黒猫の気まぐれ冒険譚 (蒼陽)
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エピローグ

『______! 必殺の右ストレートが炸裂ゥ!リングに響くこの轟音こそが、怒涛の99連勝の証だーーーー!』

 

K-1と呼ばれ、男たちが自らの力を存分に振るい誇示する場、その最高峰の場で、彼は肩で息をし、滝のような汗が傷にしみるのを感じながらも、喜びに打ち震えていた。

惜しみのない称賛の声をその身に受けながら、綺麗に着飾った女性から受け取ったマイクに、喜びの声を通すのだった。

 

 

□◾️□◾️

 

 

「ったく…まさか本当にやっちまうとはな。流石だよ」

 

「腹に一発もらった時はもう終わったかと思ったけどな」

 

背を伸ばし、呆れ声のうちに大きな喜びを隠しながら呟く幼馴染の男に答えて、頰いっぱいに貼られた絆創膏の淵を撫でながら笑う男。

彼こそ格闘家としての盛大なな偉業を達成したまさしく生ける伝説その人であり、喜びと高揚感も冷めやらぬまま酒を煽った帰りであった。

今日くらいは、と普段からお堅い幼馴染をもう一軒回ることに同意させる画策をしつつ、今日の試合を振り返る。

 

「なぁ、もう一軒、どうだ?」

「試合直後だってのにそんなに元気なら余裕だったろうよ、明日の俺の取り立てにも付き合ってもらいてえくらいだぜ」

 

「格闘家の拳をんなことに使わすんじゃねーよバカ」

 

2人は物心ついた時から孤児院で育ち、そして片方はヤクザ、片方は格闘家となった。

メディアに騒がれると面倒だ、というのは重々承知しているが、そんなことは家族に会えなくなることに比べれば他愛のないことだと笑い飛ばし、初めは離れようとしていた幼馴染も、今では諦めつつあるらしい。

 

「オイ!嬢ちゃん!」

 

柄にもない思考の渦に飲み込まれていた男の意識を現実に引き戻したのは、幼馴染の焦りに溢れた怒声だった。

見れば、金髪の、見るからに幼い少女が虚ろな様子で赤信号にも関わらず横断歩道に踏み出そうとしていた。そして。

_____気がつけば、飛び出していた。

道路に踏み出したを抱き、幼馴染に向けて豪快に投げ飛ばす。驚いた顔をしたが、それでもしっかりと彼女の体を抱きとめた幼馴染を見て、安堵する。

嗚呼、もしこの世に神様がいるのなら、きっと彼は盲目に違いない。

運命とは、時として善や才能をためらいなく壊す。

 

 

次の瞬間、けたたましいクラクションと巨大な鉄の塊が、男の研ぎ澄まされた感覚を壊れるほどに満たした。

 

 

□◾️□◾️

 

 

「……ここ、は」

 

気がつけばそこは、船の上だった。

辺りは暗く、船が浮かぶ湖には、彼が乗る船の他に怪しく淡い光を灯す提灯が多数浮かび、かつてムードの大事さを理解した方が良いよ、と彼女に振られたことのある俺がいうのもなんだが、これ以上ないほど幻想的に思えた。

 

「目が覚めたかしら、気分はどう?……と言っても、体はないのだけれど」

 

どれくらいの時間だろうか、じっとしているのが苦手な俺が柄にもなくぼーっとしていると、いつのまにか陸地の見えぬ湖に浮かぶ、俺の乗る船____もっと言えば、俺の膝の上に、少女がちょこんと佇んでいる。

黒くてふわふわの髪に、人形のような、雪にも劣らないと思えるほど白い肌。頰はほのかに紅く染まり、その血のように赤い瞳には少女だというのにどこか女の妖しさを覗かせる。

幼馴染風に会わせればサイコーにマブい、お菓子やるからこっち来なァ。ということ間違いない。

 

「うおっ?!お、お嬢ちゃんは一体…」

 

「知らなくても良いのだわ、どうせ忘れてしまうもの」

 

だからこんなに大胆になれるのだけど、と付け足しながらクスクスと笑う彼女は初めて会うはずだが、何故だろうか、こんなにも落ち着いた気分なのは。

状況に困惑することにも飽き、先ほどの聞き捨てならないことを問うて見る。

 

「体が…ない?」

 

忘れてしまう、そう言われても気になることは気になるものだ。

ここがどこで、彼女が誰か、今何時で、どうやってここに来たのか。

疑問は尽きないが、この中の一つで最も気になることを訪ねた。

 

「……えぇ。残念だけれど。」

 

無駄に落胆させたくないけれど仕方ないわよね、男の子だもの、と頬を膨らませながら彼女は応えた。

残念…あぁ。

どこか夢の中にいるような気分だったが、ズキリ、という頭痛とともに自分に起こった出来事を思い出した。

俺は…死んだんだな。

 

「か、格好良かったのだわ!彼女はおかげで救われたのだし、貴方は正しいことをしたのだもの。そんなに悲しい顔をしないで?」

 

それでも…それでも。

死んだらすべて終わりだ。

けど、あの子が無事だという話も聞けたお陰か、しばらくすると気分も晴れて来た。

よほど暗い顔をしていたのか、俺が沈黙している間ずっとオロオロしっぱなしだった少女は、ようやく顔を上げた俺を見て優しく微笑んだ。

 

「ありがとな。んで、俺はどこに連れて行かれるんだ?できればその、虫地獄ってやつだけは勘弁して欲しいんだが……」

 

そんな俺の呟きを聞くと、ポカンとした後、彼女はあはは!と俺に体重を預けるようにして仰け反りながら、腹を抱えて笑った。

ひとしきり笑った後、目尻に浮かんだ雫を指でなぞりながら、困惑する俺にようやく応えてくれる。

 

「人を庇って死んだのだから、行くとしても天国でしょうに。あいかわらず虫も苦手なのね。……ねぇ、あなた」

 

「ん……?」

 

「もう一生、寄ってみない?」

 

可愛らしく人差し指を立てながら、身をよじるようにして俺の顔を見上げながら。

彼女は、ハシゴに誘うかのような気軽さで、輪廻転成とかいうやつを、俺に勧めてくるのだった。

 



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Aを生きるコツ

迷宮都市(オラリオ)。神々の祝福を受けた眷属(子供)達が集い、富と名声を得んと野心を燃やす場所。

その大きな特徴は二つ。

冒険者という、神々からの祝福を受け、モンスターを狩る職業が一般的に認められていること。

そして、その冒険者達はこぞって未知の地、すなわちダンジョンに潜るということだそうなのだわ。

少し、私の話に付き合ってくれるかしら。1人でいるのもお暇なの。

よろしくて?ありがとう!なのだわ!

 

これはとある英雄(アルゴノゥト)に憧れた1人の少年のお話。

極東の国の田舎の、何の変哲も無い酪農家の元に生まれた黒髪に美しい蒼色の瞳の少年、名をタイガ・シグルズ。

体格は人並みなものの、生来のセンスで生まれてこのかた喧嘩では負けなし。

野生の獣が束になってようやく相手になるほどだったのだわ。

……あの時は本当に肝を冷やしたものなのだけれど。

けれど決してその強さを鼻にかけることはなく、誰にでも愛を注ぎ、涙するものには掌を差し伸べ、驕るものには拳で振るい、故にみんなに好かれる人気者。

前世の記憶がなくても、不思議と似てしまうものなのね。

ともかく!幼い頃にはシグ、タイガと呼ばれ…え?もうタイガの話は良い?続きを聞かせろ?

し、仕方ないのだわ…ほんとはタイガのことはいくら話しても話したりないのだけれど…。

あとでタイガのスリーサイズを聞きたいと言っても教えてあげないのだからっ!

 

コホン、では始めるのだわ。

ありふれた、よくある1人の英雄(アルゴノゥト)のその生き様。

僭越ながらこの私が語らせていただきます、のだわ。

 

□◾️□◾️

 

「デッケェなぁ。これがオラリオの玄関か」

 

タイガ・シグルズ(11歳))は村を出、長い旅路を経てオラリオにたどり着いた。

たしかに修行のために出た旅だが、まだ出来上がっていない体にはえらくこたえるものだった。ある時は血に飢えた野生の獣と戦い、またある時は決して多くない金銭を狙って襲って来た盗賊と戦い、そしてまたある時はおばあちゃんの依頼を受けて崖に生える薬草を採取し。

…今までの旅で充分一つの物語くらいにはなりそうだったが、俺の旅はここからが本番。ここからったらここからなのだ。

ではいざ———

 

検閲を受け、これから待ち受ける冒険に心躍らせながら、様々な思惑が交錯する未開を抱える街(オラリオ)へと足を踏み入れたのだった。

 

 

□◾️□◾️

 

 

「んで。何でこうなった?」

 

「ボサッとしてんじゃないよ小僧!」

 

ジュウジュウと熱を帯び煙を上げるフライパンをふるって均等にならし、いい色に焼けた卵をひっくり返してご飯に被せる。

今いるのは豊穣の女主人という酒場のキッチンだった。

野営は慣れたものだったため、料理はそこそこ自信がある。あるにはあるが、女性ばかりの店でフライパンを振るうのは慣れないため、客含めて視線がこそばゆい。

 

なぜこうなったといえば、エイナ——茶髪ギルド受付嬢が頑固で譲らないのが悪い。

悪いったら悪いのだ。

いいじゃないか、別に恩恵なしでダンジョンに潜るくらい。

別に死にに行くのではなく、目標がどんなものか試したいだけなのだから。

だというのにあの頑固女ときたら、私は一年目だからだの、先輩に怒られるだの、あなたを死なせたくないだのあれこれ理由を並べ、挙句には泣き出し始めて周りの視線に突き刺されながら撤退せざるをなくなったというわけだ。

諦めて恩恵を求めいくつかのファミリアに頭を下げるも、いきなり田舎から来た少年を快く受け入れてくれるファミリアなどそうそうなく、食うために狩る獣もいない街中で空腹のあまり倒れ、そこを通りかかった豊穣の女主人の店員、リューさんに拾われ今に至る。

