リボンの聖戦士 ダンバイン外典 (オンドゥル大使)
しおりを挟む

序章 地獄輪廻
序幕 修羅地獄万華鏡


 空を覆うのは絶望の大火。

 

 紺碧の夜に抱かれた宵闇を引き裂いた火の粉は次の瞬間、弾丸の猛火となって地上へと押し寄せた。波のように銃撃が舞う中、人々が逃げ惑う。

 

 一機の全翼型の機体が絶対の闇の象徴として浮かび上がり、その腹腔から死の爆撃を見舞う。

 

 地上は瞬く間に火炎と灼熱に翻弄されていた。人々の三々五々の悲鳴はまるで赤子の咽ぶ泣き声。この状況に誰も本質的な行動を起こせず、ただただ戦火へと命を散らす。

 

 一機の報道ヘリが海上から煉獄の港町を映し出していた。呆然と口を開けた報道班の男は歳若い女性キャスターに肩を揺さぶられる。

 

「映像! 出して!」

 

「は、はい!」

 

「ご覧ください……。この大火災を。これが……これが人間のやる事だと言うのでしょうか。港町はほぼ全焼し、逃げ遅れた人々は高台を目指していますが……。あっ! 米軍の戦闘機が……!」

 

 風圧に煽られた形の報道ヘリが海面ギリギリを疾走する戦闘機へと叱責する。

 

「こちらは日本の報道なんですよ!」

 

『知った事かァっ!』

 

 戦闘機のパイロットはヘッドアップディスプレイに投射された敵影を捕捉する。火炎の中に浮かび上がった悪鬼の姿に彼は息を呑んでいた。

 

『目標を視認! これより対地攻撃を開始する!』

 

 しかし、と彼は改めて目標物の異様さを噛み締める。

 

 甲殻類の多面積装装甲を持った人型の機体――目標名称、《キヌバネ》。

 

 青を基調とした結晶体に、頭部には一本の角が生えている漆黒の騎士。怒りの体現者たる赤い眼窩がその異物感を際立たせていた。

 

 あのようなものはヒトの造り出せるものではない。この世の代物ではないのだ。

 

『あれが……オーラバトラーか』

 

 再認識した彼は火器の安全装置を解除し、敵影を見据える。胃の腑を押し上げるGを感じつつ、最新鋭戦闘機のガトリング砲が《キヌバネ》へと突き刺さった。

 

 しかし、実体弾兵装はその装甲をただ闇雲に叩くだけ。ダメージにもなっていないのは見るも明らかであった。

 

 上昇軌道に入ろうとした戦闘機へと、《キヌバネ》より攻撃が浴びせかけられる。

 

『右翼被弾!』

 

《キヌバネ》の発射したのはワイヤーで接続された鉤爪であった。しかし、あまりの距離に彼は絶句する。

 

『……ドッグファイトでも射程じゃないってのに……』

 

《キヌバネ》が腕を引く。その膂力に戦闘機が木の葉のように弄ばれた。舞い上がった機体と行動不能のブザーが彼の脳内を掻き乱す。

 

 大写しになったのは《キヌバネ》の持つ大剣であった。

 

 てらてらと反射する炎の色を引き移した剣が直後には戦闘機を叩き割っているのが予感された。

 

 だが、その攻撃は思わぬ形で阻害される。

 

《キヌバネ》と同系統の人型兵器が猪突し、突き刺さった鉤爪を引き裂いていた。

 

 不意に行動権を取り戻した戦闘機を立て直し、彼は高度を上げていく。眼下に、炎の地平で互いを睨み合う二機のオーラバトラーが確認された。

 

《キヌバネ》と対峙するのは緑色の宝石のような輝きを宿す機体である。ゴーグル型に保護された頭部形状は騎士の様相を伴わせていた。

 

 基本色である白に、胸元とアイサイトで緑が煌く。

 

『白い……騎士のオーラバトラー……』

 

 戦闘領域を離脱する際、彼は識別信号を新たに本部から受信していた。

 

《キヌバネ》と戦うオーラバトラーの名前を。

 

『――《ソニドリ》……。オーラバトラー、《ソニドリ》』

 

《ソニドリ》が踏み込んだ。

 

《キヌバネ》が剣で受け止める。払った一閃を《ソニドリ》が片腕に装備した盾で防御し、一気に肉迫しようとする。その立ち振る舞いには一切の加減がない。

 

 右腕の甲に装備した携行火器が火を噴き、《キヌバネ》へと命中するかに思われたが、《キヌバネ》は肩口から生えた翅を高速振動させて弾頭を相殺させる。

 

 刹那、視界を眩惑させるほどの爆発が確認された。

 

 戦闘機のパイロットと、報道ヘリがその視野の阻害に耐えられずに空路を僅かに漂う。

 

「あれは……あんなものが、この世にもたらされたというのでしょうか!」

 

 女性キャスターの澱みのない声音にカメラマンはヘリの機動に翻弄されつつも、フォーカスを当てる。

 

 港町で合い争う二機のオーラバトラーだけではない。

 

 空にはこの世の終わりのように虹の裾野が広がっていた。カメラマンは一転して、空へとカメラを振る。

 

「ちょっと! ちゃんと撮って……」

 

「空が……割れる」

 

 呟いたカメラマンが目にしていたのは、オーロラの向こう側から現れた巨大構造物であった。

 

 逆さ吊りになった城壁が楕円の物体と共に浮遊している。

 

「嘘だろ……世界が終わるのか」

 

「カメラ! 撮って、早く!」

 

 女性キャスターの悲鳴が迸る。報道ヘリが不意打ち気味に発生した波に謎の空域磁場による干渉をもたらされていた。

 

 紫色の磁場が海面で渦を成す。

 

 渦巻いた海の底より現れたのは死出の軍団であった。

 

 港町で暴れ回るオーラバトラーと同じか、あるいは別種の機体が鯨を思わせる戦艦の甲板部に積載されている。

 

「あれは……! 何なのでしょうか! 援軍でしょうか? ……もっと近づけないの!」

 

「これ以上は無理です!」

 

 ヘリのパイロットが怒声を返す。今にも千切れ飛びそうな報道ヘリが空と海の間で板挟みになって戦局を俯瞰する。

 

「何が報道なんだか……。あっ、動きました! 白い機体が動きました!」

 

 カメラの向こうで二機のオーラバトラーがぶつかり合う。大剣で互いに火花を散らせ、《キヌバネ》が胴体を断ち切らんと迫った。

 

《ソニドリ》が弾き返してその太刀筋を読み、今度は返す刀で肩口から袈裟斬りを見舞おうとする。

 

《キヌバネ》が翅を振動させて風圧を作り出し、風のバリアが剣圧を圧倒した。

 

 両者、一進一退。

 

 どちらが勝つとも分からない戦局に、カメラマンは唾を飲み下す。

 

「これ……おかしくないですか」

 

「何が? 今さらここが米軍の管轄だとか……」

 

「そうじゃなくって! ……うちの局以外にも絶対に狙っているヘリの一機や二機はいてもいいはずなのに……この空域……」

 

 その段になって女性キャスターも違和感に気づいたらしい。この絶海と、煉獄の空に閉ざされた広範囲をまるで隔絶するかのように虹が囲んでいた。

 

「……これは!」

 

「逃げられないみたいですよ……俺達。もう、この終わりみたいな場所から」

 

 キャスターが青ざめる。ヘリのパイロットが声を飛ばしていた。

 

「海から来ます!」

 

 戦艦に膝を折っていた数機のオーラバトラーが港町へと向けて翅を振動させ、疾走していく。背部コンバータから無数の色が棚引いた。

 

《ソニドリ》と《キヌバネ》の戦場は炎に彩られ、瓦解寸前であった。

 

 二機が飛翔し、剣で鍔迫り合いを繰り広げる。

 

 怨嗟を、その剣筋に感じ取った。お互いを許すまじと判断している刃、その一閃ごとに殺意が宿る。

 

 戦闘機に乗っていた彼もこの閉ざされた密室空域からは逃げられていなかった。円弧を描き、再び戦闘域へと入っていく。

 

『メーデー! メーデー! ……駄目か。クソッ! 本部からの伝令が急になくなったと思ったら、上も下もオーラバトラーだらけじゃないか!』

 

 赤い装甲に、寸胴の体型のオーラバトラーが焼夷弾を発射する。さらに紅蓮の赤で焼き尽くされていく地表に、彼は奥歯を噛み締めた。

 

『これが……これがバイストン・ウェルの……妖精共のやる事かァー!』

 

 戦闘機が翻り、寸胴のオーラバトラーを射程に入れる。伝達機が正常に稼動し、目標物を《ドラムロ》と識別した。

 

『墜ちろォ!』

 

 咲いた火線が《ドラムロ》の頭部を叩いたが、何らかの力場が働き、弾丸をことごとく弾いていく。

 

 下方に逃れた戦闘機を《ドラムロ》の部隊は追わなかった。否、追うまでもなかったといったほうが正しい。

 

《ドラムロ》と槍や火縄を持ったオーラバトラーが一斉に港町へと進軍していく。

 

 その勢いに比すれば、戦闘機など豆鉄砲だ。オーラバトラーの上げる独特の飛翔音に、戦闘機に収まる彼の怒声は掻き消された。

 

『チクショウがァー!』

 

 翅を振動させ、オーラバトラーの軍隊が港町へと殺到した。恐るべき勢いで構造物を破壊していくオーラバトラーの兵士達が上空を振り仰ぐ。

 

 逆さ吊りの城から雷撃が放射された。

 

 眩い輝きが白と黒の彼方へと色彩を重ねていく。時間差で吹き飛ばされた瓦礫や破片が海上へと一斉にささくれ立ったように向かった。

 

 報道ヘリが立ち往生する。

 

 それでもカメラを向ける報道陣は、この地獄絵図を報道し続けた。

 

『……ジャップ風情が』

 

 彼は独りごちて逆さ城壁へと針路を取った。接近すればするほどに、その巨大さに身が竦みそうになる。逆さの城は、円盤に固定されていた。

 

『焼夷弾頭に切り替え、攻撃を開始する。……本部からは……やはり駄目か』

 

 最早自分の判断のみで行動するしかない。彼は操縦桿を引き上げ、城壁を睨んだ。

 

 その時である。

 

 城壁より、弾丸が浴びせかけられた。習い性の身体が機体を横滑りさせる。

 

『……まさか』

 

 城壁より顔を覗かせたのは別種のオーラバトラーであった。その数はおびただしい。目に入るだけでも三十機近くはいる。

 

 それぞれが逆さ吊りの城を巣のようにして垂れ下がり、戦闘機へと銃撃を見舞った。彼は咄嗟に機体を反転させる。

 

『嘘だろう……! こいつら、見境なしに!』

 

 オーラバトラーの群れが地表を見据えた。コンバータを上げ、それぞれのオーラバトラーが地面へと降下する。

 

 空と大地を埋め尽くさんばかりのオーラバトラーの大群。どちらが敵で、どちらが味方なのかも分からない。

 

 ただ翻弄されていく状況の中、彼は通信機に声を聞いていた。

 

『……何だ? 声……? オーラバトラーの通信か?』

 

『……こんな事になるなんて思わなかった』

 

『少女の……、声か……。だがこんな戦場で……』

 

 覚えず、彼は《ソニドリ》と《キヌバネ》を注視していた。混乱の只中にある戦の中心で、この二機だけが時が止まったかのように先ほどまでと変わらず、互いを睨んでいる。

 

『……こちらも、だ。ヒスイ』

 

『ボクの名前はもう、ヒスイじゃない。エムロードだ! アオ!』

 

『そう、か。戻れないのだな。ならば、ジェム領国の聖戦士として、君を討とう! 我が名はザフィール! オーラバトラー、《キヌバネ》が騎士!』

 

『ザフィール!』

 

《ソニドリ》がコンバータから緑色のオーラを噴出させ、翅を顕現させた。二対の翅が振動し、《キヌバネ》へと迫る。

 

《キヌバネ》が剣を振るい上げた。

 

 両者の刃がぶつかり合い、《ソニドリ》の緑の眼光が《キヌバネ》を睨む。

 

 その光を、《キヌバネ》の青い眼差しが睥睨した。

 

『エムロード! ここまで来たからには、言葉は最早、意味を持たない!』

 

『貴様を斬る!』

 

 彼は戦闘機のコックピットの中で言葉を失っていた。どちらもまだ幼い、少女そのものの声音。

 

 それが戦場の中心軸で、オーラバトラーを操り、大群を指揮している。信じ難い事実に、頭を振る。

 

『ああ……嫌な夢を見させられている。これは……まったく、悪夢だ』

 

 戦闘機が地上で喰い合いを繰り広げるオーラバトラーを照準する。

 

 こんな事で平和へと繋がるとは思っていない。この一秒、この一発で何かが変わるとも。

 

 だが、行動せずして何が兵士か。何が戦士か。

 

『俺は……米軍の兵士だ!』

 

 特攻覚悟で戦地のど真ん中へと戦闘機が入っていく。オーラバトラー同士の戦いは凄まじい。青い血潮が迸り、地面を塗りたくっていく。

 

 槍を構えたオーラバトラーが感じ入ったかのように空を仰いでいたのを、後ろから剣で別のオーラバトラーが刺し貫く。

 

 大軍勢を率いていた戦艦が空に構える牙城へと船首を向けていた。

 

 逆さ吊りの暗黒城より十字の光が奔り、海面を一瞬で気化させるほどの熱線が浴びせかけられる。

 

 戦艦はその一撃を受けてもなお健在であった。報道ヘリが衝撃波で今にも落下しそうになっている。

 

「もうよしましょう! 撤退です!」

 

 カメラマンの弱気な声にキャスターは言い放った。

 

「……いいえ。駄目よ。この戦いを最後まで、見据えるの。そうじゃなければ、私達は何で……」

 

「正気ですか! オーラバトラー同士の合戦ですよ、これは! 合戦にただの人間が介入するなんて……」

 

「それでも! 戦いを誰かが見届けなければ誰が……! そうでしょう? 翡翠」

 

 女性キャスターが首から提げたペンダントを握り締めた。

 

《ソニドリ》が剣を高く掲げ、そのまま打ち下ろす。《キヌバネ》が一閃を返し、推進剤を焚いて肩口より猪突した。

 

 押し戻された《ソニドリ》が翅を顕現させて速度を殺す。

 

 手首に隠していた短剣が《ソニドリ》の首筋を掻っ切った。青い血が迸る中、《ソニドリ》が《キヌバネ》の顎を膝蹴りで砕く。

 

 血を滴らせた《キヌバネ》がよろめいたその瞬間を、《ソニドリ》は逃さなかった。

 

 力の篭った一撃が腕を肩から断裂させる。しかし、《キヌバネ》もただうろたえたわけではない。返答のように翻した刃が《ソニドリ》の腹腔を下段より切り裂いていた。

 

 両者、後退しつつ状況を見据える。

 

 人がそうするかのように、肩を荒立たせた二機のオーラバトラーは再び、剣を握っていた。

 

 戦闘機が不意に通信を受け取る。彼は通信チャンネルを整えさせた。

 

『メーデー! こちらの状況を……』

 

『もう遅い。本国はオーラバトラー同士の戦いを完全に終結させるために、核の使用を許可した。大統領命令で現時刻より五分後、投下される。君は出来る限り、その空域より離脱しろ。……これは米国人としての忠告だ』

 

 上官の無慈悲な言葉に彼はコンソールを拳で叩きつける。

 

『クソッ! そんな馬鹿な事があるか! 何も終決しないからって、武力で何もかもを終わらせるなんて……。バイストン・ウェルの侵略者と、何が違うって言うんだ!』

 

『落ち着きたまえ、准尉。君の本国での待遇は保証する。その戦場を見たと、誰にも口外しなければ、一生の安泰を約束しよう』

 

 ここであった事を、一切口にするなというのか。ここで起こった事を、ここで死んでいった無念の魂に、背を向けるような行為を是とするか。

 

 ――否、断じて否である。

 

『……機首反転。二機のオーラバトラーの戦闘を終わらせます。終わらせれば、文句はないんでしょう?』

 

『准尉! 大人になれ。彼の地よりここまで来た君の今までの業績は買っているんだ。三十年前何が起こったのか、それを思い出せ。バイストン・ウェルはあってはならないものだ。だからこそ、全てを無に帰す』

 

『だからってそれは……大人の清算方法だって言っているんだ!』

 

『君もいい大人だ! 分かれ……』

 

『分かるかよ。分かって堪るかよ!』

 

 戦闘機が反転し、今にも互いに雌雄を決しようとする二機の合間へと銃撃を浴びせかけた。二機がたたらを踏む。

 

 彼は昂揚感のままに叫んでいた。

 

『どんなもんだい! これで……!』

 

 その時、銃弾が割った空間が引き裂けた。闇が地表を覆っていく。紫色の暗黒空間より、異形のオーラバトラーが無数に出現した。

 

 異常発達した前足に、背丈の低い悪鬼のような姿。黒と紫のカラーリングに、赤い眼窩がぎらつく。

 

『地獄人のオーラビースト……!』

 

 口走ったのは《ソニドリ》の聖戦士であった。闇を拡張させ、オーラビーストと呼ばれた甲殻獣が甲高い鳴き声を上げる。それらは相乗して、戦場に劈いていった。

 

 今まで戦いに興じていたオーラバトラーが一斉にオーラビーストへと注目する。得物を構えたオーラバトラーが勝鬨を上げて猛進していった。甲殻獣はそれらを無慈悲に蹴散らしていく。

 

 発達した前足がオーラバトラーの装甲を砕き、背面に装備された砲弾が地表を爆発の光で包んだ。

 

 一体、また一体とオーラバトラーが甲殻獣に駆逐されていく。その様を彼は戦闘機より望んでいた。

 

 報道ヘリの彼女も同様である。

 

 カメラの撮影する有り様にキャスターが声を荒らげた。

 

「地獄だわ……、こんなの……地獄に決まってる!」

 

《ソニドリ》が接近してきた甲殻獣を大剣で叩き割り、その前足を引き千切った。《キヌバネ》も、背後に迫った相手へと裏拳を浴びせ、直後には頭部を打ち砕いている。

 

 その時、暗黒城が再び雷撃を帯びた。またしても、攻撃が浴びせられる予感に、彼は戦闘機を稼動させていた。

 

『やらせるかよ……これ以上、やらせるかって言うんだ!』

 

 核攻撃までのタイムリミットも迫っている。こんな場所で戦っている場合ではない。

 

 そう訴えかけようとして、戦闘機ごと、彼は暗黒城へと突き進んだ。

 

 直後、天地を割る轟音と雷撃が白と黒の光を地平に浴びせる。

 

 核攻撃が実行されたのだ、と感じ取った身体が震えていた。戦闘機の中で、彼はこの空域を押し包む虹の裾野を目にする。

 

 不思議な事に、外の世界は塵芥に還っていくのに、この空域だけは何らかの力に守られているかのようであった。

 

 核攻撃の無音地獄が世界を沈黙に染め上げるが、雷撃の怒号がオーラバトラーの合戦を血潮で塗り替える。

 

 次の瞬間には戦闘機の機首が暗黒城へと突き刺さっていた。

 

 コックピットが剥がれ落ち、脱出装置を発動させる間もなく、彼は空に投げ出される。

 

 上空の暗黒城を視野に入れながら、彼はどこまでも堕ちて行った。

 

 その時、合うはずのなかった視線が交錯する。

 

 海上で光の彼方にある報道ヘリの女性キャスターの視線を彼は感じていた。

 

 相手が分かるわけもないのに、不思議とお互いの目線が互いを捉えた事を確信する。

 

《ソニドリ》と《キヌバネ》が地獄の虫達を蹴散らし、剣を突きつけた。

 

 その間へと、彼は落下しようとしていた。

 

 オーラバトラーの姿が消え去り、中に収まっているのであろう、二人の少女の姿が露になる。

 

 騎士装束に身を包んだ二人の少女は互いに涙を流していた。

 

 彼は手を伸ばす。ただしゃにむに、その小さな手を。

 

『やめろォー!』

 

 直後、世界が虹色に反転した。

 

 合戦の様子が彼方へと消え去り、どこまでも続く虹の道標が眼前に示される。

 

 恐ろしいほどの記憶の奔流と情報の波に、彼はハッと思い出していた。

 

『そうだ。俺の名前は……』

 

 報道ヘリが大嵐の突風に煽られ、その揚力を急速になくしていく。

 

「もう持ちませんよ! このままじゃ墜落しちまう……!」

 

 カメラマンの声も今は遠い。彼女は合い争うオーラバトラーの中心軸で開いた虹の通路を目にしていた。

 

 放心したように口にする。

 

「そう……開いたのね。オーラ・ロードが……」

 

 ペンダントを強く握り締め、女性キャスターは呟く。

 

「世界は、もう一度やり直せと言っている。それがバイストン・ウェルの意思だと。でも、たった一人では……」

 

 強襲戦艦が暗黒城へと砲撃を仕掛ける。空間を震わせる轟音にカメラマンが縮こまった。

 

「もう駄目だ! 終わりなんだ!」

 

「いいえ。始まるのよ」

 

 その言葉を、誰も聞きとめる者はいなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話 南無転生少女

 やぁ、と甲高い声が響き、直後、その一撃が吸い込まれるように相手の胴へと叩き込まれた。

 

 ストップウォッチを片手に計測していた少女は、防具を纏った相手へと手を振る。

 

「翡翠! 今の新記録!」

 

 両者、一礼を返し歩み寄られた彼女は防具を脱いだ。額に汗の玉が浮かんでいる。

 

 新記録と言われても、イマイチ、ピンと来なかった。

 

「何の記録?」

 

「相手を倒すまで! すっごいよ! 翡翠なら今度の県大会でも一番間違いなし!」

 

「そうかなぁ……」

 

 懐疑的な眼差しを翡翠と呼ばれた少女は壁へと向けていた。「県大会まで残り一週間!」と書かれている。

 

「マネージャーを務めているあたしの目を信じてよ。翡翠なら絶対、勝てるって」

 

「でもさぁ、剣道は一人で勝つもんじゃないし……」

 

 濁し気味に翡翠は言いやって防具を一個ずつ外していく。さらしを巻いた胴着姿に、少女は感極まったように頷いた。

 

「サマになってるよ!」

 

「……どうだか」

 

 サムズアップにも翡翠は乗り気ではなかった。少女は着替える間にも言葉にする。

 

「翡翠が主将になって、もう一ヶ月でしょ? 別に誰も責めちゃいないんだから」

 

「……よく、分かんないんだよね、ボク。そりゃ、剣道は嫌いじゃないけれどさ」

 

 どうにも実感が湧かないのだと、何度言ったところでそれは自分の中の問題に過ぎない。全体を預かる主将という立場ならば、迷っている場合でもなかった。

 

「……負い目、感じてる?」

 

「だから、分かんないんだって」

 

 軽装のジャージへと着替えて、翡翠は道場へと声を投げていた。

 

「あと十分間!」

 

 全員の了承の声が返ってくる。

 

「……今のだって、主将じゃないと言えないじゃん」

 

「どうだか。だってボク、別にレギュラーじゃなくっても」

 

「駄目だよ。そんな事言ってたら他の連中からの格好のいじめの的になっちゃう」

 

 翡翠はその言葉振りに嘆息をついた。

 

「……別にいいのに」

 

 対面から教師が歩いてくる。廊下ですれ違えば、ごきげんよう、と淑女の挨拶を交わす。

 

 それがこの女学校のしきたりだった。

 

 黴臭い、古びた因習だ、と翡翠は胸中に断じる。

 

「翡翠……絶対に目ぇつけられてるよね」

 

「ボクって言うからでしょ。……それも勝手じゃん」

 

 ポケットからカエルのストラップをつけた端末を取り出す。練習の終了時刻は五時の予定であった。

 

「ねぇ、翡翠ってば。あの事件は、さ。別に翡翠のせいじゃないから、主将になるのに、何も感じなくてもいいんじゃない?」

 

「年功序列? それも古くさいからやだな、ボクは」

 

 二年生が代々幹部を務めるしきたりの剣道部では、繰上げが行われた結果になる。

 

 一年生であるのに、主将身分など。

 

「……怒った?」

 

「怒ってないよ。でもさ、心配には心配」

 

 端末でニュースサイトに繋ぐ。呼び出した記事は毎日のように観ているスクープ記事であった。

 

『行方不明のN女学校のバス、依然として発見には至らず』という記事にうんざりする。

 

「修学旅行で一斉に二年生が消えちゃうなんて、運が悪かったんだよ、きっと」

 

 記事の内容を反芻する彼女に、翡翠はため息混じりに言いやっていた。

 

「……だからって、何もなかったようには振る舞えないよ」

 

 二年生の教室がある廊下には壁一面に「続報求む」の文字と共に一人一人の生徒の写真が貼られていた。

 

 そのうちの一枚を、翡翠は目に留める。

 

 防具を纏った少女は、髪をショートボブにしていた。自分は長い髪を結い上げているので、ちょうど正反対に映る。

 

 冷たい眼差しを湛えた少女であった。

 

 名前の欄には「城嶋蒼」と書かれている。

 

 蒼の張り紙の周りにはまるで卒業写真のように無数の生徒が自分の写真を貼り付けていた。それが彼女の人望を物語っている。

 

「……死んだわけでもないのに」

 

「だから、それも分かんないじゃん」

 

 本当に死んでしまったのかもしれない。翡翠は端末を弄りつつ、廊下を歩く。後に続いた少女は友人としての声を振り向けていた。

 

「あの、さ……これは新聞部の人間じゃなくって、友達として、なんだけれど、思い詰めないほうがいいんじゃない? だって二年の誰も、一人だって見つかっていないんだよ? バスだってどこに行ったのかも分からない。誰もせいでもないんだって」

 

 その慰めは余計に辛くなるだけだ。翡翠は憔悴した声を発していた。

 

「……ありがと、琥珀。でも、多分、それだって、誰かが罰を受けなきゃいけないだって、そういう風に出来てるんだよ」

 

「……でもそれは翡翠じゃないでしょ?」

 

「……どうかな」

 

 剣道部の主将になるために仕出かしたのだ、とでも噂が立てば面倒ではある。しかし、特段気にしているわけでもない。

 

 気を揉んでいる部分があるとすれば、自分の双肩にかかっている分不相応な身分と、周囲の期待の眼差し。

 

 当然と言えば当然。エースが消えたのだ。ならば、次のエースを探すのは道理に叶っている。その白羽の矢が自分に向けられただけの偶然。

 

 しかし翡翠はその偶然を恨んでいた。誰かからいわれのないバッシングを受けるのも疲れるのならば、主将の座なんて狙ってもいなかったのに、妙な噂話の中心になるのもうんざりであった。

 

「そりゃ、分かるよ。うちの学校の剣道部、強いもん。翡翠が嫌になるのは、ね。でもさ、蒼先輩がどうなったのか、翡翠は全く気にならないの? だって仲良かったじゃん」

 

 ――君の太刀が欲しいんだ。

 

 不意に脳裏を過ぎった言葉を、翡翠は無視する。その時、差し伸べられた手のビジョンにも。

 

「……それも、どうかな」

 

「分かんないなー。嫌だって言うんなら、辞めちゃえばいい話でしょ? 剣道部にこだわらなくたって、翡翠、運動神経いいし」

 

 そう容易く切り捨てられる問題でもない。無理やり自分が辞めれば、それこそ恨みつらみをぶつけられて学校に居辛くなるだけだ。

 

「……ここじゃない場所に行きたいな」

 

 窓に手をついて空を見やる。一面に広がる青空が憎々しいほどの晴天で、翡翠は顔を背けた。

 

「あたしは、さ。マスコミ志望だからどーとでもなるよ? でも翡翠って何でも出来ちゃうから、何にでもなれるじゃん」

 

「何にでも、か……」

 

 それが結局何かに結びつくとは到底考えられなかった。

 

 道場に戻る気にはなれずに、翡翠は一度、教室へと向かう。自分が入った途端、空気が張り詰めたのが窺えた。

 

「あー、はいはい。なに? そういう相談?」

 

 琥珀が茶化すが、彼女らは気にも留めない。

 

「……狭山さん。あなた、分かっていて?」

 

 前に歩み出た女生徒に翡翠は苛立ちをぶつけた。

 

「……何が」

 

「城嶋先輩よ。剣道部のみんなが噂しているわ。ひょっとして、バスをどうにかしたのはあなたなんじゃないかって」

 

「ちょっと! 言っていい事と悪い事くらい……!」

 

「いいよ、琥珀」

 

 制した翡翠は女生徒を睨みつけた。たじろいだ様子の相手は畳み掛ける。

 

「主将の身分は心地いいでしょうに!」

 

「どうだか。本当に心地いいと思うのなら、なってみれば?」

 

 挑発に女生徒は歩み寄って襟元を掴んだ。

 

「あなた……!」

 

「翡翠! 喧嘩なんて……!」

 

「ああ、一番に旨味なんて……ない!」

 

 手首をひねり上げると女生徒が悲鳴を上げる。

 

「誰か! 誰かこいつを……!」

 

 色めき立った教室に、翡翠は一瞥を投げる。

 

「始末しろって? やれば? やりたければ、教師にでもチクればいい」

 

 周囲がざわめく。琥珀が相手の女生徒に囁きかけた。

 

「……ほら。こんなところで目立つと、あんたに注目が行っちゃうよ?」

 

 その言葉で相手は引き下がる。翡翠は女生徒を突き飛ばしていた。

 

「乱暴なのね!」

 

 言い捨てた相手に、翡翠はジャージを脱いで制服へと着替える。

 

「まぁまぁ。仲良くやろうよ。せっかく、さ。世間は同情してくれてるんだよ? マスコミでは連日、謎の集団失踪事件の渦中ってね」

 

「それは……狭山さん、あなたが注目を浴びるためではなくって?」

 

「……どうやってボクがマスコミなんて操れるのさ」

 

 制服に袖を通し、スカートを履いたところで女生徒がいきり立った。

 

「悲劇の剣道部主将、立ち上げに必死の姿でも見せれば、充分に注目が行くわ!」

 

「……そんなの望んでいるって見えるの?」

 

「そうでなければ……城嶋先輩は何のために……」

 

「慕うのはいいけれどさ。お門違いだよ」

 

 鞄を手に、帰路につこうとする。琥珀が相手を言いくるめた。

 

「翡翠だけが特別ってわけじゃないし、ほら、あたし達だって充分にカメラに映れるよ?」

 

 それでも背にかかる言葉は非情そのものだった。

 

「……せいぜい、悲劇のヒロインを気取る事ね!」

 

 琥珀が充分に離れてから舌を出す。

 

「やめなよ。相手に合わせたって仕方ない」

 

「翡翠はオトナだね。そーいうところ」

 

「……馬鹿だって言われているみたいだけれど?」

 

「尊敬してる」

 

「嘘ばっかり」

 

 駐輪場に停めてある一台のバイクに翡翠は歩み寄った。琥珀へとヘルメットを手渡す。

 

 飛行機雲が彼方の空を横切っていた。

 

 蒸した夏の空気がまだ熱の燻る制服の中で汗を生じさせる。

 

「……夏じゃん」

 

「そうだね」

 

「あたし達、ずっとこのままなのかな。どこにも行けない、何にも成れないまま」

 

「どうしたの? 急に」

 

 バイクにもたれかかった琥珀は中空を見つめている。

 

「……何かに成れるって、多分一生の間で限られてるんだよ。翡翠は何かに成れそうじゃん」

 

「クラスメイトの敵? それとも、あいつの言うみたいに悲劇のヒロイン?」

 

「カッカしないでよ。一時的なものだって。だって、誰のせいでもない」

 

 そう、誰のせいでもない。蒼が消えたのも、二年生が失踪したのも誰のせいでもない。

 

 だが、誰かが責を負わなければみんなが納得する理由も作れない。

 

 翡翠はヘルメットを被って言い放っていた。

 

「敵が一人いればいいんでしょ? みんなの敵」

 

「誰かのせいに出来る間は幸せだろうって。だって、このまま一年経ったらあたし達だって二年生。もう一年経ったら受験シーズン。……ほら、思い出す暇なんてないんだよ」

 

 だから今だけは、思い出に浸れと言うのか。

 

 ――あなたにしか出来ない。

 

「……馬鹿馬鹿しい。誰にだって出来る」

 

「あたし達は何者でもないんだって。今は、マスコミもみぃーんな同情してくれる。でも、一ヶ月もすれば飽きちゃうの分かってるもん。謎なんて、この世にはもうほとんどない。端末でちょっと調べたら何でも出てくる。不思議も、謎も、分かんない事は何もない」

 

「将来も?」

 

 尋ねると、琥珀はウインクした。

 

「そっ。将来も。だから、今は楽しも? ね?」

 

「……分かんないのが琥珀には怖くないんだね」

 

「さぁね」

 

 キーを挿してアクセルを踏み込む。学校は校門からの山道を抜けた先にあり、小高い丘の上に建っていた。

 

 俗世から離れた場所に成り立つ、別世界の出来事。現実じゃないから、みんな騒げる。近くはないから、お祭りに出来る。

 

 でも近くなれば、きっと誰も騒がない。お祭りにもならない。

 

 山道に入るところでテレビクルーがワゴンを乗り付けていた。男達が煙草の煙をくゆらせている。

 

 こちらに気づいて数名がカメラを構えようとした。翡翠はわざと速度を上げて追い抜いていく。

 

 ピースした琥珀が滑稽に映った。

 

「……馬鹿みたいじゃん」

 

「本当だよ」

 

 山道を抜けるのには二十分ほどかかる。その後、潮風が強くなるのがこの街の特徴だった。

 

 山間にある学園と、港町の活気。渾然一体の空気は悪くはない景気をもたらしている。

 

 だがそれがイコール若者の覇気に繋がるかと言えばそうでもない。女学校の小娘は世間知らず、なんて言われたのも一時期の話。

 

 今の世の中、端末で全世界と繋がっている。本当に世間知らずは女学校なんかには入らないものなのだ。

 

 何も知らない純粋無垢な少女時代は、この世間では存在しない。

 

 早熟の少女達を抱えた街は闇雲に踊るだけであった。ちょっと降りれば遊び場なんて腐るほどある。

 

 海にまで行けば嫌な事の一つや二つは忘れられる。

 

 合理的に含まれた出来栄えに、大人達は満足している事だろう。

 

 自分達が若かった頃にはなかったものを、がモットーの街。海沿いに停泊している米国の戦艦が視界に入った。

 

「あっ、米軍じゃん」

 

 琥珀の声に翡翠はわざと無視する。国家戦略が変われば一番に影響を受ける街がここだと言う。

 

 そんな事は、青春の一ページにはどうだっていい出来事の一つだ。世界が滅びたって、多分自分は、端末をいじっているだろうし、隕石が落下してもその時にはSNSでつぶやいている。

 

 そういう風に、この世界は出来上がっているのだ。

 

 この国は、もう方向転換が利かないところまで来ている。自分達の世代を失敗だと断じる大人達。平気で「失われた世代」なんていう文頭を使いたがるのが上にいると思うだけで気が重くなってくる。

 

 何が失われたのだ。ただ世代間の格差が浮き彫りになっただけだ。失ったのは上の世代で、その清算をやらされているだけである。失うかどうかはこれからの話だろう。

 

「……強制的に失ったなんて、ゲームでもないのに」

 

「翡翠。ゲーセン寄ろうよ。絶対、今の気分なら出るって。ハイスコア!」

 

「……どうだか」

 

 加速度を緩めずに街へと続く林道に入りかけたところで不意に眩惑を感じた。

 

 太陽光線が屈折し、虹の位相が眼前に広がる。最初。それが体調不良のもたらすものだと誤認していたが、琥珀の声でこれが現実なのだと察知した。

 

「あれ? 太陽、あっちの方角だっけ? さっきと道、違うくない?」

 

 やはり道を間違えたのか。緩めようとしたところで、虹色の光が眼前を包み込んだ。

 

 方角が分からなくなる。どこをどう通っているのかも不明になった途端、道路が消え、バイクと共に落下したのが感じられた。

 

 どこまでも続く連綿とした虹色の空間を落ちていく。

 

 最初、事故にでも遭ったのだと思ったが、浮かんだ考えはしまった、よりも、ようやく、という実感であった。

 

 楽になれるならばこれもいいか、と落下に身を任せる。

 

 生き死にを考えずに済むだけでも儲けものだ。将来も、来週の話も、クラスメイトも、何もかも忘れられる。

 

 そう思った矢先であった。

 

 身体が重力を取り戻し、翡翠は唐突に地面へと叩きつけられた。

 

 背に走った痛みが現実だと訴えている。

 

 大方、ちょっとした眩惑で林道の端にでも落っこちたか。

 

「……琥珀、大丈夫?」

 

 面を上げた翡翠へと、輝く何かが突きつけられる。

 

 それが剣先であるのだと、実感出来たのは数秒後の事であった。

 

 相手は水色の髪を流した青年である。日本らしくない、赤茶けた服装に身を包んでいた。

 

「……地上人か。二人……召喚に応じたな」

 

 青年が剣を突きつけたまま、後ろに呼びかける。

 

 縄で縛られた女性が項垂れた状態で涙ぐんでいた。

 

「ああ……なんて事を……。オーラ・ロードを開くなんて」

 

「ジェラルミン・ジュラルミンは牢屋に入れておけ。召喚術を使ったのだ。それなりに体力を消耗しているはず」

 

 女性は衛兵に連れられて歩み去っていく。その視線がこちらを一瞥した。

 

 藍色の瞳に浮かんだ憐憫の情に、翡翠は言葉をなくす。

 

 直後、剣先が首筋に当てられた。

 

「立て。……女が二人、か。だが地上人ならば、オーラ力をそれなりに持っているはずだ。見せてみろ」

 

 何の事を言われているのだかまるで分からない。翡翠はまだ夢でも見ているのか、と頭を振ろうとして、不意に劈いた悲鳴に視線を向けた。

 

 琥珀が突然の出来事に腰を抜かしている。

 

「……何? ここ……。翡翠、変だよ……。お城だ、ここ……」

 

 その言葉でようやく、翡翠もここが城壁の中である事を窺い知った。青年は舌打ち混じりに衛兵へと命じる。

 

「小うるさい女だ。オーラ力を見せろと言っているのに。やはりオーラ・ロードを通った直後では認識が甘いようだな」

 

「小うるさいって……! 貴様こそ何だって言うんだ!」

 

 突っかかった翡翠に青年は眉を上げる。

 

「少しは喋れるじゃないか。それでオーラ力を見せれば百点なんだが、ただの女の地上人を召喚しただけならば……ジェラルミンも堕ちたものだ。オーラ・ロードを開けるのは何回でもじゃない、と、本人は言っていたがな」

 

「だからさっきからオーラだとか、ワケの分からない事を……!」

 

「翡翠……ここ、どこなの? ……怖いよ」

 

 琥珀を守るべく、じり、と後ずさる。その姿勢に青年が哄笑を上げた。

 

「これはこれは。まるで精悍なる騎士のようだ。女のクセに」

 

「女だから、何だって言うんだ!」

 

 覚えず相手の懐に潜り込もうと接近する。しかし、あまりに迂闊であった。相手は剣を持っているのだ。

 

 切り捨てられる、と判じた神経はしかし、思いのほか相手の速度が遅い事で難を逃れた。

 

 振り下ろすまでの速度がまるでスローモーションに映る。

 

 剣筋さえ見えればこちらのもの。翡翠は青年の手首を捩り上げた。

 

 驚くべき事に、相手の膂力は遥かに低い。まるで子供のように、簡単に組み伏せられてしまう。相手が痛みに顔をしかめ、剣を手離した。

 

「衛兵! 衛兵!」

 

 周囲の兵士が銃に見える武器を構える。その時には、翡翠は青年を前に突き出していた。

 

「撃てばこいつの腕を折る」

 

 その言葉振りに敵はうろたえたようであった。実際、ちょっとでも力を入れれば折れてしまいそうなほど、触れた感じの相手の関節と骨は軟い。

 

 成人男性の骨格とはまるで思えない。その感触に不可思議な感覚を抱いていると、警笛が宵闇を引き裂いた。

 

 見張り台から声が張り上げられる。

 

「敵襲! 十時の方向よりジェム領国のオーラバトラーです!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話 異界捕物帳

 うろたえ気味の兵士達が互いを見渡す間に、青年が声を絞る。

 

「ま、待て! 今は非常時だ。特別に拘束を解く……! オーラバトラーが来るとなれば、こちらもそれなりに用意せねばならない。ジェム領め……」

 

 忌々しげに言葉を紡ぐ青年に、翡翠は腕をひねる。

 

「何が起こっている?」

 

「……腕を離せ、馬鹿力が……。今は一刻の猶予も惜しい。貴様らには地上人としての責務を果たしてもらう」

 

「責務?」

 

「オーラバトラーに乗れといっているんだ」

 

「しかし! 准将!」

 

 衛兵の声音に青年は首を横に振る。

 

「……馬鹿力だけではない事を証明して見せろ。そうすれば危害は加えない」

 

「……分かった」

 

 手を離し、剣を蹴飛ばす。

 

 ちょっとしか力を入れていないのに、剣はなんと城壁の内側に突き刺さった。それを目にした衛兵が色めき立つ。

 

「……野蛮な地上人が」

 

 青年は襟元を正し、兵士に命じる。

 

「わたしは《ブッポウソウ》で出る! 前期型だ! 間違えるなよ!」

 

 青年が歩み去っていく中、衛兵が琥珀へと歩み寄ろうとした。

 

「何をする!」

 

 翡翠が駆け寄って拳を見舞う。鎧に身を包んだ相手には意味がないかに思われたが、驚くべき事に拳は鋼鉄にめり込んだ。

 

 衛兵が失神する。

 

 他の兵士がざわりとうろたえた。

 

「……翡翠。こいつら……」

 

「分かってる。琥珀に触れたら承知しない!」

 

 言い放った翡翠には誰も近づけないようであった。

こう着状態が続くかに思われたその時、不意打ち気味に高周波が響き渡り、脳内を掻き乱す。

 

 思わぬ音に自分と琥珀だけではない、兵士達も膝を折った。

 

「何、この音……」

 

 翡翠が音の元を探ろうと空を仰いだその時、月を背にして人影が大写しになった。

 

 否、それは人影と呼ぶにはあまりに大きい。

 

 身の丈の三倍以上はあるであろう、甲殻の鎧を纏った何かが翅を振動させて舞い降りる。

 

 茶色の装甲の色に、黄色い眼球が射る光を灯した。

 

「……虫の鎧?」

 

 腹腔を構築する三枚の積装装甲が観音開きで開き、中から現れたのは自分と年かさも変わらぬ程度の少女であった。

 

 金髪碧眼の少女はこちらを目にするなり、まぁ、と目を丸くする。

 

「地上人の迂闊な召喚はやめておきなさいと、あれほど言ったでしょうに」

 

「し、しかし、ミシェル様。我が方にとって不利益になれば……」

 

「……ギーマがまた強行したのね。ジュラルミンを脅して!」

 

 強気な言葉に兵士達が言葉をなくしている。翡翠は金髪の少女に凝視され、そのまま後ずさる。

 

 茶色の装甲兵に乗ったまま、少女はふんと鼻を鳴らした。

 

「何だ、ジャップじゃない。日本人を寄越すなんて、ギーマもヤキが回ったものね」

 

 どういうわけだか知らないが馬鹿にされている事だけは伝わった。翡翠は鋭く睨み返す。

 

「……そっちは? よく分からないものを使う」

 

「オーラバトラーよ。私の《ブッポウソウ》。……後期型だから、性能面では弱いけれど、地上人が使うのならば話は別。ここ、バイストン・ウェルのコモンが使うよりかは、ね」

 

 意味不明の単語が表層を滑り落ちる中、高周波の羽音がまたしても耳朶を打つ。

 

 金髪の少女は耳栓を投げた。

 

「慣れるまではオーラバトラーの羽音はちょっと刺激的なの。特に、こっちの軍勢、ゼスティアの奴は、ちょっと造りが粗野だから。余計な羽音を立てて敵に見つかりやすくなっている」

 

「……敵?」

 

「そう、敵よ。おいでなすったわ。ギーマは?」

 

「自分の《ブッポウソウ》で出ると……」

 

「勝手な真似を……。先遣隊は私と来なさい! 敵は?」

 

 張り上げた声に高台の兵士が応じる。

 

「《ドラムロ》です! 数は三!」

 

「内地に来られれば厄介だわ。《ブッポウソウ》! ミシェル機、出るわよ!」

 

 茶色の甲殻兵が羽音を散らして空へと飛び立つ。あっという間に飛翔高度に乗った機体の軽業に、翡翠は絶句していた。

 

「何なんだ……」

 

『地上人には戦いを見せなければならない。分かってもらうためには手っ取り早いだろう』

 

 通信から漏れ聞こえたのは先ほどの青年の声であった。兵士達が恐々と歩み寄る。

 

「ご同行願おう」

 

「……翡翠。こいつら……」

 

「分かっている。いざとなればのせるから、琥珀は心配しないで」

 

「ついてこい。見張り台まで案内しよう」

 

 兵士達に続く道は大理石で出来ていた。どれもこれも、現在とはまるでかけ離れた資財で構築された城壁である。

 

「……まるで御伽噺の世界みたいに……」

 

 琥珀の印象もあながち間違いではないのだろう。ただ剣と銃で武装した御伽噺など聞いた事がないが、と胸中に付け加える。

 

「見張りご苦労。敵は?」

 

 返礼した兵士がこちらへと視線を配る。相手は観察するような眼差しであった。

 

「地上人か」

 

「ああ。しかし何だってこう、うちの領国には女ばかり……」

 

「それでもオーラ力を持っているんだろう? ミシェル様に繋ぐか?」

 

 手渡された通信機はどうしてだか最新型の携行端末であった。他の兵士が持っているのは旧式もいいところの通信機なのに、どうして、と考えている矢先、通話が開始される。

 

 全員が通信方法を理解していないようであった。翡翠は画面をタップして通信を繋ぐ。

 

「……もしもし?」

 

『ハァイ、ジャップ。その様子じゃ、あんまり遠い時代から来たわけでもなさそうね』

 

「……あんたもね。何者なの? こいつらは何?」

 

『好戦的なのね。嫌いじゃないわ。見張り台からこっちを見てみなさい。今、火矢を射るから、よく見えるはずよ』

 

 その言葉の直後、砲撃が宵闇を引き裂いた。羽音と共に茶色の甲殻兵が飛翔し、月下に出現する。

 

 跳ね回った二機の甲殻兵のうち、一機がこちらに手を振った。

 

『後期型だから、一発でももらえないんだけれど、見えてる?』

 

「見えてるけれど……。何? これはどういう……」

 

『そのうち、説明は追々と……。ギーマ! せっかく前期型を使ってるのに動き鈍い!』

 

『そうは言われても……。地上人と我々、バイストン・ウェルの人間では違うのだ』

 

「バイストン・ウェル?」

 

 尋ねた声音に相手が返す。

 

『この世界の事よ。そろそろ勘付いているんじゃない? これは夢でも、御伽噺でもない事を』

 

 甲殻兵が敵と組み合う。敵は寸胴な赤い甲殻を纏っていた。人間をモチーフにしたと言うよりかは、丸まったボールのようである。

 

 ボール型の機体と、甲殻兵がぶつかり合った。こちらの甲殻兵が剣を鞘から引き抜き、ボール型の敵を薙ぎ払っていく。

 

 滑るように敵の射線に入り、横合いから寸断していく様はあまりに流麗であった。

 

「すごい……。あれ、さっきの?」

 

 金髪の少女がやってのけているのだろうか。その疑問に兵士が応じていた。

 

「ミシェル様は十日でオーラバトラーの戦い方を学んだ秀才だ。地上人の中でも一番に理解が早かった」

 

「……オーラバトラー……。あれの名前?」

 

 甲殻兵――オーラバトラーが赤い敵の胴体を貫き、そのまま大樹へと縫い付ける。背後から別の敵が迫ってきた。

 

「危ない!」

 

 覚えず叫んだ翡翠に、もう一機のオーラバトラーが援護射撃を見舞った。

 

『これくらいは出来ないと、ね。男じゃないでしょう? ギーマ』

 

『減らず口を……。わたしだってやれるさ』

 

「敵兵が退いた。今宵の強襲は免れた形だな」

 

 嘆息をついた兵士達に翡翠は困惑していた。何が起こったのだ。一体、どういう経緯で戦いが巻き起こっているのか。

 

『……混乱してる?』

 

 こちらを見透かしたような声に翡翠は尋ね返していた。

 

「きっちり説明は」

 

『するとも。もちろんだ。地上人を無碍にはしない』

 

『どの口が……』

 

 呆れ返った声音を聞きつつ、二機のオーラバトラーが飛翔して帰ってくるのが視界に入った。

 

 兵士達が慌てて中庭へと駆けていく。自然と翡翠もその背中に続いた。

 

 中庭で茶色の甲殻を纏った機体が二つ、胸部にある結晶型の部位を開いている。

 

 青年は兵士に汗を拭わせていたが、少女は汗一つ掻いていなかった。

 

 金髪の少女がこちらへと歩み寄り、ふぅんと注視する。

 

「スマホ、分かったでしょ?」

 

 ああ、と翡翠は手にある通信端末を返す。相手は、いいわ、と首を振った。

 

「それ、通信用だから。私のはこっちにあるし」

 

 相手がポケットから出したのもやはりというべきか、現在の通信機であった。兵士達は困惑の眼差しを注いでいる。

 

「……目立っちゃったわね。まぁ無理もないか。……にしたって、ギーマ!」

 

 張り上げられた声に青年が肩をびくりと震わせる。だが、直後には襟元を正していた。

 

「……何かな」

 

「すっ呆けないで。ジュラルミンの力を使ってオーラ・ロードを開いたわね?」

 

 ふんと青年は鼻を鳴らした。

 

「……我が方の戦力が君だけでは不安なのでね。戦力の補充は近いうちに行うと言っていたはずだ」

 

「それが、無闇にオーラ・ロードを開くって言うの? この子達は女の子よ!」

 

「君だって女だてらにオーラバトラーを動かす。性別までは決められない」

 

「馬鹿にしているの?」

 

「尊敬しているんだ。そのお二方は?」

 

 兵士達が踵を揃え、返答する。

 

「無事、のようです。どうやら我々には分からない端末の使い方もご存知の様子で……」

 

 ギーマと呼ばれた青年はこちらを見やるなり、手元の通信端末に声を吹き込んだ。

 

「地上人二名を召喚、それにミシェル、君も。彼女らへと説明をするべきでしょうか」

 

『説明は行うべきだろう。ギーマ、貴様は一度城内に戻れ』

 

「承知しました。……ミシェル。やれと言われたらやれるな?」

 

 その言葉振りにミシェルは反抗的に返す。

 

「やれと言われなくっても」

 

「では、地上人二名は君に任せる。明朝からはもうオーラバトラーの戦闘訓練に入りたい」

 

「二人ともオーラバトラーに乗せるって言うの?」

 

「戦力が足りないんだ。強獣狩りの手もない今、一人でも聖戦士が欲しい。出来るな?」

 

「……聖戦士」

 

「分かったわ。その代わり、ギーマ。あんたの命令は受けない。こちらで独自に行動させてもらう」

 

「好きにしたまえ。どうせこのゼスティア領国から出る方法などないのだから」

 

 立ち去っていくギーマの背中にミシェルは舌を出した。

 

「……抜け目ない奴! ああやって領主に取り入って、だから戦闘なんて向いていない癖に。ああ、二人とも、紹介が遅れたわね。私はミシェル。ミシェル・ザウ。アメリカ人よ」

 

 差し出された手に翡翠が困惑しているとミシェルは眉根を寄せた。

 

「……おかしいわね。日本人は義理立ての文化が根付いていると聞いたけれど」

 

「……さっきジャップって言った」

 

