もし、立花響にも妹がいたら? そんな平行世界のお話 (ミカンコーヒー)
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1.歌が聴こえた、あの日

ついてこれる奴だけついてこいッ!!(そもそもいない)

だとしてもッ! この胸の内を吐き出すまでは止まれないッ!

振り返らないッ! 常にこの身は全力疾走だッ!


「ただいま~」

 

「おかえり。もう! おねちゃんこんな時間までなにしてたの!」

 

 既に太陽は天辺を通り過ぎ、水平線へと沈もうとしている。茜色の空に夜の帳が下りつつある。

 彼女の年齢を考えて、帰宅するには遅い時間帯だろう。

 

 

「うん、ちょっとねー」

 

 

 姉と呼ばれた少女はあははー と目を逸らしながらそう口にした。

 服には所々土が付いていたり、擦ったのか知らないがほつれていたりしている。

 膝は転んだのだろうか痛々しい擦り傷が出来ていた。

 

「ちょっと、っておねちゃんボロボロじゃない! もう。また人助けなの?」

 

 妹と思わしき少女は心配そうに姉を見ている。

 

「うっ! で、でもね本当に困ってみたいだし! 私としても見捨てられなかったというか、なんというか......うぅ、心配掛けてごめんね」

 

 図星を突かれて言い訳を言っていたが妹の視線に耐えられず声は徐々に小さくなっていき、最後には謝っていた。

 姉を見つめていた妹は、はぁ~、とため息をついた後、仕方がなさそうに姉を見ながら

 

「まあ、おねえちゃんだから仕方がないね。...でもね、それでおねえちゃんがケガしたらダメなんだから」

 

「わかったわかった。ごめんね、光」

 

 全然分かってなさそうな顔で軽く流そうとする姉に、もー 本当にわかってるのー! とぷりぷり怒る妹こと光。

 いくら光が怒っても姉の方は全然分かってない様子だった。このままでは埒が明かないと、光は姉の瞳を見ながら宣言するように

 

「なら、おねえちゃんがみんなを助けるなら、私がお姉ちゃん助けてあげる! おねえちゃんがケガするのイヤだから私が守ってあげる! お姉ちゃんだけで無理するなら、私が一緒に手伝ってあげる! だから無理したらダメ!」

 

「約束だよ、ひびきおねえちゃんっ」

 

 

 まっすぐ瞳を見てそう言われた響は一瞬呆気に取られた顔をしたが、光に言われたことを理解すると照れくさそうに頬を掻きながら、うん約束だよ、とわしゃわしゃと光の頭を撫でる。

 頭を撫でられる光はにひひー、と嬉しそうに笑うのであった。

 

 

 

※※※※※※

 

 

 

 

 一週間の内二日しかない貴重な休日。その休日に立花家のリビングでは姉妹二人が仲良くテレビを観ながら愛すべき休日を謳歌していた。つまるところ、グータラしていた。

 

 

「ねぇねぇ! お姉ちゃん、ツヴァイウィングのライブに一緒に行こうよ!」

 

 いきなり何を言い出すかこの妹は、と妹の方に振り返る響。

 

「この妹はいきなりそんなことを言って、第一私ツヴァイウィングの曲知らないし~」

 

「一回聴いてみなって。かっこいいし絶対ハマるよ! 未来ちゃんも好きって言ってたし、誘って一緒にいこうよ!」

 

「未来も一緒か~」

 

 一度ライブに行ってしまえばお姉ちゃんはツヴァイウィングの曲に魅了されるだろう。つまりお姉ちゃんは堕ちる(確信)

 うぬぬっ、と唸っている響を尻目に準備を始める光。唸っているものの、もう来ることは確定しているようなものだ。

 お姉ちゃんは未来ちゃんと言えば大抵のことは何とかなると内心ほくそ笑む。逆もまた然りである。

 まあ、チケットが取れたらの話なんだけどね、大人気だしと心の中で付け加える。取れなかったらその時はその時だ。

 早速電話の元に行き、未来ちゃんに連絡する。

 小日向家の電話番号を打ち込み、コール音聞きながら今か今かと待つ。

 

『はい、もしもし小日向ですけど』

 

「あ、もしもし立花ですけど、未来ちゃんは居ますか?」

 

『あら、その声は光ちゃん。未来ね、少し待ってね』

 

 未来ー、光ちゃんからよー、とおばちゃんが未来ちゃんを呼んだ後、ドタバタと階段を駆け下りる足音が聞こえてきた。

 

『もしもし、光ちゃん。どうしたの?』

 

「あのね次のツヴァイウィングのコンサートに行く予定なんだけどね、一緒にどうかなーって。因みにお姉ちゃんも一緒だよ」

 

『響も一緒なの! 行く行く! ご一緒させて下さい!』

 

 ふっ、チョロいぜ

 これぞまさに二つ返事。未来ちゃんもお姉ちゃんの名前を出せば大抵上手くいく。 

 

「まあ、今からチケットを取るからまだ行けるかは分からないけど。もし取れなくても三人で遊びに行こうよ。とにかく準備は任せて!」

 

『うん、分かった。全部任せちゃってごめんね。それじゃあ―――』

 