店主のミアさんは目が覚めた俺に、男はダメでも仔猫なら問題ないってことなのかねぇ…と苦笑しながらぼやいていたが、よく意味がわからずに首を傾げていると皿いっぱいの料理を出され思わず猫舌であることも忘れるほど夢中で食らいつき、お礼を言う前に、その様子じゃ金も宿もないんだろ?代金は体で返しな。と眼で脅され今に至るのだった。

 

「ふぅ…」

 

「お疲れ様です。あなたの料理、なかなか好評でしたよ。このままシェフでも目指してはいかがです?」

 

「リューさん…あんまりいじめないでください。俺の今までの旅が一気にコメディになるじゃないっスか」

 

客足も落ち着き、ミアさんに言われて休憩に入った俺にリューさんが話しかけてくれた。

店に運んでくれたのは彼女のため、正直頭が上がらない。

表情がほとんど変わらないから冗談なのかわかりづらく内心ヒヤヒヤしていたが、口角がわずかに上がるのを見てホッとする。

ご褒美だよと言われて渡されたミルクをストローで飲んでいると、ふと頭を撫でられた感触がした。

びっくりして頭をあげると、相手も驚いたのか慌てて引いた右手の手首を左手で握り胸元に抱えるリューさんが目に入った。

 

「す、すみませんつい…」

 

「あ、い、いえ。悪い気分ではなく…むしろ心地よかったので…」

 

「で、では…失礼して」

 

別にもっとしてほしいと言う意味で言ったつもりはなかったのだが、優しく撫でられている感触が心地よく、なにより表情の堅かったリューさんの表情が少し和らいでいるのを見て反論する気も失せ、黙ってミルクに舌鼓を打つことにした。うん、うまい。

 

「…シグルズさん。どうして冒険者になりたいのですか?」

 

ひとしきり撫で、満足したのか再びリューさんが口を開いた。

 

「タイガで良いですよ。命の恩人に敬語使われるのはちょっと」

 

「…わかりました。ですがせめてシグと。これが妥協点です。」

 

「ありがとうございます。」

 

にこりと笑って見せると、リューさんはバツが悪そうに目を背け、コホン、と咳をして見せてから話を続けた。

 

「それで…」

 

「なぜ冒険者になりたいか、でしたね」

 

「えぇ」

 

「その…リューさんはアルゴノゥトって知ってますか?」

 

「アルゴノゥト…確か冒険譚一つですよね」

 

少し頰を赤らめながら話しだす。

まだそこまで良い年というわけでもないが、流石に大真面目に人に話すのは少し恥ずかしい。

 

「はい。俺、憧れたんです。どこからともなく現れて、格好良く、都合よく誰かを助ける英雄(アルゴノゥト)に。喧嘩くらいしかできない俺が、あんな風に変われたらって。」

 

「……間違っている」

 

「え…」

 

聞き間違えかと思った。

けれど、先ほどまでの様子と打って変わったリューさんの、どこか怒ったような表情がそれは間違いだということを示していた。

 

「あなたは間違っている。どれだけ強くなろうと、どれだけ正しかろうと、見境なく誰かを救うなど現実には不可能だ…それは!あなたの身を滅ぼすだけだ!」

 

「リュー…さん」

 

「す、すみません。私は仕事に戻ります。いきなり撫でたりしてすみません。ごゆっくり」

 

「あっ…」

 

俺が何かを言い出す前に、足早に戻っていってしまう。

先ほどの怒鳴り声を聞いたミアさんの何かあったのかという問いに、なんでもありませんと答えいつものように無表情で料理を運んでいく。

 

俺…は…

 

彼女の昨日(かこ)と、自分の夢と、遠い遠い明日(みらい)のことを。

あんな悲しそうな顔を見せられたら、考えないわけにはいかなかった。

 

 

□◾️□◾️

 

 

「お疲れ様です、ミアさん」

 

「あいよ、どうだい?入れてくれるファミリアはみつかりそうかい」

 

拾われてから約一週間。

豊穣の女主人の店主、ミアさんは宿も金もない俺を住み込み、三食つきで働かせてくれていた。

もちろんその間何もしなかったというわけではない。

ただやはりそう簡単には話は進まず、話にならんと門前払いされるのが関の山だった。

ミアさんは肩を落として首を横に振る俺に苦笑いし、そうだろうねぇとこぼす。

と、ちょうどその時来店を告げるベルが鳴った。

 

「いらっしゃいませ!」

 

もう上がるところだというのに、ついいつもの癖で接客しようとしたのは赤髪で細目の女性だった。

 

「おう!なんやえらい不恰好やけど可愛らしい新人さんやなぁ、ミアかーちゃん紹介してぇな!」

 

彼女は二ヒヒと笑うとミアさんに話しかけた。

たしかに髪を切り忘れていたのは事実だし、癖っ毛なので見苦しいといえばその通りかもしれない。基本キッチン勤めなので気にしなかった。

 

「ちょうど良い、ロキ。アンタのところでこの子面倒見てくれないかい?私の見立てじゃなかなかのタマだよ」

 

「ほ〜?ミアかーちゃんが太鼓判押すとは珍しいやないか!よしウチに来いや!ただし最低限入団テストは受けてもらうで!」

 

ええな?という問いに、今度は即ブンブンと頭を縦に振る。

 

話を聞く限り、どうやら彼女は女神様らしい。

しかも門前払いではなくテストを受けさせてくれるようだ。

本当にミアさんにはお世話になりっぱなしだ。いつか恩は返さなきゃな。

 

「ほんで、名前はなんていうんや、黒猫クン」

 

黒猫くん…?多分、髪が黒くて目が青色だからかな?

 

「タイガ。タイガ・シグルブでひゅ!」

 

あぁ。

俺、緊張にめちゃくちゃ弱いんだよな…

 

格好がつかない俺の旅話を酒の肴に自由気ままな女神様は、本当に愉快そうに、時折いたずらっぽく笑いながら晩酌を楽しむのだった。

 

 

□◾️□◾️

 

 

テストは三日後、黄昏の館っちゅうとこでやるで!

内容は——

 

「団員との手合わせ、ですか」

 

翌朝、時間に少し余裕を持って来たリューさんとの雑談に入団テストの話が話題に上がる。

なにぶんテストというのは筆記実技問わず初めての経験なので、何かヒントがあれば、と。

 

「まあ、ロキファミリアは幸い心強い団員も充実してますし危険にさらされることも少ないでしょう。私としては入団テストで落ちることを願うばかりですが」

 

「リューさぁん…」

 

俺の情けない声に彼女はいたずらっぽくフフ、と笑い、冗談ですよと付け加えた。

あの日の悲しそうな顔は影を潜め、社交辞令かもしれないが、俺の夢を応援していますと言ってくれた。

それがたまらなく嬉しく、その日は興奮で眠れなかったほどだ。

 

「普通に考えれば、戦闘力を見るためでしょう。生き残り、ギルドに利益をもたらすには少なからず必要ですから。」

 

「戦闘力…」

 

リューさんはもっとも、と人差し指を立てて続ける。

 

「主神ロキはとても気まぐれなので、何が狙いかはわかりません。最悪気絶させてセクハラし放題、なんてこともあり得るのでそのつもりで」

 

「ひぇ…?!」

 

怯える俺をリューさんを微笑みながら撫でてくる。

怖がらせて慰める振りをして撫でる。

もうこの一週間で彼女が数回使ってきた手なので、魂胆は分かっているのだが、彼女の優しそうな顔は本当に綺麗で、それを見れるならもうどうでも良いかと思考放棄してしまう。

 

「頑張ってください。そしていつかまた私が…」

 

瞬間、彼女の表情に影がさすのを許せなくて、言葉を最後まで聞かずに、立ち上がって言い放った。

 

「絶対俺が助けます!リューさんはずっと笑っていてください!」

 

それを聞いたリューさんはポカンとした表情になるが、すぐにまたいつもの表情にもどって楽しみにしています、ともう一撫でだけして店に出た。

 

 

□◾️□◾️

 

試験当日。

指定された時間に黄昏の館に来ると、話は通っているようで、すんなり入ることができた。入ってすぐで出迎えてくれたのは、小人の男性と、エルフの女性だった。

幸い優しく接してくれたおかげで、入団テスト前に問題を抱える必要はなさそうだとホッとしたのもつかの間、もう1人建物から歩いて来る。

 

「あぁ?そいつが新しい雑魚か。殺しても謝らねえから逃げンなら今のうちだぞ」

 

出会い頭の暴言とは。

これが冒険者の洗礼ってやつなのだろうか。

 

「シグルズ君。彼が今回試験をしてくれるベートだ。ベート、言わなくても分かってると思うけど」

 

「チッ、分かってる。今のもテストの一つってことにしとけ」

 

優しい小人さんの言葉にもぶっきら棒に答え、首で奥の広場を指して言った。

 

「早くしようぜ。どうせすぐに逃げ帰ることになるンだからよ」

 

彼が荒々しい言葉で、見知らぬ少年に発破をかけようとしているとタイガが知ることになるのは、まだ当分先の話である。

武器を勧められたが断り、ベートと呼ばれる人狼と向かい合って立った。

この街に来て、拳を振るうことになるのは初めてだ。

ボサボサに乱れた黒髪に隠れる一瞬。

 

『さあ、私たちの冒険を始めましょう、だわ!』

 

幻聴、だったのだろうか。脳裏に響いた声が不思議と妙に心地よくて、普段ならきっとガチガチに緊張しているはずが、今は体の隅々まで自分の意のままに動かせる気すらした。

…良い感じだ。体から無駄な力が抜けていくのがわかる。

さて。

半身になり、身構える。

左足と左拳を敵に向けて。

右足は半歩引いて、右の拳は胸の前に。

 

「へぇ、格好だけは様になってンじゃねえか。格闘技でも齧ってたか?あァ?」

 

目の前で退屈そうに佇む人狼の少年は、まるで曲芸をする犬を眺めるような目でそう呟いた。

 

「そりゃどうも、先輩」

 

不敵に笑って見せる。しかし。

‘これ’は、誰に教えられたものでもない。

自らが考案し、試行錯誤の末たどり着いたモノでもない。

いつの間にか、いや、生まれた時から魂に深く焼きついていた生きる術。

 

「フン、先行はくれてやる。せいぜい死ぬ気で来いや」

 

「…ウィッス!」

 

ロキファミリアの恩恵だがなんだか知らねえが、村一番と呼ばれたからには村の悪ガキども全員のプライド背負ってんだ。そう簡単に負けてやれるかよ!

