GANTZ:A (幼生さん)
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ねぎ星人編
プロローグ


 特別な存在になりたかったんだ。

 小さい頃はテレビで見てた特撮ヒーローに憧れて、友達とゴッコ遊びをする時はいつもそのヒーローの役を演じていた。学校では誰よりも勉強を頑張って常に一番の成績を収めていたし、運動神経にも恵まれていたおかげで運動会のリレーだと運動部に所属している奴らを追い抜いていつも一位を取っていた。

 クラスメイトや教師はいつも俺に称賛の声を送り、両親は自慢の息子だと俺を褒めてくれた。

 順風満帆の人生だった。挫折なんて知らなかった。

 自分にできることをできない奴を見ると内心では正直見下していたし、世の中こんなもんで簡単に生きていけるんだって舐め切っていた。

 次第にその思いは強くなっていって、俺は今の環境の中だけでなく、外の世界にも自分が凄いんだということを証明するために、地元を離れて都内で有名な進学校を受験することにした。有名な学校だけあって試験問題は難問だったが、結果は合格だった。

 今にして思えば、あそこで合格してしまったことが全てのはじまりだったんだろう。

 難関校を合格したこともあって、なおさら自分に自信を付けた俺は、親元を離れて意気揚々と入学を果たした。けれどそんな俺に待ち受けていたのは、どうあがいても超えることができない、天才という存在の大きな壁だった。いくら努力しても、天才と呼ばれる奴らはその遥か上を行く。その後を追いかけて、必死に齧りついてやると躍起になっても、距離は離されていくばかりで一向に縮まらない。

 入学した時に抱いていた余裕なんて感情は直ぐに消え失せた。後に残ったのは焦燥感と敗北感、そして嫉妬という醜い感情だけだった。

 そうしてあっという間に一年という時間が過ぎた頃には、俺は自分が特別な存在でもなんてもなくて、ただそこら辺にありふれた有象無象の中の一人にしか過ぎないのだということに気がついた。気がついた俺は、それまで抱いていたあらゆる感情や思いが消え去って、全てがどうでもよくなってしまった。

 それからは赤点にならない程度の勉強だけして、後は惰性に身を任せるだけの日々だった。

 一年生の間、一年中机に齧りついていたことでクラスメイトとまともに交流もせず、必要最低限のやりとりしか交わさなかった俺に友達と呼べるような存在なんているはずもなく、二年生・三年生に進級してからもクラスの中では孤立していた。

 まあ今さら、誰かと親しくなろうとは思っていなかった。このままなんの波乱もなく学校を卒業して、そこらにある平凡な大学に進学して適当に生きていくんだって。

 そんな風に考えていたんだ。

 今日までは。

 

                      ◆

 

 学校からの帰り道だった。

 日が傾き、斜陽の差す通学路を歩いていると前方から悲鳴が聞こえてきた。

 

「ひったくり! ひったくりよっ!」

 

 五十代くらいの中年女性がアスファルトの地面に尻もちを突きながら周囲に知らしめるように甲高い声を上げている。その女性から一メートルほど離れたところには黒いニット帽にグラサンとマスクを被ったジャージ姿のいかにも犯罪者といった風貌をした男が、女性から奪い取ったのであろう豪奢な作りをしたハンドバッグを横抱きにしてこちらへと駆けてくる姿がある。犯罪を犯したことで精神的に興奮しているのか、ニット帽の男の走り方はどこかたどたどしくまるで酔っ払いのようにも見える。

 

「おいおい、嘘だろ」

 

 どうしてよりにもよって、このタイミングで。しかも俺の方向に来るんだ、こいつは。

 冷や汗がたらりと額から流れて頬を伝い、変な緊張感に引き攣った頬の筋肉が痙攣するのを感じる。横目に周辺を見回しても、俺の側には誰も立っておらず、遠目に見守っている野次馬が興味深しげにこちらへと向かってくるひったくり犯とその前方に佇んでいる俺のことを覗き見ている様子がわかる。

 

「あんた! そこのあんた! ちょっとそいつ捕まえてっ!」

 

