我が名は物部布都である。 (べあるべあ)
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第0話 悪だくみの談合

この話には作者の趣味が過分に含まれます。(古代ファンではありません


 世界は隠しようのない死にあふれていた。

 闇は死であった。

 死は妖魔であった。

 力の弱い人間は群れるしかなかった。

 

 

 

 暗闇に月が浮かんでいた。

 雲は、月の存在を邪魔しないように辺りを群れている。

 いささか肌寒い風が生まれ地表を撫でる。木々を揺らし、草を薙ぐ。区別することなく当たるもの全てに触れていく。

 その行く先に屋敷があった。

 屋敷の縁側に、少女が腰をかけていた。片膝を立てて柱に寄りかかっている。

 風は少女の髪を揺らすと、またどこかへ去っていった。

 少女は呟く。

 

「存外、我は何も知らぬのかもしれん」

 

 自嘲のような笑みを浮かべながら、小さな器を口元へやる。

 中央がくぼんだだけの簡素な平皿。

 器が傾くと、表面に映った月がゆらゆらと揺れ輪郭がぼやけた。

 冷たくも熱い液体が、月ごと喉に滑りこむ。

 

「知らぬことが恐ろしいのか、それとも知ってしまうことが――」

 

 そう呟く少女は、一度見れば忘れないような容姿をしている。

 灰色の瞳に灰色の髪。鋭さを孕んだ怜悧な顔立ち。

 名を物部布都。大豪族、物部氏の姫である。

 通称、布都姫。もしくは”女狐”

 布都には身分が違う雲の上の人というより、世界が違うといった感じを人々に与えさせる雰囲気があった。

 髪や瞳の色が黒ではないとかそんな些細なことではなく、直に接触したときの存在感の圧倒的な異質さ。霊かなにかと思ってしまうような、そんな理外の感触があった。

 そんな布都に気軽に話しかける人間はそうはいない。

 それは同じ物部氏の人間であってもそうであった。時が経つにつれ、布都に接する人間には硬さが生まれ、いつからか数少ない例外を除くと皆、神かなにかに接するようになっていった。

 

「――”また”悪だくみか?」

 

 話しかけられた。

 ここは物部の屋敷。屋敷内で布都に話しかけてくる者など片手で数えても余るほどしかいなく、それが誰か、布都には容易に判別がついた。

 

「これは"兄上"。我に何用でしょう?」

 

 演技がかったうやうやしさで、布都は頭を下げた。布都にはいくらか兄弟がいたが、”兄上”と布都がそう呼ぶのは物部守屋以外にはいなかった。

 

「月が綺麗だと歩いていたら、狐が酒盛りをしていたのでな」

「なるほど、有名な女狐が酒盛りなどしていては思わず声もかけたくもなるでしょう。――ですが、悪だくみまでは分かりますまい」

 

 それも”また”ときた。

 ひどく心外であると、布都は首を残念そうに振ってみせた。 

 

「女狐――、いや物部布都が考え事をしているように見えた。これ以上の説明はいらんだろう?」

 

 言い終わると、守屋が笑った。

 つられて布都も笑う。

 はたから見れば、やはり悪だくみの談合であった。

 

「ですが、本当にただの考え事ですよ、兄上」

「ほう? では、一体何を――」

 

 布都は片手を広げて見せた。

 

「自分という存在がどういうものであるか、ですよ」

「これはまた面倒な」

「しかし大事な事です」

 

 守屋は笑って答えた。

 

「やはり悪だくみではないか」

 

 何故? そういう表情で守屋を見る布都。

 

「人を超越したといってもいいお前が自己について考えるというのは、貧者の前で有り余る財貨を数えて見せるようなものじゃないか」

「そうでしょうか? 手を伸ばせば、背伸びでもすれば、届くかもしれないそんなものであれば嫉妬の一つも浮かぶかもしれないでしょう。だが、それが背を見ることさえもかなわない程に遠いものであれば、――どうです? もう受け入れることしか出来ないでしょう?」

 

 布都はくつくつと笑うと、器に酒を注ぎ、喉に放り込んだ。

 季節は秋。大地が緑からうす茶に変動していく頃。

 すっかり肌寒くなった夜にススキが風にさらりとした揺れる。風はほんのり赤くなった布都の頬にも届けられ、熱っぽくなった体を気持ちよく冷やす。

 鼻を抜ける酒気にさらに気分が良くなり、布都は再び口を開く。

 

「何でもこの世のもの全ては偽りで、自己さえもそうであるとのたまう者もいるそうですが、この不肖布都めには到底分かりそうにもないことです」

 

 守屋は顔を険しくさせた。

 

「――仏教か」

 

 言葉には嫌悪がこもっていた。

 

「国を病ませる邪教よ。何故あのようなものが――」

 

 最後まで言葉にするのも厭い、ただ眉をしかめた。

 仏教が伝来してくる前、この地には神道と呼ばれる宗教があった。およそどこの地にもあっただろう、人智の敵わない自然のあれこれを神として崇めるようなものである。

 雨が続けば神の意思を感じ、日照りが続いてもまた同じ。人が感ずるものすべてに意思のようなものを感じて、それを神としてきたのである。

 であれば、すでに神々が御座すこの大地に何故新たに外から持ってきたものにすげ替えるような真似をするのかと。そこに意思を感じるのならば、間違いなく神々は不快に思うに違いない。では、その神々が不快に思うということはどういうことか。

 

「必ずや国に厄災をもたらすに違いない」

 

 低い声。

 念がこもっている。

 

「――おや、兄上はいつから呪詛吐きになったのか」

 

 布都は空になった酒器の先をつまむと、くるくる回した。

 

 ――国など。

 

 声にして言ってやろうかとも思った布都だったが、わざわざ関係を悪化させる必要もないので言葉を換えた。

 

「我は我以外のものは基本どうでもよいので、どうにも関心が薄いようでございます」

「ほう? 昔はあれほど嫌っていたのにか?」

 

 布都は鼻をならした。

 

「えぇ。我は誤解していたのです。今では手を取り合うどころか、一心同体といってもいい関係です」

「……それはどういう意味だ?」

 

 怪訝な顔をする守屋に、布都は興が乗った。

 

「心一杯の慈悲をもって手を差し伸べることが出来るようになったのですよ」

 

 わざとらしい笑み。

 

「……あぁ、あまりにも哀れで哀れで、思わず涙すら流しそうで」

 

 目を細め、首を振る。

 

「乞食にも色々ありましょうが、あれはいったいどういった種類の乞食なのでしょうなぁ」

 

 顔色に侮蔑が満ちた。

 

「いったいどこの誰に何を乞うておるのか、我には皆目見当がつきませぬ」

 

 布都は心底気に入らない。

 無我だののたまう連中と似たような問いを持っている自分が。

 見えるものも感じるものも全てまやかしであるという仏教と、我に固執する布都とが相容れるわけがない。

 だからこそ布都は天に問う。

 

 ――我はいったい何者であるか。

 

 布都は立ち上がった。

 

「……さすがにもう遅うございますな」

 

 夜は深まり、人ならざるモノが活気づく頃合いで。

 寝るか、それとも――。

 布都は守屋に軽く一礼すると、背を向け歩き始めた。

 

「そろそろ頃合い。まぁ、朝帰りといったところか」

 

 血生臭い遊戯を想うと、口元がつり上がる。 

 退屈な日常の中の楽しみなどこれくらいしかない。

 布都は、屋敷を出ると、道すがら昔のことを思い返した。




 布都ちゃん
この物語の主人公。
歴史上では蘇我馬子と妻となってたり、異母兄弟の妻となってたりあやふやな人。ちなみに前者の場合では、とじこの母になってたりする。

 物部守屋
布都の兄。びっくりするくらい仏教が嫌いな人。読み方はもりや。どこかで聞いたことがあるような……。



 時代が時代なのでここで補足などしていったりもします。舞台は550年より後ろの600年なる前くらいの間らへんとくらいに思っていただければ結構です。物語の都合上、文化の発展度が少々早まっていたりもします。その辺りは寛容にお願いいたします。


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第1話 人とはそんなに美味いものか?

 布都の髪や瞳がまだ黒かったころ。

 とはいえ色は色で、それに意味を持たせるのは人である。それも様々な色に様々な意味を。時には生や死さえも表すことになる。

 どうにも布都の眼前の光景がそうであるらしく――。

 

 

 広い草原。

 通常なれば地は緑一色であるが、所々染色されたらしく赤のまだら模様になっている。

 阿鼻叫喚。布都はそんな言葉を思い起こした。

 

 ――はて、どの書であったか。

 

 父にせがんで読ませてもらった中になにかあったなぁと、どこか他人事のように思った。我が儘を言わないと不自然らしいと適当に見繕ったものであったが、どうにも効果的だったらしく、別に見たかったわけでもないが父親の嬉しそうな笑顔を見た。

 しかしその父も今は、必死の形相をしているのだろうと別に確認する気もないが、そう思った。

 眼前は相も変わらず荒れ狂っている。

 人が嵐にでも吹き散らかされたように動いている。

 その行く先の後ろには、人でもなく獣でもない生き物がえらく楽しそうに踊り狂っていた。それらは大きな蛇のような姿で宙を飛んでいたり、眼がギョロリとした猿のような何かだったり、とにかく様々であった。

 それらはどれも人に向かって飛びかかっていた。

 

「布都! 早くこっちへまいれ!」

 

 父、物部尾輿の声。

 これは危機的状況らしい。

 布都はどうにも冷めたというか、どこか他人事のような気分でそう思った。

 布都の後方、少し先で逃げる尾輿たちは、いかにも必死そうである。

 

「――何故、こんな数の妖魔がっ!」

 

 妖魔を狩りに来た人間が、反対に狩られ逃げ惑っていた。

 妖魔蔓延る大地で人間が生き残る術は、身を寄せ合うことであった。集落を形成し、他の集落と合わさり大きくなり、いつしか小さいなれど国と呼べるまでのものになった。しかしそれでも衣食住は安定したとはいえず、食を求めるのも住居を求めるのにも必要なもの、すなわち土地が要った。だからこうして定期的に武装し、近くの妖魔を追い払ったりして人間の縄張りを広げようとしていた。

 ……というわけであるが、今の状況を見る限りどう見ても負け戦である。

 一体、二体、多くても三、四、といった数がいつもであったが、この度はどうしてかその倍、――どころでなく、数にして三十は優に超えるであろう数がどこからしか集まってきていたのである。

 追うつもりが逃げる者となった人間の数は、だいたい百そこら。倒れてるものが三、四十といったところで、残りはみな襲い来る死に背を向け逃げている。

 物部氏というのは決して戦闘が不得意な氏族ではなかった。一族に伝わる秘術にも加え、体つきも頑強な者も多く、不得意どころか戦闘といえばすぐに名があがるような氏族であった。

 その物部氏が威を振るうために、この度少し遠いところまで足を運んで武を示そうとしたわけである。布都は初参加であった。たとえ女子といえども、物部の本家筋の子である。何より、もうすでにただ者ではないとされる布都に経験を積ませたかった。その上で、安全面も加えて物部の秘術が扱える者を総動員して臨んだこの戦いである。

 しかし、この惨状。

 秘術というものがどういうものか布都も期待していたが、なんというかつまらぬ心地であった。優秀だと聞いていた者の多くはすでに地に伏していて、妖怪に食い散らかされ原形を留めている者すらいなかった。そんな無残に噛み千切られた肉片がまだ正常に組み合わさっていたころは、武具の先を青白く光らせたり、数人が寄り集まってたき火よりは大きな火を生み出していたりしていたが、そのどれもが布都には期待はずれであった。

 もうちょっとこう、具体的にはいえないが、驚いて声を漏らすようなそんなものを想像していた。

 

「逃げろ! 何としても生き延びるのだ!」

 

 荒ぶる視界の中、原色とでもいうような音がそこらじゅうで散らかっている。何の取り繕いのない生の声。音。

 

 ――なるほど、父はたしかに長である。

 

 そんなことを布都は思った。

 思ったその次に、別のことも思った。

 

 ――人とはそんなに美味いものか?

 

 狂ったように嬉々として人に飛びつく妖魔たちに、そんな感想が出てきた。

 布都は足を止めた。

 言葉が通じるならちょっと聞いてみたい。

 別にふざけているわけではない。

 もしその布都の問いに妖魔が答えたとするなら、『美味い』とこう答えるであろう。もっと凶悪な妖魔なら『中でも力を持った人間は特に美味い』とこう答えるであろう。

 この力を持った人間というのは、肉体的な力ではない、例えるなら物部の秘術を扱えるようなそんな人間のことである。であれば、そんなあまりにも香ばしくそそられるような匂いが集団を成していればどうなるか、それはこの妖怪たちの集まり方が答えである。

 喰いそびれることなどないように我先に飛びつき、喰らう。その内、妖怪も人間も血を流す。辺り一帯がむせかえるような血の匂いが満ち、酔い、興奮し、狂ったように本能に準ずる。もう選んでいられるような知性などない。当たりをひけばこれ幸いとばかりに、手当たり次第に飛びつく。

 霧のように血の匂いが辺りに満ちると、だんだん際立ってくるものがあった。

 それは、隠されていたというよりは、堂々としていて。けれども周囲に溶け込んでいるように、分かりづらく。もはや香りと例えるには不足があるものになっていた。

 点々とした香しいものが潰えていくにしたがって、その様相があらわになっていく。離れていると分かるが、近づくと分からなくなる。誤認するようなものが消えていくとようやく理解できる。

 つまり、この周囲の空間全てに満ちていた。

 艶めかしく香しく、清らかで落ち着いていて。

 混然一体の気。

 その中心にあるのは小さな一人の人間。

 本能を越え、惹かれる。

 恋い焦がれるように、もしくは欠損を埋めるかのように。

 血、肉がそこへ向かう、が――。

 

「――寄るなよ。畜生如きが」

 

 中心にいた人間、物部布都は酷薄に言葉を放つと、腕を振った。

 振った先から青白く光る三日月のようなものが発生すると、刃となって、飛び掛かってきていた妖怪の顔の表面を裂いた。妖怪は醜い奇声を発しながら、もんどり打ち、周囲を跳ねまわった。

 布都は酷く失望していた。

 立って歩けると他人に自慢する人間がいるだろうか。そのような健常な人間であればできることをわざわざ吹聴してまわるなど、恥を超えた何かではないだろうか。

 少なくとも布都はそう思っていた。

 ただそれは、自らの気を光として具現させるという、およそ常人ではできぬ芸当であったということで。

 世界は広く、知らぬこと、自分では到底想像もつかないことに溢れていると、期待にも似た予感がこの場この時でことごとく否定された気分であった。

 人とはこんなものか。

 妖怪とはこんなものか。

 遠くにそびえ立つ山が、急に頭を垂れてきたような想いである。

 

「あぁ、なんとつまらぬ」

 

 後から襲いかかってくる妖怪も、同じように対処する。

 いつしか布都の前には、のたうちまわる醜いものが転がっていた。

 傷をつけることは出来るが、切断し殺傷するまでには至らない。しかし今の布都にはこれ以上刃を鋭くできる気がしなかった。まともに活用したのがこれが初めてなれば、器用に扱えなくても無理はない。人より硬い妖怪の皮膚を裂いただけでも充分すぎる。

 妖怪は人間よりはるかに耐久力のある存在である。それはこの場はこのままでは治まらないということを意味していた。死肉を漁っているまだ無傷の妖怪もまだいる。この状況を打開する術は――。

 布都は、遠くに転がる死肉の横に落ちていた棒状の物に目がいった。

 

 

 ――これを使えば。

 

 布都は振り返ると、

 

「寄こせ――」

 

 いつしか後方で足を止め、布都を見ていた父の一団に向かってそう言い放った。

 手を招く。

 布都の視線の先は、従者がぎゅっと握りしめている槍。

 従者は要請に気づくやいなや、布都に向かって放り投げた。

 そうしているうちに、妖怪は布都に目掛けて飛び掛かっている。

 布都は投げられた槍に合わせて後ろへ跳んだ。

 腕を伸ばし、槍を掴む。

 振り返りざまに槍を振るう。

 槍先は光り輝き、鋭い光刃が飛ぶ。

 光刃は、布都に襲いかかっていた妖怪を両断し、そのあとも数間飛び、その間に触れたものをことごとく切断した。

 

「――今だ! かかれ!」

 

 血の沸騰するような興奮の中、物部尾輿は生き残った者たちへ発破をかけた。

 今の今まで死の寸前、ふちに居た者たちは、黄泉から生還したがごとく、声に魂を乗せ咆哮し、駆けた。

 よくも、と憤る者。人間を舐めるなと奮い立つ者。

 布都を通り過ぎ、前へ前へと勇みだす。

 人の手で作り出された武具でもって、死であった妖怪に迫る。

 硬い皮膚なれど、ところどころ傷を負い肉が露出すれば刃は通る。

 空気が変わった。

 本能で生命の危機を明確に覚らされた妖怪は、次々とこの場から逃げ去った。

 人は、死を追い払い、生を手にした。

 雄雄しい声が上がる。

 布都は、

 

「おい、布都! 無事か? 返事をしろ――」

 

 前のめりに倒れていた。

 薄らぐ意識と視界。肩を揺すられていることは分かったが、どうにも力という力が入らない。肉体の感覚が空に溶けるような感覚が強まると、自然に意識を手放した。





 物部尾輿
布都の父。

 物部の秘術
霊力てきなものを使った何か。



タイトルは作中のセリフとかそんなんから抽出しています(現行
急に変えるかもしれません。言葉が過激すぎてちょっとやりづr
あと4,5話いくとコメディ調も混じってきます


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第2話 いえ、何もありません

 

 門前。

 

「――布都、準備はいいか」

 

 布都は、父に連れられ屋敷から出るところであった。

 屋敷は大きい。

 当然、竪穴住居などではなく、力と権威を感じさせる居館という建物に住んでいた。

 物部氏といえば豪族の中でもかなり上の方に位置する氏族で、その居館は他の豪族と比べても大きなものであった。

 そんな屋敷を布都は名残惜しげに見るわけでもなく、また外出に心躍らせるようなこともなく、ただただ面倒そうに見た。

 ため息まで漏れる。

 

「はぁ」

 

 部屋でゆっくりしていたかった。

 布都からすれば、一体何のつもりだと言いたかった。

 例の件の後、外出が禁止され部屋からもろくに出られない状況が続いた。と、思えば、今回いきなり連れ出されたわけである。

 ため息の一つも出てこようというものである。

 布都はこくりと頭を下げ了解の意を表すと、集団に混じり歩み始めた。

 時刻は、まだ朝の内。

 こんな朝っぱらから歩き始めて一体どこに行くつもりなのかと、身体の内でうずまくが努めて堪える。

 旅の仲間は、約十人。

 布都と、その父、それ以外は護衛。

 この時代、主な移動手段は徒歩である。皆健脚であった。

 屋敷の周辺には多くの田畑があり、その先をさらに行く。

 太陽が頂点に差し掛かったころには、川に差し掛かり、そこで休息をとった。川を越えしばらくすると、また田畑や建物が見えてきて、そのまた先に行くと人工の建物がどんどん増えてきた。

 このころには太陽も少し傾きを見せ始めていた。

 

「もうそろそろだ――」

 

 さらに歩くと、遠景から見えてきた。

 その遠景が近づき、眼前にで来ると、皆顔をほころばせた。

 いわゆる都というやつである。

 

「ご苦労、着いたぞ」

 

 喜色を感じる声で、尾輿は着いて来た者たちにねぎらいの意も込めて言う。

 友の者たちも、皆嬉しそうに「人が多いなぁ」だとか「前より多いんじゃないか」だとか口を交わしていた。

 そんな中、布都だけが表情が薄かった。

 人が多いからなんなのか。人なら真横にいるではないかと。

 とまぁ、なんとも人生がつまらなさそうな事を考えている布都であった。

 だがそんな心の内を口にはしないので、周りから見れば普通の子どもとは違い、はしゃいだりしない不思議な子だと思われている。それも不思議というより、特別という方が近いかもしれない。天からの贈り物かのような、そんな特別さ。

 親である尾輿にとっては気分の良い話で、また物部に仕える者たちも主の子がそういう特別さを持っているとなんだか自分までもが誇らしくなったように感じた。

 

「……布都よ。しばし時間がある。何か欲しいものなどあったら言うといい」

 

 布都に欲しいものはない。

 正確には、尾輿に用意出来るようなものはない。

 なので、

 

「いえ、何もありません」

 

 と、短く答えた。

 事実、それは本音だった。

 あの時、山が頭を垂れてきたような感覚がした例の時にもう色々なものがどうでもよくなった。

 あえて本音を言葉にするのなら、『面白いものが欲しい』といったところで。しかしそれは叶わないことなのかもしれないと諦め始めている。

 

「本当に、何もないのか?」

「はい」

「……そうか」

 

 顔を渋くする父に、布都は望みをひねり出した。

 

「でしたら、少し休みとうございます」

 

 布都はまだ童女の内である。普通なら疲れていて当然。

 

「おお、そうであった。――少し早いが行くとするか」

 

 都の中心には、大きな屋敷があった。

 一行の目的地はそこの敷地内にある。

 そこまでの道のりは大変分かりやすく、大きな路地を真っ直ぐ行くだけであった。

 布都は袖で口元を隠しながら歩いた。

 踏み固められているとはいえ、多くの人間が行き交えばどうしても土埃が舞う。

 背の低い布都にとっては、不快極まりないことであった。

 

 

 

 

 しばらくして、中心にある屋敷の門前まで来た。

 通過しようとすると門番に止められそうになったが、顔を見ただけで頭を下げ、案内の者を寄越してきた。

 屋敷の外れにはまた別の屋敷があって、そこが目的の場所だった。

 案内され中へ入ると、さすがに来たのが早かったらしく、これからに備えててきぱきと用意をしている者しかいなかった。

 なんとなく見覚えがある顔ばかりな気がした。

 尾輿が言う。

 

「順調そうだな」

 

 その場で指示をしていた者が頭を下げ、やってきた。

 どうやら働いている者は物部の家人らしい。

 

「別室に案内しろ。少し休む」

 

 ということで別室に案内された。

 さすがに周りがばたばた動いているところでは、休みづらい。

 案内された部屋で、尾輿や共の者たちが談笑し始めると、布都はそこから見える範囲内で抜け出し、部屋の前の縁側で座りぼけっと空を眺めた。

 しばらくぼんやりとしていた。

 山の向こうには、あたたかそうな夕陽が、灰色の雲と闇色の山に挟まれるようにしてあった。首を上げると、白みがかった水色がまだ残っていた。

 夜がゆっくり訪れている。

 名前を呼ばれた。

 

「布都、そろそろ行くぞ――」

 

 立ち上がり、ついていく。

 中にはいつのまにか多くの人がいた。

 大部屋である。

 部屋の規模、用意されている膳の数から、まだまだ増えるのだろうことが分かった。

 仲良さそうに会話している者や、目を閉じて黙って座っている者、色々な者がいた。

 物部尾輿が中へ入ると、話していた者やじっと座っていた者ら、少なくない人間が集まってきて挨拶をのべた。

 話を聞いているとやはりこの会の主催者は父の尾輿であるらしい。

 布都は視線をよく感じた。

 挨拶に来たものからは特に。

 

「おう、物部殿」

 

 今まで挨拶をしにきた人間はかしこまった感じがあったが、今度の人間はそういったものがなかった。

 

「おう」

 

 友人かなにかだろうか。

 いかにも仲が良さそうな尾輿にそう思う。

 

「そちらが――」

「おぉ、そうだ。これ、布都。挨拶をせい」

 

 肩を叩かれた。

 

「……物部布都と申します」

 

 重く頭を下げる。

 

「どうも無口でな。気を悪くせんでくれ」

「いやいや、構う必要はない。それよりも今日来たかいがあったというもの」

 

 たしかに気を悪くしたというよりは、むしろ気を良くした感じで。

 目が合った。

 

「なるほど、これほどの器量。これではつい自慢話してしまうのも仕方ない」

 

 器量、すなわち顔だち。

 布都のそれは、まだ幼さを多分に残しているのに、どこか惹きつけられるような美しさを感じさせた。

 

「その上、妖怪を多数葬ったという。物部も永く安泰であろうて、――いやはや羨ましい。どうかな、うちの子でも――」

「いや、それはまだ早かろう。それに先のことなど分からぬゆえ」

 

 尾輿は布都の頭に手をやると、少し荒っぽく撫でた。

 布都は唾でも吐いてやろうかという気分になった。

 よくよく理解したのである。

 

 ――見せ物にされに来たのか。

 

 布都は、得意気になっている父親の手から頭を逸らした。

 つまるところここに連れてきたのは、顔見せであって、――それはつまり物部家の力の誇示。

 物部氏が妖怪討伐で多くの人員、それも貴重な術を扱う者を失ったことはすぐに伝わったことであった。家の力が落ちたとされるようなことを口にするのを禁じるものであったが、今回は尾輿自らが周りに吹聴してまわった。物部氏は確かに多くの者を失った。それも貴重な者を。だが、それ以上のものが手に入れば、その損失は、もはやより貴重なものを手に入れるまでの過程となる。それが物部布都。裏切るとか裏切らないとかそういう話じゃない。何と言ったって我が子である。物部尾輿がこれで有頂天にならずにいろというのが難しい話かもしれない。

 それは、敵対している豪族等に見せつけてやりたいほどに――。

 

「……どうもお招きいただきありがとうございます。まさか我らまでお呼びくださるとは思いませんでした」

 

 場の空気が変わった。

 これまでは一定の注目を浴びながらも、ある程度は各々好きに会話をしていた様子だったが――。

 

「おぉう、これは蘇我の。まさか来てくれるとは思わなかった」

 

 およそすべての人間が、両者に注目しているのが分かった。

 互いに友好的な口ぶりであるが、醸し出される雰囲気には明らかに敵意が混じってる。

 主催者である尾輿は得意気に続ける。

 

「おもだった者は皆招待したのでな。大臣である蘇我を除くわけもいくまい?」

「それは良かった。もし誰も来なかったら物部の顔が立たないと思って、いくらか友を連れてこようと思ったところであった」

 

 舌戦が続けられる中、布都はふと視線を感じた。

 周りからではなく、すぐ近く。

 目の前から。

 

 ――ん?

 

 虚空に漂わせていた意識を現実に戻し、気になった視線へと向ける。

 目が合うと、頭を下げられた。

 年の頃は二つか三つ上あたり。

 何故か楽し気な瞳から『互いに大変そうで』といった感じの意味の言葉が伝わってきた。

 耳に意識を向ければ、どうも子どもの自慢合戦が始まっているようで。

 

 ――あぁ、そういうことか。

 

 目の前の男も同じ気分なのかと思うと、なんだか笑えてきた。気づけば二人して似たような笑みを浮かべていた。

 

「――布都」

 

 邪魔が入った。

 

「あぁ、父上、終わりましたか」

 

 つい毒が混じってしまった。

 

「小人はしつこいものだ。よほど心配事が尽きぬらしい」

「はぁ」

 

 曖昧に返事したあたりで、席に移動することになった。




 大王(天皇)>大連、大臣>他
役職の階級はこんなざっくりとした感じで
ボスの下に幹部が2人いるんだけど、互いに仲が悪いと思っていただければ……。

 ちなみにこの時代にはまだ都とよべるものはないそうです。だいたい50年くらい先のお話しだそう。



投稿する直前に見直したところ、2000字減ることになりました。
説明多すぎたので削ったのですが、削りすぎた感が出てきました。



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第3話 どうぞお見知りおきを

 席に着き、料理を口にし酒を飲み始めてからも、尾輿の子ども自慢は尽きなかった。

 自慢するのは布都だけではない。他にも充分に優秀といえる子が尾輿にはいた。その筆頭は物部守屋である。布都の兄で、背が高く体つきも頑強。それに加え弓の名手でもあった。

 尾輿の席の周りには仲の良い者ばかりで、尾輿の自慢話を気分よく続けさせていた。

 それから離れた所では、蘇我を中心に談笑が行われていた。

 ある程度満遍なく招待したといっても、どちらかというと物部派の方が多めに呼んである。

 時間が進むごとに、会は熱を帯びてくる。

 赤ら顔で酒を飲み、歌を歌う。

 布都は居心地が悪いというよりか、胸糞が悪かった。

 使うだけ使われて放り棄てられた気分である。

 構われるのは確かに嫌であったことだが、これはこれで不快だった。というより、そもそもここに来ること自体が気の進まないことであったわけで。

 布都は鼻を鳴らすと、立ち上がった。

 

 ――少し外に出たところで、分かるまい。

 

 どんちゃんと盛り上がってる猿だか人間だか分からぬ集まりから抜け出した。

 小走りで料理や酒を運ぶ家人を横目に、どんどんと前に進んでいく。

 騒ぎの音から遠ざかるにつれ、廊下の気の板のきしむ音が大きく聞こえてきた。

 そうすると、音が多いことに気づいた。

 ちょうど一人分。

 家人ではないような、同じ調子。

 振り返ると、

 

「……何か?」

 

 先ほどの男がいた。

 改めてみると、年齢が分かりづらい。

 少年ではないが、青年というには若く見える。

 

「いえ、退屈そうにしていたので、お仲間かと思いまして」

「……だとすれば確かにお仲間というやつでしょう」

「それは良かった。先ほどは名乗れなかったのがちょっと残念だったので」

 

 布都が歩みを再開すると、男も横に並んで歩き始めた。

 

「蘇我馬子。それが私に与えられた名です。ようやくお仲間に会えた気がして、ちょっと嬉しくなりました」

「それは一体どういう?」

「えぇ、それは――」

 

 曲がり角を曲がると、ちょうどよさげな庭に出た。

 数歩、馬子より前へ出ると、布都は振り返り頭を下げた。

 

「物部布都と申します。どうぞお見知りおきを」

 

 布都は、わざとらしく恰好つけて自己紹介をした。

 

「……長い付き合いになれるといいですね」

 

 馬子は笑みを浮かべてみせる。

 含みのある笑みに、布都は少し首を傾げた。

 

 ――ん? そういえばこいつ、蘇我とか言っていたな。

 

 物部と蘇我。立場上間違いなく将来の敵。

 

 ――あぁ、そういうことか。

 

 布都は理解した。

 

 ――確かに、似たものではあるな。

 

 競い合えるような相手が欲しいだけである。

 何を感じたかは知らないが、おそらく何か普通とは違う何かを感じたのだろうと、布都はそう結論づけた。

 改めて馬子の顔を見ると、笑みから感じるものが凄く独特だった。

 

「――そろそろ戻りましょうか。探しに来られるのも面倒です」

「えぇ、そうですね」

 

 来た道をすぐに戻ることになった。

 探しに来られることなどどうでもいい布都であったが、馬子に呑まれて同意してしまった。

 

 ――もしや負けたのか?

 

 布都はそう思った。

 何に負けたかは分からないしなぜそう思ったのかも分からないが、そう思ったこと自体は否定する気になれなかった。

 思考をやめて鼻を鳴らす布都の口元は、楽しげな笑みが控えめに表れていた。

 

 

 

 

 元の大部屋に戻ると、いっそうがやがやしていた。

 周りの音に消されない程の大きな声が部屋を通る。

 

「布都! いったいどこにいっておったのだ! 探しておったぞ!」

 

 赤ら顔の物部尾輿が、我が子の布都を手招きする。

 仕方なく近寄ると、ご機嫌そうであった。

 ある予感に布都はげんなりとした。

 

「ここの者らに、あれを見せてやれ」

 

 予感は当たったようだったが――。

 

「……あれ、とは?」

「とぼけるでない。あれといえば他にあるか?」

 

 酒臭い息が布都にかかる。

 鼻をつまむのは我慢するも、顔は背ける。

 もう一度とぼけてやろうか。そんなことまで考えた。

 

「そのために連れてこられたのですか」

「そう言うな。――大事な仕事だ。出来るな?」

 

 肩が雑に叩かれる。

 

「はい」

 

 布都は目を閉じ、頭を下げた。

 

「おお、そうかそうか。――おぉい! 皆の者! 今から物部の術を見せてごらんじよう!

 

 尾輿が頭上で喧伝し始める中、布都は同じ体制で固まっていた。

 

 ――くそめ。

 

 目を開けば睨みつけそうで、口を開けば呪詛でも吐きそうで。

 布都は後悔し始めた。

 下手に力など示すからこうなる。ただ怯え震えていればよかったのだ。例えその場の全てが死のうとも、自分さえ生きていればそれでよかった。

 感情とは抑えられないもので、例え普段そう思っていなかろうとその時はとことん行くとこまで行ってしまうもの。

 布都の父の尾輿もそうである。

 まさしく天から遣わされた才というべきものを我が子が持っていた。それも比類のない程に強力な力を。親というのは我が子のことは我が事のように思えるものであるが、決して自分自身ではない。

 

「――では庭にでも行こうか」

 

 布都は引き返したばかりの庭にまた行くことになった。

 先に着いた布都は、後からぞろぞろとやってくるお歴々を眺める。もしかしたら馬子のような者がいるかもしれないといった期待を込め。

 しかし、あんな者はそうそういないものである。

 布都は短く息を吐くと、視線を別の方へとやった。

 弓術の練習で使われる的が用意されているところが見えた。

 

「――物部殿」

 

 人は他人の自慢より自分の自慢をしたいものである。それがまた子ども自慢であれば、さらに。子どもを連れてきていた氏族のいくらかが、尾輿にまずは我が子をと寄っていった。

 

「おお、それはいい。では皆々拝見しようぞ」

 

 こうなると熱が入ってきた。自然とあそこの子より我が子のほうがとかそういうことになってきて、余興から余の字が薄れてきた。

 尾輿は参加するであろう子たちを一瞥すると、気分良さ気に鼻を鳴らした。

 布都の相手になるような者はいないとふんだ。いやそれどころか、布都の兄である守屋でも心配はないだろうと思った。

 つまりはわざわざ引き立て役が現れただけ。

 何やらあれこれ我が子に教えたりはげましたりしている様子を余裕の視線で見た。

 

「布都、お前は最後だ。差を見せつけてやれ」

 

 すでに勝ち誇っている尾興に、布都はまぶたを閉じた。

 

 ――差も何も。

 

 同じ土俵に上げられているというだけで不快だった。お遊戯会で一番になって嬉しいのは親であろう、と。子どもが喜ぶとしたら、親の顔色を見て喜んでいるにすぎないと。

 カメに足の早さで勝って喜べるか。

 否。

 

 ――ほら、ガチガチじゃないか。

 

 何やら親らしき者に肩を叩かれ背を押され出てきた少年が、いかにも緊張しているといった面持ちで出てきた。

 とても上手くいくとは思えず、確認するように見たがやはり駄目だった。力の入りすぎたぎこちない所作から、矢は的の右を抜けていった。

 それから数人が続き弓を引いて、中には的に当たるものもいくらかいたが、布都にとってはどうでもよかった。

 順番待ちがまだいるのも無視し、布都は前へ進んだ。そして、次の競技者に渡すために家人が持っていた弓を横からひっつかんだ。

 

「おい、布都」

 

 止めようとする意を感じる声。

 

「……それでいいのか?」

 

 横目で見ると、父の顔から怪しさと不安の色が見てとれた。

 弓など引いたことがあったか? 術を使わないのか? そう言いたいことは容易に分かった。というか実際引いたことない。実際にやったところで当たるとは到底思えない。

 だがこれは――。

 

「構いませんよ」

 

 布都は弓の下部を掴んでそのまま的に歩み寄った。

 慌てて矢を渡そうとする家人には目もくれず、さらに歩み寄る。

 的まで距離が半分ほどに縮まったころ、足を止めた。

 弓を上に掲げ、斜めに振り下ろす。

 布都は振り返り、元の位置まで戻り始める。

 その後ろでは、二つに割られた的があった。

 現れた青白の刃に皆が驚いた。

 布都はそれらの顔も見ずに、たんたんと歩いた。

 口には出さないでいた。

 阿呆どもは的当て遊びにでも興じていろと。

 差なんてものは無く。そもそも同じ所に立っていない。何処の誰がこれを矢を射って的に当てる遊戯だと決めたのか。

 

 ――この物部布都をつまらぬものに混ぜるなよ。

 

 評価もなにもいらない。自分のことは自分さえ知っていればいいと言わんばかりに、その場を去った。

 その後、家人の一人に案内させた部屋でゆっくり目を閉じた。

 




 蘇我馬子
日本史上の大政治家。
飛鳥時代に飛鳥の地に天皇よりおっきいお墓が建てられたとかいう凄い人。
布都ちゃん見てちょっとテンション上がってる。


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第4話 期待を込めて

 物部の人間はどちらかというと保守的な属性を持っていた。

 それは、現状が続けば氏族の安泰が約束されるものだったからであろうし、元々そういう性格を持っていたということもあった。

 反対に物部の地位を脅かすようなものは、物部と持つ属性が逆の氏族であるというのが非常にわかりやすい。

 例えば、海を越えて大陸から渡って来た人、それに付随する知識や技術を積極的に取り入れて、力を増していくような氏族。

 つまるところの蘇我氏であるが、別に蘇我氏だけが外の国と関係があるわけではない。ヤマト朝廷自体も、朝鮮半島にある国の一つと手を組み、兵も派遣したことがあった。

 人の敵とは妖魔だけではなく、人も含まれている。

 どうにも人は争わないでいるということが出来ない生き物で――。

 武であったり、政であったり、はたまた経済であったり。そういうものでなくても、子どもの遊びでもそうである。

 集団を形成し、手を取り合っていかなければ生きていけないというのに、いつも何かと競っている。

 しかし、競うということは、何かしらの進歩も生むものであった。それは技術や知識として蓄えられ、後世に伝えられていく。中でもごくまれに出てくる傑物が、それを急速に早めていったりもする。

 頭脳面だけでなく、肉体的な、例えば素手で岩を砕いてみせる者、太刀で水を割って見せる者。多種多様であった。

 

 

 

 

 

 

 さて、物部の傑物であるが……。

 

「――布都の様子はどうだ?」

 

 物部尾輿は家人にたずねた。

 問われた家人は、頭を下げたまま、言いにくそうに告げる。

 

「……姫様は、いつもと変わらないようであります」

 

 予想した答えが帰って来て、尾輿は眉を寄せた。

 

「いつも通り、――部屋にいるか、外をぼんやり眺めているだけ、そういうことか?」

「……そうなります」

 

 尾輿は低くうなった。

 心に貼りついた気がかりが日に日に増すのを感じている。

 

「何かいい案はないものか……」

 

 尾輿は、布都のやる気のなさというか、何かをしてやろうかというような気力のなさに、頭を悩ませていた。

 例えるなら、磨く前から光り輝いているような極上の鉱石。しかし、どうやって磨いたらいいのか分からないまま時が過ぎている。

 天上に感謝するどころか、自慢すらしたい程であるのに、どういうことか当の本人に意思が感じられない。すぐにでも、物部が代々受け継いできたノウハウ、すなわち知識、技術、手法を叩き込みたいと思っているというのに。

 それは尾輿だけでなく、物部の家全体での懸念だった。

 しかし、布都を目の前にすると、誰もがそれを上手く口にすることが出来なかった。あの大きな瞳に映されただけで、自分の中の何かが縮んだような、そんな気がした。

 というような訳で、布都という約束された大輪の花は咲かずに時だけが過ぎ去っていく。

 とはいえ、可能性というものは一つにあらず、そこらにも散らばっているものであった。

 時が経ち、諦めがさらに強くなったころ。

 

「――なんと、それはまことか?」

 

 喜色を浮かべた尾輿に、家人は力強く頷いた。

 

「ご子息様には、姫様の時を思い返すような力が」

「案内せい!」

 

 言葉の終わりまで待てず、尾輿は足を急いだ。

 

 

 

 

 

 

 夜。

 

「――おめでとう。そう言うべきか?」

 

 布都の部屋に守屋が訪ねてきた。

 

「これは"兄上"。それは言う相手が違うのでは?」

「いやいや、お前に言うのが一番正しいと思うぞ?」

「では、兄上には残念でした、というのがよろしいか?」

「まさか。気分のいいことしかない」

 

 二人は笑い合った。

 