右足に渾身の力を込めて踏み込みねじ込むようにして最速の左手を繰り出す。

拳を使った打撃が認められている格闘技において、力をあまり入れずに放つパンチ、すなわちジャブ。威力はないが、コンビネーションや牽制など技術としての重要度は高く、ボクシングでは特に使用頻度が高い攻撃であり、敵の視界を狭めたり、次の攻撃への繋ぎとして非常に重宝される基本テクニックの一つである

もちろんタイガ自身そんな難しいことなどわかっていない。

ただ彼の持つ技の中で最速、つまり確実に当てられるものを選び、自分のペースに持ち込もうとしたに過ぎないのだ。

まずは一発!点数稼ぎに付き合ってもらいますよっと!

さてどう出…!

 

優れた格闘家は、未来を見ると言われることがある。

それは決して未来予知などという不確かなものではなく、敵のわずかな予備動作や、自らの涙ぐましいほどの経験値から裏打ちされた確かなものだ。

経験こそ浅いものの、生まれた時から格闘家であるタイガは間違いなく優秀な格闘家である。が、タイガにはあまりに経験がなさすぎた。

 

「その程度で、当たると思ったか?アァ?」

 

「ッ…?!なに…?!」

 

気がつけば宙を舞っていた。

下腹部に異様な痛みを感じつつ一回転して背中を強打し、乱れた息を必死に整えながら視界に移したのは、片足で立ち、ゆっくりと上げていた左足を下ろして地面を踏みしめる人狼の姿だった。

 

かわされた…?ガードではなくかわして…その上で反撃したっていうのか…?

 

おごっていたわけじゃない。自分がまだまだ弱いことはわかっていた。だからこそオラリオに来たのだ。けれどまさか、そこまで年の離れていないこんな少年とここまでの差が…?

正直、信じられなかった。

けれど。だけど。

 

「…オイ、テメエ今の状況わかってんのか?」

 

人狼の少年の声が1トーン低くなる。どうやらイラついて仕方がない、らしい。

 

「わかってるよ、まさかここまでとは思わなかった。恐れ入ったっす、先輩」

 

「チッ…ならテメエ…!」

 

そう言いつつ、右足をふみ鳴らし、怒声を飛ばした。

その声にすら本能が危険だと大音量で警鐘をかき鳴らす。

今の、たった一撃で右の肋骨が折れたのか、とてつもない痛みもしっかりと噛み締めていた。ったく、馬鹿げたパワーにスピードだよ。

けれど。だけど。

 

「ッラァ!」

 

懲りずにまた右足で踏み切った。

もっと、もっと速く!

 

「チィ!バカが!」

 

今度は軽くいなされて、勢い余ってよろけたところに背中に重い蹴りが入った。

オーディエンスたちはたまらず息をのむ。

しかし。今度は倒れない。両足で踏みとどまり、すぐに奴を視界の中にとらえ、今度は左足で即踏み切った。

躱すのことすらやめた大振りの蹴りを察知し、右足で全力で踏みとどまろうとするも、それですら間に合わない。

とっさに張った右腕でのガードにマグレ当たり…いや、わざと当てたのだろう。

ガードしたにもかかわらず、一瞬両足が浮き、足が着いてすぐ必死にブレーキをかけるも数メートルの溝二つを残す結果になった。

 

ここまで、違うのか。

 

「諦めろっつってンだよ!雑魚は無様にあがいたところで雑魚なンだ!」

 

再度人狼が吠える。

雑魚に親でも殺されたのかよ、お前は。

喉までせり上がって来た血を吐き捨て、答えてみせる。

 

「全くっすな」

 

「アァ?!」

 

「なんで、諦めきれないんだろうなッ!」

 

もっと、もっと。もっともっと!速く…!

 

「ならンで…なンでテメエは!」

 

もっと…!もっともっともっと…!

 

「笑ってんだァ!アァ?!」

 

左手が届くより先に、雄叫びと共に文字通り目にも留まらぬ蹴りが風を切り迫るのがわかった。

瞬間、わかってしまう。

このジャブは、届かない。

 

『当たらないなら、当てられるようにすれば良いのだわ』

 

気が、あうじゃねえか

 

「…ッ?!」

 

人狼の少年、ベートは一瞬戦慄した。それは、上がったばかりのレベル3の恩恵によって研ぎ澄まされた感覚との齟齬が生み出した幻覚だったのだろうか。

いや、たしかにベートは見た。

黒髪が風に揺れ、目にかかるその一瞬、タイガの蒼色の瞳は

 

金色に光りやがっただと…?!

 

とっさに身の危険を感じて攻撃を中止し、バックステップで距離を取る。

その様子を見て、タイガはあえて不敵に笑ってみせた。

 

「どうしたんすか先輩。尻尾巻いて逃げるなんて」

 

「チッ、誰が逃げるかよォ!」

 

小人の男性——フィンは、先ほどまで以上に息巻いて、今度は自分から攻め込んで行くベートを見て笑い、いつでも危険な状態になれば割り込める用意をしながら隣で眼を見張るエルフの女性、リヴェリアに話しかける。

 

「どうだいリヴェリア。彼が君に教えをこうことになるなる子だよ」

 

「…驚いたな。手加減されているとはいえ…恩恵も受けずにレベル3のベートとやりあうなど…」

 

ロキファミリアのレベル6(ママ)として沢山の冒険者を見て来た彼女には、恩恵の重大さを誰より理解できていた。

だからこそ信じられなかった。

自分の力の上がり方の驚きも覚えているし、またかつてレベル差が開いていた亡き先輩たちの背中を見て来たからレベルの絶対性も身にしみている。

フィンは驚きのあまり目を見開く彼女の横顔を一瞥し、そして微笑む。

 

これは…僕たちもうかうかしていられないかもしれないな。

 

「…オイ。」

 

「ハァハァ…ッ、何ですか」

 

「なにがテメエはそこまでさせる。強くなって、テメエはなにがしたい」

 

人狼はボロボロになった俺を見て、暗に理解できないと吐き捨てる。

「雑魚が口癖の人に言われたくないっスけどね」

 

「茶化すな。早く答えろ」

 

「……なりたいんス」

 

「あぁ?」

 

「カッコ良い、英雄(アルゴノゥト)に」

 

「そォか」

 

瞬間ベートの目が大きく開かれ、そして細めた。

 

認め、られたか。

 

ロキファミリアの一員として?味方として?

否。取るに足らない雑魚ではなく、倒すに値する敵として認められたのだと直感した。

が、すでにタイガの体は満身創痍。決して顔色には出さないが自ら踏み込む体力はないことは事実であり、それはベートにもバレているだろう。

故に、うちあえるのは多くて3回。

勝機があるとすれば—

 

次の、一回。

 

「…加減はしねエ。死んでも恨むな英雄崩れ(なりそこない)

 

「上等」

 

刹那。

二つの影は再び重なり、見物人達は見逃すまいと目を見開いた。




耳の生えた一方通(アクセラレー)


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願わくば貴方には、Bの結末を

「んで、どうしてこうなった?」

 

「タイガ!ボサッとしてんじゃないよ!」

 

今日のおススメはカレーチキン。

ボウルにニンニク、オリーブオイル、ニンニク、塩、そして調味料を潰して混ぜ合わせたものにつけ、1日置いておいたチキンを、オイルを敷いたフライパンでじっくり焼く。

チキンの焼ける良い匂いに急かす客の声に軽口で返し、チキンをひっくり返して焦げ目がつくまで焼き、新鮮な緑色をした葉菜の上に置いて盛り付けてそのまま客たちが生唾を飲むテーブルの真ん中に置いた。

置くや否や全員がその皿に手を伸ばし、余るほど焼いたつもりだったがあっという間に半分ほどの量になってしまったのを見て、嬉しい反面これは追加注文が来るなと複雑な気分になり苦笑する。

 

「タイガ〜!ほんまお前がうちに来てくれて良かったで〜!」

 

そんなロキ様の言葉に他のロキファミリアのメンバーたちも肉をかじりながらうんうんと頷く。

そう、結果的に言えば俺はロキファミリアの入団テストに合格し、その一員となっていた。

その映えあるロキファミリアの一団員がどうして豊穣の女主人でチキンを焼いているかというと、テストに合格した後に受けた念願の恩恵に原因の一端があった。

 

 

タイガ・シグルズ

Lv.たかい

力:つよい

耐久:かたい

敏捷:はやい

器用:うまい

魔力:たくさん

《魔法》

気まぐれな足跡(ノブリ・ムーノ)

・防壁を作る

・速攻魔法

・『気まぐれな足跡(ノブリ・ムーノ)

・こつは、いめーじがだいじ!