 

 計 画 通 り

 

 

 後はチケットが取れるのを祈るだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 後日

 

 

 チケット取れました。あさっりと三人分。

 一番危惧していた問題が達成されてしまった。

 この運の良さに我ながら恐ろしいと一人戦慄する光。

 まるで世界が私たちにライブに行けと言っているようなものじゃありませんか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 ライブ当日

 

 

「未来ちゃん遅いね」

 

「うん、早く来ないかな、未来」

 

 私達姉妹は会場に到着したが、どうも未来ちゃんの姿が見当たらない。

 二人で探しているが会場も広く、人数も多いせいもあって中々見つからない。

 そんな時お姉ちゃんの携帯電話に着信があった。

 

「お姉ちゃん電話鳴ってるよ」

 

「うん。あ、未来からだ! もう、連絡が遅いよ~ 何処で何してるんだろう」

 

 プンプンといった様子で電話に出るお姉ちゃん。

 しかし―――

 

「ええっ!! 急用で来れなくなったーぁ!?」

 

 いきなりお姉ちゃんからそんな叫び声が聞こえた。

 事情を聞いているのだろうお姉ちゃんの表情がどんどん曇っていっている。

 

「...うん、分かった。それじゃあ」

 

「未来ちゃん来れないの?」

 

「うん、そうみたい。家族の絡みの急用だってさ」

 

「そっか...」

 

 残念だけど家族絡みの急用なら仕方がない。誰かがケガした、急に倒れたとか。何かあったら大変だからね。

 ワタシノロワレテルカモーとかお姉ちゃんが何か言っているが右から左に聞き流す。

 来られない未来ちゃんの分も今日は楽しんで行きますか。

 

 

 

 

 

 列に並んで会場内に入る。

 指定された席に座って待機。これと言ったトラブルも無く、ライブも間も無く開演だ。

 

 ライブが始まる直前になるとそわそわしちゃう私。

 そして忘れないうちにサイリウムをパキパキ折っておく。

 これ好き。

 

 

 

 

 待ちに待ったライブが今始まるッ......!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わぁ...! すごいね、お姉ちゃんっ...!」

 

「うん...! これがライブなんだッ! ドキドキして目が離せないっ...!」

 

 お姉ちゃん陥落。ふっ、夢中でサイリウムを降っちゃって。かわいい姉め。

 この様子だと間違いなくツヴァイウィングの虜になっているだろう。

 クックック、これでまた1人。

 

 マダマダイクゾー!!

 ワアァァァァアアアアア!!

 

 私も最後まで楽しもう。イェーイ!

 

 

 

 

 ※※※※※※

 

 

 

 

 誰もが何事もなく、このままライブが終わると思っていただろう。ある意味それは普通のことで、逆に何かあってはいけないのだ。

 だが、もし何かがあったのだとしたら。

 例えば、ライブ会場の地下で何か特殊な実験をしていたとか。

 普通ではない特別なことがあったとすれば。

 

 

 

 それは必然の出来事だったのかもしれない。

 

 

 公演中、湧き上がる歓声も冷めない中、突如会場で爆発が起こった。爆発だけならまだ良かったのかもしれない。

 あろうことか、そこからノイズが大量発生。

 突然の出来事に会場は水を打ったように静まり返る。

 

 だがそれも一瞬の事。誰かがノイズだァー! と叫ぶと、止まっていた時が動きだすように人々は悲鳴を上げ、我先にと出口に向かって一斉に逃げ出した。限られた出口を巡っての暴動とノイズの襲撃でライブ会場は阿鼻叫喚の渦に叩き込まれた。

 

 逃げ遅れた人は突撃してきたノイズに次々と接触して炭素と変わる。

 悲鳴を上げながら炭に変わっていく人、何が起こっているのか理解出来ず自分の体が炭に変わるのを眺める人、涙を流しながら家族に最後の別れを告げる人、皆一様にノイズによって炭素転換されていく。

 そしてノイズ自身も炭素の塊となって崩れ落ちる。

 辺りに転がるそれは元が人間だったのか、それともノイズだったのかさえ分からない。

 

 なんとか出口まで無事にたどり着けど、そこもまた地獄。

 出口付近は暴動が起きて人間同士で殺しあっていた。

 階段では誰かが一度転倒してしまえば後はドミノ倒しの如く倒れていき、多くの人が転倒するだろう。もし下敷きになるようなことがあれば、圧死は免れない。

 

 しかし、後ろからはこちらの事情などお構いなしにノイズが迫ってくるので人々は構うことなく転倒している人間でさえ踏み越え進んでいく。下敷きになった人の中にはまだ息がある人もいて自分達を踏み越えて行こうとしている人に助けを求め手を伸ばす。が、それがまた転倒を引き起こし、また同じことが繰り返される。

 

 前門の虎、後門の狼ならぬ前門の人間に後門のノイズ。

 進むも地獄で、戻るも地獄。

 

 道は足の踏み場が無いほどに遺体で埋め尽くされている。もはや人間で道ができているのでは無いかと錯覚さえしてしまう。

 あまりにもおぞましい光景だがパニックに陥った人間はそれに気が付かない。いや、本当は分かっているが他に道はない。たとえ自分の足元が死屍累々であろうとも死にたくないから、同じ人間でも踏み越え、助けを求めていても見捨て、道を塞ぐのなら殺してでも進む。

