外伝・少年少女の戦極時代 (あんだるしあ(活動終了))
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デューク&ナックル編
新しいバロン?


 室井咲は、黒いセーラー服をなびかせて下校の途にあった時、“それ”を見咎めた。

 

 盾をモチーフにした(とら)()のエンブレム。

 新しいビートライダーズのチームがデビューしたのかと顧みれば、そのエンブレムが冠しているのは何と「BARON」だった。

 

 エンブレムの貼られた柱の前に立ち、咲は虎斑のエンブレムを隈なく観察する。

 

(バロンの姉妹チーム……なんて戒斗くんが許すわけないよね。けどザックくんがニューヨーク行っちゃってからはペコくんが代表代理してるっていうし、ペコくんがOK出したのかな? それともまさか、チームバロンの丸パクリ? 便乗商法?)

 

 観察していた咲の目に着いた。「BARON」の上に刻まれた「NEO」のロゴタイトル。

 

「“ネオ・バロン”……」

 

 チーム名が、ちがう。

 

 咲は学校指定のショルダーバックからスマートホンを取り出し、アドレス帳の「戒斗くん」の項目の通話ボタンを押した。

 

 呼び出し音が鳴る。

 鳴り続ける。

 とぎれることなく、鳴るばかり。

 

 電話が繋がらない。

 

 戒斗がネオ・バロンの存在を耳に入れていれば即帰国するのに、咲にその一報もなしということは、戒斗は電波の入らない後進国か人里離れた秘境にいるということだ。

 

(もー! さっさと出てよ、戒斗くん。世界を広げるための旅は大事だけど、バロンだって同じくらい大事でしょ!)

 

 咲はひとしきり地団駄を踏んでから、溜息を落とした。

 

 戒斗への連絡は後回しだ。

 

 そもこのネオ・バロンを騙る者たちはどのような素行で、何の目的でチームバロンの名を奪ったか、それらを調べることを優先しよう。

 

 

 黒いセーラー服と短く切り揃えた黒髪を再び翻し、咲はその場から立ち去った。

 

 

 

 

 

 

 

 碧沙とトモの学級が帰りのHRを終えて担任に礼をし、放課になった直後だった。

 

 チームリトルスターマインのSNSに久しぶりの新着メッセージが入った。しかもチームメンバー招集連絡だ。議題は、最近巷を騒がせている“ネオ・バロン”について。

 

(行きたい。行きたいけど、気まずい。わたし、最後に咲と連絡取ったのっていつだったっけ?)

 

 心は沈んだまま、手は慣性で教科書やノートを学生鞄に入れて、着々と下校準備を進めていく。

 

(どうしよう。わたし、咲と会ってちゃんと笑える?)

 

 ふと隣席を見やった。トモは教科書を鞄には仕舞わず、プリントの束を机に出して、シャーペンのペン先を紙面に、こつ、こつ、と当てている。

 

「また補習?」

「ええ、『また』よ。さすがに再追試で打ち止めたいわ。ったく、こうなるって分かってたのに、何で進学校なんか来ちゃったんだか、わたしも」

 

 今だから言うけど、シドさんってなーんか他人の気がしなかったのよねえ――とはトモの言である。なるほど、憎まれ口であっても律儀に相手に応酬したシドは、嫌いな相手であれ無視を決め込んでいられないトモと共通する部分がある。トモとはそういう人間だ。

 

 閑話休題。

 

「てなわけで、わたしは遅くなる、ってゆーかぶっちゃけ出らんないから……」

 

 碧沙は椅子をトモの机の横に置いて、座った。

 

「分からないとこ、どこ?」

「……いいの?」

 

 寂しさと安堵が入り混じった笑みで応えとした。トモは碧沙の表情で察してくれた。

 

「こっからここまで、全部」

「はいはい。じゃあ教科書出して。これなら15ページの練習問題とほぼ同じだから――」

 

 

 教室にまんべんなく射し込む陽光がオレンジに染まりゆく中。

 

 窓の向こうから届く、部活中の生徒のかけ声と、ホイッスル、バッドの殴打音、ボールのラリー音。

 ――それらをBGMに、碧沙はトモが補習プリントを全て解けるまで、ずっとトモの机に貼りついていた。



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報告会inダンススクール

 ダンススクールのレッスンが休憩時間に入ったところで、教室の隅っこで、咲は、ナッツ、モン太、チューやんと4人で車座になった。

 

 ひさしぶりに野外劇場で勢揃い、と考えなくもなかったが、赤点で補習のトモとそれに付き合ってヘキサが来られないと連絡があったので、ここにした。

 

(正直、今ヘキサと顔合わせて平気でいられるか怪しいし。これはこれでアリか)

 

 

「そんじゃ、ひさびさのリトスタ作戦会議、ハジメマース。――ナッツ」

「はいよ。――チームネオ・バロン。結成は今年。テンプレなギャングや格闘家くずれがおもな構成員で、正式なチームバロンのメンバーは一人も入ってない。ダンスのダの字もなしで、格闘賭博に明け暮れてる連中ばっか。活動はこの短期間なのに、アングラじゃ割とネームバリューがあるっぽい。おかげさまで調べんの楽だったわ」

 

 インターネットやソーシャルネットワークを駆使させてナッツの右に出る者を、咲は知らない。

 そして時は情報戦国時代。こういったネタはネットの海にはごろごろ転がっていて、ナッツはそのサルベージが上手い。

 

「チューやん、現場どうだった?」

「……テンプレなレスリング会場」

 

 チューやんは年齢に合わない老け顔と長身のため、私服であればそういう場所に出入りしても違和感がない。よって彼に、ネオ・バロン拠点が発覚した時点で下見を頼んだ。

 

「……ただ」

「ただ?」

「……ペコさん、いた。ネオ・バロンのコスチューム、着てた」

「……まじ? 無理やりじゃなくて?」

 

 チューやんはこくん、と頷いた。

 

 先に戒斗に電話が通じなくて幸いだった。これで帰国した戒斗がペコを見た日には血を見ることになったに違いない。

 

「試合そのもののレベルは? ぶっちゃけ、勝てそうだった?」

「……竹刀があれば、ギリギリ。トモは……無理」

 

 チューやんは剣道の、トモは薙刀の、それぞれ初段持ちだ。加えてチューやんは体育で剣道を選択競技としているから、日々の研鑽は怠っていない。だが、トモの選択競技はダンスで、実家の道場での稽古からも遠ざかって久しいため、ネオ・バロンの闘技場には出せない。チューやんはそう言ったのだ。

 

「バカ正直に正面から乗り込むのはやめたほうがいいってこと」

「トモとチューやん以外は特別バトル強い人間じゃないし、人質にされる可能性大だよなあ」

 

 モン太の言うようにチームメイトを人質に取られたら、咲は自分を抑える自信がない。アーマードライダーに変身してありったけのDFボムでその闘技場を瓦礫と化すまで爆破すると断言できる。

 

「あ、そだ。忘れるとこだった。ネオ・バロンのリーダーの、シュラって奴。古株の人がバロン繋がりで知らないかと思って聞いてみたんだけど」

「どんな奴?」

「びっくりしたぜ~。元々バロンのダンサーだったんだってさ」

「「うそぉ!?」」

 

 意図せずナッツと重なった。

 

「ほんとほんと。バロンっていうか、カイトがチーム入りする前の別名義のチームだった頃な。シュラと入れ替わりにカイトが入って、チーム名もバロンに変えて、カイト無双の始まりだぜっ」

「あー、はいはい。じゃあ、シュラの逆恨み?」

「カイトも割と理不尽にそのチーム接収したっぽい」

 

 入れ揚げている対象にも公平に評価を下すのがモン太の長所である。

 

「他人様の都合も考えずにゴーマイウェイだから要らない火種まき散らすのよ。後始末させられるこっちの身にもなれっちゅーの」

 

 ショルダーバッグのファスナーを開け、本当にひさしぶりに、戦極ドライバーとゲネシスコア、ドラゴンフルーツ、パッションフルーツ、ヒマワリ、ダイズ、ピーチエナジーの錠前を出して、並べた。

 

「使うべきだと思う?」

「「思わない」」

「……ない」

「うわ全員に即答された!」

「トモとヘキサがいても同じこと言ったろーなー」

「……咲がそこまでするほどのレベルじゃ、ない」

「あ、それよ。ロックシード」

「なに?」

「試合で勝ったほうはネオ・バロンからロックシードを貰えるんですって。……で、よかったわよね、チューやん?」

 

 チューやんはこっくり、と頷いた。

 

「おかしいでしょ、それ。市内のロックシードは貴虎お兄さんが回収して、もういっこも残ってないじゃん」

「あたしも思ったのよ。その景品のロックシード、ネオ・バロンはどっから調達してんのかなって。錠前ディーラーと繋がりのあった売人はのきなみ貴虎さんがお縄にしてる。ミッチさんが裏取ってくれたから間違いない。新しいのを調達したくても、まずクラックを開く装置だってない。これに関してはガチで情報皆無なのよ」

 

 うーん、と咲はモン太とチューやんと揃って腕組みをして眉根を寄せた。

 ナッツがお手上げとなると、これ以上深く探るのは無理だ。

 

「あたし的に気になることがないわけじゃないけど」

 

 ナッツは手にしていたクリアファイルから2枚のA4コピー用紙を出して、床に並べた。

 

「片っぽはネオ・バロンのマークで分かるとして、こっちのは何?」

 

 一番に気づいたのはモン太だ。

 

「ネオ・バロンのと同じじゃん」

「え、どこが?」

「盾の後ろの黒い部分。ここ、ここ。葉っぱっぽい」

 

 注意深く検めれば、なるほど、確かにモン太の言う通り、ネオ・バロンの盾のマークは何かの植物を下敷きにしたデザインだ。その植物は、もう一枚の紙の、コブラのように茂る葉と同じものだった。

 

「“黒の菩提樹”。あたしらが小学校だった頃に流行ってたカルト宗教のマーク。関連画像で出てきたんだけどね。あたしも最初はスルーした。5回くらい観て、言われてみれば何となくって程度だったけど、モン太が言うならマジ()ね。今日帰ったら洗ってみるわ」

「うん、お願い」

「あたしからの報告は以上よ。で、リーダー。どう動く?」

 

 3人分の視線が咲一人に集まった。

 

 どう動くか? 決まっている。ビートライダーズの問題はビートライダーズで片を付ける。

 

「ナッツ、手持ちの情報全部、ペコくんのこと含めて、ビートライダーズ全体のSNSに上げといて。それでヘキサとトモにも伝わるでしょ。ザックくんがいれば一番よかったんだけど、ニューヨークでがんばってるとこ邪魔するのも悪いし。ネオ・バロンにせよ“黒の菩提樹”にせよ、ガチでヤバげなら貴虎お兄さんからストップかかるだろうから、それがない限りは、あたしたちでなんとかする方針で」

「……景品の、ロックシード……実物」

「チューやんが無理して取って来なくてもいいよ。剣道強くても、チューやん基本、ふつうの男子中学生なんだから――ってヘキサなら言うだろうからね」

 

 仲間たちの全員が咲に肯き返した。

 こういう時、理解あるチームメイトを持てて幸せだと、心から思う。……その“理解”が、室井咲の身の上のために、いつか薄れてしまったとしても。



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リトルスターマイン、再始動!

 

 ざわ。ざわ。

 

 クラスメートがさんざめく昼休みの教室。碧沙は、購買部に昼食のパンを買いに行ったトモを待つ間、スマートホンをタップし、タッチした。

 

 開いたウィンドウはもちろんビートライダーズの全体SNS。

 新着メッセージはゼロ。

 

 ――咲たちがネオ・バロンの調査結果を全体SNSにアップロードしてからも、ペコからの便りはない。読んだコメントによれば、比較的仲の良いチャッキーにさえ、ない。現在のペコとは完全なる没交渉だ。

 

(待つしかないじれったさには慣れてる。それより不安なのは、ペコさんが元気かどうか。連絡をとらないように脅されたり暴力をふるわれたりしてなきゃいいんだけど)

 

 前にこの考えをトモに打ち明けると、「ヘキサは心配性なのよ」と一刀両断された。もう薙刀は辞めたくせに、実に切れ味のよい断言だった。ちょっぴり根に持っていたりする。

 

 

「知ってる? 街の幽霊の噂」

「知ってる知ってる。“ザクロ売りの錠前ディーラー”でしょ」

 

 

 そのおしゃべりが耳に入った瞬間、碧沙の聴覚はダンス中並みに研ぎ澄まされた。

 

 

 ――()()()()とした男がいる。

 

 ――合言葉がある。「終末の時は来たれり」。「迷える我らを導きたまえ」。

 

 ――男は一種類だけロックシードを売る。あるいは、無償で渡す。

 

 ――鮮紅色のロックシード。ザクロ。人肉の味がするという果実。

 

 ――男から鮮紅色のロックシードを受け取った人間は、遅かれ早かれ()()()()()

 

 

「ごめん、ヘキサ。お待たせ。――どうしたの? 心ここにいない? ね~え~」

 

 碧沙はしばらく声を上げることができなかった。

 

 

 

 

 下校してマンションに帰った碧沙は、キッチンに並んで一緒に夕食を作っている光実に、昼休みに聞いた「噂」を打ち明けた。

 

「それ、僕も大学でゼミ仲間から聞いたことある」

 

 少し前まで、キッチンには碧沙しか立たなかった。料理しながら話すにしても、光実はダイニングのテーブルに座って話していた。それが、少し前まで再放送していたドラマに影響されたのか、こうして光実が一緒にキッチンに立つ機会が増えた。

 

 絶賛反抗期である碧沙としては実に気まずい環境だ。

 

 今日は「噂」の報告があったから光実と普通に会話できたが、普段は無言で料理に集中しているし、光実が話しかけても淡白な反応しかしない。

 

「実際、そういう噂話してから大学に来なくなった人もいないわけじゃないからね。怪談スポット探検のつもりで行って、本当に会っちゃったのかもね。幽霊に」

 

 もっともそれには、光実がたまにこういった黒い側面を表に出すという部分も一枚噛んでいるのだが。

 

「ほんとにそれが幽霊だったとしても、シドさんじゃないのは確か。あの人、意地でも幽霊になんかなるもんかって思うタイプだったからね――」

「――そうね」

 

 碧沙は菜箸を置いてコンロの火を切った。フライパンの余熱でじゅうじゅうと焼ける青椒肉絲は、空々しいほど香ばしい。

 

 ピロリン♪

 

 カウンターに置いてあったスマートホンが鳴った。新着メッセージだ。

 碧沙はエプロンを外して、スマートホンのアイコンをタッチした。

 

《ただいま。久しぶり》

 

「ザックさん……」

「え、ザック?」

 

 ――ザック。ダンスの本場ニューヨークへ渡った、元チームバロンのリーダーにして代表者。そして、アーマードライダーナックルの変身者。

 

《いま空港出た。これからネオ・バロンに行ってペコを連れて帰る。吉報、待っててくれよ》

 

 碧沙は慌てて、無自覚のままに光実の腕に取り縋った。

 

「光兄さん!」

「ちょ!? 鍋ひっくり返るって!」

「これ!」

 

 碧沙はスマートホンを光実に突き出した。

 光実は画面を覗き込み――小さく息を呑んだ。

 

 

 

 

 一方その頃の咲たちはというと――

 

「……やばーばばい」

 

 ダンススクールでの休憩時間。スマートホンをいじっていたナッツが、コアなお笑い芸人のネタを呟いた。

 ナッツがそういうネタに走る時は本気で「あちゃー」な事態だと、付き合いが長い咲は知っていた。

 

「――ナッツ。なにが起きたの」

「ザックさんがニューヨークから帰って来て、その足でネオ・バロン行っちゃったわ」

「マジでぇ!?」

「さらにトモから新着。ヘキサから連絡来たから、ミッチさんに迎えに来てもらって三人で追っかけるってさ」

 

 咲は学校指定のボストンバッグを開いて中身を確かめた。

 

 咲用にイニシャライズされた戦極ドライバー。ドラゴンフルーツ、それにパッションフルーツとヒマワリとダイズの錠前。ゲネシスコア。ピーチのエナジーロックシード。――必要な物は全て揃っている。

 

「行くか、咲?」

 

 モン太がうずうずした様子で尋ねてきた。モン太だけではない。チューやんもナッツも、顔にあるのは恐れではなく、イタズラ決行前のコドモのワクワク感。

 

 本当にどいつもこいつも、小学生だった頃からちっとも進歩しやしない。

 だから、室井咲は笑ってこう答えるのだ。

 

「あたりまえのこと聞かないで」

 

 ナッツもモン太もチューやんも、咲のものと同じボストンバッグに、床に散らかしていたジャージの上やら何やらを詰めて、立ち上がった。

 

 全員でドアへ向かった。休憩時間のタバコ一服を終えてレッスン室に戻って来た講師に、咲たちはすれ違いざま、

 

「「「仲間のピンチにつき早退します!」」」

「……します」

 

 と、嘘偽りなく申告した。

 

「ん。りょーかい。お疲れさーん」

「おつかれさまでしたー!」



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ライダーズ・ロジック ①

 大切な仲間に暴力を振るった挙句、大切な場所から自分を追放した、憎い憎い略奪者。

 シュラにとって、駆紋戒斗はそういう男だった。

 

 そんな憎い男の下に付き、シュラなど最初からいなかったかのように戒斗に傾倒していく元仲間たちは、シュラには直視に堪えなかった。

 傾倒したばかりか、かつて戒斗が「卑怯」と切り捨てた不正を他のビートライダーズのチームに対して行うザックとペコを知り、アザミと二人、悔し涙を流したこともあった。

 

 だから、シュラは一つの覚悟を固めた。

 

 強くなる。

 

 駆紋戒斗と初めて会ったあの日、自分がもっと強ければ、チームもチームメイトも取り上げられることはなかった。ましてやチームメイトたちを卑怯者に貶めることもなかった。

 

 駆紋戒斗がチームバロンを脱退したと聞いて、その覚悟はさらに頑なになった。

 

 駆紋戒斗がいない今、チームの仲間たちを導けるのはシュラだけ。

 遺憾ながらも“バロン”となってから実力を上げた彼らを、束ねられるだけの強さが、シュラには必要絶対条件だった。

 

 体を鍛えた。心を練った。

 

 結果として、シュラはその身一つで地下闘技場のチャンピオンに登り詰め、挑戦者に心酔されるだけの男となった。

 ザックやペコ、かつてのチームメイトを導くに足る器になった。

 シュラ自身をここまで押し上げる契機となった駆紋戒斗に、感謝し、敬意を示す寛大ささえ手に入れた。

 

 もう誰にも「卑怯者(よわい)」とは言わせない。我が強さはここに至れり。

 

 熱狂する観客の中から、一人だけ冷めた顔でリングに出て来たザックを認め、シュラは歓迎の笑みを刷いてザックに歩み寄った。

 

 

 …

 

 ……

 

 …………

 

 

 大勢の観客が熱狂する闘技場で、ザックだけはひどく冴え冴えとした気分でそこにいた。

 

 シュラが競技賭博の報酬として勝者に、もうあるはずのないロックシードを渡した瞬間でさえ、疑問より想いの渦巻きのほうが大きかった。

 

「一人の男がこの国を去った! その男の名前は、駆紋戒斗。彼はチームバロンを作り、強さを求め、強さで世界を変えようとした! 彼の名前を叫んで讃えろ」

 

 観客から巻き起こる戒斗コールに、ついにザックは耐えられなくなった。否、耐えるのを、やめた。

 

 ザックは観客を割ってリングに出た。

 

「――これはこれは懐かしい顔だ」

 

 シュラは親愛を浮かべてザックに歩み寄り、昔よくしたようにザックの肩を掴んでリング中央へと招いた。

 

 シュラがザックを観客に紹介する段になって、ザックはシュラの腕を振り解いて、ステージに上がった。そして、動揺もあらわなペコの手を掴んで連れて帰ろうとした。

 

 ペコが、ザックの手を振り解かなければ。

 

「……俺はここに残る」

「どうして……っ」

「本人の意思を無視するわけにはいかねえなあ」

 

 シュラがステージに上がって来て、男たちの一人から薄いノートPCを受け取って開いた。

 画面にユグドラシル・タワーに似た塔の3D映像が表示された。

 

「間もなく救済の時がやってくる」

 

 シュラは語る。塔の名は、セイヴァーシステム。要約するに、かつてのユグドラシルが有していたスカラーリングとそう変わらない殲滅兵器だった。その上、シェルターに隠れた一握りの人間だけが助かるという点まで同じと来た。

 

「どうだ、ザック。俺たちの仲間にならないか。戒斗はお前たちを置いて行った。だから俺がお前たちを束ね、救済へ導く。そうできるだけの強さを俺は手に入れたんだ」

 

 怒りで熱した思考ではなく、冴えた思考でいたから、ザックはシュラを改めて見つめ直すことができた。

 

 シュラのオーラはリーダーのそれだ。戒斗とも、自分が知るビートライダーズのどのリーダーとも異なるが、今のこの男は指導者としてふるまうにふさわしいものを持っている。

 

「断る」

 

 だからといって、それがそのまま賛同する理由にはならない。

 

「――だったら帰すわけにはいかねえな」

 

 シュラは笑みを消し、指を鳴らした。

 

 ステージ上にいるネオ・バロンの構成員がザックを取り囲む、その前に、ザックはステージから跳び下りた。

 だが、暗がりで見えなかった位置から、別の男たちが出て来て、今度こそザックを包囲した。

 男たちがザックに襲いかかってきた。この人数、避けるだけで精一杯だ。突破できない。

 

 徐々に回避の精度も下がり、男たちのパンチやキックがザックの全身の至るところを痛めつけていく。

 

「お待ちなさいッ! 一対大勢なんて卑怯じゃなくて?」

 

 観客の中から出て来たのは、凰蓮・ピエール・アルフォンゾだった。

 

「ここはワテクシにお任せなさい」

 

 凰蓮は上着を脱いで適当な観客に預けるなり、猛然とネオ・バロンの男たちに挑みかかった。

 

 凰蓮と示し合わせたようなタイミングで、今度は城乃内秀保が出て来て、ザックの腕を肩に回させて立ち上がらせた。

 

(逃げねえと。でも足が。俺の足はもう)

 

 パパン! パパパパパン!