《スキル》

 

キッチンに戻ると、丁寧に四つ折りしてポケットに入れていた紙切れを取り出して眺め、ため息をつく。

冗談に思えるかもしれないが、これが俺のステータス、らしい。

ロキ様の話では、この力、耐久、敏捷、器用、魔力の五つは基礎アビリティと呼ばれ、普通は横にランクと数字が書かれているそうだ。

この紙はいわば転写であり、ステータスは背中に表示されているので、ロキ様のいたずらかと思ったが、あの時の困惑具合を見るにどうやらそういうわけでもないような気がする。

曰く、ステータスの中の違和感を感じるものの全てがことごとく汚い字で表示されており、『こつは、いめーじがだいじ』という文に至ってはスペースがないところに無理やり書いているようだと話していた。

兎にも角にもこんな力量も測れないままダンジョンに放り込むわけにはいかないと言われ、結局当分はダンジョンはお預け。団員との手合わせで力量を図りつつ…という具合になるらしい。

んで、今日は俺の歓迎会と、俺が手間をかけることへのごめんなさい会を兼ねた宴会、ということで豊穣の女主人で宴会、ついでに俺が料理を振る舞うことになったというわけだ。

不満がないわけではないが、大口の客なのでミアさんやリューさんへの恩返しにもなるし、料理を振る舞うことでロキファミリアの皆さんへの挨拶にもなるので良しとしよう。

連日の疲れのせいか、『ご、ごめんなさいなのだわ』という声がか細く聞こえた気すらした。

 

「それが貴方のステータスですか」

 

「ひゃ、ひゃい?!」

 

反射的に跳びのき、紙切れを破いてしまった。

振り向くと、リューさんがいつもの澄まし顔でそこにいた。

ステータスは誰にも見せたらあかんで!というロキ様の忠告を思い出して青い顔になるが、その後のまあこれ見たところで誰もステータスとは思わんやろうけどな!というからかいを思い出すと安堵し、今度は慌てて情けない声を出してしまったことへの羞恥で赤くなる。

そんな俺の様子がよほどおかしかったのか、リューさんは柔らかくフフ、と笑った。

 

「あぁ、他言しないので心配いりません。ただ他言するような内容でもありませんね、ステータスに憧れた子供の落書きのように見えますし」

 

「うっ…」

 

ズバリ自分でも薄々思っていたことをストレートに言われてしまい、項垂れる。

そんな俺の様子を見て、またいつものように撫でて慰めてくれた。

 

「おーいタイガ〜!早よこんかい!今日はお前が主役なんやで!」

 

「は、はい!ただいま!」

 

主神に呼ばれ、リューさん!また後で!とロキ様のところへ出て行くと、すぐさま追加の注文をされてしまい、困惑と不満の混じった悲鳴をあげる仔猫を見て、普段使わないリューの表情筋はまた鍛えられるのだった。

 

 

□◾️□◾️

 

 

「オイ、アホ猫」

 

「タイガです、一文字もあってません。先輩」

 

あの騒がしい宴会から二日、俺は寝床を黄昏の館に移して正真正銘のロキファミリアとなっていた。

といってもダンジョンに潜ることは相変わらず許されておらず、やることといえばロキ様が命じればご飯を作ることと、館の掃除、あとは自分で行う鍛錬くらいののものだった。

 

「今日もやんぞ。ちなみに拒否権はねエ」

 

「ウィッス」

 

彼との手合わせと言う名のいびりを除けば。

あの日、テストの終わりは酷くあっけなかった。

先輩の放った渾身の蹴りを、ボキボキ、と言う嫌な音を立てながら両手で勢いそのままに受け流し、数回の打ち合いにより読み得た彼の動きと勢いを利用して彼のみぞおちが通過する部分に自分の左膝を置いた、はずだった。

原因としては二つ。一つ目はいくら柔よく剛を制す技と言えども圧倒的な恩恵の差を完全に殺すことは叶わず、痛みによって体をうまく動かせなかったこと。

二つ目は先輩の身長が思っていたよりも高かったこと。

ここまで言えば枝葉末節を語らずともわかると思うが、俺の切り札(決め技)は見事に先輩の急所にヒット。

が、さすがは神々の恩恵で、急所の保護は万全であり、一撃食らわされた場所が場所なだけに羞恥で焦った先輩が放ったゲンコツであえなく俺は気絶。

一撃食らわせたことで合格したのは良いものの、この二日で先輩は鋼の双球(ゴールデン)、俺は玉潰し(マン・キラー)の二つ名…というかアダ名で呼ばれているのを聞いた。ほんとごめん先輩。

というわけで、断るに断れず組手に付き合い、ここ二日で10回は気絶している。

 

「俺、今日は何回気絶しますかね」

 

「安心しろ、今日から私も付き合う。間違っても死なせたりはしない」

 

不満を思わずぼやくと、ベート先輩の後ろにいた、顔立ちの整った綺麗なエルフのお姉さんが優しそうな声でとんでもなく物騒なことを言ってくれた。

思えば、あのテストの日に歓迎してくれた2人のうちの1人だったと思い出してお辞儀をし、タイガ・シグルズですと自己紹介をした。

すると彼女は

 

「ではシグと。私はリヴェリア。リヴェリア・リヨス・アールヴ。君の教育係といったところだ。」

 

と応え、ニコリと笑ってくれた。

一見表情の変化に乏しいように見えるが、柔らかくて暖かい、そして優しい微笑み方にリューさんを思い出して少しの時間見とれてしまう。

すると待ちくたびれたベート先輩に首根っこを掴まれて屋外へ引きずられて連れていかれる格好になってしまい、あうっ?!しぇんぱい!?っというこれまた情けない悲鳴を知り合ったばかりの美しい教育係に聞かれてしまうことになるのだった。

 

入団テストを受けたあの庭につくと、レベル3のバカげた腕力に任せて放り投げられて一回転した後予想以上の衝撃にあうっ、という掛け声とともに両足で着地した。

 

「チッ、本当にアホ猫だな」

 

何を期待したのかそうぼやいて唾を吐くベートをよそに、リヴェリアさんがゆっくり歩いてよってきて、大丈夫か?と訪ねてくれたので、大丈夫ですとだけ応えておいた。

 

「今日の手合わせだが、その前に魔法を使ってみようか」

 

「魔法、ですか?」

 

魔法。

心当たりはあった。

それはリューさんの言葉を借りるなら、俺のステータスが嘘くさくなってしまった要因の一つ。

本来エルフなどの一部の種族を除いて、本来冒険者は恩恵を受けたばかりでは魔法を発現しないそうだ。

 

「速攻魔法なンざ聞いたこともねェが、どんなもんなんだリヴェリア」

 

ベート先輩があくびをしながら気怠そうに尋ねた。

それは俺も気になるところだ。

今までの俺のイメージだと、魔法は長い長い詠唱文の末に放つ一撃必殺の切り札(ジョーカー)

しかし背中に刻まれた魔法にはコツが書かれていたにもかかわらず、詠唱文などどこにも書いていなかった。

 

「恐らく、すぐに使える魔法という意味だろう」

 

「すぐに、だとォ?」

 

俺のイメージはそこまで間違ってはいなかったらしく、リヴェリアさんの言葉にベート先輩も訝しげに、額にしわを寄せる。

 

「詠唱文が、気まぐれな足跡(ノブリ・ムーノ)。この一節で唱えられる魔法ということだ」

 

気まぐれな足跡(ノブリ・ムーノ)…」

 

「チッ、危ねえな!それ言うだけで発動しちまうかもしンねんだぞ!気をつけろアホ猫!」

 

ベート先輩の怒声にハッとし、しゅんとしてすみませんと謝る。

何を思ったかそんな俺と先輩を交互に見てフッと笑ったリヴェリアさんが、

 

「まあ発動したとしても出現するのは防壁らしいし問題ないだろう。魔力の放出は感じなかったし、何よりお前なら万が一刃を向けられようと問題ないだろう、ベート?」

 

とフォローを入れてくれる。

今度また、何かお礼をするために料理することになるかもしれない。

 

「…だがよ、詠唱文を唱えたのに発動しねえってのはどう言うことだ?」

 

「そうだな…いかにも怪しいが、コツが書いてあるのだ。それを実践して見てはどうだ?」

 

「コツ…イメージ…」

 

防壁というと、つまりバリアー…敵の攻撃から身を守るためのもの…

例えば、と思い浮かべる。

ベート先輩のように目で捉えきれないほどの速さで繰り出される攻撃を防ぐには…

身の回りを“大きなボウル”のようなもので覆ってしまえば…

 

「イメージはできたようだな、唱えてみろ」

 

リヴェリアさんの言葉にコクンと頷いて、唱える。

左手で手首を掴んだ右手を前に突き出して。

俺の、新しい力の名を。静かに呼ぶ。

 

「『気まぐれな足跡(ノブリ・ムーノ)!』」

 

刹那。自分の中から何かが放出された確かな感覚と共に、自分を守るかのように想像したの通りの形の、金色で半透明で巨大なボウルが現れた。

 

「ほう。ベート、少し攻撃してみろ」

 

「ハッ、言われるまでもねェ!」

 

言うが早いか先輩がものすごいスピードで突撃してきて、蹴りを振るう。

当たれば即死は免れないと確信した。ここ二日の痛みと怪我の数々が頭の中で久しぶり!元気にしてた?(フラッシュバック)し、思わず目を瞑ると、ガキン!ガキン!と言う音が前方からしただけに留まった。

恐る恐る目を開き、怪我がないことを確認すると、ゆっくりと目を開ける。

そこには傷ひとつない半透明な壁の向こうで愕然とする先輩と、ほうと面白そうに笑みをこぼすリヴェリアさんの姿があった。

ほうっ、と息を吐き、気を抜いた瞬間。役目は全うしたとでもいうように、金色の壁はキラキラと輝く光の粒となって消えてしまった。

 

「ベート、一応聞くが手加減は?」

 

「…してねェ。正真正銘今の俺の全力だ」

 

「ふむ。レベル3の蹴りを危なげなく防ぎ、かつイメージさえ固まっていれば即座に展開することの出来る防壁か……是非とも私を守ってほしいくらいだよ」

 

「ま、守ります!リヴェリアさんも…!ベート先輩も!ロキさんもみんな!俺が!」

 

咄嗟に口を出た言葉は、あまりに身の程知らずなものだった。

恩恵を得て強くなったとはいえ、レベル3の先輩の動きを目で追うのがやっとの出来損ない。それでもずっと、ずっと憧れてきた力が今俺の手にある。

みんなの笑顔を、優しさを、夢を守る英雄のような力

吠えずには、いられなかった。

 

「チッ」

 

「フフ、そうか。期待しているよ」

 

舌打ちしてそっぽを向く先輩と、優しく微笑むリヴェリア先輩。

そんな2人を見て、やっぱり言って良かったと思った。良かったったら良かったのだ。

 

「ベート、あの話に嘘はないな」

 

「あぁ、間違いねぇ、何度手合わせしたと思ってる。そいつのステータスは隠されている(・・・・・・)ってだけで、恩恵を得たばかりのレベル1そのままだ。もっとも俺との戦闘で多少は伸びているだろうがな」

 

リヴェリアさんと先輩の話の中身が見えて来ずに首を傾げていると、リヴェリアさんが寄ってきて俺の目の前でしゃがみ、目線を合わせて優しく話してくれる。

 

「さて。まずは身だしなみと装備からだな。いくらモンスターを薙ぎ倒そうとこの髪と服では様になるまい、小さな英雄(アルゴノゥト)君?」

 