 

 死にたくない。そんな誰もが抱いて当然の感情。

 本能に刻み込まれている死への恐怖。

 本能に従い行動する。それは正しい。正しいのだが。

 それは余りにも惨かった。

 

 

※※※※※※

 

 

 走る、走る、走る。

 この地獄から逃げる為に、生き残る為に。

 

 その一心で出口に繋がる通路口を目指す響達。

 そんな通路口は、もう目の前。息をするのも忘れ、ひたすら走り、とうとう目的の所まで辿り着く。

 

「...ッ!! そんな......ッ!」

 

「どうしようお姉ちゃん......」

 

 命からがら通路口まで辿り着いたは良いもの、そこで待っていたのは無残に破壊され瓦礫に埋もれた通路口だった。

 その光景を目の当たりにした響達の表情は絶望に染まる。

 

「もう......おしまいだよ......」

 

 光はその光景に心折られ、その場に力なく座り込み泣き出した。

 響も口を引き結び、下を向いてしまう。しかし直ぐに顔を上げると、座り込んでいる光の手を取り、無理矢理立たせる。

 

「諦めないで光! きっとまだ無事な所があるッ!」

 

 行くよッ! と、響は光を連れてまた走り出す。

 

 

※※※※※※

 

 

 辺りは煤が舞い、元がノイズなのか人間なのか分からないような炭の塊があちこちに転がっている。

 出口は瓦礫で埋もれてしまっていて、通ることが出来ない。逃げ遅れた2人は他の出口を探している途中、ノイズ達に見つかってしまう。

 もう出口どころでは無く、とにかくノイズ達から逃げるように走っていた。

 

 だが、そんな懸命な逃走劇も終わってしまう。

 気がつけば目の前には瓦礫の山が広がっている。とてもじゃないが少女2人が乗り越えられるようなものではない。

 つまり、それは行き止まりを意味していた。

 

 急いで別の所にと、振り返れば視界に広がるは大量のノイズ達。

 背後には瓦礫の山。前にはノイズ達が直ぐ近くに迫っている。

 この状況はどうしようも無く、詰みだった。

 

「はぁああああーー!!」

 

 絶体絶命の中、彼女たちとノイズ達の間に誰かが割り込んできてノイズ達を殲滅していった。

 

「なんとか間に合ったッ! 大丈夫か!」

 

 割り込んできた人はオレンジ色のベースとしたボディースーツを纏い各部に装甲のような物を装着し、手には大きな槍を持ち。

 燃え上がるような朱い髪がとても特徴的な―――

 

「奏さんっ!? なんでノイズと!?」

 

 割り込んできたのはツヴァイウィングの片割れの天羽奏だった。

 

「説明は後だッ! それよりも早く―――」

 

「奏さんッ! 後ろッ!」

「危ないッ!」

 

 その時、響と光の方に向いていた奏の背後からノイズ達が飛びかかって来た。

 響と光の叫びに素早く反応してノイズ達の攻撃を防ぐ奏。

 

「くぅぅ......ッ!」

 

 咄嗟に槍を盾にしてノイズ達の攻撃を防ぐ。が、槍からはピキピキと嫌な音が鳴り、罅が目に見えて増えていく。だがノイズ達の猛攻の前にはどうすることも出来ず、防戦一方となる奏。

 

 そして事は起こってしまう。

 

「なッ......! ギアが!?」

 

 奏の持っている槍、および装甲の一部がノイズの攻撃に耐えられず破損した。

 破片はは弾丸の様に飛んでいき、周囲に突き刺さっていく。

 それは奏の背後にいる響と光も例外では無く―――

 

 

 

 

 

 ※※※※※※

 

 

 奏の纏っている物がはじけた直後、光はドンッ、と今まで感じたことの無い衝撃を腹部に受けた。

 

「えっ......? こふッ......!」

 

 突然のことで理解が追い付いておらず茫然としてしている光。だが喉の奥から込み上げてきたものを吐き出すと嫌でも理解できた。

 衝撃があった腹部がとても熱く、そっと手を当ててみると、血がべっとり付いている。

 目をやれば赤い染みがどんどん広がっていく。次第に力が抜けていきその場に倒れこんでしまう。

 

 姉は大丈夫なのか、倒れたまま顔を上げ、隣に居るはずの姉の方を見るが居ない。

 急いで探すと本来いた位置よりも後ろ。瓦礫の近くに倒れている。

 

 何故そこに、と思いかけたところで思考が止まる。響の胸のあたりを中心に血だまりができている。それは今もなお広がり続けており決して無事ではないということが分かってしまう。

 意識もなく、ここからでは生きているのか死んでいるのかすら分からない。

 光は今すぐにでも駆け寄りたいが碌に立ち上がる事も出来ず這いずって響の下に向かう。

 

 腹部の痛みが酷く意識がはっきりしないがそれでも向かう。今行かないと姉がもう手の届かない遠くに行ってしまう、そんな気がしたから。

 光が進むたびに地面に血で這いずった跡が残り、一目で光の出血も酷いということが分かる。

 

