異界転生譚 シールド・アンド・マジック (長串望)
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第一章 シールド・アンド・マジック
第一話 異界転生


 眠い。

 とにかく眠かった。

 夢も見ないほどに深い深い眠りの中で、古槍(ふるやり) 紙月(しづき)は意識が攪拌(かくはん)されるような揺れを感じていた。

 

「――て!」

 

 揺れ自体は、慣れたものだった。通学に用いる中古車はぎいぎいぎしぎし、よくまあ車検に通るものだという、いい加減死にかけの溜息を洩らしながら頑張ってくれたし、その頑張りを追い詰めるように通学路はせまくうねる山道だった。

 

「お――!」

 

 なんなら安いからというそれだけの理由で借りているアパートは、幹線道路沿いで往来が激しく、深夜には大型トラックが走るもので、慣れないうちは随分この()()()になやまされたものだった。しかし今となると、人間とは慣れる生き物だというありがたくもない言葉の通り、揺りかごの優しいリズム程度にしか感じやしない。

 

「―き―!」

 

 ああ、だがそれにしても、その揺れは随分慣れない揺れだった。

 直接紙月の体を抱き上げて、右へ左へ上へ下へ、こちらの都合などまるで気にした風でもない乱暴な揺れだった。

 それにこの甲高い音は、耳に酷く響いた。

 

「なん……だ……?」

「おきて!」

「なん……?」

「起きてったら!」

 

 そう、それは、確かに紙月の覚醒を促そうとする声だった。

 紙月を叩きこそうとする声だった。

 だが紙月にはその声に聞き覚えがない。

 

「起きて起きて起きてー!」

 

 なんだっただろうか。

 今日は日曜日で講義もないし、レポートはすべて終わらせてある。

 遊びに行くような友達連中は生憎と卒業論文と就活で忙しいはずだった。

 

「お願いだから起きてー!」

 

 卒業論文を一人手早く終わらせてしまい、就職先に関しても決まらなければうちで拾ってやるという親戚の内定があり、どこか緊張感に欠ける――友達連中に言わせれば「薄情者の裏切り者」であるところの紙月を、この何でもない日曜日に叩き起こそうなんて。

 

「起きて、()()()()()()()!」

 

 だから、そう、それは紙月を呼ぶ声ではなかった。

 それは老舗MMORPGである《エンズビル・オンライン》の世界を股にかけて冒険するトッププレイヤー、ペイパームーンを呼ぶ声だった。

 現実ではついぞ音として聞いたことのないそのハンドルネームの響きに、紙月はのっそりと顔を上げた。

 

「あ、起きた! よかったー!」

「なん……なに? ……寝落ちしてた……?」

「あ、まだ起きてないっぽい! でもいいや、早く助けて!」

 

 助けて?

 紙月にはわからない。

 頭がぐらぐらする。二日酔いとか、寝不足からじゃない、物理的に頭がぐらぐら揺れていて現状が把握できない。

 わからないなら、呟きは一つだった。

 

()()()()

「スイッチ入ったね! 不明Mob(モブ)二十、五かな、二十五体! 危険度小だけど、対応を乞う!」

 

 不明Mobだって?

 紙月はぐらぐらする頭をひねった。新規Mobの登場はしばらく聞いていないし、最近は狩場も安定していてレアMobだって馴染み顔になってしまったくらいだ。

 どんな奴だ?

 紙月は揺れる視界の中でディスプレイの灯りを探したが、どうにも見慣れた画面が見えない。

 

「ど、んな、やつだ?」

()()()()()

 

 答えはシンプルだった。

 ぐるん、と視点が急に切り替わり、暗かった視界が緑一面の明るい世界に移り変わる。

 そしてそこにいたのは、汚らしい乱杭歯をむき出しに吠え立てる、緑色の小人たちだった。

 

「……はあ?」

 

 小人と言っても可愛らしいものではなく、よくて獣の毛皮を腰に巻き、ほとんどは薄汚れた全裸の()()()()()()()()どもで、そしてそれがみんな手に手に粗末な武器をもってこちらに吠え掛かっているのだ。

 

「取り敢えず今は《盾の結界(シールドケージ)》で防いでるけど、効果が切れたら一斉に押し寄せてくるよ」

「ダメージは?」

「全然。でもペイパームーンは一度に喰らったら死んじゃうかも」

 

 意味が分からない。

 紙月のプレイしていた《エンズビル・オンライン》は、低スペックなPCでも問題なくプレイできることが売りの一つでもある老舗のMMORPGであって、まかり間違っても近未来な没入型VRMMORPGなどではなかったはずだ。

 専門用語を使わずに言えば、昔ながらの画面に向かってピコピコするゲームであって、ゲームの中に入り込むようなSFじみたゲームではなかったはずだ。

 

 だがわからないなりに、夢現な脳にゲーム用語で平然と語りかけられれば、そういうものなんだろうかと思い始めもする。そう、それは夢の中でとんでもない無茶ぶりが平然と当たり前のものとして扱われるような、そんな感覚だった。

 

「ゴブリン、っぽいな」

「見た目はね。こんなリアルなの見たことないけど」

「まあ、多分無属性の雑魚だろ。そうであってくれ」

「なにに祈る?」

「今日は空飛ぶスパゲッティモンスターにでも」

 

 いつも通りの下らない戯言を、いつも通りのチャットではなく肉声でかわして、紙月はようやく自分を抱き上げる何者かをちらりと見上げた。

 それはこのくそったれなリアル・ファンタジー世界に実によく似合った、白銀の甲冑だった。

 そしてそのビジュアルは、これがゲームならば紙月が他の誰よりも信頼する姿だった。

 

「わかった。いつものでいこう。シールド維持。前進。囲ませろ」

「オーケイ。派手に行こうか、ペイパームーン」

「そうだな、()()()()

 

 そう、それが紙月の、ペイパームーンの相棒の名前だった。

 

 紙月は子供のころピアニストになることを勧められ、そして途中で飽きて楽器を転々としてきた細い指を持ち上げ、一番馴染んだスタイルに置いた。つまり、一周回ってある意味戻ってきた、()()()()()の位置に。

 

 ショートカットリストは変わっていない。ショートカットキーの配置は覚えている。

 ファンタジーが当たり前の顔で出てくる夢ならば、そうだというならば、()()も当然のように使えてしかるはずだった。

 

「《火球(ファイア・ボール)》……」

 

 ぼ、とバスケットボールほどの火球が空に燃え上がる。火の匂いまで感じるほどのリアルな夢。

 紙月は知らず笑っていた。だってそこには、あれほどまでに見たいと望んでいた光景があるのだから。

 

 本来一つずつしか使用することのできない《技能(スキル)》を同時に複数使用することができるようになる《特性(アビリティ)》である《多重詠唱(マルチキャスト)》。

 熟練のプレイヤーでも《二重詠唱(ダブルキャスト)》か《三重詠唱(トリプルキャスト)》程度しか割り振らない、というより、限られたポイントの制限上割り振ることができない、特殊な《特性(アビリティ)》。

 

 紙月は、そこに夢を見た。

 

 火球は、紙月の指が想像のキーボード上の想像のショートカットキーを押すたびに増えていく。

 一つだけだった火球が二つに増え、三つに増え、紙月はイメージのままにショートカットキーをなぞっていく。

 それにつられて火球が増える。

 キーを叩くたびに火球が増える。

 

 そのあまりの火勢に、猪突猛進といった様子だったゴブリンどももさすがに面喰い、空を舞う火球を見上げてざわめき始める。だが遅い。もう遅い。もうロックオンは済んでいるのだ。

 左手がショートカットキーを叩くのと同時に、右手はゴブリンどもを指さして()()()()しては捕捉(ロック)している。

 

 そうしてショートカットキーを叩き終えた時、見上げる空は炎に包まれていた。

 

「……わーお」

「くふっ、くふふふふふっ、見ろ、処理落ちしないぞ!」

「空は落ちてきそうだけどね」

 

 それを単純に杞憂とは呼べない程の光景だった。

 

 紙月がいっそ優しくと言えるほど柔らかくショートカットキーを叩いた数だけ、火球が空を覆っていた。

 

 火球が、火球が、火球が、火球が、火球が、火球が、火球が、火球が、火球が、火球が、火球が、火球が、火球が、火球が、火球が、火球が、火球が、火球が、火球が、火球が、火球が、火球が、火球が、火球が、火球が、二十五個の火球が空を焦がしていた。

 

「夢にまで見たラグなし、フルエフェクト! しかもこんなリアルな!」

「あ、駄目な奴だこれ」

 

 ゴブリンどもは遅まきながらに逃げの一手を選択していた。しかし、やはり、遅すぎる。

 

 最下級呪文である《火球(ファイア・ボール)》の詠唱時間は、最大レベルであるトッププレイヤーの紙月からすればゼロに等しい。それをわざわざ《遅延術式(ディレイ・マジック)》で発射を抑えたのは、単にこの光景を見たかったという、紙月の悪癖のためでしかない。

 

 それさえ観終わったのならば、さあ、次は決まっている。

 

「イグニッション!」

 

 紙月の指先が想像のキーを叩くと同時に、二十五の火球が、二十五のゴブリンに降り注いだ。




用語解説

・用語解説

・異界転生譚シールド・アンド・マジック
 いかいてんしょうたん と読む。

古槍(ふるやり) 紙月(しづき)
 主人公その一。二十二歳。大学生。男性。趣味は資格取得。
 老舗MMORPGではレア種族であるハイエルフの女《魔術師(キャスター)》をプレイキャラクターとして使用していた。
 ハンドルネームは「ペイパームーン」。

・ペイパームーン
 紙月の使用するハンドルネーム及び《エンズビル・オンライン》のゲーム内キャラクター。
 抽選でのみ登録できるレア種族であるハイエルフの女性《魔術師(キャスター)》。
 もっぱら砲台役に専念し、防御はすべて相方のMETOに任せていた。

・MMORPG
 Massively Multiplayer Online Role-Playing Game(マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン・ロール・プレイング・ゲーム)の略。大規模多人数同時参加型オンラインRPGなどと訳される。

・《エンズビル・オンライン》
 紙月のプレイしていた老舗のMMORPG。

・Mob
 語源は諸説あるが、基本的に敵のことを指している。

・《盾の結界(シールドケージ)
 《楯騎士(シールダー)》の代表的な《技能(スキル)》。
 低レベルのMobや攻撃を弾く不可視の結界を自分とその周囲の味方に張り巡らせる。《技能(スキル)》レベルを上げれば、移動速度は低下するものの、結界を張ったまま移動できるようになる。
『《楯騎士(シールダー)》たるものまずもって守りこそが肝要である。味方を守れずして《楯騎士(シールダー)》は名乗れない。まあ《楯騎士(シールダー)》の死因の六割は味方の誤射だが』

・ゴブリン
 現地での呼び名は「小鬼(オグレート)(ogreto)」。
 小柄な魔獣。人族の子供程度の体長だが、簡単な道具を扱う知恵があり、群れで行動する。環境による変化の大きな魔獣で、人里との付き合いの長い群れでは簡単な人語を解するものも出てくるという。

・空飛ぶスパゲッティモンスター
 空飛ぶスパゲッティ・モンスター教。
 実在し、オランダでは宗教団体として認可の下りた列記とした宗教。
 そもそもは、「知性ある何か」によって生命や宇宙の精妙なシステムが設計されたとする「インテリジェント・デザイン説」を公教育に持ち込むことを批判するために創始したパロディ宗教。

・METO
 メト、と読む。
 MMORPG 《エンズビル・オンライン》でペイパームーンとパーティを組んでいたプレイヤー及びそのハンドルネーム。
 《楯騎士(シールダー)》と呼ばれる、攻撃手段が極めて乏しい代わりに非常に優れた防御能力を持つ特殊な《職業(ジョブ)》。
 もっぱらペイパームーンの護衛をしており、砲台役のペイパームーンと合わせて「無敵要塞」と呼ばれていた。

・ショートカットキー
 いちいちメニューを開いてスキルを選んで相手を選択して、という煩雑さを回避するために、多くのゲームがそうであるように、《エンズビル・オンライン》においても、キーボードのキーそれぞれにスキルやアイテムなどを設定し、そのキーを押すだけで使用できるシステムが存在した。
 これをショートカットと呼び、その割り振られたキーをショートカットキーと呼ぶ。
 《エンズビル・オンライン》においては四行九列合わせて三十六個のショートカットを設定でき、またこのショートカットの組み合わせを記録して、いくつかのリストとして保存できた。

・《火球(ファイア・ボール)
 《魔術師(キャスター)》やその系列の《職業(ジョブ)》が最初に覚えると言っても過言ではない、最初等の《技能(スキル)》。
 火球を生み出し相手にぶつけるというシンプルな魔法で、《技能(スキル)》レベルを最大まで鍛えたところであまり得のない、本当に初期スキル。
 ただし、レベル九十九まで鍛えられた《魔術師(キャスター)》が使えば、いくら最初等の《技能(スキル)》でも、生半な防御では耐えられないだろう。
『最初に覚える魔法はいつだってこれと決まっておる。単純故に応用が利くし、火の危険性から魔法の危うさを体感的にも学べる。それに、なにより、格好いいじゃろ?』

・《技能(スキル)
 《SP(スキルポイント)》を消費して使用する特殊な行動。魔法や威力の高い攻撃などの他に、《職業(ジョブ)》ごとに特色のある《技能(スキル)》が存在する。一部のイベントやMobには特定の《技能(スキル)》がなければ攻略が困難または全くできないものも存在する。

・《特性(アビリティ)
 《技能(スキル)》が能動的なものだとすれば、《特性(アビリティ)》は受動的、自動的なものだ。選んで使用するわけではなく、覚えているだけで必要な場面で自動的に効果を発揮してくれる。勿論、《SP(スキルポイント)》など、発動するのに必要な条件がそろっていればだが。

多重詠唱(マルチキャスト)
 《魔術師(キャスター)》系列の覚える《特性(アビリティ)》の一つ。
 ふつうは《技能(スキル)》は一度に一つしか使えず、連続して使用するにも決められた《詠唱時間(キャストタイム)》や、再度使用するまでのクールタイムである《待機時間(リキャストタイム)》が存在する。
 しかしこの《特性(アビリティ)》を覚えると、一度に複数のスキルを同時に使用することができるようになる。攻撃しながら回復、また単体魔法を複数の敵に対して使用、とにかく火力を注ぎこみたい、などの利用法があるだろう。
 とはいえ《技能(スキル)》に割り振れるポイントには限りがあり、多重詠唱(マルチキャスト)は同時に使用したいスキルの数だけ取得しなければならないため、精々二つか三つがまともに運用できる限度のようだ。
 まかり間違っても最大数である三十六個を埋める奴はそうそういない。
『時間には限りがある。わしらの手にも限りがある。だから効率よく使うには工夫がいるな。口で詠唱しながら右手で魔法陣をかけ。左手はどうした。何なら指ごとに違ってもいいぞい。おぬし自身が魔法となるのだ! わし? わしはゆっくりでいいわい』

・処理落ち
 コンピューター、この場合はゲーム上で、何らかの要因で処理が遅れたり、停止してしまうこと。
 入力が多すぎたり、描画が膨大であったりする場合に、動作が遅延したり、画面がちらついたりする。

・ラグ
 ゲームなどで、処理が遅れてしまうこと。処理落ちのこと。

・フルエフェクト
 《エンズビル・オンライン》においては、PCの処理能力の引くさなどから描画が間に合わず処理落ちする事例が多々あった。
 そのため、攻撃時のエフェクトや《技能(スキル)》のエフェクトなどを任意でオン・オフできるようになっていた。

・《遅延術式(ディレイ・マジック)
 《魔術師(キャスター)》系列の覚える《特性(アビリティ)》の一つ。
 《技能(スキル)》を選択し、《詠唱時間(キャストタイム)》が終了した段階で一時的に《技能(スキル)》の発動を停止させる。これによって好きなタイミングで、しかも即座にスキルを発動できるようになり、ボス戦の前に大技を貯めておくなどということができる。
 処理の関係から多重詠唱(マルチキャスト)と併用してしまうが、まさか三十六個フルで使用するプレイヤーがいるとは思わずそのままの仕様で世に出てしまった。
『何事も速いばかりがいいことではない。時にはゆっくりと時を重ねることも、え? なに? 講演の時間? こういうときに役立つ魔法がないもんかねえ』


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第二話 自己紹介

前回のあらすじ
・ゲームの体で異世界に転生したらしい
・ゲーム内ではない本当の異世界らしい
・でも、一人じゃないらしい


 古槍紙月が、これが夢ではない、ということがよくよく身にしみてわかったのは、体中の体液という体液を胃液に変換して吐き出してしまったのではないかと思う位に吐き戻した後のことだった。

 

「だ、大丈夫、ペイパームーン」

「だ、大丈夫だ……ってか、お前は大丈夫なのか?」

「ぼくは、なんていうか、鎧の中だし、ちょっと現実感なくて」

「羨ましいような、羨ましくないような、だな」

 

 要は早めに慣れるか、後から慣れるかの違いだろう。

 背中を撫でさすってくれるMETOのごつごつとした甲冑越しの手に、紙月はようやく落ち着きを取り戻してきた。

 

 とはいえ、まだ深呼吸はしたくない。

 なにしろ周囲にはまだ嘔吐の原因となったものが散らばっているのだから。

 

「ゲームなら……アイテムドロップして消えてくれるんだけど」

「ゲームじゃあないよ。ペイパームーンが起きるまで、散々試したもん」

 

 そっと見回せば、辺りにはこんがりと焼けた木炭のようなものがいくつも転がっていた。

 もちろん、それらは木炭などではない。

 焼肉屋のようないわゆる()()()()()()()()を漂わせるそれは、紙月の放った《火球(ファイア・ボール)》二十五発で瞬時に黒焦げにされた二十五体のゴブリンどものなきがらだった。

 

 周囲に延焼する間もなく瞬間的な高熱で焼き上げられた死体は、ところによりミディアム・レアといった焼き加減で、いっそのことすっかり炭になってくれていればもうすこしばかり胃に優しい仕上がりだったのだが。

 

「……本当にうずくまるんだな」

 

 焼死体は筋肉が焼ける時の都合で内側にうずくまるような、いわゆる胎児のポーズをとると聞いたことがあるが、まさか異世界ファンタジー王道のゴブリンでそれをお目にかかるとは思いもしなかった紙月である。

 思えばこんなにもいかにも死体そのものと言った露骨な死体と顔を合わせるのも初めてだ。

 

「大丈夫? 落ち着いた?」

「おう、大丈夫……あー、METO、でいいんだよな」

「そうだよ」

 

 見上げる先の白銀の甲冑に、紙月はどうにも違和感を隠しきれなかった。

 紙月の身長が百七十センチメートル程だから、この甲冑は二メートル近いことになる。多少()()()()していたとしても、大きくは変わらないだろう。

 

 それにもかかわらず、その声はえらく甲高いのである。

 

「……女?」

「男だよ! ……男の子、かな?」

「もしかして、子供なのか?」

「うう……一応、小学生。六年だよ」

「近頃の小学生は発育いいなオイ」

「こんなにでっかくないよ!」

 

 さすがの紙月もそこまでぼけてはいないが、しかし大鎧から子供の声がするというのはどうにも落ち着かないものがあった。

 

「そういうアニメがあったような気もするが……まあいいや。脱げるのか?」

「どうだろう。脱げても着れなかったら怖いから、試してないんだ」

 

 正論である。

 その状態でできることを試しながら、かつ紙月を守ってくれていたのだというのだから、できた小学生である。

 

「よし、じゃあ今は俺もいるし、ちょっと脱いでみようぜ」

「そうだね。いまなら安全だろうし」

「つっても、一人で脱げるのか?」

「メニューが開けたから、ゲームと同じ感覚で外せると思う」

 

 そりゃよかった、というのが紙月の正直な所だった。それは、勿論手伝いはするつもりだったが、さすがに本物の――いや、本物なのか?――とにかく、甲冑の脱がせ方など知らないのだから。

 

「装備を選択して、解除、と」

 

 かち、とクリック音がして、鎧はぱしぱしと端から外れながら、どこかへと消えていく。恐らくインベントリ内に引っ込んでいるのだろうが、中身が小さいせいか、紙月から見ると頼りの相棒が指先から順にスライスされている猟奇的な現場に見えてしまう。

 

 しかしそれもすぐに終わり、巨大な甲冑が消えた代わりに、そこには軍服のような詰襟を小さいながらに着こなした、小柄な体躯が佇んでいた。いや、小柄と言っても、小学六年生という自己申告からすれば妥当なのだろうか。

 

「……よくそんな小さな体で、あんなでかいの動かせたな」

「鎧を着てるときは、自然と動けたんだよね」

「そういうもんか」

「そういうもん」

 

 深く考えるよりは、全てにおいて程々に、そういうものだという思考でいた方が精神衛生上よろしいのかもしれない。紙月がそのようにぼんやり考えていると、METOは不安げに見上げてくる。

 

「け、敬語とかの方が、よかったかな、ですか?」

 

 ああ、そういうことか、と紙月はおかしくなると同時に、こんな小さな子供を不安がらせている自分のいたらなさにげんなりした。

 こんなどことも知れない森の中で、年上の人間を担いで化け物から逃げ回り、そして死体の山を見ることになって、心細いのはどちらだというのだ。

 

 紙月は適当な木陰に腰を下ろし、METOにも勧めた。

 おずおずと腰を下ろすMETOに、紙月は頭をガシガシとかいて、少し言葉をまとめた。

 

「なあMETO。いまさらそんな寂しいこと言うなよ。俺達はそれなりに長いこと相棒やってきたんじゃないか」

「そ、そうかな」

「それにいまだって俺のこと、助けてくれてただろ」

「それは、まあ」

「こんなわけのわからないところで、わけのわからないことになって、いまさらそんな小さなこと言ってる場合でもねえや」

「うん、じゃあ、その」

「おっと、でもペイパームーンは止めてくれ」

 

 急に止められて、METOはきょとんと見上げてくる。その無垢な視線がなんだか気恥ずかしくなって、帽子を目深にかぶった。《魔術師(キャスター)》の装備らしいとんがり帽子が、いまはちょうどよかった。

 

「いや、ゲームの中じゃあいいんだけどよ、こうして顔合わせてハンネで呼ばれると、妙な気恥しさがな」

「じゃあ、なんて呼べばいいかな」

「紙の月で紙月。しづきでいいよ。古槍紙月。大学生だ」

「う、うん、よろしく、紙月」

「で?」

「え?」

「お前だよ。いつまでも名前もわからねえ素性も知れねえじゃ、ちょっと落ち着かねえや」

「あ、そうか。ごめん。えっと、ぼくは未来。江藤未来」

「ミライ・エトーでM・ETOか。シンプルだな」

「それ言ったら、紙月だって直訳じゃないか」

「お、わかるのか」

「今どきの小学生は英語くらいできるもんだよ」

「若い頃から大変だねえ」

「そんな年より臭いこと言って」

 

 話しているうちに段々と、未来は小学生の子供らしい素直さを取り戻していったように思えた。

 最初は背筋も伸び、大人びた物言いを心掛けていたようだったが、すぐにどこか甘えたなところのある、子供じみた色を見せるようになった。

 

「ねえ、紙月」

「なんだ?」

「その、答えづらいことだったらいいんだけど」

「なんだよ相棒、気兼ねすんなって」

「じゃあ、そのさ……紙月って、その、()()()なの?」

()()()ってなんだよ」

「その……男の人なの? 女の人なの?」

 

 しかしさすがにこの質問は大人びているとか子供じみているというものではなかった。

 ぎょっとして、紙月はまじまじとこの幼い相棒の顔を見つめてしまった。小さな子供のころならいざ知らず、この年になって性別を聞かれるとは思わなかった。

 

「わかんねえのか?」

「あー……どっちにも見える」

「どっちにもっつったって……」

 

 ふと気づいて、紙月は相方の小さな体を見下ろしてみた。

 軍服のような詰襟は、いくらか派手だが小学校の制服と言えなくもない。

 しかし……。

 

「お前、確かキャラの種族は獣人だったよな」

「え? うん、そうだけど……」

「尻尾生えてる」

「嘘っ!?」

 

 驚いた拍子に、未来の髪の毛が跳ねた。いや、正確にはそれも違う。

 

「これ……耳か?」

 

 獣の、それこそ犬のようなしっぽが腰からは伸び、髪の束かと思っていたのは獣の耳である。

 獣の特徴を持った人型というのは、《エンズビル・オンライン》における獣人という種族の特徴だった。もしゲーム内のキャラクターの特徴が、今の体に適応されているとなれば。

 

「おいおい……まさか」

 

 そのまさかであった。

 

 紙月がゲーム内で使用していたキャラクターは、抽選でしか登録できないハイエルフという、魔法に秀でるが体力の低い種族であった。その特徴が反映されているらしく、耳は笹穂のように鋭く伸び、手足は以前よりほっそりと、はっきり言って弱々しくさえある。

 そして何より。

 

「女、物……」

 

 ゲーム内ビジュアルが女性の方がかわいいというそれだけの理由で選択した過去の自分を恨みながら、紙月は黒のビスチェ・ドレスに身を包んだ自分を見下ろすのだった。




用語解説

・それなりに長いこと
 実際には一年ほどだが、それでも一年も同じゲームで遊べば付き合いは十分と言えるのではないだろうか。

・《魔術師(キャスター)
 ゲーム内の《職業(ジョブ)》のひとつ。
 物理攻撃は得意ではないが、多種多様な属性をもつ魔法攻撃を得意とする他、特殊な効果の魔法を覚えるなど、使用者のプレイヤースキルが試される非常に幅広い選択肢を持つ《職業(ジョブ)》。

・江藤未来
 主人公その二。十一歳。小学六年生。男性。趣味はMMORPG。
 ゲーム内では人間族より体力面で優遇された獣人の《楯騎士(シールダー)》を使用していた。
 ハンドルネームは「METO」。


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第三話 第一村人

前回のあらすじ
まさかの女装大学生というキャラクター付けがなされてしまった紙月。
おまけに相方はいたいけな小学生。
事案だ。


 これを幸いにもと言うべきか、それとも不幸にもと言うべきか、紙月の肉体はかつての紙月としての特徴をしっかりと中心に保っていた。

 つまり、あえて俗な言い方をすれば、ブツはまだ付いていた。

 

「よかった、のか、良くねえのか……」

 

 素直に女性の体になっていれば服装に困ることもなかったが、しかし二十二年間付き合ってきた男性としての体と一瞬でお別れする羽目になってまともにアイデンティティを保つことができたのか、紙月にはいささか自信がなかった。

 

「そ、その、男物の装備って持ってなかったっけ?」

「ねえなあ……効果の高い専用装備って性別限定物ばっかりだったからなあ」

 

 もう少し《エンズビル・オンライン》がジェンダーに関して融通の利くゲームであればよかったのだが、そこはそこ、性別であれ種族であれ、限定という響きをプレイヤー自身が望んでいたのだから致し方がない。

 

 いま紙月が見下ろした限り、その装備は直前のプレイ内容を忠実に再現しているようだった。

 

 頭にかぶっているいかにもと言ったとんがり帽子は《SP(スキルポイント)》の消費を大幅に抑える《魔女の証明》であるし、履きなれずふらつくピンヒールは《特権階級》といって、移動速度と引き換えに《SP(スキルポイント)》の自然回復速度を大幅に底上げする装備だ。

 ワンピース型、というよりは、分類としてはビスチェドレスになるのだろうか、肩と背中を大胆にさらすドレスは《宵闇のビスチェ》といって魔法防御力を大いに上げる効果がある。

 左手の小指に嵌められた細身ながらも細かな装飾のなされた指輪は、《悪魔のエンゲージ》といって、魔法攻撃力をかなり引き上げる指輪型の武器だ。殴ればそれなりのダメージも与えられる。はずだ。

 

 未来に言われて気付いたが、唇には黒のリップが塗られていて、これはアクセサリーの一種である《アモール・ノワール》だろうと思われた。《詠唱時間(キャストタイム)》と《待機時間(リキャストタイム)》を短縮し、戦闘を有利に運ぶ効果がある。

 

 他にもいくつかのアクセサリーなどを確認し、そして出た結論が、これを着替えるわけにはいかないということだった。

 

「汎用性で言ったらこれの他にないんだよなあ……」

 

 それこそそのままパーティにでも出れそうな格好ではあるが、何しろゲーム内で、戦闘を前提として組んだ装備である。ある程度どこにでも行けるように汎用性が高いのは確かだが、これ一揃いでゲーム内の稼ぎがあっという間に吹き飛ぶだろういわゆる「ガチ」の装備である。

 何が起こるのか、そもそも何が起こったのか全く分かっていない現状、おいそれと着替えるわけにもいかない。

 

 一応そう念じればステータス・メニューが開けたし、インベントリから他の装備も探せたのだが、どれも女性もので、物によってはもっと露出度が高かったり、変に悪目立ちするようなものばかりで、黒尽くめの現状が一番ましと言えばましだった。

 

「その点、未来はいいよなあ」

「まあ、鎧の下が全裸でないのは助かったけど」

 

 そういう未来は、すでに最初のように白銀の甲冑に身を包んでいた。

 何があるかわからない以上あまり無防備に身をさらしているのは得策ではないし、なにより小さい体よりも大きな体の方ができることは多い。

 

 例えば。

 

「……運ぼっか?」

「……かたじけねえ」

 

 慣れないピンヒールで早々に足を痛めかけている相方を抱き上げて運ぶなどだ。

 

「小学生に抱き上げられる経験があるとは思わなかった」

「ぼくも大学生を抱き上げるって夢にも思わなかったよ」

 

 とはいえ、見た目には白銀の騎士がほっそりとした淑女を抱き上げているという、それなりには見えそうな絵面ではある。中身が男子小学生と男子大学生であることをのぞけば。

 

 ある種、ジェンダー観に対するPR活動のような奇妙な姿で、二人はしばらく森の中を彷徨った。

 

 森の中で迷ったら迂闊に動いてはいけないとは言うが、そもそもどうやってここに来たのかもわからないうえに、先程は謎の集団に襲われまでしている。一所に座していたところで助けが来る保証もなし、こうして動き回るのもやむなしである。

 などということをいちいち考えていたわけではなく、とりあえず行こっか、と全く頭の軽い出発ではあったが。

 

 

 

 一時間かそこら、簡単な自己紹介の他、話す話題も尽きて、思いつく限りの疑問もすべてなんなんだろうねで終わってしまい、しりとりになど興じ始めたころ、二人はようやくにして森が途切れ始めることを知った。

 

「お。林くらいにはなってきたか」

「まばらになってきたね。あ、あれ煙じゃない?」

「ホントだ。人がいるのかね」

「さっきのゴブリンだったり」

 

 などとのんきなことが言えたのはそのあたりまでで、実際に煙に近づいてその物々しさを知るにつれて、二人は顔を見合わせるのだった。

 

 二人がそこに辿り着いたのは、日の傾き具合から言って昼頃のことだったが、森の入り口を塞ぐように逆茂木がいくつも立てられ、かがり火がたかれ、弓矢や斧、古めかしい剣や鉈などで物々しく武装した十数人の男たちが不躾な視線を向けてくるのだった。

 

 自分を抱き上げる腕が緊張に身構えるのを感じた紙月は、まず相方の肩を叩いて落ち着かせてやって、それからその腕からゆっくりと降りた。感触を確かめるように何度か足踏みし、慣れないピンヒールでそれでも精々見られるようにしゃなりしゃなりと歩いて見せる。

 

「あー、すみませんが、」

 

「喋った!」

「喋ったぞ!」

「森の中から人が!」

 

 妙な反応である。

 改めて顔を見合わせてみるが、相方の顔は兜で見えないし、見えたところで自分と同じように困惑していることだけは確かだろう。

 

「あー、その」

 

「やっぱり喋った!」

「喋ったぞー!」

「人間なのか!?」

 

 話が通じない。

 

 と考えて、フムン、と紙月はここに前向きな案件が生まれたことに気付いたのである。

 

「言葉、通じるっぽいな」

「みたいだね」

 

 どうも見た感じ、アングロサクソンじみた顔立ちの人たちなのだが、先程から口々に発している言葉は聞き慣れた言葉と相違ない。

 

(というよりは……)

 

 じっと口元の動きを見てみれば、聞こえてくる音と実際の口の動きにはかなり違いがみられる。

 

「いよいよもって異世界転移ものみたいになってきたぞ」

「やっぱり、自動翻訳ってやつかな」

「まあ、話は早いけどよ」

 

 とにかく、言葉が通じるならば話も通じるはずだ。理性的な相手であれば。

 覚悟を決めた紙月はもう一歩踏み出す。

 

「すみませんが、どなたかお話の出来る方は」

「あ、あんた」

 

 紙月が繰り返そうとしたところで、集団の中から年かさの男が歩み出た。顔立ちが違うためか年齢ははっきりとはわからなかったが、五十かそこらと言ったところだろう。髪には白いものが混じり、体格こそ立派だが、やや衰えが見える。

 それでもやはり集団の中の代表格なのだろう、彼が声を発すると同時に、他の者のざわめきもひいた。

 

「あんた、その、見慣れない格好だが、人族かね」

 

 これには答えに窮した。

 なにしろ人間だと言いたいところだが、どうも今の体はそうではないようなのだ。

 もし人間だと言って、後から違うとばれたらどうなるのか。

 またいま正直に人間ではないと言ったらどうなるのか。

 

 少し考えて、紙月は正直に答えることにした。

 彼らが、紙月が言葉をしゃべったことに強く反応したことから、種族がどうとかいうよりは言葉が通じるかどうかを重要視しているように感じたからだ。

 

「えーと、俺は紙月。ハイエルフ。こっちは未来。獣人だ」

「あ、未来です」

 

 鎧の中から響く違和感に満ちた音声に男たちは少しざわめいたが、それもすぐに収まった。

 

「はいえるふ、というのは聞いたことがないが……獣人というのは、獣人(ナワル)のことかね。獣の特徴を持った隣人種……」

「あー、多分、そんな感じです、ハイエルフってのは、俺みたいに、耳のとんがったやつで」

「ふーむ……わしも長く冒険屋をやっているが、聞かぬ種族だね」

「あー、まあ、あんまり目立たない種族なんで」

 

 嘘は吐かない範疇で適当に会話をしてみたが、男は前時代的な武装をしている割に理性的なようだった。いや、この世界ではこのスタイルこそが時代に適っているのだろう。むしろ、落ち着いてみてみると、他の男たちが、それこそ農民が武装したといった体であるのに比べて、男は戦うものとして洗練された武装をしているようだった。

 それこそが、冒険屋という聞き慣れないワードの所以なのかもしれない。

 

「それで、俺達は森から出てきたばかりでよくわからないんですが、ずいぶん物々しいようで……」

「おお! そうだ。あんたがた、森の中からやってきたというが、無事だったかね!?」

「へ? え、ええ、まあ、無事と言えば、無事ですけど」

 

 男たちは物々しい()()ではあるが純朴なようで、旅慣れない女性そのものにしか見えない紙月が危害に合わなかったことにほっと安堵の息をついているようだった。

 

「うむ、いまこの森では小鬼(オグレート)の群れが見つかったとの話が出ていてな」

小鬼(オグレート)? それは?」

「知らんかね。いや、あいつらはまず危険な奴らでな。緑色の子供くらいの大きさの魔獣なんだが、頭もいいし、群れで襲ってくるんで、一人二人でいるときに襲われたらまずたまったもんじゃあないんだ」

 

 身に覚えがありすぎた。

 

「あの……どれくらいの群れが……?」

「三十はいかないということだったが、まあ儂の経験からも二十かそこらだと思うよ」

 

 身に覚えがありすぎた。

 

「…………なあ、未来」

「うん、多分、そうだよね」

「どうしたね? ああ、いや、小鬼(オグレート)の群れとすれ違ったかもしれないなどと聞かされたらそら恐ろしいだろう。村まで少し歩くが、ゆっくり休んで、」

「あ、いや、その」

「なあに、安心しなされ。わしと村の若い衆がいれば小鬼(オグレート)どもなんぞ」

「いえですね」

 

 慣れないながらも勇ましく拳を作って笑って見せる村の若い衆には申し訳のないことであったが、この先延々と無駄な作業をさせる事を思えば、いまここで正直に言った方がいい。

 いつもすなおに、それが二人のスローガンとして固まった瞬間であった。

 

「ごめんなさい、多分それ全部やっつけちゃいました」




用語解説

・《魔女の証明》
 ゲーム内アイテム。《魔術師(キャスター)》専用の装備。《魔女の集会》と称される一連のイベントをクリアすることで入手できる。
 《SP(スキルポイント)》の消費を大幅に下げる効果がある。
『魔女の証明なんて簡単な物さ。つまり、私だ、って言えばいいのさ』

・《特権階級》
 ゲーム内アイテム。女性《魔術師(キャスター)》専用の装備。《七つの大罪》と称されるイベント群のうち《傲慢》をクリアすることで入手できる。
 移動速度と引き換えに《SP(スキルポイント)》の自然回復速度を大幅に底上げする効果がある。
『歩きづらくないかって? 違うわ。歩く必要がないのよ。これは踏みにじるための靴なのだから』

・《宵闇のビスチェ》
 ゲーム内アイテム。女性《魔術師(キャスター)》専用の装備。
 魔法防御力を大いに上げる効果がある。特定の悪魔系ボスからドロップする。
『暗闇の中で着飾ることを忘れちゃいけないわ。見えないところこそオシャレしなくちゃ』

・《悪魔のエンゲージ》
 ゲーム内アイテム。女性《魔術師(キャスター)》専用の装備。分類上「杖」である。
 特定の悪魔系ボスから低確率でドロップする。つまり婚約指輪を力技で奪い取っているわけである。
 魔法攻撃力をかなり引き上げる指輪型の武器で、武器攻撃力自体もそれなりにある。
『悪魔にも慈悲はある。この指輪がまだ婚約で済んでいるのは、お前が伴侶を得る時のためだ』

・《アモール・ノワール》
 ゲーム内アイテム。分類上は「アクセサリ」。満月の夜にだけ開店する店舗で、時間制限付きのミッションをこなすことで入手できる。
 《詠唱時間キャストタイム》と《待機時間リキャストタイム》を短縮する効果がある。
『愛を唇に乗せるときは、急がなくていいの。でもしっかりと、確実に』

・白銀の甲冑
 ゲーム内アイテム。正式名称《白亜の雪鎧》。
 いくつかの高難度イベントをクリアすることで得られる素材をもとに作られる。
 炎熱系の攻撃に対して完全な耐性を持つほか、純粋な防御力自体もかなりの高水準にある。
 他の高レベル属性鎧と比べて比較的使用されることが多い理由は、「見た目が格好いい」からである。
『極地の万年雪の、溶けては積もる億年の積み重ね、その結晶をいま受け取るがよい』

・自動翻訳
 何故か成り立ちもすべて異なる異世界で日本語が通じる現象。そのくせネット用語や俗語は通じなかったりする。言葉が通じない設定にすると転生して一から言葉を学びなおす場合はともかく、転移して身振り手振りでコミュニケーションをとらなければならないとどうしてもテンポが悪くなるので、「そのとき不思議なことが起こった」くらいの勢いで言葉が通じるパターンが多い。そしてそのまま全世界規模で言語が統一されていたりする。

・人族
 いわゆる人間のことであるらしい。
 それにしても、世界が違うというのにどうして人間はそのまま人間なのだろうか。神の怠慢なのか。

獣人(ナワル)(nahual)
 人族から獣の神アハウ=アハウ(Ahau=ahau)の従属種となった種族とされる。
 人族に獣や鳥、昆虫の特徴を帯びた姿をしており、これはその特徴のもととなる動物の魂が影の精霊トナルとして宿っているからだという。
 トナルは生まれた時に決定され、これは両親がどのようなトナルを宿しているかに関係なく決まる。そのため、熊の獣人(ナワル)と猫の獣人(ナワル)からカマキリの獣人(ナワル)が生まれるということも起こりうる。とはいえ、基本的には接触することの多い同じトナルを宿して生まれてくることが多い。
 どの程度獣の特徴が表出するかは個人個人で違うが、訓練によって表出部分を隠したり、また逆に獣の力を大きく引き出すこともできるとされる。

・冒険屋
 いわゆる何でも屋。下はドブさらいから上は竜退治まで、報酬次第で様々なことを請け負う便利屋。
 きっちりとした資格という訳ではなく、殺しはしないというポリシーを持つものや、ほとんど殺し屋まがいの裏家業ものまで幅広い。


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第四話 討伐確認

前回のあらすじ
第一村人発見なるも、どうも様子がおかしい。
聞けば危険なモンスターが出たとか。
ごめんなさい、やっつけちゃいました。


「ごめんなさい、多分それ全部やっつけちゃいました」

 

 その瞬間の村人たちの「こいつ何言ってんの?」といった表情は、二人の胸に微妙に刺さった。素朴な村人たちの準備を無駄にしたこと、そして絶対に信じてねえなこいつらという理解が、二人の胸をちくちく刺した。

 

「ほ、ほっほっほ、小鬼(オグレート)の群れを全部やっつけたか、また勇ましいことを言いなさる」

 

 冒険屋を名乗る男は笑って見せたが、それでもそこにはいくらか苛立たしげな様子があった。

 それはそうだろう。冒険屋というのが響きの通り荒事の専門家だとすれば、この男はプロとして小鬼(オグレート)とやらの駆除を引き受け、それなりの覚悟のもとにここにいるはずなのだ。

 それをあっさりやっつけちゃいましたなどと言われれば腹にも据えかねるだろう。

 

「まあ、そっちのでかい鎧の方……護衛の人かね、その人なら多少の、」

「あ、ぼくは何もしてないです」

 

 鎧の中からの声に、再びのざわめき。その声の甲高さと、発言の内容に、二重に困惑しているようだった。

 

「じゃあ一体何かね、そっちのお嬢さんが一人で片付けたというのかね!? え!?」

「えー、まあ、そうなりますね」

「ふざけてるのか!?」

 

 ごめんなさい、気持ちはよくわかります、などと言えば火に油を注ぐことになるだろうことは目に見えていた。とはいえどう説明したものかと紙月は悩み、それから、まあどうにでもなれと開き直った。一人ならばそんな開き直りはできなかっただろうが、なにしろ大概のことではどうにもならない、頼りの相棒がすぐ隣にいるのだから。

 

「大真面目ですとも」

「紙月ちょっとふざけてない?」

「ちょっとだけ」

「お前みたいな細腕に何ができるってんだ!」

「ちょっと魔法が使えまして」

 

 紙月は左手を持ち上げて、指を動かす。傍から見れば幻惑的なその動きは、何ということはない、ショートカットキーを押す動きだ。

 途端に《火球(ファイア・ボール)》の魔法が発動し、適当に空に向けてはなってやれば、中空ではじけて消えた。

 

 そういえば、燃焼物がないのにこの炎はどうやって燃えているのだろうか。

 紙月としては何となく、それこそぼんやりと火球を見上げたつもりなのだが、村人たちにはそれが大いなる余裕ある態度に見て取れたらしい。

 

「あ、あんた魔術師なのか」

「一応そうなる」

「しかし、いくら何でも一人じゃ小鬼(オグレート)の群れなんざ、」

 

 どうやら魔法を使えることはそこまで不自然ではないらしい、と前向きな検討材料を一つ。

 しかし男はそれでも納得がいかないようだった。

 となると、普通の魔術師とやらは、小鬼(オグレート)が二十匹も出れば対処できないらしい。

 

 ここで紙月は考えた。

 

 一つは未来と協力して奮戦した、という形。これは物々しい甲冑姿の未来の姿から想像できる武力を考えても妥当な線だろうと思われた。一人一人では無理かもしれないが、二人がかりならやれるかもしれない。こうすれば、彼らの想像する普通の範囲内か、少し外れる程度の強さと認識してもらえる。

 そうなれば極端に怪しまれることなく、また常識の範囲内の強さということで敬意も得られる。

 

 もう一つは、紙月が一人で片付けたという、本来の形。これは男の反応からするとかなり常識を逸脱しているらしい。そうなるといらぬ警戒を招くかもしれない。信用されないだけならまだしも、信じられた上で、こっちの方が脅威度が上だと認定されて魔女狩りなんてルートも見えないではない。

 

 安全度でいえば断然前者だが、しかし、小学生の未来を矢面に持ってくるようなのは名無しの上だけでも気に食わない。

 

 だから後者を、と思ったところで、紙月の肩に不器用な手がのせられた。

 

「大丈夫、紙月?」

「……ああ、大丈夫さ」

 

 未来からすればただ単に緊張しているのだろうとでも思って声をかけたのだろうが、紙月はそれで少し落ち着いた。将来的な安全を考えた方が二人の為に、つまり未来のためにもなるわけだし、第一、彼を相棒と呼んだのは紙月なのだ。相棒を一方的に守るなんて言うのは、信頼がないみたいじゃないか。

 

「こっちの鎧が見えません? こう見えて彼は立派な騎士様でね。彼が守って、俺が焼いた。全部じゃないかもしれないが、数えて二十五匹、仕留めたぜ」

 

 そうして未来から勇気を得た紙月の言葉は、不思議と説得力を持って村人たちに受け入れられた。

 冒険屋の男も、やや渋い顔ながらもそれならばと頷く他ないようだった。

 

「うーむ。いや、そういうことならば、あるのだろうな。証は取ってきたかね?」

「証?」

「うむ。小鬼(オグレート)ならば耳を切り取ってくれば、討伐の証明として安いが報酬が出る」

「なんだって? ああ、いや、でも」

「どうしたね」

「全部黒焦げで」

「ああ……いや、まあ安いものだからな」

 

 聞けば一体分の報酬として得られるのは三角貨(トリアン)なる銅貨が相場で十枚で、これは安宿の一番安い飯くらいにしかならないという。逆に言えば、小鬼(オグレート)を一体でも倒せば、その日の一食分にはなるのだった。

 確かに安いと言えば安い。

 が。

 

「そう言えば俺達……」

「この世界のお金は持ってないね」

 

 ゲーム内通貨はうなるほどあるのだが、見た目こそ金貨ではあるものの実態は知れたものではないし、本物の金貨であったらそれこそ両替が大変だ。何しろ銅貨十枚で安い飯が一食とかいうレベルだから、迂闊に金貨など出そうものなら追いはぎ天国もいいところだ。

 

 ファンタジー世界に説明なしでゲームの体で放り出されましたに続いて、無一文というニューカマーである。そうとわかっていれば安かろうと焦げていようと多少グロかろうと頑張ったのに。まあ頑張ったところで安飯二十五食分。二人で分けて一日三食食べれば四日と少ししか持たないが。

 

「うん? どうかしたかね」

「ああ、いえ」

 

 紙月は少し考えて設定を練った。

 

「いえね、彼と二人で旅してたんですが、やっぱり旅慣れないもんで、気づけば森に迷い込むわ、小鬼(オグレート)の群れに襲われるわで散々な上、もう路銀もなくてすっからかん、どうしたもんかと困っていたところでして」

 

 一応、嘘は吐いていない。

 短い間だが二人で森の中を旅してきたし、旅慣れていないし、気づけば森の中だったし、小鬼(オグレート)の群れに襲われたし、路銀がないのも本当だ。ただ言い回しに問題があるだけだ。

 

「なんとまあ。荷物は《自在蔵(ポスタープロ)》かなんかに持っているのだとしても、そりゃ大変だったろう」

 

 幸いにも冒険屋の男は信じてくれたようで、何度か頷いて、それから親切にもこう提案してくれた。

 

「どうだろう。わしは小鬼(オグレート)の群れの討伐を依頼されとる。そんで村の若い衆の力も借りて山狩りする予定だったんだが、あんたが倒しちまったってんなら話は早い。わしとあんたらで確認しに行って、討伐証明を切り取って帰ってくるのさ。わしはもともと人助けのつもりだったから、報酬はあんたらで分けるといい」

「え、いいんですか!?」

「なに、わしとしちゃ寝酒がすこし上等になる程度の話だったし、報酬もほとんど、集まってもらった村の若い衆で分けてもらう予定だったからな。お前さん方も、この可哀そうな二人に報酬を渡したんでいいじゃろ?」

 

 若い衆は少し顔を見合わせたようだったが、それでもこの素朴な若者たちは、困った旅人に機会を分け与えることをまったく惜しまなかった。もともとが、自分たちの村を守ることで、そのついでに晩のつまみが一品増えればいいという具合だったのだ。

 自分たちの代わりに仕事を片付けてくれた旅人に報酬を寄越すのは、彼らにしてみれば当然だった。

 

 よし、よし、と頷き合って、冒険屋と二人の旅人は早速森に潜った。

 

 道中簡単な会話を繰り返し、二人は冒険屋という男から細々とした知識を得た。そしてまた男もこの二人の恐ろしい世間知らずを思い知り、積極的に様々を教えてやった。

 そのようにして小一時間ほどの道のりはすぐにも過ぎ、確認は早々と済んだ。

 

「いや、驚いたな」

「いやあ、照れるなあ」

「お前さん方のような世間知らずの箱入りがよくもまあ」

「あ、それ褒められてないのはわかる」

 

 手早く小鬼(オグレート)の耳を切り取った冒険屋の男は、コメンコと名乗った。道中での会話ですっかりと馴染んだこの男は、冒険屋を始めてもう四十年になるという。

 冒険屋というものは、今回のように小鬼(オグレート)を退治したり、人々の細々と困ったことや、大掛かりに人足が必要な時などに数となったり、つまりは荒事が多めの何でも屋であるという。

 

 コメンコはそろそろ引退を考えているが、今回は生まれた村の依頼であったし、依頼主は友人でもあったことから、格安で引き受けたのだという。

 

小鬼(オグレート)は危険は危険だが、数体くらいなら、大の大人ならのしてしまえるような相手だからな。報酬も安い。群れになる前に片付けてしまうのが一番なんだが、少しくらいと甘く見ているうちに、今度のように大事になってしまうんだ」

 

 今回は発見が早かったこと、またコメンコのような冒険屋が手早く支度を整えたことで、二人がいなくても被害は少なく済んだと思われたが、もし手遅れになっていたら、小さな村程度は壊滅していたかもしれないという。

 

「なにしろ小鬼(オグレート)は増えるのも早いし、増えりゃあ食うもんも足りなくなる。そうすると家畜に手を出すし、そうやって村人とも争う。たまに住み分けの出来ている群れも見かけるが、あれも塩梅よな。どちらかに傾けば、どちらかが崩れる」

 

 残酷なようだが、人間が生きていく上では、やはり駆逐していくほかないのだという。

 

「今回は、あんたらのおかげで助かったよ。思ったより育った群れだった。わしじゃそろそろ、相手するのも骨だっただろう」

「いやいや、たまたまですって」

「偶然でも、助かった。少し見て回ったが、逃がした奴もいないようだ」

「わかるんですか?」

「奴らは足跡の消し方を知らん。逃げる時には特にな」

「はー、そんなもんですか」

「そんなもん、さ」

 

 四十年選手の冒険屋は笹穂耳にちょいと口を寄せて笑った。

 

「実は何となくわかる程度なんだがね」

「えっ」

「村の連中の前じゃ、格好つけんと心配させちまうからな」

 

 幸い、この日を境にしばらくの間、小鬼(オグレート)は出なかったという。




用語解説

三角貨(トリアン)(trian)
 この世界で一番額の小さな貨幣のようだ。
 銅製で、丸みがかった三角形をしている、ギターでも弾けそうだ。

・《自在蔵(ポスタープロ)》(po-staplo)
 空間操作魔術による魔術具。外見以上の空間を内部に作り上げ、収容能力を高められた品物。
 紙月たちのアイテムを収めているインベントリとは全く別のシステムによるもので、本来の《自在蔵(ポスタープロ)》は単に見た目のサイズが小さいだけで、重いものを入れればその分重くなるし、容量も普通はそこまではない。
 ネーミングはあの有名な漫画家小雨大豆先生の名作「九十九の満月」に登場する同様の効果を持つアイテム「自在倉」より。

・コメンコ(Komenco)
 引退間際の親切な冒険屋。


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第五話 お祭り騒ぎ

前回のあらすじ
無事小鬼(オグレート)討伐の証明を手に入れた一行であった。



 見事小鬼(オグレート)たちの耳を切り取って帰ってきた三人に、村の若い衆は大いにその無事を喜んだ。また小鬼(オグレート)たちはすっかり退治されていて、しばらくの間は平和だろうことを伝えられて、もう一度沸いた。

 

小鬼(オグレート)ってのは、まあ村人にとっちゃ天敵もいいところだからな」

 

 連れだって村に辿り着いたころには日も暮れ始めていたが、若い衆が小鬼(オグレート)討伐の方を持って駆け巡ると、小さな村にこんなにもと思わせるほどの人々が顔を出し、盛大にこの一行を出迎えた。

 

「おお、コメンコ、無事にやってくれたようだな!」

「いや、なんとこちらの旅の方々が手伝ってくれてな」

「なんと、それはかたじけねえ! ほらみんな、村の救い主様たちだぞ!」

 

 コメンコを出迎えたひときわ大柄な男は、村の村長であり、依頼を出したコメンコの友人であるという。

 この村長が大袈裟に声を張り上げると、村の一同がまるで拝むかのように集まってくるものだから、紙月も未来も思わず顔を見合わせた。

 

「いや、いや、すまんな。何しろ田舎者だから、素直というか、純朴というか」

「いえいえ、わかります」

「それに娯楽がないもんだから、お前さん方はいいカモだ」

「えっ」

「えっ」

「はっはっはっ」

 

 わっと群がった村人たちは、次々に小鬼(オグレート)退治の話をせがんだ。頼りのコメンコと言えばこちらも大いに盛りに盛った武勇伝で村の連中を楽しませているし、ついて行っただけの村の若集もそれにのっかるものだから、気づけば小鬼(オグレート)たちは総勢百体を超す軍隊となり、紙月の魔法も森を焼くような神話の世界の魔法のように語られた。

 

 勿論、いくら純朴な村人たちと言えど、これが出鱈目で、精々が十か二十くらいのを囲んで退治したのだということは察しがついている。だが盛り上がれるときに盛り上がれなければ、こう言った村には本当に娯楽というものがないのだった。

 

 静かな農村はすぐにも祭の様相を示し、あちらこちらで出鱈目に楽器の音がし始めるや、誰が決めたでもなくそこらで輪ができて、歌うもの、踊るもの、はやし立てるものがそれに続いた。そしてやがてそれらは一つの大きな輪になって、人々はかがり火を中心に踊りだした。

 

「わーお」

「すごく……その、ノリのいい人たちなんだね」

「暇な農村なんてこんなものさ。忙しいときは忙しいが、暇なときは本当に暇だから、持て余した時間で磨いた芸達者が多いしな」

 

 少しして落ち着いて、楽器を弾いていた男たちが、彼らなりに精いっぱい都会風にこじゃれた礼をして見せた。

 

「やあ、やあ、あたしら暇人楽団の腕が錆びつく前に、朗報を持ってきてくださってありがとうよ」

「なにしろ村の祭以外じゃうるさいって追い払われちまうもんだから」

「今日は普段静かにやってる分、盛大にやらせてもらうよ」

 

 太鼓のようなもの、マンドリンのようなもの、ヴァイオリンのようなもの、笛のようなもの、それぞれに楽器を携えた暇人楽団とやらたちは、素人楽団にしては実にいい音色を響かせて、紙月たち旅人に挨拶して見せた。

 

「歓迎されてるぜ」

「なんだか恥ずかしいかも」

「よーし、お返しに俺達も楽しませてやろう」

「え、なに?」

「祭と言ったら、決まってる。踊るのさ」

「ええ!?」

 

 紙月が面白がって、ステータス画面から装備を変えた。動きやすい靴にしたのだ。

 

「安心しろ、ダンスはちょっとやったことがある。リードしてやるよ」

 

 そう言って輪に飛び込んでしまうから、未来もおっかなびっくり続くしかない。

 田舎の村に似合わない洒落たドレスの魔女と、見上げるような大甲冑に人々は最初どよめいたが、面白がった暇人楽団が盛大に一曲やり始めると、場はすぐに盛り上がった。

 

「さあほら、手を引いて、右、左、お次はターンだ」

「わ、わわ、わあ!」

「よしよしいい感じだ」

 

 紙月がリードし、未来がそれになんとかついて行き、くるりくるりと出鱈目に踊り出すと、人々もまたそれを真似て踊り出した。

 誰がか酒を開けたらしく、場は一層盛り上がる。

 

 コメンコが後で説明してくれたところによれば、こう言う祭は、吟遊詩人を連れた見世物の一行がやってくるときや、年に一度の祭の時くらいしかないらしく、娯楽に飢えた人々にとって今回の小鬼(オグレート)退治は、それに匹敵するくらいの朗報であったらしい。

 また、彼らが気兼ねなく酒を開け騒げるのは、二人のおかげで誰も怪我をすることなく帰ってこれたからだという。いくら小鬼(オグレート)相手とはいえ、場合によっては大怪我を出してもおかしくなかったところを、貴重な働き手がみな無事で帰ってきたのだ。これ以上の朗報はない。

 地に足を生やして生きるような農村の人々にとって、これがどれだけ生きる活力につながるかと、感謝されてかえって気恥ずかしくなったほどだった。

 

 踊りがひと段落すると、今度は御馳走の出番だった。祭の合間合間で飯の支度を拵えてくれた女たちが、次々にテーブルを持ってきては並べて、その上に祭の御馳走を並べていった。

 

 ご馳走と言えど何しろ何の準備もなかったことであるし、貧しい農村であるから、そんなに大したものが出るわけではない。それでも主役の二人の前には農村としては実に豪勢に盛りつけられた料理が並んだ。

 

「おお、すごいな! こいつはなんです?」

「うん、うん、お前さん大嘴鶏(ココチェヴァーロ)は見たことあるかね、ほら、小屋につないであった鶏がいるだろう」

「ああ! あの乗れるくらい大きな!」

「実際乗れるんだが、あれの肉と卵を使ったオーヴォ・クン・ラルドだ。ものは簡単だが、何しろ見た目が豪勢だろう」

「確かに、こんなに頂いていいんですか?」

「なに、お前さん方が主役だ!」

 

 大皿にどんと盛られたのは、山盛りのふかし芋に、分厚い白いベーコン、それにダチョウの卵かと思う位に大きな目玉焼きだ。さろりとした黒いソースがかかっている。

 卵は半分に切られていたが、それでも普通の鶏のた卵が十かそこらはいるだろう大きさだ。

 

「普段は卵はスープに割り入れたり、村で分けたりするんだが、祭りのときはこうして主役に食ってもらうのさ。都会じゃまずこんなのは見れないだろう」

 

 ふかし芋はどこかねっとりとして山芋のようだったが、素朴な塩味が利いていて、なかなかに飽きがこない。それに腹にたまる。

 

 ベーコンは、これは変わった感じだった。豚ではなく、大嘴鶏(ココチェヴァーロ)という巨大な鶏のベーコンなのだ。少し肉質が固いようにも感じられるが、皮の部分の脂身と足してちょうどよい具合だった。それにしてもこんなに巨大な鶏の肉というのは、驚きだった。

 

 卵の方は、これが最も驚いた。

 卵自体の味は、いつも食べている鶏の卵と同じか、少し味が濃く感じる程度だったが、これにかけられているソースの塩気と言ったら、まるで醤油のそれなのだ。動物質のこってりとした味わいではあるのだが、同時にさっぱりと力強いうまみのある塩気だった。

 

「んー! これ美味しいです!」

「お、猪醤(アプロ・サウコ)が気に入ったかね!」

「アプロ・サウコって言うんですか! 地元の味に似てます!」

「そうかそうか! 角猪(コルナプロ)が取れ過ぎた時にしか作らんのだがね、今年は随分獲れたから、多めに作ったんだよ。良かったら一瓶持っていくかね」

「喜んで!」

 

 酒が入っているからか、祭の勢いなのか、実に太っ腹な話だ。

 一升瓶ほどの土瓶に入った猪醤(アプロ・サウコ)をインベントリにしまい込んで、紙月はほくほく顔だ。

 今後、日本の味が恋しくなった時に、まあ魚醤と醤油くらい違うは違うが、懐かしむ程度には楽しめそうだ。

 

「あのさ、紙月」

「ん、どうした未来。食わないのか」

「ぼく、鎧脱がないと食べられないじゃん」

「あ、そっか」

 

 紙月は少し考えて、それから、大きく手を打ち鳴らせると、かえって人の目を呼んだ。

 

「さあさお立ち合い! 小鬼(オグレート)退治を頑張ってくれた俺の仲間を紹介しよう!」

「ちょっと紙月!?」

「見るも勇猛、見上げるような巨体だが、何しろこいつは魔法の鎧! さあさ中身を御覧じろ!」

 

 ほら未来、と急かされて、仕方なしに鎧をインベントリに放り込むと、以前と同じように鎧は端から外れて虚空へと消えていく。その光景に一同は大いにざわめいたが、その中身、つまり未来の子供の姿が現れると大いに沸いた。

 

「なんとあんた、そんな子供だったのかね!」

「そのなりでえらいねえ!」

「よし、よし、一杯食べるといい!」

 

 特に女たちからの人気が大きかった。

 小さな子供に守られたと村の若集はちょっと気不味い顔だったが、それでも誉めそやされて調子に乗った未来が、御馳走の乗ったテーブルを片手で持ち上げる段にはかえって大いに盛り上がった。

 

 未来は姿こそ子供だし、実際も小学生だが、一年間紙月がみっちりとパワーレベリングを施した、レベル九十九の《楯騎士(シールダー)》だ。防御に特化しているとはいえ前衛職、その腕力は並の男たちでは敵うまい。

 若衆たちが酔いに任せて次々に腕相撲を挑んでは、ころりころりと紙相撲のように転がされて行く様はいっそ面妖だ。

 

 一方で、最初から近接戦闘を積極的に捨てている紙月などは、御覧の通りの腕力しかないが。

 

(というより、下手すると前の体より落ちてるかもしんねえな)

 

 何しろ装備の中には、力強さ(ストレングス)と引き換えに魔法的能力を上げるものもある。そうでなくても非力なハイエルフなのだから、何かあった時の為に軽くトレーニングくらいしてかないとまずいかもしれない。体力資本の世界のようだし、必要ないということはあるまい。

 

 などとぼんやり考えていたら、不意に体が宙に持ち上がり、ぎょっとさせられる。

 

「お、わっ、なんだ!?」

「どう紙月? ぼく、こんなに力持ちだよ?」

 

 見れば未来の小さな体が、平然と紙月の体を抱き上げていた。

 腕相撲でひとしきり若衆を転がして、次の力自慢ということらしい。あたりを見れば中年たちが無理をして、嫁さんたちを抱きかかえては腰を痛めていた。

 

「わ、わかったわかった、怖いからおろしてくれよ」

「紙月は怖がりだなあ」

 

 などと言いながら未来は一向におろしてくれない。祭の空気にあてられたかと思えば、ずいぶん顔が赤い。

 

「ひっく」

「お前、もしかして、飲んでんのか?」

「飲んでない、っく」

「飲んでんだな?」

「飲んでないもん」

 

 明らかに酔っ払いの言動である。

 叱りつけてもいいが、小学生の酔っぱらいなど相手にしたことがない。どうしたものかと紙月が頭を抱えていると、不意にずるずると未来の体から力が抜けて、紙月も自然と解放される。酔いつぶれたらしい。

 

「まったく、まるで子供だ、というべきか」

 

 そりゃあ、子供なのだ。

 ここまで気を張ってくれたことの方を、むしろ褒めてやるべきだろう。

 

「すまないが連れが潰れちまった。どこか屋根を貸してもらえるかい」

 

 紙月の小さな体を抱き上げてコメンコに告げると、村の客だからと村長の家の客間を貸してもらえた。

 ベッドは一つだったが、細身の紙月と小さな未来には、ちょうどよいサイズだった。




用語解説

大嘴鶏(ココチェヴァーロ)(Koko-ĉevalo)
 極端な話、巨大な鶏。
 草食よりの雑食で、大きなくちばしは時に肉食獣相手にも勇猛に振るわれる。主に蹴りの方が強烈だが。
 肉を食用とするのは勿論、騎獣として広く使われているほか、日に一度卵を産み、また子のために乳も出す。農村でよく飼われているほか、遊牧民にとってなくてはならない家畜である。
 一応騎乗用と食畜用とで品種が異なるのだが、初見の異邦人にはいまいちわかりづらい。

・オーヴォ・クン・ラルド(ovo kun lardo)
 要するにベーコンエッグ。

猪醤(アプロ・サウコ)(aprosaŭco)
 肉醤(ヴィアンド・サウコ)(viandsaŭco)の一種で、ここでは角猪(コルナプロ)を用いた調味料。
 肉、肝臓、心臓をすりおろしたものを塩漬けにして、発酵・熟成をさせたもの。酵素によってたんぱく質がアミノ酸に分解され、力強い旨味を醸し出す。

角猪(コルナプロ)(Korn-apro)
 森林地帯に広く生息する毛獣。額から金属質を含む角が生えており、年を経るごとに長く太く、そして強く育つ。森の傍では民家まで下りてきて畑を荒らしたりする害獣。食性は草食に近い雑食だが、縄張り内に踏み入ったものには獰猛に襲い掛かる。

・《楯騎士(シールダー)
 ゲーム内《職業(ジョブ)》のひとつ。
 武器を装備できない代わりに、極限まで防御性能を高めることのできる浪漫職。
 遅い、重い、硬いの三拍子そろって、扱いづらい。PvP、つまり対人戦では、並のボスより硬いとして敬遠されるが、攻撃手段がほとんどないため、味方との連携が試される。


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第六話 明けて翌朝

前回のあらすじ
未成年の飲酒、ダメ、ゼッタイ。


 翌朝目を覚ますと、未来はすでに目を覚ましていた。

 

「あ、お、おはよう紙月」

「ん……おはよう、未来」

 

 寝起きの悪い紙月とは異なり、未来はすっかりパッチリ目を覚まして、歯など磨いているくらいだった。

 

「……歯?」

「どうしたの?」

「歯ブラシなんてよくあったな」

 

 時代設定どうなってんだと首を傾げた紙月に、未来はおかしそうに笑った。

 

「インベントリあさってみなよ。これゲームのアイテムだよ」

「アイテム……あー、《妖精の歯ブラシ》か!」

 

 それはMMORPG、《エンズビル・オンライン》内において手に入れることのできたアイテムだった。

 象牙でできた実に立派な歯ブラシなのだが、実は装備品で、これを装備した状態で敵を倒すと、《牙》や《歯》といったドロップ・アイテムが、店売りするより高額なゲーム内通貨として手に入るという特殊な効果があった。

 何かのイベントの際に活躍するときがあって、持っていたままだったのだ。

 

 桶に汲んだ水で顔を洗い、歯を磨き、いくらかさっぱりした紙月は、ふと思いついて着たまま寝てしまった装備を改めてみた。

 

「……皴にもなってないな」

「口紅も落ちてないね」

「え、あ、そういえばそうか。顔洗ったのにな」

 

 しかしこの口紅は装備品だ。恐らくステータスメニューで操作することで解除できるのだろう。

 他にも一通り見てみたが、寝ている間にしわが寄ったり、ほつれてしまったりというところは見られない。ゲーム内アイテム様さま、と言ったところか。

 

「にしても……」

 

 気になってわきのあたりなどに鼻を寄せてみたが、体臭もしない。

 先程身だしなみを確かめてみた時に気付いたが、髪も脂っぽくなったりしていない。顔を洗った時や歯を磨いた時も、そこまで汚れを感じなかった。

 

 気になりだすと確かめずにはいられなくなって、紙月は未来を呼び寄せた。

 

「おーい未来」

「なにしづ、きっ!?」

「ちょっとごめん」

 

 紙月は未来の頭に鼻先を突っ込み、それからひょいと抱き上げてわきのあたりにも鼻を突っ込んだ。

 暴れることもせず、というよりは突然の暴挙に完全に硬直してしまった未来をそのままおろし、紙月は満足したようにうなずいた。

 

 というのも、未来の体からはきちんと匂いがしたからであった。

 髪の毛は少し脂が回っているし、体臭も、まだ一晩だから大したものではないが、子供っぽい匂いが確かにした。自分の体の体臭がごくごくわずかなことに比べるとこれは大きな違いだ。

 

「どうやらこの体はきちんと種族を再現してるみたいだな」

「うえ!? え!? なに!? いまのなに!?」

 

 ようやく再起動して後ずさる未来を気にすることもなく、紙月は自論を展開していく。

 

「つまりさ、俺の体はハイエルフなんだけど、もともとエルフは新陳代謝が低いらしいんだよな。ハイエルフとなると半分精霊に片足突っ込んでるから、多分新陳代謝が全然ないんだ。だから垢もないし、匂いもしない」

 

 これは便利だった。恐らくデメリットの再現も享受しなければならないだろうが、非力さなどは相方がいればどうとでもなる。

 

「で、獣人の場合は新陳代謝は普通みたいだな。特に獣臭いってこともない。でも普通に匂いはするし、多分しばらくすれば垢も目立ってくるだろ」

「あー……あー、そういうこと、ね。うん。そっか」

 

 未来は何度か頷いて、それから気になるのか何度か自分の匂いを嗅いでいた。

 

「気になるなら洗ってやろうか?」

「えっ、あらっ!?」

「《浄化(ピュリファイ)》かけりゃ多分綺麗になるだろ」

「え、あ、あー、うん、そう、そうかもね」

 

 《浄化(ピュリファイ)》というのは魔法《技能(スキル)》のひとつで、汚泥や汚損といったステータス異常を回復するものだ。

 試しに実際にやってみたところ、未来の足元から頭まで水の柱のようなものが速やかに撫で上げていき、そして消えていった。

 

「結構あっさりしてんな……どうだ?」

「匂いが薄くなってる。それにお肌もつるつるだ」

「美肌効果もあるんじゃないだろうな」

 

 ともあれ、これで旅の心配は一つ減った。

 他にも使えるものがないか、インベントリをあさってみると、なかなか頼れそうなものがいくつか見つかった。例えば回復系アイテムは食料品の形を取っていることが多く、素材の多くも食べられそうなものばかりだ。またアイテムには野営に役立ちそうなものも多かった。

 

「ただ、換金できなさそうなのがつらいな」

「多分これ一個でもオーパーツだもんね」

 

 昨日見た限りでは、少なくとも農村レベルではそこまで非常識なものの類はない。街や都市などに行けばもう少しはっきりしてくるのだろうけれど、現状では気安く経済を破壊してしまってよいとも思えない。

 

 二人が整理もそこそこに起き出すと、とっくに起きて仕事についていた村長は畑で、奥さんが屑野菜のスープと硬いパンの朝食をふるまってくれた。昨夜とは大違いだが、恐らくこれが標準なのだろう。

 

 紙月がもそもそと食欲もわかないまま食べている間に未来はペロリと平らげてしまったので、残りも譲った。

 

「いいの?」

「ハイエルフってあんまり食べないみたいなんだよ。昨日食べたせいか、全然食欲がない」

 

 これは便利であると同時に、かなり悔しい話でもある。せっかくの異世界の料理が楽しめない可能性も出てきたのだ。まあ幸いにも獣人の相方はずいぶん食べそうだから、二人で分ければちょうどよいかもしれない。

 

 簡単な朝食を済ませ、二人は村長とその奥方に礼を言って家を出た。

 

 何をするでもなくぼんやりと村を見て回っていると、同じように暇そうなコメンコと顔を合わせた。

 

「よう。昨日は随分と楽しい夜だったな」

「やあ、お陰様で」

「なに、なに、お陰様はこっちの言葉さ。随分盛り上げてもらった」

 

 コメンコはあぜ道に腰を下ろし、二人もまたそれに続いた。

 

「ここは俺の故郷でね。若い頃は二度と帰るもんかと思っていたが、年を食ってくると、どうしても足を運んじまうもんだ」

「そろそろ引退を考えてるんでしたっけ」

「そうだ。最後の一仕事のつもりだった。実際、気が抜けちまうと、もう一度冒険屋ってのは、ちと、つらい」

「村の仕事に?」

「まあ、そうだな。狩人でもいいし、用心棒みたいな形でもいい。幸い、村長とも仲がいい。小さな畑でも持って、な。まあ耕し終えるまでに、俺の腰も曲がっちまうかもしれんが」

 

 この言葉を聞いて、紙月はふと思いついた。ずいぶんよくしてもらったし、礼をしたいと思っていたのである。

 

「家は決まってるんですか?」

「空き家が一軒ある。畑跡は随分土が固くなってるから、掘り起こすのが少し骨だがな」

 

 それで決めた。

 

「俺の魔法の練習に付き合ってもらえませんか」

「なに?」

「畑を耕す魔法があるんですよ。礼と思って」

「頼めるなら、こちらから頼みたいが、いいのかね」

「もちろん」

 

 素直に礼をしたいといっても、受け取ってもらえそうになかったからである。これはコメンコも察したようで、ばつの悪そうににやっと笑って、それからこっちだと案内してくれた。

 村はずれの空き家の傍には、確かにすっかり雑草にまみれて、荒れ地になった畑の跡がある。

 

「草を抜いて、耕して、呼吸させてやらにゃならん。草を焼き払ってもらうだけでも、助かるが」

「やってみましょう」

 

 紙月はまず、小鬼(オグレート)たちを仕留めた時と同じように、《火球(ファイア・ボール)》で草を焼き払った。あとに残らず、燃え広がず、瞬間的に焼き払ってくれる魔法の火は、雑草だけを綺麗に焼いてくれた。

 

「おお、すごいな。こりゃあ確かに小鬼(オグレート)どもも敵うまい」

「それからもういっちょ」

 

 ショートカットリストを、土属性魔法のものに切り替える。

 

「《土槍(アース・ランス)》」

 

 《土槍(アース・ランス)》は、土属性の最初級の魔法《技能(スキル)》である。

 効果は簡単で、地面から土の槍を突き出して、相手を足元から攻撃する。これだけだ。空を飛んでいる相手には届かないし、水場などでも使えない。低確率で敵を転倒させられるが、そのくらいのメリットなら、普通はもっと上等な魔法を覚える。

 それを三十六連。

 

「お、おおっ!?」

 

 するとどうなるかというと、焼き払われた畑跡の土が、おのずから一斉に地面をかき回しながら地中から突き出し、そして崩れていく。

 

「いまのじゃ浅いかもしんないから、もう一回」

 

 もう三十六連。

 

 同じように土がかき乱されるが、先程よりも柔らかくなっているからか、より深いところから土が掘り出され、立派な槍となって虚空を貫き、そして崩れる。

 あとに残るのはすっかり柔らかく耕された畑である。

 

「あんた……すごい魔法使いなのかもしれんな」

「特別サービスってことで」

 

 《SP(スキルポイント)》を使用する感覚なのか、すうっと体から何かが抜けるような奇妙な心地がしたが、それもすぐに回復してしまう程度のものでしかない。

 

「参ったな。これじゃあしっかり畑仕事して、村に根付くしかないな」

「しっかり根付いてくれよ」

「ああ、そうさせてもらうよ」

 

 自分は助かったが、あんたたちはこれからどうするのかと尋ねられて、二人は顔を見合わせた。

 目的という目的もなく、目標という目標もないのである。

 強いて言うならば元の世界に帰ることだが、そのヒントが簡単にそこら辺に転がっているとも思えない。

 

 なので素直にとくにあてもないと伝えると、コメンコは少し待っていてくれと小屋に入り、少したってから封筒を手に戻ってきた。

 

「当てがないなら、あんたらの腕だ、冒険屋で食っていくのはどうだ」

「冒険屋?」

「何をしてもいいし、何をしなくてもいい。何か目的があるなら、それを探しながら冒険屋で食っていくってのはありだと思うぞ」

 

 コメンコが渡してくれた封筒は、推薦状だという。

 

「少し行った先にある町の冒険屋事務所に宛てたものだ。俺が抜けたばかりだから、雇ってくれると思うよ」

「なにからなにまですみません」

「なに、なかなか面白いものを随分見せてもらったからな」

「ありがとうございます」

「町までは少し、歩く。明日はうちから市へ向かうものがあるから、明日の朝、一緒に行くといい」

 

 そうさせてもらうことになった。




用語解説

・《妖精の歯ブラシ》
 ゲームアイテム。装備した状態で敵を倒すと、ドロップアイテムのうち《歯》や《牙》に該当するアイテムが店舗での販売額よりも高額のお金に変換されて手に入る。
『おや、歯が抜けたのかい。それなら枕の下に敷いてみるといい。翌朝には妖精がコインに換えてくれるから……おや、だからって抜いちゃダメだったら!』

・《浄化(ピュリファイ)
 魔法《技能(スキル)》の一つ。汚泥、汚損、毒、呪いといったステータス異常を回復させる。
『《浄化(ピュリファイ)》の術で気を付けにゃならんのは、カビの生えたパンにかけても、腹を下すか下さんかは運しだいちゅうことじゃな』

・《土槍(アース・ランス)
  《魔術師(キャスター)》やその系列の《職業(ジョブ)》覚える最初等の土属性魔法《技能(スキル)》。
 地面から土の槍を繰り出す魔法であって、地面を耕すのが目的ではない。
 ただし、レベル九十九まで鍛えられた《魔術師(キャスター)》が使えば、いくら最初等の《技能(スキル)》とはいえ、どんなかたい地面でも耕すことができるだろう。。
『足元からの攻撃というものは、どんな戦士にもある程度利くもんじゃ。褒めてやるからわしに悪戯を仕掛けた奴は名乗り出なさい。怒らんから』




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第七話 冒険屋事務所

前回のあらすじ
冒険屋コメンコの推薦で、当座の目的として冒険屋を目指すことにする二人だった。


 その日は一日、村の中を何となく歩いて、気が付いた時にちょっとした手伝いをしてみた。力仕事であれば小さくとも未来が役に立ったし、作物の育ち具合がいまいちよろしくないとなれば、紙月が《回復(ヒール)》をかけてやれば解決した。

 そのようにして一日を潰し、村長の家で再び休ませてもらい、翌朝、出立となった。

 

 農村の朝は早く、特に市に出るからには、日の出る頃には出立だという。

 未来はともかく紙月は起きる自信がなかったので、《ウェストミンスターの目覚し時計》というアイテムをセットした。

 

 これは本来ステータス異常である睡眠状態を回復させるアイテムなのだが、時刻を定めてアラームを鳴らすこともできる文字通りの目覚し時計だった。

 日の出より恐らく少し早めだろうという時刻に設定してみれば、リンゴンリンゴンという鐘の音とともに、恐ろしくすっきり目覚められた。まどろみすらない。疲れた感じもない。完璧な目覚めというものがあるのならば、あるいはこのようなものなのかもしれない。

 

 未来は目を覚まして目の前に紙月がいるという状況に最初慌てたが、すぐに現状を思い出したのか、気恥しそうに朝の身だしなみを整えた。ベッドが一つしかないから、一緒に使っていたのである。

 

 二人が身だしなみを整えて村長の家を出ると、気の利いたことで、巨大な鳥の引く荷車が家の前に停まっていた。

 

「やあ、すまない。待たせたかな」

「いんや、早めに来とったんでさ。森の魔女様を待たせたら申し訳ねえんで」

 

 昨日一日、村のあちこちで人助けした二人は、すっかり森の魔女とその騎士として敬われるようになっていた。

 否定してもきりがないしそのままにしているが、何とも、気恥しい。

 

 乗ってくれという言葉に甘えて二人は早速荷車に腰を下ろしたが、実に揺れる。

 サスペンションも何もないような簡単な作りであるし、道も、舗装されているとはいいがたい、踏み固められた土の道だから、これは仕方がない。

 揺れに慣れている紙月は尻が痛いなと思う程度だったが、未来は落ち着かないようで、何度も座り方を変えてはいるようだった。

 

「その町って言うのには、どれくらいで着くんだい」

「そうですなあ、一里ほどですから、まあ半刻も見てもらえれば」

「どのくらいって?」

「一時間くらいらしい」

 

 コメンコから聞いたところによれば、時間は日の出から日の入りまでを六つに分けて、一刻二刻と数えるらしい。不定時法なのではっきりと定まっているわけではないが、仮に十二時間を六つに分けていると考えれば、一刻で二時間、半刻で一時間ということになるだろう。

 

 最初のうちは物珍しくあたりを見る余裕もあったが、なにしろなにもない。すぐに飽きてしまって、今度は今後の方針や現状といったものを話し合ってみたが、なにしろお軽い当世の大学生と、まじめだが経験の乏しい小学生である。すぐに話は行き詰った。

 

 仕方なしにしりとりでもしてみるが、これはなかなかに面白い収穫を得られた。

 

「りんご」

「ゴマ」

「孫の手」

「手袋」

「六波羅探題」

「なにそれ」

「そのうち歴史で習う」

「ふーん……い、い、イルカ」

「かもめ」

「めだか」

 

 と本人たちは順調にやっていたのだが、これがふしぎと御者席の村人にはさっぱりルールがわからないらしい。

 

「そりゃ、魔女様の禅問答か何かですかい?」

「いや、これは、あ。あー、いや、そんなものさ。気にしないでくれ」

「どうしたの?」

「しりとりは俺達の間でしかできないようだ」

 

 何故かと言えば、言葉が通じているように見えるのは謎の自動翻訳によるものであって、実際には全然違う言葉をしゃべっているのだ。だから単語も全く別の発音をしているはずで、それらの頭をとっても尻をとっても、彼らの言葉と日本語とでは全く違うのだから、成立しようがない。

 

「はー……じゃあまず言葉を覚えないとしりとりもできないね」

「なまじ通じちまってるから、覚えるの大変そうだな」

 

 そのようにして妙に間延びした一時間を経て、一行は町へたどり着いた。

 町は簡単な柵で覆われてはいたが、精々が建物を立派にして、道も舗装してあるかという程度で、村を大きくしたようなものと言った規模であった。聞けばもっと大きな街などは外壁があるようだが、ここにはそのようなものはない。

 

 一応の門があって、村人はそこで手形を出して、通過した。彼とはここでお別れである。

 二人の番が来て、身分証明か通行手形を出すように言われたので、コメンコに言われたように推薦状を出すと、コメンコの名前が利いた。

 

「なんだ、コメンコさんの知り合いか。事務所は大通りをまっすぐ突き抜けて、左手の方に看板が見えてくるよ」

「看板?」

「大きな斧の形をしてる。すぐわかるよ」

「ありがとう」

 

 二人は町に入り、未来は早速事務所に向かおうとしたが、紙月がそれを止めた。

 

「先に鎧を着ちまえ」

「どうして?」

「街中ではぐれても困るし、それに、冒険屋ってのはきっとやくざな連中だろう。俺と、小学生のお前じゃ、舐められるかもしれん」

「成程。鎧ならそんなことないもんね」

「そういうことだ」

 

 物陰で着替えて、ふたりは早速大通りを進んでいった。

 大通りには方々の村から集まった人たちによって市が形成されていて、作物や、卵、肉や種、苗、中には石や木材、薪といったものまで、さまざまなものが売りに出されていた。

 気にはなるが、それはこの一風変わった二人組に向けられる視線も同じようで、足を止めたらそのまま捕まりそうだと、二人は颯爽と通り抜けようとして、紙月がピンヒールに慣れず転び、結局抱き上げられて進むこととなった。

 

「すまん」

「靴替えたら?」

「せめてお前と目線合わせようとすると、ヒールでもないとなあ」

「ああ、うん、そう、それならしかたないかな」

 

 余計に目立つようになったので速足で進むと、やがて市が途切れ、きちんとした店舗を持つ店が並ぶ通りに出た。

 左手を見て歩くと、確かに大きな斧の形をした看板が見える。

 

「というより」

「大きな斧になんか書いてあるって感じだよね」

 

 実物の大斧にしか見えない。それも、未来が両手で持ち上げてどうにか様になるといった巨大な斧である。勿論、張りぼてではあるのだろうが、確かに目を引くし、威圧感もある。

 実態はよく知らないが、冒険屋という響きには実に似合っていた。

 

 建物は二階建てで、外から見た感じ、ちょっとした下宿かアパートといった感じだ。

 ドアを開けて中に入ってみると、中身も実際そんな感じで、すぐ横に受付のような、カウンターがあるばかりである。

 成程これが冒険屋の事務所なのか。と思って見回してみる。

 のだが。

 

「……あれ?」

「誰もいないね」

「朝早すぎたか?」

 

 市にやってくる荷車に乗せてもらったんだから、確かに朝は早い。早すぎるほど早いのかもしれない。街の人間の生活リズムは知らないが、夜明けから一時間後というのはまだ寝ている時間帯なのかもしれない。

 

「というか、俺なら寝てる」

「ぼくも起きたばっかりとかかな」

「出直すか?」

「うーん、暇をつぶせるところがあるといいんだけど」

「あれ、お客さん? 早いね」

 

 二人がドアを開けたところで問答していると、後ろから声がかかる。

 

「ごめんだけどちょっと詰めてね。荷物が多いもんだからさ」

「あ、ごめんなさい」

 

 二人が道を開けると、両手にたっぷりの袋を抱えた女性がよっこらせと入ってきて、カウンターにそれを積み上げる。中身は食料品の類のようだ。

 女性はがっしりとした体躯ながらも柔らかい顔立ちで、いかにも下宿のおかみさんといった風貌だった。

 

「こっちこそごめんなさい。ちょっと買い出し出てたから。えーと、お客さん?」

「あ、いえ、紹介があって」

「紹介?」

 

 紙月が推薦状を渡すと、女性は中を改めて、ふむんと頷いた。

 

「なんだ、冒険屋の推薦か。コメンコの推薦ってことは凄腕だね?」

「いやあ、比べたことが」

「やだねえ、冒険屋やろうってんなら、そこは胸を張らなきゃ。見栄があたしらの名刺じゃないか」

 

 からからと笑うおかみさんは、よし、よしと頷いて、二人を頭のてっぺんから足元まで眺めた。

 そしてまたよし、よし、と頷いて、カウンターの奥に引っ込んだ。

 

「なんにしろ、若手が来てくれるのはありがたいよ。コメンコが抜けてちょっと困ってたんだ」

「じゃあ雇ってもらえます?」

「推薦状もあるし、断るほど人手がないんだよ」

 

 改めて受付のカウンターに腰を下ろして、おかみさんはにっかり笑った。

 

「なにはともあれ、ようこそ《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》へ。あたしは所長のアドゾ」

「あー。紙月だ。よろしく」

「未来です」

 

 こうして、冒険屋事務所へとたどり着いたのだった。




用語解説

・《回復(ヒール)
 最初等の回復魔法《技能(スキル)》。《HP(ヒットポイント)》を少量回復する。より上位の回復魔法も存在するが、ボスなどと戦う場合には、専門の回復職でもなければ回復薬に頼った方が効率は良い。
『《回復(ヒール)》は覚えておいて損はないぞ。大概の傷には効くし、重ね掛けもできる。問題は、なんで治るのかはいまだにわからんちうことじゃな』

・《ウェストミンスターの目覚し時計》
 睡眠状態を解除するアイテム。効果範囲内の全員に効果があり、また時刻を設定してアラーム代わりにも使用できた。
『リンゴンリンゴン、鐘が鳴る。寝ぼけ眼をこじ開けて、まどろむ空気を一払い、死体さえも目覚めだす』

・《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》(Toporo de altulo)
 スプロの町(Spuro)に一軒だけ存在する冒険屋事務所。
 荒くれ者が多く、看板に斧を飾るように、所属する冒険屋も斧遣いが多い。

・アドゾ(Adzo)
 《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》の所長。
 四十がらみの人族女性。
 怪力を誇り、看板の斧を持ち上げることができるのは彼女の他数名しかいないという。



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第八話 言葉の神殿

前回のあらすじ
冒険屋事務所に辿り着いた二人を出迎えたのは、いかにもなおかみさんであった。


 無事冒険屋事務所に辿り着き、早速冒険屋になる、というわけにはいかなかった。

 というのも、じゃあさっそくこれに名前を、と言われて取り出された契約書が読めず、書けなかったからである。

 

「なんだい、あんたら文字ができないのかい」

「いやあ、森から出てきたもんで」

「なんだそりゃ。でも文字が読めなきゃ困るね。書けない分には適当な文字でいいんだけど、読めないと、後で揉めるからって組合で止められてるのさ」

 

 もっともな話である。

 とはいえ急に文字を覚えるというとも難しいなと顔を見合わせていると、アドゾはパンと手を叩いた。

 

「よし、よし、じゃあ紹介状書いたげるから先に神殿に行っといで」

「神殿?」

「このまま大通りを左に歩いて行って、突き当りに神殿があるから、そっちで覚えてくるといい」

 

 そう言って放り出されてしまったが、さすがに途方に暮れる二人である。

 

「神殿、ねえ。境界とか神殿とかが読み書き教えてくれるってのはそれっぽいけど」

「どれくらいかかるかなあ」

「一年で済むと思うか?」

 

 それまで路銀をどうしようと思いながら取り敢えず向かってみると、なるほど立派な建物の並ぶ通りに出る。

 道行く人に聞けば、このあたりの建物はみな神殿で、それぞれに神様を祀っているという。

 二人が行くように言われたのは言葉の神エスペラントの神殿である。

 道行く人はみな神殿に足を運ぶだけあって人が良く、聞けばこれこれこう行ってと親切に道を教えてもらえた。

 

「はいはい、迷える人よ、今日はどうしました」

 

 顔を出してみれば受付のようなものがあり、声をかければなんだか神父なんだか牧師なんだか医者なんだかよくわからないことを言われる。

 

「読み書きを覚えて来いと言われまして」

「はいはい。どなたかの紹介?」

「あ、はい。これ紹介状です」

「あー、アドゾのところの。お金はあります?」

「いや、全く」

 

 結局小鬼(オグレート)の分の報酬は事務所で換金してもらおうと思っていたのだが、そのまえに放り出されたのである。

 

「いいですいいですよ。組合に通しておきますので。それでどうしましょうか。読みだけなら二十分くらい。読み書きなら三十分くらいですかね」

「えっ」

「えっ」

「そんなに早いんですか」

「朝早いからまだ空いてますしね」

 

 どういう理屈なのか。

 しかし三十分で読み書きができるようになるならばと申し込んでみれば、早速奥の小部屋へと連れていかれる。

 椅子に座らされて、じゃあこれをと渡されたのは、いくらか厚めの冊子である。だいぶくたびれていて、ありがたい聖書という感じでもない。見れば棚には在庫がたっぷりあるし、何なら値札も見えた。

 

「ここでじっくり読んでいってくださいな。終わったら棚に戻して、声かけてお帰りください」

「はあ」

「じゃあごゆっくり」

「えっ」

 

 本当にそのまま、受付の人は去っていった。

 説法などもない。

 

 冊子の表紙を見てみたが、何やら見覚えのない言葉が書いてあるらしいのだけれど、まるで読めない。かろうじてアルファベットかなとは思うのだが、癖の強い筆記体で読めやしない。

 

 なんなのかと思いながら冊子を開いてみたが、そこにはさらさらと筆記体で何か書かれていて、内容はと言えばまるで読めない。読めるわけがない。読めるわけがないのだが、何となく目が吸い寄せられて、気づけばぱらりぱらりとページをめくっている。

 

 読めないままぱらぱらとめくっていくと、読めないのだが何となくわかったような気がしてくる。ときどき何かにつまずいた時はページを戻るのだが、そのページを読み直して戻ってみると、やっぱり何だか分かったような気がする。

 

 ドレスと甲冑が並んで本にのめりこんでいる様はなんだか異様であるが、二人はまるで気にした様子もなく没頭しているし、時折通りがかる人も、その格好には小首をかしげるが、やっていること自体には何も疑問を抱かないらしく、自然に通り過ぎていってしまう。

 

 十分かそこらして一度頭から最後まで読んでしまい、もう一度頭から開くと、今度は先程よりもわかったような気がする。先程までは名詞なんだか動詞なんだかそれすらもわからなかったのだが、今度はそのあたりの関係というものが読めてくる。いや、相変わらず読めているわけではないのだが、それでも何となく全体の輪郭というか雰囲気のようなものがわかってくるような気がする。

 

 普段読書など全然しないというのに、不思議と集中力が途切れない。そして読むということにもう疑問が起きない。

 

 また十分ほどしてもう一度頭から読み始めると、今度はきちんと文として読めてくる。文という文に輪郭が感じられ、その構成がすんなりと頭に入ってくる。つっかかることがなくなり、するりするりと文の内容が読み解けてくる。わかったような気がするのではない。読めるのである。ぐいぐい読める。

 

 そしてまた十分ほどしてすっかり読み終えると、ようやく顔を上げることができた。

 そうして目をぱちくりさせていると、瞼の裏に文字がちらつくような気さえする。

 

 先に読み終えた未来が自分の読んでいた本の表紙を向けてくるので、紙月は咄嗟にそれを読み上げた。

 

「馬鹿でもわかる算術基礎」

 

 そのようにして、二人は文字を読めるようになっていた。

 

 ことこうなると、書けるということには全くの疑念もわかなくなってきた。

 試し書き用にとインクとペン、紙を持ってきてくれたのだが、使い方の慣れないこれらの道具にもあっさりと手は馴染み、自然と簡単な文章を書けるようになっていた。

 

「はい、大丈夫みたいですね」

「すごいな、これは」

「子どもなんかにやらせると、手が覚えないんで字が汚くなるんですけど、大人だとまあ、時間もないですし仕方ないですからね。綺麗な字を維持したかったら毎日練習でもしてください」

「これ、忘れたりはしないんですか?」

「使わない言葉なんかは忘れてきますよ。それは誰でも一緒。試験の一夜漬けには向きませんよ」

 

 ともあれ、これで一応言葉は覚えたわけである。

 

「異世界すごいね」

「異世界というか、神様がいるんだな」

「あ、そう言えば」

 

 言葉の神エスペラントと言ったか。

 何となく聞き覚えがあるようなないような響きだが、ともあれこれで言葉を覚えられた。

 

「これでしりとりができるな」

「違うでしょ」

「そうだったそうだった。早速事務所に戻るか」

 

 事務所に戻ってみると、受付では年の若い男が待ち構えていた。

 

「お、あんたらが新入りだね。おかみさん、奥で待ってるよ」

 

 言われて奥の応接室とやらに顔を出すと、ソファとローテーブルの応接セットに契約書を並べてアドゾが待ち構えていた。

 

「や、おかえり。さっさと書いてもらおうか」

 

 なるほど、神殿の効果というものは全く疑われることのないものであるらしかった。

 

 二人は早速席に着き、未来がペンを手に取りかけたが、紙月がそれを止めた。

 

「契約書はきちんと読まないとな」

 

 とはいえ簡単なもので、冒険屋はその進退を自由に決められる、つまり辞めるのは自由ということや、依頼料からは組合費や仲介料といったものが天引きされること、寮を使用する場合の取り決めなどが書いてあるもので、裏をかくような文章はない。

 

「ん、わかった。寮は使わせてもらいたい。二人で一部屋、空いてますか?」

「空いてるよ。規約はまたもうちょっと細かくなるけど、簡単に言や、物を壊すな、汚すな、売るな、くらいさ。門限はない。飯もない。ただ設備は使っていい。基本自己責任」

「便所は?」

「一階に共用がある」

「風呂は?」

「神殿通りに風呂の神殿がある。なんなら割引券が受付にあるよ」

「わかった」

「サインしていい?」

「よさそうだ」

 

 二人がサインをすると、アドゾはにっかりと笑って。二人の肩を叩いた。

 

「よし、よし、今日からよろしく頼むよ。とはいえ、まだ見習いだからね。ちょいと実力を見せてもらおう」

「実力?」

「コメンコの推薦状には二人で小鬼(オグレート)二十五体を倒したとあったね」

「あ、これ、証明です」

「ふん……焼けてるが、確かに二十五だ」

 

 アドゾは手金庫から銅貨の入った袋を取り出して、几帳面に数えてから寄越した。

 

「二百……五十、枚。ちょうどだね」

「確かに」

「まあ数は揃えてきたけど、所詮小鬼(オグレート)だからね。もうちょっと実力のわかると相手で試験したい」

「試験次第で昇給?」

「そこまでじゃないよ。でもいい依頼はやれるかもしれないね」

 

 まだ日も高いので、早速その日のうちに出かけることとなった。




用語解説

・言葉の神エスペラント
 かつて隣人たちがみな言葉も通じず相争っていた時代に現れ、交易共通語(リンガフランカ)なるひとつなぎの言語を授けて、争うだけでなく分かり合う道を与えたとされる。

・風呂の神殿
 風呂の神マルメドゥーゾ(Mal-Meduzo)を崇拝する神殿。
 入浴することが祈祷の形であるという一風変わった神殿で、非常に洗練された浴場を公衆に有料で開いている。
 衛生目的で帝国政府が補助金を出しているので、今一番伸びている神殿ともいわれる。



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第九話 豚鬼狩り

前回のあらすじ
言葉の神エスペラントの加護でこの世界の文字の読み書きを習得した二人。
お勉強の後は、体育の時間。


「んじゃま、今日はよろしくたのむよ」

「よろしくお願いします」

 

 見届け人兼、慣れない見習い二人の補助としてつけられたのが、少し先輩にあたるハキロという男だった。三十少し前と言ったところで、貫禄を見せようとしてかひげなど生やしているが、若々しい顔立ちのせいでかえって浮いて見えていた。

 

「えーっと、シヅキとミライだったな。いままで魔獣の相手は?」

「この前の、小鬼(オグレート)というやつだけです」

「小鬼はまあ、数の内にはなあ。いや、二十五匹だったか。数ではあるよな、うん」

「今日は何という奴を?」

「まあ小鬼(オグレート)よりは手ごわい。豚鬼(オルコ)っていう」

「おるこ」

小鬼(オグレート)のでかいやつみたいなんだけどな、未来よりは小さいけど、大の大人よりはちとでかい」

「じゃあ大分強いんですか?」

「普通のおっさんよりは強い。だが冒険屋は普通のおっさんより強くなきゃやってられないだろ」

「確かに」

 

 ハキロという男は噛み砕いたものの言い方ができるようだった。

 

「ちなみに俺は普通のおっさんより強いが、普通のおっさん相手でもさすがに集団が相手だと敵わん」

「成程」

 

 ハキロという男が冒険屋の一番低いところだと仮定すると、豚鬼(オルコ)とやらに勝てるのが冒険屋としての最低限のあたりであるらしい。

 その冒険屋の試金石ともいえる魔獣が、近くの森で見られたらしい。

 

豚鬼(オルコ)も群れをつくる。でも気性が荒いから、普通はリーダー格がいないと群れにならない。今回のも恐らく一頭か、いてもつがいの二頭だってことだ」

「それ以上だったら?」

「逃げる」

「逃げていいんですか?」

「逃げなきゃ誰が「豚鬼(オルコ)の群れを報告するんだよ」

「それもそうか」

「まあでも、一頭でも危ないからな。急いで倒す。早めの対処だな」

 

 ハキロとの話では、一頭であれば、どちらか一人か、二人がかりでやってもらう。二頭なら二人がかりで。それ以上なら逃げる、ということになった。

 豚鬼(オルコ)の実力がわからない以上、また自分たちがどれくらい戦えるのかわからない以上、二人もこれに同意した。

 

 豚鬼(オルコ)が出たというのは、近くの森であった。つまり、村のあった近くの森である。歩いていくのかと思ったら、馬車を使うという。

 

「冒険屋は何かと足が入用だからな。今回はお前さんたちの試験ってことで、特別に事務所のを一台使っていいことになった。普段は有料だから、気をつけろよ」

 

 馬車を引くのは二足歩行の恐竜のような動物だった。

 巨大な鶏も見たのだからそこまで驚きは大きくなかったが、さすがに爬虫類は迫力が違う。

 

「お、狗蜥蜴(フンドラセルト)を見るのは初めてかい」

「ええ、フンド、ラセルトって言うんですか?」

「こう見えて雑食で、大人しいやつだよ。馬にも使うし、荷牽きもできる。よくしつけた奴なら子供の面倒だって見るさ」

 

 ハキロがなでるとハフハフと舌を出すあたりは、なるほど犬のようでさえある。首元にはたてがみもあるし、触ってみれば温血動物であるようだ。

 鎧という安全圏の中にいるからか、それとも彼の中の男の子が年齢相応に騒ぐのか、未来はこの狗蜥蜴(フンドラセルト)がすっかり気に入ったようだった。

 

 幌のついた車に乗り込み、いざ駆けだすと道のりはすぐだった。

 なにしろ、この狗蜥蜴(フンドラセルト)という生き物は足が速かった。そしてまた車もただの荷車とは違って簡単なサスペンションが組み込まれているらしく、揺れも少ない。

 風を頬にうけながらきゃいきゃいと楽しんでいれば、森につくまではすぐだった。

 

 森の入り口で車を止め、三人は森に踏みこんだ。

 御者が離れても心配がないというのが、この力強い馬の良いところでもあった。

 

豚鬼(オルコ)を見つけるのにはちょっとしたコツさえ覚えればすぐだ」

「コツ」

「やつら、独特のにおいがするんだ。悪臭ってわけじゃないけど、豚鬼(オルコ)臭さっていうのかね。掘り返したばかりの土のような感じがする」

「成程」

 

 それなら昨日、畑を耕して嗅いだばかりである。

 ハイエルフはそこまで嗅覚が強くないようでいまいちわからないが、獣人の未来は早速顔をあちらこちらに向けて匂いを嗅いでいる。

 

「わかるのか?」

「なんとなくは。でも、多分普通の人よりは嗅ぎ分けられていると思う」

「未来は獣人(ナワル)だったか。熊か何かか?」

「なんだろ。犬?」

「きっと狼だよ」

「なんにせよ鼻は利きそうだな」

 

 しかし、異常は匂いよりも先に音として現れた。

 

「ハキロさん」

「なんだ」

豚鬼(オルコ)って物凄く暴れるの?」

「何にもないのに大暴れしてたらおかしいだろう」

「おかしいですよね」

「おかしいな」

 

 まるで大男が何人も暴れるような音である。

 叫び声のような声も聞こえるし、木が圧し折れるようなめしめしといった音も聞こえる。

 すでに一行は脚を止めて、各々に身構えていた。

 血の匂いだ、と未来が鋭く言ったが、言わずともすでに二人にも惨劇の匂いが感じ取れていた。

 

 じりじりと足を進めていくと、木々の向こうに豚鬼(オルコ)の姿が見えた。一頭、二頭、……五頭はいる。群れだ。

 もっともその群れの殆どはすでに死んでいて、残る一頭も今しがたバリバリと頭から食われているところだったが。

 

「一頭もいなくなりましたけど、どうします?」

「逃げたい」

「俺もです」

「しかし腰が抜けて無理だ」

「勘弁してくださいよ」

 

 目の前の惨劇に、つまりは食い散らかされた豚鬼(オルコ)に、薙ぎ払われた森の木々、そしてその中心で絶賛お昼御飯中である巨大な怪物の姿に、胃の中身を吐き戻さなかったのは単にそれどころではなかったからに過ぎない。

 すっかり腰を抜かしたハキロも大概だが、紙月も足が震えてピンヒールで走るなんてことはできそうにない。頼りの未来は鎧の上からなのでよくわからないが、完全に硬直しているように見えた。

 

 昼飯に夢中になっている隙にいくらか後ずさりながら、紙月はハキロに尋ねた。

 

「ハキロさん、あれは?」

「お、俺も話にしか聞いたことがないが、多分地竜だ。そんなに大きくないから、まだ幼獣だと思うが」

「あれで小さいのかよ……」

 

 なにしろ豚鬼(オルコ)を頭からバリバリとやってのける怪物である。

 巨大な亀のような姿なのだが、頭から尾まで五メートルはありそうだし、高さも紙月とどっこいくらいだろう。苔むしたような全身は非常に攻撃的な棘に覆われており、特にその大きな口と言ったら、未来のような大甲冑でも平気でバリバリとやってしまいそうである。

 

「どういうやつなんです」

「迂闊に手を出さなきゃ大人しいやつらしい。ただ、どこまでもまっすぐ歩いて、進路上のものを何でも壊して食べちまうから、見つけたらすぐに避難警報を出さにゃならん」

「倒し方は?」

「倒し方!? 竜種だぞ! 勝てるかよ!」

 

 成程、と紙月は振り返った。振り返った先、つまり地竜の進む先には、村がある。小さい村は、きっとこの巨大な怪物が通り過ぎた後は何にも残るまい。それを見て見ぬふりするというのは、没義道にもほどがあるだろう。

 コメンコに折角用意してやった畑も、台無しになる。

 

「未来」

「うん、わかった」

「ハキロさん、俺達はちょっとあいつを止めることにする」

「ば、馬鹿言うんじゃねえ! 早く逃げねえとお前たちまで!」

「なに……無理無駄無謀はいつものことだ」

「そうそう。何しろぼくら、無駄の塊でできてるもん」

「何故ならそこに、」

「浪漫があるから!」

「お、お前ら一体……?」

 

 紙月はとんがり帽子の下で不敵に笑った。

 

「《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》。世界の果てを見てきた二人さ」




用語解説

・ハキロ(Hakilo)
 二十代後半の人族男性。斧遣い。
 冒険屋としては一般的な強度と、巨人の斧(・トボロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所の中では比較的良心的な人柄を誇る。
 レベルに換算すると二十弱程度か。

豚鬼(オルコ)(Orko)
 緑色の肌をした蛮族。動くものは基本的に襲って食べるし、動かないものも齧って試してから食べる非文明人。
 人族以上の体力、腕力と、コツメカワウソ以上の優れた知能を誇る。
 角猪(コルナプロ)を家畜として利用することが知られている他、略奪した金属器を使用する事例が報告されている。

狗蜥蜴(フンドラセルト)(Hundo-lacerto)
 二足歩行の雑食性の鱗獣。首元にたてがみがある。群れをつくる性質があり、人間をそのリーダーとして認めた場合、とても頼りになるパートナーとなってくれるだろう。

・地竜
 空を飛ぶことはできないが、飛竜以上に体表が頑丈過ぎてまともに攻撃が通らない非常にタフな竜種。
 硬い、重い、遅いと三拍子そろっており、さらに外界に対してかなり鈍いので、下手をすると攻撃しても気づかれないでスルーされることさえある。
 問題は、一度進路を決めるとどこまでもまっすぐ進むため、進路上の障害物は城壁だろうと街だろうと何もかも破壊して進むことで、歩く災害と言っていい。

・《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)
 《エンズビル・オンライン》において、極振りをはじめとした尖り過ぎた性能を鍛え上げた廃人諸君を畏敬と畏怖とドン引きを持って呼び習わすあだ名。キャラも狂っているしプレイヤーも狂っているともっぱらの噂。一度酔狂でギルドを組んで大規模PvPに参戦した際に敵味方問わず盛大な犠牲者を出しているはた迷惑な面子。
 紙月は多重詠唱《マルチキャスト》で魔法を連発し過ぎてサーバーを落としたことがある。
 未来は砦の入り口で紙月と組んで通せんぼして、「無敵要塞」「詰んだ」「不具合」などと呼ばれた。



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第十話 地竜狩り

前回のあらすじ
怪物退治に出向いたら怪物がいた。


「さて、どうしよっか紙月」

「見た感じ土属性のボスって感じだな」

「じゃあ木属性だ」

「セット覚えてるか?」

「大丈夫」

 

 未来はすぐにステータスメニューを開き、装備を切り替えた。

 いままで装備していた《白亜の雪鎧》は高い防御力を誇るが、属性防御では対炎熱系であり、対土属性に特化したものではない。

 素早く着替えた鎧は、見た目がいささか特殊な鎧である。まるで大樹に体を包み込まれたような、あるいは人の形をした大樹そのものと言った木製の鎧である。これは《ドライアドの破魔鎧》といい、非常に高い防御力と土属性への耐性を持つものだ。

 また、いままでは邪魔だったので持っていなかった楯も、揃いの《ドライアドの破魔楯》である。

 

 武器は、ない。

 《楯騎士(シールダー)》というものは、攻撃力を高める武器の一切を装備できない代わりに、防御力を極限まで高めた、一つの浪漫職なのである。そしてそれを担う未来自身、キャラクターの成長性を全て生命力(バイタリティ)を始めとした防御のみに注いできた防御狂い。サーバーで最も防御力の高い、逆に言えばそれ以外なんの取り柄もない、一つの地平に辿り着いたものなのである。

 

 それこそが、盾の《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》、《楯騎士(シールダー)》METOだったのだ。

 

「二人ともぼくの後ろに!」

 

 未来は盾を構え、どっしりと腰をおろす。

 《ドライアドの破魔鎧》は強大な防御力を誇るが、移動速度を引き換えにする。つまり、いつものことだ。未来は動く必要などない。ここで盾を構えるだけでいい。

 

「《タワーシールド・オブ・エント》!!」

 

 未来の構えた盾を中心に、植物の精霊たちの加護を受けた緑色の障壁が張り巡らされ、それに追従するように足もとの地面からは逆茂木のように木々が生えそろう。

 

 異常に気付いたらしい地竜が咆哮を上げて突進するが、どっしりと構えた盾、いや、もはや木々の壁はこゆるぎもしない。

 

「ち、地竜の突進を受け止めた!?」

「まだまだこれから」

 

 ひらり、とハイエルフの体が身軽に鎧の上によじ登る。

 

「さって、美味しく狩らせてもらうぜ!」

 

 紙月が両手を持ち上げる。それは想像上のショートカットキーを叩く仕草だ。遠慮はいらない。右手は地竜を指さしロックし、左手は流れるようにショートカットキーを叩き続ける。

 

「《寄生木(ミストルティン)》! の! 三十六連!」

 

 ふわりふわりと淡い緑色をした()()()()が地竜の体に降り注ぐ。淡雪のように降り注ぐ。けれどそれは淡雪のように優しくなどない。地竜の体に降り注ぐや、それはふわふわの内側から鋭い種を突き出して、次々に地竜の体をうがち始める。

 

 大した痛みなどではないのだろう。精々がつつかれた程度にしか感じないのだろう。しかしそれは種を深々と肉のうちにうずめていき、そして次々と若芽を茂らせていく。

 地竜が寒気を覚えた時にはもう遅い。成長した寄生木たちは、つぎつぎに地竜の《HP(ヒットポイント)》を吸収しては紙月へと流しているのだ。

 

 《寄生木(ミストルティン)》。

 それは植物系の魔法の中でもかなり低レベルのものだ。相手に命中してからしばらく、少しずつ《HP(ヒットポイント)》を吸収し、使用者の《HP(ヒットポイント)》を回復させる。その程度のものだ。

 しかしその程度が、三十六重なればどうなるか。そして《待機時間(リキャストタイム)》がすめば、さらに三十六連がお見舞いされる。それがすめば、更に三十六連。

 時間がたてばたつほどに、吸収される命は莫大なものとなっていく。

 

 このままでは吸い殺される。

 そう気づいた地竜は死に物狂いで壁に挑むが、強固な木属性の壁は、地竜の攻撃を受け止めてなおびくともしない。それでも、それでも攻撃し続ければいつかは崩れる。どんなものでも必ず壊れる。それが地竜の哲学だった。

 実際、未来は自分の支える盾に相当の負荷がかかっているのを感じていた。背筋から何かが少しずつ失われていく感覚がある。致命的な何かが。それはかつてゲーム内で《SP(スキルポイント)》と呼ばれた何かであり、この世界で魔力と呼ばれる何かであり、そして生命力に似た何かだった。

 

「紙月! 結構きつい!」

「オーケイ! ちょいと持久戦になりそうだ! パスつないで耐久戦だ!」

「わかった!」

 

 まず紙月が唱えたのは、《ディストリビュート・オブ・マナ》の呪文だった。これは他のプレイヤーとの間にある種の経路を作り、そこをとおして《SP(スキルポイント)》を分けあたえる《技能(スキル)》である。

 莫大な《SP(スキルポイント)》と回復速度を誇る紙月からすれば、未来が《技能(スキル)》を維持するだけの《SP(スキルポイント)》を分け与えることは造作もない。とはいえ、それも長続きすればじり貧である。

 

「いい感じに《HP(ヒットポイント)》が溢れてきたな……《マナ・コンヴァージョン》!」

 

 だから次に紙月が唱えるのは、《HP(ヒットポイント)》を《SP(スキルポイント)》に変換する魔法《技能(スキル)》。

 寄生木が回収してくる有り余るほどの《HP(ヒットポイント)》を《SP(スキルポイント)》に変換すればどうなるか。答えは決まっている。

 有り余る《SP(スキルポイント)》は《ディストリビュート・オブ・マナ》の経路を通じて未来の壁を維持する《SP(スキルポイント)》となる。

 未来が壁を維持すれば、その時間分、地竜は体力を吸われる。吸われた《HP(ヒットポイント)》は《SP(スキルポイント)》に変換され、そして未来に渡され、そしてまた壁を維持する力になり、そうしてサイクルが完成する。

 

 地竜がどの段階で己の死を覚悟したのかは不明だったが、それでも、地竜は最後まで地竜の矜持にかけて、大きく口を開いた。音を立てて大気が吸い込まれ、体内で強力に圧縮され、莫大な魔力が精製され、そして。

 

「未来! こらえろ! でかいの来るぞ!」

「オーケイ! 《金城(キャスル・オ)鉄壁(ブ・アイロン)》!!」

 

 未来が構えた盾に、強力な防御力増大のスキルがかけられる。盾は深々と地面に突き立ち、《ドライアドの破魔鎧》からはずるずると樹根が伸びて地面に錨のように突き刺さった。

 

 そして、破滅が来た。

 

 幼体とはいえ、衰弱しているとはいえ、それは地竜だった。それは竜だった。

 周囲の魔力をむさぼりにむさぼり、圧縮生成されたそれが盾に向けて吐き出された瞬間、視界は真っ白に染め上げられ、耳はあまりの音にただ耳鳴りのような響きだけを伝え、そして肌だけが確かなその衝撃を感じ取っていた。

 

「お、おおおおおおおおおおおッ!!」

 

 スキルによって強化された樹木の盾は、それでも端から焼け焦げ、焼き払われ、吹き飛ばされていく。それを支える未来の巨体さえもが上下に激しくがくがくと揺さぶられ、しがみついている紙月はと言えばもはや吹き飛ばされる寸前だった。

 

 しかしその衝撃も、やってきた時と同じく、あっけなさを伴うほどに唐突に途切れて、静まる。

 遅れてやってきた爆音が空へと駆け抜け、盾にさえぎられ横へと抜けていった余波が木々を圧し折り、そして、壊滅的な破壊が去った後、その場に訪れたのはしんと静まり返った静寂だった。

 

 爆心地に残ったのは、ただただおびただしい数の寄生木に身をむしばまれ、枯れ果てて枯死した、巨木のようなそのむくろだけであった。

 

「んっ………死んだかな。《HP(ヒットポイント)》が流れてこなくなった」

「大丈夫そう?」

「これで生きてたらちょっと自信なくなるな」

 

 ものの十分かそこら。幼体とはいえ地竜を屠った二人の会話がこれである。

 

「ハキロさーん、ちょっと生死確かめてきてくれる?」

「ばっ、ばばばば馬鹿言え! そんなおっとろしいことできるか!」

「だよねえ」

 

 正直な所を言えば紙月だっていやだった。

 

「まあ、一応ぼくが確認するよ。最悪ぼくなら一撃で死ぬことはないだろうし」

「すまん、じゃあ、頼む」

 

 魔法を解いて紙月がひらりと鎧の上から飛び降りる。

 未来はゆっくりと《タワーシールド・オブ・エント》と結界を解き、鎧を動きやすいいつもの《白亜の雪鎧》に切り替えると、じわじわと地竜のむくろに近づいた。

 

「……まるでミイラだ」

「触れるか?」

「やってみる」

「おいおい……」

 

 未来が恐る恐るその頭部に触れてみると、まだほんのり温かいような気はしたが、ぴくりとも動かない。強めに押せば、ぐらりとかしぐ。試しに頭をがっしりと掴んで引いてみると、ミシミシと音を立てて首が伸びるので、慌ててやめた。

 

「ハキロさん、地竜ってここまでやっても生きてるもん?」

「知るもんか……でも、こりゃ、死んでるだろ。死んでなきゃ、おかしいな」

 

 ひとまずの安全がわかり、まず紙月が試しに地竜の体に触れてみて、ハキロもおっかなびっくりそれに続いた。それでわかったのは、この地竜が極度に衰弱して死んでしまったっということだった。青々と茂る寄生木に、そして心なしつやつやとした紙月に、すっかりと養分を吸いつくされてしまったのだった。

 

「…………試験、どうしましょっか」

「転がってる死体から左耳きりとりゃ、それが証だよ」

 

 呆然とそう言うハキロは試験どころではないようだった。まあ、豚鬼(オルコ)退治にきてその何十倍も強いらしい魔獣を退治してしまったのだ。実際、試験も何もあったものではない。

 

 とはいえ。

 

「俺達……勝ったんだな」

「ゲーム内と同じように、できるもんだね」

 

 やっている間はゲーム感覚だったが、いざ終わらせてみると、その行為が一つの命を絶ったのである。勿論それは必要な行為だったと確信しているが、それでも、これが決してゲームなどではなく、地に足のついた現実なのだと、どうしようもなく理解させられるのだった。

 

 そして。

 

「うええ……グロ」

「紙月、代わろっか?」

「お前大丈夫なの?」

「魚さばいてるみたいなもんだって呪文唱えてる」

「いいよ、やるよ自分で。というか俺魚さばけねえな」

「いまどき魚くらいさばけないと」

「うう、小学生強いな」

 

 人型の生き物の耳を切り取るというのは、精神的に言えば余程の苦行だった。




用語解説

・属性
 《エンズビル・オンライン》では、五行思想、つまり木火土金水を中心にした属性が存在した。光や闇、無属性なども存在するが、基本的にこの五属性で回っていたと言っていいい。

・《ドライアドの破魔鎧》
 いくつかの高難度イベントをクリアすることで得られる素材をもとに作られる。
 土属性の攻撃に対して完全な耐性を持つほか、純粋な防御力自体もかなりの高水準にある。
 他の高レベル属性鎧と比べて比較的使用されることが少ない理由は、「見た目が格好悪い」からである。
『お前が善き心を持つ限り、ドライアドはお前に力を貸すだろう。ただし忘れるな、お前は常にドライアドに包まれているということの意味を』

・《ドライアドの破魔楯》
 《ドライアドの破魔鎧》とセットの盾。木属性の《技能(スキル)》の効果を底上げする。
 見た目は地味だが性能はよく、古参プレイヤーからは「最上級の鍋の蓋」の異名で呼ばれる。
『お前が悪しき心を持って臨んだ時、ドライアドはお前を絞め殺す。尤も、ドライアドにとっての悪しき心を、我らが見定める術はないが』

・《タワーシールド・オブ・エント》
 《楯騎士(シールダー)》の覚える木属性防御《技能(スキル)》の中で最上位に当たる《技能(スキル)》。
 範囲内の味方全体に効果は及ぶが、使用中は身動きが取れず、また常に《SP(スキルポイント)》を消費する。
『エントたちは激怒するまでに十分な時間をかける。そして気の遠くなるほどの時の果てに、エントたちの激怒は十分な時間をもって振るわれる』

・《寄生木(ミストルティン)
 植物系の最初等魔法《技能(スキル)》。命中した相手から十秒間の間、一秒間隔で十回、《HP(ヒットポイント)》を少量吸収して、使用者の《HP(ヒットポイント)》をその半分程度回復させる。スキルレベルを上げると吸収時間も増え、《HP(ヒットポイント)》回復率も増えるが、性能的にそこまで重視されるスキルではない。
 紙月の場合は、多重詠唱(マルチキャスト)と、その他《待機時間(リキャストタイム)》を短縮させる廃人装備などの組み合わせによって凶悪な破壊力を持たせている。
 ただし最初等だけあって、PvPでは簡単に対策される。
『《寄生木(ミストルティン)》の恐ろしい所は、気づいた時にはすでに遅いという点じゃな。学長のジジイを学園に寄生する《寄生木(ミストルティン)》といった奴、後で部屋に来なさい。飴ちゃん上げよう』

・《ディストリビュート・オブ・マナ》
 自身の《SP(スキルポイント)》を他者に付与する特殊な《技能(スキル)》。ややレベルの高いスキルではあるが、使用する状況が限られているため、積極的に覚えるプレイヤーは少ない。
『《ディストリビュート・オブ・マナ》は魔力を融通する便利な魔法じゃ。何が便利と言って、あー、まあ使い方は各自考えるとよい。若い頭でこねくり回せ』

・《マナ・コンヴァージョン》
 《HP(ヒットポイント)》を《SP(スキルポイント)》に変換する特殊なスキル。ややレベルの高いスキルではあるが、使用する状況が限られているため、積極的に覚えるプレイヤーは少ない。
『体力を魔力に変換するっちゅうのは、もともと魔力の方が多い《魔術師(キャスター)》にとっちゃじり貧の状況を指す……わけでもないんじゃな、これが』

・《金城(キャスル・オ)鉄壁(ブ・アイロン)
 《楯騎士(シールダー)》の覚える、自身の防御力を増大させるスキル。他の《技能(スキル)》とも重複する使い勝手のいい《技能(スキル)》である。
 特に未来の場合は《技能(スキル)》レベルを最大まで上げており、集団戦を前提としているレイド・ボスの攻撃を真正面から受け止めて無傷で済むほどである。
 勿論、使用中は動けない。
『《金城(キャスル・オ)鉄壁(ブ・アイロン)》! これぞ《楯騎士(シールダー)》の最大の見ものよな! ………うむ、地味だな!』



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第十一話 地竜警報

前回のあらすじ
無事地竜を倒した一行。
問題はこれをどうするかだが。


「さて。とりあえず試験は済んだけど、これどうしましょうかね」

「俺が聞きてえよ……」

 

 無事豚鬼(オルコ)の討伐証明は得られたが、問題は地竜の方である。

 

「見なかったことにするってのは?」

「そうしてえのはやまやまなんだけどよ、地竜速報ってのがあるんだ」

「速報」

 

 ハキロの語るところによれば、地竜というものは魔獣というよりもはや天災として数えられているらしく、それを発見した場合は速やかに情報を共有することで、現在地竜がどのあたりにいるか、どの程度の速度なのかをもとに避難警報を作り、どうしようもなく避難が不可能な要所であるとかの場合を除いて、逃げの一手であるらしい。

 またこうして地竜の情報を共有することで、今後地竜の通るルートの予想や、地竜の発生ポイントなどを予想するらしい。

 

「幼体とはいえ、こんなに人里に近づいているってのはマジでヤベえんだ。むしろ幼体ってのがヤベえ。なにしろどっか近いところで孵化したってことだからほんとヤベえんだ」

 

 動揺のあまり語彙力が死亡しているハキロに詳しく聞いたところ、つまりこういうことであるらしい。

 

 幼体を発見したということは、卵が孵化した地点が近いということである。地竜が一度に卵をいくつ産み、そのうちいくつが孵化するのか、孵化するとしてそれまでにどれくらいかかるのか、また卵は地竜自身が暖めるのか、それとも放置しているのか、そのあたりはあまりにも危険な生き物なので研究が進んでいないようだが、最悪を想定すればいくつかの卵がすでに孵化して、近隣へと幼体が足を伸ばしている可能性があるのだ。

 

「だから急いで報告しなきゃなんねえんだけど、こんなもんどう報告しろってんだよ……」

「素直に報告するほかないんじゃ……」

「新人二人が地竜の幼体を見つけて倒しちまいましたってか? 頭がおかしくなったと思われるぜ」

 

 二人は顔を見合わせた。

 地竜というものの脅威がいまいちわかっていないのだが、今のちょっとしたボスクラスの敵がただの()()なのだとすれば、大人の地竜がどれくらい危険なのかは想像がつく。

 いわばこれは、冒険に出たばかりのひのきの棒装備で四天王の一角を崩したくらいの衝撃なのだろう。たとえが正しいのかどうかを確認できる相手はこの世界には存在しないのだが。

 

 三人はしばしうなり、そして紙月がふと思いついた。慣れようと思って豚鬼(オルコ)の耳を革袋越しに触っていた時のことである。

 

「討伐証明はどこなんです?」

「はァ?」

「地竜の討伐証明」

「そんなもん知るわけねえだろ、討伐したなんて話聞かねえぞ」

「じゃあどこでもいいから、それっぽい部分持っていけば証拠になるんじゃ?」

「…………なると思うか、あれ?」

「……見る人が見てくれれば」

「だよなあ」

 

 なにしろ、丸々一体ほぼ無傷で残っているとはいえ、普通の戦闘とは思えぬ衰弱死した状態である。

 これは、戦闘の末に倒したと説明するより、つまみ食いした豚鬼(オルコ)が悪性の寄生虫でも腹に飼っていて、それに感染した結果腹を下して衰弱死したと言われた方がまだ納得できるだろう。

 

「うー、でも、それしかねえもんな。よし、俺も精いっぱい説明するから、お前らも頼む」

「わかりました。信じてもらえねえと、地竜の被害が拡大するかもしれねえんでしょ?」

「そうだ。最悪、もうすでに被害が出てるかもしれねえから、急がねえとな」

 

 三人はしばし地竜の体を検分して、やはり一番わかりやすかろうということで首を持っていくことにした。牙や爪だけでは信用されないかもしれないが、首となればさすがに一個体がいたということは説明できるだろう。

 

 切り落とすにあたっては未来が首を掴んでいっぱいに伸ばした状態で、ハキロが斧を振り下ろしたのだが、衰弱死してもなお地竜と言ったところか、所詮最下級冒険屋と言ったところか、斧の方が、欠けた。

 仕方がなく今度は紙月が強化魔法をかけて試してみたところ、今度は欠けなかったものの、弾かれる。いよいよもって三十六連強化魔法という大人げなさを発揮してようやく首を切り落とすことに成功したものの、これには一同、安堵するよりも恐怖した。

 

「物理攻撃ほぼ効かねえんじゃねえのかこいつ」

「普通は魔法も弾くらしい。お前の特殊な奴だからどうにかなったんだろうな」

「子供でこれってことは、大人は手に負えないんじゃないの?」

 

 顔を見合わせたが、いい色は見当たらなかった。

 

 一行はとにかく急げと首を抱えて、抱えようとして、なんとか未来が抱え上げたもののまともに歩けたものではなく、難儀した。

 

「一旦インベントリ入れねえか?」

「そうだね」

 

 ゲーム脳の二人が獲得アイテムとしてインベントリに放り込むと、ハキロは目を丸くした。

 

「《自在蔵(ポスタープロ)》か? それにしたってすげえ容量だな。それにどこに……?」

「あー、企業秘密ってことで」

 

 ともかく嵩張らなくて済んだが、ハキロはしばらく、重さは変わらないはずなのだがと首を傾げながら、それでも無理に納得しながら、馬車に辿り着くや走らせ始めた。それどころではないのである。

 そして困惑していたのは二人もであった。

 

「紙月、良く歩けるよね。いつも重量ぎりぎりなのに」

「それが、どうもこの首、重量値が設定されてないっぽいんだよな」

「どういうこと?」

「そもそものゲーム内アイテムはほら、重量値とか、説明とか出るだろ」

「うん」

「でもこの首は何にも書いてねえんだよ。この世界のものは設定がついてないのかもしれん」

「……誰の?」

「誰のっていうか、何の、設定なんだろうなあ」

 

 《エンズビル・オンライン》においては、全てのアイテムに重量値が設定されていた。そしてそれは、プレイヤーキャラクターの力強さ(ストレングス)生命力(バイタリティ)から算出される所持限界量までしか持ち運べなかった。限界に近付けば移動速度に制限が付き、限界以上には持つこともできない。そういう制限があった。

 この世界ではそれに類する制限がない、もしくは忘れられているのか。或いは面倒臭かったのか。

 誰が? 或いは何が?

 

 紙月たちをこの世界に連れてきた何者かなのだとすれば、それは本当に、何者だというのだろうか。

 

「……丸々持ち運べたんじゃ」

「えっ」

「地竜の体さ、丸々持ち運べたんじゃないか?」

「あっ」

「かといって今から戻ってくれとも言えねえし、それにさっきのでも大分驚かれたから、今後は自重しねえとな」

「《自在蔵(ポスタープロ)》っていったっけ。アイテムボックスみたいなものかな。今度どんなものか確認しないとね」

 

 そんなことよりもプレイヤーにとっては目下の現実の方が大事なわけだが。

 

「おい、二人とも! ちょっと近くの村に寄ってくぞ!」

「急ぎじゃないんですか?」

「急ぎは急ぎだが、こっちも急ぎだ!」

 

 馬を駆るハキロが説明するところによれば、近くで地竜の幼体が見られたからには、近隣の村にもすぐに出るかもしれない。だからここで説明して、村同士で連絡を回してもらおうということだった。

 

「それも速報ですか?」

「んにゃ、だが少しでも被害は減らさにゃならんだろ!」

「よしきた!」

 

 その返事を紙月は気に入った。

 

「馬よ急いでくれ、疲れは気にしなくていいぞ!」

「おう、なんだ!?」

「《回復(ヒール)》《回復(ヒール)》《回復(ヒール)》《回復(ヒール)》! 《回復(ヒール)》! おまけに《回復(ヒール)》!」

 

 馬車を引く狗蜥蜴(フンドラセルト)たちは、全身を包む光の温もりに見る間に元気を取り戻し、疲れなどないように駆け続ける。

 

「お前回復魔法まで使えるのか!?」

「一番簡単なのだけね!」

 

 そう、一番簡単な物だけ。ただし、それを全ての魔法に渡って覚えている。《エンズビル・オンライン》において《魔術師(キャスター)》が覚えられるすべての魔法の最下級《技能(スキル)》を余さず覚えている。

 

 千知千能(マジック・マスター)

 

 それこそが紙月の強みにして、イカレているとたたえられた《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》としての本質。

 

「よし、この調子ならどこまでも飛ばせるぜ!」

 

 ハキロの駆る馬は瞬く間に村に辿り着いたが、村の反応は芳しくなかった。

 というのも、農村の人間というのは大地にすがって生きているものだからだった。見えもしない、来るかどうかもわからない脅威に備えてくれと言われても、ましてやそれが余所者の冒険屋からとなれば、とても聞けた話ではない。

 これが地竜の被害に遭ったことのあるものが一人でもいれば話は違ったかもしれないが、地竜などというものは、本当に滅多にないから天災なのだ。

 

「コメンコさんはいるか!」

 

 しかしここで顔なじみがいるのが助かった。

 村人は早々に二人の顔、正確には一人の顔と一人の鎧姿を忘れるほど薄情ではなかったし、二人から受けた恩をしっかり覚えていた。

 

「森の魔女様だ!」

「お連れの騎士様もおるぞ!」

「どうした、どうした」

「おお、コメンコさん!」

「やあ、どうした、もう帰ってきたのか!?」

 

 コメンコに訳を話すと、最初はいくら何でもと肩をすくめたが、証拠の地竜の首を見せると、すぐに顔色を変えた。

 

「小さいが、確かに地竜だ」

「わかるのかい?」

「以前一度、避難誘導で近くまで行ったことがある。これは恐らく幼体だろうが、よくもまあ」

 

 コメンコはすぐに村長にこれを話し、村長はすぐに村全体に注意を促した。また足の速いものを集めて、近隣の村にすぐにも伝えてくれた。

 地竜はこちらから手を出さなければ追いかけてはこないが、腹が減れば足も速くなるし、進路上にあるものは何でもお構いなしだ。畑であろうと、家畜であろうと、人であろうと、建物であろうと、容赦はない。迂闊に手を出していいものではないし、隠れるよりも、逃げる方が賢明だ。

 もし怒らせれば、あのブレスがあちこちを焼き尽くすだろう。

 

 迅速な対応に助かったとはいえ、

 

「いいか! 森の魔女様のお達しだ! 必ず伝えろ!」

「魔女様に誓って!」

 

 この呼び名には、参った。




用語解説

・強化魔法
 正式名称《強化(ブースト)》。使用した対象の攻撃力をシンプルに底上げする魔法《技能(スキル)》。《魔術師(キャスター)》は自身に使っても大したことがないので、仲間の支援に使うのが普通。重ねがけが効くが、持続時間と《待機時間(リキャストタイム)》を考えると、素直に上位のスキルを使った方が効率は良い。
『《強化(ブースト)》は使い過ぎると感覚を狂わせる。強化された強さを自分の本当の強さと勘違いしてはならん。特に年取ってからはな。おー、いてて』

千知千能(マジック・マスター)
 すべての魔法の一番最初等のものを網羅しているという無駄の極み。ただしこれに三十六重詠唱(マルチキャスト)がつくと「不具合」「公式の敗北」呼ばわりされる破壊力を誇る。
 もっとも、最初等魔法のみで多重詠唱(マルチキャスト)を三十六個揃え、レベルを最大まで上げ、有効活用できる装備を揃え、という苦行を考えると、最初から普通に育てたほうが普通に強いが。



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第十二話 首検分

前回のあらすじ
森の魔女とその騎士の威光をもって、地竜速報は成った。
後はこれを本物と認めてもらうだけだが。


 冒険屋事務所では、これほどうまくはいかなかった。

 

「地竜ゥ? 馬鹿言ってんじゃないよ」

「おかみさん、嘘じゃねえんで」

「地竜なんざ一生に一度遭うかどうかの災害じゃあないか」

「その一度が今なんですって!」

 

 所長のアドゾはまだ、これでもよいほうだった。広間にどんと晒された首を検分して、よくはわからないが、わかるものがいるかもしれないと組合に伝書鷹(レテルファルコ)を飛ばしてくれた。

 これは生き物を使った連絡方法としては一等速いもので、どこにでも置いてあるものではない魔法の連絡道具を除けば、まずこれ以上速いものはない。飼育にかかる費用から賃料も高いが、これを迷うことなく即座に飛ばしたことは、アドゾの冒険屋としての高い判断能力にあると言ってよい。

 

 一方で、事務所に所属する荒くれ者たちはみな半信半疑だった。というよりも疑いの目の方が強く、信じると言ってもそれは地竜災害を信じる目ではなく、ハキロが嘘を吐くものではないという目である。

 

「一から、いいから一からお話し、ハキロ」

「へえ、まず朝起きましたら新人が入ったとかで」

「もっと後からでいい」

「へえ、それが、俺達ゃ、揃って森に入ったんでさ」

 

 ハキロは拙いながらも、順を追って事情を話した。

 ところどころ紙月と未来が補足を入れようとしたが、それはおかみのアドゾに目で止められた。

 緊急時とはいえ、報告というものはこれは冒険屋として必要な技能を育てることでもある。まともに報告の出来ない冒険屋は誰にも信用されることがないし、また自分でも自分の見たものをうまくまとめることができないから、危険に対応する能力が育たず、早死にする。

 

 アドゾから何度か質問はされたが、ハキロは何とかそれらに丁寧に答え、説明し終えた。

 

「ふーむ」

 

 報告の体裁自体は、いたって問題がなかった。基本を押さえているし、わからないことは素直にわからないというし、いくらか言葉が足りないところはあったが、言葉を多く足すということもなかった。

 問題はその中身である。

 

「幼体とはいえ、地竜と戦ったって?」

「へ、へえ、俺は何にもできなかったんですが」

「何にもしなくて良かったんだよ馬鹿もん!」

 

 アドゾの雷が落ちた。

 

「地竜と戦うなとは、ハキロは言わなかったかい」

「言われました」

「ならどうして戦った」

「世話になった村がありました。だから」

「馬鹿もん!」

 

 再び、雷が落ちた。

 

「御立派な事だがね、それでお前さん方がやられちまったら、誰が村に危険を伝えたんだい!」

「は、ハキロさんが」

「ハキロがそう言ったのかい」

「いえ」

「人が言いもしないことをてめえで受け持つんじゃないよ!」

「はい」

「まあともあれ、だ。地竜であるにせよ、ないにせよ、お疲れさん」

 

 雷が落ち着くと、場は少し、弛緩した。

 

 冒険屋の荒くれどもはみなおっかなびっくり、あるいははなから偽物と決めつけるように地竜の首を改めていったが、何しろ誰も本物を見たことがないものだから、そうだともそうでないとも、断言できる者はいなかった。

 

 しかし場はどうにも疑いの目が強かった。

 というのも、首の状態があまりにも悪かったからである。

 

「なんだいこりゃ、まるでミイラじゃないか」

「かさかさに乾いちまってらあ。血も出やしねえ」

「仮に地竜だとしても、もう死んでたのを持ってきただけじゃあねえのか?」

 

 口々に言うのは、特に体の大きな若い連中である。見せつけるように腕も太い連中で、血の気の荒さが肌に透けて見えるようである。

 一方で口数も少なく、物思うような目をしているのはある程度歳のいった冒険屋たちで、彼らはすっかり信じるというようなこともなかったが、偽物と決めつけることもなく、むしろどうやったらこうなるのかということを思いあぐねているようだった。

 

「おい嬢ちゃん」

「紙月です」

「まあいい、嬢ちゃんよ、ハキロの胡散くせえはなしによりゃ、あんたが一人でやっつけたそうじゃないか」

「俺一人じゃないですよ。未来が盾になってくれて」

「盾は盾だろ。実際にとどめ刺したのはあんたなんだろ」

「……まあ、そうです」

「まあ、そうですだとよ」

 

 若い冒険屋たちの間でどっと笑いが起きた。

 何がおかしいのかといぶかしむ紙月に、男は酒臭い息を吹きかけた。飲んでいるのだ、昼前から。

 

「おう、本当のことを言えよ」

「本当のことって何です」

「地竜なんざホラなんだろ」

 

 男にとって、それは自明のことであるようだった。男よりもずっと細身の、それこそ半分もないような細っこい女が、地竜だか、大亀だか知れない魔獣を倒してしまうなどというのは、夢物語どころか悪質な()()()なのだ。

 

 紙月は面倒になってそうだ、嘘だよ、だからもう放っておいてくれと言いたくなったが、それはできなかった。それは現状で唯一信頼できる冒険屋であるコメンコと、ハキロの二人が重ねて言ったからである。どれだけ信じられなくても、自分のやった功績に嘘をついてはいけないと。一度でも嘘だったと言えばもう誰も信じてくれなくなるし、何より自分でも信じられなくなる。そしてそうなればもう功績の方から冒険屋に背を向けるのである。

 紙月はからまれているうちに冒険屋としてやっていく気がだんだんなくなってきていたが、それでも名誉ある二人の男のためにも、少なくとも地竜退治の功に関して何ら後ろめたいところなどないのだという顔をしなければならなかった。

 

「全部ハキロさんの言ったとおりですよ」

「ハキロにそう言えって言われたのかい」

「なんですって?」

「ハキロの野郎に、すり合わせろ、そう言えって言われたのかって聞いてるのさ」

 

 紙月はまじまじとこの男の顔を見つめてしまった。酒に酔った鼻は真っ赤で、錆色の目は色だけでなく芯まで錆びついているように思われた。ひげはワイルドでも気取っているのかぼうぼうと生え散らかしているが、ハキロのそれが若い顔に浮きながらもしっかりと手入れされたものであるのとは大違いだった。

 その筋肉の太さを見せつけるようにこれ見よがしに腕を組んでいて、それは確かに、紙月の細いウエストよりも立派かもしれなかったが、風呂にも入っていないらしい薄汚い脂に汚れたそれは太さばかりのものにしか見えなかったし、第一すぐそばの未来の見上げるような甲冑を前にしてみれば、ネズミが尾を立ててふんぞり返っているようでさえある。

 

「生憎とハキロさんはあんたみたいに薄汚いことは言わないよ」

「なに!? もういっぺん言ってみろ!」

「地竜みてえにされたくなけりゃその薄汚え口を」

 

 最後まで言わなかったのは、それよりさきに男の平手が紙月の頬に見舞われたからである。

 

「――紙月にッ!」

 

 それまで黙っていた未来がいきり立ったが、紙月はこれを制した。大したダメージではない。唇の端を切ったがその程度で、いきり立ってもハイエルフのひ弱な体にその程度のダメージしか与えられない相手だ。そんな相手を《楯騎士(シールダー)》とはいえレベル九十九の未来が殴りつけでもしたら、一発で昇天しかねない。

 なんにせよ、頭の中身も、体の方も、大した相手ではないのだ。そんな相手に騒ぎを起こしても損しかない。ハキロの名誉を思って口は出したが、それ以上はよろしくない。

 

 しかし相手はそんな紙月の態度を愚かにも怯えと受け取ったようだ。

 

「へっ、お高くとまりやがって。怖いのか? 震えてるんじゃねえか?」

「酒が回ってるんだろ」

「はん、そっちのでけえのも大したことねえな。そんななりして、こんな細っこい女の一言でしゅんとしおらしくしちまってよ。去勢された狗蜥蜴(フンドラセルト)だってそこまで玉無しじゃあないぜ」

「おい、あんた、それ以上未来に下品な事を言ってみろ」

「おう、どうするってんだ、え? なんだ、言ってみろよ! 犬っころの騎士様もどうした! 玉まで縮こまっちまったか? ベッドで嬢ちゃんに股開いてもらって優しく面倒見てもらわねえと」

「言ったはずだぜ」

 

 ぼん、と爆ぜるような音に、浮足立ったような事務所の中がしんと静まり返った。

 先程まで調子に乗って長広舌を披露していた男も、一瞬で酔いがさめたように目を白黒とさせていた。それもそうだ。誰だって自分の頭髪が一瞬にして焼け焦げていれば、そうなる。

 

「言ったはずだぜ。それ以上未来に下品な事を言ってみろ」

「て、てめえ、なにを、」

「紙月、それ以上は駄目だ!」

「子供に下らねえこと言ってんじゃねえぞこのドサンピンがッ!!」

「ししし紙月っ!?」

「――《燬光(レイ)》!」

 

 咄嗟に男が腰の斧を引き抜いた瞬間、紙月の指先が光った。光ったと思えば、その瞬間には男の斧に閃光が突き刺さっていた。

 

「おあっちっ!?」

 

 がん、と音を立てて斧の刃だけが床に突き立った。閃光のあまりの熱に、斧頭がすっかり溶け落ちてしまったのだった。

 

「俺のことを何と言おうが構わねえがなあ、人様の相棒にケチつけるんだったらそれ相応は覚悟しろよ、この筋肉ダルマが!!」

「紙月、紙月ダメだってそれ以上は死んじゃう!」

「死なす! こいつは死なす!」

「駄目だってば!」

 

 騒ぎは結局、それから都合三度の《燬光(レイ)》が事務所内を切り刻み、それでもびくともしないことで地竜の首の頑丈さが証明されたあたりでおかみのアドゾが出張って落ち着いた。

 

「母猫みたいな気性の荒さだね、全く」

「フシャーッ!」

「ほら、あんたが押さえつけときな」

「は、はい」

 

 冒険屋事務所は、さすがに荒くれの集いだった。若い集団は目に見えて狼狽していたが、中堅どころはむしろいい余興と楽しんでいる節さえあり、流れ弾を避け損ねて火傷したのも、若い連中ばかりだった。ハキロなどは即座に地竜の首を盾にするほど、紙月の恐ろしさを身にしみてわかっていた。

 その荒くれをまとめるアドゾは《燬光(レイ)》を気軽に避けて近づき、しなやかに紙月の首根っこを掴むや未来に放り投げてしまった。

 

 《燬光(レイ)》の流れ弾でやけどしたものは何人かいたが、これは紙月が落ち着いたあと、《回復(ヒール)》をかけて謝罪して回り、良しとした。

 罵詈雑言を吐いて斧を焼き切られた男、ムスコロと言ったが、この男は若いものの中では手が早い方であったが、同時に頭の良い方でもあった。つまり即座に土下座して媚び諂い、許しを乞うことに何らの気兼ねも持たなかった。

 

「……あんた、矜持(プライド)とかないの?」

「命あっての物種だあ!」

「清々しいほどの屑だな……」

 

 この男にも、別段、今回の件以外で含むところもないし、髪の毛も焼き切り、斧も破壊してしまったこともあり、これで手打ちとした。さしもの紙月も、土下座までして謝罪してきたものに追い打ちをかける気はない。

 ムスコロはその後、中堅どころから馬鹿め馬鹿めと大いに叩かれていたが、これは阿呆な犬ほどかわいいといった可愛がり方のようである。よくよくしつけてくれと頼むと、快諾の声と悲鳴が上がった。

 

 残りの若い連中は、先程まではやはり侮るような視線があったのだが、この盛大なデビューにはむしろドン引きしたらしく、新入りであるにもかかわらず姐さん兄さんと呼ばわれる羽目になるのだが、それはまた後の話。

 

 組合の冒険屋をのせた早馬が事務所に着いたのは、その日の夜更けのことである。




用語解説

伝書鷹(レテルファルコ)
 ある程度の大きさの街や宿場町には必ず存在する飛脚(クリエーロ)屋が所有する、生物としては最速の郵便配達手段。使用される鷹は餌代もかかるので配達費用はかなりのものだが、空ではまず敵なしの鷹を飛ばすため、速度・安全性共に抜群である。

・《燬光(レイ)
 光属性の最初等魔法スキル。閃光を飛ばしてその熱で相手を攻撃する。
 光属性の特性として、「発動した瞬間に当たっている」という描写のためか、極めて命中率が高い。
『《燬光(レイ)》というのは気軽に使っていい呪文ではない。見えた瞬間には当たっている、この恐ろしさがわかるじゃろう。もっともわしにはいくら撃ってもきかんぞ。言い訳を聞いてやるのは今のうちじゃからな』

・ムスコロ(muskolo)
 《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》に所属する若手の冒険屋。三十がらみの人族男性。
 実力はハキロの一・五倍程度。おっさんを数人相手にしても勝てるが、やはりおっさんの群れには敵わない程度。レベルにして二十五くらい。若手集の中では平均レベル。



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最終話 シールド・アンド・マジック

前回のあらすじ
ひと騒動あったものの、実力は認められた二人だった。


「地竜出現の報があったのはこちらか」

 

 冒険屋組合から早馬でやってきた二人組に、《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》の一同はざわめいた。

 一人はいかにも冒険屋と言った、革鎧に剣を帯びた男で、荒くればかりの冒険屋事務所と比べるといささか小柄だったが、まるで意にも解さぬ芯の部分の強さが感じられた。

 そしてまた一人は金属の鎧にすっぽりと身を包んだ男で、領地の紋が刻まれているあたり、相当な位にある騎士と思われた。

 

 事務所の面々が驚いたのはこの二人の姿よりも、まず速さであった。

 伝書鷹(レテルファルコ)を送ったアドゾ本人でさえ、遣いが来るのは明日か明後日、あるいは手紙での確認が来るものと思っていたのである。

 

「そ、そうさ。あんたらは?」

「西部冒険屋組合のニゾだ。こっちはジェンティロ」

「コローソ伯爵に剣を捧げた、組合付きの騎士ジェンティロだ。よろしく頼む」

 

 組合付きの騎士!

 この世界の初心者である紙月と未来だけでなく、歴戦の冒険屋たちもどよめいた。

 普通、冒険屋組合というものは冒険屋だけでできている。冒険屋の組合なのだから当然のことではあるが、しかし冒険屋というものは無視できない武力集団である。そのため一定以上の大きさの組合、例えば西部冒険屋組合と言った大組合には、監査のためと、そして万が一の為に相互互助を目的として騎士が在籍している。

 普通こう言った騎士はあくまでも名目上在籍しているだけであり、この騎士が出張ってくるというのは生半のことではない。

 

「まず幼体を討伐したというが、まことか」

 

 ジェンティロが冷たい声で訪ねる一方で、ニゾが素早く地竜の首に目を付けた。

 

「どうやら本当のようだぜ」

「検分を」

「あいよ」

 

 事務所の連中のことなどまるで気にもかけず、この二人組はずかずかと上がり込むや早速首を検めた。

 一抱え以上もある巨大な首を前に騎士ジェンティロは黙して腕を組み、冒険屋ニゾは顔色一つ変えず素早く改めた。

 

「奇妙な死体だ」

「何がだ」

「衰弱しているが、真新しい」

「吸精術か」

「恐らく」

 

 ニゾはすっくと立ちあがると、一同をぐるりと見まわして、それからすぐにずかずかと紙月に歩み寄った。

 ジェンティロがそれにすぐに続き、尋ねた。

 

「お前か」

「へっ」

「お前だな、地竜をやったとかいう冒険屋は」

「そ、そうです。なんでわかっ」

「様子はどうだった」

「え」

「地竜の様子だ。健康だったか。暴れていたか」

「えーと」

「待て、待て、旦那」

「やってしまったか」

「やっちまってる。もうすこーし落ち着け」

「うむ。で、どうだ」

 

 どうだ、と早口に聞かれて、紙月は思い出せる限りいちいちを答えた。

 

「健康ではあった。豚鬼(オルコ)をばりばり食ってた」

「暴れてはいたか」

「いや、やたらめったら暴れた様子はない」

「どうやって倒した」

「えーと、それは」

「企業秘密だとは思うが、ちょいとおっさんたちにだけでもいいから教えてくれ」

 

 ニゾが奇妙な銀の鈴を鳴らして見せた。途端に、周囲のざわめきが聞こえなくなる。恐らく、そのような魔法の道具なのだろう。

 

「寄生木を操る魔法がある。それを山とかけてやって、吸い殺した」

「どうやって押さえ込んだ」

「相方がやった」

「ぼくです。ぼくが、盾の結界を張れますので、それで」

「盾の結界? 魔法か」

「一応」

「ふむ。幼体とはいえ、地竜を押さえ込むか」

「で、ブレスが来て」

「ブレス? ブレスとはなんだ」

「えっと、こう、がおーって」

咆哮(ムジャード)のことだな。耐えたのか?」

「かなり衰弱してましたから、なんとか」

「ふーむ。それで」

「それで、相手は衰弱死しました」

 

 何度か質問があったが、おおむねこのように話はまとまった。

 

「その寄生木の魔法というものは、見せられるか」

「かける相手がいないと」

「私にかけてみてくれ」

「ええっ」

「大丈夫だ。この旦那は地竜相手の専門家なんだ」

 

 その理屈でいえば怪獣の専門家は怪獣とタイマンできることになるのだが、と思いながらも、しかし、この世界のベテランの冒険屋の実力を試す機会でもある。

 紙月は一応《回復(ヒール)》の準備をしながら、気持ち弱めでと念じながらショートカットキーを押した。

 すると紙月の指先からふわりと緑色のふわふわが出てくる。

 

「まて、呪文はどうした?」

「えっ?」

「無詠唱でできるのか」

「ええ、まあ」

「まあいい。それで、これがか」

「はい、これを、どこがいいかな、指先にでも」

「むっ」

 

 騎士ジェンティロの指先に振れたふわふわは、すぐに中から鋭い根を伸ばし、甲冑の隙間から突き刺さった。

 

「ほう……ふむ」

「どうだ、旦那」

「拍動するように、私の血を吸っているな。何秒ほど持つ?」

「一秒間隔で十回吸うから、十秒ってとこです」

「これを何度見舞ったのか」

「えーと、三十六かけるの、」

「待て、なんと?」

「三十六かける」

「一度に三十六かけられるのか」

「はい」

 

 さしもの騎士ジェンティロも頭痛を抑えきれない顔をし始めたが、それでもなんとか堪えた。

 

「それで都合何度かけたのだ」

「三十六かけるの五十くらいだったかな」

「せ、千八百だと」

「そのくらいですかね」

「う、うむ、いや、地竜相手なのだから、その位は必要なのだろうが、うーむ」

「この堅物をそこまで悩ませるのはあんたが初めてかもしんねえな」

「止めろニゾ、御婦人に要らぬ口をきくな」

「あ、男です、俺」

「…………なに」

 

 騎士ジェンティロの、その日一番驚いた顔だった。

 ニゾは少し驚いたようだったが、むしろ相方の驚き具合に笑っている。

 

 ともあれ、二人組は検分を終えたようだった。

 紙月が《回復(ヒール)》をかけるとまた驚いたが、驚きはもう飽和気味のようだった。

 

「この首が地竜のものであることは確かである。またつい先ごろ討ち取られたのも間違いなさそうだ」

 

 事務所の一同の中にわずかに残っていた疑念もこれで払われ、おお、とどよめきが上がった。

 

 騎士ジェンティロと冒険屋ニゾは、組合からすぐにも人員が来るが、とにかく急ぎであるから事務所の人間を徴募したいと告げた。一大事であるから、断るようなことがあれば組合から軽い処罰は覚悟するようにと告げられたが、このようなお祭り騒ぎにのらぬ冒険屋は、《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》にはいなかった。

 まして、特別報酬が組合の名に確約されれば、断るはずもなかった。

 

 その晩のうちに一行は森の現場へとたどり着き、改めて地竜の巨大さにわなないた。そしてその破壊された森の奥、その先に突き進むこと一週間ほどで、未確認の地竜のものと思われる産卵の跡が発見された。また、二つの孵化した卵の殻と、一つのまだ割れていない卵とが見つかった。これは大きな発見だった。

 騎士ニゾはすぐに孵化したもう一体の地竜の針路を確認し、騎士ジェンティロは法術をもって残された卵を封印し、研究のため帝都へと送ることになった。

 

「しかしこれって、こんな卵から、はやけりゃ一週間であんな大きさになるまで育つってことですか?」

「かもしれんし、孵ってすぐはそこまで動かないものなのかもしれん。まだわからんことが多いのだ」

 

 手早く作業を終えて仕事を片付けていく冒険屋ニゾと異なり、騎士ジェンティロは研究肌のようで、じっくりと現場を検分していた。

 

「地竜、お好きなんですか?」

「好きというわけでは……いや、好きなのかもしれんな。危険ではあるし、面倒ではあるが、力強い生き物だと思う」

 

 男の子が怪獣を好むのと同じなのだと思う、と紙月と未来はこの堅物の騎士になんだか妙なシンパシーを覚えるのだった。

 

「この卵は帝都に送ることになるが、もう一体はどうしたものかな。まだ小さいうちであれば、退治するか、可能であれば捕獲したいところだが」

「捕まえられるんですか?」

「現状、実例はない。しかし辺境領では飛竜を飼いならした実例があると聞くからな。あれは卵からだが」

「成程、浪漫がありますね」

「浪漫……うむ。良い響きだ。その折には、頼むぞ、シヅキ、ミライ」

「えっ」

 

 首を傾げた二人に、騎士ジェンティロの方が訝しげにして見せた。

 

「地竜殺しの実績をもつ冒険屋だ。盾の騎士と魔女よ。頼らぬわけがあるまい」

 

 冒険屋。

 その言葉は、この世界に迎え入れられたような、不思議な響きをもって二人の胸に去来するのだった。




用語解説

・西部冒険屋組合
 冒険屋の組合は、町単位のものから順に大きくなっていくのだが、そのうち帝国を東西南北中央辺境の六つに分けたものの一つが西部冒険屋組合である。
 《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》も大きく言えばここに属する。
 領地をまたいだ非常に大きな組織であり、此処の直属ということはかなりの実力者か権力者である。

・ニゾ(Nizo)
 西部冒険屋組合直属の冒険屋。四十台の狼の獣人(ナワル)男性。
 相棒の騎士ジェンティラと組んで、地竜を専門にして活動している。
 レベルにして七十前後。地竜も幼体ならばなんとか対処可能なレベル。

・ジェンティロ(Ĝentilo)
 西部冒険屋組合付きの騎士。三十台の人族男性。
 西部の筆頭領主であるコローソ(Koloso)伯に剣を捧げている。
 レベルにして六十五程度。実力もあるが、それ以上に地竜に関する知識に富んでいる。

・奇妙な銀の鈴
 正式名称《静かの銀鈴》。これを振ると、一定時間一定範囲内の音を外部に漏らさない結界が鈴を中心に発生する。人間の手で作れる範囲内の魔道具であるが、相当高い。

咆哮(ムジャード)
 竜種が用いる攻撃方法の一つ。大量の魔力を風精などに乗せて吐き出す攻撃で、竜種が持つ最も威力の高い攻撃手段である。

・呪文
 普通、魔術師は小声であれ、呪文を詠唱する。
 呪文に定型はないが、自分に、そして精霊に言い聞かせるのに必要とされるからだ。
 無詠唱は一段高い技術が必要とされ、本職の魔術師でもなかなか見ない高等技術である。



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第二章 オールド・レッド・ストーンズ
第一話 退屈


前回のあらすじ
冒険屋として認められ、この世界に馴染んでいく二人。
ファンタジー世界で、二人の冒険が今、始まるのか?


 どこかで地竜に飲まれて町が一つ滅んだらしい。

 などという話は今のところ聞こえてこず、あのもう一頭の地竜の痕跡は随分古いものだったようで、追跡は断念されたそうだった。

 地竜はひたすらまっすぐ歩くとはいえ、地形によっても左右されるし、暴れれば進行方向も狂ってくるし、必ずしもこの方角に進んだとは言い切れず、大まかに予想範囲内にある地域に注意が出ただけだそうだ。

 

 冒険屋ニゾと騎士ジェンティロは地竜の卵を帝都に届けた後は、再び現地での調査に戻るそうで、全く勤勉な話である。

 

 それでは、地竜殺しの二つ名を得た盾の騎士と森の魔女はどう過ごしているのかと言えば、こちらは閑古鳥と戯れていた。

 

「…………暇」

「暇だねえ」

「冒険屋ってこんなに暇なのな……」

 

 この言い方は大変語弊があった。

 冒険屋というものは、基本的に仕事が溢れている。何しろ何でも屋というのが冒険屋の業種であるからして、下はドブさらいから迷子のペット探しや迷子のおじいちゃん探し、上は地竜退治、はそうそうないにしても、中間あたりには害獣退治や魔獣退治といった依頼がいつだってあり触れているものである。

 何しろ人は、とかく面倒事は人にうっちゃってしまいたいものだからだ。

 

 勿論最初のうちは、紙月も小学生の未来を養ってやらねばならぬと奮起して仕事を探した。ドブさらいだろうとペット探しだろうと、なんだろうとしてやろうと思った。

 しかしそうして事務所に仕事を求めてくれば、まさかの事務所から待ったがかかったのである。

 

「お前さん、自分がなにしでかしたかわかってないだろ」

「え、なんかしましたっけ」

「地竜退治だよ。地竜退治」

「あれって何かまずかったんですか?」

「そりゃ良かったは良かったんだけどさ、あれのせいでお前さん、一足飛びにうちの看板冒険屋に飛び入りしちまってんだよ」

「はあ?」

 

 つまるところこうだった。

 森の魔女と盾の騎士様と近隣の村でもてはやされていたところが、今度は地竜などという大物を退治してしまったことで、新人冒険屋から一気に大物冒険屋へと出世してしまったのである。

 依頼料は依頼内容によるから、新人冒険屋が請けようと大物冒険屋が請けようと変わりはしないけれど、いくらなんでも大物冒険屋にどぶさらいなんかさせていては事務所の面子が立たないのである。

 それに、そういった下の方の依頼というものは実力や実績がない連中が下積みとして重ねていかなければならない仕事であり、すでに実力も実績もお墨付きの二人がその仕事を奪ってしまったのでは、下が伸びないのである。

 

「つったって……いくら実績があっても、仕事がなきゃ食ってけないんですけど」

「この前随分貰っただろう」

「そりゃあ、まあ。でも貯金しときたいですし」

「冒険屋にあるまじき堅実っぷりだこと」

「こっちゃ子供の面倒も見なきゃいけないんですよ」

「こぶつきは面倒だね、お母さん」

「百歩譲ってもお父さんですよ。譲っても!」

 

 アドゾには心配性だと笑われたが、バイト暮らしの大学生だった紙月にとって、貯蓄がただ減っていく状況というものは全く落ち着かないのである。それが一般的冒険屋の言うところの数年はやっていける報酬が突然飛び込んできた後だとしてもだ。

 数年! それは大きな数字かもしれないが、しかし今も刻一刻とその数年という砂時計は砂を落とし続けているのだ。

 

 まして、未来は将来ある小学生である。

 本来なら進学すべき中学校のことなどを心配しているころだったというのに、それが突然こんな異世界に放り込まれて、はあガスもねえ、電気もねえ、インターネットも存在すらしねえ不便な環境で過ごさせているのだ。高確率で巻きこんでしまった側だろう、そうでなくとも責任をもって保護すべきだろう大人として、紙月は頑張らなければならないのだ。

 

 いくら頼り頼られる相棒とはいっても、そこのところは譲れなかった。

 最初の頃こそ自分も自分もと張り切ってくれた未来であるが、ことごとく紙月のブロックが入るために、表面上は諦めたらしかった。勿論、素知らぬ顔の下で虎視眈々と活躍せん時を窺っているのはわかっている。同じ男だ。その見栄はわかる。なので紙月も仕事の点では大いに譲って、盾の騎士に頼ることにしている。

 

 問題はその仕事がないことだが。

 

「暇すぎる……」

「遊ぶところっていうのもないしねえ。ハイ、終わったよ」

「よしきた」

 

 未来が先程から進めていた書き物を寄越すと、紙月は赤渕の眼鏡を仰々しくかけて見せた。もちろんこれはただのゲーム内アイテムで、視力を矯正する効果なんてない。ただの雰囲気作りだ。

 

「うん、うん……よくできてるな。この調子なら中学校の範囲も大丈夫かな」

「というか紙月こそ、大学生にもなってよく小学校の範囲覚えてたね」

「漢検取るときになんとなく、な」

「ホント多芸だね……」

 

 今しがた紙月が採点したのは、紙月お手製の漢字ドリルだった。この世界では製紙技術が結構な高みにあるらしく、製本技術に比べて妙に紙が出回っているのである。必要より先に供給が増えているのは不思議だが、有り余っているのはありがたいことと、紙月は様々なドリルを作っては、未来の将来のため学ばせているのである。

 

「まあ、もう使うかどうかわかんないけど」

「そう悲観的なこと言うなって。気づいたらこんな世界にいたんだ。気づいたら元の世界に戻ってるかもしんないだろ」

「まあ、そうかもしれないけどさ」

 

 この話題になるといつも未来はナイーブだった。元の世界に帰る当てなんかないということが理由なのか、それとも元の世界に帰りたくないような理由があるのか、それはわからない。紙月にできるのは、いざその時が来た際に、未来がどのようにでも選択できるよう、足場を整えてやることくらいだ。

 

「んじゃま、漢字はこのくらいにして、こっちの世界の読み書きの練習だな」

「やった」

 

 比較して、この異世界の言葉の読み書きには未来は素直に喜んだ。何より、異世界の、全く知らない物語に触れることが面白いのだろう。紙月もこちらに関しては素人だし、一緒に読み進められるのも、良い。

 筆写の仕事があったので練習がてらやってみているのだが、まだたどたどしい未来はともかく、紙月の筆写は丁寧で速いということで、人気である。ペン字をやっていた甲斐があるというものである。

 

「いや、ほんとに多芸すぎるよね、紙月」

「そうか?」

 

 暇さえあれば資格を取っていたような、他の趣味もない人間である。この程度ならばざらにいそうなものであるというのが紙月の印象であり、未来には理解できないところであった。

 

 未来がうなりながら物語と取っ組み合い、まだまだ拙い文字で筆写し始めるのを尻目に、紙月もまた手元の本に目を落とす。中身はこの世界のおとぎ話というか、子供向けの神話大系のようなものであり、わかりやすく読みやすい調子で、この世界の成り立ちが語られるのであった。

 

 神殿通りで見かけた神殿の神々も多くこの本に乗っており、ちょっとしたエピソードなんかもそろえてあって、勉強になる以上に、物語として面白い。以前ギリシア神話の本を読んだ時のような感じだ。同じく多神教だし、通じるところがあるのだろう。

 

 興味深いことに、こう言った本を紹介してくれたのは、よりにもよってあの、地竜退治にいちゃもんをつけたムスコロであった。いまでは調子のいいことに姐さん兄さんと呼ばわってくるこの男、実は若手集の中ではかなりインテリなのであった。

 冒険屋はある程度レベルが上がってくるにつれて体力だけではどうしようもなく、知識や教養などが試されるようになってくるのだが、古参連中から薫陶を受けたこの男は、まだ腕力自体も大したことのないうちからせっせと勉学にも励んでいるのだった。

 

「意外と努力家だったんだな、あんた」

「俺ぁ農家の三男坊だからなあ。せめて冒険屋として身を立てねえと、送り出してくれたおやじにも申し訳ねえ」

 

 意外と義理堅くもある。

 

 紙月などは第一印象があるので今もってあまり好きにはなれないのだが、未来はそのあたり寛容というか柔軟で、あれが新人相手にしっかりと序列を確認する、いわばマウンティング行為であったという風に納得している。そして返り討ちにあって下手に出てくる以上、それ以上悪く扱う気もないのだという。

 なんだか大人な対応だなと、紙月の方が鼻白んだくらいだった。

 

 一応ムスコロも機微はわかるらしく、紙月に気に入られようというまではなくとも、せめてフラットラインまでは持ち直したいと考えているようで、種々の依頼を持ってきてはくれるのだが、そのどれもが胡散臭く、なるほどこの男がなかなか伸びない訳だというのはわかった。

 しかしやはり持ってくる本は面白いので、気が利かない訳ではないのが、不思議だった。

 

 そのようにして退屈な午前を過ごしているときだった。

 依頼を片手にハキロがやってきたのは。




用語解説

・赤渕の眼鏡
 ゲーム内アイテム。正式名称《知性の眼鏡》。
 かしこさ(インテリジェンス)の数値の高低で効果の度合いが変わるゲームアイテム。
 かしこさ(インテリジェンス)が一定以上の高さだと状態異常:暗闇を百パーセント防ぎ、また暗視の効果を得る。かしこさ(インテリジェンス)が低ければその効果も下がる。
 ファッション用のアイテムとしても用いられた。
『世界は闇に満ちている。盲目の愚者たちが蠢く底なしの闇に。この眼鏡はその闇をほんの少し切り取ってくれる。お前自身の内なる闇に抗おうとする知性があるのならばな』



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第二話 帝都からの依頼

前回のあらすじ
一気に名を高めすぎて、かえって仕事の入らなくなった二人。
退屈にあえぐ二人に救世主ハキロがやってくるのだった。


「退屈してるだろ」

 

 そう言われれば否と答えたくなるのが人情というものだったが、何しろハキロという男は裏表というものがなく、この時も実に善意一〇〇パーセントでこう言ってきたものだから、紙月の方でも渋々頷く他になかった。

 

「まあ、暇は暇ですけど」

「だと思って、依頼を見繕ってきたんだ」

 

 ハキロが見せてきた依頼票は、ざっくりといえば鉱山から特殊な鉱石をいくらか掘ってきてほしいというものだった。なんでも研究で使うようなのだが帝都付近ではこの鉱石は取れず、帝国内では西部のこのあたりでしか産出報告がないのだという。

 

「珍しいってことは、高い宝石ってことですか?」

「んにゃ、綺麗なわけでもないし、特殊な研究以外には用途がないみたいで、クズ石扱いされてる」

 

 何とも浪漫のない話である。

 

 それに第一、

 

「これ、冒険屋じゃなくて鉱石掘りの仕事なんじゃ?」

 

 これである。

 

 冒険屋がいくら何でもやるからと言って、やはり専門的な仕事は専門家に任せた方がいいに決まっている。目立つ特徴のある宝石ならばともかく、クズ石同然のものとなればなおさらである。

 

「ただの石掘りに地竜殺しを呼ぶわけないだろう」

「うわ、面倒ごとの匂い」

「つまり冒険の匂いだ。どうもこの石の取れる鉱山なんだが、ちょっと前から坑道に魔獣が出るようになったみたいでな」

「騎士団の仕事じゃないんですかそれ」

「目ぼしい鉱石はあらかた掘りつくしちゃった後みたいでな。予算出してまで討伐する必要もないって扱いらしい」

「ぐへえ」

 

 要は石が欲しけりゃ自己責任でやってくれ、という状態なわけだ。それはつまり、坑道に巣食った魔獣が外に出てくるようなものではないということで、安全は安全なのかもしれないが、やはり職務怠慢ではないかと紙月などは思う。

 

「それで冒険屋に、魔獣をかいくぐって石を手に入れて来いと」

「必要量が多いんで、ある程度の駆除は前提みたいだな」

「ぐへえ」

 

 確かに、ただ石を手に入れてくるにしては依頼料が割高である。下の方に魔獣の素材を買い取るとか書いてあることから、むしろこっちが目的なのではないかと思わされるほどだ。

 

「俺達に持ってくるってことは、強いんすか、この魔獣」

「乙種ってとこだな。ただ完全に相手の棲み処だから、場合によっちゃ甲種に足踏みこむかも」

「ぐへえ」

 

 乙種とか甲種というのは、魔獣の強さ別の分類のことだった。

 乙種というのは、普通の冒険屋がソロで挑んでぎりぎり勝ちをもぎ取れる限度がこのあたりだとされる。つまりムスコロあたりが腕の一本や二本覚悟するレベルだということになる。普通はパーティで挑んで戦うものだ。

 甲種となるとずっと強く、一般的冒険屋パーティが挑んでぎりぎり勝ちをもぎ取れるかどうかというレベルである。ムスコロやハキロたちは何人かで組んで挑んで、一人か二人だけが帰ってこれるレベルだ。

 環境や、数などによって多少変動するが、おおむねこのような考え方でよい。

 

 地竜はと言うと、先ごろ遭遇した幼体で、甲種の上位ということになる。

 成体となるとこの分類はもう役には立たない。竜種というのは基本的に他の生物とは隔絶された化物たちなのだ。

 

 単に相手が甲種だというだけならば、地竜の幼体相手に圧勝した紙月たちからすればあまり恐れるようなものではないように思えるが、魔獣の厄介な所は、地形や環境によって容易にその難易度が上下することだ。

 相手が坑道に特化した生き物であれば、しょせん二本足でえっちらおっちら歩くのが精々の人型では相手しきれないことも想定しうるのだ。

 

 自分たちがかなりピーキーな能力であることを考えると、あまり慢心して挑みたくない相手ではあるのだ。

 

 とはいえ。

 

「…………素材、結構高値で買ってくれるのな」

「鉱石も取れた分だけ追加報酬だって」

 

 報酬は魅力的であった。

 特に、現状無収入であることに危機感を覚えている紙月にとってはかなりの魅力を放っていた。

 

 それに、なにより。

 

「お前ら、退屈してたんだろ?」

 

 これである。

 

「そりゃあ、まあ、退屈してましたけどね」

「正直暇すぎて死にそうだったよね」

「それな」

 

 毎日毎日ドリルと読書だけでは、いい加減体が鈍って仕方がないというものである。

 

「とはいえ、俺達鉱山なんて潜ったことないですよ?」

「ダンジョンみたいなのかな?」

「そんな気軽なもんじゃなさそうだけど」

「誰もお前らにそこまで期待はしてねえよ」

 

 ハキロはからからと笑って、こういう事だと説明してくれた。

 鉱山付近には鉱山付近でミノという町があって、その街には当然冒険屋の事務所がある。ただ、すっかり石も掘りつくされて住人の多くも去ってしまったような寂れた街で、満足な人手が出せないのだという。

 依頼はあったものの、もうこの事務所の力では坑道に巣食う魔獣の相手は荷が重く、組合を通して近隣の冒険屋事務所に応援を要請したらしいのだった。

 

「それでちょうどよく暇人がいたのがうちってわけさ」

「なるほど。まあ待機要員としては役立ったわけだ」

「勿論うちから馬車も出すし、向こうの事務所に貸しを作れれば、おかみさんも賞与くらいは出してくれるだろ」

「本当ですか!?」

「ある程度太っ腹な所見せないと、冒険屋なんて荒くれ者はついてこないからな」

 

 結局のところボーナスに負けて、紙月と未来はこの依頼を受けることにするのだった。




用語解説

・魔獣の強さ
 そもそも魔獣とは、害獣の中でも魔力の強いもの、魔法を使うものをざっくりと差す分類である。
 これをさらに強さというか、厄介さを基準に甲乙丙丁の四種に分類している。
 甲種で一般的な冒険屋パーティがぎりぎり勝ちをもぎ取れるレベル。普通なら複数のパーティーで当たる相手。
 乙種で一般的な冒険屋がソロでぎりぎり勝ちをもぎ取れるレベル。普通ならパーティで当たる相手。
 丙種なら一般的な冒険屋がソロで普通に相手できるレベル。
 丁種ともなれば冒険屋でなくても対処できるレベルである。
 ただ、環境や数によって難易度はたやすく変わり、また相性の良しあしもある。



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第三話 土蜘蛛の冒険屋

前回のあらすじ
暇を持て余した二人は、どうにも厄介そうな仕事をボーナス目当てで請けることに。


 ミノの町までは、馬車で三日ほどかかった。とはいえこれはさほどに窮屈な旅でもなかった。狗蜥蜴(フンドラセルト)は頭がよく、御者がちょっといい加減でも目的地まで走ってくれるということで、紙月たちは幸いにも二人きりで旅をすることができたからだった。

 

 これの何が幸いと言って、人目をはばからずゲーム内アイテムを使用できることだろう。

 

 夜は《魔除けのポプリ》で魔獣除けをして、幌馬車に《鳰の沈み布団》を敷いて朝までぐっすり眠れたし、食事で困れば《食神のテーブルクロス》を広げれば必要なだけの食糧が得られた。これらはどれもゲーム内アイテムだったが、使用回数に制限がなく、人目さえなければいくらでも使い放題というのがたまらなかった。

 結局のところ自炊に慣れていようと面倒くさいものは面倒くさいうえに、何しろ二人そろってキャンプの経験も野宿の経験もろくにないのだ。野の獣を狩ろうなんて考えすらわかない。

 

 そのようにして、世の冒険屋が見たらふざけんなと声を揃えて叫びそうな快適な旅を続けること三日。

 

 辿り着いたミノの町は、スプロの町とはいささか雰囲気が異なった。

 というより、

 

「さびれてんな」

「限界集落って感じ」

 

 なのである。

 

 かつては鉱山景気で大いに人で賑わったであろう、造りばかりは立派な町なのだが、肝心の住人がいなくなってしまって空き家ばかりで、かろうじて煮炊きの煙が何筋か見えるような、そんな恐ろしく寂れた街なのである。

 

 ぶらりと大通りを歩いてみても、店の殆どはすでに閉店してしまっていて、地元の人間が使うらしい雑貨店などが、かろうじて退屈そうに店を構えているばかりである。

 その雑貨店で林檎(ポーモ)とかいうすっぱいリンゴを購入しがてら道を聞いて、ようやく訪れた先の冒険屋事務所もまた、やっぱりさびれていた。

 かつては多くの冒険屋を抱えていたであろう実に大きく立派な建物なのだが、いまや看板も傾いて、それを直すだけの人出もないようだった。

 

 たてつけの悪い扉を押し開けて入ってみれば、受付には居眠りをする老人が一人いるばかりで、実に閑散としたものである。

 こんなんで大丈夫なのだろうかこの街はと一瞬紙月の脳裏に過りはしたが、考えてみれば街自体もこんな調子だから、この程度でもお釣りがくるくらいなのだろう。

 

「すみませーん!」

「ん、うううん、幻聴かな、客の声がする」

「いきなりネガティブすぎんだろ!」

 

 何度か大声をかけて受付の老人を起こし、何度か幻覚ではないとやり取りをかわして、ようやく彼は納得したようだった。

 

「おお、すまん、すまん。今日日はすっかり客足もなくっての。てっきり寝酒が過ぎたのかと思ったわい」

「おいおい……本当に大丈夫だろうな?」

「なに、山に関しちゃ凄腕の冒険屋がまだ残っとるんじゃよ。ちょっと待っていなされ」

 

 老人は思いの外にかくしゃくとした動きで奥にいったん引っ込むと、その細身からは想像できない大声で人を呼ばわっているようだった。そしてそれに対応する返事もまた、大きい。

 

「耳が遠い人同士の会話みたいだね」

「実際そうだって気がするぜ、俺は」

 

 少しして、受付の老人に連れられてきたのも、やはり顔に長年のしわの刻み込まれた老婆だった。

 老婆とはいえ背筋はしゃんと伸びて、若い頃と比べていくらか縮んだだろうに、それでも紙月と同じくらいの背丈があるし、ずっと骨太だ。

 

「おう、おう、おう、あんたらがスプロの若造かい。今日は世話んなるよ」

「世話になるって態度かババア! しっかり頭下げな!」

「チッ、ヨロシクオネガイシマース」

「このババア! まあいいさ。このババアがうちの筆頭冒険屋にして、最後の冒険屋、ピオーチョだ」

「よろしく頼むよ」

 

 この豪快な挨拶には二人もさすがに気圧されたが、しかしそれ以上に驚いたのは、この老婆が、実物は初めて見る土蜘蛛(ロンガクルルロ)という種族だったからである。

 

 土蜘蛛(ロンガクルルロ)というのは、山の神の従属種で、鍛冶が得意で多くは鉱山に住むという、それだけ聞けばドワーフのような種族なのだが、実態は大いに違う。

 まず手足がそれぞれ四本ずつある。目も、普通の目が二つある外に、宝石のような小さな目が六つ、頭部にきらめいている。つまり、人間に蜘蛛のような特徴を足したような姿なのである。

 

 ピオーチョは土蜘蛛(ロンガクルルロ)の中でも地潜(テララネオ)という氏族で、いわば土蜘蛛(ロンガクルルロ)らしい土蜘蛛(ロンガクルルロ)だった。酒を好み、鍛冶を得意とし、穴掘りを生きがいとする。

 四本の腕はそれぞれ、細身で細工のうまい掴み手と、力強く頑丈な掘り手とに分かれ、足腰は重機のようにがっしりとしていた。

 ルビーのようにきらきらとした多眼が、それぞれにこちらを眺めているのが感じられた。

 

「なんだい、あたしが別嬪だからってそんなに見つめるなよ。穴が開くだろ」

「大概図々しいなこのババア! 土蜘蛛(ロンガクルルロ)が初めてなんだろ!」

「え、ああ、そう、そうなんです。すんません」

「謝んなくていいよ。あたしだって初めて人族を見た時は手足が欠けちまってるのかって思わず心配したもんさ」

 

 そういうものらしい。

 未来は何やら感心したような声を上げているばかりだが、半端に常識の凝り固まった紙月にはこの出会いはなかなかショッキングだった。獣人(ナワル)はまだ、人間にほど近い姿をしているから慣れてはいたが、この土蜘蛛(ロンガクルルロ)という種族は、個々のパーツは人間と同じなのだが、それの数が違うのだ。そのことがひどく紙月を困惑させた。

 

 慣れなければと思い詰める紙月に、しかしピオーチョは優しく二本の腕で肩を叩いた。

 

「なあに、無理に慣れる必要はないさ。ただそういう生き物もいるんだってくらいでいい。あたしだって人族と一緒に住むとなったら頭悩ませるかもしんないけど、庭先にいるくらいだったら受け入れられる。そんなもんさ」

 

 偏屈と噂に高い土蜘蛛(ロンガクルルロ)であったが、年をとるとそれも幾らか軟化して、魅力的な年寄りになるらしかった。

 

「ま、わかったら改めて自己紹介しようか。あたしはピオーチョ。得物はつるはしと槌。戦うのは専門じゃあないが、ミノ鉱山は庭みたいなもんさ。それからあとは、そう、美形だ」

「ほんっと図々しいなこのババア!」

「あーっと、紙月です。魔法使い。たいていの魔法は使えるけど、御覧の通り華奢でね、防御は相方に任せてる」

「未来です。御覧の通り防御は完璧です。でも攻撃は得意じゃないので相方に任せてます」

「ふん、二人で一人ってわけだ。いいねえ、あたしにもそんな相手が欲しかったもんだ」

「盛んなババア!」

「やかましい!」

「へぶっ」

 

 ピオーチョという土蜘蛛(ロンガクルルロ)は実に賑やかで、一人現れただけでもうさびれた冒険屋事務所がいっぱいになってしまったようだった。

 

「よーし、坑道まではちょっとあるからね、続きは馬車で話そうじゃないか」

 

 そういうことになった。




用語解説

・《魔除けのポプリ》
 ゲームアイテム。使用することで一定時間低レベルのモンスターが寄ってこないようにする効果がある。
『魔女の作るポプリは評判がいい。何しろ文句が出たためしがない。効果がなかった時には、魔物に食われて帰ってこないからな』

・《鳰の沈み布団》
 ゲームアイテム。使用すると状態異常の一つである睡眠状態を任意に引き起こすことができる。状態異常である不眠の解除や、一部地域において時間を経過させる効果、また入眠によってのみ侵入できる特殊な地域に渡る効果などが期待される。
『水鳥は本質的に水に潜る事よりも水に浮く事こそが生態の肝要である。しかして鳰の一字は水に入る事をこそその本質とする。命無き鳰鳥の羽毛は、横たわる者を瞬く間に眠りの底に沈めるだろう。目覚める術のない者にとって、それは死と何ら変わりない安らぎである』

・《食神のテーブルクロス》
 ゲーム内アイテム。状態異常の一つである飢餓を回復する効果がある。飢餓は飲食アイテムを食べることでも回復するが、《食神のテーブルクロス》は入手難易度こそ高いものの、重量値も低く、使用回数に制限がない。
 この世界では使用するとその時の腹具合に応じた適切な量だけが提供されるようだ。
『慌てるんじゃない。君はただ腹が減っているだけなんだ』

・ミノの町(La Mino)
 ミノの山を仰ぐように作られた町、というより、ミノの山を鉱山として開拓するために作られた鉱山町。
 最盛期は大層にぎわった計画都市であるが、鉱山が枯れた今は、職人たちや一部の住人が細々と暮らしている程度である。

林檎(ポーモ)(pomo)
 赤い果皮に白い果実を持つ。酸味が強く、硬い。主に酒の原料にされるほか、加熱調理されたり、生食されたりする。森で採れるほか、北方では広く栽培もされている。

・ピオーチョ(Pioĉo)
 ミノの町の細工師兼冒険屋。七十代の土蜘蛛(ロンガクルルロ)、女性。

土蜘蛛(ロンガクルルロ)(longa krurulo)
 足の長い人の意味。
 隣人種の一種。
 山の神ウヌオクルロの従属種。
 四つ足四つ腕で、人間のような二つの目の他に、頭部に六つの宝石様の目、合わせて八つの目を持つ。
 人間によく似ているが、皮膚はやや硬く、卵胎生。
 氏族によって形態や生態は異なる。

地潜(テララネオ)(ter-araneo)
 土蜘蛛(ロンガクルルロ)と言えば人が想像する、代表的な種族。山に住まうものが多く、鉱山業と鍛冶を得意とする。種族的に山の神の加護を賜っており、ほぼ完全な暗視、窒息しない、鉱石の匂いを感じるなどの種族特性を持つ。
 細工の得意な小さめの「掴み手」と頑丈で力の強い「掘り手」に腕が明確に分かれており、足腰ががっしりとしている。
 酒を好み、仕事以外にはやや大雑把。

・山の神ウヌオクルロ(Unuokululo)
 境界の神、火の神に次いで三番目にこの地に訪れた天津神。製鉄や鍛冶の神でもあり、山に住まう土蜘蛛ロンガクルルロ達は特に強くこの神の加護を受けている。
 大まかに言えば一つ目の巨人とされるが、その詳細な姿は想起することさえ狂気を呼ぶ。



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第四話 鉱山地帯

前回のあらすじ
初めてはっきりと露骨な異種族に遭遇した二人。
気の良さそうな土蜘蛛(ロンガクルルロ)とともに鉱山へ向かうことに。


「もとはといやあ、このミノ鉱山は金鉱山だったのさ」

 

 帝国西部にそびえるミノ山は、もともと何の変哲もないただの山であったらしい。それをたまたま冒険屋の土蜘蛛(ロンガクルルロ)が、全く関係のない採取関連の依頼を受けた時に、洞窟を発見したのが始まりだったらしい。

 穴があればもぐってみるというのが土蜘蛛(ロンガクルルロ)の習性で、この土蜘蛛(ロンガクルルロ)も何となくもぐってみただけなのだが、すると、少しももぐらない内に、土蜘蛛(ロンガクルルロ)の目にははっきりとここが金鉱山であるとわかったのだという。

 

「金って、目に見える形で埋まってるものなんですか?」

「いや、ほとんどは目には見えない。溶かしたり、砂金みたいな形でようやく見える。あたしら土蜘蛛(ロンガクルルロ)は山の神様の加護を受けてるからね。鉱石なんかがあると、ちりちりと肌に感じるのさ」

 

 土蜘蛛(ロンガクルルロ)の冒険屋がこれを報告すると、領主は早速ミノの山のふもとに街をつくって、計画的な鉱山都市をつくることになった。鉱山と言っても、ただ金を掘ればいいというわけでは無い。掘った金を、きちんと金の形として利用できるように加工しなければならないし、炉を作れば燃料がいる。燃料を取るには木々を切り倒す必要があるし、そうなれば人足も必要になるし、その人足を食わせる飯も必要になるし、人間めしだけ食えば何とかなるってわけじゃないから寝床も風呂屋もいる。何なら家族を住まわせる家もいる。

 そんな具合であれこれ計画してしっかり整備された街ができた。歴史の本に載せてもいいくらい立派な都市だった。

 金を掘りつくした後のことを計画していなかった、というその一点を除けば。

 

「ま、実際、どの程度金が出そうかってのは、土蜘蛛(ロンガクルルロ)達が頭ひねればわかる問題でね。あの町もきっちり寿命を使い果たしたと言っていいから、別に間違った計画だったってわけじゃないんだけどね」

 

 ただ、山というものは掘れば痩せる。周囲の環境も汚れる。だからこの街が再復興するには、全く違った商売を見つけ出すか、それとも資源が回復するまでの相当長い時間を耐え忍ばなければならない。

 

「元手は十分稼いだんだから、他所行って商売でも何でもすりゃあいいんだけどね。実際、ほとんどの住民はそうして出て行ったからあんなに寂れちまってるのさ」

「ピオーチョさんはどうして?」

「あたしは……あたしはまあ、あそこの生まれだからね。最盛期の頃も経験してるし、寂れた後も経験してる。他所に移り住むには、ちょいと情が移りすぎてね」

 

 ピオーチョの他にも、そういう手合いはやはりいるらしく、どれだけ寂れて見えても、いまもあの町に住む人は決して少なくないのだという。

 

「でももう金はでないんでしょう?」

「まあね。でもまあ、全く出ないってわけでもない、金以外もあるからね。そう言うのを細々と加工して売ってるのさ。それに他所から依頼が来ることだって、あるんだよ」

「他所から?」

「そうさ」

 

 ピオーチョの語るところによれば、なにしろ金山として最盛期だった頃は、有り余るほどの金を加工することができたわけで、つまり金の扱いに関しては当代でこれ以上長けたものはいない職人たちの町でもあるわけだ。寂れてしまった今でも職人たちの多くは離れがたいようで、その職人たちを頼って金細工などの依頼が今でも来るそうだ。

 

「あたしだって、冒険屋の仕事は随分してないさ。手慰みに細工物をして、旅商人に売ってもらってる。小遣い程度だけどね」

「どんなものを?」

「そうさね」

 

 そう言ってピオーチョが無造作に取り出したのは、銀細工のブローチだった。サファイアのような宝石があしらわれており、細工は翼を広げた鷹をモチーフにしているのだろうか。羽の一枚一枚に至るまで精緻な仕事は施されており、宝石や銀そのものの価値よりも、その細工仕事にこそ価値がありそうな仕上がりであった。

 

「うわっ」

「これ触っていいやつですか」

「構やしないよ。小遣い程度だ」

 

 実際御幾らか尋ねてみたところ、目を剥くような値段だった。地竜退治よりは安いが、それでも気軽に買えるのは貴族位のものだろう。

 

「それで小遣いなんですか……」

「当り前さ。全盛期のこの街じゃ、そんなものは本当に小遣いだった。酒場でちょいと飲んだつけを払うのに、そのくらいの細工物が良く出回ったものさ」

「バブルだなあ」

「泡? そうさね。うん、あの景気は確かに泡みたいなものだった。どこまでも膨らんでいくと誰もが思っていて、でも結局のところは、予定通りに弾けちまった」

 

 それは少し寂しそうな物言いだったが、しかし、過去ばかりを見ているようなものでもなかった。

 

「まあいい夢だったよ。あの景気があったからこそ、いま大成している職人たちもいる。皆どっかで終わりが来るのを知ってたから、早め早めに見切りをつけるようにしてたし、大損こいたってのは、そうそういなかったからね」

 

 鉱夫たちだって、掘るだけ掘ってそれでおしまいというわけでは無かった。領主は先見性のある人で、鉱夫たちには十分な給料を与えたし、怪我や病気にも補償を出した。そしていざ金の量が減り始めると、再就職先を用意し始めた。土堀しか能がないという連中もいた。しかし、いつだって世の中には仕事が溢れているものだった。他の鉱山もあれば、大工仕事や土木作業もあった。

 金で設けた領地だったから、街道整備などを始めとした公共事業もあった。

 かならずしも悪いことばかりではなかったのだ。この夢の終わりというものは。

 

「あたしらもまあ、金山が閉まってからも、ちまちまと掘ってみたり、好きにやれたからね、いい老後といやあいい老後だったんだよ。あいつらが出るまでは」

 

 あいつら。

 その言葉を、ピオーチョは忌々しげに吐き捨てた。

 

石食い(シュトノマンジャント)の連中が坑道に出てくるようになるまではね」




用語解説

石食い(シュトノマンジャント)
 乙種魔獣。主に鉱山などに住まう。
 鉱石や金属類を主に餌として育ち、体表にうろこ状に積層させて鎧としている。
 本当に石しか食べないのか、それでどうやって体を維持しているのか、よくわからないところが多い。
 帝都大学の研究によれば、腸内の微生物が鉱物を分解し、栄養物を生成しているとされる。


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第五話 石食い

前回のあらすじ
枯れ果てた鉱山に出没する石食い(シュトノマンジャント)の正体とは。
一行はその謎を追って坑道へと向かった。


石食い(シュトノマンジャント)?」

「そうさ。いま鉱山に出ている魔獣連中のことさね」

 

 石食い(シュトノマンジャント)というのは文字通り、石を食う大きなネズミのような魔獣であるらしい。小さいうちは邪魔くさいですむが、大きくなってくると人の腰ほどにも達し、何より体表を鉱石質の頑丈な鱗で覆われるらしく、簡単には討伐できない面倒な相手になるらしい。

 

 人間と違って文句も言わずひたすら石を食っては体内で精錬してくれるわけだから、これを養殖して鉱山掘りに使えないだろうかと模索したものもいたことがあったらしいが、十分な量の鉱石が採れるほどに育った石食い(シュトノマンジャント)は生半の冒険屋が敵う相手ではなく、結局採算が取れないということで諦められてきたそうだ。

 

「あいつらが出るようになってからは、あたしらも迂闊に坑道に入れなくなってね」

「そんなに強いんですか?」

「あたしなら、一対一ならそう苦労はしないさ。でも考えてごらんよ。石を餌にするような連中だ。こっちがどんなに武装してもがりがりとやられちまうんじゃ、じり貧もいいとこだね」

 

 石食い(シュトノマンジャント)の厄介な所は、その単体の強さよりも、武器や防具の破損が怖いということらしい。それに何より群れをつくるから切りがないのだという。

 

「一応領主様にも報告はしたんだけどね、何しろとっくに閉山した鉱山だし、石食い(シュトノマンジャント)は石しか食べない、つまり外に出てこないから、優先度が低いみたいでね」

 

 極端な話、放っておいても害はないのだから、領主としては人員を裂く必要などないのである。困っているのは趣味人の職人たちだけとなればなおさらだ。

 

「わたしらもまあ、趣味の範疇だから強くは言えないし、かといって自衛してっていうにはちょいと相手が手ごわすぎてね。もう諦めようかって思ってたんだが、そこに今回の依頼さ」

 

 それこそ山のように眠っているクズ石が金になるというのもあったが、なにより魔獣退治も依頼に含まれているというのが気に入ったのだという。そしてさっそく組合に応援の依頼を出したところ、その名も高い森の魔女と盾の騎士が釣れたというのだから、これは望外というほかない。

 

「あんたら、地竜をサクッと伸しちまったんだって? 聞いてるよ」

「いや、そこまで簡単ではなかったんですけど」

「冒険屋にしちゃ素直な奴だね。まあ、でもいいんだ。それなりに使えるってのがわかりゃあね」

 

 ピオーチョに言わせれば、一度発生した石食い(シュトノマンジャント)を根こそぎにするにはしっかりとした準備がいるらしく、さすがにこの三人で全て片が付くとは思ってはいないらしい。

 

「それでもある程度倒せりゃちっとは安全になるし、憂さも晴らせるってわけよ」

「成程」

 

 やがて馬車は目的の鉱山へとたどり着き、その後は歩きで坑道へと向かうことになった。

 

「昔は五本の主坑道があって、それぞれに入り口があったんだけどね。いまは危ないんで、一番坑道以外は塞いじまってる」

「塞いでる?」

「魔術師が爆破して埋め立てたよ。子供が忍び込んで怪我する事件があったんでね」

 

 それでも一本は坑道を残したのは、やはり、未練という他にないとピオーチョは笑った。

 

 やがて見えた坑道は、人が何人もすれ違って歩けるような大きな立派なものだった。支えの梁も立派なもので、いまも全くこゆるぎもしない。

 

「まあ立派なのは入り口だけで、潜りゃもうちっと貧相なもんだがね」

 

 あんたら鉱山に潜ったことは、と聞かれて、二人は首を横に振った。

 

「だろうね。じゃあ、潜る前にいくらか装備を整えなくちゃね」

「装備?」

「安心おし、持ってきてやったから」

 

 そういってピオーチョが寄越したのは、エメラルドのような緑色の宝石が閉じ込められた、鳥かごのような形のペンダントトップだった。これまた土蜘蛛(ロンガクルルロ)の職人の手によるものらしく、鉱夫が使うものにしては随分と高級そうな細工である。

 

「山ン中に潜るとね、あたしら土蜘蛛(ロンガクルルロ)は山の神様の加護があるから縁がないんだけど、他の種族は息が詰まって死んじまうんだ。だろ?」

「ああ、確かにそうですね。あんまり深く潜ると、酸素がなくなっちまうんだっけ」

「で、こいつは《金糸雀の息吹》ってぇちょっとした魔道具でね。こいつを身に着けていると息が詰まらなくなるのさ。種の風精晶(ヴェントクリスタロ)が持つ限りはね」

 

 中の緑色の石が風精晶(ヴェントクリスタロ)というらしい。聞けば風の精霊のこもった石で、そう言った精霊のこもった石を総称して精霊晶(フェオクリステロ)というそうだった。

 旅をする冒険屋ともなれば、呼び水を注ぐと綺麗な水を吐きだす水精晶(アクヴォクリスタロ)や、火種となる火精晶(ファヰロクリスタロ)は持ち歩いているものだと言われたが、何しろそのあたりで困ったことがない二人であるから、初耳であった。

 

「この石はどれくらい持つんですか?」

「そうさね、こいつはあたしお手製だからね。普通にしてりゃ一日は持つ。激しく運動したら、もう少し短くなるね」

「少なくとも一回潜る分には問題なさそうですね」

 

 それから次に、ピオーチョは腰の《自在蔵(ポスタープロ)》からランタンを取り出した。

 

「手が一本塞がるから好きじゃないんだけどね、あたしら土蜘蛛(ロンガクルルロ)はともかく、あんたら暗闇じゃ見えないだろう」

「あ、俺暗視持ちです」

「なに? 人族じゃないのかい?」

「ハイエルフって言うんです」

「聞かないねえ。まあいいや、そっちの鎧、ミライは?」

「ぼくも暗視装備あるんで大丈夫です」

「便利な奴らだよ。まあ、邪魔がなくっていいや」

 

 ピオーチョは少し安堵したようにランタンをしまった。坑道に慣れたピオーチョと言えど、手が一本減るのは嫌だったらしい。四本もあるのだから一本位と思うのは、種族が違うからだろうか。

 

「じゃあ取り敢えずの準備は整った。あとは潜ってからおいおい話そうかね」




用語解説

・《金糸雀の息吹》
 風精晶(ヴェントクリスタロ)を利用した魔道具。これを装備していると、空気が少ない、またはない環境でも息が詰まらなくなる。ただし水中のように、水が呼吸器官に入ってくるような事態を防ぐことはできない。

風精晶(ヴェントクリスタロ)(vento-kristalo)
 風の精霊が宿っている、または結晶化したとされる石。刺激を与えると風を起こしたり、新鮮な空気を生んだりする。その産地によって風の質が違うようだ。

精霊晶(フェオクリステロ)(feo-kristalo)
 水精晶(アクヴォクリスタロ)火精晶(ファヰロクリスタロ)風精晶(ヴェントクリスタロ)などの、精霊の宿った石の総称。

水精晶(アクヴォクリスタロ)(akvo-kristalo)
 水の精霊が宿った結晶、とされる。見た目は青く透き通った水晶のようなもので、呼び水を与えるとその大きさや品質に従って水を生み出す。川辺など水の精霊が活発な所でよく生成されるが、道具として使用できるサイズ、品質のものはちょっとレア。ものによって生み出す水の味や成分も異なるようで、こだわる人は産地にもこだわるとか。

火精晶(ファヰロクリスタロ)(fajro-kristalo)スペルミス
 火の精の宿る橙色や赤色の結晶。暖炉や火山付近などで見つかる。
 可燃物を与えると普通の火よりも長時間、または強く燃える。
 希少な光精晶(ルーモクリステロ)(lumo-krisutalo)の代わりに民間では広く照明器具の燈心に用いられている。


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第六話 坑道

前回のあらすじ
坑道に潜る準備を整えた一行。
いざ、廃鉱山。


 坑道は、暗く、狭かった。

 大柄な土蜘蛛(ロンガクルルロ)達がすれ違えるように、実際にはかなり広い方なのだろうが、暗闇と、周囲がすべて土壁に囲まれているという圧迫感が、実際以上に狭苦しく感じさせていた。

 

 《金糸雀の息吹》のおかげか息苦しさは感じられなかったが、それでもどこか息詰まるような感じがあった。体ではなく心の息苦しさだった。

 二メートル近い鎧である未来などは余程狭苦しく感じるのだろう、何度となく居心地悪そうに身をよじっては、のそりのそりとやや屈み気味に歩いている。

 

 一方で実に快適そうに歩いているのはピオーチョである。もとより土蜘蛛(ロンガクルルロ)というのは鉱山暮らしの種族であるらしいから、むしろこの環境の方が、野外よりも快適なのかもしれない。

 

 しばらく歩くうちに、坑道は枝分かれした。

 

「坑道は、鉱床に沿って掘られる。んでこの鉱床ってのは天然自然のものだから、規則正しくってわけにはいかない。そいつに沿っていくんだから坑道も捻じれるし、何度も分岐するし、時には昇降機を使って垂直にも掘る」

「うへぇ……地図はないんですか?」

「あるけど、役に立たないと思うよ」

 

 一応と見せてもらえたが、縦横無尽に走る坑道は立体的で、かつあまりにも複雑で、とてもではないが一瞥しただけでは理解できない有様だった。

 

「おまけにいまは石食い(シュトノマンジャント)どもが勝手に掘った穴もあるだろうからね。まあ地図通りにはいかないよ」

「ええっ。迷ったらどうするんですかこれ!?」

「安心おし。土蜘蛛(ロンガクルルロ)は迷わないんだ」

 

 鉱山育ちの根拠のない自慢かと思いきや、ピオーチョは大真面目な顔で腰のあたりを叩いた。

 

「大昔の御先祖様の頃からの特性らしいんだがね。あたしら土蜘蛛(ロンガクルルロ)はみんな、腰のあたりから魔力を細ーく細ーく伸ばして、歩いてきた道に残していくのさ。あたしらはこれを栞糸って呼んでる。こちをたどるからあたしらは道に迷わないし、その糸の古さや具合から、今自分がどこにいるかもわかる」

 

 これはまったく便利な技能だった。

 とはいえ、

 

「あんたらにはないんだから、絶対はなれるんじゃないよ」

 

 とのことである。

 

 あいにく《エンズビル・オンライン》にはマッピング関係の魔法はなかったので、さしもの千知千能(マジック・マスター)の紙月と言えど、この言葉には従わざるを得なかった。元々逆らう気もなかったが。

 

「それで、まずどこへ向かうんです?」

「クズ石……まあ目的の鉱石は大概そこらにほっぽっておかれたからね、それらを拾いながら、ちょっと広めのところまで行こうか」

 

 提案されればそれに応じるしかない二人である。

 

 二人は目を皿のようにして坑道を歩いていたのだが、そこはそれ、土蜘蛛(ロンガクルルロ)の石を見る目と比べてしまえば見ていないも同然だった。

 ピオーチョは何でもない風に歩きながら時折不意に屈んでは石を取り上げて、特に確認するでもなく二人に投げてよこした。

 二人がじっくりと見比べてみても、それは普通の石と区別がつかない。

 

「本当にこれなんですか?」

「石の区別がつかなくなったら、土蜘蛛(ロンガクルルロ)は名乗れないね」

「御見それしました」

「照れるじゃないか」

 

 それからもピオーチョはしばしば石を見つけては二人に寄越し、二人はそれをもう確認することもせずインベントリに放り込んでいった。一応同じ分類でストックされるので、同じ石ではあるらしいということも確認できた。

 

 三十分ほども歩いただろうか。

 

「ふん。結構拾ったねえ。あんたら重くないかね」

「いえ、大丈夫です」

「さすがにそんな大鎧着てるだけあって力持ちだ。《自在蔵(ポスタープロ)》も随分大容量だね」

「あはは」

 

 まさかインベントリに突っ込んでます、重量は感じません、などとは言えない。笑って誤魔化す外にない。

 

「あんまり重いようだったらいったん帰ろうかとも思ってたけど、この調子だったら石食い(シュトノマンジャント)どもと一当てしてもよさそうだね」

「そういえば、こんな深い坑道で、どうやって石食い(シュトノマンジャント)たちを見つける予定だったんですか?」

「出たとこ勝負……嘘だよ、そんな顔すんない」

 

 少し歩くと、急に視界が開けた。ある種の集積所でもあったのか、広場のようになっている。

 

「ここらでいいか。……石食い(シュトノマンジャント)どもはね、あたしらがいくらほっつき歩いても反応しない。あいつらは肉は食わないんだ」

「そりゃ、石食い(シュトノマンジャント)ですもんね」

「そっちの鎧はいい具合に囮になりそうだけど……」

「ひぃっ」

「冗談さ。本命はこっちさね」

 

 言って、ピオーチョは《自在蔵(ポスタープロ)》から革袋を取り出すと、広間の真ん中あたりに置いて見せた。

 

「それは?」

「金属のきれっぱしだとか、宝石の屑だとか、まあ売り物にならんやつさね。だがやつらにゃ食い物になる」

「成程。それでやってきたところを狩ろうってわけだ」

「でも、石食い(シュトノマンジャント)はちゃんとあれが石だってわかるのかな」

「あたしら土蜘蛛(ロンガクルルロ)が目で見て肌で感じるように、石食い(シュトノマンジャント)も石の匂いがわかる……らしい。ま、それでもすぐには来ないだろうから、少し休もうかね」

 

 三人は広間から出て、革袋のよく見える横道に腰を下ろして休むことにした。




用語解説

・ないときもある。


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第七話 囀石

前回のあらすじ
用語解説がなかった。


 餌の石を置いて十分かそこらしたころである。

 何をするでもなくただ待つという行為に紙月と未来がいい加減焦れ始めたころ、奇妙な足音が響いた。

 

「む……」

「なんですかこれ?」

「外れだね」

「外れ」

 

 何が来るのかと身構えていると、広間に奇妙な姿がやってきた。

 大きさ自体は、大型の犬程度だろうか。話に聞いた石食い(シュトノマンジャント)と同じ程度である。だが姿が奇妙だった。

 

 それはしいて言うならば、六つの足が生えた卵だった。前後があるとするならば、恐らく尖った方が後ろで、丸い方が前方なのだろう。丸い目のようなものが、見て取れた。だがそれ以外は何もない。ただただつるんとしており、口も何も見えないのである。

 

「……あれが、石食い(シュトノマンジャント)ですか?」

「まあ、似たようなもんではある」

 

 その何かが革袋を確認し始めると、ピオーチョはつるはしを片手に大声で怒鳴りつけた。

 

「おら、さっさとそれからお離れ! あんたのじゃあないよ!」

『ぴゃあっ! 驚いたであります!』

「……喋った」

「喋ったね……」

「残念なことにね」

 

 現れた奇妙な生き物なのだか何だかに三人は接近してみたが、見れば見るほど生き物とは思われない奇妙な姿である。近くで見ればその足などはどう見ても機械仕掛けであるし、目なども、眼球と言うより赤い宝石などから磨きだされたレンズのように思われた。

 

「こいつは?」

「まあ、石食い(シュトノマンジャント)みたいなもんだよ」

『酷いであります! 自分達はあのような魔獣とは違うのであります! 断固抗議であります!』

「うっわ見た目と裏腹によく喋る」

「こいつら無駄にお喋りなのさ。だから囀石(バビルシュトノ)って呼ばれている」

 

 それはお喋りな石とか、そのような意味であった。

 

「言葉……交易共通語(リンガフランカ)をしゃべるってことは、ええっ、隣人種なんですか?」

「残念なことにね」

『自分達はちょっと変わった種族でありますから、なかなか受け入れてもらえないのは仕方がないであります』

 

 囀石(バビルシュトノ)というのは、文字通り物言う鉱石生命体なのだという。

 その本体というのは、灼熱の心臓と言われる非常に高熱の炉心であり、それを守るように鉱石や金属などを加工して鎧を作り、着込んでいるのだとか。

 

「じゃあこれ、見た目通りの生き物というよりは、鎧姿なんだな」

『そうであります。自分達はその用途や棲み処の環境によって手足を変えることのできる非常に器用な種族なんでありますよ』

「非常に異様な種族の間違いだろ」

『もー、そちらの土蜘蛛(ロンガクルルロ)殿は失敬であります!』

 

 アタッチメントを変えることができることと言い、見た目と言い、まるでロボットである。おまけにその声自体合成音声のような響きで、なんだかファンタジー世界に急にSFが紛れ込んできたようで落ち着かない。

 もっともそんな風にジャンル違いに悩むのは紙月位のもので、ピオーチョはひたすら鬱陶しそうであるし、未来などは純粋にロボットだロボットだと感動している。

 

「しかし、囀石(バビルシュトノ)ね。なんでまたこんなところに?」

『自分達は外殻を作ったり維持するのに鉱石を必要とするでありますからな。廃鉱山などで要らない石なんかを頂戴することがよくあるのであります』

「要するに泥棒だよ」

『有効活用と言ってほしいであります』

 

 土蜘蛛(ロンガクルルロ)や人族は必要としない類の鉱石でも、囀石(バビルシュトノ)なら活用できることもよくあることであるらしい。逆に言えば、囀石(バビルシュトノ)の飯にしかならないような鉱石ともいえるのだろうが。

 

「まあいいや。俺は紙月。こっちは相方の未来」

「未来です」

『これはご親切に! それで……じー』

囀石(バビルシュトノ)なんぞに名乗る名はないよ」

「ピオーチョさん、よほど嫌いなんですね」

「ふん」

 

 取り付く島もない。

 

「で、あんたは?」

『自分達は、あまり細かく自分というものを分けていないのであります』

「うん?」

『自分達は数多くの体を持っているのでありますけれど、根っこの魂の部分では繋がっているのであります。なのでどの自分が特別ということはあんまり考えないのでありますよ。しいて言うならば、この自分はこの廃鉱山を棲み処にしているので、廃鉱山の囀石(バビルシュトノ)その一といった区別がある程度でありますな』

 

 ピオーチョはわけがわからないという風に肩をすくめるばかりだったが、紙月と未来は何となくではあるがその生態を理解した。

 要するにロボットという理解の仕方だ。コンピュータネットワークでつながれた無数の個体はどれも同期しており、全体として一つの生き物として機能しているのだ。クラウドコンピューティングシステムとか呼ばれるそれと似たようなものだと考えていいだろう。

 

 とはいえ、実際にその個体と触れる紙月たちにとってはやや不便だ。

 

「じゃあ取り敢えずミノの山の囀石(バビルシュトノ)だからミノってことで」

『かしこまり、であります!』

「で、ミノ。その鉱石は石食い(シュトノマンジャント)を釣るための餌だからお前にはやれないんだ」

 

 ピオーチョがふてくされてすっかり会話に参加する気がないらしいのを見て取って、紙月がそのように説明すると、ミノは大袈裟に驚いたようなジェスチャーをして見せた。

 

『おお! もしかして紙月殿たちは石食い(シュトノマンジャント)狩りに来てくれたのでありますか!?』

「いや、まあメインは石掘りなんだけど、できれば片付けたいと思ってる」

石食い(シュトノマンジャント)たちさえ片付ければ石掘りなどいくらでもお手伝いするでありますよ!』

「おお、マジか」

『マジであります! 自分達も石食い(シュトノマンジャント)の被害にはうんざりしていたのであります!』

「ちょうど人出も足りなそうなとこだったし、ミノにも協力してもらって――」

「駄目だね!」

 

 ぴしゃりとピオーチョが遮った。

 

「ええ? でも俺達だけじゃ」

囀石(バビルシュトノ)なんか信用できるもんかい! そいつらと石食い(シュトノマンジャント)と何が違うってんだい!」

「そりゃあ……」

 

 怒鳴りつけられ、紙月はまじまじとミノを眺めてみた。

 石を食べて体を作る習性があり、人の去った廃鉱山を棲み処にし、とても隣人とは思えない見た目をしている。

 

「…………しゃ、しゃべる……」

『それだけでありますかァ!?』

「いやだって、なあ」

「喋るだけならあんたらだけで十分だよ! 囀石(バビルシュトノ)なんかまっぴらごめんだ!」

 

 ミノはそれでも、自分たちは少なくとも噛みついたりしないし、話せばわかるし、なんなら『自分達』のため込んできた小粋な冗句を披露することもできると売り込んできたが、勿論ピオーチョの反応はなしのつぶてである。

 

「ねえピオーチョさん」

「なんだいミライ。あたしゃあんたみたいな子供が相手でも意見を変えたりは、」

「いや、そうじゃなくて」

 

 わめくミノになだめる紙月、すっかりこじれてしまったピオーチョの中、一人冷静な未来が、置いてあった袋を指さした。

 

「餌、かかったみたいだけど」

「え」

「え」

『え』

 

 振り向いた先では、犬ほどもある巨大な鉱石質のネズミが、革袋に頭を突っ込んで鉱石をかじっているではないか。

 

「あっ、こいつ!」

『あ、駄目であります』

「なんだい、止めるんじゃ」

『増援であります』

 

 囀石(バビルシュトノ)の鋭敏なセンサーに引っかかったらしい。見れば、あちらこちらの坑道から、どろどろとおどろおどろしい足音が響いてくるではないか。

 

「まずいな。久しぶりの餌に興奮してるらしい」

「えー、肉は齧らないんでしたっけ」

「腹減っててそれどころじゃないかもしれんね」

「つまり?」

 

 ピオーチョはつるはしをしまって、駆け出した。

 

「逃げろ!」

 

 勿論、一同それに続いた。




用語解説

囀石(バビルシュトノ)(babil-ŝtono)
 火の神ヴィトラアルトゥロの従属種。隣人種の一つ。
 灼熱の心臓と呼ばれる非常に高温の炉心を本体として持ち、それを守るように鉱石や金属で様々な鎧を作り纏っている。現代人にはまるでロボットのようにも見えるだろう。
 鉱石生命種である彼らは一つの魂でつながっており、それぞれの個体にあまり重きを置かない。さながらネットワークでつながれたクラウドコンピューティングのようである。勿論、経年などによって個体ごとに差別化はされるようで、かなり特殊化された個体などもあるようだが、やはり魂のバックアップがあるという感覚は他の種族には理解しがたい感覚のようだ。
 鉱石を食事として、また鎧の整備・維持に用いるため、同じく山を掘る土蜘蛛(ロンガクルルロ)とは衝突したり、共存したりと縁が深い。
 火の神の加護を受け、宝石や鉱石などを発掘する才能の他、種族特有の特殊な技術を数多く持つ。



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第八話 共同戦線

前回のあらすじ
お喋りな囀石(バビルシュトノ)と遭遇した一行。
早速石食い(シュトノマンジャント)たちの大群に追われて逃げ出すのであった。


 石を拾いながらゆっくり歩いてきた行きと異なり、とにかく逃げの一手の全力疾走であった帰りは、早いものであった。

 坑道の入り口までたどり着き、ようやく一息ついた一行は、どっと崩れ落ちるように倒れ伏した。石食い(シュトノマンジャント)は群れると聞いていたが、あそこまでどっとやってくるとは、思いもしなかったのである。

 

「やれやれ、あれじゃあちょっとやり方を考えなきゃいけないね」

「そもそもどうやって退治するつもりだったんです?」

「餌につられて群がってきたところを、あんたの魔法で一網打尽、ってのを繰り返そうかとね」

「成程……って、あの調子じゃ崩落しかねねえな」

「崩落、崩落ね……いっそみんなまとめて押しつぶされちまえば楽なんだけど」

 

 とにかくいったん休憩しようと、ピオーチョは小型の炉のようなものに火をおこし、薬缶を火にかけた。この炉は火精晶(ファヰロクリスタロ)なる魔法の石が使われているらしい。

 

「ちょいと高いが、あたしら職人の手にかかりゃ簡単に作れるからね」

「へえ、じゃあ仕事が終わったら、俺達にも一つ作ってもらえます?」

「出来高制だよ」

「うへぇ」

 

 薬缶で甘茶(ドルチャテオ)が濃いめに煮出され、各人に金属のマグカップが寄越された。といっても、ミノの分はない。

 

「……というか、飲めんのか、そもそも」

『自分達、普通の飲食とは相性が悪いのでお気になさらずであります』

「ふん、石食い石に飲ませる茶はないよ」

囀石(バビルシュトノ)であります!』

 

 坑道を出てもピオーチョとミノの険悪さはほぐれもしないようで、紙月もこれには参った。

 

「なあミノ、廃鉱山にはお前の仲間はどれくらいいるんだ?」

『現状、この廃鉱山内には、この自分を合わせて三十二の自分達がいるであります』

「結構いるな」

『でも自分達は何分石でできているだけあって石食い(シュトノマンジャント)との相性が悪いのであります』

「そりゃ食ってくれって言ってるようなもんだしな……」

 

 しかし、三十二というのは結構な数である。それもこの廃鉱山を棲み処にしているということは、素人の紙月たちがピオーチョの案内について行くより、よほど自由自在に動き回れることは間違いない。

 

「なあ、ピオーチョさん」

「嫌なもんは嫌だよ」

「そうは言ったってなあ……なあ、どうしてそんなに嫌がるんです」

「どうして? どうしてだって?」

 

 ふん、とピオーチョは疲れとも苛立ちともとれぬ溜息を吐いて、それからゆっくりと甘茶(ドルチャテオ)を啜り始めた。

 

 ピオーチョはこのミノの町で生まれ育った生粋のミノっ子だという。

 やがて終わりが来るにしても、自分が死ぬ時までは精々このミノの町に尽くしたい。そう思って、土蜘蛛(ロンガクルルロ)として職人仕事に明け暮れ、また若さのままに冒険屋としての仕事も始めた。

 そのどちらともをまさかこの年になるまで続けるとは思わなかったけれどね、とピオーチョは笑った。

 

 毎日のように山から掘り出されてくる鉱石やクズ石、精錬される金や銀、鉄、鉱山というのは土蜘蛛(ロンガクルルロ)にとって正しく宝箱だ。ピオーチョは直接山に潜りはしなかったけれど、それでも掘り出し物には目をかけ、丁寧な仕事ぶりも徐々に評価され始めていた。

 まだ十代の若造であるピオーチョは、それでも周囲の職人たちの仕事をよく学び、よく取り入れ、成人したてとしては随分取り上げてもらったものだという。

 

 そのピオーチョが十六の頃である。

 ピオーチョは一人の囀石(バビルシュトノ)とたまたま知り合って、親交を深めていた。

 囀石(バビルシュトノ)というのは何も廃鉱山にばかり住み着くものではない、現役の鉱山ともなれば積極的に自分達を売り込んで鉱夫として潜ったし、ちょいとつまみ食いはするが、その働きぶりは土蜘蛛(ロンガクルルロ)と比較してもまだ優れているほどだった。

 

 その囀石(バビルシュトノ)と仲が良くなったのは何も真っ当な理由からではなかった。たまたま山を覗きに行ったときに、ちょうどつまみ食いしようとしているところを発見してしまい、黙っている代わりにたまに鉱石を融通してもらうという、いわば共犯として二人の仲は始まったのであった。

 

 勿論、その程度のことは子供たちの戯れとして、大人たちはとっくに気付いていただろう。その上で景気の好さから見逃されていたのだ。それでもピオーチョにとっては、それは胸が沸き立つようにドキドキする、特別な関係だった。

 大人たちに黙って悪いことをしているんだという刺激に、囀石(バビルシュトノ)という特別変わった友人! 思春期のピオーチョにこれ以上に面白いことはなかった。

 

 ピオーチョは囀石(バビルシュトノ)から多くのことを学んだ。石の見分け方、炉の火の操り方、異なる金属同士を合わせた合金の比率。若いピオーチョにとって、囀石(バビルシュトノ)は教師であり、友であり、もはや姉妹と言ってよかった。

 

 だからある日のこと、ピオーチョは小遣いをはたいて買った大振りの紅玉を囀石(バビルシュトノ)にプレゼントしたのだという。

 

「だというのに、あいつは……!」

 

 囀石(バビルシュトノ)はプレゼントを喜び、そして食べてしまったのだという。

 

「うわぁ」

「うわぁ」

土蜘蛛(ロンガクルルロ)が宝石を渡すってことの意味が分かってないんだよ!」

 

 細工の得意な土蜘蛛(ロンガクルルロ)が、細工を施していない宝石を捧げるということは、これから細工を施していくように、末永く善き付き合いをしていきましょうねというそう言う長い親交を願ってのことなのだという。偏屈で頑固な土蜘蛛(ロンガクルルロ)が友情に捧げるものとしてこれ以上のものはないのである。

 

『え、えーと、自分達も土蜘蛛(ロンガクルルロ)の習慣に詳しいわけではないので、』

「だからってもらったもん食うか!? その場で!? 宝石狂いの土蜘蛛(ロンガクルルロ)が、宝石を渡してんだぞ!?」

『あうあう』

 

 その瞬間、二人の間の友情は盛大に亀裂が走ったどころではなく完全に崩壊して喧嘩別れになったという。

 

「あれ以来、あたしは囀石(バビルシュトノ)なんて生き物を信用してないんだ。隣人だなんだって言って、結局は価値観が違い過ぎるのさ。まだ石食い(シュトノマンジャント)どもの方が近いんだろうね」

 

 これには二人もフォローのしようがなかった。




用語解説

甘茶(ドルチャテオ)(dolĉa teo)
 甘みの強い植物性の花草茶。
 同じ名称ではあるが何種類かの甘茶(ドルチャテオ)が存在し、帝国全土で広く飲まれる。



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第九話 拒絶

前回のあらすじ
聞くも涙語るも涙のピオーチョの過去話であった。いいね。


「とにかく、あたしゃ囀石(バビルシュトノ)と組むなんて御免だね」

 

 こう言いだしたピオーチョはまるで話を聞かず、一同は少し時間をおいて頭を冷やそうと、それぞれにばらけて休憩することとなった。いくら間をおいても、顔を合わせていては意味がない。

 

 ピオーチョは坑道前にどっかりと腰を据えて茶を啜り、ミノはこれに気圧されるようにすたこらさっさと姿を消した。

 残された紙月と未来はと言えば、掘り返されてはげ山になった鉱山を何とはなしに眺めながら散策などしてみたが、やはりこれといった妙案など思いつくべくもない。

 

「見た感じ(キン)属性として、やっぱり火なんだろうけど」

「幸い窒息死は考えなくてよさそうなんだけどね」

「でもあんだけ数がいると、俺が焼く前にこっちに辿り着かれちまうからなあ」

「思った以上に横穴が多かったから、ぼくのシールド系だと後ろから来られた時が怖いよね」

「どうにかして一か所にまとめて、焼いて、だなあ」

 

 この一か所にまとめて、というのが難しい所だった。

 先ほど見た感じ、単に焼き払うだけならそれほど大した敵ではなさそうなのだ。ところがそれが無尽蔵に湧いて出てくるとなると、話は別だ。紙月の《SP(スキルポイント)》もこの程度の敵相手ならば無尽蔵ともいえるのだが、しかしそれに比例して紙月自身の集中力は無尽蔵ではないのだ。一匹ずつ焼いていくのではらちが明かない。

 しかし、ちょっとやそっとの餌を用意したところで、あれだけの数はまとまってはくれないだろう。やはり、手数を用意して追い込むなりなんなりして、ひとところに集めておきたい。

 

「暗視も効いて窒息もしないし、縦横無尽に走り回れる囀石(バビルシュトノ)はちょうどいいんだけどなあ」

 

 彼ら自身が食べられかねないという懸念はあるが、対抗手段がないだけであって逃げきれない訳ではなさそうなので、いっそ囮にして集めてもらうというのも手は手である。属性付与系の魔法で火属性でも付与してやって、追い立ててもらうというのも手だ。

 

 しかしそれにはまず、案内人でもありこの即席パーティの一応の柱であるところのピオーチョにお伺いを立てなければならないのである。

 そしてそのピオーチョの機嫌はと言えば、絶望的である。

 これが単純な好き嫌いならば大人になれよと諭すばかりであるが、しかし思春期にトラウマじみたダメージを残したエピソードなんか聞いてしまうと迂闊なことは言えない。別人ならぬ別囀石(バビルシュトノ)なのだからとは思うが、一度種族全体に対して固まってしまった観念はそうそう溶け去ってはくれないものだろう。

 

「俺たち三人でどうにかする手段、ねえ」

「毒ガスとか水攻めとか?」

「鉱山が使えなくなる手段は駄目だろ」

「ピオーチョさんが言ってた、崩落とか」

「だから崩しちまったらさ」

「ほら、植物系の魔法で補強入れて、広間だけ崩すとか」

「あー」

 

 いろいろと話し合ってみたが、やはり敵に数がある以上、どうにかして一網打尽にしなければならないという問題が立ちはだかるのであった。

 

「こういうときギルマスとかなら楽だったんだろうけどなあ」

「あー、『軍団ひとり』だ」

「それそれ」

 

 前の世界で《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》と呼ばれたギルドの長は、死霊術によってアンデッドを呼び出し戦わせることのできる死霊術師(ネクロマンサー)と呼ばれる《職業(ジョブ)》だった。

 

 それ自体はそれなりにあり触れたことだったのだが、問題は現実の金銭(リアル・マネー)現実の幸運(リアル・ラック)に飽かせた最上級装備と、現実を犠牲にしているとしか思えない廃プレイによって成し遂げられた極端な召喚寄りの戦法である。

 

 ざっくりと言えば、『軍団ひとり』。たったひとりで狩場を占領し、ギルドを相手にし、そして勝利してしまうだけの実力。圧倒的な数と数と数、とにかく数で圧殺する物量戦法。そしてそれが、金銭的にも費やした時間的にも、どう考えても効率が悪すぎるという浪漫でしかないという一点。

 

 脳髄という浪漫の地平線の向こうからやってきた男。

 《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》。

 それはたった一人の男から始まったのだった。

 

「ひとりプロジェクト×だよな」

「あんまりお喋りしない人だから僕よく知らないんだけど」

「サブマスとはそれなりに仲良かったみたいだけどな」

 

 よくわからないが、しかしその業績ばかりは有名な人というのが、ギルドメンバーのギルドマスターに対する一般的な評価であったように思う。それを言ったら他のメンバー間でも、大して絡みがなければ同じようなものだったが。

 

 紙月と未来、つまりペイパームーンとMETOの『無敵砲台』の二人にしても、METOの移動速度の低さといい、完全に拠点に固定したままの動かないプレイスタイルと言い、他のプレイヤーと共闘しにくいので、一緒に狩りをしたことなど全然ない。

 

 紙月は割と積極的に誰にでも話しかけていく方だったが、未来は相手との距離感を計るところがあった。例えばそれなりに話すこともあったエイシスというプレイヤーとも、趣味の界隈ではお喋りすることもあるが、気難しいところが感じられて、あまり突っ込んだところまでは話さなかった。

 

 エイシスはゲーム自体よりもゲーム内にちりばめられたフレーバーテキストを集めることが趣味であるという蒐集家で、彼が持っていない、あるいは入手しづらいアイテムなどの交換を持ち掛けられることがしばしばあった。

 

 フレーバーテキスト集めが主体でアイテム自体の価値は二の次だというのは本当らしく、恐ろしく価値のあるアイテムを紙月からすれば十把一絡げのアイテムと交換してくれたこともあったし、逆にどこででも手に入るアイテムをフレーバーテキストが気に入ったからという理由で後生大事に持ち歩いていたりもした。

 

 未来はこの口数の少ない、しかし蒐集したフレーバーテキストについて語るときばかりは多弁な、言ってみればオタク器質なところを苦手としていたようだったが、紙月としてはそこに垣間見える人間性というものが何となく楽しかった気がする。

 またチャットで話をしていても、同じことは二度言わないし、以前間違えたことは二度としないし、同じようなフレーバーテキストの細かな違いについても語ったりなど、賢いところが窺えた。

 

 今頃はどうしているだろうか。

 いまもまだフレーバーテキストを集めては一喜一憂しているのだろうか。魔法《技能(スキル)》関係のフレーバーテキストをいちいちスクリーンショットして送りつけてはゲーム内のアイテムや通貨と交換してもらっていたのが懐かしい。良い小遣い稼ぎだった。

 《技能(スキル)》関係のフレーバーテキストはその《技能(スキル)》を覚えるジョブでないと見れないから、なかなかレアであるらしく、食いつきがよかったのだ。

 

 人はどんなにアレな人でも付き合い方さえ覚えれば付き合っていけるものなのになあ、などと紙月が黄昏れている時であった。

 

『たたた大変でありますよ!』

 

 合成音声の平坦な響きのせいでいまいち緊急性がわからないものの、ジェスチャーばかりは大きいミノが飛び込んできたのは。

 

「どうした?」

『ピオーチョ殿が一人で行ってしまったのであります!』

 

 人はどんなにアレな人でも付き合い方さえ覚えれば、覚えれば、なあ。

 ずつうが、いたかった。




用語解説

・『軍団ひとり』
 ギルド《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》の発足人にして、最初の《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》。
 死霊術師(ネクロマンサー)のアンデッドで、石油王なのではないかと言われる財力と、運営と組んでいるのではないかと言われる豪運、そしていつ仕事しているのかと言われる廃プレイによってある種の頂点を極めた男(?)。
 「サーバーがたがた言わせてやる」との名言が残る通り、アンデッドを大量召還してPvPの対戦相手を処理落ちで動けなくしたという事例がある。

・エイシス
 《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》のひとり。
 《暗殺者(アサシン)》系統の最上位職である産廃《職業(ジョブ)死神(グリムリーパー)の数少ないうちの一人。ほとんど完璧にその存在を隠し通すことができ、PvPでは突然死亡して何かと思ったらこいつのせいだったという事例が多く見られた。
 姿を隠すスキルを常時使用しており、同じギルドのメンバーでさえその姿を見たものはまれというコミュ障で、誰がいつどうやって勧誘したのか長らく謎であった。



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第十話 追走

前回のあらすじ
ひとりで突っ走ってしまったピオーチョ。
ずつうが、いたい。


 多弁気味なミノの説明を要約してみれば、こうだった。

 

 ピオーチョに追い払われたものの、なんとか石食い(シュトノマンジャント)の被害を解決したいし、嫌われたままでいるというのもよろしくないと思い、ほとぼりが覚めただろうころを見計らって戻ってきたところ、肝心のピオーチョの姿がない。

 もしやみんなもう再び潜ってしまったのかと慌てて坑道に向かうと、そこには囀石(バビルシュトノ)と組むくらいなら一人で行くという書置きが残されていたのだという。

 

「一人で行ってどうするつもりなんだあのばあさん……」

「と、とにかく追いかけないと!」

「つっても、俺達だけじゃ迷っちまうしなあ」

『あ、居場所はわかってるであります』

「え」

「え」

 

 なんでも、ピオーチョが坑道に潜って少しした頃には、坑道内の他の囀石(バビルシュトノ)に捕捉されており、その後、気づかれないように尾行中だという。

 

『自分達は何しろ呼吸もしなけりゃ鼓動もないでありますからな、死体と一緒なので尾行は得意なのであります!』

「その自虐ネタ、エッジがきつすぎる」

 

 ともあれ、これは助かった。

 聞けば例の広間を目指しているようだとのことで、二人もさっそくミノの案内でこれを追いかけることにした。

 

 坑道を行くミノの走りは実に滑らかで、音も静かだ。成程これに尾行されれば気付く由もなさそうである。

 

『何しろ地下はお喋りするものが少ないでありますからなあ! 自分達も静かにするように設計しているのであります!』

 

 すべてを台無しにするお喋りさえなければいいのだが。

 

 ともあれ三人は速やかに坑道を駆け抜け、すぐにも広間に辿り着いた。広間にはすでに石食い(シュトノマンジャント)たちの姿はなく、代わりにピオーチョが一人せっせと何かを組み立てているようだった。

 

「ピオーチョさん!」

「来たなお邪魔虫」

「いやお邪魔する気はないですけど、何してるんですか」

「仕掛けだよ仕掛け。あいつらを一掃するね」

 

 一人で自棄になったのかとも思ったが、どうやらしっかりとした考えはあるようだった。

 

 何か筒のようなものをあちらこちらに埋めるピオーチョの姿は職人じみて頼りになるが、しかし何をやっているのかわからないというのは不安である。

 

「仕掛けって……勝算あるんですか?」

「なきゃやらないよ」

 

 ピオーチョは手の中で筒をもてあそんで、言った。

 

「こいつは発破という」

「発破……火薬か!」

「そうさ。こいつは火精の同調励起作用を利用して、遠隔で爆破できるようになってる。こいつを辺り一帯に仕掛けた」

 

 そう言われてあたりを見れば、確かに掘り返されたような跡がいくつも見える。そのすべてが爆薬なのだとすれば、ぞっとするのもさもありなんである。

 

「崩落させる気ですか!?」

「一応計算はできてる。前々から考えちゃあいたからね。この広間なら、被害は最小限で済む」

 

 ピオーチョの計算によれば、仕掛けた発破をきちんと爆破すれば、この広間だけを正確に崩落させ、他の坑道への被害は最小限に済むという。この計算に関しては囀石(バビルシュトノ)のミノも概ね正しいと判断した。この鉱山だけでも三十二体いるという数に頼った計算であるから、頼りにはなる。

 

 問題はその計算式がどうなっているのか紙月たちにはわからないので、検算のしようがないということだが。

 

「まああたしを信じな」

 

 胸を張って言われるが、勿論信じられる要素などない。ないが、なにしろこちらは計算ができないので信じる外にない。ほかにどうしようもない。ピオーチョがミノの計算に文句を言わなかったので、奇しくも賛成票が半数になってしまっているのだ。

 

「で、崩落させるとして、どうやって石食い(シュトノマンジャント)たちを集めるんです?」

「なあに、餌はまだあるからね。さっきの調子で集まりゃ、随分やれるだろうさ」

「集まったとして、どうやって確認するんです」

「そりゃ目で見てだよ」

「それじゃ発破が間に合わないですよね!?」

「そうだよ」

 

 余りにも穏やかな返答に、紙月は重々しく息を飲んだ。未来は何のことかわからないという顔をしているが、これはつまりそういうことなのだ。石食いたちが集まるのを目で見てから、安全圏まで逃げて、それから発破を起爆するのではとても間に合わない。削らなければならない部分が出てきてしまう。

 

「ばあさん、あんた自爆する気か!?」

「年寄り一人で片がつくなら安いもんだろ」

『だだだ駄目でありますよ! 命は無駄にしてはいけないのであります!』

「いくらでも予備のあるお前たちに何がわかる!?」

『それは、でも、だからこそ、予備がない命は、無駄にしてはいけないのであります!』

「ふん、お為ごかしを」

 

 ピオーチョは考えを変える気はないようだった。手元の筒は今度は発破ではない。親指を押し込む部分がついたそれが、恐らく起爆スイッチなのだろう。

 

「もともと、こうしようこうしようと考えてはいたのさ」

 

 声はいっそ穏やかである。

 

「山が閉まって、細工の仕事も冒険屋の仕事も減っていって、最後になんにもなくなっちまって死んでいくよりは、この町のために何か成し遂げてから死にたかった。それがどんなことであっても、この町で生まれ、この町で育ったからには、この町のために死にたかった」

 

 本当は一人でさっさと片を付けるつもりだったらしい。

 しかし発破の準備を整えたころには、石食い(シュトノマンジャント)の危険は街中に広まり、冒険屋事務所でも、勝手に侵入しないようにと釘を刺されたのだそうだ。

 

「あれでも長いからね。あたしが何をしようとしているのか、見当がついてたんだろうさ。あたしもあの爺さんに言われりゃあ、それを破ってまでどうこうしようたあ言えない。そこにやってきたのが今回の依頼さ」

 

 石食い(シュトノマンジャント)たちを討伐できる、渡りに船の依頼だと、そう思ったのだそうだ。竜殺しなどと言う大層な二つ名のついた冒険屋も、やってきてみればただの若造で、このくらいならば目を盗むのも容易かろうと。

 

「この依頼を無事に終えたところでさ、あたしにゃもう先がないんだ。詰まんない余生を送るより、パッと一花咲かさせておくれよ」

「そんな……ピオーチョさん」

「止めろ未来、やらせてやろうぜ」

「そんな、紙月」

 

 未来の鎧をごんごんと叩いてやって、そして紙月はにっかり笑うのだった。

 

「その代わり、ばあさん、俺達も好きにやらせてもらいますぜ」




用語解説

・ないんです。


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第十一話 鼠捕り

前回のあらすじ
自爆覚悟のピオーチョ。
それならばと紙月は策を練るが。


 作戦はこうだった。

 

「まず、俺の魔法で広間につながる坑道を一つに絞ります」

「敵の侵入経路を絞るわけだね」

「そういうこと」

 

 この坑道を爆破する工程でも、ミノの計算能力には助けられた。これをもとに再計算が行われ、発破の位置に微調整が加えられ、そして次の段階である。

 

「いくらばあさんが餌を持ってきているとはいえ、敵は大群だ。すっかりこの広間に誘い込む前に餌切れになっちまう」

「だからって今から餌用に石やら金属やらを持ってくるってのは勘弁しておくれよ」

「大丈夫、そこは俺が魔法で用意する」

「魔法でえ?」

「そして石食い(シュトノマンジャント)どもがやってきたら、すっかり集まった時点で発破の出番だ」

「それで、あんたらはどうやって逃げるんだい」

「逃げない」

「なんだって?」

「未来、耐えられそうか?」

「ええ? ……ああ、()()()()()使()()ってことね。地竜よりは軽いと思うよ」

「というわけだ」

「どういうわけだよ」

「作戦開始ってことさ」

 

 布陣はこうなった。

 開けた坑道から一番離れた壁を背にして発破役のピオーチョと、護衛のミノ。

 そしてそれを守るようにして未来が立ちふさがり、その背に紙月がしがみつくいつものスタイル。

 

「さって……じゃあ、まず餌やりだ! 今日ここで見たことは内緒にしてくれよ!」

 

 紙月は右手で広間の中央あたりを指さし、左手を踊るように空に舞わせる。右手でクリック。左手でショートカットキー。いつもの動きだ。

 今日使うのは《火球(ファイア・ボール)》でも《土槍(アース・ランス)》でもない。

 

「この世界じゃ新技披露! ぶちかませ! 《金刃(レザー・エッジ)》! 三十六連!」

 

 ずずず、とわずかに地面が揺れ、引き換えに、地面から何本もの金属製の剣が飛び出してくる。それが三十六回分、盛大に地面を切り刻みながら溢れ出てくる。

 《金刃(レザー・エッジ)》は《土槍(アース・ランス)》と同じような特性と欠点を持った金属性の最初等魔法《技能(スキル)》であるが、比較して攻撃力が高いという違いがある。

 

 そして紙月の期待していたところに、

 

「よしやっぱり消えない!」

 

 あとに残るという点がある。

 

 元のゲーム内ではすぐに消えてしまった金属の刃だが、ここは一応は現実世界である。土が崩れたり火が消えたりはしても、地竜に刺した《寄生木(ミストルティン)》が消えなかったように、土から生やした金属製の刃もまた消えないのである。

 

 ではこの金属の山にさらに《金刃(レザー・エッジ)》を使用すればどうなるか。

 

「《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》!!!!!!!」

 

 使えば使うほどにそこには金属製の刃が積み重なっていく。がちゃりがちゃりと激しく打ち合わせながら無数の刃が溢れていく。

 

「こ、こりゃあ……理屈に合わないじゃあないか……」

「実際、この鉄がどっから湧いてきてるのか、そもそもまともな金属なのかは、それは俺にもわからない」

「恐ろしいこと言うねあんた!?」

「だがわかるのは……釣れたってことさ!」

 

 間もなく、どろどろとおどろおどろしい足音が去来する。

 山と積まれた金属の刃に阻まれてこちらにまでは到達できないが、いや、到達する気もないようだが、悍ましいほどの石食い(シュトノマンジャント)たちの群れが、《金刃(レザー・エッジ)》の刃を恐ろしい音を立ててかじり、砕き、貪り食っていく。

 

 これではどんなに分厚い装甲に身を包んだところで、いや、装甲に頼れば頼るほどにいい餌となってしまっただろう。またどんなにか鋭い武器だって、このように齧られてしまえばかたもない。

 かといって貧弱な装備で挑めば、この強固な鱗を貫く事もまたできない。

 

 その勢いたるやまるで金属の硬さなどものともしないもので、成程石食い(シュトノマンジャント)という生き物が怖れられるわけである。

 

「やべっ、思ったよりもいる。お代わりいりそうだな」

「紙月、そろそろぼく準備するね」

「おう、頼む。ミノ、お客さん入り切ったか?」

『もうそろそろ………いまので最後であります!』

「よし、未来!」

「うん、いくよ!」

 

 返事とともに、瞬時に未来の鎧が、まるで大樹に包み込まれたような異形の鎧に切り替わる。土属性に対して非常に高い耐性のある《ドライアドの破魔鎧》である。そしてそろいの《ドライアドの破魔楯》を上方に構え、未来はどっしりと腰を落とし、膝をつく。

 

「『タワー・シールド・オブ・エント』!」

 

 ここには植物の気配というものがないが、それでもあたり一面の土から養分を吸い取り、《ドライアドの破魔楯》はドーム状に変化して一行を包み込む。

 

「おお、おお、いったいこりゃあ!?」

「発破やる前に心臓発作起こすなよ!」

「しゃらくさい!」

 

「《金城(キャスル・オ)鉄壁(ブ・アイロン)》!!」

 

 続けて絶対防御の輝きが、この木製のドームを取り囲み、著しくその強度を高めていく。

 かつてここではない世界、ここではないどこかで、何者にも貫くこと能わずと語られた神話の鉄壁がいま、完成した。

 

「ばあさん!」

「覚悟をおし!」

「とっくに!」

「よし……発破!」

 

 かちり、とスイッチが押され、何もかもが吹き飛んでしまった。

 ような気がするほど、それは圧倒的な衝撃だった。

 

 計算ずくで仕掛けられた発破はその全てが同時に起爆し、その衝撃は的確に広間上層の岩盤を突き崩し、これを落盤せしめたのだった。




用語解説

・《金刃(レザー・エッジ)
 《魔術師(キャスター)》やその系列の《職業(ジョブ)》覚える最初等の金属性魔法《技能(スキル)》。
 敵の足元から金属製の刃を繰り出す《技能(スキル)》で、水場では使えず、また飛行する敵にも通用しない。
 攻撃力は《土槍(アース・ランス)》よりやや強く、《詠唱時間(キャストタイム)》はやや長いといったところ。紙月からすればほとんど関係ないが。
『《金刃(レザー・エッジ)》は危険な術じゃ。硬く、鋭く、容易く人を傷つける。決して髭剃りになぞ使うでないぞ。こうなるからの』



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第十二話 暗闇の底で

前回のあらすじ
崩落する坑道。
果たして一行の命運やいかに。


 全身がばらばらになってそれでもまだ生きていたのならばこのような心地がしただろうか。

 

 冒険屋ピオーチョは、土蜘蛛(ロンガクルルロ)の目でも見通せぬ、土で覆われた闇の中で、ようやく息を吐いた。体中が出鱈目に痛みを叫んでいて、少しでも動けばその叫びは割れんばかりとなった。

 その体中からの悲鳴を聞いて、ピオーチョは唇の端をひん曲げた。なんだい。すっかり枯れ果てたと思っていたけれど、まだまだ痛みを叫ぶくらいには元気じゃないかと。

 

 土蜘蛛(ロンガクルルロ)は山の神に愛されている。そう言われる通り、土蜘蛛(ロンガクルルロ)は少なくとも山の中では息が詰まるということがない。生き埋めにされても、それが原因で死ぬことはない。もっともこれがありがたいことなのかそうでない事なのかは意見が分かれるところだった。

 普通に穴に潜る分には大層ありがたいことは確かなのだが、生き埋めになって、それから息が詰まるのではなく餓えで死ぬことになるというのは余りありがたくない話なのだ。まして、身動きできない恐怖で気が狂って死ぬなど、たまったものではない。

 

 あたしの場合はどうだろうね。

 

 ピオーチョは身じろいだが、どうにも、手のひら分一枚分も動かしようにない程隙間というものがなく、かなりしっかりと生き埋めになってしまったようだった。幸いにも傷はないようで、激しい出血の感覚はないが、しかしとにかく打ち身であちこち痛かった。

 

 果たして飢えで死ぬのが早いか、気が狂って死ぬのが早いが、それとも年を食って老衰で死ぬのが早いか。笑い飛ばしてみようにも、あまりにも笑えない未来だった。

 

 未来。

 

 思えばあの若者たちの未来に対しては酷いことをしてしまった。

 シヅキとミライと言っただろうか。

 自分の我を通すためにこんなことをして、自分の我に巻き込んでこんな目に遭わせてしまった。

 ミライが掲げたとてつもない盾があっても、ピオーチョはこうして生き埋めの目に遭ってしまっている。落盤を真正面から受けたあの二人はどうなっただろうか。《金糸雀の息吹》は渡しているから、良くて同じように生き埋めか。悪ければ落石の直撃を受けて、潰れて死んでしまっているかもしれなかった。

 

 自分が死ぬことに関してはとうに覚悟ができているつもりだった。

 若者たちを巻き込んだことに対する後悔だけがあるように思っていた。

 

 しかしいまこうして身動きも取れず、ただただ死を待つことしかできない身となってみると、何故だか不思議と途端に死ぬのが恐ろしくなってきた。

 いままで漠然と、ただ唐突に訪れて唐突に終わるのだろうと考えていた死というものは、ある朝突然に人生が終わるだろうという想像の形とは違って、恐ろしくゆっくりとこの身に迫っているようだった。

 或いはそれは土蜘蛛(ロンガクルルロ)の信奉する山の神ウヌオクルロとよく似た形をしていた。不定形の泥でできた巨人が、決して開かれぬ一つ目でじっとこちらを見据えながら、のっそりと、しかし着実に距離を縮めようとしているのだった。

 

 神を信じれば技は磨かれる。

 しかし、神を思えば狂気に晒される。

 

 いまの自分はどちらなのだろうか。ピオーチョはかちかちと奥歯のなる音を聞きながらそう思った。

 かちかち、かちかち、奥歯のなる音ばかりが聞こえる。かみ合わせは悪いわけじゃあなかったのに、不思議と止めようと思えば思うほどに、がちがちと、がちがちと、歯の根は合わなくなってくる。

 何にも聞こえない土の中で、心臓の音も、呼吸の音も、だんだんと聞こえなくなってきて、その代わりに、がちがちと、がちがちと、歯の根の合わぬ音ばかりが聞こえてくる。

 

 がちがち、がちがち。

 がちがち、がちがち。

 がちがち、がちがち。

 がちがち、がちがち。

 がちがち、がちがち。

 がちがち、がちがち。

 がちがち、がちがち。

 がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち。

 

 助けてくれ!

 

 叫び声があふれだしたのは唐突だった。

 張り詰めた空気袋が破けるように、悲鳴は途端にあふれ出した。

 

 助けてくれ!

 ここから出しておくれ!

 死にたくない!

 あたしゃまだ死にたくないよ!

 いやだ!

 いやだ!

 まだ!

 まだ!