 

 クラッカーの弾ける音がして、曲がった楕円のプチ爆弾が爆ぜた。

 

 紙吹雪がザックに振りかかる。すると、動かせない、と思った足にほんの少しのパスが開通した。

 ザックは全神経を開通したパスにつぎ込んで足に命令し、立ち上がった。立ち上がれた。

 

 城乃内の肩を借りて闘技場から逃げて走りながら、ザックは自身の根底にあったものに気づいた。

 気づいて、泣きたかった。

 

(何だよ。動く、動くじゃねえか、俺の足。オーディション本番で足が上手く動かせないなんて、俺の実力がこの程度で打ち止めだって事実から目を逸らしたいがための言い訳だったんじゃねえか。ああ、俺は何て――弱いんだ)



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ライダーズ・ロジック ②

 しつこく追ってきたネオ・バロンの男たち二人ほどによって、ザックと城乃内は街中の高架下に追い込まれた。

 

 男たちが取り出した物を見て、茫然とした。

 ――量産型ドライバーと、マツボックリの錠前。

 

 何故。この街でドライバーとロックシードを持つのは限られた一握りの人間だけだ。一握りの彼ら以外のドライバーとロックシードは全て呉島貴虎が処分したはずなのに。

 だが現実に、男たちは黒影トルーパーに変身した。

 

「――残念でした」

「城乃内?」

 

《 ブドウオーレ 》

 

 迫る黒影トルーパーたちを、背中から紫の光弾が撃ち抜いた。黒影トルーパーたちは呆気なく倒れて、変身が強制解除された。

 

「へっへーんだ! こういう状況も織り込み済みだっつーの」

『よく言いますよ。これが分かったのは僕と兄さんの追跡調査のおかげなんですけど』

 

 今はもう懐かしい、アーマードライダー龍玄の姿がそこにあった。

 

「ミッチ!」

『久しぶり、ザック。間に合ってよかった』

 

 変身を解いた呉島光実は、面差しと肩の稜線に精悍さを備えて、会わない間にすっかり男らしくなっていた。

 

「そうかっ。城乃内が変身しなかったのって」

「俺が黒影に変身したら、ミッチのほうで区別がつかなくなるからな。この場所に逃げたのも、実は俺の巧みな誘導だったのさ」

 

 得意げにメガネをくいっと持ち上げる城乃内。やれやれ、と肩を竦める光実。

 そこに、さらなる介入者が、高架の柱の陰から現れた。

 

「おひさしぶりです、ザックさん。おかえりなさい」

 

 呉島家の末娘であり、光実の妹でもある少女は、ていねいな所作で頭を下げた。

 小学生時代から上品だった少女は、中学生になってその上品さに磨きをかけて成長していた。こんな場面なのに、兄の光実と貴虎は気苦労が絶えまい、などと思いを致してしまったほどだ。

 

「――ただいま。ヘキサ」

「はい。本当はおかえりなさいパーティーを開いてニューヨークでの暮らしぶりなんかを聞きたいとこですけど、今はそうも言ってられませんね」

 

 碧沙は持っていたアタッシュケースを開けてザックに差し出した。

 中身は――量産型ドライバーとクルミのロックシード、そして見覚えのないエナジーロックシードだった。

 

「これは?」

「兄さんたちが行ってた国の、さる“財団”に用意してもらった品です」

「戒斗さんのツテというか、(えん)、かな。それはマロン(クリ)のエナジーロックシード。多分、世界で最後のエナジーロックシードだよ。ザックが使って。性能を見るに、クルミアームズと一番相性がいいんじゃないかって、戒斗さんが」

「戒斗が?」

 

 ザックは驚きながら、マロンのエナジーロックシードを持ち上げた。

 

 届けたのが呉島弟妹であっても、用立てたのが戒斗なら、これは戒斗から他ならぬザックへのメッセージだ。自分は手出ししない、お前が守れ、と戒斗は無言で伝えてきたのだ。

 

「戒斗はネオ・バロンのこと知ってんのか?」

「知ってるんだけど……このベルトとロックシードを準備し始めた時に、急にいなくなっちゃったんだ。てっきり先に帰国したのかと思ったら、いないし。あの人もこんな大事な時に、どこほっつき歩いてるんだか。こうも見かけないと、うっかり落とし穴からヘルヘイムに落ちたんじゃないかって疑いたくなるよ」

 

 駆紋戒斗ならありえそうだから、困る。戒斗の元右腕としての偽らざる心証である。

 

「けど、お前ら、どうしてここまで」

 

 確かに帰国の報はビートライダーズの全体SNSに書き込んだが、助けてくれとは言わなかった。

 それがこうも、皆が呼吸を合わせて、ザック一人を助けてくれた。

 

「わたし個人としては、シュラって人を放っておけないからでしょうか」

 

 ヘキサにはそぐわない理由だ、という感想は、次の言葉で翻ることとなる。

 

「だって彼は踊ってません。ダンスしないチームは“ビートライダーズ”とは呼びません。チームバロンは、ビートライダーズでしょう? なら踊らないあの人たちはチームバロンじゃありません」

 

 ――は、とザックは笑いを零していた。

 

 何と清々しい全否定か。

 

 今やチームバロンさえも“ビートライダーズ”という大きな枠組みの中の一単位だ。だから城乃内と凰蓮が動き、光実が動いた。

 

 同じビートライダーズだから。

 ただそれだけの、キラキラした宝石のような理由。

 

「ありがとな、お前ら」

 

 ザックはアタッシュケースごと、アーマードライダーへの変身に必要なアイテムを全て受け取り、走り出した。

 足の古傷も今は関係ない。ただ、走るだけ。“バロン”の名を貶めたシュラから、その名を正しく取り返すために。



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ライダーズ・ロジック ③

「……ボッコボコにされたあとなのにすぐリベンジに行く辺り、あいつもバロンのメンバーだよなあ」

 

 さすがは駆紋戒斗の系譜――という所感は胸にしまっておくことにした城乃内である。

 

「で、ミッチ。本当にここで打ち切っていいんだな? あいつに手を貸すの」

「ん。いいですよ。代表(リーダー)のザックが今回のことを『チームバロンだけの問題』だと見なすなら、僕らにできる後押しはここまでです。城乃内さんだって、分かってたから、ネオ・バロンが出て来てもすぐに乗り込んだりしなかったんじゃないんですか? ベルトもロックシードも持ってるくせに」

「……最近のお前、どんどん、したたかになってってない?」

「さあ、どうでしょう?」

 

 お前そんな悪い笑顔ばっかだと妹離れが早まるぞ、という所感も胸にしまっておく城乃内であった。

 

「とにかく。あとは信じて今度こそ吉報を待つだけです。――碧沙、帰ろ。追手第二波迎撃中のトモちゃんも……まあ大丈夫だとは思うけど、迎えに行ってあげないと。送ってあげて、僕らもうちに帰ろう。貴虎兄さんが心配する」

 

 はい兄さん、と答えた碧沙の声は若干硬かった。それ見たことか。

 

「これが終わったら忙しくなりますよー。空中分解寸前の本家バロンのメンバーの再招集と、説得するペコとザックのフォロー、ネオ・バロンのせいで広まったバロンの風評被害の火消し――やることがいっぱいだ」

 

 困ったことを言い連ねながらも、光実の顔から笑みは消えない。

 

「で、お前のことだから、どーせ俺にも手伝わせるんだろ」

「仲間は助け合うもの、なんでしょ?」

「……いいけどさ。俺も社会的立場とかある身だってとこ覚えててくれれば。これでも一応、凰蓮さんからシャルモンの留守任されてますから?」

 

 そこで碧沙が焦れたのか「先に行く」と歩き出した。光実は笑顔で城乃内に手を振って、妹を追いかけて去った。

 

 城乃内も、師匠である凰蓮を迎えに行くべく踵を返したが、

 

「あ、そうだ」

 

 気絶して転がっているネオ・バロンの男たちから、量産型ドライバーとマツボックリのロックシードを回収した。後で光実か貴虎に渡せば、良いように処分してくれるだろう。

 

 

 …

 

 ……

 

 …………

 

 

 ――起爆スイッチを押した感触を、親指がまだ覚えている。

 

 

“ザック……貴様ぁ!”

“俺の務めだ――!”

 

 

 量産型ドライバーとクルミの錠前でナックルに変身し、今度こそ引導を渡そうと殴りつけた衝撃を、拳がまだ覚えている。

 

 

“強くなったな”

 

 

 今から殺そうという相手からの最高の賛辞に、高揚したことを、心臓がまだ覚えている。

 

 それらがザックという男が冥土へ持っていける全てだと覚悟したのに。

 

 まず、ありえない目覚めに驚いて。次に、病院のベッドに横たわる自分のすぐそばに、

 

 

“目が覚めたか”

 

 

 駆紋戒斗が付き添っていたことに、今度こそ死ぬかと思ったほど驚いた。

 

 

“落ち着け。何もしない。もう全て終わったからな”

“終わった?”

“ああ。葛葉と――室井が、終わらせた”

 

 

 絋汰と咲が。意外といえば意外で、けれどもしっくり来る組み合わせだった。

 

 どんな顛末で、絋汰と咲がどんな手段を用いて、戒斗の命を奪わず地球を救ったのか、気にならないと言えば嘘だった。

 

 だが、ザックの口を一番に突いた疑問は――

 

 

“お前、人間に戻れたのか?”

 

 

 こうして傍らにいる戒斗(おまえ)は、ザックが知る人間・駆紋戒斗なのか――だった。

 

 戒斗はベッドサイドのイスから立ち上がって、病室のドアに向かった。おい、とザックは引き留めたが、戒斗は足を止めず、ドアのスロープに手をかけて。

 

 

“戻れるわけないだろう”

 

 

 自嘲とも自責ともつかない答えを残して、病室を出て行った。

 

 

 

 

 ――こうなった今だから、ザックには言える言葉がある。あの時から言えずじまいだった、誰にとっても大切なこと。

 

(馬鹿野郎。戻れねえわけねえだろ)

 

 ザックはついに、シュラ一人が待つがらんどうの闘技場に辿り着いた。



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ラスボス≠黒幕

 全身打撲と、長く浴びた雨による肺炎の発症。

 文句なしに入院直行コースである。

 

 それはいい。ザックとて納得できる。雨の中を生身でドックファイトした自分が悪い。病室のベッドに寝そべる我が身を宥めすかすには充分な理屈だ。

 

 だが、そのザックの隣のベッドにいるのが、何故よりによってシュラなのか、という部分まで納得したわけではない!

 

「――――」

 

 シュラは仰向けのまま天井の一点を見つめるようにして動きやしない。隣のザックを睨むこともなければ、背中を向けてふて寝することもなかった。

 気まずい。ザックにはその一言に尽きる環境だ。誰でもいいからこの空気をぶち壊してはくれまいか。

 

 そんなザックの切なる祈りが天に届いたのか、病室のドアがスライドして、人が入って来た。

 

「お前ら……」

「よう、ザック」

「「ちゃーっす」」

「……っす」

 

 ペコ。それに、リトルスターマインのコドモたちが3人。ナッツ、モン太、チューやんだ。

 意外にも程がある組み合わせの見舞い客に、ザックは目をしばたくしかなかった。

 

 ペコはともかく、女子であるナッツの前で寝転んだままでいるのは男の沽券に関わるので、ザックは上半身をベッドの上で起こした。

 

「見舞いに参上したっすー。ヘキサとトモは補習の関係で来れないそーっす」

「これ、城乃内さんから預かってきたケーキ。ほんとなら2時間は行列覚悟のレアもんね」

 

 ペコはともかくコドモ組とは、帰国してからちゃんと顔を合わせるのはこれが初めてだ。ナッツにせよモン太にせよチューやんにせよ、会わない内にすっかり中学生らしく成長していた。ちょっとしみじみした。

 

 小さな感慨はすぐに終わった。

 赤と黒(トランプツートン)のユニフォームを着たペコが、シュラに話しかけたのだ。

 

「シュラ。俺、ネオ・バロン抜けるから」

「……そうか」

 

 シュラはそれだけ言って、腕で目元を覆った。

 

「一度追い出された人間は、どう足掻いたって元の居場所には戻れないってことか」

「そんなことないッ!」

 

 ペコが叫んだ。これだけ必死な叫びは、ビートライダーズのオールスターステージに出たいと戒斗に訴えた時以来だ。

 

「俺はネオ・バロンに、お前のそばにいた時、昔に戻ったみたいだってずっと思ってた。戒斗さんがいた頃のバロンにいるみたいだって。お前が、昔の戒斗さんに、似てたから」

「――俺が、戒斗に?」

「似てた。ザックが来た時、『まだここにいたいのに』って思っちゃった程度には。……悔しいけどさ。そこだけは自信持っていいって、どうしても、伝えたかったんだ」

 

 ――ペコのほうがザックより男らしいかもしれない。気弱な弟分だと思っていた彼は、会わない内に、自分の考えを言葉にして相手に伝える勇気を持っていた。

 

「そんだけ。あと、退院したらアザミ姉ちゃんに謝りに行けよ。じゃ」

 

 ペコは口早に告げてそそくさと病室を出て行った。

 

 

(俺も、勇気出さねえとな。でないと戒斗が帰ってきた時にぶん殴られちまう)

 

「シュラ。二度とバロンを騙るな」

 

 踊らないことも、違法な組織を作り上げることも、それがシュラの信念と意志に基づくものならばザックに止める権利はない。ザックが止めるべきことがあるとしたら、“バロン”の名と誇りを貶めさせない、この一点に尽きる。ザックはチームバロンのリーダーだ。

 

「ああ。もう――追いかけるのも疲れた」

 

 シュラがベッドの上に体を起こす。

 

「ザック。一つだけ聞かせろ。駆紋戒斗は、変わったのか?」

「少なくとも、お前が知ってる時点からは見違えたぜ。お人好しな元フリーターの神様とちびな天使サマのおかげでな」

 

 パンパン!

 

「はいはーい。シリアスモード終了のおしらせー」

「ナッツ……お前な」

「サーセン。おれたち実は別件で来たんすよ」

「……聞くことが、ある。あんたに」

 

 3人の顔が一糸乱れずシュラに向けられた。

 季節柄以上に、ぞくりと、した。

 

(お前らそれ、中学生の目つきじゃねえぞ)

 

「ネットとコネ総動員して調べた結果、シュラさんがロックシードをもらってた相手が厄介っぽいって判明してね。ネオ・バロンが解体された今、別の、似たような集団や組織を見繕って、おんなじことをする可能性大なの。ビートライダーズから第二第三のネオ・バロンを出さないためにも、そこを叩いておきたいの」

「そーゆーことでおれたちが派遣されたってわけ。だからさ、聞かせてよ。あんたが裏でつながってたのは『誰』だったのか」

 

 シュラが沈黙した時間はそう長くなかった。



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晴れ攫う空

 松葉杖を突いて病院の屋上に出たザックは、こちらに背を向けて落下防止フェンスの前に立つ咲を見つけた。

 髪を肩の上で切り揃えた点を除けば、渡米前と何ら変わらない室井咲だ。

 

「来てたんなら顔くらい出せよ」

 

 風が吹いた。

 屋上に並べて干された白いシーツが一斉に翻って、青空と、ふり返った咲の姿を一瞬だけ隠した。

 

 ザックは苦笑して咲へ歩み寄って、握り持ったコアスロットルを差し出した。

 

「返す。おかげで助かった」

 

 ――ペコが駆けつけて、シュラと戦っていたザックに投げ渡したこれは、咲のものだと聞いた。これがあったからザックはジンバーマロンアームズに変身できた。

 

 咲は、はにかんで、コアスロットルを大切そうに受け取った。

 

「どうした?」

「ううん。こんくらいしてあげなきゃ、ブランクあるザックくんが勝てるなんて思えなかったんだもん。ほんっと、ペコくんも戒斗くんもだけど、バロンの人たちってしょうがないオトコばっかなんだから」

「うるせえ。クソチビ」

「この前1センチのびたし!」

 

 咲は変わらない。ペコも光実も城乃内も皆が、ほんの少し離れている間に何かしらの変化を見せたが、この少女だけはザックが知る咲のままだ。

 そう実感して、ようやく、ザックは自分が帰って来たのだと思えた。

 

 つい笑みがこみ上げたザックを見て、咲は馬鹿にされたとでも思ったのか、おもむろに屋上の手すりに飛び乗った。

 

「どーだっ。見下ろしてやったんだから」

「おいっ」

「だーいじょーぶっ。あたし、空飛べるもん。……っと」

 

 言ったそばから咲はバランスを崩した。

 

 ザックは慌てて、黒いセーラー服の端をどうにか掴み、力いっぱい自分のほうに引っ張った。

 咲は手すりから落ちて、ザックの両腕に収まった。勢い余ってザックは咲を抱き留めたままコンクリートの地面に尻餅を突いた。

 

「お前なぁ……!」

 

 ザックは怒鳴ろうとして、はっとした。

 抱き留めた少女の体が、黄金の果実を巡る死闘の中で揉み合った時より小さいことに気づいたのだ。

 

(こいつはこんな今にも折れそうな体で、あの戦いをくぐり抜けてきたのか?)