「お...ねえちゃ...ん.....目を...あけてぇ.......!」

 

 なんとかたどり着き、か細いが息はまだしている事は確認できた。しかし一向に意識を取り戻す気配は無く、 血だまりはこの間にもどんどん広がり続けている。

 早く病院に行かないと命に関わると今の光でも分かった。

 それは今の光にも言える事だが響の怪我を見るとそんなことはどうでもいいと思えてくる。

 

 ノイズの相手をしていた奏が近づいて来て響を抱き起し、必死に死ぬなと呼び掛けている。

 そして今も呼びかけ続けている光の怪我を見ると

 

「おいお前だって酷い怪我じゃないかッ! 無理するなッ!」

 

「わたしよりも......おねえ...ちゃんがぁ......」

 

「......ッ!」

 

「目を.....あけてぇ.....死なない.....でぇ.....」

 

「おい死ぬな! 目を開けてくれ! 生きるのを諦めるなッ!」

 

 痛みと出血で霞む視界、ぐらつく意識の中、光も必死に呼びかける。

 すると奏と光の思いが届いたのか、響が目を開ける。

 響が意識を取り戻したことで奏と光は安堵する。

 

 

 

 ※※※※※※

 

 

 

 

 

 響の意識が戻ったところでこのままノイズとの戦闘が続けば、この二人の命は直に燃え尽きるだろう。

 

 奏は、自分のことを差し置いて姉の安否を気にする妹、光を見ていると自身の妹の事を思い出す。

 

 奏はしばらく俯いていたが、何かを決心した面持ちで顔を上げ、抱きかかえていた響を優しく置くと近くに置いてあった槍を持ち、立ち上がる。

 その表情は何かを決心した割には不思議と穏やかで。だが、ただ穏やかなのではなく何かを悟ったような。

 そう死を覚悟した。否、死を決意した顔でノイズ達に向き直る。

 

 

(あの時は逃げる事しかできなかった。そしてノイズに復讐できるのなら地獄に落ちてもいいとさえ思えた)

 

 奏は思い出す、嘗ての己を。

 

(でも、こんな自分の歌でも誰かを勇気づけ、救うことが出来ると分かったんだ)

 

 ならば、復讐なんかではなく誰かを守る為に歌おうと。

 

 沢山の人と接し、その中で大切な物を見つけた、今を想う。

 

(あの子たちを見ていると、どうしようもなく思い出してしまう)

 

 妹との楽しかった日々。そして無情にもノイズに炭化させられる瞬間を。

 

(もうあんな思いは懲り懲りだ。自分自身も名前も顔も知らない誰かにもあんな思いは、もうしたくもないし、させたくもない)

 

 だからこそ彼女たちを死なせるわけにはいかない。

 

(Linkerの効果はもう切れた。ギアの構築もそう長く維持できないだろうな)

 

 ノイズが残っている限り、遅いか早いかの違いで結果は変わらないだろう。

 

 

 ならば―――

 

 

「まだこんなに観客が残ってるんだ。

 

 

  ―――最後の歌を歌うには丁度良い」

 

 

 歌うのは次で最後。

 それは命を燃やす最後の歌。

 

 頬に涙が伝う。

 決して心残りが無いわけでは無い。

 

 でも、助けた人達が残っているのなら、その歌もその人達の記憶や心に残ると信じている。

 

 

「あたしの歌はあたしの生きた証...... たとえ燃え尽きたとしても覚えている人がいるなら」

 

 今まさに燃え尽きようとしているあの子達の未来を照らすことが出来るのならば―――

 

 

 

 ――――――怖くない

 

 

「Gatrandis babel ziggurat edenal Emustolronzen fine el baral zizzl 

  Gatrandis babel ziggurat edenal Emustolronzen fine el zizzl」

 

 

 

 

「生きていてくれて、ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




響 13歳
光 11歳


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2.イタミ

あのライブ会場の惨劇から1ヶ月が経過した。

 

私とお姉ちゃんはあのライブ会場から生還することが出来た。

 

 

勿論、無事にでは無く、2人とも重傷で直ぐに病院に担ぎ込まれて緊急手術。

特にお姉ちゃんが酷くて、正に虫の息で正直助かるか分からなかったらしい。

なんとか手術は成功。だけど術後も気は抜けません、と医者から言われ家族は絶望の淵に立たされたそうな。

 

だが予想に反して術後の経過は驚くほど順調で、医者からは奇跡だ、とか言われていた。

私も酷かったと聞いているがお姉ちゃん程では無いだろうと思っている。

 

だけど2人ともあの時の破片はそのまま体内に残っている。

お姉ちゃんは心臓付近に複雑に食い込んで摘出不可だそうで、

私はなんでも破片の数が多い上に広範囲に刺さってて、尚且つ体の奥の方までいちゃったらしく。

緊急手術の時には時間がとてもでは無いが足りず放置。経過を看て以上が無ければそのままでOKらしい。

 

なんやかんや手術は成功。リハビリも順調、無事に退院でちゃんちゃん。

 