 

 何がしたいとか、やり残したことがとか、そんなことは思い浮かばなかった。

 ただただひたすらに、()()、死にたくなかった。

 もし来年死ぬのだとしても、来月死ぬのだとしても、来週死ぬのだとしても、明日死ぬのだとしても。

 ()()、この瞬間、ピオーチョは死にたくなかった。死が恐ろしかった。

 

 ぐしゃぐしゃとみっともなく泣き崩れながら、死にたくない死にたくないと叫ぶ老婆が、それが、老練の冒険屋ピオーチョの姿だった。

 

 そしてその願いは呆気なくも次の瞬間にかなえられた。

 

『その調子だったらまだまだ死にそうにないでありますな』

 

 声と共にごそりと頭上の岩が取り除けられ、覗き込んだのはつるんとした卵型、囀石(バビルシュトノ)の赤い目だった。

 

「あ……ああ……?」

『全く、崩落させた後は掘り返してくれだなんて囀石(バビルシュトノ)扱いが荒いでありますよ。計画がずさんであります』

 

 ミノと呼ばれるようになった囀石(バビルシュトノ)は、太く力仕事に向いた腕に取り替えて、せっせと石や岩をどけては、すっかり脱力したピオーチョの体を、風の流れる坑道にまで引きずり上げた。

 

『こんなに泣きはらして、いくつになってもピオーチョ殿は泣き虫でありますなあ』

「だ、誰が泣き虫だい!」

『説得力ないでありますよ。昔から、嬉しくても泣いて、悲しくても泣いて、怒っても泣いて、囀石(バビルシュトノ)には泣くという機能がないのでもうちょっと分かりやすい感情表現が好ましいのであります』

「昔からって、あんた、なにを」

 

 ピオーチョはそうして、土に汚れた囀石(バビルシュトノ)の、その赤い目を改めて覗き込んだ。握りこぶしほどもあるだろうその大きな紅玉は、綺麗に研磨されたレンズは、しかし、確かにかつての面影を残していた。

 

「そりゃあ、あたしがやった……」

囀石(バビルシュトノ)は鉱石を貰うと、無くさないように自分の体の一部にするのであります。そう言う習性があるのでありますよ』

「あ、あんた、あんときの囀石(バビルシュトノ)かい!?」

『ピオーチョという名前の土蜘蛛(ロンガクルルロ)に紅玉を貰ったのは確かにこの自分でありますな』

「な、なんで言わなかったんだい!?」

『それは習性についての話でありますか? 再会した時の話でありますか?』

「どっちもだよ!」

 

 囀石(バビルシュトノ)は肩をすくめるようにした。それはピオーチョの仕草とよく似ているように見えた。

 

『自分達、割と空気が読めないのでそう言う失敗多いのでありまして、ぎゃんぎゃん泣かれて出て行けと言われると仕方ないかなあと』

「女の出て行けは構ってほしいってぇのに決まってるだろ!」

『そんな滅茶苦茶な。それで再会の時でありますけれど、なにしろもう何十年もたって個体の変化が激しいので、ちょっと区別がつきかねたと申しますか』

「なんだい、老けたってかい」

『ありていに言えば』

「女が老けたかって言ったら変わりませんよっていうのが甲斐性だろうが!」

『ええー滅茶苦茶でありますよ』

 

 すっかり打ち付けられて身動きも取れないピオーチョを、ミノは器用に卵形の体に載せて歩き始めた。それはうまく人が載るようにできていた。

 

『でも、そうでありますね。泣き虫で、声が大きくて、寂しがり屋で。そう言うところは変わっていないでありますよ』

「そういうのは……馬鹿だねえ、全く」

 

 坑道に、光が差し込んでいた。




用語解説

・ないんだなこれが。


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最終話 オールド・レッド・ストーンズ

前回のあらすじ
無事救出されたピオーチョ。
主人公組? 多分無事だろ。


 崩落から掘り返されてしばらくの間、屋根のあるところが落ち着かなくなってしまったという後遺症はあったものの、紙月と未来は無事救出され、自然の猛威というものを前に自分たちができることなどたかが知れていると反省を新たにしたのだった。

 

「崩落を支えるまではできても、支え続けるには《SP(スキルポイント)》が足りなかったな」

「もうちょっと判断が遅かったらまずかったね」

「おう。あんときは助かった」

 

 崩落を支えた《タワー・シールド・オブ・エント》は一同の命を救ったものの、囀石(バビルシュトノ)たちの救助が来るまでの間を支え続けることはできず、このままでは落盤の直撃を受けるというその直前になって、未来が思いついたのである。

 

「紙月、一瞬だけ装備解くから僕に抱き着いて!」

「へえ!? あっ、ちょ、まっ」

「よし、もう一回!」

 

 《技能(スキル)》が解除される直前、未来は一瞬だけ装備の鎧を解除し、小学生の体をさらした。そして紙月がそれに抱き着くや否や、再度装備を着直したのである。

 何かが密着した状態で試したことはなかったのであるが、試してみればやはり予想通り、鎧は紙月の体ももろともに未来に纏われ、無事簡易シェルターの役割を果たしてくれたのだった。

 

 救助されるまでの間、非常に窮屈な状況で我慢する羽目になったとはいえ、何しろ紙月一人であれば崩落に間違いなく簡単に押しつぶされていただろうから感謝の言葉しかなく、未来の方も何やら自然の猛威に思うところでもあったのか、救助されたときには子供ながらにいくらか男らしい顔立ちになっていた。

 

 未来たちの陰になるように護っていたピオーチョはやや心配ではあったが、年の割にはやはり頑丈で、打ち身はしたものの数日しない内に自力で歩けるようになっていたというのだから大したものである。

 

 囀石(バビルシュトノ)のミノなどは崩落の中を早々に掘りぬいて離脱し、揺れが収まったのちは早速三十二体がかりで救出作業に精を出してくれるという如才なさである。

 

 これで無事依頼は完遂、と言いたいところであったが、問題はあった。

 

 というのも、目的の鉱石も、石食い(シュトノマンジャント)の素材も、もろともに崩落の下敷きになってしまったせいで、回収に時間がかかっているのだった。

 

「まあ、崩しちまったらそりゃあそうなるわなあ」

 

 一応ピオーチョとミノたちが掘り返して、ある程度まとまったら帝都に送りつけてくれる手はずになっているのだが、何しろ大掛かりな崩落であったから、土掘りに慣れた土蜘蛛(ロンガクルルロ)と言えど、またそれ以上に手慣れた囀石(バビルシュトノ)たちと言えど、一朝一夕で片付く仕事ではないようだった。

 

 囀石(バビルシュトノ)たちからすれば、石食い(シュトノマンジャント)たちを退治してくれた上、その後廃鉱山を好きにしていいという許可も町から得られたので万々歳であるようだったが、ピオーチョにしてみれば街のお歴々からも怒られるし、事務所の所長からも叱られるし、虎の子の発破も使い切ったし、その上しばらくは坑道掘りで忙しく、赤字もいい所であるらしい。

 それでも仕事は仕事であるから、帝都から報酬が届いたあかつきにはきちんと折半してくれるとのことらしいが。

 

「しかしまあ、仕方がないとか面倒くさいとか散々に手紙には書いてきてるけど」

「いい笑顔だよねえ」

 

 紙月たちが後を任せて去っていった、その後の事情を手紙にしたためて送ってくれたのだが、これに同封されていた、囀石(バビルシュトノ)の特産であるという光画――つまり写真には、実に清々しい笑顔を浮かべてミノと肩を組むピオーチョの姿があったのだった。

 

「まあ、何十年来って友達ってことになるんだもんね」

「間は空いちまったけど、その分話すことは多そうだよな」

「ぼくらもそう言う長い付き合いになるかな?」

「お前が俺を捨てない限りは大丈夫じゃないかな」

「ぼくも、紙月が僕のこと育児放棄しなければ大丈夫だよ」

 

 けらけらと笑って、二人は、それから同時にテーブルに突っ伏した。

 がさがさと荒い紙質の新聞を、未来はくしゃくしゃと畳んだ。

 

「で、今度は何だって?」

「地竜殺しの次は、山殺しだって」

「ぐへえ」

 

 地竜殺しという二つ名があまりにも高名すぎて仕事が入らなかったところに、今度はどう話が伝わったのか、魔法で山を砕いた山殺しなどというとんでもない二つ名がついたものである。

 山を砕いたのは発破であるし、砕いたといっても一部分だけであるし、そもそも二人の仕事ではないのだが、はやし立てる方は面白ければそれでいいらしく、気にした風もない。

 

 これがミノの町だけの下らないうわさ話であるならばよかったのだが、どこの世でも人の口に戸は立たないというか、むしろ人の口空を飛ぶというか、こうして新聞の形になってスプロの町にまで届いてしまっているのである。

 

 おかげで真っ先に新聞を読むことになったおかみのアドゾは大いに笑って、それから真顔で、あんたたち自分が何をしたかわかってるかい、とまた例のお説教であった。

 

 二人の平和な冒険屋稼業は、遠そうだった。




用語解説

・光画
 囀石(バビルシュトノ)たちの特産。いわゆる写真。帝都大学など、一部の学者が技術提供を受けて再現もしているようだが、囀石(バビルシュトノ)ほどきれいな写真はまだ難しいようである。
 なお、記録物としては評価を受けているようだが、美術品としての評価はまだこの世界にはないようである。

・新聞
 この世界では、印刷技術こそ未発達なものの、魔法による転写技術は発達しているようで、それなりに多くの刊行物が見られる。
 新聞もその一つで、大きめの町には一社か二社新聞社があるものだし、中には近隣の町まで配達している新聞社もあるようだ。
 帝都新聞などはいくらか遅れるものの、帝国各地へと配達されて読まれているほどだとか。



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第三章 ゲット・ワイルド・アンド・ゲット・タフ
第一話 やはり退屈


前回のあらすじ
無事山殺しの異名を頂いてしまいますます仕事が入らなくなった二人だった。


 どこかの山が爆破されて見晴しがよくなったらしい、などという無責任な噂が流れはしたけれど、ミノ鉱山はその後も特に盛り上がることもなく、廃鉱山は廃鉱山らしく、落ち着いたものであるらしい。

 発破で崩落させた坑道の整備も順調のようで、とりあえず十分だと思われる量の鉱石と石食い(シュトノマンジャント)の素材を帝都に送りつけたそうだ。なにしろ重いし量もあるし、実際に帝都に届いて、検分を済ませて、支払いがなされて、紙月たちの手元に届くまでは、まだまだかかりそうだった。

 

「というか、支払いってどうするんだ? 銀貨とか袋に詰めて送ってくるのって危険じゃないか?」

「まあ、あんまり多額だと保険かけてることが多いですけど、冒険屋の支払いは手形が多いですな」

 

 紙月の疑問に答えたのはムスコロであった。

 最初はむさくるしいばかりで汚らしかったこの男も、あまりに不潔だからと紙月が《浄化(ピュリファイ)》をかけて以来、身だしなみに気を遣うようにはなったようだ。ワイルドななりこそ変わりはしなかったが、少なくとも風呂には入るようで、臭かったり汚かったりということは、ない。鬱陶しくはあるが。

 

「保険あるんだな。それに、手形?」

「へえ。俺も詳しくはないんですが、そいつを銀行とか、組合とか、書いてある場所に持っていくと現金と換えてもらえるんでさ」

「引き換え期限はあるのか?」

「物によりやす。期限のないものは持ち運びに便利なんで、不精もんは現金化せずに、そのまんま金の代わりに使うこともありやす」

 

 成程、ムスコロの説明を聞く限り為替手形のようなものであるらしい。

 それに話の中に出てきたように、保険屋や銀行といった組織も存在するようである。

 

「ムスコロ、お前は銀行とか使ってるのか?」

「いんや。冒険屋で銀行を使うやつは少ないですな。というのも、事務所や、その上の組合が口座を作って金の管理もしてくれるんでさ。別の組合の縄張りまで遠出した時も、ちょいと手間賃は取られやすが、しっかり引き下ろせやす」

 

 となると、帝国内であればどこでも組合を通して金が引き落とせるわけである。勿論、証明などに手間取ってすぐにというわけにはいかないだろうが。

 

「そうなると銀行と競合するんじゃないか?」

「既得権益ってやつですかね。そこは縄張りがきちんと引いてあって、組合の口座が使えるのは冒険屋だけなんでさ。で、組合が融資できるのも、冒険屋関連の事業だけって寸法でやす」

「成程。冒険屋ってのは手広いけど、線引きはきちんとしてるんだな」

 

 実際のところそれがきちんと作用しているのか、諍いが起きていないかなどと言ったことは、紙月たちには判断のつくことではないが。

 

「それで、保険はどうなんだ?」

「保険がねえ、保険がまた、面倒臭いんでさ」

 

 面倒臭いことを語れるというのは、この筋肉ダルマが見た目とは違ってなかなかのインテリだという証拠である。

 

「保険てなあ、もとは船乗りたちのもんなんでさ」

「海上保険ってやつだな」

「そいつです。海路はどうしても危険が多いもんですから、自然に保険てえ仕組みが出来上がったんですな。最初の保険が海路を主に扱ってる商業組合のもんでした」

 

 その仕組みに興味を示した商人たちが、他の商売でも同じような保険制度を始めて、巷には山のように保険業が溢れかえった。そのあまりの煩雑さに帝国政府がお触れを出して、いまの保険業組合を制定したのだそうである。

 

 その結果、帝国内であればどこであれ、保険というものは一律決まった額が定められ、保険内容も一字一句同じという決まりになったそうである。実際にはある程度その土地柄や情勢に応じて調整しているようであったが、それでもこれはわかりやすくて、よい。

 

 では何が面倒くさいかと言うと、冒険屋がこれに絡んだ場合であるという。

 

「例えば馬車が盗賊に襲われた。荷の二割が奪われた。保険に入ってりゃ、補填が利きやす。人死にや怪我人が出りゃそう言う保険もある」

 

 これは道理である。

 

「ところが冒険屋がこの馬車に乗っていて、親切で戦った結果、御者が死んだが荷物は守られた、という場合」

「フムン」

「不要な危険を招いた冒険屋が悪いとして、死んだ御者が入っていた死亡保険は支払われなかったんでさ」

「ええ?」

 

 なんでもこの世界、盗賊というものは出るものだし、出れば出たで盗賊も道理で動くのだという。荷を全て奪って乗員もすべて殺してということを繰り返しては、やがて人通りはなくなるし、討伐に騎士団も乗り出す。

 なので盗賊もわかっていて、普通は荷は全体の二割までを限度とするし、乗員も犯しはしても殺しはしないのが良いとされる。勿論反抗された場合、殺すことは大いにあり得る。だが無差別に殺したりは、普通、しない。なので商人たちも被害は覚悟したうえで、往来するし、保険屋も、しかたがないことだとして金を出す。

 

 ところが冒険屋が絡んで、戦ったとなると、これは仕方がなかったでは済まない。積極的に危険に手を出したのだから、これは自分で家に火をつけて火災保険を出してくれというようなもので道理に合わないとして、保険屋は金を出さないのである。

 

「うーん。なるほど、そういう理屈か」

「こいつが一度裁判沙汰になって、保険屋が勝っちまってからは、なおさらで」

 

 これは相手が盗賊ではなく魔獣だった場合も同じである。魔獣は何しろ人間の都合など知ったことがない正しく天災であるから、これは保険が利く。利くが、では今度も冒険屋が絡んだ場合はどうなるか。やはり盗賊の時と同じである。

 

 では、冒険屋自身が保険に入った上で、同じ被害に遭った場合はどうなるだろうか。

 実は冒険屋保険として、危険を織り込み済みの保険がある。

 

「おお、じゃあ冒険屋にも支払われるんだな」

「ところが」

 

 冒険屋が魔獣に襲われ、無事魔獣を撃退できれば、勿論保険料は支払われない。

 冒険屋が魔獣を倒せず倒れてしまったとすれば、まあ、一般人より低い配当にはなるが、保険金は支払われる。

 問題は、倒せたが被害が出た場合、である。

 

「どういうことだ?」

「仮に、豚鬼(オルコ)と戦って、腕を怪我したとしやす」

 

 冒険屋は医者に行き、治療してもらい、その請求書を保険屋に提示する。これに対して保険金がすぐに支払われるということはなく、何と、実際にそのような被害を負う様な状況だったのかという調査が始まるのである。

 保険屋には引退した冒険屋や、専門の術師などが多く雇われており、傷の様子や、現場の状況から、本当に怪我を負う様な大事だったのかということを調査して、その上でようやく保険金が支払われるか否かということが話し合われるのだそうだ。

 

「そりゃまた面倒だなあ」

「大仕事を前に保険に入る連中もいやすがね、保険屋も冒険屋の仕事が危険だってわかってるから、随分出し渋るんでさ」

「そりゃ、ほとんど怪我するのわかってるようなもんだからなあ」

「コト大きな依頼となりゃあ、保険屋も鼻を利かせて、子飼いの冒険屋を送り込んでくるんでさ」

「保険屋が冒険屋を? なんでさ」

「間近で検分して調査するってのと、もう一つ」

「もう一つ?」

「保険金を支払わなくていいように、他の冒険屋を守る護衛役なんでさ」

「そりゃあまた、本末転倒というか、何というか」

「保険金払うより、護衛ひとりつけた方が安上りってえこともよくあるみたいなんでさあ」

 

 不思議な話ではある。

 しかし、この世界では凄腕の冒険屋が一般冒険屋何人分もの働きをするということも珍しくはないようで、そう考えるとどこかで報酬と損失とがひっくり返るのかもしれなかった。

 

「じゃあまあ、冒険屋が保険に入るのってちょいと面倒なんだな」

「自分がかかわらない、それこそ荷物の輸送とかのときに入るくらいですかね」

 

 なんにせよ、全ての金銭も荷物もインベントリに突っ込んでそれでおしまいの二人にとっては、あまり関係のない話である。

 

「お、なんだ経済のお勉強か?」

 

 世の中ままならないものだととどこかアンニュイな空気の中、いつもの調子でやってきたのは、やはり、ハキロだった。




用語解説

・ないときは平和ってことですな。


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第二話 西部からの依頼

前回のあらすじ
思わせぶりに経済の勉強をしておきながらきっと本編に出てこないんだろうなあ。


「お、なんだ経済のお勉強か?」

「世の中ままならねーよなーって話ですよ」

「違いない」

 

 ハキロはちらりとムスコロを見た。ムスコロは一つ頷いた。

 この二人に紙月と未来がかかわると、関係は途端に面倒になる。

 紙月と未来は、ハキロには下手に出る。世話になったし、先輩冒険屋だからだ。一方でムスコロには対等か上からの目線となる。第一印象が最悪であったし、マウントの取り合いの結果、ムスコロが敗北したからだ。

 ところがハキロにとってはムスコロが先輩冒険屋に当たる。極端にへりくだることはないが、それでも一目置いているし、ムスコロもハキロをやや下の後輩冒険屋として見る。

 

 ものの見事に三つ巴の三角関係が発生してしまうのである。

 

 なのでこういう時は、大抵の場合先輩にあたるムスコロが席を外して調整を取ることが多い。粗野なようで何かと機微のわかる男なのだ。今日もそのように、じゃあ俺はここらでとムスコロが席を外し、ハキロは頭をかいた。詫びを入れるのもおかしいし、礼を言うのもなおさらおかしいから、何というにも何も言えないのである。

 

「邪魔したかな」

「いえ、ちょうど話の切れ目でした」

「保険かなんかだったか。ちょうどそれにも関係する話でな」

 

 退屈してると思って、とハキロが持ってきたのは、やはり依頼の話であった。

 

「俺達がいるこの辺りは、帝国でも西部という」

 

 帝国は大雑把に言えば、帝都のある中央部、紙月たちのいる平野の多い西部、温暖だが特別なこともない東部、広く海に面し香辛料や交易品も多い南部、険しい寒さに包まれるが魔獣の素材が豊富な北部、そして竜たちのやってくる臥竜山脈を護るもののふたちの住まう辺境の六つに分かれる。

 

 この西部の、さらに西方には、遊牧民たちが住まう平野地帯が広がっており、彼らは帝国民ともいえるし、そうでないともいえる、グレーな存在だ。そのさらに西方には広大な草原が広がる大叢海が横たわっており、そこには帝国とはまた別の勢力である国家が存在する。

 遊牧国家アクシピトロである。

 

 西部は長らくこの遊牧民たちに手を焼かされ、大統一時代にようやく和議を結んだとされる。

 

「その国と諍いでもあったんですか?」

「そう言う血の気の多い話じゃないんだ」

 

 なんでも西部の遊牧民たちとその遊牧国家で、近く大きな部族会議が行われるらしいのだが、そんなおりに平原地帯に家畜を狙う魔獣が跋扈するようになってしまい、準備がなかなか進まないのだという。

 

「最初は保険が利いたらしいんだが、何度も繰り返されるうちに保険屋が出し渋るようになってきたらしくてな。それに金は帰ってきても、家畜は帰ってこない」

「成程、それで冒険屋の出番ってわけだ」

「そういうことだ」

 

 シンプルな魔獣退治だと思えば、話は早い。しかしシンプルだからこそ疑問でもある。

 

「言っちゃあなんですけど、俺達ついには山まで殺したことになってるんですけど、そんなやつらを送り込んでいいんですか、この依頼」

「大層な看板だよ、全く。いやな、何しろ平原は広いんで、人手が欲しいんだが、何しろ相手は足の速い大嘴鶏(ココチェヴァーロ)を狙う足の速い魔獣だ。弓や魔法と言った遠距離攻撃の出来る連中が必要なんだが……」

 

 成程、それで分かった。

 

「うちの事務所、偏ってますからねえ」

「そうなんだよ。俺も人のことは、言えないが」

 

 なにしろ、《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》である。おかみのアドゾからして斧遣いであり、ハキロもムスコロも、また所属する冒険屋は老いも若きもみな熟練の斧遣いなのである。

 

「一応少しはいるんだが、数が足りなくてな。シヅキならそのあたりどうとでもなるだろ」

「本音を言えば動きの速いのは得意じゃないんだけど……まあ斧遣いよりは、よほど」

「行ってくれるか」

「勿論。前の仕事の報酬は、暫く入りそうにないし」

「助かる」

 

 それで、どんな魔獣が出るのかと言えば、大嘴鶏(ココチェヴァーロ)ばかりを狙う大嘴鶏食い(ココマンジャント)であるという。人間も襲うは襲うらしいのだが、大きくて、足の速い大嘴鶏(ココチェヴァーロ)に釣られるらしく、積極的に追いかけては捕食してしまう、大型の鱗獣、つまり爬虫類の類であるらしい。

 

「なんとか食いっての、ついこの間も相手したばっかりだな」

「まあどんな物にでも天敵ってのはいらあな」

 

 石食い(シュトノマンジャント)の場合、天敵とかそういう問題ではないが。

 

「それで、難度は?」

「単体なら、まあ、丙種ってとこだな。ただ必ず二頭から三頭で組んでいる賢い連中で、足が速くて追いつきづらいもんだから、まず乙種は見ておいていいだろうな」

「どんな奴なんです」

狗蜥蜴(フンドラセルト)に似てるな。二足歩行の鱗獣で、もう少し細身だ」

「懐かないんですか?」

「懐かん。完全に肉食で気性が荒いし、群れ以外には気を許さないんだ」

「卵から育てるとか」

狗蜥蜴(フンドラセルト)と一緒で、卵胎生だ」

「成程」

 

 さっくりとまとめれば、映画で見るような恐竜の相手をして来いと言うことらしい。大型恐竜でないだけましか。だがこの世界の人たち、特に冒険屋というものは結構頻繁にこのようなモンスターをハントしては生計を立てているようだから、決して無理難題ではない訳だ。

 

「どのくらいかかります?」

「何しろ遊牧してるから多少のずれはあるが、まあ馬車で五日くらいだろう」

 

 早速、出ることになった。




用語解説

・遊牧国家アクシピトロ
 大叢海を住処とする天狗たちの遊牧国家。王を頂点に、いくつかの大部族からなる。
 その構成人数は帝国とは比べ物にならないほど小さいが、人族が生息不可能な大叢海を住処とすること、またその機動力をもってかなりの広範囲を攻撃範囲内に置けることなど、決して油断できない大勢力である。

大嘴鶏食い(ココマンジャント)
 名前の通り、大嘴鶏(ココチェヴァーロ)をメインとして狙う、平原の狩猟者。
 二足歩行の小型~中型の爬虫類で、いうなれば肉食恐竜のようなスタイル。
 肉食獣であるし、本来はそこまで増えることはないはずである。


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第三話 平原へ

前回のあらすじ
引き続き〇〇食いの相手をさせられる二人。食い食われる非常な世界である。


 ミノの町へ向かった時よりも、平原へ向かう道のりは平凡なものだった。平坦な平野で、平和な道のりだった。

 

「平らだなホント」

「だね」

 

 五日間の馬車旅は、いつも世話になる狗蜥蜴(フンドラセルト)が牽いてくれた。何しろ賢いから、紙月のいい加減な御者ぶりでもしっかり走ってくれるし、道も覚えているから、妙な所で迷子にならない。紙月がことあるごとに《回復(ヒール)》をかけてやるので、疲れも知らない。

 

「ぼく、遊牧民って初めて見るな。どんなのだろう」

「まあ、遊牧してる以外は、そこまで変わりはしないだろうさ」

「その遊牧がよくわかんないんだって」

「まあ、俺もだ」

 

 ハキロのいい加減な知識に教わったところによれば、遊牧民というのは常に移動しているようなイメージだが一年に何度か移動するという程度のようなもので、そこまで頻繁な移動はしていないようである。そして何もかも自給自足というわけでは無く、穀類や野菜など、どうしても自分達では賄えるものではないから、遊牧の最中に得た岩塩や、また家畜などの売買を定住民と行うことで生計を立てているようだった。

 

 ハキロ曰く、旅商人というものを一つの生き物にしたらあのようにふるまうのではないかということであった。

 

 これから向かう遊牧民の一団は数家族から成る規模のもので、人族と土蜘蛛(ロンガクルルロ)の混交であるという。彼らは別の部族ではあるが、随分長い間協力し合う内にほとんど一つの家族のようにふるまうようになっているのだという。

 

 依頼の名義はチャスィスト家の何がしとある。チャスィストとは狩人という意味である。代々弓の名手が多く、野の獣を狩らせればこれに勝るものはないという触れ込みであったが、自分達が狩られる側となると勝手が違うようで、ずるがしこい大嘴鶏食い(ココマンジャント)には全く手を焼いているとのことだった。

 それでも随分数多くの大嘴鶏食い(ココマンジャント)を平らげてはいるようだったが、どこかに巣でもあるのか一向に数が減らず、ほとほと参っているのだという。

 

「でも、大変そうだし、無理に請けなくても良かったんじゃない?」

「退屈してただろ?」

「まあそれはそうなんだけど、紙月って細いから、あんまり長旅させると不安というか」

「うぐ」

 

 紙月もこの心配には素直にうなだれた。何しろハイエルフというものは華奢なのだ。これでもレベル九十九に至ったプレイヤーであるから相当頑丈ではあるはずなのだが、あまり日光を受けすぎると赤くはれたり、食べ過ぎて戻しそうになったり、未来と同じ調子で歩いていたらすぐにばてたり、実際のところはあまりにも貧弱なのだ。

 

「でもまあ、隣の国があるって聞いたらなあ」

「気になるの?」

「他所だったら、俺達みたいな異世界から来た奴の話も聞かないかなと思ってな」

「ああ……」

 

 未来はもうあまり気にしてはいないようだったが、紙月はいまだに元の世界に帰る術を探していた。正確には、未来をもとの世界に帰してやる術である。未来はこの世界で暮らしていくことに何の躊躇もないようだし、何なら元の世界に対して未練のあるようなそぶりの一つも見せないが、しかし紙月はそれは良くないと考えるのだった。

 

 全く他に何の手段もないのであれば諦めるのも手かもしれないが、少なくとも紙月たちはひょんなことでこの異世界にやってきたのである。ひょんなことで帰れてもおかしくはない。そうなれば、こちらの世界で生きることばかり考えるのではなく、元の世界に帰るという選択肢だってあってしかるべきなのだ。

 

 少なくとも未来は、将来ある子供なのである。この世界に将来がないなどとは言わないが、それでも元の世界で生まれ育った少年なのである。そちらの可能性をすっぱり諦めて、選択肢を放り投げるというのは、紙月の気に入るやり方ではなかった。

 

(…………そう言うのは嫌いではないけど)

 

 しかしそれも、未来から言わせれば紙月の方こそどうなのだというところであった。

 紙月は未来のことはあれこれ言うが、では自分はと言うと驚くほど何も言わない。紙月もまだ大学生であったという。では十分に将来があったはずなのだ。その選択肢やら可能性やらを棚に上げて、ただ年が若いというだけで未来のことをあれやこれや言うのはなんだかもやもやするのだった。

 

 けれどでは腹を割って話そうかというにはやはり躊躇があった。紙月には紙月の事情があるように、未来には未来の事情がある。これはお互いにとって大事な部分であるから、それを真正面から見据えて話し合おうというのはちょっとやそっとの覚悟でできる話ではない。

 

 いくら相棒とはいえ、紙月と未来はこの世界に来て初めて顔を合わせた仲なのだ。それなりの付き合いがあるとはいえ、それはすべてゲームを介したものであって、真実向き合って、あるいは隣り合って何かを分け合ったことがあるとは言い切れないと未来は思っていた。

 

 そのことがなんだか唐突に鼻のあたりにツンと来て、未来はぼんやりと平原の風にあたるのだった。




用語解説

・解説がない回は平和な回。


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第四話 平原の民

前回のあらすじ
なんにもない、いいたびじだった。


 遊牧民であるチャスィスト家と他数家族が居留する牧地に辿り着いたのは、予定より少し早く、四日目の昼であった。若い男たちは放牧に出ており、女たちが煮炊きや、刺繍、道具の手入れなど家の事をしていた。

 

 紙月たち二人を迎えたのはマルユヌロと名乗る、チャスィスト家の家長だった。大体においてこの数家族のことを取り仕切るのはこの背の曲がった老人だった。

 ちょうど昼食時であったようで、二人は客人として御呼ばれして、大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の肉を刻んで詰めたパンのようなものと、砂糖と鶏乳で煮込んだ甘茶(ドルチャテオ)を頂戴した。

 

 パンは塩気には乏しかったが、平原の草を食んで育った大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の肉は非常にジューシーで、また固有のハーブの類を練りこんでいるらしく、味に飽きというものが来なかった。パンの表面には綺麗に飾り模様が描かれており、目にも楽しい。

 甘茶(ドルチャテオ)は、もとより甘いので甘茶(ドルチャテオ)というが、たっぷりの砂糖と鶏乳とで煮込んだこの甘茶(ドルチャテオ)は、とにかく甘かった。甘く、そして美味かった。大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の乳というものを二人は初めて飲んだが、これは牛乳と比べて濃厚で滋味深く、ややナッツのような香りがして、こってりとしていた。

 

 食事を終えると、早速仕事の話に入った。

 

 いま集められた冒険屋は、紙月たちを含めて全部で四組だという。どれも二人か、三人の組である。二組が放牧に護衛として付き、もう二組はその間休む。放牧が戻ってきたら、交代してもう二組が見回りをする。夜間に被害が出たこともあるので、交代でどこか一組が夜間の見回りをする。追加の冒険屋が来たときは、またローテーションを組みかえる。

 そういうことだった。

 

 紙月たちが確認したところによれば、冒険屋たちがローテーションを組んで見張りをするようになってからは、劇的に被害は減っているようだった。しかし被害が減ったということは連中も飢えてきているということで、油断はならないと釘を刺された。道理である。

 

 紙月たちはまず、同じ時間を担当することになる冒険屋の一組に挨拶に行った。

 二人組の人族で、弓を得意とするという。彼らはエベノの町から来たという。聞かぬ名ではあったが、エベノの《サーゴ冒険屋事務所》と言えば、西部一の弓の名手ばかりが集まった、弓自慢達の事務所であるという。もちろんこれは冒険屋の自己紹介なので話半分に聞いてよいが、それでも弓を得手として、それが半端な技量でないのは確かなようだった。

 

「おたくらが来て助かった。最初はろくに交代も回せなくてな。パーティを分割して、どうにか見回りしていたくらいだ」

「これからは俺たちも見回りに加わるから、頼ってくれ」

「助かる」

 

 彼らが素直な事には、紙月たちも助かった。中にはプライドの高い冒険屋もいて、ことあるごとに他の冒険屋と張り合うような者たちもいるのだ。そういったものはあまり長続きしないか、無駄に長生きするかの二択だが。

 

 大嘴鶏食い(ココマンジャント)に警戒しているとはいえ、人々があまりにも牧歌的に過ごしているので、紙月たちは首を傾げた。

 

「ところで、部族会議の準備がどうのとか言っていなかったか」

「ああ、クリルタイか。あれは随分先だ。しかし今のうちから大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の数を調整しないと間に合わないので、大嘴鶏食い(ココマンジャント)を追い払いたいのさ」

「成程」

 

 これを聞いて、少しがっかりしたのは紙月である。

 部族会議などと言うのだからきっと方々からたくさんの人々が集まることだろう。そうなれば自分達に役立つ情報が手に入る確率が上がるのではないかと考えていたのだが、そううまくはいかないようである。

 

「第一、クリルタイは部族の会議だからな、部族以外のものは入れんさ」

「なんだって?」

「俺たちもお祭り騒ぎかと思っていたんだが、身内向けのものらしくてな。まあ大人しく土産物でも買って帰るよ」

 

 そうなれば、もう直接大叢海とやらに乗り込んで、遊牧国家の見物にでも行こうかと紙月がぼやくと、エベノの二人は笑った。

 

「お前さん、大叢海を知らないんだな」

「草原じゃないのか?」

「ただの草原を平原と区別するものかよ。大叢海というのはな、名前の通り一つの海なのさ」

「海?」

「ああ、何しろ身の丈ほどもある草むらが、見渡す限りにみっしりと続いているのさ。まともに歩いて行こうと思ったら、鉈を何本犠牲にしたって何歩分も進めんだろうね」

「なんとまあ。それでどうやって人が暮らしていけるんだ?」

「だから、住めるのは空を飛べる天狗(ウルカ)たちだけなのさ」

 

 天狗(ウルカ)というのは隣人種の一種で、土蜘蛛(ロンガクルルロ)が人と蜘蛛の合いの子なら、人と鳥の合いの子のような種族であるらしい。繁殖力に優れた人族もさすがに諦めた大叢海を棲み処にするのが、遊牧国家の王である天狗(ウルカ)たちなのだという。

 

「空……空はさすがに飛べねえなあ」

「当たり前だ」

「焼き払ったらだめか?」

「大叢海を焼こうという試みは何度かあったらしい」

「おお、それで?」

「それでもいまだに天狗(ウルカ)どもが君臨してるんだ」

「成程」

 

 焼け石に水というか、大海に火をつけようと頑張るもののようだ。

 

 ではその天狗(ウルカ)たちに協力を仰げないかと、ふと思いついて言ってみると、大いに笑われた。

 

「お前さん方、天狗(ウルカ)と本当に付き合いがないんだな」

「連中は実に高慢でな。特に大叢海の天狗(ウルカ)どもときたら自分たちが神か何かかと思っている」

「何しろ連中、同じ遊牧の民であっても、人族や土蜘蛛(ロンガクルルロ)達のことは地を這う虫と言ってはばからず、一段下に見ているからな」

 

 それは、なるほど、無理そうだった。




用語解説

・エベノの町(La Ebeno)
 平地の町。これと言って特産はないが、かといって特別寂れているわけでもない、まあスプロの町と大差ない程度の町である。

・《サーゴ冒険屋事務所》
 西部一の弓自慢達と自称するが、結局のところ弓遣いばかりの偏った冒険屋事務所である。
 しかし実際のところ腕前は確かなもので、遊牧民出身の冒険屋も迎え入れており、弓に関してだけ言えば実際西部一と言っても過言ではない。

・クリルタイ
 遊牧民たちの部族会議。
 草原の民、平原の民が一堂に会する非常に大会議。何年、十何年に一度程度のものである。

・大叢海
 広い大陸のうち、帝国と西方国家を分断する巨大な草原。
 人の身の丈ほどもある草ぐさが生い茂る草むらの海。空を飛べる天狗でもないとまともに往来すらできないおかの海である。
 このとにかく広い草むらを迂回するためだけに、南部では海運業が発展しているといってもいい。

天狗(ウルカ)(Ulka)
 隣人種の一つ。風の神エテルナユーロの従属種。
 翼は名残が腕に残るだけだが、風精との親和性が非常に高く、その力を借りて空を飛ぶことができる。
 人間によく似ているが、鳥のような特徴を持つ。卵生。
 氏族によって形態や生態は異なる。
 共通して高慢である。



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第五話 平原暮らし

前回のあらすじ
期待が外れてしまった紙月。だが大事なのは依頼の完遂である。


「まあ、世の中ままならないもんだよね」

小学生(おまえ)に言われるのもなあ」

 

 まあそこまで期待していたわけではなかったが、目的が一つおじゃんになったのは確かだった。

 

 とはいえ、それは小目的に過ぎない。ついでがあればよかったなあという程度の話だ。いまの紙月は冒険屋であり、冒険屋としてここに立つ理由は、大嘴鶏食い(ココマンジャント)の駆除と大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の保護だ。

 

 紙月たちはここで何日か、あるいは何週間か、次の交代要員が来るか大嘴鶏食い(ココマンジャント)の駆除が確認されるかまでのあいだ、遊牧民たちの天幕を借りることになった。

 

 彼ら遊牧民は毎日どこかへ移動し続けるというわけでは無かったけれど、それでも石造りの立派な建築物は持たなかった。その代わり、時に見事な刺繍のなされた天幕などが彼らの住まいとして建てられ、下手な建物よりもそれらは見ものだった。

 

 数家族はみな一つの大きな家族のようにふるまい、パン焼きや煮炊きなどはみな一つの煮炊き場を共有していた。火を起こすときは必ず無駄がないように常に誰かしらが何かしらの作業をしていた。

 燃料として燃やされるのは、市場で買った薪を用いることもあったが、もっぱら大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の糞を乾燥させたものだった。これは臭うこともなく、長く、よく燃えた。

 大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の糞を集め、平たい岩に打ち付けて成形し、燃料として加工することは家族の、特に子供たちの仕事だった。

 

 若い男たちが放牧に行っている間、天幕の内側では女たちが刺繍や道具の手入れにいそしんでいた。彼女らの刺繍は全く見事なもので、非常に大きな布に、何年もかけて刺される刺繍は、それ一枚で金貨にもなるような高値が付いた。しかしそれらが売りに出されることはあまりなく、もっぱらは花嫁たちの嫁入り道具となった。

 

 この刺繍のモチーフは、何のための刺繍であるのか、またどの家のものなのか、誰が刺したものであるのか、そう言ったこまごまとしたころで細かく分類され、一つとして同じ刺繍はなかった。彼女らが何気なく刺した刺繍でさえ、貴族たちが大枚をはたいて買おうとすることもあるのだという。もちろんそれらは必要故に刺されるものであって、売りに出されることはまずなかったが。

 

 刺繍と聞いてただ布に針を刺す姿を思い浮かべていた紙月は、ここで思い違いをしていることに気付いた。彼女らの刺繍が見事なことは確かだったが、ここはれっきとした異世界なのだった。彼女らの針にはしっとりと魔力が馴染み、刺される糸の一筋一筋にも繊細に魔力が込められていた。針を刺す手つきが呪文の詠唱であり、描かれる模様は魔法陣であり、仕上がった刺繍は一つの魔法だった。

 

 ハイエルフの体であるからだろうか、紙月にはそれがよくよくわかった。

 

「おや、あんたわかるのかい」

「これ、もしかして燃えない魔法ですか」

「火除けの刺繍だね」

「こっちは、なんだろう、風のまじないが込められている」

「矢避けの加護さ」

 

 彼女ら自身はそれを魔法と思ってやっているわけではなかった。ただ連綿と受け継がれていたそれを続けているに過ぎなかった。彼女らにとってそれは当たり前の代物に過ぎないのだった。しかし紙月の目からすればここは立派な魔法王国だった。成程貴族が欲しがるわけである。

 

 放牧から帰ってきた若集を見て、紙月たちはそこに二種類の種族がいることに気付いた。一つは大嘴鶏(ココチェヴァーロ)にまたがった人族で、もう一つは自分の足でそれについて行っている細身の土蜘蛛(ロンガクルルロ)である。

 

 地潜(テララネオ)とはずいぶん違う体格に戸惑っていると、彼らは親切にも教えてくれた。

 

「俺らは足高(コンノケン)言うてな、穴潜りはようせんのやけど、走るのは得意やさかいこうして平野に住んどるんや」

 

 足高(コンノケン)という氏族は、地潜(テララネオ)と比べてすらりとした細身の体付きだった。しかしそれは弱々しいとか華奢であるということではなく、引き絞った針金で編んだような体躯である。

 彼らは、人族が馬に乗ってようやくたどり着ける速さを、自前の足の速さで平然と達成できる、非常に足の速い氏族だった。四本の足で滑らかに走り、四本の腕で弓を射る姿は美しくさえある。

 

 最近では、帝国が宿場制度を広めるにつれて連絡伝達手段の一つ出る飛脚(クリエーロ)として、他所に出稼ぎに行く若者も多いらしい。

 

「まあ走るのばっか得意で、狩り以外できひんから人族の世話んなることの方が多いかも知らんけどな」

「言うたら僕達かてあんげにようけ走られへんから、御相子や」

 

 冒険屋たちを呼ぶ前はもっぱら足高(コンノケン)たちが大嘴鶏食い(ココマンジャント)の相手をしていたようだったが、それもさすがに厳しくなってきたらしい。

 

 本当であれば大嘴鶏食い(ココマンジャント)というものは、被害を出しても一季に二度か三度ある程度で、保険屋に保険金を出してもらっておしまいというのが常であったらしい。

 しかしどうにもここ最近では大きな巣か群れができたらしく、無視できないほどの被害が出るようになっているようだった。

 

「普通は、大嘴鶏食い(ココマンジャント)言うんはそこまで増えへんのやけどな。餌の野良大嘴鶏(ココチェヴァーロ)が十頭おったら、大嘴鶏食い(ココマンジャント)が一頭おるかおらんかや。草食なら草食えば増えるかも知らんけど、肉食やからな、あいつら」

 

 だから突然変異か、たまたま餌の多い時期に増えたものが、いま餌が足りずに遊牧民たちを狙っているのかもしれないと彼らは語ってくれた。




用語解説

足高(コンノケン)
 土蜘蛛(ロンガクルルロ)の氏族の一つ。遊牧民。足の速い家畜たちとともに平原を移動する氏族。
 非常に足が速く、弓を得意とする狩猟民族でもある。
 主に中南部の平原地帯に住んでいるが、帝国の宿場制度と飛脚(クリエーロ)制度が広まるにつれてその足の速さを徴用され安定した公務員として就職するものも多い。

 


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第六話 大嘴鶏と牧羊犬

前回のあらすじ
足高(コンノケン)なる新しい種族との遭遇。そして。


 大嘴鶏食い(ココマンジャント)が狙う大嘴鶏(ココチェヴァーロ)というものを、紙月たちはあまりよくしらなかった。

 この世界に来て最初に世話になった村でも家畜として飼育していたが、そのときはただただ大きさに圧倒されるばかりで、詳しくは聞く由もなかったのである。

 

 大嘴鶏(ココチェヴァーロ)というのは、現地人曰く「でかい鶏みたいなもの」である。その言葉の通り、人が載れるほどに大きいし、産む卵も、ダチョウの卵程はある。大嘴と名のつくように嘴は大きく、あまり顔立ちは鶏には似ておらず、どちらかというと恐竜か何かのようでさえある。

 気性は温厚だが、これは人が飼いならしているからであり、ひとたび危害が迫ると非常に猛々しく勇猛であるという。

 

 紙月たちには大して違いがあるようにも思われなかったが、大嘴鶏(ココチェヴァーロ)には大きく分けて三種類あった。

 

 一つは野生のもので、これは気性が荒く、一人で捕まえて乗りこなすことが成人の儀であるというが、たまに重症者が出るというほどだから、ほとんど害獣と言って差支えない。警戒心が強く、人が寄ると襲うよりまず逃げるので、まだ害獣でないというだけで、立派な魔獣である。

 

 もう一つは騎乗種である。これは乗って走らせることを目的として飼育しているもので、気性は荒く、勇猛で、とにかく力強く、速い。野生種と頻繁に交雑させるのでほとんど野生に近いが、人間の言うことをよく聞き、群れをつくる、遊牧民のよき友である。遊牧民はみなこの騎乗種を手足のように扱えるようになって初めて一人前と見なされる。

 

 また一つは食用の家畜で、これは肉付きよく、立派な卵を産むように品種改良を重ねてきたもので、気性は臆病で温厚。走らせると遅いが、肉はうまく、乳もよく出て、卵を日に一つか二つは産む。紙月たちが観察してみれば、成程確かに騎乗種と比べるとふっくらしているし、騎乗種にまたがった牧人に追い立てられる姿はなんだかおっとりとしている。

 

 そしてなにより、

 

「旨そうだな……」

「だよね」

 

 なのである。

 

 騎乗種や野生種が猛々しく、まず争いを覚悟させられるのに比べて、食用種は嘴も丸いし、いかにも食われるために育てられているといった丸々しさで、成程、大嘴鶏食い(ココマンジャント)も狙って食うわけである。

 

 またこの羽毛のきめ細やかで柔らかな事と言ったらたまらないもので、試しにと抱き着いてみた紙月はあれよあれよという間に沈み込んでしまって、他の冒険屋からそうだろうそうだろうと妙な頷きをもって迎え入れられたのである。誰もが試す道であるらしい。

 

 なお、鎧を脱いで身軽になった未来などは、上に寝そべったまま平気で大嘴鶏(ココチェヴァーロ)が移動するので、まるで雲に寝そべったようだと実に満足げであった。

 

 この食用種を護るために冒険屋が雇われたのであって、紙月たちもあくまでも休憩中にこのような戯れをしているだけであって、仕事を放り出して遊んでいるわけではない。

 

 しかし、そこのあたりでいうと先任者たちは立派なものであった。

 足高(コンノケン)の牧人のことではない。彼らの飼い慣らす牧羊犬のことである。

 

 最初に大嘴鶏(ココチェヴァーロ)を追い立てるこの牧羊犬を見た時、紙月たちはこれこそ大嘴鶏食い(ココマンジャント)なのかと警戒もあらわだったが、牧人たちはこの旅人たちの勘違いに大いに笑った。

 

「安心せい。あれは俺らの牧羊犬や」

「ぼ、牧羊犬!?」

 

 羊相手ではないので牧鶏犬とでも言うべきなのだろうが、交易共通語(リンガフランカ)では、馬の類と同じように、区別しないようであった。

 

 彼らは全部で五頭の牧羊犬を飼っていたが、みな立派な体格をしており、ふさふさの長い毛をした長毛種であった。この長毛は見た目に立派なだけでなく、敵に噛み付かれたときに防具の役割もこなすというのだから、自然の妙である。

 

 筋骨隆々たる冒険屋たちは無理であったが、小さな未来を背に載せて走り回るなど造作もないことのようであったし、細身で華奢で他の冒険屋の半分くらいしかない紙月をのせて歩き回るくらいのことはやってのけた。

 

 未来は最初、牧人たちにからかわれてこの牧羊犬に載せられるや、死を覚悟したような泣くのをこらえるような壮絶な表情をしたものだったが、今では年齢相応にこの変わった乗り物を楽しんで牧地を走り回っていた。牧羊犬の方でも子供の面倒を見るのは楽しいらしく、勝手気ままに歩き回って草を食む大嘴鶏(ココチェヴァーロ)たちを囲いながら、つまり仕事の片手間に未来の面倒も見ていた。

 

 一方でなかなか慣れないのが紙月である。

 

 相方が頑張っているんだぞと囃し立てられ、勇気を振り絞って背中に乗ったはいいものの、牧羊犬の方でもこの細っこいのが大いに恐れているということを感じ取って、すっかり警戒してしまっていた。動物というものは、相手が警戒しているのを鋭く感じ取ってしまう生き物なのである。

 

「なんかこういう銅像ありそうだな」

「妙な趣味の奴な」

 

 好き勝手に言われるまま、かちんこちんに固まった紙月と牧羊犬を解きほぐしたのは、一等年若い一頭であった。

 なにしてるのー、とばかりにこの一人と一頭にとびかかった牧羊犬は、華奢なハイエルフを押し倒して声にもならない悲鳴を上げさせるや、もふもふの毛並みで上下から挟み込んでしまったのである。

 

「おい、あれ大丈夫か」

「いや、もう駄目だな」

「マジか」

「実家に帰省した時アレを喰らったが、アレはまずい。死ねる」

「マジか」

 

 マジであった。

 

 上下から豊かな毛並みに挟み込まれた紙月は、とてつもない恐怖と嫌悪感に体をこわばらせ、そして次の瞬間にはその毛並みのあまりのふわっふわに巻き込まれて解脱した。ような気がするほどの得も言われぬ心地よさに、思わずあられもない声を漏らしてしまい、事前に性別を聞いて驚いたはずの冒険屋たちも思わずそっと屈んで目を逸らしてしまうほどだった。

 

 何しろこの毛並みの心地よさと言ったら、下手な羊のそれよりも余程に柔らかくしなやかなのである。ところが残念なことに、この毛並みは本来外敵に対しての防御のために生まれたものであって、切り離してしまうと途端にとげとげしくがさついた毛並みへと劣化してしまうのである。

 売り物になれば、どんな貴族でも買うだろうというのに、とは世の牧人の言うところである。

 

 ことほど左様に人を魅了する生き物であるところの牧羊犬をどうして紙月たちがあれほどに恐れたかと言うと、その外見であった。

 

「お嬢ちゃんら、よほど都会人なんやな。牧羊犬見たことないて」

「犬ってみんなこんなのなんですか?」

「うん? まあせやろ。商人なんか愛玩犬飼ったりするけど、よう逃げられたりしとるな」

 

 そういえば迷子の犬探しなどの依頼もあったが、最初の犬がこのようなやんわりした接触でよかったと紙月は思った。心底思った。

 

 何しろこの世界で一般的に犬と言ったら、それは土蜘蛛(ロンガクルルロ)達の連れてきたという種族らしいのだ。

 

 つまり、その見た目は巨大な蜘蛛そのものなのである。

 たっぷりの毛におおわれて、目もきょろりと丸っこく愛らしく、などと字面でどれだけ飾ろうにも、蜘蛛なのである。

 

 聞けば、一応四つ足で哺乳類のいわゆる犬もちゃんといるらしいが、八つ足の犬と比べると少ないらしい。この言い方は紙月をはなはだ混乱させたが、荷を引いたり背に乗ったりする類の動物を軒並み馬呼ばわりするのと一緒で、こういう役割をする家畜を犬と呼ぶらしい。

 

 では猫はどうなのかと聞いたら、ちゃんと猫もいるという。しかしこちらは四つ足の猫しかいないという。

 

「八つ足の猫はいないんですか?」

「猫が八足やったらキショイやろ」

「そういうもんですか」

「そらそうやろ」

 

 そういうものであるらしい。

 

「猫はただでさえ意味わからんからな、これ以上意味わからんくなっても困る」

「はあ。ここらにもいるんですか」

「遊牧民はまず飼わへんけど、村やら町やらにはまずおるやろな。猫はウルタールを通ってどこにでもおるもんや」

「ウルタール?」

「猫の来るところや」

 

 意味は分からなかったが、そういうものであるらしい。




用語解説

・牧羊犬
 牧場などで羊を誘導したり、外敵から守ったりするために飼われている。主に八足で、卵生。

・猫
 ねこはいます。

・ウルタール
 ウルサール、ウルサーなどとも。遠い地。歩いて渡れぬ隣。夢野の川の向こう。猫たちのやってくるところ。


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第七話 大嘴鶏食い

前回のあらすじ
紙月、死す。


 ほとんど遊んでいるようにしか見えない冒険屋たちだったが、ひとたび敵が出ると動きは素早かった。

 

「出たぞ!」

 

 最初に声を上げたのは、紙月たちと同じ休憩組であるエベノの冒険屋たちだった。そして声を上げると同時にもう矢をつがえて、ひゅうと鋭く射っている。そしてこの咄嗟の射が外すことなく獲物の脳天を射抜くものだから、遊んでいるようでさすがは冒険屋である。

 

 次いで紙月が跳ね起きると同時に、仕事組であった冒険屋がものすごい勢いで手斧を投げつけ、もう一頭の胸にしたたかな一撃を加えた。そしてわずかに間をおいて、紙月の《火球(ファイア・ボール)》が逃げ去ろうとした一頭の頭を焼き払い、ごろりと地に転がした。

 

 仕事組の冒険屋がじろりと見やってくるので、紙月は少し考えて、そうか、とすぐに頭を下げた。

 

「すまない」

「いや、いい、間が悪かった。あんたの魔法は、思いのほかに早いな」

 

 失敗は冒険屋にとってつきものであるし、これは致命的な誤りでもなかったから、すぐに謝罪したことで、こじれることはなかった。

 未来が瞬時に着込んだ鎧を、やはり同じように解除しながら不思議そうに首をかしげるので、紙月は教えてやった。

 

大嘴鶏食い(ココマンジャント)は大体三頭で行動するだろ」

「うん」

「一頭残しておけば、巣の場所が分かったかもしれない」

「あっ」

「でも、いまのは俺の魔法があんなに早いとは思わなかったし、向こうにも非があるといって許してくれたんだ」

「成程」

 

 未来は賢い。賢いが、まだ経験が浅く、気の回らないことも多い。そこを補ってやるのも紙月の仕事だった。

 

「それに、まだ挽回できる」

「え?」

「仕事はまだ終わってないぞ」

 

 紙月が鋭く言うと、未来も鼻を引くつかせて、瞬時に鎧を着こむ。そして今度はためらうことなく、その手元の盾が翻った。

 ガツンと激しい音と共に、紙月たちの警戒していたその逆方向からひっそりとやってきたもう一群の鼻先を、未来の投げた盾が一撃お見舞いした。

 ついで、牧人の足高(コンノケン)の弓がもう一頭を仕留めた。

 

 あと一頭。

 

 即席の冒険屋たちが一瞬強張る中で、先の経験で反省した紙月が新たな魔法を繰り出した。

 

「《土鎖(アース・バインド)》!」

 

 さかしくも早々に逃げ出そうとした最後の一頭の足元から土が盛り上がり、素早くその足を縛り付ける。

 土でできているから決して頑丈な戒めではないが、走り出したその足元をすくって転倒させることには成功した。

 

「未来!」

「よしきた!」

 

 そこに鎧姿の未来がのしかかれば、細身の大嘴鶏食い(ココマンジャント)はひとたまりもなく昏倒した。

 捕まえたのである。

 

「火の魔法に土の魔法、多芸だな、あんたは」

「伊達に森の魔女と呼ばれちゃいないよ」

「なに、するとあんたが地竜を昼飯にしているという」

「待って」

「俺も聞いたぞ、腹いせに山を吹き飛ばすとか」

「待って待って」

 

 勿論冒険屋たちもそれが盛りに盛った冗談の類だということはわかっていて大いに笑った。

 

 大嘴鶏食い(ココマンジャント)はすっかり昏倒していて、しばらく目覚めそうになかったので、紙月が《土槍(アース・ランス)》を工夫して即席の土の檻を作って囲った。崩れぬように念じるとそのようになったし、形も、あまり細かくは無理だったが、大雑把には念じた通りになったので、これは大きな発見だった。

 

 目覚めるまでの間、冒険屋たちは各々矢や手斧を回収し、大嘴鶏食い(ココマンジャント)のむくろを集めて、さてどうしたものかと頭を集めた。

 そんな中でふと食べ盛りの未来が腹の根を鳴らし、思い出したように牧人が言った。

 

「割りにうまいで」

「なに?」

「ちいと筋張っとるけど、なかなか乙なもんや」

「焼くか」

「うむ、焼くか」

 

 焼いて弔うことになった。

 

 冒険屋たちはそのような建前でさっさと竈を組み、手慣れた様子で血抜きし、この恐竜のようなオオトカゲをさばき、水精晶(アクヴォクリスタロ)の水筒で洗い、適当な大きさで串に刺して、あぶった。

 食ったことがあるのかと聞けば、ないという。ないが、獣というものはその種類ごとに大体同じような骨付きをしているから、鶏が捌ければ鳥や蜥蜴の類はさばけるし、毛獣もさほどの違いはないという。

 

 やったことがないというのでは冒険屋をやっていくのは大変だろうからと一頭任せてもらった。最初こそ気持ちが悪くなりかけた紙月はすぐに調子を掴んでてきぱきと解体し、包丁仕事はそれなりに慣れているという未来も、小さな手ながらすんなりとやってのける。

 

「毛獣は、例えば熊や猪の類は、脂がもっと分厚いから、刃がすぐに鈍る。近くで湯を沸かしておくといい」

「羽獣や大トカゲの類は骨が細いものが多いから、折ってしまわないように気をつけろ」

「今日はお前たち冒険屋の流儀だから焼くが、遊牧民は基本的に煮る。その方が火も節約できるし、肉もすっかり骨からとれる」

 

 一見旅慣れない女である紙月と、子供の未来が素直に指示に従うのが健気でよいらしく、冒険屋たちは、また牧人たちも様々な事を教えてくれた。

 五頭の大嘴鶏食い(ココマンジャント)はさすがに多いので、二頭を冒険屋たちがおやつ代わりに平らげることにし、残りの三頭分はいくらかを牧人たちの夕餉にすることにし、残りを市でさばくことになった。

 

 さて、肝心の大嘴鶏食い(ココマンジャント)の串焼きはというと、これは成程なかなかの美味だった。

 

 肉自体は、そのごつごつとした鱗からは想像できないほど白く透き通っており、焼くと白っぽく濁る。これにしたたかな牧人たちが売りつけてきたべらぼうに高い岩塩を振りかけて食べるのだが、これが、美味い。岩塩に高い金を払うのも仕方がないと思う位には、美味い。

 

「見た目より臭みがないな」

「よりっていうか、全然ない。鶏肉だよね」

「ジューシーな鶏肉」

「ささみっぽいというか、脂身はあんまりないんだけどね」

「いかんな。無限に食える」

「あれ欲しい」

「あれ」

「ポン酢」

「わかる。それに、わさび」

「ぼくさび抜きでいいや」

「お子様め」

 

 試しに、以前村で頂戴した猪醤(アプロ・サウコ)につけてみると、これがたまらなく美味かった。ワサビはなかったが、牧人たちが猪醤(アプロ・サウコ)と引き換えにと差し出してきた生姜(ジンギブロ)、つまりショウガを摩り下ろして加えると、これはもう犯罪的だった。

 冒険屋たちはそれぞれにスダチのように香りのよい柑橘や、このあたりでは値の張る胡椒、また南部で仕入れたという唐辛子のペーストを交換条件に出し、それぞれが満足のいく取引となった。

 

 冒険屋が集まっていいことの一つは、食道楽が多いということである。決まって何か一つは、決まり手と言っていいような食材を、懐に忍ばせているものである。

 

 そうこうしているうちに、肉の焼ける香ばしい匂いに誘われてか、大嘴鶏食い(ココマンジャント)が目を覚ました。そして解体されてあぶられている仲間の姿にギャアギャアと鳴きながら暴れ始めるではないか。

 

 いくら害獣とはいえ、これは悪いことをした、配慮が足りなかったなとは思いながらも、冒険屋たちは檻の強度を確かめるだけで、満足するまで肉を食い、酒を飲んだ。

 

 そしてしっかり火の始末まで終えてから、冒険屋たちはそれぞれに大嘴鶏(ココチェヴァーロ)を借り、息を吹き返した大嘴鶏食い(ココマンジャント)を放して、早速追いかけたのだった。




用語解説

・《土鎖(アース・バインド)
 ゲーム内《技能(スキル)》。《魔術師(キャスター)》系列が覚える土属性の低級魔法。
 土属性の行動阻害系《技能(スキル)》で、相手の移動を封じたり、場合によっては転倒させて行動を封じたりする。勿論空を飛んでいる相手には効かないし、水場でも使えない。
『《土鎖(アース・バインド)》! 今日ほどこの魔法を忌々しく思った日はないわ! 言わんでもわかるじゃろ! 出て来い!』



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第八話 少年天狗

前回のあらすじ
や き と か げ お い ひ い !


 放した大嘴鶏食い(ココマンジャント)を追いかけるのは、生半な事ではなかった。

 なにしろ足も速く体力もある大嘴鶏(ココチェヴァーロ)を餌にしている連中なのである。賢く、瞬発力があり、ガッツもある。

 

 平原と言えど何もないというわけでは無く、踏み荒らされていない野を行けば、丈の長い草むらもあるし、そう言ったところに隠れるように走られると、保護色になってすっかり隠れてしまって、冒険屋たちは何度となくその姿を見失いかけた。

 

 それでも冒険屋たちが追跡を続けられたのは、あまりの重さに鎧を着るのを諦め、紙月と二人で大嘴鶏(ココチェヴァーロ)にまたがった未来のおかげであった。

 

「ん、あっちだ。あっちに隠れてる」

「よしきた」

 

 時に姿を見失いかけても、獣人の未来の鼻は鋭く、焼き立ての炙り串の煙に燻された大嘴鶏食い(ココマンジャント)の姿は目に見えるよりもはっきりとその姿を捉えられているらしかった。

 

 また、大嘴鶏(ココチェヴァーロ)を駆る手付きも様になっており、最初こそ紙月が未来を抱え込むようにしながら手綱を取っていたが、未来が見て覚えると、攻撃役である紙月は両手を自由にして、すっかり操縦を任せることになった。

 

「いますごいことに気付いたんだけど」

「なに!?」

「この帽子すっげえ風の抵抗受けるんだけど、装備品だからかいくら吹かれても飛んでかねえ」

「それはすごい……けどどうでもいいかな!」

 

 そのような暢気な事を言う余裕さえある追跡行は、しかし不意に目標の大嘴鶏食い(ココマンジャント)が大声で鳴き始めてから難航し始めた。

 

「あいつ、仲間を呼びやがった!」

 

 鳴き声が響いてからしばらく、方々から大嘴鶏食い(ココマンジャント)がやってきては、冒険屋たちを妨害し始めたのである。

 巣が近い、ということでもあるのだろうが、しかし厄介なことに連中は方角を悟らせないようにか均等に全方角から迫ってきた。

 そしてまた賢しいことに、仲間を逃がすことを目的として戦法であるようで、こちらに積極的に挑んでくることはなく、あくまでも威嚇に徹して隙を見せることなく、こちらの攻撃をするりするりとかわしてしまうのである。

 

 弓や手斧はともかく、挙動のわかりづらい紙月の魔法までかわしてしまうのは、これは野生の勘だけとは言えない、優れた戦闘センスが伺えた。

 

「連中、やりやがる!」

 

 囲まれたとはいえ、連中もこちらを襲う気はないようで、じりじりと輪は一行から離れていこうとしている。

 

「どうする?」

「これ以上無理をするのもな……」

「やれるか?」

 

 問われたのは紙月である。

 数だけならどうとでもできる相手だが、周囲を囲まれ、それも俊敏に動くとなると、これは紙月でも難しい。首を振ると、集団のリーダー格として見られている年かさの冒険屋が武器を収めて馬足を落とした。他の冒険屋がそれに続くと、大嘴鶏食い(ココマンジャント)はまるで訓練された集団のように、速やかに輪を開放し、ばらばらに散っていってしまった。

 

「うーむ」

「普通の大嘴鶏食い(ココマンジャント)も、あんな挙動をするのか?」

「いや、いくら賢いとはいえ……いや、これ以上考えるのは俺達の仕事じゃあないな」

 

 ひとまずの大雑把な方角だけを控えてはみたが、あのような賢い行動を見た後だと、ここまで逃げてきたのも仕込みではないかと疑心が暗鬼を生む状態である。

 

「むう。まあ、仕方がない。一度戻って、依頼主に確認すべきだな。調査に出るか、迎撃で済ませるか」

 

 調査に一組か二組出すとなると、これはどうしても休憩と警備のローテーションが保てない。冒険屋たちはあくまでも仕事で来ている以上、これ以上危険を冒してまで追いかける義理はない。勿論、依頼主がどう判断するか次第であるから、ここは一度戻って確認を取るのが一同の賛成するところだった。

 

 駆け足で戻る最中、ふと顔を上げたのが未来である。

 

「においがする」

「なに?」

大嘴鶏食い(ココマンジャント)と、大嘴鶏(ココチェヴァーロ)。それから知らない匂いがする」

 

 紙月がリーダー格の男にこれを伝えると、男は顎をさすった。

 

「放牧の時にはぐれが出ることはある。今日も襲撃があって、何頭かはぐれたと聞いた。それかもしれん」

 

 距離がほど近く、匂いの数も少ないとあって、一行は一応確認のために出向いてみることになったが、そこで見つけたものは奇妙な光景であった。

 

 食用種の大嘴鶏(ココチェヴァーロ)が三頭、駆けている。逃げているのだ。これはわかる。その後を大嘴鶏食い(ココマンジャント)が三頭、追いかけている。これもわかる。

 問題は大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の背にまたがって、へなちょこな矢を射っては大嘴鶏食い(ココマンジャント)を牽制している子供の姿である。

 

「おい、あれ……」

「うむ……」

 

 冒険屋たちがその姿を見て顔を見合わせている間に、未来が大嘴鶏(ココチェヴァーロ)を走らせた。

 

「早く助けないと!」

「お、おう、そうだな!」

「あっ、待て、いや、しかし」

「行かせよう。少なくとも大嘴鶏(ココチェヴァーロ)は、俺達の仕事の領分だ」

 

 矢が切れたのか大いに泣きそうになりながらも、健気に弓を振るって牽制する子供の姿がはっきりと見えるほどの距離に入ってから、紙月は慎重に狙いを絞った。的が近いので、もしものことがあってはならない。

 

「周囲への被害が少ないやつで……鳥、鳥は火属性が多いんだよな……」

「紙月! はやく!」

「はいよ、そんじゃあ」

 

 ぱちん、と指が打ち鳴らされた。

 

「《水球(アクア・ドロップ)》! 三連射!」

 

 瞬間、虚空から人の頭ほどの水球が出現し、勢いよく大嘴鶏食い(ココマンジャント)の頭部に飛来し、命中する。殴りつけたような衝撃が三頭を襲い、そして次の瞬間、さらなる苦痛が襲った。

 

「おお……こういう感じになるのか」

 

 水球は弾けることなく三頭の頭を覆って呼吸を奪い、速やかに窒息させてこれを地に倒した。ゲーム内で存在した状態異常である窒息が現実に再現されると、このようになるらしい。

 倒れこんだ大嘴鶏食い(ココマンジャント)が起き上がらないことを確認して、紙月たちは目の前の唐突な出来事にすっかり呆然としている子供に馬を寄せた。

 

「おう、大丈夫か? ひとりでよくやったな」

「ひ、ひ……」

「ひ?」

「一人でやれたわこの程度!」

「うお、気が強いでやんの」

「ほんとじゃからな! この程度わし一人でやれたわ!」

「おうおう、そうだな、そうだな。手柄を取って悪かったな」

 

 子供の言うことだからとおおらかな紙月に、同じ子供なのに同じく鷹揚な態度を見せる未来。

 

 そしてそんな二人とは裏腹に、追いついた冒険屋たちは一様に渋い顔をしていた。

 

「やっぱり天狗(ウルカ)か……」

「どこの部族だ?」

「どこでもいい。なんでこんなところに……」

 

 それは剣呑と言ってもいい空気だった。




用語解説

・《水球(アクア・ドロップ)
 ゲーム内《技能(スキル)》。《魔術師(キャスター)》系列が覚える最初等の水魔法。
 水球を飛ばして相手にぶつけ、ダメージを与える。確率で窒息などの状態異常効果。
『ここで魔術師ジョークを一つ。《水球(アクア・ドロップ)》で顔を洗おうとして窒息しかけた阿呆がいるんじゃよ。どうじゃ。笑えよ』


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第九話 嫌われ者

前回のあらすじ
無事大嘴鶏(ココチェヴァーロ)と子供を救助した二人。
しかし冒険屋たちの様子がおかしくて……。


「おい、その天狗(ウルカ)を連れて行くなら、お前たちが面倒を見ろよ」

「え? ああ、はい」

「お前も大概お人よしだな。天狗(ウルカ)なんぞを拾うとは」

「最後まで面倒見ろよ」

 

 口々に言われる言葉に、釈然としないながらも、紙月と未来は天狗(ウルカ)だという子供を預かった。他の冒険屋たちは、見事に昏倒している大嘴鶏食い(ココマンジャント)に舌を巻きながら、しっかりととどめを刺して大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の背に載せ、手早く帰り始めた。

 勇敢な子供のことなど見もしない。

 

「なあんだ、ありゃ」

「なんだろうね」

 

 二人は顔を見合わせて、肩をすくめた。

 

 子供は未来よりもまだ小さく、十歳になるかどうかというくらいだろうか。

 

 話には聞いていた天狗という種族らしく、確かに端々に鳥の特徴が見て取れた。

 

 口を開ければ見えるのは歯ではなく、そのように見えるひとつながりの嘴であるし、瞳は大きく、白目の部分がほとんどない。

 暴れるのを抱き上げて大嘴鶏(ココチェヴァーロ)に載せてやった時に気付いたが、靴には靴底というものがなく、鱗のある鳥のような足がそこから覗いていた。成程、木などに掴まるとき、靴底があっては邪魔だろう。

 また、服があまりにも上等な刺繍がなされていたので飾り物かと思っていたが、その手首からひじのあたりに生えているのは紛れもなく羽毛である。羽毛というより、立派な翼の一部と言っていい。

 飾り羽のようだが、話に聞くところ、天狗(ウルカ)はこれで空を飛ぶという。

 

「ほら、暴れんなって。お前らちっちゃいんだから乗り切るだろ」

「ちっちゃいっていうな!」

 

 馬上に押し込まれてぎゃいぎゃいとうるさい子供二人は、手綱を取る紙月の腕の中で声をそろえた。

 

「俺は紙月で、こいつは相棒の未来」

「未来だよ、よろしく」

「ふん、冒険屋風情かあっだだだだだだ」

「名乗られたら名乗り返すくらいは教わってないのか」

「あだ、あだだ、ス、スピザエト! スピザエトである!」

「よし、よし」

 

 頬をつねってやって、ようやく名を聞き出せて、第一歩である。

 

「よ、よくもわしに手を上げたな! わしはな!」

「うん、うん、よくわかるぞ。お前は立派な奴だ」

「お、おう?」

「一人で大嘴鶏食い(ココマンジャント)に立ち向かおうなんてなかなかできることじゃあない。怖かったろ」

「こわくなどあるものか!」

「勇敢な奴だ。それで、どうして一人でこんなところに?」

「うむ。それが、連れとともにおったはずなのだが、彼奴ら、いつの間にか逸れてしもうてな。付き人としてなっとらんのじゃ」

 

 それは多分お前の方が逸れたんだろうな、とは思いながらも紙月は口を出さなかった。口ぶりからどうもいいとこの坊ちゃんであるらしいし、余計な口をはさんでこじれるのも面倒だったからだ。

 

「それでひとりで散歩しておったら、あの可哀そうな大嘴鶏(ココチェヴァーロ)どもが彷徨っておった」

「おお、お前が見つけてくれたのか」

「そうとも。わしはきっとこいつらはきっと親から逸れてしもうたんじゃ、かわいそうになと思って、折角だから親元まで返してやろうと付き添ってやったんじゃ」

 

 迷子が迷子の世話見ようとしている、などと言いだそうとした未来の口はそっと塞いでおいた。

 

「それからどうした」

「うむ、そうしたらあのトカゲども! 野蛮な大嘴鶏食い(ココマンジャント)めが追いかけてきおったのじゃ」

「おお、大変だったな」

「そうとも、そうだとも! わしは哀れな大嘴鶏(ココチェヴァーロ)を守ってやらねばと思って矢を番えては射たのじゃが、何しろあいつらすばしっこくての、さしものわしもなかなか当たらん」

(まるでとは言わないでやろう)

「そうこうしているうちに矢も尽きて、こうなれば仕方がない、わしの鍛え上げた蹴り足をお見舞いしてやろうとしておったところに、おぬしの茶々が入ったのじゃ」

「俺か」

「おぬしじゃ」

「紙月だね」

「そうだ、シヅキとかいったか。おぬしが茶々を入れねばわしがぼっこぼこにしておったのじゃ、ほんとじゃぞ」

 

 まあ持ち上げるのもこの辺でいいかと、紙月はそうかそうかと適当に頷いた。

 

「それじゃあ、俺たちが助けないでも、お前ひとりで倒せたのか」

「そうとも、そうだとも!」

「本当にか」

「本当だとも! 疑うのか!」

「ここにゃ俺たちしかいないんだ。誰にも言わねえよ」

「……ま、まあちょっぴり、ほんのちょっぴり危なかったかもしれんな」

「そしたら、大嘴鶏(ココチェヴァーロ)たちは危なかったな」

「う……うむ。そうだ。危なかったかもしれん」

「もしお前が万が一足を滑らせでもしたら、万が一だぞ、それじゃあ大嘴鶏(ココチェヴァーロ)たちは酷い目に遭っていたな」

「ひどい目に遭っていたのか?」

「間違いないな」

「で、でもなんとかなったのじゃ」

「もしかしたら俺達は来なかったかもしれないな」

「む、むう」

「お前は一人でよくやったよ。でも一人じゃ大変なことだっていっぱいある。一人じゃ護り切れない時もある。そういうときは、助けを求めていいんだ」

「し、しかしな、しかしわしは……」

「お前は自分一人でやれると思ってるだろうし、それは大事な気構えだけど、それで護るべきものが傷ついたんじゃあ仕方がないだろ」

「む、むう」

「護りたいと思ったんなら、そのことをまず大事にしなきゃな。自分のことはおいておいて、誰かのことを考えられる方が、ずっと格好いいと思わないか」

「お、思う、かもしれん」

「そうか」

「そ、そうだ」

「それがわかったならお前さんは立派な勇者だよ」

「そ、そうか?」

「そうだとも」

 

 そうか、とはにかむように笑うスピザエトの頬を、紙月はつねった。

 

「あだだだだだ激痛でない程度の適度な痛み!」

「それじゃあできる天狗(ウルカ)様はまず助けてもらった感謝! それに悪態ついた謝罪な!」

「ありがとうございます! ごめんなさい!」

「よし」

「紙月、ほんと多芸だよね」

「これくらい子守のバイトしたらすぐ慣れる」

「ほんと多芸だよね、ほんと」

 

 腕の中ですっかり大人しくなったスピザエトは、緊張が解けたためか、ぐったりと脱力し、それを未来が支えてやっている状態だった。

 

「しっかし、こんな子供相手におっさんたちはなんでピリピリしてんだろうな」

 

 これが紙月には疑問であった。

 単に子供嫌いであるというのは、これはない。

 実際、紙月が鎧を脱いだ姿を見せた時も、成人前だというのに立派だなと大いに褒められ、成人前の子供を冒険屋稼業に連れまわすなどと紙月は怒られたぐらいだった。帝国では一般的に成人と言えば十四歳であるらしく、なるほど未来はまだ二、三年程足りない。

 

 この例で行くと、その未来よりいくらか幼いスピザエトの奮闘は、褒め称えられてしかるべきであって、間違ってもその逆はないはずだった。それなのに実際は、スピザエトは敬遠され、すっかり紙月に面倒を任されてしまっている。

 

 首をかしげる二人に、スピザエトは眠たげながらも唇を尖らせた。

 

「それはきっと、わしが天狗(ウルカ)だからなのじゃ……」

 

 帰り着き、それが事実だと知って、紙月は激怒するのであった。




用語解説

・スピザエト(Spizaeto)
 天狗の少年。非常に身なりが良く、良いところのお坊ちゃんであるようだ。
 弓を持っていたが腕前は杜撰なもので、年若いこともあってまだ一人で飛ぶのは難しいようだ。


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第十話 天狗嫌い

前回のあらすじ
助けた少年はスピザエトと名乗った。
紙月たちは彼と話してみるが、特におかしな点はない。
天狗(ウルカ)だからとはいったい、どういう意味なのか。


天狗(ウルカ)嫌いィ?」

 

 帰り着き、リーダー格の冒険屋が依頼主に話を通している間、エベノの弓遣いに聞いたところ、天狗(ウルカ)というものは事この西部では蛇蝎のごとく嫌われている種族らしかった。

 

「もともと天狗(ウルカ)ってのは鼻持ちならねえ高慢な連中なんだが」

「はあ」

「大叢海の連中はもう、なんだ。天井知らずだよ」

「天井知らず」

()が高すぎて雲突き抜けるレベルだなありゃ」

 

 詳しく聞いてみたところ、たしかに天狗(ウルカ)という種族は、空を飛べるという種族特性的なものなのか、神話の時代にさかのぼる因縁なのか、他種族を下に見る高慢なところがあるらしい。それでもまあ、ほかの地域の天狗(ウルカ)は付き合えばわかるようなところはあるらしい。慣れるともいうが。

 

 しかし大叢海の天狗(ウルカ)たちは、なまじ自分たち以外大叢海に住むこともできないという環境に生き続けたからか、完全に他種族を下に見ているらしい。下手すると同族内でさえも見下し合いをしているとか。

 遊牧民たち平原の民は、草原の民と一つの大部族の下にあるというのが体裁だが、実際のところは大叢海から出てくる気のない天狗(ウルカ)たちと平原の民はあまり、というかはっきり仲が良くないらしい。

 それでも大昔に杯を分けた仲だとかでいまもなあなあで関係は続いているものの、天狗(ウルカ)たちは他種族を見下し、他種族は天狗(ウルカ)を毛嫌いしてと、水面下どころか目に見えて相当冷え切った仲らしい。

 

 これは成程わかる話である。

 あるが、紙月は激怒した。

 

「それと子供に何の関係があるってんだ!?」

「落ち着け、落ち着けシヅキ」

「落ち着けるか!」

 

 何しろ自分も子供を連れて歩いている紙月である。ただ天狗(ウルカ)であるというだけで子供がないがしろにされたのだ、我が身を振り返ればこれ以上腹の立つことはない。

 

 しかも腹の立つことはまだ続くのである。

 

 一応チャスィスト家も大人であるから、相手が天狗であるかどうかは別として、大事な資産である大嘴鶏(ココチェヴァーロ)を助けてもらったことには感謝をするとして、天幕に三人を招いて礼をしてくれたのだが、問題はその後である。

 

「なに、巣がある?」

「そうじゃ。連れのものと近くを飛んでおる時に、大嘴鶏食い(ココマンジャント)のものと思しき巣が見えた。何十頭もおる、大きな群れが、巣をつくっておったのじゃ。子供もおった」

「なんと……」

「わしはこれはいかんと思ったのじゃが、連れが捨て置けと我儘を言うので、振り払って、近くに見えた天幕、つまりここを目指したのじゃ。大嘴鶏(ココチェヴァーロ)は、その途中で見つけた」

 

 この話を聞いて、チャスィスト家の人々は会議を執り行うとして天幕にこもった。

 ローテーションをどうするか、冒険屋たちに任せて襲撃するのか、警備はどうするのか、そう言った会議が行われると思われた。

 

 しかし長い会議を経て、明けて翌朝、紙月たちに伝えられたのは現状のローテーションを維持せよとの指示だった。

 

「どういうことだ?」

「どういうことだっていってもな」

 

 首をかしげる紙月に、エベノの弓遣いは辺りをはばかりように伝えてきた。

 

「つまり、情報源が信用できないんだろう、連中は」

「なにっ」

「俺に怒るな。まあ落ち着いて考えろよ」

 

 つまり、こういうことだった。

 

 大叢海の天狗(ウルカ)たちは、もうずいぶん長いこと平原の民を下に見てきた。朝貢じみた貢物の制度もあるという。そして今回の大嘴鶏食い(ココマンジャント)の件で応援を頼んだ際も、すげなく断られているらしい。自分達で何とかせよというだけならばまだよかったが、できなければ飢えて死ねとでもいうような態度であったらしい。

 

 ここにきて平原の民の怒りはかなりのものとなっており、次回のクリルタイでもたもとを分かつことを宣言するのではないかとされている。

 

 そんな中で、たまたまはぐれた天狗が大嘴鶏食い(ココマンジャント)の巣を見つけたなどという情報を持ってくる。

 遊牧民たちはこぞって罠を恐れたらしい。嘘の情報ならばまだよし。しかし、もしその巣というのが、天狗たちの後押しによってできたものならばどうするか。そのような不安まであるのだという。

 

「こんな子供まで疑うか!?」

「こんな子供だからだろう。大人の天狗(ウルカ)が同じ情報を持ってきたところで、やつらのことなど最初から信じられるわけがない。しかし子供ならどうだ。ちらとでも信じてしまうかもしれん」

「子供を使った騙しとまで疑うのかよ……」

 

 そう言われればわからないでもない。

 平原の民はもうずいぶんと草原の民に虐げられてきているのだ。その感情を思えば、一概に子供だからどうのなどという紙月の意見は薄っぺらいものなのかもしれない。

 

「むーん」

 

 とはいえ、じゃあそれで平原の民の言うことに従えるかと言えばそういう訳でもなかった。

 平原の民には平原の民の言い分があり、スピザエトにはスピザエトの訴えがあり、そして紙月には紙月の感性というものがある。

 

「未来、お前はどう思う」

「大局的っていうやつを考えるなら、おじさんたちの言うことも、もっともなんじゃないかな」

「お為ごかしはよせやい」

「ふふ。じゃあ決まってるよ。ぼくら、冒険屋だぜ?」

「よしきた」




用語解説

・冒険屋だぜ?
 つまりそういうこと。


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第十一話 さあ行こうぜ

前回のあらすじ
天狗(ウルカ)嫌いの実態を知った紙月は、子供相手にと激怒する。
そういうときどうするか。答えは決まっている。
ぼくら、冒険屋だぜ?


 いつもそうだった。

 

 スピザエトは貸し出されたという名目で自分を閉じ込める天幕の中で、一人膝を抱えていた。

 

 いつもそうだった。

 いつもスピザエトの意見というものは、取り上げられるということがなかった。取り上げられることがあってもその中身とは別のところで推し量られるばかりだった。

 いつだってスピザエトの意見が真面目に取り上げられたことはなかった。

 

 スピザエトの立場がそうさせたし、スピザエトの父の立場がそうさせたし、周囲の全ての立場や関係性というものがそうさせた。

 スピザエトはそうあるように求められる形を演じるばかりで精一杯だった。その中身を考えることはとうになくなった。ただ父のようにあれと呪いのように繰り返され、ただ父のようであるなと呪いのように褒められ、父ならこのようなことはしないぞと呪いのように窘められ、呪われて、呪われて、呪われてきた。

 

 人生とは呪いのようなものだ。

 

 以前、月のない夜に、父はひっそりとスピザエトにそう語ってくれた。

 

 ――お前が父のようにあれと言われるのはな。

 

 父のうち開けた秘密は、とっぷりと暗い呪いに満ちていた。

 

 ――私が同じように、お前の祖父のようにあれと言われていたからだよ。

 

 人生とは呪いのようなものだ。

 

 誰も自分の好きなように生きていくことなどできない。

 誰もが自分の決めたいと思うところとは別のところで人生を決められ、その呪いに従うように人生という織物を織りあげていく。

 

 スピザエトの人生はスピザエトのものではなかった。巨大な織物に描かれた、大叢海の物語の、その中の色糸の一本に過ぎなかった。

 

 スピザエトの持ってきた情報を持て余し、天狗(ウルカ)の情報だからとためらう平原の民の気持ちは痛いほどに分かった。自分たち天狗(ウルカ)が嫌われているということをよく知っていたからではない。それ以上に、ずっと言われ続けてきたことに反抗するのは難しいのだということを、よくよく知っていたからだった。

 

 平原の民にとって、草原の民は、呪いに近いほど長く長く続く敵なのだ。怨敵なのだ。ただ呪いに近いほど古く古くから続く縁の為に、切っても切れないというだけなのだ。

 

 古くから忌み嫌ってきた天狗の意見を聞き入れることが、彼らにとってどれだけの苦痛であることか。長きにわたって一族全体を蝕み、支え、痛めつけ、永らえてきた呪いに逆らうことは、その歴史が長ければ長いほど、耐えがたい苦痛を伴うことなのだ。

 

 だから、スピザエトは平原の民を恨まない。

 だってそれは仕方がないことなのだ。

 スピザエトは幼いから、まだ呪いの影響が少ないから、こうして加護の外へ飛び出して、そうして試すことができた。

 しかし人々はそうではないのだ。人々は鳥かごから飛び出すには、あまりにも歴史という呪いに縛られ過ぎていた。

 

 だから。

 だから。

 だから。

 

 

 

「よう、俯いてないで、行こうぜ」

 

 

 

 だから、その声は、スピザエトにとって初めて聞く声だった。

 初めて聞く響きで、初めて聞く奏でで、初めて聞く言葉でだった。

 

「ちょうどぼくら休憩時間でね。なにしたって文句は言われないんだ」

 

 開かれた天幕の中に、鋭く光が差し込んでくる。

 目にも痛く、肌にも熱く、そしてどこまでも鮮烈な光が注いでくる。

 

「お前ができないって言うんなら、俺たちがやってやる」

 

 それは、

 

「お前が怖いって言うんなら、俺たちが代わってやる」

 

 まるで、

 

「お前が行きたいって言うんなら、俺たちが連れて行ってやる」

 

 祝いのように、スピザエトの胸に響いた。

 

「本当に、いいのか?」

「本当にいいとも」

「本当に、本当にいいのか?」

「本当に、本当にいいよ」

「わしは、だって、わしは、天狗(ウルカ)じゃぞ」

「それなら俺達は冒険屋さ」

「ぼうけん、や」

「そうとも」

「そうだとも」

「俺達は人の冒険請け負って、人の代わりに、人の為に、人のついでに、冒険なんかしたいって酔狂ものなんだ」

「いまさら天狗(ウルカ)の一人くらい、背負ったって軽すぎるくらいさ」

 

 それはスピザエトの知らない言葉だった。

 それはスピザエトの知らない世界だった。

 

 こわかった。

 不安だった。

 

 震えるほどに、見知らぬ世界が恐ろしかった。

 

 いつだって呪いを恐れていた。いつだって呪いに震えていた。いつだって呪いを疎んでいた。いつだって呪いのせいにしてきた。

 ああ、でも、いつだって呪いが悪いのだと、呪われていることを享受し続けてきたのは誰だ。

 

 スピザエトは唐突に理解した。

 それは自分なのだと。自分のせいなのだと。

 呪いを呪いたらしめるのは、それを受け入れる自分のせいなのだと。

 

「じゃあ、じゃあ、じゃあ!」

 

 ならば、踏み出さなければならなかった。

 目を焼き、肌を焼き、くじけそうになる程に熱い灼熱の太陽のもとへ、踏み出さなければならなかった。

 

「わしは……わしを!」

 

 かつて父が、呪いの中で自分に託したように。

 きっと祖父が、呪いの中で父に託したように。

 果てなき呪いを、いつの日か解けるようにと。

 

「――助けてくれ!」

 

 その叫びは、まるで祈りのようで。

 

「請け負ったぜ、その願い!」

 

 そして、誓いのようであった。




用語解説

・請け負ったぜ
 帝国法においては、冒険屋が依頼を請けることを禁じる法はない。


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第十二話 悪意と戦え

前回のあらすじ
その依頼、請け負った。


「よっしゃ、急ぐぞ!」

「よしきた」

 

 豪華な天幕からスピザエトを連れ出し、三人は未来の手綱を取る大嘴鶏(ココチェヴァーロ)に乗って平原を駆けた。

 

「地上からでも場所分かるか?」

天狗(ウルカ)をなんじゃと思っとる。そのくらいの把握力があるから上から目線できるんじゃ」

「成程ごもっとも!」

 

 スピザエトの指示は、確かなようだった。

 

 というのも、巣があると思しき方角へ駆け出した途端、統率の取れた大嘴鶏食い(ココマンジャント)たちの襲撃を受けたからである。

 

「紙月! 大丈夫!?」

「この程度なら大丈夫だ! FPSで慣れてる!」

「ほんと多芸だよね!」

 

 襲撃は散発的なものから、やがて明確に進路を妨害するような派手なものになってきたが、この程度で妨害されるようなら、紙月たちは地竜など殺していないし、山など吹き飛ばしていない。

 

「《タワーシールド・オブ・シルフ》!!」

 

 未来がスキルを使用すると同時に、突き進む大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の前面に不可視の壁が展開される。風の精霊が力を貸して作られる、大気の壁だ。鎧も楯も装備していない未来は著しくその能力を衰えさせているが、それでもレベル九十九の《楯騎士(シールダー)》は伊達ではない。

 進行方向の大嘴鶏食い(ココマンジャント)を跳ね飛ばし、なお衰えることのない走力で駆け抜けていく。

 

 そうして前方の障害が排除されれば、横と後ろから襲い掛かってくるものたちを、紙月が振り浮きざまに平然と蹴散らしていく。

 

「《火球(ファイア・ボール)》! 《火球(ファイア・ボール)》! 《燬光(レイ)》! 《火球(ファイア・ボール)》! 《燬光(レイ)》! 《燬光(レイ)》! 《燬光(レイ)》! おまけの《火球(ファイア・ボール)》!」

 

 指先をわずかに向けるだけで、業火が、また熱線が恐るべき恐竜たちを焼き払っていく光景に、スピザエトは大いに恐れをなし、そして憧れの視線を受けた。

 

「おお、すごい! すごいのじゃ!」

「そうとも! お前が見出した冒険屋はすごいのさ!」

「一応ぼくもすごいことしてるんだけどなあ」

「ミライもすごいのじゃ!」

「ありがと」

 

 驀進していく三人の行く先に、ついに巣らしきものが見えた。

 平野にできた窪地に、何十頭もの大嘴鶏(ココチェヴァーロ)が、枯れ枝や、一部は強奪してきたらしい遊牧民の天幕などをもとに巣をつくり、小さな雛たちを育てているのである。巣の中では何頭かの大嘴鶏(ココチェヴァーロ)がむさぼられ雛の餌となっているところもあった。

 

 これだけをみれば、大自然の大きな営みとして、おそれを持って眺めることができたかもしれない。しかしことは人間の里に及んでしまっているのである。大自然がなんだ、共存共栄がなんだといいながらも、結局のところ、人は人である以上、自分達の営みをこそ優先しなければならない。

 お互いの縄張りを犯そうという以上、必ずやしっぺ返しが来るのである。

 

「悪いが、これ以上増えられても困るんでな!」

「恨むんなら恨んでおくれよ!」

 

 大嘴鶏食い(ココマンジャント)たちはついに訪れた外敵に威嚇の声を上げ、巣に集まって雛を護ろうとしたが、その行動は、かえって悪手であった。

 

「未来、閉じ込められるか!」

「成程! 《ラウンドシールド・オブ・シルフ》!」

 

 紙月が唱えたのは、自身を中心にして円状に空気の結界を張る《技能(スキル)》である。ただし今回は自分を中心に使うのではない、大嘴鶏食い(ココマンジャント)の巣を中心に使うのである。

 

「ぎあっ!?」

「ぎゃあっ! ぎゃあっ!」

 

 大嘴鶏食い(ココマンジャント)たちが叫ぶがもう遅い。巣を中心に張り巡らされた結界は、外から何物をも通さない代わりに、内側からも何物も逃がさない檻となったのだ。

 

「それじゃあお次は、どうするかな。食われた分の素材は返してもらおうか」

「どうするの?」

「こうするのさ!」

 

 紙月の指が翻る。

 

「《水球(アクア・ドロップ)》!」

 

 空想のキーボードが叩かれ、空中にいくつもの水滴が浮かぶ。それらは《遅延術式(ディレイ・マジック)》によって空中にとどめられ、その間に次々と水球が生み出されては空中に浮かべられていく。

 

「そんで、解除!」

 

 それらが一斉に解き放たれるや、結界内の大嘴鶏食い(ココマンジャント)たちを雨のような勢いで水球が襲い掛かっていく。中には運悪く頭に直撃を受け、窒息の憂き目にあうものもいたが、多くは殴られたような衝撃を受けるばかりで、びしょぬれになりながらも意気軒昂である。

 むしろ水を浴びせられたことで、かえって怒り出している。

 

「あんまり効いてないみたいだけど、どうするの」

「仕上げに入る」

「仕上げ?」

 

 空想のショートカットキー、次のリストは氷冷属性である。水属性から派生するこの属性は、静かだが、苛烈だ。

 

「《冷気(クール・エア)》……水を凍らせるのが精々ってフレーバーテキストだったが、それで十分だ」

 

 どこからともなく押し寄せてくる冷気は、紙月が指を走らせるごとにその強さを増していく。そして未来の閉ざす風の結界に巻き込まれ、その内側を猛烈に冷やしていく。急激に冷やされた空気に、まず反応するのは水だ。

 巻き散らかされた水が、次第にぱきぱきと音を立てて凍っていく。それは地面にぶちまけられた水だけではない。大嘴鶏食い(ココマンジャント)たちの体を濡らしに濡らした水全てが急速に凍っていく。

 

「そおら……凍りつけ! 《冷気(クール・エア)》!」

 

 異界からの冷気がすべてを凍り付かせるまでに、物の数分もかからなかった。

 

「ま、これで……しばらくの食糧にはなるだろ」

「食べ切れなさそうだなあ」

「そんときゃ売ってもらうさ……っぷし」

「かわいいくしゃみ」

「うるせ」

 

 そして余りの光景にスピザエトをも凍り付かせ、いままで大変失礼いたしましたと頭を下げさせるに至ったのだった。




用語解説

・《タワーシールド・オブ・シルフ》
 《楯騎士(シールダー)》の覚える風属性防御《技能(スキル)》の中で最上位に当たる《技能(スキル)》。
 範囲内の味方全体に効果は及ぶが、使用中は身動きが取れず、また常に《SP(スキルポイント)》を消費する。
『シルフは気まぐれだ。約束という言葉をまるで知らない。だがもしもそのシルフを縛り付ける言葉があるのならば、それは絶大な効果を及ぼすだろう』

・《ラウンドシールド・オブ・シルフ》
楯騎士(シールダー)》の覚える風属性防御《技能(スキル)》の中で上位に当たる《技能(スキル)》。
 自身を中心に円状の範囲内の味方全体に効果は及ぶが、使用中は身動きが取れず、また常に《SP(スキルポイント)》を消費する。
『風の扱い方を覚えるんだ。風は気まぐれだが、理屈を知らない訳じゃない。理屈が嫌いなのは確かだが』

・《冷気(クール・エア)
 《魔術師(キャスター)》やその系列の《職業(ジョブ)》が序盤で踏み台程度に覚える魔法。氷冷系魔法の入り口。冷たい空気で攻撃し、確率で氷結などの状態異常を起こす。
『水を凍らす程度の冷気じゃが、わしらはこの冷気がどこから来るのか、そのことさえもいまだわかっとらん。異界から、というのはちと、ぞっとせん話じゃな』



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最終話 ゲット・ワイルド・アンド・ゲット・タフ

前回のあらすじ
一網打尽に大嘴鶏食い(ココマンジャント)を片付けた二人だったが。


 大嘴鶏食い(ココマンジャント)の巣を殲滅し終えたことを意気揚々と報告したところ、叱られた。

 三人そろって、叱られた。

 

 まず依頼主のチャスィスト家のマルユヌロ老に、独断専行が過ぎると叱られた。天狗(ウルカ)の言うことを信じて、大事になったらどうするつもりだったのかと大いに叱られた。これについて反論しようとしたところ、マルユヌロは渋い顔をして、付け加えた。君も、賢い子供ならば大人の暴走は止めなさいと。

 スピザエトはしばらく自分が言われたのだということを咀嚼できないでいたが、そうとわかると何度も頷いて、叱られてしまったと笑うのだった。

 

 次に冒険屋たちのリーダー格である古参の冒険屋に叱られた。お前たちは子供に説教しておいて、やることはその子供と一緒じゃないか。次は自分達も呼ぶようにと大いに叱られた。それから少し迷って、頼るときはこんな胡散臭いのじゃなくて、もっとしっかりした大人を頼れと胸を叩いた。

 じゃあ助けてくれるのかとスピザエトが恐る恐る問うと、お代によると大真面目に言われて、これにもまた笑った。冒険屋も、やはり生業なのだ。

 

 最後に、スピザエトのおつきの者たちが探しにやってきて、何を馬鹿な冒険ごっこなどしているのかと散々に叱られた。この方をどなたと心得るのかとか、子供を連れて害獣退治など言語道断だとか、大いに叱られた。

 それからスピザエトが素直に謝罪すると、こっそりと、どうやって躾けたのか教えてくれと頼まれた。それはあんたらの仕事だと返せば、人族に言い負かされるのは癪だとため息を吐かれた。

 

 こうして三人は三様に叱られたのだが、スピザエトはこの小さな冒険でいろいろと得るものがあったようだ。そればかりは、紙月も未来も手放しで喜べるところだった。

 

「シヅキ、ミライ、冒険屋には報酬がいるんじゃろ?」

「子供料金でサービスしとくよ」

「そうはいかん。おぬしらはわしを立派な一人として見てくれた。わしもおぬしらを立派な冒険屋として扱う」

「その気持ちだけでうれしいんだけどな」

「いいじゃない紙月。受け取っておこうよ」

「うむ。と言っても手持ちがないからの。ちょっとした装飾品じゃが、受け取ってくれ」

 

 そう言って、スピザエトは両手を飾っていた腕輪を外し、二人に一つずつ寄越して与えた。

 

「いいのか、高そうだけど」

「高いわい! 高いから報酬なんじゃろ!」

「それもそうだ」

「ありがたくうけとるよ」

 

 二人はこれを大事にインベントリにしまった。腕に付けていると、何しろ冒険屋なんて稼業だから、なくしたり壊したりしそうだし、売り払うという気にもならなかったので、記念品として取っておくことにしたのだ。

 依頼主からもきちんと革袋に詰められた報酬が渡され、これにてこの地の依頼は済んだ。

 

「おうちょっと待て」

「え」

大嘴鶏食い(ココマンジャント)どもを片付けたんだろ」

「素材がもったいねえ。巣まで案内しな」

「うげ、そうだった」

「二人で突っ走った分、まだまだ働いてもらうぞ!」

「ぐへえ」

 

 こうして二人は凍り付いた巣の前で説明に励み、凍り付いた巣の解体に励み、凍り付いた素材の解体に励み、なんで凍ってんだよと三回ほど自分に切れ、それでもなんとか素材を解体し、街におろすのだった。

 

 

 

 

 

 騒がしい平原の民の集落を離れて、連れの者たちの操る風精に乗って空を飛びながら、スピザエトは思った。これは紙月たちの言う通り小さな冒険にすぎず、従者たちの言う通り冒険ごっこにすぎず、これがために何か変わるようなことも、何かが起こるようなこともないのだろう。

 

 これから。

 すべてはこれからなのだ。

 

 かつて父や祖父にも、何かしらのきっかけがあっただろう。

 それが自分にも訪れただけのことなのだ。

 それをどう生かすも、どう殺すも、すべてはこれからなのだ。

 

 いつもそうだった。

 

 スピザエトは風を頬に受けながらそう思った。

 

 いつもそうだったのだ、本当は。

 いつだって人生というものは、呪いに縛られている。

 でもその呪いを生み出しているのは、本当のところ自分自身なのだ。

 

 自分の人生は呪いのようなものなのだと、自分の好きなようにはできないのだと、その思い自体が呪いなのだった。呪いが呪いを生み続けてきたのだった。

 

 けれど本当はいつだって、どこだって、きっかけと呼べるものはあったはずなのだった。

 

 例えば父が声をかけてくれたあの月のない夜。

 父の語らない言葉の向こうにある本心に触れたあの夜。

 

 あの時だって、スピザエトは違うといえたはずなのだ。

 父のためでもなく、祖父のためでもなく、連綿と続く呪いのような血筋のためでもなく、ただ自分が父を尊敬するから父のようになりたいのだと、そう言えたはずなのだった。

 

 そうだ。

 いつもそうだった。

 これから。

 すべてはこれからなのだ。

 

「おや、腕輪はどうなさいました?」

「うむ。冒険屋に報酬としてやった」

「おやまあ、御駄賃にしてはちょっと高かったですよ、あれ」

「わしにしてみれば妥当な報酬だったのじゃ」

「ではその分、お勉強して返していただきますよ、殿下」

「ぐへえ」




用語解説

・殿下
 帝国内に、現状で王または王子を僭称するような輩はいない。
 もしも正当に王または王子を名乗るようなものがいるとすればそれは帝国外の勢力となる。


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第四章 ホット・リミット
第一話 暑く、そして退屈


前回のあらすじ
天狗(ウルカ)の少年とともに大嘴鶏食い(ココマンジャント)を殲滅した二人。
そしてそろって叱られるのであった。


 子供をいじめたものがいるとして、森の魔女が怒り狂って平原を永久凍土に閉ざしたらしい。そんないい加減な噂はいつも通りに聞き流すとして、それでも地竜殺しや山殺しに続いて、凍土の魔女とかいう二つ名までいただいてしまって、いやまったく、本人たちのあずかり知らぬところで西部には化物が生まれようとしているようである。

 

 さて、そんな噂などどこ吹く風のスプロの町。

 

 からりと涼しい風の吹く西部の町にも、そのときが来ようとしていた。

 

「暑い、な」

「暑い、ね」

 

 つまり、夏である。

 異世界であるところのこの帝国にも、地域によって大きく差はあるものの、四季のようなものが巡るらしかった。

 

 西部での夏というのはこういうものである。

 からりとよく乾燥し、空気には湿り気が少なく、いわゆるじめじめとした暑さはない。むしろ風が吹く間などは涼しいくらいだといっても良い。

 ただし、遮るもののない平野は、日光を常に浴び続けているせいで、決して冷めているわけではない。

 時折嫌に気温が高くなる時など、石畳で卵が焼けるそうである。

 

 やったのかと聞けば、パン種はさすがに無理だったというので、冒険屋というものは大概阿呆なのか、それとも夏の暑さが人を阿呆にするのか。

 

 ともあれ、異世界でも夏は暑かった。窓や戸を開け放してごろりと横になればまだましなのだが、それでもどこか遠くでじりじりと石畳の焼ける音が聞こえるような、そんなどこか落ち着かない夏である。

 

 未来はきっとその方が涼しいであろうに、《白亜の雪鎧》を断固として着ようとしなかった。涼しいは涼しいのだが、クーラーのような妙な涼しさだし、だいいち、暑くはなくとも暑苦しいらしい。

 紙月の方はもともと涼しげな格好ではあったが、しかし何しろ黒尽くめである。とんがり帽子の広いつばで日光を遮ったにしろ、結局黒は熱を帯びるので死にそうになる。

 

「氷菓でも食いに行きやせんか」

「なに、氷菓」

「ひょーか?」

「アイスだ」

「行く」

 

 筋肉の分暑苦しくて仕方がないのか、大いに汗をかきながら手ぬぐいを濡らす冒険屋ムスコロが、この時期は氷菓の店が出るというので、三人は連れ立って出かけることにした。

 うんざりするほどの日光が眩しくて、紙月は日傘を取り出して差すことにした。これは《吸血鬼の逃げ場》という名の装備品で、黒いレースの日傘の形をしたアイテムなのだが、装備している間、光系の属性攻撃に対して高い耐性を付与する。

 

「姐さんはなんだか、涼しそうでやすなあ」

「これでも暑いんだよ」

「俺もこの時期は、筋肉が脱げたらなと思いやす」

「ある種哀れだな……ほれ、《浄化(ピュリファイ)》」

「おお、汗も退いて、こりゃすっきりしていいですなあ」

 

 何となく鬱陶しいのでかけてみただけなのだが、意外に評価が良い。自分達にもかけてみたが、なるほど、汗のべたつく感覚がなくなるだけでも、大分、良い。

 同じように最初から魔法で外気を冷やせないのかとムスコロが期待した顔で言うので、できるはできると答えた。しかしやりたくはない。どんなに小さな魔力であれ、使えば失われるのである。すぐに回復するとはいえ、疲れる。長時間それを続けるのはなかなかしんどいのである。

 

「未来、お前は小さいから特に気をつけろよ」

「子供扱いしないでよ」

「そういうことじゃなくて、熱い路面に近いし、水分の保有量も少ないんだよ」

「あ、なるほど」

 

 熱射病、日射病という概念はこの世界にもあるようなのだが、異世界だからと言って画期的な治療法があるわけでもないようで、やはり水分と塩分を取って、体を冷やして、とそのような手段に頼らざるを得ないようである。

 すこしでもと思って日傘の陰に入れてやるが、まるでおや子である。

 

 氷菓屋と言うのは表通りに店を出していて、店先にパラソルを据え付けたテーブルを並べて、その日陰で氷菓を食わせるものらしかった。

 なんにするかと聞かれて任せると答えてテーブルにぐったりと座り込むと、しばらくしてムスコロは三つの木皿を器用に運んできた。

 

削氷(ソメログラシオ)にしやした。蜜は三種頼んだんで、お好きなのを」

 

 削氷(ソメログラシオ)というのは、つまりかき氷だった。蜂蜜をかけたもの、甘酸っぱい柑橘の蜜をかけたもの、煮豆をかけたものがあったので、紙月は煮豆を、未来は少し迷って柑橘を選んだ。ムスコロは顔に似合わず甘いものが好きなようで、蜂蜜をたっぷりとかけた氷を喜んでしゃくしゃくととやった。

 

「おお、うまい。生き返る」

「紙月、一口頂戴」

「ほらよ」

「んむ。じゃあお返しに」

「んむ」

 

 三人三様にアイスクリーム頭痛で悶えたりしながら削氷(ソメログラシオ)を楽しみ、一息ついた。

 

「それにしてもこの暑い時期に、どうやって作ってるんだろうな」

「店にゃあ大概、大きめの氷室がありやすからな」

「なるほど」

 

 北部や辺境の雪山から取れる氷精晶(グラシクリスタロ)を使った氷室は、小さいものであれば事務所にもある。仕組みが違うだけで、冷蔵庫や冷凍庫のようなものが存在するのであれば、氷菓の類を作ることもできるだろう。

 少し落ち着いて、あたりを見てみれば、それこそアイスクリームや、シャーベットのようなものも見える。

 

「もう少し、食っていきやすかい?」

「いや、俺はもういらん」

「ぼくもうちょっと欲しいかも」

「あんまり腹ぁ冷やすなよ」

「大丈夫だよ」

 

 少し食べればそれで満たされるハイエルフの紙月に煮豆は少し重かったが、身体が小さく熱をため込みやすい未来はもう少し体を冷やしていきたいようだった。

 じゃあとムスコロは一皿の雪糕(グラシアージョ)なる氷菓を買ってきて、未来と分けて食べた。これはアイスクリームのようなもので、西部では大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の乳を使うのが一般的らしい。

 

「一口」

「あい」

「んむ」

 

 乳とわずかな砂糖だけで味がつけられているようだったが、大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の乳はコクがあり、僅かなナッツのような香りが面白い。

 

「こうも暑いと、仕事する気も起きやせんな」

「全くだ」

「雪山に行く仕事とかないかなあ」

 

 ムスコロはともかく、紙月と未来は相変わらず、やんちゃが過ぎるとして仕事をほとんど干されたままなのである。貯えはあるし、最近は紙月もそこまで不安を覚えなくはなってきていたが、良くはないと思っている。

 しかし仕事がなければどうしようもない。

 またうだるような暑さの中を事務所へと向かいながら、紙月はため息を吐いた。

 

 そんな三人を、正確には紙月と未来の二人を待ち構えていたのがおかみのアドゾだった。




用語解説

・《吸血鬼の逃げ場》
 ゲーム内アイテム。光属性の攻撃に高い耐性を与える装備。
 また、見た目にもかわいらしいのでヴィジュアル重視のプレイヤーにもよく使用されていた。
 誤解されがちだが、分類としては「武器:剣」である。
『真夜中に人目を忍ぶなんて、いつの時代の話かしら。日焼け止めに日傘に、何なら地下街。吸血鬼が昼歩いたっていいじゃない』

・氷菓
 氷精晶(グラシクリステロ)や氷室を活用して作った冷たいお菓子の総称で、夏場は特に好んで食べられる。

削氷(ソメログラシオ)(Somero gracio)夏氷と言ったところか。
 氷の塊を細かく削って盛り付け、シロップなどをかけて食べる氷菓。かき氷。夏の定番。

雪糕(グラシアージョ)(glaciaĵo)
 乳、糖、香料などを混ぜ合わせ、空気を入れながら攪拌してクリーム状にして凍らせた氷菓。アイスクリーム。


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第二話 南部からの依頼

前回のあらすじ
暑さのあまり氷菓に救いを求める三人だった。


 事務所に帰りつくと、出てきた時とは違って、なんだか人気が少ない。

 筋肉ダルマたちが熱い熱いとうなだれていた空気がわずかに残っているが、それも開け放した窓や戸からの風で流されてしまう程度のものだった。

 

「なんだあ?」

「阿呆どもがね」

 

 よく風の通る居間で書類をめくっていたおかみのアドゾが呆れたように言った。

 

「暑いからって食料品をしまってる氷室に頭突っ込んで占領するもんだから、頭冷して来いってみんな仕事押し付けて追い払ってやったのさ」

「なるほど」

 

 この暑い中ご苦労な事だが、そんな子供じみたことをしているくらいならば、まだそうして外に出て体を動かした方が頭も回り始めるだろう。

 

「ちょうどよかった。あんたたちにも仕事があるんだよ」

「ええ、俺達いい子にしてたぜ?」

「だよねえ」

「だからだよ。ムスコロ、ハキロと一緒に、こいつら連れて南部までお行き」

「南部でやすかい」

「仕事は仕事だけど、もう海開きしてる。まじめに働いてるあんたらには賞与変わりだ」

 

 海!

 この響きに紙月も未来ももろ手を上げて喜んだ。

 騒ぎになんだなんだと顔を出したハキロも、暑さには参っていたようで、この話を聞いて大いに歓声を上げた。

 一人冷静なのはムスコロで、つまり金で払うという話だった賞与の件は、この現物支給でぱあになるのだな、と納得顔である。この男、見た目こそ筋肉ダルマだが、頭の回転は速い方なのである。

 

 目的地である南部の港町までは、馬車で十日はかかる。紙月が《回復(ヒール)》で癒しながら進んでも、まあ八日はかかることだろう。これは障害がなく、それなりに急いだ話であって、実際はやはり《回復(ヒール)》込みでも十日やそこらはかかるだろう計算である。

 

 早めにつけばその分の時間は自由に使っていいとのことだったし、帰りも仕事が早く終わればゆっくり過ごしていいとのお墨付きは受けている、つまり行きと帰り、仕事も考えれば、たっぷり一月かかる仕事である。

 

 ハキロとムスコロは慣れた様子で準備を始めたが、これで困ったのは紙月と未来である。なにしろいままではゲーム内アイテムでずいぶん楽をしてきたのである、普通の旅支度など、知ったものではない。同行人がいると、合わせなくてはならないので、面倒なものである。

 

「なあ、ムスコロ。旅にはどんなものが必要なんだ」

「ええ? 姐さん今までにも何度か遠出はしたでやしょう?」

「魔女には魔女の流儀があって、俺達は冒険屋のやり方は知らないんだ。教えてくれ」

「はあ、まあ、そういうことなら」

 

 紙月が開き直って堂々とそのように言い張ると、ハキロは何を言っているんだという顔をしたが、ムスコロは特に何を言うでもなく、携帯食料はこのような物がある、これはこのように食う、火種はこれ、水精晶(アクヴォクリスタロ)の水筒は必須、現地で手に入りそうなものも少しはもっておく、などと事細かに説明してくれたが、これはなにもムスコロが魔女の流儀云々を馬鹿正直に信じたわけではない。ただ、馬鹿の相手を正直にすると面倒だということを経験から学んでいるので、それならいっそ気にしない方がいいというわけである。

 

 ムスコロは紙月と未来をまったくの素人として扱い、自分の持っている荷物をずらりと広げて教えてくれた。それも、誰でも知っているだろうと思われるものでも除外したりせず、馬鹿にしているのかというくらい丁寧に説明した。これが二人にはありがたかった。何しろ二人にはこの世界では何が当たり前で何がそうでないのか、全く分からないままだったのである。

 

「お前たち、本当にもの知らずだったんだな」

「ハキロ、お前さんまだわかっちゃいねえんだな」

「何がです」

「こういう生き物なんだよ」

「アッハイ」

 

 何やら妙な納得をされてしまったが、二人は興味津々で道具の類の説明をきっちり聞き終え、そして持っていないものは新しく購入することにした。また似たようなものを持っていても、例えば火種に関しては、以前の鉱山での依頼で冒険屋ピオーチョに便利な小型コンロを作ってもらったのだが、あれは薬缶一つかけるにはちょうどいいが、鍋をかけるには心もとないなどの不備があるので、やはりムスコロの勧めに従って新しく着火具を買った。

 

 性能で言えば余程便利な道具をいくつも持っている二人ではあったが、それとは別に、全くファンタジーの世界で、ファンタジーの道理によって洗練されて作り上げられたファンタジーの道具というものは、興味深い代物だった。

 フレーバーテキストを集めるのが好きだったというゲーム仲間の言葉を思い出すほどである。

 

「《自在蔵(ポスタープロ)》は持っていやすか? あれのあるなしで旅の難度は大いに変わりやす」

「一応持ってる」

「そういや、何かと大容量にいろいろ突っ込んでいやしたね。じゃあ、それとは別に鞄買いやしょう」

「え、《自在蔵(ポスタープロ)》あるのに要るのか?」

「要りやす」

 

 ムスコロもハキロも早いうちに大枚をはたいて《自在蔵(ポスタープロ)》を買ったそうであるが、それでも中身の詰まった鞄を背負っている。

 

 というのも、まず便利な道具というものは、なくなった時にすぐに代用できなければならない。《自在蔵(ポスタープロ)》が壊れてしまった時、荷物の持ち運びができないでは困る。これはすべての道具について言えることで、火種がないから火がつけられないなどと言っていては野営などできないのである。

 またひとつは、《自在蔵(ポスタープロ)》に入れておくものと、そうでないものというものがあるのだそうだ。

 

「《自在蔵(ポスタープロ)》は容量に限りがありやすし、どうしても手放したくないもの、手放せないものを入れやす。一方で鞄には、何しろ不意の戦闘の時に放り捨てることも多いから、壊れてもいいもの、なくしてもいいものを詰めやす」

 

 成程。容量に制限のない二人のインベントリには関係のない話だが、普通の《自在蔵(ポスタープロ)》というものは無限にものが入るわけではないし、入れれば入れるだけ重くなるものなのだ。

 

 そしてまた一つは、《自在蔵(ポスタープロ)》を持っているというのは大っぴらにすることではないからだそうである。

 

「高価なものでありやすし、高価なものを入れやすい、その割に小さいから、盗りやすい。だからどれかわからないように同じような物入れを増やしたり、懐にしまい込んだり、そして分かりやすい荷物である鞄を背負ったりするんでさ」

 

 成程、道理であった。わざわざスリのいそうな地域で派手な財布をちらつかせているようなものなのだろう。インベントリは盗めるようなものではないが、怪しまれないためにもそのようにしたほうがよさそうである。

 

 一行は早速二人に新しい冒険屋道具をそろえるため、新品の品を求めず、かえって古道具屋に向かった。

 

「新しいものを身につけていれば見た通り駆け出しで、それも金持ちと思われることがありやす。それに革物はある程度古した方が使いやすいですし、道具の類もそう言うところがありやすな」

「俺も装備はすべて古具屋でそろえた。冒険屋事務所のある町には冒険屋のおさがりも多いから、まず困らない」

 

 二人はムスコロとハキロの助言を受けながら道具を揃え、最終的に紙月は容量の少なめの肩掛け鞄を、未来は、鎧を着ても着ていなくても調整の利く、肩掛け紐の長い背負い鞄を選んだ。

 

「俺の方が容量多いやつにした方がいいんじゃないか?」

「姐さんは見かけより体力ありやすけど、華奢ですからふらつくかもしれやせん。足元も不安定だ」

 

 もっともである。

 

「それにほら、兄さんもやる気のようだ」

「ぼくが紙月の分まで持ったげるからね!」

 

 仕事を任されるというのは、子供の未来にとってこれ以上なく喜ばしいことなのである。

 

 二人の仕入れた鞄には、冒険屋のたしなみということで変わった造りがあって、それは肩掛け紐の一部が飾り紐のように結ばれていて、これはある角度で引っ張ると簡単に解けてしまって、急な時でもすぐに鞄を放り出せるようになっているのだそうだ。また結び方も、覚えればすぐだった。冒険屋は船乗りのように、このような結び方の一つや二つは覚えているのだそうだ。

 

 一通り道具がそろって、さて馬車の支度をと事務所に向かいかけたムスコロとハキロを紙月が止めた。

 

「なあ、別に馬車じゃなくてもいいんだろう?」

「ええ? そりゃあいいでしょうけど、歩きじゃとても間に合いやせんぜ」

「別に歩こうなんて言ってない」

 

 紙月はインベントリをあさって、それを取り出した。色々揃えるのは楽しかったが、それと同時になんだか面倒臭くなって来たので、この際魔女の流儀もお見せすることにしたのでおる。

 

「諸君、高い所は得意かね?」




用語解説

・解説がない回は平和な回


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第三話 夏が俺たちを呼んでいる

前回のあらすじ
ムスコロたちの指南で旅支度を整えた二人。
しかし結局面倒くさくなるのであった。


「ばっかじゃねえの!? ばっかじゃねえの!?」

 

 青ざめた顔で大いに叫びまくるのがハキロならば、

 

「……………………」

 

 悟りを開いた僧のような顔でひたすらに家族の名を唱えるのがムスコロであり、

 

「おおー! すごい! 乗ってみたかったんだ、ぼく!」

 

 大喜びではしゃぎまわるのが未来で、

 

「これどういう理屈で飛んでるんだろうな」

 

 同乗者の心臓に悪いことを呟くのが紙月だった。

 

 何の話かと言えば、現在冒険屋一行四人を運ぶ、空の乗り物であった。

 

 その名も高き《魔法の絨毯》。ゲーム内アイテムであり、一度に一パーティだけであるが、以前行った町や村に飛ぶことができる優れモノだ。ただし知性があるらしく、ダンジョンなどの危険な場所には飛んでくれない。

 一行は今、その絨毯に乗って空を飛んでいるのだった。

 

「馬鹿じゃねえの!?」

「えー、でも早くつけばいっぱい遊べるってハキロさんも言ったじゃないですか」

「まさかこんな手段だとは思わねえだろ!」

 

 早くつけばその分遊べるとして紙月が用意したのがこの《魔法の絨毯》だったが、やはり人族というものは空を飛ぶことに慣れていないらしく、大いに恐れられているのである。

 

 紙月は何度か飛行機に乗ったことがあるし、なんならスカイダイビングの経験もあるので落ち着いたものだし、未来は飛行機には乗ったことがないようだったが空を飛ぶという乗り物の存在にはなじみがあるし、なにより子供らしい冒険心が刺激されて大いに楽しんでいた。

 

 そもそも空を飛ぶという概念と親しくないらしいおっさん二人は皆で寝転んでもまだ余裕のある絨毯の真ん中にへばりつくようにしており、ふわふわとやや頼りない足元の感覚に恐れおののいているようだった。

 

 何しろ地面や床に敷いているわけではないのでその足元はしっかりとしたものではなく、例えるならば敷き詰めた風船の上を歩くような感じなのだが、それが未来には面白く、それがおっさんどもには恐ろしいのである。

 

「ムスコロ、港町の、なんだっけ」

「ハヴェノでやす」

「そうそれ、行ったことあるんだろ」

「ありやす」

「じゃあちゃんとつくから安心しろ」

「へい」

 

 ムスコロの記憶を頼りにこの絨毯は現在空を飛んでいるのだが、本当に大丈夫なのかというくらい当人は真っ青である。ハキロなどはもう叫ぶ気力もないようで、ガタガタと震えている。

 

「二人ともこわがりだよね」

「なー」

「お前らがおかしいんだよ!」

 

 と、最初のうちはそのように青ざめるばかりだったのだが、一飛びとはいえ何しろ距離があるから、ずっと緊張し続けるのも疲れるようで、だんだんと平常心を取り戻してきた。

 特に、端の方に行くと落下防止なのか絨毯が自動で押し返してくれることが判明してからは、ふたりも幾分気が楽になったようである。

 

「そういやあ、すごい勢いで飛んでる割には、風を感じないな」

「ああ、風精を調整しているんだろうな」

 

 ハキロが恐る恐る下を覗き込んでは首を引っ込めということを、度胸試しのように繰り返しながら言ったが、確かに、勢いの割に風を感じない。むき出しであるのだからもっと空気抵抗を受けてもよさそうなものであるが、そのあたりは絨毯の魔力が、風精を避けてくれているらしい。

 

 ハイエルフの紙月の目には、鳥のような姿をした風精たちが絨毯をさけるようにして飛んでいくのが、そしてまた時折戯れるように絡みついていくのがよく見えた。

 未来にはよく見えないようだったが、それでも何かしらの魔力は、その鋭い感性が感じ取っているようだった。

 

 ムスコロも随分時間はかかったようだが、何とか気を取り直したようで、恐る恐る景色を見下ろしながら、あれは恐らく街道のどのあたりだ、あれは何という宿場町だと案内ができるようになってきていた。

 

「ムスコロ、この調子だったらいつごろ辿り着きそうだ」

「そうですなあ、昼出て、もうこのあたりですから、街門が閉まる前には辿り着けると思いやす」

「そりゃ重畳……と、そう言えば氷菓は食ったけど昼飯まだだったな」

「とはいえ、絨毯の上で火を起こすわけにもいきませんしな」

 

 勿論、それでも困らないのが紙月と未来である。

 

「ちょっと端によけて」

「お、おう、こうか?」

「そうそう、ムスコロはちょっとそっち」

「へい」

 

 絨毯の真ん中を開けて、紙月が広げたのは《食神のテーブルクロス》である。

 腹を満たすのに必要なだけの食事を出してくれるというゲーム内アイテムで、食い盛りの未来に、大食いの冒険屋二人もいるとあって、かなりのご馳走である。

 とはいえ、使用者である紙月と未来の記憶をもとに再現しているらしく、全く新しい料理や、食べたことのない知らない料理を出すことはできないので、ご馳走と言っても限度はあるのだが。

 

「おお、なんじゃこりゃあ、こりゃ美味い!」

「魔女の飯ってのはこんなにうまいのか!」

 

 それでも、初めて食べる二人にとっては大いに新鮮であるらしく、皿までなめるような調子で平らげてくれるのだった。

 食べ終える頃にはムスコロもハキロも、自分達が空の上にいることなどもうすっかり恐れなくなって、柔らかな絨毯の上に寝そべって平気で寝返りを打てるようになっていた。

 

「うう、いかん。いかんぞこの柔らかさは……」

「眠くなるよねえ……」

「寝ててもいいぞ。ついたら起こすから」

 

 あまり睡眠の必要ないハイエルフの体は便利である。三人が子供のように寝入るのを見届けて、紙月は行く先を見据えた。

 心なし、潮の匂いも、してきたような気さえする。

 

 夏が、呼んでいた。




用語解説

・《魔法の絨毯》
 ゲーム内アイテム。使用することで最大一パーティまで、いままで行ったことのある町などの入り口まで一瞬で移動できる。ただし、ダンジョンなどの近くには飛んでくれない。
『これは何故飛ぶのだ? 何故絨毯なのだ? もっとこう、安全なものはなかったのか?』

・ハヴェノ(La Haveno)
 南部一の港町。西大陸の大国家ファシャとも交易があり、帝国の玄関口ともいえる。
 種族、民族、国籍など、最も多彩な街の一つと言えるだろう。



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第四話 港町

前回のあらすじ
快適な空の旅をどうぞ。


 ハヴェノというのは内湾をを囲むようにしてできた三日月状の町で、常に多くの船が出入りし、それによって運ばれる品々を運ぶために太い街道で方々と結ばれている、大きな通商都市であった。

 念のために直接乗り付けるのではなく、近くで《絨毯》を降りて歩いて向かったのだが、門や、街を囲む外壁の立派さだけでも、スプロなどとは比べ物にならない都会であることが伺えた。

 

 ハヴェノに向かう人も、ハヴェノから旅立つ人も、みな大なり小なりの馬車に乗っているものが多く、商人ではない旅人も、乗合馬車などに乗っていることが多かった。

 

「あんたら歩きできたのかね」

「途中までは馬車だったんだが、ちょっと面倒があってね」

「そうかい。まあお疲れさん」

 

 門でもそのことを不思議がられたが、首に下げた冒険屋事務所の証を見せ、いくらかの通行税を支払って、一行は無事町に入ることができた。

 

「こういうしっかりした街に入るのは初めてだけど、意外と簡単にはいれるもんなんだな」

「冒険屋事務所は、冒険屋組合の許可を取って商売してやすからね。下手な商人より、信用があるんですよ」

 

 成程、バックの大きさが違うということだ。

 

 依頼人から指定された期日まではまだ随分間があって、一行はとりあえず、紙月と未来の満足できる、つまりほどほどのクラスの宿を取り、宿代は紙月が支払った。貯蓄がどうのと普段は言っているが、何しろ早々使い切れない貯蓄がすでにあるのだ。たまのバカンスに使わないでは意味がないというのが紙月の持論だった。

 

「さて、俺達は早速観光に行こうと思うが、どうする」

「俺は一応冒険屋組合の支部に顔を出してこようと思う。挨拶はいるだろうからな」

「じゃあ俺も付き添おう。そのままついでに依頼元にも挨拶だけして来ようぜ」

「そうしましょうか」

 

 宿で話し合い、紙月と未来は観光に、ハキロとムスコロが挨拶回りへと赴くことになった。一応挨拶も仕事であるし、二人もついていこうかと思ったのだが、止められた。

 せっかく観光を楽しみにしていたのだしというのが前面に出された理由だが、紙月は何となくその視線から理由を察して、素直に辞退した。

 つまり、紙月の見た目から舐められるかもしれないということを懸念したのだろう。

 

 紙月は改めて日傘をさして街へ出て、未来がそれに続いた。楽にすればいいとは言ったのだが、初めての町だし、視界が高くないと人込みで何も見えないというので、《白亜の雪鎧》姿で供をしてくれた。

 

 初めての南部、はじめての港町は、潮風が湿気をはらむのか、西部よりいくかじめりとした空気ではあったし、暑さ自体もぐんと上がったように思えたが、何しろよく風が吹き抜けるので、そこまで極端な暑さは感じなかった。

 坂が多く、高低差が多いこともまた、風のよく吹く要因とみられた。

 

 宿は門を入ってすぐ入り口辺りにあった。

 これはどの町も似たような造りで、要するに旅人や商人が出入りする出入口付近に、宿や、旅の必需品を売る雑貨店が並ぶのである。

 そしてそれを抜けると市があり、様々な品が売っている。ハヴェノの町は港町ということでこの市も盛況なもので、町の半分が市なのではないかと思わせるほどに賑やかだった。

 

 それをまっすぐに突き抜けると港に出るのだが、この港こそ町の正味半分に当たる部分だった。三日月のその内側がすべて港なのである。常に船が出入りし、荷が出し入れされ、一部は市へと運ばれ、一部はお定まりの店へと運ばれ、一部は馬車に詰め込まれて町を出ていくのである。

 

 また荷物と同じように、たくさんの人も出入りした。人々はどこか遠方から乗り付けるのか、顔立ちには西部の人とも南部の人とも違う顔立ちが見受けられ、また見知らぬ種族も多く見受けられた。

 なかにはどこか懐かしいアジア人のような顔立ちの人々も見受けられてもしやと思ったが、あれは大叢海をはさんで向こう側の、西方諸国の人々であるという。服装もどこか和装に似ていたり、あるいは中華風であったりする。

 

「……紙月、まだ気になる?」

「え? ああ、いや、うん、気になってるは気になってるが」

 

 何のことかと言えば、元の世界に帰る術ではあるのだが、この時はちょっと違った。

 

「醤油とか持ってねえかな……」

「あー」

「あと中華街とかねえかな……」

「わかる」

 

 実際、あった。

 港付近の一角に、えらく派手な装飾の町並みが広がっていると思えば、それは西方のファシァ国からの移住者や居留者などが住まう街並みであるとされ、通貨や文化などが大いに入り混じって混沌としているという。

 店先では栗のようなものを焼いていたり、蒸籠のようなものでまんじゅうを蒸していたり、漂ってくる香りというのもまた砂糖や酢のものであり、これは中華街と言ってよいに違いなかった。

 

 晩飯はこのあたりで食おうかなどと考えながら見て回ったが、すぐにやめた。というのも道があんまり複雑すぎるので、表通りから外れるとすぐに何もかもわからなくなってしまうのである。

 せめてガイドが何かいれば助かると思ったのだが、さすがに商売上手な連中で、中華街の入り口辺りにそのような連中がいた。いたが、やはり、高い。観光客からぼったくるのも目的であろうし、妙な輩が中華街で暴れないようにという自衛の目的もあるのだろう、強面の半分用心棒のようなのが金をせびってくるのだから、これは怖い。

 

「しかし、まあ」

 

 それとは別に、紙月が困惑したことがあった。

 

「こんなにナンパされるとはな」

 

 軽く表通りを歩いただけだったのだが、その間に五度も声をかけられているのである。そのうち一度はうちの店で働かないかというどう考えても怪しいお誘いだったのだが、他のものに関しても、お茶でも、食事だけでもと似たようなものであり、一組などは男なのだと告げても諦めないつわものだった。

 

「紙月はもうちょっと今の自分の外見気にした方がいいと思うよ」

「いやだって、なあ」

 

 紙月としてはこの間まで普通の男子大学生を営んでいたのだ。それがいきなりナンパされるようになっても、対処のしようがわからない。いまのところ、その都度未来が半分実力行使で助け出しているのである。

 

「というかさ、隣に大鎧(ぼく)が立ってても釣れるくらいなんだから、いい加減自覚してよ」

「なんかすまん」

「もうさー……もう、さー!」

 

 紙月の鈍い反応に対して、しかし未来もどう怒ったものかわからない様子ではある。シチュエーションが特殊過ぎて、経験不足の未来にはどういったらいいものかわからないのだ。だからとにかく自分のそばを離れないようにと手を引くことしかできないのだった。

 

 そのようにして中華街を歩き、ぜひとも中華が食べたいという気分になってきたものの、安全な店がわからなないというジレンマにうろついていると、不意に紙月にぶつかるものがあった。

 

「ごめんなさい!」

「おう、いいよ」

 

 紙月の腰ほどの子供である。ぶつかった勢いそのままに、謝罪しながら走り抜けていくのを紙月は見送り、しかし未来が見逃さなかった。

 

「待ちなよ」

 

 大鎧で足が鈍いとはいえ、何しろ歩幅が違う。子供はすぐに首根っこをつかまれ、引っ立てられた。

 

「おいおい、どうしたんだよ」

「紙月こそ、ぼうっとしすぎだよ」

 

 未来が取り押さえた子供の手を見れば、先ほどまで未来の腰にあった物入があるではないか。スリである。とはいえ、見かけ上つけているだけで、中身はからなのだが。

 

 周りも良くあることなのか咎める声もないし、かといって助けるものもいない。スられたやつが間抜けで、見つかったやつが愚かなのだ。この調子では、衛兵に突き出してもあまり意味のあることではないだろう。それがわかっているから、未来も紙月に視線を向けた。

 

「どうしよっか」

「そうだなあ」

 

 実被害はないとはいえ、これで手打ちにして周囲から舐められるというのも、よろしくない。

 紙月はそれではと子供を引っ立てて、一度宿まで帰ることにしたのだった。




用語解説

・首に下げた冒険屋事務所の証
 ドックタグのような金属板。どこの組合に所属するどこの事務所かという板と、何というパーティのメンバーかという板の二枚一組である。
 紙月たちはまだパーティ用の板を作っておらず、平らな板で代用としている。

・ファシャ(華夏)
 大叢海をはさんだ向こう側、西大陸のほとんどを支配下に置く西野帝国ことファシャ国。
 ざっくりと言えば中国のような国家であるらしいが、帝国のように広範であるため、一概には言えない。
 現在は帝国との仲は極めて良好であり大叢海さえなければ気軽に握手したいと言わせるほど。



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第五話 ファシャ街

前回のあらすじ
スリの子供を捕まえた二人。
お持ち帰り事案である。


「……お持ち帰りですかい?」

「馬鹿言え。子供の教育に悪いことを言うな」

「へえ、すいやせん。しかしまたなんで、ファシャのガキなんて」

 

 宿で少し話をしているうちに、ハキロとムスコロが帰ってきた。挨拶は問題なく終わったようである。問題は紙月たちが連れ帰った子供、シァォチュンと名乗った少女だった。

 

「うん、スリにあってな」

「姐さんの懐狙おうなんざ」

「まあまあ」

「将来大物になりやすぜ」

「おい」

 

 スリはよくあることとしてしかしムスコロたちが首をかしげたのはその下手人をわざわざ宿に連れ込んだ理由である。何しろ下手人は幼いとはいえ少女であるから、始末として慰み者にしようというのは、あると言えばある。

 しかしこの少女を連れてきたのは紙月である。

 男であることはわかっているが、子連れであるせいかどうにもその方に今まで鈍かったし、第一人柄としても、子供に乱暴を働こうという人物ではない。そも子連れで子供に乱暴できる人間というものがムスコロたちには理解できない。そこまで落ちぶれていないのだ。

 

「いやなに、大した被害じゃなかったんだが、かといって何も罰がなしじゃいかんと思ってな」

「はあ」

「だから、晩飯ついでにファシャ街の案内をしてもらうことにした」

「はあ?」

 

 なぜファシャ街なのか、なぜそれが罰になるのか、様々な意図の含まれた「はあ?」であったが、勿論黙殺された。すっかり中華料理を楽しみにしているのであり、そのほかのことなどどうでもいいのである。

 

 シァォチュンを連れた一行は早速ファシャ街へと向かい、この小さな案内人に連れられて異国情緒あふれる町並みを楽しんだ。

 

 シァォチュンは最初こそどんな罰が与えられるのかとおびえていたが、この不思議な一行が本当に案内をさせては純粋に観光を楽しみ、時折店先で甘栗や饅頭を買っては案内役にさえ分けて見せる段になっては、すっかり気が楽になった。ましてや案内賃として少なからず帝国貨幣を渡されては、大いに案内業に励んだ。

 

 もとよりスリなどは金に困って魔が差しただけのことであり、シァォチュンもその家族も純朴な物売りに過ぎない。励んだ分だけ喜んでもらえるとなれば、これに勝ることはない。

 

 シァォチュンは実際、その励みに劣らず立派に案内人を果たした。この娘は人の機微を察することに長けており、子供に対して表情を大きく出して見せる紙月だけでなく、強面であるムスコロや、押しの弱いハキロ、そしてまた鎧で顔の見えないはずの未来の望むものまでをも見事に当てて見せ、一行を大いに楽しませた。最初乗り気でなかったムスコロ達さえも笑顔にさせるのだから、これは天稟、持って生まれた才能と言っていい。

 

 ついに夕食の場を選ぶ段になっても、シァォチュンの案内役ぶりは堂に入っていた。予算を聞き、どのようなものを望むのかを察し、ただ高価で見栄えの良い観光客向けの店ではなく、地元の人間が使う本当に味の良い店へと案内して見せたのである。

 

 店の主も珍しく羽振りのよさそうな客に喜び、特別に個室を用意してくれようとしたが、これは紙月が丁寧に辞した。せっかく良い案内役に恵まれての縁であるから、ここはひとつ今夜の客に一杯ずつ奢らせてほしいというのである。これはムスコロから耳打ちされたことであり、よそ者が手早くなじむ方法であり、また金を持っている時の冒険屋としての正しい流儀であった。

 

 これには客たちも大いに沸き、この見慣れぬ客に乾杯をささげ、またこの上客を招いたシァォチュンを褒め称えた。

 

 気を利かせた店主が次々にふるまった料理は、紙月たちが驚くほどにかつての世界で見知った中華料理そのもの、しいて言えば四川系統に近いようであったが、食材には見慣れないものが多く、その都度にシァォチュンが、わからぬものは他の客たちが親切に教えてくれた。

 

「こいつは何だい?」

「双頭海老の紅焼(ホンシャオ)だな。甘辛くてうーまいぞ!」

紅椒肉絲(ホンジャオロウスゥ)はどうだい? 赤いが甘いんだ」

「こっちの家常豆腐(ヂャーサンドウフー)をお食べよ! 表じゃあんまり出してないよ!」

「おお、豆腐か! 豆腐は久しぶりだ! いただくよ!」

「おお、嬢ちゃん帝国の人なのに豆腐を知ってるんだな!」

「久しぶりに湯豆腐食いてえなあ」

「通な食い方知ってるねえ!」

 

 ムスコロたちは初めて見る食べ物に恐る恐るフォークを伸ばし、そして初めての味わいに混乱しながらも、それがうまいのだということを何とか身振りで表現した。

 紙月と未来は――未来もさすがに鎧を脱いだ――、貧乏人たちよりよほど上手に箸を使うので、双方から大いに驚かれた。

 

「姐さん、よくそんな棒っ切れで食えますな」

「お前こそよくそんな刺すことしかできないもんで食えるな」

「そう言われりゃ、そうか」

 

 ムスコロたち帝国人も試しに箸を使ってみたが、これがなかなか難しいもので、ハキロは早々に諦めたが、ムスコロはなんとか肉の端切れをつかむことに成功した。筋肉ダルマのわりに何かと器用な男ではある。

 しかし意外なことに、酒にはハキロの方が強く、ムスコロはファシャの酒に早々に酔い始めた。思えば最初にあった時も酔っていたが、あれもかなり少量の酒だったのかもしれない。

 

「しかしまあ、帝国もうまいものは多いが、ファシャには大いに負けるな」

「なにしろファシャには食の神が降り立ったからな!」

「食の神だって?」

「なんでも、ファシャが西大陸を統一したころに、食の神ジィェンミンが降り立って、今のファシャ料理の基礎を作ったんだそうだ。いまでも食の神は、神々の食卓をめぐっては新たな料理を生み出しているんだそうだ」

 

 神話の話なのか、それとも偉大な料理人の話なのか曖昧な頃の話だそうだが、それでも各地に証拠となるような品々や伝説が残っており、人間から神に陞神(しょうじん)したのではないかということであった。

 

「陞神? おい、ムスコロ」

「んっ、むうう、陞神? 陞神てなあ、あれですよ。人間が偉業を成し遂げるとですな、神々が新たな神として迎え入れるんでやす。そのことを陞神というんですな」

「人が神になるのか」

「神話にゃよくありますし、姐さんが世話んなってる風呂の神だって、ありゃ、世界で最初に温泉につかった山椒魚人(プラオ)が陞神したものですぜ」

「はー」

 

 この世界では神は実在するものとして何となく漠然とその存在を思っていたが、どうも人間から神になったりと結構身近な存在であるらしい。

 

「ほら、ムスコロさん、水飲んで。陞神といやあ、あれだよ。人間から神になりかけている、半神ってのは今でもいるぞ」

「半神?」

「完全に陞神しちまうと下界に干渉しづらくなるんだが、半神は不死の存在であるが、まだ地上の存在なんだな。帝国でいやあ、放浪伯が有名だな」

「放浪伯、ってぇと、伯爵、貴族なのか?」

「そうさ。帝国のあちこちに飛び地で領地を持ってる。旅の神ヘルバクセーノに愛された結果、旅をしている限り不死身という加護を得たそうだ」

「そりゃまた不便そうな加護だ」

「全くだ」

 

 陞神に、半神。

 あるいは半神とやらと会えれば、神々との接点が持てるかもしれない。そうすれば、元の世界に帰る方法がわかるかもしれない。

 黄酒(フゥァンチュウ)に半ば酔いながらそう考える紙月を、未来は仕方がないのだからと眺めるのだった。




用語解説

・シァォチュン(小春)
 ファシャ街に住む少女。雑貨屋の娘。魔がさしてスリに手を出すくらいには貧乏だが、根は素直で善人である。
 案内人の才能があるようだ。

・双頭海老の紅焼(ホンシャオ)
 頭が二つある変わったエビのエビチリ。

紅椒肉絲(ホンジャオロウスゥ)
 赤パプリカと豚肉の細切り炒め。真っ赤な見た目で、さっぱりとした甘みがある。

家常豆腐(ヂャーサンドウフー)
 家常(ヂャーサン)とは家庭風のとか、家でいつも食べる味とか、そのような意味。
 家庭風豆腐煮込みと言っていい。実際には豆腐は生揚げとして使用することが多い。
 細かい味付けに関しては家それぞれである。

・食の神ジィェンミン
 ファシャが西大陸を統一した頃に存在したと言われる料理人。またその陞神した神。
 現在の多彩なファシャ料理の基礎を作り上げたと言われる。
 一説によれば、美味なる料理を求めた境界の神プルプラが異界より招いたともされる。

・人神
 隣人種たちのうち、神に目をかけられたり、その優れた才覚や行跡が信仰を集め、神の高みに至った者たち。武の神や芸術の神、鍛冶の神など幅広い神々がいる。元が人であるだけに祈りに対してよく応えてくれ、神託も心を病ませるようなことはあまりない。人から神になることを陞神という。

・風呂の神マルメドゥーゾ(Mal-Meduzo)
 風呂の神、温泉の神、沐浴の神などとして知られる。この世界で最初に湧き出した温泉に入浴し、そこを終の棲家とした山椒魚人が陞神したとされる。この神を信仰する神官は、温泉を掘り当てる勘や、湯を沸かす術、鉱泉を生み出す術などを授かるという。

山椒魚人(プラオ)(Prao)
 最初の人たちとも称される、この世界の最初の住人。海の神を崇め奉り、主に水辺や浅瀬に住まう隣人。肌が湿っていないと呼吸ができないが、水の精霊に愛されており、よほどの乾燥地帯でもなければ普通に移動できる。極めてマイペースで鈍感。好奇心旺盛でいろいろなことに興味を示すが、一方で空気は読めず機微にもうとい。

・放浪伯
 ヴァグロ・ヴァグビールド・ヴァガボンド(Vagulo Vagbirdo Vagabondo)放浪伯。
 帝国各地に、大きくはないが点在する形で飛び地領地を数多く持つ大貴族。
 過去の戦争中にあちらこちらで転戦して領地を獲得していった結果らしい。
 本来であれば利便性の為にもどこかにまとめる筈だったらしいが、本人の放浪癖とあまりに力を持ち過ぎる事への懸念からあえて分散させている。
 当人はいたって能天気で権力に興味はない。
 旅の神ヘルバクセーノの加護により、一所に長くとどまることが出来ない代わりに、旅を続ける限り不死である。

・旅の神へルバクセーノ(HerbaKuseno)
 人神。初めて大陸を歩き回って制覇した天狗(ウルカ)が陞神したとされる。この神を信奉するものは旅の便宜を図られ、よい縁に恵まれるという。その代わり、ひとところにとどまると加護は遠のくという。

・半神
 神々の強い祝福を受けたり、人の身で強い信仰を集めたものが、現世にいながら神に近い力を得た生き物。現人神。祝福や信仰が途切れない限り不死であり、地上で奇跡を振るうとされる。

黄酒(フゥァンチュウ)
 ファシャの醸造酒。紹興酒、老酒など。


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第六話 依頼主

前回のあらすじ
よその家の童女を連れて酒を飲みに行きました。
事案だ。


 数日の間、シァォチュンの案内でハヴェノの町を遊び、ついに呼び出されたのは一つの海運商社であった。いかにも立派な店構えで、港に面した店の中でも一、二を争う大きなものである。

 

「最近、海賊どもに悩まされていてな」

 

 そのように語った依頼人プロテーゾに、紙月と未来は思わずそうでしょうともと言いそうになって、危うく止めた。

 

 というのもこのプロテーゾという男、粋に角度をつけた三角帽に、左目には洒落た刺繍の施された眼帯、右手は義手代わりの鈎爪に、左足は太い木の棒を義足にしてあるという、誰がどう見てもお前が海賊だろうという荒っぽい見かけだったのである。

 

「言いたいことはわかる。だがこれも半分はある種の海賊対策だ、と思ってくれ」

 

 もちろん、その一つ一つを見ればきちんと金のかかったもので、きちんとした装飾具としても見れる。要は、海賊のように見せかけることで相手の戦意をくじくというのが目的なのだ、と以外にも理知的にこの依頼主は語った。

 

「もう半分は?」

「勿論、趣味だ」

 

 そして茶目っ気もあった。

 

 とはいえこの男、ふざけているのは見た目と時折のジョークだけで、実際的な所で言えば、かなりできる人物だった。

 

 最初、ムスコロとハキロが前面に出て、紙月と未来はあくまでもサポートであるという立場で伺ったのだが、プロテーゾはじろりと隻眼で四人を眺め、それからおもむろに言い放ったのである。

 

「そちらのレディが大将格だな」

「レディじゃないですけどね」

「……よもや()()()()()のか?」

「確かめるかい?」

「是非じっくりと……いやいや、騎士殿が恐ろしい、やめておこう」

 

 ジョークもそこそこに、プロテーゾはやはりじろじろと一行を眺め、こう品定めした。

 

「戦士、戦士、魔法使い、……特殊な戦士、といったところかな」

「わかるんですか」

「ざっくりとはな。いい船乗りは、精霊が見えるものさ」

 

 成程、プロテーゾの目つきは、ハイエルフの紙月が見ているのと近い世界を眺めているようである。

 しばしの間二人はじっと互いの目を見つめあった。紙月の方からすれば見れば見るほどにこの男の力量というものがつかめなくなってくるような思いであったが、プロテーゾはそのにらみ合いでずいぶん多くを察したようで、フムンと一つ頷いた。

 

「射程は」

「なんですって?」

「魔法の射程だ。海戦では、陸よりも射程が必要となる」

 

 紙月は少し考えた。今まであまり遠くを狙う必要がなかったので、はっきりとしたことはわからなかったのだ。ただ、なんとなくではあるが、見えないところは狙えないということはわかっていた。座標を指定できないのだ。

 つまり、逆に言えば、と紙月は考えた。

 

「見える範囲であれば」

「ほう」

「試しますか」

「よろしい」

 

 窓から見える海を見つめ、茫漠とした海に何となくピントを合わせ、紙月はまっすぐに指を向けた。

 

「《火球(ファイア・ボール)》!」

 

 瞬間、窓の外に火球が生まれ、速やかに海の彼方へと飛んでいき、そして何もない海の真ん中で爆散した。

 

「はっきりした的があれば、もうすこし狙えるかと」

「いや、いや、いい。的なしであれであれば十分すぎる。……威力は」

「試しますか」

「化かしあいはもう結構だ。肚を割っていこう」

 

 プロテーゾはどっかりと椅子に腰を落ち着けて、客人にも進めた。

 それが正式な会議の合図だったのだろう。給仕が人数分のカップに、黒々とした液体を注いで持ってきた。

 

「む。コーヒーか」

「ほう、豆茶(カーフォ)を知っているのかね」

「たまたまですが。未来は大丈夫か?」

「砂糖とミルクが欲しいかも」

「砂糖! 乳! 成程、君は素晴らしい発想の持ち主だ」

 

 速やかに真っ白に精錬された砂糖の入った砂糖壺と乳の入った壺が持ってこられた。

 

 未来がするようにプロテーゾも試して、そして大いに感嘆した。

 

「君たちはこの白い砂糖にも驚かないし、このような素晴らしい飲み方も発想する。わたしは南部の一大都市であるハヴェノの町を代表する海運業者だと自負しているが、そのわたしをしても君たちのような人材はなかなか見かけないものだ」

「勧誘はお断りしますよ」

「残念だ」

 

 しばしの間、豆茶(カーフォ)を楽しみ、そして実際的な話が始まった。

 

「まず、威力を聞こうか」

「三十六発」

「なに?」

「先ほどのものと同じ程度であれば、三十六発同時に放てます。待機時間は一秒」

「まて、一秒? 待機時間だと? 一秒おきに三十六発撃てると君は言うのかね?」

「試しますか?」

「馬鹿な……いや、しかし精霊は嘘を吐かん」

「伊達に森の魔女の名で呼ばれてませんよ」

「さすがは地竜を朝食代わりにするというだけはある」

「そのネタもう聞き飽きたんで」

 

 森の魔女の名は南部にも広まっているようだった。

 というよりは、流通の激しい南部だからこそともいえるのかもしれなかったが。

 

「まあ、私の知る限りは、西部と南部ではすでに森の魔女の名は聞こえているよ。帝都でもちらほら、聞かれ始めているそうだ」

「参ったな、随分名が売れちまった」

「冒険屋にとっては素晴らしいことでは?」

「あんまり名が売れると半端な仕事は入ってこないんですよ」

「成程。となると、今回の依頼は君たちにとって更なる不幸かもしれんな」

 

 プロテーゾは実に悪役じみた笑みを浮かべた。

 

「なにしろ、海賊退治は海の花形だからな」




用語解説

・プロテーゾ(Protezo)
 ハヴェノでも一、二を争う大きな海運商社の社長。
 見た目はどう見ても海賊の親分でしかない。
 海の神の熱心な信者で、いくつかの加護を得ている。
 義肢はすべて高価な魔法道具である。

豆茶(カーフォ)(kafo)
 南方で採られる木の実の種を焙煎し、粉に挽いて湯に溶いて濾した飲料。焙煎や抽出の仕方などで味や香りが変わり、こだわるものはうるさい。
 南部では比較的普及している飲料。栽培もしている。

・白い砂糖
 真っ白になるまで砂糖を精製するのはかなりの時間と労力を必要とする。
 つまり、お高いのだ。
 南部ではサトウキビが取れることもあって砂糖が比較的廉価だが、それでも白砂糖は高価だ。
 ぶっちゃけ北部でも甜菜から砂糖を作っているので値下がりしつつあるが。

・待機時間は一秒
 説明するのが面倒だっただけで、実際にはもっと短い。具体的にはフレーム単位。



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第七話 会議

前回のあらすじ
海賊に海賊退治を持ち掛けられた。


「近頃、我が社の船だけでなく、近郊の輸送船が多く海賊の被害に遭っていてな」

 

 以前から海賊というものはいくらもいたそうなのであるが、今回の海賊はどうも様子が違うのだそうだった。

 

「最初は季節違いの嵐にでもあったのかと思った。船自体が帰ってこんし、保険屋の腕利き冒険屋も帰ってこん。海賊相手なら、こうはならん」

 

 海の海賊も陸の盗賊と同じで、相手を殺しつくしてしまっては仕方がない。せいぜいが荷の何割かを奪う程度で、皆殺しにするような海賊というものはまずいない。はずだった。

 

 ところが、最近になって航路に帆を破壊されて難破している船が発見された。嵐にでもあったのかと乗り込んでみれば、何と乗組員は皆殺しにされ、荷物は食料に至るまですべて略奪されているのだという。どれだけ飢えた連中でもここまで徹底的にはやらないだろうという徹底ぶりである。

 

 しかし、嵐にも魔獣にもこんなことはできないとなれば、残るのは人間の手、つまり海賊ということになる。

 

「しかも連中、港に仲間でもいるのか、船の予定をかなり正確につかんできおる。厳重に組んだ護衛船団にはぴくりとも反応せず、おとり船団にもやはり無反応。手薄な所を正確に狙って襲ってくるのだ」

「陸の仲間たちは見つからないんですか」

「ファシャ街に潜んでおるのではないかと思っているが、どうにも探し出す手立てがない。まず怪しげな船が入港したことさえないのだ」

「そんなバカな」

 

 海賊といえど、手に入れた財宝を売りさばくには、どこかの港を利用しなくてはならない。船というものはいつまでも海の上を漂っては干からびる一方なのだ。たとえ船を襲って食料や水を根こそぎに奪っているとはいえ、限度がある。

 それに、陸によらずに陸の情報を仕入れるというのは、不可能だ。

 

伝書鷹(レテルファルコ)のような手段はどうです?」

「あれは土地を覚えて飛ぶ生き物だ。海上で移動し続ける船にどうして連絡できる」

「どこかの小島を拠点としているとか」

「そうなればますます手におえんし、それにしたって、補給や売買はどうしたって港を利用せねばならん」

 

 話しているうちにふと気づいたのは、紙月である。

 

「通商妨害では」

「通商、妨害?」

「要するに、自分達が儲けたり食っていくために襲っているのではなく、国家間の通商を封じて不利益をもたらそうとしてるんです」

「馬鹿な!」

 

 面白い概念だとは言いながらもプロテーゾが一笑に付した理由は簡単である。

 それというのも、帝国が海運で結ばれているのは隣の西大陸のファシャだけであり、近海に国益のからむような国家はない。そのファシャとも国交は実に友好的なものなのである。

 つまり、二国間の通商を妨害して得をする国家はなく、また帝国内の海運を妨害されるほどファシャとの国交は険悪ではないのである。

 

「全く?」

「全くだ。というのも、超皇帝自らが使節団を率いて友誼の為に出向き、その際にファシャの皇女を一人我が帝国に迎え入れているほどだ」

「……超皇帝?」

「うむ。以前南部にも公演会の興行に来てくださってな。大いに盛り上がったものだ。西部も廻ったはずだが、君は知らんのかね」

「いやあ、森に引きこもってたもんで」

「それはもったいない! 記録水晶があればよかったんだが、あれは自宅に大事にしまってあってな」

「ああ、いえ、おかまいなく」

 

 どうやら皇帝とは名がついているが、ある種のパフォーマンス集団であるらしい。恐らくは。多分、国家的な人気集団であるのだろう。そしてそのグループが出向いて平和的にパフォーマンスした挙句、向こうの皇女を帝国に招いて歓待するというやり取りがあったほど、国家間の関係は友好的であるらしい。

 

 という風に紙月はどうにかかみ砕いて理解した。未来はすでに何となくでしか話を聞いていない。頼りのムスコロとハキロはこれだけの情報で話が通じているというか、前提条件のようなものであるらしくて、うむうむともっともらしくうなずくばかりである。

 

「仕事の話に戻りましょう」

「おお、そうだったな。まあとにかく正体不明のやつらでな。こうなっては仕方がないと、あらかじめ隙がありそうだという情報を流した輸送船を用意し、このおとりにかかったところを迎撃するという直接戦法を用いることになった」

 

 このおとり戦法の情報は港湾組合の上層部にしか知らされていない極秘情報であり、もしもこのおとりさえ見破られた場合、港湾組合を切り崩していくほかにないというほどに切羽詰まっているようだった。

 

「我が社の荒事に慣れた連中も載せていくが、なにしろおとりであることがばれればいかんから、通常の積み荷も勿論積み込むし、それほど大掛かりに武装していくことができん」

「そこで森の魔女の出番という訳ですね」

「そうだ。予想以上に使えそうで、喜ばしい限りだ」

「船団の内容は?」

「我々が乗り込むおとり輸送船が一隻に、護衛船が三隻。護衛船には最新鋭の魔導砲が積んであるが、正直なところ、いままでも戦績で言えば役に立たん可能性が高いな」

 

 何しろ、いままでどんな護衛船も皆殺しにして、修理の為の寄港もしていない以上おそらくは一切の損傷も負っていないままの無敵の海賊たちである。

 むしろ護衛船をおとりにして、本命であるおとり輸送船の森の魔女に、魔法で撃沈してもらうというのが確実な戦法かもしれないとプロテーゾは語った。

 

「勿論、敵の正体も確認したいし、船を押さえられればそれに越したことはないのだが」

「そのためにはどんな戦法が?」

「衝角攻撃、つまり敵船側面に体当たりをして直接乗り込み、乗組員を捕縛ないし殲滅することだが……今までそれができないでいるのだ。この際、相手の殲滅を最優先にしたい。状況にもよるが、君の魔法で速攻を決めたい」

 

 そういうことになった。

 

 間もなくして、穏やかな海の向こうに敵を見据え、おとり船団は出向した。




用語解説

・超皇帝
 帝都から発信された一大ムーブメントにしてパフォーマンス集団。アイドル。
 全く新しい歌謡と舞踊を舞台の上で披露し、万単位の観客を沸かせるという。
 メインは二人組の半神で、それに随時バックダンサーや範奏がつく形である。
 興行と称して帝国各地で公演を行っており、困惑とともにその人気は高まっている。
 最近ではファシャにも興行に行っており、その際トチ狂った皇女の一人が追っかけとしてついてきてしまった。

・記録水晶
 映像と音声を記録できる水晶。成人男性がなんとか抱えられるほどの大きさ、重さで、使い勝手も悪いし高価なのであまり普及はしていない。
 囀石(バビルシュトノ)がもっと小型なものを製造可能であるが、こちらはさらに目をむくほどに高価なものとなる。

・魔導砲
 火薬の代わりに魔力で爆発を起こして砲弾を打ち出す大砲、または魔法そのものを打ち出す大砲。
 ここでは最新式の、指向性の衝撃を打ち出す魔導空気砲とでもいうべきものを搭載している。
 魔力さえ続けば弾数に制限はないものの、威力は操作する魔術師次第である。
 とはいえ、普通の木造船であれば穴をあけるくらいはたやすい威力なのだが。



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第八話 海賊

前回のあらすじ
海賊をどうするかという会議を海賊顔の人とするというシュールな光景だった。


 船旅というものは、見渡す限り海ばかりで、比較対象となるものがないせいで、実にゆっくりとしたものに感じられた。

 しかし実際のところはどうなのかと聞けば、これがなかなか速かった。

 

「そうさな。風の調子にもよるが、平均して時速十数海里というところだな。この船には風遣いを乗せているから、やろうと思えばいつでも二十海里は出せるだろう」

「海里?」

「そうさな、緯度なんぞの面倒な話は長くなるからな、ざっくりと陸里の半分くらいとみていい」

 

 緯度、という言葉で紙月はピンときた。一日の長さがほとんど前と変わらないように感じられるし、もしかしたらこの世界でも緯度や経度が同じように計算されているのではないかと以前から思っていたのだ。

 

「大体一・八五キロメートルか」

「む……そうだな、交易尺で言えばそのくらいになるだろうな」

「紙月、よくわかるね」

「以前天体観測にはまった時にちょっとな」

「ほんと多芸だよね」

 

 交易尺というのは、帝都から発信されている度量衡に関する新しい尺度で、それらはこの世界でもメートル法と同じ呼び方をされているらしい。

 

「……というより」

「完全にメートル法だよね、これ」

 

 船乗りたちはいまも昔ながらの海里を用いているが、新しく造る船などはこの帝国尺で測って造るようにお触れが出ているようで、この船もまたそのようにして造られているのだった。

 最新だという海図を見せてもらい、最新だという物差しも見せてもらったが、体感的にはどうも以前の世界のメートル法そのものであるように思われた。

 

「……帝都にいるのかもな」

「ぼくたちと同じような人?」

「あくまでかもしれんってだけだけどな」

 

 二人が悩んでいると、社長のプロテーゾがこれを聞き留めた。

 

「なんだ。君たちは帝都に興味があるのかね」

「え? ああ、そうなんです。 知り合いがいるかもしれなくて」

「フムン。当てはあるのかね?」

「それがさっぱり」

「帝都は広いからな。探し人は大変だろう。私の知り合いに人探しくらいしか取り柄のない女がいるのだがね、良ければ紹介しよう」

「いいんですか?」

「勿論。まあ、生きて帰れればだがね」

 

 などとニヒルな笑いを浮かべるプロテーゾだったが、勿論この男に死ぬ気などない。社長自らが乗り込むなどという暴挙を許すのは、この男のワンマン経営が所以なのではなく、この男ならば平気で生きて帰ってくるという確信があるからだった。

 

「君たちが死んでも私は生きて帰れるから、何かあっても真相だけは究明してやるから安心したまえ」

「せめて嘘でもいいから君たちを信頼しているとか言ってくださいよ」

「『君たちを信頼している』」

「こんのひげおやじ」

 

 というのもこの男、左足を失う大怪我を負った事故の頃から熱心な海の神の信者であり、ついに賜った加護によって「海で溺れ死ぬことがない」、「波の助けを得る」という恩寵を得ているのである。なのでいざとなれば海にさえ飛び込めば、適当に魚でも獲りながら漂っているだけで勝手に陸に辿り着くのである。

 

 まあ過信しすぎて左目と右手を失ったらしいが、その分義肢には大枚はたいた魔法道具を仕込んでいるらしい。

 

「そろそろ海賊が出るらしい海域に近づく。君たちは十分に休息を取って英気を養ってくれ」

 

 君たちはと強調していったのは、見かけには頼りになるムスコロとハキロの二人がそろって船酔いでダウンして、船室に閉じこもっているからである。紙月は揺れには慣れているし、未来も最初こそ多少酔いはしたが、ひと眠りすると、慣れた。

 

「とはいえ、こうも良く晴れた海では、隠れて接近もできんだろうから、」

 

 しばらくは安心だろうというプロテーゾの言葉は、轟音によってかき消された。

 

「何事だ!?」

「護衛船一番、左舷被弾しました!」

 

 手旗信号で素早く情報を確認した船長が叫ぶ。

 しかし、どこから?

 困惑した一行に、続報が入る。

 

「て、敵船、海中より出現せり! 繰り返す! 敵船、海中より出現せり!」

「海中だと!?」

 

 舷側に乗り出した一行の目に映ったのは、転覆した船の底が海中より顔を出したような、奇妙な姿だった。それは表面にいくつもの奇妙な模様を輝かせており、その一つ一つが輝くたびに、護衛船に衝撃が走るのだった。

 

「なんですあれ!?」

「わからん!」

 

 プロテーゾは叫んだ。

 

「だが、敵だ!」

 

 それさえわかれば、船団に躊躇はなかった。

 護衛船は即座に輸送船を護るように展開し、この奇妙な船に照準を合わせた。しかし本来狙うべき位置よりもずっと下向きになるためにこの作業は難航し、そうこうしているうちに一番船の帆が引き裂かれ、すぐには航行不能となってしまった。

 

 護衛船がこの正体不明の敵と戦っている間に、紙月は敵船の伺える位置で待機させられた。

 

「君はアレをどう見るね」

「まさか潜水艦があるとは思いもしませんでしたよ」

「潜水……つまり、海中を潜ってきたのだと?」

「でしょうね。そりゃあ神出鬼没なわけだ。わざわざ顔出してきたってことは、魚雷はなさそうだけど」

「ギョライ?」

「まあ、水中からは攻撃してこないってことです」

「当たり前だ……いや、無防備な船底への攻撃か。あれば、恐ろしいな」

「しかも表面が迷彩色になってる」

「む……確かに海の模様を真似ているようだな。あれでは狙いが狂いかねん」

 

 実際、位置が低いこと、迷彩で距離感が狂うこともあってか、こちらの砲撃は著しく命中率が低いようだった。ひるがえって敵の魔法と思しき攻撃はかなりの精度があるようで、瞬く間に護衛船の帆に穴が開いていく。幸いなことは、こちらの物資が欲しいらしく、船体そのものには積極的に攻撃を加えてこないことだった。

 

「まあ膠着状態は幸いでもある。射線は通っている。やってくれ」

「あいあい。この距離なら外しはしませんよ」

 

 紙月は軽く指を鳴らして、いつもの構えを取った。つまりは、右手を目標に突きつけ、左手で想像のショートカットキーを叩くのだ。

 

「《火球(ファイア・ボール)》三十六連!」

 

 瞬間、頭上に三十六の火球が浮かび上がり、砲弾のような速度で潜水艦へと襲い掛かった。

 




用語解説

・交易尺
 もともと帝国では、長さや重さといった単位をそれぞれの国や種族毎の単位で扱っていた。
 交易尺とは交易貫などとともに近年帝都で制定された単位であり、公的事業においてはこの単位を使用することが法で定められており、また交易尺貫法を用いるものが優遇される方針にある。
 交易尺はメートル、交易貫はグラムと呼ばれ単位を基準に、キログラム、トンなどと呼ばれる単位が用いられる。



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第九話 突撃

前回のあらすじ
まさかの海中より現れた敵船。
船団はこれに大いにてこずるが。


 火球は盛大に潜水艦の表面を焼き払った。

 その表面だけを。

 

「……うん?」

「……あれ?」

「敵船健在! 砲撃続いてます!」

「おいィ!? どういうことだ!?」

「表面が相当分厚い耐魔法装甲になっているんだろうな。精霊の流れがおかしい」

「え、じゃあ俺って」

「役立たずというわけだな」

「ぐへえ」

 

 もちろんやりようによってはどうにかできるのかもしれないが、とっさに思いつくものではない。

 そもそも紙月は、基本的には初等魔法しか使えないのだ。

 

「この後はどうなると思う?」

「海戦、というか戦争自体専門じゃないんですよ」

「私の考えでは恐らくだが、すべての帆を破り終えたのちに、物資の奪取と乗組員の殲滅の為に、一隻ずつ乗り込んでくる」

「まあ、相手は一隻だけですし、道理と言えば道理ですね。じゃあ無理せずとも乗り込んでくる時を狙えばいいんじゃ?」

 

 そこでプロテーゾはとぼけた顔をした。

 

「聞かれなかったので答えなかったんだが」

「おいまさかこの期に及んで何か隠してたのか!?」

「どうも敵さん、魔獣か何かを使役してるらしい痕跡があった。結構でかめの」

「でかめの?」

「あー……まあ、船乗りの曲刀やら銛やらが通らないらしいのは、現場検分でわかっとる。欠けたり折れたりしてたからな」

「おいぃ!?」

「だから、君たちを呼んだんじゃあないかね」

 

 つまり、最初から拿捕などというものは口だけで、魔法での撃沈が作戦であったらしい。

 

「あんたの仕事は二度と請けねえからな!」

「このままではどのみち二度と請けられんだろうな」

 

 もっともである。

 紙月が頭を抱えている間にも、護衛船の帆は破り終えたらしく、輸送船に対しても砲撃が飛んでくる。しかしそのすべては未来がとっさに船体に張り上げた《タワーシールド・オブ・シルフ》によって防がれた。もっとも、敵もそれがわかったようで、砲撃はかえって盛んになってきたが。

 

「フムン。質量弾ではないな。やはり魔法攻撃であるらしい」

「こっちにゃその対魔法装甲とかいうのはないんですか!?」

「馬鹿言え、艦砲クラスの魔法を防げる装甲がそうあってたまるか」

「じゃああれは!?」

「わからん。だが破り方はわかった」

 

 プロテーゾはこの窮地においても平然とひげなどひねりながら、悠然としていた。

 

「この程度のことで狼狽えていたのでは船乗りは務まらん」

「俺たちゃ船乗りじゃないんですよ!」

「だが優秀な魔法使いではある」

「でも敵には効かないんでしょ!?」

「だが我が船には効く」

「……は?」

 

 プロテーゾはにやりと笑って、指示を出し始めた。

 

「ミライ! 君の障壁はどれだけ持つ!」

「今の調子ならしばらくは大丈夫です!」

「よし、ではそのまま頼む! 船長、総帆下ろせ!」

「了解! 各員、総帆下ろせ!」

 

 猛然と船全体が動き始めると、プロテーゾは紙月を船尾まで引っ張っていった。

 

「第二案で行こうと思う」

「第二案?」

「事前に行っただろう。衝角突撃を試みる。魔法には強かろうと体当たりにまで強いとは限らんだろう」

「じゃあ俺の仕事ってのは」

「むろん、この船に魔法をかけるのさ!」

「そういうことか!」

 

 船尾には一人の男が杖を持って待ち構えていた。

 

「待ってましたぜ親分」

「社長だ。風の調子はどうだ」

「風精はたっぷり呼び込んでありやす」

「よし。シヅキ、君は風の魔法も使えるはずだな」

「もちろん。ただし」

「ただし、なんだね?」

「加減はちょいときかねえぜ」

「結構! 壊れるまでやり給え!」

 

 紙月は即座にショートカットリストを風属性に切り替え、左手を翻した。

 

「《突風(ブロウ・ウインド)》!!!」

 

 《突風(ブロウ・ウインド)》は風属性の最初等魔法である。その効果はただ単に強い風を起こし、相手を突き飛ばしてダメージを与えるというものだ。だがそれがいくつも重なれば、それはただの風では済まない。魔力の続く限り、つまりこの程度の魔法であればほぼ無尽蔵に、人を突き飛ばすほどの猛風が船全体を襲うのである。

 

「おお、なんてぇ魔法だ! 風遣いの俺でも見たことがねえ!」

「各員、吹き飛ばされるなよ! 帆を破らないように迂回して突撃しろ!」

 

 余りの猛風に船は追い立てられるように弧を描き、負荷によって船体そのものが壊れてしまわないように操帆によってうまく風を抜きながら、潜水艦めがけて着実に距離を詰めていく。

 

「敵船、沈没、いえ、海中へ回避行動とり始めました!」

「シヅキ、加速だ!」

「アイアイサー!」

 

 そしてもはや残りが直線となれば、加減する必要などない。

 船はますます加速し、ゆっくりと海中へ沈もうとしていた潜水艦めがけて突撃した。

 

 瞬間、激しい衝撃とともに船体が揺さぶられ、耳をつんざかんばかりの破壊音が海原に響き渡ったのだった。




用語解説

・耐魔法装甲
 精霊の流れを捻じ曲げることで、表面上で魔法を霧散させてしまう装甲のこと。
 霧散させるのは魔力だけなので、質量のあるものを魔法で加速させてぶつけるなどの攻撃は普通に効く。
 とはいえ通常の装甲に塗布、刺繍、彫り込むなどの手法で組み込まれるため、魔法に強いから物理に弱い、ということは決してない。
 普通は軽い魔法を防げる程度のもので、城壁などかなり大掛かりなものになってようやく砲弾クラスの魔法攻撃を防げるものである。

・《突風(ブロウ・ウインド)
 《魔術師(キャスター)》やその系列の《職業(ジョブ)》が覚える最初等の風属性《技能(スキル)》。
 突風を生み出し相手にぶつけるというシンプルな魔法で、まれに転倒させる。
『ここには何がある? 無ではない。ここには大気がある。目には見えず、肌にも幽かに、しかしそれは大いなる力を秘めて居るものじゃ。少なくともわしのランチをひっくり返す程度にはな』


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第十話 乗り込み

前回のあらすじ
魔法の利かない敵船に、それならばと体当たりを敢行した一行であったが……。


 さしもの敵潜水艦も、船体が丸ごとぶつかってくる衝撃には耐えかねたようで、大慌てで浮上してきた。しかしさすがに頑丈で、船体に大きな亀裂こそ入れたものの、まだ沈むには至らないようだった。通常の帆船であれば沈んでいてもおかしくはない大きな亀裂であるからして、敵の排水機構は大したものである。

 

「いまので沈まんとは恐ろしく硬いな。よし、鍵縄出せ! 戦闘員は移乗攻撃準備!」

「随分手馴れてますね」

「実は海賊上がりでね」

「本物じゃねーか!」

「冗談だ。単によく訓練されているだけさ、お国の免状付きでね」

 

 そう言ってちらりと見せてくれた免状とやらには、どう見ても海軍うんたらかんたらと書いてある。

 

「あんた海軍なのか?」

「海軍御用達というところだな。帝国はまだ海軍をまともに運用できるほど海運を学んじゃいない」

 

 詳しく聞いてみたいところではあるが、何しろ事態が事態だ。

 

 戦闘員たちが手に手に銛や曲刀をもって敵船に乗り移っていくと、向こうも白兵戦に出るほかにないと思い切ったのか。ハッチらしきものが甲板上に開き、次々と敵戦闘員たちが繰り出されていく。

 しかしこれに驚いたのは、なんと敵の戦闘員が人間ではなく魔獣だったということである。

 

「早速お出ましか!」

「いったい何もんです、ありゃ!」

「あれは、鱗蛸(スクヴァムポルポ)だな。硬軟併せ持つ厄介な魔獣だ」

 

 この鱗蛸(スクヴァムポルポ)というのは、名前の通り全身に分厚い鱗を張り巡らせたタコの魔獣で、大きなもので犬ほどもある。それが鋭いとげのついた吸盤で締め上げにかかり、おまけに毒もあるというのだからとんだ海の殺し屋である。しかも陸でも、速い。

 

 この鱗が頑丈なだけでなく、柔らかな体で柔軟に衝撃を受け止めるため、成程剣や銛ではなかなかダメージが通らない。それに位置が低いということもあって、銛はともかく剣で挑むにはやりづらい。海中ならまともに相手できるものではないし、陸でもご覧の通り、乙種に匹敵する猛者である。

 

 こちらの戦闘員もさすがによく訓練されているだけあって、手早く銛に持ち替えてとにかく距離を取ろうとしているが、何しろ骨などない相手だからうねりにうねってしまいには銛にも絡みついてくる。そして毒を受けたものはみなしびれて動けなくなってしまうのである。

 

「成程。こいつらを敵船に送り込んで手当たり次第に噛ませて、あとは悠々と出てきた船員どもが荷物を回収していくというわけだ」

「感心してる場合ですか」

「それもそうだ。幸い連中は魔法にはさして耐性はない。我が方が押さえ込んでいるうちに、やってくれたまえ」

「気軽に言ってくれちゃって」

 

 とはいえ、動きさえ封じてくれれば気軽な仕事であることは変わりない。

 

 シヅキはショートカットリストを選択し、早速慎重に狙いをつけては魔法を放っていく。何しろ今回はこちらの戦闘員もいる戦場だから、適当に大規模にやってしまえばそれで済むという話ではない。丁寧に狙いをつけ、素早い一撃で倒す、これである。

 

「《雷撃(サンダー・ボルト)》! 《雷撃(サンダー・ボルト)》! 《雷撃(サンダー・ボルト)》!」

 

 紙月が右指を揺らすたびに、中空から不意に小さな雲が発生し、鱗蛸(スクヴァムポルポ)に正確に電を叩き落としては霧散していく。頑丈な鱗を持っているとはいえ、さすがに海水をたっぷり浴びている海産物に電撃は良くきくようで、一撃食らうやこの鱗蛸(スクヴァムポルポ)たちはみな焼け焦げて足をくるりと丸めるのだった。

 

「よし、よし、その調子で頼むぞ」

 

 とはいえ、そうはいかなかった。

 

 鱗蛸(スクヴァムポルポ)たちが次々に倒されていくのを察したのか、今度はハッチの中から細身の鎧をまとった男が飛び出てきたのである。

 今度は人の形をしているということで安堵した戦闘員たちが勢いよく躍りかかったが、何とこれが手に持った杖で軽くあしらわれてしまう。

 それ自体に殺傷能力はないようなのだが、勢いをつけて飛び掛かればその勢いのままに放り出されて海に叩き込まれ、ならば近間でと曲刀を抜けば、これもまるで子供の相手でもするかのようにたやすくうちのめされてしまう。

 

「全く、帝国の海軍もどきにこうまでコケにされるとはな」

 

 それは海の底から湧き上がるような忌々しげな声だった。

 

「我が船を破り、我が手下どもを焼き、この私を虚仮にした借りは、しっかりと返させてもらおう」

 

 ぼう、と杖の先端に火がともる。

 

「《我が怒りは炎である、我が憎しみは炎である、我が敵を焼き尽くす炎である!》」

 

 力ある言葉が精霊たちに呼びかけ、海上とは思えぬほどの業火が渦となって巻き上がり、こちらの船員たちを焼き焦がす。慌てて海に飛び込んだものは幸いで、あまりの火力に一瞬で炭と化すものさえいた。

 潜水艦上は一瞬で炎によって焼き払われ、先ほどまでの優勢はすべて振出しに戻ってしまった。

 

 そう、全て……振り出しに……。

 

「ああ、わたしのかわいい鱗蛸(スクヴァムポルポ)がっ!?」

 

 味方もろともであった。




用語解説

・海軍
 実は帝国にはしっかりとした海軍という組織がない。
 それというのも目立った海運国が隣国ファシャしかなく、ファシャとも関係が長らく友好であったからである。
 仮想敵国という言葉もあるが、そもそも帝国は北方の聖王国と正面を構えることで手いっぱいで、他国もそれを承知しているのである。
 まあ承知していてもちょっかいというものはあるもので、それがために帝国も海軍の養成を考えてはいるのだが。

鱗蛸(スクヴァムポルポ)
 大きなもので犬ほどのサイズにもなる巨大な頭足類。体表に柔軟かつ硬質な鱗を持ち、さらには吸盤のとげには毒まで持つというかなり危険な魔獣。陸でもある程度活動が可能であることから沿岸部ではかなり警戒されている。
 身はコリコリとして美味しく、生の身は透き通るように美しく、舌に吸い付くような食感とふんわりした甘みが楽しめる。が、やはり危険性と、鱗と吸盤を剥ぐ手間を考えるとメインで狙う相手ではない。

・《雷撃(サンダー・ボルト)
 《魔術師(キャスター)》やその系列の《職業(ジョブ)》が覚える最初等の雷属性《技能(スキル)》。
 小さな雷雲を生み出し相手に雷を落とす魔法で、まれに麻痺・気絶状態にさせる。
『わしらの体はごくごく小さな雷で動いておる。その雷を自由に扱うというのは、生命の一端に触れるようなことなのかもしれん。つまり、決して人様のひげを焦がすための魔法ではないということじゃ』

・力ある言葉
 精霊たちに呼びかける魔力のこもった言葉。
 この世界では決まった呪文というものはなく、魔術師本人がスイッチを入れるためのフレーズとしてお決まりの文句を述べているに過ぎない。
 魔法の制御に必要なのは呪文などではなく、精霊たちに命令を下す断固とした意志と、精霊たちを突き動かす圧倒的な魔力、そして繊細な想像力と調整力なのだ。



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第十一話 狂炎

前回のあらすじ
敵船を圧倒していると思いきや、船より現れたのは炎の怪人。
果たして何者なのか。


 魔法の炎が戦場の全てを焼き払い、ポツン、とひとりたたずむ細身の鎧。その手の中で杖がいまだにぼぼぼぼと名残のような火を上げていたが、それがかえってシュールだった。

 

「わたし、の、鱗蛸(スクヴァムポルポ)が!」

 

 ショックのあまりにか二度目の絶叫。それも頭を抱えるリアクションとともにである。

 

「あれ、ああなるってわかってなかったんでしょうかね」

「わかっていなかったんだろうな。新兵にたまにああいうのがいる」

 

 状況を覆す一手は、時として何もかも台無しにしてしまうことがあるものであるらしい。紙月も何かと周囲を丸ごと焼き払うような魔法の方が得意だから、覚えていて損はないだろう。

 

「おのれおのれおのれ貴様らァアアア! よくも、よくも陛下より賜った我が船と我が配下を!」

「船はともかく配下はこっちの責任じゃあねえよなあ」

「貴様らが私の冷静さを奪わなければこんなことにはならなんだのだ!」

「冷静ではないっていう自覚はあるんですね」

「冷静なのやらそうでないのやら」

 

 あまりにひどい登場シーンに好き勝手言われながらも、この怪人はめげなかった。へこたれなかった。そもそも話を聞いていなかった。

 

「我が船はもはやこれまでとしても、このままではおけぬぞ、このままではぁあああ!」

「おっと、ちとやばいか?」

「どうして火炎遣いたるこの私が大海原になんぞ派遣されたか、いまようやくわかった、わかったぞ忌々しい子ネズミどもめが! 怒りだ! 我が怒りを発散させるにこれほど適した環境はないという思し召しなのだ! 敵だけを焼き尽くすことのできる格好の環境というわけだふぁははははははははははははは!」

 

 なんとも騒がしい男であったが、そう騒ぎながらも、その前身に火の精霊が集まっていっているのがハイエルフの紙月の目にはありありと見て取れた。それこそ、それだけで火が燃え起こりそうなおびただしい精霊の数である。

 ふざけた男だが、その本領は、笑い話にもならない実力者。

 

「さすがにやばいぞ!」

「《我が怒りは炎である、我が憎しみは炎である、我が敵を焼き尽くす炎である!》」

「全員、伏せろ!」

 

 爆轟とともに男を中心に巨大な炎が巻き起こり、それはまるで命を持つかのように蛇身をかたどるや、潜水艦上にとぐろを巻いた。相当な熱量がここからでも感じ取れたが、炎の中心にいる男は精霊たちの加護か、まるで動じる様子もなく炎を操って見せる。

 

「さあ、今こそ汚名を挽回してやる! 我が炎を食らうが――」

「確かこうだったな――忠告してやる。汚名は返上するものだ!」

「なにっ」

「《水球(アクア・ドロップ)》三十六連!!」

「なっ、にいぃっ!?」

 

 巻き起こった炎に対して、紙月は瞬時にショートカットキーを切り替えていた。相手がすべてを焼き焦がす日ならば、こちらはその火を消す水で挑めばよいだけのこと。

 僅かな間隔を置いて降り注ぐ《水球(アクア・ドロップ)》の雨は、しぶとくも燃え続ける炎蛇に蒸発させられながらも、それでもなにしろ、物量が違う。一度に三十六発。そして再使用はわずか一秒足らず。

 

 降り注ぐ大雨に、やがて、炎はまばらに砕け散り、そして最後には悲鳴を上げて霧散した。

 

「ば、ばかなっ、やめっ、いったんやめっ、ばかっちょっ」

「いいのかね」

「いやあ、もう一回魔法合戦とかになっても馬鹿馬鹿しいので、ここは徹底的に叩いておこうかと」

 

 炎蛇を消しつくしてなお止まらない水球の雨が、細身の男をひた撃ちにしていく光景はいっそ哀れですらあるが、敵は海賊である。容赦はいらない。

 

 しかし所詮は最初等魔法。物量はともかく一発一発はどうとでも抑え込めるようで、男は炎の盾を身にまといなんとか《水球(アクア・ドロップ)》を防ぎ始めている。

 

「お、おのれ、何という馬鹿げた魔力だ。我が炎をかくもたやすく……!」

「それを防ぐあんたも大したもんだよ」

「魔道に身を置くものが、これしきで膝をつくものか! 私はまだ負けておらんぞ!」

「よしきた」

「紙月ってホント大人げないよね」

「挑戦はお買い得らしいぜ」

 

 ぱちん、と紙月が指を鳴らすと同時に、《水球(アクア・ドロップ)》の雨は停止する。弾切れか、あるいは何かの作戦かと警戒する男に、しかし紙月の告げる言葉は冷徹だ。

 

「ああ、すまん。すでに下ごしらえは済んでるんだ――《冷気(クール・エア)》!!」

 

 想像のショートカットキーを指が叩くと同時に、異界よりおぞましき冷気が海上を包み込み、静かに、しかし確実に凍らせていく。なにを――もちろん、《水球(アクア・ドロップ)》のまき散らした水を。

 

「ぐぉ、ば、ばかな、この、この私が、寒い、だと!?」

 

 冷気は容赦なく潜水艦の表面を氷漬けにし、接触する海面さえも凍らせ、炎の盾で身を護る男をも襲う。

 冷気には実体がない。剣でも矢でもなく、ただその空気が冷たくなっていくという驚異。むろん、生中な防御でやすやすと防げるものではない。

 

「く……《炎よ! 我が身に!》」

 

 男は冷気に触れることを厭ってか、盾の形状から全身にまとわりつくように炎を変じさせるが、その足元はすでに凍り付き始めている。

 

「おのれおのれおのれ……くっ、聞いておこう、わたしをここまでに追い詰める貴様の名を!」

「紙月。古槍紙月。といっても、こっちじゃ森の魔女の方が通りがいいかな」

「覚えたぞ女ァ! 必ずや、必ずや貴様に復讐するため、私は戻ってくるぞ!」

「ふん、ここまで締め上げてしまえばあとはない。捕縛して尋問を、」

「いや、待て!」

 

 プロテーゾは捕縛するために人員をやろうとしたようだったが、変化に気付いた紙月は未来に視線をやる。未来は一瞬固まり、そして即座に盾を構えた。

 

「こいつ、火精をため込んでやがる――船に!」

「なに!?」

「自爆する気だ!」

「総員伏せろ!」

「もう遅いわ、《我が怒りは炎である、我が憎しみは炎である、我が敵を焼き尽くす炎である!》」

 

 閃光。

 そして遅れて衝撃と轟音が潜水艦を内側から吹き飛ばしたのだった。




用語解説

・用語解説がない回は平和な回と言ったな。
 あれは嘘だ。


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第十二話 回収

前回のあらすじ
敵海賊の自爆攻撃に、果たして紙月たちは無事で済んだのだろうか。
まあ、話の展開的に無事なんだろうが。


「うぉぉぉおおおお、死んだのか! 私は死んだのか!?」

「生きてますよ」

「おお、よかった! まだ海に飛び込んでなかったから死ぬかと思ったぞ!」

 

 そのように大いに喚き散らしたのは社長のプロテーゾであった。

 まさか船が目の前で爆発するなどとは思わなかったらしい。実際、この世界の海戦では白兵戦でけりをつけることがもっぱららしく、大砲の砲弾も爆発などしないもので、そもそも爆発自体余り見慣れないものなのだろう。

 

 幸いにも未来がシールドを張るのが一足早かったおかげで船は無事助かったのだが、問題はその後だった。

 

 船員たちが語るにはこうである。

 

「船首が落ちてないのが奇跡っすね」

「自爆時も突っ込んだまんまでしたからねえ」

「特別頑丈に作っているとはいえ、あの不思議な結界がなければどうなってたことやら」

 

 さすがに衝角攻撃後接舷したままという至近距離だったため、完全にはダメージを防ぎきれなかったようで、船体のあちこちにガタが来ているのである。そうでなくても直前に紙月の風魔法で大分負荷をかけていた後である。

 

 護衛船たちも帆をほとんど破られており、これを張りなおすのに手いっぱいで、こちらへ参戦する余裕もなかったようである。

 

「結局、海賊は退治できたってことでいいんですかね」

「うーむ。なぞは多く残ってしまったが、仕方があるまいな。とはいえ報告に困ったものだ。あのような摩訶不思議な代物を何と説明したものか」

「記録水晶、とかでしたっけ? つんでないんですか?」

「あれは高価でなあ……しかし、今後があれば事故の検証のためにもつけておくべきかもしれん」

 

 浮かんでいて回収できるものは回収するとして、残りは後日、山椒魚人(プラオ)たちの引き揚げ屋に頼んで、何か残骸の一つでも回収しなければならないとプロテーゾは大きなため息を吐いた。

 

「もしかして赤字ですか?」

「もともと赤字前提ではあったのだが、通商に多大は被害が出ていたので、帝国から予算の出ている依頼だったのだよ、これは。これで無事に通商が再開できればハヴェノは万々歳だが、証拠があがらなければ私の会社は傾きかねん」

「そんなに!?」

「帝国の後押しもあって、絶対の意気込みでそろえたこの船団は、見かけ以上に金がかかっていてね。本来なら轟沈させると言っても、精々沈ませるという意味だったのだ。船体自体は後で引き上げられるようにな。それがあそこまで完膚なきまでに粉砕してしまうとは……」

 

 恐らくは敵の自爆もそれが目的だったのだろう。つまり、証拠品を少しでも破壊し、散逸させ、正体をつかめなくするための。もとより隠密作戦をモットーとする潜水艦など用いる相手だ。恐らく最初から仕組まれていた自爆機構だったなのだろう。

 そうなると、証拠品の回収は絶望的である。

 

 証拠が挙がらなければ帝国も金を出し渋るだろう。保険屋でも乗せていれば証言してくれたかもしれないが、どう考えても保険金の下りない危険な状況は確実だったので、乗せていなあったのである。

 

「せめて沈み切る前に装甲版でも回収しなければな……」

 

 船員たちは泳ぎの得意な者たちがこぞって網などを手に回収作業に入っているが、人出は多くない。何しろこちらの船の破損も小さくはないのだ。その補修に、けが人の手当てなど、人では余っているわけではない。

 

「紙月、なんとかしてあげられないかな」

「うん。俺もそう考えていた。これはいい稼ぎ時かもしれん」

「紙月のそういうところ嫌いじゃないけど、どうかとは思うよ」

「ただでやると後々響くからな。どんな仕事でも仕事である以上は報酬はいただく」

「君たち何を話しているのかね。まさかとは思うが、まさか。どうにかできるのかね?」

「報酬次第ですねえ」

「足元を見ないでくれ。我が社は今まさに危機にあるのだ」

「しかたない、では貸し一つということにしましょうか」

「助かる。随分大きな、貸しになりそうだが」

「なに、俺たちゃそこまでがめつくないですよ」

 

 紙月は船べりに足をかけ、回収作業に精を出していた船員たちに撤退を促した。余所者で、海のド素人でしかない紙月に、しかし船員たちは素直に従い、慌てて船に戻った。

 

 つまり、こう言ったのである。

 

「おーい、巻き込まれても知らねえぞー!」

 

 船員たちがみな予測効果範囲から離れたのを見届けて、紙月はステータスメニューを開いて、ショートカットリストを整理した。普段使わないので、どこにあったか覚えていなかったのだ。

 

「えーっと……まあ、これでいいだろ」

「非常に怖いんだが大丈夫かね、そんなに適当で」

「何かあってもあんただけは大丈夫なんでしょう」

「私はともかく会社は困るんだがね」

 

 立て直すのに苦労するんだ、とのたまう顔は、成程しぶとそうな男の顔である。自身が死にかけるのと同じくらいの頻度で会社を傾けては立て直してきたといううわさも伊達ではないのかもしれない。

 

「よし、じゃあいくか……《水鎖(アクア・ネックレス)》!!」

 

 《水鎖(アクア・ネックレス)》。それは水属性の初歩の捕縛系魔法であり、つまり相手を縛り付けて行動を阻害する魔法である。ふつうこれを単体目標に三十六連発したところで何ら意味はない。ばらけた相手に用いたところで、所詮初歩の魔法にすぎず、すぐに解けてしまう。

 しかし、ここが海原という広大な水場で、つまり水精がわんさかいるという異世界事情のもとで行使した場合、話が違う。

 

「お、おおおお………!」

 

 繰り返される《水鎖(アクア・ネックレス)》。水の鎖でできた巨大な網が海中からゆっくりと引き上げられ、漂っていた残骸ががらがらと引き上げられていく。紙月の詠唱が繰り返されるたびに《水鎖(アクア・ネックレス)》はより深く、より広くをさらい、集めていく。

 

「あ、しまったな」

「ど、どうしたのかね」

「これだけの残骸、どこに置きましょうかね」

 

 完全にバラバラになってしまっていて、曳航するどころの騒ぎではないのである。いくら紙月の魔力が無尽蔵と言えるほどにあるとはいえ、まさかハヴェノまで引きずっていく間ずっと魔法を使っているというのは現実的ではない。

 

「む、そうだな……本船が偽装として喫水を下げるために積んでいた荷を下ろそう」

 

 船というものは水の上に浮いている以上、重ければ沈むし、軽ければ浮かぶ。船を見慣れたものにとっては、その船がきちんと荷を積んでいるのかどうかというものは喫水を見ればわかるものなのである。そのため、海賊船を誘うおとりとしてふるまう以上、喫水を下げるために安価な荷をたくさん積んで誤魔化していたようである。

 

「じゃあ、しばらくこの船の上に吊り下げておくんで、積み荷を降ろし次第回収するって形で」

「そうしよう」

「貸しをお忘れなく」

「……そういえば帝都の知り合いを紹介するという貸しが」

「おっと疲れてきたな落としそうだ」

「わかった! わかったから!」




用語解説

・《水鎖(アクア・ネックレス)
 《魔術師(キャスター)》系統の覚える最初等の水属性デバフ《技能(スキル)》。
 相手の行動を阻害する転倒や窒息などの状態異常のほか、単に行動速度を低下させたりする。
『《水鎖(アクア・ネックレス)》! これほど皮肉な名づけをするものじゃよ、魔術師とは。美しくはあるが、首にかけたが最後じわじわと苦しめる……ついでに水でしかないからアクセサリにもならん』



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最終話 ホット・リミット

前回のあらすじ
無事海賊を撃退した紙月たち一向。
あとはそう、バカンスだ。


 船が予定よりも早めに帰港して、そのぼろぼろの惨状を見せつけるにあたって港では何事かと大いにざわめいたものだった。

 プロテーゾが海賊船の残骸を港に広げて見せ、また森の魔女こと紙月とその盾の騎士未来を並べて海賊退治の報をぶち上げると、ざわめきは大歓声に代わり、あちこちで日も高いうちから酒瓶を開ける音が響き始めた。景気のいい船主などは、酒の樽を開けてもいる。

 海賊騒動は、目には見えぬようでいて、港の人々の心中に深い不安を落としていたのだろう。

 

 海賊を見事仕留めたプロテーゾとその商社は大いに褒め称えられ、不死身のプロテーゾまたも生き残ると大いにはやし立てられていた。

 そして脚色も華やかに尾ひれも背びれも胸びれも、なんなら尾頭までついた森の魔女の海賊退治の物語は、その日のうちにハヴェノの町中に広まった。ハヴェノの町中に広まるということは、一週間以内には、街道でつながる全ての町に森の魔女の偉業がさらに頭を二つか三つ増やして伝えられるということであったが、これに関しては、紙月たちはもうあきらめることにした。

 

 未来は鎧を脱いでしまえば盾の騎士の面影などないし、そんな未来を連れている紙月も、衣装を黒尽くめから少し色合いを変えてしまうだけであっという間に町並みに紛れてしまう。ましてうわさ話にかけらも出てこない、むくつけき斧男二人がお供についているとなれば、これはもう誰も本人とは思わなかった。

 

 白のワンピースドレスに麦藁帽という、そのあたりに何人もいそうな変哲もない服装は、ともすれば人込みに紛れて数秒もすれば見失ってしまいそうなほどにありふれたものであったが、スカートを翻してどうだ似合うかと笑う紙月に、未来はそっと小首をかしげたのだった。

 

「いっそ男物買えばよかったんじゃないの?」

「うーん」

 

 街中なのだし安全だろうと未来は思うのだけれど、紙月はいまだに装備品の数値にこだわるのだった。この田舎から出てきたばかりのような服装だって、立派なゲーム内装備である。

 

「仮にの話なんだが」

「なあに」

「お前が攫われても俺は心配しない。お前を傷つけられるやつが想像できん」

「ちょっとひどいんじゃないそれ」

「まあまあ。だがおれは自分が攫われる姿は容易に想像できる」

「自信満々に」

「そうなるとお前に迷惑をかけるので、せめてもと自衛しているわけだ」

「成程」

 

 紙月はそう言って、さあ海遊びでもしようかとさっさと浜へ歩き始めるのだが、上機嫌そうなその後ろを歩きながら、未来は小首をかしげるのだった。

 

「本当はちょっと楽しくなってない?」

「……ちょっとだけ、な」

 

 舌を出して笑う姿は成程魅力的だった。

 

 

 

 海開きはもう済んでいるということで、浜には多くの観光客が集まっていた。泳ぐ者もいるし、浜を駆けまわるものもいるし、蔦のようなものを編んだ球で遊ぶ者たちもいるし、そしてまた最大勢力はかまどに網を広げて肉を焼く勢力だった。

 

「バーベキュー見てるとアメリカンって感じがする」

「文化的には一応ヨーロピアンっぽいんだけどなあ」

 

 人々はみな水着姿だったが、その水着一つとってもスタイルに大きく幅があった。首元から足元まで覆う全身型のものもあれば、ほとんど局所しか覆っていないようなものまであり、文化が妙にごちゃ混ぜになっているような光景である。

 

「普通こう、もっとみんな似たような感じになるんじゃないのか……?」

「水着に関しちゃ、帝都が毎年新しい意匠を考えちゃ広めてるんでさ」

「それで流行り廃りが激しいから、ああやっていろんな水着が出回ってるのさ」

「デザイナーってのはどの世界でも……」

 

 そういうハキロとムスコロは、昔ながらというか、手入れも簡単だというふんどしのようなスタイルである。これがひょろい優男なんかだとみっともないが、筋骨隆々の二人は実によく似合っていた。ただし見ていて楽しいというものでもなかったが。

 

 未来はゲーム内アイテムの《勇魚(イサナ)皮衣(かわごろも)》と呼ばれる、トランクスタイプの水着を身に着けていた。これは装備していると水中での活動が可能になるというもので、水中ステージに挑むにあたって必須のアイテムだった。ただ、未来がフル装備で挑んだ場合、鎧の上にトランクスタイプの水着を履くという大変シュールな絵面であったが。

 

 そして紙月はというと、ビキニタイプの水着にパレオを巻き、麦わら帽子をかぶった夏らしい装いだった。この水着もゲーム内のアイテムであり、その名も《魅惑のマーメイド》という。未来の装備と同じく水中での活動が可能になるほか、異性の敵に魅了効果のある装備だった。

 現状でこの異性に当たる部分が一体何に当たるのかは不明であったが、すくなくとも筋肉ダルマ二人は男とわかっていながらも目をそらせずにいたし、そして未来は、その二人のすねを蹴りつけていた。

 

「未来は意外と筋肉ついてるんだな。お、水着にしっぽ穴付いてる」

「動物学的な観察をどうも。……紙月、とっても似合ってるよ」

「え? お、おう。なんだか恥ずかしいな……あんがとよ」

 

 日差しは強く、白い砂浜の照り返しは暑い。

 だが風は心地よく、潮の香りが異国を思わせた。

 夏はまだ、始まったばかりだった。




用語解説

・白のワンピースドレス
 ゲーム内アイテム。正式名称《あの夏の思い出》。女性キャラ専用装備。特定の組み合わせで装備することで防御力を大幅に高めることができる。夏のイベント限定で入手できた。
『今も僕は覚えている。抜けるように青い空を背に、君の白いワンピースが、泣きたくなるほどに眩しかったことを』

・麦藁帽
 ゲーム内アイテム。正式名称『夏のいたずら』。攻撃を受けると低確率で装備から外れてしまうが、特定の組み合わせで装備することで防御力を大幅に高めることができる。夏のイベント限定で入手できた。
『待って! ああ、待って! それは風にさらわれた帽子を追う声だったのだろうか。それとも。いや、やめておこう』

・《勇魚(イサナ)皮衣(かわごろも)
 ゲーム内アイテム。夏限定イベントで登場する特殊なMobから確率でドロップする。水中活動が可能になる。
『勇魚の皮を羽織れ、海に挑め。その先に挑むべきものがあるのだから』

・《魅惑のマーメイド》
 ゲーム内アイテム。夏限定イベントで登場する特殊なボスから低確率でドロップする。女性専用装備。水中活動が可能になる。名前のわりにパレオで生アシが見づらいのではという意見もあった。
『夏、海、そして水着。なぜだろう。たったこれだけでぼくらは限界を超えられるのだった』



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第五章 フレンド・オブ・オール・チルドレン
第一話 どうにも、退屈


前回のあらすじ
海賊を無事蹴散らし、魅惑の夏を楽しんだ一行であった。


 南部の海で海賊が氷漬けにされたとか火炙りにされたとか、どうにも過激な噂が世の中を騒がす一方で、《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》はやはりどうにも暇だった。

 

 実際には暇なのは一部だけで、多くの冒険屋たちはそれぞれにそれぞれの仕事にいそしんでいるわけなのだが、それはそれとして暇である一部にとってはやはり退屈というほかになかった。

 

「こう、さあ……普通の魔獣退治とかでいいんだけど、ダメかな」

「ぼくらすっかり危険物コンビ扱いされてるからねえ」

 

 事務所の広間でだらんとくつろいで見ていたりはするが、心は全く退屈のあまり落ち着きはしない。何しろ海賊退治からしばらく経つが、その間ずっと何も仕事が入ってこないのだ。

 

 そこそこ強い魔獣が出たとかではもう呼ばれもせず、顔を出そうものなら過剰暴力だの魔獣が哀れだの散々な言われようなのだった。

 

 紙月としても、自分がフルパワーで戦うような事態がそんなに何度もあってたまるかとは思いもするけれど、それはそれとして手ごろな運動もとい、気軽に受けられる依頼があってもいいのではなかろうかとも思う。折角の異世界なのだ、もうちょっと高難易度の任務がごろごろしていてもいいんじゃないかと思う。

 実際にその異世界で生活している側からしてみれば、紙月と未来に見合った依頼がごろごろしているようなそんな世界たまったものではないのだろうけれど。

 

 実際のところは、こうだった。

 つまり、最初こそ、地竜退治の件だって幼体だったからとか運がよかったからと考えていたらしい西部冒険屋組合も、二人が方々でやんちゃをするたびにその認識を改めてきているらしく、事務所のおかみであるアドゾがどうのというより、その上の大組合のほうで危険視されているらしく、依頼が制限されているのだった。

 

 いっそ組合の方で召し上げて、専属の冒険屋として縛ってしまってはどうかという意見もあったが、問題はだれが責任をもってこの二人を管轄下に置くかということだった。うまいこと運んでいるうちはいいかもしれないが、いつ爆発するかもわからないのである。

 それなら今のまま、《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》に押し付けてしまった方が楽でいいし、いざとなれば切り捨てるにも話が早い。

 

 アドゾの方でもそのあたりのことは何となく察しているので、腹こそ立つものの、表向きは大人しくしているのだった。

 まあ、それはそれでやっぱり腹が立つのは腹が立つので、そのうち適当な依頼を放り投げてやって、組合を慌てさせてやろうとか、逆に組合が押し付けてきた依頼を書類不備ではねてやろうかなどと考えていたりもするのだから、冒険屋の事務所など開いているやつに碌な連中はいない。

 

「ちわーす。飛脚(クリエーロ)のお出ましやでー」

「あらやだ、今日もいい男前じゃないか」

「おかみさん、そんな空が青いみたいなこと言いなんな」

「観賞用のためだけに飛脚(クリエーロ)呼びたいくらいだよ全く」

「お疲れでんな。書留でっせ」

「誰宛てだい……おうい、シヅキ、ミライ、書留だよ!」

 

 飛脚(クリエーロ)というのは、馬などではなく、人が自分の脚で走って宿場を継いで荷物や手紙を届ける制度であり、場合によっては馬などよりも早く届けることができる他、割合に廉価で済む。安上がりということだ。

 帝国の場合、多く足高(コンノケン)という土蜘蛛(ロンガクルルロ)の一氏族が多くこの職業についており、これによって情報伝達網はかなり強固に支えられていると言ってよい。

 

 書留というのは郵便の一種で、配達途中に万一紛失した場合にきっちり損害賠償金が出る制度のことである。これはこの異世界でも同様で、発覚した場合はきちんと賠償金が出る。そして発覚しやすいように飛脚(クリエーロ)の間でもきちんと制度が出来上がっている。

 

「はいはい、書留ですって?」

「帝都からでんな」

「はいよ。サインはここでいいかな」

「お二人分、はい、はい、シヅキはんにミライはん、はい、確かに届けましたさかい」

「あんがとさん。ぬる茶でよけりゃ」

「お、助かりまんな」

 

 くいっとすがすがしいほどに爽やかに湯飲みのぬる茶を飲み干して、足高(コンノケン)飛脚(クリエーロ)は再び夏の往来に飛び出していった。

 走り去って行く道の先では、逃げ水のそばで逃げ水啜りが舌を鳴らしているところだった。

 

 飛脚(クリエーロ)の仕事とはいえ、この炎天下に、ご苦労な事である。

 

 たらいに魔法で氷柱を生み出して暑気払いをしている紙月としては信じられない苦行であるが、遮るものもない平原育ちの足高(コンノケン)たちにとってはさしたる暑さでもないのかもしれない。いや、多分聞いたら「暑いにきまっとるがな」と涼しい顔で言われるのだろうけれど。

 

 さて、と紙月は書留をうちわにパタパタと顔を仰ぎながら氷柱のそばに戻り、極々小さい魔力で《金刃(レザー・エッジ)》を唱え、小さな刃物をペーパーナイフ代わりに生み出した。これは氷柱作りの際にいろいろと試した結果編みだした小手技で、魔力の量や質、流し方次第で魔法の細かな制御に成功したのである。

 さらには、《金刃(レザー・エッジ)》のように後に残る魔法でも、魔力に分解して再吸収可能なことまで発見している。

 

 これはもはやただの《技能(スキル)》ではなく、この世界に適応した魔法としての形だなと、紙月はひそかに自賛していた。なにしろ今更この程度のことをしたくらいではみんななんとも思ってくれないので、自分で褒める他にないのだった。

 

「帝都の……帝都大学? の博士さんだとさ」

「帝都大学……あ、あれじゃない。前に、ミノ鉱山に行った時の」

「あー」

 

 以前、ミノという鉱山に依頼で鉱石を掘りに行ったことがあった。その時の依頼人が確か帝都のなにがしという人であり、研究用に用いるということであったから、大学の博士と言えばちょうどそれに合致する。

 

「というか大学なんてあったんだな」

「他に聞かないもんねえ」

 

 学校と名のつくものは、スプロの町にはない。今まで巡ったほかの土地にもなかった。読み書きに関しては言葉の神の神殿で片が付くし、専門的なことはそれぞれの職業の組合で教えてくれるものなのだ。また、貴族ともなればそれぞれに家庭教師を雇うのが普通である。

 だから学問を専門的に扱う組織というのは実は、帝都の大学をおいて他にないのである。

 

「どれどれ……おお、結構な額だな」

「本当だ。ピオーチョさんたち頑張ってくれたんだねえ」

 

 封筒から取り出した為替の額は、そろそろ金銭感覚の麻痺してきている二人にしても満足のいく額であった。

 鉱山を爆破して崩落させてしまったため、実際に鉱石を採掘し、また魔物の素材を剥いで帝都に送るという作業は現地の冒険屋に任せてしまったため、どのくらいであるのか二人は良く知らなかったのだが、良い仕事をしてくれたようである。

 

 しかしそれにしても、囀石(バビルシュトノ)たちの協力もあってかなりの採掘量が見込めたとはいえ、惜しみなく賃金が支払われているというのは意外であった。

 というのは、あの現場ではかなりの量の魔物の素材が取れたはずで、その全てを送り付けたのだとしたら、多すぎるとしてかえって買取を拒否される可能性もあったのだ。それをしっかり全て支払ってくれているようであるから、余程金があったのか、余程需要があったのかである。

 

 ともあれ、これでまたしばらくの間は生活費に困ることもない。今でもまあ困ってはいないのだが、あるにこしたことはない。

 

「ん? まだなんか入ってるな」

「手紙みたいだね」

 

 並んで覗き込んだ文面は、招待状であるらしかった。




用語解説

飛脚(クリエーロ)(kuriero)
 一般に知られているかどうかは作者はよく知らないのだが、多分知られている飛脚とほぼほぼ同じ。
 馬などではなく、人が走って荷物を運ぶ。某運送会社のロゴマークに使用されているあれ。

・逃げ水啜り
 陽炎の一種である逃げ水の周りに集まり、逃げ水を啜るとされる魔獣。
 夏場によくみられるが、接触したという実例は皆無に等しい。
 実際魔獣と考えるより幻覚なのではないかという説もあるが、どちらにせよ原因は不明。

・帝都大学
 帝国に唯一存在する専門の学術研究・教育機関。
 入学金と成績のみで学生を受け入れており、貴族であろうと平民であろうと成績以外で自分を語れるものはいない能力主義。
 ありとあらゆる学問を受け入れると称しているが、特に魔術科は混沌とし過ぎていて、もはや全容がしれないともっぱらの都市伝説である。


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第二話 帝都からの招待状

前回のあらすじ

帝都からお手紙が届いたのであった。
読まずに食べておけばよかった。


 二人が並んで覗き込んだ手紙には、およそ学者とは思えない、あるいは学者だからこそなのか、ひどい癖字で読みづらい文面が並んでいた。傾けたり遠のけてみたり、近づいてみたり傾けなおしてみたり、二人で何とかして解読した結果はこのようであった。

 

 つまり、字の汚さもとい難解さとは裏腹に、時候の挨拶から始まり、依頼の結果、予想よりもずっと多くの収穫があったことへの感謝の辞といった至極まっとうな、むしろ文化人的な内容がつらつらと並び、うまく二人の気が緩んだあたりで本題をぶつけてくるというよくできた手紙だった。

 

 本題はこうだった。

 

 貴殿等のもたらせし地竜の卵の孵化実験を執り行いたく、地竜討伐の実績ある御二方に是非とも御同席頂きたく候。

 

 つまり、大分前に帝都に送られたとかいう地竜の卵がどう巡り巡ったのかこの博士とやらのもとに辿り着き、今回孵化させてみようということになったので、万が一の危機の為に地竜を討伐した実績のある紙月と未来にも同席してもらって万難を排したい、とこのような次第であるらしい。

 

 勿論報酬についても確かな額が約束されていたし、協力者として論文や関係書類にも名を残すことを重ね重ね述べられているのだが、それが嬉しいかどうかと言われると微妙な所である。

 

「どう考えても失敗するイベントだよな、これ」

「バイオなハザードを予想させる感じだよね」

 

 古来から、強大な生物を御そうという実験は失敗してヘリコプターが落ちると決まっているものなのだ。

 

「帝都には行ってみたかったけど、なあ」

「ちょっとついでにって感じじゃないもんね、このイベントの重さ」

 

 帝都には、メートル法をはじめとした元の世界の知識を持ち込んだ誰かがいるかもしれない、ということを伝え聞いたのは海賊討伐の依頼でのことだった。元の世界に帰る手掛かりがあるかもしれないし、そうでなくても同郷の人間には会っておきたいところであった。

 

 とはいえ、なにしろ危険物扱いされてなかなか自由に動けない身の上で、ちょっと帝都観光に行ってきますというのは難しかったのである。別にアドゾは止めなかったが、組合は目を光らせていると言われてしまうとさすがにやる気が起きなくなった。

 

「いいじゃないか。どうせ退屈してたんだろう」

 

 ところが、そのアドゾが後押ししてきたのである。

 

「招待状貰ったんなら断る方が失礼じゃあないか」

「そうは言いますけどねえ」

「第一、地竜の孵化実験だって? そんなもの対処できるの、当代でそう何人もいないだろうさ」

 

 そう言われてしまうと、弱い所であった。

 実際には西部冒険屋組合にニゾやジェンティロといった面子があったように、帝都にも生まれたての地竜ぐらいどうとでもできるような戦力はありそうなものであったが、それでも何かあった時に、どうして来てくれなかったのだと言われると、心苦しい。

 

「帝都行きたかったんだろ?」

「まあ、ついでがあれば程度ですけど」

「ちょうどいいついでじゃないか。観光しといでよ」

「観光というにはあまりにも重めなイベントなんですけど」

「一生に一度もんだよ、地竜の孵化なんざ」

「そう言われるとなんだか貴重な気がしてきますけどね」

 

 うだうだともめる紙月とアドゾを止めたのは、手紙から離れて氷柱にへばりついていた未来だった。

 

「紙月、もういいよ。素直に行こうよ」

「つったってなあ」

「大人には大人の都合があるんだよ」

「へあ?」

「あんたもミライくらい大人になりなってことさ」

 

 つまりは、ちょうどいい切っ掛けがあったから、アドゾとしては面倒ごと、つまり紙月と未来によそに行ってもらって、少しは気の休まる時間を過ごしたいのだと、そう言うことであった。

 そしてまた更に言うならば、散々締め付けを食らわせてきている西部冒険屋組合の管轄を超えた帝都でひと暴れでもして、すかっと気晴らしでもして来いというのである。

 

「それにさ、紙月。結局南部でお刺身食べ損ねたじゃない」

「あー」

「帝都だと、南部から直送の冷蔵便でお魚届くから、お刺身食べられるらしいよ」

「おお」

 

 南部では何度となく生魚を食べる機会があったのだが、連れのハキロとムスコロが絶対腹を下すと怯えに怯えるので、食べ損ねてしまったのである。あれは大いにもったいないことであったと、確かに後悔していたのだ。

 

「南部よりすっごく高いけど、でもちょうどお金も入ったし、観光料金だと思ってさ」

「ううむ」

「どうせしばらくどこにも行けそうになかったんだし、折角なんだから御呼ばれしちゃおうよ」

「フムン」

「夏が終わるまで西部で氷柱抱いてるなんて、僕、嫌だよ?」

 

 言葉を重ねられれば重ねられるほど、気持ちはぐらぐら傾いてくる。

 しかし、しかしだ。

 

「どうしてまたそんなに推すんだ?」

「いや、だって、ほらさ」

 

 未来ははにかんだように笑った。

 

「怪獣が生まれるシーンって、やっぱり憧れるじゃないか」

 

 子供のためなら何でもできる、そんな親心が理解できた瞬間だった。




用語解説

・怪獣が生まれるシーン
 どうしてこうも心をくすぐるのだろうか。


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第三話 帝都

前回のあらすじ

子供の笑顔には勝てなかった。


 帝都は帝国の首都ということで帝都と呼ばれており、スプロの町やミノの町といった風な帝都なんたらという名前はついていないらしい。ということを知ったのは、案内人としてついてきたムスコロから道中で聞いた話である。

 道中と言っても、馬車ではなく、例によって魔女の流儀、すなわち《魔法の絨毯》の上での話だが。

 

「もともと帝都ってのは、北方の荒涼の大地、いわゆる不毛戦線の向こうにいやがる聖王国に対する防衛陣地として始まったもんなんでさ」

 

 相変わらず見た目の割にインテリなムスコロは、絨毯の上に小物を並べて簡単な地図を作って見せた。

 

「辺境から北部までは峰高い臥龍山脈が塞いでやす。西部じゃあご存じ大叢海がうまく蓋をしてくれる形になってやす。ところが帝都の真北のあたりだけがちょうど臥龍山脈と大叢海が途切れた平野が続いていやして、何度となく聖王国はここから攻め入ってきやした。幾度とない争いで荒廃したこの地帯を不毛戦線と呼んでるんですな」

 

 聖王国というのは、人族のもっとも古い国家であり、文明の神ケッタコッタを信奉する単一種族国家で、そしてかつて東西両大陸をその手中に収めるところまで行った強大な国家であったらしい。

 しかしその専横に神々も嘆き、言葉の神エスペラントが遣わされ、各々の言葉と文化を持って争っていた各種族をひとつなぎの言葉交易共通語(リンガフランカ)で隣人種として結び付け、激しい戦いの末に狭い北大陸に押し込み、封じ込んだ。これが帝国の始まりであるという。

 

 その後帝国は、何度か内部で分裂しながらも、聖王国に動きがあるたびに一致団結してこれに抗い続け、そしてようやく今のように一つの国家として東大陸を平定したのだという。

 

「今でも聖王国は健在で、いざとなれば不毛戦線を舞台に対応できるよう、帝都ってのは帝国の文明の発信地であると同時に、軍事の最大集結地点でもあるわけです。……あー辺境除く」

「辺境?」

「辺境てなあ、まず人間が住み着くには向かないってくらい厳しい冬の訪れる土地でしてな。その上、臥龍山脈の切れ目がある」

「じゃあ聖王国がやってくるかもしれないのか?」

「聖王国でさえ来んでしょうな。なにしろ、代わりに飛竜どもがやってくる」

 

 聞けば飛竜というのは、地竜と同じく竜種の一種で、地竜ほど硬くはないけれど、自由自在に空を飛びまわり、まず攻撃の届く範囲まで引きずり下ろすことが大変であるという。単純な比較はできないものの、およそ人間が相手にするものではないという点では同じだとのことである。

 

「辺境のもののふたちは、帝国ができるよりずっと以前から、この飛竜を臥龍山脈の向こうに抑え込むために、大陸中から種族文化問わずに集まった酔狂たちでしてな」

「こっちで例えりゃ、地竜が何頭もやってくるのを退けているわけだ」

「そういうわけでやす。帝国に参加したのも先の大戦が初めてというくらいで、詳しいことはあまり」

「先の大戦てなあ、いつ頃だい」

「百年以上前ですな」

「そんなに経つのに、まだ知られてないのか?」

「いや、その自分の物語なんかは劇ではやったりしてるんですがね、何しろ、その、環境が厳しいでしょう」

「……あー、誰も、行かない、と」

「辺境の連中も、たまには出てくるんですけれど、暑いのが苦手みたいで、もっぱら北部辺りまでしか出てこないみたいですなあ」

 

 となれば、辺境人に会う機会があるとすれば、北部まで出向くか、死ぬ気で辺境に顔を出すか、あるいは奇特な辺境人がこっちに来てくれるのを待つほかにないわけだ。

 

「ああ、でも、最近は辺境出の冒険屋が北部で活躍してるみたいですな」

「へえ?」

「なんでも朝飯代わりに乙種魔獣をバリバリ食っているとか」

「帝国人その言い回し好きな」

「まあ冗談はさておき、得手不得手なく魔獣を平らげちまうってのは本当らしいですな」

「いずれ会ってみたいけど、こればっかりは縁だよなあ」

「なんでもパーティの頭は白い髪の娘だそうですから、冒険屋やってりゃそのうち出会うかもしれませんなあ」

「なんだいそりゃ。どんなジンクスだ」

「冒険屋の大家に南部はハヴェノのブランクハーラ家ってのがありまして、八代前から冒険屋やってるんですがね」

「酔狂の極みだなあ」

「その家でも冒険屋として大成するのはみんな白い髪の持ち主だそうでして、昔っから白い髪の冒険屋は旅狂いってえ話なんでさ」

「成程なあ」

 

 ブランクハーラというのは、交易共通語(リンガフランカ)で白い髪という意味である。

 

 ブランクハーラの者に誰か会ったことがあるかと尋ねてみれば、子供の頃に西部までやってきたブランクハーラの女に会ったことがあるという。

 

「《暴風》なんてあだ名された女でしたがね、ありゃあ本当にすさまじいもんでしたよ。二つ名の通り、嵐のようにやってきて、嵐のようにずたずたに引き裂いて、そして嵐のように去っていくんでさ」

「何その天災」

「まさしく天災でしたよ、魔獣どもにとっちゃ。姐さんも大概強いが、あの女も地竜ぐらいはやれたんじゃないかってそう思いますね」

「本人を前に言うじゃないか」

「酔った勢いで斬岩なんてやらかすやつでしたからね」

「岩くらいなら俺だって」

「素手で」

「素手で」

「砕いたとかじゃなくて、岩を、素手で、スパッと切っちまったんでさ」

「人間の話してる?」

「ブランクハーラの話をしてやす」

「ああ、そういうジャンル……」

「全く恐ろしい女でしたよ、《暴風》マテンステロってのは」

 

 およそそのように話をしているうちに、馬車で最低十日はかかる道は瞬く間に過ぎていったのだった。




用語解説

・聖王国
 人族最古の国家にして、隣人種最大の戦犯。
 かつて東西大陸を支配下に置いたものの、ひとつなぎの言語交易共通語(リンガフランカ)を得た隣人種たちに叛逆され、現在は北大陸に押しやられている。
 今も返り咲く時を待っているとして、帝国と現在もにらみ合っている。

・臥龍山脈
 大陸北東部に連なる険しい山々。巨大な龍が臥したような形であるからとか、数多くの龍が人界に攻め入らんとして屠られ、そのむくろを臥して晒してきたからとか、諸説ある。
 北大陸に竜種たちを抑え込んでくれている障壁でもある。

・不毛戦線
 幾度となく戦場となり、荒れに荒れ果てたことからついた地名。
 聖王国と帝国の国境線ともいえる。

・辺境出の冒険屋
 実は辺境には冒険屋が少ない。皆、自分でどうにかできてしまうくらいに強いからだ。
 その辺境から出てくる冒険屋というものはもっと少なく、ちょっとした話題にはなるようだ。

・ブランクハーラ
 記録に残るだけで八代前から冒険屋をやっている生粋の酔狂血統。
 帝国各地で暴れまわっており、その血縁が広く散らばっているとされる。
 特に白い髪の子供はブランクハーラの血が濃いとされ、冒険屋として旅に出ることが多いという。

・《暴風》マテンステロ
 ブランクハーラの冒険屋。二刀流の魔法剣士。白い髪の女で、気性はいかにもブランクハーラらしいブランクハーラ。
 つまり自分勝手で気まぐれで旅狂いで酔狂。


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第四話 帝都大学

前回のあらすじ

帝都までの道のりは速いものだった。


 帝都近くまでたどり着いて絨毯を降り、さて、見上げた門は実に立派なものだった。外壁自体がまず他の町々よりもはるかに立派で、比べ物にならない。高く、分厚く、そして土蜘蛛(ロンガクルルロ)のものとみられる装飾が壁面に緻密に彫り込まれているのである。

 

「こりゃあ、壁面見物してるだけで日が暮れそうだなあ」

「以前来た時に聞いたんですがね。ありゃあ全部ただの彫刻じゃあなくて、魔術彫刻だそうで」

 

 西部で見かけた刺繍で魔術を織り込むのと同様に、彫刻の形一つ一つが魔術の式となり陣となっているのだそうである。

 

「そりゃあ、調べてたら日が暮れるだけじゃすまなそうだな」

「何しろ古代からのものもあるんで、大学にゃあ壁面の研究している連中もいるそうでさ」

 

 主には魔獣除けや、単純な強度の底上げと言ったもののほか、外部からの攻撃に対して自動で反撃するシステムや、悪意ある魔術の侵入を防ぐ機能があるそうである。

 

「姐さんが使えるかどうかは知りやせんが、転移呪文も帝都の中には侵入できないそうでさあ」

「……それ、試したら怒られるかな」

「あっしのいねえところでやってくだせえ」

 

 《魔術師(キャスター)》の魔法を、初等の者ならすべて揃えている千知千能(マジック・マスター)の紙月である。いくらか高等な呪文とはいえ、転移呪文も心得ている。とはいえ、警告されたうえで使うほど軽率ではなかったが。

 

 門までの列は長かったが、いざ辿り着いて衛兵に冒険屋章と招待状を見せると、検査もほどほどにさっさと通されてしまった。

 

「帝都大学より通達が来ております。随分お早いおつきですね」

「魔女のたしなみでね」

「フムン。迎えの馬車を用立てますので、しばしお待ちを」

 

 慌てた様子で衛兵たちは準備を進めてくれた。

 ムスコロは少し気まずげに、耳打ちした。

 

「普通は少し前の宿場や町から、飛脚(クリエーロ)なんかでそろそろつきますってえ手紙を出しておくんでさ」

「そういうもんか」

「あっしもこういうきちんとした出迎えは慣れねえんで、すいやせん」

「いや、俺たちも気が付かなかった」

 

 なにしろ電子メールも電話もない世界である。連絡というものはもう少し気にかけなければならないなと紙月たちは反省した。相手があることなのだから、魔女の流儀だからと何もかも自分の都合で動いていては、いずれどこかで問題が生じていただろう。

 

 ムスコロのような現地人の案内がこれほどありがたいと思うことはない。

 しかしそのムスコロも、招待されているわけではないし、用事がすむまで観光でもしていやすとさっさと姿を消してしまった。

 なにしろ酒さえ入っていなければ妙に察しのいい男であるから、面倒ごとの匂いを嗅ぎつけたのだろう。山火事を察する野ネズミのごとしである。

 

 少し待って用意された馬車は、貴族が使いそうな立派な馬車であった。帝都大学の馬車であるという。そして珍しいことに、馬車を引いているのは馬であった。

 

「いや、馬車なんだから馬なんだけどよ」

()()()()()って、見るのも久しぶりだよね」

 

 この馬は、いわゆる四つ足で、蹄があって、鬣のある、元の世界と同様の馬であった。帝都では馬と言えばこの馬のことというくらい、蹄ある馬が多く用いられている。これはかつて聖王国、つまり人族の勢力を追い返した時に大量に取り残された馬たちの子孫であるという。

 

 さて、この用意された馬車に乗って帝都を進むのだが、対聖王国の防衛陣地と聞かされていた二人の目には、帝都はかなり洗練された町並みに見えた。石造りの町並みは、それこそ現代に残るヨーロッパの町並みにも似た市街である。

 馬車の通る車道があり、人の通る歩道があり、上下水道が敷設され、街灯らしきものも等間隔でたてられている。建物は多く三階以上あり、計画的に碁盤目状のブロックが形成されていた。

 

「これはまた、想像以上の町並みだなあ」

「帝都は聖王国時代の町をそのまま拡張して使っていますからね、遺跡レベルの高度な技術がふんだんに使われています」

 

 遺跡というと古びたイメージがあるが、この場合、古代の非常に高度な技術が、その知識だけが失われて再研究されているような意味合いである。

 御者によれば特に上下水道などは非常に洗練されており、蛇口をひねれば水が出るというのは、帝都を含め大きな町にしか見られない特徴であるそうだった。

 

 確かにスプロでも、そう言った施設は見かけたことがない。

 

 馬車はしばらくアスファルト敷きらしい非常に滑らかな車道を揺れも少なく進み、そしてどこまで進むのかと思ったあたりで、別の門から外に出てしまった。

 

「おっと?」

「帝都大学は非常に敷地が広大でして、帝都郊外に建てられているんですよ」

 

 御者によればそのような事であった。

 

 そうして馬車でしばらく進み、これまた普通の町程度に立派な門をくぐって、それでもまだ大学らしき建物というものは見えない。

 

「本棟はこれよりさらに先に進みます。我々の目的地である魔術科の実験用仮設施設ははずれの方ですね」

 

 馬車は進みながら、あちらが魔術科の棟、あちらが農業科の棟、あちらが政治学の棟、と説明していってくれるのだが、成程、帝都大学というのはもう、それ自体が一つの町と思った方がよさそうである。立ち並ぶ棟はそれぞれに馬車で移動するのが普通のようで、かなり贅沢な土地の使い方である。

 

「もっぱら魔術科のせいです」

 

 これも御者の言である。

 

「何しろ学問というものは様々な分野がかかわってくるものですから、昔はそれぞれの棟も近かったのですけれど、魔術科棟から火災やら爆破やら変な煙やら新種の魔獣やらと湧き出てきたので、仕方なくそれぞれの棟を離して安全を図っております」

 

 それでなくとも学者というものは近づけておいてもいいことはないというのが御者の言で、喧嘩しないように遠ざけておいた方が本人たちのためであるという。なかなかずけずけ言う御者である。

 

 そのような与太話を繰り広げながら辿り着いたのが、仮設であるという割には立派な木造の建物だった。装飾は少ないが、規模だけなら屋敷と言っていい。

 

「では、私はこれで」

 

 そういってさっさと去っていってしまう御者の姿は、あれは逃げ出しているのではと思わせるほどの拙速ぶりである。余程魔術科とやらと関わりたくないらしい。

 

 そして取り残された二人はというと、ノッカーを鳴らす前に、よくよく脱出経路を相談するのであった。




用語解説

・魔術彫刻
 その掘方や形状そのものが魔法となっている彫刻。
 特定の状況、または呪文などに反応して効果を現す。



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第五話 実験用施設

前回のあらすじ

いかにも危険の匂いのする実験施設までやってきたのだった。


「はーい、どちら様ですかー?」

 

 どこのお勝手か、と言いたくなるほど平凡な出迎えをしてくれたのは、もはや半分くらい元の色がわからなくなっている白衣を羽織った銀髪の女性だった。

 

「《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》から参りました、冒険屋の紙月と未来です」

「冒険屋……あー、あー、あー、ちょっと待ってくださいね」

 

 ぱたん、と静かにドアが閉められ、そしておそらくは本人としては隠しているのであろうが、隠し切れない大騒動がドアの向こうで繰り広げられ始めた。

 

「仮眠中止! 仮眠中止ー! 冒険屋さんもう来たって!」

「ええ? まだ十日くらいは猶予あるんじゃないの……?」

「でも来てるんだって! 起きてアカシ! せめて服着て!」

「わかった、わかったから、揺らさないで……」

「ああ、せめて見える所だけでも片付けないと!」

 

 事前に連絡を入れないとどういうことになるのか、非常に反省させられる音声をお楽しみください。

 まるで戦争でもしているのかという激しい物音の続く十分間が過ぎ、そして改めてドアが開かれた。

 

「お、お待たせしましたー。どうぞ、中へ」

「アッハイ」

 

 仮設実験用施設とやらは、荒れに荒れていた。本人たちは何とか片付けたつもりなのだろうが、そもそもの感性がずれているのだろうか、それとももうどうしようもないとあきらめたのか、たたまれもしない洋服はクローゼットからはみ出ていたし、書籍の類は平然と床に積み上げられていたし、もう何やら片付けようがないと悟ったらしい器具の類が、シーツにくるまれてベッドに放り投げられていた。

 

 少なくともこの乱雑さを理解しているらしい銀髪の女性は引きつった笑顔だが、もう一人の赤毛の女性となるともうへらへらと笑っているのでこちらは自覚なしとみていいだろう。

 

「えっと、お待たせしました。私が依頼人のユベルです。こっちがキャシィ」

「あはは、どうも」

「今お茶でも入れますので、そこら辺に座ってお待ちくださいな!」

 

 ユベルと名乗った銀髪の女性はそそくさと席を外してしまったが、困ったのは残された紙月と未来である。そこらへんに、と言われても、一応応接セットらしきソファはあるのだが、書類やら書籍やらが積まれていて完全に用をなしていない。

 

 仕方がなく適当に床におろして座ってみたが、埃がまたひどい。

 

「いやー、ごめんなさいね、もうすこしゆっくりいらっしゃると思ってまして」

 

 そう笑って同じように腰を下ろしたのがキャシィ、なのだろうけれど。

 

「……? えーと私の顔に何か?」

「ああ、いえ、顔立ちが西方の方っぽいな、と」

 

 紙月たち流に言えば、アジア人顔しているといったところだが。

 

「ああ、わかります? 実際生まれはそっちの方でして。でも帝国の人には名前が発音しづらいみたいで」

 

 本当は明石菊子というのだと女性は名乗った。

 

「明石、が言いづらいからいつの間にかキャシィに。ユベルも、本名は夕張つつじって言うんですよ。あ、もう帝国名の方が慣れちゃってますんで、御気兼ねなく」

「はあ、そう言う次第でしたら」

 

 もしかしたら元の世界の人間なのだろうかと思ったのだが、いまいちそのような空気ではない。向こうからこちらをうかがう様子もない。

 

 そして何より。

 

「唇がちゃんと動いてる」

「だな」

「?」

 

 つまり、紙月たちが日本語を喋っているつもりで話しても、実際には交易共通語(リンガフランカ)として発音されているような、唇の動きと発音とに齟齬がないのである。

 

「しかし本当に早いおつきでしたね。手紙が届いたころかなーって今朝話してたばかりなんですけれど」

「まあ、魔女の流儀というやつでしてね。もう少し早めに連絡入れるべきでしたけど」

「魔女の流儀。気になりますね。まさか転移呪文でも?」

「空飛んできたって言ったら笑います?」

「飛行呪文! とても興味深い! 当代ではなかなか使える人どころか理論自体も遺失しかけてまして、私たちも遺跡から再発見を試みている最中でして、あ、対物ですか対人ですか? 物を浮かせる呪文があるんですけど、やっぱりあれじゃ飛行には至らないんですよね。自分を浮かせて運ぶような形ではどうしても飛行に至るほどの印象形成に至らず、自分の乗った椅子を自分で持ち上げようとする不格好な感じにしかならないんですよね。そこで自動術式をかけてみてはどうかという試みが現在行われていて、」

「はいはいそこまで」

 

 ものすごい勢いで食いつかれて焦ったところで、タイミングよくユベルが戻ってくれたようであった。実に洗練された所作で甘茶(ドルチャテオ)のカップが埃と謎の書類にあふれたテーブルに起用に置かれ、そして、そしてお茶うけになのか、なぜか煮物が出てきた。

 

「すみません。茶菓子とか用意してなくて。昨晩の余りですけど」

 

 どうやら「まとも枠」ではなく「ややまとも枠」であったようだ。

 なお、帝都名物であるという芋の煮物は、しいて言うならば洋風肉じゃがといった具合で、よくよく味が染みていておいしかったのは確かであった。それが茶菓子として通用するかというと全く別の話であったが。




用語解説

・飛行呪文
 実は現代では飛行呪文はあまり一般化されていない。
 一部の術者たちがそれぞれに確立した流派でやっているため、まず体系化そのものがなされていない。
 古代にはよく用いられていたとされる。



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第六話 博士のお仕事

前回のあらすじ

散らかり、荒れ果てた研究所へようこそ。


 そもそもの話として、どうしてまたよくわからない鉱石を集めていたような学者が地竜の卵の孵化実験などしているのかということを尋ねてみると、それは逆なのだという答えが得られた。

 

 つまり、先に地竜の卵が彼女らの手元に来て、その調査のために鉱石を必要としていたということなのである。

 

「卵内部を窺う透視術式にはアスペクト鉱石を触媒として用いることが一般的なんですけれどこの鉱石が面白いことに純度も大事ですがその質量に比例して透視精度を」

「簡単に言うと卵の中身を確認してみるのにたくさんあの鉱石が必要だったんですね。石食い(シュトノマンジャント)の素材は魔術科で欲しがってる人がいましたのでついでで。協賛ってやつですね」

 

 キャシィが盛り上がってユベルがなだめるというか放置するというのがこのコンビの流れであるらしかった。

 

 ともあれ、この二人が地竜の卵の調査を任され、そのために鉱石を必要としていたということは分かった。

 

「お二人はその、地竜の専門家、ということに?」

「とんでもない。私たちは、その、何というか……もっとこう……」

「私は魔獣全般の、特に魔獣特有の魔術式の研究をしています。キャシィはもっといい加減です」

「いい加減?」

()()()()なんですよ、言ってみれば。面白そうであれば何でもします」

「はあ」

「一応、これでも優秀なのは確かなのでご安心ください。優秀ではあります」

 

 能力と人間性というのは必ずしも一致するものではないらしい。

 あはははー、と能天気そうに笑う姿には邪気はないが、同時に優秀そうという空気もない。

 

「まあさすがに初見で信用してください、危険があるかもしれない実験に参加してくださいというのは難しいかもしれませんので、一応簡単な自己紹介を。私はこれでも帝都大学で教鞭をとっている教授です」

「教授さん」

「キャシィも一応助教授の資格は持ってます」

「すごいのかな?」

「すごそうではある」

「うーん、学者相手だったらもう少し説明しやすいのに……あ、そうだ、私の発明品見ます?」

 

 せっかくなので見せてもらったのは、一見ごてごてした鎧である。

 

「資材運ぶのに結構重宝するんですよ」

「フムン?」

強化鎧(フォト・アルマージョ)といいます。霹靂猫魚(トンドルシルウロ)という魔獣の電流術式を流用しています。筋肉に適切な電流を流して、いわゆる火事場の馬鹿力をいつでも出せるようにしたものですね」

「成程、それで資材運びにね」

「でもそれって、あとで疲れるんじゃ?」

「そうですね、筋肉痛待ったなしです。でも外力で補助する既存の強化鎧よりはかなり小型になって、ようやく試用できるかもってくらいにはなってますね」

「出力は着用者次第、か」

「そこが難点ですね。ある程度鍛えた冒険屋さんなんかは自力でそのくらいできますから、実用段階まではまだまだ」

 

 その他にもユベルは様々な研究成果を披露してくれた。

 

「例えばこれなんかは、試作品の飛行具ですね」

「ひこうぐ?」

「空を飛ぶ道具です」

 

 そう言って見せてくれたのは、何やらごてごてとした機械がついたような、板である。

 

「こちらの操作盤で遠隔操作できます。こんな感じで……」

 

 ユベルが一抱えもありそうな操作盤とやらをいじると、その板が重低音を響かせながら、ゆっくりと空中を移動する。

 

「室内なのでゆっくり動かしてますけれど、実際には人が走る程度の速度は出ます」

「遠隔操作可能な距離はどれくらい?」

「これは試作品なので、まあ十メートルくらいですかねえ。きちんと調整すれば二十くらいは行けそうです」

「乗っても大丈夫かな?」

「うーん、その鎧だとちょっときついかもです。出力が内蔵してる魔池(アクムリロ)頼りなので……」

「あく、なんですって?」

魔池(アクムリロ)ですね。ようするに、魔力をため込んだ石だと思ってください」

「電池みたいなものか」

「成程」

「私は主に魔法を使えない人たちが魔法を使えるようにという観点で発明していますから、どうしても普通の魔道具よりごてごてするし、出力で劣るんですよねえ」

 

 普通の魔道具と言われて思い当たるのが、精霊晶(フェオクリステロ)を用いた道具の類である。例えば火精晶(ファヰロクリスタロ)を用いた小さなコンロであったり、風精晶(ヴェントクリスタロ)を用いた《金糸雀の息吹》などである。

 そう言った品々のことを話すと、ユベルは頷いた。

 

「あれらは極めて単純な、火精晶(ファヰロクリスタロ)であれば火を起こす、風精晶(ヴェントクリスタロ)であれば風を起こすといった、精霊の力を特定の形に向けて発揮しているんですね」

 

 例えばこれなどは、と取り出したのは、以前冒険屋ニゾが使ってみせた《静かの銀鈴》である。

 

「これは振れば一定範囲内の音を遮断する効果がありますが、これは金属自体に練りこまれた風精晶(ヴェントクリスタロ)が、風の流れを遮断することで音を遮断しているという造りです。これは《金糸雀の息吹》に比べるとかなり複雑な仕組みですけれど、やってることは同じです」

 

 翻って、とユベルは空中に浮かんだ板に腰かけた。

 

「この浮遊という現象は、一見風精晶(ヴェントクリスタロ)の仕事のように見えますが、もし風精晶(ヴェントクリスタロ)で揚力を生み出した場合、常に風が発生して消費が莫大になるだけでなく、周囲への影響が大きすぎます」

「じゃあどうやって浮かしてるんです?」

「うーん、非常に説明しづらいんですけれど、えっとですね、物が落ちるということはですね、」

「重力を操ってるんですか?」

「重力! どこでその言葉を?」

「あー、まあ、魔女のたしなみとして」

「素晴らしい! そう、重力への干渉がこの浮遊術式の肝なんです。単に重力を軽減するだけではふわふわと頼りありませんから、適切な斥力を発生させることで同一座標に固定できるということがこの発明の素晴らしい点でして、そのあたりを感性でどうにかできる魔術師どもは全く理解してくれないんですよわかりますかこの屈辱が! 木から林檎(ポーモ)が落ちる理屈さえも想像していない古典的世界観の持ち主たちがよりにもよってこの私の発明した、機械的魔術装置を『漂う板』呼ばわりしやがるんですよクッソいま思い出しても腹が立つあの教授いつかとろかした乾酪(フロマージョ)を鼻に詰めて」

 

 しばらくお待ちください。

 

「というわけでして、理論がもう少し整理されて、必要な術式を絞ることができれば、もっと小型化することも可能なんです、この《静かの銀鈴》のようにね」

「よくわかりました」

「うん。もうお腹いっぱい」

「あ、ユベル終わった?」

 

 訂正事項。

 『まだまとも枠』改め『マッド二号』。




用語解説

・アスペクト鉱石(Aspekto)
 透視術式の触媒として用いられる。精錬して純度を上げ、加圧して密度を上げることで、より精密な透視が可能となる。

強化鎧(フォト・アルマージョ)(fort armaĵo)
 外部動力でアシストするパワードスーツではなく、着込んだものの筋肉に微細な電流で刺激を与えて反射速度やいわゆる火事場の馬鹿力を発揮させる鎧。実験段階である。

霹靂猫魚(トンドルシルウロ)(tondro-siluro)
 大きめの流れの緩やかな川に棲む魔獣。成魚は大体六十センチメートル前後。大きなものでは二メートルを超えることもざら。水上に上がってくることはめったにないが、艪や棹でうっかりつついて襲われる被害が少なくない。雷の魔力に高い親和性を持ち、水中で戦うことは死を意味する。身は淡白ながら脂がのり、特に揚げ物は名物である。

魔池(アクムリロ)
 魔力をため込んでおける媒体。無色の精霊晶(フェオクリステロ)などとも言われる。

・浮遊術式
 重力に干渉することで物体を浮遊させている、らしい。



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第七話 卵を巡る談義

前回のあらすじ

マッドが一人、マッドが二人。


 両博士のマッド具合もとい優秀さがよくよくわかったところで、話題は地竜の卵へと移っていった。

 

「魔獣の専門家として、と言いたいところですが、何しろ地竜の卵の観察はこれが初めてでして、おそらく古代聖王国時代でさえこんな研究はなかったでしょうね」

「つまり我々が世界で最初、と言いたいところなんですけどねえ」

「そうではない、と?」

「どうもそうなんじゃないかな、と」

 

 両博士の言うところによれば、今回発見された地竜の卵は、自然下のものとして見るにはあまりにも不自然な点が多いとのことだった。

 

「まず我々は、この卵を奇麗に掃除しました」

「そこから」

「ええ、()()()()なんですよ」

「この卵は奇妙なほど清浄な状態で保たれていました。つまり、地面に接していた部分を除いて、これと言って汚れなどが見当たらなかったんです」

「…………それが?」

「わかりませんか。つまり、この卵は()()()()()んですよ」

 

 小首をかしげる二人に、両博士はいくつかの書類を取り出した。

 

「年代測定呪文によれば、この卵はまだ若いもののようでしたが、それでも、十年か、二十年程経っているようでした」

「そんなに卵のままなんですか?」

「大型の魔獣には珍しいことではありませんね。休眠状態のようなものです」

「問題はそこではなく、それだけ森の中で放置されていたにしては、表面に汚れがないということです」

「そっか。十年も転がってて汚れない訳ないですもんね」

「そうです。そしてさらに奇妙な点が、周囲が平穏すぎるということですね」

「平穏?」

 

 ユベルは地図のようなものを取り出して二人に見せた。それはあの卵の見つかった森とその付近の地図であるらしい。

 

「この地点が卵の見つかった地点で、このまっすぐと伸びる破壊痕が、御二方が討伐した地竜の進路です」

「成程」

「そしてこちらの短い破壊痕が、卵から孵ったとみられるもう一頭の進路です。こちらはかなり前のもののようで、すでに森が回復しつつあり、はっきりとした進路は追えていません」

「十分破壊されているように見えるんですけど」

「新しい傷跡についてはそうです」

 

 キャシィが言うのは、つまりこの卵を産んだ親の地竜はどうなったかということであった。

 

「ここに卵を産んだ地竜が十年前か二十年前にいたとすれば、当然この辺りはその当時破壊されつくされているんですよ。幼体ではない、立派な巨体を誇る成体の地竜によって」

「成体ってどれくらいの大きさなんですか?」

「少なくとも体長十メートルは超えます。観測史上最大は、えーと、」

「二十五メートルですね。個体名ラボリストターゴ。討伐済みです」

「討伐できたんだそんなの」

「まあ百年以上前の記録ですから、伝説みたいなもんですけど」

 

 少なくとも十メートルを超える怪獣がのしのしと破壊して回ったとしたら、それは十年か二十年前のことだとしても記録に残っていることだろう。森にも破壊の跡が残っていておかしくない。しかし実際には卵だけが残されており、その卵もきれいなものだという。

 

「騎士ジェンティロたちが回収してくれた卵の殻も調べてみましたが、こちらはコケや土埃など、古い方で二十年程度、新しい方、つまりあなた方が討伐した方でも年単位で経過しているように見受けられる汚れかたでした」

「それってつまり……」

「ええ。まるで誰かが卵だけをここに放置したみたいじゃないですか。それも一度だけでなく、継続的に」

 

 これは奇妙な話であった。そもそもが目撃証言自体少ない地竜という生き物の卵を、それも間をおいておきに来るというのは、どう考えても自然現象などではありえない。

 

「最初はもしかすると地竜って生えてくるのでは、とも思ったんですけど」

「あ、思ったのはキャシィ(このバカ)だけです。お間違えなく」

「まあさすがにそんなことはなかろうと現地の調査も続けてもらった結果、人為的な痕跡が見つかりました」

「つまり」

「つまり本当に文字通り、誰かが卵だけ置いていったんですよ」

「た……托卵?」

「そんな面倒見れなくなったから捨ててきましたみたいな発想やめてください」

 

 叱られてしまった。

 

 とにかく、とユベルは言う。

 

「我々は、というより正確にはもうちょっと上の方々は考えました。これは一体どういうことなのだろうかと」

 

 例えば、地竜の卵をたまたま発見した冒険屋が、売れるかもと思ってここまで運んだものの、何かしらの理由で冒険屋側が失踪。確かに売れるかもしれないが、わざわざ運び込んだ先が西部の森の中というのも意味が分からない。もっと喧伝したことだろう。

 

 ではたまたま見つけてしまった領主が、危険なので他の領まで捨てに行ったのだろうか。いや、それならば破壊してしまった方が早いだろうし、危険を冒してまで他領に運び入れる意味が分からない。では逆に、秘密兵器として領主が秘匿していたのか。いや、うっかり自領で孵ってあわや大惨事だった。

 

 となれば、やはり。

 

「帝国はこれを他国による破壊工作であると疑っています」

「他国って、つまり」

「我らが怨敵、帝国の長らくの宿敵、聖王国の仕業であると」




用語解説

・ラボリストターゴ(Laboristo tago)
 体長二十五メートルを超える超大型の地竜。だったとされる。
 百年以上前の伝説のため、はっきりとした記録は残っていない。



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第八話 陰謀の兆し

前回のあらすじ

地竜の卵には破壊工作の疑いありと論じる両博士であった。


「我々は一研究者ですので、あまり多くは知らされておりません。しかし帝国は冒険屋組合に掛け合って、すでに事態の調査を手掛けているようです。もしかするとあなた方も、聖王国の破壊工作と思しき異常事態に遭遇したことがあるのでは?」

 

 ユベルの問いかけにはっと思いついたのは、先の海賊船事件である。

 

「そう言えば、ハヴェノで受けた依頼で、海賊船を討伐したんだが、最新鋭だとかいう船よりよっぽど進んだ潜水艦だったな」

「潜水艦! つまり、海中に潜って進むという?」

「自在に進めるかどうかは見てないですけど、海中から現れたのは確かですね」

「そのような技術を帝国は保有していません。ファシャであっても持ち合わせていないでしょう。いないはずです! まだ動力船構想が仕上がったばかりなんですよこっちは!?」

「ですよと言われても」

「それを! 海中に! これは間違いなく聖王国の仕業です!」

「そう、なのかなあ」

「そう、なのです!」

 

 キャシィが断言するところによれば、現在東西大陸で夫も先進的なのが巨大な魔力炉のエネルギーで推進機を回転させて進む動力船構想とやらで、これもまだ試作機が出来上がったばかりだという。それを一足飛びで飛び越えて、潜航可能にする技術は、いくら何でもまだ机上にしかないという。

 

 そうなるとそんなものを引っ張り出してこれるのは、古代聖王国時代からの技術をほぼ正当なままに受け継いでいる聖王国をおいて他にはないという。

 

「他に詳しい点は!?」

「あーっと、なんだっけ、対魔法装甲が優秀だとかで、俺の魔法防がれたんですよね」

「地竜殺しの魔法を防ぐ!? 手加減したんですか!?」

「いや、普通に沈めるつもりだったんだけど、しれっと受け流されました」

「それだけの魔法を攪乱解除するとは対魔法装甲なんて、それこそ帝都の城壁張りじゃないですか!?」

「俺に言われても」

「むむむむ……はっ、もしかして先ごろ大量に持ち込まれた材木みたいなやつですか!?」

「いや知らないですけど……でも帝都に運んで調査するとか言ってたような」

「うん、確かにそう言ってたね」

「こっちが忙しすぎて忘れてましたけど、えーとどこやったっけ」

 

 二人は整理という名の隠ぺいをしたばかりの部屋をひっくり返してくしゃくしゃになった書類を見つけ出してくると、大いに騒ぎ出した。

 

「これですよこれ! 積層装甲に塗装基盤式送力装置!」

「なん……なんですって?」

「積層装甲に塗装基盤式送力装置ですよ! 何枚もの装甲版を重ねて防御力を高めると同時に、魔導体を装甲に直接塗り込むことで、送力線を介することなく外部まで魔力を伝達させる新概念装甲! ご覧になった潜水艦には外部に砲口などが見当たらなかったでしょう!?」

「あ、ああ、そう言えば、つるんとしてたな」

「そうです! 最外部の装甲にはなんと塗装式の! 塗装式ですよ! 塗装式の魔導砲! これによって表面の凹凸をなくして防御力を増すと同時に、既存の魔導砲に見られた彫刻部分などの欠損をよりたやすく補修することができるんです!」

「お、おう」

「開閉部が極端に少なく気密性を高められ、仮に陸上でこんな兵器を持ってこられたら重砲でもないと装甲ぶち抜けません――ところがどっこい! 装甲版に金属装甲も用いられている粘り強い積層装甲が物理防御も万全にしているわけです! 何やったらこんな怪物沈められるってんですか!?」

「えーっと、体当たりで」

「質量攻撃! まあそりゃそうなりますよね。これだけの強力な魔力炉積んでる対魔法性能抜群の塊ぶち抜くとしたらそうなりますよね」

「魔力炉?」

「そう、魔力炉! 魔力を注ぎ込むことその魔力量を増大させる拡張装置! いったいどんな燃料燃やせばこれだけの出力を保てるのか!」

「そういえば、潜水艦の乗組員、かなり凄腕の魔術師だったな」

「魔術師! 聖王国の魔術師ともなればこのくらいの規格なら……参考までにどの程度の腕前でした?」

「短い詠唱で船上を丸焼けにするくらいだったね」

「素晴らしい! それだけの実戦魔術師がまだ存在していたとは! 百年間ただ眠ってたわけではないようですね聖王国も!」

 

 何やら大はしゃぎの二人にドン引きせざるを得ない紙月と未来であったが、こうして説明されると、いよいよもってあの海賊の異常さというものが見えてきた。技術的にも裏付けがあるというのは、何とも言えない説得力を持って聖王国暗躍説に信ぴょう性を与えるのだった。

 

「俺、覚えてろって言われちまったよなあ」

「自爆したけど、あれ、本人は生き延びてそうだよねえ」

 

 フラグというのならば再戦フラグが立っているのだろう。件の炎の魔術師とは。

 

「まあ、とはいえこの規模の潜水艦が大量に建造されているわけではなさそうですね」

 

 騒ぎ負えてすっきりしたのか、キャシィはけろりとした顔でそう言ってのける。

 

「そうなんですか?」

「恐らくですけれど。もっと建造されていたなら今も通商破壊は止んでいませんよ……というより、通商破壊は二の次で物資の獲得が目的だったみたいですし」

「そういえば、執拗なまでに荷物を根こそぎにしてるんだったな」

「多分、向こうも余裕がなかったんでしょう。北大陸から南部の海までは、ぐるっと大陸を回ってくる必要がありますからね」

 

 成程それは長い旅路であったことだろう。現行の帆船に比べて乗組員の数はかなり少なく済んだだろうという調査結果が出ているらしいが、それでも人間が動かしている以上、食料や水というものは欠かせない。船を沈めなかったのは、沈めるまでもなく制圧できるという自信があった以上に、沈めたら物資が手に入らないという切実な事情があったのだろう。

 

「御二方は何かと縁がありそうですねえ」

「そうですかねえ。あとは、精々大嘴鶏食い(ココマンジャント)の大量発生とか石食い(シュトノマンジャント)の大量発生くらいですよ」

「大いに関係ありそうじゃないですか」

「ええ?」

大嘴鶏食い(ココマンジャント)の大量発生なんて滅多にないですし、折り悪く十何年に一度かというクリルタイの頃に発生するなんて時期が良すぎますね。石食い(シュトノマンジャント)だって人が出入りしてる鉱山にはもともとそんなに湧くもんじゃないんですから」

「おいおい、陰謀論は勘弁してくださいよ」

「ふふふ、まああんまり脅かすのはこれくらいにしておきましょう」

「肝心の地竜の卵という、連中につながるかもしれないものが手中にあるわけですしね」

「ふふふ」

「ふふふあははははははははッ!!」

 

 どう考えても徹夜明けのハイなテンションか、悪役側のマッドサイエンティストだった。




用語解説

・積層装甲に塗装基盤式送力装置
 オニオン装甲にプリント基板式送電装置もとい積層装甲に塗装基盤式送力装置。
 複数の素材からなる装甲版をそれぞれが支えあうように複雑に積層することで従来の船舶よりも格段に防御力を底上げされた装甲。気密性も高い。
 またこの装甲には、魔力伝達性の高い素材を直接塗り込み、焼き付けることで、送力線などを必要とせずに外部まで魔力を伝達させることに成功している。

・塗装式の魔導砲
 魔力伝達性の高い素材を直接塗り込み、焼き付けることで形成された魔導砲。魔導砲の位置の調整ではなく術式の調整によって照準を定めるため技術難度はかなり高くなっているが、外部との接点を減らし気密性を上げられるほか、技術に通じてさえいれば修復がたやすい。

・魔力炉
 製造コストそのものが非常に高いものの、少ない魔力を大幅に底上げして拡大することができる炉である。帝国でもまだ大掛かりなものは数多くない。



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第九話 地竜の卵

前回のあらすじ

マッド解説回。


「はい、というわけでこちらが地竜の卵でございます」

「そんな料理番組みたいに言われましても」

「実際美味しいんですかね。地竜って」

「…………亀っぽいし、臭みが強そうだよなあ」

「それって泥臭さのイメージなんじゃない?」

「かもしれん。どちらにしろ食う気にならんなあ」

「御二方は研究心に乏しいですねえ」

「研究者って新発見した生き物は食うって聞くけど……」

「少なくともユベルは研究した魔獣は一通り食べてますよ」

「研究員がおいしくいただきました。ご安心ください」

「なにも安心できない」

 

 案内された先は、中庭のように開けた場所だった。地面が掘りぬかれており、そこに埋められた大きな金属製の容器に、ごろんと地竜の卵が転がされている。そのサイズが二メートル近くあることを除けば、完全に鍋の中の卵にしか見えない。遠近感が狂いそうな光景だった。

 

「到着予定がもう少し先だったので急遽準備を整えています。ちょっとお待ちくださいね」

「ああ、いえ、なんかすみません」

「いえいえ、はやく実験できて私たちも楽しいですから!」

 

 健全な笑みではあるのだが、発言の内容はマッドでしかない。

 子供のように純真な笑みが、怖い。

 

「いやあ、しかし地竜の孵化なんて、本当に、帝国史に残る実験ですよ」

「竜種ってのは、そんなに難しいんですか。辺境じゃあ飛竜を飼育してるって聞きましたけど」

「あれは環境がいいですよね。飛竜がいくらでも湧いて出てきて、しかもその飛竜をおやつ代わりにできるような人たちがいて」

「つまり辺境が特殊なだけだと」

「そうですよ。普通は竜種っていうのは遭遇するのも稀なんです。地竜なんて、十何年かに一度観測される程度ですし」

「それでも十何年かに一度は出るんですね」

「人里、人の目のつく範囲にってことですね。帝国も広いですけれど、その分目の届かないところって多いですから」

 

 そう言われれば、町から町までは馬車で二日とかがざらであるし、森などは大きく迂回することもある。地竜がいくら巨大な怪獣だとしても、ド田舎の辺鄙な森の中を歩き回っている分には誰も気づかない訳である。

 

「今のところ帝都大学で捕捉しているのは二頭です。どちらも成体で、十二メートルと十五メートル。カトリーノとツァミーロと名付けられています。カトリーノは三年、ツァミーロは十二年追いかけられていますけど、どちらも産卵したことはありません」

「十二年も追いかけてるんですか?」

「専門の観測班がいるくらいですよ。彼らのおかげで、地竜は海に出くわすと少しずれて引き返すという行動が判明しました」

 

 危険ではないのかという問いかけに、十分に距離はとっていると前置きしたうえで、キャシィは笑った。

 

「というのは彼らの報告書の建前で、実際にはよじ登ってもほとんど無反応らしいですよ。うかつに鼻先に出ようものならパクリとやられかねないらしいですが、それ以外は外敵どころか障害とさえ思っていないんでしょうね。五年前にツァミーロが、火山の噴火を察知して殻にこもったことがあるくらいですよ。それだって結局遠すぎて影響ありませんでしたし」

 

 この二頭に関しては何年か先の進路予測までたっていて、重大な都市侵害を防ぐための早期進路変更さえ彼らの任務に入っているらしい。

 

「新規の地竜の発見報告なんてもう何年振りですかね。それが幼体と卵だなんて、業界が大騒ぎでしたとも」

「お二人が討伐した幼体の遺体も、大学で回収して調べさせてもらったんですよ」

「何かわかりました?」

「馬鹿げた生き物だということくらいですね」

 

 かなり状態が悪かったため、そこまで詳しい調査はできなかったらしい。申し訳なくもあるが、しかし初見の敵に対してやりようは考えられなかったので仕方がない。

 それに、死骸に対してでさえ、相当に強化を施した斧でようやく首を切り落とせたほどの硬さだったのだ。まともにやりあっていればこちらが押し切られていたかもしれない。

 

 《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》というものは、ハマれば強いがそれ以外はピーキーすぎるのだ。

 

「ああ、でも、腸内細菌の帳簿が作れたのは大きな発見でした。未発見の微生物で盛沢山でしたよ」

「微生物の観察もしているんですか?」

「ええ。あとで顕微鏡覗きます?」

 

 そう言って示された機械は、紙月の知る顕微鏡よりもいくらかオカルティックな代物だった。つまり、検体の安置された箱の上に水晶玉が乗っていた。これを覗き込んで、魔力で倍率を変えるらしい。奇妙な道具だった。未来は早速興味深そうにのぞき込み、キャシィに使い方を習っていた。

 

「面白いことに今回気付いたんですが、地竜の腸内細菌と石食い(シュトノマンジャント)の腸内細菌には一部同種のものが発見されまして、つまり、金属や鉱石類を消化分解して栄養とする類のやつなんですけど、いやー、いったいどこでこんな微生物が住み着いたんでしょうかね。案外石食い(シュトノマンジャント)と地竜って近縁種なのかもしれませんねえ」

「勘弁してくださいよ。地竜が鼠算式に増えたらたまったもんじゃない」

「あはは。まあ言っても毛獣と甲獣ですしねえ」

 

 これはこの異世界の言い方で、おおむね哺乳類と爬虫類、特に甲羅のある亀などの区別と言っていい。おおむねというのは、異世界ファンタジーらしく、どうも元の世界通りの分類に従うという訳にはなかなかいかないからだった。

 

「紙月紙月、すごいよ」

「おう、どうだった」

「思ったよりうじゃうじゃいた」

「そっかー……俺そう言うの苦手だから遠慮するわ」

「えー、仕方ないなあ」

 

 仕方がないのだった。

 虫でもなんでも、細かいものがうじゃうじゃしているのはあまり得意ではないのだ、紙月は。反射的に焼き払ってしまっても責任はとれない。

 

「んー、では男の子の喜びそうなもので、骨格図とか」

「あー、まあ、うじゃってる微生物よりは」

「骨だ!」

 

 正確には縮尺模型らしく、テーブルに乗る程度のサイズに縮められた地竜の骨格が正確に再現されているという。こうしてみると、リクガメやゾウガメか何かのようにも見えた。あるいは、どうにもとげとげとした全体から言って、ワニガメか。

 

「こうして見ると典型的な甲獣なんですよね。ただ骨の強度は尋常ではなくて、そもそも皮と肉引っぺがすところからして相当難航しました」

「そう言えば俺達も首落とすの苦労したもんなあ……どうやったんです?」

「破壊系の魔法得意な人たち総出でなんとか。結構仲悪い人とかもいたんですけど、最終的には垣根を乗り越えて握手する程の難事でした」

「帝都の魔術師でもそこまで大変なのか……」

「で、ある程度解体できたら後はもう最低限の検体とって、酸性粘菌くんで骨の周りの肉溶かして骨取り出しました」

「酸性……なんですって?」

「酸性粘菌くんです。魔法生物としてはよくある方で、見た目涼しげな透き通った粘菌なんですけど、肉食で、酸性の体液でじわじわと溶かしては食べる子です」

「スライムだ……」

「スライムだな……」

 

 見ますか、と言われたがこれ紙月は遠慮しておいた。余り気持ちの良い代物ではなさそうだ。

 一方で未来は嬉々として見に行き、そのあたり男の子だなあと紙月は思うのだった。そして不意に自分の性別を思い出してへこむのであった。最近女装に慣れ過ぎてちょっと危うい瞬間があるのだ。女子トイレに入りそうになる時とか。男子トイレに入れば入ったでそれはそれで絵面がひどいのだが。

 

「紙月すごいよー!」

「おう、どうだー」

「思ったより食欲旺盛」

「あんまり聞きたくなかったなそれは」




用語解説

・カトリ―ノとツァミーロ(Katrino, Camillo)
 地竜。それぞれ十二メートルと十五メートル。
 いわゆる地竜という生き物の典型的なイメージは彼らによるものである。

・腸内細菌と顕微鏡
 この世界ではすでに微生物レベルの小さな生き物の世界にまで見識が及んでいるようである。
 とはいえその知識の多くはいまは亡き旧聖王国時代に培われた知識・技術であるらしく、帝国における技術発展は遅々として進んでいないようだが。

・酸性粘菌
 強酸性の体液を分泌して対象の肉を奇麗に溶かして食べてしまう肉食性の魔法生物。人工物。
 肉は食べるけど骨は食べない、といった風な調整ができ、魔力での操作も楽なため、実験にもよく用いられる。
 不法投棄ダメ。絶対。



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第十話 孵化実験

前回のあらすじ

骨格標本って男の子だよな。


「あ、どうもー、遅くなりましてー」

「えー、いえいえー急にお呼び立てしちゃってー」

 

 そんな朗らかな挨拶とともに仮設実験場にやってきたのは、法衣とでもいうのだろうか、ゆったりとしたローブをまとった眠たげな眼の女性だった。

 どうも研究者や学者という風には見えないし、かといって紙月たちと同じ冒険屋のようにも見えない。

 

「あ、こちら、万一の護衛でついてくださってる冒険屋のシヅキさんとミライさんです」

「あ、どうもー、よろしくお願いしますー」

「あ、はい、よろしく」

「よろしくお願いします」

 

 どうにも気の削がれる緩やかな喋り方の女性は、シュビトバーノと名乗った。

 

「シュビトバーノさんは孵化実験に協力してくださる、風呂の神官さんなんですよ」

「風呂の神官?」

「ご存じありません?」

「いや、知ってはいますけど」

 

 風呂の神殿と言えば、帝都主体で衛生観念を広めている今日日、どこの町にも存在するメジャーどころの神殿である。その風呂の神の神官と言えば、風呂を沸かしたり温泉を湧かしたりといった法術が有名で、いわゆる神官というイメージより風呂屋のイメージが強い。

 実際本人たちも風呂屋として営業している節がある。

 

 その風呂屋が孵化実験に何の用があるのかと思えば、こういうことらしい。

 

「地竜の卵の孵化条件ははっきりとは解明できていないんですけれど、この状態でも呼吸していることは確かなんです」

「まあ、卵も呼吸するとは聞いたことがある」

「で、大型の魔獣の卵というものは、同時に食事もするものなんです」

「食事?」

「正確には周囲の大気から魔力を吸い上げて、孵化する為の熱量としてため込むんですね」

「はあ、成程」

「これは強い魔獣ほどそう言う傾向があって、恐らく卵の栄養だけでは足りないものと推測されます」

「そこで! 風呂の神官さんの出番なのです!」

「つなぎがよくわかりません」

 

 つまりこういうことらしかった。

 

 風呂の神官の生み出す温泉水には高濃度の魔力が含まれ、これが自然と癒しの術式になって、温泉に浸かる人々に治療回復効果を与えるのだという。この温泉水の適度なぬくもりと豊富な魔力、そして新陳代謝の活発化などの効果を複合的に与えられることで卵の孵化が促進されるのではないかという仮説が立っているのだそうだった。

 

「……仮説ですよね?」

「いくつかの魔獣の卵では有意な時間差が確認されています。いくつかは失敗して茹で卵にしちゃいましたけど」

 

 それがアカデミック・ジョークなのは本気なのかはともかくとして、どうやらある程度確度の高い情報ではあるらしい。

 そしてどうやら本人たちはかなり真面目らしかった。

 

「では、早速実験を開始します、各自所定の位置についてください」

 

 などと言われても所定の位置など聞いていない。ちらりと伺えば、お任せしますとばかりににこやかに微笑まれる。まあ、万一の時の対処を任されているのだから、ある程度自由にさせてもらえた方が楽ではある。

 一応、盾役である未来は紙月をかばうように一歩踏み出し、紙月はその陰から覗き込むようにしながら構えた。

 

 そして風呂の神官シュビトバーノは、とことこと卵の入った金属桶に近づき、おもむろに手に持った水瓶を逆さに返した。するとどうしたことだろうか。とてもではないが小さな水瓶から出てくるとは思われない量の水が、それも湯気を立てる温泉水がこんこんと湧き出ては金属桶を満たしていくではないか。

 

「質量保存の法則どうなってんだ……」

「紙月がそれ言う?」

「それもそうだった」

 

 魔術師ができるのだから、神の力を借りる神官ができないという道理もなかった。

 

 しばらくして湯が金属桶を満たし、卵を沈めてしまうと、シュビトバーノは水瓶を返して、やはりとことこと暢気に帰ってくる。

 

「ユベルちゃん、今回もお仕事ってこれだけー?」

「はい、ありがとうございました!」

「なんだか悪いわねえ。今度神殿に来たら割り引くわー」

「ありがとうございます!」

 

 そうしてとことこと去っていく風呂の神官であった。

 

「いや、えっ、マジであの人これで終わり!?」

「ご安心を、風呂の神官の湧かせた温泉は、神の力で冷めないということです」

「すごいけどそう言うことではなくて!」

 

 何しろ壮大に実験だなんだと言っておきながら、やっていることは巨大な鍋で巨大な卵をとろ火で茹で卵にしているだけである。むしろ温泉卵だ。

 

「しかも全然反応ないし!」

「いやあ、さすがにそんなにすぐには孵化しませんって」

「そうなんですか!?」

「当り前じゃないですか」

「今更のように当たり前を持ち出してくる!?」

「紙月は本当に突っ込みが好きだよね」

「俺は心底裏切られた気分だよ!」

 

 頼りの未来にまで裏切られ、紙月の繊細なメンタルはボロボロだった。少なくとも自分でそのように述懐する程度には余裕があり、およよよよと泣き真似までする程度に余裕綽々だったが。

 

「で、実際のところどれくらいかかりそうなんですかね」

「さすがに地竜ほどのサイズは初めてなので厳密な所はわかりませんが、ほかの大型魔獣の卵での実験結果からすれば、一日かからないくらいと思われます」

「んっ……このイベント消化的にはクッソ長いけど卵の孵化と考えると短いくらいの感じ……!」

「絶妙に文句が言いづらいくらいだよね」

 

 さすがに万一の備えとはいえずっと見張っているという訳にもいかず、両博士と交代で見張ることとなった。




用語解説

・シュビトバーノ(ŝvitbano)
 風呂の神官。帝都で神官やっているあたりエリートなのかというと別にそう言う訳ではない。



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第十一話 地竜孵化

前回のあらすじ

どう見ても茹で卵ですありがとうございました。


 それから一年が経った。

 ということはなくて、本当は夜も更けて月も傾きかけた頃。

 

 両博士が交代で眠りにつき、見張りについていた二人も、退屈な茹で卵の絵面にうつらうつらとし始めたころのことだった。

 

 ぴしり、と小さな音に気が付いたのは未来だった。

 

(うん?)

 

 最初は気のせいかと思ったが、ぴしぴしぴしりと、小さいながらも音は続く。

 

(おや?)