「山を、空を見ていたのは何か理由があったのだろう?」

「探し物があればいいなと」

「ほぅ?」

「地を駆け、山へ昇り、空へと到れば、見つかるやも知れないと、そう思ったのです」

「何がだ?」

「それは自分でも分かりません」

 

 眩い月の光が差す部屋の中、布都はかぶりを振った。

 

「ただ、ここに居ては見つからぬであろうということは分かるのです」

 

 だからといって飛び出してしまうには、生まれが良すぎた。自由が利かないこと以外は最高の環境とすらいえた。他人に全てをやってもらう生活で今生の全てを来ている。今から一人飛び出して、野で山で、一人で生きようとするのはいかに面倒であろうか、考えるまでもなかった。

 だから、機を待った。

 もしかしたら訪れることがないかもしれない。そんな危惧も持ちながら、待った。

 そしてそれは成った。

 

「父上の興味が薄れれば、多少は目をつぶって貰えるでしょう。帰ってくれさえすればいい、そう思われるようになれば――」

 

 その弟とやらに、期待を込めて待つ。

 そんな布都を、守屋は茶化した。

 

「帰ってくれば、お前以上の術者になっているかもしれんぞ?」

 

 布都は楽し気に返す。

 

「それはいい。本当の意味でそうなってくれれば、もう何も気兼ねすることがなくなりますゆえ。それより、兄上こそ、次期当主の座がぐらつくやもしれませんぞ?」

 

 布都が茶化しかえす。

 

「その時は、俺も野でも山でも行くとしようか。まぁ、無いと思うが」

 

 守屋は次に当主になることが内定しているといって間違いはない。もうずっと前からそういう空気が物部氏の中ではあったし、父の尾輿も当の本人もその気である。

 だが、もし本当に守屋が当主にならないとすれば物部は割れることになる。守屋はすでにもう当主として、人心の掌握に手を付けていて、すでに忠誠を尾輿にでなく、守屋に捧げている者のも増えている。

 

「仮定の話ほど、面白いものはないですな。もし、こうだったら、ああだったらと空想に浸る」

「もし、外に自由に出られたら、か?」

「いえ、そこまで強く望んでいたというわけでもありませんよ。大地の気を感じながら、ぼんやりするのも悪くない。少なくとも、阿呆共の中に混ざり無用な些事に心を煩わせられるよりは、はるかに」

「では、"もし"生まれ変われたらのほうが良かったか? 何の変哲のない平凡な家に平凡な子として」

「それこそ、まさか、ですよ。幾度生まれ変わろうと、今生を選びますよ。他の誰かにやらせるなんて、もったいない」

「……もったいないか。しかし、それこそ、"もし"だな」

「おや、兄上は霊魂を信じませんか?」

「気味の悪いことを言うな。肯定すれば、それはまるで仏教ではないか」

「生まれ持った差があまりにも大きく、しかし心がそれを受け入れることが出来ないから、全ては無であると全ては均一で平等であると、全てを地に落として安らぎを得たいのでしょう」

 

 布都は目を鋭くした。

 考えていると、気分が悪くなってきた。

 "皆"というものの中に入ってほしくて仕方がない連中がいる。その中に勝手に混ぜられることが、布都には不快だった。

 




 作中で出てきた弟のモデルは物部贄子(にえこ)とかいう人です。とある書物で布都ちゃんの夫になってたりする人。でも馬子の方が段違いで有力みたいです。

 次話は戦闘が入ってきます。書き直すのにたいへん時間をとられてしまいうんぬん


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第5話 意味はなさない

 さらに月日は過ぎた。

 物部布都は山にいた。

 獣道ではなく、人の切り開いた道路を歩いている。都より離れた地であるが、人の通らない所ではない。昔、大勢で妖怪を追い払った。そんな過去がある山である。とはいえ、深いところまで踏み入れば、妖怪に出くわすかもしれなく、ある程度安全とはいっても、少人数で来ることはまずない。

 布都は、その真ん中を一人堂々と歩いている。

 山というのは危険である。迷うという問題も当然あるが、何より妖怪が潜んでいる可能性がどうしてもある。運よく遭遇しなければそれでいいが、運悪く遭遇してしまえばたいてい死が待っている。

 とはいっても、運が悪いとか良いとかなどは人の考え方によって変わるもので、――この場合、つまり物部布都の場合は、運良く遭遇するか、運悪く遭遇しないかという方が適している。

 つまるところ、布都は妖怪を求めて来ている。

 当然手を取り合うためなどではない。取り合う物は、――命である。

 

 

「さあ、我と混じり合おうではないか。生と生が交配し死が生まれる混濁の中に、我の渇きを癒やすものが――」

 

 布都は首を横に曲げ、それによって空いた箇所で手を振った。

 後方で鮮血が咲く。

 布都は振り返りもしない。

 歩む速度も変わらなかった。頭を掻いた程度の所作でしかなかった。

 

「人であってもそうなのだ。妖怪だって、――そうなのであろう?」

 

 布都から妖怪にとって香しいものがあふれていた。凝縮された人の生命力がその存在を主張するように、あたり溶け混じり、広がっていっている。

 布都は考えている。

 人にも傑物がいるように、妖怪にもいるだろうと。

 目どころか脳までもが眩む誘引に逆らえる者など、そうはいない。

 

「失望させてくれるなよ?」

 

 未来に期待を込めて。

 欲が密接に混ざり合った願いが布都の口元をつりあげる。

 指揮棒を振るうように腕を動かし、深紅の花を咲かせる。

 血が立ち昇り、臭いが溢れ、周囲を満たす。

 ほんの一瞬だけ咲き誇り、瞬く間に枯れてしまった死骸が増えていく。

 

「もっともっと来るがいい。そろそろ数を数えたいころなのだ」

 

 有象無象の雑魚など、一にも満たない。

 だがそれとは別に、布都の気分はだんだん良くなっていった。

 風がそよぎ、衣服をひらひらと揺らす。

 同時に届けられた血の匂いが布都の脳を揺らす。

 歩く姿も、まるで地を泳いでいるかのように、右に、左にと、揺れながら行く。

 

「くふっ――」

 

 嬉しくなった。

 狂気を孕んだ笑い声が漏れる。

 

 ――囲まれている。

 

 どうせ期待外の雑魚であろうが、もはやどうでも良かった。

 身の内に昂ったものに委ねて、気持ちよくなりたい。

 布都は足を止めると、両腕を広げた。

 隙も何も無い。

 足らない思考を働かせずにさっさと来い。

 布都の示した行為に、周りを囲んでいた妖怪は引き寄せられたかのに飛び出してきた。

 布都は腕を交差させ、身を縮こまらせた。

 もはや生物、いや存在の格が違った。来いと言えば来る、去れと言えば去る。自分より上の絶対存在から下される命令のよう。

 布都が交差した腕を開き、身を広げると、西洋のランスを彷彿とさせるような光の槍が針山のように飛び出した。

 糸に引っ張られたように飛びついていた妖怪は、ことごとく串刺しになり、芳醇な血の香りを辺りにまき散らした。

 

「くふっ――」

 

 また笑みが漏れる。

 血だまりを踏み行き、新たな愉悦を求めて前へと進む。

 そら、もっと楽しませてみろよと大手を振り。

 ゆらゆらと揺れる身体。頬は紅潮し、少しだけ開いた口からは湿った息が漏れていて。そこから舌が割り出て、くるりと唇を舐め回す。

 飢えに、欲に、恍惚とする。

 我慢すれば我慢するほど満たされた時の期待が膨らんだ。

 その我慢を解き放ち、ようやく欲に身を投じた。

 もしかすれば酷く狭い世界かもしれない、けれどもしかしたらそうではないかもしれない。終焉と繋がっているかもしれない扉を開け、布都は人の世俗から抜け出ようとした。

 道を赤や緑に染めながら、森をさらに歩み行く。

 

 

 

 

 

 山道には多くの屍が転がった。

 同じように襲い来る妖怪を、同じように処理していく。

 雑魚と呼んでしまえるものは、結局のところ大体似たような動きしかしなかった。いつしか、遊びは作業と化していき、次第に酔いもさめていった。

 何だか妖怪を淡々と始末していると、布都はご丁寧に馬鹿の相手をしているような気分になってきた。

 ため息が出る。

 

「……これでは獣以下ではないか。考える頭どころか、感じる本能すらないのか」

 

 頬に付いた返り血を指ですくう。

 

「――ああ、拙僧もそう思うよ」

 

 「ん?」と感じられなかった気配と人の言葉に、布都の意識が再び戦闘体勢に入った。

 が、遅かった。

 布都が声の主を確認する前に、体が横にぐらついた。

 刹那。ぐぶりという不快な音と腹部の妙な感覚。

 その箇所、右横腹を反射的に手で押さえる。

 

「っぐ――」

 

 痛覚が、傷が浅くないことを教えてくる。

 見ると、押さえた手が赤々と濡れ輝いていた。

 痛みで呼吸が浅くなる。

 鋭敏になった感覚が、その姿を捉えた。

 

 ――……僧か?

 

 それは人の姿をしていた。

 ここらではまだ珍しい服を着た、三十そこらの無精髭の男。

 感情の読めない眼がいかにも不気味であった。

 

「ああ、これかね? これは法衣というもので、この地ではまだ珍しいだろう」

 

 布都は答えない。

 横腹を押さえたまま、じっと男を見ている。

 

「もちろん、このような辺境に来たのも理由がある」

 

 感情が読めなかった眼に、色が映った。

 

「――僧侶の殺し方を知っているかね? 知らぬのならそれでいい。妖怪の殺し方はどうだ? 知らぬなら、そのほうがいい」

 

 口元が獰猛に歪んだ。

 

「死して行き着くところを知っているかね? ――私の中だよ」

 

 ――何か、投げ――。

 

 布都は素早く身をよじり、避けた。

 次の攻撃が来ると、構える布都。

 が、男は動きを見せない。

 勘が働いた。

 とっさに後ろを振り向く。

 避けたばかりの、男から投擲されたものが戻ってきているのが見えた。

 痛覚の訴えを殺し、足に力を入れ、横へ跳ぶ。

 

「これは独鈷杵といって、拙僧の法力がこもっている。人に使っても、見た目以上の効果はないが」

 

 それは、手の平大の短剣の柄を左右にくっつけたような形をしていた。

 

「やけに静かだが、どうかしたのかね? 言葉は通じるだろう? せっかく海を渡り、言葉まで覚えたのだ。通じないわけないだろう?」

 

 布都はゆっくり口を開いた。

 

「……何の用だ」

 

 警戒心があふれ出る布都の言葉。

 僧の男は無精髭の生えた顎を撫でる。

 

「なるほど、確かにそうだった。しかし、利発そうに見えるがそうでもないのかね? 君の手の平の色が答え。つまり、死んでもらう。正確には肝をくれ」

「……肝?」

「ああ、全部じゃなくていい。ある一部分だけでいいのだ」

 

 肝というものは身体の中でも少し特殊なものだった。肝のとある一部分には、通常視認することが出来ないような力の源と呼べるものが存在していた。

 

「己が優れた存在であるという自信、いや自負があるだろう? いやはや羨ましいことだが、――今それはいい。君に用というよりは、君の肝に用があるわけだ」

 

 布都の眉間が寄る。

 

「……人ではないのか?」

「人だよ。――半分だが」

 

 再び独鈷杵が投げられる。

 布都は痛めた脇腹の衝撃を考え、身をよじり避けようとするも、僧の男がそのまま突っ込んできたため、横へ跳び退った。

 動きに合わせてきた男に向かって、腕を横へ薙いだ。

 光刃が飛ぶ。

 男の腕に当たる。

 瞬間。

 刃は散じた。

 

「っな――」

 

 驚いた。

 が、

 

 ――落ち着け、似たように力で対抗しただけだ。

 

 焦ってはいない。

 じっとしている暇もない。

 避けた独鈷杵が、後ろから戻ってきている。

 布都はまた横へ跳ぶ。

 

「凡才が生き抜くにはどうしたらいいか、分かるかね?」

 

 布都は答えない。

 

「答えは簡単、奪うしかない。自分の才に委ね、ただ育てていけばいい人間とは違うのだ。分からんだろう?」

 

 男は返ってきた独鈷杵を掴むと、刃先を布都に突き付けた。

 

「だが、分からぬでもよい。ただ拙僧に寄越せば、それでいい」

 

 布都は腹が立った。

 

 ――物のように見やがって。

 

 布都は目に侮蔑の色を表してみせた。

 

「――負け犬め」

 

 布都はせせら笑う。

 

「おめおめと逃げ回り遠い地よりご苦労なことだが、ここはお前の墓場。お前はただ踏み越えられるがためにやってきたのだ」

 

 怒りを覚えるなというほうが無理な言葉。

 さらに続く。

 

「凡愚が何を身につけたつもりかは知らんが、非才は非才。力のほうが泣くであろうよ」

 

 あからさまな挑発。だがそれは、的確に触れて欲しくないところをえぐるようなものだった。

 男は、その挑発に明確に答えた。

 突進。

 ただ一直線に向かってくるだけ。

 布都は横へ躱す。

 が、男がとっさに伸ばした手に衣服の一部が掴まれる。

 勢いのまま、投げられ、地面を転がる布都。

 止まると、体を起こす前に男が大きく飛び掛かってきていた。

 布都は男に合わせて、自身より大きい程の光槍を生成し、向かい撃つ。

 その先端が、いまだ宙にいる男の腹部に当たると、光の槍は押しつぶされ、はじけた。

 

「なっ――」

 

 驚愕を表に出す布都。

 はじけ宙に散った光の粒子が舞う。

 男が大きく右上半身を後ろへずらし、拳を振りかぶる。

 布都には、その拳に何かしらの尋常ならざる力がこもっているのが、分かった。

 

 ――決めにきたか?

 

 男の着地直前。

 

 ――馬鹿め。

 

 布都は、心の内で嘲笑った。

 

 ――半端な知能持っているから騙されるのだ阿呆め。

 

 投げられたのも、光槍が潰されたのも、目論みを破ったように思わせて警戒心を薄れさせる罠。

 布都は両手を合わせると、男の顔目掛けて開き放った。

 火。

 火とは本能的に恐怖を与えるものだった。

 ましてや顔に向かってくるのであれば、さらに効果は高く。

 体の強張り、視界は火に覆われる。

 布都は身を転がし、男から離れた。

 衣服に火がうつり、激しくもだえる男に、布都は弓矢作り、矢を放った。

 うめき声が上がる。

 矢は消えることなく、そのまま突き刺さった。

 布都は欲しかった情報を手に入れた。

 

 ――なるほど。

 

 意識して消そうとしなければ消えないらしい。

 

 ――ならば、ご苦労。

 

 もう用済みである。

 布都は地を蹴り、男に肉薄すると、

 

「――死ね」

 

 生成した光の剣で男の腹部を貫いた。

 引き抜くと、男は頭を垂れるようにひざまずいた。

 焦げ臭ささが鼻につく。

 布都は見下ろし、言う。

 

「才などと言っておったが、お前には無用のものよ。いかなる才を持ってようが扱うのがお前であれば意味はなさん」

 

 布都は最後に鼻で笑うと、光の剣をくるっと逆さにし、剣先を下に向けた。

 そして男の首に差し入れた。

 ずぶりと音がし、血があふれ地に落ちる。

 音にもならない声が布都の耳にわずかに届いたが、何の感傷もなく光の剣を消し、振り返り足を進めた。

 

 ――時間をくった。

 

 そんな思いで帰路を思い浮かべた。

 とはいえさすがに体力や気力の消耗を感じている。

 高邁な精神がそれを認めまいとするも、体が訴える休息の嘆願をたしかに受け取っていた。

 ずぶり。

 聞いたばかりであるが、今度は深く響く音を布都は聞いた。

 視界の下に何か黒いものが見える。

 視界の中心に持ってくると、黒ではなく赤であったのが分かった。

 手。

 手が腹から生えていた。

 腹から伝わった衝撃が喉奥にまでやってくる。

 そのまま口内までくると、衝撃のままに外へでた。

 口から真っ赤な液体が飛び散る。

 

「――っ」

 

 腹部がひどく熱い。

 首を後ろへやる。

 死んだ、いや殺したはずの男が四つん這いのまま腕を伸ばしていた。

 その先はどう見ても自身の腹部に向かっていて――。

 

「ぁぐっ――」

 

 自身の腹部から生えた手に触れようとすると、その前に手が引っ込んだ。

 膝が折れ、布都は体勢を崩した。

 倒れざまに男の方へ体を向ける。

 男は、見覚えはないが覚えはある臓物を口に運んでいた。

 



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第6話 甘美なもの

 男は口元を拭うと、こちらに近づいてきた。

 

「言ったであろう? 拙僧は半分人間であると」

 

 腹を貫かれ、首を貫かれ、それでも死なない生き物を人間とは呼ばない。

 

「人も喰らうし、妖怪も喰らう」

 

 人の臓物をすするように喰らう姿はまさしく妖怪。

 赤く染まった手と口。

 食べきったと、唾を吐く。

 食べかすの肉片に目が行くが、すぐに視線を戻す。

 

「何事か言っていたようだが、結果はこの通りだ。拙僧は妖怪の肝を喰らい人の身を超えたのだ。いくら優れていようと人の分際では限界があるというものよ」

 

 男が間近に迫る。

 目が合った。

 見下ろされる。

 

「いい目をしている」

 

 腹が立ち、立ち上がろうとするも痛みが邪魔をする。

 少し動いただけで腹部から赤い液体が溢れ、地面に濡らす。

 呼吸するだけでも酷く痛み、自然と浅い呼吸になる。

 

「が、もう肉体のほうは限界のようだな」

 

 余裕を見せる男が気に入らない。

 

「ぁ"ふっ――」

 

 蹴られらた。

 転がる地面に赤い道ができる。 

 痛みと重みが増す身体。

 

 ――ただでは済まさん。

 

 だがやれることなどほとんど無かった。肉体の機能はもうどれも満足には働かないだろう。否定してくても受け入れるしかない事実。だが――。

 

 ――物部布都。それはこの場でこいつに喰われて死ぬような存在ではない。

 

 それは他人が聞いたら眉をひそめるような、布都の持つ強烈な自尊心。だがそれがあることを思いつかせた。その自尊心の源はどこから来たものだったか。

 

 ――肉体が肉体自身で動かせぬのであれば。

 

 布都は目を閉じ、体を弛緩させる。

 意識を全身に張り巡らせ、時を待つ。 

 

「それにしても極上だ。これほどであれば、食う前から分かるというものだ」

 

 熟れる前の極上の果実。まだまだ青いが、秘められたものは変わらない。あと少しでも育っていれば命を取られていたのは自分だっただろうと、抵抗なく男に思わせるほどにすさまじいものを感じさせていた。

 これが手に入るとなるとどれだけの力を得るのだろうか。男はほくそ笑んだ。

 そして、期は訪れる。

 男が布都の胸部に顔を近づけ、口を開け獰猛な歯からよだれを垂らした時。

 布都は目を強く開き、跳ね起きた。

 とっさの動きに男は身を引くが、布都の身体はそれを追っかけるように飛びつく。布都は男の懐に向かって伸ばす。

 

 ――掴んだ。

 

 布都が手にしたのは独鈷杵。

 刃を男に向け、決死の想いで男に当たる。

 怯んで後ろに下がった男と、文字通りの全身全霊、残った霊力で肉体を無理やり動かし飛び掛かった布都とでは、その全てに差があった。

 刃が肉に触れる瞬間、男の纏っていた力とでぶつかり合い、独鈷杵が金色に輝いた。

 法力の込められたその刃は、男の妖力の壁に割り入った。

 その法力というものは布都の知らないものだったが、霊力を流し込めば流し込むほど輝く刃に、どういった作用があるのかは分かった。

 金色の刃は男の腹部に深く刺さった。

 この後などどうせない。そう思った布都は霊力をありったけ流し込む。

 絶叫。

 男が倒れる。

 霊力を使い果たし、もはや自力で立てない布都もつられて倒れた。

 

 

 

 

 日は傾き、影は長く細くなっていく。空気はゆっくりと静けさを増していき、やがて本格的な静寂の訪れを感じさせていく。

 静寂は布都にも訪れようとしていた。

 男の上に前のめりに倒れる形になった布都は、起き上がろうと腕を動かし手を地につくが、まったくといっていいほどに身体が浮かなかった。力が入っているのかさえ、分からなかった。大気が押し潰そうとしているかのように、体が重い。呼吸をするたびに喉の辺りでごぼごぼと血が跳ねる。

 死が明確に迫ってきていた。

 

 ――死ぬのか。

 

 生と死は密接に関わっていて、己の行動がそれをさらに近くするものであることなど重々に承知していたことであったが、不思議と自身に死が訪れるという気だけはしなかった。

 

 ――これでは何もないのと同じであるな。

 

 まだなにも為していない。別に何かを為そうなどという気など無かったが、実際に死が目の前に迫ると何かもったいないと思えた。

 

 ――惜しい。

 

 そう思ったものが、何に対してなのか分からないないが、強く思った。

 あれだけ猛っていた心が深く深海の底に沈み行くかのように重く、もはや身体からは感じられるものがほとんど無かった。

 視界が昏く落ちていく。

 最期に映ったのは、肉。

 

 ――美味そうだな。

 

 何故そう思ったのかは分からなかった。

 奥。そして上。

 そこは、肝。

 もう何も残っていないはずの布都。だが手が、腕が、動いた。

 何故と、考える力も残っていない。

 ただ身体が勝手に動いた。

 腹に空いた穴に布都が手が入り込む。

 場所も知らなければ、どういった力がどのようにして動いているのかも分からない。

 布都は、遠くから自分をぼんやりと観察しているかのように感じていた。

 手はある部分を掴むと、引き出し、口に近づけた。

 口を開き、噛むと、とても柔らかく、とても美味であった。

 何かが満たされた。

 意識の消えるさなか、妙な心地よさを感じた。

 そして物部布都の動きは停止した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜。

 木々生い茂る山であるが、虫の鳴き声すら聞こえない。

 代わりに山は、血と妖気でむせ返る程に溢れていた。あちこちに妖気が蒸気のように立ち上り、まがまがしく天へ昇っていく。

 それは危険と同時に甘美な魅力にもなった。

 時が経つにつれ、生命が大きく減少した山に同じく生命が新たに流入してきていた。

 魅力があった。点々と散らかる死骸は良い餌になる。

 が、それ以上に引き寄せられるものがあった。

 

「ん――」

 

 暗闇の中に、線というか形があった。

 しばらくぼんやりしていると、段々それが何なのかが分かってきた。

 すなわち、ものが見えていて。

 

 ――死んでおらぬ?

 

 しかし、霊魂ということも考えられて――。

 

「ぉおう?」

 

 ゆらり起き上がり、手の平を見る。

 まさしく、自身の肉体である。

 辺りを見渡そうと、身をねじると、

 

「ぐっ――」

 

 痛みがあった。

 即座に動きを止める。

 そして、その痛みで布都の脳がようやく起きた。

 何があってここにいて、倒れていたか。理解した。

 

 ――だが、何故生きている?

 

 間違いなく致命傷だった。

 あれで生きれていられる人間などいるはずがない。

 腹部に手をやると、間違いなく痛みがある。

 だが、どうしてか痛みが鈍い。

 治りかけの傷に触れたような。

 気づいた。

 

「……塞がっておる」

 

 いくら何でもそこまでの力は、――と考えたところで、意識を失うほぼ無意識だった瞬間を思い出した。

 

「――そう、か。そういうことか」

 

 人だか、妖怪だか分からぬものの肉を喰らったのだ。

 布都は喪失感を覚えた。

 人を喰らうものを人とは呼ばない。

 ついに人間では無くなったのだ。

 布都は、整理できない思考や感情を乗せて息を吐いた。

 

「……まぁ、そういうこともあろう」

 

 月明りだけが頼りの中、布都は行動を開始した。

 どこに行くというわけではないが、とどまっているのが嫌だった。

 布都は足を一歩、二歩、三歩と進め、止まった。

 

 ――囲まれておる。

 

 どこにどの程度のものがどれくらい。はっきりと分かった。

 目を使わずとも、はっきりと分かった。

 

「そうだ。良い事を思いついた」

 

 布都は鈍い痛みが残る腹に手を当てる。

 

「――美味いかな?」

 

 布都は、僧の恰好をしていた男の死体に近寄る。

 そして、死体を茂みの向こうへ蹴り飛ばした。

 蹴った後、布都は跳んだ。

 死体の先には急に餌と呼べるものが飛んできて、ひるんだように反応した妖怪数体。

 布都は着地前に、両腕を振り、周囲を木々ごと切り裂いた。

 血が噴出するなか、布都は着地と同時に振り返りざま、後方へ腕を振る。

 針が無数に飛び出し、数秒後には静寂が戻った。

 布都は周りの死骸を見やると、顔をしかめた。

 

 ――えらくまずそうだな。

 

 とても美味そうには見えない。それどころか、食ったら腹痛でも起こしそうだった。

 

 ――あれは美味かった。

 

 当てが外れた布都は、とりあえずこの場を去ることにした。




布都ちゃんついに人外?になるの巻
ところでいつになったら他の東方キャラは出てくるのでしょうね







???「我が出ずっぱりであろう? そうであろう?」


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第7話 水中 

 うっとうしさには敵わなかった。

 変わらない景色。

 生い茂る木々の中を歩く。

 変わらない景色。

 よく見ようとすれば、そのどれもが違っていて新たな発見というものが。――なんてことを言うようなやからがこの場に居たならば、布都は躊躇(ちゅうちょ)なく土に還したに違いない。

 変わらない景色。

 変わらないと言ったら変わらない。つまらないと言ったらつまらない。

 他人の尺度など持ってこられても採用することなどない。無用である。

 枝葉を手でよけ、くぐるように前進する。

 落ちてきた葉や木くずが気になった。

 払おうと自身の体を見る。

 

 ――えらく汚れとる。

 

 服は血まみれ。他にも、土や砂、草や葉。多様なものが付着していた。

 

「……洗うか」

 

 気を遠くに広げるような感覚。布都は感覚を研ぎ澄ませた。

 すると、川の気。そんなものが分かった。

 布都はその方へ向かう。

 途中。

 

 ――ん?

 

 ふと疑問が浮かんだ。

 前からこんなにも物が見えていたか。こんなにも周りの物を感じることが出来たか。

 まるで世界が変わったかのよう。見ようと思えば見えて、感じようと思えば感じることが出来た。

 その疑問が晴れるまえに、目的地の川に着いた。

 涼やかな水の流れる音。

 川は、月光を受け、ちらちらと輝いていた。

 近づくと、しゃがみこみ、手で水をすくう。

 飲もうと、顔を近づけた時、ふと視界の端に光るものが映った。

 気になった。

 それは糸のようで。

 

 ――蜘蛛の巣にでも引っかけたか?

 

 水がこぼれるのも構わず、手でそれを引っ張った。

 

「いっ――」

 

 布都の顔が傾いた。

 

 ――なんと。

 

 髪だった。

 束ねてみると、月光を受け、銀色に光っていた。

 見惚れた。

 綺麗だと、自身の髪にそう感じた。

 時が止まったかのような感覚すらあった。

 布都が我を取り戻した時、もうどれほどの時間が経ったのかも分からなくなっていた。

 夜の静けさだけは相変わらずで、流れる川も一定で心地よかった。

 布都は覗き込むように上体を傾け、川に映る自分を見た。

 濃い水色の瞳に灰色の髪。そのどれもが見覚えのない色で、どういう理屈でそうなったかは分からないものの、何が起因したのかは分かった。

 喰らった肝は美味かった。

 外からお前はもう普通の人間ではないと言われたようで、どこか喪失感があった。

 色に意味を持たせるのは人。その対象は人が人に対する時にもまた同様で、自身と同じ色というだけで親近感を感じたり、またその逆もあったりと、色というのは判断に大きく作用するものだった。特に周りに違う色が多いような時にこそ、大きく作用される。周囲に溶け込むことや、逆に目立ったり。

 しかし、色自体がそういう特性を持つわけではなく、あくまでも人がそう判断するだけ。

 そして、その判断とやらがやっかいなもの。

 布都の周りには色だけでなく、気が溢れていた。布都は、前より多くの気が感じ取れることが出来るようになっている。木には木の気、川には川の気、土や岩や、それはもう多くのものか感じ取れている。それは良い事、――とするにはあまりにもやっかいなものだった。感じ取れている気、その一つ一つにいちいち判断を下していてはキリがない。布都はそのキリがないものの対処として、大まかにまとめて判断を下すことにしていた。すなわち、木一つ一つ大して意識を向けることなく、たくさんの木、もしくは森の構成物その一といった感じで処理している。そうでもしないと意識がパンクしそうになる。しかし、そうすると周りのものがあまりにも平坦に見えてつまらなかった。

 そして今、自身の容姿に意識の大半があるわけで、その他は限りなくその他として判断されている。

 

 気というものは、生物に対して使うとき、気配という言葉を使ったりする。

 気配というと、気配がする、気配を消す、というような使い方をする。

 では消す、ではなく、溶け込ませるであれば。

 木の気、川の気。

 例えば、川の気に自身の気を溶け込ませている。そんな事が――。

 

「っ――」

 

 布都は視界がぶれるのを視た。認識が確かに視た。

 だが何が起こったのか確認する間もなく、全身に負荷がでたらめに襲う。

 

「がぼっ――」

 

 空気を吸おうとしたが――、水が喉に入り込み、食道を埋める。

 暴音。

 ようやく認識する。

 水の中に潜ったときのような音。

 だが記憶のそれよりはるかに荒れ狂っており。

 意識を向ければ、分かる。

 川の気によく似たそれ。

 溶け込んでいるようだが、細かく探ると感じてくる違い。

 

 ――妖怪。

 

 どうやったかは分からないが、川の中に引きずりこまれた。

 奔流に、身体を動かそうにも、ほとんど自由がきかない。ぐるりぐるり体が回転していることくらいしか分からない。

 上も下も判断つかず。ただ流されている。

 まるで川という大蛇に飲み込まれてしまったがごとく。

 

 昔から川はよく蛇に例えられてきた。

 人の文明というのは大河の近くで発達してきた歴史がある。狩猟から農耕に切り替えた人間に必要だったのは、水だった。川は度々洪水を起こし、辺りのものを根こそぎさらったが、代わりに大地を豊かにした。その洪水は害でもあり、益でもあった。人は川に畏怖の念を抱いた。

 日本の神話にヤマタノオロチの話がある。文字通り八つの頭を持つ大蛇である。これは川が元になっていて、川が分かれているのを八つの首としたのである。その大蛇ヤマトノオロチを倒すと、尾から剣が出てきたという。これは川を制すれば恩恵が待っているという考えにとれるのではないか。ちなみに出てきた剣の名前を天叢雲剣(あめのむらくものけん)。別名で草薙剣(くさなぎのけん)

 大蛇に例えられる人力では到底抗いがたい水の奔流。その大小はあれど、今布都はまさしくその奔流(ほんりゅう)に飲まれていた。

 

 ――おのれっ。

 

 とにかく地の利が悪い。

 そう思った布都は、どうにかして脱出を計ろうとした。

 しかし、その術が思い浮かばなかった。

 上下左右判断つかない。もはや身体がどういう風に動いているのかさえも分からない。絶えず水流が体を叩きつけているが、何かにぶつかるということもなく、羽をもがれた虫が死から逃れようと暴れまわるようで。

 

 ――くそめ。

 

 これではまるで人の一生ではないか。

 そう感じた布都は苛立った。

 否応なしにその中に組み込まれ、ロクに自由も利かずに力尽きるまで流される。

 認めることなど出来なかった。

 布都は抗わんと、力を手に集めた。

 そして、叩きつけた。

 激流に衝撃。水中に生じた波紋、いや波紋というにはあまりにも暴力的だった。

 衝撃を受けたのは布都の身体も同じ。布都は水中を吹っ飛んだ。

 

「がぶっ――」

 

 さらに衝撃。

 底、もしくは側面。判断つかないが、とにかく布都は壁にぶつかった。

 空気が口から逃げ出す。

 絶体絶命とすらいえる最中、ちらり、光を見た。

 夜を照らす光。月光。

 それは水中でも届いた。

 上と下、これで分かった。

 布都はもう一度力を込め、今度は明確に狙いをつけ叩きつけた。

 布都の身体を強い負荷が襲う。

 そう間を置かずに負荷から解放された。すなわち空中。

 布都は辺りの木々より高い位置にいた。

 感覚を研ぎ澄ませる。

 捉えた。

 川の気によく似た気。

 布都は槍のようなものを作ると、ある一点に向かって投げつけた。

 槍身がぶれ、稲妻のように空間を走り、川底へ至り、輝きを起こした。

 その後、布都は空を蹴った。

 蛇の腹を突き破るように、頭から川へ侵入する。荒々しいしぶきが上がる。

 布都はようやく視認した。

 腕くらいの白い蛇。

 川底で槍に縫い付けられている。

 布都はその蛇を殴りつけるように地上へとかち上げた。

 追うように地上へと上がると、びちびちと跳ねまわっている蛇に寄った。

 

「人を衣服のように扱いおって」

 

 確かに汚れは落ちた。

 

「礼だ――」

 

 布都は蛇の頭部を掴むと、口の裂け目に沿って二つに割いた。

 そしてある部分、食指が向く部分に口を近づけると、かぶりついた。

 ごくり、飲み込むと、口内の血を吐き捨てた。

 夜はまだ終わらない。

 月が輝く夜。

 布都はたっぷりと寄り道をして帰ることに決めた。

 

「だいぶ流された」

 

 そもそも現在地が分からない。




後書きに書こうかなって思ったのだけれど、やっぱり本文中にいれました。
しかし、神話等見ていくと東方で見た名称がちらほら散見して別の面白さがありますね。(4,5年前に古事記に挫折した人間ですが。だって辞書くらい厚くてゲーム攻略本くらい大きいんだもの)

それにしても、それにしても暑いです。クーラーなんて上等なものが壊れて久しい自室では、なかなか集中してpcに向かうことが出来ません。大筋のプロットは最後のあたりまであるのですがね。でもなんかちょこちょこ書きたい話が増えていっててどうなることか。
予定では東方キャラは後7体くらい出てくるはずなのですが、……まだ布都ちゃんだけですね、えぇ。



「ヤマタノオロチ号!」


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第8話 恐ろしきもの

 森。

 

「もうすぐだよ――」

 

 布都は、少年に連れられていた。まだ幼さをのこしている。

 連れられてから、そう経たないうちに、着いた。

 村。こじんまりとした村。

 その村は森に隣接していた。半分森の中にあるような村で、村には木々による天井があった。

 ひらけた方から風が届くと、森に吸い込まれるように村を通り、深い茂みを作る木々を揺らした。木々が揺れると、枝葉も引っ張られるように揺れる。したがって、それらで構成される村の天井が揺れる。天井が揺れると、村の光や影が揺れ動く。

 

「……ちょっと待っててね」

 

 森と村の境。――正確にはそんなものは無いが、とにかく村には入っていないところで布都は待たされた。

 日はすでに傾きを見せている。

 布都は木に背を預け、待ってた。

 しばらく待たされた。

 やがて複数の気と声がした。

 

 ――ようやくか。

 

 寄ってくる少年、その後ろには男たちが立っている。心地よいとはいえない視線。

 

「おっとうが、うちに泊まっていいって!」

「そうか」

 

 布都が意を表すと、少年が布都の手を取ろうと手を伸ばしてきた。――が、途中で止まった。

 布都は意に介さない。

 触れられるほうが嫌だったので良かった。

 無視して、待ち構えている男衆にまで歩み寄る。

 

「これは、その、とても奇異な恰好ですが、一体――」

 

 当然の疑問。

 それほどに布都の姿は奇異そのものであった。

 身にまとう衣服は上等なもので、それでいて所々傷んでいて、その傷みも理由が分かりづらいもので、そしてその容姿。くっきりとした輪郭、吸い込まれるような瞳。髪は白か灰か分からない色に、その髪色より白い肌。この世のものなのか、――いや、人なのか。そう思わせる異質さがあった。

 男たちも、遠くからでもそれらを感じ取っていた。だがそれは、近づくとそれはただ奇異であるというだけではなくなって、頭を垂れたくなるような存在の質の違いを――。

 布都は、疑問に答えてやることにした。

 

「好きに考えるがいい」

 

 布都は不愛想に言う。

 一応、一宿一飯を受けようとしている身である。

 が、そのぶしつけな態度は一つの確信に繋げるものになった。

 一人の男が一歩前に出て言う。

 

「もしや、高貴な方であらされましたか。でしたら、大変な失礼を――」

「物部」

 

 と、言い捨てるように短く言った。

 

「な、なんと――」

 

 男たちは一斉に跪いた。

 やはりただ者ではなかった。

 全身を支配する思いが、物部という言葉ですんなりとはまり、頭を垂れる動作に移行させた。

 

「物部様、大変粗末な村ではありますが、なにとぞしばしのご逗留を願います」

「長くは居らん。少し足を休めたら、行く」

「あ、いやっ、どうか、どうかしばし――」

 

 平身低頭。地に頭を擦りつけんばかりに言う男。若干前にいる。

 

「村長はお前か?」

「っは。そうでございます」

 

 上げた顔には、必死さに満ちていた。

 布都は愉快そうに口角を上げた。

 

「――立て。案内しろ」

 

 了承してやったと、布都は急かす。

 村へと足を踏み入れると、すぐに足を止め、ある所を指さした。

 

「村長、あそこはなんだ?」

 

 そこは周りの、木で組んだ骨組みに枝やワラを重ねて作った竪穴式の住居ではなく、まるで豪族の居館の様式と酷似した建物があった。その規模は実際の居館よりはかなり小さいが、それでも村では目立っていた。

 

「あ、いや、あの場所は……、倉庫になっております」

「やけに立派な倉庫だな」

「……この村では幸運にして食料が豊富なので、皆のはからいであのようになり」

「――まぁ、いい。まさか倉庫より拙い所に案内されることもないだろうしな?」

「は、はは……」

 

 言葉を濁しながらも、村長は多少の反意を持って、布都を見た。が、瞳を見た瞬間、息が詰まった。

 

「……わ、私は今より歓待の用意をいたしますので、案内は息子に」

 

 一緒についてきていた少年が布都に寄って、頭を下げた。

 

「お前か」

「は、はい」

「まぁ、思ったよりは退屈せずに済むか」

「は、はぁ」

 

 布都と少年は歩み出した。

 周りよりは多少大きい竪穴式の住居。それが案内された家であった。

 中へ入ると布都は隅に座った。

 家の中には生活用品が少しあるだけで、がらんとしていた。

 

「さて、どうやって暇をつぶそうか」

 

 布都は、かしこまって居心地の悪そうな少年を面白そうに見た。

 

「よもや、遊び相手になれるとは思ってはいまい?」

「は、はぁ」

「だが、話し相手にはなれる」

 

 布都は笑みを作った。悪党の笑み。

 

「何故、お前は森に一人でいたか」

 

 もっと重要なのは。

 

「それも村から離れたところで。――食料は豊富なのだろう? なのにどうして、もしかすると妖怪に会うかもしれないようなところまで出歩いていたのか」

 

 少年は息を呑んだ。

 

「出会った時、お前はぎょっと驚いていた。それはそうだろう。なんせあのようなところに人がいるはずがない。しかし居た。不思議であるな?」

 

 布都は少年にぐっと寄る。

 顔が至近距離にまで近づく。

 

「お前は驚いていたが、同時に恐怖もあった。だが、それはすぐに消え、安堵といってもいい表情に変わった。それもどこか影のある、な」

 

 少年の身は固く強張り、瞳には恐怖が映る。

 

「残念だが、お前の招き寄せた者はお前の希望を叶えるような存在ではない。この物部布都、餌になるような存在ではないのだ」

「もののべ、ふと……?」

 

 それはこのような僻地にも伝わる名前だった。

 少年は頭を地に擦りつけた。

 

「お願いします! 皆を、村を、救ってください!」

「ほぉ?」

 

 布都は愉快そうに笑った。

 

 ――愚か者め。

 

 

 

 

 

 

 大体のことは見当がついていた。ただ遊んでみたかった。醜さをありありと見せられ、興が乗った。堪能するには中に潜りこんでしまうのがいい。布都の考えはシンプルだった。

 自分を、この物部布都を嵌めたつもりになっている阿呆どもを散々コケにした挙句に、願いを一つ叶えてやろうと。

 日はようやく沈んだ。

 

