俺のヒーローアカデミア ピースキーパー (色埴うえお)
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第一章 津上保:ライジング
ヒーローは遅れてやってくる


────────誰かが言った、ヒーローは遅れてやってくる。

 

 ヒーローは何かが起きてから現れるんだから当然だ。それで全部助ける。そんな存在に憧れて俺もヒーロー養成の超名門校、雄英高校に志願した。

 そして今日は入学試験の日。そんな大事な日なのに、俺は今────

 

「脚は痛くないですか?」

「大丈夫だよ、ありがとう」

 

────足をくじいたお婆さんをおぶっていた!

 

 今日は大事な試験日だから何が起きても大丈夫なよう、夜明けとともに家を出たはずだったのだが……

 

「お婆さん、今何時かわかります?」

「今は11時23分だよ。本当に、大丈夫なのかい? 今日は入学試験なんだろう?」

「ええ、大丈夫です」

 

 既に昼前、大遅刻中だ。

 それもこれも、近所のゴミ捨て場がカラスに荒らされていたり、電車で痴漢騒動があったり、乗り換えに迷う外国人ファミリーがいたり、落とした財布を探してウロウロしてるサラリーマンがいたり、親とはぐれて泣いている子供が居たり、足をくじいたお婆さんがいたりしたからだ。

 しかしどうしても、見ていないふりは出来なかった。

 

「見ず知らずの婆さんを助けてくれるアンタはいいヒーローになるんだろうねえ」

「そうなれれば良いのですが」

「なれるとも、アンタはいい子だから」

 

 その言葉を聞けただけでも、お婆さんに手を差し伸べて良かったと思う。

 

 

*

 

 

 その後、お婆さんをかかりつけ医まで連れていき、受付に症状を伝えてお婆さんとは別れた。別れる時に受験頑張ってね、と言われたのに何と返せばいいか迷って、ありがとう、としか伝えられなかったのが少し心残りだ。

 雄英高校はここから駅を挟んだ反対側、走れば20分ほどで着くはずだと、走りやすいようにリュックの肩紐をしっかり締めなおし、靴紐をきっちり結んでから地面を蹴った。

 

 真っ昼間の街は車も人通りも少なく、思ったよりも走りやすい。雄英高校の近くだけあって治安が良く、地元のようなトラブルに巻き込まれずに済みそうだ、そう思ったときだった。

 

「あっくん! あっくん!」

 

 川に向かって叫んでいる子供が視界に入った。その子の視線の先、川の中でもがいている子供が居た。

 

「大丈夫か、今行くぞ!」

 

 助けないと、と思ったのとそう言ったのは全くの同時だった。近くの柵をよじ登り川に飛び降りると、思わぬ誤算が発生する。

 

「浅っ!?」

 

 水深は30cmもなく、膝下が濡れるくらいで、よく見れば子供は流されておらずその場で泣いているだけだった。ともあれ小さな子供が足を取られてもおかしくない深さであることは確かだし、落ちたのなら何処か怪我をしているかもしれない。そう思って下流からゆっくりと溺れている子供の方へ向かっていった。

 滑る川底に脚を取られ何度か躓いて、全身ずぶ濡れになりながら無事子供の元にたどり着いた。

 

「大丈夫かい? 何処か痛いところは?」

「うわああああん」

 

 ギャン泣きで言葉は通じないが、頭や脚に外傷は見当たらない。川から上げるために膝をついて子供と視線を合わせた。

 持ち上げるよ、と声をかけてから脇に手を入れて慎重に抱きかかえる。抱き寄せると、子供は首を締めんばかりの力で抱きついてきた。

 

「あっくん!」

「おがあざ~ん!!」

 

 川岸にこの子の親であろう女性が居て、手を伸ばしていた。恐らくさっき叫んでいた子が呼んでくれたのだろう。

 

「今連れて行きます!」

 

 暴れる子供に苦戦しながら慎重に川岸に向かって歩き、子供を女性に預けた。

 

 

*

 

 

「本当にありがとうございました」

「大きな怪我が無くて安心しました。君も気をつけるんだよ」

 

 その言葉に、子供は鼻をすすりながら頷いた。

 

「何かお礼をさせて下さい」

「いえ、人として当然のことをしただけですから」

「でも……そんなずぶ濡れでは」

 

 かれこれ10回以上何かお礼をさせて欲しいとお母さんは食い下がるが、それに応じる時間は俺には無い。

 

「用事が有って急いでるので、俺はこれで」

「では、連絡先だけでも!」

 

 連絡先と言っても携帯電話は持ってないし、家の電話は使えない。 住所を書こうにもノートもペンもずぶ濡れだろう。しかし、このまま好意を無下にするのも気が引ける。と考えていると名案が浮かんできた。

 

「でしたら、今日の試験に受かるよう祈ってください」

「試験? そんな大事な日なのに、引き留めてしまって、重ね重ねご迷惑を……」

「あ、いや、大丈夫です、正直、もう今更なんで……それでは失礼します!」

 

 強引に切り上げて駆け足で立ち去る。背中に今日約30回目の「ありがとう」を受け、足取りは随分と軽く感じた。

 しかし、時刻は13時を回っていて、もう午後の筆記が始まっているだろう。今から行っても受かるはずはなく、行っても行かなくても結果は変わらないと思う。仮に行ったところで門前払いを食らうかもしれない。

 

 それでも、行きたいと思った。 雄英高校をこの目で見て感じたい。そんな気持ちだけが脚を動かしていた。

 

 

*

 

 

《一週間後》

 

(士傑高校に傑物学園は出願したけど……勇学園もヒーロー科の後期試験があるんだな)

 

 学校で配られた募集要項に目を通す。雄英高校の試験から一週間、気持ちを切り替え他の高校のヒーロー科を物色している。

 雄英高校以外にも魅力溢れるところが多くて、何処にしようか迷っているのが現状だ。

 

 雄英高校の試験結果はどうなったって? 見なくても分かるさ。 筆記試験しか受けてないんだから。

 そんな分かりきった合否判定は送られてこないかもしれないけど、あの日ずぶ濡れのまま大遅刻で現れた俺に試験を受けさせてくれた雄英の懐の深さに感謝すらしている。

 何校かの募集要項から目を放して一息つくと、ふすまが勢いよく開き、叔母が姿を現した。その手には何やら封筒が握られいる。

 

「貴方宛、雄英高校から」

 

 無表情のままそれだけ言い、封筒を放り投げるとふすまを素早く閉め切った。

 

「受験生も多いんだから不合格通知なんて送らなくても良いと思うけど」

 

 そんなセリフを吐きながら、何処か期待している自分が居た。わずかに震える手で封を切る。すると中から小さな円盤状のものが机の上にするりと落ちた。

 そして、それは思いもよらなかった事を俺に伝えたのだった。

 

『んんんっ!私が投影された!』

 

 その機械から飛び出てきたのは誰もが認めるNo.1ヒーロー、平和の象徴オールマイト。

 オールマイトが発した言葉はどれも驚くべき内容だった。

 

『やあ、私はオールマイト、今年度から雄英高校で教鞭を執る事になったんだ。さて、時間も押してるから手短に伝えよう』

 

 

*

 

 

 ずぶ濡れで半日遅刻してきた受験生がいる。事情を聞いても、道に迷って川に落ちたの一点張りで、本人の希望で今は筆記試験に参加している。それを聞いた私を含むその場に居た皆が頭に疑問符を浮かべた。

 これだけの人数が居るのだから変わった受験生が紛れ込んでもおかしくない。採点やら審議に追われていた私達はそう考えて、すぐさまその変わった受験生を頭の端の方へ追いやった。

 

 それから数日かけて協議を重ね合格者を決めたところに一本の電話が届く。それは、雄英高校の受験生に命を救われた、という内容だった。

 脚をくじいているところを助けられ、その彼が主治医に伝えた症状は大病の前兆であり、それのおかげで早期発見につながった。とその女性は言っていたらしい。

 

 しかし、そういった電話はひとつだけではなかった。川に落ちた子供を救われた母親からも似たような連絡が有ったのだ、学校の近くで受験生に助けられたと。そこで繋がったのだ、ずぶ濡れの受験生と救われた人々の声が。

 その確信を以て、その受験生の母校へ問い合わせると、彼は日常的にそういった人助けで学校に遅れてくる事がある人物であることが分かった。

 

 そして、当日の彼の行動を調査してみれば、数多くの救われた人物がそこには居たのだ。

 自分の事情を顧みずに人助けをしてしまう。彼は正にヒーローだった。

 

 

*

 

 

『筆記試験は全くもって問題なし、実技試験で見ようとしていた項目も何一つ問題ないことが証明された』

 

『だが、既に合格者は決めてしまっている。その誰もが素晴らしい人材で失うのは非常に惜しい。だから、この素晴らしいヒーローの卵は諦めよう』

 

『……そんなことあってたまるかってね』

 

『雄英高校は君のような生徒を育成するためにあるんだ。さあ来てくれ、41人目の合格者、津上(つかみ) (たもつ)くん! ここが、君のヒーローアカデミアだ』

 

 いつもハッキリ輝くオールマイトが何故かぼやけて見えていた。

 

 改めて言おう、これは、俺が誰かのヒーローになる物語だ。




僕のヒーローアカデミアの二次創作小説です。
小説制作の勉強を兼ねて書いていますので至らぬ点が多々ありますが、お楽しみ頂ければ幸いです。


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すりつけろ入学

 合格発表から目まぐるしく時は過ぎ、あっという間に登校初日。高校から徒歩10分のところに越してきたとはいえ、何が起きても良いようにたっぷり3時間は見ておこう。試験に遅刻、初日にも遅刻は到底正しいとは言えない。

 

「よし、行ってきます!」

 

 誰も居ない部屋に言葉を残して部屋を出る。動き始めた街の音をBGMに雄英高校に向けてまっすぐ歩き始めた。

 

 

 

 

 数あるヒーローアカデミアの中でも倍率300倍を越す超名門、雄英高校ヒーロー科。僕、緑谷出久はこの春からそこの生徒になった。

 広大な敷地に巨大な校舎、目につくもの全てが新鮮で好奇心をくすぐられる。

 

 これから始まる高校生活に高まる期待と、クラスメイトに対する若干の不安を抱えつつ、僕は教室の扉を静かに開けた。

 

「机に足をかけるな!雄英の先輩方や机の製作者方に申し訳ないとは思わないか?!」

「思わねーよ、てめーどこ中だよ端役が!」

 

 不安2トップの会話に面食らうも、こそこそと教室内へ踏み入れる。あの怖い人は聡明中出身の飯田天哉くんと言うらしい。仲良くなれるといいなあ。

 

「ハッ」「ハッ」

 

 目が合うと飯田くんは自己紹介をしながらこちらに近付いてきた。勢いに飲み込まれてしまわないようにこっちも何か話さないと。

 

「聞いてたよ!あっ…と僕は緑谷、よろしくね飯田くん」

「緑谷くん……君は、あの実技試験の構造に気付いていたのだな」

 

 どうやら僕は飯田くんに過大評価されている。それもかなり、どうにか誤解であると訂正したいところだけど、クラス中が見ている緊張感のなかでそれが出来るような強い人間では僕はない。

 

「あ!そのモサモサ頭は! 地味めの!」

 

 不意に掛けられた声に驚き、振り返ってみるとそこには試験であらゆる意味でお世話になった名も知らぬ“いい人”が明るい表情で立っていた。というか制服姿やっべええええ。

 女子に対する免疫が全くと言っていいほど無い僕には、このまばゆい輝きを放つ“いい人”をほとんど直視出来ずにいた。

 

────キーンコーンカーンコーン

 

「今日って式とかガイダンスだけかな? 先生ってどんな人だろうね、緊張するね」

 

 緊張と照れで真っ赤な顔が更に恥ずかしさを呼んで直視どころか見られていることにすら耐えきれそうになく、鳴っているチャイムも眼の前の女子の言葉も右から左へ抜けていた。

 慌てふためき、どうしようかと頭を悩ませている思考を遮ぎったのは突然現れた人の言葉だった。

 

「お友達ごっこしたいなら他所へ行け。ここは、ヒーロー科だぞ」

 

 寝袋に包まりゼリー型栄養食を食べながら現れた正体不明の人物、言っていることから先生でありプロヒーローであるはずだけどこういう見た目のヒーローは思い浮かばない。

 突然現れた正体不明のヒーローに驚き戸惑っている僕らの元にものすごい勢いの足音が近付いて来ていた。

 

 

 

 

 チャイムは鳴ったが、HR中なら遅刻じゃないタイプの先生ならまだ間に合うはずだと、一心に足を動かす。

 1-Aらしき教室の前に先生らしき男性がいて、HRはまだ始まる前の可能性がある。しかし、許してくれるかどうかは別に時間には間に合っていないので俺が教室にたどり着いたらやることはひとつだ。

 

「担任の相澤消太だ、よろし――「出席番号14番、津上(つかみ) (たもつ)、私用により遅刻しました。申し訳ありませんッッッ!!!」

 

 脚をコンパクトに折りたたみ、膝と手と額を床に擦り付けて行う謝罪の意思表示の極致、土下座。申し訳ないという気持ちが少しでも眼の前の相澤先生やまだ見ぬクラスメイトに伝われば良いのだが。

 

「どんなヒーローでも間に合わなければ誰も助けられない。次からは遅れる可能性が出た時点で連絡しろ」

「お許しいただけるんですか?」

 

 予想だにしない言葉に思わず声と顔を上げてしまった。一瞬目が合ったが再び目をつぶり額を床にくっつける。こんな態度では温情を誘うための演技だと疑わせてしまうかもしれない。

 

「理由は大体察しが付く。土下座はもう良いから立て」

「ありがとうございます」

 

 お許しをいただいたところで立ち上がると、先生の後ろで男女2人が面食らっているのが目に入った。片方はくせっ毛の誠実そうな男子、もう片方は丸く明るい印象の女子、いきなりの土下座と大声で驚かせてしまい申し訳なく思う。後で謝ろう。

 ちらりと見えたクラスの皆も表情が固く、いきなり迷惑をかけてしまったのは明白だ。重ねて謝罪しなければ。

 

「皆揃ったところで早速だが、体操服(これ)着てグラウンドに出ろ」

 

 寝袋から取り出した体操服を掲げ、相澤先生はそう言った。

 

 

 

 

「迷惑をかけて申し訳ない!」

 

 更衣室で、渡された体操着に手早く着替えてからその場に居る男子に向けて深く頭を下げた。ここを逃せば次はいつ謝罪出来るか分からないし、女子には別の機会に謝罪すればいい。

 しかし声が大きすぎたのか誰からも返答はない。いや、着替えで忙しいのかもしれない。

 

「何か事情が有ったのだろう? 相澤先生が許されたのだ、我々がとやかく言う事ではない」

「ありがとう」

 

 一番最初に言葉をかけてくれたのは、眼鏡をかけた体格のいい如何にも実直そうな男子だった。その後も皆、口を揃えて気にしていないと言ってくれて、出会ってたった10分でクラスメイトの心の広さに感動させられている。

 声をかけて来なかったのは先ほどのくせっ毛の男子と、目つきの鋭いみるからに自信に満ち溢れている男子だけだ。こんな簡単なお詫びでは許せないと、礼儀を重んじる人たちなのだろう。そう考え、先に目つきの鋭い男子へ近付いた。

 

「改めてお詫びをさせて欲しい」

「うっせえ、邪魔だ、モブが」

 

 これは、相当怒らせてしまったようだ。非は完全にこちらにある以上致し方ないだろう。しかし、長い高校生活をわだかまりを抱えたまま過ごすのは好ましくなく、何とか許してもらおうと言葉を続ける。

 

「申し訳ない。だがどうか許して欲しい。俺に出来ることがあればなんでも言ってくれ」

「ウゼェからもう話しかけてくんな」

「……承知した」

 

 それだけ言い残して彼は更衣室を去っていった。完全な拒絶だ。残念だがこうなっては仕方がない、消えろとか死ねとかでないのをありがたく思おう。

 これで更衣室に残ったのは俺と、くせっ毛の男子だけになり、その彼は先ほど出ていった彼の方を見ながら「かっちゃん」と漏らしていた。その様子から察するに、知り合いなのだろう。彼に似て礼儀を重んじる人ならば誠意を見せなくてはならないだろう。

 

「遅刻による迷惑と、大声を出して驚かせてしまったこと、重ねて申し訳ない」

「そんな、大丈夫だよ……!」

 

 こちらが頭を下げるよりも素早く、彼は手を眼前で振りながらそう言った。とても心の広い方で良かった。

 

「それより、かっちゃんがごめん」

「かっちゃん?」

「ああ、さっきの口の悪い……爆豪勝己っていって僕の幼馴染なんだけど」

 

 幼馴染で揃って雄英高校に来るとは、二人共素晴らしい才の持ち主なのだろう、尊敬する。そうだ、幼馴染であるならば爆豪くんへのお詫びの仕方を助言してもらえるかもしれない。

 

「そうだ不躾で悪いが、爆豪くんはどうすれば許してくれるか、アドバイスをもらえないか?」

「アドバイス? いや、大丈夫だと思うよ本人そんな気にしてないだろうから」

「それなら良いのだが……」

「うん。あっ、あんまり話し込んでると遅れちゃうよ」

 

 それもそうだと二人していそいそと更衣室を後にする。彼となら上手くやっていけそうだと思ったところで、お互い名乗っていなかった事に気がついた。

 

「名乗っていなかったが、俺の名前は――――」

「津上君だよね、さっき聞いたよ。あっ、僕の名前は緑谷、よろしくね」

「よろしく、緑谷くん」

 

 朗らかに浮かぶ彼の笑みからは人となりの良さがにじみ出ている。つられてこちらも笑顔になると少しこそばゆくなってグラウンドに集まりつつあるクラスメイトの方へ顔を逸らした。

 体操服に着替えて外に出るよう言われたが、その後について説明はない。これから何が始まるのだろうか。



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個性:キープ

────個性把握テスト。

 

 体力テストを個性を駆使して行うことで、自分の個性の最大限を把握するのが目的らしい。

 そして、総合成績最下位のものは除籍処分となる。雄英高校は自由な校風が売りで、教師にも自由が認められており、そういったことができる。改めて凄い学校だと感じた。

 

 だが、本当にそうだろうか? 自由な校風とはいえ、入学初日に除籍処分とは幾ら何でも荒唐無稽。それでは何のために入学試験をしたのかと問われるだろう。つまり、これは……

 

 21人目(おれ)が居るせい――――!

 

 本来居るべきではない21人目の生徒を合理的に排除する為の図らいなのだろう。本来なら実技試験で蹴落とされていたであろう俺に圧倒的な差を理解させて身を引かせる。

 そういうことなのだ、だから先ほど先生は何のお咎めも無く俺の遅刻を容認したのだろう。さっきの“次から連絡しろ”という言葉の裏には“もし次があるならば”というメッセージが隠されていたのだ。

 

 つまりこれが俺が雄英高校で行う最初で最期の試験だ。悔いの残らないようにやろう。体力テストにはさほど寄与しないこの地味な個性で。

 

 

津上保 個性:キープ

 

 手で掴んだものを四次元空間にキープ、気体液体個体に振動や衝撃、火や雷などだいたいなんでもキープできるぞ。

 キープしたものはいつでもリリース出来る。キープしている物の重さはそのまま全身にのしかかるため、キープのしすぎに要注意だ。

 

 

――――第一種目、50m走

 

 遅刻して来たため俺は緑谷くん以外のクラスメイトとほとんど言葉を交わせていない。今日でお別れになるとはいえ、顔と名前と個性くらいは知っておきたい。彼らがプロヒーローになった時に思い出せるように。

 

 名前と記録をしっかりと記憶に刻みこんでいると、あっという間に俺の番になった。記録は6.16秒。

 タイム自体はそれなりだが、個性も使わずただ走っただけの地味な50m走だった。飯田くんや爆豪くん八百万さんのように個性を最大限活かしてる人とは比べるまでもない。

 雄英高校に合格するだけあってみんな凄い個性ばかりだ。

 

 

――――第二種目、握力

 

 記録、測定不能。

 

 やってしまった……力んだときに思わず個性が発動してしまった。握力計は握った部分だけがキープされたことで壊れ、見るも無残な姿で地面に転がっている。

 器物損壊だ、すぐさま謝罪しようと土下座の姿勢に移ろうとしたが、周りの様子は予想していたものと違った。

 

「すげえ、測定不能だ!」「どんな個性だ?」「増強系か?」

「先は長い、駄弁るのは後にしておけ。津上、壊れたのはこのカゴに入れとけ」

「「「はいっ」」」

 

 相澤先生の言葉で囃し立てていた男子たちはすぐさま口を噤んだ。俺は指示された通りに壊れた握力計をカゴに移し、その場で土下座した。

 

「機材を壊して申し訳有りません! 必ず弁償します!!」

「弁償なんかいらん、こんなもんいつものことだ。さっさと立って次の種目の準備をしとけ」

 

 返答は淡白だったが、まさかのお許しを頂けた。俺はすぐさま立ち上がり、一礼して先生の元を離れる。

 クラスメイトの握力測定を遠巻きに見ていると、上鳴くんが個性の電撃で握力計を破壊していた。本当によくあることのようだ。

 

 

 

 

――――第三種目、立ち幅跳び

 

 青山くんがレーザーの反動で飛んでいるところや、50m走の爆豪くんの攻略法を見て思い付いたことがあり一か八か試すことにした。

 皆から離れたところで両手を空気を切り裂くように振りまわし、手に触れた空気をひたすらキープして溜めていく。「何やってんだ?」とか「どうした?」と不審な動きをしている俺に対して投げかけられる言葉に、謝罪と説明を返して自分の順番まで空気をキープし続けた。

 

「次、瀬呂と津上」

「はい」「はいっ!」

 

 容量上限にはまだ遠いが、それでも十分だろう。とにかくやるだけやってみようと意気込んだ。

 始め、と言った相澤先生の合図を聞き地面を思い切り蹴って斜め上に飛び上がった。

 

 上昇が終わり体が落下を始めたその瞬間、両の手のひらを後方の地面に向けて個性で溜め込んだ空気を一度に解放(リリース)した。吹き出した空気を推進力に、体をもう一度浮かせて、土煙の向こうへと体を飛ばした。

 

 記録、5m22cm

 

 想像より遥かにいい結果が出せて、つい小さくガッツポーズを取る。するとこちらを見ていた相澤先生の視線が鋭くなったように見えたので、ご期待に添えられずすみません。と素早く頭を下げた。

 そうだ、よく考えたら俺は最下位にならなくてはいけないんだった。

 

 自分の番を終え、他の生徒の様子を見ていたが緑谷くんは今回も個性を使っておらず、俺の目から見ても成績はあまり芳しくないように見える。

 

 

――――第四種目、反復横跳び

 

 この種目は俺に関して語れることは何も無い。記録は66回、ヒーローを目指すならこのくらい普通だろう。

 

 

――――第五種目、ボール投げ

 

「緑谷くん、調子悪いのか?」

 

 ここまで個性を使用せず大きな記録を出していない緑谷くんの顔には汗が滲み、表情がこわばっていた。もしかすると体調が悪いのかもしれない。

 

「だ、大丈夫……皆凄い記録出してるから驚いちゃって……」

「ああ、皆凄いな」

 

 彼の事をよく知らない俺でも、彼の言う大丈夫が虚勢だと分かる。分かったところで、彼にしてあげられる事は思い浮かばないのが悔やまれる。

 何かないかと思案している内に自分の名前が呼ばれ、頑張ろう。とだけ声をかけてその場を離れた。うんうんと頷く緑谷くんの顔はこの上なく引きつっていた。

 

「円から出なければ何をしてもいい。出来る限り遠くへ飛ばせ」

「分かりました」

 

 相澤先生から渡されたボールを手に取る。重さも大きさも普通のハンドボールだ。俺の個性でこれを出来る限り遠くに飛ばすには……

 

「少し時間をかけても良いでしょうか?」

「いいだろう、だが、あまりにも長ければ声をかけるぞ」

「ありがとうございます」

 

 軽く会釈をしてからボールを左手に持ち、右手に向かって力を込めて投げつける。右手がボールを受け止めるその瞬間に右手が受けた衝撃をキープする。それを何度も繰り返して衝撃を溜め、ボールを飛ばすのに利用する作戦だ。

 その最中、緑谷くんに目を向ける。その表情は相変わらずで、やはり調子が悪いらしい。

 こうしてゆっくり時間をかけているのは、自分の記録の為もあるが、少しでも彼が調子を取り戻すのを願ってのことだ。

 

「津上、時間だ」

「はいっ」

 

 緑谷くんから視線を外し、正面を向く。円の端に立ってステップを踏み、腕力と溜めた衝撃を使ってボールを飛ばした。

 

「おぉっ、めっちゃ飛んだぞ」「ボールを手に投げつけていましたが、彼の個性は一体……?」

 

 クラスメイトから歓声が飛んだ。少し誇らしく思うが、その記録は……無し。

 

「円から出るなと言ったはずだ。第二投、早くしろ」

 

 全力で投げた結果、円をオーバーしてしまいファール。相澤先生が投げた二投目のボールを受け取りながら俺はこう思った。そうかこの手があったか、と。

 

「さっきと同様だ、2分経ったら声をかける」

「分かりました」

 

 再び衝撃を溜める。緑谷くんは変わらず思いつめているようでやはり心配になるが、もう安心して欲しい。このテストの攻略法は掴めた。

 

「時間だ」

「行きます」

 

 足下に注意を払いながら、全力でボールを投擲した。その記録は

 

「二投目も円をオーバー、ファールだ」

「だぁー、勿体ねえ」「デモンストレーションの爆豪くんほどでは無いだろうが相当な記録が出ていただろう」

 

 狙い通りファールとなった。この後の競技もこんな感じで記録なしにすればきっと緑谷くんは大丈夫だろう。そう考えていた矢先、相澤先生の言葉で事態は一変する。

 

「計測値472.8m。ファールのペナルティとして測定値を半分にした値をスコアにする」

「なっ!?」

 

 半分でも236.4m、個性を使わずに出せる数値ではない。待ってくれ、それじゃあ緑谷くんが俺の代わりに除籍になってしまう。

 

「そんな……失格にしてください。ルールを守っている皆に悪いので」

「そうか、津上の記録に文句のある者は」

 

 相澤先生の言葉に対して誰も同意しなかった。それどころかそのままのスコアで良いと言う人も居たくらいだ。

 

「緑谷、お前はどう思う? 津上のスコアに意見はあるか?」

「……いえ、僕は何も」

「決まりだ。津上、記録236.4m」

「はい、ありがとうございます」

 

 急に重くなった肩を落として集団の方へ向かう。予定とは違うが、だが諦めるにはまだ早い。ここから全て完膚なきまでに低い記録を出せば緑谷くんは最下位を脱出できるはずだ。

 そう決意を新たにした俺を他所に相澤先生はこう続けた。

 

「次に行く前にルールの追加だ。これ以降、意図的に失格や低い記録を狙った者はその場で除籍とする。無論、そいつを除いた内の最下位も除籍なのは変わらない。次、常闇、準備しろ」

 

 手を抜くことは許さない、相澤先生はそう言った。とぼとぼと歩いて、少しざわついているクラスの皆を離れた場所から眺めていた。

 

 そして、あっという間に緑谷くんの番が回ってきた。その表情はこれでもかと強張っている。

 

「緑谷くんはこのままだとマズいぞ……?」

「ったりめーだ無個性のザコだそ!」

「無個性!? 彼が入試時に何を成したか知らんのか!?」

 

 緑谷くんが、無個性? 無個性で雄英の入試を突破したのか緑谷くんは……なんて凄い人なんだ。

 俺のように裏口入学した人間と、無個性でありながら正々堂々と入試を突破した緑谷くん、どちらが雄英に相応しいかなんて論ずるまでもない。

 

 しかし、緑谷くんの目には決意と覚悟が浮かんでいた。彼はきっと何かをする。そう思わせる強い目だ。

 

「頑張ってくれ、緑谷くん」

 

 口から漏れた願いは届かず、緑谷くんの記録は46m。しかし、どこか様子が変だ。

 

「“個性”を消した。つくづくあの試験は……合理性に欠くよ。お前のような奴も入学できてしまう」

 

 “個性”を消す個性、それが相澤先生の個性か。無個性である緑谷くんに対して使ったら……どうなるんだ?

 そう思いながら聞いていると緑谷くんが無個性と言うのはどうやら間違いで、使用すると何かしら反動があり行動不能になってしまうようなピーキーな個性のようだ。だから使わなかったのだろう。

 そこまで考えたが、他の仮説が浮かぶ。使わなかったのではなく、使えなかったのではないか、と。それも誰かから妨害されて……

 そこでようやく全てのピースが繋がった。緑谷くんの突然の不調と追い詰められたような様子、“個性”を消す個性。そう言うことか!

 

「先生と言えど、彼だけを妨害すのは幾らなんでも公平では無いと思います!」

「……津上、後にしろ」

「いいえ、出来ません! 今だけでは有りません、ここに至るまで彼だけ個性を使用しなかった……いや、使用出来なかったのは、貴方が封じていたからだ! そうなんだろう、緑谷くん!!」

「つ、津上くん……?」

 

 そんなに不安そうな顔をしないでくれ緑谷くん。俺は大丈夫だ、本来有るべきカタチに戻るだけなのだから。

 

「このテストの趣旨はよく分かっています。本来居るべきではないこの俺を除籍する為の物だという事は、よく! その上で彼を妨害するのは、俺に罪を告白させる為だったのでしょう」

「お前、何言ってんだ?」

 

「あくまでシラを切るのですね。良いでしょう……皆、聞いてほしい。俺は、入試で実技試験を受けていない!! そう、俺は裏口入学なん……モガッ

「後にしろ。緑谷、2投目だ、さっさとしろ」

「……っはい」

 

 相澤先生が首に巻いてた包帯のようなもので簀巻きにされた俺はその場で横倒しになった。すまない緑谷くん。使えない裏口野郎ですまない。

 

「裏口?」「緑谷、個性消されてたのか?」「津上はミイラみたいになってるけど大丈夫なのか、あれ」「あー、思い出した。筆記試験にいきなりずぶ濡れで来た人だよ、津上」

 

 クラスの皆がざわついている。全ては話せなかったがきっと皆理解しただろう。そして緑谷くんもこれで多少は安心出来るはずだ。

 

(頑張れ、緑谷くん)

 

 そう祈ると緑谷くんと目が合った、申し訳なさそうな顔を浮かべて、声のない言葉を発するように口がこう動いた。“ありがとう”もしくは、“クソ野郎”と────。

 

 そのまま緑谷くんは決意に燃ゆる瞳でボールを振りかぶり、投げた。

 ボールが手から離れるその瞬間、凄まじい音と共にボールは彼方へと飛んでいく。

 

 記録は、755.3m。彼は俺が何かする必要なんて無い、本当に凄い人だった。



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合理的虚偽

後の矛盾に繋がる記述を一部修正しました。


「まだ、動けます…!」

 

 そうやって痛みに耐えながら強気の笑みを浮かべる緑谷くん。そのカッコいい姿に居ても立っても居られず、相澤先生に巻かれた布を触れている部分から順にキープしていくことで拘束を解き、大きな拍手と共に力いっぱい叫んだ。

 

「やっぱり凄いな、緑谷くん!!」

 

 クラスの面々も大小様々な歓声を上げている。中には彼の個性による反動に疑問を浮かべている生徒も居るみたいだが、今はまず、誇るべき成績を上げた彼に称賛を贈りたい。

 そんな最中、クラスメイトの一団から緑谷くんへ向かって猛スピードで突っ込んでいく人物が現れた。爆豪勝己、礼儀を重んじる彼はこのやり取りをやはり看過することは出来ないようだった。

 

「どーいうことだ、ワケを言え! デクてめえ!」

 

 なんて義に篤い男たちなんだと俺は感動していた。片や妨害を受けながらも静かにテストに挑み、俺の数少ない言葉から意図を汲んでリスクを背負いながら真っ向から越えてきた緑谷くん。片や自らを犠牲にするその在り方に憤慨し問いただそうとする爆豪くん。

 彼らと肩を並べて高校生活を送れないのは、心の底から残念でならない。

 

「ぐえっ、なんだこの布、固ぇ……!」

 

 緑谷くんを問い詰めようとしていた爆豪くんは俺と同様に包帯のようなもので相澤先生に拘束された。この包帯、どうやら捕縛武器らしい。

 体も個性も止められた爆豪くんが義憤の矛を収めることで、場は一旦収まり。テストが再開される。

 

「時間がもったいない。次、準備しろ」

「あの、先生……」

「なんだ津上、抗議なら終わってからにしてくれ」

 

 ドライな目の相澤先生に、キープしていた捕縛武器を見栄え良く揃えてから手渡す。キープする際に一部破損したが恐らく消耗品であるしきっと大丈夫なはずだ。

 

「先ほどお借りしたこちらお返しします。一部壊してしまいました、すみません」

「ああ、このくらい問題ない……というか、貸してたワケじゃないんだが」

 

 若干戸惑っているような様子の相澤先生は、遅刻したときや握力計を壊したときと同じく呆気ないほど簡単に許してくださった。教師やヒーローという立場上冷酷に振る舞ってこそいるが心根はとても優しい方なのだろうと、これまでのやり取りで確信した。

 となると、今までの緑谷くんへの妨害は彼の身を案じた上での行動で、それに加え高校生活最後の俺に華を持たせるために行っていたのだと理解すると、スッと腑に落ちた。

 

「疑ったりご迷惑おかけしたり、すみませんでした。ここからは全力で取り組みます。お心遣い、ありがとうございます」

「ん? ……まあ、頑張れ」

 

 激励を受け清々しい気持ちで先生の元を後にし、まっすぐ緑谷くんのところへ駆けていく。拒絶されようが、彼の大投擲を称えて労いたいこの気持はきっと正しいはず。

 

「緑谷くん、凄い記録じゃないか。おめでとう! 」

「あっ、津上くん……その、ありがとう」

「礼を言われるような事はしてないさ。ともかく、純粋な投擲力ならきっと君が1番だ」

 

 俺の言葉に少し困ったような顔で笑う彼。小柄なこの体からあれ程のパワーを発揮するとは一体どんな個性なんだろうと思い、何気なく観察をすると紫色に変色した痛々しい右手の人差し指が目に入った。

 

「ひどい怪我じゃないか、 早く保健室に行って手当てをしないと」

「大丈夫、このくらい平気だよ。それに、まだテストも残ってるし」

「それなら、応急処置くらいはさせてくれ」

 

 緑谷くんは強がっているようだが、見るからに痛々しいその指が力の反動なんだと理解した俺は、すぐさま体操服の袖を切り裂いた。

 出来れば清潔な包帯や添え木が欲しいところだが、今朝キープしていた分は登校中に使い切ってしまい代わりになるものは近場には見当たらなかった。

 指が折れた際の応急処置はは添え木が無ければ他の指で固定する方法もあると以前習ったことがある。これはただの骨折ではないが、痛みを和らげるにも固定するのは間違っていないだろう。

 

「津上、手を貸なくていい」

「相澤先生!? ですが、このまま放っておいたら怪我が悪化します」

「僕は大丈夫だよ……こうなるって分かってやったことだし」

「緑谷くん……」

 

 覚悟の上の怪我、それを俺のにわか仕込みの応急処置で却って悪化させてしまう事を先生は懸念し止めたのだろう。だがそれでも何もせずにこのまま放っておくのは信条に反する。

 

「緑谷が自分で良いと判断して負った傷だ、その判断を尊重しろ」

「……分かりました。 緑谷くんは何も間違っていない。これは、俺が勝手にやることだ」

 

 相澤先生に背を向けて、損傷した人差し指と中指をさっき切った布で縛り固定する。出来るのはこれだけだが、やらないよりもずっとマシだろう。

 小さな声でありがとう、と言う緑谷くんに対し、軽く微笑み返してすぐさま彼の元を離れた。あまり側に居るのも恩着せがましいと思ったからだ。

 

 

 

 

 その後、上体起こし、長座体前屈、持久走が滞りなく行われ試験は終了、俺も緑谷くんもボール投げ以降目立った成績は出せなかった。贔屓目に見ても総合成績は俺の方が上であろうが、相澤先生ならきっと上手いこと調整してくれるはずだ。

 

「んじゃパパっと結果発表。トータルは単純に各種目の評価点を合計した数だ。口頭で説明するのは時間の無駄なので一括開示する」

 

(楽しかった雄英高校、ありがとう雄英高校、1-Aの皆、またどこかで会う日を楽しみにしてる。きっと体育祭は見に来るよ)

 

 そんな風に頭の中で別れの挨拶に没頭していた俺は相澤先生の言葉は半分も耳に入っていなかったが、それでも次の言葉はしっかりと聞き取れた。

 

「ちなみに除籍はウソな。君らの最大限を引き出す、合理的虚偽」

「「「「は────────!?!?!?!?」」」」

 

 驚くべきその言葉に、緑谷くんや飯田くん麗日さんと共に大声を上げてしまった。

 

「じゃ、じゃあ、俺は雄英に、1-Aに居て良いんですか……」

「とりあえず今はな。もし見込みなしと判断したらその場で除籍するから、気は緩めないことだ。他の奴らもな」

 

 クラス全体を見回しながら相澤先生はそう言った。

 

 津上保、個性把握テスト16位。緑谷くんはやはりと言うか予想通り21位(最下位)であったが……

 

「良かった」

 

 緑谷くんが除籍にならず、本当に良かったとつい気と腰が抜ける。周りのクラスメイトが大丈夫かと声をかけてきてくれて、それが尚の事嬉しく感じた。

 そんな俺の様子をそのままに相澤先生は続けて言った。

 

「これにて終わりだ、教室にカリキュラム等の書類あるから目ぇ通しとけ」

「はいっ」

「緑谷、リカバリーガール(ばあさん)のところへ行って治してもらえ」

 

 明日からもっと過酷な試練の目白押しだ、そう言いながら相澤先生は保健室利用書を緑谷くんに渡した。そうだった雄英には治癒の個性を持つリカバリーガールが居るんだった。

 雄英の屋台骨と例えられる彼女の手にかかればあんな怪我あっという間に治してくれるだろう。少しだけ、俺の勝手な処置が邪魔にならないか心配になった。

 少し安心した俺が校舎へ戻ろうと思った矢先、相澤先生に呼び止められた。

 

「津上、話があるから着替えたら一度職員室に来い」

「分かりました先生」

 

 思い当たる節が有りすぎてどれで呼び出しを食らったのか見当がつかない。遅刻や器物破損、テストの妨害に先生に対する暴言。もしかするとその全てかもしれない。

 実は俺の除籍は決まっていて、さっきのはこの場を収める合理的虚偽の可能性だってある。いや、段々とそんな気がしてきた。

 

「初日から指導かよ津上、色々すげー奴だな」

 

 後者に向かって歩き始めると、逆立った赤毛が特徴のいかにも熱血漢な男子が話しかけてきた。彼は確か……

 

「切島鋭児郎…くん、か。その通り、俺はスゲー駄目な裏口野郎だ」

「もっと自己評価上げてけ。お前の言ってる裏口ってのはよく分かんねーけど、男らしいなお前。俺のことは呼び捨てでいいぜ、俺もそうするからさ」

「分かった、切島鋭児郎」

「おっと、フルネームは予想外だぞ」

「冗談だ。よろしく、切島」

 

 歯を出して笑いながら握手を交わす。ああ、分かってきたぞ、この学校には聖人しか居ないんだろう。そして、俺が居なくなれば完璧な場所になる。

 よろしくとは言ったが、切島くんと会うのはこれが最後になるだろう。別れを惜しむほどの間柄ではない、何も言わずに去るのが相応しい。ゴウリテキキョギって奴だ。

 

「って、あんま引き留めたらやべえか。 先生にシメられるときに必要なのは、ガッツだぜ。多分」

「ありがとう、それじゃあ先に行くよ」

「またな、津上」

「ああ……また」

 

 手を振る切島くんを背に、まばらに歩くクラスメイトを抜いて更衣室へ、そそくさと着替えを終え一路職員室を目指す。



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始まり始まり

 途中、道に迷っていた生徒と一緒になって頭を捻ったり、落ちていた学生証の持ち主を探したり、迷い込んだ小動物だと思ったのが校長先生だったりしたが無事職員室に到着した。

 

「失礼します。相澤先生はいらっしゃいますか」

「津上か……随分時間かかったな。早速、生徒指導室に行くぞ」

 

 足元で寝袋に入っている相澤先生はそう言って起き上がり、寝袋を脇に抱えたまま職員室を後にした。

 相澤先生の後ろを着いていくと、少し歩いたところに生徒指導室と書かれた部屋があった。相澤先生が鍵を開けて中に入るのに従い一緒に部屋に入る。

 

「まあ座れ…………床にじゃない、ソファーにだ」

「失礼します」

 

 ソファーに浅く腰掛けて相澤先生の方を見やる。寝袋から何やら資料を取り出すと目の前の机に広げた。

 

「さて、今回呼び出したのは他でもない、お前の遅刻についてだ」

「はい」

「入試、今日、そしておそらく今さっき。既に三度も同じ理由で遅れているだろう、自覚はあるか?」

「あります」

 

 困っている人を見過ごす事が出来ない俺の悪癖のせいであり、そんな遅刻魔の面倒は見きれないしクラスの迷惑になるから除籍処分にするって事だろう。

 

「それなら結構。困っている人間を助けるのは良いことだ、それは否定しない」

「はい……」

「それはあくまで自分が困らない範囲でやることだ。それがわからない人間に人助けなど分不相応にも程がある」

「はい……」

 

 要点を纏めると、除籍ということだろう。

 

「緑谷にも言ったが、1人を助けて後は足手まといになっては結果的に誰も救えていないのと同じだ」

 

 そうならないように除籍に。

 

「救うなって事じゃない。出来る範囲に絞れって話だ」

 

 つまり、除籍。

 

「ここまでは分かるな?」

「はい、除籍ってことですね」

「なるほど、話を聞いてないな」

 

 

 

 

 目の前の思い込みの激しい津上(生徒)に小さくため息をついて、広げた資料を手に取る。

 津上の成績や来歴が簡単に纏まった資料だ、頭には入っているが何を読んでるか見えた方が分かりやすく合理的だ。

 

「入試の筆記試験はクラス8位、実技試験は不参加だが、今日の個性把握テストで16位ならまず問題ない。困っている他人(ひと)を放っておかない性分で社交性もある。客観的に見てヒーローになる見込みは充分だ」

「ありがとうございます」

「そのままの事を言っただけだ。見込みがあるやつを除籍するのは合理性に欠く」

 

 見込みはあるというのは事実だ、しかしそれを打ち消すだけの致命的な問題が津上にはある。それは遅刻、ではない、その原因となっている“困っている他人(・・)を放っておかない”という性分の方だ。

 

 そう、他人なのだ。学友でも近所の人間でも、保護者でもなく、津上が手を貸すのは見ず知らずの他人だけだ。

 そうなった理由は今持っている情報だけでは判然としない。

 だからこそ時間が必要だ、原因を知り、それを治す為の長い時間が。その為の第一歩は――――

 

「とりあえず、遅刻を無くすところからだな。今朝は何時に家を出た?」

「5時30分です!」

「そんな時間から何してんだ?」

 

「吸い殻の清掃に、道端に落ちていた洗濯物の持ち主の捜索、ご老人の荷物持ちと……」

「ストップ、内容を聞きたいんじゃない」

 

 俺が制止すると津上は暗い表情になってすいませんと頭を下げる。やってたことも、その反応も想像通りだ。

 

「明日は6時53分きっかりに家を出ろ」

「はい。6時53分ですね」

「……理由は聞かないのか?」

「え、聞いたほうがいいですか?」

「いや、いい。明日になれば嫌でも分かる」

 

 聞き分けがいいのか考えなしなのか、今はその判断もつかない。

 

「以上だ、寄り道せずに帰れ」

「はい! お時間頂きありがとうございました!」

 

 深々と礼をして津上は潮が引くようにそそくさと指導室を後にした。 あの分厚い社交性の皮の下には一体何が詰まっているのだろうか。

 津上保(あいつ)の事を俺はほとんど知らない。何をして何をされてきたのか、それをこれから知る必要がある。生徒を導く者(教師)として、そして敵を倒すもの(ヒーロー)として。

 それは、津上を41人目の合格者に推薦した人間の責任でもある。

 

 

 

 

 相澤先生の指導を終え、誰も居ない教室に置かれていた書類を取って帰路についた。

 明日からこのカリキュラムに沿って授業が行われるのだと、明日も引き続き雄英生なのだと強い実感を噛みしめる。素晴らしい先生が担任で本当に良かったと高鳴る気持ちにつられて早足で歩いていると、信号待ちをしている雄英生の中に緑谷くんと飯田くん麗日さんを見つけた。

 

 声を掛けようと思ったが、緑谷くんはともかく飯田くん麗日さんとは会話らしい会話はなく、向こうは俺のことを知らないかもしれない。そう思うと、少し迷ってしまう。

 だが声を掛けないのは失礼であるし、麗日さんには朝の騒動で驚かせてしまったことを謝らなくてはならない事を思い出し、意を決して声をかけることにした。

 

「緑谷くん、飯田くん、麗日さん。今日はお疲れ様」

「津上タモツくん! お疲れさまー」

「先生からの用事は終わったのかい?」

「ああ」

 

 なんと、飯田くんも麗日さんも俺のことを覚えていてくれたらしい。いい人たちだ。緑谷くんも言葉こそ発さないが笑って輪に入れてくれた。やっぱりいい人だ。

 

「ところで麗日さん、今朝は驚かせてしまって本当にすまない」

「今朝? あー、土下座! 別に謝られる事なんて。あんな綺麗な土下座みたら皆ああなるよ」

「た、確かに綺麗な土下座だったね……」

 

 快く許してくれた上に、土下座まで褒めてくれる。こんな幸福許されるのだろうか。そんな事を考えている俺に飯田くんが言葉を投げかける。

 