「それって…もしかして!」

 

「あぁ、ちゃんと私のいうことを聞くのなら、しばらくしたらダンジョンに潜っても構わないと言うことさ」

 

「〜っ!はいっ!」

 

からかわれていることも忘れたおめでたい俺の頭の中は、ついにダンジョンに行ける!という喜び一色で染まり、俺史上人生で一二を争うような満面の笑みで返事をしたのだった。

 

「その前によォ」

 

「え?」

 

「今日は20回は気絶覚悟しろやァ!アホ猫ォ!」

 

そしてすぐに史上最低の引きつり顔に早変わりすることになるのだった。

 

 

□◾️□◾️

 

 

「ほう、なかなか様になっているじゃないか」

 

「す、すみません…お金、絶対いつか返します…!」

 

「そうか。だが良いのさ。これは私を守ると言ってくれたお前への投資なのだから。それに奴も同じ思いだろうさ」

 

「奴…?」

 

そんな俺の問いに、リヴェリアさんは忘れてくれと笑った。

宣言通り、記念すべき20回目の気絶後に迎えた翌日は、とにかく時間が流れるのが早かった。

まずリヴェリアさん自ら伸びきった髪を切り整えてくれて、うむ。と満足げに笑ったかと思えば休む暇もなく服屋へと連れていかれる。

着くや否やリヴェリアさんが見繕った服を次から次へと試着し、お眼鏡にかなった全ての服を買って荷物の山を黄昏の館へ配送を頼み、そのままその足で鍛冶屋の前にたどり着いた。

が、ここでようやく麗しいエルフの師匠の暴走が止まる。

 

「シグ、お前はどんな英雄になりたいんだ?」

 

「俺は…」

 

どうやら、俺の装備をどんなものにするか悩んでいるらしい。

正直今まで武器という武器を持ったことがなく、持った刃物といえば包丁くらいのものだったので装備はどんなものにするのかと聞かれていれば何時間も悩んでいたことだろう。

が、どんな英雄になりたいか、という問いには即答することができる。

 

「都合よく、格好良く、誰かを守り救うことの出来る英雄になりたいですッ!」

 

「よく言った。ではお前の役職はタンク(守る者)と言ったところか」

 

「守る者…!はいっ!」

 

ガシガシと頭を撫でられながら、タンクという役職のカッコ良い響きに笑みがこぼれる。

オラリオに足を踏み入れて11日。

えらく密度が濃く長いプロローグの末、ようやく見えてきた冒険の入り口に思いを馳せた。

 

 

□◾️□◾️

 

 

「よし…!」

 

パンパンと手のひらで頰を叩き気合いを入れる。

青いシャツの上に胸部のみのプレートアーマー、他の部分には鎖帷子を仕込み、その上から黒色のロングコートを着込む。

なんでもリヴェリアさんの話だとこのコートには耐火属性というものが付いていて、炎からも守ってくれるらしい。

とても自分の持っているお金では手が出なかった装備に感謝しながら、決戦の場へと赴いた。

 

「……今日は一日座学だと話したはずだが」

 

「はい!けどどうしても嬉しくて、つい着て来ちゃいました」

 

初めは俺がリヴェリアさんの話を聞かずにダンジョンに潜るつもりだったと思われていたのか少し怒った顔になっていたが、俺の話を聞くうちに優しい顔になってまた昨日のように頭を撫でてくれた。

 

「けれどせっかくだ、私が買った服を着ているのを見たいのだが…ダメだろうか?」

 

「うっ、わ、わかりました。着替えて来ますね」

 

ただでさえ美人なのに、そんな悲しそうな顔されては敵わない。

何よりこれからたくさんお世話になる人に刃向えるわけもなく、踵を返して自分の部屋へ戻り、着替えてからリヴェリアさんと向かい合って机の前に座った。

 

「フッ、似合っているじゃないか。英雄に一歩近づいたな」

 

「ほんとですかっ?!ありがとうございます!」

 

自分でも単純すぎる気がしてしまうが、英雄の名を出されるとどうしても嬉しくなってしまう。だって昔からの夢なんだから仕方ない。

 

「さて、始めようか。まずはダンジョンの仕組みと、上層に現れるモンスターの特徴、倒し方からだ。この内容のテストで満点が取れるまではダンジョンに潜ることは許さない。いいな?」

 

「はいっ!」

 

ロキファミリアでリヴェリアさんの座学がとてつもなく厳しく、まともにやり遂げられた人はほとんどいないという話はロキさんに聞いていたが、その程度今はなんとも思わなかった。

いくつもの偶然と優しさに助けられて、ようやくダンジョンに手が届くのだ。今手を伸ばさなきゃ嘘だ。それでは応援してくれる皆と、過去の自分に申し訳が立たない。

歯切れの良い返事にリヴェリアさんは強く頷き、マンツーマンの個人授業が始まった。

何が何でもやり遂げてみせる!

そんな思いを胸に、慣れない筆を握った。

 

そんな2人の様子を影から見つつすっかり構ってもらなくなったロキの、リヴェリアのやつ…スキルに母性(ザ・マザー)でも発現しとるんやないか…?という呟きはバッチリリヴェリアに聞こえており、粛清をいただくことになるのだった。

 

 

□◾️□◾️

 

 

リヴェリアさん特製の、超難問のテストにようやく合格した。

そしていよいよ明日は、初めてダンジョンに潜ることを許された日。

その前にどうしても報告したい人達がいると伝えると、リヴェリアさんは快く了承してくれ、ベート先輩もぶっきらぼうに早く行けと答えてくれたので、思い切り一礼をするとリヴェリアさんに選んでもらった私服で黄昏の館を飛び出していく。

商店街へ降りる階段を一段飛ばしで駆け下り、様々な種族の人々が集い歩く道を黒色の風となり疾走していく。

恩恵の効果で今までよりずっと早く走れることに興奮し、さらにスピードを上げた。

周りの人々の驚く顔が今だけは心良い。

思わず通り過ぎそうになるが、両脚でキキーッ!とブレーキをかけ、大好きな人々がいる扉の前に立った。

走ったことで乱れた呼吸を深呼吸で整えて、服を直しドアに手をかける。

そして、手に力を込めた。

 

「いらっしゃ…おやまぁ」

 

「こんばんは〜!ミアさん!」

 

「見違えたねぇ、えらく立派になってまぁ」

 

元気よく挨拶をするとミアさんは少し驚いた表情になったが、すぐに温かく迎えてくれた。

リューさんが見当たらなかったのでどこにいるか尋ねると、注文が思ったよりも多かったために買い出しに行っているらしい。そうですか、と自分の出した声がよほど元気無さげに聞こえたらしく、あとで厨房を手伝うことを条件にリューさんを追いかけて荷物持ちすることを命じてくれた。

リヴェリアさんに一緒に選んでもらった、2人へのお礼の入ったカバンを奥の部屋に置かせてもらい、ドアをあけ放って再び駆け出してリューさんを追いかける。

今はただ少しでも早く、リューさんに会って、認めて欲しかった。

俺の力で、あなたを守ります。

もう二度と、あんな悲しそうな顔をしなくても良いんです。

ただそれだけを、今は一刻も早く伝えてあげたかった。

だから———

 

「……やめてください」

 

「ヒヒ、いいじゃねえかエルフの姉ちゃん。ちょっとくれえ俺たちと遊んでくれや」

 

曲がり角の奥で、大柄な男性2人に声をかけられているリューさんが目に入った。

冒険者だろうか、彼らの腰には片手剣がぶら下がっており、体はかなり鍛えられているように見える。けれど、そんなこと関係ない。

———リューさんを、悲しませるな。

気づけば割って入っていた。

 

「あ?なんだ坊主。邪魔だどけや。俺たちゃレベル2だぞ」

 

「リューさんは、俺が守るんだ!」

 

「シグ…」

 

驚いた表情になるリューさんに笑顔で大丈夫です、と笑う。

いえ、あの、そうではなく…とオロオロし始めるリューさんの前に立ち、大柄な男2人を睨みつけた。

こんなになるまでリューさんを困らせるなんて…絶対許さない…!

 

「やるってんだな?いいぜ覚悟しろやクソガキァ!」

 

どうやら酔っているらしく、しかも邪魔されたことに対してかなり気が立っているらしい。

レベル2の冒険者だと言っていたから、リューさんの手を引いて逃げることもでき無さそうだ。観念して、両手を開き、半身になって臨戦態勢に入る。

 

「教育が必要らしいな、オラァ!」

 

大振りの拳が風を切り迫る。

が、正直拍子抜けだった。

何せこちとらレベル3の蹴りをシャワーのように浴び続けてきたのだ。

差し出された手首を両手で掴み取り、相手の懐に流れるように入って腰を起点に回転する力を加える。

たったそれだけで、相手の1人はいつかの自分のようにグルングルンと回転し土埃を巻き上げた。違ったことといえば、着地したのが背中からだったことだろう。酔いが相当回っていたのか、簡単に気絶してしまったようだ。

それを見ていた野次馬達が喧嘩を煽り始め、もう1人の冒険者も酔いが覚めたらしい。

 

「テメェ…ガキだと思っていりゃ調子に乗りやがって…!」

 

2人が同じくらいの強さなら、と今度はボクシングスタイルの構えを取った。

繰り出される蹴りをスウェイでかわして、一気に懐に入り込み、ジャブとストレートのコンボをみぞおちに叩き込む。

うぐっという声を漏らすも、レベル2の耐久は相当なものらしく、薙ぎ払うようにして裏拳を繰り出してきたので、今度は転がってかわす。

女の子を守って冒険者2人と戦う少年の姿を見た野次馬達は、いいぞー!もっとやれ!と煽り続ける。

 

「お前…何者だよッ、くそッ!」

 

「タイガ。タイガ・シグルズ!いずれ英雄になる男の名前だ!覚えとけ!」

 

「テメェ…!」

 

尋ねられたから答えたつもりだったのだが、俺の名乗りに野次馬達はさらにヒートアップしていく。

が、それが余程しゃくに触ったらしく、男はついに刀を抜いた。

おい、まずいんじゃねえか?だれか冒険者を呼んでこい!と周りの人々もざわつき始める。

 