 

 アーマードライダーに変身中は体格が通常時より大きくなることや、肩を並べて戦ってきた日々の積み重ねで、こんな当たり前のことを気づかないまま来てしまった。

 

 

“この子は大人になれないかもしれないってことよ”

 

 

「たはは~。ごめんね。なんかメーワクかけて」

「いや……まあ、なんだ。落ちなくてよかった。ほんとに」

 

 ぴょこん。咲がザックの腕からすり抜けて立ち上がった。

 

 ザックも、転がった松葉杖を拾い、それを支えにして立ち上がった。咲を見下ろす時の顎の角度は、あの頃から1度たりとも上向いた時がない。

 

「ありがとな。咲」

「どしたの、急に」

「ネオ・バロンに乗り込んだ時。助けてくれたろ」

 

 咲が大きく目を瞠った。その様は、ひた隠していた罪を暴かれた者のそれだった。

 長い沈黙を置いて、咲がようやく声を出す。

 

「怒られるかと、思った」

 

(……撫でくり回したろかこのガキ)

 

 ザックの偽らざる本心である。決して不埒な意味ではなく。そんなことずっと気に病んでたのかこのバカとの気持ちを込めてそうしてやりたかった。実行したら社会的地位が終わるのでできないが。

 

 そして同じくらいに、「それ」をこんなコドモに気に病ませてしまった己を、オトナとして恥ずかしく思う。自分のしたことが正しいか間違いかを悩むのに、オトナもコドモも関係ないのに。

 

 だからせめて、遅くなったとしても、今贈れる最大の感謝を。

 

「怒らねえよ。――ありがとう」

 

 咲はやっと、本当に、笑った。

 

 

 

 

「なあ。本当に乗り込む気か? シュラが言ってた“黒の菩提樹”とかいう組織に」

 

 

 ――駆紋戒斗が個性的すぎて忘れられない男なら、その男は無個性でありすぎたために忘れられない、そんな人間だった。

 

 シュラは、ザクロやバナナのロックシードを渡された相手を、そう評した。

 狗道供界。

 ユグドラシルの残党も構成員に含まれるテロ組織、“黒の菩提樹”のリーダー。

 

 不思議なことに、地下闘技場の試合の勝者に渡すロックシードの補充が必要になると、供界はまるでそれを知っているかのように、タイミングよくシュラに連絡してきた。そして、無償でザクロのロックシードが詰まったアタッシュケースをシュラに渡した。

 

 さすがに不気味に思ったシュラは、ネオ・バロンの手の者に供界を尾行させたこともあったが、誰もが失敗に終わった。曰く、供界がふいに()()()しまった、と。

 

 

「うん。行くとしたら、あたしと貴虎お兄さんの二人じゃないかな。城乃内くんにはお店のお仕事あるし、光実くんはペコくんとこれからチームバロンの立て直しに忙しくなるって言ってたから」

 

 付いて行けたら。せめてザックの退院を待ってはくれないか。そうすれば戦力は3人に増えるのに。

 

 対し、咲の答えは清々しかった。

 

「あたしから貴虎お兄さんにオネガイしたの。またネオ・バロンみたいなビートライダーズじゃないチームが出てくる前に、一分一秒でも早く、って。あたしも、あたしだって、ビートライダーズのリーダーの一人だから」

 

 ――そういう少女だ。室井咲は。彼女が小学生だった頃からよく知っていたではないか。



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挿話 いとけなき雪夜

 その夜。雪が降った。

 当時6歳だった呉島碧沙は、肌をちくちくと刺す寒さに誘われてベッドを出た。

 

 部屋の窓を開いて、感嘆の声を上げた。

 

 外は一面の銀世界。見下ろす限り裏庭には真白の雪で敷き詰められている。

 藍色の空からはまだ、ふわ、ふわ、と(ささめ)(ゆき)が落ちては、庭の白い絨毯の仲間入り。

 

 幼稚園児にこのような光景を見せて、はしゃがずにいろというのが無理のある話で。

 碧沙は弾む胸に急き立てられるまま、長兄・貴虎と次兄・光実の部屋へ走った。一刻も早くこのすばらしい世界を兄たちに見せてあげなくては――

 

(たか兄さんはセージンシキで、みつ兄さんはおじゅけんにむけてジュクのトーキコーシュー)

 

 つまり、兄のどちらも呉島邸にはいない。

 

 碧沙は左右を見渡し。自分の家なのにまるで泥棒にでもなったかのような気持ちで、歩いていった。――父・天樹の部屋へ。

 

 このところ、天樹は自室を出ないことが多くなった。お手伝いさんたちに理由を聞いても、「旦那様はお体が悪いのです」と言うばかりで、いつの間にか父の部屋は近寄ってはいけない禁域のように刷り込まれていた。

 

 何より碧沙を天樹の部屋に近づかせないのは、天樹の部屋から漂う甘ったるい香りの濃度だ。あの、イヤな甘い香り。日増しにひどくなっていて、鼻が曲がりそうだ。

 最近は、ごく稀だが、大学から帰ってきた貴虎でさえ、あの香りに加えて、血のにおいまでさせている。

 

(やっぱり、よそう)

 

 碧沙は自室に取って返した。

 

 

 開け放しにしたままだった窓の向こうには、変わらず銀世界が広がっている。

 

 コドモが夜に外を出歩いてはいけない。貴虎にも使用人たちにも、口を酸っぱくして言い含められている。

 

(でも、こんなにきれいなんだから。ちょっとお庭に出るくらい、いいよね?)

 

 自室のクローゼットから、ほわほわボンボンのファー付きポンチョと、手袋とマフラーを出す。それから碧沙は私服に着替え、防寒具を全て重ね着した。

 

「これでよし」

 

 碧沙は先ほど以上にこっそりと自室を出て、こっそりと屋敷の外へ出た。

 

 

 

 

 藍色に静まり返った空の下に広がる、誰の足跡もまだついていない新雪の庭。

 

「えいっ」

 

 碧沙は三段しかない玄関の階段から、思い切って庭に飛び降りた。一番乗りだ。

 

「きゃーっ、あはは! ……あれ?」

 

 青年が一人、庭に立っている。

 家族とも屋敷のお手伝いさんたちの誰とも違う人だ。

 

 ――いつもなら人を呼びに行く。しかし、夜中にひとりで家の外にいることと、雪白の眩しさが、碧沙を大胆にさせた。

 

 碧沙は、ちらちらと降る雪を見上げて佇む青年に、声をかけた。

 

「こんばんは」

「――こんばんは。この家の子かな」

 

 碧沙は頷いた。

 

「ちょっとだけ、しゃがんでくれますか」

「ん。何かな?」

 

 しゃがんだ青年に対し、碧沙は自分のマフラーを外して青年の首に巻いた。

 

「あったかくしてないと、かぜ、ひいちゃいます」

 

 青年はぱちぱちと目をしばたいた。

 

「――キミ、この家の子なんだよね。名前は?」

「クレシマヘキサ。6さいです」

「僕は戦極凌馬」

 

 リョウマと名乗った青年の顔が親愛なるものへと変わった。

 

「ひょっとして、キミのお兄さんは呉島貴虎かな?」

「たかとら……たか兄さん、の、おともだちですか?」

「そうだよ。トモダチ。今日会ったばかりだけどね。最高の友人になれると信じてる」

 

 リョウマの手が碧沙の頭を柔らかく撫でた。

 兄以外にこういうスキンシップをされたのが初めてだった碧沙だが、ふしぎとイヤだとか怖いとかは感じなかった。

 

(だって、わかる。このひと、たか兄さんがダイスキだ)

 

「兄さんのこと、よろしくおねがいします」

「任せて。キミの兄さんは僕が責任を持って――最高の場所へ連れて行ってみせるから」

 

 リョウマの言っていることの意味は、碧沙にはまだ難しくて、きちんと理解できなかった。

 それでも長兄に彼のような素敵なトモダチが出来ただけで、碧沙にとっては、満面の笑顔になるくらいに喜ばしかったのだ。

 

 

                  ******

 

 ――特記する。

 

 ヘルヘイム抗体保菌者である呉島碧沙には、ある二つの特徴が見られる。

 

 一つは、嗅覚の発達。そしてもう一つは――直感力の高さである。

 この項では後者について言及する。

 

 ここで言う「直感」とは俗に言う「勘のよさ」である。精度はウソ発見器といって障りない。

 しかしその能力は決して透視だの千里眼だの未来予知だののオカルティックな超常能力ではない。危険察知のために発達した観察眼の延長に過ぎない。

 

 ゆえに――人の心変わりを見抜くことは、彼女にはできない。

 

 例えば、いずれ将来的に裏切るとしても、出会った時に最大の友愛と敬意を向けたことが真実なら、彼女はその相手を「危険なし」として信用してしまうのだ。

 

 

                         [故・戦極凌馬の手記より抜粋]



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黒い悟りの根元にて ①

 色とりどりの紙吹雪が、黄金の果実を巡って熾烈に争う戦士たちに、平等に降り注ぐ。

 祝福のフラワーシャワー。あるいは、葬送の華葩(けは)

 

 本来ならば後者であらねばならないそれは、前者として、男の片方の命を救った。

 

 救われた男が、去った男を慕って咽び泣く少女に寄り添っている。

 

 その顛末を見届けたある幽霊は、言うのだ。

 

 

「これは救いではない」

 

 

 その一言のもとに、少女と男たちの苦悩も苦痛も切り捨てて、幽霊は去った。

 

 …………

 

 ……

 

 …

 

 ブラックホーク・ストリート。

 

 いわゆる飲み屋街の、跡地。インベス災害の時に大半の店舗が燃えてしまい、再建されぬままに放置された廃屋の立ち並ぶストリート。

 不良グループ、またはシュラのネオ・バロンほどでないにせよビートライダーズのチームの出来損ないがたむろする、治安の悪さなら沢芽市内で十指に入る土地だ。

 

 そのストリートを、貴虎は咲と連れ立って進んでいた。

 

 スーツ姿の男と、セーラー服の幼い女子。土地柄を加味すれば、九割九分の市民が援助交際だと勘違いする組み合わせ。

 だが、当人の片割れたる貴虎は、そのような下卑た視線、奇異の目など、全く、これっぽっちも、歯牙にかけてはいなかった。

 

 貴虎が思うのは一つ。このストリートに潜伏している――狗道供界。

 

 

 貴虎は供界を()()()()()()。救済の時? セイヴァーシステム? やり口がまるっきり過去のユグドラシルと同じではないか。

 

 少し前までユグドラシル側だった貴虎に、この憤りを抱く資格はないのかもしれない。

 それでも、許せないと、強く思ったのだ。

 

 本心を言えば、このストリートがシュラと供界のロックシード取引場所だと判明したその場で、貴虎はすぐにでも供界のもとに乗り込みたかった。しかし、ネオ・バロンによってばら撒かれたドライバーの回収、それに伴うユグドラシル残党の摘発もあり、すぐには動けなかったのだ。

 

 

 足を止め、見上げる。

 一切の灯りが途絶えたテナントビル。シュラによればここが供界の潜伏先とのことだ。

 

「――本当にいいんだな? 室井君」

「ええ。ビートライダーズを食い物にされる前に、代表であたしがぶっ潰す。あたしでいいってみんな言ってくれたからね」

「本当に幽霊かもしれないぞ」

 

 ゲネシスドライバーの完成直前、貴虎は凌馬と共に供界を確かに一度討ち取った。それが、復活した。

 ヘルヘイムにまつわることを散々経験してきたのだ。あんな存在がいるなら、幽霊くらいいても驚かない。

 

「幽霊だってんなら、成仏するまで爆破してやるまでよ」

 

 この女子中学生はそこらの男よりずっと逞しい。

 

「行くぞ」

「ええ」

 

 貴虎と咲はテナントビルの外付け階段を登り、ビルの屋上へ出た。

 

 

 

 

 

 

 ――果たして。一人の男が()()()()()

 

「あんたが狗道供界?」

「そうだ。室井咲。鳥ならずして空翔けるもの」

 

 咲が飛翔形態のヒマワリアームズを持つことは限られた人間しか知らないことだ。

 

 思い返せば、今日の今日まで供界の情報は一つたりとも掴めなかった。ザクロのロックシードやドライバーを量産してアウトローにばら撒くなど、見つけてくれと言われているも同然だったのに。

 まるでこの男が俗世からは不干渉の位置にいるかのように――

 

「葛葉紘汰は世界を救えなかった。黄金の果実を手にしながら、葛葉紘汰は人類を見捨てた」

「……なんですって?」

「私のもたらす救済を受け入れよ。ヘルヘイムが去った今、私だけが人類を救える。人類は肉体の束縛から逃れ、くり返す戦いの輪廻から解放されるべきなのだ」

 

 供界が取り出したのは、ゲネシスコアを装着した戦極ドライバー。

 供界はドライバーを無造作に腹に装着すると、両手にロックシードを握った。ロックシードもまた過去に見たものと同じ。「L.S.MESSIAH」と刻印されたザクロと、ブラッド(血染めの)オレンジだ。

 

「変身」

《 ザクロアームズ  狂い咲き・サクリファイス 》

《 ブラッドオレンジアームズ  邪ノ道・オン・ステージ 》

 

 クラックは開かず、供界の周囲に鮮紅色の鎧が出現し、供界の全身を覆った。昔と同じ、鮮紅のアーマードライダー、セイヴァーがそこに立っていた。

 

 予想されて然るべき展開だった。

 貴虎はすぐさま量産型ドライバーを装着した。

 

「室井君、準備は!?」

「もちばっち! 紘汰くんバカにした時点であたし的には和解の余地なし!」

 

 咲は戦極ドライバーを装着して、ドラゴンフルーツの錠前を開錠することで答えとした。

 

 貴虎もまたウォーターメロンの錠前を開錠した。

 

「「変身!!」」

《 カモン  ドラゴンフルーツアームズ  Bomb Voyage 》

《 ソイヤッ  ウォーターメロンアームズ  乱れ玉・ババババン 》

 

 ウォーターメロンの鎧が貴虎を斬月に、ドラゴンフルーツの甲冑が咲を月花に変えた。

 

 斬月は無双セイバーを抜刀し、月花は両手に持てるだけのDFボムを持って、セイヴァーと対峙した。



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黒い悟りの根元にて ②

『はあぁ!』

『ふん――!』

 

 斬月が揮った無双セイバーを、セイヴァーは黒いソニックアローで受け止めて、マゼンタの大橙丸で逆に斬月に斬りつけた。斬月は小玉スイカを模した盾で大橙丸を防いだ。

 

 ウォーターメロンアームズはガトリング砲を本領とするが、手榴弾を主武装とする月花を相方にするなら、ウォーターメロンガトリングと無双セイバーとして使ったほうがバランスを取れる。斬月自身、盾と剣のバトルスタイルのほうが慣れている。

 

 似通った攻防が4度に渡った時、斬月とセイヴァーの周りで小爆発がいくつも起こった。月花の投げたDFボムだ。

 

『紘汰くんがどんなキモチでいたかも知らないくせに……! 紘汰くんがどんだけ悩んだか知らないくせにッ!』

 

 ……普段なら微笑ましい少女の純情は、変身中はDFボムの大量投下という行動で発露する。

 しかも厄介なことに、「斬月なら避けられるから」という有難くない信頼によって、斬月も爆破射程に入っていたりする。

 

『それを「見捨てた」とか、絶対、ゆるしてなんかあげない!!』

 

 二度目のDFボムの乱れ撃ちを、セイヴァーは黒いソニックアローから放った光矢で誘爆させて相殺した。

 

『だったら――!』

 

 月花はDFバトンを繋いでロッドにして、前衛に飛び出た。

 

 斬月は月花がDFロッドでセイヴァーに挑むタイミングを計り、月花と合わせて無双セイバーを突き出した。両者共に近接格闘からの交替での攻撃。

 

 だが――

 

『あなたたちでは及ばない』

 

 前後からの挟撃に持ち込んだ斬月と月花を、これを待っていたといわんばかりに、セイヴァーは回転しながらのディメンションアタックで吹き飛ばした。

 

『きゃう!』

『く……っ』

 

 斬月と月花はそれぞれに屋上のコンクリートに叩きつけられた。

 

 やはり、狗道供界は強い。

 過去に凌馬と二人がかりでどうにか押し切ったほどの難敵だ。

 純粋な斬撃ではメロンアームズに劣る今の斬月と、変身しているとはいえ女子中学生の膂力しかない月花では、決定打に欠けた。

 

 

 コンクリートに転がった自分たちの内、セイヴァーが先に狙ったのは月花のほうだった。

 

 セイヴァーは黒いソニックアローの先に月花を捉えてストリングを引く。

 

『あなたたちの戦いをずっと見守ってきた。あなたたちのやり方は手に取るようにわかる。私が近づけば、あなたは自爆してでも私を倒そうとすることも』

『……ったりまえでしょ。あたしは全ビートライダーズ代表してここにいるのよ。あんたの救済もなにも知ったこっちゃない。ビートライダーズ、ナメないでくれる?』

『それが強がりであることも私は知っている。だからやはり私はこうしよう』

 

 セイヴァーがストリングから手を離した。

 

 黒いソニックアローに撓められた紅い光矢が月花へと奔る。

 月花はDFバトンを交差させて直撃こそまぬがれたが、余波で大きく後ろへ吹き飛ばされて落下防止柵にしたたか背中をぶつけた。

 

『室井君ッ!』

 

 咲の変身が強制解除された。

 それだけに留まらない。古くなった柵は咲がぶつかった衝撃で千切れた。

 柵が全壊する前に、咲が無事な鉄柵に掴まったからよかったものの、あれでは地上への落下は時間の問題だ。

 

 ――零した涙声は、彼女にとって無意識のものだっただろう。

 

 

「紘汰、くん……っ」

 

 

 ――その名を、彼女の口から聞いて、転がったままでいるなど斬月にできるわけがない。

 

『ぐ……ぉぉおおおおッッ!!』

 

 斬月はろくに受身もとれない姿勢から、ウォーターメロンガトリングを全力でセイヴァーへ斉射した。

 これに対して、セイヴァーは黒いソニックアローを薙いで生じた紅いソニックブームで、銃撃を相殺した。

 足止めにしかならない。咲に駆け寄って彼女を引き上げる隙がない――

 

 

 屋上のドアが蝶番を壊さんばかりの勢いで開いた。

 

 

 

 

 

 二人の男が屋上に出て来た。男たちは両方ともが腹に量産型ドライバーを装着していた。

 

「「変身!!」」

《 ~♪  クルミアームズ  Mister Knuckle-man 》《 ミックス  ジンバーマロン  ハハーッ 》

《 カモン  バナナアームズ  Knight of Spear 》

 

 ――チームバロンのリーダー、ナックル。

 ――元チームネオ・バロンのリーダー、ブラックバロン。

 

 まさしくヒーローの登場タイミング。

 

 まだ入院中であるはずの男二人は、ケガなど歯牙にもかけないキレのある動きで変身を完了した。



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黒い悟りの根元にて ➂

 ナックルとブラックバロンがそれぞれに動いた。

 

 まずブラックバロンが一直線に屋上の縁へ駆けつけ、バナスピアの刺突で咲からセイヴァーを遠ざけた。

 今度はナックルが、遠ざけたセイヴァーが咲のほうへ戻らないよう、(いが)(ぐり)をモチーフにしたアームズウェポン、マロンボンバーでセイヴァーに打ち込み始めた。

 

(ほんの数日前には死闘をくり広げた間柄だと聞いたのに。何て息の合った動きだ)

 

 呆けてばかりもいられない。斬月は痛む体に鞭打って起き上がった。そして、ナックルへ加勢に行くブラックバロンと入れ替わりに屋上の縁へ走った。

 

「お兄さん……っ」

『手をっ』

 

 咲が金網に掴まったほうと逆の手を持ち上げた。斬月は金網に手を突きながら咲の手を握り、力一杯、咲の体を引き上げようとした。

 これで咲が戦線復帰すれば4対1だ。いくら供界といえどもそうなれば――

 

 

 バキ……ッ

 

 

 斬月が支えとして掴まっていたほうの金網が、壊れた。

 

 咲の行動は早かった。

 それ以上の重みがかかって斬月まで落ちてしまわないよう、咲は自ら斬月の手を、ふりほどいた。

 金網の亀裂が広がり、咲が掴まっていた金網は完全に剥がれ落ちた。

 

 

 ――リフレインする。空へ身を投げる、お仕着せの小さな妹。

 伸ばした手はすり抜けて。あの日のように、落ちる少女を掬い上げる天使は、ここにはいないのに。

 

 

『室井ぃ!!』

 

 

 

 

 

 ビルから落下しながら、咲は冷静だった。

 

 ――咲には空翔けるための翼がある。小学生時代にフェムシンムたちがジュグリョンデョと呼んだ羽根がある。

 

 ヒマワリの錠前を取り出して、バックルにセット、カットした。

 

「変身――っ」

《 カモン  ヒマワリアームズ  Take off 》

 

 

 ――正直に言って、供界の言っていることはちっとも理解できない。できないが。

 

 戦いの輪廻から解放されるべき。なるほど、それはその通りだ。

 戦いを通じて得るものはない。

 得るのではなく、見失っていたものを再び見つけるのだ。

 答えも結論も、最初からそこにある。――ただ、気づけなくなっているだけで。

 世界はそんなふうに出来ているから、途方もなく神様(かれ)の愛に満ちている。

 

(だから、人類は見捨てられてなんかない)

 

 

 

 

 

 (くう)を切る下からの勢いがあり、斬月は後ろへたたらを踏んだ。

 

