【疾風】に助けられるのは間違っているだろうか (マルセイエーズ)
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始まり
別にオリ主でもベル君でもリューさんがメインヒロインならどっちでも構わないから……!
『いいか、ベル。男ならやっぱりハーレムを作らないとな』
『ハーレム?たくさんお嫁さんに来てもらうんだよね!』
祖父の声が聞こえた気がする。二人で暮らしていた時によく祖父が口にしていた言葉だ。
『そうだな。……まあ、ハーレムなんて作れるのは、ほんのひと握りの人間だ。それでも、女の子と仲良くなることはベルにも出来るだろう?』
『うっ……。だ、大丈夫だよ!』
『そうか、ならベル、女の子と話す時は注意しろよ。エルフとかは不用意に近づくと怒る人もいるからな』
僕の英雄は、いつも僕が困っていたら助けてくれた自慢のおじいちゃんは、そう言って僕の頭を撫でてくれた。
だから、おじいちゃんはが亡くなった後、よく話に聞いていた『オラリオ』に向かうことにした。紆余曲折あったけれど無事に【ファミリア】に入り、冒険者になった。ハーレムを作るにはやっぱり強くないといけないと思ったし、それに、叶うのなら僕は――。
――そんな事を夢想していた過去の自分を殴り飛ばしたい。
『ヴオォォォォォォォ!!』
「うわぁぁぁぁぁぁ!!」
五階層。僕はモンスターに追いかけ回されていた。しかも、モンスターはまだダンジョンについて疎い僕でも知っている、あの『ミノタウロス』。Lv.1の僕では逆立ちしても敵わない怪物だ。
エイナさんの言いつけを破って、普段探索している階層よりも下に降りてきてしまったのが運の尽きか。
モンスターも中々見つからなかったし、神様のためにもお金は稼ぎたかったから……!と頭の中で言い訳をしてみるが、この状況は変わらない。
「ヤバイヤバイヤバイヤバイ! 追いつかれる……!」
初めてくる階層のため、ここの地形なんて全く把握しておらず、無闇矢鱈に走り回っていてまだ捕まっていないのは奇跡だろう。『ミノタウロス』はLv.2にカテゴライズされるモンスターであり、当然僕より速い。本来ならとっくにミンチにされている頃だ。そうなっていないのは、ひとえに僕の運の良さと『敏捷』が少しだけ高いからだろう。……本当に運がいいなら『ミノタウロス』なんかには遭遇しないはずだけど。
そして、遂にこの命懸けの追いかけっこが終わる時が来た。
「い、行き止まり……」
『ヴモォォ……!』
筋骨隆々の体が僕を見下ろしてくる。走り回って通路を右折したその奥は行き止まりだった。ここまで来たらもう僕は逃げられないし、残された道はここで何も出来ずに無様に死ぬか、無謀にも戦いを挑んで死ぬかだ。
『ミノタウロス』もそれが分かったのか、走るのをやめて、ゆっくり僕を追い詰めるように歩いてきた。
なるほど、物語の英雄はこういう場面で女の子を助けるからハーレムを作れるのか、とこんな状況にも関わらず考えてしまう。確かに僕も今助けられたら惚れてしまいそうだ。だが、そんなに上手くいかないのが世の常である。
今の僕は、きっと足が震えていて、ナイフをへっぴり腰で構えているみっともない姿だろう。かっこよく敵を倒す彼等とは似ても似つかない。
「ちくしょうっ……。どうせ駄目なら……!」
震える足を叱咤して、弱い心を奮い立たせる。背後は壁、前には怪物。彼我の距離は30M程度。あの『ミノタウロス』ならばすぐにに詰められる距離だ。ダンジョンに出会いを求めるのは間違っていたと今更ながらに思うけど、それは僕が自分で選んだことだ。
だから、ナイフを構える。重心を下げ、相手を見据える。意識を切り替え、あの怪物と戦うと決める。……覚悟なんて大層なものは出来てないけど。僕はまだ死にたくない、このまま何もしないようなことはしたくない。
『ヴモォォ……』
「――ふっ!」
勢いよく地面を蹴って突貫する。相手は僕が向かってきているのを見て、迎え撃つ姿勢をとった。万に一つも勝ち目が無いとわかっていながら、それでも走る。自分の間合いに入ったことを確認した『ミノタウロス』が石で出来た武器を振り上げる、その時。
「――そこまでだ」
『ヴモォッ!?』
『ミノタウロス』の背後から鈴を転がすような声がしたと思ったら、そのまま『ミノタウロス』が横に吹き飛んだ。あまりの出来事に僕が立ち止まり、間抜けな顔をさらしていると、そこに一人の女性が立っていた。
「何かと思えば五階層に『ミノタウロス』ですか。……そのまま後ろに下がっていなさい。すぐに片付けます」
僕がぶんぶんと首を振って頷き、数歩下がったのを確認すると、彼女は木刀を手に『ミノタウロス』に肉薄した。風のように素早く動く彼女を『ミノタウロス』は全く捉えきれず、神速をもって繰り出される攻撃に翻弄され続け、すぐに灰と魔石に姿を変えた。未だに脳の処理が追いついていない僕に、彼女は振り返って口を開いた。
「大丈夫ですか? 見た所怪我はないようですが」
「は、はい! た、助けてくれてありがとうございます!!」
「お気になさらず、
「あははは……」
僕が駆け出しだと一目見ただけで見抜かれて少し恥ずかしい。まあ、あの『ミノタウロス』を一瞬で倒すほどの実力を持つなら、それくらい分かるのだろう。……そもそも冒険者になって日が経つなら、支給品のナイフなんて使ってないだろうし。
「よろしければ、地上まで送りますが」
女性が僕の身を案ずるように聞いてくる。ケープやマスクで顔が全部見えるわけじゃないけど、奥に見える空色の瞳や薄緑の髪、先ほど聞いた声から、この人がものすごく美人な気がしてくる。それを意識してしまうと、この状況がとてもチグハグなものに思える。
ダンジョンで危機的な状況の中、可愛い女の子と出会う。僕が助けられる側ではなく、助ける側だったらまさに理想的だろう。だから、やはりと言うべきか、助け出された僕は彼女から目が離せなくなってしまった。
胸が高鳴り、顔が赤らむ。一気に緊張感に襲われた僕は。
「だ、大丈夫です!! あ、ありがとうございましたあぁぁぁ!!」
「あっ……」
さっきの全力疾走もかくやというスピードで彼女に背を向けて走り出した。
「どういう事かな~ベル君?」
「ううっ、すいませぇん……」
あの人から逃げてきた後、ギルドに換金しに行きそのまま今日は帰ろうかと思った時に、エイナさんに会ったから少し話をしていた。今日の出来事は話してしまうと間違いなく怒られるので、黙っているつもりだったけど僕の誤魔化しはエイナさんに全く通用せず、全て話してしまった。
エイナさんは僕のことを心配してくれているから怒っているのだろうけど、やっぱりエイナさんに非難の目で見られるのは辛い。
「まったくもう、次やったら許さないんだからね! ただでさえベル君は一人でダンジョンに行ってるのに、五階層まで降りるなんて!」
「はい……。そ、それで、さっき言った女の人について心当たりはないですか?」
「顔を隠している女性冒険者ねぇ……。そんなに強いなら噂になっててもおかしくないんだけどなぁ。ごめんね、よくわからないかな」
「そうですか……」
「そんなに気になるなら、なんで名前を聞かなかったの?」
「あはは……はぁ」
正直、それを言われると耳が痛い。あの時は羞恥とか安堵とか色々な感情が溢れてしまっていて、すっかり名前を聞くのを忘れてしまっていたのだ。まあ、あの場から逃げなかったら聞けたかもしれないんだけど。
なんだか変な空気になってしまい、それを払拭しようとエイナさんは小さく咳払いした後、僕の目を見てゆっくりと口を開いた。
「こほん、……ベル君、私が教えたことしっかり覚えといてね? それと、神へスティアにもしっかり今回の事は伝えること!」
「はいぃ……。それじゃあ、さようならエイナさん!」
ギルドを出た後、僕は北西のメインストリートを歩いていた。
この迷宮都市には八本のメインストリートがあり、区画ごとに店の種類が大まかに決まっている。例えばこの北西部は、ギルドや武器屋など客を冒険者に絞っている店が多い。それがこの場所が『冒険者通り』と呼ばれる由来であり、毎日たくさんの冒険者がこの通りを訪れ、僕たちのホームもこの近くにある。
「神様、今帰りましたよー」
「おー! おかえり、ベル君!」
先ほどの通りを少し西に行ったところにある教会に着いた僕を神様が出迎えてくれた。大きく実っている双丘についつい目が引き寄せられてしまいそうになり、慌てて目を逸らす。
僕は気を取り直して今日の出来事を話すことにした。
「――それで女の人に助けてもらったんですよ」
「おいおいベル君、気を付けるんだぜ? 君に何かあったらボクは泣いちゃうぞ?」
「はい、すいません……」
「反省してるならいいさ。さて! 【ステイタス】の更新をしようか」
神様がそう言って、僕をベッドの上でうつ伏せにさせて跨ってくる。
僕たちは神様の眷属になる時に『
「……っ!」
「神様? どうかしましたか?」
「……何でもないさ。はい、終わったよ」
神様が【ステイタス】を写した紙を僕に渡してくる。『ミノタウロス』に襲われて走り回っていたから、かなり上がっているのではないかという期待を込めて紙に目を落とす。
ベル・クラネル
Lv.1
力 :I77→82
耐久 :I13
器用 :I85→89
敏捷 :H148→172
魔力 :I0
《魔法》
【】
《スキル》
【】
「おおー、敏捷が結構上がってますね!」
「そうだね」
「……あのー、神様怒ってます?」
「別にぃー」
……なんだか凄く神様が怒っている気がしてならない。やっぱり危険を冒したことを根に持ってるのだろうか。改めて【ステイタス】を見てみると、いつも通り魔力の欄は変わらずゼロで伸びやすい敏捷はかなり上がっている。《魔法》と《スキル》の欄は中々発現せず、空欄のままなんだけど……。
「神様、この《スキル》のところ何か書いてありましたか?」
「いや、何も書いてなかったよ。いつも通り空欄さ」
ですよねー、と情けない声を漏らす。《魔法》と《スキル》は誰にでも発現する可能性があるから、そんなに焦る必要はないんだけれど、あの人の戦いを見てから、僕にもあのように強くなりたい、速くなりたいという想いが芽生えてきた。漠然としていた想いが定まった感じだ。
やっぱりダンジョンに出会いを求めるのは間違ってはいなかったと手のひらを返しながら、僕は【ステイタス】の記された紙をじっと見つめた。
◆❖◇◇❖◆
へスティアは自らの気持ちを持て余していた。いや、少し、ほんの少しだけ怒っていた。
(なんだいベル君は!? ボクとの甘々な生活は何にも【ステイタス】に影響してないのに、このぽっと出の女の子に鼻の下を伸ばして!)
