤い光をいっぱい受ければ、頬の赤みも誤魔化せるかな。

 

「でも…僕は、イヅナの方が綺麗だと思う」

 

 呟いた言葉は、きっと仕返し。僕ばっかりじゃズルいから。

 

「……あ、ありがと♡」

 

 イヅナの顔は真っ赤な日光を受けて、それでも良く分かるくらい赤く染まっていた。

 

 

 ――あはは、誤魔化せないみたい。

 

 

「あ…ノリくん、あれ見て!」

「ん…あ、動き出したね」

 

 頂点の赤いゴンドラの影が、遠目の噴水に掛かり始める。

 

 ゆったりと回り続ける車輪を見上げながら、僕たちは乗り場まで歩いてきた。

 

「次ノゴンドラニ乗ッテネ」

 

 間もなくやって来た白いゴンドラ。

 手を繋いでかがんで入って、隣り合わせに腰掛けた。

 

 ゆらゆら。

 

 ゆっくりと、ゴンドラは頂点に向かって昇って行く。

 

「えへへ、ドキドキしちゃうね…!」

 

 イヅナが囁く。

 いつもより声を潜めて、息の量を多くして。

 

「もう、心臓がバクバクだよ…」

 

 風が耳に掛かる。

 内側をくすぐる暖かい空気の流れが、何とも言えない心地よさを生んでいる。

 

 イヅナの手が、僕の胸元を抑えた。

 

「感じる、ノリくんの鼓動…」

 

 半分くらい抱きつくような姿勢と、華奢で小さな手の温もり。

 僕の心臓も拍動を早め、バクバク、血の音が耳の中まで聞こえる。

 

「…どんどんおっきくなってるね。興奮してるの?」

「ま、待ってよそんな…!?」

 

 ギリギリを攻める台詞を口に、首元に口を噛み付くように。

 鋭い歯先が皮膚をくすぐって、身じろぎは腕に抑え込まれて。

 

 ゆらゆら。

 

 高くに昇ったゴンドラは、風に煽られ揺れ動く。

 

 だけどもしかしたら、別の理由でもっと揺れることになるかもしれない…!

 

「ちょっと、今は落ち着いてってば…!」

 

 流石にそれはマズい。

 このまま二週目に突入なんてしたら、いよいよ僕の体力が保たなくなってしまう。

 

 負い目は感じるけど仕方ない。

 若干強引に引き剥がして、外を見るように促した。

 

「ほら、いい眺めでしょ? 観覧車に乗ったんだからやっぱり上からの景色を―――」

「良いじゃん! 上からの景色なんて来るときも見たよ!」

「うぐっ…」

 

 そうだった。

 

 僕たちは空を飛べるから、上からの眺めなんて大して珍しくも無いんだ。

 

 それでも引き下がる訳にはいかない。

 何より、僕の体力のために。

 

 僕は、イヅナの手を握った。

 

「確かに見慣れてるね。だけど今は…二人きりなんだよ?」

「…えっ?」

 

 ぽっと、頬が赤らむ。

 抱きつく腕がそっと外れて、自然と向かいあう形になった。

 

「僕は、()()()()一緒に見てみたいな。折角乗ったんだし、さ?」

 

 追い打ちの言葉を、大事な部分を強調して囁く。

 握る手の力がすうっと抜けて、イヅナは強引に迫って来ることをやめた。

 

 よしよし、狙い通りだね。

 

「ほら、おいで?」

「う、うん…っ!」

 

 腕を引くと、今度はしおらしく身体を預けてくれた。

 

 優しく彼女を抱き寄せて、一緒に外の景色を眺める。

 

「ほら、見てみて。あそこ、僕たちの雪山だよ」

「本当だっ! とっても小さいね…」

 

 ガラスに両手と顔をくっつけ、目を輝かせて僕を見る。

 ワクワクに心も尻尾も揺らして、風はいよいよ最高潮。

 

 僕らはついに天辺に着いて、斜陽の輝きがゴンドラを貫く。

 

「わっ、眩しい…!」

 

 目元を抑えて、イヅナは僕にぴょんと飛びつく。

 

 相変わらずあざとくて、とっても可愛いな。

 

「ねえノリくん、こっち見て…!」

「ん? ……わわっ」

 

 言われるままに目を合わせると、首に湿った唇の音。

 

 予想外の場所へのキスに呆然としている間に、イヅナの腕が僕を包み込む。そして尻尾が頬をなぞって、イヅナの向こうに赤い海。

 

 ぎゅっと、一際強く僕を縛り付けたイヅナは、いつもやっているように耳元で囁く。

 

 だけど、いつもとは違う。

 

 

「ノリくん…愛してる」

 

 

 イヅナの言葉は、たった一言。

 

 

「イヅナ、僕―――っ!?」

「…うふふ、()()はダメだよ?」

 

 

 僕の言葉は、塞がれちゃった。

 

 

「…あと少し、だね」

 

 

 ゴンドラはもう、下る中。

 

 傾き沈んで、どんどん下へ。

 

 ほんの一瞬、火山に目を向けたとき。

 

 月がうっすらと、虹の中に輝いていた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「あ~、楽しかった!」

 

 スタッ。

 

 階段の上から陽気に跳ねて、イヅナは僕を手招いた。

 

「もう、終わっちゃうんだね…」

 

 何だかんだで、四人みんなに捕まってしまった。

 あはは、僕って逃げるの下手だったのかな。

 

 でも、楽しかった。

 

 途中で鬼ごっこどころじゃない事件も起きたけど、それを含めても刺激的な一週間だった。

 

 それも、これで終わり…

 

「…あれ?」

 

 ふと、イヅナが声を上げる。

 まるで何かに気づいたような、そんな声色。

 

「どうしたの?」

「確か今日って…六日目だったよね?」

「あ、うん…」

 

 逃げる期間は一週間。

 色々あって短く終わったから、今日は確かに六日目だ。

 

 …ん?

 

 イヅナが、悪戯っ子の顔をしているような…

 

「じゃあさ…あと一日、出来るんじゃない?」

「…えっ?」

 

 笑顔で繰り出された提案は、正に悪魔の企みだった。

 

 ぱあっと彼女の顔が晴れ、キラッとイヅナは喋り出す。

 

「やろうよ、特別試合! 本当の争奪戦って感じで、みんなで本気で争って!」

「ちょっと、それは…!」

 

 それはいけない。

 

 何がって、僕の体力が持たない。

 

 そしてイヅナは、そんなの知ったこっちゃない。

 

「そうと決まれば、みんなに伝えてこなきゃ。 …ごめんねノリくん、先に帰ってる!」

「ま、待ってよイヅナ…!?」

 

 

 ダッシュでホテルへ逃げるイヅナを、僕は本気で追いかける。

 

 

「あはは、こっちこっち!」

「もう、明日はゆっくり休むんだからね…!?」

 

 

 最後の最後に、僕が鬼。

 

 

 夜闇の中の追いかけっこは、月が見えるまで終わらない。

 

 

 この関係も、暮らしも、命も、きっと、ずっと……このまま。

 

 

 

 ハッピーエンドは、終わらない―――――――――

 

 

 

 



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