竜人殺し (オリバー・アドウッド)
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一話 楽しい時間と楽しくない時間

この世界において、竜とは命の答えだ。

 

ありとあらゆる命あるものが、誕生した瞬間から、竜を畏怖し、崇め、憧れる。それは本能だ。人も、家畜も、草木も、虫も––––全てが、竜になることを目的としてこの地上に生を受けた。

 

この竜学院もまた、人が竜になるための学問である「竜学」を研究するための大学である。

 

 

ぱたり、と教本を閉じると、学生達が教室から出て行くのが目に入る。講義終了の合図の前から退室の準備をしていたらしい。気の早いことだ。文句をつけるつもりはない。彼らが(または彼らの父親が)受講料を払っている以上、彼らは立派なスポンサーだ。受講料も安くはなかろうに、とは思うが、思うだけにしておく。

 

教室の片付けは小間使いのエヴィンに任せ、私もさっさと退室する。研究室へ戻ろう、と実験棟に足を向けたところで声がかかる。

 

「先生、先程の講義について質問が」

 

振り返ると女学生がこちらを見つめていた。若いが胸が大きい。見える範囲に鱗や角はない。つまり、魅力的ではない。

 

「何かね、ええと……」

「エーデルハイトです」

「エーデルハイト君」

 

エーデルハイト嬢は何かに挑むかのような目つきで質問してくる。

 

「先程先生は、人が竜になろうとするのは本能だと言っていましたが、本当に生まれついての本能なのでしょうか?」

「どういう意味だね?」

「人と竜は違いすぎます。トカゲやヘビが竜を目指すのとはわけが違います。飛躍し過ぎている。人が竜になれるはずが」

 

堰を切ったように喋り続けるエーデルハイト嬢の目前に手のひらを突き出し、口を止める。

 

「長くなりそうだ。続きは私の研究室で聞こうじゃないか」

 

退室の遅れた学生達が見ている。その目には嘲弄と憤怒の色が見えた。この話題はこの場でするべきではない。

 

 

実験棟に入り研究室へ向かう道中では、エーデルハイト嬢は先程とは打って変わって黙り込んでいた。俯き、口を硬く結び、私の後ろをついてくる。途中でエヴィンが追い付き、三人で研究室に入った。エヴィンに紅茶を用意させ、エーデルハイト嬢と向き合うように席に着く。

 

「さて、エーデルハイト君。話を続けよう。君は竜への渇望が本能ではないと言っていたね。人は竜にはなれないと。しかし、現実に全ての人間が幼い頃から見たことのない筈の竜への憧れを抱いている。それに、ここ数百年で鱗や角を持つ人間が産まれている。竜学も100年前に比べて大きく進歩した。このまま数百年もすれば人はきっと竜になれる」

「それも不自然です。人は百年も生きられません。遠い未来で人が竜になれるって言ったって、そのころには先生も生きてはいない」

「未来への希望を次代に託すのは当然のことだ。私だって竜になりたいが、私の生きている内には難しいだろう。ならば私の子孫が竜に近付けるように全力を尽くすまでのこと」

「どうしてそこまで竜を求めるんですか⁉︎」

 

エーデルハイト嬢は声を荒げた。それは決定的な言葉だった。竜になりたいと願うことの理由など、考えるまでもなく分かりきっている。

 

「竜こそが命の答えだからだ。全ての命有るものはこの地上に生まれ落ちたその瞬間からそれを知っている。分かっている。竜になる事こそが自分がこの世界に存在する理由であり、目的であり、終着点であると」

 

話している内に気付いた。エーデルハイト嬢は病気だ。古い文献で読んだことがある。ごく稀に竜への渇望を持たずに産まれる子どもがいると。彼女はきっとそれだ。先天的に本能の一部が欠けている。誰もが持つ竜への渇望を持たず、理解できない。症例が少な過ぎて一般には知られていないから、奇人変人だと思われ、孤立してきたのだろう。父も母も友人も、誰一人として彼女を理解することはできなかったのだろう。そして私もまた、彼女を心から理解することはできない。目の前の彼女の瞳の奥に、私に対する落胆と絶望を感じ取る。

 