ベルがその助けてもらった女性に対して思っている感情など、へスティアには手に取るように分かった。憧れか淡い恋心か、はたまたその両方か、顔もその全貌がはっきりしないのに、助けてもらい、美人そうな雰囲気がしただけで惚れて帰ってくるとは馬鹿というか単純というか、とにかく、へスティアはこの事実が全くもって面白くなかった。
(それに、このスキル。こんなの絶対にベル君には伝えられない)
ベルをベッドから下ろし、夕飯を作るのを頼んだ後、へスティアは【ステイタス】が記された紙のスキル欄を軽く触り、先ほどは無かった文字を出現させ、それにもう一度目を向けた。
ベル・クラネル
Lv.1
力 :I77→82
耐久 :I13
器用 :I85→89
敏捷 :H148→172
魔力 :I0
《魔法》
【】
《スキル》
【
・早熟する
・自身の想いの丈により効果増減
・戦闘時に敏捷値の超高補正
(成長速度に関するスキル……間違いなくこれは――)
『レアスキル』。そうへスティアは確信した。戦闘時にアビリティに補正がかかるスキルというものはよく見られる。超高補正というくらいだから、他のスキルとは一線を画すだろうが、まだ常識の範疇だ。
だが、成長速度を促進するスキルなどへスティアは聞いたことがない。自分がまだ下界に来たばかりでこの手の情報に疎い事を差し置いても、これは明らかに異常だ。ベルが【ロキ・ファミリア】や【フレイヤ・ファミリア】に属しているのならば、話はそこまで大事には至らなかったかもしれないが、この新設の【ファミリア】でこのようなスキルが明るみになってしまえばどうなるだろうか。
神々による干渉、冒険者の嫉妬、果てには『
ベルにとって、へスティアにとっても念願の初スキル。それがこんな事になろうとは。不変の神と違い、いくらでも変容する下界の子供たちの本質を垣間見、心が踊らないかと言われれば、否、と答えるがやはりこの先のベルが心配だと、へスティアは歓喜と不安の入り交じった思いを胸に大きく息を吐いた。
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出会い
「それじゃあ神様、行ってきます」
返事はない。今は午前五時、神様はまだまだ寝ている時間だ。神様が起きるのに後二時間はかかるだろうし、それまで待ってから出発してもいいんだけど、僕には今日に限って早く出発する理由があった。身支度を整え、教会を出たあと、メインストリートを小走りで進んでいると目の前に小さなお店が見えた。
「やった!今日は一番乗りだ!」
西のメインストリートに佇む小さな店。ここでは、サンドイッチなどのご飯を売っていて、朝早くから開いていることもあり、早朝から冒険者や一般の人が集まってくるのだ。
非常に美味しいと評判で、もちろん一つ一つ手作りなので、開店と同時に行かないと僕の食べたい『カツサンド』がなくなってしまうのだ。
また、ご飯の量もそこそこあるのでお値段がお高くなっている。だから、毎日はこれを食べに来るわけにはいかず、一週間に一回の僕の楽しみとなっている。……これを食べるために少しでもお金を浮かせようと、たまに昼ご飯を少なめにしたり朝ご飯を食べなかったりしているのは神様にも秘密だ。バレてるかもしれないけど。
無事に『カツサンド』を手に入れた後、僕は意気揚々として道を歩いていた。お財布は少し軽くなったが、これは自分に必要なものだと言い聞かせる。今度稼ぎが多かったら神様にも買ってあげようと密かに決意を固めていると。
「すいませーん、これ――」
「……っ!?」
「ひゃあ!!」
「あ、す、すいません、大丈夫ですか!?」
背後から急に声をかけられて思わず飛び退いてしまった。振り向いた先にいる薄鈍色の髪を持つ女性が僕の反応に驚いて、可愛らしい声を出して肩をビクリと跳ねさせた。
なんだろう、今誰かから強烈な視線を向けられたと冒険者としての勘が告げているような気がしたけど、辺りに人影らしきものはこの目の前のお団子頭の少女しか見当たらない。
僕の思い違いだろうか。……そもそも冒険者になって一ヶ月も経っていない僕に冒険者としての勘とかはまだまだ早かったな。うん。
「ふふっ、いきなり声をかけちゃってごめんなさい」
「い、いえ、こちらこそごめんなさい……」
「はーい。……これ落としましたよ?」
彼女はそう言って僕に『魔石』を渡してきた。おかしいなぁ、ちゃんと全部換金したはずなんだけど……冒険者じゃない人が持つものじゃないから、きっと僕が換金し忘れたんだろう。
「すいません、ありがとうございます」
「いえいえ、今からダンジョンに行くんですか?」
「はい、少しやりたいことが出来たので」
彼女からの質問に答える。そうなのだ、あの出来事があってから僕には少しやりたいことが出来た。
ある程度言葉を交わしたら出発しようと思っていたら、ある事をすっかり忘れている事に気づいた。
「あ、僕、ベル・クラネルと言います。あなたの名前を聞いてもいいですか?」
「そうでしたね、まだ名乗ってなかったですね。私、シル・フローヴァです」
よろしくお願いします、と微笑んでくる女性――シルさんに僕は目を奪われてしまい、しばらく真っ赤になって頷くことしか出来なかった。
「よし、着いた」
あの後、シルさんと少しの間会話を続け、今日の稼ぎが良かったらシルさんが働いているというお店に伺うと約束し、僕はダンジョンの上層、一階層に足を運んでいた。
僕の戦闘方法は基本的に敵に一撃を与えたらすぐにその場を離れ、また攻撃を仕掛けるというヒットアンドアウェイだ。確かにこの戦い方は僕に向いていると思うけど、だからこの戦法をとっている訳では無い。
単純に僕に戦闘方法を教えてくれる人が居ないのだ。他の【ファミリア】なら先輩がいて教えてくれるのだろうけど、僕の【ファミリア】は眷属一人の零細【ファミリア】。神様が教えてくれる事なんてないから必然的に我流になっている。
だけど、昨日、転機が訪れた。あの女性は一人きりで『ミノタウロス』を圧倒していた。体術を使い、フェイントで撹乱し、はたまた相手に動きがあればそれを事前に封じ、冒険者で言うところの『技』と『駆け引き』を彼女は持ち合わせていた。
一分に満たない戦闘に加え、あまりにも速かったため、僕が見えたものもそう多くはない。それでも、あの戦いが僕の頭から離れない。だから、それをしっかりと覚えているうちに自分で試してみようと思ったのだ。
頭の中で彼女の動作を反復する。まだまだ僕の技術では再現不可能な事も多いけれど、このまま漠然と我流で続けていくよりは遥かに僕のためになる気がした。
しばらくの間そのまま真っ直ぐ広い通路を歩いていくと、ダンジョンが蠢き、異形の怪物が多数、僕の目の前に出現した。
『『『ギャアア!!』』』
「『コボルト』が八体、いけるかな……」
僕には幸いにも冒険者としての才能――少なくとも駆け出しの時点で冒険者家業を諦める必要がある程、才能に見離されていない――があった。
だから、『コボルト』程度の相手ならば時間と労力に目を瞑れば無傷で討伐出来る。
しかし、それも『コボルト』たち怪物が単独の場合や二、三体など、少数の場合だ。エイナさんから常々言われているけど、僕は一人だから敵に囲まれてしまうのはあまりよろしくない。
『冒険者は冒険してはいけない』。その為にもある程度敵を分散させて、その隙に素早く敵を倒す必要がある。
他の個体と違って、少し離れたところに誕生したものを一先ず倒してしまおうと、意識を戦闘状態へと切り替え、足に力を込めて勢いよく地面を蹴って詰め寄ろうとした、その瞬間。
「――え?」
『ギャア!?』
いつもより遥かに速いスピードで『コボルト』に接近した。あまりの速度に驚きながらも、同じく驚愕しているのか、動きが止まっている『コボルト』の胸にナイフを押し入れ、核を破壊する。
(確かに敏捷は昨日に比べて上がったけれど、こんなに速くなるものなのか……?)
思わずそんな疑問が湧いてくる。ホームに帰ったら神様にしっかり聞いてみようと思うけど、この状況でこの成長はありがたい。
これでより戦いやすくなるだろう。最後の数体は言い方は悪いけれども、あの人がやっていた技術を習得するための練習台になってもらおう。そんな事を考えながら残りの『コボルト』を見て、僕は走り出した。
▷▷
「ふっ!」
『グギャァッ!?』
二階層。すっかり絶好調になっていた僕は『ゴブリン』に勢いをつけた蹴りをお見舞していた。まだナイフを使った攻撃と体術を組み合わせて戦うのは慣れないけれど、だいぶ戦術の幅が広がった気がしてやりやすくなった。
まだまだ探索を続けようとしたところ、お腹がぐうっ、となったのでその場に立ち止まる。
朝早くからダンジョンにこもり、昼ご飯を食べたのは体感だけど四、五時間前くらい。正確な時間を確かめるために時計が欲しくなってきたこの頃だけど、まだ金銭的余裕はないし、他に買いたいものもあるので我慢する。
これ以上続けていたら集中力が切れちゃうし、そういう時が一番危ないってエイナさんは言っていたから、そろそろ帰ろう。
僕は『魔石』と『ドロップアイテム』で一杯になった袋を手に持ちながら帰路についた。
「ここが『豊穣の女主人』……?」
ギルドでエイナさんに今日の報告をした後、換金場所に行って今日の成果を確かめてもらうと、信じられない事が起こった。
僕の普段の稼ぎを遥かに上回るお金が手に入ったのだ。探索時間はいつも通りの筈なのに稼ぎは三倍以上。ドロップアイテムがたくさん手に入ったおかげだろうか。
なんにせよ、これでシルさんとの約束も守れそうだと、ほくほく顔でホームに戻り、身だしなみを整えたあとシルさんが働いているという『豊穣の女主人』にやってきた。
中にはヒューマンの他にも猫人や 狼人、プライドが高くて取っ付きにくいといわれるエルフまでいて、少しびっくりした。
まあ、エイナさんはエルフの血を継いでいるけれど、面倒見がいいというか世話焼きというか、あまりそのような事を感じさせないので、ここにいるエルフの人もそうなんだろうと思う。
酒場になんて一人で来た経験が全くといっていいほどないので、僕が中々入れずにいると。
「ベルさん、来てくれたんですね!」
僕が入り辛そうにしているのが見えたのか、シルさんが入り口を開けて僕のところにやって来てくれた。
「シルさん!はい、今日はたくさん稼ぎがあったんで」
「ふふっ、じゃあ今日はご飯たくさん食べられるって言ってきますね!」
「え、ちょっとシルさ――」
「一名様ご案内でーす!」
元気の良いシルさんに圧されておずおずとお店の中に入っていく。そのままカウンター席まで案内された僕は端っこの席に座る。すると、奥から威圧感を放っている店長らしき女傑が僕のもとにやってきた。
「アンタがシルの言ってた客かい?ずいぶんと大食漢らしいね。可愛い顔してやるじゃないか」
「え」
誰がそんな馬鹿げた噂を流したんだ!?……いや、一人しかいない。確信を持って横でニコニコしている犯人――シルさんに目を向ける。すると、シルさんがウインクをして、舌をペロッ出した。可愛いけど、許さん。それと可愛い顔は余計だ、少し気にしてるんだから!