「さて、そろそろ祝宴でも楽しもうか。わざわざ夜になるまで待って欲しかったのだろう?」

 

 布都は夜が好きである。

 夜にぼんやりしていると、昼には溶け混じっていて感じることができないもの、――例えば個とでも言うような何か、そんなものが浮かび上がってくるようなそんな感覚がしてくる。その個のようなものを、愛でるように感じていると、不思議と心地よくなってくる。

 布都の笑みに邪気が消え、ただ娯楽を味あわんとする楽し気な笑みに変容していた。

 

「物部様、準備の方が整いました」

「おう」

 

 布都は立ち上がった。

 

 

 

 案内されたのは、例の倉庫であった。

 

「おや、ここはたしか――」

 

 布都が意地悪く言おうとするも、

 

「物部様が興味を示されていたようなので、村の衆で整理し、なんとか場を整えました」

 

 先手をうたれた。

 

「――ほぅ、それはご苦労なことだ」

「是非、お楽しみください」

「あぁ、そうするとしよう」

 

 布都は中へうながされる。

 村長は一歩後ろで、布都が入るのを待っている。

 

「お主は来ないのか?」

 

 布都はすっとぼけた。

 

「あ、いや、私はまだ次なる膳の用意の為に指示をしなければなりませんので」

「ならば仕方がない」

「申し訳ありません」

「気にすることはない。何も、な」

 

 布都は扉を開いた。入ると、すぐに扉は閉められた。

 中は一室だった。

 四方にかがり火があって、中を火がゆらゆらと揺らしていた。

 人の形をした影が、部屋の壁で伸び縮みしている。

 その影の元に、人と思わしき者が背を向けて座っていた。

 

「――お待ちしておりましたよ」

 

 その声には抑揚が無かった。

 

「存外普通だな」

「普通?」

「どのような化け物が出てくるのかと思えば、どうにもな」

「力の強い者ほど、不思議と人のような形を取ってるそうですが」

 

 背を向けていた者が、こちらを向いた。

 ひらひらとした服の男。顔は、卵に筆で薄く目鼻を描いたような面だった。

 

「では、人が最強であるな」

「本当にそうお思いで?」

「まさか」

 

 もう互いが互いに尋常ならざる者であることは分かっている。

 

「こうして近くで見ると、すさまじい。これほどとは」

 

 壁に映る影が激しく揺れる。

 

「貴女がこの村に足を踏み入れた時から、ただならざるものを感じていました。不思議なのは、色で言うと黒と白、それらが綺麗に混ざり合っているところでしょうか」

「夜空には月であろう?」

「どうでしょうか――」

 

 言い終わるやいなや、口を大きく開け、そこから木の根のような肉の塊が飛び出してきた。

 布都は首を曲げ、避ける。避けざまに、手刀を作り、その伸びてきた肉を切り落とす。

 

「気味の悪い舌だ」

 

 布都は、切り落とされびちびちと魚のように跳ねるそれを踏みつぶした。

 

「奇襲になっておらん。どんなに声や態度を取り繕おうとも、にじみ出る気色の悪い欲が隠せておらん」

 

 本題に入るぞとばかりに、布都は身を広げた。

 

「腹の足しにはなるのだろうな? 祝宴を受けに来たことには、違いないのだ」

 

 布都は腕を振るい、霊力で作った槍を飛ばした。

 男はとっさに腕で身を守ろうとするも、勢いそのまま貫かれ、奥の壁にはりつけになった。

 

「……これは期待はずれか? もう少し良いものを感じたつもりだったのだが」

 

 とはいえ、警戒は解かない。手痛い経験をしたばかりである。

 

「……人とは素晴らしいものです」

「あぁ?」

 

 男から焦りも苦痛も感じられない。

 

「初めは食べるだけで良かった。力が溢れ、身に付いた。でも次第にそれは空腹を満たすだけになっていった」

 

 妖怪にとって人間は力を得る餌であるが、ただの人間を喰い続けても得られるものには限界がある。

 

「空腹を満たすために、人間を飼っていたのか? 面倒なやつめ」

「飢えなければ、焦らずに気長に待つことが出来る。例えば、そう貴女のような――」

 

 男の下半身から木の根のような肉塊、触手がタコのように出てきた。大木の根のようなそれはすぐに部屋の大部分を満たし、建物を壊した。

 

「人は素晴らしい。例え私が傷ついても、食べさえすればすぐに再生が出来る」

 

 男から伸びた肉の先には、人間が刺さっていた。

 あちこちで悲鳴があがる。

 

「何故だ! 供物を用意すれば、村の人間には手を出さないと言ったじゃないか!」

「騒ぐな。助かりたければ、そこの人間を抑え込め。逃げ出した者は例外なく食う」

 

 屋根よりはるかに高くなった男は、この場で平然と立っている布都を睨みつけた。

 

「――だがもしうまくいけば、しばらくの安寧を約束しよう」

 

 村人の目の色が変わった。

 死を目の前にした極限状態で、その甘言は効果的だった。

 

「み、皆、囲め! 囲め!」

 

 総動員で布都を囲んだ。

 その中には、布都を村まで案内してきた少年もいた。

 

「まぁ、何に飼われているかの違いであるか。悪いが、同情なぞ期待するなよ?」

 

 布都は酷薄に笑った。

 人が人を殺そうとする際には、忌避が心の中で働く。であるが、戦場では間違いなく多くの血が流れるのも事実である。

 

「大方その供物とやらが用意できないから、村から人を差し出すしかなかったのだろう?」

 

 肉は柔らかい方が好まれる。

 

「それで目を付けられ逃げたガキと出会ったわけだ。見当はついていたが、ここまではっきりと当たるとは思わなかった」

 

 村人は知らない。

 

「お前らの恐ろしく愚かな間違いを教えてやろう」

 

 布都は腕を広げる。

 

「真に頭を垂れる相手は、その化け物ではなかったのだ」

 

 コマのように回る。

 いくつもの光刃が飛ぶ。

 布都の周りから断末魔が次々とあがった。

 

「それでも願いを一つだけ叶えてやろうというのだ。解放されたかったのであろう? 恐怖から」

 

 この場において、恐怖に、力に従うのなら、従うべきは物部布都という存在であった。その間違えは死という結果に至った。

 

「――おのれぇ!」

 

 布都を貫かんと触手が襲いかかる。

 

「芸がない」

 

 布都はその全てを切り伏せた。

 恐怖の比重が変わる。

 布都を囲っていた村人は、一斉に逃げ出した。

 変わり身の早さに布都は嘲笑する。

 

「げに恐ろしきは何かな」

 

 逃げ惑う村人を触手が貫き、妖怪の養分となった。

 残るは、うごめく触手。

 

「さて、そろそろ飽いた。……しかし、お前は食うにはまずそうだな」

 

 布都は両腕を回し、円を描いた。

 霊力と妖力が練り混ぜられる。

 炎の持つ気というものを布都は再現する。

 練り混ぜられた力は、炎に形を変え、妖怪に襲いかかった。

 

「燃え尽きろ」

 

 それは闇夜を照らす大きなかがり火となった。




8月いっぱい暑いらしいですね
げっそりです


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第9話 酔いと夢

 布都の帰宅はそれなりに騒ぎになった。

 

「な、何奴!」

 

 布都の聞いた第一声はそれであった。

 家を出てからどれだけの日が経ったであろう。もう分からない。

 半ば予想していた通りになり、布都は少しつまらなかった。

 

 敷地の入り口に立っていた門番は、布都の姿を遠い位置から一体何者かと怪しぶんでいた。やがて近づき姿がよく見えるようになってくると、全身に強張った。何だかよく分からないもの。人とするには何か違くて、でも妖怪とするにも違う。

 ゆえに、何者か問うたわけであるが。

 

「いつから我が家に帰るに名乗らなければならなくなったのだ?」

 

 面倒そうに首を傾ける少女。

 灰色の髪が揺れる。

 そんな髪色の人間は記憶にない。が、引っかかりはあった。

 

「……名をお教えください」

 

 もしや、そんな感覚が。

 見覚えがあるが、見覚えのない容姿。

 もしや。

 

「物部布都。よもや忘れたわけではあるまい?」

 

 門番は身を超え精神までも硬直した。名前を聞いた瞬間、理解が頭に叩きつけられた。

 

「し、しばしっ――」

 

 門番は大慌てで、中へ消えていった。

 布都は待たない。構わず進み入る。

 辺りを見渡すも、久しぶりの物部の居館は、特に変わりがなかった。

 とりあえず寝るかと、館の内部に入ろうとすると、あわただしい音が近づいてきた。

 

「ふ、布都!? 真か? お、お前はっ――」

 

 久しぶりに見る父は、動揺一色だった。

 

「しばしの旅より今戻りました。少々疲れたので、休もうと思います」

 

 相手をおもんばかることのない様。間違いなく記憶の中にある物部布都であった。

 

「いや、待て。――その、あれだ」

 

 父、尾輿は何と言えばいいか分からなかった。

 今までどこに行っていたのだと叱ればいいのか。もしくは、ぼろぼろの姿から身を案じればいいのか。それか、明らかな変化である髪の色について問えばいいのか。

 だが、言葉が喉で詰まった。

 どこへ行っていようと、帰ってきたのだから良いとしたかった。変につついて戻ってこなくなるよりかははるかに。

 ぼろぼろであるからといって慰めるような言葉はそぐわないと思った。瞳にはまったく悲愴の色はなく、むしろその逆だった。それによく見ると、服がぼろけているだけで、怪我をしているようには見えなかった。それに何より血が染みているようだったが赤だけでなく緑や青などの色があり、聞くに聞けなかった。

 いやしかし、それでも髪の色くらいは。

 尾輿は唾を飲み込み、怯みを腹に抑え込んだ。

 

「その髪はどうしたのだ」

 

 できるだけ平静に装えるよう、気から絞り出した言葉だったが。

 

「気づいていたらこうなっていました」

 

 布都に簡単に返されてしまった。

 となれば、

 

「そ、そうか」

 

 と返す以外の選択が出てこなかった。

 布都は視線の集中する中、ゆうゆうと自室まで歩いた。

 

 

 

 しばらく自室でぼんやり休んでいると、夕食の準備が出来たと家人が知らせに来た。

 部屋に差し込む日は赤かった。

 時の速さに布都は驚いた。

 思いのほか気が抜けていたようである。

 

 ――いや、どうだろうか。

 

 そのつもりはなくとも、気を張り続けていたのかもしれない。それが、家に帰ったことで緩んだ。

 布都はなんだか複雑な気分になった。

 

 ――結局は人の子か。

 

 布都は部屋を出た。

 出ると、すぐそこで家人が待っていた。

 

「ご案内いたします」

 

 伝わって来た雰囲気に苦笑いする。

 

「別に逃げはしない」

「は?――」

 

 まるで囚人を逃がさないように連行する兵のようで。

 目を丸くした家人を面白がりながら、布都は先をうながした。

 

「ほれ、さっさと案内せんか」

 

 我に返った家人は先行し始めた。

 少しだけ歩いた先、人がいた。

 

「――これは姉上、お久しぶりでござまいす」

 

 布都は固まった。

 記憶を巡る。

 

 ――誰だったか?

 

 眉を寄せた時、直感が働いた。

 わざと鈍らせておいた感覚を澄ませる。

 結構な力を感じた。

 

 ――"弟"だったな。

 

「――あぁ、元気であったか?」

「はい、力に目覚めてから、ずっと体の調子がよいのです」

「それは結構」

 

 布都は歩みを再開しようとした。

 が。

 

「――待ってください」

 

 面倒、そう思った。

 

「……なんじゃ」

 

 弟の顔は真剣そのもので。

 

「……その髪の色は、修練の証なのでしょうか」

 

 なんとなく読めてきた。

 

「いや、まったく」

「……そうですか。でしたら何故そのように?」

「気づいたらなってたにすぎん。お主がいくら修行して力をつけようと、こうなりはせんであろう」

「……そうですか」

 

 嘘は言っていないつもりだった。

 ただ、何となく分かった。そしてそれはこれから確証を得るのだろうと。

 その確証を得る元になろう者は先に席について待っていた。

 部屋に入った布都にまず一声。

 

「おう、やっと来たか」

 

 父、尾輿である。

 食事が進み、酒が進む。

 次第に理性が溶け、抑えていたものが出てくる。

 

「布都、お前は一体何をしていたのだ?」

「何も、父上が気にするようなことは」

「しかし、お前の身に着けていた服には到底人間のものとは思えぬ染み、おそらく血がついていたのだが、それについてはどう説明するというのだ?」

 

 虚実は混ぜる方が効果は高い。布都は戦闘の経験からそれを知っていた。

 

「妖怪のでしょうね」

「とすれば、お前は妖怪を退治しまわっていたのか? であれば、力は相当なものとなっているのではないか?」

「まさか。買いかぶりすぎです。たまたま遭遇した妖怪と戦闘になったにすぎません。第一、物部には優秀な者がたくさんいるでしょう? しかも、稀有なる存在も」

 

 布都は尾輿にも分かるように、"弟"を見た。

 尾輿は鼻を鳴らす。

 酒気が部屋に飛ぶ。

 

「確かにそうであるが、――問題はお前だ、布都」

「はて?」

「何故、力を見せん? わしは確信しているのだ。お前はきっと今まで類を見ないほどの力があると」

「ですから買いかぶりすぎだと」

「いや、そんなことない。そもそもお前は一体何がしたいのだ。匹夫のごとく、目標、もしくは目的無しに生きてるのではあるまい?」

「父上の言う、目的や目標というのはどういったものでしょうか?」

「人生を冠するようなものだ。例えるなら世界一の剣の使い手になるとか、一族の繁栄を築くとかそういうものだ。あるだろう? お前にも」

「……雑魚妖怪倒すだけで精一杯な身では、とてもとても」

「雑魚? 妖怪に雑魚という呼称使うだけでも相当なものだろう?」

 

 布都は内で舌打ちした。

 感覚のズレが出た。

 布都にとっては雑魚妖怪は本当に雑魚で、その雑魚定義はおよそ人の定義と比べるとおそろしく広大なものになっている。

 

「物部を前にしてはいかなるものも"雑魚"でしょう?」

「ふん。それは確かにそうだがな」

 

 布都は話題を逸らし、酒に酔った尾輿はそれにまんまと乗った。

 しかし、それはそれで面倒になった。

 

「だが、わしはさらに上を望む」

「……上とは?」

「今、物部の横には蘇我がいる。その上には天皇がいる。だが、そもそも天皇の始まりは何だったか。その当時一番力の強かった一族にすぎないではないか。だからまずは蘇我を下し、天皇に迫る。とはいえ天皇の座をとなれば上手くいかないのは分かっておる。だがそれでも、実質的に天皇より上の権力を手に入れることが出来ると思うのだ。そして、それには他の追従を許さない絶対的な力が必要だ。――そこでお前だ、布都。お前ならばそれが可能ではいかと――」

「飲みすぎですよ父上。そのような大言壮語酔ったからといって言うものではありませんよ。上どころか、下も横も、その全てがなくなってしまいます」

「物部は滅びぬ。我が一族には天啓が下っている」

「はて?」

「我が子たちはどれもが優秀という域を超えている。通常こんなことはない。これは間違いなく、天地におわす神々が我が一族に与えた恩恵であろう。外からこの大地の汚すものを持ち込む蘇我を祓わんとする神の意思であろう」

 

 ――お前の意思だろう? 

 

 布都は口にはしなかった。

 もっと言えば、何故物部のために使われてやらねばならないのかという思いもあった。もし力というもの、もしくは才能、それが神によって与えられたのだとしたら、与えられたのは当人であり、その才をどう使うかは当人が決めるべきであると。それが何故、自己の所有物として扱っているのだ。己の所有者は己のみ。布都の中に、強く確かな思いが芽を出した。

 布都は遠回しに反意を口にする。

 

「では父上は神に使えなければなりませんな」

「何を言うか当然であろう」

「それはすごい」

 

 ――神の意思を推し量ることが出来るのであれば。

 

 父には分からないように鼻で笑うと、布都は立ち上がった。

 

「――では、そろそろ部屋に戻ります。この後は兄上たちと存分に語らいませ」

 

 人に運命を決められることが不快だった。

 目的も目標も、そのほとんどが人の中で決める上下によるもの。剣士に成りたいというのであれば、人より剣が上手く扱えるようにすること。家の繁栄も、他の家と比べての差を広げること。

 血に酔うこと以外に楽しみを覚えたことがないのに、どうやって目標なるものを持てというのか。

 食って寝て、食って寝て。それだけじゃないか。

 布都はすさぶ心に眉を寄せながら、自室まで戻り、すぐに床についた。

 

 ……世界が白くぼやけていく。




次で0話の最後まで時系列が戻ります






ケロちゃんとか加奈子様とかおっきーなとかを一気に出そうと画策中。
多分20話目とかそこらになりそうだけれども……


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第10話 空気

 布都は足を止めた。

 記憶に溶けていた自己が浮かび上がった。

 

「……いくらなんでも浸りすぎたな」

 

 自嘲する。

 気持ちよく歩いているうちに、昔のことを思い返えしすぎた。

 思えばそれからどれだけの年月が経ったことだろうか。

 夜風が頬に当たり、熱をさらっていく。

 

「ここしばらくで、さらに鬱陶しくなってきたものだ」

 

 物部と蘇我の確執が深まり、一族内の空気も変わってきた。変化というよりは、進んだという方が適している。分かりやすくいうと、以前からあった空気が濃くなってきていた。

 この空気とやらがやっかいだった。

 どうにも人間というのは空気というものに影響されやすいらしい。そもそも、この空気とやらがどうにも判断しづらいもので、確かな形でこういうものであるとは出来ない。吸って吐くのも空気で、感じる雰囲気もまた空気。人と同じ空気を吸い、同じものを吐く。そうでなければ気にくわない。同じものを感じなければ、同じように表さなければ。人は追われるように従い、また追い回す。個が顔を出せば出す程に、息が苦しくなってくる。人は空気を所有し、同時に所有されている。

 物部に満ちる空気。

 あれやこれやと期待する視線が布都に向かってくる。また、口で遠回しにほのめかすような事もあった。

 一人、部屋に閉じこもっていても、ここまでくるとその空気というものを常に感じてしまう。

 布都は息が詰まりそうだった。

 しかし無理もない。布都も理解はしていた。

 布都の姿は童女のような見た目であるが、この時代である。とっくに子どもがいてもいい歳である。

 もともと成長の遅かった体が、あの髪の色が変わった時あたりから身体の成長というか、変化というか、とにかくそういったものが無くなっていた。

 しかし時が経過することは変わらない。

 周りの人間が布都に期待することは、単純明快であった。

 物部の家のために働けということ。

 力を使え。そして子を産め。血を濃くしろ。その力を次に繋げ。

 それを直接布都に言わないのは、現在実権を握っている布都の兄の守屋が何も言わないからだった。しかし、それでも周りから伝わる空気がそれを強く訴えており、布都は――本当に鬱陶しくて堪らなかった。

 

「期待されれば応えねばならんのか。力があれば使わなければならないのか」

 

 期待しているから、と。貴方には力があるから、と。要は自分の為に人を使おうとする根性が気にくわなかった。人に従うことに慣れた人間は、人を従わそうとするものらしい。そう思わざるを得なかった。自分は低い位置にいるから、高い位置にいる恵まれている人間は謙虚に低い位置にいる者の願いを叶えねばいけない。だからと、はっきりと見下せば腹を立てる。視線の位置を合わせれば、それは偽りだと文句を言う。

 

「っち」

 

 布都の歩みが速くなる。

 それはいつのまにか、地を蹴り、低い跳躍を繰り返すようになった。

 

 ――当たれ。

 

 おそらく当たらないことくらいは分かってる。山に入り、妖怪を探すだけ。どうせ見つけても、雑魚。それでも、妖怪と戯れている間は人の俗世の鬱陶しさを少し忘れさせてくれる。だが、それでも――。

 

「……つまらん。もう終わりか」

 

 山に入り、茂みに分け入った所で、珍しくすぐに見つけることが出来た。が、腕を一振り。終わり。もう少し楽しめばよかったと思うも、思考が動く前に身体が動いてしまった。

 

「もう少し探すか」

 

 布都は森の奥深くを目指した。

 そもそも布都の住んでいる周りでは妖怪が少ない。それはもちろん人間が団結して開拓した結果であるが、それでもここ最近では妖怪を目撃することさえもまれになってきた。山に入っても中々見ること無くなったことに、逆に恐怖を覚える者もいるくらいだった。

 犯人は布都。面白いことはないかなと、暇つぶし感覚で周囲をぐるり、狩ってまわった。あんまり狩ってまわるものだから、もう遠くまで足を運ばなければならなくなってきた。それについて、なんだか面倒になったと、布都は腹を立てている。とんでもないことである。

 というような状況であれば、いきなり妖怪を見つけて喜びのあまりに思わず即座に狩ってしまっても仕方のないことかもしれない。いや分からない。

 そんなわけで、妖怪探しに森深くまで行ったが、収穫は無かった。珍しくすぐに見つかったから期待した布都は口をすぼめた。

 生存というものを考えると、危機を察知する能力がない者から死んでいくものである。多少の知恵、もしくは本能的な何か、そのようなものがあれば近づかない所というものがあるはずで、妖怪にとってのそれが布都の出没範囲であったということ。なんというか布都に見つかったのが悪い。

 

 

 

 そんな不毛な探索は終わりを見せた。

 夜明け。

 飽きたしちょうどいいと帰ることにした。人の足であれば何日かかるであろうか分からない距離。それを地を跳ぶように駆けていく。

 日が昇りきる前には、物部の居館にまでついてしまった。

 

「今、お帰りですか」

 

 門番が何とも言えない顔をして出迎える。

 

「朝、いや昼帰りというやつか。何か問題があるか?」

「――いえ」

 

 誰に指図をするつもりだと、暗に言った。

 門番にしてみれば、立場もあって何も言えない。

 布都は中へ入っていく。

 

「はふ――」

 

 あくび。

 いい具合に眠気が来ている。

 昇りゆく日を浴びるのはなんとも眠気を誘うものだった。

 

 起きると、すでに日が傾いていた。

 用意されていた夕食を食べると、布都は居館の外に出た。

 家人のことごとくが鬱陶しい視線をぶつけてくるので、居づらくて仕方ない。いつもこの調子なので、布都が居館にいる時間はどんどん減っていっていた。気晴らしの妖怪狩りも狩りすぎて思わしくなく、つまらない日々を送っている。

 落ち着くところがない。

 都などに足を運べば、大注目を浴び、あっちでひそひそ、こっちでひそひそと、やはり鬱陶しかった。気にしないようにしようとしても、優れた認識機能が働いてしまいどうにもならなかった。結局はいつも山野でぼんやりしているだけ。だがそれも最近は飽きてきた。布都は人が好きではないが、嫌いというわけでもない。分かったのは、独りでいてもつまらないということ。だが、一緒に居てもいいと思えるような人間なんてほぼいなかった。だが、思い浮かばないわけでは無かった。ただ、一緒に居たいとまでは思えない。もっというと、一緒にいて苦痛ではないが幸福を感じるだろうと思える者がいない。

 

 ――しかし、それでも。

 

 今よりマシになるやもしれない。

 少なくとも、変な期待を込めて遠巻きにされるよりは、明確に避けてくれた方がいいかもしれない。

 そう考えると、布都はそれを達成するための方法を考えた。

 それは、

 

「物部の我が、蘇我に入り浸る方法はないものか」

 

 あり得ないものだった。

 それも物部布都。布都のことをたいして知らない者でも、妖怪を相手しても苦にしない力の持ち主、といった程度であれば知っている。

 

「うーむ」

 

 良い考えが思い浮かばないまま、月日が過ぎていく。

 

 家にいる以上、回避できない行事というものがある。

 布都は自分の意思ではない遠出に付き合わなければならなくなった。




時系列がようやく0話まで来たので、時が進んでいきます


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第11話 海

 日差しが直に照り付ける。

 さえぎるものがなく、青々とした視界。

 空はまさしく快晴。

 空の下には海が広がっていた。

 風が吹くと、髪が羽ばたく。

 風からは海の香り。どれほど遠くから来たのだろうか。

 天と地の青。視界の遠くの遠く、ずっと向こうで境界が溶け混じっていた。

 海というのは知識よりずっと広くかった。大いなる自然に、布都から自然な笑みが現れる。

 人は海を前にすると心が広がるらしい。

 絶大に広がるパノラマ。半円の世界に、ぽつんと人形のように一人立っているような感覚を覚えた。想像の上で、鳥よりもずっと上から見下ろしてみれば、自分という存在が小さく見えてくる。人という小さな粒。どこまでいっても個と個。

 布都は心地よかった。

 潮風に浸り、目を閉じる。

 暗闇の中、広がっていきそうな自己を押しとどめずに、自由にさせる。鼻腔に香る潮の気がそれを後押しさせる。

 それはどこまでも飛んでいきたくなるような――。

 

「この先には大陸があるらしい」

 

 布都は現実に戻った。

 目を開ければ、横には兄の守屋がいた。

 

「多種多様な人が住み、多種多様な文化あるという」

 

 その視線の伸びる先は、ずっと遠く、地平線を超えていた。

 

「技術を取り入れることは国のは発展になる。――だが、その思想、宗教までも取り入れるというのはどうだろうか」

 

 布都は守屋の視線を感じた。

 

「この国に住まう人たちがみな全て、海の向こうの人間と同じ思想を持ってしまえば、戦わずして屈するようなもの。それは海を隔てただけの属国となにが違うのか」

 

 布都は黙って聞いている。

 

「我らは大陸から伝わってきた建築技術や稲作などを活用していることには違いないだろう。だが、決してただ真似をしているだけではない。我は我らでそれらを基に発展させ、独自の文化を作っている。しかし、そこに思想や宗教までも取り入れてしまえば、きっとそれは我らの発展から独自という言葉を取り除くことになる。布都、――お前はどう見る?」

 

 受ける視線が強くなった。

 潮風を受ける布都の出した答えは、視界に広がる光景のように簡素だった。

 

「強いものが勝ち、弱いものが負ける。それだけでしょう」

 

 技術も思想もなにもかも。何が強いか、違いはそれだけだと。

 

「きっと海の向こうでも同じでしょう。そこで勝ち残ってきたものが、ここへとたどり着いた。そしてこの地でも同じように勝った方が生き残り、負ければ絶える」

 

 波が打ち、砂浜へと到る。

 到ると、戻る。

 戻っては行き、戻っては行き。繰り返す。

 

「だからこの遠征も同じ。弱ければ、負ける。強ければ勝ち、物部の土地が増える」

 

 布都は海に向かって足を進めた。

 水気を多く含んだ砂を踏むと、くぐもった音がした。

 

 

 

 

 この場にいるのは布都と守屋の二人ではなかった。物部の氏族の、特に戦闘が可能な者たちが多くいる。森を越え、山を越え、妖怪を駆逐し、ヤマト王朝の勢力範囲を拡大する。そんな名目で、各地に平定せんと、物部だけでなく他の氏族までもが各地に向かっている。

 それには周囲の妖怪が少なくなったという現象が要因となっている。まさかどこぞの物部の姫が退屈まぎれに狩りまわっていたなんてことは誰も知らない。

 朝廷が出した布告は魅力的だった。

 征服した土地の分だけ租税を増やすが、土地は好きにしてもいいというもの。

 魅力的すぎて喜び勇み我先にと様々な豪族が向かったが、そのことごとくは苦いものとなった。そもそも妖怪を払うなど、相当な労力を必要とするうえ、犠牲も多く出た。そうやってやっとのことで得た土地も、維持するというのがまた大変だった。まず、人がいる。その分の食糧がいる。雨風を避ける建物もいる。これでは到底、氏族に利益をもたらすようなことは出来なかった。なんとか成し遂げた氏族も、朝廷からその上がりをもっていかれ、元を取るまでどれだけかかることか分からないといった始末。

 こんな困難極まりないことそのうち誰も見向きもしなくなるだろう。――といったところで物部が出てきた。

 対妖怪の専門で、多くの人間を動員することが出来て、かつ広大な領地による食糧もある。まるで物部のためにあるような布告。

 それもそのはず、朝廷の大連という位にいる物部が、朝廷でうまいことやって出させたものである。

 というわけの遠征の道中で、海辺にいる。

 大陸の向こうの国と親交があるように、人は海を渡ることが出来た。

 海を渡るというのは当然大きな危険がともなうものだったが、遠くの山を超える方が危険だったりした。その危険の度合いは簡単に妖怪の遭遇率で、海より山の方が妖怪に遭遇することが多い。ただそれだけ。食事的な意味合いで人を好む妖怪は、やはり人の近くに集まるらしく、人の生活圏の近くに潜んでいた。

 

 ――遠くに行ってしまいたい。

 

 どこまでも広がる青々とした空間を見ていると、布都はそんなことを思った。

 ここではないどこか。

 地理的なものではなく。

 

 ――消え入るかのような遠くにまで。

 

 空には鳥が遊んでいる。

 二羽、三羽、くるりくるりと楽しそうに。

 しばらく見ていた。が――。

 

 ――飽いたわ。

 

 鼻を鳴らし途中で切り上げ、海に背を向けようとした。

 その時だった。

 海に、海の中に、混じり気を感じた。

 

 ――おや?

 

 それは、海面から静かに、しかし速く出てきた。

 布都はただ眺めている。

 触手。

 足首に巻き付く。

 巻き付いた触手は引っ張ってきた。

 抵抗はしない。

 そのまま引っ張られたのち、布都の身体は空中へと舞い上がった。

 

 

 

 周りが一斉にざわめき起った。

 人が謎の何かに掴まれ空中へと引き上げられている。それもよく見ると、掴まれているのは物部布都。

 これはまずいと皆一斉に武器を取るも、布都の場所はすでに海の上空。

 どうしたものかと、皆が二の足を踏む。

 そんな時、海へと走り寄る影があった。

 その疾駆は常人のものではなく、一気に詰め寄った。

 手に持つ槍は青白い光を帯びており、振るうと光刃が飛んだ。

 光刃は海面を飛び、布都に巻き付いている触手を下の方から寸断した。

 

「おお」

 

 感嘆の声が上がる。

 遅れてどぼんと海から音がした。

 

「姉上、無事ですか!」

 

 海から上がってきた布都にそう言った。

 

「ああ――」

 

 布都は満足、とはいかないまでも内心で笑っていた。

 海からその気を感じたとき、すぐさま自分を狙ってきていることは分かった。そしてその自身の理解から遅れて出てきた触手に対して、何かしようという気にならなかった。どうしてそう思ったのかはその時には分からなかったが、そのあとすぐに分かった。

 空中にまで引き上げられ、自身に注目が集まった時、『あぁ、なるほど』と自分で納得した。揺れる視界の中で、布都は見逃さなかった。

 とにかく、布都は助けられた形になった。それも布都のあとに出てきた力のある物部の子。布都は新旧の交代をしたかった。何故かなかなか覆らない評価を変えようとした。

 それゆえ、足に巻き付いた触手が断ち切られた時も、何もせずに海に落ちた。印象を変えたかった。

 海に落ちたら落ちたで、触手がまた布都に飛びついてきたきたが、海中で見えないだろうと寄ってきた触手を掴むと力を流し込むと、逃げていった。

 魅力的な食事がこうぞろぞろと揃っていては、人を好んで食べるわけでもない妖怪もさすがに眼が眩んだのかもしれない。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 騒ぎの後、海から離れることになった。

 父の尾輿がやってくる。

 歩きながら話す。

 

「布都、無事か?」

「えぇ、なんとも」

 

 短く返す布都。

 

「……なら、よいが」

 

 とは言いつつも、尾輿は布都を注意深く見た。

 見る分には確かにどうにもない。全身濡れていること以外は変化はない。

 

「とにかく大事をとることだ。今日は早めに休むことにしよう」

「お気遣いは結構です。幸い、優秀な弟が働いてくれましたので」

「うむ。あとで礼を言っておけ」

「はい」

 

 父との会話はそれで終わった。

 それから夕暮れまで歩くと、野営の準備が始まった。

 あちこちにかがり火が焚かれ、辺りを照らす。

 少しだけ離れた位置で立っている布都に、守屋が近づいてきた。

 

「大丈夫そうだな」

「おや、心配していたので?」

「当然だろう。妹を心配することがおかしいか?」

「どうでしょう」

 

 布都は相変わらず表情が薄い。

 

「あまり機嫌が良くなさそうだが」

「そう見えますか?」

「ああ」

「では、危ない目にあったからでしょう」

 

 守屋は鼻で笑った。

 

「馬鹿を言え。あの時、お前の表情は平静そのものだった」

「焦りで顔も変えれなかったのでしょう」

「分からん。思い通りにいったのだろう? 何故、機嫌が悪い?」

「何故、そう思われる? そも、その機嫌が悪いというのは兄上の憶測でしょう? そのうえ思い通りと言われても、何のことだか」

「……分かった。邪魔して悪かった。体はあまり冷やさんようにな」

「お気遣い、ありがとうございます」

 

 去る守屋を見ながら、布都は思った。

 何故、機嫌が悪いのか。

 

 ――それはこっちが聞きたい。

 

 むしゃくしゃしていた。胸糞悪かった。

 

「くそめ」

 

 大体何なのだ。いくらでもいるだろうに、何故自分を狙うのか。いや、それは分かっている。分かってはいるが、いちいちこっちを狙うな。どいつもこいつも――。

 

「ふん」

 

 布都は体を動かした。

 礼を言わなければならない。みんなの前で。

 でなければ意味がない。

 

 

 

 布都が寄ろうと、近づききる前に、向こうが布都を認識した。

 人に囲まれ談笑している。

 引き返したい気持ちを抑え、前に進む。

 

「――あ、姉上。無事ですか?」

「ああ。助けられたな」

「いえ、お役に立てたのであれば嬉しいです」

 

 思えばこいつはどういう人間なのか。布都はそう思った。

 ここでやるべきは、周りの感じるこいつの価値を上げること。

 同時に、この人間はいったいどういう欲があるのか。

 これを知ってこそ、いや知らなければいけない。でなければあのような羞恥を曝した甲斐がない。

 

「これで物部の術士、いや全ての術士においてそなたが一番であることは間違いないのではないか?」

「いや、これはこれは。そのような恐れ多いこと。私は私の出来る範囲でいいのです。この度は私の出来る範囲のことで姉上の役に立てた、それだけで満足なのです」

 

 周囲を囲む人間から声が上がる。

 

「何を言いますか。姫もこうやって認めているのです。あなたがこの世で最高の術士ですよ贄個様」

 

 賛同する声が上がる。

 

「――いえ、そんなことはありません。私など、まだまだ修行中の身。いえ、死ぬその時まで修行中なのかもしれません」

「さすがは――」

 

 布都は目を閉じた。

 

 ――用は果たした。

 

 布都はこの場からさっさと離れようとした。

 

「それでは、我はここで」

「あ、姉上もう行かれますか」

「あぁ、その調子で頑張るといい。活躍を期待しているよ贄個」

「――ありがとうございます」

 

 覚えたての名前を口にして、布都は去った。

 よく分からないが、多少機嫌が直った布都であった。




名前はモデルの人物から一文字漢字を変えただけにしました。



それはそうとようやく気温が下がってきましたね。
ええ、ようやく……。


次は三日後くらいに。


次なる原作キャラの屠自古は14話の登場になりました。
急にコメディ調になりますが、はたして


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第12話 森の森の森

 雲海、樹海、海という言葉はそんなところにも使われる。

 海より離れた物部一向は、森の奥深く、樹海といえるようなところにまで足を踏み入れていた。辺りの景色は木と木と木。道なんてものはなく、進めるところを進んでいく。天までありそうな背の高い木々が太陽をさえぎり、辺りは暗く湿っていた。

 足場には木の根がいたるところに、布のように波打っていた。その間を苔の生えた緑の石ころがごろごろしている。

 木々の海中を進む。

 ずっと歩いていく。

 変わり映えのしない景色。視界を越えたころの輪郭までがぼやけていくような感覚。そのうち自分はどこへ向かっているのかと問いたくなる。

 しかし、物部一向には迷うようなそぶりはない。所々足を止めつつも、淡々と進んでいく。

 術があった。

 山霊の声を聴く。

 それが術。

 別の言葉を使うなら、山と一体になる。

 もっと分かりやすくすると、山の中の気、木や土や岩等からそういうものを感じ、それを印としてアタリをつける。所々止まるのは、術氏が気を感じるため。円になって座り、目を閉じ隣の者と手を拳を合わせる。意識を澄ませてしばらくそうしていると、なんだかぼんやりと感じてくる。

 これもまた物部の秘術の一つだった。

 布都は参加しない。ただ付いてきているだけ。意識はほとんどそこに無い。

 布都は、そう遠くない所から発せられる気の正体についてずっと考えていた。

 

 ――願わくば面白いものを。

 

 初めて感じる気だった。

 ドロッとした何か。へばりついたらもう二度と取れないような。呪詛か、瘴気か。負に偏り過ぎて、思わず身を引いてしまうような、そんな。

 

 ――うぅむ。

 

 嫌いではない。が、好きでもない。

 さっさと見に行ってみるのも手であるが、それだと暇潰しが無くなってしまう。のろのろとした歩みに、まだしばらくは付き合わければならない。

 意識が現実に無い分、木の根はびこるデコボコの地では大変歩きづらかったが、足元に意識を向けると今度は退屈に潰されそうになる。

 救いは、徐々に近づいていること。

 

 ――しかし、どうであろう。凡俗術士どもが気づけば、避けようと道を変えるのではないか?