 琥珀の追及にミシェルは肩をすくめる。

 

「言ったかしら? そんな事はどうでもいいでしょう? 今のあなた達には状況把握が何よりも大事なはず。それを説明する気があるのは私だけ」

 

「……聞かせて欲しい。ここは? オーラバトラーだとかバイストン・ウェルって言うのは?」

 

「翡翠……! 素直に聞くって……」

 

「いい兆候よ。ここでは素直なほうが好まれる。ついてきて。《ブッポウソウ》を格納庫に収めるついでに説明するから」

 

 ミシェルが《ブッポウソウ》と呼ばれたオーラバトラーへと乗り込む。胸元の積装装甲が閉じて黄色い眼球がこちらを見据えた。

 

『歩きながら話しましょう。ゼスティアの兵士に聞かれちゃまずい事もあるでしょうから』

 

《ブッポウソウ》がにわかに歩き出す。翡翠は前を歩み出ていた。琥珀が恐々とそれに続く。

 

「何だって言うんだ。ここは……。まるで……」

 

『まるで中世の世界? そうね、その認識で正しいわ。ただし、現実の中世とはかけ離れている。こんなものが闊歩しているんですもの』

 

《ブッポウソウ》を横目で見やり、翡翠は尋ねていた。

 

「オーラバトラー……だっけ」

 

『まずは説明をするのなら、バイストン・ウェルという場所からね。ここは私達のいた地上じゃない。別世界、バイストン・ウェル、その領国の一つ、ゼスティア。それがこの城壁を中心とする領土よ。小国だから、さほど発言力は持っていない。でも、大国から流れてきたオーラバトラーの配備を急いでいる……言ってしまえば発展途上の国ね』

 

「頭がどうにかなりそうだ」

 

『どうにかなる前にこれがどうしようもない、現実だって事は覚えておいて。ここで死ねば死ぬ。ただし、私達、地上人はこのバイストン・ウェルの住民ほど簡単には死ねないわ。オーラ力があるもの』

 

「その……オーラ力って何なのさ」

 

「地上人が強く顕現する、一種の能力のようなものね。オーラバトラーを動かすのにも使うし、それに他の機械だって。バイストン・ウェルでは地上人はかつてないほどの力を振るう事が出来る」

 

 翡翠は先ほどの立ち回りを思い返す。自分でも予期せぬパワーに、覚えず手が震えていた。

 

「でも、何でこんな場所に? 普通に日本にいたはずなのに……」

 

 琥珀の問いにミシェルは応じる。

 

『呼ばれたのよ。オーラ・ロードを通って。私もそう。つい二ヶ月くらい前、になるかしら。オーラ・ロードを通って私はこの場所に召喚された』

 

 虹色の道標を、翡翠は脳裏に描いていた。あれがオーラ・ロードなるものだというのか。

 

「他にもオーラ・ロードを通った地上人が?」

 

『いるでしょうね。それに、私だって一人で呼ばれたわけじゃない』

 

「それって、どういう……」

 

 問い返す前に格納庫へと辿り着いていた。灯りが漏れる場所へと《ブッポウソウ》が扉を開けて入っていく。

 

『ミシェル・ザウ。《ブッポウソウ》、帰還したわ』

 

 その言葉に白衣を纏った者達が寄り集まってきた。彼らは一様に茶色の甲殻に触れ、《ブッポウソウ》へと尖った針を突き刺す。

 

 ミシェルが胸部より出て彼らの一人の肩を叩いた。

 

「ティマは?」

 

「奥の部屋で設計図と睨めっこですよ。もうすぐ完成だそうで」

 

「ようやく、ね。ゼスティア初の実験機」

 

 ミシェルが手招く。翡翠は駆け寄っていった。

 

「何が?」

 

「面白いものが見られるわよ」

 

 奥まった部屋へと案内され、扉を潜った瞬間、視界に飛び込んで来たのは宙を舞う小人であった。

 

 翅を震わせ、狭い部屋を機敏に行き来する。

 

「妖精……?」

 

「当たらずとも遠からずね。ミ・フェラリオはそういうものだから」

 

 ミシェルの呼ぶ声に妖精は振り返った。淡いウェーブのかかったオレンジ色の髪をしている。服飾はレオタード状のものであった。

 

 青い鱗粉を発しながら、すぐさま接近する。こちらがうろたえている間にも相手は状況を把握したらしい。

 

「新しい地上人?」

 

「ええ、名前は……」

 

「……翡翠。狭山、翡翠」

 

「田村琥珀……」

 

「コハクに、ヒスイ、ね。ちょっとバイストン・ウェルには馴染みにくい名前だから……そうね。ヒスイってエメラルドの事でしょう? じゃああなたは今からエムロード。コハクは、アンバーよね。そっちのほうがみんな呼びやすいと思うわ」

 

「勝手に決めないでよ。ボク達は別に、誰に呼びやすくたって」

 

「でも名前は必要よ。殊に、聖戦士の素質を持つのならばね」

 

「聖戦士……だからどういう事なんだって」

 

「ねぇ、ミシェル。この二人にオーラバトラーを託すの? 不安だなぁ」

 

 妖精の小言にミシェルが笑みを浮かべる。

 

「そうでもないわ。兵士達を素手でやってのけた」

 

「オーラ力だけがあっても、難しいよ」

 

「まぁ、追々分かってくるでしょう。エムロード、それにアンバー。こっちはミ・フェラリオのティマ」

 

「ティマ・カチューシャ。ここの専属技師をやっている」

 

 ティマと名乗った妖精はすぐさま卓上に置かれた設計図へと飛び去り、自分より大きい鉛筆を握った。

 

「専属技師? こんな小さいのに?」

 

「小さいとか、関係ないでしょ! そっちだって、そんなにでっかいくせに、何も知らないのね!」

 

「ティマは小さいって言われるのが嫌いなのよ。アンバー、気をつけてね」

 

「……だから琥珀だって……」

 

 こちらの都合はほとんど無視されるらしい。翡翠は先を促した。

 

「ここに、何かあるって聞いた」

 

「もう話したの? ……お喋り」

 

「二人に何も知らせずにオーラバトラーに乗せるって言うほうが、よっぽど不義理だとお思うけれど」

 

「……いいわ。来なさい」

 

 ティマが飛翔し、奥の部屋に位置する鍵つきの小さな扉まで誘導する。ティマは小窓から入ったが、ミシェルは鍵を使い、屈んで潜り抜けた。

 

「……どうするの、翡翠」

 

「どうするって……。行くしかないと思うけれど」

 

 扉を潜った先は暗闇であった。灯りをつける、という声が響くと同時に、重々しい照明の音と共に奥まった場所に位置する甲殻兵が視界に大写しになった。

 

 甲殻の色は白を基調としており、頭部には四つの眼球があった。胸部を中心として緑色の結晶体が散見される。

 

 甲殻兵は全身にチューブを取り付けられており、部屋の奥から血潮を供給されているようであった。

 

「これは……」

 

「ゼスティア初の、実験機オーラバトラー。通称、《ソニドリ》」

 

「《ソニドリ》……」

 

 実験型のオーラバトラーは人形のように項垂れている。ティマが操縦席へと導いた。

 

「まだスイッチングトレースシステムが万全じゃなくって。明日の試験に出せって言われているけれど、ちょっと無理よ。歩くかどうかも」

 

「来て、エムロード、アンバー。この《ソニドリ》はね、他のオーラバトラーとは違うの」

 

 操縦席を翡翠は覗き込む。驚くべき事に、操縦桿もなければ、他の類する器具もない。円形に取られた空間には鞘と一振りの剣が収められているのみである。

 

 その剣は十字を描く結晶の剣であった。

 

「白い装甲はアルビノのキマイ・ラグの装甲を剥いだものなの。貴重な資源なんだから、無駄にはするなって、何度も命令されてる。だから、私は替えの利く《ブッポウソウ》に乗っているわけなんだけれど」

 

 仔細に見れば見るほどに、関節部などに使われているのは機械ではなく、筋肉繊維なのだという事が窺えた。この機体は、ほとんど生命体も同義。

 

「この《ソニドリ》……って言うのに、乗れって?」

 

「無理強いはしないけれど、今のゼスティアの感覚を戦場で肌で感じる限り、一騎当千の力が必要なのは分かる。エムロードかアンバー、どちらかが乗ってもらいたいわ」

 

「どちらか……」

 

 翡翠は震えている琥珀に頭を振った。

 

「……じゃあボクが乗る」

 

「翡翠? でもこんなのに乗れば……嫌でも……」

 

「前線行きね。ま、《ソニドリ》に乗らなくっても《ブッポウソウ》か、あるいは《ドラムロ》に乗ってもらう事になる。《ドラムロ》なら、誰でも乗れるし、それほど操作も難しくはないわ。《ソニドリ》に乗るのならば、ちょっと慣れるまで時間はかかるかもしれないけれど」

 

「……拒否権はないわけ」

 

「残念ながら。でも安心して。ゼスティアはそれほど押されているわけでもない。私とギーマくらいしか戦士はいないけれど、今までジェム領国の襲撃は全部退かせてきた。それほど敵も難しいわけじゃないわ」

 

「簡単に言ってくれるけれど、それでも、この《ソニドリ》って言うのは違うんでしょ?」

 

「まずは言うよりも慣れたほうが早いわね。乗ってみる?」

 

 挑発に、翡翠は歩み出ようとしてその袖を掴まれた。琥珀が首を横に振る。

 

「……死んじゃうかも」

 

「でも、何もしなければ同じだよ。この《ソニドリ》って言うの、動かせたら何かあるの?」

 

「敵国であるジェムを倒せれば、恩赦として地上に帰らせてもらえるかもね」

 

「それ以外で帰る方法は?」

 

「あればもう私も帰っているわよ」

 

「……そうかい」

 

 琥珀の手を振り解き、翡翠は《ソニドリ》の操縦席へと入った。思ったよりも手広に取られた操縦席で眼下に剣の柄が入る。

 

「剣を引き抜いてセーフティを解除すれば、すぐにでも《ソニドリ》は動くわ」

 

 ティマが操縦席に入り、指差して誘導する。翡翠は一呼吸ついて、剣を握った。

 

 途端、《ソニドリ》が挙動する。突然に立ち上がった《ソニドリ》に困惑するよりも先にティマの声が弾けた。

 

「触れただけで動かすなんて……! 相当なオーラ力ね!」

 

 褒められても今は感傷に浸っている場合でもない。翡翠は必死に叫んでいた。

 

「どうすればいい! どうやって制御する!」

 

「慌てないで。柄を握ったのならば、あとは念じるだけ。《ソニドリ》はまだよちよち歩きの赤ん坊だから、ゆっくり言って聞かせれば分かってくれるはず。柄を握って深呼吸して、母親のように言って聞かせて」

 

「母親なんて……」

 

《ソニドリ》の躯体が軋みを上げて屹立する。両腕を地面につき、《ソニドリ》は翅を拡張させた。

 

「エムロード! 落ち着いて言い聞かせれば、《ソニドリ》はきっちりと! 応えてくれるから、落ち着いて!」

 

「落ち着け落ち着けって……! ボクは翡翠だ!」

 

 瞬間、《ソニドリ》の背面に備え付けられていたコンバータが開き、緑色のオーラと共に《ソニドリ》は飛翔した。煙突を抜け、《ソニドリ》の機体が宙を舞う。

 

「外に出たのか?」

 

 翅が高速振動し、《ソニドリ》の姿勢を制御しようとする。だが、あまりにも《ソニドリ》の我が強いためか、その機体は真っ逆さまに落ちていった。

 

「墜落する! エムロード! 今はとりあえず呼吸を落ち着けて! 《ソニドリ》の鼓動を感じ取ってくれれば、きっと! きっと……!」

 

「きっときっとじゃない……! ボクは……こんなところで、死んで堪るか!」

 

 その時、結晶剣が内側から煌いた。眩い輝きに翡翠は困惑する。

 

「オーラ力が……溢れている?」

 

《ソニドリ》が躯体を翻し、地面と水平に姿勢を保った。翅が振動し、コンバータよりオーラが噴出する。カスが溜まっていたのか、灰色の埃がコンバータより噴き出され、直後、機体は揚力を得ていた。

 

 翼を折り畳み、《ソニドリ》が地面にぶつかる直前に飛翔を得る。

 

 ティマはほとんど放心状態であった。翡翠もそうだ。何が起こったのか、まるで分からない。

 

「……あなたのオーラ力で無理やり《ソニドリ》を叩き起こしたのね……。地上人ってみんなそうなの?」

 

「……知るもんか」

 

《ソニドリ》が森林地帯を滑空し、円弧を描いて城壁へと帰っていく。

 

『《ソニドリ》へ! ティマ! どうなったの!』

 

 不意に開いた通信にティマが操縦席上部に位置するボタンを押していた。

 

「こちらティマ。《ソニドリ》は無事に起動成功……。間一髪だったけれどね」

 

『よかった……。エムロードは?』

 

「彼女も無事。……それにしたってすごいオーラ力ね。一発で《ソニドリ》の骨格を内側から矯正した」

 

「だから、何だって言うんだよ……」

 

 呆れ返る翡翠は《ソニドリ》の視野に同期した視界を見据えていた。

 

 黎明の輝きがバイストン・ウェルの地表を照らし出す。そこいらに断崖絶壁や、密林地帯、それに湿原が見て取れた。

 

 改めて、ここは日本ではないのだ、という意識が強まる。

 

「帰投信号を放った。《ソニドリ》を城壁へと帰還させるわ。動かし方は……もう説明するまでもないみたいね」

 

 不思議と《ソニドリ》にどう命じればどう動くのか、頭の中に浮かび上がっていた。剣の柄を握りつつ、翡翠は高鳴る鼓動を感じていた。

 

 これから先、起こる事、そして自分に振りかかった事。

 

 全てが偶然ではないと知るのは、まだ遠い未来の話であった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話 危機禁猟戦域

 いい風だ、という言葉を受けてもギーマは面を上げなかった。

 

 当然と言えば当然。相手はこの領国の領主である。長髪の領主は朝焼けを見つめていた。ギーマは微動だにせず、口火を切る。

 

「地上人二人の召喚には成功しましたが、まだジェムとの戦場においての優位は保てています。慌てて戦力を散らす事もないかと」

 

「いい風だな。バイストン・ウェルの大地を慰める風だ」

 

「ウラウ様。忌むべきジェム領国の連中はすぐ傍まで迫っています。今こそ、一気呵成に聖戦士で攻める時。そのためには、大義が必要です」

 

「……この風は、緑色に染まっている」

 

 ギーマは分かっている。この会話が平行線である事、そして領主が既に正常ではない事を。ゆえに、形式上での対面に過ぎない。

 

 この領国を守るのは最早、老いた領主に非ず。

 

「ウラウ様。明日には実験機の使用を検討しております。《ソニドリ》、という……ミ・フェラリオの道楽と呼ばれておりますが……」

 

「風が教えている……。素晴らしい事だ」

 

「では、《ソニドリ》の試験と、地上人二名のオーラバトラーによる選出を……」

 

 刹那、通信機が鳴り響いた。老いた領主が痙攣したような声を上げる。

 

「おっ……おっ……」

 

「失礼。……どうした?」

 

『ギーマ様、敵影です。まさか二度も仕掛けてくるなんて……』

 

 一夜に二度も、か。だが、地上人の性能を測るのには好都合だ。

 

「よし、わたしも《ブッポウソウ》で出る。《ソニドリ》に地上人を乗せて後方待機させて――」

 

『それが! つい先ほど地上人が《ソニドリ》を……』

 

「なに? 《ソニドリ》が……先行しているだと!」

 

 思わぬ事態にギーマは領主へと声を放った。

 

「《ソニドリ》が思わぬ形で出ているようです。非常時なので、これで失礼を」

 

 身を翻したギーマの背中に、声がかかった。

 

「ギーマよ。風は何を伝えている? 何を我々に命じている?」

 

「それはこの戦火における勝利でしょう。ジェム領に遅れを取るわけにはいかない、と」

 

 淀みなく応じたギーマは領主の部屋を立ち去っていた。兵士達が合流し、鎧を自分に装備させる。

 

「《ソニドリ》が出ていると?」

 

「はい、つい数分前に」

 

「……ミ・フェラリオの勝手な道楽が、前に出て一番にやられれば厄介だ。《ブッポウソウ》は?」

 

「既にミシェル様の機体が出ています。前期型をご所望されて……」

 

 言いよどんだ兵士にギーマは喚き散らす。

 

「わたしに! 後期型に乗れというのか!」

 

「……ですが我が方の使えるオーラバトラーでは、《ブッポウソウ》は二機のみです」

 

「資源が底をつく前に、量産に着手せねばな。いい、後期型で出る。敵は?」

 

「待ってください。……珍しいですね。敵は《ドラムロ》ではなく……《ゲド》です。それも一機や二機じゃない。……五機の編隊……」

 

「《ゲド》が五機? ……どういうつもりだ。《ドラムロ》では勝てないと判断しても《ゲド》は……」

 

 オーラバトラー、《ゲド》は試作中の試作機。本来、前線に出るべくして製造された機体ではない。大国から流れたオーラバトラーの源流とでも呼ぶべき機体だが、それは骨董品と同義であった。

 

《ゲド》で来るという事は、舐められている証か。あるいは他意があって、《ゲド》をあえて実戦投入してくるか。

 

「いずれにせよ、読み負けるわけにはいかない。《ソニドリ》は?」

 

「西方を飛翔中! 会敵するまで、残り数十秒です!」

 

 見張り台からの声にギーマは舌打ちする。

 

「こんなに早く、《ソニドリ》を晒すつもりはなかったんだが……。相手からしてみれば僥倖だな。《ゲド》で新型を釣るなど」

 

「どうなさいますか?」

 

「どうもこうもない。《ブッポウソウ》で出て《ゲド》を蹴散らす。《ソニドリ》は出来るだけ後方へと回るように伝えてくれ」

 

 乗り込んだ《ブッポウソウ》の機体出力を調整する。ミシェルが普段乗っているせいで随分と高機動に設定されているのだ。

 

「……女くさい機体だ。ギーマ・ゼスティア。《ブッポウソウ》、出るぞ!」

 

《ブッポウソウ》が翅を広げ、城壁を一気に飛び越える。既に戦端は開かれており、《ゲド》とミシェルの《ブッポウソウ》が打ち合っていた。

 

《ゲド》は基本装備であるオーラソードによる近接戦法もこちらの《ブッポウソウ》の出力には敵わない。中距離で砲撃を見舞いつつ、《ゲド》を退けていくミシェル機へとギーマは通信を繋いでいた。

 

「ミシェル! 先行するな! それにわたしの《ブッポウソウ》で勝手な真似を……」

 

『あんたのだって言いたいのなら、名前くらいは書いておきなさいよ!』

 

「抜け抜けとよくも……。聞こえているな? 《ブッポウソウ》で前を固めろ。二機でも《ドラムロ》五機に相当する性能だ。型落ち品に過ぎない《ゲド》で……何を考えている?」

 

 その時、視界に入って来た機影にギーマは目を瞠っていた。白い装甲のオーラバトラーが戦局に割って入ったのだ。

 

「《ソニドリ》……? まさか、前に出てどうする!」

 

『いいんじゃない? どうせ性能試験をするつもりだったんでしょう?』

 

「黙っていろ! 《ソニドリ》! 聞こえているはずだ、地上人! 迂闊な真似をするな! それは我が方の新型機である!」

 

『新型機だって言うんなら、初陣でしょう』

 

 返ってきた声音にギーマは舌打ちする。

 

「ミ・フェラリオが……。我々と同等の口を利く。《ソニドリ》、後方に回れ。我々《ブッポウソウ》二機で活路を開く! ここは、後ろに行けと言っている!」

 

 ギーマが《ブッポウソウ》で前線へと踏み込む前に、《ゲド》三機が前を塞いだ。思わぬ抵抗にギーマはアクセルペダルを踏み込む。操縦桿を引き、《ブッポウソウ》に装備させた大剣を振るわせた。同じく剣で受け止める《ゲド》であったが、出力の差は歴然。

 

「舐めてくれるなよ……。ゼスティアの《ブッポウソウ》を!」

 

 そのまま押し切ろうとするのを、側面に回った《ゲド》が投擲した爆雷が防いだ。残り一機は機銃掃射で弾幕を張る。

 

 しかし、《ブッポウソウ》の装甲はその程度では掠り傷にもならない。

 

「……こいつら。まさか《ソニドリ》を炙り出すために? だが、だとすれば疑問が……。どうして《ドラムロ》も出さない? 墜とされるだけだぞ」

 

 敵の真意が分からない。このような状態で立ち回るのは危険だと、第六感が告げている。

 

 真正面の《ゲド》が剣を打ち下ろした。下段よりの振るい上げでその剣を弾き返し、《ブッポウソウ》の足の鉤爪が《ゲド》の装甲へと食い込む。蹴った際に《ブッポウソウ》のオーラ・コンバーターを開き、一気に跳ね上がった。

 

「踏み台にさせてもらう!」

 

 三機の連携を潜り抜けたギーマは一定距離を保つ《ゲド》と交戦するミシェルの援護に入ろうとした。

 

 敵の《ゲド》は重火器を装備しており、全く動こうとしない。《ブッポウソウ》が攻めあぐねているのは何も剣がメイン武装であるからだけではなく、《ゲド》にあるまじき重武装にうろたえているのもあるのだろう。

 

 ギーマは中距離用の火器を発射しつつ、ミシェルの機体の肩へと触れた。

 

「何を悠長な事を。《ソニドリ》が出ている。さっさと《ゲド》を破壊するべきだ」

 

『それは分かっているんだけれど、この《ゲド》、何だか奇妙で』

 

「奇妙だと……?」

 

『明らかに積載上限を超えているのよ。足を止めてまで、《ゲド》にこだわる理由を探しているわけ』

 

「どこかに伏兵がいるという見立てか。だがだとすれば余計に、だ。《ソニドリ》を危険に晒すわけにはいかない。《ソニドリ》は?」

 

『残り一匹の《ゲド》と交戦中! 援護に行きたいけれど、こいつの真意を探らないと!』

 

「読み負ければお終いだぞ。それと……その《ブッポウソウ》はわたしの専用機だ! 勝手に乗り回していいものじゃない!」

 

 言い置いてギーマは《ブッポウソウ》を《ソニドリ》の下へと走らせる。《ソニドリ》にはまだ武器は積載されていないはずだ。

 

 ゆえに、とでも言うべきか、《ゲド》相手に《ソニドリ》は苦戦を強いられていた。

 

『こいつ……張り付いてきて!』

 

「聞こえるか、地上人。《ソニドリ》を下がらせろ。これは十中八九、罠だ」

 

『分かっていても、武器がないんじゃ……!』

 

「小うるさいミ・フェラリオは黙っていろ。地上人! 剣を投げる! 受け取れ!」

 

《ブッポウソウ》の装備した剣を《ソニドリ》に向けて投擲する。地面に突き刺さった大剣を《ソニドリ》は見据えていた。

 

 これで凌げるか、と思った直後、追いすがる《ゲド》を後方視界に入れる。

 

 急旋回し、ギーマは《ブッポウソウ》を相手の正面に向け直した。

 

「分かっていても辛いものだな。引き立て役というものは!」

 

 中距離武装で《ゲド》を退けようとするが、《ゲド》はその機体に似つかわしくない機動力で火線を回避した。

 

 まさか、とギーマは息を呑む。

 

「今の動き……コモンの動きではない! まさか、搭乗しているのは……!」

 

 その言葉が紡がれる前に相手の銃撃が《ブッポウソウ》を打ち据えた。

 

 三機が円環を描きつつ、じりじりと中心軸にいる《ブッポウソウ》を追い詰めようとする。

 

「舐めるな! 如何に地上人とは言え、《ゲド》で我が方を凌駕出来るなど、それは自惚れだ!」

 

《ブッポウソウ》が接近してきた一機へと果敢に肉迫し、袖口より小刀を出現させる。そのまま、《ゲド》の首筋を掻っ切った。青い血飛沫が舞う中、制御系の神経を奪われた《ゲド》を盾にする。

 

 敵の銃撃が《ゲド》を打ち据え、操縦席を打ち砕いた。

 

「《ゲド》の弱みは装甲と咄嗟の回避性能だ。同士討ちとは、運がなかったな」

 

 沈黙した《ゲド》をそのまま盾として用いつつ、ギーマは《ブッポウソウ》の照準を次なる獲物へと向けようとする。

 

 しかしその時には、敵は退き始めていた。こちらの射程から逃れ、森林地帯へと逃げ帰ろうとする。

 

「目的が読めないまま、か……。一機は墜とした。これでも手土産に……」

 

『ただでは、死ねるか……』

 

 接触回線に接続された声にギーマが絶句する前に、《ゲド》が内側から爆発の光を拡張させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ギーマ……! 自爆に巻き込まれたって言うの?』

 

 ミシェル劈く通信が耳朶を打つ。《ソニドリ》を必死に動かそうとするも、敵のオーラバトラーである《ゲド》とやらが張り付いて離れてくれない。

 

 相手も剣を主武装としているためか、接近される度に《ソニドリ》がびくついたのが伝わってくる。

 

「《ソニドリ》が怖がっている……。まだこの子、相手の剣圧に慣れていないのよ!」

 

 ティマの声に翡翠は怒声を飛ばす。

 

「じゃあどうしろって!」

 

「剣を投げられたわ。それを使って応戦するしか……」

 

 視野の中に先ほどの剣はある。だが、どうやって相手を撒くべきなのか、それが全く浮かんでこない。

 

 太刀筋を寸前でかわす事ばかりに意識が割かれている。

 

『エムロード! 聞こえるわね? まだ《ソニドリ》が本調子じゃないのは理解出来るわ。だからこそ、ここはあなた自身が勇気を持たなくてはいけない。《ソニドリ》を飼い慣らすのは、あなただけなのよ!』

 

「身勝手な事を……。乗ったのだって、ボクの意思じゃ――」

 

「来るよ!」

 

 ティマの声に翡翠は相手の剣を両腕に備え付けられた武具で受け止める事しか出来ない。火花が散り、少しずつではあるが、《ソニドリ》の強固な装甲が削られていくのが分かる。

 

 このままではジリ貧。歴然とした事実が突きつけられていても、どう立ち回ればいいのかが堂々巡りの思考を支配する。

 

「どうしろって!」

 

「剣を取って! 《ソニドリ》は元々、近接戦闘用のオーラバトラー! 剣さえあれば変わってくる!」

 

 ティマの言葉をそのまま受け入れるつもりになったわけではない。だが、ここで抵抗せねば死ぬのは必定。

 

 ――死んで堪るか。

 

 こんなところで、わけも分からないまま死ぬくらいならば、自分は……。

 

「戦えば……分かるって言うんでしょうに!」

 

 武具で剣筋を弾き返し、《ソニドリ》を急速に後退させる。

 

 地面に突き刺さった剣を《ソニドリ》に握らせた。

 

 途端、操縦席の結晶の刃が光を帯びる。念じた思考に切り込んで来たのは声であった。

 

 何者の声なのかも分からないまま、衝き動かされる思惟に身を任せる。

 

 翡翠は結晶剣を鞘から抜き放っていた。

 

 直後、《ソニドリ》の握り締めた剣が内側から輝きを放った。ただの黒い剣に過ぎなかったそれの皮膜が剥がれ、内蔵された結晶の血脈を伝導させる。

 

「これは……まるで剣が、身体の一部みたいに……」

 

「それこそが《ソニドリ》の力! 武器を自分の身体と同質にまで引き上げる。今の剣は、ただの剣じゃない。《ソニドリ》自身の身体から発達したものなのよ!」

 

 理解したわけではない。その言葉の全てが読み取れたわけでも。ただ、この戦場では死ねない。

 

 琥珀も残している。彼女を一人でこの世界に置いてはおけない。

 

 守る、という意思が剣の神経となって《ソニドリ》に一閃を振るわせた。

 

 明らかに射程の外であったにもかかわらず、《ソニドリ》の放った剣閃は《ゲド》へと吸い込まれるように衝突する。

 

《ゲド》の胸部骨格が引き裂かれた。

 

 まさか振るっただけの剣圧が飛ぶなど、翡翠自身も予感していなかった。

 

「今のは……」

 

「《ソニドリ》のオーラ力は余剰エネルギーとなって敵へと突き刺さる! エムロードのオーラ力が強いお陰ね。《ソニドリ》は性能試験以上の数値を弾き出しているわ!」

 

《ゲド》がよろめき、倒れようとするのを、撤退に入っていた別の機体が拾い上げる。

 

「……逃がすか!」

 

 逸った戦闘神経が敵を逃すまいと《ソニドリ》を飛翔させる。

 

 高速振動させた翅で地上を滑空した《ソニドリ》は森林地帯へと入っていた。

 

 眼下に逃げ惑う《ゲド》を視野に入れる。このまま、剣を打ち下ろす、と決めたその時、森林の合間にある岩石が急に隆起した。

 

 思わぬ動きに鈍った《ソニドリ》を岩石が捉える。

 

 巨大な腕が《ソニドリ》を完全に捕縛していた。

 

「何、これ……。岩が……」

 

 厳しい岩石そのものが意思を持っているのか、と考えた翡翠に、ティマが声を張り上げる。

 

「これは……オーラバトラー!」

 

 まさか、と絶句する間に岩石に擬態していた敵機が面を上げる。赤い眼球がこちらを睨んだ。

 

『策に……はまってくれるとは思わんかったよ。こうも単純な作戦に、よもや新型がかかるとはな! 僥倖と呼ばずしてこれを何と呼ぼう!』

 

 接触回線に開いた哄笑に翡翠は奥歯を噛み締めた。

 

 これは罠、そうギーマが言っていたではないか。むざむざと自分は罠にはまり、敵へと新型を差し出したのだ。

 

「そうは……させない!」

 

《ソニドリ》のオーラ・コンバーターが開き、全身から緑色のオーラが放出される。一瞬だけ敵の束縛が緩んだ隙を逃さず、《ソニドリ》で敵機の頭部を蹴りつけた。

 

 だが敵はよろめきもしない。頑強な装甲を持つ敵オーラバトラーが爪で《ソニドリ》の表皮を引き裂いた。

 

《ソニドリ》の白い装甲に爪痕が刻まれる。

 

『……無傷で、との命令だったが、なに、別段、言う通りにする事もないだろう。こんなに手のかかる……《ゲド》の部隊を率いたのだ。それなりに大義であったと褒められどすれ、責められるいわれはないとも!』

 

 敵の巨大オーラバトラーが《ソニドリ》を捕まえようとする。翡翠は操縦席で剣を薙ぎ払った。同期した《ソニドリ》の剣閃が敵のオーラバトラーの爪を削る。

 

『無駄だ! 我がオーラバトラー、《マイタケ》の装甲はその程度のオーラ力では破れんよ!』

 

「この……デカブツが!」

 

 突き立てられた爪を《ソニドリ》は後退して回避し、敵へと打突の構えを取って衝突する。

 

 しかし、その一撃はまるで無駄だとでも言うように、結晶化した剣が弾け飛んだ。

 

 直後、右腕に走った激痛に翡翠は悲鳴を上げる。

 

 熱した棒で神経を引っぺがされたかのようであった。右腕を上げられず、操縦席で剣を下ろした途端、《ソニドリ》から力が失せた。

 

 敵オーラバトラーが《ソニドリ》を掴む。

 

『新型機の回収を完了。これよりジェム領国へと帰還する。続け! 地上人の《ゲド》共! 貴様らを何のために生かしておるのか、理解するのだな!』

 

 地上人。その言葉が意識の表層を滑り落ちる中、翡翠の意識は闇に落ちた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話 過去未来雲散霧消

「やられた! 最初から《ソニドリ》を誘き出すために、《ゲド》なんていう骨董品を使ったってワケ……! しかもティマまで奪われて……これじゃ立つ瀬もないじゃない!」

 

 コンソールを殴りつけたミシェルはユニコンに乗った回収部隊が戦場を観察するのを忌々しげに目にしていた。

 

 もっと使える兵が多ければ。否、もっと言えば自分が強ければ。

 

 こんな事にはならなかっただろう。《ソニドリ》を失っただけではない。せっかく召喚された地上人をむざむざと明け渡したのだから。

 

『ギーマ様! 大丈夫ですか?』

 

『……ああ。自爆したと言っても、片腕が使い物にならなくなっただけだ。《ブッポウソウ》はまだ動く』

 

 にわかに立ち上がろうとしたギーマの《ブッポウソウ》にミシェルは吐き捨てていた。

 

「そんなので! よく戦場に割って入ったものね!」

 

『君がわたしの《ブッポウソウ》で出ていなければ、こんな事にはならなかった!』

 

「どの口が! 機体を選ぶ時点で三流なのよ、あんたは!」

 

 ユニコンがいななき声を上げる。ユニコンに乗ってこの場に同乗したアンバーに、ミシェルは目を合わせられなかった。

 

『……言い争いをしている場合でもない。地上人が奪われた』

 

「馬鹿でも分かるわ。何とかして取り戻さないと……」

 

『……あの、翡翠が敵に……』

 

『ああ。《ソニドリ》と共に鹵獲された』

 

「あんたねぇ! ちょっとはデリカシーってものがないの!」

 

『今は事実を反芻するだけだ。して地上人……君にお願いがある』

 

『お願い、ですか……?』

 

 まさか、とミシェルは先んじて口にする。

 

「アンバーに、オーラバトラーに乗れって言うんじゃないでしょうね?」

 

『なに、前倒しになっただけだ。元々、《ソニドリ》か、あるいは《ドラムロ》にでも乗ってもらうつもりだった』

 

「偉そうに言えた身分? 結果的に利用したんでしょう! エムロードを!」

 

『……どう謗られようが結果は結果だ。奪われた《ソニドリ》の奪還作戦を練る必要がある』

 

 畢竟、ギーマの思い通りであるという事が癪に障る。アンバーは戸惑っている様子であったが、地上人同士ならば、ここは退けないはずだ。

 

 ――あるいは、これさえも織り込み済みであったか?

 

 その疑念をミシェルはギーマへと注いでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地上人の編隊など、と侮っていたわけではない。むしろ、《ゲド》でよくも前線に出たものだと、感嘆したほどであった。

 

 岩石の牙城の如く、《マイタケ》が地面を這い進む。砂礫を舞わせながら、要塞の巨大さを見せる愛機の中で、グランは通信を聞いていた。

 

『……中佐。我が方の《ゲド》の一機が……』

 

「何だ? 進軍を止めるだけの理由でも?」

 

『死に体です。せめて、弔わせてはもらえないでしょうか?』

 

 無理もあるまい、とグランは感じていた。《マイタケ》の捕獲した敵オーラバトラーの出力をはかったところ、その数値は彼の国の最強と名高い機体に匹敵していた。

 

 噂でしか聞いた事のない、オーラバトラーの究極形。それに近しいオーラ力となれば、身勝手に殺す事さえも躊躇う。

 

 グランは戦場を預かる手前、戦いには慎重であった。殊に地上人のみで編成された部隊の指揮となればそれはより慎重を期してもまだあり余るほど。

 

「……よかろう。進軍やめ。《ゲド》の操縦席を緊急射出させ、貴様らの流儀で弔うといい」

 

 立ち止まった《ゲド》のうち、一機は腹腔をほとんど完全に切断されていた。地上人は即死か、あるいは最後の力を振り絞ったか。

 

 彼らは《マイタケ》に見えない角度で《ゲド》の操縦席より地上人を這い出させ、彼らの流儀で弔いの儀を上げているようであった。

 

 グランは《マイタケ》の操縦席でふんぞり返る。

 

「……地上人の弔い、か。元々、貴様らの魂が行き着く場所であるというのに、ここで死ねばどこへも行けぬ」

 

 バイストン・ウェルで死ねば、どこにもいけない。その魂の安息はあり得ないのだ。自分達コモンが死ねば、然るべき場所へと導かれるであろう。

 

 しかし、オーラの加護を最初から授かっている地上人は強大な力と引き換えに魂の安息は永遠に奪われる。

 

 それは死よりもなお恐ろしいであろう。

 

「考えるだけで震えるわ。死後、裁きに合う事もなく、永遠にこの常世を彷徨い続ける亡霊と化すなど」

 

 強い顎鬚をさすり、グランは《ゲド》を見下ろした。地上人の文化は分からない。分からないが、自分達とさして変わる事のない死生観であるのか、死者を火葬で弔っている。

 

「地上人の文化というものよ。……この白いオーラバトラー。彼奴の発揮したオーラ力も含めて、報告すべきであろうな。おい! もうよかろう!」

 

 怒声を上げると《ゲド》へと地上人が乗り込み、隊列に再び加わろうとする。

 

 その刹那の出来事であった。白いオーラバトラーが翅を広げ、浮かび上がる。

 

 飛翔した敵機が《マイタケ》の顔面を斬りつけた。思わぬ反撃に全員が色めき立つ。

 

「おのれ! ゼスティアの新型が! 我が《マイタケ》に手傷を負わせるなど、生意気なのだ!」

 

 掴もうとした《マイタケ》の動きをするりとかわし、白いオーラバトラーが折れた剣で《マイタケ》の装甲を叩く。

 

「舐めるな! この《マイタケ》は強獣を五百匹相当狩って造り上げた逸品! 貴様ら如きが触れられる代物ではないわ!」

 

《マイタケ》の爪が敵機を抑え込もうとする。白いオーラバトラーは必死に応戦しようとしたが、あまりに脆弱。

 

「このまま押し潰してくれる!」

 

『お待ちください! グラン中佐!』

 

 不意に割って入った地上人の通信にグランはぎろりと睨んだ。

 

「何故、邪魔をする!」

 

『相手は地上人。相当なオーラの持ち主のはずです。ここで殺せば、ジェム領での発言力に差し障ります』

 

「貴様らに諭されるまでもないわ! 反抗的ならば潰してしまう他なかろう!」

 

『我々なりの交渉術がございます。お待ちを』

 

《ゲド》が一機、新型へと猪突する。もつれ合った二機が巨木へとぶつかった。

 

 それを目にしてグランは舌打ちする。

 

「地上人同士が、馴れ合いおって……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『聞こえるか。白いオーラバトラーの地上人。聞こえていたら返事を……』

 

 繋がった接触回線に、剣を手にしていたティマは声を張り上げる。

 

「ジェム領国の捕虜にされるのなら、死んだほうがマシよ!」

 

『勘違いをしている。ジェム領はそれほどまでに悪い国ではない』

 

「どうかしら! あたしはあくどい国だって聞いたわ。ミ・フェラリオを奴隷のように扱って!」

 

『……ミ・フェラリオか。まさかパイロットは?』

 

「パイロットは地上人よ。でも、どうせここで殺すつもりでしょう!」

 

 まだ昏倒しているエムロードを見やったティマへと、敵兵が囁きかけた。

 

『……あまり大きな声では言えないが、ジェム領国ではそのような非人道的な扱いはしない。どうやらゼスティア領国とは誤解があるようだ。それをまず解きたい』

 

「地上人が《ゲド》なんかに乗せられている時点で、それは特攻と何が違う!」

 

『我々が志願したのだ。高いオーラ適性値を持つ地上人は乗れるオーラバトラーには限りがある。《ドラムロ》よりも感覚的に動かせる《ゲド》のほうが我々義勇軍の行動のアピールになる、とも』

 

「義勇軍? 何それ、ジェム領国で何か、反逆でも起こるって言うの?」

 

『詳しくは言えない。だが、地上人は決して悪い待遇ではないはずだ。少なくともゼスティアに比べれば』

 

 信じるべきか、と逡巡を浮かべたティマに地上人らしい、相手は口走る。

 

『……《マイタケ》を操るグラン中佐は生粋のコモン。軍人気質のあのお方に悟られれば我々は全滅する。どうだろうか。ここは細く長く、協力すると言うのは』

 

「……エムロードがまだ、起きていない」

 

『身の安全は保障する。もしもの時には命も差し出そう』

 

 相手がここまで言うとは思えなかった。新型を鹵獲するためだけの即席の部隊にしては言える範疇が違う。

 

「……仮にちょっとばかし信じたとして、見返りは?」

 

『見たところその新型、開発途中で出撃したと見える。その完成の手助けをしよう』

 

 思わぬところで的中し、ティマは息を呑む。確かに《ソニドリ》はまだ完成には程遠かった。それを進めてくれるというのならば、少しくらいは信用してもいいのかもしれない。

 

「……でも、いいの? あの岩石みたいなオーラバトラーのパイロットが」

 

『納得させるためには策がある。任せて欲しい』

 

 そこで通信が途切れた。ティマは気を失ったエムロードの肩に飛び乗る。

 

「……バイストン・ウェルに来て、いきなりの戦闘。それも鹵獲されちゃうなんて。……運がないのね、あなたも」

 

 ため息を漏らし、ティマは《ゲド》が巨大オーラバトラーへと説得しているのを目にしていた。

 

「本当に説得するって言うの? まともな交渉なんて当てになるはずが……」

 

 岩石のオーラバトラーが手を払う。《ゲド》が近づき、《ソニドリ》に肩を貸した。

 

「……まさか。本当に説得を?」

 

『約束は守る。それが地上人としての……数少ない矜持だ』

 

「驚いたわね……。ジェム領国は非人道的な敵性集団だと聞いていたけれど」

 

『こちらも、ゼスティアには慈愛の精神の欠片もないのだと聞いていた。特に《ブッポウソウ》のパイロットには、戦場では慈悲など通用しないのだと』

 

 ミシェルの事を言われているのだと分かって気分はよくなかったが、ティマは受け入れる事に決めた。

 

 今はエムロードを生かさなければならない。そのためならば少しくらいの罵倒は飲み込もう。

 

「どうなるって言うのかしら……。これから……」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話 奪還ノ策

 

 作戦は大きく二つ、とミシェルは口火を切っていた。

 

 卓を囲むのはゼスティアの戦士達である。誰もが皆、オーラバトラーに乗れるだけのオーラ力を備えているわけではなかったが、覚悟だけは人一倍であった。

 

 腕に包帯を巻いたギーマが問い返す。

 

「作戦? もう《ソニドリ》は破壊されているのでは?」

 

 その言葉にアンバーが目を伏せる。

 

「ギーマ、あんたデリカシーの欠片もないのね。エムロードが鹵獲されたのはあんたのせいでもあるのよ!」

 

「翌日に試すはずだった」

 

「どっちにしたって実験動物みたいな扱いじゃない! オーラ・ロードを開くにしたって、手順ってものがある!」

 

「ジュラルミンはフェラリオだ。問題はないはず」

 

「そういう物言いが、やらなくてもいい戦争を招く!」

 

 食ってかかったところで今はどうしようもあるまい。ミシェルはアンバーへと言葉を振っていた。

 

「……アンバー。私にも責任はある。でも、これはもう戦いなの。あなたのオーラ力ならば確実にオーラバトラーには乗れる。乗って、一緒に戦ってくれる?」

 

 アンバーはしかし、懐疑的な様子であった。

 

「オーラバトラー……でも翡翠みたいにうまく扱えるかどうか……」

 

「《ソニドリ》は特別なのよ。もっと扱いやすい機体がある」

 

「《ドラムロ》か? だがあれは出せんぞ。我が方の重要な火力なのでな」

 

「分かっているわ。回収した《ゲド》があるわよね?」

 

 まさか、と全員が色めき立った。

 

「あの自爆紛いの真似をした《ゲド》に? あんな旧式オーラバトラー、物になるわけがない!」

 

「それはコモンの価値観よ。地上人ならばオーラの力で適性は左右される。それに、あの機体、外装を起爆しただけで骨格自体は生きている」

 

「あのティマがいない! フェラリオなしで修復作業なんて!」

 

「ミ・フェラリオは同列じゃないんでしょう?」

 

 痛いところを突かれたのか、ギーマが絶句する。

 

「しかし、ミシェル様。《ゲド》を辛うじて修復しても、まだ難しいですよ。我が方の戦力は、《ドラムロ》五機に《ブッポウソウ》二機が関の山……」

 

「《ブッポウソウ》も、一機は中破だ。こんな状態で何が出来る?」

 

「諦めるのは早いって事だけよ。エムロードと《ソニドリ》なしで、ジェム領国を取れるとでも?」

 

 それは、とギーマもさすがに口ごもった。

 

「初陣で彼女はオーラによる斬撃を会得してみせた。伸びしろは大きいと見るべきよ。それをむざむざ、敵に手渡して、国を滅ぼす?」

 

 挑発に、ギーマが落ち着き払って応じる。

 

「だが《ゲド》だぞ?」

 

「整備班にはもう修復作業を頼んである。予備パーツはあったわよね?」

 

「あれは《ブッポウソウ》の……!」

 

「使わないのなら使わせてもらうわ。異存はないわね?」

 

 有無を言わせぬ声音にギーマを含んだ全員が押し黙った。ミシェルはアンバーの手を引く。

 

「行きましょう。少しでも早く、オーラバトラーに慣れないと」

 

「……地上人同士で」

 

 ギーマの吐き捨てるような言葉を背に受けながら、ミシェルはアンバーに囁きかける。

 

「……大丈夫よ。エムロードは死なせない」

 

「その……翡翠がすごい……この世界では強いんですよね」

 

「オーラ力は私の倍近くあるでしょうね。あの《ソニドリ》ってオーラバトラー、まともに動いた事なんてないのよ。それをいきなり動かしてみせた。それだけでも素質は充分」

 

 思いも寄らなかったのか、アンバーは目を見開いていた。

 

「そんなにすごいんですか……」

 

「格段に違う、とでも言うべきかしら。元々、地上人はコモン相手には優位に立ち回れるらしいけれど、私の場合はそれほどまでに劇的にオーラ力が開花しなかった。無論、この国ではエースのつもり。でも、あの子はもっとよ。もっと先に行ける」

 

 自分としては褒め過ぎなくらいだが事実ならばそれを隠し通す意味もない。それに、アンバーに乗ってもらいやすくなるためには少しくらいの誇張は必要であった。

 

「あたしも……出来るんでしょうか?」

 

「地上人はオーラバトラーを動かせば変わってくる。あなたもそう」

 

 格納庫へと降り立ったミシェルはまず、《ゲド》の整備状況を尋ねていた。

 

「どう? 直りそう?」

 

「外装パーツがほとんど焼けてます。これは総取っ替えですね。《ブッポウソウ》の予備パーツを使っていいのなら《ゲド》の内蔵オーラを使っての修復は可能です」

 

「元々、貯蓄しているオーラ力が強かったの?」

 

 整備班長が自分を手招く。囁いたその声にはアンバーに聞かせたくない話なのが窺えた。

 

「……乗っていたのは地上人です。死骸はそりゃ酷いもんでしたが、オーラの馴染みが違う。《ドラムロ》や《ブッポウソウ》に一から慣れさせるよりかは、同じ地上人ならば……」

 

「手っ取り早い、ってワケね」

 

 バイストン・ウェルの技術者ならばまず考えるべきはオーラの馴染みと適性。《ゲド》は元々必要なオーラ力が《ドラムロ》などに比べれば段違いである。その扱いにくさに比して戦闘能力は《ドラムロ》よりも格下。ゆえにこぞって《ゲド》など誰も使いたがらないものだ。

 

 だが今回、敵は《ゲド》を編隊レベルで使ってきた。つまり相手側には地上人クラスのオーラ力を持つ人間が腐るほどいるという事実を示している。

 

 それを加味すれば完全なる劣勢。こちらにいる地上人はアンバーと自分のみ。隠し通しつつ、エムロードの奪還を画策しなければ完全に読み負けるであろう。

 

「分かった。アンバーには」

 

「伝えませんよ。こんな事実、酷なだけでしょう」

 

 その認識には頷きつつ、ミシェルはアンバーを《ゲド》の下へと手招いた。

 

「装甲さえ継ぎ接ぎすれば、いつでも出せそうよ。問題なのは、あなたの心の話だけれど……」

 

 こればかりは拒絶されればそこまで。覚悟していたミシェルはアンバーの次の言葉に目を見開いた。

 

「……やります。やらせてください」

 

「本当に、いいの? だってこれは、あなた自身も危険に――」

 

「だって、翡翠を助けるのにはそれしかないんでしょう? あたし、翡翠のためなら、何だってやる。何だって……」

 

 何か、こちらにはこちらで窺い知れぬ闇がありそうであった。それを今、根掘り葉掘り聞く気にはなれないが。

 

「よかった。《ゲド》を改造し、乗れるようにしておくわ。その前に、ちょっと模擬戦でもどう? 私は《ドラムロ》に乗る。あなたは私の《ブッポウソウ》に乗って」

 

「……模擬戦、ですか?」

 

「いきなり《ゲド》で実戦なんて無茶よ。まずは力を見ないと」

 

 特攻させるのにも、《ゲド》だと禍根が残る。あくまで相手の自由意志に任せたという建前が欲しい。

 

「……分かりました」

 

 嘆息をつきつつ、ミシェルは手招いていた。

 

「じゃあ、これに乗って。《ブッポウソウ》はそれほど操縦の難しいオーラバトラーではないわ」

 

 胸部の操縦席を開き、一つ一つ説明する。

 

「操縦桿は一つ。操縦席はマジックミラーになっていて、通信方法は一応確立されている。それでも不安なら、これにかけて」

 

 通信端末を翳し、相手の電話番号を読み取る。

 

 地上界ではありふれた光景であったが、バイストン・ウェルでは異端のような行動だ。

 

「私は《ドラムロ》で出るわ。武器は剣だけにしましょう。そのほうが分かりやすい」

 

 相手の力量をはかるのに火器に頼るよりも剣による実際のオーラ力を計測したほうが手早いはずだ。

 

 ミシェルは《ドラムロ》へと乗り込み、息を詰めた。

 

「さぁ、始めましょう」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話 敵国渦中戦線

 右腕が千切れたかと思ったほどだ。

 

 雷撃のような激痛に、翡翠は悲鳴を上げる。腐り落ちた右腕から生えてきたのは虫の節足であった。

 

 身体中が瞬く間に甲殻に覆われ、次の瞬間にはオーラバトラーの仮面が顔を覆っていた。

 

 呼吸も出来ない、と喘いだ翡翠へと剣が次々と突き刺されていく。

 

 誰もが自分を糾弾した。刃を向けてきた。

 

 ――お前が望んだ!

 

 違う、と叫ぼうにも口が塞がれている。

 

 ――お前が殺したんだ!