とはならず、私たちは再び地獄に突き落とされた。

 

悲劇は連鎖する。

 

 

 

 

 

 

※※※※※※

 

 

 

 

 

退院して、先生やクラスメイト、友達から心配され、長い間休んだときの特有のアウェイ感は無く学校生活に戻れたと思った。

 

だが何時だろう。ある記事が週刊誌に掲載されるとあからさまに周りの態度が変わった。

そしてとあるクラスメイトの男子が私に、なんで兄は死んだのにお前は生き残っているんだ、この人殺し! と責め立ててきた。

 

必死に誤解とだと説明し、私は何もしていないと言っても相手は何も聞こうともせず、騒ぎ立てる。

この騒ぎは学校中に広がり、親しかった友人からは何かを恐れる様に次第に疎遠になっていき、周りは私に関わる事を拒む様に離れた。

気がつくとクラスから孤立し、私の味方など誰一人いなかった。

 

そしていじめが始まった。

 

机には誹謗中傷の落書き、陰口、私が歩いていると肩をぶつけ、階段を降りていると後ろから押されたこともある。靴など頻繁に隠され大変だった。

 

いじめは時が経つにつれ、より過激にエスカレートしていった。

落書き、陰口、物を隠されるのは当たり前。そしてとうとう一部は暴力まで振るい始めた。

学校は嫌で嫌でしょうが無かったが、家族にはこれ以上心配を掛けたくないので休むわけにもいかない。

 

 

放課後に呼び出されたと思えば、男子生徒が複数人集まり、私刑だとか面白がって叩く、蹴る、殴る等暴力を振るってくる。

やめてと言っても誰もやめず、助けを求めても周りの人は遠回しにこちらを見るだけで何もしない。

 

時には中学生らしき人がいるときがあって怖くて仕方が無かったから放課後はとにかく必死に逃げた。

小学生はなまじ時間があるのか逃げても逃げてもしつこく追いかけて来た。そのまま家に帰ると何をされるか分かったものでは無いから、日が暮れるまで逃げ続けた。

 

 

手を伸ばしても誰も助けてくれない。

伸ばしてくる手はいつも堅く握り込まれ、私に危害を加えてくる。

 

 

 

 

痛い。痛いよ.....

身体が、心が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 光はいつもの『追いかけっこ』をなんとか逃げ切り、茜色に染まる街を背に一人歩く。

俯き、肩を縮こませトボトボと歩いている。

 唇は固く結ばれ、表情は暗く辛そうで、今にも泣き崩れそうだった。

 

 家の前までたどり着くと、そこには『人殺し』『金どろぼう』『お前だけ助かった』『死ね』などの誹謗中傷の書かれた張り紙が所狭しと貼られている。

 張り紙を見た光は気を抜いてしまえば涙が溢れてきそうで。

 辛そうに顔を歪めるも、張り紙を全て引き剥がす。これを繰り返すのも何度目だろうか。

 

「...ただいま」

 

 光がそう言っても何も返ってこない。しかし耳を澄ませてみると誰かの泣き声が聞こえてくる。

 急いで声の元に向かうと、そこには泣いている響の姿とそれを宥めている母と祖母がいた。

 どうした物かと辺りを見渡せば窓ガラスが割れ、床を見れば散らばるガラス片の中に石が混じっている事が分かる。

 これらのことで大体の事を察した光は

 

「...箒、取ってくるね」

「...おかえり、光。ついでに、ちりとりと新聞紙も持ってきておいて頂戴」

「うん、分かった。おばあちゃんもガラス踏まないように気をつけてねっ」

 

 こちらに笑顔でそう言ってくる祖母。しかし、力の無い笑みを見れば言わずとも無理をしていると分かった。

 光はこれ以上家族に心配を掛けないために気丈に振る舞う。しかし、顔を見られたくないのか、直ぐに後ろを向き、言われた物を取りに部屋を後にする。

 

 

 

 

 

※※※※※※

 

 

 

 

 

 誰もいない物置部屋の中、光は声を押し殺し泣いている。

 

「ぐすっ...えぐっ...ぅぅぅぅぅ....」

 

あの時、ライブなんかに行こうなんて言わなければ

 

「私が...全部悪いんだ......私が...」

 

 

お姉ちゃんも、お母さんも、おばあちゃんも、お父さんも。私があんな事しなければ、皆がこんな酷い事に、辛い気持ちにならずに済んだのに。

 

「私なんかが生き残ったからみんなが......」

 

全部悪いのは私なのに。皆が辛い目に遭っている。

あぁ、やっぱり私なんかが生きてちゃダメなんだ......