「ごめんなさいね、ベルさん。つい……」
「何が『つい……』ですか!?変な噂流さないでくださいよ!?」
お料理持ってきますね、と僕の悲鳴を無視して厨房に消えてしまうシルさん。まあ、そんなにたくさんシルさんも料理を持ってくることは無いだろうから、大丈夫だろうけど……。
……少し心配になってきた。そんな不安に襲われていると、店長の女傑――皆にミア母さんと呼ばれている――が僕の前にドンッ、と料理を置いた。
「はい、今日のおすすめだよ!まだまだあるからしっかり食べなよ」
「いや、これだけで十分ですって!?」
山育ちで、よくおじいちゃんが川で魚を取ってきてくれていたけど、このサイズの魚はほとんど食べたことがないと断言出来るほど大きかった。これだけあればお腹も十分膨れるだろう。
なんとかこれ以上は要らないとミアさんを説得した後、魚を切り分けて一口。
「おいしい……」
自然と手が料理に伸びてしまう。この味でこのボリューム、なるほど、この店がこんなに人気なわけだ、と納得した。おまけにお店の従業員はかわいい女の子が多い、男性冒険者からしたらここは楽園だろう。もちろん、僕を含めて。
「楽しまれてますか?ベルさん」
「はい、今日はありがとうございます」
「私も少し休憩を貰ったんでお酒でもお注ぎしますよ」
シルさんが魅力的なことを言ってくる。僕はまだ一度もお酒を飲んだことがないけど、周りで楽しくお酒を飲んでいる人を見ていたら、ちょうど自分も飲みたくなっていたのだ。
「あはは……じゃあお願いします」
「はい、少し待っていてくださいね」
そう言ってシルさんがお酒を取りに席を外した時、猫人の元気な声が僕の耳に届いた。
「ご予約のお客様いらっしゃいニャ!!」
ふとそちらに目を向けると、ヒューマンからエルフまで様々な種族の男女がお店に入って来ていた。その人たちの顔を見て目を見張る。
まだまだ『オラリオ』に来て浅い僕でも知っている超有名人。
(アイズ・ヴァレンシュタイン……。【ロキ・ファミリア】の一員)
女神様にさえ引けを取らない程の美貌と類い稀なる戦闘力を有した彼女に与えられた二つ名は【剣姫】。
他にも【
席についた彼らは、主神と思われる赤髪の女性の号令で宴を開始した。ざわざわとした喧騒がより一層店を包み込む。そんな彼らを見ていると、シルさんが何やら大きな酒瓶をグラスと共に持ってきた。
「お待たせしました。このお酒、美味しいんですよ」
「ありがとうございます、シルさん」
「いえいえ、じゃあ飲みましょうか」
シルさんが僕のグラスにお酒をなみなみと注ぐ。自分のものにもお酒を注いだ彼女はグラスを手に取ると、笑顔で僕の方を向いて口を開いた。
「「かんぱーい!!」」
ぐいっ、と お酒を口に運ぶ。すると、体がふわふわとしてくる。お酒は初めてなので、これが『酔う』という感じなのかと軽く感動していると。
「あれ、シルさんが二人……?」
「ベルさん、酔うの早すぎですよ!?これお店で一番弱いお酒……あれ、これ一番強いやつじゃ……」
視界がぼやけてきた。なんだろう、少し疲れちゃったのかな。少し休もうと思っていると。
「ちょっとリュー!?なんで嘘ついたのよー!」
「すいません、シル……。つい……」
「何が『つい……』なのー!?」
シルさんと話している女性が何処と無く僕に既視感を持たせたけれど、そのまま睡魔に身を任せて目を閉じた。
◆❖◇◇❖◆
ベルが寝てから数時間が経過し、【ロキ・ファミリア】主催の宴も酣であった。どんどん人が減ってきて、やがてこの場に残っているのは従業員とベルだけになっていた。
(あの時のシルは恐ろしかった……)
先程のシルの剣幕は、かつて名の知れたリューをして恐怖を抱かせるほどであった。
彼との語らいを中断されたからだろうか、あれ程まで怒りを見せたシルはいつ以来か。今も笑顔を見せているものの、目は全くといっていいほど笑ってない。
だが、あのまま二人が仲睦まじく会話しているのを見ているのは、リューにとって言葉にはしにくいものの、嫌だったというか、少し気に食わなかったのだ。先に出会ったのは自分だったのに、後から盗られたような気がして。
(あの少年……ベル・クラネル、ですか)
先日『ミノタウロス』に襲われていたところを助けた少年。お礼こそ言われたものの、最後には逃げられてしまった。そんなにあの時の自分は恐ろしかったのだろうか、と暗い気分になる。
一時はこの『オラリオ』を震撼させた彼女であったが、ベルのように純粋そうな者に逃げられるのは少し堪えた。
シルとベルの会話を長い耳をピクピクさせながら聞いていた彼女はベルが今日もダンジョンに赴いていたと聞いて、驚きを隠せなかった。
初心者があの怪物に襲われ、生還したとはいえトラウマになってもおかしくなかった出来事のはずだ。
それでも彼はまたダンジョンに挑んだ。それはつまり、彼には辿り着きたい何かが――目標があったからだろう。
未だにぐっすりと眠っている彼に近づく。そろそろ閉店時間も近い、彼を起こそうとすると。
「えいっ!」
「なっ!?シ、シル何を!」
シルが背後から接近し、リューをベルに向けて押した。思わずふらついてしまい、ベルに覆い被さるような体勢になる。
彼の背中が近い――というか、自分と接触している――事実に顔が一気に赤らみ、そして驚愕した。
ほとんど知らない人物に触れているのに、嫌悪感が全く湧いてこない。リューたちの過失とはいえ、触れるのを許し、果てにはそのまま離れず体勢を保つなどリューにはありえないことであった。
ふと後ろにいるシルに目をやると、リューがこの現状に拒否感を示していないことに驚き、口を大きく開けていた。周りにいるアーニャやクロエたちもそうだ。
気恥ずかしさでいたたまれない気持ちになったリューは、ベルから離れたあと、肩を揺すって声をかけた。
「クラネルさん、起きてください」
【ロキ・ファミリア】との遭遇を寝ることで躱していくスタイル
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怪物祭
『クラネルさん、起きてください』
僕を誰かが揺さぶっている。心地良い眠りについていた僕を可憐な声で目覚めさせようとしている人がいる。
ゆっくりと瞼を開け、体を起こす。すると、目の前には薄い緑色の髪に空色の瞳を持った美しい女性がいた。
『起きましたか、クラネルさん』
はい、と僕が言うと彼女はそうですか、と言って口元を綻ばせる。
『クラネルさん、貴方に言いたいことがあります』
彼女が僕の手にそっと触れ、包み込んでくる。周りを見れば、いつの間にか室内から変化し、満天の星空が見渡せる川沿いの森、そんな幻想的な場所に立っていた。
『ベル、私は貴方を――』
彼女の口がその言葉を紡ぎ終えると、僕の顔が真っ赤になる。彼女もつられて顔を赤らめ、はにかむように笑った。
僕も彼女の手を握り返す。目の前の彼女に想いを伝えようと口を開く。
『僕も――あなたのことを――』
▷▶
ガバッと、ベッドからはね起きる。すぐさま辺りを見渡すけれど、神様が心地よさそうに隣で寝ているだけだった。
破裂するんじゃないかと思うほど高鳴っていた心臓が落ち着きを取り戻してくる。目を閉じ、大きく深呼吸をする。
「はぁ、夢か……」
『豊穣の女主人』での食事から一夜明けた。そうだ、あの時僕はお店の中ですっかり寝てしまって、店員さんに起こされたのだ。
あの時、僕を起こしてくれたエルフの店員さんに僕が思わず見とれてしまっていると。
『こらーっ!!ベル君、いつまで帰ってこない気だ!!』
『か、神様!?す、すいませぇん……!』
『君たちもすまないね、しっかりベル君には言い聞かせておくから!!』
『か、神様、引っ張らないでくださいー!?』
『あっ……』
『ベルさんー!?』
全く帰ってくる気配がない僕を探し回っていた神様が、僕がこの酒場に居たという情報を聞きつけ、急いで駆けつけたらしい。
よっぽど心配していたのか、あの時の神様の怒りようといったら、僕を縮み上がらせるには十分だった。
神様に引っ張られながらその場を後にした僕は、無銭飲食だけは避けようと昨日稼いだお金を袋ごと全て置いてきてしまったので、手元に今お金はない。かなり惜しいことをしたと思う。
今更、お金を返して貰いに行くなんて事は僕にはとても出来ないので、しょうがないと諦める。
それより、夢の中でも寝ているなんて僕はどれだけ眠たかったんだ。それに、あんな夢を見てしまうなんて。……あれ、どんな夢を見ていたんだっけ。夢というのは往々にして忘れやすい。先程まで見ていたのに遠い昔の出来事のようだ。誰かと二人きりで何かを話していた気がしたんだけど……。うーん、思い出せない。
「あ、そうだ。神様、神様起きてください」
「うーん、なんだいベル君?」
「おはようございます、【ステイタス】の更新をしてもらえませんか?」
「別に構わないけど、急にどうしたんだい?」
「少し知りたい事があって……」
僕の言い分にどこか思い当たる節があるのか、神様がビクッとする。大きくため息をついた神様は僕をベッドの上に寝かせ、【ステイタス】の更新を始めた。
ほどなくして更新が終わると僕に紙を渡してくる。
ベル・クラネル
Lv.1
力 :I82→H110
耐久 :I13→I28
器用 :I89→H115
敏捷 :H172→G203
魔力 :I0
《魔法》
【】
《スキル》
【
・戦闘時に敏捷値の超高補正
「はい、これが君の今の【ステイタス】だよ」
「か、神様……ついに僕にも『スキル』が……!ってそうじゃなくてどういう事ですかこれ!?」
渡された用紙を見て絶句する。【ステイタス】の上昇率が異常すぎる。耐久の項目なんてほとんど攻撃を受けた覚えがないのに十八も上昇している。敏捷は三十以上だ。
初めの方はかなり『アビリティ』は上昇するらしいし、実際僕もそうだった。だけど、その頃でさえこれ程の上昇はなかった。
こんな事が有り得るのだろうかと、神様の方を見つめると、口笛を吹きながら横を向いていた。
「なんと言うか……そうだ!今の君は成長期みたいなものなんだよ!噂じゃロキのところの子も成長期のおかげですぐに『ランクアップ』した子どももいたみたいだし!!」
「そう、なんですかね……」
神様の勢いに押されて頷く。確かに、あのアイズ・ヴァレンシュタインさんは初めての『ランクアップ』に要した時間はたった一年だとエイナさんから聞いていたし、普通の人は何年もかけてようやくなので、それを考えたら一年という期間はおかしい。しかもその時の彼女は十歳に満たなかったと聞く。
なるほど、成長期ということも納得出来る。
では、今の僕はあの【剣姫】と同じ状態にあるということなのだろうか。
「じゃあ、この『スキル』は何ですか?」
「それはそのままだよ。戦闘時にベル君がめちゃくちゃ速くなるってスキルだ」
「でもこれが発現したの今ですよね?昨日のダンジョンで僕このスキルを体感したんですけど」
「うぐっ……!」
「まさか神様、隠してたんですか!?なんでそんな事するんですかー!?」
「しょ、しょうがないだろ!そうするしかなかったんだよー!」
涙目で反論してくる神様。ぷりぷりとしている神様はとても可愛いけど、何でそうするしかなかったのか。謎である。
「わかりました、次からはこういうのは無しにしてくださいよ。神様」
「うっ……わかったよ、たぶん。……どこか行くのかい?」
「はい、ダンジョンに行ってきます!夜には戻るんで!」
今が成長期だというならばここでじっとしている訳にはいかない。今頑張ればそれだけあの人に追いつく時が早くなるのだ。
身支度を整えた後、高揚感に身を任せて僕は教会を飛び出した。
▷▷
神様が用事があると言って出発してから二日。その間、僕はホームに一人きりだった。一人はやっぱり寂しいし、神様に【ステイタス】の更新もしてもらえないので、成長期だという僕の『アビリティ』の伸びも確かめられない。
神様は帰るのがいつになるかは分からないと言っていたし、帰ってきた時に更新はしてもらうとして、神様を迎えるためにちょっと豪華なご飯でも買ってこよう。この二日間である程度のお金は稼ぐことが出来た。
そんな事を考えながらメインストリートを歩き回っていると。
「おおーい、そこの白髪頭こっちこいニャ!」
底なしに明るそうな声が聞こえてきて、立ち止まる。周りを見渡すと、『豊穣の女主人』の店の前で
僕は彼女は近づき、お互いに挨拶を交わした後、彼女に尋ねた。
「どうしたんですか?ア、……アーニャさん?」
「少し詰まったのは頂けニャいがまあいいニャ。これを渡しておくニャ」
そう言ってアーニャさんが僕に財布を渡してくる。商業系の【ファミリア】が作ったらしく、中心にエンブレムの刺繍がされていた。
だけど、これをどうしろと?そんな気持ちを込めてアーニャさんの目を見つめると、アーニャさんはため息をついて、口を開いた。
「はぁ、これをシルに渡すのがお前の仕事ニャ。あのおっちょこちょい、
こんニャ事すぐにわかるニャ、と呆れながら言ってくるアーニャさん。正直、今の説明が無かったら全く分からなかったんだけど……ここで働いている人なら分かるのかな?