 うるせぇババア。なんで俺があんたのためにそんなことしなきゃならないんだ。

 そう言ってやりたかった。あのひったくり犯がなにか凶器を持っていたら危ないのは間違いなく俺自身だし、ここはどう考えても怯えたふりをして脇に退けてひったくり犯を見送ってやるのが正解だ。

 しょうがないだろ、こちとらただの一般人だぞ。他に人手があるならまだしも、俺一人だけで一体なにができるっていうんだ。

 そんなことを逡巡している間にも、ひったくり犯との距離は縮まっていき、もう直ぐそこまで迫ってきていた。

 

「退けぇ! 退けゴラァ!」

 

 野太い声をマスク越しにくぐもらせて、ひったくり犯は空いた腕を振りながら威嚇してくる。

 こっわ。完全に興奮してるじゃんか。やっぱり退けるのが正解だって。

 頭では割と冷静に判断できているのに、しかし何故か身体が固まったように動かない。心臓が早鐘を打ち鳴らし、痺れたように足がガクガクと震える。

 

「ああ、クソッ! こんなのガラじゃないってのッ!」

 

 俺は一体今からなにをやろうとしているんだ。自分のことなのに自分がわからない。

 

「テメェ! さっさとそこをどけ――ッゴォ!」

 

 残りおよそ二メートルほどの距離を切ったひったくり犯が怒鳴り声を上げていると、その言葉を遮るようにして教科書などの詰まったそこそこ重量のある学校鞄がグラサンとマスクに覆われた男の顔面に突き刺さる。濁った悲鳴を上げた男は突然訪れた顔面への衝撃に怯みたたらを踏む。

 

「うああああああああッ!」

 

 そこへと俺は、悲鳴にも似た叫び声を上げて男の胸元へと頭突きをするように飛び込んでいく。頭が男の胸部へと直撃すると、頭上から「ぐっふへッ!」という阿呆みたいな苦悶の声が漏れてきて、勢いをそのままに倒れ込んでいく。

 

「はっ、はっ、はっ……!」

 

 呼吸がおかしい。緊張のし過ぎだ。

 ひったくり犯の胸元から頭を離して、馬乗りの格好でその男の顔を見下ろす。転倒した拍子にグラサンとマスクが外れて、素顔が露わになっていた。特に何ら特徴のない三十代ほどの見た目をした男は痛みによって表情を歪めていた。

 それを見て、これが自分のやったことなんだと認識した俺は、自分の心の内が奇妙な高揚感に包まれていることに気がついた。

 

「は、はは、ははははっ!」

 

 周囲の観衆がそんな俺達の様子を見ながら「警察! 警察呼んで!」「よくやったぞ坊主!」などと言いながら騒いでいるのが聞こえてくる。見ているだけでなにもしようとしなかった癖に、事が終わると動き出すなんて酷い奴らだ本当に。

 でも、やれた。

 俺でもやれたんだ。

 

「は、はは――?」

 

 ザスッ、という乾いた音と共に首元に衝撃が走り視界が揺れた。

 途端に息ができなくなった。次いで首筋が熱くなってきて、視界が赤黒い液体に塗れた。壊れた蛇口から吹き出すみたいにして溢れてくるその赤黒い液体は、どうやら俺の首元から出てきているようだった。

 

「ごっ、かふッ、ごふッ……?」

 

 なにが起こったのかわからず、呆然と自分の身体を見下ろしてみると、全身が赤黒い液体に塗れていた。喉のおくからせり上がってくる感覚に我慢できずにソレを吐き出すと、鼻と口いっぱいに鉄錆に似た臭いと味が広がった。

 

 ああ、これ血だ。

 

 ようやくそれを理解した俺は、馬乗りにしているひったくり犯がいつの間にかナイフを握っていて、それを振り抜いた形で固まっていることに気がついた。どうやら俺がよそ見をしている内にナイフを取り出して、俺の首をそれで切り裂いたらしい。

 

 あーあ、やっぱりガラにもないことはするもんじゃなかったな。

 

 急速に薄れていく意識の中で思ったのは、そんな感想だった。



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