「そうだ、今朝の遅刻は一体どんな事情が? クラスメイトとして遅刻はあまり感心しないな」

「それは、全て俺の悪癖のせいだ」

「悪癖? 寝坊しちゃったとか?」

 

 麗日さんの指摘の通り、寝坊と言えるかもしれない。あと一分でも家を早く出ていれば遅刻にならずに済んだのだ。睡眠時間を削るべきだった。

 

「寝坊と言えば寝坊なのかもしれない、もう少し早く家を出ていれば遅刻せずに済んだはずだ」

「家が遠いと朝大変だよね、津上くんは電車はどっち方向?」

「いや、電車ではないんだ」

 

 緑谷くんに返答した通り、電車は使わない。この脇道の先ににあるアパートこそ、俺の自宅だからだ。名残惜しいが今日はここでお別れということになる。

 別れを告げる前に緑谷くんに確認しないといけないことがあったのを思い出した。

 

「会話の流れを切ってすまないが……緑谷くん、指の怪我は平気かい? 俺の処置が治療の邪魔になっていなければ良いのだが」

「治してもらったから平気だよ。それどころか津上くんの応急処置、リカバリーガールが完璧だって褒めてたよ。本当にありがとう」

「それは……良かった」

 

「あの時の啖呵、カッコ良かったよね!」

「ああ、俺は感動してしまったよ。 先生の制止を振り切り治療を施す様はさながらナイチンゲールだ」

「飯田くん、ナイチンゲールは女性なんじゃ……」

「尊い行為の前に男女なんて些細な違いだ、麗日くんもそう思わないか!」

 

 眼の前で恐らく自分のことで盛り上がる3人を何処か現実感なく見つめる。誰かと一緒にいたいと思ったのはいつぶりだろうか、なんて考えながら、ゆっくりと歩みを止めた。

 別れたくない気持ちを心の奥へしまい込み、3人に声をかける。

 

「悪いけれど、俺はこっちだから。……また明日」

「じゃあね!」「また明日(あす)、学校で」「またね、津上くん」

 

 そのまま手を振って3人と別れた。明日が楽しみなのもいつ以来だろうか……もしかすると、生まれて初めてのことかもしれない。

 

「なんて、大げさか……」




雄英高校生活、初日がようやく終了です。
こんなペースで大丈夫なんだろうかと心配です。

本文中でほのめかした通り、津上保くんがイレギュラーなヒーロー科の41人目になれた裏には相澤先生の後押しが有ったようです。

読み返すと性格や口調が飯田くんに似すぎていて、どうしようかと頭を抱えています。頑張れ津上、負けるな飯田くん。



修正終了(2021/07/19)


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第二章 正しい個性の使い方
6時53分の挨拶


前回までのあらすじ:雄英高校ヒーロー科へ入学した津上保。個性はキープ、掴んだものをだいたいなんでもキープできる。ド◯えもんの四次元ポケットみたいなものだ。
個性把握テストの結果は16位。途中、緑谷出久の手当をしたり、裏口入学だと告白したりと色々目立っているようだ。
担任である相澤は、入学前から続く遅刻癖を重くみて、なにやら対策をする模様。


 怒涛の雄英生活初日から一夜明け、午前6時48分。身に染み付いた習慣により自宅に居ながら既に1時間以上持て余している。

 相澤先生と約束した6時53分まで、後5分。5分前行動ということでもう出てしまっても良いような気もする。

 

「いや、分単位で指定されているってことはそれが重要だからで」

 

 相澤先生との約束を反故にするわけにはいかないと自分に言い聞かせ、靴まで履いて半帖にも満たない玄関スペースでウロウロすること更に4分。約束の時間まで残り5秒、3、2、1――――

 行ってきます!という声と共に、蹴破るように玄関を開けて勢いよく部屋から飛び出す。その瞬間目に飛び込んできたのは朝日に照らされた町並みとそびえ立つ寝袋。

 

「うわあああ!」

「叫ぶな、近所迷惑だ」

「相澤先生!? お、おはようございます!!」

 

 なんと、寝袋の中から担任の相澤先生が姿を現した。頼むから静かにしろと口にする相澤先生はいそいそと寝袋を脱いで小脇に抱えた。

 

「時間通りだな、結構。じゃあ行くぞ」

「どちらへ? それに、どうして相澤先生がここに」

「学校にだ。 お前が遅刻しないように迎えに来たんだよ」

「迎えに!? 俺を!?」

 

 だから静かにしろ。と言いながら相澤先生はゆっくりと通りへと向かい、俺は慌てて玄関に鍵を掛けその背についていく。先生に引率されながらの登校は不思議で新鮮だ。

 特に何ら言葉を交わすことなく歩く、前を歩く相澤先生は時折振り返ってこちらの様子を確認しているようだ。鋭い視線を受けると緊張で背筋が伸びる。

 

 それにしても、俺が遅刻しないようにするためだけに足を運んでくれた相澤先生。その優しさに感動すると共に、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 

「相澤先生、お手数かけてすみません。わざわざ俺なんかの為に」

「謝るならさっさと遅刻癖をなくすことだな。と言っても、通勤中に1分寄り道するだけのことだから、俺にとっては手間ですらない」

 

 分単位の時間指定は相澤先生がここを通る時間に合わせた、ということなのか。なるほど理に適っている。

 わずかに罪悪感が薄れると緊張の糸も緩んで、周りの様子が目に入ってくる。この時間は駅の方角に向かう人がほとんどで雄英生の姿は見られない。

 

 その中に、人波を縫って走るサラリーマンを見つけた。時々足をもつれさせながら駅の方へ向かっているのは、寝坊でもしたのだろうか。

 ぶつかったりしてトラブルにならないようにと願いながら観察していると、全く同じ道をエプロンをつけた女性が布に包まれた箱、恐らくお弁当箱を持って走っていた。

 

 察するに、慌てて家を出た先程のサラリーマンが家にお弁当を忘れていってしまいそれをあの女性が追っているのだろう。

 女性は息も絶え絶えでペースも落ちていて、足が止まるのも時間の問題だろう。今行って声を掛ければ俺の足なら駅までにはサラリーマンに追いつけると思う。

 ただ、そういう事をしないように相澤先生が来てくれたのにも関わらず手を出す訳には、と。悶々としていた俺をいつの間にか相澤先生が見ていた。

 

「さっき走ってた主婦の事を気にしてたのか」

「俺のこと、お見通しですね」

「そういうところは分かりやすいからな」

 

 と言うと、不意に相澤先生は立ち止まって道の反対側、先程の女性の方へ注意を向けた。

 それに倣いそちらを見ると、走っていた女性は立ち止まって肩で息をしていた。

 

「助けに行っちゃ、駄目ですよね?」

「ああ。と言うより、助ける必要はない」

「必要がない? どういうことですか」

「想像してみろ、さっきのリーマン、弁当が無くとも買うなり外食なり、自力でなんとでもなる。仮に一食抜いたとしても死ぬわけじゃない。それどころか反省して二度と忘れなくなるかもな」

 

 なるほど、助けなかった場合を想像か、今までしたことはなかった気がする。でもあのお弁当を作った女性の気持ちは救われない。

 

「そんな眉間にシワ寄せてどうした、こういう考え方は納得出来ないか」

「いえ、そういう風に助けなかった場合について考えた事が今までなかったので、目からうろこだったのですが、ただ……あのお弁当や作った女性の気持ちは無駄になってしまうのかな…と」

「まあ、そうなるかもな。だが、元はといえば忘れた奴の責任、他人が気に病む必要性はない」

「そう、ですね」

 

 多少の後ろめたさはあるが、今後の為にもその感情を飲み下す。手助けできずすみません、という感情を視線に乗せて女性に送っていると女性の妙な動きが目に留まった。

 女性は周囲をキョロキョロと見回し何かを探している様子だ、何故か時折空の方にも視線を送っている。

 

 相澤先生も女性のおかしな様子に気付いたのだろう、その視線がより鋭くなっているようだった。

 再び女性に視線を戻すと、何かを発見したのか視線が定まっており、そのまま突如として指笛を鳴らした。

 

 すると女性の元にまっすぐカラスが飛んでいく。女性が包みをカラスに咥えさせると、カラスは再び空へ舞い上がった。

 

「あれは、個性……?」

 

 カラスを操る個性だろうか、詳しいことは分からないがそれよりも重要な事がある。

 

「良かったな津上、弁当も無駄にならずに済みそうだ」

「そんなことより、今、個性を……犯罪じゃないですか!」

 

 公共の場での個性発動、それは法律で禁じられている立派な犯罪行為だ。

 

 

 

 

 通勤の途中に津上を拾って学校まで連れて行く。元はそれだけの予定だったが、都合よく目の前で小さなトラブルが起きてくれた。

 

 日々発生する小さなトラブルのほとんどは他人が解決する必要はない。子供や老人はともかく、人は誰しも多かれ少なかれ問題解決能力を持っている。

 万一解決しなくとも、トラブルによる遅れを都度取り戻すより、再発防止策や対応策を用意したほうが最終的に効率がよくなる。

 

 それを伝えられればと思い観察をしていたら事態が思わぬ方向へ転がった。

 

 公共の場での個性使用は原則禁じられている。津上の言う通り主婦の行動は刑法上、犯罪だ。

 

「厳密に言えばそうだろうが、あの程度で捕まえてたらキリがない。警察が見てても注意して終わりだ」

 

 しかしながら、プロヒーローは言うまでもなく、取り締まりをする立場の警察だろうと黙認するレベルの出来事。例えるなら自転車で歩道を走るようなものだ。

 重く捉える必要はない。そう伝えたつもりだったが、津上の返答でその認識が甘かったことを知る。

 

「……あの人は、罪に問われないんですね」

 

 安心と怒りがないまぜになったような言葉だった。“あの人は”という言葉に込められた感情に津上の過去を垣間見た。

 

 あるんだろう。彼女のように個性を使った事が、それを咎められたことが、津上にはあるんだろう。

 手に入れた資料の中で簡単に“補導”とだけ書かれた向こうに、私怨や自己中心的な正義感による通報と私刑がどれだけ隠されているのか。

 考えただけで反吐が出る、こんな気分の悪い通勤時間は久しぶりだ。

 

「時と場合による。彼女だって人に迷惑を掛ければ罰せられる。誰であろうと法の下に平等だ」

「……そうですか」

 

 言葉に反して納得のいかない様子の津上に「行くぞ」と声をかけ歩き始める。

 この場ではどうしようもない、時間を要する問題であるのは明白。

 

 津上が抱いている個性の使用に対する拒否感はその過去(トラウマ)にも起因するのだろう。

 それを克服するなら着手は可能な限り早い方がいい。根深いなら、尚の事。

 

「……手のかかる生徒だ」

 

 聞こえない程度の大きさでひとりごちる。微かにだが津上の抱える歪みの一端を垣間見て、今までの教師生活においても最大級の難問だと予感させられた。

 当面の課題は遅刻の防止と、個性使用に対する抵抗感の払拭。根本解決の目処は未だ立たない。

 

 本当に、手のかかる生徒だ。

 

 

 

 

「そういえば、昨日はまっすぐ帰ったか?」

 

 俯いていた俺にとっては突然に、相澤先生が言った。前触れのなかった質問に反応が遅れると、先生は歩きながら振り返って俺に視線を投げかけた。

 瞼に半分覆われた黒目からの視線は俺の返答を待ちわびるようにじっと留まっている。

 昨日は先生の指導の後、教室のプリントを回収して校舎を出て真っ直ぐ家に向かいその途中で、良いことが有った。

 

「途中クラスメイト……緑谷くん飯田くん麗日さんと偶然出会ったりもしましたが、寄り道はしませんでした」

「……そうか」

 

 少しだけ詰まったような言葉と共に先生の視線は進行方向へ戻った。それにならって視線を前方へ向けるといつの間にか通りの向こうに雄英高校が見えた。

 昨日は3時間ほどかかった徒歩10分の道のりは先生と歩いた途端、10分ほどの距離に感じられた。

 

「徒歩10分ってこんなに近いんですね」

「ああ、どうやっても3時間はかからない」

「うっ……すみません」

 

 時刻は7時10分。今までの自分では考えられない余裕のある到着だ。しかし困った、これからHRまで一体どう過ごせばいいのだろう。

 

「津上、昨日の遅刻の罰として教室の掃除をやっておけ。掃き掃除とモップがけ、それでも時間が余ったら窓でも拭いてろ」

「分かりました!」

 

 そう答えて駆け出そうとしたところ、相澤先生に話は最後まで聞け、と呼び止められた。

 

「掃除用具はロッカーに入ってる。物を壊したりしなければ個性を使っていい。効率的に進めろ」

「はい! 今日はお迎えありがとうございました!」

 

 俺のどうしたらいいのだろうと言う思考を先読みするような指示、相澤先生は本当に素晴らしい。

 俺に与えられた教育的懲罰に一段と気合を入れて校舎へと足を踏み入れた。



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チームアップ(1)

 俺は今、充実の高校生活を満喫している。

 相澤先生から言いつけられた掃除をしていると、登校して来た多くのクラスメイトが手伝いを申し出てきたのだ、好意だけ受け取ると伝えても「勝手にやってることだから」と笑顔で口にし最後まで手を貸してくれた。

 その最中に、昨日の遅刻を謝れていなかった女子の面々に謝罪すると、誰もが快く許してくれた。その上こんな俺を面白いと評価してくれるクラスメイトもいた。

 

 授業の方も分かりやすく、みんな真面目に受けている。これが日本のトップ校の授業風景かと感動した。

 いつもの癖で昼はグラウンドで風を感じながら食べたが、何だがいつもより美味しく感じた。

 

 そしてようやく訪れた午後。ここからは、より気合を入れなくてはいけない。なぜなら、午後はヒーロー基礎学だからだ。この授業を受けるためにヒーロー科に入学したと言っても過言ではないのだ。

 

「わーたーしーがー!普通にドアから来た!!!!」

 

「本当に教師やってるんだな!」

銀時代(シルバーエイジ)のコスチュームだ……画風が違いすぎて鳥肌が」

 

 それぞれ反応は少しずつ違うが、クラス中が興奮している。それもそうだろう、平和の象徴と言われる生ける伝説が目の前に居るんだ。

 興奮しないほうがどうかしてる!

 

「ヒーローの素地を作る為様々な訓練を行う科目、ヒーロー基礎学!第一回となる今回やるのは……戦闘訓練!!」

 

 一挙手一投足がコミカルでカッコいいオールマイトが言った通り、第一回は戦闘訓練のようだ。戦闘となると俺の個性はあまり活かせないがやれるだけのことはやろう。

 そう決意を込めてオールマイトの言葉に一層の注意を傾ける。

 

「それに伴って、入学前に送ってもらった“個性届”と“要望”に沿ってあつらえた、戦闘服(コスチューム)!!!」

「「おおおっ!」」

 

 オールマイトの操作で壁からせり出したスーツケースを見て、ピッタリの息で前の席の皆が立ち上がった。俺の居ない間に打ち合わせでもしていたんだろか。

 そうか、あれが被服控除の戦闘服(コスチューム)か、俺の要望は叶えられただろうか。

 

「着替えたら順次グラウンド・βに集まるんだ!」

 

 そう言い残してオールマイトが教室を去ると、我先にとコスチュームを取り各々更衣室へ移動していく。

 俺も自分の出席番号、14が書かれたケースを持ち、教室を後にした。

 

 

 

 

 更衣室でコスチュームを一通り身につけると、まるで俺の為にあつらえられたようなフィット感に感動していた。いや、俺のためにあつらえられたものか、興奮ですっかり忘れていた。

 手を握ったり手首を曲げたり回して動きを確かめる、ちゃんと要望の方も聞き届けられている事が分かり、一際嬉しくなる。

 

 俺の要望は2つ“手の動きを阻害しないでいただけると嬉しいです”そして、“顔が隠れるようにしてください”だ。

 黒を基調としたつなぎに白いラインのデザイン、特徴はしっかりとした手甲とフルフェイスヘルメット。難しい機能はついていないシンプルなもので、とても、とても。

 

「カッコいい……」

 

 いつか見たヒーローのようなコスチュームに感動しながら、最後にフルフェイスのヘルメットを装備して更衣室を後にする。

 まるでもうヒーローになったような錯覚がして思わず軽くなった足取りで、先に行ったクラスメイトの後を追ってグラウンド・βに向かった。

 

 

 

 

 

 今日の戦闘訓練は屋内戦、2人組を作り、ヒーロー側ヴィラン側で2対2の戦闘を行う。

 ヴィラン側は爆弾を所持しており、規定時間爆弾を守り抜くかヒーローを全員倒せば勝利、逆にヒーロー側は爆弾に触れ回収するかヴィランを全員倒せば勝利。

 オールマイトの説明を要約すると、こんな感じだ。

 

「先生、2人組を作れとのことですが、このクラスは21名、ひとり余ります!」

「そこは1チームだけ3人になってもらう。戦力差のない戦いなんて現実にはそうないからね、良い訓練なるだろう」

 

 飯田くんの鋭い指摘に対し、オールマイトが答える。今回の訓練は見学せずに済みそうだと胸を撫で下ろした。

 

「コンビ及び対戦相手は、くじだ!!」

「適当なのですか!?」

「プロは他事務所のヒーローと急遽チームアップすることも多いし、そういうことじゃないかな?」

 

 再びの飯田くんの鋭い指摘に、今度は緑谷くんが答えた。横で聞いていた俺が「なるほど」とうんうん唸っていたら、オールマイトが「早くやろ!」とクラスの皆にくじを引くように勧める。

 出席番号順でくじを引いていく、何組かは既にコンビが成立し打ち合わせのようなものを初めている。自分の番が近づくにつれ少し緊張してきた。

 

「次、津上少年、引いてくれ」

 

 オールマイトの指示に従いひと息にくじを引く。俺の引いたアルファベットはHだった。

 既に出ていたアルファベットだったため、こんな俺と組むことになってしまう運の悪い人は一体誰だったかと記憶を呼び起こしながら振り向くと、その人物は既に目の前に来ていた。

 

「よろしく、津上ちゃん」

「あ、蛙吹梅雨さん、よろしく」

 

 緑色のコスチュームを身にまとった猫背気味の蛙っぽい女子、蛙吹(あすい)梅雨《つゆ》さんが今日の訓練のパートナーになってくれるらしい。

 今朝も掃除を手伝ってくれた優しい彼女の足を引っ張らないようにと静かに気合を入れ直す。

 

「頑張るよ」

「ケロ? ええ、頑張りましょう」

 

 蛙吹さんと並んで抽選を最後まで見届ける、そういえば、3人チームは常闇くん・峰田くん・八百万さんのCチームとなった。

 

 

 

 

 初戦から激闘の麗日・緑谷チーム対飯田・爆豪チームが終わり、対照的に一瞬で戦闘が終わった障子・轟チーム対尾白・葉隠チーム。

 自分の個性を活かして戦うクラスメイトたちに、深い尊敬の念を抱いた。俺が個性を使いこなせても、彼らのようになれるとはこれっぽっちも思えない。

 

「この状況でほぼ完璧と言える手段を選んだ轟少年に改めて大きな拍手を送ろう。では、続いての組み合わせは」SHUCK

 

「『Hコンビ』がヒーロー!『Cコンビじゃないね、トリオ』がヴィランだ!」

 

 そしてとうとう俺が呼ばれた。前二組の戦闘と比べて大きく見劣りするだろうが、蛙吹さんの為にも精一杯やるしかないだろう。

 ただ、2対3であるお蔭で気が楽だ。これなら負けてしまっても仕方ない。

 

「数的不利を覆してこそのヒーローだ、期待しているぞ蛙吹少女、津上少年!」

「はい」「ケロッ」

 

「常闇少年、峰田少年、八百万少女は優位であることに油断をしないように。課題通り賢しいヴィランに徹してくれ」

「承知」「はいっ」「当然ですわ」

 

 オールマイトに促され、モニタールームを後にする。緊張で胃がキリキリして今にも吐きそうだ。昼におにぎりを余計に食べるんじゃなかった。

 先を歩くCチームが何やら話をしている。影のような見た目の爪を生み出せる常闇くん、ありとあらゆる道具を生み出す八百万さん、くっつき跳ねる玉を生み出す峰田くん。

 皆何かを生み出すことに長けている。勿論チームメイトの蛙吹さんだって、蛙っぽい色んな事ができるらしい凄い個性の持ち主だ。

 

(それに比べて俺は……)

 

 左右の手で人のものを仕舞ったり隠したりできるだけ。何かを生み出したり身体能力が上がったりしない弱個性だ。

 せめて蛙吹さんが活躍できるように囮になるくらいが俺の出来る精一杯だろう。

 

「俺が囮になるから、一人でもいいから相手チームを確保してくれ!」

「……随分と弱気ね」

「俺の個性は戦いに何の役にも立たないから。申し訳ないけど、蛙吹さんの個性(ちから)を頼りにするしかない」

「頼りにされるのは構わないけれど、私、津上ちゃんがどんな個性なのか知らないわ」

 

 そうだよ、俺の事なんか知っている訳ないじゃないか。先に説明しないといけなかった、俺の個性が如何に使えないかを……

 

 

 

 

 蛙吹梅雨よ、高校生活2日目でいきなりクラスメイト同士で戦闘訓練なんて、雄英高校はやっぱり普通じゃないわね。面白いわ。

 今回の訓練でコンビを組むことになったのは初日から色々と目立っているクラスメイト、津上保ちゃん。

 初日の遅刻に始まり、嘘か真か裏口入学の告白、緑谷ちゃんへの応急処置、今朝の教室掃除、話題の尽きないとても面白い人だけれど、なんだか自分を卑下する癖があるみたい。

 昨日の個性把握テストでの活躍からしても役に立たないとは、とても思えないわ。

 

「俺の個性はキープ、手で掴んだ物をキープしていつでも取り出せるんだ。キープした物の重さは体に掛かるし、気が緩んだりすると出てきてしまったりもする」

「便利そうな個性ね」

 

 普段から色んな事に使えて便利そうな個性。お買い物で嵩張るものを一度に買ったり、お掃除もちりとり要らずかしらね。

 私がその素敵な個性に想像を巡らせていると、横の津上ちゃんは勢いよく首を左右に振ってそんなことはないって否定してきたわ。

 

「鞄で代用が利くダメな個性さ」

「あまり自分の個性を悪く言わない方がいいわ、津上ちゃん」

「事実を言っているだけさ」

「ケロ、頑固ね」

 

 雄英に受かって、昨日のテストでだって活躍していたのだから自信を持っていいと思うのだけれど、謙虚すぎる人なのね。

 あのボール投げで見せた力を使えば戦闘だってこなせそうだけど、どうなのかしら。

 

「昨日のボール投げはどうやったの?」

「ああ、あれはボールが手にぶつかった時の衝撃をキープで溜めて一度に解放しただけなんだ」

「それを攻撃に使ったらどうかしら?」

「な、なるほど……」

「ケロォ」

 

 なんだか、借り物の個性みたいでこれからの訓練が少し不安だわ。使い勝手の良い個性なのに普段使ってないのかしら。

 それに、衝撃までキープ出来るならサポートに限らず、本当に色々な事ができるはずよね。

 

「何がキープできるの?」

「うーん……目に見えるもの、触れるものであれば何でもキープ出来るね。空気や水とか」

「人間でも?」

「いや、人間に限らず、生物はキープしない事にしてるんだ」

 

 津上ちゃんが言ったのは「出来ない」ではなく「しない」。

 彼は手のひらを見つめながら険しい顔をしていて、きっと複雑な事情があってそうしているのだと思うけれど、気になるわ。

 

「それはどうして?」

「キープ中に動かれると危ないんだ」

「危ない?」

「途中でキープをやめるとそこで物が千切れるから、怪我をさせてしまうし」

 

 うん。彼のことはまだ分からないことだらけだけど、これだけは分かったわ。

 

「あなた、優しいのね」



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穴だらけの作戦

「あなた、優しいのね」

 

 蛙吹さんが俺に向かってそう言った。そう見えるのなら少しだけ嬉しい。でもきっと俺の事をもっと知ったらそうは言えないと思う。

 せめてそれまでは、良い関係でいたい。

 

「そう言ってもらえると嬉しいな。俺の個性はこんな感じ、何か質問ある?」

「大丈夫よ」

「蛙吹さんの個性は、カエルみたいな動きだけれど、そのまんまの認識で大丈夫?」

 

 見たのは飛び跳ねたり、長い舌だったりそんな力だ。それだけでも使いこなせば十分強力だろうと思う。

 それを聞いた蛙吹さんは人差し指を口元に当てて少し考えるような素振りを見せてから答えた。

 

「そうね、簡単に挙げていくと、水中での機動力。跳躍。壁に張り付ける。舌を最長で20mくらい伸ばせるわね。……後は胃を出して洗ったり、ピリッとする程度だけれど毒液を分泌したり……とにかく、カエルっぽいことならだいたい出来るわ」

「やっぱりすごい個性だ」

「ありがとう、ケロケロ」

 

 蛙吹さんから教えてもらった個性は、応用が利くなんてレベルではなく、複数の個性を持っていると言っても過言ではないような個性で、憧れてしまうようなものだ。

 特に、今回のケースにおいては壁に張り付けるのはかなりのアドバンテージだと思えた。

 

「壁に張り付いて外側から核兵器を奪うのはどうかな?」

「それが出来たら楽でしょうけど、カーテンとかで中を隠すんじゃないかしら?」

「それもそうか……」

 

 俺が敵なら間違いなくそうする。それに相手には八百万さんが居るから部屋に入れてもトラップなんかが仕掛けられているはずだ。

 そもそもトラップを使わなくとも常闇くんの力強い個性なら蛙吹さんを封じることだって出来るかもしれない。

 

「八百万さんと常闇くんが居る以上蛙吹さん1人が侵入できたとしても確保が難しそうだし、やっぱりこの作戦はダメそうだ」

「どういうことかしら?」

「蛙吹さんが頼りないって言いたいんじゃなくて、(ヴィラン)チームの個性が強いからそう言ったんだ。例えば八百万さんの個性で作ったトラップが仕掛けられてるかもしれないし、爆弾を常闇くんが影みたいな爪で直接守ってたら身体能力に長ける蛙吹さんでも苦戦するはずかな……って」

「津上ちゃん、二人の個性を知ってるのね。詳しく教えて貰っていいかしら、もちろん峰田ちゃんの個性も知っていたらお願いね」

 

 蛙吹さんの言葉で情報共有をしていなかった事に気が付いた。俺みたいに昨日だけでクラス全員の個性を覚えようなんて普通は思わないだろう。

 すぐに、三人の個性に関する俺の知っている情報を蛙吹さんに伝える。

 

 

 

「よく観察してるのね、津上ちゃん。不確定要素は多いけれど、少しは作戦が立てられそうだわ」

 

 それを聞いた蛙吹さんは笑みをこぼしながら言った。本当に頼りになる人だと思った。

 

 蛙吹さんと共に見取り図を見ながら作戦を立てる。

 5階建てのビル。部屋は各階10部屋前後。すべての部屋を15分以内に回ることは物理的に不可能。敵の数も多いため直接戦闘はこちらが不利。

 つまり、敵との接触を可能な限り避け、核兵器の確保するしか勝ち目はない。正に言うは易く行うは難しだ。

 

 それの可能にする作戦を残り数分で考えなくてはならなかった。

 

 

 

 

 

『制限時間は15分、両チーム、訓練開始!』

 

 作戦会議を終えたところで入ったオールマイトの合図により訓練がスタートした。

 

「それじゃあ偵察に行ってくるわ、津上ちゃん、準備しておいてね」

「ああ、そっちは任せた、蛙吹さん!」

 

 ケロケロと言って蛙吹さんは跳躍し、ビルの壁面へ張り付いた。それを見送った俺は気合を入れ、左手で右の手のひらを殴った。

 それを繰り返し繰り返し行っていく。これは気合を入れるポーズじゃなくて殴った衝撃をキープしているのだ。

 

 作戦はこうだ、蛙吹さんが外側から建物内を見て、核兵器の有無を確かめる。見つかれば御の字、でなくとも捜索する部屋を限定する事ができる。

 その間、俺は風と衝撃をキープして戦闘に備える。

 偵察が完了し次第、蛙吹さんの壁への張り付きと舌で屋上や窓から侵入して速攻をかける。という流れだ。

 

『見つけたわ、4階東の大部屋。常闇ちゃんが部屋に居るわね』

「一人だけ?」

『ええ、他の二人の姿は無いわ。部屋にはトラップもなさそうね』

「常闇くんに全幅の信頼を置いているか、そこまでたどり着かないと踏んでいるのかもしれない」

 

 通信機越しに蛙吹さんの口から聞いた相手チームの配置は俺に対する評価が正確なことを裏付けている、だが相手チームは蛙吹さんを侮ってしまった。

 窓から侵入して即座に爆弾に手を伸ばせば勝ててしまうかもしれない。そういう考えに至るのも当然だろう。

 

「窓からこっそり侵入して確保出来る?」

『この部屋には開けられそうな窓は無いわね。無理やり割って入るか、他の部屋から侵入するか』

「あとは屋上から侵入とかかな……とにかく、敵が気付いてないこのチャンスを活かそう」

 

 俺が一階から侵入して囮になって敵チームの注意を引き、その間に蛙吹さんが侵入して爆弾を確保すればいい。

 

『それなら、津上ちゃんを舌で投げるから一緒に屋上から侵入しましょう』

「え?」

 

 蛙吹さん一人ならともかく、俺が行っても足手まといになるだろう。そう言う間もなく蛙吹さんの言葉が続く。

 

『着地は出来るわよね、危ないから通りの少し開けたところに移動してくれるかしら』

「……わかった」

 

 俺の判断より蛙吹さんの判断の方が正確だろう。それなら与えられた役割をしっかりこなすだけだ。

 100回目の衝撃のキープを終えて通りに出た俺は、ビルの壁面に張り付いている蛙吹さんを見上げた。

 

『いくわよ、せーのっ!』

 

 蛙吹さんの舌が体に巻き付き勢いよくビルの上へと放り投げられる。

 ビルの上空5メートルくらいまで飛ばされ、ビルの屋上を転がりながらどうにか着地に成功する。

 見上げると壁面を登りきった蛙吹さんがひたひたと歩いて来て、横になっていた俺に手を差し伸べた。

 

「てっきり個性で着地すると思ったのだけれど、怪我は無いかしら?」

「大丈夫。そっか、その手が有ったね」

「自分の個性を忘れるなんて、不思議ね」

 

 ひんやりとした大きな手を借りて立ち上がる。何はともあれ、屋上への侵入は無事成功した。

 しかし、屋上から建物内へ入れる唯一の道は、鍵の掛かった分厚い鉄の扉で塞がれている。

 

「やっぱり鍵が掛かってるわね。仕方ないわ、気づかれるかも知れないけれど、ドアを破壊してくれるかしら」

「分かった」

 

 きっと蛙吹さんはこれを見越して俺を連れてきたんだろう。と思い指示に従ってドアに手をかざす。

 手のひらを扉に押し当てると徐々に手が扉の中へ沈んでいく。

 

「それは、何をしてるのかしら?」

「え、扉を壊してるんだ、言われた通りに」

「予想外の壊し方ね」

 

 手で掴んだものをキープする個性だが、手に直接触れているものならば握るまでもなくキープすることが出来る。

 手で触れた範囲しかキープ出来ないため、必然的に千切れてしまうのが欠点だ。

 

 扉の向こう側まで通じる穴を開けて内鍵を触る、そこにサムターンはなく内側からも鍵が必要な扉だった。

 ならばと鍵のある辺りを掴んでキープで引きちぎり扉を開いた。

 

「開いたよ、蛙吹さん。急ごう」

「待って頂戴、津上ちゃん。それで床を抜けば直接、核兵器のある部屋に侵入出来るんじゃないかしら?」

「……なるほど」

 

 盲点だった。そうか、そういう使い方も出来る。人を欺き、騙して、勝手に侵入するならこういう使い方をした方がいい。

 多分、あの人達はこうやって侵入してたんだろう。

 

「部屋はあっちかな。真上から侵入しよう」

「ええ」

 

 見取り図で部屋の真上となる場所を確認して床を抜いていく。外壁を抜いてそれが終わったら内壁を抜く。人が通れる大きさを開けるのにかかる時間は40秒ほど。

 これでは戦闘になったらまず使えない。だから、音を立てないように慎重に床を抜いた。

 くり抜いた円形の板を横に出して、穴から部屋を覗き込む

 

「人の気配はなし、大丈夫そうね」

「まずいな、この高さだと、音もなく侵入ってのは無理そうだ」

「私が吊るわ、じっとしてて」

 

 湿っている温かな舌が胴に巻きつけられ、ゆっくりと降ろされる。その後蛙吹さんがひたりと静かな音を立てて着地した。頼りになる人だと改めて思った。

 

 言葉を交わさず、アイコンタクトをして再び床に穴を開けていく。床板を抜き横に避け、下の階の天井の板を少しだけ抜くと、少し離れたところに目標である核爆弾の姿が目に入った。

 常闇くんの姿は見えなかったが、この場所からの奇襲ならばどうやっても防ぐことは出来ないだろう。

 

「天井の板は乗れば突き破れるくらい薄いから、このままリスクを負って穴を開けるより一気に飛び降りた方がいいと思う」

「そうね、そうしましょう」

 

 目を合わせ、しっかりと頷きあう。少し呆気ない気もするが、勝てるならそれに越したことはないだろう。

 

「「せーのっ!」」

 

 天井を突き破り、数メートル先にある核兵器へ手を伸ばす。

 完全に虚を突いた奇襲は部屋で待機をしていた常闇くんに一切の行動を許さなかった。

 

はふほ(確保)……ケロ」

 

 蛙吹さんの舌が核兵器に触れ、そう宣言する。

 確保を優先する蛙吹さんと異なり、常闇くんを警戒していた俺は彼の手からワイヤーが伸びている事に気が付いた。

 

「一体何処から、いつの間に……だが」

 

 そう言いながら常闇くんは柱の影へと隠れる。

 オールマイトからの終了宣言が無いこと。常闇くんの不自然な動きと伸びたワイヤー。存在しないトラップ。目隠しされていない窓。

 

 そこに至ってようやく、俺たちが敵の策に嵌っていることに気がつく。

 

「蛙吹さん! これは偽物、罠だ!」

「気付いたところで既に術中! 終焉の刻だ」

 

 それと同時に頭上で金属のこすれる音がして、スプレー缶のようなものがゆっくりと落ちてくる。

 天井を見ると、紫色の玉がクリップのようなパーツにくっついており、目の前の缶がここに張り付いていたのだと分かった。

 

「閃光弾よ!」

 

 蛙吹さんの言葉でこの缶がなんなのかようやく理解する。

 この超人社会においてもヴィランの鎮圧に効果を発揮する、強力な非殺傷武器のひとつだ。

 

 目の前で炸裂すればその強烈な音と光によって身動きを完全に封じられてしまう。もしそうなれば負けは必至だ。

 

「くそっ!」

 

 殆ど無意識に声を漏らしながら、伸ばした手でクリップの完全に外れた閃光弾を掴んだ。

 

「不発!?」

 

 一瞬の間が開き、常闇くんがそう叫ぶ。

 掴んだ閃光弾は無意識の内にキープされ不発に終わった。

 

「一旦引くわ!」

 

 蛙吹さんがそう言って侵入してきた穴へ跳躍。それに続いて届くはずのない穴に向かって跳躍すると、上階から伸びてきた舌が俺の手を掴んだ。

 

「させん!」

 

 引っ張り上げられる俺を常闇くんの影のような爪が追う。だが、こちらには反撃の手がキープされていた。

 

 迫りくる爪に俺のパンチ100発分の衝撃を一気に解き放っ(リリースし)て吹き飛ばした。

 そして、穴をくぐる瞬間、炸裂直前だった閃光弾を下の階へ吐き出(リリース)した。

 

「蛙吹さん、目を閉じて耳を塞いで!」

「ケロッ!」

 

 手を貫通する衝撃のような音が鳴り響き、一転、辺りは静寂に包まれる。

 目を開けると顔をしかめた蛙吹さんが小さな唸り声を発していた。

 

「蛙吹さん、大丈夫?」

「うぅ、すごい音ね。助かったわ、津上ちゃん」

「きっと残りの二人も気付いたはず、常闇くんが動けるようになるまでにここから離れよう。作戦を練り直さないと」

 

 あそこに有った核兵器は恐らく八百万さんが作った偽物、ならば本物の核兵器は一体何処にあるのだろうか。

 偽物の核兵器に閃光弾やワイヤー、恐らくいずれも八百万さんの作ったものだろう。天井に付いた玉は峰田くんの個性だったはずだ。

 

「津上ちゃん」

「な、なに?」

 

 突然の状況変化に戸惑っていた俺は、蛙吹さんの声に驚いて裏返った声をあげてしまった。

 

「ここから離れる前に、下で動けなくなってる常闇ちゃんを確保してくるわ。少し待っていて」

 

 俺の返答を待たずに下の階へ飛び降りた蛙吹さんは驚くほど冷静で、動揺している自分が少し恥ずかしくなった。

 

 

 

 

 目の前に閃光弾が落ちてきてもうダメだと思ったとき、津上ちゃんがその個性で閃光弾を無力化。しかもその後閃光弾を使って反撃して常闇ちゃんを返り討ちに。

 音もなく床や壁をくり抜いてしまえたり、本当に素敵な個性だと思ったわ。

 

 下の階へ降りると、頭を抱えて地面に突っ伏している常闇ちゃんの姿が目に飛び込んできたわ。

 

「すまない、不覚を取り捕らえられなかった! 彼奴らそちらに逃げた……壁を抜くぞ、警戒を怠るな」

 

 音量調節のめちゃくちゃな彼は私の接近にも気付かず通信機の向こう側へ話してる。

 残り2人が5階にいるのなら、核兵器もそこにあるはず。うずくまっている彼にはすこし申し訳ないけど、訓練だもの許して頂戴。

 

「常闇ちゃん確保よ」

「くっ、無念」

『常闇少年、確保により戦闘不能! 以降通信は控えるようにね』

 

 オールマイトのちょっと可愛らしいアナウンスを聞きながら二階へもどると、そこでは津上ちゃんが拍手をしていて少し驚いたわ。きっと衝撃を溜めてるのね。

 

「無事確保成功よ」

「ありがとう」

「お礼を言うのはこちらの方。それと、いい情報を手に入れたわ」

 

 核兵器があるのはこの5階。そして最初の偵察で中が見えなかったのは2部屋。核兵器はこのどちらかにあるはずね。

 そして常闇ちゃんの報告で相手チームに壁抜きが出来ると知られた以上、屋上からの奇襲は通用しないわね。

 

「廊下を通って正面から行きましょう」

「でも廊下は、トラップが仕掛けられてるはず」

「津上ちゃんが居れば大丈夫よ」

 

 津上ちゃんの個性を使えばトラップを無効どころかこちらの攻撃に利用できるから、八百万ちゃんの個性は封じたも同然。

 それを伝えると津上ちゃんは心底驚いた表情でなるほど。と言っていて、相変わらず面白い人だと思ったわ。

 

「自信を持って、貴方の個性は本当に凄いもの」

 

 

 

 

 俺の個性が凄い。蛙吹さんはそう言った。壁を抜いたり、閃光弾を無力化したり、確かにそれなりには使えるんだな、と他人事のように思った。

 けれどそれは人を騙す使い方、人を傷つける使い方、人のものを盗む使い方。それなのに、蛙吹さんはそれを評価する。

 

 以前、この個性を人助けに使おうとしたときは、色んな人に咎められた。けれど今は人を攻撃する為に使って称賛されている。

 不思議な感覚だ、でも嫌な感じはしない。

 

 けれど、このよくわからない感情を理解するのは今じゃなくていい。

 

「急ごうか、時間も無いし」

「ええ」

 

 気付けば残り5分ほど、余所事を長考している時間は無い。

 蛙吹さんの言う通り、俺の個性でトラップを無効化しながら目的の部屋まで直進していく。

 前衛である常闇くんが居ない今、トラップさえ無効化してしまえば、蛙吹さんを止めるものはなにもない。



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アクシデント

(考えなさい、八百万(やおよろず)(もも)! 負けるわけにはいかないのです)

 

 規定時間を半分以上過ぎても動きを見せなかった蛙吹さん津上さんたちヒーローチームが起こした最初の行動は、私達(ヴィラン)チームにとって完全なる想定外でした。

 常闇さんの報告のおかげで、ヒーローチームが全ての罠を素通りしてダミーへたどり着いたのは、壁を抜いて移動をしていたからと判明しました。

 しかし、得られた情報はそれだけ。

 

 報告通り壁を抜かれるのであれば、わたくし一人では防衛しきれないと判断し、この階の廊下を見張っていた峰田さんに戻っていただきました。

 

 それに加え輪をかけて予想外だったのが、トラップとして仕掛けた閃光弾の爆発音が聞こえたにもかかわらず、捕らえられたのが常闇さんの方だけという事態でした。

 音もなく壁を抜き、閃光弾を無効化するという芸当を二人は一体どのように成したのか、今は見当がつきません。

 

「なあ八百万。これ、ヤバイんじゃないか?」

「ええ、分かっています。申し訳ありませんが、峰田さんは階下への警戒を。床を抜かれてしまえばその時点でわたくし達の敗北です」

 

 戻ってきた峰田さんにはドリルで開けた床の穴からファイバースコープを用いて階下の監視を依頼しました。

 床を抜かれてしまえば、ヒーローチームは核兵器に触れ、わたくし達の敗北となってしまいます。なんとしてもそれは避けねばなりません。

 

 壁を抜くという常闇さんの報告は間違いないでしょうから、お二人には壁を抜く手段があり、間違いなくそれは個性を用いたもの。

 蛙吹さんの個性はカエルに関わるものであるのは明らか、その手段は津上さんの個性を用いたものであるとみて間違いないでしょう。

 

 風や衝撃を蓄積して放出する、そんな個性だと思っていましたが、そうでは無く、風や衝撃に限らず物質等も可能であると考えるべきで、それならば先程の奇襲も理解できます。

 

 いえ考えるべきではなく、間違いなくそういった個性なのでしょう。触れるもの全てを蓄積してしまえるそれは、私にとって最悪の相性に他ありません。

 

「峰田さん、常闇さん、申し訳ありません、私は、判断を誤りました」

「ん? どういう事だよ」

 

 私のとった作戦はひとえに時間稼ぎ。

 蛙吹さんの跳躍などの身体能力によって偵察や強襲をされることを考え、ダミーを用意し、無駄足を踏ませる。勿論、そこに至る道中にも罠を仕掛けることで侵攻を妨げ、可能な限り時間を掛けさせるつもりでした。

 

 廊下や階段に設置したトラップはいずれも蛙吹さんの身体能力であれば回避出来る程度に留めて、二人を分断。

 常闇さんは一対一であればいずれにも決して負けないと判断した上で、ダミーの護衛に回っていただき、さらに万一に備え必ず相打ちに持ち込める強力な閃光弾を用意しました。

 蛙吹さんさえ戦闘不能にしてしまえば、個性の準備に時間のかかる津上さんが5階にある本物にたどり着くことは無い。そういう作戦でした。

 

 しかしこの作戦は津上さんの個性が、衝撃や風を手に溜める個性であったらの話、津上さんの個性は盤面をひっくり返すほどの可能性を秘めたものだったのです。

 

「わたくしが仕掛けたトラップは、全てわたくし達に牙を向くことになります」

「だから、どういう事か説明してくれよ」

「時間が無いので簡潔に申し上げます。恐らく津上さんの個性は触れたものを溜め込み放出するもので、それを使い壁に穴を開けてダミーまで侵入したと思われます」

「それで?」

「仕掛けたトラップもその個性で溜め込んでしまえば、あちらの武器として使用できるのです。ご理解いただけましたか?」

 

 このままだと、閃光弾を使われて制圧されるのは時間の問題。

 考えなさい、百、最善を――――

 

「峰田さん、これをつけておいてください」

「ゴーグルにヘッドホンか?」

「ヘッドホンではなくイヤーマフですわ。閃光弾対策です。これらを着けていれば一度で動けなくはならないでしょう」

 

 峰田さんに渡した後、自分の分となるガスマスクを創造。聴覚と視覚が制限されますが、これで同じ空間に居ながらでも閃光弾を起爆出来るでしょう。

 

「私が出た後はドアを個性で塞いでください」

「出るって、どうするつもりだよ!」

「足止めです! 残り3分、必ず死守してみせます」

 

 これは私のミス。私が取り返さなければ。

 

「冷静になれって、二人でこの部屋を守ればいいんだよ。核兵器もこうやって柵で囲ってるんだし、守れば破られるはずねえって」

「お二人が連携して攻めてきた際にわたくし達2人が確保されないとも限りませんもの」

 

 閃光弾に加え、催涙ガス弾、あらゆる手を尽くし、足止めに徹すればいいのです。それも、たった3分。

 

 その決意を込めて部屋を離れる、ここが正念場ですわ。

 

 

 

 

「閃光弾はキープした。早く行こう」

 

 5階廊下を歩いてから既に5個のトラップに足止めを食らっている。

 閃光弾にガス弾、峰田くんのくっつく玉、トラップの材料をあれもこれもキープして無効化しているが、数が多すぎる。

 

「時間が無かったとはいえ、分かりやすいトラップばかりなのは、時間稼ぎが狙いだからでしょうね」

「恐らく、ね」

 

 蛙吹さんの意見に完全に同意だ。

 先程から解除している罠の殆どは、丸見えのワイヤーとその先に繋がっている閃光弾やガス弾で作られた簡単なものだ。

 本来なら常闇くんが誘い込んだり、追い詰めたりすることで十全な働きをするようにしたのだろう。

 

 目的の部屋のうち、1つ目は正面の突き当りにある。そこに核兵器が無かった場合を考えたら眼前のトラップを悠長に解いている暇は無い。

 

「先に行くわ、この距離なら、すぐ追いつけるわよね?」

「ああ、追いつくよ」

 

 同じ考えだった蛙吹さんは返答を聞いてすぐさま張り巡らされたワイヤーを飛び越えた。

 早くこのトラップを解いて合流しなくてはと思い、ワイヤーに手をかけたその瞬間、事態は急変する。

 

「お覚悟を!」

 

 女性の声と小さな爆発音。ワイヤーの向こうを見れば蛙吹さんがネットで捕らわれている。

 それをやったのは――――

 

「「八百万さん(ちゃん)!」」

 

 敵チームの八百万さんがそこには立っていた。ガスマスクのようなものをつけ、手ではロケットランチャーのようなものが煙を立てている。蛙吹さんを捕らえた網はそれから発射されたのだろう。

 こちらがバラバラになるのを虎視眈々と狙っていたのだ。こちらが油断するこの瞬間をずっと……

 

「なんて人だ。全て狙い通りだったのか……」

 

 このまま蛙吹さんが戦闘不能になれば、こちらに勝機はない。

 ならば、今俺が取れる選択肢はこれしかない。

 

「蛙吹さん、伏せてくれ!」

 

 キープした衝撃と峰田くんの玉を左右の手で一度に解放し、八百万さん目掛けて真っ直ぐ発射する。

 

 ワイヤーの隙間を貫いて飛翔する玉は回避行動を取った八百万さんの腕を捕らえ、真後ろの壁に釘付けにした。

 

「すぐに行く! 峰田くんは……!」

「大丈夫、見当たらないわ」

 

 異変に気付いた峰田くんが加勢に来る前に蛙吹さんの拘束を解かなければならない。

 下段のワイヤーとそれに繋がった閃光弾をキープして蛙吹さんの元へ駆け寄り手を伸ばす。

 

「ネットを少し切る、じっとして!」

 

 ネットを一部キープし穴を開けようとしたその時だった。

 

「津上ちゃん、気をつけて!」

「させません!」

 

 何故か拘束の解けている八百万さんが手に持った幾つもの閃光弾を辺りにばら撒いたのだ。

 

「さあ、これだけの数、防げますか!」

 

 数があり、中には手の届かない場所にも転がっている。これら全てを俺の個性で防ぐのは不可能だ。出来るのは目と耳を塞いで被害を最小限に抑えること。

 しかし、ネットで捕らえられている蛙吹さんは手が自由には動かせず、それが出来ない。この量の閃光弾をこの距離で受けたら、タダではすまない筈だ。

 

「蛙吹さん!!」

 

 伸ばした右手を蛙吹さんの眼前で広げる。せめて光だけでもという一心だった。

 

 

 激しい閃光と轟音が辺りを満たす。その中で、蛙吹さんへの心配と敗北の悔しさを強く握りしめていた。

 

 

 最初に目に入ったのは無意識に握られた手だ。続いて耳に入ったのは――――

 

「何故、立っていられるんですの……?」

 

 という八百万さんの驚愕だった。

 あれだけ大量の閃光弾を食らって俺の目と耳は正常に作動している。

 

「津上ちゃん!」

 

 蛙吹さんの呼びかけで意識が戻る。すぐさまネットを個性で千切り、蛙吹さんを脱出させる。

 そこで自身の中に強烈な音と光がキープされていることに気が付いた。無意識で握った手で閃光弾の光と音のほとんどをキープしていたのだろう。

 

「蛙吹さん!先に行って!」

「分かったわ」

「行かせませんわ!」

 

 八百万さんは手のひらから棒を伸ばしこちらに叩きつけた。俺はそれを右手で受け止め、キープしてへし折る。

 その隙を付き蛙吹さんは目的のドアへ飛び出した。

 なんでも生み出す八百万さんには、なんでもキープ出来る俺の個性が天敵だ。

 

「このドア、塞がってるわ!」

 

 対峙する八百万さんの向こうで蛙吹さんが叫んだ。

 

「壁抜きはさせませんわ。あと1分粘らせていただきます」

 

 そう言って八百万さんは体の色んな部分から有刺鉄線を生み出し俺の周囲に張り巡らせていく。

 うねる有刺鉄線の防壁はキープで突破するのは骨が折れるだろう。それに、残り一分、時間がない。

 

「蛙吹さん!窓だ!」

「分かってるわ!」

 

 音を気にする必要のない今であれば窓を突き破ってしまえばいい。蛙吹さんにはそれが出来る。

 後は俺が八百万さんをここに釘付けにしさせすればきっとやってくれると信じて、蛙吹さんが近くの窓を突き破ってビルの外へ飛び出していくのを見送った。

 

「峰田さ……

 

 爆発音で八百万さんの通信を妨害する。恐らく耳栓か何かをつけているのだろうが、マイクが爆音を拾ってしまえば通信は出来ない。

 キープされている爆発音を小出しにすれば、通信を妨害し続けられる。そうすれば蛙吹さんの奇襲の成功率はぐっと上がるはずだ。

 

「通信はさせないよ」

 

 それが俺に出来る最後の役割だ。

 

 そう思い、いつでも音を解放できるよう準備をする。それに対して八百万さんが行ったのはあるものの創造だった。

 カランと乾いた金属音がなり、八百万さんの足元に缶が転がる。

 

「今回は音や閃光のように一瞬で消えるものではありません。さあ、どうされますか?」

 

 缶から吹き出したのは白い煙。ただの煙幕、そう思ったが、鼻や目に微かな痛みを感じその煙の正体を察した。

 

「催涙ガス…!」

「ご明察です」

 

 ここで催涙ガスのキープを始めれば音の放出が出来ない。だが、防がずにまともに喰らえば個性の制御は恐らく不可能。

 催涙ガスのキープを行い続けるしか手段はない。

 

「峰……

 

 催涙ガスのキープを中断し八百万さんの通信を爆音で防ぐ、しかしその瞬間に吸い込みきれなかった催涙ガスが顔の粘膜に襲いかかった。

 目や喉に激痛が走る。想像の何倍もの痛みに個性のコントロールが歪み、さらにガスを吸い込んでしまう。

 

「窓に警戒を!」

「ぐっ!」

「津上さん、確保させていただきます!」

 

 八百万さんの気配がこちらに迫る。

 なんとかしなければという一心でキープされているものを手当たり次第に解放した。閃光やワイヤー峰田くんの玉、閃光弾などなど全てだ。

 

「きゃあ!」

 

 反動の後に小さな悲鳴が上がった。霞む目で正面を見ると、八百万さんが着けているマスクが大きくズレていた。めちゃくちゃに放った何かがぶつかったのだろう。

 

 そのまま落ちていた缶に足を取られた八百万さんはこちらに倒れ込み、それを支えようと反射的に伸びた俺の手は、彼女の胸を掴んだ。

 

「おっ!?!?!?!?」



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訓練終了!