「いいですけど……
「まったく、そんニャ事も知らニャいのニャ?モンスターを調教したりする見世物ニャ」
「ち、調教?」
彼女の口から出た言葉に思わず聞き返してしまう。
そういえば、昨日のダンジョンの帰りに大きな籠を運んでいる冒険者をちらほら見かけた気がする。
しかし、どうしてそんな祭りをやろうと思ったのだろうか。……まあ、どうせ、いつもみたいに神様たちの気まぐれで始まったのだろうけど。
「わかりました、僕も少し行ってみたいのでシルさんの事は任せてください」
この『オラリオ』に来て初めてのお祭り。それがどのような催しなのかと今から期待で胸をふくらませた。
▷▷
メインストリートを進むこと暫く、僕は怪物祭が行われているコロシアム近くに到着した。祭りのため、通りには飲食店などが連なり辺りは喧騒に包まれていた。雑踏を踏み分け、通りを進んでいこうとしてると。
「ここに居ましたか、クラネルさん」
「うわぁっ!?」
不意に背後から声をかけられて、素っ頓狂な声を上げてしまう。後ろに振り向くとあのお店で働いていた女性――シルさんがリューと呼んでいた――がいた。緑を基調としたウェイトレスの格好をしていて、よく彼女に似合っていた。こんにちは、と彼女が頭を軽く下げたので、僕も倣って頭を下げる。
「えっと……リューさん、どうしたんですか?」
「貴方に渡したい物があります」
そう言ってリューさんが僕にお金の入った袋を手渡してくる。一瞬、これを渡される意味が分からなかったけど、すぐに理解する。
「これってもしかして……」
「はい、先日の食事代のお釣りです。渡す前にお帰りになってしまったので」
「す、すいません。ありがとうございます」
いえ、と言って薄く笑う彼女を見て、一気に顔が赤くなる。
改めて彼女を見てみると、やっぱりどこか似ている。あの時、僕を助けてくれた人に。鈴のなるような声も、空色の瞳も、綺麗な薄緑の髪も、なにもかもがあの人の事を想起させる。
いっそ彼女に尋ねてみようか、そんな考えが頭に浮かぶ。
疑問をそのまま言葉にしようと思った時、辺りがにわかに騒がしくなってきた。先ほどの喧騒とはまた違った、恐怖や動揺が人々に伝播しているようだった。
「何かあったんですかね?」
「そうですね、事情を把握してそうな方に話を聞いてみましょうか」
リューさんに先導され人通りが少ない道を進んでいく。コロシアムのすぐ近くまでやってきたところ、何やらギルド職員が慌ただしく動き回っていた。話を聞こうと近寄っていくと、こちらに気づいたのか冒険者や職員に指示を出していたエイナさんが小走りでやって来る。
「エイナさん、何かあったんですか?」
「う、うん。実は――」
エイナさんが少し焦ったように事情を掻い摘んで説明してくれる。なんでも、【ガネーシャ・ファミリア】が籠に捕らえておいたモンスターがつい先程、街に逃げ出してしまったらしい。それを見た街の人がパニックを起こしてしまったそうなのだ。モンスターは瞬く間に移動をし、何匹かは見失っているという。
「街にいる人にも避難するように呼びかけてはいるんだけど……」
「リューさん!もしかして……」
「ええ、シルに何かあっては……。クラネルさん、二手に分けてシルを探して頂けませんか?」
僕が頷くと彼女は素早くこの場を離れてシルさんを探しに向かった。僕もリューさんとは反対方向に向かって駆け出した。
「シルさーん、いませんかー!」
メインストリートを南に進みながら声をかける。こちらにもモンスターが逃げ出したと言うことが広まっているのか、住民はほとんど家の中に入ってしまい、街は閑散としていた。
さらに進んでいった時、怪物の雄叫びが街中に響き渡った。
「っ!モンスター!」
すぐさま怪物の叫声がした方に急行すると、巨大な体躯を持ったモンスターが建物の隙間に向かって手を伸ばそうとしていた。
まさか、誰か襲われているのでは、と嫌な思考が頭を掠める。
だけど、僕はあのモンスターを知識として知っていた。エイナさん主催の座学で教えて貰ったことがあったのだ。
――シルバーバック。ダンジョン『上層』に出現するモンスターの中でも最上位に位置する力を持つ大猿。ダンジョンで出会うのは『中層』一歩手前のため、遭遇したことは無かった。つまり、その階層まで到達したことのない僕より強いということだ。
僕が一瞬、どうするべきか躊躇った時、大猿の奥から声が聞こえてきた。
「なんなんだ君は!?どうしてボクを追いかけてくるのさー!!」
その声を耳が拾った瞬間、僕はシルバーバックに向かって突貫した。勝てる勝てないの問題じゃない。僕はこれ以上何も失いたくないのだ。背後から疾走してシルバーバックを斬りつける。ほとんど傷はつかなかったけれど、相手が僕に気づいてこちらを振り向く。その隙に小さな通路に入ってすっかり腰が抜けてしまっている神様の手を掴む。
「神様、大丈夫ですか!?」
「ベ、ベル君……!ありがとう!!」
「いいから早くここから逃げましょう!」
「逃げるって、何処に行くんだい?」
神様の問いに思考を巡らす。僕じゃあの怪物には勝てない。それは先程の攻撃でほとんど傷も付いていないことから証明されている。では、どうするべきか、逃げるしかない。逃げてこいつを倒せる冒険者がやって来るまで待つ、これが一番現実的な策だ。
「神様、『ダイダロス通り』に行きましょう。あそこなら他の場所よりも見つかりにくい筈です」
▷▷
「はっ、はっ……ここまで来れば大丈夫かな……?」
神様を抱えて『ダイダロス通り』に向かい、しばらく走り続けた僕は難解な迷路のような道を曲がった後、大きく息を吐いた。
「ベル君、大丈夫かい?」
「はい……さっきからモンスターの足音とかも聞こえませんし、逃げ切れたんじゃないでしょうか」
辺りを見渡すけれど、モンスターの来る気配は無い。助かったのかと考えると、どっと疲労感が押し寄せてきた。
そして、この状況を改めて確認する。狭い通路に神様と二人きりで密着している。汗をかいた神様は妙に色っぽく、たわわな双丘が僕の体に当たっていて、僕の理性を削ってくる。
「か、神様っ……!一旦広い所に出ましょう……!」
「うーん、ボクはこのままでもいいんだけど……」
神様を連れて開けた場所に出る。ようやく安心できる、そう思って空を見上げた時、音が聞こえてきた。
「っ……!」
ドン、ドンという音からドガン、という音に変化してくる。ナニカが近づいてくる。見える範囲には何もいないのに、音だけが反響して、より一層不気味な雰囲気を醸し出す。
「べ、ベル君……う、上……!」
神様が僕の手を震えながら取ってくるけど、神様の柔らかい手の感触を楽しむ余裕は今の僕にはない。
そうか、足音がしなくなっていたのは屋根に登っていたからなのか。そこで僕達を探し、発見して向かってきたということか。
相変わらず助けは来ない。まるで
恐る恐る上を向く、白い体毛に覆われた怪物と視線を交わす。
腕が震える、足が竦む、逃げてしまいたいと心が叫んでいる。この化物に今から僕は挑まなればならない。手に持ったナイフを血が出る程にぎゅっと握りしめた。
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激突
「神様……ここから離れてください」
カラカラになった喉から掠れた声をだす。すると、神様が驚いたように僕の顔を見つめてくる。
「な、何言ってるんだいベル君! 君はどうするのさ!?」
「このまま逃げてもアイツはずっと追ってきます。僕が時間を稼ぐので、神様は早く逃げてください」
――そして、出来ることなら助けを呼んできてください。
そんな情けない言葉を今にも漏らしてしまいそうな口を閉ざす。弱音を吐いてしまったら、きっと神様はここを離れることが出来なくなるだろう。
今の僕ではアイツにはたぶん勝てない。だけど、僕の『敏捷』なら、僕の足なら相手の攻撃を躱し続けることが出来るかもしれない。
僕がそんな事を考えていると、神様が大きく深呼吸して僕の手を強く握った。
「ベル君、ボクはもう逃げないよ」
「……え?」
「そんな顔をしている君を置いていけるわけないだろう。……ベル君、君がここでアイツを倒すんだ」
◆❖◇◇❖◆
「む、無理ですよ……僕の攻撃じゃ全然効きません……」
ヘスティアの言葉にベルが力なく返答する。確かに、先程のベルの攻撃はシルバーバックに全く通用していなかった。普通の冒険者ならそこで撃破を諦めて逃げるだろう。
だが、ベルは違う。成長速度に干渉する反則じみた『スキル』を持っているベルなら、ここからあのモンスターを討つことが可能かもしれない。それに――
「ベル君にこれを渡しておくよ。ボクからのプレゼントさ」
「これは……?」
「君の新しい武器だよ。これでアイツに攻撃が通るようになるはずさ」
ヘスティアが神友であるヘファイストスに頼み込んで作ってもらった刀身まで黒いナイフをベルに渡す。すると、ナイフに刻まれた
「いいかい、ベル君。君の速さならアイツも簡単には君を捕まえられないだろう。だから、ベル君には少しの間アイツの視界からボク達が居なくなるような状況を作って欲しい。それが出来たらボクの所に一度帰ってくるんだ」
「そんな事、僕には――」
今にも泣き出しそうな顔でこちらを見てくるベルに、ヘスティアは恐怖を押し殺して優しく微笑んだ。
「――ベル君、ボクを信じてほしい」
「――神様」
ボクのことは信じられないかい?と笑みを浮かべたまま聞いてくるヘスティアを見て、ベルの中から恐れの感情はすっかり消えていた。
信じない訳がない。少しおっちょこちょいで威厳なんて有るとは思えず、高いカリスマ性も持っていないヘスティアであるが、それでも自分の神様なのだ。
誰からも見向きもされず、途方に暮れていた自分を救ってくれた
「行けるね、ベル君?」
「はい! 大丈夫です!!」
ベルが黒いナイフをしっかりと握り、改めて怪物を見上げる。ベルの視線に、怪物は醜悪な笑みをもって応える。それが契機となって、怪物が大きな音を立てて屋根から飛び降り、一人と一頭は一斉に相手に向かって走り出した。
▷▷
「ふっ!」
ベルが『疾風追求』の効果によって自らの『ステイタス』を遥かに超える速度で接近する。
『グォォォッッ!!』
ベルが足元に迫ってきたのを確認したシルバーバックは腕を大きく振りかぶり、ベルにめがけて振り下ろす。
しかし、ベルは横に避けることで躱し、すかさず足を斬りつける。
『グォォッ!?』
「――これはっ」
シルバーバックの体から血が滲み出た。僅かだが攻撃が通用している、その事実に驚きながらも、一度シルバーバックから離れて体勢を立て直す。そして、
斬る。躱す。斬る。躱す。速度で勝るベルが一方的に攻撃を続けていると、ベルの心の中にある思いが生まれた。
――神様は相手の注意を逸らしたら戻ってこいと言っていたけど、もしかしたらこのまま……。
『グォォォォォ!!』
「――がっ!?」
だが忘れてはならないのは、シルバーバックがベルの到達階層よりも下の階層に生息している――格上であること。油断か驕りか、その隙を怪物は見逃さない。
ナイフで斬りつけられた瞬間を狙い、腕を横薙ぎに払いベルを吹き飛ばし、積まれていた木箱の山に叩きつける。
自らの不覚を呪いながら、そう簡単にいくわけないよな、とすぐさま飛び起きる。そして、ベルは当初の作戦であった相手の視界から外れる、という事を実行しようと辺りを見渡して頭を回す。
(どうにかしてアイツの視界を塞がないと……)
ふと自分が激突した木箱を見ると白い粉――恐らくは石灰だろう――が中に入っていることがわかった。
(これを使えば……いける!)