 

 布都の危惧は的中した。

 

「――これはっ」

 

 まずは贄個だった。

 

「この先には得体の知れない、……それも凶悪なものを感じます」

 

 一行の足が止まる。

 ざわつく。

 

「確証が得たいので、皆さんも探ってみてください」

 

 そうして、術士たちが円陣を組み、意識を研ぎ澄ませ始めた。

 

「――っ」

 

 そして一斉に震えあがった。

 皆口にして言う。

 

「道を変えたほうがいい」

 

 と。

 尾輿も頷いた。

 

「分かった」

「――待ってください」

 

 さえぎったのは守屋。

 

「何だ」

「引き返さないのであれば、実際に目で確かめてみるべきです」

「犠牲が出るかもしれんのにか?」

「元より、そういう旅であったはず。それに、後ろに危険を放置していく方がよほど怖いかと」

「うむ、たしかにそうだが」

「――我らには優秀な術士がいるはず」

 

 守屋はそこまで言うと、尾輿に寄って、耳元で囁いた。

 効果的だった。

 尾輿は一行の顔を見渡すと、

 

「――行こう。大厄をなすものならば、いずれ知ることになる。早めに知っておいた方がいいかもしれん」

 

 と言った。

 皆頷いた。

 

 ――さて、何と言ったのやら。

 

 布都は鼻を鳴らした。

 どうやら上手くいっているらしい。いや、協力してくれるらしい。

 その訳は分からないが、とにかくこれでいい。気分は晴れないが、いいとするしか他に思いつかなかった。

 

「では僕が――」

 

 贄個が前に進み出て、先導を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 行くこと数分。

 ただならない雰囲気。誰もが感じた。

 術士にはその方向まで。

 贄子にはその存在まで。

 布都には――。

 

 ――まずそうだな。

 

 人間の五味で例えるなら、ひどく苦く、それでいて酸っぱい。その上、臭い。大外れを盛大に引いた気分になった。

 唾液が引っ込む。

 なんでこんな所にまで来たんだろうかと、いまさらの問いが布都の中に浮かぶ。まったく楽しくない。義務感しかないこれまでの行程。一体何なのだと。どうしてこんなつまらないものに付き合わせれられなければいけないのかと。

 足は動いている。それは、やがて視認可能な距離にまで――。

 周囲から声が上がる。

 

「な、なんだあれはっ」

 

 人、――ではない。だが二足歩行の、人が着るような服の、イノシシ頭の――。腕には剛毛が生え茂り、先には岩をも砕きそうな大きなヒズメが。

 妖怪。

 その言葉が即座には頭に出てこなかった。

 出てきた後も、何故かしっくりとこなかった。

 が、今はそれどころではない。

 対象はこちらを向いているようだが、見ているようには思えない。といか敵意を感じられない。

 皆顔を見合わせる。

 どうするべきか。

 先頭をきった者がいた。

 

「やりましょう」

 

 言うやいなや、贄個は走った。

 腰にさげた剣に手をかけ、振り抜く。剣先が空で弧を描き、その軌跡が光を帯びる。

 それは光刃となって、正体不明の妖怪のようなものへと飛んでいった。

 速度、鋭さともに充分。――と思われたが、肉を切り裂く前、触れた瞬間に弾かれ四散した。

 

「――ならばっ」

 

 贄個の足は止まらない。

 さらに駆け、化け物のそばまで詰め寄る。

 剣が光り、音が出そうなまでに輝く。

 一閃。

 直接斬った。

 胴体が上下に割かれる。

 贄個は後ろへ退がり距離を取る。

 

「よくぞ!」

 

 歓声が周りから上がるが、贄個の表情は緩まない。

 手ごたえはあった。が、どこか妙だった。

 上手く言えない何かがあった。

 ただ斬っただけ。そんな、感覚。

 して、それは当たった。

 その光景は――。

 

「み、見よ!」

 

 歓声が別のものに変化した。

 真っ二つになった化け物。その割かれたところから、タコの触手のようなものが生える。そして、その触手同士が絡み合い引き合う。

 胴がくっついた。

 贄個は強く言った。

 

「火だ!」

 

 その言葉に呼応し、術士は皆一斉に力を練る。

 

「今です!」

 

 贄個は合図を出した。

 牛ほどの大きさの火球が飛び出す。

 贄個は自らも火球を作り、火球を合体させた。

 それにより倍以上に膨れ上がった火球は、化け物を飲み込んだ。

 熱が溢れる。

 風をともない、肌に当たる。

 火が去ると、真っ黒になった化け物が変わらず立っていた。

 焦げ臭い。

 

「や、やったのか?」

 

 誰かがそう呟く。

 

「そうなんじゃないか?」

 

 おそるおそる、数人近寄る。

 火に飲まれ真っ黒になって動かない様は、死んでいると思えた。

 だが、贄個には妙な感じがあった。まるで初めから何も変わってないような、そんな感じ。

 あの化け物が反応を見せたのは、胴を斬られた時のみ。自己修復のために動いた。もし、あれが生きているとして、黒焦げの状態から修復としたらいったいどうするのだろうか。それはもう、体を入れ替えるようなこと。しかしそんな事が可能だとは到底思えない。実際に似たようなことをする生物といえば、サナギからかえる蝶や蛾のような――。

 勘だった。

 例えばあの剛皮がサナギのような、もしくは防御のための殻のようなものであったとしたら。一度見せたあの触手のようなものが本体であったとしたら。

 まずい。

 

「――待ってください!」

 

 意識が、逸れる。

 

「え?」

 

 化け物から、無数の触手が伸びる。硬い殻を突き破ったそれは、真っ黒のイソギンチャクのよう。

 伸びた触手は、近寄っていた数人を瞬く間に貫いた。

 貫かれた人間の皮膚が、その箇所から黒く変色していき。

 叫び声すらロクに上げれずに、地に倒れた。

 皆、総毛立つ。

 そんな中、始めからずっと平静でいた者がいた。

 くすんだ水色の瞳に、多少の好奇心が宿っていた。

 前へ。一つ飛び、腕を振った。

 鍛え抜かれた刀剣のような鋭さ。光の刃が、空間を裂いていく。そのまま障害物など無かったかのように、化け物の頭部を寸断した。

 

「おい、布都っ――」

 

 近くにいた尾輿が、咎めるような声を出した。

 布都は意に介さない。

 布都は化け物を見ている。

 あまりに綺麗に斬られすぎて、まだ乗っかったままの頭部。動こうとしてようやく落ちる。

 

 ――ウスノロめ。

 

 動きも、敵意を解するのも、何もかも。全て。

 反応するしか能がないのか。

 

「くくっ」

 

 それでもせっかくの暇つぶし。

 可能である全てで持って楽しませるがいい。 

 

 ――生存本能くらいはあるのだろう?

 

 斬られたら戻るように、火を浴びれば抵抗したように。

 

「さっさと来い」

 

 黒い触手が伸びてくる。蛇行しながらゆっくり。

 と、急に加速。

 布都は身をよじり、かわす。

 さらに数本、伸びてくる。

 それもかわす。

 倍数伸びてくる。

 腕を振り、全て切断しきる。

 幾度か繰り返す。

 

 ――埒があかん。

 

 布都は地を蹴った。

 大きく前へ出る。

 一飛びで本体まで迫らんとするほどの跳躍。

 迎撃に伸びてくる触手。

 最中。

 腕を一振り。複数の刃が生まれ、空間を狂い舞う。

 伸びてきた触手は全て切り刻まれ地に落ちる。

 跳躍する布都の下には、今まで切り落としてきた触手が落ちている。

 布都の視界、下の下、ぎりぎり映った。

 バラバラになっていた触手たちが互いに重なり合っていく様。やがて大きな球体となった。

 布都は化け物の本体とその球体の間に降り立った。

 着地した布都の耳に、何かが破裂したような音が飛び込んでくる。

 確かめる前に、回避行動に移る。

 地を蹴り、跳ぶ。

 その間、身をねじり後ろを見る。

 球体から太い針のような触手が飛んで来ていた。

 切り裂く――、手段は取れない。

 伸びてきたわけでなく、切り離され飛んできている。斬ったところであまり意味はなさない。

 手を前につき出す布都。すると、霊力で作られた薄い水色の壁が現れる。

 触手が壁にぶつかると、はじけた。

 が、その間、その奥で先ほどの球体が膨張しているのが見えた。

 大きく、大きく、膨れ上がった、――かと思えば急に凝縮したかのように縮こまる。

 して、手榴弾のように破裂した。

 当たれば体が黒く変色し、即座に死に至る。そんなものが放射状に飛散される。

 それは布都だけでない。離れた位置にいる者たちも同様。しかし距離があるため、被害は抑えられる。近距離にいる布都は、避ける事はかなわない。布都は壁を持続させ、致死針の飛来に備える。

 挟まれている布都が、片方に専念すれば当然もう片方がその隙を狙う。

 布都も警戒を怠ってはいない。

 背から迫ってきた触手に気づいた。

 空いた手をつき出し、霊力の壁を作った。

 壁にぶつかった触手ははじかれる。

 両面に壁をはったおかげで、布都は無傷だった。

 が、それでも防戦一方。

 とにかく位置が悪い。

 

 ――どうする。

 

 とりあえず一度敵の攻撃が止まるのを待つか、それとも壁を全身を包むように

広げるか。

 そうしている間に、敵の攻撃が止んだ。

 本体から切り離された方がやせたように小さくなっていた。

 周辺に散る触手の肉片はない。

 次はない。

 そう見た布都が、本体を見据え、どう殺してやろうか思案し始めた時。

 本体から伸びる触手の一部が地中へ入ってるのが見えた。

 布都ははっとした。

 同時。

 地中から布都に向かって触手が伸びてくる。

 一瞬の硬直を、気力で振り払い、体に指令する。

 足に力を入れ、後ろに飛ぶ。

 同時に身をよじる。

 かわした。

 着地の寸前。

 触手は急激に曲がった。

 

「っぐ」

 

 触手は布都の肩口を貫いた。

 ぞわりと、何かが這いまわるような感覚が布都を襲う。

 力を集め、肩口へと集中させる。

 触手が消えた。

 

 ――いつ以来のことか。

 

 思えば、敵の攻撃をまともに受けたのをは久しぶりのことで。

 

 ――悪くない。

 

 笑みがこぼれる布都。

 そんな中、身体全体が脈打った。

 布都の動きが止まる。

 目の端に黒いものが映る。

 瘴気。

 腕。皮膚の上。煙のように広がっていた。

 

 ――これは。

 

 再度、霊力を肩口に向けて集める。

 黒煙が苦しむように揺らでいく。

 だんだん押し込められ、傷口まで押されていく。

 が、途中で止まった。

 凝縮した瘴気と霊力とで拮抗している。

 

「っち」

 

 布都は力を解放した。

 いつもは体の奥深くに隠していたそれ。

 通常状態とは比にもならないほどのそれ。

 霊力と、妖力。

 妖力が瘴気と混ざり合い、霊力が包み込む。

 抑えてたものを解放し、布都は高揚感に包まれた。

 吐く息が心地良い。

 

 ――さて、どうしてやろうか。

 

 殺す算段を気分良く考える。

 布都は輪郭のぼやけた瞳で化け物を見ようとした。

 

「ん?」

 

 そこには何もいなかった。

 気を追うと、離れていっていることが分かった。

 逃げたらしい。

 これから楽しもうというところだというのに逃げられた。

 

 ――つまらん。

 

 世界は優しくない。肩透かしもいいところである。布都の眉間にしわが寄る。

 

「あ、姉上、無事ですか?」

 

 何か寄ってきた。

 

「あ?」

 

 ――そういえばこいつ……。

 

 布都の目が愉悦で細まる。

 

「――いっ」

 

 後退るのが見えた。

 ため息が出た。

 

「はぁ」

 

 色々台無し。

 ここまで上手くいかないものとは。

 もうどうにでもなれ。

 布都はこれでもかなり我慢している。つもりだった。



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第13話 転機

 物部の一行はあの化け物との遭遇後、すぐに退却を決めた。

 未知とは怖いものである。

 脱落者も確かに出たが、物資もまだある中で退却を決めたのはこの先の未知を恐れたからである。その恐怖の未知は、近くにもいた。

 物部布都。

 周りから見た布都の戦闘は、あきらかに人の戦う様ではなかった。

 味方ではあるがどうなんだろうか、と。そう思わせるほどの異質さが布都にはあった。

 物部一行の中で、布都の周囲には行くときより間が空いている。その中でももっとも遠くにいるのが弟の贄個だった。贄個はあの時の布都の瞳をまともに見ている。あれは人の目ではない。そう思わざるにはいられないような、恐怖を通り越して畏怖に達しそうなほどの差を感じた。贄個は自身の能力に自負があった。自分より強く、そして上手く力を扱える者を見たことが無かった。そしてその可能性があるとしたら、姉の布都だと思っていた。だが、あの時に見たものは期待していたものとは程遠い、いや――近いとか遠いですらでなかった。まるで道そのものが違うようなもので。なまじ力がある分、布都のそれを周りの人間より、深く感じてしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 家に帰った後も、布都に対する周りのよそよそしさはあったし、また強まった。

 布都はずっと考えている。

 放って置いてくれるようになったのはいいが、前より居づらくなった現状。

 どうやってこの居心地の悪さから解放されようか。

 

「罰というなら、甘んじて受け入れよう」

 

 罪の意識などないのにそんなことを言ってみる。

 罰も受ける気などさらさらない。ついでに言えば、被害者のつもりも加害者のつもりもない。意味のない言葉遊びを一人でやらなきゃいけないほどに暇だった。

 自分一人しかいない自室でくるくる回ってみたりする。

 意味はない。

 が、意味があるというのは何であろうか。何に対して意味があるというのだろうか。人生というものに意味が見出せない布都にとっては、全てにあてはまることである。部屋で無意味にくるくるするのも、飯を食うのも人と話すのも何も変わらない。

 

 ――楽しめるか否か。

 

 今が楽しくない分、強くそう思った。

 意味の有無はどうでもよく、ただそれを楽しめるかどうか。それだけであると。

 

「布都、何をしている」

 

 声がしたので部屋の入り口を見ると、守屋がいた。

 回るのをやめた布都。口を開く。

 

「何かしているように見えましたか?」

「退屈をしているように見えたが」

「これは敵わない」

「よく言う」

 

 守屋は少し真面目な顔をした。

 

「それで、肩は、いや身体は無事か?」

 

 視線は化け物の攻撃が刺さった布都の肩。

 

「ええ、幸いにて何とか生きております」

「あいつの攻撃を受けたものは、全身が黒く変色して皆死んだ。お前が無事であるのは、その身体に宿る力の所為か?」

「その通りであります。――が、そうでもない様子で」

「どう言う事だ?」

 

 布都は右袖をまくった。

 青空に浮かぶ真っ白な雲のような皮膚の色。

 

「この通りですよ」

 

 布都がそう言うと、青空は陰り雨雲が現れた。やがて灰色から墨色にまで変色し、それは右手の先から顔の半分まで侵食した。

 

「っな」

 

 驚きを見せる守屋。

 布都はにやりと笑う。

 

「抑えつけておかぬとこのようになります。面倒な同居でございますよ」

「……本当に無事なのか?」

「特にどうということも」

「……そうか」

 

 守屋は難しい顔をして目を伏せた。

 布都は聞いた。

 

「それで、本当は何の用で来たのですか?」

「いや、大したことではない」

「というと?」

「……お前が家を出ようとするなら、その前に俺だけにでも一言言っておけと、そう言いに来ただけだ」

「はて、出るなどと言いましたかな?」

「いずれそうなる。父による婚姻ではなく、自分の意思でここから出て行くだろう。あの樹林での戦闘は、お前の目論見も、周りの目論見も、はるかに超えた。もはや同じ生き物であるかとすら思わせるほどに。しかし、それがゆえにお前の望みは叶うであろう」

「……次期当主である兄上には出て行かれると困るのでは?」

「次期、ではない。もう当主だ」

「おやこれはいつの間に」

「ついさっきだ」

「それはそれは」

「だから言いに来た。お前が己を我と呼び、偽り無く我を通し続けるのなら、俺はお前を肯定しよう」

 

 守屋が何を言っているのか、布都は分からない。

 

「物部布都が物部布都である限り、俺に口をはさむ権利はない」

「権利ですか」

 

 やはり分からない。

 

「――とにかく、出て行くときには俺に一言かけろということだ。忘れるなよ」

「ええ」

 

 布都は相づちのような返事をした。

 言うだけ言うと、守屋は部屋を去っていった。

 残された布都は守屋の言葉を思い返すが、やはりいまいち真意が分からない。暗に家を出ろと言われたのは分かったが、それ以外がどうにもつかめない。だからといって、追いかけて聞き直すのも違う気がした。

 布都は寝転がって、大の字になった。

 

 ――明日考えよう。

 

 布都が目を覚ましたのは、夜か朝か分からないその境のような頃だった。

 夢を見た。

 夜空に浮かぶ暗雲と一体になってふわふわと浮いていた。月が眩しく綺麗で。夜空は澄んでいた。

 ゆめうつつ。

 起きた布都は、外を見た。

 夢か現か定かではない中、朝と夜との境を見ていた。

 それは思いつきやひらめきのように現れた。

 妙案とは突如として去来してくるものらしい。布都はそう思った。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 日が昇りきると、布都は朝廷へと向かった。

 布都が政治色の強い場所に来るのはたいへん珍しく、いつもにもまして注目をあびたが、気にせずずかずかと中へ中へと入りこんでいく。

 そして。

 

「――やあやあ、馬子殿。ご健勝かな?」

 

 目当ての姿を発見するやいなや、ひょうひょうと近づいた。

 周りにも人がいる。

 それはもう大きな注目をあびた。

 馬子殿、といえば蘇我馬子。すなわち物部氏の最大のライバルともいえる存在。物部氏でいうところの守屋が、蘇我馬子。細身で温和な印象を受けるが、権謀術策の政治の舞台上で最上位の存在である。天皇の次に名が挙がるのが守屋や馬子である。

 そんな馬子に『あの』物部布都がまるで友達に近づくかのように寄っていった。人の視線を集めない方がおかしな話である。

 

「……これは布都姫。私に何の御用の様でしょうか」

 

 知らない仲でもない。

 立場もあって親しくしたこともないが、互いにどこか通じるものを感じ取っていた。

 それは言うなれば裏の顔とでもいうべきか、それとも――。

 

「うむ! 我と婚姻を結ぼうぞ!」

 

 布都は、実に楽し気に、あり得ないことを言い放った。

 場の空気が瞬間冷凍された。

 馬子ですら思考が追いつかなかった。

 布都は政治なぞと。ロクに表舞台には出ていないが、実際は馬子と渡り合える者は布都くらいなものである。

 が、その馬子は布都の真意を読もうとするまえに固まってしまっている。

 

「何ともいい立場ではないか。我ながら妙案であろう? うむうむ」

 

 『いい立場』、その言葉に馬子の思考がようやく稼働してきた。

 布都は馬子にさらに近寄ると、人差し指を内側に曲げた。

 顔を近づけろ。

 その意を汲みとって、馬子は腰を下した。

 布都は耳元でささやく。

 

「最近耳が聞こえすぎてな」

 

 馬子は布都の真意を理解した。

 要は敵も敵、さらにその一番上のとこに行けば煩わしい物部のあれやこれやから逃れられる。

 布都は思っている。

 豪族を単体で見た時に一番は物部氏である。だとというのに、さらなるを求めるのは欲が過ぎるのではないか。上も下もこれでは、兄上も苦労するだろう。

 それはともかく。

 

「……いいでしょう。乗りますよ」

 

 硬直が解けた馬子は、目に楽しそうな表情を浮かべていた。

 

「あなたが政治に興味がないようで、実のところ私はだいぶ暇をしていたのですよ」

「それは残念。今後もそのつもりはございませぬ」

「問題は『暇』の部分ですので」

「へぇ?」

 

 布都はにやにやと笑った。

 そら、似たもの同士であったと。

 互いに、いわゆる夫婦というものになるとは微塵も思っていない。打算と遊びに満ちた婚姻関係である。つまらぬ世であれば、いっそ混ぜかえしてしまえ。さすれば少しは楽しめるかもしれない。

 この事はすぐに周知され、朝廷は揺れるであろう。

 真面目くさった顔で政治遊びしてるやからの驚く顔を想像するだけで、布都は愉快な気分になれた。さすがの兄上もこれは想像してなかったのではないかと思うと、もっと愉快になった。

 しかし子など一笑に付した布都が、他人のとはいえ子どもに興味を持つなど、誰が想像出来たことであろうか。




やぁーっと次なる東方キャラが次話で出ます


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第14話 とじこ

 初対面の人間に言う事は様々であろうか。

 明け透けに言ってしまうと、そのほとんどが『あなたはどちら様でございましょうか?』ではないだろうか。

 布都はまさしくそれに直面していた。

 二つの意味で、である。

 

「お前が女狐だな! 蘇我に何をしに来た!」

 

 布都は敵地という名の新しい住まいで、それまでの様々のものを意に介せずにのんびりとしていたが、どたどたと元気な足音と勢いよく開かれたふすまと威勢のいい声に、

 

「何じゃ、ちっこいの」

 

 至極めんどくさそうに答えた。

 

「ちっこいのではない! 私には屠自古という父上に貰った名がある!」

「そうか、ではちっこいの。何の用じゃ」

 

 布都はなんとなく分かってきた。

 可愛い可愛いクソガキが可愛さあまって暴走しにきただけだと。

 

「だからちっこいのじゃないと言っている! どうやって父上をたぶらかしたのかは知らないが、私がいるからにはそう上手くはいかないぞ」

「何がどう上手くいかないというんじゃ?」

「それは、だから、その」

「その?」

「う、うるさいっ」

「何がうるさいのか? ほれ、言ってみろ」

「う、うぅぅ」

 

 言葉に詰まったかと思えば、大きな目がうるんできた。

 からかったらからかったまま面白いように反応するので、布都は少し愉快になってきた。

 布都は唇を舐めてみせ。

 

「お主の父上の味はどのようなものであろうな?」

「は?」

 

 そして、いかにも悪そうな顔を作った。

 

「っな!?」

 

 これまた素直に反応するちっこいの、つまり屠自古に、布都はせっかく作った悪い顔が崩れそうになるほどに楽しくなってきた。

 感情のまま、顔が赤くなったり青くなったり。そんな屠自古を見ているだけでも忙しい。

 

「――ところでお主、最後に父に会ったのはいつじゃ?」

「き、昨日の夜?」

 

 思わず、正直に答える屠自古。

 布都は吹きだしそうになるの抑え、さらにたたみかけた。

 

「そうかそうか。今朝、我のご飯はえらくご馳走だったぞ?」

「は?」

 

 「何言ってんだこいつ」と、屠自古の顔にはまったく隠されていない形で怪訝な顔になった。

 

「いやぁ、美味かった美味かった」

 

 布都はお腹をぽんぽんと叩いて見せた。

 その後、わけが分からないと顔に出ている屠自古を見ると、にやりとまた悪い顔を作った。

 ――父が喰われた。そう理解した屠自古の目が大きく見開かれた。

 

「ぬ」

「ぬ?」

「ぬぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁ!」

 

 間の抜けた奇声と共に、走って突っ込んできた。

 布都は突っ込んできた屠自古に手を伸ばし、頭を抑えた。

 それでもまだ声を上げながら前進を止めない屠自古に、布都は決壊した。

 

「ぶはっ――」

 

 屠自古は、自身を抑えていた手に力が抜け、何事とかと顔を上げると、上には布都おらず、足元にうずくまるように倒れているのが見えた。

 布都は細かくけいれんするように、お腹を押さえ震えていた。

 笑いが止まらない。

 このような阿呆初めて見たと、呼吸が苦しいほどに笑った。

 生涯ここまで笑ったことなどない布都だが、今はそんなことに気づけるような状態ではなかった。笑止ならぬ笑死しそうになっていた。

 屠自古は何だかよく分からないが、馬鹿にされていることは分かった。

 だが、目の前にうずくまる者にどうかしようという気も起きなかった。

 足音。

 男の声。

 

「……これは何事でしょうか?」

 

 その声色は困っている色をしていた。

 

「ち、父上っ!? 生きていたのですか!?」

 

 娘にいつの間にか死んだことにされていたその人、つまり蘇我馬子である。

 声は困惑そのものであったが、目は何やら面白いものを見つけたような色を映していた。

 何やら驚いている娘に、笑いが止まらない様子の布都。

 何となく状況がつかめてきた馬子は、

 

「勝手に殺さないでくれないかな?」

 

 柔らかな声。駆け寄ってきた屠自古の頭を優しく撫でた。

 

「父上っ、父上っ、今です! 今ならあの女狐を倒せます!」

 

 うずくまる布都から吹きだす声が漏れた。

 布都は笑いを堪えながら、顔を上げた。

 

「……えぇっと、――お主の名はなんじゃったかな」

「屠自古だとさっき言ったばっかりだろう! さてはお前馬鹿だな!」

 

 「ぶふっ」とまたもや吹きだす布都であるが、

 

「屠自古か。よく覚えたぞ。して、我は女狐でなく、布都じゃ。そう呼ぶがいい」

「女狐!」

「布都」

「女狐!!」

「布都」

 

 布都は考えた。

 

「……そう言えば、お主は馬子の子だったの。であれば、我は義理とはいえ母であるな。母上、そう呼んでくれてもよいのだぞ?」

「ふざけるな! 誰がお前を母などと呼ぶか!」

「母上」

「女狐」

「母上」

「女狐」

「布都」

「ふと。――あっ」

 

 またまた布都は吹きだした。

 

「……いずれ母と呼ばせてやろうぞ?」

「うっさい、ふと!」

 

 顔を真っ赤にし、ぶすくれながら部屋からどたどたと逃げ去っていく屠自古の小さな後ろ姿を布都はにまにまとした笑みで見送った。

 そのままの機嫌のまま、馬子に話をふる。

 

「おや、馬子殿。生きておったのですか?」

「ええ、ちょっと黄泉返ってみました。おかげで面白いものも見れました」

 

 面白いものとは、布都は少し思案して――

 

「我もあのように面白い者は初めて見ましたなぁ」

 

 思い返すと、くつくつと笑いが出てきた。

 

「いえ、貴女の方ですよ」

「我が?」

 

 きょとんとするも、すぐに意味が分かった。

 

「……あぁ、実に面白かったので――」

 

 また笑いが出てきた。

 こんなに愉快な気持ちになったのはいつ以来であっただろうか。

 

「馬子殿の子とは思えない、……いや、なるほどあれは馬子殿の子でしょう」

「というと?」

「少々形は違うものの、感じる雰囲気からする根の部分は同じ」

 

 馬子は興味をそそられた相づちをうつ。

 布都は少し羨ましそうな目をして言った。

 

「あれは上のくらいの人間ほど気に入いるでしょう」

 

 人と人との軋轢に疲れた人間ほど、あのように真っ直ぐなものは輝いて見える。

 あんなに喧嘩腰だったのに、不思議とすんなりふところまで入り込んでしまう。

 屠自古の父、蘇我馬子には、誰かを惹きつけるような武はない。むしろ、どちらかというと病弱で細身である。であるのに、隆盛極まる物部氏と対する位置に居続けているというのが馬子の並外れた才覚。温和な印象ではあるが、立ち位置から考えて見た目通りであるはずがなく、であるが、どうしても当人から受ける印象は押せば倒れるのではないかというくらいの雰囲気の柔らかさ。

 どういった手を使って物部氏に対抗し続けているか、そんなこと布都にとってはどうでもいい事であった。馬子がどういう人間であるか、必要な情報はそれだけで充分だった。馬子を知れば、結果が見える。結果に至った手段などせいぜい書物か何かに記する程度のものでしかなく、そうでもしなければ人の記憶にも残らない。文字ではそうそう表せないものこそが重要だった。

 

「ではさしずめ貴女は壁の上で下に向かって睥睨しているお姫様といったところでしょうか?」

「いえ、我の下には誰に居ませんよ」

 

 布都は謙遜するように首を振った。

 

 ――上下左右居らぬだがな。

 

 今度は少し寂しそうに首を振った。



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第15話 おやばか

「気をつけた方がいいですよ」

 

 布都の部屋にやって来た馬子の第一声はそれだった。

 

「……それは我に言っておるのか?」

 

 部屋には、布都とその膝の上に屠自古。

 遊んでいたというか、話していたというか。

 とにかく、二人の表情は楽し気であった。

 

「鬼が出たという噂が」

「ほう」

 

 布都は馬子の方へ上半身だけ傾けた。

 

「もしかすると都にもやってくるかもしれないとのことで。今朝廷では遷都も視野に入れて話し合われていますよ」

「なるほど。鬼であれば、そうなりましょう」

「ただの遊びで済めばいいのですが」

「で、そいつはどういったやつなのです?」

「『楽しませろ』と、それだけだそうで」

「さもなくば、といったところか――」

 

 布都の表情に獰猛さが混じった。

 

「会ってみひゃいもほ――」

 

 屠自古が布都の口を両側に引っ張った。

 

「――何をする」

「……別に」

 

 頬をふくらませ、顔をそむける屠自古。

 

「んん? なんじゃ? 寂しかったのか?」

「違うっ」

「じゃあ、何か? 我に恨みでもあったのか?」

「そ、それも違うっ」

「んぅ? じゃあ、言ってみるがよい」

「……ぅー」

 

 のけ者にされたことに腹を立てたことくらい布都にはすぐに分かっていた。だがしかし、どうしてもからかわなければ気が済まなかった。こんな好材料そうそうない。

 獰猛さもかき消され、可愛くて可愛くて仕方ない飼い猫を愛撫するような表情に変わった。

 言葉を発することが出来ずに、うめくことしか出来ない屠自古。もう布都は我慢が出来ない。

 屠自古から声が上がる。

 

「――っわ、何」

 

 頬ずりをした。

 まだ幼い屠自古の頬はたいへん柔らかいものだった。

 

「離れろ!」

 

 屠自古が渾身の力で布都を引き離そうとする。

 とても布都が引き離されるような力ではなかったが、布都は屠自古から離れた。

 

「いやぁ、すまんすまん。ついな」

「何がつい、だ!」

 

 屠自古は、布都から顔を背けると、「まったく!」と顔を赤らめた。

 まんざら嫌そうでない様子がまた布都の心をくすぐった。

 

「さて――」

 

 布都は立ち上がった。

 

「ふと?」

 

 見上げる屠自古に、ふっと笑いかけると、

 

「少し、散歩に行ってくる」

 

 布都は部屋から去った。

 残された屠自古と馬子は顔を見合わせたが、馬子は少し難しい顔をした。

 

 ――まさか。

 

 いや、やはり、というべきか。

 しかし相手は鬼であれば、人のみでどうこうできるものではない。

 へんにつついて怒らせれば、辺りが更地になるかもしれない。

 その時布都はこの世にはいないかもしれない。

 失敗したか、馬子にそんな想いがよぎった。が――。

 

「――少しゆっくりしてからにする」

 

 布都の声。

 戻ってきた。

 そして屠自古を抱き上げ、話しかけた。

 

「なぁ、屠自古。鬼とはどういうものか知っておるか?」

「馬鹿にするな。そのくらい知っておる」

「じゃあ、言うてみい」

「鬼はあれだ、強いやつだ」

「他には?」

「……あと、怖い」

「おや? お主は鬼が怖いのか?」

「怖くなんてない!」

「それはそれは。ならお主には怖いものなんてないのか?」

「ないに決まっている!」

「そうかそうか」

 

 布都はけらけら笑う。

 挑発されればそのまま綺麗に乗っかる。

 なんと愉快な奴だろうか。

 屠自古を床に降ろすと、頬に手をやりはさんだ。

 

「何をするっ――」

 

 喜怒哀楽。

 人にはばかることさえも、自分の心から素直におこなうのであろう。

 怖いものはないと言い張った顔を恐怖に染めるのも、これ以上ないくらい満面の笑みにするのも、どれもきっと面白いのだろう。

 布都は顔がころころ、いや物理的にむにゅむにゅ変わる屠自古の顔を見てそんなことを思った。

 屠自古の手が布都を打とうと顔に迫る。

 それを布都はつかみ取り、

 

「――少し、外に出らぬか?」

 

 と言うと、「いいだろう馬子殿?」と、視線で送った。

 馬子はこくりと頷いた。

 

「あまり遅くならぬようお願いしますね」

「うむ」

 

 まだ行くとも言っていないのに、勝手に行くことにされて不満を覚えながらも、屠自古は嬉しさを隠せなかった。

 

「やぁやぁ、相変わらずの人ごみじゃ」

 

 都。

 雑踏の中。

 恥ずかしさもあるのか、弱い力で屠自古は布都の手を握っていた。

 

「何かほしいものはあるか? なんでも買ってやるぞ?」

 

 およそこういうのを親馬鹿というのである。

 もしくは可愛い孫に何でも買い与えて親を困らせるおじいちゃんおばあちゃんといったところなのかも。

 

「別にいらぬっ」

 

 顔を背ける屠自古。

 頬が赤い。

 欲しいものは、手に入っていた。

 

「ん? もしや腹が減ったのか? そうであろう?」

 

 「うむうむ」と謎に頷きながら、布都は飯屋を目指し始めた。

 腹なんてへってないと言ってやりたかった屠自古であったが、何も言わずについていくことにした。

 だってそうではないかと、屠自古は言い訳したかった。蘇我馬子の娘である。外になんてそうそういけるものなんて無かったうえ、どうにも他人行儀な女中やほとんど会ったことがない母親、それに比べてこの物部布都という変なやつはよく会いに来るしこっちから押しかけても嫌な顔もせず、それどころかなぜかは分からないが嬉しそうに、むしろうざったいくらいに歓迎する。

 母と呼んでもいいぞと言うわりにはちっこいし、姉というにはなんか婆くさいし、でも実際に婆というには綺麗で若くて――、なんていうかよく分からないやつには違いなかったけども、嫌なやつじゃなかった。

 理由は分からないけど好かれているのは分かったし、会いに行ってやるのも悪くはない。

と、そんな具合に始末をつけた。屠自古は共に歩く布都から少し離れつつも、手は離さないでいる。

 

「なぁ、布都」

「ん、なんじゃ?」

 

 端正な顔立ちが覗き込んでくる。

 

「なんかやたらと人に見られてないか?」

「気のせいじゃろ。そもそもそういうもんじゃ」

 

 気のせいじゃないじゃないか、屠自古は布都から顔をそらした。

 人の注目が布都に集まっているのは分かってはいるけど、どうにもそれが嫌な気分になった。何も気にしていない様子の布都がなんだか恨めしい。布都のくせに。

 

「ほれ、あそこにしようか」

 

 手をつないでいるので、半ば強制的に店に入ることになった。

 だいたい腹が減ったなどとも言っていなければ、何が食べたいなどとも言っていないというのに、――あぁ、やっぱりこいつは勝手なのだと。

 屠自古は、不快ではないが不満が湧いてくる感情に居り合いがつけれない。

 

「適当によい」

 

 しばらく待つと、食事が出てきた。

 出てきたものを見て、屠自古が顔を歪める。

 

「……げっ」

 

 思わず声が漏れた。

 

「ん? なんぞどうかしたか?」

「……別に」

 

 屠自古は川魚はが苦手だった。どうしても特有の生臭さが受け付けない。無理矢理食べると、泣きながら戻してしまう。

 屠自古の持つ箸先がうようよとさまよう。

 

「うむ、結構うまいぞ?」

 

 渋い表情の屠自古をしり目に、布都はぱくぱく食べていく。

 

「……あまり腹がへっていない」

「あれ? そうだったか?」

 

 なんだか腹が立ってきた。

 でも――。

 

「半分食べるから、もう半分は――」

「そうか、ではそうしよう」

 

 言い終わる前に、布都は箸を伸ばし、魚を半分持っていった。

 美味しそうに食べる布都、

 

「……うぅ」

 

 屠自古は覚悟を決めた。

 

 

 

 

 

 

 飯屋から出た二人は、都の市を歩いていた。

 活気のある路であるが、屠自古の顔はすぐれなかった。

 体の中身を取り換えたい気持ちにすらなっている。

 後悔はないが、やっぱり気持ち悪いものは気持ち悪い。手から伝わる柔らかな感触が吐くことをためらう。

 『布都め。母などと名乗るのなら、もう少し察しろよ』と、屠自古は内心で毒づいた。

 そんな布都の足が急に止まった。

 必然、屠自古の足も止まる。

 さては心でも読まれたかと焦った屠自古であったが、布都の視線はずっと奥の方にあった。人の向こうの向こうの向こう。人ごみを超えた先であろうか、布都の目はどうももっと遠くを見ているようだった。

 

「なるほど。お主、よほど父親に可愛がられているようじゃな?」

「は?」

 

 急に何を言い出すのだと、屠自古は怪訝な顔をした。

 こいつなら心くらい読めそうだと思った矢先に、今の言葉である。思考が追いついていかない。

 再度布都が歩むにつれ、屠自古もついていく。

 して、分かった。

 

「やぁ、馬子殿。このような所で奇遇、――というわけもあるまい?」

 

 布都はにやにやと、まるで机の引き出しの奥に隠していた日記帳でも見つけたかのような悪い顔をした。

 

「ちょっと所用がありましたで。これさえなければ、始めからついていくつもりでした」

「ふぅむ? 忙しい身は辛かろう、でございますな?」

 

 布都はまだからかうつもりである。

 

「いえ、公務ではないのです」

「というと?」

「少々、面白そうな話を聞いたので」

 

 布都は笑みを収め、目をぱちりまばたいた。

 この蘇我馬子という人間が面白そうと判断する話とはなんぞや。

 布都の興味が向いた。

 

「厩戸皇子という人物を知っていますか?」

「ウマヤト? 存じませぬな」

「でしょうね。私も先ほど初めてお会いしましたから」

「それが馬子殿の言う、面白い話と?」

「えぇ。近いうちに貴女は知るかもしれません」

「……ほぉ」

 

 布都の書物やら伝承やらなにやら様々なものが詰め込まれている頭には、人の名前はほとんどない。その中に、人が加わるとすれば、よほどの人物であるということになる。

 馬子はそれを布都に伝えた。

 わざわざ自らが会いに行って確かめてまで、である。

 それはつまり――。

 

「どっちで?」

「貴女を知った時と同じで、どちらも、です」

 

 蘇我馬子という男はやはり人の中で生きたいのだ。

 布都は馬子の楽し気な瞳を見てそう思った。

 自分と競い合えるような、そんな人物を待っているのだ。

 布都は少し申し訳ない気持ちになった。

 武においては馬子は凡夫にも劣るが、こと知、政治においては比類するものがいない。それがゆえに、本気になれるような相手を探している。才、能力を全て使い切らせてくれるようなそんな相手。

 布都は当初その相手、好敵手として目を付けられていたことは分かっていた。今では諦めた様子であるが、心の底から諦めきれている様子でもないのも分かっていた。

 本当によく分かっていた。

 今の布都と馬子の関係は、敵対していない好敵手というような存在であった。

 しかし布都にはその馬子の望みを叶えてあげるつもりがない。そのことがどうにも布都に罪悪感を覚えさせた。

 だから布都はその全てを飲み込み、新たに見つかった好敵手になりそうな人物の到来を祝福することにした。

 

「なるほど。であれば、我はいつも通りに過ごしておきましょう。馬子殿がそこまでいうのなら――」

 

 馬子は柔和な笑みで深く頷いた。

 話が一段落すると、布都は手をぐいぐいと引かれた。

 手を繋いだままであったので、屠自古の仕業である。

 つまらなさそうにふくれているので、理由はすぐに分かった。

 

「おぉう、すまんすまん」

 

 繋いでない方の手で、頭を撫でる。

 

「そろそろ昼ご飯にでもしますか。良い頃合いでしょう」

 

 布都が顔を上げる。

 

「あ、すまん。もう食べてしまったあとでな」

「これは早いことで」

 

 話まじりに何を食べたか聞く馬子。

 

「……おや、それは珍しい」

 

 馬子は屠自古を覗き込むように見た。

 屠自古は目を逸らす。

 

「……どうかしたのか?」

 

 首を傾げる布都。

 

「――ばかふと」

 

 屠自古の頬はほのかに赤かった。



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第16話 温もり

 夜。

 大きな焚き木が周囲を照らしていた。

 木が燃えると、煙が上がる。

 煙とは微細な粒子の固まりのことだが、この粒たちは祈りだった。

 一つ一つが集い、ゆらりゆらりと天へと昇っていく。

 周りにはたくさんの人の群れ。

 熱の周りをぐるぐると回りながら、踊っている。

 祈りは集い形となって、天へと昇る。

 今宵は豊穣を祈る大祭。

 夜の都は多くのかがり火により、明るく輝いていた。

 

 

 

「――熱心なことだな」

 

 人通りの中、布都は横目にしながらそう言った。

 これは都を挙げての祭り。

 人は浮かれ騒ぐ。

 食べて飲んで踊って。気分の高揚に酒も合わさり、都は大変賑やかだった。

 参加しているようで心がそこにない。布都は周囲の空気に溶け混じっていないことを感じていたが、そもそもそういう柄でもないのでどうでもよかった、のだが――。

 布都には、自身の傍らの存在がたいへん興奮しているのが分かった。

 それもう今にも駆け出しそうなほどに。

 

「布都っ、布都っ、あれが食べたい!」

 

 名前を呼ぶ度に跳ねる屠自古。かがり火を受け、大きな瞳がいっそう輝いていた。

 屠自古の指す先には、鳥の肉を串焼きにしているところであった。

 して、布都であるが、

 

「我は銭を持っておらん。馬子殿に頼め」

 

 三人だった。

 布都に屠自古に馬子。

 はた目からは完全に仲良し親子である。

 馬子は屠自古に優し気な笑みを向けた。

 

「銭は必要ありませんよ。あれはうちの者ですから」

 

 いわゆる顔パスというやつである。

 

「ですから、貴女でも構わないと思いますよ。知らない者なんていないでしょう」

 

 布都も超がつくほどの有名人。物部でもあり蘇我でもある、うまく分類できない存在。

 

「――父上っ、布都っ、早く早く!」

 

 もう待てないとばかり、屠自古は二人の手を引っ張った。

 そして目当ての物まで駆け寄り、手に入れるやいなや口いっぱいに頬張った。

 並んで歩く布都も、一緒に串焼きを食べる。犬歯で挟み、そぎ取るように串から引き抜く。妙に様になっているその姿を、馬子が面白そうに見ていた。

 どんどん都を練り歩く。

 身分もあり、これまで屋敷からあまり出してもらえなかった屠自古はもう楽しくて仕方がない。あれは何だ、これは何だと、指して回り、それに対し馬子が律儀に答えていく。

 