オールマイト視点スタートです。


「終ーーーーーーーーー了ーーーーーーーーーーー!」

 

 戦闘訓練第三試合、蛙吹少女と津上少年のHチームと常闇少年・峰田少年・八百万少女のCチームの対戦は時間をフルに使って行われた。その結果は――――

 

「ヴィランチーム、WIIIIIN!」

 

 先の2戦と大きく異なりかなりテクニカルな展開を見せた第三試合。豊富なトラップを駆使したヴィランチームが最後まで耐えきり見事勝利。

 うむ、見どころの多いこれまた面白い訓練だった。

 

「さあ、講評に移ろう、皆戻っておいで!」

 

 通信機の向こうの生徒たちに呼び掛け返答を待つと、蛙吹少女と峰田少年、常闇少年からはすぐに返答があった。

 残る2人がいる場所の映像を大きく表示し様子を伺う、イヤホンから聞こえるは今のところ咳の音だけ、催涙ガスと言っていたけど大事になっていませんように。

 

 徐々に煙が晴れ八百万少女の姿が微かに浮かび上がる。それに対面していたはずの津上少年の姿は見えない。

 煙から脱した様子はないのでそのまま観察を続けると、丸くなって床に伏せている津上少年が煙の中から現れた。この姿勢、煙を防いでいるのではないな。これはもしや――――

 

「「「「「『土下座!!?』」」」」」

 

 お手本みたいな土下座だ、だが一体どうして土下座なんてしたと言うのだ。

 

「津上少年、一体どうしたんだい?」

『ドザグジャ゙ニ゙マ゙ゲェ゙レ゙デヴェ゙ン゙ダイ゙ゴヴイ゙ニ゙オ゙ヨ゙ヴィ゙モ゙ヴジヷゲア゙リ゙マ゙ゼン゙』

「…………なんて?」

 

 うん、何を言ってるのかサッパリで、何が起きたのかもサッパリだ。

 

『事故ですので、どうかお気になさらないで!』

『デボォ゙ッ゙……!』

 

 事情を把握している八百万少女の言葉に反応して津上少年が顔を上げる。津上少年の目はストーブの上に置いたお餅くらいに腫れ上がっており、そこからおびただしい量の涙が流れ出ている。

 こっちのほうがよっぽどトラブルじゃないか!

 

『目が! 大丈夫ですか、津上さん』

『ダイ゙ジョ゙ヴブ』

『何か有ったの?』

『おい、どうしたんだよ八百万』

 

 通信機越しに異常を察した蛙吹少女や峰田少年がそう言った。彼女たちが廊下に出てしまったら残っている催涙ガスで二次被害が出てしまうだろう。それは避けねば!

 

「ガスが充満している、皆そこを動かないようね」

 

 それだけ伝えて返事を待たずにモニタールームを後にする。少し急げば20秒とかからない距離だ。

 

 そのままノンストップで建物の5階へ飛び、津上少年らの居る廊下に面した窓に向かい――――

 

「TEXAS SMASH!!」

 

 衝撃波による突風で建物内からガスを追い出して、ビルに突入した。

 そこには八百万少女と、膝をついている津上少年が先程見たままの姿で居た

 

「ハーッハッハッハッ、もう大丈夫、私が来た! からね!」

 

 驚きの表情を浮かべる少年少女。津上少年の腫れる目が私を捉えると驚愕から苦悶へと表情が変わっていく。

 催涙ガスを受けてさぞ辛いだろう、すぐにリカバリーガールのところへ連れていって上げなくては。滝のように流れる涙は私にそう思わせるのに十分だった。

 

「オ゙ールマ゙イト、俺、ゼグバラ゙で除籍デズガ」

「じょ、除籍?」

 

 津上少年の言葉も直接聞けば意味が理解出来る。しかしセクハラで除籍とは、煙の中で何かしらデリケートなアクシデントが起きたのだろう。

 ちらりと八百万少女へ目配せすると視線を泳がせて腕を胸元に添えていた。大体何が有ったか理解できたぞ。

 

「アクシデントさ、八百万少女もさっき気にしないでいいと言っていただろう。こう言うのは被害者さえ許せば問題にならないんだ。どうかな?」

「津上さんは転倒したわたくしを支えようとしてくれただけでしょうし、感謝こそすれ非難なんて致しません」

「ほら、ね?」

 

「ア゙リ゙ガドヴゴザイ゙マ゙ズ!!!」

 

 除籍を免れた感謝の慟哭と共に津上少年の涙が水溜まりが出来かねない勢いで流れる。もしかして相澤くんの合理的虚偽が尾を引いてるんじゃないかと少し心配になる。

 いや、そんな事より今は少年を保健室に運ばなくては。

 

「津上少年、リカバリーガールのところへ行っておいで」

 

 うずくまる津上少年を両手で横抱きにする。すみませんと泣きながら言う少年の顔は間近でみるとより痛々しい。

 このまま仰向けにしてたら自分の分泌液で溺死してしまいそうで、早くハンソーロボに預けリカバリーガールのところへ連れていってもらわないと。

 

「さあ、残る3人もモニタールームに戻って講評の時間だ!」

 

 

 

 

「お大事にね」

「ありがとうございました」

 

 リカバリーガールの手当を終え、保健室を後にする。

 目や鼻、喉の粘膜をこれでもかと洗われ、あっという間に手当は終了した。少し経てば腫れも収まり、未だ若干のかゆみは残るものの隣で横になっていた緑谷くんに比べればなんてことない状態だ。

 

「はあ、勝てなかった……」

 

 今回の訓練を振り返ると、反省点が幾つも出てくる。

 穴を開けたりトラップを無効化したり、それなりには働けていたと思うが、それもこれも蛙吹さんの助言のお陰だ。

 それに道中のトラップも蛙吹さんと同じような動きができればもっと迅速に突破可能だったし、最後の通信を阻止出来ていれば蛙吹さんは奇襲に成功していただろう。

 

 自分の個性のコントロールが全然なっていない。少し調子が悪くなっただけで解放のコントロールが出来なくなったし、キープしながらリリースとか、右と左で別々の動作が出来てない。などなど課題は山積みだ。

 

 そんなこんな考えながら教室の前へ行くと、中が何やら騒がしい。誰が残っているのだろうと扉に手を伸ばしたその時、扉が勢いよく開いた。

 

「爆豪くん!今帰りか」

 

 扉の向こうにいた爆豪くんに声をかけたが反応はなく、こちらを一瞥して足早に教室を去っていった。

 何か思いつめているようで少し心配だ。

 

「お、津上。もう大丈夫なのか?」

「すっかり元通りさ、心配ありがとう、切島」

 

 爆豪くんを目で追っていた俺は、クラスの中からの切島の呼びかけで振り向いた。

 

「皆で反省会やってんだけど津上もどうだ?」

「ありがたい、俺も少し考えてたんだ。参加させてもらうよ」

 

 切島の手招きにしたがって教室に入る。未だ痒む目をまばたきを繰り返して誤魔化しながら、教室内を流し見る。どうやらほとんどのクラスメートが残っており、幾つかのグループに分かれて話していた。

 大体が訓練の組み合わせらしく、峰田くん常闇くん蛙吹さん八百万さんが固まっている。

 

 蛙吹さんと八百万さんとは顔を合わせ辛い。俺のせいで負けてしまった蛙吹さんは勿論、事故とは言え胸を触ってしまった八百万さんとは一体どう接すればいいのだろうか。

 どう声を掛けたものかと悩んでいたら、こちらに気付いたのか蛙吹さんがグループを離れて歩み寄ってきた。

 

「あら、津上ちゃん。 もう大丈夫なの?」

「あ、ああ! 心配ありがとう、蛙吹さん」

「良かったわ。それと、私のことは梅雨ちゃんと呼んで」

 

 梅雨ちゃん、下の名前でしかもちゃん付け。そんな親しげな呼び方をした人はかつて居ただろうか。少し抵抗があるが、本人がそう呼ばれる事を望んでいるのだから無下にはできない。

 

「分かった、これからは梅雨ちゃんと呼ぶよ」

「嬉しいわ」

 

 蛙す……梅雨ちゃんの朗らか笑顔に、先の訓練での申し訳なさが沸き上がってくる。

 

「さっきの訓練、俺がしっかりしてれば勝てたのに、本当に申し訳ない」

「それを言うのは私の方よ、何度も助けて貰ったもの。ありがとう、とっても助かったわ」

 

 「さ、行きましょう」と続けて梅雨ちゃんはさっきまで居たグループへ戻っていく、せめて有意義な反省会にしようと決意を持ってその輪に加わる。

 峰田くん常闇くんと簡単に挨拶を交わして、最後に曇った表情の八百万さんと目が合った。

 

「津上さん、その……お体の方は……」

「大丈夫。うん、大丈夫。……心配かけて申し訳ない」

 

 ぎこちない八百万さんの言葉にぎこちなく返す。訓練の場、オールマイトの前では許すように言っていたが、やはり俺に胸を触られたのは不快だったんだろう。

 今でも鮮明に覚えている、八百万さんの胸の感触を……ああ、こんな事を思い出すなんてやっぱり俺は裁かれるべき変態なんだろう。

 

「八百万さん、あの時は――――

「そうだ、オイラそれを聞きたくて残ったんだよ……全て吐いてもらうぜ、感触から臭いから何から何まで!」

 

 俺の言葉を遮って峰田くんは全て知っているようだ。俺の罪を白日の下に晒し然るべき罰を与える為にこの場に残った、悪を見逃せない彼は紛れもなくヒーロー志望なのだろう。

 常闇くんも俺の考えすら見通しているような鋭い視線を向けている。

 

「先程お話しした通り、津上さんの攻撃が私の顔に当たってしまった事に対するお詫びですわ」

「一方の証言じゃあ真実は見えてこないだろ? ほら、津上教えてくれよ、何がどうなってたのか」

 

 八百万さんが吐いた嘘を看破した峰田くんの追及の矛先は俺に向けられた。素晴らしい洞察力だ。

 観念し真実を明かそうとした俺は別の言葉に遮られる事になる。

 

「峰田ちゃん、最低よ」

「蛙吹の言うとおりだ、止さないか峰田」

「うるせー! 常闇、お前だって興味津々で津上の事見てたくせに!」

 

 何故かは分からないが梅雨ちゃんと常闇くんは真実を話すことに否定的だ。そもそも八百万さんが嘘を吐いた理由は一体何だったのだろうか。

 

「そこまで言うのでしたら、お聞きしましょう。津上さん、土下座していたのはわたくしへの直接攻撃に対する謝罪という事で間違いありませんね?」

 

 八百万さんの強い眼差しは俺に肯定しろと強く念押ししている。

 そうだ、俺が変態行為を告白すればそれは八百万さんが辱しめを受けた事の証明になる。それは避けねばならない。

 

「八百万さんの言うとおり、あの謝罪は個性のコントロールが乱れて顔に向けて攻撃したことに対してやったんだ。決して胸を触ってしまったからじゃ――――

「おまえええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」

 

 慟哭、いや、咆哮だろうか、峰田くんの強烈な叫びは耳をつんざき教室中に響き渡った。その声でクラスメイトの視線は一気に俺たちに集中する。

 当の峰田くんは血の涙を流しながら手をワナワナさせている。一体何がそうさせるのか。

 

「津上ちゃん、嘘が下手ね」

「全くだ」

 

 蛙吹さんと常闇くんが呆れたような口調で言った。嘘であることが露呈した、つまり八百万さんが俺の手で汚された事が白日の下に晒されたということだ。

 なんとか八百万さんの名誉を守らなければと思考を張り巡らせるが、俺の言葉を待たず八百万さんが口を開く。

 

「体勢を崩した私を支えてくださった、それが事実ですわ。 津上さんには貴方のような下心はございません」

「何を言うかと思いきや、男は誰もが下心を持ってるんだよ! そうだろ津上ィ!」

「あ、ああ……」

 

 紛れもない事実だ。現に俺は八百万さんの胸を意識してしまっている。

 

「津上、ことここに於いて誠実さは無用ではないか?」

「だが、事実なんだ、今も八百万さんを見るとどうしても意識してしまう。……本当にすまない」

「ほら! こいつがよくてオイラはダメ、それは差別じゃないのか?」

「甚だしい詭弁だな」

「峰田ちゃん、最低ね」

 

 常闇くんはどうやら俺をかばってくれるようだ、そんな事をしては常闇くんの立場も危うくなってしまう。

 

「うーん、私は、峰田ちゃんはともかく津上ちゃんならそういう事されても気にしないわね」

「「「!?!?!?!?!?」」」

 

 What's the fXXk!? 梅雨ちゃん今とんでもないことを言わなかったか?

 

「変な意味じゃないわ、そうなったとき津上ちゃんなら心からお詫びをしてくれるもの。今みたいに」

「そうですわ。津上さんの誠意を感じたからこそ私も気にしないと言ってるんです。峰田さんが表面上同じ事をしても無駄ですわ」

「人徳の差だ。諦めろ峰田」

「チクショオオオオオオオオッ!」

 

 人徳の差、誠意を感じた。梅雨ちゃんも八百万さんも常闇くんもそういう。少し誇らしくて、少し申し訳ない。

 どんな表情をしていいか分からず、いつものように笑顔を作ってありがとう。と小さく言った。

 

「さあ、かなり脱線いたしましたが反省会に戻りましょう」

 

 手を叩いて八百万さんが場の空気を変える。そうだ、反省会をするためにここに残ったのだった。

 

 

 

 

 そのまま今回の訓練の流れとそれぞれの作戦について話を進めていく。

 俺以外の4人は訓練の直後モニタールームで映像を見ており、前半はほとんど俺に対しての説明の時間となり、手間をとらせてしまって申し訳ないと度々謝ることになった。

 

 

 その後、グループを崩した雑談のような状態に移行し多くのクラスメイトと言葉を交わした。

 

 その中で度々話題となったのが俺の個性についてだ。

 

 だいたいの内容は「便利そう」とか「汎用性が高い」とか「どんなものがキープできるか」で、この個性が好意的に捉えられていて戸惑ってしまった。

 中でも壁抜きに興味を持つ人が多く、目の前の飯田くんと麗日さんを含め何度も説明する事になった。

 

「抜くのだったら出来るけど戻せないから、今は見せられないんだ、ごめん」

「謝る事はない、備品を壊すのはルール違反だからな」

「だったらさ、八百万さんに適当な板を作ってもらってやるのはどうだろ?」

 

 その麗日さんの提案に一緒に居た飯田くんも名案だと同意して、すぐさま八百万さんのところへ行って板を創造してくれるよう依頼をしてくれた。

 

「話は伺いました。わたくしも拝見したかったので喜んで創造致しますわ。板の大きさは20センチ四方、厚さは5ミリ、材質は塩化ビニルでよろしいでしょうか?」

「手のひらより大きければ、後はお任せで」

「かしこまりました」

 

 そう言って八百万さんは袖を捲り、腕から板を創造してこちらに差し出した。

 

「ありがとう」

 

 板を受け取ってその中央に右手を添える。そのまま手に力を込めて行くと僅かな抵抗が有った後するりと右手が板を貫いた。

 手の形通りに抜けた穴が円形になるように縁を指先でなぞり削っていく。それを終えて、円形にくり抜かれた四角い板とくり抜いた円盤をそれぞれ眼前に掲げた。

 

「なるほどー、面白いね」

「これなら閉所に閉じ込められた人も簡単に救出できるな」

「思っていたよりもゆっくりなんですね」

 

 くり抜かれた板をまじまじと見ながら3人が感想を思い思いに口にしている。

 

 

「まだ残ってたのかお前ら。もう最終下校時刻だ、さっさと帰れ」

 

 背後からした声に振り向くとそこには相澤先生が立っていた。どうやらかなり話し込んでしまったようだ。

 相澤先生の指導にのっとり飯田くんが皆に帰るよう促す、飯田くんは率先して皆に声を掛けられる素晴らしい人だ。

 

 みんなと一緒に荷物をまとめ、教室を後にしようとしたとき相澤先生に引き留められた。

 

「津上、明日は7時44分だ。忘れるなよ」

 

 相澤先生が短く言ったそれが家に寄ってくれる時間だと少ししてから理解して、強く返事をした。

 

 その後、昨日と同じようにクラスメイトと一緒に下校をする。色々有ったけど、楽しい一日だった。




第二章、これにておしまいです。

津上のトラウマからくる個性使用に対する抵抗感、図らずもそれを薄めたのは初めての訓練でパートナーとなった蛙吹梅雨ちゃん。
ちょっとアレでもやっぱり思春期の津上くんは八百万さんへのラッキースケベを忘れられない。そのことで峰田くんは敵対心をもったり持たなかったり。
常闇くんいいとこなくてごめんね。

次回、委員長決め。


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第三章 決めろ委員長
忘れじ過去


感想をいただけることがこんなに嬉しいことだとは知りませんでした。読んでいただきありがとうございます。

初めて訓練を終え、梅雨ちゃんと仲良くなり、八百万さんに狼藉を働き、峰田くんに羨ましがられたり、常闇くんに一目置かれた津上くん。
充実した高校生活をスタートした彼は、夢を見る。彼の原点とも言える出来事の夢を。


『これで全部だ、偉いぞ。保』

 

『保はきっと立派な■■■■になれるわ』

 

 もうキープしていられないよ。こんなに入らない。体が重くて痛いよ。

 

『いいか、これから警察とヒーローが来る。ほんの30分我慢してくれ』

 

『じっと手を握って待ってなさい。終わったらお寿司を食べに行きましょう』

 

 痛いんだ、手のひらが千切れちゃいそうだよ、お父さんお母さん。

 

『ごめんね、でも、貴方にしか出来ないの』

 

 出来ないよ、もう限界なんだ。半分だけでも出したい。

 

『我慢するんだ。保なら出来る』

 

 

『ようやく突き止めたぞ! 連続窃盗犯、Mr.……』

 

『誰の許しで入ってきてるんだ! ここは俺達の家だぞ』

 

『窃盗犯だなんて言いがかりです!』

 

 

『とぼけても無駄だ、許可状も出てる。家を改めさせてもらう』

 

『仕方ないですね、ヒーローや警察に協力するのは市民の役目ですから』

 

『子供と一緒に外食に行く予定なんですから、早く終わらせてください。そういうの得意でしょう? ターボヒーロー』

 

 

 ああ、ごめんなさいごめんなさい、もうだめだ。ごめんなさい

 

 

 

 

「……夢、か」

 

 嫌な汗で濡れたシャツが体にまとわりつく不快感で目を覚ました俺は激しい動悸を深呼吸して落ち着ける。

 久しく見ていなかった夢だ、俺の人生の全てが変わったあの日の夢。

 

 何も知らなかった俺の失敗によって、家族が崩壊したあの日。

 

 キープしきれなかった宝石や貴金属、紙幣に押しつぶされる俺が最後に聞いたのは両親の声だ。

 記憶に残った両親からの最後の言葉は「この役立たず」「お前のせいだ」。

 

 きっと、今の楽しい雄英生活が、楽しかった家族との日々の終わりを夢に見せたのだろう。俺の罪を忘れるな、と。

 

 

 

 ◇

 

 

 じっとりとした寝汗をシャワーで流したり、昼食となるおにぎりを用意したりしてる内に気付けば相澤先生との約束の時間になっていた。昨日の訓練の疲れのせいで、いつもより眠りが深く、長く寝てしまったのも原因のひとつだろう。

 

 

 そして現在、通学路を相澤先生の背を追って普段より重い足取りで歩いている。

 足取りが、と言うより体が重いのは相澤先生が道中で買いすぎたらしいゼリー飲料をキープしているからだ。

 

 もちろん雑用ではなく、これは訓練の一環だ。

 

「津上、マルチビタミン────緑のを出せるか?」

「はい、少し待ってください」

 

 目を閉じてキープしているものに意識を向ける、指定された緑のパッケージがぼんやりと頭に浮かんできたのに合わせ右手から出すイメージをする。

 そうして目を開けると、右手にはイメージ通りのマルチビタミンと書かれた緑色のゼリー飲料がひとつ握られていた。

 

「これでいいですか」

「ああ、仕舞ったり出させたりで悪いな、朝飯食いそびれたんだ」

 

 差し出したゼリー飲料を受け取った相澤先生は手早くそれを開封して一気に飲み下した。10秒チャージどころか1秒も掛かってない、さすがは相澤先生だ。

 ゴミを預かる為に黙って手を伸ばすと、意図を察した相澤先生がまた「悪い」と言って俺の手に空の容器を乗せる。そのまま握りつぶすように空き容器をキープした。

 

 意識を体内────と言っていいかは分からないが、キープしているものに傾ける。今キープしてるのは、ゼリー飲料の青5つ、緑4つ、赤5つ、紫5つ、黄色5つ。空き容器1つ。次は指定されたものをすぐに出せるようにイメージを整理しておこう。

 ついでに、通学用のカバンも丸々キープしている。これも相澤先生の指示で、昨日の訓練を映像で見たところ、俺の個性の練度が抜きん出て低いらしく、とにかく使う事が重要だと言われたからだ。

 

 周りに言われてから使うようではダメで、自分の個性をどう使うのが最も効果的か即座に判断出来なくてはヒーローは務まらない。そのためには自分の個性を正確に把握すること、つまり個性を使い慣れる事が重要と、相澤先生は言っていた。

 

「どうやって色を判断したんだ?」

「と、いいますと?」

「キープしているものはどうやって知覚してるか聞いたんだ、映像が見えるのか、頭の中でリストアップされてるのか、どうなんだ?」

「ええと……」

 

 どう説明すべきだろう。意識を向けるとイメージが浮かび上がるなんて漠然な説明で良いのだろうか。そうか、そういう部分の説明も出来るようになれという事か。

 今はとりあえずありのままを話すしかないだろう。

 

「意識すると、イメージが浮かんでくるんです。イメージがはっきりしたものはこんな感じで手から出せます」

 

 手元には青いデザインのゼリー飲料。

 

「なるほど。なら正確にイメージして素早く出し入れが出来るように訓練を続けろ、現場ではその一瞬が生死を分ける。お前も、その周りもな」

「分かりました」

 

 気合と共にゼリーを握りしめキープする。正確なイメージを素早く、それなら普段から訓練できそうだ。

 

 ────青、緑、赤、紫、黄、ゴミ、カバン。頭の中でイメージを整列させる。何をどのくらいと指定されても今なら一瞬で出せるはずだ。

 そうやってイメージトレーニングをしていると、いつの間にか学校の前まで着いていた。昨日よりも遅い時間だからか人影が多い。

 

「マスコミか……掴まったら面倒だ。立ち止まるなよ」

「マスコミですか?」

 

 人だかりを注視すると学生服の人間は一人もおらず、多くの人がカメラを抱えていて相澤先生の言う通り報道関係者なのが見て取れる。こんな朝早くに一体何が目的だろうか。

 

「大方、オールマイトに関する取材だろう。No.1ヒーロー、平和の象徴は話題になるからな」

 

 なるほど。相澤先生の言う通り、オールマイトが目当てなのだろう。だから、きっと俺にカメラが向けられる事なんて無いはずだ。

 大丈夫、普段どおりしてればいい。もし声を掛けられても適当に挨拶をすれば大丈夫。大丈夫だ。

 

「おはようございます、イレイザーヘッド」

「……よくご存知で」

 

 前を歩いていた相澤先生に壮年の男性が声を掛けた。反射的に相澤先生の影に入って男性から身を隠してしまった。これでは却って怪しいかもしれない。

 それでもきっと相澤先生に用があって声を掛けたはずだから、俺には見向きもしないと思ったのだが、不自然な動きを取ったためか男性は身を乗り出して俺へ視線を向けた。

 

「そちらに居るのは、ヒーロー科の生徒さんですか?」

「は、はぃ……」

 

 男性の視線に萎縮し、小さな声で答えた。堂々としなければ怪しまれると思ってはいるが、体は言うことを聞いてくれない。どうしてもマスコミは苦手だ。

 

 

 ◆

 

 

 両親が逮捕され、叔父にあたる人の四人家族に引き取られた俺は、1年ほどは比較的穏やかな日々を過ごしていたと思う。

 両親と再び会える日を信じていた俺を、叔父たちは何も言わず静かに見守ってくれていた。

 

 しかし、その平穏はマスコミが切っ掛けで崩れていく。家や学校近くに現れたマスコミが取材を進める中で俺が(ヴィラン)の子であることが周りの人間に知られていったのだ。

 その事実を知った人たちは俺を避けるようになる。最初のうちは嫌疑の目を向けられる程度で済んでいたが、真実を知る人数が増えるに連れ段々とその目は深く暗くなっていき、中学に入る頃には何かしらのトラブルが起きる度に容疑者として真っ先に名前が上がるようになってしまった。

 弁明をしても殆ど意味を成さなかった。父親が犯罪に使っていた個性とよく似た俺の個性は物を隠すのに長けており、連続窃盗犯である親と同様に巧妙に隠しているだけだと判断され疑いの目は日に日に強さを増していく。

 

 そうして望まないトラブルに巻き込まれ続ける俺は叔父夫婦に多大なる迷惑を掛け、謝り続ける生活を送っていた。けれども叔父たち──新しい家族はそんな俺に気にしなくていいと、許し慰め続けてくれた。

 その心遣いが俺をどれだけ助けてくれただろうか。

 

 けれどそれも、(ヴィラン)予備軍を匿う反社会的一家という滅茶苦茶なレッテルを貼り付けてきたマスコミのせいで壊され、叔母は心を病んでしまった。

 悔しかった、何も出来ない事がこの上なく悔しかった。だから、俺は自分の時間全てを使って反(ヴィラン)的行動、つまり人助けを主とする善行を行い続けた。俺を育ててくれた両親は間違っていない事を証明し続けるために。

 

 

 そんなこんなで、俺はマスコミの事が苦手で、大嫌いだ。

 

 

 ◆

 

 

「その……記者の方ですよね? 沢山いらっしゃってる様ですが、何か有ったんですか?」

 

 意を決して堂々と俺を見つめる記者に言葉を返した。

 いつまでも質問されっぱなし、やられっぱなしでは居られない。

 

「皆目当てはオールマイトさ。そうだキミ、オールマイトには会えた?」

「ええ、昨日授業を受けました」

「ほう、どうだったかな、感想は?」

 

 このままオールマイトの話をすればきっと追求は俺には向かない。相手が満足する情報を与えればこの場はそれで済む。そう考えて言葉を探していると、記者の顔が相澤先生の背で隠された。

 

「すいませんが、急いでるんで」

「イレイザーそんな殺生な。ね、キミ一言でいいから感想聞かせてよ」

 

 俺と記者の間に入った相澤先生の様子を伺うと、一言だけくれてやれ、と言ってるように見えた。記者の男性もメモを構えてじっとこちらを見ている。

 一言、オールマイトの授業を一言で表すと。

 

「イメージ通り、コミカルでした」

 

 現実感なくて、笑いどころが多かった。まさしく画面の向こうで見たオールマイトそのものだ。

 

「そうか、協力ありがとう」

 

 手帳を閉じた記者が握ったペンを軽く掲げる。軽く会釈を返して、言葉もなく歩き始めた相澤先生の後を追う。

 無事切り抜けられようやく人心地ついた。

 

 校門の近くでカメラのセッティング等をしている記者の方々に一瞥を加えた相澤先生がボソリと呟く。

 

「面倒なことにならなければいいが」

 

 それに釣られてか、俺もなんだか嫌な予感がした。

 

「ここまで持たせて悪かったな、もう大丈夫だから全部寝袋(ここ)に出してくれ」

「わかりました」

 

 校舎前に着いた俺に相澤先生がそう言った。それに従って口を広げられた寝袋に次々と預かっていたゼリーを入れていく。

 

「これで全部です」

「じゃHRでな。それまではイメージトレーニングでもしておけ」

「はい、ありがとうございます」

「礼を言われることじゃない、俺はお前の担任だからな」

 

 背を向けて相澤先生は昇降口とは別の方角と歩いていく。その背が見えなくなるまで見送って俺も校舎へと足を踏み入れた。



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レッツ投票

「ホームルームの本題だ。急で悪いが今日は君たちに」

 

 いつもどおり時間ピッタリに現れた相澤先生は昨日の訓練について軽く触れてからそう口にする。

 また臨時のテストかと身構え、クラスの皆も固唾をのんで続く言葉を待った。

 

「学級委員長を決めてもらう」

 

 相澤先生の口から出たのはこの上なく普通の学校っぽい内容だった。

 

 学級委員長、書類上クラスのリーダーとなるその役職は往々にして面倒事を引き受ける誰もやりたがらない役職だ。

 中学時代に何度か推薦されたことがあるが、あまりにも人望が無い俺は結局学級委員長になることは無かった。

 

 求められるのは最低限の人望、今なら、俺のことを皆が知らない今なら特に問題なく決まるだろう。

 面倒事を引き受ける、そんなつもりで立候補しようと思ったが、すこし迷った俺よりも先に切島を筆頭に活発なクラスメイト達が一斉に手を上げた。

 

 予想外の事態に少し驚いたが、ここはヒーロー科。面倒事や皆が嫌がる事を率先してやれる、そんな素晴らしい人たちばかりなのだから当然だとすぐに理解した。

 ならばこそそんな人達にやらせる訳にはいかないと周りを説得しようと思った矢先、飯田くんの声がクラス中に響いた。

 

「静粛にしたまえ!多を牽引する責任重大な仕事だぞ!やりたい者がやれるモノではないだろ。周囲の信頼あってこそ務まる聖務!民主主義にのっとり真のリーダーをみんなで決めるというのなら」

 

 俺の認識は間違っていた事を痛感させられる。中学の頃とは違って、学級委員長は名実ともにクラスのリーダー、面倒事を押し付けるような人間の居ないここでは本来の意味の学級委員長ということになる。

 であれば俺は立候補するべきではない。俺以外の誰がなっても差し支えないと思いながら、それを気付かせてくれた言葉の主を見る。

 

「これは投票で決めるべき議案!!」

 

 誰よりも真っ直ぐに伸びる手は学級委員長への意欲を表していて、そんな彼がこれまで見せた投票を提案する公平さや思慮深さに訓練でも率先して疑問をぶつけていた姿を思い出し、飯田くんこそ学級委員長に相応しいと俺は思った。

 

「そんなん皆自分にいれらぁ!」

「だからこそここで複数票を獲った者こそが、真にふさわしい人間という事にならないか!?」

 

 なるほど、この短期間で信頼を勝ち取った人間なら間違いない。きっと多くの人が飯田くんに入れるはずだ。

 

「どうでしょうか? 先生」

「時間内に決めりゃなんでもいいよ」

「ありがとうございます」

 

 きっと先生も結果が見えているのだろう。寝袋に入って仮眠する気満々のようだ。

 

 

 ほどなくして全員が投票を終え、すぐに開票し集計する。勿論それを行ったのは飯田くんだ。その結果……

 

「僕、3票!?」

 

 驚きの声を上げた緑谷くんが得票数3で1位となった。2位は、2票獲得した八百万さん。俺と同じく何人かはこの結果に驚いているようだ。

 飯田くんの獲得票数は俺が入れた1票のみで、俺以外の誰も彼に投票しなかったらしい。しかしそれ以上にあることが気になった。

 

「……俺に、票が入ってる?」

 

 そう、誰かが俺に間違えて投票しているのだ。

 書き間違いか、或いは集計ミスか、たった1票とはいえこの1票があれば結果は大きく変わってくる。

 

「投票のやり直しを要求する!」

「やり直し? なんかミスったのか、津上」

「切島、いや、俺じゃないんだが……誰かの書き間違いか、集計ミスかは分からない、だが票が誤って俺なんかに入ってしまっている。こんな事はあり得ない!」

 

「「「自己評価ひっく…!!」」」

 

 俺のやり直し要求に対するクラスメイトの反応はいかにも困ったかのようなものだった。

 俺に入った1票で全員に手間をかけるのは確かに面倒かもしれないが、今後を左右する大切な役職だ、ミスは無くしたい。

 

「いいかしら」

 

 しなやかな指が伸びた大きな手を上げながらそう言ったのは、蛙吹梅雨ちゃんだ。彼女とは昨日の訓練でペアになり少しだけ縁がある。

 俺に向いていたクラス中の視線はそのまま梅雨ちゃんに移り、次の言葉を待った。

 

「津上ちゃんに投票したのは私、決して間違えた訳じゃないからやり直ししても時間の無駄よ」

「それは……本当に?」

 

 驚く俺の目を見て梅雨ちゃんは強く頷いた。間違いでない、という事は彼女は俺が学級委員長に相応しいと思ったということだ。

 誇らしく思うが、彼女は俺の事を誤解してる。俺にリーダーなんて不相応だ。

 

 雑務ならこなす自信はある、けれど皆を導くことは俺には無理だ。投票してくれた梅雨ちゃんには申し訳ないが、つまり今のこの結果が最良なのだと思う。

 

「それじゃ。学級委員長は緑谷、副委員長は八百万だ」

 

 相澤先生の宣言にパラパラと拍手が上がる。気合十分そうな緑谷くんとクールに立つ八百万さんの姿を見て、2人なら学級委員の仕事をつつがなく全うできるだろうという確信を持った。

 ホームルームの終了を告げて相澤先生が教室を後にする。1限目の授業の準備をしながら隣の席の緑谷くんをみやると、彼はみなぎるやる気に全身を小さく震えさせている。

 

「委員長就任おめでとう、もし困ったことが有ったらすぐに手伝うから何でも言ってくれ」

「う、うん。ありがとう津上くん」

 

 その時の緑谷くんの表情は、少し強張っていた。

 

 

 

 

 午前中の授業も終わり、昼休み、昼食の時間だ。

 昨日と同じくグラウンドで風を感じながら昼食を取ろうと外に出てきた訳だが、校門の向こうにマスコミ達が朝に見た時よりも大人数で騒いでいるのが見え、少し身構えてしまった。

 

 マスコミの目当てはオールマイトだと言っていたが、クラスメイトの中にはインタビューと称してあれこれ質問され、かなりの時間拘束された人も居るらしく、無意識で足は校門から遠のいていった。

 

 グラウンドに行くとサッカーをしている生徒の一団が既に縦横無尽に駆け回っており、砂埃を避けて端の方に腰掛けた。

 

 サッカーとは言ったが個性を用いた立体的なアマチュアのものでもかなりの見応えがある。

 3分ぐらいボールが地面に着かない空中戦が繰り広げられたと思ったらドリブルしながら地面に埋まっていく地中戦が始まり、キーパー同士のスナイピングシュート合戦、見てて飽きない内容だ。

 

 そんな個性を活かしたスポーツを眺めて居た俺はふと、膝の上で広げたおにぎりに目を向ける。うめ、おかか、ふりかけの入った外見のほとんど変わらないそれらは、今朝相澤先生に言い渡された個性の訓練にちょうど良いように見えた。

 集中してイメージする。どれがどれかは作った自分さえ見ただけでは分からないが、それでもなんとなく梅っぽい感覚がするおにぎりをイメージして右手を開く。

 

 一口食べる。ベタッとする米の中に確かな酸味を感じる。食べたところを見れば中から梅干しが顔を見せていた。

 

「意外に、出来るもんだな」

 

 そう思って次はおかかっぽいイメージのおにぎりを取り出す。一口食べて感じるのは焼き肉風味。残念ながらこれはふりかけだ。

 

「運が良かっただけか」

 

 残った3つ目は特にイメージをせずに取り出す。今キープしてるのはこれだけで、間違えるはずはないからイメージは省略しても問題ない。

 かじった中からは勿論おかかが姿を現した。

 

(食べ終えてから次のを出せば良かったな)

 

 手に持った食べかけの3つのおにぎりを見てそう思った。

 

 

――――ビィィィィ!