「死んで詫びろやクソガキッ!」

 

逃げる余裕もなく、向かってくる男。

決して躱せない速さではない。が、後ろにはリューさんがいる。

彼女を守るために戦っているのに、避けてリューさんが傷つくのでは本末転倒だ。

なら、なら。

 

「『大人しくしててもらうね』」

 

「アァ?!」

 

「これは…魔力…?!」

 

大きく振りかぶり、剣を構え走り寄ってくる自分の二倍ほどの背丈の大男に対し、俺はただ右手を前に突き出した。

それだけで、決着がついた。

 

「『気まぐれな足跡(ノブリ・ムーノ)』」

 

小さくボソリと呟いた瞬間、大男は金色の巨大なボウルに包まれる。

 

「んだこりゃ、っ、くそッ!割れねえ!」

 

刀で思い切り叩きつけて破壊を試みるも、功を奏すことはなかった。

なにせレベル3のベートさんの攻撃でも傷一つつかなかったのだ。

レベル2のそこら辺にいる冒険者にどうこうできるはずがない。

 

「っ、と…」

 

とはいえ、恩恵を受けたての少年が覚えたての魔法を連発できるはずもなく、魔力の枯渇を感じてふらついてしまう。

あ…倒れる…

しかし、実際に倒れることはなかった。

後ろ向きに倒れかけた俺を、リューさんが受け止めてくれたのだ。

 

「リュー…さん」

 

「全く…言っても聞かないのでしょうから勝手にしなさい。私ももう間違っているとは言いません。ただし」

 

大男を覆うほど巨大なものを形作った反面、込められた魔力の少なかった防壁はすぐに搔き消え、自由になった男はニヤリと笑うと力の抜けた少年に向かい刃を振るおうと再び腕を振り上げた。

 

「ッ、リューさん逃げ…!?」

 

せめてリューさんを守らなきゃと立ち上がろうとするものの、何故か彼女は離してくれず、かえって片腕で強く胸元に抱きかかえられる。

あれ…リューさん力強っ…?!

体に力が入らず、というかリューさんに物理的に止められているために迫る刃を目で追うことしか出来ない。

が、しかし。

刃が2人を傷つけることはなかった。

 

「グボァッ?!?」

 

「えっ…?」

 

剣を握る男の手に、白く綺麗な拳が突き刺さり、圧倒的な力で無理やり押し返したのだ。

刀は幸い片刃だったため、押し返された刀がゴンッという鈍い音をしてぶつかった男の額は切れることなく、意識を奪い、泡を吹かせるだけにとどまった。

信じられない光景に目を白黒させながらその綺麗な拳の主を見上げると、星と月に照らされながら、いつもはほとんど表情を変えない彼女が、いつになくいたずらっぽい笑顔でこう告げた。

 

「私を守るというのなら、やって見なさい。ただし貴方にできるのなら、ですがね」

 

心臓がトクンと跳ねる。

その気持ちの名前を、少年はまだ知らなかった。

けれど、伝えずにはいられなかった。

これだけ強くて、優しいのに、あんな悲しそうな顔をしなくてはならなかったこの人に。

 

「俺、強くなりたいです」

 

「…はい。」

 

「強くなって、リューさんが二度と悲しそうな顔をしなくても良いように守れるような、英雄…に…」

 

どうやら魔力はとっくに枯渇していたらしく、緊張の糸が切れた瞬間意識が途絶えてしまった。

そんな彼の様子を見て、彼女は一言だけ誰にも聞かれぬように呟いて、せっかく切り整えられていたというのに乱れてしまった黒髪を優しく撫でた。



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Cなヒロイン

タンク。代表的な前衛職の一つで、その最も重要な役割は敵のヘイトを集め、攻撃を一身に引き受けて後衛職を守りきること。

故に一般的には耐久の値が重要視されがちだ。これは間違っていない。とはリヴェリアさんの弁。

うんうんと頷く俺に微笑み、『九魔姫』はただしと付け加えた。

 

「はァッ!」

 

身の丈よりも大きいのではないかというほどの大剣を豪快に振り回し、コボルトの群れを次々と灰塵へと変えていく。

「ただ硬いだけの石ころに、敵が釘付けになるはずがない。故にお前はパーティの誰よりも強く、誰よりも硬くならなくてはならない。全てのモンスターの脅威であり続けろ。それが仲間を守る最も効率の良い方法だ。」

そう語るリヴェリアさんが俺に与えてくれた武器(ちから)。それが身に余るほど巨大な大剣だった。

銘を黒風『ブラッド』。黒く巨大な刀身の真ん中に青い一筋の節が走った大剣。

どこにでもあるような、平均より少し質が良い位のなんの変哲も無い大剣だ。だ、のなだが何せ初めての武器であることもあり、しかもめちゃくちゃカッコ良いため買ってもらった日は興奮のあまり添い寝してしまい、起こしに来てくれたアマゾネスの先輩に悲鳴を上げられてしまった。

そのことを聞いたリヴェリアさんから有難いお説教を頂いてしまったのは言うまでも無い。

 

「ッ!気まぐれな足跡(ノブリ・ムーノ)!」

 

大剣による斬撃の網をかいくぐり、一匹のコボルトが俺の横を抜けて後ろに立つリヴェリアさんめがけ突撃していったのに反応して咄嗟に魔法を唱えリヴェリアさんを守り、困惑して立ち止まったコボルトを後ろから一太刀浴びせ魔石へと変える。

が、やはりステータス的にも魔法はまだ厳しいものがあり、また慣れない大剣の扱いにも苦戦して息が上がってしまう。

一瞬の意識の空白の後、ハッとして背後に殺気を感じバッと振り向くと、先ほどまでモンスターだった灰が思い切り顔にかかり、口に入ったものを吐き出そうと咳き込んでしまう。

涙を袖でぬぐい目を開くと、そこには残ったモンスターを軽々と蹴散らしていくベート先輩の背中があった。

 

「一撃ももらわずに立ち回れたのは約30分、か。5日目にしては上出来だな」

 

膝に手をつき、肩で息をする俺の前に歩いて来たリヴェリアさんが水を差し出してくれたのでお礼を言って受け取り喉を潤した。

30分というのは、タンクとして魔法使いを守りながら戦う事を想定した実戦で、コボルトから攻撃を受けずに耐久できた時間のことだ。

そもそも大剣を用いての戦い方では敵の攻撃を避けるのは難しく、リヴェリアの言う通り初めてダンジョンに潜って一週間足らずにしてはかなり優秀な結果なんだろう。

けれど脳裏にはずっとリューさんのあの拳が焼き付いていた。

一体どれだけの剣戟と修練を乗り越えればあれだけの力とその繊細な操作ができるようになると言うんだろう。

それはまるで、手を伸ばしても遠のいていく陽の光のように遥かなもので。

それでいて、どんなに走って逃げようと追いかけてくる月の光のように脳裏に焼き付いて離れない。

呪いのようだとも感じた。

けれど、それすらも今は嬉しかった。

だって、だって。

呪いを受けるだなんて、物語の中の英雄のようじゃないか…!

心臓がドクンと脈打つ度瞳と背中が熱を帯び、全身に力がみなぎる気がした。

 

「リヴェリアさん!先輩!もう一度お願いします!」

 

「フ、良いだろう。ベート!」

 

「チッ、これでラストだぞアホ猫ォ!」

 

そう言って、リヴェリアさんに指示されたベート先輩がダンジョン中を駆け回り、大量のモンスターたちを引き連れたまま入れ替わるようにして俺の後ろに着地した。

すれ違いざまに発された、せいぜい足掻いてみろ、という激励に頷き、大剣を両手で持ち上げモンスターの群れの中へと突っ込んでいく。

なるんだ…!リューさんを守れるくらい強くてカッコ良い、英雄に…!

 

 

 

「これが子の成長を見守る親の気持ちというやつなのかもしれんな」

 

普段の人当たりの良さからは想像できないほどの咆哮を上げながらゴブリン相手に大暴れする弟子の背中を見ながらそうこぼすリヴェリア。

 

「あァ?何言ってんだババア、気持ちわりィ。大体出会って一ヶ月も立ってねえだグフッ?!」

 

放っていれば目尻に涙でも浮かべそうな顔をしているリヴェリア(ママ)にドン引きし、隠し事のできない性格が災いして思った通りの感想を述べたベート。

案の定脳天にレベル6の腕力による鉄槌をくらい、口から空気が漏れる。

 

「何か言ったか?」

 

「な、なんでも…ねえよ…」

 

いずれ狂狼の二つ名を授かることになるベートだが、恐怖を抱かないわけではないのだ。

タイガのことが絡むとリヴェリアはやたらおっかなくなるとは同じく被害者のロキの弁だ。

尻尾をダランとしつつも横目でソワソワとタイガの様子を見守るベートを見てため息をつき、先週の夜のことを思いだす。

帰りの遅いタイガの帰りを待っているうちに心配でたまらなくなり、迎えに行こうと門を出てすぐ、タイガを背負ったエルフの女性と出くわした。

ぐっすり眠っているタイガを受け取り、訳を聞くと彼女を傍観から守って戦い、身の丈に合わない魔法の使い方をしたため、精神力の枯渇に陥り気を失ったようだ。

少し説教と、当分のダンジョンを禁止しなくてはなと思ったが、彼女が自分のためにしたことだからあまり責めないでほしいと懇願するために飲み込むこととしたのだった。

 

「なァババア。一つ言ってなかったことがある」

 

「…なんだ?」

 

「戦闘中、ほんの一瞬だけレベル2程度までステータスが引き上がっているような気がすンだ。そんなスキルって存在するもンなのか?」

 

ふむ、と指を顎に当て考える。

ロキから知らされているのは魔法の内容のみで、スキルのことは聞いていないが少なくとも言う必要のない、もしくは言うことが出来ないスキルが発現している可能性は否定できない。

彼女らの主神であるロキは、普段セクハラにイタズラとやりたい放題の駄女神といっても過言ではないが、子供達への愛は誰より強く、彼らを傷つけるようなことはしないと信じている。……まあ、タイガ達への愛は私も負けはしないがな。