 つられて夜空を見上げた斬月は、まず安心したが、次いで、また使わせてしまったという無力感に打ちのめされた。

 

 

 

 

 

『さっき泣いちゃったこと、悔しいけど、はずかしいなんて思わない』

 

 大輪の花が夜空に咲き誇る。

 その、ひたむきに太陽に向かう花の色をした翼に――

 

『泣いていいの。泣きながら進んでいいの。だって、絋太くんも戒斗くんも、そう言ったんだもん』

 

 狗道供界は、菩薩を見た。



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黒い悟りの根元にて ④

『――てゆーか』

 

 月花はナックルとブラックバロンを、上空からずびしっ! と、指差した。

 

『しれっといるそこの二人! 病院! ケガ!』

『自主退院だ!!』

『なんっでバロンにはこういう男しかいないかなあもう~っ!?』

 

 上空で頭を抱えてじたじたする月花を見れば、大衆の抱く天使のイメージは爆発四散するに違いない。ナックルからすれば、実に咲らしくて親愛なる脱力気分になるのだが、隣のブラックバロンは果たして――

 

『ザック。あれが“戒斗が変わった理由”か?』

『あー。まあ、一応、半分くらい』

『そうか――』

『シュラ?』

『あのガキ、俺を“バロン”にひっくるめて呼びやがった』

 

 フェイスマスクの下で、きっと彼は笑みを浮かべたのだろう。

 

 ナックルもまたフェイスマスクの下で笑み、気合いを入れてマロンボンバーを打ち鳴らした。

 

『おらああああ!』

 

 ナックルはセイヴァーへと走りながら、カッティングブレードを1回切り落とす。

 

《 ジンバーマロンスカッシュ 》

 

 ハイジャンプからの錐揉み回転。そうすることで手甲のイガが四方八方へ飛び散る。

 

 ――セイヴァーの大橙丸と黒いソニックアローは、なるほど、攻撃性に富んでいる。だが防御性能が低いことを、先のセイヴァーとの数合ですでにナックルは看破していた。

 

 案の定、セイヴァーは二つの得物だけではイガを防ぎきれず、イガを食らって後ろへたたらを踏んだ。

 

 怯んだセイヴァーにブラックバロンが畳みかける。

 バナスピアと、交差させた大橙丸と黒いソニックアローがぶつかり合って火花を散らした。

 

『何故だ……! あなたは神の下、指導者の一人となるに足る器だった!』

『テンプレートだが、古いダチと雨の埠頭で殴り合ってな。出直し修行をすることにしたんだよ!』

 

 ブラックバロンは大橙丸と黒いソニックアローを弾き上げ、空いたセイヴァーの胴をバナスピアで袈裟斬りにした。

 

『くぅ……!』

 

 セイヴァーはその場に立ち留まることなく下がり、黒いソニックアローを構えてストリングを引いた。

 標的は――滞空する月花。

 

 ブラックバロンがカッティングブレードを1回切り落とした。

 

《 バナナスカッシュ 》

 

 鮮紅色のソニックアローは、ブラックバロンが宙へと突き出したバナスピアの軌道上に出現した黒いバナナ状のソニックブームによって勢いを減じた。

 月花はヒマワリフェザーを前面に回して盾とし、鮮紅色のソニックアローをきっちり防いだ。

 

『ザック!』

 

 応えて、ナックルはカッティングブレードを2回切り落とした。

 

《 ジンバーマロンオーレ 》

 

 打ち鳴らした手甲が、焼いたクリのように灼熱を撓める。

 

『はあああっ!!』

 

 ナックルは灼熱の拳をセイヴァーへぶつけるべく走った。

 

 セイヴァーはペントハウスまで下がり、そこの上に跳び上がろうとしたのだろう。――しかし。

 

『にがさない』

 

 降り立った月花がヒマワリフェザーでセイヴァーを拘束した。

 

《 パージ 》

 

 そして、月花がナックルのトドメの一撃の邪魔にならないようすばやく飛びのくことも、知っている。

 だからナックルは足を止めず、拘束されたセイヴァーを全力で殴った。

 

 灼熱のパンチによって吹き飛ばされたセイヴァーはペントハウスにぶつかり、弾ける水風船のように鮮紅色の残滓を残して掻き消えた。

 

 ――彼らは、勝ったのだ。

 

 

 

 

 

 咲は変身を解いて、そのままコンクリートの地べたに尻餅を突いた。

 

(変身してガチに戦うのってマジひさしぶりだったんだもん。とにかく勝ててよかった~)

 

「すまない、お前たち。助かった」

 

 貴虎もまた変身を解除し、ザックとシュラに歩み寄って礼を言っている。

 ザックは貴虎の礼を笑顔で受けたが、シュラは腕組みをして貴虎に背中を向けた。

 

(スナオじゃないとこもさすがバロンってゆーか)

 

「――それで、だ。最初に室井君も言っていたが、君たち、病院から外出許可は取ったのか?」

 

 ぎっくう! そんな擬音が似合うザックとシュラの硬直具合。

 

 

 ――その後、ザックとシュラは貴虎に、自主退院=病院脱走を、正座で説教された。

 

 あの彼らを見て、どれだけの市民が、彼らこそ「ネオ・バロンの元トップ」と「ネオ・バロンのトップに勝った男」だと気づくだろう。

 誰も気づかないほうに一票。お小遣い全額を賭けてもいいと咲は思った。



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Down to Prologue “F” She go

 ――後日。ドルーパーズのボックス席の一つにて。

 

 片や、黒いセーラー服の少女(外見年齢は小学生)。

 片や、カジュアルなストライプスーツを着流す男。

 

「そんなわけで、今回は帰省が遅れた戒斗くんが全面的に悪いと思うの」

「お前は相変わらず体だけじゃなく頭も育っていないな」

「っ、そもそも! うっかりヘンな平行宇宙に迷い込んであげくヘキサ襲ったってどーゆーことさ!?」

「あの碧沙にとって、“駆紋戒斗”が“死を強く意識させた存在”だったから、依り代に俺が使われたらしい。言っておくが、碧沙本人には傷一つ付けてないぞ。一緒にいた赤い槍の女と殺し合っただけだ」

「世界線またぐ規模でよそさまにメーワクかけるんじゃなーい!」

「落ち着け。あと座れ。テーブルを叩くのはやめろ」

「う~~~っ」

「外見だけでなく中身もそのままなら、お前の将来は絶望的だな」

「……絶望なんてとっくに通過ずみだもん。あたし本人のことはもういいの。未練があるとしたら、オトナになったヘキサたちにどういう目で見られるかってくらい」

「そうか」

「なぐさめてくれないのね」

「――慰めてほしかったのか」

「いいけどさっ。戒斗くんがそういう人だっての、今に始まったことじゃないし」

「分かってるなら言うな」

「あたしが言わなきゃだれが言うのさ。ザックくんとか城乃内くんとかは『戒斗だからしょうがない』的ムードだけど、あたしぐらいは言ってあげなきゃ、ほかに言ってくれそうな人、戒斗くん、いないじゃん」

「――――」

「ごちそーさまでした。そろそろビートライダーズのステージあるから、あたし、行くね。観に来る?」

「気が向いたらな」

「ん。じゃあ、またね」

 

 

 

 

 

 碧沙はビートライダーズのステージを終えて、今の呉島家であるマンションに帰り着いた。

 

(今日も咲と上手く話せなかったなあ。好きで壁作ってるんじゃないのに。駆紋さんが街に帰って来たって、咲があんなキレイな笑顔で言ったりするから……ううん。これ、やつあたりだ。わたしって悪い子)

 

 碧沙はマンションのエントランスのポストを確認した。部屋に上がる前の日課だ。

 いつもならポストに入っているのは検針票や宗教勧誘のビラくらいなのだが、この日は違った。

 

 ポストには一通のリーフレットが入っていた。

 

 集合住宅にありがちなダイレクトメール――ではない。何故ならそのリーフレットは、他のポストには入っていなかったからだ。

 

 リーフレットのタイトルは――

 

「『カルデア』?」

 

 碧沙は学生鞄を床に置き、その場でリーフレットのページを、めくった。

 

 

 

 【鎧武外伝2 ナックル&デューク編 -完-】



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◆◇◆小説版鎧武における掌編◆◇◆

〔親愛なるフォーチュン・クッキー〕

 

 

 現在の呉島貴虎は、各地のユグドラシル支社から漏えいしたドライバーとロックシードを回収するため、世界中を飛び回る生活をしていた。

 ハードスケジュールだが、貴虎自身はそれを苦とは思わない。

 ノブレス・オブリージ。力を持つ者は、持てる力に相応の働きを。父からのその教えだけは、貴虎という男に正しく根ざしていた。

 

 今日もそうだ。

 ロシアで悪用されていたドライバーとロックシードを回収した貴虎は、その足で南アジアの某小国を訪れた。

 

 空港のロビーにて。着の身着のままで入国した貴虎は、暇を見つけて夏服を調達に行こうと考えながら、ある人物の到着を持っていた。

 

「きゃー! メロンの君~、ご無沙汰~!」

 

 その人物とは、おそらくは世界最強のパティシエである、男――かどうかはおいて。凰蓮・ピエール・アルフォンゾである。

 

「わざわざ遠くまで来てもらってすまない」

「とんでもない! お呼びとあらばこのワテクシ、たとえ地球の裏側へだって参りますわよ」

 

 ――場所を運転手付きのリムジン(協力者であるロシアのベンチャー企業社長からの借り物)に移し、貴虎はさっそく依頼のための現状に入ろうとしたのだが。

 

「いっけない! 実は大事な預かり物をしてましたの。はい、どうぞ。アナタのChère sœur(愛しの妹君)から」

 

 いかにもオトシゴロの女子らしいラッピングの袋を受け取り、中身を一つ摘まんで出す。貴虎は最初、それを揚げ餃子だと思った。

 

「フォーチュン・クッキー。またの名をおみくじクッキーとも言うわね。生地が空洞になってて、中に占いを書いた紙が入ってるの。これはアナタのための“特別”」

 

 貴虎は生地を、ぱきり、と割った。確かに中には六角形に折り畳んだ紙片が入っていた。

 紙片には、たった一文。

 

 

“早く帰って来てね”

 

 

 ――されど、一文。

 

 紙片を畳み直して、背広の胸ポケットに大事にしまった。

 暇を見て、夏服と一緒に、ロケット付きのペンダントかブレスレットを買おう。

 

 

 

 

 

〔センセーは最強だ?〕

 

 

 室井咲は中学校に進学してもダンススクールに通っている。

 同じ中学、同じクラスになったナッツ、モン太、チューやんも。残念ながらヘキサとトモは進学校に入学した関係もあって辞めてしまったが。

 

「「「こんにちはー」」」

「へい、らっしゃーい」

 

 いつもどおりの講師の出迎え口上。

 いつもどおりでなかったのは、講師が大ケガをしていたことだった。

 

「センセー、どーしたの!? ウデ吊ってるし、顔っ! 包帯でぷちツタンカーメンっ」

「ありえないっしょ! ヒトの三倍はケガに敏感なセンセーだよ!?」

「なにと戦ったんすかー? ヒグマ?」

「……あんたたちがアタシをどう見てんのかよーく分かったよ」

 

 だってセンセー、ブラーボもとい凰蓮を蹴り倒したことあるじゃん。

 咲たちは声を出さずして心を一致させた。

 

「ほら。市内で自爆テロが流行ってるっしょ。目の前で相手がいい感じにラリったもんだからさ、こりゃもう蹴るしかないじゃん? そんで手からロックシード蹴飛ばしたのはいいけど、間に合わなくて。ま、足は無事だったからオールオッケーさね」

 

 確かにダンサーにとって足は命だが、それでいいのか。そもそもダンサーとは全身が資本だ。腕も使うし、踊っている最中の表情さえもがダンスの一部なのだ。

 

 そして何より、咲たちにとってこの女性は、咲たちみんなの大好きな「センセー」だ。

 

(よくもあたしたちのセンセーを)

 

 咲の額にデコピンが炸裂した。

 

「ぁだ!?」

「物騒なこと考えるんじゃないよ。あんたはやっと中学生なんだかんね。法的責任能力もないガキが粋がってんじゃない」

 

 講師は、小学6年生から1センチしか背が伸びていない咲の頭に、ぽふんと手を置いた。

 言葉と裏腹の優しい手つきだった。

 

 

 

 

〔一かけ二かけて三かけて〕

 

 

 自爆テロで世間を騒がせる、カルト教団の再来“黒の菩提樹”へ、信者のフリをして潜入し内情をスパイする。

 

 恒例となったガレージでのビートライダーズ全体会議。光実がその案をためらいがちに口にした時、チャッキーは一番に潜入捜査官に名乗りを挙げた。これについてはペコに凄まじい勢いで反対されたのだが、顔が割れておらずヘルヘイム騒動で根性逞しくなった自分こそ適任だと言いくるめた。

 

 かくして。“黒の菩提樹”の教会に通って1週間。

 

 ――かっしゃかっしゃ。かっしゃかっしゃ。

 

「~♪ ~♪」

 

 無人のガレージで。チャッキーは二種類のロックシードを交互に投げて弄んでいた。

 

 くすんだ葡萄色と鮮紅色のお手玉。

 

 鮮紅色は、信者のフリをして“黒の菩提樹”から首尾よく入手したザクロのロックシード。これはあとでガレージに来た光実に保管を頼むことになっている。

 

 くすんだ葡萄色は――ヨモツヘグリロックシード。チャッキーとペコが、あわや戦極凌馬に殺されかけた舞を助け出した時に、イレギュラーインベスを召喚したロックシードだ。

 

(なぁんか、これ持ってたら大丈夫な気がしたんだよねえ。だからあたしがやるって言えたんだし)

 

 教会でザクロのロックシードを受け取った瞬間の謎の浮遊感と歓喜は、ポケットに忍ばせていたこのヨモツヘグリに触れるなり、速やかにチャッキーの胸から去った。

 それがヨモツヘグリ固有の効果か、チャッキーのトラウマに似た思い出がなさしめた(わざ)かまでは、チャッキー自身にも判然としない。

 

(このロックシードを見れば、嫌でも思い出せる。あの雨の日。あたしたちは誰も舞を救えなかった。みんなが善かれと思ってしたことが全部裏目に出て、人間としての舞を終わらせた)

 

 この品には生々しく昏い念を刻んである。

 これはチャッキーにとって質量のある“死”。

 

 ――などと打ち明けたら、ペコは、ビートライダーズの仲間たちは、どんな顔をするだろう。

 

(女の子同士で仲がいいのは、何も咲ちゃんとヘキサちゃんに限った話じゃないんだからね?)

 

 ガレージのドアが開いた。チャッキーはドアに背を向け、ヨモツヘグリを鞄に隠し、ザクロのロックシードをケースに納めてから、何食わぬ顔でふり返った。

 

 

 

 

〔三千世界に鴉が泣くなら〕

 

 

 全ての者が世界に融け、狗道供界の意識とひとつになったはずなのに、そのノイズは確固として、融けずに形を保っていた。

 

“かわいそう……”

 

 可哀想だと? 何が――誰が?

 

 理解できないセイヴァーの中に、ひとつになった意識を通して、コトバに込められた意味が流れ込んできた。

 

 

“あなたが融和した三千世界には、戦いと涙しかなかったのね。三千と一つ目の世界にきっとある光に、あなたは辿り着けなかったのね”

 

“だいじょうぶ。死んでいるっていうなら、新しい息吹を吹き込むよ。からっぽな幽霊だって満たすくらいに愛してくれる神様を教えてあげる”

 

“この世は地獄なんかじゃない。だから、おねがい、未来を見て?”

 

 

 セイヴァーは気づく。これは、あの日見た少女菩薩の、嘘偽りなき心だ。

 

(何と――遠い)

 

 眩しすぎて、温かすぎて。供界には手を伸ばしても届かない。

 

「これで分かっただろう。世界はいつでも、明日を求める者に味方する」

 

 目の前に男が立つ。

 

 セイヴァーと同じ超越者。ヒトとしての肉体の束縛から解放された存在。須くヒトを超克しながら、“人間”として生きることを選んだ、セイヴァーからすればそれこそ理解できない男。

 

「……くもん、かいと」

 

 もはやほとんどの自我を失ったセイヴァーは、男の名を呼んだ。

 

「あいつには夢がある。オトナになって、この街で、仲間たちと一緒に、たくさんの思い出を作りたい。夢と呼ぶにはあまりにもちっぽけな願いだがな。夢を見るということは、未来を見ているということだ。狗道供界。人類の救済は本当に()()()夢だったのか?」

 

 70億人を肉体の軛から解き放ち、全人類を救済し、()()()()

 

 なにも、思いつかない。

 

「―――――嗚呼」

 

 嘆息。そして、落涙。

 狗道供界に、夢は、ない。

 

 見上げる。その行為は視覚を、首を、首から下の肉体を想起させ、セイヴァーだったモノに供界という男の形を取り戻させる。

 

「駆紋戒斗……あなたはどんな夢を見ている?」

 

 そして最後に取り戻した正気を、供界は一度きりの問答のために使う。

 果たして。戒斗の答えは簡潔だった。

 

「弱者が踏み躙られない世界を」

「……そうか。ならば、夢見て、見果てて、死ね。争いと憎しみが連鎖する、この苦界(せかい)で」

 

 言祝ぎ、呪詛し。

 供界は踵を返した。

 

 これより彼が往くは暗闇の道。されど無明の道のりではない。見えないだけで、遠くには光があると知っている。

 

 供界は歩き出した。

 産まれたての雛の色をした、鋼の羽毛一枚を片手に。

 三千(すべての)世界を超えたさらに向こう側にある、三千と一つ目の世界を目指して。



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斬月編・バロン編リメイク
あたしがあなたで、あなたがわたしで


 よく、頭をぶつけたり階段から転げ落ちたりして、二人の人間の人格が入れ替わってしまったという話がある。

 

 今の咲とヘキサはそんな状態だ。

 

 ヘキサの体になった咲が、咲の体になったヘキサが、呆然と互いを凝視している。ちなみにリトルスターマインの仲間たち、ナッツ、トモ、モン太、チューやんも凝視している。

 

 弾みだったのだ。いつものように野外劇場で彼女たちは踊っていて、弾みがついて頭をごっつん! そして両者が顔を上げた時、咲は咲ではなく、ヘキサもヘキサではなくなっていた。

 

 まだ曲は流れている。リトルスターマインのステージは終わっていない。なのに咲とヘキサがダンスに復帰しないものだから、観客であるちびっこたちがざわめき始める。

 

「はいはいごめんねー! ちょっとリーダーたち事故っちゃったから、今日のステージこれでしゅーりょー!」

「かいさん! かいさーん! 今日もみんなありがとー!」

 

 ナッツとモン太がちびっこたちに帰るよう促す間に、トモが咲とヘキサのぶつけ合った患部を診た。薙刀道を修めるトモによれば、たんこぶも出来ない程度の軽い打撲とのことだ。

 

「原因究明はあと回しよ。問題はこれからどうするかっしょ」

 

 観客を帰し終えて、ナッツとモン太が戻って来た。

 

「……ぶつける?」

 

 同じ衝撃を与えれば戻るのではないかとのチューやんの提案に乗り、咲はヘキサと(ふた)(たび)頭をぶつけ合った。……視界に星が散ったに終わった。

 

 よい子も悪い子もおうちに帰っていなければまずい時間帯が近づいている。

 

「どーしよ……」

 

 途方に暮れた声はヘキサのものだが、発したのは咲だ。自分自身にひどい違和感を覚えた。

 

「ほんとのこと話しても、信じて……もらえないよね。貴兄さんなんか、とくに」

 

 諦めた声は咲のものだが、発したのはヘキサだ。

 

「なんなら二人とも、わたしの実家泊まる? うちのじーさま、そのへん許容範囲広いわよ」

 

 トモの実家は薙刀道場を営むそこそこの屋敷であるのは、咲たち全員の衆知のところだが。

 

「だめ。貴兄さん、小学校のあいだは、林間学校と修学旅行以外でのおとまりは禁止って方針だから」

「あたし一度、初瀬くん探しで無断外泊やったから、親がかなりキビしくなってる」

 

 こうなったら――やるしかない。

 咲(体はヘキサ)はヘキサ(体は咲)を見た。ヘキサの目にも、同じ結論に達したことが分かる色があった。

 

 

 

 

 

 

 黒くて長い車から降りて、咲はそびえ立つ屋敷の玄関に立った。

 

(まさかこんなカタチでヘキサんちに来る日が来よーとわ)

 

 ――咲はヘキサのフリをして、ヘキサは咲のフリをして、家に何食わぬ顔で帰る。それが咲たちの出した結論で、決めた行動だった。

 

 咲は勇気を出して、重々しい白門扉を引いて、呉島邸に足を踏み入れた。

 

「おじゃま……じゃなくて、ただいまー……?」

 

 これが室井家なら母が「おかえりー」と答えてくれるのだが、この屋敷では沈黙だった。

 

(うわー。ホールにシャンデリアと噴水? とか。いかにもお金持ちな感じの家だなあ。とりあえず自分の……ヘキサの部屋行って、荷物おいてこなきゃ。確か2階に上がって右の一番奥の部屋、だっけ)

 

「碧沙。帰ったのか」

 

 口から心臓が出るかと思った。

 

「た、たた、たっ」

「碧沙?」

「ただいまっ、貴兄さん」

 

 言えた。あの、恐怖の化身といって過言でない白いアーマードライダー、呉島貴虎に対して、笑顔で、挨拶できた。

 

「ああ、おかえり。――ケガをしたのか? 頭に湿布なんて貼って」

「ちょっとヘキ……トモダチ、と、ぶつかっちゃっただけ。だいじょぶ」

「ならいいが。上がって着替えて来なさい。夕食にしよう」

「はぁい」



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ニセモノお嬢様と帰って来たメイドさん

「かいけん?」

 

 仰々しい夕食の席で、貴虎から「明日の会見の席で着る服は用意したか?」と尋ねられての、咲(体はヘキサ)の間抜けた返事である。

 

 何でも、南アジア某国の財団の御曹司が来日していて、沢芽市の視察に当たって市内の名士にも挨拶回りをするのだとか。その「名士」の中には呉島家も含まれていて、急きょ当主の代理として貴虎が御曹司と市内のホテルで会うスケジュールなのだとか。

 そして何より。その席には光実とヘキサも同席する段取りなのだとか。

 

 たらー、とイヤな汗が背中を流れる。

 

(このお兄さんってばこのお兄さんってば! 何で小学生のヘキサをそういうオトナな世界にいっしょさせるかなあもう!)