「父上父上、あれは?」

 

 屠自古がとあるくらい一角を指した。

 人がもぞもぞ動いているのが見える。

 

「あー、あれは……」

 

 布都が屠自古の顔の前に手をやった。

 ひらひらとした袖が屠自古の視界を覆う。

 

「あまり見ん方がよいぞ?」

「何でだ?」

「じきに分かる」

「何だよ」

 

 布都はうけけけと笑い、屠自古の耳元でささやいた。

 

「そりゃ、暗い所であるから」

「はぁ?」

「大人になれば分かる」

 

 子どもにとって、これほどつまらない言葉もない。

 屠自古の中に反感が湧く。だいたいお前も子どものような外見してるじゃないかとか、そういうことが思い浮かぶ。でも、布都はひどく子どもっぽくなく、年寄りクサい喋り方をして、――結局、歳というものを分からなくさせて。

 

「……んだよ。じゃあ、私もちゃんと分かるようになるんだろうな?」

「あぁ、もちろん。……そうであるな」

 

 途端、布都は難しい顔をした。

 

「おい、布都」

 

 屠自古が心配するように声をかける。

 

「いや、何でもない」

 

 布都は串を放ると、屠自古の頭を撫でた。

 

 

 

 

 夜は深まり、かかり火は盛大に焚かれる。

 火の光を受けた人の影は長く伸び、地を行き交う。

 祭りはまだまだ終わらない。

 

「我こそはっ――」

 

 とある一角に、人だかりが出来ていた。その奥から勇ましい声が聞こえる。

 ちらりと視線をやった布都だったが、大して興味をひかれなかったので通り過ぎようとした。が、布都の足が止まった。

 正確には止められた。

 屠自古が布都と馬子の袖を掴んでいた。

 屠自古の顔が好奇心で満ちている。

 

「行きましょうか」

 

 馬子もそう言えば、布都に断る意思は湧かない。

 近づけば、自然と人だかりが割れて最前列付近にまで移動できた。

 人の囲いの中では、一人の男が剣を持っていて立っていた。

 この時代、剣は誰でも持っているものではない。ある程度の身分、もしくはそれらに許可されたか。

 

「あれは何をやるんだ?」

 

 屠自古の疑問に、布都は答えない。

 馬子に視線をやるも、同じよう。

 そうこうしているうちに、動きがあった。

 剣を持った男は、細い布を取り出すと、目に被せてぐるりと回した。目隠しである。その後、ふところから土を固めて作ったであろう丸いものを取り出した。

 周りの見物人もおおよそ見当がついた。

 

「では――」

 

 男はそう言うと、構え、手に持つ的を投げ、剣を振った。

 見当が辺り、観衆から声が上がる。

 人が大きく喜ぶときは、想像以上のことを見たとき体験したときである。

 見物人の中にも、数日練習すれば出来そうだと思った者も少なくない。それでも声が上がるのは、次を期待してのこと。

 当然、男も分かっていた。

 男は目隠しを外し、大きく手を広げる。

 

「集まってもらったのは、芸を見せるためではない」

 

 芝居がかった声色。

 

「見せるのは、強さ。よって、挑戦者を求む! 今この場において、我こそが最強だと宣誓しよう! 倒せば、その者が最強であろう!」

 

 歓声が上がる。

 

「武器は自由だ。なんなら素手でもよい。その時はこちらも素手でお相手しよう」

 

 その言葉に、観衆の中にいた血気盛んな男が飛び出した。

 すぐに勝負は終わった。

 その後も、続々と挑戦者が現れたが誰も男を倒すことは出来ない。

 

「なぁ、布都布都」

「やらんぞ」

「な、何故だ。すっごい強いって聞いたぞ」

「気のせいだ。それか人違いか」

「じゃあ、その腰のものは何だ」

「これか?」

 

 布都の腰には剣が差してあった。屠自古の知っている布都は、いつもそれを持っていた。

 

「これはお守りみたいなものだ。ほれ、しょっちゅう差しとるだろう?」

「使えもせんのにか?」

「ただの貰い物だ」

 

 蘇我に行くと決まった日に、守屋から貰ったもの。えらく大事そうに渡すから、何か粗雑には扱えない。

 

「だから、振り回すことしか出来ん」

「むぅー」

 

 子どもは親のかっこいいところを見てみたいものである。

 諦めきれない屠自古は馬子の方も見た。

 

「父上」

 

 馬子は即座に首を振った。

 馬子は戦闘が苦手である。身の上もある。怪我でもしたら、大事。ここは諦めてもらうしかない。

 

「ほれ、屠自古――」

 

 布都が腰の剣を抜いた。

 

「な、何だそれは」

「剣だぞ?」

 

 刀身は石に見紛うほどにくすんでいた。切れ味は想像がつく。

 

「さて、……怪我で済めばいいが」

 

 布都が一歩前に出た――ところで、屠自古が布都の袖を掴んで止めた。

 

「や、やっぱいい」

「そうか?」

 

 布都は鈍色の剣を眺めて、

 

「このボロ剣を振るういい機会だと思ったのだがな」

 

 と笑った。

 

「――そう言うな」

 

 後ろから声がした。

 知った声だったので聞きとれた。

 人ごみでも知ったものは案外聞き取れるものである。

 囲いの外。

 布都は馬子たちからすっと距離を離し、声の主に歩み寄った。

 

「これはどうも」

「久しぶりだな」

 

 兄の守屋。

 

「ええ。しかし、護衛の姿が見えませんが」

「ほれ、あそこだ」

 

 知った顔だった。

 弟の贄個が、観衆の中を抜って中心へ向かっている。

 

「勝負にならんでしょう」

 

 布都は先の件で、贄個の実力を知っている。ちょっとやそっと武技に優れているだけでは、張り合うことすらかなわない。そもそも、並みの武具では身を傷つけることでさえ難しい。

 

「そりゃ、普通にやればそうだろうが、当然加減はするだろうさ」

 

 ある種の無情でもある。

 

「……ならばやる意味なの無いのでは?」

「楽しみたいんだろう」

「よく分かりませんが」

 

 視線の先。

 贄個は、力を制限するどころか使うそぶりすら見せずに戦っていた。

 

「負けそうですが」

「そうだな」

 

 贄子はおされにおされていた。

 名高い物部の、それもその中でもさらに名高い人間が挑戦してきたのであれば、挑まれた人間の方がやる気が高まっていた。これではどちらが挑戦者か分からないが、とにかく、当人にしてみれば名を広める絶好の機会である。

 

「……あれは変わったのか?」

 

 布都は眉を寄せる。

 まとう雰囲気が変わったように感じた。

 

「勝つことだけが全てでは無いと知った。そう言っておったぞ」

「――分かりません」

「何がだ?」

「人とは変わるものでしょうか?」

「それは俺が答えるには過ぎた質問だ」

 

 打ち合いは激しさを増す。

 戦う両者の顔には笑みがあった。

 一方では純粋に楽しそうに。もう一方では功名心の現れた笑み。

 高い剣戟の音が響き、勝敗が決した。

 

「参りました」

 

 負けた贄個が満足したように頭を下げる。

 何やら少し言葉を交わしたのち、戻ってきた。

 

「あ――これは姉上。見てらしたのですか」

「うむ。物部の威を示す素晴らしい戦いであったな」

「これは手厳しい」

 

 負けたことを言っているが、贄個は笑顔だった。

 作ったようなものではない。

 

「なんだか変わったな」

「そうですか?」

「気色悪さが無くなったわ」

「やはり、手厳しい。いや、ですがその言葉が本当に嬉しいです」

「変なやつだな。そこはいきり立つか、口をきかなくなるところであろう」

「不思議ですか?」

「ああ」

「そうですか。それは良かった」

「は?」

「姉上にも分からぬことがある。それを知ることが出来たので、やはり良かったと」

「なんじゃ? 今度は我を怒らそうとしとるのか?」

「そんなわけありません。――しかし、少し聞いてみたいことがあります」

「言ってみるがいい」

 

 贄子は少し改まり。

 

「私と同じ条件で、姉上は今の者に勝てたと思いますか?」

「負けるだろうな」

 

 布都は即答した。

 

「潔いですね。試してみなければ分からないとそう答えるかと」

「負けるさ。勝つ気がない」

「その気があれば?」

「やってみなければ、――と言いたいところだがやはり負けるだろうな。勝てる要素がなさすぎる」

 

 布都は鼻を鳴らした。

 

「……では、命のやり取りであればどうです?」

「そりゃ分からん。命をやり取りするというのはそういうものであろう?」

「それは幾重もの経験によるもので?」

「どうかな」

「実は私も最近ちょこっと抜け出したりするのです」

「へぇ?」

「森深くまで行けば、時々妖怪に会えます。そうしているとふいに、姉上のことを思い出しました。多分同じことをしていたのではないかと」

「さてな。そうかもしれんし、そうじゃないかもしれん。しかし――」

 

 ――……この辺りで妖怪が?

 

 気になるところではあったが、まぁなくはないことだし、自分も経験したことであって。

 

「しかし?」

 

 贄個が不思議そうな顔をしている。

 

「あぁ、なんでもな――」

 

 言葉の途中、布都は強い力でぐいっと引っ張られた。

 

「布都! いつまで話しているつもりだ!!」

 

 さらにぐいぐい引っ張られ、

 

「行くぞ!!」

 

 屠自古。

 小さな力。抗う気はおきない。少しの名残惜しさはあるも、やはり抗う気はおきない。

 

「悪いな、今日はここまでだな」

「はい、元気そうでよかったです」

 

 布都は屠自古に引っ張られて馬子の元まで連れてこられた。

 

「いやぁ、途中から射殺すような視線を送っていましたよ」

 

 とは馬子。

 

「なるほど。何やら熱い視線を感じていたわけはそれか」

「なっ。ち、違う!」

 

 布都は目を丸くして見せる。

 

「そうか、では別の誰かであったか。我は人目を引くゆえ、そういうこともあろうな」

「お、お前は、父上のその、あれだろう?」

「んん?」

 

 いいずらそうな屠自古。

 口が小さく開かれる。

 

「……どっかに行ってしまうのか?」

 

 目が合う。

 懇願するようなそんな瞳。

 布都は一瞬硬直したのち、ふっと笑った。

 

「さぁな。それは我にも分からんことだ」

「何故だ」

「分からないことであるから」

「答えになっていない」

「答えなぞ、気に入る形にはなっていないものだ」

「分からんぞ」

「そう、それでいい」

「むぅー」

 

 布都は屠自古の頭をわしわしと撫でた。

 

「そろそろ帰ろうか」

 

 満足したと。

 間違いなくこの身の内は満たされた。

 なるほどこれが幸福なるものかと、そう思えるほどに。

 ここしばらく楽しい日々を過ごしたと、間違いなくそう思う。

 であるが、その上で足りていないものがあった。

 満ちているはずなのに、不足を感じる。

 今にはなくて、前にはあったもの。

 

 ――久しく食っておらん。

 

 唇を舐める。

 五臓六腑、体の深いところまでに染みわたるあの美味さ。

 

 ――あぁ、飢える飢える。

 

 心は満ちているのに。

 その心が求める。

 あたかも欠乏に気づいたかのように。

 

 ――久しぶりに血にでもまみれようか。

 

 生暖かい血を浴びる。

 そんな温もりもまた、偽らざる物部布都の楽しみ。




月三回更新という低い所で安定していたのに、それさえも危うくなっていた。でもまぁ、なんとか間に合ったのでよかろうなのだ。


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第17話 鬼

 星は巡る。

 その軌跡を追えば一つの線になり、それはまるで空を掻いたように、もしくは細く腫れ上がったように。

 夜が廻り時を示す。

 時は背中を押すように迫ってくるのか、それとも前を行くように先を走っているのか。それとも共にあるのか。行くものか来るものか。

 

 ――百鬼夜行とはこういうことか?

 

 とは布都の皮肉。

 生き物には生存本能がある。それはそのまま生存のために働くものであるが、だからといってそれがいつも生存に繋がるかどうかは決まっていない。

 生き物、もしくは生き物だったものが、おおよそ同じ方向に走る、飛ぶ。

 夜。

 山道。

 都からは近くはなくも、それほど遠いというでもない山。

 人が切り開いた痕のある道を行く。

 

 ――愉快。

 

 布都はあの夜の欲求に従い、翌日の夜、屋敷を抜け出していた。

 血にまみれたくて仕方がない。一度その欲求に気づけば、なかなか我慢する気にはなれない。今の平穏な暮らしもまた満足のいくものであったが、それでも足りないものを見つけてしまったのならば、それにあがらうことを選ぶことなんて出来ようか。

 

 ――数日居らんだったなら、屠自古はなんと言うだろうか。

 

 なんとも久しぶりに見る有象無象の妖怪の波。

 思えば久しく来てなかったと、布都は思うもそれどころではない。

 前には見つけるのも困難になっていた妖怪どもが、溢れるほど、いやむしろ溢れて押し出されてきたかのように布都の元までやってきていた。

 違うのは、そのどれもが布都に目がけて来たのではなく、何かから逃げてきたかのようであること。

 しかしその先が物部布都。

 皆、死んだ。

 

「一体、何から逃げてきたというのか。その先が我であれば意味をなさぬというに」

 

 恐怖ゆえに逃げて来たのか、それとも恐怖から逃れに来たのか。

 死とは平等に死であるからゆえに、救いにもなりえた。

 

 ――どうせなら我から逃げればいいものを。

 

 嫉妬というには違うけれども少し似た苛立ち。

 深まる夜。

 山の奥深く。 

 その先へ。

 道標は川の水流のように流れてくる妖怪の群れ。

 景気づけだと、派手に殺傷していく。

 蒸すような温かみのある臭気が、収まりきれなくなったように、濃く、濃く、広がっていく。

 血に酔っていく。 

 

 ――勘違いの阿呆を見に行くか。

 

 元よりそのつもり。

 鬼とやらが見たかった。その後は深くは考えてはいない。なるようになるであろうと、そのくらいしか。

 生も死もその程度でしかなかった。少なくとも、すこし前までは。

 屠自古に会うまでは。

 

 ――なんとも。

 

 寂しく思ってほしいと思っていることに、布都は気づく。それについて明確な言葉が出せないことに困惑した。

 悲しんでいる顔は見たくない。そうなるのであれば、いっそ忘れ去ってほしい。

 いつものような照れが交じったような笑みのままでいてほしいとすら思えてくる。

 時が止まって、永遠にあのほがらかな楽しい時間が続いてしまえばいいのに。

 その想う全てを肯定しながも、布都は足を前に進める。

 楽しければ、もっと楽しもうとするのが人に備えられた欲であると。

 延々に満足せずに欲に準じて追い回す。片方が満ち足りれば、もう片方の隙間を埋めようとする。

 

 ――あぁ、心が躍る。

 

 目の前では鮮血が吹きあがる。

 逃げてきた妖怪を一つ残らず殺傷する。

 

 ――血も、肉も、踊り上がって天へと昇ってしまえ。

 

 布都は口元をつり上げる。

 楽しくて仕方がない。

 得ることが出来ない、その両方を掴んだ、そんな気がした。

 

「お」

 

 声が出た。

 多少距離はあるが、感じた。

 叶うことが約束された期待ほど気分がよくなることもそうない。

 前菜を心良く楽しんでいる最中に、主菜の芳醇な香りが鼻腔を喜ばせるような。

 遠くとも感じるその気は、まさしく最上級。

 少なくとも今までで最高。

 きっとそう、たぶんそう。おそらく、間違いなく、そう。楽しみ。

 足が自然と早くなる。

 地を蹴り、空を跳ぶ。

 もう雑魚妖怪など放って。

 早く進むと、さらに早く早くと足が進む。

 視界がぼやけ線や面になっていく。

 風音が強くなる。

 そして、

 

「――ほう」

 

 着いた。

 後ろ姿。

 思わず感嘆が出る。

 いびつなコブのような岩の上に座るそれは、まさしく――。

 

「鬼か」

 

 それは振り返る。

 額から角が様はまさしく鬼。

 

「人か――」

「どうかな?」

 

 軽口。

 

「ようやく来たか。その姿、巫女か何か?」

「違うが」

「そうか。まぁ、いい。待ちに待った」

 

 鬼が立ち上がった。

 向かい合う。

 

「生贄、ではななそうだな」

「あ?」

 

 さっきから話が通じていない気がしていたが、どうやら本当にそうらしい。

 

「人にしてはそれなりの力を感じる。我は、ここよりずっと東からやって来たのだ。なに気負うことはない。お前程の巫女はいくらか見た。――さて本題だ。我を楽しませるがいい。もちろん命がけでな。満足出来なければ、お前たちの町を滅ぼす。これが鬼の遊びぞ」

 

 布都は深くゆっくり息をした。

 なんだかよく分からないが、今生最高に侮辱された気がした。

 

「堅くなる必要はない。鬼と人、そこの差は天と地より広い。それは道理。しかし、お前はお前の全てを見せて我を満足させねばならない。その為にお前は我の元に来たのだろう」

 

 布都の表情から喜色の面だけが抜け落ちていき、瞳が極度の冷気をもって鬼を見据えた。

 

「何を固まっている。さっさと来んか」

 

 その言葉に布都の何かがキレた。

 布都は口を開く。

 

「――お前は、角を折り、顎を砕き、四肢をもぎ、腸を引きずり出したのち、肝を喰らって殺してやる」

 

 誰に口をきいている。

 

「興がそがれた」

 

 寸前まで楽しい気分だったのに。

 もう――。

 

「死ね」

 

 布都の抑えていた霊力が解放され膨れ上がる。それに妖力も混ざり、説明のつかない混沌としたものになる。

 

「空想の道理に溺れて消えろ」

 

 腕を振り。一閃。

 黒い刃。

 それは鋭い刃、ではなく、空間を吸い込むようなそんな異質さを持っていた。

 

「んん?」

 

 鬼はその飛刃を手でつかみ、握りつぶした。

 

「これは面白い」

 

 鬼の口元が歪む。

 

「もっと見せてみるがよい。楽しめそうだ」

 

 布都の脳が怒りと冷たさを保ちながら、目の前の光景に相手が鬼であるということを再認識させるに至った。

 

 ――くそが。

 

 布都は跳躍した。

 宙に上がった布都は、そのままとどまり、大きく手を広げた。

 鬼を中心とした風の渦が起こる。

 竜巻。

 霊力が練り込まれた鋭い風は刃となり、岩ごと周囲を切り裂く。

 が。

 衝撃。

 空間が揺れるような音と共に、掻き消える。

 

 ――殴ったのか。

 

 見ていたからそう思った。

 だが、それが真実なのか疑う気持ちもあった。

 しかし、たしかに殴っていた。

 鬼は無傷。

 布都は目の前の者が鬼であることを、また再認識させられることになった。――いや、ここでようやく鬼というものを理解させられた。

 理不尽なまでの力。

 およそ人の身では届きうることが出来ないだろうと思わされる程の差。

 単純に、傷を負わせることすら出来ないかも知れない。文字通りの必死でようやく傷をつけられるのではと。だとすれば、どうやって倒すまで至るのかと。いや、どうしようもないという答えが出るのみであると。

 

 ――それでも。

 

 布都は地に手を着いた。

 鬼の足元から土が盛り上がり、鬼を跳ね上げる。

 宙に浮いた鬼に向かって、地面から伸びた土の矛が殺到し、――砕ける。

 即座に炎を作り、地に降り立ったばかりの鬼に向かって発射する。――も、腕を払われて霧散する。

 

 ――これが、これが鬼なのか。

 

 悔しかった。

 悔しくて仕方がなかった。

 よもや、

 

 ――この物部布都が全力を出さねばならぬのか。

 

 布都は息を吐いた。

 

 ――おののけ。

 

 布都か立ち昇るものが一気に増す。

 布都の瞳が鬼をねめつける。

 

 ――お前が誰に向かって何を言ったのか、分からせてやる。

 

 こいつは、我をご機嫌伺いに来た巫女くずれと思ったのだ。

 こいつは、我を他の人間と同一と見た上に、それらの為にやってきたのだと思ったのだ。

 こいつは、我が万に一つにも敵うことがないと、そう思ったのだ。

 

 鬼と人である、という理由だけで!

 

 ――こいつのこいつたる部分をずたずたに引き裂いたのち、殺してやる。

 

 許されることではなかった。

 憤怒を込め、それでも抑え、想いを口にする。

 

「届く、届かぬではない。上に居たつもりでもなったか木偶。増長が行き過ぎて角が伸びたのか? 思い上がるなよ」

 

 誰に口を聞いたか?

 

「我は物部布都である。道も無くば理もない」

 

 何かを握りつぶすように、手を握る。

 

「また、未知も無くば断りもない。一切のそれが更新されることなく、ただ前もって決まっていた事実が訪れる」

 

 見据える。

 

「お前のくだらない敗北という死」

 

 それが事実であると。

 

「教えてやる」

 

 口を歪め。

 

「我は物部布都。それだけよ」

 

 宣言した。

 布都は駆ける。

 即座に鬼のふところに寄り、遅れて向かい撃ってくる拳に構わず掌底を放った。

 空に打ち上げられた鬼、両手に力を練る布都。

 鬼は布都を見下ろし、布都は鬼を見上げる。

 そこには物理的なものと、精神的なものが同一していた。

 布都は示す。

 

 ――お前が上に居るのではない。

 

 ただそう思うだけであると。

 そもそも基準が違うのだと。

 上も下も、右も左も、どこかひっくり返してしまえば狂ってしまう。基準とするものを変えてしまえば、全てが変わる。そんなものでしかないのだと。

 

 ――勘違いに我を付き合わせた報いを受けろ。

 

 布都の両手から視認可能になった力が鬼へ向かって放たれる。

 それは二対の蛇が絡み合うように鬼へと向かう。

 霊力と妖力。およそ合わさることのないそれが、自然と共生したように存在している。そしてそれを覆うように禍々しい瘴気のようなものが包んでいる。

 威力だとか貫通力だとかそういうものではなく、ただただそれを受けてはいけないと、鬼にそう思わせるものがそれにはあった。

 空中で身をよじり避けようとする鬼であったが、叶わない。

 布都の放った光線は周囲を巻き込むように進み、わずかにかわしたはず鬼は空間ごと引き寄せられた。

 鬼の横腹を存在が矛盾しているような光線がえぐった。

 

「ぐっ」

 

 鬼が地に落ちる。

 轟音と土煙が舞い上がる。

 鬼は立ち上がると、ゆっくりと口を開いた。

 

「お前は、――何だ?」

 

 布都はせせら笑う。

 

「愚か者め。物部布都、そう言ったであろうが」



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第18話 鬼、そして鬼

 鬼は腹に触れると、かすかに笑った。

 

「認めよう。お前のようなやつは初めて見た」

 

 和らげな声。それに反する力の胎動。

 鬼から出た圧が空間を押しのけ、布都に到達する。

 髪が肌が神経が心が、振動を受ける。

 

「お前は楽しめそうだ」

 

 ――この圧。

 

 人の域を優に超えていた。

 

 ――我の三倍、いや四、五……。

 

 布都は鼻で笑った。

 鬼と人。その差は歴然。

 

 ――ここまでの差であれば計るだけ無駄なことよ。

 

 黙ったままの布都。鬼は声をかける。

 

「なに、心配することはない。その全てを出し切って見せよ」

 

 と、誘う鬼。

 布都は眉間にしわを寄せた。

 

 ――しかし、こいつまだ分かっておらん。

 

 その差が絶大なれど、無限ではない。また、力と力をぶつけ合うようなものでもない。

 布都は鬼の言うままにしてやるのも癪だと思った。 

 

 

「――そちらから来たらどうだ? よもや怖くて仕掛けられぬではないのであろう?」

 

 にしても雑な挑発。

 しかし、

 

「――よかろう」

 

 効果はあった。

 鬼が踏み込む。

 地が爆ぜ、音を置き去りに――。

 すぐさま布都の目前にまで。

 音、そして。

 

「ふんっ」

 

 拳が迫る。

 身を反らし、躱す。

 が、風圧で吹き飛ばれる。

 塵が吹き飛ぶように、布都の身体はすっ飛んだ。

 張り合うことすらかなわない。

 力と力。両者の間では拮抗すらせずに砕ける。

 布都には躱す以外に術は無い。

 地と水平に、布都は木の側面に足をつき、勢いを止めた。

 

「まだだ」

 

 鬼はすでに眼前にまで迫っており、次なる拳を繰り出していた。

 視認するやいなや、布都は木を蹴る。

 が、またもや風圧で飛ばされる。

 

「気を緩めるなよ。すぐに終わってしまう」

 

 布都は数度身を回転させた後、地に立った。

 鬼が再度迫ってくる気配はない。

 

 ――終わってしまえ。

 

 布都はそういう気分になった。

 まるで、壁に話しかけているような。

 

 ――さっさと喰って仕舞いにするか。

 

 鬼と人。

 そこには確かに覆ることのない差があるのかもしれない。

 しかし、人と一括りにして物部布都という個人を見れていないのであれば、届きうる刃を見落とすことになるかもしれない。

 

 ――我が勝ち、生き残る。

 

 布都は気を固めた。

 腰にさげていた刀を引き抜き、地面に投げ捨てた。しょせん戦闘には役にはたたない飾りである。布都にとっては多少とはいえ、重りにしかならないものを提げたままで戦うほど目の前の鬼を舐めていない。

 布都の勝利は、鬼の生命を絶えさせること。敗北とはその逆、自身の生命が絶えることである。

 固めた気というのは、その二つ。

 殺すか殺されるか。

 これはただの遊びではない。

 正真正銘、命を賭けた遊びである。

 二者択一。

 血に酔うよりも気持ちよく酔える、布都の知る唯一の方法。

 

 ――屠自古。

 

 賭ける必要の無い命に、する必要のない戦闘。

 それでもせずにはいられなかった。

 

 ――もし我が帰らなかったらどう思うだろうか。

 

 満たされてしまった。

 存在そのものを慈しんでしまうような。

 思いは想いに。

 想いは恐れに。

 自分が変わって別の何かになってしまうような。

 そんな怖さに突き動かされ死地にまで来た。

 それで分かった。ちゃんと知ることが出来た。

 今この場おいても、自分が何も変わっていなかったていうこと。そして、おそらくこのまま生きて帰りまたあの屋敷に戻れば、また変わらない自分を知ることになるであろうということ。

 それら全てが自分の一部。

 

 ――充分。

 

「そら、さっさと来い」

 

 布都の挑発。反応した鬼が再度迫る。

 布都は足を地から離さない。逆に根を張るように、地面に力を流す。

 鬼の拳。

 布都は身を揺らし、躱す。

 今度は吹き飛ばない。

 布都はそのまま手を伸ばす。

 その手は黒く染まっていた。

 全てを腐蝕させてしまいそうな禍々しさ。

 鬼は本能でそれが決して触れてはいけないものの類であると覚った。次なる攻撃を繰り出そうと、前のめりになっていた体勢を崩して後ろへと跳ぶ。

 間髪を入れずに布都は追う。

 一気に詰め寄ると、手刀を振るい下ろした。

 鬼の頑強な皮膚は、布都の手の侵入を肩口から許した。傷すら滅多に負うことのないはずの鬼の剛皮が、溶けるように崩れていく。

 人の攻撃など、到底届きうるはずがない。そういう考えから更新できずにいたから、鬼は当たることになった。いや、避けれなかった。注意さえ向ければ認識出来ていたはずの死をみすみす見逃したのである。

 布都の手がさらに奥深くへと沈んでいく。

 その手が黒く染まっていたのは、侵入したその時だけで、肉に分け入った時にはすでに元の白さを取り戻し、同時に鬼の体内の液体により赤く染まっていた。

 布都の手が目的の物に達する。

 肝。

 ぐぶりと音を立てながら、抜き取る。

 

「――が、ふっ」

 

 たたらを踏む鬼。

 布都は口を開くと、鬼の首に噛み付いた。

 剛皮は多少の抵抗したが、深手のうえ肝まで取られた状態では耐えられずに噛み千切られた。

 布都はそれを吐き捨てると、鬼の首の傷口に、空いた方の手を突っ込む。そのまま身を回転させると、鬼の首が胴と離れた。

 一回りすると、布都の目に落ちていく鬼の首が映った。その様子を見ながら持っていた肝を喰らう。

 

 ――ああ。

 

 身に快感が染みわたる。

 それは得も言えぬ快楽。

 身が体が、歓喜する。

 それにともない、心も喜ぶ。

 でも、

 

 ――満ちていない。

 

 屠自古の顔が浮かんだ。

 喜んだはずの身体と心に不足を見つけた。

 布都は、口元を袖で拭うと、傍にあった木に腰を掛けた。

 抗えない脱力感。

 

 ――さすがにくたびれた。少しゆっくりしよう。

 

 瞼がゆっくり落ちた。

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

「なぁ、そろそろ起きないか?」

 

 布都の脳が言語を知覚した。

 

 ――妙な気配だ。

 

 確かめようとすると、まるで煙を掴んだかのようにとらえようが無かった。

 

 

「いやぁ、しばらく眺めてたんだけど、そろそろ動いてるとこが見たくなってねぇ」

 

 目を開き、半身起こす。

 すぐそこにいた。

 童女のような姿に、大きく伸びた枯れ枝のような二本の角。

 

「誰だお前」

「見て分からないかい? ――鬼だよ」

「そんなもの見れば分かる」

「そうかよ」

 

 ――圧がない。

 

 布都はいぶかしんだ。

 鬼であれば周囲を押しつぶしてしまうほどの圧があるものだと思っていたし、事実さっきの鬼はそうだった。

 

「我に何のようだ」

 

 同胞の敵討ちにしては、どうにも纏う雰囲気が軽い。寝てる間に攻撃してこなかったのもそうで、なんというか、妙に妙である。当の鬼は手に持っているひょうたんを、しきりに口に寄せてぐびぐび飲んでいる。鼻につくほどの酒の臭いから、中身が酒であるということは分かるが、やはり目の前の生き物がよく分からない。

 

 ――酔ってるからか?

 

 笑みを絶やさず、楽しそうにすら見える。

 

「それ、お前がやったんだろ」

 

 鬼は視線を、布都が殺した鬼に向けた。

 

「さぁな。そんなもの初めて見たわ」

「おいおい。そういうのはよそうぜ」

「ならば、分かりきった問いなどせぬことだ」

「お前、嫌なやつだな」

「褒めても何も出らんぞ」

「どうやら真までそういうやつらしい」

 

 布都は立ち上がる。

 その動作もじっと見られた。

 気味が悪い。

 

「――いい加減用件を言ったらどうだ?」

「じらされるのは嫌いなたちか?」

「ああ。逆なら好みであるが」

「それなら私もだ」

 

 鬼はうれしそうに笑う。

 

「ただ聞きたかっただけさ」

 

 もう一度、鬼は死体に視線をやった。

 

「――どうやってやった? およそ人になせるものじゃない」

 

 笑みは絶えていない。が、どこか刺すような空気がかすかに混じった。

 

「言わなかったか? それが倒れていることに、今さっき気づいたばかりだ。もしやそれ、死んでおるのか?」

 

 口を――、首回りを――、真っ赤に染めた布都が嘲笑しつつ、そう言う。

 

「なるほどなぁ。……まぁ、いいか。これは始めに伝えていなかった私の落ち度でもある」

「ん?」

「私は萃香、見ての通り鬼だ。そんで、鬼ってのは基本的に嘘が嫌いだ」

 

 布都は首を傾げて見せた。

 

「……そんなもの知っているが?」

「そうかよ」

 

 鬼、萃香は首を振った。

 鬼という言葉を聞いただけで、顔色を変えるのが人間である。

 しかしどういうわけかこの目の前の人間は、挑発さえしてくる。そもそも鬼なんてものは、嘘をつかれると直感的に分かってしまい、内に怒りの芽が生えてくるものであるが、不思議と目の前いる嘘を吐いているはずの妙な人間には腹が立たなかった。

 その理由も萃香には何となく分かっていた。

 答えは至極簡単で、目の前の人間が嘘をついていないから。とはいえ、真実は言っていない。ただただ純粋に目の前の人間は、自分の心に嘘をつかずに、相手にもつかずに、真実の出来事を言葉に換えていないだけで、その実ずっと本心を言っていた。

 そして、布都は直接それを口にした。

 

「――ところで、いい加減かかってきたらどうだ? 図体のように気の小さい鬼だな。でかいのは角だけか?」

 

 最初から喧嘩を売っていたにすぎなかった。

 

「我は物部布都である。物言いはつまらなかったが、あの鬼の肝はたいへん美味かった。この幸運に感謝して、元気におかわりといこう」

 

 闘気を露わにする布都。

 萃香は顔色を変えない。

 

「んー。それも悪くはないんだが、ちょっとその気分ってわけでもないんだなこれが」

 

 懐かしむように、倒れている鬼を見る。

 

「そいつ、……まぁ馬が合ったというわけでもないが、それでも付き合いはあった方だ。私がこの近くにいたのも、こいつの力を感じて来たのもそうだ。ちょっと様子を見に来ようかと思えるくらいはあったんだ。だからさ、聞きたいんだよ。どういう風にやったのか。何も復讐しようって腹じゃあない。なぁ、聞かせてくれないか?」

 

 正面。目が合う。奥まで見ようとする意思が伝わる。

 

「アイツの最期。そしてその経過。鬼を殺す人間なんて聞いたことがない。ああでも酒に毒を入れたとかは無しだよ。周辺で暴れてほしいならそれでもいいんだけどさ」

 

 布都は目を細める。

 

「教えてほしいか?」

「ああ」

「ならば言おう」

 

 布都は口を歪め、

 

「毒を使ってだな?」

 

 せせら笑う。

 

「策を弄し、罠に嵌め、毒を盛り、動けないところを執拗にいたぶってやったわ」

 

 これまた明確な挑発。

 萃香は頭を掻いた。

 

「うーん、話が進まないなぁ。どうしてそこまで本当のことを言わないのか」

「馬鹿め。言う義理も必要もないわ」

「まぁそうなんだけどねぇ。いやなんていうか、ほんとにやる気はないんだ。なぁ、もう楽しんだろ? そろそろいんじゃないか?」

 

 歩み寄ろうとする萃香。――だったが足を止める。

 布都から立ち上る気が一気に上昇する。

 

「やる、やらないは、お前の決めることじゃあない――」

 

 布都から立ち上る気が、鬼の萃香の足を止めた。全てを浄化するかの如く清らかすぎる霊気に、全てを覆い隠し惑わすような妖気が混ざり合っている。

 

「おいおい、なんだそりゃ――」

 

 その萃香の疑問は言葉として答えられることなく、形として、語る意思なしというもので答えられた。

 人の身体から妖気が出てくるというあり得なさ。そしてそれが、相反するはずの霊気と混ざっているというさらなるあり得ないさ。

 萃香はそこに見過ごしてはいけないものを感じた。

 何か違う。何かを修正しなければならない。そう、根本から。

 

「お前、何だ――?」

「あぁ?」

 

 疑問には答えられず、二つの気が混ぜられた光弾が萃香に迫る。

 腕を振り、手の甲で軽くはじく。

 脅威、ではない。

 だが、問題ないとするのはよくない。勘がそう告げる。

 萃香は諦めて、付き合うことにした。

 

「言葉で聞けないのなら、もう仕方がない。こうなりゃお前の望む形で聞いてやる。加減が難しいんだからな? うっかり死ぬなよ?」

 

 萃香は闘気を表した。




難産&難産
そして難産

遅くなりすぎて申し訳でござる


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第19話 致死毒

いつもの倍くらいあります(平均換算)


 鬼にも階級のようものがある。

 それは力の強さというかケンカの強さで決まるような大雑把なものであったが、それなりにしっかりとした上下の関係があった。口の上では軽く接していても、その奥にどこか尊敬や畏怖があった。

 そんな鬼の間で、一番に名が挙がるような存在が萃香である。

 酒好きの鬼といえども、萃香ほどいつも飲んでいる者はいない。いつも酔っていて、頬が赤い。そんなことから、酒呑や朱点だったりと呼ばれていたりする。

 未知や恐怖の権化である鬼の中でも特別に目立つ存在。

 今、萃香はその力を人、――それも一個の人間に向けようとした。

 

「脅しじゃないんだからな? くたばんなよ?」

 

 見た目は童女。振り上げる拳もまた同じ。

 だが振るうと、軌道に接していた空間が擦られ叫びを上げる。拳の前にあった空間は押し出され、空気の弾となって布都の肉体に向かう。

 

「――っ」

 

 布都はとっさに半身をずらし避けた。

 その瞬間、先ほどの鬼との差を感じさせられた。

 

 ――当たれば終わる。

 

 身体が吹き飛ばされるような攻撃ではなく、当たったその箇所が吹き飛ぶであろう。

 

「お、いい反応をするな。まぁ、そうでもなきゃ、ほとんど無傷で鬼なんて倒せないだろうけどな」

 

 余裕を見せる萃香。布都は舌打ちを我慢した。

 

「そら、次いくぞ。避けろよ――」

 

 萃香はゆったりとした動作で振りかぶり、また殴った。

 言語では表現しがたい音と共に、布都に向かって空気が襲う。

 およそ人の身では視認出来ようはずがないそれ、しかし布都は避ける。およそ勘と、極限までに高まった集中力がそれを可能にさせている。

 

「よーし、次は連続でいくぞ」

 

 瞬間、布都は川にでも飛び込むように横へ跳び、接地前に手を着き、もう一度跳んだ。

 認識からだいぶ遅れて後ろから木々の砕ける音が聞こえてくる。

 砕けた木々の倒れる音まで聞いている余裕はなかった。

 布都はまた回避行動に移る。

 空間の叫び声に呼応したように木々が悲鳴の声を上げていく。

 

 ――どうやって近づけばいい? いや、近づいた所で危険が増すだけか?

 

 絶対的な力の差をここまでありありと見せられると、さすがの布都も策と呼べるようなものがまったく浮かばなかった。

 どうしようもない。

 そんな言葉が出てくるのを抑えようとするも、抑えきれずに脳裏を支配する。

 決死で近づいた所で、傷を負わせることが出来るのかさえ怪しかった。至近距離で攻撃動作などしようものなら、代わりに半身がふっとばされそうな予感もしてきた。小石が大岩を砕こうと玉砕するが如き真似ではないかと。多少の傷をつけることが出来たとしても、それと引き換えに自身が砕けてしまってはなんの意味もない。

 

「ふぅ」

 

 息を吐く。脳裏の思考を外に出すように。

 

 ――そのようなこと考えていては死ぬだけ。

 

 欲しいのはやらない理屈ではなく、敵を殺す理屈。ぐだぐだと危険ばかりに思考を巡らせていては、いつまで経っても状況は改善されないだろう。

 だからといって考えを止めて突っ込むような無策無謀をすれば、そこで全てが終わる。

 

 ――何でもいい。

 

 そう思った布都は、腰にさげていた刀を手に取ると地面に落とした。

 少しでも身軽にするため。

 手が思い浮かばないのなら、出来ることは現状を思いつく程度で最善化することくらい。とはいえ、身に着けていたものを外すことくらいしか思いつかなかった。

 布都の葛藤にも似た思考をを読んだかのように、萃香は攻撃動作を止めて口を開いた。

 

「ん、満足したかい?」

 

 その言葉で、布都は硬直した。

 腹の奥から立ち上った熱が脳を貫く。

 身体が前傾姿勢を取り、――止まる。

 

「――ふぅ」

 

 大きく息を吐く。

 

 ――落ち着け、落ち着け。

 

 念仏のように唱える。

 もう一度、息を吐き、言葉を吐く。

 

 ――思考を変えろ。

 

 熱に従ってしまえば、火中に飛び入る虫と同じ結末が待っている。一時の情動で捨てるほど、現世に未練が無いわけでもない。まだ得ていないものがある。

 

「満足したことなど無い。それともお前はあるとでも?」

 

 くりっとした瞳を見つめる。

 

「当然。今この瞬間もね」

「何故」

「私が私であるから」

 

 その表情、声色からは、微塵の混じり気も感じられない。

 

「酒に喧嘩。これがあれば私は満たされるのさ」

「偽りなく?」

「ああ」

 

 布都には分からない。

 

「納得いっていない様子だな」

 

 酒も喧嘩も知っている。布都にとってもよく親しんだものだ。そしてそれらが、満ち足りたと感じた瞬間から抜け落ちていき、決して内に留まらないものであると。

 

「人間というのはいい。可能性の塊だ」

「何が言いたい」

 

 焦らされるのは嫌いな性質である。

 

「教えてやるよ。お前はまだ可能性の中にとどまっていたいのさ。満ち足りたければ、これでいいと、そう思うことだ」

「そんなものは――」

「そう、つまらないだろう。でもそこに満足がある。要はそう思えるかどうかさ」

「思えるはずがない」

「正しさなんかない。好き嫌いの問題にすぎないのさ」

「馬鹿らしい」

「いや、真実だ」

「何故」

「それが真実だから」

「どうしてそう言い切れる」

「知っているから」

「何を」

「それが真実であると」

「阿保らしい」

「そうでもない」

 

 ふざけた問答だと、布都は思った。無駄だったとすら。

 

「――いや、違うな。阿保にでもならなければ分からないことがあるのさ。特に賢いと思ってるやつには近づきようがないものでね」

 

 布都はこの無駄とさえ思える問答を切り捨てられない。

 

「あれこれ考えるのを止めにして、衝動で行動してみなよ。きっと楽しいぜ」

「今衝動で動けば死ぬが?」

「そうだな。でも、そうじゃないかもしれない」

「言いたいのはそれだけか?」

「はやるなよ。せっかく楽しくなってきたのに」

「さっき言ってたことと違うようだが?」

「いや、違う違う。満ち足りた上でさらに楽しむのさ。酒にはつまみがいるだろう?」

「そうか? なくともいけるぞ。何もなくとも月でも見てればそれでいい」

「なんだよ。分かってるじゃあないか。うんうん、やっぱそうだと思ったんだよな」

 

 ――遊ばれているのか?