 

 ああ、と呻きつつ声から逃れようと走り出す。その途中で蹴躓き、翡翠は無様に地面を転がった。

 

 見下ろしてくる人影に、彼女は振り仰いだ瞬間、声にならない叫びを上げた。

 

《ソニドリ》が全身から赤い血を噴き出させて剣を構えている。その大剣が胸元へと突き刺さった瞬間に、彼女はまどろみから覚醒していた。

 

 瞼を開けた途端、大写しになったのは大理石の天井である。

 

 ひんやりと冷たい石の床に寝かせられているのが分かり、身体を持ち上げた途端、激痛が右腕に走った。

 

 頬を引きつらせたその時、ポロンと琴の音が耳に届く。

 

 すぐ傍で奏でられている音色に翡翠は視線を振り向けていた。

 

「バイストン・ウェルの物語を、覚えている者は幸せである。心、豊かであろうから……」

 

 男の声、奏でられた琴の音と共に壁にもたれかかっていた相手を翡翠は見据えた。覚えず身が竦む。

 

「……誰……?」

 

「吟遊詩人、なに、旅がらすのろくでなしだよ。君も罪人かい? おれと同じ牢屋に入るという事は、ジェム領国に歯向かったか」

 

「ボクは……歯向かってなんか……」

 

「酷い顔色をしている。衛兵! 水をくれ!」

 

 まさか、牢獄に捕らえられているというのに水など、と思った矢先、並々と瓶に注がれた水が差し出された。

 

「どうもすまないね」

 

 受け取った吟遊詩人は慣れた様子で衛兵に袖の下を渡す。

 

 差し出された水に翡翠は息を呑んだ。あまりに簡単に手に入った代物に警戒の眼差しを注ぐ。

 

「毒なんか入っちゃいないよ」

 

「……どういう事なんだ。ここは……本当に牢獄なのか?」

 

「それに関してはおれが言うよりも、彼女に聞けばいい」

 

 顎でしゃくった先にいたのは牢獄の小窓から出入りしたティマの姿があった。まさか、自由になっているなど思いもしない。

 

「ティマ……!」

 

「エムロード。目が醒めたのね」

 

「だからエムロードじゃ……、何ともなかったのか?」

 

「ちょっと取り調べめいた事を受けただけ。無論、拷問もされていない。彼らの言っていた通り、というのは癪だけれどね」

 

「彼ら……?」

 

「地上人だ。ここ最近、ジェム領国に召喚された、四十人を超える地上人の軍勢……。彼らは一様に高いオーラ力を持ち、その力を国家に認めてもらうために前線に出る」

 

 切り裂いたオーラバトラーの像が脳裏に結び、翡翠はうろたえていた。

 

「……地上人? 彼らも地上人だって言うのか?」

 

「詳しくはそのミ・フェラリオが知っているはず。おれはもう、随分とこの場所に入れられて久しい。待遇は悪くはないんだが、どうにも信用されていないようでね。あたたかいベッドで眠りたいものだ」

 

「そこの地上人も、元々は聖戦士だったんでしょう?」

 

 ティマの言葉に吟遊詩人は眉を上げる。

 

「元々は、ね。さほど戦果を挙げられないまま、大きな動乱が過ぎた。おれは生き意地汚く生き残った、アンラッキーなヤンキーさ」

 

 自嘲気味の吟遊詩人に翡翠は尋ねていた。

 

「教えて欲しい。この国は……いや、この場所はどうなっている?」

 

「バイストン・ウェルは大きな戦争が巻き起こった、その後の安寧を貪っている。今はどの国もさほど躍起になって成果を上げようという感じじゃない。フェラリオの長を怒らせて追放なんてされたら元も子もないからだ。ジャコバは寛容とはほど遠い。ゆえに、水面下でのやり取りばかりさ。小競り合いの程度ならばフェラリオの連中は手を出してこない。それが分かっていて、ゼスティアと争っている」

 

「そこまで詳しいのはどうして? ここから出られないはずでしょう?」

 

 ティマの疑問に吟遊詩人はフッと笑みを浮かべていた。

 

「外に行く必要なんてないのさ。おれの足を見るといい」

 

 露になった足に翡翠は驚愕する。オーラバトラーに使われているのと同じ、甲殻類の筋肉繊維を編んだ義足が装着されていた。

 

「……それが聖戦士を降りた理由ってわけ」

 

「初陣で墜ちたんだ。運がなかった」

 

「ここから動く必要がないと言った。ボク達も、か?」

 

「ここにいればそれなりに食い物には困らないし、壁と床は冷たいが寝てもいい。ただ、おれは使い物にならないからここに居させられているだけだ。君は違うかもしれない」

 

「地上人のオーラ力を恐れて……殺せもしないのね」

 

 得心したティマに吟遊詩人は言ってのける。

 

「たまに依頼が来る。片足がこれでも、新型のオーラバトラーの試験くらいは出来るとな。君達がジェム領国に歯向かったと言うのならば、別の対応が来る可能性もあるが」

 

 その時、衛兵が牢屋の扉を開いた。

 

「出ろ。フェラリオと新しい地上人」

 

「あんた達、何様よ! どういう了見でゼスティアに戦いを挑んでくるって言うの!」

 

 ティマの強気な声に衛兵はふんと鼻を鳴らす。

 

「フェラリオに知る権利はない。地上人、来い。我々、ジェム領国は聖戦士を特別視している。その有り様では、あまりに不格好だ」

 

 自分の姿はここに来て着の身着のままだ。制服姿はこの国家の洋式には合わないと言うのだろう。

 

 衛兵が手招く。鎖で束縛する事も、ましてや縄をくれる事もない。本当に自由意志、とでも言うかのようであった。

 

 逡巡を浮かべた後、ティマが先導する。

 

「少なくとも、殺されはしないと思うわ」

 

 その言葉でようやく翡翠は歩み出した。背中に吟遊詩人の声がかかる。

 

「オーラの加護を」

 

 地下層を螺旋階段で上がっていくと城壁に囲まれた地上へと出た。空は青く澄んでいる。

 

「まずはオーラ力を試させてもらう」

 

 衛兵が誘導したのは四方を高い壁に囲まれた密閉空間であった。

 

 数人の科学者らしき者達が、奥まった場所に鎮座する鎧を観察している。

 

「オーラバトラーよ、あれ」

 

 ティマの声に翡翠は肩を強張らせた。《ソニドリ》での戦闘における手痛い経験が右腕を疼かせる。

 

「入ってくれ。オーラ力を測定する」

 

 ティマに目線を送ったが、彼女もここでは拒否権はないらしい。流されるがまま、翡翠はオーラバトラーの操縦席へと導かれる。

 

《ソニドリ》と違うのは操縦席に座っていてもいい点だ。椅子の周りには無数のケーブルが張り巡らされており、さながら玉座であった。

 

 座り込んだ途端、肩口へと拘束具がはめ込まれる。外そうと力を入れる前に研究者が声を上げた。

 

「素晴らしいオーラ力だ。これならば、《ゲド》……いや、もっと先のオーラバトラーを動かせるはず」

 

「使えそうか」

 

「騎士団へと編入させてもいいくらいだ。明日にでも謁見させればよかろう」

 

「ちょっと待って! エムロードはゼスティアの聖戦士よ! 掻っ攫うなんて!」

 

 割り込んだティマに研究者は手を払う。

 

「ミ・フェラリオが偉そうに。だが……フェラリオに障れば悪い事が訪れると言われている。今すぐにでも追い出したいが、そのフェラリオ、回収した白いオーラバトラーの能力を底上げしていた可能性が高い」

 

「あれは?」

 

「ドーメル指揮官殿が大層気に入っておられる。我々は手を加えるべきだと進言した。あのままでは剥き出しのパーツが多過ぎる。裸で戦争は出来まい」

 

「あたしの《ソニドリ》に文句があるって言うの!」

 

 いきり立ったティマに対して衛兵も研究者達も落ち着いていた。

 

「《ソニドリ》、と言うのか。貴様も研究者ならば、ハッキリと言うぞ。あれは欠陥品のオーラバトラーだ。あまりにも武装も装甲も貧弱。あんなもの、騎士団の《ゲド》部隊に大きく劣る」

 

「あんなものですって!」

 

 飛びかかりかけたティマを衛兵が掴んだ。その様子に覚えず翡翠は腰を浮かそうとする。

 

「何をする!」

 

 瞬間、拘束具がはち切れた。椅子に繋がっていたケーブルが音を立てて断線する。研究者達が恐れ戦いた。

 

「なんというオーラ力……、怒りだけでこれほどまでに跳ね上がるのか……」

 

「ティマを離せ!」

 

 声高に叫ぶと、椅子から火花が散った。よくは分からないが、今の自分ならばこの連中を相手取るくらいはわけがない事は理解出来る。

 

 衛兵がうろたえ、ティマを手離した。

 

「あたしの《ソニドリ》を馬鹿にしたら許さないんだからっ!」

 

「驚いたな……。地上人とは言ってもあの吟遊詩人とは天と地ほどの差だ。無礼を謝ろう。力あるものには従うのが、我が国の掟だ」

 

 先ほどまでの対応から一転して、衛兵達が傅く。思わぬ形勢逆転に翡翠は言葉をなくしていた。

 

「エムロード! こいつらやっちゃおうよ!」

 

「待って! ……《ソニドリ》はどこに?」

 

「騎士団に差し出されている。彼らへの干渉は我々には出来ない?」

 

「騎士団?」

 

「《ゲド》を乗りこなす地上人達が組織したオーラバトラーの軍隊だ。それまで、我が方には専守防衛の理念はあっても、攻撃的な者達は少なかった。だが騎士団が組織されてから、全てが変わったと言ってもいい。力ある者が徴用され、弱者は従うのが定めとされている」

 

 それがたとえ敵でも、か。思わぬ思想に翡翠は困惑する。

 

「従わせるつもりはない。ただ、《ソニドリ》を返して欲しい」

 

 ティマと目線を交わす。彼女も同じ気持ちのはずだ。

 

「騎士団に謁見出来るのは一握りの者達だけだ。それ以外では彼らの集まる騎士の間へと忍び込む事さえも出来ない。強力なオーラ力を持つ地上人が、監視の目を走らせている」

 

「……あたしも、ちょっと辺りを見渡してきたけれどそれらしいものはなかった。地下かもしれない」

 

 翡翠は衛兵の剣を奪い取る。思ったよりもずっと軽い真剣に、拍子抜けしたほどだ。

 

「竹刀よりも軽い……」

 

「殺さないでくれ」

 

 懇願する衛兵に翡翠は目もくれなかった。剣を手に研究者達へと突きつける。

 

「報告したら、ただじゃおかない」

 

 ティマが舌を出し、走り出した自分に続く。

 

「地下にあるって言ったよね?」

 

「その可能性が高いわ。ざっと見渡したけれど、ジェム領国はこの城と、城下町に大別されるみたい。騎士団って言うのがマユツバじゃないんなら、きっと城の」

 

「奥底、……か」

 

 不意に進路を遮ったのは敵兵であった。クロスボウが番えられ、翡翠は覚えず立ち止まる。

 

 睨み合いの中、敵兵が口にしていた。

 

「撃つぞ……撃つ」

 

 奇妙だと感じたのは敵兵の声音が震えている事だ。まるで戦いに慣れていないみたいに。

 

 翡翠は足元に転がっていた石を蹴り上げた。それだけで大の大人が竦み上がり、クロスボウの矢が明後日の方向を射抜く。

 

 隙を逃さず接近し、弓を叩き割った。

 

 兵士達は潮が引いたように逃げ去っていく。

 

「……おかしい。どうしてこんなに簡単なんだ?」

 

「地上人のオーラ力を危惧しているにしても、ちょっと異常過ぎるほどね。まるで行き遭えば死とでも教えられているみたいに」

 

 翡翠は城内が異様に静かなのも不自然に感じていた。確かに脅しをかけたが、その程度で臆するのならば、どうして進軍してくる?

 

 まるで意味を成さないピース同士が噛み合いを拒絶しているかのようであった。

 

「ティマ。地下室がありそうな場所、分かる?」

 

「《ソニドリ》をどうにかしたいのなら、兵士達が集っているほうへと行けばいいと思う」

 

「……どっちにしろ戦いは避けられない、か」

 

 呟いて翡翠は剣を片手に駆け抜けた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話 純潔姫騎士

「オーライ、オーライ。よし、そのまま装着しろ」

 

 軽装の《ゲド》へと新たなオーラ・コンバーターが背面を保護する。出力値を調整するのにオーラ・コンバーターは必須だ。

 

 ギーマは組み上げられていく新型オーラバトラーに、ふむと首肯していた。

 

「《ゲド》を内部骨格に据えて全く新しいオーラバトラーの製造。《ソニドリ》のデータもある。軽く、機動力に振っているのは何も間違いではない。……だが、いささか軽過ぎる、と感じるのは、君が敗北を味わったせいか?」

 

 問いかけた先にいたミシェルが壁を殴りつける。

 

「……余計な勘繰りはよしなさい」

 

「だが、まさか負けるとは思いもしなかった。君も彼女も同じ地上人とは言え、場数が違ったはずだ。あの戦い……ほとんど一方的であった」

 

 思い出しただけでもぞっとする。アンバーの操る《ブッポウソウ》がミシェルの《ドラムロ》へと果敢に攻め立て、《ドラムロ》の放った火線をほとんど至近距離で避けてみせる高追従性。

 

 まさしくあれは聖戦士だ、と再認識したほどだ。

 

 戦場の余波も、ましてや経験もないはずの素人がやってのけたにしては出来過ぎている。

 

「……わざと負けたのか?」

 

 だからか、そのような物言いも出てしまった。しかしミシェルは鋭く睨み返す。

 

「まさか。手加減なんて微塵にもしていないわ」

 

「ではあれが……恐ろしい事に召喚した地上人の性能そのものだというわけか。凄まじいな」

 

「アンバーは元々、エムロードや私よりも適性があったのかもね。まさかただの剣の圧力で《ドラムロ》が一発で戦闘不能になるなんて……。あれは相当よ」

 

「自身の力を知らぬ者が、最も恐ろしい、か。あれほど臆病に振る舞っておきながら、戦いでは羅刹の如く……。ともすれば我が方にも毒となるやもしれん」

 

「でも、まずは《ソニドリ》とエムロードの奪還。これは絶対命令よ」

 

「存じているとも。《ソニドリ》は敵にむざむざと明け渡すには惜しいオーラバトラーだ。せめてもう少し、我が方での戦力にはなってもらおう」

 

《ソニドリ》はようやく生産に着手出来た新型のオーラバトラー。何も知らないまま闇に葬られるべきではない。

 

「……にしたところで、相手も焦っている。気づいていた? 《ゲド》なんていう取り回しの悪い機体を使ってくるって事は」

 

「ああ。予見していた通り、というべきか。相手も地上人を召喚したな。それも、一人や二人ではない。《ゲド》に乗せても惜しくはないほどの戦力……」

 

「あの編隊の動きはよかった。つまり訓練もされているという事」

 

「末恐ろしいね。まさか、敵のちまちました抗戦がここに来て徹底的になるなど」

 

「……やっぱり、まずかったんじゃない?」

 

 窺う声音にギーマは頭を振った。

 

「我が方に優位に転がっているのには間違いないのだ。フェラリオの王冠があれば、あの国はいつまで経っても王位継承者の現れぬまま、時を漫然と過ごすのみ」

 

「誤魔化すのにも限度はあるのよ。ジュラルミンも、それにアンバーにも」

 

 秘密を共有した間柄だ。同じ暗闇を湛えた瞳に、ギーマは言いやっていた。

 

「ジェム領国は我が国に攻撃してくる野蛮な戦闘民族の集り。そういう風に印象付けは出来ている」

 

「実際のジェムのコモンを見れば、嫌でも分かるわ。……エムロードがもし、真実を知ったとすれば?」

 

「その時には惜しいが、死んでもらうしかないだろう。なに、侵略国家には違いない。《ソニドリ》とエムロードの確保。それさえ成せればいい。加えてこちらにはアンバーと……あの機体の名前はどうする? 《ゲド》のままでは不都合だが」

 

「名前ならもう付けたわ。――《ガルバイン》。それが、あのオーラバトラーの名前」

 

 皮肉な命名にギーマは苦笑する。

 

「《ガルバイン》、か。アの国で製造された、大戦を引き起こしたきっかけの機体にあやかったな」

 

「験を担ぐくらいはやっても罰は当たらないはずよ。まぁこれはジャップの文化だけれど」

 

「いずれにしたところで、《ソニドリ》とエムロードには戦ってもらう。戦い抜いてもらうのが、我が方の……」

 

 そこから先をギーマは製造されていく《ガルバイン》へと目線をくれて押し黙る。黄色と紫の装甲を持つ新型は、静かにその瞳を倒すべき敵に向けているようであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グランは領主へと謁見の手続きを取っている途中に舞い込んだ報告に、目を見開いていた。

 

 丸太のような腕が伝令した兵士の首根っこを掴み上げ、その膂力が締め上げた。

 

「何を言った? 貴様ら、何をしていたのだ! 逃がしただと?」

 

「も、申しわけありま……」

 

 その言葉が終わる前にグランは兵士を投げ飛ばす。城壁に背筋を叩きつけた兵士が昏倒した。

 

「儂の《マイタケ》で出る! 準備をせい!」

 

 赤い騎士の証であるマントをはためかせ、グランが命じる。だが、寄り集まった兵士達はそれを制していた。

 

「お止めください! 《マイタケ》が動けば民草は不安に駆られます! あれは目立ち過ぎてしまって……」

 

「ではどうしろと言うのだ! 地上人なのであろう? 並大抵のオーラ力では太刀打ち出来んはず! 誰が出ろと言うのだ!」

 

 それは、と全員が尻すぼみになる中、凛とした声が響き渡った。

 

「どうなさいました? グラン中佐」

 

 回廊から顔を出したのは帽子を被った騎士であった。口元だけが覗いている。

 

「地上人が逃げた! 儂が追う!」

 

「お待ちください。地上人相手ではさしもの《マイタケ》でも、無傷では済みますまい。騎士団が出ましょう」

 

 その提言にグランは異を唱えた。

 

「《ゲド》の部隊など!」

 

 当てになるものか、という声音に相手は怜悧な眼差しで返す。

 

「地上人の相手は同じく地上人で。それが流儀というものでは?」

 

 そこまで言われてしまえば立つ瀬もない。グランは問いかけていた。

 

「……倒せるのだろうな?」

 

「我が騎士団、舐められては困ります」

 

 名を呼んだ騎士の一人が前に歩み出た。地上人特有のにおいに、グランは顔をしかめる。

 

「《ゲド》で出ます。ザフィール様は」

 

「ともすれば、かもしれない。《キヌバネ》の用意をしておく。数名はこちらへ。他の者は脱走した地上人を追え」

 

 踵を揃え、返礼した地上人の騎士達が脇を抜けていく。歩みを止めた相手が、ふと口にしていた。

 

「なに、グラン中佐ほどの武人をわざわざ出すほどではありませんよ。騎士団の名を上げるために、ここはお任せください」

 

 囁かれたその言葉に、グランは拳を骨が浮くほどに握り締めた。

 

 相手が去ってから、壁を殴りつける。軋んだ壁が怒りのオーラで陥没する。

 

「……地上人風情が。領主が弱気になっているところにつけ込んで」

 

「……如何なさいますか? さすがに騎士団任せなのも」

 

「言うまでもない。《マイタケ》では目立つ。道理は分かるとも。だが、《ドラムロ》ならば邪険にも出来まい」

 

「御意に」

 

 兵士達が駆けていく。グランはそのまま自室へと戻ろうとして、階段で立ち竦んでいる影を発見した。

 

「……姫」

 

「グラン……、何があったの?」

 

 緑色の長髪に、栗色の瞳。着込んだ服飾からは麗しい身分である事の証明のように燐光が棚引いている。

 

 グランは平伏していた。

 

「シルヴァー姫。どうか、ご自愛を。貴女はあまりにも多くの地上人を呼んだ反動で、呼吸さえも……」

 

 そう言っている間にもシルヴァーはよろめいた。グランが慌ててその身体を受け止める。

 

 華奢な手足に、上下する胸元がここで息をする事さえも難しい事実を告げていた。

 

「お部屋にお戻りを。姫の御身体に差し障りがあれば、このグラン、一命をもって」

 

「グラン……ありがとう。でもそこまで思い詰めないで。……地上人の方々がいたのね。どうりで、オーラの濃度が高いはず……」

 

 シルヴァーが激しく咳き込む。押さえた口元からは血が滴っていた。

 

「どうかご自愛を。今は成すべき時ではないのです。姫がいずれ戴冠なさる時を、民草は心待ちにしております。それまではお休みください」

 

「でも、グラン……。父上は、まだ……」

 

「領主様は我ら軍属には計り知れぬ事をお考えです。無論、姫様のお身体を考えていらっしゃらないはずがありません」

 

「そう……なのかしら。でも、こんなにオーラの強い地上人がいたら、……中てられてしまうわ」

 

 弱々しく口にするシルヴァーにグランは付き従った。

 

「お部屋までお供します。今は、お休みください」

 

 抱え上げたグランにシルヴァーは慈愛の微笑みを向ける。

 

「あなただけは……変わらないのね。この国で唯一の、誇りある聖戦士……」

 

「今はその称号は地上人の者達にあります。コモンである自分に、あまり期待はなさらぬよう」

 

「そう言って……あなたはいつもわたくしを驚かせてくれたわ。……今度も同じ、なのよね……?」

 

 服飾を握り締めたシルヴァーの手を握り返したい気持ちはあったが、彼女は一領主の後継者。自分のような薄汚れた軍人とは住む世界が違う。

 

「どうか、お休みを。次の夢が、よい夢でありますように」

 

 そう願う事でしか、この隔絶は埋められそうになかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話 歪曲怒号敵陣

 兵士達は剣を振るえば三々五々に散る。

 

 当たる距離であっても当たらぬ距離であっても関係がなかった。むしろ、一発でももらえばそれこそ致命的とでも言うように、逃げに徹する兵士達は奇妙に映ったほどだ。

 

「兵士の数が増えてきた!」

 

 翡翠の声にティマが続く。

 

「《ソニドリ》が近いんだ!」

 

「地下室って言ったよね? まだここに来て日が浅いからよく分からないんだけれど、例えばどういう場所に地下室を設けるの?」

 

 その問いにティマは考え込んだ。

 

「うぅーん、あたしみたいなミ・フェラリオなら、オーラの高い場所かな。自然とオーラバトラーの格納庫は、滞留したオーラを放出するための通気孔があるはずなの。だから、オーラの流れさえ追えれば……」

 

 オーラの流れ。その言葉に、翡翠は立ち止まった。

 

 今まで闇雲に場内を掻き乱してきたが、オーラとやらの流れが分かるのならば、それを利用すればいい。

 

《ソニドリ》に乗った時の感覚を思い返す。あの時、自分と《ソニドリ》が一体化した時の強い共鳴を。

 

 瞼を閉じる。視野は邪魔だ。余計なものまで入ってくる。

 

 ただ感じる。オーラの滞留、その澱みを。

 

 不意に額で弾けたものを感じて翡翠は目を開けた。直後の視界には、城内に漂う虹色の光で満たされている。

 

「エムロード?」

 

「――これだ」

 

 虹の輝きが一点に集中している箇所を発見する。駆け出した自分に慌ててティマが付き従った。

 

「何だって言うの?」

 

「オーラが見えた!」

 

「見えた? 馬鹿な事を言わないでよ。ミ・フェラリオにだって、オーラの明確な流れなんて見えないのに」

 

「でも見えた! こっちの方角! オーラがまるで噴き出すみたいになっている」

 

 オーラの噴出地点へと翡翠は駆け寄っていた。地面からおびただしい虹の風圧が流れ込んできている。

 

 剣を地面に突き刺すと、隠し扉が開かれた。

 

「ウソ、本当にあった……」

 

「言ったでしょうに!」

 

 階段を駆け降りると、研究者達が密室で肩を寄せ合っていた。剣を突きつけ、周囲を見渡す。

 

「地上人か……捕らえたはずでは」

 

「悪いけれど、あんまり滞在する気はない! ここにも、元の場所にだって!」

 

 剣で脅すと、研究者達は命惜しさに退いていく。部屋の最奥にあったのは、白いオーラバトラーであったが、《ソニドリ》と同一ではなかった。

 

「あたしの《ソニドリ》が! 無茶苦茶だよ! こんな大型のコンバーターを付けて! それに癖が悪い! 目元まで隠してある!」

 

 確かにティマの言う通り、剥き出しであった眼球部位には緑色に輝く結晶が備え付けられていた。背部には足元まで伸びる長大な甲殻がある。その下に翅が隠れている形であった。

 

「《ソニドリ》……なんだよね……?」

 

「ここまでなっちゃったらもう別物! って言いたいけれど、乗るしか!」

 

「分かってる!」

 

 胸部の結晶体に触れると三枚に開き、操縦席が覗く。幸いな事に操縦席は弄られていなかった。

 

 鞘に収まった結晶剣を掴むと、《ソニドリ》の内部神経伝達が脳内へと直接、語りかけてくるようであった。

 

 ――間違いない。この機体は《ソニドリ》だ。

 

 確信を新たにした翡翠は《ソニドリ》へと意識を飛ばす。内部で弾けた思惟が骨格を伝導し、《ソニドリ》の白い躯体が軋んだ。

 

「行こう! 《ソニドリ》!」

 

 叫んだ途端、《ソニドリ》が咆哮し、瞬間的に飛翔する。その速度は前回の比ではない。重圧に押し潰されるかに思われたが、内部に襲ってくる過負荷は思いのほか小さかった。

 

《ソニドリ》の腕が腰に備え付けられた武器を掴む。

 

 神経伝達が行われ、翡翠の脳内へと武器の使用方法がダイレクトに与えられた。

 

「オーラショット……、これなら!」

 

 射撃武器が装備され、照準が視界の中に浮かび上がる。迫った天井にティマが悲鳴を上げた。

 

「ぶつかるわ!」

 

「やらせない!」

 

 引き金を引くイメージを脳内で描くと共に、発射された弾丸が天井を打ち砕いた。炎を上げ、焼け落ちた天井を突き破り、《ソニドリ》がさらに高空へと飛翔を遂げる。

 

「……驚くべき事に、すごく素直で扱いやすい……」

 

 その言葉にはティマがいきり立って反発する。

 

「ウっソだぁー! 絶対致命的な欠陥があるんだから!」

 

「でも、《ソニドリ》自身も、今の状態がベストみたいだけれど……」

 

 濁すとティマは腕を組んで鼻を鳴らした。

 

「あたしが整備してないのに最善なんて!」

 

 ごもっともな意見ではあったが、翡翠は《ソニドリ》を城砦から逃れさせようと翅を出させる。

 

 高速振動した翅が空域を離脱するための速度へと達しようとした。

 

「……このまま、帰れるのかなぁ」

 

「どこをどう来たのかは分からないけれど、大体の地理は頭に入ってる。森林を抜ければすぐだよ!」

 

 今はティマに任せるしかない。そう思った直後、肌を粟立たせるプレッシャーの波に翡翠は直感的に機体を止めていた。

 

 慣性で機体が流れたお陰が、地上からの対空砲撃が刺さる直前であった。

 

「……危なかった」

 

 胸を撫で下ろすティマに翡翠は続け様の攻撃を予見する。

 

「次、来るよ!」

 

 城壁から出現したのは茶色のオーラバトラーであった。ティマが叫ぶ。

 

「《ゲド》なんて! 蹴散らしちゃって、エムロード!」

 

「だから、ボクは翡翠だってば!」

 

《ゲド》と呼ばれたオーラバトラーが抜刀する。《ソニドリ》に出来るだけ距離を取らせようとするが、地上展開する《ゲド》の残存部隊が滑空砲に点火し、飛び回る《ソニドリ》を狙おうとする。

 

「狙いがつけられない!」

 

「一旦降りるしか!」

 

 だが、と《ソニドリ》の眼下で既に待ち構えている《ゲド》の数は尋常ではなかった。

 

「ウソ……何これ。三十機以上……、度を越している! こんなに《ゲド》がいたって、パイロットが……」

 

 しかし、どの機体も正常に動いているように映った。言ってしまえば地を埋め尽くさんばかりの甲殻の兵士は全て敵――。

 

「……勝てない勝負だと思う?」

 

「正直。でも、《ソニドリ》なら! あたしの《ソニドリ》とエムロードなら出来るよ!」

 

「……翡翠だって。でも、その意見は同感! 敵と出会い頭に斬りつける!」

 

 オーラショットを腰に直し、《ソニドリ》に剣を構えさせる。肩口に装備された鞘から黒い剣が抜き放たれた。

 

 同時に操縦席で結晶剣を引き抜く。内側から拡散したオーラの輝きが乱反射し、《ソニドリ》の持つ剣に神経を埋め込んでいく。

 

 黒い剣が弾け、内側から虹の皮膜が張った。

 

 雄叫びと共に追撃してきた《ゲド》へと剣閃を見舞う。《ゲド》はまさか剣の余波が飛んでくるとは思っていなかったのか、その一撃を振るった一閃で受け止めるが、余剰衝撃波が《ゲド》の茶色い装甲を焼き切った。

 

 火達磨になった《ゲド》が急速に高度を落としていく。

 

「見たか! これがあたしの《ソニドリ》!」

 

 ティマの声に応じる前に地上の滑空砲が火を噴く。地表ギリギリまで高度を落とし、《ソニドリ》が疾走した。

 

 敵オーラバトラーの刃をかわし、その腕へとカウンターの一撃を浴びせる。断ち切られた腕が舞い、青い血が迸った。

 

 敵の砲手がこちらへと狙いを定める。二機の《ゲド》が砲身を固め、もう一機の《ゲド》が松明を手に点火しようとする。

 

「させるか!」

 

 左手にオーラショットを握り、翡翠は瞬間的に照準を合わせた。発射された弾頭が松明の《ゲド》へと突き刺さり、その胸部を突き破った。力なく倒れた《ゲド》の松明から炎が燃え移り、一瞬にして隊列を混乱のるつぼに落とし込む。

 

「やった! これで《ゲド》部隊は迂闊に攻撃出来ない!」

 

 ティマの歓声に比して、翡翠は肩を荒立たせていた。これほどまでの集中、今までの剣道の試合でも経験した事がない。

 

 加えてこれは竹刀による打ち合いではなく真剣による殺し合い。

 

 集中力の消耗が行き着く先は自然と導き出される。

 

「エムロード? 《ソニドリ》の高度が下がっている。何? どうしたの?」

 

 顔を覗き込んでくるティマへと言葉を返そうとして、刹那、全身に圧し掛かったプレッシャーに、翡翠は剣を掲げていた。

 

 操縦席に虚像の剣が発生し、結晶剣と激しく打ち合う。火花が散り、《ソニドリ》は地面へと衝突していた。

 

 粉塵が舞う中、敵の声が通信網に響く。

 

『騎士団長! 《キヌバネ》で出られるほどでは!』

 

『いや……、一機にここまで押し込まれるとなれば相当だ。《キヌバネ》の一閃、耐えられるはずもない。確実に――殺した』

 

 その冷たい声に翡翠は瞬間的に目を見開いていた。

 

 溢れ出たオーラが逆巻き、《ソニドリ》の白い主翼が逆立つ。

 

 立ち上がったばかりではなく、オーラを噴出させる《ソニドリ》と対峙したのは、黒い騎士であった。

 

 甲殻系統は《ソニドリ》と同じようなものだが、青く輝く結晶を胸元と眼窩に宿している。

 

『……《キヌバネ》の一撃に耐えた? なかなかにやる。地上人のオーラバトラーだな』

 

「ちょっと! エムロード! どうしたの!」

 

 息を獣のように荒立たせ、敵を睨む自分をティマは意識の外で何やら叫んで呼びかけている。

 

 だが、今はそのような声に頓着する間さえも惜しい。

 

 何故ならば――眼前に佇むのは完全なる敵であったからだ。

 

 迷いのない太刀筋が叩き込まれた時点で、一瞬で理解出来る。

 

 相手は、殺すつもりで打ってきた。先の岩石オーラバトラーのような攻撃とも違う、無論、今もどこかうろたえて戦局を見据えている《ゲド》部隊とも、まるで。

 

 相手は、本物の剣士だ。

 

 その予感に翡翠の戦闘神経がささくれ立ち、呼応した《ソニドリ》が主翼を広げ、緑色の眼光を注いでいた。

 

 敵が、漆黒の敵が、こちらを見据え、言い放つ。

 

『ああ、そうか。……怖いんだな、わたくしの、《キヌバネ》が』

 

 言い当てられた羞恥だけではない。これは喰い合いだ。そう断じた神経が《ソニドリ》を奔らせた。

 

 剣を突き出した形で《ソニドリ》が瞬間的に敵へと肉迫する。その速度、今までの比ではないはず。

 

 しかし、右腕の神経と同調した刃はこの時、完全に受け止められていた。

 

 剣ではない。敵の鉤爪のような二本の指で、であった。

 

「白刃取り……!」

 

『未熟』

 

 断じた声の冷たさはそのままに下段より振るい上げられた刃を、《ソニドリ》は後退して回避する。

 

 しかし、その剣筋は一本調子ではない。すぐさま直角に折れ曲がった剣が《ソニドリ》を叩き潰そうとする。

 

 おかしいと感じたのは、その威圧だ。

 

 大きさは《ソニドリ》と変わらないはずなのに、敵機の迫力は明らかに倍か、あるいはそれ以上。

 

 気圧される、という感覚に翡翠は意識の奥底で思い返していた。

 

 この剣の持ち主を。

 

 記憶の中に漂う、剣の故郷。刃の辿る道標の先にいる人間――。

 

 目指し続けた、憧れの断崖を。

 

 振るい上げられた刃に翡翠は覚えず呟いていた。

 

「蒼、先輩……?」

 

 そのようなはずがないのに、どうしてだろう。この時、地上世界で邂逅した、最強の使い手と、眼前の漆黒騎士がだぶったのは。

 

 しかしその一瞬、相手の太刀筋が緩んだ。

 

『……まさか、翡翠、か?』

 

 ハッと気づくのと、ティマの声が劈く現世へと呼び戻されたのは同時。

 

《ソニドリ》は足の爪を立てて機体に制動をかけさせる。刃が振るわれ、それをこちらの剣が受け止めていたのは反射的なものであった。

 

「エムロード! どうしたって言うの!」

 

「……本当に、蒼先輩、なの……?」

 

 通信域に滲んだ疑念に相手の声が応じていた。

 

『まさか、翡翠……。あなたも、オーラ・ロードを潜っていたなんてね』

 

「どうして……、どうしてこんなところに……」

 

『それはこちらの台詞でもあるんだけれど、聞いている暇はない様子』

 

 敵オーラバトラーが薙ぎ払い攻撃を見舞ってくる。《ソニドリ》に受け止めさせたが、あまりの剣圧に武装が吹き飛んだ。

 

 右腕に電撃的に走った激痛に、翡翠は意識を持っていかれそうになる。それでも一線を保ったのは、目の前の敵が自分のよく知る人間だと、確信したからであろうか。

 

「蒼先輩……。行方不明って……だって」

 

『あっちではそうなっているの。でも、もう関係がないよね。だってわたくしは、ここで生きると決めたんだから!』

 

 漆黒の騎士が瞬時に接近する。《ソニドリ》が翅を振動させて風圧を生み出したが、それを児戯とでも断じるかのような一撃の重さに翡翠は呻いた。

 

「どうして……、どうして!」

 

『話し相手を! 探っているわけでもないでしょう!』

 

 横合いからの剣筋を《ソニドリ》が片腕で受け止めるが、斬、と言う無慈悲な響きと共に肘から先を切り落とされる。

 

 痛みはない。だが限りなく無為な喪失感のみがある。

 

「……何があったって……」

 

『だから、お喋りに来たわけじゃ……!』

 

 空間を飛び越えたような踏み込み。これも習い性だ。蒼の十八番である。相手の懐へと一気に飛び込み、そのまま――。

 

「薙ぎ払う奴を!」

 

 オーラショットを盾にして一閃を防ぎ切るが、せっかくの武装が断ち切られてしまった。引火する前に手離したのは正解だろう。

 

 右手を失い、武器まで失った《ソニドリ》に勝ち目はない。

 

『こちらの踏み込みが浅かったか。あるいは、もう慣れた? わたくしの踏み込みを』

 

 剣を突きつける漆黒のオーラバトラーに翡翠は歯噛みしていた。

 

「何で……何があったんですか!」

 

『語って聞かせるほどの話でもない。敵ならば斬るのみ!』

 

 敵が一気に肉迫し、《ソニドリ》の胸部へと打突を見舞おうとする。

 

 その時、火線が不意に咲いた。

 

 敵が後退する。周囲の《ゲド》が色めき立った。

 

『敵襲?』

 

 城下町へと爆雷を投擲したのは、見覚えのあるオーラバトラーであった。

 

「《ブッポウソウ》……。ミシェル?」

 

『さんをつけなさい、エムロード! 加勢に来たわ!』

 

《ブッポウソウ》だけではない。《ドラムロ》と呼ばれていた機体が二機ともう一機、小型のオーラバトラーが随伴している。

 

 一機の《ゲド》が飛び込み、《ドラムロ》の包囲陣を蹴散らした。剣を所持した《ゲド》が《ドラムロ》を翻弄し、重火器がそれぞれ互いを撃ち抜く。

 

『遅い、脆い! 随分と小さいな、新型のオーラバトラー。もらったァっ!』

 

 剣を振るい上げた《ゲド》へと、その小さなオーラバトラーが行った事は少ない。篭手に装備した火器を掃射し、《ゲド》の視界を一瞬だけ眩惑させる。その際に生じた隙を逃さず、《ゲド》の側面へと回り込み、小刀を《ゲド》の腹腔へと叩き込んだ。

 

 そのまま返す刀の勢いを殺さずに振るい上げられた足首より、刃が顕現する。仕込み刀が《ゲド》の首を掻っ切った。

 

 青い血飛沫が舞い、《ゲド》がその場に突っ伏す。

 

 一瞬の出来事に誰もが唖然とする中で、漆黒の機体からの声だけが明瞭に響いた。

 

『小さいが、あのオーラバトラー。強いな』

 

 紫と黄色を基調とした小型オーラバトラーが《ゲド》部隊を睨む。気圧されたように《ゲド》が退いていく中、ミシェルの声が響き渡った。

 

『こちらに合流なさい! 《ソニドリ》を回収するわ!』

 

 しかし、と翡翠は敵部隊の中心にいる漆黒の騎士を見やる。

 

「蒼、先輩なんですよね……」

 

『最早分かり合えぬ』

 

 飛翔した漆黒のオーラバトラーに続き、《ゲド》部隊が撤退に入る。それを好機と見たのか、ミシェルの駆る《ブッポウソウ》が城下町に火を放った。

 

 ごうごうと燃え盛る火の手を潜り抜け、《ソニドリ》を走らせる。だが、翡翠は飛び去っていく漆黒のオーラバトラーを視界の端に入れていた。

 

「……何で、こんな事。……こんなのって……」

 

「エムロード。泣いているの?」

 

「うるさいっ! ボクは翡翠だ!」

 

 言い捨てた言葉を仕舞う間もなく、《ブッポウソウ》が《ソニドリ》の後ろへと潜り込む。

 

『驚いたわね。《ソニドリ》がまるで生まれ変わっている……』

 

「ジェム領の連中、勝手に改造して! あたしの《ソニドリ》なのに!」

 

 訴えかけるティマに比して言葉数が少ないのだと思われたのだろう。ミシェルが問いかける。

 

『……エムロード。どうしたの?』

 

「……何でも、ない」

 

『ミシェル、帰投しなければ余計な被害を出す。今は撤退に専念しろ』

 

 ギーマの言葉にミシェルは舌打ちする。

 

『ジェムの城下町に入るまでビビッていたくせに』

 

『聞こえているぞ! わたしは慎重に行けと言ったんだ! 《ガルバイン》を危険に晒してまで!』

 

《ガルバイン》、と呼ばれた機体はギーマの操る《ブッポウソウ》に追従していた。

 

 女性を思わせる細身のデザインに、紫と黄色が入り混じった独特の色彩をしている。

 

「……あのオーラバトラー……分かんないけれど、メス……だよね?」

 

「オーラバトラー自体に性別はないけれどね。でも、メスっぽいし、それに《ドラムロ》よりもちっちゃいなんて……。どういう技術を使ったわけ?」

 

『《ゲド》を改造したのよ。《ソニドリ》のデータも使ったけれどね』

 

「やっぱりそうか。ミシェル達だけじゃ造れないもんね」

 

『悔しいけれどその通り。優秀なメカニックが要るのよ』

 

 ティマをおだててどうするつもりなのだろう。翡翠は《ガルバイン》と呼ばれた機体を眺めていた。

 

「ちょっと可愛いかも」

 

「でも、あれ……強いよね。オーラとか、プレッシャーとか……」

 

 誰が乗っているのだろう。窺っていたその時、不意に通信を震えさせたのは意外な人物の声であった。

 

『翡翠! よかった、生きていて!』

 

「琥珀……。どうしてあんたまで? ミシェルの機体に乗ってるの?」

 

 その間違いを正すように、並走するミシェルの《ブッポウソウ》が前を指し示した。

 

 まさか、と翡翠が息を呑む。

 

「その……オーラバトラーに?」

 

『すごいんだよ、これ。あたしみたいなのでも動かせちゃう! 分からないもんなんだね、オーラ適性とかいうの!』

 

 声を弾ませた琥珀は先ほどまで血で血を洗う戦闘が行われていたなどまるで度外視したようであった。

 

 何かが少しずつ、歪み始めている。

 

 それが何なのか、まだ明瞭に説明する口を自分は持たなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十話 敗北聖戦士

「逃げた。……いいや、逃がした」

 

 まずは機体状況を部隊で参照する。《ゲド》は二機も墜とされてしまった。

 

 失態だな、と彼女は静かに口にする。

 

『申しわけありません……騎士団長。《ゲド》部隊は来るべき時のために必要なのに……』

 

「いい。今さら悔いたってどうしようもないからね。わたくし達はこれまで通り、ジェム領国を支えるために騎士として活躍すればいい。それに、大義名分も出来た。あの白いオーラバトラー……只者ではない。使い手は相当だ」

 

 だが何よりも驚愕したのは、それが現世での因縁であった事だろうか。

 

 まさか自分達以外にも、オーラ・ロードを通ってきた地上人がいるとは思いも寄らない。

 

「現在、《ゲド》部隊は」

 

『四十七名から、三名減り、四十四名です』

 

 おあつらえ向きな人数だな、と思いつつ彼女は嘆息をついた。

 

「一度帰還する。どうせ、今回の騒動の火消しは王族の役目だ。わたくし達騎士団は静観する」

 

『いいんですか? だって火の手が街に……』

 

 濁した言葉に彼女は言い放った。

 

「間違えない事だ。騎士団は国家を守るもの。民草を守るのは軍人でいい」

 

 了承の声が返り、機体を反転させようとしたところで、不意に城壁から一頭のユニコン・ウーが逃げ出してくる。

 

《ゲド》部隊の合間を縫う形で城下町を駆け抜けていくユニコン・ウーに《ゲド》が追い立てようとするのを制止させる。

 

「待て。追わなくっていい」

 

『しかし、相手に余計な情報を与えるのは……』

 

「今は、そうでもないのかもしれない。ともすれば、相手の軍備に亀裂を走らせるのかも……」

 

『それは、……どういう事で?』

 

「分からなくっていい。《ゲド》部隊はわたくしと共に王族を保護する特務に就け。この混乱で何が起こったのかを究明。敵のオーラバトラーの情報も欲しい。研究者達を招集させる」

 

 身を翻した漆黒の機体――《キヌバネ》が赤いマントを風になびかせる。バイストン・ウェルを慰めるオーラの纏った風に、彼女は息をついた。

 

 世界は美しいのに、結局のところ、争いはどこに行っても同じ事。

 

『ザフィール様。向かいましょう』

 

 この地での名を呼ばれ、彼女は応答していた。

 

「了解した。我が名はザフィール。彼の地での名前は、もう捨てたんだ。翡翠」

 

 思い出と共に。何もかもを捨て去った漆黒の騎士は王城の守りへと入っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そこを! 弄られちゃったんだから! どうしようもないとか言わないで!」

 

 ティマの忙しい声が響く工房で研究者達が図面をつき合わせる。

 

「ジェム領国の技術が強過ぎる。元には戻せませんよ」

 

 憔悴したような声音にティマが甲高く言い返した。

 

「戻すの! そうじゃなくっちゃ……エムロード?」

 

 ずっと《ソニドリ》を眺めているこちらに気づいたのだろう。ティマが近づいてくる。

 

「……あの、さ。ゼスティア……こっち側じゃ、向こうと戦わなくっちゃいけないんだよね?」

 

「そりゃそうでしょ。ジェム領国をどうにかしないと、こっちがジリ貧なんだから。あの《ゲド》部隊を見たでしょ? 三十機以上いる。あの大軍勢で攻められたら……、エムロード?」

 

 覚えず涙が滲んでいた。何があったのか、どうしてこうなったのかを問い質す前に、戦うほうが早いなど。

 

 どこまでも残酷だ。バイストン・ウェルは残酷な土地なのだ。

 

「……《ソニドリ》に乗って戦いたいって言ったら、怒る?」

 

「あたしは大歓迎。エムロードは《ソニドリ》に慣れただろうし、戦ってくれるのなら……」

 

 濁した語尾を、翡翠は言い切っていた。

 

「戦うよ。……ああ、戦う。それしか理由を探る術はないのなら。戦って、勝ち抜いてやる」

 

 握り締めた拳と双眸に、決意の光を携えて。

 

 ――異界の地で、最後の一滴になるまで戦う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 外周警護に出ていたミシェルは妙なユニコン・ウーに行き会ったという報告を受け、森林地帯へと分け入っていた。《ブッポウソウ》の整備もそこそこに向かった先では、ユニコン・ウーに振り落とされ、岩にもたれかかっている男を発見した。

 

「ユニコンにも乗れないなんて」

 

 侮蔑の混じった声に相手は苦笑する。

 

「この足でよく来たもんだと褒めて欲しいね」

 

 相手が足を上げる。義足であった。

 

 思わぬ対応にミシェルは警戒する。

 

「……何者なの?」

 

『ミシェル。その者と通信を繋いで欲しい』

 

「ギーマ? でもこいつ、ジェム領国のほうから。……スパイかも」

 

「その心配は要らないさ。おれはこっちの味方だからな」

 

 読めない笑みを浮かべた相手にミシェルは《ブッポウソウ》の火器を向ける。

 

「名乗りなさい! 誰なの、あなた」

 

 相手は口元のスカーフをずらして、首に刻み込まれた紋章を見せる。

 

 ミシェルは息を呑んだ。それは紛れもない、アの国における特別な身分の証であったからだ。

 

「……嘘でしょう。滅びた国の、聖戦士……」

 

 戦慄く視界の中で、男は静かに名乗っていた。

 

「トカマクだ。トカマク・ロブスキー。あんたらの弁を借りるのならば、聖戦士の……その成れの果て、かな」

 

 イレギュラーな地上人は自嘲気味にそう口にしていた。

 

 

 

第一章 了

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章 煉獄狂信者
第十一話 異端狂戦士


 警笛が宵闇を引き裂いた。

 

 けたたましい少女の悲鳴を思わせる甲高い音に、誰もが非常事態である事を理解する。城壁内部で押し合いへし合いの状態になっていた兵士達は、上官の声に身を強張らせた。

 

「敵襲ー! 敵襲ー!」

 

 投光機の明かりが敵を暗礁に沈んだ場所に見つけ出そうとする。高台まで上ってきた指揮官は、飛び起きた憤りをそのままに、声を張っていた。

 

「位置は?」

 

「南南西より。こちらの見張りにつかせていた強獣が死んだという報告を受けました」

 

「ガッター三体を飼っていたはずだな?」

 

 双眼鏡を覗き込み、強獣がいるはずの入り江へと視線を向ける。瞬間、絶句した。

 

 血濡れの洞穴でガッターが無残にも喉元を引き裂かれ、そのまま産卵期に入ろうとしていたメスの腹腔が引き出されていた。

 

 ――これは強獣同士の共食いでは決してあり得ない死に方だ。

 

「……敵影は」

 

「まだ見えません。ですが確実に接近しているものかと……、羽音が!」

 

 仰ぎ見た空から一機のオーラマシンが舞い降りてくる。灰色の装甲を持つその機体に、指揮官は声を張っていた。

 

「オーラバトラーか!」

 

「監視塔を狙われいます!」

 

 その言葉通り、指揮官達が集っていた監視塔へと、灰色のオーラバトラーが刃を放った。

 

 崩れ落ちるレンガ造りの城壁に巻き込まれ、指揮官が崩落に巻き込まれていく。

 

 その時には、赤い眼窩の敵は既に城門を抜け、中庭へと入っていた。羽音はほとんどしない、無音の走法である。

 

 音もなく敷地内に分け入ったオーラバトラーに、戦士達は亡霊の姿を幻視した。

 

「識別不能のオーラバトラーなんぞ!」

 

《ドラムロ》が火線を張る。如何に弱小領国とは言え、《ドラムロ》の配備数では指折り数えるほど。一斉掃射に、しかし敵オーラバトラーは臆する事もなかった。

 

 瞬間的に胸部が展開し、灼熱のオーラが放出される。その時には、銃弾はまるで意味を成さなかった。火薬も掻き消されたかのように燃え尽きた。

 

「……何をされた?」

 

 誰もまともに応える口を持たない。その代わりのように敵が踏み込む。ほとんど気配も感じさせないその佇まいとは裏腹な咆哮が灰色のオーラバトラーの口腔から迸った。

 

 けだものの声。

 

 恐慌に駆られた戦士が刃を打ち下ろす。その一撃を相手は手で受け止め、腰に備え付けた鞘より、剣を引き抜いていた。

 

 奔った剣閃はなんと三つ。

 

 刹那の間合いで放たれた殺戮の太刀筋に《ドラムロ》が両断される。敵オーラバトラーが《ドラムロ》の骸を踏み越えて、城内へと侵攻しようとした。

 

「火矢を放て! 近づくんじゃない!」

 

 指揮の声が響き渡り、不明オーラバトラーへと四方八方から矢が襲いかかる。しかし、敵はうろたえなかった。

 

 オーラ・コンバーターを開き、内側から翅を引き出させると、瞬間的に飛翔して見せたのである。

 

 空を穿った形の火矢が城内を瞬く間に火炎で埋め尽くした。たっぷりと燃料を塗っておいたのが災いした結果である。

 

 火の粉舞い散る戦場を、灰色の躯体が《ドラムロ》を蹴りつけ、高空へと至る。しかし、それを追えないほどの根性なしはいなかった。

 

「どれほどまでに! 高機動であろうとも!」

 

 一機の《ドラムロ》が灰色の敵へと火線を浴びせかける。敵は片手を払って無効化するも、至近距離まで接近した《ドラムロ》の刃までは避けられないはずであった。

 

「コンバータを潰す!」

 

 振るい上げられた曲刀を敵は薙ぎ払った刃の一閃で応じる。威力が段違いであった。

 

 受け止めたはずの太刀筋が幾重にも折り重なり、赤銅色のオーラの奔流となって《ドラムロ》を叩き割る。

 

 四散した《ドラムロ》に兵士達が色めき立った。

 

「指折りの実力者だぞ……」

 

 エースを失った形の兵隊は撤退するしか道はないかに思われたが、彼らには潔い死さえも許されていなかった。

 

 降り立った敵オーラバトラーが《ドラムロ》の頭部を掴み、そのまま延髄を引き抜いた。胸部操縦席を蹴りつけ、パイロットまで殺し尽くす。

 

 あまりの残虐さに言葉をなくしていた兵士達は、それぞれ果敢に声を上げて立ち向かった。それは特攻の構えであったのかもしれない。

 

 死の瀬戸際にある神経が昂揚感を生み出し、咲いた火線が灰色のオーラバトラーへと突き刺さりかけるが、敵は赤銅のオーラを棚引かせつつ、《ドラムロ》部隊を翻弄する。

 

 一機、また一機と潰されていく《ドラムロ》に、兵士の悲鳴が入り混じった。

 

 どれだけ重武装で固めてもまるで意味を成さないとでも言うように、敵オーラバトラーが鉤爪で胸部に収まるパイロットを引き抜き、その頭蓋を割った。

 

 赤銅に染まった剣が悪徳の光を宿し、《ドラムロ》を一刀両断する。

 

 やがて炎は城全体を押し包んだ。煙る城内で逃げ惑う領主の血縁者を、見つけては灰色のオーラバトラーがその命を摘んでいく。

 

 刃が血を吸い、炎が骸を焼き払った。

 

 最後に残ったのはまだ歳若い姫である。生きるために逃げおおせようとする城主を赤い眼球が捉えた。

 

 ひぃ、と短く悲鳴を上げた姫は終わりを予感したであろう。

 

 その時、灼熱を引き裂いて一機の甲殻騎士が剣を払った。灰色のオーラバトラーがたたらを踏む。

 

「姫! お怪我は……」

 

「大丈夫……。ですがこれは……、このオーラマシンは……!」

 

 灰色のオーラバトラーが剣を払い、騎士の威容を持つオーラバトラーと対峙した。

 