 

「碧沙? どうした」

「う、ぁ、ええとね。ええと」

「後学のために同席したいと言い出したのはお前だろう。都合の悪いことでもあるのか?」

「大丈夫だよ、碧沙。緊張しないで。僕も一緒だから」

 

 光実が微笑んで咲の顔を覗き込んだ。

 

 二人の「兄」に(本人たちはそのような意図がなくとも)畳みかけられて、咲にはとっさの言い訳が思いつかなかった。

 

 

 

 

 夕食を終えて私室に入った咲は、ドアを閉じて内鍵をかけるなり、すぐさまクローゼットをぶち開けた。

 やはり、並ぶ並ぶ、庶民派小学生の咲からは想像もつかない、ひらひらフリフリのフォーマルワンピースの数々。ダンススクールとビートライダーズ活動でのアクティブな服装のヘキサしか知らない咲からすれば、驚きの品揃えである。

 

 だが、圧倒されている暇はない。

 今は咲が「呉島碧沙」なのだ。ヘキサに恥を掻かせないためにも、咲はふさわしい衣裳をこの中から選び出さねばならない。

 

「こ、これは、ちょっちハデめ? あ、このサクラのやつかわいい! ……って季節先どりしすぎ! 3月だけどまだ寒いし。う~、あ~、う~……あ! これなんかいいかも」

 

 釦部分と袖がフリルになっているブラウスに、コルセットタイプの茶色いフレアースカートが掛かったハンガーを取り出した。咲はダンススクールで培った早着替えスキルを遺憾なく発揮し、それらの衣裳に着替えて姿見の前に立った。最後にスカートと同じ色のリボンを頭と襟に結んで完成である。

 

「わあぁ……ヘキサ、かわいい~……」

 

 傍目には鏡に映った自分に見惚れるイタい少女でしかないと、室井咲は気づかない。

 そこにノックの音がした。

 

「碧沙、入るよ。――あれ? 鍵閉まってる?」

 

 光実の声だ。

 咲は慌ててドアに向かい、内鍵を解錠した。ドアが開いたそこにはやはり光実が立っていた。

 

「着替え中だったんだ。ごめんごめん」

「あたしに用事?」

「用事というか……うん。お客さんが来てるんだ。碧沙もちょっと来て。あ、着替えなくていいよ。すぐ終わるから」

「お客さん、明日じゃなかったっけ」

「それとはまた別なんだ」

 

 光実の笑みは貼りつけたようにぎこちない。

 

 踵を返して歩き出した光実に、咲は付いて行った。

 

 客室と思しきその豪華な部屋にいたのは、貴虎と、咲が知らない一人の女性だった。誰だろう?

 

「覚えてるか。朱月藤果君。6年前までこの家で、父の下で働いていた女性だ」

「お久しぶりです、碧沙お嬢様。お綺麗になられましたね」

 

 藤果が恭しく頭を下げたので、咲も慌てて頭を下げ返した。

 

 綺麗になった。咲はつい有頂天になりかけ、この体がヘキサのものであることを思い出して自嘲した。悲しいことに、咲自身には第二次性徴期の兆しすらない。

 

「会うのは父が倒れて以来、か。父は元気でやっているだろうか」

「そのことですが……お父様、呉島天樹様が、お亡くなりになりました」



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流行ってます?

 碧沙はどうにか「室井咲」のフリを通して室井家での夜を乗り切った。

 朝の登校は、チームメイトが総出で迎えに来てくれたので、仮病を使って学校を休むというテンプレートな策に訴えずにはすんだ。

 

 放課後もまた同じく。リトルスターマインの仲間が教室に迎えに来てくれて、碧沙は無事下校してフリーステージに向かっていた。

 

 例のオールスターステージ以来、ビートライダーズはチームの垣根を超えて踊る大きな輪となった。

 今日のステージも、チームバロン×チームリトルスターマインのコラボステージだ。

 

 道すがら、碧沙はゆうべ明らかになった新たな問題を仲間に打ち明けた。

 

「電話に出れない、かあ」

 

 ナッツが難しい顔で腕組みする。

 

 現在、碧沙が持つのは咲のスマートホンだ。咲もまた碧沙のスマートホンを持っている。

 着信があっても、プライバシーがあるから電話もメールも下手につつけない。着信履歴を見ることもできない。

 実はゆうべ、結構長く電話が鳴ったのだが、咲ではない自分が出ては、相手によっては咲によくない誤解を与えるかもしれないと思って出られなかった。今は碧沙が「室井咲」なのだ。

 

「しゃーない。今日のステージで咲が合流しだい、スマホとりかえっこしよ」

「でも、メールやSNSはいいとして、電話はどうするの? 声ちがうよ?」

「風邪ひいたとか言ってごまかすしかねえんじゃね?」

「……押し通せ」

 

 確かにモン太やチューやんの言うようなやり方しかないのが現実だ。

 

 ふと、碧沙の視界を、ベンチで寝ている男が掠めた。

 その男が駆紋戒斗でなければ、碧沙は迷わず無視して進んでいただろう。

 

「ヘキサ?」

「ごめんね。みんなは先に行ってて」

 

 4人の少年少女は顔を見合わせたが、最終的には折れて、先にステージに向かってくれた。

 

 さて、と碧沙はベンチで寝る戒斗を顧みた。

 薄藍色の地に唐草模様のスーツは一目で高級品だと分かった。いつもの駆紋戒斗は赤と黒(トランプツートン)のコスチュームを着ているのに。

 

「駆紋さん。駆紋さんっ」

 

 声を張ると、戒斗は重たげに瞼を開いてくれた。

 

「こんなとこで寝てたら風邪ひきますよ? 3月とはいえまだまだ寒いんですから」

 

 戒斗は頭を押さえつつベンチの上に体を起こした。

 

「……あいつ、絶対許さん」

 

 怒髪冠を衝くとは今の戒斗のことを言うのだろう。インベスとの戦いでさえこんな表情を見たことは――あるわけがない。そもそも戦闘中はフェイスマスクで顔が隠れている。

 

「お前、今日はやけにお上品に話すんだな。相方の真似か?」

「相方って、もしかして咲?」

「は?」

「――あ!」

 

 しまった。今の文脈では自分が咲ではないと言ったも同然だ。

 碧沙は口を手で押さえたが、一度出した言葉は引っ込められない。

 

「――お前、室井じゃないな」

 

 ばれた。完膚なきまでに完璧に。相手が駆紋戒斗であったのがせめてもの救いか。

 

「はい。わたしは咲じゃありません。あの、おどろかないで聞いてくださいね。ほんとのことしか言いませんから。わたし、ヘキサです、呉島碧沙なんです」

「……冗談にしてはタチが悪い」

「ですからっ。ほんとのことしか言わないって言ったじゃないですか」

 

 値踏みとも睨みともつかない戒斗の視線を、碧沙は内心怯えつつも真っ向から受け止めた。

 

「……わかった。とりあえずお前は室井じゃない。これは認める。お前が本当にヘキサかどうかはこれから見極める」

「! はい! 信じてくれてありがとうございます!」

 

 戒斗はベンチから立ち上がり、車道に出る道を歩き始めた。

 

 カツカツ。てふてふ。

 

「おい――何で付いて来るんだ」

「え? 駆紋さん一人だとあぶなっかしいからですけど」

 

 戒斗のことだ。どこへ行くにせよ、トラブルを起こしてザックやペコを心配させるに決まっている。ここは碧沙が戒斗を監督すべきだ。

 

「はあ……勝手にしろ」

「はい。勝手にします」

 

 車道に出たので、脇の街路を碧沙は戒斗と並んで歩いた。

 

「ところで今日はどうされたんです? そのカッコ。いつものコスチュームじゃないんですか?」

「盗られた。今から取り返しに行く」

 

 言葉少なな戒斗から、持ち前の粘り強さで聞き出したところによると――

 

 戒斗は少し前に、何と彼と全く同じ顔をした男と出会い、催眠スプレーを嗅がされて気を失っている最中にチームユニフォームを盗られて、その男のスーツを着せられていた――と。

 

「それってリッパに犯罪ですよね……それにしても、駆紋さんにそんなことして、その人、こわいもの知らずってゆーかダイタンってゆーか」

 

 自分と咲といい、戒斗とそのそっくりさんといい、この冬は入れ替わりが流行っているのだろうか?

 

「――――」

「あの、駆紋さん? わたしの顔になにか付いてます?」

「室井の顔で敬語なのも『さん』付けで呼ばれるのも異様にしっくり来ないと思ってな」

「あー、わかります。咲、男の人を『さん』とか『ちゃん』で呼ばないのがマイルールですから」

 

 ――その、他人からすれば拘り所でもなんでもないそれが、室井咲の固い自戒によるものだと、碧沙はよく理解していた。

 

 キュキキィ!

 

 すぐ横の車道で、碧沙にとっては見慣れた黒くて長い車が停まった。

 黒い車から降りてきたのは、黒服の男が二人。

 

「お坊ちゃまっ」

 

 黒服たちは戒斗に対してそう呼びかけた。お坊ちゃま。何とも駆紋戒斗に似合わない形容だ。

 

「アルフレッド様がお待ちです。ホテルにお戻りください」

 

 黒服が戒斗の腕を掴んだ。

 これに対して当然、身に覚えがないであろう戒斗は抵抗し、黒服たち腕を振り解いた。

 

 戒斗は碧沙(体は咲)の小さな手を掴んで再び歩き出した。歩幅が大きいため、手を引かれる碧沙は小走りにならざるをえない。

 

(そういえば、兄さんたちとモン太とチューやん以外の男の人と手をつなぐのって、はじめてかも)

 

 暢気に思いを致した直後――黒服たちが追って来て、戒斗の背中にスタンガンを押しつけた。

 

「駆紋さん!?」

 

 碧沙は倒れた戒斗に取り縋った。揺さぶっても戒斗は目覚めない。

 

「なにするんですか! ――きゃっ」

 

 黒服の男たちの片方が、背負った水色のランドセルを掴んで碧沙を引きずって行き、黒い車に碧沙を投げ込んだ。

 混乱する碧沙に続いて、気絶した戒斗が座席に乗せられた。

 

 車が発進する。

 もう碧沙にはどうすることもできなかった。



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ニセモノお嬢様は見た!

 ゆうべ選んだ衣裳に身を包んだ咲(体はヘキサ)は、緊張でスカートの布地をきつく握って、ホテルに向かう車に乗っていた。

 

「碧沙。落ち着いて。長くて30分程度だ。ね、兄さん?」

「ああ。お前はいつも通りでいれば、それだけで充分だ」

 

 「いつも通り」をするヘキサが、この体の中にいないのだと、何度訴えたくなったことか。

 咲はありふれた一家庭の女子小学生だ。生粋の「お嬢様」であるヘキサとは決定的な隔たりがある。正直、咲が「呉島碧沙」を完璧に模倣できるとは思えない。

 

「……終わったらシャルモンに連れて行ってやるから」

 

 貴虎の提案は最後の譲歩だったのだろう。

 この場にいたのがヘキサなら喜んだだろう。しかし、咲は素直に喜べない。

 散々ビートライダーズを貶した凰蓮と、その腰巾着が板についた城乃内を見たくない。

 

 車はついにホテルの玄関に横づけされた。

 貴虎が助手席から降りた。光実もまた外に出て、微笑んでこちらに手を伸べた。エスコートしてくれるというのか。さすが坊ちゃん育ちはやることがジェントルだ。

 

 咲は光実の手を恐る恐る取り、車から降りた。

 

 

 

 

 

 咲は貴虎と光実の後ろに付いてエレベーターに乗り、ホテルの一室に入った。

 

「ひろーい!」

 

 咲はつい部屋の奥まで駆けて行き、調度品を見たり、カーテンを開けて外の景色を見たりした。この部屋こそ、噂に聞くお金持ちのシンボル、スイートルーム。

 

「碧沙。あまりはしゃぐな」

 

 貴虎のぴしゃりとした叱責で、咲は我に返った。ごめんなさい、と嵌め殺しの窓の桟から下りた。

 

「兄さん。会う相手が来るまであとどれくれい?」

「20分余りだ」

「そう」

 

 光実は高校から下校した格好のままでこの場に来た。未成年男子のフォーマルは学生服なので問題はないのだとか。

 しかし、持ってきた学生鞄から参考書を出して読書としゃれ込めるのは、暇潰しの手段を持たない咲からすれば羨ましい限りだ。

 

 これから約20分。地蔵もかくやという貴虎と二人で無言の空気を共有しろというのか。咲には厳しい試練だ。ヘキサはよく平気で過ごせているものだ。

 

 部屋のドアが開いた。

 助かるとはいえ、時間通りでないのはいかがなものか。

 

「失礼致します。私、シャプール様の執事でアルフレッドと申します。呉島貴虎様とご親族の方ですね」

「はい。初めまして、ミスター・アルフレッド。わざわざのご挨拶、痛み入ります」

「いいえ。実はまことに失礼なお話なのですが、シャプール様が少々立て込んでおりまして。定刻より遅れての会見になっても……」

「構いません。今日はスケジュールを空けていますので」

 

 他にも二、三やりとりし、アルフレッドは一礼して部屋を出て行った。

 

 咲はすっくとソファーを立ち上がった。

 

「碧沙?」

「お手洗い、行ってくる」

 

 インターバルはまだまだ続くと判明したのだ。せめてホテル内の廊下でも歩いて気分転換しておこう。

 

 

 

 

 お手洗いをすませた咲(体はヘキサ)は、豪奢な廊下の細工を一つ一つ立ち止まって眺めながら、ゆっくりと元来た道を戻っていた。

 

 

「――、ざいません――お坊ちゃまに逃げられ――」

 

 

 何か不穏な単語が聞こえた気がして、咲は声が聞こえたほうへ小走りに行って角から覗いた。

 

(今日会うえらい人の執事の……アルフレッドさん、だっけ。だれと電話してんだろ)

 

 

「ですが心配には及びません。――。はい。見つけ出して、必ず始末を」

 

 

 アルフレッドが電話を切った。

 

 

「自分の息子を――悪いご主人様だ」

 

 

 ひゅっと息を呑んで、隠れていた角に引っ込んだ。

 

(さっきシマツって言ったよね。最初にお坊ちゃまって言ったよね。息子って言ったよね。なにそれ。陰謀? お家騒動? ど、しよ。どうしたら。そうだ! 光実くんとお兄さんに知らせたら)

 

「盗み聞きとはマナーがなっていませんねえ。小さなレディ」

 

 はっとして咲が顔を上げれば、すぐ後ろに、愛想よく笑うアルフレッドが――



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リトル・オードリー危機一髪

 碧沙(体は咲)は黒服の男たちに促されるまま、ホテルの一室に入った。

 

 両手は後ろ手に縛られているし、何より気絶した戒斗が一緒だった。碧沙には大人しく彼らに付いて行く以外の選択肢がなかった。

 

(ううん。選択肢ならもう一つあった。わたしがしなかったってだけで)

 

 ――現在の碧沙は咲の体を使っている。咲が普段から持ち歩く品々を、今は碧沙が持っている。

 咲がいつでもランドセルに入れている戦極ドライバーとロックシードを、碧沙が持っていたのだ。

 

(使うヒマがなかったっていうのもあるけど。『わたし』じゃそもそもベルトが着けられないかもっていうのもあったけど。一番は、わたしが使っちゃいけない気がしたから)

 

 黒服の男たちが、気絶した戒斗を奥へと引きずっていく。

 碧沙はそれに付いて部屋の奥に進み、ソファーにビスクドールのように座らされた少女を認めて――愕然とした。

 

「咲ッ!?」

 

 駆け寄ろうとして、前のめりに転んだ。幸い床は上質なカーペットだったためケガはない。

 

 ソファーの上にあるのは碧沙の本来の体であり、今は親友の咲が宿る器だった。

 眠っているのか気絶しているのかまでは、ここからでは分からない。そばへ行って咲の安否を確かめたいのに、両手が使えないせいで立ち上がることもできない。

 

 気絶した戒斗は咲(体は碧沙)のすぐそばに投げ出された。

 

「シャプールのほうは予定通り事故に見せかけて。呉島の令嬢と目撃者の娘は、二人仲良く永遠の行方不明者になってもらいましょう」

 

 シャプール。その名を碧沙は知っていた。本当なら碧沙が今日このホテルで会うはずだった要人だ。男たちはそのシャプールという人物と戒斗を人違いしているらしい。

 

「――ずさんですね」

 

 一人だけ執事ルックの男と、黒服たちの目が、一斉に碧沙(くり返すが体は咲)に向いた。

 

「日本の警察を無能とでも思ってるんですか? 一日にひとつの街で3人も人が死んだら、タイホしてくださいって言ってるようなものです。それと。『わたし』はともかく、『呉島』のネームバリューをなめないでください。呉島家の人間に手を出したら、全ユグドラシルがだまってませんよ」

 

 こういう家名をふりかざす真似は普段なら絶対にしないのだが、咲と戒斗の命が懸かっている。

 この場で意識があるのは碧沙だけで、つまり男たちのの注意を引いて時間稼ぎができるのも碧沙だけ。

 

 この体が碧沙のものでなかったとしても、「呉島碧沙」は最期まで生きるための努力をやめない。

 

「悪いが俺は別人だ」

 

 黒服たちが倒れた。

 両手が自由になった戒斗が黒服たちを叩きのめしたのだ。

 

「ヘキサ! だいじょうぶ?」

「咲っ」

 

 咲(くり返すが体は碧沙)が、碧沙の縄を解いて助け起こしてくれた。

 

「いつのまに……」

「ついさっき。ヘキサのおかげだよ。ヘキサがあいつら引きつけてくれてたから、あたしが戒斗くんのナワほどいてあげられたの」

 

 すると、ふいに体が宙に浮いた。戒斗が咲と同時に碧沙を脇に抱えたのだ。

 戒斗は、狼狽する執事には一瞥もやらず、碧沙と咲をしかと抱えてその部屋から脱出した。



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あなたを傷つけたくなくて side碧沙

 ホテルから出たところで、戒斗は碧沙(体は咲)を下ろした。そして走り出した戒斗を、碧沙は自身の足で走って追った。

 ダンススクールのレッスンで基礎体力はついているとはいえ、大の男の走りに付いて行くのは、マラソン大会と100m走測定を同時にやっているような苦しさだった。

 

 戒斗が立ち止まったところで、碧沙は両膝に手を突いてぜいぜいと呼吸した。こんな季節なのに汗だくだ。

 

 酸欠と火照りで頭がぼうっとしていたせいだ。

 ポケットで鳴動したスマートホンを、碧沙は条件反射で取り出し、新着メッセージのアイコンをタッチした。

 画面が切り替わってようやく、このスマートホンが咲のものなのだと思い出した。

 

 

《カイトのレア映像Get!(≧∇≦)》

 

 

 ビートライダーズの全体SNSに、チームメイトのモン太のコメントと添付動画が上がっていた。

 

(駆紋さんはここにいるのに?)