 

 ちらと横を見れば、紙月は半分寝入ってしまっているようで、ちょうど船を漕いで月まで飛んで行ってしまっているところだった。未来はピクリピクリと獣の耳を動かして、注意深く音を探った。

 

 するとやっぱり、ぴしりぴしりと音が聞こえる。

 

「紙月」

「んっ……おう」

 

 声をかければ頼りの相棒も、がくりと顎を落として目を覚ましてくれる。

 

「音がする」

「音?」

「ひび割れるみたいな」

「……わからん」

「僕が獣人だから聞こえるのかな」

「……だな。ハイエルフの俺には、目で見えたぜ」

 

 そう言う紙月の目には、卵の上で踊る魔力の流れが見えていた。先ほどまでのまどろむ様子ではない、活発に踊り狂う様が。

 

「博士たち起こしてくる」

「うん、僕は見てるよ」

 

 紙月が両博士を起こしに行く間、未来は金属桶のそばまで歩み寄って、のそりと屈みこんでその鎧の巨体で卵を見下ろした。目に見えるひびはまだ、見当たらない。しかし確かに卵は内側からつつかれて、こつりこつり、ぴしりぴしりと音を立てているのだった。

 

「どうです?」

「もうひびが?」

「いや、もう少しのようですけど……」

 

 両博士がのぞき込み、危ないからと紙月が遠ざけたそのときだった。

 

「紙月!」

「おう!」

 

 卵を覆う魔力が一段と高まり、びしりと大きな亀裂が卵に入った。亀裂はすぐにも広がっていき、びしりびしりとかけらを散らし、まず爪が覗いた。丸っこく、しかしそれでも紙月の指などよりもずっと太く大きな爪だ。それがもう片方飛び出す。そしてびしりびしりとひびは広がり、ついにごとりと殻を落として、とげとげしく凶悪な顔が飛び出した。

 

 ぎょろり、と黄色くまあるい目が覗き、はっきりと二人の姿を捉えたようだった。

 

「うっ」

「むっ」

 

 息をのむ二人を前に、地竜の雛はのっそりと殻を引きはがし、四つの脚でしっかりと湯舟を踏みしめた。

 

 頭の先から尾の先まで二メートルばかり。体高は未来の腰ほどもある、ずんぐりむっくりとした巨体である。雛のうちから牙が生えそろい、らんらんと輝く目で見据えながら、これがのしりのしりと歩み寄ってくるのだから恐ろしいというのは言葉ばかりではない。

 

「は、博士、どうします!?」

「ど、どうしますって、どうしましょうか」

「孵化させた後の手順は!?」

「考えてなかった……」

「このバーカバーカ!」

 

 狼狽える四人を気にした風もなく、地竜の雛はいよいよ未来の鎧にごつんと鼻先をぶつけ、そして。

 

「みゃあ」

 

 しわがれた声でそう鳴くや、ぐりぐりと鼻先を押し付けるではないか。

 

「……おい、大丈夫か、未来」

「えーと……大丈夫、みたい?」

「……もしかすると、刷り込みかもしれません」

「刷り込みって、つまり、親と思われてるんですか?」

「かもしれない、というほかには……」

 

 刷り込みというのはつまり、鳥の雛などが、卵から孵って最初に見たものを親と思い込む本能だそうである。これは姿かたちが全く異なる生き物相手でも起こる現象であり、人間相手の刷り込みも珍しくはないという。

 

 試しに未来が撫でてやると地竜はごろごろと喉の奥から音を鳴らしたし、試しに金属桶から離れてみると、のしのしと湯から上がって追いかけるではないか。

 

「俺も触って大丈夫かね」

 

 紙月がおっかなびっくり近寄ってみると、雛の反応は敏感であった。未来にしたのと同様に、鼻先をこすりつけてしわがれた声でみゃあと鳴くのである。これはどうやら二人一緒に見たから、二人とも親と思い込んでいるようだった。

 

 一方で、これなら安全かもしれないと挑戦してみた両博士への反応は芳しくなかった。別に暴れたりかみつくという訳ではないのだが、近寄っても無反応、撫でても渋い対応と、露骨な反応の違いがみられたのであった。

 

「ふーむ。地竜にも刷り込みがあるというのは面白いですね。幼体や雛がなかなか発見されないのは、親と思い込んだ動物を追って、一定範囲内から離れないからなのでしょうか」

「そんな冷静に話してないで、どうするんです、これ」

「どうしましょうかねえ」

 

 幸いにもこの雛は割合に賢いらしく、未来に対する時と紙月に対する時で力加減を変えてくれるので今のところのしかかられたり押しつぶされたりということはないが、それでも凶悪な形相の巨大な亀に付きまとわれるというのははっきり言って恐怖でしかなかった。

 

「とりあえず」

「とりあえず?」

「餌付けでもしてみましょう」

 

 食糧庫の備蓄は豊富だった。




用語解説

・特に何もないいい実験だった。


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第十二話 別れ難く

前回のあらすじ

特に何もない、いい実験だった。


 地竜の雛は、実際何でも食べた。肉も食べる。野菜も食べる。木材も食べる。土も食べる。およそ親である二人に差し出されたものは何でも食べた。際限なく食べた。実際は体が大きいからそう感じるだけで、やがて順当に満腹になるとさすがに鼻先に突き出されても食べようとはしなかったが、それでも随分食べた。

 

「まあ、馬の飼料と思えば、ちょっと、いやかなり大食いかな、という感じですかね」

「つまり?」

「いくら竜種でも現実的な量しか食べないということですね」

「フムン」

「そして満腹になると、寝る」

 

 寝息というのかは不明であるが、しゅうしゅうと小さく息をしながら、すっかり殻に首と足を引っ込めた地竜の雛は、鋼鉄の檻の中でお休み中であった。

 

「これはカトリーノとツァミーロの行動観察でもわかっていたことですね」

「そして寝たらある程度腹が空くまでは動かない」

「いいご身分だな、全く」

「まあ食べなければ食べないで結構な距離平気で歩くのもわかってますけれど」

「とんだ超生物だ……」

 

 ともあれ、地竜の雛も暴れるようなことはないようであるし、そうなれば紙月たちの依頼も終了である。

 

「いやー最悪もう一回地竜とやりあうとなったらちょっと焦ったけど、なんとかなったな」

「バイオなハザードフラグじゃなくてよかったね」

「ジュラシックなパークでもなくてよかったぜ」

 

 檻の鍵をきちんと閉めながら、ユベルは言った。

 

「報酬はどうしましょうか。また書留で手形送りましょうか?」

「いや、いま受け取ってしまいますよ」

「はいはい、ちょっとお待ちくださいね」

 

 ユベルは事前に用意してあったという手形を丁寧に封筒で包んで寄越してくれた。

 

「ちょっとした額ですから、無くさないように気を付けてくださいね」

「やだなあ、脅かさないでくださいよ」

「わかりませんよー。地竜ががぶっといっちゃうかも」

「おー怖い」

 

 そのように朗らかなジョークなどかわしつつ、無事別れを告げて二人は大学を後にできなかった。

 

 できなかったのである。

 

 正確に言うと、大学の門を出るところまではいった。馬車に揺られてとことこと門をくぐり、ああ、短かったけれどこれでお別れだなとさして感慨深くもなく大学を振り返ったところで、その異常はやってきた。

 

「…………何あれ」

「何あれったってなあ……」

 

 それは鎖につながれながら、しかしそれを全然意に介した風もなく、素知らぬ顔でのっしのっしと走って来る地竜の雛の姿であった。その鎖の先には、強化鎧(フォト・アルマージョ)を装備した誰か、まあ十中八九ユベルとキャシィの両博士が引きずられるままになっていた。

 

 やがて地竜の雛は馬車までたどり着くと、怯える馬を気にした風もなく、のっそりと馬車を覗き込んできたのである。

 

「……博士」

「……どっちのです?」

「どっちでもいいですけど、これはいったい?」

「目を覚ました途端()()ですよ」

「折も壊して仮設実験場も壊して、壁を一直線にぶち抜いてあなた方を追いかけ始めちゃいまして」

「匂いか、魔力の性質か、多分、刷り込みされた親を追いかける習性なんです」

「おいおい、てぇことは……」

「これは帝都大学からの正式な依頼です」

「やめろ、ばかやめろ」

「地竜の雛、お任せします!」

「ぐへぇ」

「やった!」

 

 これで参ったのが紙月で、喜んだのが未来だった。

 

「ちょうど依頼がないってぼやいてたし、丁度いいじゃない」

「丁度いいかよ。こんな怪獣の世話なんざ」

「そうかなあ。なんでも食べるし、素直で言うこと聞くし、なにより」

「なにより?」

「格好いい」

「そういうとこ、ほんと男の子だよなあ」

 

 どう考えても厄物でしかない問題児を預かる。それも権威ある組織から半ば強引に依頼されて。これは紙月としては胃が痛くなるような案件だった。しかし、紙月は未来のお願いには弱かった。弱かったのだ。

 

 結局、どれだけ目くらましをしようと、それこそ《絨毯》で空を飛んで逃げようにもついてきてしまうことが何度かの実験によって発覚してしまい、最終的には、紙月も折れることとなった。

 

 何より、結局のところ、子供に頼まれて、嫌だとは言えない。怪獣を育ててみたいなどという、元の世界ではかなわなかっただろう純朴な願いを踏みにじることなど紙月にはできなかった。

 

 大きくなったらそのときはどうしたものかと考えなければならないが、まあ、そのときのことは、そのときに考えればいい。どうしようもなくなったら改めて大学に押し付ければいいし、本当の本当にどうしようもない怪物に育ってしまったら紙月がけじめをつければいい。

 

「俺、生き物育てるのって苦手なんだけどな……」

「僕のこと育ててくれてるじゃない」

「それはまた、別だろうよ」

 

 まあ、何と言ったところで、未来は嬉々として地竜の雛を撫でまわしているし、鎧で見えないながらもその笑顔は本物だろうし、そうなると、紙月には何にも言えなくなるのだった。この子供の笑顔には、何も言えないのだった。




用語解説

・格好いい
 すべてに優先される理由。


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最終話 フレンド・オブ・オール・チルドレン

前回のあらすじ

大怪獣の雛に懐かれてしまった紙月と未来。
格好いいから、いいか。


「おいでタマ」

 

 そう呼びかけると、地竜の雛は素直に未来に従った。

 タマというのは紙月のつけた名前だった。しわがれた声でみゃあみゃあと鳴くので猫みたいだなと紙月が言い、そのまま勢いで名付けてしまった。未来はもう少し格好の良い名前が良かったのだが、しかし紙月の言うことも実にもっともだと納得してしまったので、仕方がない。

 

 未来は出来た人間なので、紙月のそういう子供っぽいところも受け入れてやらねばならないのだった。

 

 このタマと名付けた地竜の雛は実に賢く、簡単な指示や合図はすぐに覚えたし、また匂いや魔力、そう言った目には見えないものでも未来を認識しているようで、鎧を脱いでもすぐに未来と察して鼻先をこすりつけてくるのだった。

 

 タマを連れて帝都を歩くには難儀があった。

 なにしろ、馬車に乗せるという訳にもいかない。どこかに繋いでおくというのも物騒で仕方がない。かといって背中に乗っていくというのもどうにも不格好だし、第一とげとげの甲羅は座り心地がよろしくない。

 また帝都から西部に帰るにしても、まさか《絨毯》に乗せていくという訳にもいかず、参った。

 

 仕方なしに二人は大学に頼んで幌馬車を一台用立ててもらった。

 これをタマにひかせて行こうというのである。

 

 タマの体に合うように馬具を調整するには少し時間が必要だったが、それでも甲馬(テストドチェヴァーロ)という大型の亀のような馬が他にあるらしく、調整可能な範囲内ではあった。

 タマもこのお荷物を最初は不思議そうに眺めていたが、未来と紙月が乗り込むと、成程成程というように何度か頷いて、それから手綱の合図もすぐに覚えて、立派な馬車引きとなった。

 

 恐ろしい顔立ちも、夜ならばいざ知らず、一夜明けて朝が来て、日の光に照らされればそれほどでもなかった。ただすこうしばかり目がぎょろりとしていて、牙やら棘やらあちこちとげとげしているだけだ。道行く人も、しっかりとした幌馬車を引いていることもあって、ちょっと変わった甲馬(テストドチェヴァーロ)だという風に受け入れているようだった。

 

「……何事もなくてよかったっつうか、何事もなさ過ぎて怖いっつうか」

「紙月はつくづく心配性だよねえ」

「未来は肝が据わってんな。大物になるぜ」

 

 別段度胸があるというつもりは、未来には全然なかった。ただ、なるようになることはなるようになるし、ならないようなことはどうあってもならないのだということを、子供ながらに知っているだけのことだった。

 なんだったか、そう、ケ・セラ・セラだ。

 なるようになる(ケ・セラ・セラ)

 それが未来の人生哲学だ。

 

 ひょんなことからこの異世界に転生することになったのはさすがに驚いたけれど、でも、これもなるようになる(ケ・セラ・セラ)だ。どこかには落ち着くものだし、落ち着かない場所には落ち着かない。

 

「さて、紙月、これからどうしようか」

「そうだなあ。帝都観光って気持ちでもないし、当初の目的通りにしようか」

「じゃあ、まずは人探しのための人探しだね」

「いよいよお使いゲーめいてきたな……」

 

 未来はあまり気にしてはいないが、紙月は元の世界に帰ることにこだわっている。またそうでなくても、元の世界の住人がいるかもしれないというのは、確かに気になることだった。

 

 海賊討伐の依頼で知ったところによれば、この世界には()()()()()が、つまり元の世界の尺度が存在する。そしてそれを広めた人物も、帝都にいるんじゃないかというところまでは予想がついた。

 

 問題はその人物を探す手段なのだが、これもすでに伝手を入手していた。

 

「人探しぐらいしか取り柄のない女、ねえ」

「いまの僕らにとっちゃこれ以上ないくらい欲しい才能だよね」

「全くだ」

 

 海賊のお頭、もとい海運商社の社長であるプロテーゾに紹介状を書いてもらった人物の肩書はこうだった。

 

「『探偵』ドゥデーコ・ツェルティード、ね」

「なんか心くすぐられる響きだよね、探偵って」

「わかる。探偵って必ずしも名探偵とかそういう感じじゃないんだろうけど、ちょっと盛り上がるな」

 

 しかし問題はまず、慣れない帝都で指定の住所を見つけ出すことだった。

 

「まあ、でも、歩いてれば見つかるでしょ」

「本当に肝が据わってるよ、お前は」

なるようになる(ケ・セラ・セラ)なるようになる(ケ・セラ・セラ)だよ、紙月」

「Whatever will be, will be、ね。そう思えるってことは、度胸あるってことさ」

「それは……褒められてる?」

「いつだって手放しで褒めてるよ」

「それはそれでなあ……肝心なところで締めて欲しいよ」

「難しいお年頃だな、全く」

 

 みゃあみゃあとしわがれた声で、タマが鳴いた。

 それはどちらに賛同するとも知れない鳴き声で、二人はなんだか不思議とおかしくなって噴き出したのだった。




用語解説

甲馬(テストドチェヴァーロ)(testudo-ĉevalo)
 甲羅を持った大型の馬。草食。大食漢ではあるがその分耐久力に耐え、長期間の活動に耐える。馬の中では鈍足の方ではあるが、それでも最大速力で走れば人間ではまず追いつけない。長距離の旅や、大荷物を牽く時などには重宝される。性格も穏やかで扱いやすい個体が多い。寿命も長く、年経た個体は賢く、長年の経験で御者を助けることも多い。



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第六章 イッツ・オンリー・ア・ペイパー・ムーン
第一話 人探しのための人探し


前回のあらすじ

なんやかんやあって巨大なワニガメを仲間にした二人であった。
なんやかんやはなんやかんやです。


 帝都での人探しの為に、人探しが得意だという『探偵』を頼る紙月と未来だったが、問題はまずその『探偵』の住まいを発見しなければならないということだった。

 

 帝都は碁盤目状に計画的に建設された都市であり、それぞれの通りには数字が割り振られており、機能的でわかりやすくはなっている。しかしそれはある程度大きめの通りに限った話であって、区画内の小さな通りなどはそれぞれに何かしら由来があるのであろう名称がつけられている。しかもそれという看板があるわけでもなく、なかなかどれがそうなのかは判然としない。

 

「このブロックだっていうのはわかったんだがな……」

 

 ある程度までは絞れる、というのは、そもそも番地などあってなきがごとしいい加減な他の町に比べればずっとましではある。しかしある程度絞ったあとは、今度はどの建物も似通った造りをしている帝都の町並みが捜索を困難にさせるのだった。

 

 これで屋根の色が何色だとか、変わった形をしているとか、そう言う特徴がつかめればいいのだが、何しろずらりと並ぶのはみな似通った建物ばかり。看板を掲げていたとしても、これでは見落としかねない。

 

「ふーむ」

「どうしよっか」

「未来ならどうする」

「しらみつぶしに冒険してみる」

「じゃあ、俺がもうちょっと大人のやり方を教えてやろう」

「なあに?」

 

 紙月は問題のブロックに馬車を止めて、それからとことこと少し歩いて、一頭立ての小さな馬車に歩み寄った。

 

「やあ、お兄さん」

「おや、お客さんかい」

「いや、ちょっと道に迷ってね。こういう事務所を探してるんだけど」

「ああ、《ツェルティード探偵事務所》! あそこは看板を出してないからね。ちょうど次の角さ。ほら、あそこだ」

「ありがと。今夜の酒代にでもしてくれ」

「ありがとよ」

 

 チップを握らせて帰ってくると、紙月はにやっと笑った。

 

「タクシー運転手は道をよく知ってるんだ。あとは郵便配達員」

「成程なあ」

 

 紙月の後ろ姿ににやにやとした視線を送ってきた御者をさりげなく鎧姿で威圧しながら、未来は感心した。未来も頭の回転は悪くない方だが、タクシーなどを自分で利用した経験はない。また、生活圏内でもあまり多く接する機会のないものだ。とっさには思いつかないことだった。

 

 二人は地竜の雛ことタマの手綱を引いて言われた角にまで移動した。

 このタマは見かけこそ狂暴そうだったが実に暢気で、賢く、待っているようにというと、すぐに頭と手足を殻に突っ込んで、昼寝を始めてしまった。

 そうしていると、まるで道端に転がった巨石に幌馬車がつながれているような、ひどくシュールな光景であった。

 

「よし、行ってみるか」

「うん」

 

 未来が先に立って、ドアに取り付けられたノッカーを鳴らすと、少しして中から返答があった。

 

「どちらさまですか?」

「冒険屋の未来と紙月といいます。プロテーゾさんの紹介で参りました」

「紹介状はございますか?」

 

 あるというと、すこし戸が開くや、年のいった老婆が顔を出した。

 

「フムン……確かに、この封蝋はプロテーゾ様の印ですね。お伺いしてまいりますので、中でお待ちください」

 

 中に通されると、簡素だが質の良い家具に出迎えられた。派手な装飾はないが、どれも品が良く、選んだものの美的感覚の高さがうかがわれた。

 

「ほう、これはセンスがいい」

「僕でも何となくすごいと思うもの」

「お恥ずかしい。お嬢様が良く破壊されるもので、安物ばかりでして」

 

 おっとりとした様子で言うのだから思わず聞き流しそうになったが、なにやら聞き捨てならないことを言われたような気も、する。しかし改めて聞き直すのもなんだかためらわれたので、二人は大人しく椅子について、これまた上品なカップで甘茶(ドルチャテオ)を頂いた。

 

 老婆は物静かにそのまま奥へと消えた。造り上、その奥というのには階段があって、そのまま二階に続いているらしい。思うに、水場の関係から一階が生活関係のスペースになっていて、事務所の本体は二階にあるのではないかというのが紙月の予想であった。

 

 水道が整っているのに一階も二階も関係があるのかと小首を傾げる未来に、紙月はうなった。

 

「現代基準程ってことは、多分ない。仮に三階まで水道を通すと、かなりの圧力をかけないといけない」

「魔法でどうにかっていうのは?」

「俺も《魔術師(キャスター)》ってことで、いろいろ街中の魔法関係を見たんだがね。どうにも魔法で何かやるっていうのは、俺たちが機械で何かやるのと同じくらい手間暇がかかるものみたいだ」

「ファンタジーも世知辛いねえ」

「全くだ」

 

 少しして、老婆が戻ってきた。

 

「お会いになるそうです。どうぞこちらへ」

 

 二人は頷いて後に続いたが、なんだか不思議ではある。

 

「探偵に依頼しに来たはずだけど、まるで貴族にでも会うみたいだな」

「そうだね」

 

 老婆は小さくうなずいた。

 

「お嬢様は実際、いわゆる貴族にございます。爵位もございませんし、ただ貴族であるというだけでございますけれど」

「えっ」

「跡を継げるでもなし、嫁ぎ先もなし、商売でも始めればという勧めに応じられまして、トチ狂ってお始めになられたのがこの、ええ、事務所にございます」

「トチ狂って?」

「失礼、年のためか言葉が出ませんで。ええと……そう。酔狂で」

 

 よりひどくなったかもしれない。

 

「ご安心ください。お客様が何をお求めか存じ上げませんけれど、しかしお嬢様は事、()()()()()というそれだけに関しましては、期待を裏切ることのないお方です」

「それ以外に関しては」

「勿論それ以外に関しても期待を裏切らないお方です。期待をしないでいる限りにおいては」

 

 表情一つ変えずにしれっと言ってのける妖怪じみた老婆の後を歩いているのがなんだか不安になったころ、ようやくゆったりとした歩みが二階に辿り着いた。

 

「失礼いたします。お客様をお連れいたしました」

「入り給え」

 

 これまたセンスはいいがどこか安普請の戸を開ければ、そこは立派な応接具を整えられた執務室であった。奥の執務机には、男物の着物を見事に着こなした長身の女性がどっかりと腰を掛けて待ち構えていた。

 勘違いのないように言っておくならば、執務机と一組の椅子にではなく、執務机そのものにそのご機嫌な尻をどっしりと乗せて、無造作に脚など組んで座っているのである。

 

「よく来たな。海坊主のおやじからの紹介となれば、こうして会ってみるのもやぶさかではない、などと思っていたところだが、成程これはなかなかに面白い組み合わせじゃあないか。フムン。なかなかいい。面白いぞ。結構。座ってよろしい。座り給え。さあ」

 

 天井どころか天上から降ってくるのではないかという実に上からの言葉を、ごくごく自然に吐き出す女である。

 

 おずおずと二人が応接具のソファに腰かけると、女もするりと執務机から腰を下ろし、応接具のソファにどっかと腰を下ろす。そして老婆が改めて甘茶(ドルチャテオ)を三人に振る舞い、そして流れるような手つきで銀盆で主人の後頭部を叩くにあたって、ようやく空気は動き始めた。

 

「ええと、俺達は」

「なんだ君は。()()()()のか?」

「はっ?」

「それにそっちの鎧は面白いな。どういう造りだケモチビ」

「ち、チビっ!?」

「まあどうでもいいか。それで何の用だったか、えーと、シヅキにミライ」

 

 名乗ってもいない名前を呼ばれてぎょっとすると、老婆が再び銀盆で主人の後頭部を叩いた。

 

「いささかはしたのうございますが、人様のお名前を当てるのもお嬢様の――探偵ドゥデーコ・ツェルティードの特技にございます。名刺代わりと思ってご笑納ください」

「は、はあ」

「ばあや、茶もいいが甘いものも欲しい」

「後になさいませ」

 

 それよりも主に対して全く敬意のなさそうなこの侍女の方が気になって仕方がないのだが、もうこれはこういうものとしてスルーした方がいいのかもしれない。チビ扱いされてご機嫌斜めの未来がこれ以上こじれても、困る。

 

「えっと、俺達は帝都で人探ししてまして」

「それは海坊主の親父の手紙にも書いてあった。どこのだれを探して欲しいんだ耳長」

「このっ」

「ステイステイ、いちいち煽られるな未来。えーと、手掛かりなんですけど、いまこれくらいしかなくて」

 

 そう言って紙月は、懐から、と見せてインベントリから一枚の金貨を取り出した。手のひらに収まるような小さな金貨である。それでも帝国では金貨といえば相当な額の貨幣として扱われるから、老婆が少し、教養ある範囲で目をむいた。

 

 それはかつて《エンズビル・オンライン》で使用されていたゲーム内通貨であった。

 

 一方でドゥデーコはその金貨をむんずと無造作につかみ取って、指先でつまんでは明かりに透かすように眺めた。どう見ても高額貨幣を見る目ではない。だがそれ以上に面白そうなものを見つけたと言わんばかりの目である。

 

「こいつはどこで?」

「以前いたところから持ってきた。それ以上は言えない」

「成程。成程。この金貨を持っているやつを探して欲しいというわけだな、君たちは」

「そうなる」

 

 ぽいと無造作に金貨を投げ返してから、ドゥデーコはにっこりと笑った。それは貴族という血筋の良さからなのか、暴力的な顔面の良さを見せつけるような笑みだった。

 

「では残念ながらその依頼は請けられない」




用語解説

・一頭立ての小さな馬車
 大きめの町ではよくみられる辻馬車。
 作中で言われるように、いわゆるタクシーとして利用されている。

・《ツェルティード探偵事務所》
 帝都でも最初で唯一の探偵事務所。
 そのため住人も探偵というものが何なのかよくわかっていない。
 とりあえず物探し、人探しを請け負っているということだけはわかっている。
 また所長が奇人変人の類ということも知られている。

・探偵ドゥデーコ・ツェルティード(du deco celtido)
 北部の貴族ツェルティード家の三女。
 物探しに関して非常に優れた才能を持つが、人と違うものが見えているせいか振る舞いは奇矯。
 跡を継げるでもなし、嫁ぎ先も貰い元もないし、親に放置されていたところを、人から進めて探偵事務所を開く。
 金には困っておらず、完全に趣味でやっており、客も自分を楽しませるためのものだと思っている。
 なお、専門の探偵屋という概念そのものが今までなかったので、この世界背最初にして唯一の専業探偵である。
 仮にこいつを探偵と呼んでいいのならの話ではあるが。



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第二話 探し人は

前回のあらすじ
探偵(?)と遭遇した二人。
しかし、依頼を断られてしまい……。


「では残念ながらその依頼は請けられない」

 

 しれっと言ってのけられた言葉の意味を理解するのに、いくらかかかった。

 

「な、なん」

「おお、いいぞ、その間抜け面。写真機を買っておくべきだったな」

「欲しければ稼いでくださいませ」

「無理だな、止めておこう」

「なんで駄目なんです!?」

「うるさいぞケモチビ。本当はそんなに興味がないくせに騒ぐな」

「なっ」

 

 ドゥデーコは薫り高い――しかし安物らしい甘茶(ドルチャテオ)をグイっと飲み干すや、カップを未来に向けて放り捨てた。鎧にカップの破片が飛び散る。

 

「お嬢様!」

「ばあやの茶はうまいからな。中身はもったいなかった」

「そういうことでは」

「頭を冷やせということだったんだが、今度はお前か耳長」

 

 ずいと突き付けられそうになった指先が、逆に伸ばされたドゥデーコの手で握りしめられる。

 

「あっ、ぐっ!」

()()()()()()()()()()()()()()、これ以上家具を壊すとまた叱られるんでな」

「お嬢様が大人しくなされば済む話でしょうに」

「死ねと?」

「その前にわたくしの寿命が尽きますわね」

「それは困るな」

「くっ、はな、せっ!」

「そら」

 

 放せとは言ったが、文字通り急に放されてひっくり返りそうになる紙月を、未来が慌てて支える。

 

「沸点の低い連中だな」

「あんたが怒らせるようなことを言うからだろう!」

「面倒な奴らだな。図星を刺されたくらいで」

「お嬢様がカップをお投げになったからでは」

「おっとそこか」

 

 あまりに暢気な発言に、怒りを通り越してあきれ果てた紙月は、思わず立ち上がってそのまま出て行こうかとも思った。しかしカップを投げられた当の未来が、痛いところを突かれたと言うように黙然として老婆に鎧を拭われているのを見て、深くため息をついてこの怒りを鎮めた。

 

「……改めて聞くが、なんでダメなんだ」

「私は依頼の二重取りはしないことにしている」

「はあ?」

「つまり、こういうことさ」

 

 ドゥデーコが胸元から取り出したものに、二人は思わずあっと声を出して驚いた。

 それもそのはずである。なんとそれは二人が先ほど示したものと同じく、《エンズビル・オンライン》で用いられていたゲーム内通貨の金貨だったのである。

 

「『この金貨の持ち主を連れてくること』。これは私が探偵事務所を開く際に金を出した爺さんの依頼でね」

 

 手の中でキラキラと光る金貨を指ではじいて、探偵は笑った。

 

「よりにもよって一件目の依頼がなかなか完遂せずに不満だったんだ。今日はいい日だ」

 

 

 

 探偵が二人を連れて訪れたのは――、正確に言うと二人の馬車に強引に乗り込んで、狭いだの椅子が堅いだの文句を言いながら案内したのは、町はずれのかなり大きな建物だった。

 もともとの建物自体が大きなものであったのもあるだろうが、そこにさらに建て増しを繰り返しているらしく、美的景観としてはいまいち周囲との調和がとれていないものの、迫力は結構なものがあった。

 

「えーと、ここは?」

「言っただろう、依頼人のヤサだ」

「そういうことではなくて」

 

 気にした風もなくドゥデーコは、この商社風の建物の広い入り口を抜けてずかずかと中に入っていく。

 

「あ、あの?」

「気にするな」

 

 受付嬢が声をかけるのも全く気にかけず、勝手知ったるとばかりに探偵はのしのし歩いていく。仕方なしに二人もその後をついていくのだが、なにしろ男装の麗人に、女装の魔女、二メートルはある大鎧と個性豊かな面子である。行きかう人々からの視線が痛い。

 

「えっと、おい。どこに行くんだ?」

「知らん」

「はあ?」

「知らんがどこに居るかはわかる」

 

 自信満々に歩いていく癖に、知らんと言う。知らんとは言うが、わかるとも言う。

 全く訳が分からずに後をついていくと、やがて建物は様相を変えて、少し埃っぽくなっていく。金槌がものを叩く音や、ごうごうと火の燃える音、ぎりぎりとものをねじる音など、工房のように移り変わっていく。

 実際、物づくりの現場なのだろう、行きかう人々も土蜘蛛(ロンガクルルロ)が目立つようになってきた。中には、二足歩行の人型に近いが囀石(バビルシュトノ)らしき姿も見える。

 

「ええい、五月蠅い所だな」

「まだなのか?」

「知らん。知らんがもうすぐだろう」

 

 なんだ、誰だと誰何する声も無視して突き当りのドアを開けた先は、個人用の工房といった具合で、炉のそばに老人がどっしりと腰を下ろして、何かをいじっているところだった。

 

「おお、いたか爺さん。もっとわかりやすい所に居ろ!」

「おわっ、なんじゃお前さん、こんなところまで」

「お前がわかりやすい所にいないのが悪い!」

「どんな理屈じゃい……おっ、おお、もしやその二人は!」

 

 老人は背こそ低かったが、かなりがっしりとした体つきで、その体躯は、以前の世界でならこんな風に形容されただろう。

 「酒樽のような」と。

 

「ど、ドワーフ!?」

「おう、その呼び方を知ってるってことは間違いないな。恰好からすると、なんじゃ、《無敵要塞》の二人組か?」

「その呼び名を知ってるってことは、もしやあんた《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》の倉庫番!」

「いかにも。HN(ハンドル・ネーム)レンツォじゃよ」

 

 にっかりと笑って見せたこのドワーフこそは、かつて《エンズビル・オンライン》において、ギルド《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》の倉庫番として膨大なアイテム・資金を管理していたプレイヤー・レンツォその人であった。

 

「本名は有明(ありあけ) 錬三(れんぞう)という。こっちじゃもっぱらレンゾーで通しとるがな」

「あ、ああ、俺は紙月。古槍紙月。シヅキでいいです」

「僕は衛藤未来です。ミライって呼んでください」

「くすぐったくなる様な敬語はやめてくれ。ゲームの時と一緒で、爺さんで構わんよ」

 

 三人の微妙にくすぐったくなるような再会にして初対面を打ち破ったのは、探偵だった。

 

「よし! じゃあ私は帰るぞ!」

「何しに来たんじゃお前」

「お前の依頼だろうがボケジジイ!」

「冗談冗談。じゃあな。とっとと帰れじゃじゃ馬」

「言われんでも帰る!」

 

 もう用はないとばかりにドゥデーコは長い脚をするりと翻して帰っていった。

 

「……結局、なんだったんだ、あいつ」

「性格には難があるし仕事も雑じゃが、物探しは抜群でなあ」

 

 聞けば、そう言う才能があって、持て余しているところを、錬三が探偵事務所を開くことを勧めたのだという。

 

「当時、まだ探偵なんてもんは帝都にはなかったし、何かしら適当な枠に放り込んどかんと、ありゃ妙なもんに目を付けられかねんかったからな」

「しっかし、そう言う才能ったって、どういう才能だ?」

「魔術師どもは物探しの術と似ていると言っとる。本人は自分は神だと言っとる」

「気が狂ってるんですか?」

「いたって正気なのが手におえん所じゃな」

 

 ふと、未来が気づいたように言った。

 

「あの人に探偵になるように勧めたって言うけど、いつから探偵事務所なんてやってるの?」

「あれが成人した頃じゃから、十年くらい前かの」

「十年前もあんな感じだったのか……」

 

 そのまま流しそうになりながらも、紙月は引っかかったように小首を傾げた。

 

「……()()()?」

「そんなもんじゃろ」

「いや、そうじゃなくて、ええと、つまり……爺さん、あんた、その、()()()()?」

()()()()()かのう」

 

 少し遅れて、未来がエッと声を漏らした。

 

「あれ、ニュースとか見んかった? 一応わし、有名人なんじゃけど」

「有名人って…………ああああああああッ!」

「なになになにっ!?」

()()()()!!」

「そうじゃって言っとるじゃろ」

 

 紙月は錬三を指さしたまま、目を見開いた。

 

「だっ、えっ、ま、マジで!? 本物!?」

「マジマジ。本物」

「な、なに、紙月?」

「ニュースで見た! 《エンズビル・オンライン》つくってる会社の大株主だよこの爺さん!!」

「ええっ!?」

「正確には親会社の会長な、会長」

 

 MMORPG 《エンズビル・オンライン》を開発・運営する株式会社ラムダは、複合企業体デイブレイク・グループの事実上傘下企業である。

 そのデイブレイク・グループの会長ともなればそれこそ現代の殿上人とでもいうべき存在ではある。

 

 ではある、が。

 

「ええ、だって、ええ……!?」

 

 紙月は困惑した。

 

「だって、二か月前、ニュースで、あんた、()()()()って……!」




用語解説

・有明錬三
 HN:レンツォ。
 《エンズビル・オンライン》ではドワーフの《黒曜鍛冶(オブシディアンスミス)》としてギルド《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》に所属していた。
 現実世界では複合企業体デイブレイク・グループの会長であり、MMORPG 《エンズビル・オンライン》を開発・運営する株式会社ラムダは、事実上傘下企業である。
 ざっくりいうと、どえりゃあ人。



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第三話 死後至る所

前回のあらすじ
ついに再会した、ゲーム時代の友人。
しかしその人物は二か月も前に死亡しているはずで……。


「ほーん、二か月か。やはり時間はずれとるようじゃな」

「二か月と二十年じゃ大違いだよね」

「くるみ……オデットにも聞いたんじゃが、どうも時間は必ずしも同じようには流れておらんようだの」

「オデットさんも来てるの?」

「おお、最近は忙しく飛び回っとるがの」

 

 暢気に語らっている二人に、しかし動揺したのが紙月である。

 

「いや、だって、ええ……!?」

「なんじゃい。お前さんSFとか読まんの? 時間のずれ位あってもおかしくないじゃろ」

「そういうことじゃ……だって、あ、あんた、死んで……!?」

「……なんじゃい、お前さん、覚えとらんのか?」

「覚えるって、なにを」

「死んだから、こうして異世界に転生したんじゃろうが」

 

 至極さっぱりとした錬三の物言いに、瞬間、紙月の脳内は完全に化石したと言ってよかった。

 

「覚えとらんようじゃのう」

 

 豊かな白髭をしごいて、錬三はゆっくりと言葉を選んでいるようだった。

 それさえもなんだか紙月には、薄紙一枚通したようにどこか現実離れした物事のように思えた。

 

「そうさな。わしの話をしようか。わしからすれば二十年前。お前さんからすれば二か月前か。わしは、死んだ」

「死んだ」

「お前さんも自分でそう言っただろうが。ニュースじゃほれ、何と言うとった」

「なん、だっけ、そう、心臓がどうのって……それで、家事代行サービスの人が」

「は、心筋梗塞かなんかじゃろうな。で、雇っとった家政婦のおばちゃんに見つかったわけだ」

 

 フムンと一つ頷いて、錬三は何とも言えぬように口を曲げた。

 

「そろそろお迎えかもしれんなあとは、まあ前々から思っとった。何しろわし、そん時でもう九十二歳じゃったからな。百歳まであと八年とはいえ、まあそれまでには死ぬじゃろと思っとった」

「長生きだったんだね」

「そうしようと思って長生きしたわけじゃあなかったんじゃが、まあ、あっちを手掛けて、こっちを手助けして、あいつに助言して、こいつに指示出して、なんてやっとるうちは、なかなか死ぬに死ねんでな。

 だが最近は、といってもわしにとっちゃ二十年も前だが、会社もわしなしでやっていけるようになっておったし、早めに身辺整理も済ませたし、毎日ゲームやっちゃ適当に判子捺すだけのいい生活じゃったわい。

 それでなあ、それで、まあ、なんだ。

 そろそろいいかな、と思っとった時に、具合よくおっ死んだじゃろうなあ」

「具合よく、って」

「ゲームできんくなったら死に時じゃと思っとったけど、ゴーレム用のキュー・コードが思い出せなくなってな、これはあかんと思ってふて寝した晩じゃったから。ちと寝苦しいような思いもしたが、気づけば死んどったから、タイミングも死に方も、まあ具合よかったと言ってよかろ」

 

 あっけらかんと言ってのける錬三が、紙月にはなんだか全く別の生き物か何かのように思えて、不気味を通り越して心底不思議だった。だがそれこそ当然の話だった。相手は大企業の会長になるまで上り詰めた人物で、何十年と年の離れた相手で、更にはこの異世界で二十年もドワーフとして生きてきたのだ。

 それはもう、紙月とは全く別の価値観を持った、全く別の生き物と言ってよかった。そこには紙月の知らない人生哲学があるのだった。

 

「ふと気づくと、わしは妙な夢を見た。夢だったのか、現実だったのか、正直な話今でもよくわからん。わからんが、それは確かにあったことなんじゃと思う」

 

 話は死後に進んだ。あるいは、死のただなかへと。

 

「そこには上も下もなく、右も左もなく、前も後ろもなかった。光もなく、闇もなく、明るくも、暗くもなかった。寒くも暖かくもない。何にもない真っ白な闇の中に、肉体も何もかもそぎ落とされた、わしという一つの点がぽつんと浮いておるような心地だった。それはどこまでも美しくて、そして恐ろしい光景だったように思う」

 

 錬三は傍らの煙管を手に取り、手馴れた様子で煙草を詰めると、指先をかざして小さく何事か唱えた。すると小さく火がともり、錬三は何度かこれをふかした。

 言葉をまとめ、何よりもその不可解な体験に対する自分自身の考えをまとめるように、ゆっくりと何度か紫煙が吐き出された。

 

「真っ白な闇のどこかから、あるいは向こうから、またあるいはそれ自体が、わしに語りかけた。

 『ようこそここへ』 とな」

 

 それはしわがれ、酒焼けしたドワーフの声に過ぎなかった。だがそのたった一言に奇妙な魔力でも込められていたかのように、その言葉は紙月たちの耳朶を恐ろしくも冷たい響きを持って打つのだった。

 

「声はまるで長年の友に対するように気やすい調子じゃった。しかしわしにはすぐに分かった。それは友としてわしを尊重しているからこその優しい響きなのではなかった。わしという存在を吹けば飛ぶようなたやすい存在として扱う易しい響きじゃった」

 

 声はこのように語りかけたのだという。

 

 いま、君の肉体は死を迎え、その魂は零れ落ちようとしている。

 その魂を、私が卵の白身と黄身を選り分けるように、繊細に受け止めてやっているのだ。

 おっと、君はあまり料理をしなかったな。この喩えはわかりづらいかな。

 ではもう少しわかりやすく言おう。

 

 いま、()()()()()()()()()()()()()()

 

 ああ、()()()()、有明錬三。

 私は君を害するものではなく、また試すものでもない。

 或いは君を愛するものでもなく、また育むものでもない。

 

 私は君に選択を与える。

 

 一つはこのまま死を受け入れ、その魂を流転のままに任せる。

 そうすれば君の魂は、海の波に漂白するように無限の時を彷徨い、激烈な化学薬品に浸したように漂白されることだろう。

 いまのは海の漂泊と薬の漂白をかけたジョークなんだ。

 わかってくれ。私はただ君を安心させ、心穏やかに選択してほしいだけなんだ。

 

 ()()()()()()()()()

 

 さあ、安らかならぬ君にもう一つの選択を示そう。

 

 そうだ。もう一つは、今の死を受け入れ、私が与える次の生を生きることだ。

 私にはどのような肉体も生み出すことができる。どのような振る舞いをさせることもできる。

 しかし魂だけは創造することを許されていない。

 そう、ただ魂だけは。それだけは侵すことの許されない領域なのだ。

 

 君が望むのならば私は死を、そしてまた或いは新たな生を与えよう。

 

 私は何も強制しない。選ぶのは君だ、有明錬三。

 ここには時間の流れなどあってないに等しい。

 ゆっくりと考えるがえっもういいのかい。

 別に急がなくても私は一向にかまわないのだが。

 

「わしはこのふざけた存在に新たな生を願った。死は怖くなかった。とうに死ぬ準備はできとった。だが、いざ先があるとなれば、やりたいこと、やり直したいこともあった。そいつはわしにゲームで慣れ親しんだ体を寄越した。そいつ自身のゲームの駒であるからと、そしてまた早死にされても面白くないからとな」

 

 ふん、と鼻先から煙を吐き出して、錬三はその不気味な神の名を唱えた。

 

「境界の神プルプラ。それが奴のこの世界での名じゃよ」

「境界の……神」

 

 頭痛が。

 酷い頭痛が紙月の頭の中をかき回していた。

 

「未来……」

「……うん」

「お前は……お前は、知っていたのか? いや……覚えていたのか?」

 

 すがるような問いかけに、鎧の向こうから静かに声は応えた。

 

「うん。僕は全部――覚えてたよ」




用語解説

・オデット
本名:形代(かたしろ)くるみ。
ゲーム内ではピクシー種の《歌姫(プリマドンナ)》。
ギルド《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》の賑やかしで、高いコミュニケーション能力でギルドメンバーを集めた立役者。
 現在はアイドルグループ「超皇帝」の片割れとして帝国各地を飛び回っている。

・ゴーレム
 《エンズビル・オンライン》内にて、《錬金術師(アルケミスト)》系統と、高位の《鍛冶屋(ブラックスミス)》が使役することができたMob。
 決められた行動を入力しておくことで、半自動で動くことができた。
 アイテムと時間さえ費やせば人が居住できるほど巨大なものや、前線での戦闘に使用可能なものなども制作できた。その労力に見合うかどうかは別の話だが。

・キュー・コード
 ゴーレムに指示を出すための合図。

・境界の神プルプラ(Purpura)
 山や川などの土地の境、また男や女、右や左など、あらゆる境界をつかさどる神。北東の辺境領に信者が多い。
 顔のない神。千の姿を持つもの。神々の主犯。八百万の愉快犯。
 非常に多芸な神で、また面白きを何よりも優先するという気質から、神話ではトリックスターのような役割を負うことが多い。何かあったら裏にプルプラがいることにしてしまえというくらい、神話に名前が登場する。
 縁結びの神としても崇められる他、他種族を結び付けた言葉の神はプルプラが姿を変えたものであるなど他の神々とのつながりが議論されることもある。
 過酷な環境と敵対的な魔獣などのために死亡率が高い辺境では、性別に関係なく子孫を残せるよう、プルプラの力で同性同士での子作りや男性の出産などが良く行われている。



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第四話 あの日は随分と平凡で

前回のあらすじ
自らの死とその後を語る老人。
そして未来は……。


 《白亜の雪鎧》を脱ぎ去り、自分の目でしっかりと紙月を見つめて、未来は、改めて呼吸を整えた。舌が乾いて、指先が冷えた。目は泳ぎそうになり、唇は震えた。

 しかし、それでも未来は語らなければならなかった。

 覚えていないことをいいことに、隠し続けてきたのは自分なのだから。

 

「紙月は、元の世界で最後の日が何の日だったか、覚えてる?」

「最後の日……は……確か………」

「その日は、人と会う約束をしていた」

「そう、だ……俺は、そうだ、あの日、俺は」

「そう。僕と会う、約束をしていた」

 

 MMORPG 《エンズビル・オンライン》は老舗ではあったが、どうしようもなく陰りを見せてきている下火のゲームだった。未来たちはそれでも休日の度に二人で組んでプレイし、平日も暇を見つけては入り浸っていたけれど、《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》というギルド内でもログインしなくなるものは増えつつあり、往年の活気は失われて久しかった。

 それはたかが一年、しかし大きな一年だった。一年もあれば、世の中の流行り廃りは変わっていく。誰が強制するわけでもないゲームともなれば、なおさらだ。

 

 きっとこのまま何年も何十年も、同じようにゲームをプレイして、同じように付き合っていくということはできないんだろう。

 小学生の未来にだってそのくらいのことは分かった。

 どれだけ今が楽しくても、その今は、いずれなくなってしまうものなのだ。

 

 だから未来は、その今が失われてしまう前に、何かを、してみたかった。

 何かになるようなことを、してみたかった。

 自分の行く末どころか足元さえもおぼつかない未来には、多くのことは思いつかなかった。 

 何かをしようと思い立っても、何かを成し遂げるだけの力もなかった。

 

 だからその単純な思い付きに至ったことは、未来にとってこれ以上ない幸運だった。

 

 会ってみたい。

 

 ただそれだけのことだった。

 ただそれだけのことを言い出すまでに一月かかり、そして帰ってきた答えは一瞬だった。

 

 いいよ、と。

 会おうよ、と。

 

 幸い、二人の住所は天と地ほど離れているわけではなかった。土日の連休を使って、十分に会いに行けるほどの距離。少し前までは宇宙よりも遠く感じていたはずの場所は、地図上で指でなぞることができるほどの近さだった。

 

 二人きりのオフ会は、計画をしているときこそ楽しいものだった。

 

 二人の住んでいるどちらで会おうか。最初はお前の、いいやペイパームーンのと押し問答して、結局すぐに二度目があるからと、未来の家の近所にされてしまった。少し悔しかったけれど、でも楽しかった。始まる前から、二度目の約束ができたのだから。

 

 じゃあ何月何日の何時に、俺はこれこれこういう格好をしていくから、じゃあ僕はこういう格好をしていくね、そうして段取りを組んで待ち構える週末は、遠足前のようにドキドキした。

 

 当日になって、かなり早めに駅前の待ち合わせ場所について、急に冷や汗が止まらなくなって、どうしようって焦り始めた。本当は小学生なんだって言ったら、どんな反応をされるだろうか。彼女(もしかしたら彼?)は怒ったりしないだろうか。怒って帰ってしまわないだろうか。

 そうして、そのまま縁が切れてしまわないだろうか。

 ゲームの中でさえ、もう会ってはくれなくなったりしないだろうか。

 

 そんな考えがぐるぐると駆け巡るうちにふいに突き飛ばされる様な衝撃がしたのだった。

 

「あぶない!」

 

 そんな声と同時に、続けて衝撃があって、そして。

 

「そして、僕は死んだ」

「……っ、あ………!」

 

 頭の中が真っ白になったようなものすごい衝撃と、酷い耳鳴り。どこか遠く聞こえる悲鳴と、空の青さ。焼け焦げたようなにおいと、ぬるく湿った感触。

 

「ああ」

 

 溜息のようにこぼれた吐息が、未来の最期だった。

 

「プルプラに聞いたよ。交通事故だって。お年寄りの乗った車が、アクセルとブレーキを踏み間違えて、暴走したんだってさ。話には聞いてたけど、あるんだね。まさか自分が被害者になるなんて、思ってもみなかったけど」

 

 無意識に撫でた胸元は、いまはもう、ただ平らに、健康にそこにある。けれどあの時はきっとひどいありさまだったことだろう。

 

「あの時助けようとしてくれたのが、紙月だったんだって。ごめんね。僕の巻き添えで、死なせてしまったようなものだ」

「そんな、そんなこと!」

「そんなことあるんだよ。紙月があの時助けてくれようとしたから、紙月は死んでしまったんだから」

「ぐっ……うっ……!」

 

 夢現に、生ぬるいアスファルトの上に未来は神様を見た。あるいは神様のようなものを。

 それは本当に神様としか形容ができない全くよくわからない何かで、そしてそれは何者とも知れぬ声で語りかけたのだという。

 

 やあやあ未来くん。

 死んじゃったねえ。

 物の見事に死んじゃったねえ。

 救急車も呼ばれて君はこの後緊急病棟に担ぎ込まれるけど、でも残念、すでに肉体の死は確定して、三十二秒後に君は完全に死ぬ。

 今はその三十二秒間を引き延ばしてこうしてお話しているわけだ。

 

 大丈夫?

 お話通じてる?

 よかった。君本とか読む子? 読む子は大概話通じるってわけでもないけど、読まない子よりは通じる確率が高いよね。あくまでわたし論だけど。

 

 えーっとそれでなんだっけ。

 そうそう。

 君は死にました。

 わーいぱちぱちぱち。

 うん? 違うか。まあいいや。

 

「ペイパームーンは」

 

 うん、なにかな?

 

「ペイパームーンは、待ち合わせしていた人は、どうなったかな?」

 

 ああ、君をかばおうとして一緒にはねられちゃった人だ。

 その子も死んじゃってるよ。

 いま同時並列で勧誘中。

 

 そう、勧誘中なのだよ君を。

 

「後の話は、お爺ちゃんと似てるけど、少し違う」

「違う?」

「残りの三十二秒間があれば、僕は、僕の方だけは助けられる、プルプラはそう言ったよ」

「じゃあ……!」

「答えは今目の前にある通り。僕はそのまま死んでしまう代わりに、そのまま生きていく代わりに、プルプラの与えてくれたこのゲームキャラクターの体で、この世界に転生した」




用語解説

・神は言った。
 特にないと。


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第五話 当たり障りない生き方だった

前回のあらすじ
未来は語る。
自分は生と死とを選ばされた。
そして選んだのがこの世界なのだと。


「どうして……?」

「どうしてって?」

「どうして、普通に生き返ることを望まなかったんだ……! お前にはそれができたんだろう……!」

「僕をかばってくれた紙月を見殺しにして?」

 

 さっと青ざめる紙月に、未来は苦笑いした。そんな顔をさせたいわけじゃない。けれど言葉を選ぶのは難しかった。

 

「紙月のこともあったよ。でも、それだけじゃない。紙月のことがなくても、僕はきっとこの道を選んでた」

 

 何故ならば。

 

「僕には、僕の身の置き所っていうものが、他になかったからね」

 

 未来は父子家庭だった。

 母は未来がまだ幼いころに、交通事故で亡くなってしまった。

 つくづく交通事故に縁があると思う。残された父親には申し訳のない死に方だ。

 

 けれど、死にゆく三十二秒間で、未来はふと思ったのだった。

 これでもう、邪魔はなくなるな、と。

 

 ずっと父の背中を見て育ってきた。それは確かに頼りがいのある背中だったかもしれない。しかし、同時に寂しく、孤独な背中だった。もうずいぶんと、父の顔を見ていないような気さえした。

 

 父はいつも朝早くに出勤し、夜遅くに帰宅した。帰れば必ず未来にただいまを言い、そしてそれを終えると力尽きたようにベッドに倒れた。

 未来をよい小学校に通わせるために、未来の生活を支える家政婦を雇うために、未来の将来の積み立てのために、父は一人孤独に働き続けていたのだった。

 

 愛されていたと思う。

 それは父なりの愛し方で、未来はその愛情をこれ以上なくはっきりと自覚し、受け止めていた。

 だがそんな愛情を受ければ受けるほどに、未来は感じるのだった。

 

 自分がいなければ、父はもっと楽ができるのではないか。

 再婚相手を探すこともできただろう。仕事も、もっと緩やかなものにできただろう。

 

 早く大人になりたかった。大人になって父を楽にさせたかった。

 けれど遅々として背は伸びず、時は進まず、本当のところ逃げ場を求めて始めたのが《エンズビル・オンライン》だった。

 

 誕生日に父が買ってくれた、小学生の身の丈に合わない立派なパソコンで、始めたのがゲームだったというのは、子供らしいと喜ばせたのか、子供っぽいと悲しませたのか、それはわからない。

 ただ確かな事として、《エンズビル・オンライン》は未来が安心して呼吸できる場所となった。

 だってそこには、紙月がいたのだから。

 

「ペイパームーン。紙月には本当に助けられたと思ってるよ」

 

 ただ広告につられるままに始めたゲームの世界で、何をどうしたらよいかわからず右往左往していた未来に声をかけてくれたのは紙月だった。まとめサイトのことも、クエストのささやかなコツも、ゲームを長く楽しむやり方も、みんなみんな、教えてくれたのは紙月だった。

 

 紙月自身が、自分のサポートとなるプレイヤーを探していたことはすぐに分かった。未来の意思を尊重しながらも、紙月自身のプレイスタイルに合うように誘導されていることもすぐに分かった。でもそれでよかった。それがよかった。

 だって未来には目的なんてなかった。ただ必要とされるのが心地よかった。自分がここにいてもいいのだと、そう言ってくれる人の存在が何よりも大事だった。

 

 そうだ。

 未来は誰かに必要とされたかった。

 誰かの助けになりたかった。

 

 父に愛されていることは知っていた。

 父に愛されていることはわかっていた。

 父に愛されていることを、本当は願っていた。

 

 きっと父は未来を愛してくれていたことだろう。まごうことなくそれは愛だっただろう。この世で何よりも尊い思いだっただろう。

 だがだからこそ、未来はそれが疲れに倦み、摩耗して元の形を失っていくことがつらかった。

 父の笑顔を最後に見た思い出が、どんどんと薄れていくことがつらかった。

 

 父はきっと未来を愛してくれていた。

 父はきっと未来を愛してくれていると思っていた。

 父はきっと未来を愛してくれていると、そう願っていた。

 

 でも現実的な話として、愛は絶対でも不変でもなかった。永久のものはこの世にはなかった。

 父が未来を愛することに努力を感じ始めるようになったことを、未来は中途半端に敏感に悟ってしまった。

 

 最初は純粋な慈しみであったものが作業になり果て、はじまりは確かな愛おしみであったものが惰性になり果て、求められることに疲れ果てて枯れ落ちそうな背中が父の姿だった。

 もはや顔さえもおぼろげにしか思い出せない、父の似姿は枯れ木に似ていた。

 

 《エンズビル・オンライン》で紙月に求められ、未来はようやく気付いた。

 ああ、これが求められるということで、そして今自分はそれに依存しているのだと。

 父が失いつつある愛情を、この人に求めているのだと。

 

 それでも。

 

 それでも、それでもよかった。

 

 未来は誰かに愛されたかった。

 誰かに必要とされ、誰かに求められ、手を差し伸ばされてともに歩みたかった。

 

 だって、未来自身がそうしたかったから。

 誰かを愛し、誰かを必要とし、誰かを求め、手を握り締めて答えたかった。

 

 一人の人間に、なりたかった。

 

 だから未来は選んだのだった。

 愛することに疲れ果てた父を解放し、そしてまた、愛を求めることに疲れ果てた自分を解放するために。

 

「新しい世界を。そう望んだんだ」




用語解説

・愛
 それは人の数だけ存在するものなのかもしれません。


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第六話 新世界に至る

前回のあらすじ

愛とは。


 頭痛がした。

 頭の中をかき回すような頭痛がした。

 

 そしてそれとともに、紙月の脳裏に神の姿が思い出された。

 

 神は五月の日差しに似ていた。

 柔らかく、透明で、どこまでも無関心に降り注ぐ、光の雨。

 

 お前には二つの選択肢がある。

 

 神は言った。

 

 一つはこのまま魂を輪廻に預け、永劫回帰に身を任せるか。

 一つはお前の魂を我が手に預け、箱庭世界に身を投じるか。

 

 二つに一つだ。

 ただ死ぬか。

 新たな生か。

 

 選べ、古槍紙月。

 

METO(メト)は……METOはどうなったんだ?」

 

 お前の友は箱庭へと旅立った。

 今世での憂いを嘆き、来世に希望を託し、我が箱庭を遊び場と選んだ。

 

 神の言葉は、紙月にはよくわからなかった。

 ただ相方が助かったのだということだけは何となくわかった。

 少なくとも生きているという意味では。

 

 紙月は尋ねた。

 死ぬとどうなるのかと。

 

 神は答えた。

 ()()()()()、と。

 

 紙月は尋ねた。

 生まれ変わればどうなるのかと。

 

 神は答えた。

 ()()()()()()()()、と。

 

 結論はすぐに出るようなものではなかった。

 悩むことが多かったからではない。

 まず何を悩めばいいのかわからないほどに、紙月は空っぽだったからだった。

 

 古槍紙月にとって、世界とはどこか書き割りじみていた。

 薄っぺらで、現実感に乏しく、どこまでも無価値で無責任だった。

 そしてそれは紙月自身が薄っぺらで地に足がついていない、無価値で無責任な存在だからということもわかっていた。

 

 昔から大抵のことはできた。

 絵を描くこと。文章を書くこと。走ること。踊ること。歌うこと。

 でもどれも一等賞を取ったことはなかった。

 誰かの真似をすることはできた。でも誰かになることはできなかった。

 誰かの模倣をすることはできた。でも自分になることはできなかった。

 

 いつだって紙月は二番目か三番目だった。

 才能がないわけではなかった。でも届かなかった。

 努力はしているつもりだった。でも届かなかった。

 才能があって努力もして、それでも目には見えない何かが、一番と紙月との間に横たわっていた。

 

 資格魔と言われるくらいにいろいろな資格を取った。

 役に立ちそうなものも、役に立たなさそうなものも。

 きっと何かになれるだろうと、きっと誰かになれるだろうと、ひたすらにあがいた結果は、しかし届かなかった。

 

 どんな資格も、どんな免許も、取るのに苦労なんてしなかった。

 けれど、それを一番になるまで磨き上げることはできなかった。

 アクセサリのようにじゃらりと連ねた資格の類が、鎖のように酷く重たかった。

 

 誰かの代わりにはなれた。でも誰かになることはできなかった。

 誰かの替わりにはなれた。でも自分になることはできなかった。

 

 紙月は予備だった。どこまで行ってもこの世界の予備だった。

 紙月でなければならないことなどこの世には一つもなくて。

 紙月でなければいけないことなどこの世にはなにもなくて。

 

 紙月がいなければならない意味なんて、この世界にはなかった。

 

 家に帰れば、家族でさえそうだった。

 病死した父の代わりは母が十全に務めた。

 子の役割は三人の姉たちが十分に務めた。

 紙月はあまりだった。務めなどなかった。

 

 姉たちはみな器用だった。

 みな器用に生き、器用にふるまい、器用に楽しんでさえいた。

 紙月は人の真似をして、人の模倣をして、ようやくたどり着く場所に、姉たちは自然体でいた。

 

 大学に入って、演劇をしてみるようになって、紙月は自分の致命的な欠陥に気付いた。

 

 どんな役でも演じられた。

 どんな人でも演じられた。

 どんな役目でもこなした。

 どんな人間でもこなした。

 

 でも、それだけだった。

 

「君には芯がない」

 

 そう言ったのは誰だっただろうか。

 思い出すこともできないほど、ささやかな言葉だった。

 けれどそのささやかな言葉が、紙月の胸に今も深く刺さって取り除けないでいた。

 

 君には芯がない。

 ああ、そうだ。その通りだ。

 

 古槍紙月には自分というものがなかった。

 がむしゃらに自分というものを探して、いくつもの仮面をかぶって、それで結局仮面の内側がつかめないままで彷徨う亡者だった。

 

 この世が舞台ならば、書き割りの世界ならば、紙月はただ役者という役割を演じられた。

 だがこの世界は夢ではない。夢と同じものでできているふりをしても、むくろをさらすことは避けられない。

 からっぽで中身のない、寒々しいむくろをさらすことは。

 

 ゲームの世界では紙月は一息付けた。

 なぜならばゲームの世界ではだれもが役者だったからだ。

 

 誰もがそれぞれのキャラクターという仮面をかぶり、誰もがそれぞれのキャラクターを演じていた。

 そこにひとり、中身のない仮面が紛れ込んだところで、誰も気づかず、誰も触れたりなんかしない。

 

 《エンズビル・オンライン》は紙月にとって救いだった。

 METOはその救いの象徴だった。

 他の誰でもない、ペイパームーンを求めてついてきてくれるたった一人の相棒。

 

 しかし今やその夢さえ終わる。終わる。終わる。

 死がもはや目前まで迫っていた。

 避けようのない死が迫っていた。

 

 だが死ぬことと生きていないことと何が違うだろうか。

 いままでのいつわりしかない人生と何が違うだろうか。

 

 そう思い至った時、紙月は決めていた。

 

「俺は……そうだった……俺が、選んだんだ」

 

 夢と始まり夢と終るのならば、せめて実のある夢を見ていたいと。

 

「選んだのは、俺だ」

 

 それが、古槍紙月の異界転生譚だった。




用語解説

・異界転生譚
 それは彼の物語である。


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第七話 月の光

前回のあらすじ

紙月の選択。


 自分の選択。自身の選んだ世界。

 神の記憶。自らの死の思い出。

 

 そういった記憶の揺さぶりに、紙月はあえいだ。

 溺れそうなほどの情報が、一時に脳を駆け巡っていった。

 

 床に崩れ落ちそうな体を抱きしめ、紙月は深く呼吸を改めた。

 

「俺達は……」

「なんじゃい」

「俺達は、もう、元の世界に帰ることはできないのか?」

「言うたじゃろ。わしらはもうすでに死んでおる。死んだ者が、蘇ることはない」

「でも、でも未来はまだ死んでなんかいなかった!」

「だが選んだ」

 

 錬三のいっそ冷徹な言葉に、そして静かな未来のまなざしに、紙月は黙り込んだ。黙り込むほかになかった。

 

「境界の神プルプラは気まぐれだが、人の自由意思を尊ぶという。わしは選択した。未来は選択した。そしてお前さんも選択した。わしらは皆、この世界で生きることを選んだ。一度選んだ以上、プルプラはその決定を覆すことはないじゃろうな」

「そう、か」

 

 なんだか不意に力が抜けるような思いで、紙月はふらふらと手近な椅子に腰を落とした。

 

「俺は、じゃあ……俺は、死んじまって……」

 

 自分を予備だと思っていた。

 何かの代わりにしかなれない、そう言うさだめだと思っていた。

 しかしいざ実際に自分がもう二度とあの世界には帰れないのだと知ると、途端に未練がわいてきた。

 母の顔が恋しかった。姉たちのからかいが懐かしかった。大学の友たちに会いたかった。

 だがそれはもう叶わないのだった。

 もう永久に、それは叶わないのだった。

 

「いままで、俺は何をしてたんだろうな……」

 

 元の世界に帰ろうと、紙月は努力してきたつもりだった。

 せめて未来だけでも帰してやりたいと、あがいてきたつもりだった。

 

 だがそれは無駄だった。

 無駄だったのだ。

 無駄なあがきですらない。

 最初から前提をかけ間違えていたのだ。

 

 無駄だった。無意味だった。無価値だった。

 それはまるで紙月の人生のようだった。

 何者になることもできなくて、何者かになれるはずもなくて。

 

「全部、無駄だったんだな……」

「違うよ」

 

 打ちひしがれる紙月に、しかし未来は否定した。

 

「違うよ紙月、違うんだ。無駄なんかじゃなかった。だって、紙月は僕を守ってくれた」

「未来……?」

 

 未来にとって、この世界での出発は、ゼロからのスタートのつもりだった。

 元の世界のしがらみをすべて放り捨てて、一人の人間としてやっていくのだとそう思っていた。

 不安はあった。

 むしろ不安ばかりだった。

 愛されることになれた自分が、疲れた愛にさらされることに倦んだ自分が、果たして誰かを受け入れることができるだろうか。

 愛することを知らず、ただただ愛されて甘やかされて育ってきた自分が、果たして一人でやっていけるだろうか。

 

 それでも未来は選んだのだった。

 そのまま父を擦り減らせてしまうくらいならば、もういっそ自分から消えてしまって、どこかへ行こうと。

 

 だからこの世界に転生して、傍らに眠る人を見て、自分が一人ではないのだと、本当に、本当に驚いたのだった。まさか、そんなはずはと思いながら、それでもその頬に触れ、ぬくもりを感じ、そしてその実存に心底救われたのだった。

 

 ちっぽけな不安と言えばちっぽけなものだっただろう。

 けれど、何もわからない世界で、もう一度、紙月は未来を救ってくれたのだった。

 右も左もわからず右往左往するばかりの未来は、紙月という存在に救われたのだった。

 

 紙月にはそんなつもりはなかったのかもしれない。

 紙月自身が追い詰められて、その末の選択だったのかもしれない。

 それでも未来は救われたのだった。

 

 それは、決して無駄な事なんかではなかった。

 決して、決して、無駄な事なんかではなかったのだ。

 

「紙月。僕は本当は一人ぼっちのはずだったんだ。巻き添えにしてしまったのかもしれない。紙月自身にも事情があったのかもしれない。でもね、紙月。僕は紙月が一緒にいてくれることで本当に救われたんだ」

 

 訳の分からない異世界で、どうしてこんなところにいるのかも覚えていなくて、それでも、紙月は未来を護ろうとしてくれた。一緒に居ようと、手を差し伸ばしてくれた。

 

 それがどんなにか未来の心を救ったか、紙月はきっと知らないのだ。

 未来自身、どんなに言葉を重ねても、その気持ちを伝えきれる気はしない。

 

 それがどんな由来で、どんななりゆきでやってきたのかにかかわらず、紙月という存在は未来にとってたった一つ暗闇でともるともしびだった。

 

 ペイパームーン。

 

 たとえそれがいつわりの光でも、中身のない張りぼての月だったとしても、それは確かに未来をここまで導いてくれたのだった。

 

「未来、俺は、俺は、」

「紙月。僕はね、本当に本当にうれしかったんだ。とっても身勝手で、自分勝手で、独りよがりなのかもしれないけれど、それでもね。僕は、紙月がしてくれたことを、どんなにか嬉しいことだと思うよ」

 

 紙月もまた、未来のまっすぐなまなざしに、自分が救われていたことに気付いた。

 

 何もわからない異世界で、本当は泣きたかったことだろう、辛かったことだろう、当たり散らしたかったことだろう。

 けれど未来は、一度だって弱音を吐いたことなどなかった。

 

 紙月が何も覚えていないことを悟って、今までこの小さな体に秘密を隠し通して、身の丈に合わない鎧で紙月を守ってくれたのは未来だった。

 

「未来。俺、本当に情けないやつだけどさ。本当に、本当に頼りないやつだけどさ。それでも俺、お前といられてよかったよ。お前が救われたって言ってくれて、それで、ようやく俺にも意味ができたんだと思う」

 

 それはいびつな依存関係かもしれない。

 互いに互いの体に寄り添って、お互いの傷をなめあうような関係なのかもしれなかった。

 

 しかしこうして二人は確かに、お互いに通じるものを得たのだった。




用語解説

・ペイパームーン
 紙製の月。偽物の月。
 でも君が信じてくれるなら、それは本物の月にだってなるだろう。


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第八話 新世界にて

前回のあらすじ

それはただの書き割りの月。
もしも君が信じてくれなくちゃ。


「すこしは落ち着いたかい」

 

 錬三の入れてくれた豆茶(カーフォ)のカップを手に、紙月と未来は目を合わせて恥ずかしげに笑った。

 

 何しろつい先ほどまで、二人は抱き合ったまま、子供のようにわんわんと泣き喚いて、何事かと人が見に来るほどだったのだ。

 それがようやく落ち着いて、二人はやっとこさお互いの顔を、まともに見れるようになったのだった。

 

 いや、正直なところ、まともに見れるかというと、実際はそうでもなかった。ちらちらとお互いの顔を見上げては、なんとなく気恥ずかしくなって顔を俯かせるという、そう言う繰り返しだった。

 何しろ自分の半生を語ったうえに、互いに互いの共依存を語り合ったような、要するに自分達はべったりですよと告白しあったばかりのようなものなのだ。これが気恥ずかしくない訳がなかった。

 

 世の中に友情宣言をする者たちは数多くあれど、よくもまあ永久にだのなんだのと言えるものだと紙月は困惑するばかりであった。

 

「まあ、豆茶(カーフォ)でも飲んで、少し落ち着くがいいさ。こいつはまあコーヒーと同じようなもんでな。いくらか、落ち着くじゃろ」

 

 二人は並んで座って、受け取った豆茶(カーフォ)を少しずつ冷ましながら口にした。それはいままでの飲んだどんなコーヒーよりも優しく、そしてくすぐったい味がするのだった。

 

 この黒い液体はただ苦いばかりでなく、豊かな香りと、穏やかな甘みをもって、確かに二人の神経を鎮め、穏やかな心地を取り戻させてくれた。

 

「落ち着いたか。落ち着いたら、どうするね、お前さん方」

「どうするって、何を?」

「紙月、お前さんもうちょっとしっかりしてやらんと、未来をリードしてやれんぞ」

「む、むう」

 

 そう言われると、弱かった。

 もとより大人として、子供の未来のことを庇護し、引率しているつもりだった。

 しかしその実態は子供である未来に護られ、ここまで支えられてきたようなものなのである。

 

 錬三はあきれたように自分も豆茶(カーフォ)を啜り、それから煙管をふかした。

 ぷかぷかといくつかの煙の輪が、天井へと向かって登っていく。

 

「もともとわしを訪ねてきたのは、元の世界に帰る手掛かりを探してのことじゃったろう」

「ああ、そうだった」

「全く。それで、今やそれは不可能ということがしっかり思い出されたじゃろう。なら、今後は何を目的とし、何を目標とするか、考えておかんと、あとで苦労するぞ」

 

 そう言われて紙月は困った。

 何しろ紙月にはもう目的というものがなかったのだ。

 ただひたすらに未来をもとの世界に返してやりたい、できれば自分も帰りたいとそのことばかりだったのである。

 

 その目的が失われてしまった今、紙月に果たして何があるだろうか。

 

「……未来はどうしたい?」

「僕? 僕は、別に、最初から当てがあったわけじゃないからね。漠然と、新しいところで再出発しようかなって思ってただけで」

「小学生だからというか、小学生らしくもなくというか、後先考えん奴じゃのう」

「うう、だってあんなの急に言われたって、そんなすぐにその後の人生計画立たないよ」

「まあ、そりゃそうかもしれんな」

 

 何しろあなたは死にました、次の選択肢から進路を選びなさい、などと前置きなしの予告なしでぶちまけられたのだ。

 いくら未来が子供なりに賢しいとはいえ、それはあくまでも子供なりのものであって、経験も乏しい小学生にいったいどんな計画が立てられたというのだろうか。

 まして一応は大人である紙月だって、全く思いついていないようなことなのだ。

 

「お爺ちゃんはどうだったのさ」

「わしぃ? わしはあれよ。生前かみさんには苦労させたから今度は気楽に独り暮らししたいとか、会社経営失敗したような気がするからもうちょい楽な経営したいとか、そんなもんかのう」

「なんか地味」

「生きるってのはそう言うことじゃろ」

「生きるってこと、ねえ」

 

 二人はしばらくまんじりともせず豆茶(カーフォ)を啜って、それからゆっくりとうなずきあった。

 

「じゃあ、当面の目的は生きるってことで」

「楽しく生きるってのがいいね」

「そうだな。他に目的なんてもうないしなあ。しいて言うなら、お前を護ってやることくらいか」

「それでいいじゃん」

「へっ」

「それでいいよ。それだけだっていいよ。紙月は僕を護って。僕は紙月を護るから」

「あー……おう」

「おーおう、漠然としたこと言って、あとでもめる奴じゃな」

「物騒なこと言うない」

 

 結局のところ、何が変わったと言って、何も変わってなどいないのだ。

 紙月は紙月だし、未来は未来のままだ。

 お互いにいろいろと語り合ったとはいえ、コンプレックスはコンプレックスのままだし、欠陥は欠陥のままだし、そして互いに互いを護ろうという気持ちもそのままだった。

 

 ならば、きっとそれでいいのだ。

 無理に何かを変える必要なんてない。

 すでにこんな異世界に飛ばされるなんて言う、大きな変化があったばかりなのだ。

 

 この新世界での人生は、始まったばかりなのだから。




用語解説

・何もないのは平和の証


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第九話 門出の祝いに

前回のあらすじ

新世界で、二人は改めて冒険を始めることにするのだった。


「楽しく生きるのう。いやはや、若者らしくていいわい」

「爺さん、そこ『いい加減で』って包み隠してんのわかってるからな」

「奥ゆかしい心遣いというもんじゃよ」

「全く」

 

 弛緩した空気の中で、錬三はゆっくりと煙管をふかして、それからじっくりと二人を眺めた。

 

「若い二人の門出は祝ってやりたいところじゃがな」

「言い方」

「楽しく生きていくと言って、お前さん方、あてはあるのかね」

 

 あて、といわれて二人は顔を見合わせた。

 何しろ二人とも、あてというあてなど考えたこともない。

 一応これくらいの資産はあるがと、いままでの依頼でため込んだ額を示してみたが、鼻で笑われた。

 

「まあ、確かにそれなりの額ではあるがのう、人間生きていくだけで金はどんどん減るぞい」

 

 こう言われてうぐぐとうなったのが財布を握る紙月である。

 何しろ金の出入りは逐一把握している紙月であるから、言われていることはよくわかった。

 それなりに節約しようとたびたび思うのだけれど、自炊するわけでもなし食事は外食ばかりで、宿も賃貸というか事務所の寮を借りている。金は出ていく一方で、依頼はなかなか入らず収入は不安定。

 

 これは立派に当てがないと言ってよかった。

 

 いざとなればゲーム内通貨を換金して、と言えば、帝国貨幣の信用度めちゃくちゃにしたくないならやめろなどと言われてしまった。そう言う錬三も、ゲーム内通貨は現金という形では一度も使用したことがないらしい。

 

 へこむ紙月に、錬三は笑って見せた。

 

「なに、わしも森の魔女と盾の騎士の話はよくよく聞き及んでおるからな。あれじゃろ。最近依頼が入らんのじゃろ。ちょいとやんちゃが過ぎたのう」

「ぐぬぬ」

「そこでちょっとわしからの提案があるんじゃがな」

「提案?」

「なに、身構えんでもいい。今まで通り冒険屋をやってくれればいいというだけの話じゃよ」

「フムン」

「そこにわしの方からこれぞという依頼を回してやる、というわけだ」

 

 これには二人が小首を傾げた。

 

「爺さんからっつって……」

「そもそもお爺ちゃん、なにやってるの、いま?」

「いろいろやりすぎて何という訳にもいかんが、まあ物造りの先端じゃな」

「じゃあまた鉱石集めて来いとか、素材取るために魔獣狩って来いとか、そういうのか?」

「そういうのもあるが、ここ最近は副業の方で問題があってな」

「副業」

「なんしろわし、現代世界の知識をいろいろ持ってきておるじゃろ。で、それをもとに商売しとる。これが目立って、帝室から相談顧問役のお役目を受けておってな」

 

 さらっと言ってのけるが、それはつまり帝国の、その頂点たる帝王とその一族の相談を受けているということであり、生中な事ではない。

 

 実際には帝王が全て決める独裁制ではなく、貴族たちが合議の末に帝王が決裁するというかたちのようだが、それにしても大した立場である。

 

「まあその方面からの、最近どうにもあちこちできな臭いことが起き取るっちゅう話を聞いておってな」

「きな臭いこと?」

「うむ、現状、事故や自然災害という形で緘口令を布いておるが、帝国各地で奇妙な事件が頻発しておる」

「それってもしかして」

 

 ちらと頭に浮かんだのは、帝都大学で聞いた与太話である。

 

「うむ、当事者ともなれば察しが良いな。そうじゃ、聖王国の破壊工作じゃとお上は睨んどる」

「うへぇ。与太話じゃなかったのか」

「与太で済めばよかったんじゃが、痕跡の類を集めていくと、どうにも奇妙に優れた技術力が見えてきてな。これは国力こそ衰えているものの技術力はいまだに保持している聖王国の仕業しかない、と帝国は見ておる」

 

 これが内部の貴族たちによる内乱などであれば技術力はたかが知れているし、第一今日日の帝国に内乱を起こして得をするような派閥というものはこれが見当たらない。良くも悪くも帝国は長らくの平和によってうまく統治されているのだ。

 

 隣国である遊牧国家アクチピトロはそもそも高度な技術力を持たず、ちょっかいは出してくるが改まって仕掛けてくるほどの考えは持たない。

 では大叢海をはさんだファシャはどうかと言えば、こちらは十分に国力があり、技術力も帝国と大差ないとはいえ、わざわざ大叢海と大海原とを乗り越えてまで喧嘩を売りに来る理由が差し当たってないのである。互いに大きな領土をまとめ切るので精いっぱいのところがある。

 

 他に海洋諸島連や山岳の小国家などが見られるが、これらも交友こそせよ、争うに至る理由などまるでない。

 

「あとはまあ、大洋を超えた先の南大陸なんかじゃが、そちらはまだ国交すらまともに成り立っとらんからなあ」

 

 となるとやはり、帝国の唯一と言っていい仮想敵国たる聖王国のテロリストたちとみるのが妥当なのだという。

 

「まあもしかしたら妙に技術力の高いカルト教団がトチ狂っただけかもしれんが、脅威なのは変わりない。そこで怪しい動きを見かけたら帝国も調査しておるのじゃが、どうにも手が足りんでな」

 

 帝国もただ調査するだけならばそれなりの人員はあるのだそうだが、問題はいざ工作員と遭遇してしまい、その破壊工作を止めなければ、などといった切羽詰まった状況になった時、即時対応できるだけの実力者というものは限られているということだ。

 

「騎士団や、冒険屋組合の上層にいくらかはおるんじゃが、そうそう動かすわけにもいかん。フリーで動ける強力なエージェントが必要という訳じゃよ」

「つまり、俺たちにそれになれってのか?」

「なあに、いままでとやることは変わらん。事務所で退屈にあえぎながら依頼が来るのを待っておる時に、わしの方からそれらしい依頼を発注してやる、ちゅうだけのことじゃ」

「ちなみに請けなかったら?」

「わしは冒険屋組合にも顔がきくとだけ言っておこうか」

 

 請けねば干される、ということらしかった。




用語解説

・特にないのは平和な回


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第十話 テロルの力

前回のあらすじ

将来の当てが全くない二人に対して錬三が持ち出した案件とは……。


「しっかし、本当にテロなんて起こってるのか?」

「疑うのかね」

「何しろ西部じゃ暇通しだったからね」

「まあ、今のところ大掛かりなものは阻止されておるからのう」

「阻止ねえ」

「おいおい、他人事のようにいいなさんな。お前さん方の仕業じゃぞ」

「俺達のぉ?」

 

 思い当たることと言えば、海賊船を討伐した時のことくらいである。

 あの船は明らかに高度な技術で造られていたらしいし、乗組員もどうもただものではない魔術師であった。

 確かに聖王国のものだと言われればそうかもしれなかった。

 

「うむ、まず一番目立ったのはそれじゃのう。もしお前さん方がこれを解決しなかったらどうなっていたと思うね」

「そりゃあ……」

「大変なことになってた、かな」

「ざっくり言えばな」

 

 あの潜水艦が無事物資を補給し終え、安定した物資の獲得ができるようになっていれば、きっと今頃海賊被害は恐ろしい数となっていたことだろう。それこそ通商封鎖に陥っていたかもしれない。そしてそれを討伐しようとどれだけの船を送り込んでも、既存のやり方ではとてもではないが対処できる代物ではないのである。

 

「帝都大学が残骸から推測した話ではあるが、この世界の船舶としてだけでなく、元の世界の船舶と比較してもかなり優秀と言えるじゃろうな。恐らくは潜水航行が可能であり、電気分解によって酸素を生成するためのものと思しき機構も発見された」

「つまり?」

「ずっと潜ったままでいられるっちうことじゃ。これじゃ水中探査能力のない帝国には発見のしようもない」

 

 ただ、気密性を追求するあまり魚雷発射口などの開口部をほとんど作っていたかったようで、攻撃法は例の表面に塗装された平面の砲台と、水中呼吸可能な鱗蛸(スクヴァムポルポ)しかなかったようである。勿論それだけでも十分に驚異的ではあるし、こちらからは攻撃のしようがないのであるが。

 

「考えてみれば、砲撃しても硬くて通じない、魔法も乱されて通じない、とりついて攻撃しようにも中に侵入する手段がないっていうのは、これは無敵だな」

「帝都大学が対抗手段を講じておるが、現状では随分割高になってしまうようだのう。要塞ならともかく、船一隻沈めるためとはとても言えんカネが動くそうじゃ」

「冒険屋には、どうにかできる奴はいないのか?」

「お前さん、自分を基準で考えるからいかんな」

「は?」

「紙月。普通の人は、船一隻を個人で相手したりなんかしないよ」

 

 それもそうだった。

 なにしろゲーム自体から高難易度の敵を二人がかりで殲滅し続け、こちらの世界に来てからも平然とその感覚で続けてきていたから、どうも世間一般とは感覚がずれているようである。常識がずれていることに対して用いていた、ド田舎の森出身であるという言い訳は、図らずとも的を射てしまっているわけである。

 

「これもゲーム脳っていうのかねえ」

「実際にできちゃうから仕方ないかもね」

「まあ、何人かできそうなやつに心当たりはあるが、駒は少ないと言っていいな。海賊騒ぎも、お前さん方が都合よく片付けてくれにゃあ、もうすこし解決に時間がかかっただろうよ」

「その言い方、俺たち以外でもどうにかなったっぽいんだけど」

「ハヴェノには冒険屋の大家があってな。もう少し海賊騒ぎが大事になっとったら、放っておいても連中が介入してたじゃろうな」

「そうしたら?」

「そうしたらな」

 

 錬三はてのひらをポンと開いて見せた。

 

()()()()()()()()()()、じゃな」

「怖っ」

 

 聞けば、道中ムスコロにも聞いた、八代前から冒険屋をやっているという生粋の冒険狂い、ブランクハーラ家のことであるという。

 

「生産職であるとはいえ、わしレベル九十九のドワーフじゃろ」

「うん」

()()()

「は?」

「当代のブランクハーラの娘な。娘っちゅうても三十超えとるけど、こいつと腕相撲してな、負けた」

「酔ってたんじゃねえの」

「馬鹿言え。酒入っとったけど、ドワーフじゃぞ。水みたいなもんじゃい」

「爺さん力強さ(ストレングス)いくらだっけ。相手ゴリラかなんか?」

「それがのう、見た目は細っこいんじゃが、握った手はまるで万力でな、もうちょっと酒が入ってたら死んでたわ」

「そんな大げさな」

「ああ、やつがもうちょっと酔ってたら危なかったわい」

「向こうが酔っぱらって手加減間違えるとかそう言う話か……」

 

 錬三は《鍛冶屋(ブラックスミス)》系統の最上位職《黒曜鍛冶(オブシディアンスミス)》と呼ばれる特殊な《職業(ジョブ)》だった。

 力強さ(ストレングス)生命力(タフネス)器用さ(デクスタリティ)かしこさ(インテリジェンス)など、バランスよく器用に上げていかなければならない《職業(ジョブ)》で、玄人向けと言っていい。

 またいわゆる生産職、つまり戦闘をメインにこなす《職業(ジョブ)》ではなく、物造りをメインとした《職業(ジョブ)》である。

 

「握った感じ、ありゃ最前線の《聖騎士(パラディン)》くらいあるんじゃなかろうか」

「ゲーム内と単純比較できねえとはいえ、そんな人間いるんだなあ」

「どうもこの世界では、才能にもよるが、鍛えたらその分魔力による恩恵とかいう補正が入るみたいでな」

「そっか。それで冒険屋の人とか、見た目以上に強かったりするんだ」

「そういうことじゃな」

 

 ハキロやムスコロが見た目は普通のおっさんとそう大差ないのにもかかわらず、普通のおっさんを凌駕する力を持っているのはこの魔力による恩恵の賜物と言っていいのだろう。そうなると未来がこの小さな体で恐ろしい怪力を発揮するのも、ゲームキャラクターだからというより、この世界の理屈で言えば恩恵が強いからということになるのだろう。

 

「ブランクハーラの血筋はその恩恵が強いらしくてのう。いまも前線に立っとる奴は、レベル換算で言うと七十から八十平均じゃな」

「限界ギリギリじゃねえか」

「そうとも言えん」

 

 錬三は足元に転がっていた鉄くずを取り上げると、くにゃりとまげて見せた。そして飴細工のように縛ってしまう。

 少し驚く光景だが、ゲームキャラクターの体の強靭さを知っている身としてはそれほど目を見張るようなものでもない。筋骨隆々としたドワーフの錬三がそれをなすというのならばなおさらだ。

 

「わし、こっち来てから力強さ(ストレングス)がいくらか伸びとる」

「うそ!?」

 

 しかしあっさりと告げられた内容には驚いた。

 

「どうも、レベル九十九っちゅうのは、この世界では果てでも何でもない、途中でしかないみたいじゃぞ」




用語解説

・《鍛冶屋(ブラックスミス)
 初期《職業(ジョブ)》である《商人(マーチャント)》から派生する《職業(ジョブ)》、およびその系統を総称する呼称。
 《鍛冶》と呼ばれる特殊な《技能(スキル)》によって、素材から武器や防具を作ったり、また既存の武器や防具を強化したりできる。
 《黄金鍛冶(ゴールドスミス)》→《金剛鍛冶(ダイヤモンドスミス)》→《黒曜鍛冶(オブシディアンスミス)》とランクが上がっていくにつれて、制作できるものの種類や質が上がっていく。
『鍛えることは一人でもできる。しかし本当に強さを求めるならば、ドワーフと酒を飲みかわす覚悟が必要だ』

・《黒曜鍛冶(オブシディアンスミス)
 《鍛冶屋(ブラックスミス)》系統の最上位職。全ての武器・防具を製造・修理・強化できる他、ゴーレムなどの製造も可能となっている。
 また特殊なアイテムである《機械》類の製造も彼らにしかできない。どんなに強いプレイヤーでも、より高みを目指すなら頭を下げずにはいられない相手だろう。
『黒曜の硬さはいかなる敵も恐れなかった。ただひとつ鍛冶師の槌を除いては』

・《聖騎士(パラディン)
 《剣士(フェンサー)》系統の上位職。硬く強いという前線に向いたバランスで、単純に敵と殴り合えるシンプルさが売り。最上位職ではないが、神に信仰をささげた数だけステータスにボーナスが入るという特殊性があり、あえてこの段階で鍛え続けるものも多い。ただし死亡するとリセットされるので、もっぱら神殿にこもりっぱなしの「口だけ坊主」も多いとか。
『神の恩寵賜りし《聖騎士(パラディン)》の剣に斬れぬものはなかった。贖宥状を除いて』



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第十一話 力の行き場

前回のあらすじ

話はそれて脱線して。


「じゃあ俺達も戦っているうちにまだまだ強くなるのかな」

「かもしれんな。ろくに戦ってないわしでもこれじゃ。実際、ゲーム内ではできなかったこともできるようになってたりせんか?」

 

 そう言われて思い出されるのは、例えば紙月が魔法を使うときにその大きさや範囲を変えたり、また魔力に還元して見せたりしたことである。そして未来にしても、シールド系魔法を張る対象や方向を細かに指定できるようになっているのである。

 これは気づきの類ではあるが、それでも成長の一つではあるだろう。

 

「つーことは、いままであきらめてた高等魔法《技能(スキル)》も取れるかも!?」

「まあ、ゲーム内と同じようにはいかんじゃろうが、わしもいろいろ新しいことができんか毎日試しておるよ」

 

 三人はこんなことができないだろうか、これこれこういうことは試してみた、じゃあこんなのはとしばし盛り上がり、そして不意に冷静に戻った。

 

「何の話してたんだっけ」

「そりゃあ、ほら、あれじゃ」

「あー、あの、あれ、テロリストの話」

「それじゃそれ!」

 

 三人寄れば文殊の知恵などと世にいうが、実際三人集まって話し合えば大抵どこかで脱線するものである。

 

「他にも、地竜の件じゃな」

「あれもやっぱりテロの仕業だって?」

「そう見ていいじゃろうな」

 

 聞けば、紙月たちが討伐した地竜の進路はまっすぐ西を向いており、これは放っておけば大叢海やファシャまでの進路を描いていたという。

 当然、幼体のままでそこまで到達できるかどうかというと難しい所ではあるが、道中は田舎や寒村が多く、仮に発見されないままあのペースで成長した場合、早々に手に負えないサイズまで成長していただろうとは錬三の言である。

 

「地竜の成長速度は全く謎なんじゃが、幼体ですら普通は手に負えんから、お前さんたちがおってよかったわい」

「たまたまだけど、運がよかったっつうかなんつうか」

「敵からすれば、万全の準備で送り出したはずが、出足でつまづいたようなものだったじゃろうな」

 

 もう一つの卵がどのような向きに設置されていたかというと、こちらは騎士ジェンティロの確認によれば帝都に向けられていたという。帝都の防備は万全とはいえ、成体の地竜を真っ向から相手取った場合どうなるかわからなかった錬三はため息をついた。

 

 その危険生物が自分達の手元にある紙月たちとしてはため息では済まないのだが。

 

「まあ、大丈夫じゃろ。地竜は物理耐性はともかく魔法耐性はそこまで高くないからのう」

「俺ならどうとでもできるってわけか」

「なんなら《縮小(スモール)》かけてやればいいじゃろ」

「成程」

 

 《縮小(スモール)》というのは、文字通り対象を小さくしてしまう魔法である。敵の防御力を下げたりする効果のほか、自分にかけて、小さな隙間を通ったりすることにも使える。成長する都度かけてやれば、タマも邪魔にならなくて済むというわけだ。

 

「そういえば、先に孵化していた一頭がどこに行ったのかは分かったのか?」

「わかっとらん。どうも途中で痕跡が消えとってな。ただ、進路としては……どうも、帝都を通り過ぎる微妙な進路であるらしい」

「通り過ぎる?」

「うむ、そのまま不毛戦線を通って聖王国へ侵入する進路じゃな。途中に都市らしい都市もないから、もしかするともう突破されたかもしれん」

「不毛戦線の監視はしてないのか?」

「もちろんしとる。しかし広いし、四六時中監視しっぱなしという訳にもいかん。恐らく破壊工作員もどうにかして隙をついて侵入しておるはずじゃ」

 

 わざわざ自国に向けて破壊兵器を進ませる理由はない。

 となれば。

 

「おそらく、孵化した後の地竜を手懐けるすべを知っておるのじゃ。そして、帝国内で合流、捕獲したとみておる」

「大量破壊兵器を持ったテロリストが潜伏しているってわけだ」

「それも十年以上隠れて、力をため込んでおる。もしもこれが本格的に動き出せば、聖王国が軍を動かすよりもよほど大規模な被害が出るじゃろうな」

 

 とはいえ、まだ一頭で済んでよかったと錬三はひげを撫でた。

 

「もう一頭はお前さん方の手元にある。さすがに二頭も同時に相手なんぞできん。ましてや三頭もおったらたまったもんじゃなかったわい。お前さん方のおかげでそれは防げた」

「いや、偶然だよ偶然」

 

 偶然ね、と老人は意地の悪い笑みを浮かべた。

 

「わしはな、この世界に来てから普通の偶然とそうでない偶然というものを見かけることがよくあってな」

「そうでない偶然?」

「後ろに誰かが得をするような、そんな流れがある偶然じゃよ」

「そりゃあ、偶然なんだから、そう言う時もあるんじゃない?」

「そうかもしれん。じゃがそうでないかもしれん。そのためにも、次の偶然の話をしようかのう」

 

 ふう、と煙管の煙が、天井に漂った。




用語解説

・《縮小(スモール)
 《魔術師(キャスター)》系統の覚える特殊な魔法《技能(スキル)》。
 文字通り対象を小さくしてしまう魔法で、耐久力や攻撃力が落ちる代わりに敏捷性が上がるという特徴がある。敵にかけて弱体化を狙うほか、自分にかけて小さな隙間を通ったり、ゲーム性のあるスキルである。
『《縮小(スモール)》の呪文で小さくなれば食費が減る、ということはない。腹の中のものには魔法がかかっとらんから術が解ければそれまでよ。わかったら出てこんかい盗人め!』



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第十二話 テロルの残骸

前回のあらすじ

地竜退治を偶然だと謙遜する紙月。
しかし偶然ではない偶然を錬三は語る。


「お前さん方が次に遭遇したのは、石食い(シュトノマンジャント)じゃったな」

「まさか石食い(シュトノマンジャント)の大量発生までテロの仕業なんて言わないだろうな」

 

 そこまで行くと、マッドサイエンティストの両博士と同レベルである。

 

「そうであるとも言えるし、そうでないとも言える」

「どういうこと?」

 

 錬三が説明するにはこうだった。

 

 紙月たちが崩落させた坑道を掘り起こすために、三十二体の囀石(バビルシュトノ)と一人の冒険屋、そして帝国からの報酬目当てで石堀たちが集まり、ミノ鉱山をせっせと掘り返した。

 

「帝国からの報酬?」

「名目上、石食い(シュトノマンジャント)が大量発生したからにはまだ鉱石が残っている可能性があるっちう建前で、帝国から報酬を出したんじゃよ」

 

 そうして半信半疑のままに石堀たちがせっせと掘った結果、アスペクト鉱石と石食い(シュトノマンジャント)たちのおびただしい死体のほかに、出たのだという。

 

「出た?」

「恨めしや、って具合じゃあないがの」

 

 出たのは、明らかに真新しい資材と、建築中と思しき用途不明な建設物であったという。

 

 崩落で基盤部分に重大な損傷を引き起こしたらしいこの建設物は、主に金属で構成されていながら石食い(シュトノマンジャント)の食害に会った形跡もなく、むしろこの周辺には石食い(シュトノマンジャント)が生息していた痕跡もないという奇妙な状況であったらしい。

 

「帝都大学が飼育しとる実験用の石食い(シュトノマンジャント)を連れて行ったところ、そこに近づくことを嫌がるそぶりを見せることが分かった。どうも石食い(シュトノマンジャント)が嫌う匂いがするらしいということがわかっておる。ある種の魔獣除けが使われておったわけじゃな」

「でもその周囲は石食い(シュトノマンジャント)の住処になってるってことは……」

石食い(シュトノマンジャント)を体のいい防壁として使っておったのじゃろう、と考えておる」

 

 番犬ならぬ番石食い(シュトノマンジャント)だったというわけだ。

 

「わざわざよそから連れてきたってのか?」

「それか、鉱山で繁殖させたのか、そのあたりはよくわかっとらん。建設物も調べてみたが、資料の類はすべて持ち去られておった。人が生活していた痕跡はあったから、何の目的もない建物というわけじゃあなかったんじゃろうがの」

 

 帝国はこれを、工作員たちの潜伏先だったとみているようだった。

 

「建設物は非常に洗練されており、狭い坑内で手早く建設できるような仕組みになっておった。空気清浄のための魔法道具や奇麗な水の生成のための装置も、破壊されてはおったが、かなり先進的な仕組みじゃの」

「じゃあぼくら、気づかないあいだにテロリストのアジトを破壊してたんだ」

「連中からしたらたまったものではなかったじゃろうな。まさか巻き添えでアジトが半壊するなんぞ」

 

 そしてまた、西方の遊牧地帯で遭遇した大嘴鶏食い(ココマンジャント)の大群にも触れられた。

 

「それもぉ?」

「これこそ帝都大学の魔獣専門の学者に言わせると怪しいんだそうじゃよ」

 

 そう言われて思いついたマッドサイエンティストの顔を考えるに、胡散臭いという以上の言葉は出てこない。

 

「普通、大嘴鶏食い(ココマンジャント)は雌雄で増える」

「しゆう?」

「オスとメスがおって、それで増えるんじゃな」

「うん」

「ところが餌が乏しくなると、メスだけで卵を産んで増えるようになる習性がある」

「へえ!」

 

 動物番組を見て感心して喜ぶ子供のような未来には悪いが、紙月にはすでに嫌な予感がしていた。

 

「ところが?」

「ところが、そう、ところがじゃ。野生の大嘴鶏(ココチェヴァーロ)も含めて、当時の現地の餌事情はかなり豊富だったとみられておる。そんな餌が豊富な中で、お前さんたちが氷漬けにした大嘴鶏食い(ココマンジャント)はなんと、みんなメスだったのじゃよ」

「たまたま……ってわきゃないよなあ」

「氷の中から発掘された死体がみんなメスであることに気付いた遊牧民が、これは妙だと帝都の学者に連絡してな。それで大慌てで駆けつけて調べてみたところ、いくつかの魔術的な手術痕が見られたそうじゃ」

「じゃあ……人工的に調整されてたってことか?」

「そうなるな」

 

 しかもそう言った群れがほかにもいくつか発見されており、同じように冒険屋たちによって討ち取られているとのことである。

 

「クリルタイの妨害、ってことか?」

「そこまではわからん。ただ、あまり被害が大きくなれば、アクチピトロの収穫も減り、帝国まで手を伸ばすような事態になったかもしれん。そうなればどちらもただではすまんかっただろうな」

 

 それに関しては、今期は穏健派の声が大きく、幸いにも攻勢は免れているようだったが。

 

「このように、お前さん方は誰に言われるでもなく、偶然にもつぎつぎとテロリストどもの破壊工作の芽を摘んでいるわけじゃよ」

「そりゃ確かに……ただの偶然というにゃあ、続きすぎてるけどよ」

「この世界の住人は時々、神々から託宣(ハンドアウト)を受けるという」

「託宣? 預言とかか?」

「何をするようにとか、何かに気を付けるようにとか、曖昧な事ばかりじゃが、要するに、神々もそのくらいの干渉はしてくるということじゃ。たまたまが続くくらい……な、わかるじゃろ?」

「自由意思を尊ぶってのはどこ行った」

「自由意思は尊んでおるじゃろ。お前さんが選んで、お前さんが行ったことばかりじゃ」

「ぬーん」

「神々がわしらを駒に遊んでおるのは間違いない。だがわしらにも楽しむ余地は与えてくれておるのじゃよ」

 

 楽しむ気持ちを忘れるでないぞ、と錬三は妙に前向きな事を言うのだった。




用語解説

託宣(ハンドアウト)
 神々は太古の戦争以来、極力人の世に直接的な介入はしないように心掛けているらしい。
 しかしそれでも時折、神の言葉を受けるものがあるという。
 たいていの場合それは狂気と呼ばれるのだが。


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最終話 イッツ・オンリー・ア・ペイパー・ムーン

前回のあらすじ

冒険を楽しもうというお話。


「これからもそんな偶然が起こるっていうのか?」

「わしが()()ならそう言う展開を期待するがのう」

「積極的な()()()()()でないことを祈るよ」

 

 しかし今までのことを考えると、どうにも今後も、いやおうなしに何かしらの事件には巻き込まれそうである。

 やれやれと肩をすくめる紙月に、しかし錬三は笑った。

 

「お前さん、退屈しておったんじゃろ」

「それとこれとは……いや、そういうことなのかね」

「僕は楽しくなる分には歓迎だけどね」

「前向きで結構……」

「まあ、なんじゃ。これからもそう言う怪しい事件があったら、お前さん方に依頼してやるから、楽しみに待っとるがいい」

「お手柔らかに頼むよ」

「次は僕も活躍できるのがいいなあ」

「お前はいつも俺を護ってくれてるよ」

「そう言うおためごかしじゃなくて」

 

 こうして帝都に知己を得た二人は、無事に西部へと帰りました。

 めでたしめでたし。

 

 とはうまくいかないのが世の常だった。

 

「そう言えばムスコロどこに行ったんだ?」

「知り合いの事務所を頼るって言ってたけど」

「場所はわかるか?」

「住所は聞いておいたけど」

「…………面倒くさいし、置いて帰らないか?」

「もう、そんなのだめに決まってるじゃないか!」

「へへ、冗談冗だ」

「僕らだけじゃ道わかんないじゃない!」

「お前たまに辛らつだよな」

「?」

 

 ともあれ、タマが重すぎて《絨毯》が使えない以上、帰り道を知っているムスコロを捕まえてくるしかない。

 あのむくつけき筋肉男をわざわざ探しに行くのも面倒であるという気持ちを代弁するように、あるいはまったく代弁する気も全くなくマイペースな歩みなのか、のっそりのっそりとタマは行く。

 

「なんていうところだ?」

「《小鼠の細剣(ラピロ・デ・ムーソ)冒険屋事務所》だって」

「また筋肉男とは似合わない名前だな」

 

 探偵事務所を探した時と同様、適当な辻馬車の御者をつかまえて道を尋ねると、やはりすぐに見つかった。他に冒険屋の事務所が知りたければ、と親切に教えてくれたところによれば、帝都はその敷地面積に比べて非常に冒険屋の事務所が多い土地柄であった。

 

 それはつまり冒険屋の事務所を起こしやすい土地であるとも言えるし、それだけ冒険屋の需要が高い、つまり面倒ごとの多い土地であるとも言えるだろう。

 

 そんな数多い事務所の中で言えば、《小鼠の細剣(ラピロ・デ・ムーソ)冒険屋事務所》というのは比較的小さい冒険屋事務所にあたるようだった。

 構成人数も十人足らず。ほとんど冒険屋パーティが一つ進化した程度の小さな所帯だそうである。

 

「小さいってことはあんまり有名じゃないのかな」

 

 というと、そうでもないらしかった。

 なんでも事務所の所長であるシャルロ・ベアウモントという人物が、若いながらに凄腕の細剣遣いで、抱える冒険屋たちもみな剣術に優れ、帝都で毎月発行されているという冒険屋番付でも常に中堅どころをキープしているという。十名足らずの少数精鋭でこの順位は他にないという。

 

 どうしてまたそんな隠れた名店のような事務所とムスコロがつなぎを持っていたのかは不明であるが、事務所の場所はすぐに分かった。

 少し奥まった路地に看板を出しているため、表通りにタマをつないでおかなければならなかったが、言えばやはりすぐに頭を引っ込めて眠りだすので、扱いが楽でいい。

 

 小ネズミが待ち針を構えている愛らしいイラストの書かれた看板を確かめ、これまた愛らしいネズミを模したノッカーを叩くと、中から応の声があったので入ってみれば、中も何とも言えず小作りである。

 

 はっきり言ってしまうと、大鎧の未来では天井にひっかかってしまうので、仕方なく鎧を脱ぐほかになかった。長身の紙月も、天井に触れるのでとんがり帽子を脱いだほどだ。

 

「やあ、狭いところで申し訳ないね」

 

 そんなせまい室内でもぴんと背筋を伸ばして出迎えたのは、ひとりの剣士である。腰には細剣と短剣を差し、動きやすそうな格好はしかし洒落というものを忘れていないようで、動きの一つ一つをちょっと目で追ってしまうほどだ。

 意志の強そうな目つきは小柄な体躯に見合わぬ力強さで、男女ともとれぬ曖昧な顔立ちにぴんと張りを与えていた。

 

「依頼人には見えないが、ご同業かな?」

「え、あ、ああ、俺は冒険屋の紙月と言います」

「僕は未来です」

「シヅキに、ミライ……ははあん、となると、君たちが噂の森の魔女と盾の騎士殿だね」

 

 どうも二人の二つ名は帝都にまで響いているようであった。気恥ずかしいやら誇らしいやら、難しい所である。

 

「帝都じゃあどんな噂に……?」

「ああ、いや、まだ帝都じゃそこまで噂じゃあないよ。なんだっけ。海賊船を頭からバリバリ食べたんだっけ」

「大した噂に!?」

 

 どういうわけか低国民はうわさ話にひれをつけるとき、頭からバリバリ食べてしまうようにするのがお好きらしかった。

 

「うちの事務所も小さいから、おやつ代わりに食べられてしまうのかな?」

「いやいやいや!」

「冗談さ冗談。君たちのことはちゃんと聞いていてね」

「ええ?」

 

 剣士は無造作に奥の間に怒鳴りつけた。

 

「ムスコロ! いつまで寝てるんだ!」

「起きてるよ……何しろ狭いから寝苦しくって仕方ねえや」

「一部屋借りておいて図々しいやつめ」

 

 のっそりと顔を出したのは、部屋と比べると縮尺を間違えたような筋肉ダルマ、ムスコロの姿であった。しかも帝都だからなのか割と洒落者といった服装を着こなしていて、それが似合っているのだから腹が立つ。

 

「お、姐さんに兄さんじゃねえですか。そろそろお帰りですかい」

「そのつもりだったんだが……ムスコロ、お前なんでまた、そのう」

「『なんでこんなところに』って奴だろう。わかるよ」

「はあ、実はですな」

 

 聞けば、この剣士ことシャルロ・ベアウモント、つまり事務所の所長は、ムスコロの親戚筋にあたるのだという。それで帝都に訪れるときは必ず頼っているのだそうである。

 

「それはまた、なんというか」

「似てないのは気にしないでおくれ。家を出た妹が大男を捕まえたってだけさ」

 

 ムスコロは父親似であるらしい。まあ、ムスコロ似の母親というのも気の毒な話ではあるが。いかにも骨太すぎる。

 

 そのムスコロは、どうにも申し訳なさそうに、ただでさえ頭がつかえている室内で、頭を下げてくる。

 

「申し訳ねえんですが、ちっと用事が出来ちまいまして、帰るに帰れねえんでさ」

「なに?」

「へえ、そう言う次第で、俺は後から帰りますんで、先にお帰りになってもらえれば、へえ」

 

 そう言われて、二人は顔を見合わせた。

 紙月はげんなりと、そして未来はワクワクと弾む笑顔で。

 

「運命ってやつを実感してるところだ」

「は?」

「ムスコロさん! 僕らも丁度ムスコロさん抜きじゃ帰れないところでさ」

「へ?」

「くっそ忌々しいが、仕方ない。解決してやるから、話しておくれ」

 

 この二人に、所長シャルロは大いに興味をひかれたようだった。

 

「よしきた。せっかく森の魔女と盾の騎士殿が手伝ってくれるというんだ。お手並み拝見と行こうか」

 

 どうやら、冒険というものは二人を逃がしてはくれないようだった。




用語解説

・《小鼠の細剣(ラピロ・デ・ムーソ)冒険屋事務所》(Rapiro de muso)
 帝都に看板を掲げる数多い冒険屋事務所の中でも中堅どころで、特にこと剣技においては勝るものなしと畏れられる事務所である。
 在籍する冒険屋は所長のシャルロを含めて七人と少数精鋭だが、依頼達成率も高く、信頼もある。

・シャルロ・ベアウモント(Charlo Beaumonto)
 《小鼠の細剣(ラピロ・デ・ムーソ)冒険屋事務所》所長にして筆頭冒険屋。
 小柄ながらも剣技だけならば帝都一と称される技量の持ち主。
 男女ともつかない曖昧な顔立ちだが、割合けんかっ早いところがあり、《決闘屋》の異名もある。


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第七章 ガーディアン
第一話 吹聴談話


前回のあらすじ

ムスコロを連れて西部へ帰ろうとした二人。
しかしどうにも冒険が二人を逃がしてくれないようだった。


 帝都に居を構える《小鼠の細剣(ラピロ・デ・ムーソ)冒険屋事務所》は、所属冒険屋十名足らずの小さな事務所であったが、こと剣技においては帝都に並ぶものなしと称される《決闘屋》ことシャルロ・ベアウモント以下、みな剣技に優れた熟練の冒険屋ばかりで、その規模に似合わぬ中堅どころとみられていた。

 

 その小さな事務所の、控えめな広間に、西部の冒険屋パーティ《魔法の盾(マギア・シィルド)》、つまり森の魔女こと古槍紙月と、盾の騎士こと衛藤未来は腰を下ろして事の次第を聞いていた。

 

 所長のシャルロがちょこんと椅子に腰を下ろしている横で、縦にも横にも大きいから窮屈そうに椅子に乗っかっているのは、紙月たちと同じく《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》に所属する冒険屋のムスコロである。

 事の発端はこのムスコロが、何の気なしに酒場で飯を食い、酒を飲んでいたことにあるという。

 

「帝都じゃ飯食ってるだけで厄介ごとが舞い込んでくるのか?」

「あんまりいじめねえでくださいよ、姐さん」

「悪い、悪い」

 

 ムスコロが飯を食いに行った酒場というのは、近くの冒険屋御用達の宿の一階にある食堂兼酒場のことだった。その名も《三角貨(トリアン)亭》といういっそ潔いほどのネーミングで、名前の通りべらぼうに安く、その割に飯はうまいという。

 

 ムスコロも帝都住まいではないとはいえ、何度となく訪れたことのある酒場であるから、すっかりくつろいで酒と飯を楽しみ、いい心地であったという。

 そこに昔なじみの常連たちが、おう久しぶりだなムスコロ、調子はどうだ、西部じゃどんな具合だい、そんな風に話しかけてくるものだから、ムスコロも旧友との親交を温めるためにもあれやこれやと土産話をたんまり語ったのだという。

 

 帝都の冒険屋というものは、大概のことは帝都周辺で済んでしまうし、仕事も多くあぶれるということがないので、遠出する機会がそれほど多くない。それでなくても地方をまたぐ旅というものはなかなかできるものではないから、他所の土地の話というものはどこに行っても喜ばれるものだという。

 

 紙月たちが暇をしている間も世間というものは普通に回っているもので、ムスコロもムスコロで自分の仕事をきちんきちんとこなしていた。いささか以上に金に余裕がある紙月たちと違って、きちんきちんとこなしていかないと冒険屋というものは基本的にすぐ干上がる生業なのである。

 そうしてこなしていった仕事というものは、まあ同じ冒険屋であるからどこかで聞いたような具合になってくるのだが、やはり西部特有の魔獣や、お国柄というものがあって、そこが帝都っ子たちには耳慣れず、面白い。

 

「西部じゃあ家畜と言えば大嘴鶏(ココチェヴァーロ)といった具合で、どこに行っても大嘴鶏(ココチェヴァーロ)が見られるけどよ、野生の大嘴鶏(ココチェヴァーロ)ときたら、まあ家畜のやつらほどおとなしくねえ。お前たちはせいぜいでかい鶏くらいだと思っているだろうが、いやいや一度でもあれに蹴り飛ばされたらそんなことは言えないぜ。革鎧に穴が開くような強烈な蹴りなのさ」

 

「見渡す限りの平原で、隠れるところもねえからまず襲われる心配なんてなかろうと、うかつに適当な野営を組んじゃあいけねえ。なにしろ大叢海が近いからよ、禿鷹(ヴァルトゥロ)の化け物が獲物を狙って飛び回ってるのよ。何しろ空高い所を飛んでやがるし、日を背にするからこっちにゃなかなかわからねえ。それで油断するとおっとろしい速さでさあっと舞い降りてきて、ひどい時なんざ天幕ごと持ってかれるのよ」

 

「乾燥した荒野には仙人掌(カクート)ってぇ総身に棘をはやした化け物みてえな植物がある。見た目は恐ろしいが水気がたっぷりで、乾いた旅人がそれに助けられることもある。似たようなので竜舌蘭(アガーヴォ)ってぇ棘をはやした葉があるが、これは甘く、火酒にしたりする。だがこいつに擬態した竜舌蘭擬き(プセウダ・アガーヴォ)ってぇ魔草があって、これは近づくと針を飛ばしてくる。体質によるが、ひどくかぶれて、度重なると死ぬこともある」

 

 ムスコロという男は見かけによらず学もあって、見聞きしたこともよくよく覚えているから、話のネタも多い。

 

 場がいよいよ盛り上がってくると、冒険屋たちはこぞってあの話をしてくれとせがんだ。

 

「あの話?」

「帝都でも噂が流れていやして」

「あー……」

「森の魔女の話をしてくれって頼まれやして」

 

 なにしろ同じ西部の冒険屋というだけでなく、同じ事務所にまで所属していて、しかも何かと行動を共にすることも多い。今まではそこまで気にしたこともなかったが、こうして話をせがまれるようになるとなんだか鼻が高いような心地になって、自慢する気持ちもあり、酒の勢いもあり、あれやこれやと紙月たちの冒険譚を語ったらしい。

 

 大本の噂である地竜退治は本当かと聞かれて、ムスコロはその刈り取られた首の巨大なこと、また恐ろしいことを語り、なかなか信じようとしないものには、西部冒険屋組合が乗り出してきてまさしく地竜であると宣言したと語り、なんなら帝都大学のお偉いさんまでこの話が事実だと知っていると語った段に至ればさしもの冒険屋どもも納得した。

 

 帝都の冒険屋たちは続いて、噂に聞いた、山を吹き飛ばした話や、平原を氷漬けにした話、また海賊船を頭からバリバリやってしまった話を聞きたがった。

 このときはムスコロもまだ酒があまり入っておらず、いや、それはこういう次第で、本当はこれこれこういうことで、と知る限りの事実を引き出して噂を修正していったのだが、なにしろ事実そのものというのも普通の冒険屋たちからすれば到底信じがたい物語であるから、酒の席の話ということで話半分に聞いていた。

 

 困ったのは、次から次にと話をせがんでは酒を飲まされていよいよ酔っぱらってきた頃である。

 いや全く、あの二人は実に大した冒険屋で、西部でも一目も二目も置かれているだけでなく、あんまり物凄いものだから組合も持て余しているほどで、と一応は事実であることを人のことながら自慢するまでは良かったが、問題はその後である。

 

 いくらなんでも盛り過ぎだろう、大したことねえよと言われて、売り文句に買い文句で、帝都に冒険屋は数あれど、あの二人ほどの冒険屋というものはなかなか見ないだろうよ、などと要らんことを言ってしまったのである。ついつい酒で口が滑って、などとは言うが、酒から出た言葉というものは、その場で作り出したものなどではなく本心にある言葉であるから、たちが悪い。

 

 さすがにこれは顰蹙を買ったが、多くの帝都冒険屋は西部の田舎者の言うことだからと流してくれた。しかし皆がみなそう寛大であるわけではない。同じように酒で気の強くなった冒険屋が、悪い絡み方をしてきたのである。

 

「おう、おう、そいつはまた随分とすげえ冒険屋じゃねえか」

「おうとも、姐さん兄さんはまあ、そんじょそこらの冒険屋とは格が違う」

「それじゃあ帝都っ子も頭を悩ます依頼だって軽々こなすことだろうな」

「もちろんだとも」

「賭けるか」

「賭けらいでか」

 

 なにしろ生意気なことを言う冒険屋がまんまと言質を取らせたものだから、冒険屋たちは大いに盛り上がって張った賭けたの大騒ぎで、気づけばもうなかったことにしてくれと言えるような空気ではなくなってしまった。

 

 酔いがさめてさあっと青ざめたが、時すでに遅し。

 酒に弱いが、酔っている間のことを忘れることもないという難儀なこの男、悩んだ。

 

 まさか自分勝手な約束事で、微塵も関係のない二人を巻き込むわけにもいかない。かといって約束を反故にしてしまえば、逃げ出したとみなされて莫大な賭け金を支払わなければならない。そしてそんな逃げを打ってしまえば、二人の名声は地に落ちることだろう。

 

 こうなれば自分でどうにかするほかにないと肚をくくった結果が、親戚であり熟練の冒険屋であるシャルロの力を借り、自力で依頼を達成しようとそう考えたのだそうだった。

 

 話を聞いて、二人は顔を見合わせるのだった。

 

「阿呆じゃなかろうかと」

「面目次第もねえ」




用語解説

・《三角貨(トリアン)亭》
 帝都に所在する冒険屋御用達の宿屋及び酒場。
 名物は芋と牛肉の煮込み。名前の通り安さが売り。

禿鷹(ヴァルトゥロ)
 大型の鳥類。ハゲタカ。
 物によっては家畜などもつかみ上げて攫って行ってしまうほどの力を誇る。
 ムスコロが話しているのはその中でも大型のものらしい。

仙人掌(カクート)
 サボテン。西部の荒野にはぽつぽつと生えているのが見られる。
 噂ではあるどころか走り回るサボテンもいるとのうわさである。

竜舌蘭(アガーヴォ)
 リュウゼツラン。サボテンと一緒くたにされることもあるが、別物。
 テキーラなど、蒸留酒の材料になる。
 竜の舌がこんな形だったら、口内炎がひどいことになるだろう。

竜舌蘭擬き(プセウダ・アガーヴォ)
 魔草。
 接近してくると、振動を察知してなのか気配を察知してなのか、かなり正確に毒針を飛ばしてくる。
 この毒針に刺さるとひどくかぶれて、何度も刺されるとアナフィラキシーショックを引き起こす。
 リュウゼツランより甘く、蒸留酒にするととても美味しいが、安定した栽培はまだ難しいようだ。



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第二話 喧嘩は買う主義

前回のあらすじ

酒の勢いで要らぬ喧嘩を買ったらしいムスコロ。
全く、阿呆かと。


 義理堅いが阿呆、というのが紙月のムスコロに対する印象だった。

 

 本人のいないところであることないこと吹聴して、それで揉め事を起こすというのは褒められた話ではない。それで自分が被害を被るだけでなく、他人にまで火の粉が飛ぶというのは全くよろしくない話だ。

 

 しかし助けを求める前に、しっかりと悩んで考え、自分で責任を取ってどうにかしようとした姿勢は褒めてやっても良かった。

 これでムスコロが全く何の考えもなしに自分達にこれこれこういうことがあったとただ報告してきた日には、知ったことか、自分の尻は自分でぬぐえと一蹴したことだろう。

 

 問題はことがムスコロ一人でどうにかなることではなさそうだということである。まして一人二人助っ人を頼んだところで難しそうだというのが伺えるのだ。

 

「それでお前、その難しい依頼とやらに失敗したらどうするつもりだったんだ」

「そんときゃもう、俺の身ひとつで雪げる恥なら」

「お前ひとりどうなったところで、なんにもならない」

「はあ」

「お前がどうなったところで俺とは関係のないところですったもんだしているだけで、俺の、何だ、名声だなんだは悪くなっていたことだろうさ」

 

 うなだれるムスコロに、未来が優しく声をかけた。

 

「ムスコロさんは謝り方を間違えてるんだよ」

「なんですって」

「こういう失敗をしてしまいました、責任取ります、って言われてもさ、解決しないなら責任取るのは自己満足だよ」

「ぐう」

「だから正しくはこうさ。『こんな口約束をしちまいました。どうにかしたいが力が足りない。助けてほしい』ってね」

「し、しかし」

「なあに、結局喧嘩を売られたのは俺たちなんだ。俺たちが買い取るのが道理だろう」

「でも、それじゃああんまり申し訳ねえ」

「丁度暇だったからいいよ」

 

 これにけらけら笑ったのはシャルロである。

 

「暇つぶしに穴守に挑もうとは。太い連中だ」

「何しろ半分暇つぶしで冒険屋やっているようなもんだからな」

「人生には刺激が必要だよね」

 

 この実にふてぶてしい物言いに、更にシャルロは笑った。

 ムスコロもにやっと笑い、それでようやく肩の力が抜けたようだった。

 

「ムスコロへのお仕置きはまた今度考えるとして」

「ぐへえ」

「酒場じゃ俺達、散々に言われたんだろう」

「へえ、そりゃ、もう」

「どんなこと言われたの?」

「ええっ、いや、そりゃあ、その、何と言いやすか」

「言えよ。お前に怒りゃしないよ」

「へえ、そのですな」

 

 ムスコロが語ったところによれば、こうだった。

 

 まず一番多かったのが、話を盛り過ぎだということである。

 いくらなんでも二人で地竜を倒すなんてのはちゃんちゃらおかしい、精々がでかい亀でも倒したくらいだろう、というところから始まり、冒険譚の一つ一つにケチがつけられているのである。

 

 鉱山の崩落に巻き込まれてけろっとしてるなんざ三文小説でも呆れられるぜ、平原を凍らせたなんざ全く馬鹿馬鹿しい話でよくて氷の粒でも飛ばしたってのが関の山だろう、海賊船だって大方船員たちがあらかた片付けたところをいいとこどりしたにすぎないだろうよ、とまあこのように言うのだとか。

 

 散々な言われようだが、これには二人も、だよねー、と逆にほっこりしたくらいである。

 自分達でもわりと規格外な事をやっている自覚はあるので、仕方がない。

 《魔法の盾(マギア・シィルド)》、紙月と未来という二人組は、地に足のついた普通の冒険屋たち、つまり平均すればムスコロよりちょっと上くらいの実力者が多いだろう連中からしてみれば、全く常識の外にある存在なのだ。

 

 まず魔術師という存在自体が、実戦レベルではなかなか珍しいものであるし、それが紙月レベルともなると、探す方が馬鹿馬鹿しくなるほどだということを、二人はよくよくわかっているのである。

 わかっていてなお、自重する気はないが。

 

 二人が大して気にも留めていないのを察して、ムスコロもほっとしたように舌が軽くなった。

 

「いや全く、連中ときたらまったくわかってねえんです」

「うんうん」

「俺も酔っていたとはいえ、嘘は言わねえ。姐さんが小鬼(オグレート)位なら炭にしちまえるような火の玉を一度に三十六も操れるんだって言っても、こう言うんでさ。『馬鹿言え、魔獣を焼く程度ならともかく炭になんてできるもんかい、ましてやそんな数、おとぎ話でももうすこし遠慮するぜ』って」

「うんうん」

「炎だけじゃねえ、水の魔法も土の魔法も風の魔法も、なんだって姐さんの使いこなせねえ魔法なんざねえんだって言ったって、へっと鼻で笑ってきやがる。『帝都の魔術師だってそんなに芸達者じゃねえだろうさ』とくる。帝都にこもってるから世界の広さってものを知らねえんだ」

「うんうん」

「俺がすっかり呆れちまって、西部冒険屋組合のお偉いさんだって一目置いてるんだ、組合直属の騎士や冒険屋からも信頼されているんだぜって説明してやっても、『大方股開いてあれこれ融通してもらってるんだろ』ってとんでもねえ言い草でして」

「うん……うん?」

「『魔女ってのも隠語だろ、あっちに股開いてこっちに股開いて、寝台で仕事取って、寝台で仕事片付けてるに違ぇねえ、お前知り合いなんだろ、ちょっと紹介してくれよ、俺も魔女様の百戦錬磨の手管を味わってみてえぜ』なんて言いやがって」

「ほほう」

「ムスコロ、馬鹿」

「えっ、あっ」

 

 紙月のきゅうと細まった目と唇は、到底笑顔とは程遠いものである。

 むすっと押し黙った未来は、意味は分からないなりに罵倒だと察したのだろう。

 

「活きのいい野郎だ。言い値で買ってやる」




用語解説

・魔女様の百戦錬磨の手管
 実際のところ紙月の経験はというと以下略。


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第三話 穴守

前回のあらすじ

ムスコロのうっかりポロリで紙月に火が付いた。
言い方って大事だよね。


 ムスコロの不用意な発言で凍り付いた空気が、シャルロの淹れた豆茶(カーフォ)で幾分かまぎれ、改めて四人は酒場で引き受けてしまったという依頼について話し合った。

 

「そもそも、依頼の内容自体を聞いてなかったな」

「帝都の冒険屋が困っているっていうくらいだから、結構大変な依頼なんじゃないの?」

「へえ、帝都に地下水道が流れてるってのはご存じで」

「ああ、前になんか聞いたな」

 

 スプロのような小さな町にはないが、帝都をはじめとした大きな町というものは、大概が古代聖王国時代の遺跡である地下水道を抱えているというのは、帝都に来たばかりの頃に軽く聞いたような気がする。

 

「地下水道があるおかげで帝都はまあまず水には困らないんでやすが、なにしろほとんど技術の失われた古代の遺跡でやすから、使い方はわかっても、どういう仕組みかってのはまだまだ分かんねえことが多いもんで、冒険屋たちが探索して、調査したり、住み着いた魔獣を退治したりってのは割とよくある話で」

 

 フムン、と紙月は頷いた。

 普段生活するうえで水道というものをあまり意識したことのない現代っ子である二人だが、しかしこれが古代遺跡の地下水道となると、ファンタジーではよく冒険の場となる馴染みのシチュエーションである。

 

 《エンズビル・オンライン》においても地下水道と銘打たれたダンジョンが存在し、恐ろしく広大で複雑なこの迷宮は、有志の作った地図を見ながらでも迷うことがあるという代物だった。

 

「その地下水道が舞台ってことは、なんだ、魔獣退治か?」

「ちょっと違うんでさ」

 

 聞けば、なんでも少し前に、未踏破区域の地図作りの依頼をこなしていた冒険屋が、穴守(あなもり)を発見して逃げ帰ってきたのだという。

 

「穴守?」

「魔獣だったり、からくりの化け物だったりするんですが、要するに遺跡の番人ですな。地下水道はあちこちにこの穴守が腰を据えて、通路やら部屋やらを護ってるんで。大抵は近づかなきゃあ無理には追いかけてこねえんですが、重要な通路や部屋を護ってるんで、水道局としちゃ是非にも排除してえんでさ」

「水道局?」

「免状を頂いて地下水道の水利を牛耳ってる組合ですな。依頼もその水道局から」

 

 穴守。

 要するにダンジョンのボスを片付けて来いという依頼であるらしい。

 何々を採取してこいとか、何々を届けてくれとかいうよりも、余程シンプルでわかりやすい依頼だ。

 

「穴守が出た時は、まず斥候が依頼されやす。要は、どんな奴で、どれくらい強くて、どんな手段を持っているか、そう言うのを調べて来いって依頼ですな」

 

 これはもう済んでいて、斥候慣れした冒険屋パーティが、手痛い反撃を受けない程度にちょっかいを出して調べてきたそうである。

 ところがその調査結果と言うのがまず問題だった。

 

「なんでも巨大な鋼のからくりで、天井まで頭が届く大鎧の化け物みたいなやつだそうですな。通路一杯に塞いでいるから、横を通るのも難しい。近づくと警報を鳴らして威嚇してくる。それも無視すると攻撃してくる、とのことでやす」

「どんな攻撃をしてくるのかはわかっているのか?」

「腕が四本あって、ひとつは金槌のように殴りつけてきて、ひとつは剣のようになって切りかかって来るそうです」

「残り二つは?」

「ひとつは盾になっていて恐らく防御に使うだろうと言ってやすな。使わせるほどのダメージは与えられなかったようで」

「余程頑丈なんだな」

「まあ、普通の剣では文字通り歯が立たないそうですな」

「あとひとつは」

「筒のようになっていることしかわからんかったと」

「まさしく奥の手なのかね」

 

 これらの情報をもとに、何組かの冒険屋がすでに挑んで、そして敵わなかったのだという。

 剣で挑めば刃がかけ、戦槌で殴っても弾かれ、勿論矢など通りはしない。

 中には組み付いて下水に落とそうとした業の者もいたようだったが、重すぎてびくともせず、かえって振り払われて下水に叩き落されたそうである。

 

 これだけなら笑い話で済むが、実際には、返り討ちにあって死亡した冒険屋も出ているという。

 

「おかげで賞金額はどんどんあがってるんですが、何しろ結構な腕前の冒険屋も返り討ちに遭ってやすから、なかなか新しい挑戦者がいねえんでさ。新しい情報だけでも賞金が出るんですが、それを引き出すのも難しいってんで、はあ」

「お前、そんな化け物相手に勝てるって吹聴してきたわけか」

「め、面目ねえ」

「いや、いや、いや」

 

 怒っているのではない。

 紙月はむしろにやりと笑った。

 

「歯ごたえのあるやつが欲しかったところだ」




用語解説

・地下水道
 大きめの街には大概存在する、地下に作られた水道。またそれに関連する水道施設。
 多くは古代王国時代に作られた遺跡を流用しており、不明な点も多いため、冒険屋が定期的に潜って調査している。

・穴守
 古代王国時代の遺跡に存在する守護者の総称。機械仕掛けの兵器であったり、人工的に調整された魔獣であったりする。

・水道局
 水道の利用や整備を取り扱う組合。知的労働者や技術者が多く、荒事はあまり得意ではない。冒険屋に相当する自前の荒事部門を作ると冒険屋組合の権益を侵害してしまうので、冒険屋を雇って調査を依頼している。


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第四話 下準備

前回のあらすじ

依頼内容を確認した二人。
遺跡の守護者、穴守。腕がうなる。


 よし、そうとわかればさっそく挑もうぜと意気揚々と立ち上がった紙月だったが、これは止められた。

 

「なんだよ。相手の居場所もわかってるし、さっさと片付けちまおうぜ」

「頼もしいことこの上ねえんですが、地下水道ってのは特殊な環境でやすから」

 

 フムン。

 紙月は頷いて座りなおした。

 

 いままで負けなしでやってきたとはいえ、それは性能差でごり押してきたようなものである。特殊な環境下では、必ずしも今まで通りにいくとは限らない。

 

 そもそもの最初から言って、冒険屋として動くにはハキロの補助が必要だった。鉱山ではピオーチョの助けが必要だったし、平原でも先輩冒険屋たちの助言がありがたかった。南部で船に乗った時などは、魔法を使う以外はもっぱら船員たちが主役だったし、その魔法の使い方も適切な指示があればこそだった。

 

 それらを思えば、ここは、先達の冒険屋であるムスコロたちの話を聞く方がよさそうだった。

 

「まず地下水道ってのは、明かりが乏しいんでさ。大昔の照明はほとんど魔力切れで消えちまって、非常用の輝精晶(ブリロクリステロ)がポツンポツンとある程度で、ま、ほとんど真っ暗と言っていいですな。だから照明が必要という訳です」

 

 照明にはどんなものがあるかというと、これには少なからず種類があって、それぞれに一長一短の特徴があった。

 

「角灯は明かりが安定してますな。高めのものであれば硝子で覆っているんで、消えにくい。それに腰にぶら下げてもいいですから、手が空く。

 松明は片手がふさがりやすが、棒の先に火がともってやすから、高い位置から照らせるし、何ならそのまま振り回して武器にもできる。火が強いから、水でもかけられなけりゃあそうそう消えはしませんな。それに角灯とちがって壊れもんじゃあねえですから、いざとなりゃ地面に投げても明かりは消えやせん。それに安い。

 輝精晶(ブリロクリステロ)をつかった照明は、魔力があれば安定した明かりがともりやすし、魔力次第で光を強くも弱くもできる。首にかけられる物もありやすから、手はふさがりやせんが、身につけてないと光を発しやしねえ。それで、熱を持たねえし砕けやすいから武器にゃなりやせんし、なにより、値が張る」

 

 大まかに言ってこの三種類であるらしい。

 欲を言えば三種類を手元においておけばどんな場面にも対応できるが、勿論そんな贅沢は早々できるものではない。

 

 今回の依頼では角灯が良いだろうというのがムスコロの意見だった。

 

「道中は魔獣もすっかり退治されてやすし、穴守もある程度近づくまでは動かねえ。ぎりぎりのところで角灯をおいて、明かりを確保した上で戦うってのがいいでしょうな」

 

 またあるいは神官の技で暗視を得るというのも手ではあったが、これは他の器具が後に残るものであることに比べて、その場限りのものであると考えると随分割高である。それに暗視の精度も神官の腕次第で、信用できるかは難しいとのことだった。

 

 また次に、水に関する魔道具や法術が欲しいということだった。

 下水道にはきちんと人が通れる通路というものがあるのだが、なにしろ古代の遺跡であるから柵などが朽ちてしまって、通路のすぐ横は下水が流れているのだという。

 

 整備された区画であれば柵なども張りなおされて、うっかり落ちるということもないが、穴守が腰を据えているのはそう言った手の届いていない未踏破区画である。

 まさか普通に歩いていて足を滑らせて落っこちるなどと言うことはないだろうが、いざ穴守と戦っている最中には、振り払われたり、弾き飛ばされたりして、落とされかねない。

 

 下水道は流れも速く、水も衛生的とは言えず、落ちた際に溺れてしまえば引き上げるのも大変である。

 そう言ったことから、水上歩行や水中呼吸が可能になる魔道具や、神官の法術が必要だという。

 

「そういう道具は、普通に売っているのか?」

「大抵は受注生産でやすが、水道局である程度抱えてるはずですな。貸出なら大分安上がりに済むはずなんで、それを期待した方がいいですな」

「買うと高いか」

「下水道専門で活動するってんなら投資って考えられやすが、普通に冒険屋やってる分にはちと手が出ませんな」

 

 物によるとは言うが、相場を聞いてみたところ、成程貯蓄の乏しい冒険屋には厳しいものがあった。

 

「ふーむ。どういう仕組みなんだろうな」

 

 これは何という気はなしに呟いた疑問だったが、意外にもムスコロはこれを難なく受け止めた。

 

「基本的には精霊と親和性の高い魔獣の素材に、精霊晶(フェオクリステロ)なんかを材料にして、例えばそうですな、水踏みの靴なんざは、水棲魔獣の革に魔術刺繍を刺して術式を定めて、水精晶(アクヴォクリスタロ)を縫い込んだりあしらったりして、魔力を注ぐだけで水の上を歩けるようになるって仕組みですな」

「ほう。水中呼吸は」

「それは確か水精と風精の混合だったか……。俺が知ってるのは呼子笛みてえな口にくわえるもんですな。水精晶(アクヴォクリスタロ)を練りこんだ金属製の本体の中に、術式を彫られた風精晶(ヴェントクリスタロ)の球が入ってやして、こいつを咥えて水中で水を吸うと、空気を生み出して呼吸ができるようになる仕組みですな。もう少し大型のものならいくらか安くなりやすが、邪魔っけで仕方ねえ」

「お前、随分詳しいなあ」

 

 素直に感心すると、ムスコロは照れ臭そうに鼻をこすった。

 

「いやなに、てめえの命を預けるもんですから、詳しく知っといた方が安心でしょう」

「ムスコロは昔から臆病だからな」

「あんたらが無頓着に過ぎるんだろう」

「冒険屋だからね」

「無謀ってんだよ」

 

 どうやらムスコロは少数派のようだが、紙月としても未来としても、全く親しみのない技術であるから、少しでも詳細が知れた方が安心である。

 

「じゃあ、必要なのはそんなもんかね」

「あとは、まあ、爆弾が欲しいかなと」

「爆弾!?」

 

 ぎょっとして見つめてみたが、ムスコロは至って真面目である。

 

「剣でも槌でもダメなら斧で切りかかっても同じようなもんでしょうからな。近寄らなけりゃあ動かねえんだったら、少し遠間から爆弾を放り投げて片付けてえ。直接がダメでも、通路は崩せますから、下水に落ちりゃあいくらか手傷も負わせられるでしょうよ」

 

 正直なところ、斧で殴り掛かるくらいの戦法しか想像していなかっただけに、ムスコロという人間の印象が改まる思いであった。

 

「お前、存外戦術的だなあ」

「『戦い方を考える前に、戦う目的を知れ』とも言いますからな。どかせりゃいいんであれば無理に正面から叩く必要もねえ」

 

 純粋な戦闘能力で言えば大したことがない男であるが、成程それなりに長く冒険屋をやっているだけはある。

 

 とはいえ。

 

「よし、そう言う買い物はすべて却下だ」

「ええ?」

「全部俺の魔法でどうにかなるやつだったわ」

「明かりも灯せる、暗視も付けられる、水上歩行も水中呼吸もできる。なんなら紙月自身爆弾みたいなもんだしね」

「言うねえ」

「《無敵砲台》の砲台担当でしょ」

「違いない」

 

 しかし、と言い募るムスコロを、紙月は手で制した。

 

「言ったろう。この喧嘩は俺たちが買った。お前が気に病むことはないよ」




用語解説

輝精晶(ブリロクリステロ)(brilo-kristalo)
 光精晶(ルーモクリステロ)とも。非常に希少な光の精霊の結晶。古代王国の遺跡には、どういった手法で集めたのかこの結晶が多くみられる。

・角灯
 ランタン。最近のものはガラスの覆いがついているが、古い物や安物は紙張りだったり、そもそも覆いがなかったりする。

・松明
 長い棒の先に、松脂など燃えやすいものに浸した布を巻いたもの。
 火を灯して照明器具にするほか、冒険屋は殴りつけるのにも使う。

・水踏み
 水上歩行のこと。

・呼子笛
 いわゆるホイッスル。
 赤かったり蒼かったり月だったり黒かったり白かったり、色は様々なようだ。

・爆弾
 ここではただ爆弾と言っているが、火薬式だったり魔法式だったり、種類は様々。
 ピオーチョの用いていた発破もこれの一つだ。

・『戦い方を考える前に、戦う目的を知れ』
 歴史上の戦術家の言葉らしい。
 戦うことにばかり意識が向いて、なぜ戦うのかを忘れると無駄が増える。



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第五話 空腹

前回のあらすじ

下準備をすべてうっちゃった紙月。
どこかの誰かさんと違って応用が利くのだ。


「姐さん、つくづくなんでもできますなあ」

 

 呆れたように、しかしまあこういう生き物なのだなと妙な納得をするムスコロに対して、事務所の所長であるシャルロは訝しげである。

 

「疑う訳じゃないけど、いや、正直半信半疑より疑い寄りなんだけど、本当にそんなにいろいろできるのかい?」

「ばっ、シャルロ、姐さんに対して」

「まあまあ、というかその反応、まるで猛獣扱いだから正直傷つく」

「へ、へえ、そんなつもりじゃあ」

 

 ムスコロは何しろ、自分自身の体で紙月の魔法を受けたことがあるし、《魔法の絨毯》で空を飛んだ経験もあれば、海賊船騒動の時にはかぶりつきの最前列で紙月の魔法が炸裂するのを目にしている。

 だから紙月の魔法も()()()()()というものにすっかり恐れ入っており、疑うということがない。

 

 しかし、そもそも戦闘に耐えうる魔術師自体が数少ない帝国において、あれもできるこれもできる、それもとてつもない精度と威力で、などというのはおとぎ話どころか子供だましにもならない与太話と言われても、まあ仕方がないのである。

 その点で言えば酒場で疑ってかかった冒険屋たちや、シャルロの反応というのは至ってまっとうなのである。

 

 紙月もそのあたりはこの数か月でなんとなくわかってきたことであり、むしろある程度疑ってくれる人間の方が常識的だと感じるくらいだった。

 

 紙月が魔法を自在に操ることをすっかり自然な事と受け入れて、いっそすがすがしいほどにあっけらかんと人を冷房代わりに魔法をねだる《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》の面子の方がおかしいのである。

 

「そうさな。試しに見たい魔法を言ってくれよ」

「事務所を焼き払ったりしないだろうね」

「そのくらいの制御は出来てるよ」

「フムン」

 

 シャルロは少しあたりを見回して、部屋の照明に使っている角灯をテーブルに置いた。

 

「じゃあ、これに火を灯せるかい」

「いいとも」

「焼き焦がせというんじゃないよ」

「もちろん」

 

 軽い調子で言いながら、しかし油断のない目でシャルロが見守る前で、紙月は人差し指を立てた。

 

「《火球(ファイア・ボール)》」

 

 魔力を極端に抑えて《技能(スキル)》を使用すると、紙月の指先にぼっと小さな火球が灯った。単に巨大な火球を作るよりも、指先大の小さな火を灯す方が、余程神経を使った。

 しかしここしばらく魔法の制御を練習していた紙月にはもはや訳のないことだった。

 

 ついっと指先を灯芯に向けると、小さな火球は速やかに角灯に飛んでいき、火を灯した。

 

「ふーむ。素晴らしい制御だ。他の属性の魔法も使えると言ったね」

「何でも言ってみてくれ」

 

 では、と次にシャルロが示したのは、台所に置いてある大きな水瓶である。普段は水を汲み置いてあるのだろうが、今は中身が少ない。

 

「清浄な水を生み出せるかい」

「お安い御用だ」

 

 手をかざし、《水球(アクア・ドロップ)》を唱えれば、見る見るうちに水球が膨らんでいき、そして水瓶にドボンと落ちてこれを満たした。

 正直なところ、この水が大気中の水分を集めたものなのか、魔力を水に変換しているのか、それともどことも知れない謎の空間から引っ張り出してきているのか、紙月自身わかっていないのだが、これが飲用に耐えうる水だということは実験済みである。

 

 シャルロはこれを柄杓ですくって口にし、全く問題がないことを確かめた。

 

「これがあれば旅の途中の水を気にしなくていいな」

「まあ、砂漠でも使えるかどうかは試したことがないけどな」

 

 二つの属性をここまで器用に扱えるのは見事だとシャルロも素直に認めた。

 しかし今までのは言ってみれば単純な技で、地下水道に挑むにあたって必要な水上歩行の術や暗視の術などと言うのは全く別な技術だと主張した。

 これにはまったく紙月も頷くところである。

 

 そこでシャルロが持ち出してきたのは、汚れにまみれた衣服の山である。洗濯かごをそのまま持ってきたといった格好だった。

 

「ムスコロから聞いた話によれば、君は随分優れた浄化の術を使えるとのことだね」

「そうだとも」

「じゃあこの一山の汚れ着を、一度にすべて奇麗にすることもできるだろうね」

「やってやろう」

 

 ちょっと匂いもしてくる洗濯物の山に両手をかざして、紙月はちょっと腰を据えて《浄化(ピュリファイ)》を唱えた。すると清らかな水がどこかから湧き出てこれらの衣服を包み込み、しばらくの間じゃぶじゃぶと中空で踊り、そしてどこかへと流れ去っていった。

 残されたのは汚れどころか匂いまできれいさっぱり洗い流された衣服だけである。

 

「おお、すごい、まるで新品同様だ!」

「ふふん、それほどでも、あるかな」

 

 もちろん、この《浄化(ピュリファイ)》の水がどこから来て、汚れをどこへ持ち去っていくのかも、紙月は知らない。知らないがそう言うものだということにしている。

 

「やあ、全く見事だ。あとは何があったかな」

「シャルロ、そのくらいにしろ」

「ええ、いい機会だったのに」

「ふはははは、このくらい朝飯前よ」

「紙月って時々すっごく幸せな人だと思う」

「うん? そうか? そうかな」

 

 体よく水汲みと洗濯をさせられたことに気付かないのは、かなり幸せな方だと未来は思うのだった。それと同時にこの乗せられやすさはどこかで手綱を取ってやらないと危なそうだとも。

 

「よし、君に十分すぎる能力があることはよくわかった」

「そうだろうそうだろう」

「しかし、さすがに今日これから挑むというには、日が暮れてしまった。今日は一晩休んで、明日挑むのがいいと思う」

 

 そう言われて、二人は確かにそうだとたまった疲れを感じた。

 何しろ昨夜から今朝までほとんど徹夜だったし、朝はタマを引き取る引き取らないで揉めに揉め、それから昼は探偵事務所に入ってそのまま錬三の会社で長話と動き詰めで、その上ろくに食事をとっていないのだ。

 

 思い出してしまうと胃袋というものは途端に空腹を訴えだすもので、常軌を逸する腕前の二人としてもこれには逆らいかねた。

 

「ふふふ、私たちも晩飯をどうしようかと悩んでいたんだ」

「この事務所にゃろくな食い物がねえんですよ」

「ま、ま、ま、ここは親睦を深めるためにも、酒食を共にしようじゃないか」

 

 家事仕事をうまいこと片付けられたシャルロはご機嫌で、行きつけの酒場へ行こうと誘うのだった。




用語解説

・そう言うもの
 実は理屈抜きで物事を成し遂げる術は、魔術というより神官たちの扱う法術に近い。


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第六話 《三角貨亭》

前回のあらすじ

体良く家事をさせられた紙月。
気づかないって、幸せだ。


 馴染みの酒場だと言われて何となく予想はしていたのだが、連れられて行った先の店の看板は、見慣れた丸みを帯びた三角形の形で、潔いほど雑な字で《三角貨(トリアン)亭》の名が記されていた。

 金貸しか銀行かとも思うネーミングであるが、要するに安さが売りなのだろう。

 

「ムスコロ、ここお前が絡まれた店じゃねえか」

「へえ、俺もそう店を知らねえんで」

「帝都ってのは広いし、店も出しやすいんだけど、その分当たり外れが大きくてね」

 

 《三角貨(トリアン)亭》はこれでも昔からやっている酒場で、飯がうまいというので客も集まり、宿泊業は後から追加したというから、成程食事には期待ができそうである。

 それに二人の空腹もそろそろ限界で、これからほかの店を探そうというのは無理があった。

 

 戸をくぐると、酒場は活気に満ち溢れていた。

 西部の酒場でもそうであるように、冒険屋御用達の酒場というものは普通の宿屋とは違って、商人たちは少なくかわりに最低限武装したいかにもな冒険屋たちが酒と食事を楽しみ、壁には依頼の張り紙などがちらほら見える。

 

 入口近くのの席でちびりちびりと酒を舐めているのは、かなりがっしりとした体格と言い、用心棒の冒険屋だろう。

 冒険屋御用達の酒場というものは大抵、どこかの冒険屋事務所がバックについている。複数の事務所が援助していることもざらだ。事務所は面倒のないように用心棒を置いたり、なにくれとなく世話を見てくれるし、酒場は酒場で客から依頼を集めたり、また客に依頼をあっせんしたりする。

 

 事務所に所属していないフリーの冒険屋や、他所から来た冒険屋は、組合を頼るか、こうした酒場を頼ることが多い。前者はいささか堅苦しいが、後者はいささか以上に義理と情とが絡んでくる。難しい所だ。

 

 背が低いながらも《決闘屋》の二つ名を持つシャルロの伊達物の装いは知れているようで、脛に傷あるものは顔を伏せたし、そうでないものは気さくに声をかけた。

 ムスコロも先日やらかしたばかりであるから、随分にからかわれている。誰も依頼の達成など信じていないから、あたりはつよいが。

 

 その後ろからやってきた二人組には、見たことのない新顔だということもあるが、一瞬酒場がしんとした。

 

 まず目についたのはもちろん、屈むようにして入ってきた白銀の大甲冑である。生半の騎士でもまず見ない立派な大鎧の姿には、やんちゃな冒険屋たちも思わず息をのんだ。

 魔力の恩恵の激しいこの仕事では見かけは必ずしも実力とは釣り合わないが、しかし、巨大であるということはそれだけで強さを思わせた。

 

 そしてその横に、場に似合わぬドレスを着た女がたたずんでいることに気付いたものは、さらに驚いた。その容姿にばかり目のいった愚か者でも大鎧との組み合わせにはハタと気付いたし、目ざといものは噂に聞いたその笹穂耳にも気づきさえした。

 

 ざわめきが再び酒場を支配したが、それは疑いと好奇心に満ちたものだった。

 もしやあれが森の魔女と盾の騎士なのか、と。

 

 なにしろそれぞれの事情で視線に慣れている一行は隅の方にテーブルを見つけて、やれやれと腰を下ろした。とにかく、腹が減っていたのである。

 

「何を飲むんだい?」

「帝都じゃ何がうまいんだ」

「もっぱら麦酒(エーロ)だね。でも帝都は大概のものは輸入(はい)ってくるよ。蒸留酒もある」

「とりえずは麦酒(エーロ)でいいよ」

「僕は何かジュースでも」

「よしきた」

 

 シャルロが適当に注文し、未来は鎧を脱いでくつろいだ。これには近くの冒険屋たちも、そして初見のシャルロも驚いた。

 

「驚いた、まさか中身がこんなに小さいとは」

「育ち盛りだよ」

「でも、成人前じゃないのかい」

「今年で十二歳」

「シヅキ、きみ、いくらなんでも……」

「訳ありでね。それに実力は噂で知っての通りだ」

 

 割合に常識的であるシャルロは何とも言えない顔をしたが、未来はしれっと聞き流している。その手の話は聞き飽きているし、第一、いちいちそんな話を真に受けていたら、紙月の隣にはいられない。

 

 少ししてまず麦酒(エーロ)葡萄(ヴィート)ジュースが運ばれてきた。

 そしてすぐに、煮込みの皿と、いかにも酒のつまみと言ったアラカルトである。量は一応あるが、飯のおかずというより、酒の当てでしかない。

 

「いつもこんな感じなのか?」

「いやあ、うちの事務所、みんな料理下手でね」

「俺はできるんですが、なにしろあの小さな厨房でしょう、縮こまってやりづらいったらねえ」

 

 まあとはいえ、ろくに自炊していないのは紙月たちも同じなので、下手な文句は言えない。

 紙月は料理自体はできるのだが面倒くさがるし、未来も最低限はできるが、厨房に立つにはちょっと背が足りない。

 

 一行はまあ、うまけりゃいいというところで落ち着いて、「乾杯(トストン)!」の掛け声とともに乾杯し、早速食事にとりかかった。

 

 煮込みの皿は飯時だけあって結構なボリュームだった。帝都大学でお茶うけに出された、帝都名物であるという例の芋の煮物だったが、こちらはさすがに客に出すだけあってもうちょっとしっかりしている。

 

 ごろりと大きめに切られたじゃが芋に、赤身のやや強い人参、太めの牛蒡(ごぼう)、真っ二つにされただけのごろんと大きな玉葱、それから大きく角に切られた牛肉の塊が入っている。そしてそのどれもが良く煮込まれているのだった。

 

 二人が持参した箸で早速食べ始めてみたが、これは成程味自慢を歌うだけあってなかなかの代物だった。

 帝都ではよく主食としても食われるという芋はねっとりほくほくとしていて、牛の出汁がよくよくしみ込み、食いでがある。

 人参はやや、いわゆる人参臭さというか香りが強かったが、他の香草との組み合わせもあって、味わいの一部だと素直に思える程度だった。なにより、実に甘い。

 

 牛蒡も良く火が通っていたが、それでもじゃきざくとしたしっかりした歯ごたえが残っていて、顎にも心地よい。

 

「というか、牛蒡って食うんだな」

牛蒡(ラーポ)かい? 大昔は木の根っこみたいだって言われてたらしいけどね。滋養もあるし、味も悪くない。私なんかはこれでチャンバラを覚えたものさ」

「食えるものは何でも食うってえ時代があったそうで、その頃から食われ始めたそうですな」

「ほーん」

 

 西欧では食材としては見られていないと聞いたことがあったが、帝国では違うようだった。

 

 半球に切られた玉葱が見せるつやつやとした半透明の層は、よく火が通っている証拠である。これを崩しながら頂くと、その甘みたるや素晴らしいものがある。いわゆる葱臭さというものは遠く、とろっとろにとろけた甘みが攻めてくるのである。

 

 いよいよメインの牛肉となると、これが難敵だった。

 箸を入れるとするりと通る。開いてみればはらりと崩れる。口に含めばほろほろと繊維がほぐれていくほどに、柔い。柔いが、噛めばその繊維の一本一本がしっかりと生きていて、ぎゅうと肉汁をあふれさせる。

 

「牛肉が食えるとはなあ」

「牛は世話が大変だけど、獲れる肉は多い。中央には牛舎も多いよ」

 

 さらに驚きなのは、食用で牛を育てているということである。

 普通は牛などは畑を耕したり荷を牽いたりと言った労働力として用い、老いて硬くなった肉が精々庶民に回ってくるものと思っていたのだが、帝国ではいわゆる牛と言ったら、乳を出し、肉を食用とするのが主な用途であるらしい。

 農耕や荷牽きは、もっぱら輓馬のように、馬の中でも力の強いものを使うのだそうだった。

 

 まだまだ知らないことが多いなと思いながら、まあ知らなくてもうまいものはうまいと、二人は帝都での食事に舌鼓を打つのだった。




用語解説

麦酒(エーロ)(elo)
 上面発酵の麦酒。いわゆるエール。地方や蔵元によって味が異なる。

葡萄(ヴィート)ジュース
 ブドウの絞り汁。
 葡萄酒(ヴィーノ)つまりワインに使う葡萄は必ずしもすべてが発酵させられるわけではない。
 ジュースとしても人気は高い。

牛蒡(ラーポ)
 いわゆるゴボウ。
 帝国ではもともと食用ではなく、葉などを薬用にする程度だった。
 しかし飢饉の時代に西方人が持ち込んで食べるようになると、南部でジワリと広がり、面白がりの東部人が栽培し、流行りに鋭い帝都で調理法がまとめられた。
 馬鈴薯(テルポーモ)などもその類である。

・牛
 帝国では牛と言えば農耕用ではなく、乳を搾り、肉を摂る完全食用である。
 仮に農耕をする牛がいたらそれは牛と呼ばない。


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第七話 いちゃもん

前回のあらすじ

酒場で美味しい煮物を頂く一行。
このまま済めばいいのだが。


 熱々の煮物を二人がハフハフとやっている間、シャルロはもっぱら酒をあおり、つまみをつまんでいた。ムスコロもどちらかと言えば酒が主体であるが、こちらはきちんと煮物も腹に詰め込むし、飲む量も、少ない。

 しかしシャルロは完全に酒が主体で、切り分けられたハムだとか、チーズだとか、煎り豆だとか、まあいかにも安物といった具合のつまみで塩気を取りながら、かっぱかっぱと水のように酒をあおる。

 

「そんなに酒ばかり飲んで、胃が荒れないか」

「そう言う繊細なことはムスコロに言ってやるといい」

「見た目は真逆なんだがなあ」

「見た目は言いっこなしですぜ。これでも俺は文明人で通ってるんであたたたた」

「私が蛮族みたいな言い方はやめておくれ」

 

 だが実際、蒸留酒をなめながらフォークで人の二の腕を刺している姿は、文明的ではない。

 

「お酒ってそんなに美味しいの?」

「お前にはまだ飲ませないぞ」

「飲まないけどさ。みんな、美味しいの?」

 

 甘い葡萄(ヴィート)ジュースと酒杯の中身を見比べる、子供の素朴な疑問に、三者はちょっと見つめあって、三者三様に答えた。

 

「俺ぁ、最初酒なんてものは苦手でしたね。辛いし苦いし酒精の匂いってのはどうも嗅ぎなれねえ。なにより吐き気がするし頭もいたくなる」

 

 ムスコロは小さく切られたチーズを口に放った。かなり硬く水気の少ないチーズなのだが、塩気が強く味も濃く、酒と一緒に口の中で溶かしていくと、うまみが広がる。

 

「でも不思議なもんで、なにくそと思って続けていくうちに、自分に合った酒や飲み方が見つけられるんでさ。酔いも軽いうちなら、楽しめる」

 

 次に答えたのはシャルロだった。

 

「そりゃあ、うまいさ。私は成人したての頃から毎日のように飲んでいるけれど、飽きたことがないね」

 

 そりゃまた呆れる、との突っ込みも気にしないで、シャルロはころ切りにされたハムを齧った。このハムは紙月たちの知るプレスハムよりずいぶんと歯ごたえが強く、塩気も強かったが、しかし複雑な香りが漂うのだった。

 

「ムスコロなんてのはまだ酒の味を知ったばかりのひよっこみたいなもんで、酒と言ってもまあいろいろある。辛いのもあるし甘いのもある。酒精も寝かせたものはこなれてまろやかになる。人生の友だね」

 

 そう言ってシャルロはまた蒸留酒をなめた。

 残るは紙月である。

 

「俺も、酒の良さと言ってもそう詳しい訳じゃない。飲み比べてどう違うかというのはわかるけど、実際うまいかどうかと言われるとよくわからん」

「わからないのに飲むの?」

 

 問われて、うーんと小首を傾げながら煎り豆を齧る。なんという豆かは知らないが、丸っこくて、摘まみやすい。味は素朴で、少しバターが香る。特別うまい訳ではないが、摘まんでいるといつの間にか皿から消えている味わいだ。

 

「甘いのが好きだ、とかはあるんだけど、別に甘いだけならジュースでいい。だから、なんだろうなあ。場の空気とか、酩酊感を楽しんでるのかね」

「めいてい?」

「酔ってる感覚さ」

「ミライくん、気を付けなよ。こういうのが酒場で散々飲まされて悪いことをされる人種だ」

「悪いこと?」

「君が常々シヅキ君にしたいと思ってることをもっと酷くしたようなことさ」

 

 ひっそりと耳打ちされた言葉に、未来は何とも言わず、ただ紙月の酒量を見守ることにした。

 

 そうして四人が夕食を楽しんでいるところに、ぬっと顔を出した者たちがあった。

 酒場にひしめいてる冒険屋たちの中でも群を抜いて屈強な二人の男で、天井にこすりそうな背丈は、鎧を着こんだ未来と同じくらいはあった。そしてその顔つきのいかめしさときたらムスコロ以上である。

 

「おう、おう、おう、誰かと思えば西部のムスコロじゃあねえか、え?」

「穴守退治はどうしたんだ、え? 逃げ出す算段でも立ててたのかい?」

「ば、馬鹿言え、逃げやしねえよ」

「どうだかな」

 

 ふん、と鼻で笑う二人組にいやなものを感じながら、紙月はピンときた。大方この二人が、ムスコロに無理難題を押し付けてきた連中なのだろうと。

 

「おいムスコロ、お前たちだけで話が通っちゃこっちはつまらない。そっちの力自慢を紹介しておくれよ」

「へ、へえ、その」

「なんだなんだ、随分な美人連れじゃあないかムスコロ」

「俺はアフリコ、こっちが弟分のヒンドよ」

「《優雅な戦象(エレガンタ・エレファント)冒険屋事務所》といやあ、ちょっとは名が知れた事務所だぜ」

 

 西部出身の二人はもちろん知らない。知らないが、周りの冒険屋たちがよいしょの声を上げているのを見るあたり、そこそこ腕の立つ冒険屋たちであるらしい。

 

「なにしろムスコロよお、随分な啖呵切ってくれたからにゃあ、きちっと仕事はしてもらうぜ」

「とはいえ、なにしろうちのエブロ兄貴が攻めあぐねるほどの化け物だからな。西部の田舎冒険屋どもがいくら頑張っても難しいかもなあ」

「なにをっ」

「忘れたのかムスコロ、え? 俺より腕っぷしの弱いお前さんに、剛力のエブロ兄貴でも退かせなかった穴守をどうにかできるかよ」

「ぐぐぅ」

 

 ムスコロが酒のせいでなく顔を赤くしたのは、先にこの二人組の弟分、ヒンドと腕相撲で勝負して、惜しくも敗れているからだった。

 

 冒険屋の実力というものは必ずしも腕力だけで決まるものではないし、むしろ腕力だけに頼るものはそう長生きできないと相場が決まっているが、それでもないよりはある方が優れているという風潮は事実である。

 冒険屋たちの前で敗北を喫したムスコロには、言い返すこともできないのである。

 

「まあ、確かにムスコロにゃあ無理だな」

「へっへっへ、おいおい、連れにまで馬鹿にされてるじゃあねえか」

「だが俺達ならできるんだな、これが」

「へっへっ……なんだって?」

 

 下品な笑いを浮かべていた二人が、きょとりとあらためてテーブルの女を見やった。華奢で、それこそヒンドの半分もないような細っこい女が、妙な事を言ったような気がした。

 

「言ったろう。お前らの兄貴がしっぽまいて帰ろうと、穴守退治、俺達ならできるって言ったのさ」

「なに!?」

「何だと貴様!? どこのどいつだ!?」

 

 いきり立った二人組に笑ったのは未来である。

 

「まさか相手も知らずに喧嘩を売ったの?」

「なんだ、と……?」

 

 子供ごときが、と怒鳴りつけようとしたその目の前で、瞬時に装着された白銀の甲冑が立ち上がる。

 

「《魔法の盾(マギア・シィルド)》、森の魔女と盾の騎士。お前たちが呼んだんだろ?」




用語解説

・アフリコ(Afriko)/ヒンド(Hindo)
 《優雅な戦象(エレガンタ・エレファント)事務所》に所属する冒険屋。
 アフリコが兄貴分でヒンドが弟分。よく似ているが赤の他人。
 言葉での会話より筋肉での会話が得意なタイプ。

・《優雅な戦象(エレガンタ・エレファント)事務所》(Eleganta Elefanto)
 帝都でも中堅どころの冒険屋事務所。
 アフリコたちを見ればわかるように、力自慢がそろった脳筋事務所。
 力こそパワー。

・エブロ(Eburo)
 アフリコたちの兄貴分。
 つまりもう少し筋肉が強い。



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第八話 力比べ

前回のあらすじ

筋肉わっしょい!


 のっそりと立ち上がった白銀の甲冑に、とんがり帽子の()()()

 改めて見せつけられたその姿に、酒場がざわめいた。

 まさか。いや。しかし。あれは噂に聞いた……。

 名乗りを聞いて一層興奮する酒場の連中を黙らせるように、アフリコとヒンドはどんと足踏みしたが、それさえも場を盛り上げる拍子に過ぎなかった。

 

「いやいやいや、弟分が世話になったみたいだね」

 

 鎧の奥から漏れるのは幼い笑い声だが、見た目とのギャップがなお恐ろしい。

 嘘だ出鱈目だとは言っておきながら、実際に目の前のそのおとぎ話の親玉が現れたとなると、さすがに歴戦の冒険屋も腰が引けた。引けたが、しかし、冒険屋には面子というものがある。

 引けた分の腰を戻すように指を突きつけ、ヒンドはがなりつけた。

 

「な、なにが盾の騎士だっ! 中身はちっぽけなガキじゃねえか!」

「そ、そうだ、張りぼてだ! ただの張りぼてじゃねえか!」

「いくらでかい鎧着たって中身はガキだ! どうせ大したことぁねえ!」

「大道芸人でもそれくらいすらぁ! おおかた見せかけで脅してきたんだろうよ!」

 

 二人の声に、酒場の冒険屋たちも声を上げ始めた。

 

「そ、そうだそうだ!」

「張りぼてだ!」

「本物かどうかもわかりゃしねえ!」

「あ、握手……」

「本物だったら何だってんだ、ガキじゃねえか!」

 

 ぎゃいぎゃいと騒ぐ冒険屋たちの真ん中に、不意に勢いよく酒樽が投げ込まれ、何人かが巻き込まれた。

 突然の暴挙にしんと静まり返る酒場を、我が物顔でのしのしとやってくるのは、入り口近くにいたはずの用心棒である。

 

「おう、おうおう、冒険屋ともあろうものがぴーちくぱーちく鳴くんじゃねえ」

 

 なにしろ冒険屋どもの集う酒場で用心棒などやっている男である。凄みというものが違う。

 だがよ、と言い募る冒険屋どもを相手にせず、用心棒は投げつけた酒樽を床にどしりと置きなおした。

 

「男なら、わかりやすいやり方があるだろうよ」

 

 にっと男が笑うと、冒険屋たちは喝采を上げた。

 

「そうだ! そうだ!」

「腕相撲だ!」

「やってやれ戦象(エレファント)!」

「力比べの時間だ!」

 

 酒場での勝負と言えば相場は決まっている。

 飲み比べか、賭け事か、そして力比べか。

 

 おそらくムスコロもこのような流れで力比べに持ち込まれ、そして敗北したのだろう。

 

「ようし、兄貴が出るまでもねえ、俺が片付けてやらあ!」

「よし、任せたぞヒンド!」

「おうよ兄貴!」

 

 どっしりとした腕を構えるヒンドに、肩をすくめる未来。

 

「僕ってもう少し文明的な人種なんだけど」

「ごちゃごちゃ言うねえ!」

 

 口では言いながらも、やる気なのが紙月にはわかった。未来はなんだかんだ言って、こういう催しごとが嫌いではないのだ。

 

 甲冑に包まれた未来の腕がどしりと樽の上で構えられ、ヒンドのたくましい腕と組みあった。

 成程言うだけあって、ヒンドのうではがっしりと骨太で、たくましい筋肉に覆われている。それも飾りとしての筋肉ではなく、日ごろから力仕事をこなしてきている筋肉だった。

 

 ムスコロも筋肉だけで言えば立派なものだったが、ヒンドの場合そこに加えて流れる魔力の量が違う。

 触れてみて分かったが、ムスコロの魔力は流れこそスムーズだがやや乏しく、ヒンドの場合流れの悪さを流量の多さが補って余りあるのだった。

 

 成程、これが恩恵というものであるらしい、と未来は悟った。

 

「ば、ばかな」

 

 じっと見てみると、自分の体に流れる魔力もなんとなくわかるようだった。それは自分の体内を流れる血流のように意識してみなければ気付きもしないようなものだった。流量こそ太く確かな大河のようであったが、しかしその流れ方というものはあいまいで、今は腕に意識を回しているからそちらに集まりつつあるという程度で、ムスコロどころかこのヒンドという粗野な男よりも流れが悪い。

 

「くっ、このっ、て、鉄の塊みてえだ!」

 

 成程、レベルだけあっても実際の修練などが足りないから、つまり体の動かし方というものを理解していないから、魔力の流れが悪いのだ。もしこの流れを改善できれば、自分はもっともっと強くなれるだろう。そうなれば、紙月をもっと力強く確実に守れるはずである。

 ムスコロあたりに、鍛え方を教わろうか。

 

 などとぼんやり思っていたら、紙月に肩を叩かれた。

 

「そこらへんにしてやれ」

「えっ」

 

 改めて見てみれば、顔を真っ赤にしたヒンドが、全体重をかけて未来の腕に挑んでいるのだった。どうやら既に開始の合図は出ていたようだったが、考え事をしていたし、ヒンドの腕力が思いのほか大したことがなかったので全然気づかなかった。

 

「ごめん」

「えっ、あっ」

 

 素直に謝って腕を倒すと、先ほどまでの奮闘が何だったのかというくらいにあっけなく、ヒンドの腕は体ごとコロンと倒されてしまった。それは場が一瞬静まり返るほどのあっけなさだった。

 

「い、いかさまだ!」

 

 静まり返った空気を割いたのは、そんな一言だった。

 大方ヒンドの勝ちに賭けていた連中なのだろうが、そこかしこからいかさまの声が持ち上がった。

 ヒンド自身は悔しそうながらも、自分が真っ向から挑んで負けたことはわかっているから、このいかさまコールに却って恥じるような顔をしたが、勿論それでは賭け客たちは収まらない。

 

 用心棒が再び立ち上がろうとしたところで、するりと立ち上がったのは紙月である。

 

「じゃ次は俺だな」

「なにっ」

 

 いっそ穏やかな物言いに、酒場がまた静まった。

 

「喧嘩を売られたのは俺達《魔法の盾(マギア・シィルド)》だ。二対二なんだから、もう一戦だろう」

「おう、おう、嬢ちゃん。俺達はいまのでそれなりに認めたんだ。それでもやるかい」

「それなりじゃ足りないね。弟分にゃ、格好いいとこ見せたいしな」

「よく、わかる」

 

 頷きあって、今度はアフリコと紙月が酒樽の上で組み合った。

 

 いかにも華奢で、それこそ握っただけで折れてしまいそうな紙月と、そこらの魔獣よりも立派な体格のアフリコの組み合わせは、酒場を大いににぎわせ、賭けの声があちらこちらで響いた。

 

「ところで俺は魔術師だ。魔術で体を強化してもいかさまとは言わんね」

「勿論だ。ただの女の細腕をへし折ったところで何の自慢にもならねえ」

「よし来た……ところで、俺は男だ」

「なに?」

 

 合図が響いたが、酒樽の上で二人は伺いあうようにピクリともしない。

 ように酒客たちには見えた。

 

「おい、どうしたアフリコ!」

「さっさと決めちまえー!」

「森の魔女の魔法とやらはどうしたー!」

「決めろアフリコー!」

 

 無責任な外野の声に、アフリコは怒鳴りつけようと息を吸ったが、結局その息は腕に力を込める分に使われるほかになかった。

 ただ見ているだけの外野にはわからなかっただろうが、すでにアフリコは全身全霊の力を込めていた。先ほどのヒンドが純粋に実力で負けたことを悟って、舐めてかかっては危ないと最初から本気で勝ちに行くつもりだった。

 

「おお、凄いな。でもまだ足りないな」

 

 《強化(ブースト)》。

 

 小さな呟きとともに、まるで時計の針が一つ進むように、アフリコの腕が樽に向けて傾いた。

 

「ぐっ、う!?」

「おお、耐える耐える。何なら両手を使ってもいいぜ」

 

 屈辱とも言える提案に、しかしアフリコは即座に乗った。これは、矜持だのなんだのを言って勝てる相手ではない。勝ったとしても卑怯者のそしりは避けられないだろうが、しかし何もせずに負けるよりはよほどましだった。

 

 遠慮なく左手をかけ、全体重をかけて腕を戻そうとするアフリコに、やはり、卑怯者、女相手に、恥を知れなどと罵声が飛んだが、言われるアフリコはそれどころではない。

 

「ば、馬鹿言え、こ、のぉおぉおおおおおおおおッ!!」

 

 ぱたり。

 

 決着はあっけなかった。

 それだけで生気をすっかり失ったというほどに、全身から汗を拭き流し、ふいごのように荒く息をするアフリコの腕は、実にあっさりと酒樽に押し倒されたのだった。

 

「……負けだ」

「嘘だ!」

「いかさまだ!」

「こんなことあるわけがねえ!」

「うるせえ、さっさと賭け金よこせ!」

「馬鹿な!」

 

 途端に騒ぎが広まり、取っ組み合いが始まり、酒の勢いもあってあちらこちらで拳が振るわれ始めた。

 用心棒は面倒くさそうに腰を上げかけ……そして下した。

 

 楽しげに試合を眺めていた《決闘屋》が、嬉々として腰のものに手を伸ばしたからである。




用語解説

・腕相撲
 腕押し、アームレスリングとも。
 机や、今回のように樽などの台に肘をついて互いの手をがっしり握って組み、相手の手の甲が台につくまで押しあう力比べ。


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第九話 賭け

前回のあらすじ

筋肉ダルマを腕相撲で制した二人。
なんだかんだ文明的ではない。


 《決闘屋》というのはなにもシャルロ・ベアウモントが自分から名乗り始めたものではない。

 貴族の決闘を代理でこなしては名をはせたからだともいうし、喧嘩の売り買いの弾みが実に軽くてすぐに剣を抜くからだともいう。

 

 ただ確かな事として、シャルロの血の気の多さはある程度冒険屋をやっている者たちにとっては周知の事実であったし、そしてこと剣技において並ぶものなしというその実力たるや、言うまでもなく知れ渡っているのである。

 それこそ、話の真贋どころか存在の有無さえも曖昧な所であった森の魔女の伝説などに比べれば、余程身近な脅威なのであった。

 

 そのシャルロが満面の笑みで腰のものに手をやり、しかももう片方の手には火酒の酒杯まで携えてあるとなれば、命知らずの冒険屋たちもお行儀よく座りなおすほかになかった。

 誰だって猛犬注意の看板を見たら迂回するし、火傷することがわかって火箸を握りしめたりはしない。

 

 《決闘屋》シャルロ・ベアウモントというのは、そういうものなのだった。

 

「ちぇっ、なんだい、意気地なしどもめ」

「ま、ま、ま、飲めよ」

「やあ、気が利くね」

 

 ムスコロがすっと横から酒を注ぎ足してやり、それでようやくシャルロは腰を下ろした。

 冒険屋たちの間に、どこかホッとした空気が流れるのも、致し方ない。

 

 冒険屋どもは荒れたテーブルや椅子を片付け、腕相撲に使われた酒樽が回収され、酒場は再びもとの賑わいを、やや大人しいながらも取り戻したのだった。

 

 《優雅な戦象(エレガンタ・エレファント)冒険屋事務所》のアフリコとヒンドの二人も、一連の騒ぎですっかり酔いがさめてしまったらしく、何とも居心地悪げに肩を揺らした。

 

「まあ、てめえから言い出して負けちまったんだから、仕方ねえ」

「あ、兄貴」

「俺も負けちまったんだ、なんにも言いやしねえよ」

 

 むくつけき男どもは新しく酒を頼み、そして意外なことに紙月たちに頭を下げたのだった。

 

「騒がせてすまねえな」

「いいってことよ」

「体のいい話だが、あんたらが本当に穴守に挑むなら、エブロの兄貴の敵を討ってくれ。頼む」

「死んだのか」

「いや。ただ、恐ろしい力でぶん殴られたらしく、総鉄の戦槌ごと骨をへし折られちまって、しばらくは身動きもとれねえんだ」

「ふーむ。まあいいよ。頼まれた」

「助かる」

「でも賭け金は忘れるなよ」

 

 涼しい顔でしれっと言ってのけた紙月に、酒場の連中はどっと沸いた。

 

「兄貴にゃ悪いが、勝って欲しいやら負けて欲しいやらだぜ」

 

 苦笑いを浮かべながら去っていく二人を見送り、紙月は麦酒(エーロ)を一口舐めて唇を湿らせ、煎り豆をバリバリと齧るムスコロに釘を刺した。

 

「お前もこれに懲りたら、あんまり酒の勢いで大きなこと言うなよ」

「へえ、面目ねえ」

 

 思えば初対面の失敗も酒が入っていた時のことであるから、いい加減懲りればいいものをと思うのだが、酒に強いというのは冒険屋たちの間ではある種のステータスのようで、酒を飲まないというのは格好の悪いことであるらしい。

 

「なあムスコロ。酒の強い弱いなんてのは、これは腕っぷしの強い弱いとは関係のないことなんだ」

「そうは言いやすがね」

「世の中には酒精が体に合わず、死ぬ奴だっている。格好つけるために飲みたいなら、高い酒を少し飲め。そして格好つけて飲め」

「はあ」

「世の中、牛乳飲むだけでも格好いいやつだっているんだぞ」

「やってみやす」

 

 ムスコロはカウンターで五角貨(クヴィナン)を一枚滑らせて、こう注文した。

 

「よく冷えた乳をくれ。緑檬(リメオ)を一絞り」

「馬鹿かおめえ」

「釣りは要らん」

「まあいいけどよ」

 

 注文通りの品を受け取り、まず香りを楽しみ、それから一口。深く息を吸い、細く息を吐きながら、口内と鼻腔とで香りを転がす。

 

「ありがとよ」

 

 そうして戻ってきたムスコロは、白く塗れた口ひげを拭った。

 

「どうでした」

「お前黙ってればダンディだよな」

「はあ」

「格好いいってことだよ」

 

 よくはわかっていないようだったが、しかし安酒で悪酔いするのも馬鹿らしいと、ムスコロはこのやり方を気に入ったらしかった。

 

「しかしムスコロ、お前にはいいことを教えてもらったよ」

「なんです?」

「賭け事ってのは儲かるんだな」

「なんですって?」

 

 紙月が壁を差すと、そこには賭けの配当表が張ってある。

 何の賭けかと言えば、森の魔女対穴守の勝敗をかけた配当表である。

 

 単純な勝ち、負け、また引き分けの外に、全員が生きて帰るとか、何人だけ生きて帰るとか、怪我の程度だとか、なかなか細かく分けてある。

 先ほどのアフリコとヒンドとの腕相撲の結果を見て多少変動はあったようだが、やはり勝ちの目に賭けるものは少なく、精々、全員生還する、といった程度である。

 

 舐められていると言えば舐められていると言っていいが、何しろ熟練の冒険屋たちがそろって敗退しているので、妥当と言えば妥当の具合である。

 そして舐められている方が紙月としては具合がいい。

 

「紙月、僕、賭け事は良くないと思う」

「まあそう言うなよ。第一結果がわかり切ってるんだから賭けにならないし」

「紙月は楽天的過ぎるよ」

「人生は楽しまないとな」

「もう」

「ま、まさか姐さん」

「おう」

 

 紙月はインベントリから重たげな革袋を取り出した。資産を小分けにしたその一つである。

 

「それ全部賭けたら怒るよ」

「かたいなあ。わかったよ、一枚、一枚だけ」

「もう、仕方がないなあ」

 

 一枚は一枚でも、九角貨(ナウアン)の銀のきらめきが、酒場をどよめかせたのだった。




用語解説

緑檬(リメオ)
 柑橘類の一種。緑色の皮の鮮やかな果実で、酸味に富む。
 ライム。このやりとりは某氏の某作品を参考にいたしました。

九角貨(ナウアン)
 帝国で一般に流通する硬貨で最も高額なもの。
 銀貨。日本円に換算すると大体一枚で十万円くらい。


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第十話 地下水道

前回のあらすじ

大人げない勝負の次は、大人げない賭けだった。


 《小鼠の細剣(ラピロ・デ・ムーソ)冒険屋事務所》の小さな客間の小さなベッドに丸くなるようにして休んだ翌朝、四人は早速身支度を整えた。

 

 シャルロは下水道に潜るということもあって、洒落者な服装は諦めて、汚れてもいい古着に、魔獣の革で造ったらしい革の部分鎧を身にまとった。

 

 ムスコロは分厚い布の服に革の鎧を着こみ、腰には斧と槌、そしてナイフとが下げられていた。

 

 金属製の方が丈夫で安心なのではないかという未来の問いかけに、シャルロは笑った。

 確かに基本的には金属製の方が丈夫だが、物によれば魔獣の革の方が強靭なこともある。

 

 シャルロによれば、騎士は(かね)の鎧を、冒険屋は革の鎧を好むという。

 金属鎧は硬いが重く、またしなやかさに欠ける。革の鎧は軽く、時とともに体になじむ。

 究極的には、どちらとも言えなくなる境界があるようだが、基本的には、正面衝突を基本とする人間対人間の戦争を目的として鍛える騎士は金属鎧、かわしていなして時には逃げることもある冒険屋は革の鎧という理解でよいだろうとのことだった。

 

 もちろん、騎士も時には革鎧を着こむこともあるし、冒険屋も金属鎧で武装することはある。

 時と場合によりけり、というのが大事だそうだ。

 

 今回は長い工程ではないし、背負うような荷物は持たず、昼飯くらいが荷物といえる荷物だった。

 

 二人はそれでよいとして、紙月たちのいつものスタイルに小首を傾げたのがシャルロだった。

 

「ミライ君の鎧はわかるとして……シヅキ君は本当にそれで行くのかい?」

「ああ、汚れても《浄化(ピュリファイ)》で奇麗になるしな」

「そういうことではないんだけど……」

 

 シャルロが苦言を呈したのは、夜会にでも赴くのかという紙月の華やかな服装である。

 とんがり帽子にビスチェドレス、足元はピンヒールと、どう考えても冒険に出るような出で立ちではない。

 シャルロもてっきり普段着として洒落た着物を着ていると思っていたらしく、まさかそれで冒険までこなすとは思ってもみなかったようだ。

 

「後方支援、あるいは砲台役としての魔術師だとしても、いくらなんでも警戒が足りないんじゃないかい?」

 

 ムスコロのように感覚がマヒさせられてしまったものはともかく、これは冒険屋としては極めてもっともな疑問であり、極めてもっともな抗議だった。

 なにしろ冒険を共にするということは、お互いに命を懸けるということである。

 それを御遊び感覚でやられたのではたまったものではない。

 

 しかしこれに困ったのは紙月も同様である。

 御遊び感覚どころか、このスタイルこそ、紙月にとっての戦装束なのである。

 相手が何者かもよくわからないので属性防御など後回しにした汎用装備ではあるが、それでもこれ一揃いで一財産にもなる列記とした武装なのである。

 

 とはいえ、見た目が確かに頼りないというのは紙月も大いに納得のいくところで、これをどう説明したものかと悩むのである。

 

「魔法の装備だから大丈夫ってのはダメ?」

「目に見えないものはなかなか信用しづらくてね」

 

 少し考えて、仕方なく、紙月はスカートを少し持ち上げた。

 

「じゃあちょっと試してくださいよ」

「なんだって?」

「俺の服もやわじゃないから、ちょっと切りかかられたくらいじゃ破けもしませんから」

「すまねえシャルロ、姐さんも喧嘩売ってるわけじゃねえんだ」

 

 剣士に対して、切れないから切ってみろというのだからこれは相当な物言いだったが、しかし本人に全く邪気がないことと、親戚であるムスコロのとりなしもあって、どうにか怒りはこらえた。

 こらえたが、気に食わないことに変わりはない。

 

「よし、いいだろう。試してみよう」

「お手柔らかに」

 

 シャルロがすらりと引き抜いたのは、細剣(ラピロ)と呼ばれる細身の刺突剣であった。刃はついているがもっぱら突きを得手とするもので、手元を覆うように椀型の護拳がある。

 鎧などの頑丈な標的を相手にするにはいささか頼りなさげではあるが、その剣呑な雰囲気は十分に命をやり取りするに堪えうるように思われた。

 刀身は見たことのない、つややかな白い刃でできており、金属よりどこか石を思わせるような輝きだった。

 

「では、失礼し、て」

 

 ひうん、と音が鳴ったかならないか、瞬きの間にシャルロの矮躯が詰め寄り、紙月が軽く持ち上げたスカートに刃が突き立てられていた。突き立てられていたが、しかし徹ってはいない。貫通していない。

 これにはシャルロも愕然とした。

 

 勢いでたたらを踏んだ紙月は、未来に支えられて、踏みとどまった。

 

「どうです?」

「どうもなにも……驚いたな。これでも、(スペル)硬質陶磁(ツェラミカージョ)の剣なんだよ、こいつは」

 

 剣を納めて、シャルロは屈みこむようにして紙月のドレスを改めたが、貫いていないどころか、繊維のほつれさえも見えない。文字通り毛先ほどさえも傷ついていないのである。

 

 シャルロは何度も驚いたと言いながら、それでも目の当たりにした現実を認めざるを得ないようで、この世ならざる者を見るような目でドレスを眺めるのだった。

 

 シャルロが立ち直るまでに少し時間がかかったが、それでも一行は何とか体裁を整え、地下水道へと向かった。

 

 地下水道の出入口は街中に何カ所もあるが、これらは水道局が管理している。依頼書にあった最寄りの出入り口は小さな建物の中にあって、大きなマンホールのようなものでふさがれていた。

 そこで見張りと管理をしているという水道局員は、依頼書を確認し、鍵を開けて入り口を開き、それからセールストークを始めた。

 

「一応私、水の神官でもありまして。水上歩行や水中呼吸の法術はいかがです?」

「いや、結構」

「暗視の法術とか、照明もありますけど」

「いや、いいんだ」

「そうですか、お気をつけて」

 

 こちらにその気がないとみて取るや、あっさりとしたものである。

 

 金属製の梯子を下りていくと、しばらくして足が床についた。

 最初に降りた紙月が早速《光明(ライト)》を唱えると、中空に光を放つ球体が浮かび上がり、地下水道を眩しく照らした。

 

 それを頼りに全員が降り立ち、一行はまずあたりを見回した。

 

 通路は四人が並んで歩ける程度の広さがあり、狭苦しさはない。端には鉄製の柵がかけられており、見下ろせば堂々と音を立てて暗い水が流れている。

 あちこちに沈んでいる古代遺跡の力で浄化がかけられているらしく、思ったよりも水質は悪くなく、匂いもひどくはない。

 それでも、落ちれば危ないだろう。

 

 念のために今のうちからバフの類をかけておくことにして、紙月は魔法をかけていった。

 

 水中・水上行動に関する魔法は三つある。

 《水中(ウォーター)呼吸(ブリージング)》、《水上(ウォーター)歩行(ウォーキング)》、《水底歩行(ボトムウォーキング)》の三つである。

 

 《水中(ウォーター)呼吸(ブリージング)》は水に潜った時に呼吸ができるようになる《技能(スキル)》である。泳ぐことができれば、どこまでも泳ぐことができる。

 《水上(ウォーター)歩行(ウォーキング)》は水の上を歩くことができるようになる代わりに、水に沈むことができなくなる。

 《水底歩行(ボトムウォーキング)》は水の底を地上と同じように歩くことができ、水中呼吸の効果も得られる魔法だ。ただしこちらは泳ぐことができなくなるという少し変わった効果がある。

 

 四人は少し相談して、《水上(ウォーター)歩行(ウォーキング)》の魔法をかけることにした。一番地上へ復帰しやすいし、何より、濡れずに済むというのは大きかった。

 

「それじゃあ行きやしょうか」

 

 行く先には、《光明(ライト)》でも照らしきれない暗黒が大きく口を開いて待っているのだった。




用語解説

細剣(ラピロ)
 いわゆるレイピア。

(スペル)硬質陶磁(ツェラミカージョ)
 超硬質セラミックス。古代遺跡の建材や道具などの形で発掘される素材。
 金属ではなく陶磁であるため加熱に非常に強く、溶けて曲がったり折れたりしない。
 その代わり加工も削り出すほかになく、シャルロの細剣も刀身を削り出し、護拳などは後から取り付けたもの。
 百人切っても研ぐ必要がないと言われるほどの強度を誇る。

・《光明(ライト)
 初等の環境魔法《技能(スキル)》。洞窟の中など、暗闇を明るく照らす光の玉を生み出す。効果範囲と効果時間は《技能(スキル)》レベルによる。
 覚えておいて損はない、と言いたいところだが、道具で代用できるものなので、他に取りたい《技能(スキル)》があるならやめておいてもいいだろう。
『人間ちうものは闇を恐れる。光に安堵する。《光明(ライト)》はその光を生み出す魔法じゃ。じゃからといってこっそり忍び込むのに明々と照らす馬鹿がどこにおる』

・《水中(ウォーター)呼吸(ブリージング)
 水属性環境魔法《技能(スキル)》。
 水に潜った時に呼吸ができるようになる《技能スキル》である。泳ぐことができれば、《SP(スキルポイント)》の続く限りどこまでも泳ぐことができる。
 高価とは言え道具で代用できるので、取るかどうかはプレイヤー次第。ただし自分だけでなく他人にもかけられる。
『水中でも息ができるというのは大きなアドバンテージじゃな。ただしそれが永久に続くならともかく、魔力次第となると、は、まあ蓋でも閉めてやるかの』

・《水上(ウォーター)歩行(ウォーキング)
 水属性環境魔法《技能(スキル)》。
 《SP(スキルポイント)》の続く限り水の上を歩くことができるようになる代わりに、水に沈むことができなくなる。
 特性上、《水中(ウォーター)呼吸(ブリージング)》とは併用できない。
 道具で代用できるが、こちらは他人にかけられる。
『水の上を歩くってのはひとつの浪漫じゃよな。ただまあ、この術は水に触れることもできんくなるのが難点でな。なに、喉が渇いた? 足元にいくらでもあるじゃろ。飲めればな』

・《水底歩行(ボトムウォーキング)
 水属性環境魔法《技能(スキル)》。
 水の底を地上と同じように歩くことができ、水中呼吸の効果も得られる魔法。
 本格的に水底などを調査したい時に便利な《技能(スキル)》だ。
 ただし泳ぐことができなくなる。
 道具で代用できるが、こちらは他人にかけることができる。
『水の底を歩いてみるとな、なんだか地上のことが馬鹿らしくなるほど穏やかな気分になれる。……なれた……なれたはずじゃったんじゃけどなー。誰じゃい人の池に釣り針たらしとんのは』


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第十一話 鋼鉄の守護者

前回のあらすじ

地下水道へと挑む一行
果たしてこの先に待つものは。


 地下水道はカビの匂いや汚水のにおいなどはしたが、造りそのものは頑丈なようで、古代からのものと言いながらも水漏れもなく、壁面に崩れも見当たらなかった。

 それどころか、白くのっぺりとした壁面や天井、床を構成するものが一体何なのか、紙月たちには想像がつかないほどだった。

 

「古代聖王国時代って言ったか。いったいどれくらい昔なんだ」

「二千年くらいと言われてますな」

「二千年! それにしちゃ、全然劣化がないな」

 

 しばらく進んで未整備区画に入ると、鉄柵などは朽ちて落ちてしまったりしているが、床材などは奇麗なままである。

 

「さっき、私の剣を見せただろう」

「ああ、なんて言ったっけ、すぺる……?」

(スペル)硬質陶磁(ツェラミカージョ)さ。これはね、古代遺跡の一部から削り取ったものなのさ」

「へえ!」

「遺跡を構成する素材はどれも恐ろしく頑丈でね。この地下水道の壁や床の建材として使われているのは聖硬石なんて呼ばれてるけど、いったいこいつが何から作られ、どうやって作られたのか、今の私たちにはまったくわからないままなのさ」

 

 何しろ二千年という長期間を、このような劣悪な環境下で耐え続けているのだから、紙月たちの知識にあるような普通の物質でないのは確かなようだった。あるいは魔法的な処理を施して初めて到達するものなのかもしれない。

 

「何しろ阿呆ほどかたい素材でできているから、無理やり掘り進めたりもできず、素直に探索するしかなくて、いまだに帝国は地下水道を制覇したことがないくらいさ」

 

 しかし、だからこそ都市部の冒険屋にとってはいい仕事場となっているらしい。何しろ仕事がなくなるということがないし、地下であるから季節に左右されるということもない。地下水道専門でやっている冒険屋たちも多いという。

 

「まあ、私はちんたら探索するのなんざ性に合わないから、日の下で元気に歩き回る方がいいけどね」

「堅実性ってもんがなくっていけねえや」

 

 ムスコロからしてみれば安定して稼ぎが得られるという事の方が魅力的であるらしい。つくづく見た目と中身の釣り合わない二人である。

 

 いくらか歩いて、未整備区画に到達したところで、四人は遅めの朝食とも早めの昼食とも言える食事を手早く済ませた。地下水道では食欲も出ないので、パンとチーズ、それに干し肉の簡素なものだ。

 

 そして食事がすむと、四人は穴守の特徴を再確認した。とはいえわかっているのは姿かたちと大まかな攻撃方法だけで、いまだに効果のある攻撃手段は発見されていないというから、ほとんど情報がないのも同じである。

 

 なので大雑把に戦い方を決める程度にとどめておいた。

 

 つまり、前衛を未来が受け持ち、盾となる。そのすぐ後ろを紙月が砲台として構える。ムスコロとシャルロは控えとして後ろで見守る。

 この組み合わせには特にムスコロから文句が出た。

 

「姐さんたちだけに任せるわけには行きやせんぜ」

「そうだ。私たちも見ているだけじゃつまらない」

 

 ムスコロは責任感から言い、シャルロは退屈は御免だと言ってくる。

 もっともな意見だったが、何しろ二人の武器では効果が薄そうだというのはわかっていることである。

 

「ミライの盾を貫ける敵ってのは、まずいない。いないが、もし抜かれた時、未来が倒れた時、俺一人じゃ助けるに助けられない。そのときに二人には手助けしてほしい」

「フムン」

「次に俺の攻撃だが、相手が頑丈であればるほど、俺の攻撃も苛烈になる。味方を気にかける余裕がない。なので少なくとも、相手の装甲をぶち抜くまでは、控えて欲しい」

「ぬーん」

 

 何しろ二人とも、口では何と言おうと実際のところ相性の関係であまり助けにはなれそうにないことを理解しているので、渋々と了承した。

 わかり切ったことと言えばわかり切ったことではあるが、こうしたことをきちんと確認し、伝えておくことは、後々勝手なことをされる場合を考えれば、大事な事である。

 

 四人が意を決して通路を進むと、そいつはすぐに姿を現した。

 

 最初は行き止まりについてしまったかと思うほど、その体は巨大だった。

 

 その姿は見るからに分厚い装甲に護られた四つ足の騎士とでもいうべき姿で、四つの腕は話に聞いた通り、槌、剣、盾、そして謎の管を掲げている。

 土蜘蛛(ロンガクルルロ)を重武装させればこのようになるのではないかとも思わせたが、はるかに分厚く、重たく、そして剣呑である。

 

 四人がある一線を超えたあたりで、その頭部は隙間から真っ赤な光を放ち、耳が痛くなるほどの警報を鳴らし始めた。

 シャルロとムスコロはこの位置で待機し、未来が前衛、紙月が後衛としてさらに進んだ。

 

 やがて穴守の巨大な剣が届くか届かないという距離になって、更に警告を訴えるように、穴守は足踏みを始めた。そして不意に警報が止み、巨大な剣がぎゃりぎゃりと床を削るようにして振り回される。

 

 おそらくはこれが最終警告なのだろう。これ以上進めば、穴守は今度こそ容赦なく剣を振るい、襲い掛かってくるだろう。

 

「ここらで仕掛けるか……未来、盾構えとけ」

「うん」

 

 白銀の《白亜の雪鎧》に合わせて構えた盾は《六花(むつのはな)》といい、雪の結晶を模した美しい盾である。繊細な見た目によらず、最上級の防御力を誇る属性盾の一つである。

 未来は油断なくこれを構えて、腰を落として敵の攻撃に備えた。

 

 そのひんやりとした鎧の上に飛び乗り、紙月は指先を穴守に向ける。

 むやみやたらに攻撃しても、あの分厚い装甲は貫けないだろう。ならば、ここは魔力を一点集中し、一発にかけるのが良い。

 

 ちりちりと指先が熱を持つほどの魔力の集中に、穴守は警戒を強めたようだったが、それでも、一線を超えない限りは攻撃しないようにプログラムされているのか、威嚇以上の振る舞いはしてこない。

 それを好都合と紙月は込められるだけの魔力を込めて、そして解き放った。

 

「《火球(ファイア・ボール)》!!」

 

 常でさえ対象を丸焦げの炭にまで焼き尽くすような業火が、制御しうる限界の莫大な魔力を込められた結果、火球は赤を通り超えて青白く発光し、まばゆい光を放ちながら穴守へと衝突し、そして焼き尽くさなかった。

 

 焼き尽くさなかった。

 

「……あれ?」

 

 激しい爆発音とともに火球は確かに爆ぜた。爆ぜたのだが、もうもうと立ち上る土煙が晴れた後、そこには穴守が全く健在のまま立ちふさがっていたのである。

 いや、健在というには、爆発の余波か熱量のせいか、脚部が一部溶けてしまっているが、しかし胴体に至ってはほとんど無傷であった。

 

 というのも、

 

「まさか、対魔法装甲か!?」

 

 掲げられた盾は、魔力の流れを阻害し、魔法の成立そのものを妨害して解体してしまう、あの対魔法装甲だったのである。さすがにとてつもない熱量が直撃したために熱で歪んではいるが、対魔法効果自体は健在のようである。

 

「あ、姐さん! 引きやしょう!」

「魔法が効かないんじゃまずいね!」

「ふ……」

「姐さん!?」

「ふふふふははははははははははっ!」

 

 魔法が効かないという一大事に青くなったムスコロと、応援に入るべきかと剣を抜いたシャルロであったが、返ってきたのは実に楽しげな笑い声である。

 

「まさかこんなに早くリベンジの機会が来るとはな! 前回は物理ごり押しで倒したが、今回は、今回こそは魔法で正面から突破させてもらうぞ!」

「あーあ、紙月の悪い癖だ」

 

 障害が困難であれば困難であるほど、壁が高ければ高いほど、盛り上がってしまうのが紙月というゲーマーであり、そしてその薫陶を受けた未来にしても、それに呆れこそすれ止める気などないのである。

 

 再び魔力をため込み始めた紙月に警戒し、そしてまた強烈な攻撃を受けたことで、穴守は分厚い剣を振りかぶり、未来に襲い掛かった。

 

「《タワーシールド・オブ・ジェド・マロース》!!」

 

 迎え撃つのはそびえたつ氷の壁である。

 魔力に応えた冷気が瞬く間に大気を凍らせ、集められた水分を氷漬けにして凍てついた壁を生み出したのである。

 

 穴守は刃が通らぬとみるや即座に武器を槌に切り替え、氷の壁を打ち砕きにかかった。

 激しい衝撃が盾全体を揺らし、未来自身もその衝撃を抑え込むように一層の力を込めた。

 土は確かに凍りを砕きつつあったが、しかしその度に新たな水分が隙間へと入り込み、より氷の層を分厚くしていく。

 

「おお、なんという光景だ! 真冬の北部のようだ!」

「シャルロ、もう少し下がれ! 足元が凍り始めてる!」

 

 なかなか氷の壁を砕けず、そしていよいよもって紙月の魔力の高まりが尋常でなくなってくると、ついに穴守は奥の手を切り出してきた。そう、例のあの筒状となった謎の手である。

 ぐるりと腕が回され、筒がまっすぐに氷の壁に向けられた。

 ドロリ、と何か液体のようなものがあふれ出し、そして次の瞬間、液体に火がともり、恐ろしい勢いで炎が噴き出されたのである。

 

「火炎放射器だ!」

「未来、耐えられるか!?」

「耐えてみせるよ! 《金城(キャスル・オ)鉄壁(ブ・アイロン)》!!」

 

 氷の盾全体に未来の魔力がいきわたり、火炎放射に溶かされながらも鋼のような強度でこれに耐え始めた。

 強烈な火炎放射に加えて、更に槌による打突が加えられ、氷の壁に亀裂が入った。

 

 激しい衝撃が繰り返され、いよいよ氷の壁全体に亀裂が入り、砕け散る寸前、きらりと光りが奔った。

 

「もういいぜ―――《燬光(レイ)》!!」

 

 全身が脱力する程の魔力を注ぎ込まれた一筋の閃光が、穴守の掲げた盾を撫でた。

 強力な攻撃を受けた穴守は一時退却を選択し、そして一歩下がった瞬間、その振動で、真っ二つに切り裂かれた身体が左右に崩れ落ちたのだった。




用語解説

・聖硬石
 古代聖王国時代の遺跡によくみられる極めて頑丈な健在。
 石のようではあるが、継ぎ目もなくひとつながりにのっぺりと壁を構成していたりと、謎が多い。
 現代でも再現できていない技術の一つである。
 (スペル)硬質陶磁(ツェラミカージョ)のように削り出して武器などに使われることもある。

・《六花(むつのはな)
 ゲーム内アイテム。《白亜の雪鎧》と一組の盾。
 いくつかの高難度イベントをクリアすることで得られる素材をもとに作られる。
 炎熱系の攻撃に対して完全な耐性を持つほか、純粋な防御力自体もかなりの高水準にある。
 他の高レベル属性鎧と比べて比較的使用されることが多い理由は、「見た目が格好いい」からである。
『触れることの叶わぬ、ただ一瞬の花。だがこれより堅牢なる盾のないことを知れ』

・焼き尽くさなかった
 いつものやつ。

・《タワーシールド・オブ・ジェド・マロース》
 《楯騎士(シールダー)》の覚える冷氷属性防御《技能(スキル)》の中で最上位に当たる《技能(スキル)》。
 範囲内の味方全体に効果は及ぶが、使用中は身動きが取れず、また常に《SP(スキルポイント)》を消費する。
『冬将軍は争わない。その前にすべての有象無象は平等に無価値だからだ』



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第十二話 風呂

前回のあらすじ

真っ
     二つ


 真っ二つにしたとは言え、それでも鋼鉄の塊である穴守の体を回収することは非常に困難で、仕方がなく四人は残骸をそのままに現場を後にし、地下水道を出た。

 

 無事を喜ぶ水道局員に訳を話すと、最初の内は冗談だと思って取り合わなかったが、四人がそろって大真面目なのを見て取って、ようやく応援を呼んで確認してくれた。

 冒険屋を含む複数名の人員が地下水道に降りていき、そしてしばらくした後、穴守が確かに破壊されていることを確認し、依頼書に完遂のサインがなされた。

 

「しかし、まあ、いったいどうやったらあんな風になるんです?」

「そこはまあ、企業秘密ってことで」

「森の魔女の噂ってのは、嘘じゃなかったんですねえ」

 

 果たしてあの鋼鉄の塊をどうやって回収するか水道局は随分悩まされているようだった。紙月たちも、回収すれば高く売れるかもと思ったのだが、その手間を考えると割に合わないとして諦めたくらいである。

 《縮小(スモール)》の魔法が使えれば簡単に回収できたのだが、あれは基本的に生き物にしか効かないのだ。

 

 報酬はかなりの高額であったため、現金ではなく手形で渡された。シャルロが代表としてこれを預かり、あとで組合の口座に預け入れ、そこから四人で等分することになった。

 四等分とはいえかなりの額であるから、信頼の必要な役割であったが、まさかあの凄まじい魔法を目の当たりにして今更小細工などしまいとの判断だった。

 

「さすがに、疲れた」

「あれで疲れなかったらいよいよ人間じゃあねえですぜ」

「体力はともかく、魔力は回復手段が乏しいんだよなあ」

 

 《SP(スキルポイント)》を回復させるアイテムもあるにはあるが、手持ちの数に限りがある。この世界で同じようなものを発見できない限り、二人には使う気がなかった。となれば、時間経過で回復するのを待つほかない。

 

 ムスコロとシャルロは疲れもないことであるし、早速《三角貨(トリアン)亭》に賭け金を回収しに行ってくると意気揚々と小走りに駆けていったが、さすがに二人はそんな体力が残っていない。

 

「こんなに疲れたの、地竜以来じゃないか?」

「地竜の時は回復しながらだったからもうちょっとましだったよ」

 

 実際のところ、戦い方を変えれば、もっと楽な勝ち方はいくらでもあったように思う。

 例えば、相手は機械仕掛けなのだから、《雷撃(サンダー・ボルト)》といった電気属性の攻撃が効いたかもしれない。

 《念力(テレキネシス)》という無属性の魔法を使えば、無理やり下水道に突き落とせたかもしれない。

 植物系魔法で関節に根を張らせて身動きをとれなくしたり、水属性の魔法で浸水させてしまってもよかった。

 

 あらゆる属性の魔法が使え、それも細かな調節が効くようになってきた紙月には、およそ考えうる限りのどんな手段でも取れるのだ。力業よりも、その手数と応用力こそ、《千知千能(マジック・マスター)》という《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》という境地なのだ。

 

 しかしそれでも紙月は、真正面から障害を突破することを選んだ。

 壁があるのならばそれを正面から突破するのが好きなのだ。障害があるならごり押ししてでも突き抜けるのが好きなのだ。それが無敵砲台のペイパームーンであり、それを支えるのがMETOだったのだ。

 

 それに紙月も考えなしではない。十分に余裕があると見たからこそ試してみたことであるし、今後対魔法装甲を相手にすることがあるだろうという考えから、打ち勝てる限度を見極めたかったということもある。

 紙月のそう言う考えがわかっているから、未来もあえて文句は言わない。

 

 言わないが、紙月のそう言う危なっかしい所はどこかで手綱を取ってあげないとな、とは思っている。

 

 《SP(スキルポイント)》をたっぷり使って疲れ果てた二人は、事務所に戻る前に風呂屋に寄っていくことにした。地下水道にこもっていたせいで匂いもついているし、汗でべたつくし、さっぱりしていきたい。

 《浄化(ピュリファイ)》の魔法で奇麗にはなれても、風呂の爽快感はまた別だ。

 

 帝都の風呂屋も、その設備の上等であることや広さなどの違いはあっても、根本的な造りの違いはなかった。

 

 靴を脱いで上がり、受付で靴を預けて金を払い、ロッカーの鍵を受け取り、左右に分かれた通路のうち男湯の方へ向かう。この時、受付の人がぎょっとするが、気にはしない。慣れてしまった西部の風呂屋ではもう、驚きさえしない。

 

 並んだロッカーに服をしまい、ひものついた鍵を首にかけ、石鹸とタオルを手に浴場への扉を開ける。

 もわっと広がる湯気を潜り抜ければ、やはり浴場も造りは同じだ。

 

 隠すこともせず入ってくる紙月の姿に、客がどよめく。すぐに男性とわかってそれも落ち着くのだが、しかし、男性とわかってもドギマギするものはいるようで、妙な視線を感じるが、慣れたものだ。未来もなんとなく、直視はできない。

 

 床はタイル張りで、シャワーや鏡といったものはないが、入り口近くの洗い場には桶や椅子が用意されている。浴槽は広々としていて、こんこんと湯が沸き出ては流れだし、床下に流れていく。

 

 まず洗い場で体を洗う。

 

 この洗い場は面白い造りで、洗い場専用の湯が、ちょうど椅子に腰かけた時に桶ですくいやすいように、少し高めの位置にしてある。この洗い場用の湯船を囲むようにして椅子が並べてあって、足元には排水用の溝がある。

 

 以前風呂の神官に尋ねてみたところ、流れていった湯は別室に一度流れていき、神官の法術で浄化され、また沸かされ再利用されるのだという。肝心な所は法術を使っているが、なかなかに高度な技術である。

 

 思えば、二人が持っている石鹸も、風呂用のタオルも、風呂の神官が売っているもので、技術力だけでなく、なかなか商売上手な神官たちである。特に石鹸などはかなり上等なもので、肌荒れも少ない。

 先ほど売り場をさっと眺めた感じ、西部と帝都では香りや効能にも違いがあるようなので、少し気になってはいた。

 

「ほーら未来。頭洗うぞー」

「う、うん」

 

 わしゃわしゃと石鹸を泡立てて頭を洗ってやると、未来は黙々と体を洗う。そこにはどこか緊張したような空気がある。思えばあまりこちらもみようとしないし、裸を恥ずかしがる、そう言う年頃なのだろうかと紙月は考えている。

 考えているが、まあそのうち慣れるだろうと気楽なもので、ざばざばとお湯で流してやって、自分も体を洗い始める。そうすると今度は未来が紙月の髪を洗う番だ。

 

 最初の頃、まだお互いに遠慮が強かった頃に、親交を深めるためと称して始めてから、二人はずっとそうして洗いっこしてきた。

 紙月としてはなんだか親子のようでもあるし、年の離れた兄弟のようでもあるなあと暢気なものであった。

 一方で未来としては時々無性にわーっと叫びだしたくなるような心地だった。けれど髪を洗ってやっているときの紙月は機嫌がよさそうだし、指の間を通る髪の感触が心地よくて、何にも言わないだけなのだ。

 

 二人してお湯をかけあって、泡の流し残しがないか確かめたら、ようやく湯船につかれる。

 

 つま先をそっと差し入れると、じんわりと熱が広がってくる。未来はこれをゆっくり味わいながら肩までつかるのが好きだった。紙月は一度に肩までするりと入ってしまって、全身でこのピリピリした感触を味わうのが好きだった。

 そして二人とも、すっかり湯につかってしまって、ほうと息をつく瞬間が好きだった。

 

 風呂屋の湯船には必ず風呂の神官がひとり浸かっていて、交代で風呂の浄化や、お湯の温度の管理、また客同士のいざこざの仲裁などをしている。

 風呂の神官にとっては入浴自体が祈祷や礼拝のようなものであるし、風呂屋で働くということはそれだけ法術を使う機会が多いということで、神官としての腕も磨かれる。全くよくできたシステムである。

 

 しかしそれにしても、と紙月は風呂の神官を窺い見た。

 西部の風呂屋も南部の風呂屋も、こうして帝都の風呂屋も訪れたわけだけれど、風呂の神官というものはみな立派な体格をしている。

 ボディビルダーのような筋肉という訳ではないのだが、上背もあって、肩幅もあって、みっしりと詰まった筋肉の上に、柔らかそうな脂肪が乗っている。

 

 それと比べて自分はどうだろうかと見下ろしてみると、紙月の目には平たく薄い体が目に入った。もともとそんなに鍛えている方ではなかったが、ハイエルフであるこの体になってから、手足は細くなり、胸は薄くなり、かなり頼りなくなったように思えた。

 

「ぬーん」

「どうしたの?」

「いや、俺ももうちょっと鍛えないとなあって」

「紙月はいまのままで素敵だよ」

「そうかなあ」

「うん……そうだよ」




用語解説

・《念力(テレキネシス)
 《魔術師(キャスター)》が覚える最初等の無属性魔法《技能(スキル)》。
 魔力で物を飛ばして攻撃しているという設定らしいが、描写的にはキャラクターがただ石を放り投げているようにしか見えず、もっぱら投石の名で呼ばれていた。
『簡単な術とはいえ、だからこそ制御が難しいとも言える。三本目の腕を操るような……違う、足じゃない。セクハラではないっちゅうに』



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最終話 ガーディアン

前回のあらすじ

地下水道での疲れを風呂で洗い流す二人。
何気に異界転生譚は風呂回が多い。


 じっくりと風呂に浸かってすっかり温まり、帝都の石鹸などを物色した二人は、湯上りでほかほかとした体で夜に沈みつつある帝都を歩いていた。

 あちらこちらで、電気ではない明かりを宿す街灯が灯りはじめ、東の空は紫色に、西の空は群青に染まりつつあった。

 

 見上げれば夜空には、かつての世界と同じような月と、そして見知らぬ星座が並んでいた。

 

「なんだか、不思議だなあ」

「なにが?」

「こう、さ。町並みは全然違うんだけど、星空は同じようなもんなんだなって」

「ああ、確かにねえ」

 

 二人並んで見上げた空は、かつての世界の空よりも、ずっと多くの星々がちりばめられているように思えた。秋口になって冷たく乾燥し始めた空は、はるかかなたの星の光を、常よりも豊かに地上に降り注がせているようだった。

 

「紙月はさ」

「なんだ?」

「うん。えっとね」

 

 未来は少しの間、言葉を選ぶように考えながら何歩か歩き、それから思い立ったように振り向いた。

 

「紙月はさ、やっぱり、元の世界が恋しかったりする?」

 

 問いかけに、紙月もまた少し考えた。

 

「ちょっと……難しいかもな」

「難しい?」

「ああ」

 

 見上げる星々は、その輝きは、かつての世界とは遠い。

 遠いけれど、でも、やはりそれはかつての世界と同じ輝きだった。

 はるか遠くの、届かない光だった。

 

「未練がないと言えば、嘘になる」

 

 確かに、あの世界に紙月の居場所はなかった。

 いつもどこか息苦しくて、生き苦しかった。

 何かになりたくて足掻いて、何にもなれずにあえいでいた。

 

 本当に心から友と呼べる友はいなかったように思う。

 本当に心から信頼できる人はいなかったように思う。

 それでも彼らは確かに紙月の人生を形作る一部だった。

 

 でもいまは顔を思い出すことも苦労するように感じられた。

 見知らぬ人たちを写真の中から探すような心地だった。

 どこか遠く、遠くの出来事のようでさえあった。

 

 母や姉たちのことは、今でも時折思い返す。

 勝手に死んでしまって申し訳ないとか、それでも強い人たちだから乗り越えて行けるだろうとか。

 

 でもそれはどこか霞がかったようにも感じられた。

 分厚い真綿を通しているように感じられた。

 どこか遠く、遠くの出来事のようでさえあった。

 

 確かに愛していた。

 母を愛していた。

 姉たちを愛していた。

 

 しかしそれ以上に、安堵している自分もいた。

 もういいのだと、ほっとしている自分もいた。

 

「嫌いだったわけじゃないんだ。会えるものならもう一度会いたいとも思う。でももう会うことはないんだと思うと、どうしてだか心が安らぐのも感じるんだ。時々無性に寂しくなるのに、時々無性に満たされる」

 

 それは奇妙な感覚だった。

 嫌だと叫ぶほど辛かったわけじゃない。でも逃げ出せてほっとしている自分がいる。

 愛していると確かに感じていた。でも解放されたんだとそう思っている自分もいる。

 

「憎んでいたわけじゃない。嫌っていたわけじゃない。

 寂しくないわけじゃない。悲しくないわけじゃない。

 でも、どうしてだろうな。今はすごく、呼吸が楽だよ」

 

 ごめんな、わけわかんないよな。

 そうつぶやく紙月の手を、未来はただそっと包んだ。

 

「紙月の事情(こと)はわからない。でも、僕は紙月に救われてるよ」

 

 ぎゅうと手を握って、未来はこの背の高い臆病な人を見上げた。

 

「何度でも、何度だって言うよ。僕は紙月に救われている」

 

 紙月にはわからなかった。見上げてくるこの小さな相棒の、その熱量がわからなかった。

 ただひたむきな視線に、気圧されるような心地さえした。

 

「紙月は間違ってないよ。すこし、難しい問題なんだ、でも、間違ってなんかいないよ」

 

 愛していても、疎ましい時だってある。

 信じていなくても、側にいて欲しい時はある。

 

 どんな気持ちも、それ一色ということはなくて、時には驚くほど相反するような感情が、当たり前のような顔をして隣り合わせになっている時だってある。

 

 未来もそうだった。未来も、そうだった。

 

 父を愛していた。でも疎んでいた。

 愛されることが嬉しかった。でも同時に怖くもあった。

 

 いまもそうだ。いまだってそうだ。

 感情はいつだって理路整然と並んでいてはくれやしない。

 思う通りに行かなくって、考える通りにも行かなくって。

 

 それでも、思うことだけは、止められないから。

 

「ねえ、紙月」

 

 きゅっと手を握って。

 

「君のことを、護ってあげたい」

 

 とん、と歩き出して。

 

「それから」

 

 浮かぶのは、苦笑い。

 

「それから」

 

 言葉にはできないたくさんを、噛み締めるような。

 

「……うん、もう少し大人になったら、そのときは伝えるよ」

 

 するりと手を放して、小走りに駆けていくその背中に、紙月は不思議と動悸が高鳴るのだった。




用語解説

・もう少し大人になったら
 子供の少しは、存外に早いものだ。


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第八章 スタンド・バイ・ミー
第一話 個人的大事件


前回のあらすじ

子供の成長は早いもの。
果たして紙月は。そして未来は。


 帝都での仕事を終わらせ、新しく仲間となった地竜の雛であるタマの牽く馬車でえっちらおっちらと西部まで帰ってきたのが少し前。

 こんな旅を続けたらダメになるとまでムスコロに言わしめた快適な旅であった。

 

 タマはどこまでも歩いていくとかいう地竜の本能など知ったことかという具合に、もっぱら一日中厩舎で寝息を立てる日々で、思いのほか静かで助かっていた。ただ、食費ばかりはえらくかかるので、それが困ると言えば困ったが。

 

 巷では、森の魔女が鋼鉄の怪物を真っ二つにしたとかいう、珍しく正確な噂が流れていたが、今更噂の一つや二つどうこうなったところで気にしていても仕方がない。

 結局、依頼が入らず暇なことは変わりはないのだから。

 

 もう秋に入るというのに、その日は妙に暑気が晴れず、寝苦しい夜だった。

 何とはなしに眠り切れていないような不快な目覚めは、どこまでも気だるく総身に覆いかぶさっているようである。

 

 《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》の寮の一室で、二段ベッドの上の段で目を覚ました衛藤未来もまた、言い知れぬ不快さを感じていた。

 

「………うえっ」

 

 煮え切らぬような微妙な暑気の中で、目覚め切らないような曖昧なまどろみにたゆたっていた未来の意識を瞬時に覚醒させたのは、下腹部に感じたひやりとした感触であった。

 ぺたりと肌に衣服の張り付くはなはだ不快な感触に、ぎくりと体がこわばるのを感じた。

 

 それこそ全身から冷や汗が流れ出るような心地だったが、衛藤未来はこれでも父子家庭で何かと自立を強いられた、こまっしゃくれたお子様である。ショックのあまり泣き出すなどと言う子供じみた真似はしなかった。

 

 落ち着け。落ち着けよ、衛藤未来。

 未来はまずぎゅうっと目をつぶって、心を落ち着けた。

 まだ()()と決まった訳じゃない。決めつけるには、まだ早い。

 

 第一何だったって今更なのだ。

 未来は今年で小学六年生だ。誕生日がくれば、十二歳になる。

 もうずっと長いこと、そんな事態には陥っていなかったというのに、なぜ今更。

 小学校に上がる前には終わらせたはずだった。

 そりゃあ、まあ、小学校に上がってから即座に全くなくなったという訳ではなかったが、しかし、それにしたってこの年でって言うのは、いくらなんでも今更過ぎる。

 

 認めたくなかった。

 認められなかった。

 だって、未来は十一歳だ。六年生だ。来年度には中学生に上がるはずだった歳だ。

 

 そうでなくたって、今の未来は名高き冒険屋森の魔女の相方である、誇り高き盾の騎士なのだ。

 

 それが。

 それというものが。

 まさか、()()()()などと。

 

 未来は頭を抱えた。

 もし自分がおねしょしたなどと言うことがばれたらどうなるだろう。

 冒険屋として築き上げてきた経歴はすべてぱあだ。

 いや、なんだかんだと面倒見のよい《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》の冒険屋たちだ、存外そういうものだと慰めてくれるかもしれない。それはそれでショックだが。

 

 問題は相棒の紙月に知られてしまった時だ。

 紙月は未来を責めることも馬鹿にすることもないだろう。

 絶対にないだろう。

 だがそれがつらかった。

 優しくされるのがつらかった。

 大変だったもんななどと言われて頭でも撫でられた日には悶死しかねない。

 

 だが、待て、落ち着け、衛藤未来。

 まだ()()と決まった訳じゃない。決めつけるには、まだ早い。

 

 紙月は改めて心の中で念仏のようにそう唱え、ゆっくりと体を多し、布団をはいだ。

 ゲーム内アイテムである《鳰の沈み布団》は恐ろしく心地よかったが、今の未来にはそれも地獄への舗装路にさえ思えた。

 

 白々とした朝日の差し込む部屋の中で、未来は自分の体を見下ろした。

 

 安いからという理由で買った麻の寝間着は、そろそろいい加減に涼しくなってきたのでもう少し分厚いものを買おうかと考えていたところであったが、まだいいかな、もうちょい待っても、などと言っている間に買う機会を逃し続けているので、今度紙月と一緒に買い物に行った方がいいかもしれない。

 

 そんな現実逃避をよそに、未来の真ん中は濡れていた。

 容赦なく思いっきり下腹部にシミが広がっていた。

 

 反射的に叫びそうになった口の中に拳を突っ込み、未来はこらえた。

 

 アウト。

 確かにアウトだ。

 だが厳密にアウトかセーフかで言えば、セーフよりのアウトではなかろうか。

 だって濡れているのは寝間着だけだ。布団には被害が出ていない。

 

 であればこれはセーフよりのアウト……むしろ寝間着だけでこらえたという功績を思えば十分セーフだと言えるのではないだろうか。

 むしろセーフ。これはセーフ。

 

「ノーカン、ノーカン……」

 

 全く持ってセーフでもノーカンでもないのだが、未来はそう唱えて心を鎮めた。

 

 とにかく、湿った感触もあって、いつもより早く目覚められたのは僥倖だった。

 そっと下の段を見下ろせば、紙月はまだぐっすりと寝息を立てている。

 

 となれば今のうちに処理してしまえば、だれの目にも触れないままこの件は闇に葬り去られることになる。ノーカンだ。

 

 未来は覚悟を決めて、そしてまず被害状況を正確に確認するために、そっと服をめくって、下腹部を覗き込んだ。

 

「………うん?」

 

 ところが予想と少し、違う。

 匂うは匂いのだが、尿の匂いではない。

 嗅いだことのない匂いである。

 

 不思議に思ってそっと手を伸ばしてみて、その感触に背筋がぞわりとした。

 

 ()()()としたのである。

 

 単に濡れているという感触ではない、もっと粘着質なぬめりけだった。

 

 今度叫ばなかったのは、拳を口に突っ込んだからではなく、ショックに心がついていかなかったからである。

 

「…………なにこれ」

 

 何これ、と口では言いながらも、無駄にませたお子様であるところの未来には()()がなんであるかもうわかっていた。わかっていたが、認めたくないものがあった。

 いや、別段悪いものではないということは教科書を読んで知っていたが、しかし自分の体が変化しつつあるというのは奇妙なおぞましさがあった。

 そして何よりも意味不明な猛烈な恥ずかしさがあった。

 

「知ってた……知ってるけど………寝間着まで貫通するぅ……?」

 

 未来の頭の中で合致する情報は一つしかなかった。

 第二次性徴に訪れる体の変化の一つで、大体未来くらいの年頃前後に発生するイベント。

 

 ()()である。

 

 初めて精子が出るようになる、つまり子供を作れる体になったということであり、めでたいことではある。あるのだが、これは極めて()()()()()()な問題であり、人に知られるなど考えただけでも恥ずかしいことだった。

 いや、別に恥じるようなことではないと教科書にも書いてはあるのだが、一方で社会的通念として恥を覚えるように未来は教育されてきたわけで、この相反する教育が未来を悩ませるのだった。

 

 精通というイベントに遭遇してしまったショックで頭を抱えた未来ではあったが、何しろ彼は大人とも行動を共にしているいっぱしの冒険屋である。これが恥であろうとなかろうと、自分の胸の内に抱えている限りはノーカンである、と開き直ったのである。

 

「あー、驚いた」

 

 一度ショックを乗り越えてしまえば、かえって湧いてくるのが好奇心というものである。

 下をくつろげてしばらく観察してみたが、まあ別段面白いものでもない。触ってみても、時間が経ってきたからかさらさらとしてきて、変な水という感じである。

 

 まあどうせこれから長い付き合いになると妙にドライな考え方、インベントリから手ぬぐいを取り出して手早くふき取ってしまいながら、再び頭に巡ってきたのは、なんでまた、という原因についての思いである。

 

 昨日何か特別なことがあったという訳でもない。

 いや、特別なことがあったが故に精通が起きるという訳でもないのだろうけれど、なにかしら理由があってもおかしくはなさそうである。

 

 そう言えば夢精と言って、夢が原因で吐精してしまうこともあると教科書で読んだことがあった。

 夢と言えばどんな夢を見たであろうかと、すでにあさぼらけに掻き消えつつある記憶を掘り起こし、そして未来は土下座した。

 

 声に出して謝れるものではない。聞かれていないとわかっていてもとても声に出せるものではない。

 それゆえの土下座であった。自然な事とは思えど、致し方ないとは思えど、申し訳なかった。

 

 衛藤未来十一歳。人生で初めての土下座は下半身丸出しであった。

 

 ひとしきり土下座して謝罪の念を送ったあたりで、未来ははたと我に戻った。

 

 なんであれ、とにかく証拠を隠滅してしまわなければならない。

 何事もない一日を始めなければならないのである。

 

 音をたてないようにそっとベッドを降り、未来は朝日に誓うのであった。

 

 隠し通そう、と。

 




用語解説

・おねしょ
 寝小便、夜尿とも。睡眠時の無意識下で排尿してしまうこと。
 成長するにつれて普通は改善されていく。
 六歳を過ぎても継続的にみられる場合夜尿症と呼ばれる。
 性的なプレイとして行う場合もある。

・精通
 男性器をもつものが生まれて初めて経験する射精。
 普通は性的な成熟とともに自然に発生する。
 睡眠中に射精してしまう夢精によるものの外、外部からの刺激によって精通するものもある。
 性的なシチュエーションとして扱われることもある。

・土下座
 土、または床などにじかに座り、ひれ伏して礼をすること、またその姿勢。
 深い謝罪や請願の意があるとされる。
 未来の場合ベッドの上であるし相手と対面していないし、やや変則的ではある。
 性的なプレイの一環として行われることもある。


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第二話 洗い物

前回のあらすじ

性的な展開ではない。


 ベッドの下の段で紙月がぐっすりと寝入っているのを確認して、未来は手早く服を着替えた。下腹部にやや違和感があるが、仕方がない。

 

 さて紙月が寝ている間に洗濯に行こうとして、ふと未来は気付いた。下着と寝間着だけ洗濯するというのも、妙だ。怪しい。

 となれば、と未来は洗濯もののたまった洗濯かごを持ち上げた。

 木を隠すなら森の中である。

 冷えてきて水も冷たいからと、なんだかんだ後回しにしてしまった洗濯物を、この際一気に片付けてしまおう。

 

 それぞれがそれぞれの洗濯物を洗うというもの効率が悪いので基本的に脱いだ服はこの洗濯かごに放り込んである。一応それとなく未来が提案したために下着はそれぞれで洗うことにしているが。

 

 小さな未来の体には洗濯かごはいささか大きかったけれど、だからと言ってことあるごとに鎧姿に変わっていたのでは面倒だし、何より成長に悪い気もするので、この程度のことでは鎧を着たりはしない。

 

 よいしょよいしょと洗濯かごを抱えて歩く廊下は、秋らしく涼しい。涼しいというより、肌寒い。少し厚着をしてきてよかった。

 

 まだ朝早いからか、事務所には人の姿はうかがえず、かろうじて部屋の中で起き出したような気配や物音がうかがえる程度だった。

 

 いつもと起きる時間が少し違うだけで、事務所はなんだかまるで別の建物のように空気が変わってしまっていた。紙月ならばこういった空気を現す素晴らしい言葉を知っているのかもしれなかったが、未来に思い当たる言葉はせいぜいが、静かだとか、ひんやりとしているとか、その程度だった。

 

 その静かでひんやりしている廊下を渡り、中庭への扉を開くと、まさしく秋の空気がひゅうと吹き込んで、むき出しの頬を凍えさせた。

 

 事務所の中庭は広く、井戸が掘られており、洗濯場になっていた。

 この井戸は手押しポンプがついており、紙月も未来もなんだか昔の井戸みたいと思ったものだが、実際には手押しポンプがつくられ始めたのは錬三が製造を開始してからで、流通はここ十年程度の間らしい。

 

 このポンプがちょっと未来には高すぎるので、鎧を着こまなくてはと思っていたのだが、意外なことに先客があった。この寒いのに、じゃぶじゃぶと大盥と洗濯板でで洗濯をしているムスコロである。

 

「おっ、おはようございます、兄さん」

「うん、おはよう。早いんだねえ」

「農家の生まれだからですかねえ、昔から朝ははええんで」

「僕は、たまたま」

「盥使いやすかい」

「うん、一緒に使わせて」

 

 先に鎧を着て、呼び水を注いだポンプから水を出して、桶に移し、鎧を脱いで、やれやれ、顔を洗うだけで忙しい。

 パシャパシャと顔を洗ってさっぱりしたところで、未来もインベントリから洗濯板を取り出して、大盥のそばに腰をかがめて、洗濯を始める。

 

 最初こそ手洗いの洗濯というものに慣れずに奮闘したものだったが、今では随分と見れるようになったと思う。それでも手が小さいから、大変なことは確かだが。鎧姿になれば手の大きさはどうにかなるが、今度は感触がいまいちわからず、力加減が難しい。痛し痒しだ。

 

 紙月の部屋着や自分の部屋着に隠すように汚れた下着を洗ってみたが、ムスコロは黙っていれば渋い顔でふむんとうなり、そして何事もなかったかのように自分の洗濯に戻った。

 ああ、察したんだな、ということを未来の方でも察してしまい、気恥ずかしいは気恥ずかしいが、しかしそう言うものだとして何も言わないでいてくれる気づかいに感謝ばかりであった。

 

 紙月の場合、下手に気づかいして事態を悪化させる結末が目に見えているのだ。気持ちは嬉しいが、絶対に未来の傷口をこれでもかとえぐる羽目になる。

 

「いつも洗濯はムスコロさんがするの?」

「俺が気づいてやることが多いですな。それに俺の方が、うまい」

 

 パーティで共同生活する場合、家事などを当番制にするか、完全に分担するか、それはパーティごとに結構異なる。ムスコロのパーティがあいまいに分担しているように、《魔法の盾(マギア・シィルド)》の二人の場合も気づいた方がやることにしている。

 

 紙月が担当する時は面倒くさがって《浄化(ピュリファイ)》で片付けようとする場合があるのだが、そんなんじゃいつまでたっても体力付かないよと言ってやってからは渋々手洗いでやるようになってきた。ムスコロが教育に悪いですぜと耳打ちしたせいもあるかもしれない。

 

 部屋の掃除は二人ともそれなりに奇麗好きだから手が空いた時にしているが、お互いの領域には手を出さないことにしている。二人で同じ部屋を使っているとはいえ、最低限のプライバシーというものは守られるべきだということで二人の合意があった。

 

 食事に関しては、二人ともやればできるのだが、紙月の場合は面倒くさがりなのと、未来の場合は厨房に立つには身長が足りないのとで、結局総菜を買ったり、店に食べに行くことが多い。

 

「冒険屋は旅先で飯作ることも多いですから……お二人は関係ありませんでしたな」

 

 なにしろ未来と紙月には満たされるまで食事の出てくる《食神のテーブルクロス》があるから、旅の最中でも食事に困らない。とはいえいつ使えなくなるかもわからないし、やや危機感を抱いてはいる。

 

 ムスコロのパーティメンバーは最低限のものは作れるそうで、ムスコロ自身などは事務所でも料理がうまい方であるそうだ。

 

「何しろ自分の好きなもんを好きな味付けで好きなだけ作れやすぜ」

 

 とは言うが、それはできる人間の言うことであって、あまり参考にはならない。

 

 二人がそんなことを、まさしく井戸端会議よろしくお喋りしながら手を動かしているうちに、あれだけ山のように思えた洗濯物もすっかり片付いてしまった。何事も手を動かしていれば終わるし、逆に手を付けなければ終わらないのだ。

 

 独りだったら絶対に手が遅かっただろうことを思うと、助かった心地である。

 

 洗濯物を一枚一枚よく絞っては、中庭に張り巡らされた洗濯紐にかけていく作業には、未来はいささか小さい。なのでここは遠慮なく鎧を着こむ。洗濯ばさみを扱うくらいの力加減は、できる。

 

「兄さんは小さくも大きくもなれるから、便利ですなあ」

「一長一短だけどね」

 

 こうして黙々と洗濯物を干していく姿は、いささか顔がいかめしいくらいで、素朴な男である。最近は髭や髪も整え、身だしなみも割合にしっかりとしてきている。

 こうしてみると、初対面の時のひどいありさまが全く別人のようでさえある。

 

「ムスコロさんはさあ」

「へえ」

「最初なんであんなだったの?」

 

 曖昧な質問だったが、ムスコロは的確に意図を組んだらしい。

 

「いや、あれは、その、全く面目ねえ」

「いや、怒ってるんじゃなくてさ。今と全然違うからどうしてだろうって」

 

 未来の何気ないという質問に、ムスコロは一度顔を拭って、それから気恥ずかしげに頭をかいた。

 

「実はあんときは、荒れてまして」




用語解説

・手押しポンプ
 「手」でハンドル部分を「押し」下げて、井戸などの水を吸い上げるポンプのこと。
 アニメ映画のワンシーンで描かれ「トトロの井戸ポンプ」などとも呼ばれる。

・洗濯板
 手洗いでの洗濯に用いられる板状の道具。
 表面に波状に溝が掘られており、これに洗濯物をこすりつけて洗った。




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第三話 反省

前回のあらすじ

証拠隠滅に成功した未来。
共犯者であるムスコロにふとした疑問を投げかけてみると。


「実はあんときは、荒れてまして」

 

 というのは、こうだった。

 

 ムスコロは二人組のパーティを組んでいて、相方はオストというらしい。

 未来と紙月が地竜を討伐する少し前、ムスコロはこのオストと組んで、魔獣の討伐に出たという。丙種の魔物で、さほど強いものでもなく、しっかりと準備をして挑めばどうということのない相手であった。

 

 しかし、甘く見ていた。

 実際に魔獣が出るという森に向かってみると、敵は事前の情報よりもはるかに多く、ムスコロの下調べがずさんだったために地形の判断も誤り、囲まれて熾烈な迎撃戦を強いられたのだそうだ。

 

 一頭一頭はムスコロもオストも十分に対処できる相手だったが、何しろ囲まれているうえに、数が違う。一頭を相手にしている間に二頭が襲い掛かり、二頭を振り払っている間に三頭が囲んでくる。

 しまいには一頭片付け、二頭片付けとしている間に呼び寄せられた仲間が森から顔を出す。

 

 それでもたいまつを振り回して抗っていたのだが、ついにオストが手ひどく噛みつかれて倒れた。これ以上は命にかかわると、ムスコロはオストを担ぎ上げて必死に逃げて、逃げて、逃げた。

 自分も噛みつかれ、ひっかかれながらも、こけつまろびつ何とか這う這うの体で森を抜け出した時には、二人とも血まみれの泥まみれで酷いありさまだったという。

 

 すぐに近くの村で治療が行われたが、ムスコロはまだ軽傷としても、オストは全身に噛み傷があり、場合によっては破傷風になりかねなかった。

 

 死なれては困ると大慌てで神官を呼び、高い金を払って毒を除いてもらったが、それでも傷は重く、オストはしばらくの間とてもではないが仕事に出れる状態ではなかったという。

 

 自分のミスで相方に大怪我を負わせ、自分自身は大した怪我もなくのうのうとしているということが、一層ムスコロの罪悪感をあおったらしく、そのことを後悔しているうちに強くもない酒の量も増え、止めてくれる相方もいないものだから荒れに荒れていたのだという。

 

 そんなところに、どう見てもお遊びの貴族か金持ちのお嬢さんといった身なりの紙月が、護衛らしき未来を連れて、思いがけない大手柄を立てたなどと言うものだから、くだらないミスで相方を傷つけてしまったムスコロはふざけるなといきり立ち、ついつい絡んでしまったのだという。

 舐め腐った新入りに、自分の立場を思い知らせ、わからせてやろうという、そう言う荒々しい気持ちだったという。

 

 それで結果はどうなったのかと言えば、知っての通り、ムスコロは髪を焼き切られ、手斧も焼き落とされ、みっともなく命乞いまでする羽目になったのである。

 

「いやあ、酔って荒れたとはいえ、情けねえ所をお見せしやした」

「僕はすごいと思ってたんだけどね」

「なんですって?」

「突然奇妙な魔法で攻撃されて、それでも咄嗟に得物に手が伸びるって言うんだから、ムスコロさんの鍛錬の賜物だよ」

「へ、へへ、そう言ってもらえると」

 

 とはいえ、そんな阿呆な事をしたムスコロであるから、その後先輩冒険屋たちから随分しごかれた。

 その上、怪我から復帰したオストにもしこたま叱られた。

 

 おまけに治療費ですっかり貯金も飛び、夜遊びもできなくなり、こうなりゃ仕方ねえやとまじめに働いているうちに、また少しずつ金がたまってきた。それをオストの破損した武装に回すと、また金がなくなった。

 

 それでまた真面目に働いていると、なんと未来と紙月と一緒に南部まで行けという。海賊事件のことだ。

 

 未来はあの時、たまたまそこにいたから巻き添えにされたのだと思っていたが、どうも働きぶりがよくなってきたから、いい仕事を与えてやろうということだったらしい。

 結果としては船酔いでろくに仕事ができなかったとはいえ、それでも契約は契約だからしっかりと報酬は頂いたらしいが、その額が大きかった。

 

 なにしろ森の魔女と名高き二つ名持ちの未来たちが請けるような仕事である。その補佐とはいえ、報酬はそこらの底辺冒険屋とはまるで違う。

 

 ここで宵越しの金は持たねえとなるのが普通の冒険屋であるが、何しろ治療費その他で盛大に散在して借金まで行きかけた男である。しかも自分一人ではなくパーティの相方まで巻き込んでの話である。

 根が真面目なこの男、その金は装備を整えることに使い、余った分もしっかり貯蓄した。

 また、貯蓄ができて、そこまであくせく働かなくても良いとなると、いくらか余裕が出てきて、髭の一つも整えるようになった。

 

 見た目が良くなってくると、それまでは粗野だ野蛮だと敬遠していた客も、それなりに信用できるかもと依頼をしていくようになる。そうなればせっかくの機会を逃してなるものかと大いに頑張るものだから、依頼の達成率も上がっていく。

 そうすると指名率も上がるし、依頼人との交流も増えて、また別の依頼人との縁もできる。

 

 そのようにして意外と堅実に、事務所でも中堅ぐらいには落ち着いていたようなのであった。

 

「いやあ、これも全て兄さん姐さんの薫陶あってのおかげで……おや、どうしやした」

「いや、うん、なんでもないんだ……なんでも」

 

 人知れず立派になっていた男の陰で、自分の相方は昨夜も酒場で興味本位で高い酒飲んで酔い過ぎて、今もぐーすか眠りこけているということが、なんだかとてもいたたまれなくなっただけである。




用語解説

・オスト(Osto)
 ムスコロのパーティメンバー。
 斧は斧でも斧槍遣いで、かなりテクニカルな戦い方を得意としているようだ。
 その割に正確は大雑把で、家事はもっぱらムスコロに任せているらしい。



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第四話 歯

前回のあらすじ

ムスコロのメジャーキャラクター入りの裏話であった。


 未来がいたたまれない気持ちで洗濯物を干し終えたころ、事務所への戸が開いて、のっそりと紙月が顔を出した。髪は寝癖がひどく、顔はまだ半分寝入っていて、色気のない麻の寝間着にはんてんを羽織ったままだった。

 

「うう……おはようさん」

「おはようごぜえやす」

「おはよう、紙月」

 

 紙月は寝ぼけた様子でポンプに取り付き、呼び水を注いでからポンプをこいだ。だばだばとあふれる水を桶に受け止めて、これを頭からひっかぶるのが紙月の朝だった。

 

「うぉおおお、つめたっ!」

「冷たいならやらなきゃいいのに」

「これくらいやらんと目が覚めん」

 

 そうしてまた水をくんで、顔を洗い、《突風(ブロウ・ウインド)》を調整してドライヤー代わりに髪を乾かす紙月。肩口を超えてそろそろ胸元まで届きそうな髪を手馴れた様子で結い上げた。貝殻のようにきらきらと虹色に輝くバレッタはゲーム内アイテムだ。髪が伸びてきた最近は便利に使っているようだった。

 

 改めて水を汲んで、二人は並んで歯を磨き始めた。

 歯磨きに使う歯ブラシもゲーム内アイテムで、《妖精の歯ブラシ》という。《歯》や《牙》といったドロップアイテムがゲーム内通貨に変換されて手に入るというユニークなアイテムだったが、この世界ではその効果はまだ試していない。

 

 だって獣などから《歯》や《牙》をドロップさせるというのはつまり、倒した後強引に引っこ抜くくらいしか方法がない。いくら殺生に慣れてきたとはいえ、さすがにやりたくない。それで手に入るのが現状使い道のないゲーム内通貨となると、割に合わない。

 

 そんな曰く付きの歯ブラシで歯を磨いていると、ムスコロが興味深そうに眺めていることに気付いた。

 

「どうひたの?」

「いやあ、ハイカラなもんを使ってるなと思いやして」

 

 どういうことかと聞けば、未来たちが使っているようないわゆる歯ブラシ、つまり棒の先に毛をはやした形のものは帝都では流行っているものの、まだまだ地方には出回っていないとのことだった。

 

 では西部ではどんなものを使っているのかと聞けば、ムスコロも歯を磨くからと道具を見せてくれた。

 房楊枝と言って、木の棒の先端の繊維をほぐして柔らかくし、房状にしたものだった。これで歯を磨くのだという。また人によっては、同じような木の棒に布を巻いたものを使うものもいるのだという。

 

「房楊枝屋は見かけやすが、歯刷子屋はスプロの町じゃあ見かけやせんなあ」

 

 そう言えば雑貨屋などでも並んでいるのを見たことがない。

 紙月としては、造りはそう難しいものでもないと思うのだが、やはり職人仕事なのだろうか。それとも文化というものは早々簡単には塗り替えられるものではないということだろうか。

 

 ムスコロなどは興味深そうに見てくるし、売れば流行ると思うのだが。

 

 ともあれ三人は三様に歯を磨いた。

 

 歯の磨き方ひとつとっても、人となりが現れるというか、磨き方はそれぞれである。

 

 紙月は全体をなぞるように、しゃーこしゃーこと広い範囲をゆっくりと、何度も磨く。そうして全体を磨き終えると、細かな歯の隙間などを払うようにして磨いていく。

 

 未来はそれとは違って、一本一本丁寧に磨く。数えながら磨くようにしているので、歯ブラシを動かす手はあっちこっち動くし、押し広げられた唇の端から涎があふれるので、ちょくちょく拭う。

 

 房楊枝を使うのでまるっきり違うと言えば違うムスコロはと言えば、この男は良く口をゆすぐ。そうして舌先で歯の磨き具合を確認し、また磨き、ゆすぎ、磨きを繰り返す。

 

 そうしているうちに他の冒険屋も起き出してきて、顔を洗い、歯を磨く。無精者の多い冒険屋たちではあるが、たいてい朝は歯を磨く。多少いい加減であろうと歯は磨く。

 というのも、歯医者などと言う立派な職業がないので、虫歯でもできた日には削り取って悪化させるか、引っこ抜くほかないからだ。どちらにしろ、大量出血や骨折の可能性も有り、命がけである。

 それがあるから、みな多少いい加減でも歯を磨く。

 

 現代社会に比べれば虫歯になりにくい食生活であるから、これでよほどのことがない限り、虫歯にはならない。

 

「そういやあ」

 

 歯を磨き終え、口をゆすいで、紙月がふと思い出したように言った。

 

「未来って、乳歯全部抜けたのか?」

「んー、何本か残ってたはず」

「どれ」

 

 同じく磨き終えた未来が大きく口を開け、紙月がのぞき込んだ。

 奇麗な歯並びで、色合いも健康的な象牙色だ。

 

「どれだ?」

「こえお……こえやっあかあ」

 

 血色のいい舌先で指示される歯を他と見比べてみたが、極端に小さいということもなく、よくわからない。

 

「ふーむ。抜けそうになったら気をつけろよ。歯医者なんかないんだから」

「そうだね。紙月は親知らず全部生えたの?」

「一本だけだな。そん時は抜歯した」

「それこそ気を付けないとだよね……」

 

 虫歯もそうであるが、親知らずも医療が整っていない場合、時によっては死に至ることもある。生半の敵が相手では怪我も恐れない二人にしても、そう言ったどうしようもないことには恐れが走るのだった。

 

 そんな二人のじゃれあいを眺めながら、ムスコロは不思議そうに顎を撫でるのだった。

 

「兄さんも、これでまだ子供なんですなあ」

 

 末恐ろしいことだと、誰ともなくつぶやくのだった。




用語解説

・虹色に輝くバレッタ
 ゲーム内アイテム。正式名称《にじのバレッタ》。
 高難度ダンジョンで稀に手に入る《虹色の貝殻》を加工して作られるアイテムの一つ。
 全てのステータス以上に対して耐性を与え、魔法能力に上昇効果を与える。
『美しい……なんて美しい輝きなんだ………あとはこれを持ち帰ることさえできたら良かったものを』

・房楊枝
 木の棒の先端の繊維をほぐして柔らかくし、房状にしたものだった。
 歯磨きに用いる。


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第五話 どうしようもない退屈

前回のあらすじ

歯磨きで一話丸々使うハイファンタジーが読めるのはシルマジだけかな?
知らんけど。


 食堂でパンとチーズというお手軽な朝食を済ませて、しかしやはりやることはなかった。

 

 勿論やることがないというのはネームバリューが大きすぎる《魔法の盾(マギア・シィルド)》の二人に限った話で、冒険屋たちは今日も朝から仕事を探したり、仕事に出かけたり、仕事から帰ってきたり、仕事に恵まれている。

 勿論それでも本当に仕事がない連中もいるが、そういう連中は仕方がないから今日は休日と言う程度で、別段困ったところもない。

 

 スプロの町は小さいが、それでもいくつかの事務所の冒険屋を食わせていくくらいには、事件と冒険が多い町なのだ。

 

 さてどうしようかと未来がぼんやり考えていると、相方の紙月は広間の椅子の、暖炉から近からず遠からずといったあたりに腰を下ろして、ごそりと何かの袋を取り出した。

 

「なにそれ」

水精晶(アクヴォクリスタロ)だよ。行商がくずの石を安く売りたたいててさ。まとめ買いしてきた」

「くずなんでしょ? どうするの?」

 

 水精晶(アクヴォクリスタロ)は、呼び水を与えると水を生み出すという、水精のこもった結晶だ。見た目は涼しげな水の色をした水晶のようである。

 だがくずということは、もう水を出すだけの水精が宿っていなかったり、水の出が不安定だったり、そもそもの水の質が悪かったりということである。

 

 専門の石屋ではなく、市で適当に売り払うということは、それだけ価値がないということである。

 

「まあ、これは素材なんだよ。加工次第さ」

「加工?」

「まあ見てろよ」

 

 そう言って紙月は水精晶(アクヴォクリスタロ)を一つ、テーブルに置いた。手のひら大はあるものなのにくずということだから、やはりよほど出が悪くなっているか、元の水質が悪いかである。

 

 これに紙月は両手をかざして、何と呪文を唱えたのである。

 

「《燬光(レイ)》」

 

 途端に、十の指先からそれぞれに光線が伸びて、水晶の内側で一つに合流した。その合流したところでは、熱に炙られて水精晶(アクヴォクリスタロ)が白く濁る。濁ったら光線を少しずつずらしていって、その濁りを広げていく。

 じんわりじんわりと続けていくうちに、それは見事な紋章を水精晶(アクヴォクリスタロ)の内側に刻んでしまった。

 盾にとんがり帽子のエンブレム、冒険屋パーティ《魔法の盾(マギア・シィルド)》の紋章である。

 

「すごい! レーザー彫刻だ!」

「魔術の出力調整の練習してたら思いついてな。まだ簡単な模様しか入れられないけど、コツはつかめてきた」

 

 未来からしてみればこれでもよくまあこんな器用なことができるなというレベルなのであるが、紙月からすればまだ出発点であるらしい。本当に何でもできる男である。

 

精霊晶(フェオクリステロ)を材料にした普通の彫刻ってのも、値は張るにしろあるらしいんだけど、さすがにこのレーザー彫刻は爺さんのとこでもやってないみたいでな。うまくいけば名産になるぞ」

 

 まあ、現状他の誰にも真似できない以上、そりゃあ高値で売れるだろうが、暇つぶしを兼ねてこんな工芸品を生み出してしまうあたり、やはり紙月の感性はどこかおかしいのではないかと思う未来だった。

 

「ほんっとに、器用だねえ」

「いやいや」

 

 まあ、ともあれ紙月は立派な暇つぶし、もとい内職があるようで、しばらく退屈はしそうにない。

 そうなると暇を持て余すのは未来だった。

 

「ちょっと出かけてくる」

「んー?」

「散歩ー」

「あいよー」

 

 やることもなし、未来はぶらりと事務所を出ることにした。

 

 散歩をするときは、鎧は着ないことにしている。

 以前は安全のためにもフル装備で外出することが多かったのだが、むしろ鎧姿が有名になってしまったせいで、いちゃもんつけられたり、逆に握手を求められたりと、退屈はしないまでも面倒ごとが多かったので、今は普段着でうろつくことにしている。

 

 それは、装備をすっかり外してしまえばかなりステータスが低下するのは確かだったが、装備のない素の状態でも、何しろレベル九十九の《楯騎士(シールダー)》である。街中で遭遇する程度の相手であれば、未来をどうこうできる相手などそうそういないのだった。

 

 だから問題は、腕力でどうにかならない相手だった。

 

 ご飯は食べたばかりだし、お茶してのんびりって言うほどオトナしてるわけでもなし、ショッピングするにもこのあたりの店はもう見飽きたし、どうしたものかなあと、いかにも暇そうに歩いていたのが悪かったらしい。

 

「おいお前!」

「……………」

「おいったら!」

「…………?」

「そうだよ、お前だよ!」

「ええ……なにさ?」

 

 いっそ今日は食材でも買い込んで、久しぶりに自炊でもしようかな、などと考えているところを、通せんぼをするようにチビが二人立ちはだかったのである。

 なおこのチビと言うのは、だしぬけにお前呼ばわりされてイラっと来た紙月の主観による呼称であって、実際のところ背丈は大して変わらないし、年の頃もどっこいだろう。

 服装は安っぽく、いかにも近所のちびっこどもといった悪ガキぶりである。

 

「お前暇してんだろ!」

「まあしてるけど」

「じゃあ一緒に遊んでやるよ!」

「はあ?」

 

 この「はあ?」には反射的に繰り出された「君何言ってんの?」をはじめとして、「どこからどういう発想が出てきたの?」、「君どこの子?」、「親御さんは?」、「その上から目線はどこから湧いてきたの?」などの様々な「はあ?」が込められていたのだが、残念ながら小生意気なお子様には一切通じなかったようである。

 

 どころかちょっととろいことでも思われたのか、もう一度繰り返されたほどである。

 

「一緒に遊んでやるって言ってんだよ!」

「いや……そういうのいいんで」

「よーし、行こうぜ!」

 

 おそらく未来史上最も嫌そうな顔で、万国共通と思われる両手を広げるノーセンキューのジェスチャーもかましてみたのだが、引っ込み思案な子とでも思われたのか、強引に腕をとられて引きずられ始めてしまった。

 

 勿論子供の細腕程度簡単に振り払えるのだが、中途半端に大人な未来には、暴力で子供を振り払うという選択肢は残念ながら存在しなかった。

 

 結果として、極めて遺憾なことながら、衛藤未来は人生で初めて、秘密基地というものを訪れることになる。




用語解説

・レーザー彫刻
 その中でも3Dクリスタルなどと呼ばれる技法。
 レーザー光線を内部で焦点を合わせ、その部分だけを加熱することで傷を作り、その傷を用いてガラスなどの内部に立体的に彫刻する。

・秘密基地
 一つの浪漫。


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第六話 秘密基地

前回のあらすじ

暇なときは碌なことが起きない。
秘密基地に拉致られる未来であった。


 ガキンチョどももとい少年たちに引きずられてやってきた、彼ら曰くの「秘密基地」というのは、要は不動産屋が管理を半ば放棄している空き家のことだった。すでに大分老朽化していて、建て直すにも解体するにも費用が掛かるからそのまま放置されているといった具合のぼろ屋だった。

 

 秘密などと言いながら堂々と正面玄関から侵入した少年たちは、居間らしきスペースに持ち込まれた粗大ごみもといソファや椅子でくつろいでいたお仲間に紹介された。

 

 悪ガキどものリーダー格は、少し年かさの少年で、中学生くらいには見えた。

 

「やあ、新しい友達かい? 僕はクリストフェロ。クリスでいいよ」

「そういや、お前名前なに?」

「……未来だよ」

 

 一応、名乗られたからには名乗り返すべきという最低限の礼儀意識が未来にそう名乗らせた。極めて面倒くさくてたまらないが故の端的な自己紹介だったが、彼らは未来を控えめな少年だと思ったらしい。それも上等な服を着ていることから、お金持ちの子供だと。

 

 勧められた椅子は埃だらけだったが、まあこのぼろ屋自体が埃まみれなので、未来は軽く払う程度で、諦めて腰を下ろした。子供たちも各々に定位置なのだろう椅子にくつろいだ。

 

 悪ガキどもは一人ひとり名乗った。

 

「俺はゴルドノ!」これは未来を拉致った子供だった。

「おいらセオドロ!」これは拉致共犯の子供だった。

「ぼ、ぼくはヴェルノ」これは秘密基地で待機していた子供だった。

 

 正直なところ五分と経たずに忘れてしまいたかったが、中途半端に賢い未来の頭脳はしっかりと顔と名前を憶えてしまった。しばらくは忘れないことだろう。

 

「改めて、僕はクリス。《レーヂョー冒険屋事務所》の駆け出し冒険屋さ。よろしくミライ」

「……冒険屋?」

 

 とっとと帰りたいなと思っているところに飛び込んできた思いがけない言葉に、未来が思わず目を瞬かせると、クリスは興味を引いたと感じたらしかった。

 

「そう、冒険屋さ。君も町で見かけたことがあるんじゃないかな」

「まあ、そりゃ」

 

 同じ屋根の下で起居してるし何なら自分もそうだとは言わない。言っても面倒だ。

 

「君は……見たところ結構いいところの坊ちゃんなのかな」

「まあ、食べるのには不自由してないよ」

「そう言う物言いは実にそれっぽい」

 

 暗に子供っぽい背伸びだと揶揄されたようで、いや、実際そうなのだろう、未来は鼻白んだ。興が覚めるというのならば最初から覚め切っているが、クリスの自分を子供扱いする姿勢にはあまりいい気持がしない。

 紙月も時折未来を子供扱いする。しかしそれはあくまでも頼りになる相棒であるという信頼関係が前提としてあって、そのうちで軽いからかいとしてそうするだけだ。

 

 勿論、未来は自分がまだまだ子供だということは理解している。至らないことばかりだ。何もできないと思うことばかりだ。だがそれと、自立しようとしている一人の人間を認めようとしないことは、全く別の問題だ。こういう考え方自体が子供っぽいんだろうなとは思いながらも、未来は不機嫌を殊更隠そうとはしなかった。

 

「お金持ちの子にはわからないかもしれないけど、普通の子供たちにとって冒険屋ってのは憧れの商売でね」

「憧れ?」

「商人の子は商人に、農民の子は農民に、でも次男、三男となると必ずしも親の後を継げるわけじゃない。そうなると、冒険屋って言うのはちょうどいい受け入れ先だ。それに、一獲千金の夢もある」

 

 フムン、と未来は頷いた。

 確かに事務所の冒険屋たちも、そういった出身のものが多い。というより、そう言った出身のものでなければあえて冒険屋になろうという手合いは少ない。結局冒険屋というものはやくざな仕事だ。安定した仕事の方がいいに決まっている。

 

 もっとも、ちらっと見た子供たちの様子から、まあ憧れるのもわからないではない。

 彼らの出身は似たようなものだろうが、しかしその中でクリスはきちんとした身なりをして、腰には剣も佩いている。血色も良く、栄養状態もいいのだろう。

 それは貧しい家の次男坊や三男坊からしたら成功者の姿なのだ。

 

「僕は言ってみれば予備軍であるこいつらの面倒を見てるんだ」

「俺もクリスみてーに冒険屋になるんだ!」

「おいらも!」

「ぼ、ぼくも」

 

 四人の様子を見て、なんとなく未来は察した。

 多分この構造は昔からあるのだ。若い駆け出し冒険屋と、その予備軍である子供たち。

 冒険屋の予備軍であるということは、結局食い扶持にあぶれて盗賊や物乞いになるかもしれない、その予備軍でもある。

 そう言った連中が悪さをしないように見張る自浄作用でもあるのだろう、駆け出し冒険屋(クリス)という存在は。

 

「大方君も暇してるんだろう? お家じゃ楽しめない刺激もある。一緒にどうだい?」

 

 そしてクリスが未来を誘うのは、純粋に「退屈をしている子供を遊びに誘ってやっている」という気持ちと同時に、「金持ちの子供との縁を作っておきたい」という打算があってのことだろう。

 

 どちらにしてもあまり気持ちのいいお誘いではない。

 ゴルドノたちにしても、冒険屋予備軍とはいってもいかにも背伸びした子供たちの集まりにしか見えず、年相応、あるいは年齢以下の思慮しか感じられなかった。

 

「……わかった。付き合うよ」

 

 それでも仕方がないと未来が頷いたのは、無下に断るのも大人げないし、暇つぶしに子守くらいしてやろうという気まぐれからだった。




用語解説

・クリストフェロ(Christophero)
 《レーヂョー冒険屋事務所》の駆け出し冒険屋。
 成人したばかりの十四歳。

・ゴルドノ(Gordono)
 悪ガキその一。

・セオドロ(Theodoro)
 悪ガキその二。

・ヴェルノ(Verno)
 悪ガキその三。

・《レーヂョー冒険屋事務所》(Reĝo)
 スプロの町に所在する冒険屋事務所の一つ。
 荒事の得意な《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》に比べると、どちらかと言えば平和的な雑事を得意とする、町の何でも屋さんのような存在。



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第七話 冒険譚

前回のあらすじ

子供たちの秘密基地で自己紹介しあう未来。
面倒だが、まあ子守と思おう。


「クリスはすげーんだぜ!」

 

 というゴルドノの言葉に始まる、子供たちのつたない言葉による説明によれば、クリスももとはゴルドノたちと同じような冒険屋予備軍の悪ガキの一人であったらしい。

 粉屋の三男坊で、そのままであれば家の下働きか、新たに仕事でも見つける他になかったという。

 

 それは嫌だと考えたクリスは、以前までクリスと同じような役割を担っていた若手の冒険屋に熱心につきまとい、もとい師事し、その熱意の甲斐もあって、成人年齢である十四歳に達すると同時にレーヂョー冒険屋事務所に迎え入れてもらったのだという。

 

 それはまあいつでも新鮮な生贄もとい健康な若手を手ぐすね引いて待ち構えている冒険屋事務所なら、余程問題がない限り受け入れるだろうと未来は思うのだが、少し早く冒険屋事務所に入ったというだけで年若な少年たちにとっては「すげー!」ことであり、尊敬と憧憬をもって見るに値するのだろう。

 

 未来としては、はあ、それはまあ、若いのに大変だねえという「極めてどうでもいい」とほぼほぼイコールな感想しか持てないでいた。勘違いされがちだが、未来は真面目だし人間関係にも気を遣いはするけれど、別段情に深い訳ではないのだ。

 むしろドライなくらいだと言っていい。

 

 このくらいの話であれば別に奮闘だとも思わないし、まあ年齢相応の悩みとか葛藤とかそう言うドラマなんだろうなあと思ってみているくらいだ。

 

 クリスがこなしてきたという苦労は、西方で出会った天狗の少年スピザエトの苦悩と比べるといささかありふれて安っぽかった。

 まあ、ありふれて安っぽかろうとクリス個人にとっては人生の一大イベントであっただろうし、彼個人の人生というものは尊重してしかるべきだろう。

 

 とはいえ、興味がないところを強引に引っ張りこまれ、やや鼻にかけたような自慢話を聞かされる未来としてはちょっといただけないなと感じているだけだ。

 

 子供たちは、いつものことなのだろう、一足先に冒険屋となったクリスに、事務所での仕事、つまるところ冒険譚を話してくれとせがんだ。

 困ったように笑いながらも、クリスの目元にはやはり自慢げな色がある。

 

 それは極めてまっとうな感情であり、年相応の反応であり、大人であれば微笑ましく見下ろしてやれる程度のものだったが、生憎といくら大人びていようと未来は子供だった。

 

「僕はまだ、なんといっても見習の駆け出しだからね、荷物持ちや、野営の準備とか、簡単な仕事しかさせてもらえていないんだけど、でもやっぱり、間近で見る冒険屋の仕事ってのはすごいよ」

 

 クリスは教師役でもある先輩冒険屋についていった先での様々な冒険を、情感豊かに話し始めた。

 

 まず森で遭遇した鹿雉(ツェルボファザーノ)という獣を仕留めた話から始まった。

 

 鹿雉(ツェルボファザーノ)と言うのは四つ足の羽獣の仲間で、草食ではあるけれど縄張り意識が強く、滅多に人里には降りてこないので害獣とは言えないまでも、森の中で出くわすといささか危険な手合いだという。

 雄は枝分かれした角を持ち、前足には美しい飾り羽があり、威嚇する時はこれを打ち鳴らしながら高い声で鳴くという。

 

 クリスたちが見つけた鹿雉(ツェルボファザーノ)はやや年のいった雄だったという。

 背中から尾に近づくにつれて色を薄くしていく緑の羽根は、年季の入った複雑な色合いを醸し出しており、木漏れ日に照らされてきらきらと美しく輝いたそうだ。

 

 目の周りの赤いコブは、幾度かの争いを経たものか欠けこそあるものの見事な発色で、その年まで戦い抜いてきた優れた個体だったという。

 

 しかしさしもの鹿雉(ツェルボファザーノ)も熟練の冒険屋を前にしてはいい的で、番えた矢がひょうと飛ぶなり、見事急所を射られてケーンと一声高く鳴き、どうと倒れ伏してしまったのだという。

 クリスたちが駆け寄った時はまだ息があり、近づくと暴れようとしたようだったが、冒険屋がするりと近づいて喉を割くと、血を流して息絶えたそうだ。

 

 クリスたちはこれを近くの川まで運んで血抜きし、角を折り、皮をはぎ、肉をさばいて、傷みやすいものだけをその場で食べ、残りは持ち帰って売りに出したという。

 鹿雉(ツェルボファザーノ)の肉は大嘴鶏(ココチェヴァーロ)などと比べると大分歯ごたえの強い、筋のあるもので、味はさっぱりとしているが奥行きがあり、なかなかにうまいものだったそうだ。

 

 クリスたちの狩った個体は年経ていたから特に肉が堅かったそうだが、その代わり、その角に秘められているという薬効は年齢とともに随分強くなるそうで、これは高く売れたそうだ。

 

 またクリスは害獣退治の話もした。

 これもクリスはついていっただけで、実際に戦ったのは先輩冒険屋たちだが、それでも成程間近で目にしたというだけあって、臨場感のある語りぶりは子供たちを大いに喜ばせた。

 

 害獣の名は狼蜥蜴(ルポラツェルト)という。

 これは以前未来が戦った大嘴鶏食い(ココマンジャント)のようなオオトカゲの仲間であるが、こちらは四つ足で犬のような体躯をしており、森の中に生息するという。

 

 群れで行動し、標的を追い込んだり囲い込んだりとかなり知的な狩りをする連中で、一人で行動していると、熟練の狩人でも狙われることがある。逆に言うと複数人でいるときには無理に襲ってはこないので、徒党を組んで討伐しようとすると、全く姿を現さず徒労に終わることもある。

 

 なので討伐にはコツがあって、まず、なわばりの痕跡を発見して、その周辺に罠をいくつか仕掛ける。そしてその道に通じた熟練のものが、狼蜥蜴(ルポラツェルト)の遠吠えを真似するのである。

 

 この誘いかけがうまくいくと、まず斥候がやってくる。この斥候は若い雌雄の組であることが多い。

 これをうまく罠にかけて捕まえ、皮をはいで羽織り、血や匂い袋を衣服になすりつけ、こうして狼蜥蜴(ルポラツェルト)に擬態するのである。これを何度か繰り返せば立派な変装部隊が出来上がる。

 

 狼蜥蜴(ルポラツェルト)は目より鼻に頼る生き物で、こうして擬態した冒険屋たちが近づいても、最初は人間とは気づかない。仲間かと思って、あまり意識しない。

 そこを一斉に射かけるのである。

 

 未来としては随分悪辣なことを考えるのだなあという感想しかわいてこなかったが、子供たちはこの冒険譚を実に素直に楽しんでいるようだった。害獣というものが身近な脅威として感じられているかそうでないかの違いだろうか。

 

 未来はなんだかんだ庶民の生活というものを知らないから、害獣に被害を被った農民の苦労など想像するくらいしかできない。この感覚は改めていかないと危険だな、と未来はやっとこの気に食わない集会で収穫を得た気分になった。

 

 恐ろしい話だけでなく、クリスはちょっとした採取の話もした。

 川熊蝉(アルツェツィカード)という大きなセミの仲間を捕まえた時の話である。

 

 これはもっぱら澄んだ川辺に住む手のひらほどもある巨大なセミなのだが、美しい声で歌い、またその翅の水晶のように美しいことから、愛玩用や装飾用として人気がある。

 

 人が近づくとすぐに飛び去ってしまうので、虫取り用の柄の長い網が必要で、そして時間をかけて静かに近寄る忍耐が要求される仕事だった。

 

 しかし逆に言えばその二つさえあれば他に特別な技術も腕力も必要なく、誰でもやろうと思えばやれるということが、子供たちを興奮させたようだった。

 おとぎ話のように縁遠い冒険譚だけでなく、地に足のついた身近な話を織り交ぜることで、クリスは子供たちの関心を逃さないようにしているようだった。




用語解説

鹿雉(ツェルボファザーノ)(cervo-fazano)
 四足の鳥類。羽獣。雄は頭部から枝分かれした角を生やす。健脚で、深い森の中や崖なども軽やかに駆ける。お肉がおいしい。毎年生え変わる角には薬効があるとされ、高く売れる。

狼蜥蜴(ルポラツェルト)(lupo-lacerto)
 四足の爬虫類。鱗獣。耳は大きく張り出し、鼻先が突き出ており、尾は細長い。群れで行動し、素早い動きで獲物を追い詰める。肉の処理がひと手間。

川熊蝉(アルツェツィカード)(alce-cikado)
 川辺に棲む蟲獣。成蟲は翡翠のように美しい翅をもち、装飾具にもされる。雄の鳴き声は求婚の歌であり、季語にもなっている。成蟲の胴は鳴き声を響かせるためのつくりで殆ど空洞になっており、実は少ない。幼蟲は土中で育ち、とろっとしたクリームのような身をしているが、やや土っぽい。


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第八話 おとぎ話

前回のあらすじ

駆け出し冒険屋の語る冒険譚。
子供たちは魅了された。未来を除く。


 大人しく話を聞いてはいるが、かといって盛り上がりにも欠ける未来に申し訳なく思ったのか危機感でも感じたのか、クリスは積極的に輪に入れようと話を振ってきた。

 

「ねえミライ。子供たちはみんなこれぞっていうお話を知っているものなんだけれどね、君は何か冒険の話を知っているかい?」

 

 そりゃまあ、勿論知ってはいる。知ってはいるが、それを話すことは物凄く面倒なことに思われた。子供たちの興味をひいてしまうことも、また逆につまらないと一蹴されるのも、どちらにしても未来は御免だった。

 なので半ば反射的に知らないと返したが、これに絡んできたのがゴルドノである。

 

「知らないってこたぁねえだろー! なんか一つくらいあるだろー!」

 

 一つと言わずいくらもあるが、何しろ自分の冒険譚であるから、話すのは気恥ずかしく思えた。

 それも今の自分は盾の騎士ではなくただのお金持ちの子供ミライとしてここにいるわけで、そうなると自分の冒険譚を他人事のように話さなければならない訳で、それは一層恥ずかしいことのように思われた。

 

「なあなあー!」

「みんなもこう言ってるし、ちょっとだけお願いできないかな」

 

 話を振ってきておいて何がみんなもこう言ってるしだ。

 イラつきポイントが着実にたまりつつあった未来は、爆発する前にどこかで発散しなければならないと、一つ溜息をついた。

 仕方がない。これ以上絡まれるなら、まだへたくそな語り部の真似でもした方がいい。

 

「わかったよ。でも話をするのはあんまり得意じゃないから、期待はしないで」

「いいとも」

「それじゃあ。うん。森の魔女の話をしようか」

 

 その名を聞いた途端、あれだけ騒がしかった子供たちがしんと静まり返った。

 

「森の魔女って……あの森の魔女?」

「他にどの森の魔女がいるか知らないけど、僕が知ってる森の魔女は一人だけだよ」

「あの地竜を頭からバリバリ齧ったっていう?」

「齧っちゃいないよ。首を落としただけだ」

 

 未来のいっそふてぶてしいほどに動じない態度に、子供たちはどよめいた。

 未来としては知っている冒険譚などそれくらいしか、つまり自分達の話しかなかったわけなのだが、子供たちからすれば、謎に包まれた伝説の冒険屋の話など、本当に噂話くらいしか聞いたことがないのである。

 

「その口ぶり、もしかして詳しいのかい?」

「まあ、ほどほどに」

 

 嘘は言っていない。詳しいと言えば詳しいけれど、未来だって相方のことを何でも知っているわけじゃあない。自分のことだって、そうだ。

 

 そう言う物言いだったのだが、子供たちにはその落ち着きぶりがもったいぶった事情通のように見えたらしく、先にも増す勢いで話をせがんできたものだから、未来も目を白黒させた。

 

 それから、あまりにも素直に食いついてくる子供たちに、まあ子供って言うのはこういうものだよなと何だか未来自身も素直に思えるようになって、期待された分くらいは話してやろうかと、懐かしの冒険譚を思い出し始めたのだった。

 

「そうだね、まずはみんなも良く知っている、地竜退治の話をしようか」

 

 未来は自分でもいう通り、語り上手ではなかった。

 情感をつけて語ることも、抑揚をつけることも得意ではなかった。

 だからただ淡々と、事実を語っていった。

 

「森の奥から旅をしてきた魔女とお連れの騎士は、実は最初は路銀を稼ぐために冒険屋事務所の戸を叩いたんだ」

「ろぎん?」

「お金を稼ぐためってこと」

「森の魔女なのに?」

「森の魔女だってお腹は減るからね」

 

 最初は冒険屋見習いとして事務所に入ったこと、試験として豚鬼(オルコ)の討伐に出向いたこと、そしてその先で、地竜に遭遇したこと。

 

 静かに、淡々とした語り口は、クリスの大仰な物語に慣れた子供たちにはかえって不思議な説得力と真実味を感じさせたらしく、何かと騒ぐゴルドノさえも息をのんで話の続きに耳を傾けた。

 

 地竜との戦いは激しいものだった。

 盾の騎士は襲い掛かる地竜を森の精霊の力を借りて押さえつけ、この暴れ狂う化け物と取っ組み合った。

 地竜と言っても子供の地竜だったのだけれど、それでもこのぼろ屋くらいの大きさはあった。

 想像できるかい?