「ここで斬るも已む無し! オーラバトラー、《バストール》!」

 

 赤い装甲を宿したオーラバトラーが剣を構える。比して敵の構えは異形そのもの。

 

 まるで剣に重きを置いていないかのような、脱力し切った構えであった。

 

《バストール》に搭乗する騎士は、勝てる、と判断する。その要因は大きく二つ。

 

 一つは、敵はここまで相当にオーラを消費してきたはずだ。搭乗者のオーラ力を使わなければこの火炎地獄、瞬く間に疲弊してしまう事だろう。

 

 オーラバトラーは稼動の際に大小さまざまではあるが、微量でもオーラ力を下地にする。それはオーラマシンそのものを保護するオーラバリアの形成にも一役買うのだが、オーラバトラーが戦場で優位を保つ事の一つに、このオーラバリアの存在が欠かせない。

 

 戦士のオーラを身に纏い、時にはそれを攻撃に、時には防御に転じる事も出来るオーラバトラーは無二の兵器。

 

 騎士ならば、思うままに動かせる手足そのものであろう。ゆえに、オーラバトラー同士では戦士のオーラ力に戦局は左右される。

 

 この時、《バストール》の騎士はほとんどオーラを消耗していなかった。

 

 伝令が遅れ、今の今まで出せなかったのもあるが、それが結果的に功を奏したであろう。

 

 灰色のオーラバトラーはここに来るまで無数の血を吸い、《ドラムロ》を蹴散らしてきたはず。

 

 ならば多少なりとも、オーラの損耗はあって然るべきなのだ。

 

「……卑怯とは言うまいな。ここまで暴虐と殺戮の限りを尽くした貴様に、謗られるいわれはない!」

 

《バストール》が踏み込んだ。剣を正眼の構えより打ち下ろしての一閃。腕で受ければ確実に装甲に亀裂が走る。かといって剣で受ければ二の太刀は防げまい。

 

 絶対の優位に立っていたはずの《バストール》は、しかしこの時、ほとんど力を入れていなかったはずの敵の刃を受けていた。

 

 だらりと腕を下げた状態から、ちょっと跳ねさせただけの一撃だ。鍔迫り合いですらない。

 

 だというのに、《バストール》は押し負けていた。渾身の構えで放ったはずの一撃が、虚しく弾き返される。

 

 まさか、と目を瞠った《バストール》の騎士は敵の踏み込みに対応出来なかった。

 

《バストール》の頭部を相手が掴み、そのまま持ち上げる。

 

「なんという膂力……! 化け物が!」

 

 改良が加えられたはずの《バストール》が容易く押し負けるなどあってはならない。自分は殿。この領主を守り通す義務がある。

 

《バストール》が腰に備えた連装式オーラショットを腹腔へと連射した。どれほどまでに堅牢なオーラバトラーでも胸部は弱点のはず。

 

 取ったと確信した、その時、彼は操縦席にいつの間にか舞い込んでいた一匹の蝶を発見した。

 

 この世の果てを俯瞰し、深淵に繋がっているような漆黒の翅。赤と青のまだら模様に、黄色が入り混じり、その蝶が意味するところを彼に伝えた。

 

「地獄蝶……! 俺に、地獄蝶が見えているというのか!」

 

 敵の胸部に打ち据えたはずの弾丸が無意味に終わった事を、砕け散る《バストール》の頭蓋が示していた。操縦席のコンソールが破損し、砂嵐を生じさせる。

 

「嘘だろう……《バストール》の頭を砕いた……」

 

 頭部を失ったオーラバトラーは急速に力を失っていく。人と同じく急所を潰されて生きているはずなどない。ましてや、オーラバトラーは騎士の持つオーラ力を変換して動く代物である。

 

 変換機が壊れてしまえば、それはただのデク人形であった。

 

 よろめいた《バストール》へと灰色のオーラバトラーが接近し、鉤爪による貫手が操縦席へと放たれた。

 

 胸部の結晶体を貫いた一撃は騎士の心臓を貫通する。

 

 かっ血した騎士は目の前を舞い遊ぶ地獄蝶を忌々しげに見つめていた。

 

「狂戦士……」

 

 最後の呟きを聞きとめられる事もなく、《バストール》ごと、騎士は地に倒れ伏す。紅蓮の炎に焼かれた城内で姫が何やら悲鳴と罵声を浴びせたが、それは灰色のオーラバトラーには何も関係のない事柄であった。

 

 剣が肉体を断絶する。

 

 炎に包まれた城内で灰色のオーラバトラーは頭上を振り仰いだ。

 

 城壁へと真っ逆さまに投擲された赤く煮え滾った投石がその眼球に反射していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……命中確認」

 

 投石器は正確無比に城壁の中にいるはずのオーラバトラーへと一撃を与えたはずだ。

 

 その確信に猛々しい者達を指揮する男は鼻をすすっていた。野性に満ち溢れた瞳が倒すべき敵を見据えている。

 

「殺せたのならば、それでよし。あの領主には悪い事をした。だが、そもそも我々の外交を拒んだのがいけないのだ。ゆえに、狂戦士を送り込んだ。生き延びている者はいまい」

 

「しかし、放ったはずの矢がこちらに向かってくる可能性も……」

 

 濁した部下に焼け落ちた城内から一体の甲殻兵が姿を現した。捕捉するまでもなく分かる。

 

「狂戦士だ……! こちらを探しているぞ! ユニコンを放て! 少しは時間が稼げる」

 

 捕らえておいたユニコンを鞭で叩き、一目散に別方向へと駆け抜けさせる。

 

 狂戦士のオーラバトラーはそれを追って飛翔した。あれにとっては動く標的のほうが優先度は高いはずだ。

 

「標的……射程外に……」

 

 その段になってようやく、全員が息をついた。緊張状態に晒された神経を休めさせ、勇士達が声にする。

 

「あれを追って、もう何年経ったでしょう。五年でしょうか」

 

「いや、もっとのような気がする。あれに国を追われ、何もかもを失った者達がここまで集まったんだ。五年程度ではないだろう」

 

 彼自身も途中からこの戦線に参加した。歴戦の猛者とはまだ言えないが、前線に立っている純粋な時間では長いはずだ。

 

 無音でバイストン・ウェルの空を舞う、狂戦士の姿が視界に入り、彼は忌々しげに口にしていた。

 

「アの国の忘れ形見が……。滅びても怨念は彷徨うのか」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十二話 戦火傷痕渦中

 やぁ、と声を弾けさせて結晶剣を振るう。相手はそれを受けて返す刀を叩き込もうとしてきた。予め読んでおいた軌道に入った剣筋を足を擦らせて回避し、横合いから斬りつける。

 

 心得ている相手はそれを受け、さらに一閃、返答のように攻撃する。息を詰めて連撃を受け、結晶剣を相手の喉笛へと突きつけた。

 

 相手が剣を手離す。

 

「……参った」

 

 その声に肩を荒立たせていた呼吸を変位させた。戦闘の呼気を変え、休息に転じさせる。

 

「よくやるものだ。剣の心得が?」

 

「少し、だけれど」

 

「この調子ならば剣士としても名高いであろう。エムロード」

 

 この地の名前で呼ばれ、彼女は少し目を伏せた。

 

「そっちもね。ギーマ。軍師を名乗るのは伊達じゃないんだ?」

 

「ゼスティアの守りを司るのに、地上人だけに頼ってはおけない。わたしは元から剣の訓練を受けていたが、君ほどではない」

 

 賞賛の声にも今は素直に喜ぶ気にもなれない。エムロードは結晶剣を地面に突き刺し、汗を拭った。

 

 その時、割って入るように小さな影が舞い遊ぶ。

 

「ティマ、遊びじゃないんだぞ」

 

「分かってるって。エムロードは《ソニドリ》の専属だもん。あたしが調子を見ないで誰が調子を見るって言うの?」

 

 その言い草にギーマは鼻を鳴らした。

 

「ミ・フェラリオの整備士が、粋がる」

 

「その整備士がいないと《ドラムロ》だってまともじゃない。そういうものでしょうに」

 

 舌鋒鋭く返した相手にエムロードは語りかけていた。

 

「ティマ。《ソニドリ》の様子は?」

 

「順調。でも、ジェム領国の改造が思いのほか重要な部位にまで侵食していてね。完全に元に戻すのは無理って言う判断」

 

 肩を竦めたティマにギーマが苦々しげに呟く。

 

「悔しいかな、相手のほうが技術では上を行っている。こちらは手数で上回るしかない」

 

「《ドラムロ》と《ブッポウソウ》で?」

 

「《ガルバイン》もある」

 

「アンバーは前回、エムロードを助けるから出たって言う一点張りで……」

 

 それにはエムロードも僅かに気にかかっていた。アンバー――琥珀は自分を助けるために、危険に身を晒してまでオーラバトラーに乗った。その覚悟は並大抵ではないはずだったが、帰ってくるなりずっと部屋に篭りっ放しだ。

 

 自分は、と言えば、《ソニドリ》の専属騎士としての資格を得るためにこうして連日、ギーマとの打ち合いを行っている最中。

 

 親友に何も気の利いた事を言えないのは致命的に思えた。

 

 そうでなくとも心細いに違いない。

 

 エムロードは断崖と密林が覆う周囲の地形を見渡す。青みがかかった地面に、風になびく草木。

 

 ところどころ蔦や異形の植物が侵食する、異界としか言いようのない大地。

 

 バイストン・ウェル。それがこの場所の名前であった。

 

 自分達は現在からどういうわけだかこの場所に「呼ばれた」らしい。らしいというのは、まだその呼んだ本人とまともに会った事がないからであった。

 

 ミシェルからの伝聞と、召喚時に一瞬だけ目にした程度である。

 

 碧眼に哀しみを浮かべたあの女性は、今、どうしているのだろうか。

 

 親友をどうにかして立ち直らせなければいけないのに、堂々巡りの考えはいつも、あの女性の姿へと集約される。

 

 ――何故、呼んだのか? 何故、自分達であったのか。

 

 その答えは未だに得ていない。

 

「そろそろ、似合ってきたんじゃない? その服装」

 

 ティマの感想に、そうかな、とエムロードは纏った服飾を摘む。

 

 さすがに制服姿のままでは動きにくく、なおかつこの大地には見合っていない。そう判断されて見繕ってもらった服装は、現在では決して袖を通す事はなかったであろう、女性的な服飾であった。

 

 薄着に胸元から腰にかけての鎧が一体化しており、腰にはコルセットが巻かれている。スカートを進言したのは自分の中で動きやすいものを選択した結果であったのだが、この世界にはスカートの文化は色づいておらず、代替品として制服のスカートを中途半端に着こなすという折衷案を取った。

 

 バイストン・ウェルの騎士装束と、現在衣服の融合には、城内を歩き回るたびに好機の眼差しが注がれたほどである。

 

「妙な格好をする。ミシェルだってそんな格好はしなかった」

 

「オシャレなんでしょう? あたしにはエムロードの服装、素敵に見えるわよ」

 

「ありがとう、ティマ」

 

 肩に留まったティマは帽子を突く。騎士の証たる帽子にはリボンの装飾がある。

 

 髪を結んでいたリボンをそのまま帽子にあしらえたのだ。その立ち振る舞いから、領内では自分の事を「リボンの聖戦士」とあだ名していると伝え聞いていた。

 

「よく分からんな。女の衣装など」

 

「そんなだから、愛想を尽かされるのよ」

 

「放っておけ。ミ・フェラリオ風情が。わたしは《ブッポウソウ》の整備に戻る。エムロードは鍛錬を続けておけ。いつ敵が来てもおかしくはないのだからな」

 

 傲岸不遜な口調にティマが舌を出す。

 

 どうやら水と油なのは相変わらずらしい。

 

「でも……ジェム領国が本当に攻めてくるのかな……。一応は襲撃した、という形にはなるし」

 

「あれは奇襲だから、ジェム領だってそんなに簡単には来ないでしょ。それに、《ソニドリ》の性能を見せ付けられた!」

 

 ティマからしてみればそれが大きいのだろう。今までお荷物だと思われていた手製のオーラバトラーが戦場で活躍したのだ。誉れ高いに違いない。

 

「ジェム領国の人達……、ティマはどう思う?」

 

 突き刺した結晶剣の傍でエムロードは座り込んだ。ティマが舞い遊びながら考えを口にする。

 

「思ったよりも……拍子抜けだったかな。だって。あまりに弱かったって言うか……、あれで毎回、何で攻めてくるんだろうとは思った……」

 

 同じ感想であった。ゼスティアよりもジェムのほうがコモンの人々のオーラも力も、まるで弱々しく映ったのだ。

 

 だというのに、ギーマはスタンスを曲げない。

 

 あくまでも「ジェム領国の占領作戦に対する専守防衛」という大義名分で今も武力を整えようとしている。

 

 それには純粋に疑念が突き立った。

 

「本当に……相手は戦争を仕掛けてきたいのかな……」

 

「それは間違いないって。何度強襲をかけられたと思ってるの? それに、あの岩みたいなオーラバトラーだって、戦争を考えてなくっちゃ造れないでしょ」

 

 辛酸を舐めさせられたオーラバトラーの姿が脳裏に描かれると同時に、エムロードはあの国で出会った漆黒の騎士のオーラバトラーも思い返していた。

 

 聞き間違いようのない声。相手もこちらを「翡翠」という名で呼んだ。

 

「……あの黒いオーラバトラーは、何だったんだろう……」

 

「強かったよね。悔しいけれど今の《ソニドリ》じゃ勝てない」

 

 ティマが認めるほどなのだ。相当な戦力差があったに違いない。それでも、エムロードは相手が何もかも考えなしだとは思えなかった。

 

 何かが仕組まれている。そう捉えるのが自然な流れだろう。

 

 自分達が呼ばれたのも、あちら側に蒼がいたのも、ともすれば全て必然だとすれば――。

 

「……だとすれば、何だって言うんだよ」

 

 今はまるで答えに至れない。そんな様子をティマは心配する。

 

「《ソニドリ》の性能はパイロットであるエムロードのオーラ力で決まるんだから。あまり気を落とさないほうがいいよ」

 

「考えたって仕方ない、か。素振り百回、やるよ」

 

 結晶剣を引き抜き、エムロードは剣を振るった。

 

 今は、一つでも考えないようにするために。逃避のための剣はやはりというべきか、鈍っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分の役目は戦う事であって、誰かの悩みを聞く事ではない。

 

 そう断じていても、やはりというべきか、割り切れないのは同じ地上人として、どこか情が移っているのかもしれない。

 

 ミシェルはそう分析しつつ、アンバーの篭っている部屋の扉を叩いた。

 

 手にはトレイに乗せられた昼食がある。

 

「ランチ、置いておくわね。……ねぇ、いつになったら戻ってくれるの?」

 

 単刀直入な物言いになってしまったが、それでも納得はしかねる。自分を上回るオーラを持っておきながら、それを使い潰すなど考えられなかった。ミシェルは扉にもたれかかり、もう一度ノックする。

 

「あんた達は私より強いんだから、出来れば前に出て欲しいんだけれど」

 

「分かっていても、あたし……怯えているんだ。だって、あのオーラバトラーに乗ると……嫌な感じになる」

 

《ガルバイン》に問題はないはずであったが、後で整備班に確認を取っておくべきだろう。

 

 ミシェルはそのまま引き下がる気はさらさらなかった。

 

「……不貞腐れるのは結構。でも戦力を遊ばせておくほどの余裕もないの。あんたが行かないのなら、エムロードが前線に出る。もっと傷つく事になるわよ」

 

 それを許せるわけがないはずだ。脅しのような物言いになったが、こうでもしないと発破はかけられないだろう。

 

 立ち去り際、ミシェルは声を聞いていた。

 

「……翡翠は、オーラバトラーに乗るって言っているの?」

 

「ええ。彼女からは了承を得た。もう《ソニドリ》に乗るための訓練をこなしている。引きこもっている場合じゃ、ないんじゃないの?」

 

 厳しい言い方かもしれないが事実だ。《ガルバイン》は一騎当千の戦力になり得る。問題なのはそれを動かせる人間に戦意がない事。

 

 どのような汚い手を使ってでも、乗ってもらうしかなかった。

 

「憎まれ役かい?」

 

 不意にかけられた声音にミシェルは眉をひそめる。

 

「立ち聞きとは趣味が悪いわね」

 

「聞こえちまったんだよ」

 

 肩を竦めた相手は、楽器を手にしていた。

 

「吟遊詩人……」

 

「トカマクだって」

 

「トカマク……。あなた本当にアの国の聖戦士だったの? どうして、……いえ、これは」

 

「聞こえる場所じゃまずいんだろ? いいさ、分かってる。歩きながら話そう」

 

 ミシェルはトカマクの右足へと目を向けていた。相手は何ともないようにそれを晒してみせる。

 

「義足の事なら心配はしなくっていい。走る以外なら事欠かない」

 

「それなら……」

 

 肩を並べたトカマクは地上人としては体格がいいほうだろう。自分より背が高いのは当たり前としても、足を失って吟遊詩人に堕ちていたとは思えないほどに鍛え上げられていた。

 

「……アの国では、何を?」

 

「何にも」

 

 応じられた言葉にミシェルは疑問視する。

 

「何にも、って……」

 

「何かする前に撃墜されちまった。残ったのはトッドとかいうヤンキーと、何だったかな……ジャップが一人いたな」

 

「どの国でもジャップがいるのね」

 

「乗った機体が悪かった」

 

「あの《ダンバイン》だったんでしょう?」

 

 話は大筋ではギーマから伝え聞いていたが、まさかアの国出身者がスパイ活動に身を落としているなど想像の範囲外であった。

 

「詳しくは」

 

「よくは知らない。ただ、この世界の人々には共通認識みたいね。《ダンバイン》と言えば、皆が皆、震え上がるほどの」

 

「とんでもない機体だったんだよ。必要なオーラ力があまりに膨大だった。だからか、乗り手を選ぶ機体だったんだ」

 

「振り落とされたわけね」

 

「誤解だな。おれは撃墜されたとは言ったが、振り落とされたとは言ってないぜ?」

 

「同じようなものよ。《ダンバイン》は?」

 

 トカマクは頭を振った。

 

「隣国に亡命するために使った。その後、あの機体がどうなったのかは知らない。大方、部品にでもされたんだろう」

 

「領地争いが勃発し始めた矢先の新型機……それもこのバイストン・ウェルでは初めてのオーラバトラーだった」

 

 伝説のようなものだ。オーラバトラー《ダンバイン》の戦歴は。

 

 あらゆる新型を退け、最後の最後まで戦い抜いたと。

 

 ――そう、本当に最後まで。

 

「《ダンバイン》を呼び戻すだとかは期待しないでくれよ。おれにはもう縁のない機体だ」

 

「じゃあどういう理屈でギーマはあなたを匿っているのかしら? ジェム領国に捕まっていたのに」

 

「情報をもらうためにわざと入り込んでいたんだ。最後のほうは捕まっちまったが、ジェム領のコモンのオーラ力なんてたかが知れている。逃げ出すのは問題なかった」

 

「……それ、アンバーやエムロードには」

 

「言わない方針なんだって? どうしてまた。相手が自分達より弱いってのは不都合なのかねぇ」

 

「領主の考えがあるのよ。あまり迂闊な事は言わないで」

 

「ウラウ・ゼスティア、か。だが息子でさえも分からない領主なんて、もうそいつは……」

 

 そこまで口にした時、ギーマがちょうど階段を上がってきていた。鉢合わせになった二人はどことなくバツが悪そうにする。

 

「……偵察任務、ご苦労だった。報告は」

 

「後で、だろ? 分かってるって。次期領主様」

 

 その皮肉にギーマが睨み上げる。

 

「……その口、要らぬと見える」

 

「よせって。嘘に決まってるだろ。おれはこれだぜ?」

 

 義足を見せ付けれるトカマクにギーマは嘆息をついた。

 

「ミシェル。アンバーは?」

 

「食事には手をつけてくれているみたいだけれど、やっぱり出てこない。……もしもの時には私が《ガルバイン》に乗る」

 

「そのもしもは訪れないだろうさ。それに、《ガルバイン》の必要オーラは君のオーラ力を遥かに上回る。乗ってもどうしようもないだろう」

 

 苦々しい事実にミシェルは拳を握り締めた。戦う覚悟もない人間のほうが自分より力があるなど我慢出来ない。

 

「……私のほうが戦いでは先輩よ。エムロードも、いくら《ソニドリ》が強くたって場数って言うものがある」

 

「その場数も、どれほど物を言うかねぇ」

 

 トカマクの声にミシェルは鋭い一瞥を投げた。彼はおどける。

 

「だから、冗談だって。通じないな、あんたら」

 

「……作戦報告は一時間後だ。ミシェル、この後は格納庫に?」

 

「《ブッポウソウ》のメンテナンス状況を聞かないと」

 

「ならばついでに《ガルバイン》の整備状況も聞いておくといい。アンバーのやる気次第だ」

 

 そんな不確定なものに縋らなくてはいけないのか。自分では、駄目なのか……。

 

「……分かったわ」

 

「トカマク。せいぜい、足元には気をつける事だ」

 

 ギーマの忠告にトカマクは首肯する。

 

「肝に銘じておくよ」

 

 歩み去っていったギーマにトカマクは鼻を鳴らして呟いていた。

 

「プライドの塊だな。似たような奴を、おれは見た事がある。あいつも……同じような眼で地上人を見ていた」

 

「その誰かさんは知らないけれど、ギーマに下手に楯突かないほうがいいわよ。ここではあいつが正義なんだから」

 

「正義、正義ねぇ……。聖戦士っておだてられて、正義はこの剣にあるとか何とか、色々言われたっけな、おれも」

 

「間違えないようにしなさい。聖戦士は勝つためにいるのよ。くだを巻くためにいるんじゃない」

 

「それも、肝に銘じておくよ」

 

 そう言って気ままな吟遊詩人は踵を返した。これ以上言葉を弄するつもりはないらしい。

 

 ミシェルは足早に、その場を立ち去る。

 

 その間中、脳裏を占めていたのは自分の至らなさであった。

 

「……私じゃ、勝てないって言うの? ふざけないで」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十三話 戦場舞曲譚

 

 騎士団長からは言葉を承っている、という上官の報告にグランは胡乱そうな声を上げた。

 

「あの騎士団、ですか。しかし、我が方には軍備もあります」

 

「それでも、だよ。騎士団は発言力もある。今の王族は連中の言う事を聞いているほうが賢いのだとも思い込んでいる」

 

 グランは眉を跳ねさせる。それは自分の矜持を傷つけるのに充分であった。

 

「……我が《マイタケ》のほうが強い」

 

「それも客観的事象の前では打ち消されてしまう。相手は地上人だ。侮るなよ、中佐。地上人は幾度となく、このバイストン・ウェルに奇跡と騒乱を巻き起こしてきた。殊に三十年前には、な。伝説の聖戦士を忘れたか?」

 

「忘れるわけが……。しかしあれは遠方の国の伝聞。尾ひれがついているのかも」

 

「どうだろうか。案外、伝説とは伝え聞くよりも苛烈なものだよ。オーラバトラーがこの世界で標準的な兵器となるのに、たったの三十年だ。未だに新型オーラバトラーの製造には多大なるコストがかかるとは言っても、それでもやれない事もない。歯止めが効かなくなっているのはどこも同じ。群雄割拠の現状では、どこの領国が先んじてもおかしくはない」

 

 上官は嘆息を漏らし、椅子から立ち上がった。窓から望めるのは城の中庭である。

 

「戦争になるのは理解出来ます。そのような時にこそ、この命、役立つのだと」

 

「逸るな、中佐。君は我が領のコモンには珍しく多大なるオーラの洗礼を受けている。ゆえに《マイタケ》という試作機を任せた。あれでゼスティアの白いオーラバトラーを捕まえた事は評価していると言っている」

 

「ですが、逃げた獲物に頓着しては……!」

 

 意味がない、と歯噛みしたグランに上官は頷く。

 

「その通りだ。だからこそ、騎士団には従えと言っている」

 

「納得が! 騎士団は地上人の寄り集まり。……《ゲド》など型落ちです。あのようなもの、持っているだけでも他の領国には馬鹿にされる」

 

「面子などを気にしておる場合ではないのだ。使えるものは使う。それも騎士団長のお言葉だよ」

 

 その騎士団長は信用ならない地上人ではないか、とグランは吐き出しかけた言葉を飲み込んだ。

 

「……オーラ力の強いものが国を統べる運命だと言うのならば従いましょう。ですが、そうではないはずです。全ては! 彼の領国が我が方の秘宝を持ち出したがため! 報復なのですよ、これは!」

 

「みだりにそれを口にするな。あくまでもこの戦いは専守防衛の理念に沿っている。侵略などと叩かれれば、埃が出るのはこちらなのだからな」

 

「……《マイタケ》はいつでも、ジェム領国のために戦えます」

 

 上官は笑みを刻み、頭を振った。

 

「良心的な軍人ほど死に急ぎやすい。悪魔にでもなれればまた別なのかもしれないがな。軍属や兵士達は騎士団に恐れを成している。君くらいだ、同じ土俵で戦おうなど。だが向こう見ずではないのはそのオーラ力を見ても明らか」

 

「……背中を預けられる相手とは、もう少し腹を割って話すべきでしょう。相手の情報をまるで得ていない」

 

「それが条件でもあるからな。騎士団はしかし、よくやっている。この間の強獣退治など、見たかね? あれは鮮やかであった」

 

「……自分のほうがうまくやれます」

 

「張り合うなよ。相手は地上人だ。コモンとはわけが違う」

 

「自分は意固地になっているわけではありません! ただ納得が欲しいだけなのです!」

 

 張り上げた声音に上官は目頭を揉んだ。

 

「……好きにやりたまえ、と言えればどれほど楽か。今はそうは言えない。分かれ、中佐」

 

 それが最大限の譲歩のようであった。この領国はもう地上人の助けなしでは回らないのだ。分かり切っていても、認めるのは別の部分である。

 

「騎士団の戦歴を目にしました。……白いオーラバトラーを退けた、と」

 

「敵も地上人を使ってきた様子だな。斥候に出していた兵士と相手取っていた半端なオーラの地上人とはわけが違う、別格を。確認した写真だ。これを見ろ、中佐」

 

 火の手が城下町に回る中、決死の覚悟で撮影されたのであろう写真には小型のオーラバトラーの姿があった。どこか女性的なデザインにグランは咄嗟に理解する。

 

「……鹵獲された《ゲド》が」

 

「その可能性が高い。だが、《ゲド》は知っての通り、取り回しの悪い地上人専用とも言える機体。それを改造し、小型化し、オーラ・コンバーターまで新造した。その意味は分かるだろう?」

 

「……白いオーラバトラーの使い手だけではない、という事ですか」

 

「未確定情報だが、相手が呼んだ地上人は二人以上かもしれない」

 

 だとすれば、自分が妙なところで意地を張ったところで仕方がない。地上人二人を相手にしてまで勝てるとは驕っていないからだ。

 

「……騎士団はしかし、地上人ですよ」

 

「君の心情はよく分かった。だが、それと領国の威信は別のところにある。軍属ならば、沿うべき口は分かるはずだがね」

 

 ここでどれほどまでに声を荒らげても意味はない。そう言われてしまえば、もうこれ以上の抗弁は。

 

「……失礼します」

 

 踵を返したグランへと上官が言葉を投げる。

 

「地上人というのは別に災厄の導き手というわけでもあるまい。仲良くやるんだ」

 

「仲良く……ですか。それが姫の、本意だとでも?」

 

「仲良くやっているうちには、姫にも危害はないだろうさ」

 

 それでも、とグランは拳を強く握り締める。

 

 ――守ると誓ったものにさえも、背を向けるのならば。

 

 今は現実を噛み締めるだけの大人として、言葉を絞るしかない。

 

「……姫の身の安全を」

 

「それは君次第だ」

 

 上官の部屋を後にしたその時、不意に地上人と鉢合わせた。見れば見るほどに、華奢で、オーラバトラーには乗れそうにもない四肢である。

 

 何よりも……女であるのに、自分よりオーラ力があるなど。

 

「准将殿はいらっしゃいますか?」

 

「……何の用だ。儂が聞く」

 

「いえ、准将に。直接伝えねばならないのです」

 

「儂が聞くと言っている。信用出来んのか」

 

「それは中佐の事でしょう?」

 

「貴様っ」

 

 手を払おうとして、地上人はするりと身をかわす。

 

「このお国のコモンは皆、水底にいるかのように動きが重々しい。我々、地上人とはわけが違う」

 

 グランは奥歯を噛み締め、地上人へと飛びかかろうとする。

 

 それを制したのは騎士団長であった。

 

「やめろ。中佐をからかうもんじゃない」

 

「ザフィール様。ちょっと遊んでいただけですよ」

 

 騎士団長――ザフィールは眩いばかりの青の眼差しでグランを見据える。

 

「すまなかった。戦士の矜持を、まだ理解し切っている者は少なくって」

 

「いや、構わんとも。……そっちがその程度だと言うだけの話」

 

「騎士団長を!」

 

「いい。中佐にはプライドがある。我々地上人とは違うんだ。分かれ」

 

 それが暗に馬鹿にされているようで、グランは今にも噛み付きかねなかったが、ぐっと堪えた。

 

「……騎士団長は王族お墨付きの実力と伝え聞く。それが白いオーラバトラー一匹に手こずった、という話とも」

 

「聞こえているぞ!」

 

「やめろ。事実だ。何も間違っていない。次は墜としますよ」

 

「次? 次がある身分か。そいつは傑作だねぇ」

 

「口争いしても仕方ないでしょう。准将への報告は」

 

「御意に。……中佐、遊んでくださってありがとうございます」

 

 皮肉たっぷりな声音にグランは殴りかかりそうになったが、すぐ傍にあるザフィールの双眸がそれを寸前のところで制していた。

 

「部下が発破をかけて」

 

「構いや……。だが教育くらいはしていただこう。それが礼節でもある」

 

「そうですね。ジェム領国の礼節を、わたくしは学ばせていただいているのです。それには礼儀で応じるのが正しい」

 

 口だけは減らない様子。地上人はどいつもこいつも口だけは達者だ。

 

「白いオーラバトラーの取り逃がし。責任くらいは取ってもらえるのだろうな」

 

「一命にかけて、と言いたいところでもありますが、わたくしの命は一国のために非ず。騎士は、守るべきと決めた君主のためにあるのです」

 

「……それを国と呼ぶのでは」

 

「いえ、国は、在るだけではただの土地、ただの大地です。だが人が根付けば、人が棲めばそれは変わってくる。穏やかな風が吹くか、争いの戦火が舞うかは、人次第なのですよ」

 

「……分かった風な口を」

 

「分かったのです。ここに来て、まずそれが」

 

 ザフィールが返礼し、踵を返す。その背中をグランは忌々しげに見据えていた。

 

 ――敵であれば斬るものを。

 

 だが自分は大義のため、国家のためにこの身を捧げた。軍人であるのだ。ならば、一時期の気の迷いで斬るべき対象を見誤ってはならない。

 

「……斬るべきは、あの白いオーラバトラー。それにゼスティアの連中だ。貴様は後にしておいてやろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 合同軍事演習を、と執り行った戦いはほとんど一方的で、これでは相手にし損ねたな、というのがザフィールの純粋なる感想であった。

 

 大きく取られた敷地内でオーラバトラー同士が剣でぶつかり合う。単純な力比べのようで実はこれが一番にオーラに響く戦い方なのだ。

 

 剣では誤魔化しようがない。火器ならば性能で凌駕出来ても剣は力そのものだ。だからこそ、剣による模擬戦はジェム軍と騎士団の力の差を浮き彫りにした。

 

 嫌でも分かった事だろう、とザフィールは様相を目にして笑みを浮かべる。

 

 雅さの宿った笑みに《ゲド》に乗った者が反応して操縦席を開けた。

 

「騎士団長!」

 

 その一言で一気に注目が集まった。《ゲド》が寄り集まろうとして、軍人が声を飛ばす。

 

「演習中だぞ!」

 

「みんな。演習に集中してくれ。せっかく、こちらに合わせてくださっているんだ」

 

「はい! でも、騎士団長……これで本当に勝てる見込みが?」

 

「ジェム領の軍人は誉れ高いと聞いた。彼ら相手に立ち回らせてもらえれば上々だろう」

 

 その証拠に、とザフィールは戦場を見渡す。《ゲド》は一機も倒れていない。地に突っ伏しているのは軍の《ドラムロ》ばかり。

 

 ザフィールは演習場に飛び込む。《ゲド》が《ドラムロ》の関節を極めて動きを制していた。

 

「どうでしょうか! 我が方の《ゲド》部隊は! 悪くはない働きであると、お思いでは?」

 

『ふざけるな! 小賢しいんだよ、《ゲド》なんて使って……!』

 

「ですが、現状が皆さんと我々との違いです。《ゲド》は取り回しの悪い型落ち、その認識を改めてもらわなければ」

 

『だが! 《ドラムロ》ほどの汎用性はあるまい!』

 

「確かに、言う通りではあります。理にかなっている。ならば提案と行きませんか? 《ゲド》の足を止めず、《ドラムロ》の長所を活かす、作戦のご提案に」

 

『……騎士団の下につけと?』

 

 その言葉に軍人達も自分の言葉に聞き入っているのが窺えた。

 

「下も上もありません。手を取って戦おうと言っているのです。どうですか? 悪い話ではないでしょう」

 

 そうでなければ、《ゲド》を使い潰す事になる。国益から鑑みても、相手への交渉は決して悪循環ではないはず。

 

 数体の《ドラムロ》が戦闘姿勢を解いて聞く様子を見せた。それだけでも随分と譲歩であろう。だがこれは大いなる一歩だ。

 

「……皆さんに吉報がございます。それをお聞かせ願いたく」

 

『騎士団とやらの利益のためだろうに』

 

「無論、騎士団には利益を。ですが皆さんにはもっとでしょう。一機も墜ちずに済みますよ。これから先、常勝ですとも。我が方は」

 

 おだててやれば、オーラ力で劣るジェム領国のコモンは従うはずであった。その見立て通りの反応を見せるのが半数、とでも言ったところか。

 

 今は、その数でも充分。

 

「では皆さん。お聞きください。戦場を奏でる、という事を」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十四話 強獣狩

「ミシェルさんの《ブッポウソウ》は仕上げたいんですがね。こっちも材料が足りなくって」

 

 ぼやいた声にミシェルは眉根を寄せる。

 

「材料……、強獣のパーツはたくさんあるって、ギーマが」

 

「ほとんど《ガルバイン》に使っちまいましたよ。あれの取り回しの悪さったら! 《ゲド》よりも扱いづらい!」

 

《ガルバイン》はそのような事など露知らず、格納庫でケーブルに繋がれて項垂れていた。

 

 パイロットがいなければただのでくの坊。それでも、使う手立ては残されている。

 

「《ソニドリ》には? 腕を斬られたと」

 

「直しましたが、急造ですね。《ブッポウソウ》のパーツを使ったんで、余計にです」

 

 強獣の不足は補わなければならない急務だ。相手に攻められてからでは遅いのだから。

 

「……巣へと仕掛ける」

 

 その言葉に整備班が声を荒らげた。

 

「無茶ですよ! 何年前の強獣を使っていると思っているんですか! おおよそ百年は前ですよ! そりゃ、主なパーツであるキマイ・ラグの乱獲は最近ですが、一部パーツで、内部骨格の基礎であるのは、もっと凶暴な奴です。そいつらとかち合うのには戦力が足りません。補充班も」

 

 作戦の一つでも立てなければ危うい、というわけか。顎に手を添えて考え込んでいたところに、声が振りかけられる。

 

「お困りかい?」

 

 トカマクが楽器を奏でつつ、こちらへと下りてくる。整備士達は胡乱そうな目で睨みつけた。

 

「スパイだってんでしょう?」

 

「だからこそ、だ。いい乱獲場の情報は持っている。おれが何年、この足で! 諸国を渡り歩いたと思ってるんだ?」

 

 義足をわざとらしく蹴りつけたトカマクにミシェルは歩み寄っていた。

 

「本当に、当てはあるのね?」

 

「そうじゃなきゃ声なんてかけないさ。吟遊詩人、何も出来ないを気取るってのもありってスタンスなのに、おれがこうしてあんたらに介入する……」

 

「自信はあるようね」

 

「上々に。お上を呼べ。作戦を立てる」

 

 余裕しゃくしゃくなトカマクに整備士が声を潜めた。

 

「……いいんですか? 今の状況でも一応は《ソニドリ》と《ブッポウソウ》程度ならばどうにかなります」

 

「それも長くはないんでしょう?」

 

「それは……」

 

「いずれやらなければならないのならば、それは早いほうがいいわ。今ならば《ブッポウソウ》と《ソニドリ》を出せる」

 

 息を呑んだ整備士が手を払う。

 

「《ソニドリ》はダメージを受けております」

 

「エムロードのやる気次第でしょう? あの子はやるわ。問題なのは……あの金食い虫ね」

 

《ガルバイン》を睨む。黄色い眼窩がこちらを見つめ返していた。

 

「もしもの時には《ガルバイン》を分解すればいいのでは?」

 

「そうするとアンバーが使い物にならなくなるわ。ちょっとだけ、考え方を変えましょう。彼女らにやる気を出してもらうのではなく、そうせざる得なくなる、という方向に」

 

「……うまくいきますかねぇ」

 

「いかなければジリ貧よ。ギーマは!」

 

「今呼びに行っています。エムロードさんも呼んだほうがよろしいですかね?」

 

「呼んでちょうだい。《ソニドリ》に乗れるのは……悔しいけれどあの子だけになってしまったようだからね」

 

《ソニドリ》も今はケーブルに繋がれ、次の出撃を待ち望んでいるようであった。

 

 斬られたという片腕は《ブッポウソウ》の茶色の甲殻でまかなわれている。

 

「……否が応でも、戦ってもらうわ。そうしないと何のための地上人なんだか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 作戦自体は極めてシンプル、という前置きにエムロードは卓上に置かれた地図を目にしていた。螺旋状になった洞窟の地図である。生き物の器官のように複雑怪奇に捻じ曲がっていた。

 

「ここで部品を探すって?」

 

「戦いには兵站は重要でしょう? それくらいは分かるわよね?」

 

 ミシェルの上から目線にエムロードは眉間に皴を寄せる。

 

「……意味くらいは」

 

「結構。ならば聞いて欲しい。この巣の地図はもう五十年は前のもので……正直当てになるかどうかは微妙だ」

 

 ギーマの説明を聞く間にも、部屋の隅で楽器を鳴らしている吟遊詩人が嫌でも視界に入った。彼は作戦説明に重要な役割なのだろうか、と目線で勘繰る。

 

「《ソニドリ》には前衛として戦って欲しい。武器の補充はこちらが担当する」

 

「……その、強獣って言うの、見た事もないんだけれど」

 

「これが強獣だ」

 

 示されたのは羊皮紙に描かれた首の長い怪獣であった。目玉がいくつも連なっており、口腔が異様に広い。

 

「これが……強獣」

 

「わたしは経験がある。もしもの時にバックアップに回れる位置につく。君とミシェルは前に出て、出来るだけ強獣を押さえて欲しい」

 

「言ってしまえば囮よ、囮」

 

 ミシェルの言葉振りにギーマは笑みを浮かべる。

 

「狩猟に関してはこちらに一日の長がある。任せて欲しい。これでも強獣狩りには自信があってね」

 

 ギーマの友好的な笑みに声が割って入った。

 

「嘘くさい! あんたの笑い方、あたし大っ嫌いだもん!」

 

 ティマの思わぬ言葉にエムロードは頭を下げていた。

 

「すいません。多分、《ソニドリ》を危険に晒すのに反対で……」

 

「理由は分かるさ。強獣とは言え、強いのはいる。だが、この巣穴はもう完全に狩猟区だ。ここに棲息する強獣は、野性に比べて随分と大人しい。半分家畜だと思ってくれてもいい」

 

 先ほどの絵が思い起こされ、あれが大人しいというのが脳内でうまく結びつかなかった。

 

「今回の狩猟は主にキマイ・ラグと、細かいパーツの収集、それに大型の強獣の骨と肉が必要になってくる」

 

「おれが誘導する。洞穴までの案内は任された」

 

 ようやく言葉を発した吟遊詩人にギーマが補足していた。

 

「彼は元々、大国の聖戦士だった。肝っ玉には自信はあるはずだ。逃げ出す愚を犯す事もない」

 

「嫌な事言うなよ」

 

 悲しげな音色で吟遊詩人が返す。それよりも、とエムロードは口にしていた。

 

「聖戦士? だったら、地上人?」

 

「二十年は経つ。剣に自信はなくってね。腕が立つ奴が羨ましいよ」

 

 二十年。その隔たりでは現実世界の事は知るよしもないのだろう。自分達とは一世代分、違う事になる。

 

「言ってしまえば、これから先の戦闘に備えての模擬戦でもある。強獣なら、命のやり取りにそこまで緊張感はないでしょう?」

 

 尋ねられても、その強獣とやらを実際に見た事がないのならば頷きようもない。

 

「うまく行く……確率は?」

 

「ほとんど百パーセント。不安なら、もっと言ってもいいくらい。強獣なんて名前ほどそんなに強くもないわ。《ソニドリ》の慣らし運転程度に思ってもいい」

 

 ミシェルがここまで言うのだから、強獣自体にはさほど脅威はないのだろう。それよりも彼女の言葉には先ほどから含めたところがあった。

 

「……アンバーは?」

 

「出てこないの。あなたからも言ってあげて? もしかしたら、あなたの言葉なら聞くかも……」

 

「作戦は明朝に行う。出るのはわたしの《ブッポウソウ》とミシェル機、それに《ソニドリ》とユニコンで隊列。トカマクが先導する」

 

「異議なし。じゃ、解散」

 

 手を振るトカマクに誰も気に留めた様子はない。立ち去ろうとするミシェルの背中を、エムロードは呼び止めていた。

 

「その……琥珀……アンバーの様子を見てきても?」

 

「いいけれど、あんまり彼女を刺激しないほうがいいかもね。あなたが強獣狩りに行くって聞いたら飛び出すかもしれない。でも、それはいい兆候とは違うから」

 

 分かっているつもりであった。琥珀はどれほど過酷な時でも一緒にいてくれた親友だ。だがだからこそだろう。

 

 自分が前に立ち、飛び立とうとしているのがどこか信じ難いに違いない。

 

 現実世界では、共に腐っていたような仲であった。嫌気の差す現状に、「今」に、共に腐れるというだけの親友。

 

 だがそれは、本当の友とは呼べるのだろうか。

 

 互いに慰めあうだけで、それは真実の友愛ではないのかもしれない、と思い始めていた。

 

「エムロード? あたしは《ソニドリ》の整備に入る。……アンバーの事、お願いね」

 

 ティマも彼女なりに心配している。頷いて、エムロードは琥珀のいるという部屋へと駆けていった。

 

 扉の前にはトレイが置かれている。よかった、食事は取っているのだ、と少しだけ前向きになれた。

 

 ノックしかけて躊躇いが生まれる。自分が分け入っていい領域ではないのかもしれない。そもそも、自分が軽率に《ソニドリ》に乗らなければ、彼女はオーラバトラーに乗り込む事もなかっただろう。

 

 恨まれても何らおかしくはない。

 

 だからか、扉をノックするよりも、と取り出したのは端末であった。この距離ならば電波がなくても届くはずだ。

 

 コールすると、琥珀は数秒の間を置いた。

 

『……どうしたの』

 

「琥珀。ボクは《ソニドリ》に乗る事に決めた」

 

『……そう』

 

「そう、だよね……、そういう反応なのは分かる。でもさ! バイストン・ウェルから帰る方法を見つけるのには一番だと思うんだ。動かないよりかは、何かしているほうが楽だし。聖戦士っておだてられても、何も出来ないけれど……」

 

 笑い話にしようとして、どうしようもない事に気づく。いつもならこんな事でも笑い飛ばせた。どうでもいいや、と投げ捨てられた。

 

 そうでないのは、敵方のオーラバトラーに蒼が乗っているのだ、と確信したからか。

 

 相手にも地上人が加勢しているのだと分かったからか。

 

 それは恐らく後付けの理由なのだろう。蒼がいるから、敵が攻めてくるからではない。自分の、本当の気持ちは……。

 

「琥珀。戻ろう。あの夏の日に。馬鹿みたいな事で笑い合ってさ。帰り道にはアイス食べるんだ。コンビニで買った安い奴、二人割り勘して」

 

 その言葉に通話の先の琥珀が笑ったのが伝わった。

 

『そう、だね……。でも、いっつもあたしが奢っていたよ? 翡翠ったらケチなんだもん。毎回ジャンケン』

 

「そうだっけ? でも、琥珀だって化粧品にお金使うからって、ボクには毎回ねだっていたじゃないか。お互い様だよ」

 

 通話口から笑い声が漏れる。まだ一週間も経っていないはずなのに久しく聞いていなかったような気がする親友の声。

 

 あの夏の日では、ずっと自分達は永遠でいられた。どれほどまでに現実が過酷でも、あの日々だけは色褪せないはずなのだ。

 

「琥珀……、ボクは行く。でも、戦わなくってもいい」

 

『ううん……翡翠だけに任せておけないよ。あたしは……翡翠の隣にいたい。傍に……いたい』

 

 溢れた本音にエムロードは笑みをこぼす。

 

「嬉しい……、でも、ボクが前に出ないと駄目なんだ。それはきっと……」

 

 蒼の事もある。話してしまえればどれほどに楽か分からない。だが、確かめなければ、という念は自分の中にあった。

 

 本当に蒼なのか。だとすれば何故、このバイストン・ウェルにいるのか。

 

 解き明かさなくてはいけない。それこそ自分が呼ばれた意味だというのならば。

 

「琥珀、待っていてくれ。強くなってみせるから。だからその時まで」

 

『……うん。でも本当に待てない時は』

 

「ああ。背中は任せる。いつだって、相乗りだっただろ?」

 

 この孤独の世界で、唯一信じられる絶対の絆。それを確かめ合えただけでもよかった。

 

『翡翠。でも、翡翠は翡翠だから。……エムロードなんて飾り立てられてもあたし達は……』

 

「親友だ。分かっている。切るよ」

 

 通話を切り、エムロードは歩み出していた。立ち止まっている暇はない。

 

 今は一つでも前に進まねばならない。

 

 そのための力が《ソニドリ》にあるというのならば――。

 

「ボクは、この力を、飼いならしてみせる」

 

 握り締めた拳に決意が宿った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 追い込んだか、という質問に前を行く部下がしーっと指を立てる。

 

「随分と近づいてしまいました。……そろそろ勘付かれるのでは?」

 

「なに、大丈夫だろう。相手もここまで我々の術中にはまっているとは思わないはずだ」

 

 双眼鏡を覗き込んだ野性味溢れる頭目は、左目に走った傷をなぞる。疼く痛みは復讐のただ一つのためにある。

 

「ユニコンを追って西へと一路……。囮のユニコンはもう殺されていますね。オーラバトラーより足が早い道理もありませんし」

 

「それでも持ったほうだろうさ。送り狼を出して相手を追い詰めてもいいのだが、袋小路に入ったのはこちらのほうかもな」

 

 螺旋状に直下へと奈落を覗かせる常闇に頭目は声を震わせた。

 

「……強獣の巣に入るなんて思わなかったが、これもある種、織り込み済みか」

 

「損耗しているはずです。強獣の血でも啜りにいったのでしょう」

 

 手渡された水筒に入った水を一気に飲み干し、頭目は声を張った。

 

「この巣で駆逐する。明朝になれば作戦を開始。幸いにして上を取っているのはこちらだ」

 

「爆薬で死ぬんなら、とっくにですが……」

 

「中に入っているのは不死者ではない。火を放てば死ぬはずだ」

 

 そう、そのはずである、というだけの話。

 

 当てはまるかどうかはまだ分からない。

 

「狂戦士狩りもここまで来れば執念ですよ。我々も仲間を失いつつ来た」

 

「相手が大掛かりな作戦に乗らないだけで、充分に疲弊はしているはずだ。……道すがらの領には悪い事をしたが、彼らは災厄に行き遭ったと納得してもらうしかない」

 

 ゆえに、先ほどから焚いているのは死者を慰める線香であった。鼻腔につく甘い香りに小型の虫が寄り集まる。

 

「死者への弔いだ。どけ!」

 

 虫を払い、頭目は穴倉の奥底を睥睨する。

 

「狂戦士……誘いに乗りますか?」

 

「充分な補給を受ければ出てくる。その前に罠で捉え、骨格に網を張る。すぐには動けないところでまた虫枝をつければいい」

 

 籠の中に飼っている発信機の役割を果たす虫枝はこの地では重宝される代物だ。だが自分達は果てない恩讐の旅の中で自然と採集してきた。

 

 一国でもまかなえないほどの虫と、狩猟道具。全ては狂戦士打倒の夢のためである。

 

 その時、深淵へと降りていた三人組が帰ってきた。心得ている彼らは足音さえも立てない。気配で察知した頭目が目線を振り向ける。

 

「巣の奥のほうまで行っています。狙い目ですよ」

 

「戻ってくるまでに仕掛けが作動するか。巣の中で何をしている?」

 

「聞くまでもないでしょう。強獣を殺して……その生き血を」

 

 おぞましい事実に屈強な男達でも口元を押さえる。やはりあの狂戦士。たとえ強獣の群れの中にいてもその本質は変わらない。

 

「もしもの時は強獣ごと殺す」

 

「巣の構造を地図に落としました。これを」

 

 描かれた巣の階層は第十二層まで至っており、この巣が強獣にとっての重要な住処である事を告げている。

 

 だがそのような日常はすべからく脆く消え去るもの。

 

 強獣も不幸であっただろう。狂戦士に行き遭えば、如何に野性とは言え、彼らにも安息はない。

 

 地図の中に妙な表記を見つけ、頭目は首をひねった。

 

「これは? ゼスティアの印だな」

 

「どうやらここはゼスティア領の強獣狩りの場であるらしく……ゼスティアの張った罠が多く点在しています」

 

「干渉は……」

 

「しないように取り払っておきました。狂戦士に対してゼスティアのナマクラ罠ではまるで意味がありませんよ」

 

「十秒も足止めは出来んだろうな。正しい判断だ」

 

 部下達は教え込んだ技術の数々を駆使し、狂戦士狩りに闘志を燃やしている。それほどまでに苛烈な復讐の連鎖に自分達は輪廻の虜となっているのだ。

 

 狂戦士が死に絶える時まで、自分達に安息はない。

 

 魂は常に闘争を求めている。

 

「それと、興味深いものが。お頭、ちょっと来てもらえますか?」

 

 部下に促され、頭目は下層へとゆっくりと降りていく。既に木造の階段が構築されており、強獣の死骸が凝り固まって出来た地層の壁を撫でた。

 

 強獣の死骸はオーラマシンの原型となる。ゆえに、加工しやすく、熱と電気に反応する。

 

 前を行く部下の焚いたランタンの光に、強獣の骸で出来た壁が乱反射の輝きを放っていた。

 

「……目立つと」

 

「分かっています。すぐですよ。これを」

 

 壁の地層の継ぎ目に挟まっている物体があった。それが何なのか、頭目はすぐさま理解する。

 

 こちら側に手を伸ばす形の甲殻兵は、恐らくは数年前にここを訪れた狩人のものであろう。

 

「オーラバトラーか」

 

「乗り捨てみたいです。地層の壁に押し込まれているって事は、強獣に思わぬ奇襲でも食らったか、あるいは」

 

「乗り捨てる酔狂な人間がいたか、だな」

 

 頭目は手にした杖でオーラバトラーを突いた。生体反応はない。

 

「この一機だけか?」

 

「あれば探してきますが……」

 

「いや、いい。危険に晒す事はない。このオーラバトラー、使えるか?」

 