私は彼女を、可哀想だと思った。孤独を哀れに思ったのではない。竜について考えている時の胸が焦がれるような興奮を、竜に一歩近づいたときの歓喜を、彼女は知らないのだ。それはとても悲しいことだった。

 

「君は人の竜への渇望に興味があるようだね。ならば、それを研究対象にしてみるというのはどうだろう。直接的に竜に近づくための研究ではないから大した予算は得られないだろうが、研究室なら空きがあった筈だ。私も時間がある時は手を貸す。他の教授への口利きもしてあげよう」

 

彼女は驚いた様子だった。気を取り直すように一つ頷いて、私に言う。

 

「元よりそのつもりでこの学院に入りました。手を貸して頂けるのはとてもありがたいです。しかし、なぜ助けて頂けるのでしょうか?」

「もちろん、君の言うことに興味を持ったからさ。当然のこと過ぎて疑問にも思わなかったが、誰もが最初からこの渇望を持っているというのは確かに不思議だ」

 

心にもないことを言う。だが彼女に病気のことを言うつもりは無かった。彼女が求めているのは、彼女に竜への渇望がない理由ではなく、彼女以外に竜への渇望がある理由だ。

 

手助けしようと思ったのは気まぐれと打算が半々だ。彼女に竜への渇望は無いが、それに代わる強い目的意識があれば、私の興奮と歓喜の一割でも味わえるかもしれない。私が他人を哀れに思うなど十年に一度の珍事であった。

 

打算の方は単純である。女性に竜学院レベルの高い教養を求めるのは大貴族くらいのもの。つまり彼女は、大貴族の娘か、大貴族に嫁入りする予定のある中小貴族の娘だ。エーデルハイトという姓は聞き覚えが無いから後者だろうか。いずれにせよ、彼女に恩を売れば大貴族との接点ができる。スポンサーは量も質も重要だ。

 

私の思惑に気付いているのかいないのか、とにかく彼女は嬉しそうだった。安心したかのように笑みを浮かべると、エヴィンの出した紅茶に手を出した。紅茶を一口飲んでまた笑う。

 

「これ、美味しいですね。ロマーニ産ですか? 淹れた人の腕も良い」

 

エヴィンがにこりと笑って頭を下げる。主人と客人の会話に口を出すような非礼はしない。

 

「ご名答。ロマーニの茶は当たりが多い。今年は特に良かった。彼はエヴィン。四年前から私の下にいる。まだ若いがよく出来た子でね、私も重宝している」

 

エヴィンは右頬に鱗が数枚あり、笑うと鋭い犬歯が覗く。私にその気は無いがかなりの美少年だ。使用人としても優秀で、彼が褒められると私も鼻が高い。農村の生まれでなければ養子にしていたかもしれない程度には、彼の事を気に入っていた。

 

しばらくエヴィンとの出会いや紅茶に合う菓子についてなど、取り留めのない話に興じる。彼女との語らいはなかなか楽しかった。彼女は竜に似ていないから女性としての魅力には欠けていると思っていたが、高い知性と教養を感じる女性との会話は新鮮でおもしろく、その評価は改めなくてはならなかった。

 

しかし、楽しい時間は終わりだ。日がだいぶ傾いてきている。女子寮は少し離れた場所にあるから、そろそろ彼女も帰らなくてはならない。そして、私自身もこれから用事があるのだ。とてもやりたくない用事だが。

 

 

エーデルハイト嬢を実験棟出口まで見送った後、その足で学院長室へ向かう。とても、とても嫌な気分だった。学院長からの呼び出し。それも、日が落ちる直前の時間帯。これは合図のようなものだ。要件は決まっていた。学院長室の扉をノックする。

 

「入りたまえ」

 

低い声が聞こえ、扉を開ける。皺の多い大柄な老人が無駄に装飾の多い椅子に座っている。

 

「四十三番が脱走した。竜人殺し。お前の出番だ。妊娠している可能性がある。確実に殺せ」

 

溜息を吐きそうになってぐっと堪える。

 

「分かりました。ただその呼び方はやめてください。私の研究は竜に近づくためのものであって殺すためのものではありません」

「報酬はいつも通り君の研究の予算に組み込んでおく。早く行け」

 

返事になっていない。今度の溜息は堪えられなかった。



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