 

 いい加減頭が痛くなってきた。

 

「お前は分かってるけど気づいてないだけなのさ。つまみがないから、月を見る。これは誤魔化しでも妥協でもない」

「分からん」

「そんなはずはない。一度でも、満ち足りたようなことが本当にないか? その後にそれを打ち消そうとしただけじゃないか? ただ認めたくないだけで」

「知らん」

「いいことを教えてやる。満ち足りる方法なんていくらでもあるのさ。その中で好きなものを選んで、好きな楽しみ方をすればいい。お前が認められないのは、その方法か、それとも楽しみ方、それらを見つけられていないだけってこと。言っただろ、衝動で動いてみろって。――ここを使い過ぎなんだよ」

 

 萃香は頭を指して見せた。

 

「食うことや飲むことが好きなやつは出来るものだよ。なぁ、物部布都」

 

 少しだけ分かってきた。思い当ることは無くは無い。

 しかし、それを初対面の奴に言われたことがなんとなく気に入らない。

 

「その時、その瞬間を、舐め干すように楽しむ。何かをする時、それが一番楽しくなるように自分を沿わせるのさ」

「要は気分次第ってことになるが?」

「いいんだよ。それが一番大事なんだから。行うことそれ自体が楽しければ、その楽しさを全力で楽しめれば、それで満足出来ないなんてことはない」

 

 酒に酔うような、刹那的快楽。

 

「そら、楽しもうぜ。楽しまなきゃ生きてても損だぜ」

「酒に酔ったように行き、醒めれば死ぬのか?」

「ほら、お前はやっぱり分かってた。――最高だろ?」

 

 分かっているけど、気づいていない。

 布都の中で、萃香の放ったその言葉がようやく溶けた。

 この瞬間が永遠に続いてもいいと思えるほどの瞬間を求める。その求めてる瞬間もまた素晴らしく、なによりその瞬間は一つではない。どれも違った快楽があって、その楽しみ方も一様ではない。それを追い求めるのが人生とするならば、なんと良き生を送れるのだろうか。

 

「お、いい顔で笑うじゃないか。惚れてしまいそうだよ」

「ならば惚れてしまえばいい」

 

 布都の笑みがすこしずつ――。

 

「おいおい」

 

 官能的なものを孕んだ異質なものへと変貌していった。

 生とは繋ぐこと。死とは絶えること。

 布都の笑みのそれは、あきらかにその対のもの両方を有していた。

 

「――ゆくぞ」

 

 視線が交差する。

 

 ――なんなら、惚れさせてやる。

 

 物部布都という存在が心に魂にこべりついて終始気になってしまうくらいに。

 

 ――我も忘れずにいてやろう。

 

 この瞬間を何度も思い出すように。

 

 ――萃香という存在を残すことなく味わおう。

 

「この瞬間を永遠にと願えるように――」

 

 布都は駆けた。

 そこまで離れていない距離。

 一瞬。

 詰め寄る。

 

「っ!?」

 

 慌てたような鬼の反撃、布都は確信する。

 何かを警戒しているような動き。いや間違いなく、警戒している。それが何かはだいたい検討はつくものの、確証まではない。

 視線が交差すると、互いに地を蹴って距離を取り合った。

 きっとそいうことなんだろう。

 

 ――この駆け引きこそが、対話なのだろう。

 

 言葉を必要としないがゆえ、心の対話になり得る。

 それでもやっぱり言葉を要したくなるもので。

 布都は反撃した鬼に言う。

 

「何だ、恐れているのか?」

「まさか。私は鬼だぞ? 恐れられるのはこっちだ」

「そうか。確かにそうに違いないであろう。――でも、もし恐れることがあればどうか」

 

 布都は、数歩近づく。

 

「それはきっと、恐れられる者が恐れるようなそんなもの。――としか言えない、説明不可の存在であろうよ」

「それがお前だってか?」

「違うか?」

 

 萃香はにやっと笑った。

 

「そうだと嬉しいな。正直期待してるんだなこれが」

 

 萃香から発せられる妖気が爆発的に上がる。

 人が、とか。妖が、とか。そんな分け方がどうでもよくなるほどの力の奔流。

 布都はもう一歩踏み出す。

 ざわめく木々に地の数々。

 恐怖はある。でも怖くはない。その矛盾。

 布都の口が歪む。

 何故楽しいのかも分からない。

 でも今楽しんでいることは確かで。

 今ここで飛び掛かっていくのもいい。――が、布都はこの状況でもさらに言葉を交わしたくなった。

 

「こういう高揚感は初めてかもしれん」

「お、そりゃいい。ま、私は何度かあるけどな」

 

 相手は鬼である。人の世で暮らしてきた者には遭遇し得ない体験もするであろう。

 

「そうか」

 

 萃香は鼻を鳴らした。

 

「気に障ったかい? だが人間相手には初めてだよ」

「ふむ?」

「妖怪や神に仙人。こいつらと喧嘩するのは楽しい。つええからな。でもただ強いってだけじゃあ、やっぱりちょっとなぁ? ――お前なら、もう分かるだろう?」

「まあ」

「そうそう。ここよりずっと北に妙な連中がいたんだ。そいつら人間のくせに強かったんだが、やり合うとこれがまた楽しくないのなんの。最後の喧嘩がそれだから、人間とやるのはなんとなく気乗りしなかったんだが、お前を見ているうちに気が変わったよ」

「惚れたか?」

 

 二度目。

 

「ああ、惚れさてくれ。そんで、そのあとに飲もうぜ」

「生きていたら、だろう?」

「当然」

「そろそろ――」

「ああ――」

 

 命を放り出すかのような戦闘だというのに、わざわざ合図をして互いに確かめ合った。

 手を取って歩くのも、刃を交わし合うのも、そう大きくは変わらない。違いは形だけ。もっとも互いがその気であれば、であるが。だが布都と萃香の両者はすでに諒解を終えている。

 

 まず布都が動いた。

 短く地を蹴り、距離を詰める。

 対する萃香は身体を弛緩させたまま、布都の行動を待っていた。酒気のする吐息が心地良く、状況も合いまって精神的高揚がそのまま萃香の集中力に繋がった。

 どちらかが動かない限り戦闘にはおよそならないが、先に動いたのは人間の布都。

 鬼か人間か、そのどちらかが仕掛けるといったら、ほとんど人間からだろうが、この二人の場合は少し事情が違う。鬼や人間といった種族ではなく、ただの個人の性格によるものでしかなかった。萃香は興味を持ったものに対して、少し観察してから動き出す癖があり、布都は身を放るようにして対象を確認しようとするところがあった。布都は、想像通りで終わってしまうほど退屈なものはないと考えている。これの一番の対策は想像しないことであるが、無策ではすぐに潰える。布都はその狭間にいる。

 駆け寄る途中、布都は息を吹いた。

 肺で練られた霊力が、口から吹きだされ外気と混じると火と変じた。

 それは萃香の視界から布都の身体を隠すには充分だった。

 燃え吹きあがる炎。

 明かりが灯され、森の一部に光と影が出来た。

 対する萃香は瓢箪の中身をくいっと口に含んだ。

 迫る布都。

 合わせて萃香は口に含まれていたものを吐いた。

 鬼を酔わす程の酒に、鬼の妖気。それらが練り混ざり焔と化す。

 布都のそれは風船のよう。

 萃香のそれは槍のよう。

 いや、槍とするにはあまりにも強靭。その火は暗闇を強引に押しのけ、視界を焼くほどに周囲を照らした。

 やぶれた風船は空気に溶け混じり、突き破った槍は轟々と燃えさかる。あまりの熱に、地面の草々が耐えれず縮こまり頭を垂れる。

 その攻防の間に、炎に姿をくらませていた布都は萃香の側面、死角から迫っていた。

 

「っ――」

 

 腕を振るう。

 手刀。

 限界まで研ぎ澄まされた霊気。それは刀匠が幾年も掛けて打ち鍛えた刃のようにして手を纏う。

 布都の判断は簡潔だった。斬撃をいくら飛ばしても斬れぬ。ならば、直接斬る。

 速度充分。遅れて気づいた萃香にはもはや避けることが叶わないだろう。

 これが通じるかどうかで、次の攻めが変わる。

 ところが萃香は防ぐ手立てを見せない。

 不審ながらも、振るう腕を止めない布都であったが、――気づいた。

 萃香が拳を握った。

 攻撃と攻撃の交差。

 すなわち、痛み分け。

 

 ――否。

 

 死と傷は等価ではない。

 だが、ここで引けるだろうか。布都の中にそんな思いがよぎる。

 死の直前の刹那。

 身体は本能を叫び訴えた。避けろ、逃げろと。

 意思は吠え猛る。引くな、行けと。

 本能に準じるなら、そもそもこの戦いはしてはないけない。そもそも鬼に近づこうとしてはいけない。

 布都は、叫びを採った。

 攻撃を止め、回避行動へと移行する。

 両断せんと萃香目掛けて縦を向いていた布都の手が、動きそのままで向きを変え手の平を見せた。刃状にあった霊気が手の平に集まり、布都と萃香の間の空間を一枚の板を叩くようにして衝撃を放った。

 互いの身体が浮く。

 萃香はわずかに。布都は大きく。

 宙の浮きざまに、布都は足でも同様のことを行い、さらに距離を取った。

 

 ――臆したのではない。

 

 自分にそう言い聞かせる。

 あのままであればおそらく死、もしくは最低でも戦闘不能の状態に陥っていたであろう。

 

 ――適切だったはず。

 

 布都の眉間にしわが寄る。

 

 ――しかし、何故。

 

 納得できていない。どこか引かかりを覚える自分がいるのか。

 理屈でなだめようとしても、それで理解しても、どこかしこりがある。そんな自分に戸惑う。

 その葛藤を払拭するように、再度突っ込む。

 強くなる悲鳴の訴えを無視して、猛る意思に添う。

 

 ――もう出し惜しみはするまい。

 

 布都の半身が黒く染まっていく。

 先ほどと同様に、布都は近づきざまに息を吹いた。

 違ったのは炎ではなく、霧のようなナニカであること。

 黒い灰だか小蠅だか判断つかないものが、吹き出し萃香へと向かう。

 

「っ――」

 

 ぎょっとした萃香だったが、即座に回避行動をとった。

 萃香のいた後、その地点にあった草木が一気に腐蝕したかのように、その形を崩した。

 布都はもう迫っている。

 回避先の萃香に、接近し、黒く染まった腕を伸ばしていた。

 萃香は向かい撃たずに、避けた。

 穢れ。もしくは、世界から出た膿のような。形容しがたいものを感じさせる。

 さらに追撃しようとする布都に、萃香は見せた。

 腕っぷしだけではない萃香としての本領を。

 萃香の姿が霧のように薄れていく。

 

「なっ」

 

 布都の動きが止まる。

 

「わりぃな。それはまずそうなんでね」

 

 姿を消しながらそう言う萃香は、布都がどうやって鬼を殺すことが出来たかを知り、驚愕と恐怖を覚えた。鬼同士で喧嘩するときでもめったに使わない能力を人に使うくらいには。

 

「……どこにいる?」

 

 これでは攻撃のしようがないと動きを止める布都に、萃香は答える。

 

「まあ反則みたいなもんだ。そっちのも見せてもらったし、説明はするさ」

 

 布都は周囲を見回しながら、警戒を怠らない。萃香の気配をそこら中から感じている。

 

「私はあらゆるものの密度を自由に操れるのさ。自分も含めてな」

 

 布都は鼻を鳴らした。

 

「反則じゃないか」

「そうでもない。お前のそれを見たらな」

 

 布都の半身を黒く染めていたものはもう引いていて、自身の髪色に似た霊気すら漂いそうな白々とした肌に戻っている。

 

「だが、あまりおすすめはない。お前、もう長くないぞ。そしてその力を使えば使う程、残りの時間が大きく削られていくはずだ」

「自分の身体のことくらい自分がよく分かっておる」

「だったら何故そんな無茶をする?」

「焚きつけたやつが何を言うか」

「まぁ、そうか」

 

 布都は深い笑みを作ると、唇を舐めた。

 

「それに先ほど少し伸びたしな。鬼というのはたいそう美味なるものであった」

「で、私も喰おうってか?」

「涎が滴るほどに」

「目が悪くなったかな? 見えないが」

「ならばさっさと姿を現して、目ではっきりと見るがいい」

「そうさな、気が向いたらな」

 

 ただ乗り気じゃない、というよりは何かある。

 

「よもやそのまま去る気ではないだろう?」

「そうなんだがなぁ。どうにもなぁ」

「臆したか?」

「ま、そうなるな」

「認めるのか?」

「さすがに死ぬかもしれんし」

「覚悟の上じゃないと?」

「いいや、そういうんじゃない。ケンカってのはそういうもんだってのは重々承知だし、だからこそ楽しい。でもだからって、命を捨てるのは面白くない」

「面白くない?」

「死んだら楽しめねえだろ?」

「まあな」

「その塩梅が、意地を採るなって方に傾いているのさ」

「ふむ」

 

 姿を現さない理由。なぜそのまま仕掛けてこないか。

 布都は答えにたどり着いた。

 気乗りはしない。そう思いながらも、布都の塩梅は意地に寄っていた。

 布都は大きく空気を吸うと、体内に溜めた。

 布都の半身が黒く染まる。

 染まる部分が、回数を増すごとに広がっていくのを布都は知覚している。

 

「おいおい、またかよっ」

 

 何かする。と、霧状の萃香は警戒を強め、布都から離れるも――。

 周囲に黒い霧が急速にまき散らされ。わずかに汚染される。

 ぞわりと、気味の悪い不快感を自身の一部から感じると、萃香はその部分を自分から切り離した。繋がりを失ったそれはただの粒子となり、萃香は肉体の一部を失なった。

 引くのが遅かったと後悔する萃香だったが、これで終わりと決まったわけではない。次があるかもしれない。後悔するのは後でいい。自らも病む致死の猛毒。何故その当人が生きているのかさえ怪しくなってくるほど。

 

 夜の森。立ち込める黒霧により、視界は皆無に近かい。

 未来はまさしく未知。暗雲轟々として先は見えずとも、高揚感は増すばかり。今、この一瞬を刻々と――。

 



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第20話 灰銀

 闇の濃霧は突如として晴れた。

 閃光が走り、触れたもの全てを光に染め上げていった。

 月光より激しい潔癖な力の奔流。

 全てを侵してしまう禍々しさがあるのなら、全てを拒絶してしまう清らかさもある。

 よく似ているのにひどく違っていた。

 

 閃光が去ると夜の森が戻った。

 正も負もない。ただの壊れた自然。

 虫の音すら聞こえない静寂の間。そこには人と鬼だけが息をしていた。

 身体を霧状から肉体に戻した鬼が言う。

 

「色々と反則だな。どうして成り立っているか、今その理由を知る必要はないけどさ。しかし、興味は尽きないな」

 

 布都が答える。

 

「肉体を霧のように出来るのもよっぽどであろうよ。さすがに人の身では無理がありそうだ」

 

 と、自身を人の身と称した布都は、極限まで高めた霊力により全身が光り輝いている。透けるような白い肌は、もはや本当に透けているのではないかと本気で疑ってしまうくらいに生気に満ちていた。月光を集めて形作ったような、そんな肌。裏を返せば、そこまでしないといけなかったということにもなる。自らの毒に侵されないためにも。

 

「――ま、実は私にも反則技ってのはあるんだけどな」

 

 萃香はそう言うが、鬼の段階で人にとってみればすでに反則であり、そのうえその能力もまた充分に反則であるといえるわけだが。

 まだあるのかと、布都は諦念混じりの想いが湧いた。

 

「――でだ、何度か見せたように集めたり散らしたり出来るわけなんだけど、それって別に私の身体だけじゃないんだ」

「うん?」

 

 言葉の意味は理解出来るが、いまいちピンとこない。

 

「ま、全部言っちまったんじゃ面白くないだろ?」

「要は体験に勝るものなしと」

「そういうこと」

 

 ――だが。

 

 それで死ぬ気もない。

 布都は聞いてみる。

 

「それは致死なるものか?」

「ああ。おそらくな。でも、それ自体はそうじゃない。だが限りなくそれに誘うものだ」

「なるほど。相分かった」

 

 事前運動として、身体を少し動かす。

 

「じゃあ、タネあかしといこう」

 

 必要なのは度胸と理性。

 暴くは死と生の道。

 それには何よりもまず歩いてみることだといわんばかりに、布都は前へと駆けた。

 直進、――ではない。左右に跳びながら進む。

 相手を惑わそうとする。これは、即座に前へと詰め寄ることが可能であると、互いに認知し合っているから意味のある動作。そしてその後に必殺へと繋がる攻撃手段を持っていることも。

 萃香は警戒せざるを得ない。

 駆け引きとは相手に打撃を与えるものがないと成立しないものである。

 

 ――芸が無いのは好かん。

 

 ただ飛び掛かるだけでは、迎撃され、人の身ではそのまま戦闘不能になる。これまでの二回は、炎を吐いたりと目くらましをして虚を突いて近寄ったが、また同じというのは面白くない。面白くないどころか、対応されて手痛いことになるかもしれない。鬼の一撃という負うリスクはあまりにも高い。

 攻め手が決めきれない布都は、次第に萃香の周囲を大周りに回り始めた。近づきすぎると、危ない。が、距離を離したところで有効打は無い。

 対する萃香は動かない。

 訳があった。

 布都が見せた例のものを警戒している。布都のアレは、萃香を充分に警戒させ、軽はずみな行動を許さない抑止になっていた。

 よって萃香は、布都の動向を注視している。

 こうして生まれた膠着であるが、布都にとってこの状況は絶対的に不利だった。

 鬼と人、その体力も歴然。それも今動き続けているのは布都である。そのうえ、先ほどの攻防で布都は命を大きく削るようなことまでしている。それだけでなく、そもそも布都にとってこの戦いは連戦である。それも鬼との。

 

 ――どうする。

 

 布都に焦りが生じる。

 多少動き回ったところで、萃香の認識からは出られそうにない。それは実際に萃香の背側に周った時に感じた。

 突破口が見つからない。

 とはいえ、何かはしなければならない。

 

 ――やるしかない。

 

 布都は仕掛けた。

 萃香の死角から飛び上がり、萃香の上空へ。

 布都はその動きを、萃香が把握していることは分かっている。

 しかしそれでも、どうにかしなければいけない。

 策は――。

 

「それで、どうするんだい」

 

 迷いも何もかも見透かしたような言葉が布都に耳に入ってくる。

 手の平の上で踊らされているような気がして、相当に腹が立つが、ほかに案がない。

 全力でやるのみ。

 布都の全身が高まった霊力でさらなる光を帯びる。

 萃香の頭上、そこから真っ逆さま、頭を下にして手を伸ばす。

 まるで稲妻のよう。布都は地へと急降下した。

 着地、――同時に布都の手の平から伝わった力が電気が走るように地面を割り、その隙間から炎が噴き出させる。

 地を蹴り、距離を取る萃香。そのまま宙へ。

 当然のごとく避けられた布都であるが、分かっていたことなので焦りはない。

 すぐに次の行動へと移す。とにかく攻め立てて突破口をつくらなければならない。

 霊力を練り上げ肺に集め、吐き出す。

 水弾。

 人一人分くらいは飲み込める水の塊が萃香へと向かう。

 その速度、それなり。遅くはなかった。――が、萃香は余裕をもって避ける。

 余裕を残しつつも、萃香は警戒を解いていない。

 もし何かしらで動きが封じられる、もしくはそれに類するようなものがあれば、死ぬこともあり得る。現状の余裕は全てその予期せぬ何かに備えている。実際、布都の繰り出している攻撃は鬼にとっては有効打にはなり得ないものだったが、それでも警戒を続けている理由がそれだった。

 地が割れ、木は腐り枯れ果て、土草は焦げている。

 その全てが布都がやったものであるが、一顧だにしない。

 布都は、とにかく攻める。

 水弾を吐き出したと同時に、飛び寄っていた。

 最中、手を振りかぶり、萃香に到達するタイミングを見計らって振り下ろす。

 が、水弾を回避し布都の動きを注視していた萃香に、やはり距離を取られる。

 それでも、さらに詰め寄る。

 思考が介在する間もない速度。引かれればその分寄り、そしてさらに寄る。

 追い抜かんとするほど。

 時間がない。

 少なくともこうして全力で戦える時が。

 焦燥の中、布都は急きたてられるように攻めた。

 しかし、酔ってふらついただけの動きに見える動作に避けられ、苛烈に攻めようとも霧のように四散され、中々捉えられない。

 

 ――おのれ!

 

 業を煮やした布都は、全ての力を足に集中させ、萃香に体当たりをするがごとくに突貫した。

 ブラフもなにもない。全てを前進に注いだ。

 結果。

 捉えた――ように感じた瞬間、月が見えた。その瞬間、時の進みがゆるやかになった。視界が回転する。意識はまだそのゆるやかな時にまだあった。

 身体に強い衝撃が伝わり、ようやく意識が現在に追いついた。

 木を背もたれに、地面に座っているように体がある。

 状況は分かったが、それしか分からない。

 いまいち動かない思考を捨て、立ち上がろうとする、――も、足が、手が、思うように動かない。

 

 ――な。

 

 ここでようやく痛みを感知した。

 額に強い痛み。

 記憶を辿る。

 あの時、萃香の指が見えていた。

 弾かれた中指。それが額へ。

 

 ――ああ、そうか。

 

 脳への衝撃により回復しきれていない思考で、ようやく布都は現状を理解した。

 

「効いたみたいだな」

 

 けらけらと笑いながら萃香は言った。

 続ける。

 

「言っただろ? 反則は持ってるって」

 

 布都にはその反則が分からない。

 今まで見たものを利用されただけのように思えるし、またこの失敗は自分が突っ込みすぎた結果だろうと思っている。

 

「萃密ってさっき言ったけどね、別にそれって私の体だけが対象じゃないんだよね」

 

 萃香はふふっと楽しげに笑った声が聞こえる。

 

「人の意思だって集めたり散らしたり出来るのさ。――例えば、どうやって攻めようかと思ってるやつの意思を散らしてやると、そいつには迷いが生じる。逆に集めてやると、だんだん攻めることばかりに注意が向く。後は言葉や行動で誘導してやれば、術中に綺麗にはまる」

 

 萃香は得意気に話す。

 

「こうやって種明かしをしても、まったく問題ないくらいの反則だろ? そう思わないか?」

 

 布都は返事をしない。

 

「鬼と喧嘩する時にだって、ほとんど使わないんだぜ? これ。勝負が面白くないうえに、鬼ってのはどうも腕っぷしでぶつかり合うのが好きなやつが多くてどうにもウケが悪いんだ。でも、私はそうは思わない。例え搦め手だろうがなんだろうが、そいつが真剣にやってりゃ、それは称賛に値すると思うし、やっぱり敬意を払うべきだと思うね。そう意味では、さっきお前が殺ったやつとは、意見が合わなくてねぇ。――喧嘩ってもんはそうじゃない。そいつの持てる全てをぶつけ合ってこそじゃないか。そう思わないか?」

 

 布都は動かない。

 万全に動けるためには少しだけ時間がいる。

 ゆっくりと呼吸を繰り返す。一つ一つ意識して、ゆっくりゆっくりと。呼吸により気を取り入れ、身体のすみずみに送り込むように。

 諦めたから、動かないんじゃない。動けないから、動かないんじゃない。

 次に動くために、動いていないだけ。

 萃香の長話をこれ幸いと、回復の時間に当てていた。

 

「で、どうする? 続けるか? ――って、そりゃ失礼か?」

 

 その通りだと言わんばかりに、布都は立ち上がろうとする動きを見せた。

 脚に力を入れ、地面を押す。

 布都の身体はふわりと持ち上がり、――前のめり。全身が地に伏した。

 

 ――な。

 

 回復した。そう思った。

 だが布都は、焦げ混じりの大地の匂いを嗅くことになった。

 

 ――ここが限界なのか?

 

 夜の森。焼け焦げた地面、そして遠巻きに囲む緑。

 吹き飛ばされた布都は、ちょうどその境にいた。腰より上は不毛の大地、腰より下は緑。

 

 ――くそ。

 

 限界という言葉を出してしまった自分に苛立った。それに屈してしまえば、それこそそこが限界になってしまう。多くを逸脱した自分が、その枠を、蓋を、自らこしらえようとするのは何たることか。それが――。

 

 ――物部布都であろうか?

 

 布都は肘を立て、地面に突き刺さんばかりに押し当てた。

 体を起こし、もう一度鬼の前に立とうと。

 

「――っぐ」

 

 地面を押す力は悲しいほどに非力で、わずかに上体を浮かせただけにとどまった。その後の再び地面に接した衝撃で思わず苦悶の声が出てしまうほどに、肉体は弱っていた。

 

「やめとけって。寿命がさらに縮まる」

 

 布都は諦めない。

 ここで折れてはいけない。

 布都はその一心で、また起き上がろうと――。

 だが、

 

 ――あぁ……。

 

 腕が、肘が、上がらない。もうその力も残っていないようだった。

 もう倒れている事しかできない。

 うつ伏せ。なんとか首をわずかに動かし、右に向ける。

 視界が少しひらけ、息も軽くなった。

 

「良いさまだと思うぜ? あ、侮辱してるわけじゃないぞ? 本気で思ってる」

 

 声色からそれは分かった。

 

「それでも、それでも――っていう、お前の強い意思の表れ。でもその意思でもどうにもならないくらいの肉体の限界が訪れた。これは仕方がない。生きてるってのは、肉体を持ってるってのは、そういうものさ」

 

 言っていることはよく分かる。でも、それでも――とさらに思ってしまう自分と、それを諦めさせようとはしたくない自分を、布都は自身の中でせめぎあっているのを感じている。ただ、肉体はもう動きそうにない。

 もうこうやって考えていることしか出来ない布都だったが、それの終わりも感じ始めてきた。視界が次第にぼやけていく。霧がかかったように、視界もぼやけていく。目が覚めた時、はたして自分が自分であるか保証がない。――また、その危惧さえもぼやけていく。

 薄れゆく自己。布都は視界の先の先。置き捨てられていた骨董品に目がいった。この状況で何故、そう思うこともなく、ただ目に入ったそれを意識、思考の中へと入らせた。

 

 ――名も知らぬ。

 

 一振りの剣。

 物部を出る時に渡されたもの。

 

 ――色々あった。

 

 物部の人間に、蘇我の人間。様々な人間がいた。そのどれとも心を引かれるようなのは、いない――わけでもなかったが、それが今なんだろうか。

 初めは兄の守屋だった。総じて優秀である。そんな評価をしていた。現実的かと思えば、理想的だったりして、かと思えばやっぱり現実的で、と印象をなんども更新した。小さなころは、そんな兄から特別構われる自分がどことなく誇らしく感じたこともあった。でも少しずつ成長し、見える世界が広がるにつれてそれもどこか空虚に感じていった。気づけばすでに山頂に立っていたような、その登る楽しさも辛さもしらぬままそこにいた。おそらく兄も似た様に思い、自分に目をかけたのだろうと思った。結局のところ、人の中にあって人の中に居なかった。そんな同士だったのだと。でも少し違った。自分とは違って兄は人としての活力に溢れていた。そう、自分とは違って。

 喉が渇いて仕方がなかった。

 

「――お、おい。立って大丈夫なのか?」

 

 次は蘇我馬子だった。

 これもまた同士だと思った。渇きを覚えているところも同じだと、そう思った。でも少し、いや根本的なところが違った。馬子という人間は、つまらないなら面白くしてやろうというそういう気概があった。自分にはまったくなかったそういうもの。渇きを癒やそうと血に濡れて、本質的な飢餓から目を背けようとした自分とはまったく性質が違っていた。

 

「……その剣、大事なものだったのか?」

 

 そして屠自古。

 特に目立った才は思い浮かばなかったが、何故か一緒に居ると楽しかった。その時だけは、自分という人間が一端の人間であるかのように感じて、認めづらいとこはあるも、正直嬉しいと思った感情は否定出来なかった。あれだけ喜怒哀楽を素直に外へと表すことが出来たら、どれだけ幸せなんだろうかとそう思った。

 

「お前、意識がないのか?」

 

 満たされるとはどういうこと何だろうかと、考えたことが何度かある。その都度答えを出そうと苦心するも、どうにもしっくりいかなかった。全力で走って摩擦で燃え尽きるようなものだと思ったこともある。生死の狭間、極限の境。そこはたしかに燃えるような感触があった。でも、鎮火してしまえば何てことはなかった。ならば、常に燃やせばいいと思って、炎の中に身も心も投じたこともあった。が、思い通りの結果は得られず、外皮だけ燃えて痒い思いをするだけに終わった。その後蘇我に来て、言葉に上手く表せない心の感触を覚えて、こういう満たし方もあるのだと思った。それは酷く悲しいほどに幸せで、あまりにも空虚だった。満たされる、その瞬間から抜け落ちるような、説明の出来ない矛盾のような錯誤。自分は、自分が自分たるものが分からなくなった。

 でも、我はここにいる。

 

「そのナマクラでどうしようってんだ? おい、来るなら迎撃すんぞ? いいのか?」

 

 どうしてこんなところにいるのか。そんなのはもう分かった。よく分かった。ただ幸せになりたかっただけだった。我は、私は、幸せこそ、一番に求めていた。心が満ち足りて、身が躍るような幸せを。自己を強く規定して意識しようと我などと自分を呼んだが、おそらくそれは自分というものが雲ほどに掴めないと気づかないままに思っていたからだろう。

 ああ、そうか。なんだ理解出来たじゃないか。

 満たされるということとは――。

 

「お、おい! いいのか? 本当にいいのか?」

 

 我は我を思う。身体の訴えも、意思の訴えも、その両方を受け取るものも。およそ考えた先にはない。思考せずともここに在る。ただ我を感じるというだけで全て結する。

 

 ――そういえば身体が軽い。意識も今までないくらいに透き通っている。邪念がないからだろうか? いやそもそも邪念というのは――。

 

「っと、つい考えてしまったな」

「意識あるのかよ! てかおい、これ以上近づけば本当に攻撃するぞ!? いいのか!?」

 

 視界は良好。景色はいつもと変わらずとても流麗。木々がその生命力を誇り、草木も負けじと生い茂る。空は闇にして、その生命力を失わず輝々とそれを示す。月は魔性を帯びながらも、その神秘さを地上へと光として届けている。

 空気は冴え冴え、纏わり憑くようにして世界に寄り添っていた。

 布都は空気と混じり合ったように、前へと進む。

 それは萃香の意識の範疇を超えた。

 気づいたら目の前にいた。それが萃香が感じた布都の認識だった。

 

「っわ!」

 

 布都は"ナマクラ"を振るう。

 名も知らない"ナマクラ"。しかし、それが何であろうか。思えば自分もそうではないかと。人が名付けた名前は、文字通り人が名付けた名前。それが自己を規定するものではない。自己はあくまで自己。自己と他者と区別をつけるために付けただけのものにすぎない。

 こんなナマクラ。何故兄上は物部を離れる自分にわざわざ渡したのだろうと思う。おっと、考えてはいけない。どこまでも思い、想い、我を自己を私を――薄く消え去っていくのだ。

 満ちていく。

 我が身は我であり。また、我が心も我である。すなわち、我の持つ剣も、衣服も、周りの全てもまた変わらずに我であろう。そうであろう。

 身が皮が、突き破られ、我が飛び出した。

 そう、これこそが物部布都である。

 

「我は物部布都。言わねばならぬ理由もないが、そう宣言する方が親切であろう」

「……お前」

 

 消え失せたはずの自己が轟々と唸る。

 魂の絶頂。高揚感。

 場の全てが歓喜し、迎える。

 

「ここが遠くも目指した頂きである。心して掛かれ。幸福の絶頂ぞ」

 

 手に持っている剣を振りかぶる。

 名が無いのなら我が付けてやろう。我の剣それで充分であろう。恰好をつけるのなら布都御魂剣(フツノミタマノツルギ)か?

 萃香は今までに覚えの無い恐怖を感じ、すぐさま飛び退った。

 理解が追いつかないが、とにかく触れてはいけない。"ナマクラ"にそう感じた。

 理解は本当に追いついていなかった。

 萃香は目視した。認識した。けれども理解するまでに、何故か絶対的な遅延を感じた。

 世界が布都を後押しするかのようにするすると空間を通ってきて近づき、剣を振り下ろす。確実に認識していたのに、理解が遅れる。慌てた頃には、もう剣は通過していた。

 フツ。

 そんな音が耳に届いた。

 

「それ、死ぬぞ?」

 

 萃香は気持ち悪さを感じた。まるで自分の中に異物が入ったような気持ちの悪さ。何なのか分からないが、それに物部布都を感じた。仮にも鬼である。研ぎ澄まされた剣だろうが、霊気で強化ようが、傷を負うことも難しい頑強な皮膚である。それが何も細工もないような"ナマクラ"に抵抗なく寸断されるなどありえない。

 が、そのありあえないが目の前どころか自分の身で起きた。

 

「っおい、おい」

 

 萃香引くことしか思い浮かばなかった。いや、正確には考える間もなく、勝手に身が後ろへと退いた。ケンカというのは身と身、心と心、それらがぶつかって当り前。そうやって楽しむものだと思っていた萃香が、その全てを恐怖により拒否して退いた。

 剣戟の類なら、例えもしあり得なく斬られたとしても霧状になれば無効化出来る。しかし、さっきの剣戟、いや剣戟なのかさえ怪しいものは、斬るというよりかは、……そう、割り込まれた。自身に他者が割り込んできて、そのまま通り過ぎていった。そんな感触だった。触れた地点は、もう無い。霧状にして戻すことが叶わない。すなわち、斬られる度に自身を失う。

 萃香は頬に伝い落ちる滴を感じた。

 

 ――冷や汗ってやつか?

 

 萃香はその滴を指でぬぐった。

 

「……いや、そうだよな。全てをぶつけてこそケンカだよな」

 

 意地がある。萃香は、およそ初めての死の危機に腹をくくった。死に繋がる可能性があるケンカは幾度となくやってきた。だが、死に直面するようなケンカは初めてだった。

 ここで逃げるなんて今までの全てを捨てるようなものだ。そう思った萃香は死へ繋がる底へと身を投げた。

 

「私も酔狂でね。今まで最高にわくわくしてるよ」

 

 恐怖の混じった笑顔。でも、間違いなくそこには歓喜もあった。

 

「――行こうか」

「――ああ」

 

 萃香は本気を出した。

 散じていた自分を全て一身に萃める。身が木々を優に越し、山へと到ろうする前に集まりだし、凝縮され、元の身体になる。

 気が溢れんばかりに充溢し、鬼の身体といえどもはち切れんばかり。

 

「中々」

 

 そう口にした布都には、怯えもなくば勇ましむ意思もない。

 ただ前へと進み剣を振り上げる。

 

「おう」

 

 答える萃香は、来る布都に目がけて剛腕を振りかぶる。

 交差する刹那。

 布都は身をよじり、萃香の腕を躱す。

 ――が、暴的な圧は避けれず、左肩より先が吹き飛んだ。

 衝撃を堪える暇もなく吹っ飛んだおかげで、布都はその刹那の間に剣を振り下ろし、剣先を萃香に当てることが出来た。

 その後、遅れてきた衝撃に全身が包まれ、布都の身体は飛ばされた。

 最中、布都は灰銀の輝きを見た。




やーっと鬼編終わりです
長かったです

ようやっと神子ちゃんが出せそうです
仲良くなれるかは、……えふんえふんですが。


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第21話 様々な

 屠自古は見慣れた床の木の節をじっと見ていた。他にすることがない。というより、したいことがない。そんなわけで見飽きた床をじっと見ていた。

 そんなところに、

 

「――屠自古」

 

 扉が開き、思わず期待いっぱいに振り向いたが――。

 

「ち、父上でしたか」

「おや、誰か待っていたのかな?」

「いえ、そういうわけでは……」

 

 尻すぼみになる声。

 素直になり切れない素直な子どもとは可愛いものである。

 馬子は、膝を曲げ屠自古と同じ目線になると微笑んだ。

 

「安心しなさい。彼女は屠自古のことを嫌いになったわけじゃないのだから」

「父上、わ、私はっ」

 

 屠自古は慌てふためいた。

 別にそんなことを心配したわけじゃないとはっきりと言いたかったが、言葉に出来なかった。言ってしまうと、もっと遠くに行ってしまうような気がした。

 

「んん? 続けてごらん」

 

 催促される。

 でも、今の気持ちを言葉にしたくはない。

 

「別に何でもないです」

「本当にそうかい?」

「もちろんです!」

 

 はっきりと答えてやった。

 だいたいなんでこんな目に会わなければいけないのか!

 布都のくせに! 布都のくせに!