 突如校門の方から鳴った警報に驚いて振り向いて目を凝らす。さっきまでマスコミの集団が集まっていた校門が重々しいシャッターで封鎖されているのが見えた。

 そう言えば、ホームルームで相澤先生が軽く触れていた気がする。厳重な警備があり部外者が侵入することはまず無いと言っていた。きっとあのシャッターは警備の一部なのだろう。

 

 一安心して視線を元に戻すとおにぎりが手元から消えていることに気がつく。地面に落ちて砂まみれなったおにぎり3つを見て、やっぱりマスコミは嫌いだと一人勝手に責任転嫁した。

 

 

 

 午後の授業も受けるなら腹ごしらえは必須だ。砂まみれのおにぎりをゴミ箱に捨てながら、食堂の位置を記憶から掘り起こす。

 雄英の学食は内外問わず、安い美味い早いと高い評価を受けているとパンフレットか何かで読んだ気がする。

 

 食堂はさっきまで居た場所から直ぐ側にあり、迷う時間すらなく食堂に到着した。

 食堂内は人でごった返しており、その雰囲気に少したじろぎ、特に意味もなく遠回りを選んでしまった。

 

「あっ、津上くん」

 

 不意に掛けられた声の元へ振り返ると、緑谷くんが飯田くん・麗日さんと同席して食事をしていた。

 

「あれ、さっきグラウンドでおにぎり食べてなかった?」

「そうだけど、麗日さんはどうしてそれを?」

「並んでる途中でちらっと見えて、なんかいいなあって思って」

「雄英は緑が多いから風が気持ちいいんだ。砂埃がちょっと気になるけどね」

 

 むしろそれさえ無ければ今の季節は食事するのにこの上ないロケーションだと思えるくらいだ。

 

「二食目かい? あまり食べ過ぎると却って辛くなるぞ」

「恥ずかしながら、持ってきた弁当ひっくり返しちゃってさ」

「あちゃー、そりゃ災難だ」

 

 すこし大袈裟な麗日さんの身振りは同級生なのに何処か小動物的可愛らしさを感じる。話のついでにおすすめのメニューを聞いてみた。

 

「おすすめって言われてもまだ2回目だからなぁ、あっ本日のおすすめメニューで良いんじゃないかな」

「俺と緑谷くんも昨日今日と同じメニューしか食べていないから公平な判断は出来ないぞ、津上くんの好みも知らないからな」

「あ、でもランチラッシュなら何でも美味しいんだ! アレルギーとか有れば対応してくれるから、何でもおすすめだよ」

 

 幾つかの助言に納得しながら耳を傾けていると、紆余曲折を経て3人がある結論に到達した。

 

「「「白米!」」」

 

 そう、白米に落ち着くらしいのだ、最終的に。

 

「ありがとう、参考にさせてもらうよ」

 

 礼を伝え3人の元を離れると、真っ直ぐ軽食コーナーへと移動する。そこはおにぎりやサンドイッチ、手軽に食べられ持ち帰りも可能な食品を取り扱っているコーナーだ。

 ピークをわずかに過ぎたのと、食べ盛りの雄英生には物足りない為か誰も並んでいないその窓口の前に立ちメニューをちらりと確認する。

 メニューの豊富さにまず驚き、次に値段に驚いた。安いどころの騒ぎではない、もはや慈善事業といえるレベルの値段だ。昼をここでちゃんと食べ夕食を軽く済ませば、食費に関してはトントン、いやむしろ安上がりになるだろう。

 

 そして、メニュー全体を目を皿のようにして見て目的のものを見つける。白米、それを究極に味わう方法それは……

 

「塩むすび、塩抜きでお願いします!」

「えっ!?」

 

 俺のオーダーに対応していた係の人は勿論、隣で並んでいた生徒の皆が驚いた表情を浮かべた。その直後キッチン内が慌ただしく動き始めた。

 頼んだ俺自身も、塩抜き塩むすびはチーズ抜きチーズバーガーに匹敵する矛盾だと思うが、そこまで驚かれると何かとんでもないことをしたのでは無いかと不安になる。

 

「君、見ない顔だけど、1年生かな?」

「は、はい。ヒーロー科1年A組です」

「ヒーロー科か、いやぁ、2日目にしてここの至高の一品にたどり着くとはやるね」

 

 声を掛けてきたのは横に居たつぶらな瞳が特徴の上級生らしき男子生徒。肩の科章からするとこの人もヒーロー科なのだろう。

 

「塩むすび塩抜きに自力でたどり着いた生徒は大成するって噂は知ってるかな」

「いえ、聞いたことありません」

「そりゃそうだね、俺が勝手に言ってるんだから」

 

 あっけらかんとしたその人はHAHAHAと笑いながらトレーを持って嵐のように去っていった。

 何がしたかったのかイマイチ分からないが、とてもユーモラスな先輩だった。

 

「おまたせ。塩むすび、塩抜き。これを作ったのは久しぶりだよ、ぜひともひと粒ひと粒噛み締めておくれ」

「ありがとうございます」

 

 ガスマスクのような物を着けたコックさんが差し出した塩むすびを、代金と引き換えに受け取った。

 

 しっかりとした重みのある白米の塊は煌々と艶めき、芳しい炊きたての香りを昇らせている。

 ゴクリといつの間にかに分泌されていた唾液を飲み込む、食欲はこの上なくそそられるが美しい黄金比率で立つそのバランスを崩すのには強い抵抗を覚える。

 

「何処か座れる場所は……」

 

 これはぜひともしっかり腰を据えて食べたいと思い、空いている席を探して辺りを見回す。ぐるりと一周食堂内を見回すと偶然飯田くんと目が合った。

 俺が席を探しているのを察したのか飯田くんがキビキビとした動きで一際大きく手招きした。飯田くんの元へ行くと緑谷くんが詰めて通路側の席をひとつ開けて待っていてくれた。

 

「ありがとう、助かったよ」

「当然の事をしただけさ」

 

 飯田くんの気遣いに心から感謝する。これでこの握り飯を熱々のまま食べられそうだ。

 

「津上くん、おにぎりにしたん? 中身は?」

「塩むすび塩抜きだ、これが最も白米の味を感じられると思ったからね」

「塩抜き塩むすびは、塩むすびと言うのか?」

「そうか、盲点だった……そうかランチラッシュが最も多く提供しているのは間違いなく白米……文字通り超人的な経験が裏打ちするその味におかずは必要ない……いや、むしろご飯がおかず……米をおかずに米を食う、ファットガムもそう言っていたし……」ブツブツ

 

 恐ろしいまでの集中力で分析を開始した緑谷くんを横目に塩むすびを一口頬張る。

 

――――俺が今まで食べていたのは粒状のデンプンだ。俺は今日初めて本物の米を知った。

 

 それが、真の米を知らなかった津上保が最期に遺した言葉だった。




ユーモラスな先輩、また何処かで登場しそうです。


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小・一大事

2021/07/21 大幅な改訂があります。展開を変え小大さんの口数を原作準拠させました。それに合わせてタイトルも変更。


「学級委員長務まるか不安だよ……」

 

 俺が米を一粒一粒噛み締めている間に3人は今朝のホームルームでの委員長決めが話題に上っていた。

 

「大丈夫さ、緑谷君のここぞというときの胆力や判断力は多を牽引するに値する。だから君に投票したのだ」

 

 飯田くんの意見は最もだ、昨日の訓練では激戦の中にあって冷静な状況判断を行い勝利をもぎ取った。それが記憶に新しい。

 だが、それは飯田くんにも言えることだ。

 

「飯田くんだって負けてないさ、いつも率先して先生に疑問をぶつけているし、規律を重んじてる。今回の投票だって飯田くんが提案したことじゃないか、誰にでも出来ることじゃない、俺はそんな飯田くんこそ委員長に相応しいと思ったよ」

「じゃ、じゃあ僕に入っていた1票は」

「ああ、俺が投票したんだ」

 

 そう伝えると飯田くんは神妙な面持ちで胸に手を当てる、何処か誇らしげな表情にどう声を掛けるべきか少し戸惑った。

 

「津上くんの言う通りかもしれない、いや、そうだよ。僕なんかより飯田くんのほうが……」

「待ちたまえ、緑谷くん。()()()、じゃないだろう」

「う、うん! ……ありがとう」

 

 飯田くんの言う通りだ、比較すれば優劣が決まる、しかしそれで決まるのはどちらかがより優れているかだ。どちらがより劣っているかではない。

 そして飯田くんは「それと」と言いながら俺の方へ向き直った。

 

「君もだ、津上君。今朝のホームルームで君も自分なんかと卑下しただろう、僕からすれば君だって誇れるクラスメイトだ」

「そんなことは……いや、ありがとう」

 

 素直に嬉しく思った。でも、こういう時にどんな顔をすれば良いのかよくわからない。

 

「さっきからちょっと気になってたんだけど、時々僕って言ってるし、もしかして飯田くんって坊ちゃん?」

 

 言われてみれば、普段飯田くんは自分の事を俺、と言っている。麗日さんもよく人のことを見ているなあ。

 その指摘に飯田くんは若干表情を少し歪ませて言った。

 

「そう言われるのが嫌で一人称を変えていたんだが……ターボヒーロー・インゲニウムは知っているかい?」

「勿論だよ! 東京の事務所に65人もの相棒(サイドキック)を雇ってる大人気ヒーローじゃないか。……まさか!」

 

 インゲニウムという名を聞いて緑谷くんが目を輝かせる。

 ヒーローや社会情勢に疎い俺でもその名前は聞いたことがある。何処で聞いたのかは思い出せないが俺でも知っているという事は相当有名なヒーローなのだろう。そして話の流れから察するに……

 

「それが俺の兄さ! 俺の家は代々ヒーロー一家でね、俺はその次男にあたる」

「すごいや」「人気ヒーローの家族とか私初めて見たわ」「凄いな……」

「規律を重んじ人を導く愛すべきヒーロー。俺はそんな兄に憧れヒーローを志した」

 

 家族に憧れ同じ道を目指す、それが飯田くんの原点。立派で俺には眩しい。俺なんか比ぶべくもない。

 

 もしも彼らに、俺の両親が(ヴィラン)だと知られたらどうなってしまうのか、頭の隅で沸いたその問いの答えを考えるのはあまりに恐ろしい。

 

 

 ジリリリリリリリリリリ────! 

 

 頭の中で広がっていた靄はけたたましい警報の音で切り裂かれた。

 

『セキュリティ3が突破されました。生徒の皆さんは速やかに屋外へ避難してください』

 

「セキュリティ3ってなんですか?」

「校舎内に誰かが侵入してきたってことだよ、3年間でこんなの初めてだ」

 

 俺が動揺して辺りをキョロキョロと見回している間に、飯田くんは隣に座っていた上級生から情報収集をしていた。こういうところが本当に凄い。

 この人数が屋外へ避難するとなるとしっかり統制を取らなければパニックになるだろう。

 

「うわああああああ」「早く外に出るぞ!」「皆出口に急ぐんだ」

 

 しかし俺がそんなことをのろのろと考えている内に、雄英生たちはすぐさま行動を起こし出口に殺到、案の定食堂はパニック状態に陥った。

 人波にさらわれて出口の方へと流された俺は、一緒に食事をしていた3人とは離れ離れになってしまった。

 

 足を踏まれ脇腹に肘打ちをくらい、気付けば俺は集団の外側に追いやられてしまっていた。

 無理に抵抗するのも危険で、かといってこの状況が続けばいつ事故が起きるかも分からないので傍観はしていられない。

 けれど、俺にこの状況を打開するだけの力なんてないのは明らかで、出来るのは地面を踏みしめて将棋倒しになるのを防ぐためにこの状況をキープすることくらいだった。

 

 そんな決意を抱いていたが、一際体格の大きい生徒が周りを押し退けるように動いたとき、目の前でひとりの女子生徒が窓際のテーブル席へと弾き出された。

 その女子は大きく体勢を崩して床へと倒れこみ、その衝撃でテーブルの上に残されていた食器も落下した。

 

 ガシャガシャと落下音が続いている間に、目の前で起きた事故にすぐさま体が動いた。

 倒れている彼女を他の生徒が踏んだり、彼女の上に倒れ込んだりしないよう、テーブル席の真横で両足を広げパーティションを掴んで圧力に抵抗を開始。

 

 体勢が安定し女子生徒の様子を確認する余裕が出来たのは数秒後、改めて様子を伺う俺の目に真っ先に飛び込んできたのは、女子生徒の黒髪を染める鮮やかな赤色。

 

「大丈夫ですか!」

「ん」

 

 焦っている俺の呼びかけに対して彼女の反応は淡白だ。

 

「頭以外に痛いところは有りますか?」

「ん?」

 

 要領を得ない返答と、一切の動揺の見られない落ち着き払った表情。静謐な群青色の瞳に見つめられながら、最悪の状況が頭を過る。

 頭を打った後に呂律が回らなくなったり、会話が成立しなくなるといった症状がある場合、脳内出血を起こしいる兆候だ。それはすぐさま外科手術の必要な緊急事態だ。

 

「ケチャップ」

「本当にヤバそうだ……大丈夫、必ず助けます!」

 

 彼女は自分が怪我をして出血している事にも気付けないほどのダメージを受けてしまっているようだ。文章ではなく無意味な単語が出てきているのもその影響だろう。

 俺が考え込んでいる間に彼女は立ち上がろうとしてしまっていた。頭を打ったら動かすなというのはヒーローを志す者としては常識だ。

 

「動かないでください、貴女は今頭を打って出血しています」

「ケチャップ」

 

 駄目だ、こちらの言葉も理解できていないのかもしれない。今すぐにでもリカバリーガールに診てもらわないと、取り返しのつかないことになる。

 避難はしようとしてる生徒たちはほとんど動けていない以上、別の道を開ける必要がある。

 それを、俺の個性は出来る。

 

「ん?」

 

 壁に右手を伸ばし、個性を発動する。彼女を安全に運べるだけの大きさの穴を素早く開けるために意識を集中してイメージを固めていく。

 コンクリートの硬さ、重さ、冷たさ。焦っているせいか、急げば急ぐほどイメージがブレて焦れったくなるほどにキープは進まない。

 

「小」

 

 そんな声が聞こえたと同時にいきなりブレザーが縮まり、全身を締め付けられた俺は我に返り個性を解除した。ふと真下に目を向けると、さっきと変わらない群青色の瞳とガッツリ目が合った。

 この現象はどうやら彼女の個性によるものらしい。

 

「解除」

 

 彼女が手を合わせてそう言うと、たちまちブレザーは元のサイズに戻り、締め付けも収まった。

 一息ついた俺に対して彼女はおもむろに真っ赤に染まった手のひらを差し出してこう言った。

 

「ケチャップ」

 

 その手に着いていたのは見紛うことなきケチャップで、さっきから何度も口にしていたその言葉の意図がはっきりと理解できた。

 

「早とちりしてました。すみません」

 

 穴があったら入りたい。トマトの香りを感じながら俺はそう思った。

 

 

 

 

「皆さん! 大丈────────夫!! ただのマスコミです! 何もパニックになることはありません!」

 

 俺の早とちりで寝かせっぱなしなっていた彼女を起こしていると、出入り口の天井近くに張り付いた飯田くんがそう叫んでいた。

 緊急事態に多くを導く、やっぱり飯田くんはリーダーに相応しいと、自分のことのように誇らしくなった。

 

「飯田くん、流石だ」

「ん?」

 

 俺のつぶやきに、目の前のケチャップ塗れの彼女が反応した。その姿を見て、俺は慌ててキープしていたタオルとボトル入りの水を取り出して手渡した。

 

「とりあえず今はこれで拭いてください。新品なのでご安心を」

「ん」

 

 彼女の返答からはなんとなく感謝の意思を感じた。どうやら彼女は元々口数が非常に少ないようだ。

 

「名前」

 

 そう口にした彼女はボトルの水で湿らせたタオルで髪を拭きながらも、目だけはじっとこちらを見つめている。口数の少ない人だけれど、大体の意図は掴めるのは少し不思議だ。

 察するに今ここでの借りをいつか返す為に俺の情報を彼女は欲して居るのだろう。

 

「名乗るほどでは」

「ん」

 

 何故だろう、今までで一番言葉数の少ない食い下がりだと言うのに、トップクラスの迫力だ。彼女の目がそうさせるのか、早とちりによる後ろめたさがそういう気持ちを抱かせるのかは分からない。

 まあ同じ雄英生である以上そのうち校内で出会う可能性は有るので、名乗らないのは自己満足以上の意味はないので、さっさと自己紹介をしてしまおう。

 

「俺は1-Aの津上(つかみ)(たもつ)です。でも、お返しとか別に大丈夫ですから、お気になさらず! そのタオルとかは配るためにいつも持ち歩いてるんで」

 

 俺は何らかのトラブルに備えてほぼ常に水1リットル、清潔なタオル数枚、救急キット、裁縫道具、駄菓子は常にカバンに入れて携帯している。数年の人助け癖の成果だ。

 今日それらをカバンごと個性で(キープして)持ち歩いてて正解だった。これも相澤先生のアドバイスのお陰だ。

 

 目立つ汚れを拭き終えたのを見て、俺は新たに乾いたタオルを取り出して彼女に差し出した。

 

「ん」

 

 タオルを交換した後、目の前の彼女はおもむろにブレザーのポケットから小さな板状の物を取り出して俺に手渡して来た。

 

「解除」

 

 彼女がそう言うと手のひらに乗っていた板は大きくなり、それがパスケースということが分かった、入っているのは学生証だ、察するに自己紹介ということだろう。

 

「名前は……小大(こだい)(ゆい)さん? って1年B組、同い年!?」

「ん」

 

 落ち着き払った立ち振舞いと高めの身長から彼女────小大さんは上級生だと思い込んでたが、同級生だったらしい。

 しかも同じくヒーロー科で隣のクラスなのはちょっと運命じみたものを感じる。

 

 俺が学生証を眺めている間に、小大さんはどこからともなく取り出した手鏡を持ち、身だしなみを整えていた。あの手鏡も個性で仕舞っていたのだろう

 

「小大さんのは、ものを小さくする個性ですか?」

「んん。……大」

 

 すると手鏡は手鏡と言うには大きすぎるマンホールぐらいのサイズに変わる。俺が驚いていると、すぐさま個性は解除され元のサイズへと戻った。

 大小自在、小大さんの個性はもののサイズを変更する個性のようだ。何故かはよくわからないけれど、その能力に妙な親しみを抱いた。

 

「小」

 

 手鏡でのチェックを終えたらしい小大さんは手鏡とタオルを小さくしてポケットへ仕舞った。その様子を見ていた俺は今さっき抱いた親近感の正体に思い至る。

 

 小大さんの個性は俺の父の個性、物を圧縮する個性によく似ている。だから親近感が有ったんだ。

 

「いい個性ですね」

「ん」

 

 

 ◇

 

 

 その後、飯田くんのお陰で避難は粛々と進み、小大さんとも別れた。

 個性で削ってしまった壁は謝罪を兼ねて相澤先生に経緯を含め報告すると、校舎の損壊は割とよくあることと、なんでもないことのように受け取られお咎めなしで驚いた。

 正直それよりも驚いたのは土下座しようとした瞬間に頭を捕まれ、まずそのまま報告しろと言われたことだ。完全に俺の行動を理解されていて、相澤先生の観察能力には脱帽だ。

 

 

 ちなみに、あれだけの騒ぎが起きたにもかかわらず午後は何時も通りの授業が展開された。トラブルへの対応力も超一流とは、やはり雄英高校は凄い。

 

 そして、午後のホームルームの時間を使って残りの委員を決める事になり、委員長である緑谷くんが進行を任された。

 けれど緑谷くんは驚きの提案をする。

 

「委員長はやっぱり飯田天哉くんがいいと思います」

 

 あの恐慌状態において、冷静に状況を判断し、皆を導いた。クラスの多くがそれを見ていたのだろう、緑谷くんの提案にほとんど皆が賛同した。

 

 1-Aの学級委員長にして、緊急事態における絶対の活路“非常口・飯田”が誕生した瞬間だ。

 

 俺はそれを力の限りの拍手で称賛した。

 

「頑張れ、飯田くん」

 

 

 

 翌日、小大さんが俺にタオルを返しに来た時にクラス(主に峰田くん)がザワついたのは余談だ。




三章 決めろ委員長は3話で終わりです。お付き合いいただきありがとうございました。

小大さん、マジのガチでほぼ「ん」しか喋らないの想定外でした。

次章、USJ襲撃事件。津上はこの困難に何を思いどう立ち向かうのか


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第四章 嘘の災害や事故
襲撃、敵連合


お待たせしました。USJ襲撃事件編です。
痛々しい描写が予定されています。ご承知の上でお読みください。


────今日のヒーロー基礎学だが、俺とオールマイト、そしてもうひとりの3人体制で見ることになった。災害水難なんでもござれ、人命救助(レスキュー)訓練だ。

 

 マスコミ侵入騒動から数日経ち、すっかり日常を取り戻した雄英高校ヒーロー科では当たり前のように唐突にビッグイベントが始まる。

 

 現場となる訓練場は遠くに有り、そこまではバスでの移動だ。先生の指示に従ってコスチュームを身に着けた俺たちA組は委員長である飯田の指示に従いテキパキとバスへ乗り込んだ。

 

 

 バスに揺られながら自然体の左手へ意識を向ける。握ると開くの丁度中間、手全体が最もリラックスした状態で個性を発動する。指や手のひらに力を加えず、空気をイメージすることで触れている空気をキープしていく。

 キープした分気圧が下がり、そこへ周りの空気が集まる。集まった空気をキープすると更に空気が集まっていく。

 

 先日の食堂での恐慌状態、俺の個性はほぼ役に立たなかった。それが少し悔しくてあのような状況で冷静さを失った人たちを傷つけることなく沈静化させられる、そんな方法を模索したどり着いたのが低酸素状態にして一度気絶させるというものだ。

 その手段として使うのが今やっている継続的に周囲の空気をキープする技だ。空気に限らず水などの流体なら同じようにして手を動かさずにキープでき、これまでより遥かに効率よく空気とかは集められるようになった。

 

 俺の個性はキープした物の重さが体にかかるため一度にキープ出来る量には限界がある、だがそれは逆に空気のような非常に軽いものならばかなりの量をキープ出来るという事だ。

 体積の上限は正確には分からないが、今乗っているバスの車内くらいであれば全然余裕で、1-Aの教室くらいなら全ての空気をキープすることが出来る。

 キープした空気をもう片手で放出して吸えば俺はその影響を最小限に出来る。俺にしては中々いいアイディアだと思う。

 

 だが、現実はそう甘くない。この方法は当然屋外では使えないし、屋内でも完全に密閉された部屋でなければ効果はかなり低くなる。それに加え即効性に欠け、気絶させた人が転倒して怪我をする恐れもあり、著しい低酸素状態は一歩間違えれば脳に深刻なダメージを与えてしまう等、様々な危険もある。

 なので使うとしてもヴィラン相手に最低限の使用で留めるべきで、もっと有効な手立てを考える必要がある。

 

 数日かけてヴィラン相手に限定的に使える鎮圧方法を考えた訳だが、そんなことよりも今日のレスキュー訓練に向けて応急処置の方法を復習しておいた方が良かったと今は後悔している。

 

「津上、ずっと手見てるけど……どうしたの?」

「いや、なんでもない、尾白くん。ちょっとイメージトレーニングをしててさ」

 

 隣に座っていた尾白くんに声をかけられキープを中断した。

 鎮圧方法と並行してやっていたのが、相澤先生に言われたイメージトレーニング。これが驚くほど効果抜群で、取り出し(リリース)のスピードは勿論のこと、しっかりとしたイメージを持って行うとキープのスピードも向上したのだ。相澤先生は俺以上に俺の個性を把握しているようで、本当に尊敬する。

 

「レスキュー訓練で何やるか、俺あまりイメージが湧かないんだ。津上はどんなイメトレをしてたの?」

「あっいや、イメトレは俺の個性に関しての事で……相澤先生は何でもござれと言っていたから、色々な災害現場での救助活動の演習になるんじゃないかな、溺れている人の救助とか瓦礫の下敷きになった人を助け出すとか……」

「なるほど。それなら俺の個性で色々出来そうだ」

 

 尾白くんの個性はその見た目通りの尻尾だ。彼の強靭な尻尾から繰り出される打撃は単純故に強力で、尻尾を活用した三次元的な敏捷性は梅雨ちゃんと並んでクラスの中でトップクラスだ。その2つが相まって屋内での格闘戦ならA組の中で最強候補だと俺は思う。

 人を軽々持ち上げられる尻尾が生えているというのは、戦闘だけでなくレスキューの現場においてもかなりのアドバンテージだろう。

 

「少しなんて、怪我人を運んだり、出来ることは沢山有ると思う。こんな俺の個性にも出来ることが結構有るんだし」

「津上の個性、俺は凄く便利だと思うけど……この前の戦闘訓練みたく色んな使い方が出来るだろ?」

 

 尾白くんの大げさな言葉につい得意気になりかけて、そんなことはないと口にする。この前の戦闘訓練後の反省会でちやほやされてから有頂天になっているみたいだ。

 

「まあ派手で強ぇっつったらやっぱ轟と爆豪だな」

 

 話が少し落ち着いた瞬間、前の方で話していた切島の声が耳に入る。

 切島の言葉の通り轟くんと爆豪くんの個性は誰がどう見ても強い。その上、威力や範囲の緻密なコントロールも身に着けており、俺では万に一つも敵わないだろう。

 爆豪くんと轟くんの2人とは未だ多くの言葉を交わせていないが、少なくとも爆豪くんは情に厚い男であるし、ヒーローになったらきっと人気者になるだろう。

 

「爆豪ちゃんはキレてばっかだから人気出なさそう」

「んだとコラ!出すわ!」

 

 反応した爆豪くんを指差し「ほら」と言う、梅雨ちゃんは俺とは見解が違うらしい。

 

「この付き合いの浅さで既に“クソを下水で煮込んだような性格”と認識されてるってスゲーよ」

「テメェのボキャブラリーはなんだこら!殺すぞ!」

 

 どうやら上鳴くんも俺と見解が違うらしい、見方は人それぞれだが“クソを下水で煮込んだ”というは、いくら何でも言葉が過ぎると感じた。

 

――――爆豪くんは公正で情に厚い男だと、俺は思う。

 

 そう口にしようと思ったが、爆豪くんとは入学初日に話して以来言葉を交わせていないため口を噤んだ。彼の幼馴染である緑谷くんの助言通りにこちらから爆豪くんには普通に接しているが、彼は自身の放った「話しかけてくるな」という言葉を重んじているのか、俺に言葉を返すことをしない。

 彼はきっと何かしらの手続きを経てこの件を終わらせようと考えているのだ、そんな礼儀を重んじる爆豪くんの性格が汚れきっているとは決して思えない。

 

 以前緑谷くんが言っていたように、そもそも爆豪くんは上鳴くんの言葉をさほど気にしていないのかもしれない。

 

「もう着くぞ、いい加減にしておけ」

 

 相澤の号令が飛ぶと、車内のざわめきも水を打ったように治まった。その後程なくしてバスが停車する。窓の外に目をやると、木々の向こうに巨大なドーム状の今回の訓練場らしき建物が見えた。

 

「尾白くん、頑張ろう」

「あっ……うん!」

 

 飯田くんの先導で俺たちはバスを降りて訓練場へと向かった。

 

 

 

 

 

「皆さん待ってましたよ」

 

 建物へ入ると、宇宙服のようなコスチュームを身に着けた教師、スペースヒーロー・13号先生が出迎えてくれた。

 この訓練場、水難事故、土砂災害、火災、防風などなどあらゆる事故や災害を想定して作られたのだそうだ、その名もU(ウソの)S(災害や)J(事故ルーム)。正式名称、USJだ。

 

「始める前にお小言を1つ2つ3つ4つ……」

 

 こちらに聞こえない声量で相澤先生と相談した13号先生は、どんどん増える注意事項を説明してくれるらしい。もしかすると相澤先生は、このクラスに裏口入学した隙あらばセクハラしようとする問題児が居ると13号先生に伝えたのかもしれない。そのせいで小言が増えていくのだろう。

 であれば、俺はクラスの皆より真摯に13号先生の言葉を拝聴しなければいけない。

 

「皆さんご存知と思いますが、僕の個性はブラックホール。どんなものでも吸い込んでしまいます」

 

 俺の上位互換と言える個性だ。その個性を使い、どんな災害からも人を救い上げるのだと、緑谷くんが補足する。

 

「しかし簡単に人を殺せる力です。みんなの中にもそういう個性がいるでしょう」

 

 先生の言葉でつい自分の手に意識を向けてしまう。

 物体の硬度をほとんど無視して引きちぎり切断することの出来る俺の個性。それを人に向ければどうなるか、俺は身をもって良く知っているからだ。

 

「相澤さんの体力テストで自身の力が秘めている可能性を知り、オールマイトの対人戦闘訓練でそれを人に向ける危うさを体験したかと思います。この授業では心機一転、人命のために個性をどう活用するか学んでいきましょう」

 

「君たちの力は人を傷つけるためにあるのではない、助けるためにあるのだと心得て帰ってください」

 

 それこそがヒーローのあるべき姿、ヴィランを倒す事が目的ではなく、人を助けることがヒーローの目的だ。と、13号先生の言葉をしっかりと意識の芯に刻み込む。

 

「以上、ご清聴ありがとうございました」

 

 クラスメイトが揃って万雷の拍手を送る、13号先生はヒーローの理想像をその身に宿しているのだ、そうなるのも当然だった。

 気持ちを新たにする。俺はこの授業の全てを吸収しなければいけない、そう確信したからだ。

 

 

 だが、その決意の灯はあっけなく吹き消される。命を救う術を学ぶ場にやってきた命を脅かす存在によって。

 

「一塊になって動くな! 13号、生徒を守れ…………あれは、(ヴィラン)だ」

 

 

 

 

 階段の先、USJの中央広場に突然現れた黒いモヤ。そこから次々と姿を現す者たちを、相澤先生は(ヴィラン)と言った。

 

「13号にイレイザーヘッドですか……先日頂いたカリキュラムにはオールマイトがここに居るとあったのですが……」

「どこだよ、せっかく大衆引き連れて来たのにさ……子供を殺せば来るのかな?」

 

 俺たちを殺す、そう言った主犯格と思わしき手だらけのコスチュームの男、その目は悪意に染まっている。

 それだけではない、広場に現れた何十人もの(ヴィラン)、その誰もが目に悪意と余裕を浮かべている。“自分たちには敗北や危険はない”そう確信している目、今日に至るまで繰り返し俺に向けられた目だ。

 

 敵がオールマイトの不在を語るという事は、オールマイトが本来ここにいることを知っていた――――事前に情報を得ていたということだ。その事実だけで目の前の敵の危険性が伺い知れる。

 

「バカだがアホじゃねえ。これは何らかの目的があって用意周到に画策された奇襲だ」

 

 轟くんも似たような意見らしく、自分の推測が間違っていないと後押しされた。

 計画性がありながら、その場の悦楽も優先する、そう言うタイプの人間は自分に大きなリスクが降りかからない限り悪意を隠そうとしない。

 裏を返せば明確なリスク、敗色を見せてやれば逃げ出す可能性が大いにある、と言うことだ。

 

 校舎から遠いこの場所での奇襲を選んだのは教師陣、多数のプロヒーローを相手取る事を恐れたからだろう。

 であれば俺たちのやることは決まっている。

 

(ここから全員無事で抜け出し、襲撃の事実を他の先生たちに伝える!)

 

 恐らくこの程度の考えにはクラスの誰もがたどり着くだろう。

 先生の合図が有ればいつでも行動を開始できる。相澤先生が戦闘態勢を取っているのは俺たちの脱出を阻止しようとする敵に対する殿(しんがり)だ。

 

 殿は最も危険な役割であり、その危険を少しでも減らす方法は本隊、今回の場合は俺たちが脱出を速やかに完了させることだ。

 

「一人で戦うんですか?」

 

 けれど優しい緑谷くんは相澤先生の心配をした。殿とは最も危険な役割、例え百戦錬磨の相澤先生であってもオールマイトの殺害を本気で画策するような凶悪な敵の前では必ずしも勝てるとは限らないはずだ。

 そこにすぐに思い至る緑谷くんはヒーローすら守る真のヒーローの素質が有るのだろう。

 

「あの数じゃいくら個性を消すといってもイレイザーヘッドの戦闘スタイルは敵の個性を消してからの捕縛だ。正面戦闘は……」

「一芸だけじゃヒーローは務まらん」

 

 その言葉と共にヴィランの集団へ相澤先生は飛び出した。その背中はとても頼もしく見える。

 

 相澤先生が捕縛武器を使いヴィランを次々と倒していく。その圧倒的な戦闘につい見とれてしまったが、すぐさま意識を逃走の方へと向ける。

 俺のすべきことは相澤先生の戦闘をここで眺めることじゃない。

 

 きっと相澤先生が単身敵に飛び込んだのは敵を俺たちに近付けないためだ。目で見た相手の個性を消す。それは逆に、見えない位置にいる敵の個性は消せないということ。

 俺たち全員と相澤先生に対して同時に攻撃が行われれば必然的にどちらかは防げない。

 

 クラスの皆は既に扉に向けて走り始めている。見とれていた俺と相澤先生を心配している緑谷くんがそれに遅れた。

 

「緑谷くん、心配なのは分かるけど、俺たちも早く避難しよう」

「う、うん……!」

 

 戦闘を観察していた緑谷くんを連れて全員で出口へと駆ける。相澤先生が居る限り個性を用いた逃走の妨害は行われない、だがそれも無限じゃない。出来る限り早くこの場を離れること、それが相澤先生の負担軽減に繋がるはずだ。

 

「させませんよ」

 

 出口まで駆け出した時、俺たちと出口の間に黒いモヤが立ちはだかり言葉が響く。

 

「はじめまして、我々は(ヴィラン)連合。僭越ながらこの度ヒーローの巣窟、雄英高校に入らせていただいたのは、平和の象徴オールマイトに息絶えていただきたいと思ってのことでして」

 

 敵連合を名乗ったのは目のような光が浮かぶ人型のモヤ。相澤先生の視線をくぐり抜けて広場から一瞬でここまで移動した、その事実だけでコイツの危険度が推し量れる。

 そしてそのモヤから伝えられた事実、敵連合と名乗った者たちの狙いはやはりオールマイトの殺害だったのだ。

 

「本来ならばここにオールマイトがいらっしゃるはずですが、何か変更があったのでしょうか?」

「オールマイトはここには来ない! だから用は無いはずだ、とっとと帰れよ!!」

 

 自分でも驚くような怒声をモヤに向けて放つ。オールマイトが今何処で何をやっているかは俺には皆目見当がつかないが、目的が達成出来ないと分かれば、余計なリスクを負うより撤退することを選択するはずと思ったからだ。

 だが、ヴィランはそれに一切動じないまま目を妖しく光らせ言葉を続ける。

 

「それは私が決める事ではありません。私がこの場に来たのは単に――――」

「くたばれや!」

 

 わずかにモヤの纏う雰囲気が変わったその瞬間、攻撃的な言葉と爆発音が響いた。眼前には爆豪くんと切島くん。この脅威的な敵に対し、勇猛果敢に撃退を選んだのだ。

 爆煙が晴れてモヤの中からプロテクターとスーツのような服がわずかに見える。どうやらこの敵は全身がモヤという訳ではないようだ。きっと爆破は有効なのだろう。

 

「……危ない危ない、生徒とはいえど優秀な金の卵」

「ダメだ!どきなさい二人共!」

 

 13号先生が叫ぶと同時に、男のまとっていたモヤが俺たちを包み込まんと広がっていく。

 詳細は分からないが、これに捕らわれれば何処かに移動させられてしまうのはこれまでの敵の動きで容易に想像できる。

 

「私の役目は、あなたたちを散らしてなぶり殺すこと!」

 

「させるか!」

 

 モヤをキープするべく手を伸ばす。

 しかしキープ出来るのは手で掴んだわずかな分だけ、煙のようでいて液体のようでもあるこの謎のモヤのイメージを正確に捉えることができず、一欠片のモヤを握りしめたまま視界は暗黒に包まれていった。



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敵意に燃ゆ

 黒いモヤに包まれた視界が開けると、眼前には燃え盛る街が広がっている。何も出来ず、移動させられてしまった。

 

「みんなは?」

 

 背後を振り向くと20人のクラスメイトの姿はそこにはない、モヤ男の狙い通りクラスメイト全員散らされてしまったらしい。

 あちこちで登る火の手、作り物の天井、恐らくここはUSJ内の火災エリアだ。そしてこの場に似つかわしくない多くの(ヴィラン)

 

 きっと他のエリアでもクラスメイトたちが同じような状況に立たされている筈だ、散らされてしまった皆と可能な限り早く合流して脱出するの事が現状の最善手。

 そのためには俺たち(・・・)だけで目の前のヴィランを突破しなければならない。

 

「一緒に居てくれて心強いよ、尾白くん」

「俺もだ、津上。……他の皆が心配だ、早くここから離脱して合流しよう」

「ああ」

 

 尾白くんと背中合わせになって俺たちを取り囲むヴィランと対峙する。見えている限りで数は15人ほど、そのまばらな包囲は敵が寄せ集めであることを如実に示してる。

 

「2人だけか、痛くないように瞬殺してやるから抵抗するなよ!」

 

 側面に居たトカゲ顔の敵がその言葉と共に火を吐いた。

 

「尾白くん、下がって!」

 

 真っ直ぐ飛んでくる炎を、正確な火のイメージを浮かべながら右手で受け止める。何の変哲もないその炎は右手を焦がす間もなく全てキープされた。

 炎を吐いた敵のみならず、他の敵も何人かが俺が炎を防いだ事に動揺している。その中で一番俺たちの近くにいるのはヘッドギアを付けている筋肉質の男だ。

 

「尾白くん、そいつのところを突破しよう!」

「分かった!」

 

 俺が指差したヘッドギアの男を尾白くんが尻尾で蹴散らし、その後ろに伸びている路地へと駆け込む。

 路地に入ると同時に先程キープした炎を放出して足止めを行った。

 

「包囲網を突破出来た、このまま火災エリアを……」

「こんなトロ火で俺様が止まるかよ!」

 

 火災エリアを離脱しよう、そう言いかけた時、岩石のような男が炎の中から飛び出してきた。

 岩石男はその勢いのまま左拳をまっすぐ俺に叩きつける。

 

「オラァ!」

 

 岩石男の攻撃を咄嗟に両腕で防御をする。防御を正面から貫く重い衝撃に、体が大きく吹き飛ばされた。

 幸いにも吹っ飛んだ先に居た尾白くんに受け止められ、俺は体勢を崩さずにすんだ。

 

「津上、逃げよう!」

 

 尾白くんの言葉に同意して走り出す。しびれの残る左腕をちらりとみると、そこに有ったはずの手甲は粉々に砕け、敵のパワーの強さを物語っていた。

 

 逃げながら路地裏の構造物をキープで破壊し倒壊させ簡易的なバリケードにしていき、敵が見えなくなったところで火の手の少ない建物の外壁を抜いて身を隠した。

 

「ハァ…ハァ…出入り口はキープしてた瓦礫で塞いだ……少し不自然だけどすぐには気づかれないはずだ」

「ありがとう、フゥ……」

 

 敵から逃げながらの全力疾走に俺たち2人は思った以上に息を上げ、その場に座り込み、揃って肩で息をしていた。

 

「フー、ここからどうしようか」

「なんとかして、火災エリアの外壁まで行ければ、俺の個性でくり抜いて、脱出出来るはず」

「なるほど、ハァ、ハァ、じゃあこのまま身を隠して壁まで行こう」

 

 現在位置や火災エリアの構造は分からないが、1つの方向に進んで行けばいずれ外壁にたどり着くだろう。そこから他のエリアに向かいクラスメイトと合流すればいい。時間はかかるが確実だ。

 俺たちが転移させられたときの(ヴィラン)たちの不完全な包囲、こちらの抵抗に対する反応はどちらもあまりに稚拙だった、多くは数合わせに連れてこられたただのチンピラである可能性も頭に浮かび、先程よりも危機感が薄れていた。

 

 

 

「見つかったか?」

 

 直ぐ側でしたヴィランと思われる声に息を潜める。気配からすると壁の向こうに居るのは2人のようだ。

 

「いや居ねえ。文字通り尻尾を巻いて逃げたんだろう」

「ヒーロー志望のくせにつまんねえ事しやがる……適当に切り上げて他のとこ行くぞ」

「ああ、ガキをぶっ殺せるから来たってのにとんだ期待はずれだ」

「しかも男だからな。女飛ばして来いってんだあのモヤ野郎」

 

 薄れた危機感は使命感にとって替わる。こいつらはここで止めないとダメだ。と。

 その覚悟を決めた俺は尾白くんを見る。その目の輝きに彼も同じ考えだと分かった。

 敵の気配が離れていくのを確認し、尾白くんと向き合う。

 

「戦おう、みんなのところには行かせられない」

「うん! けどあの岩石男はどうする? 炎もダメだったし、あの見た目じゃ俺の打撃もあまり……」

「それなら、尾白くんの尻尾で俺の手を攻撃して衝撃を溜めよう。溜めた衝撃を一度に解放すればダメージは与えられるはずだ」

「なるほど……」

 

 そうと決まればさっさと初めようと立ち上がったが、尾白くんは表情を歪めて首を横に振った。

 

「やっぱりやめよう、リスクが有りすぎる。外したらヤバイし、当たっても倒せなければその時は津上に危険が及ぶ。先に他の方法がないか考えよう」

「他の方法……」

 

 尾白くんの言うことはもっともだ。俺自身がリスクを負うのはさほど気にはならないが、俺が倒れたら尾白くんや他のエリアの皆に危険が及ぶ。それは出来ない。

 であれば、あの強力な岩石男を突破する方法を考えなければいけない。しかし、そんな方法が都合よく思いついたりはしなかった。

 

「そうだ、津上の個性で直接相手をキープすればいいんじゃないか? コンクリートや鉄だって貫けるんだ、あいつも……」

「いや、ダメだ。俺の個性は人には使わない。それがヴィランであっても」

 

 

――――君たちの力は人を傷つけるためにあるのではない。助けるためにあるのだと心得て帰ってください。

 

 いまさっき聞いた13号先生の言葉が蘇る。

 俺の個性はキープの過程でものを切断することも出来る。むしろ、集中を欠けば多くのものを破壊してしまう危険な個性だ。

 

 まだ未熟だった頃の俺は、不用意に使った個性で同級生の指を切断したことが有る。耐え難い激痛に襲われた彼の悲鳴は今でも耳に残っている。

 あの時に誓ったんだ、この個性を決して人には向けないと。

 

 

「当たりどころが悪ければ致命傷だもんな、手加減できる相手でもないし……」

「ごめん」

「いや、俺がよく考えず提案したのが悪いんだ。今はとにかく他の手を探そう」

 

 尾白くんは腕を組み大きく息を吐いた。頭痛がするほど知恵を絞っても妙案は浮かびはしない。悩んでいる間にも他のクラスメイトたちは危機に瀕しているのだろう。

 迷っている内に俺の関心は敵の打開策よりも皆が無事かどうかに向けられていった。

 

 今でもあの黒いモヤは俺の中にキープされている。大体のイメージを掴めたから次はもっと抵抗できるだろう。

 改めて思うと、あのモヤの個性は俺の個性と少し似ている。例えば対象は俺が手で掴んだものに対して、奴はモヤで包んだもの。移動先は俺は四次元空間のような何処か、奴は異なる場所。言ってしまえばそれだけの違いだ。

 だからきっと、転送を中断することで物体を切断することだって出来るはずだ。遠距離から、一方的に。

 バラバラに散らして足止めし、モヤの個性で確実に殺す。数合わせのようなチンピラばかりなのはそんな作戦だからなのかもしれない。

 

 そこに考えが至るとこんな場所でゆっくりと休んでは居られなかった。

 未だ収まらぬ息切れを深呼吸で誤魔化して立ち上がる。

 

「……すぐに皆のところに行かないと」

「何か、案があるのか?」

「いや、でもじっとしていたら危険ばかりが大きくなる……」

「それはそうだけど……動くならせめて息が整ってからにしよう、俺たち、思ったよりも消耗してるんだ」

 

 2人揃って大きく息を吸う。さっきから何度も深呼吸を行っているのに息は一向に整わない。尾白くんの顔も何処か青白くなっている。

 

「全然呼吸が治まらない。尾白くんもあんまり大丈夫そうではないね……」

「うん。なんか、空気が薄いみたいだ」

「……それだ、炎で酸素が消費されてるんだ」

 

 今いるこの建物も勢いはそこまででもないが燃えている。ほとんど気流のないこの部屋の酸素が薄いのはごく自然な事だろう。

 

 そして、この方法だ、俺がここ数日研究していた暴徒の鎮静法。それを応用してヴィランを酸素濃度の低い部屋に誘い込み気絶させる。微かにではあるが光明が見えてきた。

 

「尾白くん、これだ。ヴィランを酸素の薄い部屋に誘い込んで気絶させよう」

「なるほど、名案だ。あ、でもそのまま放置したら死んじゃわないか? 気絶したら部屋から出すとかしないと……それに俺たちがそこに入ったら終わりだし」

 

 酸素濃度が6%ほどの空気を一度でも吸うと酸素交換が逆に行われ、体内の酸素が奪われる事となり、結果一瞬で意識が奪われる。読んだ本にそう記されていた。

 であるなら酸素の薄い空気を予めキープして敵の眼前で放出(リリース)すればいい。それならその後は普通の空気を吸えるから後遺症も出ないだろう。

 

「俺の個性なら、必要最低限、たとえばひと呼吸だけとか吸わせられる。俺たちのリスクもかなり下がるよ」

「名案だ、それでいこう。……ここから出て目一杯深呼吸してからだけど」

「いや、任せて」

 

 直ぐ側の壁をキープで貫通させ右手だけを外に出し、部屋の中よりもずっと酸素の多い空気をキープしていく。

 右手でキープした外の空気を、尾白くんと俺の顔の間で左手から放出する。

 

「本当に、便利な個性だね」

 

 一分もしないうちに尾白くんの顔が血色を取り戻していく。俺の方も微かに感じていた頭痛がみるみる回復していった。

 新たに人が通れる大きさの穴を壁に開け、部屋の隅でくすぶっている炎や可燃物ごと周囲の空気をキープした。

 

「まだ酸素があるけど、燃え尽きるまでキープすれば酸素は限界まで薄く出来る。……一酸化炭素とかがちょっと心配だ」

「そういうのは調整出来ないのか?」

「毒ガスのイメージが掴めないんだ。漠然と空気って印象で……いや」

 

 通りに出て左右に敵の姿ないことを確認してから目を閉じて意識をキープしているものに向ける。

 キープの空間内で燃えて出たガスのみを選り分ける。少し待てば程なくして火は弱まり、燃えて出たガスと燃えカス、酸素の極めて薄い空気という3つの塊にイメージが分かれた。

 

「うん、これなら大丈夫だ」

「良かった。(ヴィラン)と遭遇したら俺が……」

 

「居たぞ!こっちだ!」

 

 

 

 

 打ち合わせをしようとした矢先、俺たちを探していたヴィランに発見される。俺が身構えた頃には尾白くんは既に刃物を持っているそのヴィランに向かって駆け出していた。

 

 尻尾を操り壁を利用した三次元運動で敵を翻弄。刃物を巧みに躱しながら尻尾を叩きつけ、ヴィランを俺の方向に吹き飛ばす。

 俺はすぐに倒れているヴィランに近付き、息を止めて右手をヴィランの顔の前に出す。

 

「チィッ!」

 

 俺の存在に気付きヴィランは仰向けのまま刃物を構えるが、俺の攻撃は既に完了している。

 瞬間、糸の切れた人形のように力なく倒れるヴィラン。酸素濃度5%の空気、ひと呼吸で意識を奪い取る致命的な有害物質だ。

 

「本当に一瞬だ、凄いな……」

「尾白くん、次だ」

 

 勝利の余韻に浸る暇はない。こうしている間にもヴィランの魔の手はクラスの皆へと迫っている。

 しかしそれは俺たちも同じ、岩が転がるような重い足音が遠くの路地からこちらへ向かって近付いて来ていた。

 

「クソガキ共が、今度は逃さねえぞ!」

 

 現れたのは先の岩石男、だが今は逃げはしない、こちらには倒す術があるからだ。

 尾白くんはさっきと同じ様に立体的な動きで岩石男の攻撃を躱しカウンターを決める。だが、敵の防御力を貫くことは敵わない。

 

「尻尾で撫でるならもっと毛並みを良くしたらどうだ!」

「クッ……!」

 

 動きに慣れ始めたヴィランの攻撃がどんどん的確になっていく。尾白くんはもういつ攻撃を受けてもおかしくないだろう。

 それでも彼は攻撃の手を緩め回避の比率を高めることで敵の攻撃を躱し続けた。

 

「ぴょんぴょん跳ね回りやがって、鬱陶しいんだよ!!」

 

 攻撃を当てられないことに苛つき始めたヴィランの攻撃が激化する。尾白くんへ注意が向いてる今こそ俺が隙を突いて敵を気絶させるべきなのだが、そのためには尾白くんが敵と近すぎる。

 今空気を放てば尾白くんも巻き込んでしまう。今の俺には気絶した尾白くんを守りながらこの場の敵を全滅させる自信がない。

 

 打ち合わせが出来ていれば空気を放つときに尾白くんが息を止めるように言えたが、既に遅い。攻撃の瞬間に「息を止めて」と声を掛けたら岩石男もきっと危険を察知するだろう。

 ならば、と俺は尾白くんが敵と十分な距離を取る瞬間を狙う為に少しずつ2人へ近づくことにした。

 

「コソコソと……ならテメェからだ!!」

 