「削岩機で掘り出してみましょう。もしかしたら狂戦士と渡り合えるかも」

 

 どうだろうか、と頭目は苦笑する。狂戦士と対等に打ち合うのには、恐らくこのオーラバトラーでは不可能であろう。

 

 それは予見出来たが、せっかくの成果なのだ。持ち帰らないのも勿体ない。

 

「タイプは……《ゲド》に近いが、改良機だな。《カットグラ》、と呼ばれていたという」

 

 茶色に染まった甲殻に、《ゲド》よりも幾分かスマートな体躯。高いオーラ適性値を持たなければ操縦は出来ない機体だ。

 

「この《カットグラ》、乗れますかね?」

 

「オレがやろう。お前達は仕掛けの最終確認を」

 

「お頭、聞こえませんか?」

 

 下層から漏れ聞こえてくるのは強獣の断末魔であった。部下が肩を震わせる。屈強な戦士であっても、狂戦士の力を思い知っている身からしてみれば恐ろしい。

 

「……せめて、明日の我が身にはならない事を祈るばかりだな」

 

「《カットグラ》、上げます。ワイヤー張れ! オーラバトラーを持ち上げる!」

 

 声を上げて男達がオーラバトラーを持ち上げていく。縄で首筋を括られた形のオーラバトラー、《カットグラ》に頭目は皮肉の笑みを浮かべていた。

 

「絞首刑だな、まるで」

 

「まだマシじゃないですか。狂戦士にやられるよか」

 

 違いない、と頭目は返し、全員に伝令する。

 

「作戦は明朝だ! 遅れるなよ!」

 

 ドスの利いた男達の返答に頭目は笑みを浮かべた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十五話 災禍少女心中

 ユニコンと呼ばれる馬に似た生物を先導させ、巣穴までの経路を辿る。

 

『緊張してる?』

 

 ミシェルの通信にエムロードは返答していた。

 

「少し……。強獣ってのがどういうものなのか、まだ分からないから」

 

『私も強獣狩りは初めてよ。でもさほど難しくはないのは彼らが証明している』

 

 個別回線である事を理解したエムロードは、恐る恐る尋ねていた。

 

「それは……彼らコモン人が?」

 

『コモンのオーラ力で突破出来る程度の獣よ? 私達の敵じゃないわ』

 

「どうだかっ! 油断していると足元をすくわれるよ!」

 

 割って入った声にミシェルは皮肉を込めて言い返す。

 

『あら? メカニックしか能のない愚図なミ・フェラリオが偉そうに』

 

「愚図じゃない! あたしが見ないと《ソニドリ》の整備点検なんて誰も出来ないんだからっ!」

 

『それも、どうかしらね。《ソニドリ》はだって、ジェム領国に改造されたんでしょ? あなたの領分をもう通り越していると思うけれど』

 

 ミシェルの舌鋒鋭い返しにティマが呻る。

 

「まぁまぁ。ボクはティマを必要だと思っているんで」

 

『仲のよろしいことで』

 

 打ち切られた通信にティマが鼻を鳴らす。

 

「何さ! 一人じゃ何も出来ないのは、向こうだって!」

 

「ティマ。ボクもそうだ。地上人だっておだてられても、《ソニドリ》がいないと何も出来ない。ティマも」

 

「……エムロードくらい、地上人がみんな素直ならいいのに」

 

「それは難しいよ、多分。オーラ力ってそういうものでしょ?」

 

「強ければ強いほどに、ってね。……それもどうなんだか」

 

 腕を組んで憮然とするティマにエムロードは微笑みかける。

 

《ソニドリ》の視野は随分と明瞭になっていた。やはりジェム領国の改修は大きかったのだろう。初陣に比べて《ソニドリ》が急いていないのが伝わってくる。

 

「……これから向かう巣穴の情報、あれだけでよかったのかな」

 

「充分だと思うけれど。強獣なんて、ミシェルの言い分じゃないけれど脅威じゃないんだよ。だってオーラバトラーの基だもん」

 

「基礎自体は……こっちの世界でも確立されているんだ?」

 

「それも三十年前の技術革新が原因だったらしいけれどね。ショットだとか言う、研究者がいたみたい」

 

「……ボクはまだ、このバイストン・ウェルの事を何も知らないんだなぁ……」

 

「知ってもしょうがないって。《ソニドリ》を動かすのにも余計な知識は邪魔になるし……あっ、別にエムロードを軽んじたわけじゃ……」

 

「分かってる。ティマはそういう子じゃないでしょ」

 

 こちらの得心した言い草に、ティマは照れたのか頬を掻いた。

 

「分かってるのなら……いいんだけれど。見て! ユニコンが」

 

 視界の先にいるユニコンが立ち止まっている。もう目標の場所に辿り着いたらしい。

 

『全機、警戒を怠るな。巣穴から先は強獣の領域だ』

 

 ギーマの言葉にミシェルが言い返す。

 

『先輩ぶっちゃって。そんなに狩りの経験もない、お坊ちゃんでしょうに』

 

『それでも君らよりかはあるさ。強獣の外見はおどろおどろしいが、パワーもスピードも断然、オーラバトラーが上だ。臆する事はない』

 

『演説が向いているわね』

 

 ミシェルの批判にギーマはこちらへと回線を振った。

 

『エムロード。前は君に任せる。《ソニドリ》の性能ならばすぐに最下層まで降りられるだろう』

 

『私は反対したわよ? でも、聞かないから』

 

《ソニドリ》が《ドラムロ》と《ブッポウソウ》二機の間から前に出る。《ドラムロ》にはトカマクが乗り込んでいる。

 

 曰く、片脚でも出来る事はある、との弁だが誰も証明は出来なかった。

 

 そもそも他国の聖戦士が、何故、という部分が大きい。

 

《ソニドリ》のゴーグル型の眼窩が螺旋の形に地層が際立った巣穴を覗き込む。視界だけでどこまでも落ちていく感覚に、エムロードは寒気がした。

 

「……降りても上がれるんだよね?」

 

「上昇機能は問題ないわ。それに、最下層まで降りたって、言っても千メットもないはず。強獣は思いのほか、手狭に生活しているのよ」

 

 ティマの声に息を詰め、頬を張った。

 

「よし……。《ソニドリ》、先行します」

 

 主翼のオーラ・コンバーターが開き、《ソニドリ》がゆっくりと降下する。藍色の地層にはところどころ化石が散見された。

 

「あれは、強獣の骨?」

 

 異形の骨格にティマが補足する。

 

「あれは肉食強獣ね。ちょっと大きいだけよ。強くもない」

 

 当てにあるのか、という不安を抱いたまま、《ソニドリ》はさらに深部へと潜っていく。

 

 既に光は絶えていた。予め用意しておいたランタンを灯す。

 

 それでも絶対の暗闇は何もかもを吸い込んでしまうかのようであった。

 

「オーラ点火を。《ソニドリ》の性能なら」

 

 ティマから教わった方法でエムロードは剣を握り締めた。柄から《ソニドリ》の全身へと伝わるイメージを拡張させる。

 

「オーラ、点火」

 

 すると、《ソニドリ》の胸部結晶が薄く輝きを帯びた。今までと違い、暗黒には全く左右されない光である。

 

「オーラだけが、信用出来る光、か」

 

「もう最下層が見えてる。着地時の衝撃には備えて」

 

 ティマの指摘にエムロードは一呼吸ついてから、着地のイメージを伴わせた。足が地面につくと粉塵が舞う。

 

 青く染まった岩石を踏みしだき、《ソニドリ》が歩み出していた。

 

「横穴はないって聞いていたけれど……」

 

 それでも相当な広さだ。強獣が隠れるのにはもってこいだろう。

 

 慎重に歩みを進めていた《ソニドリ》は不意に肌を刺すプレッシャーの波を感じて足を止めた。

 

「どうしたの? 早く強獣をやらなきゃ」

 

「……おかしい。何でこんなに静かなんだ?」

 

「眠ってるんじゃ?」

 

「いや、生物の呼吸が感じられない」

 

 たとえバイストン・ウェルの強獣に呼吸の概念がなかったとしても、この数日間の鍛錬はエムロードにオーラを関知する術を身につけさせた。

 

 だからこそ、疑問なのだ。

 

 周囲に生物のオーラが全く感じられないのは。

 

「……逃げちゃった?」

 

「……かもね。もうちょっと調査してみようか」

 

 口にして歩み出した、その時であった。

 

《ソニドリ》の足が何かを引き裂いた。

 

 関知した刹那には、四方八方から迫る敵意に、エムロードは翻弄されていた。

 

 暗礁に染まった視野でも明瞭に結ぶのは、燃料に点火された火矢の数々だ。

 

「奇襲?」

 

「まさか! ここは野性の巣窟のはず!」

 

 ティマの声を半ばに聞きつつ、《ソニドリ》を後退させる。だが、主翼が触れ、またしても別の仕掛けを起動させた。

 

《ソニドリ》へと粘性のある液体がかけられる。

 

 最初、それが何なのか分からなかったが、ティマの叫びで無理やり理解させられた。

 

「可燃性の強獣の血……。まずいよ! エムロード!」

 

 言うが早いか、どこからともなく投げ捨てられた松明の火が《ソニドリ》を火達磨にする。操縦席まで沁み込んでくる敵意にエムロードは舌打ちする。

 

「ここは強獣の巣じゃなかったのか!」

 

 叫びは虚しく残響するのみ。ティマがいなければ今頃取り乱していただろう。

 

「落ち着いて! 《ソニドリ》はこの程度で焼けちゃうほどやわじゃ……」

 

 ない、と言いかけたティマの口を塞いだのはこちらの習い性であった。

 

 背後に感じた巨大なオーラの気配に《ソニドリ》を咄嗟に反転、飛び退らせる。

 

 その機転は結果として功を奏した。何かが先ほどまで機体のあった箇所を引き裂いたからである。

 

 闇の中、《ソニドリ》の放つ緑色のオーラが敵を照らし出した。

 

「これが……強獣?」

 

 疑問符を挟んだのは、それが事前説明されていたものとは全く異なっていたからだ。

 

 灰色のくすんだような装甲。赤い眼球が闇の中で蠢いている。鋭く伸びた主翼と、内側に折り畳まれた翅はまさしく――。

 

「……オーラバトラー?」

 

 ティマの声にエムロードは尋ねていた。

 

「もしかして……味方?」

 

 予め巣穴に張っていた友軍機かと思いかけたエムロードへと、不意に殺意の波が押し寄せる。

 

 迷いのないオーラの敵意に、瞬間的に結晶剣を引き抜いていた。

 

 同期した《ソニドリ》が肩口より剣を鞘から出現させる。神経が接続される感覚と共に、黒々とした剣へと血脈が宿った。

 

 内側から亀裂を走らせて砕け散った剣が輝きを宿す。緑色のオーラの具現たる刃にも敵は臆した様子もない。

 

 それどころか、オーラの眩さで敵の全容が窺い知れた。

 

 胸部には筋肉繊維が張り付いたような頑強さを思わせる鎧がある。結晶体は下腹部に集中していたが、他のオーラバトラーのようにパイロットを狙うのは難しそうであった。

 

 相手は鋭い鉤爪で何かを握り締めている。

 

 オーラの下に露となったそれに、エムロードは絶句する。

 

「……強獣を」

 

「それだけじゃないよ……。見て! 周りは強獣の死骸だらけだ……」

 

 剣の輝きが周囲を照らし出し、この一帯が陰惨な骸で形作られた墓場である事を告げる。

 

 灰色のオーラバトラーは青い血の滴る強獣の首を絞め、瞬く間に窒息死させる。唾液を垂らした強獣を、灰色のオーラバトラーは牙で肉を引き裂いた。

 

 喉元を喰らうその様子に、エムロードは及び腰になる。

 

「何だこいつは……。味方なのか、敵なのか……」

 

「答えなさいよ!」

 

 ティマの声に強獣を貪っていた相手の眼球が不意にこちらへと向いた。心臓を鷲掴みにされたような感覚にエムロードは剣を構える。

 

「味方ならば名乗れ! 敵ならば去れ!」

 

 精一杯、虚勢を張ったつもりであったが、相手のオーラバトラーは牙を軋らせ、翅を拡張させた。《ソニドリ》よりも強靭な翅が振動するも、ほとんど音はない。

 

 無音の相手にうろたえた《ソニドリ》は強獣を下ろし、その骸を踏み潰したオーラバトラーに完全にうろたえているようであった。

 

 機体の怯えがそのまま伝わってくる。

 

「……怖がらないで、《ソニドリ》。ボクらは……狩るために来たはずだ! 名乗らないのならば、討つ!」

 

 剣を手に、《ソニドリ》が主翼を広げ、翅を拡張させる。高速振動の域に達した《ソニドリ》の速度が相手へと即座の接近を果たしたが、灰色のオーラバトラーは瞬時に上方を取って見せた。

 

 その挙動はあまりにも今まで見てきたオーラバトラーとは異なっている。

 

「こんなに速く? だったって!」

 

 剣を掲げた《ソニドリ》が相手を追撃する。振るい上げた剣筋に、相手も腰から剣を抜き放っていた。

 

《ソニドリ》のものよりも遥かに大きく荒々しい、岩石そのもののような大剣である。

 

 打ち合った瞬間、膨張したオーラに《ソニドリ》の機体が震えた。

 

「押し負けている?」

 

 灰色のオーラバトラーが胸部より赤銅色のオーラを纏いつかせる。これは断じて味方のする行動ではない、とエムロードは説得を諦めた。

 

「……断る口のないのなら、斬り捨ててから事情は聞く!」

 

 弾き返し、胸部を狙おうとして、灰色のオーラバトラーの腰から何かが浮き上がった。

 

「節足?」

 

 ティマの声が弾け、不意打ちの節足による拘束が《ソニドリ》の剣を鈍らせる。節足とは思えない膂力に、エムロードは歯噛みした。

 

「こんなパワー……。ただのオーラバトラーじゃ……ない!」

 

 最早、敵として対処する。蹴りつけて距離を取った《ソニドリ》は腰からオーラショットを左手に保持する。

 

 薬きょうが飛び、火薬式のオーラショットの弾丸が敵へと吸い込まれるように着弾した。

 

 だが、それでも相手は倒れない。確かに胸部へと命中したかのように思われた弾頭は、浮かび上がった赤銅のオーラで遮られていた。

 

「こいつ……オーラで守ったって言うのか!」

 

「それだけじゃない……。エムロード! こいつはまずいよ! 逃げよう! 上昇速度では勝っているはず!」

 

「どういう論拠で……! でも!」

 

 今は飛び立つしかない。飛翔に入った《ソニドリ》へと、またしてもワイヤートラップが発動する。

 

 まさか、このオーラバトラーが張ったというのか。

 

 縄が四方八方より迫り、《ソニドリ》を羽交い絞めにした。少しパワーを上げれば解けない縄ではない、と感じたが、それは次への布石のためであった。

 

 思い知ったのは砲撃が頭部に着弾してからだ。

 

 自動的に狙いをつけるように設計された滑空砲が《ソニドリ》を襲う。

 

「こんな計算ずく……。この灰色がやってのけたって言うのか」

 

 相手はわざと《ソニドリ》と同じ高度まで達し、至近距離まで接近する。息がかかるほどの距離で見据えた敵の頭蓋の形状にエムロードは言葉を失った。

 

「こいつの頭の形……まさか、《ソニドリ》?」

 

 そう見間違うほどに、敵の頭部形状は《ソニドリ》と似通っている。観察の目を注いでいたエムロードへと、不意に接触回線が劈いた。

 

 狂ったような笑い声が操縦席に残響する。

 

『何こいつぅ……。《ゼノバイン》にすっごく似てる。ホラ! 挨拶しなさいよ!』

 

 相手のパイロットの声音にエムロードは驚愕を浮かべる。

 

「女の子の……声?」

 

『挨拶も出来ないの? 悪い子ねぇ……。だったら! お仕置きしないと!』

 

 胸部筋肉が膨れ上がり、内側から円筒状の物体が繊維を引き裂いて出現する。弾頭のようなそれが拡張し、装甲の継ぎ目から膨大なオーラを放った。

 

『オーラディスヴァール!』

 

 赤銅色のオーラが《ソニドリ》を包み込み、装甲の継ぎ目から沁み込んでくる。暴風のようなオーラの奔流に視界が埋め尽くされた。

 

《ソニドリ》と繋がっている箇所が熱を帯び、エムロードは操縦席で膝を折る。

 

「エムロード?」

 

「これ……は……。オーラが強いから?」

 

 剣を握り締めていた手の内側から痣が生じ、瞬く間に右腕を侵食する。エムロードは恐慌に駆られ、手を離そうとするも、まるで熱で無理やり繋ぎ止められたかのように掴んだ手は開けない。

 

 通信網から少女の哄笑が響き渡る。

 

『どう? どう? 気持ちいいでしょ? ホラ! 気持ちいいって言いなさいよ! 脳がとろけちゃう!』

 

 五感が鋭く締め上げられ、脳髄の思考が一点に至るまで削ぎ取られていく。エムロードは覚えず悲鳴を喉から迸らせた。

 

 それと同期した剣が敵オーラバトラーを切断するも、相手の装甲には傷一つない。

 

 どこか、醒めたような声音が滑り落ちる。

 

『なぁーんだ。弱っちいの。ちょっとはマシなのかな、とか思ったアタシがバァーカみたい。アタシを斬れないなら、もう生きていたってしょうがないよねぇっ!』

 

 灰色のオーラバトラーが赤銅のオーラを纏いつかせて大剣を振るい上げる。

 

 その剣筋が《ソニドリ》を叩き割るかに思われた。

 

 その時であった。

 

 五感に切り込んで来たのは銃声である。弾丸が灰色のオーラバトラーの胸部展開武装へと吸い込まれ、機能不全を起こした。

 

 赤銅のオーラの波が切れていく。

 

『あン? 邪魔するの? 誰よ』

 

「あれは……」

 

 ティマが天上を振り仰ぐ。エムロードは咄嗟の事にまだ痛みを引きずりながら面を上げた。

 

 闇を引き裂いて現れたのは茶褐色の甲殻騎士。

 

 剣を引き抜き、その姿が大写しになる。覚えずよろめいた《ソニドリ》を敵が突き飛ばし、降下してきたオーラバトラーと鍔迫り合いを繰り広げた。

 

 地層の壁へと叩きつけられた《ソニドリ》がようやく敵の攻撃の射程から逃れ、エムロードは肩で息をする。

 

 今の瞬間、死んでもおかしくはなかった。

 

 荒く呼吸するエムロードにティマが語りかける。

 

「大丈夫? ……それにしたって、あの機体は……《ゲド》? いえ、改良型ね。《カットグラ》、だったかしら」

 

《カットグラ》と呼ばれたオーラバトラーが灰色のオーラバトラーへと剣筋を見舞う。下段より振るい上げられた一閃を敵は受け止めるが、すぐさま返す刀が直角に折れ曲がり、銀閃が灰色のオーラバトラーを怯ませる。

 

『邪魔してるんじゃないわよぉ! 亡国の野良犬ぅ!』

 

「あれ……どう思う?」

 

 ティマの質問にエムロードは右腕を確認していた。痣が見当たらない。先ほどの現象は何だったのか、と呆然としているエムロードに、ティマが声を跳ねさせる。

 

「あれ! 嘘でしょ……、操縦席から出て!」

 

《カットグラ》のパイロットはなんと胸部結晶から這い出て銃撃を見舞っていた。勇猛果敢というよりも無策にしか見えないその戦術に敵が翻弄されたように後ずさる。

 

「敵の敵は味方……って事でいいのかな」

 

「分からない。……でもあのオーラバトラー、スゴイ。操縦しながら撃ってるの?」

 

《ドラムロ》や《ブッポウソウ》の操縦席の通りならば、あのパイロットは足だけでオーラバトラーを操っている事になる。そのような高等技術可能なのか、という疑念が思い至る前に、灰色のオーラバトラーが剣を薙ぎ払った。

 

「危ない!」

 

 思わず漏れた声に《カットグラ》のパイロットはすぐさま操縦席へと収まる。間一髪で、先ほどまで首があった空間は何もない空を裂いた。

 

 その大振りの隙を見逃さず、《カットグラ》が剣を関節部位へと叩き込む。灰色のオーラバトラーがたたらを踏んだ。

 

「圧倒してる……。勝てる、勝てるんじゃ……?」

 

 ティマの声に灰色のオーラバトラーが再び赤銅のオーラを放出した。《カットグラ》が飛び退った瞬間、敵オーラバトラーが翅を展開させる。

 

『……やるようになったじゃん。いいわ。ここは退いてあげる。《ゼノバイン》もお腹いっぱいだし、もう動く気はないってさ。よかったね、死ななくって』

 

 その言葉に《カットグラ》が刃を下段に構える。

 

「……逃がす気はないみたいだけれど」

 

 翅を振動させ、《カットグラ》が打突を見舞うも、その時には灰色のオーラバトラーが天高く飛翔していた。

 

 一気に巣穴の入り口まで飛び去った相手にエムロードは瞠目する。

 

「なんて、半端ないオーラの量……」

 

 赤銅のオーラがまだ空間に充満している。息を吸うだけで、刃のような攻撃的なオーラに肺を焼かれそうであった。

 

《カットグラ》は深追いしない。パイロットが這い出て何発か銃弾を見舞ったが、本人も効果はないと分かっている事だろう。

 

『狂戦士が……』

 

 不意に繋がった回線にエムロードは何か言葉を返そうとして、相手の切っ先がこちらへと突きつけられた。剣に宿った迫力に息を呑む。

 

 まかり間違えれば斬られかねない緊張感が漂う中、相手は尋ねていた。

 

『……ゼスティア領の新型、か。何の用でここに来た?』

 

「何の用って……あたし達は強獣を狩りに……」

 

 代わりに答えたのはティマである。返答に相手は《カットグラ》の剣を去っていった灰色のオーラバトラーへと向ける。

 

『あれを、知っていて狩りだと?』

 

「それは……分からなかった。知らなかったんだ」

 

 ようやく答えられた声に相手が鼻を鳴らす。

 

『少女騎士か。どういう気の迷いか知らんが、余計な事はしないほうがいい』

 

「何よ! そっちだって、展開しているのはゼスティアのオーラバトラーなんだから、迂闊な真似なんて――」

 

 ティマの声音に《カットグラ》が《ソニドリ》の首筋へと刃を添えた。覚えず息を詰まらせる。

 

『……失礼。聞こえなかった。迂闊な真似を? オレ達が? 随分と認識不足と映る。ゼスティアのオーラバトラー。ここで命を無駄に散らすか?』

 

 突きつけられた言葉の鋭さに、何も言い返せなかった。相手は本物の猛者だ。相手取るには今の自分では足らない。

 

「……戦う気はない」

 

『そのつもりがあろうとなかろうと、同じ事だ。我々が張っている場所に入ってきた』

 

「……来るって、いちいち言わなきゃいけないの?」

 

『ミ・フェラリオが黙っていろ。収まっている少女騎士。戦いには不慣れのようだな。だが並大抵のオーラではないのは分かる。……コモンにしては強過ぎるほどの』

 

 尋ねられても何も言えなかった。相手の無言の圧力を形にした剣の鋭さに、喉からまともな言葉が出なかったのもある。

 

『エムロード!』

 

 その時、割って入った声音にエムロードは反射的に《ソニドリ》を飛び退らせる。

 

 炸薬が弾け、《カットグラ》の視野を眩惑した。

 

《ブッポウソウ》が降り立つなり、剣筋を《カットグラ》に向ける。それだけではない。ギーマの《ドラムロ》が火線を張って《カットグラ》を追い込もうとする。

 

『ゼスティアの軍人か』

 

『間違えないでよね……。私は地上人! 聖戦士よ!』

 

『……騙るな、小童』

 

 剣と剣が弾き合い、火花を散らす。《カットグラ》が僅かに劣勢なのは、先ほどの灰色のオーラバトラーに力を削ぎ過ぎたせいか。

 

《ドラムロ》の弾丸が《カットグラ》のオーラ・コンバーターに着弾し、その動きを大きく鈍らせた。膝をついた相手へと《ブッポウソウ》が刃を突きつける。

 

『チェックメイトよ』

 

『……地上人のたしなみの言葉か。追い詰めた、という意味らしいな』

 

『従いなさい。あなたの仲間も我が方が包囲している』

 

『食えないものだ。巣穴に仕掛けたのはしかし、オレ達が先のはず。恨み言を聞くつもりはないぞ』

 

『ここまでやっておいてよく回る口ね。要らないのなら斬って捨てるわ』

 

『ゼスティアはいつもそうだ。手狭な領地と狭苦しい了見で他国をないがしろにする』

 

『国家への侮辱は、ここでは聞かなかった事にしてやろう』

 

 ギーマの声に相手は皮肉を込めた。

 

『……次期領主もいるのか。それは耳が痛い事だろうな』

 

『降りなさい。まずはゆっくりと、その《カットグラ》から』

 

 相手が結晶体を開き、操縦席から歩み出た。屈強な男であり、服飾は青みがかった布を何枚にも重ねている。旅人帽を被った男の左目には三日月のような深い傷跡があった。

 

『よく出来ました。さて、名乗る準備は出来ているかしら?』

 

「それよりも。その白いオーラバトラー、損耗しているぞ。いいのか?」

 

『目を離した途端に逃げられたんじゃ堪らないからね』

 

「場数はこなしているようだな。お前がちょっとでも目を離せば、こうであった」

 

 相手が指を虚空に持ち上げ、何かを引く。

 

 瞬間、爆薬が作動し、巣穴の地層を崩した。

 

『あなた……!』

 

「心配するな。これは相手が通過する際にしか効かない。これを晒した時点でもう抵抗の意志はない」

 

 男はこちらへと一瞥をくれるなり、フッと笑みを浮かべた。

 

「いい機体だが、まだまだだな。騎士として必要なのは何としてでも勝つという執念。それがまるでない」

 

『地上人だもの、そりゃ、あなた達ほどじゃないわよ』

 

「……そうか。膨大なオーラ力だとは思ったが、やはり地上人とは。しかし、いつの間に地上人を二人も? 確かゼスティアはジェム領国に侵略戦争を――」

 

 そこから先は《ブッポウソウ》の刃が遮った。

 

『お喋りは長生き出来ないわよ』

 

「そのようで。なに、疑問であっただけだ。オレ達の負けだよ、負け。これでいいだろ?」

 

『投降するのならば、ゼスティアの流儀に倣う。捕虜として扱わせてもらう』

 

「せいぜい、人道的に頼むよ。ああ、だがお前達は何も知らないんだったな。《ゼノバイン》の事も、何もかも。それなのに、捕虜というのはいささか扱いが雑ではないか?」

 

『ギーマ。客人として……もてなしましょう』

 

『……癪に障る』

 

 苦肉の策のようであったが、今は一つでも知らなければ読み負けるのは必定であった。先ほどの灰色のオーラバトラー。あれが何なのか。

 

 聞き出すまではまともな交渉条件には乗らなさそうである。

 

「……エムロード。大丈夫?」

 

「平気、ちょっと……想定外で」

 

「無理もないよ。何だったんだろ、あの無茶苦茶なオーラバトラー。今までの常識じゃない感じだった」

 

「見境のない感じ……味方じゃなさそうだけれど」

 

「敵、って断言するのも違うかもね。相手次第かも」

 

 顎をしゃくったティマは男を注視していた。こちらの視線が分かるはずがないのに、男は読めない笑みを浮かべている。

 

『まずは何者なのか。言ってもらおうかしら?』

 

「こんな強獣の巣のど真ん中で?」

 

 突きつけられた無言の剣の圧力に、男は自嘲気味に返す。

 

「ランラ・ローランド。ランラでいい。オレ達に、所属する国家はない。亡国の徒だ」

 

『国家を失ってまで、何のためにここまで来たの? 罠だって大掛かりに張って』

 

「そりゃそうだ。あれを狩らなければオレ達に未来はないんだからな。無頼漢の集まりが組織立った動きが出来るのも、あれへの執念の賜物さ。《ゼノバイン》、あの狂戦士への復讐を」

 

 忌々しげに放たれた名前に、因果が集約されているようであった。

 

 ――《ゼノバイン》。

 

 その名前と共に少女の声が思い出される。

 

 まだこのバイストン・ウェルには自分では及びもつかない事だらけであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十六話 妖精ノ巣

 

 そこまで、と声がかかって《ゲド》部隊が剣を仕舞う。

 

 まさか、と息を切らした兵士達はオーラバトラーから這い出ていた。

 

 勝負は一瞬であった。模擬戦とは名ばかり。剣を一度引き抜いた《ゲド》は《ドラムロ》を翻弄し、一方的な攻防が展開された。

 

 その様相にザフィールは首肯する。

 

「程度は、これくらいで分かるんじゃないですか?」

 

 兵士達は抗弁も発せられないほど疲弊している。まさか《ゲド》相手にここまで落ちぶれているとは誰も思わなかったのだろう。

 

「……地上人の、馬鹿オーラで」

 

「今のは、聞かなかった事に。それで? 軍部の実権をこの模擬戦を見て、決めるんでしたよね? 枢機卿」

 

 観覧席で自分と同じように模擬戦を見守っていた枢機卿は、杖型の生物を手離し、放心していた。まさか、とその声が震えている。

 

「これが……地上人の」

 

「そのオーラです。どうです? 四十四人のオーラバトラー使いは。圧倒的でしょう?」

 

「……だが、すぐに、というわけには」

 

「それは! お約束と違うではありませんか。まさか違えるとでも? 国家も貧弱、政治も機能していないこの国で、では何が力を持つか? ……それは純粋なる兵力のはずです」

 

「……確かに力は見せてもらった。だが一存ではないと! 言っているのだ」

 

「……つまり、領主様にお伺いを立てろと?」

 

「……領主様は疲れていらっしゃる。貴様らのような、地上人が触れていい存在では――」

 

「ではどうするのです。我々を飼い殺しにして、では勝てますか? この戦争。勝てないと! ハッキリ言えばどうなんですか! だから地上人を召喚した!」

 

「口が過ぎるぞ、たわけが! 貴様らの身分などこのバイストン・ウェルでは保証されておらん!」

 

「騎士として身を立てるのに、身分ですか。これは面白い事を仰る。我々が剣であるのならば、収めるべき鞘が必要です。その鞘、いくらでも取り替えは利く」

 

 言葉の意味するところを理解したのだろう。枢機卿は慌てて取り成した。

 

「何をまた! 言葉に気をつけるといい。騎士団の名に傷がつく」

 

「傷なんていくらでも癒えますとも。問題なのは、それこそ鞘の威信ではないのですか?」

 

「……分かった。領主様に口添えしておけば」

 

「よしなに。みんな! 騎士団は晴れて、ジェム領国を守れるようになった!」

 

 こちらの言葉に少女達はめいめいに歓声を上げていた。

 

「……しかし、何故召喚した地上人は女ばかり……」

 

「それは我々が、運命の姉妹だからですよ」

 

 分かるまい。この愚鈍なるバイストン・ウェルに堕ちただけのコモンには、地上人四十四人の力というものが。

 

 そして自分が見出した、その可能性にも。

 

「盛大なパレードが必要かな」

 

 枢機卿の皮肉にザフィールは笑みで返した。

 

「いいえ。我々は騎士。騎士とは即ち、守るべき花のためにあるもの。花さえ無事ならどうとでも。騎士の痛みは騎士にしか分からぬものです」

 

「それは、軍属とは何が違う? 軍とは分けたい、という方針であったな」

 

「軍は、いざという時に動けません。今のままの体制では不可能でしょう。ですが、騎士団を付属させれば動きやすくなる、と言っているのです」

 

「……要は軍のお抱えか。傭兵連中を招き入れたようなものだと」

 

「お好きに解釈を。ですが我々が呼ばれるべくして呼ばれた、地上人である事をお忘れなく」

 

 ふんと鼻を鳴らした枢機卿が捨て台詞を吐いていく。

 

「エ・フェラリオに魅入られたのだ!」

 

 立ち去ったその背中を止めるまでもない。兵士達は騎士団相手に怯え切っていた。思えば妙な話だ。地上界ではただの少女、まだ子供と侮られていた自分達が、このバイストン・ウェルでは大人達の力関係を左右するなど。

 

 ザフィールは歩み出て、剣を引き抜く。他の騎士達も剣を抜き、天に向けて掲げる。総勢、四十四の剣が一斉に天を衝いた。

 

「然るべき手順は踏んだ。あとは騎士の本懐を成し遂げるのみ」

 

 然り、然りと声が飛ぶ。波のようなその声音に兵士達がうろたえていた。

 

「我らは四十四にして、一の剣なり。心得よ」

 

 ザフィールが身を翻す。その時、走り込んで来た影があった。黒衣に身を包んだ少年である。彼はザフィールへと恭しく頭を垂れた。

 

「エ・フェラリオ、アルマーニ様がお呼びです」

 

「ご苦労。皆を労うように。して、容態は?」

 

 尋ねると、少年は頭を振った。

 

「芳しくは……。やはり五十人前後の地上人のオーラを受け止めるのには、如何に優れたエ・フェラリオとは言っても……」

 

「限界、か。案内してくれ」

 

「ザフィール様。お勤めはよろしいので?」

 

「もう済んだ。軍はわたくし達を重宝せねばならないだろう。《ドラムロ》ではいくら戦っても結果は出ない。求めているのが結果そのものなのだから、騎士の徴用は急務のはずだ」

 

「……ジェム領国のコモンは皆、オーラは低いのです。それをお分かりになってください」

 

 充分に分かっているつもりであった。土地柄か、あるいは血筋か、ジェム領国のコモン人が持つオーラ力はあまりに脆弱。

 

 それは他国から攻められれば一瞬で瓦解する国防を鑑みても明らかである。

 

 一握りのエースが活躍する、という国家は最早、それは国家としての緩やかな死と同義。

 

「グラン中佐は急いていらっしゃる。自分の御役御免になるのが怖い様子で」

 

 その言葉に少年が微笑む。

 

「あのお方らしい。グラン中佐は人一倍の努力家です。元々は弱いオーラであったのを、フェラリオとの邂逅で開花させられたとか」

 

「だからシルヴァー姫は大事なのだろう。分からなくもない」

 

「こちらへ」

 

 少年の示した先には扉がある。ノックしても返答はない。

 

「入ります。アルマーニ様」

 

 部屋の中央には星の印が刻み込まれている。天に向かって祈りを捧げる僧衣姿の女性が、祝福の光を受けていた。

 

 眩いまでに輝く、とはこのような事を言うのだろう。彼女は確かに特別な存在であった。

 

「……アオ」

 

 古い名で呼ぶ彼女はこの領国でも自分の出自に近い特異な人物。否、正確にはヒトではない。

 

 想像上の生物が数多く存在する中で異質な光を放つ種族――妖精ともあだ名される者達、フェラリオ。

 

 その中でも力を持つ種をエ・フェラリオと呼ぶ。

 

 アルマーニは自分を認めるなり、笑顔になった。ブロンドの髪が床に垂れている。

 

「もう、その名は捨てました。今はザフィールです」

 

「でも、あなたはアオでしょう? 会った時から変わっていないわ」

 

「一月も前ですよ」

 

「まだ一月よ。フェラリオからしてみれば、一瞬みたいなもの。まばたき一つ」

 

 実際にその通りなのだろう。コモン人もそうであるのだが、バイストン・ウェルの者達は基本的に長命だ。

 

 その代わり、様々なものが欠落している。

 

 フェラリオには知性が。コモンには力がない。どちらも兼ね備えているのが、地上人である。

 

 自分達の知力がこのバイストン・ウェルの歴史を大きく塗り替えたと言っても過言ではなかった。

 

「三十年も経つのね。地上人がオーラバトラー……あの忌むべき兵器を造ってから。それも、ちょっとまどろんだ程度でしかないけれど、それでも変わったわ。あのオーラマシンの放つ殺気みたいなの、あんまり好きじゃないのよ」

 

「ですが、今は選り好みもしていられません。コモンだって使う」

 

「それは、あまりに強過ぎるから。強い力は身を滅ぼすのだと、コモンでは理解出来ないのよ」

 

「失礼。今の言葉、コモン人に聞かれていればあなたの心臓は動いていません」

 

 あっ、と気づいたようにするこの女性はわざとやっているのではない。本当に、純粋に、この世界に対する知性が足りていないのだ。

 

 一挙手一投足で摘まれる命があるという想像力はまるでない。戦地でヒトが何をするのか。どれほどの非業の化け物に成り果てるのかをまるで知らぬ、そういう儚い存在。

 

「ごめんなさい。怒らせる気はなかったの」

 

「いいのです。わたくしは地上人ですから」

 

 その言葉にアルマーニは笑いかける。

 

「可笑しいわ。だってあなた、一ヶ月前にはまるで赤ん坊だったのに」

 

「そうですね。何も知らなかった。それをあなたが教えてくれた」

 

「ジェム領国の人々のオーラでは救えない、と判断したのよ。彼らでは届かない。ゼスティアに奪われた王冠には。決して」

 

 それだけ強い語調であった。フェラリオが人界に口を出すなどよっぽどだ。よっぽど勝ち目のない戦争だったのだろう。

 

「グラン中佐がいます」

 

「あの人は駄目よ。どこまで行ってもコモンには変わりはないわ。もし、ゼスティアがちょっと強い地上人でも呼んだら一瞬でしょう」

 

 その言葉に自然と思い返したのは前回の白いオーラバトラーであった。

 

 美しい緑のオーラを纏ったあの機体。ゼスティアの独断にしてはあまりに鋭い刃である。

 

 何者かが手を貸しているか、あるいはもう最悪の事態には転がっているのかもしれない。

 

 地上人の召喚。それには大いなる天の恵みであるフェラリオの力があればどうにかなる。

 

 それにあの声の持ち主、とザフィールは思いを巡らせていた。

 

 ――まさか、翡翠だと言うのか。

 

 剣道部で教えを乞うていたあの声によく似ている。剣筋も、まるでそっくりだ。

 

 だが、まさかという思いがあった。そこまで運命は自分達を弄ぶまい。作為的なものを、感じずにはいられなかった。

 

「アオ……? 何かあったの?」

 

「いえ、何も。騎士団の結成までは順調です。あなたの助言があっての事」

 

「コモンの方々の考える事は分かりきっているもの。何百年生きていると思っているの?」

 

 フェラリオはコモン人に侮辱される事も多いが基本的には彼らよりも長生きなのだ。当然、世の中はそれだけ長く見ている。ただし、目線が違う。それゆえに、全く分かり合えないのだ。フェラリオの俯瞰する世界と、コモンが実際に棲息するこの自然ではまるで別種。

 

 厳しい自然に対抗しなくてはいけないのは、地上と何も変わりはない。対抗し、拮抗し、そして凌駕するために兵器を開発するのも、同じ事だ。

 

「当然の帰結、というわけですね。しかしわたくし達のやり方には反発も多い」

 

「コモンはどうしても、ね。小さく物事を捉えがちなの。だから三十年前に浄化なんて起こったのよ。ジャコバ様を怒らせて」

 

 浄化、という言葉はフェラリオ独特の代物だ。世界を彼女らは「浄化」するための役割も帯びている。穢れの概念がここバイストン・ウェルにも存在する事に、まず驚きを隠せなかったものだが、その真実を聞いた時にはさもありなんと感じたものだ。

 

 人は人同士で争う。

 

 ゆえにこの世は不浄なる場所。

 

 ゆえに天上人が存在し、罰を下さなければならない。

 

 皮肉な事に幻想溢れるバイストン・ウェルでも、美しさだけが生き延びるわけではない。

 

 そうであったとすれば、よっぽど救いはあるのだが、やはり人が棲む以上、どこかで穢れる。どこかでどうしようもない、過ちが存在する。

 

 だがだからこそ、騎士は意味を成すのだ。この世界で大義を成すのならば剣を取るしかない。

 

 その教えだけが絶対だ。力は全ての流儀を超える。

 

「騎士団は確実に力をつけつつあります。敵国が攻めてきたとしても」

 

「そういえば、妙なオーラの流れを感じたわ。あれは……地上人だったのかしら?」

 

 白いオーラバトラーに乗っていた因縁を片づけるのには、まだ足りない。まだ、自分達は一端ですらないのだ。

 

「それが悪い流れであるというのならば、わたくしは断ち切ります。この剣は、ジェム領国のために」

 

 いずれは王族に傅くはずのこの身でも今はただここに召喚してくれた一人の女性のために。

 

 アルマーニはそれを目にして微笑んだ。

 

「無理はしないでね。あなたを死なせるために、バイストン・ウェルを選んだわけじゃないわ」

 

 承知しているとも。死に場所は、手ずから選んで終わるとしよう。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十七話 災厄ノ王冠

 

 ユニコンでも乗せられないほどの大軍勢であるのは想定外であったが、相手も獣を使役しているので思ったよりも移動は楽であった。

 

 しかし、とギーマは後続する連中を見やる。《ドラムロ》の中だからこそ、相手への侮蔑の眼差しは届かなかったが、直接目にすれば険悪になっていただろう。

 

 服飾も、身なりも、どれもこれも汚らしい。無頼漢の集まりと評されたのは間違いではないようであった。

 

「……これではゼスティアの品位が下がる」

 

『そんな事を気にしている場合? 彼らの協力がなければ、《ゼノバイン》とやらに《ソニドリ》が墜とされていたのよ?』

 

 ミシェルの抗弁にギーマは鼻を鳴らす。

 

「墜ちたのならばそこまでであったのだろう」

 

『……プライドが高いのは分かるけれど、せっかく召喚した地上人を死なせるのは無為だって分からない?』

 

「分からないな。彼らは選んで来たわけではない」

 

『その弁だと、彼らも、だけれど』

 

「連中は思い思いに集ったのだろう。烏合の衆だ」

 

『出来ればその口、閉じていてよね。聞こえたらあんた、八つ裂きになるわよ?』

 

「すればいい。連中に噛みつかれる前に、喉笛を掻っ切って死のう」

 

『……本当にそれをしそうで怖いわよ、あんた』

 

《ドラムロ》にはダメージはない。だが、《ゼノバイン》と呼称された機体のデータを反映させていた。

 

 一瞬の交錯であったため、その姿でさえも定かではない。だが、《ソニドリ》のダメージは確固として現実であり、ジェム領国の技術と融合したあの機体でも押し負けた、という事実が何よりの証拠。

 

「……あり得ん。ジェム領国だけでも面倒なのに、新たな脅威を抱き込むなど」

 

『難民、っていう触れ込みなら、ゼスティアの株も上げられるんじゃ?』

 

「領地は狭いんだ。難民なんぞ上げておく場合ではない」

 

『それだけは反論出来ないわ。確かにゼスティアは狭い』

 

 領地である城と、それの有する僅かな敷地。周囲は断崖と森林に囲まれ、遊牧地帯が広がっているゼスティア。人が住む場所など城内くらいしかなく、民草は牧場で寝食を過ごす。

 

 兵士は志願制であり、強制的な搾取は少ない。

 

 ゼスティアがこのような制度に落ち着いたのは何よりも民が少ないからだ。今以上に民を増やせば国家は混乱する。しかし民を減らせば、搾取するものがなくなってしまう。

 

 ギリギリのバランスで成り立っている領国でどうやって難民など受け入れればいいというのだろう。

 

 やはりというべきか、ギーマはある結論に導かされていた。

 

「……難民の兵隊。そうするしか、道はあるまい」

 

『反発は来るとは思うけれどね』

 

「少しの反発ならばいいさ。今ある秩序を破るほうがまずい」

 

『王冠の事、バレれば失脚よ?』

 

「それは君もだろう。もう共犯者だ。わたし達は」

 

『一緒にしないで、って言いたいところだけれど、戻れないのよね。悲しい事に』

 

 ミシェルは秘密を共有している。問題なのはエムロードとアンバー。強力なオーラ力と乗機を持っているだけに厄介である。対応を間違えれば手痛いしっぺ返しとなるのは確実。

 

「……《ソニドリ》が我が方の味方であるうちは幸運か」

 

『エムロードと戦えなんて言わないでよ。私は勝てないわ。今のあの子でも、性能面で《ブッポウソウ》の上を行かれてる』

 

「弱気じゃないか、随分と。君らしくもない。前までなら、寝首を掻くくらいわけなかったはずだ」

 

『地上人同士、情があるのよ』

 

 どうだか、とギーマはその言葉の嘘くささを感じていた。一言二言で消えてしまいそうな信頼関係など、児戯に等しい。

 

「情、か。せめてその情が、足を引っ張らない事を祈るばかりだな」

 

『何よ、その言い草。あんただって、エムロードとアンバーは必要だって思っているんでしょう?』

 

「当然だとも。我がゼスティアのために、戦ってくれる騎士は多いほうがいい」

 

『……素直じゃないんだから』

 

 素直など、そのような感情は切り離すべきだ。殊に、これから先、民草を擁していくのに、情にほだされれば負けなのだ。

 

「……わたしは、いずれこの領国をバイストン・ウェル一にしてみせる。そのためならば、どのような汚名であっても……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 軍の兵士達が騎士団に敗北した、という報は直ちにグランへともたらされた。

 

 軍を預かる手前、この結果は甘んじて受けるべきである。

 

「……ザフィール。地上人の騎士団が、我が軍属を」

 

「……如何なさいますか?」

 

 こちらを窺う兵士にグランはふんと鼻を鳴らす。

 

「知れた事。儂が戦果を挙げればいいだけの話だ」

 

 それは、と部下が止めにかかる。

 

「侵略になります!」

 

「侵略国だと、ゼスティアは触れ回っている事だろう。ならば、その汚名、着てみせる。たとえ過ちでも、我々ジェム領国に勝利を。儂は《マイタケ》で出る!」

 

 格納庫へと足を進めたグランは《マイタケ》の整備に入っている整備士達に声をかけた。

 

「どうか」

 

「悪くはありません。前回受けた傷も癒えています。ただ、今しがた入った情報ですが……」

 

 囁かれた情報にグランは目を瞠る。

 

「まことか? ゼスティアに援軍?」

 

「監視についていた《ドラムロ》部隊からの情報です。確かかと」

 

「……信じられん」

 

「こちらとしても事実情報とのすり合わせに混乱があります。ゼスティアの評価を正しく分かっていれば、援護などどの国だってするはずもありません」

 

「……分かっていないからこその地上人なのだろうからな。あの白いオーラバトラーの地上人は強かった」

 

 エ・フェラリオを使っての召喚。こちらのほうが兵力は上でも、一騎当千の攻撃力では難しいかもしれない。

 

 何よりも、騎士団と軍が足並みを揃える気は全くない。このままではジェム領国は空中分解だ。

 

「……どうなさいますか。これで《マイタケ》を出しても、やられてしまえば」

 

「……いや、そうなった時こそ分水嶺だろう。儂は諦めんよ。地上人とは言え、良識はあるはずだ」

 

「賭けると言うのですか! 中佐のお命で!」

 

「敵陣に踏み込むのもまた、軍師の務め。大軍よォ! 儂は《マイタケ》を使い、ゼスティアへと止めの一撃を放つ! 応える者は居るか!」

 

 その声音にオーラバトラーが手を掲げた。

 

『然り! 然り! 然り!』

 

「では問おう! 貴君らの真の武功とは、これ如何に!」

 

『我らの武功、武勲は全てグラン中佐に預けましょう!』

 

「……感謝。感謝に尽きる。貴君らは前に出ぃ! 《マイタケ》を駆り、ゼスティアに奪われし王冠を、取り戻すぞ!」

 

 相乗する雄叫びにグランは瞼を閉じた。

 

 瞼の裏にはシルヴァー姫の姿が映る。王冠を何が何でも取り戻さなくては。そうでなくては何も成せぬ。何も、真っ当に成らぬ。

 

「……取り戻すのだ。全てを」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「血ぃ抜きされていたのはある種の怪我の功名ですねぇ。このまま加工せずにすぐ使えますよ。《ソニドリ》の修復には三時間もあれば」

 

 整備班の声にティマは設計図の内側に線を引いた。

 

「ちょっとまだ、機体のがたつきが激しいのよ。もうちょっと安定させたい」

 

「エムロード殿は?」

 

「あの子は充分に。でも勝てなかった。《ゼノバイン》とか言う狂戦士を倒すのに、あれじゃって」

 

 思い返すだけでも怖気が走る。あのオーラバトラーには見境というものがなかった。

 

 まさに狂戦士。あんな敵を追って大陸を横断している者達も、恐るべき執念だ。彼らは帰る場所を追われ、行き着く場所も分からない旅路の中、同じ災厄に行き遭った、という共通項だけで結ばれた無頼漢の絆がある。

 

 恩讐の絆は、時に何よりも堅いであろう。

 

「……何かお考えで?」

 

「ゼスティアとの協定、っていう表向きの形だけれど、裏では結局、読み合いなのよ。それが辛くってね」

 

「ティマさんは《ソニドリ》に集中してください。俺達は他を万全にします」

 

「助かるわ」

 

 飛翔したティマが向かったのは決起集会の行われている中庭であった。

 

《ゼノバイン》を殺すためだけに集った者達はどれもが物々しく、義手義足はほとんど当たり前。中には武装を仕込んでいる者もいる。

 

 その中に《カットグラ》を動かしてみせたランラがいない事に気づき、ティマは声をかける。

 

「ねぇ、あんた達の長は?」

 

「向こうで話し合いだとよ。頭目はお忙しそうだ。それより、ミ・フェラリオの嬢ちゃん、こっちで酒でも飲んでいかねぇか?」

 

「遠慮するわ」

 

 あしらって、ティマはランタンの灯りが照らす一区画へと近づく。窓際にギーマが背を預けていた。

 

 ミシェルもおり、ランラへと問いかけている。

 

「《ゼノバイン》を追ってきたのは間違いないのよね?」

 

「ああ。オレ達はあれを追って……もうバイストン・ウェルの半分は行ったんじゃねぇかな」

 

「大陸の半分か。恐ろしい事を言うな。コモンでは大陸を渡り切り、海を超える事などあり得ないと言われているのに」

 

 その評にランラは得意気に笑みを浮かべる。

 

「なに、とんだ旅がらすってわけさ。そこの奴と一緒かねぇ」

 

 その言葉に座り込んでいたトカマクが顎をしゃくる。

 

「傷つくねぇ。おれは実質的には旅商人兼、吟遊詩人のつもりだったんだが」

 

「目的を知らず、あまつさえも何もない虚無に生きるというのか。貴様、それでも男に生まれたのか」

 

「言われちまっても、おれは地上人だ。あんたらとは生き方や考え方が違う」

 

 トカマクの言葉振りにランラは心底蔑みの言葉を投げた。

 

「そうであったな。地上人……穢れた地から訪れし異端者達。だがオレでも分かる。あの白いオーラバトラーじゃ、《ゼノバイン》には勝てない」

 

「何も一対一の騎士道ってわけでもあるまい。おれ達はもっと大きな目線で渡り歩こうと思ってるのさ」

 

「聞いたぞ。ジェム領国との対立だそうだな。協定関係、結ぶのはやぶさかではない」

 

「では……」

 

 期待に満ちた声を出そうとしたギーマをランラは制する。

 

「ただし、オレ達の引き入れ先を完全に誘致してもらう。宙ぶらりんのままじゃ、誰も落ち着けないんでね。兵士にしろ、民草にしろ、さっさと決めていただきたい」

 

 ギーマは苦渋に奥歯を噛み締めているのが伝わる。ミシェルがその議論に割って入った。

 

「……でもあなた達は、《ゼノバイン》を追っている。そう考えた場合、身分は逆に縛りになるのでは? 一国に契約書一つでしがらみを置くくらいならば、ないほうが賢明ではない?」

 

「勘違いをしているようだから言っておこう。オレは、別に構わんさ。《ゼノバイン》を追い詰め、この手で……潰すためならな。だが他の連中は違う。乳飲み子の時からずっと、オレ達に混ざっているガキだっている。女だてらに戦闘をやってのける奴も、両手がないのにまだ作戦を遂行する無茶な奴も……。そいつらに、落ち着ける場所を与えてやるのが、頭目ってもんだ」