 

私が日常を、家族を、幸せを――

 

 

―――全部壊してしまったんだ

 

 

 

 

 

 

※※※※※※

 

 

 

 

 

地獄のような日々が続く。

 

世間の当たりは日に日に強くなってくる。

それに比例するように立花家の皆はどんどん憔悴していく。

 

近所の人は昔はあんなに優しかったのに、今では目すら合わせてくれない。

世間を賑わす一連の事件の騒動に巻き込まれたくないらしく、立花家はその地域の中で村八分の状態だった。

 

日本人の得意な周りに合わせるという行動が最悪な形で実行されてしまっている。

この事件をたいして知りもしないのに『みんながやっているから』という謎の主張がまかり通っている。

憂さ晴らしの様な軽い感覚で囃し立て、責め立て、私達のような生存者達を苦しめる。

お父さんもそんな世間や会社でのストレスからかお酒に浸るようになってきた。そして最近は私達に大きな声で怒鳴ったり、手をあげてくるようになった。

 

そしてある日、ここ最近でやつれ、疲れ切った顔で会社に行くお父さん。

いつものように帰ってくるだろうと思っていた。

夕食の時間。いつもはこの時間にはお父さんは帰って来るが、今日はその姿が無い。

確かに居ないときも有ったが、そんな日は必ずお父さんから一報入ってくる。

しかしそれすらも無く、いくら待とうとも唯々時間だけが過ぎていく。

 

日が暮れ夜になっても、夜中になっても帰ってこない。

日が変わって、待ても待てども帰ってこず。

 

玄関で一人帰りを待ち続けても、父がその扉を開ける事は無かった。

 

静かな玄関に響き渡る時計の音が待ち続ける光に、非情にも現実を突きつけて来る。

 

お父さんが二度と帰ってくることは無かった。

 

 

 

 

 

※※※※※※

 

 

暗い。ヒカリの無い世界。

見えている訳では無い。だけど認識は出来ている。

 

目の前に顔の無い人達がいる。

彼等は口々に心ない中傷を投げつけてくる。

 

『死ね』『人殺し』

 

 

痛い。

 

家族もいる。

お姉ちゃんは、なんで私までこんな目に遭わなくちゃいけないの、光がライブに行こうなんて言うから、と泣きながら私に訴えかけてくる。

お母さん、おばあちゃんは、どうしてこうなった、と私を見ながら嘆いている。

お父さんは、俺は悪くない、なんで俺ばっかり、光が.....ッ! と私に向かって怒鳴ってくる。

 

イタイ

胸の奥がズキズキ痛む。

 

分かっている、これは夢。

家族はこんなことは言ってこなかった。

 

 

『本当に?』

 

 

目の前に”私”が居た。気が付くと周りに居た人は皆居なくなって、私と”私”だけが存在している。

 

『本当はあなたが生きて帰ってきたからこんなことに、と迷惑がっているんじゃないの?』

 

無表情に淡々と。頭の何処か想像して、考えたくも無いのに考えていた事をしゃべり出す。

 

『本当は生きていて欲しく無かったんじゃ無いの?』

 

”私”が言うことは私が一度は考えてしまった事。頭の隅で考えては否定してきた物だった。

 

「ちがっ......!」

 

違う! と言い切ることが私には出来ず、下を向く。

 

『本当はあなたも思っているんじゃない? 家族から疎まれているのではないか? ってね』

 

顔を上げると”私”は消えていて、代わりにお父さんがそこに居た。

お父さんは疲れ切ったその顔で私を見ると、ゆっくり背を向け私が居る反対の方向に歩き始めた。

 

「あっ..... 待ってお父さん.....!」

 

先に”私”に言われたことを思い出す。

咄嗟に手を伸ばしたけれど虚しく空を切る。

 

「待って! 行かないで.....!」

 

追いかけても追いかけても距離は離れていくばかりで。

私から遠ざかっていく背中しか見ることが出来なくて。

夢中になって手を伸ばす。遠くに行かないで、居なくならないで、と。

そんな私の願いも届かず、遂にお父さんは消えて無くなってしまった。

伸ばしていた手は何も掴むことは無かった。力なく空を握ると、手を静かに下ろす。

 

胸の奥が痛い。

 

涙が頬を伝う。止めどなく溢れてくる。

私はその場に力なく座り込み、胸を両手で強く押さえ俯く。

 

「ぅっぅぅっ.....」

 

 

痛い。痛いんだ、胸の奥が。涙が出るほどに――

 

 

胸の痛みは際限なくて、何をしても消えない。

日を追うごとに痛みは増すばかり。

 

 

胸が苦しい..... 締め付けられるように辛い――

 

これ以上大切な物が壊れていくところなんて見たくない。見たくないんだ―――

 

 

でも現実は私に願いとは反対に、大切な何かは音を立てて崩れていく。

それを見せつけられるたびイタミが私を襲う。でも悪いのは私なんだと自分に言い聞かせ我慢する。

その度に、やり場の無いイタミはどんどん私の中に溜まっていく。

しかしお父さんの失踪をきっかけに今まで溜まっていた物が、堪えてきていた物が堰を切ったように溢れてきた。

 

「....もう嫌だぁ....」

 

痛いのも、怖いのも、苦しいのも、辛いのも。このイタミが消えてくれと思いながら胸を手で押さえる。

でもいつまで経ってもイタミは消えてくれない。

 

 

「でも....私が悪いんだ.....」

 

 

胸の奥に形無い痛みが満ちていく。

私が悪い、私の責任なんだと思い、痛みを感じ。

このイタミが消えてくれと願うたび、周りの闇が私に溶け込むように、私の中のナニカが蠢く様な、浸食してくる様な感覚を感じながらも。

 

 