 敵の攻撃がこちらを向いたのは、尾白くんが大きめの回避運動を取ったその瞬間だった。

 一発目と同じ左拳のストレート。その威力を俺は知っている。

 

「その攻撃のイメージはもう掴めてる!」

 

 敵の左拳が生み出す衝撃を正確にイメージしながら右手を伸ばす。数歩後退するも、敵の拳は俺の手のひらでピタリと止まった。

 

「何!?」

 

 攻撃が思いもよらない方法で完全に防がれて動揺している岩石男の懐へ踏み込む。息を止めて敵の眼前へと伸ばした左手から無色透明の攻撃を音もなく放った。

 

――――ドスン。

 

 岩石男がその場に倒れ伏す。どんなに強固な鎧を纏おうとこの(ヴィラン)も紛れもない人間だ。酸素欠乏症からは逃れられない。

 

「さあ、早く終わらせて皆のところへ行こう」

「うん!」

 

 振り返ることなく俺たちは路地裏を駆け出す。待っていてくれ、皆。




19巻発売しましたね。耳郎ちゃんを筆頭にクラスの面々がとても魅力的で18巻ぶりに最高のコミックと出会えました。素晴らしい原作に感謝です。

今回の章はひとつの山場であり、それに加え今更小説版全3巻を読んでいるので、投稿は少し時間を頂くと思います。楽しみにしてくださっている方には申し訳ありません。


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覚悟

「これで全員かな」

 

 ヘッドギアを付けた筋肉質な(ヴィラン)を独力で倒した尾白くんが言った。

 ここに来て最初に見た敵は約15人。無力化したのは計16人。恐らく全て倒せただろう。

 

「敵が集まって来てくれたからかなり早く片付いたね」

「ああ。それと、この数をいっぺんに倒せたのは尾白くんのお陰だ」

 

 尾白くんが前衛で多くの敵を捌いてくれたからこそ確実に一人ひとりに対して低酸素攻撃を行えた。更に敵の中にはガスマスクを付けた者も何人かおり、そいつらは尾白くんが単独で倒してしまった。

 僅かに取れた打ち合わせの時間のお蔭で密な連携が取れたのも功を奏した。

 

「いや、津上のトドメ有ってのことさ。2人だから勝てたんだ」

 

 その言葉と共に伸ばされた尾白くんの拳に、俺も拳を合わせる。共に死線を超えた俺はより強い信頼を彼に感じていた。

 

「余韻に浸ってる暇はない。次に行こう」

「ああ」

 

 火災エリアの扉を開きUSJの広場へと出る。きっと何とかなる。俺の胸にはそんな感情が湧いていた。

 

 

 

 

 

 尾白くんと何処へ向かうか相談したところ、モヤに散らされる直前、飯田くんや障子くんがクラスメイトを守っていたらしく、まずそこに合流することにした。

 火災エリアにいた(ヴィラン)がさほど脅威ではなかったことも、その考えに至った要因だ。あの程度であればみんな乗り越えられると俺たちは信じている。

 

「あの岩石男のパンチ、どうやって防いだんだ?」

 

 火災エリアから中央の広場へ向かって走っている途中、尾白くんがそう口にした。

 

「衝撃をキープしたんだ。ヴィランの吐いた炎をキープするみたいなのをゼロ距離でやっただけさ」

「なるほど、手のひらで受けた衝撃はキープ出来るからか……津上の個性ホント凄いな」

「そんなこと……いや、ありがとう。でも、正確なイメージを掴めてない攻撃はキープしきれないから初見の攻撃は基本的に防げないんだけどね」

 

 その一撃で決まってしまうのが実戦の常だ。そもそも俺の個性で防げるのは、俺が反応できて手のひらで受け止められる攻撃だけ、そんな欠陥だらけの防御能力だ。

 

「じゃあ今も衝撃は残ってるのか?」

「ああ、後は炎と、瓦礫の破片が少し、それと今キープしてる途中の空気かな」

「今も個性を使ってたんだ、全然気付かなかった」

「いざってときに一度に放出すれば推進力とかに使えるから無いよりかいいと思って、一応」

 

 特に考えはない、なんとなく何もしていないのと手ぶらが不安なだけだ。

 手から意識を放して前を見ると、中央の噴水の向こうに何人かが立っている。あそこは相澤先生が多数のヴィランと戦っていた場所だったはずだ。

 

「相澤先生は、一体どこに?」

 

 首魁らしき手だらけの男を含め、敵に大きな動きはなく、相澤先生の姿も見えない。

 俺たちがモヤに捕まった出入り口の辺りを見るが、現在位置からでは誰の姿も確認出来ない。

 

 今は運良く敵に見つかっていないが、これ以上近付けばどうなるか分からない。尾白くんもそれを承知してか、近くの物陰を指差しそこに姿を隠した。

 

「津上、これからどうする?」

「相澤先生が居ないのが気になるけど……とにかく学校と連絡を取るのが先決だと思う」

 

 学校と連絡をとり、先生たち(プロヒーロー)を呼ぶ。その後で他のクラスメイトと協力しヒーローの到着まで耐える。それが最善手。

 ヒーローが来る。その事実は生徒たちにとっては希望、(ヴィラン)にとっては絶望だ。その事実が有るだけで生存率は大きく上がるだろう。

 

 次の一手を決める為には情報が足りない。既に連絡は出来たのか、散らされたクラスメイトの被害は、相澤先生の行方は、その何もかもが分からない。

 少しでも情報を求め、見える範囲を隈無く見回す、すると水難エリアの岸辺に浮かぶ3人の姿が目に留まった。

 

「緑谷くん、梅雨ちゃん、峰田くん……良かった、無事みたいだ」

「ああ。……でも様子がおかしくないか?」

 

 少なくとも3人は無事、それを知れて焦りは幾分かは軽減された。しかし尾白くんが口にした通り、彼ら3人の表情はこの上なく強張っている。まるで今も尚恐怖にさらされているかのように。

 3人の視線の先を追う、そこには脳がむき出しの大男が膝をついて地面に向かって何かしていた。

 

 ドガン、と、地面に何かを叩きつけたであろう音が響く。

 異状を察知した俺たちは、敵に気づかれないよう、ゆっくりと物陰に隠れながら接近する。

 

 十数メートルの距離まで近付いて、脳男が何をしているのかがようやく理解できた。

 

「相澤先生……」

 

 見えたのは、脳男の下敷きになり腕があらぬ方向にへし折れている相澤先生の姿だった。

 

「個性を消せる……素敵だけどなんてこと無いね。圧倒的な力の前では、つまりただの無個性だもの」

 

 近付いた事で聞こえるようになった手の男の言葉、そして脳男は相澤先生の抵抗を意に介さず頭を掴んで地面へと叩きつける。

 信じられない光景に全身が戦慄(わなな)く。早く助け出さなければという焦燥感と、俺には絶対に不可能だという絶望感が全身を駆け巡っていた。

 

「死柄木 弔」

「黒霧」

 

 そこにモヤの男──黒霧がゆらりと現れる。震えを隠すこともせず、俺の全神経はそこに集中していく。無意識が司令を発し続けている、命に代えてでも相澤先生を助け出せ、その方法を見つけろ、と。

 

「13号はやったのか?」

「行動不能にはできたものの散らし損ねた生徒がおりまして、1名逃げられました」

「は? はあ――――黒霧……お前がワープゲートじゃなかったら粉々にしてたよ」

 

 手の男──死柄木が不機嫌そうに首を掻きむしり黒霧にそう言った。言葉の中で出てきた“ワープゲート”。それが黒霧の個性だろう。

 思わぬところで欲しい情報が手に入った。黒霧は生徒を1人取り逃し、脱出を許した。その人はきっと学校に連絡し、先生……ヒーロー達がすぐに駆けつけてくれる。

 

「さすがに何十人ものプロ相手じゃ敵わない。あ~あ、今回はゲームオーバーだ。帰ろっか」

 

「……今、帰るって言ったのか?」

 

 安心したかのような尾白くんが死柄木の言葉を繰り返す。敵の撤退宣言に俺は尾白くんと同じく安堵する。

 ヒーローたちが来るまでの時間稼ぎを行うつもりだった俺は物陰にしっかりと身を屈める。敵が撤退するつもりならば徒に刺激しない方が利口だと思ったからだ。

 

 しかしその考えも束の間、黒霧の方へ向いた事で見えた死柄木の目に渦巻く悪意が俺の中の警鐘を激しく鳴らした。

 

「あっ、そうだ。帰る前に平和の象徴としての矜持を、少しでも……」

 

 

 悪意と害意と殺意、ただ人を一方的に傷つける事が目的の、この世で最もおぞましい目だ。

 俺が今まで向けられたどの目よりも死柄木のそれは深く底なしに濁っている。

 

 

「黒霧を見たんじゃない……」

 

 

 おぞましい目が捉えているのは死柄木の位置から見た黒霧の更に先、岸辺に浮かぶ3人の姿だ。

 

 

「へし折って帰ろう」

「やめろっ!!!!!!」

 

 死柄木が動き出すのと、俺が動いたのはほとんど同時だった。

 直線距離では死柄木の方が近く、身体能力も恐らく死柄木に分がある。何とかして引き留めなければいけない。その凶行が誰かに届く前に。

 

 全速力で走りながら、キープしていた瓦礫を空気と共に放出して打ち出す。こちらの存在に気付き速度を緩めていた死柄木は迫る瓦礫の1つ手で受け止める。その瞬間、瓦礫は砂の塊の様に音もなく崩れて消えた。

 さっき黒霧に粉々と言っていた、今見たものが死柄木の個性だろう。触れたものを任意で粉々にする個性、危険極まりないものだ。

 

 足を止めた死柄木とは未だ10メートル以上の距離がある、だがそれは炎の射程内だ。

 

 右手を前に向け最大限の勢いで炎を放出する。その熱が手のひらを焦がすが、止めることはしない。

 しかし放った炎は死柄木に届く前にワープゲートに阻まれる。

 

「させませんよ」

 

 黒霧の声が何処からともなく響き、突如として眼前にワープゲートが現れる。俺は減速せずそのままワープゲートに突撃する。

 既にモヤのイメージは掴めている。

 

「邪魔だ!」

「ゲートを消された!?」

 

 視界を遮っていたワープゲートをキープでかき消し、再び死柄木を見る。ヤツは足を止めその右手をワープゲートに突っ込んでおり、隙だらけだった。

 手男まで残り数メートル。イメージを確立する、岩石男の衝撃、その全てを放出できるように。

 

「脳無」

 

 その小さな声は俺と死柄木の間に黒い壁を呼び出した。

 それはワープゲートではない、さっきまで相澤先生を傷付けていた脳男・脳無だ。

 

 元より衝撃で敵を大きく吹き飛ばす事が目的だ、それが脳無ごとになっただけ。そう思い右手が脳無の腹部に触れると同時にイメージの固まっていた衝撃を一度に放出した。

 

「効いてないっ!?」

 

 しかし、脳無はまるで何事もなかったように、身じろぎのひとつ取らずその場に立っていた。その光のない目が俺を射抜く。

 その向こうで死柄木は俺に興味を失くしたように再び3人の方へ目を向ける。

 

 この距離だから分かる、その目は間違いなく蛙吹梅雨ちゃんへと向けられていた。

 

 悪意は弱いものに向けられる。大人より子供、男より女、死柄木が彼女を選ぶのはきっとただそれだけの違いだ。

 

 

『――――貴方、優しいのね』

 

 

「やめろっつっってんだよ!!!」

 

 体勢を低く、脳無の脇を抜けようするもその腕が邪魔をする。おぞましい悪意が目の前に迫っているのに時が止まったように水の中の3人は動かない。

 いや、動けないんだろう。強烈な害意を向けられると人は思考能力を失ってしまう。

 

 覚悟をするのに時間はかからなかった。

 

────彼女を、彼女たちを守れるならば俺の手が血に汚れようと構わない。

 

 

 相澤先生を傷付けた目の前の化物を、脳無を、人体を、イメージする。俺にはその経験がある。

 

 

 

「邪魔だ。死ね……ッ!」

 

 

 

 染み出した言葉と共に、右手を脳無の胸から右肩にかけて振り上げる。

 

 

 ザラザラの肌が、ブルブルとした筋肉が、鉄骨のように硬い骨が、ドロリとした血液が、じわりとした体温が、俺の中へとキープされる。

 

 

 ぼとりと道を遮っていた脳無の右腕が地面へ落ちる。拓かれた道を力の限り蹴って死柄木へ向け体を押し出す。

 殺されないように、殺す。俺の頭の中はその思考で満たされていた。

 

「脳無!」

 

 その声から、憤り、仲間を殺された憎しみのようなものを感じた。それが、お前が作ろうとした感情だ。

 

 左手を大きく振りかぶる。後はそれを振り抜くだけで死柄木の命を奪えるというその刹那、背後から迫る黒い塊の存在を視界の端に捉えた。

 

 それは軌道上に有った左手を巻き込みながらひたすら真っ直ぐに俺の顔面へと突っ込んでくる。

 

 

 

 強烈な衝撃と浮遊感、そして激痛。それらが俺の意識を一瞬で塗りつぶした。



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ここにいる

今回は三人称視点となります。また、痛々しい描写がありますご留意ください。


 眼前で起きた一連の動きを正確に認識している者は梅雨を含め、生徒の中には居なかった。

 

 まるで子供が駄々をこねて投げたぬいぐるみのように無造作に無機的に空を切る肉体を、ただただ呆然と眺めていた。

 それは勢いを保ったまま池の脇にある木立の中へ姿を消し、何本もの枝葉の折れる音の後に大きめの落下音を響かせた。

 

「津上ちゃん……!」

 

 残響が消え場の空気が静まってようやく、止まっていた梅雨の時計が動き出し、目の前で起きた凄惨な暴力を理解する。

 

「何だあいつ、脳無じゃなきゃ死んでるぞコレ……完全に人殺しの目だったし、あんなのがヒーロー志望かよ。連れてきた連中よりか全然ヴィランだろ」

 

 胸から右肩に掛けて大きく“抉り取られた”怪物・脳無を見て、主犯格・死柄木がそう言った。

 どう見ても致命傷受けているはずの脳無は今しがた、まるで何事もないかのように動き、残った左腕で津上を殴り……飛ばした。

 殴った方である脳無の左手も消えており、その威力が尋常ではない事を物語っている。

 

「何してる、さっさと直せ」

 

 首を掻き毟りながら気だるそうに死柄木が脳無を蹴飛ばすと、抉り取られた胸や腕がぐちぐちと音を立てながら再生を始める。

 数秒すると胸や右腕、左手などの失った部位は元の形を取り戻す。それは、十中八九個性によるもの、超再生能力と言ったところだろう。

 

「やっぱり自分の手で一人くらいやっとかないと、経験値効率悪いからな」

 

 再び向けられた悪意の目の意味を即座に理解した梅雨は、その個性を以て水面を素早く移動し、死柄木からより近い峰田にその舌を伸ばした。

 敵の悪意に反応したのは梅雨だけではない、一緒に居た出久もまた死柄木を阻止すべく攻撃を仕掛けていた。

 

「離れろっ!」

「脳無」

 

 以前訓練で見せたビルすら貫く強力なパンチは間に割り込んだ脳無に阻まれた。

 攻撃を真正面から受け止めた脳無は吹き飛ぶどころか後ずさりのひとつもしていない。吹き飛ばされる前に津上も脳無に対して何かを放出し無効化された様子であったことも合わせ、脳無は打撃攻撃を無効化しているのだと梅雨は理解した。

 

 今の攻撃で敵の気が峰田から逸れた。すぐさま舌を使って峰田の体を深瀬へと引っ張た。

 もう一度勢いを付けて舌を伸ばす。その先には右手を脳無に突き立てている出久がいる。

 

 出久に届くその直前、大きな黒い手に梅雨の舌は掴み取られた。

 

「痛ッ…!」

 

 舌先に締め付けられる痛みが走る。なんとか戻そうと暴れてもまるで溶接でもされているかのように舌はびくともしなかった。

 伸び切った舌を奇異の目で見る死柄木、その目はとても嫌らしく、おぞましい。

 

「舌かよ、キッモ……あ、でも舌から崩壊させたことは無かったな、少し我慢して試してみよう」

 

 言葉ははっきり聞こえているのに、その意味や意図の理解を頭が拒否している。梅雨は目の前の男をただただおぞましいと思うだけだった。

 「うわああああ!」と声を荒げ暴れる出久の肩を脳無が捕まえ拘束している。

 

 

 死柄木の手が舌に触れ、梅雨はもうダメだと諦めた。

 

 

 しかし、崩壊は一向に起こらなかった。

 

「本っ当かっこいいぜ、イレイザーヘッド」

 

 死柄木達の向こう広場の真ん中に、血まみれの頭をもたげ強く鋭くこちらを睨む相澤の姿が有った。

 

「……緑谷……やれ……!」

「……ッ!! スマッシュッ!!!」

 

 出久は、相澤の言葉の意味を本能的に理解し即座に第二撃を脳無に対して行った。

 密着状態から放たれた上方向へのアッパーカット、その一撃を受けた脳無はこれまでと異なり、数メートル宙に浮き上がった。

 

 衝撃によって解放された舌を使って、右腕の折れた(・・・・・・)出久をその場から引き抜いた。

 

「ショック吸収まで消してたのかイレイザー……お前ら、仕事しろよ」

 

 死柄木が言ったお前らというのは、広場でまごついていた(ヴィラン)達の残当を指していた。

 それを聞いてさっきまでの意趣返しとばかりに意気込み、敵は相澤へと殺到した。

 

「させない!」

 

 相澤に向けられた敵の攻撃を物陰から飛び出したクラスメイト・尾白猿夫が防いだ。

 しかし防げたのは先頭に立っていた数人、敵の集団はすぐさま体勢を整え尾白を標的に加えた。

 

 緊迫した一瞬のにらみ合いの後、巨大な爆発音が訓練場全体に鳴り響いた。

 

 巨大な音の発生源、入り口方向の階段を見ると、そこには平和の象徴・オールマイトが立っていた。

 

「もう大丈夫、私が来た!」

 

 

 

 

 

 怒りの表情を顕に、ネクタイを引きちぎりながらそう宣言したオールマイトは、鋭い目で広場を一瞥し地面を蹴った。

 

 そして、そこからは文字通りあっという間だった。

 

 目にも留まらぬ速度で広場に残っていた(ヴィラン)を一掃し、相澤とそばに居た尾白を救出。

 2人を抱え、死柄木を睨みつけたと思ったら梅雨たち3人はいつの間にか陸へと移動していた。

 

「えっ……あれ? 速ぇ」

「みんな入り口へ、相澤君を頼んだ」

 

 梅雨はオールマイトの手で安全な場所まで連れてこられたと理解して、思い至る。圧倒的な暴力に襲われた津上保の安否を。

 

「私、津上ちゃんを探してくるわ」

「峰田尾白……お前らも……蛙吹を手伝え……俺は大丈夫だ」

 

 力なく床に座り込んだ相澤は途切れ途切れに言葉を紡ぐ。その姿は誰がどう見ても大丈夫と言える状態ではない。

 腕の折れた出久が相澤を支える。無傷の3人はそれを見届け、後ろ髪引かれながら林の方へと足を向けた。

 

「相澤先生、無理せず横になってください」

「……俺にはまだ仕事がある」

 

 相澤、そしてオールマイトの視線の先、脳無と黒霧、そして未だ名乗らぬ手の男が横並びに立っている。

 目的を持った明確な敵意が3人の目から放たれていた。

 

「クリアして帰ろう。脳無、オールマイトの動きを止めろ」

 

 刹那、目にも留まらぬ速さでオールマイトと脳無が激突する。凄まじい衝撃が広がり、辺りを揺るがした。

 ぶつかり合った両者の拳、その圧倒的な威力に脳無の右腕は砕け、血を流していた。

 

「どうした、自分の力に耐えきれてないぞ?」

 

「そいつの個性“ショック吸収”を相澤先生が消したんです! でも油断しないで、そいつには再生能力も……!」

「なるほど、相澤君の個性が効いてる間の短期決戦か、負担を掛けるね……だが、私としても好都合だ!」

 

 再び爆発のような衝撃が辺りにほとばしる。衝撃に負けた脳無の体勢が崩れ、オールマイトが更に畳み掛ける。

 ここは大丈夫という確信を得て、意識を林の中、その何処かに居る津上へと向ける。

 

「津上ちゃん、どうか無事で……」

「手分けしよう。俺は向こうに行くから」

「わかった、オイラはあっちを見る」

 

 2人とは別方向を向き、梅雨は地面を蹴る。木々の隙間を飛び跳ね、木に張り付き、その大きな目で津上の姿を探す。

 嫌でも思い浮かぶ最悪の状況を振り払いながらすがるような想いで、痕跡を探す。津上の居場所を、生存を示す微かな手がかりを、一心に。

 

「津上ちゃんっ、返事をして!」

 

 力の限り叫んでいるはずなのに、喉が締まり、声は掠れる。

 今は涙よりも少しでも大きな声を出したいのに、そう思えば思うほど、涙ばかりがとめどなく溢れていった。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

「…上ちゃんっ……事を……!」

 

 朧気な意識の中に、悲痛な声が響く。その声の主はもとより、いま自身がどうなっているのかも津上は分かっていなかった。

 

 意識を繋ぎ直し、自分に何が起きたか、その記憶を手繰り寄せていく。

 

(死柄木に襲いかかったとき、後ろからいきなり)

 

 津上がそこまで思い出すと、自身の中にキープされている脳無の肉体の一部がイメージとして浮かび上がった。

 浮かぶのは上腕と胸骨、そして左手。吹き飛ばされる直前、視界の端に映ったのはこの左手だったと思い至った。

 

 それは、脳無に殴り飛ばされた時、偶然巻き込まれた左手で脳無の左手をキープしたという証拠他ならない。

 津上は霞む目を何とか開き、自分の左手を見る。下腕と手首が折れ骨が飛び出し、親指がおかしな方向を向いている。正確に言えば手首が折れているためそう見えるだけで折れているのは親指以外の手全体だ。

 状態を視認すると、左腕の痛みをより激しく感じた。

 

 力の入らない左手は、キープされているものがいつ飛び出してもおかしくない状態で、このまま意識を失えばすぐにでもキープされている全てのモノが飛び出すだろう。

 

 津上が瞼を閉じると、凄まじい力、衝撃のイメージが浮かび上がった。それが脳無の左手から受けた衝撃の一部だと気付くのにさほど時間はかからなかった。

 あれだけの攻撃を無防備な状態で顔に受けて、辛うじてながらも今こうして生きているのは、きっとそのお陰だということも。

 

 

「何処に居るの!?」

 

 

 自身の内側へと沈んでいく意識を何処からか届いた女子の声が繋ぎ止めた。その声は掠れ、声の主が涙を流しているのが手に取るように分かる。

 

(良かった……)

 

 津上はその声を聞いて安堵した。声の主である蛙吹梅雨があの危機を脱したという事実を知ることが出来たからだ。

 

「津上ちゃん、お願い……返事をして!」

 

 安堵して昏い底へと沈みかけたところに響いた彼女の声は、痛々しい感情に濡れていて、聞いた津上の胸は締め付けられるような感覚に襲われた。

 その声に応えてあげたいと思う津上だが、声が出ず、返事が出来ない。全身が痛みと気怠さに支配され、手足の先端を微かに動かすのが精一杯だった。

 幾らひねり出しても、喉から出るのは血の混じった咳と、掠れる息の音。

 

 声が出ず、体の動かない津上は、自身に1つの手段が(キープ)されていることに気が付いた。

 

 真上を向いていた左の手のひらに、残る意識を集中させる。

 

(俺は、ここにいる)

 

 梅雨の顔を瞼の下に浮かべながら、津上は残っている全てを左手から解放した。

 

 

 

 

 ◇

 

 

――――ドォォン

 

 凄まじい地響きが近くで鳴り、梅雨はその発生源へと飛び出す。

 梅雨の声に気付いた津上が送った合図だと信じ、一心不乱にその音の主へと向かった。

 

「津上ちゃん……!」

 

 衝撃により開いた隙間を光が通り、木立の中の小さな空間が煌々と照らされていた。

 その光に導かれたどり着いた梅雨が見たものは、想像を絶する凄惨な状況だった。

 

「あ…あ……」

 

 辺りに飛び散るおびただしい血しぶき。木や葉っぱにこびりつきゆっくりと地面に落ちる血の滴る肉片。

 その中央で動かぬ津上は頭から鮮血を流し、左腕は肘から下が真っ二つに裂けていた。

 

 あまりの光景に目を覆った梅雨は、その場で膝から崩れ落ち爆発するほどに暴れる心臓や呼吸を抑えるので精一杯だった。

 一縷の望みはかき消され、ただこの場からこの現実から逃げたいと脳や体が梅雨の意識を強く揺さぶっていた。ここにあるのは、抜け殻だと、ここに津上保はもういないと。

 

 呼吸の仕方も忘れ、湧き上がる吐き気と殴られたような頭痛に耐えていた梅雨の耳が、微かな風の音を捉えた。

 

 その音は、途切れ途切れに一定のテンポを刻んでいる。

 

 目を覆っている手を離し、涙でぼやける視界で再び津上を見る。その胸部は風音と連なって小さく動いていた。

 

「津上ちゃん! 聞こえる?」

 

 一跳びで血の池を跳び越え津上の真横へ降り立った梅雨は津上へ力の限り声を投げかけた。消えかけの命の灯を絶やさぬように、あちらへ行ってしまわないように。

 しかしそれに反応はない。津上はただ痛みにうなされ続けている。

 

 焦りと恐怖でぐちゃぐちゃの思考の渦から、今自分がすべきことを掬い上げる。

 

「……意識の確認、気道の確保、止血…それから……それから……」

 

 胸に耳を当てか細い鼓動を聞き、同時に呼吸が正常に行われていることを確認する。

 正常な拍動を確認した梅雨はすぐさま伸縮性に富んだブーツを片方脱ぎ、震える手で津上の左腕を根本からきつく縛りあげた。

 左側頭部から流れる血は、その少し下を手で押さえることで間接的に止血を行う。

 

(次は、何をすればいいの……?)

 

 ここまで重体の人間を見たことは初めての経験であり。ヒーロー志望とは言え、入学から2週間も経っていない梅雨はこの状況に対し素人同然であった。

 命の危機に瀕する友達を前に何も出来ない事実が梅雨の焦りを加速させていく。

 

「お、おい……なんだよ、この状況」

「酷い……」

 

 別で津上の捜索に当たっていた峰田と尾白が現れると同時に凄惨な状況に絶句する。だが、その2人の登場で袋小路に陥っていた梅雨の思考は再び動き始めた。

 

「……すぐに、助けを呼んできてちょうだい。早くしないと津上ちゃんが――――」

「俺が行ってくるよ。津上のこと頼む」

 

 梅雨が発しそうになった言葉を遮るように返事をした尾白は、尻尾を使いあっという間に木々の中へと消えていった。

 残った峰田は涙目になりながら血溜まりを踏み越え津上の横で地面に手をつき大きな声で声を掛ける。

 

「津上! 寝るなよ! すぐに助けが来るからな!」

「津上ちゃん、聞こえていたら反応をして!」

 

 呼びかける。現状梅雨に出来ることはそれだけだ。消えてしまわないように、名前を呼び、ここに意識を繋ぎ止める。

 投げ出されていた右手を取り、優しく握り締めながら呼びかけを続けた。

 

「津上ちゃん……!」

 

 梅雨が名を呼ぶと、掴んだ右手が微かに握り返してくるような感覚を覚えた。

 「津上ちゃん、津上ちゃん」と呼びかければ二度、微かでは有るが、確かにここにある反応は梅雨にとって大きな希望となった。

 

「津上、聞こえてんのか?」

「ええ」

 

 左手で繋いだ津上の右手を梅雨が見ると、峰田は納得したように流れていた涙を目にとどめた。

 

「お前はヤオヨロッパイのレポートをオイラに提出する義務が有るんだからな! 忘れるなよ」

「峰田ちゃん、こんな時くらい……」

「男の生存本能を揺さぶってんだよ!」

 

 こんな時でも変わらない峰田に梅雨はどこか安心を覚えた。そんな言葉に対しても確かに握り返される感触は梅雨の胸に温かい気持ちを。

 

「待たせたね、もう大丈夫だ!」

 

 突風が3人を揺らすと同時に掛けられたその声の主は、オールマイト。

 

「オールマイト? (ヴィラン)は!?」

「脳無とか言うのを倒した途端に逃げだしたよ。だから私が来た」

「オールマイト、津上ちゃんを……」

「ああ、後は任せなさい……手当したんだね。こんな状況でよくやったよ、二人共」

 

 オールマイトが梅雨と峰田の肩に手を当てながら言った。梅雨はそれを受け取る事が出来ず、微かに首を横に振るだけだった。

 血まみれの津上を抱きかかえたオールマイトは「すぐに先生たちが来るから広場で待っているように」とだけ言い残し目にも留まらないスピードでその場から消えていった。

 

 オールマイトの見えない背中を呆然と眺めていた梅雨は「広場に行こうぜ」と言った峰田の言葉に従って誰も居なくなった血溜まりを後にした。



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それぞれの胸に

 梅雨と峰田が広場へと戻ると、既に広場は先生(プロヒーロー)たちが制圧していた。

 他のエリアに散っていた(ヴィラン)たちも、続々と広場に集められているようだ。

 

「凄い血じゃない! 2人共、大丈夫?」

 

 林から出た梅雨たちにボンデージ姿の18禁ヒーロー・ミッドナイトが驚いた表情で声をかけた。

 

 その言葉で梅雨は自分の頬や髪に貼り付いている物の存在に気が付いた。

 手で拭い、真っ赤に染まった手のひらを見る。黒に近づきつつ有る赤い液体――血液が頬や手だけでなく全身を染め上げている事を梅雨は今になって知った。

 

「これは、津上ちゃんの血……私は大丈夫」

「津上? ああ、あの子ね……ゲート近くに水道があるから、洗い落とすといいわ。そっちのキミも」

 

 梅雨の横で、同じ様に手や膝を血で汚した峰田が首肯した。

 

 縛られたり、気絶しているヴィランを横目に、広場からゲートへ続く階段を登っていく。進むに連れクラスメイトの声が段々と大きくなっていく。

 ヴィランに打ち勝ったことと、戦闘の余韻がいつもよりもA組を賑やかにさせているようだ。

 

「つ、梅雨ちゃん!?」

「峰田も、2人共血まみれじゃねえか!」

 

 階段を上がりきると、そこにはA組のほぼ全員が集まっていた。声を発した麗日と切島に限らず、血だらけの梅雨と峰田を見ると誰もがギョッとする。

 普段の梅雨であれば大丈夫だと答える状況であるが、さっきまでの状況に憔悴しきってそんな余裕がない。峰田も同じく反応が乏しい。

 そんな時、特に反応の大きかった切島の肩を押さえた尾白が言った。

 

「二人共怪我をしてる訳じゃない。……あっちに流し有るみたいだから、そこで洗い流してくるといいよ」

「尾白ちゃん、ありがとう」

 

 神妙な面持ちで2人を見るクラスメイトを尻目に梅雨と峰田はゲート近くの水場へとフラフラとした足取りで歩いて行く。

 そんな足取りは片方だけ靴を履いているせい、だけではないのは誰もが分かっていた。

 

「梅雨ちゃん肩貸すよ。あと、靴片方どうしたの?」

「三奈ちゃん、ありがと。 靴は……津上ちゃんに貸してるの」

 

 余計な心配を掛けまいと、取り繕った笑顔には涙が浮かんでいる。そんな表情の梅雨に対して掛けられる言葉を芦戸は見つけることが出来なかった。

 梅雨が津上に対して明確に出来たことはブーツを使った止血程度。そう思う度に悔しさと悲しさが梅雨の心を染めていった。

 

 

 

 

 全身の汚れを洗い流した梅雨は、もう片方のブーツを脱いでクラスメイトの集団の中へ静かに入った。八百万がサンダルを創造してくれたり、麗日がただ静かに隣に居てくれたりとささやかで温かな心遣いは梅雨の気持ちを少しだけ軽くした。

 

「17、18、19…………治療を受けている彼ら以外は全員居るね。目立った怪我もなくひとまず安心だ」

 

 USJに駆けつけた刑事・塚内がA組を前にして言った。

 各エリアで待ち構えていた(ヴィラン)の多くはチンピラと言って差し支えないような者達だったようで、プロヒーローが来るまでの間しのぎ切る事ができたと誰もが口にした。

 

 しかし梅雨の関心はさっきまでの事ではなく今現在の事に向けられていた。普段の賑やかさに影を落としたA組の面々も恐らく同じことが気がかりなのだろう。

 

「刑事さん、津上ちゃんは……?」

 

 梅雨の声は如何にも恐る恐るという調子だった。オールマイトが大丈夫と言っていたのに、何処かで未だに不安を拭いきれなかったからだ。

 それに「今確認してみる」とスマホを取り出した塚内は如何にも事務的な調子で電話口に話をした。

 

『一命は取り留めました。ですが、頭蓋骨の陥没骨折、左腕全体に及ぶ重篤な損傷、多量の失血とかなり危険な状態でした。現在脳系の精密検査を行っていますが……残念ながら後遺症は免れないでしょう』

「だ、そうだ……」

 

 一命は取り留めた。しかし安心することが出来ないその報告に、クラスの空気は凍りついた。

 再び電話口に耳を傾けた塚内は少しだけ安堵したような様子で返答をして電話をポケットにしまった。

 

「それと、『もし後数分、左腕や頭部の止血が遅ければ、最悪の状況になっていました。素晴らしい判断だったと、ブーツの持ち主に伝えてください』と言っていたよ。よくやったね」

 

 内から溢れる涙と声を梅雨はこらえる事が出来なかった。「よかった……よかった」と人目も憚らずただ涙を流す。その隣にいた麗日が泣き腫らす梅雨を何も言わず胸に抱き寄せた。

 その光景から男子の多くが目を逸らし、同じく搬送された相澤や13号、出久の容態について塚内に質問を投げかけた。

 

「3人共命に別状はない。イレイザーヘッドと13号は病院で治療及び検査中、緑谷くんは保健室で十分対応可能らしく彼は保健室だそうだ」

「良かった……」

 

 誰かが言った安堵の言葉も、梅雨の嗚咽にすぐに消えてしまう。

 一命を取り留めたといえ、津上は未だ予断を許さない状況だ。直接見ていない者も梅雨や峰田、尾白の様子を見てその状態を察しているのだろう。

 

「Hey!ボーイズエンドガールズ! 後のことはケーサツに任せてGO HOMEだ、イレイザーの代役でこのオレ、プレゼント・マイクが引率するぜぇ着いて来な!」

 

 緊迫した空気を壊したのは、雄英の教師(プロヒーロー)プレゼント・マイクだ。この状況に似つかわしくないその高すぎるテンションは落ち込んだA組皆を少しだけ元気付ける。

 

「さあ、皆、捜査の邪魔になってしまう、すぐにバスに乗ろう!」

「おう!」「はーい」

 

 いつもの調子で飯田がクラスを牽引する。梅雨も麗日に手を引かれ、とぼとぼとバスへ乗り込んだ。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 クラスの皆がバスで移動している頃、重症の出久は保健室でリカバリーガールの治癒を受けていた。

 怪我は左手の指2本と右腕。出久がこうして治癒を受けるのは既に4度目だ。

 

 横になり点滴を受けて体力の回復と治癒に専念していた出久はノックと共に開いた扉の方へ目を向ける。

 

「失礼します。リカバリーガール、緑谷少年の状態は」

「もう治癒は終わってるよ。体力も減ってるから残りは後日になるけどね。今回は事情が事情なだけにお小言も言えないよ」

 

 保険室に入ってきた痩せこけた姿(トゥルーフォーム)のオールマイトを見てリカバリーガールは言った。

 個性による治癒と言えど、回復には体力を要し、完全に元に戻る訳でもない。戦闘の度に大怪我をしていたらいずれ大きな影響が出ると釘を刺されていた。

 だが出久には自身の体よりも気がかりな事が有った。

 

「オールマイト、津上くんは……」

「病院に搬送され、治療を受けているよ。一命は取り留めたと聞いている」

「そう、ですか……」

 

 普段の出久であればその詳細を聞いただろうが、疲労と心労で疑問は浮かんで来なかった。代わりに浮かぶのは津上の勇姿。

 出久は起き上がってベッドに座り、うつむきがちに言葉を紡ぎ始めた。

 

「主犯格……死柄木の悪意に染まった目を向けられて僕、動けなかったんです。でも津上くんは死柄木の意図にすぐ気付いて動き出して、黒霧っていう奴のモヤも脳無の妨害も突破して死柄木まであと一歩のところまでたどり着いたんです」

「そうか、凄い子だな津上少年は」

「なのに、僕は……相澤先生の援護を受けて片腕を犠牲にして脳無を少し吹き飛ばしただけで……」

「それで充分さ。私だって相澤くんの援護が無ければもっと苦戦をさせられていただろう。いや、もしかすると負けていたかもしれない。それほど強力な相手だったんだ」

 

 仮に相澤が完全に倒れ、脳無のショック吸収や超再生が無効化出来ていなかった場合、オールマイトはその身を削り戦う事になっていただろう。

 そうなっていれば、オールマイトはこうして立っていられず、活動限界は大幅に短くなっていたかもしれない。

 

「津上少年と緑谷少年を除けば、クラスメイトは皆無事だそうだ。相澤くんと13号も病院で治療中、命に別状はない」

「良かった……」

 

 大息を吐いた出久の体から緊張感が薄れていく、それを見たオールマイトが出久の肩に手を置いて瞳の輝きを一層強めて言った。

 

「……強くなろう、緑谷少年。津上少年のように、津上少年を守れるように……!それが(ワン・フォー・オール)を引き継いだキミの使命だ」

「はいっ!」

 

 決意を新たに、出久は立ち上がる。

 明後日の朝にもう一度保健室に来るように言われながら、保健室を後にした。

 

(津上くん、大丈夫なのかな……)

 

 保健室を出た出久が一番最初に考えたのは、自らの目標ともなったクラスメイトの安否だ。

 早足で更衣室へ向かいながら、こんな事件の起きた当日にお見舞いに行く事の是非を検討していた出久に女生徒の声がかかる。

 

「デクくん、もう大丈夫なの?」

「うっうん。今日の分の治療はもう終わったんだ。……ところで、麗日さんはこんなところで一体?」

「えっと……みんな津上くんの事が心配で、病院に行くみたいなんやけど……デクくんにも伝えとこうと思って」

 

 声を掛けてきた女生徒・麗日は両手の指先を合わせながら途切れ途切れに言った。

 出久自身、行って咎められたらどう言い訳するかくらいまで思考が進んでいたため、ほぼ二つ返事で津上の搬送された病院へ行くことを決めたのだった。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 時は少し進み梅雨を含む多くのクラスメイトは津上が搬送された病院に集まっていた。

 治療と検査が終わり、ナースステーションから最も近い部屋へと移されていた津上を窓越しに見つめる。

 

「絶対安静で面会謝絶。仕方ねえけど、もどかしいな」

「尾白は津上の怪我とか見たんだよな。ぶっちゃけどんな感じ?」

「……酷かったよ、二度と思い出したくないくらいに」

「上鳴あんたさ……デリカシーとか無いの?」

「わっ悪ぃ」

 

 病院に到着してから既に数十分、ほとんど変化のない病室内に若干の退屈を感じるのも仕方のない事だった。

 その中で縋るように見つめる梅雨と峰田や尾白は、津上が時折起こす僅かな身じろぎひとつに安堵の息を漏らしていた。

 

「津上くんの様子はどう?」

 

 そこに遅れて出久と麗日が顔を出した。

 

「緑谷か。容態は安定しているが目は覚ましていない」

「というかその腕、緑谷くんも大変だろうに」

 

 常闇の言葉に続いて飯田が右腕をギブスで固定している出久を案じた。

 笑顔で「平気」と答え病室内を出久が覗く、部屋の中では津上の脇に置かれた心電計が一定のリズムで同じような図を描き続けている。

 津上の生存を確認できたからか、出久は少し大きく息を吐いた。

 

「そろそろ撤収いたしましょう。長居しては他の患者さんや職員の方々に迷惑ですわ」

「ああ。皆も疲労が溜まっているはず。今は身を休めるべきだ」

 

 副委員長と委員長の言葉に多くのクラスメイトが賛同した。梅雨だけは何も言わず、窓の向こうの津上をじっと見つめていた。

 その目や顔には涙の跡がくっきりと残されている。

 

「梅雨ちゃん、今日はもう帰ろう?」

「……私はもう少し見ているわ。お茶子ちゃんは気にせず先に帰ってちょうだい」

「蛙吹さんこそ、お休みになるべきです、見るからに憔悴されていますもの」

 

 梅雨の様子を見れば誰もが休むべきと言うだろう、梅雨も自身の疲れを認識しているが、津上が意識を取り戻すところを見届けるまで動こうとは思えなかった。

 それでもクラスメイトは梅雨の身を案じ、帰るように促し続ける。ただ断るだけではダメだと理解した梅雨は胸の内を吐露することを決めた。

 

「私、津上ちゃんに助けられたの。怖いなんて感じる間もなくて……何にも出来なくて……」

 

 けれど言葉は途切れ途切れにしか出てこず、要領を得なかった。その様子を見かね出久が言葉を添える。

 

「あす…っゆちゃんだけじゃない。僕も、何も出来なかった。あの時(ヴィラン)の悪意に反応出来たのは、津上くんだけだったんだ。オールマイトが強敵だと言ったヴィランにたった一人で、勇敢に」

「勇敢なんてもんじゃなかったぜあれは。 手の(ヴィラン)も言ってたけど、津上のあの声と目つき、オイラビビっちまったよ」

 峰田の言葉であの場に居合わせた4人は思い出す。津上が宿した殺意と言うべき覚悟の意志を。

 冷たく鋭い覚悟は「邪魔だ、死ね」という短い言葉に集約されていた。

 

「かっちゃんも死ねとかってよく言うけど、津上くんの言葉はなんだか冷たく感じて、津上くんはきっと本当に(ヴィラン)を……」

「皆を守ろうと真剣だったんだ」

 

 出久の言葉を静かに力強く遮ったのは尾白だった。あの瞬間の津上だけを見れば、明確な殺意と取るのも仕方がない。だが、尾白は知っている。

 

「俺、津上と一緒に火災エリアに飛ばされて、そのとき『(ヴィラン)を直接個性で攻撃したらどうか』って言ったんだ。そしたら津上は『俺の個性は人には使わない。それがヴィランであっても』って」

「戦闘訓練の時も聞いたわ、怪我をさせてしまうから、人や生き物には使わないって……」

 

「そんな津上だから、あの時決めたんだと思う。たとえ(ヴィラン)を殺してでも、3人を守るって。もし成功しても殺人だ、ヒーローの道が閉ざされる。多分津上はそれも覚悟の上で動いてたと俺は思う」

「友の為に、命も自分の未来もなげうったのか、彼は……」

 

 飯田が言った言葉にクラスの全員は改めて病室で眠る津上を見る。少し前とは違い全員、真剣な眼差しだった。

 

「帰ってこいよ」

 

 誰かが口にしたその言葉を皮切りに、思い思いに声を漏らす。そのどれもが津上の帰還を祈るものだった。

 そのとき、意識が無いはずの津上の顔がA組の皆が立つ窓の方へ向いた。目も開いておらず、ただの寝返りのようでもあった。

 

 しかし、津上の頬が僅かに上がったように見え、それを見た誰もが“また会える”と、確信を持った。それは梅雨も例外ではない。

 

「津上ちゃん、また会いましょう。お礼はその時にちゃんと言うから」

「またね」「んじゃ」「学校で待ってるぞ」「待ってます」

 

 別れの言葉を残し、全員がその場を後にした。それぞれの胸に、強くなるという決意を抱いて。




USJ襲撃事件はこれで終了です。お付き合いいただき有難うございます。


津上の活躍によって原作とは僅かに異なる状況になっています
・相澤の怪我は軽くなり、目の下に傷はありますが眼窩底骨は無事で、個性発動への影響はほとんどありません。
・オールマイトは相澤の援護によって無茶をすることなく脳無の撃退に成功。活動限界の短縮は最小限に抑えられました。
・脳無を圧倒出来たため、死柄木と黒霧は脳無を囮に早々に退散。出久の無茶による両足の粉砕は起きず“オールマイト並のパワーとスピードを持った生徒”の存在を敵は認知していません。
以上の3点が物語にどう影響するか、私にも分かりません


次章は雄英体育祭編へと進みます
主人公なのに意識不明重体の津上は体育祭までに復帰出来るのか、免れないであろう後遺症とは


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第五章 雄英体育祭
二夜明けて


2年ぶりの更新です。
書き方を忘れつつあり、文体が変わっているかもしれません。ご承知おき下さい。

梅雨の視点から始まります。


 USJ襲撃事件から二日後の朝、雄英高校に続く道を梅雨は重い足取りでペタペタと歩いていた。

 一昨日まで賑やかに感じていた通学路がいやに寂しげに見えるのは、胸につかえているクラスメイトへの心配によるものだろう。

 

 

 臨時休校となった昨日の午前中、梅雨は自宅療養を命じられ家で過ごしていた。

 予習や復習の為に机に向かうが目は教科書の上を泳いでしまい、ならば体を動かそうと掃除に手を出してみても気もそぞろ。

 

 結局、胸に重くのしかかる不安に耐えられず昼過ぎから津上のいる病院へひとり足を運んだ。

 しかし規則により津上への面会は叶わず、失意のまま梅雨は一日を過ごした。

 

 

 教室に着いてからも目に映る風景は何処か影がさしているように見えた。

 そんな梅雨の様子を察してか、麗日や芦戸が控えめながらも明るく声を掛けて来てくれたので、少しだけ気持ちが軽くなった。

 

 

「みんな! 朝のHRの時間だ! 席に付くように!!!」

「ついてねーのお前だけだぞー」

 