兎に角、仮にそう言うスキルがあるのだとしても、探らない方が良いだろう。

 

「少なくともタイガにそのようなスキルは発現していないはずだ。」

 

「そォか。なら良い」

 

ベートはその粗暴な振る舞いのせいで、一見他者を顧みないただの戦闘狂のように見えるが、実際は誰より味方に優しく、味方のことを考えている男である。

おそらくは自分の言葉から同じような結論に至ったのだろう、それ以上の言及はしなかった。

 

「…バカゾネスども誘って下に潜るか」

 

もちろんタイガ自身将来が楽しみで仕方ないが、ベート達のような次の世代を担う者達にも着実に影響を与える彼の背中は、見る者が見ればもう英雄の気配が漂っているのだろうか。

願わくば、脇目も振らずただ強さのみを追い求める彼女にも、良い影響を与えてほしいものだ。

女神というものが身近過ぎるがために、何にと言われると困ってしまうがそう願わずにはいられなかった。

 

 

□◾️□◾️

 

 

「おはようございます!」

 

「シグ、おはようございます」

 

近々遠征があるらしく、その準備期間ということでリヴェリアさんとベート先輩はダンジョンには入れないので初めて1人で潜ることを許可された。

ただし慣れないうちは暗くなる前に帰って来いという、初めてのおつかいじみた勅命が降ったため、バックパックもそこまで大きい物ではなく、ミドルサイズのものをロキ様から借りて来た。

豊穣の女主人はダンジョンに通じる大通りにあるため、丁度店先で掃除をしていたリューさんに挨拶をする。

リヴェリアさんと先輩と一緒にダンジョンに向かう時に顔を合わせたことは何度かあったが、その時は会釈だけしていたので、こうしてダンジョンに潜る前に立ち止まって挨拶するのは初めてである。

 

「お、少年〜!今日も元気そうだニャ!」

 

俺の声を聞いて店から飛び出て来たのはアーニャさん。豊穣の女主人で働く茶髪の方の猫人の女性で、底抜けに明るい性格をしていて、まあその、 ……うん、明るい人だ。

 

「なんか失礼なこと思ってないかニャ?」

 

「2人とも〜、早くお店の準備を…あら?あ、あらやだもう…タイガきゅん…来るなら来るって言ってくれニャきゃ…」

 

こっちは黒髪のほうの猫人で、名前をクロエさんと言う。リューさん達同様豊穣の女主人で働く店員さんの1人だ。

こっちは基本的に良い人だし、何よりおバ…楽天的ではないが

 

「きょ、今日も可愛い…にゃ…うふふ…」

 

時々身の危険を感じるので若干近寄りがたい人だ。

クロエさんを見ながら口元をひきつらせる俺を見て何かを思い出したのか、リューさんはちょっと待っていてくださいと言うと、店の中へ戻っていってしまった。

 

「あっ…」

 

「ん〜?もしかしてリューお姉ちゃんがいないと寂しいのかニャ?」

 

「髪の色的にもリューより私の方がお姉ちゃんっぽいと思うんだけどニャ」

 

ちがうやい、あんたらの中に取り残されるのが恐ろしいだけです、とは口が裂けても言えず、あははと愛想笑いでなんとか乗り切ることを試みる。

 

「ね、ねえ。ちょっとだけ撫でても良い…?ちょっとだけだから…ふふ…」

 

「おぉー!良いニャ良いニャ!私もそのふわふわの髪触って見たかったニャ!」

 

か、勘弁して欲しいです。

なんて事言う暇もなく後ろから抱きつかれてしまい、背中から感じる柔らかい感触に真っ赤になってしまい抵抗する意思をゴソッと削がれる。

 

「も、もう好きにしてください…ニャ…」

 

観念した俺の言葉を満足げに聞き届けた後、交互に頭をガシガシと撫でられる事數十分。

困りきって半分魂が口から抜けた俺と、構わず撫でくりまわし続ける猫人2人をリューさんが止めてくれてようやく事態が収まった。

 

「全く…2人とも、撫でるのは良いですがシグのことも考えてくれなくては困る。怯えきっているではないですか。」

 

「猫…コワイ…お尻…掘られ…」

 

「にゃはは、ごめんなさいニャ〜!」

 

「ウフフ…ま、またねタイガ君」

 

止められはしたもののひとしきり満足したのか、2人はつやつやとした表情で存外素直にお店の中に戻っていった。

 

「た、助かりましたリューさん。ありがとうございます」

 

「……シグ、優しいのは美徳ですが思わせぶりな態度は良くない。」

 

「へ?」

 

「い、いえ。そんなことより、これを。」

 

俺から目をそらして何かをボソリと呟いたので、視界にこちらから入ってみせると一歩引かれてた後、胸に抱えていた巾着を手渡してくれた。

 

「これは…?」

 

「この髪留めのお礼ということで…お、お弁当…というものです。その、こういうものは不慣れなので…味は保証できませんが」

 

見るとリューさんの額には以前俺がリヴェリアさんと一緒に選んだ、緑色の宝石をあしらった主張の控えめな髪留めが朝日にきらめいている。

私服の傾向から、あまり派手なのは好まなさそうだと思い選んだのだが気に入ってくれているみたいで嬉しくなってしまう。少し照れくさかったけど、贈り物して良かったな。

 

「た、大切に保管しますっ!」

 

「いえ、出来るだけ迅速に食べてください」

 

嬉しさのあまり勢い余って口からこぼれてしまった戯言をクールに突っ込まれてしまい、顔から火が出そうだ。

な、何か言わなきゃ…

言葉を探しながら顔を真っ赤にしたまま固まっていると、リューさんはいつものように頭を撫でつつ身をかがめてこう耳打ちしてくれた。

 

「無事に帰ってこれたら、明日も作ります」

 

「はいっ!」

 

行ってきます!と手を振ると、小さく顔の横で手を振りながら頷いてくれたのを見届け、ダンジョンへ急いだ。

ご飯は頑張ったものほど美味しく感じるものってミアさんも言ってたな…!よし!

 

「今日は上層のゴブリンを全滅させるぞ!」

 

不純な動機で、無駄にスケールのでかい目標を思いつく小さな英雄なのであった。

 

 

◾️□◾️□

 

 

大剣の利点は主に三つ。

一つ、単純にリーチが長く、大抵のモンスターの間合いに入ることなく攻撃を当てられること。

二つ、腕力だけでなく、そこに武器自体の重さが加わることにより、一撃一撃の威力が高められること。

三つ、刀身の腹が広い分、盾代わりとして使い、敵の攻撃を安全に受けることが出来ること。

細かいことは他にもいくつかあるだろうが、何千回も夢中で振り続けるうちにたどり着いたのはこの三つだった。

タンクといえば盾と片手剣という装備がスタンダードらしいが、まだ体の出来上がっていない俺では盾を持ちながらの片手剣ではどうしても攻撃力が不十分な気がするので自分としてもリヴェリアさんの判断は正しいような気がする。

どちらにせよ武器の熟練度は0からだしな…

 

「てりゃァ!」

 

前方から飛びかかってきたゴブリン二体が攻撃に移る前に、横薙ぎ払いで首を切り落とし、灰へと変えた。

モンスターにも仲間意識があるのか、その様子を見て怒りを露わにするかのような咆哮を上げて襲いかかってくる一体もその攻撃が届く前に心臓のあたりを串刺しにして倒す。

 

「ふぅ…」

 

この一ヶ月間はベート先輩がかき集めてきたゴブリン地獄の中で戦っていたから攻撃を受けてしまっていたが、ダンジョンに自然に沸く程度なら問題なく狩り尽くせそうだ。

魔石を回収すると息を吐き、大剣を背中の鞘にしまうのではなく目の前の地面に突き刺し、そのまま地面に腰掛ける。

こうしておけばいつモンスターが現れてもすぐに戦えるのだとリヴェリアさんに教わったのをしっかりと覚えていた。

いつもに比べて倒した数は少ないので若干の不完全燃焼感は否めないが、いつもと違い助けてくれる人はいないので無理はしないことにして、本日のお楽しみ、リューさんのお弁当をいただくことにした。

ワクワクしながら唐草模様の風呂敷に包まれたお弁当をリュックから取り出す。

何を作ってくれたんだろう…!

風呂敷を開くと、そこにあったのはリューさんらしい、なんの変哲も無い清貧な感じの木箱……

 

……?

 

なんの変哲も無いお弁当箱って淵に血痕付いてたりするんだっけ…?する…よな

 

若干顔を引きつらせながら蓋を開くと、中身はなんの変哲も無いサンドイッチだった。

一切れとると、不恰好に切られたハムやキャベツがこれでもかとボリュームたっぷりパンに挟まっている。

なんだか、優しい味がする。

先輩に聞かれると大笑いされそうな独り言をつぶやいてみる。

ダンジョンから豊穣の女主人はそこまで遠いわけでは無いのだが、ふとした時にどうしようもないほど寂しくなることくらい、誰にだってあることだ。

そうったらそうなのだ。

一切れ目を食べ終わり、2切れ目に手を伸ばそうとした瞬間、お弁当の下の面と下に敷いている風呂敷の間に紙切れが挟まっているのを見つけ、指でつまんで引き出し広げてみる。

殴り書きで書かれているあたり急いで書いたようだが、ミアさんが書いたもののようだった。

 

「えーとなになに…何作っても炭にしちまうリューがあんたのためにお弁当作りたいって言ってきた時は驚いたさ。とりあえず私とあの子の親友とで出来る限り手を尽くすが、アンタも男ならあの子を傷つけるようなことはくれぐれも言うんじゃないよ。ちなみに弁当箱についてるのは具材を切る時に怪我したリューの血だ、安心しな。リューの怪我も、覚悟の上だったのか持参していたポーションで全快してるから心配しないこと。アンタはただ無事で帰ってきて、美味しかったといえばそれで良い……」

 

目頭がじぃんと暑くなるのを感じた。

リューさん…料理苦手だったのか…しかも俺なんかのために怪我してまで…

手紙にあったリューさんの親友というのは、度々リューさんの口から話題に上がっていたヒューマンの女性のことだろうか。

なんでも休業中だとかで俺が店でお世話になっている間は会うことがなかったので直接の知り合いでは無いが…サンドイッチで怪我をするリューさんに料理を教えるなら、今度菓子折りでも持ってお礼くらいはしておくべきだろうか。