 

「要するに、そっちも完璧ではない、と」

 

「全員が特攻覚悟ではあるが、オレはみんながみんな死ににいったって仕方がねぇと思っている」

 

「死に急いでいるのは案外、あなただけっていう事。分かりやすくっていいわね」

 

 ランラは肩を竦める。

 

「オレが一番、《ゼノバイン》を恨んでいる。これはマジにダントツだ。だから、殺し合うのならオレだけでいい。最後の最後、他の連中の身柄の保証は」

 

「なるほど。ゼスティアが請け負う、と言って欲しいわけか」

 

 ギーマの返答にランラは手を払う。

 

「要らないんなら別にいいぜ。ただ、その時には近い領国に同じ条件を突きつける」

 

「それは困るわね。ジェム領国の味方に回られれば我が方は不利になる。あなたの立ち回りを見たもの。兵士としては立派な動きだった」

 

「地上人に褒められて、これは喜ぶべきなのかねぇ」

 

「ミシェルは相当なやり手だ。彼女の賞賛は受けるといい。……して、他の者達の身分の確保、であったか」

 

 ランラは頭を振る。

 

「そいつが確約されないと、どうにもな」

 

「兵士身分では後々禍根を残す。市民としての権利ではどうか」

 

「それでいいのか? ギーマさんよ。市民に飢えさせないほどの政策が、今のゼスティアに出来ているのか」

 

 トカマクの声にギーマが睨みを利かせる。

 

「貴様はどちらの味方なのだ」

 

「おれは吟遊詩人さ。どっちの味方にもなる」

 

 のらりくらりとしたトカマクの声を受け、ランラが要求を突きつけた。

 

「で? 呑むのか? 次期領主」

 

 ここまで言われて呑まないわけにもいくまい。ギーマは苦渋の判断の末に、と言った具合に応じていた。

 

「……市民権でいいのなら」

 

「それだけじゃねぇ。飢えさせない、っていう制約も立ててもらおうか。それがないと、まともに任せられない」

 

「……領国の未来までは読めん」

 

「じゃあご破算だな。ジェム領国に行くぜ」

 

 身を翻しかけたランラに、ミシェルが呼びかける。

 

「――絶対に負けない」

 

 その言葉にランラは足を止めた。ミシェルが笑みを浮かべる。

 

「って言ったら、どうする?」

 

「……信用ならないと返すね」

 

「納得してもらえる条件はあるわ。こっちへ」

 

「ミシェル……! まさかあれを」

 

「見せないと納得しそうにないもの。ギーマ、あんたはあくまでも市民ではなく、いざという時には徴兵したい。そうでしょう?」

 

「それが本音なら、兵力は一人だって貸せないな」

 

「安心なさい。見れば分かる」

 

 全員が部屋を離れていく。ティマは部屋の中央に置かれた図面を注視していた。

 

 卓上の図面には今まで見た事のないオーラバトラーの設計図がある。

 

「……あれが、ランラ達の切り札?」

 

 窓際から離れ、ティマは格納庫へと再び戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 領主の姿を目にしてランラが感じたのは、やはり、という確信であった。

 

 ウラウは窓の外を眺めている。ランラは形だけでも、と傅いた。

 

「ゼスティア領の領主だと」

 

 しかしウラウは曖昧な言葉を放つのみである。

 

「風が……止んだようだな……」

 

「……いつからだ?」

 

「二年ほど前から。ゼスティアでオーラバトラーの開発を始めた辺りからだな」

 

 ギーマからしてみれば苦々しいに違いない。自らの父親の醜態である。

 

「看た事がある。オーラが今までほとんどなかった場所で、不意に高濃度のオーラマシンを製造し始めると、こういう症例が出る。他の人間には?」

 

「出ていない。領主のみだ」

 

「ある意味、致命的……いや、これは隠し通さなければならない事実だろう。一国の長が既に曖昧など。だが貴様、これをオレに見せて如何にしたい? もう治らんぞ、父上殿は」

 

「わたしも諦めている。見せたいのは……」

 

 ギーマが顎をしゃくる。ミシェルが歩み出て領主の座る玉座の奥に位置する宝箱を持ち上げた。

 

「……驚いたな。領主でさえもフェイクか」

 

「これこそが、ゼスティア再興に最も必要なもの」

 

 箱を開けた途端、黒々とした光が放出される。その禍々しさに、ランラは絶句した。

 

 この世の呪いを一身に受けてもこれほどのものはあるまい、否、これはそれ以上だ。

 

 恩讐、怨嗟、憎悪、醜悪……それらの言葉では飾り立てられないほどの暗黒が箱の底に沈んでいる。

 

 箱を満たしているのは並々と注がれた黒い泥であった。

 

「この泥は?」

 

「王冠から自然と染み出たもの。触れれば死に至る」

 

 ミシェルはしかし、素手である。

 

「……なるほど。オーラ力か」

 

「コモンは、ね。これを素手で触ればたちまち死ぬ。でも地上人なら死なずに済む」

 

 ランラはギーマが自分に言わせたい言葉を発していた。

 

「この王冠のために、命を張れ、か」

 

「それさえあれば、我が方はジェム領に負ける事はない」

 

「順序の逆転だろう? これがあるから、ジェム領国は襲ってくる。ともすれば、領主が曖昧なのもこれの呪いかもな。だが、お前達はそれを分かっていてもこれを渡すわけにはいかない、と……」

 

 得心したランラが首肯すると宝箱が閉じられた。確かにこの宝の放つ暗黒の瘴気はまるで別物だ。

 

「ともすれば……貴君の戦いを終わらせられるかもしれない」

 

「……なるほどね。順当な判断だ。この呪われたとんでもねぇ、お宝があれば《ゼノバイン》とやり合えるかもな。分かった。ジェム領に味方するのはちょっと考えさせてもらう」

 

 ただし、とランラは言いつけた。

 

「あんたらの完全な味方にもなれない」

 

「そのスタンスでいい。でも、私達はもう共犯者。これを見た時点で」

 

「地上人……賢しいねぇ。よくもまぁ、後戻りの出来ない状況を作る。オレがうんと言わなければ、この呪いをオレ達に被せるか?」

 

「それも考えのうちだ」

 

 ギーマは、しかしさほど考えていないのが窺える。ここで障壁となるであろうなのは、ミシェルとトカマク。この二人の地上人の考えがまだ読めない。

 

「……承知したぜ。オレはいいさ。身分を規定しない兵士にするがいい。だが! やっぱり譲れねぇな。他の連中の身分の口利き! これだけは絶対だ!」

 

 ここで声を張り上げなくては有耶無耶にされるであろう。ギーマが何か言いたげであったが、ミシェルが制する。

 

「いいわ。どうとでも身分は与えましょう」

 

「……従おう」

 

 不承ながらに、と言った様子のギーマにランラは頷いていた。

 

 これで協定は結ばれた。否、最早共犯関係である。

 

 それほどまでに、この宝はまずい。これだけは、絶対に外に漏らしてはいけないものだ。

 

 絶対悪とでも呼ぶべき代物である。こんなものをよく、一領国風情が持ったものだ。

 

 この闇はいずれ国を覆い、戻れない場所まで叩き落すであろう。

 

 それが予測出来ても、ここでは忠言する気にはなれなかった。

 

 彼らが行く破滅の道だ。自分には関係がない。

 

「めでたいところだが、一つだけいいか?」

 

「何かしら? 《カットグラ》に関してはこちらできっちり回収作業を行わせてもらうけれど」

 

「そうじゃないさ。あの白いオーラバトラーに乗っていた地上人に関してだ」

 

 それは完全な理解の外であったのだろう。ミシェルが唖然とする。

 

「……あの子に何が……」

 

「あのままじゃ、押し負ける。鍛錬の許可を。オレにくれ」

 

 その申し出にギーマが声を荒らげる。

 

「何を言って……! 彼女は地上人だ!」

 

「だからこそ、さ。あんなナマクラ剣じゃ、いざって時に腰が引けちまう。もっとマシにさせてもらう。これもあんたらの仲間になる条件だ」

 

 どうする、という問答の眼差しをギーマとミシェルが交し合う。それを割って入ったのはトカマクであった。

 

「いいじゃないか。エムロードが強くなる。別に悪い事じゃない」

 

「トカマク。……あなたは地上人だから」

 

「だからって何だ? ギーマ、おれ達は運命共同体だ。だって言うのに、いざって言う時に矛が壊れちゃ話にならないだろ? それはランラの言う通りだ。今のままじゃ、エムロードも《ソニドリ》も一線級とはいかない」

 

「……でも鍛錬は……」

 

「何が不満だ? 言ってくれれば対応するぜ?」

 

 こちらの読めない言動に相手は必死に思索を巡らせているのだろう。逡巡を挟んで、ギーマが声にした。

 

「……いいだろう。ただし、こちらも条件だ」

 

「ギーマ、何を……」

 

「地上人は二人、だ」

 

 その条件にミシェルが噛み付く。

 

「ギーマ! アンバーはでも……」

 

「戦えない、かね? しかしそれでは困るのだよ。いざという時には、ね。このゼスティアに召喚された以上、働きはしてもらう。試算上、最も強くとも使えなければ意味がない。ランラ、貴様には二人の地上人の教官をやってもらう」

 

「……ギーマ。あんた自分がやる自信がないからって……」

 

 ミシェルの声音に何か事情があるのは窺えたが、ランラは豪快に引き受ける。

 

「一人が二人になろうと同じだ。呑もう」

 

「助かる。ミシェル。我が方としても《ガルバイン》は出したくてね。これが最も手早い」

 

 ランラはギーマとミシェルの間に歩み入った。

 

「今日はさすがに休ませてもらうぜ。《ゼノバイン》を追って不眠不休でね」

 

「ああ、いいとも。温かいベッドを用意しよう」

 

 歩み去る間際、ミシェルが口走った。

 

「……あの子達には酷よ」

 

 その言葉の意味が、今はまだ分からなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十八話 絶世覚悟少女

 今でも何が起こったのかを受け止められずに、エムロードは城内を彷徨っていた。

 

 突然の闖入者と、《ゼノバイン》という強大な敵。あらゆる事を差し引いても、とてもではないが自分一人では抱え込めなかった。

 

 だからだろうか。足が自然と、アンバーのいる部屋へと向かっていたのは。

 

 せめて声が聞きたい。互いに互いの傷を舐めあう形でもいい。今はただ、声が……。

 

「……琥珀。ボクは……」

 

 捨てた名前を紡いで、エムロードは部屋へと向かおうとする。

 

 その時、扉の前で佇んでいる影を目にした。

 

 ランラと名乗ったあの男である。何のつもりなのか、と問い質した眼差しに相手はふんと鼻を鳴らす。

 

「ちょうどいい。出るように言ってくれ。聞き入れてもらえなくってな」

 

「……どういう事」

 

「ギーマから、お前ら二人の教官に、と充てられた。明日より剣術を指南する」

 

 突然の事に言葉を失う。だって琥珀は……。

 

「琥珀は……戦いたくないはずなんです」

 

「そんな事は関係がない。聞いた話では一番のオーラ力を持っているようじゃないか。オレが一端の兵士にしてやる。戦えなければ、地上人とは言え意味がないからな」

 

 扉を叩こうとしたランラの腕を覚えずエムロードは握り締めていた。

 

 コモン人とは思えない膂力に、このバイストン・ウェルに来て初めて圧倒されそうになる。

 

「……何のつもりだ?」

 

「アンバーは戦わない」

 

「それは許されない。ゼスティアに召喚されたのならば戦えと。オレもギーマとの契約があってな。不本意ではある」

 

「だったら……! 余計に守る義務なんてない!」

 

「オレにはあるんだ。離せ」

 

 力が込められ、エムロードは振り払われた。まさかコモン人に力で負けるとは思っていなかった身体が萎縮する。

 

 乱暴に扉を叩くランラに、エムロードの中で怒りがふつふつと湧き上がってきた。胸を占める黒々とした感情が腰に装備した結晶剣の鯉口を切らせる。

 

「……殺気立ったな。剣まで握って」

 

 硬直したランラにエムロードは正眼に剣を構える。

 

「……これ以上やれば……ただじゃおかない」

 

「もったいぶるなよ、地上人。殺すとでも言えばいい」

 

 相手の本物の戦士の気迫に、エムロードは呼吸を詰める。

 

「……殺してやる」

 

「殺してみろ。なに、やればいいだけの話だ」

 

 本気で言っているのだろうか。結晶剣とは言え、敵は斬れるように造られている。エムロードは柄に力を込め、雄叫びと共に斬りかかっていた。

 

 その一撃を相手は大して身じろぎしたわけでもない。立てた二本の指先で刃を取る。

 

「白刃取り……」

 

「拙いな。その程度か」

 

 直後にまさか、と思ったのは、二本の指の力だけで押し返された事だ。

 

 姿勢を崩したエムロードへと足払いが入る。背筋を打ちつけた身体から剣が奪われ、首筋に刃が添えられていた。

 

 ハッと、息を呑む間もない。

 

 恐ろしく密度の濃い手際に、ただただ何も言えなくなる。

 

「……どうした? 動かないのか? 首を刎ねるぞ?」

 

 刃がじり、と殺気を帯びる。エムロードは咄嗟に身体を持ち起こしていたが、瞬間、先ほどまで首があった空間を太刀が引き裂いていた。

 

 ――今、姿勢を起こさなければやられていた。

 

 その実感に冷や汗がどっと湧き出る。

 

 早鐘を打つ鼓動に剣を返したランラは地面に切っ先を突き立てた。

 

「やれ。殺せると思うのならばな」

 

 ――不可能だ。殺せない。

 

 予感でも、ましてや希望でもない。これは確実な敗北であった。

 

 ここまで力の差を見せ付けられればどうしようもない。

 

 ランラは扉から身体を離し、蹴りを見舞っていた。木製の扉が用意に吹き飛ぶ。

 

 中に篭っていたアンバーの驚愕は最もであっただろう。彼女は目を見開いて放心していた。

 

「……貴様がアンバーか」

 

「……誰、翡翠は?」

 

「翡翠……? こいつか。エムロード」

 

 エムロードは身動きさえも出来なかった。少しでも動けば剣を取られ斬りつけられる。

 

 その実感があるせいで、そのイメージが脳裏を離れないせいで、呼吸も儘ならない。遂には呼吸困難に陥って膝を折ってしまった。

 

「翡翠……?」

 

「……どうやら自分より強い相手に出会った事がないようだな」

 

 ランラは部屋へと踏み込み、アンバーへと冷徹に言いやる。

 

「貴様はオーラバトラーにはもう乗らないらしいな」

 

「……そう、だけれど」

 

「それはこの領国では許されない。アンバー、それにエムロード。貴様らを徹底的に、鍛えろと仰せつかった。それこそがオレが《ゼノバイン》を追うために、この国に在籍する条件だ。ギーマとミシェルもその条件を呑んだ。あの吟遊詩人もな。ここでオレの決定権を覆せる人間はいない」

 

 絶望的な響きであった。

 

 もう一度アンバーにオーラバトラーに乗って前に出ろと言うのか。そんな、あまりにも残酷な事を。

 

「あたし……」

 

「明朝から始めるつもりだったが、こんなところで腐っているのならば今から分からせたほうがいいか。オーラ力がどれほどのものか、試させてもらう」

 

 ランラがアンバーの腕を掴む。細腕が今にもへし折られるかに思われた。

 

「やめろ!」

 

 エムロードは眼前の剣を取りランラへと背中から斬りかかる。戦力差など関係がない。

 

 アンバーを、こんな男のいいように扱わせるわけにはいかない。

 

 打ち下ろした剣筋が直後、膨れ上がったオーラの熱を関知した。

 

 アンバーが悲鳴と共に爆発的なオーラを増幅させる。その波にランラ共々吹き飛ばされてしまった。

 

 エムロードは岩壁の冷たい感触を味わいながら、咽び泣くアンバーを視界に入れていた。

 

 ランラが持ち直して頭を振る。

 

「まさかこれほどまで、とはな。アンバー。やはり貴様は《ガルバイン》に乗れ。そのほうが……よっぽどこっちよりも強くなれる」

 

 一瞥したランラの眼差しに、エムロードはぞっとする。

 

 本当に、虫けらとしか思っていない眼。

 

 アンバーは涙していたが、ランラは歩み去っていった。エムロードは部屋に入る事も出来なかった。

 

 素質の分ではアンバーのほうが自分より強いとは聞いていたが、オーラだけでまさか大の大人を吹き飛ばせるまでとは思うまい。

 

「……翡翠……。助けて……くれないの」

 

 その問いかけに今は素直に頷けなかった。自分が全く太刀打ち出来なかった相手を、かつての友は容易に倒した。それだけで、エムロードの心には亀裂が走っていた。

 

「ゴメン……琥珀。ゴメン……、ボクは何も出来ない。何も……出来なかった」

 

 贖罪のように口にした言葉が一番に情けなかった。エムロードは剣を手に逃げ出した。

 

 どこをどう逃げたかも分からない。

 

 ただ今の自分をアンバー――琥珀に見て欲しくなかった。ランラに押し負け、言葉でも力でも及ばなかった自分を。親友の相貌に守ると誓ったあの日々は、もう遠い幻なのだと突きつけられたかのようで。

 

 城壁の隅で、エムロードは涙に暮れた。

 

 止め処なかった。

 

 それはこの場所へと呼ばれた不安の涙だけではない。至らなかった自分が情けない涙、敗北を心に刻んだ涙、そして――敵として蒼を討たなければならないかもしれない、そう遠くない宿命への涙……。

 

 どれもこれもが少女の胸の中で抑え込むのには辛く、エムロードは今はただの「翡翠」という名の少女として泣くしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気づいて、ティマは声をかけそびれていた。

 

 柱の陰からエムロードを窺う。このバイストン・ウェルに召喚されてから、アンバーは脆さを隠せていなかったが、エムロードは戦士なのだと、自分達は勝手に思い込んでいた。

 

 だからなのだろう。顔を出すのは気が引けて、身を翻そうとした時だった。

 

「……ミシェル」

 

「……アンバーから聞いてここまで来たんだけれど……放っておいたほうがいいわよね」

 

 声が聞こえないのを確認して、ティマは罵った。

 

「……あんた達でしょ。あのランラとかいう乱暴者を呼び込んだのは」

 

「仕方がなかった……なんて言い訳するのもおこがましいわね。私達は分かっていてやっているの。確信犯なのよ。でも、あの子達は違う。聖戦士……だなんておだてられちゃったけれど、私より幼いんだもの。抱え込めるはずもない」

 

「……もしもの時はどうするの」

 

 もし、エムロードが戦いたくない。アンバーも《ガルバイン》に乗るのを拒否すれば。

 

 その時は、とミシェルは首を横に振っていた。

 

「分からない。でも、私なら……、こんなところで終わりたくはない」

 

「それはミシェルだからでしょ」

 

「どうかしら……。だって、私達が助太刀しに行ったとは言え、あなたとエムロードは地力でジェム領国から逃げ出そうとしていた。それは己の強さだとは思えない?」

 

 問いかけにティマは鼻を鳴らしていた。

 

「見せ掛け、こけおどしだよ。……あたしもエムロードも、根本じゃ強くないんだ。あたしだって《ソニドリ》を否定されたら落ち込むし……泣いちゃう」

 

「だったら、せめてエムロードの傍にいてあげて。専属整備士なんでしょ? 《ソニドリ》の」

 

「そりゃ……そうだけれど。でも……地上人の傷を慰める方法なんて分からないよ」

 

「……私が行くのはもう蛇の道。今さら地上人だからって仲良しこよし出来ないのよ。だから、あなたが見てあげなさい。あの子達の事を」

 

「……分かんないなぁ。だって、地上人なんでしょ?」

 

 その言葉振りにミシェルは寂しそうに呟いた。

 

「……それが無敵の証じゃない。それだけは覚えておいて」

 

 立ち去っていくミシェルの背中は月光に濡れ、どこか寄る辺のない影そのものに映った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「バイストン・ウェルの、物語を覚えている者は幸運である。心豊かであるから……」

 

 語った吟遊詩人の音色を、ランラは鼻で笑う。

 

「何も出来ない聖戦士が」

 

「何も出来ないからこそ、見届けさせてはもらう。……なぁ、どっちに賭ける?」

 

 平原で岩場に座り込んだトカマクがコインを弄んでいた。

 

「来るか、来ないか、か……」

 

「おれは来ない、にワンコイン」

 

「賭けにならない」

 

「そうかもな。でもまぁ、おれだって同じようなもんだよ」

 

「同じ?」

 

 振り向けた視線にトカマクは楽器から寂しげな音色を立てる。

 

「……伝説になっちまった連中と、同じ時代に生まれるってのは残酷なもんさ。あの二人には……スタート地点から違ったって事なんだからな」

 

 それが誰の事を言っているのか、バイストン・ウェルで知らない者はいない。

 

 アの国を救った大英雄。そして、伝説の聖戦士。《ダンバイン》の使い手。

 

「……残酷な事をしていると思うか?」

 

「残酷なのは男の領分さ。手前勝手なのは女の領分。分かりやすくっていい」

 

「お前はバイストン・ウェルで何を見てきた」

 

「……何を? ほとんど全てを。残酷に戦火に駆り立てられるコモンの人々。穢れたものは嫌だと、手前勝手に全てを投げ打ったフェラリオの長……。そして何よりも……一応は運命を共にした者達が、浄化の名目で全てを塵に還されたって言う、現実を」

 

 彼は生き証人なのだ。バイストン・ウェルという糸と糸の紡ぐ伝説そのものの。膨大な糸の一つが、彼なのだろう。

 

 ――では自分は? 

 

《ゼノバイン》への憎しみだけで駆り立てられた自分は、一体なんだと言うのだろう。

 

 掌へと視線を落としていたその時、不意に気配を感じて面を上げた。

 

「……信じられないな」

 

 トカマクの言う通りであった。

 

 自分でも信じられない。

 

 エムロードが剣を手にこの場所まで歩み寄っていた。

 

「……来る気になったのか」

 

「ボクは……逃げない。逃げないと決めた。お前達のような不条理から。何よりも、このバイストン・ウェルという土地から。ボクは、抗うために呼ばれたはずだから」

 

「そう、か。だがその志は貴様だけではないようだ」

 

 指差した方向から《ソニドリ》を抱えた《ガルバイン》が飛翔してきた。目を見開くエムロードの前で《ガルバイン》が降り立ち、《ソニドリ》の操縦席からはティマと名乗ったミ・フェラリオが飛び出してきた。

 

「エムロード! あたしは……《ソニドリ》の専属技師! だから、あんたの戦いは最後まで見守りたい! もちろん、アンバーも!」

 

《ガルバイン》の操縦席からアンバーが覗く。一瞬だけ、ばつが悪そうに顔を背けたが、逃げないと誓った双眸はアンバーを見据えていた。

 

「……やるよ」

 

 拳を掲げたエムロードにアンバーが同じように拳を掲げ、コツン、とつき合わせる。

 

 その了承は恐らく、彼女達だけのものだろう。

 

「……言っておくが、オレは半端をやれとは言われていない。やるのならば徹底的にやる」

 

 岩場に控えさせていた《カットグラ》へとランラは乗り込んだ。

 

 エムロードとアンバーが了承の眼差しを交わし、二人してオーラバトラーに乗り込む。

 

 主を得た二機のオーラバトラーが瞳に輝きを宿した。オーラの力が拡大し、周囲の草木がざわめく。

 

 未知なる二つのオーラが今、まさに風と渾然一体となった。バイストン・ウェルに吹く、新風だ。

 

『オーラバトラー、《ソニドリ》! エムロード!』

 

『同じくオーラバトラー、《ガルバイン》! アンバー!』

 

 その意気はよし。立ち向かうと決めた声にはそれなりの張りが宿る。

 

《ゼノバイン》に全てを奪われ、あの日戦うと決めた自分と同じように、彼女らにも思い切らせるのだ。

 

 このバイストン・ウェルで戦い抜くという覚悟を。

 

 白と紫のオーラバトラーが駆動し、その剣筋を一斉に見舞った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二章了

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章 アルターブリッジ
第十九話 ライズ・トゥデイ


 船が湖を渡る術を、コモン人は多くは知らない。

 

 コモンにとって、波間、水とは神聖視されるものの一つであったからだ。

――湖の底ではフェラリオの世界がある。

 

 そう、まことしやかに囁かれれば、実際にフェラリオを見た事のない者達は錯覚する。そして、夢想するしかない。

 

 フェラリオの世界、妖精の舞う幻想の極楽浄土を。聞いた話では、フェラリオの世界には死の概念がないという、と口火を切ったのは、その夜に湖を渡る事を諦めた男達のうち、一人であった。

 

 彼らは旅団と呼ばれる移住者であり、特定の地に定住しない。それは彼らが本質的にそういった「テーマ」を持たないからでもあったが、何よりも理由として大きいのは全員が全員、開いた背に刻まれた痣が原因であった。

 

 薄く青ざめた痣は「翅痕」と呼称されている。コモン人は、「翅痕」のある人間を恐れる。その理由はそれこそ根拠のないいわれであった。

 

「翅痕の人間はフェラリオの血を引く異端者」――。

 

 全くの事実無根でもない。実際、フェラリオには翅がある。ただし、彼らはミ・フェラリオどころか、その成長態のエ・フェラリオの存在さえも知らない。

 

 だから、フェラリオ=翅を持つ妖精という事象でさえも植えつけられた無根拠の塊なのだが、それを否定する術を持たないのだ。

 

 彼らは夜ごと、眠る場所を決め、円筒型のテントを張り巡らせて、中で火を焚く。

 

 松明の火を凝視しつつ、誰かが「テーマ」を語り始めるのが旅団の日課であった。

 

 その日のテーマは自ずとフェラリオの噂話に決まったため、誰とも知れず御伽噺がついて出たのだ。

 

「死がない、か。……不幸だよな」

 

「死ねもしないと、ひもじくもならない。連中は何だ? 霞でも食っているのか?」

 

「さもありなんだから始末にも負えねぇ。フェラリオなんて森に入って捕まえてみろよ、ウスノロ。森に喰われるのがオチだぜ」

 

 彼らは互いを罵倒しても、心の底では繋がっている。ゆえに、真の決裂はあり得ない。穏やかなる気性の持ち主である旅団の「翅痕」達は、はは、と乾いた笑いを発した。

 

「お前の顔だって酷いもんだ。フェラリオなんかに連れて行かれなくたって、相手も願い下げだろうさ」

 

「てめぇだって、随分と。湖の底に引きずり込まれちまいな」

 

 火を囲んでの馬鹿話に、ふと、フェラリオは開くんだ、という震え声が混ざった。「翅痕」の中でも新参の、華奢な男が口にしたのだ。

 

「開く? 何をだ? まさか股を、とは言うめぇ」

 

「知らないのか? オーラ・ロードだよ」

 

 それは、旅をしていれば自然と一つや二つは噂になる。

 

 ――オーラ・ロード。

 

 空と海とを繋ぎ止めたこのバイストン・ウェルと、全くの関わり合いを持たない異郷の地、地上が交わり、そこから地上人と呼ばれる異人を連れて来るという。

 

 どれも要領を得ない噂の域で、彼の話も無論、槍玉に挙げられた。

 

「馬鹿言え。オーラ・ロードなんか開くかよ。そうなったらこの世の終わりだろ? 俺のオフクロが言っていたぜ。オーラ・ロードが開くと地上界にこのバイストン・ウェルが吸い込まれちまうって」

 

「そんな話は聞いた事ねぇな。俺が知っているのはバイストン・ウェルよりも上にあるって事だけだが、上ってどこだよ? まさか星の海の向こう側か?」

 

 空を指差した男が囃し立て、それを笑い話に変えた。いつだって彼ら旅団にはユニークさが求められる。どのような怪談であれ、奇奇怪怪の話であっても、それを一瞬で馬鹿笑いに変えられる要素が、彼らが今日まで生き延びてきた処世術の一つだ。

 

 しかしその「翅痕」は首を振って否定する。

 

「そんなんじゃない……! オーラ・ロードが開ければ、地上人が降りてくる。連中、バイストン・ウェルに災厄をもたらすんだ」

 

「おいおい、見た事もねぇ、地上人、それに見た事もねぇ、フェラリオ相手に何ビビッてるんだよ。怖がるのなら布団の中に潜ってからにしな」

 

「一人で震えるのは勝手だが話に水を差すなよ、新人。俺達旅団では、後味の悪いジョークはご法度なんだ」

 

「ジョークじゃない、本当なんだ!」

 

 喚き散らした新人に男達が諌める。

 

「まぁまぁ。それもこれも、湖を渡る度胸もない、俺達みたいなのを慰める作り話さ。よく見ろよ」

 

 テントの幕を開けた先には月光が作り出した黄金の道標がある。青く沈んだ水面は静寂を湛えていた。

 

「これが現実ってもんだ。まぁ、この湖の底にフェラリオの棲む世界はあるかもしれない。だが、地上人だって? オーラ・ロード? そいつはナンセンス。作り話以下だ」

 

 どこかで線を引かなければ、寓話の世界に引き込まれてしまう。旅団の男達はその点、ありもしないファンタジーを語るがリアリストであった。

 

 この世に解明されない永遠の謎は数多いだろう。だが、それら全てが、幾星霜の果てまで永遠に謎かと言えば、疑問符を浮かべざるを得ない。

 

 人々が生きている限り、解明される奇跡や、あるいは単純な理屈に過ぎなかった怪奇も存在するだろう。

 

 オーラの力とて、一昔前まではもっと幻想的に捉えられていたものだが、今では人間の発する単純なるエネルギーの素質だとまで言われている。

 

 それもこれも、とフェラリオの世界に思いを馳せていた者達は口々に声にした。

 

「三十年前にアの国が戦争なんておっぱじめなかったら、今でもオーラとか言うのは解明されていなかっただろうな。無論、オーラマシンもフェラリオももっと遠い出来事だっただろう」

 

「ショットとか言う、イカレた地上人が叡智を持ち込んだんだ。そいつがオーラで動くなんていうマユツバ機械を造り出した。もしかしたら、俺達だけならあと何百年かは平穏に暮らせたかもしれないな」

 

 それでも、何百年か、という単位でしかない。オーラマシンはいずれ製造されたかもしれないし、フェラリオの世界に関する理解ももっと早かったかもしれない。

 

 いずれにせよ、起こってしまった出来事だけは変えようがなかった。

 

「オーラマシンねぇ……。それがあれば、湖一つ渡るのに、こんなに苦労はしないだろうさ」

 

「他国だって、オーラマシンを造るのに躍起になった。三十年前はみんながみんな、どうかしていたんだ」

 

「……だから、オーラ・ロードも開いた」

 

「またその話かよ。おい! 誰かこの新入りをちょっと目ぇ、醒まさしてやれ」

 

「俺がやってやるよ」

 

 新入りの肩を男が引っ掴み、テントを出て湖の水面へと石を投げた。八回ほど跳ねて石が湖に沈む。

 

「この下にフェラリオの棲み処があると思うか?」

 

「……あっても不思議はない」

 

「そうだな。そりゃそうだ。だから、そういうスタンスでいいんだよ。あっても不思議じゃない。だが、なくったっても同じだ。俺達はそういう流れ者なんだ。だから、噂話が毎晩、暇潰しになる。怖がっても、何も始まらないだろ?」

 

「……だが全員の決定だ。湖を渡らないっていうのは迷信を信じての事だろう?」

 

「……お前、名前は?」

 

「……ディ・イリオン」

 

「変わった名前だな。イリオン、あそこにあるのは何か分かるか?」

 

 空を指差した男にイリオンは不服そうに応じていた。

 

「馬鹿にして。あれは星、あれは月だろう?」

 

「そう、月に星、ほら? 分かるもんだろ? そういう事なんだ、イリオン。いずれは分かる。いずれは誰にだって分かる。ガキにだってそうさ。お前は自分の子供に、夜空に浮かぶあの真ん丸が何か分からない、って教えるのか? それとも、瞬く星は、誰かの眼差しだとでも?」

 

 それは、とイリオンは返事に窮する。男は満足気に頷いていた。

 

「そういう事なんだ、イリオン。いずれは何もかも白日の下に晒される。この世で、分からない事、それは怖いもんだ。だが、恐怖を克服出来るのもまた、人間なんだ」

 

 イリオンは少しばかり気性が落ち着いてきたのが自分でも窺えた。旅団に拾われてよかったと、初めて思った瞬間かもしれない。

 

「イリオン、もう寝ちまえ。湖を渡る術は明日考える。明日、何もかも考えちまえばいい。今日分からない事は明日の自分に託すんだ」

 

 そう言って肩を叩き、テントに戻ろうとする男をイリオンは呼び止めていた。

 

「あれも……か? あれは、何なんだ?」

 

 彼が指差したのは湖に浮かぶ人影である。一瞬、男がびくついたのが伝わったが、彼は夜目が利くのか、すぐにその正体を看破した。

 

「あれは陽炎だ。遠くの街にある何かが浮かんで見えるのさ。よくある事だ」

 

 その「よくある事」に収めるのには、イリオンが目にしていた事態は異様であった。

 

「でもあれは灰色だ」

 

「そういうものもある。灰色だろうが、どうだろうが……」

 

「でもあれは、ヒトの形をしている」

 

「そう、ヒトの形を……。おい、ありゃあ、何だ?」

 

 問いかけた男が仲間達へと呼びかけるまでの僅かな時間、その人影は湖の中心地から赤銅色のオーラを空に向かって放出した。螺旋を描いて虚空へと赤銅のオーラが宵闇を引き裂く。

 

 その様が、どうしてだか恐ろしいよりも美しいという感覚が勝った。

 

 慌てて外に飛び出した男達が湖に浮かぶ影を凝視する。

 

「……ありゃ、何だ? 人間にしちゃ、でか過ぎる」

 

「フェラリオか?」

 

 先ほどの話の続きが思い起こされ、男達は肩をびくつかせる。

 

「驚かすなよ。どうせ、こういうのも、ちょっとした錯覚だ。そう、ちょっとした……」

 

 その時、赤銅のオーラを纏った何かは急速にこちらへと接近した。あまりの速度に誰もが認識を追いつかせていなかった。

 

 眼前に佇む灰色の巨人に、誰かが言葉にする。

 

「まさか……これが、オーラバトラー……」

 

 噂でしか聞いた事のないオーラバトラーと呼ばれる兵器は次の瞬間、旅団の仲間を一人、その手で掴んだ。

 

 悲鳴を漏らす仲間が直後には鉤爪が皮膚に入り、内側から破裂する。赤い血潮が舞うのを、イリオンは放心したまま眺めていた。

 

 眼前で握り潰されたなど誰が信じられよう。灰色のオーラバトラーが赤い眼窩をぎらつかせ、次の獲物をその手に握ろうとする。

 

 その時には、仲間の死に反応してか、あるいは最初から持っていたのか、銃声が響き渡った。

 

 銃弾が灰色の悪魔に突き刺さる。だが、硝煙を棚引かせたその一撃は何のダメージにもなっていないようであった。灰色の悪鬼が着弾点をさすり、旅団の男を一人、また一人とその爪で葬っていく。

 

 悲鳴と断末魔の連鎖に、イリオンは指先一つ動かせなかった。完全に硬直した肉体は撤退信号を出す前に、呆然と立ち尽くすのみ。

 

 頚動脈を掻っ切られた男が倒れ伏した時、残った仲間達は一斉に火縄を番えていた。旅団は基本的に武装しないのが慣わしであったが、いざという時の自衛の措置くらいは取れなければ仕方あるまい。

 

「放てぇっ!」

 

 火縄の弾頭がオーラバトラーへと殺到する。赤い瞬きが網膜に焼きつき、突然現れた蹂躙の使者を迎撃したかに思われた。

 

 直後に響いた声を聞くまでは。

 

『やるじゃん! やるじゃない、あんた達! 《ゼノバイン》がさァ、渇くんだって! アタシも渇いて、疼いちゃう……! こんなに活きのいい餌は久しぶりだって! 嬉しい? ホラ! 嬉しいって悶えなさいよ! あんた達ィ!』

 

 悪鬼の眼に凶暴な光が宿った。この時、知るはずのない知識が未来を先回りする。

 

 ――これ以上は。

 

 駄目だ、と思惟の声が引き絞られた時、彼は赤銅のオーラが渦を成すのを目にしていた。

 

『オーラディス! ヴェール!』

 

 胸部より灰色の物体がせり出し、内側から灼熱のオーラを放出する。

 

 男の一人が自分を庇って駆け出していた。しかし、視界には瞬く間に炎熱に焼かれていく仲間がありありと浮かぶ。

 

「駄目だ!」

 

 声にした男も呻いていた。その背筋から煙が立ち昇る。

 

『あんたさァ! 獲物のクセにちょこまかしないでよ。黙って狩られなさいよォ!』

 

 オーラバトラーが湖に打ち捨てられた材木を手にする。直後には赤銅のオーラが逆巻き、その材木を熱する巨大な剣に仕立て上げていた。

 

 振り上げられた刹那、男が口走る。

 

「南無三!」

 

 吠え立てられた声と共に、男の背筋から生えたのは青白い翅であった。翅痕から、本物の翅が出現した。

 

 その事実にイリオンは息を呑む。

 

「ゴメンな。イリオン。お前だけしか、逃がせそうにない」

 

 その言葉が紡がれた直後、万華鏡の如き輝きが天上より降り注いだ。あまりの光の瀑布に目を開けていられない。

 

「オーラ・ロードを開く! 我が御名の下に!」

 

『ウルサイ……ウルサイ、ウルサイ! 何この声……、オーラの向こうから、邪魔なのよ!』

 

 赤銅の切っ先が男の胸元を刺し貫く。脊髄を突き抜けた一撃にイリオンは吼えていた。

 

 瞬間、天地が背き合い、逆転する。光の波の向こう側へと、イリオンは弾き飛ばされていた。

 

 反動で身体が宙を舞う。重力を失った肉体は彼方まで突き抜けていくように思われた。

 

『逃がすわけないでしょ! 餌のクセにィ!』

 

 灰色のオーラバトラーが手を伸ばす。そこから逃れようと、イリオンは身体を折り畳み、波に任せた。

 

 世界が蠢動し、極小まで縮み上がった。何もかもが乱反射と、輝きをどこまでも湛えている。

 

 虹の道の果てはどこまでも続いており、果てしないように見えて、刹那、身体に異様なほどの重圧を感じてイリオンは坂を転がり落ちていた。

 

 何が起こったのか、まるで分からない。

 

 投げ出された形のイリオンは眩惑する視界の中、頭を振る。

 

「何が……」

 

 起こったのか。名状する前に、投光機の光が彼の視界に突き刺さった。

 

「誰か!」

 

 周囲に展開するのは武器を持った大人達である。イリオンは反抗する前に突きつけられた銃口に何も言えなくなっていた。

 

「……子供だな。立て! ここにどうやって入った!」

 

「どうやってって……」

 

「米軍の管轄だぞ! 女学校の生徒では……なさそうだが」

 

「おい、見てくれ! こいつ、白人だ」

 

 露になった自分の肌にイリオンは困惑の目線を周囲へと配る。

 

「どうなったって……」

 

「動くなよ! ガキ! ここは絶対に入れないはずなんだ……おい! まだか?」

 

「まだだって、落ち着けよ! そういきり立ったって、ガキ一人入ったってだけだろうが!」

 

「いいや、我が方の作戦を熟知して、何者かが送り込んだ尖兵の可能性もある。身体検査! いや、そもそもお前……嗅いだ事のないにおいだな……男なのか! 女なのか!」

 

 そのような分かり切った事実、尋ねられたいわれもない。イリオンは必死に応じていた。

 

「ここは湖の沿岸じゃ……」

 

「湖? 勘違いをしているのか。この……どっちともつかないガキを、誰かひっ捕らえろ!」

 

「待てよ! 撃ってもいいのか? 不法侵入!」

 

 逸った兵士達は照準を自分の胸元へと向けていた。引き金が絞られるかに思われた、その時、声が響き渡る。

 

「何事か!」

 

 野太い声の持ち主は自分を認めるなり、ふんと鼻を鳴らす。

 

「白人にしては、随分と華奢だな。女か?」

 

「どっちとも。分からないんです」

 

「少佐! 如何なさいます!」

 

「……近隣の村の子供だとすれば我々が保護した、という形が一番の落ち着けどころだろう。しかし、この港町に白人なんて住んでいたか?」

 

「軍属の家族かもしれません。身元の照合を」

 

「頼む。わたしは、彼を」

 

 屈み込んだ碧眼の男を、イリオンは観察していた。バイストン・ウェルの地表に似た、緑と泥が跳ねたかのような服を着ている。

 

 帽子までそのような代物なので、イリオンにはこれが何かまかり間違った芝居に見えたほどだ。

 

「……頭は……打っていないようだな。おい! 衛生兵を呼べ! わたしが連れて行く!」

 

 額をさすった男は自分の手を引いた。あまりの細腕にどうやら驚いているらしい。

 

「……食べ物を。まともに食べているような腕ではないな。食料もだ! 非常用のレーションでいい!」

 

 了承の声を返す同じ服装の者達を尻目に、男は自分を機械で構築された屋内へと連れ込んだ。

 

 その中の一室には強烈な臭いが充満していた。あまりの臭いにむせ返ってしまう。

 

「消毒液はお嫌いかしら?」

 

「ターニャ、この子が急に隔離地区に。まさか、入ってくるなんて」

 

「隔離地区に? ……何かの間違いじゃ?」

 

 ターニャと呼ばれた豊かな金髪の女性は自分を仔細に観察し、手首を掴んだ。

 

「……脈はあるわね。ジャップの言う、幽霊とかじゃなさそう」

 

「冗談はよせ。こんな時に」

 

「こんな時だからじゃない。彼……いいえ、見た感じ彼女かしら?」

 

「どっちだか判別がつかないんだ」

 

 困惑顔の男にターニャは微笑みかけた。

 

「案外、どっちでもなかったりして」

 

 ウインクしたターニャに男は咳払いする。

 

「……冗談よ。言葉は分かる?」

 

 イリオンは困惑気味に頷いた。ターニャは紙に何かを書き付けている。バイストン・ウェルではなかなかお目にかかれない代物であった。

 

 キマイ・ラグの皮でも丸ごと剥いだかのような薄っぺらい皮に強獣の血を使わないと出ないであろう黒い染みを滲み込ませている。

 

「名前は?」

 

「……イリオン」

 

「イリオン、ね。見た限り白人種みたいだけれど、言葉は?」

 

「丸っきりの日本語だ。だが若干我々のスラングも混じっているような気がする」

 

「どっちとも取れる……というわけ。要は、日本人とも、ましてや米国人とも言えない……あなたの悪い癖よ、少佐。お荷物を抱え込む」

 

「放っておいてくれ。彼……いいや、彼女か。どっちでもいい。殺される間際だった」

 

「隔離地区に入り込んだんじゃ、ね。殺されても文句は言うなと、一応は立て看板がしてあるんだけれど」

 

「日本語で書くからだ」

 

「英語で書いたってわけが分からないといわれればそこまでよ」

 

 ふんと鼻を鳴らした男は僅かにこちらを窺い見る。

 

「……兵士達がささくれ立っている。機密だが、隔離地区より逃げたらしい」

 

「まさか! あれが?」

 

 驚愕に塗り固められた声音に男は囁く。

 

「あれがまたしてもこの世に解き放たれれば、災厄の繰り返しだ。本国はあれのデータを持っている。だからこそ、隔離という策を取ったのだが……」

 

 額を押さえた男にターニャが顔を覗き込んだ。

 

「疲れてる?」

 

「かなり、ね」

 

「睡眠導入剤を。数粒出しておくわ」

 

「感謝する」

 

 小さな白い粒を男は受け取り、自分へと目線を合わせた。

 

「……君は大変な時に訪れたかもしれないな」

 

「彼……いいえ、彼女かしら。いずれにしても、精神が昂っているはずよ。それに栄養状態も悪そう。点滴を打っておくわ」

 

「助かる。明日には身元の調査を始めよう」

 

「しかし……悪い事は重なるものね。こういうのを日本語でなんていうのだったかしら」

 

「弱り目に祟り目、だったか。日本語は馴染まないな」

 

 男がそう言って立ち去りかけて、ターニャは自分をベッドへと手招いた。慣れた手つきで針を腕に差し込まれる。

 

 直後、言いようのない眠気が押し寄せてきた。

 

「疲れているのよ。ぐっすり眠るといいわ。悪夢も醒めるでしょう」

 

 そうなのだろうか、と自分はどこかでこの落とし込まれた事態を達観していた。ともすればこれは、悪夢のほんの序章なのではないか。

 

 そのような予感が脳裏を掠めた時には、もう意識は落ちていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十話 ブロークン・ウイング

「少佐。ここでは衛生服に着替えたほうがいい」

 

 そう助言されて、レイリィ・リムスンはようやく職務の状態に戻れた。先ほどまでから一つ事を考え過ぎている。

 

「……例の保護された」

 

 見透かされて、レイリィは、ええ、と声にしていた。

 

「妙ですよね。隔離地区は絶対に……外から入れるはずがないのに」

 

「あるいは、別であるかもしれんな。あちら側から来たか」

 

 まさか、とレイリィは口元に皮肉めいた笑みを浮かべる。

 

「だってあんな場所……。穴倉です」

 

「穴倉から、いや、何もない地平からでも連中はやってくる。バイストン・ウェルの理は我々地上人にははかれない代物だからな」

 

 極秘事項の名前が飛び出した時点で、この会話は録音されたものではないのは明白。

 

 レイリィは眼前を行く上官に声を振り向けていた。

 

「では、彼……いいや、彼女もまた?」

 

「バイストン・ウェルの妖精か。今は」

 

「ターニャ医師が看てくれています。どうにも栄養状態も酷かったようで」

 

「向こう側の摂理は見えんな。相も変わらず」

 

 そう口にした上官の双肩は酷く疲弊しているようにも映った。無理もない。本国から急にこの島国へと管轄を寄越されて三年。彼はこの島国の辺境にある港町で、慣れない演説とたどたどしい日本語のスピーチのみで成り上がった。本国以上の地位をある意味では確約されている。

 

 しかしそれは、何も彼の手腕の手際のみではない。彼と本国、それにこの基地の者達は「ある秘密」を共有している。

 

 自分とて、それを知っている以上、本国での栄転は既に三十年先まで確約されているに等しい。

 

 下仕官から上級仕官に至るまで、「それ」に触れたのならば家族にさえも一生口に出せない秘密を抱え込む事になる。

 

 絶対の孤独、絶対の秘匿事項。彼らは教えを守り、三十年もの間、口を閉ざし続けた。その法則は今の世代も縛る。

 

 誰もが何も言えないまま、決定的な何かを口に出来ないまま、三十年。

 

 長かった、という感傷も口からついて出なければ、短い月日だったなどという強がりも出ない。

 

 彼らは等しく、同じだけの苦痛と沈痛に、己の身を浸し続けてきたのだ。

 

「向こうの御伽噺を知っているかね? 我々は元々、バイストン・ウェルで生まれ、その記憶を消されて、この世に生を受けた、という。二重の生誕だ。神でさえも恐れぬ異教徒の教えだよ」

 

 この地上で二度も生まれたのは後にも先にも一人だけのはずだ。そう信じて、レイリィは首から提げたロザリオを握り締めていた。

 

「まだそんなものを持っているのか。この基地で信仰は廃れたのだと思ったがね」

 

 上官の笑い声にレイリィはフッと笑みを浮かべる。

 

「廃れそうだからこそ、です。教えには縋りたい」

 

「真っ当な理由だ。開くぞ」

 

 隔離地区への扉に、レイリィは緊急用のマスクを着用していた。防護服に袖を通し、全ての安全装置を確認してから、首肯する。

 

 扉の向こうは絶対の闇であった。上官が片手を上げると、静脈認証が照合され、照明が長い廊下を照らし出した。

 

 檻が設置されており、中でひしめく怪物達をレイリィは横目に観察する。

 

 馬に似た非常に温厚な生物から、人の身の丈の三倍ほどはある異形の怪物まで様々だ。まるでここは怪物達の楽園。バイストン・ウェルの土が持ち込まれ、彼らの苗床になっている。

 

「バイストン・ウェルとこの場所は、縁あるようでね。何かの兆しに、結ばれた、と言ってもいい。道標……専門用語で言うのならばオーラ・ロード、か。謎の怪奇現象により、この港町の一区画は厳しく制限されている。我が米海軍によって」

 

「現れ続ける怪生物達……向こう側の生き物ですか」

 

「向こうの摂理が読めんと言ったのはこれもある。こっちでは二日と生きないものもあれば、二十年ほどずっと状態の変わらない生物もいる。少佐、子供が現れた、と言っていたな?」

 

「ええ。まだ男か女かも」

 

「これから見せるものに、嫌悪は示さないで欲しい」

 

「……どういう」

 

「来たぞ」

 

 眼前にした扉は今までの比ではない。隔壁に等しい重々しい門前に、レイリィは自ずと威圧されているのが窺えた。

 

「……厳重が」

 

「過ぎるかね? 見れば分かる。これでも譲歩しているほうだよ」

 

 上官の静脈と虹彩認証、さらに声紋認証が施された扉が重い音を立てて開いていく。

 

 中は廊下よりもなお濃い暗闇が支配していた。しかしレイリィはすぐには踏み込めないほどの威圧感が支配しているのを予見する。

 

「……少佐、何が見える?」

 

「これは……」

 

 暗がりの中に確固として存在する違和感。凝固したかのようにその場所に縫い止められたそれに、絶句するしかない。

 

「灰色の、これは生物じゃ……」

 

「察しがいいな。シークレットレポートナンバー、0013と該当した」

 

「まさか! オーラバトラー……ですか」

 

 覚えず声を荒らげたこちらに上官が目線を寄越す。しまった、とレイリィは目礼した。

 

「すいません……、資料でしか」

 

「その通りだろうな。これを実際に目にしたものでまともでいられた人間はいないよ。記録上ではね。三十年間の米軍でも、これの存在は秘匿され続けていた。現状の科学技術を大きく上回る大発見。あるいはコロンブスの卵か。これは我が地上界にはあり得るべくはずもない、異形だ」

 

 上官が指を鳴らすと重々しい音と共に投光機の光が機体に当てられる。灰色の機体は禍々しく尖っていた。

 

 各部には生物の意匠を色濃く引き継いだ部位がある。報告書通り、否、それ以上の「本物」にレイリィはただた感嘆する。

 

「……噂話では」

 

「フェアリーテイルで済めば、米海軍の精鋭をこんな島国のジャップ共に晒すかね? 我々は真面目に、これを解読する使命に駆られている。至極真っ当な意見として、狂っている、というのは受け取ろう。感想としては当たり前だ」

 

 灰色の機体に上官が触れる。その時、オーラバトラーがにわかに動き出した。

 

「お下がりください!」

 

「いい。パイロットがまだ中にいるんだ。措置を」

 

 その一言で電撃が内部へと流し込まれた。内側から劈いたのは少女の悲鳴だ。

 

 まさか、と息を呑んでいる間に、オーラバトラーの胸部が下がり、下腹部の結晶体からほとんど裸体に等しい少女が姿を現した。

 

 闇夜に近い灰色の髪に、赤い眼をしている。灰色のオーラバトラーに乗っていたとは思えないほどに華奢であった。

 

 彼女の身体に張り付いているのはまるで粘膜のような薄いスーツであった。それがさながら神経接続されているかのように、オーラバトラーと繋がっている。

 

「見たまえ。これがバイストン・ウェルの」

 

 おお、と感嘆の息を漏らす上官に、レイリィは先回りして首を横に振っていた。

 

「……まず安全を」

 