この粉を使えば相手の視界から外れることが出来ると考えたベルは木箱の前に立ち、シルバーバックを見据えた。シルバーバックもずっと動き回っていた敵が立ち止まってこちらに目を向けたのを見て、咆哮しながらベルに向かって突貫する。
『ガァァァッッ!!』
「はあっ!!」
木箱の前まで迫ってきたのを確認したあと、ベルは上に跳躍し、シルバーバックはそのまま木箱に激突し粉を大量に撒き散らす。トドメとばかりに上に積まれていた木箱を持ち上げて、現状を把握しきれていないシルバーバックに向けて落とす。
辺り一面が白世界になったのを見て、ベルはヘスティアがいる所に急いで向かった。
「神様!」
「分かってる! こっちだベル君!」
ヘスティアに連れられ建物の裏に隠れたベルは、ここでようやく大きな息をついた。
「よく頑張ったね、ベル君! さあ早く背中をこっちに向けるんだ!」
「何をするんですか……?」
「『ステイタス』の更新だよ。言っただろう?今の君は成長期だって」
ベルが背中をヘスティアに向けて上半身をインナー以外脱いだのを確認すると、ヘスティアはすぐに神血を背中に落とし、更新を始めた。ヘスティアが更新していなかったここ数日と先程の戦いでどれほど伸びたのか。一分にも満たない時間でも、今のヘスティアには永劫に感じる。祈るような気持ちで背中に成長の証を刻み込んでいく。
ベル・クラネル
Lv.1
力 :H110→G254
耐久 :I28→H134
器用 :H115→G289
敏捷 :G203→E446
魔力 :I0
《魔法》
【】
《スキル》
【
・早熟する
・想いの丈により効果増減
・戦闘時に敏捷値の超高補正
絶句した。常軌を逸した成長速度。ありえない数値にともすれば畏怖を覚える。だが、これなら――!
「終わったよベル君。これでアイツに勝てる」
「か、神様……」
戦ってる時はあんなに凛々しかったのに、とヘスティアは不安そうに見つめてくるベルを見て笑みがこぼれる。そのままベルの背中に額を当て、口を開いた。
「そのナイフは生きている。君が強くなればなるほどナイフも一緒に成長していく。そのナイフが君の力、君の夢を叶えるための糧になる」
「――――」
「信じるんだ。自分を、ボクを。君の目指すものをしっかりと見るんだ!」
目指すもの――憧れとは自分にとって何だろうかと自問し、答えを探す。
――そうだ、僕はあの人のように。みんなを救える◼◼のように!
「いけるね、ベル君!」
「はい!」
「よし、行ってこい!!」
背中を強く押す。ベルが走る。未だに煙が舞う怪物のもとに突貫する。
ヘスティアに戦いの才などない。しかし、この戦いに限っては確信を持って言えることがある。
ベルは必ず勝てる。もはや別人と言っても差し支えないほどに急激な成長を遂げた彼ならば――!
▷▷
少年が先程の速度を遥かに超える移動と攻撃で次々と怪物に傷をおわせる。
それを屋根の上から見つめていたエルフの少女――リューは安堵したのか大きく息を吐いた。そして、目の前にいるフードを被った大男を睨みつける。
「何故、私の邪魔をする」
「それはこちらの台詞だ。あの小僧は自らの力で殻を破らねばならない。そこにお前が入ってしまえば、その障害になる」
お前なら一撃で仕留めてしまうからな、と男は淡々と言葉を続ける。男は自分の素性を把握している。また、自分より遥かに強い存在だと自らの本能が訴えかけている。
リューもこの男の素性には覚えがある。顔は見えないが、これ程までに強大な威圧感を放ち、2Mはあろうかという巨躯。この男が動いているということは、その上が動いているということだ。
「貴方は――貴方の
「それは俺の預かり知らぬ所だ。我々はあの方の手足となり動くのみ」
それ以上話すこともないと判断したのか、男が戦いに目を向ける。リューも戦場を見つめ、未だに戦っているベルを見る。
戦況はベルが圧倒的に有利だった。怪物の傷もどんどん深くなっていき、ベルの速度についていけていないため、ひたすらベルに翻弄されていた。血を流しすぎたのか、少しずつ動きが鈍くなってきたシルバーバックは格好のカモだった。
そして、
「はあああぁぁっ!!」
『ガ、グォッ……』
ベルがシルバーバックの胸の中心――魔石めがけてナイフを突き刺した。そしてシルバーバックは灰へと姿を変え、ベルは安心したのかその場にへたり込んだ。
途端、周りから大きな歓声が起こる。ベルが驚いて辺りを見回すと家の中に隠れていた人達がベルを見ていた。ヘスティアもベルの下にやって来てお祭り騒ぎになっている。
リューがその様子を微笑ましく思っていたら、いつの間にか横にいた大男は居なくなっていた。あの男はまず間違いなくこのオラリオの頂点に位置している者だろう。ならば、ベルと別れて別方向に向かっていた自分に、シルは保護してあると伝えて去っていった男もあの【ファミリア】に所属する者だろう。
あの女神の神意はわからない。だが、だからといってベルを見捨てることなど出来はしない。
リューは静かに覚悟を決め、ベル達に近づいた。
◆❖◇◇❖◆
僕が終わらない拍手喝采に少し恥ずかしくなり、頭をポリポリとかいていると、僕の知っている人がゆっくりと歩いてきた。
「リューさん、無事だったんですね!」
「はい、クラネルさんこそよくぞご無事で」
「あはは……。あ、そういえばシルさんは!?」
「シルも無事です。もうお店に戻っているでしょう」
もともとシルさんを探しに来たのにすっかり忘れてた……。また今度シルさんに謝っておこう。すると、僕に抱きついている神様がリューさんのことをじっと見つめていた。
「君はあのお店のエルフ君か。ほぼ初対面だから自己紹介をしておくよ。ボクの名前はヘスティア、ベル君の主神さ」
「私の名前はリュー、よろしくお願いします神ヘスティア」
「言っておくけど、ベル君は僕の
「は、はぁ……」
「か、神様……何言ってるんですか!?」
「ベル君、ボクは疲れたんだ。是非ともボクを背負って連れて帰ってくれ!」
そう言って神様が僕の背中に乗ろうとしてくる。そして、神様がリューさんをどこか勝ち誇ったような目で見るけど、リューさんは気づかなかったのか、口を開いた。
「それでは、私たちの店へどうぞいらしてください。シルも心配しているでしょうし」
「いいんですか? ありがとうございます」
「うがぁぁ!! 言ったそばからぁ!!」
神様が背中で暴れだした。
▷▷
「ありがとうございます、リューさん。お部屋まで貸してもらって」
「いえ、今の彼女には休息が必要でしょう」
神様はよっぽど疲れていたのか、お店の部屋を貸してもらいベッドにたどり着いた途端に寝てしまった。神様の睡眠を邪魔するのも悪いので僕達は部屋の外に出て話をしていた。
「クラネルさんはまだ冒険者になって日が浅いと言っていましたね」
「はい、まだ一月も経っていません」
「そうですか……では、誰かに師事したことは?」
「ありませんけど……」
そう、僕に戦闘方法を教えてくれる人が一人も居ないのが目下の課題だ。でも、そう都合よく教えてくれる人なんて居ないのが現実だ。
今日は勝てたけれど、次はどうなるか分からない。すると、そんな僕の様子を見ていたリューさんが口を開いた。
「でしたら……」
「でしたら?」
リューさんが口を開いたかと思えば閉じて、また開いたかと思えばまた閉じた。
……なんて言うか、口をもごもごさせているリューさんすごいかわいい。
「……でしたら私が少しお教えしましょうか? 私も少しは腕に覚えがあるので」
「えっ、いいんですか!?」
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白兎と妖精
早朝、僕はこのオラリオを取り囲んでいる市壁の上にやって来て、リューさんと訓練をしていた。バベルは依然として高々とそびえ立っているけれど、ほかの建物はこの市壁よりも低いから、いつも見るオラリオとはまた違った感じがしてなんだか胸が高鳴ってくる。
そういえば、このオラリオには色々な呼び方があると聞いたことがある。
曰く、ダンジョンを内包した迷宮都市。
曰く、神々でさえ何が起こるか分からない、世界一気まぐれな都市。
曰く、同じ人間とは思えないほど強い人が集まる人外魔窟。
そんな都市に住んでいて、腕に覚えがあると言った人が弱いなんてこと有るわけ無かった。
リューさんと訓練するのは今日で四日目となる。初日は武器の持ち方や戦闘における心構えなど基本的な事を教えられた。二日目になると、実戦形式での訓練をした。
初日こそ大して苦でもなかったので、単純にリューさんと二人きりで訓練が出来ると浮かれていたけれど、痛みに慣れた方がいいとリューさんが言い、僕がそれを安易に了承してしまったため、二日目からはどんどん攻撃され、何度も気絶してしそうになってしまった。
気絶なんかした日には、気まずくなることは確定してるようなものなので、なんとか耐えれて良かった。
四日目の今日も昨日と変わらず実戦形式でリューさんと戦い、彼女の容赦ない攻撃で僕の体はダンジョンに入る前にも関わらずボロボロだ。
リューさんとの訓練で、僕はあの人の正体がはっきりと分かった気がした。リューさんもとっくに僕が気付いたことくらいは分かっていると思うけど、そのことに関して触れてこないのは、大したことでもないと思っているのか、はたまた、僕にその事を聞かれたくないのか。訓練後に少し雑談した時、過去の話は余り詮索して欲しくないと言っていたので、恐らく後者が正解だろう。
あんなに強いのに冒険者として動いていないのは、きっと何かが過去にあったからで、そして、それは僕が気軽に聞いてもいいことでは無いとも思った。