無力な私は暗い世界の中、一人で泣き続けることしか出来なかった。

 

 

 

※※※※※※

 

 

 

 

お父さんが居なくなったことで立花家のルーチンに少なくない変化が起きた。

端的に言うと収入が無くなってしまったので、お母さんがパートとして働きに出るようになった。

お母さんが働きに行ったことにより、今までお母さんに任せていた家事を私達で分担して行うことになる。

 

始めはおばあちゃんが全部やると言っていたが、私とお姉ちゃんはそれを良しとはしなかった。おばあちゃんだって辛いのは同じ。それに加え高齢なのに全部任せるわけにはいかない。

皆が皆自分の意見を曲げる気が無くて一日中話し騒いだ。

毎日が地獄の中、その時間だけは胸の痛みが引いた気がした。

 

紆余曲折有ったが、私は料理担当になり、お姉ちゃんは掃除・洗濯担当になっておばあちゃんは全体的な私達のサポートという感じに納まった。

小学生の光にはまだ早いよとお姉ちゃんには言われたが、あの危なっかしい包丁さばきを見ているととてもでは無いが任せられない。

その代わりどんな汚部屋でも臆せず片付けられるようにおばあちゃんにみっちり叩き込んでもらおうと画策する。

 

 

 

トントントン、とキッチンに軽快な音が鳴り響く。私の担当であり仕事である料理。いつも夕飯の時に手伝っていたのでそれなりのことはできると自負している。

キッチンに響く軽快な音とは裏腹に光の表情は優れなく、どこか上の空だった。

 

そんな状態で包丁を使えば手元が狂うのは必然だった。

 

 

「痛っ....」

 

銀に輝く刃は光の柔らかな皮膚を貫き、肉を切り裂く。

半ば反射的にビクッとなり、思わず声がでて、手を素早く引く。

傷は深いのか鮮血が切った指より溢れ出る。流れ出る血は指を伝い、まな板の上にある具材を色鮮やかな赤で彩っていく。

 

しかし当の本人はそんなことなど気にならない程の衝撃がその身を襲っていた。

確かに包丁は己の指を切り裂いた。確かに見た。その証拠に今だって私の鼓動と合わせように血液が溢れてくるのが分かる。なのに―――

 

 

 

 

「.......痛く........ない....?」

 

 

 




響の髪型は祖母譲り
光の髪型は母譲り


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3.

「あ...れ....?」

 

流れでる血液とは裏腹に思考が止まる。今確かに私は包丁で指を切ったはず。

パックリと割れた自身の指先、その傷口から絶え間なく鮮やかな血が溢れ出している。

 

切る瞬間を見ていなければきっと気が付かなかった。

 

心臓が痛いほど早鐘を打つ中、私は愕然と切り傷を見続ける。

頭のなかでどうして、と答えの出ない疑問が浮かんでは消えていく。

 

どうして痛くないのだろうか。

 

この身に起きていることが信じられず私は思考停止しただ立ち尽くしているだけだった。

 

「光どうしたの~?」

 

そこにタイミングの悪い事に様子を見に来たお姉ちゃんに声を掛けられる。

私は咄嗟に切ったところを隠してしまう。

 

「.....ッ!なんでもないよ、大丈夫....」

 

「って、すごい血が出てるじゃん?! 何があったの!」

 

「......」

 

頭隠して尻隠さずとはこの事を言うのだろうか。切った指は隠しても、流れた血液までは気が回らなかった。

そりゃあ、今から食べる食材が色鮮やかな赤に染まっていたら誰でも気づくよね。特にごはんが好きなお姉ちゃんなら尚更のこと。

 

「包丁で指を切っちゃったの.... 別にこの位なんともないよ.....」

 

「そんなこと無い。見せてみて、光」

 

ご飯前のふにゃっと顔だったのが一変して真剣な顔つきになり、まっすぐこちらを見てくる。その真っ直ぐな眼差しに私は耐えきれず切った指を見せる。

 

ズルい。こんな事でも真剣にこちらのことを心配してくるんだから。

こんな顔をされたら断れないよ。全く、底抜けに優しくてお人好しなお姉ちゃんだ。

そんな私の内心をよそにお姉ちゃんは傷口を見ていく。

 

「ちょっと我慢してね。うーん、これは結構深くいってるね。おいで光。おばあちゃーん」

 

自分では対処しかねると判断したのかはおばあちゃんの所に一緒に連れられていく。

 

 

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 

あれからおばあちゃんに手当てしてもらった後、私は傷が治るまでお料理禁止令を食らった。傷が治るまで代わりにおばあちゃんがご飯を作ってくれる事になった。

お姉ちゃんが包丁を持つと危なっかしくて見ていられないと言っていたのは誰だったか。

私ですね。これじゃあ人のこと言えない。

 

 

結構深い切り傷だったらしいが、未だに私は痛みを感じていない。何も感じなさすぎて傷がある事自体忘れてしまいそうだ。

もしかしたらあまりにショックで指先が麻痺しているだけってこともあるのかもしれない。

 

確かめないと

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 

 

光は自分の部屋のベットに腰を掛け、先ほど手当てしてもらったばかりの指を見る。

 