「そうだな。そうであった。急いてしまった。だが、安全だよ。まさか我が米軍が、オーラバトラーという鏡面の脅威に対して、何もこの三十年、してこなかったと思っているのかね? 既に相手の弱点は知り尽くしている。この地上界ではオーラと呼ばれる力は増幅され、そのマシンが生み出す兵力は核に匹敵する」

 

「……であれば余計に」

 

「まぁ、待て。それは過去の話だ。現状、この少女に核相当の力があるとでも? ……もう一つ。バイストン・ウェルのコモン人と呼ばれる原住民は地上界では長く生きられない。その力は極めて制限される。オーラバトラーが真価を発揮するというのに、まるで逆の現象が起こるんだ。興味深くはないかね?」

 

「……危険を取り払ってからでも」

 

「そうだな。君の言う事はもっともだ。特別班」

 

 上官が呼びつけるだけで、特殊武装服に身を包んだ別働隊が少女を回収する。皮膚の焼ける独特の臭いにレイリィは防護服の下で顔をしかめた。

 

 今の電撃はコモン人たる相手を生かすつもりのものではなかった。

 

 担架で移送される少女を横目に、レイリィは灰色のオーラバトラーへと魅了されたように歩み寄る上官を視界に入れていた。

 

「危険です」

 

「オーラバトラー研究は君達仕官の与り知らぬところで進んでいたのだよ。パイロットのいないオーラバトラーに危険はない。それはもう分かり切っている」

 

「……あの少女は?」

 

「解剖でもするか。あるいは本国の研究機関に送られるか。三十年前……一匹の妖精……ミ・フェラリオが伝えた情報が確かならばそれほど無碍には扱われないはずだ」

 

 上官は灰色のオーラバトラーが握り締めている材木に注視していた。ただの材木だ。それ以外の何にも見えない。

 

「……説明を願えますか? 子供と、これは関係があるので?」

 

「少佐。ミ・フェラリオが我々に伝えたのは、何もバイストン・ウェルの戦いだけではない。あの場所の叡智も、だ。これを」

 

 差し出されたデータカードをレイリィは防護服に読み込ませる。服装の内側で画面が展開した。

 

 金髪の眼だけは妙に炯々とした男が茶色いオーラバトラーを解剖している映像であった。

 

「ショット、と名乗る男だ。バイストン・ウェルに産業革命レベルの代物を持ち込んだ」

 

「……ロボット工学の」

 

「ああ、権威だよ。本来、彼は本国に永遠に名を刻まれる……そのはずであった。真っ当な道を歩んでいたのならば、ね」

 

「バイストン・ウェルに魅入られた」

 

 見透かした先を上官はやんわりと否定する。

 

「呼ばれた、と、彼の弁を借りれば。バイストン・ウェル側から、地上人を呼ぶ事は儘あるらしい。もっとも、それは禁忌として長く恐れられていたが。ミ・フェラリオの伝えた伝承にはこうある。強いオーラ力を持つ人間、それを聖戦士と呼ぶ、と」

 

 聖戦士、とレイリィは口中で繰り返した。

 

「マユツバな」

 

「そう思うのも無理からぬ事だろう。しかし、現実問題として三十年前、何が起こった? 核爆弾に相当する能力を秘めたオーラバトラーが世界を飛び回り、米軍の在り方を変えた。あの革新的な技術が持ち込まれなければ、日本はまだ併合を拒む頑なな国家に成り果てていた事だろう」

 

「オーラバトラーによる防衛義務の設立」

 

 自分が生まれるより前の出来事だ。日米の首相が手を繋ぎ、その文書にサインしている写真が教科書に載っていた事を思い返す。

 

「あれはただの張りぼてではないのだ。きっちり意味があって設立された。ゆえに、我らはこうして日本の港町に基地まで設立している。……誰が好き好んでこのジャップ臭い土地に根ざすものか。全ては、このような時のためにあった」

 

 上官の胸元で輝く勲章に、レイリィは面を伏せる。

 

 それは「対バイストン・ウェル特務分隊」の証であった。表向きには軍の精鋭部隊への移転を意味するこの勲章は、裏ではあのマユツバ部署への赤紙として米軍内では笑い話になっている。

 

 まさか、この屈辱の証が意味を成すなど、思いもしない。

 

「少佐。君はこれより、百時間の調査任務に属する事になる。命令だ」

 

 そう言われてしまえば、軍属は従うしかない。ただ、とレイリィは声を絞っていた。

 

「ただ、何かな?」

 

「あの子供……何か、このオーラバトラーの付随物としてではないのと思うのです。あの子の面倒をターニャ医師だけには任せられません」

 

「意地、かね?」

 

「いいえ。責務です」

 

「よかろう。その子供の継続観察を義務付ける」

 

 これも命令か。そう胸中に結んだレイリィは灰色のオーラバトラーを睨んだ。

 

 渦中のオーラバトラーは今、まるで眠っているかのように沈黙するのみであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十一話 白光剣閃

 極秘裏に進軍するのに、あまりに巨大な《マイタケ》では支障を来たす、と途中で前を行く《ドラムロ》が進言した。

 

 グランはその言葉に鼻を鳴らす。

 

「蹴散らしてしまえばいいのではないか」

 

『いえ、グラン中佐。連中も地上人を召喚しております。ここは中佐には殿をお願いしたく……』

 

 それがどれほどまでの侮蔑なのか、分かっていないわけではないだろう。《マイタケ》の巨大な爪が地表を引っ掻いた。

 

 腕だけで通常オーラバトラーと同等の《マイタケ》は彼らにとっても脅威のはず。それでも《ドラムロ》に収まった兵士は譲らない。

 

『……どうか、鎮まりください』

 

「儂に! 前線で死んでいく兵士達の、その尻拭いをしろと言うのか!」

 

『お間違いなきよう! 我々はジェム領国のため、大義ある戦いを望んでおります! 何も知らぬ地上人とは……』

 

「わけが違う、か。話は分かる。飲み込めない事もない」

 

『では……』

 

「だが、ならば勝てるのだろうな? 勝つ見込みは確かにあるのだろうな?」

 

 自分が前に出るのを渋ったせいで誰かが死ぬのは見たくない。ならば自分さえ矢面に立てばいい話なのだ。

 

 絶句した兵士は搾り出すように口にしていた。

 

『……勝てる、などという生易しい言葉では集約出来ません。これはそのような戦いならば既に決しているはずなのです』

 

「分かった風な口を利く」

 

『ゆえにこそ! ゆえにこそ、お頼み申し上げます! 中佐! 我々は中佐を慕っておりますゆえ、並大抵のオーラバトラーや兵士など、それは児戯の延長! 戦場で遊べば死に急ぎます。我々は道を作っているのです。勝利へのただただまい進する道標として……!』

 

 何とぞ、と繰り返される。まさか前線の兵がここまで考えているとは、グランも想定外であった。

 

 彼らは騎士団に気圧され、ただ敗北を噛み締めるだけの存在だと思っていただけに、グランは頭を振る。

 

「違う……違うのだ。軽んじていたのは儂も同じ……」

 

『それ以上は、口になさらないでください、中佐。我々は勝ちをもぎ取りましょう。必ずや勝利の美酒を! 我らがグラン中佐に!』

 

 然り、然りと響く声にグランは感極まりそうになってしまった。彼らは自分より遥か先の戦いを見ている。むしろ、足元をすくわれかけていたのは自分かもしれなかったほどだ。

 

「……感謝する。貴君らの行いに、感謝を!」

 

『まだ、お早い言葉です、それは。戦果を! その手に戦果という確固としたものを! 我々と共に!』

 

「任せよう」

 

《ドラムロ》が森林を突っ切っていく。その後ろ姿に、グランは静かな敬礼を送っていた。

 

「……頼むところは少ないが、せめて一人でも無事に」

 

 帰ってくれれば、と言いかけてそれは将の言葉ではないな、と苦笑を漏らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 打ち込みが鮮やかになっているのは目に見えて感じられる。

 

 ただし、それは打ち込みの話。斬り込み、に関しては一度として成功していない事を、エムロードは何度目かの打ち込みで実感する。

 

「……あいつ、強いよ」

 

 耳元で弾けたティマの言葉にエムロードは首肯していた。肩で息をしながら、敵を見据える。

 

「うん、強い……」

 

『どうした? もっと打って来い。斬るにはほど遠く、撫でるような剣筋ではいつまで経っても首は刎ねられんぞ』

 

 その挑発に、一機のオーラバトラーが跳ね上がった。紫色の矮躯を持つオーラバトラー――《ガルバイン》は細い剣を手にしている。

 

 西洋剣に近い佇まいの剣筋を、《カットグラ》に乗り込んだ相手は軽くかわし、カウンターの拳を《ガルバイン》の腹腔へと叩き込んだ。

 

 まさか拳が来るなど想定外もいいところ。

 

《ガルバイン》が吹き飛ばされ、草原へと叩きつけられた。

 

「大丈夫? アンバー!」

 

『大、丈夫……。でも、ちょっと休憩……』

 

『戦士に、息をつく暇などあるとでも?』

 

 無情な言葉と共に《カットグラ》が踏み込んできた。その手に握られた剣が《ガルバイン》の頭部を割らんと迫って、太刀筋に自機を入り込ませた。

 

《ソニドリ》の剣が火花を散らして打ち合う。

 

「不意打ちなんて……!」

 

『勘違いだな。分かっていて、相手の前で膝をつくなどという醜態を犯すな。膝を折るのは死ぬ時だけだ。オーラバトラーなんだろう』

 

 剣で弾き返して、距離を取ったが、遥かに性能で劣るはずの《カットグラ》が飛翔し、威力を相殺する。

 

「剣の圧力が半端ない! ……神経が通っているから余計に」

 

 エムロードは一体化した結晶剣の感触に忌々しげな言葉を吐く。《ソニドリ》の武装特性上、神経が通い、数倍のオーラ適性を生む代わりにダメージフィードバックは避けられない。

 

《カットグラ》は剣筋を舞い遊ばせ、風圧で巻き上がった草花を微塵に斬りさばいた。

 

『出来なければやられるだけだ』

 

「出来なければ……やられるだけ……」

 

『それが真理だろう。お前達は何のためにここに来た? オレに勝ち、ジェム領国の連中に打ち克つためだ。心の弱さも含めて、な』

 

「弱さ……、勝つ……」

 

 脳裏に蒼の姿が浮かび上がったが、今はそのビジョンでさえも次への一手の布石に変えてみせる。

 

 雄叫びを上げたエムロードは《ソニドリ》に握らせた剣へと両手を添える。

 

 オーラが膨れ上がり、可視化されるほどにまで具現化した。

 

『……そうだ。打って来い』

 

「打つ……いいや――討つ!」

 

《ソニドリ》の主翼が開き、オーラ・コンバーターに熱が通る。噴出したオーラの推進剤を棚引かせ、加速度を得た《ソニドリ》が《カットグラ》へと飛びかかった。

 

 呼気一閃、相手を叩き割ろうとした一撃は軽く体重移動しただけで回避される。

 

「織り込み済み!」

 

 ステップを踏ませ、《ソニドリ》は回り込んだ。《カットグラ》に純粋に勝っているのはその機動力のはず。

 

 ならば、最大限に活かすまで。

 

 射程へと踏み込んだ《ソニドリ》に《カットグラ》が僅かに遅れを取ったのが伝わってくる。

 

 振るい上げた一撃には必殺の勢いを伴わせた。

 

 しかし、瞬時に身体を飛び退らせたのは習い性の神経。

 

 肌を粟立たせるプレッシャーに《ソニドリ》は、咄嗟に踏み込んだ足の重心を変えた。

 

 直後、《カットグラ》が袖口に仕込んでいた短刀がせり出し、《ソニドリ》が先ほどまでいた空間を掻っ切る。

 

 踏み込みが深ければ首を取られていた――。

 

 その予感にエムロードは距離を取って硬直する。

 

『どうした。打って来ないのか? ならば……こちらから行く!』

 

《カットグラ》から放たれるオーラの凄まじいプレッシャーに《ソニドリ》が遅れを取る。竦み上がった足腰に熱を通そうとした時には既に相手は射線に入っていた。

 

「オーラショットを!」

 

「駄目だ、この距離じゃ!」

 

 火器を手に取るまでの時間もない。《カットグラ》の刃が入りかけたその時、オーラの風圧が操縦席のエムロードの髪をなびかせる。

 

 横合いから割って入った《ガルバイン》が瞬間的に《カットグラ》の横腹へと刃を突き立てようとしていた。

 

《カットグラ》は咄嗟に悟って後退したものの、完全に攻撃は打ち消せなかったらしい。操縦席を擁する結晶体に亀裂が走っている。

 

「あれは……アンバーのオーラ力……」

 

 本当に自分より上なのだ。実感に、エムロードはその機体の背中を見つめていた。

 

 ――琥珀。いっつもボクの後ろにいたのに。

 

 それなのに今は前にいてくれる。これほど頼もしい事があっただろうか。

 

 エムロードは再び剣に神経を通す。《カットグラ》が構えを取り直した。

 

『……少しばかりは見れるようになったか。いいとも。一撃、だ。それでケリがつく』

 

『一撃……』

 

「一撃……」

 

 ティマの声にエムロードは腹腔から声を発する。

 

「一撃!」

 

《ソニドリ》が草原を疾走する。その勢いは今までの比ではない。当然だ。一撃に賭ける剣圧。流れではない、真の剣士に必要なのは、一撃に賭ける死狂い。

 

《ソニドリ》が応じ、ゴーグルの下の眼窩が輝いたのが伝わった。《ソニドリ》が自分に手を貸してくれている。

 

 それだけでも今までとは違う。慣らすのではない、自分自身が《ソニドリ》と一体化する。

 

 突きつけた剣に対して《カットグラ》も本物の剣筋で返そうとしているのが見て取れた。

 

 どのように剣が来ようとも、今はただ一閃のみを信じて。その一振りに、何もかもを託す。

 

 力が奔流となって駆け抜け、敵を討つ、かに思われた、その時であった。

 

 プレッシャーの波を感じ取ったのは恐らく三人とも。

 

 それを遠くから眺めていたトカマクの声が響き渡る。

 

『敵襲だ! 訓練なんて止めちまえって!』

 

 遥か遠く、城壁へと炎の榴弾が放たれたのが視界に入った。否、これはただの五感ではない。

 

 飛び越えた視野は城壁で応戦する兵士の汗の一滴まで感じ取れる。

 

「この感覚……」

 

『邪魔が入った。二機とも。露払いだ。出来るな?』

 

 有無を言わせぬ声に今までならば逡巡が勝っていただろう。だが、今の昂揚感ならば、という意志が勝った。

 

「……行こう!」

 

『うん! 翡翠!』

 

《ソニドリ》と《ガルバイン》が地表を蹴りつけて一気に城壁まで距離を詰める。オーラ・コンバーターが開き、翅が高速振動した。

 

 超加速に入った《ソニドリ》が瞬時に敵影を捉える。

 

 剣を仕舞い、オーラショットへと持ち替えた。照準器が視野と同期する。

 

「当たれぇーっ!」

 

 引き金を絞った刹那、弾頭が赤い装甲を照り輝かせる《ドラムロ》の横腹を吹き飛ばした。

 

 無様に転がる《ドラムロ》はほとんど射程外からの攻撃にうろたえているようだ。

 

『あんなに遠くから……!』

 

 オーラショットを構えた形の《ソニドリ》が次なる獲物を狙おうとする。《ドラムロ》の部隊が三々五々に散った。

 

「アンバー!」

 

『分かってる! 逃がすわけ、ないでしょ!』

 

 細くしなった剣が《ドラムロ》の足を取った。横転した《ドラムロ》へと急上昇した《ガルバイン》が狙いをつける。

 

 放射された散弾が《ドラムロ》の装甲を叩いた。

 

『こけおどし……』

 

 直後、散弾が膨れ上がり、爆発の光を棚引かせる。

 

『ショットガンにオーラを貯め込んだ! 名付けてオーラショットガン!』

 

「アンバー、それじゃ《ソニドリ》の武装と被っちゃう」

 

 呆れたティマの声にアンバーは応じる。

 

『こう名乗れって、ミシェルが』

 

『私のせいにしないでちょうだい』

 

 城壁から飛び出した《ブッポウソウ》が《ドラムロ》を足の爪で追い込んだ。引き剥がした装甲へと銃弾が撃ち込まれる。

 

「ギーマは?」

 

『あいつはちょっと野暮用。私達だけでも充分でしょう。相手は前みたいに地上人の部隊ってわけでもなさそうだし』

 

《ブッポウソウ》が降下してくる。《ガルバイン》が並び、《ソニドリ》が追いついた。

 

 三機の地上人のオーラバトラーに相手も気圧されている様子だ。

 

『来るのならば来なさい! こちとら、ただ闇雲にっ!』

 

 駆け抜けた《ブッポウソウ》に《ドラムロ》が銃撃するも、それらは全て空を裂いていくばかり。

 

《ブッポウソウ》の機動力のためだけではない。相手がこちらのオーラに怯んでいる。

 

 今が好機であった。

 

《ガルバイン》に収まっているアンバーが知覚される。拡大化したオーラ力が、機体越しでも相手の状態を伝えさせた。

 

「行こう! 《ソニドリ》!」

 

『《ガルバイン》!』

 

 二機の眼光が敵機を睨む。《ガルバイン》が敵の懐に入り、滑るように剣筋を見舞った。胴体を割られた敵機がうろたえている最中に、《ソニドリ》が割って入る。

 

「邪魔を、するなぁっ!」

 

 神経の伝ったオーラショットが敵の頭部を射抜いていく。《ドラムロ》部隊は明らかな力負けを感じつつも退く気配はない。

 

『撤退しないわね』

 

『それなら、あたし達だって!』

 

「ああ、徹底抗戦だ!」

 

 接近した《ドラムロ》が銃器を向けようとする。それを蹴りでいなし、眼前に銃口を突きつけた。

 

 オーラショットの火器が《ドラムロ》の寸胴な機体を射抜く。

 

 さらに、背後より迫った機影へと《ソニドリ》は剣筋を浴びせていた。

 

 こちらには死角はない。今ならばどこから攻められても対抗出来る気がしていた。

 

「オーラの流れが見える。今なら……誰にだって勝てる!」

 

《ドラムロ》が接近兵装へと持ち替える。その手首を《ガルバイン》が小型の背丈を活かして蹴り上げる。懐に入った《ガルバイン》が剣を軋らせ、相手の胴を割っていた。

 

『今ならっ! どんなのが来たって!』

 

《ブッポウソウ》が火器を見舞い、《ドラムロ》を退けていく。その立ち振る舞いにも迷いはない。まるでこちらのオーラの干渉を受けたかのように、ミシェルも平時より研ぎ澄まされている。

 

『……すごいわね。二人のオーラ力。私まで、昂って……』

 

《ソニドリ》が最後の一機へと接近する。浴びせられる重火器の雨を掻い潜り、《ソニドリ》は跳躍した。

 

 大上段に剣が振り上げられる。

 

「これが、ボク達の! オーラバトラーだ!」

 

 覚悟の一閃が《ドラムロ》を打ち破ろうとした。

 

 刹那、冷水を浴びせられたかのような声が響く。

 

『――そうか。それが地上人のオーラ力か』

 

 ハッと《ソニドリ》を回避機動に移らせた時には、既に巨岩の腕が大写しになっていた。

 

 黒い爪に鷲掴みにされ、《ソニドリ》が身悶えする。

 

「お前は……!」

 

『まさかこんな短い間に、またしても邂逅するとはな。白いオーラバトラー……!』

 

 忌々しげな男の声に、森林から這い出てきたのは山のような巨体であった。全身が岩石で構築されているかのような頑強さ。他のオーラバトラーとはまるで設計思想から違って見える。

 

《ブッポウソウ》が火気を放つが、それでも装甲を叩くばかりで無為な攻撃になっているのが窺えた。

 

『なんて事……、これが……』

 

『そうだ。これが我がオーラバトラー! 《マイタケ》だ!』

 

《マイタケ》と名乗ったオーラバトラーから湧き出たのは紫色のオーラであった。禍々しい憎しみのオーラである。

 

『……このオーラ……』

 

「エムロード! やっぱりそうだ。勘違いじゃなかった……。こいつ、コモンだ!」

 

 エムロードもオーラの流れで察知する。地上人のオーラではない。だが、あまりにも他のコモン人とは桁違いの出力だ。

 

「……ただのコモン人じゃないな」

 

『勝てば教えてくれよう。負ければ……鍋の具材よ!』

 

「冗談! おあつらえ向きなのはそっちでしょうに!」

 

 強気なティマの声に背中を押されたようにエムロードも叫ぶ。

 

「鍋になるのは、そっちだ!」

 

『冗談を吐けるのも今のうちだな! 《マイタケ》の拘束は! 簡単には解けぬ!』

 

 黒い鉤爪が機体を軋ませる。確かにパワーでは相当なもの。このままでは押し潰されるだろう。

 

 だが、不思議と恐怖はない。

 

 何故なら……。

 

「今のボクは、一人じゃない!」

 

《ガルバイン》が飛翔し、太陽を背にオーラ・コンバーターよりオーラを散布する。《マイタケ》の視界が一瞬、眩惑されたようであった。

 

 その期に乗じて《ブッポウソウ》が重火器で火線を見舞う。頭部へと向けられた一斉射を退ける前に、《ガルバイン》の刃が岩石の多面装甲へと入った。

 

『どれだけ堅牢って言っても!』

 

『刃さえ通ればいい!』

 

《ブッポウソウ》が飛翔し、《ガルバイン》の穿った装甲へと援護を見舞う。

 

『させるものか!』

 

《マイタケ》の巨大な腕が《ブッポウソウ》を叩き落した。

 

「ミシェル!」

 

 こちらの声にミシェルは疲弊した声で応じる。

 

『トチったわね……。でもこれで……』

 

『装甲は、一枚剥がした!』

 

《ガルバイン》の刃に纏い付かせたオーラが顕現し、入った継ぎ目から装甲を舞い上がらせる。

 

『《マイタケ》の装甲をぉ……!』

 

「隙が見えたよ! エムロード!」

 

 ティマの声に衝き動かされ、エムロードは結晶剣を両手で握り締める。オーラを内側で燻らせるイメージから一気に額で発露させる状態へと変位させる。

 

《ソニドリ》の緑色の結晶体の部位が光り輝いた。

 

『何という光……』

 

「オーラの力……その目に刻めぇっ!」

 

《マイタケ》の頑強な爪による拘束を《ソニドリ》がその膂力で押し返す。《マイタケ》はもう一方の手を振るい上げた。

 

『ならば! 両手で押し潰してくれるわ!』

 

「それ……でもっ!」

 

 突き上げた手にはオーラショットが握られている。その銃口が迫り来る《マイタケ》の腕を狙い澄ました。

 

 二連装の銃口から弾頭が回転を帯びながら発射され、《マイタケ》の腕へと突き刺さる。火薬が炸裂しその爪へとダメージを与えた。

 

 拘束が緩み、その隙をついて《ソニドリ》が飛翔する。《マイタケ》が岩石の頭部を仰ぎ、モノアイ型の眼窩をぎらつかせる。

 

『白いオーラバトラー!』

 

「《ソニドリ》だァッ!」

 

 オーラショットが《マイタケ》の頭部を打ち据える。巨岩の装甲が焼け爛れたようになった。直後、装甲が裏返り、内側に込めたミサイル群が《ソニドリ》を照準する。

 

『喰らえぃっ!』

 

 ミサイルの一斉掃射を《ソニドリ》は急速後退して回避する。追尾性能を持つミサイルを《ソニドリ》のオーラショットが撃ち抜き、爆ぜた噴煙を引き裂いて剣で斬り払っていた。

 

 宝石の輝きを帯びた剣筋がミサイルを叩き落していく。

 

《マイタケ》はミサイルを放った反動か、装甲が裏返ったままだ。

 

 今ならば決定打を与えられる。そう確信した《ソニドリ》が敵機へと立ち向かう。

 

《マイタケ》の腕が《ソニドリ》を掴み取ろうとして、その爪先を太刀筋が破った。

 

 神経の通った剣が今までの比ではない威力を発揮する。《マイタケ》の爪が崩れ、惑った途端には《ソニドリ》が眼前に浮遊していた。

 

『白いオーラバトラーがァッ!』

 

「行っけー! 《ソニドリ》の一撃!」

 

 ティマの声にエムロードは雄叫びを上げる。

 

 オーラを纏った刃が緑色の螺旋を描き、剣に纏いついた。剣のレンジを二倍にも三倍にも膨れ上がらせる。

 

 それは摂理を超えた剣。オーラを纏い、何もかもを断つ苛烈なる剣閃――。

 

「オーラ斬りだ!」

 

 正眼の構えからの真っ直ぐな打ち下ろし。その一閃が《マイタケ》の頭部をかち割っていた。

 

 多面装甲に守られた《マイタケ》の機体が軋みを上げ、オーラの重圧に押し負ける。オーラの放出量が凄まじいためか、開いていた装甲が吹き飛び、敵機は機体各所から粉塵と炎を上げた。

 

《マイタケ》の巨躯がよろめき、直後には仰向けに倒れる。

 

 その光景に誰もが絶句していた。

 

 敵兵も、こちらの兵士も。まさか小さな《ソニドリ》のようなオーラバトラーが重量級の《マイタケ》を一撃で戦闘不能にするとは思いもしなかったのだろう。

 

 打ち下ろした姿勢のまま、《ソニドリ》に収まるエムロードは肩で息をしていた。

 

 今の瞬間、自分の中から衝き動かす声に従い、出た技の名前。その名前を、今一度反芻する。

 

「オーラ……斬り……、今のが……」

 

 その時、《マイタケ》の胸部から圧縮空気が放射され、コックピット部が開け放たれた。

 

 中から現れたのは屈強な軍人である。浅黒い肌の男が鍛え上げられた身体を晒し、中空の《ソニドリ》を睨んだ。

 

『おのれ、儂の《マイタケ》を倒すとは……やるではないか』

 

「うわぁ……予想以上に予想通りなのが出てきたね……」

 

 ティマの声を聞きつつミシェルに判断を仰ぐ。

 

「どうする?」

 

『拘束、でしょうね。《マイタケ》はもう動かないでしょう?』

 

《ブッポウソウ》が相手へと照準する。パイロットの軍人は大人しく両手を上げた。

 

『ゼスティアに、ここまでやれるオーラバトラーがいるとはな。否、その力、地上人ならば頷ける』

 

『いずれにせよ、こちらへと投降してもらえるのならば、これ以上の血を見ないで済むわ』

 

 その言葉に相手は鼻を鳴らす。

 

『戯れ言を。もう充分に血は見た。これ以上は互いの本意ではあるまい。……ただし、拘束の条件として部下の安全は、保障させてもらう』

 

『グラン中佐! しかしそれでは……!』

 

『口を出すな! これは儂の決定だ! ゼスティアの方も、別段悪い条件ではあるまい』

 

 敵の将を打ち取るか、末端は逃がすか。ミシェルは即座に判断を下した。

 

『……逃げなさい。まだ生き残っているジェム領の』

 

《ドラムロ》数機がまだ動けたのだろう。撤退していくその背中に、追いすがろうとは思わなかった。

 

《ソニドリ》がゆっくりと降下する。《ガルバイン》が肩に触れた。

 

『大丈夫? 翡翠』

 

「うん、ボクは別に……。それよりも、相手の。グランとか言う……」

 

 ミシェルの《ブッポウソウ》に導かれた形の相手に、アンバーは言葉を返す。

 

『オーラバトラー、《マイタケ》をたった一人で動かしていたんだよね。それには驚きかも』

 

「でもでもっ、これであたし達の優位じゃん!」

 

 ティマの言葉ぶりに浮かんだ余裕に、どうだろうか、とエムロードは警戒する。

 

 相手にはまだ見せていない奥の手くらいはありそうだ。ここでの鹵獲がまだ勝利への絶対条件ではない事を、エムロードは予感していた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十二話 少女邂逅

「そう、か。敵のデカブツオーラバトラーの鹵獲に成功。よくやった」

 

『よくやった? 随分と上から目線ね』

 

「それ以外にどう形容すればいいというんだ。アンバーとエムロードは?」

 

『存外、うまくやってくれたわ。アンバーはやっぱり飲み込みが早いみたい。もうほとんど《ガルバイン》を手足同然に扱っている』

 

 やはり、地上人は侮れないな。胸中に結び、ギーマは揺られる馬車の中でミシェルの通信端末の量産型を手にしていた。

 

「戦力に問題がないのならばいい。ランラは思ったよりも友好的というわけだな。アンバーからの反発はあって然るべきだと思っていただけに」

 

『むしろ、反発どころか、あの二人はよくやってくれたわ。《ソニドリ》も強くなっている。このままならば、ゼスティア領国の推し進める計画も、うまく事が運ぶかも』

 

「慢心は時に足をすくう。わたしがいない間はせめて、ゼスティアに暗雲がないように祈るばかりだ」

 

『どの口が』

 

 言いやるミシェルにギーマは念を押していた。

 

「……して、王冠の事を相手は」

 

『話していないわね。不気味なほどに沈黙している。相手からしてみれば、一気に形成を覆すチャンスなのに』

 

「あるいは王冠の事は極秘である、とは知らないか」

 

『どこまでのレベルの機密なのかを理解してなければ、ね。そういう事もあるでしょう』

 

「アンバーとエムロードには注意しておいて欲しい。二人が王冠の事を知れば、ただでは済むまい」

 

『承知しているわよ。そっちは?』

 

 ギーマは馬車の窓から見える景色を視界に入れていた。

 

「西方の町外れだ。もうすぐ領国に入る」

 

『トチらないでよね。外交問題くらいは』

 

「それでさえも地上人の手を煩わせるほどではないさ。外交くらいはやってみせる」

 

 それくらいしか、自分が地上人に勝る部分はない。ゼスティア次期領主として、政くらいは自分だけで責任を取ろう。

 

 ユニコンがその時、不意にいななき声を上げた。どうやら誰かが往来に立っていたらしい。

 

「危ないぞ! クソガキ!」

 

 放たれた怒号にギーマは通話を中断する。

 

「失礼、切るぞ。どうした!」

 

「あっ、准将……。このガキが、急に出てきて……」

 

 馬車から降りたギーマはユニコンの前で蹲る少女を目にしていた。切り揃えた黒髪に、華奢な身体つきをしている。

 

「いい、叱るな。お嬢さん、ここは退いてもらえると助かる」

 

 領国によっては即打ち首もあり得るこの状況で、出来る限り穏便に済ませたい。

 

 そう思っていたギーマは面を上げた少女の瞼が閉ざされている事に気づいた。

 

「貴方は……」

 

「君、目が見えないのか?」

 

「生まれた時から、なんです。あそこの路地で辻占をやっていまして……。濃いオーラを感じて、飛び出してきたんです」

 

 少女が瞼を薄く開ける。虹彩が虹色に染まっていた。

 

 息を呑んだギーマに少女が口を開く。

 

「貴方は、王様、ですね。黒く滾ったような王冠のオーラが見えます。破滅のタロットが貴方にはついている」

 

「おい! 喧嘩を売っているのか!」

 

 ユニコンを動かす部下にギーマは諌めた。この少女、まさか王冠の事を予知して見せたというのか。

 

 ――興味深い、とギーマは少女の手を引く。

 

「准将? そんな子供、どうするって……」

 

「ちょっと用件があってね。辻占をやっているというのならばこれから先の国運を占ってもらうのも悪くはない」

 

「……知りませんよ」

 

 馬車が再び動き出す。密室で、ギーマは対面に座らせた少女を観察する。王冠は極秘事項。知っている人間は出来れば少ないほうがいい。

 

「……准将って聞こえました。貴方はやっぱり、王様なんですね」

 

「これから先、王になるかどうかの責を問われる立場だ。まだまだだよ」

 

「それでも、貴方のオーラは揺らいでいる。闇色のオーラです。遥か向こう側……オーラ・ロードの先で、佇む暗黒の城。その城主が、貴方」

 

「買い被るな」

 

 笑い話にしようとしたが少女の声音は真剣そのものであった。

 

「でも貴方の運命は……行動次第で変動します。国内に、別のオーラの持ち主を引き入れましたね? 二人、全く別種のオーラが視えます」

 

 アンバーとエムロードだろうか。ギーマは問いかける。

 

「その二人はどうなる?」

 

 少女は残念そうに頭を振った。

 

「そこまでは視えません」

 

「おいおい、まさか都合のいいものだけが見えるとでも? それでは辻占とは呼ばんな」

 

「私が見えるのは、目の前にした方のオーラから辿る運命のみです。貴方には無数のオーラが纏いついている。その中のいくつかを読む事は出来ますが、本人でない限りはその帰結する先までは」

 

「読めない、か。理には叶っている」

 

 馬車が揺れる。少女が戸惑って手を彷徨わせた。

 

「何か?」

 

「いえ、馬車の上、なんですね。ユニコンの形のオーラが視えるので」

 

「何か問題でも?」

 

「……私はある家庭に飼われている身分です。勝手に出歩けば、後々禍根を残します」

 

「心配は要らない。君の事は気に入った。ゼスティアまでの道案内はわたしが引き受ける」

 

「ですが……、彼らが」

 

「心配するかね? 家族の者が」

 

「いえ、心配はしないでしょうが……旦那様は私が帰ってこないのに腹を立てて、今夜飛び出せば必ず……事故に遭うでしょう。タロットに死神が出ています。それが申し訳なくって」

 

 他人の死が容易に見える、というわけか。なかなかの逸物である。

 

「面白いな、君は。とても面白い」

 

「貴方の事は、なんと呼べば?」

 

「何でもいい。ギーマ・ゼスティアの名を取っているが」

 

「では、ギーマ様。私の新しい飼い主様です」

 

 恭しく頭を下げる少女に、ギーマは辟易する。飼い主などそのようなつもりはなかったのだが。

 

「よしてくれ。わたしは単純な……そう、単純な気紛れで」

 

「気紛れで運命は変わります。貴方がここで、私を拾ってくださったのも、運命なのです」

 

 その言い分が正しいのならば、彼女の雇い主が事故に遭うのも、か。どこまで読めているのか分からないその相貌に、ギーマは観察の眼を注いでいた。

 

「……率直に聞きたい。どこまで見えている?」

 

「私はオーラを視るのみ。対面しなければ分からぬ事も多くございます。ただ……闇の王冠は貴方様の国に多大なる変化をもたらすでしょう」

 

「王冠以外には?」

 

「緑色の鳥がいますね。その宝石のような鳥が、貴方の国を導いています」

 

 緑の鳥――《ソニドリ》の事か。そこまで読めているのであれば、ここで手離すのは得策ではない。

 

「……ゼスティアに国籍を与えてやってもいい。君の力が欲しくなった」

 

「そう、ですか。私も雇い主の旦那様が亡くなられるのを見たくはないので、利害の一致ですね」

 

 どこまでも冷静な少女の声音にギーマは尋ねていた。

 

「名は? 何と言う」

 

 少女は瞼を僅かに上げて、言いやる。

 

「――レイニー。ファミリーネームはございません」

 

「では今より君はゼスティアを名乗れ。わたしが許可する」

 

「はい。では今より私はレイニー・ゼスティアですね」

 

 どこまでも従順な声にギーマは頬杖をつく。

 

 果たして、このオーラを見る少女の本質はどこにあるのか。それを見届けない限りは、この旅路、終わらないと考えていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十三話 オープンユア・アイズ

 目を覚ましたイリオンはターニャの声を聞いていた。

 

「……そんな。あの子はまだ万全ではないのよ」

 

「しかし上が決定を急いている。バイストン・ウェルからの……侵略者だとでも」

 

「あの子一人で何が出来るって言うの?」

 

「分からないが……オーラ・ロードの研究は飛躍的にこの三十年で進んだ。今ならばその道筋に爆弾を置けるかもしれない」

 

「馬鹿を言わないで」

 

 ターニャは心底疲れたように言い返した。

 

 もう一方の相手は昨夜の少佐と呼ばれた男であろうか。

 

「オーラバトラーが確認された。そのパイロットは現在隔離。今、解析中だが、これを」

 

 何か書類が手渡された様子である。ターニャはそれを手に取って驚愕の声を上げた。

 

「何よ、これ……。遺伝子組成が」

 

「ああ。コモン人ではない」

 

「この感じだと……地上人に近い? でも、そんなのって」

 

「あり得ないわけではない。幼少期にバイストン・ウェルに紛れ込めば、あの土地の人間として生きる事は出来る」

 

「……でも、在り方が全く違うはずなのよ。だって言うのに、このデータじゃ……。まるでそう……混血よ。これじゃ、コモン人と地上人の……」

 

「分からないが、フェラリオとの関連も調べている。ともすれば本国のミ・フェラリオが解析に使われるかしれない」

 

「……実験番号Fの01が?」

 

「本国のお偉方からしてみればあれはアキレス腱だ。そうそうこちらへと寄越すかと言えばノーだろうが、今回の事例に照らし合わせて、何かしらが分かるとなれば重い腰も上げるだろう」

 

「……あの子は、実験体じゃないわ。不幸にも巻き込まれたのよ」

 

 ターニャの抗弁に相手は無慈悲に告げる。

 

「だがバイストン・ウェルは仮想敵国だ。現状、オーラバトラーのような大量破壊兵器を野放しにするわけにもいかない」

 

「相手が攻めてくるわけでもないのに?」

 

「三十年前にはそれが起こった。フェラリオの長が全ての戦いを地上へと投げた……あの忌むべき戦いからもう三十年だ。恐るべき速度で技術が進歩したのには、バイストン・ウェルの恩恵を無視は出来ない」

 

「でもあの子は……」

 

「起きているのか?」

 

 カーテンが捲られかけてイリオンは眠った振りを装った。

 

「まだ寝ているか」

 

「疲れているのよ。栄養状態も充分じゃないわ。バイストン・ウェルはまだ奴隷のように人間を扱うのね」

 

「こちら側からあちらを観察するのは難しい。あちら側からこちらが見えないように。……本題に移る。逃げ出した隔離地区からのものだが……」

 

「追跡中なんでしょう?」

 

「山林に入った形跡が見つけられた。あまり大部分の人間に見つけられるとまずい。これより捜査隊に入る。彼……いいや、彼女か。結局、どっちだったんだ?」

 

 ターニャはその言葉に暫時、沈黙を挟んだ。

 

「……本当に言い辛いんだけれど、どっちでもあるのよ」

 

「どっちでも?」

 

「性決定の要素がまだ多分に残されている。このような状態は胎児の時くらいしかないんだけれど、彼……いいえ彼女はまだ、どちらでもないし、どっちでもある。こちらの言葉でいえば、両性偶有ってところね」

 

「両性……、どちらでもある、か。バイストン・ウェルの、妖精らしい」

 

「言っておくけれど、あの子はフェラリオじゃないわ。ただ……コモン人のケースに当て嵌めると合致しない。レアケースと見るべきね」

 

「オーラ力は?」

 

 ターニャは頭を振ったようである。

 

「計測出来ない。専用の機器がない」

 

「……本国よりの調査隊を待つ、か」

 

「せめて心象はよくしてね。あの子は何もしていないのよ?」

 

「隔離地区に出ただけでも兵士達の間では語り草だ。全くの無罪放免ではないだろうな」

 

「……運が悪かったのよ」

 

 ため息をついたターニャに男は言いやる。

 

「バイストン・ウェルから紛れ込んだのならば、あの子も災難だ。少しばかり……運のなかった。それだけなのだろうが」

 

「レイリィ。あなたはどうしたいの?」

 

 問われて、レイリィと呼ばれた男は硬直した様子である。

 

「……わたし、か。わたしは……」

 

 その時、機械端末が音を響かせる。

 

「失礼。……何だ? 目標の再接近を確認? ……分かった、すぐに向かう。討伐隊が痕跡を見つけたらしい。マーカーは打ち込まれているから、ある程度まで距離を絞れれば」

 

「死なないでね」

 

「この程度で死んでいれば、余程死神に好かれているのだろうな」

 

 レイリィが出て行ったのを確認してから、ターニャはそっと呟いていた。

 

「……あなたはその節があるから、怖いのよ」

 

 ターニャがカーテンを開ける。まだ眠っている振りを続けていると、彼女が針を抜いて血を拭った。

 

 額にターニャが触れる。

 

 その時にようやく起きた風を装った。

 

「気分はどう? 起こしちゃったかしら。こちらでは随分と騒動が起きていてね。あなたに上の人々はかまけている様子がないのが、不幸中の幸いかも」

 

「……あの人は」

 

「少佐の事? 彼ならば大丈夫よ。ちょっとやそっとじゃ、何ともない。ここでも随分と長く滞在しているし」

 

「ここは……どこなんですか?」

 

「日本の米軍基地。……って言っても分からないか?」

 

「ニホン……ベイグン……?」

 

「分からなくって当然よ。バイストン・ウェルから来たのだものね」

 

 差し出されたのは銀紙に巻かれた棒であった。紙を捲ると、食べ物の匂いが立ち込める。

 

「レーションで申し訳ないけれど、栄養状態はあまりよくないから。食べていいのよ」

 

 言われてからイリオンはそれを齧った。一口で、バイストン・ウェルで食べていたものよりも随分と味が濃いのが分かる。貪るように食べていると、ターニャが笑った。

 

「地上のものはお気に召した?」

 

 それで、自分が恥ずかしい事をしていたのだと悟り、イリオンは赤面する。

 

「すいません……」

 

「いいのよ。お腹がすけば誰だってそうなってしまうものよ。それにしても、イリオン、って言ったかしら。あなたは自分がどういった存在なのか、説明出来る?」

 

 先ほどの会話からして、フェラリオとの関係を疑われているのだろう。その潔白だけは晴らしたかった。

 

「フェラリオじゃないです」

 

「それは、……何となくだけれど分かるわ」

 

「でも……その、コモン人とも、ちょっと違っていて」

 

 ターニャはこちらの話をじっくりと聞いている。自分の身の上を話すのは、そういえば旅団に入った時以来だと思い出した。

 

 旅団を襲ったあのオーラバトラーはどうなったのだろうか。旅団のみんなは、生きているのだろうか。

 

 鎌首をもたげた疑問に呆けているとターニャが微笑みかけた。

 

「私達はコモン人に関して、あまり詳しくはないの。三十年も前のデータを反芻するしか出来なくって」

 

「オーラが違うんです」

 

「オーラ力、ね。私達もそれは情報として持っている。でも、実際にそれをどうこう出来るかと言えば、それは違ってくる」

 

「地上人の方々は、オーラ力がずば抜けていると聞きました」

 

「それは、バイストン・ウェルに召喚された場合、よね。……そのデータもほとんど消えていてね。聖戦と呼ばれたあの戦いで残されたのは、たった一匹のミ・フェラリオの証言のみ。彼女の語った物語がでも、全てとも限らない」

 

「フェラリオが地上に?」

 

「信じられない? でも本当よ。あなたは……まだ」

 

「十五にも満たないです」

 

「それじゃ、知らないのも無理はないか。バイストン・ウェルの年月と、私達地上の月日が同じだとも思えないけれどね」

 

 ターニャはずっと質問を続けながら何かに書き付けている。染みがある一定の法則で綴られているようであった。

 

「それは……?」

 

「ペンよ。それに紙。……もしかして、バイストン・ウェルじゃ珍しい?」

 

 知識としては存在していたが旅団では用いられた事はほとんどなかった。紙も、それに書くという記述方法も、どれも高級品だ。

 

「縁がなかったから」

 

「そう……。バイストン・ウェルは今でもその……中世みたいな技術なのかしら」

 

「チュウセイ?」

 

「ああ、そうか。分からないわよね。自分達の文明レベルがどの段階か、なんて。でもオーラバトラーがあるんでしょう?」

 

「あまり、見た事はないんです」

 

 わざと灰色のオーラバトラーに関しては言わなかった。あれが本当にオーラバトラーであるのかも怪しい。

 

「オーラバトラーはバイストン・ウェルの技術を革新させた、と聞いているわ。別種の状態にまで引き上げたって」

 

「……よく、分からなくって……」

 

「まぁ、それもそうか。みんながみんな、オーラバトラーに乗っているわけでもないわよね」

 

 ターニャは先ほどから紙に記述しながら、何かを考えている様子であった。イリオンは先に口火を切る。

 

「……この後、どうなるんですか」

 

「心配よね。でも、安心して? それほど悪い待遇ではないと思うわ」

 

 嘘であろう。先ほどの会話を思い返す限り、何か都合が悪い条件に触れているのは明白だ。それが分からないほど馬鹿ではない。

 

「あの人は……何にも?」

 

「少佐は生真面目だから。あなたの待遇に一家言くらいは挟んでくれるはずよ」

 

「少佐に……会わせてもらえますか?」

 

 その質問には応じられないのだろう。ターニャが次の言葉を講じかけているところで、不意打ち気味に甲高い音が鳴り響いた。

 

「警告? どうしたの?」

 

 ターニャが部屋から出るなり、廊下を走っていた者を呼び止める。

 

「隔離施設から逃げた実験体が、基地内部へと侵攻したみたいで……! 防衛線を張っていますが……」

 

「なんて事……。あなたは! ちょっとここで待っていて!」

 

 ターニャが飛び出していく。イリオンは赤く染まった部屋の中で膝を抱いていた。

 

 自分に何が出来る? 何が、この手で掴み取れるのか?