今の僕に出来るのは、教えてくれているリューさんに報いるためにも、彼女に追いつくためにも、一日も早く強くなることだ。
大きく息を吸ってまた歩き出す。見上げた空は一段と蒼く澄み渡っているような気がした。
◆❖◇◇❖◆
「ななぁかいそぉ〜?」
「ひぃっ……!」
ダンジョンから帰ってきて、ギルドに到着したベルを待っていたのはエイナだった。
ふと、エイナが到達階層のことを聞くと、七階層まで到達したとベルが上機嫌に語り、それを聞いたエイナは怒髪天を衝く勢いでベルを叱った。
「なんでベル君はそう無茶な事ばっかりするの!もう前の事忘れちゃったの!?」
「お、落ち着いてくださいエイナさん!」
「落ち着ける筈ないでしょ! 今日という今日はもう許してあげないんだから!」
「待ってください! 別に一人で問題なく攻略出来てるんですよ、エイナさん!」
ベルの言い分を聞いて、エイナは一瞬停止し、また柳眉を釣り上げ始めた。
「そんな嘘通用しないんだからね。そんなすぐに強くなるわけないでしょ!」
「ほ、本当なんですって!!」
そこでエイナはまた停止した。
ベルの担当になってから日は浅いといっても、エイナとて仕事柄よく人と接するため、ある程度は嘘をついているかなどは見抜ける自信があり、なにより、ベルが嘘をつくという事が苦手だというのをエイナは知っていた。
彼の目をじっと見ても涙目になっているだけで嘘をついているようには見えない。
だが、それはおかしい。一人で七階層を攻略するには基本アビリティが少なくともF、出来ればEは欲しいところだ。しかし、冒険者になって一月も経っていないベルは一つでもHがあれば上出来と言ったところで、とてもじゃないが、それ程までの急激な成長は見込めないはずだ。
「……ベル君。もしよかったら、君の『ステイタス』を見せてくれないかな?」
「……えっ?」
ベル・クラネル
Lv.1
力 :F386
耐久 :F332
器用 :E428
敏捷 :E496
魔力 :I0
「うそ……」
受付から人気の無い場所に移動し、上半身の服を脱ぎ去ったベルを背後から見ていたエイナは、思わず息を漏らした。
アビリティが軒並み新人にしては異常とも取れる数値になっている。
敏捷に至ってはDに差し掛かろうとしており、もうすぐ『ランクアップ』してもおかしくない所まで来ている。
スキル欄などエイナでは読めないところもあるものの、ベルはギルドの基準でも七階層を攻略しても問題ない『ステイタス』を有していた。
「エイナさん……あのー……」
「あ、ごめんベル君。もういいよ」
その言葉を待ってましたとばかりにベルが服を着ていく。肌を見られて恥ずかしがるのは女の子がやることではないか、とエイナは思ってしまうが、それはそれでベルらしいと笑みがこぼれる。
「……確かに、この『ステイタス』なら七階層は攻略できると思うけど、本当に大丈夫? ベル君は一人なんだから、もし囲まれちゃったりしたら……」
「大丈夫ですよ。実は、僕『スキル』が発現したんです!」
「――え、『スキル』?」
「はい! 詳しくは言えないんですけど、戦闘中にアビリティに補正をかけるので、七階層の敵なら大丈夫です」
ベルの言葉を聞きエイナは思案した。
『スキル』は『神の恩恵』を刻まれた者なら誰にでも発現する可能性があるもので、多くのスキルはアビリティの上昇など戦闘を補佐するものである。ベルの『スキル』もその例に漏れずアビリティを上昇させるものらしい。
それにしても、一部とはいえ自らの生命線である『スキル』の情報を開示するとは、主神から何も注意をされなかったのかと小言を言いたくなるが、ベルとて『スキル』の重要性は理解しているだろうし、それを打ち明けてくれたということは、自分を信用していてくれたという事であるので、嬉しさが無い訳では無い。
実は、『スキル』についてはベルの急速な成長を見たヘスティアが、少しだけなら話しても良いと許可を出していたのである。
ベルの成長速度に気づいた神々や親しい者にベルが尋ねられた際、普通にダンジョン攻略をしているだけと言い張るのは無理があるし、隠し通すのも限界があるので、それならばいっそ自分から話してしまえば、相手もそれ以上の追求はしてこないだろうというヘスティアの苦肉の策である――『ステイタス』を見せてからじゃ意味がないだろうと言うのは、後に話を聞いた竈の女神の談だ――。
「じゃあ、明日からも七階層を探索してもいいですか?」
「そうだね……でもなぁー」
煮え切らない態度でベルの問いにエイナが答える。いくら『ステイタス』が基準を満たしていても万が一があるのがダンジョンなので、単純にベルが心配というのもあるが、それ以前にベルの装備が七階層に赴くには少し頼りなく見えた。
武器は支給品とは違った漆黒のナイフなので大丈夫だとしても、防具は依然としてあってないような軽装である。
このままダンジョンに行かせていいのかと考えを巡らせ、はたと思いついた。
「ベル君、明日って空いてる?」
◆❖◇◇❖◆
「手伝って貰っちゃってごめんね、リュー。やっぱりリューがいてくれると助かるね」
「いえ、気にしないでください、シル。私も暇を持て余していたので」
「ありがと。ほら、リンゴ食べる?」
ベルとの訓練を始めて五日目、ベルとの朝の訓練をいつもより少し早く終え、『豊穣の女主人』に帰ったリューは、身体を清めた後に夕餉の買い出しに出ていた。
『豊穣の女主人』は夜には冒険者たちが押し寄せてくるため、彼らの食事を用意するための食材もかなりの量を必要とし、シル一人では運びきれないという事でリューに白羽の矢が立ったのだ。
屈託のない笑みを浮かべながらリンゴを渡してくる同僚に、リューは頬が緩むのを自覚しながらそれを受け取る。
「――そういえば、リュー。ベルさんと二人きりの訓練は楽しい?」
「シ、シル……何故それを……」
「教えなーい。あ、大丈夫だよ、皆にはまだ話してないから」
大丈夫だと言われてもリューは全く安心できない。いくら自分が先に出会ったとはいえ、シルが気にかけていた――少なくともリューにはそう見えた――少年と、シルを出し抜いて二人きりで訓練を行っていたのだ。
一体何を言われるのかと体を縮めながら、じっと見つめてくるシルの方へ目を向ける。
「ふふっ、そんなにビクビクしなくても何もしないよ」
「シル……?」
「リューも覚えてる? 初めて私たちが会った時のこと」
「……はい」
忘れる筈がない。あれはリューの人生の大きな転機となった日だ。
復讐を終え、そのまま自らの命も途絶えてしまうだろうと思っていた自分に居場所をくれたのは、他でもないシルだ。
「あの日の事は一生忘れません。シルには――『豊穣の女主人』には感謝してもしきれないほどです」
「……リューは初めに比べたら、だいぶ元気になったよね」
「それも皆のおかげです。アーニャもクロエも、ルノアもミア母さんも、一人でも欠けていたら、私はきっとここにこうしては居ないでしょう。もちろんシルも」
「……そうだね。でも、最近は特にリューは嬉しそうだよ。きっと楽しいのかな」
シルの言葉を聞き、リューは少し目を見開く。
確かに、ベルとの訓練はリューにとって苦ではない。むしろ、シルの言う通り楽しいと言ってもいいのかもしれない。
Lv.1の
また、厳しい訓練にめげずに頑張っているのも、教える側としては好感が持てる。
「……そうですね。クラネルさんとの訓練は私にとって好ましい時間です」
「ふーん、ちょっと妬けちゃうなぁ。……ねぇ、リュー。私のことは気にしないでやりたい事をやっていいんだよ?」
「……」
「私はね、やっぱりリューには笑っていて欲しいんだ」
あんなに頑張ったんだからね、そう彼女は締めくくった。そして、自分が言ったことに恥ずかしくなったのかシルは、はにかむように笑った。
リューも顔を少し赤らめた後、ありがとう、と感謝の言葉を述べた。くすぶっていた思いが晴れたような気がして。
「んんっ、リュー、あれベルさんじゃない?」
妙な雰囲気を払拭しようとシルが咳払いして、リューに問いかけた。リューがシルの指す方目を向けると、ラフな格好をした白髪の少年が飲食店で食事をしていた。
「そうですね。お一人のようですし声をかけますか?」
「そうしよっか……あ、そうだ! 明日から朝にお弁当作るからベルさんに渡してきてよ!」
「構いませんが……大丈夫なのですか?」
「大丈夫だよ、おーい、ベルさーん!」
シルが大きな声でベルを呼びながら店へ走り、リューもシルを追いかけていく。ベルもそれに気がついたらしく、二人の方を向いて手をふろうとした、その時。
「ごめん、ベル君! 待たせちゃったかな?」
「あ、大丈夫ですよ、エイナさん」
店の奥から一人の女性がベルの下に歩いてきた。女性を見ると、耳が尖っており、エルフの血を持っていることが窺える。
「べ、ベルさん……? その人は……」
「あ、えーっと……僕がよくお世話になっている人です」
「よく……お世話に……」
ベルの下にやってきたシルが声を震わせながら尋ねると、ベルがあっけらかんと答え、リューたちが固まる。そんな三人を一瞥した後、ベルと行動を共にしていたハーフエルフはリューたちに向かって口を開いた。
「初めまして。ギルドの受付嬢をしているエイナ・チュールと言います。よろしくお願いします」
エイナがお辞儀をしたので二人もそれに倣って頭を下げ、シルがまた口を開いた。
「ギルドの方だったんですね。……ちなみに今日は何をしていらっしゃるんですか?」
「今日はお仕事を休んでベル君と買い物に来ています」
その言葉を聞いた瞬間リューに衝撃が走った。
二人で買い物に来ている――まさか、これは世にいう『デート』では……?