残りのサンドイッチをゆっくりと味わい、思う存分長考した後、重い腰を上げて伸びをする。

 

「まあ、とりあえず今日は無事に帰ること!それが一番だな。うし、もうひと頑張りしてお礼代も稼いじゃうぞ!」

 

地に咥えさせていた相棒を引き抜き、二、三度素振りをすると、よりダンジョンの奥へと邁進して行く。

それが、のちの俺の運命を大きく変えてしまう一歩だとも気づかずに。

 

 

□◾️□◾️

 

 

「あれぇ…どこまで行っちゃったんだろう」

 

およそダンジョンに潜るとは思えぬ肌を露出した軽装と、それに似つかわしく無い身の丈ほどの体験を担いだアマゾネスの少女、ティオナはダンジョンの7階層にいた。

いつも英雄志望の黒髪少年と一緒にダンジョンに潜る…というよりお守りしているというベートの話では、普段なら彼は7階層くらいまでしか入らないと聞いていたのに、ここまですれ違うことはなかった。

恩恵を受けて一ヶ月のレベル1冒険者にしては、ソロでの7階層というのはそこそこ危険な場所。

リヴェリアの特別個人指導を受けているのならその危険はなおのこと身にしみているはず。

ここまで正規のルートを辿ってきたので、あるとすれば…

 

「迷子か、もっと下まで行っちゃったか、かなぁ。ちぇ、もうちょっと早く来るんだったなぁ」

 

遠征のメンバーではあるものの、普段から特に考えることもなく、準備といえば鍛冶屋に無理難題を吹っかける事くらいの彼女は、リヴェリアに言われてタイガの様子を見にきたのだ。1人でも問題ないと判断したのは彼女なのだが、それでも心配なものは心配なのだろう。

ダンジョンに潜ってなお余裕があるようであれば、大剣の手ほどきもしてやれと言われて自分が指名されたのも納得したし、何よりもともと彼には興味があった。

英雄(アルゴノゥト)。親が子に言い聞かせるような、なんの変哲も無い冒険譚。

彼女もまたそこに登場する強くてカッコ良い英雄に魅せられた少年少女の1人だった。

だが、大抵その熱というのは現実の厳しさ——それはモンスターの強さ、ステータスを上げることの難しさ、ダンジョンに挑むことの過酷さ、など多種多様に渡りいくらでもあるが——を身に受けるたび冷めて行き、彼女くらいの年齢になればほとんどの者は、たとえ屈強な冒険者であろうと過去を懐かしむような顔でその名(アルゴノゥト)を呼ぶのだ。

だが、彼は違った。自分よりもいくつかは年下だが、冒険者を志した理由を問われる度英雄になりたいと顔を赤らめて話していた。

英雄になりたい、その一心で郊外からはるばるオラリオまで訪れ、モンスターを前にしても折れることなく戦い続けている。

もちろんそれだけでは無いのかもしれないが、英雄(アルゴノゥト)の物語に焦がれた彼女は、少年の背中に密かな憧れを描いた。

アマゾネスの、“自分より弱い者に男としての魅力を感じない”という本能からそれが恋慕になることは無いが、頼まれずとも朝起こしに行くくらいには仲良くなりたいと思っている。

だから、彼の将来を見届けるために一刻も早く彼の安全を確かめなければと足を急がせた。

 

『異世界だと知ってはいたけれど、これでは命どころかただの仕込み人形なのだわ。』

 

——11階層の最奥にて、体長4mを越す階層主、インファントドラゴンを血まみれの虫の息にし、その背に墓標かのように大剣を突き刺して退屈そうに伸びをする少年の姿を見るまでは。

 

「た、タイ…ガ…?」

 

不安と違和感で震える声で、よく見知ったはずの少年の名を呼ぶ。

 

『……まあ、ぺったんこ。見られてしまったのね…』

 

「ぺ、ペペペったんこちゃうわ!」

 

例えるならふかふかのベッドから突然槍が生えてきたような

全く予期していなかった口撃にたじろぎ、どこぞのぺったんこ女神のような口調になってしまう。あの女神の胸を思い出すと、なんだかもうそうです私は貧乳です!と宣言しているような気すらしてしまうが、もうこの際自分に不利なことは言うまい。

これは乙女の聖戦だ、負けるわけにはいかない。

アマゾネスの闘争本能を刺激され、食い気味に口撃に転じる。

 

「そ、そそそういうタイガだっておっぱいないじゃん!!」

 

『…いや、男なのだからなくて当然だと思うのだけれど』

 

惨敗である。

信じられるだろうか。オラリオにおけるレベル差は絶大。

にも関わらずレベル1の少年のたった一言によって、見るに耐えないほどのダメージをレベル3の少女はその小さな胸に抱え膝をついた。

その瞳からは光が失われていた。

 

『……そ、その。言いすぎたのだわ。ごめんなさい。彼は小さい方が好みだと言っていたのだわ、元気を出してほしいですわ』

 

「ほ、ほんと?!…って、タイガ…?」

 

自らの需要があることを知り、希望に瞳を輝かせながら辺りを見回すも、あるのは魔石と灰の山のみ。

そこには人っ子一人いはしなかった。

 

「……まさかゴブリン…?」

 

『……そこまで性格悪くはないのだわ。私が体を借りている彼のこと』

 

「体を借りて…あれ?」

 

そこでようやく先ほどまでずっと感じていた違和感の正体に気づき、ドラゴンの上に立つ少年の顔を見上げる。

 

「瞳…金色だったっけ…?」

 

「グガァァァァ!!!!」

 

と、突然あたりに熱が蔓延する。

早く引かなきゃ…!そう走り出そうとした瞬間、景色が金色に染まり、一切の身動きが取れなくなる。

理解できずに強引に筋力でどうにかしようとした瞬間、遥か頭上から声が降ってきた。

 

『じっとしていた方が身の為なのだわ。』

 

その声で我に返り、ハッとする。

周りを覆い尽くす炎から熱を感じない…?

これはタイガの魔法…?

でもタイガの魔法はドーム状で、こんな体ぴったりに膜を張るみたいに使えるなんて…

次の瞬間、龍の断末魔とともに大量の血と灰が飛び散り、あたりに静寂が取り戻された。

 

「っと!」

 

立ち上がろうとした瞬間に固められていたため、突然解放されたため、体のバランスを崩し尻餅をつく。

 

『ここで見たこと聞いたことは私と貴方だけの秘密にしていてほしいのだわ。』

 

まるで塀から飛び降り身を翻した黒猫のように。

およそ体の何倍もある龍を殺した者とは思えないほど、優しくふわりと。

尻餅をつくティオナの前に着地してみせる。

そしてダンジョンの怪しい光に照らされながらお茶目に、妖精のようにいたずらっぽい笑顔でただし!と付け加えた。

 

『貴方の質問に出来るだけ答えてあげるのだわ。出来るだけ、ね?』

 

それはまるで冒険譚の始まりの一節のように。

少年の中には何かがいて、その何かを自分だけが知っている。

それだけで。

英雄に憧れた少女が秘密を守るには十分すぎるものだった。

 

 

□◾️□◾️

 

 

「あれ…俺は…」

 

「ん!起きた?おはよー!」

 

不思議な浮遊感に目を覚ます。まずはじめに感じたのは鼻をくすぐる髪の感触。

そしてすごい勢いで吹き付ける風だった。

 

「てぃ、ティティティオナしゃん?!」

 

ハッとし、自分の置かれている状況を瞬時に理解した。

ティオナさんの背に、背負われ、俺がもともと持っていたバッグはティオナさんが前に背負っていた。見覚えのない巨大な大剣と、俺の愛剣もしっかりと抱えられており、風に吹かれてかちゃかちゃと音を立てていた。

 

「そうそう、やっぱり君はそれが君だよねっ!」

 

「な、何をっ?!うわあぁあぁ?!」

 

「なんでもなーい!」

 

よく意味のわからないことを言って満面の笑みを背中越しに向けるティオナさんに詳しく聞こうとするも、さらに吹き抜ける突風に語彙を失った。

下を見て、愕然とする。ティオナさんは空を駆けていた。

いや、違う。

正しくはレベル3の脚力によって建物の屋根を伝い、疾走していた。

先ほどの突風は、気まぐれでティオナさんが飛び上がったからだったんだ。

 

「ねえ!タイガー!」

 

「なんっ、ですか!ティオナさん!」

 

風に邪魔されながらも、なんとか声を張り上げる。

月が、すぐ近くにあった。

手を伸ばせば届きそうな金色。

普段は歩くのに一生懸命で、目に入らなかったせいで。

いや、見ようとしなかったせいで気付かなかった星々は、明るさも色もまちまちで、けれど確かに輝いていた。

暗い紫のキャンパスに、気ままに撒かれた光の中で。

 

英雄に憧れた少女は、英雄を目指す少年に笑顔を向けた。

 

「もし英雄になれたら、タイガは何がしたいの?」

 

「それ…は」

 

「答えなくて良いよっ!」

 

「えぇ?!」

 

「けど約束して!パーティメンバーが見つかるまでは、やっぱり私とダンジョンにいこ!…だってさ!」

 

ストン、と地面に着地し、タイガを背から下ろすと、バッグを背負い直して今度は右手を目の前に差し出してきた。

な、何を…?

理解できずにオロオロしていると、ティオナさんは無理やり俺の左手を取って固く結んだ。

 

「だって英雄には、可愛いヒロインがつきものだもんね!」

 

あーあ。夕方に戻る約束だったのになぁ。

こうなったら何とかしてティオナさんにも一緒に怒られてもらおう、うん、そうしよう。

 

あんな冗談みたいで、格好のつかないセリフを、大真面目に可憐な笑顔で。

そのくせにどこか不安そうな表情で言うものだから、俺は夜の帳に頰の朱色を隠すしか無くなるのだった。




閲覧お気に入り励みになります!ありがとうです!
書きたいシーンが先すぎて、□◾️□◾️多めでしたがこれからはじっくり書くので文量増えると思います、
拙い文章ですが俺からもおつきあいよろしくどうぞです…!


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