 この短い間にお決まりとなったやり取りを可笑しく見ていると、ほどなくして腕に包帯を巻いた相澤が教室に入ってきた。

 復帰の早さに驚く生徒を軽く窘めた相澤はいつもより少しだけ表情を固くして切り出す。

 

「お前達が気にしてるであろう津上についてだが、しばらく学校を休むことになる。理由は知っての通り一昨日の怪我だ」

「彼の容態は!」

「外傷は塞がってて脳へのダメージも軽微、身体的には問題はない。いつ目を覚ましてもおかしくないが、いつ目を覚ますかは医者にも分からん」

 

 それからも津上や一昨日の襲撃事件に関する話が少しの間続いた。見舞いに際しての注意やマスコミへの対処法など、事細かに説明する相澤の様子に梅雨はそれだけ津上を含めクラス全体のことを思いやってるのだろうと感じた。

 クラスからの質問も落ち着いたところで、相澤は机を叩き「津上の事ばかり気にしてられないぞ」と切り出す。

 

「雄英体育祭が迫ってる!」

「「「クッソ学校っぽいのキタァァァ!」」」

 

 相澤の一言でクラスが湧いた。雄英体育祭といえば誰もが知る一大イベント、特にヒーロー科ならばアピールチャンスとして決して欠かすことの出来ないイベントなのでこの盛り上がりも頷ける。ただ、梅雨としてはやはり津上の事が気掛かりで、いま一歩乗り気にはなれなかった。

 そう思っていたのは梅雨だけでは無かったようで、峰田がおずおずと手を上げながら意見した。

 

(ヴィラン)の襲撃が有ったばかりなんだから体育祭なんてやってる場合じゃ……それに、津上だって入院中だし」

 

 意見を終え手を下ろすまでクラスの誰も峰田の言葉を遮らなかった、その沈黙が皆の意見を示しているように梅雨は感じた。対する相澤もその点は承知の上だったようで、すらすらと言葉を並べていく。

 

「お前たちの言いたいことも分かるが……学校側としては開催することで危機管理体制が盤石だと示す狙いがある。生徒側としても体育祭は全国に名を売れる数少ないチャンス、今後のヒーローとしてのキャリアの為にも中止はまず有り得ない。それらを踏まえ今回は警備体制を5倍に強化することが決まった。

お前たちの津上への心配は最もだ。だが、(ヴィラン)から日常を守るのがヒーローの務め、その卵であるお前達が仲間の負傷に二の足を踏んでたらそれこそ(ヴィラン)の思うつぼだ」

 

 相澤の言葉は頭では理解できるが、梅雨のために大怪我を負った津上を置いて自分だけが体育祭に参加することへの後ろめたさは残ったままだ。体育祭への意欲を示しているクラスメイトたちも普段と比べて消極的な様子で梅雨と似た感情を抱いているように見えた。

 そんなクラスの様子を見て相澤はため息をひとつ吐いてから話を続けた。

 

「中には津上を置いて体育祭に参加する事に抵抗がある奴も居るだろう。そういう理由で体育祭を辞退するなら俺に言え、すぐに除籍してやる」

 

 相澤の口から飛び出した除籍という言葉に思わず耳を疑った。クラスがざわつく中、梅雨はその真意を探ろうと相澤を注意深く見つめ続ける。

 

「分かってるだろうが、ここにいるお前らより津上のほうが遥かに先にいる。敵意を見抜く目に咄嗟の判断力、それらだけ見れば既にプロ並みだ、オールマイトも認めるほどのな。後ろめたさなんか捨てて差を縮める努力をした方が遥かに合理的だ。

それに、津上が体育祭に出ないと決まったわけじゃない」

 

 そうだ、きっと津上ならすぐに快復して戻ってくる。その時に伝えたい事を伝えられるようにしっかり前へ進もうと梅雨は静かに決意した。

 そう思ったのは梅雨だけじゃなかったようで、そこかしこで頷いたり握りこぶしを作るクラスメイトが目に映った。

 

「以上、一限目の準備しとけ」

 

 そう言い残して相澤が教室を去ろうとドアに手を伸ばした正にその時、ドアがひとりでに勢いよく開き、その隙間から人影が飛び込んできた。

 

「寝坊して遅刻しましたぁぁぁぁぁぁ!」

「「「満身創痍スライディング土下座ァ!!!!!」」」

 

 影の正体は包帯まみれの津上、器用にも土下座の姿勢のままクラスへ滑り込んできた。

 あまりの勢いに梅雨を含めたクラスの全員がリアクションを取ったっきり硬直してしまったのは言うまでもない。

 

 まるで一昨日の出来事が嘘のように普段と変わらない可笑しな津上の様子に梅雨は堪えきれす、涙を浮かべて笑ってしまった。

 いつだって津上は周りを驚かせる。こう言う驚きなら梅雨はいつだって大歓迎だ。

 

 しかし言葉を交わす暇もなく津上は相澤に連行されて教室から出ていった。

 

 



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保健室は騒ぐところじゃありません

長くなりました。7千字弱



「それで体の具合は?」

「左手が少し痛みますが、全然平気です!」

「そうか」

 

 津上が教室に姿を見せてから約30分後、津上は保健室のベッドに寝かされた(縛り付けられた)状態で相澤と話していた。

 

 

 今朝病室で目覚めた津上は遠くから聞こえたテレビの音で日付と時間を知ると、遅刻だと焦ってベッド脇に有った自身の荷物をひったくり、着の身着のまま病院から走って学校に向かったのだ。

 幸か不幸か、この辺りの土地勘がある津上は病院から学校までの最短ルートを駆け抜け、失踪が発覚する前に学校にたどり着いたというわけだ。

 

 そんな経緯を話すと、相澤は頭を抱え一昨日何が起こったか記憶にあるか確認してきた。

 勿論津上は(ヴィラン)連合の襲撃や自身が死にかけるほどの大怪我を負ったこと、その後の梅雨たちの懸命な介抱の一切を記憶している。

 そう伝えたところ相澤は、呆れて言葉も出ないなとぼやいた。

 

 病室からの失踪はあわや大騒動となるところだったと、20分近く掛けて相澤にみっちりと叱られた津上は、責任をとって退校すると土下座して訴えようとしたが即座に捕縛布で拘束され、それを口にすることはなかった。

 

 

 現状確認を終えた相澤と津上の間に静寂が訪れる。

 校医であるリカバリーガールを待っている最中であるが、その到着にはまだ時間がかかる予定だ。

 

 

「俺の力不足で大怪我を負わせてしまった。守ってやれず、すまなかった」

 

 相澤は静寂を切り裂き、深々と頭を下げた。

 

「頭を上げてください、相澤先生のせいじゃありません! あれは、俺が勝手に!」

 

 突然の謝罪に津上は大慌てで言葉を並べていった。津上からすれば闇雲に突っ込んでいって大して何も出来ず大怪我を負っただけなので、相澤から謝罪を受ける理由が一切無い。

 むしろ相澤を含む多くの人たちに迷惑をかけてしまったことを謝るべきは自分だと、ベッドに縛られている状態で出来る限り頭を下げる。そんな謝罪を一部肯定しながら(なだ)め、それでも、と相澤は切り出した。

 

「それでも、プロにとっては結果が全てだ。命の危機に晒し大怪我を負わせた事実は、お前がどう思おうと変わらない」

 

 重ねて深々と頭を下げる相澤の姿に津上は何も言葉を返せず、そうさせてしまった自分の不甲斐なさをこの上なく悔しく思った。

 

 あの時は、命を捨ててでも、手を汚してでも梅雨やみんなを守ろうという一心での行動だった。そして大した事も出来ず怪我を負い、梅雨を泣かせ、尾白や峰田たちを心配させ、多くの人に迷惑をかけて、今相澤に謝罪をさせている。

 強く在れればこうはならなかったと、津上は今改めて思った。

 

「強くなります。強くなってみんなを守れるように、みんなに心配されないようなヒーローに、俺はなります!」

「ああ、期待してる」

 

 期待と共に津上の肩に置かれた相澤の手は暖かく、表情は柔らかった。

 

 

 

 

「あんたはまったく、朝から本当に驚かせてくれるね!」

「リカバリーガール! すみません、ご迷惑お掛けして」

 

 それからほどなくして、保健室にリカバリーガールがやって来た。津上の謝罪もそこそこに、リカバリーガールはすぐさま診察を開始した。

 

 リカバリーガールが最初に診はじめたのは津上の頭の様子だ。

 脳無に殴られた頭は今となっては痛みは全く無いが、傷がどうなっているのか見当もつかない。包帯の下を確認しているリカバリーガールが時おり上げる悩ましげな声に僅かばかりの不安を覚えた。

 

 立て続けに目の動きの確認や単純な思考問題が出されたが、これといって難しい問題でもなかったのでスラスラと答えられた。

 

「意識もはっきりしてる。MRIで見た通り、頭の方は問題なさそうだね」

 

 その言葉で津上はホッと胸を撫で下ろす。

 頭が終わると次は左腕の診察だ。強い痛みの残るそここそ最大の重症であることは間違いなく、頭と同様に包帯の下がどうなっているのか分かっていない。

 

 慣れた手つきでリカバリーガールが包帯を外すと、人差し指と中指の間から肘に至るまで、くっきりと残る大きな破壊の痕が顕になった。

 未だ治りかけの赤みを帯びた生々しいその傷口を見た津上は、他人事のように「そこに沿って裂けそう」だと考えていた。

 

「滅多なこと言うんじゃないよ!」

 

 どうやら考えが口から漏れていたらしく、リカバリーガールにはこっぴどく叱られ、相澤は呆れたような目を津上に向けていた。

 

「指を動かせるかい?」

 

 リカバリーガールの指示に従って津上は左手に力を込めるが、動かせたのは小指と薬指だけで、その2本すらも強く曲げようとすると傷口に激痛が走る。

 痛みに耐えて無理に動かそうとしたがリカバリーガールに止められ、診ていくから決して動かすなと命じられた。

 

「やっぱり、治りが早すぎるね」

 

 左腕の容態を一通り診たところでリカバリーガールがそう漏らす。

 

「リカバリーガールの個性のお陰では無いんですか?」

「わたしの個性(治癒)はあくまで治癒力の活性化、治癒には体力を使うから一度に治せる速度にも限界がある。それに腕や足を生やす再生のような事はそもそも出来ない、アンタの左腕はそれに匹敵する重傷なんだよ」

「じゃあ、どうしてここまで……」

「こっちが聞きたいくらいさ。アンタの個性が何らかの形で作用したのかもしれないけど、今すぐ確証は得られないよ」

 

 今まで生きてきて津上は自身の怪我の治りが目に見えて早いと感じたことは一度もない。専門家が分からない以上考えても答えは出ないだろうと津上は考えるのをやめた。

 

 リカバリーガールの個性でも治せない重傷と聞いて、左手は元通りにならないのだとなんとなく理解し、漠然とした不安がじんわりと胸に染み出してくるのを感じた。

 

 リカバリーガールが治癒(チュー)を施してから左腕に包帯を巻いた。どうやら診察は終わりのようだ。

 

「今日の処置はこれで終わり、治癒も掛けたから午前中はここで寝てるんだよ。いいね!」

「はい……」

「休んだ分の補修はつけてやる。そんな不安そうな顔はよせ」

「わかりました」

 

 リカバリーガールから渡されたグミを口に入れて津上はベッドに体重を預ける。治癒力の活性化により体力が大きく削られたからか、瞼を閉じるとあっという間に深い眠りへと落ちていった。

 

 

 

 

「――ないな」「――よ」「――だねぇ」「――から、――」

 

 途切れ途切れに耳に入る音が眠っていた意識を浮上させていく。心地の良いその音を微睡みの中でずっと聞いていたい気持ちも湧くが、時折自分に向けられるその()に応えたい気持ちが勝り、津上は重い瞼を開いた。

 

「おはよう?」

 

「おはよう、津上ちゃん」

 

 津上の第一声に真っ先に答えたのは、津上の事を直ぐ側で見ていた梅雨だった。

 それに続いて、飯田や切島たち来ていたA組のクラスメイトが次々に津上に声を掛ける。起き抜けでなくともキャパオーバーな言葉の濁流に慌てふためいて一分くらいはただ返事をする事に終始する羽目になった。

 

「みんな、ちょっと落ち着こう。津上が困ってる」

 

 尾白が止めてくれなければそれももっと続いていたかもしれない。尾白の言葉でそれぞれが謝ったり申し訳なさそうにするのを見て津上は胸に暖かさが満ちるのを感じた。

 

「ううん、すごく嬉しいよ。本当にみんな、ありがとう」

 

 津上は、そこにいた一人ひとりそれぞれと目を合わせながら心を込めて感謝を伝える。

 そうすると、尾白は朗らかな笑みを浮かべ、峰田は歯を見せて笑い、緑谷は涙を堪える。他のクラスメイトもそれぞれ反応は違えど、安堵しているであろうことは分かった。

 

 最後に1番近くに居る梅雨と目が合うと、梅雨は満面の笑みを浮かべる、細くなったその目には大粒の涙が溜まっていた。

 

 そんな梅雨に対し次にどうすべきか戸惑った津上は、袖で涙を拭った緑谷に声を掛けられ、緑谷の方へ視線を移した。

 

「津上くん、ごめん。僕のせいで……僕が何も……」

「緑谷、違うぜ。お前だけじゃなくて謝るのはオイラもだ。オイラだって、何も出来なかった」

 

 言葉に詰まっていた緑谷に峰田が助け舟を出した。怪我をさせてしまってごめん、と謝る2人の姿に津上の胸中に申し訳無さが湧いてくる。気にしないでと津上が言葉にする前に、梅雨が2人に続いた。

 

「津上ちゃん、助けてくれてありがとう」

 

 津上の右手に両手を重ねながら感謝を伝えてきた梅雨を見て、津上は出かかっていた「気にしないで」といういつも使う言葉を飲み込んだ。なんとなく、ただなんとなくその感謝の気持ちを受け止めておきたいと思って、別の言葉を選んだ。

 

「助けられて、良かった」

 

 きっと、この瞬間の事はこれから先も自分のなかに残り続けると津上は確信した。

 

 

 

「ブラーボー! ブラーボー!」

 

 そんな湿っぽい雰囲気を飯田がガラッと変えた。常闇や障子が静かにツッコミを入れているが、冷静になって気恥ずかしさを覚えていた津上は少しだけ救われたような気持ちだった。

 

――――グゥゥゥ。

 

 人心地つくと同時に、津上の腹からそれはもう大きな大きな音が鳴る。それもそのはず、一昨日の事件から食べたのはさっきのグミひとつで、ここ2日点滴による栄養摂取だけを行ってきた津上の空腹はとうの昔に限界を越えていたのだ。

 

 照れ隠しに笑いを浮かべた津上だったが、クラスメイトたちは一大事だとばかりに深刻な様子でリカバリーガールに津上の昼食について答えを迫る。もう食べても平気か、何か買ってきていいかと、困っている仲間を放っておかないとてもヒーローらしい振る舞いだ。

 

「この子の分はもう手配してるから、アンタ達は自分のお昼を考えなさい」

「なら、津上と一緒に飯食いたいんですけど、良いっすか?」

「まあ、しょうがないね、片付けはするんだよ」

 

 切島が一緒に食べる許可をリカバリーガールからもぎ取ると、すぐさま飯田や佐藤、緑谷ら男子たち数名が弁当の買い出しに動きだす、気付けば昼休みも3分の1が過ぎようとしていて昼食を取ることを考えればあまり余裕は無い。

 保健室に残った面々はてきぱきとテーブルや椅子を用意していく。

 

「俺も手伝うよ!」

「絶対に言うと思った」「病人は安静にしておけ」

「だ、だよね」

 

 津上の申し出は言うや否や、耳郎や常闇を筆頭に却下される。それを不思議と嬉しく思った津上は静かにクラスメイトの様子をベッドに座って見守った。

 テーブルの準備が完了しようというとき不意に保健室の扉が開いた。買い出し組が帰ってきたのかと目を向けると、そこには怪訝な目を据えた相澤がトレー片手に立っていた。

 

「何してんだお前ら」

「事の成り行きで津上さんとお食事をご一緒する事になりまして」

「そうか……リカバリーガール(ばあさん)が許可してるなら、俺から言うことはないが」

 

 八百万の返答を聞いた相澤は一瞬リカバリーガールに目配せし、会釈をして津上の居るベッドへと向かう。その途中で梅雨が相澤に声を掛けた。

 

「相澤先生も一緒にお昼どうかしら?」

「いや、俺はいい。津上」

「わざわざありがとうございます!」

 

 相澤は持っていたトレーを津上の目の前に置くと、すぐに踵を返し「5限目、遅れるなよ」とだけ言い残して足早に保健室を後にした。

 

 それと入れ替わるように買い出しに行っていた男子たちが両手にビニール袋をぶら下げて戻ってきた。

 

「みんな待たせてすまない。弁当を渡すから二列に並んでくれ」「いや、適当に配りゃいいんじゃね?」

「相澤先生とすれ違ったけど、何か有ったの?」「先生、津上くんのお昼持ってきてくれたんだ」「あっ、なるほど」

「種類は?」「こっちはアジフライ、からあげ、カルビ弁当だな」「どれにしよっかなー」

 

 弁当が届いてからもずっと話が尽きることはなく、津上(怪我人)用の薄味の食事がとても美味しく感じた。

 

 

 ちらほらと食べ終えた男子が現れ始めた頃になると、話題は今朝HRで伝えられた雄英体育祭へと移っていた。

 津上はHRに居なかったが、多少の事は入学前から知っていたのと、飯田や八百万が開催概要を丁寧に説明してくれたので話についていくことができた。

 

「津上も出るんだよな、体育祭!」

「勿論!」

 

 気合い漲る切島の言葉に二つ返事で言い放ったが、それに待ったが掛かった。

 

「あんな大怪我した後で大丈夫なのか?」

「津上ちゃん、無理はしないでちょうだいね」

 

 待ったをかけたのは尾白と梅雨だ。動かない左手の事を思い出し、出場の是非をリカバリーガールに問いかけた。

 

「今のところは許可出来ないよ。本気で体育祭に出ようと思うんなら言うことを聞いて治療に専念するんだよ」

「分かりました!」

 

 力強く返事をしながら津上は期待の表情を浮かべる切島に頷いてみせる。特に言葉を交わすことはしなかったが、切島たちの期待は裏切りたくない、そう思った。

 

 

 それからも津上を中心に盛り上がりあっという間に時間は流れた。

 

「宴もたけなわですが、片付けを開始しましょう」

「そうだな、授業に遅れるわけにはいかん。それでは、ゴミを分別する係と机・椅子を移動する係、拭き掃除を行う係に……」

「もう始めてるぞー」「すぐ空転するじゃん、委員長」

 

 片付けの最中も和気あいあいとしているクラスメイトの姿を、津上はベッドの上で羨ましく眺めていた。そんな津上の下へリカバリーガールが歩み寄り、津上の胴体を縛っていた捕縛布を外した。

 

「午後の授業は出ていいよ。実技なら見学だけど、その辺は相澤先生の言うことを聞きなさいよ」

「分かりました、ありがとうございます!」

「それと、これから毎日、朝のHR前と放課後はここに来るんだよ」

 

 津上が発した返事で状況を大まかに理解したクラスメイトが「復帰早え」「体育祭出場確定か」と囃し立てる。

 すぐにベッドから降りた津上は友達に囲まれながら自分たちの教室への帰路につく。左腕の痛みも今はどうでもいいと思えた。

 

 

 

 

 午後のヒーロー基礎学を終え時は放課後。リカバリーガールに言いつけられた通り、保健室行くことになっている津上は片手で手早く荷物を纏めて出入り口へと向かった。

 

「なにごとだあ!」

 

 そんな声を上げたのは麗日だった。その視線の先、1ーA前の廊下は黒山の人だかりで埋め尽くされていた。体育祭に向け、(ヴィラン)の襲撃を耐え抜いたA組の敵情視察にきた雄英の1年生たちだった。

 

(困った、これじゃあ外に出られない)

 

 片腕を負傷しているので人垣を押し通る訳にもいかず、どうしたものかと頭を悩ませていた津上の横を、不敵な様子の爆豪が通り過ぎた。

 一体どうするのかと津上が観察を続けていると、爆豪は人垣に向けて大胆に言い放つ。

 

「敵情視察なんざ意味ねえから、どけモブ共」

 

 爆豪の高圧的な物言いにクラスの外も中も剣呑な雰囲気に包まれた。だが、その間で津上は爆豪の言葉を異なる意味で捉えていた。

 

(怪我を負っている俺が通れる道を拓こうと、そんな言葉を選んだのか!)

 

 もちろん断じて違うが、津上の中で爆豪に対する評価がまた上がった。

 

 もっとも、爆豪の言葉は道を拓くどころか、それに反応した生徒の多くが教室ギリギリまで距離を詰めることになって、人垣がより強固になったのは言うまでもない。

 このままでは爆豪が更に激しい物言いをしてしまいかねないと危機感を抱いた津上は詫びを入れるジェスチャーをしながら人垣へ向かっていった。

 

「すまない、保健室に行かないといけないんだ。道をあけてくれないか?」

 

 そう言いながら現れた包帯だらけの津上の姿を見て最前列に居る何名かはギョッとした表情を浮かべ道を開こうとしたが、それ以外の生徒は耳に入っていないようで人が通れるほどの空間は開かなかった。そうして開いた隙間に今度は背の高い紫髪の男子が滑り込む。

 

「こういうの見るとちょっと幻滅するなぁ」

「そうだよね、こんな包帯まみれの姿、ヒーロー科には相応しく無いよね……」

「は?」

 

 男子生徒――心操人使は、津上の物腰の低さに驚いて胸中の毒気を見失ったようで、二の句を続けられずにいた。

 数拍の後に、目の前の怪我人(津上)の様子を察してか、半身になって道を開ける。

 

「ありがとう!」

「いや……俺だってヒーロー科への編入目指してるし……体育祭! ヒーロー科だからって慢心してると俺みたいなのに足元掬われるから」

「ああ、お互い頑張――――「そうだそうだ!」

 

 心操の宣言に同調して周囲の生徒たちが声を上げたことで、津上の言葉はかき消された、特に後列に居たトゲトゲしい派手なまつ毛が特徴的な銀髪の生徒の声が大きく響き渡っている。

 

 どうにかして保健室に行きたい津上と、それを察して道を開けようとする心操ら数名の生徒、様子見に来たという本来の目的を忘れ声を荒げる生徒たちで1ーAの教室前は混沌としてきた。

 

「怪我人の話も聞けねーような連中がヒーローになろうとかガキの戯言(たわごと)より甘ェんだよ。さっさと道開けろ」

 

 普段は火に油な爆豪の言葉だが、今回に限ってそれは騒動を水を打ったように一発で沈めた。その放つ迫力に気圧され、人垣の中に自然と道が開かれていくのだった。

 悠然と歩く爆豪の後ろを津上はついて歩いた。

 

「ありがとう、爆豪くん」

「あ?」

 

 津上が放った感謝の言葉に爆豪は眉を歪めてただ睨み返した。そんないつも通りの爆豪の振る舞いは津上にとってこの上なく喜ばしいものだった。

 

 体育祭に向けて努力しているのはヒーロー科だけではない、その事実を目の当たりにして津上は体育祭への参加を今一度強く意識した。

 その為に必要な治療を先ずは頑張ろうと、足早に保健室へと向かっていった。



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第一種目、障害物競走!

モブの名前有りオリキャラが出てきます。代名詞だけでは表現が追いつきませんでした。


 時は流れて雄英体育祭当日、津上は第一種目である障害物競走のスタートの合図を今か今かと待ちわびていた。数万人の観衆が、多くのメディアがグラウンドに居る雄英一年生に――津上に視線を注いでいる。

 ともすればそれは自意識過剰かもしれない。しかし津上の過去を考えれば視線を強く意識してしまうのも仕方のないことだ。注目され、自身の過去を暴かれた結果どうなったかを忘れる日はきっと訪れないだろう。

 

 衆目に晒される恐怖が無くなったわけではない、それでも体育祭に全力で挑むと、あの日から変わっていくと決めたのはクラスメイトとの約束と、相澤への信頼のお陰だ。

 

(覚悟は決めた、やるなら全力)

 

 

 

 

 時は遡り体育祭の一週間前のこと、放課後の生徒指導室に津上と相澤は居た。

 左腕の治療も進み、サポートアイテムでの保護を条件に体育祭出場の許可をリカバリーガールが与えた直後のことだった。

 

「改めて聞くが、体育祭に出場するか?」

「もちろんそのつもりですが……」

 

 そのためにここ一週間治療に専念してきた。切島をはじめとするクラスメイトとの約束もある以上、そもそも体育祭に出場しないという考えは津上には無い。

 相澤がこうして出場の意志を再確認する場を設けたのは元のように動かすことの出来ない左腕を心配してくれているからだろうと、津上は思った。

 

「心配してくれてありがとうございます。でも、俺頑張りたいんです。みんなと本気で競い合えるこの機会を逃したくないんです! それにほら、左手もこの通り回復傾向にありますし、大丈夫です!」

 

 動くようになった左手の親指・薬指・小指を曲げてピースサインを作り相澤に宣言した。

 しかし相澤の反応は芳しくない、相澤の懸念はどうやら別の所に有るようだった。

 

「お前、マスコミが嫌いというかトラウマだろ。今回は(ヴィラン)の襲撃のせいで例年以上に注目されてる。出場すればアレコレ調べられるだろう、過去とか、お前の両親のことも好き勝手に」

 

 淡々と相澤は言う。目立てば確実、そうでなくとも話題性を求めて探る人間は出てくるし、目立つのを嫌って手を抜いて参加するのも本意ではないだろう。と、相澤は手元の資料に目を落とし、言葉を並べていった。

 

 それに対し津上はさっきまでの調子が嘘のように黙って相澤の言葉を聞いている。マスコミ嫌いは間違いない。両親の事を知られることはトラウマだ。しかし津上が言葉を失った最大の原因は――――

 

「相澤先生は…ご存知、なんですね……」

「ああ、知ってる。両親の事も、お前がこれまで受けた数々の苦労もな」

 

 相澤は津上が知られたくない事を知っていた。ただその事実が胸に突き刺さった。

 

 しかし当の相澤は津上に目を向けずに言葉を続ける。もしも相澤に鋭い目を向けられていたら津上はどうなってしまったか分からない、その意味で相澤の視線が資料に向けられているのは幸運だった。

 津上はこの場を乗り切る道を探そうとしても、パニックになった頭は何の考えも浮かばず堂々巡り、そんな津上の動揺を止めたのは相澤の言葉だった。

 

「俺に限らず、教師のほとんどはその辺を知っている。だから今更外野が騒いだところで態度を変えたりはしないから、その点は心配するな」

 

 津上にはその言葉だけで十分だった。怖いのは過去を知られることじゃない、知られたせいで周りの人が変わってしまうのが津上は怖いのだ。だから、知っていても平然と接してくれていた相澤の優しさに気付いて胸がいっぱいになった。

 その後も、マスコミへの対処法や(ヴィラン)の家族への保障などなど津上の不安を取り除けるであろう言葉を矢継ぎ早に並べていく相澤を、津上は潤む視界で見据え続けた。

 

 

 

 

 

 相澤からの期待と恩に応えるべく津上は今日までリハビリやトレーニングを全力でこなしてきた。

 控室での轟や緑谷の決意表明、爆豪の優勝宣言、そんな熱を胸に抱きながら、スタートの合図を待つ。

 

『スターーーーーーーーーーーーーート!!!』

 

 主審・ミッドナイトの合図で、一年全員が一斉に走り出した。第一種目である障害物競走のコースは会場の外周を回り再び会場内へ戻ってくるというもの、その道中で一体どんな障害物が待ち受けるのかランナーのほとんどはそこに意識を傾けているようだ。

 けれども、スタート開始直後からこのレースは始まっている事を多くの生徒が痛感させられることになる。

 

 

『スタート直後からいきなりすし詰め! どうしたどうした、先頭はどんどん先行ってんぞー!』

 

 スタートゲートから外へとつながる通路は狭く、かつての食堂での騒動を思い起こさせるようなぎゅうぎゅう詰めの状態となり先頭を除く多くの生徒は足止めを食らった。勿論津上もその一人だ。

 手甲で保護されているとはいえ、いまだ完治していない左腕を保護しながら、津上はその流れに身を任せる。

 

(ここで余計に体力使って後でへばったら元も子もない)

 

 この先にどんな障害が待つか予想のつかない状態での体力の浪費を避けた津上は先頭集団から少し離れた位置についた。

 時間を掛けて狭い通路を抜けたが、足元が(恐らく同じクラスの轟の個性によって)一面凍結しており、スピードアップを図れなかった。

 

 周りで転倒している生徒や足と地面とが固着し身動きの取れなくなった生徒を横目に慎重に歩みを進める津上。雄英生ならきっと自分で解決するだろうと、自分に言い聞かせ手助けを我慢して前へ進む事に専念する。

 

「チクショウ、こんなところで……情けねえ」

「なんで、こんな」

 

 しかし、周りの生徒が出す悔しさの滲む声が耳に届いた途端、津上の体はいつものように周りを助けるべく動き出した。

 

(氷、ドライアイス、冷凍庫)

 

 これまでキープしてきた冷たいものをイメージしながら右手で地面に触れ個性を発動していく。

 今回キープするのは冷気。体育祭開催までに行った自主訓練で冷気のイメージを掴む訓練を行ってきた事が功を奏し、十秒もしない内に地面の冷気のキープが完了した。

 

「氷が消えた? 時間制限か?」

「とにかくラッキー! 巻き返そう!」

 

 四方から解放された生徒たちの聞こえてきて、ようやく津上はレースを再開する。

 大きく開いた差を埋めるように津上はハイペースでこの先に待つ第一関門へと向かっていった。

 

 

 

 第一関門として待ち受けているのはロボ、ヒーロー科受験生であれば目にした仮想(ヴィラン)たちだ。小さいものでも2mほど、大きいものになるとビルに匹敵するサイズだ。既に巨大ロボの一体は氷漬けにされ無力化されているが、まだ何体も残って行く手を阻んでいる。

 

「とりあえず俺たちは一時協力して道開くぞ!」

 

 誰かが言ったその言葉に、津上はすぐさま従った。

 さっきキープした冷気で巨大ロボの片足を拘束することで火力のある個性持ちのサポートを、小型のロボはキープで頭や胴体を右手で引きちぎることで数をどんどん減らしていった。

 

「チョロいですわ」

 

 動きを止めた巨大ロボに八百万が大砲を打ち込み、転倒させた。そうして拓けた道を通って多くの生徒が第一関門を突破していく。

 津上もそれに付いて行こうとしたが、視界の端で小型ロボに苦戦する生徒を発見すると、条件反射のようにその手助けに向かった。

 

「伏せて!」

 

 他科の生徒に振り下ろされようとしていたロボの腕を右手で受け止め、衝撃をキープすると共にロボの腕を個性で切断。すかさずその2つを同時に解放してロボを吹き飛ばした。

 集まってきたロボも右手で撫でるように無力化し安全を確保していく。

 

「助けてなんて言ってねーぞ」

「ごめん。俺が勝手にやってることだから、気にしないで」

 

 不機嫌そうに声を掛けてきた生徒に津上は謝罪を入れ、危機に瀕している生徒が居ないことを確認して再びゴールへ向けて走り出した。少し離れたところで「サンキューな」という言葉が背中を押した。

 

 

 

 

 続く第二関門は『ザ・フォール』。奈落に立つ柱とそこに架かるワイヤーを利用して対岸に向かう言わば大袈裟な綱渡りだ。

 個性で飛び越えられるものは個性で、そうでないならワイヤーを這いずって渡る。その2つが主だった攻略法だろう。

 

(この左手じゃあ、這いずるのも厳しいか)

 

 落下への恐怖に足をすくませ立ち止まっている生徒の集団を前に津上は手甲で保護されている左腕を眺めた。

 

 左腕の治療は進んでいるが、特に損傷の激しかった人差し指と中指は相変わらず動かず、ものを握ったりすることはかなり厳しい状態だ。つまりワイヤーを這いずって渡るのというのは現実的ではない。

 残る攻略法は個性の利用だが、膨大な量の風を溜めて跳躍するのは準備に時間がかかりすぎる上、確実性に欠けると考え却下した。

 

『上はイチ抜け、下はダンゴ状態! 上位何位が通過するかは公表してねえから安心()()()突き進め!!!』

 

 プレゼント・マイクの実況を聞き、足を止めている余裕は無いと理解した津上が、左手に負担を架けずそれでいて遅れを取り戻せるように素早く渡れる方法として考えたのが――――

 

「この太さなら走れる!」

 

 脳筋上等パワープレイだった。

 ただ考えなしと言う訳でもなく、右手で空気を取り込み続け、バランスが崩れそうになったら適宜放出し落下を避ける策略だ。

 最初は速歩き程度の速度しか出なかったが、3つ4つとワイヤーを超える度にスピードは速くなっていった。

 

 落下への恐怖で足が止まったりする生徒が多かったお陰で、手助けの必要な生徒に出くわさなかった事が津上の足を更に軽くした。

 

 あれよあれよと言う間に第二関門最後の柱にたどり着いた津上は、その上で女子生徒と遭遇する。その女子は肩で息をしながらワイヤーの先を見つめていて津上の事に気付いている様子はない。

 後から来て割り込むのには抵抗が有ったが、レースなのだからと意を決して声を掛けることにした。

 

「もしまだ息を整えてるなら、悪いんだけど、先行かせてもらってもいいかな?」

「は?」

 

 津上は努めて愛想よくしたが、その気安さは彼女からすると挑発されているように感じたのかもしれない。女子生徒は津上に聞こえるように舌打ちをしてから、苛立ちを隠す様子もなく道を譲った。

 

「お先にどーぞ」

「ありがとう!」

 

 その好意(?)を受けて、津上は最後のワイヤーの上を走り始めた。コツを掴めてきたからか一度もバランスを崩すことなくワイヤーの中央を通り過ぎた。

 

「先に、行くわよ!」

 

 対岸まで残り数メートルのところで、津上は左斜め上から掛けられた声に振り返った。するとそこにはさきほどの女子生徒。彼女の持つ発達した両脚(個性)でここまで跳んできたらしい。

 大変な状況下で声を掛け(煽っ)てきたことに感謝の言葉を返そうとした津上だったが、相手の様子のおかしさに言葉が詰まった。

 

「届かな……」

 

 既に落下を開始していて対岸にたどり着く気配はない。重力に引かれている彼女の目に浮かんでいる恐怖が津上の体を突き動かした。

 相手が助けを求めるよりも先に、自分が考えるよりも先に、津上はワイヤーから跳び出した。

 

 足りない推進力を溜め込んだ全ての風で補って、津上は全力で手を伸ばす。左手の怪我の事はすっかり頭から抜け落ちていた。

 

「手を!」

 

 言葉と共に差し出した左手は間一髪のところで繋ぐ事が出来た。もし僅かにでも動き出すのが遅ければ、結果は変わっていただろう。指はあまり動かなかったが、それでも出来る限り繋いだ手に力を込め続けた。

 

 跳躍の勢いに乗ったまま対岸の縁に右手を掛けたその時だった。人一人分の体重を吊るす事になった左腕に激痛が走る。

 

 骨が軋み、筋肉が千切られ、皮膚が裂かれるかのような壮絶な痛みに苛まれ、津上の右手は崖の縁を手放してしまった。

 

「しまった!」

 

 慌てて再び崖を掴もうと力を込めた津上は無意識に個性を発動する、すると壁と右手がまるで一体化したようにガッチリと固定された。

 

『ん? ヒーロー科A組 津上、普通科D組 跳崎(はねさき)、お二人さん崖にぶら下がって何やってんだァ? リプレイカモン!』

 

 もはや実況は津上の耳に入っておらず、左腕に走る痛みに耐えながら女子生徒――跳崎を縁まで持ち上げた。

 縁を掴んで上がった跳崎の手助けを得て、津上もなんとか崖の上へ登った。

 

「助かったよ、ありがとう!」

「いや、それ(あーし)のセリフなんだけど」

「あっ、ごめん」

「謝られても困るってーの」

 

 アクシデントによる精神面での疲労も相まって荒くなった呼吸を膝に手を当てて整えていく津上。一方の跳崎は大の字になっている。ただ、そのどちらも表情は晴れやかだ。

 

『落ちかけた跳崎を危険を顧みず助けた津上、その英雄的行動に拍手!』

『だが、それで一回戦敗退なら、競技上無駄な行動だ』

 

 解説役の相澤の言葉を聞いて今すぐレースを再開しようと津上は大きな深呼吸をした。ゴールに向かって走り出す直前、横になっている跳崎の後ろめたさをはらんだ表情が目に入った。

 

「大丈夫! 跳崎さんのせいになんかさせないよ!」

 

 もし津上が一回戦で敗退したら、これまでお礼を言ってくれた人たち、跳崎に罪悪感を抱かせてしまう。そういう事をさせないと津上は誓ったのだ。

 

「先に行くね!」

 

 跳崎の返答を待たず、津上は第三関門へと走り出す。

 

『さあ続々とゴールイン! 順位は後でまとめるからとりあえずお疲れ!』

 

「ガンバー!!」

 

 予断は一瞬も許されない。跳崎からの声援に右手の握りこぶしで答え、全力で地面を蹴る。

 

 

 

 

 第三関門は地雷原のフィールドを駆け抜ける、題して怒りのアフガン。

 地雷は威力自体はそこまででもないが、光と音はかなりのもので足止めには十分な代物だ。

 

 先行者が発動させて地雷が減る分、後続になればなるほど有利なる障害ではあるが……

 

(後追いじゃ、抜かせない)

 

 先行者のいる地雷のないルートには必然的に人が集まる。なので津上は後続の利点を捨てて、未だ多くの地雷が残るフィールド端を走ることにした。

 

 津上はこれまで強烈な音と光と衝撃のそれぞれをキープしたことがあり、イメージは掴めている。

 それらを遥かに下回る地雷の爆発ならば容易にキープ出来ると見越して、地雷を気にせずに全力疾走していく。

 

 前傾姿勢になり地雷が起爆した瞬間に個性を発動(キープ)、最初は怯んだがイメージを修正してそのロスもゼロに近付けていく。

 

『ここでA組 津上、端から猛烈な追い上げ! 全然起爆しねぇが、フリーパスでも持ってるのか?』

『いや起爆はしてるな。起爆したのを手当たり次第に無効化してるだけだ』

『なるほどな! 新たに出来た津上ルートに後続が殺到! まだレースは分からないぞォ!』

 

 キープした爆発は既に20発。キープできる容量の限界も見えてきていた。

 元より走りだけでここを突破するつもりはないので、限界に達する前に津上は次の行動に移ることにした。

 

「ついてきてる人! ごめん!」

 

 大声で叫ぶと共に今まで地面に向けていた右手を真後ろに構える。

 一発の威力は高くないが、それが集まれば大きな力になる。それを右手で圧縮して放出すれば、爆豪のような加速が可能になる。

 

 耳をつんざく爆音が響き渡り、津上は弾丸のように飛翔。第三関門を越え、勢いを維持したままスタジアムのゴールゲートを突っ切った。

 

『大!爆!発! A組 津上、地雷を利用して猛スピードでゴール! 緑谷といい、障害物競走は障害物を利用するレースじゃねーぞ!』

 

 大歓声の中ゴールした津上は、地面に激突する時の衝撃をキープして受け身をとり、無事スタジアムに降り立った。

 

 ゴールしているのは見える限りで40人ほどの生徒、その半分がA組だ。

 津上に続いて他科の女子生徒と青山がゴールし、これでA組は全員ゴールしたことになる。

 

「ド派手なゴールだね、津上」

「人助けして遅くなるなんて、津上ちゃんらしいけど、心配したわ」

 

 自分の順位を気にしていた津上に声を掛けたのは先にゴールしていた尾白と梅雨だ。

 

「もっと上位でゴールしたかったけど、どうしても体が動いちゃうんだよね」

「それが津上の良いところだよ」

「尾白くん、ありがとう。でも二回戦進出できるかな……」

「少し不安ね、入試のレスキューポイントみたいな制度が有ると良いけれど」

 

 

 そんな雑談を続けること数分後、ミッドナイトの進行で第一種目の結果が発表された。

 

 

――――41位 津上保。

 

 二回戦は上位42名が進出、津上はぎりぎり二回戦進出の切符を手に入れた。




青山くんは犠牲になったのだ。オリ主の犠牲に。
跳崎さんの出番は多分この章だけです。

2021/07/21 津上の順位を間違えるという痛恨のミス。41位です。42位発目さん、43位青山くんです。


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チームアップ(2)

B組、凡戸固次郎のキャラデザが出てこない方は一度検索される事をおすすめします。


 雄英体育祭、第2回戦は騎馬戦だ。

 1回戦の上位42人が2~4人チームを組んで騎馬を作り、ハチマキ(ポイント)を奪い合う。この時のポイントは1回戦での順位によって決まり、42位は5ポイント、41位は10ポイントと5ポイント刻みで持ち点が増えていく。メンバーのポイントの合計がチームのポイントとなる。

 ちなみに1位の緑谷は特別に1000万ポイントが与えられている。

 

 また、普通の騎馬戦と違いハチマキが取られても失格にはならずそのまま続行し、競技終了時点での保有ポイントで順位が決まる。

 

『チーム結成の為の15分間の交渉タイムよ、さあ、始めなさい!』

 

 司会のミッドナイトの宣言で全員が交渉に動き出す。津上は一番最初に思い浮かんだ相手を探すことにした。初めてチームアップしたその人となら善戦出来るような気がしたからだ。

 喜ばしい事にその相手も津上の事を探していたようで、そう時間もかからずに出会う事ができた。

 

「梅雨ちゃん!」「津上ちゃん」

 

 互いの名前を発したのは同時で、多くの言葉を交わさずとも互いが互いを探していた事が分かった。梅雨となら間違いなく良いチームワークが取れる。津上はそう確信した。

 

「個性を踏まえて梅雨ちゃんが騎手で俺は馬かな。あとのメンバーをどうしようか」

「私もその考えだったわ。他のメンバーは、まず馬の先頭をできる体格の良い人が欲しいわね。私が背に貼り付けるくらいの」

「背に貼り付く?」

「ええ、その方が津上ちゃんの左腕に負担が掛からないでしょ?」

 

 梅雨は左腕の手甲を指差してあっけらかんと言った。

 第一種目の中盤で受けた負荷で左腕は今もズキズキと痛んでおり、騎馬戦と聞いたときから左腕への負担を強く懸念していた。そんな津上にとって、梅雨の提案は願ってもないことだった。

 

「ありがとう」

 

 感謝を告げてすぐに後は誰とチームを組むか検討に移った。

 津上と梅雨は求める条件に合う体格のいいクラスメイト――砂藤や口田、障子や飯田などの候補を上げていく。そんな話し合いをしていると、横合いからクラスで最も小柄な男、峰田が2人の話に割り込んだ。

 

「ヘイ津上、オイラも混ぜてもらっていいか?」

「もちろ……「ダメよ」

「オイラは津上に聞いてるんだぜ、なあ、良いだろ津上?」

 

 基本的に人を疑う事をしない津上ですら、その言動に裏が有ることを感じる程度には、梅雨をそっちのけで話を進めようとする峰田の言動は不自然だった。

 しかし峰田の企てが一体何なのかは皆目見当つかず、判断に困った津上は梅雨にその判断を委ねた。

 

「峰田ちゃん、イヤらしいこと考えてるでしょ」

「んなワケ……有るに決まってんだろ!!」

「素直なのだけは褒めてあげるわ。他を当たってちょうだい」

 

 毒を吐きながら去っていく峰田の背を見送っていたが、見掛けた葉隠にそそくさと駆け寄っていくのを見て「峰田くんらしいな」と、津上は少し呆れてしまった。

 

「峰田くん相変わらずだな……」

「私の都合で断っちゃったけど、良かったかしら?」

「うん。峰田くんは強いけど、体格的に騎馬戦ではね」

 

 そんな話もそこそこに、2人は当初の予定であった体格の大きなメンバーを探しはじめる。

 

 見つけた順に砂藤、口田、飯田へ声を掛けていったが誰もが既にチームを決めていて無理に引き抜くのを遠慮した津上はそそくさと諦めてしまった。

 峰田とのやり取りはロスだったかもしれない、と梅雨が口にした。

 

 最後にA組で最も大きな障子を見つけたが、その側には峰田の姿があり、2人がチームを組むような素振りだったので声を掛けずに梅雨と共にそこを離れた。

 組めば丁度4人になるが、梅雨と峰田を引き合わせるのが津上にはなんとなく嫌だった。

 

「梅雨ちゃん、俺の背中に貼り付ける?」

「ええ、無理ではないけれど……大丈夫?」

「個性柄多少の重量増加には慣れてるから、梅雨ちゃんくらいなら負担にもならないよ!」

「それなら、その方向でも考えましょうか」

 

 そうなると組む相手は誰でも良い、能力や個性の相性を度外視して意思疎通が素早くでき信頼の置ける相手を探すことになった。

 しかし既に時間も過ぎてチームも固まりつつある。その現状を鑑みて津上と梅雨は二手に分かれてひとりづつ探すことに決めた。

 

 津上が真っ先に思い浮かべたのは尾白だ。先の襲撃事件で共に危機を脱して以来、尾白は津上にとって最も仲のいい友人の1人であり、強い信頼関係にある。

 しかし、尾白はあまり目立たない人物(マイルドな表現)なので探し出すのに苦労することとなった。人をかき分け時にチームに誘われながら、津上は数分を掛けて端の方で他のクラスの生徒2人と一緒に立っている尾白を発見した。

 

 既にチームを組んでいるようだったが、津上はダメ元で声を掛けてみることにした。尾白が誘えなかったときの代案が無かったからだ。

 

「尾白くん、既にチームを組んでるところ悪いけど、良かったら俺のところに来ない?」

 

 しかし尾白はそれに反応を示さなかった。無視される事にはある意味慣れている津上はちょっと落ち込みながらも聞こえなかったのだろうと気持ちを切り替えてもう一度声を掛ける。

 

「別行動を取ってるけど、梅雨ちゃんも一緒なんだ。尾白くんも居ればかなりいいチームになると思う。協力して……」

 

 誘い文句を最後まで言い切る前に、背の高い生徒が津上と尾白の間に立ちはだかった。一週間前、1年A組へと視察にやって来た普通科の生徒――心操人使だ。

 

「悪いね、もう俺たちと組んでるんだ。あんたはこの人のクラスメイト?」

「うん。俺はつか…………」

 

 返答を始めた津上の意識はすぐに途切れた。それは呼びかけに答えた者の意識を奪い操る、心操の個性“洗脳”の効果によるものだ。

 津上は知る由もないが、尾白ともうひとりのB組の生徒はこの個性によって操られ、チームに組み込まれている。

 

「これで4人か、コイツの仲間、来たらどうやって追い返すかな……」

 

――――バシッ!