別に自分がベルの行動をどうこう言える立場ではないことは承知しているが、知らず知らずのうちに手に力が入り、先程シルに手渡されたリンゴを自分の手跡が付きそうなほど握ってしまう。
それを見たシルが小さく悲鳴をもらした。
「シル」
「リ、リュー? どうしたの?」
「ミア母さんも心配しているでしょう。早く戻りましょう」
「リューさん……? だ、大丈夫ですか……?」
「ご心配なく、クラネルさん。では、また明日」
そう矢継ぎ早に言葉を述べた後、リューはシルの手を引いて帰路へと進み、そして、同時に決めた。
ベルはみるみるうちに強くなっていっているし、手加減の程度の調節も難しい。だから、きっと明日は加減を間違えてベルを気絶させてしまうかもしれない。
でも、何事も一度は経験しておかないと、それに対する心構えも必要なので気絶してしまうのは仕方がないことだ。
そんな事を考えながら、リューはさらに足を速めた。
天気は今日も快晴。雲一つない青空に陽が燦々と降り注いでいる。
原作と多少イベントが起きる時期が変わってるけど、そこはあまり気にしないでください。
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サポーターと『魔法』
リューは目の前の状況に混乱していた。
場所は『豊穣の女主人』。一人の
「前はご迷惑をかけて申し訳ありませんでした。ベル様に助けて貰ったので、これからよろしくお願いします」
「は、はぁ……」
「本気ですか? クラネルさんに金目当てで近づいた人を信用しろと?」
「ヘスティア様からも許可は貰いました。これからは誠心誠意ベル様のお手伝いをしようと思います」
そう言って頭を下げてくるリリに、二人は口を噤んだ。
事情を知らぬ他の従業員は何事かと聞き耳を立てている。
「どうするの、リュー?」
「他ならぬクラネルさん達が決めた事です。私たちが口を挟むことは無いでしょうが……」
確かに、リューたちが口を挟んでいい問題ではなかった。しかし、そうだといって、「はい、分かりました」とも言えたものでは無い。
目の前の少女には前科があり、いつ寝首を搔くかわからないのだから。
それに、大した事ではないが、リリがサポーターとしてベルに付き従うのであれば、必然的にダンジョン内では二人きりとなる。あの少年のことだ、何かをしでかす事は無いだろうが、それでも気になるというものだ。
それはシルも同じ気持ちのようで、リリを見てはソワソワとしている。何やら様子がおかしい二人を目にしたリリは、どうしたものかと疑問を抱いたものの、すぐにニヤリと笑った。
「そういえば、ベル様のお弁当はいつも個性的なお味をしていますけど、慣れるとあまり気になりませんね」
「うっ……。……ちょっと待ってください、私のお弁当食べたことあるんですか?」
リリの何気ない、しかし、破壊力の高い発言にシルが戦慄き、新たに生まれた疑問を口にする。
「はい、ベル様がお弁当を食べている時に涙目になっていたので、少し興味が湧いてしまいました」
「うぅっ……リュー」
「シル……料理はまたミア母さんに教えて貰ってください」
助けを求めるシルをリューはあっさりと流す。リューも人の事を言えたものでは無いが、シルは、ともすれば自分を上回る程の料理の
レシピ通りに作ればいいものを、敢えて隠し味を入れるのはシルのよくやる手だ。なお、少女の料理の隠し味は隠れた試しが無い。
「ベル様はかわいいんですよ? リリに『あーん』をしてくれた時なんて顔を真っ赤にしてましたから」
「なっ……!」
ニヤニヤと笑いながら話すリリに、リューは思わず絶句した。リューもリリの言うところの『あーん』が何かは理解している。
しかし、それをあの少年がやったことにとてつもない衝撃を受けた。
リリとしても、この状況は想定外だった。少しからかうだけのつもりが、ここまで効果を与えるとは。
この二人――特にリューには浅からぬ因縁がある。と言っても、自分が少年のナイフを盗んだ時に痛い目にあわされただけだが。
それでも、この二人を手玉に取れるとはベル様
もちろん、少年がそんな事を容易に許すはずもなく、顔を真っ赤にしてリリの頼みを断ったというのが真相だ。
悲しみに暮れるシルと衝撃を受け固まったリューを横目に、リリは店を後にした。
なるほど、なるほど。少年の周りは実に愉快な人が多い。
◇◇
「はぁッ!」
『グォォッ……』
繰り出された攻撃を左手のナイフで受け流し、右手に持った神様のナイフでモンスターの魔石を穿つ。モンスターがそのまま灰になるのを見届けて、僕は大きく息を吐いた。
「はぁ……疲れた……」
軽く壁をナイフで抉ってから、腰を下ろす。壁を破壊することでダンジョンが壁の修復を優先し、そこの周りでモンスターが発生しないようにするためだ。
今の僕のようにソロでダンジョンに潜っている身としては、少しの休憩で体力をしっかり回復しないといつか危険なことになってしまう。
今日はリリがいない。なんでも『豊穣の女主人』に用があるらしい。
リリとの間にいざこざはあったものの、無事に解決し晴れて僕も一人でダンジョンに行かなくてもよくなった矢先にこれである。
リリは僕なんかよりもずっとダンジョンについて詳しいから、戦うのが基本的に僕だけだけど、リリがいるかいないかでは大きな違いがある。
「――来る」
突如、音が鳴った。ダンジョンの壁がひび割れる音だ。
次いで僕を襲うのは刺すような敵意。間違いなくモンスターだろう。
すぐさま立ち上がって、音のした方を向く。ここは七階層、エイナさんから探索許可は貰ったものの、依然としてLv1の僕がソロで挑むには危険が伴う階層だ。
『――――ッ!』
「あれは……『パープル・モス』?」
現れたのは小型の蛾。小型といっても、僕が今までに見た蛾の中では一番と言っていい大きさだ。しかも一匹ではなく、数匹の群れとなってこちらに飛んできている。それだけでも恐怖、というよりは嫌悪の感情が湧き上がってくる。
加えて、あのモンスターはエイナさん主催の座学でも口を酸っぱくして言われた要注意モンスターだ。
『よく聞いてね、ベル君。パープル・モスに出会ったら迂闊に近づかないこと。ベル君はソロなんだから、万が一毒を貰ったら大変なんだからね!』
確かエイナさんはそんな事を言っていた。
『パープル・モス』は毒の鱗粉を撒き散らしてくる。少し吸っただけで致命的な被害を被るわけではないけど、凶悪なモンスターであることに変わりはない。
「……よし」
少し前までの僕なら逃げる場面だけど、今の僕は違う。ソロの僕が安全にあれを倒すには、
「【ストームボルト】!」
魔法名を唱えた瞬間、風の砲撃が雷鳴を轟かせながら放たれる。
凄まじい速度でモンスターに直撃し、断末魔も無くモンスターが魔石を残し、灰に変わった。
「〜〜っ、やった!」
思わずガッツポーズをしてしまう。あの『魔法』が僕の放ったものだと思うと、顔がニヤける。未だに夢を見ている気分だ。
『豊穣の女主人』にあった魔導書を読んでしまった時、一時はどうなるかと思ったが――いや、今でも思ってるけど――、そのおかげで僕は遠くの敵を倒す手段を手に入れたのだ。
聞いたところによると、僕の『魔法』は特殊らしい。みんなが持つ『魔法』は詠唱を必要とする。詠唱にも長文、短文と違いがあるものの、僕のように無詠唱というのは無いそうなのだ。
これもまた聞いた事だが、『魔法』は使い過ぎると『
改めて僕に知識と知恵を授けてくれる人たちに感謝をしながら、魔石を回収して帰路についた。
◇◇
「ふふふ……本当にかわいい子」
万人を魅了する美貌に扇情的な肢体をした彼女は、熱を孕んだ銀の瞳で一人の少年を見つめる。
その視線を敏感に察知した少年が空高くそびえ立つこの塔を見上げ、それに気を良くした彼女は顔に笑みを浮かべた。
「お願いね、オッタル? あの子の輝きをもっと強く……」
ここにいない自らの眷属に向かって呼びかける。
少年は少女達の力を借りて、ますます強くなっていった。それに伴い、白い輝きも強さを増していく。
女神が向ける感情は酷くいびつで歪んでいたが、それは紛れもなく愛であった。
女神は笑う。少年が『試練』を乗り越えることを。いつか自らのもとにやって来ることを願いながら。
ところ変わって、ダンジョンの中。大柄の
大きなリュックに大剣を無造作に詰め込んだ大男は、本来の実力に見合わない上層で女神の神意を達成せんとしていた。
「……来たか」
男が敵の接近を察知し、音のする方角を向く。
不気味な音を鳴らしながら現れたのは、2Mを超える巨躯を持つ男よりも巨大な人型のモンスター。
ダンジョンに生息する怪物の中でも、ゴブリン等と同等の知名度を誇る『ミノタウロス』だ。
先程、戦闘でも行ったのか体と武器に赤い液体が付着しており、目を血走らせながら男を見つめる。
そんな見る者が見れば恐怖に陥っても不思議ではない光景を男は無感動に流し、息を吐いた。
「……よし、お前に決めた」
男が『ミノタウロス』めがけて大剣を投擲する。大剣は『ミノタウロス』の足下に刺さり、鈍い光を放っている。
『ヴォッ……!』
「拾え」
『ヴォォォォォッ!!』
「……そうだ、かかってこい」
男の上からの物言いに神経を逆撫でされたのか、怪物が咆哮を上げながら接近する。
大振りに振り下ろされた大剣。Lv1はおろか、Lv2の冒険者でもただでは済まない程の力をもって男の命を奪おうとする。
『ヴォッッ……!?』
「この程度か」
しかし、大剣は男に片手で受け止められた。並の冒険者なら一撃、されど、この男は違う。『オラリオ』を――世界を見渡しても二人しか存在しないLv7。『
それがこの男――オッタルである。
繰り出される攻撃をひたすらに防ぎ、時おり反撃する。まるで技術を授けるように。
肌を切り、角を折り、怪物の『必殺』をも軽く受け止め、地面に倒れ伏している『ミノタウロス』にオッタルは目を遣った後、小さな袋を投げた。
『ヴォォ……』
「道中で手に入れた物だ。これで多少は変わるだろう」
袋から零れた『石』が妖しげな光を宿していた。
それが『ミノタウロス』には救いの光に見え――袋ごと口にソレを放り込んだ。
『ヴォォォォォォォォォ!!』
怪物が歓喜を表すように雄叫びを上げた。
魔法は読者様の意見を参考(パクリ)にさせてもらいました。ありがとうございます。
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英雄願望
武器と武器のぶつかり合う音がオラリオに響き渡る。
抜けるような青空に見守られながら、少年と少女は訓練を行っていた。
「はぁッ!」
少年がスピードをのせ、風を切りながら少女めがけて一直線に駆けていく。
少年の持つナイフが太陽の光を反射し、閃く。ナイフは寸分違わず正面にいる少女に向かっていくが、少女はそれを難なく回避し、勢い余って前のめりになった少年へ蹴りをお見舞いする。
「ぐッ……!」
すぐさま少年は背後に跳びのき、蹴られた腹部を押さえ大きく息を吐く。それを合図とし、少女は纏っていた緊張を解いた。
「……今日はここまでにしましょうか」
「……はいぃ」
訓練が終わった途端、白髪の少年――ベルは地面の上に座り込んだ。
早朝で自分たち以外に誰も居ない市壁は沈黙を守っており、常に賑わっているオラリオの中でもある種特別と言えた。
「クラネルさん、大丈夫ですか?」
ベルに声を掛けてきたのは先程の対戦相手である少女――リューだ。
ベルがリューを見上げると、彼女は軽装で、ショートパンツでは隠しきれない白い太ももが何故だか眩しく映り、慌てて目をそらす。
「はい、今日はなんとか」
ベルが答えると、そうですか、とリューの口元が薄く笑みの形に描かれる。普段であれば、微笑んだリューに顔を赤らめるところだが、汗一つかいていないリューとボロボロの自分を見比べて、ベルは唐突な不安に襲われた。
「リューさん。……僕は強くなれるんでしょうか?」
リューの目がやや見開かれる。それはベルの純粋な疑問だった。
訓練が始まってから既に三週間近くが経過している。ベルとて自らのステイタスの急激な上昇は理解している。しかし、それでもなお、リューには全くといっていいほど敵わない。
冒険者登録をした時期を踏まえると、ベルはまだまだ新人――初心者と言っていい。彼我の実力差をハッキリと理解するには経験が足りていなかった。なので、ベルから見ればリューの実力は『とてつもなく強い』ということしか分からない。故にベルは不安だったのだ。この調子でリューに追いつくことなど出来るのかと。
リューは少し逡巡したものの、ベルの横に腰掛け、やがて口を開いた。
「……ええ、安心してください、クラネルさん。貴方は強くなっている。貴方は痛みを耐えられるようになった。敵に立ち向かう術を得た」
「リューさん……」
「まだまだ気になる所はありますが、今の貴方なら『上層』のモンスターに遅れをとることは無いでしょう。私が保証します」
貴方は強くなれる、リューはそう締め括った。
冒険者として大成するには才能が不可欠である。それがリューを含め冒険者の中での常識だ。
ひとえに才能といっても様々であるが、成長速度という点で見ると、ベルの才能は異常と言ってもいい。それほど凄まじい勢いでベルは成長している。無論、それを手放しで褒める事は急成長におけるデメリットも多くあるため出来ないが、このまま行けば、ベルは強くなるとリューは確信していた。
「リューさん、ありがとうございます」
「……いえ」
憑き物が取れたようにベルが屈託の無い笑みを浮かべる。ベルの顔を見て胸が強く波打った事を自覚したリューはぷいっ、と顔を逸らし訓練の講評をしようと再び口を開いた。
「クラネルさん」
「なんですか?」
「以前にも伝えましたが、貴方は戦闘中に周りが見えなくなる嫌いがある。戦闘中だからこそ落ち着いてください」
「……」
「貴方の最大の武器は脚だ。そして、
「はい!」
そうは言ったものの、まだそれが大事に至るような事は無いだろうとリューは考えていた。先程リューが述べたように、『上層』のモンスターでベルを真っ向から打ち倒す敵など居ないのだから。
――しかし、ここはオラリオ。神と人とモンスターが三者三様のやり方で運命という名の糸を握って行動する。
三本の糸が交わる所は目の前までやって来ていた。
◇◇
ベル・クラネル
Lv.1
力 :S990→SS1011
耐久 :S979→SS1005
器用 :SS1012→SS1025
敏捷 :SS1078→SSS1100
魔力 :C688→B726
《魔法》
【ストームボルト】
・速攻魔法
《スキル》
【
・早熟する
・自身の想いの丈により効果増減
・戦闘時に敏捷値の超高補正
(ウソダロ)
ベルがダンジョンに向かう前の日課であるステイタスの更新を行うと、ヘスティアは思わず頭を抱えそうになった。
魔力以外のアビリティの値がとうとう『SS』を突破し、中には『SSS』の値まで到達してしまった項目がある。
夢かな? と目を瞑り、大きく深呼吸してからもう一度用紙に目を通す。そこには駆け出しにふさわしいアビリティの値が記してあって――なんて言うことは無く、夢であって欲しいような馬鹿げた数値が煌々と輝いている。
(というか、いくらなんでも早すぎるだろ! なんだよ『SSS』って! いや、『SS』も十分意味わからないんだけど!!)