 

 一拍ためらったが、碧沙は思い切って添付ファイルを開いた。

 画面に表示されたのは、確かに、赤と黒(トランプツートン)のチームユニフォームを着て、ハチャメチャにステップを踏む、戒斗だった。

 

 顔を上げる。戒斗はここにいる。では、この映像の中の「戒斗」は「誰」だ?

 

「あの、駆紋さん。これ……」

 

 碧沙はスマートホンを戒斗に差し出した。戒斗は画面を覗き込んだ。

 

「こいつだ。俺と入れ替わった奴。ここは……中心街のフリーステージか」

 

 戒斗が歩き出した。碧沙は慌てて戒斗を再び追った。

 

 戒斗の歩調は一定で、何度か小走りしないと置いて行かれそうだった。

 そうして初めて、貴虎や光実と歩く時はそのようなことがなかったことに気づいた。兄たちはコドモの碧沙に歩調を合わせてくれていたのだ。

 

 

 目的地のすり鉢型ステージに到着した。

 

 舞台の上ではしゃいでいる青年は、なるほど、戒斗の鏡写しのような容姿をしていた。それが女子のようにきゃいきゃいはしゃいでいるものだから、笑いを通り越してシュールである。

 隣の戒斗がどんな表情をしているかは、あえて見上げたくなかった碧沙である。

 

(あれがホンモノのシャプールさん)

 

 客席の階段を降りていく戒斗に、碧沙も続いた。

 

「おい。お前」

「ん? ――あ!」

「え? 戒斗が、二人!?」

 

 叫んだ舞が、絋汰が、ザックやペコを初めとするチームバロンのメンバーが驚きもあらわに、戒斗と、戒斗そっくりの青年を何度も見比べた。

 

「偽者だ。そいつは俺じゃない」

 

 戒斗は壇上に上がると、シャプールの首根っこを猫の仔のように掴み上げ、乱暴に引っ張って歩き出した。

 

 つい見送ってしまったヘキサに、モン太たちリトルスターマインの仲間が声をかけてきた。

 

「なあヘキサ、カイトとなんかあったのか?」

「えーと……いろいろ。うん、イロイロあった」

「……だれ?」

「あのそっくりさん? たぶんだけど、外国のちょっとしたとこのお坊ちゃま。少しフクザツめの事情があって――あ! 待ってください、駆紋さんっ」

 

 碧沙はチームメイトに「ごめんね」と言い残して戒斗たちを追いかけた。

 

 

 

 

 

 戒斗は最寄りの閉鎖工場地帯にシャプールを連れ込み、服を元通りに交換した。

 ちなみに碧沙は彼らが着替える間は外で待っていた。ここまで来たら顛末を見届けたい気がした。

 

 やがて戒斗とシャプールが廃工場の中から出て来た。

 

「やっぱりそのコートじゃないと駆紋さんって気がしませんね」

「――ふん」

 

 コートの裾を翻して背中を向けた戒斗に、シャプールが叫んだ。

 

「カイトみたいに! ……自由に生きてみたかったんだ」

 

 自由に。

 そのフレーズは呉島碧沙の深いところを大きく揺さぶった。

 

(わたしも、もともとダンススクールに通い始めたのは、貴兄さんの目の届かない世界に出てみたかったからだった)

 

 咲が、みんなが、自分を「ヘキサ」と呼ぶ。そう呼んでくれる時は、「呉島のお嬢様」でも「ユグドラシル・コーポレーション重役の娘」でもない、「ただのヘキサ」でいられた。その時間の何と解放感に満ちて、幸福だったことか。

 

「とぼけるな。自分の命が狙われているのが分かっていて俺と入れ替わったんだろう?」

「命? 僕の?」

 

 シャプールは本気で意味が分からないという顔をした。

 

「駆紋さん、待ってくださいっ。なにも今言わなくても」

「今言わないでいつ言うんだ。これはこいつの問題だ。それともお前は、何も知らせないままこいつを帰してみすみす死なせて構わないのか?」

 

 その時、黒い車が工場地帯に走り込んできた。

 車から降りて出たのは、黒服の男が二人と、例の執事。

 

「アルフレッド……っ」

「探しましたよ。お坊ちゃま」

 

 アルフレッドは笑顔だが目が笑っていない。

 

「お父上がお坊ちゃまの死をご所望です」

「お父様、が?」

 

 両の二の腕に悪寒が走った。

 親が、子の、死を望むという事態が、碧沙のキャパシティを超えていた。

 

 アルフレッドが一歩踏み出した時、碧沙は勇気を出してアルフレッドの腹に体当たりして、しがみついた。

 

「駆紋さん! シャプールさんを……!」

「邪魔をするな!!」

「い゛……っ」

 

 碧沙はアルフレッドに髪を掴まれて引き剥がされ、突き飛ばされた。

 

(どう、しよう。この体、咲のなのよ? 立ち上がって、今度こそ咲の体に傷でも残っちゃったら。そう思うだけでこわくて立てない……!)

 

 にぶい殴打の音がして、え、と碧沙は顔を上げた。

 

 戒斗が、片腕に碧沙(体は咲)の肩を抱いて、もう片方の手に持った戦極ドライバーの裏面で、踏みつけようとした足を防いでいた。

 

「駆紋、さん」

 

 戒斗はアルフレッドの足を弾き、逆に腹を蹴り飛ばした。

 さらに、襲ってきた黒服二人も、戒斗は一人でいなして撃沈させてしまった。

 

「あなたがお坊ちゃまを助けても、得にはならないと思いますが?」

「俺は貴様が気に入らない。それで充分だ!」

「――あくまで邪魔をするというのなら」

 

 アルフレッドが取り出したのは――ゲネシスドライバーと、炎の形をした果実を象ったエナジーロックシード。

 

(なん、で。だってそれ、そのロックシードは、咲の)

 

「許さんぞ!!」

《 ドラゴンフルーツエナジー 》

 

 アルフレッドは開錠したドラゴンフルーツのエナジーロックシードをドライバーにセットした。

 

「変身」

《 ソーダ  ドラゴンエナジーアームズ 》

 

 クラックが宙に開き、落ちてきたのは、炎の形をした果実の鎧。鎧がアルフレッドの頭に落ち、彼を装甲する。

 珊瑚色のマントを翻す黒いアーマードライダーは、ソニックアローで戒斗へ襲いかかった。

 

 戒斗はソニックアローを避けてから、戦極ドライバーを装着してバナナの錠前を解錠した。

 

「変身!」

《 カモン  バナナアームズ  Knight of Spear 》

 

 変身を完了したバロンは、再びソニックアローを振り被った黒いアーマードライダーと戦い始めた。

 

 碧沙は、ホテルから逃げるどさくさでも忘れず持ってきたランドセルから、戦極ドライバーと種々のロックシードを取り出した。

 

 ――先ほど捕まった時は迷ったが、おそらく今のヘキサならば咲の戦極ドライバーで変身できる。変身して――しかし()()()は、戦えない。純粋に闘争そのものがこわいということもある。だが、もっと何か、重要な。

 

(いつもわたしたちの分まで、インベスを、元は人間だったモノを殺してる咲に、これ以上“人間”を傷つけさせるなんて、いやよ)

 

 なら、これらは宝の持ち腐れか? ――NOだ。

 

「駆紋さん――使って!」

 

 碧沙は手持ちのロックシードの内、ドラゴンフルーツをバロンへ投げた。

 

 ――戦わないなら、この手に持てる力を、せめて今戦ってくれている戒斗へ託すくらいは。

 

 バロンは飛びずさりながらドラゴンフルーツの錠前をキャッチし、開錠してバックルに嵌め込んだ。

 

《 カモン  ドラゴンフルーツアームズ  Bomb Voyage 》

 

 かくてそこには、赤いライドウェアの上から赤いアームズを纏ったバロンがいた。

 

 ドラゴンフルーツアームズに換装したバロンは、すばやく、いつかのインベスゲームのように片手に3つのDFボムを出し、黒いアーマードライダーの足下に投げつけた。

 プチ手榴弾が爆ぜて白煙が上がった。

 

 碧沙は立ち上がり、シャプールの腕を両手で引っ張った。

 

「逃げましょうっ」

「う、うんっ」

『行くぞ! 急げ!』

「はい!」

 

 どうにか立ち上がったシャプールを、碧沙は全力で引っ張って、バロンに背中を守られながら走った。



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常若の実で焼いたパイ

 咲(体はヘキサ)は戒斗によってヘキサ(体は咲)と揃って救出されてから、光実と貴虎が待つ部屋に帰った。

 

 本当はヘキサと戒斗と一緒に逃げるつもりだったが、ヘキサに「戻って兄さんたちを安心させてあげて」と頼まれたので、渋々戻った次第である。

 

 ヘキサの頼みだからそうしたのであって、そも咲には、光実にも貴虎にも立てる義理はない。

 貴虎はもちろん、今や光実でさえ、スカラーシステムなどという代物のスイッチを握る側であるユグドラシルの人間なのだ。

 

 おかえり、と笑顔で迎えた光実も。

 一瞥をくれただけで何も言わない貴虎も。

 

 

 咲が部屋に戻ってしばらく、相手方から会見を中止してほしいとの旨が伝えられた(使者が来た時はソファーの後ろに隠れてやり過ごした)。

 そのため、咲は二人の「兄」と共に呉島邸にまっすぐ帰宅となった。

 

 

 

 

 

 屋敷に入るなり、咲は階段に向かった。

 

「ごめんね。ちょっと、部屋で休ませて」

「具合悪いの?」

「疲れただけ。夕飯には下りてくるから」

 

 

 2階に上がり、ヘキサの私室に入る。

 クローゼットを開けた。咲からすればどれも高級な服ばかりの中から、辛うじて部屋着になりそうなオフショルダーニットを選び、それに着替えた。

 

 ぼっふん。スプリングの利いたベッドに勢いよく体を投げ出した。

 

(ヘキサ、だいじょうぶかな。ごはんとか、ちゃんと食べれてたらいいんだけど。ウチのメンバーとか絋汰くんならともかく、いっしょにいるのが戒斗くんだしなあ)

 

 つらつらと考えていると、ドアのノック音がした。咲はつい寝転んだまま「どーぞー」と答えた。

 

 ドアが開いた。入って来たのは光実でも貴虎でもなく、藤果だった。

 

「失礼します。――お休み中でしたか?」

「ううん。へーき。ところでそれ、なぁに?」

 

 藤果が押して来たのは、電車の車内販売でよく見るワゴンのクラシカル版とでも表現すればいいのか。ワゴンの一番上には小皿とフォークとグラスと、切り分けたパイが載せてあった。

 

「これって」

「私が焼きました。朝も昼もあまり召し上がっていないと聞きましたので」

 

 朝食はかく言う藤果が作った料理で、昼食は何と小学校でビュッフェだった。どちらも庶民の咲の舌には難しい味で、箸が進まなかったのだ(どれもナイフとフォークで食べるメニューだったので進める箸もなかったが)。

 

「食事の前に甘いものは、本当は良くないんですけど。お兄様方には内緒ですよ?」

「うんっ。えへへ」

 

 藤果は慣れた手つきでパイを小皿に載せて、フォークと一緒に咲に差し出した。パイの断面を見て初めて、それがアップルパイなのだと分かった。

 

 フォークで少し多めにパイを切り分けて頬張った。

 

「あむ、んぐ――、――ん」

「どうなさいました?」

 

 咲は無言で、今度は少なめにパイを切ってフォークの先に刺した。

 

「おねーさん。あーんして」

「はい?」

「あーん」

 

 藤果は困惑した顔で口を開け、フォークの先のパイを食べた。

 

「……美味しくないですね」

「うん。まずいかもだ」

 

 言って、咲はフォークでパイをまた一切れ、食べた。

 

「あの、お嬢様? 無理して食べなくてもいいんですよ?」

「やだ。おいしくなくても、食べる」

 

 ――会ってまだ1日程度なのに、藤果は自分の食欲がないことを見抜いてくれて、しかも手作りでアップルパイなどという手の込んだ料理を作ってくれた。

 美味しくないとしても捨てたくなかった。食材も、藤果の思いやりも。

 料理は愛情、とは作る側に限った話ではないのだ。

 

「……飲み物。紅茶とミルクを用意しましたけれど」

「じゃあ、ミルクがいい」

「はい。お嬢様」

 

 藤果の笑顔が、なんだか照れくさくて。咲は小皿の上のアップルパイに視線を落とした。



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男たちの今昔物語

 アルフレッドの叛逆を辛くも逃げ切った碧沙たちは、元チームバロンが拠点にしていた白いカーディーラーに逃げ込んだ。

 

(なんだかホコリ臭い。オールスターステージ以来、ビートライダーズの人たちは元チーム鎧武のガレージをたまり場にしてるっていうから、ここに出入りする人がへったのかしら。もしかして駆紋さん、ここなら人を巻き込まないですむと思って、わざわざこの場所ににげて来た?)

 

 閑話休題。

 碧沙は、テレビの前に置かれたテーブルのイスを引いて、シャプールを呼び招いた。

 シャプールはカーディーラーに入るなり、全力疾走が祟って床にへたり込んだ。しかし床に座りっぱなしでは彼の体が冷えてよろしくないので、せめに椅子に座るように、と思って。

 

 シャプールは気怠さを隠さず立ち上がり、のろのろとイスに座り込んだ。

 碧沙はシャプールの隣のイスに座った。

 

「――聞いてくれる?」

「はい。どんなことですか?」

「僕は……元は“財団”の人間じゃなかったんだ。跡継ぎのいないお父様に引き取られて、“財団”の後継者として育てられてた。でも、お父様に本当の息子が産まれて――」

「邪魔になったってわけか」

「そんなっ。身勝手すぎます!」

「別に跡を継ぎたいわけじゃないし! ずっと、っ、この国にいようかなあ……? カイトたちもいるし……もう、帰れないし……っ」

 

 ついにしゃくり上げ始めたシャプール。

 碧沙はシャプールにそっと手を伸べようとして――その手を、戒斗に掴んで止められた。

 

「ある男の話をしてやる」

 

 戒斗は語る――

 

 ――その男の家は町工場で、父親は腕利きの職人だった。

 ――しかし、ある時、工場は多額の金で売り払われることになった。

 ――それから父親は酒に溺れ、酔って妻子に暴力を揮うようになった。

 ――父親は最後に、母親と無理心中した。幼かったその男を、ただ一人遺して。

 

 掴まれた手と、胸が、痛かった。

 呉島碧沙は間違いなく、その男から家と家族を“奪った側”だ。

 

「憎んで、いますか? ユグドラシルを――わたしたちを」

 

 戒斗は答えない。答えなくて当然だ。今のは「ある男」の昔語りであり、駆紋戒斗の過去ではない。

 

 それに、戒斗がどちらかを答えれば、呉島碧沙の心はこれを終わった話として胸の底に沈めてしまう。そんな甘さを許さないと、言外にそうも言われた気がした。

 

 戒斗が碧沙の手首を離した。幸い、痣にはなっていない。この身は咲の体だから、碧沙はそのことに安心した。

 

「戦うべき相手がいるなら戦え。そうでなければ、一生後悔する」

「……無理だよ。僕一人で何ができるっていうんだ。お父様の命令一つでみんなが手の平を返して僕を殺そうとしたじゃないか。みんなみんな……っ、僕に味方してくれる人なんて、一人もいないじゃないか!」

「――だいじょうぶですよ。シャプールさん」

 

 碧沙は今度こそシャプールの手を取り、上下から包み込んだ。

 

「なにもひとりで巨大な敵に立ち向かえって言ってるわけじゃないです。きっと、絶対、シャプールさんの助けになりたいと思ってる人はいます。いると思います。わたしにとってのリトルスターマインみたいに。たとえば今は――わたしと、駆紋さんとか」

 

 戒斗に睨まれたが、これについて間違ったことは言っていないつもりだ。だから碧沙は笑顔を崩さなかった。

 

「話は全て聞かせてもらったわ!」

 

 カーディーラーに反響した大仰な声。

 碧沙はイスを降りてシャプールのそばに立ち、戒斗が二人より前に出て身構えた。

 

(ほらやっぱり。駆紋さん、表向きはイヤそうに見せて、とっさにシャプールさんをこうして庇ってる。ちゃんと助けてくれてる)

 

 外へ繋がる階段から降りてきたのは、凰蓮である。凰蓮は無駄にアクロバティックに踊り場からこちらまでジャンプして着地を決めた。

 

「雇い主がどうしてムッシュ・バナーヌを捕まえろなんてワテクシに依頼したか疑問だったけど、ようやく事のカラクリが分かったわ。雇い主の本命はそこのそっくりさんだったのね」

 

 認めるのは悔しいが、アルフレッドの人選は的確だ。凰蓮であれば戒斗の人相を知っていて、同じ人相のシャプールを探すにはうってつけ。そして、標的がアーマードライダーでない以上、先に受けた貴虎の「アーマードライダー拿捕」の依頼とはブッキングしない。

 

(おちつくのよ、わたし。これはピンチじゃなくてチャンス。がんばれ、こわがっちゃだめ。咲はふだん、もっともっとこわい場所に立ってるんだから!)