 

「ま、好きにしなさい。――それじゃ、私はもう行くから」

「え、もう行くのですか?」

「これから政務だ。その前にちょっと顔を見に来ただけさ」

「そうですか……」

 

 あぁ、またつまらない毎日が始まる。

 同じものを見ているはずなのに、何か違う。

 屠自古は馬子を見送ると、目を閉じて天を仰いだ。

 色は薄く淡泊で、音は乾いていてもの悲しい。

 どうしてここまで違うのだろうと、屠自古は上げた顔を下げた。

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 物部本邸。

 そういうところであるので、まさか何者か襲ってくるとは誰も考えない。それでも見張りはいる。必然、やることなどロクにない。

 よって、門兵は緩んでいた。槍を重心を託して、雑談するほどに。

 

「――おい、聞いたかよ」

「何がだ?」

「うちの姫様。いや、元姫様だけど」

「ああ、その話は俺も聞いたぜ」

 

 人とはうわさ話が好きものである。

 

「しばらく姿を見せてないらしいな」

「そうそう。もしかして、蘇我のやつらに消されたんじゃないかって上が話してるのを聞いたぜ」

「いや俺もすぐにはそう思ったが、あの姫様がそう簡単に消されるたまかと思うとどうにもなぁ」

「そうか? いかに姫様が凄かろうと、敵の真ん中にいたんじゃどうにもならんだろ?」

「あぁ、お前はあの遠征にいなかったんだっけか」

「っていうと、あれか?」

 

 物部ではあの遠征といえばすぐに伝わる。

 

「そう、あれだ。あの場であれを見たやつは、姫様が消されたなんて言われてもそう簡単には信じられないぜ?」

「うーむ、それほどなのか?」

「そりゃ凄いといえば贄個様もいるがね。でも姫様はそれとは少し違った感じがしたよ」

「まあ、なんか地に足が着いてても浮いてるような方だったが」

「それもそうだが、なんて言うかその、……上手く言えねえな」

「おいなんだよ」

「仕方ねえだろ。一応立場もあるんだ」

 

 そんな門兵がいる後ろ、中央の屋敷でも同一人物について話がされていた。

 部屋に二人。

 贄個は守屋に訴えた。

 

「兄上、煙の無いところに火は立ちません。これはきちんと姉上の所在を確かめる必要があるのでは?」

「では蘇我を疑うというか?」

「そ、そういう訳ではありませんが、念のためということで……」

「あいつの放浪癖など、前からだろう」

「前とは違います! 姉上は今蘇我の身の上です。その身の所在が分からないとあれば、必ずや周りの者たちがあらぬことを考えます」

「今のお前のようにか?」

「私は、別にそういう訳では」

「ではどういう訳だ?」

 

 贄個は、少なからず瞠目した。

 兄と姉は共に仲が良さそうだったというのに、どうしてこうなのか。心を掛けていないようにしか見えない。

 

「答えれぬか? お前はあいつのことを分かっておらん」

「……それはどういう意味でしょうか」

「言葉のままだ」

 

 そう言われると、言えることが出ない。

 そんな贄個に、守屋は続ける。

 

「だいたいお前のお遊びからすると、お前はあいつの無事を信じていないとおかしいのではないか?」

「っ――。信じています! ですが、いやだからこそっ、確かめねばいけないとそう思うのです」

「まあ、これ以上は言わん。無駄であるからな」

 

 守屋は話を切り上げた。

 

「とにかく余計なことはせずにおることだ」

 

 贄個は従うしかなかった。

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 時は流れる。

 身も心も絶えず更新され、移ろいでいく。

 

「屠自古、少しいいかな?」

 

 屠自古のあてがわれた部屋にやってきた馬子は、声色の読ませない声で中へと語りかけた。

 

「返事がないようですね」

「寝ているのかもしれない」

 

 同行人と話す馬子。

 二人だった。

 

「せっかく来てもらったのに、悪いね」

「いえ。――ああでも、それこそせっかくなので顔くらいは拝もうかと」

「じゃあ――」

「はい」

 

 扉を開けると、屠自古が机につっぷすような形で寝ていた。柔らかな頬が机に負けている。

 

「これはこれは大変可愛らしい」

「自慢の娘でね」

「ええ、これは自慢したくもなるでしょう」

 

 静かな寝息。普段は可愛さが大いに勝るが、黙っているとふと貴族らしい美しさを感じさせる。

 口がわずかばかり開かれる。

 

「うぅん……、ふとぉ……」

 

 馬子は少し目を大きく開けると、眉間にしわを寄せ目を細めた。

 

「……失敗したかなぁ」

「馬子殿?」

「失礼。気になさらないでいただきたい」

 

 同行者にとっては、初めて見る馬子の表情だった。いつも怜悧さに笑顔を蓄え、隙が無いのに親しみやすいという、ある種の完成された顔をしていた。でも今見せた表情は、ひどく人間臭いものが含まれていた。

 

「――とにかく、今日はどうもありがとうございました。とても可愛らしいものも見れて、しばらく幸せにすごせそうです」

「それは良かった。今度はちゃんと意識のあるうちにお連れしよう」

「いえ、顔は憶えたのでそれにはおよびません。しれっと無関係を装って親しくなるのもいいかもしれない。寝言の人物が誰かは分かりませんが、私が屠自古の一番になってみせましょう」

 

 馬子は笑った。

 

「それは楽しみですね。願わくば、もっと楽しいことになればいいのですが」

 

 同行者は頭を下げ、礼を示した。

 

「では、私はこれで」

「ええ。体には気をつけて」

「はい。そちらこそお気をつけください」

 

 去る同行者を見送りながら、馬子はふと一つの言葉が浮かびそれを口にした。

 

「言い忘れていましたが」

「はい?」

 

 振り返って目が合う。

 

「泣かせたら酷い目にあうかもしれませんよ?」

「おぉ、それは怖い」

 

 笑って返す同行者だが、

 

「そうでなくても、そんな目に合うかも知れませんがね」

「ほぉ?」

「少なくとも、私はそうなることを願っているのです」

 

 馬子がまた人間臭い表情を出した。

 

「っと、引き留めて悪かったですね、厩戸殿」

「いえ、貴方のお話ならば是非というとこ」

 

 同行者、厩戸皇子は去っていった。

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 山は見上げるものであり、また登るものでもあった。

 そして登ったあとは、その結果を誇らんとばかりに景色を見下ろすもの。

 

「どうだ良い眺めだろ?」

「雲が下にあるとは、少し驚いた」

「だろう? 普段上にあるものが下に見えると、気分の良いものさ」

「はて? 雲が我の上にあるとはおもっておらぬが」

「物理的な話をしているんだよ」

「それは悪かったな」

「まったく。ノリが良いのか悪いのか判断が付きづらい」

「ノリは良いが、他者をからかいたくなる性質と言えばいいか?」

「ああ、その通りみたいだな!」

 

 景色がつまみだと言わんばかりに、二人は飲んでいた。鬼をも酔わす酒ともなれば、人の身ではひどく辛かったものだが、次第に慣れていった。

 

「なあ、布都。お前はこれからどうするつもりだ? 鬼ともケンカ出来る人間なんて聞いたことねえ」

「特にはないぞ。ずっと、ずっと、前からな。ただ何となく生きてきた。せめて楽しい思いくらいはしていたいと、それくらいだ」

「なるほどなぁ……」

「酒に酔うような快楽とはこれを突き詰めたものだろう?」

「そうだけど、ちっとばかし違うかもな」

「ほぅ?」

「いや、私にも上手くは言えねえんだが、なんか足りねえって感じかな?」

「ふむ。ならば、その足りないを見つけるのがこれからの我の目的であるな」

 

 目的なんて無くても生きていける。だが、それが無くては人生に彩りが欠ける。

 

「ならば我は近いうちに人の世界に帰らねばなるまい」

「お前がそう思ったのなら、きっと探し物はそこにあるんだろうよ」

「というより、久しく見ていない顔に会いたくてな」

「お、そいつ強いのか?」

「ただの人間」

「んだよ」

「だが、我の娘である」

「え、お前子ども産んでたのかよ」

「義理だぞ」

「? よく分からん」

「人間には色々あるというやつだ。とにかく可愛くて可愛くて仕方がないのだ」

「へぇ? それじゃその可愛いやつとずっと離れているお前は、今はそいつが恋しくて仕方がないわけだ?」

 

 布都はほがらかに笑ってみせた。

 

「どうにもそのようであるぞ? お主との旅も楽しかったがな?」

「おいおい、私が嫉妬したみたいにするなよ」

「おお、これはすまん。存外、我、モテるようでな?」

「っけ」

 

 萃香は分かりやすく吐き捨てた。

 

「ん? ってことはだ」

 

 萃香は意地悪を思いついた。

 

「そういえば人間といえば、雄雌でつがいを作るだろう?」

「そうであるが?」

「じゃあいずれその可愛い娘もつがいを作るわけだ?」

 

 布都は、二度、三度、瞬いた。

 言ってる意味が理解出来ない。いや理解出来ているけれども、受け取りたくなかった。

 それにより遅れて返事をした。

 

「屠自古は可愛い。それは間違いないが、だからといって他のやつが、いや、なんというか、あれだ、そんなやつが現れたら、その何だ? うん、――潰す」

「わお」

「生まれてきてしまった大失態を悔いてもらうしかない」

 

 真顔で言う布都であったが、そこまで言い終わるとまたほがらかに笑った。

 

「っま、そんなことはあり得ないと思うがな!!」

 

 そんな台詞を残して。




幕間のような


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第22話 帰郷

 萃香と別れた布都はゆるりと人の世界へと戻ってきた。

 向かったのは蘇我の屋敷。

 道中、かなりの多くの視線にさらされた。

 

 ――無理もない。

 

 かなりの間、姿を見せていなかった。それが物部の姫であり、蘇我馬子の妻という存在であれば当然というもの。

 とはいえ付き合う気なんてさらさらなく、視線を無視して歩き、屋敷に着いた。それからも注目は終わらない。えらく驚いた顔の門兵をしり目にして、そそくさと自室に向かう。いくら視線は気にならないといっても限度がある。鬱陶しいと思うのは避けれない。

 むすっとした表情で歩く布都。

 自室に入ると、匂いがした。

 

 ――これは。

 

 鼻の奥から脳天、そして身体の中心にまで、酸いというと違うけれども似たような感覚が走る。

 

 ――懐かしいのか。

 

 ふと、物部の屋敷に行っても同じように感じるのだろうかとも思ったが、もう出歩く気にはなれなかった。部屋の空気が身体の隅々まで行き渡ると、途端に気力の全てが沈静化し睡魔を覚えた。それはこの空間と同一になりたいと思うほどのものだった。

 布都はさっさとと寝具を用意すると、そのままするりと夢の世界に入った。

 これは一種の至福であろう。夢の入り口で布都はそう思った。いや、極楽と言った方が良かったか? と、好きでもない仏経典での知識を巡らせながら……。

 

 

 

 

 

 

 蘇我の屋敷は当然大騒ぎになった。

 死亡説や誅殺説、様々あったわけだが、当の本人はひょっこり一人で帰ってきている。当然騒ぎにもなる。

 とはいえ、そうそうに部屋に籠った布都に会いに行こうとする者はいない。用事という用事もないし、正直に言ってしまえば少し怖いというのもあるだろう。普通ではないというのはそういうことである。ただまあ、例外というのはいるもので――。

 知らせを聞くやいなや部屋を飛び出した者がいる。

 その者は思考がぐるぐると回っている。

 思えば、屋敷内で走るなんてことはもう無くなっていた。周りの視線、礼儀や品に意識がいくようになってきている。それでも走り出した。あれこれ考える前に、体が勝手に動いた。気持ちが背を押すのではなく、気持ちが胸ぐらをひっつかんで身体を動かしたかのよう。

 一目散。部屋の前に着くやいなや、扉を横にすっとばす。

 

「――布都っ!!」

 

 いた。

 ただ、寝ていた。

 屠自古にとってはそれは少しの安心を覚えさせるものだった。心の準備など出来ているはずもなく、ただ衝動で駆け出していた。何と言えば、何を話せばとか。相手は何思っているのだろうかとか、自分は忘れられたわけではとか。そのような事が言葉になる前のぼんやりした状態で屠自古の脳裏を駆け回り、確かめたくない怖さの中でもただ会いたい見たいという一心で駆けていた。

 

「……布都?」

 

 屠自古の見た布都は、前と変わりがなかった。すやすやと寝具に身をくるんで寝ていた。時はある程度経ったかのように思われたが、それでも布都に変化は見られなかった。といっても、見たことがない布都を見たには違いなかった。

 目を閉じ黙って寝ている布都は、どこか神聖というか生気がないというか、そんな不思議な感触を抱かせるものだった。

 起こすどころか、触れるのもためらわれるその様。

 屠自古は少しの間見つめた後、踵を返すしかなかった。

 そのあと父の所へ行き、事の顛末を語った。

 

「寝ていて、話せませんでした」

「疲れているんだろう。起きるまでそっとしておきなさい」

「……はい」

 

 屠自古はひとまず頷くことにした。政務で忙しいところに押しかけてきているわけである。そのくらいの分別はついている。

 そして立ち去るその寸前。

 

「あぁ、そうそう。明日は例の人が屠自古に会いたいって言ってたから、空けておきなさい」

「はい。――て、父上っ?」

「うん?」

「その、例の人って……」

「君が都をぶらついている時に絡まれた時に助けてくれたあの人だよ」

「し、知っておられたのですか」

「私は全てを知っているんだよ」

「父上が言うと冗談に聞こえません」

 

 馬子は笑って流した。

 屠自古は知る由もないが、その全てが仕組まれたことである。仕組まれたというと策略的であるが、実際は当事者の一人である厩戸皇子が企画した演出というやつである。馬子はそれに乗っただけ。

 

「じゃあ今日はもうゆっくりしておきなさい。明日にそなえてね」

「はい、そうします」

 

 屠自古は自室へと帰った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 時というのは流れるものである。

 緑が茶へ、茶が緑へ。

 時などというのは人間が勝手に感じているものであるが、人間がいなくても大地は芽吹きを繰り返す。人間なんてものはその上にいるものでもなければ、ましてや下にいるものではない。単純に共にあるものである。時の移ろいに合わせて芽吹いて咲いて枯れゆくものである。その流れに則していないのなら、自然の中にはいない。つまるところ、人間ではない。妖怪、それとも神、もしくは仙。

 

「うぅむ」

 

 目覚めた布都はうねった。

 長い夢を見ていた気がする。

 全てが溶け込んで自らの正体も分からなくなって、でもそれを知覚している自分は在るというような。時の中にいるのに、時の中にいない。妙な感覚。

 起きると全てが固定されて見えた。

 木の天井。

 身を起こすと、知っている部屋が見えた。

 

「――そうか」

 

 帰ってきたのだと、改めて思った。

 膝を立て、手をつき起き上がろうとすると、

 

「ぅぎゃ」

 

 横に転倒した。

 

 ――二、三日くらいは寝ていたようだ。

 

 思いのほか疲れていたのだろうと得心すると、布都はもう一度立ち上がろうとした。

 全身の感覚がぼんやりとしている。数日眠りこけていたからだと、布都はすぐに理解したが、また倒れた。

 今度は立ち上がりきったあとのことだった。

 重心のバランスが取れずによろけてしまい、それを修正出来なかった。

 

「ぎゃ」

 

 二度の転倒の理由は確かにあった。

 布都は左の袖を右手で握りしめた。

 布都の右手は抵抗なく左袖を掴みきった。

 そこには袖しかなかった。

 腕はない。

 萃香に消し飛ばされたきり。

 

「慣れたと思っていたのだが、存外そうでもないらしい」

 

 その萃香としばらく旅をしていたのである。布都としては、まさか帰ってきたあとに腕がないことに煩わされるとは思わなかった。

 今度こそと立ち上がると、しっかり立ち、前を見据えた。目的が決まった。

 

 ――馬子殿に頼んで、服を用意してもらおう。

 

 袖が長くひらひらしたものが欲しかった。

 今も同じ特徴を持つものを着てはいるが、旅の途中に見繕ったものである。生まれも育ちも高貴な布都としては品質が大いに気にくわない。

 布都は、馬子の元へと向かった。

 

「――ということで、服が欲しいのですが」

「それは構いませんが」

 

 馬子にしてみれば久しく顔を見せたと思ったら、いきなり服を新調したいと言われ、さすがに理解が追いつかなかった。そもそも、布都の言う『ということ』とやらも分からない。

 

「――ああ、屠自古には会いましたか?」

「いえ?」

 

 帰るやいなや寝て、起きるやいなやここに来た。

 出会ったのは、すれ違った人間を勘定にいれなければ馬子だけといってもいいくらい。

 

「貴女が帰ってきたと聞いて、飛んで会いに行ったそうですが寝ていてそのまま引き返したそうで」

「ほぉ、それはもったいないことを」

 

 その時の顔を見たかったと、布都は純粋に惜しんだ。

 

「ずいぶん寂しがっていましたよ」

「ふむ。……まあ、ゆっくりと待ち構えていることにしましょう」

 

 その方が面白そうだと、布都は悪い笑みを見せる。

 

「――それで、どうでした?」

「はて、何をでしょう?」

「鬼、ですよ」

 

 布都はきょとんとした表情を作ったあと、にっこりと笑ってみせた。

 

「気の良いやつでしたよ」

「そうですか」

 

 馬子はおぼろげであるが何となく分かった。少なくとも、鬼に会ったのは確実らしいとも。布都から感じるものも、変わらない様であるが少し雰囲気が軽くなったような気がした。

 

「鬼というのは酒や喧嘩好きなようで、我々が思っているよりはるかに即物的というか生を謳歌しているというか、まあとにかく愉快なやつらでした」

 

 布都が他者についてここまで喋るのは珍しいことだった。

 馬子は少し意外に思い、続きを引き出そうとした。

 

「鬼と面白い交流を楽しんだようですね」

「うむ。視界が広がったというよりか、今まで見えていたものがより見えるようになったというべきか。とにかく、良い出会いであったと思えます」

 

 布都がここまで物事を好意的に判じ、かつ言い切ることはそこまでない。

 続ける。

 

「ただ、鬼というものに固執するのはよくないかもしれませんね」

「というと?」

「種族問わずに面白いものは面白いということです」

 

 裏を返せば、種族問わずにつまらないものはつまらない。

 布都はにこやかな表情を一転させ、含みのある笑みを浮かべる。

 

「もう少し言うと、つまらないものはせめて糧になるのが義務でしょう」

 

 そう言う布都に、敢えて馬子は改まった様子で言った。

 

「布都姫。もし、面白いけれど気に入らない者が現れたらどうしますか?」

「……? そのようなことが有り得ますので?」

 

 馬子ははっきりとした声色で、

 

「きっと」

 

 と、短く答えた。




来月も三回は更新出来るように尽力します


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第23話 願望がそれを否定する

 屠自古は迷っていた。

 会いたいけれど、行きたくない。

 一度目に訪ねた時は、寝ていて話せなかった。二度目に訪ねた時は、部屋には居なかった。それどころか家の者が掃除をしているところに遭遇して、恥かしかった。人の気配がしたから思わず名前を呼んだのに、まさか本人がいないとは思わなかった。家人から子どもを見るような目で見られて恥ずかしかった。

 

「そうだ」

 

 屠自古は決意した。

 向こうから会いに来るまでは、自分から行かない!

 

 ――布都のくせに! 布都のくせに!!

 

 何度目かは分からない呪詛のようなもを心で唱えながら、屠自古はどたどたと廊下を走った。

 別に布都に会わなければいけないわけでもないと。別に会いたい人は他にもいるのだと。

 

 

 

 

 

 

 それで布都であるが、屠自古を待っていた。

 いつか来るだろうと思っていたが、一向にこない。聞いた限りでは、何度か来たのだと言う。だが間が悪かったみたいで、直接会えていない。

 しかし自分から行くより、向こうから来る方が多分面白いことになるだろうと、外出もせずにしばらく待っていたのだがさすがに飽きてきた。

 

 ――都にでも遊びに行くか。

 

 朝ではあるが、空は曇り模様。

 雨が降るかも知れないというのに、何故そんなことを思ったのかは分からないが、とにかく行こうと思った。

 退屈には勝てない。

 

 ――ただ待つだけというのはいかんな。

 

 ということで、都に向かった。常人をはるか超える速度、けれども布都にとっては別段急いでるわけでもない速度。

 都に着くと、久しぶりという気分と相変わらずという感想が出てきた。

 相変わらずといった感じの人通り。にぎやかさ。

 良好な空模様でもないのに、よくもまぁ人が集まっているものであると感心しながら、歩く。妙な新鮮感に浸りながら、布都はしばらく散策をしていた。

 

 ――なにやらよく見えるな。

 

 色映りが良いといったところか。布都には人の気のようなものが前より色濃く見えた。

 とはいえ、しばらくすると次第に見飽きてきた。

 

 ――いっそあいつも連れてくればよかったか。

 

 と、思うも。

 

 ――とはいえ、あの角は隠せまいか。

 

 一人では飽きてしまうものも、二人ならば、誰かとならば。なんて考えれるくらいには、他人を意識に入れるようになっている。

 そんなわけで、一人ではつまらないし帰ろうかと思案し始めたころ、なんとなくであるがとある一角に目が入った。

 それは背伸びをしたために周りの人間に意識が入ったからかもしれないし。天啓のようなものかもしれない。注目を浴びているのはいつものことで、もうすでに慣れて気にしないでいたのだけれども、不思議とその注目に意識が入って、その注目がまた別のところにあって、その別のところというのに視線をやってしまったがために――。

 

「あ、とじこ――」

 

 少し遠くであるが、知った姿を見て思わず名前を口に出し、そのまま寄って行こうとした時だった。

 

 ――な、なんじゃあ、あいつ!?

 

 そこには屠自古と、その横に変な頭をした変なやつがいた。男、だろうか。――よく分からなかった。とても中性的で、判断つかない容貌だったが、着ている服は男物だった。

 繰り返すが、布都は注目を浴びていた。

 これは今は少し修正が必要で、矢が殺到するかの如くに注目が刺さっていた。

 物陰に半身を隠し、顔だけ出している。

 怪しいどころではない。

 そんな奇行をしている者を見かけたら、とりあえず見てしまうだろう。どうしてそのようなことをしているかとか、どんなやつがとか。

 思わず二度、三度と見てしまっても不躾だと自戒はしないだろう。それどころか四度、五度、見る者さえ少なくない。

 初めは何か変な事をしているやつがいる。次には、身なりがいい。その次には、その身体的特徴からとある名前が思い浮かぶ。そして、いやそんな馬鹿な事がと打ち消す。だが、目に移る光景が証拠となり困惑する。ついには、疑問を抱きつつも認めざるを得なくなる。

 あれは"あの"物部布都ではないか、と。

 そしてその物部布都も似たような思考が脳内で巡回していた。

 初めは屠自古の横になにかおまけがいる。次には、身なりがいい。その次には、その身体的特徴からとある疑惑が出る。あれは誰だと。よもや屠自古の――と。そして、いやそんな馬鹿な事がと打ち消す。だが、目に移る惨状が証拠となり困惑する。ついには、疑問を突き飛ばして認めずに記憶を消そうと思い始める。

 あれは"単なる"思い違いではないか、と。

 

 ――いや、しかし……。だが――。

 

 かくして、物部布都は答えに至った。

 

 ――否定出来ない。

 

 ゆらり揺れるように身を反転し、生気の感じられない表情のまま駆けた。足だけが雄弁に、その他は寡黙に。

 答えの出せない疑問について考えるのは止めだと。確かめに行くのだと。思わず逃げるように走り去ってしまったことを、正当化した。

 悩みは後ろから来るか、前から来るか。

 走る布都には、後ろから追って来るようにしか思えない。

 屋敷に飛んで帰り、自室に籠り、部屋の隅で頭を抱えて小さくなって、ああでもないこうでもないと、悩み果てていた。しばらくすると、やはり答えは出ないと屋敷を出た。

 そして、どたどたと政治の中心に分け入ると、

 

「馬子殿ーーーーーー!」

 

 すがりついた。

 ぎょっとした馬子は、とにかく人払いをした。

 

「馬子殿、馬子殿、なんですかあいつ、なんですかあいつ」

 

 布都の瞳は潤んでいた。

 

「えぇっと、どうしましたか?」

「『どうしましたか?』じゃござらん! 屠自古が、どこの馬か牛の骨とも分からんようなやつと!」

 

 ここで馬子は全てを理解した。

 

「ああ、それはおそらく屠自古の婚約者です」

「婚約者? ああ、なるほどそうでしたか。――ん、婚約者? じょ、冗談を……」

「貴族の、それも蘇我の娘ですから」

「それはそうですが」

「相手も良き者を選びました」

「そんなものは存在しませぬ」

「いえ、それが大そうな人物になるでしょう。歴史に名を残すような者ですよ」

「しかし屠自古とは関係ありません」

「ですが、向こうも気に入っているようです」

「冗談でありましょう?」

「いえ、冗談ではありません。私も認知した者です。なんでも悪漢に絡まれていたところを助けてもらったそうで――」

 

 動転している布都は話を理解するので精一杯で、その話のおかしさに気づかなかった。蘇我の娘が悪漢に絡まれる機会なぞ、あえて作りでもしないとあり得ないことに。

 

「武も知もその両方とも傑出しています。また、この国における仏教の第一人者とも言えるでしょう」

「――ぶ、仏教?」

「居場所は、上宮――」

 

 布都は、

 

「おや」

 

 いなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 法が、世界が、裁けない悪があった時どうするか。

 布都なら間違いなく「そんなもの知ったことか」と一瞥もしないだろう。

 が、事にもよる。

 布都は世界の大悪を誅せんと駆けた。もう悩みは後ろから追ってきていない。前にある悪を打ち砕かんと走るのみだった。

 

 ――怠け者の神め!

 

 強く踏み込み

 

 ――神道らしく、神を想ってやろうではないか!

 

 地を蹴り上げ、

 

 ――お前が動かぬというのであれば!

 

 空を跳ぶ。

 

 ――精々信徒らしく、我が代わりに罰してやる!

 

 蒼を誇る空に、

 

 ――おお、謳おうではないか! 血の杯を掲げ、高らかに!

 

 その姿を刻まんと、

 

 ――怨敵の首と共に!

 

 意思を示す。

 

 ――隠り世の門をいざ開かん!

 

 布都は、突貫した。

 

 

 

 

 目的地へとたどり着いた布都は、覚えのある気配に向かって突っ込んだ。

 塀を飛び越え、閉ざされる木の板を蹴り飛ばし、

 

「おんどりゃぁ!」

 

 耳か角か分からんものが生えた頭に、飛び蹴りした。

 

「っ!?」

 

 が、外した。

 

「避けるでない! このガキャ!」

 

 睨みつけ、叫ぶ布都。

 蹴りかかられた方は当然というべき疑問を発した。

 

「いったい何ですか、貴方は!?」

 

 と叫びつつ、状況把握に努めようとした時、すぐに結論は出た。

 灰銀の髪に、実体がないような白い肌。白いぶかぶかとした装束は明らかに高級品。それも一部の中のそのまた一部の者くらいではないと手が入らないようなもの。

 そんな特徴に該当する者といえば、一人しかいない。

 物部布都。

 幼少の頃からその力を認められた天才。

 今では物部を名乗りながら蘇我の中心部にいるという妙な立ち位置。

 殴りかかられた厩戸皇子が知らないわけがない。

 何故なら――。

 

「いいでしょう! その挑戦受けようではありませんか! 全人類の頂に立つことが決まっている私が、まず貴女を超えたという事実を作ることによってそれの第一歩としましょう!」

 

 布都はちょっと冷静になった。

 

「――お前、阿呆か?」

 

 なんだか触ってはいけないものを触ってしまったような感覚になった布都であるが、目の前から感じる力はそれなりのものだった。

 

 ――はて?

 

 いぶかしむ布都。

 

「驚くのも無理はないでしょう。この美貌にこの力。神は私に二物を与えたというか、神が私なのかもしれません」

 

 布都はもう一度同じことを思った。

 

「お前、阿呆か?」

 

 それに対し、心外とばかりに、

 

「なんということでしょうか。――いや、そういうものですね。そうですね。地を行く人間が如何にして天の意思を知れるのでしょう。そう、知ることなど出来はしない。でも、聞き伝えでなら知ることは可能。まず手始めに貴女に教えて差し上げることにしましょう」

 

 布都は、目まいがした。

 

 ――こんなのが屠自古の……?

 

 目の前が真っ暗になりそうだった。

 

 ――屠自古、許せ。お主の婚約者は夢幻だったのだ。

 

 地に足をついていながら、頭は雲と一緒にふわふわしている。なんたる悲劇であろうか。布都はこの悲劇を呪わずにはいられない。どうして自ら屠自古に恨まれるようなことをしなければいけないのか。

 

「――無情なり」

 

 そう小さく呟いた布都は、身体を捻り、右腕を振るった。

 瞬間、鋭利な刃が飛ぶ。

 人間を二つに分けるには充分すぎる程の鋭さ。

 それは――。

 

「何です、これは」

 

 飛刃が近くに寄った瞬間、散じた。いとも簡単に防がれ、――いや防ぐ動作すらなかった。まるで飛刃が怯え散らしたかのようで。

 

 ――まだ奥があるな。

 

 そう判断した布都は、とりあえず暴いてやろうと思った。

 

「嫌なやつめ。性別すらよく分からない分際で屠自古に近づこうとは、思い上がり過ぎてそのまま天に召されれば良かったものを」

「天と一体なのが私なのです。性別がどうたらと、下々の者が気にするところには私はいないのです。――しかし、私は寛大なので教えてさしあげましょう」

 

 仰々しく手を広げ、

 

「今現在、私は便宜上により厩戸と名乗っています。しかし、私は、私を神子と名付けました。神の子たる私が時を経て成長した時には、子が取れて神となるでしょう。さて、その時性別というのはそれほどに大事なことなのでしょうか? しいていうなら、私の性別は神子です。――いかがです?」

 

 布都は頭が痛くなった。

 

 ――こいつの前にいる我、可哀想。こいつの話を聞いている我、可哀想。

 

 つい現実逃避しそうになったが、逃避するわけにもいかない。

 言葉が使えぬとあれば、残る方法は一つ。

 

 ――したことはないが、折檻の方くらいは知っておる。

 

「思い上がったガキにはお仕置きが必要であるな」

「道理を知らない無知には、優しく説き諭すのが必要でしょう?」

 

 戦意が乗った視線が交差した。

 了解を得たことを確認出来た両者は、部屋を飛び出た。

 部屋の外、ひらけた場所に互いに距離を取りつつ降り立った。

 人が集まってくる。

 

「……知っていますか? 若者を邪魔するだけの存在は捨てられて仕舞いですよ?」

「真っ直ぐ歩くことも出来ない赤ん坊を正してやるのも義務であろう」

「それを大きなお世話というのです」

「見るに堪えなくてな?」

「耐える必要はありません。さっさとご退場されればよろしい」

「本性が垣間見えているぞガキめ」

「シワが目立ちますよ御婆ちゃん」

 

 自分を特別で崇高な存在だと勘違いしている排他的なガキ。これが現状の布都のする、厩戸、いや神子への評価。

 

「まずその勘違いを正してやろう」

 

 右手を開き、小指から順にゆっくり内に折っていく。

 高まる霊気に、周囲の地面の小石が震え出す。

 

 ――己がただの人間であることを嫌でも実感させてやる。

 

 布都は真っ直ぐ突っ込んだ。

 敵はそれなりに力を持っている。が、人である。

 

 ――ん? そういえば。

 

 布都は人間とまともに戦ったことはない。加減がいまいち分からない。一撃で殺しては意味がない。

 布都は、

 

「っ!?」

 

 吹っ飛んだ。

 

「おや、強すぎましたか? これでもかなり手加減してるつもりだったのですが……」

 

 空中で体勢をたてなおし、地面に足をつくと、神子を睨みつつ状況の把握に努めた。

 距離はまだあるといったとことろで、対象から黄色い光が壁のように発せられ、そのままぶつかってきた。

 

「……中々面白い冗談を吐くな。髪型もそうだが、笑いを取りにきているのか?」

「ええ。ですがこの度では私が笑わされていますね。まさかこれほどに差があるとは思いませんでした。この世に生を受けたその瞬間から私は頂にいたのやもしれません」

 

 悲しく笑う神子だったが、布都にはそこに自惚れが見えた。

 

「思い上がり過ぎもいい加減にしておけ。よもや我が全力だとは思っていないだろうな」

「ええ、その程度理解しているに決まっているじゃありませんか。で、その上で言っているのです。――この程度なのかと」

 

 今度は失望を表す神子。

 そこには混じり気が無かった。

 布都には覚えのあることだった。

 

「っふ」

 

 笑いが出た。

 

「どうかしました?」

 

 そのままくつくつと口元を隠し笑い続ける布都に、神子はそう聞いたが返答はなくただ笑い声だけが発せられた。

 

 ――馬子殿は上手く言ったものだな。

 

 面白いけれども気にくわない者。

 愚かさも正しくつけあがればなるほど面白いらしい。

 ただ気にくわないとすれば。

 

 ――屠自古はまだ嫁には出さん。

 

 笑いを止めると、布都は改めて神子を見据えた。

 偏見を少し止めてみると、なるほどその力はかなりのもの。雑魚妖怪と比べるまでもないだろう。布都は反省した。さっきはあまりにも加減しすぎたと。布都は考えを改めた。そこそこの妖怪とやるくらいにしてやろう、と。

 

「お前、モテるであろう?」

「否定はしませんが」

 

 どうしてそのようなことを急に? と、首を傾げる神子。

 

「残念だが、屠自古は諦めろ」

「そう言われると、ますます欲しくなりますね」

「ならば我を負かしてみるがいい」

「雑作もないことで――」

 

 瞬間、布都から感じられていた霊力がはねあがった。

 

「ならば、決死の試練に挑むがいい。せいぜい心を強く保つことだ。折れるのが増長した鼻だけで済むといいな?」

 



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第24話 間合いの中

 布都は足を上げ、地を踏みしめた。

 地に霊力が行き渡る。

 神道からなる物部の秘術は自然を利用するものがほとんどである。必然、自然について知らなければ扱えない。この場合の知るというのは、書物を読んで知識を得るとは違う。感覚的に理解しているかどうかとなる。

 布都は少しだけ移動すると、一度足を上げ、地面を踏んだ。霊力が点穴を衝き、地が震える。

 きしみを上げる地面に、神子は危険を感じ取った。

 即座に空中へ浮かび上がり、

 

「皆の者! 早くこの場から立ち去りなさい!」

 

 周囲の見物人に注意をうながした。

 それにより、ようやく現実に思考が追いついた見物人らは逃げ出す。

 その間も事態は進行している。

 酷くなる震え。やがて地面に亀裂が走り出し、ついに割れる。

 割れる大地を見下ろす神子は、余裕を持ってその様を見ていた。

 唯一の懸念は周りの人間の被害だけだった。自分を襲ってきた敵により、死傷者が出たとあっては外聞が悪い。その危険さえ取り除かれれば、もう心配はなかった。

 

「なるほど、これが物部の術ですか。私でなければ最低でも体制くらいは崩せたでしょうね」

「予兆というやつだ」

「はて?」

「その自信満々の面が割れるところだよ」

 

 詭弁、奇策、搦め手。布都はその全てを扱う。楽しむため、必要であるため。理由はいくつかあるが、今回の場合は後者。必要だった。

 布都が萃香との戦闘で負った代償は少なくない。片腕の欠損だけでなく、単純な全身の疲労もあった。むしろその方が大きい。全力、限界、それらを超えて行使された肉体は形とその機能を保てているものの、元のように動けるような状態までは回復しなかった。鬼と対等に遊ぶというのはこういうことらしいと納得した布都であったが、少し残念に思うところもあった。しばらくはこういった遊びは出来ないと思えば、そうも思う。だが鬼と遊んだあとならば、ある程度の妖怪では遊んでももう大して楽しめないだろうとも思った。

 それなのに、今、戦闘している。

 あくまで強気な台詞を吐いている布都だが、その内心はどうして自分は戦っているのだろうかと自問していた。理由なぞ考えることもなく自明であるが、それでもどうしてこうなったんだろうかと思ってしまう。体がだるい。地割れを起こしたときもそう。力任せに霊力でもなんでも地面に流せばよかったものを、わざわざ極小の労力でそれをおこなおうとするくらいにはだるい。

 

「はぁ」

 

 しかしここで引くことは出来ない。目の前に大悪がいるのにそれを処さないというのはこの世の倫理に反する。万人が泣こうが知ったことではないが、その中にあの子が入ってくるなら話は別である。

 

「この世の全てが理知によって解明されると思っているようなお気楽なやつに理外の理を教えてやろう」

「それを為すのが、――不老不死です」

「……不老不死だと?」

 

 突然の言葉。

 布都は引っかかりを覚えた。

 

「よもやそれを……?」

「ええ、私はそれを目指しています」

「笑えないな」

「はて」

 

 やはり言葉では埒が明かない。

 

 ――本当に笑えない。

 

 不死ほどつまらなく、恐ろしいものがあろうか。簡単な話、寝たくても寝ることが出来ないようなものだ。枯れない花があれば不気味だろう。長寿こそ目指しけれ、そこに不老に不死となれば、時間の獄に入れられるに等しい。

 時の移ろいに慣れてしまった時、それは心が摩耗した時であろう。一瞬の開花、燃える激情。それらが生の醍醐味だろうに。

 

「世の摂理を知らんのか」

「貴女は知っているような言い方で」

「少なくとも人は死ぬ」

「私が人を超えれば済む話」

「身体がどうかなったとしても、中身までもが変わるかな」

「初めから違うとは考えませんか」

「そもそも何のために生きたい」

「生を全うするため」

「そうかよ」

 

 布都は唾を吐き捨てた。

 忌々しさ。しかし――。

 心を落ち着かせようと、ゆっくり息を吐く。

 吸って吐いて、吸って吐いて。

 

 ――不死、か。

 

 理外のものを無理やり理内に押し込めれば、どうしても歪みが生まれる。その歪みとどう付き合うつもりなのか。

 

「確かめてやる」

 

 目を閉じる。

 暗闇が訪れる。

 視界が閉ざされたことにより、他の感覚が澄む。

 音、臭い。霊力。

 その流れに耳を傾ける。

 せせらぎ。水の音。

 混じり合い、発露する。

 光。球。たゆたう霊魂。

 当てもなく、ゆらゆら揺れ動く。

 水面に浮かぶ葉のよう。

 心象が言葉になり、やがて形になる。

 身が宙へと浮く。

 周囲は無音なるとも賑やか。輪郭はおぼろげで、光輪のように淡い。

 瞼を開けると、暗い雲より抜け出てきた光が瞳に入ってくる。

 死とは――。

 

「その間合いは絶大なりとも極小。寄り添うように近いが、触れるには遠すぎる。ゆらり揺らめいて、現世旅。――さぁ、戯れようじゃないか」

 

 割れた地面から、ぼんわりとした光が続々と浮かび上がってくる。輪郭のぼやけたそれらはどんどん数を増し、夜空に浮かぶ星々のように地面を彩る。

 

「お前、モテるのだろう? 随分と好かれてるようだ」

 

 『何に?』とは神子は言えなかった。

 物部の秘術は神道から来ている。神道は霊魂を重んじる。思考を加速させる欠片はこれで充分だった。

 

「まさか――」

「人気者は大変だな?」

 

 布都は嗤った。

 戦闘は理屈ではない。ただの力比べでもない。意思や思念の交流である。

 布都の解釈するには、騙し合いである。それに到らなければ、戦闘とは見做さない。

 

「恐れるからこそ、招き寄せるのだ。それ、行くぞ?」

 

 布都は人差し指を伸ばし、ひょいっと上げた。

 それを合図に、周りの球状の光が神子へとゆっくり進みだす。

 

「っ!」

 

 こんなにもはっきりと目に見える形で死が迫る光景に、神子は堪らず。

 

「このような虚仮威しにっ」

「おや、ひどいことを言うじゃないか。理解しないから恐怖が生まれるのだ。拒絶せずに話しかけてみたらどうだ?」

 

 馬鹿を言えと怒鳴りたいところだったが、それどころではない。ゆらめく光はどんどん迫ってきている。

 神子は分からなくなった。

 目の前に対峙している存在は一体何者なのか。何か根本的な思い違いをしているのではないだろうか。

 

 ――何故。

 

 そんな思いが神子の胸の内に満ちる。

 知識の上では知っていた。幼少のころから才知を認められた存在。自分と似たような経歴を持っている。違うところと言えば、変わり者と知られ(そし)られるところか。しかしどうしてだろうか、この異質さは。噂で聞く変わり者なんてものじゃない。死霊と戯れる者など聞いていない。明らかにこの世の存在ではない。死は忌避すべきもの。よって、目の前の物部布都とかいう存在もまた同じ――。

 

「日陰者は日陰に帰れ。ここは天照らす天道の元。死なぞ、一部の隙も無く入る余地などない!!」

 

 剣を抜き放つ。

 薄暗い天候の中でも、少し霊力を流すだけで輝かんばかりの光を放つ霊剣。あらゆる手を利用し、苦労して手に入れたシロモノである。まずは暗雲から消し去って――。

 

「――天道は我にあり!」

 

 剣を高らかに掲げ、まっすぐ上に光を放つ。

 多分に霊力を含んだ光は、分厚い雲を蹴散らし太陽を暴いた。

 

「――次は、そのつまらない詐術の番です」

 

 掲げた剣を横に傾けると、陽の光を受け反射した。多大に込めた霊力の剣が反射した光は、灼熱の光線と化した。

 光が布都へ――。

 

 「っ!」

 