「.....夢ってわけじゃなさそうだよね」

 

包丁の刃が自身の指を切り裂いて鮮血があふれてくる光景を確かに見た。

しかし光はその光景を見たのにも関わらず、未だに実感を持てないでいる。

 

光は徐に絆創膏やら手当された物を取り除いていく。そこに痛みは無くとも確かに傷が存在している。皮膚がぱっくりと割れ、中の赤い身が見える。見るからに痛々しい、が。

 

光は傷にそっと触れてみる。

 

「.......」

 

仮に光が通常の状態だったとしてもこの程度の事はほとんど痛くないだろう。

問題はここからだった。これ以上の行為を、この見るも痛々しい傷口に行ったらどうなるのか。

答えは簡単、普通に『痛い』だろう。

そう普通なら。

 

光はぱっくりと割れた傷口に自身の指を突っ込んでみる。

 

「.......」

 

その行為は誰でもうめき声を上げてしまうだろう。特に感覚が鋭い指なら尚のこと。

しかし光は表情一つ変えない。表情を変える程の事がこの身に起こらない。

 

「....そうだ、もっと指を押し込んでみよう」

 

おかしくない。痛くないのはまだ痛くしてないからおかしくない、と光は自分に言い聞かせる。

突っ込んだ指をグリグリとさらに押し込んでいくが先ほどとなにも変わらず、それこそ痛くも痒くもない。

 

「なんで、なんで、なんで?!」

 

キッチンで切った時のように指からは血がどんどん流れては、腕に伝っていく。そんなはずはないと、目の前の出来事を認めることが出来ず、光は唯の自傷行為を続ける。

他にも様々な事を試してみたが結果は変わらなかった。

 

 

「やっぱり、痛くない.....」

 

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 

 

しばらく時間も経ち、私も落ち着きを取り戻す。

いや落ち着くというよりも、受け入れがたい現実を認め始めたというべきだろうか。

 

先ほどは軽いパニックになってまともに考えられなかったが、思い当たる節はあれしか無い。

手術にて摘出されなかったあのときの破片。

医者は何もなければ大丈夫と言っていたが、現状を見るに何かの病気になってしまったのかと不安になる。

 

大きな不安感に襲われるが、深呼吸して冷静に考える。まだ完全にそうと決まったわけでは無い。一過性の物である可能性も有る。

 

取り敢えずは数日様子を見てみよう。案外コロッと元に戻ったりするかもしれない。

 

しかし不安なのは確か。この事を家族に相談するか悩む。

仮に今の状態を伝えると病院やらてんわやんわになる可能性が高い。

 

今の家庭の状況を考えてみる。お母さんは私達の為に毎日働きに出て、本人は大丈夫と言っていたが本当は疲労が溜まっている事だって知っている。

そこまでして働いていても今の我が家にはお金の余裕など無いだろう。

 

おばあちゃんだってもう高齢なのに家事とかで迷惑を掛け、お姉ちゃんなんか自分だって大変なくせに周りの人を心配する。

私が相談した日には一体どうなる事やら。

 

そこまで考えたところで部屋のドアがノックされる。

 

「光ー? 今入っても大丈夫?」

 

お姉ちゃんのお越しである。しかし今入られるとマズイ。先程の後片付けをまだしていない。この状態を見られるのはよろしくない。

 

「ちょ、ちょっと待ってね!」

 

急いで腕に伝った血をテッシュで拭う。こういうとき焦るほど反ってもたついてしまう。こうなれば奥の手のあれしかない。

 

「い、いいよ! 入ってきても」

 

ガチャリとドアが開きお姉ちゃんが入ってくる。

部屋の光景をみたお姉ちゃんの表情はまるで不審な物を見るものだった。

 

「....何してるの?」

 

「み、ミノムシごっこです....」

 

嘘です。バレないか内心ヒヤヒヤしている。だが効果は抜群だ。

ほら見たことか、布団に包まり自らをミノムシと名乗っている妹に、お姉ちゃんはどう反応したら良いかわからず戸惑っているぞ。

 

「そ、そうなんだ。ミノムシもいいけど、おばあちゃんがもうすぐご飯できるって」

 

「わかった」

 

そんなやり取りをしお姉ちゃんは部屋を去って行き、閉めたドアの音だけが部屋に響く。

 

お姉ちゃんの足音が遠くに行ったのを確認し、私はホッと胸を撫で下ろす。

あの様子だとバレてはいないだろう。

 

私は布団から抜け出し、ベットに腰かける。包まっていた布団の内側を見ると左手が有っただろう所に血が染みていた。

 

「.......」

 

私はぼんやりと血の滲む傷口を見つめる。

この身に一体何が起こっているのか分からない。

怖い。

胸の内より溢れでる不安に押し潰されそうになる。

 

 

私はベットより立ちあがり部屋から出る。廊下に出るとお婆ちゃんが作ってくれたであろう晩御飯のよい香りが鼻孔をくすぐる。

 

先ほどまでの事は夢で、寝て起きて明日には何事もなかったように戻っている。

私にはそんな夢の様な事になってくれるよう祈ることしかできない。

 

こんなことは夢であって欲しい。

 

 

 



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