 君たちを一呑みにしてしまえるような大きな大きな怪物さ。

 

 盾の騎士が地竜を押さえつけている間に、森の魔女は呪文を唱えた。

 森の精霊が魔女のささやきに応えて、ヤドリギたちが地竜の体を覆っていった。

 岩をも砕くさしもの地竜も、全身から次々に力を吸い取られてしまってはたまらない。

 

 いよいよ追い詰められた地竜は大きく息を吸い込んで、それからものすごい勢いで吐き出した。

 そう、咆哮(ムジャード)だ。

 森をひっくり返すような強烈な咆哮(ムジャード)を、盾の騎士はしっかと構えて受け止めて、それから。

 

「それから?」

「それでおしまい」

「ええっ?」

「地竜は最後の力を振り絞って咆哮(ムジャード)をしかけてきたけれど、盾の騎士は見事にこれを受け止め切って、そうしてついに地竜は力尽きたのさ」

「はー」

 

 森の魔女が様々な魔法を駆使して地竜を圧倒する噂ばかりを聞いていた子供たちには、これはいささか地味な展開に感じられたようだった。

 しかし、はじめこそ嘘だの出まかせだのと言っていた子供たちも、地竜の首に何度も斧で切りかかって切り落として、近隣の村々に知らせて回った段になると、黙り込んだ。

 

 それというのも、地竜速報の話に関しては何しろことがことであるから、噂話ではなくかなり確度の高い情報が出回っているのである。

 その速報の裏話にあたるような未来の話は実にもっともらしかったのである。

 

 その後も、未来が自分達の冒険を他人事のように語るのを聞きながら、子供たちはいちいち噂と違う、本当はこうだったのかと騒ぎ、そしてしまいには素直にすごいすごいとはしゃぐようになった。

 

「こうして森の魔女は見事鋼鉄の怪物を真っ二つにしてのけたのでした。おしまい」

「もうおしまい?」

「これが一番新しいお話だからね。それに」

「それに?」

 

 未来はそっと窓の外を見やった。

 

「そろそろお腹減ったし」




用語解説

・ないときはないもんだ。


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第九話 中断

前回のあらすじ

衛藤未来一世一代の物語は無事閉幕。
お粗末様でした。


「ああ、もうこんな時間か」

 

 日はもうすっかり高く上り、未来のお腹は空腹を訴え始めていた。

 

「よし、じゃあみんなお昼ご飯にしておいで。食べ終わったらまたおいで」

「うん!」

「またなー!」

 

 子供たちはクリスに促されて、すきっ腹を抱えてどたばたと元気良く去っていった。

 スプロは小さな町ではあるがそれでも十分発展した街で、農民ならばともかく町民ともなれば一日三食が普通だった。勿論豪勢な食事がいつもいつでも摂れるという訳ではなかったが。

 

 子供たちが走り去り、ようやく解放されたかと未来は大きくため息をついた。

 正直なところ、子供たちの相手は、途中から少し楽しくなってきていたとはいえ、疲れるものだった。

 なにしろ彼らは恐ろしくエネルギッシュだ。

 

 小学校でもどちらかと言えば大人しい方で、ボールを蹴って遊ぶより本を読んでいる方が好きだった未来だ。ここまでぐいぐい来られることはあまり慣れず、結構気疲れする。

 

 それに子供たちに合わせたものの言い方をするのは、存外頭を使った。

 普段から大人に囲まれていることもあっただろうし、もともとの小学校での教育というものがこちらの教育より進んでいたせいもあるだろう。

 まして自分からよく本を読んでいた未来はもともと他の子供より語彙が多い方だった。

 

 それが通じると思って話していても結構な割合でどういう意味なのかと尋ね返されることが多く、最終的には自分より学年が下の子供を相手にするつもりで、柔らかく易しい言葉を選んで語ったものだ。

 

 その点、紙月との会話は楽だった。

 紙月の方が大人で、語彙力もあって、紙月の扱う単語がわからない時はあっても、その逆というものはなかった。わかりやすい言葉を考えて探す必要がなかった。

 

「僕、もう子供じゃ満足できない体にされちゃったんだなあ」

 

 聞く人が聞けば極めて深刻な問題になりかねない発言をサラッと吐き捨てて、未来はまた溜息をついた。

 

 今日溜息が多い。

 溜息をしただけ幸福が逃げていくという話もあるし、このあたりで気持ちを切り替えよう。

 

 未来はのっそりとぼろ屋を出て、昼飯でも買いに行こうと、

 

「待って!」

 

 したかったのだが、クリスにがっしりと肩をつかまれた。

 

 正直なところクリス程度の駆け出し冒険屋くらいなら装備品のない素のステータスであろうと何の問題もなく振り払えるのだが、さすがにそれをするのも大人げない気はする。

 

 渋々振り向けば、何やら目をキラキラと輝かせたクリスがこちらを覗き込んできて、未来は思わずのけぞった。近い。距離が近い。いったい何が彼の琴線に触れたというのだろうかというくらい、目が輝いている。

 

「……なに?」

「いやあ、ミライ、君があんなに話上手だとは思わなかったよ!」

 

 おほめ頂きありがとうございます。

 というか話下手っぽいと思ってたなら話を振るな。

 そして今僕はお腹が減っていて気が立っているので話は早めに済ませてくれ。

 

 そのような意思を込めたまなざしはしかし浮かれたクリスには届かなかったようで、あの話が素晴らしかった、この話はもっと詳しく聞いてみたい、いったいどこでこんな話を聞いてきたんだいなどと実に騒がしい。

 

「もしかして君、冒険屋事務所に出入りしてたりするのかい?」

「あー……まあ」

「どこの事務所? もしかして……」

「あー、うん。《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》にお世話になってる」

「やっぱり!」

 

 まあ、嘘はついていない。冒険屋として世話になっているということを省いただけだ。

 

 一層目を輝かせるクリスに、より一層の面倒くささを感じ始めた未来は、そろそろ空腹が限界だし放して欲しいんだけどという意思をまなざしに乗せてみたが、もちろんこれもクリスには届かなかった。

 

「じゃ、じゃあさ、もしかして、もしかしてなんだけど!」

「なにさ」

「も、森の魔女とも知り合いなのかな!?」

「あー、一応」

「本当に!? うわぁ! すごい!」

 

 食いつかんばかりの勢いに、ああなるほど、と未来は思い至った。

 要するにクリスは、先ほどの話から自分が森の魔女に近しいことを察して取って、憧れの冒険屋の知り合いという価値を自分に見出したわけだ。

 

 なにしろほとんど伝説のように語られている冒険屋である。

 クリスのような駆け出し冒険屋が憧れを抱いても仕方のない話である。

 

「実はちょっと見かけたことがあって、と言っても遠めに見ただけなんだけど、市を見て回っているところをね」

「へえ」

「盾の騎士もすごく格好いいんだけど、やっぱり森の魔女はとてもきれいで素敵でさ、あんなに細いのに数々の冒険をこなすなんて、ほんとすごいよ!」

「全くだね」

 

 クリスの言うことは実に全くだと未来は頷いた。

 紙月はとてもきれいだし、素敵だし、あんなに細いのにとても頼りになるのだった。

 

「だからさ、僕もお近づきになりたくって、よかったら紹介してくれないかな!」

 

 未来はこの素直な少年ににっこりと笑いかけた。

 

「嫌だよ」




用語解説

・「嫌だよ」
 全身全霊の拒否である。


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第十話 昼飯

前回のあらすじ

衛藤未来の貴重な拒絶シーンであった。


 頼む、お願いだ、後生だからというクリスの必死の頼みを知ったことかと振り払って、未来は秘密基地(ぼろや)を出た。

 

 そりゃあ、確かに紙月は奇麗だし素敵だしとても頼りになる。でもだからと言ってそれが大衆に手を振るアイドルのような存在になってほしいという訳では全然ないのだ。

 ひっそりと隠者のように過ごして欲しいという訳でもないが、殊更目立ってほしくもない。

 

 今更だとは思うし、自分勝手な独占欲だというのも理解はしていたが、理解と納得は別物だった。

 未来はどんなに背伸びしても子供だったし、自分が子供であるということを独占欲の理由にすることにまったく遠慮がなかった。

 

 そうだ。自分は子供だ。だから紙月を独り占めしたい。それの何が悪い、と。

 そのこざかしい考え方は全く子供であるとは言い切れないものだったが、かといって大人でもない、曖昧な時期のものだった。

 

 良くも悪くもたくましく成長しつつある未来少年は、それはともかくとして腹が減るのは仕方のないことだった。

 大人だろうと子供だろうと腹は減る。

 ましてや育ちざかりのお子様である。そんなに食べるの、というくらい食べる。

 

 特にこのゲームキャラクターの体は、以前より物を食うようになったという風に感じていた。

 超常の力を扱うがゆえに燃費がよろしくないのか、それとも獣人という種族がもとより大食いなのか、はたまた様々なストレスから解放された新しい世界で欲望に溺れ始めているのか。

 まあそのあたりは未来にとってはどうでもいいことである。

 

 大事なのは今腹が減っているということだ。

 

 事務所に戻れば厨房に何かしらの材料はあるが、それを調理するには厨房がいささか子供向けではない。わざわざ自分の食事の準備のために他人に手伝ってもらうのも気が引ける。

 

 ではどこかの店に入って食べるかというと、これは難しかった。何しろ未来は成人前の子供である。身なりこそ上等なものだが、いくらなんでも子供が一人で店に入って食事をとるというのは無理がある。

 親御さんはどうしたのから始まる問答が煩わしくて仕方がない。

 

 そうなると、まあいつもの手段しかないか。

 未来は馴染みの小道を進んで、市へ向かった。

 

 スプロのような小さな町でも、市は毎日のように開かれる。

 近隣の村々から売り買いに来る者もいるし、旅商人が品々を広げることもあるし、しっかりした店舗を持つほどの余裕のない者たちが露店を出すこともある。

 

 そしてそう言った賑わいの中には、人々の胃袋を商売相手にする店も並ぶ。

 

 何かを焼く香ばしい匂い、煮込み鍋から立ち上るかぐわしい湯気、秋に入ってよくよく熟れた果物をその場で切り分けてくれる店もあった。

 どんなに気が滅入ったものでも露店巡りをすれば胃袋の方から起き出してくるというほど、屋台飯は魅力にあふれていた。

 

 地方によっても特色はあふれ、例えば南部の市ではやはり魚介を出す店が多く、中にはなんと刺し身を出す店もあった。

 未来も紙月も喜んでいただこうとしたけれど、ハキロとムスコロのいわゆる常識人枠がこぞって腹を下すと恐れおののいたので、あんまり可哀そうなのでやめたのだった。

 刺し身が普通に並ぶ南部でも好き嫌いはあるというから、魚介と言えば川魚といった程度の西部人には衝撃が大きすぎたのだ。

 

 帝都では冷凍車を活用した輸送によって新鮮な魚介が食べられる店もあったので、今度こそはと挑戦しようと思ったのだが、あまりの高価さに、さすがに気がなえてやめた。

 それなりに小金持ちである《魔法の盾(マギア・シィルド)》の二人にとって払えない値段ではなかったが、南部に行けば小銭で食えるものを、と思ってしまうとどうにも食指が動かなかった。

 

 西部の市にはさすがに魚介は並ばない。川魚も珍しいくらいだ。だから干し魚や開きを炙ったものなどはある種の珍味として、そこそこの値ではあるものの売れ行きは良い。

 

 紙月もたまに酒の肴に食べるが、何しろハイエルフというものは胃袋が小さくてそんなにものを食べられないので、いつも一尾丸々は食べ切れず、残りは未来に回ってくる。

 未来としてはさほどうまいとも思わないし、小骨が面倒だし、最終的には面倒になって、獣人の顎と歯の強さに物を言わせてバリバリとやってしまうような類のものだ。それでも食べないと言わないのは、もったいない精神と、男の子心だ。

 

 さて、今日はどうしたものか。

 最近栄養のバランスも気になるし野菜の類が欲しいところだが、野菜は、実際、高い。

 未来の感覚で十分な量をとろうとすると、どうしてもお高くなる。

 

 では肉が安いと言えば別にそう安い訳でもない。専門の精肉店常にある程度家畜の数を揃えてあるから在庫に困りはしないが、一度さばいてしまえば熟成させる部屋もいるし、熟成を過ぎれば腐っていく一方だ。生き物は、高いのだ。

 干し肉となればもっとぐっと安くなるが、長期保存を前提にした塩加減であるから、勿論、さほどうまいものではない。

 

 では何が安いかと言えば穀類やイモ類だ。

 この辺りは主食とされているだけあって、安い。

 屋台にも、パン、クレープのようなものなどがよく並ぶ。

 

 未来はとりあえず一抱えほどあるパンを一つ買った。普通なら家族で食べる量だろうが、最近の未来はこれでようやく落ち着くくらいだ。

 

 たまに揚げ物の屋台もあるが、西部ではあまり食用油が潤沢ではないらしく、古い油を何度も使っているから、あまりおいしくはない。

 ある程度誤魔化しの利く煮込み類は安いが、水分でごまかされている部分が多々ある。

 

 そうなってくると後は串焼きの屋台が、強い。

 炭火で焼いた香ばしい香りがまず凶悪だし、トロっとしたタレをかけてさらにあぶると犯罪的な香りがする。

 

 思わずふらふらっと適当な屋台に向かいかけるが、未来にはお気に入りの店がある。

 一見したところ他とあまり変わらず、店主もやる気がなさそうなのだが、ここが他よりいくらか安いくせに、味は格段にうまいのだった。

 

「おじさん、いつもの」

「やあ坊ちゃん。タレ? 塩?」

「半々で」

「よしきた」

 

 串焼きにもいろいろあるが、ここは年経て卵も産めなくなった大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の肉を使っている。

 老鶏は滋味はあるが硬い。

 硬い、はずなのだが、ここの店の肉は不思議と硬くなく、ジューシーだ。

 焼いているところはほかの店と変わらないから、仕込みが何か違うのだとは思うが、未来にはわからない。紙月がもしかしてと尋ねたところ、ニヤッと笑顔でおまけしてもらっていたから、紙月は多分知っているのだろう。

 

 また、軟骨とくず肉を細かく刻んで煉り合せた()()()が特にうまい。老鶏のうまみがたっぷりのところに、軟骨のこりこりとした感触が人気で、昼時などすぐになくなるので、暇さえあれば鼻歌交じりにとんとことんとこ肉と軟骨を刻んでいる。

 串に刺してうまいだけでなく、寒くなってきた最近は、鍋でくず野菜とことこと煮込んで暖かい汁ものとしても出している。

 

 未来も気に入ってちょくちょく足を運ぶので、店主の方でも気に入って、「盾の騎士お気に入りの()()()()」として名前を頂戴して売り出している。

 名乗った覚えはないのだが、わかるものであるらしい。

 

 焼きあがった大皿一杯の()()()()串を受け取って、ちゃりちゃりと硬貨を支払うが、毎度これでいいのかと思うほど、安い。

 紙月に言わせれば、どこかの店の隠居あたりが趣味でやってるから、あれで潰れないんだとのことである。

 

 立ち食いもあまりはばかられることのない文化圏ではあるが、広場には一応テーブルとイスも用意してあって、大荷物の未来はいつもこの一角で食事を摂ることにしている。

 

 最初こそ子供が一人で、それも随分な大荷物を抱えているものだから何事かと見るものもあったし、その大荷物を砂山でも切り崩すかのようにぱくぱくと平らげていくのには驚くものもあったが、今ではたまに見かける名物として微笑ましく見られている。

 

 勿論、子供一人で物騒だと声をかけるものもあったし、金持ちの子とみてちょっかいを出そうとしたものもあったが、いまはもうあまりない。

 というのも、どう見ても堅気ではない風体のムスコロが、通りかかった拍子に下にも置かない扱いをして見せたり、同じように昼飯を食べようとしていた《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》の連中が気さくに声をかけて同席したり、しまいにはあの森の魔女が迎えに来たりして、とてもではないがただものではないと察したのである。

 

 自分はなにしろ鎧姿とこの姿で極端に違うから気楽なものだけれど、紙月はもう少し変装でもすればいいのにと未来は常々思っていたが、なかなか難しい問題だった。

 腕力でどうとでもできる未来と違って、紙月の場合は装備を剥ぐと弱体化がひどいのである。

 未来が守って上げられれば良いが、必ずしも未来がどうこうできる問題ばかりではない。

 

 世の中ままならないと思いながら()()()()串を一本、また一本と平らげ、パンをむしっては削り取るように消費し、気づけばあれだけあった山はなくなってしまった。

 

 串と皿をまとめてちらっとあたりを眺めると、人混みから目ざとく小さな子供が寄ってくる。

 未来は皿に小銭をおいて、子供に渡してやった。子供は受け取った更に硬貨のきらめきを見ると、歯の抜けた口でにかっと笑って、頭を下げて走り去っていった。

 

 串や皿は洗えば再利用できる。とはいえわざわざ店に戻るのも客としては面倒だし、回収しに行くのは店も面倒だ。そこで、ああいう子供たちが回収して店に運んでいくと小銭を駄賃として貰えるという、小遣い稼ぎがある。

 小遣い稼ぎと言っても、貧乏人の子供や物乞いの子供にとっては重要な稼ぎの一つだ。

 

 最初こそ戸惑ったものだったが、ムスコロに諭された。

 

 兄さんみたいな人はああいうものを()()()()見ちまうと心がくたびれるでしょうがね、連中は何も憐れまれたいわけじゃあないんです。ただ生活のため、それだけなんです。兄さんが憐れんで全員面倒見るなんてこたぁできやしやせん。何より連中の為にならねえ。俺たちゃ世の中を立派に変えるようなことはそうそうできねえんでさ。せめて道を踏み外さねえように、気にかける程度にしてやってください。

 

 すっかり納得したわけではないが、少なくとも自分にできることとそうでないことが世の中にはあって、これはそうでないことなのだということだけはわかった。

 

 すっかり腹も満たされて、かえって昼寝でもしたい気分だったが、未来は大きくため息をついてまた秘密基地へと向かった。

 

 あの物乞いの子供たちが、そのまま将来盗賊などに落ちぶれたり、のたれ死ぬ可能性というものを思えば、まだ()()()である子供たちに指針を与えているあの集まりは、すくなくとも偽善めいて小銭を寄越す自分なんかより世の中の為になっているのだろうと、そんなことを思ったのだった。




用語解説

・トゥクネ
 あの騎士の盾様御用達の名物料理。
 大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の肉と軟骨を細かく刻んで練った肉団子。
 煮てもよし、焼いてもよし。


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第十一話 森での仕事

前回のあらすじ

昼飯を平らげて、渋々秘密基地に戻る未来。
大人でも子供でもない、曖昧な時期なのだ。


 秘密基地に戻った未来は、すでに集まっていた子供たちに迎えられた。

 

「おせーぞミライ!」

「君たち早いね」

「飯なんてすぐだろー」

 

 まあ、食べる量が違うのだろうと未来は純粋に考えたが、実際その通りで、大人以上に食べる未来の食事量と比べるまでもなく、普通の町民の昼食というものはそこまで大量ではない。

 勿論、質素な朝食と比べて、労働にいそしんだ後の昼食はそれなりの量が摂られるが、それでも一般の町民の昼食と言えばやはりパンとチーズ、それにスープ程度のものである。

 

 味わうということを知らない食べ盛りの子供たちにとっては、それこそ()()だろう。

 

 子供たちはみな背負子や背負いかごを背負い、少し厚手の服を上に着こんでいた。

 

「なに、どっかいくの?」

「森に決まってんだろ」

「森?」

 

 小首を傾げる未来に、クリスが説明してくれたのは、つまりこういうことだった。

 

 成人前の子供たちと言えどただ食って遊んでいればいいという訳ではなく、家族として家計に貢献するのが当然である。

 例えばこの秘密基地の子供たちくらいの年齢ならば、もう成人も近いし足腰もしっかりしてきているから、ある程度の労働ができるようになってくる。

 家の手伝いがあればそれらをこなすし、そうでなければ、もっぱら森に出て小遣稼ぎも兼ねて薪拾いや果実・山菜取り、そして運が良ければウサギなどを狩ってくるのだという。

 

「成程。じゃあみんな忙しいみたいだし僕はこれで、」

「はい、これお前のかごな」

 

 残念ながらすでに仲間認定されている以上、逃げるという選択肢は許されなかった。

 

 至極面倒くさそうな未来に、クリスがとりなす。

 

「まあまあ、きっと町にはない刺激があるよ」

「わーお、それはたのしみ」

 

 棒読みで答えて、まあ、しかし、確かに町の中で退屈していたのだから、森に散歩に出るというのも悪くはないのかもしれなかった。子守さえなければ素直に楽しんでも良いところだ。

 

 秘密基地を出た一行は、クリスを先頭に西門を出た。門番も慣れているようで、引率のクリスが冒険屋章を見せると、気をつけてなと一声かけて、それで通してしまった。

 安全管理という言葉が頭に浮かんだが、未来は大人げなくそれを口にするような真似はしなかった。

 

 この西門は、最初に未来たちがスプロの町を訪れた時に使った東門とは真逆にあたり、出てすぐに伸びる街道沿いに森が広がっているのが特徴だった。

 森に入る道はある程度、人の出入りが頻繁にあるらしく、獣道よりも大分ましな程度に均されていた。とはいえもっぱら使うのは子供たちくらいのもののようで、鎧を着こんだらつっかえるような程度だった。

 

 ある程度進んで、獣道もどきが本格的に獣道になりかけたころ、クリスが立ち止まった。

 

「よし。じゃあ今日はこのあたりを中心に薪拾いしようか」

「おー!」

「はーい!」

「う、うん」

「はいはい」

「はいは一回。いつも言ってるけど、茸は見分け方が難しいから採るんじゃないよ。あとヘビを見つけてもちょっかい出さないこと」

 

 子供たちはクリスの注意もそこそこに、早くも森に繰り出したくてたまらなさそうだった。

 

「ミライは今日が初めてだから、ゴルドノ、見てあげてくれ」

「えー、わかった」

 

 今日が初めてというか今日で終わりにしたいんだけど。

 とは思いつつも、付き添ってくれると言うのに不満そうな顔では失礼であると、精々愛想笑いを作ってよろしくと言ってみたのだが、一方のゴルドノはいかにも不機嫌そうである。

 誘ったのはお前だろうとは思いつつも、まあ、子供の機嫌など秋の空と似たようなものだ。未来は自分も子供であることをまたしても器用に棚に上げた。

 

 森の中は、じっくり見てみると成程、期待以上に面白いものであった。

 都会っ子である未来にとっては見るもの聞くもの触るもの、みな初めてのものであるばかりでなく、それらは元の世界で見かけなかった特徴をも持っているのであった。

 

「俺は薪になりそうな枝拾うから、お前は木の実とか団栗(グラーノ)とか、山菜とか拾え」

団栗(グラーノ)ってなに?」

「お前団栗(グラーノ)知らねえの? あー……こんなのだよ」

「ドングリか。どうするのこれ」

「粉にしたり、油採ったりするんだよ。お前ほんと物知らずだな」

 

 ゴルドノの上から目線にムッとしなかったかと言えばうそになるが、しかしそれ以上に感心したのは、このゴルドノが馬鹿にするだけでなく、教えることはしっかりと教えてくれたことである。

 山菜についても、食べられるものとそうでないものをよく見分けて、未来が持っていったものは手早く仕訳けてしまう。

 

「これ雑草。これ食える。これ食える。これ雑草。これと似た感じのは毒草もあるから採らなくていい」

「これは?」

「これも雑草」

 

 未来が感心してせっせと手を動かし始めた一方で、ゴルドノもまたこの新入りにひそかに感心していた。やり方が賢いのである。目に入った範囲の草花を一つずつ摘んでまとめて確認しに来て、そして一度教えたものは忘れずに摘んでくる。

 これがヴェルノや、年下の子供たちだと、適当にごっそりと持ってきて、ゴルドノがせっせと仕分けする羽目になる。()()がいままで普通だっただけに、()()が恐ろしく楽だということにゴルドノは生まれて初めて気が付いたのだった。

 

 ただ、物知らずなことには参った。本当に手当たり次第目に入るものを全て確認させるため、ゴルドノは知っている限りの草木を一通りおさらいした気分だった。

 

「ゴルドノ」

「今度は何だよ」

「なんかやばそうなのがあるんだけど」

 

 言われて見に行った先に落ちているのは一見して大振りの団栗(グラーノ)である。そそっかっしいセオドロあたりなら拾ってきそうなものだが、ゴルドノはピンときて、まず木の枝でひっくり返して、全体を確かめた。それから触れないように鼻を寄せて匂いを嗅いだ。少し甘いにおいがする。

 

「うん、これは拾うな。触るな。……この木だな。この近くには寄らなくていい」

「なにこれ?」

「わかんないのにやばいってわかったのかよ……爆裂(エクスプロディ)団栗(グラーノ)だよ」

 

 未来がそれは何かと聞くと、ゴルドノはざっくりと答えた。

 

「握ると指が吹き飛ぶやつ」

「こわっ」

「普通のよりでかいし、甘ったるい匂いがするから、そそっかしくなきゃわかる」

 

 成程、と未来は頷いた。

 というのも獣人の鼻には確かにドングリらしからぬ甘い匂いが感じられたし、なにより火精がわずかに見て取れたのである。それで危険だと分かったのだった。

 

 その後もせっせと木の実を拾い、山菜を見分ける未来の仕事ぶりが、気に食わないのがゴルドノである。文句も言わないし仕事もできるし、ゴルドノに迷惑をかけないしといいことづくめなのだけれども、そのあまりにもできるところが何となく鼻にかけたようで気に食わないのである。

 

 また、着ている服もほつれもない上等なものだし、言葉遣いもしっかりしていていかにも金持ちの子供のようである。

 

 これだけ気に食わない要素が積み重なる上に、どうも未来はクリスに気に入られているらしいのが、ゴルドノの気に食わなかった。新入りのくせに、というわけだった。

 

 ここで陰湿ないじめに出ずに、スパッと切り出すのがゴルドノの浅慮な所であり、また気風の良いところでもあった。

 

「おいミライ」

「なにさ?」

「おまえクリスにどう売り込んだんだよ?」

 

 これに面食らって、未来は思わず二度見した。二度見したうえ、聞こえなかったふりをしたいくらいだった。

 

「ごめん。なんだって?」

「だからその、クリスにどうさあ、売り込んだんだよって」

「売り込むって」

 

 別段特別なことをした覚えはない。

 覚えはないが、ふと思い出されたのは子供たちがいなくなった後、頼みこまれた件である。

 

「なんか心当たりあるって顔だな!」

「いや、まあ、なんというか」

 

 心当たりがあるはあるが、まさか、君たちのあこがれの先輩が女を紹介してくれと迫ってきた、などと言ってはクリスも立場がないだろう。

 

「うん? いや、うん、そうだな」

 

 と思ったが、考えてみればクリスの立場がどうなろうと未来にとってはどうでもいいことなのである。むしろ適当に失脚でもしてくれた方が紙月にちょっかいを出すやつが減っていいかもしれない。

 無邪気に悪辣なことを考えて、未来は素直にしゃべった。

 

「いや、森の魔女の話をしたじゃない」

「おう」

「あれで知り合いらしいって気づいたらしくて、紹介してくれって言われてさ」

「え?」

「だからさ」

「お前森の魔女と知り合いなの!?」

「そっち?」

 

 はばかることのない大声に、セオドロとヴェルノも顔を上げた。

 

「なに、なになに!?」

「ミライ、森の魔女と知り合いなの!?」

「本当なのか!?」

「えっと、まあ、そうだね。仲良くさせてもらってるよ」

「すげー!」

 

 こうなるともう滅茶苦茶で、子供たちは仕事そっちのけで未来に迫るのだった。

 

 監督役である、クリスの制止も聞かずに。




用語解説

団栗(グラーノ)(Glano)
 ブナやカシなどの木の実の総称。いわゆるドングリ。
 我々が良く知る大人しいドングリの他、爆裂種や歩行種、金属質の殻に覆われたものなども存在する。

爆裂(エクスプロディ)団栗(グラーノ)(Eksprodi glano)
 爆裂(エクスプロディ)(クヴェルツォ)(Eksprodi kverco)の殻斗果、つまりドングリ。
 春から夏にかけて気温が高くなると、内部のメタ・エチルアルコールが封入された火精と反応して爆発し、種子を周囲にぶちまける。爆発自体は小規模だが、子供などが手に握ることで温度上昇、炸裂し、指などを吹き飛ばす事例がある。
 また、植物でありながら火精を扱う珍しい魔木として研究もされている。
 なお、この身自体は渋みが強く、流水で数日あく抜き・火精抜きをしなければ食べられない。



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第十二話 冒険ということ

前回のあらすじ

山菜取りにせっせと精を出す未来。
このまま終わってくれればよかったのだが。


 森の魔女の話をせがんで、子供たちの注目が未来の一身に集まるのを感じて、その未来以上に焦ったのはクリスだった。

 

 クリスからすれば、未来と言うのは自分の株を上げるために招き入れたようなものである。多くの子供を迎え入れる懐の広いリーダー。金持ちの子供も一目を置く格好の良い冒険屋。

 それは小学生の輪の中で悦に入る中学生という、まさしくそのままの構図だった。

 

 それが、よりにもよって招き入れた異分子に自分への注目をすべて取られて、クリスは動揺した。

 普段であれば、多少のことであれば寛大なつもりである鈍感さをもって、微笑ましく眺めていられたかもしれない。

 だが相手はあの森の魔女の知り合いなのだ。

 

 株は容赦なく向こうの方が、上だ。

 

 そしてまた子供たちの注目が奪われたことだけでなく、未来の注目が自分に全く向かないことにもクリスはじれていた。

 

 森の魔女への紹介を勝ち取るためには、何としても未来の注目が必要だった。

 

 先ほどは紹介を求めてもあっさり断られてしまったが、あれは確かに自分が性急すぎた。

 駆け出し冒険屋という看板しか持っていない自分が、いきなり紹介を求めたところで信頼が足りず、断られるのは自然の道理だった。

 

 だからこそ、自分が駆け出しとはいえ十分に優れた冒険屋であり、十分に信頼できる人物だという評価を勝ち取るために、わざわざ自分の得意である森まで引きずりだしたのだ。

 それが子供たちの注目を奪われ、子供たちに注目を奪われるという、二重の衝撃にクリスは焦り、慌て、どうにかしなければならないと気ばかりが急いていた。

 

 とはいえ、話に夢中になっている今、無理にねじ込もうとすれば煙たがられるのは目に見えている。

 どうしよう。どうしたら。

 

 そうして焦ったクリスの目に、冒険屋として習慣づけられた感覚が、あるものを見つけさせた。

 木の幹の中ほどだけ、木の皮が切り裂かれたように破られているのである。

 一か所ならば偶然もある。だが、クリスが見渡せば、その痕跡がいくつも見つかった。

 

 鹿雉(ツェルボファザーノ)の角研ぎ痕――縄張りのしるしだ。

 

 これだ、とクリスは天啓を得たように感じた。

 実際には悪魔のささやきもいいところだが、クリスはこう考えたのだった。

 

 鹿雉(ツェルボファザーノ)狩りの物語は子供たちを大いに楽しませた。

 もしも自分が鹿雉(ツェルボファザーノ)を一人で仕留めたならば、それこそ自分は子供たちの英雄になるだろう。あのこまっしゃくれたミライだって、立派に狩りを成し遂げた自分を見れば、素直に尊敬の目で見るようになるに違いない。きっと森の魔女にも紹介してくれるに違いない。

 

 それは夢物語と大差ない程度に希望的観測にまみれた想像だったが、自分自身に追い詰められたクリスにとってはもはやそれしかないという起死回生の一手だった。

 

 話に夢中の子供たちをおいて、クリスは縄張りのしるしを追って森の奥へと向かい始めた。

 指先をなめて風下を確かめ、気配を消して物音を隠して、それは成人したての駆け出し冒険屋としては十分に様になっていた。後がないという勘違いからくる焦りが、より一層その真剣みを増さしめていた。

 

 そしていよいよクリスは、若芽を食む鹿雉(ツェルボファザーノ)の姿を見つけた。

 角こそ立派だが、全体的に色味は薄く、目の周りの赤いコブも小さめの、まだ若い雄だ。飾り羽は見事なもので、争いという争いをあまり経験したことのない個体に思われた。

 

 そして幸いなことに、気配に敏感な鹿雉(ツェルボファザーノ)に珍しく、まだクリスの存在に気付いていなかった。恐らく敵や雌を奪い合う他の雄との争いに乏しく、平和に暮らしてきたのだろう。

 その鈍感さが、クリスに必要以上に自分の実力を過信させた。

 

 クリスは背に負っていた弓に矢を番え、狙いやすい胴体を狙ってゆっくりと弦を引き、

 

「………っ」

 

 そこで鹿雉(ツェルボファザーノ)がピクリと顔を上げた。

 クリスの立てたほんのわずかな物音と、そして隠しきれない殺気を鋭く感じ取ったのである。

 

 どうする。

 今ならまだ。

 

 クリスの慎重な考え方はしかし、鹿雉(ツェルボファザーノ)のあげた鋭い威嚇の声に乱れた。

 

「ケーンッ!!」

 

 若く高い、鋭い鳴き声とともに、鹿雉(ツェルボファザーノ)は前足の飾り羽を激しく体に打ち付けた。明確な威嚇のしぐさである母衣(ほろ)打ちだ。

 

 本来、ここまでであれば、大人しく引き下がれば鹿雉(ツェルボファザーノ)も追いかけてはこない。威嚇とはつまり、これ以上寄ってくれば容赦はしないという合図であって、逆に言えば、これを無視するならば襲い掛かるぞということなのである。

 

 しかし焦りに焦ったクリスにはもはや道理の判断もつかなくなっていた。

 威嚇の声に、もう駄目だ、このままでは襲われる、という短絡的な思考が走り、咄嗟に矢を放ってしまったのである。

 

 鋭くもなくただ闇雲に放たれた矢は鹿雉(ツェルボファザーノ)の背をかすめたが、熟練の狩人でも射貫くには慎重に角度を選ばなければならない頑丈な羽毛である。勿論血の一筋も流れはしない。

 

 だが、鹿雉(ツェルボファザーノ)の怒りを買うには十分だった。

 

「ケーンッ!!」

「うっ、わわわわわっ!!!」

 

 もはや容赦はしないと角を振るって襲い掛かる鹿雉(ツェルボファザーノ)から、クリスは這う這うの体で逃げ出した。恰好をつける余裕もなく、四つ足で転げるようにもと来た道へと駆け出した。

 

 もと来た道……つまり子供たちのいる場所へと。

 

「クリス……?」

「なんだあれ!?」

「なんかやばい!」

「みみみみんな逃げろ!!」

 

 逃げ惑う最中でも、子供たちに一瞬でも気をかけたのはクリスの生来からの面倒見の良さから来るものであったが、しかしそれでどうにかなる失態でもない。

 

 いよいよもってけつまづいて転倒したクリスに、鹿雉(ツェルボファザーノ)の角が容赦なく掬い上げるように襲い掛かった。

 

「うっ、うわ」

「お、らああッ!」

 

 それをすんでのところで受け止めたのは、突如として姿を現した白銀の甲冑、つまり未来であった。

 

「えっ? え、み、ミライなのか!?」

「ミライ!?」

「いいから早く逃げろ!」

 

 鹿雉(ツェルボファザーノ)の個体はまだ若いとはいえ立派な雄で、暴れ狂うこの角を押さえつけるのは、盾の騎士こと未来と言えど骨の折れる仕事だった。力もそうであるが、なにしろ体重が違う。鎧の分もあるとはいえ、中身が子供である未来は、根本的に軽いのである。

 

 とにかく子供たちを逃がすのが先だと怒鳴りつけたはいいが、その子供たちに動きがない。迂闊に振り向けない以上確かなことはわからなかったが、腰でも抜かしてしまったらしい。

 

「クリス! 君が責任をもって、」

「あわ、あ、あわ」

「使えない!」

 

 動きがないなと思えばどうも肝心の引率者であるクリス自体が腰を抜かしてまともに身動きが取れないらしい。

 

 クリスたちが動けるようになるまで押さえつけていくというのはどうにも無理があるし、クリスたちから離れるように誘導するのも骨だ。

 それに、恐らくこの鹿雉(ツェルボファザーノ)はクリスのことを覚えてしまっているだろう。

 今後も彼らが森に訪れることを考えると、この鹿雉(ツェルボファザーノ)の存在は危険極まりない。

 

 それらをまとめて知ったことかと放り捨てたい気分でいっぱいではあったが、しかし、子守をすると決めたのは未来なのだ。一度決めたならば、最後まで面倒を見るのが道理というものだろう。

 

「恨みは、ないけど……!」

 

 すまないと謝るのは身勝手だろう。仕方がないことだと片付けるのは間違っているだろう。

 だから、言葉はない。

 

 無言のままに未来は鹿雉(ツェルボファザーノ)の首をがっしりとわきに抱え込み、暴れる体を抑え込んで、そのままごきりと首の骨をへし折った。

 できるだけ苦しめぬようにと一息に力を込めたが、それでも鹿雉(ツェルボファザーノ)の体は少しの間、足掻くように震え、それから、ゆっくりと脱力して、地面に沈むように崩れた。

 

 一瞬の静寂ののちに、わっと響き渡る子供たちの歓声をよそに、未来は手元に残る感触にしばしの間、呆然とたたずんでいた。

 

(殺しちゃった)

 

 言葉にすればその一言であったが、自分の手で命を奪うということはどういうことなのかを、未来は初めて考えさせられることになった。

 いままで幾度も戦いを繰り広げてきた。魔獣を何度も討伐してきた。しかし未来が直接手を下したのはこれが初めてだった。

 

(ああ、成程。成程、な)

 

 紙月がかたくなに未来を盾役として用いるわけである。

 こんな感触、知らないで済むのならば、知らない方がどれだけよかっただろうか。

 だが未来はいま、知った。知ってしまった。命を奪う感触を知ってしまった。

 これが今後ためらいとなるか、覚悟につながるか。

 

 それはまだわからない。

 わからないが、少なくとも、それは軽々しいことではないのだと、そのように感じられた。

 

「ミ、ミライ、君、盾の騎士だったんだね! すごいよ!」

 

 だから。

 

「ミ、ミライ?」

「どういうつもりだクリス!!」

 

 だからこれは、ちっぽけな事件で終わらせていいことではないのだ。

 

「お前が護るべき子供たちを危険にさらして、お前は何をしていた!?」

 

 がっしりと首根をつかまれて、クリスは蒼白になった。

 今しがた鹿雉(ツェルボファザーノ)を軽々と絞め殺し、そして自分程度簡単にたたんでしまえるような巨大な鎧にすごまれているのである。

 まして子供たちのリーダーとしてふるまっていた自分が恐ろしい剣幕で怒鳴られることなど、想像だにしなかったのだ。

 

「し、仕方ないんだ! だって、そう、手柄、手柄を立てたかったんだ!」

「手柄だって?」

「こ、このままじゃ森の魔女に紹介してもらえないと思って、だから!」

 

 クリスとしてはまっとうな説明を、しかしまともに理解できるものはこの場にはいなかった。

 ただ、未来は理解した。

 

 ()()()()()()()鹿()()()()()()()鹿()()()()()()()()()()()()()()鹿()()()()()()()()()()()()()()()

 

「馬鹿」

「えっ」

 

 返答は言葉ではなかった。

 未来はクリスをひっつかみ、無造作に鹿雉(ツェルボファザーノ)の死体へと放り投げた。

 そしてその頭をひっつかんで鹿雉(ツェルボファザーノ)のうつろな目とご対面させてやった。

 

「君が馬鹿げたことを考えなければこの鹿雉(ツェルボファザーノ)は死ぬこともなかった」

「ひっ、や、やめ」

「殺したかったんだろう。よかったな」

 

 腰の立つようになったクリスを引っ立て、未来は鹿雉(ツェルボファザーノ)を背負わせた。クリスのまだ細い体にはこれは恐ろしい重労働だったが、未来は容赦しなかった。

 

「ゴルドノ。近くに川は?」

「あ、あるます」

「案内してくれ」

 

 ゴルドノの案内で一行は川へ向かい、未来はそこでクリスに鹿雉(ツェルボファザーノ)の血抜きから解体まで一人でさせた。

 日が暮れるころになってもまだ終わらなかったので、クリスを置いて帰ろうとしたが、土下座して許しを請われた。それでも置いていこうかと思ったが、ゴルドノたちにも許してくれと言われたので、仕方がなく認めた。

 

 解体できた分だけを持たせ、解体できなかった分はインベントリに放り込み、町へ戻った。

 門はもうしまっていたが、門番に盾の騎士だと名乗ると、特例として通してもらえた。

 

「ゴルドノ」

「は、はひっ!」

「クリスにはがっかりしたかい?」

「う……それは……」

「クリスは君たちからしたら大人に見えるかもしれないけど、御覧の通りちょっと背伸びした子供だ。時にはこういう間違いもする。失敗のお手本を見せてくれたんだと思って、まあ、いままで通り付き合ってやりなよ」

「……はい……」

「そんな硬くなるなよ。あー……友達だろ」

「……おうっ!」

 

 その後、子供たちを心配している親御さんのもとに送り届けてやり、クリスの身柄を《レーヂョー冒険屋事務所》とやらに放り込んでやったころには、とっぷりと日が沈んでいた。




用語解説

・解説がない回は平和な回というデマ


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最終話 スタンド・バイ・ミー

用語解説

初めて命を奪うという行為を知った未来。
その重さは、いまもまだ、受け止め切れない。


 子供たちを送っていった先では、心配していた親御さんに頭を下げて感謝され、盾の騎士様のお世話になるなんてと恐縮され、いえいえこちらこそこんな時間までと謝罪合戦だった。実際、クリスはともかく子供たちはもっと早く返してやるべきだった。

 

 《レーヂョー冒険屋事務所》に顔を出した時は、所長のレーヂョー氏自ら出迎えてくれた。

 この事務所は《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》と同じくらいの規模だったが、所属している冒険屋は町のこまごまとした雑事や、ちょっとした害獣の駆除くらいを扱っている、どちらかといえば何でも屋といった具合の事務所だった。

 

 どちらかと言えば荒事ばかりを専門としている《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》とは依頼が被ることは少ないようで、なるほどそれは顔を合わせることもなければ存在も知らない訳である。

 

 とはいえ向こうは盾の騎士の勇名をよくよく知っていたようで、事の次第を話すと土下座せんばかりに謝罪してくれ、かえって申し訳なくなる程だった。

 

「クリスは熱心な子でして、今回のこともきっと悪気があった訳じゃあないんです」

 

 と一応はかばうようなことを言いもしたが、しかし厳しいところはしっかりと厳しいらしかった。

 

「とはいえ、子供たちも危険にさらして、盾の騎士殿にもご迷惑をおかけして、とても冒険屋を名乗らせるわけにはいきません」

「そんな、所長!」

「ばかもん! お前がやったことだろうが!」

 

 これに待ったをかけたのは未来である。

 

「まあまあ。幸い、今回は大事にもなりませんでしたし、今回の件でクリスも反省したことでしょう。失敗の経験は良い教訓となるはずです」

「むう……しかし世間様にも盾の騎士殿にもご迷惑をおかけして」

「それでしたらこういうのはどうでしょう」

 

 未来が持ち掛けたのは、無償での社会奉仕である。ある程度危険のある依頼はさせるわけにはいかないが、細々とした雑事のような依頼を無報酬でやらせて、本人への罰と、事務所としての謝罪を兼ねるということである。

 

 それで反省して努めるならば目があるし、途中で倦んで止めてしまうならばもとよりそれまででクビにしたらよい。

 

「フムン。そのような形でよろしいとおっしゃるならば……おい、クリス。どうだ」

「はっ、はい! 誠心誠意努めさせてもらいます!」

「うん、よし」

 

 本来ならばすぐにもクビにするところだったところを助けられて、所長ともども感謝の言葉を雨あられと投げかけてくるクリスには悪いが、未来も別に同情だけで再起の道を残したわけではない。

 クビになったクリスが路頭に迷い物乞いに落ちる姿を見るのは忍びなかったし、ましてそれで物取りや夜盗にでもなられた日にはたまったものではないという至極個人的な感情の方が大きかったのだ。

 

 それに、安定していた子供たちの集まりに、未来という異分子が挟まったことであんな事件につながったということを思えば、いくらか責任感も沸くというものだ。

 

 《レーヂョー冒険屋事務所》を後にして、《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》に帰ってきた頃には、未来はもうすっかり心も体も疲れ果てていて、広間で内職をしていたらしい紙月が気楽な調子でおかえりと迎えてくれたのには心底ほっとした。

 

「どうした? なんか疲れてるか?」

「まあ長い一日だったよ」

「ほーん。腹減ったろ。晩飯食いに行こうぜ」

「うん、行こう。お腹減った」

 

 二人は少し相談して、馴染みの酒場である《踊る仙人掌(カクート)亭》で夕食を摂ることになった。

 

 味わい深いかぼちゃのスープは、かぼちゃの外にイモや豆の類を一緒に裏ごしして乳と煮込んだもので、どろりと濃厚な食べ応えは、飲むというよりは食べると言った方がいい。食べるスープだ。

 その中にさらに、ほくほくとよく煮えたかぼちゃがごろっと沈んでいて、これがまた、腹にたまる。

 

 成長期には肉だよ肉、とどっかりと皿に盛られたのは大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の焼き物だ。

 鶏の巨大な奴、とはいってもやはり大嘴鶏(ココチェヴァーロ)は鶏とは全く違う肉質で、どちらかと言えば牛肉に近い。臭みとサシのない牛肉だ。

 

 物知りな紙月はダチョウっぽいなどと言うけれど、紙月自身も食べたことはないので、話に聞いた限りではということらしい。

 

 この焼き物はステーキのようにただ焼いたものではなく、ちょっと手が込んでいる。

 

 まずよく叩いた肉に下味をつけて、粉をまぶし、溶き卵に生クリームとチーズを削って加えたものをまぶす。このクリームとチーズはどちらも鶏乳を使ったものだ。

 《踊る仙人掌(カクート)亭》ではこの卵液にいくつかのハーブを混ぜ込んで香りを立たせている。

 

 これを大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の皮の油を敷いたフライパンでさっと焼き上げる。焼き過ぎると卵の衣が硬くなるし、早すぎると火が通らない。手早く、しかししっかりと表裏を焼くのには、熟練の感覚が必要だ。

 

 こうして焼き上げられた肉に、付け合わせとしてごろっとした芋や、豆などが付く。

 

 一つの料理に大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の卵も乳も肉も皮もみんなつかうので、この料理は《完全(インテグロ)》とか、《完全な(インテグラ)大嘴鶏(ココチェヴァーロ)》とか呼ばれていて、西部ではちょっとしたご馳走扱いだ。

 

 名前だけでなく、味わいも大層なもので、うまく焼けたものは切ると肉汁がどっとあふれてくる。それを衣の卵と絡めていただくのだが、これがまた、たまらない。

 卵の衣の表面はカリッとしているのだが、中はふわりとして、溶けたチーズがもちっと絡む。そこに肉汁が加わると味わいがぐっと深まる。

 そして卵の衣に包まれた肉はうまみの全てを内側に閉じ込めていて、噛み締めるとそれが一時にあふれ出してくる。牛肉だと、独特の臭みが邪魔をしてしまう。しかし臭みのない大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の肉だと、卵の衣とうまく調和して、口の中で一体に融合してくる。

 

 うまみとうまみ、喧嘩することのないうまみの力が二倍どころか二乗にも三乗にもなって襲ってくる。

 

 高級な店などは、さらに上から鶏骨の出汁と鶏乳の生クリームから使ったソースなどをかけるというが、さすがにそこまでしてしまっては重犯罪レベルだと未来は感じている。人死にが出る。

 

 普通の一人前もお腹に入らない紙月の分までぺろりと平らげる未来の健啖ぶりを、微笑ましいやら胸焼けがするやらといった気持で眺めながら、紙月は竜舌蘭酒(アガヴ・ブランド)を舐めた。これはテキーラのような蒸留酒で、最近の紙月のお気に入りだった。

 

「なあ未来、今日はどんなことがあったんだ?」

「えーと……」

 

 べろりと唇についた脂をなめとりながら、未来はちょっと考えた。

 素直に子供たちととんだ冒険をしてきたなどとは言えないし、ちょっと鹿雉(ツェルボファザーノ)を絞め殺してきたなどと言えるわけもない。心配した紙月が付きまとうようになったら、お互いの為にならない。

 

「あー、まあ、近所の子供と遊んで来たよ」

「ほほう。近所の子供と」

「意外?」

「精神年齢が合わないんじゃないかと」

「あー、まあ、ね、うん」

 

 実際そうだった。

 森での採取はまあ悪くなかったが、子供の会話に付き合ったり、叱りつけたりというのは、未来の普段からすると過重労働も同然だった。思い出すだけでもどっと疲れが感じられるほどだ。

 

 そしてその疲れを思うと、普段から自分の面倒を見てくれている紙月はどれだけ苦労しているのだろうかといまさらながらに思われるのだった。

 

「……いつも面倒見てくれてありがとうね、紙月」

 

 しみじみとした感謝の言葉に、紙月は訳も分からず小首を傾げるのだった。




用語解説

・レーヂョー(Reĝo)
《レーヂョー冒険屋事務所》所長。
 冒険屋としての実力は大したことがないが、温厚な人柄もあって所員からは慕われている。
 趣味は小説の執筆。

・《踊る仙人掌(カクート)亭》
 先代店主が荒野で行き倒れしそうになったところを踊る仙人掌(カクート)に助けられ、スプロの町に店を開くようにと天啓を受けて開いたという、ちょっと正気を疑う経歴のある店。
 しかし実際料理の味は良く、サービスも行き届いた良宿である。
 ただ、当代店主も謎の仙人掌(カクート)を崇めているらしいが。

完全(インテグロ)/完全な(インテグラ)大嘴鶏(ココチェヴァーロ)
 大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の肉に、大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の卵と生クリームとチーズを混ぜ込んだ衣をつけて、大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の皮の油で焼き上げた大嘴鶏(ココチェヴァーロ)尽くしの一品。
 西部ではちょっとしたご馳走。
 《踊る仙人掌(カクート)亭》の二大名物の一つ。もう一つは仙人掌(カクート)ステーキ。

竜舌蘭酒(アガヴ・ブランド)
 竜舌蘭(アガーヴォ)から作られた蒸留酒。テキーラのようなもの。


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閑話
100話記念ショートショート


 それは古槍紙月と衛藤未来が、ようやくこの世界に、そして《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》での生活に慣れてきた頃のことだった。

 

 最初はただだるさがあった。

 《白亜の雪鎧》のもたらすかすかな冷気が心地よく、少し腰掛けるだけのつもりがうとうとと寝入りそうになる程だった。

 

 未来としては今日はなんだか眠いなとそう思うだけだったのだが、周囲から見ればそれはとても普通ではなかったらしい。

 

 朝起きて顔を洗おうとすれば盥をひっくり返してびしょぬれになり、体を拭くのもなんだかぎこちなく、何もないところでつまづくこと数度、そして事務所の広間で退屈な午前を過ごしている間に、うたた寝どころかぐっすり寝入って椅子から転げ落ちる。

 

 なにしろ鎧の上からでは詳しい様子はわからないとはいえ、さすがにこうまでおかしいと、はたから見ていてもわかるものだった。

 

「兄さん、具合でも悪いんですかい」

「そんなことないと思うんだけど」

 

 しかし返した声はどうしようもなく鼻声だった。

 

 慌てる紙月にせっつかれて鎧を脱いでみれば、肌寒いような、暑苦しいような、何とも言えぬ不快感が全身を襲った。

 

 へぷし、とくしゃみが一度。へぷし、と続けて二度。それから首をかしげて、またへぷし、とくしゃみが飛び出た。

 

「お前、顔真っ赤じゃないか」

 

 紙月は手のひらを未来の額に当て、その温度の高いことに随分と驚いたようだった。ぼんやりとした未来の方でも、紙月の手のひらの冷たさを感じたくらいだったから、温度差は結構なものだっただろう。

 

 もしかして、これは風邪なのだろうかと、未来がぼんやり思い始めたのはようやくその頃になってのことだった。

 

「大丈夫か、未来? つらいか?」

「だいじょうぶだよ……」

「全然大丈夫に聞こえない」

 

 鼻声で答えてはみたが、紙月はますます動揺する一方だった。

 

「ええと、おい、ムスコロ、こういう時どうしたらいいんだ? 医者はどこだ?」

「ただの風邪でしょう。あったかくして精のつくもんでも食えば、」

「医者っているのかそもそも? それとも神官か?」

「あのですな、姐さん」

「《回復(ヒール)》って迂闊に病気に使って大丈夫なのか? 悪化したりしないか?」

「駄目だこりゃ」

 

 あんまり紙月の動揺がひどいものだから、未来の治療のためというより、紙月を落ち着かせるために、馴染みだという施療所の施療師と、医の神の神官が呼ばれた。

 

「お子さんいくつです?」

「じゅ、十一です」

「あらまあ、若いお母さんで」

「俺の子じゃないんです、だから、これがはじめてで」

「はいはい、大丈夫ですからね、すぐ診ますから」

 

 施療所と言うのはつまり診療所のようなものだったが、元の世界に比べると、できることは少ない。昔ながらの薬草などから薬を煎じたり、傷を清めて包帯を巻いたり、骨接ぎをしたり、そういうことをするのだという。

 子供が熱を出したとなればまず頼るところでもあるらしく、施療師は手馴れた様子で未来を診察した。

 

 手のひらで熱を測り、鼓動を聞き、腹の音を聞き、脈を量り、息の匂いを嗅ぎ、舌の色を見た。

 

「風邪ですね」

 

 医の神の神官というものは、施療所の進化系といったようなものだった。実際、施療所でも医の神は崇めているし、その医療技術と施設の違いくらいが、この二つを分けるものだった。

 もっとも、だからといって医の神の神殿の方が施療所より偉いという訳ではなかった。

 神殿は何しろ金がかかるものだし、街中にいくつも立てられるほど余裕があるわけではない。

 施療所の方が治療費はずっと安くつくし、土地土地にそれに見合った施療所がある。

 

 ケースバイケースということだ。

 

 医の神官は何かしらの法術なのだろう、暖かな光を未来の体に浴びせてその容態を確かめた。またそれだけでなく、施療師のように診察もした。

 

「風邪ですね」

 

 腕のいい施療師と、若手の神官、二人がかりでそう診断されても、紙月はそわそわと落ち着かない様子だった。

 

「な、治るんですか」

「あったかくして、精のつくものを食べさせてあげなさい」

「下痢をしたり吐くようだったら、清めて、湯冷ましを少しずつ与えなさい」

「薬とか、法術とか」

「治せなくもないですが、そうすると子供の体はひ弱に育ちます」

「私も薬といっても、こういう時は栄養の出るものをとしか」

 

 おろおろと狼狽える紙月に、二人は顔を見合わせた。

 

「まず親御さんであるあなたが、大丈夫だよと言ってあげなければ」

「御覧なさい。お子さんの方がかえって落ち着いているじゃないですか」

「うぐ」

 

 それでも心配する親の気持ちというものお二人はよくよく知っているから、何かあった時はこう対処しなさいという覚書を書き置いて、紙月の肩を抱いて慰めてくれた。

 

 紙月はちょっとびっくりするくらいの礼金を二人に寄越したようだったが、二人は既定の料金だけを受け取って、次の診察があるからと去っていった。

 

 いつも二段ベッドの上の段で寝ている未来は、今日ばかりは看病の手間もあるし、落っこちたらとんでもないから、普段は紙月の寝ている下の段に寝かせられた。

 

 食欲は余りでなかったが、食べなければ元気にならないということはわかっていた。

 紙月が、南部に行った時に買った(リーゾ)とよばれるお米で粥を作ってくれたのは、ありがたかった。

 この世界の食事には随分慣れてきていたけれど、こうして弱った時には、馴染みの味が懐かしくてたまらなかった。

 

 紙月が本当に心配そうに見つめながら、ひと匙ひと匙、ふうふうと冷まして食べさせてくれるもので、気づけば土鍋一杯にあったおかゆを平らげてしまって、少し苦しくなった。

 

「ご、ごめんな、多すぎたか」

「ううん、ちょうどいいよ」

 

 それでも起きているのがつらくなって、枕に頭を乗せて横たわると、なんだか病人なのだなという自覚がわいてきた。そうして、自覚がわいてくると途端に具合が悪くなってくるような気がした。

 

 紙月が土鍋を片付けに行く間、未来は自分がとてつもない孤独の中に放り出されたような気分になった。事務所の中だから、耳をすませば遠くから冒険屋たちの声や、その動く物音が聞こえては来る。

 けれどその遠くから聞こえてくることが、かえって未来のそばには誰もいないのだということを感じさせて、恐ろしく分厚い真綿の壁のようなものを感じさせた。

 

 未来は頭から布団をかぶって、そのこもる熱の中できつく目をつぶった。

 暑苦しくてたまらないのに、背筋は寒さに震えた。

 全身は汗をかいて湿っているのに、口の中は渇いてつっかえた。

 

 布団の中には、未来自身の鼻づまり気味の呼吸音と、時折せき込む声で満ちていた。背筋からこみ上げる悪寒に対抗するように、湿り気を帯びた体温が充満していた。

 そうしてじっと黙りこくっていると、今度は筋肉のきしむ音、骨のこすれる音、そしてまた頼りない心臓が打ち鳴らす鼓動が聞こえ始めた。

 

 そのうるさいほどの雑音も、やがて慣れてくると曖昧に体温に混じり始め、そうしてなだらかにならされて、聞こえないのと変わりなくなっていく。

 

 布団の中に繭のようにくるまって、未来は自分がひとりっぽっちなのだという充足と孤独を同時に感じていた。

 一人であることはどこまでも気楽に感じられた。熱も寒気も、体の痛みも喉の痛みも、全てがすべて自分のものだと思えば、ここはどこまでも満ち満ちていた。

 独りであることはどこまでも残酷に感じられた。誰とも共有することのできない熱も、誰とも分かち合えない痛みも、全てがどうしようもなく寂しく感じられた。

 

 眠いのか、起きていたいのか、暑いのか、寒いのか、ふらふらと曖昧なまま、未来はまどろみの中であえいだ。

 助けてくれと言いたかったのか。

 放っておいてくれと言いたかったのか。

 

 いまも未来にはわからない。

 

 ただ、布団の隙間をそっと割り入ってきて、額にひんやりと触れてきた体温ばかりが、その答えのように思われた。



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第九章 ワン・ストーミー・ナイト
第一話 嵐


前回のあらすじ

子供の面倒を見ることの大変さを知った未来。
大人って大変だ。


 この世界にも天気予報というものがあるのを知ったのは、ある風の強い日だった。

 

 今日は風が強いなとぼんやり思いながら内職しているところに、買い出しに出ていた所長のアドゾが、事務所の冒険屋を連れて大荷物を持って帰ったのである。

 

「随分また買い込みましたね」

「なにかあるんですか?」

 

 小首を傾げた二人に、アドゾは荷物をおろして額の汗をぬぐった。

 

「いやね、広場の掲示板に空読みの予報が出ててね。もう、すぐ、強めの嵐が来るって言うから、備えるのさ」

「空読み?」

 

 忙しいアドゾたちに代わって答えたのは、同じく内職していたムスコロである、

 

「空読みてえのは、空の神の神官で、学者ですな」

「学者」

「空の様子とか、気温とか、そう言うものの記録を延々と取り続けて、比べて、近いうちの空模様を占う連中ですな。当たり外れは神官の腕にも寄りやすが、スプロの町の神官は、まあ備えて憂いなしって程度には当たりやすぜ」

 

 要するに天気予報士である。それに神官であるというから、積み重ねてきた統計からだけでなく、神からの託宣(ハンドアウト)を賜ることもあるという。

 

 天候というものはそれ次第であらゆるものに影響を及ぼすものであるから、それを正確な予報できるとなればかなり好待遇されそうなものであるが、やはり、当たり外れもあるので、まあ公務員として安定はしているという程度であるらしい。

 

 第一神官というもの自体が普通の人間と感性が違ってくるところに、空の神というものは神々の中でも最も古い国津神のうちの一柱であり、それを崇める空の神官というものは大概独特な感性の持ち主で、市井と折り合いがつかないことはなはだしいのである。

 

 普段はさして役に立たないのに、何をするでもなく日がな一日空を眺めて、温度計を眺めて、ひたすらに記録を取っている変人集団と言うのが一般の認識なのである。

 

「大事なことなんだけどなあ」

 

 とはいうが、まあ、生活に一杯の人々には構っていられるほど余裕がないというのも事実なのだろうと紙月は緩く思う。

 

「姐さん、嵐くらい魔法でどうにかなりやせんか」

「そうだねえ、森の魔女なんて大層なお名前頂いてるんだ、どうにかならないかい」

「無茶言わんでくださいよ」

 

 嵐くらい、と言うが、例えば紙月も馴染みのある台風だって、そのエネルギーは原子爆弾何万発分くらいはあるという。いくら紙月が魔法に長けていて、人から見たらほとんど無尽蔵に魔力があるとはいえ、あくまで個人である。

 人は、天災には抗えない。

 

「その天災である地竜を倒しちまってるんですがねえ」

「規模が違わい」

 

 第一、仮にできたとしても、無理やりに嵐を散らすなりそらすなりしてしまった場合、その後の被害が怖い。本来降るべきであった雨が降らず、本来降るべきでない場所に水分が行ってしまえば、農作にも影響は出るだろうし、気候にも影響は出るだろう。

 予想できないことはするべきではない。

 

 まあ事務所の面子も最初から期待していたわけではない。

 ただ、嵐が来るとなると事務所に引きこもるしかなく、その間暇だし、仕事もないので、できれば嵐にはどこかへ行ってほしいなというくらいのことである。

 昔からそう言うとき人にできるのは祈ることか事前に備えるくらいのことだ。

 

 さて、嵐自体はどうにもできないと言えど、何にも備えないというのも申し訳ない。

 アドゾたちも食料を買い込んだ。これからまた追加の燃料を買いに行くという。

 事務所では鍋や容器に、井戸から水を汲んでは汲み置いている。

 ハキロも釘のたっぷり詰まった箱を持ち出して、板材で窓をふさごうとしている。

 

「僕らもなんか手伝えないかな」

「そうだな。とりあえず未来は、ハキロさんの手伝いしろよ。大変そうだ」

「うん」

 

 その背中を見送って、紙月はさてどうしようかと少し考えた。

 

 見上げる事務所はそれなりに年季が入っていて、しっかりとした造りではあるが、強めの嵐が来るとなると少し不安である。

 とはいえ、バフ系の魔法は時間制限があり、嵐の間中それを補強し続けるという訳にはいかない。

 

「後に残るもの、だな」

 

 紙月は壁の薄そうな所や、柱などを選んで、呪文を唱えていった。

 

「《金刃(レザー・エッジ)》」

 

 これは本来地面から金属の刃をはやす攻撃魔法である。

 しかし紙月はこれを調整し、生やす金属の大きさや形を変えることに成功していた。

 そしてこの金属は、魔力に分解してしまうまで、あとに残る。

 

 これを材料にして、事務所を補強していこうというのである。

 

「おお、これなら風でもびくともしなさそうだね。こっちも頼めるかい」

「よしきた」

 

 所長のアドゾに言われて、脆くなってきたところ、隙間風が入るところも、この際ついでに金属板を張り付けていくことにした。そうすると、金属を張っているところと張っていないところの差が目立つ。

 

「美しくないねえ」

「美しくないですね」

「あんた、できるかい」

「できらいでか」

 

 調子に乗ったこの二人は、壁という壁を鋼鉄の板で覆ってしまった。こうなるともはや補強というより外側に壁を一枚追加したようなもので、ほとんど要塞である。

 

「そういや雨漏りもあるんだった。屋根もやろう」

「やりましょう」

 

 紙月も乗らされるととことん乗る人種であるから、《飛翔(フライ)》の魔法でふわりと屋根に乗って、これも金属張りにしてしまった。

 

 すげえ、強そう、と冒険屋たちが騒ぐ中で、あれトタン屋根と一緒で雨音うるさそうだなと未来はぼんやり思うのだった。結局窓の目張りも、紙月が魔法でやってしまったので、ハキロも未来も見上げる他にやることがなくなったのである。

 

 しばらく近所の人が見物に集まり、他人事だからと勝手な文句を言うたびに、調子に乗った未来は鋼鉄のガーゴイルや鬼瓦を屋根に作ったり、壁の金属板にそれは見事な彫刻を追加したりしていった。その度にやはり、はやし立てる声が上がる。

 

 騒ぎが大きくなるとやがて衛兵がやってきて、言った。

 

「《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》に武装蜂起の疑いがあると聞いてきたんだがね」

「えっ」

「こりゃ見事な要塞だ。法に引っかかるとは言わないが、私らもちょっと警戒しちゃうなあ」

「ぐへぇ、すみません」

「まあ森の魔女さんのやることだし、嵐のための補強だろう? 終わったらちゃんと直しなさいよ」

「はい、すみません」

 

 アドゾともどもしかられ、近所の住人も自分達の家の対策を思い出して去っていった。

 

「格好いいのにねえ」

 

 アドゾのつぶやきは、冒険屋一同の賛同するところであったようだったが、それはつまり世間一般とは相いれないということでもあった。

 

 とにもかくにも補強が済んで、冒険屋たちは総出で表に出てるものを一つ一つ改めて事務所の中に放り込んでいった。風で飛ばされてしまうからだ。

 箒や塵取り、細々とした品はすべて物置に放り込まれ、これも紙月の魔法で補強された。

 

 一番大がかりだったのは、看板である大斧である。

 何しろ大男である鎧姿の未来でもちょっと頼りなくなるサイズの巨大な斧である。

 しかも張りぼてなどでなく、中身がしっかり詰まった本物の斧であるという。

 

 未来が持ち上げようとしてもふらつくほどで、安全のためにむくつけき男どもが密着するようにして持ち上げて、事務所の中に収めた。

 

 紙月などはこれだけ重いのだから外においても大丈夫ではないかと思うのだが、以前大きな嵐が来た時に、固定していた縄を引きちぎって飛んでいき、石造りの建物にめり込んだことがあるのだという。

 そのときはほかにも、銅像が吹き飛ばされたり、建物の二階が吹き飛ばされかけたり、相当な被害が出たようである。

 

 今回はそこまでではないだろうという空読みの見立てだったが、備えておくに越したことはない。

 

 このようにして、《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》はひきこもる準備を整えたのであった。




用語解説

・広場の掲示板
 情報伝達手段の乏しい帝国では、市町村が何か公示する時はもっぱら掲示板に張り出し、また役人が読み上げる形となっている。
 新聞の号外などが張られることもあり、庶民にとって重要な情報獲得手段だ。

・空読み
 空模様を読んで天気を予測する人。
 特に空の神の神官のことを言う。
 神からの託宣に頼るだけでなく、独自に統計資料などをまとめており、土地によるがかなり正確な予報が出せるようだ。

・国津神
 神には大きく分けて三種類あって、もとよりこの世界にあった国津神、虚空天よりやってきた外の神、つまり天津神、そして人から陞神した人神がある。
 その他、雑多な精霊神などこの世界にはたくさんの神々が満ちているようだ。

・《飛翔(フライ)
 《魔術師(キャスター)》の覚える風属性環境魔法《技能(スキル)》のひとつ。
 空を飛ぶことで多少の地形を乗り越えることができるが、ゲームの都合上乗り越えられない地形もある。
『空を飛ぶというのは人類の夢の一つよな。羽ばたくがよい、若人たちよ。わし? わしは良いんじゃよ。爺さんのローブなんぞ覗いても仕方あるまい』



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第二話 内職

前回のあらすじ

嵐に備える《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》一行。
やりすぎた。


 こうして事務所をすっかり閉めてしまうと、事務所の広間にはやることもない筋肉ダルマどもがひしめくこととなった。

 普段は自室で寝ていたり、依頼で外に出ていたりして、一堂に会するという機会がなかなかない面子がそろうのは壮観であったが、何しろ荒くれぞろいの《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》である。非常に暑苦しいことこの上ない光景である。

 

 このむくつけき筋肉ダルマどもが自室に行かず何故こうして広間に集まっているかと言えば、内職の為であった。

 

 嵐で冒険の依頼をこなすことができないといっても、何しろ冒険屋というものは十分に貯蓄のある連中ばかりではない。暇だからと言って暇をそのままに持て余す余裕などと言うものは基本的にないのである。

 そこで依頼がない時には冒険屋というものは内職にいそしむのが常であった。

 

 一角を見れば、縄を綯う者たちがいた。摘まれた藁や麻など、素材はさまざまで、太さも、細縄もあれば、太縄もある。

 紙月や未来にはあまりなじみがないが、縄というものは生活の上でも冒険の上でも何かと用を足すものである。また消耗品であるから、ありすぎて困るということもそうそうない。

 自分で使うこともあるし、なんなら現地で自然の素材から作り出すことを要求されるときもある男たちは、手馴れた様子で縄を綯っていく。

 

 また別の一角では彫り物をしている連中が、小刀や、それ専用の彫り刀を握っていた。

 彫り物は様々で、洗濯板を彫るものもあれば、木彫りの人形を彫るものもいた。何人かで組んで、ひとりは荒く彫り、ひとりは細かく彫り、一人はやすりをかけ、そしてまた一人が油を塗りこんだり、塗料を塗ったりして、数人がかりで流れ作業を行う者たちもあった。

 

 また内職ではなく、装備の点検を行う者たちも多かった。

 自分の命を懸けるものであるから、普段から細かく点検はしているが、こうしてたっぷり時間が取れる時でないとできない点検もある。

 あるものは繕い物をし、あるものは刃を研ぎ、あるものは精霊晶(フェオクリステロ)の様子を検め、買い替え時を探っていた。

 

 みなこのような事態にも、そしてて仕事にも慣れているようで、広間は雑然としていながら、お互いに邪魔をするということがない。

 きっとこの嵐の間は、どの事務所でも、またどの家々や店々でも同じような光景が広がることだろう。

 

 紙月などもどっかりと腰を下ろして、また買い集めてきたらしい精霊晶(フェオクリステロ)に3Dクリスタル加工を施している。

 精霊晶(フェオクリステロ)の種類が増え、また形も整いサイズも大きいあたり、くずではなく純正品らしい。彫刻の腕前も上がっているし、売り上げがいいのだろう。

 

 これらは見ているだけでも面白かったが、しかしただぼうっと眺めていても、すぐに飽きてしまう。

 

 誰かの真似でもしてみようかとムスコロの手元を見てみると、この男、もうあまり意外でもないが、手先が器用である。

 

 手のひらに乗るような小さな木切れを手に取って、ノミでざっくりと()()()を取った後は、布を巻いた細身のナイフで、ひたすらコツコツ彫る。彫る。彫る。

 それで輪郭ができ、詳細が彫られ、気づけば鬣も立派な獅子の顔が彫り出されてくる。何かと聞けば、根付のようなものであるらしい。

 

 たいていのものは彫れるようだが、早く数が作れるから、こうした根付や、ベルトのバックル飾り、またちょっとした飾りに使えそうな細々としたものをもっぱら彫っているようである。勿論この早く数が作れるというのはこの男が恐ろしく器用で、手馴れているからの話であって、未来がすぐすぐ真似できるようなものでもない。

 こうしたものは一袋いくらという形で店に売りに出されるらしい。

 

「ムスコロさん器用だねえ」

「まあ、慣れですな。慣れ」

「マトリョーシカとか彫れるんじゃない?」

「まと……なんですって?」

 

 マトリョーシカ人形とはロシアの民芸品で、胴体の部分で上下に分けることができる。中は空洞で、その中にさらに小さなマトリョーシカ人形が入っている。そのマトリョーシカ人形も上下に開けられ、また中にはさらに小さな人形が入っている、といった入れ子構造の品である。

 

 人形自体の造作はのっぺりとしたものだが、表面は色とりどりの絵の具で彩色されており、歴代指導者をコミカルに描いたものや、動物を模したものなどもある。

 

 説明を聞いて、ムスコロは早速手ごろな大きさの材木を取って、彫り出し始めた。まず丸っこいあたりをつけて、一番外側の人形を彫り出す。そしてダルマのような形に仕上がると、軽く磨いて、少し考えて胴を二つに割った。

 割って、その中身を彫りぬくように慎重に切り出し、抜けたものからさらに小さな中身を彫り出していく。

 

 本来のマトリョーシカ人形もこのようなやり方であるのかは未来も知らないのだが、ムスコロの頭の中にはどうやったらどうなるのかという工程表がすでにざっと浮かんでいるようで、時々手を止めて眺めるが、考え込むということがなく、手が早い。

 やがて五つの()()をくりぬくとそれぞれの表面を奇麗に磨き上げ、接合部となる部分を何度も合わせながら、慎重に形を整える。

 

 そうしてふうとやっと一息ついたころに、ムスコロの手元で人形の上下がぴったりと合わさった。色こそ塗られていないが、確かにマトリョーシカ人形である。

 

「細工としちゃ面白いもんですが、思ったよりは簡単なもんですな」

 

 それはできる人間だから言えることである。

 ムスコロが人形に油を塗って、吸わせて、乾かしている間、未来も彫刻に挑戦してみた。木切れに《魔法の盾(マギア・シィルド)》の紋章を刻んでみようとしたのである。

 しかし鎧を着てやろうとすると手先の感覚がわからず彫り過ぎてしまい、では脱ぐとどうかというと手が小さすぎて彫り刀を握るのも難しい。

 

 ようやくそれらしい盾のような形を彫り終えたころには、ムスコロの手元で《白亜の雪鎧》姿をデフォルメした絵が塗りつけられた人形が完成していた。

 

「あー……最初の内は、墨で表に絵を描いて、あたりをつけるといいですな」

 

 その絵の時点で、軽くくじける未来であった。




用語解説

・内職
 内職はこの時代、重要な稼ぎの一つだった。
 冒険屋たちも常に依頼があるという訳ではなく、貯蓄もそうたまるような仕事ではないから、暇があれば内職にいそしみ、小金を稼いでいた。



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第三話 堅麺麭粥

前回のあらすじ

内職に挑戦するも思いのほかに不器用だった未来。
まあ何事も最初の内はそんなもの。


 未来が苦戦している間に、いい頃合いとなった。

 つまり、昼飯時である。

 

 普段であれば多くの冒険屋たちは店に食いに行くか屋台で済ませ、一部が厨房で交代で飯を作って昼飯にする。

 

 ところが今日は冒険屋たちが一堂に会しているので厨房でつくるほかに手段がないのだが、それぞれのパーティで勝手に昼飯を作り始めると、厨房が大混雑してとてもではないが仕事にならない。

 そのため今日は、大鍋で全員分の昼飯をこさえることになった。

 

 厨房に立ったのは所長のアドゾの外、調理に慣れた面子が数人で、未来たちが内職に夢中になっている間にすっかり仕上げていた。

 

 飯だよと呼ばれて、冒険屋たちはそそくさと内職道具をわきによけて、広間の大テーブルの上を奇麗に清めた。

 そうして()()()()()準備した冒険屋たちは、混雑しないように一人ずつ厨房に並んで、昼食の皿を受け取ってそれぞれの席に戻っていく。

 まるで配給だ。

 まるでというより、実際配給なのだろう。

 

 紙月と未来も並んで受け取った皿の中身は、とろみのついた煮込みものである。

 席に着くと、周りの冒険屋たちからは何とも言えない、諦念とも倦厭ともいえないため息が漏れだした。

 紙月たちの隣に腰を下ろしたムスコロも、文句は言わないまでも渋い顔である。

 

「どうした?」

「ああ……そうか、姐さんたちはあんまり縁がありませんでしたな」

 

 煮込みにぞんざいに匙を入れながら、ムスコロはうなった。

 

「こいつはまあ、料理名としちゃ堅麺麭粥(グリアージョ)ってことになりやす」

「ぐりあーじょ」

「前に南部に行くときに保存食をお見せしたでしょう」

「ああ」

「あれらを使った、冒険屋が旅先で食う定番中の定番でしてな。別にまずい訳じゃあねえんですが、かといってうまい訳でもなし、味の調整も限度があるんで、出先でこいつを食うことの多い冒険屋にとっちゃ、おふくろの味より飽き飽きした飯なんでさ」

 

 成程。道理で皆目が死んでいるわけだ。家でくつろいでいるところで、旅先で食い厭きたものが出てきたら、うんざりもするだろう。

 

 内容は、ざっくり言えば、干し肉でだしを取り、乾燥野菜を煮込み、堅麺麭(ビスクヴィートィ)という硬く焼しめたビスケットのようなパンを砕いてとろみをつけたものであるという。

 保存性からも、荷物を少なくするためにも、また入手のしやすさからも、旅先で持ち運ぶ保存食と言えばまあ大体こんなものであるという。

 

「大方、事務所の非常食がそろそろ痛み始めてきてるから、まとめて処分しようって肚でしょうな」

「まあ、それは、仕方ないと言えば仕方ないのか」

 

 実際に食べてみると、別段まずいものではなかった。

 むしろ保存食として思えば結構おいしい方なのではないかと思う。

 

 味わいとしては素朴な塩味で、それにとろっとした堅麺麭(ビスクヴィートィ)のとろみがちょっと小麦臭くはあるが、まあこんなものだろう。干し肉はよく煮込まれて硬いということはなかったし、乾燥野菜とやらはほろほろとくずれて、まあ、うまいとかまずいとかいう以前によくわからない。

 

 食べるということを極度に情報圧縮して概念化したもの、というのが紙月がこねくり回した挙句に吐き出した感想だった。つまり、確かに食べているは食べているのだが、うまいとかまずいとかそう言う感想がどちらにも振り切れない微妙なラインで、満足も不満もなくただ腹が満たされるといった具合なのである。

 

 初めて食べるという新鮮さのある紙月でさえその程度なのだから、食い慣れた冒険屋たちとしてはややマイナスに振ってしまっても仕方がないだろうという感じはする。

 見ればみな無心に消費するだけで、食事を楽しむという顔ではない。

 まずくはない、というのが難しいところだった。

 まずければ文句も言えるし、文句が言えれば会話にもなるが、何しろ別にまずい訳ではないのである。味だけで言えばまあそこそこの味はするのである。だが決して手を打ってうまいと言える味でもない。

 

「え、みんなまじで旅先でこれしか食えないの?」

「もう少しましになりこともありやす。香草を摘んで加えたり、兎なんかぶち込むだけでも大分違いますな」

「じゃあこれは」

「平均値中の平均値ですな」

 

 これがスタンダードならば、魔女の流儀の旅に付き合ったハキロやムスコロが「ダメになる」とぼやくわけである。何しろ紙月と未来の旅では、食事に困るということだけはまずない。

 

「姐さん、例の敷布でなんか出しちゃあもらえやせんか」

「駄目だ」

「姐さんもうまいもん食いたいでしょう」

「旅先で使うのはともかく、ここで使ったら今後便利なように使われる気がする」

「あー」

 

 旅に付き合った仲間におすそ分けという形で飯を食わせるのは、紙月としても問題ない。

 だが仮に事務所内で使った場合、すでに人を冷房扱いしてきている図太い冒険屋どもである。俺も使わせてくれ、こっちにも頼む、などと引っ張りだこになりかねない。

 そのようにいいように扱われるのは御免である。

 そのかわり、紙月も未来も、旅先ならともかく事務所で《食神のテーブルクロス》を使うことはない。

 

 その主張がわかるだけにムスコロも強くは言ってこなかった。

 ただ無心に堅麺麭粥(グリアージョ)を消費するだけである。

 

「未来、やる」

「あー、うん」

 

 ハイエルフの体になってからというものすっかり食が細くなった紙月は、一人前を食べ切れず未来に残りを託すのがいつものことであったが、この日はさすがに未来も喜ばなかった。

 腹が満ちようと、心が喜ばない食事なのであった。

 

「贅沢な悩みなんだろうけどなあ」

 

 悩みはどの層にも存在するということである。




用語解説

堅麺麭粥(グリアージョ)(griaĵo)
 堅麺麭(ビスクヴィートィ)を砕いてふやかして作った粥。普通は旅している間もっぱらこれと干し肉と乾燥野菜のお世話になるため、旅人の最も馴染み深い食事ランキング一位にして二度と見たくない食事ランキングも上位。

堅麺麭(ビスクヴィートィ)(biskvitoj)
 保存がきくように固く焼しめられたパン、ビスケットの類。非常に硬い。



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第四話 写本

前回のあらすじ

飯レポ……飯レポ?


 ほとんど強制イベントのような昼食を終わらせて、冒険屋たちはみなもそもそと内職に戻っていった。

 紙月もまた精霊晶(フェオクリステロ)いじりに戻り、しかし彫刻にすっかり挫折してしまった未来は困った。

 

 何事も継続して初めて上達するということはわかっているのだが、集中力というものはそんなに長続きするものではないのだ。未来の彫刻に対する集中力はすっかり品切れしてしまったと言っていい。

 これがもう少し彫刻に慣れてくると、この形は飽きたから違う形にしよう、などという風に集中力を操作できるようになってくるのだが、残念ながら未来にはまだその境地は程遠かった。

 

 手元で木切れをころころと転がして溜息をつく未来に気付いたムスコロは、少しの間ふぅむと考えて、それからいったん席を外した。

 戻ってきた頃には、何冊かの本を抱えている。

 

「兄さん」

「なに?」

「彫り物に飽きたなら、今度は写本はどうです」

 

 フムン。

 未来はムスコロの持ってきた本と紙束を受け取った。

 そう言えば事務所に来たばかりの頃、暇を持て余しては写本をしていたものだ。

 最近はちょっとさぼっていたから、丁度良いかもしれない。

 

「確か前も、写本をしてなすったでしょう」

「そうだね。最近、さぼってた」

「写本の内職ってだけでなく、字の練習ってのは大事ですぜ」

「冒険屋にも?」

「勿論」

 

 ムスコロが言うには、上手な字の練習というものはしておいてまず損がないという。

 達者な字を書くようになると、こいつは教養があるなとまず目で見てわかる。字の練習に時間が取れたということであるし、読み書きをすれば理解力も深まるし、単純に知識も増える。

 

 そうすると商人たちからはまず一目置かれる。学のない依頼人でも、そのくらいは察する。

 荒事が多い冒険屋稼業と言えども、気が利くものと気が利かないものではどちらが優遇されているかと言えば、決まっている。教養があると見なされれば、この気が利くものの方に分類される。

 

 そうすれば仕事が増えるし、仕事の内容自体も難しくて依頼料の高いものになってくる。

 

 地味なことのように思えるが、そうしたところからも冒険屋の実力というものは磨かれていくのである。

 

「そっか。ありがとう、ムスコロさん」

「いえいえ」

 

 彫り物に戻るムスコロを見送って、未来は受け取った本の表紙を見た。

 ムスコロも最初の頃のように、子供向けの易しい物ばかりを見繕ってはこなかった。むしろ大人向けか、大人でもちょっと難しいように思われる本である。

 これは安易に未来を大人扱いしているのではなく、いままで読んできた本から、このくらいは読めるだろうと判断したのである。

 それにもの知らずな所のある未来たちに必要とも思ったのだろう。

 

 まず未来は一冊目を手に取って、ゆっくりと読み始めた。いきなり写本に移ることはない。

 中身がわかっていなければ写す手もつっかえつっかえになるし、そうなると筆跡はゆがみ、全体ががたがたとする。

 

 まず読んで、理解する。それが大事だ。

 

 一冊目は図鑑のようなものだった。図鑑と言っても絵図の類はほとんどないから、動物誌や博物誌と言った方がいいかもしれない。

 

 前書きを読み進めていくに、これはどうも帝国内で確認できる魔獣について記したもののようだった。

 魔獣というものは、その生態として魔法を扱うことのできる動植物の総称である。動物だけでなく植物も含まれていて、特別に植物の魔獣を語るときは魔木や魔草などと呼ぶ。

 

 よく冒険屋の仕事として魔獣や害獣の討伐や駆除というものがあるが、これもごっちゃになった概念である。

 

 害獣と言うのは読んで字のごとく人の生活に害をなす動植物の総称で、害をなすならば魔獣も害獣の一部ではある。逆に、魔獣であっても、害をなさないならば、害獣ではない。

 

 魔獣という区分の中にも害獣とそうでないものがあり、害獣という区分の中にも魔獣とそうでないものがあるのである。

 

 ただ、一般的な区別として、害獣と魔獣であれば魔獣の方が危険なものとして扱われる。甲種だの乙種だのという危険度の区別においても、乙種の魔獣という場合と、乙種の害獣という場合では、前者の方が全然危険であるとされる。

 

 こういったごちゃごちゃに入り混じった呼び方は、人々が自然に呼んでいるうちに入り組んでしまったもので、統一しようにも、難しいところがある。

 

 この本では、魔法を使う動植物という区分で魔獣を扱い、害獣であるかどうかは区別していないようだった。

 

 例えば北部などに棲むという熊木菟(ウルソストリゴ)という魔獣の説明があった。

 これは主に四つ足、時に二足で立ち上がる熊のような体躯をした羽獣で、つまり未来たちの言い方をすれば熊のニッチに適応したフクロウだった。

 体長は雄で二メートル少し。三メートルもざらであるという。体重は餌次第ではあるが、三百キログラムから、時には五百キログラム以上のものもいるという。

 

 この巨体に似合わず、熊木菟(ウルソストリゴ)は森の暗殺者とも呼ばれる。

 それというのも、この魔獣は風精と非常に親和性が高く、おおよそ円状に周囲の空気に干渉し、伝わる音を遮断してしまうのである。そして音の消えた中でひっそりと接近し、気づかれる前に攻撃を仕掛けてくるのだという。

 この異能は特に冬の雪山で恐ろしいほど冴え渡り、もともと音が吸われがちな雪山でじわりじわりとこの領域に侵入すると、標的は気付くこともなくいつのまにか刈り取られてしまうのだという。

 

 そしてこの無音の結界にうまく気付けても、この魔獣は遠距離からの攻撃手段を持ち合わせており、油断できない。

 標的が結界に気付いて警戒すると、熊木菟(ウルソストリゴ)は即座に結界に回していた魔力を手元に引き戻し、風精を刃のように固めて飛ばしてくるのである。

 これは個体の栄養状態や魔力の強さにもよるが、まるで鋸の歯のついた鉄球で殴りつけられでもしたように、重武装の冒険屋でもずたずたに引き裂かれてしまうという。

 

 これをうまくかわしても、なにしろ熊の仲間であるから身体能力も高い。走りは人よりも早く、特に山道を登るときに力強く、木登りも得意であるため山の中では逃げ場がないという。

 丈夫な羽毛はなかなかな矢や剣を通さず、太い腕は細い木の幹などへし折ってしまうほどで、よく死者が出るのだとか。

 

 未来などは読んでいてどんな化物だと思ったものだが、これでも危険度としては乙種の魔獣であるというから、甲種である幼体の地竜と言うのも大概化け物だったわけである。もちろん、甲種とか乙種と言うのは環境や相性にもよるので、あの地竜の幼体より熊木菟(ウルソストリゴ)の方が簡単な相手であるとは限らないのだが。

 

 また、どれほど危険な動物であるのかという説明だけでなく、その解剖学的な解説や、生態などの調査結果も記されていた。

 いったいどうやって調べたのか未来には見当もつかないが、冬眠中に卵を産むことや、春になるころにその卵が孵ること、熊木菟(ウルソストリゴ)の雛がふわふわで、「およそこの世のものとは思われぬほどの愛らしさ(原文ママ)」であることなどが事細かに記されていた。

 

「……なかなか読ませるね」

 

 一冊目でこれだけ面白いのならほかの本はどうだろうかと未来は手を伸ばした。




用語解説

・魔獣
 動植物の中でも特に精霊と親和性の高いもの、魔術を扱うものを指す。
 魔木、魔草なども広義には含む。

・害獣
 動植物の中でも人の生活に害をもたらすものを指す。
 草木なども広義には含む。

熊木菟(ウルソストリゴ)(urso-strigo)
 羽獣の魔獣。風の魔力に高い親和性を持つ。大気に干渉して周囲の音を殺し、巨体に見合わぬ静けさで行動する森の殺し屋。風の刃を飛ばす遠距離攻撃の他、大気の鎧をまとうなど非常に強力。肉は特殊な処理をしなければ、不味い。



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第五話 神話

前回のあらすじ

写本の為に魔獣の本を読む未来。
なかなか読ませる。


 次の本は、神話の本であった。

 以前読ませてもらった子供向けの易しいものではなく、実際の歴史と地続きの神話を物語るものであるらしい。未来の感覚で言えば、ちょっと習ったことのある古事記などのようなものなのだろうか。

 

 神話の始まりは、永遠の凪と呼ばれる静かな時代であった。

 どこまでも続く海と浅瀬があるだけの平和な時代であった。

 この世界が生まれたころ、そこは国津神たちが治める山椒魚人(プラオ)と海生生物だけの世界であったという。

 

 そんな中、ある日、天津神たちが虚空天を旅してやってきて、ここに住まわせてほしいと頼みこんだ。国津神たちは穏やかなばかりの日々に飽いていて、賑やかになることを喜んでこれを受け入れた。

 

 はじめに境界の神プルプラが、天津神たちを招くため虚空天に橋を架けた。

 

 プルプラに招かれて最初に橋を渡ってきたのは、火の神ヴィトラアルトゥロ。しかしヴィトラアルトゥロにとって海の世界は寒すぎた。この神は深き海の底、海底の更に下、太古の火の傍に潜り込んで暖をとった。巨大な神が潜り込んだ分、海底は大きく持ち上がって海の上に陸ができた。

 

 次にやってきたのは山の神ウヌオクルロだった。この神は盛り上がった陸地の数々を整え、繋げ、大陸と島々を作り、積み上げた山々の一つに腰を落ち着けた。またこの神が拵えた火山がひとつ、寒がりなヴィトラアルトゥロに与えられた。

 

 その次にやってきたのは森の神クレスカンタ・フンゴ。この神は海の上に生まれた陸地に身を沈め、種をまき、森を生んだ。この神と森たちが大きく息を吐くと、世界に濃い大気と木々が満ちた。今でも巨大な森の下にはこの神の四肢が埋まっているという。

 

 仕上がった世界に、獣の神アハウ=アハウが獣たちを放ち、こうしてこの世に多種多様な生き物たちが満ち溢れるようになった。

 

 その後に風の神エテルナユヌーロが眷属を引き連れて舞い降り、気の向くままに旅をした。いまもこの神は空を巡り続け、どこにあるとも知れない。

 

 文明の神ケッタコッタは人族を率いて文明を築いた。そのもたらす火は強く、山を削り、森を切り開き、地を掘り起こし、ついには空にも届いたという。

 

 こうして天津神たちが来たり降り、各々の従僕を地に放ち、増やし、満たした。

 神話によればこの従僕というのが人間を始めとした隣人種達の祖先であるという。

 

 はじめ、天津神たちはそれぞれの従僕を山に、森に、地に遊ばせたという。

 

 火の神ヴィトラアルトゥロの眠る火山より生まれ出でたのが灼熱の心臓を持つ囀石(バビルシュトノ)である。彼らは石を食み、石を体とし、眠る神の夢に届けるべき物語を尋ねて放浪した。

 

 山に棲み付いたのはやはり山の神ウヌオクルロの子らである土蜘蛛(ロンガクルルロ)たちだった。彼らは山を親とし、山を住処とし、山で生き、山で死んだ。

 

 森の神クレスカンタ・フンゴの息吹を受けた湿埃(フンゴリンゴ)は、樹海の奥で水を吸い、日の光を浴び、少しずつ体を広げた。今も広げ続けているが、その全容は知れない。

 

 獣の神アハウ=アハウの放った獣たちは大陸中に満ちていき、そしてその地に根付き、その地で生きた。殺し合い、死を重ね、それでも生きていく様を、アハウ=アハウは尊んだ。獣人(ナワル)はその獣たちの加護を受けた者たちである。

 

 風の神エテルナユヌーロが空に消えた後も、天狗(ウルカ)たちは空を住みかとし、空に生きることを誇った。空に触れることは神に触れることであり、その祈りはいまでも風と共にある。

 

 そして人族の祖神こそ文明の神ケッタコッタであった。この神は愛深き故に人族に有り余る知恵と知識とを授け、文明という火を与えた。その火は強く弱い人族に力を与えた。

 

 そしてこの神話はそのまま、古代聖王国時代という大きな歴史につながるのだという。

 

 何もない平原に始まった人族は、ケッタコッタの助けを借り、土を掘り、木を伐り、山を削り、村を作り、町を築き、ついには国を生んだ。

 この国こそ人族最古の国家、古代聖王国であるという。

 

 人族は弱く、他の種族に虐げられていたが、ケッタコッタの力を借りて文明という力を育てていくにつれて、ついにはこれらに反撃し、打ち負かすようにもなっていった。

 

 人族を素材として採取していた囀石(バビルシュトノ)を解体して機械を作り、山を独占していた土蜘蛛(ロンガクルルロ)たちを追い払い製鉄を奪い、森に生きていた湿埃(フンゴリンゴ)の領域を削り取り、野の獣たちを狩り尽くし家畜に貶めた。

 そしてついには空に都を作り、天狗(ウルカ)たちから空を奪い取ったのだという。

 

 そうして東大陸から空を渡って西大陸にも手を伸ばした人族は、やがて他種族を蛮族として奴隷にし、大陸に君臨するようになったのだった。

 

 しかし、その天下も長くは続かなかった。

 

 神々はケッタコッタと人族の専横に嘆き、地に一柱の神を降ろした。

 それこそがいまにも続くひとつなぎの言語を与え給うた、言葉の神エスペラントである。

 

 言葉の神エスペラントは、それまで各種族がそれぞれに用いていた言語を壊して一つに繋ぎ、交易共通語(リンガフランカ)を生み出した。

 相争っていた各種族は、ある日突然言葉の通じるようになった相手にいままでと同じように振る舞うことができなくなった。

 

 そうして混乱した人々に、神々は託宣(ハンドアウト)を下し、隣人となった人々は力を合わせて聖王国の支配に抗い、長い戦いの末、これを打倒したのである。

 町は打ち砕かれ、天空の都は地に引きずり降ろされ、支配者たちは極北に封じられた。

 

 こうして古代聖王国時代は幕を下ろしたのだった。

 これがおよそ二千年前のことだとされる。




用語解説

・国津神
 もともとこの世界に在った神々。海の神や空の神、またその眷属など。山椒魚人(プラオ)たちの用いる古い言葉でのみ名を呼ばれ、現在一般的に使われている公益共通語では表すことも発音することもできない古い神々。海の神は最も深い海の底の谷で微睡んでいるとされ、空の神は大洋の果てに聳える大雲の中心に住まうとも、その雲そのものであるとも言われている。

・天津神
 虚空天、つまり果てしなき空の果てからやってきたとされる神々。蕃神。海と浅瀬しかなかった世界に陸地をつくり、各々がもともと住んでいた土地の生き物を連れてきて住まわせたとされる。夢や神託を通して時折人々に声をかけるとされるが、その寝息でさえ人々を狂気に陥らせるとされる、既知外の存在である。

・境界の神プルプラ
 顔のない神。千の姿を持つもの。神々の主犯。八百万の愉快犯。
 非常に多芸な神で、また面白きを何よりも優先するという気質から、神話ではトリックスターのような役割を負うことが多い。何かあったら裏にプルプラがいることにしてしまえというくらい、神話に名前が登場する。
 縁結びの神としても崇められる他、他種族を結び付けた言葉の神はプルプラが姿を変えたものであるなど他の神々とのつながりが議論されることもある。
 過酷な環境と敵対的な魔獣などのために死亡率が高い辺境では、性別に関係なく子孫を残せるよう、プルプラの力で同性同士での子作りや男性の出産などが良く行われている。

・火の神ヴィトラアルトゥロ(Vitra-alturo)
 ガラスの巨人。灼熱の国より降り来たった神。プルプラに騙された犠牲者その一。
 遊びに誘われてやってきたら、彼からしたら極寒の惑星だった上、マントルに放り込まれて強制的にテラフォーミングに従事させられた。現在も寒すぎるので、ウヌオクルロが用意してくれた火山に引きこもっている。
 鉱石生命種囀石(バビルシュトノ)(babil-ŝtono)の祖神。スペルミス。
 火の神である他、宝石や鉱石など、土中に算出する鉱物類の神ともされる。

・山の神ウヌオクルロ
 プルプラの犠牲者その二。
 遊びに誘われてやってきたらベータ版以前の状態で、マップ製作からやらされる羽目になった苦労人。
 拗ねたヴィトラアルトゥロを何とか地表近くまで掘り起こして、引きこもれる家を用意してあげた。
 土蜘蛛(ロンガクルルロ)の祖神。また蟲獣達を連れてきたとされる。
 しばらく働く気はないようで、山々のどれかに腰を落ち着けているという。

・森の神クレスカンタ・フンゴ(Kreskanta-fungo)
 犠牲者その三だが、本神はまるで気にしていない。
 好き勝手やっていいという契約で、ウヌオクルロが耕した大地に降り来たり、植物相を広げてテラフォーミングをおおむね完成させた。
 不定形の虹色に蠢く粘菌とされ、人の踏み入れることのできない大樹海の奥地で眠りこけているという。
 森に住まう隣人種湿埃(フンゴリンゴ)(Fungo-Ringo)の祖神。

・獣の神アハウ=アハウ(Ahau=ahau)
 土台の整った世界に動物たちを放ち、生態系を埋めていった。
 セルゲームをやっているような気持ちでこの世界を観察しており、個体個体にはあまり興味がない。
 ケッタコッタを裏切り祖神を失った人族たちを庇護下に置いたのも、西大陸を自分専用の観察場とするため。
 極小の眼球で構成された灰色のガス状生命体とされ、その本体は地に広く広がっているという。
 獣人(ナワル)の祖神。

・風の神エテルナユヌーロ(Eterna junulo)
 大体仕上がった頃にやってきた神。翼の生えた若者の姿をしているとも、金色の風そのものであるともされる。
 非常に気ままで気まぐれで我が道を行くタイプで、空気が読めない。厄介ごとは大抵こいつが持ってくるか、拡大させるか。
 面白いことを優先するという気質はプルプラと同様であるが、尻拭いは一切しない。
 それでも疎まれないのは自分一人ではなくみんなで楽しもうという憎めないスタンスのおかげか。ただし相手の都合は考えない。
 天狗(ウルカ)(Ulka)の祖神であり、羽獣たちを連れてきたとされる。

・文明の神ケッタコッタ(Quetzalcōātl)
 無数に分岐する体毛を全身に生やした、捻じれ狂った長大な筒のような姿をしているとされる。
 テラフォーミングを終えた後の世界の内、他の神から人気のなかったただの平地に腰を下ろし、従属種である人族を住まわせた。
 庇護する人族に文明を与え、善く導き、その勢力を拡大させた、というと善き神のように聞こえるが、その実態はいわば和マンチ。
 他の神々との盟約に反しない範囲で肩入れしまくって支配圏を広げ、ついにほかの神々の怒りを買い、それまで各神各種族毎に勢力を広げていた形を、人族VS他種族の構図に持ち込まれた。
 この戦争の際に、今まで割を食っていた被差別層の人族も離脱し、あちこちガタが来たところを連合軍にぼろくそにされた。
 敗北の代償として人族に注いだ有り余る加護を他の神々に簒奪され、その影響で現代の隣人種はみな人族と似通っているという。
 戦争後は極北の地にふて寝しており、追従者である僅かな人族たちが聖王国としてその寝床を守っている。

・言葉の神エスペラント(esperanto)
 人族の被差別層から立ち上がった人神であるとも、境界の神プルプラの権現のひとつであるともされる。
 それまで違う言葉、違う文化をもって相争っていた隣人種達に共通の言葉を与え、争うだけでなく分かり合う道を与えたとされる。

湿埃(フンゴリンゴ)(Fungo-Ringo)
 森の神クレスカンタ・フンゴの従属種。巨大な群体を成す菌類。
 地中や動植物に菌糸を伸ばし繁殖する。
 子実体として人間や動物の形をまねた人形を作って、本体から分離させて隣人種との交流に用いている。元来はより遠くへと胞子を運んで繁殖するための行動だったと思われるが、文明の神ケッタコッタから人族の因子を取り込んで以降は、かなり繊細な操作と他種族への理解が生まれている。
 群体ごとにかなり文化が異なり、人族と親しいものもあれば、いまだにぼんやりと思考らしい思考をしていない群体もある。


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第六話 乳茶

前回のあらすじ

解説で一話丸々使うろくでもない小説があるらしい。


 本を読み終えるころには、未来はすっかり疲れてしまった。一話丸々本編と関係のない解説回に使うようなろくでもない小説を読んだ時のように疲れていた。

 成程、なかなかに読ませる。

 しかし、読むということは結構体力を使うものだ。

 

 ただ読むだけならば、精々目が疲れるだけで済む。

 しかししっかり理解しようとよく読むことは体力だけでなく心にも疲れをため込むのだった。

 写本に移る前に、読むだけですっかりその分の体力まで奪われてしまうのも、致し方のないことだった。

 

 無性にこってしまったような気のする肩を回し、周りを見渡してみれば冒険屋たちも同じようにだれてきていた。同じ作業に飽きた連中が、先ほどとは役割を分担していたり、作業自体を変えたりし始めている。

 

 紙月はどうだろうと見に行ってみれば、さすがに集中力が尽き、目の疲労も限界らしく、椅子にぐったりともたれかかっていた。テーブルにはごろりと緑色の風精晶(ヴェントクリスタロ)が転がっており、半分ほど彫られた鷹のような姿が見て取れた。

 

 そのまま寝入ってしまいそうなくらいには疲れたようなので、未来は紙月をそのままにしてそっと離れた。

 

 見回せば、みなすっかり厭きて、倦んで、疲れている。

 しかし他にやることもないので、漫然と惰性で続けている。

 

 何か気分転換になるようなものが必要だ。

 

 未来は紙月にお茶でも淹れてやろうと厨房へ向かった。厨房のものはどれもみな小学生の未来には高く、鎧姿で作業する必要がある。どんな戦場に出向いても目を引くだろう立派な大鎧が、厨房でせこせこと動いているさまはなんだか滑稽だと自分でも思う。

 

 茶を淹れよう、と一口にいっても、事務所の厨房には様々な茶の種類があった。

 例えば南部に行ってきた時に買ってきた豆茶(カーフォ)がある。

 豆を挽くミルも買った。

 豆も悪くなる前に飲んでしまわないといけないけれど、西部ではあまりなじみのあるものではなく、最初こそ面白がって飲むものもいたが、いまはもっぱら紙月と、砂糖とミルクを入れる未来、それにハキロが好むくらいだ。

 

 また例えば、西方人っぽい顔立ちだからということで、プロテーゾに勧められて買った緑茶もある。これは全く以前の緑茶の直茶と同じようなものだった。

 もっとも、輸入品であるからやっぱりそれなりに値は張ったし、実は東部でいくらか栽培していて、そちらの方が安いということも知ったけれど、まあ美味しいは美味しい。

 これもやはり、事務所の連中にはそんなに受けない。場合によっては、砂糖を入れて飲むものもいるが、やはり、積極的には飲まない。薬と思われている節もある。

 

 事務所の人間がもっぱら飲むのは酒、はともかくとして、茶は、甘茶(ドルチャテオ)である。

 名前の通り甘い茶だが、これは実は地方によっていろんな種類があった。

 

 例えば東部の甘茶(ドルチャテオ)はベリー系の果物を煮出したものである。

 北部のものは、さっぱりと甘いハーブティーのような感じだと聞く。

 以前行った南部の甘茶(ドルチャテオ)は、甘みは強いがいわゆるお茶という感じだった。

 西部はどうかというと、ある種の花をその葉を乾燥させて、煮出している。

 

 帝都にはそれらの甘茶(ドルチャテオ)が輸入されて、様々なお茶が楽しめるというが、中央独自の甘茶(ドルチャテオ)というものはない。

 

 辺境はどうであるのか、詳しいことはわからない。

 

 どのお茶もおいしいがさてどうしたものかと未来は悩んだ。それぞれ淹れ方も違うし、未来が得意とするものもあれば、そうでないものもある。紙月は正直好き嫌いがなくて参考にならない。

 

 大鎧のままぼけらったと茶の類を眺めていると、同じように一服しようとしたのか、所長のアドゾがやってきた。

 

「おや、あんたも一服かい」

「ああ、ええ、紙月に淹れてあげようと思って」

「フムン。そうさね、この際みんなの分淹れちまおうか」

 

 ちょうど悩んでいたところなので、アドゾの指示で動くことにした。

 

 水瓶から大鍋に水を移て焜炉にかける。魔木を適当な数置いて、焚き付け用にくしゃくしゃに丸めた新聞紙に、火精晶(ファヰロクリスタロ)の火口箱で火をつけて、放ってやる。

 足踏みの()()()があるので、これで軽く空気を送ってやっているうちに、薪にすっかり火が付き、鍋が火にかかった。

 

 アドゾが棚をあさって用意したのは、あまり見覚えのないものだった。丸い円盤状に押し固められていて、その色ときたら恐ろしく真っ黒だ。

 

「前に南部で買った黒茶(マルルマテオ)さ。湿気をあんまり吸わず、ばらけないように、こうして押し固めてあるんだと」

 

 そしてまた食料品などをしまってある氷室から、瓶を取り出してきた。何かと思えば、鶏乳であるという。

 

「乳茶にしようとおもってね。あんた、飲んだことあるかい」

「西方で。あの甘いやつですよね」

「そうそう。あったまるよ」

 

 大鍋の湯が煮立つと、アドゾはナイフで茶を削って淹れ、煮出した。

 水色が濃くなってすっかり茶がに出されると、アドゾは未来に指示して大鍋を火から外させ、鶏乳を加えた。均一になるようにかき混ぜて、少し味を見て、砂糖を足し、それからバターを放り込んだ。

 これをもう一度火にかけ、沸かさないように温めて、出来上がりだ。

 

「ほら、ぼんくらどもを呼んでおいで」

 

 茶が入ったと冒険屋たちに伝えると、作業にすっかり倦んでいた彼らは、嬉々として自分のカップをもって行列をなすのだった。




用語解説

黒茶(マルルマテオ)
 麹菌により数ヶ月以上発酵させる後発酵製法により作られる茶をいう。



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第七話 冒険譚

前回のあらすじ

読書につかれ、茶を淹れることにした未来。
喫茶の文化も、土地土地だ。


 全員に温かい乳茶がわたり、その甘く温まる濃厚な味わいを楽しむと、場はほっと落ち着いた。

 もう内職にはすっかりうんざりして、飽き飽きしていたのである。

 いくら慣れているとはいえ、朝からずうっととなると、さすがに飽きる。

 厭きると手も進まないから、効率も悪い。休むことも大事だ。

 

 外では嵐が大分強くなってきているようで、窓はガタピシ揺れたが、紙月の魔法で補強しているだけあって、建物はびくともしない。

 しかし、建物自体は問題なくても、中にいる住人たちはどうにも落ち着かない気分だった。

 

 燃料の節約のために最低限だけ灯された角灯の明かりと、暖炉の明かり、これだけでは室内は薄暗かった。広間は冒険屋たち全員がくつろげるだけ広かったが、窓もすっかり締め切っているし、この空間に全員がひしめいているものだから、閉塞感がある。

 

 ほっと一息ついたはいいが、開放感のない空間は、どうにも居心地がよろしいとは言いかねた。

 

 とはいえ、冒険屋たちも嵐が初めてという訳ではない。

 こういうときの過ごし方はよく知っていた。

 

「よぉーし、いつものいこうか!」

「誰から始める」

「言い出しっぺからやらせてもらおうかね」

 

 閉塞感を打ち破るような声に、何事かと紙月と未来は目を見張り、そして冒険屋たちはいっせいにはやし立てた。

 

「よし、よし、じゃあ俺から。この間、薬草摘みで森に行った時の話だ」

 

 始めるというのは、つまり冒険譚語りであった。

 娯楽の少ない頃であるから、人々が集まって暇をつぶすとなると、こういった物語りは常のことだった。

 

 まず年かさの冒険屋が語り始めた。

 

「西門を出た先の森だがね、なかなか目当ての薬草が見つからないから、あっちはどうだろう、こっちはどうだろうって具合に歩き回っているうちに、俺は獣道からも外れてついつい森の奥へと踏み入っちまった。

 何も奥と言ったって庭のような森のことだから、自分の居場所を見失うようなことはなかったが、何しろ足元を藪に取られるのに参った参った。

 そう言えばつい先ごろも鹿雉(ツェルボファザーノ)が出たというし、俺も迂闊なことをして妙な縄張りに入り込んだらいかんなと、木々の幹を見て、触って、獣の気配がないか探りながら、薬草を探して分け入っていったのさ。

 運よく群生地を見つけて俺はかご一杯に薬草を手に入れた。

 よしよし、これだけありゃあ予定よりもずいぶん儲けた。今日は一杯ひっかけていこうかね。

 そう思って、よいしょと木の枝に手をかけて立ち上がるとしたら、何と枝がぐんにゃりまがるじゃねえか。

 何事かと思ってたたらを踏んで、何かと手元を見てみりゃあ、お前、え、何だと思う。

 枝じゃなくて、蛇だったのよ」

 

 次にまだ若い冒険屋が顎をさすった。

 

「俺は先週まで北の森に出張っていたんだがね。

 いやなに、金持ちが猿猫(シミオリンコ)の子供が欲しいってえんで、群れがあると聞いたあたりをうろついてみたのよ。何しろ連中気まぐれで落ち着きがねえから、俺も、よし、ここはどっしりと腰を据えて捕まえにかかろうかって、そう思ったのよ。

 森ん中で何日か寝泊まりすることを考えてうろついているうちに、具合のいい泉を見つけたもんだから、俺は早速天幕広げて、竈を組んで、ここに棲み付くような気持ちで野営を組んだのさ。

 泉を覗きこみゃあ活きのいい魚どもが、いかにも世間知らずに泳いでいらっしゃるものだからよ、ここはひとつ俺の晩飯にご招待しようと思って、枝ぶりのいい木から一本拝借して、釣り糸垂らしたのよ。

 まず難なく一匹釣れ、二匹釣れ、こいつはいいやと思って調子に乗ってひょうと釣り糸を放ったらよ、何と三匹目がどばんと泉を割いて飛び出してきやがった。

 咄嗟に腰を据えて受け止めたから助かったものの、何しろ俺の身の丈ほどはありそうな巨大な奴でよ、暴れに暴れて俺を引きずり込もうとするもんだから、焦った焦った。

 味は、ぼちぼちだったな」

 

 今度は俺だと名乗りを上げたのは土蜘蛛(ロンガクルルロ)の冒険屋だった。

 

「俺達土蜘蛛(ロンガクルルロ)が土の匂いや金の匂い、宝石の匂いなんざをかぎつけるのはよく知れたことだけどよ、ある時俺が山を歩いていると、不意にそいつがふっと嗅げたのよ。

 山崩れなんかがあると、隠れてた鉱石棚がむき出しになることもあるし、もしかしたらその類かも知れねえと、俺あちょいとウキウキしながら匂いをたどったのよ。

 そうしたらなんと、え、山肌にぽっかりと洞窟が開いてるじゃあねえか。

 あんまり奇麗な洞窟なもんだからご同業の掘った穴かと思うほどでよ、見事な穴なもんだから、なあおい、穴と見たら入るしかねえと思って、俺はつるはし片手に潜っていった。

 どんどんどんどん潜っていっても、穴は実に奇麗なもんでよ、これを掘ったやつは見事な腕前にちげえねえと思った。

 実際、大した奴だったよ。

 なんと大将、巨大な蚯蚓(テルヴェルモ)の化け物だったのよ」

 

 こういう場では誰も話したがるようで、口下手者も話し始めた。

 

「ぼ、ぼかあ鹿雉(ツェルボファザーノ)の縄張りがあるっていうからさ、生え代わりの角を拾いに行ったんだ。なにしろありゃあ、抜け落ちたのでも結構な高値で売れるだろう。

 いくつか拾えりゃしばらくの酒代になると思って、山ん中をぐーるぐる歩き回ったのさ。

 そしたらなんと、山肌にごろごろと金塊が転がってるじゃあないか!

 ぼかぁ大喜びで拾い集めたんだけど、どうにもおかしい、金にしちゃ軽すぎる。

 ぴしゃんと顔を叩いてみたら、なんと幻覚茸の群生地でうろうろしてたって次第だよ」

 

 冒険屋たちが物語る息呑むような、あるいは滑稽な話に、誰もが聞き入り、そして場は盛り上がるのだった。




用語解説

猿猫(シミオリンコ)(simio-linko)
 樹上生活をする毛獣。肉食を主とし、果実なども食べる。非常に身軽で、生涯木から降りないこともざら。

蚯蚓(テルヴェルモ)
 ミミズ。この場合ワームなどと呼ばれる類の巨大な蛇のような怪物であったと考えられる。



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第八話 ポトフ

前回のあらすじ

閉塞感を晴らすために冒険譚語りに興じる冒険屋たちであった。


 そうして冒険譚が物語られていくうちに、すっかり夜になり、晩飯時が近づいていた。

 

「また堅麺麭粥(グリアージョ)かね」

「俺ぁもう勘弁してほしいね」

 

 ひそひそ話にアドゾは軽く眉を上げたが、自分でもそう思っているものだから、まあ強くは言わない。言わないが、じゃああんたが作るかいとは言ってやる。

 そうすると大抵は黙り込むのだが、じゃあ俺やろうかと手を上げたのが紙月だった。

 

「あんた料理できたのかい」

「普段は面倒なんで。ま、二食続けて同じよりましでしょう」

 

 そうして紙月は厨房に立ち、つられて未来も立った。ムスコロも手伝いに来て、ハキロも顔を出した拍子に捕まった。

 

 紙月はインベントリからエプロンを取り出して、ドレスの上から身に着けた。桃色の生地に、胸元に赤いハートのアップリケがついた可愛らしいデザインだ。

 別に紙月の趣味ではない。

 これもれっきとしたゲーム内アイテムで、装備すると料理系アイテム作成の成功率に上昇補正がかかるようになっている。

 

 実際の腕前にどの程度関わって来るかははなはだ謎だったが、まあ汚れないためと、願掛け程度にである。

 未来も同じように装備した。鎧の上から。

 

「さて。この人数ならやっぱり煮込みが楽ってのは確かだな」

 

 紙月は少し考えて、冒険屋たちに声をかけた。

 

「うまいもん食いたいだろう。この際出し惜しみはなしだ。なんか持ってるだろ」

 

 森の魔女がカツアゲじみて徴収を始めると、男とはわかっていても見た目は麗しき女性の手作り料理が食えるとあって、冒険屋たちはみな素直に税を支払った。

 

「俺は角猪(コルナプロ)腸詰(コルバーソ)が出せるぞ」

「こっちにゃ大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の腿のいいところあるぜ」

「じゃあ俺はとっておきの鹿節(スタンゴ・ツェルボ)を出そう」

 

 このようにして集められた食材のほかに、氷室の常備菜を検めて、紙月は頷いた。

 

「ポトフにするか」

「ぽとふ?」

「洋風おでんだよ」

 

 まず気になった鹿節(スタンゴ・ツェルボ)というものは、これは鹿の肉を鰹節のように乾燥させて加工したもののようで、使い方も似たようなもののようである。

 大鍋に湯を沸かして、ナイフでたっぷりと削り取った鹿節(スタンゴ・ツェルボ)をさっと湯がいてみると、恐ろしくすっきりとしたうまみの出汁がとれた。

 鰹節と違って魚の感じはなく、よりエネルギッシュなパワーを感じる。

 

 これをベースとすることにした。

 

 野菜の類は様々なものがあった。

 玉葱(ツェーポ)、つまり玉ねぎは皮をむき、大振りにカットする。このとき芯を落とすとばらけるので、気をつける。

 人参(カロト)と呼ばれる甘みと香りの強い人参(にんじん)馬鈴薯(テルポーモ)と呼ばれる細長いじゃが芋、それに牛蒡(ラーポ)、つまり牛蒡(ごぼう)は、皮をむき、これも大きめに乱切りにする。

 

 甘藍(カポ・ブラシコ)というのは、つまりキャベツだった。硬すぎる外葉をはぎ、芯を中心にして放射線状に切り分ける。このとき芯は、やはりすっかり取ってしまうとばらけるので、本当に硬いところだけ取る。

 

 香りの強い塘蒿(セレリオ)という野菜は、齧ってみればなるほどセロリのことだった。これは一緒に煮込むとよい香りが出る。皮をはぎ、適度な大きさに切る。

 

 色味の強いブロッコリーである芽花椰菜(ブロコーロ)は、煮込み過ぎると花がすっかり落ちてしまうので、小房に切り分けて串が通るまで茹でたら、取り分けただし汁につけておく。

 

 それから名前はわからないが雑多にキノコの類があったので、これも適当に切り分ける。キノコはまず入れておいて損はない。出汁も出るし、(かさ)もとれる。

 

「姐さん、これ全部使うんですかい?」

「明日の朝飯もついでにこれでまかなおうと思う。味が良くしみるぞ」

「なるほど」

 

 えっ、こんなに、と言うほどの量の野菜を四人がかりでせっせと下処理していく。

 ここで励めば励んだだけ、晩飯に食える量が増えるので、手は抜かない。

 

 さて、下準備が済んだら、野菜類は芽花椰菜(ブロコーロ)以外軽く炒めて鍋の鹿節(スタンゴ・ツェルボ)のだし汁に放り込む。

 角猪(コルナプロ)腸詰(コルバーソ)、つまり大振りのソーセージは、このまま放り込んでいいだろう。

 大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の肉は表面を軽く炒めて、よく油をきってこれも鍋に放り込む。

 

 それから常備してある香草の類をひもで束ね、なんちゃってブーケガルニを仕立てて放り込む。これがあるとないとで、味は大分変る。

 そして香草類を探すうちに生姜(ジンギブル)というごろっとした野菜、つまりショウガがあったので、これを薄くスライスして千切りにして入れてやる。ショウガを入れるとさっぱりとした辛みが出るし、こうして千切りにしてやると、そのまま食べやすくもなる。

 

 そして隠し味に、南部で仕入れてきた醤油(ソイ・サウツォ)を少々。

 

 あとは煮込むだけである。

 ただし、普通に鍋で煮込もうとすると結構な間、煮込まなくてはならないので、時間はかかるし、燃料も消費する。

 

「なので腹をすかせた連中のためにも、ちょっと裏技(ズル)を使う」

裏技(ズル)?」

 

 というのも、蓋をぴったりと閉じて、こう呪文を唱えるのだ。

 

「《加速(アクセラレーション)》」

 

 すると大鍋に奇妙な輝きがまとわりつき、ことことと音を立てていた鍋の蓋が激しく震え始める。

 

「あ、姐さん、こりゃいったい?」

「鍋の時間を加速させた」

「はあ?」

「結果だけ言えば、仕上がり時間を短くできる」

「はあ」

 

 こんなことに魔法を使うのかという呆れと、この程度のことでも魔法を使えるのかという驚きとの合わさった「はあ」であった。

 

「本当は圧力鍋を再現できればよかったんだが、よくわからんままやっても爆発させそうだったんでな」

「爆発するの?」

「仕組み的にはな。そのうち錬三の爺さんがつくるだろ」

 

 そのようにして完成したポトフは、大鍋二つ分にもなった。

 

 腹をすかせた冒険屋たちは早速配給よろしく行列を作り、切り分けたパンとともに一人ひとり皿を受け取っては、各自席につき始めた。夕餉ということもあって、各自が酒を用意し、なみなみと酒杯に注ぎ始めている。

 

 いきわたった頃合いに、所長のアドゾが酒杯を片手に号令をかけた。

 

「よし、うちの看板冒険屋の手作りだ! ありがたく食いな!」

「おうよ!」

乾杯(トストン)!」

乾杯(トストン)!」

 

 乾杯の声が上がり、実際にこの「ポトフ」なる料理に冒険屋たちは日頃の慎重さを捨て去り、冒険心もあらわに挑戦した。そしてその結果は完成である。

 

()()()()うめえぞ!」

「ちゃんとってなんだこら!」

「うめえ、うめえ!」

「素朴だが、初めての香りがするな」

「こいつはたまらねえな!」

 

 聞こえてくる限りはおおむね好評のようであった。

 

 未来も早速匙をつける。

 野菜の類は《加速(アクセラレーション)》でしっかり煮込まれたためか、恐ろしく柔らかい。馬鈴薯(テルポーモ)人参(カロト)もほろりと崩れて、中までしっかりと味が染みている。

 玉葱(ツェーポ)など、トロリととろけて甘みの塊になっているほどだった。

 

 甘藍(カポ・ブラシコ)がまたいい味を出していた。これ自体が甘みのある出汁を出すだけでなく、じゃきざくとした歯ごたえとともに、間にたっぷりの汁を含んで口の中で踊ってくれる。

 

 角猪(コルナプロ)腸詰(コルバーソ)は歯で噛むとパリッと破れて熱々の肉汁をあふれさせ、多くの冒険屋たちを悶絶させた。だが、それに堪えるに値するだけのうまみに満ちていた。

 大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の肉もほろりと口の中で柔らかく崩れ、またたっぷりとうま味を汁にいきわたらせていた。

 

 色味とばかり思っていた芽花椰菜(ブロコーロ)のうまさを初めて知った冒険屋たちもいた。こりっかりっとした歯ごたえは言うに及ばず、花の部分などはたっぷりと汁気を含み、口の中で柔らかく、しかし容赦なく暴れるのだった。

 

 牛蒡(ラーポ)をやはり木の根のようだとあまり好かない連中もいたが、しかしその確かな歯ごたえと根の奥からにじみ出るような滋味深さには、もろ手を挙げて降参するほかになかった。

 

 未来が驚いたのは千切りの生姜(ジンギブル)である。

 生姜というものをなんだか存在価値のよくわからない薬味程度に思っていたのだが、これが入っただけでポトフ全体がしゅっと引き締まるのである。

 また千切りにした生姜(ジンギブル)のシャキシャキとした味わいは、一度味わってしまうと忘れられないものがあった。

 

 結局その晩、大いに酒が飲まれ、お変わりが繰り返され、あれだけあったポトフは大鍋ひとつをすっかり空にされてしまったのであった。

 明日の朝飯の分も予定していたのだが、危うくそちらにまで手が行くところであった。




用語解説

・エプロン
 ゲーム内アイテム。正式名称《まごころエプロン》。
 ゲーム内イベントである料理大会で入手できる。
 これを装備すると、料理系アイテム作成の成功率に上昇補正がかかる。
『料理は愛! 私の! 愛が! 食べられないていうの!?』

腸詰(コルバーソ)
 挽肉などを調味し、腸に詰めて成形し、燻製などしたもの。
 ソーセージ。

鹿節(スタンゴ・ツェルボ)(stango cervo)
 もともと魚類を加工して作られていた出汁節(スタンゴ・ブイヨーノ)を、鹿肉を加工して作ったもの。ここでは特に鹿雉(セルボファザーノ)のもの。
 時間もかかり数も出回らないため高級ではあるが、日持ちするし嵩張らないし手軽だし人も殴り殺せるしで冒険屋の間でひそかにはやり始めている。

・ポトフ
 火にかけた鍋という意味の、フランスの家庭料理の一つ。
 肉類と大きく切った野菜類をじっくり煮込んだ料理。

玉葱(ツェーポ)
 ネギ属の多年草。球根を食用とする。タマネギ。

人参(カロト)
 セリ科ニンジン属の二年草。もっぱら根を食用とする。ニンジン。

馬鈴薯(テルポーモ)
 ナス科ナス属の多年草。地下茎を芋として食用とする。じゃが芋。

甘藍(カポ・ブラシコ)
 アブラナ科アブラナ属の多年草。結球する葉を食用とする。キャベツ。

塘蒿(セレリオ)
 セリ科の淡色野菜。独特の香気がある。セロリ、オランダミツバ。

芽花椰菜(ブロコーロ)
 アブラナ科アブラナ属の緑黄色野菜。つぼみの状態の花と茎を食用とする。ブロッコリー。

・ブーケガルニ
 フランス語。複数の香草類を束ねたもので、香り付けなどに用いられる。

生姜(ジンギブル)
 ショウガ科の多年草。食材、また生薬として用いられる、ショウガ。

醤油(ソイ・サウツォ)
 大豆から作った調味料。いわゆる醤油である。
 余談だが、幕末には遠いオランダまで醤油が輸出されていたという話がある。

・《加速(アクセラレーション)
 《魔術師(キャスター)》の覚える補助系魔法《技能(スキル)》。
 対象の攻撃速度、移動速度を一時的に増加させる。
 ただし《詠唱時間(キャストタイム)》、《待機時間(リキャストタイム)》は短縮されない。
『時を操るというのは恐ろしく高度な魔術じゃ。深い知識と洞察が必要とされる。つまり、ブドウジュースの時を進めてもワインにはならんちゅうことじゃ、このバカモン』



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第九話 酔っ払い

前回のあらすじ

森の魔女お手製の手料理に舌鼓を打つ冒険屋たちであった。


 紙月のポトフは予想以上に好評で、もりあがった冒険屋たちはそのまま酒盛りに突入し、そしてひとり、またひとりと潰れていった。

 

 最後の一人がつぶれた後、ムスコロをはじめとした最初から飲んでいないか、ほどほどにたしなんでいた連中が、暖炉そばに順に転がしていき、毛布を掛けていった。

 元から厚着はしているし、丈夫が売りの冒険屋どもだ。風邪を引くことは、まあ、あるまい。

 

「くぁ、あ。さすがに、眠ぃ」

 

 ぼやきながらもムスコロは皿を片付けて洗い、鎧姿の未来はそれを受け取って布巾で拭き、重ねていった。

 皿を洗い終えると、大あくびとともにムスコロは部屋に戻っていった。

 厨房の片づけをしていたほかの連中も、切りのいいところで、部屋に戻っていく。今夜は部屋が広く使えることだろう。

 

 テーブルにもたれかかってまどろんでいた紙月も、未来が声をかけると、眠たげながらなんとか立ち上がった。

 酔いのせいか眠気のせいか、足元がややふらついているので、未来が肩を貸す――のは身長差的に無理なので支えてやると、心地よさそうにむにゃむにゃと何か言いながらもたれかかってくる。

 

「ちょっと、せめて部屋までは歩いてよ」

「んんぅ……わあってるよぅ……」

 

 よたよたと歩き出す紙月を支えて、なんとか部屋までたどり着くころには、未来は嫌な汗を背中にかいていた。

 なにしろ今日はいやに酔ったらしい紙月ときたら、ぐにゃりぐにゃりとまるでタコのように柔らかく揺れては、あっちにふらふら、こっちにふらふら、いつ転ぶともしれず、それでしっかり支えようとすると、絡みついてくるのである。

 暗い廊下を歩くために角灯を下げている身としては気が気でない。

 いっそ抱き上げた方が早いのではないかと思うくらいだったが、そうしようとすると今度は自分で歩けると言いだして拒むのである。

 

 そんな具合だから、なんとか部屋の扉を押し開けてベッドに腰を下ろさせたころには、ずいぶん時間がたってしまっていた。

 気疲れと妙な疲労からぐったりと未来が膝をつくと、何が面白いのか紙月はそんな未来をペタペタと触ってくる。むしろペチペチと叩いてくる。

 

「むう。硬い。脱げよー」

「硬いって……はあ」

 

 頭が痛い思いである。

 とはいえどちらにせよ着替えたいからと鎧を脱ぐと、タコのようにするりと紙月の腕が絡んでくる。

 

「はあ……酔ってるの?」

「酒呑んでんだから酔ってんに決まってんだろー」

 

 酔っぱらいは酔っていないというのが定番らしいが、この紙月は実に素直なことである。

 素直でいいことなど何一つないのだが。

 

 未来が抵抗しないと、紙月はますます調子に乗ってするすると腕を絡めてきて、そのまま腕の中にすっぽりと未来を抱きしめてしまった。最近髪を切ったばかりの頭に鼻先を突っ込まれて、ふすふすと匂いをかがれる始末である。

 

 酔っぱらいのやることとはわかっていても、普段触れ慣れない体温が、少し高い温度で、ぴったりと密着してくるのは、未来にしても落ち着かないものがあった。

 触れ返していいものかわからず、酒を理由に好き勝手にしてしいいわけでもなしともやもやを抱えたまま、未来は紙月の背を叩いた。

 

「ほら、着替えるよ」

「んー……もうちょっと……」

「ほーら。もう」

「んむ……うに」

 

 未来が少し強く揺さぶってやると、頭痛がするらしく紙月は嫌そうに離れた。

 全く、頭が痛くなるのならば飲まなければいいのにとは思うのだが、未来には不思議なことに、それでも大人たちは酒を飲むのである。

 

 紙月が離れて、動揺を抑え込む余裕ができた未来は、衣装箱から寝間着を取り出して、着替え始めた。

 本当であれば風呂に入るか、せめて体をふきたいところであったが、嵐で外に出られない、水も汲めないとなれば、贅沢なことだ。

 明日の朝、紙月に《浄化(ピュリファイ)》をかけてもらった方がいいかもしれない。

 

 未来が着替え終え、ちらっと確かめるようにふりかえると、紙月はもそもそと着替えている最中で、青白い背中が角灯の明かりにぼんやり照らされていた。

 

 未来はそっと目をそらし、呼吸を整えた。

 男同士であるし、背中が見えたからと言って、どうということはない。

 けれど未来にはそれをじっと見つめることがなんだかとても失礼なことのように思われた。少なくとも自分がそうするのは、悪いことのように思われた。

 

 そもそも、じっと見たいと思うこと自体が、悪いのだから。

 

 背後の衣擦れが収まるのを待っていると、紙月がぽつりとつぶやいた。

 それはあんまりにも静かな呟きで、嵐の音にかき消されてしまいそうなほどの小さなものだった。

 

 それでも、それは未来の耳に届いた。

 

「俺は……俺はお前の役に立てているか」

 

 平坦なその呟きは、問いかけるつもりもなかったのだろう、ただぽつりと吐き出されてしまった弱音のようにも思えた。

 そのあまりにもはかない呟きを耳にして、未来は気付いた。

 初めて、気が付いた。

 

 この人はまだ()()()なのだ。

 

 何にもなれず、何も成し遂げられなかった頃のまま、古槍紙月はいまもなお胸の中に()()()を抱え込んでいるのだった。

 自分のためというその「自分」さえもうまく把握できないこの大きな子供は、自分が誰かの役に立つことでしか自分自身の存在を保てないのだ。

 

 思えば初めから紙月という人にはそう言う危ういところがあった。

 子供の未来のためとはいえ、紙月は必要以上に未来を大事にし、未来のことにばかり怒り、未来のことでばかり笑った。

 そうだ。

 だって古槍紙月にはほかに頼るものがなかったのだから。

 既存の社会基盤というもたれかかる書き割りを失ってしまった紙月に、頼れる先は未来しかなかったのだ。

 作り物の月の下でかろうじて胸を張りながら、この人にはよりどころがないのだ。

 

 気づけば未来は、着替え終えた紙月の背をそっと抱いていた。

 

「大丈夫だよ紙月。大丈夫」

「ん……」

「君がいないと、僕はだめなんだ。君がいるから、僕は頑張れる」

 

 酔いのせいか、眠気のせいか、もう半ば以上意識がないらしい紙月を、未来はそっとベッドに横たわらせる。

 

「……おやすみ。おやすみ紙月」

 

 静かな寝息を立てるその額に、いまならばと唇を落とし、未来は苦笑いした。

 

「早く大人になりたいなあ。君を支えられる、立派な大人に」

 

 二段ベッドの上段にのぼり、未来もまた瞼を降ろす。

 今日はこもりきりなのに、随分といろいろなことがあった。

 その疲れが、未来を深い眠りに落とすのだった。




用語解説

・《浄化(ピュリファイ)
 この術には状態異常である酩酊を回復させる効果もある。
 つまりいくら飲もうとこれの使い手は一瞬で酔いからさめられるのである。

・大人になりたい
 でも大人って何だろう。


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第十話 トマト・ポトフ

前回のあらすじ

早く大人になりたい。


 嵐の音はなおひどく、日は全く差してはいないが、事務所に取り付けられた柱時計は、早朝を指し示していた。

 何しろ依頼を請けることもできないし、外に出ることもできない嵐のさなかであるから、普段は早起きな連中も、今日ばかりはまどろみを楽しむことに決めたらしい。

 

 そんな嵐の朝に、一人するりと抜け出してきたのは紙月である。

 昨日の醜態など忘れたようにけろりとした顔で訪れたのは、厨房であった。

 

「さて、大丈夫だとは思うが……」

 

 秋とはいえ、煮込みものを常温で放置しておくわけにはいかない。

 かといって大鍋は氷室に入らない。

 ではどうしたかというと、《遅延術式(ディレイ・マジック)》で停滞させた《冷気(クール・エア)》を大鍋に纏わせておいたのだが、これがうまくいったようだった。

 鍋はひんやりと冷え、適切な温度で保存されていた。

 

「さて、朝飯もこれでといったが……ちょっと変えるか。それに昼飯の分も、いまから追加しておこう」

 

 あくび交じりに氷室を確認して、紙月は空の大鍋に《水球(アクア・ドロップ)》で水を満たす。

 《まごころエプロン》を気休めに装備して、焜炉の薪を確認し、焚き付けの新聞紙を放り込み、小さめに絞った《火球(ファイア・ボール)》で着火した。

 

 鍋がわくまでの間にせっせと鹿節(スタンゴ・ツェルボ)を削り、それでも余った時間を、野菜の皮むきで潰す。沸いたところで、昨夜と同じように鹿節(スタンゴ・ツェルボ)でだしを取る。

 

 昨日は四人がかりで仕込んだけれど、今日は時間がたっぷりあるし、のんびりとひとりでできる。紙月は小さく鼻歌を歌いながら昨夜と同じように野菜を仕込み、炒め、肉とともに煮込んだ。

 今日は時間があるが、燃料節約のために、また《加速(アクセラレーション)》で早送り。

 

 昨日と違うのは、途中で切り分けた蕃茄(トマト)を放り込むこと。これは元の世界と名前が同じだが、なんでも南大陸というところで発見されたらしい。

 紙月の知っているトマトと比べて少し小ぶりで、酸味が強いが、味わいは悪くない。

 元の世界では最初は観賞用だったらしいが、こちらでは最初から食用であるらしい。

 

「というか牛蒡といい、なんだかんだ何でも食うよな」

 

 トマトの赤みが広がっていくが、やはり、ちょっと薄い。水煮でどろっどろになったやつを放り込むといい具合にうま味も出るのだが、大鍋二つが焜炉にかかっているので、いまから水煮を作るスペースはない。

 

「まあ、煮込んでいるうちに似たようなことになるだろう」

 

 切り刻んだトマトをどぼどぼと鍋に放り込んでいく。

 トマトの種を取る人と取らない人がいるようだが、紙月は気にしない方だった。

 何事も気にしなくて済むことは気にしない方がいい。

 

 気にせざるを得ないことは、

 

「……………うん。気にしない、気にしない」

 

 これもやっぱり気にしない方がいい。

 

 ことことと煮込んでいるうちに、匂いに誘われたのか、一人、また一人と冒険屋どもが起き出してくる。雑魚寝していた冒険屋どもが呻きながら起き上がってくる様は安物のゾンビ映画のようだ。

 

「うう……飲み過ぎた……」

「頭いてえ……」

「……腹ァ減った」

 

 ゾンビどもがすっかり目を覚まし、寝室に戻っていた冒険屋たちが合流したあたりで、今日の配給もとい朝食が始まった。

 そのころになると、ムスコロやハキロ、未来も起き出してきて、紙月を手伝い始めた。

 

 ゾンビどもの行列は、目の覚め切らない顔でふらふらとやってきては紙月の《浄化(ピュリファイ)》によって二日酔いを吹き飛ばされて爽快な目覚めを得て、トマト・ポトフの皿と切り分けられたパンを受け取って、席についていく。

 

 最後に自分達の分をとって紙月たちが席に着いたところで、アドゾが号令を出した。

 

「よーし、限定の魔女飯だ! 心して食いな!」

「おうよ!」

乾杯(トストン)!」

「朝から飲むんじゃないよ!」

「ぐへぇ」

 

 騒がしくも騒々しく、昨夜の焼き直しのように朝食は開始された。

 

 《浄化(ピュリファイ)》で二日酔いがさめ、体もきれいさっぱりになった冒険屋たちであったが、その胃は酒で荒れていた。しかしよくよく煮こまれ一晩たった野菜たちはほろほろと崩れてお腹に優しく、またトマトが加えられてさっぱりとした味わいにになったことが、彼らを喜ばせた。

 

 つつがなく朝食が済むと、冒険屋たちは昨日酔いつぶれたわびだという訳ではないだろうが、みな率先して皿を洗い、紙月に感謝を述べていった。

 

 例年嵐の時は堅麺麭粥(グリアージョ)で三食過ごし、よくてもそこに具材が加わるだけという始末で、今回の件で希望が持てたとのことだった。

 

 朝食が済み、しばらく腹ごなしと称してゴロゴロとしていた冒険屋どもは、それでも時間がたてば勝手に内職に戻っていった。

 何もしたくなくても暇なのは耐えられないし、暇なくらいなら手を動かせばその分、小金が入るのである。

 

 未来が写本の続きをしようかどうしようかと考えながら膨れた腹をさすっている間、紙月は紙月で3Dクリスタル加工にいそしもうとしていたのだが、なかなか手が進まない。

 ぼんやり精霊晶(フェオクリステロ)を見つめていたかと思うと、不意にやる気を出して手をかざしたり、結局うまいこと集中できないのか手を降ろしたり、今日はうまくいかない日であるらしい。

 

 未来にはなんとなくわかる気がした。夏休みの宿題だって毎日続けているとなんかどうしようもなくやりたくない日が出てくるものだ。そういう時は無理に進めるより、気分転換した方が、かえって早く進む。

 

 紙月もそう思ったのか、結局精霊晶(フェオクリステロ)を置いて、立ち上がった。

 

「駄目だ。頭が回らん。昼飯の仕込みでもしよう」




用語解説

蕃茄(トマト)
 ナス科ナス属の植物。果実を食用とする。トマト。

・似たようなことになるだろう
 ならない。トマトがすっかり煮崩れる間に他の野菜もぐずぐずになるので、個人的にはトマトピューレなどの使用をお勧めする。



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第十一話 名状しがたき沼

前回のあらすじ

トマト・ポトフで朝食を済ませた一同。
しかし紙月はどうにも集中が続かないようで。


 紙月が《エプロン》を装備して厨房に向かうのを見て、未来もそれに続いた。そうするとうまいものを食いたいという気持ちでムスコロとハキロもついてきた。

 昨夜手伝ったものには、一番とろとろに煮込まれた肉が与えられたことを覚えているのだ。

 

「うーん。なに手伝ってもらおうかね。ベースは出来てるからな」

 

 紙月は少し考えて、頷いた。

 

「よし、ムスコロ、これを摩り下ろしてくれ」

「ほう、林檎(ポーモ)ですかい」

「それから、あれあるか、ニンニク。えーと、こんな形して、香りが強いやつ」

大蒜(アイロ)ですかね。ありやす」

「それと、生姜(ジンギブル)をこれくらい摩り下ろしてくれ」

「へい」

 

「ハキロさん、蕃茄(トマト)を輪切りにして種を取って、鍋で水煮してください」

「よしきた」

「あ、待てよ。湯が沸いたらトマトより先にこの、これ、なんて言うんだこの葉っぱ」

不断草(フォリア・ベート)ですな」」

「そうか。この不断草(フォリア・ベート)を湯がいて、水で冷ましてくださいな」

「わかった」

 

「未来、玉葱(ツェーポ)人参(カロト)をみじん切りにしてくれ。これくらいあればいい」

「わかった」

 

 そして紙月が何をするのかというと、厨房の一角を占拠して、インベントリから次々と袋を取り出して並べていった。

 すると途端に、ある種、異様なにおいがあたりに立ち込める。

 

「な、なんだなんだ?」

「変なにおいがするぞ?」

「何の儀式だ?」

 

 内職をしていた冒険屋どもも面白がって顔をのぞかせてくる。

 

「紙月、何それ」

「スパイス。南部で見かけてな」

「スパイス……何するの?」

「なに、カレーを作ろうと思ってな」

「カレー!?」

 

 冒険屋たちには何が何やらわからないが、未来には驚きだった。

 未来の知るカレーと言うのは、チョコレートみたいに固められた、いわゆるカレー・ルゥを溶かしてつくるものなのである。

 ところが目に入るのは馴染みのあるあの茶色ではなく、赤かったり茶色かったり黄色かったりする粉ばかりだ。

 

「……こんなので作れるの?」

「まかせろ、前に料理にはまってた時にやったことがある」

「ほんと何でもできるね……」

 

 邪魔くさい冒険屋どもを追い払い、はかりを用いてさっさか香辛料を図り、混ぜ合わせていく手際には確かに迷いというものがない。

 

「この量だとこんなに使うのか……高くつくな」

 

 などと言いながらも使い方には遠慮というものがない。

 どうせスパイスなどと言うものは使うときに使わなければいつまでも使わないのだ。

 こういう時に一気に使うに限る。

 

 一通り計量作業が終わり、他の面子も仕事を終えると、紙月は不断草(フォリア・ベート)を取り分けておいた鹿節(スタンゴ・ツェルボ)の出汁に漬け込んだ。

 

「それじゃ、始めるかね」

 

 まず、フライパンに薄く油を敷き、玉葱(ツェーポ)人参(カロト)微塵切りと、生姜(ジンギブル)大蒜(アイロ)、そして林檎(ポーモ)の摩り下ろしを炒める。炒める。とにかく炒める。

 塘蒿(セレリオ)があっても良かったが、あれは使い切ってしまった。

 炒め続けるとやがて飴色になるので、いったん取り上げる。

 

 今度は良く洗って水気を拭いたフライパンに、小麦粉とスパイス類を入れ、乾煎りする。このときやりすぎると焦げるし、足りないと香りが立たない。らしい。全く煎らないという人もいたり、かなり煎るという人もいるし、半分煎って半分はそのまま使うという人もいる。

 紙月は面倒くさいのは嫌いなので深く考えずに済むレシピを使う。

 

 いい具合に乾煎り出来たら、これにさっき炒めた飴色玉葱(ツェーポ)加える。油気が足りなければ、バターを足してやってもいい。

 炒めながら、だまにならないようによく練る。練る練る。練り上げる。

 

 正直紙月は途中で腕が上がらなくなってダウンし、未来に代わってもらった。

 

 選手、衛藤未来に代わりまして、練り上げる。

 

 そして具合よく練りあがったら、これに少しずつトマト・ポトフのスープを足して伸ばしていく。伸ばしていく。伸ばしていく。

 急にたくさんのスープを入れるとやっぱりだまができやすいので、落ち着いて練るように伸ばしていく。

 そしてある程度伸びて、ペースト状になってきたら、トマト・ポトフの鍋にぽいと放り込んで、混ぜる。

 

 そして後はうまくなじむように祈りながら、煮込む。

 

 まあこの時多少しゃばしゃばでも、小麦粉を足せばどうとでもなる。

 このどうとでもなるというメンタルが大事だった。

 料理がうまい人間というものは、大概失敗しても持ち直せる人間のことを言うのだ。多分。

 

「おお、カレーだ」

 

 仕上がったものを見て未来は確かにそこに懐かしいカレーの姿を見た。

 

 しかしてほかの冒険屋たちの反応はと言えばあまり芳しくなかった。

 

「あー……素直に? 素直に言えっていうのか?」

「なんつーか……香ばしい泥?」

「名状しがたい沼っつーか……」

「焦げた乳煮込み(ブランカ・ラグオ)ってこんな感じだよな」

「お前らね」

 

 嗅ぎなれない香りもあって、一同なかなか手が出しづらいようであるが、それはそれとして所長のアドゾは怒鳴った。

 

「食材無駄にするんじゃないよ!」

「へーい……」

「朝までは良かったんだがなあ……」

「せめて酒……」

 

 しかしこれらの連中も、いざ匙をつけると顔色が変わった。

 

「おっ、おっ、おっ、なんだこりゃ!」

「辛い! 辛い、が、うまいぞ!」

「おもしれえ味がする!」

「初めての辛さだなこいつは。複雑な味だ」

 

 初めての味わいでありながらもおおむね好評のようで、それにスパイスの香りが食欲を掻き立てるのか、思いのほか進みが早い。

 

「どうだ、未来?」

「うん、凄いよ紙月!」

「ふふん。ま、このくらいはな」




用語解説

大蒜(アイロ)
 ヒガンバナ科ネギ属の多年草。球根を香辛料・食用として用いる。ニンニク。

不断草(フォリア・ベート)
 ヒユ科フダンソウ属の耐寒性一年草-二年草。葉野菜として改良されたビートの一種。フダンソウ、スイスチャードなど。



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第十二話 泥肉

前回のあらすじ

森の魔女が大鍋で煮込んだ名状しがたき泥に冒険屋たちは屈するのであった。


 珍しいものを食べ、またスパイスの効果もあるのか、たっぷりと英気を養いすっかりと元気を取り戻した冒険屋たちはまた内職に戻っていった。

 

 しかしここでどうにもはかどらないのが紙月であった。

 どこかぼんやりとしていて、細かい作業に意識がむけられないようである。

 魔法とは、余人が思う以上に精神力と集中力を必要とするものである。考え事はしているが手は進む、といったことのできない分野である。

 

 朝から引き続きどうにもうまくいかない紙月が気になったのが未来である。

 

「どうしたの、紙月?」

「どうしたのって、何がだよ」

「何がって……今日は何かうまくいってないみたいだから」

「そんなことないって。ちょっと構図に迷ってるだけさ」

「……もしかして、体調でも悪いの?」

「大丈夫だって、ほら、この通り、《燬光(レイ)》!」

 

 この通り、《燬光(レイ)》の光で焼き切られて精霊晶(フェオクリステロ)が真っ二つになった。

 

「……大丈夫?」

「あー…………はあ。いや、うん、ちょっと目が疲れたんだろう」

 

 かたくなに何でもないと言い張る紙月に、未来が言えることは少ない。ましてや睨むようにして言われてしまうと、何も言えなくなってしまう。

 

 それを見て紙月も、自分が不機嫌を無遠慮にさらしてしまっていることに気付いて、再びのため息が漏れた。

 

「いや、駄目だな。駄目駄目だな。頭が回ってねえ」

 

 紙月は立ち上がり、がりがりと頭をかいた。

 

「今日はもう店じまいだ。大人しく飯の仕込みでもしてるよ」

 

 様子がおかしいとは誰もが思いながらも、この言葉にはひそかに喜ばざるを得ない冒険屋たちであった。何しろ三食続けていいものを食わせてもらっているのである。期待せざるを得ないものがある。

 

「僕も手伝うよ。何作るの?」

「うーん。そうだな」

 

 紙月は鍋にいくらかのこったカレーのあまりを見つめ、氷室の中を検め、それからパン、と手を打った。

 

「よし、ムスコロとハキロさん呼んで来い」

「わかった」

 

 もうすっかり馴染みとなった面子がそろうと、紙月はプランを説明した。

 

「昼飯のカレーが人気だったので、引き続きカレーでいく」

「またですかい」

「そりゃうまかったけどよ、いくらなんでも飽きるぜ」

「勿論そのままじゃあない。手は加える」

 

 まずは、少なくなったカレーを作り足すために、野菜の掃除から始まった。洗い、皮をむき、切る。それを鹿節(スタンゴ・ツェルボ)の出汁で煮る。

 

 その間に紙月は再びスパイスを量り、昼と同じようにカレーが仕上がった。昼と違うのは、ここに鶏乳が加えられて味がまろやかになったことである。

 

「これでおしまい?」

「カレーはな」

 

 では次は何かと思えば、紙月は棚から硬くなったパンを取り出し、未来に寄越す。

 

「これを全部、この粗目のおろし金で卸してくれ」

「パンを?」

「そうだ」

 

 未来が小首を傾げながらパンを摩り下ろしている間に、紙月は氷室から大きな塊肉を取り出してくる。先日未来がいつの間にか狩ってきたという鹿雉(ツェルボファザーノ)の背中のあたりの肉である。牛で言えばサーロインか。

 いい具合に熟成されているし、これだけの量があれば、事務所の人間を賄うことができる。

 

 紙月はこれを前にちょっとげんなりして、ムスコロに指示してステーキにでもするように切り分けさせた。人数分を切り分けたところで、パンを摩り下ろし終えた未来も含めて四人で酒瓶をもってひたすら肉を叩いていく。

 肉叩きでもあればよかったのだが、生憎とそんなものはこの事務所にはない。

 

 どかどかとやかましい音に冒険屋が何人かちらっと見に来たが、四人がかりでテーブルを囲んで肉を叩きまくる絵面にぞっとして去っていった。

 

 別につぶすのが目的ではないのだから、肉叩きはそこそこに、程よく柔らかくなったあたりでやめる。ハキロと未来に指示して塩と胡椒でさっと下味をつけさせ、その間に紙月は卵を割りほぐしておく。

 このあたりでムスコロは何をするか察したらしく、頷きながら手早く厨房を整えた。

 

 肉に下味が付いたら、四人がかりの流れ作業で、粉をつけ、卵をまぶし、おろし金で卸したパン粉の衣をつけ、積み上げていく。

 

「これって……」

麺麭粉揚げ(コトレート)ですなあ」

 

 鹿雉(ツェルボファザーノ)のカツレツである。

 

 なんだかんだ雑談しながらのんびりやっているといい時間になってくるもので、腹ペコどもが文句を言い始める前に、紙月とムスコロが鍋を二つ並べて油を湧かし、片方は低温で、片方は高温で保った。

 高温に保てばいい方の鍋は紙月が、低温に保つのには火の扱いに慣れたムスコロが担当した。

 

 まず低温でじっくりと揚げ、火を通す。通し過ぎず、しかし通す。このあたりの感覚を、ムスコロはしっかりつかんでいた。

 これを取り上げ、今度は高温の油で揚げて、表面を色付けし、衣をカリッとさせる。

 二度揚げである。

 

 これを流れ作業で未来が皿に盛りつけ、ハキロが上からカレーをかけた。半分だけかけ、もう半分にはかけないことで、かりっとさくさくした衣の感触を生かすことも忘れない。

 

 こうして流れ作業で生み出されたカツカレーに、もはや文句を言うものなどいなかった。

 

「見かけは麺麭粉揚げ(コトレート)に泥ぶっかけたみたいだけどな」

「冒涜的な見た目ではある」

「旨い麺麭粉揚げ(コトレート)に旨いカレーだ。不味い訳がねえ」

 

 カツカレーが全員にいきわたり、そして酒杯が掲げられた。

 

「余計なことは言わないよ! 乾杯(トストン)!」

乾杯(トストン)!」

 

 冒険屋たちはやはり、この新たな味わいに歓声を上げた。

 

「こいつはうめえ!」

「昼のよりまろやかになってやがる!」

「なんて奴だ……まだ底を見せんとは」

「酒が進むねえ、こいつは!」

 

 誰もが昨夜の有様を覚えていながら、誰も躊躇などなしに酒をあおる。

 それが冒険屋という生き方だった。

 かどうかは定かではないが、少なくともこの荒くれどもはそうして生きているらしかった。




用語解説

麺麭粉揚げ(コトレート)
 カツレツ。フライ。
 パン粉をまぶしてたっぷりの油で揚げる揚げ物。



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最終話 ワン・ストーミー・ナイト

前回のあらすじ

何度目だ飯レポ。


 また同じ展開だ、未来は呆れた。

 夕食が終わり、酒盛りに突入し、そして一人また一人と潰れていき、こうしてぐにゃんぐにゃんの紙月を回収するところまで同じだ。

 

 違うのは今日は飲み過ぎた紙月が、自分の足で歩くこともできないくらいぐでんぐでんに酔いつぶれて、その薄っぺらな体を未来に担がれていることだった。

 

 そりゃあ、未来としては紙月には頼ってほしいし、何なら甘えてもらっても全然かまわないのだが、これは何か違うと思う。

 何が違うのかと言われると未来にはどう説明したものかよくわからないのだが、しかし違うものは違うのだ。

 

 もっとこう、格好いいというか、スマートというか、とにかくもっと浪漫のある形であってほしいのだ。

 

 酔いつぶれた紙月を担ぎ上げているというのは、格好良さもない、スマートさもない、もちろん浪漫もない。ないない尽くしだ。ときめきも純情もない。

 あるのはなんだ。

 酒臭い吐息と、無駄に暴れるお荷物と、鎧越しでまともに感じることのできない体温と、薄っぺらいくせに無駄に存在を主張する重さくらいのものだ。

 

「むーんー……揺らすなよぉ」

「仕方ないでしょ。自分で歩けないんだから」

「あるけらぁ」

「それでさっき床に転がったじゃない」

「ころがってぇ……なぁいぃ……」

「駄目だこりゃ」

「ゆらすなってばぁ……」

「だからさあ」

「吐きそう」

「善処する」

 

 紙月の面倒を見てやりたいとは思っていても、さすがに鎧の上に青春限界大突破は御免だった。

 

 ぐずる紙月をなだめあやしてなんとか部屋に辿り着いた時には、未来はもう体力も気力もすっかり使い果たしてしまっていた。

 

「ほん、とに、もうっ」

 ぐにゃりぐにゃりと骨の全てが溶けてしまったように頼りない紙月をベッドに座らせて、未来はまず一息ついた。

 

 全く、大人ときたらどうしていつもいつも人様に迷惑をかけるってわかっていてお酒なんて飲むんだろう!

 

 紙月に世話になっている自覚のある未来だったが、しかしこればっかりは苦言を呈さずにいられなかった。

 

「どうして紙月はいっつもこうなるってわかってるのに飲み過ぎちゃうのさ」

「うるへぇ、酒くらい好きに飲ませろよぉ」

「飲むのは勝手だけどねえ」

 

 でもそれで迷惑を被るのは自分なのだ。

 なんだかんだそれでも面倒は見るけれど、ぐでんぐでんに酔った紙月と言うのは非常に危うくて、正直、肝が冷えるやら顔が火照るやらである。

 

「もうさあ、そんなになっちゃうなら《浄化(ピュリファイ)》使えばいいじゃない。酩酊も治せるんでしょ?」

「わかってねえなあ」

 

 酔っぱらいにわかってないと言われることの腹立たしさがわかるだろうか。それも噛んで含めるように何度もわかってない、わかってないんだよなあ、と言われる気持ちが。こんな気持ちを知るくらいなら酒などこの世から消え去ってしまってもいいと思うほどだった。

 

「お前はこの気持ちよさがわからないからそんなこと言えるんだ。すごいぞー。すごいんだぞー」

「はいはい」

「ふわふわしてなー、くらくらしてなー、気持ちいいんだよ」

「はいはい」

「酒がなあ、酒が入ってなきゃなあ、できねえこともあるんだよぉう」

「はいはい、わかったから、着替えようね」

 

 管をまく紙月を放置して未来が鎧を脱ぎ、寝間着に着替え追えた頃も、紙月はまだわかってないと言い張っていた。

 

 こうなったら仕方がない。自分が着替えさせるほかにないか。

 

 介護の二文字が頭に浮かびながら、ほら着替えるよと手をかけて、不意に紙月が黙り込んだ。

 

「紙月?」

「おれも」

「紙月?」

「おれも、おまえがいないとだめだよ」

 

 ふわりとアルコールの匂いが漂ったかと思うと、柔らかな熱が、額をかすめた。

 ような気がした。

 

「し、紙月!? おぼえて――!?」

 

 慌てて問いただそうとしたときには、紙月の体はぐったりとベッドに沈んで、静かな寝息を立てるばかりであった。

 

 

 

 翌朝、まんじりともせず一晩を過ごしてしまった未来は、腫れぼったい目元をこすって早朝の廊下に出た。

 朝早いうちであるから、事務所の廊下は気配に乏しく、広間に出ても、飲んだくれどもはまだ死体のように眠りこけていた。

 

 玄関を見ると少し開いていたので、そっと出てみれば外は良く晴れて、東の空に白々と顔を出し始めた日差しが、雨上がりの町を照らし始めていた。

 

「おや、おはようごぜえやす」

「あ、おはよう、ムスコロさん」

 

 ムスコロはまじまじと未来を眺めて、顔色といい眠たげな目元といい、そしてまたどこか浮ついた空気にといい、どうしたのかと首を傾げた。

 

「昨晩は早めに休ませてもらいやしたが、なんかありやしたかい」

「えっ、昨晩!? え、あっいやっ」

 

 なんでもないと言えば、なんでもないことだったのかもしれない。

 なんでもないと言ってしまった方が、都合がよかったのかもしれない。

 

 しかし。

 それでも。

 だけれども。

 

「な、なんでもなくは、ない」

「はあ?」

 

 あの夜のことを何でもないことにしたくなくて、未来はそんなあやふやなことしか言えないのだった。

 

 空は、嫌みなほどに晴れ渡っていた。




用語解説

・なんでもなくは、ない
 青春である。


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第十章 アクロバティック・ハート
第一話 秋の賑わい


前回のあらすじ、

なんでもなくはなかった、あらしのよるに。


 季節はすっかり秋めいて、朝夕の冷え込みなどたまらないものがあった。

 特に朝方など、小さいくせに熱量を充分以上にため込んだ未来は元気に早起きするが、紙月は布団と別れ難くずるずると渋ってしまう。

 そうして未来に引っ張り出されてようやく、凍えながら着替えるのが近ごろの常であった。

 

 紙月としては甘えてしまっているかなと少し気恥ずかしくはあるが、脂肪の薄いハイエルフの体にとってはどうしようもなく寒いものは寒いし、いかんともしがたい。

 未来としては、気難しい猫が慣れてきたようでちょっと嬉しい。

 

 起きて、着替えた後も、寒がりな紙月は基本的に暖炉から離れたがらないが、未来が散歩に出かけると、三回に一回はついてくる。

 以前、子供たちと不本意ながら行ってしまった冒険譚が、まあ隠そうともしなかったので自然と漏れ伝えに聞こえたらしく、いくらか心配をかけてしまったのだ。

 それでも寒さと天秤にかけた結果が三回に一回というお供なのだから、信頼されていると取るべきか、寒さごときに負けていると取るべきかは微妙な所だ。

 

 秋になって寒くなり、未来は《白亜の雪鎧》を着るべきか脱ぐべきか悩むことが多くなった。

 《雪鎧》を着こんでいると、何しろ氷雪系の鎧であるから、いささか涼しすぎるのである。

 では、炎熱系の属性鎧もどうせ持っているのだろうし、それに着替えればよい、というのは簡単である。

 

 しかし、これはこれで問題があった。

 

 《朱雀聖衣》というのがそれで、着てみれば非常に暖かく快適であるし、設定上なんだかすごいらしい金属でできているらしく、軽く、着心地も悪くない。

 

 ただ、見た目が派手なのである。

 

「紅白歌合戦に出てきそうな感じ。ボス枠」

 

 たっぷり五分は抱きしめてそのぬくもりを堪能した後に、紙月が真顔で端的に評価した感想がそれである。

 

 全体を真っ赤な羽毛であしらわれ、兜などは完全に鳥を模したもので、炎を模したような派手な柄のマントまでついていて、とにかく、目立つ。

 ゲームで使用していたときは格好いいデザインだと思えたのだが、いざ自分が着てみるとなるとこれは恥ずかしいと思えてしまうレベルに派手なのである。

 

 なので、未来は店売りの服を厚着している。金持ち御用達の上等な店で購入したのもあるし、獣人の体自体が頑丈なのもあるし、これで十二分に暖かい。

 

 一方で紙月は、何しろ《魔術師(キャスター)》という《職業(ジョブ)》が装備できるものが鎧などではなく衣類系なので、属性装備を取り揃えているということはそれだけで結構な服持ちである。

 

 いささか肌寒そうである《宵闇のビスチェ》のままでははさすがに外には着ていかない。

 いまはその上に、《不死鳥のルダンゴト》というコートを着こんでいる。

 ルダンゴトと言うのは肩幅が少し広めで、ウエストを絞ったシルエットのコートだ。

 

 《不死鳥のルダンゴト》は《朱雀聖衣》と同じような効果の属性装備であるのだけれど、《聖衣》が男の子のロマンを詰め込んだ一方で、《ルダンゴト》は大人びたクラシックな印象があった。

 全体は黒っぽいけれど、角度によって熾火のように赤が走る不思議な色合いで、また白から橙、橙から赤へと色鮮やかな羽飾りがたっぷりと肩口を飾っており、見た目にも温かそうだ。

 

 同じ部位の装備でも、インベントリから直接装備指定するのではなく、一度取り出して、自分の手で着こむと重ね着できるということを発見した時の紙月の喜びようと言ったらなかった。

 装備の効果を重ねられるだけでなく、純粋に、あたたかくて、動きやすくて、着心地がいいからだ。

 敏感肌のハイエルフの体は、既製品だとちょっと肌につらいのだ。

 

 そんな秋めいた装いに着ぶくれた二人が街を歩いていると、最近あまり外に出ていなかった紙月が小首を傾げた。

 

「なんか……様子が、変だな」

「変?」

「なんか、浮かれてる感じだな」

「ああ」

 

 紙月の抱いた疑問も、毎日のように散歩に出かける未来にとってはいまさらのことだった。

 つまり、町の建物にちょこちょこ増え始めている妙な飾りつけや、店々に見られるようになった巨大な蜘蛛や鳥の怪物の仮面・人形のことだ。

 

「僕も気になって、ムスコロさんに聞いたんだよね」

「フムン」

「なんかね、秋のお祭りがあるんだって」

 

 帝国ではもっぱら祭りと言えば夏と秋の二つである。春と冬を祝う祭りもあるが、夏秋程大きなものではないではない。

 夏は古来より疫病が流行る時期であり、これを鎮めるため荒神を祭るのが夏祭りである。

 一方で秋の祭りは、今年の収穫を祝い来年の豊穣を願う祭りである。

 

「成程。うまいものが食えそうだ」

「小食なのに食いしん坊なんだから」

「毒見はするから食べるのは任せた」

「まったく」

 

 それはそれとしてみょうちきりんな飾りや仮面・人形といったものはなんであるかというと、祭りのもう一つの側面がかかわってくる。

 

「収穫祭ってだけでなく、お盆の要素もあるんだよ」

「盆だって?」

 

 盆というより、ハロウィンに近いかもしれない。

 

 秋と言うのは、暑さ寒さの境界であり、収穫という一大事を迎えて翌年へと続く一年の境界でもあり、昼と夜との境が曖昧になる時期だという。

 境界をつかさどる神プルプラは非常に遊び心に富んでおり、この大きな境界を利用して、生者と死者の境界を曖昧にさせて、冥府で眠りについている死者たちに、この世で遊ぶひと時を提供するのだという。そしてまた迂闊な生者を冥府に誘い込んでは遊ぶのだという。

 

 プルプラの遊び心をほどほどに満足させるために人々は盛大にこの日を祝い、遊び、そしてきっちりと終わらせて()()をつけることで境界を安定させ、お帰り願うのだという。

 もし祭りの道具や騒動を持ち越すような無精者があれば、彼らは不安定な境界に迷って冥府に彷徨うことになるかもしれないと昔から脅し文句のように言うらしい。そして最近では、結婚できなくなるぞという脅しも出てきているようだ。

 

 巨大な蜘蛛や、鳥、山椒魚、茸、また様々な獣の仮面や人形は、みな古代の人々の姿を真似て作られているという。古代の死者たちが紛れて遊んでも、わからないようにするために。

 

 

「だから、祭りの最中はいたずらに他の人の仮面をとったりしてはいけないんだって」

「モノホンが紛れてたら、驚くじゃあ済まないもんなあ」

「貴族が紛れて遊ぶためっていうのもあるんだろうけれどね」

 

 何しろ一年に一度の大きなお祭りだ。貴族たちも無礼講で遊びたいことだろう。

 町民たちもそれがわかっているから、祭りの最中は細かいことは言いっこなしで、あとに残さないのがマナーだという。

 

 二人がぶらりと町を歩いてみると、宿には大道芸人や見世物小屋の人間たちの姿が見えたし、市にも普段見慣れない人々の姿が多く見られた。

 

 町はずれまで足を延ばしてみれば、そこには驚くほど大きな天幕が建設されているところだった。曲芸団の一座が、祭りの夜に演目をいくつも用意して待っているのだという。

 

「はー、田舎町だと思ってたけど、結構にぎわうもんだな」

「小さいって言っても、町は町だしね。それに」

「それに?」

 

 鼻先を指さされて、紙月は目をぱちくりさせた。

 

「森の魔女がいるってこと、忘れてない?」




用語解説

・《朱雀聖衣》
 いくつかの高難度イベントをクリアすることで得られる素材をもとに作られる。
 炎熱属性の攻撃に対して完全な耐性を持つほか、純粋な防御力自体もかなりの高水準にある。
 見た目も格好良く性能も良いが、常にちらつく炎のエフェクトがCPUに負荷をかけるともっぱらの噂である。
『燃えろ小さき太陽。燃えろ小さな命。炎よ、燃えろ』

・《不死鳥のルダンゴト》
 ゲーム内アイテム。女性キャラクター専用の炎属性の装備。
 蘇生アイテムである《不死鳥の羽根》を素材にするという特殊な装備。
 装備したプレイヤーが死亡した際に全体《SP(スキルポイント)》の五割と引き換えに《HP(ヒットポイント)》を全快にして蘇生させる。
 《SP(スキルポイント)》が足りない時は蘇生しない。
『不死鳥は死なぬわけではない。死んで、そして生き返るのだ。その魂は、不滅だ』



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第二話 祭りの相談

前回のあらすじ

祭りの準備で賑わう街中。
森の魔女もいるとなれば、それは人も集まる。


 二人が適当な昼飯を済ませて《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》に帰ってくると、広間で書類を前にうなっていた所長のアドゾが、丁度いいと出迎えた。

 

「なんですおかみさん?」

「祭りだよ祭り」

「祭りですねえ」

「気の抜けた返事して、まったく。当事者意識ってもんがない」

「当事者意識って、何かあるんですか?」

「あるもある、大ありだよ」

 

 アドゾに椅子を勧められて、テーブルに広げられた書類を見せられた。

 祭りのチラシのようなものもあれば、冒険屋たちの名前が記されたリストのようなものもある。

 

「なんですこりゃ」

「あんた何にも知らないんだね」

通訳(ムスコロ)呼びます?」

「いいよ、まだるっこしい」

 

 アドゾが説明してくれたところによれば、毎年の秋の祭りには、各組合大いに盛り上がって、催しごとをするのが常であるらしい。

 これは冒険屋組合も同じことで、祭りの二日目に、冒険屋組合主催の運動大会が開かれるという。

 

 市の開かれる広場を丸々使える催しと言うのは一年でもこの一回だけで、収益も結構なものが見込めるから、組合に所属する事務所も大いに奮うという訳であった。

 

 運動大会は三種目あり、順に的あて、馬上槍試合、闘技が催されるという。

 事務所の看板冒険屋である《魔法の盾(マギア・シィルド)》には、宣伝のためにも是非ともどれかに参加してほしいとのことである。

 

「別に三種目全部出てもらったってかまわないんだ」

「そうは言っても……」

「僕ら弓とか使ったことないし、馬上槍試合っていっても、タマはさすがに反則だよねえ」

「じゃあ未来、闘技だね。決まりだ。身一つでいいんだからね」

「ええ、そんな勝手に」

 

 とはいえ別に断る理由もないので、未来はリストの闘技のところに自分の名前を書き込んだ。

 闘技と言うのは要するに、木剣などを使った模擬試合のことだった。

 アドゾが言うところによればそんな奇麗なものではなく、武器が本物でないだけで、あとはルールもあえて緩くしている()()()()()()というのが本当のところのようだ。

 

「危なくないんですか?」

「危ないから盛り上がるんじゃないか」

「ああ、そういう……」

 

 競技は冒険屋だけでなく誰でも参加できるようだが、いくらかの参加料が必要らしい。見物席もいい席には料金がつけられているという。

 さらに競技場を囲むように並ぶ屋台も、組合直営か、組合に金を払って出店している店だから、そちらでも儲けが出る仕組みだ。

 

「沸かせりゃ沸かせただけ儲かるんだから、ごく潰しどもにゃ精々働いてもらうよ」

 

 とはアドゾの談である。

 

 勿論、儲けるだけ儲けて吐き出さないという訳ではなく、優勝者にはそれなりの賞金も出るという。町民からすれば一獲千金の大金であるし、冒険屋にしても、まれにみる大型報酬だ。

 誰でも参加できるものだから、参加者も見物客も毎年大盛況の人入りだという。

 さらに近隣の武芸者も毎年のようにやってくるし、中には複数の町の大会を梯子するつわものもいるらしい。

 

 さて、未来は闘技とやらに参加することが決定したところで、紙月はどうしたものかと悩んだ。未来と同じように闘技に参加するというのは、ちょっと厳しい。

 なんでもありとはいえ、さすがに直接的な攻撃魔法はだめらしく、紙月が参加しても勝ち上がるのは厳しそうだ。《強化(ブースト)》を遣えば身体能力は高められるとはいえ、そこらの町民相手ならばともかく、冒険屋の武芸者相手に通じるかどうかは疑問だ。

 

 かといって馬上槍試合はいろいろと無理があるし、となると的あてならば、まあできなくもないか。これで魔法がダメと言われると困るが。

 などと考えていると、あんたは良いんだよとアドゾに止められた。

 

「ええ?」

「あんたには運営の方に回ってほしいんだよ」

「運営ったって、俺、組合のことも祭りのことも全然知らないですよ?」

「そういう仕事じゃあないんだ」

 

 アドゾが言うには、運営は運営でも、大会を指揮する方ではなく、大会の裏手で働く人出が欲しいのだという。

 

「何しろ荒っぽい大会だから、怪我人もたくさん出るだろう?」

「まあ、無傷で済ますってわけにはいかんでしょうねえ」

「そうなると、大会のせいで大怪我した、組合のせいだ、って無茶苦茶言う輩も出てきてね」

「ははあ」

「だから一応備えてますよってぇ顔するためにも、怪我人の治療をする部門があるんだよ」

「成程、俺に魔法でそれをやれってことですね」

「そういうことさ」

 

 勿論、以前から何度もやっている大会だから、施療所の施療師や、医の神の神官、また在野の冒険屋の中でも医療に長けたものなどに声をかけて、賃金を払って座ってもらっているのだという。

 

「あんまり手に負えないような大怪我なら神殿か施療所に運ぶし、少ないが賃金も出す」

「うーん……なんか退屈そうっすね」

「その代わり、怪我人が運びやすいように、かぶりつきで試合は見れるよ」

「フムン」

「どっちにしろ未来が試合に出てるあいだ退屈するんなら、臨時施療所でどっかり腰据えてても変わらないだろう」

「ふーむむ」

「どうせ怪我人なんてそうそう来ないし、席代も浮くと思って」

「うーん」

「わかったよ、賃金には色付けてやる」

「よしきた」

 

 断る理由も別になかったことだし、紙月は快く依頼を請けるのだった。




用語解説

・快く
 冒険屋は基本的に快く依頼を請けることにしている。


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第三話 一日目

前回のあらすじ

祭りには運動大会があるという。
二人は快く受け入れるのだった。


 祭りの支度というものは気付けばとんとん拍子で進んでいくもので、気づけば秋も更け、その日が来た。

 朝も早いうちから町長であり近隣一帯の領主であるスプロ男爵その人によって祭りの開催が宣言され、スプロの町はどこからこれほどまでの人出がと驚かされるほどの賑わいに埋もれるのだった。

 

 その祭りの賑わいにもまれ、町民ながらに派手に着飾るものが多い中、紙月と未来はかえって地味な装いでその中に紛れ込んだ。

 普段の装いではいい加減、《魔法の盾(マギア・シィルド)》の名も顔も売れ過ぎていたので誤魔化し切れず、今日はせっかくの祭りに紛れ込みたいということで、上から下まで、ムスコロの見立てで仕立ててもらったのだった。

 

 ゲーム内装備でないと不安ではあると再三紙月はぼやいたものだったが、その分アクセサリー系統の装備を服の下に忍ばせ、未来がしっかり手を握ってはぐれないようにすることで、どうにか納得した。

 

 近くの露店で売っていた比較的おとなしめの仮面をかぶり、骨の髄から庶民であるムスコロとハキロがお供に連れ立つと、四人はすっかり祭りの人混みの中に埋もれてしまって、誰も注目することがなくなった。

 

「注目されないとされないで、これはこれで落ち着かねえな」

「姐さんも難儀ですなあ」

「僕はもう今更だけどなあ」

 

 紙月はあまり変装して出かけることがないので落ち着かないようだったが、未来は何しろ鎧姿と正体とで全く違うので、変装慣れしていると言えばしているのである。

 最近は鎧なしであちこち散歩にも出て回っているので、素顔の方が顔なじみが多く、鎧の方が変装している気分になるくらいだった。

 

 普段は賑わうのはせいぜい市のあたりくらいであるスプロであるが、祭りとあって大きな通りには必ず何かしらの屋台が出ていて、普段の倍にも三倍にもなるほど人通りが増えている。

 店のほとんどは、祭りの騒ぎに便乗したちゃちなものばかりであったが、中にはきちんとした店が儲け時とみて出店を繰り出してきたものなどもあって、なかなか侮れない。

 

 また、少しでもスペースができればそこには大道芸人たちが芸を売り、まるで売れない寂しいものもあれば、歓声ばかりは聞こえるものの人垣に遮られて肝心の芸が見えぬほど人気のものもあった。

 

 道行く人々は多くが仮面をかぶっており、また普段は見かけない隣人種も多く歩き回っていることもあって、成程確かに、様々な境界が曖昧になった非日常の世界という趣である。

 この中に死者がちらほらと紛れ込んでいたとしても、とても確かめる術などないだろう。

 

天狗(ウルカ)が結構いるな。西方から来てんのかね」

「アクチピトロの連中はもう少し隠し切れんもんがありますから、別口でしょうな」

土蜘蛛(ロンガクルルロ)の店が結構あるな」

「連中手先が器用ですからな、細工物の店なんぞは、連中の専売特許で」

 

 中には見たことのない隣人種も見られた。

 一見普通の人族なのだが、体表にちらほら苔やキノコが生えており、ゾンビのようにぎこちなく歩くのだ。

 仮面をかぶっているので顔まではわからないのだが、わからない方がありがたそうではある。

 

「……今のは?」

「あー……多分湿埃(フンゴリンゴ)かと。珍しい」

「ふんごりんご?」

「えー、俺たちがサル人間なら、連中はキノコ人間ですな」

「はー」

「厳密にいうと人間の死体に寄生したキノコです」

「はっ!?」

「連中死生観がちょっと他の隣人とかみ合わねえんで」

 

 湿埃(フンゴリンゴ)と言うのは本来、本当に地面や草木に生えるキノコや粘菌の親玉といったような生き物であるらしい。それが動物などに寄生して、動き回るとあのような形になるのだという。

 

「人里に近しい連中はもうすこし愛想がありやすがね。あれは多分、祭りの活気につられて森から出てきたんでしょうな」

「言い方が野生の獣かなんかみたいなんだけど」

「悪さすることはあんまりねえですが、なにしろ常識が違うことが多いんで、まあ、お察しで」

「ははあ」

 

 すこししたら多分、森の神の神官あたりが保護しに来るだろうということである。

 

 もう少しとっつきやすそうな例だと、山椒魚人(プラオ)と言うのが出店を出していた。

 西部では非常に珍しいことに、新鮮な魚介をいけすに広げて売っているのである。

 

「凄いな。よくまあこれだけ運んでこれたもんだ」

「んあー、まあー、わたしらは水精と仲がいいからねえー」

 

 本人もいけすの中でくつろいでいるこの山椒魚人(プラオ)は、他の隣人種が多くそうであるように、やはり人間とよく似ていた。

 

 肌は紙のように青白く、水精の加護もあってその皮膚は常に湿っていた。髪色は黒か白だといい、この個体は黒々とした髪を大きな三つ編みにしていた。

 目はきょろりとして大きく、瞬膜が時折瞬いた。

 指の間には柔軟性の高い水かきがあり、その柔らかいさまはとろりとした飴細工のようでもあった。

 三本目の足と言っていいほどに太い尾が腰から延びており、それはやはり足ほどの長さがあるようだった。

 

 彼女ら山椒魚人(プラオ)は、他の隣人種たちが天津神に連れられてやって来るよりも以前からこの世界に住んでいたもっとも古い種族だという。

 

 性格は好奇心旺盛ではあるものの極めてマイペースで、居心地の良い河原などに放置すると数か月単位でぼうっとしていることもあるという。

 

「んあー、人族は生き急ぎ過ぎだよねえー」

 

 そんな調子であるから、店と言ってもその扱いはいい加減で、値段は尋ねるたびに変わったし、下手をするとただでいいよと言うときさえあった。

 

 話しているとこちらまで気が抜けてきそうなのでほどほどで店を離れたが、少し話していただけなのに、周囲の人込みとの時間差になんだか混乱する程だった。

 山椒魚人(プラオ)と話した後は、ほかの隣人たちの歩みが早送りにさえ感じられる。

 

「みんな仮面だから一緒くたに見えるしなあ」

「なんだかヴェネツィアのお祭りみたい」

「確かになあ」

「仮面のおかげで楽しめるってのもありますが、仮面をいいことにふしだらな真似しようってろくでなしもいるから、気を付けてくだせえよ」

「おう、そうだな」

 

 などと言っている間にも、早速、気の大きくなった酔っ払いが騒ぎ始めた。

 酔って大声を出すくらいなら眉を顰めるくらいで済むが、これが拳を振るって暴れ始めるとたまったものではない。

 見ていて面白いものでもなし、取り押さえてしまおうかと二人が顔を見合わせたところで、速やかに衛兵が走ってきた。口にくわえた呼子笛を鳴らすと、見物客も慌てて脇に退く。

 

「おらっ、大人しくしろ!」

「引っ立てろ!」

「静かに酒も飲めねえのかっ!」

 

 なにしろ一人の酔っぱらいに対して、笛に反応して即座に走ってきた衛兵三人がかりの拘束である。オーバーキルもいいところである。

 

「祭りで人は増えるし、仕事も増えるしで、気が立ってるんでさ」

「おー、おっかね」

 

 瞬く間に縄を打って酔っぱらいを連行していく背中は、実に殺気立っている。

 しかし、その姿を見ても暴れる連中は減らないのだから、祭りの陽気というものは、全く恐ろしい毒である。




用語解説

・スプロ男爵(Supuro)
 ガルガントゥオ伯爵を寄親と仰ぐ西部の貴族。
 スプロの町およびその周辺のいくつかの村を治める領主。
 真面目だが苦労性で、胃薬が手放せないと噂である。

湿埃(フンゴリンゴ)(Fungo-Ringo)
 森の神クレスカンタ・フンゴの従属種。巨大な群体を成す菌類。
 地中や動植物に菌糸を伸ばし繁殖する。
 動物に寄生したり、子実体として人間や動物の形をまねた人形を作って、本体から分離させて隣人種との交流に用いている。元来はより遠くへと胞子を運んで繁殖するための行動だったと思われるが、文明の神ケッタコッタから人族の因子を取り込んで以降は、かなり繊細な操作と他種族への理解が生まれている。
 群体ごとにかなり文化が異なり、人族と親しいものもあれば、いまだにぼんやりと思考らしい思考をしていない群体もある。



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第四話 祭り飯

前回のあらすじ

祭りに集う様々な隣人種。
そして引っ立てられる酔っ払い。
祭りとは賑やかで騒がしいものだ。


 人込みにもまれ、店みせを冷かしていくと、日も高くなって腹も減ってきた。

 こういう時、一等に空腹を主張するのは、燃費の悪い未来ではなく、ほとんど食わないはずの紙月である。

 

「腹減ってきたな」

「そうですなあ。なんか適当に買ってきやすから、席を取っておいてもらえますか」

「おう、頼んだ」

 

 祭りに慣れたムスコロとハキロが買い出しに出かけ、紙月と未来はあちこちに設置された椅子とテーブルを確保した。立ち食いもさほど忌避されることはないが、それでも飲食するためのテーブルが多く設置されていることは、文化圏の違いを思わせた。

 

「こうして腰を落ち着けてみると、本当にすごい人だな」

「それにみんな仮面をかぶってるもんねえ」

 

 そう言う未来は、仮面が重いのか、邪魔くさいのか、外してしまっている。

 紙月も、この人込みだし、普段とは格好も違うからと、恐る恐る仮面を外してみた。

 結果としては、拍子抜けするほど誰も紙月のことなど気にはしなかったし、なんだか思いあがっていたなと、かえって恥ずかしくなる程だった。

 

 待っている間、暇になるかもしれないと思ったが、実際のところは周囲を見回しているだけで退屈知らずで済んだ。

 なにしろ、それこそ一人ずつみんな違う仮面をかぶっているのではないかというくらいバリエーションに富んだ仮面の数々は見ているだけでも面白かったし、その中にもしかしたら死者が混じっているかもしれないと考えながら眺めてみると、それだけで愉快なものだった。

 

 どこからともなく聞こえてくる名も知らぬ楽器の音色は、耳慣れないながらにどこか原始的な部分で楽しみというものを刺激したし、漂ってくる嗅ぎなれない香りは非日常というものに心を漂わせてくれた。

 

「なあ、みら」

「あ! 未来じゃないか!」

 

 そのなんとも言えない不思議な空気に関して紙月がぼんやりと口を開きかけたところで、非常にいいタイミングで割って入ったのは、年若い声だった。

 晴れ着らしい上等な着物に身を包んだのは、

 

「……誰?」

 

 仮面のせいで誰かわからなかった。

 

「ああ、そうか、ごめんごめん。僕だよ」

「ボクダヨさんね」

「意地悪言わないでくれよ、反省してる」

「だといいんだけど」

 

 空気も読めず子供らしくやってきたのは、以前()()()()()冒険を共にした少年冒険屋、クリストフェロことクリスだった。

 正直なところ未来はこの子供と遭遇するたびにあの面倒極まりなかった冒険を思い出して仕方がないのだが、何しろ大して大きくもない町中で、行動圏が被っているのである。なにかとクリスと、そして子供たちとはちょくちょく顔を合わせ、その度にお守りをしているのである。

 

 ゴルドノたち年少組はまだいい。素直に未来に憧れを持ってくれるし、年相応の生意気さはそう言うものだと慣れてしまえばあしらえるし、言えば、まあ、大体のところは大まかにわかってくれる。

 

 しかしクリスは難しかった。

 というのも、十四歳という年上の少年の心理は年少組と比べていささか複雑で、そして素直さと同時に自分勝手に解釈する小賢しさというものも併せ持ち、はっきり言えば、はなはだ面倒くさい。

 反省していると口では言うし、あの時の反省は本物だっただろうが、それを取り返そうとする気持ちは元気なままで、未来に会う度に挽回のチャンスを得ようとあれこれ張り切るのである。頑張りは認めるが、これがまた鬱陶しい。

 おまけにあれをきっかけに未来に疑似的な師弟関係のようなものでも見出したのか、馬鹿犬がしっぽを振ってまとわりついてくるような具合である。

 

「未来もお祭りに来てたんだね。会えてよかったよ!」

「ああ、うん、そう」 

「未来、お友達か?」

「あー…………」

「未来、もしかしてそちらの方は、も、森の魔女……?」

「ちが」

「おお、俺のことを知ってるのか」

「勿論です! あなたのこと! 憧れて! ああ! 本当に! 森の魔」

「目立ちたくないんだ。わかるね?」

 

 紙月が森の魔女と知った途端に叫び出しそうになったクリスの口を、未来の小さな()()()ががっしりと塞いだ。小さい分きつくめり込んだ口元は相当いたそうであるが、未来の知ったことではない。

 

 幸いにも祭りの喧騒に掻き消えてそこまで目立ちはしなかったようだが、これで悪目立ちでもしたならば未来のあまり丈夫ではない堪忍袋の緒はどうなっていたことやら知れない。

 

「あ、あふぁ、顎が外れるかと思った」

「ああ、うん、まあ、そんなに憧れてもらえてうれしいよ」

「わーお、本当に、森の魔女、なんですねっ、わーお、わーおっ」

「あー、個性的なお友達だな」

「あー…………まあ、うん、それでいいや、もう」

 

 クリスはしばらく自分の口元を押さえて悶えた後、急に腸捻転でも起こしたような顔で――おそらく本人的には最高のキメ顔で――、紙月に向き直った。

 

「僕、《レーヂョー冒険屋事務所》のクリストフェロと言います。クリスとお呼びください」

「ああ、そうか、よろしく、クリス」

「よろしくされちゃった……っ……ごほん、僕、本当にあなたに憧れてるんです。()()()

「あー、ありがとう?」

「それでですね、よければなんですけど、荷物持ちでもいいんです、森の魔女のパーティに入れてもらえませんか?」

 

 困惑しっぱなしの紙月も、これには困惑の品切れが来た。

 いったい何を言っているのだろうこの少年は、と頭痛がするほどだった。

 しかし考えてみれば、名前が売れるということは、それに憧れるものも出れば、その名にあやかりたいというものが出るのもおかしい話ではなかった。

 

「えーとね。そもそも事務所が違うし……」

「あなたのためなら事務所辞めてきます!」

「おいおいおい……それに、あー、荷物持ちも必要ないし……」

「靴磨きでも肩もみでも、どんな雑用でもします! させてください!」

「えー……」

 

 熱意に押されてドン引きもといのけぞりかけた紙月であったが、助けを求めて視線をやった先で、珍しくむっつりと黙り込んだ相方の姿を見つけて、なんとか立ち直った。

 

「よし、落ち着いて、クリス。クリストフェロ」

「はいっ」

「駄目だ」

「えっ」

「憧れてくれてるところ悪いが、俺の相棒は後にも先にもこいつだけだ」

 

 スパッと鋭利な刃物で切り裂かれたように、クリスは沈んだ。

 

「そ、それは……」

「俺はこいつとじゃないと安心して冒険できない。悪いな」

「ぐへぇ」

 

 どかっと重厚な鈍器で殴られたように、クリスはへこんだ。

 しかしそれでも立ち上がるだけの根性はあった。

 

「くっ……鍛えなおしてきます!」

 

 涙をこらえて走り去る背中を追うようなことはしなかった。

 紙月は青春だなあ、と。

 未来はようやく行ったか、と。

 見送るにとどめるのだった。

 

「あー……なんか、ごめんね、紙月」

「いや、うん、いいよ、別に。なんかちょっと、嬉しかった」

「え?」

「嫌だったんだろ、俺が他の誰かと組むの。それがちょっと、嬉しかった」

 

 それはどういうことなのだろうかと尋ねる前に、ムスコロとハキロが両手にたっぷりと荷物を持って帰ってきた。

 

「おお、お帰り」

「へえ、戻りやした」

 

 二人がまず寄越したのは、木のカップに注がれた甘くて香ばしい香りの飲み物である。

 

温葡萄酒(ヴァルマ・ヴィーノ)だ。未来には、酒精を飛ばしたのを持ってきた」

「おお、ホットワインだ」

「少し変わった香りがするけど、美味しいねえ」

 

 温葡萄酒(ヴァルマ・ヴィーノ)と言うのは要するに、香草や砂糖、シロップなどと一緒に温めた葡萄酒(ヴィーノ)のことだった。甘さの中にピリリと香草が利いていて、いかにも温まりそうな味わいである。

 

「腹にたまりそうなもんも買ってきてありやす」

 

 どっさりと積まれた袋には、見慣れた()()()()の串もあれば、クレープのようなものに包まれたものもたくさんあった。

 

「これは?」

「姐さん型はあんまり口にしたことがねえでしょうが、蕎麦粉(ファゴピロ)ってぇ色の黒い粉で作った薄円焼き(クレスポ)ですな。小麦よりこっちの方が下町じゃあ出回りやす」

「中身もいろいろ買ってきたぞ。こっちはハムに目玉焼き。乾酪(フロマージョ)のもある。おすすめは腸詰(コルバーソ)だな」

「揚げ芋に、馬鈴薯餅(テラポーモクーコ)もありやすぜ」

「甘いのも買ってきた。果醤(マルメラド)巻いたのに砂糖漬け(コンフィタージョ)乗っけた奴、林檎飴(カンディタ・ポーモ)もあったぞ」 

「小食な姉さんには飲み物も買ってきやした。林檎酒(ポムヴィーノ)が出頃でしたぜ」

 

 二人で競うように買ってきたらしく、四人分とはとても思えない量が積み重なるのを見て、紙月と未来は顔を見合わせ、そして噴き出した。

 

「よしよし、じゃあ頂こうじゃあないか」

「ほとんど僕が食べるんでしょ、知ってる」

「まあまあ、祭りの日に言いっこなしで」

「さあさ、楽しもうじゃないか!」

 

乾杯(トストン)!」




用語解説

温葡萄酒(ヴァルマ・ヴィーノ)
 葡萄酒(ヴィーノ)を香草や砂糖と温めたもの。
 いわゆるホットワイン、グリューワイン。

蕎麦粉(ファゴピロ)
 黒っぽい実をつけるタデ科の穀物、その粉。いわゆるソバ粉。
 寒冷地や乾燥地に強く、北部、西部でよく育てられる。

薄円焼き(クレスポ)
 蕎麦粉(ファゴピロ)や小麦粉を水で溶き、薄く広げて焼いたもの、
 クレープ。甘いものをまくこともあるが、塩気のあるものをまいた軽食としてのものが多い。

馬鈴薯餅(テラポーモクーコ)
 摩り下ろした馬鈴薯(テルポーモ)の生地をフライパンで焼き上げたもの。
 クーコ、つまりケーキと呼ばれるが、基本的に塩味のもの。

果醤(マルメラド)
 果物に砂糖や蜜を加えて加熱濃縮したもの。ジャム。

砂糖漬け(コンフィタージョ)
 主に果物を砂糖につけたもの。果醤(マルメラド)のうち、果物の形を残しているものも言う。

林檎飴(カンディタ・ポーモ)
 丸のままのリンゴに肉桂(シナーモ)などで風味をつけた飴をまとわせたもの。
 リンゴ飴。

肉桂(シナーモ)
 ニッケイ属の樹皮からとれる香辛料。独特の甘みと香り、そしてかすかな辛味がある。
 シナモン。

林檎酒(ポムヴィーノ)(pom-vino)
 林檎(ポーモ)と呼ばれる果物から作られた酒。発泡性のものが一般的。



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第五話 的あて

前回のあらすじ

面倒くさい子供もといクリスとお喋り。
そして山のように積まれた祭り飯。


 騒々しくも賑やかな祭りの一日目が過ぎ、二日目も町は朝から陽気に満ちていた。

 今日は運動大会があるとあって朝も早いので昨夜は早寝したのだが、それでも非日常に体も心も高揚しっぱなしだった一日は疲れたようで、もとより寝坊助な紙月はもとより、朝の早い未来やムスコロも、ぎりぎりまで惰眠をむさぼるほどだった。

 

 二日目の朝ともなると、賑やかなれどもいささか町は落ち着きを取り戻しつつあった。

 それはつまり、酔っぱらいの暴れてしょっ引かれる頻度が少し減ったとか、酔っぱらいが道の端で反吐を戻している姿を見かけなくなったとか、衛兵の殺気が少し減ったとか、その程度のことであるが。

 

 普段は市の店が並ぶ広場へ向かうと、出店はみな端に寄せられ、中心はぽっかりと空けられていた。どうやらあそこが競技場所となるようだった。

 

 今日は紙月も未来も冒険屋としての装いで来ている。

 つまり、《不死鳥のルダンゴト》と《朱雀聖衣》という見た目にも暖かそうで、そして目立つ格好である。

 そのため広場に足を踏み入れるや、結構な人込みであるにもかかわらず、早速人の目につき始めた。

 

「おい、あれ……」

「あれが噂の森の魔女か……」

「盾の騎士ってのは白銀の甲冑だと聞いたが……」

「噂じゃいくつも鎧を持ってるらしいぜ……」

「闘技に出るんだって……?」

「今年は厳しいかな……」

 

 人に注目されないよりは、適度に注目される方が慣れている紙月は気にした風もなく、むしろ自然に手など振りながら、アドゾが待つという運営の天幕とやらに向かう。

 しかし、未来の方は正直鎧が悪目立ちしまくっているような気がして全く落ち着かない。

 多少肌寒くても《白亜の雪鎧》の方が目立たなかったかなと思う時点で、大分感性がずれているが。

 

 運営の天幕は、複数の事務所の冒険屋たちが互いに利権を争っているようで、空気はややピリピリとしていたが、それがかえって均衡をもたらしているような、不思議な安定感があった。

 アドゾをはじめとした所長格らしい連中が、表面上にこやかに酒を酌み交わしていることもあって、見た目は穏やかである。

 

「まあ、ああいうのは大人に任せよう」

「そうだね。僕らはそう言うの仕事じゃないし」

 

 しかしまるで関係もなければ興味もないのが《魔法の盾(マギア・シィルド)》の二人である。

 実際問題として事務所間のいざこざやら利権やらは依頼の内にないから、考える気がないのである。

 これは冒険屋というある種とてつもなく現実的でなければならない職業にどっぷりとつかったが故のドライさであるのかもしれなかった。

 

 まあ単純に何も考えていない能天気さなのかもしれないが。

 

 紙月は天幕の中を少し見まわして、それらしい姿を見つけて声をかけた。

 それらしい、というのはつまり、医療従事者らしいという意味だ。

 

 臨時施療所として運営の天幕とは分けられた天幕に、先客は二人いた。

 

 一人はいかにも神官ですといった具合の白い法衣に身を包んだ大人しげな女性で、また一人は一見その護衛の冒険屋か何かと思えるほど土埃の似合う女冒険屋だった。

 

「はじめまして。今日はご一緒させてもらうよ」

「おっ。あんた森の魔女だろ。噂は聞いてるよ」

「海賊船を丸のみにするんでしたっけ」

「まあ噂は噂だよ。俺は《魔法の盾(マギア・シィルド)》の紙月。こっちは相方の未来」

「どうも」

「あたしは冒険屋のベラドノだ。現場の叩き上げだが、回復魔法がちっと使える」

「私は医の神オフィウコの神官、アロオと申します」

 

 今日の運動大会の治療役は、この三人であるという。

 

「ま、治療役とはいっても、大した仕事はないよ。的あてじゃ怪我のしようがないし、馬上槍試合は、まあたまに骨を折ったりするな」

「闘技は少し忙しくなりますが、精々擦り傷や突き指程度ですから、ご安心を」

「二人は慣れてるのか?」

「まあ回復魔法使えるのはそうそういないからね」

「神殿も人手がないもので、いつも私ですね」

 

 成程。

 そうなると今後もこの町で暮らしていく以上、何かと駆り出されそうな気はしてきた紙月である。

 

 一同が臨時施療所におかれた椅子でくつろぎ、火鉢で温まっている内に、大会開始の時刻となり、冒険屋組合長の挨拶が実にあっさりと終った。聞き流されたという訳でなく、冒険屋らしく実務的なようで、装飾が全くないさっぱりとした挨拶だったのである。

 

 次いで、最初の競技である的あてが始まった。

 これは一定の距離を置いた的に、三度射って二度当たれば残り、一度しか当たらなければ敗退する。そして残ったもので距離を伸ばした的に再び同じように三度射って、さらにふるいにかける。これを繰り返すものだった。

 

 的あてと言うだけあって、使う得物は何も弓に限らないようで、手斧遣いや、投げナイフ遣いといったものもあり、静かではあるが見るものに緊張を強いる、息を呑むような接戦であった。

 

 最終的に、的の距離が最大になると、今度は残ったものが一人ずつ射って、外したものは敗退していくという形になる。すでに当てた距離で何度も勝負を繰り返すので、これはただ狙いが鋭いということだけでなく、忍耐力や集中力が試されるものとなる。

 

 《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》の手斧遣いもいいところまでは残ったが、最終戦の三巡目で、惜しくも外した。

 

 最終戦はそれから都合五巡目で最後の一人が脱落し、その瞬間、しんと静まり返っていた群衆が

一斉に沸いたので、その振動でテーブルに置いたコップが倒れかけるほどだった。

 

 優勝は知らぬ名の事務所の知らぬ名の冒険屋であった。




用語解説

・ベラドノ(Beladono)
 女性冒険屋。
 数少ない回復魔法が実践レベルで使える冒険屋。
 戦闘能力はあまり高くないが、その回復能力を買われて意外と高給取りである。

・アロオ(Aloo)
 医の神の神官。
 軽い骨折程度を癒すことができる程度の法術の腕前を持つ。
 あまり怪我人が頻繁に来ない神殿ではこれでもかなり腕の立つ方である。

・医の神オフィウコ(Ofiuko)
 死者をよみがえらせたなどの逸話も残る人神。
 蛇の毒より薬(血清)を作り出したことで神々に召し上げられたという。
 信仰するものに医療、薬草、また毒などの知識を与え、癒しの加護をもたらすという。



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第六話 馬上槍試合

前回のあらすじ

臨時施療所と的あての試合
優勝者は今後出てくる予定が全くない。


 的あての的が片付けられ、広間が一度清められた後、馬上槍試合が始まった。

 

 先ほどの的あては、弓や投擲武器という一定の腕前を必要とする競技だったにもかかわらず結構な盛況であった。

 一方でこの馬上槍試合は、はっきり言って、少なかった。

 何しろ四人だけである。

 

 とはいえこれは当然と言えば当然で、もとより馬上槍など扱える庶民も冒険屋もいるものではないのである。

 

 参加した四人はみな、領主であるスプロ男爵に剣をささげた新人の騎士たちで、それぞれがやや落ち着かない様子で、従騎士に鎧を整えてもらっているところだった。

 この馬上槍試合と言うのはもとより冒険屋やましてや町民むけの競技ではなく、男爵の配下にきちんとした騎士戦力があることを示し、また男爵が関心をもって町政に取り組んでいることをアピールするためのものであるらしい。

 

 そう言った機微を町民たちがしっかり理解しているかというと、酒精の入った頭ではそこまでは期待できなかったが、しかしなにしろ馬上槍試合というものは、馬と馬、騎士と騎士、非常に重量感のある者同士が激しくぶつかり合うものであるから、観客としての人気は非常に高かった。

 

「俺は三番に賭けたぜ」

「いやいや、馬の調子をごらんよ、二番が鉄板だね」

「まあ見てな、一番がさっと勝ちを取るところをな」

 

 主に、賭け事の対象としてだが。

 

 騎士たちは自分達が見世物の対象になっていることは重々承知のようだったが、むしろそれ故にこそ奮い立っているようなところがあった。

 ここで勝ち抜いて優勝したならば、公的な場所で優れた騎士として表彰されることになるのである。

 そしてまた敗退すれば、先任騎士たちにこっぴどくしごかれるのは目に見えているのである。

 

 彼らは新人とはいえ、よく訓練されており、礼儀正しく、甲冑で顔かたちは見えないものの、そのりりしさに頬を染める乙女たちも多く見られた。

 

 馬は、西部でよく使われる大嘴鶏(ココチェヴァーロ)であったが、これも良く鍛えられ、野生種と比較しても鋭い顔立ちの軍馬であり、甲冑を身につけてもびくともしない力強さがあった。

 

 騎士たちはこの馬にまたがり、衝突したときに分解して衝撃を殺すようにつくられた、模擬専用の馬上槍を構えて、突撃して互いを突き狙った。

 模擬戦用の槍と言えども、持っただけで崩れるようなやわな造りはしていないから、ぶつかり合うときには相当な衝撃がある。もしも本物の馬上槍であれば、多少の障害などものともせずに突き破っただろう。

 

 馬上槍で突き合ったのち、本式ではさらに二度、戦斧やハンマーを用いた一戦、剣や短剣で相手を突く一戦、都合三戦があるが、スプロの町の運動大会では略式ということで、槍試合だけである。

 

 一戦目では、凄まじいぶつかり合いで双方の槍がはじけたが、片方のみが落馬し、勝敗が決まった。落馬した一方は足をくじいたが、医の神官アロオが容体を確かめ、祈りをささげると、元の通り癒された。

 

 二戦目では力量がはっきりと違い、片方の槍が明確に突いて相手を落馬させた。落馬したものも、うまく受け身をとって、怪我はなかった。

 

 三戦目は、一戦目と二戦目の敗者同士がぶつかり合った。この試合も明確に決着がついたが、爆ぜた木片が馬の瞼をかすり、血を流させた。暴れる馬を騎士と従騎士が押さえつけている間に、紙月が《回復(ヒール)》を唱えると傷は瞬く間に癒えた。

 

 決勝戦は、接戦となった。

 東西から騎士が槍を構えて馬を駆けさせると、瞬く間に距離を縮め、交差する瞬間、互いの槍が互いの槍をうまく絡め取り合い、一瞬均衡したのち、互いにこれを放してすれ違った。

 

 東西を入れ替え、改めて槍が構えられた。主審の掛け声とともに再び両騎士は猛然と馬を駆けさせた。

 東の騎士がわずかに馬足を鈍らせて、幻惑するように左右に揺れた。西の騎士は一瞬ためらい、しかしそれでも猛然と突いた。

 これを東の騎士は絡めとり、槍をはじきかけたが、西の騎士の地力が上回り、互いに槍を絡まらせたまま、中央で均衡した。

 

 三度開始地点につき、両騎士は互いに互いの馬を見た。甲冑を着こんだ上での突撃は、馬にかなりの負担を強いる。初戦から数えればこれで四度目になる突撃である。馬にはっきりと疲労の色が見えた。

 仮にこれ以上無為に突撃を重ねれば、今以上に疲労が浮き出て、はっきりと彼我の差が見て取れるだろう。

 その前に相手を片付けてしまわねばならない。

 

 そのような覚悟が観客にも伝わったのか、賭け客たちもごくりと息を呑み、この若き騎士たちの行く末を見守った。

 

 主審の号令とともに両者が馬を駆けさせたが、西の騎士がわずかに出遅れた。疲れが馬の足に出たのである。短い突撃距離の中、更に出遅れたとなれば、槍に乗せられる重みというものははっきりと変わってくる。

 それでもなお逃げるわけにはいかぬと、互いの槍が交差し、激しく鎧にぶつかり合った。

 

 互いの槍はその衝撃の激しさを物語るように砕け散り、そして、西の騎士がぐらりと落馬した。

 勝者が決まったのである。

 

 優勝者が歓声にこたえるのに忙しい中、落馬した西の騎士のそばで忙しいのが臨時施療所の面子である。

 

「アロオ、兜を脱がせてやりな」

「はい」

「シヅキ、腕鎧を外してやりな」

「よしきた」

 

 二人が鎧を外すと、湯と布で手指を清めたベラドノが西の騎士のそばに屈みこんだ。

 

「腕の骨が折れてるな。腕には二本骨がある、わかるかい」

「おう」

「この細い骨が二本とも折れてる。突き出てないだけよかったな」

「癒しはいりますか?」

「少し、待て。骨を接ぐ」

 

 ベラドノが遠慮なしにぐいりと骨を接ぐと、新人とはいえ鍛え上げた騎士の喉から締め上げられた鶏のような声が漏れた。

 

「よし、よし、偉いぞ。泣かなかったな。いま骨を接いだ。こことここだ。血はこう流れ、こちらに抜けていく。この流れを意識して、魔力を伝わせる」

「フムン」

「《巡れ巡れ、赤きに沿って巡って回れ》」

 

 力ある言葉が唱えられ、鬱血していた腕が元の血色を取り戻していくのが目に見えて分かった。

 

「人間の体のつくりを理解するんだ。そうすりゃ、壊れた時も治しやすい。本当に細かい、目に見えないほど小さな積み木や、煉瓦のようなものだ。アロオ、癒してやりな」

「はいな」

 

 アロオが祈りをささげると、びくりびくりと痙攣していた腕が、落ち着きを取り戻した。

 

「軽い傷や、いっそ手を施すのが間に合わないかもって重傷は、神官の法術がいい。こうして痛みをとってやるのもな。だがある程度の傷は、自然に治るように治してやる方が、後から強く育つ」

「成程」

 

 神官の法術は、神の力を借りて起こすものである。

 その奇跡は、過程を考えない、結果だけをもたらすものである。故に、神官の腕が足りなければ、半端に治ってしまい、かえって苦しむこともあるし、元通りに戻すだけだから、また同じことがあった時に、同じように壊れるかもしれない。

 

 魔術による治療は、術者の理解と想像に左右される。正しく理解して、正しく組み上げてやれば、傷は元に近い形に組み上げられる。魔力が足りなければ、組み上げが不十分で終わるかもしれないが、しかし治る筋道はできる。また、自然に治るのと同じようなことであるから、体は以前より強くなろうと、骨を太くし、肉を強くする。

 

 紙月の《回復(ヒール)》はいままで、どちらかといえば法術のように、結果だけを引き起こしていたように思えた。しかし今こうして理屈をもって治す魔術のやり方を見て覚えたことで、一層の伸びしろが見えたような気がした。




用語解説

・馬上槍試合
 ここでは一対一で行われる、いわゆるジョスト。
 騎乗した騎士が向かい合い、互いに突進し、馬上槍で突いて倒した方が勝ち。
 人間同士での戦争がほとんどなくなったここ百年くらいで、形骸化している部分もある。


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第七話 闘技1

前回のあらすじ

ぶつかり合う馬と馬、騎士と騎士。
たぶんもう二度と出てくることのない騎乗した騎士同士の戦闘である。


 馬上槍試合の競技が短いながらも濃密なことに比べて、闘技は、端的に言えば全体に薄く、むらがあるようだった。

 

 先の馬上槍試合が騎士だけであったことに比べて、闘技の部は、冒険屋だけでなく町民などでも参加できることに加えて、弓や投擲の技術を殊更に必要とせず、参加料さえ支払えば本当に()()()参加できるということがその理由であったように思う。

 

 勿論、参加料は決して安価ではないものの、冒険屋でこれに参加しないものはまずいないと言ってよく、非番の衛兵たちも普段冒険屋に困らされている分を仕返ししてやろうと熱心に参加してくる。旅の武芸者も話を聞きつけてやってくる。

 参加料をカンパで集めた力自慢の町民や農民も、お祭りごとだからと記念参加するものも、とにかく金さえ払えば参加できるのだから、娯楽の少ないスプロの町で、これで盛況にならない訳がない。

 

 予選の内は、ほとんど町内会の相撲大会と変わらないような試合やら、一方的に武芸者があしらうだけの試合、たまにうっかりかち合ったつわもの同士の試合など、それらが広場をいくつかに区切ってあちらでもこちらでもと次々行われて消化されていくものだから、観客としても目が泳ぐ目が泳ぐ。

 

 そんな試合を見ている暇もないのが臨時施療所だった。

 

「おい、おい、こんなに忙しいなんて聞いてないぞ」

「そりゃ、お前さん、森の魔女がいるからに決まってるじゃないか」

「おまけに女三人となれば、寄っても来ますよねえ」

「くそっ騙された!」

 

 森の魔女の名声と、趣の異なる女性三人という見栄えの良さが、誘蛾灯のように人を誘うらしく、ちょっとした怪我でも診てくれと次々に自称怪我人が列をなしてやってくるので、臨時施療所は野戦病院さながらの忙しさだった。

 

「もうちっと怪我の度合いがひどいんなら真面目にもなるけどよ」

 

 さながら、とはいえ、実際のところは、転んで擦り傷を作ったとか、殴られてあざができたとか、しこたま打ち付けてコブができたとか、ひどくても精々突き指程度のものだ。

 

 数はこなせるから経験だけは積めるかもしれないが、要らん経験ばかり積んでも全く得にはならない。

 

 どうせ退屈するならと思って了承したが、まさかここまで忙しくなるとは全く想定もしていなかった。

 本来であれば温葡萄酒(ヴァルマ・ヴィーノ)林檎酒(ポムヴィーノ)片手に暢気に観戦して、未来や事務所の連中の試合の時だけ応援してやるつもりだったのに、これでは応援どころか観戦もままならない。

 

 そう言った苦言を、まさか、擦り傷程度とはいえ怪我人相手に言う訳にもいかず、ただただフラストレーションばかりがたまっていく中、ふと紙月が思いついた。

 

「あ、そうだ」

「なんだい、手を動かしてくれよ」

「ちょっと待て」

 

 近くにあった適当な箱をずりずりと引きずってきて、足元に置く。

 何事かと見守る怪我人たちを気にした風もなく、メモ用に置いてあったチラシの裏紙にさらさらと文言を書き連ね、箱に張り付けてやる。

 

 そこにはこのように記してあった。

 

「『お気持ち箱』……おい」

「勝手に商売はいけないんじゃあ……」

「料金じゃない。お気持ちだ。このクソ忙しい中、時間をとって癒してもらおうというんだからそれはそれは癒されたいというお気持ちがあることだろうよ」

 

 このしれっとした発言には、さすがに自称怪我人たちもドン引きした。

 ドン引きしたが、突き指した怪我人がそれくらいならと小銭を入れて、列を融通してもらうと、ざわめきだした。

 

 結局、金を払ってもいいからさっさと治してくれという連中や、その程度の支払いをけちるようなこともない連中を除けば、ほとんど多くのものが気まずくなって列から離れていった。

 腕のいい冒険屋などは怪我に対する治療に金を惜しまないので、少人数でも結構な儲けになる。

 

 中には断固として金を払わないものもいるが、別にそれはそれで正しい使い方なので構わない。単純に対応が塩対応になるだけだ。

 中には金を払ってもいいから塩対応してくれという変わった連中もいたが、そういうお店ではないので冷たい視線だけで満足していただいてお帰り頂いた。

 

「おい、聞いたか、小銭払うだけで睨みつけてくれるらしいぜ……」

「なんかドキドキするな……」

 

 そういった徳が低くレベルの高い方々は極少数として、正常に回転するようになると、正常な怪我人たちが徐々にやってくるようになった。試合の方も順調に消化され、ふるいにかけられ、強者ばかりが残りつつあるようだった。

 

「突き指っつってもいろいろある。骨が折れてる時もあるし、脱臼の時もある。できりゃあまず冷やす。冷やしてむくみを押さえる。そんで魔力で内側を探って、骨をあるべき場所に戻すように想像するんだ」

「骨折して、骨が肉の外に飛び出ている場合は、うかつに触ると毒が入ります。その点では魔術より法術を使った方が安全と言えるでしょうね」

「《回復(ヒール)》」

「頭の皮膚は切れるとドバドバ血が出るが、傷自体は実は深くねえ。慌てて魔力を消費すんな。ケチれるとこはケチって、少ない魔力で閉ざせ」

「頭を打ったという方は、その中身がどうなっているのかわかりづらいので、迂闊に魔術でいじるとかえって危険です。ただのコブと思わず、神官の診察を受けた方がいいですよ」

「《回復(ヒール)》」

「単に折れただけじゃなく、べっきべきにへし折れてるときは、骨接ぎが難しい。取り急ぎ止血して、神官に見せた方がいい。魔術で治せる奴はかなり高額とられるぜ」

「貧血で倒れた方は、法術で治そうにも難しいんですよね。ないものを足そうとするのは法術でも難しいんです。水分とって、糖分とって、横になってもらうのが一番ですかね」

「《回復(ヒール)》」

「反則じゃね」

「反則ですよねえ」

「え?」

 

 回復遣いの冒険屋ベラドノと医の神官アロオの施術を見て学び、紙月なりに《回復(ヒール)》に改良が加えられていったのだが、はたから見ればいかさまとしか思えない技能であった。




用語解説

・『お気持ち箱』
 料金箱ではない。強制力も何もない、募金箱である。
 強制力がないことが強制力と言ってもいい。

・徳が低くレベルの高い方々
 稀によくいる。



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第八話 闘技2

前回のあらすじ

特の低いレベルの高い方々が発生してしまう中、順調に医療レベルを上げていく紙月だった。


 闘技の部門に参加する面々は、みな木剣やこん棒、また普段得手としているだろう武器を先の丸い木製のものに置き換えて臨んでいたが、木製だからと言って安全であるという訳でもない。

 冒険屋などは自前の鎧をつけているとはいえ、町民にはそんなものはないし、あったとしても、大の大人が本気で木の棒で殴りつければ、それは十分に骨を砕くし、時には命を奪う。

 

 そのため、勝敗の判定は戦闘不能によってだけでなく、組合から直々に選ばれたベテランの冒険屋が、技の有効性などからみて、大怪我をする前に早々に決着をつけさせることになっていた。

 それでも時には骨を折るものや出血の多いものもあったが、臨時施療所で対処できる範囲を超えることはないようだった。

 

 このルールのもとでは、全身鎧の未来でもあまりうかうかできなかった。真正面から普段の調子で受け止めようとすると、無防備に受けたとして有効を取られかねない。かといって未来がうっかり本気で殴りつけてしまうと、相手の生死は保証できない。

 

 その鎧の見事であることと、いままでに多くの武勇伝を築き上げてきたことから、多くの人々が、そして冒険屋たちでさえ誤解しているところであるが、未来には実のところ武術の心得などさっぱりないのである。柔道さえ、まだやったこともない。

 

 教室でも、ボール遊びに興じるより本を読んでいる方が好きだった物静かな少年であるところの未来であるから、取っ組み合いの喧嘩なども、まず経験がない。

 

 それでも、ちょっとした力自慢程度で参加したような町民や農民には、まず負けることがない。

 まずこういった手合いのやり方と言うのは決まって取り組んで力に任せて押し倒すという、町内大会のなんちゃって相撲の域を出ない。

 こういうものは素直に組んでしまえば、なにしろこれでもレベル九十九の前衛職である、負けるわけもない。

 

 相手の土俵で力任せに倒してやるだけで、済む。

 

 もう少し手馴れてきて、木剣やこん棒で殴り掛かってくるものは、少し厄介だ。

 何しろ素人は、木剣の軽さに任せて滅多打ちにしてくる。これを盾で受けるのだが、なにしろ素人の剣と言えども当たれば判定を取られかねないので、丁寧に受けてやる必要がある。

 そして隙をついて盾を押し出す、シールドバッシュの形で押し倒してやればいいのだが、加減が難しい。軽すぎれば意味がないし、重すぎれば骨を折ってしまう。

 

 冒険屋は難しいところだった。

 一口に冒険屋と言っても、駆け出しの素人同然もいるし、熟練のものもいる。そしてその中でもさらに、人間相手を得意とする者も、魔獣相手を得意とする者もいるので、一律に誰が強いどう強いとは言えないのである。

 

 それでも受け身に慣れているから怪我をさせることはぐっと減るし、多少強めに打っても耐えるので、いささか気が楽ではある。

 

 ただ、攻めに関しては楽になっても、受けに関しては難しくなったというのも本音だった。

 

 まず純粋に打ち込みが鋭くなる。これは、まだ、獣人の未来の目にははっきりととらえられる範囲だが、時々体がついていかない。

 また、こちらの目の良さを理解して、フェイントを仕掛けてくる相手も増えた。これは慣れるまでかなり翻弄され、勝ちをもぎ取られるほどではなかったが、いくつかいいのをもらってしまっている。

 

 それでも最終的には、巨体を生かして組みかかり、場外に放り投げるという原始的な手段が一番やりやすい当たり、未来の身体能力はそこらの冒険屋を圧倒していると言っていい。

 

 知り合いの冒険屋たちも参加していたが、《レーヂョー冒険屋事務所》のクリスは気付いたら敗退しており、ハキロも運悪く最初の方で腕のいい武芸者にあたり敗退。ムスコロは巡りも良くいいところまで行ったようだったが、テクニカルな相手に翻弄されて、食らいつくも惜敗であった。

 

 《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》の面子はほどほどに散らばって、ほどほどに勝ち残っているものもあったが、他の冒険屋事務所もそれは同じようで、終盤はこれらが席を奪い合うことになりそうだった。

 

 やがて決勝戦が近づくにつれて、他の試合を見る余裕も出てきたところで、未来は参加者の中に知り合いの姿を見つけてぎょっとした。

 そこそこに腕はあるだろう歴戦の冒険屋をまるで相手にもせず一蹴してしまったのは、西部冒険屋組合付きの冒険屋ニゾと同じく騎士ジェンティロである。

 

「何してるんですかスプロなんかで」

「いやなに、森の魔女と盾の騎士がいるんだ。面白くならない訳がないだろう」

「あはははは……」

「一応、仕事でもある。急に腕利きの冒険屋が出てきたわけだからな、組合としても、気にしてはいるのだ」

 

 そう言いながら、騎士ジェンティロも腕を振るうことに否やは無いようである。

 

 ニゾは素早い動きで距離を詰め、いまのところ全試合一発で相手を気絶させているという凄まじさであるし、ジェンティロはそこまで鮮やかさはないが、堅実な詰将棋といった試合で確実に相手を仕留めてきている。

 

「いずれかの試合でぶつかることがあれば、よろしく頼む」

「森の魔女も出れば面白かったんだがなあ」

「お手柔らかにお願いします……」

 

 これは、簡単にはいかなさそうであった。




用語解説

・用語解説
 基本的に与太話。
 読まないでも問題ないことが多いが、時々本編で語ってないことをしれっと語っていたりするので注意。


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第九話 闘技3

前回のあらすじ

順調に闘技の部門を勝ち抜ける未来。
しかしどうにも面倒な連中がいるようで。


 後半ともなると試合は苛烈を極めたが、最初の団子状態で始まったころからすれば大分すっきりとした試合進行のように思われた。

 互いにそれなり以上の腕前の者同士がぶつかるので、互いに互いの腕前を見切るのも早く、大きなけがをする前に試合が終わるので、治療にかかわるどたばたが減ったのも大きい。

 

 やがて未来は準決勝まで上り詰めたが、やはりここで待ち構えていたのが西部冒険屋組合の刺客、騎士ジェンティロである。同時に行われているもう一つの準決勝には冒険屋ニゾが臨んでいる。

 こうなるだろうとは予想していたものの、あまり嬉しくない二連戦である。

 

 騎士ジェンティロは、騎士であるというだけあって剣技が巧みである。その剣の間合いで戦っては、まず勝ち目がない。

 

 試合開始の号令が響くと同時に、未来は全力で駆け込み、剣を向けようとするジェンティロを抑え込みにかかった。先手必勝、このまま場外に放り出してしまえば、それでおしまいだ。

 

「ふむん、いい思いきりだ。それができるのならばな」

 

 しかし。

 

「な、ばっ、」

「伊達に地竜を研究しておらんぞ……!」

 

 それが果たしてどういう関係があるのかははなはだ不明であったが、しかし、確かな事実として騎士ジェンティロは未来の渾身の体当たりを受け止め切り、そして取り組んでなお力負けしていないのである。

 むしろ、ぎりぎりと押し返してくる力は、ともすると未来以上かもしれない。

 

「なん、て、馬鹿力……!?」

「貴君に、言われたくは、ないぞ……!」

 

 ずん、とジェンティロの一歩が力強く踏み出し、じり、と未来の足が後方へ押し出された。

 はっきりと、力負けしている。

 いくら鎧の中身が軽い子供の体であるとはいえ、鉄さえ捻じ曲げることのできる未来のパワーに、小細工抜きに純粋に力で押し返してきているのである。

 

 このままでは押し返される。そうなれば取り返せない。

 未来は渾身の力でジェンティロを振り払い、そして後方へ飛びずさった。

 手負いの獣のようなこの挙動が、間一髪で未来を救った。

 隙を逃さず騎士ジェンティロの木剣が、先ほどまで未来の立っていた空間を恐ろしい風切音とともに切り裂いていたのである。

 

「木剣……木剣ですよねそれ!?」

「魔力の通った木剣は鉄と変わらぬ。ゆめゆめ気を付けるが良い」

 

 ぞっとして腰の引けた未来。今度はジェンティロの攻勢だった。

 沈みこむような深い踏み込みとともに、ミサイルのようにその全身が撃ち出されてくる。騎士甲冑を見に纏っているとはとても思えない速さである。いや、あるいはその重さを乗せているからこその速度なのかもしれなかった。

 

「うっ、おっ、《シールド・オブ・ゴブニュ》!」

 

 咄嗟に構えた木盾に、(キン)属性の呪文をかけると同時に、ジェンティロの遠慮会釈ない木剣が振り降ろされ、金属同士が激しくぶつかり合うような轟音が響き渡り、会場がざわめいた。

 

「お、おい、ありゃ木剣だよな」

「盾もだ」

「だがまるでブ厚い鉄の扉に鋼鉄の槌で殴りつけたような音だぜ」

 

 達人同士の試合というものはかくも恐ろしい物音を立てるものなのかと観客たちが息をのむ中、力ばかりはあって実際のところはど素人にすぎない未来は、次々と攻め来る木剣を盾で受け止めることで必死だった。

 もしも一撃でもまともに受けたなら、判定で負けになるだけでなく、この鎧が無事で済むかどうかという自信がなくなるほどに鋭い斬撃なのである。

 

 斬撃。

 そう、これはもはや斬撃だった。

 木剣での打ち付けとはいえ、下手な鎧ではざっくりと切り裂かれないほどの威力である。

 

 さすがにその想像にぞっとして、ますます未来は体を縮めるようにして、盾での防御に専念した。

 

「ほう、さすがは盾の騎士! 我が剣戟をこうまで受けるとは!」

 

 ジェンティロが感嘆したように言うが、しかし、受けるしかできていないのである。

 まだ一撃たりとも、有効な攻撃をできていない。

 このままでも負けはしない。しかし、勝つことは遠すぎる。

 防戦一方で、果たしていいのか。

 

 焦る未来の耳に、ふと暢気な声が届いた。

 

「おーい、頑張れ未来ー! 怪我すんなよー!」

 

 ちらと視線をやれば、臨時施療所でマグカップ片手に、恐らく酒が入っているのだろう、赤ら顔で手を振る紙月の姿があった。

 その姿が目に入った途端、その声が耳に入った途端、なんだか未来は急に何もかもが馬鹿らしくなってきた。

 

 昼間から呑んでいったい何を考えているのか。あれでも一応仕事中ではないのか。どうせまた未来の勝ちにいくらか賭けているんだろう。信頼は嬉しいけれどあの悪癖はどうにかしないといけない。

 

 そう言った考えがぐるりと頭の中を一巡して、その過程でどこかのスイッチが入った。

 

 そうだ、別に攻める必要なんかないのだ。

 

 紙月がああして変わることなく紙月であるように、自分の昔から変わることなく未来であり、METOであり、《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》の《無敵砲台》の片割れなのだ。

 

 そうだ。

 未来はそもそも《楯騎士(シールダー)》なのだ。

 《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》に誘われることがなくても、それ自体が攻撃を捨て防御に極振りした浪漫職。攻撃《技能(スキル)》を一切持たない代わりに、無類の防御力を誇る鉄壁の産業廃棄物。

 

 それが《楯騎士(シールダー)》で、それが未来だった。

 サーバーで最大最高の防御力を誇る、《聳え立つ鉄壁(ロードクローズド)》、METO。

 それが、それこそが未来だったのだ。

 

 ならば、未来がやることに変わりはない。

 引けていた腰を据えなおして、真正面から剣戟を受ける、受ける、受ける、受ける、受ける。

 

「む、う、むむむぅ……!」

 

 受ける、受ける、受ける、受ける、とにかく、受けに徹する。

 鉄をも切り裂くような斬撃を、真正面から畏れることなく受け続ける。

 盾が壊れることの恐怖などない。そんな心配などする必要はない。

 この世に絶えぬものは無かろうと、決して壊れえぬ盾こそが、未来という一人の騎士なのだから。

 

 一歩。

 また一歩。

 斬撃を受け止めながら、未来はジェンティロへと迫っていく。

 急ぐ必要などない。急がなければならないのは相手なのだから。

 攻める必要などない。攻めなければいけないのは相手なのだから。

 

 呼吸を整えるように淡々と、未来は着実に歩を進めていく。

 

「ぬ、ぬぬぬ、ぅおおおっ」

 

 そして。

 

「場外! 勝負あり!」

 

 鉄さえ切り裂く騎士ジェンティロの剣も、分厚い鉄の壁を突破することはかなわなかった。

 




用語解説

・《シールド・オブ・ゴブニュ》
 《楯騎士(シールダー)》の覚える金属性防御《技能(スキル)》の中で下位に当たる《技能(スキル)》。
 自身にのみ使用できる。常に《SP(スキルポイント)》を消費する。
『鋼を鍛え、鋼に備えよ』

・《聳え立つ鉄壁(ロードクローズド)
 《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》の一人であり、サーバー最高の防御力を誇るものの二つ名。
 文字通り、通行不能の鉄壁を生み出して「詰んだ」「不具合」などと言わしめた。



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第十話 闘技4

前回のあらすじ

騎士ジェンティロをなんとかしのいだ未来。
鉄壁とは、本来こうあるべきなのだ。


「いや、いや、まるで山にでも切りかかっているようだった。恐れ入った」

「いえいえ、こちらこそ、焦りました」

 

 騎士ジェンティロは負けたという悔しさこそあれど、実にさっぱりとした様子でそれを受け入れ、未来に握手を求めてきた。騎士らしい誠実さであるというべきか、この男らしい誠実さと言うべきか。

 

 試合を負えて一息ついたが、しかし不安なのは決勝で当たるだろうニゾである。

 ジェンティロは負け惜しみというわけでは決してないのだろうが、忠告としてこう言い残しているのである。冒険屋ニゾは、悔しいことに私より強い男なのだ、と。

 なにしろ西部冒険屋組合直属の冒険屋である。ただ強いというだけでなく、からめ手や、こちらの思いもよらぬ奥の手なども持ち合わせていることだろう。

 

 真正直に真正面から打ち合ってくれたジェンティロ相手には勝ちを得ることができたが、海千山千の冒険屋相手にはいささか不安の残るところである。

 いったいどうしたものかと戦法を考えているところにやってきたのは、その心配の種その人であるニゾであった。

 

「あれっ。控えの天幕に居なくていいんですか」

「いや、負けた」

「はあ!?」

「折角だから盾の騎士とやりあってみたかったんだが、あれには勝てん」

 

 お前さんもほどほどにがんばれよと一方的に言い残して、冒険屋ニゾは相方を追って去っていってしまった。

 

 困惑の抜けきらぬまま決勝戦に挑んでみれば、向き合ったのは上品な衣服に身を包んだ、老人である。上背こそあるが筋骨隆々という訳でもなく、細身の体つきは枯れ木か何かのようである。

 

 その上、

 

「ヒック」

 

 酔っている。

 見れば手元に持っているのは木剣でもなんでもなく、酒瓶である。

 これはありなのだろうかと主審を見てみるが、黙って首を振られる。

 

 ここまで勝ち上がってきたのだから決して弱くはないのだろうが、しかし、どこからどう見ても枯れ木のような老人である。

 ニゾの言う勝てないというのも、迂闊にけがをさせたら死にかねず、手を出せなかったということなのだろうか。

 

 そう考えている間にも無情にも開始の号令が響き渡る。

 

 こうなってしまえば、やるほかにない。

 

 酒のせいかふらふらとしている老人を怪我させないように、傷つけないように、抑え込んで場外に運ぶのがよさそうである。

 そう思って未来はつかみかかった。

 つかみかかったはずが、気づけば視界が横になっている。

 

「あれ?」

 

 いつの間にか、体が倒れているのである。

 何かにつまづいたのだろうかと立ち上がると、老人はぐびぐびと酒をあおっている、

 

 なんだかわからないが、とにかくまずはちかづかなければ。

 そう考えて無造作に歩み寄ろうとすると、今度は自分でもはっきりとその瞬間がわかるほど盛大に地面に倒れこんでいた。咄嗟に受け身こそとったが、つまずく前兆もなく、あまりにも自然に身体が倒れていて、もう少しで顔面からぶつかっていたところである。

 

 慌てて立ち上がり、今度は距離をとる。

 さすがに二度目ともなれば、理屈はわからないまでも、警戒は出来た。

 

 攻撃を受けている。

 それだけが察せられた。

 

 未来は腰を落とすようにして改めて構えた。

 理屈はわからないが、何かしらの技術で転ばされたのは間違いない。柔道や、あるいは合気道のような技だろうか。

 未来の体は鎧の中に小さな体と言うように、重心があまりよくない。そこを突かれたのだ。

 ならば、重心を落として構え、まず何をされているのかから確かめなければならない。

 

 そのように考えていると、老人は実に無造作に歩み寄り、そして姿が消えた。

 

「!?」

 

 違う。

 まるでコマ送りのように一瞬姿を消した老人は、高すぎる未来の視界から抜けるように、ほとんど地に伏すようにして死角を駆け抜け、懐に入り込んだのである。

 そのことに気付けたのは、老人の拳がいっそ優しくと言っていいほど柔らかく胸元にあてられた瞬間であった。

 

「えっ!?」

 

 そして驚く間もなく、胸甲に当てられた拳に、逆の拳がハンマーのように叩きつけられ、衝撃が鎧の中の子供の体にダイレクトに伝わってきた。後から知ったことであるが、技術と魔力とを併用した鎧通しの一種であったという。

 

 いままで鎧への衝撃こそあれ、中身まではっきりとダメージが通ったことのない未来は、これに膝が落ちかけるのを感じた。それでもこらえたのは、倒れこめば老人をつぶしてしまうかもしれないという不安と、そして意地の一言である。

 

「ほう、こらえるな」

 

 老人が酒臭い息を吐く。

 

 とにかく、このまま捕まえてしまわなければ。

 ふらつきながらも伸ばした手はあっさりと老人に絡めとられ、くるりとその背中が反転してこちらに向けられたかと思うと、一瞬の浮遊感の後、未来の背中は激しく地面に打ち付けられていた。

 一本背負いである。

 

「が、っは!」

 

 肺の中の空気が全部抜けてしまったかのような衝撃である。

 それでも痛みにこらえられたのは鎧によって衝撃がかなり緩和されていたからであったが、逆に言えば、鎧がなければ未来はいまの一撃で全身がぐずぐずに破壊されていてもおかしくなかったのである。

 

 慣れない痛みに、それでも未来は立ち上がり、組み付き、その度に投げられ、転がされ、地に放られた。

 やがて意地という意地も使い果たし、ふらふらの頭で立ち上がった時、勝敗は決まった。

 

「はー、さすがにしんどい。酒も切れたし、わしゃ、抜けるわ」

 

 そうしれっと言い放ち、老人は空になった酒瓶を振り振り、暢気に出ていってしまったのである。

 棄権宣言であるし、場外である。

 

 一瞬の静寂ののち、派手なブーイングが降り注ぐ中、こうして闘技の部門は終了したのであった。

 




用語解説

・鎧通し
 この場合、鎧を着こんだ相手に、鎧の受けからダメージを与える方法、技術のこと。

・意地
 男の子には、意地がある。


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第十一話 試合を終えて

前回のあらすじ

謎の老人にしこたま投げられ、ぼろくそにされた未来。
いったいどうなっているのか。


 試合を終えて、未来はよろよろと、それでも何とか臨時施療所まで足を運んだ。倒れた自分を運ぶのは大変だろうと思ったのである。

 施療所に辿り着くと、紙月が大慌てで容態を確認してきたので、未来は痛みをこらえて鎧を装備欄から解除した。鎧が燐光とともに消えていけば、そこに残るのは青あざだらけの顔である。

 

「服も脱がすぞ。痛かったら言え」

「痛い」

「脱がすぞ」

 

 痛いと言っても手加減はしてくれなかったが、しかし服を脱がせばその下もまた青あざだらけであった。出血や骨折などはないようであるが、全身ここまで打ち付けられるというのは普通ではないし、何より子供の体にそんな青あざが残っているというものは、見ている側に憐憫の情を抱かせるには十分だった。

 

 冒険屋ベラドノも医の神官アロオも積極的に診断してくれ、幸いにも内臓や骨などには異常もなく、意識も明瞭であることが分かった。

 紙月が傷を検めるようにして丁寧に《回復(ヒール)》をかけてやると、それでようやく落ち着いたように、未来はほおっと深く息を吐いた。

 

「まさかお前があんなにぼこぼこにされるとはなあ」

「うん、僕も驚いた」

 

 驚いたとは言うが、未来には悔しそうな色は全くなかった。

 悔しいなどと思う以前に、とにかく不思議である驚きであるとそればかりで、首を傾げながらどうやったんだろう、なんでだろうとそのようなことばかり言い続けていた。

 

 はたから見ていた紙月にしても一体何が起こっていたのか、細い老人が鎧の巨漢をお手玉のように遊ぶのは、まるで手品のような不思議さであったという。

 

 鎧を着なおして、表彰式の準備が整うまで臨時施療所の天幕で待っていると、冒険屋ニゾが温葡萄酒(ヴァルマ・ヴィーノ)のカップを片手にやってきて、健闘をたたえた。

 

「一体あの人何者なの?」

「なんだ、知らなかったのか。それであんなに食いついたんだなあ」

 

 尋ねれば、なんだかちぐはぐな答えが返ってくる。

 

「お前さん、この町の町長は誰か知ってるか」

「挨拶してた、男爵さんでしょう」

「そうだ。スプロの町と、この一帯を治めているスプロ男爵だ」

「それがどうしたの?」

「あの爺さん、先代のスプロ男爵なのさ」

 

 ニゾがしれっと言ってのけた内容に、さすがに二人は絶句した。

 

「あの爺さん、武術に凝っていてな。若い頃は控えていたんだが、子に爵位を譲ってからは遊び歩くようになったそうだ。それで毎年祭りになると闘技に参加しているんだと」

 

 一応はお偉いさんの貴族がそんなことをしていいのかと紙月は首を傾げたが、ニゾは笑った。()()()()()()()()()()()だから、誰にも止められないのだそうだ。

 現当主である男爵も父親には頭が上がらないようで、いよいよもって誰も止めるものがいないし、別に酔って迷惑をかけるわけでもないのだ。

 

「いつもは大した奴も出てこないんで途中で飽きて帰るんだが、今年は何しろ盾の騎士が参加しているからな、面白がって、決勝まで残ったんだろう。それにお前さんが大真面目に付き合ったから、爺さん楽しくなってあんなに遊んだんだろうなあ」

 

 何しろあの強さであるし、そうでなくてもまさか傷をつけるわけにもいかないので、正体を知っているスプロの面子は誰もまともに相手してこなかったのだそうである。

 知らなかったこととはいえ、未来が大真面目に倒そうと躍起になって掴みかかってくるのは、前男爵からすればさぞかし面白かったことだろう。

 

「はー、まさかそんなお偉いさんだったとはなあ」

「俺としちゃあスプロに住んでいてあの放蕩爺さんを知らない方が大概だと思うがね」

「そんなに有名なのか」

「スプロが拠点じゃない俺でも伝え聞くくらいさ」

 

 なんでも暇つぶしに道場破りと称して冒険屋事務所に殴り込み、試合形式とはいえ一方的にぼろっくそにしてみたりとか。

 街道に盗賊が出たと聞いて、冒険屋も雇わずに自分を囮にして自分で狩りだし、生かしたたまひっ捕まえて、結局は自分の領地から金が出るのに賞金をかっさらっていったり。

 酒屋の飲み比べ大会に参加して、何しろ舌が肥えているから酒の品評やりながら次々ぱっかぱっかと水のように飲んで、大差で優勝して見せたとか。

 今回のように祭りとあれば積極的に顔を出し、あちらこちらふらふらとしては冷やかしに入り、いつの間にか去っていくのだという。

 

 そのようにしていろいろと問題のある人物のようだったが、それでも町民の心が離れていかないのは、男爵であったころの治世が極々真っ当で民衆思いであったこと、また今でも人様に迷惑をかけようというつもりで行動することはないし、もし迷惑をかければ補填はするし、いわゆるあくどい貴族のように金に物を言わせた外道な真似もしないし、ちょっと困ったところのある地元の名士というくらいで落ち着いているらしい。

 

「割と退屈な町だと思ってたけど、またけったいな人物もいたもんだなあ」

「お前さん方も人のことは言えたもんじゃないと思うがね」

「むぐ」

「森の魔女と盾の騎士の拠点ということもあって、スプロはいまや田舎町じゃいられないんだぜ」

 

 これには二人も、顔を見合わせた。

 自覚がないというのは、誰も同じのようである。




用語解説

・痛かったら言え
 言ったからどうという訳ではないのだが。



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第十二話 強くなりたい

前回のあらすじ

老人の正体は先代領主であった。
成程誰も文句を言えない訳である。


 表彰式が終わり、賞金を受け取り、大会の閉会が宣言された。

 組合の冒険屋たちは迅速に片づけを開始し始め、広間はまた忙しない空気が支配しようとしていた。

 

 そろそろ自分達もお暇しようか、それとももう少しゆっくりしていこうか。

 鎧も脱いで、臨時施療所でのんびりと温かい甘茶(ドルチャテオ)を頂いてくつろいでいた二人のもとにふらっとやってきたのは、一人の老人だった。あの老人だった。

 

「先ほどは挨拶もせんかったな。アルビトロ・ステパーノじゃ」

 

 それこそ本当に近所のお爺ちゃんといった実にさっぱりとした挨拶に、二人はかえって背筋を正した。

 

「未来です。さっきはどうも」

「保護者の紙月です」

「お前さんがさっきの鎧の中身か。確かに魔力は同じじゃが、はー、こんなに小さいとはな」

 

 歯に衣着せぬ物言いに未来がムッとすると、老アルビトロは気にした風もなくちょいと屈んで視線を合わせてきた。

 

「お前さん、盾の騎士とか呼ばれとるが、あんまり実戦経験ないじゃろ」

「むぐ」

「見込みがあるし、わしも暇じゃし、よかったら稽古つけてやろうか?」

「え、いいんですか!?」

「いいとも。暇じゃからな。いつでも来るとええ」

 

 この誘いに未来は大いに喜んだ。

 今回のことで、自分の強さというものが過信する程のものではなく、むしろ全然大したものではないということを、文字通り身をもって学んだのである。

 

「でも未来、魔法使ってたら勝ってたんじゃないか?」

「それじゃダメなんだよ。もっと、強くならないと」

「そうじゃの。基礎ができておった方が、応用もきくしな」

 

 あれだけ簡単に放り投げられてしまったのだから、老アルビトロの強さというものに対する信頼は相当なものである。

 いまでも十分に強いと言われようと、負けを経験してしまったからには、ぜひともそれを克服できる強さを得たいのである。

 

 未来は大いに張り切っているようだったが、これで少し困ったのは紙月である。

 別に、強くなりたいというのは良いことだと思う。それを無碍に止めるというのはよろしくないことだとも思う。

 しかし同時に、相方にばかりあんまり強くなられると、立つ瀬がないのが紙月の立場である。

 

 未来が、紙月という決定力がなければ盾にしかなれない自分のことを卑下するように、紙月は紙月で、盾がなければ安心して戦うこともできない自分の不安定さというものを心の内に弱さとして抱えているのである。

 

 止める訳にもいかない。しかし相方ばかり強くなられるのも困る。

 

 となれば答えは一つである。

 

「よし、じゃあ俺もお願いします」

「何じゃいお主」

「保護者で、森の魔女の紙月です」

「ほーん」

 

 老アルビトロは紙月の頭の先からつま先までをざっと眺めて、もう一度ほーんと気のない溜息を洩らした。

 

「わし、おっぱいのない娘には興味ないんじゃけど」

「俺は男です……!」

「男ぉ……?」

 

 再び老アルビトロは紙月の頭の先からつま先まで、特に平らな胸元や、少し大きめのお尻などをざっと眺めて、ほーんと気のない溜息を洩らした。

 

「趣味は人それぞれじゃけどなあ」

「趣味、では、ない……!」

 

 趣味ではない。

 趣味ではないが、最近すっかり慣れてしまっているうえに嫌悪感もないし、ゲーム内装備でない私服も女ものであったりするのでもはや言い訳のしようがない。

 仕方ないのだ。

 男物で既製品を探そうにも、紙月ではサイズが合わないのだ。

 

 思わず悔しさや恥ずかしさやその他もろもろで赤面する紙月だったが、未来はその肩を叩いた。

 

「紙月はこれでいいんだよ」

「おお未来……お前だけは俺の味方だぜ……!」

 

 特に中身のあるわけでもない言葉だったが、紙月はそれで満足したらしかった。

 

 満足した紙月は、怪我人が出たからと言われ、臨時施療所の仕事に戻っていった。大会のメインは終わったとはいえ、片付け終わるまでが大会だ。それまでは仕事の内である。

 

 紙月が去った後で、老アルビトロは髭をしごいてフムンと頷いた。

 

「ミライといったの」

「はい」

「お前さん、あのあんちゃんが好きなのか」

 

 からかうでもなく、真正面からそのように問いかけられ、未来は言葉に詰まった。

 いつかその問いかけに向き合う時が来るとは思っていた。しかし、それに対する答えはまだ準備できていなかった。

 

「そう、なのかは、よくわかんないです」

「まだ難しいか」

「はい。でも。えっと。でも、護りたいんです」

「フムン」

「僕にとっての一番は紙月だし、紙月にとっての一番も、僕であってほしいって、そう思います」

 

 老人はただ頷いて、未来の頭を撫でた。

 

「思いつめるのは良くないが、しかし、まあ、青春じゃなあ」




用語解説

・アルビトロ・ステパーノ(Arbitro Stepano)
 先代スプロ男爵その人。
 普通は亡くなる時かよほど体を崩してから爵位を譲るものだが、この爺さん、実に健康体の内にさっさと子に爵位を譲ってしまったようである。
 武術の達人で、大酒飲み。



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最終話 アクロバティック・ハート

前回のあらすじ

この気持ちがそうなのかはわからない。
それでも。


 怪我人の治療をすっかり終え、紙月が戻ってきた時には、老アルビトロはすでに姿を消していた。

 大方仮面でもかぶって、祭りの賑わいの中に消えていったのだろう。

 あるいは仮面をかぶるまでもなく、自然に人込みに紛れていってしまうのかもしれないが。

 

「紙月、こんなの貰ったよ」

「なんだこれ? チケット?」

「曲芸団のチケットなんだって」

「曲芸団……サーカスか」

 

 そう言えば、郊外で曲芸団が巨大な天幕を張っているのを、二人は見ていた。

 何しろ料金は結構なものだったし、立見席では大して物も見れないだろうからと、何かの縁があれば見に行こうかと話していたのだが、丁度良い具合にその縁が転がり込んできた形であった。

 

 二人がチケットを持って天幕に向かうと、立見席の客でごった返しの入り口とは別の入り口を通されて、全体が見渡せるよう少し高く作られたボックス席に通された。

 広々とした座席は柔らかく腰が沈み、給仕に頼めば飲み物や軽食も出た。

 

「これって……」

「まあ貴族からもらったんだからそりゃそうだろうけど、貴族や金持ち用の席だなあ」

 

 いささか以上に場違いというか、根っから庶民である二人にはどうにも落ち着かない居心地の悪さがあったが、それも演目が始まるまでのことだった。

 

 座長の挨拶があり、芸人たちの小粋なトークが始まるころには、二人はゆったりと腰を落ち着けて鑑賞に集中できるようになっていたし、珍獣たちが芸を見せる段にはもう身を乗り出して楽しむほどだった。

 

 まず、一等巨大な蟲獣である象足(エレファンタ・アラネオ)がずしんずしんと重たい足音を立てて現れるのに、観客たちがおおとどよめいた。

 

 この生き物の巨大なことと言ったらまるで像を二頭横につなげたような大きさで、それが石の柱のように巨大な四本の足を器用に動かしては、あちらへこちらへと動き回るのである。

 この生き物が二本の脚だけで立ち上がった時は、まるで倒れこんできそうなその巨大さに悲鳴が上がりもしたし、これが器用にひっくり返って逆立ちする段にはおしみのない拍手が送られた。

 

 そして調教師の言うままに動いていたこの巨大な獣が、体のあちこちに風船を取り付けられて、魔法使いの杖の一振りでふわふわと浮かび上がったのには、息をのむような驚きがあった。

 

 象足(エレファンタ・アラネオ)が引っ込むと、次は黒獅子(エボナ・レオノ)の出番だった。

 これは体格のいい、黒い毛並みのライオンといった姿をしていて、柔らかそうな房の付いた尾からは、鋭い()()が伸びていた。

 

 これはやはり、サーカスのライオンのような芸をさせられた。様々な障害物を広げられたコースを走り回り、火の輪をくぐり、ふわふわと浮かび上がる風船を器用に尾のとげで突き破った。

 

 しまいに、調教師が黒獅子(エボナ・レオノ)に大きく口を開けさせ、そのあぎとの間に顔を突っ込んだ時など、恐れのあまり悲鳴が上がり、倒れるものもいたくらい。無事生還した調教師には、これまた大きな拍手が送られた。

 

 熊木菟(ウルソストリゴ)と言うのが次の獣だった。

 

 これは未来も図鑑で読んだことのある獣だったが、実際に見るのは初めてだった。飾り羽のついた長い腕を持った熊に、フクロウのの顔をつけた獣といった具合で、きょろりと丸い目がなんだか愛らしいようでもあるし、恐ろしいようでもあった。

 

 熊木菟(ウルソストリゴ)は逆立ちし、曲に合わせて踊り、大玉の上に載ってこれを転がし、観客たちを笑わせた。

 また遠くに置いた的めがけて、空爪(からづめ)という空気の刃を飛ばしてあてる的あては、的が遠く、難しくなるにつれて拍手の度合いを増していった。

 

 珍獣たちの芸が終わると、今度は天幕の内側を狭しと空中芸を披露する天狗(ウルカ)たちの出番だった。

 彼らはみな色鮮やかに着飾り、飾り羽を誇らしく広げ、巨大とは言ってもやはり狭くはある天幕の内側を器用に飛び回って、観客たちの頭上に花を降らせ、障害物でひしめいたリングのうちを飛び回り、獣たちのために置かれていた品々を片付けていった。

 

 これは芸であると同時に、次の演目への準備なのだった。

 

 天狗(ウルカ)たちが一糸乱れぬ飛行芸で場を沸かせたのち、リングの内側に現れたのは土蜘蛛(ロンガクルルロ)の芸人たちだった。

 彼らは四つの腕を器用に動かし、手に持っていたたいまつに次々と火を灯していく。

 全員が全員の松明に火を分け合った後、場の音楽が激しいものに切り替わった。

 太鼓の音が力強く天幕を揺らし、土蜘蛛(ロンガクルルロ)たちが踊り始める。

 

 彼らの踊りは力強いものだった。火のついたたいまつをくるくると手のうちで回し、またお互いに投げ渡し、頭上高く放り投げてはそれを受け取り、全体で一つのファイア・ジャグリングを生み出すのだった。

 

 地面を踏みつける太古のドラムが終わったのち、次に場を支配したのは人族たちの軽業師たちだった。色とりどりの衣装を身にまとった彼らは、しっとりとしたダンスから、軽やかにステップを踏んで飛び回り、そして巨大な組体操で人々を驚かせた。

 

 魔法使いたちが色とりどりの炎や煙を生み出し、その間を踊り子たちが駆け巡り、踊り抜けていく。

 

 異国どころではない、異世界の曲芸団が見せる芸の数々に、二人もまたすっかり興奮し、笑い、驚き、そして惜しみのない拍手を送った。

 

 最初の緊張もどこへやら、身を乗り出して楽しむ隣の紙月をそっと盗み見て、未来は思った。

 

 そうだ、と。

 そうなんだ、と。

 

 これが、この気持ちが、サーカスの踊り子たちのように跳ね回るこの気持ちが、そうなのかどうかはわからない。

 けれど、この確かな胸の高まりは、誰にも否定なんかさせやしない。

 

「紙月」

「なんだ」

「なんでもない」

 

 秋の夜更けに、心はどこまでも飛んでいった。




用語解説

象足(エレファンタ・アラネオ)
 山岳地帯などに生息する巨大な甲殻生物。裾払(アラネオ)の仲間としてはかなり鈍重な体を持つ。
 成獣で体高三メートルほどになる。鉄球のような胴体に石柱のような四本の足を持ち、獲物をぺしゃんこにつぶしてしまう。
 裾払(アラネオ)特有の機敏な動きは踏みつけの瞬間のみで、他は基本的に動いていないと言っていいレベル。

黒獅子(エボナ・レオノ)
 黒い体毛と立派な鬣を持つ毛獣。平原などに棲む。鬼は鋭い棘があり、勢いよく繰り出すと岩をも貫くという。
 平原の王者を争う一種であり、自分より巨大な相手でも屠る。



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第十一章 グレート・エクスペクテイションズ
第一話 稽古


前回のあらすじ

弾む心。


 噂に名高い盾の騎士と言うのも名ばかりで、実際のところは大したことがないのではないかという噂が流れてしばらく、その噂の盾の騎士であるところの衛藤未来は、別段気にかけたこともなく、今日も朝からジョギングに励んでいた。

 

 実際、枯れ枝のような老人に面白いようにころころと転がされてすっかりいいようにしてやられてしまったのは本当だし、もともと紙月の活躍に乗っかるような形だったのだから、大いに事実だと思っていた。

 だからこそ、噂の自分に負けぬようにと、こうして励んでいるのだ。

 もっと、強くならなければならない。

 自分には護ることしかできないのだから、それならば、大事な人を護れるくらいの強さは、絶対に必要なのだ。

 

「きっと、もっと、強くなるからね!」

 

 などと、きらきらする目で言われて、ジョギングがてら郊外の前男爵の別邸に稽古に通う未来を、紙月はいくらか気圧されるようにして見送る日々だった。

 

 子供の成長というものは早いものだし、子供のやる気というものは大人の思いもよらぬほど激しいものでもある。ということをかつて子供だった紙月だって知っているはずなのだが、不思議なことに人間は大人になるにつれて子供のころ培ったいくつものことを平気で忘れていくのだった。

 

 さて、そんな風に今日も弁当片手に元気に出ていった未来を見送って、紙月は大真面目に悩んだ。

 別に未来が最近稽古ばかりで自分に甘えてこなくなったのがつらい訳ではない。

 大人びた未来はもともとそんなに甘えるということがなかったし。

 単に、相棒ばかり前を見て進んでいるような中、自分はせっせと内職ばかりうまくいっている現状がなんだかよろしくないように思われたのだった。

 

 一応内職のレーザー彫刻も、魔法の練習と言えば練習である。

 しかしこれは細かい調節の練習にはなるのだが、これでは小手先ばかりうまくなって、大掛かりな魔法の練習にはならない。

 これだけで十分食っていけるどころか、そこらの魔術師が見たら目をむくような技術なのだが、紙月が欲しいのはそう言うものではない。

 

 いざ紙月の出番となると、やはり火力が欲しいのである。あれだけ頑張っている未来が全身全霊で押しとどめるような敵を、こちらも最大火力で焼き尽くすような、そんなパワフルな魔法こそがいま、紙月の欲している形なのである。

 

「とはいえ、だ」

 

 実際に大出力の魔法を練習するというのは簡単ではない。

 練習などまるでしていなかった、恐らく基準値となるだろう、一番最初に用いた《火球(ファイア・ボール)》でさえ、小鬼(オグレート)をウェルダン通り越して黒焦げの炭にすることができたのである。

 

 《燬光(レイ)》などは最大出力で使用した結果、対魔法装甲を貫通して鋼鉄の塊をあっさりと溶断してしまったほどである。

 

 すでにして割と危険物扱いである自分の魔法を、更に極めようと思うと、これはどうやろうにも安全にという訳にはいかないのである。

 少なくとも屋内でやるわけにはいかない。

 それどころか町中でやるのもよろしくない。

 

 ではどこでやるかというと、実際、あてがないのだった。

 南部やら帝都やら足を延ばしたとはいえ、何しろ元が面倒くさがりで引きこもりがちな紙月である。このあたりの地理などあまり詳しくないのだ。

 森でやろうものなら森林火災でえらいことになるだろうし、ただ平野と言ってもそこを通る人もいるかもしれない。

 

「誰も通らなくて、適度に的があって、壊しても困らないようなところ、ねえかなあ」

 

 勿論、それはあったらいいなあという願いごとに過ぎず、実際には微塵も期待していないが故のため息交じりのつぶやきだったのだが、それを運よく拾い上げたものがいた。

 

「あるぞ」

「えっ」

「誰も通らなくて、適度に的があって、壊しても困らないようなところ、だろ」

「あるんですか」

「あるぞ」

 

 紙月が手慰みに量産した3Dクリスタル水精晶(アクヴォクリスタロ)を検めながら、何でもない風に言ってきたのは《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》のハキロである。

 最近はいくらか様になってきた髭をいじりながら、側にあったメモ用紙にかりかりと簡単な地図を書いてくれる。

 

「郊外に採石場の跡があるんだ」

「石を取り終えちまった跡ってことですか?」

「そうだ。めぼしい石はもうなくて、適度に広さがあって、暴れても問題ない」

 

 成程、それなら紙月が多少暴れても問題はなさそうである。

 もう石もとれない採石場後なら用事のある人間もそういないだろうし、条件に適う。

 

「しかし、またなんでそんなところ知ってるんです?」

「実はここ、冒険屋組合が買い取ってるんだよ」

「冒険屋組合が? 採石場跡を? またなんで?」

「もともとは、お前みたいに鍛錬する場所がないって冒険屋の為に買い取ったんだよ。でも」

「でも?」

「半端に遠いし、足元も安定してるわけでもなし、使い辛いってんで滅多に使われないんだ」

「ありゃま」

 

 それでもまあ、買い取ってしまったものはどうしようもないし、今更どこかに売り払おうにもどこも必要としないし、いつか何かの役に立つときがあるかもしれないということで、放置されているらしい。

 

「まあ、滅多にってだけで、たまに使ってる冒険屋もいるらしいし、お前が使っても問題ないだろ」

「まあどうせ空き地ですもんねえ」

 

 なんにせよ、他に行く当てなどないのである。

 紙月は地図をありがたく頂戴して、厩舎に向かうとタマを起こした。

 暇さえあれば居眠りしているタマであるが、歩くのは好きなようで、起こしてやれば嬉々として自分から馬具を引っ張ってきて、馬車を牽き始める。

 

 《魔法の絨毯》は一度行った場所にしか行けないし、《飛翔(フライ)》でいくのは結構疲れるし、それならば、タマの散歩代わりに連れていくのも良かろうと考えたのである。

 

 のっそのっそ、とだけ言うとあまり早そうに感じないが、何しろ体が大きいし、休むということがないので、タマの足は存外速い。馬車に揺られているうちに、採石場までは三十分ほどで辿り着いた。

 なるほど、休みなく歩く速足の馬車でこれなら、徒歩で気軽に行くにはちょっと遠い。まして武装を担いでいくとなれば、冒険屋たちも気楽には利用できないだろう。

 

 採石場跡は、そう聞いて何となく想像していた荒れ地と言ったとおりの姿で、すっかり掘り尽くされて裸の土をさらしている、何もない土地だった。

 取るに値しなかったのだろうくずの岩ころがごろごろと転がり、土をすっかりはがれてさらされた岩肌は、何度も切り取られたようで段々に角を見せている。

 

「……特撮ヒーローが戦ってそうな感じだな」

 

 せめて往年のヒーローたちに恥じぬ程度のことはしよう、などと殊勝なことを考えたかどうかは定かではないが、なにしろ丁度うまい具合に誰もおらず、どれだけ暴れても迷惑のかからない土地である。

 

 日がな一日精霊晶(フェオクリステロ)とにらめっこしている間に知らず知らずたまっていたうっぷんが、文字通り爆発したのだった。




用語解説

・メモ用紙
 何度となく登場するこの紙だが、実は羊皮紙でもなければ植物誌でもない。
 なんと、キノコ紙だったりする。

・キノコ紙
 帝国中央部に生息する湿埃(フンゴリンゴ)の一群体は、極めて珍しいことに人族と里を同じくする里湿埃(フンゴリンゴ)である。この一群はかなり以前から人族との交流があったようで、人族の価値観をかなりのレベルで理解しており、一方でこの里の人族も湿埃(フンゴリンゴ)の文化に対して高い理解を示している。
 例えばこの里の人族は埋葬を全て湿埃(フンゴリンゴ)の群体に埋め込むという形で行っており、若く傷の少ない死体などはそのまま人形の素体として使われることもあるという。
 この里では古くから川辺まで侵食してしまった菌糸が水に流されるという事例があったのだが、この菌糸を回収して糸車で紡いで織物にしてみたところ好評。このことから菌糸織物や菌糸紙などが発展し、近代では帝国内の紙の需要の七割近くはこの菌糸紙であるという調査報告がある。
 性質としては、水濡れしても破れにくく変質も少なく、また火にかけても燃えづらいという特色がある。
 実はまだ生きていて、湿埃(フンゴリンゴ)間でだけ理解できる言語を用い、密かに帝国の内情を傍聴している、などという噂があるそうだ。



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第二話 鍛錬を終えて

前回のあらすじ

稽古に出かけていく未来を見送り、紙月もまた鍛錬へと出かけるのだった。


 筋肉や骨のように、魔力も限界まで使えば大きく成長する、というのを、紙月は自分の経験から知っていた。

 地竜と戦った時はまだよくわかっていなかった。

 鉱山で大振る舞いをしたときに少し感じた。

 大大嘴鶏食い(ココマンジャント)たちを凍らせるときに勘をつかんだ。

 海賊船騒動で使えば使うほどにこなれていくことを感じた。

 穴守と対峙し、限界を振り切るような魔力を制御するにあたって、ついにそれは実感として得られた。

 

 日々精霊晶(フェオクリステロ)を《燬光(レイ)》で彫刻する中で自分の技術が磨かれていくのを感じるように、大掛かりな魔法をいくつも使い限界まで《SP(スキルポイント)》を消費していくことで、確かに自分は限界を超えて強くなっていくということを感じられた。

 

 肌で感じられる、直観的にそう感じられる、そして、紙月は、それを数値で見ることができる。

 

「やっぱりな……全体《SP(スキルポイント)》が上昇してる。一気に増えるって程じゃないけど、でも……確かに成長してる」

 

 そう、紙月は自分の能力を数値として、ステータスとして把握することができる。

 これは鍛錬を続けていくうえでかなり大きなアドバンテージだった。

 誰もがどこかで引っかかる、これでいいのかという疑問に、紙月は数字で答えられるのだ。

 実際に伸びている。だから、これは正しいのだと。

 そしてその自信がまた、鍛錬に集中を与え、より成果を上げていく。

 

 様々な魔法を、《SP(スキルポイント)》が切れるまで回復する暇も与えず使い続け、そうして得られた実感は大きかった。

 

「俺は……まだまだ強くなれる。ゲームでは諦めていた()()()()に、届くかもしれない」

 

 それは紙月にとって大きな獲得だった。

 何者かになれるかもしれないという、そう言う希望があった。

 

 そのようにして希望ばかりは大きく、しかし精も根も使い果てて久しぶりにくたくたになった体を馬車に預けて、賢いタマを頼りに街に帰ってきた時には、日も暮れて門がしまるぎりぎりだった。

 

 事務所に辿り着いた時には、稽古に出ていた未来ももう帰ってきていた。

 

「あ、おかえり紙月」

「おう、ただいま未来」

 

 未来は鎧姿で、事務所で暇をしていた面子とカード遊びなどしていた。

 これはこちらの世界でもトランプと呼ばれている――というよりは、同じ転生者である有明錬三が広めたらしく、(れっき)としたトランプそのものだった。

 遊び方自体もいくつか説明書にかいてあるようで、娯楽の少ないこの世界にあっという間に広まったそうである。

 

 ポーカーか何かしているようで、チップらしい三角貨(トリアン)銅貨があちらこちらを行き来している。

 

「ミライ、お前鎧脱げよ」

「そうだぜ。顔が見えねえのはずりーぞ」

「僕駆け引き苦手なんだからいいハンデでしょ」

「これで手堅い手を打ちやがるからなあ」

 

 冒険屋たちがぶーたれているが、子供相手に小銭を巻き上げようという根性自体がどうなのだろう。彼らも何も大金を巻き上げようというつもりはなく、小遣いをかけた賭け事の一環といった程度なのだろうけれど、それでもあまりよろしいことではない。

 

 いや、暇をしているだろう子供を遊びに誘ってくれているのだからそれはそれで面倒見のよう大人たちということにもなるのだろうか。

 元の世界の常識と、この世界の常識との違いは、時々紙月を大いに困惑させた。

 そしてそういうとき、未来の方がすんなりとこの世界の常識に早くなじむのだ。

 

 紙月よりも元の世界の常識に漬かっていた時間が短いからか、それとも脳の柔軟性というものが違うのか、とかく未来は紙月よりも場になじむことが多い。

 紙月が処世術としてなじもうとするのではなく、未来は自然体としてそこになじんでいくのである。

 

「俺の頭が固いのかねえ」

 

 少なくとも、柔らかい方ではないのかもしれない、と最近はとみに思う。

 子供と付き合っていくというのは、頭の柔軟性を日々試されるようなものだ。

 

 などと感傷に浸っていたら、捨てられた犬のように情けない顔をしたハキロに呼ばれた。

 

「おーい、シヅキ、ちょっと来てくれ……」

「なんです?」

 

 ハキロに連れられて行った先は、事務所の事務仕事をひとまとめにこなしている執務室だった。

 奥にはアドゾが腰を下ろすデスクがあり、他にいくつか、事務要員のデスクが並んでいるが、いまは空だ。

 

「なんで呼ばれたかわかってるかい?」

「へえ……」

「いえ、すみません、さっぱり」

 

 アドゾはこめかみを押さえて、どでかい溜息をついて見せた。

 怒鳴りつける代わりにだ。

 

「今日はあんた、ハキロの勧めで採石場跡に行ってきたんだって?」

「ああ、そうです! いやあ、いい所ですね! いい鍛錬になりました!」

 

 鍛錬を済ませてきたばかりでいささかハイな紙月はそのように答えたが、これにもやっぱりアドゾはため息をついた。

 

 それから気持ちを鎮めるためだろう、パイプを取り出すと煙草入れから煙草の葉を取って詰め、火精晶(ファヰロクリスタロ)を仕込んだ火口箱でちょいと火をつけ、静かに煙を吸い、吐き出した。

 紙月自身は喫煙しないし、マナーの悪い喫煙者にも思うところはあるが、しかしそう言うことがあっても、アドゾの仕草は粋と言うのがちょうどよい具合だった。

 

「やりすぎだよ」

「えっ」

「あんたの魔法さ。魔法って言っていい物かどうか知らんけど、やりすぎだってさ」

「ええ? でも誰にも被害は出ない場所ですよ?」

「昼間っからずっと爆発したり燃え上がったり、かと思えば雷が落ちたり土砂降りの雨が降ったり、遠目に見るだけでもこの世の終わりかと思うような光景だったとさ」

「あー」

 

 そう言えば途中からハイになり過ぎて、遠慮会釈なしに最大威力で魔法を連発していた気がする。

 

「見かけた旅人やら旅商人やらが大慌てで吹聴したもんだから、大騒ぎだったんだよ」

「そりゃあ、また、なんかすみません」

「すみませんで……はー、まあ、あんたはそう言うほかないもんね。仕方ない」

 

 アドゾは精神安定剤でも服用するかのような顔つきで煙草を吸い、吐き、そしてため息をついた。

 

「ま、次からは役所に届け出だしてからにしな」

「そうしたら大丈夫ですか」

「役所が受け入れたらね」

 

 難しそうな話であった。




用語解説

・煙草
 実際には我々の知るナス科タバコ属のいわゆるタバコのことではない。
 地方によって異なるが、ある種の薬草の類を刻んで乾燥させたもので、茶に近い。
 飲むか吸うかの違いであると言ってもいいくらいである。
 なので厳密には喫煙描写ではない。アニメ化したら絶対に指摘されるだろうが。

・火口箱
 本来は、火打石、火打金、火口などの入った箱を言う。
 この世界では火精晶(ファヰロクリスタロ)を仕込んだ小さな箱で、簡単な操作で火をつけられるライターのような造りであるようだ。



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第三話 魔法は心の鏡

前回のあらすじ

ついうっかりやりすぎて叱られる紙月。
役所に届けを出せとのことだが。


「いってきまーす」

「あ、おい、未来。俺も一緒に行っていいか」

「え? おじいちゃんに何か用でもあるの?」

「うん。使えるコネは使おうと思ってな」

「良いけど、僕走って行くよ?」

「じゃあ俺はタマでいく」

「あ、ずるっ」

 

 タマのひく馬車で、ジョギングする未来と並走するというちょっと目立つことをしてまでおじいちゃん、つまり前スプロ男爵アルビトロ・スパテーノに会いに行ったのは、なにも枯れ枝のような老人の顔を見に行ったわけではない。

 

 未来の稽古の様子が気になったというのもあるが、昨日役所に届けを出して来いと言われた一件からである。

 

 いくら森の魔女だなんだともてはやされていても、紙月は一介の冒険屋である。冒険屋というものは基本的に社会的階級が決して高くない。

 そんな紙月が直接役所に届けを出そうにも、すでに昨日散々やらかした後であるから、絶対に許可を渋られるのは目に見えていた。

 

 そこで、未来の稽古を見てもらって縁もある、前町長であり前領主である老アルビトロの力を借りに来たのである。

 この老人には明確な権力というものはないが、それでも貴族であるし、そして現当主であるスプロ男爵は父親であるこの老人に頭が上がらないのである。

 

 権力でどうこうと言うのはあまり好きではないが、しかし使えるものは使うというのは紙月のモットーである。また老アルビトロがあまり権力者らしくなく気さくであることも後押しした理由であった。

 

「おう、よく来たなミライ。今日はコブ付か」

「はい。シヅキ、おじいちゃんに用があるみたいで」

「そーかいそーかい。いつもの準備体操しておきな。その間に話しておこう」

「はい!」

 

 郊外の老アルビトロの別邸は、別邸などと呼ばれてはいるが実際見事なお屋敷だった。彼一人が住むには大きすぎるのではないかと思うが、それは庶民の感覚で、貴族としてはこれくらいは普通であるらしい。

 

 未来は早速中庭へとかけていき、紙月は老アルビトロに連れられ、中庭に並べられた瀟洒なテーブルと椅子をすすめられた。

 ここからなら、未来の様子も見えるし、しかし声が届くほどでもない。

 

「安物で悪いの」

「庶民が緊張してるのわかってからかうのやめてもらえません」

「ほっほっ、お前さんは歯に衣着せんからからかい甲斐があってよい」

 

 上等な甘茶(ドルチャテオ)が供されて、さて、貴族はこういうときどんな会話から始めるのだろうかと紙月が茶の香りに考えを託していると、老アルビトロは気にした風もなくざっくりと切り出してきた。

 つくづく貴族らしくない老人である。

 

「ほんで、今日はまたどうしたね。お前さん、わしのこと苦手じゃろ」

「苦手という訳じゃあないんですけどね」

「貴族じゃし、考えの読めん老人じゃし、おまけにミライを横取りされとっても?」

「オーケイ、苦手です」

「ほっほっ」

 

 何もかもお見通しという顔に飛び蹴りでもかましてやりたい気持ちを押さえて、紙月は甘茶(ドルチャテオ)の香りに思考を落ち着けた。実際、見通されているのは事実なのだ。

 

「昨日、採石場跡で騒動があったのはご存じですか?」

「領内のことじゃからチビっとは聞いとるな」

「あれ、俺です」

「フムン」

 

 すでに知ってるだろうにもかかわらず、悪戯っ気に笑うだけの老人に、紙月は舌打ちをこらえた。

 

「魔法の練習のつもりだったんですけど、随分驚かせてしまったみたいで、次からはちゃんと届け出てからするように言われましてね」

「練習であの有様か。末恐ろしいのう。なんじゃ、欲求不満か? 夜の生活ちゃんとしとる?」

 

 口に含んだ甘茶(ドルチャテオ)を噴出さなかったのは、せめてもの意地だ。

 未来も気になるのかちらちらと視線をやってきているし、そんなところで格好の悪い真似はできない。

 

「聞こえてないとは思いますけどね、子供の前でそう言うのは、」

「子供だと思っとると、すぐじゃぞ」

 

 からかい癖のある老人にくぎを刺そうと唇を尖らせると、逆に鋭い釘を刺された。

 鋭すぎて、一瞬呆けてしまうほどだった。

 

「お前さんが拒むにせよ受け入れるにせよ、またどのように受け入れるにせよ、あの子は真剣じゃ。お前さんが思っとるよりあの子は大人じゃし、あの子が望むよりはまだ子供じゃ。きちんと向き合えよ」

 

 何一つ言い返せない紙月に、老人は、青いな、と笑ったようだった。

 

「役所の方にはわしから一筆書いてやろう。これで渋られることはなかろう」

「……ありがとうございます」

 

 その場でさらさらといい加減に書きあげ、封蝋で止めた封書を預かり、紙月はそれ以上、物も言えず立ち上がった。

 いま何か言おうとしても、なんだかうまく言葉になりそうになかった。

 

「紙月、どうかしたの?」

「なんでもない。俺はこれでいく。稽古、頑張れよ」

 

 心配したように駆け寄ってくる未来に、そこまで顔に出ているかと、呆れる。

 演劇をやっていたはずなのだが、その意地は、かろうじて型通りの言葉を吐きださせるばかりで、まるで役に立たなかった。

 

 役所に届けを出し、タマに乗って採石場に向かう間も、老アルビトロの言葉が頭を巡った。

 あの老人はいったい何を考えているのか。未来が一体何を考えているというのか。

 そして、自分はいったいどのように考えているのか。

 人の考えどころか自分の考えすらもわからず、未来は苛立たしげに爪を噛んだ。

 

 採石場跡につき、まず少し落ち着いた方がいいと思い立ち、紙月は精密な魔術の運用を試みる。

 

「《金刃(レザー・エッジ)》」

 

 それは本来、金属の刃を生み出す魔法である。

 しかし紙月はこれを調整し、刃だけでなく様々な形の金属を生み出すことができるようになっていたし、時間をかければ非常に細かな細工もできるようになっていた。

 

 いま紙月は、小さな金属の粒を一つ一つ作り出すようにイメージして、それを煉瓦や、あるいは細胞のように積み上げていく作業に没頭していた。それはかつての世界では3Dプリンターなどと呼ばれるものと同じやり方だった。

 

 最初の内こそ集中が必要だったが、魔術の操作に慣れ、調整に慣れ、脳内に思い描いた図形をただ出力するばかりとなってくると、思考に無駄な余裕ができてきた。

 

 未来のことである。

 未来のことばかりである。

 いったい未来は自分をどのように見ているのだろうか。

 そして自分はそれにどうこたえてやりたいのだろうか。

 

 思えば紙月はこの世界に来てから未来のことばかり考えてきた。

 最初はだた庇護のつもりだった。

 異世界へと迷い込んだ二人、その年長として、子供を守らねばと思った。

 そうすることで、自分の立ち位置を確かにしたかったというのもある。

 

 やがて相棒として未来の存在が確かなものとなってくると、紙月は少しずつ未来を頼り始めた。

 護るべき相手としてだけでなく、自分という存在を支えてくれる相棒として。

 

 そして今は。

 今はどうなのだろうか。

 

 何にもない空っぽの自分を再確認した紙月にとって、未来は欠くべからざる存在であるのは確かだ。

 何者にもなれない紙月にとって、自分の存在を必要とし、自分を支えてくれる未来の存在は無くてはならない。

 だがその自分本位な考え方に対して、未来がむけてくる熱量は何なのだろうか。

 なんだというのだろうか。

 陳腐な答えはすぐに出せた。

 だがそれは自分にとって都合が良すぎた。

 そしてそれを受け取るには自分はあまりにも卑劣に過ぎた。

 自分のためだけに求める紙月と、自分に対して熱量を向ける未来。

 この関係はあまりにもいびつに思えた。

 だが応えぬままでいいのだろうか。

 自分は果たしてどうしたいのだろうか。

 

 気づいた時には、紙月の目の前には、金属製の大甲冑が出来上がっていたのだった。




用語解説

・3Dプリンター
 立体印刷機とも。
 3DCGデータを元に立体、つまち三次元の物体を造形する機器。



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第四話 ストレス発散

前回のあらすじ

頭の中は君のことでいっぱい。


 効率が良くなってきたこともあり、またご近所の迷惑というものを聞かされていただけに、昨日よりは早めに切り上げて返ってきた紙月を見つけて、ハキロが笑った。

 

「よう、シヅキ。また今日も派手にやってきたみたいだな」

「うえぇ、街中に居てもわかるもんですか?」

「いやなに、旅商人が何事かと怯えててな。空を突き破って星でも落としてきたのか?」

「いやあ、ははは」

 

 一応、掲示板などにも「魔女警報」なる、森の魔女が魔法の研究をしているというお題目で注意が出ているらしかったが、初めて見る旅人や旅商人は、確かに度肝を抜かれるだろう。

 相当ハイになっていた昨日とは違い、今日はいろいろ考えながらだったので、少し客観的な絵面というものがわかったような気がする。

 

 しかしわかったからと言って、これはやめられそうになかった。

 鍛錬になるというだけでなく、一日魔法を使いまくると、疲れはするのだが、同時にすっきりもするのである。

 特に後半、あまりものを考えなくなってとにかく魔法を使いまくっているときなどは、妙な脳内麻薬でもドバドバと出ているのか段々気持ちよくなってくるし、確かに力を発散しているのだという感覚は、大いにストレスを解消させてくれた。

 

 そのストレスのもとは何一つ解消していないので、やめろと言われてもそうそうやめられるものではない。

 

「お前、そんなに鬱憤溜めるようなことあったか?」

「まあ、魔女にも魔女なりの悩みやらなんやらがあるんですよ」

「フムン。まあ大変なことになる前に誰かに相談しろよ。医者とか神官とかでもいいし」

「ははは、そうします」

 

 とは言ったが、そう気楽に相談できる内容でもない。

 第一、紙月自身が()()をどのように受け止め、どう考えたらよいのか、いまひとつわかっていないところがあるのだ。

 実際のところ、自分が何を悩み、何に苦しみ、何に焦り、何に困っているのか、そういった初歩のあたりからして、紙月にはよくわかっていない。

 

 ただ、未来の向けてくる熱量に炙られるようにして、なんだかわけもわからないまま焦らされているのだ。

 

 さて。

 

 未来もまだ帰っていないようであるし、3Dクリスタル彫刻の続きでもしようかと思っていると、昨日と同様、広間にカードを広げている連中からお誘いがかかった。

 

「おうい、シヅキ、魔女様よ」

「最近あの妙な彫刻で小金儲けてるんだろ?」

「ちょいと俺達にツキを分けてくれよ」

 

 要は賭け試合をしようと言うのである。

 昨日、未来を相手に随分盛大に巻き上げたようだから、それで調子づいているのかもしれない。

 運気というものは長続きしないというし、いまのうちに、という気持ちもあるのだろう。

 

「フムン。そうだな。ま、たまにはいいか」

「よしきた」

「早速始めようぜ」

「待て待て、未来が帰ってくるまでな」

「へっへっ、それまでに巻き上げてやるぜ」

「お手柔らかに頼むよ」

 

 今日もまた、冒険屋たちがたしなんだのはポーカーであった。

 

 ポーカーと言うのはどういうゲームかと言えば、五枚の手札をやりくりして、強い役を揃えるのが目的だと言ってよい。

 より強い役を揃えたものが勝者であり、勝者はチップ、つまり掛け金を得る。

 

 ポーカーにもいろいろ種類があるが、冒険屋たちがプレイしていたのはもっとも古い形と言われるクローズド・ポーカーだった。つまり、自分の手札はすべて隠して、自分だけが見ることのできるプレイスタイルである。

 

 ゲームの進行はこのような具合だ。

 

 まずディーラー、つまり親が五枚ずつのカードをプレイヤーに配る。

 この親の決め方はハウスルールによるが、固定の場合や、時計回りに順繰り、または前回のプレイの勝者がなる、という決め方がある。

 この事務所では三番目の決め方だった。

 

 プレイヤーはカードを確認し、最初のベッディング・インターバル、つまり掛け金をかける。

 

 ベッドにはいくつか種類があり、最初の人間はベッド、つまり掛け金をかけると宣言する。そして同じ額だけ掛け金をかける場合はコール、それ以上の掛け金をかける場合はレイズという。さらに掛け金を上げる場合はリレイズ、リリレイズとなる。

 レイズで上乗せできる額はハウスルールによるが、《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》ではもっぱら倍額と言うのが普通のようだった。

 他にまだ誰もベッドしていないなら掛け金をかけないチェックで様子見という手もある。

 

 そしてプレイヤーは一度だけ好きな枚数のカードを交換できる。

 ディーラーから順に、好きな枚数のカードを裏向きに場に捨て、そして同じ枚数を山札からとる。

 全員がカードの交換を済ませたところで二度目のベッディング・インターバルだ。

 

 そして全員が手札をさらし、最も強い役を持つものが場に出た掛け金を総取りすることになる。

 

 このゲーム中、プレイヤーは好きな時にフォールド、つまりゲームから降りることができるが、その場合、すでに掛け金をかけているときは、これを取り戻すことはできない。

 

 ここでは賭博を物語の主体に置くことはないので、あまり真剣に読む必要はないのだが、読み込んだ方はお疲れ様。

 大事なのは冒険屋どもと紙月が賭け事で勝負をして、そして紙月が何でもできる男だということだ。

 

 稽古を終えて心地よい疲労とともに帰ってきた未来は、どえりゃあ強い役(ロイヤルフラッシュ)を扇代わりに高笑いする紙月と、下着一丁にひん剥かれた冒険屋たちに出迎えられて困惑する羽目になった。

 

「……なにしてるの?」

「おお、未来、昨日の敵はとってやったぞ」

「ああ、うん、そりゃどうも」

 

 その一言で、どうやらポーカーで勝ちまくったらしいことは察したが、それにしたって相手をしていただろう冒険屋たちは余りにも酷い有様である。どうぼろ負けしたらこうなるのかと言うほどだ。

 

「よし、未来も帰ってきたし終わりにするか。掛け金返してやるからさっさと服着な」

「おお、ありがてえ!」

「女神様じゃあ!」

「その代わり、もういかさまするなよ」

 

 そう口にしてにやりと笑った紙月の手元で、するりと手札が消える。そして逆の手から五枚のカードがするりと現れる。

 

「なっ、おまっ」

「やったらやり返されるもんだし、ばれなきゃいかさまじゃないだろ」

「ぬぐぐぐぐっ」

「やられたー!」

 

「紙月、どこでそんなの覚えたの?」

「大学でちょっとな。詳しくは秘密」




用語解説

・ポーカー
 大まかな内容は本文中で述べたとおりである。
 マナーを守ってプレイする限りにおいて、基本的には紳士的に遊べるゲームだ。
 なので手を上げたり、まかり間違ってもくらえ!火炎ビンだァ~~!!してはいけない。



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第五話 風呂

前回のあらすじ

このときをまっていたっ!
くらえ!火炎ビンだァ~~!!
(※紳士的にプレイしました)


 帰ってきた未来は、やはり汗や土で汚れていた。

 あまり遅い時間であれば《浄化(ピュリファイ)》で奇麗にしてしまうのも手ではあるが、今日はまだ時間もある。

 

 紙月と未来は連れ立って近所の風呂屋へ向かった。

 めっきり寒くなってきたこの頃、風呂屋は盛況である。

 

 靴を脱いで上がり、受付に靴を預け、金を払ってロッカーの鍵を受け取る。

 もうすっかり馴染みの受付は、彼女も風呂の神官なのだろうか、豊かな体つきで、そしておっとりとしている。

 

「いやあ、最初は女の人かと思ったから、びっくりしましたよねー」

「いやあ、お恥ずかしい」

「しかも鎧の中身も成人前の子供で、衛兵に通報するか真剣に悩みましたよねー」

「思いとどまってくれて本当にありがとう」

 

 しかし、女装した怪しげな魔女と、成人前の子供という組み合わせは、いささか犯罪的に映るのは仕方がないのかもしれないと思う紙月であった。

 別に女装自体も子連れ自体も悪という訳ではないのだが、それを組み合わせて脳内で悪事とつなげて考えてしまうのは、これは無意識のうちの差別なのかもしれない。

 差別がなかなかなくならない訳である。

 

 新商品が出たという石鹸や垢すりといった小物を物色してから、ロッカーに貴重品や着替えを入れるのも馬鹿らしいのでインベントリにしまい込み、同じくインベントリから石鹸とタオルを取り出す。

 この石鹸は受付で売っているものを買ったものだが、なかなか質が良いし、香りも良い。

 

「そういえばさ」

「なんだ」

 

 二人で服を脱いでいる最中、未来がふと真剣な顔つきで首を傾げた。

 

「紙月も最近は、町で服とか見るじゃない」

「あー、まああんまり買わないけど」

「それで気になったんだけど」

 

 まじまじと見つめられるのは、胸元である。

 

「下着は別に女性ものじゃなくてもいいんじゃ……?」

「ばっ、おまっ、これは趣味じゃねーぞ!?」

 

 ふくらみなどまるでない胸元を覆う女性用下着は、この世界に来た時にすでに装着していた恐らくはゲーム内仕様のものである。

 男であり、そもそも胸などない紙月が着用する意味は確かにないようにも思える。

 

「あの、な、その、笑うなよ」

「笑わないよ。なあに?」

「この体になってから肌が繊細になってな……その、乳首がこす」

「オーケイ、わかった。大事なものだね、うん」

 

 どうやら未来にもこの下着の重要性が理解してもらえたようだった。

 

 衣服に関しても実はこの世界の品だと粗すぎて着心地が悪いので、下着や肌着はゲーム内アイテムをずっと使っているのである。

 男性用衣類が欲しくて服屋を巡ったこともあるが、どうしても生地が粗くて耐えられないか、肌に合ったとしても阿呆ほど高くなるので、費用対効果を考えてしまって買えないでいるのである。

 

 唯一、寝間着だけはどうしてもこだわって絹製のものを買ったが、必要経費だと言い張るにはいささか以上に高額な代物だった。

 

 服を脱ぎ終え、浴場に入ると、やはり一瞬目を引くが、常連の客たちは慣れたもので、すぐに森の魔女だと気付いてくつろぎ始める。

 中には邪な視線を送るものもいるが、害がなければどうということもない。多少気持ち悪くはあるが、紙月だって自分みたいのがいたら見るだろうなとは思う。

 それくらいに、ハイエルフという種族は設定上からして美しい生き物なのである。

 

 洗い場でかけ湯をしてざっと汚れを落とし、二人は石鹸を泡立てる。

 未来が体を洗っている間に、紙月は未来の頭を洗ってやる。

 これは何かと接触を恥ずかしがる年頃の未来が、それとなく許してくれている数少ない接触のひとつだった。

 

 未来の髪を、そして毛におおわれた耳を洗っているうちに、ふと自分の目元にかかる髪をかき上げて、気づく。

 

「そう言えば、俺は随分髪が伸びてきたけど、お前はそうでもないなあ」

「ああ、僕、髪が伸びると落ち着かないから、切って貰ってるんだ」

「切って貰ってるって、誰に」

「ムスコロさんの相方がね、オストさんって言うんだけど、手先が器用でね」

「ふうん」

「一回十三角貨(トリアン)

「金取るのかよ」

「小遣い程度だし、冒険屋同士、なあなあでやるのは良くないって」

「成程」

 

 十三角貨(トリアン)程度と言えば、まあ小銭と言えば小銭である。

 そこらの出店で立派な串焼きを一本買えばなくなる程度だ。焼き鳥程度のなら二本か三本か。

 とはいえ、出費は出費であるし、なんとなく気に食わない。

 つまり、自分の相方が自分の知らないところで他のパーティの人間の世話になっていたというのがなんだか落ち着かない。

 紙月としてはそれは自然な発想だった。

 

「なあ、俺が切ってやろうか」

「え、紙月、できるの?」

「美容師目指してる友達の練習に付き合ってな、代わりに教えてもらった」

「紙月は何でもできるねえ。じゃあ、今度からお願いしようかな」

「任されよ」

 

 ふふん、と少し機嫌をよくして、ふとその背中を見れば、なんだか以前よりたくましくなったように見える。

 稽古でできたのだろう、小さな傷が増え、前よりも少し、見下ろした時の位置が高くなっているような気がする。

 ふにゃふにゃと子供らしく柔らかかった手足はするりと細長く伸びて、筋が目立つようになってきていた。

 

 子供が大きくなるのは、すぐだ。

 

 老アルビトロの言葉が思い出されて、紙月はなんだか呑み込めないものを呑み下したような、言い難い心地にされた。

 そんな気持ちをごまかすようにお湯をかけて泡を流してやり、今度は自分の体を洗い始める。

 

 絹糸でも扱うように丁寧に髪を洗ってくれる指先は、まだ細く、短い。

 けれど、すぐだ。

 きっと、すぐだ。

 

 焦るような、期待するような、奇妙な心地の中で一心に泡立てているうちに、未来にお湯をかけられて、考えは中断した。

 泡をすっかり流してしまって、湯に肩まで浸かると、思いのほかに全身から疲れがどっとあふれ出てくるようだった。自分でも知らなかった、気づかなかったこわばりが、心と体から流れていくようだった。




用語解説

・肌が繊細
 ハイエルフが繊細かどうかは不明だが、エルフは粗悪な金属に触れるとアレルギーのような反応を起こすという説がある。
 紙月の場合はとにかく敏感肌で、粗い生地だと擦れてしまって、あとで赤くなるくらいのようだ。


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第六話 入浴

前回のあらすじ

乳首がこす(ry


 ハイエルフという種族は、体の色素が薄いから、火照ると血の色がすぐに浮いて出てくる。

 初雪みたいにまっさらな頬に薔薇色がともり、笹穂耳の先端がほんのりと染まるのを眺めていると、未来は不思議とどぎまぎとさせられた。

 

 それは学校の行事で行った美術館に飾られた絵画に感じた、思わず頭を下げたくなるような静かな美しさに感じ入るものにも似ていた。緊張と憧憬の入り混じる、穏やかならぬ気持ちだった。

 

 未来は初めて紙月とこの世界で出会った時のことを思い出していた。

 ああ、自分は異世界にやってきたのだなと、なんだか漠然と夢物語のように思っている未来の横で、この人は恐ろしくリアルにそこに横たわっていたのだった。

 はじめは絵画か彫刻か、芸術品か何かのように眺めていたそれが、確かに呼吸し、頬に血の色を通わせる生きた存在だと分かった時の、あの衝撃と言ったら!