 防御姿勢をとる暇もなく、布都は光に灼かれた。

 それでも霊力で障壁くらいは作ることが出来た。だが、その急ごしらえの障壁は即座に壊され緩衝材程度の役割しか果たさなかった。

 布都は地面に叩きつけられる。

 数度転がる。動きが止まると、仰向けに。

 宙に漂わせていた光も全て掻き消える。

 空が見えた。

 気味の悪い空。芋虫のような雲が身を寄せ合っている。光さえも隙間を見つけることが困難なほどに押し合っている。そんな空に一カ所だけ穴があいている。まるで腸を破かれたよう。そこから差す光はさしずめ血であろうか。

 頬が緩む。

 

 ――楽しくなってきた。

 

 空に開いた穴は、だんだん雲によって塞がれていっている。欠損は埋められるものらしい。

 

「やはり詐術の類。よくもまぁ、あのような偽りを言ったものです」

「偽り、か」

「まだやりますか? もう貴女の手は理解しました。詐術の類は通じませんよ」

 

 小さく笑いが飛び出る。

 見破られたところで何一つ問題はない。そもそも防衛過剰な相手とその心理を突いた策でしか無かった。目的は相手の対応を見ること。その対応で相手の心を見ようとしただけ。目的は充分に果たしている。

 ゆっくり立ち上がる。

 身がところどころ焼け焦げているが、問題はない。もう、問題はない。

 身の心配をする時期は過ぎた。

 

「一応断っておこうか」

「何がです?」

「我は人を殺したことがある」

「戦闘を経験したことがあれば、よくあることでしょう」

「そういう意味ではない。何故この場面で言うか、それが重要である」

「……脅しでしょうか」

「いや、覚悟をうながしただけである。せいぜい楽しませるがいい」

 

 唇を舐めると、土の味。唾と一緒に吐き捨てる。

 ゆっくり息を吐くと、酒気のようなものを感じる。心が浮つき、身が軽くなる。視界は淡く歪み始め、全てが好ましく想えてくる。

 

「くふ」

 

 全てを肯定するということは、全てを否定することに等しい。

 成り立ちはしないのだから。

 

「集中は切らすなよ。まぁ、それだけ臆病ならば問題はないだろうが」

「――臆病、と言いましたか?」

 

 霊力の糸を操り渦を起こす。

 風。

 吹き荒ぶ風は、地面の砂を巻き上げ、自身と共に流れゆく。

 

「今度は何の詐術でしょうか? 偽りばかりで実のないものに、私は――」

 

 実はあった。風に乗った砂がそれ。

 見えない攻撃は知っていれば対応は出来るが、知らない攻撃は対応のしようがない。

 目に砂が入り込み、思わず閉じてしまった神子に、布都は即座に距離を詰めた。

 

「――阿呆め、敵から目を離すな」

 

 その言葉を聞いた神子は、理解した。

 焦り。

 その前に、対処を。

 敵が来る。来た。

 やる事は一つ。

 霊力を急速に高め、殻のように具現させる。

 

「下だぞ」

 

 薄く目を開け、下を見る、が。――いない。

 

「阿保」

 

 上から強い衝撃。

 とにかく出力を上げ、防御する。

 防殻は破られていない。

 

「っち、硬いな」

 

 言葉の後、衝撃が和らぐ。

 遠ざかるのが見えた。

 

「せっかく良いものを持っておるのに、全然使い切れておらんな。お前の知覚はちゃんと上から来る我を感じていたはずだ。なのに言葉一つでお前はそれを無視して、下を見たのだ。神の子が聞いてあきれる」

 

 神子は言い返せない。

 全てが事実だった。

 けれど、事実はまだある。

 

「……それでも私は無傷です。貴女とは違う」

 

 如何に近づこうとも、防殻を破れない限りは負傷することはない。であれば、一方的に攻撃を与えられるのはこちらのほう。

 神子は現実と推測で心の落ち着きを取り戻してきた。

 だが布都にとっては取るに足らないこと。

 

「――然り。けれども、絶対はない。およそ駆け引きなんてものは、頼みとするものが破られた時に最高潮になるのだ」

 

 全てを払った果ての果て。極上の果実。

 

「さて、次はどうやって攻めてみようか。特に何か思い浮かぶというわけでもないが、何もしないというのも暇であるし。はてさてどうしたものか」

 

 一切の焦りが見えない布都の表情。

 神子は嫌になった。

 永遠に延々と続きそうな攻防のように感じられた。

 それこそ冗談ではないと吐き捨てたかったが、口に出す労力が躊躇われた。この先そこまで続くか分からないのであれば、少しの体力も温存すべきだと思った。しかし、そんな永遠なんて望むわけがない。逃れる術はある。簡単な話、こちらも攻撃を仕掛けて相手が活動出来なくしてしまえばいいだけのこと。そう思い到ると、いくらか楽になった。そう、これは永遠なんかではない。終わりはちゃんとあって、そしてその終わりはある程度自分で左右できる代物であると。

 息を吐くと、気持ちが落ち着いた。

 

「……次はそちらが防ぐ番です」

「ほぉ!」

 

 神子の言葉に、喜色に富んだ返事をする布都。

 むっとしつつ、神子は剣を布都に突き付ける。

 霊力がふんだんに込められたそれは光り、あふれんばかりの輝きを放った。その輝きだけで目を灼かんばかり。

 

「うむうむ。なるほど霊力の総量だけでいえば我より上であろう」

「当然です」

「しかしそれだけだ。別に今までになかった話じゃない」

「……何が言いたいので?」

「体験と経験の積み重ねで熟していくものが食べたいのだ。だからこうせっせと教えてやっているのだ」

「上からですね」

「経験不足どころか、戦闘が初めてなんじゃないかとすら思っている。かぶりつきたくなる衝動を必死に抑えているのを褒めて欲しいくらいなのだが」

「気持ちのいい比喩ではありませんね。人に向かって食べるだとか」

「比喩なのだが、比喩でもなかったりする。いや、微妙な塩梅でな? 出来れば真に死の恐怖を味わって欲しかったのだが、どうにもこれが難しい。加減するには強すぎるが、本気で殺るには経験が足りてなさすぎる。人間なんてのは腹でもぶち破ったら、大抵死ぬのだ。少しの隙を突けば、造作もない。さすがに我も困ってきた」

「……ならば止めませんか。そもそも私は望んでいない」

「うーむ、それもいい気がしてきた。どうにも昂った気持ちが抜けてきてなぁ」

 

 腕を組み首を傾げる布都。そこからは緊張感の無さが見て取れた。本当に気分では無くなってきたらしく、威圧感や異物感といったようなものがかなり薄れている。

 神子は正直ほっとした。

 気の隙間、そこを衝く。堅固な守りを破る最善の方法。

 布都は衝かれた。

 

「っ好機!」

 

 宙を浮く布都の後方の地面から穴が開き、何かが飛び出した。

 人、いや仙。いや仙でもなく、邪仙。

 

「素敵ですわね! こんな素体が手に入るなんて!」

 

 その邪仙は神子も見知った姿。

 

「霍菁莪っ!」

 

 水色の衣服に身を包み、いつも楽し気に笑顔を携える仙人。師でもある。正直その思考や素行は相いれないが、それでも仙道を知り、また教えてくれる。無下には出来ない。そんな存在が――。

 

「がっ」

 

 布都は受けた衝撃に血と声で反応した。

 背から手が突っ込まれ腹を突き破られている。

 布都の肉体は決して堅いわけではない。霊力で補強することで、ある程度頑強に出来るが、身体事体はさほどではない。何より、布都の今の肉体は万全とは程遠い状態にある。

 

「っな」

 

 首を後ろへやると、ようやくその姿を確認出来た。

 

「えー、神子様を助けに来た者ってところでどうでしょう?」

 

 楽しげな声色。子どものような純粋な笑み。

 腕が引き抜かれる。

 再び襲う衝撃に布都の肉体は耐えられずに、地に落ちた。

 

「菁莪! 何故!」

 

 神子は即座に詰め寄った。

 

「はて、何故と申されましても……」

 

 対する菁莪は、人差し指を頬に当てて首を傾げてみせた。

 

「お邪魔でした?」

「もう戦いは終わるところだったのだ!」

「――あら、神子様。それはいけませんわ。『終わるところ』では、まだ終わってはいません。ちゃんとお教えしたはずですよ?」

「そんなことはいい! それよりっ」

 

 神子は飛び越してきた布都を振り返った。

 布都は地面に倒れ伏し、その周囲に血だまりを作っていた。どう見ても致命傷。助かる見込みは感じられない。そう、死とは突然襲ってくるもの。そんなの到底許容出来るものではない。だからこそ、この邪仙を師と仰いだ。だが、この結果はどうだろうか。納得出来るものなのか。

 

「神子様? お顔がすぐれませんよ? たった一つの命に頓着されるようでは、人の上に立てません。天より人を見下ろす者がそれでどうするのです?」

「理屈は分かるが……」

 

 しかし、と続けようとした神子、そして菁莪は、上から頭を糸でつり上げられたかのようにびくっと跳ねて緊張した。

 それは禍々しさとしか形容出来ないものだった。

 立っていた。

 

「……仙はまだ喰ったことが無くてなぁ?」

 

 血に飢えた獣の舌なめずり。天上へと昇るような恍惚の笑み。

 

「婿は下がっておれ。巻き込まない自信はない」

「は?」

 

 婿、そう呼ばれたのが自分だと分かった神子であるが、問題はそこではない。

 

「何故、立って……」

 

 ひん死の重体だったはず。いや、今でもそう見える。でも何故――。

 

「もう、抑える必要もないようだ――」

 

 布都は、笑みを凶悪のものに変えた。

 それは完全に捕食者の笑み。

 神子から布都の身の心配が消え去り、逆に菁莪への心配へと移った。

 その菁莪の顔は険しい。普段の笑みは完全に消えていた。

 

「……獣を飼いならすのは趣味じゃないのですけど」

「代わりに我が腹の中で飼ってやる」

 

 布都から気がほとばしる。

 霊力に妖力が混じっていく。

 

「さて、仙人狩りの時間だ」

 

 はためくだけだった左袖が浮き上がり、中から黒いもやが出てくる。触れるもの全てを腐蝕させてしまうようなそれ。

 明らかな劇物。

 菁莪は大きな計算違いを覚った。

 

「ま、待って――」

 

 待たれない。布都は行動を――。

 

「ちょ、ちょ――」

 

 菁莪は全力で逃げ出した。

 布都は追った。

 

「えっと、私は……?」

 

 一人になった神子はその場で立ちぼうけになった。



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第25話 欲望と策謀

 風を頬で感じた。

 ようやく落ち着いてきた、らしい。

 

「なんとまぁ……」

 

 激動の一日だった。そしてどこかではまだ激動真っ最中なのであろうと。平穏な一日がやたら物騒な客により吹き飛んでしまった。思えば、今日は何をする予定だったかしらん。うふふ。

 ふざけていると、思い出した。

 そして同時に予定が直に現れた。

 

「皇子! 来ました――って、えぇ!?」

 

 声の方に視線をやると、人が集まっていた。

 そして、その人垣を押しのけこちらにやって来る少女。和らげな緑の衣服に、活発そうな瞳。そう、蘇我屠自古。会って、お茶でもゆっくり飲むはずだった。

 なのに、この惨状。荒れ果てた地。恐怖や驚愕の顔の人々。人は天災には逆らえないというが、彼女らがそうなのかもしれない。

 

「っわ、っよ、っせ」

 

 割れ地の上で飛び飛びに足を運ぶ。

 地が割れてるせいで、尋常じゃなく足場が悪い。しかしそんなことは屠自古にはどうでもよかった。それより何故か黄昏ている婚約者の方が気になった。

 

「ど、どうされたのです?!」

 

 屠自古は肩を揺さぶった。

 

「え、ああ、綺麗な空だなぁと思いまして」

「は?」

 

 空は鈍色一色。使い古された刀剣の類の方がまだきらめくかもしれない。

 

「……その、君の親はどちらとも凄い人だね」

 

 想いをそのまま言葉には出来ず、伝わりようが無いくらいの遠回しになった。きっと空のせい。

 

「え? あ、いや、父上はともかく母上は知りませぬ! ロクに顔も見たこともないですし!」

「ん? 君の母はあのもののべ――」

「っ違います!!」

 

 鼻息荒く否定した屠自古。

 

「あいつは断じて母などとは!! あいつは、その、あれです! 布都です!」

「……そうですか」

 

 その権幕に、神子は思わず改まった。

 どうやら親子仲は悪いらしい。色んな意味で。

 

「今しがたまで、その布都さんはここにいらしてましたよ」

「え、そうなのですか?」

「ええ」

「どうして今は居ないのですか? もしかして私が来るのを知って!?」

「いや、それは無いでしょう。さすがに未来を見るなどと――」

「いやあいつならやりかねません」

 

 さえぎる屠自古。

 

「……嫌いなんですか?」

「嫌い、というわけでもないような気がしないでもありませんが、……いややっぱり嫌いです!」

 

 神子は目を丸くした。

 表情豊かだとは思っていたが、ここまでとは思わなかった。でもこれは多分、あの人物が関わっているからこそなんだろうと思うと、やはり好ましくはない。

 だから少し意趣返し。

 

「――いやぁ、大変でしたよ。貴女を嫁には出さんと暴れ放題で」

「……え? 布都がですか?」

「ええ」

 

 目も口も丸くする屠自古。

 

「もしかして、この辺りの……」

「ええ、そうです。貴女の母がやっていったことですよ」

「は、母ではっ!」

 

 顔を真っ赤にして抗議する屠自古。そこからは複雑な喜び模様が見て取れた。とにかく認めたくないらしい。

 あることを思いつく。

 神子は悪い笑みを浮かべた。

 

「今度、遠くに遊びに行きましょうか。お母さんも連れて」

「え? 布都もですか?」

 

 認めていることも気づいていないのかどうか分からないが、とにかくこれは復讐になる。

 

「当然です。私たちの旅のおまけに連れて行きましょう」

 

 神子は笑みを濃くする。

 あの化け物にも弱点があるようで、思い返せば例の件の発端はそれが要因だった。目の前で存分にいちゃいちゃしてやろう。そんで泣かせてやろう。たぶん最高に愉快だろう。

 

「お、皇子?」

「ん? ああ、何もないですよ」

 

 神子は心で誓った。

 

 ――絶対、泣かす!

 

 気分がすこぶる良くなってきた。

 勝手に頬がゆるむ。

 いけないいけないと手で包み込むが、抑えられない。

 道中に散々いちゃついて涙目になったあいつに、「歳をとると涙もろくなると言いますからね」と言ってやろう。続けて「それで何か感動するような光景でもあったのですか? 伯母上?」と付け加えてやろう。さぞ愉快だろう。

 ……その前に、師を失うことになっていないといいが。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 驚くものを見た時の反応とは人それぞれだろうか。その反応が幾通りかは分からないが、その数は多くはないだろう。思考や理性を飛び越えて本能に近いところまでやってきた衝撃。それは天より遣わされた神の子を自称する前衛的な髪型の持ち主をも、その他大勢と同じような反応を示すものだった。

 それほどまでに目の前の光景は――。

 

「ねぇ~、布都様ぁ~」

「寄るな。失せろ」

 

 猫なで声で布都に纏わりつく菁莪。

 

「そう言わずに~」

「ええい鬱陶しい!」

「あぁんっ」

 

 軽く振り払われただけのように見えたが、菁莪は吹き飛ばされたように地に倒れ。

 

「痛いですわぁ。これはもう責任を取ってもらわないとぉ」

 

 追われていたはずの者が追っているというかなんていうか、仲直りしたのだろうか。そんな変なことを思ってしまう。

 目が合う。

 

「お、おお! これはこれは婿殿。よくぞ会えたな!! この偶然に我も神に感謝したいところだ!」

 

 ここは上宮。どう考えても厩戸皇子に会いに来る以外に来る機会がない場所。会いに来たというよりは、連れてきたという方が正しいようで。

 

「……どうも。何の用でしょうか」

 

 邪仙に足首を掴まれながら、気にした様子無くそのまま引きずって来る様は中々に異様。

 帰りたい。家はここだけども。

 

「いや、な? 顔を見たくなってな?」

「昨日の今日ですが」

「いやいや、あんのクソガキがどのような面しているのかと思うと気になって気になって思わずな?」

 

 良く分からないが、別段仲良くする気はないらしい。

 

「どうも、天に愛された素晴らしい面です。ではご用件は済ませられたでしょう。出口はあちらです」

「そうかそうか。我もこのような火を点けたくなるような場からはさっさとおさらばしたいのだが、ちょっと土産があってな」

 

 見るからに、土産は足元のそれ。

 

「いりません。連れて帰ってください」

「あら、神子様。それはちょっと傷つきますぅ」

 

 心底楽しそうに悲しそうに、菁莪は言う。

 

「私は貴女様に惜しみない愛を捧げた身。それを物のように――」

「知識だけ置いて、その方とご一緒にされて下さい。どうやら愛に飢えているようなので」

「おいおい、感心せんな。師に向かってその口の利き方はどうかと思うぞ婿殿? ここはやはりそういった部分の教育も兼ねて、師としばらく寝食を共にするのはどうだろうか」

「身の危険を感じますので、お譲りしますよ。私の代わりに、常識や礼でも習うといいのではないのでしょうか」

「あいにく、それらとは無関係になるように生きている」

「ああ、そのようですね」

 

 菁莪がようやく起き上がる。

 

「私を取り合いになさるのはたいへん結構なことですが、この身は一つですので交代で我慢してくださいな」

 

 この邪仙から本当に学ぶべきはこの精神性ではないだろうか。

 

「そうですわ、神子様」

「はい?」

 

 表情を変えた菁莪。何か用事があったらしい。

 

「北の方へ旅をしようかと思いますの」

「そうですか」

 

 ただの報告だった。

 

「神子様も高貴なお人。準備も色々ありましょう」

「はい」

 

 何か食い違った。

 すぐに理解した。

 

「……どうして私が行くことになっているのです?」

「あら、師が旅出ると言えば弟子は走ってついてくるものですわよ。仙道とはそういうものです」

「怪しいことで」

「なんと! 私をお疑いですか!?」

「……はぁ」

 

 どうやら頷くまでこの調子が続くようである。これも力を得るまでの辛抱。

 

「分かりました。行けばよいのでしょう行けば」

「はい!」

「しかし私にも公務があります。……予定を作るのも一苦労ではないというのに」

「申し訳ございません。ですが、神子様にも益のある話だと確信しているのです」

「それはどのようなもので? もし本当にうまみがあるなら、気分も乗るのですが」

「それは――」

 

 霍菁莪は嘘はつかない。ただ伝えることをわざと伏せたりする。言うことと言わないことを意図的に操れば、嘘をつく必要もないというわけだ。騙されて動くのではなく、自らの自己決定により動く。少なくとも、当人はそう思う。

 

「おい、聞いておらんぞ」

 

 そんな中、布都が口をはさんだ。

 顔をしかめている。

 布都にすれば、話が違うとすら言いたくなることだった。 

 そしてその言葉の意図するところ、それを菁莪がすぐに感じ取った。

 

「あら布都様、『私たち二人で』とは言っておりませんでしたわよ。それとも二人っきりをお望みでしたか? ぁあ、それは気が回らず……」

「ずいぶんと口が回ることだ。これを師と仰げば、それはそれは大そうな人物になるであろうな」

 

 それは明らかに神子に向けて言っていた。

 

「耳が痛いですね」

「おや、それはどちらの耳が痛いのか」

「……貴女は舌の上に毒でも乗ってるのでしょうか」

「絶品のな」

 

 布都は舌を出して見せた。

 

「あら、それはたいへん興味ありますわ。是非とも味わいたいもので」

 

 すかさず寄る菁莪。

 距離を取る布都。

 実に嫌そうな顔を浮かべている。

 知ってる者からすれば、おそろしく珍しい表情である。

 話が進まない。

 神子は話を切り出す。

 

「で、どうして北なのですか?」

「――かの地では神が統治する国がある、と言われていますのはご存知でしょう?」

「ええ、誰でも知っているような噂ですね」

「さて、私は仙でございます。ある程度の事は対処可能」

「探りに行ったのですね」

「ええ。ですが、すぐに帰ってくるはめになりました」

「貴女ほど人が?」

「仙であり続けるとは、畢竟死なぬことです。危ない橋は渡らないことです」

「ならば、そもそも行かなければ良かったのでは」

「それが、そこの神は剣を欲しているとも、もしくは手に入れたとも、そんな情報を得たので」

「それが欲しいと?」

「ええ、貴方の為に」

 

 そこに含まれた意味を神子は感じ取った。

 

「……そうですか。それは仕方ありませんね」

「そこらの霊剣とは違い、正真正銘の神の剣です。全てを断ち切る剣。まさに剣というべきものです」

「――それをどうやって手に入れるつもりで? その神が既に持っているにしろ、探している段階にしろ、目的がかち合うことになりますが」

「それはもう、頑張って譲ってもらうのですよ」

「……貴女らしいことで」

 

 明るい展望が見えない旅。

 北に行くにつれ、危険が大きくなるのは周知のことである。基本的には未知の妖怪が多くなる。そんな危険を冒してまでたどり着いたところで、その先にさらなる危険がある。北の向こうに国があるという噂は、菁莪の感じからどうやら本当であるらしいが、それだけ。

 しかし、そんな不確定なものにあの布都が参加するというのが気になった。

 黙って聞いている布都問いかけてみる。

 

「貴女はどうして菁莪に賛成したので?」

「興味があった、ではいかんかな?」

「足らない、と答えましょう」

「ではこう答えよう。損じたものを得るためにと」

 

 布都は左袖を掴んで見せる。

 

「それで菁莪の話に乗ったわけですか」

「そんなところにしておいてくれ」

 

 当たっているとも言えないが、外れているわけでもないらしい。少なくとも、菁莪が関係しているのは確かだ。でなければ、今そこで殺し合いが始まっているだろうし。

 

「まあまあ、よろしいではありませんか。思ったが吉日です。早い出立を――」

「ですから私は公務が」

「あら、別に神子様を置いていってもよろしいのですよ? 旅の仲間は他にもいますし」

「……他とは?」

 

 この面子に入っても大丈夫というか、わざわざ菁莪が連れて行こうとする人物の名が思い浮かばない。

 

「屠自古様とか、お誘いしたのですが」

「――死にたいのか?」

 

 布都が詰め寄った。

 

「――まさか。私はとことん生きて飽くまで楽しみたいのです」

「ならば妙なことはするな」

「いえ、これは私からのお節介のようなものですわ」

「……どういうことだ?」

「もうすでにこのヤマト王朝の重臣たちは、北の向こうの国を認知しています」

「噂で、だろう」

「いいえ、私がきっちり証拠を持ち帰ってきたのですから」

「証拠?」

「その証拠は喋ることが出来ますので。少し舌足らずな感も否めなかったのですが、子どもの方が持ち運びに便利でしたので」

 

 物騒な内容はさておき、布都はそれが意味するものを感じ取った。

 

「……つまり、王朝は土地を欲しがったという訳か」

「さすがは布都様。ご理解が早くありますね」

 

 大軍が動く。そして自分たちも。

 理屈を理解出来た布都の気分は良くない。

 危険を乗り越えた先には、国がある。国があるということは、そこには住まう民がいる。民がいるということは、それにともなう文明がある。つまるところ併合して、それら全てを手に入れてしまおうというわけである。

 菁莪がどういう手口を使ったかは、布都には知り得ることではなかったが、おおよその検討はついた。人の欲を突くのが上手い邪仙は、おそらく例の国を魅力的な土地と説き、その国力は大したことないと説いたのであろう。後はそれの説得力を上げるために、子どもを連れてきて、想定通りのことを喋らせた。

 

「お前、ロクな死に方はせんな」

「仙人ですから」

「ふん」

 

 一人の邪仙の欲が国を動かした。その欲はあまりにも純粋で、自分のためであり他人のためでもあった。

 国を挙げての北征が始まる。

 名だたる重臣が兵を率い、権力争いをも引き連れて、足を時を進める。

 まがりなりにも一つの国として、味方として共同体として。

 剣を槍を矛を。北に向けようと。

 邪仙は裏の無い笑みを携え、飽くまで楽しもうとする。それ以外に生きることでやることがあるだろうかと言わんばかりに。



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第26話 流れる時

 団結はそれだけで力になる。

 例えそれが真ならざるとも、手を取り合えば充分に効果は発揮される。少なくとも、妖怪が跋扈する世界で、人の住む世を作ることが出来た王朝であればそれなりに。何と言っても、物部と蘇我が手を組んで一つの作業に取り組んでいる。字面だけで言えば、平和の幕開けのようなものだが、実際の内容は恐ろしく物騒。

 北の地を征服する。

 人は理屈だけでは動かない。それは人の集合体である国も同じだった。

 ヤマト王朝は欲で動いている。

 木を刈り倒し、材木とする。大規模な伐採が行われた。大人数が動くならば、それだけの食料もいる。火も起こさなければならない。後続のためにも、道をつくらなければならない。

 物部氏を中心とする集団が先行し、安全を確保する。その後に蘇我氏を中心とする集団が、人が休めるように地をならしていく。

 協力という素晴らしき行為。

 人を殺し、隷属させ、土地を奪う。

 その為の協力。

 この恐ろしい集団は大まかに物部と蘇我の両派に分かれている。この国家的計画には、多くの重臣も同行しており、物部氏で言うと守屋自ら氏族を率いている。蘇我では、馬子の名代として蘇我系の神子が来ている。これには政治的な思慮が様々付随しているが、ややこしいことは置いておいて、神子が代わりを務めているというのが大きなことだった。

 布都も集団の中にいる。が、蘇我の集団より外れ、物部の集団に身を置いていた。

 いる理由はただ呼ばれただけ。わざわざ呼んでくるというところに少し興味が湧いたからいるにすぎない。

 ということで、布都は守屋と歩いている。

 弟の贄個は先遣隊を率いていて、この場にはいない。

 物部氏としては、力を見せつけるいい機会であるため意欲は高い。その中心にいる守屋と布都だけが冷めている。

 

「まさかこんな大所帯になるとは思いませんでした」

 

 と、布都が遠回しに愚痴を言うと守屋も乗った。

 

「まったくだ。しかし、この状況では代わりに誰かを行かすわけにはいかん。代わりを立てれた蘇我が羨ましい」

 

 個々の能力を高めることに主眼を持つ物部氏は、それにともなってか性格的にも我が強い。これらの上に立つのは、さらに個と能力を持つ者である。よって集団としては、協調が不得意。能力を考えると力を発揮出来ていない。そんな問題があった。

 それでも周りの氏族より格段に強いので、集団としての能力向上をしようとはならない要因になった。なまじ強いため、誇りが生まれる。その誇りが我を強め、他者との連携を拒む。それにともなう連携下手の言い訳として、弱いから群れるのだというものが採用される。

 とはいえ物部氏の昨今の戦闘能力向上は著しい。贄個が普段から、物部の術を周りの人間に教えている。これが功をそうし、格段といえるほどの向上に繋がっている。

 その贄個の元なら簡単な連携くらいは可能であっても、氏族として大きなまとまりになると不足があった。そうなった場合にはやはり当主の守屋が必要となった。

 実績や能力を知らなくても、その人物に心酔してしまうような現象。不思議と目が行き魅かれてしまう。それを俗にカリスマ性と呼ぶが、守屋の場合はどうだろうか。――少し違う。氏族の未来。象徴。そういうったものに近かった。

 皆、守屋を通して別のものを見ている。

 物部氏にとって幸運だったのは、この当主が実利を考えることが出来て、かつおよそ人の上に立つ際に必要な能力が軒並み高かったこと。そしてなにより、現実を見ているくせに妙に理想論者であったこと。人は希望が無ければ、前には進めない。理想が必要だった。理想に向けて音頭をとってくれる人が必要だった。

 そうでなければ、蘇我との政争に心が耐えられなかった。寝返る味方、増えていく敵。天皇の周りのほとんどが蘇我の親戚。それどころか、新たな天皇ですら蘇我系。天皇の母は馬子の姉である。物部にとっては、時を増すごとに政情は不利になっている。

 物部氏族の危機感は尋常なものではない。

 個を貴ぶのに、個では敵わないと理解させられる。

 拒むには理想がいる。

 それも大きく強固な理想が。

 守屋は実に分かりやすい答えを用意した。

 『強い者が勝つ』

 最終的にはこうなるはずだと。

 

「俺の代わりがいれば幾分か楽だったのだがな」

「これはまた贅沢なことを」

「見せつけられると、言いたくもなる」

 

 身分が高い者は妻子帯同である。が、守屋は単身である。そんな余裕はない。

 

「大海に身を投げ、浮くか沈むか。出た結果が天命である。――これでは我が氏族の未来は明るくないな」

「兄上は未来はないとお思いで?」

「分からんさ。まだ賭けることが出来る以上は結論を出すにはまだ早い」

「……ずいぶんと時の進みが早くなりましたなぁ」

「ああ、昔に比べてずいぶん早くなった」

 

 はっきり言う守屋。が、渋みがある。

 

「進まない時なんぞ魅力に欠けるが、何とも情の無いことだ」

「待てと言っても待ってはくれませんから。――ああそうです、不老不死でも目指してみればどうでしょう?」

「いずれ全てが朽ち、その後に自分だけ残るか。ぞっとする話だ。それならば何をするにしても意味をなさない。その瞬間、身動きが取れなくなってしまうわ」

「然り。然り」

 

 布都は少し気分がよくなった。

 

「憎悪でもなく理屈でもない。けれども敵対する以外にない関係。まるで時がそうさせてるようですな」

 

 布都は守屋が蘇我を嫌っているわけではないのを知っている。もちろん好きでもない。好悪によるものではない関係。

 

「時か神か、はてさて何か。とにかく、当事者としては存分に役割を果たそう」

「兄上の考える『物部守屋』の役割とは?」

 

 一拍。

 

「――漠然としていて上手く言えんな」

「そういうものですか」

「ああ」

 

 守屋は改まった。

 

「……天命というものがある。俺はそう思っている」

「はい」

「だが、その天命というものは、俺の思うにだが」

「はい」

「そう細かく決まってないのではないかと思うのだ」

「では何と?」

「受けた天命、――それに縛られるか使用するか」

 

 難しい顔の守屋。

 

「上手く言えないが、そんな感じだ」

 

 説明不十分だと自分でも思うのか、さらに言葉を続ける。

 

「……天の意思の結果に人間が振り回されることがあっても、結果それ自体が定められているわけではない」

「我は天の意思とやらを感じたことが無く」

「当然だ。意思が意思について考えるか」

「それはどういう」

 

 布都は理解が苦しくなってきた。

 

「そのままだ。俺が、――いや親父殿がそう感じ、息子の俺が引き継いだことだ。物部の当主である俺がな」

「我は道具ではありませんが」

「道具などであって堪るか。我を通してこその物部布都だ」

「なんとも釈然としませんが」

「酔っ払いの戯言とでも受け取れ」

「おや、酔っておられたので?」

「現実にな。内腑が痛むわ」

「それはそれは」

 

 分からないものを分からないままにしておく。それもまた一興。

 布都は守屋から距離を離した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日暮れも近い。

 茜は、人の手が及んでいない林の中でも差した。

 人は言う、暮れが不安で帳は恐怖だと。

 先の見えない不安が恐怖と化す。

 ヤマトからの一向は予想をはるかに上回る速度で北へと進んでいた。妖怪の来襲などの危険がほとんどなく、拍子抜けしていた。北というのは、妖怪が跋扈する大地という当初の観念が崩れ去るほどだった。

 原因は分からない。分からないが、進めるならよし。けれども、進むたびに言い様にならない不安が募る。やがて恐怖に変貌しそうなそれを必死に押し留めて、前へ進む。皆前へ進んでいる。ならば足を進めるしかない。一人取り残される恐怖よりましだと、多くの者は思っている。

 当然例外もいる。

 

「皇子、皇子! 外の世界とはこのようなものございますか!」

「えぇ、そのようですね」

 

 例えばそう、とある蘇我陣営のとあるお偉いさんだったりとか。

 そのお偉いさんらが都から離れたのは初めての事だった。何でも初めてのことというのは、期待や不安で心がいっぱいにあるものである。

 それでもいっぱいになったはずの片隅に欠けたものを感じていた。

 

「布都も来ていると聞いたのですが、……あいつはどこにいるので?」

「ああ、あの方なら物部方にいるそうですよ」

「な、何故です?」

「何故って、物部だからではないでしょうか」

「でも、あいつは、父上のっ――」

 

 言葉は続かなかった。言葉にしたくなかった、でも言葉にしないでもいられなかった。随分と布都とは言葉を交わしていない。会ったと、ちゃんと言えるのはどれだけ前の事だろうか。でもあの時は代わりに父がいた。そして今はいない。

 言いようのない不安、けれども一人でもない。だから、何か紛らわそうと話しかけようと――。

 

「――神子様」

 

 突然現れた何者かに、先を越された。

 

「っわぁ!」

 

 驚く――も、そっちのけで会話が始まる。

 

「そろそろ近づいてまいりましたわ」

「その貴方の言う、例の国ですか」

「はい。もうビンビンですのよ」

「すぐというわけですか」

「いえ、正確にはもう少しあった気がするのですが、不思議ともうすでに色濃く感じられるくらいに近寄ってると言ったところでしょうか」

「つまり?」

「楽しくなりそうです

「……そうですか」

「ああ、一応言っておきますが、死なないようにお願いいたしますね」

「それは問題ありません」

「それはよかったです。全てを捨てて逃げるくらいの度量がないと、上には立てませんから」

「言わなくても分かっています」

 

 そこにいるのにのけ者にされるというのは、気分の良い体験ではない。割って入る。

 

「――っ皇子、この者は一体何ですか」

「っあ、えーっと、それはですね……」

 

 何やら言いにくそうにたじろぐ様が実に怪しかった。妙齢の、それも美しい女。もしや――。

 突如、首周りに生暖かいものが包み込んできた。

 手。

 

「ひっ」

「どうも、初めまして?」

 

 びくっと身体が跳ねるも、身を腕で包み込まれ、振りほどくにも勇気が要った。

 

「菁莪娘々と言いますの。どうぞよろしくしてくださいね?」

 

 好感度全開な声の感じ。なのに背筋が震える。

 

「わ、私は、ベ、別に……」

「別に?」

「ひぃ」

 

 急いで離れ、この場で唯一安全な背中に貼りつく。

 

「お、皇子、あの者は怪しい、――怪しいですよ!」

「あら酷い。私のどこが怪しいのでしょう?」

「全部だ全部!」

「あれれ、嫌われちゃったのでしょうか?」

 

 至極残念そうに頬に人差し指を当て首を傾げる様に、少し後ろめたさを覚えつつも同情は出来そうにない。

 

「菁莪、あまり屠自古をいじめないでやってください。そういうのには不慣れなのですから」

「それは失礼しましたわ。あまりにも可愛らしいので、つい」

「あんまり揶揄ってると、怖い保護者が出てきて苦労しますよ。知っているでしょう?」

「あの方、急に切り替わるので見極めが難しいのですよねぇ」

「その割にはずいぶんと迫っていたみたいですが」

「境界を見極めたかったので」

「なるほど。それで何か分かりましたか?」

「これがまったく」

「駄目ではありませんか。一応人伝手に聞いた話では、普段は温厚だそうですよ」

「その者は幻でも見ていたのではないですか?」

「私もそう思う、と言いたいとこですけどね」

 

 人間第一印象が大事。だが第一印象は所詮第一印象。時を重ねていくごとにあるべくものへと変化していく。そして、あの蘇我馬子という人物が下した判断は、一考を超えたものとしていいはずだ。だが同時に軽口に悩まされているだけという線もある。当人にとっては、そんなつもりは無かったと本気で言うかも知れない。ただこちらが勝手に深読みして勝手に悩み果てただけだと。

 そんな悲しいこともそうない。

 手の平で踊らされるのは絶対に避けたいが、勝手に踊っているだけという無様はもっと避けたい。

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 物部側の役目は先行偵察のようなものであるが、その補給を全て他者任せにしているわけでもない。自分たちでもある程度の食糧は持ってきているし、水だって汲んでくる。奥深くまで言った後に、食料の提供を拒否されたらどうなるかは自明である以上、当然の自衛措置である。

 布都も川辺を探して歩いていた。

 探そうと思えばすぐに見つけれる布都は、集団からは離れて歩いていた。一人の方が気が楽だし、なにより足を引っ張られることもない。

 感覚を澄ませば、すぐに川のせせらぎの音すら聞こえてくる。

 あとはそこへ向かって歩いていくだけ。

 わざわざ知らせてやらなくても、いずれ他の者も気づくだろうと教えに行ってやるつもりもない。すれ違えば、方向くらいは教えないこともないが。

 何かあればそのまま死につながるような地で一人でいるというのは、実に変なこと。もし一人でいるような者を発見したならば、まずは疑いから入るだろう。

 だから布都も、木々を抜け川を目にした瞬間、疑った。

 視界には、川辺で背を向けた状態で、しゃがみつつ水面を覗き込んでいる者が。

 布都の疑惑は強みを増す。

 人のような生き物がいるならば、川を探そうと感覚を澄ませた時に発見しているはずである。なのに実際に目にするまで分からなかった。

 一見無防備な背中があまりにも危険に感じる。分かっている危険とは違う、正体不明な危険。分からないからこその危険。予想が出来ない。

 未知は既知にする為には、行動を起こすのが近道。

 布都は口を開いた。

 

「そこで何をしている」

 

 無防備な背が動いた。

 

「――それはこっちの台詞だと思うけど?」

 

 正面を向いたそれは、ただの少女のようだった。もちろん"ただ"とつけるとおかしい所がある。この国では見ない、金色の髪。その上に奇妙な帽子。

 

「では何者だ?」

「それもこっちの――、いやいいや。通りすがりの女の子ってことにしとかない?」

「ではその通りすがりの女の子はここで何をしていたのだ?」

「うん? ただ見ていただけだよ」

「水面をか?」

「そう。正確には川の流れだけど」

「おもしろいのか?」

「面白いというか、興味があるのさ」

「ふぅん」

 

 子どもはそういうものが好きであることは布都も知っている。そして目の前の少女が、いわゆる『子ども』でもないことも知っている。だが、そういうことにして欲しいらしく、その様子を崩さない少女。これ以上問いかけても仕方がないので、手段を換えることにした。

 

「こんなところで、どうする気だ? 夜も近い。迷えば死ぬことになると思うが」

「確かにその通り。お互いにね」

「そうだな」

 

 話の平行線。

 

「……まぁいいや。少し歩み寄ろうか。――でだ、迷子ってわけじゃあないんだろう? もし迷子なら道案内でもしてやってもいいよ。もう用事は済んだし、戻ろうと思ってね」

「迷子というわけじゃないが、もしお前が帰り道の心配をするなら同行してやってもいいぞ」

「いいね、そういうの好きだよ。私の周りはお堅いやつばっかりで、話しててもつまらないんだ」

 

 互いに歩み寄る。

 

「私は、諏訪子。そっちは?」

「我の名は布都。ただの通りすがりだ」

「ふぅん」

 

 じろりと上から下まで舐めるように見られる。

 

「良い剣を持ってるね。ちょっと興味あるな」

「残念だが良い剣ではない。なんなら触らせてやってもいい」

「本当に?」

「ああ」

 

 布都は腰を前に出し、諏訪子に抜かせようと促した。

 

「……やっぱやめた」

「いいのか?」

「つまらないからね」

「そうか」

 

 二人は川を発った。

 少し歩き、物部氏の集団まで行くと、布都は出迎えた守屋に意味ありげな目配せをして「道案内をしてくれる迷子を連れてきました」と言った。守屋はただ頷いた。

 守屋は布都が去った後に、顔をしかめ呟いた。

 

「よく分からんが、――今更やれることなぞそう多くはないだろう」

 

 想いを振り切るよう、首を振る。

 何も見えないが、きっとそうなのだろうと。認知すら出来ない者に道案内をさせる程度には腹は括り終えている。なるようにしかならないと。




説明文が多くなりました。
直接書いた方が少なく済んだのですが、遠回しに書いてる以上いきなり名前をがんがん出しても変になるのでこのように。というか天皇名出すと時代がくっきりしちゃうので避けたかったり。

そして実は本文中にカタカナを出したのがこの話で初めてだったり。


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