 

 心操の思考を遮るように、何かが破裂したような音が心操の目の前、津上の右手から発生した。

 心操の個性(洗脳)はある程度の衝撃を受けると解除されてしまうという弱点が存在する。津上の右手から発生した衝撃は、洗脳を解除するのに十分な威力があった。

 

「痛っ! ごめん、驚かせたね。ぼーっとしてて個性の制御に失敗しちゃったみたいだ」

 

 意識を奪われたのが余りに短い時間だった為、幸か不幸か津上は自身が心操の個性の支配下にあったことに気が付くことは無かった。それ故に津上から出たのは本心からの謝罪であった。

 そんな津上の姿を眉間に皺を寄せて観察していた心操は何か思い当たったようで閉じていた口を再び開く。

 

「どっかで見たと思ったら、あんた包帯だらけだった人か」

「うん。そういえば自己紹介してなかったね。俺は津上保。君の名前は?」

「俺は……心操、心操人使。普通科」

 

 2人がやったのは、あまりにもありきたりな自己紹介だった。そのやり取りの中で津上は自然に右手を差し出したが、心操がそれを取ることはなかった。

 自己紹介をしたっきり視線を逸らした心操を見て、きっと人付き合いがあまり得意ではない人なんだろうと津上はひとり勝手に納得した。

 

「残念だ、心操くんと尾白くんが2人だけだったらチームに誘えたんだけどな。ちょっと遅かったね」

 

 本心だった。津上から見て心操人使という人間は、理想とするヒーロー像を持ちそれからかけ離れている津上に幻滅しながらも宣戦布告する実直さがあり、怪我人を見たら自分の目的を後回しにしてでも手助けしようとする自己犠牲の精神を持っていて、ヒーロー科でも苦戦を強いられた第一種目を突破する実力を備えている尊敬の念を覚える人物だ。

 そんな相手だからこそきっと尾白も心操の手を取ったんだろうと納得して、後ろ髪を引かれながらも2人に別れを告げる。

 

「時間取らせてごめん。それじゃあ、騎馬戦お互い頑張ろう! 尾白くんも、またね!」

 

 心操からも尾白からも返答は無かったので、ちょっと残念な気持ちで梅雨が向かった方へ歩きだした。

 ちらりと見た心操の思い詰めた顔が強く印象に残った。

 

 

 

 

 梅雨と合流を果たしたものの、梅雨の方も津上と同じく誰かを誘うことが出来ていなかった。

 既に組んでいるチームから有力な人を引き抜く為にも提示できる具体的な作戦を立てようと話を始めたとき、大きな影がぬるりと接近してきた。

 

「A組の津上、だよねぇ。はじめまして」

「はじめまして。えっと、そちらは?」

「B組の凡戸(ぼんど)固次郎(こじろう)

 

 ゆったりとした口調で自己紹介をしたのはB組の凡戸固次郎。頭部が穴の空いた縦長のシンバルのような見た目の、体の大きな男子生徒だ。

 さらにその横には黒髪のセミロングボブの落ち着いた表情の女子が静かに立っていた。

 

「小大さん」

「ん」

 

 その女子――小大と津上は面識が有った。

 

「津上ちゃん、知り合い?」

「うん、彼女は小大唯さん。前のセキュリティ3突破、マスコミの侵入騒ぎの時に知り合ったんだ」

「ああ、見覚えがあると思ったら前に津上ちゃんを訪ねて来てた人ね。私は蛙吹梅雨よ。それで何か用かしら?」

 

 小大は「ん」という声と共に手を差し出した。言葉こそ無かったがそれがチームアップの誘いだと津上は理解した。

 二人とは初対面である梅雨が津上の意思を伺い、津上は突然の誘いに少し頭を悩ませる。知り合いとは言ってもその実、小大の事を津上はほとんど知らない。自分ひとりだけなら二つ返事だが、同じチームに梅雨も居るとなると、今ひとつ決め手に欠く。

 

 そんな津上の迷いを察してか、小大は差し出していた手を引っ込めて凡戸をつつき説明を促す。

 

「あっ、ええと、実は予定してたメンバー2人が別の所に行っちゃってねぇ、どうしようって相談してたら小大が津上くんたちを見付けてさぁ」

「ん」

 

 状況は互いに同じで、断る理由は存在しなかった。特にそれが相手にとって助けになるのだから津上は無理してでもチームを組みたいと考えているほどだ。

 そんな津上の前向きな表情を見たのであろう梅雨は、ゆっくりと頷いて同意の意思を示していた。

 

「有り難い申し出だ。凡戸くん、小大さん、一緒に頑張ろう!」

「やったぁ」

「ん」

 

 再び差し出された小大の右手を津上は今度こそガッチリと掴んだ。

 

 

 ようやく騎馬戦のチームが決まった四人は、具体的な作戦を練る前に梅雨の提案でそれぞれの個性を説明し合うことになった。

 

 蛙という個性で出来ることをよどみ無く説明していく梅雨、対して津上は空気や手を叩いた衝撃を出し入れするなどの実演を交えて自分の個性を説明した。もちろん左腕の怪我の事を添えて。

 

「二人とも汎用的な個性だねぇ。僕のは“セメダイン”って言って、口とか頭の穴(ここ)から接着剤を出せるんだ。速乾性とか調整出来るよ」

「傷付けることなく相手を無力化できる、いい個性だね」

「ええ。騎馬戦で頼りになりそうね。最後に小大ちゃんの個性を教えてちょうだい」

「ん」

 

 返答した小大は津上を見つめるばかりで説明をする素振りを見せなかった。3人とも少しの間戸惑っていたが、その視線が小大の個性を知っている事を指摘するような色に見えた津上はかつて食堂で見た小大の個性を振り返る。

 

「小大さんの個性は、触れたものサイズを大小自在に変える個性だったよね」

 

 それに対して頷く小大と、怪訝そうな表情を浮かべる凡戸と梅雨は実に対照的だ。

 

「知り合った時に個性を見せてもらったんだ、ただ細かいところは分からないから補足してくれると助かるんだけど」

「凡戸」

「え~、僕が説明するのぉ?」

「ん」

 

 不承不承といった様子の凡戸が補足を始める。

 

 小大の個性“サイズ”はその名の通り触れた固体のサイズを変更するものだが個性が適用されないものもある。まず生物、そして建物等の大きすぎるもの、その逆の目に見えないくらいの小さすぎるものだ。

 加えて対象となる物体の長さや高さといった比率は変わらず、その一部分だけサイズを変更するような事も出来ないらしい。

 

 凡戸の説明が終わると、小大は「ん」とそれらを強く肯定した。

 

「この場所だと個性を使えるのは着てる服とかだけになっちゃうから、クラスメイトと連携するつもりだったんだよねぇ」

「ん」――小大は小さく頷く

 

「八百万さんと組んだらスゴいことになりそうだ……」

「あの色々作り出してたA組の女子?」

「うん」

 

 残念ながら小大の個性はこの場において自分のとは相性が良いとは言えない。そう津上が口にしようとした矢先、梅雨が小さく挙手した。何やら確認したいことが有るようだ。

 

「例えばだけど、この地面を砕いた破片とかなら個性は使えるの?」

「ん」――小大が頷く

 

 小大の返答に梅雨は得意気に口角を上げて津上を一瞥(いちべつ)してから更に続ける。

 

「2人とも、津上ちゃんの個性と相性抜群ね」

 

 その言葉に3()()()()疑問符を浮かべた。津上の様子を見た梅雨は「相変わらずね」と笑みをこぼして説明を開始した。

 

 

 凡戸の個性はシンプルに接着剤を津上がキープすることで手数が倍に、さらに風や衝撃と共に放出することで遠距離攻撃が可能になる。

 小大の個性は津上が地面を抉り取ることで個性の使い途を確保、ある程度の形状の自由も効くので対応能力はかなり高い。加えて津上がキープする物のサイズを小さくすれば津上の負荷も大きく軽減できる。

 

「こんなところかしら」

 

 梅雨のまとめに3人は拍手を返す。冷静で思慮深い、本来の意味での梅雨の()()は4人をひとつのチームとして作り変えた。

 

 

 その後も4人は時間の許す限り作戦を詰めていく。基本的な方針に始まり、互いのクラスで驚異になりそうな人物の情報交換などだ。

 第2種目開始の瞬間は目前に迫っていた。




B組の中では小大ちゃんが特に好きなんだ。ウマ娘だとエイシンフラッシュが好きなんだ。……何かに気付きそう。


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第二種目、騎馬戦!

「安定感バッチリね、頼もしいわ凡戸ちゃん」

「それほどでも! 作戦上手くいくと良いねぇ」

「このチームなら大丈夫さ」

「ん」

 

 チーム決めの時間は終わり、津上ら蛙吹チームはフィールド外周で騎馬を組んでいた。フォーメーションは前騎馬が凡戸、右が津上、左が小大、そして騎手が梅雨だ。

 凡戸の優れた体格は梅雨がその背に貼り付いても身じろぎひとつしない安定感があり、後ろ騎馬担当の津上や小大は片手をその背中や腰に添えているだけでかなりの自由度を確保できている。

 

 他のチームも次々と騎馬を組んでおり、会場全体がスタートの合図を固唾を飲んで待っていた。

 

 

『いくぜ残虐バトルロイヤル、カウントダウン!! 3……2……1……START!!』

 

 スタートの号令に合わせてフィールドへと飛び込む。津上たちの騎馬が1番最初にやることは――――

 

「作戦通り、大外を回るよ~! 津上くんよろしくねぇ!」

「うん!」

 

 他の騎馬には目もくれず、4人はフィールドの外周ギリギリを走り出す。その間津上は右手を地面に伸ばし削って(キープして)いく。

 削り取った破片はサッカーボール大の大きさに分けて、小大へと渡す。

 

「小」

 

 破片を受け取った小大はそれを個性で小さくし次から次へとポケットに仕舞っていった。

 

 

 津上ら蛙吹チームの作戦は、まず弾を増やす事からスタートした。大小様々な形に地面を削り小大の個性で縮小して保持、それを終えたら次は凡戸の接着剤を粘性や速乾性に変化を持たせてキープしていく。そんな事をフィールド中心での激しい攻防を横目に数分間続けた。

 

『試合は既に5分以上が経過、最初っから濃いぃ戦闘が続いてるが、ここらで現在の保有(ポイント)を確認しよう!』

 

1位 緑谷チーム 1000万320P

2位 物間チーム 1345P

3位 鉄哲チーム 960P

4位 轟チーム  615P

5位 拳藤チーム 535P

6位 蛙吹チーム 335P

   ・

   ・

   ・

 

『ってあれ、A組緑谷チーム以外パッとしねえぞ! どうしたどうした!』

 

 実況を受けてちらりと見た成績表は、蛙吹チームにとって()()()()の内容を表示していた。

 というのも、試合前の打ち合わせでB組の中に第一種目でA組の能力を観察し第二種目以降での逆転を画策している人が少なからず居る事を聞いており、序盤のB組優勢(こうなること)は予想していた。

 だからこその潜伏しての準備であり、それが終われば作戦は次の段階へと移行する。

 

「狙いは2位の物間のところで良いんだよねぇ?」

「ええ。彼らの個性は騎手がコピー、馬の人たちのは空気凝固に旋回、それと黒いところに潜り込むものだったかしら」

「ん」

 

 最後の確認を終えたところで「行きましょう」という梅雨の掛け声と共に物間チームの騎馬に直進していく。

 

 

 

 物間チームを射程に捉えた津上らは、相手全員が気付く前に攻撃を開始する。

 梅雨は舌でハチマキを狙い、津上は相手の足元に向けてキープしていた接着剤を風と共に射出、凡戸は多量の接着剤で進行を妨げ、小大は上空に向けて小さくした瓦礫をふわっと放り投げた。

 

円場(つぶらば)防壁(ガード)!」

「手数が多すぎだっつーの!」

 

 なんとか反応して見せた物間チームの前騎馬・円場だったが、空気を固めるその個性で防げたのはハチマキ狙いの梅雨の舌だけで、津上が放った足元への接着剤は正確に騎馬の足を捉えた。

 

「物間、足を取られた! 凡戸の接着剤(個性)だ!」

「チィッ! 凡戸、小大、君たち敵であるA組と組むなんてプライドはないのかい?」

 

 物間の物言いに蛙吹チームの全員は一様に不快感を示した。特に津上は(ヴィラン)を親に持つ自分以外は全員間違いなくヒーローだと、感情のまま言い返しそうになっていた。

 しかしその愚行を挟むのは状況が許さなかった。

 

「解除」

「もっ、物……」「上!」

「なにっ!?」

 

 小大が個性を解くと、予め投げておいた瓦礫は元の大きさになり、上空から物間チームを襲う。コンクリート塊の雨だ、当たればただでは済まない。

 それを物間はさっきコピーした爆破で迎撃する構えだ。

 

「残念だったね、この程度なら爆破でとうとでもっ……!」

「やべっ、円場、横!」

 

 視線が上に集まっている隙に津上たちは素早く横に回り、再び梅雨の舌が物間のハチマキを狙って放たれる。唯一気がついた物間チームの左後騎馬・回原(かいばら)が円場に合図を送るも防御は間に合わず、僅かな差で梅雨の舌が機先を制した。

 

「クソッ、ギリ間に合わなかった!」

「残念、首の方は取れなかったわ」

 

 しかし、取れたハチマキは物間が最初から着けていた頭の305Pのもの、物間が持っているハチマキの中で最も低いポイントだ。

 

「いやナイスだよ円場、ひとつ取られたけど一番安いヤツだ。首のハチマキ(こっち)を死守すれば勝ちは確実」

 

 落石を防いだ物間チームだったが、相変わらず接着剤に足を取られておりその場に釘付けになっていた。

 

「動けないなら動けないでやりようは有るんだよ!」

 

 物間は円場の個性をコピーし、物間と2人で空気の壁を何重にも重ねて要塞を構築していく。

 一枚ならばともかく、津上たちが持っている遠距離攻撃では、全てを貫く事は出来そうにない。

 

『こっちでも動きが有った! 蛙吹チームの鮮やかな連携攻撃にポイントを一部奪われた物間チーム。防戦一方だが、その守りは堅牢!』

 

 動けない事に開き直った物間チームの防御は時間が経てば経つほど堅さを増していく。

 凡戸が妨害しようと放った接着剤はことごとくが空気の壁に阻まれ、物間チームを取り囲む形で接着剤の池が完成した。

 

「うー、悪手だったかも、ごめん」

「僕らの防衛陣の強化にご協力ありがとう凡戸! やっぱり持つべきものは仲間だね」

「物間ちゃん、いい性格ね。気にしなくていいのよ凡戸ちゃん、少なくともこれで相手の動きは完全に封じたわ」

 

 膠着状態になったので、漁夫の利を狙う他のチームによる横槍を警戒しつつ津上が攻略の糸口を探していると、不意に小大に肩を叩かれた。

 

「棒」

 

 左手を差し出している小大の言葉の意味を津上はすぐに理解した。棒状のものが欲しいというそのオーダーに対し、津上はすぐさま地面を指先で引っ掻くようにキープし、それで出来た棒状の破片を小大に手渡した。

 それを受け取った小大は棒を地面と垂直に持ち個性を発動する。

 

「大」

 

 ペンくらいの長さだった棒は小大の個性を受けてどんどん太く大きくなっていく。地面に付くほどの大きさになった後も小大は個性を止めることなく、棒はどんどん巨大化していく。

 

『蛙吹チームの目の前で石柱がグングン成長中! 一体何をするつもりだ?』

 

 10メートルほどの巨大な柱になったところで巨大化が止まり、小大は3人に目配せする。

 

「ん」

「小大ちゃん、思ってたよりも乱暴なのね」

「え、まさか」「まさかねぇ」

 

 目測でしかないが、物間チームとの距離と眼の前の柱の長さは一致しているように見える。そしてそのバランスは確実に物間チームの方へと傾き続けている。

 言い忘れたが、小大の個性はもののサイズを変更する際、そのサイズに比例して重量も増減する。

 

「物間……アレやばくねえか」

「いやまさか、そんな事するわけ」

「傾いてるって、絶対こっちに向かって傾いてる!」

「喋ってないで早く接着剤を剥がすんだよ!」

「やってるわ! 円場、防壁でアレを止められねえのか!」

「あんなもん防げるか! そうだ爆破、爆破しろ!」

「もう時間切れだよ!!!!!」

「俺だけ逃げていい?」

 

 蜂の巣をつついたような騒ぎを起こす物間チームを他所に柱は無慈悲にゆっくりと倒れていく。

 

「えっ、大丈夫なの!?」

「ん」

 

 小大はそう返答するがどう見ても直撃コースであり、津上は物間チームの心配をせざるを得なかった。小大の顔をちらりと見るがいつも通りの無表情、いや、いつもよりも冷酷なように見えた。

 もしかして小大は物間に対してただならぬ感情を抱いているのはないかと思わせるほどに、その表情は無だった。

 

「解除した方が……「凡戸ちゃん、津上ちゃん、準備して」

 

 そろそろ解除した方が良いのではという提案は梅雨に遮られた。

 しかし、準備と言われたところで一体何の準備かは見当もつかない。

 

「準備って、何の?」

「突撃よ」

 

 突撃して石柱の下敷きになった死体からハチマキを剥ぎ取るのかと一瞬思ったが、そんな事を梅雨がするわけがないと思い直し、津上はとりあえず言われた通りにいつでも走り出せるよう姿勢を整えた。

 

 石柱の方は今にも物間チームを押しつぶさんと迫っており、会場のそこかしこから悲鳴が上がり始める。何ならフィールドからも上がっている。

 

『物間チームこの窮地を切り抜けられるのか! てゆーか、切り抜けてくれねえと雄英体育祭終わっちまうぞ!』

 

 実況であるプレゼント・マイク迫真の言葉が会場にこだまする。あまりに芝居ががっているせいか今正に起きようとしている悲劇から現実感が薄れていくようだ。

 

 

 そして無慈悲にも何重にも貼られた空気の壁が砕ける音と共に、ズドンと石柱は倒れた。

 

 固まりかけの接着剤が飛び散り、土煙が巻き上げられる。物間チームの命運がどうなったかを多くの人間が息を飲んで見守り会場に一瞬の静寂が訪れた。

 

 

 

 その静寂を切り裂いたのは短い言葉。

 

「解除」

 

 小大が個性を解除すると石柱はたちどころに消える。凶器が消えたことで完全犯罪が成立……というのは冗談で、石柱が消えた後で現れたのは、津上たちの騎馬と物間チームをまっすぐ結ぶ道だった。

 倒れた石柱は空気の壁を砕くとともに、溜まっていた接着剤を押しのけ道を作り出したのだ。

 

「行きましょう!」

 

 梅雨が凡戸の背を叩いて直進の指示を出す。それに加えて小大に押された凡戸は慌てて動き出し、津上はそれに引っ張られるように走り出した。

 

 

 道を抜け物間チームのところへたどり着くと、そこには腰を抜かしてへたり込む3()()。黒色支配は少し離れたところで顔を引き攣らせていた。

 

 石柱はその大きさを完全に計算され物間らには一切の怪我は無かった。小大が無口であるため知られていないが、小大は個性のお陰か見ただけで物の大きさや距離を正確に測定でき、これを狙ってやっている。

 

「手に入れたわ、行きましょう」

 

 梅雨が茫然自失の物間から全てのハチマキを素早く奪い、残っていた空気の壁や進行方向に溜まっている接着剤を津上がキープで消しながらその場を離れていく。誰一人として物間チームに対して拘束や妨害をしていこうとは言い出さなかった。

 

 

「これで1680P! 暫定2位だ」

「後は陣地を作って守りを固めるだけだねぇ」

「それだけ狙われるってことよ、3人とも気を緩めないで」

「ん」

 

 完璧と言っていい勝利に浮かれる津上と凡戸とは反対に、梅雨は冷静に周囲を警戒し続けていた。

 そしてその懸念通り、陣地を構築する間もなく津上たちの前に新たな対戦相手が現れる。

 

「梅雨ちゃん、爆豪くんが突っ込んでくる!」

 

 後方からナイフのような目をした爆豪が敵意剥き出して突っ込んできていた。

 それに対し梅雨が選択したのは逃走だ。爆豪チームがポイントを持っていない以上、戦うメリットは存在しない。

 

 

「個性の確認よ、あそこのメンバーの個性は爆破、硬化、酸の生成、テープよ。凡戸ちゃんは前を警戒しつつそのまま逃げて頂戴」

「りょ~かい」

 

「梅雨ちゃん後ろだ!」

 

 梅雨が凡戸に指示を出すために視線を反らしたその隙を狙って、追ってきていた爆豪チームの騎馬から爆豪が単身()()()来た。

 津上は叫ぶや否やキープしていた瓦礫と接着剤を発射し迎撃を行う。

 

「当たるかよ!」

 

 爆豪は爆破の反動で空中で方向転換、津上の攻撃を容易く回避する。

 再度接近してきた爆豪の進行方向を遮るように空気の壁を出して足止めを行って、一度距離を取る。空気の壁に乗っていた爆豪は瀬呂のテープによって回収された。

 

「だから勝手に突っ込むなって!」

「飛ぶときは言えよ! 俺が外したらペナルティだぞ!」

「ん時は自力で飛ぶわ! さっさと次だ!」

 

 悪いのか良いのか分からない絶妙なチームワークだが、爆豪の跳躍や瀬呂や芦戸の個性は遠距離攻撃も可能であり、物間チームの時のように遠距離から一方的なアドバンテージを押し付けることは出来そうなく、それゆえの逃走だった。

 

 追われながら小大が破片をばら撒いて妨害を行っていくも、切島の剛脚でそれを踏み砕いて直進して来るためさほど効果は得られない。凡戸の接着剤も芦戸の溶解液や爆破で飛び散らされ同様だ。

 梅雨の舌は爆豪に掴まれた場合のリスクを考え安易には振るえない。

 

「弾切れ」

 

 そうして逃走劇を続けていると、とうとう小大の持っていた破片が底をついた。津上のキープしていた分を渡すが、津上も似たような状況だったので焼け石に水だ。凡戸も個性の過剰使用で脱水状態の兆候が現れていた。

 

「補充を……」

「オラァ!」

「だめか、反応が早すぎる!」

 

 津上が補充のために地面に手を伸ばすとすぐさま瀬呂のテープや爆豪が飛んで来るためそれもままならない。

 その一方爆豪の方は、体が温まってきた事により爆発の規模がどんどん上昇している。より早く、より力強く。

 

「やっと追いついたぜ!」

 

 興奮気味の切島の言葉が示すように、とうとう2チームは互いの手が届く距離まで近づいた。

 

 そこから始まるのは爆轟による怒涛の猛攻撃だ。

 今までの逃げはこの状況を避ける為の作戦であり、こうなってしまっては抜群の戦闘センスをもつ爆轟による蹂躙を誰もが予想した。

 

――――が、そうはならなかった。

 

 騎手である梅雨は、ハチマキを目掛けて伸びた爆豪の右手を体を屈めて回避し、追い打ちの左手は腕で軌道をずらす。

 さらなる追撃に対しては足を凡戸の肩に貼り付けて全身を大きく反らしリーチの外へと動き難を逃れる。

 

 接触から数分、梅雨は爆豪の攻撃からハチマキを守り続けている。自身の個性のお陰で騎馬の背中や肩に貼り付ける身体的自由度の差を活かして、爆破の熱や衝撃を分泌した粘液で和らげて、ハチマキに触れられても粘液で滑らせて、ありとあらゆる手を使ってギリギリではあるが防御に成功している。

 

『だぁーー惜しい! 爆豪、ハチマキに触れるもぬるぬる滑って獲得ならず! なんて粘り強さだ蛙吹チーム!』

 

 押し合いへし合い、両チームとも声を出す余裕はほとんど無かった。

 

 長い間続いた均衡状態は、前騎馬の凡戸が切島の体当たりと爆破の余波で体勢を崩した事をきっかけに終わり、体勢を崩した梅雨の顔目掛けて爆豪の左手が襲いかかった。

 

「させるか!」

 

 その攻撃を防いだのはやはり津上だ。爆豪の左手を右手で掴み、爆破しないよう手のひらのニトロ状の液体だけを意識して個性を発動し続ける。

 防げた事で油断した津上が目にしたのは、爆豪のしたり顔。

 

「黒目! しょうゆ顔!」

 

 その合図で――――呼び方には不満が有るようだが、芦戸と瀬呂の両者が個性での攻撃を開始した。それらを防げるのは津上の右手だが、その右手は爆豪の左手に掴まれている。

 

 そんな状況下でも梅雨は冷静に回避を試みたが、とうとう爆豪の右手が首元のハチマキを掴み取った。

 

 頭のハチマキを狙った追撃の構えの爆轟に対して津上は右手を強引に振り払い、キープしていた爆豪の個性を使って爆豪チームごと押し返した。

 

『爆豪執念のポイント奪取! さあ分からなくなってきたぞ! スコアの反映は少しだけ待ってくれよな!』

「次! デクと轟んところだ!」

 

 爆豪は自チームのハチマキを取り返せたからか、すぐさま別の標的に向けて移動を開始していた。

 更新された掲示板を確認すれば現在蛙吹チームは725Pで4位、なんとか勝ち抜けできる順位であるが油断できる状況では決してない。

 

『残り時間45秒!』

 

 そして残り時間はあと僅か、攻めるか守るか一瞬で判断しなければいけない。

 

「ポイントを取りに行きましょう!」「死守」

 

 しかし梅雨と小大で意見は真っ二つに割れた。凡戸は「どっち」と焦ってばかりで、自然と判断は津上に委ねられていた。

 

 さきほど掲示板で見た轟チームの保有ポイントは1000万1130Pで、そこから緑谷チームの初期ポイントである1000万320Pを引くと810P、万一その全てが他のチームに渡ったら津上たちは敗退だ。逆に緑谷チームのハチマキだけを奪われても轟の手元には810Pが残るため、蛙吹チームの敗退が確定する。

 津上はすぐさまその結論に達し、判断した。

 

「轟くんだ! 轟くんの持っているハチマキが他に渡らないようにする!!」

「分かったわ」「ん」

「よく分かんないけど、とにかく行けば良いんだよねぇ!」

 

 轟チームのいる場所は氷の壁が張ってあるので容易に分かった。チーム全員迷いなく駆けていき、壁の直ぐ側にたどり着いた。

 

「すぐに貫通させる!」

 

 氷に穴を開けようと手を伸ばす。既に時間は20秒も残っていない。

 氷の中では激闘が繰り広げられているようで、轟チームのポイントを守るという意味でも猶予は全く無い。

 

「取った! 取ったああああああ!」

 

 穴を空ける間もなく、壁の向こうから緑谷の勝鬨(かちどき)の声が響いた。慌てて見上げた掲示板は更新されておらず、具体的なことは分からないが状況が動いたのは確実だった。

 

「跳ぶわ!」

 

 言うや否や梅雨は真上に跳躍する。上空から舌を使って横槍を入れようとしているのは明らかだった。

 津上はそこで氷に穴を開けるのを中断した。如何に梅雨といえど10メートル近く跳躍して凡戸の上に落下すれば互いに怪我をする可能性が有る。それを防ぐ事のほうが津上にとっては大事だ。

 

「小大さん、俺の上着を大きくして! それを使って梅雨ちゃんを受け止める!」

「ん」

 

 津上が着ていた上着を脱いで渡すと小大がすぐさま個性で巨大化させ、3人がそれぞれその端をしっかりと握って広げた。

 

「取られた! 蛙すゅちゃん!?」

「切り替えろ緑谷! どちらにせよ攻める他ない!」

 

 壁の向こうで再びの動き、上を見上げれば梅雨は攻撃を終えており、その口にはハチマキが一本咥えられていた。

 勝ち誇ったような笑顔を浮かべた梅雨は真っ直ぐ津上たちの方へ落ちてくる。

 

『TIME UP!!!!!』

 

 津上たちが梅雨を受け止めると同時に第2種目は終わりを迎える。

 確かな手応えを感じつつ、津上は結果発表に耳を傾けた。

 

『1位、轟チーム! 2位、まさかまさかの心操チーム! 3位、この結果は少し不満か、爆豪チーム! 4位、蛙吹チーム! 以上4チームが最終種目に進出決定ィィ!!』

 

「やった!」

「ええ」

「やったねぇ!」

「ん」

 

 4人で勝ち取った勝利に喜びあう。

 悔しさを噛み締めている周りの人に全く気が付かないくらい、津上の胸中は達成感と喜びで満たされていた。




騎馬戦のポイント計算やトーナメントの組み合わせを考えながら展開を決めるのが結構大変でした。ただでさえ騎馬戦という表現の難しい競技だと言うのに、それらのせいでエタりかけました。
ちょくちょく原作とスコアの違うチームが居るのは梅雨ちゃんと尾白くんが順位を上げた為です。その他描写されてないところは大体原作のママです。最終的な順位とスコアは以下の通りです。

1位 轟チーム 1000万320pt
2位 心操チーム 960pt
3位 爆豪チーム 955pt
4位 蛙吹チーム 795pt
5位 緑谷チーム 740pt
6位 拳藤チーム 535pt
7位 その他 0pt


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ヒルブレイク

 雄英体育祭午前の部が終わり、最終種目がある午後の部まで1時間の昼休憩となった。

 着替えの為に先に行った梅雨と別れた津上は、会場外へ通じている通路内で独りとぼとぼ歩く尾白を見掛けて声を掛ける。

 

「尾白くん、最終種目進出おめでとう!」

「津上! ……それは俺のセリフだ、おめでとう」

 

 勝利の余韻で浮かれていた津上だったが、尾白のどこか後ろ暗いような煮え切らない様子が気になった。

 そんな友人に対して気の利いたことを言える人間ではない津上が言葉に迷っていると尾白の方が言葉を続けた。

 

「騎馬戦、どうだった?」

「どうって言われると……えっと、俺が居たのは梅雨ちゃんとB組の人2人のチームだったんだけど、みんなの個性を活かした作戦を梅雨ちゃんが立ててくれて、それが上手くハマった感じかな」

「なるほど」

 

「尾白くんの方はどうだった? 最後にスコア見たときはそっちのスコアは0だったから、2位って聞いた時は驚いたよ!」

 

 そう言葉にしながら思い出すのは、誰もが驚いた心操チームの2位通過だ。自チームの事で精一杯だった津上は殊更どうやったのか気になっていた。

 しかしそんな偉業を成し遂げた当の本人である尾白は、声をかけた時と変わらず思い詰めた表情を浮かべている。

 

「覚えてないんだ」

「えっと、どういうこと?」

「騎馬戦の間の記憶、ほとんど残ってないんだ……多分だけど、あの普通科のヤツの個性で」

「心操くんの?」

「あいつと知り合いなのか?」

 

 そう問われて津上は答えに困った。心操と会話したのは覚えてる限りで2回、限りなく他人に近いが、互いの名前は知っている。そんな関係の相手はなんと呼ぶべきだろうか。

 

「知り合いだと思う……多分。さっきの騎馬戦のチーム決めの時含めても2回しか話せてないから自信はないけど」

 

 少なくとも津上はそう思いたかったが、向こうがどう認識しているかは分からない。そんな気持ちだ。津上がそう伝えると、尾白は驚いたような反応を見せた。

 

「あいつ、心操と話したときなんとも無かったのか?」

「うん、特には。それで、何が有ったの?」

 

 津上の問いに、尾白は小さく息を吐いてから言葉を紡いでいく。

 

「それが、騎馬戦のチーム決めの時にいきなり話しかけられたんだ。チームにならないかって。知らない相手だったからその場で断ったんだけど、それきり記憶が無いんだ。次に気が付いたときには競技終了間際で、B組の騎馬とぶつかってた。記憶がない間も動いてたっぽいからそういう個性なんだと思う」

「意識を奪って操る個性か、すごく強力な個性だ」

 

 強力どころか最強と言っても過言ではない。(ヴィラン)に対して使えば相手を傷つけることなく無力化出来る、正にヒーロにうってつけの理想的な個性だと思えた。

 心操の個性への考察もほどほどに、津上は尾白の身に起きていた現象にこそ注目し、安堵していた。

 

「でもよかったぁ……チーム決めの時尾白くんに声掛けても反応無かったから、何か気に障る事しちゃったのかと思って結構気になってたんだ」

 

 騎馬戦の前からずっと言葉を交わせていなかった事が津上の心に引っ掛かっていた。尾白を見かけてすぐに話しかけたのはそれが理由だった。

 

「そうだったのか。ごめん」

「ううん、尾白くんが謝ることじゃないよ! 異変に気付かなかった俺が悪いんだし」

 

 尾白の異変に気が付いて体を揺すったりしていれば同じチームで戦えたのかもしれないと、微かな後悔が顔をもたげる。けれどそれよりも互いが最終種目に進出し、尾白と変わらず友人だと確認出来た事の喜びの方が勝っていた為、暗い気持ちはすぐに消えていった。

 そして再び話題は心操の個性へと戻る。

 

「ぶつかるとか、ある程度の衝撃を受けると解除されるのは間違い無いんだけど、発動条件の方はよく分からないんだ」

「何か手がかりとか無いの?」

「俺の予想は呼びかけに答えることだったんだけど……」

「だとすると俺が操られてないのが変だよね」

「うん、そうなんだ」

 

 津上と尾白は揃って頭を悩ませた。

 実は尾白の予想は完全に当たっているが、津上が個性を受けていないと認識しているせいで話は拗れてしまっている。

 そしてその誤解は解けることはなかった。

 

「とにかく対戦相手になったときは警戒するんだ。意識を奪われたら一人だとどうすることも出来ないから」

「うん。尾白くんも気を付けて」

「俺は……」

 

 何かを言いたそうにする尾白、どうしたのかと津上が声を掛けようとしたその時────

 

『1-A津上、第一救護室に来るように』

「この声、相澤先生?」

 

 スピーカーから響いたのは相澤からの呼び出しだ。呼び出された場所に思い当たる節がある津上だったが、今は尾白の内心を知ることを優先した。

 

「尾白くん、どうかしたの?」

「いや、なんでもない。先生が呼んでるし、早く行ったほうが良いんじゃないか?」

「う、うん」

 

 尾白が何かをはぐらかしているのは津上にも分かった。本心を知りたいとも思った。しかし、自分の興味の為に尾白が隠そうとしていることを暴くという選択を取る気は起きなかった。

 後ろ髪を強く引かれる思いを振り切って津上はその場を後にする。

 

「じゃあ、また」

「ああ、後で」

 

 

 ◇

 

 

 尾白と別れてから数分、施設内に設置された第一救護室に津上は到着した。

 

「失礼します!」

 

 ノックと共に室内に入るとそこに居たのは担任の相澤とリカバリーガール。その2人を見て津上は心当たりが的中したことを悟った。

 第一種目の障害のひとつ『ザ・フォール』で女子生徒────跳崎を救おうとした際に受けた左腕へのダメージを見抜かれたのだ。既に痛みは引いているが、だからといって診察を受けなくて良い理由にはならない。

 津上はすぐさまキープしたままだった空気や小さな瓦礫を部屋の端の方に静かに放出し、続けて左腕に装着されている手甲を部品の一部を右手で一瞬キープすることでロックを解除した。

 

「なんで呼ばれたかは分かってるみたいだな」

「はい! 場所が場所だったので」

 

 これが他の場所でかつリカバリーガールが居なければ失格など他の可能性も頭に過ぎっただろう。

 リカバリーガールの前の椅子に腰掛け、手甲を外していく。その中から現れたのは乾き黒ずんだ血にまみれた左腕だった。

 

「ひどい出血じゃないか、なんで黙ってたんだい!!」

「うわっ、こんな血が出てたんですね。知りませんでした」

「いや、お前は気付け」

 

 すぐさまリカバリーガールが消毒液の染み込んだガーゼで乾いた血を拭き取っていく。

 血が拭き取られていくと共に褐色にくすんだ大きな傷跡が露わになっていく、その傷痕は言うまでもなく半月ほど前の(ヴィラン)襲撃で負ったものだ。

 その傷跡が広がるでも薄くなるでもなく、朝に見たままの状態で左腕に刻まれていた。

 

「やっぱり治りが早いね、傷が塞がってて何処から出血したのか分からないよ」

 

 確認の為に手を動かすが、状態は特に変化なし、相変わらず人差し指と中指がほとんど動かないところまで朝の状態から一切の変化は無かった。

 

「治りが早いのって俺の個性の効果なんでしょうか?」

「まあ、個性 (それ)しか有り得ないからねぇ」

 

 津上のあまりにも早い治りを不思議に思ったリカバリーガールはこれまで幾つかの検査を行ったが、現在に至るまで原因を突き止められていない。

 原因が突き止められないという事態こそが、この現象が個性によって引き起こされている何よりの証拠であり、現状最も有力な仮説は、津上の個性(キープ)が肉体の状態を維持しようとしているというものだ。

 

 治りが早いならそれに越したことはないと、リカバリーガールの話は区切られる。原因究明の途中で藪をつついて蛇を出す可能性がゼロでない以上、津上の傷に対して出来ることは無い。

 

「終わりだよ。さっさと手甲(アイテム)着けちゃいな」

「はいっ」

 

 検査と消毒を終えて津上は、手甲に手を伸ばす。内側にべっとりと着いていた血の汚れは診察の間に相澤が落としてくれていた。

 

「ありがとうございます!」

 

 一際大きい声で感謝を伝えた津上は手甲を左腕に装着していく。

 

 この手甲はコスチュームの一部でありサポートアイテムだ。傷跡の保護をすると共に、意識していても()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()様になった左腕に物理的な蓋をする為にサポート会社に作成してもらい、完成してからは日常的に装備している。

 これが無くては津上は右手でキープしたものが左腕の傷から全部漏れ出し、最早キープという個性ではなくなってしまうのだ。

 

「ほら、ハリボーをお食べ」

「ありがとうございます」

「先に言っておくけど、治りが早いからって午後の部でバカなことはするんじゃないよ。イレイザー、ちゃんと視ておきな」

「ええ、解ってます」

 

 釘を差すように見つめる相澤とリカバリーガールに対して深々と頭を下げながら返事をして津上は部屋を後にする。

 入学以来繰り返し指摘されてきた過ぎた自己犠牲の無意味さや、自分が危険に晒されることで周囲の人間が抱く心配の重さは、津上の中に確りと刻まれている。

 

「津上、忘れ物だ」

 

 無理をしない範囲で頑張ろうと決意を固めてドアに手をかけた津上は相澤の言葉に振り返る。相澤が指差す部屋の片隅には治療の前に放出した瓦礫が散乱している。

 

「すっすいません!」

 

 大慌て部屋に戻ってそれらをキープし、ペコペコと謝りながら津上は部屋を後にした。

 

「……これ何ゴミだろ」

 

 手のひらサイズの瓦礫を見つめて津上はそう思った。

 余談だが、津上が握っている瓦礫は雄英高校にセメントスが居るため再利用可能資源とされている。

 

 

 ◇

 

 

 診察を終えた津上は人でごった返す食堂でなんとか昼食を購入し、現在はそれを食べる場所を探している最中である。

 おにぎり2つにカップに入った味噌汁と摘まめるおかず、津上が普段からよく利用しているセットメニューだ。どんな場所でも素早く片手で食べられる利便性が特に気に入っている。

 

「ここも人でいっぱいか」

 

 津上が普段の学校生活で利用する場所は軒並み一般客に占拠されており、目星を付けていた穴場は雄英生が利用していた為、津上はそういった場所で昼食を摂るのを断念し、クラスに割り当てられた観覧席で昼食を取る事にした。

 

 

「ごめんなさい……僕……」

 

 地図を思い起こしながら関係者用通路を歩いていた津上の耳に、涙ぐんだ男子の声が届いた。

 曲がり角の向こうから聞こえたその声に津上は聞き覚えが有る。

 

「緑谷少年、何を謝る! 第一種目も第二種目もその中心に居たのは間違いなく君だった!」

 

 そこに居たのはクラスメイトの緑谷出久とオールマイトだ。どうも込み入っている2人の様子に津上は別の道を通ろうと思いその場で引き返した。

 

「でも、僕、オールマイトから……「ストップだ緑谷少年」

 

 そして二、三歩歩いたところで大きな影に回り込まれる。

 

「誰かと思ったら津上少年か! 最終種目進出おめでとう! 見てたよ、すごい活躍だった」

「ありがとうございます!」

 

 サムズアップしているオールマイトの称賛に津上は舞い上がってしまった。ずっとテレビの向こうで憧れていた存在に直接褒められれば誰だってそうなってしまうだろう。

 けれど、さっきまでのやり取りを思い出して我に帰る。不用意に近付いたことで2人の会話を邪魔をしてしまったと思い至った。

 

「お話の邪魔をしてすみません。盗み聞きするつもりは無かったんですが、通りがかりで聞こえてしまって……」

「津上少年はなにも悪くないさ。気を使わせたね、ありがとう」

 

 穏やかな笑顔でそう言ったオールマイトは、津上から見て何だがとても人間らしく感じた。

 

「昼食を食べるので僕はこれで!」

「おお、すまない。邪魔してしまったのはこちらの方だったね」

「いえ!」

 

 そう言ってオールマイトと分かれる最中、少し離れたところで涙を拭っている緑谷が目に入り、津上は邪魔してごめんと謝罪を伝えた。

 ぐっと涙を拭いた緑谷は滲む声で「気にしないで」と言った。悔しさに滲む涙を拭って胸を張るその姿は津上の目に輝いて映った。

 

 

(俺も負けたら、緑谷くんのように涙を流すほど悔しいと感じられるのかな……)

 

 2人と別れて通路を歩く津上はふとそんな事を思う。

 津上には緑谷が抱いている体育祭への思い入れがどれほどか見当もつかないが、少なくとも、津上自身は敗退しても緑谷のように涙を流したりはしないだろうと考えている。

 だからこそ、負けた悔しさに涙を流せるだけの物を積み重ねてきた緑谷に後ろめたさに近い憧れを抱いた。

 

 そのままふと、津上は自分の左手を眺める。

 怪我をしてからリハビリや治療はしっかり行ってきたと自信を持って言える。傷のせいで個性がまともに使えなくなりかけても、相澤の助言を頼りに今も着けている手甲を作ることで解決し。右手だけの生活や、左手に負荷を掛けない接近戦、個性のコントロール等のトレーニングも十分に行ってきた。

 しかし振り返ると、出場の許可が降りた段階で津上の胸中には確かな達成感が有った。体育祭に出場することそのものが自身にとってのゴールだったのかもしれないと今更ながら思い至った。

 

 出ることが目標の人間と、出ることが前提の人間、抱く感情に差が出るのは当然だ。そう締めくくった津上は少しだけ重い左手を振り、歩調を少しだけ早めた。




昼休み、つなぎの回でした。
本当はトーナメントの抽選までやりたかったのですが、キリのいいところで5千字超えたので抽選は次回に。


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チア抽選チア

「僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ワールドヒーローズミッション」公開中!劇場へ急げ!