 

 最初のうち、未来は紙月が男の人なのか女の人なのか、はっきりとはわからなかった。

 声は低めのハスキーボイスだったけれど、けれど女に人にもそう言う声の人はいた。

 女性ものの服を着ているけれど、振る舞いは男性のようで、喋り方もそう。

 ハイエルフという種族は設定上中性的で、男女の差異が少ないということだったけれど、本当にそうだった。

 

 いったいどっちなのだろうと、あの時未来は心底不思議だった。

 

 しかしこうして改めてその体を見てみると、女の人のような柔らかさよりもまず骨ばった体つきが感じられるし、体自体が薄いからそうとわかりにくいけれど、肩幅もきちんとある。それに胸も、うん、胸も平らだ。

 

 確かに、そうしてみると、男の人なのだなあと思う。

 

 けれど肌はとてもきれいだ。

 本人は面倒なばかりだという繊細な肌は絹のようになめらかだし、ほんのりと血色が浮かんで見えるところはとても色っぽく感じられる。

 

 顔つきも、ハイエルフという種族の特徴なのか、とてもよく整っている。その整っている中に、もともとの紙月の顔立ちなのだろう面影が色濃く影響を与えていて、ともすれば判を押したような顔立ちに、魅力的な彩を加えている。

 

 黙っていれば彫像か何かのように、とても冷たく感じられさえする顔立ちは、しかし子供の未来でもそうは動くまいと言うほど表情豊かに動き回る。

 未来は口に出していったことはなかったけれど、目鼻口の良く動く海外アニメーションの動きだなどと時折思っていた。

 

 そしてそう言う表情がない、しかし取り繕ってすましているわけでもない、こうして風呂に使ってすっかりくつろいだ素の表情は、どこか子供のようですらあった。

 未来よりもずっと人生経験を積んでいて、辛いことも悲しいこともきっとたくさんこなしてきただろうに、こういう時の紙月はいっそあどけなさを思わせるほどに幼い顔をしていた。

 

 紙月ばかり見ていた視線を無理やりにずらしてみると、風呂の神官の姿が目に入った。

 風呂の神官はみな、健康的な体つきをしている印象があった。豊かな体つきと言ってもいい。

 体格は良く、骨がしっかりと伸びていて、程よい筋肉には、程よく脂肪が乗っている。

 一種の理想的な体型ではあるだろう。コミックに出てきそうな。

 

 痩せていたり、太っている風呂の神官というものを未来は見たことがなかった。

 風呂に入ることがそのまま祈りであり礼拝であるという風呂の神官にとってこれは行の一環であり、未来たちが思っている以上に心身に影響を与えているのかもしれなかった。

 

 翻って自分を見るとどうだろうか、と自分の小さな体を見下ろして、未来は小さくため息をついた。

 稽古に通うようになって、すこし筋肉がついてきたように思う。横を歩く紙月との身長差を考えると、少し背が伸びてきているようにも思う。

 

 でも、まだ、小さな子供だ。

 小さくて、細くて、頼りない、子供の体だ。

 

 この身に、そこらの冒険屋たちを軽々としのぐパワーが宿っていることは、未来も承知していた。けれどそうではないのだ。そういうことではないのだ。

 広げた腕は短く、広げた手は小さく、未来の体では、満足に抱き上げることだってできやしない。

 

 十年、とは言わない。

 けれど確実に、数年は足りない。

 見下ろせるほど大きくなんて、高望みはしない。

 けれど、隣に立って、誰もが不自然に思わない程度にはなりたかった。

 

 冒険屋仲間や、鎧の中身を知っている大人たちはみんな、未来のことを偉いという。小さい体で、成人もまだなのに、頑張っているという。

 でもみんなはわかっていないのだ。

 本当に偉くて、本当にがんばっているのは、紙月なのだ。

 

 紙月は慣れない体を引きずって、慣れない世界で頭を使って、慣れない子守に精を出してくれている。

 未来はそんな紙月を、護ってあげたいのだった。

 

「はやく、大きくなりないなあ」

 

 ぽつりとつぶやいた未来に、紙月が不安そうに言った。

 

「あんな風になるのか?」

 

 指さす先は、未来がぼんやり眺めていた風呂の神官である。

 

「あー、もう少しスマートでいいかな」

 

 ほっと溜息が、漏れたようだった。




用語解説

・はやく、大きくなりないなあ
 子供のころは早く大人になりたいと思うし、大人になると子供のころに戻りたいと思う。
 どうして人は自分の望むときを生きられないのか。


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第七話 依頼

前回のあらすじ

はやく、大きくなりたいなあ


 翌日のことである。

 今朝もまた未来は稽古に向かい、紙月は憂さ晴らしもとい魔法の練習に出かけようとしていたところで、ハキロから声がかかった。

 

「暇してるだろ」

「暇ってわけじゃないんですけど」

「まあ、まあ、お前らあての指名依頼があってな」

 

 何かと思えば、帝都大学からの依頼であるという。

 その名前からしてすでに嫌な予感しかしないのだが、しかし依頼というか、なにかコトでも起きないかと刺激を求めていたのは確かである。

 

「まあ、いいや。それで、なんだってんです?」

「なんでも、プレンマノダフーモ侯爵領での依頼らしいな」

「どこですって?」

「中央の貴族の領地だよ。そのプレンマノダフーモ侯爵の持ってる山の中から、妙な魔力反応があったらしい」

「魔力反応」

「魔力ぐらいどこでも反応あるらしいが、山ん中から、一定時間ごとに合図するみたいに魔力が強くなるんだと」

「ほーん」

 

 この魔力検知器、本来は魔獣の群生地を調べたり、土中の魔力を含んだ鉱石を探すための装置らしいのだが、しばらく前からこの周期的な魔力反応を検知しており、しかもそれが少しずつ強くなっているという。

 このような自然ではない魔力の反応は、太古の昔に機能を停止した古代遺跡が復活した兆しである場合が考えられるのだという。

 

 プレンマノダフーモ侯爵もその報告を受けて調査を急がせ、帝都大学も現在問題の地点に近い山肌を掘削中であるのだが、なにしろ山を掘るというのは大掛かりであるし、冒険屋も呼び出してすぐにこれるという訳ではない。

 そこで、山を吹き飛ばしたという伝説もあり、かつ想像を超える速度で西部から帝都まで移動したという実績のある《魔法の盾(マギア・シィルド)》の二人に白羽の矢が立ったのだということだった。

 

 便利屋扱いされているなとは思いながらも、実際便利屋なのが冒険屋であるから、否定しようがない。

 

「こういう、古代遺跡って言うのですか? けっこうあるんですか?」

「まあ、古代聖王国はかなり発展してたらしいからな、死んでいる遺跡なら、掘れば結構ある」

「死んでいる?」

「破壊されてたり、動力源が切れてたり、長い時間の間に壊れてたり、そう言うのだな」

「成程。じゃあ生きてる遺跡は?」

「俺はお目にかかったことはないね」

 

 これは冒険屋としてはあまり長くないハキロだけのことでなく、ほとんどの冒険屋は生きている遺跡になどお目にかかったことはないという。

 というのも、古代の大混乱の中でめぼしい遺跡は破壊されるか為政者に制圧されており、残されているのはもともと見つけにくいものか、土中などに隠されているものばかりなのである。

 

 そのため新しく生きた遺跡を発見するためには、二千年も前の真偽も定かではない文献を頼りに山の中を掘ったり、湖の底を調べたりと現実的ではなく、一介の冒険屋がどうこうできるレベルではないのだという。

 

 極稀にたまたま見つけるという事例もあるが、そう言うものは本当に天文学的なレベルでの奇跡であり、期待するのはよほどの山師でもない限りないという。

 

「でもまあ、遺跡といやあ、帝都なんかはあれそのものが生きている遺跡と言えば遺跡だな。いまも使ってるから、遺跡って言っていいのか知らんけど」

「ああ、そっか。古代から使ってるんでしたね」

 

 同じように、大都市などでライフラインを維持するために破壊されずに遺された地下水道なども、生きている古代遺跡と言っていい。

 

「じゃあ、今回見つかったやつもあんな感じなんですかね」

「俺は地下水道に潜ったことはないから知らんけど、でも役割が違うんだったら姿も当然変わって来るんじゃないか?」

「それもそうか」

 

 地下水道は水道としての機能があるからあのような形をしているのであって、人里離れた山の中にある謎の施設となると、当然全く機能も目的も違ってくることだろう。

 

「山かあ。山の季節って変わりやすいっていうし、しかもこの寒い時期に山とか、何持ってきゃいいかなあ」

「大概持ってるだろお前ら。というか気楽だな」

「正直遺跡って言われてもあんまり実感ないんで、こう、ねえ」

 

 山堀りという大雑把な依頼くらいしか理解していない紙月は暢気なものだが、そこはそこ、《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》の冒険屋というものは、特にムスコロと同様半ば《魔法の盾(マギア・シィルド)》担当とされている冒険屋というものは、こういう時こいつらの扱い方をよくよく心得ていた。

 

「お前馬鹿だなあ」

「ええ?」

「遺跡ってのは、地下水道とかと同じような、古代の遺跡だぞ?」

「そりゃ聞きましたよ」

「お前この間帝都で何してきたよ」

「何してきたって、そりゃ穴守と……あっ」

「そうだよ。遺跡には穴守がつきものだ」

「おお!」

「山奥の秘密の地下遺跡、それも生きた地下遺跡。飛び切りの穴守がいてもおかしくなかろう」

「成程!」

 

 何しろ子供の未来と、根が子供の紙月である。

 乗せやすいのは、言うまでもない。




用語解説

・プレンマノダフーモ侯爵(Plenmano-Da-Humo)
 中央に領地をもつ大貴族。
 山を多く領地に持ち、領民は土蜘蛛(ロンガクルルロ)が多い。
 本人も土蜘蛛(ロンガクルルロ)である。



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第八話 山

用語解説

帝都からの依頼再び。


 その日のうちに対してありもしない支度を整えた《魔法の盾(マギア・シィルド)》の二人は、念のため《縮小(スモール)》でポケットサイズに小さくしたタマを連れ、早速《魔法の絨毯》で帝都大学に乗りつけた。

 

 大学の入り口で依頼状を見せると、詰所に連絡装置があるようで、それに呼ばれた大学側の人間が馬に乗ってすっ飛んできた。

 誰かと思えば、その汚れた白衣はあのキャシィ博士である。

 

「お久しぶりです、博士」

「どうもどうも、いやあやっぱり早いですねえ。そろそろ手紙が着きそうだって話してたところだったので、そろそろつくと思ってました」

「手紙を読んだらすぐに来ると?」

「お二人ならまず間違いないと思っていましたね! この大発見に心躍るはずだと!」

 

 まあ遺跡の発見ではなく、遺跡の穴守が目当てでやってきたのだが、来るという予測はまあ外れてはいない。

 

 キャシィは相変わらず堰を切ったようにドバドバといくらでも話題が出てくるようで、そうえいば地下水道の穴守は見事な真っ二つ具合だった、非常に貴重なサンプルで総出で研究している、うちでもあの後地竜の研究がこれこれこういうふうに進んだ、あの地竜はその後元気にしているか、えっ魔法で小さくして持ち歩いているそんな馬鹿な、うわっ、すごっ、どういう仕組みですか、そんな風にいくらでも喋っていそうだったので、適当な所で切り上げた。

 

 侯爵領の山までは一応馬車の用意があるという。

 あるというが、時間がかかるし、山道で酷く揺れるしと言い訳がましく言い連ねる上に、ちらっちらっと鬱陶しく見てくるので、仕方がなく《魔法の絨毯》を出してやった。

 

 初めて空を飛ぶ乗り物に乗っても、キャシィ博士は恐れるということがなかった。

 むしろ、

 

「ふぉおおおおおおっ!! すごい! こんなに薄っぺらなのに! これほどしっかりと、体重を支えて! しかも! 飛んでる!! 自動で!」

 

 と物凄い興奮っぷりで、転げまわって落っこちないかということの方が心配なくらいだった。

 

「これは、しかもきちんと進路をたどっている! シヅキさん場所をご存知でしたか!?」

「いや、あなたが知ってるから、その知識をもとに飛んでるんですよ」

「私の知識! 教えてもいないのに! なんて賢い! 魔法刺繍の類、魔法絨毯とでもいうべき技法なのでしょうか!? しかし、こんな大きさで、そこまで緻密な術式を!?」

「いや、知らないですけど」

「どこですか!? どこが飛行を携わる部分なんですか!?」

「いや……全然わかんないです」

「使用者が理屈を理解していないのにこの安定した飛行! 素晴らしい!」

 

 しばらくの問答の末、紙月も未来も全く《魔法の絨毯》の仕組みを理解していないと知っても、キャシィ博士に落胆はなかった。むしろ知らないのに使えるという高度な技術にいたく感動しているようで、模様を観察したり記録したり、織り方を几帳面に虫眼鏡で観察したり記録したり、顔を突っ込んで匂いを嗅いだり、最終的に味をみようとしたあたりで放り出そうか迷ったが、未遂で済んだのでよかった。

 

 プレンマノダフーモ侯爵領のなんとかいう山間にキャンプを張った調査団のもとに辿り着いた時は、空からの来訪者に現場の一同は大いにどよめき、そして何者かと大いに恐れたようだった。

 紙月たちが《絨毯》を降り、キャシィ博士に奪われる前にインベントリにしまい込むと、現場で指揮を執っていたらしいユベル博士がおっとり刀でやってきた。

 

「いや、いや、またまたお呼び立てしてしまって」

「いえいえ、丁度暇でしたし」

「空を飛んで来たようですけれど、キャシィが道中迷惑をおかけしませんでしたか?」

「いや、あははは」

「あと、できればあとで私にも見せてもらえれば」

 

 まとも枠かと思ったが、やはりマッドであることに変わりはなかった。

 付きまとわれるのも厄介なので、とにかく仕事優先という態度で状況を尋ねてみると、さすがにユベル博士は切り換えのできる人物で、断崖のようになった山肌を示して説明してくれた。

 

「まず、この山中で魔獣の群生地を調べるために、我々調査班は魔力検知器を動かしていました。これは魔力を検知するとその方向に光って反応するものなんですが」

 

 そう言って見せてくれたのは、ごてごてとした箱に埋め込まれた水晶玉である。

 

「普通は魔獣などの反応を検知すると、その方向に点だったり、靄のように光がともるんです。その日はあまり反応がないので、検知器の感度を上げてみたところ、このように、」

 

 装置の横のメモリを操作すると、水晶に波のように光が走った。それも一度ではなく、何秒か置きに、一定周期で同じように波が走るのである。

 

「三角測量ってご存知ですか? ざっくり言えば、二カ所から測定して、反応のあった方角に線を引いていって、交わったところが信号の出発点だということです。我々は複数個所から信号の検知を試みて、どうやらこの山肌からまっすぐ行った土中に信号の発信地点があるらしいことを確かめました」

 

 広げられた地図には、何カ所かからの測定結果と、それによって引かれた線が、確かに山中で交差しているのがわかった。

 

「山中も険しいので、正規の入り口を発見するには至っていません。信号強度は現在安定しているので、すでに遺跡は完全に目覚めていると言っていいでしょう。すぐに何かが起こるとは限りませんが、正体が不明なため、強行作業で内部に侵入しようと考えています」

 

 そこでユベル博士は期待するようにちらりと紙月を見上げた。

 

 成程、急ぎであるし、見たところ調査班たちが必死につるはしで掘っている様子を見ても、相当時間がかかりそうだ。

 そこで紙月の魔法に期待しているということなのだろう。

 だが。

 

「土砂崩れとか考えるとあんまり派手なことはできないな」

「ええっ、そんな!」

「なので」

 

 キャシィ博士に絨毯を見せてくれと絡まれている未来を指さして、紙月は笑った。

 

「ここは相方に任せます」

「ええっ、僕!?」




用語解説

・魔力検知器
 基本的に生き物は大なり小なり魔力を持っているものなので、この機械もそこまで信用できるものではない。
 ただ、強い魔力を持つ魔獣の群れを追いかけたり、変わった波長の魔力を発見するのには役立つ。



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第九話 四神合体超合金エレメンツ! ここに推参!

前回のあらすじ

相変わらずマッドな博士たち。
そして急に振られて驚く未来。


 どこからともなく勇壮なBGMが流れては抜けていく。

 

「セイリュウドラゴン!」

 

 青く輝くドラゴンが飛び立ち、猛風とともに雄たけびを上げる!

 

「スザクバード!」

 

 真っ赤に輝く怪鳥が、翼を広げて高らかに歌う!

 

「ビャッコタンク!」

 

 地をかける白虎が大地にそびえ、雄々しく吠える!

 

「ゲンブシールド!」

 

 激流とともに合われた大亀が、鮮やかな甲羅を見せつける!

 

 そして四神はそれぞれに分解し、組み合わさり、一つの巨神へと姿を変える!

 

「四神合体超合金エレメンツ! ここに推参!」

 

 どこからともなく響き渡る轟音とともに、そこに立っていたのはまるで原色カラーのスーパーロボットであった。

 ご安心ください。お読みになられているのは異界転生譚シールド・アンド・マジックで間違いございません。

 

 切れのいい合体バンク・シーンを披露した挙句に完成するこの鎧は、その名も《超合金エレメンツ》。

 一応はゲーム内装備であり、装備するたびにこの変身バンクを流す(※スキップ可)という、《エンズビル・オンライン》でも屈指のイロモノ装備である。

 

 見た目が完全にスーパーロボットであることもあり、ゲーム内の世界観から完全に浮いていることもあり、総合的な人気はぼちぼちといったところであるが、これでも金属性の属性鎧としてはハイエンドにある装備である。

 

「いやぁ、相変わらずとんでもないというか、ここまで再現するか……」

「こ、これはいったい……」

 

 さしものキャシィとユベル両博士も呆れていることだろうと、

 

「な、なんて格好いいんですか!?」

「変身合体! ここまで完璧な変身合体!」

 

 駄目だった。

 常識人はここにはいないようだった。

 

 変身バンク中こそのりのりで装備していた未来もさすがに注目を浴びると恥ずかしくなってきたのか、もじもじとしているし、そろそろ解放してやらねばならない。

 

「ね、ねえ、紙月。結局何するのさ、これで」

「シールドマシンの真似事をしてもらおうと思ってな」

「シールドマシン?」

 

 紙月はメモ用紙にざっくりとした説明書きと図をかき上げて、実際に《金刃(レザー・エッジ)》で見本を作りながら説明した。

 

「俺の《金刃(レザー・エッジ)》がこんな具合に結構自由に改変できるみたいに、お前もがんばりゃ魔法の盾の形を変えられるはずなんだよ」

「あー、そう言えば、結構状況に応じて形変えてる気がする」

「だろ? それで、金属性の魔法盾をこんな形にして、岩肌にくっつけて回転させて、こうがりがりがりっと」

「あー……イメージはわかった。ドリルの幅広な感じだね」

「そうそう、試してみてくれ」

「うん」

 

 簡単な説明の後、未来は断崖のような岩肌に向かって、呪文を唱えた。

 

「《ラウンドシールド・オブ・ゴブニュ》!」

 

 構えた《ゲンブシールド》に纏わりつくように、液体のような金属が広がっていく。本来ならばそのまま巨大な盾の形を形成するだけだが、ここで意識して形を変えていく。

 全体の形状は、円盤のような形。表面にはおろし金のような細かい刃を大量につけ、ところどころに崩した岩や土の抜ける穴を作っておく。

 

「むぅ、ん……こんな感じ、かな」

「よし、じゃあ回してみてくれ!」

「回転、回転……!」

 

 本来固定すべきである盾を、回転させるというのはかなりの重労働だった。イメージに強く訴えかける必要があった。

 ドリルだ。敵を穿つドリルだ。何物をも貫くドリルをイメージするんだ。

 

 やがてその意志に応えるように、ゆっくりと、しかし確実に盾は回転し始める。

 そして徐々にその回転速度は増し始め、接触した岩肌をはっきりとがりがりと音を立てて崩し始める。

 

「うわっ、ものすごい音ですねえ……!」

「おっと激しくなってくれんと、なかなか進まん」

「まだ!?」

 

 未来は回転速度を上げていく。

 それに伴い、破壊される岩や土砂の量は増えていき、足元へと落ちていく。

 それを工員たちがせっせとシャベルと猫車を使ってどかしていく。

 そうこうしているうちに、あれほどてこずっていた岩肌には、穴と呼べるだけの立派な穴が通り始めていた。

 

「さて、穴が開いても、またふさがっちまったら困るな」

 

 未来が掘り抜いていく穴の壁に、掘りぬかれた土砂の一部を利用した《土槍(アース・ランス)》、《土鎖(アース・バインド)》で補強を加えていく。

 圧縮された土砂で固定した壁面に、更に《金刃(レザー・エッジ)》を調整した金属板で補強していく。

 

 この調子で削っていき、一日で十メートルほどが掘れた。

 《SP(スキルポイント)》が、そして体力が回復するだけの十分な休養を取りながら、この速度である。

 人力であれば一日一メートルか二メートル掘れればいい方だろうと考えると、相当な速度である。

 

「立って歩けるような高さで、しかも補強までされてこの速度とは、いやはやとんでもないですねえ」

 

 とは途中から呆れてものも言えなくなったユベル博士に代わってキャシィ博士のコメントである。

 

「大学ではこういう機械造れないんですか?」

「目の前で見せられましたからね、造れると思いますよ。ただ、こんな山奥まで運ぶのは無理だろうって重くて巨大なものになるでしょうけれど」

 

 しれっと現代のシールドマシンを再現できるというあたりこの博士も大概である。

 

 この調子で三日ほど掘っていくと、ある時急に進行が止まった。

 

「紙月、ここから先は、いままで通りじゃ掘れないみたいだ」

 

 




用語解説

・《セイリュウドラゴン》
 ゲーム内アイテム。同名の敵を倒すことで入手できる。
 これ単体だとアクセサリー扱いで、木属性の攻撃力防御力上昇補正がかかる。
《豊かな森の実りあれ! セイリュウドラゴン!》

・《スザクバード》
 ゲーム内アイテム。同名の敵を倒すことで入手できる。
 これ単体だとアクセサリー扱いで、火属性の攻撃力防御力上昇補正がかかる。
『消えぬ炎の小太陽! スザクバード!』

・《ビャッコタンク》
 ゲーム内アイテム。同名の敵を倒すことで入手できる。
 これ単体だとアクセサリー扱いで、金属性の攻撃力防御力上昇補正がかかる。
『鋼のきらめき敵を裂く! ビャッコタンク!』

・《ゲンブシールド》
 ゲーム内アイテム。同名の敵を倒すことで入手できる。
 これ単体だとアクセサリー扱いで、水属性の攻撃力防御力上昇補正がかかる。
『止まらぬ瀑布の大結界! ゲンブシールド!』

・《超合金エレメンツ》
 ゲーム内アイテム。《セイリュウドラゴン》、《スザクバード》、《ビャッコタンク》、《ゲンブシールド》を揃えて同名のボスキャラクターを倒すことで入手できる鎧。
 なお設定上、同名のボスキャラクターのレプリカということになっており、属性効果は金属性しかない。
 金属性の属性鎧としては最高の防御力を誇るが、どう見ても世界観から浮いているビジュアルのため、使用者は限られていた。
 なお、装備する度に変身バンクを流す(※スキップ可)という特殊装備でもあり、このバンク中は敵が行動を停止するというバグを突き、一人が装備と解除を繰り返し、一人がぼこ殴りにするという戦法が一時はやった。
 バグの修正理由は「正義の味方らしくないから」。
『往け! ぼくらの超合金エレメンツ! 往け! ぼくらの夢と勇気を乗せて! 絶対無敵! 四神合体超合金エレメンツ!』

・《ラウンドシールド・オブ・ゴブニュ》
 《楯騎士(シールダー)》の覚える金属性防御《技能(スキル)》の中で上位に当たる《技能(スキル)》。
 自身を中心に円状の範囲内の味方全体に効果は及ぶが、使用中は身動きが取れず、また常に《SP(スキルポイント)》を消費する。
 未来はこれを改変して円盤状の大盾にし、またゆっくりではあるが移動を可能にしているようだ。
『鋼の盾は、鋼の剣を挫く』



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第十話 古代遺跡

前回のあらすじ

往け! ぼくらの超合金エレメンツ!


 いったん盾を解除して、両博士を呼んで見てもらったが、これはどうも岩盤などの自然のものではないようだった。

 

超硬(スペル)混凝土(ベトノ)……聖硬石ですね」

「聖硬石っていうと、地下水道の外壁の」

「そうです、古代遺跡の外壁を構成してる建材ですね」

「さーて、これが出てくると、この先が困りますね」

 

 未来のシールドマシンもどきでも削り取れなかった当たり、かなりの強度なのは確かなようである。

 

「聖硬石ってのはそもそも何なんです?」

「うーん、極端な話、ある種の混凝土(ベトノ)なんですね」

「ベトノ?」

「ざっくり言えば、水と砂・砂利と接着剤になるものを混ぜて固めたものです」

「ああ、コンクリートだ」

「聖硬石はこれのめっちゃんこすごいやつです」

「めっちゃんこすごいやつ」

「説明すると小難しいんですよ。細かい化学反応とか、粒子単位の素材に刻印された魔術式とか」

「簡単に言えば化学的にも頑丈なうえ、魔術的にもめちゃんこ補強してある岩と思っていただければ」

「あー……つまり、壊せない訳じゃないんですね?」

「そこで挫けないあたりがさすがという感じですが、そうです、かなり頑張れば壊せないことはありません」

 

 試しに高出力の《燬光(レイ)》で焼き切ることを試してみたが、表面に焦げ跡がつくだけだった。

 

「しかたない」

「一度戻って爆薬取ってきましょうか?」

「うーん、崩落の心配もありますけれど……」

「まともな手段で壊そう」

「は?」

 

 こきこきと意味もなく肩を回して、紙月は非常に時間をかけて《金刃(レザー・エッジ)》で一本の杭刃を生成した。

 鋭さよりも頑丈さを重視し、込めた魔力の密度もあって、かなりの強度を誇る一本である。

 

 また、聖硬石の壁に向き合って、紙月はもう一つの呪文を唱えた。

 《念力(テレキネシス)》である。

 これで杭刃を持ち上げたのである。

 

「ええ?」

「まさかそれで叩いて壊そうというのですか?」

「サンプルを削るってわけじゃあないんですから……」

「少し下がった方がいいですよ」

 

 次の瞬間、激しく金属のこすり合わさるような耳障りな騒音が横穴に響き渡った。

 

「にょわっ!?」

「なっなんです!」

「やってることはさっきのシールドマシンと変わりないですよ」

「変わりないって……」

「《念力(テレキネシス)》で超高速振動させた杭をぶつけてるんです。超振動ブレードとか、高周波ブレードとかいうやつですね」

「何ですその格好いい響きは!?」

 

 格好いいかどうかは別として、激しく火花を飛ばしながら杭刃は聖硬石の表面を削り出し、やがて深々とその刃を埋没させていく。

 

「一本じゃ時間かかるな。未来。俺が回復するまでのリカバリ頼む」

「わかった」

 

 すでに遺跡に対して接触を開始してしまっている以上、ここは《SP(スキルポイント)》の消費を覚悟で急ぎでやった方がいいだろう。

 

 紙月は追加で三十六本の杭刃を同時に生成し、それらを《念力(テレキネシス)》で壁面にぶち込む。

 

 両博士が耳を押さえて何やらがなり立てているが、もはやそれも聞こえないような騒音が、数分か、十数分か、ともすれば一時間もの間鳴り響いているように感じられた。

 

 そして絶叫のような騒音に耐えていた時間は思いのほか瞬く間に過ぎ去り、気づけば音を立てて聖硬石の分厚い壁が崩れ去っていたのだった。

 

「なんという力業……」

 

 耳鳴りのするなか、キャシィ博士のそんなつぶやきが聞こえたような気がした。

 

 瓦礫をのけて遺跡に侵入すると、中は通路のようで、輝精晶(ブリロクリステロ)によって明かりが必要ないくらいに照らされていた。ということはつまり、遺跡が生きている、稼働しているのだ。

 踏み入った紙月たちに反応するように、途端に鋭い音が響き渡り始める。

 

「これは?」

「警報です!」

「工員たちは撤収を!」

「博士たちは?」

「私たちがついていかないと遺跡のことなんてお分かりにならないでしょう」

「ごもっとも」

 

 四人は素早く状況を確認した。

 生きている遺跡への通路が開通した。

 しかし警報が鳴っていて、防衛装置が働いている。

 ひとまずはこれの解除、そして遺跡の安定化を目的に、両博士を護衛して警備室に向かうのが良いだろう。

 

 このように決めて、四人は早速通路を進み始めた。

 戦闘は未来で、その後を両博士が指示を出しながら進み、しんがりは紙月が務めた。

 

 途中、扉がいくつかあった。

 両博士が検めると、取っ手のないこれらの扉は、横に取り付けられた板に触れることで開閉する仕組みのようだった。

 

「ハイテクだね」

「遺跡っていうより、SFの宇宙船みたいだな」

「よくわかりませんが、古代遺跡とは言いますけれど、古代聖王国時代の方がはるかに文明が進んでいましたからね」

「正直、今の我々は暗黒時代を何とか抜け出そうとしているようなものですよ」

 

 部屋の中はほとんどが大したものの見当たらない倉庫のようなものだったり、空き部屋であったり、また荒れ果てていた。

 たいていの遺跡は、ここもそうであるように、古代の大戦争のときに打ち捨てられたものが多く、持ち運べるものは持ち出してしまって、完璧な状態で残っているものはまずないという。

 

 通路はあまり分岐しないとはいえ、両博士は全く迷うようなそぶりを見せずすいすいと歩いていく。まるである程度あたりがついているようだ。

 

「お二人は遺跡の専門家でしたっけ……?」

「私は何でも屋と言ったじゃないですか」

「私もまあ、キャシィに付き合ってると詳しくなるもので」

「まあともかく、もともと人が作って人が住んでいた建物ですからね、構造は目的によって似通ってくるものです。ここは恐らく何かの研究所の、居住スペースだったと思われます。この辺りは特に何もないでしょうから、さっさと次の区画に進みましょう」

 

 ゲーマーの紙月としては、こういうところにこそレア・アイテムがあったりするのだが、と思うのだけれど、いまはそんなことを考えている時ではない。調べるのは後からでもできるのだ。期間限定イベントでもあるまいし。

 

「警報機が鳴って、警備室から警備機械が出発したとして、多分そろそろ……」

「あ、あれですね」

 

 暢気な二人の言葉通り、通路の先から犬ほどの大きさの機械が、四つの車輪で滑らかに走って来る。その背にはいかにもな筒が取り付けられており、ちょっとした四つ足の戦車のような外見である。

 

『警告! 警告! 現在当施設は緊急遮断態勢です! 速やかに身元確認呪符の提示をお願いします! 警告! 警告! 現在当施設は緊急遮断態勢です! 速やかに身元確認呪符の提示をお願いします!』

 

 警備機械はそのように何度も繰り返しながら進路を遮った。

 

「なんで古代の機械なのに言葉が通じるんです?」

「実際には違う発音してるんですよ。でも言葉の神の加護が世界を包んでいるので、わかるように聞こえてるだけです」

「成程」

『警告! 現在当施設は緊急遮断』

「《燬光(レイ)》」

 

 警備機械は紙月の不意打ちの攻撃を受けて真っ二つになり、沈黙した。

 

「次はもう少し損傷を少なく破壊してくれると助かります」

「難しいこと言うなあ」

 

 そんな暢気な会話などつゆ知らず、警報は一層強く鳴り響くのだった。




用語解説

超硬(スペル)混凝土(ベトノ)
 いわゆる聖硬石のこと。
 ざっくり言えば素材の粒子単位から魔術的補強のなされた超硬質コンクリート。
 頑丈なだけでなく経年劣化にも強く、二千年経ってもほとんど劣化していない。

混凝土(ベトノ)
 要するにコンクリート。
 普通のコンクリートやアスファルト自体は帝国でも建設等に用いたりしている。

・超振動ブレード/高周波ブレード
 刃を超高速で振動させることで、その振動できるとか摩擦熱できるとかいろいろ言われている例のアレ。
 紙月の場合浪漫三割、工事現場でどかどかやってるあれ七割のイメージである。

・警備機械
 これも一種の穴守と言っていいだろう。
 ただし、もともと拠点防衛で置かれている大型のものよりだいぶ貧弱なようだが。
 これでも一般人からある程度の冒険屋なら普通に相手できるスペック。

・身元確認呪符
 IDカードのようなもの。


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第十一話 研究ブロック

前回のあらすじ

いよいよ遺跡に侵入した四人。
早速手荒い歓迎が。


 四つ足の警備機械は、それから何度となく襲い掛かってきた。

 実に馬鹿正直にむかう先からやってくるのだが、つまりそれは一行が着実に警備室へと向かっているということだった。

 

 警備機械はもう警告を発することはなかった。どのような仕組みか、四人を識別して敵だと認定したらしく、容赦無用で攻撃を仕掛けてくる。

 この攻撃は、今までに見たことがないものだった。

 

 胴体に取り付けられた筒状の部分から何かが飛ばされてくるのだが、それが目に見えないのである。ただ、発射音がして、咄嗟に未来が盾で受けたので、それが空気の塊を射出しているということが分かった。

 

「非殺傷性の……ってわけじゃないよな」

「盾にあたった時、凄い衝撃があった。紙月は当たるとまずいかも」

「了解」

 

 未来を先頭に歩いていくと、警備機械は次々とやってきては容赦なくこの空気弾をお見舞いしてくる。

 単純に圧縮空気を風精に乗せて飛ばしてくるだけでなく、当たった瞬間に圧縮空気が前方に向けて爆発するようになっているらしく、かなりの破壊力がある。

 

 聖硬石の壁はともかく、流れ弾の命中した金属製の扉が吹き飛ばされた当たり、生半可な鎧では、しっかり着込んでいたところでいい的になるだけだろうことが予想できた。

 

 何しろ、数体まとめて攻撃してきたのを受け止めると、さしもの未来もちょっと足を止めて構えなければ危ないのである。これは、中身が子供で体重が軽いこともあっただろうが。

 

 やがて進んでいくうちに、明らかに強固な扉が現れた。

 厳重さと言い、横に取りつけられた機械のごつさと言い、いかにも重要ですと言った扉である。

 

「これは?」

「恐らく居住空間から研究区画への出入口でしょう」

「さて、さっきと同じで壊せるかな」

「待ってください」

 

 キャシィ博士が紙月を制し、何かのカードのようなものを扉横の機械にあてた。

 すると、あれほどまでにかたくなに見えた扉が、音もなくするすると横に開いていくではないか。

 

「……なんです、それ?」

「えーと、古代遺跡で発見された認証札です。どうも高位のものらしくて、大抵の扉は開けられます」

「セキリュティパス、か。それがあれば警備機械も追い返せたんじゃないですか?」

「私たちだけならともかく、持っていないお二人は結局攻撃されてましたよ」

「それもそうか」

 

 扉をくぐると、そこは通路をそのまま切り取ったような小部屋だった。

 四人が詰め込むようにその小部屋に入ると、背後で扉が閉じた。

 

「うぇ、閉じ込められた?」

「口閉じといた方がいいですよ」

「え?」

 

 途端、軽い警告音とともに、何か霧のようなものが部屋の天井から吹きかけられる。

 そして全身がその霧でおおわれると、今度はどこからともなく風が吹き出し、全員の体を吹き流していく。

 

「なっ、なんっ、なんだっ!?」

「滅菌消毒しているんですよ。と書いてあります」

 

 古代語らしい説明書きを指さしてそう説明してくれるが、そう考えるとまるで滅菌室である。いよいよもってSFだ。

 滅菌消毒とやらが済むと、また軽い警告音とともに、反対側の扉が開いた。

 

 一行は小部屋を抜けて、研究区画とやらにたどりついた。

 造り自体はそう変わるものではなく、ただ扉の横の機械が少しごつくなり、扉自体も頑丈そうではある。

 

「何の研究をしていたのかも気になりますが、とりあえず先に警備室で警報を止めてしまいましょう」

「場所はわかるんですか?」

「よほど変な造りでもなければ、入口の方にあるはずですよ」

 

 両博士の導くままに、ブロックの反対側まで部屋を素通りしていくと、また例の滅菌室があった。

 博士のセキュリティパスでこれを通り抜け、再び滅菌消毒を受けてから外に出ると、今度は造りがはっきりと変わった。

 

 広く長い通路がまっすぐに続いており、その先に扉が一つあった。

 あれはもしかしてエレベーターじゃなかろうかと想像する紙月の横で、博士がこっちですよと、出てきた扉のすぐ脇に進んだ。

 そこには、こちらを窺えるように窓の取り付けられた、小さな部屋が存在した。

 受付のようでもある。

 

 成程。侵入者は普通、この地下の施設には入り口からしかやってこれないから、ここで見張るわけだ。

 

 博士のセキリュティパスで中に侵入すると、そこは不思議な空間だった。

 薄暗い室内の壁の一面に、ディスプレイのように無数の映像が浮かび上がっているのである。

 そこに映されているのは、いままで通ってきた施設内の映像であり、また、まだ見たことのないエリアの映像であるようだった。

 

「監視カメラみたいなもんか……」

 

 両博士がディスプレイを見上げるように設置された機械にセキリュティパスを通し、キーボードのようにも見える装置を操作すると、やがてあれだけうるさかった警報が鳴りやんだ。

 

「よく操作方法がわかりますね」

「研究者ですから」

 

 胸を張って言われると、そう言うものだという気もしてくる。

 

「うーん。耳が慣れちまったせいか、急に音が消えると、なんだか耳鳴りでもするような感じだ」

「まあ、静かなのは良いことですよ」

「これでここの遺跡は我々が掌握しました。後は心置きなく調査ができるというものです」

「そのあたりは俺達はどうにもできないから、調査班を呼んでこないとな」

「そうですね、ざっと下見だけして、」

 

 そのようにすっかり気も抜けて雑談しながら、扉を出たところであった。

 

「全く! また誤報か、苛つかせてくれる! 一体この私をなんだと……うん?」

 

 それは、いつぞやの海賊船事件の、細鎧の魔術師であった。




用語解説

・空気弾
 仕組み的には武装商船に積んでいた最新鋭の魔導砲と同じ理屈である。
 ただしそれよりもはるかに小型で精密であり、技術力の差はうかがえる。
 対人用であり、重装甲相手は想定していないようだ。

・認証札
 身元確認呪符がIDカードなら、こちらはそれに付け加えてセキリュティパスの機能があるようだ。
 どちらにせよ、かなり高位のアイテムであるのは確かだ。



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第十二話 狂炎再び

前回のあらすじ

無事警備室に侵入し、警報を止めた一行。
しかしそこに現れたのは。


 それは、あの海賊船事件で遭遇した、細鎧の魔術師であった。

 

「貴様らはあの時の……!?」

 

 魔術師もそのことに気付いたようで、素早く杖を抜いて身構えた。

 

 こうして間近に見ると、魔術師の装備は全く帝国で見かけるものとは異なるものだった。

 細身の鎧のように見えるものはすべてに細かく魔術式が浮き彫りにされた魔道具であったし、身に纏う衣類もまたなかなかの魔力を秘めた逸品である。

 恐らくはかなり火精との親和性が高い装備なのだろう。

 ハイエルフの目には、燃え盛る蜥蜴のような火精がこの男の全身を護るようにちらついているのが見て取れた。

 

 そして恐るべきはその構えた杖である。溶岩をそのまま杖の形に冷やし固めたような艶のない黒の総身に、組みだしてきたばかりのマグマのような輝きを見せる宝石がはめ込まれていた。

 ちょっと見た限りでは詳しいことは言えなかったが、それこそ紙月のもつ武装と比べても見劣りしないレベルの代物である。

 

「ふん……どうやって警報を止めたのかは知らんが、」

「あ、私です私!」

「ちょ、キャシィ!」

「……んんっ、ともかく、ここであったが百年目! あの時のお返しをさせてもらうぞ女!」

 

 どうやら買った恨みは相当なもののようで、地竜と向き合った時でもここまで鋭くは向けられなかったというほど、密度さえ感じられるような殺気が向けられ、未来が盾を構えて一歩踏み出した。瞬時に切り替えられたのは、炎への対策、《白亜の雪鎧》である。

 

「ほほう、凄まじい鎧だ。だが、我が炎とどちらが勝るかな!」

 

 瞬間、男の手のひらに燃え盛る業火が生み出され、そして天井のスプリンクラーを起動させて、降り注ぐ水に消された。

 手のひらの上で炎はそれでもボシュボシュとしつこく灯ろうとしたが、執拗に降り注ぐ水に最終的には潰え、ようやくスプリンクラーは動作を停止した。

 

「………我が炎とどちらが、」

 

 手のひらにともる炎。

 作動するスプリンクラー。

 消える炎。

 止まるスプリンクラー。

 

「……………」

「……………」

「……………」

「……………」

「……………」

「……………ふん、興が冷めた」

「冷めなかったらびっくりだよ」

「どちらにせよ、すでに目的は達成しているのだ。私はこれにて失礼する」

 

 びしょぬれになったマントを重たげに翻して、遺跡の入口へと向かう魔術師。

 まるで先ほどまでの一件はなかったかのような切り替えの早さである。

 

「待て」

「逃がすと思ってるの?」

「フムン」

 

 魔術師は興味深げに振り返り、杖を軽く手元でもてあそんだ。

 

「私は構わんが……非戦闘員を連れて、私とやるかね」

 

 茶番は茶番として、しかし男の殺気は本物だった。

 二対一で、負けるとも思えない。しかし、それでも同じ土俵でぶつかり合って勝てるかと言われると、素直にうなずけない底の知れなさが男にはあった。

 まして、戦闘などからきしの博士二人を護りながらでは、とてもではないが話にならない。

 

 しかしこのまま逃すのも、まずいように思われた。

 

「あの潜水艦と言い、今回と言い、あんた、いったい何が目的なんだ」

「教えてやる必要があるかね」

「なんでこの遺跡のこと、知ってたんだ」

「それこそ教えるものか」

 

 会話は全くの平行線だった。

 得られるものは、なさそうだった。

 だからその質問は、あくまでも個人的な興味から発したものだった。

 

「じゃあ、いつまでもあんたじゃ味気ない。名前を教えてくれ」

「名前? 名前だと?」

 

 男は奇妙なものを見るようにしばらく紙月を見つめ、それからバイザーの向こうで僅かに笑ったようだった。

 

「宿敵に名を教えるというのもいいだろう」

 

 男はしっかりと紙月を見据え、そして名乗った。

 

「我が名は絶えぬ炎のウルカヌス。貴様を殺す者の名だ、女よ」

「言っておくが、俺は男なんだが」

「……………」

 

 バイザーの向こうの笑みがひきつった気がした。

 

「趣味は人それぞれだと思うが……」

「急に正直なこというな!」

「悩みがあるならば身近な人に相談するのだぞ」

「止めろ、今までで一番ダメージでかいのやめろ!」

 

 好きでやっているなら平気だっただろうが、何しろ別に趣味でやっているわけではないのだ。

 致し方なくやっているのだ。最近やや楽しくなってきた部分はあれど。

 

 男はそそくさとしか言いようのない足取りで入口へと去っていき、そして扉の向こうに消えていった。

 

「……追わなくていいんですか?」

「やりあって勝てるって確証もない。いまは依頼が優先ですよ」

「ありがとうございます」

 

 こうして、不完全燃焼ながらも、古代遺跡での依頼が終わったのだった。




用語解説

・スプリンクラー。
 天井などに設置され、火炎や煙などを感知すると火を消すために水を降らせる機械。
 文字通り水を差されたわけだ。

・趣味は人それぞれ
 いろいろ寛容な世界ではあれど、女装・男装はまだいくらか傾奇者といった印象があるようだ。


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最終話 グレート・エクスペクテイションズ

前回のあらすじ

謎の魔術師と睨み合う一行。
幸い、殺し合いには至らなかったが。


 遺跡での濃密な一日を終え、調査班にバトンタッチして西部へ帰ってからしばらく。

 

「おうい、手紙だぞ」

 

 今朝も早いうちから稽古に鍛錬にと出かけようとしていた《魔法の盾(マギア・シィルド)》の二人に、帝都から手紙が届いた。

 

 そこには、両博士からの、やはり時候の挨拶から始まるくせにえらい癖字の文面がつらつらと並んでおり、それから、あの後のことのついて説明があった。

 

 紙月たちが帰ったのち、博士たちは調査班を連れて遺跡の中をそれこそ床をひっくり返すような勢いで調査したようだった。

 調査によれば、遺跡は古代聖王国時代に、何かの魔道具の研究開発をしていたようだと言うことは残された機材などから推測できたようだったが、現物も資料も恐らくはあの細鎧の男によって根こそぎにされており、その魔道具が完成していたのか、途中だったのか、それさえもわからないらしい。

 

 機材や研究施設の大きさからして、恐らく人が持ち運べる程度のサイズの道具だっただろうことが推測できるばかりで、何を目的として、どのように使うものなのかなどは、さっぱりわかっていないという。

 今までに発見され、調査された研究施設との類似点などを調べていくと、どうもある種の魔法兵器なのではないかと予想されはするのだけれど、あくまでこれは予想だ。

 

 ただ、完成していたのならば大戦期に持ち出されていただろうから、恐らくは未完成品だったとは思う、と言うのがキャシィ博士のこれまた予想だった。そのため、かさばるとはいえ完成させるために必要な研究資料などを処分できず、ちまちまと運び出していたために、我々が到達するまでの短からぬ間、あの研究施設から出られなかったのではないか、とのことだった。

 

「博士の予想とやらは、また随分的中率が高そうだな」

 

 正直なところ今回の件で一番怪しかったのはあの二人と言ってもいいくらいだ。

 やけに古代遺跡に詳しいし、もしかすると帝国でもかなり重要なポジションの人物だったりするのではないだろうか。

 その割にフットワークが軽いが。

 

 さてまた、あの絶えぬ炎のウルカヌスを名乗った人物に関してだが、彼についての情報も今のところ全くなく、その後の足取りも追えていないという。

 潜水艦を沈めた時もいつの間にか現場から消えて生き延びていたほどであるから、そう簡単に追えるとは思っていなかったが、敵もさるもの、なかなか手強いようだ。

 

 それに目立つ格好をしているということは、その格好を変えてしまえば我々の認識からはすり抜けてしまうということでもある。あの鎧を脱いでしまえば、直接対峙した紙月たちでも見た目では判断できないだろう。

 帝国としてはあの人物を聖王国の破壊工作員として改めて認め、各地に賞金を出して指名手配し、追跡しているという。

 

 しかし、それらのマイナスはあるものの、生きた遺跡をほぼ無傷で回収できたことは素晴らしい成果と言ってよく、両博士は気前よく追加報酬を足しておいてくれたようだった。

 同封された手形を確認した限り、かなりの額である。

 これだけの資金を自由に動かせるあたり、両博士もただものではない。

 

「フムン。これだけの貯蓄があればまた一か月くらい南部にでも遊びに行けるかもしれないな」

 

 紙月がご満悦の一方で、未来はやや不安そうだった。

 

「ねえ紙月」

「なんだ?」

「また、どこかであの人……ウルカヌスと遭うことになるのかな」

「ん………かもしれねえな」

 

 今回は、たまたま偶然が味方してくれて、正面からぶつかり合うことはなかった。

 だが仮にあの場でぶつかり合うことがあったとして、確実に倒すことはできただろうか。いや、倒す倒さないではない。まずあの敵を相手に護り切ることができるだろうかということが目下の未来の懸念だった。

 非戦闘員であり、はっきり言って足手まといだった両博士だけではない。

 直接護るべきである紙月のこととて、万全に守り抜く自信があるかと言えば、難しい所であった。

 

 フルパワーの防御を抜かれるとは考えたくはない。

 《楯騎士(シールダー)》の誇りとして、その護りは万全でなくてはならない。

 しかし《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》という異形の極致に立ちながら、それでも未来は紙月を護り切れず敗退したことが、今までに何度もある。

 ゲームの頃はそれでよかった。反省を次に生かし、備えることができた。

 

 しかし今度はゲームではないのである。

 一度負けたらそれで終わりの、命のかかった殺し合いなのである。

 万全を期したい。しかし、それでも取りこぼすかもしれない。

 

 それが未来には恐ろしかった。

 

 紙月にしてもまた、そうであった。

 ウルカヌスの存在は恐怖と不安の対象と言っていい。

 

 あの男は紙月がこの世界で初めて遭遇した戦闘魔術師であり、その腕前は炎だけに関すればともすれば紙月の練度を超えかねないのである。

 先の海賊船騒動では、相手の怒りと、相性、そして小手先の素早さで勝利を収めたようなものだ。

 いや、結局のところ相手を万全の状態で逃がしてしまっているのだから、よくて引き分け、悪く見ればあれは敗北ですらあったのだ。

 

 もし真正面から魔法と魔法とでぶつかった時、自分の魔法はウルカヌスの魔法を突破できるのだろうか。打ち負かすことができるのだろうか。

 あの時のウルカヌスはあくまでも、途中から逃げを打つことに専念していた。

 もしもその魔術を最大まで研ぎ澄ましてこちらに向けてきた時、紙月は絶えぬ炎を打ち消すことができるだろうか。

 

 それが紙月には恐ろしかった。

 

 だが紙月には、そして未来にも、ウルカヌスにはないものがある。

 

「なあに、大丈夫さ。俺にゃあ最強の盾がある」

「……うん! そして僕には最強の矛がある!」

「俺たちが二人でいる限り、誰にだって負けることはねえ!」

 

 一人ではだめかもしれない。

 それでも、二人でなら勝てる。

 それは、いにしえの昔から伝えられてきた大いなる遺産である。




用語解説

・絶えぬ炎のウルカヌス(Vulcānus)
 ウルカヌスとはローマ神話に登場する火の神である。
 ギリシア神話の鍛冶の神ヘパイストスとも同一視される。
 また火山を表す英語volcanoの語源でもある。
 正体は不明であるが、名と言いその武装と言い、優れた炎遣いであることはうかがえる。


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第十二章 アイブ・ゴット・ユー・アンダー・マイ・スキン
第一話 西部の冬


前回のあらすじ

古代遺跡で謎の魔術師と対峙した二人。
恐ろしい相手だ。しかし二人ならきっと。


 秋祭りを過ぎると、めっきり冷え込んできた。

 速足の冬が、西部にも訪れようとしていた。

 人々はみな分厚く着込み、薪や火精晶(ファヰロクリスタロ)の需要が高まった。

 事務所の冒険屋たちも、暇さえあれば薪拾いに出かけている。

 

 事務所の暖炉は常に燃え盛っており、やることのない冒険屋たちはみなより火の当たる場所を奪い合って静かな、しかし熾烈な争いを繰り広げていた。

 要するにお互いにあっち行けよお前こそあっち行けよとおしくらまんじゅうの有様である。

 

 《魔法の盾(マギア・シィルド)》の二人も、初めて経験する西部の冬に好奇心をかられながらも、寒さに震えていた。

 恥ずかしいとか目立つとか言っている場合ではなく、二人は《朱雀聖衣》、《不死鳥のルダンゴト》をはじめとした火属性の装備を惜しげもなく身に着けて寒さに備えた。

 

 西部の冬というものは、あんまり寒いもので、隙間風が入らぬようにものぐさな紙月が自主的に《金刃(レザー・エッジ)》で補強を入れるほどだった。

 それでもどうしても寒くて、室内で《火球(ファイア・ボール)》を焚こうとしたときは、《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》一同必死になって止めたものである。

 

 最終的には、《金刃(レザー・エッジ)》で簡単な桶のようなものを量産し、《遅延術式(ディレイ・マジック)》でとろ火のまま維持した小さな《火球(ファイア・ボール)》を内側で燃やす、簡易の火鉢を量産して広間中に設置し、それでようやく落ち着いた。

 

 これは紙月が離れてもしばらく持つから、一回いくらで冒険屋たちに貸し出しもなされた。暖房のない寝室に持ち込みたいそうである。

 

 冒険屋たちは暑いくらいだと喜んだが、脂肪の薄いハイエルフである紙月はそれでもまだ肌寒いようであった。着こんだ上にこれだけ室温が高くなっているのだから、単に身体の熱量が足りないのかもしれないが。

 

「寒いねえ」

「寒いなあ」

「雪、降るかな」

「西部は雪はあまり降りやせんな。降ってもそこまで積りやせん」

 

 暖炉のそばで丸くなる二人に、暖かい乳茶を入れてきてくれたのはムスコロである。防寒として毛皮を着こんだせいで、蛮族もといワイルドさに磨きがかかっている。

 

「何だ、積もらないんだ」

「そのかわり、冷え込みはかなりのものですな。池なんざ凍り付きます」

「そんなに」

「スプロはまだ南ですからましな方で、北の方に行くと()()()()()()ほど寒いと聞きやす」

 

 なんでも山々から吹き降ろす風が()()()()()()ほど冷たいらしく、これが木々を凍らせながら里に降りてきて、吐いた息が凍るほどの寒さをもたらすという。

 また平原や、大叢海もかなり冷え込み、ともすれば北部より寒いと北部の人間に言わしめるほどである。

 大嘴鶏(ココチェヴァーロ)たちの餌も少なくなり、遊牧民たちにとってもつらい時期だ。この時期はもっぱら町などに停留し、春の訪れを待つことも多いという。

 

 さて、その北部はどうなのかというと、身の丈ほども雪が積もることもざらで、寒さ以上にとにかく大量の雪で生活に支障をきたすという。

 勿論寒いは寒いのだが、雪自体が断熱作用を持っているから、家の中はかえって西部より暖かいとも聞くとのことだった。

 

 ムスコロは北部には行ったことがないようだったが、事務所の冒険屋の中には北部出身のものもいて、そう言う連中から話を聞く限りでは、どちらがいいと言っても一長一短で難しいようだった。

 

 それよりもさらに東、北の果てにある辺境は、一年の半分近くは雪に覆われており、まず人が住む土地とも思われぬ過酷な環境だという。

 さすがに辺境に行ったことのある冒険屋は事務所に一人もいなかったが、それでも地続きで、人が住んでいる限り、商人なども出向いていく土地であるし、細々ではあるが話も伝え聞く。

 

 なんでも辺境の獣たちはみな寒さに備えるために内地の何倍も巨大に育ち、寒さをへともしないほどの強靭な魔獣たちであるとか。

 その魔獣たちを狩っては冬場の貴重な食料にしているのは冒険屋でも何でもない普通の狩人や村人たちであるとか。

 貴族のお城やお屋敷もみんな雪に埋もれて凍り付くので、毎日のように雪下ろしをしてもまるで足りず、冬場は二階や三階から出入りするのが普通であるとか。

 一同が一番恐ろしく思ったのは、水瓶に水を汲んでおくとそれさえ凍ってしまうという、一番身近で想像しやすい事柄に対してだった。

 

「しっかしよくもまあ、そんな土地で何百年も生きてこれたよなあ」

「何百年もかけたから生きていけるようになったのかもしれませんがね」

「成程」

「実際のところ、自分とこじゃまかないきれねえんで、食料や燃料を輸入しているのも有名ですし」

「そんなに輸入するだけの金があるのか?」

「竜退治の名目で帝国から支援金が出ていやすし、それに、辺境の魔獣の素材は高く売れるんで、輸入も盛んなら輸出も盛んで」

「ははあん。言うほど閉ざされた国ってわけでもない訳だ」

 

 単に長居できないだけで、商人たちの出入りは少なくないらしい。

 ただでさえ辺境の魔獣の素材は優れているだけでなく、まれにではあるが、その魔獣の最高位でもある飛竜の素材などが出回ることもあり、これは本当にかなりの額で取引されるらしい。

 

「飛竜ねえ。いくら位するんだ?」

「仮に飛竜の革鎧を一揃い用意するとなりゃあ、金貨が一枚じゃ足らんかもしれませんな」

「金貨!?」

 

 金貨というものは普通は流通していない。贈答用や、何かの記念に鋳造されるもので、流通貨幣で最大額である九角貨(ナウアン)のおよそ十倍が最低限である。人間一人が一年生きていくだけなら困らないで済む金額である。

 現代社会で言えば大衆車と同じくらいの感覚だろうか。

 騎士の纏う全身鎧でもこれくらいすると言えばするが、金属と革を比べてなお同等なのである。

 しかもこれは最低限度の話である。

 

「装飾や、魔術式、飛竜の革の質にもよりやすが、最上等なら帝都に土地付きの一軒家を即金で買えるくらいじゃねえですかねえ」

「どれくらいすげえのかわからねえくらいすげえな」

 

 まあそれもこれも、極稀に出てくる飛竜の革の、それも素材の段階での相場からムスコロが想像した限りのことであるから、実際のところはどれくらいになるのか分かったものではない。

 

「まあ、ほとんどは飛竜と戦うために使っちまうらしいんで、出回らねえんですけどね」

「いつか行ってみたいねえ」

「ああ……夏の内にな」




用語解説

・飛竜
 地に地竜があるように、空には飛竜がいる。
 この竜種は飛行に長け、かなりの高空を飛び回ることで知られる。
 空を飛ぶだけでも厄介なのに、非常に頑丈な鱗も持ち合わせており、対空攻撃手段がなければとてもではないが相手はできない。
 飛竜革の装備は風精との親和性が高く、矢避けの加護の外、空踏みなどを可能とするという。



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第二話 雪男の依頼

前回のあらすじ

寒さに震える紙月と未来。
温かい話でもないものか。


 そのようにして広間の暖炉のそばで丸まって、二人が暖かな乳茶を頂いてくつろいでいた時のことである。

 毛皮を着こんですっかり着ぶくれしたハキロが、その二人を見つけてにっと笑ったのである。

 そそくさと席を立ちたい気持ちでいっぱいであったが、寒さが二人に動くことをためらわせた。

 

「お前たち、暇してるだろ」

「もうその流れいい加減勘弁してほしいんですけど」

「そう言って、なんだかんだ請けるんだろ」

「内容によります」

「よしきた」

 

 ハキロもまた暖炉そばに腰を下ろし、指先を温めるように息を吐きかけて、ぎむぎむと揉み手をしてから、話を始めた。

 

 なんでも《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》には、北部出身の冒険屋がいるのだという。遠路はるばるわざわざ西部なんでやってくるのも大変だが、それで冒険屋になるというのだからまた面倒なことをする人物である。

 いや、冒険屋をやっているうちに西部まで流れてきて、そのまま居ついたという方が自然だろうか。

 

 ともあれ、その冒険屋である。

 

「おうい。こっちです、こっち」

 

 ハキロが呼びかけると、のっそりとその冒険屋が現れた。もこもこと毛皮を着て着ぶくれているのはほかの冒険屋と同じだったが、何しろ顔面が偉いことになっていた。髪は伸ばしっぱなしの総髪で、髭も顔を覆って余りある勢いで伸びに伸びており、人間なんだか熊なんだかわからないほどである。

 それがのっそりと毛皮を着て立っている姿は、まるで雪男だった。

 

「イェティオさんだ」

「……イェティオです。よろしく」

「よろしく」

「よろしくお願いします」

 

 年齢どころか下手すると性別すらわからないほどの毛むくじゃらだったが、声の調子から考えるに、どうやら四十がらみの男である、と紙月は見当をつけた。未来にはさっぱり見当もつかない。

 

 イェティオもまた暖炉のそばに腰を下ろし、事の次第を放し始めた。

 

「おらぁ、北部の山の出で、なんしろ山は刺激もねえ、遊ぶとこもねえ、なんにもねえんで、一旗揚げてえと思って、家さ弟に任せて、冒険屋になったんだべ。そんでまあ、随分なげえこと帰ってなかったんだども、早馬で手紙が届いたんで、へえ」

 

 そういってイェティオは懐から何度も読んだのだろう、くしゃくしゃになった手紙を取り出した。

 

「実家で宿開いてる親父が、熊木菟(ウルソストリゴ)さ襲われて、大怪我したそうで、その知らせだ」

 

 勿論、イェティオはすぐにでも実家に帰ってやり、親父の容態を見てやり、あんまりひどいようであれば宿に戻って仕事を継ぐことも考えたそうだ。

 しかしそれ以前の問題として、帝国には冬が横たわり始めていた。

 西部は恐ろしい寒さにさいなまされるが、通行が止まることはない。

 しかし北部まで行くとなると、たどり着くまでにすっかり雪に閉ざされてしまって、とてもではないが実家につく前に立ち往生してしまう。

 かといって雪が溶ける春まで待っていては、父親が重態であった時死に目に会えないかもしれない。そうでなくても働き手である父親が倒れたとあれば弟と母親の二人だけで宿を支えていくのは厳しい。

 

 両親はすっかり老齢だし、自分もいい加減いい歳だ。

 冒険屋として働いているうちは気にも留めなかったが、こうして手紙が来ると改めていろいろと考えてしまった。

 家のこと。家族のこと。また自分自身の今後のこと。

 

 親孝行のためにも、自分の将来のためにも、ぜひとも一度家に帰ってやりたい。

 

「そんで、森の魔女の噂さ思い出したんだ。おめさんたづ、なんでも空さ飛んでどこへでもひとっとびに行けると言うべ。よがったらおらさ乗せて飛んでくれねえべか」

 

 どうか頼んます、と頭を下げるイェティオは全く真剣であるようだったし、顔こそ見えないが焦りも見える。

 またぞろ妙な依頼でも持ってくるのではないかと心配していた紙月と未来であるが、人助けとなれば否やはない。

 

「すくねえが、謝礼もある」

「いやいや、謝礼なんて」

「おらの実家は温泉宿さやっててよ」

「なに?」

「山間の温泉宿なんだけんど、はーこれがまた肩に効く腰に効く、生まれ変わったような卵肌になるってえ温泉で有名でよ。もし送ってもらえたらば、温泉なんぞいくらんでも使ってもらってええだし、今の時期だから大したもんは出せねえかもしれねえけんど、名物料理もどっさり食わせるだ。いやー、自分で言うのもなんだけどよ、雪見ながらの温泉てのは乙なもんで、頭は冷えるけんど体はぽーかぽか、これで酒でも飲みながら浸かったならば、はーやめられんべ」

 

 どうだべか。

 

 全く感情の読めない髭面に、紙月は微笑んだ。

 

「なあに、同じ事務所の仲間だ! 勿論快く助けるぜ!」

 

 温泉。

 それはどうしようもなく魅力的な響きだった。




用語解説

・イェティオ(Jetio)
 北部出身の冒険屋。四十代。
 山中などで行動していると魔獣などと誤解されるのが最近の悩み。



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第三話 雪むぐり

前回のあらすじ

温泉の魅力もとい人助けの為に依頼を請ける二人だった。


 北部まで本来であれば半月は見た方がいい所であるが、そこはそれ、《魔法の絨毯》という反則アイテムを持っている《魔法の盾(マギア・シィルド)》の二人である。

 初めて空を飛ぶという経験に思考が停止して固まってしまったイェティオを乗せて、非常に順調に旅は進み、朝の内に出て、夕頃には宿があるという山のふもとに辿り着いた。

 

「《絨毯》がここで止まった。ここからは歩きだな」

 

 目的地である温泉宿に直接乗り付けなかったのは、恐らく山から吹き降ろす風が強いために、危険であると《絨毯》が判断したからだろう。あるいは正確な道を、長年の間にイェティオが半ば忘れつつあるからかもしれなかった。

 

 あたりはとにかく雪、雪、雪と雪が降り積もっており、銀世界どころかメレンゲの海にでも落ちてきたような具合である。

 

「道はわかるか?」

「ここまでくれば、迷うことはねぇ。ほれ、見てくんろ」

 

 絨毯を飛び降りてみると、想像していた埋まるような柔らかさではなく、踏み固められてしっかりとした足場であった。

 見れば、一面雪だらけなので慣れない目では判断しづらいが、ふもとから山奥に向かって、そのように踏み固められた雪道がまっすぐ続いているのである。

 

 そしてその横を眺めてみれば、きれいに切り取られたように、紙月の肩ほどまでも雪が積もって壁のようになっている。

 もし《絨毯》が深く考えずに適当な雪の上におろしていたら、下手するとこの中に頭まで埋まっていたかもしれない。

 

「なんだあこりゃ」

雪むぐり(ネヂタルポ)だぁ」

「ねぢ……なんだって?」

雪むぐり(ネヂタルポ)ってぇ荷牽きの馬だべ。それが太ぇ()()引いてふもとから宿まで往復するからよ、道もできるし、宿の客も行き来できるんだべや」

 

 逆に言えば、その雪むぐり(ネヂタルポ)がいなければ、ふもとからの道は完全に閉ざされてしまって、とてもではないが人が通れるようなところではないという。

 

 そうこう話しているうちに、ふもとからぞりぞりと引きずるような音とともに、それはあらわれた。

 

「あれが雪むぐり(ネヂタルポ)か?」

「んだ、んだ」

 

 それは強いて言うならば巨大な白いモグラだった。もふもふの体毛に覆われた、白いモグラだった。それがシャベルのような巨大な手で左右に雪をかき分け、胴体で雪を押し固めしながら、いかにも頑丈そうなそりを引いてぞりぞりと進んでくるのである。

 

「はー……こりゃまたすごい生き物だな」

「おらもまあ、北部以外じゃ見たことねえだな」

「触ったら柔らかそうだねえ」

「やわっけえどぉ。ふわっふわのもっこもこでよ。あれの冬毛が抜けたら、防寒具にするくれえだ」

 

 進行方向の一行に気付いたそりはゆっくりと止まり、そしてのっそりと御者がおりてきた。

 その御者は、思わず紙月たちがイェティオと見比べてしまうくらいに、彼にそっくりな雪男然とした姿だった。伸ばしっぱなしの蓬髪に、顔じゅうを覆う髭。それに見上げるような巨躯。

 

 もし何も知らずに山中に見つけたら魔獣か何かと思うほどである。

 

「おお、兄貴でねえか」

「おお、ヒバゴノ。久しいなあ。魔女どん、騎士どん、これはおらの弟のヒバゴノだぁ」

「なんだぁ? 随分な別嬪さんと随分な大男つれてきただなあ」

「助っ人だ助っ人。すげえ冒険屋さんだど」

「ほーん。ま、乗れや、乗れや。寒かろ」

 

 お言葉に甘えて、一行は巨大なそりに乗せてもらった。そりには幌も付き、火鉢も積んであり、それだけで随分暖かくなったようだった。

 

「ほんで、ヒバゴノ」

「なんだぁね」

「親父はどうした。手紙にゃあ、熊木菟(ウルソストリゴ)に襲われたとあったけんどもよ」

「ああ、ああ。大したことねぇ。熊木菟(ウルソストリゴ)に襲われたっても、なぁに、腰抜かして派手に転んだのよ。それでも腰をやっちまったから、しばらくは動けねえんだけんどもよ」

「はー、まあ、てぇしたことねえならいがった、いがった」

 

 二人はしばらく、ひどく訛りの強い調子で互いの近況を話し合っているようだったが、紙月たちにはまったく何を言っているのか聞き取れなかったので、大人しく火鉢にあたってこれを聞き流すほかになかった。

 

「いやあ、でも、親父も喜ぶだ。兄貴もけえってきてくれたし、冒険屋さ連れてきてくれたんだ」

「こん人たちは、送ってくれただけだど」

「なんだぁ。でもまあ、少し見てってくれるだけでもいいんだべ。なんしろ、はー、でっけえ熊木菟(ウルソストリゴ)だったからなあ」

「はー、そんなにか」

「ありゃあでけえ。でけえ穴持たずだべ」

「そりゃあ早めにどうにかせんといかんべなあ」

 

 兄弟が抑揚の少なく感じられる北部訛りでそのようなことを話しているうちに、やがて向かう先に明かりが見えてきた。心なしか硫黄の匂いも、し始める。

 

「おお、見えてきただ。魔女どん。騎士どん。あれがおらの家だ」

「《根雪の枕亭》へようこそだ」




用語解説

雪むぐり(ネヂタルポ)(Neĝtalpo)
 魔獣。巨大なモグラの仲間。冬場は非常に軽く長い体毛を身にまとい、雪に沈まずに移動できる。
 夏場は換毛し、土中のミミズなどを食べる他、果物などを食べる。

・ヒバゴノ(Hibagono)
 イェティオの弟。見た目はそっくりだが、親には見分けがつくという。
 最近の悩みは髭に枝毛ができたこと。

・《根雪の枕亭》
 北部東端の町ヴォースト・デ・ドラーコ(竜の尾)。
 この町が見上げる同名の山の山間に所在するのがこちらの温泉宿。
 冬場は縮小営業ながらも、名物の雪見温泉のために訪れる客も少なくないとか。
 宿の主とその息子は腕のいい猟師で、運が良ければ珍しい熊汁などが食べられるかも。


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第四話 温泉宿

前回のあらすじ

イェティオとそっくりの弟ヒバゴノに連れられ、一行は温泉宿へと。


 《根雪の枕亭》は少人数でまかなう山間の温泉宿としては、かなり立派なものに見えた。

 建物の造りがまず北部造りとでもいうのか、非常にがっしりとしたもので、三角屋根から左右に雪が落ちていくようになっていた。

 壁は分厚く、柱は太く、窓は小さい。

 飾り気というものは少なかったが、経年そのものがこの建物に風格を与えていた。

 

 また、遠目にも裏手の方に温泉の湯気が見え、二人の期待をいやおうなしに高めてくれるのだった。

 

 ヒバゴノが宿の前にそりを止めて、一行が下りると、正面戸を開いておかみが出迎えてくれた。イェティオたちの母親だという。

 やはり寒さのためかもこもこと着ぶくれていて、その下の体は寒さに耐えるためなのかがっしり体格が良かったが、見た限りおっとりとした上品そうな老婆で、正直なところを言えばまるで似ていなかった。

 

「あら、まあ、イェティオに、冒険屋のお仲間さんだべか」

「おう、お袋。こちら、シヅキどんにミライどんだ。おらの働いてる事務所の人でよ。ここまで急ぐのに手伝ってもらったんだ」

「あら、まあ、それはそれは、息子が世話んなりまして」

「いえいえ、困ったときはお互い様ですから」

 

 ヒバゴノは厩舎に雪むぐり(ネヂタルポ)をつれていき、残った一行は宿へと入った。

 

 二重扉になっている正面玄関をくぐって中に入ると、途端にそれだけで寒さがぐっと軽減されたように思えた。

 話に聞けば、温泉からあふれ出てくる湯の一部を、冬場は床下の水路に流しているそうで、それでぐっと暖かくなっているそうだ。

 

「まさか異世界で床下暖房を見るとは……」

「もう何が来てもあんまり驚かないよね」

 

 奥の部屋に通されると、そこは小ぢんまりとした寝室で、頑丈そうなベッドには一人の老人が横たわっていた。伸ばしに伸ばした蓬髪と言い、顔面を覆う髭と言い、間違いなくイェティオの関係者と思われた。

 

「親父だべ」

 

 相違なかった。

 

「おお、イェティオ、よく来てくれただ。お連れは冒険屋仲間か?」

「事務所の人で、ここまで送ってくれたんだぁ。親父、具合はどうだ」

「いや、いや、てぇしたことはねえんだ。ちっと切傷作っただけでよ。ただ逃げるときに、したたかに腰をやっちまって、立つに立てねえんだ」

「親父も年だからよ、たかが腰、されど腰だべさ」

「あのちびっこが言うようになったもんだぁ」

 

 親子の再開に水を差さないように待ってから、紙月は控えめに申し出てみた。

 

「お怪我がつらいようでしたら、俺が治しましょうか」

「なに?」

「親父。シヅキどんは凄腕の魔女でよ、折れた骨もひでえ切傷もあっという間に治しちまうんだ」

「フムン。んだば、よかったらばちょっと見てくれや」

「よしきた」

 

 紙月は寝台に横たわるイェティオの父親の体に手をかざし、ゆっくりと魔力を通してその怪我の様子を確かめていった。

 これはある種の触診であり、その感覚は体の表面だけでなく、体の内側まで確かめるようなものだった。これがくすぐったいのか老人は少し身もだえたが、むしろ心地よさげにフームと深く息を漏らした。

 

「《回復(ヒール)》」

 

 いくつかの切傷と、腰の捻挫、それに胃腸の荒れを確認した紙月は、それら一つ一つに意識を向けて、同時に《回復(ヒール)》をかけていった。複数の光がそれぞれに適した癒し方で、それぞれの傷を、痛みを癒していく。

 

 このように、症状の一つ一つに目を向け、それぞれに適した治し方を試みるというのは、秋の祭りの臨時施療所で、医の神官アロオと回復遣いの冒険屋ベラドノから学び習ったことだった。

 その二人からしても反則と言わしめるくらいに速やかに回復治療する紙月のヒールは、この程度の傷であれば元よりも健康にしてしまうこともわけはないのである。

 

 光が消えた時、老人はゆっくりと風呂にでも浸かったような心地よい感覚に浸っていた。

 凍えていたようだった内臓がぽかぽかと温まり、そのぽかぽかが指先にまで広く薄く伸びていき、活力をみなぎらせているようだった。

 腰を痛めてから寝たきりになっていたせいか、いくらかなえ気味だった気持ちも持ち上がり、いまなら雪の中を走り回れるような気さえした。

 

「親父、どうだ」

「お、おう……おう、おう! こいつはすげえ! 腰だけでねえ、傷もだ、それに、胸のむかむかしてたのも治ったみてえだ」

「どうやら問題ないようだ。でもしばらくは気を付けて」

「おう、おう、シヅキさんといったな、ありがてえ、ありがてえ」

 

 まるで拝むような勢いである。

 そして拝むだけならばともかく、なんと頭を下げて頼みこんできた。

 

「こんなすげぇ人はそういねえ! ぜひイェティオの嫁に来てくれ!」

「親父!」

「あー、期待を裏切るようでなんですけど、俺、男です」

「男でもいい! 嫁さ来てくれ! なんならヒバゴノの嫁でもいいだ!」

「いえ、遠慮します。ほんと。勘弁してください」

 

 丁重にお断りすると、残念そうではあるがさすがに老人も強くは出てこなかった。

 紙月と未来はほっと息をつくのだった。




用語解説

・嫁
 帝国では法律において、結婚する両者の性別を定めた条文はない。
 またいかなる種族間の結婚もこれを否定する条文はない。
 極論、法律には書いていないから木の股と結婚しようが両者の同意さえあれば問題はない。


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第五話 穴持たず

前回のあらすじ

傷ついたイェティオの父親を癒す紙月。
嫁にと誘われるが……。


 いったん話が落ち着き、おかみの淹れてくれた暖かな甘茶(ドルチャテオ)でくつろぎ、それからイェティオはゆっくりと話を切り出した。

 

「手紙にも書いてあったけんどよ、穴持たずの熊木菟(ウルソストリゴ)が出たんだってな」

「んだ。山ん中でひょこり出くわしちまってよ」

「穴持たず?」

 

 首を傾げる未来に、イェティオが口ひげをしごいて説明してくれた。

 

「普通、熊木菟(ウルソストリゴ)は冬場は冬眠するんだ。餌食いだめして、穴さ潜って、寝たり起きたり繰り返しながら、春になってあったかくなって、また餌が摂れるようになるまで冬眠するだ。

 だどもよ、冬んなっても冬眠しねえのがたまに出るんだ。冬眠用の穴にこもれないほどでけえのか、冬眠するだけの餌が足りなかったのか、とにかく、腹空かせてるし、気性も荒いし、まんずあぶねえ奴だ。

 そういうのをよ、穴持たずっていうだ」

 

 これは普通の熊にもあることで、やはり、冬眠しない熊は、普通の熊に比べても、危険性が高いという。

 

「おらが見つけたのはよ、身の丈まあ一丈もあっただろうかね」

「三メートルくらいだぁな」

「でけえな」

熊木菟(ウルソストリゴ)で三メートルといったらまあ、かなりでかい方だぁな」

「んでよ、おらも獣除けの鈴は鳴らしとったし、すぐに奴さんが近づいてるのに気づいたんだけんどもよ、いや、あれはいかん奴だな。人間様怖がらねえんだ」

「普通の熊木菟(ウルソストリゴ)は人間を怖がるんですか?」

「獣は大概、わかんねえもんは怖がるんだよ。熊木菟(ウルソストリゴ)だって、あえて人間襲う必要はねえんだ。お互いそっとはなれりゃ、それで済むことも多い。

 だけんど、あの穴持たずはもう人の味覚えてんな。最初からおらのこと襲うつもりで近づいてたんだ」

 

 聞けば、その穴持たずはなわばりの外にいた老人を、わざわざ狙って追いかけてきたのだという。

 

「いやぁ、我ながらよく逃げられたもんでよ。ちょっとしたまやかしのまじないを放りながら逃げて、逃げて、気づいたら雪庇踏み抜いて落っこちて腰やっちまって、はーまあ生きた心地がしなかっただよ」

 

 人の味を覚えた穴持たずは、そうでなくても餌が足りなく、ふもとまで下りてきてしまうかもしれない、そうなれば戦う術を持たない村人たちはたやすく屠られ、穴持たずの餌になってしまうだろう。

 熊木菟(ウルソストリゴ)は普通の獣と違い、火も恐れないし、生半の矢では通らない、猟師でも苦労する相手だ。

 一度ふもとまで下りてきてしまったら、まともに抗う術はない。

 それにふもとまで行かなくても、この宿にやってきてしまうかもしれない。

 

 森にいる間に、早めに討伐しなければならない。

 

「とはいえ、討伐と言っても簡単ではねえ。熊木菟(ウルソストリゴ)は普通の個体でも、乙種の危険な獣だ。乙種ってわかるか。手練れの冒険屋が何人かで組んでよ、それでも一人か二人死人出すくらいだ。大型の個体ともなれば、甲種に手が届く。それも奴の縄張りの山でやるとなりゃ、何人死んでもおかしくねえんだ」

 

 あまりに危険な事態であるから、ヒバゴノにふもとの大きな町であるヴォーストまで遠出してもらい、冒険屋組合に討伐の依頼を出してきたという。

 

 しかし、反応は渋いという。

 

「なんでだ?」

「まず、相手が悪い。強すぎる。普通の熊木菟(ウルソストリゴ)でも、まあ専門で狩る冒険屋も狩人もいねえんだ。遭遇したら逃げろって言われるくれえだ――そん時まだ生きてたらな。それが大型個体で、凶暴な穴持たずともなれば、よっぽど念入りに準備した冒険屋が十何人で山狩りして、それでも死人が出るべな」

「そんなに」

「次に時期と場所が悪い。ただでさえ山ん中は熊木菟(ウルソストリゴ)の縄張りだ。それがいまみてぇに雪の降り積もった雪山じゃあ、まんず人間が自由に動ける世界でねえ。音の消える雪山で、ひっそり近づく熊木菟(ウルソストリゴ)に気付けなけりゃあ、みんな揃って死ぬだけだ」

「そうか……冬は誰だって嫌がるか」

「そんで最後の理由だけんど……金がねえだ」

「金?」

「あくまでうちの宿から討伐依頼出す形だからよ、うちからしか金が出せねえだ。そうすっと、どうしても冒険屋を一人二人雇える程度の金しか出せねえだ。それじゃあ、とてもじゃねえが山狩りは出来ねえだ」

「どうにかならないのか?」

「もし村の一つでも被害がでりゃあよ、領主様も気にかけて、懸賞金が出るかもしれね。だどもそうなったころには手遅れだ。村ひとつ潰れたあとじゃあ、仕方ねえんだ」

 

 しかし現状、現実的にはそうなるのを待つほかにないというのも事実であるという。

 村ひとつに大きな被害が出るほどの事態になれば、領主も動く。領主が動けば、その懸賞金で冒険屋たちも集められる。山狩りもできる。何人か返り討ちに会うかもしれないが、それでも熊木菟(ウルソストリゴ)は倒せるだろう。

 

 だがそのために村人に犠牲が出ることを許容できるかと言えば、同じような立場である温泉宿の一同としても認められるものではないという。

 

 息子のイェティオをはるばる西部から呼んだのも、せめてもの望みを託したものだったという。




用語解説

・ヴォースト(Vosto)
 エージゲ子爵領ヴォースト。辺境領を除けば帝国最東端の街。大きな川が街の真ん中を流れており、工場地区が存在する。正式にはヴォースト・デ・ドラーコ(La Vosto de drako)。臥竜山脈から続くやや低めの山々がせりだしてきており、これを竜の尾、ヴォースト・デ・ドラーコと呼ぶ。この山を見上げるようにふもとにできた街なので慣習的にヴォーストと呼ばれ、いまや正式名となっている。


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第六話 熊木菟

前回のあらすじ

穴持たずの脅威を語られる二人。
冒険の匂いだ。


 話を聞いて、紙月はちらと未来を見やった。

 未来は当然のように、力強く頷いた。

 

 それで決まった。

 

「よしきた。ならその穴持たず、俺たちが退治しましょう」

「なんと? そりゃあ、その、気持ちは嬉しいけんどもよ」

 

 イェティオの老人は喜んだが、しかし二人を見比べて不安げに眉をひそめた。

 炎を模したようないかにもすさまじい魔力を秘めていそうな全身鎧姿の未来は、実に頼りがいがありそうに見える。もしかしたら熊木菟(ウルソストリゴ)くらいひねるように倒してしまえるのではないかという錯覚さえをも得るほどだった。

 

 一方で紙月はどうかというと、先ほどは確かに素晴らしい術を見せてもらったが、あれは医療の術である。紙月は見れば見るほど美しいが、その美しさの通りに華奢であるし、何も老人でなくても、その妻であるおかみでも簡単にひねってしまえそうなほどに細い。

 熊木菟(ウルソストリゴ)を相手取るどころか、雪道にさえ耐えられないのではないかという容姿である。

 

 そんな父の心配を察して、イェティオはその肩を叩いて見せた。

 

「安心するだ。こん人たちはよ、あの地竜を狩ったこともある、そりゃあものすげえ冒険屋なんだ」

「なに、地竜。地竜、あの地竜か」

「そうだ。まだちいせえ奴だったけんどもよ、俺もその首を見たんだ、間違いねえ」

「ふーむむ」

 

 老人がまだ若い頃、巨大な地竜を遠目に見たことがあった。それはまさしく山が歩いているような脅威で、とてもではないが人がどうこうできる相手とは思えなかった。自然そのものの猛威といった、いっそ神々しさすら覚える始末だった。

 あれを、倒した。

 

 そこで老人ははたと気づいた。

 

「も、もしや、噂に聞いた森の魔女……!?」

「一応、その名前で呼ばれてますよ」

「お、おお、あの地竜を揚げ煎餅にしてばりばりむさぼったという」

「北部までくると変形すげーな」

 

 勿論老人も、地竜を倒したなどと言う噂話を信じていたわけではなかった。

 しかしその伝説の人物が目の前にいて、動じるでもなくしれっとしているのを見ると、話半分でも信じてみていいような気がしてきた。

 むしろ、ここは信じるべきであるという気になってきた。

 

 もともと、雪の中、何とか西部まで届けば幸いといった程度の思いで手紙を出したようなものだ。春になって戻ってきた息子が、村や、あるいは宿がひどく被害を受けたのを見て、奮起してくれればという、その程度の願いでしかなかった。

 しかし息子はこんなにも、恐るべき速さで帰ってきた。そしてそれはこの二人のおかげであるという。

 

 天がそうせよと言っているのかもしれない。

 神々がそうせよと導いているのかもしれない。

 

 それは老人の中の思い込みに過ぎないのかもしれなかったが、しかし老人はその思い込みに賭けた。

 

「よろしく、お願いしますだ……!」

「喜んで」

「僕らにできることなら」

「しかし、わしらにはそうお支払いできる金が……」

「なに、イェティオからいただいてますよ」

「なんと」

「いい温泉に、いい食事、それに宿。これだけそろってりゃ、文句はない」

 

 ますます拝みそうになる老人を押さえて、一同は熊木菟(ウルソストリゴ)対策を練った。

 穴持たずが強力な魔獣とはいえ、熊木菟(ウルソストリゴ)という魔獣であることは変わりない。その特徴を知ろうというのである。

 

 山をよく知る老人の口から、熊木菟(ウルソストリゴ)の特徴が語られた。

 

 まず熊木菟(ウルソストリゴ)というものは、暗い森の中でも闇を見通し、夜でも昼のように目が利くという。その代わり明るい日差しのもとはあまり得意ではなく、急に日が差し込むと狼狽えるという。

 このことを利用して輝精晶(ブリロクリステロ)などで急激に明かりを生み出すことで怯ませることができるが、しかし明かりや火そのものを恐れるわけではないので、あくまで怯むだけで、追い払えるわけではない。

 むしろ、松明などで威嚇しようとすると、かえって怒らせて苛烈に攻撃を仕掛けてくることがわかっている。

 

 身体能力としては、非常に頑丈な羽毛の下に太い筋肉、太い骨が隠れており、生半な矢では貫けないという。熟練の狩人は、ほかの羽獣と同じように羽の隙間や、目を狙ってうまく矢を通すという。または羽の柔らかい腹などを狙うとよいが、腕に隠れるので、これは難しい。

 

 剣や鉈で近づいて戦うのは全くお勧めできず、歯が立たないだけでなく、剣の届く範囲に入る前にずたずたに切り裂かれるのがおちであるという。

 

 また、足が速い。これは非常に速いと言ってよい。森の中でも器用に走り、馬と同じくらいには駆けるという。そして下りより上りの方がうまく、逃げようと思って木の上に隠れると、木を登って襲ってきたという話も残っている。

 老人が逃げ延びられたのは、惜しげもなく目くらましのまじないを放って逃げに徹したからであり、そして運が良かったからにすぎない。

 

 なわばりの特徴としては木肌につめの跡を残すほか、周囲の風精に干渉して、音が全く立たないようにしてしまうという習性が知られている。こうして音の立たない世界でひっそりと獲物の背後から接近し、攻撃を仕掛けてくるのである。

 

 主な攻撃手段としては、空爪(からづめ)というものが知られている。

 これは、周囲の音を消すのに使っていた魔力を手元に集め、風精を砲弾にして飛ばしてくるという凶悪な攻撃である。棘付きの鉄球だとか、巨人の槌だとか言われるように非常に重たい衝撃と鋭い斬撃を併せ持つもので、まず防ぐ手段はない。

 強めの矢避けの加護であれば避けられると聞くが、まず市場に出回る廉価なものでは難しいという。

 

「……強すぎない?」

「図鑑で読んだことあるけど、実際に聞くとすごいねえ」

「やはり、難しいもんだべか」

「いや……かえって楽しみになってきた」

 

 悪い癖が、発動していた。




用語解説

空爪(からづめ)
 風精を乗せた空気の塊を打ち出す攻撃方法。
 熊木菟(ウルソストリゴ)のもの外力も高く有名だが、風精と親和性の高い魔獣には多く使うものがいる。
 熟練の冒険屋には同じようなことができるものもいて、より鋭い斬撃を飛ばすこともできるという。


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第七話 温泉飯

前回のあらすじ

この熊木菟(ウルソストリゴ)、強すぎ……?


 すっかり話し込んだころ、未来の胃袋がぐうと鳴いた。

 この頃には未来も鎧を脱いでくつろいでいたので、子供らしく腹を空かせる姿に、宿の雪男たちはほっこりと微笑んだ。

 

「いま、夕餉を用意させとりますだ。もう仕上がるころでしょう、イェティオ、食堂まで案内を」

 

 雪男もといイェティオに案内されていった先の食堂は、大きな暖炉でよくよく暖められた部屋で、二人はほうと息をついた。

 

 席に着くと、食前酒代わりに、白湯のようなものが出された。

 

「お湯?」

「お湯ですだ。それも温泉のお湯ですだ」

「温泉のお湯!」

「飲泉というやつだな」

 

 世の中には温泉に浸かるだけでなく、それを飲んで体に取り入れるという文化もあると聞く。

 それで実際に効果の出るものもあるのだそうだった。

 

 これは飲んでみると、変わった味がした。いわゆる温泉の香りとでもいうべき、硫黄臭さのような、また鉱物臭いような感じもするのだが、これが悪くない。

 

 飲泉して待つと、テーブルに、火精晶(ファヰロクリスタロ)を利用したらしい卓上焜炉が置かれた。そしてその上に、くつくつと煮えた鍋がどん、ど置かれたのである。

 

 ふたを開けるとふわりと立ち上る香りは、少し甘めではあるが味噌のそれである。

 

「うちの温泉のお湯で煮込んだ、胡桃味噌(ヌクソ・パースト)の鍋ですだ」

 

 鍋にはたっぷりの野菜が煮込まれており、大振りの甘藍(カポ・ブラシコ)人参(カロト)馬鈴薯(テルポーモ)牛蒡(ラーポ)といった見慣れた野菜のほかに、こちらの世界でははじめてお目にかかる大根(ラファーノ)と呼ばれるダイコンや、韮葱(ポレオ)なるかなり太めのネギなどが見られた。

 

 これらの野菜はみな、驚くほど甘かった。砂糖のような甘さではない。野菜自体の甘さが、これでもかと言うほどに凝縮されているのである。

 

「おお! こんなにうまい野菜は初めてだ!」

「本当だ! 甘い!」

「これはねえ、収穫した野菜を、雪の中で埋めておくんですわ。そうすると、自然自然に甘くなるんだべな」

 

 越冬野菜というものがある。

 収穫した野菜を、深く積もる雪の中に埋めておくと、野菜は自分の身を寒さから守ろうとして、糖分を凝縮させる。そのため甘みの強い旨い野菜が仕上がるのである。

 この野菜はみな、裏手の畑で自家栽培し、雪に埋めておいたもので、必要な時に必要なだけ取り出しては食べるのだという。

 

 雪が自然の冷蔵庫という訳だ。

 

 大振りに切られた甘藍(カポ・ブラシコ)は火が通っていながらなおじゃくじゃくと歯ごたえが嬉しいし、馬鈴薯(テルポーモ)の煮汁をあふれさせながらほろほろと崩れていく様と言ったら、たまらない。

 厚切りにされた大根(ラファーノ)は箸を通すとすっと抵抗なく切れ、口に含むと火傷するのではないかと思うくらい水気たっぷりに汁をあふれさせた。

 また、驚かされたのは韮葱(ポレオ)である。輪切りにされたこれを口に含むと、熱々の芯の部分が勢いよく喉元に飛び出してきて、危うく大やけどするところだった。しかしその味わいと言ったらとろけるほどに甘く、味わいでも撃ち殺されそうになるのだった。

 

 非常にうまみの強い、薄く削ぎ切りにされた肉は何かと聞けば、角猪(コルナプロ)であるという。西部では豚や角猪(コルナプロ)が珍しいから、ありがたい。

 角猪(コルナプロ)の肉は硬いが、煮込めば煮込むほど柔らかくなり、その脂はよくよくしみだして鍋にうま味を与える。

 

 鍋にはまた、小麦を練った団子のようなものが入っていた。

 これがくにゅくにゅと食感も楽しく、また鍋のうまみをよくよく吸い取って、口の中でじわっと広がる。

 聞けば摘取団子(シルピンツィ)という名で、これは摘まみ取るという意味である。

 小麦を練ったものをひっ摘まんで鍋に放り込んでいくから、このような名で呼ばれているのだという。

 

 摘取団子(シルピンツィ)は奇麗な球状ではない。摘まみ取り、放り込むという流れ作業でできるから、片側は膨らんでいて、片側は千切れたようになっている。この形の違いが、食感に違いを与えて、ますますよい。

 

 しばらく食べ進めると、おかみは卵をもってきて、これを割り入れると味がまろやかになると勧めてくれた。

 試しに取り皿に割り入れて見ると、ただの卵ではない。白身も君もトロリと半熟に固まった温泉卵である。これも勿論、ここの温泉で作ったものだという。

 

 全てに温泉の湯を使ったこれらの温泉料理は、もとはといえば山に住む土蜘蛛(ロンガクルルロ)たちの料理だという。

 温泉地の土蜘蛛(ロンガクルルロ)たちは昔から貴重な燃料は鍛冶仕事に使い、炊事には湧き出す温泉の湯を使っていたのだそうである。

 

 夏場であればこれに温泉で蒸した蒸し料理などが出るようだが、こう寒いと運んでくるまでの間に冷めてしまうので、冬場は冷めにくい鍋物を出すのだという。

 

「冬場は食材もあんまりねえで、これくらいしか出せませんけんど」

 

 とおかみは謙遜したが、小食の紙月と大食いとはいえ子供の未来の二人ですっかり鍋を平らげてしまったのだから、満足も満足、大満足であった。




用語解説

胡桃味噌(ヌクソ・パースト)(nukso pasto)
 胡桃を砕いて練り、塩などを加えて発酵させた食品・調味料。甘味とコクがあり、脂質も豊富で北国では重要なエネルギー源でもある。

大根(ラファーノ)(rafano)
 アブラナ科ダイコン属の越年草。外皮が白いもののほか、赤、黄、黒などもある。
 肥大した根や葉を食用とする。
 ダイコン。

韮葱(ポレオ)(poreo)
 南部原産のネギ属の野菜。茎は太く、葉は平たい。
 基本的に成長とともに土を盛り上げて育てる根深ネギ。
 軟白化した部分を主に食用とし、緑の葉も柔らかい部分は食す。
 リーキ、ポロネギ。

・越冬野菜
 晩秋に収穫した野菜を畑に放置し、雪の中で冷蔵貯蔵して保存食とする方法。またその野菜。
 冷蔵保存されて新鮮なまま冬季の食材となるだけでなく、糖度が増して甘みが増す。

摘取団子(シルピンツィ)(ŝirpinĉi)
 小麦粉を水、塩と練り、摘まみ取って汁ものなどに投じた料理。



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第八話 温泉

前回のあらすじ

温泉料理を堪能した二人。
そろそろ飯ネタも尽きてきそうだ。


 温泉宿《根雪の枕亭》の食事は紙月の舌も、未来の胃袋もよくよく満たしてくれた。

 冬場で食材が乏しいときでこれと言うのだから、雪のつもる前ならばどれだけのことだっただろうか。

 いや、冬の寒さこそがあの野菜の甘みを生み出したことを思えば、あれこそ冬でなければ体験できなかった味わいと言っていいだろう。

 

 夏には夏の、冬には冬の良さがあるのだ。

 胡桃味噌(ヌクソ・パースト)の温かい鍋は、冬場でなければそのおいしさを十全に楽しむことのできないものと言ってよい。

 

 十分に腹の満ちた二人は、温泉へと案内された。

 脱衣所は温泉に近いこともあってやや温まっていたが、それでもやはり、肌寒い。

 二人は手早く服を脱ぐと脱衣籠に預け、そそくさと二重戸をくぐって温泉へ向かった。

 

 戸の向こうは、絶景であった。

 

 まず温泉は石を組んで作った立派な湯船に、足場もしっかりとしたタイル張りである。

 源泉は熱すぎるらしくいくらか冷まして樋から流し込まれるが、その湯量は全く目を見張るもので、次々と湯が注がれては、あふれていく。豊かな温泉である。

 

 この浴場には脱衣所の壁も含めて三方は壁があり、屋根もあるが、しかし一方には壁がなく、美しい雪景色がおがめるようになっているのである。

 このような造りは、この世界では初めてだった。

 後から聞けば、吹雪く時は雨戸のように戸をはめ込んで雪風を防ぐが、もっぱらこのように雪景色を楽しんでもらい、体は温泉で温かく、頭は寒さで冷えるというのが、体に良いという。

 

 足元から温泉の熱が来るからか思ったより寒くはないが、それでもむき出しの肌に外気は答える。

 手早く体を洗って、二人はそそくさと湯船につかった。

 

 紙月は勢いよく全身浸かり、薄い肌にぴりぴりと湯の熱さがしみ込んでくるのがたまらなかった。

 未来は足からゆっくりと浸かっていき、このぴりぴりがじんわりと広まっていくのが心地よかった。

 そうして二人とも、体全体に湯の熱さが染みわたっていくのがたまらなく心地よかった。

 

 湯の温度は少し熱めであったが、なにしろ外と直につながっているから、むしろこのくらいがちょうどよい。体は温かいのに、頭は冷えるというのは、なかなか味わえない珍しい体験である。

 

「これ以上寒くなると髪が凍りそうだけどな」

「お湯から上がるときも気を付けないとね」

 

 湯冷めしないようにしなければ、すぐに風邪でも引いてしまいそうである。

 

 何しろひどい雪を超えた山奥であるし、熊木菟(ウルソストリゴ)の脅威もあるし、二人きりの貸し切りかと思ったが、こんな山奥の秘湯にも風呂の神官が邪魔しないようにひっそりと浸かっている。

 

 いや、むしろこのような山奥の秘湯だからこそ、神官としても修行するに丁度良いのかもしれない。ただ入浴するだけで祈りにも礼拝にもなる風呂の神官であるが、より人の来づらい秘湯や、隠された温泉などの方が、修行になりそうである。

 人手の少ない秘湯で人助けにもなるとなれば、徳も上がろう。

 

 この徳の高い風呂の神官も、やはり風呂の神官らしく豊かな体つきをしており、柔和な微笑みを絶やさない好人物であった。

 口さがないものなど、風呂に漬かり過ぎて頭が茹だっているに違いないなどと言うものなどもあるが、言われる方の神官たちはそうかもしれませんねえと暢気なもので、端から勝負になっていない。

 

 もともと風呂の神と言うのがマイペースで有名な山椒魚人(プラオ)の陞神したものというから、その神官たちもみなマイペースなのかもしれない。

 

 この《根雪の枕亭》の風呂の神官もまた実にマイペースで、湯船に浮かべた盥に酒瓶とグラスをおいて、のんびりやっていたりする。北部名産の林檎酒(ポムヴィーノ)である。

 それも手近な雪に突っ込んできんきんに冷やしたのを、そのまま取ってくるのだから、丁度良い具合に雪冷えの林檎酒(ポムヴィーノ)である。

 

 普通酔っ払いというものはあまり良い印象を抱かれないものであるが、風呂の神官たちの飲酒な優雅なものである。まず風呂を楽しむことが先にあり、それを高めるための飲酒であるから、酒におぼれるということがない。

 むしろ見ていて気持ちの良くなるような楽しみ方である。

 

「……あれいいなあ」

「駄目だよ紙月」

「でもほら、あの人も()ってるし」

「あれは風呂の神官だからいいんだよ」

 

 別に宿側でもそう言うサービスを出しているのだから飲んで悪いということはないのだが、調子に乗って飲むと、危ない。代謝の高まる風呂の中で酒を飲むと、ひどく酔うのである。

 

 ところが風呂の神官には、かなり早い段階から、「風呂でのぼせない加護」をはじめとしたさまざまな加護が与えられており、多少酒が入ったところで全く平気なのである。

 さすがに酒の神の神官のように「酒で死ぬことがない」などと言ったふざけた加護までは得ていないようだが、それでも普通の人間よりはよほど安全に入浴中の飲酒を楽しめるのである。

 

 仕事中、つまり礼拝中、長時間風呂に浸かる以外のことができない風呂の神官たちにとっては、神々の与えたご褒美と言っても良い。

 

 とはいえだからと言って、人がうまそうに飲酒しているのを見て我慢できるかどうかと言うのは別問題である。

 

「なあ、いいだろ?」

「そう言って後でぐでんぐでんになるんでしょ」

「《浄化(ピュリファイ)》使うからさ。迷惑かけないから」

「もう……一本だけだよ」

 

 懲りないのが紙月なら、甘いのは未来である。

 《浄化(ピュリファイ)》でどうにかなるし、何なら未来が面倒を見てくれると甘えたことを考えているのが紙月であり、いろいろ迷惑もかけてるしたまの娯楽くらいは許してあげなければと思い、また甘えてくれたならばそれはそれでなんだかんだ嬉しいのが未来である。

 

 風呂の神官に一本頼むと、いい笑顔で雪の中からグラスと小瓶を取り出して、桶に入れて流してくれる。

 それだけでなく、未来の分にと、林檎(ポーモ)ジュースの瓶もグラスと一緒によこしてくれた。

 これは本来、神官が覚えておいて、宿から請求が行くが、なにしろ今日の二人は宿代を免除されているから、気兼ねなく飲める。

 

 雪できんきんに冷やされた林檎酒(ポムヴィーノ)の味は、格別だった。温まっているときに内蔵に冷たい飲み物を送り込むのは非常に体に悪い気もするが、それはそれとしてうまいものはうまいのである。

 

「もう少し寒くなってくると、見かけは変わらないのですが、注ぐとたまに()()()状に半端に凍ったものができる時もありましてねぇ、それなどは本当に、たまらないんですよぉ」

 

 風呂の神官がそのように語るもので、恐らく過冷却状態からの凍結だなと紙月は辺りをつけた。

 つまり、液体は静かに静かに温度を下げていくと、凍るはずの温度より冷たくなっても、凍らない時がある。これが過冷却状態である。これに振ったり注いだりと刺激を与えると、すぐに凍り付いていく。

 

 良いことを教えてもらった礼にと、紙月は早速手元の瓶に《冷気(クール・エア)》を慎重にかけて、この過冷却状態を作り出すことを試みた。ただの水であればマイナス二度程度でもできるが、アルコールの混じる酒はこれよりもう少し温度を下げる。

 

 一度目は、軽く注いでみたが変化がなかった。二度目は凍り付いてしまった。

 一度溶かして、三度目になるとうまくいき、注ぐとしゃらしゃらと即座に凍り付いていき、まさしく()()()()のような具合に仕上がった。

 

 これでコツをつかみ、風呂の神官の酒にも、未来のジュースにも同じことをしてやると、大層喜ばれた。

 

 成程これは面白いものだった。

 凍らせてしまうので、炭酸の多くは逃げてしまうのだけれど、凍っていない部分もあって、そこはしゅわしゅわとする。合わせてこれを飲んでみると、しゃりしゃりとしたシャーベットのような食感に、しゅわしゅわとした微炭酸が味わえるのである。

 

 この()()()酒を飲みながら、二人はゆっくりと湯につかり、改めて降り積もった雪に感嘆した。

 二人とも、雪のあまり降らない、降ってもさして積もらない地方の出身である。これほどまでに積もった雪と言うのは、想像や、画面の向こうの世界のことでしかななかった。

 異世界と言えば、これほど異世界を実感したこともそうないかもしれないくらいの光景である。

 

「思えば遠くへ来たもんだねえ」

「まだ東部とか、辺境にも行ったことがねえのにな」

「ファシャだっけ。隣の大陸のもいつか行ってみたいね」

「大叢海のむこうかぁ。そう言えば、スピザエトは元気にしてるかね」

「あの子も、アクチピトロの子だったのかな」

「かもなあ」

 

 ぼんやりとしていると、ざぶざぶと湯船に新たな客があった。

 貸し切りかと思っていた紙月がぼんやりと顔を上げると、そこにはサルがいた。

 

「……は?」

 

 サルである。それも一頭や二頭でなく、数頭が集まって湯をかぶり、湯船につかっていく。

 

北限猿(ノルダシミオ)と言いますねえ。大陸でも、これ以上北にはサルは住んでいませんよぉ」

「え、いや、そういうことじゃなくて」

「昔から天然の温泉に浸かる習慣があるみたいでしてねえ。人に慣れたのなんかは、かけ湯もするし、大人しいものですよ」

 

 急に賑やかになってきた湯船だが、しかし動物好きの未来は、なんだか目を輝かせている。

 まあ、それならば、しかたないか。

 恐らく年かさの北限猿(ノルダシミオ)と目礼を交わして、紙月は()()()酒をすするのだった。




用語解説

北限猿(ノルダシミオ)
 猿の仲間のうちで最も北に棲息する一種。
 果物や昆虫を主に食べる他、時に肉食もする。
 赤ら顔で、北部で酔っぱらいを指してよく猿のようだとよばうのはこの北限猿(ノルダシミオ)が由来である。
 人里近くにも出没し、食害などを出すこともあるが、多く人の真似をして、危害を加えないことが多い。
 温泉に浸かることで有名。


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第九話 鉄暖炉

前回のあらすじ

お猿との入浴を楽しんだ二人。
入浴中の飲酒は危険なので控えよう。


 温泉から上がり、床暖房があるとはいえそれでも肌寒い廊下をできるだけ急いで、通された部屋はよくよく暖められていた。

 ひんやりした廊下から戸をくぐると、途端にもわっと感じられるくらいのぬくもりが浴びせかけられて、一瞬不意を打たれたような気持ちであった。

 

 通された部屋はベッドが二台並び、衣装ダンスが一つ、それに化粧台があるといった程度の、造りとしては小ぢんまりとしたものだったが、熱を逃がさぬがっしりとした造りもあって、この雪国にあっても暖かい室内を実現していた。

 

 そして紙月が驚いたのは、鋳物の薪ストーブが部屋に置かれていたことである。煙突が天井に伸び、手工事なのだろう、少し粗さの目立つ石膏仕事で、先端が恐らく外まで伸びていた。

 

「ほう。ストーブがあるとはな」

「そう言えば、初めて見るね」

 

 この世界はこの世界なりに、時に元の世界よりも発達しているのではないかと思えるような道具もちらほらと見受けられたが、それでも基本的には中近代くらいの文明程度と紙月は思っていた。

 この頃の欧州と言えば暖炉がもっぱらで、ストーブというものは割と近代になってからの発明であった。

 

「ああ、お客さん、鉄暖炉(ストーヴォ)をご存じだか」

 

 案内してくれたおかみが言うには、帝都から発信され始めている暖房器具で、暖炉より小さいが暖炉より暖かく、煙突さえ通せればこうして部屋にも置けるので、便利であるという。

 これはイェティオが稼いだうちから一台ずつ購入しては送ってくれたもので、上等の部屋には皆設置してあるという。

 

「薪代がかさむと思ったけんど、暖炉より安上がりでねえ、火精晶(ファヰロクリスタロ)仕込みで、火もよく持つんですだ」

 

 どうやらただの鋳物ではないようだが、見た目からではちょっと判断がつかない。

 判断はつかないが、とにかく暖かいのはありがたいことである。

 精霊と親しいハイエルフの目を持つ紙月ならばある程度見通せるものもあっただろうが、正直ぬくもりに負けてそれどころではない

 

 冬場にこんなにも暖かい宿はまずうちくらいだというのが、《根雪の枕亭》のささやかな自慢だった。

 大抵の宿は大広間や要所にこそ暖炉はあるが、各部屋に設置型の暖房器具を置くことなど難しく、《根雪の枕亭》でも以前は、行火(ヴァルミジロ)湯湯婆(ヴァルマクヴヨ)といったちょっとした暖房器具で耐えてもらっていたという。

 

 これらは要するに懐に抱えたり足元に置いたりして暖を取るもののようで、朝までまあ温もっていればいい方で、とてもぬくぬくと過ごせるようなものではなかったという。

 

 おかみが去って、二人はもそもそと寝間着に着替えたが、いくらストーブで温まっているとはいえ、雪国の寒さにはなれていない二人である。

 上からいくつも厚着をして、それでようやく落ち着いたくらいで、ストーブから離れると、やはり、肌寒い。

 

 ひんやりと冷たいベッドにもぐりこんだが、これが温まるまでの間が、辛い。

 未来などは、獣人種の特徴なのか、生命力(バイタリティ)に極振りしているためか、もともとの体温が高めなので、それほど辛くはない。

 

 しかしハイエルフの紙月は、どうにもそのように強靭にできていないのである。

 もとよりステータスは魔法能力にばかり振っているから、耐久力たるや濡れた障子紙とそう変わらない。

 レベル九十九という高みにあるから何とかやっていけているが、これでレベル帯が他の冒険屋と同じだったら、子供に体当たりされても悶絶するレベルである。

 《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》などと呼ばれる面子は、ステータス的にもプレイヤーのメンタル的にも、どこかしらそう言う欠点を抱え込んでいるものである。

 

 さすがにこれはまずいと思って、魔法の鍛錬ついでにちょっとした身体トレーニングも続けている紙月であるが、何しろ元の体がハイエルフのものである。

 《エンズビル・オンライン》の設定において、ハイエルフは魔法に関して最高峰の適性を持つが、身体能力はからっきしなのである。

 それが反映されたかのように、紙月の体は強化なしで動き回ればすぐに筋肉痛になったし、日差しにあたれば赤く焼けたし、いまも脂肪が薄すぎて寒さにまるで耐えられていないのである。

 

 ゲームとしてプレイしているときは、精々攻撃を食らったら怖いなという程度のもので、それも死ななければ安いという程度のものでしかなかった。

 しかしこうして実際にそのハイエルフの体になってみると、いくらなんでもこの体で冒険者(プレイヤー)やるのは無理だろう、とゲーム内バランスに突っ込みを入れざるを得ない。

 いま紙月が冒険屋をやっていられるのは、未来という優れた前衛があり、あんまり動かなくても魔法でどうにかできるという環境に依存しているに過ぎないのだ。

 

 最初の内こそ、元の体の頃に意識が引きずられて、無理をしたり、日差しにも平気で肌をさらしたりしたものだが、いまとなってはとても考えられない愚行である。無理をしてもいいことなど何一つなく、むしろ被害が増えるだけなのだ。

 

 まして自分には、未来という頼れる相棒がいるのである。

 

 そう思いたつや、紙月はベッドから抜け出した。

 

「ん……紙月、どうしたの」

「寒い」

「そりゃあ、寒いけど」

「ので、俺、一緒、寝る、いいか」

「なぜ片言」

「寒い」

 

 未来は少しのあいだ、ストーブの火に照らされた紙月の青白い顔を眺めて、仕方なしに頷いた。

 普段であれば照れや恥ずかしさ、ある種の緊張などが未来をためらわせただろうだが、ぶっちゃけた話、がちがちと奥歯を鳴らしそうに身を縮こまらせるいまの紙月の姿には魅力よりも憐憫しか感じなかったのである。

 

 分厚い布団にもぐりこんでくるや、熱を求めて紙月は未来をかき抱いたが、そのしぐさには色気も減ったくれもない。ひたすらに必死である。それがまた未来には憐れだった。

 

「うう……ごめんな。この年で一緒に寝るなんて、恥ずかしいだろ」

「いいよ。僕も寒かったし」

 

 それに、恥ずかしいというよりは、未来が紙月を見るような目では、紙月は未来を見てくれていないんだなあという、余りにも当たり前な事実が、ちょっと情けなかったのである。

 

 それでも寒かったし、お互いに暖を求めていたのは事実で、雪国の一室はすぐに静かな寝息に沈むのだった。




用語解説

鉄暖炉(ストーヴォ)
 恐らく錬三が製造を始めたもの。
 いわゆる薪ストーブだが、鉄に火精晶(ファヰロクリスタロ)を練りこんでいたり、我々の世界のストーブとは造りが違うようだ。
 暖炉よりも熱効率が良く、帝都を中心に売れ行きは良いという。

行火(ヴァルミジロ)(varmigilo)
 あんか。金属または陶器製の容器の中に、豆炭や火精晶(ファヰロクリスタロ)を仕込んだもの。
 布などで巻いて抱いたり足元に置いたりして暖を取る暖房器具の一種。

湯湯婆(ヴァルマクヴヨ)(varmakvujo)
 ゆたんぽ。金属や陶器製の容器に熱湯を注ぎ、布などで巻いて暖を取る暖房器具の一種。
 体温と熱均衡を起こし、翌朝でもぬるい状態なので、顔を洗ったりに用いることもあったという。

・死ななければ安い
 元来「いつでも死が見えているのだから、生きているだけで儲けものとしよう」という意味合いであったが、今では「まだ死んではいないのだから、生きている限りは逆転のチャンスがきっとある」というポジティブな意味合いも持つという。



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第十話 朝食

前回のあらすじ

女装男子学生がケモミミ少年のベッドに侵入するという事案。


 翌朝のことである。

 想像していたよりもはるかに抱き心地の良いぬくもりが腕の中から抜け出しても紙月はしばらくまどろみに沈み込み、思っていたよりも骨ばっていて抱かれ心地など決して良い訳でもなかったのにも関わらず朝から朝を主張する身体に元気に目覚めた未来であった。

 

「……まあ、体調は万全ってことだよね」

 

 寝癖をくしくしと直しながら、未来は大きなあくびを一つ漏らして、肌寒い廊下を肩をすくめるようにして小走りに駆け抜けた。

 朝の空気は良く冷えていて、寒さにきゅっと引き締められた身体が、こらえきれずもよおしたのである。

 

 共用の便所で小用を済ませて部屋に戻ってきた頃、紙月は暖炉のそばにへばりついて、できるだけ冷たい空気に肌をさらさないようにと四苦八苦しながら着替えているところだった。

 

「……往生際が悪いなあ」

「お前はハイエルフの苦労がわからないんだよっ」

 

 そう言われるとまあわからないでもないのだけれど、子供の未来相手にそのようなみっともない姿をさらせる方がどうかと思う。

 どうかと思うが、そう言うみっともない姿をさらしてくれるというのは相当な信頼関係なのではないかという考えも頭をもたげて、結局未来は答えを出せずに、自分も手早く着替えることにした。

 

 着替え終えたころ、おかみが盥に温泉の湯を持ってきてくれた。

 この暖かい湯をありがたく頂戴して、二人は顔を洗い、歯を磨き、お互いに寝癖がないかをチェックした。

 

 すっかり身支度を整えて食堂に顔を出すと、やはり準備万端、うまい具合に朝食を出してくれた。

 

 温泉で蒸しあげたというふわっふわの蒸しパンは、しっとりもちもちとしていて、中華の花巻のようである。昨日の未来の食べ具合を見て、これもたっぷりと用意してくれた。

 

 そして昨日の鍋よりは小ぶりな土鍋に用意されたのは、白い煮汁の煮込みである。

 

摘取団子(シルピンツィ)乳煮込み(ラクタ・ラグオ)です」

 

 具材は、昨夜と同じ摘取団子(シルピンツィ)に大振りに来た根菜類だった。

 これに搾りたての牛乳を加えて煮たたせずに煮込んであるという。

 さっぱりとした塩味に濃厚な乳の味が、重た過ぎず、かつあっさりとし過ぎず、朝食としてうまい具合にまとまっている。

 

 摘取団子(シルピンツィ)は昨夜のものより歯ごたえが強めの塩梅で、これは硬いというより、顎を使うので目が覚める気持ちだった。ぐにっ、ぐにっ、と噛んでいるうちに、小麦の甘みと汁の塩気がうまいことに絡まり、ものを食べているという感じがして、よい。

 

 根菜類はみなよくよく煮こまれており、匙を軽く通すだけでほろりと崩れた。これをそのままほおばっても良いし、汁に崩してドロドロになったところをすすっても良い。これもまた越冬野菜であるらしく、甘さときたら、たまらないものがあった。

 

「しかし、搾りたての牛乳と言うと、牛を飼ってるんですか?」

「ええ、ふもとの村までやっぱり遠いもんですだから、自給自足できるものは、大概やっとりますだ」

 

 朝食を済ませた二人は、牛の存在がやはり気になって、折角なので見せてもらうことにした。

 

 二人が拠点とする西部では家畜と言えばまず大嘴鶏(ココチェヴァーロ)のことで、肉も乳も、おおむねこの生き物から取るものばかりなのである。

 卵もとれるが、これはやはり使い勝手があまりよくない。町民がちょっと使うために、普通の鶏も育ててはいるが、やはりこれも鳥だ。

 

 豚や牛といった動物を見かけることがなく、しかし一応干し肉や牛乳という形で話は聞くので、前々から気になっていたのである。

 

 聞けば、質の良い牧草の多く取れる東部でも育てているし、寒冷な冬にも育成しやすい牛は北部にとってなくてはならない家畜だという。

 

「寒くても育てやすいの?」

「北海道とかで育ててるけど、どうなんだろな」

 

 案内されたのは、半地下の厩舎である。

 階段を降り始めた時は何かと思ったが、牛を飼う厩舎は基本的に半地下か、すっかり地下に作られるという。

 その方が寒さを遮れるし、牛としても居心地がよく、健やかに育ち、乳を出してくれるという。

 

「言っていい?」

「なんだ?」

「嫌な予感がしてきた」

「俺も」

 

 厩舎は真っ暗で、灯りの一つもなかった。

 というのも、牛たちは目がすっかり退化していて、強い灯りに弱いからだという。

 おかみは小さな角灯に火を灯し、少し高く掲げて、牛に余り負担にならないように、牛の姿が見えるようにしてくれた。

 

 それはしいて言うならば巨大な()()()()()のような姿だった。

 のっそりと横たわった巨大なサツマイモの先端に、肌色の鼻と、髭が見える。

 そしてシャベルのような手足がぼってりと伸びていたが、このつま先はきちんと断ち落とされて整えられていた。

 怪我をしないよう、また余計な穴を掘らないようにである。

 

 横たわったこのサツマイモの腹には四つの乳房が張り出しており、これから乳を搾るのだという。

 

「乳しぼり体験していかれるだか?」

「いえ」

「遠慮します」

 

 それは()()()だった。

 巨大なモグラのことを、牛と呼んでいるのだった。

 

「普通牛と言うと大体こんな感じですか?」

「んだなあ。おらぁ、他に牛は知りませんですだ」

 

 詳しく聞けば、角の生えたいわゆる牛もいるようだったが、広い放牧地もいるし、角も危ないし、もっぱらこの()()として牧場界を席巻しているのだという。

 この牛は全く、乳を取るか、肉を取るかだけで消費され、農耕などに使われることはないという。

 

「……遠くに来たもんだねえ」

「全くだ」




用語解説

・朝を主張する身体
 朝だからね。仕方ないね。

・盲目の牛
 しいて言うならば巨大なモグラ。
 完全に家畜化されており、現状では自分の寝心地の良い形に土を掘るくらいしかせず、自分で餌を摂ることもできない。
 濃い乳を出す。
 これとは別に普通のいわゆる牛もいるようだ。


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第十一話 山狩り

前回のあらすじ

盲目の牛とふれあいコーナー。


 牛見学を済ませた二人は、改めて装備を整えた。

 

 未来は《朱雀聖衣》を着込み、《赤金の大盾》という、大鎧であっても体の半分は覆える大盾を装備した。

 森の中では取り回しに苦労するかもしれなかったが、相手が相手である。属性鎧に合わせたもっとも防御力が高い盾を装備したかった。

 

 紙月は《宵闇のビスチェ》の上から《不死鳥のルダンゴト》を着込み、魔法攻撃力を高める効果のアクセサリーや武器類をこれでもかと装備した。

 結果として、見た目はこの雪の中ピンヒールを履いて、手袋をした両手の指全てに大振りの宝石のついた指輪をぞろりとはめるという、場違いすぎるスタイルだった。

 

 おかみにも首を傾げられたが、装備のステータスとしてはこれが最も良いのである。見栄えのことは気にしていられないが故の重装備なのだが、結果として見栄えばかり気にするバカのように見えてしまうのが難点だった。

 

 外に出て、慣れない雪道に苦労しながら裏手に回ると、薪割をしている兄弟の姿があったので、軽く手を挙げて挨拶をした。近くで見ても、区別のつかない兄弟である。

 イェティオはそのまま薪割を続け、山に慣れた弟のヒバゴノが案内につくことになった。

 

 ヒバゴノは山に慣れているとはいえ、ただでさえ山というものは人の住む領域ではないうえに、こと冬となれば全くの異世界と言ってもいいと警告した。

 そして紙月の格好に苦言を呈したが、紙月が大真面目に一つ一つの装備の効果を説明し始めると、目を白黒させ、なんとか認めてくれた。

 

 ただ、不安定な足元だけはどうにかすべきだと主張し、ヒバゴノのものである大きめの革の長靴をさらに上から履き、ひもで縛りつけて固定した。

 さらに紙月だけでなく全員が履物の上から雪輪(ネジシューオ)という道具を取り付けた。

 これは楕円状に曲げて組んだ木の枝のようなもので、体重のかかる面積を増やすことで雪に沈みにくくする、いわゆるかんじきのことだった。

 

 森までの道は兄弟が朝の内にある程度雪かきしておいてくれたが、それでも慣れない二人には歩きにくい。

 

「今のうちにある程度慣れておくだ。森ん中はもっとひでぇだ」

 

 そう言われ、二人はなるたけ足元の感覚を意識して、歩いた。

 

 そうして辿り着いた山森の入り口で、二人はヒバゴノから鈴を渡された。大振りのこれは、獣除けの鈴であるという。

 

「獣もよっぽどのことがなけりゃあ人間を相手にはしたくねえんだ。これで離れてってくれるだ」

 

 そしてまた、この鈴があるからこそ人間の味を知った穴持たずはきっと音を聞きつけてやってくるだろうということだった。

 また、熊木菟(ウルソストリゴ)が近づけば、かならず音が殺されて、鈴の音が聞こえなくなる。つまり、鈴の音が途切れたら熊木菟(ウルソストリゴ)が近くにいるということなのだ。

 

 だから何をおいても鈴の音には気を付けるようにと言われ、二人はしっかりと鈴を腰に取り付けた。

 

 そうして踏み込んだ森の中は、静かだった。

 生き物の数が減るからというだけでなく、雪自体が音を吸ってしまうから、小さな音などはみな掻き消えてしまうのだという。

 自分達の雪輪(ネジシューオ)が雪を踏む音ばかりがなんだか大きく聞こえるようである。

 

 木々に遮られるためか、積雪はそれほど深くはなかったが、山道の上に積もっているので、とかく段差や起伏があり、歩きづらいことこの上なかった。

 大股で歩こうとする未来に、ヒバゴノは大きな体からしたらお遊びのように、小股で歩くようにと実際に見せてくれた。

 大股で歩けば、体力を使う。ちまちましてじれったく感じても、一歩一歩細かに歩いた方が、体力を使わないし、結局早いのだという。

 

 しばらく歩いて、森の奥に進むにつれて、木々に遮られて日が入らなくなり、薄暗くなってきた。

 慣れたヒバゴノは木々の向こうまで見通しているようだったが、紙月たちにはもうほとんど真っ暗に感じられるほどである。

 

「《暗視(オウル・アイ)》」

 

 紙月が暗視の効果のある呪文を唱えると、途端に視界は昼間のように明るくなった。

 

「おう、こいつはすごいだ。これなら、見えなくなることもねえだ」

 

 ヒバゴノもこの効果には驚いた。

 

 しばらく歩くうちに、木の肌が引き裂かれているのを見つけて、紙月がこれかと警戒したが、それは北限猿(ノルダシミオ)の縄張りの証であった。あの平和的で温泉好きのサルたちである。

 確かに、熊と言うには、いささか小さいし、細すぎる。

 

 他に、ウサギや、小動物などは見かけることがあったが、熊木菟(ウルソストリゴ)の痕跡は見当たらず、三人は適当な岩に腰を下ろして、弁当を広げた。

 弁当の中身は、幅広の蒸しパンの中をくりぬいて、とろりとした煮込みものを詰めたものだった。というよりは、煮込みものを詰めたパン種を蒸しあげたものと言うべきか。

 味の濃い煮込みものは、冷えていてもなかなかの味わいで、また、紙月の魔法で温めてやると、更にうまくなった。

 

 普通であれば、こうして温めて匂いを立たせれば熊の類を呼ぶことにもなるが、今日はそれが目的である。ヒバゴノも、いい囮になりそうだと笑った。

 

 この弁当の効果があったのかはわからないが、昼食を終えてしばらく歩くうちに、不意に鈴の音が絶えた。

 注意を喚起したのだろうヒバゴノの声も聞こえない。

 紙月と未来は顔を見合わせ、パーティチャットを起動した。

 これはゲームの頃の仕様では、パーティに登録したメンバー間でのみ使用できるチャット機能だった。

 これをこの世界で使うと、パーティと認識した相手にのみ通じる念話のような機能があった。

 今は臨時メンバーであるヒバゴノにも、この効果があった。

 

「な、なんだべこりゃ」

「魔法だ。お互いにだけ声が聞こえる」

「ヒバゴノさん、どうするの?」

「そうだべな、互いに互いを背にして、三方を見張るだ。どっかから必ず近づいてるだ」

 

 三人は荷物を放り、互いに背を預けて三方に鋭く視線をやった。




用語解説

・《赤金の大盾》
 炎熱属性の高レベル盾。火属性の《技能(スキル)》の効果を底上げする。
 炎属性のボスキャラクターから入手できる素材を《黒曜鍛冶(オブシディアンスミス)》に加工してもらって作る。
『炎の壁を突き破るには勇気がいる。もっとも知恵高き者は迂回するだろうが』

雪輪(ネジシューオ)(Neĝŝuo)
 かんじき。雪に沈み込まないように、足元の面積を広げる道具。

・《暗視(オウル・アイ)
 《魔術師(キャスター)》の覚える魔法《技能(スキル)》。対象に暗視の効果を与える。
 制限時間は《技能(スキル)》のレベルによる。
『暗闇を見透かすというのは、時に見るべきでない真実を見据えるということでもある。まさか棚の裏があんなことになっとるとは……』

・パーティチャット
 ゲーム内システム。パーティメンバーの間でのみ使用できるチャット機能。
 この世界ではパーティメンバーの間でのみ使用できる、音声を必要としない、念話のような形で再現されているようだ。



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第十二話 けもの

前回のあらすじ

熊木菟(ウルソストリゴ)の縄張りに侵入した三人。
果たしてどこからやってくるのか……。


「なんしろ三メートルはあるバケモンだ。近寄りゃ必ずわかるはずだ」

「油断はするなよ。森の暗殺者なんだろ」

「うまく見つけられればいいけど」

 

 三人はゆっくりと回りながら、周囲に視線を巡らせた。一人一人では見落としてしまうかもしれなくても、三人で少しずつ視点を変えていけば、必ず違和感に気付くはずである。

 まして相手は三メートルの巨体である。気づかない方がおかしい。

 

 とはいえ、まだそこまで近くにはいないのか、それらしき姿は視界に入ってこなかった。

 その代わりに、いままでちらほらと見えていた兎や栗鼠といった小動物たちの気配も待たなくなっている。熊木菟(ウルソストリゴ)の脅威を人間以上に敏感に感じ取って、姿を消したのだろうか。

 

 ただ無音であるという、本来であれば平穏を指し示す静けさが、かえって息苦しさすら感じさせる重圧となって三人を襲った。

 お互いの声どころか、自分の息遣いすら聞こえないのである。

 静寂はやがて自分の内側の音を際立たせ始めた。本来聞こえることも意識することもない音色が騒がしく感じられてきた。

 緊張にきしむ筋肉の音、不自然に高鳴る鼓動、やがては耳の奥を流れる血流の音さえもが明確に聞こえ始めていた。

 

 ごくり、と喉の奥でつばを飲み込む音が、喉を、顎を、骨を伝わって全身に響くような気さえした。

 耳鳴りがするほどの静けさの中で、体中の音という音が騒がしく聞こえていた。

 

 だがそんな騒がしささえも、慣れていくにつれてやがて意識の中から排除されていった。

 先ほどまではあんなにも騒がしかった筋肉は鳴りを静め、骨同士のこすれ合う音がぴたりとやみ、かすかに鼓動ばかりが振動として意識されたが、それさえも、些細なものだった。

 

 ぞっとするほどの静寂は、三人に異様な緊張を強いた。

 わーっと叫びたくなるほどの重苦しさが、しかし逃れることもできない重圧として、のしかかっていた。

 

 十秒たった。

 

 三分たった。

 

 いや、それとももう十分はたつのだろうか。

 

 あるいは、一時間……?

 

 時間の感覚さえもおかしくなるような重圧の中で、寒さにもかかわらず冷や汗が顎を伝って落ちた。

 

 もしかすると、襲ってこないのではないか。

 相手もこちらに気付いておらず、たまたま領域に足を踏み入れただけなのではないか。

 このまま、すれ違っていってしまうのではないだろうか。

 

 短い、しかし少なくともそのように思い始めるほどの時間は、三人の精神を恐ろしいまでに痛めつけていた。

 

(……そんなに、巨大な生き物が近づいて、わからないってことあるのかな……)

 

 自分達は警戒しすぎなのではないだろうか。

 もっとリラックスして待ち構えた方が、体力の消耗が少ないのではないだろうか。

 

 一瞬。

 一瞬とはいえそんな考えに視線が落ちかけ、未来は、はっと顔を上げた。

 

 いけない。

 そんな考えでは、実際に熊木菟(ウルソストリゴ)が近づいてきた時に対処などできはしない。

 しっかりと、顔を上げ、て、

 

「……………」

(…………え?)

 

 そこに巨大なフクロウの顔があった。

 木立からのっそりと顔を出した、巨躯があった。

 

 ともすれば木立と見間違いかねないほど自然に、それはそこに佇んでいた。

 

(え……あ……?)

 

 まるで百年も前からそこにいたように、熊木菟(ウルソストリゴ)はそこに佇んでいた。

 距離にして十メートルもない。

 それと、いま、未来は目が合っていた。

 合っていたにもかかわらず、咄嗟のことに、そう、余りにも咄嗟のことに未来は動けずにいた。

 もうずっと待ち構えていたにも関わらず、それはあまりにも突然だった。

 

 つい、と熊木菟(ウルソストリゴ)の右腕が軽く持ち上がった。

 それは話に聞いていた挙動よりもずっと小さなものだった。

 だが瞬間、研ぎ澄まされたような鋭い殺気に、未来は動いていた。

 

「う、うぉぉおおおおおおおおおッ!?」

「なんっ、なんだっ!?」

「なんだべっ!?」

 

 いまだその存在に気付いていない二人を咄嗟に背にかばい、未来は盾を構え、その瞬間にはもう、熊木菟(ウルソストリゴ)の放った強烈な空爪(からづめ)が直撃していた。

 

 しっかりと腰を落として構えたわけではないとはいえ、《楯騎士(シールダー)》の重厚な全身が、一瞬衝撃に持ち上がり、落ちた。

 

「出たッ! ()だッ! もう()()まで近づいてるッ!」

「馬鹿な、こんな近くまで……ッ!」

「魔女どん! 構えろ!」

 

 未来は改めて腰を落として構えた。

 その構えた盾に、まるで大砲でも撃ち込んできたような空爪がぶちあたり、凄まじい轟音を立てる。

 轟音。そうだ。音が戻ってきている。

 奇襲をあきらめ、押しつぶすつもりでいるのだ。

 

 普通の熊木菟(ウルソストリゴ)の空爪は、大きく腕を振り上げ、放り投げるようなフォームから放たれる。

 だがこの老獪な熊木菟(ウルソストリゴ)は、風精に意志だけで目的を伝え、僅かな腕の振りで強烈な空爪を連発してくるのだった。

 遠距離からの、空気での攻撃だというのに、その一撃一撃は地竜の体当たりを思い起こさせるほどに凶悪だった。

 

「《タワーシールド・オブ・サラマンダー》!!」

 

 それに対して、未来は火属性の盾を張る。

 《エンズビル・オンライン》において、風は木属性。風は炎をあおり、より強くする。

 炎を模した《赤金の大盾》が、激しい炎に包まれて燃え上がる。

 

 盾を雪に突き刺し、どっしりと構えた未来のその背中に、するりと紙月が駆け上る。

 

「《火球(ファイア・ボール)》!!」

 

 最も慣れた、最も熟練度の高い魔法が、続けざまに何発も熊木菟(ウルソストリゴ)に放たれる。

 しかし敵もさるもの、その恐ろしく鋭い眼はたやすく火球を回避して見せる

 

「なら避けられねえようにするまでよ!」

 

 紙月は全く懲りずに《火球(ファイア・ボール)》を連打する。

 いや、違う。

 その目的は熊木菟(ウルソストリゴ)本体ではない。

 熊木菟(ウルソストリゴ)自身にもそう思わせながら、実際に狙うのはその足元の雪である。

 

 強烈な熱に、雪は急速に溶かされ、足元を一気にぬかるませる。

 熊木菟(ウルソストリゴ)の巨体が、そのぬかるみに足を取られた。

 

「今だっ!」

 

 本命の火球が熊木菟(ウルソストリゴ)を狙うが、今度は身にまとう風精がこれを強引にそらせて弾く。

 

「ありゃ天然の矢避けの加護だ! 生半じゃ徹らねえだ!」

 

 年経た魔獣は危険度が一つ二つ上がるくらいは珍しくないというが、この熊木菟(ウルソストリゴ)は間違いなくその手合いであった。

 乙種どころか、甲種に踏み込んでいる。

 そこらの冒険屋たちが束で挑んでも、全滅すること必至な化け物である。

 

 それでも数撃てばと《火球(ファイア・ボール)》を連発する紙月であったが、やはり火では、質量が足りない。身にまとう風精、矢避けの加護に弾かれるだけでなく、攻撃として繰り出される空爪にも押し負けている。

 

「《火球(ファイア・ボール)》じゃダメか……なら、木には金だ」

「紙月」

「未来、頼めるか」

「よしきた」

 

 紙月が魔力をため始めると、それを敏感に察した熊木菟(ウルソストリゴ)は、これを警戒し、またこの隙を機として、一気に突進をかましてきた。

 熊木菟(ウルソストリゴ)にとって十メートルなどほんの数歩の距離である。

 瞬く間に熊木菟(ウルソストリゴ)は未来へと飛び掛かり、組み付いた。

 

 その強烈な前足の一撃を、未来は何とか衝撃を受け流すことでこらえたが、しかし純粋に重さが違う。パワーが違う。

 鎧の中身は子供でしかない未来が、中までみっしりと肉の詰まった熊木菟(ウルソストリゴ)と組みあえば、どうしても重さで負ける。

 重さで負ければ、押し負ける。

 

「くっ……《金城(キャスル・オ)鉄壁(ブ・アイロン)》!!」

 

 それをどうにかして見せるのが、《楯騎士(シールダー)》の腕の見せ所だ。

 しっかり組み付き、相手を放さないように押さえ込んだまま、未来は防御力強化の《技能(スキル)》を用いる。

 これは単に打たれ強くなるというだけの《技能(スキル)》ではない。自分は動けなくなる代わりに、文字通り鉄壁をその身で体現するのである。

 

 炎が一層赤々と燃えあがり、熊木菟(ウルソストリゴ)の身にまとう風精と争う。

 未来が押せば、炎が熊木菟(ウルソストリゴ)の羽を焼く。

 熊木菟(ウルソストリゴ)が押せば、風が未来の炎をかき消しにかかる。

 

 未来はこれを耐えきればよい。

 熊木菟(ウルソストリゴ)はこれを押し切らねばならない。

 

 危険なほど急速に、熊木菟(ウルソストリゴ)のもとに風精が集まりつつあった。

 それはかつて地竜と争った時、あと一歩で押し切られそうになった、咆哮(ムジャード)と同じほどの高まりである。

 

「まずい、か、も……!」

「右肩下げれ」

 

 低い声に咄嗟に未来が肩を下げると、ぬるりと割り込んだ弓が、至近距離から熊木菟(ウルソストリゴ)の左目に矢を射かけた。

 ヒバゴノである。

 攻撃に風精を集めていた瞬間であり、また未来にだけ意識を集中していた隙もあり、矢は狙い過たず左目を射抜き、熊木菟(ウルソストリゴ)を大いにのけぞらせた。

 

「もういいぜ」

 

 そしてその瞬間である。

 

「《金刃(レザー・エッジ)》!」

 

 天を突くような巨大な剣が熊木菟(ウルソストリゴ)の足元から伸び、その刃は鋭く全身を真っ二つに切り裂いたのであった。

 ため込んだ風精が爆発的に爆ぜ、森の木々という木々をびりびりと震わせ、そして止んだ。

 

 過剰に魔力を詰め込まれた刃は、紙月の集中が途切れると同時にほろほろと燐光を放って崩れ去っていく。

 そしてそれに切り裂かれた熊木菟(ウルソストリゴ)の体も、思い出したようにゆっくりと倒れ伏していくのだった。

 

「………ッ」

「………やった、だか……?」

「これで生きてりゃ、ほんとにバケモンだが……」

 

 ヒバゴノがそっと歩み寄り、真っ二つの死体を検めた。

 どんな生き物であれ、こうまできれいに二つにおろされては、まず間違いなく致命傷である。

 

「やった……」

「やっただな……」

「やった……うぉー! やったぞー!」

 

 叫ぶ紙月を、落雪が襲い、埋めた。




用語解説

・矢避けの加護
 風精と親和性の高いものが行使する加護。高速、または敵意をもって飛来する飛翔物に干渉し、その軌道を逸らすことで使用者を守る。



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最終話 アイブ・ゴット・ユー・アンダー・マイ・スキン

前回のあらすじ

護る未来。
倒れる熊木菟(ウルソストリゴ)
埋まる紙月。


 落雪に巻き込まれてすっかり雪に埋まってしまった紙月は、宿に戻るころには、すっかり熱を出していた。

 普段は病的なくらい白い肌が、真っ赤に火照っているのである。

 それ自体が熱を放つ《赤金の大盾》をそり代わりにしてヒバゴノがこれを牽き、二枚におろされた熊木菟(ウルソストリゴ)の死体を未来が引きずりながら持っていくことになった。

 

 森から出てくると、薪割をしていたイェティオがすぐに気づき、駆けつけて熊木菟(ウルソストリゴ)運びを手伝ってくれた。

 宿に辿り着くころには紙月はぐったりとしていて、額に雪を当ててやると、喜んだ。

 

 おかみとイェティオの父親は真っ二つになった熊木菟(ウルソストリゴ)にも驚いたが、その熊木菟(ウルソストリゴ)を倒してくれた大恩人が熱を出してうずくまっている姿にはもっと驚き、紙月はすぐに部屋へと運ばれ、暖かなベッドに横たえられた。

 

「うう……寒い」

 

 ストーブのきいた部屋でもまだ寒いという紙月の為に、未来はたっぷりと衣装を取り出して着ぶくれさせてやり、また雪で作った氷嚢を額に当ててやりと、甲斐甲斐しく面倒を見た。

 

 体質的に貧弱であるはずなのに、紙月がここまで弱るのは初めて見る未来だった。

 それは、それだけ紙月が体調の管理に気を遣っていたということでもあるだろうし、未来に迷惑をかけてはならないと気を張っていたということでもあるだろう。

 今回たまたま雪に埋まるという事故から熱を出したが、そのうちどこかで似たようなことはあっただろう。

 無理がたたったのだ。

 

 それは無意識のうちの無理だったのだろうが、それに気付けなかったことが、未来をみじめな気分にさせた。

 それでも、以前未来が風邪を引いた時、紙月が甲斐甲斐しく面倒を見てくれたことを思い出し、それを真似るように未来は紙月の面倒を見た。

 

 少しして、おかみが部屋に食事を運んでくれた。

 材料はなんと、熊木菟(ウルソストリゴ)であるという。

 図鑑には、熊木菟(ウルソストリゴ)の肉は酷く硬く、不味いと書いてあった。

 

「食べられるんですか?」

「旅の山椒魚人(プラオ)にうまい処理の仕方を聞きましてね。美味しいですだよ」

 

 熊木菟(ウルソストリゴ)の熊汁は、実際、匂いと言い見た目と言い、うまそうなものだった。

 

 濃い目の胡桃味噌(ヌクソ・パースト)で味を入れているのだが、それ以上に熊の出汁というものがまた恐ろしく腹の減る良い香りと味わいをもたらしているのだった。

 削ぎ切りにされた熊木菟(ウルソストリゴ)の肉に、たっぷりの韮葱(ポレオ)、それにこれでもかというくらいの野菜類。追加の野菜まで用意してあるくらいだ。

 

 なんでも熊汁の汁というものは恐ろしくうまく、これで煮込んだ野菜は、あっという間になくなってしまうので、いくら用意しても足りないくらいだという。

 

 紙月が苦しんでいるのに自分が食事を楽しむのも気が引ける未来だったが、おかみに窘められた。

 子供があまり気を遣うものではない。それに、面倒を見る方が参ってしまってはお互いの為にならない。風邪がうつってしまったら申し訳なくなるのは向こうだ。まずしっかり食べて、滋養をつけて、それから面倒を見るとよい。

 このように言われて、未来は目から鱗が落ちる思いだった。

 

 熊汁は実際、一瞬とはいえ紙月の面倒を忘れさせるほどにうまい代物だった。

 胡桃味噌(ヌクソ・パースト)の汁とは言いながら、胡桃味噌(ヌクソ・パースト)だけでなく複数の合わせみそのようで、少し変わった香りがするのだが、これがまた熊肉の臭みをうまく殺してくれていた。

 また、韮葱(ポレオ)の外にも、たっぷりの生姜(ジンギブル)を使っているらしく、ちょっとではない辛みがあるのだが、それがまた野趣あふれる熊肉に合う。

 

 野菜がすぐなくなるというのも事実だった。熊木菟(ウルソストリゴ)の脂は分厚いのだが、さらりとしていてよく溶け、うまみのある甘みが汁にじんわりと広がり、そのしみ込んだ野菜などは全く、こちらが主役と言っていいほどにうまいものに仕上がるのである。

 

 たっぷりと運動した後ということもあって、ぺろりと鍋を平らげた未来は、次に紙月の食事の面倒を見ることにした。

 

 着ぶくれて氷嚢も当ててもらい、少し落ち着いた紙月は、なんとか体を起こせるまでにはなっていた。

 

「大丈夫、紙月?」

「……食欲ない」

「それでも少しは食べないと」

 

 冷めぬように小さな土鍋に用意してもらったのは蕎麦粥である。

 ソバの実を熊出汁と牛乳とで煮込んだもので、素朴だが、味わい深いものである。

 紙月は鼻が利かないながらもなんとなくおいしくは感じるようで、食欲はないと言いつつも、未来が匙を向けると、雛鳥のように口を開けてこれを受け入れた。

 そうして結局、小さな土鍋を空にしてしまった。

 

 こうしたちょっとした食事でも紙月はすっかり体力を使ってしまったようで、たっぷりの汗をかいて、ぐったりと横になった。

 寒いだろうとは思ったが、汗をかいていて気持ち悪かろうと、未来は紙月をいったん脱がせた。

 そうして盥に貰った温泉の湯で手ぬぐいを濡らして絞り、紙月の薄い体を拭ってやった。

 ハイエルフの体はどこもきれいなものでできているかのようで、汗も少しべとつくが、未来のかく汗よりもずっとさらりとしていた。

 

 力の入らない体はまるで人形のようで、もしもそこに熱がなければ本当に人形そのものだろうと考えて、未来はちょっと恐ろしくなった。

 弱り切った紙月は、本当にそうなりかねないと思わせるはかなさがあった。

 

 紙月にインベントリを開いてもらい、新しい服を用意して着せてやると、紙月はもごもごと言った。

 

「ごめんな」

「なにさ、急に」

「俺、お前に面倒かけちまってるなって。頼りないなって」

「そんなことないよ紙月。前に、僕が風邪ひいた時も、面倒見てもらったでしょ。お互い様だよ」

 

 そうは言っても、紙月はすっかり参っていて、自責の念に駆られているようだった。

 未来は紙月の頭を撫でてやり、ゆっくりとその謝罪を聞いてやり、その度に大丈夫だよ、なんでもないことだよ、もっと甘えていいんだよと繰り返した。

 それは未来のほんとうの気持ちだった。

 

 やがて紙月はうつらうつらとしながら、熱の中で甘えていいのかと尋ねてきた。

 未来が勿論と頷くと、紙月はその袖をそっと引いた。

 

「一緒に寝てくれるか……?」

「もちろん」

 

 未来は微笑んで、そっとベッドにもぐりこんだ。

 

 紙月の思う気持ちは、未来の思うものとは全く別かもしれない。

 期待を持たせてくれるけど、でも全くの誤解かもしれない。

 でも仕方がないんだ。

 そう、仕方がないんだ。

 

 熱を持った体を柔らかくかき抱いて、未来はその熱を逃がさないようにと祈った。

 

(だって僕は君に夢中だからね。自分でもよくわかってることに)

 

 窓の外で、雪がどさりと落ちる音がした。




用語解説

・アイブ・ゴット・ユー・アンダー・マイ・スキン
 叶わないと知っていても。


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第十三章 ザ・ウィッチ・トゥック・オフ・ヒズ・ドレス
第一話 退屈以上に、出不精


前回のあらすじ

風邪を引いて小学生に看病され、枕もとで甘い言葉をかけられたうえ同衾する女装ハイエルフママ男子概念。


 西部の冬というものは、ひどく冷え込む。

 

 雪はさして積もらないが、朝にはきしきしと音を立てて一面に霜が降りるし、風は身を切るように冷たい。

 往来はすっかり少なくなり、どうしても家から出なくてはならないものは、動きづらくなる程に着ぶくれし、首を肩にうずめるように身を縮めて、ほとんど小走りと言ってもいいくらいの速足で寒空の下を急ぐ。

 俗に隣近所のことを「スープが冷めない距離」と言うけれど、この時期はそれもすっかり狭い範囲に収まってしまい、冬に入ってからすっかり顔を見ないというのもよくあることだ。

 

 冬は西部だけでなく、帝国中に訪れる。

 

 西部はあまり雪が降らない土地柄だが、例えば北部はすっかり雪が積もって人の行き来はできなくなるし、各地を結ぶ街道も所にとっては通行が厳しくなる。雪で家がつぶれることも多く、人が一番死ぬ季節と言っていい。

 

 帝都は雪が積もると言ってもたかが知れているが、代わりに石畳が凍り付いて足を滑らせるものが増えるという。流通も滞り気味ではあるがすっかり途絶えることはなく、生活にはあまり困らない。ただし町の造りなのか家の造りなのか、いやに冷え込むという。

 

 東部は土地によっては北部並みに雪が積もるが、おおむね気候は穏やかで、ただ、海辺の町などは凍った風が堪えるという。温泉街などはこの時期、湯治客、観光客の方が住民より多いと言われるほどで、ひと月ふた月ほど腰を据えるものも多い。

 

 南部などは一年中暖かい常夏の印象があるが、やはり冬はある。雪はとんと降らないが、一応ほどほどに寒くなる。とはいえそれも南部人からしてみれば寒いという話で、他の地域、特に北部の貴族などは、南部を避寒地として別荘を持つものも多いそうだ。

 

 そんな冬の間、冒険屋というのは暇を持て余す。

 なにしろ、世間が活動を軒並み停滞・縮小しているから、冒険屋にも仕事がないのだ。

 

 冬ならではの魔獣狩りや、素材集めもあるにはあるが、そういうものは大抵専門と言っていいほどに手慣れた連中がほとんど独占状態であり、横からはいれるものではない。

 

 人足としての雇用は、ないではないが、たかが知れている。

 北部であれば雪かきなどをはじめ、却って仕事が増えるらしいが、西部ではそうもいかない。

 

 実家が近いものなどは、土産を手に帰省して農民に混ざるものも多い。

 土地にもよるが、冬でも作物が取れるところはそうするし、そうでない場合は、農具の手入れや、柵の補修など、することはある。

 もっとも、ただでさえ大変な冬場に食い扶持を増やしてもいいことなどないので、いい顔はされない。

 

 なので、非生産者である冒険屋は、冬のためにある程度の備えを蓄えておかないと、食う飯にも火を焚く薪にも困る。一年の間に頑張ってため込んだ稼ぎのほとんどは、冬場に消えると言ってもいい。

 

 仕事がないからと言って食っちゃ寝するばかりでは当然やっていけないので、嵐のときと同じく冒険屋たちは内職に励むが、それもすぐに金になるわけではない。たとえ金になったとしても、買い付けるものがあまりない。

 

 収穫は減り、流通も滞るので、金があれば手に入る、という状況ではないのだ。

 

 冬は、厳しい季節なのだ。

 

 とは言え、薄い皮肉を通して骨までしみる寒さと、質量さえ感じるほどに時間の進まない退屈を天秤にかけて、ぎりぎり暇つぶしに町中を観察する方に傾いた紙月からすると、スプロの町の冬は地獄というほどではなかった。

 少なくとも、想像しうる中世風異世界の中で最悪のものをチョイスして比較してみたところ、大分マシ、というよりかなり優遇されているのではないかと思えた。

 

 例えば薪だが、これは豊富な森林から大量に得られたし、そして「場合によっては逆に森に食われる」と称されるほどに異常に活発な植物の生育速度によって、伐採しすぎるということがない。

 土壌が枯れて砂漠化するのではないかという疑念も、何百年と森と戦い続けている歴史から見るに杞憂だろう。

 土壌がよほどに富んでいるのか、精霊をはじめとするファンタジー要素によるバフなのかは不明だが。

 

 それに薪以外の燃料として火精晶(ファヰロクリスタロ)がある。

 これは薪より高価だが、サイズに比べて長時間かつ高火力を発揮するし、使い方も様々だ。

 火山地帯などからの輸入品ではあるが、安定して産出するようで、冬のために買い込んでおく人も多いようだ。

 

 農業に関しても、紙月が漠然と想像していたよりかなりの収穫量があるようだった。

 最初は税が安いのかと思っていたが、単純に母数が大きいのだ。

 町の外に出た時など、村に広がる農地などを見かけることがあったのだが、小さい畑では鍬で、大きい畑では大嘴鶏(ココチェヴァーロ)に取り付けた(すき)でぐりぐりと耕し、おばちゃんたちが適当にぱらぱらと種をまいて、そして気づけば一面に農作物が実っているのである。

 

 途中経過を見ていないので何とも言えないが、いかにも豊作といった感じで、そしてそれは別に特別というわけでもなく、例年並みであるらしい。

 虫を取ったり肥料をやったりなどしていたのだろうが、それにしても立派なものだ。

 一面に黄金色に広がる麦畑など、未来と一緒にしばらく眺めてしまうほどだった。

 

 一面、そう言えば一面だったと紙月は気づいた。

 あたり一面畑で、空いているところはなかった。つまり、休耕地がなかったのである。

 

 同じ土地で作物を育てると、当然土壌の養分は減る一方である。

 なので、安定して肥料をつぎ込めないのであれば、休耕地つまり作物を育てない期間を作り土地を休ませ、放牧した家畜の糞などを肥料に回復させてやる必要がある。

 休閑地を作らない代わりにクローバーなどの牧草やジャガイモ、カブといった家畜の飼料を育て、家畜をふやし、耕作効率を良くしたものが輪栽式農業とか言ったはずだ、と紙月は漠然とした曖昧な知識からそう思いだしていた。

 

 知識としては日曜菜園程度のものしか持ち合わせていないのでしっかりとしたことは理解していないが、しかしその程度の知識しかない紙月から見てもこの世界の農業はちょっとおかしかった。

 休耕地はないし、輪栽式でもなさそうだが、そのくせ収穫は多く、家畜の飼料も十分にあり、冬場であっても十分な数の家畜を養えている。

 

 なんでだとぶしつけに尋ねられたムスコロは、農家の出であるらしく、さほど困らずに答えてくれた。

 

「そりゃ姐さん、セマトのご加護でさ」

「なんだいセマトってのは」

「神様でさ。農耕の神様なんで」

「神様に祈ると豊作になるのか」

「そりゃ、なりまさあ」

 

 当たり前だと言わんばかりの態度であるが、しかしムスコロもこの問題児の非常識ぶりには慣れたもので、農民なら子供でも知っているところから教えてくれる。

 

「どの村にもちいせえ社くらいありやして、供えもんしたり、祈ったり、掃除したりしやす」

「うん、そのあたりは想像できる」

「それで、新しく畑を拓いたり、種まきの時期になったりしたら、それぞれ畑の大きさやらに応じて供えもんをするんでさ」

「供え物は決まってるのか?」

「まあ、大体は昔っからの習慣で決まってまさあ。麦一袋で畑がこれくらいだとか、酒だったらこれくらい、金だったらこれくらいってね。まあ、村によって違うんで、土地の具合にもよるんでしょうなあ」

 

 先立つものがない貧農などは、実際に収穫してからの後払いもいいという。

 その代わり、後になってお供えを渋ったりすると、土地が荒れたり、他の者たちにも影響が出るので、かなりしっかりと村全体で管理するらしいが。

 

「投資家みたいだな」

「まあ神様も篤志家ってわけじゃねえですからな。子供のしつけみたいな話でやすがね、怠けもんやろくでなしの畑にゃあ加護が弱いてぇのはよく言いますな。そもそも実らせてくれる以外、耕して、虫をとって、獣を追い払って、なんて働きはせにゃならんですからな」

「あれ、そうなのか」

「そういうのは別料金でさ」

「別料金」

「供えもんも多く要るんで、働き手があるとこは自分でやりますな」

 

 畑の中にちらほら見える案山子(かかし)は、農耕神セマトの従属神であるとも化身であるともいわれるクエビコの宿るところとされ、畑の大きさに応じて設置するという。

 この案山子がある種の目印となってセマトの加護を賜るとされ、そのため案山子に悪戯をしたり、壊したりする者には罰が当たるという。

 

 この話を聞いて紙月などはファンタジー世界は都合のいいものだなと思いもしたが、実際のところそこまで親切な神でもなかった。

 

「神様てえのは割と容赦のねえもんでしてね、草木の生えねえ荒れ地を開墾しようとしてお伺いを立てたら生贄を要求されたり、後払いしようとした農民が流行り病でおっ死んで供えもんが出せなくなった時も容赦なく他から取り立てたり、ガキが案山子を壊した畑が何年か毒で穢されたり、まあ扱いは慎重にしねえとまずいもんで」

 

 ガチ目のファンタジーが隣人として居座る世界はあまり人類種に優しくないのかもしれない。

 それでもまあ、凍え、飢える人々が、少なくとも目に映る範囲では少ないと言える程度には、この世界の冬はマシなのだろう。

 

 白い息を機関車のように吐きながら、もこもこに着ぶくれた未来がランニングを終えて戻ってくるのを眺めながら、紙月はぼんやりとそんなことを思うのだった。




用語解説

・セマト(Semato)
 天津神。農耕神。神話によれば、狐の姿をしているとも、狐を眷属に従えるともいう。
 その身体から様々な作物を生み出すとされる。
 地に広がった人々が慣れぬ土地で飢えにあえぐのを見かねた神々が、はるか虚空天より呼び寄せ、その四肢を裂いて四方に投げやり、そのはらわたを引き出して八方にばらまき、その血を絞って天より降らせ、肉と骨を大地に埋めて馴染ませたという。
 これにより人々は大地より恵みを得て生きていくことができるようになったそうだ。

・クエビコ(Kuebiko)
 セマトの従属神とも、またその化身ともいわれる神性。
 案山子の姿をしている、案山子を依り代とするとされる。
 畑の守護者であり、監視者。
 世間を見続ける知者とされ、然るべき供物をささげる者には然るべき知恵を与えるとされる。
 同時に、脳がないので理性に欠け、時におぞましき真理をささやくこともあるとされる。



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第二話 派手な依頼人

前回のあらすじ

西部の冬は寒い。
そしていつもの謎のファンタジー世界知識が無造作に放り投げられるのであった。


 依頼がない時は、つまり大抵の時は元スプロ男爵である老アルビトロの屋敷まで稽古をつけてもらいに行っている未来だが、冬場はさしもの老武人も寒さが堪えるらしく、屋敷までの往復をジョギングする他は、一通りの動きを通して演って見せて、いくらか手直しを食らうだけで、あとは自主練を言いつけられている

 

 なのでここ暫くは、朝方出向いて、昼前には事務所に帰ってくる生活だった。

 

 事務所に帰ってきても、依頼があるわけでもなし、暇で退屈ではあるのだが、冬場は子供達も家にこもるか家の手伝いをしているので、ほかに行くあてがないのだ。

 それに何もすることがなくても事務所にはほぼ確実に寒がりで出不精の紙月が待っているので、未来としては特別理由を作ってよそに行く意味がないのである。

 

 今日も暇そうに内職などしていた紙月に迎えられ、二人でゲームアイテムの毛布にくるまって暖炉の前の長椅子を占領することにためらいなどなかった。

 以前までならば、たとえ森の魔女と盾の騎士相手であろうとも、数の限られた暖かいスペースを奪い合って他の冒険屋と醜い争い、つまりポーカーやブラックジャック、またはもっと簡単にじゃんけんなどが発生したものだが、いまは落ち着いた。

 

 紙月が露骨にいかさまを駆使して勝ちに来るのもあったが、寒すぎるあまりに紙月が開発した火鉢魔法が好評で、暖炉の需要が低下したのだった。

 もちろん暖炉傍を好むものも多いし、火鉢を抱えて丸くなる姿がみっともないと顔をしかめるものも多い。

 しかしそれにしたって火鉢魔法は便利すぎたのだ。

 

 まず、燃料をくべる必要がない。

 一から十まで紙月の魔法でできているので、最初に投入された魔力が尽きるまで消えないし、拡大解釈された《遅延術式(ディレイ・マジック)》でじんわり燃え続けるので長持ちする。大体一晩はゆうに持つ。

 薪を増やしたり風を送ったりで火力調整できないのが難点と言えば難点だが、その代わり何一つ手を加えないでもずっと同じ火力で燃え続ける。

 

 次に、小さい割に消えづらい。

 例えばたっぷりと水をかけたりしたらそれは消えるが、多少の風が吹いても消えない。

 網をかけて干し肉を炙ろうが麺麭(パーノ)を焼こうが酒を温めようが、消えない。

 そしてちょっと怖いことに、夜明るいのが困るからとふたをしてみても、消えない。

 

 紙月と未来も、冒険屋が便利だ便利だと騒いでいるのを聞いて初めて気づいたのだが、この魔法の火、火であるくせに燃えるものも酸素もいらないのである。

 煙突もないのに、寒いからと窓もドアもぴったり締め切った部屋で一晩使っても、悲惨な一酸化中毒事件など引き起こさないのである。

 

 そんな冒険屋たちの実に危なっかしい使い方を知って青ざめた二人である。

 

 幸い事件も事故も起きてはいなかったが、安易に便利な力を使おうとすると危険であると二人は肝に銘じ、魔法の火鉢は《火球(ファイア・ボール)》が延焼を起こさないようしっかりとしたおおいをかけ、魔法ではない本物の火にはどんな危険があるのかを冒険屋たちに時間を割いて講習した。

 

 紙月の大分かみ砕いた説明でも、一般生活レベルに化学的知識が普及していない人々にはやや分かりづらいものだったが、経験的に密室で火を焚くと毒気がこもることなどは知られていたので、「理屈はわからないがそうなる」というレベルではわかってもらえた。

 

 取り上げて二度と使わないという選択肢はなかった。

 人は便利なものを手に入れると以前の生活には戻れないものなのだ。

 

「つまり安定した小遣い稼ぎになる」

「紙月そういうとこあるよね」

 

 内職も飽きてくるといよいよやることがなくなり、鋳物の鉄鍋を暖炉に放り込んで林檎(ポーモ)など焼きながら、ぼんやりと火を眺めるというぜいたくな時間が始まる。

 世の中、ひたすら延々と暖炉で火が燃える映像を流し続ける動画が人気になるくらいだから、なるほどこれはこれで悪くない。

 人は制御された炎に対して安心を覚えるようになっているのかもしれない。

 

 紙月は木のマグカップを両手で包み込むようにして、中身の妙にドロドロした白っぽい飲み物をすすった。それは鶏乳甘酒(カゼーオ)と呼ばれるもので、鶏乳を原料とした酒を造るときにできる酒粕みたいなものを、水で溶かして小麦粉やバター、たっぷりの砂糖を加えて煮たものだった。

 味は甘酒に似ているかもしれない。しかし砂糖をたっぷり入れないと酸味が強く、乳臭いというのか、独特の匂いがして、未来は正直好みではない。そもそも甘酒だって好きではない。

 

 紙月も最初は慣れない様子だったが、しばらく自分で味を調整して、最近は体が温まるからと言ってもっぱらこればかり飲んでいる。

 紙月のことを何かと肯定しがちな未来であるが、味覚に関していうと、寛容と言うより大雑把なのではないかと疑っている。

 

 そんな未来は何を飲んでいるかというと、砂地茱萸(ヒッポフェオ)という果実と林檎(ポーモ)のミックスジュースだった。

 これは棘のついた枝に小さなオレンジ色の実をつける植物で、そのままだと酸味が強く、渋く、えぐい。

 凍らせると渋みが弱くなるそうで、スプロ辺りでは、冬場、枝についたまま凍っているものを揺さぶって落として収穫することが多いそうだ。

 それでも癖が強く、青臭いような土臭いような独特の匂いもするので、大抵はジャムや果実酒にしたり、いま未来が飲んでいるもののように他の果物とのミックスジュースにしたりする。

 

 林檎(ポーモ)ジュースで割って、砂糖も加えて、それでもやや癖があるが、その酸味が何だか健康に良いような気がするし、実際滋養に富んでいるということで、半分薬と思って未来も飲んでいる。

 そのおかげか最近は、すこぶるお腹の調子が良いように思われた。

 

 紙月は試しに原液を飲んでみた結果、事務所の面子曰くの「美形がしていい顔ではない」ほどの苦悶の表情をさらし、林檎(ポーモ)ジュース割りも試したみたが、「かすかに感じられるせいでかえって独特のにおいが気になる」として好んで飲もうとはしなかった。

 未来のことを何かと肯定しがちな紙月であるが、味覚に関していうと、絶対に同じ地域出身ではない断絶の壁を感じている。

 

 《念力(テレキネシス)》で薪をくべ、ムスコロを顎で使って飲み物を調達し、ともすれば互いの体を枕にうたたねを開始してしまいそうなほどに怠惰に堕落した時間は、しかしある日、唐突に破られた。

 

「おい暇人ども」

「暇じゃないんですけど」

「どう見ても暇だろう」

「ごろごろするのに忙しいんです」

「よし、暇してるな」

 

 天下の《魔法の盾(マギア・シィルド)》の二人にここまでぞんざいな扱いができるのは、事務所内では所長のアドゾか、微妙なパワーバランスの上にいる先輩冒険屋のハキロだけだった。

 ハキロは別に冒険屋歴が長いわけでも特別腕が立つわけでもないが、二人の新人冒険屋の教育係に付けられ、いまや有名無実となってもそれなりに仲が良いので、なあなあのまま関係が維持されている。

 

「よしんば暇してるとしても、外出たくないんですけど」

「ちょうどよかった。室内での仕事だ」

 

 紙月のうかつな言葉尻を捕まえて、ハキロが笑った。

 

 いやだ面倒くさい俺はここで未来と暖炉を監視するのに忙しいんだと駄々はこねるが、実際、暇していたのは確かである。

 口では何やかやと言いながらも、二人はずるずる長椅子から立ち上がって、一応人様と会える程度には身づくろいした。

 依頼人はすでに、応接室で待っているという。

 

 対外用にいかにも魔女でございと言ったとんがり帽子をかぶった紙月と、見た目も派手でインパクトもある何より暖かい《朱雀聖衣》を着込んだ未来は、互いに不備がないかをチェックして、応接室に向かった。

 そうしてるとできる冒険屋みたいだなとぼやきながらハキロがノックすると、アドゾの応えがあった。

 

 ドアを開けて二人が部屋に入ると、そこにはどぎついピンク色がいた。

 未来が思わず絶句し、紙月が「うわっ」と漏らすどピンクである。

 

 ピンク色は応接室の長椅子に座っていたが、二人が入るや否や怪鳥の如き奇声とともにすっくと立ちあがった。それだけで部屋が狭くなったように思われる視覚的暴力である。

 さすがに鎧姿の未来程ではないが、それでも体格のいいものが多い冒険屋たちと比べても頭一つは大きい。

 

 男である。

 ピンクの男である。

 

 柔らかく波打つ髪は濃いピンクに染め上げられており、独特の感性によって編み込まれていた。

 顔は決して悪くない、悪くないが、骨太で力強い顔立ちに、口紅や頬紅、アイシャドーなどがファンシーなピンクで彩り、情報量が多い。

 

 全身を飾る服や装飾品も一から十までピンク色で統一されており、妙な形状や用途不明の露出部分などの奇抜なデザイン以上に、とにかく目に痛い。視覚的にうるさい。

 

「やだ、素敵じゃない!!!」

 

 そして声もうるさい。

 

 二人を目にするや否や、ピンク色の男は全身で感動を表現すると言わんばかりに両腕を広げて叫んだ。

 これがまた味わい深い深みのあるバリトンなのだが、それすらピンク色に着色されているような気さえする。

 

「古典的ないわゆる魔女といった旧態依然とした様式を踏襲しつつも、人に見られる、人に見せることを、いいえ、もうはっきりと見せつけることを意識した攻めの意匠だわ! かといって過度な装飾で調和を乱すこともない、洗練された形よ! 資本を見せつけるべく布地を増やしたり飾りを増やしたりするだけの足し算なんかじゃない、あくまでさりげない装飾と調和が、全体としての魅力をぐっと引き上げる掛け算の芸術ね!」

 

 素晴らしくよく響くバリトンがオネエ口調で紙月を、より正確には紙月の服装を褒め称えた。その意味するところは紙月にはよくわからなかったが。

 どピンクバリトンマッシブオネエは興奮冷めやらぬという風に長い腕で自分の体を抱きしめ、みっちりとした筋肉を揺らして身をくねらせた。

 

「こっちの鎧もタダモノじゃないわね! 専門ではないけど、でもこの意匠は、ファシャの鎧に近い形かしら? 西部にも伝わっている布鎧にも似ているわね。それにしてもなんて美しい装飾かしら! 鳥、炎の鳥かしら、なんて幻想的……それにこの光沢! 金属片も、布地も、まるで炎のように輝きが揺らいでるわ! なんだか近づくと暖かい気もするし、魔法の鎧なのかしら! ああ! たぎるわ!!」

 

 大興奮でまくしたてる目に痛いピンクに輝けるマッシブダンディに二人がドン引きしていると、横に座っていた少年が申し訳なさそうに頭を下げ、的確にどピンクのみぞおちに肘を入れて黙らせた。鮮やかな手並みであり、手慣れた動作を思わせる。

 

 強制終了が入ったためか、どピンクはいくらか落ち着いたようだった。

 アドゾが促すままに一同は腰を下ろし、少ししてハキロが持ってきた暖かい乳茶がふるまわれた。

 

「ごめんなさいね、あんまり楽しみにしてたもんだから、つい興奮しちゃって」

「ああ、いえ、あー、お気になさらず?」

 

 他に台詞も思い浮かばず、そう言う外になかった。

 椅子に座って乳茶を楽しむ程度には落ち着いてくれたとは言え、いまだにじろじろと頭の先からつま先まで矯めつ眇めつ眺めてくる圧の強いサイケデリックピンキーに、ほかに何と言えばよかったのだ?

 これが悪意のある視線や、いやらしい物であれば二人としても明確に構えられたが、しかし視線はあくまで好意的で、むしろ好奇心に満ちたものなのである。

 

「ま、ちょっと変な形になったが、まずは自己紹介と行こうじゃないか」

 

 現実強度の強い肝っ玉の太さを持つアドゾが仕切ると、現実を侵食するピンク色が手を合わせて頷いた。ちょっとした動作にも絵面のパワーがある。

 

「えーと、じゃあ、俺たちは」

「ああ、いいわ、あなたたちのことはよく知ってるもの。森の魔女と盾の騎士、スプロの町で知らないものはいないわ」

「はあ、そりゃどうも」

「さて、さっきは失礼。あたしはロザケスト。この町で仕立屋の工房を開いているものよ。謙遜せずに言っちゃうと、スプロ男爵御用達、この町でも一等腕の立つ仕立屋を自負してるわ」

「徒弟のリッツォです。師匠は見た目はアレですし中身もアレですけれど、男爵様御用達なのは事実です」

 

 仕立屋と言われて、二人は顔を見合わせた。

 要するに、衣服を作る職人ということだ。

 機械による大量製品の既製品などまずない帝国では、衣服と言えば基本的に職人の手作りとなる。

 彼らはその職人なのだという。

 

 そう言われてみれば、ロザケストの奇抜な服装やセンスは、ファッション・ショーで常人には理解しがたい最新のモードを発信し続けるぶっ飛んだファッション・デザイナーのようなものかもしれないと思える。

 思い込む。

 そうでもしなければちょっと度し難いどピンクである。

 

 そのようにして無理くり納得した二人だったが、しかし問題はその仕立屋が冒険屋に何の用かという話である。

 例えば、衣服に用いる特別な素材などを採ってきてほしいとか、なんとかいう魔獣の毛皮が欲しいとか、そう言うシンプルな依頼であればわからないでもない。

 だがそういうのは、素材の採取やきれいな解体作業などに精通したほぼ専属の冒険屋に依頼するようなもので、ネームバリューだけを頼りに二人に依頼するというのはちょっと堅実性に欠ける選択だ。

 

 第一、室内での仕事だというから来たのである。

 寒い外で狩りなんかしたくもない。

 

 首をかしげる二人に、ロザケストは言った。

 

「欲しいのは物じゃないわ。新しい『発想』よ」




用語解説

・ゲームアイテムの毛布
 正式名称《安心毛布》。安っぽい毛布のように見える。
 敵に捕捉されていない状態で使用することで、精神系状態異常を解除する。
 使用中は移動ができないが、その間《SP(スキルポイント)》の自然回復速度が上昇する。
 使用中、低確率で状態異常:睡眠が発生する。
『想像してご覧。君は車の後部座席で揺られてる。両親の話す声がぼんやり聞こえる。お気に入りのブランケットを抱きしめて、君はいつまでもいつまでも揺られてる。何にも気にしなくていいんだ。何にもね』

・じゃんけん
 帝国では(パペロ)(トンディロ)(シュトノ)(Papero, tondilo, ŝtono)として知られる。
 手の形もルールもじゃんけんに準じる。
 どこが発祥なのかは判然としないが、古い文献にも見られることから、神々のもたらしたものではないかとも言われる。
 掛け声は地方などによって異なり、ここをきちんと確認しておかないと揉めることもある。
 例「(ウヌ)(ドゥ)死ねェ(モールトゥ)!」


林檎(ポーモ)など焼きながら
 蓋つきの鋳物の鉄鍋に、芯をくりぬいた林檎(ポーモ)、バター、蜂蜜、砂糖、香辛料などお好みに合わせて放り込み、蓋を閉めて暖炉に突っ込む。
 美味しい。
 それ以上の解説が必要かい?

鶏乳甘酒(カゼーオ)(Kazeo)
 大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の乳から作られる乳製品の一種。
 乳酒から蒸留酒を作る際にできる「搾りかす」のようなものとされる。
 乾燥させて食べるほか、本編中のように水に溶かして調味して飲んだりする。
 栄養価が非常に高く、食事代わりになるほど。

砂地茱萸(ヒッポフェオ)(Hipofeo)
 スナジグミ。乾燥地に生育する低木、およびそれになる木の実。
 非常に酸味が強く、えぐく、渋い。ジャムやパイ、果実酒などにすることが多い。
 栄養価は非常に高く、兵士や馬に与えて士気を高めたともされる。

・古典的ないわゆる魔女
 帝国にも、とんがり帽子にローブという魔女のイメージが存在するようだ。
 果たしていつごろからそのようなイメージが広がったのかは不明。

・ロザケスト(Rozakesto)
 スプロの町で仕立屋の工房を営む人族の中年男性。
 若いころに帝都で修業した。
 腕はよく、男爵からの覚えもめでたい。
 伝統的な技術だけでなく新奇なデザインや技法をあつかう発想力と技術力を持つが、近ごろは帝都からのモードの発信に対して、限界を感じつつある。
 いわゆるオネエ言葉で話し、女性的な仕草をするが、同性愛者ではない。
 あくまでも彼個人の美意識の発露であり、そしてそれは一般的でなく他人に理解されないことを承知のうえである。

・リッツォ(Licco)
 「お人形のような」と形容される整った顔立ちの少年。
 娼婦の子で、顔くらいしか取り柄がないので自分も売春によって生計を立てるつもりだったが、母親に相談されたロザケストに徒弟として預けられる。
 ロザケストの強烈なキャラクターの前に自身の容姿が完全にかすみ、また真正面から不細工扱いされて自分の無意識の自惚れを自覚させられ、以降は職人として手に職をつけようと努力している。


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第三話 西部のファッション事情

前回のあらすじ

事務所にピンクがやってきた。


「欲しいのは物じゃないわ。新しい『発想』よ」

 

 仕立屋ロザケストが言うところによれば、いくら素材や技術を向上させたところで、窮極的には発想力というものがファッションの世界では重要であるらしかった。

 

「つまり、あなたのその格好も発想力の結果と」

「これは趣味よ」

「趣味」

 

 まあ、発想力の結果と言えば結果なのかもしれない。

 

 さて、こう言っては何だが、紙月も未来も、あまりファッション・センスに優れたほうではなかった。

 

 二人ともこの世界に転生してきてからもっぱらゲーム内の装備品で過ごし、衣服を買うようになってからも、その選択肢の少なさから実用性を重視して購入していたようなものだ。

 二人のファッションが破綻していないのは、ゲーム内アイテムを効率重視で装備していくと、結局はそれなりに見える形に落ち着くという、《エンズビル・オンライン》のアイテム制作を担当したデザイナーの功績であった。

 

 この世界にくる以前にしても似たようなものだった。

 

 紙月のファッションは大抵雑誌に載っているものか友人のものをまねた程度であって、目も当てられないことにはならないが、かといってオリジナリティもない凡庸なものだった。

 その場その場に合わせた着こなしというものを考えることはできたが、それはあくまでもテンプレートに従った結果であって、その中でどれが最善で、どうすれば自分らしさを演出できるかなどは全くお手上げだった。

 

 未来などは、そもそも服というものは自分で買うものではなかった。父親に買い与えられるものだった。もちろん、未来なりに好みというものはあったが、それだって色だとか着心地だとかの問題であって、ブランドや細かな違いを気にしたことはなかった。

 せいぜい、あんまりカジュアルなのよりは、ちょっとかっちりした方が好きとか、そう言った程度だ。それだって、スーツ姿の父親の背中を見て育ったからという以上の意味はない。

 

 そんな二人なので、ファッションの話は全く分からない。

 なので発想だか何だか知らないが手助けはできそうにない。

 などということを顔色から察するまでもなく、そもそも冒険屋にそんなことを期待するつもりはないようで、ロザケストは気にした風もなく話を進めた。

 

「普通に暮らしてると、服なんてまあ大体同じようなもので、せいぜい襟巻の柄とか、根付の形とか、そのくらいだと思うのよね。親が作ったものを教わって、子供が作って、またその子供へって具合だもの。変わるわけないわ。それが普通なのよ」

 

 基本的には、服というものは家で作るものである。

 布を買い、糸と針で縫うのである。

 農民ではほとんどそれ以外なく、町民でも、せいぜい襟巻や帯などを買うくらいで、服は作るか、古着屋で買う。

 

 では仕立屋に来る客はと言えば、ある程度のお金持ちや、貴族になる。

 必然的に、それらは民衆と同じようであってはならない。

 より高価で、より美しく、より新奇なものでなければならない。

 ある一線を越えると、服は物理的に身を護るものから、ステータスを示す武器に代わるのだ。

 

 布をたくさん用い、難しい色染めを行い、希少な素材を使い、意匠に凝る。

 それが他の服よりも素晴らしいと判断されれば、既存の服は陳腐化し、より新しい形が求められる。

 その繰り返しの結果が常人からは意味の分からない、珍妙なデザインのたぐいだ。

 

 ロザケストは西部の伝統的衣装である、古典的遊牧民風の衣服と、現代風の衣服との融合によってスプロ男爵の歓心を買い、御用達の称号を得た。

 帝都での社交界で、この新古の入り混じったデザインが話題になり、一時期ブームとなったからだ。

 

 それ以降も、ロザケストは常に新しいファッションを求め、試してきた。

 それがいつも成功し話題になるわけではなかったが、しかし一定の評価は得続けてきた。

 西部の田舎者がそれなりの評価を受けるというのは、称賛にたる偉業である。

 

 だが、それ以上は、難しい。

 一度は目新しさから流行を勝ち取った。

 しかし、新古の融合という発想は、その後誰もが真似するところとなり、いまや陳腐化も甚だしい。

 同じ手は通じない。

 

 帝国の流行の発信地は、当然の如くに、帝都である。

 財力と人脈を持つ貴族と富豪が集い、各地から様々な支那や情報が集まり、最新の技術がそれらを組み合わせて流行を作り出す。

 そもそもの土台としての強さが違うのだから、生半のことでは手も足も出るものではない。

 

 しかも帝都はいまもなお発展を続ける生き物だ。

 国立の縫製工場なるものが建ち、規格化された商品が大量生産され始めると、衣服というものに関する民衆の考え方も変わってきた。

 比較的安価で質の良い衣服が手に入る。そしてそれらは種類が豊富で、一通りではない。

 オーダーメイドでただ一つの服を作り出すことだけでなく、多種多様な部分を組み合わせて、自分だけの着こなしを追求するコーディネートが可能になった。

 

 いまはまだ、上流階級はオーダーメイド、一般都民が既製品という枠組みではあるが、それもどう転ぶか分かったものではない。

 

 技術だけでなく、デザインの種類にも大きく幅ができ始めていた。

 各地で活動する超皇帝をはじめとした斬新なパフォーマンス集団は、公演の度に新奇なデザインを発表し、そしてそれはすぐに熱狂する民衆たちによって流行の波に乗る。

 工場はそれらを取り入れた既製品を大量生産し始め、それらの組み合わせから新たなファッションが生まれる。

 

 いまやデザイナーのライバルは同じデザイナーだけではなかった。民衆から生まれる流行の波は、無視できない強大なものとなっていた。

 流行り廃りは以前より早く、そして大きなものとなっていた。

 奇抜なファッションが入れ代わり立ち代わりに現れては消え、そして確実にデザインの歴史に積み重ねられていた。

 

 ロザケストも流行には敏感に触角を伸ばしている。

 しかし、それでも、地方の人間にはとてもそれに追いつけない。

 そもそも、帝都の人間でさえ、流されまいとすることに精一杯なのだ。

 定期的に購読している情報誌は、各号ごとに矛盾と混乱を積み上げているようでさえあった。

 

 流行の中心とそれを受け取る側。

 流行を作る側とそれを追いかける側。

 これではどれだけ努力しようと、速度が違いすぎる。

 

「西部の中だけなら、問題はないわ。でも、貴族や金持ちってのはそうもいかないの。流行外れの格好で帝都に出向いたら、面子にかかわる。帝都から来た連中に時代遅れの格好見せたら、見下される。わかるでしょ?」

 

 時代に取り残されかけていたMMORPGにはまり込んでいたような、ファッションにも流行にも疎い二人には正直なところあまりわからない話であったが、こういうときはよくわかりますという顔をしておくのがいい。

 別に会議の内容は聞いていなくていいのだ、と紙月は未来に教えている。

 大体の会議は最初から方向性が決まっているので、主流っぽい意見に頷いておけばいい。

 意見を求められたときは、質問に質問で返す方向で煙に巻くのだ。

 

「冒険屋だって、みすぼらしい格好して、弱そうな武器持ってたら、依頼人に足元見られるでしょ? 同じことよ」

 

 冒険屋の二人にわかりやすいようにということか、ロザケストはそのようなたとえも持ってきてくれたが、なにしろ一般冒険屋と違って、ほとんど最初から殿様商売やってる二人である。ご縁のない話であった。

 だがたとえ実感のわかない所であっても、もっともらしく頷いて、それから?という顔で次を促すのだ。

 相手は理解が得られたと思い、話が早いと次に進んでくれる。

 

「正直、いまの流行に流されっぱなしの業界って良くないと思うのよね。そりゃ、流行ってのは何事にもあるわ。あたしらだってそれを商売のタネにしてるし、伝統をさらによい物へ発展させる動力でもあると思う。でもいまの流行り廃りってのは、流れに乗ってるんじゃなくて、流されてるだけだもの。わかる?」

「ええ」

「思うに、一度にいろんなものがわっと溢れ出しちゃったものだから、一つ一つ確かめる前に、次から次へと流れてくるものに対応するのが精いっぱいで、その意味を考えることができてないのよ。ある種の革命ってやつなのかしらね。革命も善し悪しよ。時にはひっくり返すことも大事だけど、そうでないことの方が多いわ。そうじゃない?」

「そうかもしれません」

「何年か、何十年か、きっと時間がたてば、この混乱の嵐は収まって、落ち着いてよくよく見返す時代が来るでしょうね。でもそれを待っていることはできないの。ただ新しいっていうだけの薄っぺらな流行に芸術が負けるわけにはいかないし、仕立屋としての矜持が我慢ならないし、それに、一番切実な話、出資者である男爵のご機嫌伺いしないといけないもの」

「ごもっとも」

 

 立て板に水のようにべらべらと語り続けるロザケストに、紙月は落ち着いて相槌を打った。

 未来などはそれをさもできる大人か何かのようだと感心しているが、実際には半分も内容を理解していないし、する気もない。

 そしてロザケストの方でも意味や中身のある話をしているわけではない。これは実務の話ではなく意義の話をしているからだ。どう思っているかということでしかない。説明のようでいて説明ではない。

 何を話しているかというのは、本人にとっては大事かもしれないが、しかし場にとっては何かを話したということだけが大事で、中身はさほどでもない。大事なのは枠だ。外側だ。

 

 会議で大事な部分というのは、基本的に最初か最後に述べられるものだ。

 

 ロザケストは乳茶で喉を潤し、一息ついた。

 

「なんだったかしら。ええと、そう、薄っぺらな流行に負けない、強い意匠、強い発想、強い流行を作りたいのよ。帝都が混乱しているなら、その横合いからガツンと殴りつけてやりたいの」

 

 つまり、話は最初に戻ってくる。

 もう一度帝都で話題になるような流行を作りたい、というところに。

 これはただでさえ簡単なことではないが、現状ではもっと難しい、というのが長々と話したところの要点だろう。

 

 確認が済んだところで、実務の話だ。

 

「売れるには力がいるわ。多少の流行り廃りじゃ揺るがない、はっきりとわかる新奇さ。そして、名前よ」

 

 そのために、多彩で見栄えもいい魔法の装備の数々と、《魔法の盾(マギア・シィルド)》の名前を貸してほしいのだという。




用語解説

・工場
 帝国での産業と言えば、もっぱら職人とその工房による個人レベルの手工業だった。
 しかし工房の吸収合併、組合の主導による組織的分業などが急激に推し進められ、工場が成立。
 作業効率が上昇し、生産能率は飛躍的に向上。
 国家の承認および推進もあり、複数の分野で工場が建てられ、帝都の産業は急速に発展した。
 しかし同時に、工場に所属しない職人たちが淘汰されたり、同時期に多様な商品が溢れかえることで価値観の混乱・崩壊が見られるなど、いいことばかりではない。
 法整備もまだなので、問題が多い。


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第四話 貴族の意向

前回のあらすじ

ファッションの専門家からの依頼に対して、ファッションがまるで分らない紙月と未来。
何より作者自身ファッションなどさっぱりなのだった。


「俺たちの名前ねえ」

 

 フムンと顎をさすったのは紙月である。

 ちょっと肩をすくめたのは未来だ。

 冒険屋としては珍しいことに、しかし定番お約束古典主義の異世界転生者としては大して珍しくもないことに、二人はあまり名を売ることに興味のないたちである。

 だから名乗ることはあるが広めたことはないし、わざわざ宣伝して回っているわけでもない。

 

 なので、いくら《魔法の盾(マギア・シィルド)》が規格外の冒険屋だとしても、畑違いの業界でブランドとして扱うにはいささか弱いのではないかと考えているのである。

 所詮は冒険屋というならず者の何でも屋業界でもてはやされているだけであり、それも最近は大した依頼もこなしていないので風化してきているのではないかと。

 

 そんな二人の態度に、冗談でも言っているのかと苦笑いが返ってきた。

 

「あんたたちの噂は冒険屋より貴族の間で有名よ」

「へえ? そりゃまたなんで」

「ぼくら貴族と付き合い……まあ、あるはあるよね」

 

 ぱっと思いついたのは元スプロ男爵である老アルビトロだ。

 帝国では貴族とは爵位を持つ当人だけを指し、爵位を他者に譲り、他に持っていないアルビトロの場合、厳密にはもう貴族ではない。

 しかし実際的には領地や資産があり、実質的な権力もあり、また貴族との親交が途絶えたわけでもないから、一般には貴族と呼びならわされている。

 これは有爵者の家族なども同じことだ。

 

 そのアルビトロからの繋がりだろうかと考えたのだが、どうもそれだけではないようだった。

 

「そもそもの地竜殺しからすでに注目されてたんだけど、これはまだ半信半疑だったのよね。調査結果は出たけど、なにしろ内容の割に、実際は片田舎で起こった小さな事件だったから。でもあんたらがハヴェノで海賊狩りをしたことで、噂は一気に広がったのよ」

 

 というのも、ハヴェノは帝国随一と言ってもいい港町だ。

 そして紙月と未来が関わったのは、帝国のお偉方の息もかかっているプロテーゾ商会だ。

 肝心要の海賊船については機密とされ詳細は広まらなかったが、紙月たちの活躍は流通に乗って帝国各地へと噂になって流れ、そしてすでに知るようにプロテーゾ商会を通じて帝室にまで伝わっている。

 レンゾーからさらっと言われたので聞き流していたが、帝室とはつまり皇帝とその一族、ひいては政治中枢である元老院にまで伝わっていることだろう。

 

 市井から貴族まで流れた情報は、耳ざといもの、情報通の間で語られていき、その真偽や程度はともかくとして、非常に多くの人間の耳にするところとなったらしい。

 

 曰く、麗しき森の魔女と気高き盾の騎士の冒険譚、現代の神話伝説、だとかなんとか。

 

「吟遊詩人も歌ってるわよ」

「ぐへぇ」

「あれこのあたりだけじゃなかったんだねえ」

 

 そんなこんなで、本人たちとはかなり違う形で伝わった話も含めて、森の魔女と盾の騎士、《魔法の盾(マギア・シィルド)》というブランドはそれなりの知名度を誇るらしい。

 

「そんなわけで、帝都でも秘かに……秘かにでもないわね、噂になってるあんたらをうまいこと使っていい感じに西部貴族の名をあげて箔をつけたいっていうのが依頼主の意向なのよ」

「依頼主の意向?」

 

 依頼主はロザケスト本人だと思ったのだが、ロザケストもまた誰かから依頼を受けたらしい。

 つまりロザケストが元請けで自分たちが下請けか、と紙月が頷くと、それも違うとロザケストが遮った。

 

「正確にはあたしの依頼主の依頼主ね」

「じゃあ孫請けだ」

「あたしに依頼したのはご領主様、スプロ男爵よ」

 

 基本的に、貴族が冒険屋に直接仕事を依頼することはあまりない。

 本当に小さな貴族や、豪農と大差ない代官くらいなら距離感も近いので冒険屋を招いて依頼することもあるが、大きな貴族ともなると、そういうのは下々のやることであって自分たちの関わることではない、という態度になる。

 なので出入りの業者や、冒険屋組合を通じて、またはよほど名があり腕がある、または縁故のある冒険屋を特別に贔屓するということになる。

 

 スプロ男爵の爵位は、一番下の位に当たるし、また割合に領民との距離も近いので直接の依頼もありそうではある。老アルビトロとの親交を知っていれば、その縁を通じて話をつけに行くこともあるだろう。

 そうしなかったのは、あくまでも直接的な依頼ではないので、実際に製品を仕上げることになるロザケストに話を通し、それを通じて紙月たちに依頼するという形なのだろう。

 

 そしてそう言う中小企業的なやり取りのさらに上、大本の発注主というのは、当然スプロ男爵よりも上位の貴族である。

 

「聞いて驚きなさい。ガルガントゥオ伯よ」

「へえ、あ、そうなんですね」

「伯爵さんだって、紙月。偉いのかな」

「侯爵の次、子爵の上だな」

「あー、そう」

「あんたらね」

 

 大いに呆れられたが、貴族制というものになじみのない世界からやってきた二人である。なんだか偉そうだなというのはわかるが、実感としてはよくわからない。

 平民たちにとっても、伯爵だの男爵だのはみんなひとからげで「貴族様」であり、雲上人であり、関わり合うことがないだけにさほどの関心はないが、彼らの場合は自分の上に存在する人々だという認識がしっかりと存在する。

 よくわからないなりに畏れるべきものだという共通認識がある。

 二人にはそれがないのだ。

 

 それが圧倒的強者としての余裕なのか単なる阿呆なのかとロザケストはしばらく呆れたように眺めていたが、やがて諦めたようにオーバーなリアクションで肩をすくめた。

 

「簡単に言えば、ガルガントゥオ伯はスプロ男爵の寄親よ」

「寄親」

「スプロ男爵領をはじめとしたいくつもの領地を支配下に置く、大物貴族なのよ」

「貴族の親分ってことかな」

「おやぶ……ま、まあそんな認識でもいいわ」

 

 紙月ならばともかく、見た目はどう見ても子供でしかない未来の物言いであるから、ロザケストも適当に切り上げた。大体、彼だって男爵御用達という特権を許された立場であるからいくらか詳しいというだけであって、貴族の細かい区分など本人たち以外にはあまり意味はないのだ。

 

 さて、大本の発注主であるガルガントゥオ伯とやらは、帝都でもそれなりに知られた大貴族の一人であるらしい。

 遊牧民や天狗(ウルカ)の国家アクチピトロと面する西部の貴族は、いささか武に偏りがあるものの、文化のまじりあう境界であるがゆえに独特な文化や服飾が知られている。

 騎馬服などをアレンジした服飾や、異国情緒あふれる装飾品など、社交界でも一定の評価を得ていたという。

 しかし、帝都の文化が洗練されていくにつれ、西部貴族の装いや振る舞いは田舎臭い、野蛮であるという風に扱われることも少なくないというのが近ごろの風潮であるらしい。

 

 一人で馬に乗れないものは成人とは認められない、弓の一つも扱えないで貴族は名乗れないといった文化をはじめ、尚武の気風の強く根付く西部人からすれば、着飾ることばかりに執心する中央貴族は軟弱であると下に見るところがある。

 しかしそれはそれとして、貴族である以上、見場というものは、面子というものは、決してないがしろにできるものでもないのである。

 田舎者と、野蛮であると蔑まれても笑い飛ばせる。

 しかし、所詮西部貴族はその程度と侮られるのだけは我慢がならない。

 貴族とは面子の生き物なのである。

 

 年が明け、春になり、雪が解ければ社交のシーズンになるという。

 多くの貴族たちは帝都の別邸に赴き、大きなものは宮廷舞踏会から、小さなものではそれぞれの邸宅で開かれる舞踏会や晩餐会など、社交にいそしむのだという。

 そう言った場で貴族たちは情報を交換し、交易を相談し、政治を語り合い、そしてもっと単純にはマウントの取り合いが行われる。弓と槍とで直接的に争うのではなく、経済力で、人脈で、特産で、文化で、互いに互いを殴りつけて格というものを決めるのだ。

 

 先のシーズンでは、ガルガントゥオ伯はこの社交で土をつけられたのだそうだ。

 腐っても大貴族、蔑ろにされることもなく、依然としてその影響力は大きなものではあるが、しかし最先端のモードを競い合う中央貴族たちの勢いには後れを取り、また服飾だけにとどまらず、工業・産業においても発展の違いを見せつけられたのである。

 

 ここでただ憤慨するだけならば誰でもできるが、ガルガントゥオ伯は「このままでは()()()」と冷静に断じたのだった。

 技術は真似できる。

 コネを通じて職人や技術を西部に輸入することはできる。

 だがただの()()()だけでは足りない。

 すでに差がつけられている以上、同じことをしているだけでは追いつけない。

 帝都よりも恵まれた土地事情を勘案して、大規模な工場地帯構想をはじめとした攻め手を模索してもいる。

 だがそれはすぐには芽を出さない、時間をかけてやらねばならない事業だ。

 

 だからそれらが安定するまで、諸侯にこれ以上差をつけられないよう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、派手な一手がいる。

 

 ()()()()()()()()

 

 それが質実剛健を地でいく西部貴族のひねり出した答えだった。

 実がなくてもよい。中身がなくてよい。

 ただ、誰もが思わず目をやり耳を澄ませる、そんなはったりが必要だった。

 

 《魔法の盾(マギア・シィルド)》。

 それが伯爵の鬼札だった。




用語解説

・ガルガントゥオ伯(Gargantuo)
 帝国西部を治める三伯爵の一人。
 スプロ男爵領をはじめとする西部中央のいくつかの領地を支配下に置く大貴族。



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第五話 ロザケスト工房

前回のあらすじ

貴族たちからの依頼であることを知らされる二人。
参考となる貴族が酔っぱらい武闘家しかいない問題。


 なんだかんだと言って、二人が依頼を受けた理由は、結局のところ依頼額の大きさだった。

 貴族がどうの西部の面子がどうのといったところで、二人にはいまいちピンとこない。一応腰を落ち着けてはいるが、郷土愛というものがあるわけでもない。ロザケストのように、貴族から依頼を受けたことを誇り、俄然やる気を出すような殊勝な心持もない。

 

 貴族からの依頼を断れば後々に響くだろうし、事務所にも面倒がかかるだろうし、どうせ暇だし、といろいろ理由はあるが、やはりはっきりと目に見える数字というのは大きい。

 貴族特有の金銭感覚というべきか、それだけ《魔法の盾(マギア・シィルド)》を重く見ていると見るべきか、はたまた面子の維持には必要な経費とでもいうのか、なんにせよ依頼ごとの単価がなかなかに高かったいままでを鑑みても、ちょっと目を見張る金額である。

 

 未来は素直にすごいと前のめりになったし、この世界においてはかなりのオーバーテクノロジーである可能性が高い装備をさらすことにややためらいのあった紙月も、前向きに検討しても良いと思えた。

 見せると言っても、性能試験をするわけではないし、ロザケストはあくまでも服飾職人だ。紙月たちにも全くわからない理屈で動作している装備を見ただけで分析できるとも思えないし、ましてや再現などできようはずもない。

 

 であるならば、これは全く、二人にとってはぼろい儲け話以外の何物でもない。

 西部貴族との接点ができてしまうこと、望みもしない方向で名が売れるだろうこと、伝聞であれ二人の装備の異常性が噂に広まってしまう可能性など、いろいろと考えていないことが多かったが、それは将来の二人が困ることであって、いまの二人はそれに気づいていないのだから何の問題も感じていないのは致し方ない。

 

 ともあれ二人は依頼を請けることにした。

 ただしちょっぴり値段交渉をして、安請け合いはしないというポーズだけは見せておいて。

 

 契約書は珍しく羊皮紙のような皮紙であり、記述も仰々しく、またしっかりと整理されたもので、普段見るものよりも上等なものであるように見えた。

 貴族からの依頼ということもあり、こんなところも奮発したようである。

 

 未来はざっと流し読みしただけで小首をかしげる程度には理解が追いついていない。言い回しが難しいのだ。

 紙月は何度か読み下し、いくつか質問を投げて認識を突き合わせ、そしてまだ署名はしないことを宣言した。

 実際にどのような人員がどのような作業をするのかを現場で確認し、問題がなさそうであれば署名すると告げたのだ。

 

 これも安請け合いしないというポーズの一環であるし、また、ポーズだけでなく実際的にも逃げ道を作っておくためのものであった。

 単純に魔法でドカンと解決できるような仕事でないだけに、いくらか慎重に事を構えているのだ。

 ロザケストとしても、相手が慎重なのは悪いことではない。

 間抜けは簡単に搾り取れるかもしれないが、何をやらかすかわからない。

 

 事務所で仕事道具を広げるというわけにもいかず、一行は寒い中をえっちらおっちら歩いてロザケストの工房まで向かうことになった。

 金持ち連中の集まるような一等地に構える工房は、貴族御用達というだけあってなかなかに大きい。

 大きいが、中に入ってみればほとんどが作業場と衣裳部屋、それに倉庫であり、生活スペースはむしろ貧相といってよかった。

 

 通された部屋はかなり広いもので、大きなテーブル、というよりは作業机が何台も並んでおり、針や糸、布、鋏、図面といった見慣れた道具や、二人には用途のわからない道具が、二人にはわからない規則性をもって、あちらこちらに並んでいた。

 

 壁際には木組みのマネキン人形のようなものが並んでおり、いくつかは仕上げ途中の衣装がかけられ、いくつかは巻き尺などが無造作にかけられて道具置きにされ、そしていくつかは無造作に固められ、隅に積み重ねられていた。

 

 部屋には何人かの職人と徒弟が待ち構えていて、ロザケストにつれられた二人が入るなり、視線がずずいと突き刺さった。

 上客相手の接客にも慣れているのか余裕のあるものから、裏方ばかりで馴染みがないのかそわそわと落ち着かないもの、礼儀作法に通じているもの、いないもの、年齢も年嵩のものからまだ若手のものと幅が広い。

 種族としては土蜘蛛(ロンガクルルロ)と人族が同じくらい、天狗(ウルカ)は一人だけだった。

 男女比としては、女性がやや多い。

 

 紹介もそこそこに、ロザケストはさっそく衣装を見せてくれるように言ってきた。

 どう作業を進めるにしろ、まず実物を見てみないことには判断できないと言うのである。

 ほとんど手ぶらでやってきた二人に何も言わなかった辺り、二人がインベントリ、世間一般的に言うところの大容量の《自在蔵(ポスタープロ)》を持ち合わせているという話はすっかり通じているらしい。

 

 さて、そう言われてまずはどんなものから見せたものかと二人は顔を見合わせた。

 まず未来の装備は、鎧ばかりである。

 《楯騎士(シールダー)》という《職業(ジョブ)》が装備できるものが鎧ばかりというのもあるが、パワーレベリングで鍛え上げられ、装備品もほとんど紙月に買ってもらった未来には、遊びの装備というものが全然ないのだ。

 

 レベル上限というとすさまじく強そうに聞こえるが、実際のところは、ようやく紙月のプレイについていけるように鍛え上げたばかりのところで、まだまだこれからというタイミングで未来はこちらの世界に来てしまったのである。

 

 一応、港町ハヴェノで着て見せた《勇魚(イサナ)皮衣(かわごろも)》のように、イベントに関連するので取得しておいた装備もあるにはあるが、こういうものは鎧と違って未来本来の子供体形に合わせたものになってしまっているので、依頼の趣旨的には微妙に違う気もする。

 

 その旨を伝えてみると、それはそれで参考にするとして、やはりまずは衣装持ちとして有名な森の魔女の衣装を見てみたいとのことだった。

 

 すでに見せている、つまりはいま着込んでいる《不死鳥のルダンゴト》や《魔女の証明》といったものだけでも、職人たちはすでに感心したように、そして観察するように視線を注いできている。

 注目されると調子に乗るのが紙月の悪い癖だった。

 

「よーしよし。腰抜かすなよ。森の魔女のお宝を見せてやる」

「いいわよー! もしよかったら靴や小物も見せてもらえるかしら? やっぱり服だけじゃなく全体で見ていきたいもの」

「よしきた。そこのけ、そこのけ、広げるぞ、そこらへん空けてくれ」

 

 作業台の上がきれいに片づけられ、職人たちが後ずさると、紙月はもったいぶって意味もなく手を躍らせた。

 本当にまったくもって何の意味もないことを未来は知っているが、知っていてもなお何かあるのではと思わせる堂々たる演技ぶりであるから、何も知らない職人たちがいまにも摩訶不思議な魔法が紡がれるのではないかと目を見張るのも無理はない。

 

 未来にも見えない、紙月本人にしか見えないメニュー画面を開き、アイテム画面をスクロールしているのだろう。指先を宙に躍らせながら、紙月は虚空に素早く目を走らせている。

 

 未来があまり幅広くは装備をそろえていない一方で、紙月はかなりの衣装持ちである。

 もともと《魔術師(キャスター)》系統の《職業(ジョブ)》は、鎧などの防御力は高いが重たい防具を装備することができず、魔法の力を帯びた衣類という設定の装備が多い。

 そしてこの衣類系の装備は細かな性能の違いやカラーバリエーション、イベント記念品、効果はほとんど同じだがデザインのコンセプトが違うなど、デザイナーが無駄に頑張ってしまっているのである。

 

 そして紙月のプレイスタイルがまた衣装集めを必要とした。

 何かに特化することなく全属性にわたって魔法《技能(スキル)》を取得している紙月は、あらゆる相手に対応できると言えば聞こえはいいが、どんな時でもパワー不足の否めない器用貧乏であるのも確かである。そのためそれを装備で補おうとした結果、《技能(スキル)》だけでなく装備まで無駄に幅広く用意する羽目になっているのだった。

 

 まあそれ以上に、単に本人が見栄えの良い装備にこだわった結果でもあるが。

 真面目なキャラ育成とは程遠い《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》は揃いも揃ってエンジョイ勢だ。単に楽しいからという理由だけで日替わりで違う衣装を着まわせるのが紙月というプレイヤーだった。

 

 さすがにすべての装備やアイテムをインベントリに保管することは重量的に不可能だったので、多くはギルドの倉庫に放り込んであったが、それでも、ドロップアイテムの回収をほとんど未来に任せていた紙月は、相当な種類の「お着換え」を持ち合わせている。

 

 その自重しないコレクションが自重せずに披露されていくたびに、工房は奇妙な熱気に包まれていくのだった。




用語解説

・エンジョイ勢
 ゲームをプレイするプレイヤーのプレイスタイルの一つ。
 勝利や効率などよりも、楽しんでプレイすることを目的とするもので、対義語はガチ勢。
 ただし、エンジョイ勢でも勝利・効率を求めることはあるし、ガチ勢もゲームを楽しむために効率を求めたりと、はっきりとどちらだと決めつけるのは難しい。
 あくまでも本人たちの主観が大事だろう。



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第六話 魔女のクローゼット

前回のあらすじ

目立ちたがり屋の紙月が、自重するはずもなかった。
ファッションに定評のない作者には何も描写できないのだった。


 紙月が長年ため込んだ装備の、その一部に過ぎないとはいえ、《エンズビル・オンライン》の無駄に手の込んだデザイナーが無駄に手をかけたアイテムたちは、ロザケストを、そして職人たちを湧きあがらせた。

 

 スペースを開けてもらった作業台に、紙月が衣装を一つ一つ広げていくと、まず呻くようなどよめきが走った。

 それらは未来もゲームのディフォルメされた絵柄では見たことがある装備で、リアルだとこんな感じになるのかと感心したものだが、職人たちにとってはそれどころではなかったようだ。

 

 とりあえずといった感じで何着か並べられたのは各種の属性に対応したドレスの類で、あまりファッションに詳しくない未来からすると、基本装備である《宵闇のビスチェ》とそこまで違いがあるようには見えない。

 各属性に見合った、例えば炎や水を模したデザインや色合いであったり、肩が出ていたり背中が開いていたり、逆にかっちりと首元まで覆ったものだったり、そういう違いは分かるけれど、正直なところ未来の中ではひとくくりで「ドレス」である。

 似合うんだろうなあ、とはぼんやり思うけれど、それだけだ。

 

 鈍い未来と違って、感性豊かな職人たちは、みなこぞって作業台を覗き込み、目を見開いてこれらを凝視した。

 こう言っては何だが、帝都と比べたら田舎と言って差し支えない西部の職人たちにとって、紙月のドレスはみな目新しいデザインとして映ったらしい。

 そして単に新奇であるだけでなく、彼らの知らないルールや美意識に基づく洗練された完成度がそこにはあった。時に「偏執的」とさえ言われる《エンズビル・オンライン》のデザイナーたちの徹底した設計が、異世界の職人たちになにがしかを響かせたようだった。

 

 また、何着かのドレスに続いてアクセサリーなどの小物を並べ始めると、職人たちの動揺は困惑を交えて一層強いものとなった。

 靴や日傘、ネックレスやイヤリング、タリスマン、それらは服飾職人である彼らからすれば専門分野外のものではあったが、どれもこれもが当たり前のように精緻で繊細な細工に飾られ、貴族たちの持つ財宝と比較しても何ら遜色のない代物に見えた。

 貴族と直接顔を合わせる機会も多いロザケストから見ても一級品と言える輝きである。

 そして持ち主である森の魔女は、それを数ある品のうちの一つとして、流れ作業で台に並べていくのだから、驚きと呆れは相当なものだった。

 

 「とりあえず」の品々で作業台が埋まると、ロザケストが開いた口をふさぐ前に、職人たちが口々に手に取ってみても良いかと恐る恐る尋ねた。好奇心に負けて飛びつかない程度には、これらの品々は彼らに畏怖を感じさせたようであった。

 

 そしてあまりにもあっさりと許可が出ても、彼らはしばらくの間、誰が先陣を切るのかと互いに居心地の悪そうな視線を交わし合った。

 

「じゃ、じゃあ、見させてもらうわね!」

「汚すなよ」

「もちろんよ!」

 

 結局、最終的に伺うような視線が集まったロザケストが、自分を奮い立たせるように声を張り、その見た目とは裏腹な壊れ物でも扱うような繊細な手つきでドレスの生地を検め始めた。

 恐る恐るといった手つきは、やがて興奮とともに遠慮がなくなっていき、それは他の職人たちにも伝播していった。

 俺も、私も、と職人たちは恐れを忘れたように我先に品々を手に取り、乱暴ではないが性急な手つきでこの未知のお宝の山をかき分け始めた。

 

「なんて正確な縫い目だ……! まるで一針ごとに測ったみてえだ!」

「こっちなんか縫い目が見当たらん! どうなっとる!?」

「ほつれひとつない、なんて美しい……!」

「こんな編み方、初めて見るぞ、どうやったんだこりゃ!?」

「絹、じゃないのか? なんだこりゃ。魔獣の素材なのか?」

「馬鹿な、なんでこんなに軽いんだ!? まるで羽のようだ!」

「こっちを見てごらんよ! こりゃあミノ細工でもそうそうないような代物だよ!」

 

 鼻息も荒く、職人たちは互いにあれやこれやと叫び合ったが、その誰もが自分の目の前のことに夢中で他人の話などろくに聞いていない。目にはめ込む型の拡大鏡で生地を検めたり、指先で細やかさを確かめたり、いっそ味もみておこうとか言いだしかねないほどの食いつき具合である。

 

 あまりの食いつき具合に未来などは呆れを通り越していっそ怖くなったほどだが、紙月としてはそりゃそうだろうなとも思う。

 現代地球のデザインはともかくとして、なにしろ生地だの素材だのは、紙月たちをこの異世界に転生させた正真正銘の神様の手になるものだ。

 しかも、紙月が《エンズビル・オンライン》の魔法を使えるように、未来が《技能(スキル)》を振るえるように、これらの装備もすべて、ゲームでそうであったような効果を現実に持ち合わせている魔法のアイテムである。

 職人たちが優れていれば優れているほど、これらの品々の異常性に気づかされるのだ。

 

 一通り検分を済ませると、職人たちは質問の洪水をわっと一気に浴びせかけてきた。

 曰く、これはどこで手に入れたのか、だれが手掛けたものなのか、どんな技術なのか、どのような機能があるのか。整理もされず答える間もなく、口々に思いついた疑問を投げかけてくるものだから、そもそも何を言っているのか聞き取ることから始めなくてはならない。

 そしてなだめすかして何とか聞き取っても、二人に答えられることは実はほとんどない。

 

 デザイン上の問題など二人は完全に門外漢だし、「どこで」も「誰が」もまさかゲームの中ですとは言えない。素材に関しても、そもそもこの世界には存在していないかもしれないのだから、何とも答えようがない。

 血走った眼で迫ってくる職人たちに思わずのけぞった未来に対して、紙月は実に堂々たる態度だった。

 堂々たる態度で、「魔女の秘密だ」と宣言したのだった。

 もしかして紙月、それで全て乗り切ろうと思ってるんだろうかと未来が訝しんだ瞬間である。

 

 この雑すぎる回答に職人たちも決して納得はしなかったが、しかし食い下がろうにも相手は森の魔女と名高い冒険屋である。見かけこそ背は高いがほそっこい女に過ぎないが、地竜を三枚におろして昼飯にしただの、鉱石ひとつ掘るのに山ひとつ崩してみせただの、荒々しい海賊を串焼きにして平らげただのと噂の広まっている怪物なのである。

 日頃繊細なレースや柔らかな生地を相手にしている職人たちには少々分が悪い相手である。

 かといってもう一人に絡もうにも、自分たちの剣幕にすっかりおびえた様子の子供相手にどうこうしようとは、いくら頭に血が上っていても思えなかった。

 

 納得はいかないが、しかしどうしようもない。

 職人たちがじわじわと熱量を落としていく中、その職人たちの親方である目に痛いピンクことロザケストは、先ほどまでの興奮がどこかに行ってしまったかのように、頭を抱えて蹲っていた。

 

「お、親方、どうしたんで」

「参ったわ……なんなのよこれ……こんなのどう再現したらいいのよ……」

 

 地の底を這うような声が、顔を覆う節くれだった指の間から漏れ出てくる様は不気味と言う外にない。

 指毛がピンク色でないことだけが救いと言えば救いか。

 

「素材は、もうどうしようもないわよ、出所を教えてくれたって手に入れられる気がしないわ。なんなのよこれ。織り方も、編み方も、縫い方も、全部全部改めないといけないわ。染め方もよ。生地から全部もう、駄目、いまのままじゃ駄目よ」

 

 圧倒的、文字通りの「神」クォリティを見せつけられたロザケストは、がばりと立ち上がるや叫んだ。

 

「こんなの見せられたら、半端な仕事できないわよ!!」

 

 その顔に広がっていたのは、苦悩ではなく歓喜の色だった。

 ロザケストの職人としての全てが、負けてなるものかと燃え上がっていた。




用語解説

・時に「偏執的」とさえ言われる《エンズビル・オンライン》のデザイナーたち
 MMORPG《エンズビル・オンライン》は、ゲームバランスはがばがばでシステムにも不備が多く、メンテナンス中にキムチ鍋パーティでもやってんのかと言われる程度には問題の多いゲームであったが、グラフィックデザインやゲーム内音楽などに関しては異常なまでにクォリティが高く、人気があった。
 そのため一部のプレイヤーには「職人の道楽のためにかろうじてゲームの形にした展覧会」などとも言われていた。


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第七話 職人のこだわり

前回のあらすじ

放出される魔女の秘宝。
盛り上がる職人たち。
誰か作画の人呼んできて。もしくは衣装知識監修。


「これはうちだけの仕事にはできないわね」

 

 いっそ穏やかと思える声でそう呟いたロザケストは、曖昧な視線を天井辺りに漂わせながら、しばらくゆらゆらと上体を前後に揺らしていた。

 時折小首を左右に傾げながら視線がさまよい、やがてふらふらと両手が持ち上がり、オーケストラの指揮者か何かのように、指先がリズミカルに空を刻み始めた。

 

「ええ、そうね、ええ、仕立屋だけじゃすまないわ。素材からよ。糸紡ぎに、機織り、染物屋、みんな声掛けなくちゃ」

 

 夢見るように曖昧な調子で呟きながら、ロザケストはそのままぐるぐると室内を歩き回り始める。視線は相変わらずふらふらと天井辺りをさまよっている割に、足取りはしっかりしていて、雑然とした室内を危うげもなく動き回り、見てもいない障害物をかわしていく。

 職人たちが邪魔にならないようそっと部屋の端に避け、徒弟のリッツォだけがそのあとに付き添った。

 

「問屋に……いいえ、問屋だけじゃ駄目ね、ありものの在庫じゃ駄目。職人に直接掛け合わないと……魔獣の素材も要るわ。でも何が要るのか、何があるのか、組合の記録を当ってみないと……」

 

 声は決して大きくないが、しかし小さいわけでもない。

 時折ヒステリックな具合に裏返りながら、誰かに話しかけるような声量で途切れることなく呟き続けるロザケストの姿ははっきり言って不気味としか言いようがない。

 未来がドン引きし、さしもの紙月もどうしたものかと肩をすくめた。

 職人たちも苦笑いして、邪魔にならない程度の声でそっと教えてくれた。

 

「ありゃあ、親方のいつもの癖でさ。なんか思いつくと、たまにああやって夢中になっちまって」

「なにか危ない薬物とかやってないよな?」

「やってないから危ないんでさ」

「それもそうだ」

「まあ、情熱が止まらないだけで、害はねえんですけど」

 

 二人も職人たちに倣って、ぐるぐると歩き回るロザケストの邪魔にならないよう、部屋の端によって壁に背を預けた。

 頭の中が目まぐるしく回転し、それでも抑えきれない衝動がロザケストを突き動かすらしく、思考に没頭すれば没頭するほど、このどぎついサイケデリックピンクはせわしなく動き回るようだった。

 

「錬金術師も呼ばないといけないわね。服に合う宝飾品を作る職人も。革職人も要るわね。むしろ何が要らないのかしら。ああ、あれも欲しいこれも欲しい……旅商人が動ければいいのに、でももう北部は閉ざされてるし……南部はまだいけるわね。雪の降らない街道を選んで……ああもう! もっと早く動くべきだったわ!」

 

 がりがりと頭を掻きまわし、ロザケストはあれが必要だこれを取り寄せなければ倉庫にまだ在庫はあっただろうか誰それを呼びつけなくてはとぶつぶつつぶやき続け、そのあとをついて歩くリッツォは革張りの手帳に逐一鉛筆で書き留めていくのだった。

 未来が気になってそっとのぞき込むと、リッツォは苦笑いしながら中を軽く見せてくれた。

 ロザケストの呟きから重要な部分を抜き出して、箇条書きで走り書きされている。

 そしてそれが今までに何ページも積み重なってきているのだった。

 

「徒弟と言っても、もっぱら親方の思い付きを書き留めるのが僕の仕事みたいな感じになってましてね。これじゃ職人じゃなくて番頭になっちゃいそうですよ」

 

 そうぼやきながらも、口ぶりほどには困っていなさそうだった。

 むしろこうしてロザケストのサポートをすることに確かな充実感を覚えているようで、よどみなく鉛筆を走らせる姿は楽しげでさえある。

 

 いつもこうなのかとロザケストの奇行を呆れながら眺める未来に、リッツォは誇らしさのようなものをかみしめた笑みを見せた。

 

「親方は確かにちょっと変な所もありますけど」

「ちょっと」

「あれでも職人としては腕もいいし、素晴らしい服を作る人なんです」

「あれでねえ」

「確かに時々殺意がわくぐらい鬱陶しくて目に痛い色してますけど」

「えっ」

「えっ」

 

 何やら複雑な感情があるらしいことはうかがえたが、賢明な未来はそれ以上聞かないことにした。

 世の中には聞かなくてもいいこと、知らない方がいいことというのが溢れているのだ。

 

 ロザケストはそうしてしばらく、客人にして依頼相手を放置してうろうろしていたが、不意にがくりと全ての動きを止めて、柏手でも打つようにぱあんと一つ手を打った。

 それが考え事が終わった合図だったのだろう。職人たちは速やかにこのはち切れんばかりの筋肉を包んだピンク色に注目し、傾注の姿勢をとった。

 

「ちょっと甘く見てたわ」

 

 ロザケストはまずそう言って、軽く唇をなめて湿らせた。

 

「単に意匠の問題なら、あたしたちの腕で十分にやれるわ。でも形だけじゃ足りないみたい。あんたたちも半端な仕事はしたくないでしょ?」

「もちろん!」

「こいつは挑み甲斐がありますぜ!」

「帝国のどこにこんなお宝が隠れていたのか知らないけど、誰かが作ったものなら、あたしたちが作れない道理はないわ。魔女の秘密だろうとなんだろうと、あたしたちが挑んじゃいけない道理はない」

 

 ロザケストはぐるりと職人たちを見まわして、それから紙月と未来に改めて視線を向けた。

 

「あんたらもよ、お二人さん」

「えっ」

「えっ」

「あたしたちが満足するまで、自慢のお宝を見せてもらうわよ。まさか今更出し惜しみなんてしないでしょ?」

 

 凄みのあるピンク色のスマイルは、否やとは言わせてくれそうになかった。




用語解説

・鉛筆
 単に鉛筆と言っているが、帝国では複数種類の鉛筆と呼ばれる筆記具が用いられているようだ。
 芯の原料は黒鉛の外、木炭粉を練り合わせたいわゆるチャコールペンシル、顔料を固めたパステルなどが存在し、鉛筆軸も木製のものや、削ることはできないが持ち手の安定した、金属で挟み込むものなどがあるようだ。


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第八話 魔が差して

前回のあらすじ

夢現でぶつぶつと呟きながら部屋をうろつきまわる凄味のあるピンク。
夢に出そうだ。


 ロザケストが再起動すると、職人と徒弟たちの動きは速かった。

 この鋼の筋肉をピンクで包んだ親方が何を考えているのかは理解できなくても、作業手順として何をして行くのかはわかっているのだ。

 

 あるものは作業台に紙束を積み上げ、あるものは筆記具をそろえた。

 またあるものは衣装をかけるためのマネキンを並べ、またあるものは小物を並べるための台を用意した。

 濃い目の茶を煮出しに走ったものもいれば、決して安くはない油を燃やして照明をつけ始めるものもいた。

 彼らはみな一端の職人たちであり、そのもとで学ぶ徒弟たちだったが、その彼らをして手足のように扱える凄味と実績とピンク色がロザケストにはあるようだった。

 

「早速、このぶっ飛んじゃいそうなくらいにステキな意匠を書き留めていくわ! 表も! 裏も! 縫い目ひとつまで書き留めたいくらい! ちょっと時間がかかるわね――ちょっとどころじゃなく! しばらくの間貸し出してもらえないかしら!? 大丈夫! 絶対傷つけないし汚さないし、そりゃちょっと匂いを嗅いだりは」

「駄目だ」

「そうね! 匂いを嗅ぐのは駄目ね! わかったわ! 残念だけど、でも貸し出してくれるだ」

「駄目だ」

「けで――えーっと、なんて?」

「駄目だ。貸し出しはできない」

 

 凄まじい勢いと圧で迫りながらまくしたてるロザケストに、未来などは思わず頷きそうになってしまったが、そこに断固としてノーを叩きつけたのが紙月だった。

 

 紙月は何しろ、背こそ帝国平均値より高めの一七〇はあるけれど、体つきはいっそ頼りないくらいに細い。

 そのひょろりとした身体の癖に、紙月二人分か三人分はありそうなほどのみっちりとした筋肉ウィズサイケデリックピンクを前に、実に堂々と胸を張ってノーと言ってのけたのである。

 あれだけノリノリで衣装を並べていき、なんなら嬉々として解説までしそうなくらいだったくせに、いざ本件であるところの衣装の貸し出しを依頼されたとたんにこれである。

 

 これには依頼人のロザケストでなくとも困惑する。

 未来も首を傾げたし、職人や徒弟たちもざわめいた。

 

 探るようなロザケストの視線がねめ回してくるのも気にかけず、いやまあちょっとは気にしたのか、覗き込んできたピンク色から二歩三歩と距離を取り、紙月は強気な笑みを浮かべた。

 

「貸し出しは、できない」

「ちょ、ちょっとちょっと、どういうことかしら!?」

「魔女の装いは御覧の通り貴重品でな。そして、例外なく魔法の力を持っている」

「とんでもなく貴重なのは見ればわかるわ。だから絶対に傷つけないし、汚さないし、」

「例えばこの《蠱惑のファシネーター》は」

 

 ロザケストを遮るように、紙月はアクセサリー装備を一つ手に取った。

 ファシネーター、つまり簡易的で小振りな帽子ともいえるし、帽子のような髪飾りともいえる装飾品だ。

 《蠱惑のファシネーター》は紫色を基調とした、柔らかな羽を広げた蝶をモチーフとしたもので、クリップで髪に留める形になっている。単純に優美なだけでなく、角度によってその光沢は揺らめき、まるで生きているかのように見る者の目を幻惑した。

 

 もちろん、ゲーム内アイテムであり、実用的な装備として紙月がインベントリに入れていたものだから、ただ見栄えの良いだけの装飾品ではない。

 

「隠しパラメータである《魅力値(アトラクション)》を大幅に上げる効果がある――言い換えれば、これを身に着けることで人に好かれやすくなる」

「それは……それは、ええと、すごい魔法だと」

()()()、だ」

「えっ?」

「これを身に着けたものは、()()()その効果を得る」

 

 囁きかけるような、しかし部屋中によく通る声が語る意味を、全員が理解するまでそれほど時間は必要なかった。最初はただ漠然と、しかしゆっくりと染み渡るように、その()()が飲み込めていった。

 息をのむような沈黙の中、先程までの新奇なデザインに興奮していた職人たちの目は、今や全く違った色を見せ始めていた。

 

 MMORPG 《エンズビル・オンライン》においては、この装備の効果はあまりはっきりしたものではない。

 特定のNPCの対応が変化するだとか、一部の商品を少し安く購入できるとか、ある種の敵が攻撃してこなくなる、あるいは積極的に襲い掛かってくる、そう言った効果があった。

 ゲームをプレイする上では、極々一部のイベントにかかわる他は、とても必須とは言えない、少々便利な品という程度でしかない。

 

 しかしそれが現実に存在するとなると、話は変わってくる。

 ただ付けるだけで、他人から好かれやすくなる。

 ただそれだけ、と言えば、ただそれだけだ。

 しかしそれは、それほど簡単な軽い言葉にしてしまえるほどに呆気なく、()()()()()()()()()()()()ということでもある。

 そしてその効果を、魔法使いでも何でもない、平民でさえ享受することができる。

 

 魔法が実在し、奇跡が濫用される世界にあっても、人の心を操ることは簡単なことではない。

 ましてそこにまっとうな倫理観が絡めば、このアイテムがどれだけの危険物かは想像に難くない。

 

 そんな代物が、あまりにも無造作に細腕に乗っている。

 いともたやすく奪い取れそうな、細腕の中に……。

 

 この露骨な誘惑に、しかしロザケストは耐えた。

 ごくりと息をのみ、唇をなめて湿らせ、それから細く吐息を漏らした。

 

「そして、それは魔女の秘宝の一端に過ぎない、っていうのね」

「そうだ」

「それでも……それでもお願いするわ。絶対に傷つけない、汚さない、身に着けない、そう約束する。なんなら契約書を書いてもいいし、罰則には命を懸けてもいいわ。この仕事にはそれだけのものがかかっている」

「それだけのもの?」

「あたしの矜持よ」

 

 紙月は少し考えて、それから《蠱惑のファシネーター》をそっと台に戻した。

 

「あんたのことは信じてもいい」

「じゃあ!」

「ただし――《麻痺(パラライズ)》」

 

 まるで世間話でもするかのように自然に、指月の指先から閃光が走った。

 ちかりと走った《技能(スキル)》の光は、過たず職人の一人に突き刺さり、彼の全身から一切の動きを奪い去った。力の入らなくなった身体がぐらりと傾いて、受け身も取れないまま床に倒れ伏す。

 

「何を!?」

「ロザケスト、あんたは信じてもいい。でも誰でも信じるってわけにはいかないみたいだ」

 

 紙月がごろりと転がった体をひっくり返せば、職人の前掛けから腕輪が零れ落ちた。

 細身ながらも輝かんばかりの黄金製で、幾何学的な彫金の施された一品だった。

 貴族御用達とはいえ、一介の工房の職人が持てるようなものでは当然ない。

 並べられたアイテムのうちから、こっそりとくすねたのだろう。

 

 ぎょっとしたロザケストがぐるりと見まわすと、職人や徒弟たちはみな両手を見えるように挙げてあとずさり、ぶんぶんと激しく首を振った。

 自分たちはそんな不届きものではない、という必死なアピールは、しかし、ともすれば自分たちも同じことをしていたかもしれないという後ろめたさがさせたものであったかもしれない。

 それだけの魅了の魔力が、魔女の秘宝には秘められていた。

 

 ロザケストはしばし呆然と倒れ伏した職人を見下ろし、それから我に返ったように振り向いたが、しかし、言葉は出てこなかった。信頼していた職人のまさかの犯行である。それも現行犯。

 しかも相手は貴族が目をつけるまでに至った名高い冒険屋である。

 下手な弁明は、首を絞めるだけだろう。

 紙月はそんなロザケストに、軽く肩をすくめて見せた。

 

「正直なところ、誰やかやるだろうなと思ってたし、その方がお互いわかりやすいだろう?」

「わかりやすい、って」

「俺のアイテムが魔を差させちまうってのは、そりゃ仕方がない。それだけの代物だってのはわかってる。でも仕方ないからで放置するわけにもいかないからな。こんなことが間違いなく起こるから、お互いのために、貸し出しはできない」

「………そう、そう、ね。実際こうなったんだから、言い訳できないわ」

 

 ロザケストは消沈した様子で頷き、それから徒弟たちに命じて《麻痺(パラライズ)》で身動きの取れなくなった職人を介抱させた。軽めのものだし、すぐに麻痺は抜けるだろうが、その後の彼の処遇は工房に預ける外ないだろう。一度盗みを働いた職人を、他の職人が許容するか。あるいは自分たちの身代わりとなったようなものだと考えてくれるのか。それは紙月の知ったことではない。

 

 目の前で起こったどたばたに困惑する未来の頭を、紙月の手がそっと撫でた。

 

「ちょっと刺激が強かったな。悪い」

「ああ、いや、うん、ちょっと、驚いたっていうか」

「人を信じるのはいいことだ。俺だってただ信じられるなら、その方が気分がいいよ」

「うん」

「でもな、信じるときは、同じくらい疑わないといけないんだ。信じるためにな」

「信じるために、疑う?」

「そうだ。世の中、全くいい人とか、まったく悪い人ってのはいないもんなんだよ。同じ人でも、その時々でいい人だったり、悪い人だったりするもんさ。ふと気が向いて募金なんかしてみたり、かと思えば魔が差して手癖の悪いことしたり。だからどのくらい信じられるかは、疑ってかからないといけない」

 

 未来にはよくわからなかった。

 いい人とか悪い人とかいうのは、もっとはっきり分かれているように思っていた。

 しかし考えてみれば、いままでだってまるっきりいい人だとか、まるっきり悪い人なんていなかったのだ。

 例えばムスコロなどは、いい例だ。酒を飲んで気が大きくなれば振る舞いも乱暴になるが、懐が温かくなって余裕が出れば、面倒見も良く気の利く男だ。

 

「ねえ紙月」

「なんだ?」

「紙月にも悪い人になるときがあるの?」

 

 未来がなんとなく尋ねてみると、紙月はちょっと目を見開いて、この幼い相棒を見下ろした。

 それから唇の端をひん曲げるように少し笑った。

 

「俺はあんまりいい子じゃないよ」




用語解説

・《蠱惑のファシネーター》
 ゲーム内アイテム。頭部装備。
 隠しパラメータの一つである《魅力値(アトラクション)》を大幅に強化する効果がある。
 一部のNPCとの会話内容が変わることでイベントにかかわる情報を入手出来たり、特定の店舗で商品を値切ったりできる。
 また一部のMobは、《魅力値(アトラクション)》が高いキャラクターを攻撃しなくなる、または逆に積極的に襲いだすといった効果があるが、具体的な数値は公開されていない。
『惹きつけ、惑わし、誑かす。卑怯とは言ってくれるなよ。か弱い蝶には、美しさ以外に武器はないんだから』

・《麻痺(パラライズ)
 ゲーム内《技能(スキル)》。《魔術師(キャスター)》系統が覚える低級魔法《技能(スキル)》。
 効果はシンプルで、使用した相手に確率で状態異常:麻痺を付与するというもの。
 低レベルの場合、麻痺耐性や、魔法攻撃耐性によって簡単に防がれてしまう。
 序盤では役立つかもしれないが、高レベル帯ではまず通用しない。
『麻痺というのは厄介なもんじゃ。呪文を唱えようにも舌がもつれる。解毒剤を飲もうにも手がしびれる。なのに意識ははっきりしとって、相手が何をしてくるか見えるのは恐怖じゃろ。こんな風にのう』

・腕輪
 ゲーム内アイテム。正式名称《滴る黄金(ドラウプニル)》。
 装備することで《SP(スキルポイント)》の自然回復量・速度が増大する効果がある。
 また、装備した状態で「しゃがむ」体勢をとることで、経過時間とともに効果が増大するという特殊効果がある。つまりじっとしていればいるほど、回復量・速度が増えていくのだ。
『其はドラウプニル。滴るもの。九夜毎に、八つの腕輪を滴り出す』


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第九話 埋め合わせ

前回のあらすじ

魔女の秘宝に心奪われ魔が差して、うっかり手が出た現行犯。
やるとわかっていてやらせる、悪い子であった。


 居心地の悪い数分間が流れ、ようやく麻痺が解けた職人は、まず真っ先に土下座した。

 なりふり構わぬといった様子で勢いよく額を床にたたきつけ、謝罪の言葉を叫んだ。

 意外だったのは、その謝罪というのが、ただ許してくれというものではないことだった。

 

「どうか! どうかこのことは俺の身一つでお許しを! 親方も工房も関係ねえんです! 俺の! 俺の身一つだけでなにとぞご勘弁を!」

 

 最悪、開き直ってくるかもしれないと思っていた紙月としては、いまにも腹を切りそうなほどの勢いは全く予想外だった。

 また土下座まではいかないまでも、この職人の傍で跪き、親方であるロザケストがどうか許してやってほしいと懇願しだすのにも驚いた。

 

「こ、こいつは普段はとてもじゃないけど、盗みをするような男じゃあないのよ。ただ、いまは奥さんが病気で臥せっているって言ってたわ。その薬代が高くて困ってるって……もちろん、それで許されることじゃあないわ! でも、こいつが手を出してしまったのは、面倒を見てるあたしの責任よ! こいつのやったことを許してくれなんて簡単には言えないけど、部下のやったことは親方のあたしのやったこと、どうかあたし一人で!」

「いやいや! 親方は悪くねえんです! 俺が一人でやったことなんで!」

「あんたはあたしの手足なのよ! 手足のやったことはあたしの責任よ!」

「悪いことした手足は切り捨てて下せえ!」

 

 俺が、いやあたしがとわめく二人を抑えて、紙月は顎をさすった。

 

「うーん。ロザケスト、あんた、貴族御用達の大工房の親方じゃないか。切り捨てた方が工房のためにもいいんじゃないか」

「うちの職人のやったことだもの。それはあたしの責任だわ。魔が差したっていうんなら、それはちゃんと守ってあげなかったあたしのせいだわ。それに、誰かが何かしでかす度に切り捨てていったら、あたしには何にも残らないもの」

「損切って考えてもいいと思うけどな」

「切って切れないのが縁だもの」

 

 親方ロザケストと職人は互いに自分が悪い自分だけを罰して許してくれと庇い合い、周りの職人たちもつられたように頭を下げはじめ、未来などはなんだか自分たちの方が悪者のような感じがして大層居心地が悪くなったものだが、紙月はむしろ冷淡な顔を作って見せた。

 

「やめろやめろ、俺はお涙頂戴が聞きたいんじゃないんだよ」

「ねえ紙月、許してあげようよ。こんなに謝ってるんだしさ」

「未来、それは駄目だ」

 

 何かと未来に甘い紙月だが、なんでもかんでも未来の言う通りにしてくれるわけではない。

 むしろ未来のためを思ってとか、未来の教育に悪いとか、そういう優しさが良くも悪くも頑固な面を引き出すことが多々あった。

 

「俺も実はさっさと許してやりたいんだけどな」

「じゃあ許しちゃおうよ」

「そうするとどうなる」

「どうなるって……どうなるの?」

「どうにもならないんだよ」

 

 紙月は困ったように肩をすくめた。

 

「俺がここで、いやいやいいんだよ、魔が差しちまっただけさ、今回は許してやるよ、って言ってやるのは簡単だ」

「うん。それじゃ駄目なの?」

「一度許すと、二度三度と同じことがあるかもしれない、一度許してくれたんだから、ってな」

「そうかなあ」

「人間、悪いことして怒られたら反省するんだよなあ……『次はばれないように』って方向で」

「そんなこと……あるかも」

 

 ないと言い切れない程度には、未来にも身に覚えがあった。

 悪いことをしたな、もう二度としないぞ、と思うことは、案外まれだ。

 むしろ、次はうまいことやろうと、そういう風に考えてしまうかもしれない。

 ましてそれが、怒られもせず罰されもしなかったら、大したことなかったと記憶してしまって、気軽に同じ過ちを繰り返してしまうかもしれない。

 夜更かしして父に心配された時も、未来がしたのは早寝することではなく、明かりを消して布団に隠れて寝たふりをすることだったのだから。

 

「じゃあ許してあげないの?」

「許してやらないわけじゃあない。でもただ許すんじゃ意味がないから、ペナルティをつける」

「ペナルティ?」

「ただ許すだけじゃ、またやるかもしれない。罰がいる」

「罰、かあ」

「それに罰がないと、俺達だけじゃなくて相手も困る」

「どうして?」

「悪いことをしたのに罰がないんじゃ、納得ができないんだよ」

「納得?」

「そうだ。俺は被害を受けた。だから罰する。罰したら、それ以上はしないし、できない。この人は悪事を働いた。だから罰を受けた。償ったんなら、誰もそれ以上罰することはできない。勿論、実際はそんなに単純じゃない。だがお互い引きずってしまうものを、少しは軽減できる」

「そういうものかなあ?」

「そういうものだといいなあ、とは思う」

「じゃあ実際は違うの?」

「難しい所だ。あんまりしっかりと白黒付けちまうと角が立つし、かといって何もしないとほんと何にもならない」

「うーん」

「だから、お互いに水に流せる感じが一番なんだけどな」

 

 それはあまりしっかりとしたロジックではなかった。

 感覚的で、非言語的で、曖昧で、いい加減な、そう言う理屈だった。

 しかし、「嫌なものは嫌」というのは、存外甘く見ることのできない重みのある感性だった。

 

「ロザケスト、今回は未遂だし、情状酌量の余地もありそうだし、十分反省もしていそうだし、許そうと思う」

「それは、あたしとしては助かるけれど」

「でも事件があったのは確かだし、有耶無耶にするのも後に引きずりそうだ。だから、被害の補償として追加で報酬をもらいたい」

「契約自体はまだだけど、違約金みたいなものね。あたしたちに払えるものなら、もちろん払うわ。借金してでもね。これは工房の面子にもかかわるもの」

「よしきた。じゃあ、今後ロザケスト工房は、《魔法の盾(マギア・シィルド)》の人間に対して、無期限で割引してくれ」

「…………なんですって?」

 

 紙月がポンと放り投げた条件に、ロザケストは困惑した。

 未遂とは言え貴重な魔法道具の盗難事件が発生したのだ、莫大な賠償金を提示されてもおかしくはない。

 ただの魔法道具でさえ、結構な高額なのだ。明らかに一点物であり、ともすれば帝都の魔法使いでも作れないような森の魔女の秘宝ともなれば、その価値は天井知らずだ。少なくとも金貨は確実だろうと思われた。

 貴族の依頼の内で、竜殺しの英雄相手に、盗難事件など、よそに知られれば工房自体の生命線が完全に断絶するレベルの不祥事だ。

 その程度はありうるはずだった。

 

 それが、まさかの、割引である。

 工房の利権をよこせだとか、無料(タダ)にしろだとかいうのでさえない。

 

「割引って……その、うちで服を仕立てるとき、いくらか安くしてくれって、そういうの? そう言うこと言ってるのよね?」

「おお、そうだ。さすがに九割引とかは言わないが、三割くらい、欲張って五割くらい割り引いてくれると嬉しいね」

「無料で仕立てろとは言わないの?」

「言ってもいいが、そこまでふてぶてしくはなあ。その代わり、無期限だ」

「無期限って言ったって……」

「ハイエルフってのはな、つまり俺の種族なんだが、人族よりもよほど長生きなんだよ」

 

 紙月はにやっと笑って見せた。

 

「お前たちが死んだ後も、店がなくなるまではずっとずーっと、いつまでも割り引いてもらうぜ。何しろ俺自身、俺の寿命なんざわからないからな」

 

 ()()()()()()()()()()と、紙月は言っているのだった。

 厳正に懲罰を決めれば、厳正に物事は片付く。とは限らない。遺恨が残り、わだかまりも残る。

 だから、表向きはきっちり解決したことにして、実際は曖昧な所でどこまでも先延ばしして、()()()()で片づけようというのだ。お互いが自分の気持ちに整理のつくところで、そのうち納得していけるように。

 

 ロザケストはしばらくわけのわからないものを見るような目でこの()()()()()()()()()()を見つめて、それから諦めたように笑った。

 

「末永くご贔屓に」




用語解説

・ハイエルフ
 多くの創作でエルフの上位種として描写される種族。
 《エンズビル・オンライン》においては、抽選でのみ選ぶことのできる種族で、サーバー内でも数えるほどしか存在しなかった。
 精霊と生身の生き物の間にあるとされるエルフよりも精霊の度合いが強く、魔法的素養が極めて高い代わりに、肉体的にはむしろ貧弱で、はかない。
 設定資料上、エルフやドワーフの寿命が明記されている中、ハイエルフの寿命は記載されておらず、ほとんど精霊であることから、外的要因で死ぬか、世界が滅ぶまでは生きるのではないかとされている。


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第十話 契約成立

前回のあらすじ

末代まで続く呪いの割引。
末永くご贔屓に。


 結局どうにもならずなんにもならないまま、なあなあで問題を解決したことにして、一同は話を進めることにした。

 具体的には、保留にしてあった契約の件からだった。

 

 まず、アイテムの貸し出しはできないので、しばらくの間は《魔法の盾(マギア・シィルド)》の二人が工房に通い、必要なものだけをそのとき限りで取り出して展示することにした。出したものはすべてリストアップして、そのリストを確認しながら収納して、抜けがないようにする。

 マネキンに着せることはいいけれど、工房の人間が試着することは禁止。もしどうしても人が着用しているところを確認したい場合は、持ち主である《魔法の盾(マギア・シィルド)》の二人が着用する。

 指輪などのアクセサリーも決して着用してはならないことを念押しした。

 正直なところ、二人もゲーム内の効果がこの世界でどのように再現されるのか予想がつかなかったので、気軽に試す気にはなれなかった。

 

 二人が工房に滞在する時間帯に関しては、朝は未来の鍛錬があるので、昼食後から夕食前までとした。

 食事なら工房で出すからもう少し長くできないかとロザケストは提案したが、正直工房の食事に期待できそうにないし、食事くらい好きに取りたいので、二人は丁寧にお断りした。

 それに、ロザケストや職人たちの熱意から言って、何かで、ここでは食事時間で区切らないと、ずるずるといつまでも引き留められそうだったからだ。

 これには職人たちもそうかもしれないと引き下がった。

 何しろ、寝る間も惜しみ、食事も忘れるような連中であるし、そのことは本人たちもよくよく承知の上だったので、強くは引き下がらなかった。

 

 飯はよそで食っていいから、朝も来てくれないかという声はあった。

 未来は、鍛錬に行くのは自分の都合だし、紙月はその間暇だろうから工房に来てもいいんだよ、と言ってみたが、思いっきり渋い顔をされた。

 そもそも朝早く起きたくないし、よしんば早く起きたとしても、ひとりでこいつらにつきっきりなんて勘弁してくれというのである。

 お前ひとりに楽はさせないぞと紙月は唸ったが、未来としては、紙月といられる時間が増えるのは全く構わないのだけれど。

 

 無期限の割引に関してもしっかりと契約書に記載して、署名がなされると、それだけで何か一つ大仕事を終えたような心地がしたものだった。

 実際にはすべてこれからなのだが。

 