 

「事情をごぞんじになったんでしたら話は速いです。凰蓮さん。シャプールさんを保護してください」

「え!?」

「は?」

「Pardon?」

「これで凰蓮さんはシャプールさんを『捕まえた』ことになって、依頼達成です。ただ、シャプールさんを引き渡すまでにちょっと時間がかかった。そのちょっと時間に、たまたまわたしたちと駆紋さんが執事さんをやっつけてしまった。これでだれも困りません」

 

 戒斗が文句を口にするより早く。

 碧沙が持つスマートホンに着信があった。碧沙は背を向けて電話に出た。

 

《もしもし、咲ちゃん!? ペコだけど、近くに戒斗さんいない!? 戒斗さんに電話かけても出てくれなくて! 最後に一緒にいたの咲ちゃんだよね!?》

「え、えっと、はい。すぐそこにいますけど。ペコさん、何かあったんですか?」

《俺たちの、バロンのステージを、アーマードライダーに襲われたんだッ!》

 

 碧沙は反射的に戒斗を顧みた。

 

《咲ちゃんのドラゴンフルーツそっくりの格好で、でも弓持ってて、見たことないアーマードライダーだった。そいつ、チームのリーダーに伝えろって。『シャプールを連れて来い』とかなんとか……》

 

 戒斗が碧沙の視線に気づいた。ただならぬものを察したのか、彼は黄色いスマートホンを取り上げた。

 

「ペコか? 何があった」

 

 碧沙の位置からは電話の向こうのペコの声は聞こえない。碧沙はじれったさを我慢して待った。

 やがて戒斗は通話を終えて、スマートホンを碧沙に突き返した。

 

「ペコさんはだいじょうぶでしたか? ほかのチームバロンの人たちは?」

「死者は出ていない。全員、重傷らしいがな」

「――襲ってきたアーマードライダーって、昨日の執事さん、ですよね」

 

 咲と同じドラゴンフルーツの鎧を纏いながら、咲とは正反対の悪行を成す男――アルフレッド。

 思い出すと、胸の奥から何かが焦げたにおいがする気がした。

 

「ザックさんは応戦しなかった……わけ、ないですね。あれ? じゃあペコさんが駆紋さんに連絡したのって――」

 

 仮に、ザックが変身してアルフレッドを退けたなら、戒斗にそれを知らせる人間は現リーダーであるザックのほうがしっくりくる。しかし、ペコが電話してきた。そして戒斗は「全員が重傷」と言った。

 

 思案を断って碧沙が顔を上げた時、戒斗はすでに階段を半分登っていた。

 

「駆紋さん! わたしも――」

「断る。お前が戦場でできることは何もない」

 

 それは、いつもわきまえていても、あえて言語化されるとダメージの高い言葉だった。

 そして、いつもわきまえているから、碧沙は迅速に立ち直ることができた。

 

「べつに駆紋さんの許可はいりません。勝手にする、って最初に言いました。だから今度も勝手にひっついて行っちゃいます」



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あなたを傷つけたくなくて side咲

 正午過ぎ。咲(体はヘキサ)は、デザインセンスが光る校舎正門前で、呉島家からの迎えを待っていた。

 

(お嬢さま学校ってむだに疲れる……)

 

 ヘキサと入れ替わっている以上、必然的に咲が行くべき学校は、背後に建つ格式ある学園初等部だ。

 ヘキサにあとから妙な風評を被せないために「らしく」振る舞おうと、咲は昨日に続いて努力した。それでも、ふと気が抜けて素の口調や表情が出てしまう時はあって、そのたびに(ヘキサの)クラスメートは異様なものを見る目で咲を見た。

 

 だが、今日はその荒行が半分で終わった。

 貴虎から連絡があったのだ。学校を早退しろ、とどこか切羽詰まった声で。理由は知らないが、咲としてはラッキーでしかないので、こうして迎えの車を待っているわけだ。

 

 そして、黒い自家用車が正門に横づけされた時、咲は意気揚々とその車に飛び乗った。

 

「おかえり、碧沙」

「あれ? 光……兄さん。兄さんも早退?」

「僕にも貴虎兄さんから連絡があってね。どうしてか聞いたら、『帰ってから話す』で一方的に切られちゃったけど」

 

 自家用車が発進し、道路を滑って行く。呉島の屋敷から学校まで、実はあまり距離はない。車での送迎は防犯のためだと光実から聞いた。

 

「父さんのこと――だったりするのかな」

 

 ――呉島兄妹の父・天樹の訃報を、咲はまだヘキサに伝えていない。伝えるタイミングを逃したまま多くのハプニングがあったせいだ。今日こそ一人になるタイミングを見計らってヘキサに電話しなくては。

 

 自家用車が屋敷の正門前に帰り着いた。

 咲は光実に続いて車から降りて、二人で屋敷の玄関から邸内に入った。

 

 ただいま、と習慣的に言いかけた咲は、エントランスホールの光景を見て言葉を失った。

 ヘルヘイムの植物がエントランスホールのあちこちに茂っている。

 

「家の中でクラックが開いたのか……?」

 

 咲はエントランスホールからすぐのドアを開けて、リビングに駆け込んだ。リビングでもヘルヘイムの蔓は床に茂っていた。

 

 すると、続いてリビングに入った光実が、あろうことか、咲(体はヘキサ)を抱き寄せた。

 

「はわぁ!?」

「離れないで。インベスも入り込んでるかもしれな……碧沙?」

 

 光実が掴む肩が、熱い。ダンス以外で異性とこうも密着するのは、室井咲の人生初の体験だった。

 

(いやいや光実くんにはクリスマスゲームの時におんぶしてもらったじゃん! ちょっと前にヘルヘイムの遺跡に入った時に手つないだじゃん! って、あれ!? 何気にあたし、光実くんとのスキンシップ率高くない!?)

 

 非常に乙女らしいパニックに陥った咲は、彼女のすぐ近くで空気がブレを生じたことにも気づかなかった。

 

 光実が咲を抱えてその場から飛びのいた。

 ほぼ同時に、一瞬前まで立っていた位置を剣閃が(はし)った。

 

「アーマードライダー!?」

 

 襲撃者は、紅玉のアームズをまとった女騎士だった。

 

 紅玉のアーマードライダーは間髪入れずに再び片手剣を突き出した。刃は今度、光実の右肩を掠めた。コートが裂けて、布地が血でみるみる真っ赤に濡れていく。

 光実は痛みが酷いのか、咲を抱えたまま頽れ、右肩の傷口を押さえて歯を食い縛っている。

 

「ぁ、あぁ…っ」

 

 紅玉のアーマードライダーがゆっくりとこちらに歩いてくる。

 

 咲は応戦すべく戦極ドライバーを出そうとして、今の自分が「呉島碧沙」なのだと思い出した。ヘキサに戦う術はない。身を守るすべさえ、あの子は持っていなかったのだと、今、知った。

 

 咲が痛いのは、いい。だが、この体はヘキサのものだ。

 万が一、ヘキサの体に一生消えない傷跡でも残してしまったら。

 そう想像したら。こわくて、前に出られない。

 

(ああ、ヘキサ。あなたはこんなにこわい思いをしながら、あたしたちの戦いを見守っててくれたんだね)

 

 その時に咲が浮かべた表情は、光実にとっては妹の恐怖に映ったのだろうか。光実は無理のある笑みで咲を背中に隠し、紅玉のアーマードライダーを睨みつけた。

 

「……誰だ、お前」

『誰か……そうですね。仮に、イドゥン、とでも名乗りましょうか。覚えていただかなくて結構ですよ。すぐにお二人とも死にますから』

 

 紅玉のアーマードライダーの声に、咲は聞き覚えがあった。

 

「藤果おねーさん?」

 

 イドゥンは片手剣を振り上げようとした腕を、ぴたりと止めた。

 

「おねーさん――藤果おねーさんなの!?」

『……迂闊に返答すべきじゃなかったわね。ええ、その通りですよ。碧沙お嬢様』

 

 藤果がアーマードライダーであったことも疑問だが、咲はもっと切迫したほうの疑問を先に口にした。

 

「どうしてあたしたちを――」

『あなたはあなたたち兄妹の父親が裏で何をしていたか知ってますか?』

 

 イドゥンはフラットな口調で語った。

 ――かつて呉島天樹が慈善事業と銘打って設立した孤児院の内実。ユグドラシルという組織の将来の指導者、研究者、工作員などの人材育成。しかし「不適格」の烙印を押されたコドモたちは――

 

「人体、実験……」

 

 光実が呆然としたように呟いた。

 

(こんな、こんな大変なこと、ヘキサにどうやって伝えればいいの! あたし、ヘキサに隠し事なんてできない。でも、死んだお父さんが、あたしたちくらいのコドモで人体実験してた、なんて、どう言ったってヘキサは絶対傷つく)

 

『あなたたちのお父様もヘルヘイムに侵されていたんですよ。そのためにみんな犠牲になった』

「まさかあなた、僕らの父を――」

『天樹様の最期は、それはそれはみじめでしたよ』

 

 ひゅっ、と咲は息を呑んだ。

 

(殺し、たんだ。おねーさん、ヘキサたちのお父さんを殺したんだ!)

 

 インベスというある種の緩衝材を経由せず、人が同じヒトを、殺す。その現実の壮絶さに咲は震えを禁じえなかった。

 

 光実が咲を自分の後ろに隠す位置に立った。

 

「目的は復讐ですか。父が死んでも止まらないということは、あなたは」

『ええ、そうです。だってユグドラシルは残っている。まだ呉島天樹の血を引くあなたたち、それに……呉島貴虎が、生きている。私の復讐は終わってない』

「……めて。やめて、おねーさん!」

 

 昨日にほんのひと時を共にした藤果を思い出す。

 咲を気遣って、咲に笑いかけた藤果。優しくて素敵なオトナの女性。

 もしかしたら彼女となら仲良くなれるかもしれないと期待した。もしヘキサと入れ替わったまま戻れなかった時、藤果にだけは本当のことを話せるかもしれないとさえ。

 

『だめです、碧沙お嬢様。私、今でも覚えてるんです。あの施設(いえ)でユグドラシルのお眼鏡に適わなかったみんなのこと。オトナたちに無理やり連れて行かれる子たちが、泣いて抵抗して、私に「助けて」って言いながらドアの向こうに消えていった。人間のものとは思えない悲鳴を聞いて、いつ自分の番が来るか怖くて布団の中で震えてた。どんな些細なことでオトナの目に留まるか不安でご飯の味なんてちっとも分からなかった。天樹様の付き人になることが決まった時の、みんなの、「裏切り者」って言ってたあの目! 何もかも私、覚えてる!』

 

 咲は、はっとした。

 昨日食べた、藤果が焼いてくれたアップルパイのちぐはぐな味。あれは藤果が作るのが下手だからではなく、味見する藤果の味覚に異常があるからだとしたら。強いストレスからそういう症状が起こりうることを、咲も一時期患っていたから知っていた。

 

『呉島天樹に関わるもの全て、この世から消し去ってやるッ! わあああっ!!』

 

 イドゥンが片手剣を振り被って向かってくる。

 光実が戦極ドライバーを装着し、ブドウの錠前を開錠した。

 

「変身!」

《 ハイーッ  ブドウアームズ  龍・砲・ハッハッハッ 》

 

 ()(すい)の甲冑が光実を鎧い、龍玄へと変えた。

 龍玄がブドウ龍砲を逆手に持って、イドゥンの剣戟を受け止めた。

 

『あの人の背中に隠れてた光実お坊ちゃまが、ずいぶんと威勢よくなったこと!』

 

 身を縮ませて見守るしかできずにいた咲の耳に、早い歩調の足音がした。エントランスホールからだ。

 

「光実! 碧沙!」

 

 その呼び声を聞いた時、咲はなりふり構わなかった。

 

「ここよ!! 助けて、兄さん!!」

 

 部屋のドアが乱暴に開かれた。入って来たのは、貴虎だ。

 

 するとイドゥンは斜め後ろにふり向かないまま手をかざした。手の向こうに開いたのは、クラック。

 イドゥンがクラックに飛び込むと、クラックはあっというまに閉じた。

 

「襲われたのか」

『うん。でも逃げられた』

 

 光実がロックシードを施錠し、変身を解いた。

 

「襲撃者の人相は見たか?」

「いいや。変身してたから。ただ、誰かっていうのは分かったよ」

 

 そこで貴虎は暗い顔をして俯いた。

 

「その襲撃者というのは、もしかして――」



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拝啓、美しい人へ

 咲たちを襲ったイドゥンの正体を告げてすぐ、貴虎は私用車で呉島邸を発った。

 行き先がイドゥン――藤果の言っていた“施設”だということは咲でも分かった。

 

 今の咲はヘキサの体と入れ替わっている。貴虎を追って戦闘の助けになることはできない。

 

 咲はまず、光実の傷を手当てした。

 インベスと切った張ったが日常となりつつある咲は、こういった応急処置にも慣れている。戦闘後は咲が紘汰やザックの専属ナースである。

 

 光実の手当てが終わってから、咲は一度屋敷を出て、スマートホンで「室井咲」と表示された番号に電話をかけた。

 

《……もしもし?》

「ヘキサ! あたし、咲、分かる?」

《……咲? 咲! どうしたの? 今どこにいるの?》

「ヘキサんちの前庭。急な話で……ショックなことばっかでごめんだけど、急いでるの。聞いて。今ね、ヘキサの上のお兄さんが――」

 

 咲は自分が襲われたことを伏せつつ、藤果のこと、例の“施設”のことをヘキサに伝えた。

 

《――――》

「ほんとに、ごめん。ごめんね、ヘキサ。あたし」

《貴兄さんを追いかけたいって、思ってくれてる?》

「……うん。でも今は、あたしが『ヘキサ』だから。追いかけたって変身もできないし。なんにもならないことはわかってるの。わかってるけど」

 

 ヘキサの愛する長兄ではなく、朱月藤果を放っておけない。藤果の目には「碧沙」に映っていようが、こうなった咲に優しくしてくれた藤果はただ一人だ。

 

《咲。今わたし、うちに……呉島のお屋敷に向かってるとこなの。わたしもちょっと、会えないでいた間にトラブルがあって、だから。着くまで待ってほしいの。それから一緒に行こう? 今は『わたし』が『咲』でしょ? ()()()()()()()ベルトで変身――》

「それはだめッ!! 絶対絶対だめ!!」

 

 体が咲のものだろうが、ヘキサに戦わせるなど以ての外だ。ヘキサだけはこの修羅の巷に飛び込ませてはいけないし、そうであるからこそ咲も安心して戦えるのだ。

 

《咲、でも……あのね!》

「デモもストライキもないの! 上のお兄さんはあたしだけで追いかけるから」

《……わかったわ。じゃあ、うちの車使って。運転手さんの中で一番古株の人を呼んで。その運転手さん、わたしが産まれる前から呉島家付きだから、たぶん、お父さんをその“施設”に送り迎えしたこと、あるかもしれない。道知ってると思う》

「アドバイスさんきゅ。……ごめんね。フジュンな動機で、ヘキサの体使っちゃって」

《そこは気にしないわ。たぶん、わたしも咲と似たような理由で、咲の体で駆けずり回ったから。――気をつけてね》

「ありがとう。ヘキサも気をつけて。またあとで」

 

 

 

 

 

 咲は通話を追えてすぐさま行動に出た。ヘキサに言われた通りに、咲は最古参の運転手に頼み込んだ。天樹が生前に通っていた“施設”へ行きたい、理由は長兄の身が危ないからだとまくし立て、運転手に思いきり頭を下げた。

 その運転手はヘキサの予測通り、郊外の特別な施設へのルートを知っていた。

 咲はすぐに自家用車に乗って貴虎が向かった“施設”へ向かった。

 

 郊外の雑木林を行くことしばし、一台の車が無人で停め置かれていた。運転手によると、あれは貴虎の私用車だという。

 

 咲は単身、砂利道を駆け出した。

 霧深い道を抜けると、目の前に廃墟が現れた。「沢芽児童保護院」の看板の上には、ユグドラシル系列のマーク。――ここで間違いない。

 

 チェーンで封鎖された正門は、すでに人がこじ開けて通ったと思しき開き具合。咲もまたその正門の隙間を抜けて、荒れた建物の中に足を踏み入れた。

 

 咲は不気味さを我慢して、薄暗い施設を、奥へ奥へと進んだ。

 

 ふと、一つの開けっ放しのドアが目に留まった。正門と同じだ。そのドアにもまた木材の封印があり、それが破られた跡があった。

 

 咲がそのドアの向こうを覗き込んだ時だった。

 か細く、声がした。女の、掠れた呻き声。

 

 咲は反射的に急傾斜の階段を駆け下りた。

 散らかった地下室に出て、咲は、埃が積もった床に倒れる藤果を見つけた。

 

「おねーさん!!」

 

 咲は藤果に駆け寄り、小さな体で精一杯、藤果の上体を少しだけ起こした。

 

 藤果は顔中にエイリアンのような痣を何十本も浮かせ、苦しげに眉根を寄せて歯を食い縛っている。

 

(どうしよう、どうしよう。このまま藤果おねーさんが死んじゃったら。なにか、ないの。なにか、あたしにできること。どうしよう。だれか。ねえ、助けて。たすけてよ)

 

 敵味方も損得勘定も、善悪さえもない。目の前で死にかけている人に何かしてあげたいのに何もできない。その過酷は、11歳の少女に涙を流させてもしかたないものだった。

 

 咲は、泣いた。ごめんなさい、とくり返し言って、とにかく泣いた。

 ――流れた涙の(しずく)は藤果の顔にいくつも落ち、滑って、彼女の唇を濡らした。

 

 ぴく――藤果の指先がわずかに、動いた。

 

「ぅ……」

「おねーさん!?」

 

 藤果がうっすらと瞼を開けた。

 

「おじょ、う、さま……どう…して…?」

「どうしてとか何でとかは長くなるから以下省略! それより、おねーさんはだいじょうぶなの? もう痛かったり苦しかったりしない?」

「あ、れ――? そういえ、ば…なんとも…治って、る?」

「よかったぁ…よかったよぉ…っ」

 

 嬉し泣きする咲を、藤果が茫洋と見上げていた。

 

 

 

 

 しばらくして、藤果が口を開いた。

 

「どうして、あなたが泣くんですか? 私はあなたのお兄さんを、殺そうと――」

「したね。でも、えっと、ちょっと今は訳アリで。とにかく、お兄さんたちより藤果おねーさんのが心配だったの。だからここで、生きててくれてよかったなって」

 

 藤果はまじまじと咲を見上げた。信じられないものを見る目だ。

 

「――私はたったさっきまで、あなたの上のお兄さんと戦ってた。殺すつもりだった。彼は、私に――とどめを刺さなかった。生かしておいたらまた命を狙うって、言ったのに――本当に甘い、ひと。どうしてあんな優しい人が――」

 

 咲の頭に小さな疑問が浮かんだ。――藤果は本心から貴虎を殺したいとは思っていなかったのではないか、と。

 

 使い古された言葉だが、その気になればいくらでもチャンスがあった。料理に毒を盛る、寝込みを襲撃する、兄妹の誰かを人質に取る、etc――

 なのに、藤果はアーマードライダーとなって敵対した。貴虎も光実も歴戦のアーマードライダーであれば、彼女の選んだ殺害方法は下策中の下策だ。

 

「まだ……足りない? まだ、おねーさんの気持ち、満たされない?」

「……もう、分かりません。だって、私はたったさっき、貴虎に殺されました……呉島に復讐しなければみんなが浮かばれないと信じていたコドモは、さっき、死んだんです……あなたが、兄弟より私を心配だと言ってくれたように……私も、ここで殺された仲間たちより、貴虎ひとりへの想いが上回ってしまった……ねえ、お嬢様。もうどちらも憎みきれないし愛しきれなくなった私は、どこへ行けばいいんでしょう――?」

 

 藤果がこれから行くべき場所。その答えなら咲にも分かる。

 

「病院行こう」

「――え」

「病院でケガ治してもらいに行こう。それで元気になったら、カウンセリングに行こう。あたしも昔……いじめられてた時期、ごはんの味がわからなくなったこと、あるの。その時のカウンセラーさん、紹介するから。そしたら、おいしいもの食べて『おいしい』って感じられるようになるし、アップルパイも今よりおいしく焼けるようになるって」

「――何ですか、それ。まるで夢見がちなコドモみたい」

「だ、だって正真正銘、コドモだもん! しょーがないじゃん!」

「ふふ……そうですね。あの貴虎に育てられた子だから、きっと大人びたしっかり者だって、勝手に誤解してました……あなたは本当に、“普通の女の子”として育てられたんですね……」

「――そうだよ。『呉島碧沙』はね、どんな家に産まれてどんな立場になったって、『ただの碧沙』なの。忘れないで」

 

 無事に元に戻れた時に、藤果に、本物のヘキサを咲のようなじゃじゃ馬だと思われないように、念のための注意だ。

 

 藤果は苦笑しながら、戦極ドライバーからリンゴのロックシードを外して、咲に差し出した。――自ら戦うための力を、手放した。

 

 咲は藤果の手からリンゴのロックシードを受け取った。

 

「確かに受け取ったから」

 

 藤果は満足げな表情のまま気を失った。

 

 いつもならアーマードライダーに変身して藤果をおぶさって外へ連れ出すこともできたのだが、生憎と今の咲はヘキサの体になっている。

 加えて、スマートホンはこの地下室だと使い物にならないようなので、外に出て人を呼んで来なければいけない。それに、ここに藤果が倒れていることの言い訳も考えなければ。

 

 幸い、外に直通の階段がある。咲はブレザーのポケットにリンゴのロックシードを押し込み、その階段を使って建物の外に出た。



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もぎたての受難

 ――時は、およそ16時間前まで遡る。

 

 碧沙は戒斗の運転するバイクに相乗りして、市内でも有数の高級ホテルに到着した。

 ここは、咲との入れ替わりがなければ、呉島家と“財団”の会見のために碧沙も来るはずだったホテルだ。

 

 ホテルのロビーに入るなり、碧沙と戒斗は黒服の男たちに囲まれた。見覚えがある顔ばかりだ。つい昨日、自分たちを強硬手段で拉致した、アルフレッドの部下たちだ。

 

(ロビーでやり合ったらホテルのスタッフさんに迷惑がかかっちゃうし、駆紋さん自身がお客さんを気にして戦いづらいから――)

 

 戒斗は黒服たちに真っ向から告げた。

 

「このホテルのコンサートホールにお前たちの上司を遣せ。そこでシャプールを返してやる」

 

 戒斗は黒服たちを正面から押しのけ、エレベーターに向かって歩いていく。碧沙は戒斗の後ろを付いて行き、二人は共にエレベーターに乗り込んだ。

 

 

 このホテルは、結婚式などで使用する大きな式場ホールと、リサイタルや講演を開くためのコンサートホールを別々に設けていることを売りにしている。

 大立ち回りになることが当然予想されるので、常なら平面で広い式場ホールを指定するのがベストだが、戒斗の義憤は承知であえてコンサートホールにしてもらった。この点については、承諾した戒斗に頭が上がらない。

 

 碧沙たちはコンサートホールに入り、スポットライトが照らす舞台の上にてアルフレッドを待った。

 

 コンサートホールに、スポットライトとは異なる光が流れ込んだ。客席側のドアが開き、現れたのは、アルフレッドだ。

 

「シャプールを連れて来いと言ったはずですが?」

 

 アルフレッドは客席の階段を降りてきて、碧沙たちが立つ位置とは反対側から舞台に上がった。

 

「答えろ。なぜ最初から俺たちを狙わずに、ステージを襲った」

「あなた方が私の邪魔をするからです」

「違うな。それは貴様が弱いからだ。弱者だからそんな真似をした」

「――弱者だと? だったらどうだと言うのだ」

 

 アルフレッドは血眼でゲネシスドライバーを装着し、ドラゴンフルーツのエナジーロックシードを開錠しようと――

 その時、ロックシードが禍々しく光り、蔓を茂らせて、それを持つアルフレッドの手を異形へと変えた。

 

(! あのエナジーロックシード、咲や葛葉さんが使ってたのとちがう。フックが青じゃなくて赤い。もしかしてあれ、ふつうのエナジーロックシードより出力が高くて、その分ヘルヘイムの浸食が強いの?)