トーナメント表を書いてみましたが、レイアウトが崩れている可能性があるので同じ内容を挿絵として用意しました。トーナメント表がきちんと見えている方は挿絵を表示する必要はないです。


 昼休憩が終わり、会場内に設置された朝礼台の真ん前で午後の部の開始を待っていた。午後の部は全員参加のレクリエーションを行い、そのあと最終種目という流れだ。

 

「「ひょ──ー!」」

 

 津上は不意に後ろから奇妙な歓声のようなものが聞こえ反射的に振り返った。

 声の主である峰田と上鳴が見つめる先で、なんとA組女子全員がチアリーダーの格好をしているではないか。

 

「ひょっ」

 

 津上も思わず似たような声を上げかけたが、なんとか自制した。

 尚視線の方はそうもいかず、チアの格好をしたクラスメイトたちの引き締まった腰回りや、丈の短いスカートからすらりと伸びる脚、ヒーローコスチュームとはまた違った健康的な魅力に釘付けだった。

 我に返り、邪な視線は良くないと自分を律そうとしているものの、津上とて男子高校生である。女子が露出の多い格好をしていれば視界の端に納め続けてしまうのは自然の摂理だ。

 

「上鳴さん、峰田さん騙しましたわね!」

 

 八百万の怒声と上鳴・峰田のやりきった表情で大体の事情を察した津上。女子を騙してあんな格好をさせるなんてありが……ダメじゃないかと注意しに行こうと考えたが、絶対余計な事を口走りそうなので口を噤む事を決めた。

 当の女子たちがなんだか楽しんでいるように見えるから大丈夫と自分に言い聞かせている。

 

 不意に梅雨と目が合うと、梅雨は握っているポンポンを上下に振って合図しだした。小柄な梅雨がやると輪をかけて可愛らしく見えて、津上の顔には自然と笑みが溢れていた。

 

「可愛い」

 

 笑みだけではなく無意識に言葉も溢れている。

 

 

 そうこうしているうちに午後の部についての案内は進んでおり、最終種目の説明へと移っていた。

 

『最終種目、進出4チーム16名からなるトーナメント形式のガチバトルだ! ここからの進行は主審のミッドナイトにバトンタッチするぜ』

 

 壇上のミッドナイトがピシャリと鞭を鳴らした。

 

「最終種目のルールは至ってシンプル、相手を場外に押し出すか、戦闘不能にするか、降参させたら勝利。怪我はリカバリーガールが治療するから遠慮なくバンバンやっちゃいなさい! 勿論命に関わるようなのはNG。ヒーローは(ヴィラン)を捕らえるために力を振るうということを忘れちゃダメよ」

 

 説明に一区切り着けると、ミッドナイトは足元に置いてあった箱を持ち上げる。ヒーロー基礎学でもいつもお世話になっている抽選用のくじ引きだとほとんどのヒーロー科生徒が察したようだ。

 

「それじゃ組み合わせ決めのくじ引きしちゃうわよ、1位のグループから順に……」

「あの、すみません」

 

 手を上げてミッドナイトの説明を遮ぎったのはクラスメイトの尾白だった。

 一体何事だと周囲の視線が尾白に集まる。尾白は一瞬津上の方を見てから言葉を続ける。

 

「俺、辞退します」

 

 その言葉にクラスはおろか、会場全体がざわつく。

 津上は昼会った時に尾白の思い詰めていたことが、このことだったんだと理解した。

 

「尾白くん、なんで!?」

「せっかくプロに見てもらえるチャンスなのに!」

「第二種目の記憶、ほとんど残っていないんだ。多分、彼の個性で」

 

 “彼”と指されたのは勿論心操だ、多くの視線が集まったが当の心操は無視を決め込んだ様子で動じた様子も無く立っている。

 

「このチャンスをフイにするのが愚かだってことは分かってる。でも」

 

 尾白は言葉を溜め、津上をじっと見つめた。刺すような決意の視線は津上が目を逸らすことを許さなかった。

 

「皆が実力で勝ち取った舞台に、何もしてない俺が立つなんてことは、出来ない」

 

「気にしすぎだって! トーナメントで成果出せば良いんだよ!」

「そんなん言ったら私だって全然だし」

 

 尾白の宣言は大きな波紋を呼ぶ。特にA組は考えを改めるよう説得を始める人もいたほどだ。しかし尾白の決意は固く、考えを改める素振りを見せなかった。

 そんな中で、尾白の意志に同調する者も少数だが居た。騎馬戦の時に心操チームだったB組の生徒たちだ。

 

「僕も同様の理由から棄権を申し出る! 実力如何以前に、何もしていない者が最終種目へと上がるのは、この体育祭の趣旨と相反するのではないだろうか!」

「同感。さっきまでボケーっとしてたボクがフラッと立つのはズルしてるみたいで皆に申し訳ない」

 

 尾白を説得していた声もいつの間にか止んでいた。その正々堂々とした行動は多くの人にヒーローらしく映ったことだろう。津上もそう思った1人だ。

 感銘を受けた人々は静かに成り行きを見つめる。最後の判断は主審であるミッドナイトに託された。

 

「そういう青臭いのは…………好み! 3人の棄権を認めます!」

 

 そして呆気ないほどに3人の棄権は受諾される。

 

「じゃあ繰り上げで5位の緑谷チームの3人が最終種目に────」

「え!? ええええええええ!?!?」

 

 尾白に続いてミッドナイトの言葉に割り込んだのは同じくA組、緑谷だ。スプリンクラーの如く涙を流しながら驚きの声を上げている。

 昼に見た涙とは打って変わった歓喜の涙を流す緑谷は津上の目に微笑ましく映った。

 

 再三進行を妨げられたミッドナイトが鞭を振って「話の途中よ!」と声を荒げた。緑谷は涙の量を水漏れぐらいまでに抑え、繰り返し頭を下げた。

 

「説明はここまでにして、いい加減くじ引きを始めるわよ、1位轟チームこっちへいらっしゃい。緑谷チームは自分の番までに誰がトーナメントに進出するか決めておくこと!」

「「はいぃっ!」」

 

 

 ◇

 

 

 抽選が終わり、トーナメントの組み合わせが掲示板に表示される。

 

 

            【WINNER】           

       ┌───────┴───────┐       

   ┌───┴───┐       ┌───┴───┐   

 ┌─┴─┐   ┌─┴─┐   ┌─┴─┐   ┌─┴─┐ 

┌┴┐ ┌┴┐ ┌┴┐ ┌┴┐ ┌┴┐ ┌┴┐ ┌┴┐ ┌┴┐

緑 上 轟 瀬 津 心 飯 小 芦 凡 常 八 蛙 切 麗 爆

谷 鳴   呂 上 操 田 大 戸 戸 闇 百 吹 島 日 豪

                      万        

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「最初の相手は心操くんか」

 

 トーナメント表を見て口にする。津上の一回戦の相手は心操人使、心操とは半月前の出会いからこの瞬間まで何かと因縁があるらしい。

 望外のチャンスにチームメイトと喜び合っている緑谷も、諦めの色を浮かべながら津上の方へ向かってきている尾白も、そうさせた原因は心操だ。緑谷にとっての恩人で尾白にとって恨めしい相手、心操人使の認識はそんなもので、津上にとっては未だ距離感の掴めない相手だ。

 

「津上、分かってると思うけど」

「うん。操られないように気を付けないとだね」

「ああ」

 

 尾白の助言に津上は自信満々に応えた。心操の個性の条件は判明していないが、それを解除する方法を津上は知っている。それだけで戦略はずっと立てやすい。

 当の心操はトーナメントの組み合わせが決まってから津上へと視線を送り続けている。酷く難解そうなその顔に津上は自分の行動を省みるが、これと言って思い当たる節はなかった。

 

「ずっと見られててちょっと怖いな。俺の弱点知られてるかも」

「ただ単に警戒してるんじゃないか?」

 

 今の津上には左腕という明確な弱点がある。手甲で保護しているとはいえ、蹴られたりしたら相当な痛みが走るだろう。それで万一傷口が開いたりしたら津上は今度こそ棄権をしなければいけない。バカなことをしないというリカバリーガールとの約束だ。

 

 

「棄権をした事に後悔はないけどさ」

 

 勿体ぶったように尾白は語る。

 

「津上は俺の分も頑張ってくれ」

 

 右手をしっかり握り、津上はその願いを心に留める。

 

「うん。分かった」

「ありがとう」

 

 拳を付き合わせる尾白の顔は晴れやかだった。

 

 

 

『よーし、トーナメントはひとまず置いといて、イッツ束の間、楽しく遊ぶぞレクリエーション!』

「レクリエーション、俺は参加だけど津上はどうする?」

 

 プレゼントマイクの声を聞いた尾白が問いかける。

 トーナメントの前に行われるレクリエーションは、最終種目進出者は参加するもしないも自由だ。津上はさっきまで参加するつもりでいたが、その考えを改めていた。

 

「体力を温存しておきたいのと、左手の事もあるから参加するのは止めとく」

「それがいい」

「あ、でも応援はするよ!」

 

 体育祭でクラスメイトを精一杯応援する事に津上は憧れが有った。中学時代の体育祭にはあまりいい思い出がないのでその分を取り戻すような腹積もりだ。

 そんな津上の熱に少し仰け反りながら尾白は「じゃ応援よろしく」と津上の後方を指差す。

 

 振り返るとその先にはA組チアガール軍団が居た。

 

「あそこに交ざるのは……」

「津上ってそういうの抵抗有るんだ、ちょっと意外だ」

「いや、抵抗とかじゃなくて、邪魔じゃないかなって、ほら、1人だけ服装違うし、みんな華やかだし、あと」

「冗談だよ。まあ、俺もあそこに交ざる勇気はないし……あ、峰田返り討ちにされてる」

「耳郎さん容赦ないなぁ。しかしあれでメゲないんだから、ちょっと尊敬しちゃうよ」

 

 ボロボロになりながら若干ニヤついている峰田に二人して苦笑いを浮かべ、尾白は参加者が集まっている方へ、津上は出口の方へと別れそれぞれ移動していった。

 

 ◇

 

 

 自分のクラスに割り当てられた観覧席に着いた津上は、フィールドで行われている借り物競争を眺めていた。数分探しても尾白が見つからないのは競技に参加していないからだろう。

 

「隣いいかしら?」

「も、勿論!」

 

 A組メンバーを探していた津上は、不意に現れた梅雨の問いかけに反射的に返した。

 ちなみに視線はフィールドに固定したままである。視界の端に映る梅雨の格好がオレンジ色のチアガール姿のままであるのを察知し、鋼の意志で平静を装った。

 

「梅雨ちゃんもレクリエーションは観戦?」

「ええ、体力を温存したいから。津上ちゃんもよね?」

「うん」

 

 目を見ずに行う会話はぎこちなかったが、梅雨は特に気にした様子もなく話を続ける。

 

「私達がぶつかるとしたら決勝ね」

「うん、別ブロックだもんね」

 

 組み合わせでは津上VS心操が3組目、梅雨VS切島が7組目であり両者がぶつかるとすればそれは決勝戦だけだ。

 梅雨と戦う事を想像できない津上にとってこの組み合わせはかなりありがたかった。

 

「よかった」「残念ね」

 

 安堵と共に吐き出した言葉は梅雨と真っ向から対立した。驚いた津上がずっと逸らしていた視線を梅雨へと向けると、大きな瞳が津上をしっかりと見つめていた。

 

「やっと目が合ったわね」

「あ、うん。ごめん」

「気にしてないわ。そうだ、津上ちゃんから見てどうかしら、この格好?」

 

 そう言って梅雨は手を広げ首をかしげる。

 露出の多い派手な服装は梅雨が持つ淑やかさを際立たせ、垢抜けない仕草とのギャップが得も言われぬ魅力を醸し出していた。

 その力に当てられた津上はただでさえ少なくなっていた語彙のことごとくを喪失した。

 

「いい。と、思う」

「ありがとう。皆に伝えておくわね」

 

 なんとか捻り出した言葉は褒め言葉としては三流だったが、梅雨は気に召したようだった。皆に伝えるという発言が引っかからない程度には未だ津上の動揺は収まっておらず、意識はさっき衝突した意見の相違に囚われたままだった。

 

「梅雨ちゃんは、俺と戦いたかったの……?」

「うーん、ちょっと違うわね」

 

 人差し指を口元に運んだ梅雨は少し考えてから言葉を続ける。

 

「津上ちゃんに私の実力を知ってほしいの。自分で言うのも何だけど、私、強いのよ」

「知ってるよ、梅雨ちゃんが強いのは」

 

 梅雨が強いという事を津上は良く理解している。カエルの個性による優れた身体能力、判断力や観察力も高く、どんな時も冷静。津上から見て、梅雨とは優れたヒーローの資質を十全に備えた尊敬するクラスメイトの1人だ。

 

「そうかしら」

 

 それだけ言って話を切り上げた梅雨はスッと立ち上がる。その顔には少しイジワルそうな笑顔が浮かんでいた。

 どうやら梅雨は津上と話をするためにここに来ただけで、観戦に来たわけでは無かったようだ。

 

「観ていかないの?」

「ええ。トーナメント戦に集中したいから」

「そっか」

「それじゃあ津上ちゃん、決勝で会いましょう」

「う、うん……」

 

 手を振る梅雨に、津上は歯切れの悪い返答しか出来なかった。

 轟や爆豪、緑谷に飯田たち数多くいる強いクラスメイトを差し置いて決勝に進めるイメージが沸かなかったからだ。

 

 出来ない約束をしたことを後で謝ろう。心のなかでそう決めて、津上はレクリエーションで活躍するクラスメイトの応援に戻った。

 フィールドを見るとちょうど尾白がボールを持ってゴールをくぐっていた。見つからなかっただけで、尾白もちゃんと借り物競争に参加していたようである。

 

 

 それから大玉転がしや玉入れなどなど色んな種目が広いフィールド内で同時に行われ、応援が追いつかなくなった津上は途中から歓声を上げるだけになっていた。

 

 結局、レクリエーションが終わるまでに尾白の姿は3回くらいしか見つけることが出来なかった。多分活躍していたはずだ。




トーナメントの組み合わせは理解していただきやすいよう基本的に原作をベースにしていますが、心操は津上とぶつかってもらうことになりました。それにより上鳴が出久の相手となっています。
それ以外は鉄哲のところに梅雨、塩崎のところに小大、青山のところに凡戸といった感じで配置してます。

発目「我々技術者にとってヒーローとは最大の顧客。ヒーロー科生徒を差し置いてサポート科の私が出て顰蹙を買っては本末転倒。騎馬戦で活躍させてもらいましたし、喜んで私は辞退しましょう」
緑谷「発目さん、ありがと……
発目「ただぁし! サポートアイテムを新たに作成する際は真っ先に私のところへ来ることが条件です! いいですね!!!!」
麗日「手口が阿漕や」

てな感じで発目は辞退しました。辞退か?


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津上VS心操。飯田VS小大

二本立て(?)です。


 トーナメント一回戦第3試合、津上VS心操の対戦は静かな滑り出しだった。

 

 津上は心操の個性の全容を把握しておらず、心操は津上が自力で洗脳を解除出来る事を知っている。それ故に互いが様子見を行っている状態だ。

 

『前2試合と違って静かな滑り出しだが、ここからどう出る?』

 

 これまでの2試合は両試合とも勝負は一瞬で決まっている。1試合目は緑谷が指を弾いた衝撃(デラウェア・スマッシュ)で上鳴に放電をさせる間もなく場外へ吹き飛ばし、2試合目では轟が大氷壁で瀬呂を一瞬で氷漬けにし降参させた。

 

(目線が合っても洗脳される気配はない。この距離でも発動しないなら距離も関係なさそうだ)

 

 他人に対して効果を及ぼす個性の多くは触れるか、見るか、近付くことで発動するのがほとんどだ。尾白の経験やこれまでの様子見から、その3つは除外された。

 残る予想は声か特定の言葉を聞くこと。それを特定するために津上は右掌で膝を何度か叩き、衝撃をキープする。万一意識が薄れたらその瞬間に衝撃を解放して意識を取り戻す算段だ。

 津上の行動に心操は重心を下げ強い警戒を露わにする。

 

「意識を奪って操る個性なんだってね。尾白くん……君とチームだった人から教えて貰ったよ!」

 

 津上の呼びかけに対しまず返ってきたのは大きな舌打ちだった。

 

「だからそっちから話しかけてきたのかよ。随分と余裕だな、ヒーロー科は!」

(声を聞いても意識が薄れる気配はない。特定の言葉がトリガーなのか、もっと他の条件か……でも)

 

 条件の特定にこそ至らなかったが、津上は様子見を切り上げることにした。ゆっくりと距離を詰め続けていたお陰で、心操との距離は既に一息で詰められるほどに狭まっていたからだ。

 場外まで多少距離はあるが、溜め込んだ空気と衝撃を一気に放出すれば場外勝ちを狙えるくらいの位置取りだ。

 

 

 駆け出した津上に対し心操は、喉からくしゃくしゃになった言葉を吐き出した。

 

「お前たちは良いよな、(あつら)え向きの個性にうまれて!」

「君の個性だって────

 

 反射的に返答すると共に津上の意識は失われ、その足は止まった。

 

『急・停・止! 津上の先制を心操が個性で止めたァ!』

 

 しかしその直後、津上の右手から衝撃が漏れ津上は意識を取り戻す。

 

「よかった、衝撃が漏れたお陰で洗脳が解け……って危な!?」

 

 安心するのも束の間、心操が大振りの右フックで殴りかかってきていた。

 それに対し、津上は腕の下をくぐって回避し、体勢を立て直す。

 

「ようやく条件が分かったよ。君の呼びかけに答えた時に洗脳が発動するんだね」

 

 心操の個性の発動条件は完全に尾白の予想通りだった。後で感謝を伝えよう。津上はそう思った。

 

「え、分かってなかったのかよ」

 

 そんな津上の言葉にぽかんとした表情を浮かべた心操。

 心操は騎馬戦のチーム決めの時点で個性が露見した時に津上には条件も弱点も割れていると思っており、ここまでの敵視や警戒はそれを起因としているものだった。

 

「なんか、あんたと話してると調子狂うな」

「ごめん」

「謝るなよ。ってか、今返答しただろ。危機感ないのか?」

「あ、そっか、返事しちゃダメなんだった!」

「だから!」

 

 やれやれと言った様子の心操は今の今まで纏っていた険がすっかり薄れている。

 心操の洗脳は掛かれば強力だが、弱点及び対抗策は実にシンプル、返答さえしなければいい。その弱点が露見していると思っていた心操は相手(津上)の反応を誘うために心無い言葉を投げかけるつもりでいたのだ。

 しかしそんな必要はもともとなかったのだと心操は理解した。お人好しか考えなしか、津上に対する評価はそんなところだ。

 

「仕切り直しだ、個性使うから返答するなよ」

「うん! ……あ」

 

 心操はだんだん馬鹿らしくなってきた。これまで個性が洗脳だと話すと(ヴィラン)向きだと言われ、条件を教えれば会話がぎこちなくなる。

 そんな経験ばかりだった心操にとって津上の自然な反応は、かなりやりにくいものだ。

 

『二人共、お喋りするだけなら失格にするわよ!』

「すみません!」

 

 しかし今は試合中、ヒーローになるという夢の為にも心操は非情にならなくてはいけないし、津上も相澤や尾白に力を尽くすことを約束している。緩んでいた空気はほどなく緊張を取り戻し、津上と心操はそれぞれ真剣な眼差しを相手に向け直した。

 

 先に動いたのは津上だ。右手で地面を削り石つぶてにした津上はそれを投げつけてけん制を行うと同時に、突撃を開始した。

 

「厄介だな……!」

 

 個性によるけん制から始まる連携攻撃を回避や防御でなんとか凌ぐ心操、身体能力も格闘技術もヒーロー科である津上の方が数段上だが、左手使用不可のハンデがその差をなんとか凌げる程度にまで埋めている。

 

「左手、使わないのか?」

「け……!」

 

 怪我をしてるから使えないんだ。と答えそうになった口をなんとか噤んだ津上は大振りの回し蹴りを放つことで心操を後退させ、距離を開けた。

 

「危ない────

 

 返答しそうになったよ。と、津上は数秒時間を開けた独り言のつもりで口走ったが、洗脳のスイッチは正常に作動し再び意識を奪われる事になった。

 

「え、マジか……って解ける前に! 反転して全力で真っ直ぐ走れ

 

 個性の発動を確認した心操が間髪入れずに命令を下す。心操はこれまでの経験で津上が洗脳を解くのに僅かに時間がかかることを理解しており、それまでに勝負を決しようとした。

 津上の体はその命令に忠実に従い、反転し場外に向けて駆け出す。

 

『ああっと、津上場外に向けて全力疾走! なるほど心操の個性は洗脳か、洗脳だろ!』

「そのまま場外に行ってくれ」

 

 そんな心操の願いは叶わず、津上の右手から溜めていた空気が勢いよく溢れ出し、体勢が大きく崩れる。

 意識のない津上は一度崩れた体勢を立て直すことも、受け身も取ることもせず、左側からド派手にスッ転んだ。

 

「いっっっっっって!」

『ギリギリセーフ! 場外まで後一歩のところで津上は転倒に救われた!』

 

 全体重と加速の勢いが、下敷きになった左手に掛かり、その激痛で津上の意識は覚醒する。目覚めてすぐに左手に意識を向けるが、痛みは瞬間的なもので既に引き始めており出血した様子もなかった。

 ホッと安堵した津上は目と鼻の先にある境界線に気付き、自分の置かれている危機的状況を正確に理解した。

 それと同時に背後から迫ってくる気配を察知、すぐさま体勢を立て直して立ち向かう。

 

「やるね!」

 

 心操の全体重を載せたタックルを津上は右手ひとつで受け止めた。心操はびくともしない津上に驚いて目を剥き、今のはお前のミスだろ。と頭の中で言った。

 そんな事はつゆ知らず、津上はたった今キープしたタックルによる衝撃を放出することで心操を押し返した。

 

 予想だにしない威力の反撃を受けた心操は二・三歩後退しそのまま尻もちをついた。

 

「今の、お前の個性か?」

「……!」

 

 心操の問いかけに返答しそうになるのをぐっとこらえ、津上は両腕で心操の脚を捕まえる。

 そのまま振り回し投げ飛ばせば心操は場外だ。

 

『津上、ダウンした心操の脚を抱え、ジャイアントスイングの構えに入ったぞ!』

 

 

 津上の意図を察した心操は暴れて抵抗を試みている。

 下半身のバネを利用し津上が回転を始めた瞬間、左手の保持が外れ心操の右足が自由になった。心操はがむしゃらに津上の左手を何度も蹴った。

 

「ぐぅおりゃあああああ!」

 

 痛みに歯を食いしばりながら津上は心操をなんとか場外へと引きずり出した。

 

 

「心操くん場外! 勝者、津上くん!」

 

『勝者、ヒーロー科津上! フィニッシュはまさかのジャイアントスイングもどき! まさかここでお目にかかるとは思わなかったぜ!』

 

 

 舌戦に始まり、古き良きプロレスの様相の、いい意味での泥仕合は観客を大いに沸かせたようだ。

 津上は歓声に応えるよりも先に、横になってる心操に手を差し伸べた。

 

「ごめん、俺の力不足で引きずった。怪我は?」

「こんくらいなんとも」

 

 心操は、津上の手を取らず1人で立ち上がる。

 

「左手、まだ治ってないんだよな?」

「うん。だからこれ着けてるんだ」

 

「……悪い、最後何回も蹴った」

「慣れっこさ、ヒーロー科だからね」

「そっか……」

 

 俯いた心操の悔しそうな様子は彼がこの体育祭に掛ける思いの強さを感じるのに十分なものだった。

 それを見た津上は放っておきたくないと強く感じた。

 

「俺の個性はキープって言ってさ、衝撃でも空気でもコンクリートでも何でも触れたところを抉り取って溜め込むんだ。で、それを好きな時に放出できる。そんな個性」

「ああ、見てたから知ってる」

「もちろん人の体もキープ出来るんだ、コンクリートみたいに削り取って。だから人に向けて使う時はいつもヒヤヒヤしてる」

 

 それを聞いた心操は僅かに表情を変えた。想像したのだろう、人が抉り取られるその瞬間を。

 

「俺は心操くんの個性が羨ましい。相手を傷付けることなく沈静化できるその個性が。皆も多分そう思ってる」

「みんな?」

「会場にいる皆だ、聞こえない?」

 

 俯きっぱなしだった心操は津上にさそわれるまま客席へと意識を向ける。

 

 「あの個性、普通科にしておくには惜しいな」「雄英は目がない」「えっ、あの子職場体験で指名出来ないのかよ!」「破られてもすぐさま追撃に移る思い切りの良さこそ評価すべきだとワタシは思いますがネ」

 

「ね?」

 

 心操はまぶたをヒクつかせ唇を噛む。溢れ出る感情をこらえようとするその表情は津上の目に好ましく映った。

 

「二人共、ステージの中央に、ちゃんと礼をして終わりよ!」

「すいません、今行きます!」

「はい」

 

 ミッドナイトの指示に従って揃って小走りでステージ中央に行き、互いに向き合う。

 

『前2戦と比べちゃ地味だが、それでもアツい戦いだった。力を尽くした両名にクラップ・ユア・ハンズ!』

 

 歓声と拍手が響く中、津上と心操は互いの勝利と健闘を讃え深々と礼をした。

 退場しようと背を向けた時、心操が津上に声を掛ける。

 

「俺、ヒーローになるの絶対諦めない。これからもアピールしてヒーロー科に入って、それで両手のお前を絶対に倒してやるからな!」

「うん」

「……俺のためにも、みっともない負け方なんかしないでくれよ」

「うん!」

 

 両者晴れやかな気持ちでフィールドを後にする。トーナメント戦は始まったばかりだ。

 

 

 ◇

 

 

 津上たちの第3試合が終われば第4試合、A組飯田とB組小大の試合だ。津上としても俄然興味のある対戦なので控室にも寄らず、客席へと急ぐ。

 

「津上、お疲れ様」

「ありがとう。そうだ、アドバイス助かったよ。尾白くんの予想した通りの条件だった」

「そうだったのか、その割には結構食らってたみたいだけど」

「声を掛けられたらつい答えちゃって、条件が分かっても油断出来ない相手だったよ」

「なるほど、納得」

 

 A組のスペースに着くなり、通路脇に座っていた尾白と会話しながら津上はすぐに空いている席に着いた。

 試合の方を見れば既に入場は終わり、試合開始の合図が正に今響くところだった。

 

 舞台の上に立つ飯田は気合に満ちて2割増しでカクカクして見える。対する小大は自然体、しかしその表情は騎馬戦で物間チームをヤッた時と同じ(無表情)なのでこちらも戦意は十分だろう。

 

「頑張れ、二人共!」

 

『第4試合、レディィィィィ…………START!!』

 

 飯田はその脚のエンジンを一気に点火すると圧倒的速度で小大に迫る。

 小大はその進行方向から飛び退くも、飯田のドリフトはそれに容易に追いつく。

 

『飯田速い! 小大の回避もあえなく失敗。積んでるエンジンの差が如実に出てんな!』

 

 飯田は小大の上着の襟を捕まえると、その勢いのまま場外へ向かって引きずっていく。狙いは明確、場外勝ちだ。

 

 境界線ギリギリで飯田がブレーキを掛け、慣性を利用して小大を場外へ向かって投げる。

 飯田の一方的な勝利かと津上は思ったが、そうはならなかった。

 

 飯田が場外に投げたのは()()()()()小大の上着だけ、インナー姿になった小大がバランスの崩れた飯田の背後を取った。

 

「ナイスだ小大さ……「委員長もっとやれぇ!!」

 

 突如叫んだ峰田の思惑を理解し諌めようと思った津上だったが、当の峰田が応援してるだけだぜ。と言いたげな白々しい表情を浮かべていたので、ため息をついて試合へと視線を戻した。

 

 小大はそのまま腕を伸ばし飯田を場外へと突き飛ばすが、飯田は個性でそれに抵抗。強い推進力で小大を跳ね除けた。

 

『場外ギリギリの戦いを制した飯田、追撃の手を緩めんな!』

 

 跳ね飛ばされて倒れた小大の足首を飯田が掴む。津上の真横で「キタ!」と歓声を上げて立ち上がろうとした峰田だったが、後ろから伸びた梅雨の舌に引っ叩かれあえなく席に着いた。

 津上は梅雨をちらりと見て感謝を伝えた。

 

 飯田はもちろん服の上からではなく足首を直接掴んでおり、さっきのように服を巨大化しての回避を防いでいる。峰田がしたのはそもそもぬか喜びだった。

 

 

 絶体絶命の状況でもあっても小大は冷静だった。冷静だったが、意地を張っていた。

 小大の個性には当然のことだが限界がある。例を上げれば建物なんかの大きすぎる物のサイズは変更することは出来ない等だ。

 だから意地を張り、無理をした。雄英風に言えば“さらに向こうへ(Plus Ultra)”と言ったところだ。

 

『俺の目の錯覚じゃねえよな? ステージどんどん狭くなってんぞ!! そんなんアリか!?』

 

 スタジアムに()()された舞台に対して小大は個性を発動していた。舞台はみるみる縮小していき、それに比例しフィールドもどんどん狭まっていく。

 現在飯田が立っている場所は小大より外側、その飯田に向かって境界線がみるみる迫っていた。

 

 異常に気付いた飯田は小大の足首を離しステージ中央側へ移動を開始する。そのすれ違いざま、小大の手が飯田の脚へ伸び、直後、飯田は思いっきり転倒した。

 

『大事なところで飯田派手にズッコケた! すれ違いざまの一瞬で靴をデカくしたのかやるねぇ!』

 

 小大の個性で巨大化された飯田の靴が宙を舞う。飯田の転倒の原因はそれだ。

 脱げた飯田の靴を小大はキャッチし、飯田は飛び起きて距離を取る。より狭くなったフィールド上で両者は再び向かい合った。

 

『個性の応酬! コレコレ、観客はこういうのが見たかったんだよ! おっと飯田靴を脱ぎ始めた、居るよな本気の時に裸足で走るやつ!』

 

 裸足になった飯田は片足を下げ姿勢を低くする。足に備わったエンジンが低く唸り声を上げていた。

 

 そして、飯田の脹脛(ふくらはぎ)が爆発する。騎馬戦で見せた()()()使()()()、飯田の必殺技・レシプロバーストだ。

 

 

 目にも留まらぬ速さの飯田は小大の反応を許さず、その勢いのまま腕を引っ掛け場外へと追いやった。

 投げ飛ばされながら、小大は舞台に掛けた個性を解除する。フィールドを広げなんとか場外を回避しようとしたのだ。

 しかし、舞台の大きさが戻り切る前に小大の体は枠外へと触れた。

 

 

『小大さん場外! 飯田くん2回戦進出決定!!』

 

 小大唯、1回戦敗退。飯田に靴を返す小大は相変わらずの無表情だ。

 

 勝負を終えた2人に惜しみない拍手を送る津上、拍手する度に左手に走る痛みは少しも気にならなかった。




低評価でも評価を頂けると嬉しい。お気に入り登録が増えると嬉しい。しおりが増えると嬉しい。そんな気持ちです。
心操くんはこんな事言わない!とか、小大の個性の解釈がおかしい!でも良いので感想頂けるとより嬉しいです。

余談ですが、今話のテーマは「シリアスに逃げるな」です。
当初の構成は、独力で洗脳を解ける津上に警戒した心操が「個性による自傷」の命令を津上に下すという感じでしたが、余りにエグくシリアスに傾くので止めました。尚、その場合相澤先生が黙ってない模様。


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揺れて揺られて

誤字報告有り難うございます。何度かチェックしているのですが残ってしまっていて申し訳ないです。
加えて、予約投稿をミスりました。お気に入り登録して頂いている方、大変失礼しました。

原作改変の兆しが有るのでタグをこっそり追加してます。




 トーナメント1回戦第5試合、芦戸VS凡戸の戦いはヌルヌルドロドロ、泥沼の争いだった。

 戦況自体は終始芦戸の優勢であり、泥沼なのは絵面の方だ。と言うのも、試合開始から互いが接着剤や酸を放出し、それが足の踏み場もないほどにフィールドを埋め尽くしているからだ。心なしか理科室みたいな匂いまでしている。

 

「個性の相性的に芦戸さんがかなり有利か」

 

 酸で接着剤を溶かせる芦戸に凡戸の個性はさほど通用していない。それにに加え、身体能力においても芦戸は凡戸に勝っていて、格闘戦になれば体格の差を物ともせずほとんど一方的に痛打を決めている状態だ。

 このままの状況が続けばいずれ芦戸が勝利するだろうと、多くが予想していた。

 

「津上くん、観戦中のところすまないが少し良いだろうか? 会ってほしい人が居るんだ」

 

 凡戸の逆転の一手を祈っていた津上に声を掛けたのは、さっきまで試合を行っていたはずの飯田だった。

 後ろ髪を引かれながらそれに応じて、飯田の後に続いた。

 

 

「それで、会ってほしい人って?」

「以前話した俺の兄さ」

「お兄さんって、あのターボヒーロー・インゲニウム!?」

 

 インゲニウム、飯田の兄・飯田天晴(てんせい)のヒーロー名だ。65人のサイドキックを擁し東京に事務所を構える大人気ヒーローとは緑谷談。

 津上もインゲニウムが飯田の兄だと知ってからは彼の熱心なファンだ。

 思いもしない幸運に心弾ませながら階段を降りると長身の人影が通路脇からぬっと現れた。

 

「そう、俺がそのインゲニウムだ。こんにちは、津上くん」

「は、はじめまして! 飯田くん……天哉くんには何時もお世話になっております!」

「む! いつも世話になっているのは俺の方だろう!」

「ははっ、2人は波長合いそうだな」

 

 現れた素顔のインゲニウム────飯田天晴(てんせい)が笑顔で右手を差し出す。津上はズボンで汗を拭ってそれに応じると、大きな手が津上の右手を包んだ。

 握手をしている天晴の目は津上の全身、特に左手に向けられていた。

 

「聞いたよ、恐ろしい(ヴィラン)に立ち向かったんだって? その左手は名誉の負傷ってとこかな」

「名誉なんて……ただ向かっていって、ただ怪我をしただけです」

「謙虚だなぁ、津上くんは」

 

 親が子に向けるような視線で天晴に見つめられて気恥ずかしくなった津上は思わず目を逸らす。相澤やオールマイトとまた違う親しげな振る舞いがインゲニウムの人気の秘訣なのだろうと津上は感じた。

 

「その、何か俺に用だったんですか?」

 

 恥ずかしさを紛らわすように津上は抱いていた疑問を口にした。偶然出会ったならまだしもわざわざ連れ出されたのだ、そこには何か理由が有るのだろう。

 

「なに、天哉が口にする“尊敬する級友”ってのを直接見てみたくてね」

「兄さん、まさかそんな事で津上くんの観戦を中断させたのか!?」

「まぁその、悪い。その通りだ」

「その程度トーナメントが終わってからでも良かったじゃないか!」

 

 天哉の剣幕や天晴の謝る姿を見て津上は却って申し訳なくなってきた。

 

「俺は全然気にしてないよ! むしろ憧れのインゲニウムに会えてお礼を言いたいくらいさ!」

「なら良かった。そうだ。お詫びっていうのも何だけど、サインとかいる? ツーショット写真でもいいよ」

「そんなこと────「電話持ってないんでサインで良いですか!?」

 

 天哉の言葉を遮るように食い気味に言うと、津上はすぐさまキープしていた新品のノートとペンを差し出した。

 突如手元に現れたノートに天晴は少し驚いた様子を見せたが、すぐにそれを受け取って、素早く“津上保くんへ”と添えられたサインを描く。

 

 洗練されたインゲニウムのサインは津上の目には輝いて見えた。

 

「額に入れて飾ります! あっ日焼けしないように大事に仕舞っといた方がいいか……」

「そんなに喜んで貰えるとこっちも嬉しいよ。時間取らせて悪かったね」

「いえ、俺の方こそ、お時間いただきありがとうございました!」

 

 深々と礼をして津上は観客席へと戻っていく、大きな歓声が響いているのはきっと勝者が決まったからだろう。

 

 

 残った飯田兄弟はと言うと────

 

「いい子だな、津上くんは」

「ああ、クラスの中でも一目置かれてる人なんだ。でも、本当にあれだけの理由で彼を呼び出したのか、兄さん?」

「ん、まあな」

 

 天晴の言い草は天哉には少し悪びれて見えたが、それが時間を取らせたからだと思って深くは追求しなかった。

 

「頑張れよ天哉、仕事の合間に見てるからな」

「見てくれるのは嬉しいが、仕事はちゃんとやらないと!」

「ははっ、お前はそういうやつだよ」

 

 ヘルメットを被り警備の仕事へと戻っていくインゲニウムを天哉は手を振り見送った。

 

 

 ◇

 

 

 津上が戻った時には既に第5試合は終わっていた。勝者は芦戸、強力な飛び回し蹴りが凡戸の頭部にクリーンヒットし、勝敗が決したらしい。

 

 続く第6試合、常闇VS八百万は常闇がその個性で八百万を一方的に攻め立て、創造したものを使わせる間を与えぬ完封勝利を収めた。

 

 そして第7試合。津上が特に見たかった蛙吹VS切島だ。切島には控室に行く前に激励を送れたが、梅雨は気付けば既に姿を消していたので、声を掛けられなかった。

 僅かな悔やみを抱えつつ、2人の入場を固唾を呑んで待つ。

 

『さーて、続いて第7試合、選手の入場だ!』

 

『カエルのように跳び、カエルのように刺す! ヒーロー科A組・蛙吹梅雨!!』

 

 この距離からでも梅雨から溢れる迫力は今まで感じたことのないもので、揺るぎないその視線には強い決意が秘められているようだった。

 

『対するは……硬ぁぁぁぁぁぁい! 説明不要! 同じくA組・切島鋭児郎!!』

 

 硬化させた手を打ち鳴らし、こちらも気合い十分。

 

 津上の予想では機動力に勝る梅雨が僅かに有利だ。ただ、切島の防御力は決して侮れるものではなく、それを利用した力押しやカウンターが決まれば勝負は分からない。

 さっきの常闇たちの試合のようにすぐに決着が着くことは無いだろうと津上は予想している。

 

 ◆

 

 

『READY……START!!!!』

 

 戦闘開始の合図が響くと共に梅雨はカエル飛びで切島との距離を詰める。硬化の個性を持つ切島を戦闘不能にするような攻撃を持っていない以上、狙うのは場外勝ちであり、わざわざ切島をフィールドの中央へ移動させて場外を遠ざけてあげる必要もない。

 対する切島は梅雨にとっては有り難いことに、手を硬化させ迎え撃つ姿勢をとった。

 

「ワリぃが手加減できねえぞ、蛙吹」

「してもらわなくて結構よ」

 

 拳を打ち鳴らしている切島は梅雨の目には隙だらけに見えた。口では手加減をしないと言っていても女子である梅雨に攻撃をすることに少なくない抵抗が有るのだろう。

 僅かな落胆が梅雨の心を染めた。梅雨が見せつけたいのは油断している相手に圧勝するところじゃないからだ。

 

「切島ちゃん、悪く思わないでね」

「へ?」

 

 梅雨は四つん這いのまま力を溜めて、切島に向かって下半身のバネを一気に解放した。

 空気の壁を押し退けながら切島への最短距離を飛んでいく梅雨は、跳躍の勢いを利用し空中で前転する。

 

「速っ!?」

 

 咄嗟に切島は全身を硬化させ防御を固めたが、そんな事はお構いなしに梅雨は全ての勢いを乗せた飛び蹴りを切島に叩き込む。

 交通事故でも起こったかのような鈍い音が会場を揺らし、両脚に強い衝撃が伝わる。全ての運動エネルギーを余すことなく切島に伝えた梅雨は、反動を受け流すように元いた方へと跳躍した。

 

『痛烈! カエルの脚力全部使ったドロップキックが切島にぶっ刺さった!』

 

 四肢を使ってしっかりと着地をした梅雨は、防御の構えを崩していない切島の姿を確認し、警戒を解いた。

 

「そんなもんじゃ俺は倒れね……「切島くん場外! 蛙吹さんの勝利!!」ええっ!?」

 

 梅雨の全力の飛び蹴りは、狙い通り切島を場外へと押し出したのだ。

 

「くっそー、油断したァ!!」

「ごめんなさいね、切島ちゃんに勝つ方法は場外しか思いつかなくて」

「いや、油断してた俺が完全に悪い! 蛙吹、オレの分まで頑張ってくれよな!!」

「ええ」

 

 切島と軽く言葉を交わしてから、観客の声援に応えるように手を振った。

 ちらりとA組の席に目を向ければほとんどのクラスメイトは驚いた表情を浮かべていた。

 

 予想通りなクラスメイトのその表情は梅雨にとってあまり嬉しいものではなかった。

 

 

 ◆

 

 

「すごいな、梅雨ちゃん……!」

 

 まさかの瞬殺劇に驚いた津上は独り言を零した。

 

「蛙吹って、あんなに強ええのかよ……」

 

 驚きを通り越して恐怖に震えているのは峰田だ。これに関しては自業自得だろう。

 他のクラスメイトも軒並み驚いているようで、そうじゃないのは尾白くらいのものだった。

 

「尾白くんは驚かないんだね」

「ん? ああ、今日までちょくちょく組手をしてて、蛙吹の強さを知ってるからさ」

「組手を……全然知らなかった」

 

 知っていたら参加、とまではいかなくとも見学くらいはしていただろう。

 

「津上リハビリで忙しそうにしてたから声掛けづらくてさ、体育祭以降もやるつもりだしそん時は一緒にやろう」

「うん!」

「ただ、組手以外にも俺の通ってた道場のトレーニングもやるから身体能力上がる個性じゃない津上には結構キツイかも」

「だったら尚更参加したいよ!」

 

 さっきの戦いで自身の接近戦の弱さを感じた津上、訓練を受けてない(であろう)心操が凌げる程度の技術ではヒーローとしては力不足だ。

 自身の個性を活かす為にも格闘能力は是非とも伸ばしておきたい分野であり、それを学ぶ相手が尾白なら師として一切の不安はない。そう思うのは、襲撃事件で多数の(ヴィラン)を相手取る尾白の勇ましい姿が津上の記憶に鮮明に残っているからだ。

 

 尾白と約束を交わして、視線は再びフィールドへと向けられる。1回戦最終試合にして最も波乱を予感させる組み合わせ、麗日VS爆豪の試合が始まろうとしていた。

 

 

 ◇

 

 

 第8試合は多くの予想通りに爆豪が一方的に麗日に爆破を浴びせていく展開になった。

 容赦なく爆破攻撃を繰り返す爆豪や、それに怯むこと無く果敢に攻める麗日の姿は、見ている津上には到底真似できなさそうで、2人がどんな想いで挑んでいるのか想像もつかなかった。

 

 爆風や煙幕に紛れて宙に浮かんでいく瓦礫はきっと麗日の策だろう。客席から俯瞰している津上でも気付くのが遅れたのに、対戦している爆豪は序盤からこれを警戒していたように見えたのだから恐ろしい。

 

「反射神経がずば抜けてる、見てから反応するまでが恐ろしく速いな」

「うん」

 

 素の身体能力が高く、策を看破する観察眼を備え、恐ろしいまでの反応速度に、戦闘向きの優れた個性、津上から見た爆豪勝己という人物はヒーローに求められる資質を全て備えているように見えた。仮に対峙したとしても勝てるイメージは湧かない。

 爆豪の個性(爆破)は掌からしか出ないようなので、仮に津上が両手を使えれば個性だけならばなんとか凌げるかもしれないが、それでもだ。

 

「爆発の規模がどんどん大きくなっているように見えるわね、体温か発汗量とかかしら」

「梅雨ちゃん!? いつの間に!?」

 

 気付けばいつの間にか隣の席には梅雨が座っていた。

 

「いま来たところよ、画面越しだと見切れる事が多いの」

「なるほど」

 

 津上と話している間も、梅雨の大きな目は絶えず試合へと向けられていた。

 それもそうだろう、試合結果がどうなるにせよ、今立っている2人のどちらかが梅雨の次なる対戦相手だ。観察にも一際力が入るというもの。

 

「そうだ、梅雨ちゃん、2回戦進出おめでとう」

「ありがとう。津上ちゃんも2回戦ね、お互い頑張りましょう」

「う、うん」

 

 津上の返答は自分で感じるほど弱々しいものだった。

 梅雨の2回戦の相手が麗日か爆豪なら、津上の相手は飯田だ。津上の個性(キープ)にとっては、個性(エンジン)で身体能力を底上げする飯田は最も苦手とするタイプだ。いっそのこと個性での直接攻撃をキープしてしまえる轟や爆豪の方がやり易いとまで言える。

 

『一部からブーイング! 気持ちは分からんでもない!』

 

 来る飯田戦について考え込んでいた津上は会場の様子がおかしい事にようやく気が付いた。

 

 隙を与えぬようひたすらに攻撃を繰り返す麗日を爆破で迎撃し続ける爆豪の姿が一部の()()の目には悪どく見えたのだろう。「女子いたぶって遊んでんじゃねえよ!」なんて声まで聞こえてきた。

 

『今遊んでるつったのプロか? 何年目だ? シラフで言ってんならもう見る意味ねえから帰れ。帰って転職サイトでも眺めてろ』

 

 ただの観客(ヒーローではない人)に麗日の策や爆豪の警戒への理解を求めるのは酷というもの、津上は相澤のわざとらしい叱責を耳にしながらそんな事を思った。

 相澤の強い口調には、爆豪への暴言に対する怒りも含まれているように聞こえた。

 

『ここまで上がってきた相手の力を認めてるから警戒してんだろう。互いに本気で勝とうとしてるからこそ、油断も手加減も出来ねえんだろうが』

 

 爆煙が晴れて観客はようやく、麗日が浮かし続けていた瓦礫に気が付いた。相当な量だ、流石の爆豪といえど手を焼くに違いない。

 

 相手が対応せざるを得ない攻撃を多方面から浴びせるのは、津上たちが騎馬戦でも行った戦術だ。それを1人で完遂しようとしている麗日に津上は尊敬の眼差しを向けた。

 

『流・星・群!!!!』

 

 個性を解除された瓦礫が重力に引かれフィールドへと降り注いでいく。

 

 だがしかし、そんな戦術も爆豪の力の前には届かなかった。

 

 

 BOOOOMB!! 

 

 凄まじい爆撃が迫りくる瓦礫のことごとくを破壊し尽くし、その余波は地上から迫っていた麗日すら跳ね除けた。

 これまで見た中でも最大級の爆破、その爆風は客席にいた津上の体をも揺らし、その強さに心が震えた。

 

 

『麗日さん、行動不能。 よって爆豪くん、2回戦進出!』

 

 麗日は個性の使用超過により、フラフラと倒れ込んだ。限界を超えて這いながらも爆豪に向かっていた麗日の姿は痛々しくも強く見えた。

 

 爆豪との対戦が決まった梅雨をちらりと見る。

 あの強大な力を目の当たりにしても梅雨の瞳に灯る闘志は一切揺らいでいなかった。




劇場版第3弾「ワールドヒーローズミッション」見てきました。ファンムービーを超え一本の映画として純粋に面白かったです。〇〇の〇〇を知ってもう一度観に行きたい気持ちがふつふつと。ゲスト声優である吉沢亮さんはゲストとは思えないほどの素晴らしい演技で、一作目のメリッサやデヴィット、二作目のナインやスライスも自然な演技でしたがそれに匹敵、或いは超えるクオリティです。主題歌のエンパシーもタイトルから歌詞からヒロアカに合いすぎてて最高でした(中略)――――映画オリジナルキャラのクレア・ボヤンスさんが可愛いので本編への登場どうぞ。兎にも角にもネタバレを踏む前に是非劇場に足を運んでみてください。(オタク特有の早口)

絞りに絞っても書きたいシーンが多すぎる問題。
天晴を「あっぱれ」で変換しているのはナイショにしてください。


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