 この日はそろそろ時間も遅くなってきたので、並べた衣装や装飾品をリストアップして、簡単な特徴を記すまでにとどまった。 

 ロザケストをはじめ職人たちはできるだけ引き留めてこれらの魔法の品々をじっくり観察したがったが、時間はたっぷりあるからとリッツォ少年にたしなめられ、また食べ盛りの未来のお腹が騒ぎ出したので、お開きとなった。

 

 未練がましい視線を振り切って工房を出ると、もうすっかり日は暮れて、冷たい夜風が二人を追い立てるように吹いた。

 酒場にでも入って暖かいものでも食べたいところだったが、一度暖かい室内に入ったら、もう出てこられないような気がしたもので、二人は適当な夜鳴き屋台で出来合いの料理を買い込み、事務所の暖炉の傍で食べることにした。

 

 職人たちの集まる工房街は、遅い時間まで活気がある。

 照明も金がかかるので、とっぷり夜が更けるまでとはなかなかいかないが、職人や徒弟相手に食事をふるまう酒場や屋台が立ち並んでいる。

 

 寒さに身を縮こまらせながらも、ふわりと漂う匂いについつい誘われて、あちらの屋台はどうか、こちらの店はどうかとめぐってしまう程度には、この屋台通りは胃袋に悪かった。

 ぽかぽかと暖かい《不死鳥のルダンゴト》を着込んでもまだ寒がる紙月さえそうなのだから、多少の寒さではへこたれない未来などは小走りに駆け回ってはあれやこれやと物色するような具合である。

 

 とはいえ、祭りの日でもなし、そう種類があるわけでもない。

 紙月の《金刃(レザー・エッジ)》の応用で小鍋を作り、肉団子の煮込みをたっぷりとよそってもらい、大ぶりの腸詰(コルバーソ)を焼き上げて蕎麦粉(ファゴピロ)薄円焼き(クレスポ)で巻いたものと、回転炙焼き(トゥルンロスタージョ)と野菜を袋状のパンに挟んだものをこれでもかと包んでもらって抱え込み、思い出したように砂地茱萸(ヒッポフェオ)のジュースを瓶で買い、こんなものかと妥協することにした。

 

 正直それを見ているだけでお腹いっぱいというか、胸やけしそうになる紙月は、松子仁(ピンセーモ)という小さなナッツの類を塩と乳酪(ブテーロ)で炒めたものを少量つまみとして買い、火酒を一瓶、それから寒さしのぎに温葡萄酒(ヴァルマ・ヴィーノ)を一杯購入した。

 

「紙月、またお酒ばっかり」

「量が入らないから、どうしてもなあ」

 

 紙月の体が、本当にちょっぴりの食事だけで全然平気であるらしいことを未来も理解はしているのだが、しかしそれが納得につながるかというと難しい問題だった。自分ががっついている横でほんの一口二口で満足してしまう姿はどうしても心配になってしまう。

 そして固形物の代わりに酒ばかり飲んでいる姿は、どうしても呆れてしまう。

 かといって何も飲まず食わずでいる横で山盛りのご飯を頂くのもあまり気持ちのいいものではないので、たとえそれがお酒であっても、何かを口にしながら食事に付き合ってくれるのはありがたいと言えばありがたいのだった。

 

 事務所に戻った頃には、所属の冒険屋たちの多くは部屋に戻っており、食堂で食事をする者が何人かいるくらいだった。広間の暖炉の傍の揺り椅子に、一等年寄りの冒険屋が分厚く毛布をかぶって眠りこけており、時折老人特有の浅い眠りから目を覚ましては薪をくべて、火を絶やさぬように見張っていた。

 

 二人は老冒険屋の夢現なまなざしと目礼を交わし、暖炉の火が程よく当たる位置に椅子とローテーブルを引きずってきて陣取ると、さっそく買い込んできた食事を広げた。

 

 小鍋にたっぷりと注いでもらった肉団子の煮込みは、スープというよりは大ぶりの肉団子にどろりとしたソースをかけたものというような具合で、とにかく食いでがあった。

 食いでがあるし、そしてとにかく熱い。寒い中を抱えて持ってきたのに、また全然冷めていない。ちょっと舌先を火傷するくらいで、それまたありがたい。

 大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の肉を使っているらしい肉団子は、ふわふわと柔らかいとは言い難い、歯ごたえの強いものだったが、しかしそれ故に大鍋の中でじっくり煮込まれても全くに崩れることなく、たっぷりと味をしみこませていた。

 その煮汁の味わいというものがまた、強い。蕃茄(トマト)に、香味野菜の類、それに香草、強く感じるのは大蒜(アイロ)だろうか。使っているものは恐らくそれくらいだろうが、夜まで長いこと煮込まれて煮詰まった底の方をさらって寄越してくれたようで、実に濃い。

 

 ちょっと飽きが来て匙を置き、次に手を出したのは薄円焼き(クレスポ)で巻いた腸詰(コルバーソ)、というよりは、熱々の腸詰(コルバーソ)を持つために薄円焼き(クレスポ)をひっかけたようなアンバランスなものだった。

 秋の祭りの時に食べたものは、もう少し薄円焼き(クレスポ)が厚手で、腸詰(コルバーソ)は小さかった。その代わりソースが凝っていた。この辺りは店によって違うようだが、未来としてはこの、ソースなどなくただがっつりと肉といった風情がたまらなく好感が持てた。オトコノコって感じだ、と思う。紙月などはコドモって感じと受け取っていたが。

 未来の小さな口を目いっぱい開かないといけないような腸詰(コルバーソ)は、見た目通りの破壊力だった。パリッと焼かれた皮は歯を立てると音を立てて弾け、たっぷりの脂と肉汁が溢れ出して火傷しそうなほどだった。香草をたっぷり練りこんだり、様々な香辛料を使ったり、そういう器用な所がないシンプルな味わいだが、それがいい。

 それだけだとぼそぼそして、舌触りもちょっと粗い蕎麦粉(ファゴピロ)薄円焼き(クレスポ)も、このたっぷりの肉汁と合わさると、まあ悪くない。

 

 一度食べてみたかったんだよね、と期待していたのは、回転炙焼き(トゥルンロスタージョ)だ。

 それは見た目からしてまずロマンだった。大きな串に大きな肉が突き刺さって、横から炙られてくるくる回転している。それは以前海外の映画で見たことのあるシャワルマとかドネルケバブとか呼ばれる料理そのものだった。

 実際は大きな肉の塊ではなく、スライスした肉を積み重ねるように串に刺していったものらしいが、そんなことはどうでもよかった。ただただ、見た目がロマンだった。

 

 この見た目がとにかくロマンである代物を、未来はいままで食べる機会を持たなかった。普通に売っているような店が近所になく、縁日などでも見かけそうで見かけなかった。もしあったとしても、そもそもお小遣いが不安だった。ロマンのために、男手一人で自分を育ててくれている父親が寄越してくれたなけなしのお小遣いを使うのは後ろめたかった。

 

 実際に目にし、自分で稼いだお金で、ついに未来は異世界でこのロマンを頬張ることに成功したのだった。

 袋麺麭(ピタ・パーノ)と呼ばれる袋状になったパンに、肉とマリネした野菜、それにオレンジ色がかったソースがたっぷりとかけられており、かぶりつくとこれらが混ざり合って口の中であふれかえった。

 肉は、おそらく大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の肉と思われるが、香辛料が良く利いており、香ばしく、そして力強い。野菜のマリネは、玉葱(ツェーポ)蕃茄(トマト)に名前を知らない緑の葉野菜で、肉のちょっと強すぎるパワーを爽やかな酸味で受け止めてくれた。オレンジのソースはピリリと甘辛く、食欲を掻き立てた。

 

 これら三種に思いつくままにかぶりつき、そして時折喉を詰まらせかけてはジュースをあおる忙しない子供の姿を眺めながら、紙月は道中ちびちびすすっていた温葡萄酒(ヴァルマ・ヴィーノ)を早速飲み干し、火酒を手酌でやり始めた。

 つまみの松子仁(ピンセーモ)は、小豆より小さいくらいのナッツで、ピーナッツよりも柔らかな歯触りがあり、味は淡泊だが、やや癖の強い香りだった。

 これを時折思い出したように口に放りながら、紙月はちまちまと火酒をやる。

 以前は何も考えずに飲めるだけ飲んでしまうのが一番うまい飲み方だと思っていたが、未来にも醜態をさらし、そして酒ばかり口にしている生活が続くと、いっとき盛り上がる飲み方より、じっくり長続きする飲み方の方が楽しくなってきた。

 

 そうしてじっくりぼんやり飲んでいると、なんとなく考え事がはかどるような気もする。

 ロザケストからの依頼。貴族との関係。今日のふるまい。様々なことが浮かんでは、評価を受けて沈んでいく。

 何が正しくて何が間違っているのか、それを正確に判断できるなどとは思わない。紙月は自分の能力の限界を知っているし、この世界に対する無知についても知っている。

 だからこれは反省というよりはあくまでも整理に近いものがある。在庫のリストにチェックを入れるように、自分の行いを思い返して、まとめていく。

 

 そうした物思いのたどり着くところはいつも、自分の相棒である未来のことだ。

 大した目的もない紙月にとって、未来の希望を叶えてやり、未来の将来を護ってやることがいましばらくの行動指針である。

 それがどういうことであるかと言えば、と頭の隅で思いながら、紙月は未来の頬にべっとり広がったソースをぬぐってやった。

 

「ん、ありがと」

「おう」

 

 それはテーブルいっぱいに広げたご飯を思うさま食べたい、なんていう子供じみた子供そのものの、まさしく子供の願いを一つ一つかなえていってやることだろうか。

 紙月は一人頷いて、火酒を口に含んだ。




用語解説

回転炙焼き(トゥルンロスタージョ)
 スライスし、マリネした肉を積み重ねるように串に刺していき、回転しながら炙り焼きにしたもの。
 またそれを包丁で削り取り、米飯(リーゾ)麺麭(パーノ)、野菜などと供する料理のこと。
 肉は地域や作る個人によって異なり、複数種類を使用することも多い。
 西部では大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の肉を使用することが多い。

松子仁(ピンセーモ)
 マツノミ。松の類の種子の殻を取ったもの。
 タンパク質、油脂に富み、栄養価が高い。
 煎る、揚げるなど過熱したのち、そのまま食用にしたり、料理の材料にしたりする。

袋麺麭(ピタ・パーノ)
 平たく円形のパン。中が空洞のポケット状になっており、半分に切って中に物を詰める食べ方ができる。


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第十一話 職人たち

前回のあらすじ

本題の服の話よりよほど熱のこもった飯の話であった。
誰か監修の人呼んで。


 翌日のこと、未来が朝の鍛錬を終え、相変わらず中食の昼食を済ませ、二人は連れ立ってロザケストの工房を訪れた。

 日の当たるうちはまだ暖かいななどとのんびり考えながらやってくると、どうも様子が違う。

 夜と昼とで印象が変わる、という話ではない。

 工房の入り口に立った時点ですでに分かるほど、何やら中が騒がしいのである。

 別段、荒事の気配というわけでもないのだが、単に職人たちが仕事に励んでいるという気配ではない。むしろがやがやと無秩序な賑わいである。

 

 何事かと二人が顔を見合わせていると、そろそろ来るだろうと顔を出したのだろう、徒弟のリッツォ少年が出迎えてくれた。

 もっとも、ただ二人を出迎えに来たというには、どうもただ事ではない様子である。

 

「ああ! お二人とも! お待ちしていました!」

「お、おう」

「何かあったの?」

「何があったというか、何というか、とにかくその、来ていただければ」

 

 助かったと言わんばかりに露骨に顔色をよくして、リッツォは半ば強引に二人を工房に引き込み、作業場まで案内していく。そうすると、ますます騒がしさが増してくる。怒鳴り合うとか殴り合うとかいう暴力的なものではないのだが、ただ人と人とが声を出して話し合っているという、その規模が、大きい。

 どう考えても、昨日見た職人たちの数以上の人々がひしめいているようであった。

 

 どういうことかと考えるよりも先に作業場の扉が開かれ、さあさあ早く早く皆さんお待ちですよと突き出された先では、人、人、人、昨日の倍にも三倍にも及ぶ人々の視線が一斉に二人に集まった。

 

「う、おっ?」

「なん、え?」

 

 注目されるのに慣れているし、そもそも注目されるのが好きな紙月はすぐに開き直ったが、急にたくさんの大人たちの視線が集まったもので、未来は鎧の中で縮こまった。それでも、紙月の後ろに一歩下がってしまいそうなのをこらえる程度には、男の子だった。

 

 あれが、あれが森の魔女と盾の騎士か、思ってたよりもでかいな、噂は本当なのか、竜殺し、見事な衣装だ、ついてるってのは本当か、山を食ったって、俺は小さな子供だと聞いていたが、魔法の品々はまだか、おのおの勝手に呟くざわめきが、混ざり合ってうねるようだった。

 

 その注目を断ち切るように紙月たちの横で大きく手を叩いたのはロザケストのピンクの長身だった。

 

「よく来てくれたわね、《魔法の盾(マギア・シィルド)》のお二人さん」

「あ、ああ、どうも、なんだか知らんが待たせたみたいだな」

「皆さん! こちらが今回協力して頂くことになった、あんたらも噂で知っているでしょうけど、森の魔女と盾の騎士こと、《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》の冒険屋、シヅキとミライよ! ハイ拍手!」

 

 ロザケストが言うまでもなく、作業場に所狭しとひしめく人々はみな大きな拍手と歓声で二人を迎えた。

 むしろ、その騒ぎを抑えてなだめる方が大変なほどである。

 

「あー……説明してもらっても?」

「もちろん。ちょっと騒ぎが落ち着くまで、適当に笑って手でも振ってあげてくれるかしら、そうそう、そんな感じで」

「むしろもっとうるさくなった気が……」

 

 勝手に盛り上がる人々に愛想笑いなどを返しながらロザケストに事情を聴いたところ、つまりこういうことであるらしかった。

 

 工房の職人たちを押しのけるようにして騒いでいる連中はスプロの町の仕立屋組合の親方や職人たちであるという。ロザケストの工房ももちろん仕立屋組合には参加していて、彼らとは商売敵でもあり、商売仲間でもあり、競い合う強敵であり、高め合う親友であるという。言葉を飾らずに言えば持ちつ持たれつの同業者である。

 組合というもののしがらみと利権は決して小さなものではなく、男爵御用達であるとはいえ、一組合員であるロザケストとしては決してないがしろにはできないものである。

 その面倒な連中に、どこから話が漏れたのか、依頼の件が伝わってしまったのだという。

 まあ、どこからかというか、職人たちや徒弟たちにそこまでご立派な機密保持の概念が育っているとは思えなかったので、大方酒場で大声で騒いでいるのが自然と聞こえ漏れたのだろうと思われた。

 

 ともかく、依頼の件を聞いた組合の職人たちは、お前のところだけずるいと連名でごねてきたらしい。

 いくらなんでもそれは横暴だろうとは思うのだが、どうも近頃ロザケストが名を上げすぎたところがまずかったようである。老舗ならば歴史もコネもあるが、ロザケストは自身の腕と発想で工房を立ち上げた新参の成り上がりなのだ。

 男爵御用達の看板があれば多少の無茶は通せるとは言え、あえて組合と揉めても面白くはない。バランスが大事だということをわかっているのだ。

 

 仕方がなく、二人の了承が取れればという条件でロザケストは組合の職人たちの見学を許し、こうして押しかけられたのだという。

 

「あたしにも付き合いってものはあるけど、魔女の秘宝を拝ませてもらうんだもの、気に食わないんだったら、ここで断ってもらってもいいわ。というか、その方があたしとしては面倒がなくていいんだけど」

「俺も詳しくはなんだけど、組合の利権って大きいんだろ?」

「あたしは新参だから立場が弱いってのは確かだけど、新参だから腰が軽いのよ。それに今度の件で伝手もできたし、ご贔屓は男爵だけじゃないわ」

「他所への引っ越しも大変だろうに……いや、いいよ、俺は。いいよな、未来」

「うん、まあ、僕らにとっちゃ人が増えただけだし」

「本当に無理しなくていいのよ? あんたたちの秘密の品が、それだけ知れ渡るのよ?」

「紙月がいいって言うなら、僕はそれで」

「ある程度知れ渡った方が、あんたが安全だろうさ」

「……成程、お心遣い感謝だわ」

 

 未来はいまいちわかっていなかったが、紙月が組合職人たちの見学を許可したのは、すでに知られてしまっているなら、ここで隠す方が後々面倒になるからだと判断したからだった。

 普通のデザインだけの問題であれば、せいぜい職人が盗みに入るくらいが関の山だ。衣装のデザインなど、職人以外には役に立たない。金を払うだけで完成品を入手できる貴族がわざわざ違法行為を働いてそれを手に入れようとする必要はない。

 

 しかし、紙月たちの保有する、この世界の人間から見たら奇跡としか思えない効果を秘めたアイテムの情報が漏れた時はどうなるだろうか。それを調べ上げた結果が、たった一軒の工房に隠されているとしたら。それ自体は魔法の力を持たないデッサンであろうとも、その恐るべき効果の一端でもつかめないかと考えるものが出てこないとも限らない。

 もっと発想を飛躍させて、もしかしたら、魔法の品々の一つや二つは預かっているかもしれないと考えるかもしれない。

 そうなったら、危険は比べ物にならない。

 今度は職人たちではなく貴族たちが目をつけるだろう。

 送り込まれるのは泥棒などではなく、秘密を知っている人間を消すための暗殺者かもしれない。

 竜殺しをはじめとした伝説を謳う冒険屋を狙うよりも、それはよほど簡単なことだろう。

 

 そうなるくらいなら、最初から情報を公開して、リスクを分散してしまった方がいい。

 組合職人たちの見ている前でやり取りをすることで、アイテムは一つの例外もなく紙月たちが回収していることを、彼ら自身に証言してもらおうというのである。

 

 もちろん、と紙月は付け加えた。

 

「あんたとは別口の客なんだ。組合からも報酬は出るんだろうな?」

 

 清々しいまでに露骨な物言いに、ロザケストは呆れたように笑い、それから、もちろん、と答えた。

 

「さあさ皆さん、組合の皆さん! 見学料のご準備を! 何しろ狭い工房だから、見やすい席は限られてるわよ!」

 

 手を叩いて再び注目を集め、さっそくあおり始めたロザケストに、組合の職人たちは次々と声を上げていった。それならうちはこれだけ出す、なにを、ならうちはこれだけ、なんのなんのうちならこれくらいは出すね、じゃあうちは、と途端に市場の競りじみたことになってくる。

 職人たちも、それぞれ店や工房を代表してここまで足を運んでいるのである。ここで変に遠慮したりケチな態度を見せて、せっかくの機会をふいにしては何のために来たのかわからない。

 ロザケストもそれがわかっているから、嬉々として煽り、囃し立て、値を釣り上げていく。

 結局、それぞれの店から最上級の服が贈られることとなり、店の格に応じてロザケストが見物権の優先順位を決めていった。

 紙月も未来も、稼ごうと思えば稼ぐことのできる現金より、職人たちが腕を競って作ってくれるという服の方がありがたいし、それならその条件で行こうと頷いた。

 

 頷いてしまった。

 

 途端、各々に仕事道具を手にした職人たちが、えげつない笑顔でにじり寄る。

 

「よし、じゃあ早速採寸させてもらおうじゃねえか」

 

 職人の数だけやり方があるということを、二人は身をもって思い知るのだった。



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第十二話 着せ替え人形とかぼちゃ

前回のあらすじ

なぜか増えた職人たちにひん剥かれる二人。
事案だ。


 紙月と未来がインベントリに収めていたアイテムのうち、衣装や装飾品の類、その中でもさらに露骨に危険なものを除いた品々は、それでもすべて検めるのに一週間ほどかかった。

 数自体はそこまで多くはなかったのだが、特殊効果やフレーバー・テキストから鑑みて危険性はないかを二人が相談するのにまず時間がかかり、見学者たちから文句が出ないように一品一品を監視の下で全員に回すのにまた時間がかかり、単に表から見ただけではわからない構造や縫製を確かめるためにひっくり返したり広げたりでこれまた時間がかかり、その途中途中で職人同士が盛んに議論を交わすのでまたまた時間がかかりと、とにかく進みが悪かったのである。

 

 一日目の時点でこれは何とかしないとまずいというのは全員が認識した。

 二日目になると前日の反省を活かして無駄が省かれてきた。

 三日目は大分こなれてきて、流れ作業のラインが仕上がり、制限時間の設定がなされた。

 四日目を過ぎたあたりから順調に進み始めたが、それでできた余裕の分、議論の時間が長くなり、小さなパーツの試作品なども作られるようになっていった。

 

「フムン。ワークショップみたいだな」

「わーくしょっぷ? それも魔女のわざかしら?」

「あー、講習とか講座のやり方だよ。実際に作業とかを体験しながら、お互いに議論し合って技術を伸ばしていくんだ。講師が一方的に教えるだけじゃなくて、参加者が自分たちで作業とか議論とかをして行く形だな」

「面白いやり方だわ」

 

 紙月がワークショップというものを体験したのは、大学で参加していた演劇サークルの仲間と一緒に行ってみた演劇ワークショップだった。

 紙月にとってはちょっとしたレクリエーションのようなものに感じられるくらいに緩いものだったが、それをなんとなく流用した工房におけるワークショップもどきは、職人たちにとって非常に斬新な体験となったようだった。

 

 そもそも職人たちにとって、こうしてよその工房の職人と集まって顔を突き合わせて議論するということ自体がまず有り得ないのである。技術とは師匠から弟子へと、内々で受け継がれていくものなのだ。ある程度の付き合いや融通はあるとはいえ、ここまであけっぴろげな場というものは、年嵩の職人たちにとっても人生で初めてだった。

 そしてそのいままでなら有り得なかった状況をすんなりとは言えないまでも受け入れざるを得ないだけの魅力が、二人のもたらしたアイテムの数々にはあった。

 

 いままで培ってきた技術、知識、経験、それらを総動員しても辿り着けない「わけわかんねえ」の境地。

 「なんなのだこれは」という共通のショックが、頑固な職人たちをして怯ませ、こぼれ出た疑問や弱気が共有されるに至り、彼らは初めは細々と、やがて開き直ったように議論を重ね始めたのだった。

 

 一週間でこのワークショップはすっかり形になり、一通りのデザインが検められたいま、職人たちはいくつかのグループに分かれて作業に没頭していた。

 構造やデザインにある程度理解が及び、その再現やアレンジを開始した手の早い組。

 いまだに理解が及ばず、あるいは新奇な発想を求めてアイテムの研究に取り組む腰を落ち着けた組。

 機能性やデザインの意味、取り合わせのバランス、単純な美しさなどを議論する理論派の組。

 

 そういったいくつもの組に分かれて、その組の中である程度まとまりができてくると、紙月と未来はあまりすることがなくなってきた。

 もちろん、アイテムの盗難や悪用などを警戒しておく必要はあるが、取り出したものはすべてリストアップして、最後にすべて回収するまでだれ一人退出できないようにしているし、危険な事態に陥るようなものは最初から弾いているので、いまはほとんど放置している。

 

 もっとも、だから暇になったかというと別にそうでもない。

 

「大丈夫か未来。退屈じゃないか」

「退屈する暇もないよ」

 

 というのも、アイテムを手に取るのは許しているが、着用していいのは紙月と未来の二人だけだということになっているので、実際に着用した時の印象を確かめるために、二人はあれこれと服を着せられたり小物を身につけさせられたりと、着せ替え人形状態なのである。

 

 未来はそんなに衣装持ちではないので被害は少なかろうと高をくくっていたのだが、油断をしていたところに主に女性職人たちから様々な衣装を持ち寄られ、気づけば着せ替え人形にされていた。

 なんでもこれは報酬として提供すると言っていた品々であるらしいのだが、実際に着てもらって直しを入れたり、デザインを改めたりするから、という建前と名目で、愛らしい少年を着飾らせて楽しもうという魂胆が透けて見えるどころか露骨に漏れ出していた。

 

「なかなか似合うじゃないか。格好いいぜ、未来」

「からかわないでよ」

 

 どう見ても普段使いできないような、それこそ貴族の子供が着ていそうな服を着せられながら、未来は唇を尖らせた。気軽に似合う似合うと言われても、なんだか子ども扱いされているようで気に食わなかったのだ。

 そのちょっと不貞腐れたような表情がお針子のお姉さま方小母様方には大いに好評だ。

 

 そりゃあ、生地はいいし、オーダーメイドの造りは体にぴったりと合っている。異世界の文化とは言え、未来の目から見てもセンスの良い物ばかりだ。

 しかし、金がかかっている、高い技術が用いられているというアピールなのか、布地や飾りが多く、フリルなどがふんだんで、とても落ち着けたものではない。

 一番近いイメージだと、七五三で慣れない着物なんか気つけさせられて、しゃっちょこばって写真を撮っているような、そんな気分だ。

 

 それに、お針子や職人たちとは言え、大人の女の人に囲まれてちやほやされるというのは、頭の中がてんやわんやになってどうしたらいいのかわけがわからなくなる程、未来にとっては大いに異常事態だった。

 ゲームならどんなに敵に囲まれたって防ぎきる自信があったけれど、しかしこの攻勢にはたじたじと狼狽える外にない。おまけに反撃手段もない。

 

 紙月も同じように着せ替え人形になってはいたが、こちらは平然としているどころか実に堂々としている。

 いまもバニーガールの格好をしてポーズなど決めているが、そこには恥じらいなどまるで見られない。

 さっきまではゴシック・ロリータを着こなしていたし、その前はメイド服だっただろうか。修道服を着ていた時もあった。

 セクシーだったりキュートだったり、未来としても様々な衣装でざまざまな姿を見せつける紙月にどきどきしないわけではないのだが、それ以上に「どうしてこんなに着慣れているんだろう」という呆れの方が強かった。

 インベントリから直接選択して装備すれば着方がわからなくても問題ないが、紙月の場合、ある程度造りを確かめた後は、自分の手で普通に着替えられるのである。

 

「……よく着方がわかるね、紙月」

「まあ、演劇やってたからな」

「それに、みんなに見られてよく堂々とできるよね」

「演劇やってたからかなあ」

「演劇万能すぎるよ」

「一度慣れちゃうとこれくらいはなあ」

 

 あまり一般的ではない感じ方なんだろうなあ、と未来はぼんやりと思う。

 少なくとも、慣れるとかどうとか以前に、ファッションショーを楽しんでいるのは純粋に紙月の目立ちたがり屋の発露であるように思われてならなかった。

 

 いまもふわふわした寝間着セットを身に着けながら、紙月はノリノリでポーズを取り、解説をし、そして目線をくれていた。

 もみくちゃにされてうんざりした気分で着せ替え人形になっている未来とは、なんだかレベルどころか立っているステージが違う。

 

「ほら、よく言うだろ」

「たぶんそれ、僕聞いたことないやつ」

「観客はかぼちゃだと思え。かぼちゃがずらっと並んでたって怖くはないだろ」

「かぼちゃは僕を着せ替え人形にしないよ、紙月」

 

 分かり合えない感性の違いが、そこにはあった。




用語解説

・バニーガールの格好
 ゲーム内アイテム。正式名称《三月兎のバニースーツ》。
 シルクハットに燕尾服を羽織り、ステッキを携えた露出度低めのお洒落なバニースーツ。
 ただし効果はひどいもので、《SP(スキルポイント)》の自然回復速度が大幅に上昇する代わりに、不定期にランダムでステータス異常が発生するという博打仕様。
 非常にレアな兎関連のアイテムを装備すると活用しやすいというが、この二つをそろえられるプレイヤーはそれほど多くない。
『ヤアいらっしゃい!お茶をお飲み!さあさ、まずはお茶をお飲み!足りなければもっとお飲み!それから席に着くんだ!そしてお茶をお飲み!ところでティーカップはどこ?』

・ゴシック・ロリータ
 ゲーム内アイテム。正式名称《月下少女奇譚》。
 いわゆるゴシック・ロリータ、ゴスロリといったデザインで、月をモチーフとした飾りが見られる。
 ロリータ・シリーズの一つ。
 闇属性鎧であり、高い魔法防御力を誇る他、セットとなる他のアイテムと一緒に装備することで効果が上昇する。
『ゴスロリは心の武装』


・メイド服
 ゲーム内アイテム。正式名称 《メイド・イン・シャドウ》。
 黒づくめのエプロンドレス。ややゴスロリの意匠を感じさせる。
 セット装備 《ブラックブリム》と同時に装備することで、《技能(スキル)》使用時の《SP(スキルポイント)》の消費量を減少させる効果がある。
『影より生まれ、影に生き、影に死す。メイド道とは死ぬことと見つけたり』

・《ブラックブリム》
 ゲーム内アイテム。
 真っ黒なブリム。頭装備。
 セット装備 《メイド・イン・シャドウ》と同時に装備することで、《技能(スキル)》使用時の《SP(スキルポイント)》の消費量を減少させる効果がある。
『頭がおかしいのか? なんだメイド道って』

・修道服
 ゲーム内アイテム。正式名称《悪魔憑きの修道服》。
 楚々としたいわゆる修道女といったデザイン。類似品に注意。
 高い魔法防御力を誇るだけでなく、神官系の敵に対してダメージ上昇効果。
『悪魔ほど優しいものはいない。その優しさが人を堕落させるのだから』

・ふわふわした寝間着セット
 ゲーム内アイテム。セットで装備すると効果が上昇する。
 下記に個別に紹介する。


・《イージー・ピロー》
 ゲーム内アイテム。武器。
 柔らかそうな羊を模した枕だが、カテゴリは鈍器である。
 特定の場所で状態異常:睡眠によって移動できる夢の世界でのみ攻撃力を発揮する。
 装備している時間が長いほど攻撃力が上昇する。
『この枕で眠ると人生の栄枯盛衰全てを夢に見るという。ほら、カンタンのマk()』

・《オネイロスのナイトキャップ》
 ゲーム内アイテム。頭部装備(上段)。
 男女でデザインが変わる。
 男性用は円錐状で先に毛玉のついたいわゆるサンタ帽子型。
 女性用はフリルで縁取られた、ドアノブカバーに例えられる形状。
 特定の場所で状態異常:睡眠によって移動できる夢の世界でのみ効果を発揮する。
 命中率が上昇する効果がある。
『神々は時に夢を通じて神意を伝える。尤も、それが実のない偽りなのか、まごうことなき真実なのかを見分けるのは簡単ではないが』

・《夢魔のネグリジェ》
 ゲーム内アイテム。鎧。
 女性用装備。ゆったりとしたワンピース型の寝巻。透けない。
 特定の場所で状態異常:睡眠によって移動できる夢の世界でのみ効果を発揮する。
 性別:男性からのダメージを軽減。性別:男性へのダメージを上昇。
『なんでもかんでも夢魔のせいにするの、人間の悪い所だと思う』

・《夢路辿り》
 ゲーム内アイテム。足装備。
 ふわふわのスリッパ。脱げそうで脱げない。
 回避率が上昇する効果がある。また、状態異常:睡眠でも自由に移動できる。
『住の江の 岸による浪 よるさへや 夢の通ひ路 人目よくらむ』

・《ドリームキャッチャー》
 ゲーム内アイテム。アクセサリ。
 特定の場所で状態異常:睡眠によって移動できる夢の世界でのみ効果を発揮する。
 精神系状態異常を防ぐ効果がある。
『悪夢の不法投棄おことわり! ──ドリームランド自治会』
 
・《怠惰のアイマスク》
 ゲーム内アイテム。頭装備(中段)。
 「はたらかない」と筆文字で記されたアイマスク。
 回避率・命中率が低下する代わりに《SP(スキルポイント)》消費を激減させる。
 ランダムで状態異常:睡眠に陥るデメリットもある。
『世界が終わるまで働かねェ。その覚悟が、あんたにあるかな?』


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最終話 ザ・ウィッチ・トゥック・オフ・ヒズ・ドレス

前回のあらすじ

着せ替え人形にされる未来とファッションショーに興じる紙月。
楽しもうという姿勢の有無だけが違いであった。あるいは性癖。


 森の魔女紙月のファッションショーもといロザケストの依頼は、二週間と少しでようやくひと段落ついた。

 冬が本格的に深まり、事務所から出るのが本当に億劫になるころだったが、職人たちはむしろ活気をいや増しており、寒さなどまるで受け付けないような熱気をもってして、二人のアイテムから仕入れた様々な知識を整頓し、再現しようと躍起になっているようだった。

 

 ぶっちゃけた話、紙月の衣装をもとにデザインを発展させたところで、帝都には紙月以上の衣装持ちであった《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》の一人オデットがアイドルグループ《超皇帝》とやらで活躍しているらしいので、紙月としては勝ち目はないと思っている。

 さらに言えばそれをサポートしているのが帝都の産業を発展させまくったであろう錬三であるのが駄目押しである。地盤が違いすぎる。

 

 それでも依頼に応えたのは、依頼料が良かったのもあるが、ロザケストの職人としての腕前に期待したというところがある。

 オデットには多彩な衣装があり、錬三にはそれを大量生産させる工場があるだろう。しかしこの二人にはおそらく、新しい何かを生み出すセンスはない。既存のものを使い回しているだけだ。

 

 だからこそ、同じ材料を与えて、全く違う感性で何かを生み出せるかもしれないロザケストは、もしかしたら本当に西部に栄光をもたらせるかもしれないのだ。

 

 まあ、深い意図があったわけではなく、なんとなく、そうなったらいいな程度のものだが。

 古槍紙月は、いつだって誰かの一番を見上げてきたのだから。

 

 別に長旅をしたわけでもなく、激しい戦闘があったわけでもなく、山場もなければ落ちもないような二週間であったが、未来はなんだか無性に疲れた気持ちで、ようやく解放された喜びにほっと溜息も漏れたものだった。

 喜んでファッションショーを見せつけていた紙月にしても、日々厳しくなる寒さには辟易していたようで、ファッションセンスの欠片もない、おしゃれ心を部屋の隅に放り投げた厚着でもこもこに着ぶくれてようやく人心地ついたようだ。

 

 単純に力技やごり押しでどうにかなるようなものでもない、慣れない仕事に二人はすっかり気疲れし、ロザケストに契約完了のサインをもらうなり、事務所の暖炉前に陣取って丸くなり、ひたすらそのぬくもりにとろけることを選んだ。

 そして依頼料が良く懐も温かくなったので、そのまま自主休暇に入りずるずると怠惰に過ごすことに否やはなかった。

 

 この寒い中も外で仕事をしてきたり内職に励んでいた冒険屋連中からすると、働きもせずにこいつらは、という気持ちにもなるようだったが、苦労や疲労の種類が違うのであって、労働であったことに違いはない。

 まあそうでなかったとしても、森の魔女印の火鉢魔法を愛用している連中に文句など言えようはずもないのである。

 夏になったら覚えていろよなどとこぼす連中にしたって、おそらくその頃には森の魔女印の便利な冷房魔法が売り出されて飼いならされるに決まっていた。

 

 しばらくは何にもしないことを決めて、つまりはいつも通り過ごすことにして、二人はもこもこに着ぶくれたままぼんやりと暖炉の火を眺めていた。

 火は薪をチロチロと舐めながら赤々と燃えており、その揺れ動くさまは、じっと見続けていてもまるで飽きないような気がした。実際には、未来などは割とすぐに飽きてくるのだけれど、隣の紙月は暖炉前から動く気がないので、未来は隣のぬくもりを枕代わりにうとうとすることにしている。

 

 暖炉傍の揺り椅子では、もう百年以上ずっと揺り椅子に揺られているのではないかと思わせるほどにその場に馴染み切った、一等年寄りの暖炉番の老冒険屋が、歯抜けの口元を時々もごもごさせたり、短いいびきを漏らしたり、そして思い出したように目を開いては、薪を放り、火箸で整え、そして再び背景に沈んだ。

 

 ぱちりぱちりと薪のはぜる音は、なんだかひどく眠りを誘う。

 木の燃える匂い。揺れるぬくもり。単調なリズム。それに寝かしつけられそうになりながらも、未来がうとうととぐうぐうの合間くらいで何とか意識を保っているのは、暖炉から漂う甘い香りに意識を向けているからだった。

 

 暖炉番の老冒険屋が、北部の林檎(ポーモ)が安く入ったからと、蓋つきの鉄鍋に乳酪(ブテーロ)などと一緒に放り込んで、暖炉の火に突っ込んで焼いてくれているのだった。

 冬場は半分死んでいるこの老冒険屋は、それでも未来を孫のようにかわいがってくれており、夢から片足を引き上げている時は、こうして何くれとなくよくしてくれるのだった。

 

 あまり親戚付き合いがなく、祖父母の思い出も少ない未来としては、この独り身の老人の優しさは何とも言えずくすぐったく、そしてほの暖かく感じられるものであった。

 

 二人がそうして、暖炉のぬくもりを入り口に、夢の世界の入り口辺りでふらふらしていると、若い冒険屋が二人あての荷物だと言って、大きめの包みを寄越してくれたので、いくらか目が覚めた。

 何かと思えば、それはロザケスト工房からだった。正確に言えば仕立屋組合からの名義で、二人が報酬として要求した衣服が何着か仕上がったので、届けてくれたようだった。

 

 未来はもともとファッションセンスを磨く以前の段階だったし、こちらの世界のファッションもいまいちわからないので、単に動きやすいものをと注文していた。

 開いてみると、未来の好みに合わせてあまり派手すぎず、少しかっちりとしたフォーマルなスタイルを残しつつも、子供が走り回ることを前提にした丈夫な造りとなっていた。

 

 冬場に合わせたコートは、少し大きめに仕立ててあったが、これはすぐに大きくなるからという未来の要望と、仕立屋の冷静な予想の折衷案だった。

 早速コートを羽織ってみたが、なかなか着心地が良い。

 生地はいいものを使っており、仕立ても良い。その癖、見た目はあまり金がかかっているようには見えないので、悪目立ちしない。裏地はその分しっかりしているので、暖かさも文句ない。

 

「紙月はどんなのだった?」

「おう、大学で着てた感じのを頼んでな。着替えてくるから、ちょっと待ってろ」

 

 紙月は包みを抱いていそいそと部屋に向かい、そうして戻ってきた姿は、日頃見る森の魔女とは全く違うスタイルだった。未来はもちろん、居合わせた冒険屋たちもおやっと目を見開いた。

 

 首元まで柔らかく覆ったゆったりめのタートルネックに、シルエットにふくらみのある暖かそうなカーディガン。紙月の足の長さがよくわかる綿のスキニーパンツが、上半身のふくらみと合わせて自然なVラインを描いていた。

 元の世界では見かけることのあった着回しではあるけれど、帝国ではこれは結構斬新なデザインであるらしく、ロザケストからの手紙にも面白い挑戦だったと記され、冒険屋たちも珍しそうに眺めていた。

 

 普段は、毎朝装備として塗っている黒のリップ、《アモール・ノワール》をはじめとした化粧品系の装備も外しているからか、なんだか顔つきも違って見える。化粧している時の顔は、はっきりとした見た目で少し派手な感じがするが、化粧を落とした今は、年相応の柔らかくあっさりとした雰囲気がする。

 風呂に入る時も見かけることは見かけるのだが、こうしてきちんと服を着た状態ですっぴんを見るのは、初めてかもしれなかった。

 

 来たばかりの頃より伸びた髪は緩くまとめて肩口から垂らしており、着飾らない、気の抜けた感じでもあった。

 

 ファッション誌の表紙にでも載っていそうな仕立ての服を身にまとい、どうだとばかりに無邪気な笑顔を浮かべて、紙月は暖炉の火に照らされて胸を張った。

 

「どーよ? こうすりゃ俺も立派な男子大学生って感じだろ?」

 

 余り気味の袖から覗く指先がピースサインなどを向けてくるのをしり目に、未来はそっと優しく微笑んだ。

 

「……うん、とっても似合ってるよ、紙月。ああ、そろそろ林檎(ポーモ)が焼けそうだ」

 

 露骨に話題をそらす未来は、コケティッシュという言葉をまだ知らない。

 火箸で引き揚げられた鉄鍋から、林檎(ポーモ)の甘い香りが、途端に広がるのだった。





用語解説

・コケティッシュ
 心をひきつけ惑わす、なまめかしく色っぽいなどを意味する。


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第十四章 フーズ・ゴナ・ノック・ザ・ドア?
第一話 冬至祭


前回のあらすじ

もはや男装が似合わなくなってきた女装ハイエルフママ男子であった。


 日一日と日が短くなり、一層寒さの深まる頃。

 しかし帝国西部スプロの町は、それまでの寒さに凍えるばかりの静けさとは裏腹に、活気に満ち溢れていた。そしてそれはスプロの町ばかりではなく、西部の町という町、村という村、そしてまた帝国の他の地域においても同じようなものであった。

 遥か地の果て北の果て、辺境においてもそれはきっと変わらないことであっただろう。

 

 地竜殺しをはじめとした数々の逸話を短期間で積み上げてきた、生ける伝説《魔法の盾(マギア・シィルド)》。

 などという大層なうたい文句とは裏腹に、毎日のように寒い寒いと愚痴っては暖炉の前を占領する肉の薄いハイエルフとちびっちゃい獣人、森の魔女こと古槍紙月と、盾の騎士こと衛藤未来。彼らもまたその妙な活気と熱気に気づいた。大分遅まきながらに。今更に。仕方ない。寒いから。

 

「なんかこう……賑やかになってきたよね」

「だなあ。寒いのになあ」

 

 まだ日も登りきらぬ頃から、人々の賑わう声が《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》のぼろい窓越しにも聞こえてきていた。

 と言っても単に日の出の時間が遅いだけで、帝国時間としては十分に朝と言ってよく、職人たちなどはとうに朝飯も済ませている頃合いだが。

 

「おいおい、暢気なもんだな。かきいれ時だぞ」

「ええ? 冬場にィ?」

「行事がありゃ仕事もできらぁ」

「行事?」

 

 帝国の世情一般に関してことごとくうとい異世界転生者二人に、壁掛けのカレンダーを指示したのはハキロである。

 ハキロは髭の似合わない、いまいち貫禄の足りないおっさん一歩手前の半おっさん冒険屋だったが、気はいいし面倒見も良かった。そのために常識知らず二人の面倒を見る羽目にもなるのだが。

 そのハキロはカレンダーの、何日か後の日付を指さした。赤字で記されているのは今月、つまり十二月の二十四日と二十五日だった。

 

「もうすっかり年も暮れて冬至祭(ユーロ)だぞ」

冬至祭(ユーロ)?」

「まさか冬至祭(ユーロ)も知らないって、ああ、まあ、言うんだろうな。うん」

「魔女のしきたりにゃあないんでね」

「便利な言葉だよ全く」

 

 恐ろしく世間知らずな二人に、しかし慣れてしまっているのが悲しいところである。何しろ伝説の始まりである地竜殺しからしてどうこうしてしまったハキロだ。大抵のことでは呆れはしても驚きはしない。だからと言って好き好んで呆れたいわけでもないが。

 

 別に紙月と未来もハキロを困らせたり呆れさせたいわけではないし、おっさんの困り顔や呆れ顔には何の需要もない。しかし異世界常識でわからないことがあったときに尋ねる窓口が固定化していた方が便利だし、散々異世界ガイドとして使い倒してきたのだから今更気にしなくてもいいかななどとふてぶてしく思っていたりもする。

 それが図々しい顔から察せられてなお相手してやるのだからハキロも大概お人よしだが。

 

冬至祭(ユーロ)ってなあ、冬至過ぎに行われる祭りでな。幸いなる日(フェリチャ・フェリオ)とか言ったりもするな。うーむ。今更何なのかって言われると、なんなんだろうな。仕事納めして、一年の締めくくりに家族でぱーっと祝って、飲んだり食べたりして、年末を過ごす祭りってとこか。毎年十二月二十四日の夜から祝い始めて、年明けの六日までが期間だな」

 

 クリスマスじゃん、と呟いたのは紙月である。

 

「地域によって違うが、二十五日に贈り物を交換するな。子供にゃあ、いい子にしてたらアヴォ・フロストっつう赤い服着た爺さんが玩具や菓子をくれるとか、逆に悪いことするとさらわれるぞとか言うもんさ」

 

 サンタだ、と呟いたのは未来である。

 

「あとは、なんだ。ああ、ほら、あれだ。挨拶状も送るなあ。友達に、遠くの家族とか親戚、仕事相手とかに。既製品のさ、きれいな絵が描かれたやつとか結構出回ってるだろ。知ってるか? 今年はお前らの絵柄も出てるんだぜ」

 

 年賀状のことかな、と未来。

 クリスマスカードだな、と紙月。

 そう言えばここ数日は飛脚(クリエーロ)や郵便の出入りが多い。

 説明しているうちに興が乗ってきたのか、ハキロも思いつくままに語り始める。

 

「そもそもの起こりはよく知らん、っていうかどこも勝手に起源を主張してるな。それぞれの神殿で、勝手に祝ってる感じだ。大体一緒だしな。良く聞くのが、冬至で一年で一番日が短くなって、それからまた日の長さが伸びてくから、衰えた太陽の力が増していく、つまり太陽神の再生と復活を祝うって話だな」

「それで」

「おう?」

 

 それからそれから、と雑学豆知識を披露し始めそうになったので、このあたりで切ってやる。

 

冬至祭(ユーロ)ってのがなんなのかはわかりましたけど、それでなんで仕事が増えるんです?」

「そりゃお前、人が活発に動きだしゃあ、人手も必要になるし、面倒ごとも増えるだろ。そうなると俺達冒険屋の出番だ」

「雑用に力仕事、用心棒ってわけだね」

「そうそう、ミライは物分かりがいいな」

「俺たちそのどれにもお呼びじゃないらしいんですがね」

「まあ、お前らを用心棒にしたら店ごと消し炭になりそうだが」

 

 失敬な、というには確かに火力過多なのは自覚している紙月である。

 おかげさまで仕事があまり入らないから、せっかく稼いだ金も減る一方なのだ。

 おまけに寒いから外に出たくもないし、何事も面倒くさいので、やる気も減る一方だ。

 

「まあ冒険屋としての仕事はお前らにはないかもしれないが、一年の締め、仕事納め前の最後の一仕事だ。お前らばっかり遊ばせとくわけにはいかん」

「とはいえ、俺らに何しろってんです?」

「大掃除に、買い出し、飾りつけ、事務所の雑用だけでも人手はいくらあっても足りないさ」

「うへえ」

「もちろん、働かせるだけじゃあねえよ」

 

 早速げんなりしてみせる紙月に、ハキロはなだめるように笑ってみせた。髭は似合わないが、笑顔は愛嬌のある気のいいおっさんである。貫禄は足りないが。

 

 ハキロによれば、当日はもとより、すでに広場では着々と祭の準備が進んでおり、それで集まった人々を相手にした出店や屋台も数多く出ているという。

 冬至祭の飾りや道具、祝いの酒や、料理の材料、そしてもちろん心地よく飲み食いできるような屋台。また冬至祭の記念品や、特には関係ないけれどお祭りの雰囲気に乗せて在庫品を処分しようという商売熱心な連中の年越しセールが盛大に行われているという。

 こういった商いが、当日ほど賑やかではないにせよ、すでに結構な規模になっているらしい。

 引きこもりの紙月はさっぱり気付かなかったが、この寒い中も毎日ジョギングしている未来は、あれそう言うことだったんだと納得の顔である。

 

「ジョギング中に買い食いしてたら意味ないと思って気にしないようにしてたんだよね」

「お前そう言うとこ真面目だよなあ」

 

 しかしそう言う屋台が出ていて、公然と祝日扱いで楽しめるというのならば、話は違う。

 酒飲めるな、とご機嫌なのは紙月で、何食べよっかなと思いを巡らせるのは未来である。

 その前に仕事しろ、というハキロの小言はできれば聞きたくない。

 

「まあ、仕事さえすりゃ酒でも飯でも好きにしろ、って言いたいけどよ」

「なんです?」

「お前ら、酒だの飯だの、冬の間そればっかりで太ったんじゃないか?」

 

 秋に引き続き、冬も、太る季節である。

 思わず互いを見てしまうのもむべなるかな。

 

「僕は毎日運動してるし」

「それ以上に食ってる気もするがなあ」

「僕より紙月じゃない?」

「俺はそもそも量を食えないからな」

「お酒も太るよ」

「うぐ」

「度数高いのばっかり飲むし、脂っこいものとかチーズとかおつまみにするし、塩辛いの食べたら甘いもの欲しくなったとか言うし、甘いの食べたら塩辛いものとか言うし、際限なく飲むし」

「うぐぐ」

「太るよ」

「は、ハイエルフは太らない」

 

 未来の手がすっと伸びて、厚着した紙月の脇腹をつまんだ。

 むにり。

 それが答えだった。

 

「……働くか」




用語解説

・カレンダー
 紙月たちはあまり気にしていなかったが、帝国の暦は一年を三百六十五日と定め、おおむね四年に一度閏日を定めている。ひと月はおよそ三十日間。二月は通常二十八日で、閏年に閏日が加えられ二十九日間となっている。
 また一日は二十四時間。
 どうやら神々が別のワールドのシートを流用するか、手を抜いたらしい。

冬至祭(ユーロ)(Julo)
 幸いなる日(フェリチャ・フェリオ)(Feliĉa ferio)とも。
 冬至、つまり一年で一番日が短い日、そしてそこから再び日が長くなっていくことを祝う祭とされる。
 北半球にあるらしい帝国でも冬至日はおおむね十二月二十二日前後なのだが、なぜかそれを過ぎて二十四日の夜、二十五日を冬至祭(ユーロ)当日と定め、一月六日までを祭の期間とする地域が多い。
 その起源や歴史には諸説あるが、帝国においては初代皇帝が定めて以来、法的に祝日とされ、戦争行為を慎むよう法律が公布された記録が残っている。
 プルプラちゃん様の仕業なのかは定かではない。
 なお聖王国には冬至祭(ユーロ)はないがクリスマスはある。

・アヴォ・フロスト(Avo Frosto)
 赤衣をまとった謎の老爺の言い伝え。起源不明。民俗学者も突然湧いて出てきたと頭を悩ませる存在。
 角の生えた四つ足の馬にそりを牽かせて空を飛び(!?)、二十四日の深夜に飛来し、良い子供には玩具や菓子を与え、悪い子供には罰を与えたりさらったりするという。
 さらに学者たちを悩ませるのは、毎年その存在の観測や捕獲を目的に作戦が練られるも、一度も捕まえられず、そのくせ姿は見せることがあるという点である。証拠はないが見たものは多いという、たちが悪い怪異。

・挨拶状
 帝国では冬至祭(ユーロ)以外にも、折に触れては挨拶状を送る風習がある。
 絵葉書のように絵の描かれたものや、開くと立体的に絵が立ち上がるもの、金のかかったものでは金箔押しのものなども。
 他の時期には送らなくても、冬至祭(ユーロ)には挨拶状を交換するものも多い。

・太陽神
 太陽の神クルートサンク。
 太陽を司る神。または太陽に遣わされた神獣、太陽に祝福された神使などとされる。
 三本の足を持つ燃え盛る巨大な鶏の姿をしているとされる。
 伝説によれば、朝になると心臓を自らの嘴で突き破って燃え盛る血を浴び、東の果てから焼けながら飛び、西の果てにたどり着く頃に燃え尽きて死に夜となる。夜の間に月の神または冥府の神がその亡骸を東の果ての祭壇に捧げ、朝になると復活し、再びその心臓を突き破るとされる。
 趣味の悪い一説によれば、あらゆるものを食らう貪欲さを咎められた魔獣のなれの果てともいわれる。罰として神々によって身体をめぐる血を炎に変えられ、その苦痛から逃れるために心臓を突き破って狂乱のままに世界を飛び回り、死してなお何度でも復活させられては、自死を繰り返しているという。
 不死、あるいは再生の象徴。


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第二話 賑わう広場

前回のあらすじ

Q.太った?
A.太ってないよ。全然太ってない。でも運動大事だよね。


 じゃ、頼んだぞ、と命ぜられたのは買い出しだった。

 その伝説たるや凄まじく、地竜を素揚げして甘酸っぱいたれで美味しくいただくとか盛大に尾ひれをつけられた噂を流されている《魔法の盾(マギア・シィルド)》の二人である。それに安っぽい財布を預けておつかいに行かせるなどという一幕は大胆かついい加減な脚色で知られる吟遊詩人たちも歌いはしまい。

 

 もっとも、この二人が仕事もないのでぶらついたり、事務所の雑用を言いつけられてぶらついたり、特に理由もなくぶらついたりする姿はスプロの町ではすっかりおなじみの光景となってしまっていた。

 噂が流れ始めた当初などは、気軽に店に顔を出そうものなら大いに畏れられうちのような店にどんな御用でと腰も低く対応されたものだが、今ではおう、おつかいかい、ちょいと待ってな、いいのが入ったんでおまけするよ、などと言う雑ながらも親しみのある対応をされているほどだ。

 特に、その燃費の悪さから飲食店を多用する未来などは、鎧を脱いで子供の姿で店の間を通れば、通り抜けた時には買い物もしてないのに持ってけ持ってけと両手が荷物でふさがるほどである。すぐ食べるので困りはしないが。

 

 今日も炎のように鮮やかな羽飾りで肩口が暖かい《不死鳥のルダンゴト》で厚着をした紙月と、炎の鳥を模した羽飾りやマントまで真っ赤で派手な《朱雀聖衣》をまとった未来が歩いていると、ちょくちょく声を掛けられる。ご町内では挨拶して会話もして何なら一緒に酒も飲める伝説として親しまれているのだ。安い。

 

 ここしばらくは寒いのであまり足を伸ばしていなかった広場に出向けば、人々があちらにこちらにと忙しなく歩き回り、通りを抜けた馬車が何台も行きかっていた。その荷台に乗せた品も一通りではなく、何かを詰めたタルや箱、野菜やら肉の干したのやらに、檻に入った家畜など様々だ。

 

 例えば紙月たちの見ている前で広場に荷を下ろし、屋台に並べ始められたのは玉切りされた丸太である。

 腰を下ろすのにちょうどよさそうなごろんとしたサイズに切られた丸太が、並べられて行くというよりはほとんど乱雑に積み重ねられて行く。それ自体は特に加工もされていないし、切り口も荒っぽく、しっかり乾燥こそしているが、そこらで切り倒したのを切り分けて持ってきましたというような風情である。

 

「なんだこりゃ」

「やあ魔女さん。こりゃ薪でさ。冬至祭(ユーロ)の薪でさ」

「薪? 割った方が使いやすいんじゃないか」

「割ってないのがいいんでさ」

 

 この寒いのに額の汗をぬぐう店の若いのが言うことには、この丸太をそのまま、またはくさびや斧で()()()と切り込みを入れて、暖炉で丸のまま燃やすのだという。また屋外では、切り分けていない素のままの丸太が、同じように火をつけられて燃やされ、それを囲むのだという。

 冬至祭(ユーロ)の間、大体は二十四日の日没から二十五日の日没までの間、炎が絶えずに燃え続ければ次の年も良いことがあるのだそうだ。

 またこの薪の火や、燃えさし、灰などには魔除けの効果があるのだとか。

 

 うちの薪はいい薪でさ、詰まってるし、よく乾いてるし、香りもいい、と色々言うのだが、そもそも薪の良し悪しなどわからない二人であるから、売り文句もいまいち響かない。

 紙月は燃えればいいと思ってるので、気にしたこともない。

 未来からすれば薪は訓練がてらぱっかんぱっかん割るものであって、それ以上ではない。最近コツをつかんで、ちょうど売り物の薪と同じような状態から、素手で引き裂いて見せたら、紙月にはちょっと引かれた。事務所の面子は盛り上がったが。

 

 薪などはまあ普段から売っているものなので、こんなに大量に積み上げられていること以外は普通と言えば普通だ。

 もう少し変わったものでは、植木鉢に植わった幼木が売られていた。紙月の背丈くらいあるものから、鎧を脱いだ未来くらいの小さなものもある。

 他の店では、盆栽のように小さなものや、ほとんどそこらの庭木のように大きなものまである。

 何なら生の木ではなく、作り物もあるようだった。

 

「これってさ」

「まあ、クリスマスっぽいイベントだしなあ」

 

 店番のおばちゃんに聞いてみれば、これらは冬至の木(ユーラルボ)または単に(アルボ)と呼ばれる縁起物で、様々なオーナメントで飾り付けて家の内外や店先などに置くのだという。

 予想通り、クリスマス・ツリーであるらしい。

 ただ、二人の知るツリーと違うのは、モミの木だけではなく、杉や樫など、常緑種であれば何でもいいようで、見慣れない風情のツリーになりそうだった。

 

 ちょっと視線を巡らせてみれば、広場の中心には大きなツリーがでんと鎮座しており、脚立などで足場を作って様々な飾りつけをしているところだった。

 おばちゃんによれば、当日にはあのツリーの根元に恋人たちが集まって見物したり、デートの待ち合わせに使ったりするらしい。そう言うところまでクリスマスっぽくて、なんだかこう、新鮮味がないような気もしないわけでもない。

 

「未来んちはツリーとか飾ったりしたのか?」

「一応ね。ちっちゃい奴だけど。綿とか、電飾とか飾ったりしてた。父さんが昔買ったやつで、LEDじゃなくて電球の奴でさ。触ると熱かったなあ」

「うちはちょっと大きい奴だったな。誰がてっぺんの星飾るかで姉ちゃんたちが毎年喧嘩するんだよな」

「何それ楽しそう」

「姉ちゃんが三人いるんだけど、それがみんなして、あたしよね! って俺に同意求めてくるんだよな」

「何それ怖い」

「政治的に正しい返答は、母さん助けて、だ」

 

 それで助かったためしはないが、と語る紙月の目は死んでいた。

 うちはひとりでツリー飾り付けて、ひとりで片づけて寂しかったけど、紙月んちよりましかもしれないと子供心に思う未来であった。

 

 そういう品々の他にも、食べ物や飲み物の屋台も出ていた。商店街の店が出張してきている店舗もあって、普段とは違うイベント色溢れる品々は目を奪われる。

 店番はたいていが赤い服を着ていて、赤い帽子をかぶっていた。それはどう見てもサンタクロースを模した衣装だった。帝国では、アヴォ・フロストというのだったか。異世界情緒あふれる景色が、なんだか途端に安っぽくなった気がする。

 

 店先に並ぶのは、様々な形に成形されて焼かれたパンや、カラフルに彩られたマジパン、たくさんの香辛料を練り込まれたクッキーに、そのクッキー生地で作られた人型のクッキーやお菓子の家。大小さまざまなパイ。

 ブッシュ・ド・ノエルそのものといったような、丸太を模したケーキさえあった。

 

「ねえ、これさ、このお菓子の人形」

「マジパンだな」

「これ、僕らじゃない?」

「ええ?」

「ほら、こっちのが僕で、これ紙月」

 

 未来が指さす先を見下ろせば、成程確かに、他ではなかなか見かけないオーソドックスな黒尽くめにとんがり帽子の魔女スタイルに、大盾を構える騎士甲冑のマジパンが並んでいる。

 店先で額を突き合わせてまじまじと見てみれば、

 

「森の魔女と盾の騎士は、今()()()ですぜ!」

 

 と悪びれることもなく言われてしまう。

 肖像権などと言うものは、帝国には存在しないようだった。

 凝ったことに、二人が着たことのあるドレスや鎧を模したものが何種類かあり、そのポーズも様々だ。二人別々のものもあるし、騎士が魔女を肩に乗せるデザインもある。

 よくよくほかの店も見てみれば、マジパンだけでなく、パンや、パイ、クッキーなどにも二人の意匠は使われているようだった。

 この調子では、飾り物にもなっていそうだ。

 

「……広告費なしで宣伝になったって前向きに考えるか」

「僕知ってるよ。これ、さらしものって言」

「ポジティブに行こうぜ」

 

 口ではそうは言うものの、なんだか周囲からの視線も気になってくるものである。

 誤魔化すように、温葡萄酒(ヴァルマ・ヴィーノ)でもないもんかねと屋台を見渡す紙月に、むにりと脇腹をさす指先。

 

「……いやなに。暖を取ろうとな」

「太るよ」

「うぐ」




用語解説

冬至祭(ユーロ)の薪
 丸のままの丸太、またはそれを玉切りしたもの。
 冬至祭(ユーロ)の間、火が消えないまま燃え続けると翌年は良い年であるという。
 この木自体は普通の木材であるが、その火、燃えさし、灰は魔除けになるとされ、お守りにしたりもする。


冬至の木(ユーラルボ)(Jularbo)
 現地におけるクリスマス・ツリー。
 常緑種であれば何でもいいようで、特にこだわりなく様々な木が用いられる。
 サボテンやリュウゼツランの生える西部では、これをツリーにすることもあるようだ。
 広場などには大きなものが飾られ、恋人たちの待ち合わせによく使われる。

・太るよ
 太ってない。別段太ってないし太ることもないけど、それはそれとしてまあ健康に気を遣ってるだけだし。


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第三話 買い出し

前回のあらすじ

Q.太るよ?
A.太らない。全然太らない。
  でもそれはそれとしてお酒は控えようかな。


「それで、なに買うんだったか」

「えーっとね」

 

 ハキロからもらった走り書きのメモは、未来の手の中にあった。

 最初の頃こそ紙月が保護者扱いされ、紙月自身もそのつもりであったはずなのだが、未来が年齢の割にとてもしっかりとしていること、真面目であること、また相対的に紙月が存外面倒くさがり屋で気分屋であることなどが周知されていくにつれて、役割は逆転していた。

 いまも紙月は未来の面倒を見ているつもりでいるが、周囲がどう感じているかはお察しだ。

 未来としては、なんだか任されているというのは気分の良いものであったし、頼られるというのも悪くない。僕が紙月の面倒を見るからねとまで思っている。

 紙月がつもりであるところに、未来はすでに半ばほど実行しつつあるが。

 

 メモによれば、二人に任された買い物の内容は、次の通りだった。

 つまり、ツリーと薪、飾り付け用のオーナメント、リース飾り、それに酒だ。特に酒は、樽でいくつか。冒険屋はもとより酒を飲む生き物だが、《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》の冒険屋には土蜘蛛(ロンガクルルロ)も多く、酒も良く干す。飲むではない。早々に、干す。それが一年の締めの宴ともなれば、酒がなければ暴動が起きるだろう。

 

 料理やつまみ、菓子の類は、得意なものが厨房で張り切る他、当日出来合いのものを買ってくるそうだった。《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》の料理が得意なものというのは、ムスコロのような小器用で凝り性な男はともかくとして、ドカッと大味なものが多い。

 丸焼きだとか、網焼きだとか、ごった煮だとか、いささか雑と言われかねないものばかりだ。

 これで不味ければ文句も出ようものだが、なにしろ程々にうまい。野外で広げた網に、串に刺した肉や魚、野菜などを炭火で焼いてちょいと塩を振るだけの料理が、片手間で出せる程度の熟練の腕前で焼かれるのだ。

 決まったレシピなど覚えてもいないが、その場で何となく焼くのがうまいものは、良い冒険屋になるという。

 

 紙月も程々に料理ができるし、それは包丁より斧を振るう方が得意な連中より上等で立派なものだったが、何しろ当人にやる気がない。ほかにやるものがいないとか、どうしても食わせてほしいというのなら考えもするが、やりたいものがいるならやらせるし、第一ムスコロの方が手慣れているのでモチベーションが上がらない。

 未来もやっぱり程々にはできるが、厨房に立って仕事しようとしたら鎧を着ないと身長が足りないし、鎧姿で厨房に立つと邪魔くさいから、遠慮している。それに普段街を歩くだけで、あれやこれやと食べ物をもらっていると、舌が肥えてどうにも自分の料理では満足できなくなるのだった。

 

 ツリーにはこだわりはないようで、事務所に入るものであれば何でもいいとのことだった。中で飾るものと、外に飾るものと、一本ずつ。

 二人は見慣れた三角形のシルエットを見せる鉢植えのモミのツリーを二本選び、事務所に届けてくれるよう頼んだ。

 

 一緒に売っていた飾りのセットも吟味する。

 飾りと一言に言っても様々な種類があり、雪を模した綿もあれば、花や葉を使った飾りもある。本物も、造花も。色とりどりのリボンに、金糸、銀糸や色糸。可愛らしい音を立てる鈴。子袋に入ったお菓子もあった。飴細工や、焼き菓子、ドライ・フルーツ。

 

 店によって、売っているものも違うから、二人はいくつかの店を見比べてみた。

 大体は色や形がちょっと違うといった程度のものだったが、様々な神を奉ずる神殿が出している出張出店では、それぞれの神にまつわる品々を飾りとして売っていた。鍛冶の神であれば槌や()()()()。風呂の神であれば盥と桶。商売の神であれば金貨。

 そしてそういった象徴だけでなく、神そのものをディフォルメして小さな人形にしてもいた。名状しがたき神々の偶像は、果たして許されるのだろうか。つくづくいい加減である。

 

「とはいえ面白いのは確かだな」

「枕元に飾ったら夢に出そうだけどね」

 

 二人はどちらも信仰薄い、というか信仰が希釈されまくった社会の出身であるから、こちらの世界の神などは勿論信じてもいない。信じていないが、しかし実在するということは知っている。それを紙月たちの感性で神と呼ぶべきなのか、それともコズミックホラーな地球外超存在と考えるべきなのかは謎だが。

 

 少し見て回れば、ある出店では三日月を模したオーナメントを売っていた。

 これは何の何という神なのか、店番のチャラそうな神官に聞いてみたところ、境界の神プルプラ様のものだという。

 

 境界の神プルプラ!

 

 二人は何となく顔を見合わせた。

 それは二人がこの世界に転生するきっかけであり、そして今も多分二人のプレイングを暢気に眺めているだろう超存在の名前だった。

 本来ならただ死んでいくはずだった二人の命を拾って、この不思議な異世界へと送ってくれたことは、感謝しているかと言われればちょっと微妙な顔にもなる。そりゃ死にたくはなかったし、違う世界とは言え人生が続くなら儲けものだし、良い相方もいれば前世では味わえなかった冒険もある。悪くはない。

 だがどう考えてもあの神性は善神とかではなく邪神の類だろうなあと思ってしまうだけだ。

 

 格安で(無料ではなかった)簡単な冊子を買って読んでみると、境界の神というのはありとあらゆる境界線を司る神様で、例えば領地と領地の境や、里と森の境、男女の境など、非常に幅広く御利益があるらしい。恋愛や仕事などの縁結びもやってるとか。

 綺麗ごとばっか書いてあるなあとなんとなく胡散臭くはある。店番のおじさん神官をじとっと見やると、「遊びの好きな神様でもあるよ」と濁したようなことを言われてしまった。そりゃお好きでしょうよ。

 

 まあ、なんにせよご縁もあるし、お守り代わりに買っていこうかと値札を見れば、これが高い。指でつまめるような小さな三日月形の飾りなのだが、五角貨(クヴィナン)が一枚である。普段よく使う小銭の三角貨(トリアン)が百枚分だ。

 例えば三角貨(トリアン)十枚で、出店の立派な串焼きが一本か、まあ焼き鳥位なら二、三本買える程度だ。そのさらに十倍、立派な串焼き十本か、焼き鳥が三十本ばかりということになる。普通に飯屋でそれなりの料理が食える値段である。

 未来などは燃費が悪いと称して、五角貨(クヴィナン)をよく食事代に払うが、これは例外だろう。

 

 紙月の大雑把な感覚で言えば、大体二千円ちょっと、三千円いかないくらいの価値観だ。

 これより額の大きな貨幣は、ほとんど商売での取引などにしか使われないようなものだから、この感覚はそこまで間違っていないだろう。

 

 二人は定期的な収入はないとはいえ、大きな仕事をこなして金もたまっているし、ちまちま内職もして現状維持はしている。だから払えるは払えるのだが、こんなちゃちな飾りに払う金額ではないとも感じる。というかプルプラに払いたくない。

 

 試しに値切ったらぼろでも出るんじゃなかろうかと店番の少女神官に目をやれば、やだなあ、と言わんばかりの気持ちのいい笑顔である。

 

「イベントアイテムは記念品みたいなものですよ。軽い課金と思えば」

「そうか? そうかなあ?」

 

 だがイベントアイテムと言われると、まあ手に入れておきたくなる。季節イベントのアイテムは、翌年も手に入るとは限らないのだ。そういって余らせたアイテムが倉庫には眠っているが、それはそれ、これはこれだ。

 流されるように五角貨(クヴィナン)を二枚、皺の刻まれた手に渡し、三日月形の飾りを二つ受け取る。

 

「イベントを楽しんでくれ給えよ」

 

 尊大な声に見送られ、やっぱりぼられたような気もするなあ、となんだかもやもやした気分で少し歩く。

 歩き、立ち止まり、首を傾げる。

 

()()()()?」

 

 二人はそろって振り向いたが、はてさて、いまの出店はどこだったか。

 顔の思い出せない神官の、記憶があいまいな声が、ぼやけて消えた。




用語解説

五角貨(クヴィナン)
 帝国に流通する硬貨の一つで、名前の通り丸みを帯びた五角形をしている。

 帝国の通貨は額の小さい順に、銅貨である三角貨(トリアン)、白銅貨である五角貨(クヴィナン)、銀貨である七角貨(セパン)、より銀含有量の多い九角貨(ナウアン)、そして金貨の五種類存在する。
 三角貨(トリアン)が百枚で五角貨(クヴィナン)一枚。五角貨(クヴィナン)十枚で七角貨(セパン)一枚。七角貨(セパン)四枚で九角貨(ナウアン)一枚に当たる。
 つまり一九角貨(ナウアン)=四七角貨(セパン)=四十五角貨(クヴィナン)=四千三角貨(トリアン)
 金貨は主に恩賞や贈答用で、その重量や芸術性で価値が決まる。
 どうせ大して出てこない設定なので覚えてもこれと言って得はない。

・イベントアイテム
 キャンペーン・イベント開催中にのみ出回るアイテム。
 集めることで限定品と交換出来たり、イベントを有利に進められたりする。
 端数が出たり、交換し忘れたままイベント期間が過ぎてしまうと、途端にインベントリを圧迫する。


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第四話 別行動

前回のあらすじ

Q.アイエッ!? 店番ナンデ!?
A.縺ゅ↑縺溘?縺ェ縺ォ繧りヲ九↑縺九▲縺溘?


 森の魔女と盾の騎士が顔を出す度に、人々は伝説と巡り会えたことを感謝し、口々に賞賛と感嘆の声を上げた、ということは別になく、もうすっかりおなじみとなった顔に、やあこんちは、調子はどうだい、うちの買ってきなよ、と気安いものだった。

 そのおかげで、広場をぐるりと回るにあたって取り巻きにまとわりつかれるという面倒はなかった。

 町の人々は、噂はともかくとして、二人が華々しく活躍したところを見たことがあるわけではないので、いつの間にか町に住み着いて、いつの間にか名前ばかり大きくなったような、それはそれとして見栄えのいい二人という扱いなのだった。

 

 その都度、挨拶されたりちょっと絡まれたりという微妙なイベントは起こりながらも、全体としてはおつかいはスムーズに進み、それぞれの店に事務所に届けてもらうように頼めば、ちょっと呆気ないくらいに二人の仕事は終わってしまった。

 

「終わっちゃったね」

「終わっちまったな」

 

 しまった、というくらいに、それは本当にあっさり終わった。

 朝から寒い外に引きずり出された時は、寒いし眠いし面倒くさいしとまったくもってやる気がなかったのだが(それは紙月だけでしょ、と未来は思った)、歩いているうちに体も温まってきたし、見物しているうちに目も冴えてきたし、なんだかんだ駄弁っているうちに半端にやる気も出てきていた。

 別に時給が出るわけでもないので、仕事が早く終わるに越したことはないのだが、やることがないというのはどうにも落ち着かない。

 

 別に帰ってぐうたらしても良いのだが、というか最初は早く終わらせてそうしようと思っていたのだが、すっかり気分が外モードになってしまった今、ただ帰るというのもなんだかもったいない。

 広場をざっくり見て回ったとはいえ、主に目を通して購入したのは薪や飾りなどだけで、もうちょっとしっかりと見て回りたいという気持ちもある。

 食べ物や飲み物だけでなく、この機会にと小物や玩具、衣類や趣味の品など、様々な店が出ているのだ。それもこの世界のクリスマス・シーズンにちなんだものが。

 元の世界のものとは違うけれど、しかし見比べながら冷やかすのも悪くはなさそうに思えた。

 

 だから、ちょっと遊んでいこっか、という流れではあった。

 流れではあったのだけれど、未来は鎧の下でちょっともじもじと身じろぎしてから、こう提案した。

 

「一緒に見て回ってもいいけど、ちょっと別々に回ってみない?」

「……実は、俺もそう言おうかと思ってたんだ」

 

 紙月もちょっと見上げて、もごもごとそんな風に答えた。

 二人は少しの間、お互いをちょっと微妙な顔で見つめ合った。勿論未来の顔は鎧に隠れてしまっているのだけれども、それでも挙動で何となくわかるくらいには、紙月はこの小さく大きな相棒に馴染んでいた。

 

 二人は、都合が良かったというような、名残惜しいというような、何とも言えずぎこちない態度で、じゃあ、別々に回ろうか、そうしよっかと繰り返した。

 それから、お昼の鐘が鳴ったら広場のまんなかのツリーの前で合流することに決めた。丁度待ち合わせに使われていて賑わうが、二人とも背が高いし、目立つ格好なので、お互いを見つけやすい。

 

 分かれるにあたって二人はしばらくまごまごと中途半端につかず離れずしていたが、やがて未来が、僕こっち見てくる、と宣言して、じゃあ俺はこっちにと紙月が流された。

 

「紙月、あんまり朝から飲んじゃ駄目だよ」

「わかったわかった。()()()()飲まない」

「飲ーまーなーいーでっ」

「えー。一滴もか」

「うーん……じゃあ、一杯だけだよ」

「よしきた」

 

 わざとらしく口笛など吹いて、ちらちらと後ろを気にしながら離れていく紙月を見送り、未来はため息をついた。苦笑も湧いて出る。

 あの調子だと、考えていることは多分同じだろう。

 

「サプライズにはなりそうにないけど……まあ、いっか」

 

 せっかくクリスマスっぽい行事があるのだから、クリスマス・プレゼントはこだわりたいところだった。

 一緒に見て回って、お互いの欲しいものを探すのもいいかもしれないけれど、それだとなんだか普通の買い出しの延長線みたいで、どきどきが足りないと未来は思う。

 用意してくれてるんだなということが分かっていても、たぶんあれだろうなと思っていても、受け取るその瞬間まで待ち構えるのが、クリスマス・プレゼントの楽しい作法だと思うのだ。

 

 未来はクリスマス・ツリーを一人で出して、ひとりで片づけてきた。家政婦さんが用意してくれたちょっとしたご馳走とケーキを、ひとりで食べてきた。

 だがクリスマス・プレゼントは毎年枕元にあった。

 八歳の時も九歳の時も十歳の時も貰った。クリスマス・プレゼントを。それにカードも。父の休暇だけはなかったけれど、一緒に過ごしてくれる代わりに、プレゼントは奮発してくれた。

 

 そんなものより、一緒にいてほしかった。なんて、言うつもりはない。

 父がそのプレゼントを買うために働き、年頃の子供が欲しがるものに頭を悩ませ、時間と労力を割いたことをさかしくも悟っていた。

 だから我慢しよう、というわけではなく、誤解を招く覚悟で言えば、気が楽でさえあった。

 不器用な父と一緒に過ごしたところで、お互いに気まずかったことだろう。

 

 父は未来を愛してくれていたが、同時に疎んでもいた。

 嫌っていたということではない。ただ、時々途方にくれたような目で見られていると感じていた。愛してくれているのは確かだった。でもそれだけで済むほど、人間というものは簡単じゃない。

 未来だってそうだ。父を愛していた。慕っていた。でも煩わしくもあった。

 

 枕元にそっと置かれた、綺麗に包装されたプレゼントと、定型文のカードは、ある種、心地よい距離感があった。冷蔵庫から昨日の残りを取り出して電子レンジで温めた朝食は、いつもよりほんの少しだけ豪勢で、ひとりで食べるそれはなんだかおいしかった。

 

 それと比べて、こちらのクリスマスはどうやら賑やかになりそうだった。

 クリスマス・プレゼントを用意する側に回るのも初めてだ。

 それが面倒だとか、煩わしいだとかはいまのところは思わないけれど、実際のところはどうなのかまだ分からない。

 分からないが、紙月にプレゼントを用意しようというこの気持ちは、無性にどきどきしてわくわくした。新鮮な楽しみがあった。

 

「とはいえ、プレゼントってどうしたらいいんだろ」

 

 父の日や誕生日に、プレゼントを用意したことはある。

 でもそれは子供の用意できる範囲であって、画用紙にクレヨンで描いた似顔絵だったり、折り紙で作った勲章だったり、花屋で購入したたった一輪の花だったり、その程度だ。

 使い方も思いつかないほどにたっぷりと予算のある今ならば、大抵のプレゼントは用意できるだろうけれど、でも何がいいのかはさっぱり思いつかなかった。

 

 未来が貰ってきたクリスマス・プレゼントと言えばゲームだとか本だったが、思えば父のセンスやリサーチ力はかなりのものだったように思う。職場で同じくらいの年の子供がいる同僚とかに聞いたりしたんだろうか。おおむね未来の趣味に合っていた。

 

 紙月の趣味と言ったらなんだろうかと考えながら歩いてみるが、いまいち出てこない。

 本はあまり読まないようだ。賭け事はするけどいつもではない。劇を見に行ったりすることもない。

 精霊晶(フェオクリステロ)に彫り物をしたりと細かい作業は嫌いではないようだが、かといって趣味とも言えないだろう。

 

 食べ物、とふと思ったが、紙月はあまり量を食べられない。なので小量で満足できる高級なお菓子などはありかもしれない。チョコレートなどは、結構高いが、スプロの町にも出す店がある。単価が高いので買ったことはないが、プレゼントと思えば妥当な値段かもしれない。

 あるいは酒などは喜ぶだろう。何しろいつも飲んでいる。固形物があまり入らない分、液体はよく飲む。とはいえ、未来には酒の良し悪しや好みというものがまだわからない。酒なら何でも好き、というものではなさそうだというのはわかっているが、具体的なところはわからない。

 

 そもそもクリスマス・プレゼントに消え物もどうかと少し考える。

 なにか思い出になり、後々になっても見て思い返せるようなものなどいいかもしれない。

 高価なアクセサリーなどは定番だったみたいだが、しかしこれもやっぱり未来にはよくわからない。きらきらしてるなとか、高そうだなとか、その程度の認識だ。

 

 ネクタイやハンカチのように、仕事でつかえるもの、と思い至ったのは父の背中を思い出したからだったが、何しろ冒険屋なんて稼業なので勝手が違う。第一、道具として考えると、紙月の持っているアイテム以上に性能のいい物はなかなかないだろう。

 

 頭を悩ませながら未来は歩いた。

 その悩みが、なんだか少し、楽しくもある。




用語解説

・八歳の時も九歳の時も十歳の時も
 クリスマス・プレゼントだろ!!カードもだ!
 アメリカなどではクリスマスは家族で過ごすことが常識であり、クリスマスに休暇が取れないというのは「日本人的だ」などと言われるほどにショッキングなことだったとか。
 クリスマス・プレゼントやカードを子供に贈らないことも含めて、育児放棄や虐待の域にあり、親権停止なども有り得るのだとか。

・チョコレート
 現地では楂古聿(チョコラード)(ĉokolado)と呼ばれる。
 豆茶(カーフォ)と同じく南大陸で発見され、輸入される可可(カカオ)(Kakao)から作られる。割と高価な品ものなのである。
 チョコレート菓子を最初に作ったものは、神の啓示を受けたと主張しており、「神は()()()()()()()()を望んでおられる!」という発言が当時の新聞に残っているが、完全に発狂していて詳しくはわからなかったとのことである。つまりいつもの。


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第五話 なににしよう

前回のあらすじ

紙月へのプレゼントを悩む未来。
多分、紙月もいま同じことを考えているんだろう。


 さて、温葡萄酒(ヴァルマ・ヴィーノ)でも飲むか、と紙月が屋台に足を向けたのは、未来とわかれてすぐのことだった。

 いくら賑やかで活気があるとはいえ、脂肪の薄い紙月には堪える寒さであることに変わりはないし、体と心を温める薬は何としても必要だ、というのが紙月の言い分だった。

 もちろん、この女装ハイエルフ男子大学生としてもその言い分に全く正当性などないことは百も承知である。承知の上で、しかし建前は大事だった。後ろめたさを誤魔化し、酩酊で歪め、アルコールで希釈しなければならなった。

 

 だがそれはそれとして、小さな相棒との約束を思い出して足が止まる。

 一杯だけ。そう、許されたのは一杯だけ。

 あまりにも残酷で厳しい制限がそこにはあった。

 黙っていれば分かりはしないと思わないわけでもないが、しかしそれをやったらいよいよ最後だなとも思う。子供相手の口約束、などと軽んじてしまうことは、二人の関係性にひびを入れるだけでなく、紙月自身の人間性をもおとしめることになる。

 

 一杯だけは許されている。

 ならばその一杯には誠実に向き合わなければならない。

 昼まで時間もあるというのに、早々に飲んでしまうというのはあまりにももったいない。

 それに手近な店で済ませようというのもあんまり雑だ。

 温葡萄酒(ヴァルマ・ヴィーノ)を出す店はここだけではないし、なんなら他にもっとふさわしい酒が並んでいるかもしれなかった。いまは温葡萄酒(ヴァルマ・ヴィーノ)の気分だが、後になってもそうだとは限らない。同じ一杯であるならば、よりよい一杯を求めるべきだろう。

 

 選ぶなら最高の一杯だ。

 

 と、格好つけているのやら情けないやらよくわからない決意を固めて、温葡萄酒(ヴァルマ・ヴィーノ)の屋台から離れる紙月である。

 甘く香ばしい香りは魅力的だったが、抗えないほどではない。

 良い一杯のためなのだから。

 

 それに、と紙月は軽く自分を見下ろした。女装はしているが、胸は盛っていない。すとんと平坦な自前の胸だ。その平らな胸越しに、腹を見やる。

 別に、気にしているわけではない、と独り言つ。

 そうだ。気にしているわけではない。紙月は自分の脇腹にそっと手をやって、薄い肉をつまむ。

 ハイエルフの体は、相変わらず肉付きが悪かった。悪かったが、何度かつまんでみたりする。

 決して、決してそのようなことはないと紙月は感じているが、しかし肉がついてきたなどと未来が思っているのならば、少し気にかけた方がいいかもしれない。勿論絶対に贅肉などついていようはずもないが、それはそれとしてカロリーという言葉が頭を駆け巡った。

 

 ハイエルフの体は、あまり量を食べられない。だからと言ってまるで食べないわけではなく、酒の友としていくらか食べる。そうすると、少量でも満足度の高いものを選びがちになる。チーズに、揚げ物、味の濃いもの。ぱりぱりとなんとなくつまむナッツの類も、脂質が多い。

 

 そして油脂と塩と酒とを満足いくまで摂取した後は、心地よい酩酊に任せてぐでんぐでんとベッドに転がり、日によっては昼まで起きてこない。起きても、寒いからと暖炉の傍から動かず、また酒を飲む。ナッツをつまむ。

 

 ただでさえだらしない生活を送っているところに、腹の肉までだらしないことになってしまっては、さすがによろしくない。よろしくないというより、はっきり、悪い。

 気が抜けてきたのもあり、相棒に甘えているのもあり、いろいろと私生活のだらしなさを見せてきてしまっているから、今更格好つけようというのは手遅れにもほどがある。しかしそれならばせめて、これ以上悪化させたくはなかった。

 

「禁酒、は、自信ねえなあ……まあ、午前中くらいは控えるか」

 

 第一、わざわざ分かれて行動したのは目的があるからなのだ。

 その目的を思って、紙月は苦笑いした。

 言い出した未来も、おそらく同じようなことを考えていたことだろう。

 つまり、クリスマス・プレゼントを選ぼうと。

 紙月が察しているのと同じように、未来もまた察しているだろう。お互いに察していながら、せめてものサプライズを気取るように隠れてプレゼントを探すというのは、何とも気まずいというか、落ち着かないものがあった。

 思わずため息も出てくるというものだ。

 

 プレゼント選びは、紙月にとって慣れたものだった。

 母と三人の姉の誕生日が近づくたび、プレゼントに悩まされてきたのだ。

 それでもまだ、家族は好みを把握しやすかった。普段から生活を共にしていたし、あれが欲しいこれが欲しいと露骨にアピールまでしてきたのだから。好みの判断が難しい化粧品などを外して、財布と相談しながら適当な品を選べば、まあ及第点は得られる。

 

 ところが今回は話が違った。

 何せ相手は小学生の男の子であり、ここは文化さえ違う異世界なのだ。

 あの年頃の子供が何を欲しがるのか、かつて同じ年頃だったはずなのに紙月にはいまいちわからなかった。新作のゲームか。はやりの漫画か。ブランド物のスニーカーとか。トレーディング・カードということもあるのだろうか。だがそのどれにしても、ここにはない。

 

 未来は姉たちとは違い、あまりものを欲しがらなかった。必要なものは自分で買ってくるし、それさえも本当に必要最低限で、部屋には私物が全然増えない。

 稼いだ金の大半は共有財産として、いくらかを個人資産として分けているが、あまり使った様子はない。燃費が悪いとぼやくように確かに食費はかさむが、なんだかんだ高い酒を買ってみたりする紙月に比べるとそこまででもない。おまけしてもらうことが多いようで、払った分より多く貰っている。

 

 事務所では本を読んでいることもあるが、自分で買ったものではなく、ムスコロなどから借りたものが多い。ジャンルもばらばらで、熱中して食事にも出てこないということもなく、時間つぶしというか、読むために読んでいるという程度である。

 

 日課はトレーニングで、雨だろうが風だろうが元気に走って師匠であるアルビトロ元男爵の邸宅に向かい、格闘技を学び、また走って帰ってくる。実際どんなことをやっているのか、紙月は詳しくは知らない。以前見に行った時と同じなのか、違うことをしているのか。

 

 こうしてみると未来が金を使うのはもっぱら食事のことだけで、よくよく考えてみるにその食事の好みさえ紙月はよく知らなかった。なんとなくざっくりと肉が好きそうとは思うが、そもそも好き嫌いをしたところを見たことがない。好き嫌いがあるのかもしれないが、少なくとも出てきたものを残すことはない。

 

 案外、俺は未来のことを知らないな。

 それはどうにも居心地の悪い気付きであった。

 素直で、聞き分けが良く、手がかからない。そのことに甘えていたのかもしれなかった。

 

 あまりにも乏しい手掛かりに、紙月は立ち並ぶ店々をぼんやりと眺めた。

 二人で並んで見て回ったときには一つ一つの品々まではっきり見えたのに、いまはなんだかぼんやりと形のない、あやふやなもやのようにさえ思われた。

 前世と違い、頼りになる雑誌もなければ、流行を垂れ流すメディアもない。これこそと勧めたいものもない。そして相手のことも知らない。これではどうしようもない。

 

「あれ! 森の魔女!」

 

 呆然と佇む紙月の耳に甲高く響いたのは、少年冒険屋クリストフェロの空気が読めない叫びだった。




用語解説

・アルビトロ元男爵
 先代スプロ男爵その人。
 普通は亡くなる時かよほど体を崩してから爵位を譲るものだが、この爺さん、実に健康体の内にさっさと子に爵位を譲ってしまったようである。
 武術の達人で、大酒飲み。
 縁があって未来に稽古をつけてやっている。

・クリストフェロ
 《レーヂョー冒険屋事務所》の駆け出し冒険屋。
 成人したばかりの十四歳。
 未来とかかわる事件で問題を起こし、現在は罰として無償で奉仕依頼をこなしている。


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第六話 どうしよう

前回のあらすじ

許された一杯になにを飲むか悩む紙月。
多分未来は全然別のこと考えてんな。
それはそれとして空気の読めなさに定評のあるあいつがログイン。


「いまなんか絶妙にうっとうしい気配がしたような」

 

 気のせいかな、と未来は肩をすくめた。

 虫の予感、などと言うものを信じているわけではないが、しかし何しろ魔法が実在するファンタジー世界だ。何かしらあるのかもしれない。だからと言って何かはわからないので何ともしようがないのだが。

 どうしようもないけれどしかし妙な不快さはあるという気持ち悪さである。

 

 普段は食事もするし、走り回るしで鎧を脱いでいることが多いが、なにしろこの人だかりだ。人波に呑み込まれないよう、また視界を高く保つべく、未来は鎧姿で広場を巡った。

 大抵の相手を見下ろせる鎧姿は、歩く分には便利だったが、しかし思わぬ障害で時間を取られることもあった。というのも、声を掛けられることが増えたのだった。

 

 紙月といる時も、確かに声はかけられた。しかしその時は紙月がうまいことさばいてくれて、二人はさくさくと買い出しを済ませることができた。どうしたらあのようにうまくあしらえるものか、未来には全くわからない。

 軽く挨拶をかわすくらいは勿論できるが、具体的な用事もないだろうに有名人だからと声をかけてくる手合いにはどう対処したらいいのか困惑した。特に女性に絡まれると、どうしたものかとうろたえた。そうすると、初心だとかかわいいだとか、妙な反応をされて、さらに戸惑う。

 幸い、あんまりしつこく絡んでくる女性はいなかったが、それでも声を掛けられるたびに未来はどぎまぎした。照れるとかいう以前の問題として、年頃の女の人が未来にはわからなかった。おばちゃんとかおばあちゃんの方が、ずっと気楽だった。

 

 では男性ならばいいのかというと、残念ながらそう言うわけにもいかなかった。

 もちろん、軽く挨拶だけで済ませてくれる者もいるが、中には妙な絡み方をしてくるものもいる。

 握手してくださいと言うのはまあいい方で、未来も困惑しながら応じてやった。それではしゃがれたり喜ばれたりすると、なんだか気恥ずかしいような、でもちょっぴり誇らしいような気もした。

 しかしこれが、力比べをしてほしいなどと頼まれるとちょっと困った。適当な樽や木箱の上で腕相撲してくれと挑まれたりするのだが、これがまた目立つ。衆人環視の中で一人倒すとなぜか次の相手がスタンバイし、それも倒すと見物客から名乗り出るものがいてと、たまったものではない。

 

 紙月なら適当に盛り上げて、適当に切り上げられたのかもしれないが、口下手な未来はどう切り出したらいいのかもわからないまま次々に挑戦者を伸していった。

 これが力試しにとか記念にとかそういうさっぱりと気持ちのいい連中ばかりであったなら悪くもなかったが、ついには魔女の騎士の座をかけて勝負だとか訳の分からない手合いまでやってきて、いよいよ辟易した。

 もちろんこの威勢のいい若者は、土俵である樽を破壊する勢いで一ひねりにしてやった。そしてついでに騒ぎに乗じて突発腕相撲大会から逃げられたので、結果としてはいい試合だった。

 

 多少人込みに呑み込まれてもいいから、もう鎧を脱いでしまおうかと未来が真剣に悩んでいると、不意に人込みの圧が緩んだ。微妙なざわめきと、何かを避けるように動く人々。なんだろうと目をやれば、そこには未来の鎧と同じくらい、あるいはそれ以上に目立つ目に痛いピンク色が闊歩していた。

 

 周囲の人々から頭一つ抜けた立派な体格は、その頭からつま先までがピンクで包まれることで実際以上の圧迫感を見る者に与えていた。威圧感と言ってもいい。

 柔らかく波打つ豊かな髪は濃いピンクに染め上げられ、複雑に編みこまれて頭部を盛り上げていた。

 骨太で力強い、ギリシャ彫刻の如き男の顔は、口紅、頬紅、アイシャドー、すべてがファンシーでファンキーなピンクに彩られ、芸術、それも前衛芸術を主張しているようだった。

 あまりにも目に痛い、情報量が多すぎるピンクの塊が歩くたびに、まるでエアポケットのように人混みが割れた。

 

「うへえ」

「うへえとはとんだご挨拶じゃないの」

「ああ、うん、ごめんなさい、ロザケストさん」

「いいわよォ。美は時として受け入れがたいものだもの」

「圧が強い」

 

 張りのあるバリトンで見事なオネエ口調を操るピンキーピンク男は、ロザケストといった。

 スプロの町で、男爵御用達を認められた仕立屋を営んでいる。未来も以前、ロザケストに服を仕立ててもらったが、本人が自分を飾るセンスとは異なり、まったく見事に調和のとれた素晴らしい仕上がりだった。

 

 ロザケストと軽く会話をしていると、未来は自分がロザケスト・フィールドの内側に入ったことに気づいた。つまり、エアポケットのように人々が避けていってくれるのである。未来を見かけて挨拶しようとした人も、どピンクを見てぎょっとしては、困惑した表情で去っていった。

 ピンクの仲間と思われるのは率直に言って嫌だったが、しかしロザケストの人物自体は常識人で話も通じるので、ちょうどよい人避けにもなってよいかもしれない、と打算と安堵のため息が漏れた。

 

 自分でうまくあしらえるようになるのが一番なのだろうが、いますぐにそう言った手際が上達するわけでもない以上、防波堤の存在は未来をひどく安心させた。

 だから大分リラックスした態度だと未来は思っていたのだが、ロザケストはそんな未来をしげしげと眺めて、こう言った。

 

「それで、なに悩んでるのよ」

「えっ。わかるんですか」

「わかるわよ、そりゃ。顔に出てるもの」

「顔……?」

「言葉の綾よ。あたしも人を見るのが商売だもの」

 

 そういうものなのだろうか。

 

 マッシブピンキーダンディは、近くの屋台が大鍋で煮込む乳茶を二人分買うと、適当な休憩スペースの椅子に未来を連れて腰を下ろした。乳茶はミルクの甘い香りと、お茶の香り、それに生姜(ジンギブル)の香りが混ざり合って柔らかな湯気を上げていた。

 

 流されるままについてきてしまったが、しかしこれはこれでよかったのかもしれない、と未来は頭を切り替えた。

 紙月に贈るプレゼントのことで悩んでいたのは、確かなのだ。

 そしてできれば誰かに相談したいものの、いい相談相手がいなかったというのも。

 事務所の大人たちは、人生経験も豊富だが、しかしどうしても冒険屋というものは荒っぽい考えになる。彼らに相談しても、紙月への贈り物は多分酒一択だったことだろう。それは、あまりにも色気がない。

 

 その点、ロザケストは文化的な人間である。見た目は文明の破壊者のような視覚への攻撃性の高いスタイルだが、そのスタンスは人類文化の一つである服飾を極め高めんとする職人である。流行にも敏感で、そのセンスは信用できた。

 

「えっと、紙月にクリスマス、じゃなかった、冬至祭(ユーロ)の贈り物をしようと思ってて」

「あら、いいじゃない。冬至祭(ユーロ)に贈り物を贈り合うのって、素敵だもの」

「でも、なにを贈ったらいいんだろうって」

「まあ、あんた中身はまだ子供だものね。経験が足りないのはわかるわ」

「大人って何を欲しがるんですか?」

「大人も人それぞれよ。あのコの趣味とかはわかる?」

「えっと……」

「好きなものは?」

「なんだろう……お酒?」

 

 店を見ているうちになんとなく思いつくだろうという漠然とした考えは、より一層漠然とした紙月に対する認識に早々に打ち砕かれてしまった。

 趣味も、好きなものも、思いつかない。考えてもわからない。あれだけ一緒にいたのに、未来は紙月の好みを全然わかっていなかった。酒以外には。

 

「でも、少なくとも」

「少なくとも?」

「……ピンクは趣味じゃないと思う」

 

 苦し紛れの一言は、鼻で笑われた。




用語解説

・ロザケスト(Rozakesto)
 スプロの町で仕立屋の工房を営む人族の中年男性。
 若いころに帝都で修業した。
 腕はよく、男爵からの覚えもめでたい。
 伝統的な技術だけでなく新奇なデザインや技法をあつかう発想力と技術力を持つが、近ごろは帝都からのモードの発信に対して、限界を感じつつある。
 いわゆるオネエ言葉で話し、女性的な仕草をするが、同性愛者ではない。
 あくまでも彼個人の美意識の発露であり、そしてそれは一般的でなく他人に理解されないことを承知のうえである。

・ピンクは趣味じゃないと思う
 でも似合うだろうとは思っていた。


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第七話 憧れと理解

前回のあらすじ

ピンクのきんにく が あらわれた!

ニア ・逃げる
  ・逃げたい
  ・逃げられない


「森の魔女! 今日は運がいいなあ!」

「まあ、寒いから冬場はあんまり出てきたくないしなあ」

 

 笑顔で応じながらも、反射的にうるさっと思ってしまったのは、割かし当然の反応かもしれない。

 声変わりしたのかしていないのか微妙な年頃の少年が、甲高い声で感情のままに叫んだものであるから、その声は人目を引いた。引いたが、幸いにも森の魔女にそう言った歓声を上げるものは少なからずいるので、またかと流された。

 良くも悪くもだな、と紙月は自分の有名人っぷりを思った。目立つのは好きだが、悪目立ちはよろしくない。どういう違いがあるのかと言えば難しいところだが、要は褒め称えられるか珍獣扱いされるかの違いだろうか。

 最近は正直なところ、馴染みすぎてご当地ゆるキャラかマスコットくらいの扱いになっているような気がしないでもない。

 

 少年冒険屋クリストフェロは、森の魔女の大ファンを公言するくらいで、いまも出合い頭に挨拶もそこそこ、称賛をわっと浴びせかけてくる。

 未来のお友達、という雑なくくり方をしているが、良くも悪くも素直そうな子だな、とは思う。未来の態度から察するに、おそらくは悪い方よりに。

 

 適当になだめているうちに、高すぎるテンションもメートルを下げていき、楽しげに話す子供程度には落ち着いた。だが、紙月を見上げる()()()()()()()は、相変わらず憧れにきらきらと輝いていて、それが心地よくもうざったくあった。

 

 紙月は人に好かれるのが好きだ。人に褒められるのが好きだし、認められるのが好きだ。

 それは裏返しとして、好かれるのも褒められるのも認められるのも困難であり、さらに言えばそれらを受け入れるのが不器用なまでに苦手ということでもあった。

 承認欲求の怪物を腹の中で育てながら、得られる承認(エサ)を腹の中に届けることが死ぬほど下手だった。

 そしてそのクソこじれた面倒なメンタルを自分でも自覚していることが、それを一層強化していた。

 

 死ねば楽になるかもと思ったこともあるが、どうやら死んでも直らない性分だったというのは、笑い話にもならない。

 

 クリスの憧れの視線は本物だろう。きらきらと輝いて、熱に潤んで、夢に夢見るようなそのまなざしは本物だ。本物の()()()だ。

 人間関係なんて言うものは、良くも悪くも誤解と妥協とすり合わせの産物だというひねくれた理解が紙月にはあるが、憧れというものはその中でも最大の無理解だ。

 

 憧れの視線は心地よくはある。称賛は気持ちが良い。けれど、それはうわべだけを見ているんだろうな、と冷めた思考がいつだって邪魔をする。

 

 クリスの言葉はみな本心からだろう。

 とても美しい。

 そして気高い。

 それから強い。

 ()()()()()()()

 要約すればそれらを繰り返している。

 繰り返せば繰り返すほどに、紙月にとってそれは無理解の露呈に感じられて仕方がなかった。

 

 前世から、紙月はどうにも不器用だった。

 大抵のことはうまくできたし、うまくできるように練習してきたから、紙月は自分が才能にも努力にも()()()()に恵まれた人間であることを自覚していた。

 もう少し才能に驕るか、自信に乏しければまた違ったかもしれないが、紙月は自分の限界を冷静に自覚してしまっていた。

 恵まれているが、突き抜けてはいない、ということを。

 

 それでも普通以上には()()()から、人はへーすごいねと言ってくれる。無責任に褒めておだてて幼い紙月の自尊心を育て上げてくれた。そして一番にはなれないという現実を前に突き落としてくれた。

 へーすごいねとは言ってくれる。()()()()()()()()()()と。一番にはなれないから、称賛も憧憬もそこで止まる。へーすごいね、だ。

 

 そして二番目であっても、それは普通からするととても優秀なので、多くの人はその優秀さを最初に目にする。へーすごいねが第一印象だ。

 それでも中身があれば挽回できたかもしれないが、肝心の中身というものが紙月にはなかった。

 誰かと親しくなればなるほど、自分の中身のなさが知れた。

 相手が何を考えているのか察するのはそう難しいことじゃない。相手に合わせるのはほんのちょっとした技術に過ぎない。人真似なんてものは呼吸するくらい簡単にこなしてきた。器用な紙月にとってはそんなのは当たり前にできることだった。

 でも、誰かの真似をするほどに、人真似のレパートリーを数えるほどに、二番目のトロフィーが増えていくほどに、紙月は自分自身を見失った。

 いいや。そもそも紙月には自分なんてものを育ててきたことがなかったのだ。

 

 こだわるほどに自分というものがないから、誰かの真似をすることにためらいがない。

 でもこだわりを捨てきるほどには自分を捨てられないから、いつも物足りなくて嘆いている。

 我ながら面倒くさいとは思うが、しかし紙月にはもうどうしようもないほどにそれは沁みついた性根だった。

 

 そんな下らない感傷に浸りながらぼんやりと聞き流していても問題がない程度に、クリスは夢中で何かしら語っているようだった。いま頑張っていること。森の魔女の美しさ。事務所でのこと。未来が走っているのを見かけたこと。森の魔女の噂。あれやこれや。よくまあ口が回るものだ。

 夢中になるって言うのは、あるいはそう言うことだったかもしれない。

 若いって言うのはいいなあ、という程に年は食っていないが、しかしそれは紙月からは失われた熱意あるいは熱量のようにも思えた。

 

「それで劇場なんかじゃ地竜退治の話を劇に、」

「なあクリス、クリストフェロ」

「ああ! 僕の名前を!」

「君はなんでまた森の魔女に憧れるんだ?」

 

 紙月は聞いてもいなかったし、前後のつながりもなくまくし立てていたとはいえ、話を断ち切るように尋ねられて、クリスはぽかんと間抜け面をさらした。本人としては決め顔だと思っている強張った顔よりも、ずっと年ごろの子供らしい表情だった。

 

「俺に憧れるとは言うけど、君は魔法使いじゃあないし、どちらかと言やぁ盾の騎士に憧れるのが筋じゃないか」

「ああ、それは、まあ、確かに盾の騎士もすごいです。噂でもすごく強かったし、実際に会った未来だって、あんなに小さいのに、とても強くて。憧れるは憧れますよ。でも、森の魔女はこう……」

「こう?」

「顔がいい」

「顔て」

 

 顔て。顔かよ。顔ですか。

 大した理由は期待していなかったと言えば期待していなかったが、ここまですっぱりと中身のないことを言われるとはさすがに予想していなかった。

 もう少しこう、取り繕ったような何かを、ああ、そう、期待、していたのだろうか。()()を。思いもよらない何かを。

 やはりそんなものはないのかと、脱力もするし、落胆もする。

 

 しかしそんな落胆も気づかず、クリスは続けた。

 

「僕は農家の四男なんです。森の魔女にはピンと来ないかもしれませんけど、豪農でもない普通の農家の四男なんてのは、跡継ぎの予備にもなれないんです。家も土地も継げないし、長男次男と違って勉強もさせてもらえない。居候して、将来は家を継いだ長男夫婦の下働きがいいとこです。その下働きだって、人手は十分にあるから、別にいてもいなくても変わらない。結婚だって、目はありません。なにか目を引くような才能があれば話は別ですけど、生憎そう言うのはなかったみたいで」

 

 夢見がちな少年の口から出てくるとは思えないほど、ドライでシビアな話であった。当の本人が気負うこともなくあんまり簡単にいうものだから、それはいっそ寂しいくらいに乾いて響いた。辛いとか悲しいとか、悔しいとか嫌だったとか、そう言う湿り気が驚くほどそこにはなかった。

 彼にとって、というよりは、この世界を生きる人々にとって、それは当たり前すぎることなのだった。

 異世界に来てからというもの、チート気味な能力や、とんとん拍子にうまくいってきたこともあってあまり意識したことがなかったが、この世界は前世と比べてもう少し人の生き方がシビアな世界だということを思い出させられるようだった。

 

「そういうどうでもいい子供にとってはよくあることっていうか、まあ御多分に漏れず僕も冒険屋になって一旗揚げようって思いましてね。村にたまに来る冒険屋ってのは、村の空気とは全然違う、不思議で格好いいものに見えましたからね。まあ実際は、泥臭くって、地味で、しんどくて、村にいた方が楽なんじゃないかって思うこともありましたけど」

 

 こと戦闘という面においては規格外の存在である紙月と未来は、ほとんど無粋ともいえるほどの力押しであっさりと稼いできて、仕事がなくて暇だなんだのとぼやいているが、大抵の冒険屋というものはその日の生活も危うい日雇い労働者だ。

 一発当てればなどというものもいるが、それは賭場に座り込むのとさして変わらない。冒険屋の現実というものは、ひたすらに使い潰される何でも屋に過ぎない。

 一部が輝くから誤解されるが、ほとんどは地に足を縛られているのだ。

 

「でも」

 

 でも、クリスの顔には陰りがなかった。

 子供っぽい顔つきは、けれど少し骨が張ってきて、のどぼとけも見えてきていた。

 

「ずっとこのままかもって思ってた時に、お話の中の伝説がひょっこり顔を出したんです。綺麗で、強くて、()()()()()()()のが。」

 

 ほとんどの冒険屋は、地に足を縛られている。

 でも。それでも。

 

「夢見てたものが、夢じゃなく現実にいるって言うの、僕らみたいなのにとっちゃ、すごく力づけられる、勇気づけられる話なんです。あんなのには手が届かないって、自分たちには無理だって腐るのもいますけど、でもちゃんと地続きのところにそういうのがいるっていうの、夢がある話じゃないですか」

 

 一部の輝きがあるから、見上げて走ろうと思えるのだと、クリスは笑った。

 それは少年のようにあどけなく、けれど一人の男として地に足のついた、骨のある笑みだった。

 

 なんだかそれは見ている方が恥ずかしくなるほどの清々しい笑みで、紙月は無性にくすぐったい後ろめたさを感じた。

 結局それはうわべだけだろ、きらきらしたうわべの話だけ見てるんだろ、と紙月のひねくれた部分が反射的にぼやいた。どうせ人間、相手のことなどわかりもしない。わかりもしないまま誤解と妥協とすり合わせで分かったような気になるだけだ。

 

 ()()()()()()()()――

 

「昼から酒場で飲んだくれて、金はあるからって賭け事して、寒いからって引きこもって、そーゆー駄目な生き方できるのを見てると、僕も頑張れば自堕落生活いけるかなって思うと夢と希望がムンムン湧いてきますよねっ!」

 

 ……うわべしか見てないのは、俺か、となんだかおかしくなって紙月は笑い出した。

 




用語解説

・地竜退治の話を劇に
 なにか事件があれば吟遊詩人がネタにして地方に広まり、地方に広まれば劇作家がそれを題材にして劇を作る。
 劇場で話題になればそれは他の地方でも公演されていくことになる。
 帝国での知名度とはこのように上がっていくものである。
 残念ながら劇や台本が売れても金が入るのは劇団や劇作家であって、モデルになった人物には一銭たりとも入らないが。

・農家の四男
 冒険屋稼業は農家の余り者が始めることが多い。
 というのも、余剰人員は農家で発生しやすく、そう言った特に後ろ盾のないものが始められる職業というものは野盗か冒険屋くらいしかないからだ。
 そのため冒険屋というものは、世間的にあまり評判のいい物ではない。
 一部には高名な冒険屋などというものも存在するし、信頼される冒険屋事務所もあるが、ほとんどはどぶさらいの何でも屋という認識である。
 有事であれば頼られもするが、では娘が結婚相手として連れてきたらどうするかといえば、多くの家でいい顔はしないだろう。
 それでも冒険屋志願者が後を絶たないのは、他に行き場がないか、それでも一発当てる博打性があるからだろうか。


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第八話 知っているということ

前回のあらすじ

憧れは理解から最も遠い。
でも、理解して憧れがなくなるばかりでもない。


 ふりっふりのピンクのドレス着た紙月は多分とってもかわいい。

 という現実逃避は、目の前にピンクの化身がいる状況ではあまり賢い選択ではなかった。脳裏に一瞬浮かんだ甘やかなロリータ・ファッションは、次の瞬間にはマッスル筋肉大喝采|(ピンク)に上書きされてしまった。

 どんな地獄だ。

 

 地獄を煮詰めたようなピンク・ファッションにも慣れてきたとはいえ、どうにも、このロザケストという男は()()のである。

 顔もあっさり目とは言い難い濃い目のダンディであるし、印象的な深みのあるバリトンが繰り出すオネエ口調も濃い。服装は勿論キャラクター性が濃すぎるし、その下ではちきれんばかりに躍動する筋肉も濃い。

 ただ、一番の問題は、それらから繰り出されるロザケスト自身の人間性は、むしろ至ってまともな常識人だということだった。少なくとも彼の仕事であるファッションが絡まない限りにおいて、ロザケストは一般常識からかけ離れた発言をしないのである。

 そのことが、見た目から一層乖離して、脳を混乱させた。

 未来は、最初から最後まで()()()()()()()()、と一瞬思ったが、それはそれで更なる地獄の予感しかしない。

 

 まあ、ピンクはもういい。

 頭を切り替えていこう。

 

 ロザケストに聞かれたことを、未来は何も知らなかった。

 思えば、知ろうともしてこなかったかもしれない。

 なんとなく知っているつもりになって、いつも隣にいることに甘えて、実際は紙月のことを全然わかっていなかった。

 紙月は未来のことを大切にしてくれているし、守ってくれてもいるが、未来はその庇護に甘えて、紙月に何もしてあげてこなかったのではないか。

 今更ながらにそのことに気づき、未来の胸は暗い思いでかげった。

 そしてそれをどうすればよいのか、わからなかった。

 

 うつむいた未来に、ロザケストは小さく唸って、それから努めて明るい声をかけた。

 

「じゃあ、ねえ、あなた、ミライ、彼について知ってることはなあに?」

 

 子供に話しかけるみたいにしないで、と思ったが、しかし実際、いまの未来は困り果てた子供なのだった。

 むにむにと脳をこねるようにして考えてみたが、まるで思い当たらない。

 そりゃあ、異世界から転生してきたんだとか、《エンズビル・オンライン》というゲームでフレンドだったとか、そういうことは思いつくが、しかしもちろん言えるわけもない。

 第一それは未来も同じだ。それに形ばかり知っていて、じゃあ元の世界でどんな生活をしていたのかとか、《エンズビル・オンライン》を始めたきっかけはとか、そういうことはまるで知らないのだった。

 

 ますますうなだれていく未来だったが、ロザケストは難しく考えなくてもいいのよと肩を叩いてくれた。

 

「ちっちゃなことでいいわ。好きな食べ物とか」

「えっと……お酒が好き、かな。銘柄とかはわかんないですけど」

「お酒ね。じゃあ塩気のあるものが好きなのかしら」

「かもしれない、です。甘いものより、塩辛いものの方が食べてるかな」

 

 小さくともきっかけができると、ぽろぽろと少しずつ言葉がこぼれ始めた。

 しっかりしているように見えて、朝が苦手なこと、意外とずぼらなこと、爪を切る時に無精するから、どこかに飛んでいった爪が後から見つかったりすること、小器用で何でもできるけど、面倒くさがること。

 確かに何も知らないわけではなかった。

 でもそのくらいのことしか知らないのだ、と未来はがっかりした。

 そんなことは、知っていることにも入らないじゃないか、と。

 僕は紙月がどんな音楽が好きかも知らないんだぞ、と。

 

 しかしロザケストはよくできたとでもいうように笑ってみせた。

 

「十分じゃない!」

「ええ?」

「あたしもねえ、贈り物に何かっていうお客さんの相手結構するのよ。そういう人たちってね、何か重大な秘密だとか、特別な癖、他の人が知らないことなんかを知ってると、相手のことをよくわかったような気になるものなのよね。でもあたしに言わせればそんなの、それこそ酒が好きですって言うのと変わらないわ」

 

 そうかなあ、と首を傾げたくもなるが、自信満々に言い切られると、妙な説得力があった。フルパワー・スマイル・ウィズ・ピンクには妙な圧迫感もあった。

 

「例えばそうね、あたしはあんたらの全身はもちろん靴の寸法だって知ってるわ。あんたはすぐ育つからそのうち測り直さないとだけど。体の寸法の正確な数字なんて、十分秘密だって言える情報だけど、でもそれで中身を知ってるわけじゃないわ」

 

 確かに、他人の寸法なんて普通は知らない。そしてそれを知ったところで、本人のことを分かったつもりになるのは無理だろう。もしかしたらロザケストなら、その体つきとか、癖とかから、二人の普段の生活なんかを見抜くスキルを持ち合わせているかもしれないが、それにしたって推測であって、知っているわけじゃあない。

 

「そっか……」

「あんたみたいに、言葉にするまでもないような些細なことを共有してるのって、十分知ってるって範囲だと思うわよ。何十年と寄り添ってる夫婦だって、意外と相手のことなんでも知ってるってわけでもないんだから」

「そうかもしれない……そんな気がしてきました」

 

 もっと深く知りたい、と思うけれど、でも確かに、今知っていることも十分に知っているという範囲なのかもしれない。一緒に暮らすまでは、知らないことばかりだったのだ。全くのゼロではない。いまはまだすっかり分かち合えているわけではないかもしれない。それでも未来は紙月は紙月だという人となりを知っているのだ。

 

 まあでも。

 それはそれとして。

 

「紙月の欲しいものはわからないんですけど」

「それはまた別の問題よ」

「別の問題」

「そもそも欲しがってるものを贈るのって、おつかいに行くのと変わらないわよ。そりゃ喜ぶでしょうけど、初心者向けといってもいいわ」

「初心者向けでいいんだけどなあ」

「がっつり心つかみたいんでしょ!」

「ベ、別にそういうつもりじゃ」

「そういうつもりじゃなきゃ男が贈り物なんかしないわよ。ついでに()()もつかんでおきなさい」

「なんて?」

 

 ロザケストはどうにも盛り上がってきてしまったらしかった。

 ピンクの怪人らしい奇天烈さが出てきて来たと言えば、かえって納得感が出てくるかもしれない。それをお望みではないのだが。

 

「いい? 贈り物には感性と技術が要るわ!」

「気持ちは?」

「あって当然よ。そしてなくてもいいの」

「ええ?」

「なくてもいいっていうか、下心でもいいのよ。歓心を買いたいとか、賄賂とか」

「それは本気でそういうつもりじゃないんですど」

「あんた子供だから汚く思えるかもだけど、そういうの大事なのよ。貴族や商人に贈り物するのってとーっても大変なんだから。本人の好みとか、流行とか、政敵の好みとか、領地の特産とか、いろいろ考えないといけないの」

 

 確かに、子供心になんとなくそういうのは端的に悪いものと思っていたが、しかし関係性をよくしたいという思いで何かを贈ることに変わりはない。未来のそれだって、悪く言えば物で釣ろうというのと変わりはない。

 純粋に相手のために何かを贈りたい、と胸を張って言うには、幼い未来にだって下心というものがあるのだ。

 

「じゃあ、えっと、その感性と技術って言うの? それを教えてもらえるんですか?」

「教えてもいいけど、一朝一夕で身につくもんじゃないわね。それに授業料とってもいいような内容になるわ」

「そこまで本格的なのじゃなくても……」

「わかってるわよ。だからあんたにはとっておきの品をおススメしてあげるわ」

 

 むきり、とロザケストは微笑んだ。ほかに擬音が思いつかない自分の感性がなんだか呪わしくなった未来ではあるが、物理的にも心理的にも、確かに力強い微笑みではある。

 力強過ぎて、夢に出そうだったが。




用語解説

・男が贈り物なんかしない
 極めて偏見のある物言いだが、そもそも贈り物をするというのは下心ありきのことが多い。
 悪い言い方をすれば、「お礼の品」などの贈り物も、感謝を表明したいという下心だという言い方もできる。
 大切なのはこれは下心などではないと潔癖に思うのではなく、素直に仲良くしたいと自分の気持ちを肯定することではないだろうか。

・タマ
 自動翻訳がこのように訳してしまったが、果たして命や心、大事なものという意味のタマなのか、物理的なタマなのか、そのどちらをも意味するものなのかは不明である。


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第九話 知らないということ

前回のあらすじ

力強く、頼りになる。
そして夢に出る。


 夢見がちかと思えば、意外に現実的というか、卑近な夢など抱く少年に、紙月はいくらか興味を持ち始めていた。相棒の友達というさほど興味も関心もない距離で、割とやかましくうっとうしいキャラクターとしてやんわり遠巻きにしていたが、どれすこし話をしてみようかと思う程度には。

 

「クリス、憧れがあると頑張れるとは言うけどさ、そういう、なんていうかな、眩しいものをまっすぐに見ちゃうと、しんどくならないか。俺は正直しんどくなる」

「わかります。めっちゃなります」

「なるのかよ。この流れでしんどくなるのかよ」

「いや、僕も繊細なお年頃なんで」

 

 ふてぶてしくもそんなことを抜かす面の皮の厚い繊細な少年は、もっともらしく頷いて続けた。

 

「あんまりまっすぐ見ちゃうと、本当に届くのかな、絶対無理だよってしんどくなります。だから、ただもう無責任に憧れるだけでいい、最初から手の届かない物語の中の英雄って言うのは、気が楽ですよ。伝説になれなくたって、誰も責めやしないでしょう?」

 

 だって、そんなもの()()()()()()んだから。

 誰だって英雄になりたいと思う。誰だって伝説に憧れる。誰だって物語に夢を見る。

 だが誰も英雄になどなれはしない。誰も伝説になど語られない。誰も物語にすら残れない。

 だってそれは()()()()()()だからだ。

 人族は魚のようには泳げないし、鳥のようには飛べない。竜のように強くもないし、神のように偉大でもない。

 

 最初から手が届かないものは、ただ美しいものとして見上げることができる。

 その気楽さというものが、どれほど鬱屈とした日々の救いになることか。

 ()()()()()()()()()()()、というある種の諦観は、堅実に生きて行く上で、浮足立つ心を押さえつける丁度良い重しとなる。

 

 紙月にとっては、そうもいかなかった。

 紙月にとっては、英雄も、伝説も、物語も、それらは本当にあと一歩だったのだから。

 恐ろしく遠い、けれど確かに地続きのあと一歩の先に、紙月は眩しいものを見つめ続けてきた。

 届きそうだと信じた。

 届くはずだと願った。

 届いてくれと祈った。

 

 そして届かなかった。

 何一つとして、届かなかった。

 なにが悪かったというのではなく。なにを誤ったというのでもなく。

 ただ、足りなかった。

 見上げればすぐそこに見えるのに、伸ばした手は触れることさえできなかった。

 何か一つでも届けば、あるいは違ったかもしれない。

 何か一つでも、誰かに勝るものがあれば、あるいは。

 

 ()()()()()()のだ、と紙月は自分のコンプレックスをそう評価していた。

 なにをやっても、誰かが自分の上を行く。

 どうあがいても、誰かのひとつ下にいる。

 だがそれは()()()()()だ。

 上には上がいるし、下には下がいる。

 自分の近くでさえ上下があるのだ。視野を広く持てば、持ってしまえば、上は際限なく広がっていく。

 むしろ、永遠の二番手などというのは、なにをやっても優秀だという証左に他ならない。

 万能であることは、決して恥じることではない。

 

 と、それさえも()()()()で分析してしまっても、残るのは虚しさだけだ。

 自分の輝きを見出すことができない、それこそが他人の輝きに()()()()なってしまう、紙月のコンプレックスなのだった。

 

 そんなひねくれた精神とは無縁そうな若き冒険屋が言う、眩しくなってしんどくなるというのとは、まったく別の次元の話なのだろう。

 結局は分かち合うことはできない……ぼんやりとしたぬるま湯のような諦観。

 

「無責任に憧れるってのはほんと楽で……でも」

 

 そのぼやけた膜の向こう側で、クリスは言った。

 でも、ミライを見てしまったと。

 

「盾の騎士ってね、地竜を倒したとか、武勇伝が幾つも噂になってて、ああ、これは届かないやつなんだなって、伝説ってやつなんだなって、諦めてました。憧れって言って、遠ざけてた。でも、でもさあ、出会っちゃったんですよ。もう酷い事故だ。あんまりですよ。最初はただの子供だと思ってました。森の魔女と盾の騎士と親しいっていうだけの。そのつながりで、お近づきにでもなれれば、なんてね、その程度でした」

 

 英雄にはなれない。伝説にも語られない。物語にも残れない。

 でも、それに触れることはできるかもしれない。近づくことはできるかもしれない。

 そんな高望みが、あんな事件を起こしてしまった。

 そしてクリスは知った。

 知ってしまった。

 

「ミライは、子供っぽくやきもち焼きで、子供っぽくおしゃまで、子供っぽく背伸びして、子供っぽく潔癖で、本当に、本当に、子供っぽくて子供っぽい、子供でした。子供だったんです。僕らとおんなじ子供だった」

 

 物語の登場人物だと思っていた。

 でも輝く伝説を取っ払ってみれば、そこにいたのは本当にただの子供だった。

 自分よりも年下の少年が、眩しく輝いていた。目が潰れるほどに、まぶしく。

 しんどいなんてものじゃない。

 なんでって。

 どうしてって。

 知れば知るほどに、未来は普通の子供だった。

 

「それで、森の魔女も、酒飲んでふらふらぶらついてるし、賭場でげらげら笑いながらいかさましてるし、面倒くさがりの残念美人だったし」

「残念美人て。しかしまあ、なんだ。しんどいしんどくないとかいう以前に、幻滅したんじゃないのか」

「まあ、思ってたのとは違いましたけどね。ミライも、森の魔女も。でもそれって、知らなかっただけなんだなあって」

「知らなかっただけ?」

「魔獣なんかも良く知らないと怖いですけど、どういう生き物なのか知っていくと怖くなくなってくるし、どうやって対処したらいいのかもわかってきますし」

「俺は魔獣か」

「魔女ですから」

 

 クリスはなんだか、くしゃみでもしそうな、眩しいものを見るように細めた目で、紙月の姿を眺めた。

 それは遠いものを見る目だった。

 

「でも、知っちゃうと今度は知らないことに気づくんです。この人がどんな努力をしてきたのかとか、この人がどんなことで苦しんだり、喜んだりしてきたのかとか。知らないことは悪いことじゃないですけど、いいことでもないんです。知ろうとしないことは、かっこ悪い」

「かっこ、悪い?」

「ええ。善し悪しっていうか、かっこ悪いじゃないですか。考えられるのに考えないのって、ださいです。ちゃんと知って、ちゃんと考えて、それで、もう一回、も一回、ちゃんと憧れたいじゃないですか」

 

 それは遠いものを見る目だった。

 とてもとても遠いものを見る目だった。

 旅路の先に広がる景色を夢見る、そんな目だった。

 眩しいと言いながら、しんどいと言いながら、その目は。

 

 なんだか悔しくなって、紙月は苦し紛れにぼやいた。

 

「君ってさ」

「はい?」

「結構、誑しだろ」

「は、ァ?」




用語解説

・かっこ悪い
 善悪や正誤といった価値基準よりも、時として優先されることがある概念。
 例え中身がなかったとしても、恰好だけはつけておきたいと思うこともあるのだ。


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第十話 くたばれ冬至祭

前回のあらすじ

眩しいものをまっすぐ見てしまうとしんどいうというお話。


 人込みをかき分けるようにのっそりと歩いていくのは、不死鳥を模した派手も派手な真っ赤な鎧姿であった。むしろそれだけ派手な鎧がなおかき分けなければならないほどに、広場は混雑していた。

 朝でさえあれほどの人だったのだ。人々が活発になり、食事を求めてうろつくようになってくる昼頃ともなれば、なおさらというわけだ。

 

「あの人、服装はともかくセンスはいいなあ」

 

 臨時アドバイザーとわかれてひとりになるや、早速素直な心情を吐露してしまう未来であったが、何しろロザケストというのはそれだけインパクトのある男だった。

 年末の歌合戦に出てきそうと紙月に言わしめた《朱雀聖衣》の隣に立ってなお存在感がかすまない、全身をピンクで固めたフルアーマー・ピンク・ダンディである。いまもなんだか瞼の裏にピンク色がちらついているような気さえしていた。

 しかしまあ、人物としては悪い人柄ではないのだ。むしろ常識人の範疇だし、通りすがりに悩める子供の相談に乗ってやる程度に善人である。だからこそ見た目とのギャップが酷いとも言えるが。

 

 それにしても、クリスマス・カラーならぬ冬至祭(ユーロ)カラーとして赤と緑が溢れるこの時期に、あそこまで堂々とピンク一色で攻めるメンタルはあるいは冒険屋たち以上に図太いかもしれない。

 などと未来は思っていたが、並んで歩いているうちに、ド派手な鎧をうろつきまわる未来もまた同じ変人枠に数えられていることを彼は知らない。

 そもそもが森の魔女と盾の騎士というのも大概イロモノ枠だということも。

 

 大道芸人とほぼほぼ同じような目で見られながら、そろそろ待ち合わせ場所に行っておこうかと歩を進める未来だったが、どうにも、混む。えらく、混む。

 約束の時間の五分前を確実に守るためにそのまた五分前行動を心掛けている未来だったが、これは想像以上の混雑だった。間に合わないということはないにせよ、鎧姿のままではうまくすり抜けるのにひどく時間を取られてしまいそうなほどに混みあっている。

 

 あるいは、何かの催しがあるのかもしれないと未来は思いついた。

 広場の中心であるツリーの前だし、時間も昼頃というのはちょうど一つの区切りだ。そう思えば、この人だかりも、ざわめきも、それらしくさえある。そう思って見回してみれば、やはり人々はみなツリーの方を見ているのだった。

 

「すみません、何かあるんですか?」

「あら、ミライちゃん。なんだかねえ、おばちゃんもよくわかんないんだけどね、なんなのかしらねえ」

 

 試しに見知った顔に尋ねてみるも、人だかりの一番外側のこのあたりの人々は、なんだかわからないままに、人が集まっているから集まってきたという手合いであるらしい。

 頭一つどころか二つも三つも抜けて背の高い未来にしても、実際なにをやっているのかよくわからないくらいであるから、人々は前の人の頭くらいしか見えていないのだろう。

 

 この調子では紙月を見つけ出すのは難しいかもしれない、また見つけられてもうまく合流できるものかと悩んでいると、ざわめきが未来に向かってきた。

 

「おお! 盾の騎士だ!」

「盾の騎士が来てくれたぞ!」

「頼むぜ盾の騎士!」

 

 どう考えても面倒ごとの臭いしかない歓声である。

 その場でくるりと踵を返して逃げ出そうかと半ば、いや八割くらいは本気で考えもした未来だったが、残り二割の真面目ちゃんが、渋々ながらもその声に応えざるを得なかった。

 先程まで近づくものを阻むバリケードのようだった人混みが、こんどは未来をつかんで離さず、ずるずると飲み込むように中心へ中心へと運んでいく。そして前に前にと押しやられるたびに、頼んだよとか、頼りになるとか、何やかやと言われるのだが、まったく事情が分からない未来からすると困惑しかない。

 かといって、もはやこうなってしまっては引き返そうにも引き返せない。物理的には一般人がいくら束になってぶら下がろうと無視して引きずってでも引き返せるが、それをやってはいけないだろうことは子供の未来でもわかる。

 

 期待を裏切るわけにはいかない、というやつらしい。別に期待して欲しかったわけでもないし、何を期待されているのかすら知らないが。

 やがて未来の体は人だかりを突き抜け、大きなツリーの前に引きずり出された。そこだけがエアポケットのように開けていて、ぐるりを囲む人々の視線が全方位から突き刺さるのが感じられた。

 

 もっとも、それらの視線の圧力が、未来の幼い心を怯えさせるということは、まったくと言っていいほどになかった。未来が視線に無頓着であったとか、異世界に転生して以来図太さを増してきたとか、そういうことでは、ない。

 ただ、未来の元来からの繊細な精神は、視線の圧を感じ取るよりも前に、目の前の光景に困惑し、麻痺し、それだけでいっぱいになってしまっていたのだった。

 その時、その瞬間、ミライの脳裏に浮かんだのはただ一つである。

 

 ?

 

 このひとつに尽きる。

 

 広場の中心に鎮座する大きなツリーの下にはいま、三人の姿があった。

 

 ひとりは土蜘蛛(ロンガクルルロ)の女性である。未来からすると、おばさんといっていい年頃だ。背は高く体格も良く、肉の付き方は鍛冶屋というより荒くれの冒険屋といった風情だ。

 その四つの腕のうち、外骨格も目立つ太く強靭な「堀り手」には戦斧が構えられていた。斧使いばかりの《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》の冒険屋たちでもなかなか使いこなせない、両手で振るう大振りのものだ。

 またもう二本の、細目で人間のそれと近い「掴み手」は、プラカードらしきものを掲げて周囲の人だかりに見せつけているようだった。そこには威圧的な書体で「暴力は基本的に辞さない」「ちょっとやめないか」「妥協がない」「改革」「反省重点」などの文言が乱雑に書き殴られていた。怖い。

 

 そのおばさん土蜘蛛(ロンガクルルロ)を背に庇うようにして、周囲の人だかりをねめ回すのは天狗(ウルカ)の青年であった。天狗(ウルカ)としては骨太で足腰がかなりしっかりとしており、腕の飾り羽もぼさぼさと荒れ気味で、洒落者の多い種族の中ではどうにも粗野な空気がある。

 真っ赤に染め上げたソフトモヒカンに見えたのはどうやら自前のトサカであるらしく、それが興奮に応じてか時折ピクリピクリと脈打つようにうごめいた。

 

 天狗(ウルカ)の青年の腕の中には、未来とさして変わらない年頃の人族の少年が羽交い絞めにされてもがいていた。人質、ということだろうか。人だかりの中から、親のものだろうか、名前を読んでは叫ぶ悲痛な声が響いていた。

 

「キェーッ! 例え盾の騎士だろうが! 俺たちの邪魔はさせんぞ!」

「そうだそうだ! 盾の騎士がなんぼのもんじゃい!」

 

 おばさんと青年が叫ぶが、未来には状況が良く呑み込めないままだった。

 人質とって武装してる時点でどう考えても悪いのはこの二人なのだろうが、なにが目的なのかさっぱりなのである。邪魔も何も、どうしろというのだ。

 決して仲がいいとは言えない土蜘蛛(ロンガクルルロ)天狗(ウルカ)が手を組んでいるあたり、相当な執念がありそうではあるが、さっぱり意味が分からない。

 そんな未来の困惑に親切に答えたわけではないだろうが、青年は怪鳥(けちょう)のごとき叫びをあげて、彼らの要求をまくしたてた。

 

「――冬至祭(ユーロ)を中止せよーッ!」

「そうだーッ! 中止せよーッ!」

 再び未来の脳裏に浮かんだのは、

 

 ?

 

 の一字である。

 

「何が冬至祭(ユーロ)だ! なにが幸いなる日(フェリチャ・フェリオ)だ! 中止だ中止馬鹿野郎!」

「そうだーッ! くたばれ冬至祭(ユーロ)ーッ!」

「浮かれやがって馬鹿どもがッ! 冬至祭(ユーロ)はッ! 厳かにッ! 家族で過ごせッ! 家にこもってろッ!」

「始まる前からいちゃつきやがってクソがッ! 聖なる夜が性なる夜じゃねーかッ! 当てつけかッ!」

「独り身にーッ! 優しい社会をーッ!」

「そうだそうだーッ! 『冬至祭(ユーロ)に予定ないんですか(笑)』じゃねーぞクソがッ! 仕事だ馬鹿野郎ッ! お前らの分まで仕事だクソがッ!」

「真面目に仕事してるやつが報われねェんだぞクソがモテたいッ!」

「そうだッ! モテたいッ!」

 

 最後に本音ががっつり出てしまった気もするが、要するに彼らはクリスマス中止過激派であるらしかった。しかも武装している。というかあの斧は人に使うというより、ツリーを切り倒してやるという意思表示なのかもしれない。

 

 呆れ倒すべきなのか、それとも主義思想はともかく危険性は警戒しなければならないのか。

 未来が正直ここから離れたい気持ちでいっぱいになっていると、天狗(ウルカ)の青年の腕の中で、人質の少年が叫んだ。

 助けを求めてか。

 いや、違う。

 違った。

 血涙流さんばかりに少年は叫んだ。

 

「ほんとだよッ! 最ッ悪だよッ! 近所の子といい感じに仲良くなったと思って冬至祭(ユーロ)の屋台一緒に回らないかって誘ったら『君はない』って言われてガチへこみしてたらこのザマだよッ! くたばれ冬至祭(ユーロ)ッ! 冬至の木(ユーラルボ)なんて切り倒せッ! むしろ燃やせッ! 焼き尽くせッ!」

「おおッ! 同士よッ!」

「そうだッ! 君も仲間だッ! せーのッ!」

『くたばれ冬至祭(ユーロ)ッ!』

 

 なんだこの地獄。




用語解説

天狗(ウルカ)としては骨太で足腰がかなりしっかり
 天狗(ウルカ)の中でも闘距(パレミロス)という氏族の特徴。
 翼を用いた飛行が苦手で、頑張っても高所からの滑空や落下速度の低減が関の山。
 しかし極めて強靭な足腰を持ち合わせており、地上を走る速度・スタミナともに天狗(ウルカ)随一。それどころか空踏みという、空気を踏んで走る技術を持ち合わせており、空を走ってくる。
 性格は荒っぽく、かなり闘争心が強く、けんかっ早い。

・決して仲がいいとは言えない
 時代や地域性もあるが、一般的に言って天狗(ウルカ)土蜘蛛(ロンガクルルロ)は仲が悪い。
 交易共通語(リンガフランカ)以前は互いに殺し合い捕食し合う仲だっただけあって、その因縁は根深い。
 天狗(ウルカ)土蜘蛛(ロンガクルルロ)を見下しているが、彼らには芸術品や道具を作り出す器用さに欠ける。
 土蜘蛛(ロンガクルルロ)天狗(ウルカ)の傲慢さを嫌うが、その美しさやセンスは天性のものであり妬ましい。
 若い世代ではこの感覚も緩くなってきてはいるが、まだまだ和解とは言えない。

・モテたい
 実際モテたい。
 ほぼほぼこの一言に集約していると思われる。


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第十一話 大炎上

前回のあらすじ

ピンクの地獄を耐え抜い未来を待っていたのは、また地獄であった。
伝統の衰退を嘆く声。
聖夜の孤独を悲しむ涙。
裏切られた心を慰めるのは、炎と刃。

「くたばれ冬至祭」

今回も未来と地獄に付き合ってもらう。


 どうやら、家族で新たな一年を迎える冬至祭(ユーロ)が、いつの間にやら恋人たちの祭典になってしまったことを嘆くモテない連中が、イベント中止を訴えてこのような事件を起こしたようだった。

 それは、まあ、悲しいかもしれない。悔しいかもしれない。しかしいくらなんでもはた迷惑に過ぎた。

 前世でもクリスマス中止などというネタがネット上には出回ったものだが、さすがにそれらはジョークの類だった。クリスマスを過ごす恋人たちが妬ましかろうと恨めしかろうと、それで暴力に訴え出るようなことは、まああまりなかったと思われる。

 

 ところが帝国では、良くも悪くも暴力が身近なものだ。

 喧嘩ともなれば手が出る足が出るは普通のことで、子供だけでなく大人たちだって拳を振るうことがある。

 同じ人間同士だけでなく、害獣や魔獣など、人間の領域と重なるように棲息する生き物たちとは、暴力で争うことで棲み分けすることがもっぱらだ。

 暴力の溢れた世界で、特に冒険屋などというものは、暴力を売り物にした商売といってもいい。

 そんな連中が不満をためにためれば、いずれ暴力が爆発するのは当然の帰結かもしれない。

 

 とはいえ、だからといって放置するというわけにもいかない。

 いくら暴力が有り触れた社会だとは言え、暴力に訴えて人々を脅かすような行為は、はっきりと犯罪だ。法にも触れるし、領主もこれを黙って見過ごすことはないだろう。

 人々の安心のためにも、そして彼ら自身の身の安全のためにも、事態をどうにか収めなければならない。

 

 叫んでいるうちにますます自分で自分に燃料を投下していったのか、二人、いやいまや三人の冬至祭(ユーロ)中止過激派武装テロリストたちは、饒舌に彼らの理念を語り続けていった。人々は堕落しているとか、嘆かわしいとか、モテたいとか、古の奥ゆかしさ重点だとか、モテたいとか、モテたいとか、モテたいとか。

 

 未来にはまだちょっとわからないどす黒い怨念である。

 共感もできないし、かといって否定もできないし、どうしたものかと見守っているうちに、民衆に引きずり出されるように紙月がまろび出た。

 

「あ、紙月」

「おう、未来か。なんだこれ? なんだって?」

冬至祭(ユーロ)中止しろって」

「あー、クリスマス中止的な?」

「そうそう、それ」

「地獄だなあ」

「地獄だね」

 

 醜い、と言い切ってしまうとあまりにも悲しいが、他にたとえようもなく醜く悲しい叫び声が広場に響き続ける。

 関わり合いになりたくないし、どこか知らないところでそっと燃え尽きて果ててくれないかなとも思う二人だったが、そうもいかない。

 彼らは燃え尽きるどころか一層激しく燃え上がっているし、周囲からの何とかしてくれという期待の目の圧力がすごい。これも有名税という奴だろうか。名を売り過ぎると、こういう時に便利に使われてしまう。

 

 別に依頼を請けたわけでもないので二人には何の責任もないのだが、もちろんそんな言葉は無力だ。

 仮に二人が知らないよーんと踵を返したら、冬至祭(ユーロ)中止過激派武装テロリストたちの暴力とは関わらずに済むだろう。だがその代わりに、今度は期待を裏切ったという民衆からの言葉の暴力がわっと浴びせかけられるわけだ。

 そしてそれを切り抜けたとしても、今後の生活に常にその形なき暴力は付きまとうことだろう。

 麗しきは隣人愛という奴だ。

 

 紙月としてはそれならそれでヤサを変えても一向にかまわないというぐらいにこだわりがないのだが、せっかく馴染んできたところなのだ。未来も友達ができたことだし、引き離すのも忍びない。

 心底面倒くさく思いながらも、紙月は仕方ないと諦めた。人生とは、諦めだ。

 

 武器を持っていないことを示すように軽く両手を肩の位置にあげ、テロリスト共に歩み寄る。

 ネゴシエーションの経験はないが、人生経験さえ半分程度しかない未来に任せるよりは、よほどにましだろう。

 

「よう、よう、落ち着け。まずは落ち着いて話し合おうぜ」

「うるせえッ!」

「そうだうるせえッ!」

「うるさいぞッ!」

「三人がかりで返してくるな、話が進まねえ。お前らにも主張があるんだ。まずは話そう。話せばわかる、かもしれん」

「うるせえッ! モテる奴は敵だッ!」

「別に俺はモテてないけど」

「顔がいい奴はこれだからッ!」

「存在が破廉恥ッ!」

「性癖の破壊者ッ!」

「どういう文句だそりゃ」

 

 紙月としては本心から、自分はモテていないしモテたこともないと思っているのだが、それは極めてまっとうに、当然のように当然のごとく、盛大に火に油を注いでふいごで吹いて燃え上がらせただけだった。

 森の魔女というブランド・ネームがあり、ハイエルフという種族の特性か顔が良く、気さくで愛想も良く、見た目の割に庶民的で話しやすく、面倒も起こさず金払いもいい。これが良物件でなくて何だというのか。

 女装しているということを知らない男にもモテるし、女だと思っている女にもなんだかモテるし、女装だと気づいた女もなぜかもてはやすし、女装でもいいやという男たちにも人気。優しくするのでお年寄りにもよく思われるし、目線を合わせて屈んでくれるので子供たちも懐く。

 本人は、そんなことはうわべだけのことで、自分自身を見ているわけではないなどとこじれた中二病みたいな思いをいまだに患っているが、人間関係などというものはおおむねそんなものである。

 

 大人たちでさえ心を揺さぶられるのだから、純真な子供などたまったものではない。

 この町の子供たちは、転んでひざすりむいて、よしよし痛くないと頭を撫でられながら森の魔女に《回復(ヒール)》をかけてもらったり、ほろ酔い気分のほんのり赤らんだ微笑みと共に手を振られたり、公衆浴場でしっとり色づく肌を直視したりと、何かと性癖を破壊される機会が多いのである。

 

 口さがないものに「させない淫魔」などと呼ばれていることを勿論本人は知らない。

 

 また、並んで立つ未来もまた、別のベクトルで、モテると言えばモテる。

 鎧姿が何しろ立派であるから、これに憧れるものは多い。細面の優男もそれはモテるが、力強いものが魅力的なご時世である。それに様々な種類の全身鎧を持っているというのは、財力や権力も想像させる。

 それでいて話しかければ初心なもので、まごまごとする態度がなんだか可愛いということで、これもまた受けがいい。

 

 鎧を脱いだ姿を知るものは、なんだ張りぼてかとも思う。しかしまだ成人もしていない子供が、健気に頑張っている姿というものは嫌う方が難しい。何事にも素直で礼儀正しく、年の割にしっかりとしているが、はにかんだように笑ったり照れたりする姿は年相応で、何とも庇護欲を誘う。

 それでいて力の強さは全く鎧から想像するものと遜色なく、困った老人の荷物をもってやったり、車軸の折れた馬車を支えてやったりと、その方向でも頼りになる。

 なにより、屋台でたっぷりと餌付けされて、まくまくと大きく頬張って、唇をてらてらと汚しながら食事を楽しむ姿は、ご近所の眼福である。

 

 こういう、人気のある二人が、話せばわかるなどと切り出したところで、話がかみ合わねえんだよとなるのは、ある種必然であったかもしれない。

 

「ねえ紙月、こういう人たちだからモテないんじゃないのかな」

「正論は止めてやれ。奴らには刺さる」

 

 その上、思わず素直なお気持ちをこぼしてしまえば、炎上どころか延焼待ったなしである。

 

「ク! ソ! がッ!」

「顔も良くて金もあって実力もあるやつは敵だッ!」

「せめて一個にしろ一個にッ!」

 

 彼らの叫びは、所詮持てないもののひがみといえばそれまでかもしれない。

 しかし、負の感情を爆発させたのがたまたま彼らだったというだけで、ため込んでいる者は潜在的に多くいた。そうした者たちにとって、この叫びは共感を誘うものであった。

 普段であれば、心に思いはしても、仕方ないもの、そういうものだと諦めたかもしれない。大人としての抑制が、我慢を強いたかもしれない。

 

「そ、そうだーッ!」

「おっ、俺もだッ! 俺も許せんぞーッ!」

 

 だが目の前に既に爆発大炎上して飛び火しつつある前例があるとなると、その()()も緩んだ。

 

「モテる奴にしか人権はないのかーッ!」

「恋人がいなければ人ではないのかーッ!」

冬至祭(ユーロ)に独りだったらかわいそうって言うのやめろーッ!」

「おじさんミライくんのせいで、こんな、こんな子供になあ……ッ!」

「仕事してるやつを蔑むなーッ!」

「森の魔女に彼女がオトされてるんですけどーッ!」

「彼氏が森の魔女に夢中なんだけどーッ!」

「心無い宣伝をやめろーッ! 冬至祭(ユーロ)は家族で過ごせーッ!」

 

 男も女もその他も、老いも若きも、種族の別もなく、人々の輪の中から賛同者たちがまろびてては加わっていく。どよめく人々の間をすり抜けて、独り身の夜に悲しむ者たちが声を上げては集ってくる。

 

冬至祭(ユーロ)中止! 独り者に人権を!』

冬至祭(ユーロ)中止! 独り者に人権を!』

冬至祭(ユーロ)中止! 独り者に人権を!』

 

 やがてたった二人から始まった冬至祭(ユーロ)中止過激派武装テロリストは、数十人を超す大所帯となり、シュプレヒコールが繰り返された。

 地獄が、顕現していた。




用語解説

・存在が破廉恥/性癖の破壊者/させない淫魔
 後の歴史家に寄ると、当時この手の文言は市井によく語られていたらしい。
 森の魔女伝説が人口に膾炙していただけでなく、程よく貶められて卑俗化し、身近な存在として親しまれていたと研究者は語る。
 あまりにも荒唐無稽な逸話が多く、その実在に関して疑問視するものも多いが、伝説はともかくとしてその名で呼ばれる人物がいただろうことは、各地に残る似たような異名から想像される。


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第十二話 奇祭

前回のあらすじ

燃え上がり、燃え広がる地獄。
誰が悪いというわけでもないのだが、全体的に頭が悪い。
クソっ、なんて時代だ。


 広場は混沌の様相を見せ始めていた。冬至祭(ユーロ)市で集まった人々は、騒ぎの中心である大きなクリスマス・ツリーを囲んで輪となり、そのツリーの下では二、三十人ばかりの人々が冬至祭(ユーロ)中止を叫び続けていた。老若男女、種族の別を問わない即席のデモ隊が、顔を真っ赤にしてシュプレヒコールを繰り返すさまはなかなかに恐ろしいものがある。

 

 幸いにも、いまだに暴力によるけが人は出ておらず、冬至祭(ユーロ)を象徴する巨大なツリーもまだ、斧を入れられてもいなければ、火をかけられてもいなかった。しかしそれも時間の問題だろう。

 熱狂の果てにあるのは、目的も見失った暴動だ。そこに理性や理屈を求めることは難しい。

 ()()()()()()()()()()()()()()()のだ。後から自分の行動を理屈だって説明できる当事者はいないだろう。

 

 独り者たちが集まって、冬至祭(ユーロ)の中止を求めてわめき散らす。

 これがジョークならば、毎年のように見られるクリスマス中止の文言と同じく笑って流せるような話だったが、なにしろそんな諧謔のはさまない、全く本気の抗議活動である。武器まで持ち出しているのだからすっかり暴動である。

 

 最初こそ、精々何か騒いでいる奴らがいるなという程度の見物客たちだったが、今やどよめきと困惑の中でこの暴動を見守るようになっていた。暴動は恐ろしいことだが、目を離した方がもっと怖い。そこにいくらかの野次馬根性と、潜在的な「もっとやれ」という賛同がからめば、人々がこの場を離れることは出来はしまい。

 

 これだけの騒ぎになってしまえば、遠からず衛兵が呼ばれるだろう。

 そうなればせっかくのイベントも台無しだ。

 普段のこまごまとした面倒ことならば冒険屋に頼めば済むから、衛兵というものの存在感は薄いかもしれない。だが彼らは専業的な武装暴力だ。暴力も振るう、暴力も辞さないという冒険屋とは違う。暴力を前提に治安を守るのが彼らの仕事だ。

 

 多くの冒険屋が独学で、または精々知り合いの間で技術を交換する程度である中、衛兵たちはきちんとした訓練を受けて、人間を叩きのめす技術を叩き込まれたプロだ。

 実戦の中にいる冒険屋の方が強いというのは素人考えで、研ぎ澄まされた暴力の技術を、毎日の訓練で向上させ、維持し続けている衛兵という存在は、単純に人対人の戦闘ではまず負けることがない。

 よほどの腕前であれば衛兵に勝てるかもしれないが、その衛兵は基本的に数人がかりなので、ひとりに勝てようが残りに押しつぶされて勝ち目はない。

 

 冬至祭(ユーロ)中止派の中には現役の冒険屋も多数いるようだが、ろくな武装もしていないのだ、大した抵抗もできないどころか、無駄な抵抗に終わるだろう。

 

 そうなってしまえば、終わりだ。

 衛兵が出てくれば片が付いてしまう。

 それは事態が収まるということだけでなく、これだけの数の人間が打ちのめされ、牢にぶち込まれるということである。さすがにそれはどうにも、後味がよろしくない。禍根も残すだろう。

 

「やれやれ。なんつーかね。今日の俺は、人の気持ちを知る努力をしようって、いい感じの話だったんだがなあ」

 

 前面からの中止派の罵倒の矢面に立ち、周囲からは何とかしてくれと言う視線の圧力を受け、紙月はため息をついた。

 気持ちはわからないでもないことも無きにしも非ず、まあそこまでわからないけど言いたいことはわかる、ような気がしないでもなくもない。

 なんとなく、こう、そういう空気というか雰囲気というかアトモスフィア的なものが、ざっくりと、おおまかには。

 

「それわかってないやつだよね」

「まあ、正直よくわからん。家族でお祝いして、友達とパーティして、酒飲んで床で雑魚寝するのが最後のクリスマスだったしなあ」

「紙月ってなんだかんだパリピで陽キャだよね」

「お前の口からそんなワードが出てくることに俺はびっくりだよ」

 

 むしろ未来の方が理解度は高いかもしれなかった。

 恋人がどうのというのはまだいまいちわからないところのある概念だったが、他人の迷惑を顧みずにはしゃいで騒ぐ人種にイラっとするのは確かだった。

 自分の家のクリスマス事情に不満を抱いたことなどないのだが、それはそれとして、友達を呼んでクリスマス・パーティを楽しんだとか、プレゼント交換をしたらこんなのをもらったとか、寂しがり屋だからクリスマスに独りなんて耐えられないとか、子供ならではの容赦のないマウンティングに苛立たせられてきたのも事実だった。

 孤独に耐えてるんじゃなくて、独りを満喫してるんですがなにか、というのは、強がりでも何でもなく未来の腹の底からの本心だったのだが、なぜだか世間はそれを憐れんでかわいそうな子扱いするのだった。

 

「正直僕、クリスマスは《エンズビル・オンライン》のイベントアイテム稼ぐのに必死だったし」

「え。当日ログインしてたのか?」

「紙月のそういうとこさあ、ほんと紙月そういうところがさあ」

「え、なんだ。なんかすまん」

 

 怒るようなことではないのだが、割とデリカシーないなとは思う未来だった。

 まあ、シュプレヒコールをガン無視した上でお喋りなどに興じているこの二人こそ、冬至祭(ユーロ)反対派からすればデリカシー皆無の対応だったが。

 

 そのあまりにもあんまりな放置プレイにいよいよもって暴動が爆発しそうになる前に、未来が一歩前に出た。ほんのわずかな一歩であったが、どよめきがはしる。シュプレヒコールがいくらかトーンを落とし、主に冒険屋らしい連中が警戒するように身構える。

 インベントリから引き出された、傍目には虚空から生まれたように見える盾が構えられた時には、無責任な野次馬たちも固唾をのんで見守り始めた。

 

 とは言え、まだ侮りがあった。

 盾の騎士といえばその伝説も名高いが、要は護りに長けた、というよりは護り一辺倒であろうと彼らは考えていた。地竜の咆哮(ムジャード)をも防いだというのも話半分だと思っているし、秋の闘技大会での身のこなしも決してこなれたものではなかった。

 

 なので彼らはあくまで身構えるだけで、その場を動こうとはしなかった。

 それが、丁度よかった。

 

「動かないでいてくれるのが丁度いい――《ラウンド・シールド・オブ・サラマンダー》!」

 

 未来の掲げる炎熱属性の高位装備《赤金の大盾》が輝きを増し、瞬時にして身の丈を超すほどの炎が円を描くように広がっていく。本来ならばそれは、使用者を中心とした範囲内の味方を囲い、防御力と属性耐性を向上させる支援《技能(スキル)》だ。

 だがその炎の壁はいま、周囲を取り巻く野次馬たちの前を滑るように走り、ツリーを中心とした円を描いていた。

 当然その内側に、冬至祭(ユーロ)中止派たちは閉じ込められてしまう。

 

「なっ!?」

「これは!?」

 

 慌てて逃げ出そうとするも、燃え盛る炎の壁は凄まじい熱量であり、いくら憎しみを募らせた復讐の徒とは言え、これにはたたらを踏んだ。

 身を護るための盾としてではなく、敵を逃がさないようにするための結界。以前に害獣を一網打尽にするために用いた手法であった。

 純粋な攻撃《技能(スキル)》ではないため、見た目程度の火力しかないが、それでも火だるまになることを覚悟で飛び込もうというものはいないようだった。

 

 ではどうするかといえば、同じく炎の壁の内側にいる、術者である未来をどうにかすれば、と勿論彼らは考えた。考えたが、いかにも魔術の品といった大盾を構える姿に攻めあぐねた。

 そのためらいが、やはり彼らの覚悟のなさの表れでもあった。

 

「まあ、町中でぶっ放すわけにもいかんし、()()()()()してやるよ」

 

 盾の騎士の巨体の後ろから、ひょっこりと顔を出す魔女の姿は、なんというか、いかにも弱そうではある。少なくとも、力強い戦士や、恐ろしい魔法使いといったものではない。細く、柔らかく、たおやかでさえある。

 

 だがゆるりと持ち上げられたその細指に、()()()()とはめられた指輪の数々が持つ魔力を、彼らはよく知っていた。

 ほとんど地味といっていいほど物静かな盾の騎士と違い、森の魔女は街中でも気軽に魔術を用いる。勿論人を害するようなものはまず用いないが、それでも、魔術というものを知るものからすれば有り得ないほどに気軽に魔術を振るう。

 その指先が軽く振るわれるだけで、風が吹き、炎が生まれ、光が焼き、金属の刃が切り裂く。

 人々に見せるのは、生活の役に立つようなこまごまとした使い方ばかりだったが、しかしいい加減な噂話だけでなく、事実としてこの魔女は地竜を葬り去った実績がある。

 

 その指先が自分たちに向けられるということの意味を、彼らはこの時初めて知った。

 悲鳴を上げるもの。とにかく身を隠そうとするもの。暴れ出すもの。一矢報いようと構えるもの。だがどんな騒動も、盾の騎士という一線を越えることはできない。

 

 待て。落ち着け。話せばわかる。

 先程否定したはずの文言が吐き出されるに至って、いよいよ魔女は笑った。

 

「まるで俺たちの方が悪役みたいだな」

「正義の味方の笑い方じゃないよ、それ」

「おっと、本性が」

「ちょっと」

「まあ、弱い者いじめは趣味じゃないんで、ちゃっと終わらせちまおう」

 

 ぱちん、とその指が鳴らされると、巨大な魔法陣が空に広がった。

 

「《範囲拡大(ワイド・レンジ)》」

 

 魔法《技能(スキル)》の効果範囲を拡大させる《技能(スキル)》が発動し、誰もがぽかんと口を開けてそれを見上げた。

 そして、続く魔法に、目を見開いて、文字通り魂消(たまげ)た。

 

 中天に輝く日輪を覆い隠して、()()はそこに現れた。

 色濃く影を落として、()()はそこにあった。

 つやつやと赤い赤色。非現実的なまでの存在感。距離感を見失うようなサイズ。

 ()()がなんであるか、見上げる者たちにはわからなかった。

 わからなかったが、呆然としながらも当然の理屈だけは察せられた。

 広場のツリーよりも巨大な、それこそ建造物と比較した方がよさそうな巨体が空に現れたのならば、それは当たり前のように、()()()()()だろうと。

 

「に、逃げ――」

「そーら、《()()()()()()()()》ッ!」

 

 巨人が振るうように巨大な、真っ赤な原色の()()()()()()()()()()が落ちてくる。

 あまりにも現実感に乏しい光景は、しかし容赦なく現実を侵食して、破壊した。

 人々が悲鳴を上げて逃げ惑う暇もなく、ハンマーは滑らかに地上に落下する。()()()というあまりにも軽すぎる効果音を大音響で響かせ、地響きと共に土煙と大量のひよこ(エフェクト)を巻き上げたのだった。

 

 もうもうと立ち込めた土煙がゆっくりと風に現れ、どこからか現れたひよこたちがどこかへと消えていき、現れたとき同様に忽然とハンマーが姿を消した。未来の《技能(スキル)》も解除され、炎の壁が消えていく。

 残されたのはつぶれてひしゃげた挽肉――などではなく、意識を失ってばたばたと倒れ込んだデモ隊たちであった。

 

 ()()()()()()()()()()

 これはそういう《技能(スキル)》なのだった。

 

「まあ、実際どうなるのかは知らんかったけど」

「紙月?」

 

 とにもかくにも、けが人も出さずに無事全員を黙らせられたのだ。

 とはいえ、気絶状態はそう長くは続かないだろう。時間経過で自然に目が覚めるし、叩く程度の刺激でも起きてしまう、そういう状態異常なのだ。ゲームの通りであれば。

 ふん縛って衛兵が来るのを待ってもいいが、と紙月は少し考えた。

 

 逮捕するというのが正規のやり方であるようにも思うが、しかし逮捕されたって彼らの不満は収まらないだろう。馬鹿なことをしたと思うものもいるかもしれないが、むしろ弾圧されたと受け取って反発し、また同じことを繰り返すかもしれない。それも今度はもっと周到に、もっと過激に。

 

 そうなれば今度こそ衛兵は容赦しないだろうし、牢に入れて反省させるなどという生ぬるい罰では済まないだろう。一度関わってしまうと、どうにもそのような後味の悪い展開は受け入れがたかった。

 

「みたいなこと考えとるんじゃろ」

「うえっ、どっから沸いた」

「面白そうじゃから見物しとってな。まあ、任しとけい」

 

 からからと笑って現れたのは、スプロの町の前領主である、アルビトロ翁であった。

 武術に秀で、引退後も矍鑠として元気なこの爺さんは、酒と祭を愛し、イベントには必ず顔を出しているのだった。

 面倒な人間ではあるが、しかし長年領主などという仕事をこなしてきただけあって、面倒ごとの対処は、慣れている。それも人情に沿った裁きをするので、民衆にも人気があった。

 

 おっとり刀で駆けつけてきた衛兵たちに、有無を言わさずあれこれ言い含めると、まず気絶した冬至祭(ユーロ)中止派の面々を少々手荒く目を覚まさせた。衛兵たちがわっとむらがって、端から頬を叩いて起こしていくのである。

 目を覚ました面々も、衛兵に囲まれているとなるとさすがに青くなった。逃げ出そう暴れ出そうとする者も、すぐに取り押さえられた。

 

 こうして全員が目を覚ますと、アルビトロ翁はピンと背筋を伸ばして、よく通る声を腹から出した。

 

「わしは暇を持て余してる隠居のじじいだがね」

 

 お前のようなご隠居がいるか、というのは一同揃っての思いだったが、むろんじい様は気にもとめない。

 

冬至祭(ユーロ)はわしも毎年楽しみにしておって、あと何度冬至の木(ユーラルボ)を拝めるものかと常々思っておった。楽しむばかりじゃったから、その裏で悔しい思いをしておるものがこんなにもいるということを知らなんだ。軽々しくすまんとは言わんが、しかしこれはわしの不徳でもあろうよ。

 冬至祭(ユーロ)の陰で働いてくれておるものがいるから、気兼ねなく休むことができる。冬至の木(ユーラルボ)の下で祝福してもらえるのは、周りの連中が祝福してやっているからだ。

 万人が幸福になるのは難しいかもしれんが、少しでも楽しめるようにとやっていかにゃあならん」

 

 翁はぐるりを見渡して、暴れた面々だけでなく、それを見ていた見物客たちにも広く聞こえるよう、一層声を張り上げた。

 

「わしもいい年ながら、貰うばかり貰って、冬至祭(ユーロ)の贈り物をさぼっておった。

 どうじゃろうか。今年はわしがアヴォ・フロストを気取って、ひとつ新しい祝い方を広めようと思う。今日この場にいるものは、率先してそのやり方で祝って回って、ここにおらんものにも広く触れ回ってほしい」

 

 そうしてアルビトロが祝福の内容をざっくりとまとめて伝えると、人々はしばらくの間お互いを見合っていたが、冬至祭(ユーロ)中止派の面々が、よし、そう言うことなら俺たちも喜んで冬至祭(ユーロ)を祝おう、祝わせてくれ、嫌とは言わせんぞといきり立つと、これに続いた。

 なにしろ祭り好きの領主が治めていた町だから、祭り嫌いということはないのである。

 

 人々は一斉に色めき立ち、足元にうっすら積もった雪を拾い上げ、そこらの店先のリースや飾りを抱え上げ、酒瓶をみんなで回し合って栓を開け始めた。

 そして、まずは誰を祝福しようと一人が叫んだ。決まっているとまた一人が返した。

 視線がずずずいっと集まるのを感じて、《魔法の盾(マギア・シィルド)》のふたりは、例の文句を口にしようとした。

 

 つまり、待て、落ち着け、話せばわかる。

 

 だが時すでに遅し。

 全方向から雪が、リース飾りが、そして酒が降り注ぎ、あっという間に二人はびしょぬれになり、そしてやり返しているうちに広場中にその混沌は広がっていった。

 

「おしあわせに!」

「おら食らえ! 祝福を!」

「やったな! 幸いなる日(フェリチャ・フェリオ)を!」

「そら、祝ってやるぜ!」

 

 つまりそれが新しい祝福だった。

 雪をぶっかける。リース飾りを投げつける。酒をぶっかける。ただし怪我はさせないように。

 やっかみもねたみも、なにもかも祝いの言葉に詰め込んで、盛大に発散させようというのだった。




用語解説

・《ラウンドシールド・オブ・サラマンダー》
 《楯騎士(シールダー)》の覚える火属性防御《技能(スキル)》の中で上位に当たる《技能(スキル)》。
 自身を中心に円状の範囲内の味方全体に効果は及ぶが、使用中は身動きが取れず、また常に《SP(スキルポイント)》を消費する。
『これより先に踏み入るものは、魂まで焼き焦がす』

・《赤金の大盾》
 炎熱属性の高レベル盾。火属性の《技能(スキル)》の効果を底上げする。
 炎属性のボスキャラクターから入手できる素材を《黒曜鍛冶(オブシディアンスミス)》に加工してもらって作る。
『炎の壁を突き破るには勇気がいる。もっとも知恵高き者は迂回するだろうが』

・《範囲拡大(ワイド・レンジ)
 魔法《技能(スキル)》の効果範囲を広げる《技能(スキル)》。
 広げられる範囲は《技能(スキル)》レベルによる。
 普通に魔法《技能(スキル)》を使うよりも効果は低くなり、消費《SP(スキルポイント)》は増加するため、素直に範囲魔法《技能(スキル)》を覚えた方が強力ではある。
 ただ裏ワザとして、固定ダメージの《技能(スキル)》や、状態異常《技能(スキル)》の場合、効果が下がらない、下がりようがないために暴威を発揮したりする。
『おんなじ作業を繰り返すんなら、一緒くたに魔法かけられると便利じゃよな。まあ、ずぼらをすると、どこに問題があったのか探し出すのが大変じゃがな』

・《ピヨピヨハンマー》
 敵単体に気絶の状態異常を付与する魔法《技能(スキル)》。
 同名の使い捨てアイテムも存在する。
 気絶させられる確率は《技能(スキル)》レベルと使用者のステータスに依存。
 《詠唱時間(キャストタイム)》、《待機時間(リキャストタイム)》ともに短いため、高レベルの《魔術師(キャスター)》が相手のリズムを狂わせるために小刻みに入れてくることもある。
『殴れば気絶する、ちゅうと脳筋みたいじゃろうが、ショックを与えて相手を乱すのは基本じゃな。わしは年齢的に真面目に死ぬかもしれんから、やるなよ。絶対やるなよ』


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最終話 フーズ・ゴナ・ノック・ザ・ドア?

前回のあらすじ

待ってくれたまえ。
祝福をワッといっきにあびせかけるのは!


 広場は混沌とした有様だった。

 しかしそれは、先程までのぎすぎすとしてとげとげしい緊張に包まれた混沌とは異なるものだった。爆発寸前だった人々の感情は、いまやまったく別の方向に向けて大いに弾けて、そして今も小規模な爆発をあちこちで起こしているのだった。

 不満と憎しみでじりじりと燃えかけていた人々から発した熱は、憂さ晴らしと楽しみの笑い声となって広場を包み込んでいた。そしてそれにとどまらず、溢れ出して広がっていくことだろう。

 誰もが待ち望んでいるが、新しいものや文化というものは、そうそう生まれてくるものではない。

 その誕生の瞬間に巡り合えた人々は、こぞってこの新しい祝福のことを触れ回るだろう。

 もっとたくさんの()()()()()()どもを祝福してやりたい。そしてまた、祝福されたものは、自分だけやられたんじゃあつまらないから、()()()()()してやりたい。

 

 なにしろ、町のトップである領主が頭の上がらない、大旦那である前領主が無礼講を宣言し、自らその祝福を浴びに行ったのだ。一番上がそう宣言してしまったのだから、下々のものは()()()()()()()()、というわけだ。

 普段なら気に食わなくても黙って見ているだけしかできなかった相手にも、祝福という建前ならば、好きなだけ雪や酒をぶちまけてやれる。みんなやってるのだから、今更小さなやっかみだ嫉妬だとからかわれることもない。

 

 そしてもちろん、名も売れて見栄えも良く、何かと話題に上がる人物も、その槍玉、もとい標的、いやいや祝福の対象となった。それはもう、積極的に祝福が投げかけられた。

 まさか魔法を使うわけにもいかず、さしもの盾の騎士も全方位からの祝福は防ぎ切れず、森の魔女は最初から無力だった。

 なにしろ未来の鎧は周りから頭一つも二つも抜けているし、紙月も細身ではあるが背が高いから、いい的であった。派手で目立つ装備も、遠くからよく見えたことだろう。

 

 最初こそ笑っていた二人だが、次第にこいつは的にしていい奴だという空気が醸されていき、一つ記念に祝福していこうと言わんばかりに広場中からあれやこれやと投げつけられ始めると、さすがにこらえきれずなりふり構わず大人気なく全力で逃げ出したのだった。

 

「うぇあ。なんだか大変なことになっちゃったね」

「まったくだ。酒が好きだっつっても、さすがに浴びるのはもうごめんだ」

 

 事務所まで何とか駆け込んで、ようやく人心地ついてお互いを見てみれば、なかなかに酷い有様だった。

 リースやら飾りやら、そこらの店に置いてあったのだろう小物やらはまだ可愛い方で、クリームたっぷりのケーキや、たっぷりたれのかかった串焼きまで引っかかっていて、食べ物を粗末にするなと叱られそうな有様だった。

 そして溶けかけの雪やら酒やらを頭からたっぷりとかぶさって、ぐっしょりと濡れてしまった姿は、いったいどんな嵐に出くわしたのかという具合だった。

 これらがすべて、「おしあわせに!」という掛け声とともにわっと浴びせかけられたのだから、怒っていいのやら喜んでいいのやらである。

 

 なんだか情けないお互いの姿におかしくなって、指さし合ってしばらく馬鹿笑いしたのち、急に冷めた。すとんと落ちるようにテンションが落ち着いた。なにしろ濡れネズミであるから、寒くなってきたのである。

 

「うへぇ、下着まで濡れてやがる」

 

 という紙月のつぶやきを聞かなかったフリしながらもついつい気になってしまう未来だったが、「《浄化(ピュリファイ)》」という情緒の欠片もないドライな一言によってすべて片付いてしまった。二人の体から汚れはきれいさっぱり取り除かれ、濡れた服も元通りだ。

 凄まじく便利ではあるのだが、その便利さがやや恨めしい未来だった。いや、何がどうというわけではないのだが。

 

 結局、この習慣はその日限りとはならず、すっかり行事の一環として定着してしまったようだった。

 準備が始まる頃からの冬至祭(ユーロ)期間中は「おしあわせに!」が合言葉のようになり、あれほど激しいものではないにせよ祝福が交わされた。商魂たくましいもので、浴びせかけるのに便利な飾り物さえ出てくる始末である。

 

 また、何の皮肉か、幸せそうなカップルを狙い撃ちして祝福を浴びせかけて回るうちに仲良くなって結ばれるものも出てきたというのだから、なにが縁になるかわからないものである。

 おかげさまで付き合い始めましたとかなんとか、冬至祭(ユーロ)中止派の中核であったはずの斧女と青年にあいさつに来られたりして何とも言えない表情にさせられた二人だった。

 

 そんな賑やかな日々を、祝福を回避するようにこっそりと過ごした二人も、冬至祭(ユーロ)当日には事務所で大いに騒いだ。テーブルいっぱいにご馳走と酒が並び、歌えるものは歌い、楽器を奏でられるものは奏で、芸のあるものは披露し、特に何も持たないものもよく飲み、よく食べ、よく騒いだ。

 

 祝福の習慣は、《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》の冒険屋たちにも広まっていたが、所長のアドゾの厳しいお達しにより、室内での祝福は禁じられた。

 後片付けが面倒だからである。そのため酔っぱらった冒険屋どもは寒さも気にせず外に出てはしゃぎ、酒を浴びせ合い、酔い潰れた。凍えて死ぬ前に回収されたが、風邪をひいたものも、少なくなかった。恐らく今年の冬至祭(ユーロ)では、このような光景が多く見られることだろう。

 凍死者の数が例年より増えないことを祈るばかりである。

 

 未来も腹が膨れるまでよく食べ、紙月も程よく飲んだ。酔い潰れるまで飲むと思っていただけに未来は驚いたものだったが、二人で部屋に引き上げる際に高そうな酒瓶を抱きかかえてきたので、見直しはしなかった。

 

 腹も一杯で、酔いも回って、動きたくはなかったがなんとか寝間着に着替えることに成功した二人は、ベッドに沈み込むのを少し我慢した。

 紙月お手製の魔法の火鉢を二人で抱え込むようにして温まり、一息。

 

 火鉢越しにお互いの顔を見つめて、そしてどうやら相手も同じことを考えているらしいなと察して、二人は小さく笑った。

 

「よし、じゃあ俺からな」

「はい、どうぞ」

「お前に何を贈ったらいいのか悩んだんだけどな」

 

 そう切り出して紙月が取り出したのは、ピンクのリボンと包み紙できれいにラッピングされた箱だった。やっぱりピンク似合うな、などと思いながら丁寧に包装紙を剥がして箱を開いてみると、そこに収められていたのは一足の靴だった。

 それも、いま未来が履いているような、薄っぺらく靴底も頼りない中古の革靴ではない。柔らかな中敷きと、滑り止めの利いたゴム底を備えた、前世のワークブーツに近い革靴である。

 

「スニーカーはさすがになかったけど、まさかのゴム底はあってな。お前、毎日走り込みしてるけど、いまの靴じゃあ、足痛いだろ。ロザケストに頼んだから、サイズは合ってると思うけど、どうだ?」

 

 未来はさっそくこの新しい靴に履き替えてみた。

 足を通してみると、未来の足の形より少し大きく、成長を見越してあるらしかった。中敷きはしっとりと柔らかく未来の体重を受け止め、これなら何時間でも走っていられそうだった。

 紙月が屈みこんで靴ひもを締めてくれると、ぴったりと足が包み込まれて、具合よく収まった。ちょっと歩いてみると、真新しいゴム底がきゅうきゅうと心地よい。

 

「冒険屋の靴なんて呼ばれてるそうだ」

 

 未来はこの靴を大いに気に入った。靴自体が素晴らしいものだったこともあるが、紙月が自分の足を案じてくれ、よくよく考えて選んでくれたことが伝わったからだった。それになにより、ちょっと不安げに未来の反応を見守る紙月が、ぐっと来たのだった。そう、ぐっ、と来たのだった。

 いつだって紙月は、未来の心の柔らかいところにぐっと来るのだった。

 

「えへへ、ありがと」

「おう、気に入ったなら、よかったよ」

「僕も悩んだんだけどね。お酒とか、アクセサリーがいいのかなって。でも好みとかあるし。だから、こんなのはどうかなって」

 

 未来は取り出した箱を、自分で開いた。

 中には何枚かの盤と、美しく彩色された何種類もの駒が詰まっていた。

 説明書らしき紙束を手に取って、開いて見せる。

 これは何種類かのボードゲームの詰め合わせなのだった。

 

「僕はまだ、紙月のこと全然知らない。だから、お互いのこと、少しずつ知っていけたらなって。二人で遊べるものがいいんじゃないかって」

 

 勧めてくれたのはロザケストだ。でも、選んだのは未来だ。どんなゲームなら紙月も楽しめるだろうか。どんなゲームなら二人で楽しめるだろうか。たくさん考えて、たくさん悩んで、そうしてようやく決めたのがこれだった。

 

「ね、紙月。僕に紙月のこと、たくさん教えてね?」

「はー……お前、お前さあ」

「え、なに?」

「お前、誑しにはなるなよ?」

「ええ……?」

 

 未来がぐっと来たように、紙月もまた、未来のプレゼントに胸を打たれていた。

 それは、なにを貰っても喜んでいただろうという気はする。よほどセンスが死んでいなければ、貰えたということ自体が嬉しいのがプレゼントというものだ。それでも、より良い品をと思って紙月は選んだし、それが間違いだったとは思わない。

 でも未来からのプレゼントは、ただ贈って終わりのものではなかった。二人で遊ぶものだった。それは、今後も二人で過ごすことを当たり前のように前提としたものだった。これからも一緒にいたい、そしてもっと深く知り合っていきたいという、そう言うメッセージだった。

 

 胸のドアが小刻みにノックされるのは、酒のせい、だけじゃないんだろうなと、思ったりもするのだった。




用語解説

・祝福
 後にこの習慣はスプロの町近辺で一般化し、後世まで西部の奇祭として残るようになった。
 冬至祭(ユーロ)期間中に観光に来る場合は汚れてもいい服を着ることという注意が雑誌にも載る程である。
 当時のスプロ男爵はこの習慣のことを、すっかり広まってしまった後に知り、領主として追認せざるを得なくなった。彼が胃を痛めながらも民衆からの祝福を甘んじて受けたのは、頭の上がらない相手である前領主たる父親に、祝福にかこつけて助走付けて全力で顔面パイ投げするためであったという。

・ゴム底
 現地語では護謨(グーモ)(gumo)。
 いわゆる弾性ゴム。植物から採取されるラテックスを精製、凝固乾燥させた生ゴムに硫黄や炭素などを加えたもので、我々の知るゴムと大きな違いはない。
 もっぱら帝国辺境で栽培される植物から抽出精製されている。
 近年では南大陸の植民地で発見されたゴムノキの類からもラテックスが採られるが、輸送費、栽培数、加工法の問題などがあり、まだ主流ではない。
 やや高価ではあるものの、一般に流通する程度には普及しており、冒険屋や騎士、また商人たちの靴に用いられることが多い。馬車の車輪に用いる例もある。
 なお、最初に靴底にしようとしたのは冒険屋らしい。

・ボードゲーム
 帝国にも多種多様なボードゲームが存在する。
 我々が現在知るようなボードゲームに似たものもあるが、多くはルールや盤が整理されておらず、必要以上に複雑であったり、地方や時代によってやり方が異なったりする。
 ゲームとして楽しむほかに、工芸品としても人気があり、地方ごとのバージョン違いをコレクションするものも多い。


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閑話
地竜のいる町


 帝国西部のスプロという町には地竜が棲んでいる。そういうとこの町が悲惨な最期を遂げたように思われるかもしれないが、今もってスプロは健在であったし、むしろ以前よりも人も増えて、商人の出入りも盛んである。端的に言って町は上向きの発展途上にあった。

 

 実際、棲んでいるというのはあまり正しくない表現で、正確なところは飼われているという言い方になる。

 強大な存在であり、人にはどうしようもない天災の類である地竜を飼いならす者がいるということはスプロにとって大きなステータスとなっていたし、その飼い主たる森の魔女と盾の騎士の勇名ときたら、町の方がいっそこの二人のおまけになってしまうほどだった。

 

 とはいえ、この地竜はさほど有名でもなかった。知る人ぞ知るという程度で、実際に目にしたものも、思ったのとは違うなと妙に拍子抜けしてしまう。血統書というのではないが、地竜であるという証明書のようなものが張ってあるので、そんなものかと思うくらいで、酒の席に少し話して終わりである。

 

 この地竜の名前はタマといった。

 ネーミング・センスが残念な魔女が脊髄反射で名づけ、魔女に甘い騎士があっさり認めてしまったので、そうなってしまった。

 名付けられたタマはといえば、二本足の考える名前の意味など知らないので、気にした風もなくみゃあみゃあと鳴いている。

 

 タマは森の魔女と盾の騎士を親と慕い、この二人に飼われているので、住処もこの二人がねぐらとする冒険屋事務所だった。《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》というスプロの町でもいま右肩上がりの業績を誇る事務所である。

 近頃増築した厩舎の一角にタマは寝床を貰っていて、ここで起居していた。というより、他の馬が大層怯えたので、仕方なく増築してタマの分のスペースを作ったという方が正しい。

 

 タマとしてはお隣さんたちがよそよそしいのは秘かにショックだったのだが、そのおとなしい気性が徐々に感じ取られてきたのか、近頃はそこまで空気も悪くない。

 

 その一助となったのは、まず近所でまだら模様(マクーロ)とか釣り針(フィショーコ)とか呼ばれている野良猫で、これは呼び名の通りまだら模様にかぎしっぽの目立つふてぶてしい奴だった。

 マクーロはこの矢鱈でかくてごつくてこわもての新入りの頭に平気で飛び乗り、餌を横取りして泣き寝入りさせるものだから、タマとしてはあまり好ましくない。好ましくないのだがおかげで周りの恐怖や畏怖は和らいだ。

 

 またこの流れを加速させたのは事務所で飼っている栗毛の犬で、七ちゃん(セペート)という名前だった。生まれつき足が一本欠けていたので、そうなった。元の飼い主は事務所の冒険屋だったのだが、魔獣との戦いで帰らなくなったので、いまでは事務所の犬ということになっている。

 この犬がまた考えなしの無邪気な犬で、新入りの体を縦横無尽によじ登り、時には挨拶のつもりなのか顔面に張り付いてくる。それで困り果てたタマが立ち往生して、事務所の誰かが引っぺがしてやるまでが一連の流れだった。

 

 やがて厩舎の馬たちがこのおっとりした新入りに馴染んでくる頃には、タマもすっかりこの家に愛着を持って過ごすようになっていた。

 

 タマの生活は単調なもので、寝て、起きて、食事をして、散歩をして、帰ってきて食事をして寝てというくらいのものであった。

 他の馬たちなどは、冒険屋たちの仕事に応じてよく出入りするし、一晩二晩帰ってこないのもよくある話だった。長いものはひと月以上も帰ってこない。二度と帰ってこないものもいるが、その生死は馬たちにはわからない。

 

 タマの世話を見てくれるのは、飼い主であり、親と慕う森の魔女と盾の騎士ではなかった。

 盾の騎士こと未来の方はしばしば顔を出し、餌をやったり甲羅にブラシをかけてくれたりした。

 とはいえやはりそれくらいで、しっかり世話しているかといえばそう言うこともなかった。

 

 もっぱらこの巨大なリクガメみたいなナマモノの世話を見てくれるのは厩番を務める元冒険屋の老人と、雑用の小娘だった。

 老人は足を悪くしていて、入り口近くに据えた椅子に深く腰掛けてほとんど立ち歩かないが、そこから厩舎の中のことを何でも細大漏らさず見通して、普段は一日中浅く眠りながら番をして、用有らば小娘を呼びつけて仕事をさせた。

 

 小娘の方は冒険屋見習いで、来年で成人を迎えて正式に冒険屋になる予定である。とはいえ事務所に来てから三年ばかり厩舎のことしかしていないので、本人もそのことをすっかり忘れて厩番を継ぐ気持ちでいる。

 

 この小娘がそれぞれの馬に合わせて、朝にたっぷりと餌を寄越す。

 その馬の調子や、餌の内容はまだ厩番の老人が見て決めていたが、小娘の方でも大体要領を覚えていて、準備は早く手際も良い。

 特にタマは大食いなので、餌の準備だけで大仕事だった。

 

 さしもの老人も地竜の食べるものや健康については全くわからなかったもので、とにかく最初のうちは食べるだけなんでも食べさせて、そして珍しく椅子から立ち上がり、タマの甲や鱗の艶、口を開けさせて舌の色、また眼の色などを一つ一つ確かめて几帳面に帳簿に記した。また、タマが時折用を足すと、這いずって糞を検めることさえした。

 

 その結果として分かったのが、口に入るものなら何でも食べられるし、およそ身体に悪いものなど見当もつかないということだったのだから厩番もうなだれた。なんなら土や石まで食うし、それも時々喜んで食うので、なにかしら土なり石なりの成分が丈夫な甲や鱗のもとになるのかもしれなかった。

 こうなるともうお手上げで、安さ優先にはなる。

 

 そして餌を与え、厩舎の掃除や、水入れの補充を済ませると、小娘はタマを散歩に連れ出してくれる。

 いかつい甲馬(テストドチェヴァーロ)にも見えるタマは、しかし実際のところ温厚で賢く、子供が無遠慮に顔に触っても噛みついたりしないし、近くにいる時は迂闊に踏みつぶさないよう立ち止まるし、餌を差し出すとなんでもうまそうに食べるので、近所でも人気であった。

 小娘もしたたかなもので、タマを散歩に連れ出すと、子供や近所の人があれこれと食べ物をくれるので、お相伴にあずかる。それがあんまり素直に無邪気に食うものだから、近所の人も憎めないでいる。

 

 お決まりの道を回って戻ってくると、小娘はまた次の馬の散歩に出かける。

 たまに飼い主どもが何の気の迷いか、散歩に出てくれたり馬車をつないだりするが、寒くなってきてからはとんとご用がない。

 タマの方でも、あたたかく保たれた厩の中の方が居心地がよくもある。

 

 厩の中で過ごしていると、事務所の冒険屋がよく顔を出す。

 厩番がじろりとにらむが、それで堪える奴は冒険屋には向かない。

 冒険屋たちは何をしにくるかというと、たまに餌をやりにくる。

 差し出せばいくらでも食べるので見ていて気持ちが良いという奴もいるし、割れた皿とか壊れた棚だとか、そういうものを処分するために食わせに来るやつもいる。

 厩番はいい顔をしないが、タマとしては育ちざかりなので嬉しい。それに土や石なども食べたほうが体に良いので、助かる。

 

 ただ、恋人と別れたからと思い出を捨てに来るやつには辟易する。食べていいのかどうか判断に困る。思い出をとつとつと語り始めるのも困る。困り果てているとドラマチックに片割れが走ってきて、私が悪かったとかもう一度やり直そうとか目の前でメロドラマをやられるのも困る。

 その流れは先週もやっただろうと。

 

 たまに観光客なのか依頼客なのか、地竜を見に来る部外者もいる。料金を取っているらしいが、タマにはよくわからない。ただ地竜らしいところを見たいらしいので吠える真似もしてみるが、みゃあみゃあいうくらいしかできないので、あまりご満足してもらえたためしはない。

 

 夜も更けてくると、小娘が夕食を寄越してくれ、これもたっぷりと食べる。冒険屋のくれたおやつもたっぷり食べたが、いくらでも入る気がする。

 実際、足りてないくらいではある。

 

 冒険屋たちの夕食が終わる頃、魔女はふらっとやってくる。大抵酒の匂いがするので、常に酔ってるんだろうなとタマなどは思っている。

 

 魔女は程々に酔っている時は、タマに手早く小さくなる魔法をかけ直す。

 足元がふわふわするくらいに酔っている時は、タマの甲羅に腰掛けてなんだかよくわからない独り言をだらだら垂れ流してから魔法をかけ直す。

 べろんべろんに酔っている時は未来が抱えてくるが、それでもちゃんと魔法はかけ直す。

 しばらく留守にするときは念入りに魔法をかけ直す。

 

 この魔法があるおかげで、タマは成長期にもかかわらず、このこぢんまりとした厩舎でのんびりと干し草や土などを食んでいられるのである。

 実際に自分の体が今どのくらいの大きさなのか、タマ自身もよくわかっていないが、胃袋の容量的にそこまで極端な大きさでは、まだないと思う。

 

 このようにして地竜のタマはおおむね満足のいく平和な日々を送っていた。

 ただ、いつかでいいので、思う存分歩いて、腹いっぱいになるまでご飯を食べたいとは思う。

 親がアレなので、あまり期待はしていないが。



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第十五章 ファイト・ファイアー・ウィズ・ファイアー
第一話 甘い親父と教育親父


前回のあらすじ

クリスマス滅ぶべし。
慈悲はない。


 年越しの祭りを過ぎ、ひと月ふた月もすれば、寒さの峠も過ぎる。

 新年と言い張るのもいい加減厳しくなり、当たり前の日常が戻ってくる。

 春はまだ遠く、吐く息もまだ白いが、しかしそれでも冬は開ける。

 

 帝国西部、スプロの町の人々も日常を懸命に生きていた。

 

「……寒っ」

「まだ全然寒いよな。雪はあんまり降らないのになあ」

「走ってると風が冷たいんだよね」

 

 訂正。

 スプロの町の多くの人々は日常を懸命に生きていた。

 その多くの人々に含まれないろくでなし二人は、今日も事務所の暖炉前に居座って、毛布にくるまり丸くなっていた。

 森の魔女印の火鉢魔法もすっかり売れなくなり、冒険屋たちはみな暖炉に突っ込んで熱した温石で満足している中、二人は相変わらず寒い寒いと文句を垂れていた。

 

 紙月は何しろ筋肉が少ないから生み出す熱量も少ないし、脂肪も薄いのでその熱もすぐに逃げるし、逆に寒さはしみいる。

 そう言う風に言い訳して暖炉の前に根付き、昼から酒など飲んでいるから、暖かくなったと錯覚はするが、それで余計に放熱して、また寒くなる悪循環である。

 

 未来は運動もしているし、口で言うほど寒いとも感じていないのだが、外を出歩くと子供にからまれるのがこの時期は面倒だし、なにより紙月の湯たんぽ係を事務所の犬に取られたことがあるので、何としてもそれは阻止したいのだった。

 

 その日の食費も酒代(さかしろ)も考えねばならない下っ端冒険屋たちとしては、忌々しいやら羨ましいやら、何とも言えない姿である。

 しかし働かないで暢気に構えていられる金銭的余裕があるのは事実だったし、隙間風の通る事務所を自主的に補強してくれたり、火鉢魔法を格安で貸してくれたりということもあったので、単純に責めることもできない。

 

「ありゃ、お前、あれだよ。看板娘みたいなもんさ。愛嬌のある動物枠でもいい」

「へえ」

「いるだけで依頼が増えるんだから、ま、我慢しな」

 

 というのはおかみさんこと所長のアドゾの言で、実際、森の魔女と盾の騎士が所属する事務所といううたい文句はなかなか広告効果が大きく、特別に営業活動をしなくても以前より何割も増しで仕事が入ってくるのである。

 それが下っ端冒険屋たちの稼ぎにもなっているのだから、文句も言えないということだ。

 まあ、その事実は事実として、暖炉前で呆ける二人組へ舌打ちの一つもくれてやりたい気持ちはどうしようもないのだが。

 

 実際の効果はともあれ、そう言った気持ちが続くとあまりよろしくないので、アドゾとしても適度なガス抜きは当然考えている。そしてそれを回されるのは《魔法の盾(マギア・シィルド)》担当となってしまった哀れな冒険屋ハキロである。

 本人は割合真面目な人柄で、付き合いもいい方なので、さして苦でもないが。

 

「おうい。お前ら暇してるだろ」

「いや、忙しいスね」

「寒いしなあ。あったかくなる仕事を紹介してやるよ」

「結構です」

「はいはい。ほら、こっち来い。書類見せるから」

 

 お決まりの言葉から始まった依頼の斡旋という名の強制は、もはや慣れ切ったものである。

 冬場は斧を振るよりペンをもって事務仕事することが多かったハキロは、さらに図太くなったような気さえする。

 二人、というか主に紙月がいやいやとごねるのも聞かず、さっさと座る、とテーブルに書類を叩きつけた。

 それで仕方なく紙月がもそもそと動き出し、未来が毛布を畳みながら椅子に座ると、ハキロはまず大きくため息をついた。

 

「お前らなあ。そりゃ冬場はそうそう大した仕事もないし、お前らくらい蓄えもありゃつまらん仕事はしたくないってのも分からんでもないけどな」

「うえ、お説教だ」

「おやさしくしてやるのはここまでだな。おい、シヅキ。太ったぞ」

「ぐえ」

「ミライは毎日走り込みもしてるな。そこは感心だ」

「ありがとうございます?」

「だがタマだ。お前らな、タマだって運動不足なんだぞ」

 

 話は事務所の厩舎で昼寝している地竜に移った。

 二人が連れてきた時は事務所も騒然としたものだが、存外に大人しいし、何より賢いので、今では事務所の冒険屋たちも時々餌をやりに行っている。

 特に隠してもいないので、ご近所さんにも知れ渡っているし、地竜が見れるとなれば観光客なんかも見に来る。その見物料も悪くないもうけだった。

 

「飼うって言ったのはお前らなんだぞ。それをすっかり放置しやがって」

「言ったっていうか、押し付けられたんですけど」

「生き物を飼うってことがわかってないんじゃないのかお前ら!」

 

 紙月のささやかな反論は鼻先で叩き落とされた。もとは牧場の三男か四男だったとかいうハキロは、家畜に対して色々思うところもあるようだった。

 

「タマのアホみたいな餌代は確かにお前らの財布から出てるが、金だけ出しゃいいってもんじゃないぞ。餌やりも甲羅磨きも厩舎の掃除も、お前ら気が向いた時しかやらねえ。厩番が全部やってくれてんだぞ。散歩だって、厩番や暇な連中がしてやってるが、ご町内の散歩だけじゃどうやっても運動不足だぞありゃ。毎日とは言わんが、たまには遠乗りにも出てやれ。ほとんど一日中厩舎の中じゃタマも窮屈だろうよ」

「ええ……」

「ええ、じゃない! タマは賢いから大人しくしてくれてるがな、ありゃ本来は外を歩き回る生き物だろうが。それが出歩けもせず寝るしかないってのはよくねえ。日をしっかり浴びなきゃ甲艶だって悪くなる」

「いやあ……寒い間はタマも動き鈍いし」

「あったかい間だってろくに散歩に連れてかなかっただろ!」

 

 ぴしゃん、と雷が落ちる。

 帝国でも雷が落ちるという表現を用いるのかどうか二人は知らなかったが、恐らく似たような慣用句はあるのだろう。少なくとも慣用句が生まれてもいいくらいには二人はしばしば叱られていた。

 

「まあまあ、そう悪く言ってやるなよ。厩番もあれが仕事だ。他の連中だって、言うほど馬の面倒を見てやらねえじゃねえか」

「ムスコロさん、そうは言うがね。こいつらときたら思い出したように内職する以外は、日がな一日暖炉前で丸くなって、それで贅肉までついちゃあ情けないじゃあないですか」

「それでもでかい依頼が入ってきた時にゃあ活躍してくれるだろう」

「それでお高くとまっちゃこいつらのためになりませんよ。大体ねムスコロさん、あんたがこの二人に甘いのも俺ぁよくないと思うね」

「ええ? いや、甘いって程のことは」

「いーや甘いね。何かとありゃすぐ持ち上げて庇おうとするんだから、これがよくない。そりゃこいつらは凄い冒険屋かもしれんが、生活がだらしないのはそりゃ別問題でしょう」

「むむ」

「むむじゃないですよ全く!」

 

 思わぬ飛び火に、助けに入ったはずのムスコロに矛先が向いてしまった。

 なんというか、子供に甘い親父と、口うるさく言う教育ママのようではあった。

 どちらもむくつけきおっさんどもなのだが。

 

 自分たちのことでこのような口論、というより一方的な叱責が始まってしまうのを見ると、二人も何ともいたたまれなくなり、余計なことは言わないよう口をつぐむのだった。




用語解説

・ハキロ(Hakilo)
 二十代後半の人族男性。斧遣い。最近は事務の方が多い。
 冒険屋としては一般的な強度と、《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)》冒険屋事務所の中では比較的良心的な人柄を誇る。
 規格外の《魔法の盾(マギア・シィルド)》二人の担当を任されているうちに大分図太くなってきた。

・タマ
 《魔法の盾(マギア・シィルド)》の二人が飼っている地竜の雛。
 帝都大学での実験で生まれ、刷り込みで懐いてしまったために依頼で押し付けられたのだが、賢く大人しく強くと馬としては優良物件。食費が高いのが玉に瑕。

・ムスコロ(muskolo)
 《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》に所属する若手の冒険屋。三十がらみの人族男性。
 実力はハキロの二倍程度にはなった。おっさんを数人相手にしても勝てるが、やはりおっさんの群れには敵わない程度。若手集の中では最近頭一つ抜けてきた。
 根が押しに弱い。


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第二話 タマ、平原へ行く

前回のあらすじ

ついに自堕落を叱られるふたり。
そして巻き込まれるムスコロ。


 翌日どころかその日のうちに、二人は事務所を追い出されていた。

 それも依頼の具体的な内容を聞く前にほっぽりだされたので、ろくな準備もできなかった。もとより準備が必要な二人ではないが。

 

 一応依頼者と依頼先の土地はわかっていたので、二人はタマと、タマにつなぐ馬車を久し振りに引っ張り出した。

 タマはこの二人が飼い主だということをちゃんと覚えていてくれたし、久しぶりの装具もきちんと身につけてくれた。それがなんだか健気に思えて、二人は妙な罪悪感にかられた。

 飼い主の自分たちがあんなにいい加減だったのにこの子は、と。

 実際のところタマはおおむね生活に満足していて、時々考える「そのうち出かけたい」というのも地竜のスケールにおける「そのうち」であって、つまり年単位で先の話だったのだが、まあ二人の生活が改善されるのであればよいことだろう。

 

 行き先は、以前も行ったことのある西の平原であった。

 その時はチャスィスト家という遊牧民からの依頼で、大事な家畜を狙う魔獣が大量発生したので、これを討伐して欲しいというものだった。

 二人はこの魔獣の大規模な巣を見つけ、まとめて氷漬けにするという雑な方法で壊滅させたのだった。

 

 その時は、狗蜥蜴(フンドラツェルト)という、二足歩行の恐竜のような馬がひく馬車で、四日ほどかかった。

 タマは甲馬(テストドチェヴァーロ)という馬に似ており、つまり凶悪な顔をした巨大なリクガメといった姿なのだが、これが意外にも足が速かった。鈍重そうなのに、少なくとも狗蜥蜴(フンドラツェルト)と同じか、もしかしたらそれ以上に軽快に馬車は進んでいく。

 体が大きいから一歩一歩が大きいのかもしれないし、走り方がうまいのかもしれない。

 見た目相応にスタミナもあるようで、狗蜥蜴(フンドラツェルト)の時より、紙月が《回復(ヒール)》をかけてやる頻度もずっと少ない。

 

 タマは普段の散歩でも十分に満足しているようだが、それでもこうして遠慮なしに走れるというのは気持ちが良いらしく、二人が急かさなくても放っておけばどこまでも走り抜けそうである。それでいて賢く素直で、紙月が頼りなく握る手綱にもよく応えて、街道を順調に走った。

 時々細い道を馬車同士がすれ違う時など、向こうが怯えるのがわかっているからか、自分から道の脇に避けてやって、先に通してやるような気遣いも見せた。

 もしかすると、御者席でぼけらったとしてる二人より気が利くかもしれない。

 

 日が傾き暗くなってくると、タマは鼻を鳴らし、みゃあみゃあ鳴いて、手ごろな木の下などに自分で腰を落ち着けた。野営の勝手などわからない二人としては、自分でタイミングを計って、自分で恐らくは居心地のよさそうな場所を見つけてくれるタマは恐ろしく便利であった。

 

 二人は例によって例のごとくインベントリからゲーム内アイテムを取り出して、遠慮なく使い倒して野営した。世の冒険屋が見たら殺してでも奪い取りたくなりそうな神秘の安売りである。

 

 魔獣避けになる《魔除けのポプリ》は、タマがいるだけで必要ないことが道中判明した。地竜のにおいに気づいた獣はほとんど例外なく逃げるし、たまの例外も思いの外に機敏なタマに呆気なく返り討ちにあっておやつになった。

 

 食事は《食神のテーブルクロス》を広げれば、必要なだけ出来立ての美味しい食事が出てきた。

 きちんと食べ切れる分だけ出てきて、残り物が出るということがない。

 これはタマにも使えるのだろうかと試してみたところ、なぜかごろごろと石が出てきてしまって止まらなくなった。故障だろうかと慌てたものの、タマは普通にその石を食べ始め、しかもうまそうに食べるものだから、どうやら正常な動作だったらしい。

 まあ、タマは道草も文字通り食うし、何なら土とか石とかもまとめて食べていたので、そういうものなのかもしれない。

 

 山のように積み上げられて行く石を、タマはばりばりばきばきと凄まじい音を立てて食べていく。

 止めようにも、《テーブルクロス》は山積みの石の下だから、回収のしようがない。

 仕方なしに二人はそれを放置して、満足するのを待つほかなかった。

 

「でもさ、事務所でもみんなが色々食べさせてるのに、全然大きくならないね」

「そりゃあお前、俺が定期的に《縮小(スモール)》をかけなおしてるからな」

「ああ、そっか。解いたらどうなるの?」

「わからん」

「えっ」

「今どのくらいのサイズなのか全くわからんから、怖くて迂闊に解けねえんだよなあ」

 

 軽くぼやくように言う紙月だが、なかなかに怖い話である。うっかり小さく見積もって狭いところで解除して、あたりを巻き込んで踏みつぶしてしまうというような事態も考えられなくはないのだ。

 二人が倒した地竜だって結構な大きさだったが、あれでさえまだ生まれた卵からそう離れていないところをうろついていた子供の地竜なのである。

 結構な期間を色々食べさせてもらって育ったタマがどれくらいになっているのかは想像もつかない。

 ペットのことを詳しく知らないというのも、飼い主として情けない話ではあるが。

 

 その情けなさから微妙に「なにかしてあげた感」でも感じたくなったのか、未来は溢れ出した石の一つを手に取り、タマの口元にそっと差し出してやる。タマはそれを喜んで食べるが、賢いのでちゃんと未来の手は避ける。石だけを綺麗に食べる。

 未来は平気でそういうことをするが、紙月は正直見ているだけでもおっかなくて仕方がなく、撫でたり乗ったりはともかく口元はいまだに近づきがたいものがあった。

 

 その日はそうして、石が砕かれる音に閉口して耳栓などして眠り、翌朝になると《テーブルクロス》だけが、風に飛ばされないよう乗せられたタマの顎の下に残っていた。

 

 スプロの町から遊牧民たちの暮らす平原までは、そのようにおおむね平凡なものだった。

 平凡の意味を辞書で引く必要があるかもしれないが。

 しかしまあ実際、その道のりは平坦な平野であり、平和そのものだった。

 仮に盗賊がいたとしても、たいして荷も載っていなさそうなのに、やたらごつい馬がひく馬車など襲い甲斐のないものだっただろう。

 

 平原に入りましたよというような目印は特にない。いつの間にか平原で、どこからともなく平原だ。道を少し変えれば、遊牧民たちと交易する村や町があるかもしれないが、用のない二人はそこまで行ったことはない。

 しかしまあ、なんとなくこのあたりかなという程度には、平原のだだっ広い草原ぶりは見ごたえがある。以前来たときは青々と茂っていた草も、枯れたものが目立った。

 

 以前依頼を請けたチャスィスト家と落ち合ったあたりまで来たが、いまはそれも場所を移しているようで、本当にただどこまでもちょっとした丘と草原が広がっているだけである。

 なんとなくの距離感からこのように二人は考えていたが、実際にここであったのかどうかは全く自信がない。

 なにしろ平原というものはまるで目印というものがないのだ。道もない。木もほとんどない。建物もない。あるいはずっとここに住んでいる遊牧民なら大体の居場所を判断できるのかもしれないが、ずいぶん前に一度来ただけの二人にはさっぱりだった。

 

 何とも言えず寂しい風が、二人と一頭を撫でていった。




用語解説

・西の平原
 帝国西方にはどこまでも広がる草原たる大叢海が横たわっており、西部から大叢海まではなだらかな草原地帯が広がっている。
 このあたりは帝国の民とも言い切れない遊牧民たちの住まう土地で、西部の人々は彼らとうまく付き合って今日までやってきた。

狗蜥蜴(フンドラツェルト)(Hundo-lacerto)
 二足歩行の雑食性の鱗獣。首元にたてがみがある。群れをつくる性質があり、人間をそのリーダーとして認めた場合、とても頼りになるパートナーとなってくれるだろう。

甲馬(テストドチェヴァーロ)(testudo-ĉevalo)
 甲羅を持った大型の馬。草食。大食漢ではあるがその分耐久力に長け、長期間の活動に耐える。馬の中では鈍足の方ではあるが、それでも最大速力で走れば人間ではまず追いつけない。長距離の旅や、大荷物を牽く時などには重宝される。性格も穏やかで扱いやすい個体が多い。寿命も長く、年経た個体は賢く、長年の経験で御者を助けることも多い。

・《魔除けのポプリ》
 ゲームアイテム。使用することで一定時間低レベルのモンスターが寄ってこないようにする効果がある。
『魔女の作るポプリは評判がいい。何しろ文句が出たためしがない。効果がなかった時には、魔物に食われて帰ってこないからな』

・《食神のテーブルクロス》
 ゲーム内アイテム。状態異常の一つである飢餓を回復する効果がある。飢餓は飲食アイテムを食べることでも回復するが、《食神のテーブルクロス》は入手難易度こそ高いものの、重量値も低く、使用回数に制限がない。
 この世界では使用するとその時の腹具合に応じた適切な量だけが提供されるようだ。
『慌てるんじゃない。君はただ腹が減っているだけなんだ』


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第三話 大叢海へ

前回のあらすじ

久々のタマ登場。
しかし特に何があるというわけでもないのだ。


 空を大きな鳥が飛んでいる。

 未来はその姿をぼんやりと見上げていた。

 それが実際にはどれくらいの大きさで、どのくらいの高さを飛んでいるのかははっきりとわからなかったが、翼のかたちまではっきり見えるような気がするくらいだから、決して小さくはないだろう。

 あるいはあれが、以前ムスコロが語っていたハゲタカの化け物なのだろうか。

 あれがひゅうと降りてきたならば、未来の小さな体など簡単にさらって、空へと連れ去ってしまうんじゃなかろうかと思えた。ただ、それは何とも現実味のない想像で、恐怖を感じることは難しかった。

 

 ぼへーと音が出そうなくらいぼんやりしていたからか、紙月が横から手を伸ばして、半開きになっていた未来の顎を下から軽く叩いた。

 

「えあっ。もう、なにさ」

「いやなに、見上げすぎてひっくり返りそうだったんでな」

 

 紙月はくすくす笑う。

 そういう紙月の笑い方には嫌味というものが全くなく、からかうようなじゃれつくような気安さがあって、未来は時々距離感を見失って落っこちるような気分になった。

 未来は友達が少なかったし、その少ない友達も程々の距離感だったので、紙月の人懐っこい態度はなかなか慣れないものがあった。特に意識していないときに急に近づかれると、いまだに未来は変にどきどきするのだった。

 

 なんだか熱いような湿ったような変な感じがして、未来は叩かれた喉元をさすりながら視線を前に戻した。タマの背中がリズミカルに跳ねて、馬車は軽快に進み続けていた。

 しかし景色は空を見上げる前からまるで変ったようには見えず、本当に進んでいるのか、これもまた距離感が測れない。

 

 目印もない平原に辿り着いた二人は、そこからさらに西へと馬車を進めた。

 追い出される前に早口で伝えられたハキロからの指示によれば、平原に辿り着きさえすれば、あとは依頼主の方で見つけてくれるので、とにかく西へ進めということだった。

 西。つまり大叢海へ向けてということである。

 

 帝国西部から、遊牧民たちの住まう西の平原へ抜け、さらに西へ行けば、そこには人の足で踏破することの叶わない広大な草原が広がっており、海のような草むらということで大叢海と呼びならわされている。

 その大叢海のただなかには、空を飛ぶ隣人種である天狗(ウルカ)たちの国アクチピトロが存在し、東西大陸の真ん中を遮り支配しているのだという。

 帝国は、また西方大陸の華夏(ファシャ)国も、このアクチピトロの交易によって間接的につながっており、そしてそのまだるっこしさと天狗(ウルカ)への反感から、海路がよく開発されて海運が盛んであるという。

 

 空を飛べないものには大叢海はどうやっても渡れないが、しかしその大叢海の傍で仕事があるのだという。その仕事が実際にどんなものであるのかまでは、二人は実は聞いていなかった。聞かせてもらえなかった。

 あんまり二人がグダグダするので、しびれを切らしたハキロに最低限の説明だけで追い出されてしまったのである。

 

「またもや何も聞かされていない二人である、ってな」

 

 紙月は半分ボヤくように笑うが、未来としても別に心配はしていない。

 なにか、紙月が大いに活躍できる仕事であるらしいので、魔法を使う仕事ではあるのだと思う。どんなものかぱっとは思いつかないが、少なくとも魔法で紙月が困る状況はそんなにないように思われた。

 

「なんだろうな。またぞろ大嘴鶏食い(ココマンジャント)でも大量発生したかね」

「どうだろうね。あの時は運よく巣を見つけられたけど、僕らもともと索敵能力は全然だし」

「そうなんだよなあ。どっちかっつうと腰据えてやるタイプだもんな」

 

 以前遊牧民から依頼を請けた時、ふたりは大嘴鶏(ココチェヴァーロ)という巨大な鳥の姿をした馬にまたがり、これを狙う魔獣である大嘴鶏食い(ココマンジャント)の群れを殲滅した。

 あのときは逃げる大嘴鶏食い(ココマンジャント)を追いかけて巣を探し当てて一網打尽にしたのだが、あれは全く運がよかったとしか言えない。群れをつくる魔獣は大抵賢く、追いかければ逃げるのは勿論うまく出し抜いて撒こうとするし、場合によってはあえて間違った方向に誘導したりもしてくる。

 

 一塊にまとまってくれさえいれば二人にとってはいい的なのだが、もちろんそんな都合のいい時の方が珍しい。

 あまり賢くない二人は、賢い動物にしてやられる可能性の方が高いだろう。本人たち、とくに紙月がそれを認めるかどうかは微妙なところだが。

 

「だからさ、生き物相手より、土木工事の方が僕たち合ってるんじゃない?」

「うーん、何とも泥臭い」

「紙月は指一本汚れないでしょ」

 

 何しろ紙月の使う魔法は多岐にわたる。

 土を耕したり、岩を砕いたり、草木を焼いたり、なんでもござれだ。

 ひとりで人足何人分もの仕事を片手間に終わらせられるだろう。

 それは単純に紙月の《技能(スキル)》の豊富さだけでなく、それを柔軟に使いこなし、イメージを適切に形にすることのできる紙月本人の身に着けた能力なのだが、本人はそれをあまり自覚していない。

 未来は素直にすごいと思うのだが、紙月は妙なところで妙に自信がないのだった。

 

「まあ、出張料金払ってまでわざわざ僕らに土木工事頼むとも思えないけどね」

「俺たち高いらしいもんなあ」

 

 《魔法の盾(マギア・シィルド)》への指名依頼料は、結構高額らしい。

 らしいというのも、二人は自分たちに支払われる金額はともかく、事務所に入っていく金額は詳しく知らないからである。最初こそ契約書をじっくり読み込んだ紙月も、馴れ合いが続くうちに大分大雑把になってしまい、いまや報酬がどれくらいなのかを支払われた後に知るほどである。

 だからといって不当にピンハネすることもないとは思う、というのが紙月の考えだった。不満に思って出て行く二人を止められるものはいないし、それならば最初から妙な真似はしないだろう。

 人情と合理性のどちらから考えても、そうなるのだ。

 

 なんにせよ、盛大に魔法を使う仕事だというのならば、紙月としても少し楽しみではある。

 確かに最近はこもりっきりで、半分頭が眠ってしまっているような日々を過ごしてきたのだ。たまには何も考えず頭を空っぽにして魔法を使いまくるようなそう言うこともしてみたい。

 《SP(スキルポイント)》が尽きるまで思うさまやってみたい。

 スプロの町近郊では、多少の訓練はできても、さすがにそこまで派手にやると以前のように苦情が来てしまうのだ。

 

 未来の方は毎日走り込んでいるし、もともとが防御《技能(スキル)》ばかりの《楯騎士(シールダー)》とあって、そこまでのストレスは感じていない。しかしたまにはスリルを感じる冒険なんかしたいなー、と感じるお年頃ではあった。

 

 今回の依頼がどのようなものであるかはわからないものの、二人はぼんやりと期待を膨らませるのであった。

 

 そんな二人を、大きな鳥はまだ見下ろしていた。




用語解説

・ハゲタカ
 西部の平原には大型の鳥類が空にも地上にもよく見られる。
 物によっては家畜などもつかみ上げて攫って行ってしまうほどの力を誇るとか。
 ムスコロが語ったのははその中でも大型のものらしい。

大嘴鶏(ココチェヴァーロ)(Koko-ĉevalo)
 極端な話、巨大な鶏。
 草食よりの雑食で、大きなくちばしは時に肉食獣相手にも勇猛に振るわれる。主に蹴りの方が強烈だが。
 肉を食用とするのは勿論、騎獣として広く使われているほか、日に一度卵を産み、また子のために乳も出す。農村でよく飼われているほか、遊牧民にとってなくてはならない家畜である。
 一応騎乗用と食畜用とで品種が異なるのだが、初見の異邦人にはいまいちわかりづらい。

大嘴鶏食い(ココマンジャント)
 名前の通り、大嘴鶏(ココチェヴァーロ)をメインとして狙う、平原の狩猟者。
 二足歩行の小型~中型の爬虫類で、いうなれば肉食恐竜のようなスタイル。
 肉食獣であるし、本来はそこまで増えることはないはずである。


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第四話 巨鳥の導く先で

前回のあらすじ

移動時間はロード時間とでも言わんばかりに何もない回であった。


 タマの曳く馬車は駆け続けた。

 遮るものもないし、事故の心配もあるまいと好きに走らせていたら、どんどん速くなっていく。紙月と未来は二人で真顔になって過ぎ去る景色を眺めていた。

 目印となるものもないし、もちろん速度計なんてものがついているわけもないので、具体的に時速何キロというのはわからない。

 二人にわかるのは多分今うっかり落ちたりしたら間違いなく盛大に削られながら死ぬだろうなということくらいで、それ以上のことは考えたくもなかった。

 

「……亀ってこんなに速いんだね」

「亀っていうかまあ、一応地竜だからなあ」

「森の地竜さ、このスピードで突進してきてたら僕ら死んでたかもね」

「あの時は盾張ってから突進してきてくれて助かったな」

 

 タマの存外に長い脚が、力強く馬車を引いて走る。

 その力強さたるや、体重も合わさってどかどかと足元を耕すようにしてえぐるものだから、馬車の通った後にはわだち以上に目立つ足跡が深々と残されていった。

 そのせいで馬車は盛大に揺さぶられていた。

 

 普段は厩舎の片隅で寝てるか餌を食べているか、はたまたのんびりと町中を散歩している姿しか知らないものだから、恐ろしいスピードで駆け抜けていくタマの姿は意外も意外であった。仮に普段散歩している通りをこのスピードで駆け抜けたら、大惨事になるだろう。

 二人は自分たちが飼っているのがどういう怪物なのかをもう少し知っておくべきだと肝に銘じるのであった。

 

 そんな飼い主の遠い目など露知らず、タマは楽し気に駆ける。

 別に走らなければ走らないで何という問題もないのだが、それはそれとしてたまに運動するとやはり気分がいいものであるらしい。恐らく町に戻ればこうして駆け回る機会はしばらくないだろうなあということも察しているらしく、その分の走り溜めとでもいうのだろうか。

 

 それに、成長期であるタマは、魔法のせいで見かけの姿は変わらないまでも、大きくなりつつある自分の体のことを察しているようだった。

 体のサイズが大きくなれば、一歩の距離も長くなるのでその分速くなる、という単純な話ではなく、重たくなればなるほど体を動かすには膨大なエネルギーを必要とする。そうなれば今のように軽快に走ることは難しいだろうなというのがわかっているのである。

 

 馬車に揺られて速度感に呆然としている二人はいよいよ何もない光景に方向感覚を失いつつあったが、タマは賢いので、太陽の位置をこまめに見上げて、方角を守っていた。西へ。ひたすらに西へ。

 

 空からは相変わらず一羽の鳥が二人と一頭を見下ろしていた。

 かなりの速度と思われるタマの疾走も、空を駆ける鳥からすればまだ遅いものなのだろう。

 未来はぼんやりとその影を見上げた。

 あれはハゲタカとかハゲワシとか、あるいはこの世界特有の鳥の怪物なのだろうか。

 襲ってはこないのだろうか。それとも弱って行き倒れるのを待っているのだろうか。テレビの動物番組か何かで、見たような気がした。いつまでもいつまでも、獲物の上で旋回し続けるハゲタカ。

 

 もちろん一行は相変わらず元気だし、弱ることなどないのだが、しかし油断をしていたらあっという間に下りてきた巨大な鳥に捕まれて空にさらわれる、という事態を想像すると、なかなかぞっとしない。

 

 紙月なんか簡単にさらわれちゃいそうだよなあ、未来とか鎧なかったらちょうどいいサイズなんじゃねえかな、などと失敬にも不穏なことをお互いに考えていると、鳥は不意に動きを変えた。

 大きくひとつ羽ばたいたかと思うと、翼を畳むようにして急に速度を上げ、素早く滑空を始めたのである。

 空を滑り落ちていく姿が、一行の行先、西へと向かう。

 

 ふたりでその姿を目で追いかけていると、何もないと思っていた平原に、ぽつりと浮かぶ影がある。タマもそれに気づいたようで、少しずつ速度を落としながら影へと近づいていく。

 それは、こちらへと駆けてくる体格の良い大嘴鶏(ココチェヴァーロ)だった。

 精悍な顔つきの大嘴鶏(ココチェヴァーロ)にまたがった何ものかが、まっすぐに片腕を横に伸ばしている。

 妙な構えだなと見ていると、黒い風が音を立てて舞い降りて、その腕に絡みついた。いや、それは鳥だ。巨大な鳥だ。胴体だけで子供ほどもありそうな巨大な鳥が、腕を止まり木にして舞い降りたのである。

 

 未来は以前テレビで観たハクトウワシを思い出した。とにかく大きく、頭だけが白い羽毛に覆われた猛禽だ。この鳥はそれよりもいくらか大きく見え、後頭部から鮮やかな赤色の冠羽が、何筋か放射線状にすらりと伸びていた。

 

 大嘴鶏(ココチェヴァーロ)にまたがった人物が肉の塊を寄越すと、鳥はそれを大きな口で簡単にくわえた。そして二度、三度と羽ばたくや、あっという間に空へと飛び去ってしまった。

 そこまでを何かのショーのように眺めて、ようやく紙月は思い至った。

 依頼主の方で自分たちを見つけ出すというのは、つまりあれだったのだ。あの巨大な鳥が自分たちを見つけ出し、そして主人はその影を見つけてこうしてやってきたのだ。

 

 タマと大嘴鶏(ココチェヴァーロ)はお互いにゆっくりと速度を落として合流し、二人はようやくそこで相手の顔を見た。遊牧民風の男である。

 浅黒く日焼けした顔立ちは彫りが深く、馴染みのない二人には年頃がわかりづらい。青年と言うほど若くはなさそうだが、そこまでとしでもなさそうだ。

 

 男はミルドゥロ・サルクロと名乗った。

 依頼主の息子であるという。

 

 ミルドゥロの案内で、二人はさらに一日、西へ進んだ。

 途中一度野営したが、焚火を熾して軽く乳酒とチーズ、それに干し肉のようなもので食事をすると、すぐに愛馬にもたれて寝てしまった。その間の会話はほとんどなく、「ここらで野営する」「火を熾す」「飯は自分で食え」「寝る」の四回だけであった。

 

 彼はまったく寡黙な男で、質問すれば答えてはくれたが、どれも一言二言で済ませるような端的なもので、会話は弾まなかった。

 かと言って別に不機嫌そうでもない。これが素なのだろう。

 

 昼頃に彼と依頼人の住む村に辿り着いたが、その間に一番弾んだ会話はあの大きな鳥についてであり、二人が知り得たことは「格好良くて強くて気立ても良いやつ」であり「名前はモントリロ」であることだけだった。




用語解説

・巨大な鳥
 矢羽鷲(チエラ・サーゴ)(ĉiela sago)。
 帝国西部から東大陸東部まで、大叢海を挟んで広く生息する大型猛禽類。
 稀に迷鳥が他の地方で見られる。
 体色は茶褐色から黒で、幼鳥は赤みが強い。
 成鳥は後頭部から五から七筋の赤い冠羽が伸びる。
 体長は80から130㎝で、翼開長は230から260cm程度。

・ミルドゥロ・サルクロ(Mildulo Sarkulo)
 サルクロ家長男。
 遠乗りと狩りを好み、腰を据えて働く家業とは相性が悪い。
 ほとんど家にいつかず、愛鳥のモントリロと周辺の哨戒を兼ねて狩りをしていることが多い。

・モントリロ(montrilo)
 ミルドゥロの愛鳥。メスの矢羽鷲(チエラ・サーゴ)
 ミルドゥロと狐を取り合って争い、力強さにほれ込んだミルドゥロに手懐けられ、現在に至る。
 ミルドゥロは彼女を心通い合う相棒と思っているが、モントリロの方の認識は「肉の人」である。


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第五話 大叢海のほとり

前回のあらすじ

新情報は「格好良くて強くて気立ても良いやつ」「名前はモントリロ」の二つ。
ペース配分が死んでいるのでは?


 サルクロ家の村は、六つの天幕からなっていた。

 この天幕はチャスィスト家たち遊牧民たちのものと似ており、基本的な構造は同じようだった。

 ただ、遊牧民のそれが移動することを前提としており、組み立てと解体が簡易な造りになっているところ、こちらはもう少ししっかりした造りをしており、一部は木や石で壁を作っていたりと、完全に固定式のようだった。

 家畜である大嘴鶏(ココチェヴァーロ)たちを囲う柵もかなりしっかりとしており、例の八つ足の牧羊犬が番をしていた。

 

 そして。

 

「おお、あれが大叢海ってやつかね」

「雑草が伸びまくった野原って感じ」

 

 二人は雑な感想を述べたが、実際、遠目に見る大叢海は別段面白みのあるものでもなかった。

 ただなんだか草が広がっているなという程度なのである。

 枯草も多く見かけてきたこの冬の平原で、なお青々と元気に茂っているのは生命力を思わせるが、しかし草原は草原である。

 

 適当な場所で馬車を降りると、タマは行儀よくと言うべきか、のんびりと寝そべった。

 馬車と馬具を外してやっても、そのまま動こうとしない。さすがに疲れたのだろう。未来が塩と砂糖を混ぜたものをひと握り差し出してやると、タマは大きな舌で舐めとり、満足げに頷いた。

 

 ミルドゥロも大嘴鶏(ココチェヴァーロ)を柵のうちに放してから、ふたりを一番大きな天幕に案内した。

 二人が靴を脱いでお邪魔すると、中はいくらか煙たく、何人かが中心に切られた炉を囲んでいた。

 人族に、土蜘蛛(ロンガクルルロ)獣人(ナワル)と思しき毛に覆われたものもいる。

 

「冒険屋だ」

 

 ミルドゥロは一言そう言い残すなり、そのままさっさと出て行ってしまった。

 土蜘蛛(ロンガクルルロ)の若者が肩をすくめて、ぶっきらぼうな口調を真似して「冒険屋だ」と繰り返すと、仕方ない奴だという苦笑が天幕の内側に満ちた。

 

「えー……あー、どうも。冒険屋の紙月です」

「同じく未来です。《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》から来ました」

 

 二人がなんだかなあと思いながらもざっくりした自己紹介をすると、一番奥に座った人族女性が苦笑いしながら座ってくれと勧めた。

 

「息子が不愛想ですまんね。悪い子じゃないんだが」

「息子さんというと……」

「あたしが依頼主で、家長のガユロだ」

 

 ガユロは骨太な女性だった。やはり年頃の分かりづらい馴染みの薄い顔立ちだが、そこそこ年嵩のようだった。顔に刻まれた皺は深いが、肌の血色はよく、滑舌も良く活力に満ちている様子だった。

 いまは腰を下ろしているからわかりづらいが、立ち上がれば背も高そうである。

 

 ガユロは天幕の中に座った面子を紹介した。

 

「このお調子者の足高(コンノケン)はリコルティロ。手伝いに来てくれた」

「よろしゅう」

「そっちの毛深いのはファルチロ。冒険屋じゃないがあんたらと同じで雇われだ。犬だったか猫だったかね」

「イタチだ。多分な。少なくとも親父はそうだった」

 

 他に紹介されたものはみな人族で、ガユロの家族だった。

 他の天幕にもまだ何人かいるし、外で働いているものも多くいるという。

 結構な大所帯だと思ったが、これはいまの時期だけで、普段はガユロの家族だけだという。

 

「なにしろ人手がいるからね。昔はそれでもうちの人間の方が多かったんだけど、なにしろ若い連中は町に出て行くもんも多くてね、いまじゃ手伝いが頼りさ」

「まあ、俺らも世話んなっとるさかい、こうして手伝いにも来るけどな。そやかて俺らも似たようなもんや。遊牧言うんはもう古い生き方なんかもしれんなあ。若い衆はいつかんわ」

 

 どこでも過疎化というものは深刻な問題らしい。

 それに、遊牧という生き方は、やはり簡単なものではないらしい。

 お調子者だという足高(コンノケン)は嘆くように語った。

 町の生き方が簡単だというわけではないが、遊牧民の生活は常に動き続ける。季節に追われ、家畜を引き連れ、タイミングを見計らって町と交易をする。だというのにその生活はあまり変わり映えせず、景色も見慣れた草原ばかり。

 たまに立ち寄る町の生活の何と華々しいことか。珍しい酒に食い物、男も女も着飾り、楽し気な人々。単に馴染みがないから物珍しく輝いて見えるのだということは頭ではわかっていても、隣の羊は肥えて見えるもの。

 そうしていったん町で生活してしまうと、もう遊牧には戻れないのだ。

 町ではいろんなものが手に入り、手に入ってしまうと惜しくなる。全部は持っていけないのだから、家を構えて動けない。離れられない。

 

「それにな、町で借金こさえてもうて、こらあかん思うて逃げ出そうにも手遅れや。少し乗らんかっただけのつもりが、もう馬に乗れへんねや。ケツの落ち着けどころがようわからんくなるし、馬の方でもなんやこいつてなる」

「年寄りもね、昔は乗れたと思ってても、久しぶりに乗るとだめだよ。覚えてるつもりでも全然さ。それに、身体がついていかない。あたしの親父がその口で、振り落とされて腰をやっちまった。それであたしは必ず毎日馬は乗るようにしてるのさ」

「町の連中は寝台で死ぬんがええらしいけど、まあ俺らはあれやな、死ぬまでは馬の背に揺られてたいわ」

 

 なんだか生々しい話である。

 二人も事務所で根を張っているうちに外に出るのが面倒くさくなって、追い出されるまでだらだらしていたのだ。規模の違いはあれ、あまり笑ってもいられない。

 どのように死にたいかというのはまた別として、冒険屋としてどのようなスタンスでやっていくのか、そもそも冒険屋を生涯のなりわいとするのかどうかということも、考えていかなければならないのかもしれない。

 まだ若いとはいえ、年を取るのはあっという間なのだ。

 

 などということを二人が真面目に考えていたかというと別にそんなことはなく、あんまり実感の湧かないご当地トークにいまいちついていけず居心地の悪さを感じていたのだった。




用語解説

・ガユロ(Gajulo)
 サルクロ家の現家長。人族女性。
 最近の悩みは息子が狩りにばかり夢中で嫁ができないこと。

・リコルティロ(Rikoltilo)
 サルクロ家の仕事を手伝いに来た遊牧民。足高(コンノケン)男性。
 最近の悩みは町の借金取りについに尻尾を掴まれたらしいこと。

・ファルチロ(Falĉilo)
 西部からの出稼ぎ農民。イタチの獣人(ナワル)
 最近の悩みは自分ではイタチだと思っているもののその割に太いなということ。


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第六話 サルクロ家のお役目

前回のあらすじ

移動だけで半分くらいきたが大丈夫か。
ようやく到着した依頼人の家で、生々しい過疎地の現状が。


 昔はああだったよねえと思い出話が始まりそうになってしまったので、紙月は適当なところで切り上げることにした。

 

()()()……俺たちは何を?」

「なんだって?」

「すみませんね。詳しい話を聞く前に出てきちまったもんで、仕事の内容を知らないんです」

「そりゃあつまり、ひとつも?」

「ええ、()()()()()

 

 やけくそ気味ににっこり笑った紙月に、ガユロは肩をすくめた。

 それからパイプのようなものに何かを詰めて火をつけ、少し甘いような香りのする煙を吐いた。

 

「そうかい。じゃあ、まあ、昔話ついでにうちの、サルクロ家の成り立ちから話そうじゃないか」

 

 ガユロが煙混じりに語ったのは、大昔の話だった。

 サルクロ家はずっと昔は、他の遊牧民たちと同じように、家畜を引き連れ、平原を旅してまわっていた。

 

「まあ昔ったって、何百年くらいさ。帝国はもうすっかり形になってたし、アクチピトロだってそうさ」

 

 二人からすると百年二百年でも大昔だと思うのだが、この世界はなんでもスケールが大きいような気がする。この世界にはこの世界の歴史があって、それは二人には想像もできないくらい長く複雑に続いてきたのだろう。

 

「遊牧民てのはねえ、まあ、大人しい連中じゃなくてね。足高(コンノケン)どもと仲良くするようになったのだって最近だし、人族同士だって、決して仲がいいもんじゃなかった。なにしろ家畜に食わせる牧草は限りがあるんだ。豊かな草地を巡って争うことは毎年のことだったそうだよ」

 

 いまだって、その争いはなくなったわけではないという。

 お互いの家を皆殺しにするまで終わらない、なんて血なまぐさいことはなくなったにしても、人死にが出る争いはいまも少なからずあるそうだった。

 人の手のはいる農業でさえ、日差しひとつ雨ひとつで豊作にもなれば不作にもなる。全く自然のものである牧草などは実り豊かである方が稀なくらいだという。

 

 良い草地を奪い合い、互いの家畜を奪い合い、時には嫁を奪い婿を奪い、遊牧民たちの歴史は複雑に織りなされる血の織物だった。

 

 そう言った奪い合いに倦み疲れたサルクロ家は、大叢海に目を付けた。無限に広がるようにさえ見える大叢海の草を家畜に与えることができれば、自分たちはもっと豊かになれるのではないかと。

 しかし大叢海はアクチピトロの、天狗(ウルカ)たちの支配圏。迂闊に手を出せばどんな恐ろしい目に合うかわからない。

 

 サルクロ家の先祖は交易にやってくる天狗(ウルカ)たちに服従を誓い、大叢海の草を刈り取る許しを求めた。

 そして意外なことに、それはあっさりと認められ、むしろ定期的に刈ることを役として課された。

 

 大叢海は、常に拡がり続ける。だから刈り取って押しとどめなければならないと天狗(ウルカ)は言ったのだという。

 天狗(ウルカ)たちからすればそれは領土が増えることではないかといえば、それは正確ではないのだとのことだった。

 いくら大叢海が広がっても、それは海の水が拡がるのと同じで、天狗(ウルカ)たちにしても棲み処として実質的に支配しているのは点々と広がる島々なのだという。

 大叢海が拡がり過ぎればいよいよ手は回らなくなるし、もしも人里まで及んでしまえば、交易相手が海に沈んでしまうのと同じことなのだと。

 

 そんなことは彼らも望むところではなく、外縁に住まう天狗(ウルカ)達が折を見ては火を放って焼き払い、広がり過ぎないように見張っていた。しかし焼くだけ焼いてもそれは天狗(ウルカ)にとって直接の利益にはならないし、暑いし疲れるばかりでまったく楽しい仕事ではないのだという。

 だから欲しいというならいくらでも刈り取って欲しいし、むしろ刈り取ってくれれば便宜も図ってくれると天狗(ウルカ)は言ったそうだ。

 

 こうしてサルクロ家は大叢海のほとりに住まうことを許され、草刈り業務を委託された。

 また、サルクロ家に続いていくつかの家も同じように服従を誓い、大叢海のほとりで役目についた。

 彼らは日々草を刈り取って、そのまま、あるいは干して家畜たちの餌にし、また編んで様々な日用品を仕立て、生活の多くに役立てた。

 干し草が豊富に溜め込めれば、遊牧民たちとの交易に回して彼らの過酷な冬を助け、争いを避けることもできた。

 そうしてそれでもなお余る草は焼き払ってしまうのだ。

 

 毎年毎年、日々の分に困らないだけの草が刈り取れ、そして困り果てるほどの草を焼き払ってきたのだという。

 過疎化の進む今では、孫請けの日雇い労働者まで雇って草を刈り、焼いているのだと。

 昨年は天候も素晴らしく雨も多く、大叢海の拡がる速度が速く、また伸びる草も青々と茂って旺盛であるため、方々に声をかけて手助けを求めたから、こんなにも大所帯になっているのだそうだった。

 

「ははあん。つまり俺たちにも草刈りやら野焼きやらをしろってんですね」

「まあ、そういうことさね。ここ最近はアドゾんとこの連中を借りてたんだけど、なんでもあんたは凄腕の魔術師だっていうじゃないか」

「いやあそれほどでもありますけど」

「なんでも小鬼(オグレート)を焼いて地竜も焼いて山も焼いて海も焼いたとか」

「放火魔かな?」

「破壊神かも」

「どっちでもいいさ。どんどん焼いてもらおうじゃないか」

 

 何でも毎年、焼けば焼いた分だけ追加料金が出るというから、紙月としてもやる気がムンムン湧いてくる話である。

 

「やっぱり放火魔じゃない?」




用語解説

・野焼き
 大叢海は現在も拡がり続けており、空気が乾いて草も燃えやすい年明けの頃に盛大に野焼きする風習がある。
 たまに観光客が見に来るが、思ったより地味という感想が多いとか。


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第七話 草刈り

前回のあらすじ

語られるサルクロ家の歴史と、野焼きの仕事。
タイトルが「納屋を焼く」とかでなくてよかった。


 野焼きは空気も乾燥し、草も乾いて燃えやすい今の時期に毎年行っているそうだ。

 サルクロ家もそうしているし、他の野焼きを担わされた家も同様だ。

 毎年毎年欠かさずに草を焼き続けてきた。

 年に一度の野焼きだけではなく、毎日のように草は刈る。草は毎日伸びて広がるものだし、家畜たちも毎日草を食べるからだ。家畜に食べさせるだけでなく、日常の様々な品にも使うから、その分も刈り取る。

 それでもなお、余るのである。

 

「単純に草地を広げたくないってんならやっぱり焼くのが一番手っ取り早いんだよ。でも大叢海の草ってやつはどうにもしぶとくってねえ」

 

 見た目は丈の長い雑草としか言えないのだが、この雑草が、しぶとい。

 葉も茎も強く硬く、なかなか刃を通さない。その上、根は深く地中を貫き、これを引き抜いたり、土をかきおこして引き裂いたりしないと、またそこから生えてきてしまう。

 焼いたところでこの根が残って復活してしまうなんてのはよくある話。焼くにしてもまあ生命力の旺盛な草だから、この時期であってもなかなか燃えてくれない。

 時にはわざわざ油をまいて燃やさなくてはいけないのだそうだ。

 

「まあ実際見てみりゃあすこしはわかるだろうさ」

 

 ガユロに連れられて天幕を出れば、やはり外には青々と茂る大叢海が見える。

 そちらへのんびり歩いていくのだが、どうにも、なんだか、おかしい。

 すぐそこに広がっているように見えた草原が、遠い。

 大叢海のほとりで作業しているらしい人影が妙に小さい。

 遠近感が狂ってしまったようだと思ったが、あるいは狂っているのは現実の方かもしれない。

 

 丘をゆっくりと下っていくと、ようやく大叢海の姿がわかってきた。

 

「この辺りは浅瀬も浅瀬、まだ背の低い若い草だよ」

 

 ガユロがいう浅瀬とやらは、鎧姿の未来よりもほんの少し低いかなといった丈の草原で、それがどこまでも続いている。見渡す限り地平線までが、ずっと続く青々とした草原だ。それが風を受けてはうねり、まるで本当の海の波のように輝いていた。

 

 触れてみると草はしなやかで、丈夫だった。ギザギザとした葉を持つものなど、まるでのこぎりの様で、指を滑らせればすっぱりと切れてしまいそうである。

 ガユロも気を付けるように言った。

 何も考えずにこの草むらに分け入っていくと、服などはあっという間にぼろぼろになってしまい、肌も切れてあっという間に血まみれになってしまうほどだという。

 そうして不用心に血の臭いなど漂わせていると、大叢海に住まう生き物たちに嗅ぎつけられ、たちまちのうちに食われてしまうのだという。まるで鮫だ。

 

「このあたり、あたしらが立ってる辺りのほんとに柔い草なんかはね、まあ波打ち際だよ、言ってみりゃ」

 

 ガユロは実際に海というものを見たことはないそうだったが、成程言いえて妙である。

 いま二人が立っているところは、少し前に草を刈ったばかりだというが、それでも足首くらいまでは柔らかな草に覆われていて、まるで毛足の長い上等な絨毯の様でさえある。

 このくらいであれば、寝転んで昼寝するにもよさそうだが、なんでも昼寝して起きたら海に沈んでいた、なんていう話が残っているくらい大叢海の草は伸びるのが早いという。

 

「まあそこまで極端じゃないけどね」

 

 このくらい背の低い波打ち際であれば、家畜もそのままついばんで食べるという。ものによっては、茹でたりして人が食べる野草の類もあるのだとか。

 しかし浅瀬くらいまで伸びてしまうとさすがにそのままでは家畜も食べず、刈り取って干し草にして砕いてやったり、加工が必要になってくるそうだ。

 

 ごらん、とガユロが指差した先では、若衆が大きな鎌をもって草刈りに励んでいた。まるで死神の持つ鎌のようだ。その死神の持つ鎌というものも、元々農夫が使う大鎌から来ているのだそうだから、正しい使い方だが。

 邪魔にならない程度に近づいて見てみると、大鎌は長い柄の端っこに一つ、真ん中あたりにもひとつ取っ手がついている。片手で端の方の取っ手を、もう片手で真ん中の方の取っ手を掴み、鎌の刃を地面すれすれを通るように、腰を使って大きく横に振るう。

 そうするとすぱすぱと面白いように草が円弧状に刈り取られる。これを繰り返して、少しずつ前進していけば、直線上の草が刈り取られていくというわけだ。

 

 若衆は浅瀬を削るようにして草を刈っているようで、彼らが頑張る度に確かに大叢海は少しずつ狭められている。

 紙月が面白そうに眺めて、無邪気に「頑張ってくださーい」などと手を振って応援するものだから、若衆はこぞって鎌を振るい、さわやかな笑顔で汗を流した。そして力尽きた。大鎌は、体力を使うのだ。

 

「紙月ってさあ……わかっててやってるときあるよね」

「からかうのが楽しいのは否定しない」

 

 悪いエルフだ。

 未来は呆れて肩をすくめたが、紙月には悪びれた風もない。

 

 近くで見ていると、大鎌の活躍は目覚ましいものに見えたが、少し離れて見てみると、無限とも思える大叢海からすればそれはほんのささやかな抵抗に過ぎなかった。海の水を掬って減らそうとするようなものだ。

 この寒い時期に、上着を脱いでもろ肌をさらして鎌を振るう若衆は、湯気さえ立てているように見える。大鎌を振るう内にあっという間に熱くなり、しとどに濡れた汗で肌を光らせながらの重労働となる。それでも果ては見えないのだ。

 

 それにすぱすぱと簡単に切れるように見えるが、それは鎌の鋭さと重さ、そして遠心力があってのこと。大叢海の強靭な草を相手には鎌の刃もすぐに鈍ってしまい、また若衆の体力も続かず鎌のふりも小さくなってくるから、なお切れなくなる。

 それで、あちこちで鎌を研ぐものや、焚火の傍で休むもの、またその間に刈り取った草を運ぶものなど、常に人が動いて忙しない。

 

 そしてまた、刈り取った後の波打ち際のあたりで、今度は馬たちが働いている。大嘴鶏(ココチェヴァーロ)たちだ。

 ミルドゥロも乗っていた、精悍な顔立ちの大嘴鶏(ココチェヴァーロ)で、遊牧民たちが使っているものよりも足が太くしっかりとした体つきをしている。それが(すき)をひいて地面を掘り返していた。

 畑であればこれは、田打ちや田起こしなどといって、ようはトラクターで田んぼを掘る作業だ。

 

 農業スキルで無双する話ではないのでそのあたりは割愛するが、サルクロ家の場合では単に雑草を根から引き千切る作業なのだった。ここまでしてようやく、少しの間大叢海が拡がるのを防げるのだ。

 

 ここいらは干し草や日用品に使う草を刈っているあたりで、野焼き場はまた少し離れていた。

 ガユロに連れられて行ってみれば、確かに黒っぽくなった焼け跡が拡がっていたが、あまり広くはない。

 ごらん、とガユロが松明で実際に火をつけてみてくれた。

 油をまいてあったらしく、浅瀬の草を火があっという間に覆った。

 それはぱちぱちと音を立て、黒い煙をあげながら燃え広がっていくのだが、油のかかったところを越えて、ほんの少しもすれば、火は徐々に弱くなってしまう。

 

「乾いた冬でもまだ水気が多いから、火をつけたってこんなもんさ。森の神の加護でもあるのかもしれないね。油代も馬鹿にならないけど、まあやらないよりはましさ。学者の話じゃあ、何だったかね。根もある程度は焼けるし、土ン中で呼吸ができなくなるとかでね」

 

 肩をすくめるガユロの視線の先で、ついに火は消えてしまった。ほんの数メートルばかり燃え広がってそれで終わりだった。

 

「フムン。野焼きってのはあんまり環境に良くないらしいが、そもそも植物に伸びてほしくないってんだから、むしろ環境との勝負だな」

「大気汚染とか、まだ先っぽいもんねえ」

 

 エコだとか環境汚染だとか、考えていかなければならないのだろうが、クリーンな手段を模索しているうちにグリーンな環境に人里まで覆われてしまうかもしれない。この世界では、少しばかり常識が違うようだった。

 

 しかしこんなに草が生えるんならタマにとっては食べ放題かもしれない、などと思いついた紙月は、早速ガユロに許可をとって、タマを放牧してみた。

 波打ち際の短く柔い草ばかり食べられては困るが、タマはむしろ積極的に浅瀬に潜っていき、もっしゃもっしゃと丈の長い草をはみ始めた。なんなら根まで掘り起こして食べるし、掘った土まで食う。

 

「エコな解決法じゃないか?」

「バイオハザードにならなきゃね」

 

 映画ならこの後、制御できなくなるのが定番ではあった。




用語解説

・浅瀬
 大叢海はしばしば海にたとえて説明されることがある。
 浅瀬や波打ち際があれば沖という言い方もあるし、点在する巨木や隆起した岩地などは島と呼ばれる。
 沖に出れば深いところもあり、水深ならぬ草深が数メートルというところが多く、時には恐ろしく深い海溝じみた草溝もあるという。
 これは支配下に置く天狗(ウルカ)たちでさえも把握できておらず、いまなお謎の多い土地なのである。

・草
 現地の人間もざっくりと草と呼ぶが、単一の品種ではなく、複数種からなる。
 大叢海の中で複雑に混生する他、ほぼ単一種だけが拡がる群生地なども見られ、ススキの海などとして区別される。
 他の地域でもよく見られる一般的な種も多く見られるが、なぜか大叢海では大型化が顕著であり、生命力にも富む。

・悪いエルフ
 とてもわるい。


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第八話 ファンタジーな世界観

前回のあらすじ

旅先で若者をからかう邪悪な魔女。
食事回がない分、タマがやたらと食べるのであった。


 大叢海の果てない広さと、えげつないはびこり方と、地味で苦しい戦いを目撃した二人は、天幕に戻って改めて打ち合わせと、軽い雑談をすることとなった。

 紙月は乳酒を、未来は乳茶を振舞われ、一息ついた。

 未来は近頃、鎧を着たままでも飲食するコツを身に着けたので、鎧姿のままである。

 

 鎧の造りにもよるのだが、大体は面甲を持ち上げたり開いたりできるようになっていて、そこから食べたり飲んだりできるのである。

 近頃は寒さもあって、もっぱら暖かい《朱雀聖衣》を着込んでいた。見た目は真っ赤で、鳥を模した兜に、炎のようにうねる模様のマントまでついていてとにかく派手なのだが、最近は慣れてしまった。何を着てもどうせ目立つからである。

 

 なお、その持ち上げたり開いたりした面甲の中を覗き込んだ紙月は、ノーコメントを貫いた。見えないが見えたのである。神様も作り込んでいないらしい。

 

「あんたら、森の神は知ってるかね」

「あーっと」

「名前だけは知ってます。前に本で読みました」

「まあ、そんなもんだろうね」

 

 未来が記憶を探ってこたえると、ガユロは頷いた。

 虚空天を超えてこの地にやってきた天津神の一柱である森の神は、クレスカンタ・フンゴと呼ばれている。これは現地の言葉で「成長中のキノコ」のような意味合いだという。

 もちろん、他所からやってきた神様なので、ちゃんとした名前があるのだろうけれど、それはわかっていない。わかったとして、発音できるかどうかは微妙だ。

 いったいどういう神様なのかは、一応神話にも多少は残っているのだが、詳しくはわからない。

 この神様が連れてきた従属種である湿埃(フンゴリンゴ)という隣人種ならばある程度は詳しいのかもしれないが、この種族もまた謎が多く、難しい隣人であるから、やっぱり詳細は謎のままである。

 

 ただ、確かなこととして植物全般に関する権能を持ち、この世界がむやみやたらに実り豊かなのもこの神の影響があるのだという。

 

「なんでも伝説じゃあ、大叢海の下にはこの神の欠片だかが埋まってるらしくてね。それでこんなにもっさり生い茂っちまったんだとか」

「もっさり」

 

 神様の欠片なんて言うと不思議だが、クレスカンタ・フンゴという神はなんでも不定形の粘菌みたいな姿をしているそうで、その一部がわかれたものがどこそこに埋まっているというのはメジャーな伝説であるらしい。

 大叢海もそうであるし、湿埃(フンゴリンゴ)の住まう土地もそういう伝説がある。人の立ち入りを拒むような密林なんかもそうだ。実際にどうであるかは謎だが、とにかく緑深いところとなれば自然と紐づけて考えられるような神様ということである。

 一番身近な神様っぽいのに全然信仰されていないどころか厄介がられているのは二人の宗教観からすると全く不思議な話だが。

 

「しっかし、ちょっと見ただけだけど、地平線までずっとあの調子だったからなあ。天狗(ウルカ)の国ってのはどうなってんだか」

「まあ、翼持たぬあたしらにゃ縁遠い土地だけどね、なんでもご先祖様は契約を交わした天狗(ウルカ)に連れられて、アクチピトロを見たことがあるそうだよ」

「へえ、どんなところだったんですか?」

 

 そのご先祖は、アクチピトロの庇護を受けるべく、貢物を用意したけれど、どうやっても大叢海は渡れない。品だけ渡して後は頼みますじゃ誠意がない。契約した天狗(ウルカ)は外縁と交易して割と気さくな方だったから、このご先祖様を連れて行ってくれたのだそうだ。

 

 はじめて空を飛んで大層感動したらしいご先祖様は、戻ってくると微に入り細を穿ち、ひとつひとつ家のものに語って聞かせたという。ほとんど文字というものを使わない遊牧民でありながら、わざわざ町の人間を呼んで、語ったことを全て書き残させたというくらいだから、それがどれほどのものだったのか知れようものである。

 

 語るところによれば、大叢海はまさしく海の如く広く、どちらを見ても果てというものが見えなかったという。沖に出てしばらく飛ぶと、突き出た岩地や、それだけで村を覆えてしまうような巨木が時折みられ、天狗(ウルカ)はそれを島と呼んでいた。

 その島には枝の上に家が建てられ、地に足をつけることなく暮らす天狗(ウルカ)達が数多く見られたという。

 

 天狗(ウルカ)の羽でも一飛びとはいかず、そのうちのいくつかで宿を取り、ご先祖様もその隅にお邪魔させてもらったという。

 樹上の家はみな枝葉を器用に組み上げたもので、風通しはよく、見晴らしも良く、しかし翼持たぬ者には過ごしづらくもあったという。

 驚くべきことには、木の上だというのに集められた石でもって炉が切られており、火を使うこともできたという。ただ、それらはもっぱら調理のためにだけ用いられ、鍛冶などは全く行われていないようだった。これは遊牧民も同じである。

 

 島に住まう彼らが地に足を下ろすこともあって、それは草むらの海の中に点在する水の泉だった。湿地のように草と水が入り混じるところもあれば、深さのある泉もあり、また時には川が流れることもあった。

 これらは大叢海の草むらを泳ぐ生き物たちにとっても命の水であり、そのうちのいくつかを、天狗(ウルカ)たちは柵で囲い水場として管理しているとのことだった。

 

 こうして絶景を超えていくと、大叢海の中心には巨大な台地が存在していたという。そのあまりにも大きいことといったら、その上に森があり湖があり川があり、流れ落ちる川は滝となり、しかしてその水は地表に辿り着く前に霧散してしまうほどだったという。

 ご先祖様はそこに立ち入ることを許されなかったが、彼らの王はそこに住まい、王都を築いていたという。

 

 不遜なる天狗(ウルカ)たちは、その王の島を世界の()()、つまり中心であると称してはばからないが、その自然の威容を目にしてしまうと全く反論も湧いてこなかったという。

 

 二人はガユロの語る天狗(ウルカ)の国に思いをはせると同時に、今回こういう話ばっか続いて肝心の仕事は片手間で終わるのではなかろうかとうっすら不安に思うのであった。




用語解説

・《朱雀聖衣》
 ゲーム内アイテム。火属性の鎧。
 いくつかの高難度イベントをクリアすることで得られる素材をもとに作られる。
 炎熱属性の攻撃に対して完全な耐性を持つほか、純粋な防御力自体もかなりの高水準にある。
 見た目も格好良く性能も良いが、常にちらつく炎のエフェクトがCPUに負荷をかけるともっぱらの噂である。
『燃えろ小さき太陽。燃えろ小さな命。炎よ、燃えろ』

・森の神クレスカンタ・フンゴ(Kreskanta-fungo)
 犠牲者その三だが、本神はまるで気にしていない。
 好き勝手やっていいという契約で、ウヌオクルロが耕した大地に降り来たり、植物相を広げてテラフォーミングをおおむね完成させた。
 不定形の虹色に蠢く粘菌とされ、人の踏み入れることのできない大樹海の奥地で眠りこけているという。
 森に住まう隣人種湿埃(フンゴリンゴ)(Fungo-Ringo)の祖神。

湿埃(フンゴリンゴ)(Fungo-Ringo)
 森の神クレスカンタ・フンゴの従属種。巨大な群体を成す菌類。
 地中や動植物に菌糸を伸ばし繁殖する。
 子実体として人間や動物の形をまねた人形を作って、本体から分離させて隣人種との交流に用いている。元来はより遠くへと胞子を運んで繁殖するための行動だったと思われるが、文明の神ケッタコッタから人族の因子を取り込んで以降は、かなり繊細な操作と他種族への理解が生まれている。
 群体ごとにかなり文化が異なり、人族と親しいものもあれば、いまだにぼんやりと思考らしい思考をしていない群体もある。

・世界のへそ
 アクチピトロの天狗(ウルカ)たちが勝手に呼んでいるだけだが、実際に東西大陸の丁度中心辺りに所在。
 見た目も絶景で、運よく天狗(ウルカ)に招かれて目にした人たちはみな「これで天狗(ウルカ)が住んでなけりゃなあ」と絶賛するとのこと。

・今回
 今回というか、今回も。


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第九話 放火に来ました

前回のあらすじ

「今回こういう話ばっか続いて肝心の仕事は片手間で終わるのでは」という読者の懸念が現実味を帯びてくるのであった。


 ガユロは語り終えると、乳酒を飲みながら改めて二人を眺めた。

 その目がどうにも値踏みするような色を隠せなかったのは仕方のないことだろう。

 

 鎧を着こんだままの未来はいかにも立派だが、しかしその中から聞こえてくる声はどうにも若いというか、幼い。見た目が威圧的な鎧姿だけに、その口調が丁寧で、いくらかあどけないのも、どうにもちぐはぐだ。

 そして紙月ときたら、いつもの魔女装束に、いかにも金のかかっていそうな派手なコートであるところの《不死鳥のルダンゴト》を着込んでいる。どう見たって荒事に慣れているようには見えなかった。

 アドゾから事前に聞いていなければ、どこかの貴族か商人の令嬢が、護衛を連れて物見遊山にでも来たのかと思ったことだろう。

 

 二人はこういう視線には慣れていた。

 噂だけで二人を知っているものは、実物を見ると大体疑わしそうに、あるいは好奇の目で見るものだった。

 

 未来などはいかにも強そうな見た目なのでそう絡まれることはないが、紙月などは一見して華奢で力強さなどない。それに、まず見目がよいし、服の仕立ても良いし、金払いも良く、といかにも金になりそうなのだ。

 二人はこの世界では奴隷というものを見たことがないし、実際帝国では奴隷の売買や所持を明確に禁じる法がある。しかしそれでも、借金のかたに娼館に売られるなどということはよくある話だったし、金持ちや身分あるものが危険な趣味に入れ込むこともない話ではない。

 紙月が当初冗談交じりに口にしたように、誘拐されそうになったのも実は一度や二度ではない。

 軽いナンパや、いくらか強引に物陰に連れて行こうとするものも含めれば結構な数に上る。

 

 人通りが少なくなったほんの一瞬を見計らって路地裏に引きずり込んだ手練れの犯行もあったし、酒を奢ると言って何かしらの薬物を仕込んだものさえいた。

 まだ自分の外見というものをよく理解していなかった当初は、紙月は割とあっさりそう言った手合いに引っかかってさらわれて青くなったことがあり、冗談では済まない事態にも陥っていた。いくつかは未来に助けを求めたり、不審に思った未来が探しに来てくれて解決したこともあったし、あんまりヤバすぎて未来にも言えていないこともあった。

 

 幸いにもトラウマになりそうな事態に陥る前に、そう言った手合いを比較的穏当な手段で解決していき、それもまた噂になったのでいまではスプロの町の犯罪率自体が大幅に低下してはいる。

 それでも紙月は歩く道を気を付けるようになったし、知らない人からの酒は断るか、かならず魔法で対処するようになった。未来に滅茶苦茶怒られたのである。

 

 さらいやすそうというと、鎧を脱いだ未来もいいカモのようには見える。

 身なりはよく、言葉遣いや仕草にも行き届いた教育が感じられ、愛嬌もあるし、紙月同様金払いがいい。それに獣人(ナワル)だ。

 

 隣人種たちが共に暮らす帝国では、種族間での差別があまりない、ということになっている。

 しかし、例えば土蜘蛛(ロンガクルルロ)天狗(ウルカ)を嫌うように、天狗(ウルカ)が他の種族を侮るように、まったく平等というわけではない。違うものが同じところに生きている以上、そうなるのだ。同じ種族でさえそうなるのだから。

 

 その中でも獣人(ナワル)という種族は、ある種の嗜好を持った人間に需要が高い。

 また帝国では比較的数が少ないことから、希少性があるとして高く取引もされる。

 その獣人(ナワル)の子供が一人で出歩いているとなると、金貨袋がよちよち歩いているようなものである。

 

 ただ、未来の場合は紙月とは違い、警戒心が比べ物にならないほど高い。なにしろ少し前まで防犯ブザーをランドセルにぶら下げ、道行く人に先制挨拶で気勢をそいできた人間不信予備軍の小学生である。

 知らない人から物は受け取らないし、知っている人から受け取った食べ物でもその場では食べずに持ち帰るし、道を聞かれても断固として案内まではしないのが未来である。

 その上、鼻も利くようになってからは見えないところの気配も感じ取れるようになったし、実力行使に出られても普通に自分で解決できる比較的穏当な暴力の持ち主なのである。

 

 おかげで今となってはスプロの町で二人を狙うのは飛び切りの阿呆か、事情を知らない余所者の二択になってしまっていた。

 ゼロにならないのが悲しいところだ。

 

「アドゾの紹介とはいえねえ。実際どうなんだい」

 

 ガユロは値踏みをやめて、ざっくばらんにそう切り出してきた。

 アドゾは二人の所属する《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》の所長であるおかみさんだ。そのおかみさんとガユロは既知己であるらしいが、森の魔女と盾の騎士、《魔法の盾(マギア・シィルド)》の二人に関しては詳しくないらしい。

 などということを考えて、二人は誰もが自分のことを知っているようなつもりでいたことを恥じた。そりゃそうだ。知らない人は全く知らないだろう。

 

 大嘴鶏食い(ココマンジャント)の件もあって、遊牧民の間にも少しは噂が流れるようになったらしいが、スプロの町でさえうわさ話に尾ひれがついているのだ。

 そりゃあホームであるスプロの町や近郊ではその名も知れ渡り、恐れられもするが、伝え伝えて遥々大叢海のほとりまで伝わってきた噂などというものは、話半分どころか一分でも信じられればいい方だろう。

 

 いや全くその通りで、今までどこに行ってもある程度は噂が流れてしまっていたし、何ならそれで恐れられもしたし崇められもしたので、どうにも調子に乗っていたようである。

 

 すっかり恥じ入った二人に、ガユロは困ったように笑った。

 

「いやね、別に侮る訳じゃあないよ。アドゾからも腕はいいって聞いてるし、噂になるってことは少なくともそれだけのことなんだろうさ。あんたらにもぜひ働いてもらいたいし、賃金だって払うさ。ただまあ、なんというか、ねえ」

 

 ガユロはパイプをふかして、口の中で煙を転がした。

 

「追加報酬の話なんだよ」

「追加報酬?」

「基本の賃金は決まってるんだ。もう取り決めてある。その上で、歩合制っていうのかね。焼いたら焼いた分だけ払うってのがあるんだけど」

「おお!」

「実はそれを払えそうにないんだよ。だからそんなに頑張らなくていいというか」

 

 はて。紙月は小首を傾げた。

 追加報酬があればうれしいが、もとより考えていなかったことだから、貰えなくてもそれはそれでいい。

 しかし急に払えなくなったというのは何かのトラブルだろうか。

 いぶかしむ紙月にガユロは手を振った。

 

「いや、いや、面倒ごとがあったわけじゃないよ。むしろあたしらにはいいことでね。少し前にふらっとやってきた魔術師がいて、そいつがびっくりするくらい働いてくれたもんだから、そっちに払う分で手一杯なのさ」

「魔術師?」

「まあそいつも結構な腕前でね。だから、あんたらがたくさん焼いてくれても、そりゃあたしらは助かるけど、でも払えるもんがないのさ」

 

 申し訳なさそうに言うガユロに、紙月も朗らかに笑った。

 そういう事情があるのならば、仕方がない。金に困っているわけでもないし、むしろちょっとした小金持ちなのだから、ボランティアのつもりでもいいくらいだ。

 なので紙月は笑って答えた。

 

「いえいえ、俺は気兼ねなく放火したいだけなので」

「大分まずい言い方だよねそれ」

 

 犯罪者のそれであった。




用語解説

・《不死鳥のルダンゴト》
 ゲーム内アイテム。女性キャラクター専用の炎属性の装備。
 蘇生アイテムである《不死鳥の羽根》を素材にするという特殊な装備。
 装備したプレイヤーが死亡した際に全体《SP(スキルポイント)》の五割と引き換えに《HP(ヒットポイント)》を全快にして蘇生させる。
 《SP(スキルポイント)》が足りない時は蘇生しない。
『不死鳥は死なぬわけではない。死んで、そして生き返るのだ。その魂は、不滅だ』

・比較的穏当な手段
 「幸いにも死者は出ませんでした」。

・比較的穏当な暴力
 「人間には二百十五本も骨があるのよ! 一本ぐらい何よ」。


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第十話 魔術師、現る

前回のあらすじ

言い方はあれだが、「暇なので放火しに来た」は事実である。



 さあ早く気兼ねなく放火してえな、とは別に思わなかった紙月だが、しかし気になるのは魔術師とやらである。

 ガユロと話しながらも、紙月は魔術師とやらのことが気にかかっていた。

 紙月も見たように、大叢海の草は生命力に富んでいて、少しの火ではかえって火の方が負けてしまうほどだった。油をかけて火をつけてもあれなのだから、紙月の《火球(ファイア・ボール)》でも、何度も何度も焼かねばならないだろうなとそう考えていた。

 そこにきて、結構な範囲を焼き払った魔術師がいるというのである。

 気にならないはずがない。

 

 スプロの町の人々、特に《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》の冒険屋たちなどはすっかり慣れてしまったが、もともとは紙月が魔術を使う度に誰も彼もが驚くほど、《技能(スキル)》によって引き起こされる現象は強力だった。

 あちこちで非常識だと言われてきたし、おとぎ話や伝説のようだと言われたことも一度や二度ではない。

 何度か魔術を使えるものを見たこともあるが、あくまでも魔術を少し使えるという程度で、専門の魔術師ではなかった。それはほんのちょっとした傷を治すものだったり、風を操って船の帆を押すようなものでしかなかった。

 

 そのことから紙月は、この世界には魔術だとか魔法だとか、またそれらを使う魔術師だとか魔法使いだとか言われるもの、存在はするにしても、実用に足るものはほとんどないのではないかと考えていた。

 時折聞く優れた魔術師の話といえばほとんど紙月の噂話と同じようなもので、かなりの尾ひれがついている。しかし尾ひれがつこうが火のないところに煙は立たずというし、いることはいるのだろう。ただ、きっとものすごくレアな存在なのだ。

 帝都には大学があり、そして魔術を教える講義もあるというから、あるいはそう言った場所には優れた魔術や、魔術師が存在するのかもしれない。

 

 紙月は魔術師というものと一度きちんと話をしてみたかった。

 きちんとした、まっとうな、この世界の理屈で育った魔術師とだ。

 紙月はラベルの上では優れた魔術師ということになっている。しかしその実は、正体不明の上位存在に《技能(スキル)》とかいうものを与えられたに過ぎない。それを十全に使いこなし、応用までしてのけるが、それはあくまでも自分の体の使い方を学んでいるようなものだ。

 この世界にはこの世界なりの魔法の理屈とでも言うべきものがあり、この世界の人々はそれにのっとって魔法を使っているはずなのだ。

 

 知りたい。

 是非ともそれを知りたい。

 そして身につけなければならない。

 紙月は常々そう考えていた。酒が入っていなくて、寒さに震えていなくて、ほどほどに理性的なときは。

 

「しかし、なんです。その人は雇われてきたんじゃあないんですか?」

「いやね、急にふらっとやって来たのさ。妙な乗り物に乗ってやってきて、それで大叢海を渡りたいって言うのさ」

「大叢海を?」

「そうさ。なんでもアクチピトロに用があるみたいな口ぶりだったね。しかしいくらなんでも無理だからね。あたしらもここを突っ切る術は持ち合わせていないし、準備もなしに突っ込めば死ぬだけさ。運よく天狗(ウルカ)がやってきたら、ひれ伏して頼んでみたらどうだいって一応言ってみたんだがね」

「嫌だって?」

「嫌も嫌、鳥どもに下げる頭はない! なんて怒っちゃってさ。はあ、まあ、そりゃ天狗(ウルカ)も好かれる連中じゃないにしても、ずいぶん嫌われたもんだね」

「あはは……」

 

 天狗(ウルカ)嫌いは、以前の一件で聞いていたが、そこまで嫌う人もいるものか、と二人は顔を見合わせた。

 関わると面倒くさい、上から見下してくるので鼻につく、そう言った嫌い方は見てきたが、はっきりそこまで拒絶するというのはなかなか見ない。人里まで出てくる天狗(ウルカ)は変わり者で、住みつくものは大分大人しいということかもしれないが。

 いい奴だっているのにな、と思い出したのはちびっこ天狗(ウルカ)である。スピザエトといったあのこまっしゃくれた天狗(ウルカ)の子供は今頃どうしていることか。

 

「そしたらまあ、こんな草むら程度、ひとまとめに片づけてくれるわとかなんとか言って、本当に瞬く間にあたり一面火の海さ」

「へえ、そんなに!」

「まあ大言壮語するだけはあったけど、それですっかり魔力を使い果たしちまったみたいで、いまはぶっ倒れて休んでるよ」

 

 その凄まじかったという魔術の跡を見せてもらったが、なるほど大叢海を焼き払うだとか大きなことを言うだけあって、かなり広範囲の草が燃え尽きて焼け跡を残していた。

 その範囲は、家畜の柵も含めてサルクロ家の村全体よりもなお広いかもしれない。

 軽く見渡す限りがそのように焼け跡と成り果てていたために最初は気づかなかったが、少し距離をとって見てみると、恐らく魔術を使っただろう点を中心に、半円を描くようにして、大叢海が綺麗に黒く削り取られていた。

 

「はあ……こりゃまた綺麗に焼いたもんだな」

「紙月も出来そう?」

「そう聞かれちゃあ、できないとは言いたくねえけど」

 

 実際にやろうと思うと、紙月の魔法はあまり融通が利かない。《火球(ファイア・ボール)》は強力だが、あくまで火の玉を飛ばす魔法なので、当たった場所は燃えるが、延焼しづらいこの草では何発も何発も近くに重ねるようにして放たなければいけないだろう。

 結果として同じような光景は作れるかもしれないが、瞬く間にとはいかないだろう。

 初等の魔法《技能(スキル)》は大概使えるが、上級《技能(スキル)》は持ち合わせていない紙月なのだ。

 

 正直なところ、紙月はこの光景を見てちょっとぞっとしたくらいだった。

 炎は極めて均一に草を焼いており、その焼け跡には灰と焦げ跡はあれども形の残るものは何もない。

 瞬く間に、ということは、この範囲をまとめて、瞬間的に極めて高い温度で焼いたということなのだろう。

 その熱気はこの冬空の下でまだ地面に残っており、離れていてもほんのり暖かく感じるほどだった。

 

 せっかくなので見舞いがてら話を聞かせてもらおうと、二人は魔術師が休んでいるという天幕にお邪魔した。

 

「え」

「あ」

「ぬ」

 

 そこにいたのは因縁深い細身の鎧姿であった。

 身にまとうマントは揺れる炎のようにきらめく。

 溶岩をそのまま杖の形に冷やし固めたような艶のない黒い杖には、汲み出してきたばかりのマグマのように輝く宝石がはめ込まれていた。

 その男を、二人は知っていた。

 その男もまた、二人を知っていた。

 

 聖王国の破壊工作員。

 恐るべき炎の魔術師。

 二度にわたり《魔法の盾(マギア・シィルド)》の二人と対峙しながら、いまなお勝負のつかない因縁の宿敵。

 それが転がっていた。

 

 転がっていた。

 無造作に、力なく、転がっていた。

 

 絶えぬ炎のウルカヌス。

 築地のマグロの如くごろんと横たわっての再会であった。




用語解説

・スピザエト(Spizaeto)
 以前《魔法の盾(マギア・シィルド)》の二人が助け出し、保護した天狗(ウルカ)の少年。
 非常に身なりが良く、良いところのお坊ちゃんであるようだ。
 弓を持っていたが腕前は杜撰なもので、年若いこともあってまだ一人で飛ぶのは難しいようだ。

・絶えぬ炎のウルカヌス(Vulcānus)
 聖王国の破壊工作員。
 潜水艦を利用して帝国近海に潜伏し、通商破壊工作を行っていた。
 《魔法の盾(マギア・シィルド)》の二人との戦闘で潜水艦を失った後は、帝国内部の遺跡を巡っていたようだが……?
 正体は不明であるが、名と言いその武装と言い、優れた炎遣いであることはうかがえる。


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第十一話 狂炎、三度

前回のあらすじ

因縁の宿敵、九十度傾いての登場である。


「貴様ら……ッ!」

「ウルカヌス……ッ!」

「ここで会ったが百年目ッ! 今度は容赦などせんぞッ!」

「威勢だけはものすごくいいなッ!?」

 

 盛大に気炎を吐くウルカヌスであったが、口で何と言っても身体は正直なもので、疲れ果てて身を起こすこともできないようであった。

 紙月も鍛錬の一環として《SP(スキルポイント)》が尽きるまで魔法《技能(スキル)》を使い続けていわゆる魔力切れになったことがあるが、この身体は休んでいれば《SP(スキルポイント)》が自動回復するし、装備の効果もあって回復速度が尋常でなく速いので、ここまでぐったりと倒れ込むことはなかった。

 ウルカヌスほどの術者でもすぐには起き上がれないとなると、この世界の人々にとっては魔力切れというのは深刻のようだった。

 

「まあ動けねえってんなら面倒がなくていいや。この間の遺跡で盗んだもんを返してもらおうか」

「盗んだだと? たわけが。あれは我が国が有する施設であり、我が国の正当な所有物だ。簒奪者共が図々しくも所有権を主張しおって!」

「うーん。僕らそんなにこの国の歴史に詳しくないし、興味もないからそう言うのパスで」

「ええいくそ、最近の若者はこれだから!」

 

 最近の若者であることは否定しないが、そもそもこの世界の事情からしてあまり詳しく知らない二人である。冬場は暇な時間などいくらでもあったのだが、じゃあ歴史書でも読むかとなるほどには、二人は世界観とか設定とか細かく読み込むタイプではなかった。

 《エンズビル・オンライン》だっていろいろと設定やらなんやらあったのだが、二人は雰囲気でプレイしていたのでそのあたりにも詳しくはない。

 

 嘆かわしい、ああ嘆かわしい、嘆かわしいと散々嘆いたのち、ウルカヌスは鉛のようなため息をついた。話の通じない猿ども相手に真面目に怒る自分がまずもって嘆かわしいなどとなかなかに腹の立つ一言を付け加えて。

 

「だがまあいい。どうせとんだ外れくじだったのだ。こんなものは好きにするがいい」

 

 ウルカヌスは気だるげにしながらも、雑に腰から短い棒を引き抜くと、それを放り投げた。

 転がるそれを、未来は拾ってみる。

 太さは指くらいのもので、長さは三十センチかそこらだろうか。金属製らしくひんやりとしていて、その表面はつるりとしている。出っ張りや模様などはなくシンプルなもので、どちらが先なのか後ろなのかもわからなかった。

 しばらく手の中で転がしてみたが、金属製にしては軽いなということくらいしかわからなかった。

 

「なにこれ?」

「なにこれとはなんだ、なにこれとは。貴様らが言う遺産よ。忌々しいキノコどもを殲滅するための兵器だったらしいが、未完成どころか試作品もいいところ。研究開発中の理論段階の代物だったわ。おかげで私はこのザマだ。とんだ欠陥品よ」

 

 兵器、と言われて未来は手の中の棒を眺めてみたが、いったいこれをどうしたらどのような効果が出るのか、さっぱり想像がつかなかった。少なくとも、先ほど見たような、一面を焼け野原にするようなすごい棒にはとても見えなかった。

 どうやらこの男は、この地味な棒を使って大叢海を焼き払おうとして、そして魔力切れでぶっ倒れるという醜態をさらしているらしかった。試作品でなおあの範囲を焼き払えるとしたらすごい道具かもしれないが、一回使う度に魔力切れでぶっ倒れてしまうのならば、あの調子では大叢海を突破するのは難しいだろう。いくらなんでも燃費が悪すぎる。

 

「とはいえ、そんな欠陥品でも貴様ら木偶共が百年かけても解析さえできんだろうがな」

 

 鼻で笑う怪人であるが、ごろんと横たわったままなので格好悪い。

 鎧で寝ていて身体は痛くならないんだろうか。この期に及んでその強がりは自分で痛々しくならないんだろうか。などなど、なんだか未来はこの怪人を憐れんでしまった。

 

 まあとはいえ、解析は確かにできないなと素直に認めたのは紙月である。

 未来から謎の棒を受け取って、ひっくり返しながら眺めてみたが、これが何なのかさっぱりわからない。つなぎ目もないし、解体も出来そうにない。

 魔術師というのは賢さが高いはずなのだが、そもそも魔術というものに対する知識なしでそれっぽいものを使っている紙月なので、当然のようにこれがどんな理屈や理論で作られているものなのかさっぱりわからないし、どうやって調べたらいいのかも全然思いつかない。

 なので出来ないだろうと言われても別に悔しくもない。

 そりゃできないなと頷くだけである。

 

 紙月としては別に自分ができないでも構わないのだ。それは、そのうち学べばいいことだ。

 現状で一番確実なのは、帝都の知り合いに放り投げてしまうことだ。色々とトンチキなところはあるが、あれで古代遺跡に詳しい学者らしいので、紙月にはよくわからない解析なんかもしてくれることだろう。

 また無茶振りされるかもしれないが、それも必要経費といえなくもない。

 どうせ冒険というか暇つぶしには飢えているのだし。

 

「ま、返してくれるってんならありがたく受け取るさ。俺もわざわざあんたとやり合いたくはない」

「は、殊勝なことだ。しかし随分と甘いことだな。この私がこんな無防備をさらすことなど、もう二度とないだろう。万全の状態に復活したならば、今度こそ貴様らを焼くかもしれんぞ」

「まあ、動けないあんたをふん縛って、帝都に突き出すのが正しいのかもしれないけど」

 

 未来を見ると、少年も肩をすくめて、頷いた。

 なので、それはするつもりはない、と紙月は宣言した。

 この男が隣国からやってきた破壊工作員で、すでに多大なる被害を出していることは承知の上だが、身動きも取れない無防備な相手を拘束するというのはフェアではないように思えた。

 という精神的な理由ももちろんあったが、どちらかというと、疲れて身動き取れなくなった程度でとっ捕まってくれるほど易しい相手ではないだろうし、何ならこの状態からでも奥の手の一つや二つかましてくるかもしれないので、うかつに手を出したくなかったのである。

 

「今度は何を狙ってるんだか知らないけど、病人に鞭打つのも教育によくないからな。これ飲んではやくよくなるんだな」

 

 遺産とやらを穏当に返してもらったので、そのお返しというわけではないが、紙月はインベントリから回復アイテムを取り出して枕元に置いてやった。《凝縮葡萄ジュース》といって、見た目はガラス瓶に入ったブドウ・ジュースだが、《SP(スキルポイント)》を回復してくれる定番アイテムだ。

 《SP(スキルポイント)》と魔力というものが厳密に同じかどうかはわからないが、それでもないよりはましだろう。

 

 施しは受けぬとかなんとかわめく怪人を置いて、二人は天幕を後にするのだった。




用語解説

・棒
 正式名称『類感性鏡像投射型言詞兵装試製二号』。
 開発名称『ランバー・ロッド』。
 無尽蔵に繁殖を続ける湿埃(フンゴリンゴ)の殲滅のために研究開発されていた兵器。その試作品。
 接触した対象の遺伝子情報を読み取り、対象と隣接する近似の遺伝子情報を持つ生体を「同一の存在」として扱い、対象に加えた損傷を鏡像投射することでそれらすべてを同時に破壊することが可能。
 簡単に言えば、無数に増殖したキノコの一つを攻撃すれば、ほぼ同じ遺伝子を持ち、かつ近くにあるすべてのキノコに対して同じダメージを与えることができるという代物。
 理論構築はなされ、実際に成功もしたが、対象が増えるほどに消費魔力が際限なく増える上に、直接破壊魔法を用いた方が燃費がいいレベルの完成度。
 おまけに実験室内での小規模な実験段階だったため安全装置が付いておらず、使用者の魔力が切れるまで引きずり出してしまう欠陥品。
 一応、投射ダメージは防御不可という長所はある。

 欠点を知らなかったウルカヌスはお試し気分で使ったところ全魔力一気に引き出されて「ぬふん」と昏倒し、脱力してポロリと手放せたために助かった。

・木偶
 聖王国人がしばしば人族に対して用いる蔑称。

・《凝縮葡萄ジュース》
 《エンズビル・オンライン》の回復アイテムの一つ。
 《凝縮葡萄》を材料にして作られる。
 《SP(スキルポイント)》を最大値の五割ほど回復させる。
『これは罪の赦しのために流される血である。飲みなさい。たーんとお飲みなさい』


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第十二話 燃える炎のバカ二人

前回のあらすじ

「くっ殺せ」とは言わせない程度の良心が作者にもあった。


 聖王国の破壊工作員が築地のマグロめいて転がる天幕を後にして、紙月は改めて日の下で謎の棒を検めた。

 極めてシンプルな造りで、そこまで大きくはないがしかし懐に収めるのは難しい、絶妙に邪魔なサイズである。

 何度ひっくり返してみても、継ぎ目の一つも見当たらないので、中身がどうなっているのかもわからない。

 

「うーん……」

「なにかわかった?」

「なんもわからんのがわかった」

「だよね」

 

 ハイエルフの目には、風精とか火精とか呼ばれる、自然の魔力の流れが見える。らしい。

 紙月も人に聞いた話をもとに多分これがそうなんだろうなと思っているが、きちんと学んだわけではない。

 その若干胡散臭くもある目で眺めてみても、この棒には特別な魔力の流れが感じられなかった。誰かの魔力を流すまで発動しないのかもしれないし、あるいはこのつるんとした表面が魔力視とでも言うべき能力を阻害しているのかもしれない。

 

 かもしれないをいくら積み重ねても、わからないものはわからない。

 なのでやはりこれは帝都のあの胡散臭い二人組に任せるのがいいとは思う。

 しかしそれはそれとして、この棒っ切れが気に食わないのは確かであった。

 

 未来はこの棒に対して何も思うところはないようだったが、紙月は違う。

 なんだかよくはわからないが、ウルカヌスはこの棒を使ってあの凄まじい焼け跡を残したらしい。その副作用か何かでぶっ倒れてしまったが、しかし紙月が正直ビビりかけるほどの凄まじい破壊の痕跡を残したのだ。

 それが気に食わなかった。

 

 もっとこう、なんか伝説やおとぎ話に残っていそうな、重厚な質感とか神秘的な輝きとか、そう言うのがあればよかったのだが、ただの棒である。ぱっと見た感じ、安っぽく光るステンレスの棒である。

 古代聖王国の遺産とか言うくせに、見た目は全然すごくないのである。

 百円ショップの文房具コーナーとか、ホームセンターのなんかよく分からん棚に置いてありそうな、この何とも言えず微妙な棒風情が、凄まじい破壊力を持った古代聖王国の遺産だとかいうのである。

 

 こんな棒っきれにできることが、紙月にはできないと思われるのはしゃくであった。

 端的に言って、紙月は負けん気を起こしていた。棒っ切れに対抗意識を燃やしていたのである。

 

 未来は魔法職でもないし、そもそも道具に対して何か思うところはなく、はっきり言ってどうでもいいのだが、紙月にはどうもこういうところがあった。

 紙月のそういう子供っぽい負けん気を、未来は時々かわいいと思うこともあった。十回に一回くらいは。残りの九回はまた面倒くさいこと言いだしたなあという諦めである。

 

 大抵のことは何でもできるので天才肌に思われることもしばしばあるが、古槍紙月は努力の人である。程度の差こそあれ、どんな知識や技術も努力して身に着けてきた。

 多趣味で、その中でも資格を取るのが趣味で、あれこれと手を付けているので飽きっぽいという印象を持たれることもあるが、その腕や知識を錆びつかせたことはない。どれも大真面目に習得し、磨いてきた。

 そのどれもが立派な成績を残してきてさえいる。

 ただ、それがどれも一番ではなかっただけだ。

 どうしても、一番になれなかっただけだ。

 どこに場所を移しても、そこにはそこの一番がいて、叶わなかっただけである。

 

 その紙月が、異世界に転生してきて出会ったのが魔法である。

 魔法は、一番になれた。現状、紙月が誇れる一番なのである。

 神様に与えられたチートとは言え、それを磨き、応用し、常に改善を模索し続けてきた。

 紙月がこの世界のまっとうな魔法を学びたいのも、チート抜きでも一番を狙いたいからだ。

 その大切な一番で、たかが棒きれなんぞに負けるのはよろしくないのである。存在意義にかかわると言ってもいい。

 未来からすると大げさな話だが、紙月にとっては一大事である。

 魔法が弱い紙月など、未来の重りにしかならないのだから。

 

「一発勝負だからな、消費は抑えなくていい……火力重視で……」

 

 古槍紙月は、大人気ない大人だった。

 インベントリを開くと、数あるアイテムを物色し、独りぶつぶつと呟きながら装備を整えていく。

 画面上で装備を切り替えるたびに、未来の前で紙月の服装は瞬時に変わっていく。装備が輝いてかすかな光の粒子が散ったかと思うと、また別の装備になっているのだ。

 便利ではある。便利ではあるが、なにかこう、なんだかこう、納得いかないなあという気持ちでそれを眺めてしまう未来である。変身シーンとはもう少しこう、なんというか、華があってしかるべきというか。

 

 少年のもの言いたげな視線の先で、紙月は準備を整えた。

 両手の指の全てにじゃらりと指輪がはまり、首には三種類のネックレスがバランスの欠片もなく喧嘩しながらぶら下がっている。《不死鳥のルダンゴト》だけでなく、帽子も足元も火属性であることがうかがえる赤ぞろえで、何とも派手な見た目である。

 その手には青白い炎を灯すランタンを吊るした杖を構えており、それに照らされた顔をよく見れば、口紅も常の黒ではなく深紅のそれだ。

 

 趣味の悪い成金か、勘違いしたナンセンス女か、はたまた何かの仮装か。

 はたから見ればそんな感想を抱きかねない滅茶苦茶な格好に、未来は鎧の下で顔をひきつらせた。そのイカレたもといイカしたファッション・センスにではない。見慣れた装備品の示す効果をざっと頭の中で計算したからだ。

 ──ガチのやつだこれ、と。

 全てを全て覚えているわけではないが、しかし見覚えのあるものだけでもえげつない。

 

 首にかけたネックレスの一つ、涙滴型の黒いガラスを下げたそれは、確か《ペレの涙》。火属性の魔法を爆発的に強化する代物だ。

 指輪の一つ、黄色い生花を巻き付けたような《プロメテウスの火》は、火属性攻撃に特殊な延焼ダメージを上乗せする効果がある。

 《野火のサパテアード》は燐火をまとった靴で、火属性攻撃の範囲を広げるもので地味に強力な装備だ。

 重たげに持ち上げたランタン杖こと《イグニス・ファトゥス》は極悪で、相手の弱点を火属性に変えるという放火魔御用達の性能。

 他にも消費《SP(スキルポイント)》を倍にしてダメージを倍加させる装備や、弱点を背負い込む代わりに火属性効果を増加させる装備など、アホほど積んでいる。

 身につけさえすれば効果が発揮されるという、装備枠に制限のあったゲーム時代ではできなかったバグ技を盛大に利用している。

 

「ちょ、ちょっと待って紙月、ゲームじゃないんだからそんな、」

「よーッし、やるか!」

「待っ、」

 

 待って、と言い切るよりも前に紙月は暴走し、そして未来もまた止めるのを諦めて耳を塞いでのけぞった。

 なので紙月がどんな《技能(スキル)》回しをしたのかははっきり聞き取れなかった。

 未来にわかったのは、青々と茂る草原が、一瞬で真っ赤に染まって、一瞬でその赤さえも吹き飛んで、あとには何も残らなかったということだけである。

 

 それでも、自らの起こした爆風で飛ばされかけた紙月の体を、未来は咄嗟に抱き留めた。

 そしてきつく抱きしめた。というのは別にロマンチックな理由からではなく、紙月の魔法による爆轟で吹き飛んだ大気が、一拍遅れて吹き戻ってきたことによる強烈な風に耐えようとしたからである。

 その爆風と吹き返しはすさまじいもので、重たい鎧をまとった未来はともかく、足元も頼りない紙月など木の葉のように吹き飛ばされていただろう。

 おかげで紙月は自分の起こした爆風でもみくちゃにされずに済んだが、その代わりに肉付きの悪い身体が金属の鎧に抱きしめられて、骨が食い込むのだった。

 

「ど、どうよ……」

「ドン引きかな」

「すごいってことだな」

 

 ポジティブすぎる。

 兜の下で顔をしかめながらも、しかし未来は確かに感心もしていた。

 紙月の引き起こした炎、それを通り越した爆発は、土を吹き飛ばした上でなお、ウルカヌスの引き起こした焼け跡よりも広大な範囲を焦土と化していた。決して個人が思い付きで使っていい火力ではないし、間違っても生き物に使ってはいけない破壊力である。

 

「ぬう……木偶の割にはやるようだな……」

 

 爆発音に驚いて天幕から顔を出す人たちの中に、ウルカヌスの姿もあった。

 施しは受けないと言いながらも、さすがにこの騒ぎにはじっとしていられず、《凝縮葡萄ジュース》を飲んで復活したらしい。

 何事かとざわめくサルクロ家や草刈りの雇われたちが遠巻きに眺める中、ウルカヌスは堂々たる足ぶりで二人に歩み寄った。

 その足がやはり抜けきらない疲労にか若干ふらついたので、未来は紙月の視線を若干遮ってやった。やせ我慢は男の意地だと思うのだ。

 

「恐るべき爆炎だと誉めてやろう……だが、この絶えぬ炎のウルカヌスを舐めるなよ!」

 

 まあ、男の美学は美学として、ああこの人もそういう負けず嫌いなんだ、とちょっと生ぬるい目で見てしまった。未来は男の子だったが、そう言う感性としてはあんまりオトコノコではないなと改めて自覚した。なんだか冷めた目で見てしまう。

 

 ウルカヌスが掲げた杖が燐火をまとい、汲み出してきたばかりのマグマのように輝く先石が不穏な光を帯びる。

 未来には、紙月ほど敏感に魔力だとかを感じることはできない。それでも、背筋がざわつき、髪の毛が逆立つような感覚を覚えた。先ほどの紙月の時も感じたので、早くも本日二度目の危険信号である。

 

「《我が怒りは炎である、我が憎しみは炎である、我が敵を焼き尽くす炎である!》」

 

 思わず遠い目をした未来の、その諦めきった視線の先で、振るわれた杖からの炎が大地を一舐めした。

 触れただけで生い茂る草が灰と炭に変わり、大地が焼け焦げ、風が吹き散らされる。

 その膨大な熱を後から感じるほど、それは一瞬で済んでしまった。

 だがその静けさと裏腹に、破壊のほどは紙月の爆発に引けを取らない。

 まるで、焼いて燃やすということの効率を最大限まで追求したような、無駄のない炎。

 それが正確に地上を焼き尽くし、そして炎が去った後もまだその余熱で土中の水分が沸騰していた。

 

 前のめりに倒れ込む、その、まあ、勇姿といっていいのであろうウルカヌスの姿を見下ろしながら、未来は紙月の脱力した身体をぞんざいに地面におろした。

 

「まあ……引き分けってことで」

 

 バカが二人転がる世界の終りのような焼け跡を前に、未来は疲れたように呟いた。

 駆け寄るサルクロ家の人々に、何と説明したものか。




用語解説

・《ペレの涙》
 ゲーム内アイテム。アクセサリ。
 火属性の魔法ダメージを二倍にし、《SP(スキルポイント)》消費も二倍にする効果がある。
 単発の威力は上がるが、消費は変わらないので、火力を集中したい短期決戦向き。
 他の威力増大系と競合しないため、組み合わせ次第では火力が文字通り爆発する。
『女神ペレがひとたび泣き出せば、海をも沸かす噴火が起きる』

・《プロメテウスの火》
 ゲーム内アイテム。アクセサリ。
 火属性攻撃を行うと、数秒間にわたって少量の火属性ダメージを与える『延焼』を付与する。
 魔法攻撃だけでなく、火属性の武器や、属性付与魔法のダメージにも効果が発生するため、使い勝手が良い。
 火属性魔法の延焼ダメージにも《ペレの涙》の効果が出る(仕様)ことに気づいたプレイヤーに濫用される。
『神々は人類が火の恩恵を争いにも用いることを予言した。そして火は世界に燃え広がると』

・《野火のサパテアード》
 ゲーム内アイテム。靴。女性専用。デザイン違いで効果は同じ男性用もある。
 火属性攻撃の攻撃判定を広げる効果があり、単体魔法を範囲魔法に、範囲魔法をさらに広範囲に広げる。
 魔法だけでなく属性武器や属性付与にも対応するため、前衛職が対多数時にお世話になることも。
『踊りましょう、熱く、熱く、燃えるように熱く!』

・《イグニス・ファトゥス》
 ゲーム内アイテム。杖。
 武器性能自体はあまり高くないが、魔法使用時に対象に属性付与し、火属性を弱点にしてしまう効果がある。
 属性付与はレベル差や元々の属性によって効き具合が異なるが、火属性しか使えなくても、苦手な属性の敵を相手にダメージを等倍にまで引き上げられる。
 もっとも、これをドロップする敵は火属性無効なのだが。
『彷徨う鬼火を見てやるな。あれはどこにも行けぬのだ』

・引き分け
 実際のところ、大人気ない紙月に対して、ウルカヌスは《凝縮葡萄ジュース》で最大魔力の半分程度が回復した状態での挑戦だったので、元よりフェアな勝負ではなかったが。


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最終話 ファイト・ファイアー・ウィズ・ファイアー

前回のあらすじ

男にはやらねばならぬときがあるようだが、多分ここではない。


「いやはや、一年分の仕事が終わっちまったよ!」

 

 心底おかしそうに笑うガユロに、未来はただただ頭を下げるばかりだった。

 いまでこそこうしてけらけらと笑っているガユロだが、最初はいったい何事かと大慌てで飛び出してきて、焼き飛ばされた草原の大惨事を目にして青ざめていたのだ。

 サルクロ家の人々や、手伝いにきていた人々もみな恐れおののき、隕石でも落ちてきたのか、神々の怒りにでも触れたのかと一時は恐慌状態だった。

 

 それをなんとか未来が丁寧に何度も繰り返して説明と謝罪を繰り返した結果、ようやくガユロに呑み込んでもらえた。そのガユロが信じられないがと前置きして一同に説明してくれたから、それでようやく場は落ち着いたのである。

 人々は半信半疑ながらも焼け跡を検め、まだ熱気と湯気を立ち込めさせるのを肌でも感じて、すっかり恐れ入ってしまったようだった。

 

 若い連中などは比較的はやく状況を受け入れ、燃え残りの火や、地面に残った熱を使って、チーズや干し肉を焼いて酒など飲み始めており、それを見た年寄りたちも呆れるやら感心するやらで、徐々に落ち着きつつあるようだ。

 

 大惨事と大騒動を引き起こした原因であるバカ二人は天幕で仲良くマグロよろしく横たわっていた。先程までは身動きも取れないくらい疲れ果てているくせに、どちらが上か大いにもめて言い争っていたようだが、それも力尽きてぐったりとしている。静かでいいことだ。

 

「いやほんと、ご迷惑を……」

「まあ、驚きはしたけど、あんだけ焼いてもらえば助かるし、若いのも盛り上がってるんだ。何にも言わないよ」

「すみません。ありがとうございます」

「しかしまあ、あんたの連れも大した魔法使いみたいだけど、一等賞は逃したね」

「へ?」

 

 きょとんとした未来に、ガユロは悪戯っぽく手招きして天幕を出た。

 未来がついていった先には、子供たちがたかっていた。

 なにかにしがみついたり、乗ったりしている。

 なんだろうと近づいていけば、その何かは何とタマであった。

 黙々と草を食べ続けるタマに、子供たちが面白がってじゃれついているのだった。

 タマは子供が何人乗っかろうと重しにも感じないようで、顔の前に草を出されれば食べてやるし、踏みつけそうな場所にくれば鼻先でそっとどかしてやっている。

 飼い主の紙月とは違いどこまでも紳士的である。

 

「え……タマ?」

「あんたらの馬が食った分の方が、焼いた分より広いよ、ざっと見た感じ」

 

 そうして邪魔されながらも、タマはひたすらに草を食べ続けている。大叢海の浅瀬が、もっしゃもっしゃとタマの口の中に消えていく。

 

「ありゃ際限なく食うね。どこに入るんだか。硬い草も食うだけじゃなく、土ごと根っこまで食っちまうんだから、あとで掘り返す手間がなくっていいよ」

「あれからずっと食べ続けてたんだ……」

「ああ、でも、本当に際限なく食われちゃうちで使う分までなくなっちまいそうだから、適当なところで止めておくれよ」

 

 言われて、未来は慌てて駆けだした。

 なにしろ、いまどれだけ食べられるのか飼い主である未来も紙月も全然わかっていないのだ。

 限界があることは一応わかっているが、それだってどこまで信用できるかわかったものではない。

 放っておいたら大叢海を突っ切ってしまってもおかしくはないのだ。

 

 駆けだしていった未来を見送り、残されたバカ二人は気まずい沈黙の中にあった。

 先程までは元気にいい争いもしたが、それが所詮は二位争いに過ぎないとわかってしまったいま、その元気も湧きはしない。

 これが同じ魔法使いが相手であればなにくそと奮起もできるだろうが、相手は亀である。馬である。その実は地竜である。勝ち負けがどうとかいう相手ではない。

 

「あー……《凝縮葡萄ジュース》、さっきのやついるか?」

「要らん。先のは遺産と交換としても、施しは受けん」

 

 答えつつ、ウルカヌスはのっそりと起き出した。

 本調子ではないようだが、きちんと余力は残していたようで、ふらつくこともなく自分の足で立ち上がっている。

 紙月の方も、《SP(スキルポイント)》はじわじわと自動回復しているが、やっと体を起こせるくらいで、立てばさすがに辛いだろう。

 

「もう行くのか?」

「貴様との優劣はどうあれ……あの馬鹿げた草原を力技で抜けるのは無理だと分かったのだ。ここにいる理由もない」

 

 バカげた魔法合戦などしたが、そもそもこの男の目的は大叢海を抜けることにあったのである。

 あれだけの凄まじい魔法の応酬も、お遊びに過ぎなかったのだ。

 

「全く、忌々しい鳥どもを駆逐する手段が、鳥どもの巣の中というのは笑えん話だ」

「なんだって?」

「私も暇ではないのだ。貴様との決着は預けておこう」

 

 踵を返す怪人に、紙月は咄嗟に声をかけていた。

 

「古槍紙月だ」

「……なに?」

「俺の名前だよ。宿敵に名前を教えるってのもいいもんなんだろ」

「いいだろう。覚えておいてやろう……それから悩みがあるなら仲間に相談するのだぞ」

「女装はそういうんじゃねえから!」

 

 紙月の抗議も聞き流して、ウルカヌスは足早に立ち去ってしまった。

 なんだか、妙な疲労がどっと襲ってきて、紙月は気だるい眠気に身を任せるのだった。

 

 

 

 

 

 そんなバカげた騒動を、遥かな空から見下ろすものがいた。

 立ち上る黒煙。焼き払われた草原。

 先程響いた轟音は、その光景が見えぬほど遠くでも聞こえるようなものだった。

 

「おいおいおい……なんだありゃあ。()()()()どもの火にしちゃあ随分でかいじゃあないか」

 

 身にまとう服は色使いも鮮やかで、大叢海では手に入らぬ金銀財宝を悪趣味なまでに身に着けたその姿は、明らかな上流階級を思わせた。

 恐ろしいほどに整った美しい顔立ちは、しかし凶悪な笑みに歪んでいる。

 

「クリルタイなんぞ面倒くさいと思っていたが……なかなかどうして、羽を伸ばしてみるものだな」

 

 ぎらついた目で、天狗(ウルカ)が笑った。

 その風が何をもたらすのか、いまはまだ誰も知らない。




用語解説

・大叢海を突っ切ってしまっても
 実際に地竜が大叢海に突入したという事例が過去にあったようで、アクチピトロには地竜の骨が戦利品として飾られている。
 しかしそれはかなりの犠牲を払ったようで、現在では地竜が大叢海に近づいた時点で哨戒の天狗(ウルカ)が警報を伝え、総がかりで進路変更に臨むという。
 対処しきれず放置して、大叢海を突き抜けて西大陸まで行ってしまったものや、いまもなお大叢海の中をさまよっている地竜もいるとかいないとか。


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第十六章 ドント・ステイ、ユー・アー・スティル・アライブ
第一話 冬は長く、雪は白く


前回のあらすじ

やめろー! 放火は人を傷つける道具なんかじゃねえ!
俺と放火バトルで勝負だ!