 

「……っ、シャプールを渡せ」

「もうやめてください! そのままじゃインベスになるかもしれないんですよ!? 怪物になってまでシャプールさんを殺しても、それこそあなたに得なんてありません!」

「私はいつの日か“財団”の全てを奪い取るッ! シャプールなど前座に過ぎない。邪魔な総帥も生まれた子も抹殺する。そしてあらゆる金と権力を手に入れ、私は絶対強者として“財団”に君臨するのだッ!」

 

 アルフレッドがドラゴンフルーツのエナジーロックシードを今度こそ開錠し、アーマードライダーへと変身した。

 その姿を見た碧沙は、アルフレッドが君臨するとしたら、それはロード(英君)ではなくタイラント(暴君)と呼ぶべきだ、と感じた。

 

 金と権力が強さ。どちらもある家に産まれた碧沙はアルフレッドの言い分を否定しない。

 だが反論はしよう。金も権力もただの“力”、所有者の強さの証明になどなりやしない。真に人間性を担保するものが何かと問われれば、呉島碧沙はこう答えよう。

 

「大切なものは――夢と人脈! です!!」

 

 碧沙は咲のものであるランドセルから素早く、ゲネシスコアとピーチのエナジーロックシードを取り出し、戒斗へとパスした。

 

「駆紋さん、信じてます!」

 

 これまた素早く、戒斗は片手でキャッチし、二つのパーツを戦極ドライバーに接合した。

 

「変身!」

《 バナナアームズ  Knight of Spear  ジンバーピーチ  ハハーッ 》

 

 ――アーマードライダーバロン、バナナアームズ・ジンバーピーチ。

 

 ピーチの陣羽織を纏った赤い騎士があらわになったのは一瞬だけ。なぜならバロンの変身完了の直後、コンサートホールのスポットライトが一斉に落ちたからだ。

 

 タイラントには暗闇に没した周囲の状況を知る術はない。知っている。アーマードライダーの眼球部分には、望遠機能はあっても()()()()()()()()()()()()

 

 条件はバロンも同じだが、今のバロンには集音機能を拡張するジンバーピーチがある。いかにこの場が暗闇一色であろうと、それを補うだけの聴覚がバロンの戦いを有利に運んでくれる。

 

(ごめんね、咲。せっかく咲が葛葉さんから貰ったパーツ、無断でほかの人に貸しちゃって。でも、咲っていう親友がいて、咲のトモダチが葛葉さんだったから、このバトンを駆紋さんにつなげたよ)

 

 碧沙は苦笑しつつ四方を見回した。目に留まったのは、小さく瞬くLED。碧沙はその方向へ、走り高跳びの要領でジャンプした。その体をチューやんがキャッチしてから、チューやんは手首のLEDチョーカーの電源を切った。

 

「(ありがとう。ほかのみんなは?)」

「(……機材室)」

 

 コンサートホールのあちこちをランダムでスポットライトが照らし出す。タイラントは反射的に照らされた位置へソニックアローを放つが、無人の的外れ。

 逆にバロンはタイラントの駆動音をキャッチして弓と矢をタイラントにお見舞いする。身も蓋もない言い方をすると、ワンサイドゲームである。

 

「(ねえこれ、スポットライトいじってるの、モン太でしょ。モン太ってバロンのファンだし)」

「(……『バロンの仇はおれがフルボッコにしちゃる!』って)」

 

 ――決戦の場をコンサートホールにしたのは、スポットライトを駆使して明暗を使い分ける戦場を構築するため。今頃はナッツ、モン太、トモが機材室で好き勝手に会場のスポットライトを操作している(ホテルの許可? 緊急事態につき省略)。ついでにアルフレッドの登場時の叛逆宣言も、記録機材で録画してあるで、物的証拠も確保済みだ。

 

 あとはバロンがタイラントを仕留めるだけ――そう思ったのに。

 あの禍々しいドラゴンフルーツのエナジーロックシードの光が暗闇に際立った。

 

 コンサートホールにの照明が客席を含めて全灯火された。

 

 タイラントがヘルヘイムの蔓に覆われ、オーバーロードインベスに成り果てようとしていた。

 バロンがバナナからジンバーピーチを外し、ランスを手にタイラントに迫った。

 

「殺しちゃだめぇッ!」

 

 碧沙の叫びが届いたかは分からない。だが、バロンはランスを突き出し、タイラントのドラゴンフルーツのエナジーロックシードとゲネシスドライバーのみを的確に刺突し、破壊した。

 

 ロックシードとドライバーの破壊に伴い、アルフレッドの変身が強制解除された。床に転がったアルフレッドは、呼吸を荒げながらも、自身の手が怪物のそれでないことに唖然としている。

 

 結果的にはアルフレッドをインベス化から救ったことになるが――碧沙は何も道徳や倫理で彼を助けたわけではない。

 

 碧沙はチューやんを離れ、アルフレッドの前に立った。

 

「あと何人ですか?」

「――は」

「あなたの息がかかった人――ありていに言うとシャプールさんを殺すことに賛成の部下は、この街にあと何人いて、どこで、何をしているか。それを教えてください」

 

 この事件はアルフレッドをやっつけてバンザイ、では終わらない。来日したアルフレッドの部下たちの暗躍も阻止せねば、シャプールの命は延々と脅かされたままだ。

 

「ああ、それと“財団”の中の派閥なんかも知りたいです。べつにくわしくなくてもいいです。そっちの情報は保険程度にしかあつかいません。シャプールさんが日本を無事に発てても、あっちの国の空港で迎えの人にドスリ! ってやられたら、意味ないですから」

 

 そう――碧沙がアルフレッドを生かしたのは決して情などによらない。アルフレッドが貴重な情報源であるからだ。()()()()()()()()()()()()()()()

 

「話したくないならべつにかまいませんよ? ただ、あなたは暗殺に失敗しました。だったら“財団”に帰った時に何かしら処罰を受けるでしょうし。あなたの処分によってシャプールさん反対派が芋づる式にわかったら、それはそれでってことで」

 

 処罰や処分という物騒な単語に、アルフレッドが顔色を青くした。9割はブラフでしゃべっているのだが、どうも“財団”の体質はブラフが成立するほど粗暴なものらしい。

 

「は、話す……話すからっ、私を……私を!」

「助けてくれって訴えでしたらお断りします。全力で人一人を殺そうとした犯罪者は、まず警察にご厄介にならないといけません。ご安心を。日本は犯罪者の人権もきちんと尊重する国ですから、檻の中で守られてください」



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ドラッグアンドドロップ

 ――時は戻って、現在。

 

 咲は“施設”を出た。光実に連絡すべきか、救急車を呼ぶべきか。迷いながら正門へ行き――最悪の敵に遭遇してしまった。

 

 顔を合わせたのは咲にとって二度。それでも、目の前で紘汰と戒斗をボロボロに打ち負かした憎らしい敵を、咲が見間違えるわけがなかった。

 

「戦極凌馬……!」

「おや。今日はやけに好戦的だね、碧沙君。まるで人が変わったようだよ」

「ここに、何の用?」

「実験結果を見に来たんだよ。朱月藤果君のね」

「じっ、けん? あんた今、実験って言った? 藤果おねーさんに何したのよ!」

「私が初めて作ったロックシードを施設(いえ)から掘り出した彼女に、戦極ドライバーを一台譲っただけだよ」

 

 咲はとっさにポケットの上からリンゴのロックシードを押さえた。

 

「あのロックシードでクラックを操れたなら、私の理論は正しいということになる。研究者として自身が提唱する説の正しさはきちんと把握しておくべきだろう?」

「くぉンの……マッドサイエンティスト!」

 

 悔しい。もっとこう、この男の心を抉るような罵倒を叩きつけたいのに、小学生の咲のボキャブラリーではこれが限界だ。

 

「怒ったキミというのは笑った貴虎と同じくらい珍しいから、もうちょっと付き合ってあげたかったんだが、私も忙しくてね。そこを通してくれるかい?」

 

 咲は凌馬を睨んだ。

 通すものか。通せば、凌馬は絶対に藤果に引導を渡す。そしてこの男はそれを何とも感じないに決まっている!

 

「やれやれ。これだからコドモは」

 

 凌馬はゲネシスドライバーとレモンのエナジーロックシードを取り出した。

 

「変身」

《 ソーダ  レモンエナジーアームズ  ファイト・パワー  ファイト・パワー  ファイ・ファイ・ファイ・ファイ  ファ・ファ・ファ・ファ・ファイト 》

 

 レモンの意匠の青い鎧が凌馬に落ち、凌馬を装甲した。

 アーマードライダーデューク。性能だけなら貴虎の斬月・真をも超える戦士。

 

 デュークは創世弓のストリングを引き絞る。

 

『貴重なサンプルにあまり傷をつけたくないんだ。どいてくれるね?』

「だ、れが……どくもんかぁ!」

 

 斜め上が小爆発した。デュークが放ったソニックアローが柵に着弾したのだ。

 勝手に腰が抜けて、咲はその場にぺたんと座り込んでしまった。

 

 だが、咲の体たらくなどお構いなしに、デュークは次のソニックアローを放とうとしている。

 おそらく今度は直撃コース。「ヘキサ」に防ぐすべはない。ヘキサの体を傷つけてしまう。

 

 

「咲ぃーーーーっ!!」

 

 

 はっとする。呼ぶ声は、自分自身のそれだ。駆け寄って来るのは、咲の外見をしたヘキサだ。ヘキサだけでなく、リトルスターマインのみんながいる。

 

 ヘキサは、大の男の手にも余るサイズの戦極ドライバーを、両手で抱き締めてこちらに走って来ている。

 

 咲もまたチームメイトたちに向けて走り出した。

 咲を追ってソニックアローがいくつも放たれる中、こけつまろびつ、走った。

 

(あの体はあたしの体。あのベルトはあたしのベルト)

 

 ヘキサからバトンパスのように戦極ドライバーを受け取った瞬間。

 室井咲の視界は反転した。

 

 

 

 

 

 視界が反転した直後、呉島碧沙は親友の力強いかけ声を聞いた。

 

「――変身ッ!!」

 

 どうにか立て直した視界で、咲の体を白いライドウェアが覆い、炎の形をした果実の鎧が装甲した。

 果たしてそこに立ったのは、チームリトルスターマインが誇る小さなアーマードライダー、月花。

 

「咲――っ」

 

 自分自身の体を取り戻したことより、咲にちゃんと体を返せたことに安心して、碧沙は涙ぐんだ。

 

「あ、ヘキサじゃん!」

「……戻ってる」

「やっぱこーじゃないとね」

「おかえりー、ヘキサ!」

 

 碧沙はナッツとトモに抱きつかれてもみくちゃにされた。

 

 月花がDFバトンを繋げたロッドの石附をデュークへと突きつけた。

 

『そういうわけよ、マッドレモン。ここから先に進むのは、あたしが絶対、ゆるしてなんかあげない』

『キミといいキミのチームメイトといい――コドモの寄せ集めで何ができるのだか』

 

 デュークが創世弓のストリングを引き、直角に絞った。すると弦がハープのように連なり、ソニックアローのレモン色に白の威力が上乗せされたのが見て取れた。

 月花では回避も相殺も叶わない威力だと、見て分かってしまった。後ろにはヘキサたちがいるのに。

 

『ヘキサ! ポケットのロックシード貸して!』

 

 ヘキサは反駁せずブレザーのポケットを探り、取り出したリンゴのロックシードを月花に渡した。

 月花はベルトからドラゴンフルーツのロックシードを外し、ヘキサから受け取ったリンゴのロックシードをバックルにセットした。

 

《 カモン  リンゴアームズ  Desire Forbidden Fruits 》

 

 紅玉の甲冑に換装した月花は、イドゥンを真似てクラックを開いた。

 ソニックアローはクラックの先のヘルヘイムの森へ消えた。

 クラックを閉じてふり返れば、傷を負った仲間は一人もいなかった。月花は震える息を大きく吐き出した。

 

『いいものを見せてもらった。“黄金の果実”は存在する』

『何のこと?』

『ただの独り言さ』

 

 凌馬が変身を解いて踵を返した。待て、と月花たちが口々に叫んでも聞く耳持たず、悪びれず。凌馬はけぶる霧に消えるように去った。

 

 

 

 

 月花もまた変身を解こうとしたが、その前にロックシードに異変が起きた。ロックシードからヘルヘイムの蔓が茂り、月花を呑み込まんと四肢を這い上がった。

 

「咲ッ!?」

『だい……じょうぶ!』

 

 月花は片手剣を盾から抜き、刀身を逆さに握って自らの腹に――リンゴの錠前に突き刺した。

 

 真っ二つに割れてバックルから落ちた錠前。

 変身が強制解除された咲は、その場にしゃがみ込んだ。

 危なかった。少しでもタイミングと力加減を誤れば取り返しがつかなかった。

 

「咲、咲っ。なんてこと!」

「あたしらの前で割腹自殺案件にする気だったのあんた!?」

「……自決、ダメ、絶対」

「ごめん。すぐ壊さないと死ぬよりもっとヤバイことになる気がして」

「まあ確かに、はたから見てたらインベス化っぽかったけどさあ」

 

 言いながらトモがリンゴのロックシードの破片を拾った。

 

「ところでこれどこにあったんだ? ヘキサと入れ替わってる間だよな?」

「そう、それ! ヘキサ、さっそくでごめんだけど、お兄さんのどっちかに連絡して。あそこの中にケガ人いるの。電話で話した人、朱月藤果っていう――」

 

 夕暮れは近く、一日の終わりに差し掛かる頃、わいのわいのと騒ぐコドモたち。

 

 

 

 

 運命を入れ替えたふたりの少女と、それにより命運を大きく違えた数人の物語が終わったとは、誰も知らない。



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割れた林檎と隠された王子

 ――では、あの日からの後日談をしよう。

 

 朱月藤果は最初こそ市内の病院に入院していたが、小康状態になった時に本人が市外の病院への転院を希望した。これにて咲は藤果と会えなくなった。――きっと、藤果は二度と、沢芽市の土を踏まないだろうな、と思った。

 

(アップルパイ、もっかい食べたかったな)

 

 

 アルフレッドは碧沙と戒斗が沢芽市警に身柄を引き渡した。碧沙がアルフレッドに要求した情報は、面会室でガラス窓越しに彼から聞き出している。その面会には毎回シャプールが同席した。シャプール自身の意思で、彼にとっての“敵”の詳細を聞いていた。

 

(決めたんですね、シャプールさん。“財団”や義理のお父さんから逃げるんじゃなくて、戦うこと)

 

 

 チームリトルスターマインはアルフレッドから得た部下たちの居場所を知るごとに動き、潜伏する部下たちを発見しては沢芽市警にしょっぴいたり通報したりした。市警の職員たちも、小学生たちが大の男を引きずってくる光景に慣れてしまい、最後のほうでは「おう、今日もお疲れさん」と身内扱いする職員が出る始末だった。

 

 リトルスターマインが“後始末”が終わって、シャプールが沢芽市を発ってから、数日。

 

 今日は元チームバロンと元チームリトルスターマインでコラボレーション・ステージを披露する日だ。

 幕開けまでの空き時間。咲はトモから、ヘキサと入れ替わっていた期間の話を聞いていた。

 これが初めてではない。これでも咲とヘキサの人格が入れ替わっていた時に生じた不都合に備えて、まめに情報交換を重ねているのだ。

 

「――ふうん。じゃあそのシャプールって人、お国に帰ったら、お父さんと対決することになるのね」

「そーね。成人した立派なオトナがそう言うんだったら、もう『がんばって』としか言えないでしょ」

「でもさー、引っかかるとこはあったのよ」

「おー、ナッツ」

「ども。咲もトモも、『シャプール』ってどういう意味の名前か知ってる?」

 

 咲もトモも首を横に振った。

 

「中期ペルシア語で、Šāhは王、puhrは息子。合体させると『王子』って意味になるのよ。単にお父様とやらがゲン担ぎで命名したのか、はたまた、シャプールが実は王家の隠し子だったりしたのか。真相は闇の中だけどね」

 

 シャプールが、王子様。南アジアの小国の王子。――案外おかしくは感じなかったのが我ながら不思議である。咲自身は彼とほぼ面識がないのに。

 

「ま。もうあたしらの手からはなれた案件だから、気にしないことにしますか。――ところでヘキサは? 早く来てくれないとチームバロンとのリフト芸できないんだけど」

「寄り道。ステージ開演の5分前には着くってメール来た」

「間に合うならいいけど。あれからあんたら、体の調子はどうなの?」

「時々ぎこちないけど、戦うのはふつうにできるようになったし、ダンスのキレももどってきてる感じ」

「じゃあ問題ないか」

「ない、ない」

 

 

 

 

 

 碧沙は今日のフリーステージに程近い商店街で買い物をして、ステージに向かっていた。

 

 その途中、路地の人込みで誰かとぶつかった。

 碧沙は急いで謝ってからその人物を見やった。

 

「駆紋さん」

「お前か」

「はい。ちゃんと『わたし』のほうですよ」

 

 戒斗は特にコメントせずに過ぎ去ろうとした。その前にふと碧沙は彼が漂わせた香りに気づいた。

 

「駆紋さんもお墓参りに行って来たんですか?」

 

 ぴたり、と戒斗は足を止めた。

 

「す、すみませんっ。その、ユリの残り香がしたので、つい」

「――両親の墓参りだ」

「ぁ……おくやみ、申し上げます」

「別に。ところでお前のほうは、その大荷物は何だ?」

 

 戒斗は碧沙が背負った満杯のエコリュックを見やった。

 

「あ、これですか? 実は明日、両親のお墓参りに行こうって話になったんです。兄さんたちは忙しいから、わたしが買い物してきますって。掃除道具とかゴミ袋とか、あとお線香とロウソクとマッチと」

「供花はいいのか」

「今日買ったらしおれちゃうんで、明日、現地調達です」

「そうか」

 

 戒斗はそれにて碧沙との会話を打ち切り、去ろうとした。

 

「恨んでいますか? ユグドラシルを――わたしたちを」

 

 それはカーディーラーに逃げ込んだあの夜、やるせなさから口を突いた言葉。

 

「そんな余分な感情、とうの昔に捨てた」

 

 今度こそ戒斗は雑踏の中に紛れて見えなくなった。

 

(会ったこともないお母さん。裏で朱月さんみたいな人たちにヒドイことしてたお父さん。それでも、わたしたち兄妹を産んでくれたのは本当だから。そのことだけは、きちんと感謝しよう)

 

 碧沙もまた買い物は終えていたので、チームメイトたちが待つステージへ向けて歩き出した。

 

 

 

 【鎧武外伝 斬月編&バロン編リメイク -完-】



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