ヘスティアも日々を無為に過ごしている訳では無い。ヘファイストスの仕事場に行く度に下界の子についての情報収集を怠ってはいないのだ。
全ては純粋なベルを
ヘファイストス曰く、最高評価値は恐らく『S999』。また、一度にステイタスが十も二十も上がるのはアビリティの値が『I』や『H』などの初期だけ。ランクアップする子供でもアビリティの最高値が『C』や『B』で終わるのはざらにあり、全ての項目が満遍なく伸びることなど有り得ない、と。
ところがどうだ。ベルはヘファイストスが述べた事全てをガン無視して成長しているではないか。
ヘスティアは神友であるヘファイストスを信頼している。だから、彼女が嘘をついているということは無いと考えた。
よって、ここから導き出される結論は――。
(全部このスキルが原因か……!)
【
ヘスティアとしても、ベルが強くなる事についての文句は一切ない。それだけ少年の生存率が増す事に繋がるのだから。
だが、そうは言っても物には限度がある。このまま一月ほどの期間でランクアップした日には目も当てられない。
「あのー、神様……?」
「――っ、ああ、終わったよ」
自分の下にいるベルの声によって思考の海から引き戻されたヘスティアは用紙をベルに手渡す。用紙に目を通し一通りのリアクションを済ませた後、ベルはダンジョンに向かった。
(まぁ、でも大丈夫かな……?)
ランクアップには『偉業』が必要――らしい。ベルが挑むのは今日も『上層』。『偉業』を成し遂げるには少し弱い。
――そうだ! ベル君がランクアップするのなんてまだまだ先さ!
ヘスティアはそう思う事にした。
◇◇
「ベル様……?」
ダンジョンの『上層』。
地上の広場でリリと合流したベルは九階層まで足を運んでいた。
「リリ、何かおかしくない?」
太陽の光が届かない洞窟の中をわずかな光源が照らしている。普段とは異なり、静謐さを残したダンジョンはまるでこれから何かが起こる事に恐れ
リリもそれを感じ取っているようで、ベルの発言に対して首肯する。
「ええ、今日はモンスターが静かすぎる気がします。……どうなさいますか? このまま地上に帰還するという手もありますが」
「……そうだね」
時間としては普段であればまだ探索を行っている頃だが、胸騒ぎの原因が判明しない限りはこれ以上の探索はすべきでないとベルは考えた。
なので、
「今日はもう――」
帰ろうか、そう口にしようとしたベルは、ダンジョンの奥深くから聞こえてきた音に動きを止めた。
(今のは……モンスター? それとも人?)
風に運ばれてきた微かな音を敏感に察知し、精神を集中させる。
「――――――――ぇ」
間違いない。聴こえる。――人の悲鳴だ。
「――リリッ!!」
「はい、リリにも聴こえました。十階層への階段の方です! ――って、ベル様待ってください!」
一も二もなく駆け出そうとしたベルを何とかリリが捕まえる。手を握られたベルは、どういう事だと言わんばかりにリリの顔を見る。
「どうして!?」
「他派閥とダンジョン内で無闇に接触するべきではありません。良からぬことが起こるかもしれません」
冒険者は基本的に自己責任。何が起こるか分からないのだから、他派閥との接触は控えるべきだ。リリがそう暗黙の了解を告げる。
しかし、ベルは納得していないのか焦りを滲ませた表情で反論する。
「冒険者だって緊急事態では助け合うべきだよ!」
これはリリが教えてくれた事だとベルの瞳が語る。
人の善性に従って行動する、強い意志を秘めた瞳だった。
ベルが折れないと理解したリリは大きくため息をつく。
「全く……危なくなったらリリを連れて素早く避難してくださいね!」
「――うん!」
依然として、冒険者として培ってきた経験から感じ取れる違和感は拭えないが、幸いにもここは『上層』。ベル一人でなんとかなるモンスターの質と量だ。彼が加勢に入れば危機を乗り越えることは可能だろうとリリは考えた。
結論から言うと、その考えは甘かった。
『ヴォォォォォォォォォッッ!!』
「クソがッ!!」
声のする方へ直行した二人を待ち構えていたのは巨大な一体のモンスター。
正面で向かい合っているのは長刀を構えている赤髪の青年。青年の傍らには『ミノタウロス』にやられたのであろう冒険者が二人地面に倒れ伏している。
「そんな……ありえません!」
リリが顔面を蒼白にして叫ぶ。モンスターが本来の階層から移動して上に登ってくることはありえないと。
同時に、自分が見誤ったことを悟った。
「ベル様、逃げましょう! ベル様!」
そして、ベルも血の気の引いた表情で怪物を見つめる。あの時の恐怖を思い出した少年の手足は凍ってしまったかのように動かなくなった。
横で叫んでいる少女の声も遠く、爆音を上げる心臓の鼓動が全てをかき消していた。
『ヴォォッ……』
怪物が新たな侵入者に気付いたのか、視界を青年からこちらに向ける。ベルを見つめる戦意を孕んだ瞳は根源的な恐怖を教えてくるようだった。
「――ぁ」
漏れた悲鳴は誰のものであったのか。
ただ、一つ言えることは、少なくとも今も『ミノタウロス』に対抗して戦意を纏っている青年のものでは無いという事だ。
「何してる!? お前ら――早く逃げろ!」
「――――」
青年がこちらに向かって叫ぶ。
ベルを捕らえていた氷が炎によって溶かされていく。自分を庇おうとする背中が憧憬と重なった。
青年は今、「助けてくれ」ではなく「逃げろ」と口にした。
「こいつは俺が食い止める! 地上に帰ってギルドに伝えろ! この『ミノタウロス』はヤバい――『強化種』だ!!」
「なっ……!」
リリが絶句する。この場の誰よりもダンジョンについての造詣が深い彼女だからこそ、事の重大性がハッキリと分かってしまった。
ただでさえ相手は格上なのに、その中でも特別な存在である『強化種』。事実上の死刑宣告であった。
リリの心は屈した。
もはや『緊急事態だから協力し合おう』等と言っている場合ではない。誰かが生き延びねばこの絶望はオラリオ全体に伝播する。今ならまだ間に合う。
あの青年を見殺しにしてでも生きて帰らねばならなかった。
「リリッ」
だが、
「僕がアイツの気を引くから、その間にあの人たちを連れて逃げて……!」
「――ベル、様?」
ベルは立ち上がった。
あれほど震えていた手を強く握りしめ、足で強く地面を蹴り、『ミノタウロス』に向かっていく。
(――あの人なら逃げないッ)
「【ストームボルト】!」
『ヴォッ……!?』
轟、と雷鳴と共に暴風が直進する。
幾発も放たれた風の砲撃が煙を巻き上げ『ミノタウロス』の視界を封じる。その隙に驚愕している青年のもとに駆けつけ、ナイフを構えた。
「おい、あんた! 話聞いてたのか!?」
「『ミノタウロス』とは僕が戦います、あなたはそこの二人を連れてあの子と一緒に逃げてください!」
「無理だ、死にたいのか!?」
青年が言っていることは正論だった。今の自分たちでは勝てるはずがないのだ。この戦いは初めから『誰がどうやって倒すか』ではなく、『誰がここで死んで、その代償に誰が生還するか』というものであった。
それでも、ベルは言った。
「――僕が、倒します」
「――――。……すまねぇ」
ベルと青年が視線を交差させる。
身を焦がすほどの激情を、歯を食いしばることで押さえ込んで、倒れた二人の装備を放棄し、左右に抱えると青年はリリのもとへ走った。
「ベル様、ベル様ぁ!」
「おい! 逃げるぞ!」
「駄目です! まだベル様が……!」
「――俺たちが逃げなきゃあいつが戦う意味が無いだろうが!!」
互いが互いに自身の感情を爆発させる。
少女は目に涙を浮かべながら叫び、青年は悲痛な面持ちを隠そうともせずに声を荒らげる。
「――っ! ベル様、助けを呼んできます! どうかそれまで……!」
そう口にしてリリたちはベルに背を向けて走り出した。
舞い上がっていた煙も既に消え去り、広間は完全に一人と一匹のための
『ヴォォォォォォォォッッ!!』
怪物が咆哮を上げる。あれ程の啖呵をきったにも関わらず、心が折れそうになる。
通常、Lv1の身では『ミノタウロス』に勝つことなどありえないのだ。Lv1では勝てないからギルドではこの怪物はLv2にカテゴライズされている。それが先人と神の作り上げた規則である。
それに反抗するというのは、圧倒的な力に、世界が定めし道理に歯向かうことだ。
即ち、世界への反逆に他ならない。
心が悲鳴を上げている。無理だ。ベル・クラネルはそれを成し遂げるような大それた人物では無い。それを可能にするのは『英雄』と呼ばれるような者だと。
「英雄……」
消えそうなほど小さな声でベルが呟く。
『英雄』とは強者を指す言葉ではない。では、何か。大切な人を守る者、それもあるだろう。しかし、それはあくまで一側面に過ぎない。
ベルが祖父から教わった『英雄』とは――己を賭した者だ。
己を賭して何かを成し得た者を人は『英雄』と呼ぶのだ。
ならば、この場はベル・クラネルの戦場ではなく『英雄』としての器を試す儀式の間。
いや、それすらもベルの中ではただの建前に過ぎない。
――僕はなりたい
みんなを助けるため、神様を悲しませないため、あの人に恥じないくらい、追いつけるくらい強くなるため。
その想い全てがたった一つの願望に直結する。
とどのつまり、
――英雄になりたい
次回:ベル・クラネルの冒険
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