 北部の冬は長い。

 一年の内、半分は白い雪の下だ。その雪が解けても、肌寒い春と急ぎ足の秋に挟まれて、瞬く間の短い夏があるばかり。

 

 成人を迎えたばかりの村娘ポルティーニョにはそれが当たり前のものだったが、村の老人たちによれば年々冬は長く、厳しくなっているという。

 年寄りは言うことが大げさだと若者たちは思っていたし、ポルティーニョも少しそう思う。

 

 だってそうだろう。いまだって、吐く息が真っ白に凍り付いて、そのままコロンと落ちてきそうなほどに寒いのだ。毎日のように雪かきをしたって、朝には膝の高さまで積もっているのだ。年寄りたちの言うように年々冬が強くなっているというなら、ポルティーニョの背中が曲がる頃には、一年の八割くらいは冬で、毎朝人がすっぽり埋まるくらいの雪が積もることだろう。

 

 ばかばかしい、とみんなは言う。ポルティーニョも少しそう思う。

 でも、その景色を思うと、少女の胸の裡は不思議な好奇心にくすぐられるのだった。

 家も、人も、家畜たちも、麦畑や葡萄畑も、栃の木の林や、村を流れる沢だって、みんなみんな真っ白な雪の下に埋まってしまったその冬は、きっととてもきれいなことだろう。

 

 しんと静まり返った、真っ白な景色を思って、ポルティーニョはほうと小さな息を漏らした。それはたちまちに白く凍り付いて、コロンと落ちてくるかわりに、風に散らされて雪景色に紛れていく。

 

「どうした」

「あ、お父さん」

 

 すこしぼんやりしすぎたようだった。

 ポルティーニョと並んで、もくもくと雪かきにはげむ父が、手を止めずに短く声をかけてくる。

 

「なんでもない。なんでもないよ。あんまり寒いし、雪も重いから、うんざりしちゃっただけ」

「そうか」

「そうそう。そうなの。なんだって冬ってのはこうも大変なのかしらね。それなのに雪かきしてると暑くて汗かいちゃうし。それで油断してたらすぐ冷えて寒くなるし」

「そうだな」

「そうそう。そうなのよ。ほんと、やーね、冬って」

 

 父は寡黙だった。ポルティーニョが雪かきを再開しながら、あれやこれやとしゃべっても、父から返ってくるのは「そうか」「そうだな」「かもしれん」の三つくらいだ。こんな歩く岩みたいな男に育てられて、どうして際限なく喋るポルティーニョのような娘ができあがったものか、よく首を傾げられるものだった。

 

 村の年寄りに言わせれば、それはポルティーニョが幼いころに亡くなってしまったおしゃべりな母に似たからだというが、思い出にもない母のことなど少女は知らない。ただ、父のような人を相手にしてたらどんな人だって釣り合いを取るためにお喋りになると思った。彼女がそうだったからだ。

 父がしゃべらない分、ポルティーニョはいつまでだってしゃべり続ける。二人そろって岩みたいに不愛想で無口だったら、そのうち顔まで凍り付いてしまうだろうから。

 

 柔らかくふわふわした新雪を相手に格闘するポルティーニョの頭を、父の大きな手が不意にさっと払った。毛糸の帽子に積もった雪がきらきらと朝日を反射して散っていく。振り向いたときにはもう、父は黙々と雪に向かっていた。

 

 ポルティーニョは父の寡黙さを嫌っているわけではなかった。言葉にしないだけで、父は優しい人だったから。

 ただ時折、その言葉足らずには腹を立てることもあったし、何か言ってくれてもいいのにと思うこともあった。

 

(別に困んないけど……お父さんのこと、全然知らないんだよなあ、あたし)

 

 物心つく前から、父は寡黙だった。いまこの時のことさえ言葉少なな父が、昔を語ることなどほとんどなかった。わずかに母のことについていくらか話してくれたくらいで、それだって大したことのないものだった。

 

 ポルティーニョは父の生まれも育ちも知らない。余所者だったという父がいつごろこの村にやってきて、どんな風に母と出会ったのか、それさえも父からではなく村の老人たちから伝え聞いた。

 別に、言いたくないことを無理に聞き出そうとは思わない。父の昔を知らなくたって、父の今は自分とともにあるのだから。

 

 けれど、やっぱり、言ってほしいことも、ある。

 雪に閉ざされた山道をやってきた、あの旅人のこともそうだった。

 

 父の古い知り合いだという、顔を隠したあの男のこと。父の過去だって、明るいことばかりではなかっただろうけれど、あの客人はどうにも怪しいことばかりだった。父とは違う形で、気難しく、言葉少ななひと。

 悪いひとではないと思う。でもいいひとかどうかもわからない。顔も、言葉も、隠してしまっているから。

 

 どうにも不安を掻き立てられるのは、彼が余所者だからと言う理由ばかりではなかったように思う。彼が来て以来、父の背中にうかがえる奇妙な気配が、ポルティーニョを不安にさせた。

 なにかが、大きななにかが変わってしまうような、そんな漠然とした不安。

 

 また一つ吐き出した溜息が、白く凍って散っていった。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

「ブランフロ村ぁ?」

 

 胡乱気な声が響いたのは、暖房の良く効いた一室だった。

 いや、暖房というより、火を絶やすことのない炉の熱で温められているといった方がいいか。

 こぢんまりとした個人用の工房と言った具合の飾り気のない部屋ではあったが、いまも火を燃やし続ける炉も、並べられた工具も、全てが異常なまでの品質を誇る特級品ばかりであった。

 

 そこは郊外とはいえ、帝都に名だたる大商会であるデイブレイク商会の商館に構えられた工房の一つであり、なにより商会長レンゾーの私室でもあった。

 通常であれば親方級の職人でさえおいそれとは立ち入ることの許されない、ある種の聖域と言ってもいい。

 

 その聖域にいま、場違いなとんがり帽子の魔女と、成人前の子どもが並んで座っているのだった。

 西部の事務所で、もう春になるまで絶対に出ねえと決め込んだ森の魔女はしかし、帝都から送られてきた天狗(ウルカ)の急使に盛大に煽られて出てこざるを得なかったのだった。

 くだらない用事だったら小火で済むと思うなよなどという主人公らしからぬ怨嗟の声を、小学生になだめられながらしぶしぶ飛んできたのだった。

 

 魔女こと紙月の胡乱気な声に、部屋の主であるレンゾーは鷹揚に頷いた。

 

「うむ。エージゲ子爵領に所在する山村じゃな」

「エージゲ子爵領ってどこだっけ」

「ほら、前に北部に行ったじゃない。確かあのあたりじゃなかったっけ」

「うむ。北部のヴォースト市あたりだの」

 

 以前ふたりは、《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》に所属する冒険屋仲間イェティオの依頼で、彼の実家である山間の温泉宿まで行ったことがある。その山が竜の尾、ヴォースト・デ・ドラーコと呼ばれる山であり、その麓にある町こそがヴォースト市であった。

 

 エージゲ子爵はヴォースト市の他に、帝都への街道沿いに栄えた街を一つ、東部への街道筋にまた一つ、山村を含め複数の村を有し、運河にも幅を利かせる結構裕福な貴族である。

 遺跡都市であるヴォースト市と、そこに流れる運河の利益、また辺境への玄関という立地が、エージゲ子爵領を富ませた大きな要因と言っていいだろう。

 

 紙月と未来はそこまで詳しくはないが、地図でこのあたり、とざっくり示された領域だけでも程々に広かった。

 ブランフロ村というのは、その領地の北側、帝国全体に蓋するように覆いかぶさった臥龍山脈に食い込むようにして存在していた。

 

「見ての通り、街道筋からも外れとるし、ヴォーストからも離れとる。山奥の寒村って感じじゃな。じゃがこの村は子爵領の貴重な財源にもなっとる」

「こんな小さな辺鄙な村が?」

「うむ。というのもここは氷精晶(グラツィクリスタロ)の採掘地なんじゃよ」

 

 自然の活動が活発な土地で、その自然現象に伴う魔力が蓄積して結晶化したものを、精霊晶《フェオクリステロ》と呼ぶ。氷精晶(グラツィクリスタロ)というのは、氷や冷気をため込んだ精霊晶(フェオクリステロ)の一種であった。

 ため込んだ冷気を放つことで、食品の冷蔵や部屋の冷房などに活用されており、特に冷蔵庫や冷蔵車が発達してきた昨今では需要も伸び続けている鉱物だ。

 

 その性質上、基本的に雪山などで、しかも厳しい冬の間しか採れないので、安全かつ効率的に採掘できる場所というのは限られてくる。

 その限られた採掘地の一つが、このブランフロ村であるという。

 

 寒さに対してあまりにもか弱い紙月は、夏だって暑さにうなだれる。それを思えば、冷房器具に必須の氷精晶(グラツィクリスタロ)を産出するブランフロ村というのはかなり重要な土地と言えそうだった。

 

 レンゾーががさがさと広げた書類には、いくつかの簡単な折れ線グラフが描かれていた。

 例えばあるグラフの横軸には帝国歴での年数がかかれており、縦軸には平均気温が記されている。つまりここ数年の平均気温の推移を示していた。それは緩やかにではあるが右肩下がりになっていた。

 

「つまり年々寒くなっとる。こっちのグラフは積雪量じゃな」

「こっちは右肩上がりだな」

「じゃあ雪が増えてるんだね」

「うむ、そういうことじゃ。あんまり古い記録は残っとらんが、数十年前と比べて、だんだん冬が厳しくなっとるっちゅうことじゃな」

 

 いまでさえ死にそうなのにこれ以上寒くなるのかとげんなりする紙月を放置して、レンゾーは最後のグラフを指さした。それは他のグラフと違い、ほぼ横ばいであった。つまり、毎年数字がほとんど変わっていないということである。

 

「これは何のグラフですか?」

「ブランフロ村が卸しとる氷精晶(グラツィクリスタロ)の数じゃよ」

「安定した流通量が見込める……って話じゃないよな」

「うむ。()()()()()()()()っちゅう話じゃな」

「すぎる?」

 

 小首を傾げた未来に、レンゾーは髭をしごきながら頷いた。

 

氷精晶(グラツィクリスタロ)は、ざっくりいやあ『寒さ』の結晶じゃ。寒けりゃ寒いほど産出量は増える。理屈ではのう。年々冬が厳しくなっとるんじゃから、当然氷精晶(グラツィクリスタロ)の量も年々増えにゃあならん」

「ところが増えてない、ってことなんだね」

「でもそりゃあ、採掘限界がそこってことなんじゃないのか? いくら採れる量が増えても、山奥の寒村じゃあ人手だって豊富じゃないだろうし。採掘技術とか、人員教育とか、そういうテコ入れが必要ってだけじゃないのか?」

 

 寒さが強まれば氷精晶(グラツィクリスタロ)も増えるだろうが、同時に山の危険性も増すはずだ。レンゾーの築き上げた工場のような大規模事業ではない、単一の村による生活の一環としての産業では、限度もあるはずだ。

 紙月がそのように指摘するのもあながち間違いではない。

 レンゾーも同じように考えはしたが、しかしその考えを裏切る資料もある。

 

「わしもそう考えて、他の採掘地ではどうなっとるか調べてみたのが、これじゃな」

「あれ? こっちの村のグラフだとちゃんと採掘量が増えてるね」

「だな。しかもブランフロ村に比べるとそんなに寒くないのになあ」

 

 レンゾーが調査させた、ブランフロ村以外の氷精晶(グラツィクリスタロ)採掘地の資料は、違う顔を見せている。寒さや積雪量の推移はブランフロ村と比べて緩やかである一方、氷精晶(グラツィクリスタロ)の採掘量は順調に伸びている。

 

「聞き取りもさせてみたが、特別なことをしとるわけじゃないらしい。単に産出量が増えたから、採掘量が増えた。それだけじゃ。新技術もなけりゃ、人口増加もない」

 

 言いながらレンゾーが引き出してきたのは、帝国北部の地図である。

 帝国に蓋をするように連なる臥龍山脈が地図上部に描かれており、そこに散らばるようにいくつかの村の名前が記されている。そのうち、赤く丸が付けられたのがブランフロ村であった。

 その赤丸にコンパスを当て、レンゾーは同心円をいくつか広げながら記していく。ブランフロ村を中心に何段階かの円ができた形だ。

 

「ま、実際にはもう少し複雑じゃが、こんな感じじゃな」

「こんな感じって、どんな感じだよ」

「寒冷化の度合いじゃよ。円の外側ほど緩やかで、内側ほど激しい」

「えーっと……つまり、ブランフロ村は毎年だんだん寒くなってるけど、その周りの村はそこまでひどくないってことですか?」

「そういうことになる」

 

 それは奇妙な事実であった。

 世界的な気候変動で寒冷化が進むのであれば、それはどの土地にもある程度同様に進んで行くはずだ。緯度や、地形上の理由など様々な条件が絡んでくるとはいえ、この地図と資料が正しいとすれば、ただの村を中心にして寒冷化がはじまり、周辺へと波及していることになる。

 これではまるで、ブランフロ村に寒さの原因があるようではないか。

 しかしレンゾーはまさしくそうなのではないかと睨んでいるようだった。

 

 見識のあるものと何度か相談する中で、レンゾーはこれを、氷精晶(グラツィクリスタロ)の過剰備蓄のせいではないかと考えたのだという。

 

「実はわし、工場稼働したばっかのころにやらかしたことがあってのう」

「工場でやらかしって、洒落にならない感がすごいな」

「まあ洒落にならんかったのう」

 

 レンゾーの興した工場は半官半民のものであり、始動してまだそれほど経っていない現在は国からの受注で製造しているものが多い。

 その中でも、レンゾー自身がゲームから引き継いだ種族や職業《技能(スキル)》などから金属加工がもっとも盛んであり、多くの土蜘蛛(ロンガクルルロ)が工場で働いている。

 その金属の加工には、鉱石からの精錬も含めて大量の燃料が必要であり、さらに機械力の利用のために蒸気機関を導入したことで燃料がなければ回らない状況である。

 

 今後は内燃機関の開発も考えており、帝国全土から火精晶(ファヰロクリスタロ)を大量に購入していたのだが、

 

「待って待って待ってすでに嫌な予感しかない」

「じゃよなあ」

「じゃよなあではない」

 

 購入していたのだが、精霊晶(フェオクリステロ)をここまで一度に大量に扱うということは前例がなく、火精晶(ファヰロクリスタロ)の備蓄を保管する倉庫の管理はずさんなものであった。

 適当に箱詰めしたものを、着た順に次々に奥に詰め込んでいき、使用するときは手前のものから適当に使っていくという、教科書にお手本として載りそうなほどのずさんっぷりだったのだ。

 その他、倉庫の気密性とか、火気厳禁の不徹底とか、施錠がなされていなかったとか、帳簿の記録が概算だったりとか、おおよそ可能な限りの管理不行き届きがずらりと並ぶひどさだったとか。

 

「失敗する余地があるなら必ず失敗する、なんていうが、ありゃ失敗しようと思ってたんじゃないかっちゅうほどだったのう」

 

 最初は工場内の気温が上がったような感じがした。それでも、もともと火を扱っているし、室内は熱もこもりやすいし、誰も気づかなかった。おりしも夏であったし、それもあって当然とさえ受け止めていた。

 レンゾーも熱中症を鑑みて、WBGT(暑さ指数)の周知を進めたりといった対策はしていたが、あくまでもそれは労働者の労働環境への注意喚起だった。

 

 顧みられることのない倉庫は、暑いからとすべての窓や出入り口を開け放たれ、新鮮な空気が絶えず流れていた。

 そしてうだる暑さに耐えかねた倉庫番は、つらい時は我慢せずに、すぐに涼しい場所で休憩することという熱中症予防の文句に素直に従った。

 そして残念なことに、近代的な予防対策が周知されている一方で、前時代的な悪習は見逃されてしまっていた。

 

「疲れたんで、一服しようとしたんじゃと」

「えーと、つまり?」

「タバコ吸いやあがった」

 

 倉庫番が火精晶(ファヰロクリスタロ)の着火具でタバコに火をつけようとすると、常ならば小さな火がともるだけのそれは、ごうと音を立てて火柱となった。驚いた倉庫番が着火具をとっさに放り投げると、当然その火柱は倉庫内に放り出された。

 山と積まれた火精晶(ファヰロクリスタロ)の中へと。

 火種は、新鮮な空気をたっぷりと食らって、膨れ上がった。

 

 その時の轟音は帝都中に響き渡り、工場中の窓ガラスという窓ガラスは割れ、直接の火炎に巻き込まれずとも爆風だけで相当の被害が出たという。

 衛兵がすぐにも隊列をなしてやってきて、同じく押っ取り刀で駆け付けた軍とはちあった。そしてその誰も、いったい何が起こってどうなったのかを把握できていなかった。

 それほど突然で、そしてすさまじい爆発だったのである。

 

 この件は徹底した調査が行われ、原因が明確に突き止められ、そしてすべて隠蔽された。

 これがただの工場であればレンゾーの首が飛んでいたところだが、半官半民、どころか実質的には帝国御用達の一大事業だったのである。事故でしたではすまされないのだ。

 そのためすべてはいつもの通りいつものごとく、「聖王国の破壊工作員」のせいであるということになっている。

 

「まあ、しかし教訓になる実験結果も出てな」

 

 悲惨な事故だったが、前向きな考え方をすれば、精霊晶(フェオクリステロ)に対する新たな知見が得られた一件であった。

 つまり精霊晶(フェオクリステロ)は、常に微量ながら魔力を放出し続けている、ということだ。

 普段使い程度であれば気にするようなこともないが、一か所に集めすぎると、例えば火精晶(ファヰロクリスタロ)であれば火の魔力が空間に満ちていく。それはまず体感的に気温の上昇として感じられた。

 その状況下では、小さな火種であっても、火の魔力を食らって燃え上がってしまう。そしてその火が触れれば、火精晶(ファヰロクリスタロ)は連鎖的に延焼していき、空間に充満した火の魔力にまで燃え移って一気に燃え上がる。つまり爆発に至る。

 

 爆発後もかなりの期間、火の魔力は一帯に残留し、宮廷魔術師だけでなく帝都大学の魔術師も総出でこれらを払い、あるいは集め、あるいは水の魔力で打ち消すなどしてやらねば、とても人の暮らせる環境ではなかったという。

 人工的に発生したのはこれが初めてであったが、火山の噴火や大嵐、津波などの際に同様の事例が見られ、これらは精霊災害として恐れられている。

 

 この時の教訓から、火精晶(ファヰロクリスタロ)の倉庫は徹底的に考え抜かれて設計され、厳重に管理されている。一つ一つの箱からして、火精をなだめるまじないが施された。中に収める火精晶(ファヰロクリスタロ)も小分けに包装し、間仕切りも作っている。当然すべてが耐火性のものだ。

 

 それだけでなく、いまでは反応しづらく火力も高い、精製火精晶(ファヰロクリスタロ)などの開発も進められているという。将来的には内燃機関用の液体火精晶(ファヰロクリスタロ)も考えているとか。

 

 少しそれたが、氷精晶(グラツィクリスタロ)でも同様のことが起こりうるのではないか、ということだった。

 

 通常、冬の間に採掘されなかった氷精晶(グラツィクリスタロ)は、氷や雪のように、春になれば緩やかにその冷気を放出しながら溶けていってしまう。しかし山頂部が常に冠雪状態にあったり、未発見の洞窟などが自然の氷室として寒さを保っていたり、そう言った環境で見逃され、採掘漏れのあった氷精晶(グラツィクリスタロ)が溶けないままに毎年増えていったとすれば、それによって寒さが長く厳しくなっている、と考えられなくもない。なくもない、というにはかなり可能性が低そうだが。

 

「じゃったらいいなー、と思っとる」

「よくないんじゃないの?」

「これじゃったらまだテコ入れでどうにかなるわい」

「あー……つまり、もっと悪い予想もあるって?」

「うむ」

 

 採掘漏れだというならば、採掘してやればいいだけの話だ。

 人手が足りない、技術が足りないというならば、開発費用を出してやってもいい。何しろ未発見の太い鉱脈が眠っている公算が高いのだから、十分採算は合う。

 

 しかしこれが、()()()であった場合が問題だ。

 

「意図的って……わざとため込んでるってこと?」

「まーた聖王国のテロだとかなんとか言い出す気か?」

「それは最悪の底じゃな」

「するってーと……」

「うむ。村ぐるみで氷精晶(グラツィクリスタロ)をためこんどる可能性がある。それも相当量をな」

 

 実際、採掘漏れの氷精晶(グラツィクリスタロ)など、自然にたまったもので気候がはっきりと変化するのであれば、すべての精霊晶(フェオクリステロ)の産地はとうの昔に破綻しているはずである。人の目に触れない未発見の産地とてあるはずなのだ。

 数字の緩やかな推移から見ても、毎年少しずつをため込んで隠していると考えればつじつまは合う。

 問題はなぜそんなことをするかということだが。

 

「理由はなんぼでも思いつく。小さな集落じゃ。ブランド物として商品価値を維持するため。採れ過ぎで値崩れさせんため。不作の年に補填するため。自分らの村で使うため。今後の採掘量を増やすため。いろいろな。じゃが正確なところはわからん。溜め込んだ影響を理解しとるのかどうかもわからん」

 

 はっきりしているならば強硬的に調べることもできる。

 しかし問題の村はエージゲ子爵の領内であり、村自体も独立領主が治める自治体である。

 帝国は皇帝を頂点に置くが、その権力は絶対的なものではない。皇帝の下には元老院があり、元老たちはそれぞれに独立した貴族であり、彼らが差配する地方領主たちもその領地においては王に等しい存在だ。彼らは土地に封じられて納税や軍事の義務を負う封建領主なのだ。

 そしてそれら全ては、帝国法という一つの法に縛られてもいる。

 

 レンゾーが不審に思い、親しくしている皇室や元老に話を持ちかけても、それで頭ごなしにエージゲ子爵の領地をどうこうできるわけではない。できたとしても、あまりにも大ごとになってしまう。

 そしてエージゲ子爵に話を通したところで、多少の優越はあれど独立領主として土地を守らせているブランフロ村の郷士に、何でも言うことを聞かせられるわけではない。そもそも言うことを聞かせられたところで、自分の懐の内でのことだ。子爵も絶対にもみ消してしまうだろう。

 

 残念ながら帝都には、こういう時に使い勝手のいい諜報員というものがまだ育っていなかった。というより、優秀な人材はそれぞれの「家」に紐づいており、気軽に使うにはしがらみが多すぎるのである。

 

「やんごとなきお方はこの件を憂いておる。想定される氷精晶(グラツィクリスタロ)備蓄量は莫大なもんじゃ。このまま冬が厳しくなり続けるだけでなく、貯め込まれた氷精晶(グラツィクリスタロ)がまとめて反応してしまった場合、北部はヴォーストを中心に最短でも数年は雪に包まれるじゃろうと見ておる。そうなると、当然のように死者は膨大なものになるのう。ヴォースト水系の一部は凍り付いて水量が激減、運河の流通は最悪断絶しかねん。おまけに辺境との流通路が死ぬから、帝国最大の軍事力を動かせなくなる」

「えーっと……もしかしなくてもヤバい奴?」

「ガチでヤバい奴じゃい」

「わーお」

 

 つらつらと述べられるあまりにも悲惨の未来予想図に、さしもの紙月の顔もひきつった。

 未来も、政治にまつわる話はよくわからなったが、被害規模の大きさは十分に理解できた。少なくとも人がたくさん死ぬというのは、身構えるのに十分な脅威だ。

 

「元老院には正式には通しておらん。やんごとなきお方も遺憾に思っておるだけじゃ。表ざたにはできんし、する気もない。そこでお前さん方を呼んだわけよ」

「冒険屋としての依頼ってわけだ」

「うむ。特に紙月、お前さんは精霊が見える。異変には気づきやすいじゃろう」

 

 紙月はハイエルフという精霊に愛された種族である。少なくとも()()上は。風の精や水の精、そういったものは、普段は意識を向ければ見えるという程度だったが、気候に影響を及ぼすほどに氷精晶(グラツィクリスタロ)が溜め込まれているというのであれば、それははっきり目に見えるほどだろう。

 

「いいか。帝都の人間はこの件には関わっておらん、なにも知らん、そう言うことになっておる。知れば()()()()()()()()()()からじゃ。じゃから、誰も知らんうちに、関係ない奴が、関係ないままに終わらせにゃならん。いや、始まってすらおらんのじゃから、終わりも何もない。何にもなかったことにしたい。せにゃならん」

「オーケイ。俺たちはただの旅行者ってわけだ」

「それも物好きのね」

「うむ。頼んだぞい、《魔法の盾(マギア・シィルド)》よ」

 

 三人はしっかりと頷き合って密談を終えた。

 この時はまさか、この事件があんなに大ごとになるだなんて、

 

(まあ……)

(こういうのって……)

(こいつらじゃしなあ……)

 

 三人が三人、うすうす勘付いていたのであった。




用語解説

・ポルティーニョ(Portinjo)
 ブランフロ村に住む十四歳の少女。
 寡黙な父と二人暮らし。

・ブランフロ村(La Blan(ka)fl(u)o)
 帝国北部、臥龍山脈北連山に所在する山奥の寒村。
 ふもとに近い第一村、中ほどの第二村、山奥の第三村にわかれている。
 冬季は降雪がひどく、第一村に退避して過ごす。
 特産は氷精晶(グラツィクリスタロ)
 農業はあまりうまくいっておらず、自給自足でやや足が出ることも。
 山菜やキノコなどの他、栃の実なども利用される。
 ブドウの栽培、葡萄酒(ヴィーノ)づくりも試みているが、まだ輸出するほどではない。
 人口は全体でも二百人程度か。

・レンゾー
 元《エンズビル・オンライン》プレイヤーの転生者。
 本名有明錬三。ハンドルネームはレンツォ。
 《エンズビル・オンライン》ではドワーフの《黒曜鍛冶(オブシディアンスミス)》としてギルド《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》に所属していた。
 現実世界では複合企業体デイブレイク・グループの会長であり、MMORPG 《エンズビル・オンライン》を開発・運営する株式会社ラムダは、事実上傘下企業である。
 ざっくりいうと、どえりゃあ人。

・デイブレイク商会
 レンゾーが帝国で設立した複合企業。
 帝国中枢とも親しくしている、官民の微妙な組織でもある。
 社名は生前馴染みのあった社名であり、他に転生者がいたら気づきやすいように。

・ヴォースト(La Vosto)
 エージゲ子爵領ヴォースト。辺境領を除けば帝国最東端の街。大きな川が街の真ん中を流れており、工場地区が存在する。正式にはヴォースト・デ・ドラーコ。臥龍山脈から続くやや低めの山々がせりだしてきており、これを竜の尾、ヴォースト・デ・ドラーコと呼ぶ。この山を見上げるようにふもとにできた街なので慣習的にヴォーストと呼ばれ、いまや正式名となっている。

・エージゲ子爵領
 エージゲ子爵の治める中領地。
 これといった特色のない田舎で、ここしばらくは大きな事件もなかったような土地柄。
 氷精晶(グラツィクリスタロ)の輸出、辺境との玄関口である立地、運河の運用など様々な利点から順調に発展はしている。
 気候はやや寒冷だが、農地は多く収穫量は多い。

氷精晶(グラツィクリスタロ)
 雪山や雪原などで見つかる雪の精霊の結晶。魔力を通すと冷気を放ち、氷よりも溶けにくく、保冷剤として流通している。

・精霊災害
 局所的爆発的に魔力、精霊が増大あるいは減少した際に発生する災害の総称。
 周辺環境に存在する魔力や精霊に対しても影響を及ぼす。
 もっともよく発生するものとしては火山の噴火が挙げられ、噴火前から予兆として火精などに不審な動きが見られる。


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第二話 ブランフロ村

前回のあらすじ

山奥の寒村の調査を命じられた紙月と未来。
まさかあんなことになるなんて(棒読み)。


 二人組の冒険屋《魔法の盾(マギア・シィルド)》、古槍紙月と衛藤未来は、千の顔を持つ系の限りなく邪神に近いギリギリ邪神ではないちょっと邪悪な神によって異世界に転生した転生者である。

 その際に「面白そうだから」という理由でプレイしていたゲーム・キャラクターのステータスを再現されたせいで、未来はケモ耳の獣人男子にされてしまったし、紙月などは女性キャラだったからか女装する羽目になっている。何を言っているんだお前は。

 なぜ女装させたのか。素直に女性の体にすればよかったのではないか。いやでも性転換と女装はどっちがショックだっただろうか。女体化した方がまだマシだったのか、否か。紙月は深く考えないことにしている。疲れるだけだからだ。未来も深く考えないことにしている。幼いながらに脳の大事な部分に何か致命的な影響が感じられたからだった。

 

 性癖を破壊する系の冒険譚は後の世にまとめられて出版されるのかもしれないが、少なくともそれはいまではない。

 いま確かなことは、二人にはゲームのステータスやアイテムを再現した不思議な力があるということだった。

 

 ふたりが愛用する道具に《魔法の絨毯》というものがある。

 これは広大なマップの面倒な移動を省くためのもので、一度立ち寄ったことのある町であれば、一瞬でその入り口まで飛んでいけるというものだ。しかもパーティメンバーをまとめて運べる。

 さすがにゲーム内のように一瞬とまではいかないが、しかし空を飛んでいけるというのは交通機関の貧弱なこの世界では大きなアドバンテージと言えた。二人の乗る《絨毯》をのぞけば、わずかな例外を除いて原則的に天狗(ウルカ)という種族しか空路は選べないのだ。

 

 これによって二人はお手軽に遠方に旅に出られた。西部から帝都まで冬にもかかわらずあっさりやってこれたのもこれのおかげだった。逆に言えば、行けるのだから行かせてしまえという雑な扱い方もされるようになってしまっているのだが。

 

 ともあれ、帝都から北部までも、《絨毯》であればすぐの距離だ。

 目的地であるブランフロ村へはまだ行ったことがないため、以前立ち寄ったことのある最寄りの町であるヴォーストに向かう。前回も登録のためにちょっと立ち寄っただけだったが、今回は村までの案内役として、町の冒険屋を雇うことにした。

 冒険屋が冒険屋を雇うというのも妙な話だが、慣れない土地で闇雲に動くより、地場の人間に頼った方が効率もいいというものだ。

 

 ヴォーストは大きめの町なだけあって、冒険屋事務所の数も少なくなかったが、冬の北部、それも山の中を案内できる冒険屋となると限られていて、依頼料はかなり割高であった。自分の金で雇うのならばぼったくりじゃねえのかと言うところであったが、経費はレンゾー持ちなので紙月も心穏やかなものである。

 

「それはそれとして(タカ)ッ!」

「はっはっは。人聞きの悪い。これが相場というものですな」

「うーん……危険手当分と見るかぼったくりと見るか微妙なラインだね……」

 

 とはいえ、腕がいいのは確かであるらしい。

 雇った冒険屋はウールソと名乗った。頭はきれいに剃り上げているが、顎髭はたっぷりとしたもので、穏やかでにこやかではあれど、「熊のような」という形容詞の似合う大男であった。それが防寒着として分厚い毛皮を頭からつま先まですっぽり着込んでいるものだから、ますます熊らしい。

 なにしろこの男は、実際に熊の獣人であるというから、それも当然である。

 

 いくらか年嵩ではあるが、いまもバリバリの現役であり、それどころか山に入るのであればこの男以上に頼りになる冒険屋もそういないというのは、まあ事務所の所長のうたうところであったが。

 

「ははあ。子連れのたおやめとなると厳しいやもしれませんが、冬場はかえって獣も少ない。しっかりと準備をととのえさえすれば、危険も数えるほどでしょうな」

「まあ俺たちも多少の心得はあるんだ。お荷物にはならんように気をつけますから、よろしく頼みます」

「よろしい。では荷をととのえて、向かいましょうかな」

 

 《魔法の盾(マギア・シィルド)》の名は、北部にも少しは知られているが、西部ほど名高いわけでもない。それに、今回はむしろ名前が知られていない方が目立たなくてよいので、二人は単に金持ちの旅人ということにしてあった。

 紙月は道楽者の魔術師で、精霊晶(フェオクリステロ)を材料にした彫刻などをたしなんでいることにした。彫刻をやっているのは事実であるし、そのために質のいい氷精晶(グラツィクリスタロ)を求めているのだという理由付けにもなる。

 未来はその弟分とも従者ともいうべき子供だということにして、もちろん鎧も着ていない。

 

 あんまり事務所にこもらせても暇だろうと、《縮小(スモール)》の魔法で小さくして《絨毯》に乗せてきた地竜のタマに、雪上で馬車の代わりとなる大ぞりをひかせることにした。

 ほどほどの大きさにとどめたタマは、馬として使役される甲馬(テストドチェヴァーロ)という生き物に似ていなくもないので、誤魔化しは効く。

 まあその甲馬(テストドチェヴァーロ)というやつはこの時期冬眠するか、そうでなくてもとても動きが鈍くなってしまうらしいので、少し目は引いたが。

 

「……ずいぶん元気の良い甲馬(テストドチェヴァーロ)ですなあ」

「あー……うん。俺もちょっと意外だ。こいつ寒さとか平気みたいなんで、気になさらず」

 

 タマは寒さをものともせず、むしろ物珍しげに雪を楽しみながら、力強くそりを引いてくれた。

 新雪どころかその下の根雪にも埋まってしまいそうなものだが、そんなことは何の障害にもならないとばかりにもりもりと掘り進んでいく。なんなら鼻先の雪をもしゃもしゃ食べもする。半分くらい埋まりながらずんずん進んで行くものだから、そのあとを引かれていくそりの乗り心地は決していいものではなかったが。

 

 二人には全く見分けのつかない雪景色の中を、案内役ウールソが実に的確に道を見つけだして、タマに伝える。タマはそれに素直に従って、雪も氷もものともせずにずんずん直進していくものだから、冬の厳しさに慣れたウールソは大いに苦笑いさせられたものである。

 

 ヴォーストを出発した一行は、道中一つの宿場町と、一つの村で宿泊して、経費で落ちるからと盛大に地域経済に貢献した。

 その間、ウールソは案内人として頼りになるだけでなく、旅の連れとしても実に頼もしい男だった。材料さえ預けてしまえば、雪の上でもほっとするような暖かなものを食べさせてくれたし、雪の下に隠れて今は見えない様々なことを、よく通る声で朗々と語ってくれもした。

 そしてまた、過去の冒険や経験を通して、あれやこれやとためになることも教えてくれた。聞けばウールソは武の神を奉じる武僧であるとのことで、なるほど世慣れた僧侶ともなれば説法も得意なわけである。

 そのようにして、一行は三日目の昼過ぎに件のブランフロ村へと到着した。

 

 ブランフロ村は、「山奥の寒村」という言葉が実にしっくりとくる村だった。

 谷にすっぽりと収まったようなというか、傾斜にしがみつくように張り付いた村というか。

 村の真ん中には細い川がすっと流れており、それは流れ流れてヴォースト運河まで続く水系の一端であるという。それを挟み込むような村の面積のほとんどは、幾重にも連なった段々畑であり、何世代もかけて築かれたその姿は、夏ごろにはなかなかの見ものであるそうだ。

 そうしてふもと近くから、山頂に向けて細長く伸びた村は、手前から第一村、第二村、第三村と大雑把に分かれており、雪がひどい冬期は、山奥の第二、第三村は最低限の管理だけにとどめて、もっぱら第一村で生活しているのだそうだった。

 

 ウールソの案内で、まず向かったのは村長の屋敷であるという。三棟からなる割合に大きな建物で、木造ではあるがかなりしっかりとした造りであった。

 いまの時期は、三つに分かれた村のそれぞれの代表者である、三村長とでも呼ぶべき三人が住まいとしているらしかった。

 

 突然の来訪に、偶然にもそろって白湯などすすっていた三村長は、驚きながらも丁寧に迎え入れてくれた。紙月がつまらないものですがと帝都の酒などをそっと差し出すと、席も勧めて白湯も用意してくれた。

 

 魔術彫刻家なる胡乱な職業とともに名乗った紙月たちに、三村長はそれぞれ、郷士(ヒダールゴ)にして第一村の長ワドー、村唯一の医師にして第二村の長ナガーソ、葡萄酒(ヴィーノ)醸造家にして第三村の長カンドーを名乗った。

 ワドーは人族の高齢男性で、その顔つきは巌のように厳しい。顔に刻まれた皺は深いが、その体躯はしっかりとしており、座る姿にも威圧感のようなものがあった。

 ナガーソはなんとも飄々とした土蜘蛛(ロンガクルルロ)の高齢女性で、村の医者でもあるというだけあって、しなやかでほっそりとした見た目は、なるほど力仕事より頭脳労働派のようだ。

 カンドーは年齢不詳の天狗(ウルカ)だったが、西部の傲慢かつ派手目の天狗(ウルカ)に慣れた二人には珍しいことに、温和そうな見た目をした大人しそうなひとである。天狗(ウルカ)にありがちなこととして、男女の区別は何とも言えなかった。

 

「ふむ……これは結構な品を頂きましたね。しかし何分厳しい時期柄、大したおもてなしも出来ず申し訳ない」

 

 やんわりと口を開いたのはカンドーであった。見た目通り柔和な物言いだが、さらりと牽制してくるあたり、あまり歓迎はしていないようだった。

 まあ、厳しい冬の最中に物見遊山気分の連中がやってくれば、面白くもないだろう。それに閉鎖社会では、見慣れない余所者は得てして警戒されるものだ。

 

「魔術彫刻家、とか言ったが……その芸術家のセンセイがまたこんな村に何の用だね」

 

 胡乱気なナガーソに、紙月は営業スマイルを浮かべた。

 

「センセイってほどじゃありませんよ。俺は精霊晶(フェオクリステロ)に彫刻を施して好事家に売っているんです」

精霊晶(フェオクリステロ)に彫刻を? 消耗品ではないか」

「フムン、まあ都会ではそういう需要もあるだろうさ、ワドー」

「ええ、ええ、それではまあ、さる貴族筋から大口の依頼が入りまして、質のいい氷精晶(グラツィクリスタロ)がどうしても必要になったんですよ。それもできるだけ大きいのがいい。市場に出回るのじゃあなかなか具合がいいのが見つからないで、困っていたらこの村の話を聞いたってわけです。なにしろ氷精晶(グラツィクリスタロ)は数多く出回っても、上等なものとなると限られてくるってわけで」

「そうかね」

「ええ、ええ、そうですともそうですとも。こんな時期に急に押しかけてもご迷惑だとは思ったんですが、どうにも依頼人がせっつくもので、なにしろお貴族様というのはこっちの都合なんて考えないで自分のことばかりですからね。かといってそこらのケチな氷精晶(グラツィクリスタロ)で妥協するなんてのは(シャク)ってなもんで、ええいどうせ払うのは貴族の財布なんだから一等質がいいものをと思い立ちまして、ええ、ええ、そこでなんとか融通してもらえないものかとこうしてお訪ねしたわけでして」

「そうかね、まあなんだ、うちもおかみの絡む商売だからな。好き勝手はできんよ。わざわざ来てもらって無下にするのも、悪いかもしれんがね」

「まあ適当なところを見繕ってやろうかね」

「うむ」

 

 よくまあそうもべらべらと喋れるものだと、感心半分呆れ半分で未来は紙月のやるように任せた。

 商談、というよりその前段階の挨拶だが、それにしたって子供が口を挟むというのも妙な話だし、紙月の詐欺師かと思うような調子のよい口ぶりに、気軽に口を挟めるようなものでもない。

 

 挨拶の締めとして、紙月は彫刻の見本と称し、こぶし大の水精晶(アクヴォクリスタロ)を球状に磨いて、その内側にレーザー彫刻でいくつかの花を立体的に彫り込んだものを贈呈した。

 球状に磨くのはともかくとして、鉱石の内側を細工するというのは、恐らく帝国広しといえどまだ紙月くらいしかやっていないだろう、というかできないだろう技術であるから、これには三村長も大いに驚き、感心してくれた。

 

 村長たちは、何事もすぐすぐにとはいかないから、迎賓館で休んでくれと告げて場を締めた。

 未来としてはまずまず好感触だったのではないかと思うのだが、向き合って言葉を交わした紙月としては、

 

「どうにも、渋い」

 

 と感じたようであった。

 

「まあ突然やってきた芸術家なんてのは胡散臭くはあるんだろうけど、壁がなー。結構壁を感じるな。最初からあんまり話を聞く感じがない。手ごたえがかたいな」

「余所者ですからなあ。北部は行き来も困難とあって、閉鎖的になりがちでしてな」

 

 これは村に隠し事があるのかどうかということとは関係なく、もう地方性といってもいいらしかった。

 

「アンドレオだ。案内する」

 

 迎賓館だという立派な建物まで案内してくれたのは、このアンドレオと名乗った男だった。

 背は高くないが、骨は太く胸も厚く確かな造りで、武骨の二文字が服を着て歩いているようであった。

 

 この男は酷く寡黙で、最初に短く名乗った後は、ひたすら無言で()()()()と歩いていくばかりである。

 紙月が「すごい雪だな」とか「この村はいつもこんな感じなのか」とか差し障りのない話題を投げかけても、「ああ」「そうだ」「そうか」と短い言葉が振り返りもしない背中越しに飛んでくるだけであった。

 

 珍しく会話に困った紙月が肩をすくめてあたりを見回すと、何の仕事をしているものか、村人の姿がちらほらと見えた。

 軽く会釈するものの、あまり反応はよろしくない。若者などは気になってはいるらしく、こちらを窺う様子ではあるが、年寄りなどははっきり顔をそらしたり、露骨に訝しげな眼を向けてきたりもする。

 ひそひそとなにやら話す様子などは、どう好意的に見ても歓迎されているようではなかった。

 なるほど、ウールソの言うように余所者は好かれていないようである。 

 

「ここだ。余所者用の館だ」

「余所者用」

「ああ。俺も余所者だ」

 

 説明になっているのかなっていないのか。

 アンドレオは随分立派な正面の扉を開いて、やっぱり()()()()と歩いて入っていってしまう。

 自分たちも入っていいものだろうかとまごついていると、中からぱたぱたと足音を立てて少女が駆けつけてくれた。

 

「ああああああごめんなさいっ! お父さんったらもう、お客さんを放って! ごめんなさいね本当に! あの人ったらぶっきらぼうで、なに言っても()()()みたいなものだったでしょう。誰にだってああなんだから、本当にもう。町の人かしら、こんな時期に珍しいわね。さあさあ、寒かったでしょう! 雪もほろって、おあがりくださいな! 部屋もね、ええ、部屋もすぐに用意しますから!」

「あ、ああ、アンドレオ……さんの娘さんかな?」

「あら! あたしったら挨拶もせずに! ごめんなさいね。ポルティーニョっていいます。そう、あの()()()の娘です。お父さんは気が利きませんからね、なにかあったら、何でも言ってください!」

「そう、そうか、ありがとう」

「いえいえ! お役に立てれば幸いです!」

 

 まるで壁打ちみたいな独り相撲の会話からの、圧倒的なおしゃべりに、さしもの紙月もちょっとのけぞった。

 どうやったらあの寡黙な男にこんな娘ができるものかと、未来も目を白黒させてそれを見守った。

 

 このおしゃべりな娘ポルティーニョがあれやこれやと迎賓館について説明しながら、三人を客室に案内してくれた。部屋は二人用のもので、紙月と未来で一部屋、ウールソで一部屋割り当てることにした。

 ポルティーニョがそれぞれの部屋に置かれた鉄暖炉(ストーヴォ)に火を入れてくれたが、部屋があたたまるまで時間がかかるので、三人はそれまでの間、一つの部屋で鉄暖炉(ストーヴォ)に集まって暖を取った。

 

「お父さんがごめんなさいね。それに村の人も、きっと嫌な態度取ったんじゃないかしら」

「え、いやあ、まあ」

「いいんですよ! 本当のことだから。あたしとか、若い人はそんなでもないんですけどね、お年寄りはみんな余所者が嫌いなの。でも悪い人たちじゃないんですよ。気難しいだけで。あたしたち子どもには甘い所もあるような、そんな普通の人たちなんですよ、でもね、北部は厳しいとこでしょ。それに山の中。自分たちで頑張って開拓してきたんだって、そう言う思いがあるから、なおさら他所の人に対してはね、簡単には心を開かないみたいなんですよ」

 

 ポルティーニョはやかんをストーブにかけながら、そのように語った。

 村の閉鎖的な点を短所とはとらえながらも、彼女は自分の生まれ育った村を悪く思っては欲しくないと、いいところなのだと、そのように感じているらしかった。

 

「そういえば、アンドレオさんも自分のこと、余所者だって言ってましたよね?」

「ああ、うん、お父さんもね、他所から来た人らしいんですよ。どこか、とおいところ。でも村で何年もがんばって、お母さんと結婚して、あたしも生まれて……お母さんはもう死んじゃったんですけどね、あたしがずーっと子供の頃に、でも、それでもうすっかりこの村の人だって、村の人も頼りにしてくれるし、村長だって、認めてくれてるんですよ。お父さんは、まあ見ての通り、飛び切り気難しい人だから、自分のこと、余所者だなんて言いますけどね。この迎賓館の管理だって任されて、ちゃんと信頼されてるんですよ。だんまりだけど、悪い人じゃないんです」

 

 ポルティーニョが彼女の父について語るのを、未来は何とも言えずに聞いた。

 未来の父親も、あまりよく喋る方ではなかった。たった一人の家族だったが、正直なところ、よく知っているとは言えなかった。その顔よりも、背中ばかりを見ていたような気がした。

 未来は自分の父親のことを、彼女のように誇らしく語れるだろうか。少し自信がなかった。

 

 おしゃべりな少女はやかんで沸かした白湯を三人に配って、部屋を辞した。

 

「なにか不便なことがあったら、なんでも呼んでくださいね。ああ、そうだ、それから、隣の部屋にもう一人、お客さんがいるんですけど、気兼ねしないでくださいね。お父さんの古い知り合いらしいんですけど、お父さんに負けず劣らずだんまりで、あんまり出てこないですから」

 

 ぱたぱたと忙しなく去っていく背中を見送って、三人は白湯であたたまり一息ついた。

 

「いやはや。やっぱり北部は寒いな。着込んできたけど、それでもこたえる」

「それに雪がすごいよね。道は雪かきしてあったけど、そのわきに積んだ雪なんて、ぼくより高いもんね」

「この辺りは豪雪地帯ですからなあ……とはいえ、以前はここまででもなかったように思いますが」

「そうなんですか?」

「二十年は前のことですが、もう幾分かは雪も少なかったように思いますな。まあそれでも余所者嫌いは相変わらずと申しますか、何とも懐かしいものですな」

 

 その時は武者修行の一環で山に入っただけで、村にはそこまでかかわらなかったそうではあるが、それでも体感として雪が増えているというのは疑惑の信憑性も増そうというものである。

 

「二十年でそう変わることもありますまいが、まあこの村にはたいした特産はなく、畑も広くは取れず、働き手はもっぱらこの時期の氷精晶(グラツィクリスタロ)採りで忙しい頃でしょうな」

「ただでさえ余所者扱いだし、あんまり邪魔にならないようにはしないとですね」

「左様ですなあ。さて、拙僧の部屋もまずまずぬくまった頃合いでしょう。女性(にょしょう)の部屋にいつまでも居座るのも聞こえが悪い。部屋で休ませていただこう」

「ああ、お気遣いどうも……でも俺、男なんですけど」

 

 紙月が一応付け足しておいた言葉に、ウールソはフムンと髭をしごいて紙月を見下ろした。

 

「うちの事務所にもそのようなものがおりますな」

「えっ」

「えっ」

 

 はっはっはと気持ちよく笑いながら去っていくウールソの背中を見送って、二人は顔を見合わせた。

 異世界どうなってるんだと。

 

 ともあれ、村にはついた

 腰を落ち着けて休むのもいいが、すっかり根付いてしまう前にもう少し村を調べておきたいところである。

 ふたりは装備をととのえると、名残惜しい鉄暖炉(ストーヴォ)のぬくもりからしぶしぶ離れて部屋を出た。

 出たところで、タイミングも良く鉢合わせになったのは見知らぬ人物であった。

 

「ぬっ」

「わっ」

「おっと」

 

 あやうくぶつかりかけた未来が慌てて立ち止まり、紙月が止まり切れずその背を押す。つんのめりかけた未来の体を、ぎょっとしたらしい謎の人物が咄嗟に手を出して支えた。

 妙な体勢で、妙な沈黙が流れた。

 

「あ、ありがとうございます」

「…………うむ」

「ああ、どうも、お隣のお客さんですかね。俺たちはさっきついたばかりのものでして、」

「ああ、すまんが、急ぐ」

 

 紙月がまた営業スマイルで軽妙にからもうとするのを制して、謎の人物はもごもごとくぐもった声でそれだけ告げると、二人を避けるようにしてさっさと立ち去ってしまった。

 

 事前に寡黙とは聞いていたが、ここまで怪しいとは思ってもいなかった。

 なにしろ()()()()としか言いようがない。

 顔も見えないくらいにすっぽりと目深にフードをかぶったローブの人物で、どこに出しても恥ずかしくない不審人物である。

 

 とはいえ、格好に関しては紙月に何をどうこうといえた話ではないので、そのあたりの追及は控えておいた。世の中にはいろんな人がいるのである。

 

「まあ、ああいうのは例外として、一応いろいろ話を聞いて回るのがこの手の依頼(クエスト)の定番だよな」

「そうだね。定番も定番の村長にまた話聞いてみる?」

「うーん。でもさっきの感じだと手ごたえがなあ」

 

 余所者嫌いらしい年寄りの中でも、飛び切り頑固そうな顔をしていたのが三村長の一人郷士(ヒダールゴ)ワドーである。さっきの今で話を聞きに行っても適当にあしらわれそうではある。

 紙月は少し考えて、手分けをしようと提案した。

 

「ふたりしかいないのに?」

「だからこそ役割分担だな。さっきの嬢ちゃんが言ってた、割と話が通じそうな若い連中は俺が当たるよ。未来は年寄り連中に話を聞いてみてくれないか」

「ええ……? なんか逆じゃない? ぼくあんまりおしゃべり得意じゃないよ?」

「なに、お前は聞き上手だよ。俺みたいに下手に口の回るやつは、むしろ胡散臭くて信用できないかもしれねえ」

「胡散臭いって自覚はあったんだね」

「大学でネズミ講とか誘われた時のを参考にしてる」

「参考資料が最悪じゃない?」

「まあ役には立つんだよ。使い方次第だな。大したことも知らんと思うけど、暇してる若い連中なら色々話してもくれるだろうさ」

「その間にぼくはおじいちゃんたちにおやつをもらってこいって?」

「わかってるじゃないか」

 

 子どもの未来があれこれ聞き出そうとするより、むしろ向こうの話したがるところを聞いてくる方がよほど舌の滑りも良くなることだろう。未来は肩をすくめた。

 

「ま、もともと余所者は嫌われてるらしいんだ。期待せずに行こうぜ」




用語解説

・《魔法の絨毯》
 ゲーム内アイテム。使用することで最大一パーティまで、いままで行ったことのある町などの入り口まで一瞬で移動できる。ただし、ダンジョンなどの近くには飛んでくれない。
『これは何故飛ぶのだ? 何故絨毯なのだ? もっとこう、安全なものはなかったのか?』

・ウールソ
 熊の獣人(ナワル)。《メザーガ冒険屋事務所》に所属する冒険屋。
 所長を含む《一の盾(ウヌ・シィルド)》という高名なパーティの一員だったが、ヴォーストに事務所を構えてからはソロでこまごまとした仕事をすることが多い。
 槌を武器とする武の神の武僧だが、最近はあまり手ごたえのある相手がいないのでもっぱら素手。
 人当たりはよく、穏やかな人柄だが、人間の頭蓋骨くらいなら中身入りで簡単に握りつぶせる。

・《縮小(スモール)
 《魔術師(キャスター)》系統の覚える特殊な魔法《技能(スキル)》。
 文字通り対象を小さくしてしまう魔法で、耐久力や攻撃力が落ちる代わりに敏捷性が上がるという特徴がある。敵にかけて弱体化を狙うほか、自分にかけて小さな隙間を通ったり、ゲーム性のあるスキルである。
『《縮小(スモール)》の呪文で小さくなれば食費が減る、ということはない。腹の中のものには魔法がかかっとらんから術が解ければそれまでよ。わかったら出てこんかい盗人め!』

・タマ
 《魔法の盾(マギア・シィルド)》の二人が飼っている地竜の雛。
 帝都大学での実験で生まれ、刷り込みで懐いてしまったために依頼で押し付けられたのだが、賢く大人しく強くと馬としては優良物件。食費が高いのが玉に瑕

甲馬(テストドチェヴァーロ)(testudo-ĉevalo)
 甲羅を持った大型の馬。草食。大食漢ではあるがその分耐久力に長け、長期間の活動に耐える。馬の中では鈍足の方ではあるが、それでも最大速力で走れば人間ではまず追いつけない。長距離の旅や、大荷物を牽く時などには重宝される。性格も穏やかで扱いやすい個体が多い。寿命も長く、年経た個体は賢く、長年の経験で御者を助けることも多い。

郷士(ヒダールゴ)(hidalgo)
 貴族階級と平民の間にある身分。
 主に貴族が不在地主である領地で、代官として領地を治める家。
 一代貴族であるが、通常は長男が次の郷士(ヒダールゴ)として叙任される。

・ワドー
 高齢の人族男性。
 ブランフロ村全体の村長にして第一村のまとめ役。
 元は彼の祖先が人々を率いて開拓を主導し治めたのがブランフロ村の始まり。
 一応はエージゲ子爵に封じられている形だが、後から来ただけの子爵に対していい感情は抱いていない。
 村のためであれば時には冷徹な判断も下す。

・ナガーソ
 第二村の村長にして村で唯一の医者。
 高齢の夜恋(ベラエイル)女性。
 若い頃に帝都で医学を学んでおり、いまも最新の医学知識を得るため新聞や雑誌を定期購読している。
 しかし郷土愛は強く、若者が村を離れていくことには頭を抱えている。

夜恋(ベラエイル)
 土蜘蛛(ロンガクルルロ)の氏族の一つ。
 ひときわ強い毒を持つ、と噂されるが、彼女らの持つ毒は大抵の隣人種にはしびれる程度のもの。
 実際には自前の毒よりも、様々な毒と薬の調合を得意とする調薬職人。
 その毒は恐れられ、時に迫害されることもあったが、優れた薬学知識は侮れるものではなく、権力者とつなぎを得るものも多いとか。
 このような相反する性質から、森の奥に潜む魔女というイメージにもなっているようだ。
 また、土蜘蛛(ロンガクルルロ)の中では柔らかい体つきをしているため、その美しさに惑わされるという逸話も多く残っている。
 大抵の場合、その美しい夜恋(ベラエイル)というのは男性のことだが。
 医の神オフィウコを信仰することが多いが、鉱石を用いた薬や毒もあるため、山の神や火の神にも祈りを捧げる。

・カンドー
 高齢の還安(ト・エライア)男性。
 第三村の村長にして葡萄酒(ヴィーノ)醸造家。
 彼の父の代から葡萄(ヴィンベーロ)畑と葡萄酒(ヴィーノ)醸造所を立ち上げ、彼の代でようやく売り物になる葡萄酒(ヴィーノ)ができた。
 そのことから葡萄酒(ヴィーノ)には並々ならぬ自負がある。
 物腰穏やかで何事にも控えめだが、きっちり不満は溜めているタイプ。

還安(ト・エライア)
 天狗(ウルカ)の氏族の一つ。
 珍しくあまり高慢ではない。
 性格は臆病で慎重なところがあるが、一度慣れるとやや図々しいところも。
 能力的には凡庸で、戦闘能力はほとんどなく、人里で暮らすものが多い。
 東西大陸のどちらにおいてもよく見かけられ、一般に天狗(ウルカ)としてよく知られる氏族の一つ。
 天狗(ウルカ)では珍しく農耕を営むことが知られ、よく果樹などを育てて果実を採っている。
 天狗(ウルカ)の国アクチピトロにおいては労働階級であり、細々とした雑用を務める。
 またその温厚な気質から、支配階級の子息の乳母などもすることがある。
 その性格は人里でも受け入れられがちだが、たまにナチュラルな上から目線が出てくることも。

・アンドレオ(Andreo)
 ポルティーニョの父親。
 迎賓館の管理の他、山の見回りなどを任されている。
 元は余所者であり、ポルティーニョの母と結婚して村に根付いたという。
 多くは語らないが、鍛えられたその身体から、冒険屋や傭兵の類だったのではないかとも噂される。
 三村長からも信頼されているが、本人はあくまでも一線を引いているところがある。

・謎の人物
 クローズド・サークル・ミステリであれば犯人か第一被害者になりそうな不審者。
 顔がわからないのをいいことに別人の死体と入れ替わって舞台裏で暗躍しそうな怪しさ。
 しかし、別にそう言うことはない。


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第三話 インタビュー

前回のあらすじ

やってきましたブランフロ村。
しかし老人たちからはあまり歓迎されていないようで。


 吟遊詩人の歌うところでは、森の魔女と盾の騎士はいつも二人一組で冒険しているものと相場が決まっているが、実際のところ二人はいつもいつでもべったりというわけではなかった。

 

 紙月は未来の保護者を自任しているが、その方針はほとんど放任と言っていい。相方であると認めつつも、普段は未来を普通の子ども扱いするし、その子どもの未来が不当な扱いを受けたり、ひどいことを言われようものならばそれこそ「母猫のように」荒ぶるが、日中の多くの時間は別行動している。

 冒険屋の仕事ともなればそれはもちろん二人で行動するが、そうでないときの紙月は事務所で内職に励むか、ふらっと散歩に出ては若者たちの将来を歪ませたりと気ままなものだ。

 

 未来は未来で、朝からジョギングがてら先代スプロ男爵であるアルビトロ・ステパーノ氏の邸宅を訪い、昼まで稽古を見てもらう。その後は買い食いしたり適当に子供の相手をしたり、時には本屋をのぞいたりもする。事務所に帰っても、本を読んだり軽い柔軟や筋トレに励んだりと、大体のことは一人で済ませてしまうのだ。

 

 冬場はどうしても寒く、そして肉の薄い紙月は寒さに弱いので、暖炉の前に陣取って未来を湯たんぽにする姿が見られるが、それだって一日のうちのほんの少しだ。

 

 だから役割分担と称して別行動したところで未来は別にさみしくもなんともないのだが、それはそれとして全然知らない土地で全然知らない人たちにこれからインタビューしてこないといけないと思うと、あまり気楽でもなかった。

 紙月に子ども扱いされるとちょっとむくれる未来だが、こういう時ばかりは都合よく「僕、小学生なんだけどなあ」などとぼやいたりもするのだった。

 

 まあ不安と緊張ばかりかというとそうでもなく、こうして一人前っぽい仕事を任されると、ちゃんと相棒として見られているんだなと奮起もするのだから、そんな自分に安い男だなと自嘲したりもする。子供と言えば子供だし、ませているといえばませている、そんなお年頃なのだ。

 

 そんな落ち着かない気持ちのままで、未来は村長屋敷を再び訪れた。

 訪れたが、しかしさっそくどうしたらいいのか未来は立ち尽くした。

 あいさつに来たときは、まさしくあいさつという用件があって、その旨を伝えればよかった。

 しかし今度は、さっきのいまで早々に、しかも付き添いの子ども一人で舞い戻り、具体性もなくざっくりと「村の話」を聞こうというのである。

 

 村長という村のトップに話を聞きに行こうとするよりも、適当に村を歩いて暇そうな老人にでも聞いたほうがいいだろうか。いやでも暇そうな老人がそんな核心的な情報を持っていたりするだろうか。いやゲームだったらそりゃ村人全員に話しかけたりもするし、思わぬところから情報が出てきたりするけど。いや、でも、いや……。

 

 未来が雪道でぽつねんとフリーズしかけてきたころに、変化はあった。

 

「おや。君は芸術家のセンセイの……ひとりでどうかしましたか」

 

 腰をかがめて目線を合わせてきたのは、柔らかく白い飾り羽が雪に溶け込むような、柔和な天狗(ウルカ)のカンドーであった。第一、第二、第三と別れるブランフロ村の、いちばん山奥にある第三村の村長である。

 西部の高慢で、猛禽の猛々しささえある天狗(ウルカ)に慣れた未来にとって、子供の目線に合わせるカンドーはなんだか不思議に思えてならなかった。

 それによそ者嫌いだと聞いていたが、子どもの未来相手ではそれも出てこないらしい。

 

「あ……えっと、はじめまして、じゃなくて、えー……改めまして、未来って言います」

「フムン。ミライくんですね。センセイはどうしました」

「紙月は、えー…………創作意欲が抑えられなくなって飛び出しちゃって」

「はあ、芸術家というのはよくわかりませんね。君も大変だ」

 

 言い訳を何も用意していなかったので、とっさにかなり適当なことを言ってしまったが、カンドーはそれでもそれなりに納得したらしかった。カンドーが特別寛容なのか、それとも芸術家というのは世間的にもそういう奇行をしそうな人種だということなのだろうか。

 ごめん紙月、と未来は脳内でそっと謝った。そしてその直後には、考えてみれば普段から紙月はふらっと出歩くことがあるなと思い直した。たいていはどっかで飲んでるので、芸術家のほうがまだよかったかもしれない。

 

「子どもの遊ぶようなところもありませんし、君も一人では退屈でしょう。寒いですから、おあがりなさい」

「いいんですか?」

「子どもが遠慮するものじゃあないですよ。私も暇なんですから、じじいの暇つぶしにちょっと付き合ってくださいな」

 

 柔らかく微笑む性別不詳の美人は、どうやら男性でしかもなかなかに高齢であるらしかった。

 天狗(ウルカ)は本当に、外見から詳細のうかがえない人種である。

 

 三棟ある村長屋敷の、左端の一棟が、カンドーとその家族が住まう棟であるという。

 客間や応接室などといった来客用の部屋を素通りし、カンドーは暖炉で心地よく暖められた居間に未来をあっさり通してしまった。そこでは揺り椅子に揺られて、美しい天狗(ウルカ)がひとりまどろんでいた。

 カンドーがずりおちた毛布をかけなおしてやる姿に、奥さんだろうかと何となく見ていると、彼は少し照れ臭そうに笑った。

 

「父です。最近は年のせいか寝てばかりでね」

「えっ」

 

 未来にからすれば兄弟くらいにしか見えない父親から少し離れたところに椅子とローテーブルを構えて、カンドーはやさしく未来に勧めた。素朴な木製のそれらは、あめ色に年経ていた。

 

 未来がおずおずと腰を下ろすと、暖炉にかけていた大きなやかんから白湯を注いでくれた。どうやらこのやかんは常にかけっぱなしで、その蒸気で湿度を保っているらしかった。

 白湯を受け取ると、木のカップ越しのぬくもりに指先がじんわりと温まるのを感じた。思ったよりも、指先は冷え切っていたらしい。

 

「ありがとうございます」

「君は礼儀正しい子だね。村の子供も、もう少しかしこいといいのですが」

 

 どうこたえるのが正解かわからず、未来はあいまいにほほ笑んだ。

 

 暇をしていたというカンドーの言は正直なところだったらしく、この若々しい老人は未来にあれこれ尋ねた。どこから来たのか。芸術家のセンセイとの関係は。この村はどうだろうか。もごもごと口ごもりながらも、きちんと筋道を立ててしゃべろうとする未来に、カンドーは感心したようだった。

 

 インタビューに来たはずが、自分のことばかり喋ってしまった。未来はなにかいいきっかけになるようなものはないだろうかと苦し紛れに室内を見回す。暖炉の明かりに照らされた薄暗い室内。静かな寝息を立てるカンドーの若く美しい父親。湯気を上げるやかん。木彫りの熊木菟(ウルソストリゴ)。なにか、なにかないか。

 

「あれ……?」

「うん? どうしました」

「これ……絵ですか?」

「ああ、暖炉の火だけでは、見づらいかな」

 

 薄明りのなか、壁になにか模様が、と気づいて目を凝らしてみれば、壁一面に大きな油絵がかけられているようだった。

 カンドーがろうそくに火をともして掲げてみれば、その全体像がぼんやりと浮かび上がってくる。

 全体的に広がる緑色は、葉っぱの色だ。鮮やかな緑の葉が、絵の全体を占めている。

 その合間合間に、農業従事者たちと思われる姿が見え隠れし、何かしら世話をしているらしかった。

 

「これは……?」

葡萄(ヴィンベーロ)畑だよ。第三村で、私たちが育てているんです」

葡萄(ヴィンベーロ)? 雪国でも、育つんですか?」

「育てたんですよ。頑張ってね」

 

 カンドーの声には、確かな自負がこもっていた。

 葡萄(ヴィンベーロ)は、地球で言えばぶどうのことだ。もともとブランフロ村のあたりにも、野ぶどうや山ぶどうは自生していたらしい。

 第三村はそういった果実などの山の恵みを管理し採取していたのだが、山ぶどうが自然に生えているのだから、葡萄(ヴィンベーロ)作りだってできなくはなかろうとカンドーの父が果樹栽培を始めたのだそうだった。

 

 最初は失敗ばかりだったが、高価な農学書を買い求めたり、何年もよく観察を重ねることで、カンドーの代にはある程度安定して収穫できるようになり、葡萄酒(ヴィーノ)の醸造も手掛けるようになったのだった。

 

「この絵もね、悪趣味だとか成金だとか言われましたが、父が画家を呼んで描かせたんです。ほら、ここで偉そうにしてるのが父です」

「あ、じゃあ隣はカンドーさん?」

「ええ、このころはまだ若いですね」

 

 未来には違いがわからないが、絵はそれなりに年季が入っているらしいことを思うと、カンドーが若いころに描かれたのは確からしい。

 

「これは夏ごろですね。ごらんなさい、緑のひもがあちこちに結ばれているでしょう。葡萄守(ヴィンガルディスト)を真似てるんです」

「ヴィン……?」

「蛇です。ほら、このあたり……この緑の蛇です。葡萄(ヴィンベーロ)をつまみますが、それ以上に害鳥や害獣を食べてくれるんです」

「果物を食べる蛇がいるんですか……!?」

「ええ、ええ、たまにしれっとやってきてね、卵でも飲むように一粒パクっとくわえて飲み込んでいくんです。こちらでは間引きをしていますね。葡萄(ヴィンベーロ)棚が低いので、みんな腰をかがめてもぐりこんで、つぼみや粒を間引くんです。そうすると、栄養が少ない果実に集まってよく育つんです」

「立って作業できるように、棚は高くしないんですか?」

「いい質問です」

 

 最初は、葡萄(ヴィンベーロ)棚は高く作っていたそうだ。しかし雪が積もってくると、重みで棚が壊れてしまう。葡萄(ヴィンベーロ)の木も折れてしまう。毎日雪を払ってやった木も、なんと寒さのあまり凍ってダメになってしまう。

 ところが翌年、春になってみると雪の下から無事に生きている葡萄(ヴィンベーロ)の木が見つかった。それは植え付けが悪くて、斜めに低く伸びてしまったものだった。

 カンドーの父がそれに気づいて、ブドウの木を斜めに植えてみることにした。棚も低い位置に作ることにした。それでも雪が積もると棚は壊れてしまったが、雪の下にすっぽり埋まってしまった木は、雪解けになれば緑の葉を出してくるのである。

 

「雪に埋まっちゃったほうが元気だったんですか?」

「ええ。雪国で育っていないと不思議に思うかもしれませんがね、雪の中はあったかいんですよ」

「ええ……? あっ、越冬野菜みたいなことですか?」

「君は賢いですね」

 

 以前、未来は雪の下に埋めておいた野菜を温泉宿で食べさせてもらったことがあった。これは保存がきくだけでなく、野菜が寒さに耐えようと糖度を高めるため、甘くておいしい。その時に知ったのだが、雪は意外にも熱を通さないようにできていて、外が氷点下の恐ろしい寒さであっても、雪の中は氷の温度よりも低くなることがないのだという。

 

 葡萄(ヴィンベーロ)の木もそのようにして、雪の下で越冬するのだという。いまでは棚も冬になれば解体して外してしまい、木を地面に寝かせて雪の下に眠らせるのだという。

 その作業は一苦労だが、しかし寒さは悪いことばかりでなく、収穫の時期を少しずらすと面白い葡萄酒(ヴィーノ)もできるという。

 

「まだ安定はしていないんですがね。冬に入って、雪が本格化する前に、うまく冷え込むと、葡萄(ヴィンベーロ)が凍るんです。凍ると水分が抜けて、甘みが残る。この葡萄(ヴィンベーロ)を収穫して酒にすると、驚くほど甘くおいしい葡萄酒(ヴィーノ)ができるんです。水分が抜けただけ、とれる量は減りますがね」

 

 氷葡萄酒(グラツィヴィーノ)と彼が呼ぶそれは、毎年小さな樽に一つ作れるかどうかという量しか取れないのだという。しかしこれがもっと安定してつくれるようになれば名産になると、カンドーは葡萄(ヴィンベーロ)畑の改良を続けているのだという。

 

 カンドーは葡萄(ヴィンベーロ)畑について大いに語り、それから、君はまだ子供だから飲ませられないのが残念だと言って、葡萄酒(ヴィーノ)のかわりに干し葡萄(ヴィンベーロ)を土産にくれた。

 驚くほど濃厚でねっとりとした甘さがして、アルコールは含まれていないはずなのに、たくさん食べると酔ってしまいそうだった。

 

「うん? なんだい、さっきのおちびじゃないか」

「おやナガーソ。また葡萄酒(ヴィーノ)ですか。医者が飲みすぎじゃ笑えませんよ」

「医者だから飲むんだよ。酒は百薬の長だ」

「飲んだくれてないで、たまには医者のセンセイらしくなさい」

 

 このおばちゃんも暇してますから付き合ってあげてください、などとのたまって、カンドーは未来を押し出した。

 ああん、とガラの悪い声を上げるナガーソに、カンドーはどこ吹く風でしれっとしたものだ。見た目は逆なのだが、カンドーからすればナガーソはまだ小娘なのかもしれない。

 

 隣の棟、つまり村長屋敷の三棟のうち真ん中の棟に、ナガーソは居を構えていた。

 渡り廊下を抜けてついていくと、なんだかナガーソの棟では不思議な香りに切り替わった。カンドーの棟はどこか甘いような葡萄(ヴィンベーロ)のにおいがしたものだが、こちらはなんというか、すっとした清涼感のある香りや、ピリリとした香り、アルコール臭いにおいもする。

 気になった未来が鼻を引くつかせると、()()()()でそれに気づいたナガーソは鼻で笑った。

 

「薬臭いだろう。子どもにはちょいと嫌な臭いかもね」

「不思議なにおいはします……でも嫌いじゃない、かも」

「へえ?」

 

 ずいぶんむかし、と言っても未来の年齢だから数年前のことだが、祖父母の家にいったときのことを、ふと思い出した。畳にしみ込んだ線香のにおいや、タンスの防虫剤のにおい、蒸し暑い風にまじる蚊取り線香、縁側でかいだ土のにおいと、木々のにおい……。

 においと記憶は不思議なものだ。ナガーソの家に染み付いた多種多様な薬草の香りは、全然違うものであるはずなのに、その中にほんの一筋、未来のふところの深いところで眠っていた思い出を、不思議に思い起こさせる香りがあった。

 

 ナガーソの居間は、カンドーのそれと比べると手狭だった。

 いや、間取りで言えば同じようなものなのだろうが、とにかく物があって雑然としていて、狭く感じるのだった。壁には棚が据えられ、たくさんの引き出しや、瓶詰の薬草や鉱物が並んでいた。天井からも様々なものがつるされていて、丈の長い草や花が干されていたり、不思議植物が根を張る鉢がぶら下がっていたりもした。

 まるで魔女の家みたいだ、と未来はなんとなく思った。古いおとぎ話の中の、橙色の火に照らされた物語の魔女の家。

 

 その家の主であるナガーソは、まさしく物語の魔女のごとく、暖炉にかけた鍋をおたまで軽くかき混ぜていた。そして中に入ったなにやら赤い液体を木のカップに注いで、未来に渡してくる。

 なんだろうとおずおず受け取ってみれば、ふわりと立ち上るのは、ぴりりとしたスパイスの香りに、甘いブドウの香り。

 

温葡萄酒(ヴァルマ・ヴィーノ)だよ。酒精はもう抜けてるから、気にせずお飲み」

 

 ホットワインだ。以前、未来もお祭りの時に飲んだことがあった。

 適当なところに座れ、と言われて、未来は何とか椅子を発掘して腰を下ろした。

 火傷しないようにさましながら口をつけた温葡萄酒(ヴァルマ・ヴィーノ)は、以前飲んだものと比べて、驚くほど複雑で不思議な香りがした。そして煮詰まったためか、驚くほど甘い。

 未来が目をしばたたかせると、ナガーソはちょっと笑った。

 

「子どもにゃちょいと刺激的かもね」

「前に飲んだのよりすごく香りがよくて……なにが入ってるんですか?」

「さあ、なんだったか……そこらのものを、思い付きで入れたからね。まあ体に悪いもんは入ってないよ」

 

 ちょっと不安になるようなことをしれっとのたまって、ナガーソは積み上げた本にどっかりと腰を下ろした。

 

「妻がいたころは、あいつがいつも丁寧にいれてくれたもんだがね。自分一人だと適当なものさ」

 

 土蜘蛛(ロンガクルルロ)は性的二形が著しい。往々にして女性は大きく力強く、男性は小柄で繊細だ。

 彼女らの社会では男性の配偶者はもっぱら妻と呼ばれ、家のことを受け持つのが土蜘蛛(ロンガクルルロ)流だ。土蜘蛛(ロンガクルルロ)男性も手仕事を好むけれど、結婚すると女性は過保護になり、あまり手を怪我するようなことはさせないようにするらしい。

 ナガーソは妻を思ってか、寂しげに息をついた。

 

「あいつ、寒いからって東部に旅行に行っててな」

「あ、お元気なんですね」

「元気も元気だよ。あたしより元気だ。帳面何冊かレシピで埋めるまでは帰ってこないだろうね」

 

 ナガーソの妻は料理が好きで、いろんな地方の料理を覚えてきては、ナガーソに食わせて記録を残しているのだという。薬膳が多いのを見るに、実験体にされてるんじゃなかろうかとナガーソはぼやいた。

 

「それでなんだい。芸術家のセンセイは子どものお前をほっぽって遊びにいったのかい」

「遊びにってわけじゃないですけど……僕は一人でも大丈夫なので」

「子どもがさかしいことを言うんじゃないよ。そりゃ間抜けより賢いほうがいいけどね、あんまり賢すぎても生意気だけさ」

「ええと、ごめんなさい?」

「フン」

 

 ナガーソにしてみると、未来はどうも生意気らしかった。

 未来にしてみてもまあ、小学校でよくほかの児童に生意気とは言われたので、わからないでもない話ではあった。あんまり子どもらしくない子どもなんだろうなとは。そういうこまっしゃくれた態度がまた生意気なのだろうが、もはやこれ性分であった。

 

「あたしの息子も生意気でねえ。いまはもっぱらあいつが村の往診をしてるんだがね、あれやこれや言うことなすこと鼻につくもんさ」

「息子さんもお医者さんなんですね」

「息子もあたしも、あたしの親も医者さ。代々医者だよ。あのバカ息子は、帝都大学に通わせてやったんだがね、それを鼻にかけてんのさ。あいつのお勉強してきたようなことなんざ、あたしらが実地で学んできたことにも及ばないよ。そりゃ地方だから配達も遅れはするがね、医学誌だってあたしゃ購読してるんだから」

「でも、大学出てるってことは、すっごく優秀なんですね。僕のまわりはあんまりそういう人いなくって」

「ああん? まあ、そりゃあね。医者の息子なんだから、そりゃ優秀は優秀さ。現役の医者に教わって、それでダメだったらいよいよ使い物にもならんだろうさ」

「それに、帝都で学んだのに、村に帰ってきて、家を継ごうなんてすごい。僕んとこは、みんな実家には帰りたくないっていうんです。帝都って、いろんなものもあるし、便利でしょう。それでも息子さん、村に帰ってきたんですね」

 

 医者の家の長子と、農家の三子四子が食い詰めた冒険屋などでは、そもそも比較にもならないのだが、未来はしれっとごっちゃにしてしまった。まず家を継ぐとか実家に戻るとかそういう考え方が、未来にとってはあまり実感の持てない世界なのだ。

 それでも、不便な地元に戻ろうというのは郷土愛があるのだなというのはわかる。帝都のような便利でなんでもある街を一度経験すると、西部の小さな町であるスプロなどはいかにも田舎で不便に感じる。それどころか、未来はもっと快適で便利な日本で生まれ育ったのだ。その落差はたまに苦痛だ。

 

 ナガーソはもごもごと何やら言葉を口の中で転がしてから、温葡萄酒(ヴァルマ・ヴィーノ)でそれを飲み下した。

 

「まあ。そう、まあ、なんだい」

「はい」

「…………自慢の息子ではあるがね」

 

 ぼそりとつぶやいて、ふく、とナガーソの鼻の穴が膨らんだ。

 

「まあ、うるさく言っては来るがね、あたしも年だ。往診だってしんどいし、家でおとなしくしてろってのは、わかる話さ。生意気って感じるのも、あたしが老いぼれたってことだろうしね」

「息子さんのこと、かわいいんですね」

「わかったようなこと言うんじゃないよ。……ただまあねえ、もうすこし、子どもでいてほしかったもんだよ」

 

 ナガーソは少し寂しそうに言って、ごまかすように温葡萄酒(ヴァルマ・ヴィーノ)を勢いよく飲みほした。

 それから、長い四つ腕でがさごそと棚をあさり、ガラスの小瓶をよこしてきた。

 中にはきらきらと緑色にきらめく飴玉がつまっていた。口止め料なのかなんなのか。

 一つつまんで口に放ると、漢方のような不思議な香りと味わいがした。

 

「うまいか」

「……体によさそうな味はします」

 

 ナガーソは膝を叩くと、息子と同じことを言うとゲラゲラと笑った。

 そうしてひとしきり笑った後、あたしも暇じゃないから、じいさまに遊んでもらえと、ナガーソは未来を最後の棟に押しやった。

 

 村長屋敷の最後の棟。

 あいさつに来た時に通された棟であり、ブランフロ村全体の村長であるワドーの住まいだった。

 

「なんだ小僧。ガキの遊び場じゃあないぞ」

「子ども相手に何です。せっかく遊びに来てくれたんですよ」

 

 (いわお)のような顔をますます渋くさせてうなった村長ワドーをたしなめたのは、よく肥えた老女中だった。未来がおずおずと顔を出したところに、まあまあまあまあかわいいお客さんが、と有無を言わさず引っ張ってきた、なんとも押しの強い人である。

 

 居間の暖炉の火にあたりながら、しげしげと紙月の魔術彫刻を眺めていたこの老人は、事前に聞いていたよそ者嫌いという村人の特徴を大いに代表するようであった。露骨に邪険にされて、むしろ未来はちょっとほっとしたくらいであった。

 

 老女中は全くかけらほども気にした風もなく、未来に椅子を用意して、すこしくたっとしたクッションもくれた。それに程よく温かい白湯に蜜を垂らしてよこしてくれた。そのすべては鼻歌でも歌いだしそうなほどにこやかであり、不機嫌そうなワドーと何から何まで対照的である。

 

 なんだかんだ子ども相手にはいろいろと甘かったカンドーとナガーソとは違い、ワドーは未来にちらとも視線をよこさず、手元の魔術彫刻をじっくりと検めていた。

 

 素材は水精晶(アクヴォクリスタロ)だ。ある種の魔力を注ぐか、少量の水を呼び水として与えてやると、産出地に応じた性質の水を生み出すものだ。これであれば、『せせらぎ』として売られているもので、程よく冷たく、わずかに甘い小川の水がこぼれる。

 それは結局生水なのでは、と小学校で習った「川の水は飲んではいけません」という程度の知識を思い出しもしたが、水精晶(アクヴォクリスタロ)が生み出すのはあくまで水だけだという。ミネラルは含むが、寄生虫などの生き物は含まない。都合がいいというか、なんというか。

 

 この素材自体は、実はたいしたものではない。石売りが雑に箱に詰めて売って回るような、質のよろしくない安物と言っていい。たくさん採れるとか、たいして水が出ないとか、形が悪いとか、理由は様々だ。

 

 しかし、加工技術は尋常ではない。それは外側が磨かれていることだけでなく、()()()()()()()()()という事実である。

 レーザー彫刻というものを知識としては知っている未来でさえすごいことをしているなと漠然と思うほどなのである。長年氷精晶(グラツィクリスタロ)を扱い、村長として様々に見聞きしてきたワドーでさえ、こんな珍妙な品は見たことがない。土蜘蛛(ロンガクルルロ)の細工物でさえ、石の内側に加工したものなどありはしない。

 

「なんだこの変態技術は」

「変態技術」

「お前んとこのセンセイは、頭がおかしいのか」

「そんなにはおかしくないです」

「そんなには」

 

 ワドーは魔術彫刻を、カップの白湯に軽く浸して持ち上げた。

 未来にはそれがどういう原理で理屈なのかよくわかっていないのだが、水に触れた水精晶(アクヴォクリスタロ)は染み出すようにさらさらと水を吐き出す。そういうものなのだ。

 水の中で産出されるらしいのだが、なぜかその水中では水を吐き出さない。自然現象の余剰エネルギーが結晶化したものとか何とかいう代物であり、周囲にそのエネルギーが満ちている環境では外圧が強いために水を吐かない、んだと思う、多分、そんな感じじゃねえかなあ、と紙月もふわっとした理解だった。

 ともあれ、水に触れて反応し、水を吐きだしたということは、これは偽物ではなくちゃんと水精晶(アクヴォクリスタロ)だということの証明でもある。

 

 ()めつ(すが)めつその様子を眺めて、指で触れて水の味も見て、ワドーは黙り込んだ。黙り込んで、水の止まった魔術彫刻を雑に卓に放った。漏れ出たため息は、あきらめか、困惑か、それとも老体にはこたえる珍妙な物体に対応する疲労か。

 

「えっと……」

「話すことはない」

 

 ぴしゃり、と音がしそうだった。

 ワドーは目も合わせない。

 

「お前んとこのセンセイが、氷精晶(グラツィクリスタロ)が欲しいというんなら、村の備蓄を融通してもいい。だが売り物になるようなもんは、子爵に売っちまっている。山も荒させん」

 

 だからあきらめろ、さっさと帰れ。ワドーは巌のような顔でそれだけ一方的に告げた。

 これがよそ者嫌いというやつだろうか、と未来は少し考えた。

 カンドーやナガーソは、いろいろと喋ってくれたが、あれは紙月の目論見通り子どもの未来が相手だったからだろう。それに、話す内容も大したものではなかった。差しさわりのないことばかりだった。

 果たしてワドーのかたくなさは、単なるよそ者嫌いだろうか。よそ者を嫌うにも理由があるだろうから、単なるなどと矮小化していいものでもなかろうが、しかし感情的なものばかりが理由なのだろうか。

 

 あるいは秘密を隠しているがために、その露見を恐れているのではないか……などということを未来は軽く考えて、それからぺいっと明後日のほうへ投げ捨てた。

 未来にはそういうのはわからない。誰かの秘密を暴いたり、気持ちを察したりというのはどちらかと言えば紙月のほうが得意だ。未来からすると、()()()()()()()まである。

 

 かたくなに隠していることを探ろうとしたところで、一層深いところに隠しなおされるだけだ。

 なので未来のスタンスはいままでと同様、興味のあることを素直に聞くことだけである。

 

氷精晶(グラツィクリスタロ)ってどんなのですか?」

「あア? お前、知らないで探しに来たのか」

「探してるのは紙月で、僕はまだ見たことないです」

「ものを知らんガキだな」

 

 ワドーは未来の顔をまじまじと見つめて、それからのっそりと立ち上がった。棚に飾ってあった水晶のようなものを手に取り、無造作に未来に押し付けてくる。

 両手で受け取ったそれは、大人のこぶしより一回りくらい大きく、ずっしりとした重さがあった。少し白みがかったガラスのような色合いで、肌にひんやりと感じられた。

 

「思ったより冷たくないんですね」

「本当にものを知らんな」

 

 ワドーはあきれたように言って、がさついた声で教えてくれた。

 氷精晶(グラツィクリスタロ)は、氷とは言うが実際には冬の寒さをため込んだ冷気の結晶だ。水精晶(アクヴォクリスタロ)が水を生むように、氷精晶(グラツィクリスタロ)は冷気を吐き出す。

 水精晶(アクヴォクリスタロ)が普段は安定していて、呼び水を与えられたときにはじめて水を生み出すように、氷精晶(グラツィクリスタロ)もまた雪や氷の冷気に触れたときに反応するのだ。

 そしてまた、水精晶(アクヴォクリスタロ)が自然の水の中に沈んでいるときは安定していて水を生み出さないように、氷精晶(グラツィクリスタロ)も冬の寒さの中でさらに冷気を吐き出すことは、普通はない。

 

 氷精晶(グラツィクリスタロ)を用いた氷室や冷蔵庫は、断熱密閉した容器の中に氷精晶(グラツィクリスタロ)を詰め、雪や氷、またすでに冷気を発している氷精晶(グラツィクリスタロ)を加えたり、また魔力を加えて励起状態にするのだという。

 冷気を吐き続けて、だんだんと弱まってきたら、新しい氷精晶(グラツィクリスタロ)を詰める。すると、弱い冷気に感応して、氷精晶(グラツィクリスタロ)はまた冷気を吐き出す。このように安定して冷えるのだとか。

 

水精晶(アクヴォクリスタロ)が水の中で採れるなら、氷精晶(グラツィクリスタロ)は雪に埋まってるんですか?」

「雪の下やら、氷柱(つらら)やら、よく冷えた洞窟の中やら、いろいろだ。万年雪の下に、でかい鉱床が眠っていることもある」

「見た目は氷みたいなのに、区別できるんですか?」

「色味が違う」

「僕、市場とかで見たことないんですけど、たくさん採れるんですか?」

「たくさんもたくさんだ。俺らは子爵に卸しているが、子爵はそれを帝国中に売りさばいとる」

 

 氷精晶(グラツィクリスタロ)が採れるのはブランフロ村だけでなく、相当量が毎年取引されているが、そもそもそれを使用する冷蔵庫や冷房器具は一般家庭に普及していないので、未来が見たことがないのも道理である。

 店舗の大型冷蔵庫や、冷蔵車持ちの運送業、貴族の邸宅でもなければ見られないだろう。

 

 未来がまじまじと氷精晶(グラツィクリスタロ)を眺めていると、老女中が焼き菓子を持ってきてくれた。飾り気のない円いクッキーで、表面もどこか、ごつごつとしている。

 礼を言ってかじってみれば、少しぼそぼそとしていて、口の中の水分を遠慮なしにもっていく。

 

「うまいか」

「えー、と」

「うまいわけがあるかこんなもん」

「えぇ……」

 

 ワドーはクッキーをつまんでバリバリと咀嚼し、渋い顔で飲み下した。

 未来は遠慮して口には出さなかったが、実際、手放しでおいしいといえるものではなかった。

 バターなどの油脂をあまり使っていないのか口当たりは悪いし、砂糖なども乏しいのか甘みも弱い。栗のような香りが、するような、しないような気はする。無心でぼりぼりかじっていると、わずかながら苦みも感じられる。焦げた苦さではない。素材由来の苦みだ。

 

馬栗(ヒポカシュターノ)だ。甘みもない。渋みやえぐみがひどく、毒さえある」

「毒!?」

「これは毒も渋も抜いてある。二か月、三か月とかけてようやくな。ひどく手間がかかる割に、うまくもない。都会もんの小僧にはわからんだろうな、こんなもんを食う俺らのことは」

 

 いわば救荒作なのだ、馬栗(ヒポカシュターノ)とは。

 本来主食とする作物の実りが悪い時に、かさましとして食いつなぐための、一時しのぎの食糧。

 だがブランフロ村では、それが常態化していた。作物の実りが悪いなどというのは、いつものことだった。

 

「傾斜のきつい山間の村だ。いまあるささやかな段々畑を整地するのにさえ、何代もかかった。寒さや雪に耐える作物を品種改良するのに、さらにかかった。こんなくそまずい馬栗(ヒポカシュターノ)さえ、わざわざ植林して増やさにゃならんかった」

 

 そしてそれらはすべて、誰の助けもなく、何の後ろ盾もない無力な人々から始まった。

 流浪の民だった始祖は、長い旅の果てに一筋の川の流れに頼って村を起こした。百人ばかりの雑多な人々は、冬の寒さに凍え、雪崩に押し流され、飢えにあえぎ、獣と争い、病に倒れ、それでも生き抜いて開拓を続け、ここまでやってきた。

 何も持たず、何者でなかった人々が、この地を我が家と定めて、一つ屋根の下で今日までやってきた。

 

「子爵家なんぞは、あとからやってきた新参者のよそ者にすぎん。氷精晶(グラツィクリスタロ)に目を付けた利にさといやつばらだが、役には立つのでつるんでいるだけだ」

 

 その自負たるや、いかほどのものであろうか。

 思えば、未来には甘い対応をしてくれたカンドーも、ナガーソも、どちらも村に対しての感情は強いものがあった。

 カンドーは難しい土地で育て上げた葡萄(ヴィンベーロ)畑を誇り、ナガーソは最新の医術を学びながらも村から出ようとはしない。

 

 だからこそのよそ者嫌いなのか、と未来は思った。

 金は欲しい。強い作物も欲しい。便利な道具も欲しい。使える知識も欲しい。娯楽となる人や物も欲しい。

 だがそれらは、あくまでも必要だからだ。この村に必要だからだ。村を守り、存続させていくのに、どうしても必要だから、仕方ないから。

 あくまでも、この村がすべてなのだ。村のためだからなのだ。

 しかし、それ以上は、()()()、と。

 自ら血と汗とをもって開拓してきた村が、よそ者に介入されたり、よその事情に左右されたり、そういうのは()()()()()()()のだ、と。

 

 けれどその意地も世代を経るごとに薄まり、若者たちは都会にあこがれ、村への執着も弱まりつつある。

 そのことがさらに老人たちをかたくなにさせているのかもしれなかった。

 

「っていう感じだと思うけど、あんまり役立つ情報でもない、かな」

 

 肝心の氷精晶(グラツィクリスタロ)の事情に関しては触れることもできないままだった。

 干し葡萄(ヴィンベーロ)に飴玉に馬栗(ヒポカシュターノ)のクッキーとたくさんのお土産を抱えて出てきた未来だったが、荷物とは裏腹に得られた情報はわずかだ。

 

 まあでも、僕はそういうスキル持ちじゃないんだし、と誰にともなく言い訳しながら歩いていると、閑静な村には似つかわしくないにぎやかな声が聞こえてくる。

 姿も見ないうちから、未来はなんとなく察して、なんとなく生ぬるい目つきになるのであった。




用語解説

・アルビトロ・ステパーノ

葡萄守(ヴィンガルディスト)(Vingardisto)
 ブドウモリ。鮮やかな緑色の体色をした蛇。
 葡萄(ヴィンベーロ)の木周辺を住処としてよく見られる。
 季節になると葡萄(ヴィンベーロ)を食べるが、少量で満足する。
 熟すまでの間は、葡萄(ヴィンベーロ)の木にやってくる害鳥や害獣、また害虫も捕食するため、葡萄(ヴィンベーロ)農家には重宝される。
 果実が熟すと害獣退治はあまりしてくれないが、代わりにこの蛇を模したひもなどを吊るしておくと被害が減る。
 葡萄(ヴィンベーロ)の香りに引き寄せられるとされ、葡萄酒(ヴィーノ)などを栓が開いた状態で近くに置いておくと、もぐりこんで中で泥酔して溺死してしまうという。
 昔話などにも、葡萄酒(ヴィーノ)に酔っぱらって捕まった悪蛇が、葡萄(ヴィンベーロ)の番人をするから許してくれと乞うた話が残っている。
 なお、葡萄(ヴィンベーロ)を腹に詰めた葡萄守(ヴィンガルディスト)葡萄酒(ヴィーノ)に沈め、皮をはいで串にさして焼く料理が伝わっていたりもする。

氷葡萄酒(グラツィヴィーノ)
 アイスワイン。
 樹上で氷結した果実を利用した葡萄酒(ヴィーノ)
 水分が少ないため量は取れないが、糖分が凝縮しており非常に甘く濃厚。
 自然に発生する条件が厳しいこともあり、希少で高価。

・あまり手を怪我するようなことはさせないようにする
 土蜘蛛(ロンガクルルロ)男性の指先は、詳細は省くが生殖器官としての機能を有しており、お大事なのである。


馬栗(ヒポカシュターノ)(hipokaŝtano)
 ウマグリ。
 渋み、えぐみが非常に強く、毒性さえある。
 栗のような香りがややするものの、甘みはほぼない。
 しかし水にさらしたり灰と煮たりと非常に時間と手間をかけて渋抜きすると一応食べられる。
 きっちり渋抜きすると香りもなくなるが、香りを残すと渋くて苦いという困ったちゃん。
 保存は聞くし、一応でんぷん質はあるので、かさましとして救荒作物にされる。
 ブランフロ村では雪崩対処もかねて多く植林しており、今もちゃんと収穫して保存食としている。
 よその土地でも、税として麦などをごっそり取っていっても、馬栗(ヒポカシュターノ)だけは悪辣な領主も奪わない、奪ってはならないとされ、不作の折に馬栗(ヒポカシュターノ)までも取り上げようとした領主の首が柱につるされたという馬栗(ヒポカシュターノ)一揆の話は各地に残る。


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第四話 夕餉

前回のあらすじ

頑ななお年寄りVS都会から来た好奇心旺盛な子供。


 未来が何とも言えない微妙な顔で、何やらにぎやかなほうへと歩いていくと、そこには予想通りというべきかなんというべきか、村の若い男女に囲まれた、すらりと背の高いとんがり帽子が見えた。

 百七十ちょっとの紙月は、男性でも百六十くらいが平均の帝国では、結構長身の部類なのである。おまけに雪が積もっているのに厚底ブーツ(ヒールではないから大丈夫という理屈)だし。

 

「ああ……やっぱり」

「お、未来! ごめんごめん、ちょっと通してね。おーい未来」

「あれ誰?」

「シヅキさんの連れ?」

「えっ子持ち……!?」

「えっ……ち……!?」

「おう、これ俺の連れな」

「えーと、あー……どうも?」

 

 紙月にわしわしと頭をなでられながら、未来は軽く手を振ってみた。

 若者たちの反応としては、かわいー、と、うらやましー、が大体半々くらいだった。

 かわいいとはなんだ、と未来の中の男の子は思ったりもするが、うらやましがられると妙な優越感は出てくる。

 

「じゃあ、悪いけどそういうことだから、これで。あんがとねー」

「えー」

「また話聞かせてくださいよー」

「おうおう、またがあったらなー」

 

 紙月が適当に手を振ると、名残惜しみながらも若者たちは素直に散っていった。

 なにか怪しげな魔術で集めたんじゃなかろうかと疑うくらい、気持ち悪いくらい素直な解散であった。

 まあ彼らも珍しいもの見たさで集まったはいいけれど、それぞれに仕事もあるし言うほど暇でもないというのが本当のところだろうが。

 

 先ほどまで楽しそうに話していた余韻などまるで残さずさっぱりとした顔で、紙月は未来の荷物を一部もってやり、迎賓館への道をたどり始めた。空いた手を自然に取られるので、未来も手を引かれる形でそれに続く。

 そういうとこだよなあ、そういうとこだよ紙月、とは思いながらも口にはしない。

 

 代わりに口にしたのは、すねたようなあきれたような響きであった。

 

「よくまあ、あんなに仲良くなれたね」

「なあに、そんなに難しいことじゃねえよ。笑って、話しかけて、共感して、さ」

「ふむん?」

 

 紙月は自分の手柄を誇るように、上機嫌で語って見せた。

 

 まず、世間知らずのお嬢さんが雪に困っているふりをして見せる。これはまあ大体事実なのでそんなに難しくもない。実際、雪道を都会派なブーツで歩くのは難儀する。

 気のいい若者が、まあ下心はあるかもしれないが、寄ってくるので釣り上げる。ああ、ありがとう、本当に困ってたんだ、君はいい人なんだね、すごく助かったよ、本当にありがとう、もしよかったら村の案内をしてくれると嬉しいんだけど、もちろんお礼もするし、なんて具合に。

 そうして声高におしゃべりしながらちょっと歩いていると、見かけたほかの若者が気になってちょっかいをかけてくる。よそ者の紙月一人だったら、話しかけづらいものもあっただろうけど、何しろ村の仲間が一緒に歩いているのだから、声もかけやすい。もちろん、これも釣り上げる。

 

 そうしたら程よいところで足を止めて、ちょいちょい若者たちをくすぐるようなことを交えながら楽しくおしゃべりしていると、閉塞した村の生活に退屈した若者たちが集まってくる。友達の友達が話しているものだから、と比較的話に入ってきやすいから、これも釣り上げる。

 客層によって話題は変えるが、今回は年齢層がある程度まとまっていたので、俺も先輩にあれこれ言われて困っているんだよねみたいな話題を呼び水に、村の年寄りへの不満などをうまく引き出して悪口で盛り上がっていく。

 

「ええ? 陰口で盛り上がってたってこと?」

「まあ、いいことじゃないかもしれんが、でもこれ盛り上がるんだよなあ」

 

 悪口というのは共感を得やすい。同じ境遇にあるのならば同情がわいてくるし、同じ相手への不満や陰口であれば、あんなことがあったこんなことがあったと話も弾む。そうやって連帯感が生まれると、共感は信頼感へと発展し、ちょっと突っ込んだ話でもしやすくなる。なにしろ共犯というのは、強いつながりなのだ。

 

「これは俺が大学でネズミ講の勧誘に来たやつから得たやり方でな。友達とかにこのからみかたされると断りづらい。それに、高そうな服着たひととか、顔のいいひとが言うだけで、根拠もないのになんでか信じそうになったりする」

「うーわ、うわっ、紙月、自分の顔がいいの自覚してるよね」

「ふーははは、せっかくハイエルフになっちまったんだしな。使えるもんは使うさ。なあに、別に悪いことしてるわけじゃあねえしな。俺は情報が聞き出せる。連中も気持ちよくおしゃべりして楽しめる。ウィンウィンだ」

「うーん、この悪女」

「悪女言うな」

 

 怪しげな魔術よりもよっぽど邪悪な手法な気もするが、あまり気にしてはいけないのだろう。

 多少いかがわしかろうが、それできっちり情報は得てきているのだから、おじいちゃんたちとだらだらおしゃべりして土産をもらって帰された未来より効率はいい。

 

「まあ、あんまり核心的なことはわからんかったけど、いろいろためにはなったぜ」

「ふむん?」

氷精晶(グラツィクリスタロ)は冬にしか採れないわけだが、採れる場所ってのもある程度決まってるらしい。キノコとか、山菜みたいにな。だからその場所ってのはお宝のありかってわけで、村の連中でも、知っているのは一部だけなんだとさ」

「まあ、そっか。どこでも採れるんなら、誰かが勝手に採っちゃうもんね」

「うん。それで、氷精晶(グラツィクリスタロ)採りは、村の中でも、選ばれたやつしかできないんだと。冬の間に山に入っていいのはそいつらだけで、出入りはかなり厳しく見張られてるらしい」

「さっきの人の中にも、いたの?」

「いるにはいたが、落としきれなかったな。場所も、採り方も、だんまりだ。もらしちまったら二度と山に入れてもらえないらしくてな」

 

 二人きりで、時間さえあったらなあ、などと残念そうにぼやく紙月だったが、未来としてはそんな機会がなくてよかったと胸をなでおろすばかりである。いや実際、二人きりになったらどう落とすつもりだったのかは気になるところであるが。あくまでも、後学のために。

 

 迎賓館にたどり着き、部屋に荷物を置いたころには、日もすっかり暮れてしまった。

 第二村、第三村はもっと山奥にあり、同じ村内といえどもかなり歩かなければならない。雪かきも最低限だというから、第一村内のようにのんきに歩いて回れるわけではないのだろう。

 得てきた情報を交換し、いろいろと話し合ってもみたが、いまから向かうのは危ないだろうというのは、部屋でのほほんと読書などしていた案内人のウールソも述べるところであった。

 なによりポルティーニョが食事の支度ができたと顔を出したので、否応なしに今日は休むこととなった。

 暖かな食事を楽しんだ後に、寒い屋外になど出たいわけもない。

 

 食事は、想像していたよりもずっと豪勢で、ずっとうまそうだった。

 

「おお……!?」

「すっごいねえ……!」

「フムン、これは馳走ですなあ」

「なんだか村の人たちが、シヅキさんとミライ君にって。あたしも張り切っちゃいました」

 

 雪国の山村、それも容赦なく積もった雪国ともなれば、食材は保存食だろうし、料理も煮物や粥の類でもあれば上等だろうか。そのような考えがあっさりと吹き飛んでしまうような料理がテーブルに所狭しと並べられていた。

 村人たちも、冬の間のとっておきとでもいうべきものを、一つや二つは隠し持っているのである。

 そのささやかな村人のへそくりを、あくまでも当人たちの善意と好意と下心から放出させるのだから、紙月が悪女と言われても仕方のない話である。

 

 大きなフライパンでケーキのように焼き上げ、切り分けられているのは漬物卵焼(ペクリタ・オムレート)だ。油で炒めたたくさんの具を鶏卵でとじたものというか、スパニッシュオムレツのような具入りの卵焼きのようなものだ。

 特徴的なのはその具で、鮮やかな赤色を呈しているのは赤蕪(ルジャ・ラーポ)という赤いカブの漬物なのだという。

 この赤蕪(ルジャ・ラーポ)は中身は白いが皮はどぎついくらいに真っ赤で、煮物などにすると煮汁が真っ赤になってしまうほどだ。しかしこれを漬物にするとその赤さが中身にきれいにしみ込んで、鮮やかな色合いになるのだった。

 

 油をたっぷりと吸った食いごたえのある卵に包まれて、しゃきじゃくとした歯ごたえがうれしい。それに卵の淡白な味わいが、漬物の塩気をきれいに包み込んでバランスが良い。若干の酸味もあるので、油はたっぷりだが、重すぎるということがない。

 

 また、育ち盛りの未来が大いに喜んだのは、厚切りの牛タンの焼き物であった。

 しかもただ焼いているのではなく、濃厚な味がしっかりとつけられているのである。

 これは、半地下で飼育されている盲目の牛の舌を、胡桃味噌(ヌクソ・パースト)葡萄酒(ヴィーノ)の酒粕を合わせた特性の酒粕味噌に漬け込んだものだった。こうすることでしっかりとした味がつくだけでなく、驚くほど肉質が柔らかくなるのだった。

 

 汁物としては、川栄螺(リヴェラ・トゥルボ)胡桃味噌(ヌクソ・パースト)で煮たものが供された。料理としてはとてもシンプルで、ごろりごろりとした大き目の巻貝だけが具だったが、これが実にいい出汁を加えていた。

 サザエのようにごつごつした貝殻に細いフォークを差し込み、ぐるりと中身を引き出すのだが、この身もまたこりこりぎゅむぎゅむと顎に心地よい。

 

 未来が大いに喜んで食べる一方で、ハイエルフという精霊よりの種族ゆえか小食である紙月が喜んだのは、酒とつまみであった。

 

 秘蔵の一本を譲り受けたというそれは、未来がカンドーより聞かされた氷葡萄酒(グラツィ・ヴィーノ)である。上等なガラス製のグラスに注がれた、とろりとした金色(こんじき)の液体は、まず香りだけで人を魅惑した。

 まるで新鮮な果実を思わせる鮮烈でさわやかな香り。口に含めば、芳醇な甘みがとろりと広がり、スパイシーで青々とした優雅な香りが鼻に抜けていく。

 それは驚くほどの甘さである。ただ甘ったるいというのではなく、すっきりとして飲みやすく、心地よい酩酊が速やかにめぐりゆく。

 

 これにあてがわれたつまみは、チーズだった。それもただのチーズではない。ただものではないチーズである。酔いどれ乾酪(エブリアフロマージョ)と呼ばれるそれは、石のように固いチーズを葡萄酒(ヴィーノ)の搾りかすに漬け込んだものなのだという。

 葡萄酒(ヴィーノ)の搾りかすというのは、皮や種のことだが、あまりきつく搾ると雑味も出るので、名前のわりに存外に汁気もあるし、果実も残る。そして果汁と一緒に発酵もさせるから、アルコールも含む。

 この酒粕に漬け込まれたチーズは、葡萄酒(ヴィーノ)の香りと旨味をたっぷり吸いこんで、しっとり柔らかく芳醇な味わいに生まれ変わるのである。

 そのひと切れだけでも酔っぱらってしまいそうなチーズを肴に、極上の氷葡萄酒(グラツィ・ヴィーノ)をするすると飲むのだから、紙月のこぼすため息も、自然艶めいてくるというものだった。

 

 未来はよく食べ、紙月はよく飲み、そしてウールソはよく食べて飲み、すっかり心地よくなった。

 

「いやあ、あたしもこんなにいいものを、こんなにたくさん一度に扱うなんてはじめてです」

「あ、やっぱり贅沢なんだ」

「そりゃもう! シヅキさんに貢物だとか、子どもにはいいモノ食べさせろとか、これってとっても意外ですよ。普通のお客さんなら、もっと雑にあしらわれちゃうんですから」

「フムン、感謝しないとね」

「まったくだ。こんなにいい酒を飲ませてくれるんなら、もう少しサービスしてやるんだったな」

「紙月、ほんとそういうとこだよ……」

 

 こんなにいい食材を頂戴してしまい、しかもまだ余っているという。ポルティーニョと彼女の父にも食べてくれるように申し出ると、少女はいたく感激してにっこりと笑った。

 

「ええっ、いいんですか!? こんなごちそう、めったに食べられませんよ!」

「俺たちだけじゃあ……いや、このふたりで食い切るかもしれねえけど、ま、宿代もかねてね」

 

 踊りだしそうなほどに喜ぶ姿は、年相応の少女である。

 しかし彼女も十四で、帝国では成人として認められている年齢である。

 体つきもまだあどけなさは残るものの、子どもから抜け出し始めており、こうして一人前の仕事もこなして見せる。

 

「ポルティーニョさんは迎賓館の管理してるみたいだけど……お客さん来ないときはどうしてるんですか?」

「ええ? そうですねえ、まあ普通ですよ。管理って言っても、これでたっぷりお賃金が出るってわけでもないですし、普通に村で働いてますよ。畑の世話したり、牛や豚の面倒見たり。よそに手伝いに行ったりもしますし、うちに手伝いに来てもらったりもします」

「ふむん、村での生活ってのはいまいち想像できねえけど……親父さんはなにしてるんだい?」

「おとん、あっ、えっと、父も色々ですね。あ、でもあたしみたいに雑用っていうわけじゃなくて、色々任されてるんです。お山の見回りだったり、害獣を狩ったり、伐採の予定を立てたり」

 

 ポルティーニョの父、アンドレオは、紙月たちをこの迎賓館に案内してくれた男である。

 本人は自分をよそ者だというが、外部の客を迎える迎賓館を任せられたり、村長直々に用向きを伝えられたりと、村の中でもそれなりに立場があるというか、信頼されている男ではあるようだった。

 

「今の時期なんかは、氷精晶(グラツィクリスタロ)採りだって任されてますし、そうそう、雪崩起こしも」

「雪崩起こし?」

 

 聞きなれない言葉に、一行は首を傾げた。

 言葉の通りであれば、雪崩を、あえて起こすのだろうか。

 それはまた物騒というか、危険なように思われた。

 しかしポルティーニョはこともなげにそうだとうなずいて見せた。

 

「ブランフロ村は、とても雪崩が多いんです。雪の具合だとか、斜面の具合だとか、そういういろんな条件が重なってるんだそうで。大きな雪崩が起きたら、ここらはともかく、第三村あたりはすっかり飲み込まれてしまうかもしれません。だから、そうならないように、雪が積もる前に、小さな雪崩を起こしておくんです」

「なるほど、力をため込む前に、ちょっとずつ放出させておくんだね」

「突然だから危ないんであって、計画的に起こせば怖くないってことか」

「そうです。でも、うまく雪崩が起こせそうで、被害が出なさそうな時期とか、場所を見極めるのは難しいんです。雪崩の起こし方もそうです。下手に手を出したら、自分が巻き込まれちゃいますから」

 

 毎年同じような場所で起きるのは確かなのだが、それでも毎年雪の状態というものは違うのだそうだった。雪の湿り気や積もり具合、気圧や木々の生え方、生き物の暮らしさえも微妙にかかわってくるのだという。

 どうしても防ぎきれない雪崩を抑えるために、防風林ならぬ防雪林として馬栗(ヒポカシュターノ)も多く植林されており、雪崩への対策は村の一大事であるようだった。

 

馬栗(ヒポカシュターノ)の植林も、父がはじめたんです。雪崩で家がつぶれた人たちのことを知って、うまく雪崩をそらすように、木を植えていこうって。馬栗(ヒポカシュターノ)なら、すぐに育つし、丈夫ですし、実もとれる。それに育てば木材にもなりますから」

 

 アンドレオがどこでそのような知識を得て、どのようにして実地での感覚をつかんだものかは、村の誰も知らなかった。しかし彼の植えた馬栗(ヒポカシュターノ)はすくすくと伸び、村の誰もが期待していなかった中、見事に雪崩をそらして見せたのだという。

 

 男は流れ者であった。

 どこから来たかも、なんの流れをくむのかもわからぬ放浪者であった。

 馬栗(ヒポカシュターノ)の実を拾い集めていたポルティーニョの母が山中で彼を見つけ、ほとんど拾われるようにして村にやってきたのだそうだった。

 

 アンドレオは言葉少なく、何事も話したがらなかったが、それでも彼が()()()()を追われるようにして旅立ち、そしてもう二度と帰ることはできないのだということはわかった。

 そして、それで十分だった。

 ブランフロ村はよそ者を嫌う、孤立した閉鎖的な村だが、どこへも行く当てのない、帰るところのないものは、その仲間であった。

 

 村は男を受け入れ、男は村のためによく働いた。

 あるいは、自分を拾い上げた妻のために。そしてやがて生れ落ちる娘のために。

 

「おかんは、まああたしがずっとちっちゃいころに死んじゃったみたいで、よく知らないんですけど、でもあたしはおかんに似てるみたいです。そうですよね、おとんがあんなだんまりなんですから、おかんがおしゃべりじゃなけりゃああたしは誰に似たんだって話ですよ」

 

 確かに、言われなかったら血縁とは思わなかったかもしれない、と紙月は少し思った。

 まあでもちょっと面影があるかも、と未来は思う。ちょっとだけ。

 

「あ、悪い人じゃないんですよ、顔怖いけど」

「怖いよなあ」

「おじいちゃんたちもたいがい顔怖かったけど」

「年取るとみんな顔怖くなるんですかねえ。まあでも、ほんと、悪い人じゃないですよ。身内びいきかもしれないけど。そりゃあ、ほんと顔は怖いですし、不器用ですし、ぶっきらぼうですし、騒がしいの嫌いでいつも一人でいますけど。でも、すごい人なんです。ほんとですよ」

「ポルティーニョさんは、お父さんが大好きなんですね」

 

 未来がしみじみとそういうと、少女はにっこりと笑ってうなずいた。

 

「あたし、ほんとはいつか、おとんの仕事を手伝いたいんです。でも、氷精晶(グラツィクリスタロ)採りは山の中に深く入るし、危ないからって、選ばれた人かいけないんです」

「そうそう、それ。その話、さっきもしててな。俺たちも見に行きたいんだけど」

「うーん、難しいと思います。シヅキさんがいくらお金持ちでも、氷精晶(グラツィクリスタロ)は貴重な収入源なので、よその人には見せられないんです」

 

 氷葡萄酒(グラツィ・ヴィーノ)をなめながら、軽く話を振ってみた紙月だったが、ここでも答えは変わらなかった。氷精晶(グラツィクリスタロ)採りに選ばれたものは口が堅いし、そうでないものは本当に何も知らないのだ。

 まあそうでなくてもぽっと出のよそ者にほいほい話すようなことではないのだろうが。なにしろ特産もまだない山奥の寒村の、唯一の輸出品だ。

 

「そういえば、よそ者と言えば、例の()()()()はなんなんだい?」

「ああ、そういえば。観光ってわけでもないだろうし」

 

 お客さんというのは、紙月の軽妙な営業スマイルをばっさり切り捨ててそそくさと去って行ってしまった謎の人物である。フードをすっぽりかぶって顔まで隠した、どこに出しても恥ずかしくない不審人物である。

 

「さあ、よくはわからないんですけど、悪い人ではない、かもです。ご飯も残さないし、部屋もきれいに使ってくれますし」

「うーん、判断基準」

「それに、父の古い知り合いみたいなんです。でも村の人も知らないみたいだから、多分その、父の()()()()から来たんじゃないかって、みんな噂してました」

「噂、ねえ」

 

 娯楽のない閉鎖環境の中で湧いた噂だから、信憑性は低そうだが、しかし理屈としてはそうなるのだろう。少なくとも、村に来る前に知り合った何者かということになる。

 しかし村の人間と交流するでもないどころか、ほとんど口も利かないし、顔も見せないので、ますます怪しい。手間がかからないという意味でポルティーニョは高く評価しているようだが。

 

「ただ、前におとんと喧嘩してたみたいで」

「喧嘩?」

「ええ、はい、夜中に目が覚めちゃって、用を足しに行ったら、おとんの部屋からなんだか言い争うような声がしたんです。盗み聞きするのもはしたないし、二人ともおっかない声だったんですぐ離れたんですけど、なんだか、おとんに何か求めてて、おとんはそれを断ってるみたいでしたね」

 

 ミステリであればその後どちらかが被害者か容疑者になってそうな話であるが、こちらもあまり情報ははっきりせず、ただただ謎が深まるばかりであった。

 こうなるともう、いくら話を重ねてみたところで、答えは見えてきそうにない。

 それになにより、口当たりのいい酒をするする飲んでいた紙月が、いつのまにやら酔いつぶれていたために、どちらにせよ話はここで終わりだった。

 

「うむ、飲みやすいが強い酒でしたからな、致し方なし。拙僧が部屋まで運び申そう」

「あ、いえ、大丈夫です。僕が運ぶので」

「フムン? しかし……」

「僕の相棒ですから」

「ははあ……いや、いや、野暮なことを申し上げた。許されよ」

 

 ほら紙月またタコみたいにぐにゃんぐにゃんになって、なん()よぉ俺は酔っ()ないぞぉう、酔っぱらいはみんなそういうんだからほら暴れないで、言い合う声が食堂から離れていく。

 小さな体でしっかりと相棒を抱き上げたその背中を、武僧ウールソはひげをしごきながら見送った。

 

「男の子ですなあ」

 




用語解説

漬物卵焼(ペクリタ・オムレート)(peklita omleto)
 漬物を炒めて調味し、たっぷりの溶き卵でとじ、フライパンでじっくり焼き上げたもの。
 漬物の種類や、調味料、また上に何を振りかけるかなど、ご家庭ごとに一家言あるようだ。
 なお、西部では鶏卵と言えば大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の卵だが、北部では大嘴鶏(ココチェヴァーロ)は一般的ではなく、小さな、というか普通のサイズのいわゆる鶏の卵が使用されている。

赤蕪(ルジャ・ラーポ)(ruĝa rapo)
 アカカブ。カブの仲間。
 皮は真っ赤だが中身は白い。
 色鮮やかであるため祝い事の料理にも用いられるほか、普段から保存食の漬物にも広く用いられる。

胡桃味噌(ヌクソ・パースト)(nukso pasto)
 胡桃を砕いて練り、塩などを加えて発酵させた食品・調味料。甘味とコクがあり、脂質も豊富で北国では重要なエネルギー源でもある。


川栄螺(リヴェラ・トゥルボ)(rivera turbo)
 カワサザエ。川や沼沢地で採れる巻貝の総称。
 実際にはサザエでもなんでもなく、田螺(マルチャ・ヘリコ)(marĉa heliko)つまりタニシなどをこのように呼んでいるだけである。
 しかもこの晩に供された巻貝はそのタニシですらなく、髭林檎貝(バルバポマ・ヘリコ)(barba poma heliko)というジャンボタニシめいた全然別の巻貝であった。

酔いどれ乾酪(エブリアフロマージョ)(ebria fromaĝo)
 葡萄酒(ヴィーノ)の搾りかすである皮や種に漬け込んだ乾酪(フロマージョ)
 葡萄酒(ヴィーノ)を作る際にこの搾りかすも一緒に発酵しているため、漬け込まれたチーズももれなく酒精を含む。
 この工程でかたいチーズは柔らかくなり、葡萄の甘くさわやかな香りや甘さがしみこむのだとか。
 産地以外だとお高い。
 そして葡萄酒(ヴィーノ)乾酪(フロマージョ)生産を同時にやっている産地でないとやってないし、そういう土地でも必ずしもやってるわけではない。

・豚
 なおこのふたりはまだこの世界の豚を目撃したことがない。


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第五話 謎の客人

前回のあらすじ

好感度稼ぎの甲斐あってご馳走にありつく一行。
頑張れ男の子。


 酔っぱらいをベッドに放り込んで、風邪をひかないようしっかりと布団をおっかぶせた未来は、すんすんと鼻を鳴らした。

 別に紙月のにおいをかいでいたわけではない。

 紙月のにおいには、もう慣れてしまっていた。

 この言い方だといつも紙月のにおいをかいでいるようで語弊があるが、少なくとも紙月のにおいで動揺することがなくなるくらいにはなじんでしまったので、おおむね間違ってはいない。

 

「……お酒臭い、っていうほどでもないかな」

 

 紙月のにおい、もとい紙月の飲んでいた酒のにおいである。

 残り香程度ではあるが、少し甘いにおいがする、ような気はする。

 未来はまだ酒が飲めないので、氷葡萄酒(グラツィ・ヴィーノ)がどんな味だったのかはわからないのだが、いわゆる酒臭さ、アルコールやアセトアルデヒドの甘ったるいにおいとはまた別の、果実を思わせるさわやかで豊かな香りは、それだけでもかなりおいしそうではあった。

 ただ、酔いつぶれる紙月を何度となく介抱してきた身としては、酒に素直にあこがれを抱けないのだが。

 

 すよすよすぴゅるるると甘い寝息を立てる紙月を置いて、未来は部屋を出た。

 甘いにおいがなんだか落ち着かなかったし、寝るにはちょっと目がさえてしまっていたのだ。

 

 食堂に戻ってみれば、ポルティーニョが食器を片付けているところだった。

 何気なしにそれを手伝おうとすると、やんわりとたしなめられてしまった。

 

「ダメだよ、仕事をとっちゃ。お客さんに、それも子供に手伝わせるわけにはいかないんだから」

 

 子どもの未来相手だからか、口調こそ敬語ではないが、しかしきちんと線引きをしてくる。

 こういうものは手伝うのが当然という頭でいた未来には、思いつかなかったことである。

 いかに距離が近かろうと、未来は客人であり、もてなされる側なのである。それが給仕や片づけを手伝おうというのは、仕事の内容に不満があるといっているようなものだ。

 

 未来からすれば本当になんとはなしの行動だったのだが、そう言い含められればなるほど納得のいく話だった。

 冒険屋としての仕事をこなしているときに、横からおせっかいをされれば、未来だってムッとする。そう考えれば失礼なことをしてしまったというのもわかる。

 

 とはいえ、人が働いているのをしり目にくつろぐのも落ち着かないし、かといって部屋に戻ってもますます落ち着かず寝るに寝れない。

 未来が手持ち無沙汰にぼんやりしていると、ポルティーニョは手を拭きながら、そういえばと切り出してくれた。

 

「シヅキさんがつぶれちゃったから忘れてたけど、お風呂、入る?」

「お風呂? お風呂があるんですか?」

「んふふ、実はね、温泉が湧いてるんだよ、ここ」

「温泉!」

「神官さんはいないけどね、でも村の人もたまに入りに来るくらい、いいお湯なんだよ」

 

 今日はもう遅いし誰も来ないだろうから、ゆっくり入ってきたらどう。

 そのように勧められて、頷かずにはいられない。生前はお風呂にそこまで思い入れはなかったのだが、こちらの世界では紙月と連れ立って公衆浴場に通うという非日常感になかなか胸躍るものがあったのだ。

 こじんまりとした浴室で一人ざっとシャワーを浴びるだけの毎日と、紙月と肩を並べて広々とした公衆浴場に通ってじっくり湯につかるのとでは、感じるものがまるで違った。

 

 ポルティーニョの言う温泉は、迎賓館の()()にあった。

 風の音が突き抜けて響いてきそうな、薄い壁の渡り廊下を、未来は小走りに駆け抜ける。

 まるで冷蔵庫の中のように、恐るべき冷気が渡り廊下を満たしていた。

 行きはよいとして、帰りは湯冷めしないように気を付けなければならないだろう。

 

 渡り廊下を抜けた先のドアを開けると、打って変わって今度はじんわりとしたぬくもりが出迎えてくれた。おそらく、温泉の暖かさが、少しずつ漏れ出ているのだろう。

 こじんまりとした脱衣所にはランプが一つ下がっていたが、火精晶(ファヰロクリスタロ)が古いものなのか、明かりは弱く薄暗い。

 

 雰囲気があるといえば、ある。ぼろいとは、まあ、言わないでおこう。

 隅のほうが薄らぼんやりとして、ものの形も定かならずあいまいな闇に紛れていて、未来は少し落ち着かない気分になった。怖いわけではない。ただ落ち着かないだけだ。

 ちらりちらちらとあいまいな闇に視線を投げかけながら、未来はこころもち足音も大きく歩いた。別に怖いわけではない。

 

 そのこわ、もとい落ち着かなさと肌寒さにせかされるように、手早く服を脱いで脱衣かごに投げ込む。

 浴場へと続く二重戸を開けてみれば、湯煙がむわりと広がった。ほとんど濃霧だ。

 ここにもやはり古いランプがつるしてあって、その薄明かりが湯煙の中で乱反射して、なんだかぼやけたような明るさだった。

 脱衣所のような薄暗さはないが、しかし間接照明のようなあわくあいまいな薄明かりがその代わりになっただけで、ものの輪郭も怪しいことに変わりはない。

 

 雰囲気あるな、と未来は思った。

 

「ふ、雰囲気あるなあ」とあえて口にも出した。

 

 別に、決して、断じて、怖いわけではない。

 ただ、ちょっと落ち着かないだけだ。

 それに、慣れてくれば、その不思議にあいまいな景色を楽しむ余裕も出てくる。

 通いなれたスプロの町の公衆浴場は、割合に最近できたもので、きれいで明るいものだったから、こういう何とも言えない地味さやぼろさというものは、未来に妙な感慨を抱かせた。旅先特有の非日常感だ。

 

 洗い場を見つけて、未来は丁寧に体を洗った。もともときちんと体を洗うほうだったが、この体になってからは、特に気を使うようになった。

 というのも、獣人の体というものは、色々と面倒が多いのだ。

 

 たとえば、髪を洗おうとすると、犬のような耳を巻き込んでしまうのだが、耳の穴に水や泡が入るととても気持ちが悪い。髪がしっとりと濡れるのは大したことがないが、耳の中が濡れそぼってしまうと、どうにも居心地が悪い。

 

 といって、洗わなければ洗わないで、なんだか落ち着かない。汚いのはよろしくない。

 以前、紙月が耳掃除をしてくれた時に、()()だの()()だのなんだかおもしろそうな、感心したようなため息をこぼしにこぼしまくったのだ。

 あれはどういう意味だったのだろうかと考えると未来としては妙な気恥しさがある。耳掃除自体だって恥ずかしかったのを、紙月がどうしてもというからやらせてあげただけなのだ。

 自分では見えないからこそ、きれいに保っておきたいものだ。

 

 尻尾もまた問題だった。

 時として自分の意思の制御を離れて感情のままに動き回るこの器官は毛におおわれており、気づけば抜け毛が落ちていたりするのだ。ここでしっかり洗って落としておかないと、湯船に毛が浮いてしまう。それに頭皮以上に敏感なところもあるから、丁寧に洗い、湯上りには油も塗って保湿してやらないと、どうにももそもそする。

 たまに毛じらみだのダニだのがついていてはなはだしく自尊心やら何やらを傷つけていくので、丁寧にブラッシングもして、決して安くはない精油もつけてやらなければならない。

 

 《浄化(ピュリファイ)》の魔法を紙月にかけてもらえばすべてが最適な状態に瞬時に回復するので、手間をかけられない時はお願いするときもあるが、そのあまりのお手軽さはなんとなく釈然としないものがあった。

 使えるものは使えばいいし、紙月も未来の世話を喜んでやってくれるのだが、それでもこう、もやっとくるのだ。

 自分で考えて、人にも相談して、あれこれ頑張ってお手入れした結果の尻尾の艶が、紙月の雑なタップ一つでほぼ同様な状態に再現されてしまうと、むぎぎとなるのだ。

 二日酔いで酒臭いうえに髪もぼさぼさでよだれの跡も残ってる残念な醜態をワンタップで回復している魔法と一緒だと思うと、なおさらだ。

 ものすごく助かるが、助かるのだが、それ以上になんだか納得いかないものを感じてしまうのだった。

 

 思い出すとどうにも、未来は腹が立ってきた。

 未来は自分のことは自分でしようとあれこれ試してみているが、紙月はずぼらなものだ。便利な魔法で一発解決だ。それが当人の能力なのだとしても、もにょる。

 

 紙月は、肌が敏感だとか乳首がすれて痛いだとか言う割には、結構雑な手入れできれいなままなのだから、未来としてはなんだか複雑な気分だった。言われたからしばらくはお風呂の時に乳首をチラチラ見てしまったほどなのに、紙月の体は傷らしい傷もないピカピカしたものだった。

 精霊に近いとかいうよくわからない種族特性的に、肉体的な諸問題はそれこそ寝れば治ってしまうのかもしれなかった。

 以前風邪をひいたときも、一晩寝れば治ったことだし。

 

 面白生物と見るべきなのか、ゲームキャラクターとしての性質なのかを悩みながら、未来は流し残しのないよう丁寧に泡を流し、尻尾の水気を軽くしぼった。

 自分でやるとそうでもないのだが、以前、紙月が面白がってしぼろうとしたときは、ものすごいくすぐったさと()()()()が背筋を走って、思わず振り払ってしまった。

 あの時の紙月の愕然とした表情は忘れられない。そりゃあ、まあ、思わず「えっち!」と叫んでしまったのは悪かったが、しかしそもそも尻から生えているものなのだ。人のプライベートな部分に勝手に触るものではないと思う。

 

 などと、なんだかんだ紙月のことばかり考えながら湯煙を割って湯船に向かってみれば、なんと隅のほうに人影を見つけてしまった。

 よその温泉の非日常感に油断していたのと、湯煙に隠されて今まで気づけなかったのだろう。

 うるさくしちゃっただろうか、いやでもそんな騒いでないし、誰にともなく言い訳しながら、未来はちょっと固まった。尻尾の毛がそわわわわっと逆立って、尻がいやに落ち着かなかった。

 

 先客の視線がちらりと向くのが感じられた。

 これで、お邪魔しますというのも、なんだかおかしい。一応、公共の場ではあるらしいのだ。

 いやでも、かといって、何もないというのも、なんだか無礼なように思えた。

 紙月なら、はいはいちょっと失礼、と簡単に入ってしまうのだろうが、未来はそういうところ、気にしいなのだ。

 

 悩んだ末、目があったついでに軽く会釈だけして、水面を激しく揺らさないようにそっと湯船にお邪魔した。そう、結局、お邪魔してしまったな、などと益体もないことが未来の頭をよぎった。

 なんだか時間をかけたくなくて、一息に肩まで浸かったが、湯は思ったより熱く、思わずため息がこぼれ出た。

 

 冷えた肌に、少し熱めのお湯が、ぴりぴりと痛みに似た熱を伝えてくる。痛い。かゆい。いやでも、気持ちがよい。

 体の小さいのをいいことに、手足をうんと伸ばすと、そのぴりぴりが広がった肌にうんとしみ込んでくるようで、なんだか、なにかしらが、効いてくるような気がする。

 ような気がするというのが大事だ。

 未来は、効能なんて知らない。知らないが、なにかしら、効いてくるような気がするのだ。そのくらいざっくりした気分のほうが、なんだかいろいろなものに効いていそうで、お得だ。

 そういう雑な考え方は、紙月が教えてくれたものだ。本人はめちゃくちゃいろんなことをうつうつと考えこみそうなのになあ、などと微妙に失礼なことを思ったのを覚えている。

 

 そうして人心地つくと、若干人見知りの気がある未来としては、やはり先客が気になる。

 それは見たことのない人物だった。

 案内人として雇った熊のごとき武僧ウールソの巨体ではない。

 ポルティーニョの父である、アンドレオの小柄ながらも鍛えられた体でもない。

 まして、酔いつぶれた半精霊こと紙月の艶めく肌であろうはずもない。

 

(この人が……「お客さん」かな?)

 

 あるいは村の誰かが、と一瞬は思ったが、その()容を見るに、その線はうすそうだった。

 

 湯煙の向こうに見える肌は、雪国に似合わぬ色濃い褐色だった。

 湯につかないようゆるくまとめられた、わずかにうねりのある淡い金髪。

 痩せ気味で骨が目立つが、肉にたるみはなく、しなやかな野生の獣を思わせた。

 年のころは、年寄ではないだろうが、若者とも思えない。しかし判然とはしなかった。

 というのも、その肌の全体をまだらに覆う火傷でただれた跡が、男の相貌を複雑にしていたからだった。

 顔まで覆うそれは、おそらく湯に隠れて見えない半身にもおよんでいるのだろう。

 生まれた時からそうあったかのように、火傷は男の肌に馴染んでいた。

 

 思わずまじまじと見つめてしまって、湯煙越しに見つめ返してくる碧玉に気づいて、未来は慌てて顔を伏せた。

 ずいぶんとぶしつけな目で、それもじっくりと眺めてしまった。

 しかし男のほうは気分を害した様子もなく、むしろ気づかわしげでさえあった。

 

「すまないな、少年。怖いものを見せてしまった」

「えっ、あ、いえ、そんな……」

「古傷だ。もうふさがって、血も流れんから、湯は汚さんよ」

「いえ、いえ、そんな……その、痛くは、ないんですか?」

「……すこしうずくだけだ。体温が上がると、どうにもな。体によくはないのかもしれんが、しかし不衛生よりはよほどいい」

 

 男の手がゆっくりと肩に湯をかける、その所作にぎこちなさはなく、事実火傷の影響は大きくないのだろう。

 だがその手などは、おそらく指同士が癒着してしまったのを、切り開いて形成しなおしたのだろう、体にも増してすさまじい傷跡である。

 それがどうにも痛ましくて、未来はつい自分の手持ちのポーションのことを思い出していた。

 

「その、古傷にも効くかはわからないですけど、いい薬があるんです」

「フムン?」

 

 すうっと静かに見返してくる目に、未来はどきりとした。おせっかいだっただろうか。

 男は静かに未来のことを見つめて、しかしわずかに唇の端をまげて、すこし笑ったようだった。

 

「君は優しいな」

「えっ」

「だが、遠慮しておこう。煩わしいこともあるが、この傷も私だ」

「……ごめんなさい」

「いいや、ありがとう。だがその優しさは、誰か別のものに向けるといい」

 

 男の目が、なんだかあまりにも静かで優しいものだから、未来はまごついた。

 あるいはそれは、大人の目というものだったのかもしれない。

 理知的で、理性的で、そして穏やかなまなざしは、未来のまわりにはないものだった。

 それは例えば、小学校で時々話しかけてくれた老教頭や、気にかけて時々様子を見に来てくれた近所の老人のような、そんな不思議な暖かさがあった。

 

「あ、と、その、そういえば」

 

 妙な照れくささをごまかすためというわけでもないが、ふと思い出して、未来はアンドレオのことを口に出していた。

 ポルティーニョは、この男のことを父アンドレオの客人だと言っていた。村の誰も知らない人だから、きっとアンドレオがこの村にくる以前の、故郷の知人なのだろうと。

 男は少し考えるように顎をさすり、ゆるゆると答えた。

 

「知り合い、というわけではない」

「えっ」

「私は……君にも分かるように言えば、学者でな。くにもとを離れて旅をしてきた。郷里を同じくする者があれば、土地土地で頼りにさせてもらっているのだが、この村にもたまたまそういうものがいると知って訪ねてきたのだ」

「もう長いこと旅してるんですか?」

「そうでもない。だが……ずいぶん遠くまで来たよ。とてもとても、遠くまで」

 

 男の目は、どこか遠い遠いところを眺めて、そっと伏せられた。

 未来は、その目に何か共感するものがあった。自身の境遇と照らし合わせて、何か通じるものがあった。二度とは帰ることのできない元の世界に、ふとした時に思いをはせて、どうしようもなく胸が苦しくなる、あの時の気持ちが。

 男もまた帰ることができないのだと未来は察した。帰れないのか、帰らないのか、どんな理由があり、どんな事情があるのか、それはわからない。だが男は、故郷に背を向けて旅立ったのだ。

 

 未来は、帰らないのかとは聞かなかった。聞けなかった。

 だから、ただこう尋ねた。

 

「その……どんなところだったんですか?」

「……そうだな。素晴らしい所だよ。私はそこで生まれ、そこで育ち、そこで学びを得た。こうして遠く離れたいまも、故郷を思う気持ちは変わらない」

 

 男は、苦く笑ったようだった。

 

「だが、素晴らしすぎるということはないようだ」

「それは、どういう……?」

「湯につかりすぎた。私はもう出る。君ものぼせないようにな」

 

 はっきりと話を断ち切り、男は静かな足取りで湯舟を出た。

 その足も、背も、やはり、火傷の跡におおわれていた。

 しかしその背中はまっすぐに伸びあがり、すこしもうつむくことはなかった。

 ただれていても、ひきつっていても、それでも未来はそれをきれいだと思った。素直にそう思える、そんな背中だった。

 

 何気なく見送った未来に、男はおもむろに振り返った。

 それから、少しの間、迷うように言葉を探し、眉をひそめ、うなりまでして、結局は率直な意見を吐き出してきた。

 

「少年。君の事情は知らんが、悪いことは言わない」

「えっ?」

「君の連れは、()()は、保護者としてはいささか以上に問題があると思うぞ。頼れるのであれば、まわりの大人にも頼りなさい。()()はないぞ。()()は」

 

 ぽかんとする未来を置いて、謎の男はそれだけ言い置いて去って行ってしまった。

 子ども扱いされた、と思う以上に、未来の脳裏によぎるのはただひとつだった。

 

「……紙月、またどっかでなんかやらかしたのかなあ……」

 

 男のおそらく本心からであろう忠告と、紙月の保護者|(ぶろうとする)精神とは裏腹に、未来はより一層自分がしっかりしなければと決意を新たにするのであった。




用語解説

・神官のいない風呂
 実は風呂の神官がいなくても温泉はわくし、風呂屋は営業できるのである。当たり前だが。
 近年の衛生向上政策によって公衆浴場の普及が進み、促成の風呂の神官がそこにあてがわれて行っているのでどこにでもいるように見えるが、実際のところは神官付ではない温泉や風呂のほうが多い。
 それはそれとして、野良もとい巡礼の風呂の神官などは、第六感や天啓的風呂センスによって温泉や風呂をかぎつけてやってくるとされる。

・抜け毛
 獣人(ナワル)の中でも多毛のものや、天狗(ウルカ)のように羽毛を持つものなどは、公衆浴場などで結構気を付けているようだ。
 獣人(ナワル)はともかく傲慢な天狗(ウルカ)が他人を気遣うのか、という声もあるが、その程度の気遣いはする。
 が、それ以上に、たまにそういうヘキを持ったやばい奴が抜け毛を回収したりするので、そういう輩に対する自衛の意味が強いかもしれない。

・?????
 アンドレオの客人。
 背は高くないが、全身の火傷痕もあって存在感がある。
 未来はなんとなくだが、「先生」のような印象を受けたようだ。


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第六話 密談

前回のあらすじ

紙月のにおいを堪能した挙句、他の男とお風呂をいただく未来。
プレイボーイ、なのか……!?


 生まれてから一度も村を出たことがないポルティーニョにとって、ブランフロ村が世界のすべてだった。

 

 傾斜ばかりで小さい頃は転んでばかりいた道。

 いびつな形で、段差も多いから、面積を稼げない畑。

 茸や木の実、山菜や野の獣、恵みを与えてくれると同時に、死の潜む森。

 父と二人で過ごした、迎賓館の何でもない生活。

 

 雪に閉ざされた家の中で過ごす、年越しのささやかな食事。

 泥を踏み分けながら、春の訪れを祝う雪割り祭り。

 畑を耕し、種をまき、伸びすぎた木々を伐り、せわしない夏の日々。

 やがて来る冬に備え、あらゆるものを蓄えていく秋の勤め。

 

 それはきっと、狭い村の中の、面白みもない日々の繰り返しだったのだろう。

 旅人が訪れることもない、行商人も長居しない、退屈で面白みのない村。

 それでも、ここがポルティーニョのすべてだった。ポルティーニョの世界だった。

 父とポルティーニョの、二人の住む世界だった。

 

 寒さに凍えて眠れぬ夜に、屋根の上に登らせてもらって、父の腕の中から見上げた星の色を覚えている。その輝きを、瞼の裏にいまも覚えている。

 好奇心のままどこまででも歩いていくのを見かねて、父の腰に縄でつながれたことを覚えている。そのまま駆けだして、二人して泥に突っ伏して落とされた拳骨の痛みを覚えている。

 秋の実りを集めながら山に登り、見下ろした景色を覚えている。あれが村で、あれは馬栗(ヒポカシュターノ)の林、あの向こうは町があると、父の指に広がる色彩を覚えている。

 父の体温を覚えている。息せき切った足取りを、弾む鼓動を覚えている。熱に浮かされた曖昧な記憶の中、その背中と、苦い薬の味を、いまもよく覚えている。

 

 ブランフロ村が、この小さな村が、ポルティーニョの世界だった。

 いいえ。ううん。そうじゃない。

 父のいるこの村が、ポルティーニョにとっての世界だった。

 父の存在が、当たり前のようにそこにはあった。

 

 幼いポルティーニョが、父に問いかけたことがある。

 

「ねえおとん、おかんはさあ、どんなひとだったの?」

「……母がいなくて、寂しいか」

「さびしくはないよ。ほんと」

「そうか」

「……ちょっとさびしいかもしんない」

「そうか」

 

 父がそう言ってほしいのかもしれないと思って言い直したけれど、父の「そうか」は変わらなかった。

 実際のところ、母の不在に、寂しさを覚えたことはなかった。片親であることに、劣等感や疎外感を覚えたこともなかった。村の人たちは優しく、ポルティーニョには父がいて、だから覚えてもいない母のことを寂しく思うことなどなかった。欠けたものはなく、満たされていたから。

 

 母の顔も、母の声も、どんな人だったのかも、ポルティーニョは知らない。

 村の人たちが折に触れては教えてくれることも、なんだか実感がわかなくてどこか遠くの知らない人としか思えなかった。

 ただ、確信があった。

 言葉を交わしたこともない、目を合わせたこともない、その匂いさえ知らない母について、きっとそうなのだろうと胸の中で強く思っていた。

 

「おとんはおかんいなくてさびしい?」

「寂しくはない。だが」

「だが?」

「たまに、困る」

 

 その返答がどういう意味だったのか、成人を迎えたいまでもよくわかってはいない。

 ただ、決められた手順めいて頭をなでてくれる父の手の暖かさを覚えている。

 木石に目鼻を付けたような無表情が、静かに見下ろしていてくれたことを覚えている。

 そして、そのたびに母を思う確信が強くなる。

 

 そうだ。

 きっとそうだ。

 母もきっと、自分のように悪趣味だったのだろうと、大好きな父に抱き着きながら。

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 雪を踏む者もいない静かな夜更けのことである。

 迎賓館の管理人であり、自身を余所者であると標榜する男アンドレオの部屋にはまだ明かりがともっていた。

 狩りに用いる弓と矢。雪崩起こしに用いる発破。農機具や、刃物の類。何に使うのかもわからないこまごまとした工具たち。整然と並べられた道具の中には危険なものも多く、娘のポルティーニョでさえ、普段はこの部屋に立ち入ることは許されていない。

 その部屋の中に、いま、二人の男の姿があった。

 

 一人は部屋の主であるアンドレオだった。

 素朴な木の椅子に座り込み、武骨な作業机に向かい、そしてそこに似合わない奇妙に精緻な工具を繊細な手つきで扱っていた。

 その手の中でいま最後の部品を組み上げられたのは、奇妙な金属製の兜だった。

 騎士たちの用いる重厚で、権威ある装飾に飾られたようなものではない。

 冒険屋たちの扱う粗末で、しかし生活と闘争が染み付いたものでもない。

 金属の質が違う。加工の精度が違う。機構の複雑さが違う。秘められたる機能は想像も及ばない。

 それははるかに遠い文明で生み出されていた。

 奇妙な兜。あるいは……マスク。

 

 その様子を見守っていたのは、彼の客人であるという、あの火傷痕の男だった。

 貸し出された粗い生地の寝間着の下に見えるのは、不思議な光沢と高い伸縮性をもつ奇妙なスーツだった。肌に張り付き、薄く見えるそれは、高い保温性や保湿性を持つだけでなく、男の皮膚機能を代替し、あるいは強化する、もう一枚の皮膚ともいえる。

 

「いい湯だった。シャワーのほうが楽だったのだが……どこにでも浴場がある割に、簡単な加圧ポンプも普及していないのだから、歪な発展をしたものだな。──《火よ(イグニス)》」

 

 同じ素材の手袋におおわれた男の掌が、湿り気を帯びた髪にかざされると、発せられた熱気が水分を柔らかく奪っていく。それは恐ろしく精妙な火の魔法だった。一つ間違えれば自分の頭を丸焼きにしかねない危険行為……しかし男にとってそれは片手間にすぎない。

 

「メンテナンスは済んだか」

「ああ。ウィザードの装備というのは頑丈なものだな。二十年前の工具でも間に合った」

「工兵の腕は衰えていないようだな」

「お役に立てれば幸いだ」

 

 アンドレオから受け取った兜は、男の手の中で複雑な機構を開放し、内側から開いていった。金属と樹脂と、ある種のメタ蛋白質で構成された奇妙な機械。

 男がそれに顔をはめ込めば、機構は速やかに閉ざしていき、頭部に正確にフィットする。

 細身の金属兜──その姿は、かつて三度にわたって《魔法の盾(マギア・シィルド)》の前に立ちはだかった怪人のそれだった。

 

 怪人。

 狂炎。

 魔術師。

 破壊工作員。

 

 その名は、絶えぬ炎のウルカヌス。

 

 直接の戦闘においては一敗を喫したものの、なおしぶとく生き延びて暗躍を続け、純粋な火力においては森の魔女とうたわれる紙月をもしのぐ、強大な炎の遣い手である。

 

 ウルカヌスは具合を確かめるように首をかしげながら、兜越しに部屋の中を見渡した。有機カメラの視界と各種センサーのもたらす情報を検めたのち、丁寧な所作でそれをまた外す。

 頭部の保護のみならず、情報面においても大きなアドバンテージを与える装備ではあるが、堂々とこれをかぶって出歩くわけにもいかない理由があった。

 

「くっ……面倒な時に、面倒なやつが来ているものだ」

「……森の魔女とやらか。噂には聞くがな」

「あれにはこのマスクを知られている。迂闊なことはできん」

「ほう……」

 

 短い間にも、アンドレオにはウルカヌスの気位の高い性格がわかってきていた。

 その男がここまで警戒をあらわにする相手というのも興味深くあった。

 見た目からは、ただのきゃしゃで頼りない小娘にしか見えなかったが、魔術的素養は必ずしも外見に現れるものではない。

 目の前の男が、ただ一人で一軍と匹敵すると評される人間兵器、ウィザードと呼ばれる化け物であるように。

 

中央(セントラル)のウィザード様、エリート中のエリートが警戒するとはな」

「煽るな、工兵。…………ふん、忌々しいが優秀ではある。木偶風情がよくもまああそこまで練り上げたものだ。あるいは、戦闘モデルの末裔かもしれんな」

 

 安い挑発には乗らない。とはいえ、それは確かにウルカヌスをいらだたせる事実ではあった。

 ウルカヌスは才能と努力、そして多大な犠牲を払って炎の魔術を極めた。それが、水の情報素に支配された海上で、手数の多さとからめ手によってとはいえ、無様にも敗北を喫したというのは認めがたいことである。

 ましてその水の魔術の遣い手が、炎においても恐ろしいまでの火力を発揮できる多才を見せつけてきたのだから、心落ち着くものではない。

 

 しかし、事実は事実なのだ。

 ウルカヌスのいら立ちは、認めがたい現実を認め、事実は事実として受け入れるという彼自身の生真面目なほどの学者としての性質がゆえであった。

 誰よりも紙月の能力を評価し、警戒しているからこそのいら立ちなのだ。

 ウルカヌスは確信していた。凡百の騎士でも魔術師でもなく、あの女、ではなく女装の男こそが自分の最大の障害となるだろうことを。

 

「アンドリュー。先だっての話、意見は変わらないか」

 

 意識して己をなだめ、ウルカヌスは工具をまとめて収めているその背中に問いかける。

 アンドレオは落ち着いた手つきで作業を終え、振り返らないままに静かに答えた。

 

「ああ。すまんが、あんたの話は聞けない」

「アンドリュー……」

「アンドレオだ」

 

 深いため息。

 いらだち……そして困惑。ウルカヌスは戸惑っていた。

 アンドリュー、いまはアンドレオを名乗るこの男は、ウルカヌスと故郷を共にしていた。すなわち、聖王国からやってきた男だった。

 彼は帝国に、ブランフロ村に根を下ろした“草”……潜入工作員(スパイ)だった。

 長い時間をかけてその土地の人間として生き、その土地に馴染み、ひそかに本国に情報を送り、そして有事の際にはその立場を利用して様々な工作を行う。それがアンドレオの役目だった。

 

 その土地に馴染むということは、その土地に愛着を抱いてしまうことでもある。

 どんなに冷徹な教義に従おうと、どんなに高い忠誠心を持っていようと、人の心は移ろうものだ。仲間として生きれば、共同体で過ごせば、その心が惑うのは道理だ。

 だから、潜入工作員の心変わりはある程度想定されうるものだ。

 しかし、それでも、ウルカヌスは困惑を隠しきれなかった。

 

「わかっているのか? お前は……」

「あんたの言い分はもっともだろうな。最外縁部(アウター)出身の木っ端工作員は、セントラルのエリート様の言うことを聞くべきなんだろうさ。だが俺は、工作員と言っても所詮は捨て駒だ。粗大ごみじみたMAEV(メイヴ)だけを頼りに、臥竜山脈越えなんてイカレたルートなんて……そんなもん、口減らしだろうよ」

「それは……過酷だったとは思うが」

「分隊は俺以外全員途中で脱落したよ。死んだ。敵と戦うわけでもなく、ただ寒さと厳しさに打ちのめされて死んでいった。山を越えてみれば、通信は圏外。最初からろくな指令だって出されちゃいない。二十年だ。二十年も捨て置かれて……いまさら命令を聞く気はない」

 

 それは感情を思わせない淡々とした語り口だった。

 すべては過去のことだった。聖王国での暮らしも、分隊の壊滅も、孤独な作戦行動も、すべてはもう過去のことだった。男にとってそれは、何もかもが過ぎ去ったことだった。

 臥竜山脈の雪と氷が、男のすべてを漂白してしまっていた。極限の世界が、何もかもを削り落としてしまった。いまこの男が持っているものはみな、この村で与えられたものなのだ。

 

 まるで冷たい岩のような拒絶を、ウルカヌスは感じた。

 

最外縁部(アウター)の人間が中央(セントラル)を憎むのもわかる。私も、外縁部(エンド)の出身だ」

「ほう。スラムのガキが、ずいぶんと出世したものだ。秀才様だな。運もいい」

 

 アンドレオの口元に、皮肉気な笑みが浮かんだ。

 

「だが、壁の内と外では、話が違う。あんたの凍えた寒さと、俺たちが死んでいった寒さは違う」

「……確かに、私にはわからん」

「あんたはもうずいぶん仕事をこなしてきたようだな。俺の情報網にも、少なくない情報が入ってきている」

「国のためだ。故郷の、聖王国のためだ」

「素晴らしいことだな。俺にはそんな気持ちはない。愛着も恩義も感じない」

 

 ウルカヌスは、アンドレオの冷たい物言いに、しかし怒りは覚えなかった。

 ただ困惑とやるせなさがあった。

 

 最底辺で生まれて、すべてを賭してでも成り上がってやると誓った。汚染された排水をすすり、配給のブロックを奪い合って生きてきた。その屈辱も苦悩も、すべてを背負って這い上がってきた。

 だがそれさえも、本当の底ではないのだ。

 

 アンドレオが生きてきた最外縁部(アウター)という地獄。

 壁にへばりつくようにして貧民たちが生きる、エネルギーも食料も滞るスラム──それよりもさらに外側こそが最外縁部(アウター)だ。そこは、正真正銘、文字通り都市外殻の()()なのだ。

 

 聖王国の首都にして唯一の国土、残されたたった一つの城塞、零落した天空の都、カ・ディンギル。人々を守りはぐくむその強固な壁と天井の外側に、最外縁部(アウター)はある。

 来るはずもない外敵に備えた見張り番であり、人の手を拒む厳寒の北大陸を調査・開拓する任を帯びた永劫の奉公人たち。

 神々との争いにおいて裏切り、あるいは罪を犯した者たちの末裔。

 

 かろうじて壁の内側であった外縁部(エンド)でさえ、死は隣りあわせだった。飢え、凍え、死と病がはびこっていた。

 だが最外縁部(アウター)においては、死さえも救いだった。

 彼らには生殖の自由はなく、そして死に絶える自由さえない。

 一定の年数を経過すれば、つまり生き過ぎれば、あえて過酷な任を与えてすり潰す。

 数が減り過ぎれば、すなわち死に過ぎれば、だれも望まない生命資源が産出され不足を補う。

 使い捨ての、消耗品の機械と変わらない扱い、それよりもなおむごい。

 ただただ無為に無意味にすり潰すことだけを目的とした凌遅刑の罪人たち。

 彼らは無為にして永遠の奉仕を強制された奴隷だ。

 

 そんな彼が聖王国の正規エージェントとしてやってきた自分を拒むのも道理だ。

 宿を貸し、メンテナンスを請け負ってくれただけでも、望外のことと言える。

 それがたとえ、早々に出て行ってくれという意思表示であったとしてもだ。

 通信機にわずかな反応があったためにこうして頼ってやってきたが、それもただ二十年捨て置かれた機器が応えたというだけにすぎなかったのだ。

 

「もう、二十年だ。娘もできた。国の言い方をすれば、生命資源も産出できた。もう、いいだろう」

 

 アンドリューは、いや、アンドレオは聖王国の潜入工作員としての身分を完全に捨て去っていた。この過酷でさびれた村の一員として、骨をうずめる気でいるのだ。死の大陸と比べれば、ここでの生活はどんなにか恵まれていたことだろうか。

 

 だが、解せない。

 だからこそ、度し難い。

 ウルカヌスは苦悩に顔をゆがめた。

 彼には理解できない。

 とても許容できるものではない。

 

「わかっているはずだ。その娘もただではすまんぞ。この村も、村人たちも」

 

 脅すような物言いに、しかしアンドレオは答えなかった。

 その静けさが、ウルカヌスをいらだたせ、困惑させる。

 

「貴様らのため込んだ情報素結晶体を明け渡せ。それだけで済む話だ」

「不可能だ」

「私は中央(セントラル)で学び、極めたウィザードだ。人間兵器とあだ名されるその実力、疑うわけではなかろうな」

「……………」

「ただの脅しだとでも思っているのか? 協力しろアンドリュー。平穏な生活を失いたくはないだろう」

「……………」

「あれはもはや兵器だ。こんな寒村で抱え込んでおくべきものではないし、抱え込んでおけるものでもない。私であればあれを安全に運用できる」

 

 ちり、と肌を焦がすような熱気が、ウルカヌスからあふれる。

 魔術を編んだわけではない。ただその感情の高ぶりだけで、炎の魔力がにじみ出ているのだ。常であれば特殊耐爆耐火スーツが抑え込むべきそれが、陽炎のように揺らいだ。

 

 だがその鼻先を叩くように、アンドレオの冷たい拒絶が返った。

 

「話は終わりだ。俺は、俺のやりたいようにやる」

「貴様!」

「あんたの装備はメンテナンスも済ませた。必要な資材も、ポルティーニョにまとめさせておいた」

「なぜだ! 後悔するぞ、アンドリュー!」

「アンドレオだ。……役に立てず、すまないな」

 




用語解説

・奇妙なスーツ
 帝国内では流通していない素材、製法で作られたもの。
 体にぴったりとはりつき、それでいて窮屈感はない。
 リアルタイムで着用者の身体データを読み込み、体調に合わせて保温・保湿する。
 また衝撃に対して硬化、衝撃の分散などを自動で行う。
 これ一枚でも、生半可な鎧などより優秀。
 また、発汗を吸収分解し、べたつかない。
 消臭効果も相応にあるが、長期間の運用においては洗浄が必須。

・ウィザード
 聖王国において、最も優れた能力を有する魔術師に対する称号。
 もっとも、聖王国では魔術師という呼び方は一般的ではなく、エーテル感応能力者、事象操作技術者などと呼ばれている。
 能力至上主義である聖王国においては極めて高い地位があるが、同時に優秀なものはより高度な職責を要求される。


・メタ蛋白質
 聖王国の遺跡などで、一部の機械仕掛けの穴守の部品などに見られる素材。
 人工的に作られた筋肉のようなものであり、エネルギー供給さえ続いていれば機能を維持し続ける。
 帝国では製造できず、移植も難しいため、実用化はされていない。
 人族はこれを食べて消化できるが、味はあまりおいしくはない。

・絶えぬ炎のウルカヌス
 聖王国の破壊工作員。
 潜水艦による通商破壊工作など、帝国に対して結構な損害を出している指名手配犯。
 遺跡荒らしなどもしており、水面下で着々と準備を進めているようだ。
 《魔法の盾(マギア・シィルド)》の二人を相手には敗戦を続けているが、まともに遣り合えば厳しい相手ではあろう。
 なにより、《魔法の盾(マギア・シィルド)》の二人よりだいぶ常識人なので、たまに正論で殴られる。

最外縁部(アウター)
 聖王国首都の「外殻」を補修維持しているとされる最下層階級民。
 またその居住する都市外集落。

・MAEV
 メイヴ。
 多脚武装工兵車Multi-legged Armoured Engineering Vehiclesの略称。
 ここではその極限寒冷地仕様。
 聖王国がしばしば用いる多脚戦車の一種。
 これは工兵隊に所属する工兵の用いる車両で、火砲などの直接戦闘用の兵器は最低限ではあるが、土木作業や建設など、様々な作業を可能としている。
 仮に万全の状態のこれが一台あれば、村やちょっとした町程度の土木作業はすべて任せられる。
 聖王国基準でも一応は戦闘可能。帝国基準だと、連携の取れた騎士十名程度で当たるべき相手だ。

・過酷
 未踏の北極海沿岸ルートをワンオペ潜水艦で旅させられたエリートが言うのだから、それは過酷だったのだろう。

外縁部(エンド)
 聖王国首都のもっとも外側に住むもの、またその土地。
 外殻の内部ではあるものの、エネルギーや食糧の配給は限られており、貧困下にある。
 能力至上主義である聖王国では、成果を出せないものは最終的にこのエンドに追いやられ、よほどのチャンスがなければ這い上がることは困難とされる。
 そういった内部の事情をある程度知っているあたり、アンドレオはアウターの人間としてはある程度知識を持っているようだ。

・カ・ディンギル
 聖王国の首都にして、現在唯一の領土。
 その全体が強固な外殻におおわれており、内部でエネルギーや水、食料などを循環しているという。
 かつては天空に浮かんでおり、無敵の防壁に守られていたとされるが、現在は極寒の北大陸に墜落し、再起の時をはかっているという。

・生命資源
 何もかもが制限された聖王国では、人間さえも資源の一つ。
 交配はもちろん産出にも許可が必要となり、合意なしでの行為は尊厳に対する最大級の侮辱である。

・情報素結晶体
 聖王国における精霊晶(フェオクリステロ)の呼び方。
 彼らの学問、記述論的事象操作技術体系において、精霊や魔力などは情報素として扱われている。


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第七話 追跡

前回のあらすじ

客人の正体はまさかのあの男。
不穏な交渉は、決裂し……。


 朝日に雪のきらめく気持ちの良い朝のことである。

 

「頭いてぇ……えぼぢわるいぃ……」

「だからさぁ……毎回のことなのに、なんで毎回飲み過ぎちゃうかなあ……」

 

 気持ちのよろしくない声を上げて悶絶する紙月に、未来はため息をついた。

 風呂から上がって帰ってくれば、紙月は手足を投げ出して眠りこけており、布団をかけなおして寝てみれば、朝にはこの始末だ。保護者どうした。せめて保護者らしくあってくれ。そう思わないでもない未来だったが、いまさらと言えばいまさらである。

 

「うううぅ……死ぬぅ……死んじまうよぉ……」

「二日酔いで死んだ人はいないよ……多分だけど」

 

 反射的に突っ込んでしまったが、未来はそこまで飲酒に詳しくない。父も酒を多量に飲む人ではなかった。

 急性アルコール中毒で亡くなることがあるという話は聞いたことがあったが、二日酔いというのは、それとはまた別のものという認識だった。

 

 しかしまあ、急性アルコール中毒にせよ、二日酔いにせよ、そこまで体に悪影響が出るものはもはや毒なのではないだろうかと未来などは思う。

 この世界に来てすぐに、事故で飲酒してしまい我を失ったことがあったが、その時の未来はかなりの醜態をさらしたらしかった。一応覚えてはいるのだが、その時の記憶は酩酊というもののせいなのか、奇妙に歪んであやふやだ。

 そりゃあ、その時は楽しかったような気もするが、それでもまともでなくなるのは確かだ。

 いっそ規制したほうがいいんじゃないかなあ、とぼんやり思ったが、それを実際にやったのが禁酒法というものなので、世の中はそううまくはいかないものである。

 

「うぐぅう……未来ぃ……」

「はいはい、ジュース飲んでね」

 

 昨日着たまま寝てしまった服からは、特有の甘ったるいにおいがした。

 紙月特有の、ではなく、二日酔い特有の、だ。酒臭いともいう。

 なんだかそれにも慣れてしまって、未来としてはもんにょり悲しい。

 

 ベッドから上体だけ起こした紙月に、瓶入りのジュースをちびちび飲ませてやる未来。

 これはただのジュースではなく、《エンズビル・オンライン》の回復アイテムで《濃縮リンゴジュース》という。

 効果は大きく、《HP(ヒットポイント)》の五割を回復させてくれる。同様の回復アイテムである《ポーション》系統と違って割合回復で使い勝手がいいが、相応の重量がある。つまりかさばるアイテムではある。

 もっとも、今は体力回復効果というより、二日酔いには水分と糖分がよいと聞いたからのことであるが。

 

 いままで二人は、ゲームアイテムは補充できるのかわからなかったので、消耗品は割とケチっていた。

 だが、ギルド《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》において倉庫番だったレンゾーと再会し、彼がゲームアイテムの在庫を多量に保有していること、また一部は増産にも成功していることが判明したため、その縛りはいくらか緩くなっていた。

 そのレンゾーから、あまり便利に使いすぎると既存の価値観などが崩れかねないので気を付けるようにとの注意は受けていたが、個人消費においては気軽なものである。

 

「いやでも、二日酔いで使うのは気軽過ぎかな……?」

 

 というか、二日酔いなどというものは、紙月が《浄化(ピュリファイ)》の魔法を使えば一瞬で治るのである。寝ぐせも直るし、昨晩歯を磨いていないのも、今朝顔を洗っていないのも、酒臭いのも、着たまんまでしわが寄った服も、全部一発で治るのである。

 にもかかわらず、紙月はなかなかそうせず、こうしてだらだらと辛い苦しいしんどいともだえるのである。

 マゾなの? ドMなの? 乏しい知識から、未来はそんなことを思ってしまう。まあ《エンズビル・オンライン》で最高レベルまで鍛えてプレイスタイル確立してるような連中は、多かれ少なかれマゾヒズムめいたプレイを越えてきたわけだが。

 

 まあ、しかし、それでも。

 

「もう、仕方ないなあ、紙月は」

 

 こうした頼られるのは、うれしくはあるのだ。

 もしかしたら、自分が甘やかすから紙月もだらだらと甘えてくるのではないかとうっすら思うのだが、しかしそうだとしても、甘えてくれるのはうれしいのだ。

 もしかしたらのもしかしたら、紙月もそういう未来のことをわかっていて、未来の自尊心とか満足感のために甘えて見せてくれているんじゃないかとか、ほんとにちょっぴり思ったりしないではないが、考えないようにしている。

 

 まあ、それはそれとして、いつまでもダラダラしているわけにもいかない。

 いまは一応仕事中なのだ。

 

 寒いとごねる紙月から、早く起きなよと布団をはぎ取る。

 鬼だの悪魔だのと罵声と悲鳴が上がったが、物事には限度がある。

 甘えてくれるのはうれしいが、朝の時間は限られているのだ。

 昨夜のうちに汲んでおいた桶の、恐ろしく冷たい水で手早く顔を洗い、未来は一人部屋を出た。

 

 廊下は、恐ろしく寒い。暖められた部屋の中から出てきたから、特にそう感じる。

 その冷気から逃れるように、気持ち早足に客間へ向かってみると、すでに身支度を整えたウールソが暖炉の火にあたっていた。

 大柄なウールソが、小さくさえ見える椅子にちょこなんと座って火にあたっている姿は、なんだか絵本のクマのようで、すこしほっこりする。

 

 とはいえそのウールソは取り込み中のようだった。

 そのそばに寄り添ったポルティーニョが、なにやら真剣な顔で言い募っているのである。

 

「おはようございます……どうしたんですか?」

「ああ、ミライ君! ちょうどよかった!」

「ええ……?」

「うむ、うむ。なにやらこちらのお嬢さんがお困りのことでしてな」

 

 ポルティーニョは困ったようにこう切り出した。

 

「おとんがいないの」

「アンドレオさんが?」

 

 日が昇る前から、ポルティーニョは起き出して朝の仕事を始めている。

 いつもは父のアンドレオも同じような頃合いに起き出して、軽く朝食を済ませてから仕事に出る。

 ところが今朝は、ポルティーニョが朝食を用意しても姿を見せず、不審に思って部屋を訪ねても返事がない。入るなとは言われているものの、気になって開けてみると、父の姿はなく、山歩きに用いる装備もなくなっていたのだという。

 

「そりゃ、朝早く出ることもあったのよ。夜の内になにかあったとか、山の空気がおかしいとか、あたしにはまだよくわかんないけど、そういうので。でも、そういう時だって、ちゃんとあたしに一言残してくれてたのよ」

 

 父一人娘一人の暮らしである。

 まだ寝ているから起こすのも忍びないと考えるよりも、無理に起こしてでも事情をきちんと説明して、行き先を説明してから出ていくのが常であったという。

 もしそうしなければ、どこかで行き倒れでもしても、なんの手掛かりもないのである。そして残された娘は、父の安否どころか居場所さえも分からずに不安のままに過ごすことになるのだから。

 

 だから、このように黙ってどこかへ行ってしまうというのは、今までになかったのだという。

 

「おとんのお客さんにも聞いてみたんだけど、知らないって、すごく驚いて……」

「フムン」

 

 未来は昨夜会話したあの客人を思い出した。

 とても理知的で、なんならこちらの世界で接した人間の中では一番大人なんじゃないかというくらいできた人だったように思う。

 アンドレオとの関係はあまり親密というほどではないようだったが、それでも頼って訪れたその人が行方不明というのは、あの客人も落ち着かないことだろう。

 

「じつは昨夜、仕事を終えて、おとんにお休みを言いに行ったの。でも、部屋の中から言い争うみたいな声がして……」

 

 結局、怖くなってその夜はそのまま部屋に戻ってしまったらしいのだが、目覚めてみれば父の姿がないのだ。あのとき多少強引でも顔を出していれば、とポルティーニョは嘆いた。

 客人もそのことを言い立てられて責任を感じたのか、捜索に手を貸してくれるとは言ってくれたが、雪にも慣れていないようだし、土地勘もない。期待はできないだろう。

 

「ウールソさんは冒険屋なんでしょう? 山にも慣れてるって。だから、おとんのことを探してほしくて……」

「拙僧も気がかりではありますが、何分雇われの身ですからなあ。勝手はできぬ次第で。雇い主殿はいかがなされるか」

 

 未来はその場で頷こうとして、踏みとどまった。

 それから少し待つように言って、部屋まで駆け足で戻るや、端的にいま聞いた話を紙月に告げたのである。

 相談とも言えないざっくりとした報告を聞くと、あれほど二日酔いでうなっていた紙月はするりとベッドから起き出して、プリセット登録していた戦闘用の装備に瞬時に切り替えた。

 未来もまた、燃え上がる炎を模したような火属性鎧《朱雀聖衣》を身にまとう。

 そこに雪山であることを考えた装備をつけ足しながら部屋を出て、歩きながら未来に詳細を聞いた紙月は、静かにうなずいてこう言った。

 

「わかった。行こう。…………ところで臭うか?」

「お酒臭いよ」

「《浄化(ピュリファイ)》」

 

 感謝して頭を下げるポルティーニョに、もしかしたら入れ違いで帰ってくるかもしれないから留守番をしているように伝えて、《魔法の盾(マギア・シィルド)》の二人と案内役の冒険屋の一行は急ぎ迎賓館を出た。

 厩舎でまどろんでいたタマも、呼べば寒いのにすんなりと起き出して、三人についてのしのしと歩き出した。

 

 とはいえ、行き先がわからないのだから、探すにも方策がない。

 朝も早く、出歩く村人も少なそうで、証言も期待できない。

 

「なあ未来、お前の鼻で追えないか?」

「どうやってさ。においを嗅げとでも?」

「ああ、そうさ。獣人だし、できないもんかな」

「…………うーん。だめかな。におわない」

「なにも?」

「うん」

「まったく?」

「そうだってば」

 

 犬扱いされているようでちょっとムッとはしたが、しかし獣人としての未来の感覚が、使える道具なのは確かである。

 とはいえ、計画性もなく鼻をひくつかせても、さっぱりわからない。

 一応アンドレオのにおいは覚えていたが、このあたりはもともとアンドレオが日々を過ごしているのだ。古いにおいも新しいにおいも混ざりあって、よくわからない。

 この新しい鋭い感覚を未来はまだうまくあつかえていなかったし、あるいはそもそも本物の犬ほどは強くないのかもしれなかった。

 

「フムン、ここは拙僧が」

「ウールソさんが?」

 

 ウールソは迎賓館のぐるりを見て回って、それから一つの足跡を示した。

 

「これですな。これを追いましょうぞ」

「これがアンドレオさんの足跡なんですか?」

「おそらくは」

 

 足跡にも新しいもの古いものとあって、これは新しいものであるという。わかりやすい特徴で言えば、ほかの足跡の上などを踏んで、いちばん上に残っているのだ。そしてそれは迎賓館から外へと向かっているから、出ていったアンドレオのものとみていいだろう。

 

 ほかに新しいものとしては、少し出て戻っていった小さな足跡はポルティーニョのものであろう、またどうにもぎこちなく歩きなれていないようなものは例の客人のものであろう、とこの武僧は看破して見せた。

 

 そしてその足跡ををたどりながら未来が鼻先を寄せてみると、なんとなくアンドレオのにおいがするような気もする。

 

「この先……ってことは」

「山奥に向かってるね。二の村か……三の村まで行ったのかも」

「あるいは氷精晶(グラツィクリスタロ)採りかもしれませんな。客人に融通してやりたいが、村のものにバレるのもよろしくないので、娘にも黙ってこっそりと出た、という筋などいかがか」

「密猟ならぬ、密採掘って? それだとまだ平和でいいんだが……」

 

 この村には氷精晶(グラツィクリスタロ)をため込んでいる疑いがあるのだ。

 そしてアンドレオはその氷精晶(グラツィクリスタロ)採りを許されている数少ない村人であり、村長からの信頼も厚い。

 昨晩、客人と言い争った結果、何らかのアクションに出たとすれば、絡めて考えてしまうのも無理はない。

 途中、村の若者に会って話を聞けば、アンドレオが山に向かう姿を見たという証言も得られた。

 嫌な予想が、固まり始めていた。

 

 一行は雪道を急いだ。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 一行を見送って、ポルティーニョは崩れるように椅子に座り込んだ。

 父の客人も捜索を手伝ってくれると言って出ていった。いかにも強そうな冒険屋を護衛にしたミライたちにもお願いした。でも、どうだろうか。父はどこに行ったのだろうか。父は見つかるのだろうか。

 近所の人にも相談したけど、みんな考えすぎだと取り合ってくれなかった。アンドレオが村のあちこちへと仕事に出向く姿は、みんなが知っている。でも、娘の覚えたわずかな違和感は、ポルティーニョにしかわからないものだ。

 

 ポルティーニョだって、そう信じたい。

 ちょっとした勘違いなのだと。父はすぐ帰ってくるのだと。

 声を荒げる娘に、「そうか」と短く返してくれるのだと。

 だがきっとそうではない。そうはならない。

 ポルティーニョはどこかでそう感じていた。

 

 父は強い人だった。

 腕っぷしを自慢するような、喧嘩を好む人ではなかった。でも、誰よりも忍耐強く、誠実に仕事に取り組む人だった。驚くほど大きな魔獣を仕留めてきたこともあったし、突然の雪崩をしのいで生きて帰ってきてくれたこともあった。

 父に何かがあったなんて、想像することさえ難しい。

 けれど、父が声をかけてくれなかったのは、これが初めてだった。

 

 ポルティーニョが幼いころは、父はどこに行くにも娘を連れて行った。村長が家で預かってやるといっても、腰に縄でつないででもかたくなにポルティーニョを見守り、その成長を支えてくれた。

 大きくなって、一人で留守を守れるようになってからも、父は何くれとなくポルティーニョを気にかけてくれた。出かける前には必ずどこに何をしに行くと教えてくれて、いついつまでには帰るといってくれた。予定が急に変わった時も、必ず村の誰かに頼んで言付(ことづ)けてくれた。

 

 反対に、その父のまめまめしさを綺麗に受け継がなかったポルティーニョが、何にも言わずによその手伝いに行ったり、遊びに行ったりしても、父は必ずポルティーニョを見つけてくれた。

 友達と喧嘩をして一人で泣いていた時も、仕事道具を壊してしまって怖くなって隠れていた時も、自分の体が変化していくことが急に恥ずかしくなって家を飛び出してしまった時も、その度に父は夜遅くまでだって探して、ポルティーニョを見つけ出してくれた。

 

 ポルティーニョも、父がそうしてくれたように、父を探しに出るべきだろうか。

 けれど、父が留守を任せてくれた迎賓館を、黙って空けられるものだろうか。

 迷う。悩む。苦しい。

 本当なら、誰かに頼むなんてまだるっこしいことをせずに、すぐにも駆けだしたかった。

 父の背中を探して、村中だって探し回りたかった。

 

 でも、怖かった。

 父がいつだってポルティーニョを見つけ出してくれたのは、父がポルティーニョのことを誰よりもよくわかっていてくれたからだった。

 でも、ポルティーニョは自分もそうだとは言い切れなかった。言い切る自信がなかった。

 ポルティーニョの世界は父で埋まっていたが、けれどポルティーニョは父のことを全然知らなかった。父が何を思って、いまどこで何をしようとしているのか、まるで思い当たらなかった。心当たりすらなかった。だって、いつもわかっていなかったのだから。

 

 思えば、父には叱られたことだってなかった。

 言いつけを守らなかった時も、危ないことをしてけがをした時も、友達と喧嘩をして泣かせた時も、仕事に出る父に縋り付いてぐずった時も、父は一度だってポルティーニョを叱らなかった。

 ただ、静かな声で、ポルティーニョが頷くまで諭してくれた。

 黙って言うことを聞けと、そう強いる人ではなかった。

 これこれこういう理由や理屈があるから、そのようにしたほうがいいと思うと、理屈でもって丁寧に言い聞かせてくれる人だった。

 父はいつも、静かだった。

 

 ポルティーニョは父が何に怒り、何に泣き、何に笑うのか、まるで知らなかった。

 短い夏に、木陰でまどろむ姿を見たことがあった。けれどすぐにすっくと立ちあがり、仕事に出てしまった。

 冬に暖炉の前で、ぬくめた酒を時間をかけて舐めるように飲んでいたことがあった。でもその酒の味を語りはしなかった。

 怒りもせず、笑いもせず、苦にもせず、喜びもせず、父はいつも変わらなかった。

 茶化すようにかかしと呼んだりもしたけれど、それにだって父は、ただ「そうか」というだけだった。

 

 父が優しいことだけは知っていた。

 ポルティーニョを見守り、育て上げてくれたことを知っていた。

 そばにあることを苦にせず、成長していくそのそばで支えてきてくれたことを知っていた。

 娘を見守るそのまなざしはいつも静かだったけれど、そこには娘を厭う色なんて一つだってなかったことを、知っていた。

 

 でもわからなかった。知らなかった。

 父が本当は何を考え、何を思い、いま何をしようとしているのか。

 そのことが怖くて、恐ろしくて、ポルティーニョは椅子から立ち上がることさえできなかった。

 

 大声でその名を呼びながら、村中を探し回りたかった。

 その背を追いかけてどこまでだって走り、見つけ出したら泣きながら抱き着きたかった。

 

 でもできなかった。

 怖かった。

 怖くてたまらなかった。

 何がって、父が見つからないことが、怖かった。

 村中をくまなく探しても、父の背中が見えないことが怖かった。

 どこか遠くから来た父が、自分を置いてどこか遠くへと行ってしまうのではないかと、怖かった。

 

 そうだ。

 本当はずっと怖かった。

 父は静かで、優しくて、そしてどこか遠いくにの人だった。

 同じ屋根の下で過ごしても、父の心は遠くにあった。

 

 世界の終わる音が、そこまで近づいていた。




用語解説

・《濃縮林檎ジュース》
 《エンズビル・オンライン》の回復アイテムの一つ。
 《濃縮林檎》を材料にして作られる。
 《HP(ヒットポイント)》を最大値の五割ほど回復させる。
 『もぎたて新鮮な禁断の果実を使用! 搾りたて禁忌のお味はいかが?』

・《ポーション》系統
 《エンズビル・オンライン》の回復アイテムシリーズの一つ。
 すべてが固定の数値で《HP(ヒットポイント)》を回復させる効果がある。
 《ポーション(小)》、《ハイ・ポーション》、《ポーション・ゴールド》、《プレミアム・ポーション》、《プレミアムロイヤル・ポーション》、《ポーション2000》など、さまざまな種類が存在し、かゆい所にも手が届くラインナップ。
 ただし、多すぎて回復量がわからなくなるプレイヤーも。

・《朱雀聖衣》
 ゲーム内アイテム。火属性の鎧。
 いくつかの高難度イベントをクリアすることで得られる素材をもとに作られる。
 炎熱属性の攻撃に対して完全な耐性を持つほか、純粋な防御力自体もかなりの高水準にある。
 見た目も格好良く性能も良いが、常にちらつく炎のエフェクトがCPUに負荷をかけるともっぱらの噂である。
『燃えろ小さき太陽。燃えろ小さな命。炎よ、燃えろ』


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第八話 雪深きを往く

前回のあらすじ

二日酔いの紙月は、未来に匂いを嗅げと強要して……!?


 ともすれば、というより、早々に足跡を見失ってしまった紙月と未来であったが、案内人であるウールソの足取りには全く迷いがなかった。

 まだ登りきらぬ朝日の薄明の中では何もかもがあやふやで、ものの距離さえもが曖昧にぼやけてしまいそうだというのに、この武僧はためらいなく進んでいく。

 これが熟練の冒険屋というものかと二人が感心していると、ウールソはしたり顔でひげをしごいた。

 

「いやまあ、二の村までの道は(なら)されておるようですからなあ」

「あ」

 

 道理で歩きやすいはずである。

 よくよく見れば、荷車くらいは問題なく通行できるような幅で、しっかりと新雪はのけられ、また踏み固められることで、雪歩きに不慣れな二人も何とか歩けるような道になっていた。

 この道から外れようとすれば、大きく雪に跡を残すだろうし、すくなくともそういう痕跡がみられるまでは、このまま道なりに進んでいったとみていいはずである。

 ばふぅ、と後ろからついてくるタマが、ため息をついたような気がした。

 

 均された道を、それでもざくざくと足跡を残しながら進んでいくうちに、やがて二の村が見えてきた。

 はっきりここからですよ、という区切りがあるわけではなく、ぽつりぽつりと家が見え始め、それに応じて枝道も増えていく。

 

 二の村は、村の医者でもあるナガーソがまとめ役をしている村だ。

 一の村より傾斜が強く、小刻みの段々畑が雪の下に横たわっているはずである。その傾斜を、冬も凍ることなく流れていく川には水車もあり、粉ひき小屋もある。

 おそらくは雪が解ければ、田畑の姿もここに浮かび上がってくるのだろうが、いまはただただ茫漠(ぼうばく)たる白海に、孤島のようにまばらに屋根が見えるばかりである。

 

 冬場は燃料の節約などのために、村人はみな一の村に降りて過ごすということだったが、意外にもこんな朝早くからちらほらと村人の姿が見える。

 

「農村の朝などはまあ早いものですな。冬場は特に日が短くなり申すから、ずいぶんな早起きに見えますかな」

「昼過ぎまで寝てる紙月は見習わないとだね」

「たまにだろ、たまに」

 

 村人が早起きして、わざわざ何をしに来ているかというと、もちろん仕事に来ているのである。

 

「家は生き物と申しますように、人の手が離れるとすぐに悪くなっていくものでしてな。特に雪が積もれば、重みで潰れる」

「はー。管理維持業務ってわけだな」

 

 感心したように見上げる紙月の視線の先では、屋根に上った身軽な土蜘蛛(ロンガクルルロ)たちが、積もった雪をきれいに切り分けては下に落としていた。見下ろせばその落とした雪が、ちょっとした小山のように積もっている。

 いま屋根の上で作業をしていない小山には、また別の村人が張り付いて、その雪を小分けにしては邪魔にならない場所に積んでいく。

 また別のものは道をせっせと整備し、また別のものは雪の下から野菜を掘り出したりもしている。あれなどは、越冬野菜の類だろうか。

 

「雪下ろしと申しましてな。雪が積もるたびに大仕事になり申すが、やらねば家が潰れるという次第で」

「大変だなあ。でもあれ、うっかり下にいたら埋まっちまうんじゃないですか?」

「左様ですなあ。なに、春には会えますぞ」

「怖っ」

 

 これも雪国ジョークなのだろうか。

 しかし実際、下にいて雪につぶされるものや、足を滑らせて転落するものなど、事故には事欠かない仕事である。人族であればまず命綱などが必要だが、土蜘蛛(ロンガクルルロ)も慢心してたまに落ちるという。天狗(ウルカ)は飛べるが、下にいて埋まることはしばしばある。

 

 そういった仕事ぶりを眺めながらも、ウールソは足跡を的確に追い続けた。

 村人の足跡があちらへこちらへと踏み荒らし、時にはかき消されている中でも、視線を巡らせ、鼻を巡らせるウールソにはなにかしらの計算式から行き先が導き出されているようだった。

 そして自分の勘所だけを信用するのではなく、時には村人に声をかけて、アンドレオが通らなかったかと聞いて検めもした。

 

「おう、アンドレオさんなあ。来てたみてえだあなあ」

「んだなあ」

「屋根の上からよ、空模様見るついでにあたりも見るんだべが、そしたら山ン方に背中が見えただな」

「ありゃまんずアンドレオさんだべな。雪崩のにおいでもしたんかねえ」

 

 そういった村人は朝一で来ていた組らしく、それよりもずいぶん早くアンドレオは出ていったことになる。

 ただ、アンドレオが朝早くから山に仕事に行く姿は珍しいものでもないらしく、彼らは不信感を抱いていないようだった。

 

 それなりに時間がたっていることを考えれば、追う身としては急がなければならない。

 ならないのだが、こうも足を取られる雪道では、速度も落ちる。

 

 特に紙月は雪道には慣れていない。

 未来も慣れていないが、それでもウールソの後ろをついてその歩き方をまねしていたし、何より元から体力がある。

 しかし()()()の紙月は歩きづらそうな足元もあって早々にリタイヤし、今はタマの背に乗って「英気を養っている」ことになっている。

 戦闘ともなればその魔法は他者の追随を許さぬ強力さを見せつけ、タマの背に乗っていればある程度の機動力もある移動砲台となるのだから、そのスタイルは間違ってはいない。いないのだが、見た目には完全にお荷物である。

 

「しっかし、アンドレオさんともめたっていう客人、何者なんだかな」

「旅人とのことでしたが、雪には慣れていないというあたり、暖かな地方の人間ですかなあ」

「うーん、どうなんだろう。とても遠い所から来たらしいけど」

「フムン?」

「アンドレオさんと故郷が同じで、それで頼ってきたらしいよ」

 

 ウールソの小動(こゆるぎ)もしない足元を観察して感心したようにまねしながら未来がそう述べると、紙月は眉をひそめた。露骨なまでにひそめた。顔芸一歩手前である。

 

「なんでそんなこと知ってるんだよ」

「なんでって……お風呂で話したから」

「風呂ォ? お前あの変なやつと風呂入ったの? 俺以外のやつと風呂に? ってか俺も風呂入りたかったんだけど?」

「変なやつって……」

 

 何ともツッコミどころの多いからみ方である。

 面倒くさいからみ方ともいう。

 あの客人と風呂に入ったのは偶然だし、そもそも普段だって公衆浴場では誰かしら他人が一緒に入っているものである。

 だがすべてに丁寧に突っ込むとかえって面倒くさいすね方をされそうだったので、未来は端的に切り返した。

 

「仕方ないでしょ。紙月、酔い潰れてたんだから」

「言い返せないやつはやめろ」

「弱点属性が正論なのはいろいろダメだと思うなあ……」

 

 すねたように口を尖らす紙月を、クッソ面倒くさいと思うと同時に、かわいいなあと思ってしまうあたり、未来もたいがいではある。まあ、面倒くさいからと言って放り出したりはしないし、かわいいからと言って丁寧に対応もしない。雑にぶん投げていくスタイルだ。

 

「ちょっと話しただけだけどさ、悪い人じゃなさそうだよ」

「悪人ほどいい人っぽく装うもんじゃないか?」

「それだったらもうちょっと()()()()()に見せるもんじゃない?」

「それもそうか」

 

 少なくとも怪しまれるようにふるまうのは悪手も悪手だ。

 後ろめたいことのある小悪党ならともかく、相応の大物ならば堂々としていそうなものだ。

 それに、あの客人の場合は、姿を見せまいとするのには理由があることも確認済みなのである。

 

「あの人ね、全身に大やけどのあとがあったんだ」

「やけど?」

「うん。勝手に言いふらすのはよくないと思うけど、でも、顔もやけどの跡がひどくて、それで隠してるんだと思う。見られるのを嫌がるっていうより、怖いのを見せたって言って僕のこと心配してくれたし」

「いい人じゃん」

 

 だから、未来としては悪い人なのではないのではないか、とそんな風に思うのだった。

 少なくとも理由なく悪行を働くようには見えなかった。それくらいには理知的で、理性的な人間だった。まあ大物の悪党ともなると、理知的な感じになってくるのもテンプレートではあるが。

 

「あとさあ、紙月の知り合いかも」

「ええ? 俺ぇ? 心当たりないぞ?」

「まあ紙月も目立つから、仕事中とかに見たことがあるだけかもね」

「なんか言われたのか?」

「紙月は保護者として問題があるってさ」

「なにおう、ふざけたことを」

「僕もさ、怒るより呆れちゃったよ。『ですよねー』って」

「突然の裏切り!?」

「いや、言い返せなかったよねえ」

「ぐぬぬ」

 

 別に未来は、紙月を嫌っているわけでも、侮っているわけでもない。

 むしろ未来から紙月へと向かっている矢印は、結構な大きさなんだろうなあと自覚はしている。

 ただ、それはそれとして、客観的に見た場合、紙月って結構アレだよなあとは思うだけだ。

 

 見た目は文句なしの美人で、それなのに気さくで庶民的とポイントは高そうだが、主食が液体でちょくちょくアルコールが入っているとか、雑に魔法使って雑に解決しようとしたりするとか、いぎたなくずるずる寝こけていたりとか、意外と足癖が悪くて足で物を動かそうとしたりとか、色々まあ、減点しようと思えばできるものだ。

 

 それにまあ、未来も加担しているので紙月だけの話ではないけれど、地竜をやっつけたり、鉱山を崩落させたり、草原ごと害獣の群れを凍らせたり、海賊船を沈めたり、荒っぽい話題には事欠かない。

 街を歩いて変なのに絡まれることもしばしばだし、誘拐されそうになったり誘拐されたり、未来に助けられたり、未来がオーバーキル気味に返り討ちにあった誘拐犯を助けたり、特に紹介されることもないまま流されていったけどあんまり洒落になっていないエピソードも少なくないのだ。

 

 少なくともまあ、見た目だけなら普通のお子様である未来のような少年を任せるには、あまりお勧めできなさそうだった。

 

 さて、一行がさらに進んでいき、第三村にさしかかるころである。

 葡萄(ヴィンベーロ)畑を広げて酒造をしているという、天狗(ウルカ)のカンドーが治めるもっとも山深い土地だ。とはいえ山肌にしがみついているというわけではなく、山に囲まれたというべきだろうか。

 足をのばせばすぐに山であるから、山の恵みには事欠かなさそうだったが、同時に山の獣や、雪崩といった被害も少なくないという。

 

 ここもまたはっきりとした境界があるわけではなかったが、葡萄酒(ヴィーノ)の醸造所であるという大きな建物が目立った。雪が解ければ、カンドーが住まいとする邸宅でもあるという。

 建物自体も大きくて立派なものだが、その地下には結構な広さの地下室があり、程よい低温と湿度で葡萄酒(ヴィーノ)を熟成させているという。

 

「ワイナリーの見学って、そういや行ったことないなあ」

「紙月が経験ないっていうの珍しいかも」

「ワイン検定は持ってんだけど、そんな飲む機会なかったからなあ」

 

 紙月も一応は大学生だったのである。

 飲み会などもちょくちょく行っていたし、飲酒自体は慣れたものだったが、醸造所などの見学に行くほど熱心だったわけではない。

 将来的にワインにかかわる仕事に就くならばソムリエ資格などを考え、見学などにも顔を出したかもしれないが、二十二歳にもなって将来のことがさっぱり浮かばなかった人種なのである。あのままでは就活は危うかった……いや、それはそれで適当なところにそつなく入っていたのかもしれないが。

 

 などということを考えながら、微妙に気が抜けつつも村を抜けていった一行は、その先で思わぬ人物と遭遇することとなった。

 

「……こんな朝早くからなんの用だね、芸術家のセンセイ」

「村長……!?」

 

 ぎょろりとねめつけるようにして立ちはだかったのは、ブランフロ村全体を治める郷士(ヒダールゴ)であり村長であるワドーの姿であった。

 巌のごときこの男は、見慣れぬ鎧姿をいぶかしげに見やるも、その勇ましげな姿にひるむこともない。憮然とした表情で、疎まし気に追い払うような仕草さえして見せた。

 

氷精晶(グラツィクリスタロ)が目的か? それなら後で見繕ってやる。村の備蓄の、安い傷物だが」

「ああ、いや、実はアンドレオさんが黙って出ていっちまったってんで、娘さんに頼まれまして」

 

 ワドーは片眉を上げて、険しい顔立ちを一層こわばらせた。

 

「アンドレオが? やつが……? いや、しかし……なぜいま……」

「何かご存じなんですか?」

「やかましい。いまは他所モンに付き合っとる暇はない。とっとと帰れ」

「でも、アンドレオさんが」

「黙れ。ポルティーニョには後で俺が言ってやる。いまはそれどころじゃあ、」

「村長、大変だ! 三号氷室も全部やられっちまってる!」

「二号も五号もだ! 氷精晶(グラツィクリスタロ)が空っぽになっちまってる!」

「騒ぐな馬鹿ども!」

 

 息せきって走ってきた年配の村人たちは、紙月たちの姿を認めるや、さっと顔色を変えた。

 聞かせるべきではない話を、聞かせるべきではない相手に聞かれてしまった、そういうことなのだろう。

 後に続いてきた数人の村人たちもまた、駆け付けたままの浮足立った体勢で、紙月たちを言葉もなく見つめる。

 その目は動揺し、困惑し、大いに迷いながらも……現状を察して、ほとんど据わりかけている。覚悟を決めかけている。

 気忙しくも、すでに腰の短刀や、つるはしめいた氷斧(ひょうふ)に手を伸ばすものさえある。

 

 ワドーの分厚い皮手袋が、巌のような顔面を覆った。疲れ切ったような、絞り出されるような、そんな深いため息。

 

「…………センセイや。俺はこれでも穏健派を気取っておる。余所者をことさらに毛嫌いしてみせるのも、迂闊に立ち入らんほうが互いのためだからだ。かかわってほしくないし、かかわりたくないのだ。お前さん方が大人しくしておれば、俺とて血の気の多い連中を抑えて、土産でも持たせて帰してやったところよ」

「あー……俺たちも穏便に済ませたいところなんですがね」

「お前さん方には何のことやらわからんだろうが、聞かれたからには放っておくわけにはいかん。もとより季節外れの客人は怪しいことこの上ないし……その鎧、ただものではなかろう。子爵の手のものか、他所の貴族の犬か、はたまたよからぬ冒険屋崩れか……」

「ただの無害な芸術家ってのは?」

「それが互いのためには一番いいがな。だが、どちらにせよ、自由にさせておくわけにもいかん状況でな」

 

 ワドーが顔をさらしたとき、そこにはもはや逡巡はなかった。疲れ切った老人の懊悩などなかった。ただただひび割れた巌のごとき、厳然たる冷徹さだけがあった。

 

「取り押さえろ!」

「けがはさせるな!」

 

 合図は同時だった。

 ワドーの声に村人たちは得物を構えて囲みにかかり、そして紙月の声に応えたのは未来の《技能(スキル)》だった。

 その巨体からは想像できない機敏さで素早くタマの背中に飛び乗ると、未来は古びた木製の盾を掲げた。ささくれ立った樹皮に蔓や樹根が這いまわる、まるで大樹の一面をはぎ取ってきたようなそれは《ドライアドの破魔楯》という。

 

「《ラウンドシールド・オブ・シルフ》!」

「うおっ!?」

「魔術師か!?」

「ひるむな! 囲め!」

 

 途端、小規模な嵐のごとき旋風が、未来を中心にして巻き起こる。

 それは、内側にいる一行にとってはそよ風程度でしかないが、いままさに躍りかからんとしていた村人を弾き飛ばし、寄せ付けぬだけの圧倒的風圧である。

 攻撃手段の乏しい《楯騎士(シールダー)》ではあるが、それゆえにこそ、守りの術は他の追随を許さない。

 

 とはいえ、その圧倒的防御性能を引き出す代わりに、この《技能(スキル)》は使用中身動きが取れなくなるデメリットがあった。ある程度恣意的な解釈を行うことで効果を捻じ曲げ、デメリットを緩和することもこの世界ではできなくもないが、その場合肝心の防御性能は下がることがわかっている。

 

 村人たちはそういった裏側の事情まではもちろん知らなかったが、陣地に引きこもるようなその姿に、速やかに包囲の構えをとり持久戦に持ち込まんとしていた。

 《技能(スキル)》は対価もなしに発動するわけではない。この世界の魔術が魔力を用いるように、《技能(スキル)》も《SP(スキルポイント)》を消費する。持久戦に持ち込んで削り殺すというには、対策としては間違っていない。

 

「……なあ、()()、まずくないか?」

「いや、でも、あの鎧はいくらなんでも重すぎるだろ……」

「坊さんも乗っちまったぞ……?」

「そもそも冬なのに平気なのか……?」

 

 間違っていないが、大間違いだった。

 

「よーしタマ、今日は走っていいぞー」

「みゃーお」

 

 しわがれた猫のような、何とも気の抜ける鳴き声とともに、断じて気の抜けない恐ろしい怪物の踏み込みが、雪道に沈んだ。潰れた雪が瞬時に圧縮されて氷の塊になりはて、次の一歩がまた氷を生み出す。

 あんな過積載で動けるわけねえだろ、重すぎて雪に沈んじまうだろ、頼むから今すぐ冬眠してくれ、もしくは夢ならば覚めてくれ、そういった村人たちの必死極まりない祈りは、残念ながら誰にも届かなかった。祈るときは宛先をしっかりネ。

 そうなるとあとは、早かった。

 

「待て待て待て!?」

「おわーっ!?」

「それが人間のやることか!?」

 

 蒸気機関車のように容赦なく力強い歩みが、ゆっくりと、しかし確実に回転数を上げていき、猛然と雪を跳ね飛ばし、村人を跳ね飛ばし、前方のあらゆるものを跳ね飛ばしながら、駆け抜けていく。

 唯一の救いは、そのいかつい装甲に引き裂かれる前に、未来の風の盾によって柔らかく(当社比)跳ね飛ばされ、雪に突き刺さるだけで済んだことだろうか。

 

 柔い足元など何の障害にもならないとばかりに猛然と駆け抜ける地竜(小)と、それを中心として吹き荒れる旋風の盾。

 一般村人に止めろというほうが無茶振りであった。

 追いすがる数名の村人と、ワドーの怒鳴り声をはるかに置き去りにして、タマは駆ける。

 

「これじゃ『無敵要塞』っつーか、『無敵戦車』だな」

「機動力までついちゃうと、普通にチートだよね」

「フムン、さすがは森の魔女と盾の騎士、吟遊詩人のさえずりも馬鹿にはできませんなあ」

「いやあ、はっはっは……名乗りましたっけ俺ら?」

「冒険屋は耳ざといのも仕事のうちですなあ」

 

 もはや止めるものもない一行は、ただひたすらに山へと爆走していくのだった。




用語解説

・氷室
 雪や氷などを詰め込むことで、天然の冷蔵庫として用いられる施設のこと。
 断熱材として藁などがよく用いられる。
 小屋や倉庫のような建造物のほか、天然の洞窟や横穴を利用する例もある。
 氷精晶(グラツィクリスタロ)を用いた冷蔵庫も、これらの施設名からとって氷室と呼ばれることがある。冷蔵庫という名前はまだ普及段階なのだろう。
 ここではどのような意味で用いられているのだろう。

・氷斧
 登山道具としてのいわゆるピッケル。

・《ドライアドの破魔楯》
 《ドライアドの破魔鎧》とセットの盾。木属性の《技能(スキル)》の効果を底上げする。
 見た目は地味だが性能はよく、古参プレイヤーからは「最上級の鍋の蓋」の異名で呼ばれる。
『お前が悪しき心を持って臨んだ時、ドライアドはお前を絞め殺す。尤も、ドライアドにとっての悪しき心を、我らが見定める術はないが』

・《ラウンドシールド・オブ・シルフ》
楯騎士(シールダー)》の覚える風属性防御《技能(スキル)》の中で上位に当たる《技能(スキル)》。
 自身を中心に円状の範囲内の味方全体に効果は及ぶが、使用中は身動きが取れず、また常に《SP(スキルポイント)》を消費する。
『風の扱い方を覚えるんだ。風は気まぐれだが、理屈を知らない訳じゃない。理屈が嫌いなのは確かだが』


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第九話 狂炎にまみえる

前回のあらすじ

追跡行のさなかに遭遇したのは、村長。
不穏な会話に不穏な行動。果たして……。


 吹き飛ばされ、跳ね飛ばされ、それでもなお追いすがろうとしてきた村人たちをはるかに置き去りにし、阻む木々を悪気なくいくつか圧し折り、小さな地竜タマはようよう足を緩めた。

 未来の広げていた風の盾はとうに収められ、静かな山の気配がしみいるように感じられた。

 

 手狭なタマの背から、巨躯の武僧と大鎧の少年は雪上に降り立った。というより半ば沈んだ。

 山中の雪は、人の手も入らず、深く、そして柔かった。

 膝までたやすく埋まるほどだから、それを見て紙月は降りるのをあきらめた。こんな雪の中に、自他ともに認めるもやしが沈んでしまったら、今度こそ正真正銘のお荷物である。

 

「さーて……いよいよ完全に山ン中だな」

「とはいえ、この辺りは浅いところですな。ご覧あれ」

 

 武僧ウールソが指さしたのは、なんの変哲もないような木立である。

 

「このあたりは馬栗(ヒポカシュターノ)ばかり。植林したのでしょうなあ」

馬栗(ヒポカシュターノ)……そういえば、言ってたっけ。保存食にもなるっていう」

「雪崩対策にもなるっつってたな」

 

 未来は、ワドーにもらった苦いクッキーを思い出していた。

 決しておいしいものではなかったが、しかし馬栗(ヒポカシュターノ)は貧しい農村にとって貴重な食糧だ。

 どの家も屋根裏には馬栗(ヒポカシュターノ)を備蓄しているというし、どれだけ手間がかかっても食べるために、食べていくために労を惜しまない。

 この村では雪崩の影響を減らすための防雪林としての役目もあるようだったが、そうでなくとも馬栗(ヒポカシュターノ)というものは貧者の糧であり、たとえ領主であっても軽々にこれを奪ったり、まして木を切れと命じることはできないという。

 

馬栗(ヒポカシュターノ)一揆などというのも、一昔前にはあったそうですなあ」

 

 飢饉の折に、乏しい農村から税としてほとんどの作物を持っていくばかりでなく、愚かにも非常食の馬栗(ヒポカシュターノ)まで取り上げようとした領主に村人が激怒し、立ち上がったのだという。

 これが実際にあった事件なのか、それとも領民を追い詰め過ぎれば酷い目に遭うぞという教訓譚なのかは判然としないが、各地で語られる馬栗(ヒポカシュターノ)一揆の結末はたいてい、「そうして悪徳領主の首は柱につるされました」となるらしい。

 

 ブランフロ村においても馬栗(ヒポカシュターノ)は重要で、一つに食料、一つに木材や薪、一つに雪崩対策と、重宝されている。

 それは村の開拓がはじまったころからそうであり、そして今ではアンドレオなどの若手によって計画的植林や伐採などが行われ、村の帳簿にも事細かに記されるほどだという。

 

「てーことは、この辺りは結構人がうろつく程度の浅い所って感じか」

「で、ありましょうな。雪のない時期であれば、村人も柴刈りや、家畜の餌やりにうろついておりましょうなあ」

「そうなると、そんな人の目があるところには氷精晶(グラツィクリスタロ)は隠しておかないよね」

 

 この段になっては隠しておいても仕方がないと、《魔法の盾(マギア・シィルド)》の二人はウールソにある程度の事情を話していた。

 一応依頼人に関しては「さるやんごとなきお方」と曖昧な言い方でごまかしておき、氷精晶(グラツィクリスタロ)の過剰備蓄の疑いがあり、二人は冒険屋としてその調査に来たのだということにしておいた。

 ウールソもベテランの冒険屋らしく、つまり貴族がらみの依頼の面倒くささなどをよくよく承知していたから、深くは突っ込んでこなかった。

 

「さっき村の連中は、氷室がどうとか言ってたな」

「三号とか二号っていうのは、いくつもあるってことかな」

「話の中では五号まで聞こえ申したが、それですべてとも限りませぬなあ」

 

 氷室というのは、自然の洞窟や、断熱材で作った小屋などに、冬の間に雪や氷を詰め込み、夏の間も少しずつ溶けながら保ち続けるある種の保冷庫だ。氷自体をもたせるためのものもあるし、食材の保管に用いることもある。

 この世界では氷精晶(グラツィクリスタロ)というものがあるから、それを詰めた保冷庫も氷室と呼ぶ。

 

 村人が漏らした「氷精晶(グラツィクリスタロ)が空っぽに」なっているという発言からして、くだんの氷室は後者のものであろうし……穿って考えれば、氷精晶(グラツィクリスタロ)だけを備蓄したものと見てもよさそうだった。

 それが最低でも五つある。

 

 紙月たちの何の根拠もないざっくりとしていい加減な想像では、どこか一か所に大量に氷精晶(グラツィクリスタロ)が積み上げられている、という非常に大雑把な絵面が展開していたのだが、そう単純でもないようだった。

 

 しかも、複数の氷室を探さなければならないのか、となるところが、その氷室はすべて空っぽにされてしまっているのだという。

 紙月たちが何かするよりも前に、すでに氷精晶(グラツィクリスタロ)は何者かに奪われてしまっていたのだ。

 村人もそれに気づいて先ほどのように慌てていたのだろうが、これには参った。

 

 村人たちの隠し事を、紙月たちが暴くというシンプルな構図が、第三勢力の密やかにして速やかな犯行によって大きくこじれてしまった。

 

「あれ? でも誰かが持ってっちゃったなら、いまは一か所に集まってるんじゃない?」

「……おお! それもそっか!」

「しかしそれがどこかはわからぬままですなあ」

「おおぅ……それもそっか……」

 

 氷精晶(グラツィクリスタロ)が一か所に集まっている、というのは分散しているよりもいいことのように思えるが、結局はそれがどこにあるか探さなければいけないのは変わらない。

 むしろ村人以外の第三勢力の仕業ということもあって、余計難易度が上がったかもしれない。

 紙月たちはこれから手掛かりなしでその場所を探さなければいけないし、行く先ではその第三勢力の妨害や、ともすれば交戦もあるかもしれない。

 それだけでなく後方からは、引き離したとはいえ、この土地を知り尽くした村人たちが追いかけてきているのだ。

 

「タマに乗って逃げれば引き離せるけど、僕らは山の中のことわかんないもんね」

「ウールソさんはここらへんのことはどう?」

「多少はわかり申すが、山籠もり中は村のものを避けておりましたからなあ」

 

 かえって村の施設や、村人の通るルートなどは詳しくないという。

 とはいえ、山の中の歩き方などはよくよくわかっているし、なによりここでもベテラン冒険屋としての勘が冴えわたっていた。

 

「とりあえずは、あちらですな」

「えっ、なにかわかるんですか!?」

「うむ、足跡が」

「あっ」

「あっ」

 

 ウールソの指差す先を見れば、そこには山奥へと向かういかにも乱れた足跡が見て取れた。

 山の入り口あたりは、まだ村人たちの足跡が錯綜していたが、このあたりまでくるとほとんどが踏み荒らされていない新雪ばかりである。

 その中を、まっすぐに山奥へと向かう真新しい足跡が一組。

 注意力のなさを露呈して恥じる二人を生暖かく見守るウールソとタマであった。

 

 足跡を追って、一行はさらに山奥へと向かっていった。

 奥へ向かうにつれて、空気は一層冷え込み、時折吹く風は勢いを増し、柔らかな新雪を散らしては強烈な地吹雪となった。そうなると、足を止めざるを得ない。

 そして、止めばまた進みだす。進めば進むほどに、この山は険しい冬を深めていくようだった。

 

 こんなに雪深く寒い中でも、濃い緑を広げる針葉樹が、一帯にはまばらに広がっていた。

 極寒の世界にも適応する自然の強靭さに感心し、また思ったよりも障害物が少なく歩きやすいことに感謝した二人に、しかしウールソは浮かぬ顔をした。

 

「木々がまばらということがどういうことかわかりますかな」

「んんー……土がやせてる?」

「標高が高いとか、伐採しちまったとか?」

「いろいろと理由はあり申すが……この辺りは雪崩が多いとのことでしたな」

「ってことは……雪で流されちゃったってことですか?」

「少なくとも、若木が育ちにくくはありそうですなあ」

 

 木々が密に育っていれば、雪崩は起きづらいし、起きてもそれに押しとどめられる。

 しかしすでにまばらであるということは、頻繁に雪崩が起きて、木々が生育しづらいのではないかと想像できる。

 遠くに目をやれば密な森林も見えることから、この辺りが特に雪崩の起きやすい、雪崩の道とでもいうべき地帯であるとあたりはつく。

 あるいはアンドレオたちが被害を減らすために、小規模な雪崩をここで起こしているのかもしれなかった。

 

 雪崩を恐れるならば、道をそれて木々の密なあたりに避難したいところだが、地吹雪にさらされながら見え隠れする足跡は何の根拠があってか、このまばらな山道をひたすらに上っているのである。

 危険度の高い道を堂々と歩いているあたり、少なくとも村人ではなかろうという予想は立つので、逆説的に考えて第三勢力のそれであろうから、これを見失うわけにもいかない。

 

 しかし焦りも不安も、割とすぐに解消された。

 山道とはいえ、木々がまばらで割合見通しがよく、そして相手は雪道に慣れていなかったので、結構すぐ見つけたのであった。

 その露骨に目立つ背中を見つけた時の二人の気持ちは、なんとも言えなかった。

 恐れはある。警戒もある。不審もある。

 なぜここにいるのか。なぜこいつがいるのか。

 

 そこにいたのは因縁深い細身の鎧姿であった。

 身にまとうマントは揺れる炎のようにきらめく。

 溶岩をそのまま杖の形に冷やし固めたような艶のない黒い杖には、汲み出してきたばかりのマグマのように輝く宝石がはめ込まれていた。

 その男を、二人は知っていた。

 その男もまた、二人を知っていた。

 

 聖王国の破壊工作員。

 恐るべき炎の魔術師。

 三度にわたり《魔法の盾(マギア・シィルド)》の二人と対峙しながら、いまなお勝負のつかない因縁の宿敵。

 その名は、絶えぬ炎のウルカヌス。

 

(……またこいつかあ)

 

 ぶっちゃけ、そんな気持ちだった。

 正直、薄々そういう展開もあるんじゃないかなあとか、思っていないでもなかったのだ。

 こういう重大なイベントには、なんか出てきそうというか、そんな予感が。

 

「ええいくそ、なんだこのふざけた歩きにくさは……! 貴重な水資源をこんな形で浪費しおって、ふざけた自然だ……! ぐおっ、また視界が……!」

 

 いまも地吹雪にあおられ、自然現象にケチをつけるというなかなか見ないキレ方をする男を、できれば見て見ぬ振りしたかった。

 聖王国の破壊工作員であるし、実際に帝国に通商破壊作戦を仕掛けていたような危険な男であるし、聞いたところでは指名手配もされているらしいので、捕まえてやるくらいの気概でいたほうがいいのかもしれないが、しかし。

 

「割と面倒くさいんだよなあ……」

 

 紙月、心底からの一言であった。

 実力があるからまともに戦闘をするのも面倒なのだが、それ以上にこう、なんというか、面倒くさい人間なんだよなあという気持ちでいっぱいだった。

 横でそれを聞いていた未来は、多分向こうもおんなじこと思ってるんだろうなあ、とは口に出さないでおいた。

 できれば積極的に相手をしたいような安い相手ではないのは確かだったからだ。

 

 しかし二人が見逃したくても、向こうのほうから気づいてしまっては、もはや仕方もない。

 先ほどまで雪に足元をとられてキレていた男は、追いかけてくる一行の気配に気づくや、マントを翻して振り返った。

 

「貴様……フルヤリ・シヅキ」

「ああ……出遭っちまったな、絶えぬ炎のウルカヌス」

 

 互いに心底面倒くさそうな声なのがまた、妙なシンクロである。

 互いにライバル意識のようなものはあるが、それはそれとしてお互いに今はそれどころではないのだった。

 

「ほんっとに、どこにでも湧くな……」

「ええい、人を害虫のように! 貴様こそ邪魔ばかりしおって!」

「邪魔してんのはそっちだろ!」

 

 低レベルな言い争いをする二人を眺めて、はてさてと未来をうかがったのは事情を知らぬウールソである。しかしうかがわれても、未来としてもなんと説明したものか困る。

 あまり詳細に説明するとどこで機密に引っかかるか分かったものではないし、そもそも詳細というほどこの男について知っているわけでもない。

 謎の怪人物としか言えぬ男なのである。

 

「えー……なんなこう……妙な因縁のある、凄腕の魔術師、かなあ」

「フムン。どちらが?」

「え? ……あ、そっか。この言い方だと紙月も当てはまらないでもないですもんね」

 

 しれっと二人して凄腕の魔術師たちをコケにしている。

 

 未来は強力な炎遣いであるウルカヌスに合わせて、一応水属性の盾である《グラの水瓶》に切り替えた。これは大きな水瓶のような意匠を持つタワーシールドであり、上部から常にあふれ出る清らかな水が、盾全体を流れて濡らしているものだ。

 幸いにもその水は、何かしらの神秘的なものらしく、滴り落ちて足元を濡らすということはなく、また寒さに凍り付くということもなかった。

 まあ、ただのそういうエフェクトだし、などと言う夢もロマンもないことは口には出さない。

 

「ええい、いまは貴様らの相手をしている暇などない! とっとと失せろ!」

「そうはいくか。いったい何を企んでやがる!」

「貴様らには関係のないことだ」

「力づくで吐かせてやってもいいんだぜ……?」

「ほほう、ここでやりあう気か。もろともに雪崩に巻き込まれる覚悟はあるか?」

 

 互いに杖を構えて、いまにも壮絶な魔法の撃ち合いを始めそうな剣呑さだが、このふたり、前回会ったときはクッソくだらない意地の張り合いで倒れるまで魔法使って引き分けてるんだよなあ、などと未来は遠い目をした。

 熱くなったような演技をしているが、実際のところ紙月にその気がなさそうなので、安心してみていられるのだ。本当にやりあうつもりであれば、まず真っ先に未来に合図が飛んでくるのだから。

 むしろこれは、相手のほうを熱くさせて反応を引き出しているのだろうが……あいにくと、時間がないのは確かなのだ。

 

 未来はちらと紙月に目をやる。

 紙月もそれに目で答えた。

 

「あなたも氷精晶(グラツィクリスタロ)を狙ってきたの?」

 

 投げかけた問いかけに、ウルカヌスは答えず、まず呼吸をいくつか重ねた。

 思案。兜に隠された表情は変わらないが、思考を巡らせているのがわかった。

 

「何をしに来たかと思っていたが……調べはついているようだな」

「じゃあ、やっぱり……!」

「そうだ。この村の連中は情報素結晶体を……氷精晶(グラツィクリスタロ)をため込んでいた。それも臨界量に達するに十分なほどにな」

 

 絶えぬ炎のウルカヌス。

 この男もまた、この村の裏で進行していた冬の強まりを抜け目なく見抜いていたのだ。

 紙月たちは錬三や帝国の諜報のもたらす情報をもとに確認にやってきた。この男は単身でそれを探り当てたというのだろうか。あるいは、帝国もまだつかめていない、聖王国工作員による何かしらのネットワークが存在するとでもいうのだろうか。

 

「最初は単なる備えだったのだろうよ。領主が税として認める財だ。値崩れを起こさぬよう放出量を慎重に抑え、たとえ不作であっても代わりとできるように、常に余裕を持たせていたのだろう。常に少し余る程度、毎年ほんの少しずつ。だがそれが何十年と積み重なれば、山にもなろう。一つの倉庫では収めきれず、いくつもの蔵を建て増して……ただの備えはもはや呪いのごとき因習となって、捨て時を見失って肥大していくばかりというわけだ」

 

 男の目には、積み上げられたその山が見えているようだった。

 誰かがはじめた小さな習慣が、もはや誰にも止められない秘密になってしまった。

 どうにかしようにも、その莫大な量のやりどころなどあるわけもない。

 自然下の氷精晶(グラツィクリスタロ)など春になれば溶けるのだから、採取をやめて、ため込んだ分を少しずつ切り崩していけばいい、などとは、もはや誰も考えられなくなっていた。

 それは冬を長引かせる害悪となり果ててしまっているかもしれないが……それでも、莫大な財であることも確かなのだから。

 いつかのため、もしものため、何かあった時のため……来るかどうかもわからない万が一に備えて、手放すことなどできないのだ。

 

 炎の魔術師は、そんな村人たちの弱さを嘆くように頭を振った。

 

「あれだけの量だ。いくらかの塊が励起状態になれば、連鎖してすべての氷精晶(グラツィクリスタロ)が反応を起こすだろう」

「精霊災害……!」

「そんなことになったら、大変なことになるぞ!」

()()()()()

 

 できの悪い生徒の珍しい正答に喜ぶように、ウルカヌスは盛大に両手を広げて見せた。

 

「そうだ。大変なことになるだろう。だからこそ、私はこんなクソ寒い山を登ってきたのだ。凍り付きたくなければ、とっとと下山するがいい」

「そこまで聞かされて、黙って行かせるかよ!」

「ええい、物わかりの悪い……! ()()()()()()()()()()()()!?」

「なに……!? 何を言ってる!?」

「だから、()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 激昂した男の言葉に、一行は顔を見合わせた。

 混乱。当惑。戸惑い。

 

「あんたが……氷精晶(グラツィクリスタロ)を奪ったんじゃないのか?」




用語解説

・《グラの水瓶》
 ゲーム内アイテム。
 水属性高レベル盾。
 装備者に水属性を付与。
 水属性の《技能(スキル)》の効果を底上げする。
 《技能(スキル)》使用時などに水があふれだすエフェクトを生じることから、プレイヤー間では「おもらし」などと言われることも。
 『人々は女神の水瓶を畏れた。時に癒しを与え、そして時にはすべてを押し流す』


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第十話 霜の巨人

前回のあらすじ

出たな犯人!
えっ、違うの……?


「あんたが……氷精晶(グラツィクリスタロ)を奪ったんじゃないのか?」

「私が? この私が? 愚かさも極まった愚問だな!」

 

 戸惑ったような紙月の問いかけに、ウルカヌスは大きくかぶりを振った。

 そしてわかりやすく説明してやると言わんばかりに、雪道を進みながら口を開いた。

 

「貴様ら木偶どもはまだわかっておらんようだな。単なる燃料の引火程度に考えている。情報素結晶体は常に微小な記述論的事象変異を引き起こしている、いわば事象の揺らぎそのものだ。形而下における物理構成体としての結晶構造そのものが揺らぎを最小限のものとしているが、それはわずかな働きかけによって事象変異を引き起こす不安定なものにすぎん。というよりもあえてそのような不安定な構造をとることで事象変異現象の発生を平易化しているとしか思えん。あの忌々しいクソ神性どもが。確かにこれの存在によって記述論的事象変異現象への理解とその操作技術の発展は著しいものであったが、それもこれも奴らの持つ異常な現実尺度に我らの現実尺度を馴致させる布石であったと思うとはなはだ不快だ。現実性濃度の希釈を免れたことは幸いだったが、引き換えに有象無象共の現実尺度と肩を並べる羽目になるとは全く忌々しい。何の話だったか。そうそう情報素結晶体はつまり安全なものでも安定的なものでもないということだ。もちろん入念な対策を講じた上であれば何ら問題なく利用できる資源に過ぎないが、この村の連中はその知識も経験もなくただただ無為に無作為に」

「長い長い長い、無駄に長い」

「なんだと貴様、フルヤリ・シヅキ、貴様のそういうところだぞ。講義で少しわからないところがあるとすぐにそういう態度をとる生徒もいるが、」

「あー、っと、すみません。『先生』。いまは現場が動いていますので、現場レベルでわかる範囲まで落としてもらえると助かります」

「フムン? うむ。そっちの大鎧はまだ礼儀がわかっているようだな。よろしい。講義はまた次回にしてやろう」

 

 紙月の茶化しにウルカヌスはさらに盛り上がりそうになったが、学校の先生みたいだな、と感じた未来がとっさに軌道修正を試みると、一応メートルを下げてくれた。

 一行はぞろぞろとなんだか奇妙な集団となって山をのぼりながら、全くの異文化から来た男の講義に耳を傾けた。

 未来はわからないところはわからないなりに何かしら重要な話であることを感じていたし、紙月もまぜっかえしはするが一応内容自体はちゃんと聞いている。武僧ウールソは意味深にひげをしごいたが、おそらく内容が理解できていないのではないかと思われた。

 

「情報素結晶体……ここでは貴様らの言う氷精晶(グラツィクリスタロ)だな。これは貴様らの理解では『冷気』の結晶ということになっているが、厳密には違う。冷気というのは温度が低い空気ということであり、温度が低いというのは分子の運動エネルギーの平均値が……いや、わかった、そんな顔をするな。兜で見えんがわかっとらんのはわかった」

 

 ウルカヌスはかぶりを振り、三度仕切りなおした。

 

「単純に『冷たい空気』を出しているのではなく、『冷たい』『寒い』という情報を発しているのだよ、これは。プログラム・コード……を貴様らは失伝しているのだったな。そうだな、発注書のようなものだ。『寒さ』をこれくらいくれと書き込まれた発注書なのだ。刺激を加えることは、商店に発注することだ」

 

 例えばここに一〇の『寒さ』の情報が書き込まれた氷精晶(グラツィクリスタロ)があるとする。

 これは放置しておくとわずかに『寒さ』を漏らすが、あまりにも微々たるものなので無視してもいい。

 ここに魔力などの刺激を加えると、氷精晶(グラツィクリスタロ)はその刺激に合わせて『寒さ』の情報を放出する。世界に『寒さ』が記述される、書き込まれる。すると世界は書き込まれたとおりに『寒さ』を再現する。結果としてその場が『寒く』なる。

 これがウルカヌスの言う記述論的事象変異現象であり、精霊晶(フェオクリステロ)のもたらす効果であり、魔術師たちが扱う魔術も原理的にこれと同じであるらしい。

 

 さて、一つ一つは一〇とか二〇とかの『寒さ』しか持っていない氷精晶(グラツィクリスタロ)だが、しかしこの村では今それが大量に、しかもまとめて積み上げられてしまっている。

 この状態で一つが励起状態、つまり『寒さ』の情報を放出し始めると、すぐ隣の氷精晶(グラツィクリスタロ)もつられて励起状態になり、その隣も、その隣の隣も、と連鎖的に反応してしまう。

 そうしてすべての氷精晶(グラツィクリスタロ)が『寒さ』の情報を一か所で一時に吐き出してしまう。

 

「するとどうなる?」

「あー、すごく寒くなるんじゃないか? それもずっと」

「基本はそうだが、及第点はやれんな」

「点が辛いなおい」

「うーん……情報が多すぎて、『寒さ』がラグる?」

「ラグる? ……ああ、遅延(タイム・ラグ)するか。興味深い発想だ。特別点をやってもいい。だが世界の処理速度は存外優れているらしく、まだ実験環境ではそのような遅延は見られておらん。だから、そうだな、貴様のようなフランクな言葉で言うならば、『バグる』に近い」

「世界が『バグる』……てこと?」

 

 未来が思い出していたのは、《エンズビル・オンライン》で盛大なラグが発生して、あらゆる動作処理ががっくがくになったときのことだった。「エフェクト切っとけよ」と言った後に紙月が大量の魔法を同時に発動させ始めたのだ。

 圧倒的な物量攻撃も恐ろしいけれど、敵も味方もプレイヤー・キャラクターだけでなくパソコン本体に盛大にダメージが入るという恐ろしい攻撃だった。ギルド戦で動けなくなった敵プレイヤーに罵詈雑言を吐かれたのが懐かしい。その罵詈雑言さえラグりにラグっていた。

 ギルド《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》は、全員がそんな低スペック殺しの戦法をするわけではないけれど、ギルド全体で少なくとも二桁にわたるサーバー落としをしてのけているので、ほんと酷い話だったといまさらながらに思う。それがゲームで最悪の集団ではないことがこのゲームのプレイヤーの民度の低さを示しているようにも思う。

 さすがに回数を経るごとに運営も改善を続けていって、最後のほうなどはほとんどラグなど起きないレベルになっていたが、それでも最盛期などは、「やつらにチゲ鍋を食わせてやろうぜ」が合言葉になっていたほどだ。ギルド戦とかよりサーバー落とすのが半分目的化していたから、よくBANされなかったものだ。

 

 そんな実体験から、氷精晶(グラツィクリスタロ)の『寒さ』の情報とやらを処理しきれなくなるのではないかと予想を立てたのだが、ウルカヌスによればそれは違うという。

 ラグるのではなく、世界のバグ。

 ウルカヌスは言った。おそらく計算上の数字と現実の物理法則がかみ合わなくなるのだと。

 

「単純に一つの氷精晶(グラツィクリスタロ)の『寒さ』で気温が十度下がるとする。まあ実際には一律の下げ率ではなく、温度が下がるにつれて必要な氷精晶(グラツィクリスタロ)の数は増えるだろうが……それでもだ。本来は温度低下には下限がある」

「あ、絶対零度ってやつか?」

「そうだ。原子が持つエネルギーゼロの状態。実際には零点振動があるが……まあざっくりいえばすべてが静止する状態だ。これ以上は冷えることができない。だが氷精晶(グラツィクリスタロ)は実際には気温を下げているわけではない。『寒さ』という情報を吐きだしているのだ」

「……ごめんなさい、ちょっとよくわかんないです」

「そうだ。わからないのだ。五点やろう」

「なに言ってんだ?」

「フルヤリ・シヅキ、十点減点」

「おいィ!?」

「わからんものはわからんのだ。物理的に考えても、量子力学的に考えても、そもそもそれ以下の温度などはない。それ以上『寒く』はならない。しかし過去の記述論的事象変異現象の研究では、その肝心かなめの物理法則自体が書き換えられる可能性が示唆されている」

 

 そもそもが、精霊晶(フェオクリステロ)のもたらす効果をはじめとした、この世界の魔法的な超常現象が、既存の物理法則と仲がよろしくない。

 絶対零度は摂氏マイナス二七三・一五度であるという基準さえも、魔法の力によって書き換えられてしまうかもしれない。そしてそうなってしまった時のことは、既存の物理学からは導き出すことができないのだ。

 つまり、端的に言って、何が起こるのかわからないのである。

 

「あるいは絶対零度を突き抜けたマイナスの温度……負温度ではないぞ……のような概念が生まれるかもしれんし、数字ではなく『寒さ』の概念の上位となる『概念』が生まれるかもしれん。最悪、未知の神性が生れ落ちてもおかしくはないのだ」

「そんなわけのわからねえことになったらどうしようもなくなるし……そうならなくったって、最低でも絶対零度のバカげた空間がここら一帯を包んじまうってのか?」

「推定貯蔵量からの試算ではな」

 

 簡易的な計器しかないので現実性濃度勾配からざっくりと判断したものであって、はっきりとした計算ができたわけではないが、それでも予想される最低限度の被害でさえ、この村は滅んでしまうだろうとウルカヌスは言った。

 それは錬三の予想ややんごとなきお方とやらの恐れよりも、はるかに深刻な被害だ。

 

「そんな非道が許されるわけがなかろう!」

「んんん……! もっともだが、もっともなんだが、それあんたが言うか!?」

「事態の深刻さを理解している私だからこそいうのだ。こんな辺鄙な村でそんな異常現象が起こったところで、苦しむのは無辜の民だけではないか。帝国の流通や経済に影響を与えるにしても、これでは被害が大きすぎるし、どうやって回復しようというのだ。貴様ら木偶は罪人の子孫だが、救いを持たぬ哀れな子羊でもある」

「なんか腹立つ物言いだな」

 

 紙月は反射的にそう言い返しつつも、しかしウルカヌスの理性的な性質を理解し始めていた。

 会うたびに喧嘩腰になるので腰を据えて話をしたことはなかったが、この男は物事を考えて進める人種なのだ。聖王国のテロリストが暗躍しているという話は聞き、その被害も知ったつもりになっていたが、ウルカヌスが実際にかかわっていたと確認が取れているのは海賊騒ぎだけで、あとは具体的に被害が出たというわけでもない。

 

「通商破壊は軍の肝いりであった。西大陸との交易を分断して疲弊させ、帝都の注意を南部に集中させて本国への警戒を緩めさせる、そういうな。私が試験運用を成功させていれば潜水艦は増産され、長期的な経済攻撃、そしてやがては海と陸からの挟撃的侵攻という絵図だったのだが……」

「俺たちに阻止されちまったってわけだ」

「忌々しいことにな。……だが、あれでさえも、いたずらに市民を殺して回るのが目的ではなかった。武装の有無や航路を確認し、警告砲撃で軽くひと当てして撤退を促しもした。だが……」

「だが?」

「なぜか知らんが連中やたらと好戦的でな……奴らにとっては正体不明の海の怪物だぞ? なぜ吶喊(とっかん)してくる? 帆を破ったのになぜまだ士気が落ちん? 私はともかく鱗蛸(スクヴァムポルポ)行け(ゴー)戻れ(ハウス)くらいしか聞かんのだから、反撃されたら私にできることは限られていた」

 

 ウルカヌスは気落ちしたように「戦闘は専門ではないのだ」などとぼやいたが、案外それが真相だったのかもしれない。

 恐るべき技術と戦闘力を誇る潜水艦だったが、それを操るのはど素人であり、戦術も戦略もないまま当初の任務を達成するべく奮闘し、予想外の事態には対処しきれず……。

 双方にとって、なんとも言えず報われない話である。

 

「とにかく、私は無為に被害を広げたいわけではない。それが必要であるならば容赦はせんが、戦略的にも戦術的にもこんなことに何の意味もないはずだ。聖王国の悲願は国土回復であり、恨みつらみからの虐殺などではない」

 

 きっぱりと断言するその声音に、一切の後ろめたさは感じられなかった。

 なにかしら狂信的な響きもないように思えた。ただ知性的で、理性的な、極めて常識人めいた憤慨(ふんがい)がそこにはあった。

 紙月はなんだか思っていたようなのとは違ったとでも言いたげな、なんとも気まずげな顔で未来を見上げた。未来のほうでも、兜で顔は見えないが、似たような気持ちで紙月を見下ろす。

 ウルカヌスは噓を言っていない。二人はそう判断した。

 そして、だからこそ困った。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 

 あまり聞こえのいい話ではないが、すでに前科のあるウルカヌスが犯人であるというのが一番わかりやすく、そして筋の通った話ではあるのだ。何ならあとくされもない。

 というか理性的な常識人に見えるが、前提としてそもそも二国間は戦争状態にあり、この男は敵国の破壊工作員であり、その理性も知性も戦時体制下でのそれであり、今後も帝国に仇なす気が大いにあるような危険要素なのである。

 紙月たちとしても気持ちよく戦闘に入って、コテンパンにして追い払って、はいこれで解決、というのが、理想的な結末ではあった。

 だがそうはならなかった。

 そうはならなかったのである。

 

「う、うーん……でも、あなたが犯人でないなら、誰が、」

『俺だよ』

 

 では誰が、に対する答えは、次の瞬間に()()()()()

 一行の進む先を遮るように、雪の上に重々しい音を響かせて着地したものがあった。

 どおん、と、まるで目の前で爆発が起きたような轟音と衝撃だった。

 

 ()()は舞い上げられた雪の中、一行を見下ろしていた。

 

 それは艶のない黒い金属で構成されていた。

 のっぺりとした色味はそれの輪郭をわかりづらくしていたが、それでも全体的には角ばっている。

 傾斜のついた箱型の胴体から、一対の太く重厚な二本脚が伸びて全体を支えていた。

 胴体の側面からは幾分細く見える脚、というよりは、おそらく構造的に腕に当たる部位が二対四本伸びて、上体を起こすように雪に突き立っている。

 後背には背嚢めいて装甲コンテナを背負っており、そこには古の時代にこの地を追いやられた聖王国の紋章が確かに見て取れる。

 うずくまる異形の巨人にも見えるし、身構えた六肢の獣のようにも見える。

 

 それがなんであるか、紙月たちには咄嗟にはわからなかった。

 ベテランの冒険屋であるウールソにしても、判断しかねた。

 だが、それでも彼らの記憶にはそれと類似するものがあった。

 

 それは巨大な機械人形だった。

 古代聖王国時代の遺跡にしばしば見受けられる、鋼鉄の守り人だった。

 二千年のはるかな時代に与えられた命令を、いまなお忠実に守り続ける番人だった。

 それは古き伝説だった──

 

 ──否。

 似てはいる。

 同じ枠組みには入る。

 

 しかしそれは、二千年前に失われた遺失技術を、正当に受け継いできた者たちが、順当に磨き上げ続けてきた一つの結果だった。

 血統は同じかもしれない。系統は連なるかもしれない。

 しかし、その血は、技は、さらに濃く、強く、練り上げられていた。

 それはいかなる命も許されない極寒の極北において、それでもなお抗い続けようとした一つの到達点であった。

 

 金属さえも凍る外気に耐える耐寒メタクロモリ鋼の特殊複合装甲板。

 超長期間の無補給単独行動を実現する記述論的高効率有機転換炉。

 常に吹雪にさらされる中で全周を認識する複合サイマティック・ソナー群。

 それら高度な技術到達点によって構成された、極限寒冷地仕様の多脚武装()()()

 略称をMAEV(メイヴ)と呼ぶ。

 

 そのMAEVの巨大な頭部に亀裂が入り、割れた。

 いや、内側から複雑で分厚い構造の昇降ハッチが開かれ、一人の男が顔を出したのだ。

 背はあまり高くない。だが骨は太く、肉は厚い。

 見下ろす目には温度というものが感じられず、表情にはわずかの揺らぎもない。

 武骨で、寡黙で、娘に()()()呼ばわりされるその男は、機械越しでない生の声で、もう一度繰り返した。

 

「テロリストの正体は俺だ」

「アンドレオさん!?」

「ど、どういうこと!?」

 

 奇妙に近未来的なパイロット・スーツに身を包んだアンドレオは、ウルカヌスを、そして紙月たちを順に見下ろして、一つ頷いた。

 

「俺は聖王国の工作員だ。その男よりもはるか以前から、この地に潜み機会をうかがっていた、というわけだ」

「そんな! だって、娘さん、ポルティーニョさんだって!」

「あれはよく役立ってくれた。あれの母親ともども、俺が村に馴染むにはちょうどよかった」

 

 あまりにも冷たく感情の薄い返答に、未来は絶句した。

 確かに寡黙で愛想のない男だったが、実の娘への情は確かなものだと思っていたのだ。

 

「おいおい、勘弁してくれ……あの()はあんたを慕ってたんだぞ! あんたのこと尊敬して……大好きだって! そう言ってたんだぞ!」

「そうか。俺にはできた娘だ。おかげで俺も楽ができた」

 

 娘が語る父の姿は、ただの幻想だったのか。娘の情が、目を曇らせていたのか。

 村のものも、アンドレオを頼り、慕っていた。人付き合いの悪さは認められながらも、それを許されていた。その能力だけでなく、村の一員として信頼されていたからこそ。

 それをすべて裏切って、男はここにいた。

 

「やめろ、アンドリュー。やめるんだ。いまならばまだ間に合う」

「アンドレオだ。すまないが、お役には立てそうにないな」

「…………本当にそれでいいのだな」

「ああ。これでいい。これがいい。俺はこの時をずっと待っていた」

「貴様が何を考えているかはわからんが、ウィザードの意地にかけて、貴様を止めるぞ」

 

 ごう、とウルカヌスの体から熱気が沸き立った。

 魔術として形になる前の、ただまとっているだけの魔力が、すでにして熱と勢いとを孕んでいた。

 吹きすさぶ風と冷気の中で、隣に立つ紙月が思わず額に汗を流すほどの熱量が瞬時に生成されていた。

 ウルカヌスとて、なにも呑気にハイキング気分で登山してきたわけではない。アンドレオの行動を察して後を追い始めた時から、準備はすでに整えていたのだ。

 

 臨戦態勢のウルカヌスを見下ろして、アンドレオはけだるげに首筋をなでた。

 

「俺はコミックの悪役じゃない。来るのがわかっていて何もせずに待ち構えていると思ったのか? 三十五分前にすでに起動済みだ」

「…………は?」

「分散保管していた氷精晶(グラツィクリスタロ)を一か所に集めるだけでも、気温が低下し気流が乱れるほどの影響がある。連鎖反応すれば《冬》があふれ出る。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 MAEVのコクピットに潜り込むアンドレオ。そして奇妙な駆動音とともに振動を始める後背部の装甲コンテナ。

 

 ──みしり、と。

 空気の凍る音がした。

 

 途端、いままで抑えていた(たが)が外れたように、急激な気温の低下が周囲を襲う。冷やされた空気は瞬間的に体積を縮め、息苦しいほどに気圧が低下する。その猛烈な低気圧は、爆発的な風を周囲から呼び寄せた。

 

「ぐっ……! 野郎、《燬光(レイ)》!」

 

 その暴風に吹き飛ばれそうになりながらも、とっさに手を伸ばした未来につかまれ、こらえる紙月。

 そして最速の魔法、まさしく光の速さで放たれる熱光線によって攻撃を試みたが、光はMAEVに到達する前に奇妙に屈折し、散乱し、あらぬ方向へと飛んでいく。

 いままでどんな強敵さえも両断してきた必殺の一撃は、届きさえもしなかったのである。

 なにか、薄ら青い()()()が、MAEVを中心に広がり始めていた。

 

「な、なんだ!?」

「まさか、空気そのものが凍り付いているというのか!? ()()()()がレーザーを散らしたとでも!?」

 

 ウルカヌスの驚愕をよそに、MAEVを中心にさらに冷気は強くなっていく。

 MAEVの装甲を覆うように、大気中のわずかな水分だけでなく、空気そのものが凍り付いて青ざめた氷塊が肥大化していく。

 凶悪な低気圧に誘われた上昇気流が激しく吹き上げ、荒れ狂う地吹雪の中で、それはのっそりと立ち上がった。

 くろがねの機械巨人を芯として、凍り付いた空気を装甲とする霜の巨人が、一行を見下ろしていた。




用語解説

・「やつらにチゲ鍋を食わせてやろうぜ」
 《エンズビル・オンライン》の開発運営が韓国系であったため、メンテなどが長引くとそれは「チゲ鍋を食っているからだ」とジョークが出回っていた。
 ここでは自分たちでサーバーを落として、運営がゆっくりチゲ鍋を食えるくらい長いメンテにしてやろうという民度の低い煽り文句。

・絶対零度
 摂氏マイナス二三七・一五度とされる、あらゆる分子、原子の運動が停止するとされる温度。温度というものが原子の運動量によって生じるという理屈から考えると、原子が止まっているよりも冷たい、寒いということはあり得ない。

・聖王国の紋章
 聖王国の古代遺跡などにもしばしばみられる紋章。
 救世主を意味するとされる赤い魚に、人々を支え導くための松葉杖を組み合わせたものとされる。
 その周囲には「聖ジョンの恩寵による第六清教徒改革派開拓移民船団」と英語で書かれている。

・空気の氷
 空気はいくつかの気体の混合物で、温度が下がれば液体、固体に相を変えていく。
 窒素はマイナス二一〇度、二酸化炭素はマイナス五六・六度、酸素はマイナス二一八・四度。青い固体が見えているあたり、酸素が凍る温度まで気温が低下していたのだと思われる。


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第十一話 おわるせかい

前回のあらすじ

それは世界の凍る音。
それは世界の終わる音。


「おいおいおい……こりゃちょっと反則じゃねえか……?」

「積み上げた情報素結晶体を、単純に反応させるのではなく魔法に転化させるとはな。莫大な発動エネルギーを、情報素結晶体そのものに由来しているということか。不可解なのは魔術師ではないやつがいかにして事象変異操作を行っているのかだが……」

「つまりどういう……ああ、いいや、それ長くなる奴だろ」

「私もこの状況で講義する余裕はないのでな……!」

「大分余裕あるように見えるけど!?」

 

 全身に青ざめた氷をまとい、立ち上がったMAEV(メイヴ)

 その周囲は凶悪な冷気によって空気そのものが強制的に相転移し、液体窒素の雨が零れ落ち、さらに固体となってダイヤモンドダストのようにきらめきながら舞い踊る。

 そうして極端に圧縮された空気は信じられないほどの低気圧を生み出し、常に周囲からの爆発的な風を呼ぶ。中心でぶつかり合って舞い上がった上昇気流が凍てついた空気を空へと打ち上げては、山峰に広げていく。

 

 中心部から離れた冷気は弱まるが、それでもそもそもが世界を凍らせる極度の『寒さ』。

 それは着実に広がっていき、木々を凍らせ、獣たちを追いやり、冬を深めていく。

 霜の巨人の後背には、これまでの山並みが平坦だと思えるほどに急峻にそびえたつ世界の壁、臥竜山脈の三万五千尺の大絶壁。上昇気流によって舞い上がった冷気は、それを超えることができずにそのまま山肌を滑り落ちていき……異界の冷気が、ふもとへと迫っていた。

 

「あんたなんかすっげー魔術師なんだろ! どうにかできねーのかよ!」

「その言葉そっくり貴様に返ってくるのを忘れるなよ突然変異のトンチキ魔術遣いめが!」

「二人とも言い争ってないでまじめにやってよ!」

 

 ぎゃんぎゃんと騒ぎつつも、しかし一行は非常に大真面目に真剣にこの事態に対処していた。

 というか、しないと即座に死亡するような危機的状態であった。

 冷気もさることながら、まず問題なのがその暴風域だった。

 MAEVへと吹き付ける強烈な風を背中から受け、さらには中心部付近の木々を根こそぎにした爆発的上昇気流が足元さえ危うくしている。

 

 とっさに踏ん張ったタマに全員がとりつき、風を防ぎながらそれぞれがそれぞれ、打ち合わせもなしにそれぞれに可能な最大限の防御行動に移っていた。

 

 まず真っ先に盾を構えたのは未来で、《タワーシールド・オブ・シルフ》の《技能(スキル)》を後背からの暴風へのそなえとした。

 これは風属性の魔法《技能(スキル)》で、前方に強烈な風の防壁を生み出すものだ。

 使用者たる未来は身動きが取れなくなるが、ほとんどの飛び道具を無効化するほどの最上級の防御力を誇る。

 惜しむらくは盾を変える余裕がなかったため、風属性、つまり木属性からの派生であるこの《技能(スキル)》を、水属性の盾で使ってしまっているため、本来の効果よりやや落ちてしまっている。それでも、水属性は木属性を強化する効果もあるので、激減というほどではない。

 吹き荒ぶ風に対してただの壁で抗うのではなく、同じ風によって進路を変えさせ、消費を少なくうまく耐えられているといっていいだろう。

 

「うわー。風は避けてるはずなのに地味に継続ダメージ入ってる。このダイヤモンドダストみたいなの、ちくちくダメ入ってるっぽい」

「呼吸には気を付けたまえ。喉が凍傷になりかねんし……最悪肺がズタズタになる」

「うへぇ」

 

 その未来に背中を預け、冷気そのものに立ち向かったのは相棒の紙月ではなく、相棒の宿敵であるウルカヌスであった。

 同じくハイエンドの魔術師であると同時に、紙月が持たない高度な魔術知識から、目の前で起こりつつある事象にある程度あたりはつけているようだったが、それでも実験室内でさえ不確定要素の多い事象にさらに手を加えられているらしく、読み切れてはいないようだった。

 ただ、原因となる理屈はわからなくても、結果として生じている現象そのものはシンプルに冷気であるから、それ自体に対抗するのはそれほど難しいことではないようだった。

 後背に風の盾があるように、いま一行の前方にはウルカヌスが生み出した炎の壁がそびえていた。

 そばにいるだけで焼け焦げるような恐るべき熱気であるが……この環境下では焼け石に水感は否めなかった。

 すさまじい火力に見えるが、その燃料となるのはウルカヌス個人の魔力だけだ。このままではじり貧だ。

 そのうえ、吹きすさぶ窒素のダイヤモンドダストは、溶かされる端から冷気によって再凍結していく。足元の雪も、溶けてはまた凍り付く。

 

「へっ、聖王国の魔術師様も大したことねーんじゃねえのか?」

「そういう貴様は物の役にも立っておらんようだが」

「う、うるせー! 環境構築が最悪過ぎんだよ!」

「それには同意するがな……」

 

 最も役に立っていないのが紙月と言ってもいい。

 紙月は攻撃が失敗したのち、即座に防御のために土属性魔法で防壁を張ろうとしたのだが、せいぜいもろい土壁がもそもそと足元に持ち上がる程度のことしかできなかった。

 これは遊んでいるのではなく、単純に環境が悪すぎるのである。

 《エンズビル・オンライン》が採用している陰陽五行説において、土剋水(どこくすい)、「土は水に流れをせき止める」という理屈から土属性は水属性に強い。しかしこの場は《冬》があふれかえっている。水属性が強すぎる。

 そのため、水に()つどころか水に侮られる水侮土(すいぶど)という状態になり、水属性が強すぎて押さえつけることができていない。

 ウルカヌスの火属性の助けを借りれば、土属性は強化されるはずなのだが、そのウルカヌス自身が環境に対抗するので手一杯なためそれも期待できない。

 

「フムン、拙僧ではお役に立てん領域ですなあ」

「ウールソさんは無理しないで、タマの陰に……!」

「ここは神頼みですな」

「えっ」

「武の神シューニャターよ! 我らが健闘をご照覧あれ!」

 

 ひょうひょうとしたウールソが、牙を見せつけるように笑った。

 山に詳しく気のいい案内人としての顔しか見えてこなかったウールソだが、若かりし頃には武者修行と称して各地を巡っていた武僧である。

 年経た今も、その血の気の多さは一向に減るものではない。

 拳届かず、蹴りの間合いにない相手であれども、武僧には武僧のやりかたがある。

 大喝一声、地を踏み締め、拳を握り締めれば、一行を激しい圧力が包み込んだ。

 

 それは天から見下ろす大いなるものの視線。

 物理法則を書き換える異界の冷気の中において、それさえも見透かす透徹たるまなざし。

 

 ()()()()()()

 体の内側、神経の隅々までを見透かすようなそれに、背筋が粟立つ。

 思わず見上げそうになれば、ウールソがそれを一喝して制止した。

 見てはならぬ。

 見返してはならぬ。

 神を見ることは、既知外の精神を見出すことは、人の心などたやすく破壊してしまう。

 なにより、武の神は抗い戦うものを尊ぶ。

 見るべきは天ではない。己の拳の先なのだ。

 

「ええい……埒があかん、仕掛けるぞ!」

「そうする他、なさそうだな……!」

「《我が怒りは(イラ・メウス・)炎である(フラマ・エスト)我が憎しみは(オディウム・メウス・)炎である(フラマ・エスト)我が敵を焼き尽(フラマ・エスト・クワ)くす炎である!(エ・オステム・ウリト)》」

「ぶち抜け! 十六連《燬光(レイ)》!」

 

 押しつぶされそうなほどの加護を受けて、二人は即座に決断した。

 瞬間的に組み上げられたものとはいえ、武の神の加護を受けた上で、両者が必殺の意思を込めて紡いだ魔術である。

 片やウルカヌスが、溶岩のごとき輝きをともす杖から、天をも焦がす爆炎を放ち。

 片や紙月が、十六条の光線を一束に束ねて、地平の果てまで貫かんとする光と熱を放ち。

 この世のいかなるものも焼き尽くさんとするその業火と閃光は見事に霜の巨人を焼き払わなかった。

 

 焼き払わなかったのである。

 全然。

 これっぽっちも。

 傷一つ。つけられなかったのである。

 

「はぁぁあああああ!?」

「……手に負えんな、これは」

「いくらなんでも削れるぐらいはしろよ!?」

 

 凍り付いた空気によって散らされ、打ち消されることは想定内だった。

 それでも、その氷を溶かして貫いてぶち抜くつもりだったのであるし、そうなるのに十分な熱量ではあったはずだった。

 紙月はとにかく最大火力をぶち込んだだけだが、ウルカヌスはある程度計算したうえでの火力である。

 いかに空気が凍り付くほどの凶悪な冷気であろうと、発生したジュール熱を即座に打ち消せるわけがない。莫大な熱量が拡散し、平衡化するまでには、それ相応の時間が必要だ。

 

 だが、手ごたえはなかった。

 まるで底なしの穴に水鉄砲で水を注ごうとするようだ。

 業火が溶かした氷は端から凍り付き、貫いて辿り着いたはずの閃光さえも、なぜか届かない。

 愕然とした紙月が、やけになったように攻撃を繰り返すが、そのことごとくが届かない。

 

「光だぞ!? 適当に使ってるけどレーザーだぞこれ! 減衰すんならともかく、()()()()()()()()ってなんだ!? アニメのビーム描写じゃねえんだぞ!?」

「荒ぶるな、やかましい。おそらくだが、中心部、やつの乗り込んだMAEV周辺は絶対零度だ。時間そのものが停止している」

「絶対零度ってそういうやつじゃねえだろ! 大学生が全員ちゃらんぽらんだと思うなよ!」

「ちぃ、多少は知恵の回る……少し待て、いまの結果を演算している」

 

 ぎゃんぎゃんと喚く紙月の声はやかましいことこの上ないが、意外と話している内容は知的水準が高い。小学生の未来には、なんとなくわかるけどよくわからないレベルの話である。

 紙月と協力して炎の壁を再度構築しなおしたウルカヌスの兜が、かすかに明滅する。

 それが何を意味するのかは紙月たちにはわからなかったが、聖王国にはMAEVとかいうどう見ても超科学なロボが存在しているのである。大方ウルカヌスの兜も何かしら驚異的なメカニズムとかを仕込んでいるのだろう。

 

「ぬう、極寒環境下のせいか演算速度が遅い……よし、出たぞ。出たが……」

「もったいぶんなよ! このままじゃじり貧だぞ!」

「マイナス一兆二千万度だ」

「は?」

「中心温度は理論値マイナス一兆二千万度を示している」

「物理学って知ってるかおい?」

「記述論的世界観において古典物理学はしばしば軽視される……とはいえ、これでは何が起こるか予想もつかん」

「計器の故障であってくれぇ……」

「ひとつ、我が工廠の技術を信じろ」

「ふたつ、疑問が生じたら前文を参照しろってか?」

「及第点をやろう」

「クソ過ぎる……」

 

 ジョークを言うだけの精神的余裕がある、というよりは、もはや笑うしかないという厳しさであった。

 マイナス一兆二千万度とか言うジョークでしかない数字が、しかし笑えない現実として目の前に立ちはだかっているのである。

 一行の見ている先では、空気が凍るを通り越して、光の速度や流れそのものに異常をきたしているのか、色彩さえもが異常な歪み方を始めていた。

 絶対零度では時間は停止しないが、しかしこの異常な世界では時間の流れそのものが狂っているのか。

 

「ぜんっぜんわかんない僕らを放置しないでほしいんだけど」

「えーっと、攻撃効かない、じり貧、マジヤバイ」

「マジヤバイのはわかってるよ」

()れておられるのは余裕かもしれませぬが」

「戯れてないですけど」

「いよいよじり貧では済まなくなってまいりましたな」

「えっ」

 

 ウールソのひょうひょうとした物言いに、一行が慌てて周囲を確認すると、状況はさらに悪化していた。最悪な状況を、さらなる最悪が更新し続けている。

 中心部にそびえていたMAEVは、その身体に青ざめた氷の鎧をまとって、ますます強固な守りを固めつつある。それは物理的な鎧だけではなく、物理法則を超えた異常な冷気によって、色彩が歪み光さえも曖昧となる事象変異現象の壁によっておおわれていた。

 

 そしてその事象変異半径は現在もなお広がり続けており、いま紙月たちが防壁によって身を守っているこの地点さえも、すでに飲み込まれている。

 前方の炎の壁と、後方の風の壁、これらが途切れれば一行はたちまちに骨の髄まで凍り付くことだろう。あるいは凍り付くことさえも通り越した、物理法則に記載されていないおぞましい結末を迎えることになるかもしれない。

 

「まずいな」

「まずいのはさっきからだろ!」

「違う、そうではない。いままでは戦闘ですらなかった。ロード時間だったということだろう」

「……待て。待て待て待て。すごく嫌な予感がするっていうか見える」

「予感で済めばよかったがな」

 

 炎の壁の向こう、微動だにせずたたずんでいたMAEVがゆっくりと腕部を持ち上げ始めている。

 いや、それが今この瞬間の動きなのだろうか。

 光を捻じ曲げ、止めさえする異常な世界の内側、中心部に立つ巨人だ。

 ウルカヌスの言を信じるならば、そこは理論値マイナス一兆二千万度の世界。

 いまこうして見えている姿が、紙月たちと同じ時間を流れているとは限らない。

 

 もっとも、この段に至っては、それを気にする必要はなかった。

 中心部の時間の流れがどうであれ、事象変異半径の外側へと、その「結果」が表出し始めていたからである。

 

 上昇気流によって高高度まで巻き上げられた冷気によって、上空の雲が崩れ始め、雲ですらない大気中の水分までもが軒並み凍り付き、きらめくダイヤモンドダストとなって降り続く。極低気圧によって周辺からかき集められた大気の水分も、すべてがすべて凍り付いて降り注ぐ。

 凍るのは水分だけではない。中心部に近づけば空気さえも凍っていく。

 冷気にさらされた空気が凍り付く、その前段階として、青い液体へと変わって滴り落ちる。

 それらは雪にしみ込み、氷そのものである雪さえもさらに凍らせていく。

 安定した構造である氷の結晶体は、異常な冷気によって分子構造そのものを圧し潰され、体積を減らしていく。

 

 吹き込んでくる風さえもが、凍り付き始めた。

 空気が凍っているということではない。

 風という流体運動そのものが凍り付き始めているのだ。

 風はよどみ、滞り、動きを止め始める。

 そこに、雪が降り始めた。

 

 その現象は、既存の物理学では説明がつかない。

 宝石を砕いて粉にしたような、きめ細かな雪が終わりなく降り続く。

 渦巻く風にあおられながら、雪が、雪が、雪が、雪が、雪が、降り続く。

 

「なんだよこれ……! なにがどうなってんだ!?」

「なんなのだこれは……『冷気』や『寒気』を媒介に、『冬』そのものを呼んでいるのか……!?」

「ええと……つまり、僕らはどうしたら?」

()()()()()()()()()()()()!」

 

 降り続き、降り積もる、あまりにも美しい雪。

 それらは着実に周囲をうずめ始めている。

 そしてその雪は、寒さの中でさらに寒さを積み重ね、異常な冷却と凍結を繰り返し、既知の外の理論をもって押しつぶされていく。圧縮され、次々と沈下していく。一律ではなく、バラバラに引き起こされていくその現象は、安定していた雪の構造を破壊し、乱し、崩していく。

 その結果は、一つだ。

 

「このままでは、流れ始めるぞ!」

 

 ──雪崩。

 創作の世界でよくあるような、大声で叫べば崩れるほどには、雪というものはやわではない。

 しかし、地盤沈下めいて雪そのものが安定性を失い崩れ始めれば、この急峻な山肌を、あとは滑り落ちていくだけ。

 時間の乱れた中心地で、MAEVがその腕部を振り上げていた。

 それが振り下ろされたならば、氷雪は即座に崩れ去るだろう。

 

「いくら僕の盾でも、雪崩は無理だよ!?」

「鉱山の崩落でも、受け止めきれなかったしなあ……真正面から受け止めるにゃ、質量がでかすぎる」

「あの奇妙な障壁魔法か。貴様と同じく属性にこだわらんものと見えるが」

「ああ? そりゃあ、まあ、未来も一通りの属性はそろえてるけどよ」

「でも出力も、発動時間も足りないですよ。僕らだけなら、なんとかしのげるかもしれないけど……」

 

 未来の持つ最上位の防御《技能(スキル)》《タワーシールド》系統は、前方のみに限るが、極めて強力な属性防御を展開できるものだ。

 自身の防御力を極大に増大させる《金城(キャスル・オ)鉄壁(ブ・アイロン)》と組み合わせればその効果はさらに増大する。

 紙月の強化(バフ)もあれば、それこそトッププレイヤーたちに「バカじゃねえのか」「バグじゃねえのか?」「バグじゃねえのかよ!」と言わしめた突破不能の鉄壁となる。

 相手の攻撃に属性を合わせ、適切な運用を行えば、たとえレイドボス相手であっても傷一つつかないのが極めた《楯騎士(シールダー)》なのだ。

 

 とはいえ、使用中は身動きが取れず、常に《SP(スキルポイント)》を消費するため、決して長時間展開できるものではない。

 それに、プログラム通りの敵Mob相手ならば無傷で通せても、プレイヤー相手には幾度となく裏をかかれてきた経験がある。何なら真正面から攻撃を通されたことだってある。

 こちらの世界では力量差からほとんど破られたことはないが、こと自然現象に対しては、勝てないことがわかっている。力量差どころではない質量差が大きすぎるからだ。

 

 未来が身一つを守るのであれば、この世界に彼を傷つけられるものは少ない。

 仲間たちの一団を守るくらいであれば、あるいはこの状況も耐えしのげるかもしれない。

 

 しかし、未来たちの背後には、村があるのだ。

 未来たちが歩いてきた道は、度重なる雪崩によって疎となった、雪崩道である。

 止めるのであれば、すべてここで止めなければ、異常な冷気を伴った膨大な質量が、村まで流れ落ちる。その無慈悲な破壊は、せっせと植えて育てた防雪林などものともせずに突き抜けるだろう。

 そうなれば、ブランフロ村を待っているのは破滅だ。

 

 自分たちだけ助かって村を滅ぼすか、村ごと自分たちも死ぬか、その二択。

 

()鹿()()

 

 だが、悲観的な二択は、知識が足りないからに過ぎない。

 手が足りないのならば、増やせばいい。

 

「貴様らは自分の能力に(おご)って、研鑽を怠っているようだな」

「な! 僕らだって頑張って、」

「努力の仕方を間違えるな。愚直なだけならば馬鹿でもできる。だがそれでは至らぬ。どこへも届かぬ。星に手を伸ばせ。(きざはし)を積み上げ、翼を得て、頂を超える。走るだけでは届かぬ世界へ、人間はその知恵と知識で渡ってきたのだ」

 

 その男はひとり、くじけることもなく、うつむくこともなく、ただ一人前を見た。

 そういう主人公ムーブしていい立場ではない人間が、いま一番それらしいことを言い始めていた。

 

「えーっと……()()()?」

「自力で足りないのならば、他所から足せばいい。()()()()を使えばよかろう」

「ありものだって?」

「そうだ。ここには有り余るほどあるだろう。()()()()が」

 

 火炎の壁では抗え切れず、土石の壁は凍り付く。

 風の壁さえ停滞し、樹木の壁など育ちはしない。

 氷雪が環境を支配しているから、他のあらゆる属性が減衰してしまう。

 ならば、使うべきは()だ。水属性だ。

 流れ揺蕩う水さえも、この冬が支配する世界ではたちまちに凍り付く。

 凍り付いて、そして()になる。

 

「材料費は向こう持ちだ。幾らでも発注してやれ」

「なるほどそういうことな」

「それなら、これで……! 《タワーシールド・オブ・ウンディーネ》!」

 

 未来が掲げた大楯の前方に、轟音とともにほとばしる大瀑布。

 圧倒的水量で敵を退ける水の防壁は、異常な冷気によって瞬く間に氷柱と成り果てる。

 《技能(スキル)》を解除しても、その氷柱はすでに凍り付いた水の塊、消えはせずそこに残り続ける。

 そして位置をずらしてもう一度スキルを放てば、氷柱は連なって氷壁となる。

 

「いいぞ未来! そのまま斜めに延長していきゃあいい!」

「うん! 紙月は補強をお願い!」

「なーるほど! 任せな!」

 

 未来が氷柱を次々に立ちあげていき、その間を紙月が次々に水属性の魔法を浴びせかけて氷を密につなげていく。

 そしてそれを後方教授面で見守る絶えぬ炎のウルカヌス。

 それでいいのかウルカヌス。

 

 そしてついに、霜の巨人の拳が振り下ろされ、すべてが白に染まる大雪崩が、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




用語解説

・《タワーシールド・オブ・シルフ》
 《楯騎士(シールダー)》の覚える風属性防御《技能(スキル)》の中で最上位に当たる《技能(スキル)》。
 範囲内の味方全体に効果は及ぶが、使用中は身動きが取れず、また常に《SP(スキルポイント)》を消費する。
『シルフは気まぐれだ。約束という言葉をまるで知らない。だがもしもそのシルフを縛り付ける言葉があるのならば、それは絶大な効果を及ぼすだろう』

・武の神シューニャター
 定命の武闘家が、拳の道を研鑽する果てに神に至ったとも、あらゆる武の研鑽を見守る天の眼であるともされる。
 武の神の信者は、拳だけでなく、剣や槍など、それぞれに自らに合った武の道を歩み、高めていき、その研鑽こそが神への奉納となる。
 その信仰の果ては、一切の武の果てである「空」に至ることとされる。

・理論値マイナス一兆二千万度
 摂氏で言っているのかケルビン温度で言っているのかは謎だが、ここまでくると誤差でしかない。
 絶対零度は原子の運動が停止した状態を指すため、それよりさらに、しかも圧倒的に低いこのような温度は物理的に存在しえない。
 しかし存在する。
 このような不条理が、魔法の世界にはしばしば存在する。

・《タワーシールド・オブ・ウンディーネ》
 《楯騎士(シールダー)》の覚える水属性防御《技能(スキル)》の中で最上位に当たる《技能(スキル)》。
 範囲内の味方全体に効果は及ぶが、使用中は身動きが取れず、また常に《SP(スキルポイント)》を消費する。
『ウンディーネのあとを追うのはお勧めしない。大瀑布の向こうにあるのは、常世の国ばかりなのだから』


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第十二話 なにもかもなにもかも

前回のあらすじ

なにもかも、なにもかも、すべてがすべて、凍り付く。
押し寄せる白に、何もかもが吹き飛んだ。


「……やれやれ」

 

 今日はずいぶんと喋り過ぎた。

 アンドレオはMAEVの狭いコクピットでため息をついた。

 手足を動かすのも一苦労の棺桶のような狭苦しさは、しかし懐かしく、心地よい。

 かつては、宿舎で横になるよりも、MAEVに抱かれて眠る時間のほうが長かった。

 

 コクピット内は肌寒ささえ覚える寒さだが、ディスプレイに表示された外気温が正しいのであれば、マイナス一兆二千万度という常軌を逸した低温に比べれば何ということはない。

 これであれば、かつて王都の外殻に張り付いていたころのほうが、よほどに寒かった。

 MAEVの温度調整機能に事象変異に対抗できるような規格外の能力がないことを思えば、情報素結晶体を用いて事象変異を引き起こしているこの中枢部分には影響が及ぶものではないのか、あるいは、絶対零度を超えた低温が、空間や時間の流れそのものさえ狂わせているのか。

 

 なんでもいい。

 アンドレオにとって大事なのは、おおむね予定通りに事が運んだという事実だけだ。

 

 アンドレオには専門的な知識がない。

 情報素結晶体についても、事象変異操作技術についても、学んだこともなければ、学ぶ機会もなかった。

 その許しも、なかった。

 アンドレオは罪人の子孫だった。その子孫の、子孫の、子孫の、数えきれない果ての末裔だった。

 直接の血縁ですらない。生命資源交配の資格さえないから、ひたすらに遺伝情報を繰り返されてきた合成種でしかない。

 人権がないその身は、聖王国人が木偶と呼んでさげすむ合成人間どもと何ら変わるものではない。

 

 だがそんなアンドレオにも、機械工学の知識はある。

 極限環境下での故障や不具合も、すべて自分たちで解決しなければいけない以上、エンジニアリングは必須の技術であり、知識だった。

 精密機械を一から生み出すことなどできないが、自分の好きなように調整することは造作もない。

 

 だから、あの男が、ウルカヌスが演算機能を補助するあのヘルメットの調整を依頼してきたのは実にちょうど良かった。

 アンドレオはヘルメットを完全に調整し、そして少しだけ細工をした。

 MAEVに搭載された演算装置と同調し、事象変異操作を行わせる。

 あまりに複雑な演算をさせれば、負荷が大きくなってすぐにばれたことだろうが、アンドレオに必要だったのは単純な操作だけだ。

 

 コンテナ内の情報素結晶体を連鎖反応させ、そのエネルギーをもって反応を継続させることで一種の情報炉として機能させること。

 そして余剰エネルギーを外部に放散させず、MAEV周辺にとらえて離さないこと。

 この二つだけだ。

 これによって情報素結晶体連鎖反応速度を緩やかにさせ、その総エネルギー量を減衰させると同時に、周辺一帯へ及ぶはずだった被害をこの機体に集中させる。

 知識のないアンドレオには、それがせいぜいだった。

 

 雪崩を引き起こして目くらましをしたアンドレオは、そのままMAEVを操作して、臥竜山脈へと向かう。その絶壁のごとき山肌へと臨む。

 あれしきで連中はくたばることはないだろう。村への被害も、最低限に抑えてくれることだろう。

 ウィザードクラス二人がいれば、しのげる程度だという計算結果が出ている。

 いまMAEVが背負い込んでいる事象変異現象から考えれば、あんなものは余波どころかおまけのようなものでしかない。

 

 臥竜山脈……北大陸と東西大陸を隔てる、巨大な隔壁のごとき連山。

 標高三万五千フィートに及ぶこの絶壁は、飛竜でさえもまともに突破することができない限界世界だ。

 だが、かつてアンドレオはこの壁を超えてきた。このMAEVに乗って、聖王国からこの地までやってきた。

 あのときは仲間たちもみな脱落し、自分も死を覚悟したものだったが、いまはその心配もない。

 死は前提だからだ。

 アンドレオは死ぬために歩いているのだ。

 氷精晶(グラツィクリスタロ)を引き受けて、処分するのはついででしかない。

 

 村で生きはじめてしばらく、村長から知らされたのが、氷精晶(グラツィクリスタロ)の備蓄だった。

 村の秘密を明かされたのは、信頼のあかしだったのだろうか。あるいは、亡き妻の縁故あってのことか。

 備蓄量は莫大で、いくつかの倉庫に小分けにされたうえでも、臨界が近いことは見て取れた。そしてそれは、村長自身がよくわかっていた。

 

 当初はただ、氷室としての活用だった。

 やがて子爵の支配を受け入れ、税として支払い、商売の種となった。

 備蓄量は徐々に増えていった。

 不作への備え、急な出費への備え、備え、備え、備え。

 崩されることもなかった備えは、気づけば増え、貯まり、積みあがった。

 もはや迂闊に切り崩すことさえも困難なほどに、それは山となった。

 

 村長は口に出さなかったが、その備えは、内政のためだけのものではなかった。

 氷精晶(グラツィクリスタロ)の流通量を握ることは、経済への攻撃になりえた。

 直接的に使ったとしても、氷精晶(グラツィクリスタロ)は十分に武器となりうる危険な物質だ。

 そしていざとなったときに、この村はその武器を使うことに、ためらいはなかっただろう。

 

 領主への不満、不平、何よりも、嫌悪と恐怖。

 開拓者であった彼らの祖先は、法の外を生きる人々であった。

 だからこそ、見た目上は臣従したとしても、その心根は心底()()だった。

 自分たちの世界を築き上げた。自分たちの力だけで築き上げた。

 領主など、あとからその利益に目を付けた輩に過ぎない。

 構わないでほしかった。放っておいてほしかった。

 

 だからこそ、握った武器を置くことができなかった。

 捨てることができなかった。減らすことさえ恐れた。

 いずれ破綻すると知りながら、だれも止められなかった。

 握りしめた拳を解きほぐすものを、この村は結局いまだに見つけられなかった。

 見つける気さえ、なかった。

 

 アンドレオは、その氷精晶(グラツィクリスタロ)をすべて強奪した。

 MAEVの機動力で倉庫をめぐり、コンテナに詰め込めばそれで済んだ。

 村は備蓄を失ったが、もとより表ざたにはできない隠し資産だ。最初からなかったものと思えば実害もない。

 

 もっとも、ただ奪うだけでは、氷精晶(グラツィクリスタロ)のやり場がなかった。

 いつ暴発するかわからない危険物を抱えて移動するだけでも、危うかった。

 だから考えてはいても、これまで実行には移せなかった。

 

 だが、奇跡は重なるものらしい。

 

 二十年かけて修理していたMAEVのシグナルを追ってやってきたあの男。ウルカヌス。

 聖王国の工作員だというだけでなく、最新の事象変異操作演算機器さえ携えてきたウィザード。

 男の素性を知った時から、アンドレオは考え始めていた。

 手段が向こうからやってきてくれたのだ。その時が来たのだと思った。

 

 間もなくして、ウルカヌスの警戒するという現地の魔術遣いがやってきたときは、条件がそろったと感じた。

 聖王国に対しての愛着はなくとも、惰性で続けていた情報収集に、森の魔女と盾の騎士の名はあった。

 到底信じられぬような尾ひれと与太話を付け加えられた噂話から、信頼できる事実だけを抽出し、ウルカヌスからの情報と掛け合わせて、評価を出した。

 能力的にも、人柄的にも、連中は使える。

 それがわかれば、アンドレオにためらいはなかった。

 

 ずっとこの時を待っていたのだ。

 ずっと、ずっと、この時を。

 

 アンドレオはMAEVを操り、雪さえ積もらぬ高高度の黒壁をよじ登っていく。

 機械仕掛けの六肢は、かつてそうしたのと変わらぬ調子で、着実に絶壁を攻略していく。

 細かな凹凸を見つけては足掛かりとし、電磁加速された金属杭を打ち込んで頼りとしながら、ただただ黙々と上り詰めていく。

 

 静かだった。

 とても静かだった。

 MAEVの駆動音と、時折のアラート音だけが、どこか遠く聞こえる。

 

 二十年前、アンドレオは、そのころはまだアンドリュー工兵伍長だった男は、十四人の工兵と作戦行動を共にした。

 臥竜山脈越えのルートでの帝国への侵入。そのルート開拓の調査。あるいは単に、そう、口減らし。

 

 人も物も足りない聖王国において、熟練の兵士は貴重なものだ。能力至上主義の盛んな昨今においては、優秀な人材はいくらいても足りないくらいだ。

 だが、最外縁部(アウター)の奉仕階級はそうではない。

 最外縁部(アウター)の工兵たちは、過酷な環境での作業をこなすからには優秀でなくてはならないが、しかし優秀過ぎてもいけない。知恵をつけすぎてはいけない。力をつけすぎてはいけない。

 聖王国を極寒の世界から隔てる外殻の整備にはこの罪人の子孫たちが必要不可欠だったが、同時にその罪人の子孫たちが外殻の安全を、ひいては市民の生死を左右することがあってはならないのだ。

 

 だから、危険な任務を潜り抜けて年齢を重ね過ぎた奉仕階級人は、任務の危険度をあげられていき、最後には死ぬことが前提の任務へと追いやられる。それが、それこそが口減らしだ。

 

 アンドリューの上官であったマーティン軍曹をはじめ、部隊の面子はみな長生きし過ぎた。

 危険な任務を乗り越え、数々の功績をあげ、都市構造体へ貢献し続けてきた。不条理な命令に従い、理不尽な任務をこなし続け、そして最後に望まれたのがその生命の終了である。

 外海経由の海底ルートや、地下坑道ルートなど、いくつもの侵入経路が開発され終えているいま、あえて険しい臥竜山脈越えに何の意味もない。

 自らの脚で、遠く離れて死ねというのだ。

 

 これは処刑ではない。ただ、任務の過酷さに惜しむらくも能力が届かなかっただけ。そんなおためごかし。シティ・ニュースには勇敢な工兵たちの死が美談として語られるだろうか。あるいはただの数字だけ、それともそれすらも残らないのか。

 

 それでも部隊員たちは命令に従った。

 逆らったところで、正規の戦闘部隊には敵わない。

 自分たちが死んだところで、自分たちの代わりはすでに合成されて出荷済みのことだろう。

 帰る場所など、最初からありはしないのだ。

 

 マーティン軍曹は陽気な男だった。

 常に部隊員のメンタルを気にかけ、死地に向かう旅の中で鼻歌やジョークさえ交わして見せた。

 

「やあアンドリュー伍長! バーンズ伍長! 君たちは頼りにさせてもらうよ!」

「お役に立てれば幸いです」

「ま、年寄りをいじめんでくださいよ」

「それにしても、整備限界の骨董品とはいえ、MAEVが十五機だ! いやあ、副葬品としちゃずいぶん豪勢じゃあないか!」

()葬品なのは俺らのほうかもしれませんがね。単価はMAEVのほうが上ですぜ」

「違いない! だがこれだけ立派な棺桶で送ってくれるんだ! 笑っていこう!」

 

 最初に脱落したのは最年長のバーンズ伍長だった。最年長でも、まだ三十代だった。最後だからと高価なウイスキーを軍票で買っていた。臥竜山脈にたどり着く前に、機体のヒーターの故障でいつの間にか凍り付いて死んでいった。彼はそこに置いていくしかなかった。

 彼の部下四名は、アンドリューとマーティンが半々で受け持った。

 

 彼の死を皮切りに、部隊は櫛の歯を欠くように欠員を続けた。

 駆動部が金属疲労で故障し、置いて行かれたチャーニー二等兵。餓死か凍死か、その最後は知れないが、置いていかないでと叫ぶ彼女の声は長く残った。

 吹雪の中、不明の敵性体に襲われ、反撃むなしく戦死したマンスキー一等兵。マーティンのジョークに、よく引き笑いで笑っていた。

 途中で逃げ出したのはボータ二等兵だった。若いが優秀で、そのせいで死地送りになった彼は、耐えられなかった。どこへも行けず、独りで死んだだろうか。

 

 臥竜山脈に挑む中で、誰がどう死んだかはもうわからなかった。

 雪に足を滑らせ、落石に潰され、足場が崩れて、死ぬ要因には事欠かなかった。

 積雪限界を超えた黒壁までたどり着けたのは結局、マーティンとアンドリューだけだった。

 そのマーティンが死んだことさえ、共有回線に流れていた鼻歌が不意に途切れたことで、そうと察せられただけだった。

 それが不慮の事故だったのか、疲れ果てて諦めたからなのかは、もうわからなかった。

 

 アンドリューはただ一人上り続け、そして、世界の頂点を制した。

 誰も知らぬ風が吹く、誰も知らぬ夜明けを、アンドリューは見た。

 東の果てから黄金の朝が地平線を開き、西の果てでは紫紺の帳が月を抱く、その真ん中に、アンドリューは立っていた。

 

 静かだった。

 とても静かだった。

 誰も届かない、誰にも触れられない、天蓋の真下にただひとり立っていた。

 

 目が覚めた時、アンドリューは激しいアラート音の中、自分が重力に頭を向けていることに気づいた。

 機体はさかさまにひっくりかえり、全身がひどく痛んだ。

 滑落したのだと気づけたのは、ひび割れたディスプレイの表示を何度も検めた後だった。

 

 幸いというべきかなんというべきか、MAEVは前向きに倒れ込んでくれたらしく、アンドリューは帝国側に滑落したようだった。

 データ・バンクの中でしか見たことのない、緑の木々が幾本もなぎ倒されて、それがクッション代わりとなってくれたおかげで、アンドリューはかろうじて生き残ったらしかった。

 滑落時の機体モニターを確認してみれば、ほとんどまっすぐに岩肌を滑り落ち、万年雪によってブレーキを掛けられ、転げながら木々にたたきつけられたようだ。それで生きているのは、奇跡としか言いようがなかった。

 

 機体の損傷は激しく、ソフトはともかくハードは本格的な修理が必要だった。

 だが山脈を超えたこちら側は驚くほど暖かく、凍死の心配はなかった。

 恐ろしい音を立てる機体を慎重に動かして現場を離れ、周囲の枝葉とステルスモードでMAEVを隠蔽し、アンドリューはそれからようやく安心して途方に暮れた。

 

 誰も任務が成功することなんて考えていなかった。

 アンドリュー自身だって、そんなことはみじんも考えていなかった。

 だから、現実にこうして山越えを果たしてしまうと、ではどうすればいいのかアンドリューには見当もつかなかった。

 本国に連絡を取ろうにも、MAEV備え付けの通信機では山を越えた通信はかなわない。

 すでに帝国に潜入済みの工作員と接触しようにも、その居所や暗号の符丁さえも知りはしない。

 

 ただ、死に損ねたなとぼんやり座っているうちに、日は高くのぼり、そして傾き始めてしまった。

 そこに現れたのが、アマンドだった。

 

 アマンドは若い娘だった。

 よく日焼けして、指は節張って、邪魔だからと髪は短く切り、まるで少年のように活発な娘だった。

 瓜を割るかのように、ぱっかりと大きく口をあけて笑う娘だった。

 

「やあ、夏に雪崩の音がしたかと思ってきてみれば、(アン)ちゃん、あんたはどこから来たんだい? ずいぶん変な格好をしてるねえ。都会のはやりってんでもなさそうだけど。なんだいしけた顔して親でも死んだかい。アッ、なんか本当にそれっぽい顔だよあんた、いやごめんねごめんね、悪気はないんだよ。麺麭(パーノ)でも食うかい。馬栗(ヒポカシュターノ)混じりのまずい奴だけど。他に食うもんないから食うけどあたしだって好きじゃあないんだよねこれ」

 

 そしてよく喋る娘だった。

 

 アンドリューが呆然として眺める先で、娘はべらべらと一人で喋り散らかした後、()()()()としたまるい目で、じっくりと見つめた。

 

「あんた、独りかい? 独りぼっちかい? そんならうちにおいでよ」

 

 なんと答えたものか、アンドリューは覚えていない。

 多分、こたえる前に腕をとられて、ずんずんと山道を降りていったからだ。

 

「あたしはアマンド。あんたは?」

「あ、ああ……アンドリュー、だ」

「あ? なに? アンドレオ?」

「ああ……もう、それでいい」 

 

 男はその日、アンドレオになった。

 

 それからの日々は、ずいぶんせわしなかったように思う。

 急によそ者を拾ってきた姪に村長は大いに声を荒げたし、姪は姪でわめき返して、強引に男を村に住まわせてしまった。

 勝手もわからないままに、男は娘の家で起居し、娘の畑を耕し、娘の後について山を巡り、娘の紹介で村人に顔を通し、そして、気づけば娘の婿として祝言をあげていた。

 

「……なんだこれは。なんなのだこれは」

「なんか文句ある?」

「おおいにあるが」

「ないんだよ、いいね?」

「……そうか」

 

 思えば、言い返すということをこのころには諦めていたように思う。

 アンドレオが語る言葉を持たない分を埋めるように、アマンドはよく喋った。

 アンドレオが持たないものすべてを、アマンドが与えてくれた。

 アンドレオが一人でいることを、アマンドは許さなかった。

 

 

 恐ろしくかたくなで、巌のようなしかめ面をした村長と酒を酌み交わすようになったころ、アマンドは懐妊した。

 聖王国において、生命資源の産出は、上級市民にしか許されない行為だった。罪人の子孫たる奉仕階級人にとって、それは全く未知の世界だった。

 自分の血を引く存在というものが、アンドレオには理解しがたかった。それをどう思い、どう扱えばいいのか、見当もつかなかった。

 

 だがアマンドはあの晩、生まれたばかりの赤子を抱いて、アンドレオに告げた。

 

「この子はきっと、あたしに似てうるさくって、やんちゃで、それからとびきりあんたになつくことだろうよ」

「そうか」

「あんたはその子の面倒を見て、甘やかして、しかって、育て上げるんだ」

「そうか」

「そうだよ」

 

 瓜を割ったように、ぱっかりと大口を開けてアマンドは笑った。

 

「あんたを人間にしてあげたかった。あたしの隣で人間になってほしかった。ねえ。この子がきっと、あんたを人間にしてくれるから」

「……そうか」

 

 アマンドはその晩、初乳をあげる前に亡くなった。

 娘は、ポルティーニョは、母がなくとも元気に育った。

 村の人々の助けを借りて、よく育った。それはアマンドが生前築き上げた、人の輪というもののおかげだったのだろう。

 何もかもわからないままで、アンドレオは娘を育てた。

 泣くたびに困り、笑うたびに困り、何もしなくても困った。

 飯をやり、下の面倒を見て、夜泣きに付き添った。

 

 アンドレオが喋らないのに、ポルティーニョは母に似てよく喋る娘に育った。

 ふとした瞬間に、驚くほどアマンドによく似た笑顔を見せて、アンドレオはどうしようもなく困惑した。何も言えなくなって、まっすぐ見つめることさえできなかった。

 自分の脚で駆け回り、空にも手を伸ばして、屈託なく笑う姿に、途方に暮れた。

 

 泥だらけになった娘を、桶の中で丸洗いにした日を覚えている。

 額に汗して駆け回り、青空を背に笑う姿を覚えている。

 なんでもよく食べ、食べ過ぎて喉を詰まらせて慌てたことを覚えている。

 熱を出した娘を背負って、医者をたたき起こした夜更けを覚えている。

 

 成人を迎え、もう子供じゃないのだと、にっかり笑ったあの日のことを、覚えている。

 

 覚えている。

 覚えている。

 覚えている。

 

 MAEVの駆動音は、いよいよ瀕死めいた軋みを含み始めていた。

 アラート音は途切れがちになり、ディスプレイは明滅を始めている。

 

 アンドレオには、いま自分が見ているものがただの思い出なのか、それともこの現状こそがあの頃の自分が夢を見ているだけなのか、わからなくなってきていた。

 様々な景色が浮かんでは消えていく。

 雪と風とに流されていくように、現れては去っていく。

 

 祖国のこと。

 部隊のこと。

 妻のこと。

 娘のこと。

 村のこと。

 友のこと。

 

 走馬燈めいて、それらは視界の隅でちらついて、そして消えていく。

 

 ああ。

 ああ、なにもかもが。

 そうだ。

 なにもかもが────わずらわしい。

 

 MAEVの鈍く死にかけた駆動音だけが、心地よい。

 ディスプレイにちらつく黒壁と、驚くほど澄み晴れた空の青さが、ただただ静かだ。

 

 妻を愛していた。

 娘を愛していた。

 村での暮らしは心地よかった。

 人間になれたような気がした。

 

 だが、あの時思ってしまった。

 娘が成人を迎えた時、やっと育て上げられたと思ってしまった。

 ウルカヌスがやってきたとき、条件がそろった時、これで終えられると思ってしまった。

 すべてを終わらせたいと思ってしまった。

 ただただ静かに、独りになりたいと思ってしまった。

 

 アンドレオはきっと、人間になったのだろう。

 聖王国の外殻に張り付いた、機械とも蟲とも言えない奉仕階級人ではない。

 ひとりの人間として、尊重し、尊重され、人の輪の中で生きることができたのだろう。

 幸福だった。

 しあわせだった。

 泣きたくなるほどに満たされていた。

 

 だから、そのぬくもりに耐えられなかった。

 冷たい雪原の中に帰りたかった。

 誰もいない永久凍土のただなかにたたずみたかった。

 凍り付いた風の声を聴き、ただ独り無尽の凍土を歩きたかった。

 

 すべてが、わずらわしかった。

 ただただ、わずらわしかった。

 

 妻を愛していた。

 娘を愛していた。

 

 妻を愛している。

 娘を愛している。

 

 しかしいま、本当の孤独の中で、心は今までにない安らぎの中にある。

 

 愛も憎しみも、悲しみも喜びもない。

 自分以外のなにものもここにはない。

 ここが──俺の世界だ。こここそが。

 

 かつてアンドリューであり、いまアンドレオであり、そしてこれよりなにものでもなくなる男は、いま再び世界の頂点に立った。

 誰も知らぬ風が吹く、誰も知らぬ夜明けを、男は見た。

 東の果てでは紫紺の帳が夜を包み、西の果てへと赤銅の日が沈みゆく、その真ん中に、男は立っていた。

 

 静かだった。

 とても静かだった。

 誰も届かない、誰にも触れられない、天蓋の真下にただひとり立っていた。

 

「ああ……ここは静かだな。とても……心地いい」

 

 妻は亡く、娘は無事に育て上げた。

 災厄はここに背負い、消えていく。

 何の禍根も残さず、消えていける。

 

「俺は……お役には立てたかな」




用語解説

・アマンド(Amando)
 村長の姪にあたる。活発でよく山歩きをしていた。
 山中でアンドレオを発見し、「捨てられた子犬のよう」だったこの男を拾って面倒を見て、そのまま成り行きで結婚(強制)。
 そのまま無意味に死にそうであったアンドレオに生きがいを与え、人間として生きていけるようにさせたかったが、自分だけではまだ足りないと感じており、娘に託した。
 最終的にアンドレオが人間として生きることができたのか、その最期は彼女の願いにかなったものだったのか、それはもうだれにもわからない。


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最終話 ドント・ステイ、ユー・アー・スティル・アライブ

前回のあらすじ

静かだった。
とても静かだった。


「……生きてる?」

「ああ……多分な」

「まったく、悪運が強いことだな」

「お互い様だろ」

 

 世界が真っ白に爆発してから、どれくらいが経っただろうか。

 一行ともう一人、つまり森の魔女と盾の騎士、案内人の臨時パーティと、宿敵である聖王国の破壊工作員は、ゆっくりと衝撃から目を覚ました。

 

 まだ夢から覚め切らないような頭を巡らせて、ゆっくりとぐるりを見渡せば、とっぷりと日の暮れた山の斜面は、すっかり雪と氷に荒れ果てていた。

 紙月とウルカヌスがそれぞれに明かりをともして周囲を見渡せば、三人が築き上げた氷の障壁は大雪崩の大部分を左右に受け流しながらも倒壊し、巨大な氷の塊が古代の墓標のごとく転がっていた。

 さてその真後ろにいたはずの自分たちは何ゆえに無事なのかと自分の足元を見下ろせば、なんだか小高い丘のように盛り上がっている。しかもそれは、一行の目覚めに気づいたかのようにぶるりと身を震わせたではないか。

 

「おわっ!? なにこれ!?」

「ぬう!? まさか、()()は生きているのか!?」

「生きて……? あー、そうか、《縮小(スモール)》が解けたのか」

 

 《縮小(スモール)》。

 それは紙月の使う魔法《技能(スキル)》のひとつであり、対象のサイズを小さくしてしまうものだ。

 それが紙月の気絶を理由として解けたのか、それとも自力で解いたのかはわからないが……つまり、この足元の岩の塊のようなものは、《縮小(スモール)》をかけられていた生き物だ。

 

「に゛ゃ゛あ゛」

「あ、これタマ!? 結構大きくなってたんだねタマ!」

「ずっと《縮小(スモール)》かけ続けてたからなあ」

「よもや、地竜を飼いならしているのか? 度し難いな……」

 

 そう、それは《魔法の盾(マギア・シィルド)》の騎獣であるところの、地竜タマであった。

 もとより巨大なその体躯は、魔法が解けたいまは十メートル近くある巨体をもって、雪崩によって荒れ果てた山肌に、ぽつり浮かんだ孤島のようにそびえているのだった。

 このタマの背中に引っかかっていたおかげで、一行は難を逃れたらしかった。

 

 紙月、未来、案内人ウールソ、絶えぬ炎のウルカヌス、それにタマ。

 一行はそれぞれにそれぞれの無事を確認し終え、そして誰にともなく自然と爆心地へと目をやっていた。

 霜の巨人の一撃によって大雪崩を引き起こされたそこには、いまはなんの姿もない。

 見上げた先には遠近感の狂ったようなあまりにも高い絶壁が、何事もなかったかのように変わらずにそびえている。

 だがそこには、確かにきらめく氷の跡が、まっすぐに山頂まで続いていた。

 

氷精晶(グラツィクリスタロ)は……アンドレオさんはどうなったんだ?」

「……持って行ったのだろうな。すべて背負って行ってしまった」

 

 してやられたというように、ウルカヌスは忌々しげに言った。

 彼のヘルメットの内部ディスプレイには、不明の機器との接続が切断されたことが通知されていた。思えば整備を依頼した時にはすでに、この演算機器を利用することをもくろんでいたのだろう。

 

 村にくすぶり続けた火種を回収し、致命的な被害が出る前に村から離れて起爆し、そして被害の多くは自ら背負って山向こうに捨てに行ってしまった。

 ウルカヌスも、そして紙月たちも、その盛大な爆弾処理の片棒を知らぬ間に担がされてしまったわけである。

 ひとりでは抑えきれない余波も、一行に抑え込ませるつもりだったのだろう。

 

 村は隠し資産であり危険物であった氷精晶(グラツィクリスタロ)()()()()()()にでき、事実としても人情としても紙月たちはこの事件をテロリストの犯行だと告げるしかできず、村はただの被害者になる。

 調査は無事とは言い難いまでも比較的軽微な被害で終わり、破壊工作員への警戒を高めるに済んだ。

 そのような流れになると考えると、全く確かにしてやられた気分だ。

 それをしでかした本人はもはや二度と帰っては来ないだろうことをも含めて、紙月は苦い顔ですべてを受け止めた。

 

 タマに《縮小(スモール)》をかけなおし、その背に乗って村へ降りていく。

 ウルカヌスはその途中で一行と別れ、姿をくらませた。

 

「村人であるあの男が犯人とするより、本物のテロリストのせいにしたほうが通りがよかろう。というより、彼奴め、そこまで織り込み済みのようで腹立たしい話だがな」

「いいのか? あんただって村のために頑張ってくれただろう」

「結果論だ。それに破壊工作員なのは事実だ。いまさらひとつふたつ罪状が重なったところでな」

 

 ちょうどいい暖房器具もといウルカヌスが去り、寒さに凍えながら山を下った一行の前に広がったのは、惨憺たる光景だった。

 そのほとんどを受け止め、大いに勢いを減じたとはいえ、何十年分もの冬がまとめて襲い掛かったような大雪崩であった。防雪林をなぎ倒し、村へと文字通り()()()()()()氷雪の被害は決して少なくなかった。

 

 村人の大半はふもと近くの第一村に降りていたこともあり、人的被害という意味では皆無に等しかった。

 しかし第三村の葡萄(ヴィンベーロ)畑や醸造所、第二村の畑は異常な冷気を伴った雪崩になぎ倒され、圧し潰され、見る影もない。

 それらをしり目に下っていけば、松明の明かりを頼りにようよう顔を出し始めた村人たちが呆然とその惨状を見つめていた。 

 山を下ってきた一向に不審の目を向けるものもいくらかはいたが、そのほとんどは被害の大きさにばかり目が向いていて、それどころではなかった。

 

 第一村までたどり着くと、かがり火の元、村長ワドーが出迎えた。

 というより、待ち構えていた。

 

「……氷精晶(グラツィクリスタロ)はどうした」

「なんつーか……これでも、被害は抑えたほうですよ」

「やつはどうした」

「持ってっちまいましたよ」

「馬鹿め……馬鹿め」

 

 言葉少ないやり取りであったが、ワドーはそれでおおよそ理解したらしかった。

 見ないうちに一気に老け込んだようなこの老人は、もはや巌を通り越してひび割れた石くれのようだった。小突けばそれだけで砕けてしまいそうである。

 

「あー……その、よろしければ、お手伝いとか」

「手伝いだと? 馬鹿め。復興には時間がかかる。金もな。いまは動揺している村のものも、落ち着けばお前たちを怪しむだろう。何もわからんでいる今のうちに、とっとと消えてしまえ」

 

 未来の場当たり的な言葉は、ぴしゃりと鋭く切り捨てられた。

 ひどく心労をため込んだらしいワドーは、しかしそれでもまだ確かに村長だった。

 

氷精晶(グラツィクリスタロ)の需要は増え続けとる。採掘場が荒れたとなれば、子爵めは復興支援を惜しまんだろうよ。そして村の自立や伝統は、蝕まれていくだろうさ」

 

 自領の村が天災に遭い、その復興支援のために領主が身銭を切って大掛かりに動く。それは世間的に見て人道的な善行であろうし、利益を見込んでのものであってもやらぬ善よりやる偽善だ。

 だがそれを機に、子爵は自分の手のものを村に送り込んでくるだろう。いままではブランフロ村として自治を行ってきたが、領主の支援の下に村が復興していけば、もはやその介入、干渉を避けることはできない。

 

「だが……それでいいのかもしれん。俺たちは、かたくな過ぎた。年寄りが、因習を受け継いできちまった。誇りも、意地も、祖先からの因業も、俺たちには大事だった。だが……生まれてくる赤ん坊には、なんの関係もないことだった。俺たちは子らにすべてを託したがった。だがすべては変わっていく。移ろっていく」

 

 ワドーの目は村を見つめた。

 幼いころから生きてきた村を。そしてこれから変わっていくだろう村を。

 

「姪があの男を拾ってきたとき、俺は受け入れられなかった。受け入れてたまるかと思った。だが行き場のないあの男を受け入れた時、結局はそういうことだと知ったよ。祖先は居場所を守りたかった。俺たちはずっと守ってきた。そしてきっと、誰かの居場所になりたかった。かつて俺たちを追いやったものを見返すように、誰かを受け入れる場所にな」

 

 ワドーの諦めに似たつぶやきが、白い吐息に交じって消えた。

 

 一行がどうしたものかとあたりを見回すと、そこへポルティーニョがこけつまろびつ駆けてきた。

 

「シヅキさん! ミライ君! ウールソさんも!」

「ああ、その、なんだ……」

「おとんは!? おとんは見つかったんですか!?」

 

 三人は顔を見合わせ、言葉を探したが出てこなかった。

 ポルティーニョはそれで何かを察したようだった。

 事情は分からないまでも、父が帰らないことを悟ったようだった。

 

「おとんは……おとんは帰ってこないんですか? どこに……どこへ……っ」

「その、すまない」

「謝ってほしくなんかない! あたしは、あたしはただ……! おとんが、おとんは……!」

 

 ポルティーニョは明るく朗らかな笑顔をすっかり失い、崩れるようにその場にうずくまった。

 

「お、おとんがいなくなったら、あたしは、あたし、どうすれば……」

「馬鹿め! 立たんかっ!」

 

 三人がいかんともしがたく見守るその背に、激しく怒鳴りつけたのはワドーだった。

 びくりと見上げる又姪を、ワドーはぐいりとひっつかんで無理矢理立ち上がらせると、ひび割れた顔で老人は言った。

 

「俺みたいな爺が先をはかなむんならともかく、お前はまだだ。順番違いだ。お前の親父がどうなろうと、お前の人生はこれからだ。俺の姪がおっ死んだとき、お前の親父は出て行ってもよかったんだ。それをお前を育て上げてから、()()()()()()()()()、ようやく好きに出ていきやァがったんだ」

 

 呆然と泣き顔をさらすポルティーニョに、ワドーはなだめるように言った。

 

「お前があんまりやるせないんなら、アンドレオの後を追ってもいい。だがそれはいまじゃあなくっていいだろう。お前の親父が十四年、お前のために使ったように、お前は親父がくれた時間を、無駄にしちゃあいかん。立ち止まっちゃあいかん」

 

 その言葉がポルティーニョにどれだけ響いたかはわからない。ただ、呆然と頷く娘が、いまこの時を乗り越えられればいい。いまを乗り越えれば、また次の今日を乗り越える。その繰り返しの中で、どうしたいのかを決めていけばいい。

 

「人生は二百年も続きやしない。突然終わることだってある。自分の思い通りになんか行きやしない。それでも歩け。歩き続けろ。お前はまだ生きておるんだからな」

 

 大雪崩に見舞われ、人々が惑う中でも、変わらずに時は過ぎ、夜は明ける。

 日差しは心なし暖かく、季節の移ろいを思わせた。

 やがて春が来る。雪解けの季節が。

 涙も悩みも構わずに、春の気配が追い立てようとしていた。

 

 



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第十七章 ア・ビリーヴィング・ハート・イズ・ユア・マジック
第一話 もやもやはするけれど


前回のあらすじ

 山奥の寒村に燻る不穏の気配。
 調査に訪れた《魔法の盾(マギア・シィルド)》を待ち構えていたのは聖王国の邪法遣い。
 罪なき民を虐げる悪鬼羅刹が悪魔の儀式。
 世界を閉ざさんとする恐るべき氷の大魔法。
 しかし森の魔女の祈りが天に届いてか、盾の騎士の忠義の守りか、邪法遣いは己が魔法をその身に返され、臥竜山脈の向こうへと叩き落されたのであった。
 ありがとう森の魔女。ありがとう盾の騎士。
 ありがとう、《魔法の盾(マギア・シィルド)》。
 世界に春が戻ったのである。
 (諸説あり)


 いよいよ聖王国がくびきを解かれ、北大陸の死の吹雪を伴ってやってきたのだ、などという終末論(マッポー)めいた噂がまことしやかにささやかれたと思えば。

 いやなんかえらい冷え込んだけど森の魔女がなんやかんやしてどうにかなったらしいぜ、なんだよなんやかんやって、わからんけど森の魔女だしな、まあ森の魔女様様だな、などと気の抜けた会話が酒場で流れもしたとか、しないとか。

 

 帝都郊外のアリアケ商会社屋にもその噂は流れていた。

 建て増しを繰り返しながらもかろうじて商会風の顔を保った非常に大きな建造物であり、その裏にはさらに混沌とした、パッチワークめいて乱立しては接続された工場群が立ち並ぶ騒々しくも賑やかな一角であったが、それもこの厳冬のさなかではどこかひっそりとしているようにも感じられた。

 

 ──帝国広報の述べるところではこうである。

 ──空読みに()れば近年(まれ)にみる大厳冬であり、帝都はじめとした都市部においては水道管の破裂、道路の凍結には能々(よくよく)気を付けるべし。不安の者は辻々の掲示板や各社(ほう)ずる所の新聞等にて心得を学びて実践すべし。(また)主要幹線道路に()いては駅逓局広報に詳しいが、特に北部、辺境、一部西部、また帝都への接続路に通行困難又は通行停止が一部見られる。郵便、貨物輸送の一部遅れ又完全な停止に留意すべし。薪・火精晶(ファヰロクリスタロ)を始めとする燃料の高騰に就いては各行政にて統制を行うものとするが、財務局は節制を求め不要な灯火を慎むべしと述べる(ところ)である。

 

「なんのこっちゃ……」

 

 つまるところは、今年の冬は滅茶苦茶(めちゃくちゃ)寒いから都市では水道管とか道路とか凍るので気を付けてね。掲示板とか新聞でもいろいろ注意するから読んでね。道路も一部通れないから広報でチェックしてね。郵便とか貨物とかもだいぶ遅れるよ。燃料はお(かみ)で値段を決めて馬鹿みたいに値上がりしないようにするけど、なるべく節約して無駄のないようにね。

 

 という感じである。

 アリアケ商会の奥も奥、商会長の個人工房にて、紙月は帝都日報なる大衆新聞をそのように読み解いた。

 

 暖かな火の燃える炉の前で、紙月はがさがさとした荒い紙質の新聞を読み終えたところだった。

 どこか性別を超越したところのある美貌が、物憂げにため息をつく様子はなんともアンニュイで、寒さに肩をすくめる様さえ蠱惑的であった。

 この女にしか見えない成人女装ハイエルフ男性は、自分の外見評価を理解した上で演技過剰気味にふるまっている節があった。

 

 暇に飽かせて一面から順にすべての記事をじっくりと読んでみたが、大体はこの寒さへの注意喚起であり、他には何とかいう貴族が炊き出しをしているとか、どこそこの紹介で画期的な暖房具が発売されたとか、ありふれた記事ではあった。

 

「本当になんにも書いてないんだな」

 

 なんにも。そう。紙月の欲しい情報はそこにはなかった。

 そこに、ブランフロ村のことは一行も書かれてはいなかった。

 

 帝国北部、臥竜(がりゅう)山脈の(ふもと)に位置する山奥の寒村ブランフロ村。

 紙月と未来はつい先日その村を訪れていた。

 氷精晶(グラツィクリスタロ)をめぐる思惑に触れ、聖王国の破壊工作員と対決した。

 その結果は完全なる勝利などとはとても言えず、最悪の事態は免れたものの、巻き込まれたブランフロ村は大きく被害を受け、今後は変化を余儀なくされることだろう。

 けれど、この小さな村の大きな事件は、帝都日報にも、そして他のどんな報道機関にも載っていない。載せられることなどない。そもそもが、知らされることもない。

 

「あの村では『なにもなかった』。そういうことになっとる。記事になるとしても、精々が雪崩の被害があって、エージゲ子爵が資材を(なげう)って復興支援を、なんてのが二、三行くらいあればいいほうじゃろ」

 

 紙月の腑に落ちないといった声にこたえたのは、重厚なデスクに向かって書き物をしていた老商人レンゾーであった。

 酒樽の(ごと)きと称されるずんぐりとした胴体から伸びる、これまたごつごつとした指先は、見た目に似合わぬ繊細な筆運びをしていた。

 

 彼は紙月たちと同じくこの世界に転生してきたプレイヤー。生産職のドワーフという特性を活かして、この帝国で大きな商会を育て上げ、政治にも食い込むようになった巨魁。

 そして、紙月たちにブランフロ村の調査を依頼した当人でもあった。

 

「ううん……あのままでよかったのかな。僕たち、何かできたんじゃないかな。アイテムだって、何か使えたかもしれないし」

 

 炉の近くで膝を抱えて座り込んでいた少年、未来はぽつりと(つぶや)くように言った。寒さにか、あるいは不安にか、獣の特徴を示すその柔らかな尾はくるりと丸まって腹に巻き付いていた。

 未来は恐るべき冬の魔法を前に、できるだけのことをした。彼にできる全てを発揮して、大雪崩の被害を最小限に抑え込んだ。

 けれど、それでも、村への被害は小さいものではなかった。雪崩の被害も、そして復興支援という名の外部からの干渉も。

 

「酷なことを言うようじゃがな、お前さんたちにできることはなんにもなかっただろうよ」

「そうなのかな……だって僕らは、プレイヤーなんだよ? 魔法で火もおこせるし、ごはんだって出せるのに……」

 

 未来は紙月にすがるような目を向けた。未来の知る紙月なら、どんなときでも、無茶だって思えることでも、胸を張って挑んでくれるはずだ。

 けれど紙月は難しい顔をするばかりだった。

 気持ちは同じだと、その横顔から察せられた。

 けれど紙月には、未来には見えないものが見えていて、気づいていないことにも気付いているのだろう。

 

「確かに俺たちなら、村の人たちを温めて、食事を配ることだってできる。でもずっとはできない。未来、お前、あの村にずっと住めるか? いつまでもあの村にいてやれるか?」

「それは……でも、春になるまでなら」

「村長も言ってたろ。俺たちがあの村にいる理由はなかったんだ」

 

 もともと二人は身分を隠してブランフロ村に行ったのだ。

 ただの旅人が、まさしく魔法のような手段で村を救うことなどありえない。

 森の魔女と盾の騎士ならばそれができるかもしれないが、その二人が雪深い真冬の寒村を訪ねる理由などない。

 もし理由があるとすれば、そこでなにかがあったということになってしまう。

 

「名の知れぬような零細冒険屋ならいざ知らず、地竜退治でデビューした大型新人じゃぞ。お前さんたちが何かしてやれば、必ず疑うものが出るじゃろう。表向き、あの村では『なにもなかった』んじゃ。裏向きとて、聖王国のテロ事件じゃ。明かせば村は疑われる」

「そうなっちまったら、アンドレオさんが全部背負っていったことも無駄になるし、工作員をかくまってた村って言われるかもしれない」

「そんな……」

 

 それに、村ではすでに領主たるエージゲ子爵の復興支援がはじまっている。

 そこに手を出すのは、たとえ善意からであっても、子爵の顔に泥を塗ることになる。

 

 子爵とブランフロの村の関係は、絶対的な主従関係ではなかった。

 税を納め、その代わりに庇護を与えるという契約的関係、つまり封建制度による上下関係であり、子爵が村をまったく自由にできるわけではなかった。

 子爵はあくまでも必要な時にかかわるだけであり、それ以外は村の自由だった。村が自由であるための、封建関係であった。

 村長は自治権をもつ独立領主なのだった。村が主と仰ぐのは村長であり、子爵ではなかった。ボスのボスはボスではないのだ。

 

 けれど、ブランフロ村は今回の事件で自力では再起できないほどの被害を被った。あるいはできなくもなかっただろうが、その時は乗り越えても、今後が続かなかっただろう。

 支援だけを求めて、それに報いないなどということはできない。単に気持ちや道徳の話ではない。契約的にも、それはできない。

 

 もしもそのような不義理を働けば、それは約束を守らず義理も果たさぬ、道理の外の存在ということになる。そうなれば、子爵もまた村に対して義理を果たす必要がなくなるということである。

 盗賊や魔獣だけにとどまらず、他の領主が村を奪いに来ても子爵は庇護する理由がなくなる。それどころか、子爵自身が村を武力でもって簒奪しても文句は言えない。

 

 隠し持っていた氷精晶(グラツィクリスタロ)も失い、独立自主を守れるだけの力は、もはやブランフロ村にはないのだ。

 そしてそれだからこそ、子爵の支援の下で今後も発展していける、ともいえる。

 

「良くも悪くもというか、今後は氷精晶(グラツィクリスタロ)の流通も変わっていくじゃろう。子爵は野心的で精力的。採掘も効率的になり、売り方も改良していくじゃろう。そして流通量が増えれば、産業も影響を受けていく」

「うーん……でも、たくさん出回ったらみんな安く買おうとするんじゃないの? そうしたらまた売り渋るんじゃないかな」

「短期的ならそれでも儲けは出るかもしれんがな。売り物が少なければ買い手が増えんじゃろ」

「逆に買い手が増えれば、安くても儲けが出るってことだな。みんなが欲しがれば、買い手の方で値を上げてくれるわけだ」

 

 氷精晶(グラツィクリスタロ)の利用──冷蔵庫や冷房器具などは比較的新しい技術だ。買い手はまだ少ない。

 しかし流通量が増えれば、単純にそれらの器具の数が増やせる。そして利用者が増えれば改善改良されさらに広まる。その中で別の使い方なども見いだされていくだろう。

 人は一度便利になってしまえば、そこから元の不便な生活には戻れない。消費は加速度的に増えていくだろう。

 

「帝国は新しい技術……いや、逆じゃな。古代の技術が広まるのを恐れておった。つまり、聖王国の技術じゃな。悪い時代へと戻ってはいかんと。じゃから遺跡は管理され、遺物は秘匿されとる。印刷機でさえ利用が許されたのは最近じゃ。それも一部の新聞社なんかだけでのう」

 

 しかしレンゾーと彼の興したアリアケ商会によって帝国民による技術の振興が進み、帝国政府の技術への不信は少しずつ解かれつつある。

 なにより聖王国の活動が活発になっていることが危機感をあおり、対応するためにも発展が必要だった。古代聖王国の残滓を恐れるだけでなく、活用することで迎え撃たねばならないと。

 

「あの村は伝統を失い、穏やかな景色も振興と発展で塗り替えられていくかもしれん。開拓民としての誇りや意地は顧みられなくなり、虐げられてきたものたちの思いも埋め立てられていくじゃろう。あるいはそれは耐えられない苦痛かもしれん。それでも……それでも、飢えと寒さは、確実に減っていくじゃろうな」

 

 古くからの伝統と誇り。

 よりよい生活と発展。

 どちらが良いという話ではないのだろうと紙月は思う。

 どちらも何よりも大事なのだろうとそう思う。

 すくなくとも、部外者がおいそれと決めつけられるようなことではない。

 都合のよいときだけ手を差し伸べるような、そんな救いを拒絶する者もいるだろう。

 飢えと寒さで子らが苦しむくらいならばと、甘んじて受け入れる者もいるだろう。

 だがそれを決めるのは当人たちなのだ。

 それを決めていいのは、当人たちだけなのだ。

 

 などと分かったようなことを考えつつも、やっぱりもやもやはするので、紙月は新聞をぐしゃぐしゃにしながらうなった。

 

「わしまだ読んどらんのじゃけど」

「商会長なら自分の金で買えよ」

 

 などと言いながらも新聞を軽く伸ばしなおしてやってから寄越せば、代わりに返ってきたのは上等な封筒である。しかもいかにもといった立派な印章の()された封蝋(ふうろう)封緘(ふうかん)されている。

 つまり、封筒の閉じ口を熱した蝋で閉じて判子のように紋章が押し付けられているのだ。

 横から覗き込んだ未来が、ファンタジーっぽい、とつぶやく。確かに中世ファンタジー感はある。

 

「なんだよこれ」

「招待状じゃよ。どうせお前さんたち、西部に戻っても仕事もないじゃろ。かといって帝都観光を楽しむにも気が重かろう」

「まあそれはそうなんだけどね」

「俺たちどこ行っても暇人扱いされるな」

 

 ぼやきながら封蝋の印章を検めてみると、三つの塔を背景に杖と星をあしらった、精緻(せいち)なものである。

 紙月と未来も、冒険屋パーティ《魔法の盾(マギア・シィルド)》として紋章を持っているが、これは二人をイメージした盾ととんがり帽子をシンプルに重ねたもので、ここまで上等なものではない。

 

「なんかどっかで見たことがあるな……」

「あったっけ?」

「お前さんたちは前にも顔を出したことがあったからのう。どこかで見たのかもしれんな」

「ええい、焦らすなよ」

 

 こらえきれずに紙月が封筒を開いてみると、そこには見知らぬ名前と、そこそこ見知った組織名が見えた。

 

「帝都大学魔術科……?」

 

 それは、以前依頼を請けた帝都の博士ユベルとキャシィの所属する組織であった。

 

「お前さんは《魔術師(キャスター)》ではあるが、魔法《技能(スキル)》とこの世界の魔法は全く同じってわけではなかろう。わしの錬金術《技能(スキル)》もそうじゃしな」

「確かに、どっかで魔法を学んどかなきゃなーとは思ってたけど」

「帝都大学は帝国中の知識が集まる。魔術科も様々な魔法・魔術を集めて研究しとる。お前さんたちの魔法にも興味を持ったようでな。わしもこの世界の技術が発展していくのは望むところ。というわけで仲介させてもらったぞい」

「うーん、このいいように使われてる感」

「まあまあ、せっかくの機会だしさ」

「それもそうっちゃあ、そうなんだけど」

 

 レンゾーはわかっておると言わんばかりにうなずいて、にやりと笑った。

 

「お前さんたち。退屈しとるじゃろ?」

「それ別に決まり文句にしてほしくはねえんだけどなあ」




用語解説

・アリアケ商会
 レンゾーが起業した商会。行商人と用心棒程度の小規模から徐々に拡大し、現在では帝都郊外に社屋と工場を持つほか、各地に支社を持つ大企業。
 商会長であるレンゾーは元老院に席を持ち、国政に口を挟める立場にいるが、健全な経済発展のため意見役程度におさまっている。

・帝国広報
 帝国政府の広報誌。また各所掲示板などにも掲示されるほか、大手新聞紙などにも枠を持つ。

・帝都日報
 帝都に本社を置く新聞社。大衆受けのいい記事や生活に根差した記事をメインにしており、安っぽくはあるが都民の購読数は最多。

・封建関係
 帝国の政治・社会体制はなかなかに面倒もとい複雑である。
 皇帝をトップとして緩やかな主従関係を結ぶ封建制度ということになるが、皇帝は元老院を通した議会政治を行っており、その決定も憲法に定められた範囲を出ない。
 憲法に反さず皇帝に逆らわない限りにおいて各領主は各領地において王である。皇帝は土地と権利を保障し、領主たちは軍事力や税を返す。そしてその各領主の下にいる小領主たちもまたこの構図を繰り返している。
 中には野心的であったり反抗的である領主もいるが、それでも皇帝に従い、敬うのは、帝都ひいては中央とやりあうと損ばかりで得がないからである。ぶっちゃけ聖王国の相手とかそんな面倒な仕事したくないんでという押し付けである。
 大雑把なパワーバランスは「小領主≦大領主≦元老院≒皇帝<憲法<帝都の暴力」。


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第二話 帝都大学魔術科へようこそ

前回のあらすじ

落ち込む若者に「退屈じゃろ」などと言い出す老人にそそのかされ、あやしげな連中の巣窟におびき出された《魔法の盾(マギア・シィルド)》の二人。
果たしてそこでは何が待ち受けているのか。



 帝都郊外、魔術科棟へと向かう馬車があった。

 

 帝都で一般的ないわゆる帝都馬が牽くものではなく、あからさまに攻撃力の高そうな甲馬(テストドチェヴァーロ)に擬態しようとしているタマが牽く《魔法の盾(マギア・シィルド)》御用達の馬車である。

 タマは地竜の雛である。見た目こそやけにとげとげした甲馬(テストドチェヴァーロ)、つまり巨大な亀のように見えるが、成体ともなれば十メートル、二十メートルと怪獣さながらに巨大化する竜種だ。いまとて、紙月の魔法で小さくなっているだけで、魔法を解けばちょっとした小屋くらいはある。

 

 御用達の馬車、などといっても愛着のあるものでもない。

 ぶっちゃけ馬車屋で甲馬(テストドチェヴァーロ)用の安いものを買って使っているだけで、帝都を離れるときは売り払う予定である。

 

 主な長距離移動手段が「飛行」とかいう天狗(ウルカ)じみた二人だからして、馬車はこういうときでもないと使わないのである。格安で買って、格安で売る。愛着がわこうはずもないレンタル品も同様である。

 

「魔術科って言ってるけど、厳密には魔術学部なんだそうだ」

「学部と学科ってなにがちがうの?」

「学部のほうが強い」

「なるほど」

 

 などと馬鹿丸出しの会話が馬車の中で交わされていた。

 おおむね間違っていないが、おおむね以外は何も言っていないも同然である。

 

 学部というのは複数の学科をまとめる大きなくくりであり、例えば経済学部や医学部のように大ジャンルとしてまとめられている。学科はその下のくくりであり、例えば経済学部には経営学や金融学科があり、医学部には医学科や看護学科があるというかたちだ。ライトノベル学部異世界転生学科みたいな。

 

 帝都大学魔術科と大雑把に言われているのは対外的なものであり、郊外でなんか怪しい研究してる連中をひとくくりに呼ばわっているに過ぎない、らしい。

 実際には魔術学部としてまとめられ、魔術科や魔法工学科や人形造形科や魔法農業科や魔法芸術科や魔法カラテ学科などが存在するわけだ。魔法と付けばなんでもいいと思っているのか胡乱な学科が多いのも特徴である。

 

「無法地帯じゃん……」

「魔法地帯のはずなんだけどなあ」

 

 一応ちゃんと研究はしているらしい。

 研究といえば、魔術学部には科というくくりの他にもそれぞれの博士やら教授やらの研究室があり、そこで実際に研究に携わったり研修をしたりという学び方もあるようだ。

 そしてそのほかにも学生が個人で申請してまたは勝手に研究していたりもするらしい。

 

 さらには実験のためにわざわざ仮設施設を建てることもあるようで、以前に地竜の卵を孵化させる実験のために呼ばれて訪ねたのはまさしくその仮設の実験施設であった。

 それが無事であればまた何か別の目的で用いられることもあるし、跡形もなく吹っ飛んで更地になることもあるそうだ。

 

 というのを、外れも外れ、一番外れにある魔術学部棟までの道すがら、他の学部生を捕まえては聞きだしたのであった。

 

 馬車からひょいと顔を出した笹穂耳の麗人がちょっといいかな、冷えるから馬車の中で話そうと気さくに話しかけてくるのでホイホイついていけば、炎のような鎧をまとった大男に見下ろされながら悪名高き魔術学部について聞かれるのだから、捕まった学生たちの気持ちは推して知るべしだ。

 

 さて、そんな学生たち曰く。

 

「ああ、あの悪魔の巣窟に? 人質でも?」

「魔術科に行ってる私の友人はいい人だよ。いい人だったんだよなあ……」

「自前の消防小屋があるってのは聞いたことありますね。学内一の実績があるとか」

「でっかい鎧から可愛い声がしてきて、どうしてくれるんですか……もう引き返せなくなっちゃった、ネ……」

「爆発音がしたら屋根の下へどうぞ。破片とかが落ちてくるかもしれないので」

「彼らの研究実績は本物ですよ。蓮って泥から咲くらしいですね」

 

 などなどエトセトラ。

 中には錯乱して「絶対に言わない!言わないから!言ったら……!」と逃走する学生もいたが、おおむね平和的なインタビューがつつがなく終了した。

 

 学生たちの快い協力に、紙月はにっこりとほほ笑んで、馬車の座席に身を任せた。

 

「…………さっ、帰るか!」

「まだついてもいないよ紙月」

「つくまえからこれなんだよなぁ~」

 

 悪評というのか何なのか、わかったのは人質を取る悪魔がいて、学部入りした友人は人が変わってしまって、しょっちゅう爆発して消防員が常連化していているということだけだ。

 一応実績があるのがまた、たちが悪い。

 

 まあ、ここまで来てしまったからには、見るだけ見ていくかというだいぶげんなりした気持ちで馬車を進めていくと、いよいよ魔術学部棟が見えてきた。

 

 それまでに見かけた学部棟というというものは、それぞれにデザインは異なるもののたいていは石造りの立派な建物で、若干デザイン優先のおしゃれな部分もあったりしたが、機能的で過ごしやすそうな建物であった。

 

 それに比べて魔術学部棟がどうか。

 紙月の第一印象は「違法建築」だった。

 未来の第一印象は「ぶなしめじ」だった。

 

「……僕、魔法の学校っていうと、イギリスのあれイメージしてたかな」

「あー……未来ってグリフィンドールだよな、絶対」

「紙月もじゃない?」

「俺はハッフルパフあたりかなあ」

 

 若干現実逃避してしまったが、それは確かに違法建築のぶなしめじだった。

 

 魔法魔術学校というイメージもあながち間違いではない。

 魔術学部棟はいくつも尖塔が立ち並び、それは確かに中世ヨーロッパめいた風情がある。

 しかしその尖塔が、数えて二十を超えたあたりで感動を通り越して気持ち悪くなってきた。

 

 壁の材質も屋根の形も違う、デザインの異なる尖塔が二十を超えて乱立してそびえているのである。三十まではたぶんいっていないが、建設中と思われるものや、逆に倒壊したとみられる痕跡もあるので今後はわからない。

 それぞれの塔は若干かしいでいたり、妙にすすけていたり、一部の壁が剥落して穴が開いていたり、見知らぬ生物がはい回っていたり、突然枝を伸ばすように途中から別の塔が生えていたりと、かなりの無法状態である。

 色とりどりの様々な旗がはためく尖塔群、それらが悪い意味で適当に連絡通路やら梯子やらで接続されているというのが、この建物の姿だった。

 

 その乱雑かつ混沌とした建築様式を指して紙月は違法建築と感じ、多数の塔がひしめいてそびえる姿を指して未来は菌床栽培のぶなしめじと比較してみたのだった。

 

 そしてこの違法建築のぶなしめじは、見た目だけでなくその中身もまた胡乱で怪しく、なかなか不穏であった。というのも、紙月の目には尖塔群を取り巻く環境そのものが見えていたのである。

 自然の精霊に近いハイエルフの紙月は、目を()らせばそのあたりを漂う精霊や魔力の流れというものが見えるし、普段は見えすぎないようにあえてピントを外しているほどである。しかしここでは目を凝らすまでもなく、あからさまな魔法の気配とおびただしいまでの精霊の姿が見て取れたのである。

 しかもそれらは整然としているわけではなく、それぞれが独立して勝手に描かれ、干渉しあい、謎の均衡を保って……時々保ち切れずに暴発しては、混然として混ざり合っていくのである。

 

「ウワーッ、キモい!」

「美人が率直なこと言うと切れ味がえぐいね……」

 

 鳥肌を立てた紙月の叫びに、関係のなくもないのかもしれない通りすがりの魔術科関係者が大ダメージを受けたりしていたが、本職の魔法職でない未来にも雰囲気は感じ取れるので、訂正はしない。

 

 一応外周は城壁めいた壁で囲われており「監獄じゃん」「中のものが出てこないようにするやつだよねこれ」、また正門も立派な扉が待ち構えていたので、そこだけは間違えることがなかった。

 念のため、爆発の被害がないよう建物から少し離して馬車を置き、タマに待っているように言う。タマはみ゙ゃ゙あ゙と一声答えて、のっそりとうずくまって目を閉じた。冬眠こそしないが、寒さの中では少し眠いらしい。

 

 正門から入ってすぐに、受付と思しきカウンターがあり、幸いにも常識的一般人に見える事務員が出迎えてくれた。

 とんがり帽子の紙月と、大鎧の未来、変わった二人組を見ても動じないあたり肝が太いのか、日常茶飯事なのか。

 

「おや、受講希望の方ですか?」

「ああいえ、あ、いや、そういうことになるのか? 招待状をいただいてまして」

「拝見します……ああ、確かに。学部長の署名ですね」

 

 事務員は招待状をざらっと流し読みした後、感嘆のため息とともに二人を見た。

 

「よもや本物の森の魔女と盾の騎士がおいでとは。おとぎ話だと思っていましたよ」

「あはは、その割には落ち着いてましたけど」

「残念ながら当学部では、とんがり帽子が流行(はや)っておりますし、鎧姿もたまにいるもので」

「逆にこっちがびっくりですよ、そりゃ」

 

 学部長、というのが二人を招待した人物である。

 魔術学部の学部長、つまり、この混沌とした尖塔群のトップというわけだ。

 

「学部長室に……と、そうですね、地図をお描きしますよ」

「すみませんね。その……あー、なんとも、()()()な建物なんで」

「違法薬物と火酒でトチ狂った建築士がラリりながら手掛けたみたいでしょう」

「そこまでは言ってないんですが???」

「なにしろそれぞれの学科の連中が自分勝手に建て増していったものですから、私どもも全容は把握できていないんですよ」

「まぎれもなくラリった違法建築士の手掛けたやつだった!」

 

 なるべくわかりやすく安全な道ですと手渡された地図は、それでも結構複雑だった。

 すくなくともわざわざ「安全」などと言って示されたルートなのだから、あまり安心して進めるものでもなかった。

 

 二人は地図の示すとおりに廊下を進み、角を曲がり、エスカレーターじみて動く階段を降りていった。原理は不明だった。

 二人が通路を進んでいくのに合わせて、廊下に掛けられた火精晶(ファヰロクリスタロ)のランプが勝手に灯り、そして離れてしばらくすると勝手に消えた。これもまたどういう仕組みかは不明だった。

 見た目こそファンタジックな魔法の世界観だが、現代社会のハイテク技術を思わせる。

 

「下、なんだねえ」

「普通お偉いさんって高いところにいるもんってイメージだよな」

 

 そう、二人は降りて行った。

 すでに何階分か、地面の下にいるはずだった。

 壁に掛けられた火精晶(ファヰロクリスタロ)のランプに照らされて、足元が見えないということはないが、一切の窓がなく、少し閉塞感がある。

 地下は冷え込むもの、と何となくイメージしていた未来だったが、むしろ気温が大きく変化しないからか、恐ろしく冷え込んだ外よりは快適だったかもしれない。

 

 道中で通りすがった学生たち──流行っているらしい「森の魔女風」のとんがり帽子をかぶったものたちに尋ねてみれば、それはこういうことらしい。

 

「ほら、塔は崩れるかもしれないじゃないですか」

「可能性だけで言えばそうかもしれないけど??」

「その可能性がちょっとだけ大きいのが魔術科なんですよ」

 

 実際、「ちょっとだけ」のあたりで、ずずん、とどこか遠くで物音がしたような気がした。

 数階分の地面を貫通してきた振動は、天井からちょっぴり埃を降らせた。

 

「……帰る?」

「ここまで来たら、最後まで見てみようぜ」

 

 学部長室は薄暗い廊下の隅にひっそりと扉を構えていた。




用語解説

・ぶなしめじ
 いわゆるしめじとして出回っているキノコであり、スーパーに行けばまず見かけることができるだろう。
 菌床からにょきにょきときのこが密集して伸びており、キノコとして真っ先にイメージする人も少なくないだろう。
 本来はブナの倒木に生えることからぶなしめじと名付けられた。
 以前はほんしめじの商品名で出回っていたこともあったが、栽培困難な高級キノコであるホンシメジとは別物であり、現在は改められている。
 歯切れよく、味にも香りにも癖がなくどんな料理にも合い、美味。


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第三話 学部長ガリンド・アルテベナージョ

前回のあらすじ

あからさまな違法建築にひるむ《魔法の盾(マギア・シィルド)》の二人。
ヤバイ敵の相手は乗り越えてきたが、普通にヤバイ一般市民の相手は考えていなかった。


 学部長室、と真鍮(しんちゅう)製のプレートの掲げられた重厚なドアには、これまた真鍮製のヤギが輪を咥えた意匠(デザイン)のドア・ノッカーが取り付けられていた。よく磨かれてはいるが、良い年の取り方をしていて、なかなか渋いくすみを見せている。

 現代日本人にはあまり馴染みがないが、要はこの真鍮の輪っかを打ち付けてノックの音を響かせて来客を知らせるものだ。

 

「ピンポンってことだね」

「まあ間違ってねえな」

 

 滅多に見ないだけに、ちょっとワクワクしてしまったが、紙月は大人である。ここはあくまでも大人の余裕を見せて、未来にこのノッカーを叩く役割を譲ってやろうとしたが、肝心の未来は真鍮のヤギを撫でて、こころなししょんぼりとした。

 

「どうした?」

「……いや、うん、期待しすぎたっていうか」

「あー……ファンタジー感、あるもんなあ……」

「うん……」

 

 なんとなく、察した。

 察してしまった。

 なにしろ、魔法学校的なところにある、動物モチーフのアイテムである。

 流暢(りゅうちょう)に喋るまではいかなくても、動いたり鳴いたりしてくれてもよさそうなものではあるのだが、残念ながらこれはただの真鍮の塊だった。

 

 紙月もファンタジーに胸弾む、ロマンを追うものである。手を伸ばしたら急に動き出して驚く、というサプライズを期待してしまう気持ちは、わからないもでもなかった。

 

「よし、じゃあ俺が代わりに叩くか」

「いやそれはそれとして普通に叩きたいけど」

「まあ、そうだよな。叩きたいよな。俺も叩きたい」

「急に素直に……じゃあ一緒に叩く?」

「ええ? なんかちょっと浮かれてる感じしねえ?」

「いや、だいぶ浮かれてるけどね」

「いつまでもそうしていないで入ってきなさい」

 

 不意に割り込んできた声に、二人は黙り込んだ。

 その呆れ果てたような声が、急に二人に気恥ずかしさというまっとうな感情を思い起こさせたのだった。

 

「えー、失礼します」

「お、お邪魔します」

「うん? 君たちはうちの学生ではないな」

 

 学部長室は品の良い上等な調度が並んでいた。棚に並ぶ本はみなそれ自体の重ねた歴史を思わせ、磨かれたデスクは飴色に年経ていた。

 いままで二人の知る限り最も貴族的なものは先代スプロ男爵であるアルビトロ翁の別邸であったが、学部長室の内装は品という意味ではそれを上回った。物語の貴族というものはこのような部屋に住まうのではないかとそう思わせるようなものであった。

 ただ、棚に戻されないままの本や、積み上げられた書類の束、若干の埃っぽさといった粗が、その中にどうしても目立っていた。

 それはだらしなさというよりも、いよいよ追い詰められた管理職の手の回らなさというものを思わせた。

 

 その追い詰められた管理職は、四十がらみの人族男性であった。いかにも貴族的といった上等な衣服に、分厚いレンズのメガネ。くすみのかかった金髪に、思慮深さを思わせる翡翠の目。神経質そうな目つきが細められて、二人をいぶかしげに見つめていた。

 

「ああ、どうもご挨拶が遅れまして。ご招待にあずかりました、森の魔女こと古槍紙月です」

「同じく、盾の騎士の衛藤未来です」

「おお! あなたがたが!」

 

 二人の名乗りに、男は思わずといった様子で立ち上がり、感極まったように両手を広げた。

 

「本当に流行りものみたいな恰好を!」

「すみませんね流行りものの出所で」

「ああ、いや、失敬! なにしろ当学部にも、お二人を真似するものが多いもので」

 

 実際、全身鎧姿はさすがに道中一人しか見かけなかったが、とんがり帽子はそこそこに見た覚えがあった。

 

 魔女といえばとんがり帽子というのはこのファンタジー世界においてさえ割とレトロな、おとぎ話的なモチーフであるらしく、森の魔女の登場以前は普通に失笑物のスタイルだったようである。それがいまや吟遊詩人や新聞社によってあることないこと噂が広げられた結果、魔法関係者の間ではある種のブームとなって親しまれているようだった。

 つまりこの世界に転生してきたばかりの紙月のスタイルというのは、コスプレで実戦に出てくるヤベーやつだったわけで、ブームの火付け役になった今となっては頭おとぎ話の格好で実績ガン積みしてきたヤベーやつなのであった。しかも顔だけはいい。むしろ顔がいいから流行ったのかもしれない。

 

 なお全身鎧はとんがり帽子に比べるとさすがに流行っていない。全身鎧を着込める肉体派はそう多くないし、そもそも鎧というものは基本的に高価なのである。

 それに鎧というものは本来戦闘に用いられる防具であって、まっとうなメンタルの持ち主なら普段からその姿で過ごしたりはしないのである。

 

「失礼いたしました。私は帝都大学魔術学部長、ガリンド・アルテベナージョと申します。本日はご足労いただきまことにありがたく存じます」

「いえ、こちらこそお招きいただきありがとうございます」

 

 挨拶を交わして、それから紙月は困ったようにちょっと笑った。未来も少し落ち着かないようだった。

 立派な身なりの、立派な肩書の人物に、こうも(かしこ)まられるとどうにも居心地の悪い思いだったのだ。

 二人はいくつかの功績をあげてきたとはいえ、いち冒険屋に過ぎない。その功績にしても、世間的に広まっているのは地竜殺しの一件くらいであり、他は胡乱なものばかりだ。

 その地竜殺しだけでも結構な名誉とはいえ、実のところ二人にはあんまり実感がない。一般モンスターみたいな顔で普通にエンカウントして場当たり的に退治してしまったからだろうか。

 酒場ではそれなりに知られた名かもしれないが、しっかりした身分のあるものに敬われるほどのものではないように二人には思われた。

 

「すみませんが、なにぶん庶民の出なもので、偉い方にそう畏まられると落ち着きませんから。見学の学生かなんかと思っていただければ」

「フムン、それは、いや、そうかね。元老院議員の紹介とはいえ、まだ年若い。あまり堅苦しいのも息が詰まるというものか。よし、ざっくばらんに行こう」

 

 学部長ガリンドがそう頷いて気さくに手を指し伸ばし、二人と握手を交わした。

 それにしても、と未来は小首をかしげた。

 

「元老院議員?」

「ああ、レンゾー殿のことだな。あの方の紹介とあれば、私も安心というわけだよ」

 

 未来の困ったような視線が──兜越しなので多分だが──、紙月をちらりと見た。今までにもちらっと聞いたかもしれないが、小学生の未来は元老院議員というもの自体がよくわからなかったのである。

 紙月は非常に大雑把ではあるが「たぶん国会みたいなやつ」とささやいてやった。それを受けて未来は「立法機関かな。でも皇帝がいるんだよね。議会君主制ってやつ?」と何となく理解した。義務教育を割と忘れつつあるちゃらんぽらんな大学生と違って、小学校教育は意外と教えることは教えているのである。

 

 実際のところ帝国における元老院は皇帝の助言機関という名目の合議制統治機関である。皇帝は頂点ではあるが絶対ではなく、元老院と憲法の制限下において、合議によって国家の意思決定を行っている。

 議席は内席と外席に分かれ、内席は各部門に分かれた行政機関の長たる大臣が占め、外席は有識者や有力貴族などが席を持つ。

 

 などという話は今後たぶんしばらくは絡んでこないので、なんかそういうのあるんだねーくらいに覚えておくと何となく世界観の厚みとか深みとかそういう雰囲気が出てくるのかもしれない。

 

「はあ、安心、ですか?」

「うむ、うむ。レンゾー殿は商人ではあるが、魔術に関してもよくご存じだ。森の魔女などと聞いておとぎ話か吟遊詩人の流行り歌かと思ったが、彼の紹介だったら腕前の程も疑う必要はない。そして少し話しただけとはいえ、人品の程も全く申し分ない!」

「いやあそんな、普通ですよ、普通」

 

 特段謙遜というわけでもなく、むしろお世辞が過ぎると紙月は苦笑いしたが、ガリンドはそれこそ苦笑いを返して小さく首を振った。

 

「普通というのはだね、」

 

 ガリンドが口を開いたとたん、ずん、と重たい振動が部屋を揺らした。

 本棚の本が少しずつずれ、埃がぱらりと降って落ちる。

 すわ地震かと警戒する紙月と未来に、ガリンドはすっかり慣れたしぐさで揺れに耐え、口の中で腹立たしげな悪態までついて見せた。そして口元を手で覆ってそれをすっかり飲み込んでしまうと、「またどこかの愚か者が爆発したようですな」となんでもないことのように言ってのけた。

 

「魔法・魔術というものは、様々なことができるのだ。既知のことも、未知のことも。素晴らしきことも、愚かしきことも。そして残念ながら、それを学び(きわ)めんとするものたちには、神官たちのような慎重さや敬虔(けいけん)さというものが(いちじる)しく欠ける傾向にある」

「あー、つまり、その……人品が?」

「在野の魔術師にこう尋ねるのも失礼だが、魔術師にまともなものが多いとでも?」

「うーん、否定できない」

「自分でそう言えるあたりが、ここでは人格者と呼ぶにふさわしい」

「よかったね紙月。僕たち人格者だって」

「ギルメンに聞かせてやりたいなあ」

 

 半ば現実逃避じみた顔で賛辞を受け止める二人であった。

 ゲーム時代に二人が所属していたギルド《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》のメンツは、基本的に言葉は通じるが会話をする気がないものばかりだったのだ。そしてそれは二人も例外ではない。

 合言葉は「こんにちは死ね!」だった二人が常識人扱いされていることを喜ぶべきか、異常者集団の巣窟に足を踏み入れてしまったことを嘆くべきか。

 

「改めて、ようこそ素晴らしき魔術の園へ。歓迎しよう」

 

 学部長の皮肉まじりの笑みとともに、再びの重低音と振動が部屋を揺らした。

 




用語解説

・真鍮
 銅と亜鉛の合金。黄銅(おうどう)とも。
 最も身近なものとしては五円玉硬貨があるだろうか。
 配合比で色味が変わるが、よく知られるのは黄金色であるため、小説などを読んでいて真鍮というワードが出てきたらだいたい金色なんだなあと思っていて間違いはない。
 比較的融点が低く加工が比較的容易、鉄鋼材よりさびにくく、また価格もほどほどと優秀な金属で、非常に多くの場面で用いられている。
 英名はブラス(brass)であり、いわゆるブラスバンドは主楽器である金管楽器の主材料が真鍮であることから。
 なお、ややこしい話ではあるが、金管楽器は音を出す仕組みによる区分であり、非金属の金管楽器も存在するし、金属製の木管楽器も存在する。

・メガネ
 メガネは帝国ではそれなりに高価ではあるものの、一般民衆でもがんばれば買えないことはない。
 また視力に合わせたレンズが高価というだけで、平面ガラスは比較的安価なため、伊達メガネは意外と普及している。ただそれも装飾が施された奢侈品ではある。

・流行りもの
 新聞社などで報道された結果、紙月のとんがり帽子スタイルは発祥地である西部よりも先に帝都で流行の兆しを見せているようだ。帝都人が流行りに乗りやすいというのもあるだろう。
 そして帝都で流行したものはほどなく各地へと伝えられていくので、もしかしたら地の果て辺境でも二人をモチーフにしたお菓子とかが売られているかもしれない。

・ガリンド・アルテベナージョ(Galindo Altebenaĵo)
 帝都大学魔術学部長。歴代最長の就任期間だが、比較対象は三日で飽きてやめたやつとか一年で胃に穴が開いたやつとか三か月くらいで行方不明になったやつとかなので、本人も誇るに誇れない。
 専門は理論魔術学であり、実践においてはこれといった実績を残しておらず、学部の教授や博士からは論文屋として侮られることが多い。

・元老院
 どうせ本筋には絡んでこないので、なんか皇帝と大臣とかが悪だくみしてそうなやつと思っておけばそんなに間違いではないかもしれない。

・「こんにちは死ね!」
 出会い頭に攻撃を仕掛ける、常在戦場といえば聞こえはいいが蛮族すぎるスタイルを揶揄する言葉。
 紙月と未来は基本的に相手との相性を事前に調べてしっかり準備してから挑むスタイルではあったが、GvGつまり対人の集団戦においては見つかったら防御固めて相手が死ぬか自分が死ぬまで砲撃するという脳死プレイになりがちだったので、大体間違ってない。
 というかおおむねほとんどのプレイヤーは敵を見つけたらこの合言葉が出てくるのが基本ではある。


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第四話 大講義室

前回のあらすじ

意外にもまともな人物だった学部長ガリンド。
この世界ではまともな人ほど苦労していそうなのがなんとも。



「森の魔女の噂話というものは、いくらかは真実が混じるものかね?」

「えーっと、尾ひれがつきすぎてるんで、俺たちも噂の全部は知らないんですよ」

「然もありなん。それでは、そうだな。山を吹き飛ばしたとか、海賊船を沈めたとかは?」

「ううん、まあ結果だけ見ればそういう感じかもです」

「実際はそんなに……どんなに?」

「比較対象が少ないから、自分でもわかんなくなっちゃうよね」

「剛毅なことだ。それでは、そうだね……火球を三十六個、同時に操れるというのは?」

「ああ、それはほんとです」

「…………ほほう」

 

 噂話に対する曖昧な返答に比べて、その答えは実に自然で素直なものだった。

 当たり前のことを、当たり前だとただ頷くだけの、あまりにも平然とした態度だった。

 ガリンドは片眉をあげて紙月の肯定をゆっくりと飲み下した。

 

 それはガリンドの、帝国の多くの魔術師にとって、あまりにも不遜(ふそん)な態度であった。そのようなことはあり得ぬと一笑に付すような大言だった。

 しかしそれは真実なのだ。到底受け入れがたくとも、事実として観測されている。噂で聞いたなどとうそぶいては見せたが、ガリンドのもとにはいくらかの信じ(がた)い、しかし信頼できる報告が上がっていた。

 各地の魔術師たちのネットワーク。いくらかの貴族との伝手。なにより手ずから奇跡じみた御業(みわざ)を見せてのけたレンゾーという個人の直接の紹介。

 

 信じる外にない。

 それだけでなく、信じたくもあった。

 それは素晴らしい魔法の力なのだから。

 

「全く驚嘆(きょうたん)すべき業前(わざまえ)だ。しかし、それだけの魔術を手足のように使いこなしながらも、実際のところ君個人はその術理や構成というものについて疎い、ということは聞いているよ」

「あ、そうなんですよ。変な話ですけど、それでまあ、そういうの習いたいなって」

「まあ詳しくは聞かんよ。世の中には全く感覚だけで魔法・魔術を扱う才能というものがあるのは知っている。君の場合は、天然魔術師とはまた違うようだがね」

 

 生まれつき風の流れが読める者や、事故や病の後に水と心を通わせるようになった者など、天然魔術師と呼ばれるものはいくらかの割合で生まれてくるものだ。

 傍目(はため)にはわからず、本人も自覚のないまま生涯を終える者もいれば、強すぎる力に振り回されて被害を出すものもいる。風遣いのように生活に役立てる者もいる。

 そういったものの中には、特に近しい属性に関しては優れた才を示すものもいるし、ときにそれらの才が学問として魔術を学んだ者たちを凌駕(りょうが)することも少なくない。

 

 レンゾー曰く、彼も、そしてこの二人も、天然魔術師とは違う形で、特異な才に恵まれているということだった。詳細には語られなかったそれが彼の、彼らの秘密につながるだろうことは察して取れた。

 ガリンドはその秘密を無理に暴く気はなかった。

 彼にとって大切なのは、その才能が素晴らしいものであり、魔術の世界に新たな知見をもたらしてくれるのではないかという期待。

 そしてなにより、彼らが学究の徒としてこの魔術学部の門戸を叩いたということだ。

 

 求める者に、扉は開かれなくてはならない。

 

「君たちの扱う魔法は君たちだけのものだ。私にはわからないものだろう。だが、基礎的なことを講義し、君たちの世界を広げ、成長に役立てることを約束しようではないか」

「ありがとうございます!」

「あー、でも、学部長が教えてくれるんですか?」

「私では不安かね?」

「えっ、いや、そういうわけじゃないですけど……」

「確かに、我が魔術学部にはそれぞれ専門的な魔術を研究する者たちもいて、優秀な魔術師を多く抱えているとも。歴史に残すべき論文を書き上げた博士もいるし、毎日教鞭(きょうべん)()る教授たちもいる。しかしだね、君。君たち」

 

 どん、と再び爆発音が響いた。

 あわせて悲鳴。そしてなぜか高笑い。

 今度は地下での爆発か、音も振動も近い。

 

「教わりたいかね? 彼らに? 本当に?

「いや、いいです」

「遠慮します」

「賢明な判断だ。君たちは長生きするよ」

 

 ガリンドはニヤッと笑って見せた。

 

「とはいえ、ここでは狭いし、教材もない。せっかくだから講義室でしっかり講義しようじゃないか」

 

 連れ立って廊下を歩いていくと、少し焦げ臭いにおいと、埃っぽい空気。

 どこか浮ついたような感じがするのは、やはり、先ほどの爆発のせいだろうか。

 それでもあまり気にした風もなく人々が行きかっているところを見るに、日常茶飯事ではあるのだろう。いやな日常だ。

 

 地上階へと上がり、人通りの多い廊下を歩いていくと、一行はやはり目を引いた。

 

「あ、学部長! こんにちはー!」

「ああ、こんにちは」

「おや、学部長。先日出した申請はどうなりましたか?」

「通るわけがなかろう。そんな予算あったら私が欲しい」

「おや残念」

「おっ、ほら未来、鎧姿もいるぞ」

「あ、本当だ。なんだか照れるなあ」

「ああ、あれはうちの関係者ではないのだがなぜかうろついてる鎧だな」

「なんて???」

「はっはっはっはっやったな兄弟!」

「やっちまったな兄弟! おっと親分だ。ずらかるぞ」

「ゲオルゴ、フレード! またお前たちか! 今度はなんの爆発だ!」

「えー、あー、()()?」

()()だと!? とりあえずは先程のだ!」

「あー、すみませんがね、閣下、つまり……()()先程で?」 

「この愚か者どもめ!」

 

 通りがかる人々はみな、ガリンドに気さくに話しかけてきた。

 一部問題はあるとしても、学部長という仰々しい肩書のわりに、ガリンドは学生たちにも教授たちにも親しまれているようだった。

 挨拶を交わし、簡単な連絡などを済ませ、そして彼ら彼女らがその次に気にするのは、気になってしまうのは、敬愛すべき学部長が引き連れたとんがり帽子と大鎧だった。

 一応は大鎧も一人見かけたし、とんがり帽子は大いに流行っているようだったが、その組み合わせで、かつクオリティが違う。

 

 その日の紙月の装いは、冬の日の定番となった《不死鳥のルダンゴト》。ルダンゴトとは肩幅が少し広く、一方でウェストを絞ったデザインのコートだ。

 黒を基調とした生地は角度によっては熾火のように赤くきらめく不思議なもの。またその肩口にはたっぷりとした羽飾りを広げており、白から橙、橙から赤へと色鮮やかなグラデーションもまた炎のようであった。

 火属性のそれは、他の装備よりも暖かい。

 

 また未来の(よろ)う《朱雀聖衣》も並の甲冑ではない。ド派手なのである。全体を真っ赤な羽毛であしらわれ、兜などは完全に鳥を模したもの。派手な柄の真っ赤なマントは揺れるたびに炎のさながらに色味を変える。

 しかもただ派手なだけでなく、見る者が見れば炎精が密にまとわっているのがわかるのだから、悪名高い魔術学部の面々もこれには目を(みは)った。

 

 名乗らずとも察せられ、濁したとしてもごまかせるわけもなく、そもそも当人たちに隠す気もないのだから、森の魔女と盾の騎士の来訪はどよめきを持って迎えられた。

 通りすがりのものが一人また一人と一行に加わっていき、学部長は片眉をあげて苦笑いをすると、予定を変更して大講義室へと足を向けた。小さな部屋には収まりきらぬほどの騒ぎになっていたのである。

 

 大講義室は尖塔群の根本、大本の土台となる一階に構えられている大部屋だった。ここはなにかしらの集会や、催しごとでもなければまず使わない。

 向かって奥には大きな黒板と教壇が見え、その中心部に向かって半円すり鉢状に階段めいて段差がある。階段教室などとも呼ばれる形式で、後方のものも、前のものが邪魔にならずよく見えるようにというつくりであった。

 

 この部屋が使われるのはもっぱら帝国魔法魔術学会の研究発表会のような大きな催しのときだけで、その研究発表会の様子の非常に激しいことと、半円すり鉢状のつくりが円形闘技場の観覧席のようであることから、魔術科闘技場(アレーノ)揶揄(やゆ)される一室である。

 

 ガリンドが入り口横のスイッチをひねると、少しの間をおいて天井と壁に等間隔に並んだ火精晶(ファヰロクリスタロ)仕込みのランプが時間差で灯っていった。

 

「おお……こいつはすごいな」

「魔法みたいだね」

「ふふふ、これは簡単な魔道具だよ。角灯自体はありふれたもの。ほかに必要なものは、いくらかの金属と鉱石からなる回路、それにちょっとした建築技能だけ。ほとんどは大工と、魔道具技工士の仕事だ」

 

 ガリンドは少しニヤッとして続けた。

 

「この大講義室の照明を設計したのは私だがね。実に簡単な仕組み、簡単な魔道具ではあるが、しかしだからこそ誰にでも扱える。誰もが恩恵を受けることができる。これこそ万民に益する本当の魔術の姿だとも」

 

 学部長ガリンドが()()()()()主張してきたところによれば、彼の就任後、主要な通路や部屋にはこの遠隔で点灯可能なランプを敷設させ、ひとつひとつ点灯していく手間が省かれたという。かつてそれを任されていた用務員はもっと別の仕事に力を()けるようになった。

 また、あまり使われない通路などの照明に関しては、廊下に潜ませた回路によって歩行者の重みを感じ取って点灯・消灯を行うことで手間も資源も節約をはかっているという。

 

「これらの発想自体は古代聖王国時代の遺跡に由来するものだから、以前はあまりいい顔をされなかったのだがね。しかし古代技術の再現ではなく、あくまで既存の魔道具の組み合わせからなる、帝国独自の技術発展であることを主張し続け、レンゾー殿の後押しもあって特許出願中、というわけだ」

 

 帝国には、というよりこの世界にはかつて、古代聖王国という強大な国家があった。進んだ技術を持ち、発展した文明を誇っていた。しかしその専横はやがて反乱を招き、打ち倒された。

 そういう歴史があるため、古代聖王国の機械や技術というものは、かつての時代へ逆行してしまわないよう長い間慎重な扱いをされてきた。

 しかし昨今では帝国自身が発展させてきた──そして恐らくはレンゾー(プレイヤー)というイレギュラーがもたらした──技術の数々が認められつつあるのだという。

 

 ガリンドが続けて壁のスイッチを操作すると、本当にゆっくりとではあるが、床面が暖かくなっていく。床暖房だ。

 学生たちは、そして一部教授たちは全く自然にこの恩恵を受け入れていたが、これは現代人である紙月と未来からしても大した技術であり、発展著しい帝都においても際立って近代化されているといっていい。

 まだ実験的なものであるがねという一応の付け足しを考えても、優れた発明だろう。

 

 床下に温水を巡らせているという話を聞きながら、ガリンドは教壇へ、紙月と未来の二人は最前列の席に陣取った。学生や教授たちもそれぞれに席を選んでは腰かけていき、おおよそ半分ばかりが埋まった。最大で三百ばかりの席数があるというから、半分でも結構な数である。

 

 床面からじんわりと温まっていくのをお喋りしながら待ち、特別講義は緩やかに始められようとしていた。




用語解説

・天然魔術師
 誰かに学んだわけでなく、生まれつき、または後天的な理由から魔法を扱えるもの。
 例えば風遣いと呼ばれる人々は、生まれつき風が「見える」ものがそれを職とすることが多い。
 天然魔術師には彼らにしか見えない世界や、彼らにしか扱えない魔法があるとされる。
 時にはその才能が自他を傷つけることもある。
 魔術師はこういった天然魔術師を見つけて保護したり弟子にしたりすることも多い。

・《不死鳥のルダンゴト》
 ゲーム内アイテム。女性キャラクター専用の炎属性の装備。
 蘇生アイテムである《不死鳥の羽根》を素材にするという特殊な装備。
 装備したプレイヤーが死亡した際に全体《SP(スキルポイント)》の五割と引き換えに《HP(ヒットポイント)》を全快にして蘇生させる。
 《SP(スキルポイント)》が足りない時は蘇生しない。
『不死鳥は死なぬわけではない。死んで、そして生き返るのだ。その魂は、不滅だ』

・《朱雀聖衣》
 いくつかの高難度イベントをクリアすることで得られる素材をもとに作られる。
 炎熱属性の攻撃に対して完全な耐性を持つほか、純粋な防御力自体もかなりの高水準にある。
 見た目も格好良く性能も良いが、常にちらつく炎のエフェクトがCPUに負荷をかけるともっぱらの噂である。
『燃えろ小さき太陽。燃えろ小さな命。炎よ、燃えろ』


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第五話 Q.魔法ってなんですか?

前回のあらすじ

思っていた形とは違うが、魔法の技術が垣間見える学部棟。
思わぬ大人数に囲まれて、魔法の講義が始まろうとしていた。



「さて、室温も、場の空気もあたたまってきたことだ。さっそく講義を始めていこうと思うが」

 

 教壇に立ったガリンドは、役者のように通る声でそう切り出した。

 その手元にはおそらくは拡声機能を持つ何かしらの魔道具と思しきものがあり、彼の声を最後列の席まで問題なく届けていた。

 

「思いがけず集まってくれた聴講生たちは、どうやら私の退屈な講義よりもまず、我らが新しい友人の魔法の方が気になっているようだ。どうだろうかシヅキ。熱心な学究の徒に新しい刺激を与えてはくれないだろうか」

「フムン? ええ、そりゃもう、喜んで!」

 

 期待に満ちた視線が集まった。何しろいろいろと目立つものだから視線にも慣れてきているとはいえ、どうしても未来は落ち着かなくなってしまう。

 しかし紙月はむしろ、視線が集まれば集まるほどにテンションが上がるという性質があった。

 それがどんなものであれ、人々の注目を向けられるということは紙月の承認欲求を著しく刺激し、彼の何か満たされないものを一時であれ安らげるのだった。

 

 うきうきといっていいほど上機嫌に紙月は席を立ち、場を譲ったガリンドに変わって教壇に立った。そしてガリンド以上に役者めいて──というより紙月という人間の本職であり本性というものはまさしく役者なのだろうが──両手を広げ、柔らかに微笑んで見せた。

 

「さあさ、それじゃあお近づきのしるしに、ちょいとばかり派手なのをお見せしましょうかね。いつもはこんなサービスはしないんだ。ここだけ、いまだけ、みなさんだけに、飛び切り貸し切りこれっきり!」

 

 いや、結構雑に使うし、ちょくちょく見せてるよなあ、なんて思うけど、未来はもちろんそんな水は差さない。せっかく最前席で紙月のショーを観れるのだ。

 朗々と語りながら何か複雑に手を動かし、指を宙にさまよわせているのは、紙月にしか見えないUIを操作して《技能(スキル)》のセットをしているのだろう。しかしそれが観客には何か神秘的で魔術的な意味を持つのだろうと、視線が集まる。そうすると紙月はとても()()()なる。

 

「さあさ、森の魔女の魔法をご覧あれ! よそ見に瞬き、お喋り厳禁! 目ン玉飛び出て腰抜かすなよ!」

 

 紙月がまっすぐに手を掲げて、ぱちりと一つ指を鳴らせば、その手の中には小さな種が。種は芽吹き、葉を広げ、真っ赤な花を一凛咲かす。咲いたと思えば今度はその花が炎をまとって燃え上がる。

 白魚の如き指先を焦がすことなく、炎はふわりと浮かび上がって紙月の周囲をぐるりと巡り、頭上でひときわ明るく燃え上がったかと思えば、灰が土くれとなって落ちてくる。

 器のように構えた紙月の掌が、土塊を柔らかく受け止める。すると今度は土塊の内側から芽を出すように伸びあがる、白銀にきらめく鎖が一筋、二筋、三筋。

 じゃらりじゃらりと生き物のように絡まりあいながら鎖は紙月の周りを舞い踊り、不意にそれはこぽりこぽりとどこかから湧いてきた水に覆われていく。水の中で鎖はほどけて消えていく。

 低きから高きへと、天地を逆さに舞い上がる水の流れは、中空で鳥となり、蝶となり、あるいは魚の姿と変じ、大講義室を飛び回り泳ぎ回る。

 

 驚き、目を瞠り、そしてようやく弾けるような歓声があふれ、人々は頭上を舞う水人形を目で追っては口々に驚嘆を、称賛を投げあった。

 

 そして歓声の渦の中、観客たちの頭上で水人形たちは突然弾け、今度は色とりどりの花となって降り注いで彼らの手に収まったのだった。

 

「ショーはお楽しみ……いただけたようだな。花はどうぞ、記念にお持ち帰りを!」

 

 あふれる歓声に承認欲求を満たした紙月は、大仰な礼をしてから未来の隣にご機嫌で戻ってきた。

 全く器用なことだ、と未来は苦笑いした。

 紙月のやったことは、《エンズビル・オンライン》の基本属性、木・火・土・金・水の初級魔法《技能(スキル)》をそれとなくつながるように見せて連続使用していったに過ぎない。

 しかしその《技能(スキル)》の操作は舌を巻くほど精妙で、形状、サイズ、また動きを本来の《技能(スキル)》から大きく変化させていた。

 もともとの《技能(スキル)》から解釈によって変形させていくことは未来にもできることだが、紙月ほど自由自在とはいかない。

 

「素晴らしい実演だった。全く驚くべき魔法だった。ありがとう。みんなも改めて拍手を」

 

 ガリンドの音頭で大講義室は割れんほどの拍手に包まれ、それが落ち着くまでには数分ほどの時間と、ガリンドの「静粛に!」が五回ほど、それから「学部長(わたし)が単位を取り消せることを忘れるなよ」という決定的な脅し文句が必要だった。

 

「さて、素晴らしい実演を見せてもらったが……そもそもだ。そもそも魔法、魔術とは何かということを改めて考えていこうではないか。シヅキ、いままさに君には魔法を使ってもらったわけだが、君はどう思うだろうか」

 

 問いを投げかけられて、紙月はフムンと言葉を探した。

 魔法とは()()である、というのがまさしく今しがた用いた《技能(スキル)》なのだが、それはあくまでも紙月の固有の能力といっていい。紙月の、つまりはプレイヤーの。二人は今日、そうではない、この世界の魔法というものを学びに来たのだ。

 

「ええと……なんていうか、自然現象を再現する技術、ですかね。火が燃えるときは火精がこう動く。風が吹くときには風精がああ動く。だから逆説的に、魔力でもって火精や風精を動かしてやれば、火が燃えて、風が吹くっていう」

「フムン。誰かに教わったかね。教本通りの答えだ。そう、我々が扱う魔法、魔術というものは、端的に言えばこのように流れればこうなる、という自然の式を、逆から描くことでこうなったからこう流れると現象を引き起こすものだ」

 

 二人のこの世界に関する魔法の知識は、皮肉にも敵に当たる聖王国の破壊工作員ウルカヌスから聞いたものが大きかった。

 彼から聞いたのは精霊晶(フェオクリステロ)についてだったが、魔法もまた大まかには同じであるらしかった。呪文は発注書のようなもの。これくらいの規模で、こういうことをしてほしい。そうして魔力を支払うことで、魔法が生まれる。

 その書式というものは、自然そのものなのだと。

 

 ガリンドは教壇にいくつかの道具を並べた。燭台。それにさされた蝋燭(ろうそく)。ジッポライターのようにも見える、火精晶(ファヰロクリスタロ)仕込みの火口(ほくち)箱。

 ガリンドは手慣れた様子で蠟燭に火をともす。その様子を見て、魔法で火をつけないんだという気持ちと、理科の先生みたいで様になってるなという気持ちが同時にわいてくる未来だった。

 

「例えばそう、ここにいま火がともっている。そこの……そう、ディアーノ、君に見えているものを教えてくれたまえ」

「はい、学部長。蝋燭の先端に小さな火蜥蜴(トカゲ)が、火精の姿が見えますわ。小さく舌を躍らせています」

「結構。それではロットー。火の回りには?」

「ええと……風精の姿が見えます。ちっちゃな鳥みたいな……火に飛び込んでは、上から飛び出ていってます」

「よく見えているようだ。ではこうするとどうだろうか」

 

 ガリンドはガラスの覆いを上からかぶせてしまった。

 すると、蝋燭の火はすぐに消えてしまう。

 本当に、簡単な理科の実験みたいだ、と未来は思った。

 ものが燃えるには、可燃物、酸素、熱の三つが揃っていなければならない。ガラスの覆いで酸素の供給が立たれたことで、火が消えてしまったのだ。もちろん、覆いを外しても火は勝手についたりしない。

 

「アツコ、どうかな」

「えー、火が消えちゃいました」

「……そうだな。おそらく諸君には、火精が姿を消したことがわかっただろう。では、スーシオ、魔法で火をつけてくれるだろうか」

「はいはい……《火よ(ファイロ)》」

 

 気だるげな女学生が教壇の蝋燭に向けて杖をふるうと、ぼっ、と小さな火がともった。

 紙月の目は、杖から魔力が注がれ、火精と風精がそれにまとわりつき、火となったのを見た。

 

「そう、これが、これこそが記述論的事象変異であり、人為的にこの変異を引き起こし扱う技術たる記述論的事象操作技術、すなわち魔法だ」

「それって……聖王国の言葉なんじゃ?」

 

 意外なことに、ガリンドは聖王国の言葉を用いた。

 記述論的事象操作技術。それは確かにウルカヌスが口にした言葉だった。

 

「そうとも。魔法はそもそも、聖王国時代に生まれたものなのだよ。すべての事象は記述という形で表すことができ、その記述を操ることで事象を操作することができる。異常な現象を制御して操ろうという(わざ)

「聖王国の技術はダメなんじゃ?」

「確かに、古代聖王国の遺失技術は禁忌として扱われている。しかし当時、魔法はもはやその有用性から手放せるものではなかったのだ。だから使用され続けてきた。古代聖王国由来とはいえ、何もかもを禁止することなどそもそも不可能であるしな」

 

 確かに、古代聖王国にあった何もかもを否定してしまえば、例えば食事や衣服といった基本的なことだって捨て去らなければならなかっただろう。あくまでも、古代聖王国の支配体制に逆戻りするようなことがないように、過度に高度な技術は規制されてきた、ということなのであろう。

 

「それに何より、魔法というものは聖王国が自ら生み出した技術ではないんだ。彼らは魔法を発見し、研究し、発展させていったが、虚空天を超えてやってきた最初の人々は、魔法を持っていなかったのだという」

「それじゃあ、魔法はどこからやってきたんです?」

「神々がもたらした、というのが神学者の言うところだな。我々には確かめるすべはないが、ただあるがままだった永遠の凪の世界に天津神たちが(おとな)い、我らの始祖が地に放たれた。故郷を離れ、見知らぬ隣人たちと生きることになった始祖たちのために神々が与えたのが魔法の力だったというんだ」

 

 それは神話の時代の話だった。そして神話の時代とは、ほんの一万年に満たない極々()()の話だ。

 神々が力なき始祖たち、つまり人族や土蜘蛛(ロンガクルルロ)天狗(ウルカ)、その他数多くの種族の祖先のために、世界を魔法の力で満たしたのだと。

 

「それって……神官の使う法術、っていうのとは、違うんですか?」

「うむ。違うものだ。あるいは同じ力を下敷きにしているのかもしれないが。神官は、神に祈り、神の力を借りて奇跡を起こすのだという。なじみ深いもので言えば風呂の神の神官たちは、湯を沸かす奇跡や、湯を清める奇跡、温泉を探しあて、また湧き出させる奇跡を授かるそうだ。これらの奇跡は非常に強力で、ほとんど問答無用だが、しかし融通はきかない。効果の範囲や程度は変わるが、効果そのものを彼らがどうこうすることはできない。そして術を用いる神官たちにも、その理屈というものはわからない」

 

 日ごろから公衆浴場に通う二人にも、風呂の神官の法術は馴染みのあるところである。

 未来は便利だなあとその恩恵を享受するだけだが、紙月などはそのハイエルフ・アイで日々法術の秘密を暴こうとして、失敗してきていた。

 水精にも似た温泉精とでも呼ぶべき精霊の姿は見えるし、神官周りで何かしらうごうごしては湯を清めたり温めたりしているのを見たこともある。

 しかしそれを真似ようとしても、困難であった。紙月がこの世界の魔法、いわゆる記述論的事象操作技術というものを習得していないこともあるが、そもそも何が起こってるのかわからないのである。

 

 紙月は自分の《技能(スキル)》のうち簡単なもの、例えば《火球(ファイア・ボール)》を見て、記述とでもいうべきものを読み解ける。こう燃える。こう動く。そういうのがわかる。そう書いてある。先ほどの蝋燭と火の実験と同じだ。

 しかし神官の法術は、()()()()()()()()()のである。最初からそうだったように()()()()のである。急に蝋燭が湧いてくるしなぜか火はついているのである。

 これは紙月が自分でもよくわかってない原理で発動させている《浄化(ピュリファイ)》の魔法などと同じ意味不明さだった。そう考えるとあれは法術に近いのかもしれない。

 

「一方で我々が扱う、扱っていると考えている魔法というものは、法術を真似した小細工のようなものともいえる。あるいは模写のようなものというべきか。火が燃えるときにはこのような記述が生じる。ゆえにこの記述を再現してやればおのずとそこには火が生じる。どんなに複雑な魔法も、強大な魔法も、そこからはじまる。はじまるのだが」

 

 ガリンドは蝋燭の火を少し見つめた。

 

「では記述とは何か。記述という言葉は物事を書き記すこと。またその書き記されたものを指す。しかしそれはどんな言語だろうか。自然の言語とは何か。我々はそれをいかに読み解き、書き記しているのだろうか」

 

 先ほど女学生は魔力でもって火が燃える記述を模倣して描くことで火をともした。

 というのが理屈である。しかしその記述とは何か。彼女は何を見て、何を真似して、何を描いたのか。

 

 ガリンドの指先が、おもむろに火をつまんで消した。

 

「記述とはある種の呪いだ。呪術である。なぜならば、記述など存在しないからだ」




用語解説

・魔法
 古代聖王国時代に盛んに研究されたが、もともと古代聖王国人は魔法と呼べる技術を持っていなかった。
 現代の我々から見れば魔法と呼べるような超常的技術はあったものの、それらとは全く別系統の技術として現代の魔法は研究され、発展してきた。


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第六話 A.信じる心だよ。「はあ?」

前回のあらすじ

「そもそも記述って何なんですか?」
「ねえよそんなもん」
「!?」



「は?」

「え?」

 

 首をかしげたのは紙月と未来だけではない。

 学生たちの中にも大いに首をかしげる者たちがいたし、教授陣の中にも「また面倒なところ突っつくー」と困り顔が見える。

 

「まあ言い切ってしまうにはまだはやい、一つの説というものだ。記述とは何か。記述とは言葉である。言葉とは何か。それは呪術である。それは関係のないものを結び付ける、知性体特有の非合理的な強制力だ」

 

 ガリンドは言いながら、赤く光る結晶を取り出した。それは火の力を秘めた火精晶(ファヰロクリスタロ)である。ガリンドはそれを掲げながら言った。

 

「なぜ火精晶(ファヰロクリスタロ)は赤いのだろうか。火の色だから。あるいはそうかもしれない。しかし火はみんな赤いものだろうか。しかし火は本当に赤いかね。火薬花火でみたことがあるものもいるだろうが、一部の金属は燃える際に青や緑、黄色といった赤以外の色を見せる。炎色反応というものだな」

「うーん……でも火精晶(ファヰロクリスタロ)は火の盛んなところで生まれるんでしょう。炎色反応を示すところでは生まれづらいだけでは?」

「もっともだ。あるいは炎色反応は燃焼物の見せる反応であって炎そのものではないという理屈かもしれん。しかし火精はどうだろうか。なぜ蜥蜴の姿をとるのだろうか。他の何でもいいだろうに、なぜ蜥蜴なのだろうか。風精もまたそうだ。なぜ鳥なのだ。飛べない鳥もいるというのに。第一、風精晶(ヴェントクリスタロ)は緑色だが、風は緑か? 私には無色にしか見えない。人族の目はそういう風に進化しているからな」

 

 確かに、と紙月は頷いた。

 火精晶(ファヰロクリスタロ)の赤はともかく、風精晶(ヴェントクリスタロ)の緑は謎だ。

 しかし風属性が緑色といわれても、そこまで違和感はない。なぜならファンタジーのお約束だからだ。風は緑色になんか見えないのに。そもそも見える見えないで言うと、空気が無色に見えるのはそうであった方が生き延びやすかったから人間の目はそのように進化してきたからに過ぎない。

 なんなら天狗(ウルカ)は人族より見える色の範囲が広いそうだし、風が見えると当たり前のように言う。

 土蜘蛛(ロンガクルルロ)だって、彼らの見える世界はきっと違う色だろう。

 

 そして精霊の見せる姿について。

 ファンタジーに多く触れてきた紙月は、サラマンダーという存在を知っている。ファンタジーを題材としたゲームや漫画ではよく取り上げられる火の精霊で、多くは蜥蜴やドラゴン、またときにサンショウウオの姿をとる。

 これは薪の隙間に潜り込んだイモリが、薪ごと火にくべられて這い出してきた姿から火に強いのだとか火の中で生きる生物と思われたことに始まるという。

 やがて四大属性や四大精霊という枠組みの中で、火の精霊サラマンダーの姿は固まっていった。

 

 だがもちろん蜥蜴は普通に焼け死ぬし、火の中で生きたりしない。

 そもそもサラマンダーの伝承は地球のヨーロッパの伝承であり、この世界での伝承ではない。もしかしたら伝わっているのかもしれないが、それは古代聖王国からの伝承だろうか。

 

 いや、そもそも。

 なぜ伝承の姿をとるのか、ということをガリンドは言っているのだった。

 

「多くのものは火精を蜥蜴、風精を鳥の姿で見るという。これは不思議なことだ。火は火であり、風は風であり、蜥蜴でも鳥でもない。紙に燃えると書いたところで燃えるだろうか。赤色で塗りつぶしたところで熱を発したりするだろうか。もちろんそんなわけがない。しかしそれらしい呪文を唱え、それらしい術式とやらを整えてやると、そら、火は灯る」

 

 ガリンドがランタンに火をともす。火精晶(ファヰロクリスタロ)が仕込まれたそれは、スイッチ

をひねれば内部の回路によって火がともる。

 だが、なぜ?

 

 ガリンドは黒板に魔法陣じみた複雑な模様を描く。それはこのランタンに仕込まれた回路であるという。金属と鉱石、そしていくらかの象徴的な素材や模様が記されていく。

 なんだかそれはいかにもそれらしく、機能しそうに思えるが、だがなぜ機能するのかというのは素人目にはわからなかった。それは模様でしかなかった。

 理屈を学び、説明されたならば、それはなにかしら納得のいく理由で機能するのかもしれない。だがその構成要素の一つ一つに、なぜが絡みつく。

 

火精晶(ファヰロクリスタロ)を刺激すると火が出る。これはまあ、精霊晶(フェオクリステロ)とはそういうものだといえる。火の力が凝集されているのだと。燃料という点でそれはシンプルだ。だがそれを制御する呪文だの術式だのというものはなんだろうか。このあたりに書いてあるのは、このくらいの出力で火をともすという術式だが、なぜこんな模様がそんな効果をもたらすのか」

 

 ガリンドは黒板にいくつも図柄を書いていく。燃える蜥蜴。シンプルに火を図像化したもの。何かの紋章。波線、破線、矢印、円形。

 

「君たちの中にはこれらを見たことがある者もいるだろう。魔道具学や魔術象徴学で扱うものだ。魔法に効果をもたらしたり、魔道具などに刻んだりする。いかにもそれらしく見えるかもしれんが、客観的にみればこれはただの線だ。もっと言えば白墨が擦り付けられただけだ」

「なんていうか、元も子もないというか」

「確かにそう感じる。しかし、そうなのだ。意味があるはずがないのだ、こんなもの。自然にこんなものはない。しかし、これらは実際に効果をもたらしている。本来関わり合いのない二つのものを結び付け、影響を与える。これが呪術だ。呪術とはつまり、我々の頭の中で勝手に自然を翻訳して生み出した言葉に過ぎない。記述とはそうして生まれた言葉を用いて行われるのだから、それは自然そのものの言語ではないはずなのだ」

 

 ガリンドは黒板に描いた炎の図を叩いた。

 

「呪術の基本は共感だ。似たものは、同じもの。赤色は火を思わせる。だから火の属性を持つ。火の図形は火を描いたもの。だから火の力を持つ。触れ合ったもの、分かたれたものは、離れた後も影響しあう。だから二つに割った精霊晶(フェオクリステロ)は影響しあう。遠隔で操作できる」

「象徴学で扱う象徴的なもの……例えばそれこそ火蜥蜴だとかは、火そのものではないけど、火を象徴しているものだから、火の力を宿す火精はその姿をしてるってことですか?」

「その通りだ、シヅキ。そのような発想が古い時代から我々に刷り込まれ、我々は火精とは火蜥蜴の姿をすると考える。だから()()()()()

「見えるってことは……本当は火精も、風精も、僕たちが考えてるような姿はしてない、僕たちが頭の中でそういう風に……なんていうのか、勝手にその姿で見てるっていうんですか?」

「そうだ。この考え方では、それを翻訳行為と呼んでいる。自然という原典から、より分かりやすい形で、よりなじみやすい形で、かみ砕いて、描きなおして、火蜥蜴の姿として翻訳している。それは時に自然そのものから歪み、力を弱めることもあれば、本来の自然以上のものを生み出すこともある」

 

 自然をそのままの姿で、火を火のままに、風を風のままに見ようとしたところで、それは火でしかなく、風でしかない。我々はそれを読み解くことはできない。青色を認識できても、青色を説明することができないように。我々が青色を解くためには、何かを基準として比較し、あるいはなぞらえ、数字や理屈を組み立てて、それに沿って語らねばならない。

 それは青色そのものではない。青色というラベルを張った物語である。

 世界を物語に変えて読み解く。それが翻訳行為。

 魔法とは物語である。もっともらしい起承転結をそろえることで、火が燃える、風が吹く、そういった現象に、説得力を与えるための言葉、

 

 さらに言えば、とガリンドは黒板に描いたすべてを拭い去ってしまった。

 

「さらに言えば、火精などというものは()()のだ。いかなる精も、物理的存在ではない。霊的存在などというあやふやなものですらない。本当に文字通り、そんなものはないのだ、ともいえる」

「学部長、踏み込みすぎです」

「ああ、失敬、もちろんこの考え方は過激なものだ。ここまで行くともはや哲学の域だ。実際、我々は火精を観測し、魔力を観測し、世界を観測し、魔法という形で干渉できている。観測し、干渉できているということは、その実存を否定はできない。それさえ頭の中だけの存在だ、というのはいささか西方の否定教(ネドグミスト)めいているかもしれんな」

 

 教授からの苦言に、学部長ガリンドは苦笑いして言説を改めた。

 

「まあいろいろ言ったが、別にこれは魔法を否定するための仮説ではない。むしろ魔法というものの本質を考えていくための、一つの考え方だ。本来結びつかないものを結び付ける力、それが魔法を魔法たらしめる力だというね」

「うーん……それって神様もですか?」

「フムン? なんだって? ミライ、それはどういうことかな?」

「あ、いえ、えっと……神様と法術の話も、本来結びつかないものっていうやつじゃないかなって。神官の人は法術を使って、それは神様の力だって言うけど、神様は観測できないですよね。神官の人の頭の中だけで。奇跡は起きるけど、それは神様と必ず結びつくものじゃないんじゃないかなって」

「あーあー、フムン! 興味深い発想だ! 確かにそれは確認のしようがない。いまはまだ。しかしそこに触れるのは少し危険だな。あるいはそれは何かの現象でしかないという考え方もあるかもしれんが、神の否定は危ないぞ」

「えっと、いえ、神様がいるのは知ってるんですけど」

「おっとぉ……まあ、この話はこのあたりにしようか」

 

 この世界には神々がいる。信じられているとかではなく、()()

 実際のところ未来は、そして紙月もその実在を身をもって経験したことでこの世界にやってきたのだが、それはそれとして、考え方としては神と法術の関係性も確認ができるものではないよな、というちょっとした思い付きだった。

 ただそれはやはり非常に繊細なところであるらしかった。

 この世界の人々は単なる宗教以上にもっと身近に神の存在があるのだ。なんなら神託(ハンドアウト)とか神罰(ペナルティ)でたやすく人生が狂うくらいには。

 

 ガリンドは教授たちに少しにらまれながら、少し呼吸を整えた。

 

「まあ、なんだね。とにかくこうだ。本来的、直接的な因果関係がなくても、魔法は発動する。そうだろう。翻訳行為の結果として生まれた言葉で、我々は魔法を用いる。そして発動する。先ほど実演してもらったように、それでも火は灯るのだ。華夏(ファシャ)語で帝国人に呼び掛けているようなものだろうに、それでもだ」

 

 つまり、とガリンドは黒板に一文を記す。

 

「魔法とは、信じる心なのだよ」

 

 急なポエティックに、ぽかんと口が開いたのも無理はなかった。




用語解説

否定教(ネドグミスト)
 西方を中心に広まった宗教あるいは教え。
 西方においては単に「尊者の教え」や「悟りの道」、また「覚教」などとされる。
 仏と呼ばれる「この世の真理に目覚めた人」を信仰しているとされることから仏道などとも。
 東大陸では詳細は伝わっておらず、教義を否定する、神を否定する、魂を否定するなどという漠然としてあいまいな情報だけが伝わっており、そこから教義を否定するものとして否定教と呼ばれている。


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第七話 知らないことは言葉にできない

前回のあらすじ

急に真顔でポエティックなことを言い出す学部長。
急にカルト宗教のセミナーめいた緊張感が張り詰めるのだった。



「信じる心だ、などというのが漠然としすぎているのは承知の上だ。だが究極的には、魔法というものはそこに行きつくのだ」

 

 急に真顔でポエティックなことを言い出した帝都大学魔術学部長ガリンド・アルテベナージョ(46)は、あくまでも真剣な顔で続けた。

 

「本来魔法というものは、何でもできるのだ。この世のすべてが記述できるならば、我々はこの世のすべてを魔法で再現できるはずなのだ。夜空に太陽を生み出すことも、海の水を涸れ果てさせることも、世界の創造だって、きっとできないことではないのだ」

 

 そして壮大なことを言い出すにあたっては、いよいよカルト教団のセミナーめいてきた。

 幸せになるための魔法とか言い始めたらもう終わりだ。閉じ込められてひたすらにお言葉を頭に刻み付けられ、自己否定の果てに新しい自分を与えられて立派な宗教戦士になり果てるのだ。

 

 だが幸いなことにガリンドは怪しい新興宗教の教祖などではなかったし、法的に怪しいセミナーの主催者でもなかった。

 

「当学部では呪文も教えるが、呪文学でわかるのは、呪文は何でもいいということだ。なんなら呪文を唱えなくてもいい。もちろん、それらしい呪文を長々唱えた方が発動しやすくはあるが、実際のところ達者なものであれば小さな合図で魔法を発動できる。呪文は記述そのものではないのだ。記述を引き起こすためにある種の鍵や合言葉だと思えばいい」

 

 紙月が思い出したのは、宿敵ウルカヌスの呪文である。彼は様々に炎を操って見せたが、扱う呪文は決まっていた。

 

 ──《我が怒りは(イラ・メウス・)炎である(フラマ・エスト)我が憎しみは(オディウム・メウス・)炎である(フラマ・エスト)我が敵を焼き尽(フラマ・エスト・クワ)くす炎である!(エ・オステム・ウリト)

 

 未来には漠然となんかファンタジーっぽくて格好いいという印象だったが、紙月のうろ覚えの知識で言えば、あれはラテン語の響きだった。

 同じ呪文で違う魔法が発動するのであれば、呪文の文言に意味はない。ないことはないかもしれないが絶対ではない。当然使用する言語も何でも構わないのだろう。

 

 ガリンドの言うように呪文が合言葉だというならば、ウルカヌスはあのような合言葉によって魔法を使う精神を整え、実際に発動させていたということだろう。

 いささか長く感じるが、危険で強大な魔法を使うにあたって簡単な合言葉ではうっかり発動しかねないのだから、長い呪文は安全装置(フェイル・セイフ)としての働きもあるのだろう。

 逆に簡単なものであれば、先ほど学生の用いた《火よ(ファイロ)》と一言でもいいし、身体的動作でも問題なさそうだ。

 

 紙月はUIを通して魔法を発動させることが多いが、あれだってある種のスイッチといっていい。ショートカットキーを押しているという動作で、脳が魔法を組み立てているのかもしれない。

 

「では、記述自体はどこでされるのかというと、それは頭の中だけだ。漫然と呪文を唱えても魔法は発動しない、というのは補習組は身をもって知っているだろう。呪文を唱えながら、君たちはどんな魔法を使うかを思い浮かべている。その組み立てが詳細で、確かなものであればあるほど、魔法の発動率は高まり、その精度も上がる」

 

 ガリンドは「火を出せる者」「水を操れる者」「風を吹かせられる者」と呼びかけ、挙手を求めた。学生たちは己の得意不得意に合わせて応じ、また何人かは指名されて実演もして見せた。

 彼ら彼女らはそれぞれの呪文や、簡単な身体動作で魔法を発動させて見せた。

 時には緊張のせいか、失敗する者もいたが、おおむね問題なく魔法と呪文の関係が示された。

 

「素晴らしい。では、続けて、できる者は手をあげたまえ。岩を飛ばすことのできる者。うむ。ありがとう。雷を落とせるものは? いない? 小規模な電流でも構わんが……ああ、何人かはいるな。素晴らしい。ああ、いや、実演は結構。これらは危ないからな」

 

 岩と雷は、使える者はぐっと減った。

 

「ではどうだろうか……シヅキの見せたように、金属の鎖を生み出せるものはいるだろうか」

 

 これに手を挙げたものは、今度はいなかった。

 

「そうだろう。火や水、風の使い手は多い。岩や雷の使い手はずっと少ない。金属をただ操るだけならば君たちもできるだろうが、シヅキのように生み出すことはできない。これがどういうことかわかるだろうか?」

「うーん……属性には向き不向きがあるっていうことですか?」

「ミライ、君は少々物語や遊戯にかぶれているかもしれんな。属性とは、つまりなんだね?」

「えっ……それは、水とか、火とか……」

「先ほど話したことを思い出してほしい。火は火で、水は水なのだ。火は物質の燃焼に過ぎないし、水は常温液体のただの物質だ。火蜥蜴は燃える蜥蜴でしかなく、火属性の蜥蜴などというものはない」

「あっ……そっか、水は火を消すけど、それは属性とかじゃなく、温度が下がるとか、酸素が絶えるからとか、そういうことですもんね」

「そうだ、属性というのは我々が象徴として生んだ枠組みに過ぎない。もちろん、火が得意、水が得意という個人差はあるが、それは漠然とした属性などという概念ではなく、単になじみがあるかどうかということなのだよ」

「なじみ? つまり、よく知ってるってことですか?」

「そうだシヅキ。よく知っている、それが大事だ」

 

 ガリンドは満足そうにうなずいた。

 

「人は、知っていることしか知らないのだよ。当たり前のことのように思えるが、しかしこれは重大な事実だ。我々は知っていることでなければ想像できない。妄想ではない。想像だ。風が吹くことを知っているから、風の吹く様を想像できる。火が燃えることを知っているから、火をともすことができる。燃焼の原理を詳しく知っているものであれば、二つを組み合わせて、緻密に、強力な火も生み出せる」

「じゃあ岩や雷が少ないのは……」

「石を投げるくらいは誰でもできるが、大岩などは想像が追い付かない。いかにも重そう、という思考が枷になるのではないかという説もある。そして雷だが、静電気程度ならいざ知らず、やはり電気そのものが身近ではない。雷などは遠めに見るだけで、しかも光ったかと思えば音がするだけ。まして雷をその身に受けて体験したものなど数えるほどだろう」

 

 イメージの問題なのだ、と未来は理解した。

 単に自然を再現するだけなら、火をともすことはできるかもしれないけれど、その火を自由自在に操ったらそれは自然ではないだろう。しかしイメージであれば、それはできる。自然に存在する火を知っているから、その挙動を想像でき、またイメージを膨らませることで自在に操れるようになる。

 

 けれど大岩を想像するとき、なんとなくそれはどっしり構えていたり、誰も動かせなかったりというイメージが先行する。岩は重い、というイメージ自体が、想像の妨げになる。なんとなく、石を投げたりと、自分でどうにかできる範囲で考えてしまう。

 そのものを知っていることは想像を精緻にするが、イメージが強すぎると枷になる。難しい塩梅だ。

 

「そして鎖だが……すでにある鎖を操れるものはいるだろう。剣を浮かせて操る者もいると聞く。これも重さのイメージによって縛られがちだそうだが……しかし、鎖を生み出すというのは、これを想像できるものは多くないだろう」

 

 紙月はそう言われて、はっとなって周囲を見回した。他の術に関しては自信のありそうだった学生たちも、鎖は生み出せないと首を振る。

 無から有を生み出すことは、それだけ難易度が高いのだ。夢や妄想でならば、現れたり消えたりは簡単なものだ。しかし実体を生み出すに至る想像、確信に至るだけのイメージは生半ではない。わずかでも疑念がわけば、そこにはほころびが生まれる。

 

「で、でも水を操るのはできるって、」

「フムン。水を()()()()()ものは挙手を」

 

 しん、と静まり返った気まずげな空気が答えだった。

 肩をすくめた教授の一人が、苦笑いしながらゆるく挙手した。

 

「生み出せる、とは違いますがね。大気中の水分を集めて操ることはできますよ。普段は水精晶(アクヴォクリスタロ)を補助に使いますが」

「うむ。あるいはこの水分のいくらかは彼の想像が無から生み出したものかもしれないが、それとてやはり、ここには水があるのだという科学的知識がなくてはいかん。そういう前提知識があるからこそ、彼には大気中にわずかな水精の姿が見え、それを集めることができたのだ」

「うっそぉ……」

「やはり君は、他の魔術師をあまり見たことがないのだな、シヅキ。はっきり言って君のそれは、この部屋の教授陣の自信をいささか以上に傷つけたようだ」

 

 言われて見渡せば、なるほど確かに、後方の座席で興味深げに見下ろす教授陣の目には、いくらか挑戦的な色があった。紙月が見せつけた魔術ショーは、彼らの常識からすればありえないようなものだったのだろう。

 

「無から有を生み出すことはできない。いや、不可能ではないのだが、しかし多くのものはそれを思い浮かべることに困難を伴う。思い描けないことは、できない。それがどんなことでもできるだろう魔術の枷だ。では想像力の豊かな若者はどうかといえば、彼らの想像もそこまで強くはない。諸君も想像ならいくらでもできるだろうと思ったはずだ。しかし現実の壁は厚い。想像力には、確信が伴わなくてはいけない。絶対そうなるという確信が」

 

 信じる心。言うのは簡単だが、実現は困難。

 空に想いを描き出し、それが実現できるという地に足の着いた認識。

 それは想像と確信、二つが揃わなければならないのだった。

 

「だからこそ、と私はいつも諸君に伝えている。魔術師こそが、科学を知らねばならない。物事の道理をわきまえなければならない。昨今の方針転換により、高度な科学知識の解禁も段階的にだが行われている。それを学んでいかねばならない」

 

 学生たちの、そして一部の教授たちの若干の不平不満を感じ取ったからだろう、ガリンドは付け加えた。

 

「もちろん、知識が枷になりかねないというのもわかっている。岩の重さを知らなければ、あるいは簡単に岩を動かせるかもしれない。今まで簡単に扱えた魔法が、知識によって疑わしくなってしまい、十全に操れなくなるやもしれない。諸君の危惧はわかっているつもりだ。だが、だからこそと重ねて言いたい。魔術師に必要なのは、妄信ではないのだと。妄信はそれこそ知識の一つで簡単に崩れてしまう。だからこそ確信を、諸君には持ってもらいたい。知識を得て、理屈をわきまえ、そのうえでなお貫ける信念を」

 

 ガリンドは信じる心だ、と重ねて言った。

 子供っぽい言葉かもしれない。しかし究極的にはまさにそれが全てなのだと。

 

「シヅキ、ミライ。君たちも魔法を使う。それも信じられないほど強力な魔法だ。けれど君たちは、それを使えるのだと、使えて当然なのだと、そう確信しているのではないかね」

「確信……」

「ただ理由もなく信じ込むのでもなく、複雑で高度な科学知識を積み重ねたのでもなく、息をするように自然に、君は魔法を使って見せただろう」

 

 確信、というよりは。

 知っている、という方が正しいかもしれない。

 紙月たちは、自分が《技能(スキル)》を使えるということを知っている。それは散々《エンズビル・オンライン》の世界で見てきたものだからだ。その効果を、その姿を、何よりも見知ってきたからだ。

 境界の神プルプラに与えられたこの体は、その力をふるえるのだと、そう刻み込まれて生まれてきたのだ。

 

 そういう意味では、紙月たちの《技能(スキル)》は神官の法術と魔術師の魔術と、その間にいるのかもしれない。

 そうあるものだと当たり前のように奇跡を引き起こすが、ならばこのようにもできるはずだと解釈と翻訳を重ねてこの世界に合わせて変化させてきた。

 

 そしていま、この世界の魔法を学ぶことで、紙月は自分の《技能(スキル)》がもっと自由なものだと気づき始めている。

 

「諸君らの危惧する通り、知識は時に可能性を狭めるが、しかし強めもする。先ほど触れた象徴学などは、その代表といってもいいだろう。意匠は本来関係のない二者に因果関係を付与し、単なる模様が効果を強めたり、新たな意味を生み出したりもするのだ。」

 

 ガリンドは改めて黒板にランプの回路図を記した。

 どの線がどことどこをつないでいるか。どの紋章がどのような効果を持つか。どんな精霊晶(フェオクリステロ)がどこに配置されるか。そして完成形となるランプのデザインまでもが、全体に影響を与えるという。

 すべての要素が互いに干渉しあい、出力される可能性をたった一つ、明かりをともすという一点に制限していく。それは長い呪文を唱えることで、引き起こそうとする現象を頭の中で一つに絞ることと似ていた。

 頭の中にしかない物語を世界に描き出す魔法。それをさらに翻訳して文字にして描き出すことで、誰でも扱える魔法。それこそが魔道具なのだった。




用語解説

・呪文
 力ある言葉とも。
 内容には意味はなく、あくまで術者の思考を切り替えるためのスイッチ。
 古典魔術学においてはこれによって精霊に語り掛けて世界に干渉すると説明され、現代魔術学においては脳内で描き出された記述が魔力という形で観測され、さらにその魔力が精霊という形をとって魔法という現象が発動すると解釈される。
 術者は高い集中力や想像力が求められ、多くの魔術師は瞑想などによって鍛え、なんかいい感じに趣味に合う格好いいフレーズを呪文として覚えこむ。
 呪文にセンスがないやつはいい魔術師になれないという俗説がある。


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第八話 怪人襲来

前回のあらすじ

多分今後特に役立つこともなく、読者の脳に残ることもない解説会が長々続いてしまった。
ご安心ください、この章内でもそんなに役立ちません。



 長い講義の締めくくりとして、ガリンドは教壇の上に杖を取り出して見せた。

 節くれだった木製の杖で、いかにも古い魔法使いの持っていそうな杖である。

 

「杖は、魔法の象徴として扱われている。魔法使いといえば杖、という印象は少なからずあるのではないかな。諸君らも杖を用いた方が、魔法、魔術が使いやすいというものも多いだろう」

 

 学生たちが持っている、それこそファンタジーでよく見かける指揮棒のような短い杖は、魔術学の専門的な用語でいうと焦点具となる。意識を杖先に集中させるための補助具というわけだ。他にも形状は様々で、それ自体武器として使える金属製のものもあるという。

 また杖自体に回路や術式を仕込んだり、精霊晶(フェオクリステロ)を仕込むものも多い。

 

 紙月の場合はこれらの一般的な杖とは異なるが、指にはめた複数の指輪のいくつかは「杖」としてカテゴライズされる武器だ。

 

「また杖をつくのは多く老人であることから知識の象徴でもあり、集団を指揮するものとしての権威も示す。棍棒として兜をたたき割るのに使った、などという話もあるな」

 

 ガリンドはささやかな笑いを迎えるために少し間を置いたが、残念なことにその必要はなかった。

 気を取り直して続ける。

 

「そして何よりも、杖とは単純に歩行補助具だ。足元を支え、歩くのを助けるための道具だ。時には持て余し、邪魔になることもあるかもしれない。しかし正しく使うことができれば、よりよい未来へと続く険しく困難な、あるいは果てしなく退屈な旅を支え助けてくれるだろう。諸君らの前に立ちはだかる障害を打ち据え、道を切り開いてくれるかもしれん」

 

 思えば魔術学部の印章にも杖が含まれていた。学び舎を象徴する三つの塔を背景に、魔法使いのシンボルである杖、そして目指すべき高みである星をあしらったもの。

 

「魔法はすべてではない。しかし魔法は諸君らの大きな助けとなるだろう。これから君たちには多くの苦難と試練、そしてその向こうで待つ無限の可能せべっ

 

 激しい爆発音が響き渡り、大講義室の壁が爆散した。学長ガリンド・アルテベナージョ渾身のキメ顔演説はぶった切られ、あまつさえ爆風で教壇ごと吹き飛ばされた彼は激しく床に打ち付けられた。

 

「フレード! ゲオルゴ!」

「俺たちじゃないぜ()()()!」

「ああ、()()()俺たちじゃない!」

 

 もうもうと広がる土煙の中、問題児の名前が叫ばれたが、しかし即座に否定が返る。

 では一体だれが、と少なからぬ推定容疑者がそれぞれの頭の中で並べられていた。少なからぬ推定容疑者たち自身もまたそれぞれに容疑者を推定した。

 しかし()()はその誰でもなかった。

 

「おいおい……未来、大丈夫か?」

「うん、紙月も……!? 紙月!」

「う、おぉぉおっ!?」

 

 土煙を払いながらお互いに無事を確認していると、不意にぬっと伸びてきた太い腕が、紙月を軽々と引きずり上げて肩に担いだ。

 

「おわあああああっ!?」

「げあははははは! 随分色気のない悲鳴だのう!」」

「お前……っ!?」

 

 咄嗟に飛び掛かった未来の体が、突き出された足にあっけなく蹴り飛ばされて、壁に叩きつけられた。中身は小学生の小さな体とはいえ、大鎧自体の重量は成人男性よりも重いはずが、これだ。

 実質的なダメージこそ鎧に阻まれてさして受けなかったが、壁に叩きつけられた衝撃が、未来を混乱させた。《楯騎士(シールダー)》として防御力にすべてつぎ込んだ未来が、物理的にここまであっけなくふき飛ばされたのは初めてだった。

 

「き、貴様……なんのつもりだ、このような……!」

「おお、おお、なんじゃ。そんなところで転がっておると、うっかり吹き飛ばしてしまうぞガ()ンドや」

「私はガリンドだ! そもそも貴様に吹き飛ばされたのだろうが!」

「仮にも魔術師どもの長ともあろうものが、随分とひ弱なことだのう、ええ? ガ()ンドぉ?」

「貴様!」

 

 混乱して暴れる紙月を、小動もせずに平然と抱えていたのは、奇妙な姿の怪人だった。

 ゆったりとした上質なローブを羽織ってはいるが、その下に見えるのは赤黒い鱗の並ぶ爬虫類じみた肉体である。足元では鋭い爪が床を叩き、太い尾が緩やかに地面を撫でては揺れている。

 そしてその顔は、恐竜じみた恐るべき鱗と牙を見せつけた凶相は、いままさに悪辣な笑みで学長ガリンドをあざ笑っていた。

 

「な、なんだこいつ……?」

 

 未来の見る限り、それは二足歩行の爬虫類、というより恐竜人……あるいは、人の形に押し込めたドラゴンとでもいうべき存在だった。

 魔法か、それともその恐るべき脚力でか、恐らくはこの怪人が今しがた壁をぶち抜いて大講義室に侵入してきたのであろう。

 

「んんん? おお、貴様は盾の騎士とか言うのであったか。ご立派な護衛ぶりだのう。そこでおとなしく(うずくま)っておれ。興味はないが、気が向けば後で迎えに来てやろうではないか」

「な、なんなんだお前は! なんなんだよ!」

「ミライ、そいつを刺激してはいかん! そいつはがぁああああっ!」

 

 怪人は倒れたままのガリンドを踏みつけ、さらに蹴りつけて黙らせた。

 

「この(わし)を危険人物扱いとは失礼な奴だのう。客人に対して、ええ? ガ()ンドよ?」

「どこに出しても恥ずかしくない危険人物であろうが! 人の名前も覚えられん蜥蜴風情が!」

「げあははははは! 倒れていてもわめくのだけは得意だのう。西方では広いだけで空っぽのことをガランドウと言うそうだ。まさしく無才で非才で空っぽの貴様のことではないか、ガ()ンド!」

「おのれぇ!」

 

 混乱からようやく立ち上がった教授たちが押っ取り刀で杖を構えたが、そのときにはもうこの怪人はまがまがしい口からどす黒い炎を吐き散らしつつ、壁の穴を駆け出していた。

 

「あーららら、抜けられんなこれ」

 

 激しく揺れる怪人の肩の上で、紙月は動揺しつつも冷静ではあった。

 暴れても一向に緩まないので築地のマグロのごとく脱力さえしていた。

 別になんという冷静で的確な判断力があったわけではない。

 ただ、なんというべきか、幸いというべきか不幸なことにというべきか、紙月は拉致られ慣れていたのだった。

 

 別に特別治安が悪いとか、特別運が悪いというわけではないと本人は思っているのだが、なんやかんや隙が多く、見目麗しく、ついでにいえば優れた魔術師なのであるから、知る者も知らぬものも高く売れるなと思うような見た目なのである。

 

 一応気を付けているつもりではあるのだが、完全に魔法一辺倒のステータスをしているうえに、本人もさほど勘がいいほうではないので、ちょっと計画した上でさらおうとすれば簡単にさらえるのであった。

 

 そのたびに未来にはすごく叱られるし、そのあと一緒にいなくてごめんねと謝られて申し訳なくもなる。しかし、最初こそ青くなったりもしたが、実害らしい実害を被ったことがないのでいまだに実感もあまりなく、反省の色は薄い。

 なにしろ見た目で売れると思って拉致るのだから、手ひどく扱われることは少ない。たとえ暴力をふるう(やから)であっても、紙月の装備は普通に廃人装備なので一般モブのこぶし程度大したダメージもない。

 仮に死角からナイフで刺されたとしても、薄そうに見える布一つ貫けず、ダメージ一部反射装備で返り討ちできるのでその方が楽だろうとすら思えた。

 

 一番焦ったのは後先を考えない性的暴行をその場で加えようとしてきた暴漢であったが、口をふさがれようが指を抑えられようが普通に考えるだけで《技能(スキル)》が使えるのでまたぐらを燃やして終わりだった。

 

 そもそも捕まって困ってもチャットで未来に助けを呼べるし、未来も気にかけてくれてるので不審に思って探しに来てくれたりもしたのだ。

 

 自分でたいていどうにかなるし、未来も助けに来てくれるし。

 そういう甘い考えが、いまは良い方向に働いて、紙月を冷静にさせていた。

 単純な腕力ではかなわないどころか、相手は未来を蹴り飛ばすほどのパワーだ。

 そしてちらっと周囲を見た感じ、廊下を爆走する速度は馬と競争しかねないはやさだ。

 うかつに攻撃して抜け出しても、その勢いで振り落とされたらさすがに危ない。

 

 なのでここは無理をせずに、情報収集にはげむことにした。

 

「おい。おーい。なんなんだあんた? エスコートにしちゃちょいと荒いぜ」

「フムン? おお、剛毅なことよ。さすがは吟遊詩人にうたわれる冒険屋というところかのう」

「どんな噂を聞いたか知らんけど……そのうえで正面からさらいに来るあたり、あんたも大概(たいがい)だよ」

「げあはははははは! 噂の真偽は知らんが、見ればわかるぞ貴様の魔力! なればこそ欲しいのだ!」

「欲しいだあ?」

 

 話が通じているようで、なんとなく意思の疎通がうまくいっていないような予感がよぎった。

 言葉を交わしているが、会話をする気はないタイプというか、我の強すぎるタイプというか。

 

 怪人は笑いながら猛スピードで魔術学部棟の廊下を駆け抜け、しかし道はあまり覚えていないのか適当に角を曲がり、階段を上り、下り、たまに壁をぶち抜き、たまに通行人を撥ね飛ばしかけたりしながら、紙月を抱える腕に無意識に力を込めた。ぐえ。

 

「待っていたぞ森の魔女! まあ待っておったというかなんか来たから()りに来たんじゃが。地竜殺し! 山砕き! 平原を凍てつかせるもの! 燎原(りょうげん)の火! 神々の恩寵(おんちょう)(あつ)きもの! 奇跡の行使者! ()()()()()!」

「…………なんだって……?」

 

 並べられる称号。吟遊詩人の(うた)う眉唾物の噂まじりの伝説。

 しかしその最後に並べられたひとつに、のんきしてた紙月の警戒心もさすがに高まった。

 

「なんだてめえ!? なにを知ってやがる!?」

「げあははははは! ()れるな戯れるな!」

 

 暴れ出した紙月を平然と抑え込み、怪人は上機嫌に笑って見せる。凶悪そうな爬虫類顔さえなければ、好々爺で通るかもしれない。もっとも、男も女も、老いも若いも、顔からも声からも察せられるものではなかったが。

 

()()()は気が長いそうじゃが、時間は限られておるからのう! 五百年を生きた最強無敵のこの儂とて、永遠無限ではないと(わきま)えておる! (はかな)きもの共の社会は何もかも早い! 長くとて定命(じょうみょう)のものは時間を有効に使わねばならん! 時短は心掛けねばのう!」

「だからなんなんだよあんた! どこの何様だ!?」

「うむ! うむ! 移動時間に問答を済ませようとはよい心掛けよ!」

 

 なんだか本当に、会話が通じているようで、通じていない。

 勝手にべらべら喋るが、情報を得たいのに疑問だけが増えていく。

 怪人は紙月を抱えたまま階段を飛び降り、悲鳴を聞き流して笑いながら名乗った。

 

「この儂が! この儂こそがマールート! ()()()()のマールートとはこの儂のことよ!」

「ち、地竜殺しだあ!?」

「いかにも! かつてその称号を独占しておった魔術師にして竜殺しの専門家! よもや腑抜けた時代に新たな地竜殺しが生まれようとは! 全く長生きはするものじゃのう!」

 

 地竜殺しを名乗る怪人は、地竜殺しの魔女に語り掛ける。

 

「その才を、その異才を、その天才を! こんな下らん奴らの(もと)で腐らせるのはもったいない! ともに高みを目指そうではないか!」

「はああああ!?」

 

 初手誘拐ジェットコースター勧誘が、繰り広げられようとしていた。




用語解説

・マールート(Marto)
 帝国最古にして最大の戦闘魔術師養成機関《竜骸塔》の開祖にして現在も君臨し続ける長。
 生年不明。本人の証言と歴史的資料から見て五百年ほど生きているとされる。
 爬虫類の獣人(ナワル)とされるが、既存の生物種とは差異が大きく、幻想種の獣人(ナワル)ではないかともいわれる。
 また本人曰く地竜の生き胆(おそらく竜胆(リンドウ)器官)を食らってから竜に近づいたとのことであるが真偽不明。
 《竜骸塔》周囲を領地として認められており、また帝国元老院に魔導伯の称号を与えられている貴族。これは極めて優秀な魔法・魔術の技能や学識を認められた個人に与えられる称号であり、現在の帝国では一人しか有していない。



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第九話 竜人マールート

前回のあらすじ

あまりにもあっけなく拉致られた紙月。
何か考えがあるのではないかと思えるほどのあっけなさだったが、
もちろんそこには何の考えもなかったのであった。


 まるで台風でも通り過ぎたようだ。

 などと少し現実逃避しながら、未来は体を起こした。

 今すぐにでも紙月を追いかけたい気持ちをこらえて、周囲を確認する。

 まず何が起こって、いまどうなっているのか、確かめなければならない。

 未来は自分を落ち着かせるように、何度か深呼吸を繰り返した。

 

 幸いといっていいのか、こういうことには豊富な経験があった。

 さすがに目の前で拉致られたのは初めてでかなりショックだったが、紙月がぼけらったと歩き回って拉致られることはしばしばあったのだ。未来の知っていないところではもっと拉致られているのかもしれない。

 良くも悪くも慣れてしまった自分が悲しくなってきた未来である。

 君のこと守りたいのに君はピーチ姫以上に拉致られるんだ。

 

 まあ、拉致られてもなあという慣れと諦めが、未来の子供心のナイトを腐らせているのは普通に紙月のせいではある。

 

 普段と違うのは、誘拐犯が結構な分厚さのある壁を平然とぶち抜き、その上、仮にもレベル最大の《楯騎士(シールダー)》を軽々と蹴り飛ばせるようなパワーの持ち主ということだが、そこもさほどの問題ではない。

 

『紙月、大丈夫?』

『おう、大丈夫。揺さぶられて吐きそう』

『大丈夫ではないやつ』

『身柄は大丈夫。迷ってるっぽいからしばらくは棟内でうろつきそう』

『逃げられる?』

『ちょっと厳しい』

『オーケイ』

 

 なにしろこういう時にパーティチャットですぐに安否確認する習慣がついたので、とり急いでの危険がないとわかるからである。

 

「うーん……目的はわかんないけど、危害を加えようっていうんじゃないみたいだ……」

 

 壁の大穴をちらりと確認すれば、焼け焦げたような跡があり、さらには一部の石材が……木材ではなく、石材がどすぐろい炎にチロチロと焼かれているのが見える。石を燃やす炎。温度が高いとかではなく、その色からしても、何かしら魔法的な炎なのだろう。

 教授陣が消火に励んでいるが、普通の水ではなかなか消えないようで、苦労している。

 

 脳内で危険度を引き上げつつ、未来は倒れ伏したガリンドを抱き起し、介抱を試みた。

 

「うう……す、すまないミライ……」

「無理しないでください、学部長。はいあーん」

「私のことは構わん……んぐぐ……まったりとしてコクがあり、それでいて少しもしつこくない……む!? なんだ、体が軽いぞ!?」

「えーっと、魔女の霊薬的な奴です」

「なんということだ! 肩こりに頭痛に胃の痛みまで!」

「日ごろから無理してる人だった……」

 

 爆風に巻き込まれた上に蹴り飛ばされて踏みつけられ、出血もしていたのでさすがに痛々しく、未来が手早く飲ませたのは《ポーション(小)》である。《HP(ヒットポイント)》を少量ではあるが即時回復させてくれるもので、この世界での人体実験もレンゾーが済ませているので安心だ。

 さすがに効果が強すぎるので市販はされていないが、レンゾーが再現し生産可能とのことで、気兼ねなく使える。

 

 回復したガリンドは荒れ果てた周囲と混乱する学生たちを見回して、大きくため息をついた。

 それから立ち上がってほこりを払うと、声を張り上げてみなの無事を確認し、混乱をおさめた、

 怪我をしたものは医務室へ向かわせ、残ったものには引き続きの消火とがれきの撤去に協力を頼んだ。

 

「ふう……とりあえずはこんなところか。すまないな、ミライ。こんなことになってしまうとは」

「いえ、学部長のせいでは。それで、いったいあれはなんだったんですか?」

「うむ……奴はマールート。地竜殺しのマールートと呼ばれている」

「地竜殺し……って、僕たち以外にも!?」

「うむ、現存する称号もちは、君たちの他には奴だけだ」

 

 帝国広しといえど、地竜を殺すことができたのはあの怪人だけということ……。

 

「現代ではもう逆に絶滅危惧種に近いからな……」

「アッハイ」

 

 そもそも殺せるだけの数がまずいないのだった。

 帝国が公式に確認し、追跡調査している地竜も実際数えられる程度であるし、見つかっていないものがいるとしたら相当な秘境である。まず遭遇すること自体が難しい。

 まあ、そうであったとしても、個体数は文句なしにレッドリスト入りなのに一向に死なないし殺せもしないし被害が出そうになっても進路をそらすのが精いっぱいの大怪獣なので、マールートとやらがすさまじい実力を持っていることに変わりはないが。

 

「あれは一応、大学の客という形で、特別に講義に来てもらっていたのだ」

「講義って……あいつ、先生なんですか?」

「うむ。我が魔術学部は、帝国でも随一の魔術教育機関だと自負している。しかし東部の魔術研究機関《竜骸塔》は、こと戦闘魔術においては我々以上、間違いなく帝国一の実績と歴史がある。マールートはその《竜骸塔》の開祖にしていまなお君臨する長なのだ」

「そんなにすごいやつなんですか?」

「奴の種族はよくわかっていないが、史書通りならば奴は五百年の研鑽を重ねた怪物だよ。しかも地竜を殺してのけたのはその五百年前なのだ」

「デビューが地竜殺しって、僕たちみたいだな……」

 

 紙月と未来、《魔法の盾(マギア・シィルド)》のふたりも地竜殺しでデビューを飾ることになった。マールートは五百年前にその先例を作っていたある種の大先輩ともいえる。

 

「よくそんな大物が講義に来てくれましたね」

「うむ、私も《塔》の魔術師をひとりふたり寄越してくれというつもりで誘いの手紙を出したのだが、やつめ……!」

 

 ガリンドは忌々しげにうなった。

 

「『暇だから来てしまったわい』などと前触れもなく急にやってきおって……! 歓迎の準備も整っておらんのに……! 従者の死んだ目と分かり合えてしまったのが悔しい……!」

「悪気はないけど迷惑なやつだ……」

 

 重鎮らしからぬフットワークの軽さである。

 その後も学部棟内を我が物顔でうろつきまわり、講義室を気ままにのぞいては講義の邪魔をし、学生たちの活動に紛れては廊下を爆発させたり、忙しい中、学部長室でだらだらと老人特有の長話をして茶を飲んで行ったり、中庭で学生に交じって籠球(コルボ・ピルコ)で汗を流して講義さぼらせたり、肝心の特別講義も「こまかい理屈はどうでもいいから一番破壊力高いやつが正義じゃろ」と開幕大爆発したり、と出るわ出るわ学部長ガリンドの怨嗟の声である。多分本人にはさすがに面と向かって言えなかったのだろう。招いた側でもあるし。

 

「奴は自己中心的性格、典型的体育会系、魔術師にあるまじき根性論者で、書を捨てて火を放つ典型の蛮族だ……!」

「うーん、会社の会長さんとかが急にやってきて荒らしてく感じの奴かなあ……」

 

 話を聞く限りでは、被害を受けて尻拭いに奔走させられたガリンドのフィルターを外してみれば、多少厄介ではあれおおむねファンキーでフットワークの軽い陽キャ感はある。

 今回はそれが行き過ぎたもの、と見ることもできないではないが……。

 

 いやでも相方さらわれてるしな、と未来は思い直した。

 紙月は陽キャ感はあるが、あれで割と面倒くさい内向性を持つ陰キャである、と未来は相方のことをだいぶ失礼な理解の仕方をしていた。天然陽キャ天上天下唯我独尊系の俺様竜人は、会話はできても気は合わなさそうだ。

 早く助けてあげねば、と未来は気持ちを改めた。

 

「そのなんかえらい人が、どうしてまた紙月を?」

「うむ。おそらくは同じ地竜殺しの称号を持つ魔術師に興味を惹かれたのだろう。先ほども言ったが、現代では地竜殺しの称号を持つものはいなかったのだ。それはつまり、奴ほど強大な魔術師もなかなかいないということでもある。辺境の飛竜殺しに興味がない辺り、あくまで魔術師を求めているのだろうな」

「本人がすっごく強いから、自分くらい強い魔術師が気になったってことですか?」

「恐らくはな。やつはしばしば《竜骸塔》の魔術師の不甲斐なさを嘆いていた。生半可な魔術師では奴の期待に沿えんのだろう。君たちの冒険譚のどこまでが本当かは知らんが、それでも大層な魔法の噂は広まっている。そのうえ、シヅキは美人だろう」

はい

「今日一番に力強い肯定だな……ともあれ、奴は竜なのだよ。それも悪竜だ。悪竜伝説の影響をいくらか受けている、らしい」

「悪竜……ドラゴンってことかな」

「高慢で強欲、独占欲が強く、宝物を集めてはそれを守り、奪おうとするものがあれば地の果てまで追って殺そうとする。奴にもそういう面があると聞く。奴の宝物はものに限らない。ヒトもだ。男女かかわらず見目麗しいものを好み、強きものを好む」

「じゃあ、紙月が危ない!」

「君、相方のことになると大概ひどいな。まあそういう話をしているわけだが。強く、そして美しいシヅキのことを持ち帰ろうというのだろうな」

「そんな……持ち帰ってどんなひどいことを……!」

 

 未来は憤った。

 具体的にひどいことというのが小学生の未来には詳細には思いつかなかったのだが、なんかこう、そういうのを想像するとぞくぞくして頭がかっとなるのでそういうのは絶対によろしくないと思うのだった。

 

「マールートは悪辣だ。悪辣ではあるが、わかりやすくもある。力を信奉するやつのことだ、どんな手段であれ、力づくで黙らせればなんとか……」

「わかりました。それなら話が早い」

「待て待て待て、意外に血の気が多いな、君は」

「止めないでください! このままじゃ紙月が、その、えっ、えっちな目にあうかも……!」

「君も男の子だな! だが落ち着きたまえ! あれは()()()地竜殺しだぞ!」

「僕らだって!」

「違うのだ! 君たちが倒したというのは、雛だろう。だが奴が地竜殺しとなった五百年前は、成体の地竜がまだ何頭も生きていたころだ。あれはそれを何頭も討ち取っては、自らの城を築いたのだ。それこそが《竜骸塔》なのだよ」

 

 地竜殺しマールート。その伝説の恐るべきところは、雛などではなく成体の地竜を、しかも複数討伐したという記録が残っていることだ。

 ほとんど伝説に近いので正確性は怪しいところもあるが、《竜骸塔》は少なくとも複数の地竜の死骸を建材にしていることが判明しており、研究によっては五十メートル越えの地竜が使用されたという説も述べられている。

 これはよく知られている伝説上の最大個体ラボリストターゴの二十五メートルを倍する巨体である。

 

「五百年前のことだ、どこまで真実かはわからん。しかしやつが成体の地竜を討ち取ったのは事実だし、戦乱を戦いぬいて領地を得た貴族でもある。真っ向から相手すべきではない!」

「それでも……それでも、僕は! 紙月を!」

「ダメだ! 奴と君たちが真正面からぶつかってみろ!」

 

 学部長ガリンドは我がことのように必死になって止めた。

 実際、これ以上なく切実に、我がことだったのである。

 

「これ以上は本当に学部棟が崩れるから……! 補強工事がまだ済んでおらんのだ……! 予算が、死ぬのだ……! 修繕費も底をついているのだ……! 奴が払う払うといったまま前払い金も出さんからこの厳冬なのに一部穴が開いたまま着工もできておらんのだ……!」

「アッハイ」

 

 金は、命より重い。




用語解説

・パーティチャット
 ゲーム内システム。パーティメンバーの間でのみ使用できるチャット機能。
 この世界ではパーティメンバーの間でのみ使用できる、音声を必要としない、念話のような形で再現されているようだ。

・《ポーション(小)》
 ゲーム内アイテム。《HP(ヒットポイント)》を少量回復させてくれる。高レベル帯になるとほとんど気休め以下の効果しか期待できないが、《空き瓶》と重量が同じなので、折角なので中身を詰めているプレイヤーも多い。
『危険な冒険に回復薬は欠かせない。一瓶飲めばあら不思議、疲れも痛みも飛んでいく。二十四時間戦えますか』

・《竜骸塔》(La Fuorto de Mortadrako)
 帝国東部エルデーロの森(La Erdelo)に所在する歴史ある魔術師養成所。
 地竜の遺骸を建材にして建造したとされるが、内部の詳細は部外者には秘匿されており、不明な点が多い。
 この地竜は塔の開祖らが討ち取ったものであると伝えられ、伝承通りであれば最大五十メートルを超えていたとされるが、文書により大きく異なり正確性は疑わしい。
 事実であれば伝説上でも数値の証言がおおむね一致している最大個体ラボリストターゴの二十五メートルをゆうに超えている。
 おそらく塔全体の外観から必要な建材を推測して逆算した数値と思われる。

・籠球(コルボ・ピルコ)(korbopilko)
 五人対五人の二つのチームが対戦する球技。
 使用するボールは一つ。
 長方形の競技場の両端に十尺の高さでリングが設置され、相手チーム側のリングにボールを入れることで得点となる。
 平均身長150ー160cmで他種族に比べて突出したところの少ない人族限定チームは少なく、公式戦においては異種族混合チームが主流。
 古代聖王国時代から存在した人族の遊戯であるといわれる。また一説によれば「バスケがしたいです………」と天啓を受けて発狂した若者が「諦めたらそこで試合終了」だと生涯を通じて広めたともいわれる。

・悪竜
 この世界には竜種という生き物が実在するが、悪竜はあくまでも人族由来の伝説上、空想上の存在である。彼らの言葉ではドラゴンなどと呼ばれていた。
 複数の形状、生態が語られているが、多くは爬虫類であり、高度な知性と悪辣な精神を持ち、最後は打ち倒されるという伝承が多くみられる。



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第十話 空っぽのガランドウ

前回のあらすじ

悪竜人マールートの恐ろしさを語る学部長ガリンド。
邪悪なるかの怪人は、気ままに現れては書類に茶をこぼし、
高価な本を汚し、バスケでいい汗を流すのだった。



 帝都大学魔術学部長ガリンド・アルテベナージョは、見上げるような大鎧を何とかなだめながら、しかし彼に止めるだけの力もなければ、命じるだけの権威もないことを知っていた。

 いまこの強大な力を秘めた大鎧が……その声からしてずっと年若いだろう少年ミライがいまなおとどまってくれているのは、ガリンドのみっともない引き留めに同情してくれているからに過ぎない、

 

 森の魔女と盾の騎士。物語の中で盾の騎士はあくまでもその従者であり護衛という印象だったが、実際の彼らはそのような関係には見えなかった。二人は互いに対等であり、友人であり、仲間であり、相棒であり、それ以上のつながりが感じられた。

 その相棒を、守護者たるべきだった彼が目の前でさらわれてしまった動揺は強かっただろう。あのたおやかで儚げな、それでいて気さくで飄々とした魔女を今も思い、心配していることだろう。それでも彼は気丈にふるまい、いまも無事でいてくれることを信じて耐えてくれている。

 素晴らしい信頼だと思う。あの魔女、シヅキの気丈さと、悪竜如きに穢せるものではないという強い信頼だ。

 

 ガリンドは彼を、彼らを助けたいと思う。

 この場に招いてしまった者として、このような事件を見過ごしてしまった責任から、いや、それらがなくとも、ただ人として助けてやりたいとそう思うだろう。当たり前のことだった。苦難に立ち向かう若者を助け支えてやりたいと思うのは。

 

 だが、ガリンドは無力だった。嘆かわしいほどに無力だった。

 マールートに対して発言力がない。《竜骸塔》に抗議できるほどの政治力も影響力もない。みなを率いてあの悪竜を取り押さえるだけの人望も統率力だってない。

 だがそれだけではない。

 ガリンドには力がなかった。それは比喩的な意味だけではない。

 ガリンドは本当に無力で、無能だったのだ。

 

 助けたいと思う気持ちは本心だった。

 しかし湧き上がる気持ちは、その端からしぼんでいくのだった。

 彼は恐ろしかった。マールート。あの怪人の暴力が恐ろしかった。

 抗えないと思った。逆らえないと思った。

 なぜならガリンドは無力だからだ。

 その身に受けた暴力が、彼をますます無力感でさいなませた。

 

「……すまないな。ミライ。本当にすまない。私は君を助けたい。心から助けてやりたいと思う。だが……すまない……すまない……」

「そんな……学部長には、立場があるんですから、仕方ないですよ。誤らないで下さい」

「違う、違うんだ。私は……私は無力なんだ。私には何もしてやれないんだ」

「何をいってるんです?」

「私は……()()()使()()()()()()

 

 根本的なところで、根本的な意味で、ガリンドは()()だった。

 帝国最高峰の学び舎帝都大学の魔術学部長という身でありながら、ガリンド・アルテベナージョは魔法が使えなかった。どんなに(やさ)しい魔法も使えなかった。指先に火をともすこともできなければ、気づかないほどの(かす)かなそよ風を吹かせることだってできなかった。

 

「才能がないなどという言葉を、私は学生たちに断じて使わない。しかし、その私自身は、本当に、本当の意味で、才能がない。無才で、無能なんだ」

 

 それは魔術学部公然の秘密であった。

 ガリンド・アルテベナージョが学部長という職を任ぜられたのは、彼の類まれなる才能からでも、強い縁故があったからでも、また積み上げた金の力でもない。

 ただ、たまたまそのとき、そこにいたからだった。

 先代学部長が急病で亡くなり、その席を、その責任を、その職務を引き継ごうというものがいなかった。嫌々でもやろうというのが彼以外の誰もいなかった。そして断るには、彼は力がなさ過ぎた。非才で無能、魔法の使えない魔法使いに選択肢はなかった。

 誰もが嫌がる面倒ごとの尻拭い係というのが、学部長という威厳ある名の裏にある実態だった。

 

 それでも、なんとかやってこれた。

 混沌とした魔術部学部をまがりなりにも運営するにあたって、必要だったのは魔術師としての才能ではなく、事務屋としての、中間管理職としての才能だったからだ。

 ガリンドは日々問題を片付け、積み上げ、ときに押しつぶされながらも、彼なりに人脈を作り、学部を把握しようと努め、何とか日々を回し続けてきた。

 

 その間も、学ぶことだけはやめなかった。

 それをやめた時、自分は本当にただの事務屋に成り下がるのだと思ったからだ。

 たとえ実態がすでにそうなっていたとしても、意地まで捨てるわけにはいかないと。

 

 学んで、学んで、学んだ。

 書を読み、論文を読み、教授や博士たちの実験を検め、自らもまた思索を深め、検証を重ね、それで、それで。

 それで、どうにもならなかった。なんにもならなかった。

 なにをどうしようとも、彼には魔法が使えなかった。

 

「魔法に憧れた。魔法使いに憧れ、魔法の世界に憧れた。子供の頃からずっと憧れていた。だが、私には()()()()んだ。魔法使いたちの言う精霊とか言うものは、私の目には何一つ見えやしない。記述だとかいうものを、描くことが私にはできない」

 

 彼の唱える学説さえも、誰かからの借り物だった。

 彼自身には何も見えなかった。ただ、積み重ねた事実と結果だけが、彼に見えるものだった。

 

 魔道具の設計図をいくつも書いてきた。

 誰かの翻訳済みの言葉を組み合わせれば、それは動いたからだ。

 彼自身には何一つ見えない世界の、見えない理屈は、それでも言葉さえ正しければ答えてくれるのだと。

 

「だがそれは、誰だってできるってことだろう。誰にでも扱える道具を、誰にでも作れる道具を、作って慰めにしていただけだ。おもちゃみたいなものだった」

 

 誰かの力になりたかった。

 なぜなら、魔法というのはそういうものだったからだ。

 素晴らしい力。素晴らしい輝き。この世界をもっと素晴らしく変えていける、そんな。

 

「私が学部長なんぞやっていられるのは、私が理屈屋で、書類仕事がいくらか得意だというだけだ。魔法も使えない魔法使いなど、誰にも尊敬されない。馬鹿みたいに増築された塔を見ただろう。それが隙を見ては爆発を繰り返すのも。馬鹿げた景色だ。誰かもっと素晴らしい人間が学部長だったら、そんなおかしなことにはならなかっただろう」

 

 マールートのように悪辣で暴虐なものでも、まだ尊敬を集め、人々の信頼を集めていた。

 ここしばらくの間やつが繰り広げた騒乱の中、学生たちは楽しげでさえあった。教授たちでさえ、その知見に触れ、恐るべき魔力の一端を知って盛り上がっていた。

 それらはすべてガリンドには与えられなかったものだ。

 

「魔法は信じる心だなどといったが、信じたところで何も起きやしない。私は君を、助けられない。すまない。すまないミライ」

「そんなことはないですよ」

 

 項垂れて、虚しい繰り言を重ねるガリンドの肩に、未来の手がそっと置かれた。

 

「そんなことはないんです。あなたは立派な魔法使いじゃないですか」

「魔法が使えない魔法使いがいるものかね」

「あなたが魔法を使えなくたって、あなたの魔法はみんなを助けているじゃあないですか」

「私の魔法だって?」

「たくさんの魔道具を見ました。廊下の照明や、この大講義室の床暖房。きっと他にもたくさん、あなたの魔道具がみんなを助けている」

「こんなことは誰にでもできる。私じゃなくたって、いつか誰かが、もっとうまいやり方で成し遂げていただろう」

「それでも、やり遂げたのはあなたじゃないですか。僕はあなたの書いてくれた回路図ほど精巧な魔道具を、他で見たことがありません。誰が書いても同じような魔道具が作れるというのなら、それこそあなたの魔法じゃないですか。誰にでも使えるものを、誰もが使えるように教えてくれたのはあなたじゃないですか」

 

 未来の生きてきた現代日本には、たくさんの便利な道具があった。

 科学技術が進み、どんな仕組みで動いているのかわからないような機械があふれていた。

 父の働いていた会社も、そういった機械の製造に携わっていた。それらは目立たなくても社会を動かす力だった。それらを生み出す知識や技術は、何もしないでも生まれてくるものではなかった。誰かが考え、その考えを積み重ねて誰かに伝え、その誰かがまた新たなものを生み出していった。

 それは魔法のような仕事だと未来は思う。

 

 未来が何気なく通っていた小学校で教えられることも、みんなそういう魔法の産物だった。

 誰が覚えて、誰が使っても、全く同じ結果を出せる。それはそうなるように磨かれ、大事に受け継がれてきたからだ。

 教えるということは、どんな魔法にも負けない素晴らしい魔法なのだ。

 

「ふふ……息をするように魔法を扱う、君たちのような天才に言われてもね」

「そんなことないです!」

「そうだそうだ!」

 

 うなだれたままのガリンドの背に、繰り返されたのは未来の声ではなかった。

 顔をあげればそこには学生たち。そして教授たちも。

 

「学部長、あなたがそんなに悩んでおられたとは……」

「確かに我々は、あなたのことを便利屋扱いしすぎていたかもしれません」

「だがあなたの論理的な考察や指摘は、我々の研究を整理する力になりました」

「あなたが新しく取り入れた教育課程は、旧態依然の漠然とした指導よりもはるかに効率的だった。悔しいことにね」

「先生に教えてもらったから、私は魔法が使えるようになったんです!」

「全然うまくいかなくって泣いてた俺に、付きっ切りで指導してくれました!」

「魔力が暴発しちゃって困ってたけど、魔道具ならって、魔道具科を勧めてくれてありがとうございました!」

「学部長が魔法使いじゃないなんて、私たち誰も思っていませんよ!」

「先生は誰より素敵な魔法使いだって、僕たちみんな信じてます!」

「みんな……みんな!」

 

 ガリンドのまなじりから熱い雫が零れ落ちた。

 こんなところで情けない泣き言など繰り返している場合ではないと、心に活力が満ち溢れていった。

 

「先生から学んだ知識でより強力な爆発ができるようになったんですぜ!」

「するなと言っているんだこの(たわ)けッ!!!」

「ちょっとなにいってるかわかんない」

 

 かくして、さらわれの魔女を救出すべく、一同は動き出したのであった。




用語解説

・魔法無能力者
非常に稀ではあるが、魔法を扱えない、魔力を扱えない、見ることもできないという体質を持つ者がいる。
精霊が見えないものは多いが、ほんの少しも魔力を扱えない魔法無能力者は極めて稀であり、現代でも社会に理解を得られないことが多く、しばしば日常生活において不便を強いられることがある。
ガリンドは本人が魔法無能力者であることから、起動に最低限の魔力も必要としない魔道具を数多く設計してきている。
現代においては魔力暗室下での作業などに必須の体質であり、当時とはだいぶ扱いが変わってきている。


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第十一話 森の魔女の悪竜退治

前回のあらすじ

無力感に打ちひしがれた学部長ガリンド。
しかし彼を慕うものたちの応援が、彼に力を与えてくれた。



「その才を、その異才を、その天才を! こんな下らん奴らのもとで腐らせるのはもったいない! この儂のもとでこそ輝けるというものよ!」

「はああああ!?」

 

 時は少しさかのぼって、あらためて初手誘拐ジェットコースター勧誘が繰り広げられたあたりだ。

 マールートは本気だった。本気で紙月を勧誘しようとしていたし、断られても問答無用で拉致って、そのまま東部の《竜骸塔》に連れ去ろうと考えていた。

 

 こうして抱えているだけでも、マールートには紙月の持つ膨大な魔力が脈打つ鼓動のように肌で感じ取れていた。これほど強大な魔力を持つ生き物を、マールートとてそう多くは知らない。

 マールート自身。かつて葬った地竜ども。五百年の間に稀に見ることのあった半神。聖王国の魔術師ども。

 

 それに。

 

 マールートは改めて紙月の顔を見た。

 美しい顔だ。万人が見ほれるような奇妙な魅力がある。単なる美醜の話だけでなく、その造形が天然自然の魔術となって魅了をかけているようでさえある。

 獣の要素を限りなく色濃く持った獣人(ナワル)、その変異種であるマールートにも、紙月は美しく思われた。

 だが、その美しさ以上にマールートが注目したのはその耳だった。

 人族のように見える身体の中で、唯一異なる形。

 ()()()

 

 五百年の生の中で、かすれそうな記憶の中で、マールートはかつてその耳の持ち主に出会ったことがあった。

 その耳の持ち主は、それが()()()の特徴なのだといった。彼は()()()()()()()()であり、それゆえに超絶強いので敵わなくてもしょうがないなどとのたまった。

 思えばマールートの高慢さは彼譲りであったかもしれない。

 

 彼はマールートの師であり、友であった。地竜の殺し方も彼に教わり、はじめて地竜を殺した時も、彼に助けられた。その生き胆を食らって竜の命を得たマールートは、二百年ほどを彼と過ごした。思いがけず竜の時を得たマールートにとって、長き時間を共に歩める唯一の同胞だった。

 

 彼だけが、傲慢なるマールートが生涯敵わぬとそう感じた相手だった。二百年の間でただの一度とて彼に土をつけたことはなかった。

 その彼さえも、段々とものを食わなくなり、水も飲まなくなっていき、そしてある時、山を登るといって西方へ去っていった。そして今も帰らない。きっともう帰ってはこない。 

 

 寂しいなどと思ったわけではなかった。

 恋しいなどと涙したわけでもなかった。

 

 ただ、もったいないことをしたと思った。

 あの時無理にでも引き留め、塔につなぎとめておけばよかったとそう思った。

 かき集めた金銀財宝の中で死ぬまで愛で、死した後は朽ちぬようまじないをかけて飾り立ててやりたかった。

 

 彼はそれほどに強く、美しく、まことに宝であった。

 

 その()()()が再び現れたと聞いて、マールートは前から気にかけていたのだ。

 はじめに地竜殺しの森の魔女とやらの話が伝わってきたときは、鼻で笑いながらも少し期待した。いくらか力のある魔術師がでてきたものだと。

 在野で独学のままに高めたか、それともマールートの知らぬところに魔術の郷でもできたか。

 だがその程度だった。多少目立つ程度の魔術師は、五百年の間にいくらもいた。時にはそれを塔につなぎ、時には殺して放った。師として教えたものはもう数えきれない。実らず大成せずとはいえ、それらは塔に収めた宝であるから、マールートはそこそこにそれらを愛でていた。

 

 噂が広まり、冒険譚の種類が増えてくると、マールートもいささか気になり、弟子どもに探らせた。話が増えてくるということは、そいつは活動の幅を広げているということだ。死にもせず、飽きられもせず、それはつまりそいつがそれなりの力を有しているという証拠だ。

 

 その結果、信頼できる情報筋からその強力な魔法の可能性を聞き知って、マールートは歓喜した。

 そしてその()()()の特徴を聞いた時には我知らず小躍りして弟子どもを驚かせたものだった。

 

 最初は自ら腰を上げて会いに行こうかとも思った。しかしそれははばかられた。塔主様御自ら動かれるなどと、などと弟子どもにいさめられると、それもそうかという気もしたのだ。

 マールートは竜人である。竜の命を得た本当の竜人である。竜の骸で城を立て、君臨する王者である。そのマールートが一介の魔術師一人のために自ら出向くというのは、どうも軽薄すぎるように思われた。

 どんと構えてお待ちになれば、塔主様のご威光に誘われて向こうから顔を出すことでしょう、などとおだてられてその気になった。

 

 まあ、それもすぐに飽きてしまって、結局招待をいいことに暇つぶしと思って帝都くんだりまでやってきたのだが。

 

「まさか貴様からやってきてくれるとはのう! 僥倖僥倖! 貴様には竜の宝物庫に入る栄誉を与えようではないか!」

「やーなこった!」

 

 紙月ははっきりと言い放った。

 紙月は褒められるのが好きだ。容姿を、能力を、他のなんでも、褒め称えられるのが大好きだ。認められるということが好きだった。

 美しいと、強いと、強引なまでに欲しいと求められて、正直なところちょっとときめかないでもなかった。タイミングとか勧誘方法が違ったらよろめいていたかもしれない。そういう意味では未来が紙月の危機に焦ったのも間違いではなかった。

 

 けれど、二番目というのはどうにも好きになれなかった。

 紙月の人生はずっと二番目だった。時にはそれよりも下だった。

 何かで一番になれたということがなかった。自分を認めることができなかった。

 この竜人は言葉通り紙月を宝物のように扱ってくれるだろう。

 しかし、宝物庫の一番ではない。紙月にはあずかり知らないことであったが、マールートの宝物庫の中心はいつも欠けていて、その空白こそが宝物庫で一等価値あるものだった。

 紙月がどれだけ大事に扱われても、それは一番ではない。

 

 紙月はそれを敏感に感じ取っていた。

 どれだけ大事に扱われても、決して一番には慣れず、それどころかいつか別の宝物にその場所を奪われるだけかもしれない。宝物庫の隅で、時折思い出したように愛でられるだけかもしれない。

 なにより、どれだけ宝物扱いされても、それは紙月の上っ面の部分だけを評価しているのであって、紙月自身を認めてくれているわけではないのだ。

 紙月はちょろいおん男であったが、面倒くさい人種でもあった。

 

「あいにくと俺を世界で一番認めてくれてるやつがいるんでね!」

「なあに、この儂がそれ以上に認めてやろうではないか!」

「輝くタイミングは自分で選ぶよ! 《閃光(フラッシュ)》!」

「ぬうっ!?」

 

 紙月を抱えたまま駆け回るマールート。

 抱えられたまま、紙月は周囲の人けがなくなるタイミングを見計らって魔法を繰り出した。

 密着状態の至近距離、マールートの鼻先で目を焼くような閃光がほとばしった。

 

「自爆覚悟か!」

「んな覚悟あるか!」

 

 《閃光(フラッシュ)》の魔法は強力な閃光で視界を奪うが、ダメージ判定自体はない。

 紙月は目をふさいでこれを使い、マールートの目を奪ったのだ。

 

 マールート自身もこの強烈な光が自信を焼くことはないとすぐにわかったが、眼前で炸裂した閃光に対する生理的な反応はどうしようもない。マールートの竜体は多少のダメージなど通さないが、感覚器官への刺激自体が攻撃となっているのだから耐えようがなかった。

 咄嗟に目をつむったが、薄暗がりに慣れた目は一時的に無力化され、あまつさえ脳まで激しく刺激が届き、寸時意識が飛んだ。

 

 体に染みついた戦闘技能が、もつれる足で咄嗟にたたらをふみ、担いだ紙月の体を振り落として壁にたたきつけんとする。

 ほとんど無意識のうちに行われた暴力はあまりにすみやかだったが、紙月とてそれを予想してすでに次の魔法をセットしている。

 

「《燬光(レイ)》! そんで……《突風(ブロウ・ウインド)》!」

 

 あらかじめあたりをつけておいた軌道で、数条の熱光線が石造りの壁を切り裂く。違法建築の尖塔の壁がさほど分厚くないことをはここまでの道のりで確認済みだ。

 体を叩きつけられながら突風の魔法を押し付ければ、切り裂かれた瓦礫とともに紙月の体は塔の外へと放り出された。

 

 見下ろせば下は中庭。まばらな木々。薄く積もった雪。高さは何階だ。低くはない。受け身。無理。装備で耐えられるか。落下ダメージ。

 一瞬の無重力感のうちに、紙月は次の魔術を選定する。

 

「《飛翔(フライ)》!」

 

 それは使用者を宙に浮かせる魔法。速度はあまり出ず、自由自在に飛べるというほどではないが、落下速度を和らげるには十分──否、紙月はあえて地面に向けて加速した。

 その刹那、紙月の後を追うように、どす黒い炎が空をよぎった。

 

「げあはははは! 思い切りが良いのも高評価じゃ!」

「面接はこっちから願い下げなんだがな!」

 

 大講義室の壁をぶち抜いた時にも、恐らくあの炎が使われたのだろう。

 強力な魔力を秘めた黒炎は、瓦礫を焼き、焦がし、ぼろぼろと朽ちさせてしまう。

 軽くあぶられただけの肌が、異常にしびれ、痛む。

 《飛翔(フライ)》の魔法で速やかに中庭に軟着陸を決めながら、紙月はステータスを検めた。

 

「ダメージだけじゃないな……『毒』『呪い』……かすっただけでデバフまでか」

「目もよいのう。この儂の毒炎を一目で見抜くか」

「ちっ……《浄化(ピュリファイ)》」

「おまけに解呪の法も! ますます欲しいのう!」

「俺はますます嫌になってきたよ……」

 

 紙月を追って、マールートも中庭に降り立つ。

 しかも別に魔法か何かの補助ではなく、純粋に身体能力だけで平然と数階の高さを飛び降り、技術も何もなく頑健さだけで着地している。

 ドラゴンじみているのは見た目だけではないというわけだ。 

 

 紙月は慎重にインベントリを操作し、装備を整えた。

 対毒、対呪い、対炎。対策の幅が広くなるほど、一つ当たりの効果は低くなる。ゲームの制限から解き放たれたこの世界では、無理に重ねていくつも装備することもできないではないが、そうすると今度は動きづらくなる。

 フィジカルも優れた相手に、それはあまりうまい考えではない。

 

 マールートが見せた驚異的な身体能力。凶悪な破壊力と厄介なデバフ効果を併せ持つ毒炎。

 それだけでも面倒極まりないのだが、マールートは戦闘魔術師集団の長であるという。こいつ自身が魔術師であるという。

 あの毒炎がドラゴンとしての権能であると考えれば、そもそもこいつは魔術師でありながらいまだに一つも魔法を使っていないという可能性さえあるのだ。

 

「探り探りやるしかねえか……」

「いいぞ、いいぞ、はねっかえりめ。じゃじゃ馬ほど(しつけ)甲斐(がい)があるというものよ」

「調子に乗りやがって。こちとら地竜殺しでデビューしたんだ。竜人だか何だか知らねえけど、怖かねえぞ」

「試してみるか。この儂とて地竜殺しよ」

 

 このレベルの相手に、ソロで挑むというのは、ゲーム内でも随分やっていない難行だ。

 紙月は我知らず唇をなめた。緊張と高揚、興奮と不安に、渇きにも似た感覚を覚えた。

 

 毒。炎。ドラゴン。

 紙月はそれらへの対策、弱点、注意点を頭の中に巡らせる。

 この世界は《エンズビル・オンライン》ではない。ゲームの世界の法則は必ずしも合致しない。それでもあの邪神(プルプラ)様がゲームの駒として紙月をあつらえたのであれば、ゲームの知識や感覚がまったく無駄ということはないはずだ。

 

 聖属性、氷または水属性の攻撃は定番だ。一部ドラゴンには雷も効いた。

 火属性を吸収する土属性で防御に徹してもいいが、毒の炎を吸収した場合、回復以上にデバフが効いてきそうだ。

 それに、紙月は攻撃に比べて防御面はいささか頼りない。優秀な《楯騎士(シールダー)》のサポートが前提だからだ。

 

 となれば、と紙月はあえてふてぶてしく腰に手を当てて胸を張り、堂々と身をさらして見せた。

 

「ほほう! 噂に尾ひれがついた俺が言うのもなんだが、いったいどんな武勇伝があるってんだか。俺はあんたのことなんざちっとも知らないぜ。せっかくなんだ、ご本人から聞かせてもらいたいもんだな!」

 

 ハッタリ!

 あえて無防備な姿をさらし、実際以上の余裕を演出!

 その上で口八丁で時間稼ぎを決行! その間に仕込めるだけ仕込む! あるいは未来が追い付くのを待つ!

 未来さえくれば誰にも負けないという、それは本人に言ってやれよという信頼が、紙月のふてぶてしい笑みにも表れていた。

 

 老獪にして悪辣なる竜人マールートも、この猪口才な小細工を察してはいた。

 しかし、わざわざそれを暴くような無粋はしない。

 マールートは竜人である。悪竜である。最強にして無敵である。竜は小細工を弄さない。竜が必死になって策を潰そうとするなど、矜持にもとる。

 

「げあははははは! 可愛いものだのう、可愛そうなものだのう! 小さきものよ、よいだろう、乗ってやろうではないか!」

 

 どんな策であろうと、どんな技であろうと、正面から受け止め、そして踏みつぶす。

 それが竜人マールートの流儀(スタイル)

 

「この儂の討伐した地竜は! ──確か四柱! しかも貴様が目にした雛などではない、神話の頃より生き延びた生体の地竜どもよ!」

「おいおいおい……一頭だけじゃねえのかよ」

「しかもこれは単独討伐記録! 一党を組んで狩った数はもう少し増えるかのう! 東部の地竜はこの儂によって絶滅したといってもよいぞ!」

「あんたみたいなヤベエ奴が他にもいるっていう方がおっそろしいが……命は大事にしましょうって教わらなかったのかあんた?」

「おう、おう、命は大事よのう。この儂の前に立ったのだから、奴らは命を大事にできんかったのう」

「なんつー傲慢……しっかし、そんなにあっけなく狩られちまうなんて、地竜ってのは存外大したことないのか?」

「ひよっこの奇跡に恵まれたおこぼれと一緒にしてもらっては困るのう! この儂はよく覚えとらんしいちい測っとらんが、学者どもの言うことにゃ、でかいものは一六〇尺余りはあったそうじゃ!」

「一六〇尺っつーと……五〇メートル!? 怪獣じゃねえか!」

 

 およそ一六〇尺、現代帝国で用いられている交易尺において五〇メートルというのは、《竜骸塔》の装甲に用いられている甲羅のうち、同個体と考えられるものをつないだ際の推定全長から仮定されたものだが、推定値の最小であっても、現在確認されている最大個体よりも巨大であることは事実である。

 また、古い時代にはそれだけ巨大な地竜が存在していたというのはいくつかの文献からもおよそ間違いないことだという。

 

「ビルでいやあ十階とか十五階とかってとこか……どうやって倒したんだそんなもん」

「げあははははは! 地竜とて生物よ! 傷つければ血を流す! 血が流れれば死にもする!」

 

 そんな無茶苦茶な、とは思うが、紙月とて地竜の雛の討伐には生命力を吸収する《寄生木(ミストルティン)》の魔法を用いて絞り殺したのである。

 マールートには恐るべき毒炎がある。熱するだけで毒が通るのであれば、どれだけ巨大でも生命をむしばまれるのかもしれない。マールートは実際に伝説として、歴史として、そして単なる事実として、それを成し遂げたのである。

 タマの体形から考えても、地竜というものは縦にも横にも大きく、高さもさほど変わらない、おおよそ箱型で考えられる。超大型巨人じみた高さで、それが横たわったような横幅を持つ、バカでかい亀の怪物を想像して、さすがの紙月もひきつった。

 そんなのはレイド戦用のボスでも早々見ない。もはやステージギミックみたいなものではないか。真正面から戦うようなものではなく、条件を満たすことで勝利するような、そんな。

 

「それか巨大ロボでも欲しいとこだな……」

「なに、貴様も()()()で、()()()()()なのであれば、地竜殺しもすぐに覚えられるであろうよ! 地竜殺しは容易い業ではないが、しかし初戦はすでに成し遂げられることの判明したただの作業にすぎん!」

「それそれ、それだよなあ……! あんたプレイヤーを知ってるのか!? 俺の他のエルフを!」

 

 紙月は叫び、そして帰ってきた悪辣な笑みに身をすくませた。

 しまった、と思った。

 時間稼ぎをしているつもりだった。

 相手から情報を引き出しているとさえ考えていた。

 だが違った。むしろ読まれていたのはこちらだ。

 マールートが本当に求めていた一言が、紙月の口から飛び出たのだ。

 

「やはり()()()()()! やはり()()()! 一人一種の特異種族かと疑っておったが! ついに見つけたぞ!」

「ああー、待て待て待て、そう、そうだな、せっかく見つけたってんならもうちょっと楽しくおしゃべりをだな」

「それは貴様を宝物庫に並べた後でじっくり楽しむとしようではないか!」

「ああーっ! お客様困ります! あーっ!」

 

 もはや問答は無用とばかり、胸が大きく膨らむほどに息を吸い込んだかと思えば、そのすべてがどす黒い炎となって吐き出される。

 ドラゴンは毒の息を吐くというが、これはまさしくそれだ。

 軽くあぶられただけで雪は溶け、地面は焦げ、草木は腐り落ちていく。

 

 そんな炎をまともに受けるわけにはいかないと、紙月も咄嗟に魔法で迎撃する。

 

「まとめてくらえ! 《火球(ファイア・ボール)》!!」

 

 人間一人を軽く丸焼きにしてしまうような火球が、十六個まとめて毒炎に叩きつけられ、大爆発の果てに消し飛ばす。

 毒の炎に少しでも触れてはいけないと咄嗟の反撃だったが、中庭全体を揺さぶる衝撃に、紙月も少々焦る。個体強度の高い人間との戦闘経験が少なすぎて、手加減というものがわからなかったのだ。

 

「やっべ、生きてるか……?」

「無論だとも」

「おわっ……!?」

 

 ぶわり。

 何かの魔法を使ったのか、爆炎を一薙ぎで吹き飛ばし、竜人マールートは平然とそこにたたずんでいた。その身には傷どころか煤の一つもついてはいない。

 

「ただの蜥蜴人とでも思うたか? この儂の竜鱗(りゅうりん)はちゃちな魔法など(とお)しはせんぞ」

 

 それが高い魔法耐性を持つということなのか、単純に生物種として頑健すぎるということなのかはわからないが、とにかく、殺す気で攻撃しなければそもそも通りそうにないというのは驚愕である。

 

「どうしたどうした? よもやこれが精一杯などとは言うてくれるなよ、森の魔女ぉ?」

「へっ、まさかよ。とはいえ、これ以上の威力じゃ学部棟が危ないからな……どうしたもんかね」

「げあはははは、ならばおとなしく身を任せよ。それが一番()()()というものだのう」

「やーなこった!」

 

 強がっては見たが、しかし虚勢だというのは自分でもわかっていた。

 紙月にはもっと強力な攻撃手段はいくらでもある。しかしこの世界での魔力の制御というものをまだ訓練し始めたところである紙月には、どうしても威力を高めようとすれば()()の時間が必要になる。

 普段ならば未来の背中を見ながら余裕で仕込みができるのだが、身一つでそんな無防備をさらせば、あの竜人は見逃してはくれないだろう。

 こちらの攻撃を正面から踏みつぶすスタイルと言え、考えなしの迂闊な醜態をさらせば、興ざめとばかりに蹂躙(じゅうりん)されかねない。

 

「しゃあねえ……《水鎖(アクア・ネックレス)》!」

「ほほう、水遊びか。年寄りの冷や水とでもいうのかのう。それともかような水遊びで我が毒炎を鎮められるとでも思うたか?」

「その口ぶり、迂闊に水で攻撃しなくてよかったぜ……だが、これならどうだ、《冷気(クール・エア)》! 《突風(ブロウ・ウインド)》!」

 

 紙月の操る水の鎖が二人の間に張り巡らされ、結界じみて囲い込む。

 マールートはそれを毒炎対策かと嘲笑ったが、紙月の狙いはそこではない。

 水の鎖を通して繰り出されたのは、流れる水をも瞬時に凍らせる異界の冷気。さらに生み出された冷気は突風によって激しく打ち付けられる!

 ただでさえ厳冬で気温の下がっているところに水気(すいき)を満たし、急速冷凍もかくやの冷気が吹き付けられれば、やってくるのはマイナス三〇℃の凍結世界!

 張り巡らされた水の鎖が素早くマールートに巻き付き、瞬く間に氷柱へと変えてしま

 

「そおら! 凍えっちま、い、な……ああ?」

「げあはははは……蜥蜴は寒さに弱いとでも思うたか?」

 

 わない!

 変えてしまわない!

 

 マールートに襲い掛かった水と冷気は、瞬時に凍結して白い柱となったかと思えば、内側からの熱に容易く溶かされ、バキバキと音を立てて砕かれていく。

 零下の世界で、もうもうと湯気さえ立ち上っているではないか!

 

「この儂は竜を殺し、竜の肝を食らった。卑小な竜もどきに過ぎなかったこの儂は、まことの竜と成ったのよ。竜焔(りゅうえん)は絶えぬ! 世の果ての冬でさえ、竜を凍らせることなどできぬわ!」

 

 気炎を吐く、などという言葉があるが、マールートは文字通りに大言とともに毒炎を吐き出した。

 紙月の作り出した氷と風のフィールドが中心から焼き尽くされ、溶かされ、蝕まれていく。

 咄嗟に後ずさったというのに、わずかに熱を感じただけの場所さえが毒と呪いのバッドステータスにむしばまれていく。

 炎だけではないのだ。その熱さえもが毒を帯びている。

 

「《浄化(ピュリファイ)》……へっ、参ったな。こいつ、俺より強くね?」

 

 莫大な魔力のこもった炎を吐きながら、しかしマールートの体内にはなお膨大な魔力が輝いて見える。それどころか、それはいまなお回復し続けている。

 神の恩寵篤き(公式チートの)紙月の自動回復速度よりも、あるいはそれは早いのだった。




用語解説

・えるふ
 恐らくエルフのプレイヤーが五百年前にこの世界に転生していたもの。
 現在帝国では笹穂耳の特徴などは語り継がれておらず、また何かしら伝説的な所業が遺っているわけでもない。
 スローライフものとかも流行っていたので、マールートに功績を押し付け、本人はあまり目立つ気がなかったのではないか。
 なお《エンズビル・オンライン》においてエルフの寿命は少なくとも千歳以上とされ、イベントキャラには二千歳という設定も見られる。

・《閃光(フラッシュ)
 ゲーム内魔法《技能(スキル)》。光属性の初級魔法。
 洞窟等の一部視界が制限されるエリアを明るく照らす特殊効果がある。
 ダメージはないが、レベルを上げることで「暗闇」「気絶」のデバフを与えることができるようになる。
 エフェクトがシンプルで派手なこともあり、エモーションの一環として活用されることも。
『光の魔術を練習するときは、画面を明るくして部屋から離れて見るんじゃぞ! ん? 逆かのう』

・《燬光(レイ)
 光属性の最初等魔法スキル。閃光を飛ばしてその熱で相手を攻撃する。
 光属性の特性として、「発動した瞬間に当たっている」という描写のためか、極めて命中率が高い。
『《燬光(レイ)》というのは気軽に使っていい呪文ではない。見えた瞬間には当たっている、この恐ろしさがわかるじゃろう。もっともわしにはいくら撃ってもきかんぞ。言い訳を聞いてやるのは今のうちじゃからな』

・《突風(ブロウ・ウインド)
 《魔術師(キャスター)》やその系列の《職業(ジョブ)》が覚える最初等の風属性《技能(スキル)》。
 突風を生み出し相手にぶつけるというシンプルな魔法で、まれに転倒させる。
『ここには何がある? 無ではない。ここには大気がある。目には見えず、肌にも幽かに、しかしそれは大いなる力を秘めて居るものじゃ。少なくともわしのランチをひっくり返す程度にはな』

・《飛翔(フライ)
 《魔術師(キャスター)》の覚える風属性環境魔法《技能(スキル)》のひとつ。
 空を飛ぶことで多少の地形を乗り越えることができるが、ゲームの都合上乗り越えられない地形もある。
『空を飛ぶというのは人類の夢の一つよな。羽ばたくがよい、若人たちよ。わし? わしは良いんじゃよ。爺さんのローブなんぞ覗いても仕方あるまい』

・《浄化(ピュリファイ)
 魔法《技能(スキル)》の一つ。汚泥、汚損、毒、呪いといったステータス異常を回復させる。
『《浄化(ピュリファイ)》の術で気を付けにゃならんのは、カビの生えたパンにかけても、腹を下すか下さんかは運しだいちゅうことじゃな』

・一人一種の特異種族
 神々の遊戯盤たるこの世界には多種多様な種族が生きており、それは今も増えたり減ったりしている。
 時には雑種や、突然変異、また特殊な発生の仕方によって世界にたった一人の種族というものも生まれ得る。
 マールートもまたその一人である。
 
・竜鱗
 鱗に限らず、竜種の体には魔力が張り巡らされている。
 そのため、生きている間は恐ろしく強靭でありながら、死した後には素材として加工可能な程度には落ち着き、魔力を通せばまた強度を取り戻す。

・竜の肝
 正確には竜胆(リンドウ)器官。
 竜種の持つエーテル臓器。心臓の裏側にある、手で触れることのできないもう一つの心臓。
 ただそこにあるだけで、ただそこにあることが、ただそこにあるために、魔力を生み出し、生み出し続ける魔力炉。いのちの湧き出す泉。
 逆説的に言えば、竜胆器官を持つものが竜である。
 マールートは伝承の幻想としての竜の獣人(ナワル)であったが、地竜を食べた際に、竜ではあるが竜胆器官をもたない「空の器」として認識され、竜胆器官を取り込んで獲得した後天的な竜種。

・竜焔
 別にマールート火焔嚢(かえんぶくろ)的なものがあるわけではない。


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第十二話 信じる心が僕らの魔法だ

前回のあらすじ

悪竜の毒炎を前にさしもの森の魔女も危機一髪!
このまま竜人の毒牙にかかり読者の皆様にお見せできないことになってしまうのか!
急げ盾の騎士!急げミライ!
でもちょっとおくれて来るがいい。
おまえの心は、わかっているぞ。



 毒炎が氷そのものを()()()()()、じりじりと中庭を侵食しつつある。

 紙月がいよいよ諦めるしかないかと──つまり、この違法建築のぶなしめじごとこの竜人を吹き飛ばす方向にシフトすべきかと真面目に破壊的思考を始めた時、その声が降ってきた。

 

「紙月!」

「待ってたぜ、未来!」

 

 何しろ二人ともこの迷宮めいた学部棟の土地勘などないから、チャットでも場所を教えることはできなかった。

 しかし、これだけの騒ぎを起こせば、いくら頻繁に爆発する魔術学部棟とはいえ、大いに目立つ。

 紙月の本当の目的は、互いに派手に魔法を打ち合って位置を知らせることにあったのである。

 

 全くのためらいなく数階の高さを飛び降りてきた大鎧が、紙月を守るようにマールートに立ちはだかった。

 大ぶりの盾を構えた姿は、先ほどまでの《朱雀聖衣》ではなかった。

 

 岩石めいた無骨な装甲に、恐竜の骨を思わせる装飾。ごつごつとした棘が全身を守っている。まるで化石の恐竜をまるまる鎧に加工したような異様は、《古龍の面影》という土属性の大鎧である。

 構えた盾は、というよりほとんどトリケラトプスの頭部化石に見えるそれは《三角龍の大盾》。これもまた土属性の盾である。

 これらはともに火属性のダメージを吸収して回復する効果があり、相性の良い敵相手にはまさしく無敵の城壁となる組み合わせだった。

 

「げあはははははは! ようやく騎士様のご到着か! 御大層な鎧を引っ提げてきたようだが、この儂の前に立つのはあまりにウカツ!」

「お前の攻撃なんてきくもんか! 僕は! 僕が! 紙月のナイトなんだ!」

「英雄病は焼け死なねば治らんかぁ? よかろう!前菜代わりにこんがり焼いてやろうではないか!」

「やってみろ! 《タワーシールド・オブ・ノーム》!」

 

 マールートは再び大きく息を吸い込んで、未来に向けてまっすぐに毒炎をぶちまける。

 対する未来が《技能(スキル)》を使えば、溶けかけた雪の下から岩と土が隆起して壁となる。土属性の魔力が大いに込められた岩壁は、マールートの毒炎を左右に受け流してしまう。

 

「おお! なんと! この儂の毒炎を真正面から受け止めるとは! げあははははは! 誇るがいい、誇るがいいぞ盾の騎士! 《塔》の弟子どもにも見せてやりたいほどだのう!」

「お褒めにあずかり光栄です、っていうとでも!?」

「いかにもいかにも、光栄に思え! 気が変わった! 貴様もこの儂の宝物庫に並べてやろう!」

「全ッ然うれしくない!」

 

 耐えきったとはいえ、毒炎にあぶられた表面は瞬く間にどす黒く焦げ付き、岩そのものを(むしば)むだけでなく、未来の魔力を焼き、焦がし、腐らせていく。

 毒炎が放たれた瞬間だけでなく、残り火さえもがしつこく影響を残すのが厄介なところだ。

 直接身に受けたわけでもないのに、《タワーシールド》を伝わって魔力の毒が届いているのか、未来は痺れと焼け焦げるような熱さをその身に感じていた。

 

「《浄化(ピュリファイ)》! 大丈夫か未来!」

「うん、あいつの炎は吸収できる。でも毒が厄介だね」

 

 ひとまずは紙月の魔法で解毒、解呪したが、いまなお燃え続ける残り火が、じわじわと岩壁を侵食して毒と呪いをしみ込ませてきている。

 紙月の魔力は膨大であるが、それでも《浄化(ピュリファイ)》を繰り返すだけではじり貧だ。

 

 そのうえ、大いに盛り上がったらしいマールートは、さらに毒炎の追加を執拗に浴びせかけてきている。そのたびに激しい衝撃と熱が、壁越しに二人にまで響くのだ。

 幸い、あくまで正面から打ち破ってやろうというのか回り込んでくるようなことはないが、このまま受け続けるだけでは遠からず打ち破られてしまう。

 

「さーて、お前が来てくれて一安心だけど、どうしたもんかな」

「もう一当て済ませた感じ?」

「ああ。あいつの鱗は()()()()()()魔法を防いじまうらしい」

「紙月の()()()()()()、ね」

「まあ、本気でやりゃあ、って言いたいとこだけど、そうすっと学部棟が危ないからな。あいつだけぶち抜くってのは骨だぜ?」

「フムン。ガリンドさんの言うとおりだね」

 

 未来は蝕まれ続ける岩壁を支えたまま、それでもはっきりと頷いて、紙月に力強く答えて見せた。

 

「大丈夫。任せて」

「おう、信じるぜ、相棒」

「うん、信じてて、相棒」

 

 何でもないことのような、何も気負うことのないような、そのただ一言が、二人の心に力を与えてくれた。互いの信頼が、互いを高めあっていた。

 

「まずはこれだね……《ラウンドシールド・オブ・ノーム》!!」

 

 未来は《タワーシールド》の制御を手放し、それが毒炎に削りきられるよりも先に、新たな《技能(スキル)》を放っていた。

 《ラウンドシールド》は周囲を円形に囲む属性シールド魔法。《タワーシールド》よりは防御力が劣るが、広い範囲と全方位への防御が可能な《技能(スキル)》。

 

 それが、()()を囲い込んでいた

 

「フムン? この一瞬でこの規模の土壁操作とは恐れ入るのう。じゃが、なんのつもりだ? まさか周囲への被害を減らそうなどと甘っちょろいことを考えておるのか?」

「あなたもあんまり燃え広がらないようにはしてたみたいだけど」

「なんでもアリならこの儂が勝つに決まっておるからのう!」

 

 未来の指摘にマールートはきっぱりとそう言い切ったが、鱗に覆われた凶相はどことなく面映ゆいように見えないこともない。

 しかし、本当にそれだけなのかといぶかしむ色があるのも確かだ。

 《タワーシールド》を焼き尽くしたマールートは、追撃を試みるでもなく、周囲を囲む岩壁をじろりとねめ回した。

 

 岩壁は《タワーシールド》より魔力の密度が薄く感じられる。壁自体の厚みもあるいは。先程の岩壁の強度から推し量るに、自慢の毒炎でもこれを突破するのは少し手間だろう。だがそれだけだ。

 マールートだけを閉じ込め時間を封じようというならばわかる。二人を囲って時間を稼ぐというのもわかる。だが三人まとめて囲い込んでは、猛獣の檻に入り込むのと変わらない。

 

(こやつらも侮れぬ猛獣ではあるようだが……わからぬのはなぜこんなに()()のか?)

 

 高さ。

 そう、三人を囲う岩壁は、明らかに高い。五階か、六階ほどの高さ。竜人にとっては飛び越えようと思って飛び越えられない高さでもないが、そもそも逃げる気はないし、逃げようと飛べばその隙を突かれるだけだろう。どんな高さであれうかつに飛び上がろうものなら隙ができるのだから、単に逃がさないためというだけならばこれだけの高さはいらないだろう。

 あるいはこの壁自体が攻撃の布石だろうか。壁から何かが出てくる。あるいは壁自体が崩れて倒れ掛かってくる。なくはないだろうが、無駄が多い。

 

 ふてぶてしく笑い、嘲るように毒炎を散らしながら、しかしマールートは余裕の裏で油断なく構えていた。

 竜人マールートが戦術魔術師として高く評価されている理由は、その個体強度だけでなく、こと戦闘において常に頭を巡らせ続けてきた、五百年研鑽を重ねた戦闘勘なのだ。

 

「何を考えておるかわからんが……貴様らが動かぬなら、」

「みなさん、いまです!」

「なにっ、むっ、ぬうっ!?」

 

 マールートの挑発を無視して未来が上方に叫べば、途端に周囲の尖塔の窓からガリンドと教授たち、それに学生たちが顔を出して、杖を掲げたではないか。

 

「《火よ(ファイロ)》!」

「《燃えろ(ブルール)》!」

「今日は合法だぜ! そーら《爆ぜっちまいな(エクスプロードゥ)》!」

「ヒャッハー! 《火よ(ファイロ)》!《火よ(ファイロ)》!おまけに《火よ(ファイロ)》!」

「《焼き払え(インツェンディウ)》!」

「《貴公は火にくべられ(アウォート)るのがお似合いだ(ダフェオ)》」

 

 そして次々に降り注ぐ火炎の魔術が、マールートを襲う。

 教授陣のものはともかく、学生たちの魔術などは練度もまちまち、狙いもそこそこ。てんで見当違いの方向にそれるものもあれば、ふらふらとさまよった挙句どこへもたどり着かず空中で霧散するものもある。

 しかしそれでも、後先を考えず、がむしゃらに連発してくるものだから、その弾幕はちょっとした密度となっていた。

 

「げあはははははは! 小童どもが戯れついてきおる! その蛮勇は愉快だが、竜を火で殺そうとは愚かなことよのう!」

「やっぱ効いてねー!」

「いいから続けろって!」

「好き勝手人撃てる機会なんてそうないぜ!」

「おら双子ども、弾幕薄いよ!なにやってんの!?」

「おっと、おふざけがすぎたぜ兄弟」

「そうだな兄弟。()()()()ふざけるときだな」

 

 降り注ぐ火炎の雨に、マールートはしかしただ笑って身をさらしていた。

 どれだけ数を重ねようとも、未熟者の火が竜鱗を貫くことなどありえない。

 とはいえ、せっかくの森の魔女と盾の騎士との戦いに水を差されたのは気分が悪い。

 

「いい加減鬱陶しい! 少々やいとを据えてやろ「《燬光(レイ)》!」ガハァッ!?」

 

 毒炎で薙ぎ払ってやろうと大きく息を吸い込めば、その隙を狙った紙月の熱光線がその口を鋭く狙う。

 さしもの竜人と言えど、口の中はいささか弱い。自身の毒炎ならいざ知らず、練り上げられた魔術を受ければ()()()くらいにはなる。ため切らぬまま毒炎がせき込むように散っていく。

 

 では紙月たちを相手にしてやろうとすれば、降り注ぐ火が集中を乱す。こんなものは竜鱗を焦がすことさえできないが、息を吸おうとした際に鼻にでも入ると煩わしい。

 まして、そうした隙を抜かりなくついて、紙月の熱光線が目元を狙って突き刺さる。

 

「ええい、こざかしい!」

「やっぱり目は鍛えようがねえよなあ!」

「眩しいだけじゃこんなものは!」

「くっそこの化け物!」

 

 岩をも焼き切る熱光線が眼球を直撃して、強がり交じりとはいえ眩しいで済まされるのはさすがの竜体というところだろうか。

 実際、マールートは何度か目をこするだけですぐに復帰してくるし、あまつさえ続く熱光線を平然と。

 

「おい! 光の速さだぞ馬鹿野郎!」

「放つ貴様がウスノロでは宝の持ち腐れよのう!」

 

 光った瞬間には当たっている熱光線とは言え、紙月の構えから発射のタイミングを読めば避ける程度はたやすいものだと言ってのけるが、それで銃弾避けのロジックが成立するのはフィクションの中だけにしてほしいものである。

 

 とはいえ、紙月の熱光線を避けながらでは、迂闊に攻撃も仕掛けられない。半端な毒炎は盾の騎士未来がことごとくカバーしてしまうのである。

 

「げあはははははは! 邪魔は入ったがようやくあたたまってきたのう!」

「うん、こっちも準備はできたみたいだ!」

「ほほう!?」

 

 力強い未来の言葉に、マールートは警戒を強め、そしてふと気づいた。

 ()()(けむ)いのだ。

 マールートの毒炎だけではない。散々降り注いだ炎が、中庭の草木をことごとく焼き、もうもうと煙を上げているのである。いや、それだけではない。炎術に紛れて、紙や布切れ、薪など、可燃物も同時に投下されていたのだ。そのすべてがいまや燃えては煙を放っている。

 黒い煙、白い煙、入り乱れた煙が岩壁の内側を満たしていく。

 

「ぐくくく……煙幕のつもりか? 愚かしい、哀れなほどに愛らしいほどに、愚かしいのう!」

「紙月、しっかり僕につかまって」

「お、おう。何するつもりなんだ?」

「見えぬならこの中庭ごと焼き尽くせば済むだけのこと! 竜焔を防ぐことは何人(なんぴと)にもできぬ!」

「あいつを、吹き飛ばしてやるんだ」

「ええ?」

 

 気炎を吐くマールートのことごとくを無視して、未来はただ紙月を腕の中に囲い込んで、しっかりと地面に蹲る。

 そして《盾の結界(シールドケージ)》の《技能(スキル)》が二人を覆った。不可視の結界が二人を守り、炎の熱も煙も、すべてを遮断する。

 それは《楯騎士(シールダー)》の基本的な《技能(スキル)》であり、マールートの毒炎を前には呆気なく打ち砕かれてしまう守りでしかない。

 しかし、もうそんな必要はないのだった。マールートを相手にする必要はもうないのだった。二人が耐えなければならないのは、これから来るものだった。

 

「《ラウンドシールド・オブ・シルフ》!」

「はじまったぞ! 俺たちも続け!」

「《風よ(ヴェント)》! 《風よ(ヴェント)》! 《かーぜーよーっ(ヴェーンートーッ)》!!」

「《来たれ嵐(ウラガーノ)》! 《暴れっちまえ嵐よ(フォルタ・ウラガーノ)》!」

 

 未来の《技能(スキル)》《ランドシールド・オブ・シルフ》は、円状に風の防壁を生み出すものだ。荒れ狂う風が、襲い掛かるものをはじく風の盾。その風がいま、周囲にそびえる岩壁の内側を沿うように吹き荒れる。

 それに併せて、教授陣と学生たちが風の魔法をまさしく追い風とばかりに風の渦に叩きこんでいく。恐るべき暴風の渦が、結界となって三人を包み込んでいた。

 

「げあはははは! 雑魚どもがいくら集まろうが……!? なにッ!? この儂の竜焔が……!? なにを……かはっ……なにをしおった……!?」

 

 たかが風程度で竜焔は消えぬ。

 その矜持がマールートに毒炎を吐かせようとして、失敗する。

 擦り切れた火精晶(ファヰロクリスタロ)のように、わずかな炎を生んではすぐにかき消えてしまう。新たな炎を貯めようと息を吸い込もうとして、息苦しくなってせき込んでしまう。

 見れば、周囲の火もことごとく消えている。雑魚どものやわな火も、延焼し続けていた毒炎の残り火も、根こそぎに消え絶えている。それは風に吹き消されたなどというのではない。確かにそこに熱は残っているのに、炎だけが立ち消えてしまった。

 

「な、なぜだ、なにを……カハッ……く、苦しいだと? こ、この儂が……! 毒竜たるこの儂に毒を……!? なんだ、これは、何なのだ、これは!どうすればよいのだ!?」

 

 マールートは呻き、いよいよ片膝をついた。矮小なるものどもの術と侮っていた解毒術を咄嗟に用いるが、複数あるそれのどれもが効き目を示さない。五百年を研鑽し続けた魔術師さえも知らぬとはいかなる毒かとおののくが、しかし効き目がないのも当然だ。毒が与えられているのではないのだ。むしろ、()()のだ。奪われているのだ。

 

「まさか……()()か!? 酸素を焼き尽くすために……!?」

「そうだよ。簡単な理科の実験だね。岩壁の中で火を燃やして、風で酸素を追い出しちゃえば、あっという間に火は消えちゃう」

 

 不可視の結界の中、残り少ない酸素を分け合う距離で、未来は簡単でしょと解説してみせた。

 魔法を使えないガリンドがやって見せた、蝋燭の火をともしては消すあの実験。

 魔力を持たず、精霊さえ見えないガリンドの苦肉の策であり、魔力と精霊の動きを簡単に説明するために考え抜いた実験。

 

「魔法の火は、やろうと思えば水の中でだって燃やせるんだって。でもそれには強い意志が必要になる。絶対それができるんだっていう確信が。いまあいつはそれどころじゃない。なんで火が消えるのか、なんで苦しいのかがわからないんだから、その中で燃える火なんてイメージできないんだ」

 

 それでも、常人ならとっくに意識を手放しているだろう極限環境下で、マールートは目を血走らせて耐えている。その口元では悪あがきのように、しかし低酸素下でも毒炎が吐き出されては消えていく。恐るべき生命力と精神力である。

 

「あいつが倒れるまで待ってたら、俺たちも窒息しちまうんじゃないのかこれ……?」

「もしかしたらそうなるかも……っていうのはガリンドさんが考えてくれてたんだ」

「おっ、じゃあプランBだな。プランBはなんだ?」

「ないよ、そんなの」

「ええ?」

「ふふ、冗談冗談。でも、僕たちができることはあとは、耐えるだけだね」

「は?」

 

 未来の《ラウンドシールド・オブ・シルフ》は激しい渦となって、上方に向けて吹き続けていた。学生たちの遠慮なく繰り出される風魔法も、それを後押ししてどんどん強くなっていた。

 炎が燃え続けたことで高温化した空気は上昇気流となり、どんどんと空へと昇っていく。その上昇気流は風の渦に巻き込まれて急成長し、強烈な陰圧となって地表のすべてを引っ張り上げようとしていた。

 塵や煤、煙を巻き込んだ濁った風の渦が、おおそろしない音を立てていま竜巻となって立ち上がったのだ。

 

「発生原理から言っても、定義上は塵旋風(じんせんぷう)ということになるんだろうがね……諸君、撤退するぞ! 窓から離れろ! 巻き込まれるぞ!」

 

 見下ろしていたガリンドが怒鳴り、恐れるような、あるいは楽しむような悲鳴とともに窓から見えた人影は次々に引っ込んでいく。

 

 そして竜巻は勢いを増し、すでに魔力の供給の絶えていた岩壁が崩れ落ちながら巻き上げられていく。空気の供給を遮っていた岩壁が崩れたことで、周囲の空気が一斉に竜巻の根本に集中し、上昇気流に乗って激しく空へと昇っていく。

 

「紙月、苦しくない?」

「え、あ、ああ……ちょっと苦しいかも……」

「もうちょっとだけ耐えてね」

「おう……」

 

 二人を包む不可視の結界が、不穏な音を立ててきしみ、未来は紙月をきつく抱きしめたまま、しっかりと地面に押し付けた。できるだけ体勢を低くし、風の影響を減らすのだとガリンドに教わったままに。

 風の音にかき消されないよう、耳元でささやかれた森の魔女は、黙り込んで縮こまったのだった。

 

「うお、おおおおっ、おおおおおおおッ!! この、この儂がッ!!」

 

 ついに、地面にしがみつくようにして耐えていたマールートの体引きはがされ、竜巻の中で回転しながら空へと吹き飛ばされていく。

 

「げっ、げっ、げっ、げあははははははははははははははははははははは……

 

 してやられた!

 清々しいまでに盛大にしてやられた!

 マールートの哄笑は長く長く続き、そして空の向こうへと消えていったのだった。




用語解説

・《古龍の面影》
 ゲーム内アイテム。化石系の希少素材を材料に作られる。
 高レベル土属性鎧。火属性ダメージを吸収する。
 製造に用いる化石の種類によって見た目、性能が変化する変わった鎧。
 未来のものは《装盾龍の化石》を用いた防御力重視のもので、速度が低下するが防御力は極めて高い。
『我々が生まれるはるか以前、遠い昔の生き物たちの夢が、こうして石となって残るのだ』

・《三角龍の大盾》
 ゲーム内アイテム。化石系の希少素材を材料に作られる。
 トリケラトプスの頭部化石のように見える。
 高レベル土属性盾。火属性ダメージを吸収する。また近接攻撃に対してダメージ反射を行う。
 また、盾ではあるが高めの攻撃力が設定されており、《楯騎士(シールダー)》の数少ない攻撃技に役立つ。
『体重十二トンの棘付きの盾が、どうして戦いに向かないなんて思えるんだ?』

・《タワーシールド・オブ・ノーム》
 《楯騎士(シールダー)》の覚える土属性防御《技能(スキル)》の中で最上位に当たる《技能(スキル)》。
 範囲内の味方全体に効果は及ぶが、使用中は身動きが取れず、また常に《SP(スキルポイント)》を消費する。
『完璧な岩壁、というワケだよ!』

・《ラウンドシールド・オブ・ノーム》
楯騎士(シールダー)》の覚える土属性防御《技能(スキル)》の中で上位に当たる《技能(スキル)》。
 自身を中心に円状の範囲内の味方全体に効果は及ぶが、使用中は身動きが取れず、また常に《SP(スキルポイント)》を消費する。
『意志の強さが、石の壁の強さなワケだよ!』

・《盾の結界(シールドケージ)
 《楯騎士(シールダー)》の代表的な《技能(スキル)》。
 低レベルのMobや攻撃を弾く不可視の結界を自分とその周囲の味方に張り巡らせる。《技能(スキル)》レベルを上げれば、移動速度は低下するものの、結界を張ったまま移動できるようになる。
『《楯騎士(シールダー)》たるものまずもって守りこそが肝要である。味方を守れずして《楯騎士(シールダー)》は名乗れない。まあ《楯騎士(シールダー)》の死因の六割は味方の誤射だが』

・《ラウンドシールド・オブ・シルフ》
楯騎士(シールダー)》の覚える風属性防御《技能(スキル)》の中で上位に当たる《技能(スキル)》。
 自身を中心に円状の範囲内の味方全体に効果は及ぶが、使用中は身動きが取れず、また常に《SP(スキルポイント)》を消費する。
『風の扱い方を覚えるんだ。風は気まぐれだが、理屈を知らない訳じゃない。理屈が嫌いなのは確かだが』

・塵旋風
 じんせんぷう。辻風やつむじ風とも。英語ではダストデビル。
 竜巻に似ているが発生条件が異なり、定義上も別物。
 きわめて大雑把に言えば、竜巻は上空の大気の状態が原因で発生し、上空1kmまで届くこともある。竜巻に触れると甚大な被害が出ることもある。
 一方で塵旋風は地表の大気の状態が要因となって発生する。精々100m程度、雲の高さには届かない。基本的には小規模で、建物などに被害を出す可能性は少ない。



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最終話 ア・ビリーヴィング・ハート・イズ・ユア・マジック

前回のあらすじ

圧倒的なパワーを見せつけたマールート。
しかし竜巻を起こし、空の果てまで吹き飛ばすことに成功。
これが僕たちの信じる心(物理)だ!!


 竜巻が盛大に何もかもを吹き飛ばし、それが収まったと思えば今度は吹き飛ばされた分を取り戻すように荒々しく風が吹き戻り、中庭を滅茶苦茶に荒らしていった。

 それでも、自分たちの成し遂げたことを喜び、達成感に沸き立ち、また眼前で起きたすさまじいスペクタクル・ショーへの感動に、学生たちの歓声と笑い声が響き渡った。

 

 周囲をゆっくり見まわして、慎重なほどに安全を確認した後、ようやく未来は《盾の結界(シールドケージ)》を解除した。

 そうしてゆっくり立ち上がって紙月を解放してやれば、抱きつぶされて呼吸のままならなかった紙月は、慌てたように立ち上がってわざとらしく何度も深呼吸して見せた。

 

「い、いやー、驚いたな! まさかあんなド派手なことになるとは!」

「うん、僕もこんなにすごいとは……おっと、紙月、まだ危ないみたいだ」

「うひゃっ」

 

 吹き飛ばされた瓦礫のいくつかが落下してくるのを見つけて、未来は紙月を抱き寄せてかばった。

瓦礫は大きな音を立てて未来の肩に当たって砕け散ったが、ただの瓦礫程度では盾の騎士はびくともしない。

 

 しかし、ぽろぽろと瓦礫が落ちてくるし、竜巻で表面を洗われた違法建築の尖塔たちも、いささか心もとない。すでに何人かの教授たちが走り回り、学生たちの避難を促し、また何かしらのまじないで補強を試みているところだった。

 二人は肩をすくめて、いそいそと建物の中へと戻っていった。

 

 誰が言うでもなく、しかしなんだか示し合わせたように、ガリンドや教授陣、学生たち、そして《魔法の盾(マギア・シィルド)》の二人は壁をぶち抜かれた大講義室に戻っていた。

 瓦礫はあらかた撤去されていたが、まだどことなく埃っぽい。

 そこに集まった面々も皆、埃っぽく、そしてくたびれて疲れ果てていた。

 

 それぞれがどっかりと腰を下ろして、誰かが重たげにため息をつけば、あちらこちらでため息のオーケストラが響き渡った。

 とはいえそれは悪いものばかりではなかった。疲労と緊張からの脱力だけでなく、奇妙な達成感や連帯感のようなものが、一同の間でやんわりと共有されていた。

 

 学祭の後みたいだな、と紙月はなんとなく思った。

 やってる間は楽しくて、でも大変で、そして終わってみれば疲れ果てて、でも片付けもしないといけなくって、ああでも打ち上げが楽しみだなって、そういう何とも言えず気の抜けた時間。

 

 どこか心地よい倦怠感を全員が同じ温度で共有していると、学部長ガリンドが教壇に立った。

 拡声魔道具は壊れてしまったようだが、彼は自分の声で何事か言おうとして、埃っぽい空気に激しくせき込んだ。

 

「げほっげほっ……ううむ、しまらんな。まあいい。諸君、ひとまずはご苦労だった。今回の協力には何らかの形で報いることを約束しよう」

「ひゅー! 太っ腹!」

「一部の学生に関しては、功罪打ち消しあうことと思うが……いまはよかろう! あの傲慢くそトカゲを追い払えたのだ! 素直に喜ぼうではないか!」

 

 かつてないほど心のこもったガリンドの叫びに、笑いのこもった歓声が一斉に響き渡った。

 学生たちにとっては多少ハチャメチャだがフレンドリーで悪いヒトでもなかったのだが、それはそれとしてガリンドや一部教授陣の胃に穴が開きそうなのはみな察していたのである。

 

「しっかしまあ、酸欠とは……言っちゃあなんだけど、そんな簡単な手でどうにかなっちまうなんてなあ」

「簡単な手か。君にとっては、燃焼と酸素の関係というものはよく知ったものなのだろうな」

 

 しかしガリンドが言うところによれば、そういった目に見えないレベルの小さな世界の理屈というものは、現代では大学でようやく教わる高等教育の分野なのだという。

 

「もちろん、焚火やかまど、それこそ蝋燭の扱いでも、空気を絶てば火が消えるというのは、経験から知っているものは多い。閉所で火をたくと息が詰まってしまうというのも、知る者は少なくない」

「でも知識として学んだわけじゃない?」

「うむ。それぞれの状況では適した行動をとれるとしても、実際には空気がどのようにかかわっているのか、わかっていないのだ。あくまでそういうものだという漠然とした教えと経験があるのだな」

 

 薪の位置を調整して空気の通りをよくしなければ燃えが悪い。そういうことがわかっていても、燃焼には酸素が必要で云々(うんぬん)というのは、彼らの考えが及ぶところではないらしい。

 それもそうだ。何しろ酸素なんてものは目に見えない。酸素は空気の一部であって、酸素が燃焼されつくしても、空気そのものが極端に変化して見えるわけではない。色が変わるわけでも、数字で見えるわけでもない。

 

 そもそも酸素という存在だって、古代聖王国時代から焼かれずに残された記録からそういうものがあるらしいと伝わっているものでしかない。微生物を見ることのできる顕微鏡はあっても、分子や原子の世界を観測する手段はないのだ。

 

「知識が失われるというのは、本当に致命的なことなのだよ。マールート、奴は非常に強力な魔術師であったが、それは奴の意思の力と魔力の強さ、長年の戦闘経験が大きかった。個体としてみればそれは文句なしの性能だっただろうが、科学的知識をあまり持ち合わせていなかったのは助かったよ」

「でも、あんなにうまくいったのは、ガリンドさんの作戦のおかげです」

「いいや、ミライ。それが君が、そしてみんながそれを信じてくれたからだ。私などのことを」

「信じる心が、僕たちの魔法なんでしょう。そして、ガリンドさんの」

「……ああ、そうだな。そうかもしれない、君たちが信じてくれたことこそが、私がようやく叶えた魔法なのかもしれないな」

 

 魔法を発動させるには、そうなるのだという確信がいる。信じる心が。

 未来の《技能(スキル)》だけでは、竜巻のような風は引き起こせなかった。あの場に集まったみんながみんな、ガリンドの作戦を信じ、その先にある結果を信じたからこそ、あのように見事に竜巻が発生し、マールートを吹き飛ばすことさえできたのだ。

 もしも誰かが疑い、そんなことできっこないと叫んでいたら、もしかしたらそれだけで作戦は破綻していたかもしれないのだった。

 

「しっかし……あいつ、吹っ飛ばされたけど、どうなったんでしょうね」

「残念なことに、というべきか、あの程度では死にはしないだろう」

「うへえ、本当に化け物だな……」

「とはいえ、死なれても困るがね。《竜骸塔》との関係もあるし、招待した手前、うっかり殺しちゃいましたなどとは言えんしな」

「まあ、俺たちが揃ってりゃあんなやつひとひねりでしたがね」

「もし君たちがいい感じに追い詰めてあいつを仕留めてしまうようなことがあったら、いろいろと隠蔽しなければならんかっただろうな……()()()()()

「おっとぉ……」

 

 政治は時には人の命なんかもむにゃむにゃしてしまうものなのである。

 それが実際的暴力を十二分に有した組織間の話であればなおさらだ。

 

「ま、力の信奉者たる奴が、仮にも撃退されたのだ。いくらかは態度も改めるだろう。いままでの分も合わせて修繕費をたっぷりとふんだくってやる」

「ええっと……僕たちが壊しちゃった分って……」

「そんなものがあったかな。私は気づかなかったな。諸君はどうかね」

「見てないでーす!」

「あいつが一人で壊してましたー!」

「よしいい子だ。成績は期待しておきたまえ」

「うわあ、黒い面を見ちゃった」

「まあ、俺たちも利益享受してるからなあ」

 

 ガリンドはこの際だから、学生どもと一部の教授どもによる物損や、違法建築でガタの来ている分もまとめて請求してやると息巻いていた。どうせため込んでいるんだから身軽になるまで吐き出させてやると。

 いろいろと吹っ切れたらしい学部長は、実に強気だ。

 

「そういうわけで奴に関しては気にしないでいいが……しかし、君たちは間違いなく目をつけられただろうなあ」

「あー……やっぱりそうなります?」

「ちょっとした掘り出し物と思っていた相手に、こうまでしてやられたのだ。さぞかし熱烈な勧誘を受けることになるだろうよ」

「うへえ……見つかる前に逃げようかね」

「まあ、あんな奴だが、それでも学べる点はきっと多いだろう。性格は最悪で行動も最悪だが、あれでも五百年生きた魔術師だ。実力の程も、目にした通りではあるしな」

「そうなんでしょうけどねえ……先生は寛大ですね」

「なに、私も奴から学ばせてもらったからな」

「先生が?」

 

 ガリンドは小さく笑って、ぶち抜かれた壁から空を見た。

 

「奴が言うところによれば、私はガランドーだそうだ。空っぽで、なんにもないのだと」

「そんなことないですよ!」

「いいや、いいんだ。私はだんだんこの言葉が気に入ったよ。空っぽなら、これからなんでも、いくらでも詰め込める。そいつはなかなか、素敵じゃあないかね」

 

 竜巻がかき乱した空では、散らされた雲が小雨を降らし、遠く虹がきらめいていた。




用語解説

・ガリンド・アルテベナージョ(Galindo Altebenaĵo)
 帝都大学魔術学部第11代学部長。
 歴代で唯一完全な魔法無能力者でありながら、歴代最長の在任期間といくつもの教育改革から魔術学部中興の祖とも呼ばれた。
 在任中に執筆した論文が高く評価され魔導伯に叙任されたことでも有名。
 科学的手法によって現代理論魔術学の基礎を築き、後年にファレーノ計数機を開発したガブリエーロ・ファレーノ博士など近代の著名な学者も氏を恩師と仰いでいる。
 後年にはガランドーと改名したが、これは西方の言語に由来し、「自分は何も持たないがゆえに、何も拒まず、誰でも受け入れる」という意味を込めたとされている。


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エイプリルフールIFストーリー
IFストーリー ワンデイ・ノット・ソー・ディスタント・フューチャー


前回のあらすじ

帝都地下に眠るイクサ・ジェネレータを巡る争いの果て、乱入者《蔓延る雷雲のユーピテル》の手により帝都に投下される静止衛星からの超高高度質量爆撃。
盾の騎士未来は、帝都を、人々を、そして紙月を守るためにその持てる力のすべてを振り絞る。
命の輝きは、まばゆい。


 それはそんなに遠くもない未来のこと。

 とはいってもまあ、長命種(ハイエルフ)の感覚なので、別に近くもない未来のことでもある。

 

 町からほどほどに離れた森の中に、小さな小屋が建っていた。

 その小屋がいつ建てられたのかは定かではないが、いまでも確かにそこにあることは、時折里に下りてくる魔女の元気そうな姿から見て取れた。

 

 魔女。

 そう、魔女。

 森の中に住んでる魔法を使う女なので、森の魔女。

 最初に呼ばれ始めた理由とはちょっと違うし、なんなら女でもなかったけれど、本人も細かく訂正しないし、人々も詳しいことには興味がなかった。

 人々の認識はそんなものだった。

 

 その森の魔女は、紙月といった。

 古槍紙月というのが彼の名前だった。

 もっとも、郷の人々はみんな森の魔女と呼び親しんでいたので、名前で呼ばれる機会はずいぶん減ったものだった。

 魔女様と様付で呼ばれることにも、すっかり慣れてしまった。

 

 その日も紙月は、おとぎ話の魔女のようなとんがり帽子に、それで森の中歩くのはすごいを通り越して馬鹿だよというピンヒールでのんびりと森を歩いていた。

 

 別に暇というわけではない。

 

 人里離れたところに住んでいても、手紙は届くし道は続いている。

 西の町で病に苦しむものがいたので治してやったり、東の村でひどい傷を負った木こりの腕を治してやったり、ちょっと遠い町の方で凶悪な魔獣が出たとかいうので暇つぶしがてら蹴散らしてみたり、帝都の大学でなんかよくわからん研究の実験台にされかけたり、いろいろと忙しいのである。

 

 それでまあ、帰ってきたときくらいはのんびりと気を休めたいなあと森林浴がてら森を歩くのである。

 生まれ育ちが都会派の紙月としては電気もガスもなければコンビニもないような辺鄙な土地での生活は時々ストレスにもなるけれど、それはそれとしてハイエルフの体は森に何やら親しみを感じるようで、プラスマイナスで言えばややプラスが勝っていた。

 

「まあなけりゃないで、普通に魔法でどうとでもなるからな……いやでも普通にコンビニは欲しいな」

 

 眠らない町こと帝都なんかでは二十四時間営業の店舗が普通にある。

 なんなら深夜にアイスを買いにぷらっと出ることだって可能だ。

 紙月が帝都に遊びに行ったときなんかはちょくちょく足を運ぶのだが、深夜の時間帯は大体目の死んだ学者みたいなのとか、目の死んだ冒険屋みたいなのとか、目の死んだ役人みたいなのとか、そういう連中が用法用量を守っていなさそうな量の栄養剤を買い込んでいくのでちょっと期待してたのと違う。

 

「あと少し放っておくと家が森に侵食されるのがな……」

 

 ハイエルフ・ボディは確かに自然を好むのだが、自然というものは人工物と別に仲がいいわけではないのである。

 いつ建てたか本人もちょっと怪しいところのある小屋なんかは、ちょくちょく手入れをしてやらないとすぐにツタだのコケだのに覆われてしまうので、家周りだけでも植物を焼き払えるちょうどよい威力の魔法がないものかと紙月は模索中だった。森を焼くエルフである。

 

 さて、あてもなく歩いていたかのように見えた紙月は、小屋の裏手のすこし開けた広場に足を向けた。

 そこには世界観に後ろ足で砂かけるような和風テイスト極まる直方体の石材がどんと鎮座ましましていた。これぞ墓でございと言わんばかりのジャパニーズ墓スタイルである。なんなら石灯籠とか線香立てとか卒塔婆もある。ただし卒塔婆は書いてある文句は思い出せなかったので、無地である。

 

「《土鎖(アース・バインド)》、《浄化(ピュリファイ)》」

 

 魔法で土を操り、雑草ごと移動させて墓周りの除草を済ませれば、《浄化(ピュリファイ)》の魔法で墓本体もお手軽に掃除を完了。便利ではある。便利ではあるがいろいろと台無しだなとは本人も思っている。

 

 これまた世界観が息してないのと言わんばかりの桶に、思い出したようにファンタジーして魔法で水を注ぎ、また世界観にとどめさすような樹脂とアルミ製の柄杓を突っ込む。

 ワンクッション置かないで直接魔法で水かけた方が早いんじゃなかろうかと自分で思いながらも、紙月は丁寧に柄杓で墓石に水をかけた。掃除は魔法でお手軽に片づけてしまったのである。打ち水くらいはまあ、風情というか、なんかこう……手間をかけた方がなんか……価値がある的な……?と本人もあいまいな気分であるが。

 

 あれやこれやと済ませてから、ようやくと手を合わせたその墓石には、帝国公用語である交易共通語(リンガフランカ)ではなく、紙月の故郷の日本語でこう刻まれていた。

 

 衛藤未来、と。

 

「…………明朝体はやっぱ雰囲気が微妙か……?」

 

 なんか会社の看板みたいだな、などとぼやくハイエルフ一匹。

 紙月も何とかいろいろ試してみたのだが、ゴシック体はさらに微妙だったし、楷書体はなんども修正を繰り返すうちになんかバランスとか漢字とか自信がなくなってしまったので、仕方なかったのである。

 日本語使う機会がなさ過ぎて、自分でもかなり怪しい字を書くことがしばしばあるくらいだ。

 

 時を同じくして、境界の神プルプラによってこの世界に転生してきた紙月と未来。

 その際に二人の肉体は、プレイしていたゲームのキャラクターをもとにして構築されてしまった。

 ただの現代日本人が過酷な異世界で生き延びていけるように、そしてまたプルプラとかいう邪神がゲームの駒として楽しむために。

 

 紙月のハイエルフという種族には明確な寿命が設定されていなかった一方、未来の獣人という種族は決して長命とは言えなかった。

 長くても人間と同じ程度。環境や場合によっては、それはいくらか短くなることもあるだろう。

 

「さすがに百年二百年となりゃ無理だろうなとは思ってたけどさあ」

 

 紙月が墓石に向けるまなざしには、寂しさが隠せなかった。

 

「早かったよなあ、本当に」

 

 衛藤未来は大人になる前にこの世を去った。

 成人を迎える前に、二度目の死を迎えた。

 誰に恥じることもない大往生だったと思う。

 強大な敵を前に一歩も引かずに、紙月を、仲間を、そしてこの世界の人々を守って、未来は倒れた。

 輝かんばかりの生きざまで、弾けんばかりの死にざまだった。

 

 紙月は衛藤未来という少年を、誇りに思う。

 その生涯に、一片の陰りとてないと思う。

 

 などと思えるようになったのは割と後になってからで、その直後は息もできないくらいだったし、敵討ちだといわんばかりに《SP(スキルポイント)》が空になるまで、空になっても魔法を連発して事態を収拾したのか収拾がつかなくなったのかわからないくらいに大暴れもした。

 しばらくは泣いて暮らしたし酒浸りの日々を過ごしたくらいだ。

 

 でも、時は過ぎる。

 心は、存外にしたたかだ。

 忘れる。慣れる。過去にする。

 親しくしていた人々が自分よりも先に旅立っていく日々は、紙月の精神までをもハイエルフとして成さしめた。

 

「それでもよ……お前がいない夜は寂しいぜ、未来」

 

 などと寂しげに墓石を撫でて未亡人みたいな顔をする蠱惑的なハイエルフである。寝てから言え。

 そんな紙月を後ろから呆れたように見下ろしているのが白銀の大鎧である。

 

『まーた変なこと言いだしてる』

「失敬だなおい」

『どうせまた悪い酔い方してるんでしょ』

「うるせーやい。今朝は飲んでねえよ」

『今朝まで飲んでたから言ってるんだよ……』

「朝日が出たからリセットだ」

『またわけわかんないことを……』

 

 鎧の中から呆れたようにため息を漏らすのは少年の声である。

 でっかい鎧から第二次性徴前の男子の声がするとして、紙月に負けず劣らず性癖を破壊してきた蠱惑的ボイスである。

 

「よーっし、墓参りも済ませたし、帰って飲むか!」

『全然ヨシじゃないし……飲まないっていう選択肢はないの?』

「俺に死ねと?」

『命かかってるの!?』

「大人はな、酒に頼らなきゃやっていけないときがあるんだよ」

『三六五日二十四時間そういうときな気が……』

「大人になるっていうのはそういうことなんだよ」

『絶対そういうことではなくない!?』

 

 小屋に向けて歩きながら、森の魔女と大鎧はそんな軽口をたたきあった。

 そして紙月が笑いながら鎧を小突いた拍子に、ぐらんと兜がかしいで、落ちた。

 

『しづ、しづづ、しづ、し、し、し、し、』

「ありゃ。やっぱ不安定だな」

 

 ころころと転がる兜。

 残された鎧は、びくりびくりと痙攣しながら、ひび割れた声で壊れた音声を垂れ流す。

 紙月が兜を取りあげてかぶせてやっても、鎧は元に戻らず、ただ気だるげな溜息だけが森に響いた。

 

「またダメか。適当な魂じゃやっぱ駄目だな」

 

 紙月がぞんざいな手つきで何かを中空に描くと、途端に鎧は全ての動きを停止し、その場に崩れ落ちた。鎧の隙間から奇妙に黒いどろどろが流れ落ちて、木漏れ日に触れては蒸発したように消えていく。

 

「うーん……やっぱ闇市に出回るような死霊術でもこれが限界かね」

 

 残念残念。

 ひどく軽い調子でつぶやき、そして気を取り直したように紙月は手を叩いた。

 その動作ひとつで魔法が発動し、衛藤未来の墓石のそばに直方体の石材が生えてくる。その隣にも似たような石材が生えている。その隣にも似たような石材が生えている。その隣にも、その隣にも、その隣の隣にも、似たような石材が生えている。その後ろにも、その後ろにも、その後ろの後ろにも。

 広場には墓石がいっぱいだった。

 それは墓地と言って差し支えなかった。

 

「えーと、なにくんちゃんだったかね。まあいいや。ナムナム」

 

 今回もだめだった。

 今回の未来もすぐに壊れてしまった。

 前回の未来も、前々回の未来も、前々々回の未来も、みんなみんなすぐに壊れてしまった。

 やはり材料が違うとだめなのだ。

 けれど仕方ない。本物は一つしかないのだ。うまくできるようになるまで、下手なことはできない。

 

「ごめんな未来。いつかちゃんと俺がおまえのこと、産み直してあげるからな」

 

 いとおしげに下腹部を撫でた森の魔女は、またゆっくりと森を歩きだした。

 

 それはそんなに遠くもない未来のこと。

 とはいってもまあ、長命種(ハイエルフ)の感覚なので、別に近くもない未来のことでもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「っていうことになるかもしれねえから、長生きしろよ未来」

「絶対に死ねない理由がそれなのはおかしいからね!?」




用語解説

・死霊術
 死者の魂、また死体を操る術とされる。
 その存在は眉唾であり、闇市場などで出回る禁書などもほとんどはただの出まかせ。
 しかし生贄や違法薬物、倫理にもとる儀式などを用いるとされ、帝国法では厳格に処分される重大犯罪。


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