 

 あの時、旅団の仲間が襲われた時、何も出来なかった。指の筋一つ動かせなかった。

 

 ――今はもう、あのような無力感に苛まれるのは。

 

 イリオンは自然とベッドから起き上がり、部屋を出ていた。廊下も赤い警告色に染まっている。

 

 行き交う人々の合間を縫い、イリオンは駆け抜けていた。外を目指し、闇雲に走っていく。

 

 どこをどう抜けたのかも分からない。

 

 ようやく外が見えたその時、機銃を手にした人々が寄り集まっていた。物々しい空気に、イリオンは絶句する。

 

「目標! 隔離生命体!」

 

 上がった咆哮にイリオンは目を向ける。そこにいたのは、喉元が発達した怪物であった。バイストン・ウェルではよく見かける肉食の強獣である。

 

「ガッター……? でもあんなに大きな個体は……」

 

 記憶にあるガッターは大きいとは言っても人の背丈の三倍ほど。しかし、踏み込んできたガッターの大きさはさらにその五倍はある。見上げんばかりの大きさにイリオンは呆然としていた。

 

 強獣の大きさではない。あまりの巨躯に思考が真っ白になる。

 

 ガッターが一声啼くだけで、その土地が震えた。銃声が連鎖し、ガッターへと撃ち込まれるが豆鉄砲にもならないのは見るに明らか。

 

 ガッターが足を持ち上げて踏み入ってくる。強獣の威圧に武装した人々が散っていった。

 

「撤退! 撤退に入れ! 敵性生命体を破壊出来る兵器は?」

 

「基地には現状……。あるにはあるのですが……」

 

 兵士が報告を下した部下へと促す。

 

「あるのならば言え! 被害が出る!」

 

「しかしあれは……。とてもではありませんが……」

 

「いい! 俺がそれで出る! 案内しろ!」

 

 報告した部下が他の兵士へと一瞥をくれ、その兵士を手招いた。

 

「こちらです。しかし……これは最重要機密の一つで……」

 

「つべこべ言うな! 死ぬくらいならば最重要機密の一つや二つ……!」

 

 イリオンはその背中を自然と追っていた。相手は生き延びるのに必死でこちらの追跡に気づいていない。

 

 貨物倉庫の一つの前に立ち、門前で兵士は手を翳す。

 

 何かが照合され、重々しい音を立てて鉄の門が開いていった。内側には緑のカバーがかけられた何かが位置している。

 

「これは……?」

 

「米軍の機密兵器です。これならば、あのバイストン・ウェルの怪物を殺す事は、計算上は可能でしょう」

 

「含んだような物言いだな。……何がある?」

 

 情報兵は唾を飲み下した。

 

「一度も……起動に成功していないのです」

 

 その言葉にカバーを取り払おうとしていた兵士がびくついた。

 

「一度も、か……?」

 

「ええ、一度も。それにはやはり、この機体の持つ特性が関係していて……」

 

 その時、強獣の雄叫びが響き渡った。基地内部を踏み潰し、兵隊達をことごとく蹴散らしていくガッター相手に、今は誰も冷静な判断を下せる状況ではなかった。

 

「いい! それでも構わん! 俺が乗れば……」

 

 カバーを払い、兵士が露になったその銀色の機体へと搭乗した。

 

 白銀のマシンだ。それはまるで強獣を模したかのような全容をしていた。丸まった頭部を項垂れて持ち、兵士は頭部操縦席へと収まる。頭部の大きさに比して、機体そのものは貧弱と言っていいほどの細さであり、殊に脚部は骨格が剥き出しであった。

 

 腕が折れ曲がって大きく前に垂れており、細い三つ指の爪はまるで人間とは異なる。

 

「こんなもの……どれも構造は同じだろうて!」

 

 しかし、銀色の機体は身じろぎ一つしなかった。しんと静まり返った格納庫で兵士が喚き散らす。

 

「何故だ! 何故動かん!」

 

「やはり、地上人では動かせないのでしょう。……これを動かすのには、最低オーラ適性値があまりにも……」

 

「動け! 動かんか! このポンコツが!」

 

 その時、基地を襲うガッターの視線がこちらへと向けられた。兵士は恐慌状態に駆られる。

 

「早く動かさせろ! このままでは、化け物に……」

 

「キーは渡しました! それを差せば条件さえ満たせば動くはずなのです!」

 

「だが、動かんではないか!」

 

 ガッターが歩み寄ってくる。その威容に機械に収まっていた兵士は覚えずと言った様子で操縦席から立ち上がり、機銃を掃射した。

 

 ガッターの表皮を叩くが、まるで効果的ではない。ガッターは闘争本能に火が点いたのか、一挙に格納庫まで突進した。

 

 格納庫内が激しく軋む。恐れと怯えで兵士は正常な判断を下せなくなったのだろう。

 

 銃を手に、ガッターへと果敢に攻め立てる。しかし、その威力はまるで意味を成さない。ガッターの手が兵士を掴み取る。兵士が罵声と共に銃弾を見舞うが、ガッターはその膂力で兵士を握り潰した。

 

 赤い血飛沫と、肉塊がひき潰される。

 

 情報兵は口元を押さえながら後退した。

 

 彼も今度は我が身と感じたのだろう。機体へと目線を配ったが、彼は乗ろうとはしなかった。

 

「武器……武器は意味を成さない……。これじゃ、どうやったって……」

 

 ガッターが吼え立てる。情報兵が悲鳴を上げたその時、横合いから炸薬がガッターを襲った。

 

「何をやっている! 早く逃げろ!」

 

 レイリィの声であった。彼は武装してガッターの注意を逸らす。強獣の眼光が屈強なる兵士を睨んだ。

 

「少佐……! 少佐、これに乗ってください! 少佐なら、きっと……!」

 

「機密兵器か……。だが、そんなものに頼ったところで……」

 

 その時、不意に自分とレイリィの視線が交錯する。彼は何を思ったのか、瞬時には理解出来なかったが、情報兵へと彼は声を飛ばしていた。

 

「そこにいる子供ならば! もしかすれば……!」

 

 レイリィの言葉に情報兵はようやく自分の存在に気づいたらしい。彼はハッとしてレイリィに問いかけた。

 

「バイストン・ウェルの……?」

 

「彼ならば資格はあるかもしれん! いずれにせよ、我が方ではジリ貧だ! この基地の爆撃さえも視野に入っている!」

 

「そんな! 兵はまだ戦っているんですよ!」

 

「……上はそんな事はお構いなしだろう。この怪物がもたらした被害が大きければ合理的に判断する。その前に! その子の可能性に信じたい! 乗ってくれるか!」

 

 一も二もない。情報兵は歩み寄り、イリオンの肩を掴んだ。

 

「……君は、オーラバトラーには乗れるかい?」

 

「オーラバトラー……」

 

 乗った事はない。見た事もあの一回だけだ。それでも、彼らの眼には今しかないという真剣さがあった。その気迫に覚えず頷く。

 

「……よし。だがオーラバトラーとは根本的に違うが……、それでもないよりかはマシなはず。こいつは思考回路で動かす。君が思った通りに、この機体は応えてくれるはずだ」

 

 背中を叩かれ、イリオンは機械の兵隊の頭部操縦席へと入る。

 

 思ったよりも簡素な操縦系統であった。両手を乗せる場所であろう球体があり、足を引っかけさせる部位があるだけ。

 

 他には目立ったものは何もない。操縦桿も、ましてや専門的な代物も。

 

「どうやって……どうやって動かすんです!」

 

「キーが刺さっているはずだ! それを右向きに回せ! ……適性があれば起動するはず。この――メタルトルーパー、《アグニ》は」

 

 全く聞いた事もない名称に戸惑っている間にも情況は動く。ガッターが頭部で格納庫の扉を粉砕し、こちらへと接近した。

 

 レイリィが必死に引きつけるが、それでもガッターの動きまでは抑えられないらしい。

 

 半開きの操縦席でイリオンはキーを回した。しかし、それでも、この機体は動く兆しを見せない。

 

『……無理なのか、やはり』

 

 ガッターが格納庫へと踏み入る。情報兵は銃器を手にしたが、それでもその身体が震えているのが窺える。

 

 根源に根ざした恐怖を拭い去る事は出来ないだろう。

 

 彼らにとって強獣は身近なものではないはず。それが迫ってくるだけでも戦慄するのは当たり前なのだ。

 

『……嫌だ、死にたくない……』

 

 拾い上げた声の弱々しさに、イリオンはこの場所へと落とされる前の出来事を思い返していた。

 

 たった一人の、名も知らぬ男。旅団でたまたま、一緒になっただけの彼が、オーラ・ロードを開き、自分をあのオーラバトラーから逃がしてくれた。

 

 それは計算ずくの行動では決してないはずなのだ。

 

 今もレイリィもそうである。冷静に考えれば、ガッターの相手をたった一人で出来るはずがない。

 

 彼の持っている武器ではガッターを殺せない。それは分かり切っている。それでも彼は戦うのだ。

 

 無謀、無策、それらを通り越して輝く一刹那の希望。計算ではない、人間だけが持つ光。

 

 それこそが、彼らを衝き動かす。衝き動かしている。

 

「……だったら、僕は」

 

 イリオンは瞳を静かに閉じる。胸の中にある脈動。それを機械へと落とし込んだ。

 

 どこまでも落ちていく感覚、遡る起源。自分のルーツに触れようとする。

 

 魂の還る場所、人の根源とも言える部分がその時、青く瞬いた。

 

 瞬間、機体の顔面部に光が宿る。

 

 骨格を燃した銀色の眩い輝きと、オレンジ色の眼光。

 

 それらを灯した機体が腕を軋ませ、ガッターを殴り飛ばしていた。

 

 その動きに、一同が呆然とする。イリオンは機体と渾然一体となった己を意識した。

 

 一滴まで搾り尽くされた自己が、この機体の名を紡ぐ。

 

 ――メタルトルーパー、《アグニ》。

 

「お前は……《アグニ》だ!」

 

 名を呼ぶ度に力が増していくのを感じる。《アグニ》の背筋に近い部位から伸びた腕がガッターへと拳を見舞い、その巨躯を揺さぶった。

 

 ガッターが吼え立て、爪を《アグニ》へと叩き込む。しかし鋼鉄の巨体は身じろぎもしなかった。

 

 雄叫びと共に、イリオンは《アグニ》を突進させる。基地内部で荒れくれる嵐のような攻防に、兵士達の注目が一斉に集まったのが伝わる。

 

《アグニ》が拳の形状をした手を開き、爪を起こしてすり鉢状に変形させた。

 

 突けと言うのか。機体の無言の指示に、イリオンは首肯する。

 

 ガッターの胸部へと《アグニ》の片腕が入った。その直後、螺旋回転が開始される。《アグニ》の片腕が高周波を上げながらガッターの体内へと押し入った。

 

 その勢いにガッターの粘性を持った血潮が舞う。

 

 ガッターが牙を立てて《アグニ》を噛み砕こうとした。しかしその程度で、こちらの鎧はびくともしない。

 

 武器系統が開き、《アグニ》の操縦席に収まるイリオンの指示を待った。

 

 イリオンは操縦系と直結する球体を握り締め、ぐっと奥歯を噛み締める。

 

《アグニ》の装甲を黄色い電磁が跳ね、ガッターを突き飛ばした。

 

 思わぬ力場にガッターも完全に虚を突かれたのだろう。痺れた躯体に《アグニ》が片腕を振るい上げる。

 

「とどめぇーっ!」

 

《アグニ》のすり鉢の手首が入り、ガッターの心臓を射抜いた。

 

 事切れたガッターが完全に沈黙するまで、イリオンは肩を荒立たせていた。

 

 しばらくして、一つ、拍手が巻き起こる。やがてそれはうねりとなり、波のように兵士達に伝播していった。

 

 一種の昂揚感に浸された兵士達が奇声を上げる。その声音には喜びが満ち満ちていた。

 

 視界の中にレイリィと情報兵を発見する。彼らの眼差しには驚愕が浮かんでいたものの、この勝利を喜んでいるのは同じようであった。

 

 イリオンは突然に、眩惑を感じる。

 

 眩暈で落ちていく意識の中、表層の声を拾い上げた。

 

『まさか、バイストン・ウェルにいたとはな。《アグニ》への適性――オーラが一切存在しない、コモン人か』

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十四話 少女可憐無垢

 

「外交努力は惜しまないつもりだ」

 

 そう言いやったギーマにレイニーは静かに微笑んだ。まるで花のようにしとやかに。

 

「……何か?」

 

「いえ、貴方は王になられるお方。外交努力、というのがちょっとだけ可笑しくって」

 

「可笑しくはないさ。わたしはまだ……領主の器ではない。それは自分でもハッキリ分かっている」

 

「身の程を弁えるお方は、素敵だと思います」

 

「それは世事かね?」

 

 問いかけるとレイニーはふふっ、とイタズラっぽく笑った。

 

「本心ですよ」

 

 この少女は目が見えないだけで他はほとんど差し障りなく振る舞う。それだけに、ギーマは言わないでいい事まで話している自分を発見していた。

 

「……正直、うまくいくとも思っていなくてね」

 

「どうしてです? ……私が不安材料ですか?」

 

「君に嘘をついても仕方ないのは先ほどを鑑みても明らかだ。君もそうだが、領地内でちょっとね」

 

「……なるほど。そのオーラの持ち主の方は相当な手だれと見えます」

 

 こちらが考えるだけで相手のオーラまで見えるのか。迂闊な事は言えないな、と感じた矢先、レイニーは頭を振る。

 

「そこまで肩肘を張らなくとも。私は何も万能ではございません。お分かりの通り、目は見えませんし、それに、立ち振る舞いも所詮はそこいらの町娘」

 

「……そこいらの町娘はしかし、ユニコンの前に立ちはしない」

 

「買い被り過ぎですよ。貴方に、ちょっとした凶兆が見えたから、思わず飛び出しただけ。間が悪ければ死んでいたでしょう」

 

「どうして、そこまで達観出来る? 死が恐ろしくないのか?」

 

 ギーマは鏡の前で服装を整えつつ、問いかける。彼女はベッドに腰かけた形で、小首を傾げた。

 

「……死は、怖いですよ。でも、視えてしまうから。なまじ他の人間よりも、死が近いのでしょう。オーラとして見えてしまえば、それはもう理解可能な代物に成り果てるのです」

 

 彼女にとってオーラが見えるのは理解出来てしまうという事実か。それはある種では不幸だな、とギーマは感じていた。オーラで何もかもが分かってしまうのならば、それはもしかすると辿るであろう未来でさえも。

 

「君の意見は面白い。参考になる」

 

「ではそれを参考に、外交問題を片づけるのですか?」

 

「それとこれとは別さ。相手のオーラが見えて、何もかもがうまく運ぶのならばまた違ってくるのだろうが」

 

 冗談めかして口にした言葉にレイニーは不思議そうに言い返していた。

 

「……可能ですよ?」

 

 ギーマの手がピタリと止まる。

 

「……可能?」

 

「相手のオーラを見て、適切な言葉を振る、ですよね? 可能です。私なら」

 

 まさか、とギーマはからかわれているのだと思い込んだ。

 

「そこまで軽く見ていないとも。君は外交というものを分かっていない」

 

「外交は分かりません。政治も、私には皆目……。ですが、相手のオーラを見て、適切な返事を考えるのならば、それは出来ます」

 

 ギーマは服飾を整える指を止めて、レイニーの対面へと歩み寄った。彼女は瞼を閉じたまま、ギーマを見上げる。

 

「……出来る、のだな?」

 

「ええ。私が隣で囁くのが、不利に映るのならば推奨しませんが」

 

「……何とでも言い繕えるさ。それが可能なのか、と聞いている」

 

 もし、それが可能だとすれば。相手のオーラを見て、それに応じた返事が完全に把握出来るのだとすれば、それは外交問題程度ではない。もっと大きなものを手に入れられるかもしれない。

 

 レイニーは何でもない事のように言ってみせた。

 

「……貴方が望むのならば」

 

 どうして彼女は自分にここまで尽くすのだろう。会ったばかりなのに頷けない事ばかりだ。

 

 それを彼女は取るに足らないかのように口にする。

 

「貴方の不安は分かります。突然に現れた町娘が、何もかもを分かった風な口を利く。それは不気味に映るでしょう。ですが、貴方のオーラの導く先が私は見えるのです。暗黒のオーラ、王の素質のある人間のオーラというのは、いつの世でも変わらないのです。そのオーラを正しく扱えるかどうかだけの違い」

 

 本当に瑣末な違いとでも言うような口調にギーマは嘆息をつく。

 

「……嘘は言っていないのだろうな?」

 

「それは貴方の未来が決める事」

 

 ギーマはレイニーの手を引く。部屋の前で待っている従者に、彼は言いつけていた。

 

「謁見の場では彼女も連れて行く。構わないか、と伝えてくれ」

 

「しかし……その娘は」

 

「わたしの姪とでも何とでも伝えればいい。目は見えないが、手腕は上だと」

 

「……ですが、町娘です」

 

「なら、それに相応しい衣装を用意して欲しい。急ぎだ」

 

 従者の背を叩き、ギーマは慌てさせる。

 

 それを部屋の中でレイニーは笑いかけていた。

 

「……可笑しいかね?」

 

「ええ。貴方は王になるというのに、些事にこだわるのですね。でも、それも一つの素質でしょう」

 

「王は一つ事でも全力を尽くすものだ。君が傍で囁くのに、余計な勘繰りは邪魔だろう」

 

「ええ、ええ。ですが、一つだけ問題が」

 

「何かな?」

 

 レイニーは肩口の服を引っ張り、薄く微笑んだ。

 

「自分一人では着替えられないのです。手伝ってもらえますか?」

 

 王になるための関門、とでも言うべきか。ギーマはフッと皮肉の笑みを浮かべる。

 

「請け負おう」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十五話 戦乱運命歌

 捕らえた兵は全員、城の地下牢に閉じ込めた形となった。

 

《ドラムロ》の半数は重傷であったが、《マイタケ》より這い出たグランと名乗る将軍は、こちらに約束をさせた。

 

「……死に体ではない兵士は出来るだけの医療措置を、か。しかし、まさかあのグランとはね。あなた達、大金星よ」

 

 ミシェルの言葉に作戦指揮室に呼ばれたエムロードとアンバーは戸惑っていた。《ドラムロ》を倒し、《マイタケ》も制した。

 

 その武勲は確かにあるものの、やはり戦闘時の昂揚した精神によるものか、今は落ち着いていた。

 

「その……あたし達は出来る事をしただけで」

 

「充分って言っているの。アンバー、過ぎた謙遜はジャップの悪い癖ね」

 

 言い捨てられてエムロードは中庭に運び込まれた《マイタケ》を窓から眺めていた。兵士達百人でも運搬の難しい重量級のオーラバトラー。《ドラムロ》による牽引でようやく、であった。

 

「しかし、グランとはな。オレ達も話には聞いている。鉄血将軍のグラン。風の噂では強獣の巣に張り込み、百匹相当を狩ったほどの実力者とも。ジェム領国の中心に位置する人物のはずだ」

 

 その評にトカマクへと自然に目が行く。彼は長い間スパイ活動を行っていたはずだ。

 

「……間違っちゃいないが、ここ最近では話がちょっと違っていてな」

 

「どういう事? 彼を抑えた程度では、まさかジェム領のダメージでもない、とは言わないわよね?」

 

 トカマクは楽器を奏でつつ、どこか憐憫の声音で紡ぐ。

 

「悲しい事に、ジェム領国の軍備は堕ちている。その原因は……これはおれも話でしかないんだが、騎士団、とやららしい」

 

 騎士団。エムロードはジェムで実際に聞いた騎士団の評判を思い返す。軍人でさえも恐れる騎士という身分。

 

「その騎士団って言うのが、まさか前回の強襲の時にいた?」

 

「あの黒いオーラバトラーが指揮する《ゲド》の部隊……。地上人の軍勢と聞く」

 

「……その辺はグランに直接聞いたほうがよさそうね。でもあの男、どう考えても尋問も拷問も効きそうにないのよね……」

 

「それに関しては同感だ。あの鉄血将軍はそう容易く自国の情報を売らないだろう。オレでも確信出来る」

 

 ランラの評にミシェルが呻る。現状、ジェム領国に攻め入るのには格好の機会でありながら、やはり実効力が足りない。

 

 情報不足の中、闇雲に仕掛けても勝てない、というのが大筋の意見であった。

 

 沈黙が降り立つ中、エムロードはふと、グランと打ち合った感触を思い返す。あの男の理念を打ち崩すのには恐らく……。

 

「その……いい?」

 

「何か妙案でも?」

 

「尋問も拷問も効かないかもしれないけれど、真っ向勝負ならどう?」

 

 その提案にミシェルが身を乗り出した。

 

「はぁ? 何を言っているの? このジャップは! 真っ向勝負で情報が引き出せたら苦労しないわよ」

 

「グランと打ち合った時、ボクは感じたんだ。この男は実力差は素直に受け止める、と。なら、剣で勝てばいい」

 

「……脳筋の考えね。ランラ、あんたが仕込んだの?」

 

「まさか。オレはそこまで向こう見ずな考えは教えていない」

 

 向こう見ず。そう見えるのだろうか。しかしエムロードは取り下げなかった。

 

「相手が生粋の軍人なら、力比べには自信があるはず。それを崩せば、少しは優位になるかも」

 

「希望的観測が大き過ぎるわ。それに、仮に勝ったとしても偽情報を掴まされれば? それが真実かどうかを確かめる術がないのよ?」

 

 それは、と口ごもってしまう。やはりこのような世迷言、口にすべきではなかったか、と後悔していると小窓からティマが飛び込んできた。

 

「朗報! 朗報だよ! 《マイタケ》は暫く動けない。メカニックの結果、致命的な部分を《ソニドリ》にやられたみたい。これで相手の進軍の術は消した!」

 

「……こちらをどうにかして《マイタケ》で報復、はないか」

 

 ミシェルを含め、沈痛に沈んだ全員にティマは場違いな声を出した。

 

「なに、どんよりしてるの! 相手側に攻め込めばいいじゃない!」

 

「そう簡単にいかないの。敵の兵力も分からないのに。それにエムロード達と戦った地上人の軍隊の存在もある。ともすれば、グランは切り捨てられた可能性だって」

 

「ジェム領に? だったらなおさらじゃん。軍は弱っている」

 

「だから、弱っているって言っても、それを込みに考えて送り込んできた可能性が……」

 

「《マイタケ》がやられるって、敵も想定しているって? それはないと思うけれど? だってあのオーラバトラー、調べれば調べるほど相当だ。相当、あれに費やした部分が大きいはず。ジェム領はあれを手離してでも勝ちを取りに来ているって?」

 

「……可能性としてはないとは言えないはずよ」

 

「ないと思うなぁ。あたしはないに一票」

 

 ティマの言葉にミシェルはため息を漏らした。

 

「なくっても、戦えるだけの兵力は? こっちだってそこまで人員が足りているわけじゃないんだから」

 

「ランラの仲間を呼べばいいじゃん」

 

「悪いがオレ以外にオーラバトラーの心得を持つ奴はいなくってね。他の奴らは奇襲を得意とする。オレだけだ。真正面から《ゼノバイン》と打ち合おうなんざ」

 

「変わり者ってわけ」

 

 結んで呆れ返ったティマにアンバーが言いやっていた。

 

「喧嘩しても始まりませんよ。今は、少しでも前に進まないと」

 

「アンバー……、でも情報も兵力もまるでない。この状況でオーラバトラーが揃っている相手に仕掛けるなんて無謀なのよ」

 

「それでも……やらないとどうしようもないんじゃ?」

 

「それは……そうだけれど……」

 

 ミシェルがこちらを窺う。エムロードはティマに提案していた。

 

「……グランという奴と、打ち合える?」

 

「打ち合う? まさか戦って情報を得るとか考えてる?」

 

 信じられない、という口調にエムロードは首肯した。ティマは呆れ返る。

 

「嘘でしょ、エムロード。それは無理だよ……。だって相手は生粋の軍人なんだ。ちょっと勝ったくらいでは情報なんて」

 

 やはり、これも棄却されるか。そう感じた矢先であった。

 

 トカマクが声を発する。

 

「交換条件、なんてどうだ?」

 

「交換条件?」

 

 トカマクは楽器を指で爪弾きつつ、歌うように語る。

 

「相手に優位な条件をこちらが請け負う。見た感じ、グランと騎士団の仲はよくなかった。騎士団を潰す、とでも言えばグランは乗ってくるかもしれない」

 

「国家への攻撃ではなく、あくまでも騎士団への攻撃に絞れって事?」

 

「有り体に言えば」

 

 しかしそのような条件、相手も呑むかどうかは不明だ。ミシェルは考え込む。

 

「騎士団とグランの仲が決して悪くなかったら?」

 

「この提案は捨ててくれていい」

 

「でもトカマクはジェム領国にスパイしに行っていた。当てにはなるはずだ」

 

 その論拠をエムロードが補強する。ミシェルは顎に手を添えて思案した。

 

「グランが、国家に対しての悪意を、そのまま飲み込めるだけの人間かどうか……。第一、騎士団を潰すって……聞こえはいいけれど今のジェム領の一番の兵力を潰すっていう事よ? 相手からしてみれば面白い話でもないんじゃない?」

 

「だから、条件を提示する」

 

「……あんた、さっきから何か言いたげね。どうしたいの?」

 

 トカマクはフッと笑みを浮かべた。

 

「別段、攻め入るって選択肢は必要ないと思っている。おれはスパイだった。相手にそれが割れていないのならば」

 

 ここで売り込んでくる条件をいち早く察知したのはランラであった。

 

「……相手に攻め込ませる。そこに待ち伏せ、か」

 

「正解。さすがは百戦錬磨」

 

 ミシェルは混乱して頭を押さえた。

 

「待って、どういう事?」

 

「こいつの顔が割れていなくって、なおかつこっちの味方だとばれていなければ、囮にしてジェム領国に情報を流せる。誤情報だ。例えば、グランは勝利したが、あまりに疲弊している。騎士団の救助を求む。とでも」

 

「死んだ振りや今にも死にそうな格好は得意だ」

 

 窺ったトカマクにミシェルを含む三人は絶句した。

 

「あんた……そんな危険に晒されても平気だって言うの?」

 

「平気なわけないだろう。無論、助けてもらえる算段はつけているつもりだ。そこの、エムロードがな」

 

 急に名指しされ、エムロードは戸惑う。まさか自分が関係あるなど重いも寄らなかったからだ。

 

「ボクに……?」

 

「無根拠でもないだろう? 《マイタケ》を退けてみせた」

 

「でもそれは……私達全員のチームプレイで……」

 

「だからこそ、チームとして動く。騎士団を追い込むのにもな」

 

 トカマクのどこか予見して見せたような言い草にミシェルは耳を傾けていた。

 

「……続けなさい」

 

「では。あのデカブツの《マイタケ》、あれをただ中庭で証として持っておくってのは勿体ない話だとは思わないか?」

 

「でも、修理なんて出来ない」

 

 ティマの返答にトカマクは指を鳴らした。

 

「修理してどうする? 逆だ。壊して噴煙を上げさせるんだ」

 

 思わぬ言葉にアンバーが声を荒らげていた。

 

「壊したって……それこそどうにもならないんじゃ?」

 

「いいや。動かないオーラバトラーなら、せいぜいいい塩梅の囮になってもらうのが吉だろうさ。それに、おれの情報の価値も上がってくる」

 

「呆れたわね。自分一人でジェム領の騎士団と対等な話し合いには持ち込めないって言うの?」

 

「そこまで強気じゃないんだよ」

 

 肩を竦めたトカマクは言葉を継いだ。

 

「おれがジェム領に助けでも求める。ゼスティアにはうんざりだと言えばな。実際に戦闘は見たんだからそれなりにハッキリした事も言える。つまり、おれの証言を嘘だと断じる事も出来ないはず」

 

「でも本当だとも言えないわよね? あんた、そんなに信用が?」

 

「ジェム領は軍人の要であるグランを失っている。この状況でゼスティアの優位に繋がる、となれば、グランの救出と、そんでもって、一手でも上を行きたいのは確実のはずだ。なら、こういう身分は楽でね。嘘ものらりくらりと言える。相手もそこまで真実は求めちゃいないだろうさ。ただ《マイタケ》と《ドラムロ》部隊が帰投しない、という歴然とした事実に、おれの証言。結び付けないほうがどうかしていると思うがね」

 

 つまり、トカマクの偽情報で騎士団とやらを誘い出す。そのための布石として《マイタケ》を使うと言っているのだ。

 

「……使うたって、どうやって?」

 

「黒煙でも上げさせろよ。そうすりゃ、分かりやすいシナリオが出来上がる。《マイタケ》はゼスティア相手に苦戦し、辛くも退けるが、森の中で航行不能に陥った、とでも」

 

「そのお話の補強があんたの役目ってわけ。でも、ジェム領も信じるかしら?」

 

「腕の見せ所だな。トカマク、貴様、聖戦士だと聞いた。それを相手は知っているのか?」

 

 トカマクはスカーフで隠れた首の紋章を見せ付ける。

 

「多分、知らないだろうな。おれはただの吟遊詩人として捕らえられていただけだからよ。だが聖戦士身分である事を明かせば、それなりに証言の根拠は出来てくる」

 

「タイミングとしても悪くはない、か……。だが相手はそこまで信用してくるか? 敵も読み違えればまずいという事くらいは分かっているはず」

 

 ランラの言う通りだ。相手だって馬鹿ではない。こちらの読みに完全に合致してくる保証もないのだ。

 

「出たとこ勝負、と結論付けてもいいんだが、今回大きいのは、白いオーラバトラー……つまり《ソニドリ》が《マイタケ》を下した事実だろう」

 

「……何でそこで《ソニドリ》が出てくるわけ?」

 

 ティマの問いかけにトカマクは指を立てた。

 

「まず一つ……、相手方の騎士団のオーラバトラーに《ソニドリ》そっくりの奴がいる。これは、恐らく前回、鹵獲された際に同一機体として《ソニドリ》に施されたチューンの反映だろう。つまり、ジェム領国からしてみれば、《ソニドリ》の骨格は弄りやすかった。相手にもデータがある。《ソニドリ》がどのような出力を発揮し、どれほどの性能のオーラバトラーなのかは」

 

「推測出来る……って言いたいのね。つまり、《マイタケ》を倒した時点で、《ソニドリ》とエムロードがどれくらいの使い手なのか相手には想像出来る」

 

「想定外の敵を相手取るわけじゃない。そうなった場合、相手の動きというのは画一化してくるものだ。作戦があるというのならばその作戦通りに。こちらが一切読めない動きはしてこない」

 

「でも、どっちにせよ、こっちにはノウハウがないのよ。対オーラバトラー戦だって、《ドラムロ》相手くらいにしか」

 

「そこで、《マイタケ》の残骸を使う」

 

 提言したトカマクにランラは言葉を投げていた。

 

「《マイタケ》の回収、及びグランの救助は相手からしてみれば優先度が高い。出端を挫くのに、これほど好都合な餌もないだろう」

 

 そこまで言われれば、全員が思い描いたのは同じであった。

 

「初手を確実に読み切る。そのための《マイタケ》と……《ソニドリ》の白星」

 

「騎士団が本当に来るかどうかは不明だが、来なければこっちに捕虜と鹵獲した機体が増える。いずれは戦わなければならない相手だ。相手からしてみれば太く短く、と言った具合に戦局を縮めてくるはず」

 

 トカマクの言葉にミシェルは顎に手を添えて考え込んだ。

 

「……確かに、頭さえ潰せれば今のエムロードとアンバーなら騎士団と渡り合えるかもしれない。問題なのは、相手の強さね。全くはかり知れない」

 

「《ゲド》が来ればまだ読みやすいんだが、新型が来る可能性も高い。《ソニドリ》を一日程度で完全改修した国だ。整備には事欠かないと見える」

 

「あたしの《ソニドリ》が不完全だったって言いたいの!」

 

 食ってかかったティマにエムロードが制した。

 

「落ち着いてって、ティマ。ティマの整備はいつだって万全だよ。《ソニドリ》を完璧にしてくれている」

 

「……エムロードが言うのなら、いいけれど」

 

「状況を整理するに、どっちにしたって誰かが囮にならないとどうしょうもないのは事実みたいね。トカマク、あなたがそれを快く引き受けてくれるのかしら?」

 

「おれ以外の適任もいないだろう。ユニコンで出る。今夜にはジェム領につけるはずだ」

 

「……こんな時にギーマがいないのはある意味では痛いわね。もし、ジェム領が本気で騎士団を率いてくれば、それなりに戦いへと持ち込まない手段もあったかもしれないのに」

 

「あの坊ちゃんじゃ、それも難しいだろう。あいつには外交問題を解決してもらわなきゃどうしようもないさ。今のゼスティアの財源じゃ、ジェム領と対等に戦うのには難しい」

 

「……でも、それを相手も思っていないはずもないわよね」

 

 ジェム領とてこちらと矛を交えるのに外交手段に打って出ていないとは限らない。こっちの手が相手には既に読まれていても不思議ではないのだ。

 

「今は、希望的観測に縋るしかないな。さて、おれは出る準備をする。ユニコンを一頭、借りるぜ」

 

 部屋を後にしようとするトカマクに、ランラが声を投げた。

 

「一つ聞く。アの国はこのような愚策を、犯したのか?」

 

 滅びた国の話題にそういえば、とエムロードは思い返す。アの国――、かつてトカマクが召喚された国に関して自分達はあまりに聞いていなかった。

 

 彼は言葉少なに応じる。

 

「……さぁね。策も何もなかったのかもしれない。案外、滅んだ国って言うのはそういうもんだ。トップが腐っていたのか、末端が駄目だったのか、なんて考え出すときりがない。ハッキリしてるのは、連中は死に絶え、おれは生き残った。それだけだ」

 

 ただそれだけのシンプルな答え。トカマクはともすると、聖戦士として舞台に立つ事さえも出来なかったのかもしれない。今出来るのは、ただその戦いを回顧する事のみ。何が起こったのか、何がこのバイストン・ウェルにもたらされたのか。それを未だ、自分達は知らないのだ。

 

「任せる。エムロード、アンバー」

 

 ランラに呼ばれ、二人は身体を強張らせる。

 

「一回の勝ち星でいい気にはなるな。まだ鍛錬の途中だ」

 

 そうだ。自分達は、まだ強くなれる。まだ強くなる余地が残されているというのならば。

 

「はい!」

 

 返事したエムロードにアンバーは気後れ気味に返す。

 

「は、はい!」

 

「《ガルバイン》の立ち回りは悪くなかったが、やはり一歩出遅れているぞ。戦場では戸惑えば死を招く。次の戦いでは醜態を晒すな」

 

 ランラの背中に、エムロードは付き従う。ミシェルが不意に自分の名を呼んだ。

 

「あなた……今で満足?」

 

 そう尋ねられて、一瞬だけ困惑してしまったのは何故だろう。

 

 現実世界に、地上界に戻らなければならないはずなのに。今はゼスティアの攻防で頭がいっぱいであった。

 

「……いずれは地上界に」

 

「そうよね。そのはずよね。私もそう。そのつもりでいる。いずれはゼスティアとジェム領の戦いなんて無視して地上界に帰りたい」

 

 それは、意外でもあった。ミシェルはここに残っても充分にやっていけそうであったからだ。

 

 それが顔に出ていたのか、彼女は不服そうにする。

 

「なに? 私がまるでここに残りたがっているように見えた?」

 

「……ちょっとだけ」

 

 盛大にため息を漏らされ、ミシェルは言いつける。

 

「いい? 私は別にゼスティアで名を上げようなんて思っちゃいないのよ。ここで強くなったって、どうせ果てがある。別に強くなる事にもこだわっていない。私は、満足出来るものが手に入ればそれでいいの」

 

「満足出来るもの……」

 

「それがいつ手に入るのかが分からないから、ゼスティア領に味方しているだけ。正直な話、どっちでもいいのよ」

 

「いいのか? ギーマに聞かれれば」

 

 ランラの忠告にも、ミシェルは風と受け流す。

 

「ああ、あれ? どうだっていいわ。あいつの器量の狭さには案外、ガッカリしているところだし。私はね、ここにないものが欲しいのよ」

 

「ここにないのも……」

 

 アンバーが反芻すると彼女は首肯する。

 

「そう、ここにない栄光。ここにない勝利。ここにはない……戦いの運命」

 

「よく……分からないな」

 

「分からないでしょうね。でも、分からなくってもいい」

 

 理解は端から期待していないという事だろうか。歩み去っていくランラをエムロードは追った。

 

「でもっ、ミシェルがいなかったら、ボク達はもっと混乱していると思う。それには感謝したい」

 

 こっちが投げた言葉に彼女は目を伏せていた。

 

「……そこまで立派じゃないのよ。私は」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十六話 騎士眼光

 グランの率いた部隊の帰還があまりにも遅い事は、既に宮廷内では噂になっていた。

 

 その最中の騎士団の申し出である。断れるはずもない、とグランの上官は謁見を許していた。

 

 騎士団の長が恭しく頭を垂れる。

 

 短く刈り上げた髪。鋭さを伴わせた眼差し。騎士装束に身を包んだ、まだあどけない少女……。

 

 それが地上人の騎士団を率いているなど、まるで冗談じみていて上官は困惑すら浮かべた。

 

「中佐の帰還が遅いと」

 

「ええ。騎士団としては由々しき事態だと考えています。もし、今。ジェム領を襲われれば格好の的」

 

「……だが騎士団が離れるわけにもいくまい」

 

「ええ、ですから半々に」

 

「半々だと?」

 

「選りすぐりの騎士達を防衛の任と、追撃の任に充て、わたくしは追撃に回ります。ゼスティアを一気呵成に墜とすのです」

 

 考えもしない。軍が手薄な今、まさか攻め入るなど。そこまでの好戦的な姿勢に上官は言葉が咄嗟に出なかった。

 

「……失礼。熟考の末に、と考えても?」

 

「ええ。既に嘆願書は領主様に渡しておりますが」

 

 いつの間に、と上官は歯噛みする。これでは立場がないのはこちらではないか。

 

「……話を通していただきたい」

 

「ですから、今。お話を」

 

「ザフィール騎士団長。君の動きにはいささか問題がある」

 

 ここで鬱憤をぶつけるべきか、と上官は思索する。日ごろの兵士達の苛立ちや不満を、彼女にぶつけても何ら支障はないはず。

 

 しかしザフィールは涼しげに返した。

 

「問題……どのような?」

 

「しらばっくれるな。軍の存続性を無視した模擬戦、それに量産化を進めているオーラバトラーの新型。どれも過剰武装だ。ゼスティアや他国に勘繰られて痛くない腹ではない」

 

「ですが現状のコモン人の軍では、ゼスティア領との戦いを主眼に置けば一両日も持ちますまい。グラン中佐は特殊です。彼にのみ頼るのも間違えている」

 

 どの面を下げて……と怒りがこみ上げてきた。

 

「量産化は? 要らぬ軍備増強は不安をいたずらに煽るだけだ」

 

「失礼ながら。それに関しては意見の相違です。我々地上人が《ゲド》で戦っている事をお忘れですか? 《ゲド》はオーラバトラー最初期の機体。あんな不安定なもので戦わせられる身にもなっていただきたいのです。それともこう言ったほうが? あなた方も《ゲド》で戦えばいい。そうすれば分かる」

 

 思わぬ反撃に上官は絶句した。《ゲド》は必要なオーラ量が極めて高い乗り手を選ぶ機体。あんなものをオーソドックスには出来ない。加えてジェム領のコモン人はただでさえオーラが低いのだ。

 

《ドラムロ》は乗りこなせても、やはりゼスティア領の連中の戦闘力には及ばない。

 

 彼らと対等に戦えるのはグラン中佐くらいだろう。その中佐も戻ってこないとなれば、穏やかではないのは確実であった。

 

「……地上人と我々では違うのだ」

 

「どう違うと仰るのです? 身を置く戦場は同じ。死の危険も、同じのはずです。あの白いオーラバトラー」

 

 痛いところを突かれて上官は口をへの字に曲げる。

 

「……研究者連中が勝手にやった」

 

「しかし、彼らとて軍属です。やりたかった気持ちは分かりますよ。ゼスティアの開発した新型実験機、魅力はあったでしょう。ですがそれを、我が方の最新鋭機である《キヌバネ》と同系統に仕上げたなど、そして、それを奪われた。どれほどの損失か、聞かせるまでもないでしょう?」

 

「……《キヌバネ》は前に出ない」

 

「それはこちらの作戦のうちです。命令されれば前にも出ましょう。それを前向きに検討するのが、今回の作戦です」

 

 どうとでも舌が回るものだ。《キヌバネ》はただのでくの坊、騎士団長の機体は決して前に出ない――。

 

 騎士団設立からして、ずっと守られてきた掟じみた言い草。実際のところ、客観的に《キヌバネ》の性能を試験出来た場は、完成した直後だけだろう。

 

 それ以降の戦闘記録は、前回の白いオーラバトラーを退けた時のみ。

 

 あまりにも情報に欠ける。味方側でこれならば敵方など探れるはずもなし。

 

 ここは泳がせて《キヌバネ》の有用性を少しでも溶いてもらうのが正解だろうか。悩み、決めあぐねていた上官へと、ザフィールが囁く。

 

「許可をいただければ。すぐにでも」

 

 嘘くさい言葉だ。既に嘆願書を出しているのならば、自分が首を縦に振ろうが振るまいがある程度は決定しているも同義。

 

 わがままは自分の軍人としての寿命を縮ませるのみ。

 

 ならば、ここはグランの安否も含めて――。

 

「……いいだろう。騎士団の出撃を許可する。ただし!」

 

 条件がなければ《キヌバネ》の性能も、ましてや相手の出方も読めない。

 

「随伴機を。こちらで指定させてもらう」

 

「随伴機。そのような余裕がありましたか」

 

 皮肉めいた言い草に上官はベルを鳴らす。数秒の間を待って、部屋に入ってきたのは一人の少年であった。

 

 あどけない顔立ちに恐れ知らずのザフィールでさえも息を飲んだのが伝わる。

 

「……彼は」

 

「我が方の随伴機となる、オーラバトラーに乗ってもらう。機密部隊の人間だ」

 

 機密部隊。その言葉を聞いた直後、ザフィールの目の色が変わった。

 

「……機密部隊の?」

 

「エルムです。どうぞ、よろしくお願いします」

 

 笑みを絶やさぬ少年の相貌にザフィールが見ているのは明らかに一つであろう。上官は言葉を振る。

 

「彼に追撃部隊への同行を命じる。これを断るのならば全ての作戦は一度白紙に戻させていただく」

 

「……いいんですか? グラン中佐は今も拷問を受けているかも」

 

「彼は拷問で口を割らんよ。その程度の男ではない」

 

 確信に相手はエルムへと顎をしゃくる。

 

「機体は? 見ても?」

 

「《レプラカーン》だ。型落ち品だが、ないよりかはマシだろう」

 

「剣の腕を見たい。よろしいですか?」

 

 エルムはこちらへと目配せする。

 

「……よかろう。存分に見てやってくれ」

 

 エルムとザフィールが部屋を立ち去ってから、上官は目頭を揉んだ。それに全身に纏いつく倦怠感も。

 

 どうにもオーラの強い人間はこのジェム領では悪影響を及ぼすらしい。領主の娘である姫君――シルヴァー姫にもその持病を悪化させている節がある。

 

 ザフィールは本来ならば放逐してもいいのだが、ジェム領国がゼスティア領と対等に渡り合うのにはオーラの強い人間は必要不可欠。

 

 それがたとえ、四十人越えの大所帯だとしても。

 

「……抱え込むのだ。それなりのリスクは負う」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《レプラカーン》はこの国では珍しいな、という言葉を吐いたような気がする。

 

 エルムはニコニコと微笑みながらその問いに応じていた。

 

「そうですか? 僕がいた国ではそれほどに」

 

 足を止めたザフィールは問いかけていた。

 

「出身は?」

 

「東方の弱小領国です。難民でして」

 

 珍しい話でもない。ジェム領国は城下町だけはしっかりしている。火の手が上がってもすぐに消火作業が施されるほど、人々の民度は高い。ただし、彼らには共通の欠点がある。

 

 それは土地柄によるものなのか、それとも血縁か。誰が呪ったわけでもない、因縁であった。

 

「では、オーラ力は」

 

「この国の方々よりかは」

 

 控えめな応答だが、それなりに自信はある様子だ。ザフィールは前を行きつつ尋ねていた。

 

「この国をどう思う?」

 

「どう……ですか? 平和でいい国だと」

 

「本当に、そう思うか?」

 

「……何を言わせたいので?」

 

 相も変わらず笑みを崩さない少年にザフィールは問い質す。

 

「コモン人はオーラが弱い。それだけならばいざ知らず、この国は格段に、だ。どの民もオーラ力が極めて低い。兵士であっても例外はない。そのオーラでよく兵役など務まると感心さえするほどだ。先ほどの上官であっても、《ゲド》に乗れば十分と持つまい。彼らは弱く、自らの弱さを飼い慣らせるほどの強さもない。……グラン中佐は別だが」

 

「中佐の持っていらっしゃる素質は別格です。あの方は……確か強化実験の……」

 

「そこから先は、言わないほうがいい。どこで聞き耳を立てられているのか分からないからな」

 

「……ではどうして、僕にそのような事を?」

 

「純粋に、興味であった。この国の人間は、オーラが低い事を殊更、弱みとして生きているわけでもない。むしろ、オーラが弱く、争いに巻き込まれないだけ平和だと。……しかしわたくしからしてみれば、それは単純な逃避だ。自分が弱い事を外的要因にして棚に上げる。……最も忌み嫌う人種だよ、この国の人々は」

 

「どうして、騎士団に名乗り出たのです? 騎士なんて、守るべき者がいなければ成立しない」

 

「そう、守るべきもの、それこそ愛する者がいなくては、な。だが、わたくしは愛おしいのだ。無知蒙昧にも弱さを知らず、外の世界をほとんど知らないこの国の民草が。それに、呼ばれたからには応えたい、というのもある」

 

「アルマーニ様が召喚なされた地上人の中でも、騎士団長は格が違うと」

 

「そうでもないさ」

 

 ザフィールは振り返り様に剣を投げる。中庭に至っていた。彼は地に落ちた剣を慌てて手に取る。

 

「何を……!」

 

「果し合いだ。見たいといっただろう? 実力を見せてみろ」

 

 腰に提げたもう一刀の鯉口を切る。彼は少しばかり慌てふためいていた。

 

「危ないですよ!」

 

「危なくはない。剣士であるのならば示せ。それだけだ」

 

 鞘から抜き放ったこちらに呼応するかのように、相手も抜刀する。

 

 荒立たせた肩にザフィールが冗談めかした。

 

「どうした? まさか敵を目にするのが初めてだとでも?」

 

 エルムが雄叫びを上げて飛びかかる。その剣筋に乱れはない。澄み渡った剣の冴えにただの嫌がらせで押し付けられたわけではない様子、と観察する。

 

「……余計なものを見ると、本当に斬られちゃいますよ」

 

 刹那、相手の太刀筋が変位した。ザフィールはその剣を直前で見切って後退する。

 

 騎士装束に切れ目が入っていた。同時に、その部位に留まっている黒い蝶を幻視する。

 

 この世の果てのような漆黒の翅に、黄色と青と赤が混ざり合った混沌。

 

 忌むべき翅の蝶は舞い上がり、今度はエルムの肩口に留まる。

 

 すぐさま剣を翻し、エルムの肩を狙った。その剣を相手は受け止めるが、完全ではない。受け損なった刃が僅かに肩を掠めた。

 

「……見えているようだな。地獄蝶が」

 

「ええ、そちらも。どうやら侮ったのは互いのようですね」

 

 エルムはこれ以上の太刀の応酬に意味がないと悟ってか、剣を収める。ザフィールも同じであった。

 

 地獄蝶が見えるという事は、帰結する先は一つ。

 

「並外れたオーラの持ち主か。あるいは――地上人かのどちらかだ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十七話 地獄蝶

 地獄蝶と聞いて、二人は目を合わせた。

 

 ランラが剣を構えたまま説明する。

 

「オーラ力の強い人間が発現する能力の一つだ。稀にコモン人でもこれを見る者はいるが……ほとんどが今際の際の、オーラが最大限に波打った時だと言われている」

 

「どうして、それをボクらに?」

 

 ランラは鋭い眼光で見据える。

 

「これからの戦い、地上人との戦闘になる。相手は貴様らを圧倒するオーラの持ち主かもしれない。だが、共通の弱点がある」

 

「弱点? 地上人にも弱点が?」

 

 問い返したアンバーにランラは薄く笑みを浮かべた。

 

「まさか、無敵だとでもおだてられたか? ……ギーマのやりそうな事だ」

 

「ギーマの浅知恵はともかく、さ。そんなの聞いた事ないよ?」

 

 ティマの言葉にランラは首肯する。

 

「それもそうだろう。ミ・フェラリオには見えない。オーラを強く自ら顕現させる存在だけが、触れる事の出来る高等技術というべきか。これは他のコモン人……例えばギーマに諭したところで一生分からぬ代物だ」

 

「……そっちには見えるって?」

 

「ああ。ハッキリとな」

 

 即答されてエムロードは息を呑む。

 

「でも、今見えないって……」

 

「他のコモンならば見えないというだけの話だ。オレは見える」

 

「納得出来ない」

 

「ならば、お前自身で見ろ。アンバー、肩に二匹留まっているぞ。エムロードは背中に三匹だ」

 

 目を凝らしてみても、蝶など見えるはずもなかった。ランラは先を促す。

 

「視覚じゃない、オーラを知覚する部位で見るんだ。今までの戦い、オーラを感じた事があるはずだ。相手の攻撃のオーラを予見したのは、何も目ではないはずだろう? それは五感を飛び越えた部分にある。シックスセンスとでも呼ぶべき場所か」

 

 今までの戦闘。オーラを知覚した時の感触を自分で反芻する。

 

 瞼を閉じ、エムロードはオーラを認識すべく集中した。

 

 その時、不意に重さを感じ取る。まさか、と目を開いたその時には、背中に止まる小さな蝶が三匹、視界に入っていた。

 

「……翡翠、本当に……」

 

 アンバーも見えたのだろう。蝶はこちらが確認すると飛び去って行く。

 

「地獄蝶は、相手の死の急所だ。剣による打ち合いの場合、それを自覚して戦うのは難しいだろう。だが一度でも見えればチャンネルを合わせるのは、貴様ら地上人ならば難しくはないはず。位相を合わせろ。オレに、今何匹見えている?」

 

 エムロードはもう一度、瞳を閉じて落ち着かせた。静かな心持ち、流水の心の水滴へと自身を落とし込み、集中を切らさずに目を開ける。

 

 ランラの左胸、心臓部に一匹、小さな地獄蝶が留まっていた。

 

「左胸に……」

 

「正解だ。だが留意すべきは、これは相手からも見える。つまり、こっちが一方的な戦いを出来るのは格下相手のみ。それに地獄蝶は何も死の急所ではあるが、弱点箇所ではない。これを突けば殺せる確率は限りなく上がるが、百パーセントではない事を覚えておけ。それともう一つ。地獄蝶は死の兆候としても現れる。もし自分の周囲に地獄蝶が飛び回れば気をつけろ。それは明らかな死が迫っている証拠だ。そういう時は余計な事は考えるな。オーラで物を見る癖がつけばつくほどに、そういった時の隙は大きい。とにかく逃げろ。それだけを考えるんだ。地獄蝶は相手に急所を見せているも同義。優れたオーラの使い手ならばやる事は一つのはず」

 

「やる事は……、一つ」

 

 エムロードが姿勢を沈めさせる。切っ先を下げ、ランラへと飛びかかった。

 

 その太刀筋を相手は読んで受け止める。

 

「……聞いていなかったのか? 地極蝶が見えているという事は弱点を晒しているのと……」

 

「だからって、立ち向かわなければ嘘だろ」

 

 その言葉にランラが口角を緩めた。

 

「……なるほど。そういう考え方は、嫌いではない」

 

 弾き返したランラがこちらへと打ち返してくる。反射的に足をすって後退し、下段から切り上げた。無論、相手はその程度で一打を許すはずもない。

 

「考え方だけでは、敵は墜とせんぞ!」

 

 激しい二の太刀が閃き、エムロードは後ずさっていた。オーラバトラー同士でやってのける戦いと、こうして真正面から打ち合う戦いも同じだ。

 

 剣士としての度量が試される。

 

 その点で言えば、何一つとして変わりはしない。

 

 正眼に構えた剣に、相手は右脇へと剣を下げる。

 

 力が入っているようには思えないが、それでいて隙のない構えだ。だがこちらは構えを変えるほどの器用さは持ち合わせていない。

 

 踏み込み、次いで剣戟。

 

 二つの剣がぶつかり合い、互いの地獄蝶が視界の中に舞い遊んだ瞬間、声が響き渡った。

 

『エムロード! アンバー! 敵襲よ!』

 

 ミシェルの通信に、エムロードは弾き返して後退し、通信機を手に取っていた。

 

「敵?」

 

『ジェム領の強襲……、目に見える範囲だけで……《ゲド》が十機と、特別なオーラバトラーが二機……ね』

 

「十機も投入してきたか。それなりにグランなる軍人の身柄、大事と見える」

 

 ランラの評にエムロードは問い返しつつ、城壁に向けて駆け出していた。

 

「《ソニドリ》は?」

 

『今、城壁の前で待機させているわ。《ブッポウソウ》で前線は引き受けるけれど、そう持たないと思う。すぐに来て』

 

「了解。アンバー」

 

 アンバーも首肯し、城へと駆け出した。

 

「おい! 伏せろ!」

 

 ランラの声が響き渡ったその時、自分とアンバーはその体躯で草原にうつ伏せになっていた。

 

「何を――!」

 

 ランラが呻き、脇腹を押さえている。滴った鮮血に二人して言葉をなくした。

 

「ボクらを……庇って……」

 

「……余計な事は考えるな……。ミ・フェラリオ。《ソニドリ》までの……誘導を」

 

「言われるまでもない! でも、あんたの怪我のほうが……」

 

「オレはいい。……気をつけろよ。相手も知恵を……使っている。毎回、森林地帯から攻めるだけが上策ではないと、そろそろ分かってきた頃合……か」

 

「喋らないで! 本当に死んじゃうよ!」

 

 ティマの叫びにランラは不敵な笑みを浮かべる。

 

「知らないのか? オレは死なん。《ゼノバイン》を……狂戦士を殺すまでは……決してな」

 

「ジョークを言っている場合じゃないって! 狙撃でしょ!」

 

 狙撃、という言葉にエムロードは硬直する。《ソニドリ》に合流させまいとする一派の動きであろう。

 

「じゃあ……ここから一歩も……動けないんじゃ……」

 

「エムロード……! お前、今何を学んだ? ……オーラを研ぎ澄ませ。その視野に見えるものだけが全てではない……」

 

「見えるものが全てじゃ……」

 

 そうだ。今しがた教わったではないか。地獄蝶、人体の急所を探る術を。

 

 ならば、自分にも見えているはずだ。

 

 敵が正確無比な弾道を描くのならば、さらに精密な軌跡を。

 

 エムロードは瞼を閉じ、オーラの関知に集中する。風に流れるオーラの息吹。バイストン・ウェルの大地を慰めるその一呼吸。

 

 虫も獣も、万物、森羅万象にオーラの宿るこの場所ならば。

 

 たとえ敵が遥か遠くに位置しているスナイパーであろうとも。

 

 オーラの波が揺らいだ。それを予見して、エムロードは剣を奔らせる。

 

 弾丸が剣筋に命中し、跳ねて地面に転がった。

 

「まさか……、見えているの?」

 

 アンバーの質問にエムロードは首肯する。オーラの流れとその気配を理解しているのならば、自らに咲いた地獄蝶の急所は逆に相手の狙いを見定める契機となる。

 

 剣を払ったエムロードは直後に左肩へと地獄蝶が留まったのを感じ取り、剣を払った。

 

 地獄蝶の予言通りに剣が弾丸を引き裂く。

 

「まさか……ここまでなんて……」

 

 ティマも絶句している。エムロードはアンバーを庇って前に出た。

 

「……敵の位置が何となく分かった。ボクが相手の照準を見分けるから、アンバーは一気に走って。オーラバトラーに乗れさえすれば……」

 

 形成を逆転出来る。その言葉を継ぐ前に、倒れ伏したランラへと咲いた火線を遮っていた。

 

「……余計な事を」

 

「お互い様だろう。それに、あんたからはまだ教わらなくっちゃいけないんだ」

 

「……そうだった、な。互いに最大限に……利用する」

 

「でも! あまりにも遠過ぎるよ! こんな距離じゃ、さすがに走っているだけじゃ限界が来る!」

 

 ティマの言う通りだ。走っていても体のいい的。ならば、手段は多くは残されていない。

 

「……ティマ。この結晶剣は《ソニドリ》のコックピットと直結してるよね?」

 

「えっ……うん。《ソニドリ》へのダイレクトトレースシステムに欠かせない、コンソールの一部でもあるけれど……。まさか……!」

 

 息を呑んだティマにエムロードは剣を天高く掲げる。

 

「そのまさかだ! ボクのオーラと、《ソニドリ》のオーラが繋がっているって言うんなら、この呼び声に応えろ! 来い! 《ソニドリ》!」

 

 結晶剣がオーラを拡散し、光を周囲にばら撒く。

 

 緑色のオーラが棚引く剣が《ソニドリ》をこの場へと呼びつけた。

 

 すかさず、敵の狙撃が入ってくる。エムロードは地獄蝶の箇所を予見し、刃を払い、弾道を切り裂いていた。

 

『ちょっと! エムロード? 今、《ソニドリ》が勝手に……!』

 

「勝手じゃない! 応えてくれたんだ。そうだろう!」

 

 振り返った途端、オーラ・コンバーターから緑色のオーラを放出させる《ソニドリ》が大写しになる。

 

 敵の銃弾を、《ソニドリ》がその腕で防いだ。

 

 結晶体が開き、コックピットが露になる。

 

 ランラを運び込み、次いでエムロードはティマと共にコックピットへと入った。

 

 剣を突き出す挙動と同期して、《ソニドリ》が抜刀する。

 

「オーラバトラー、《ソニドリ》! エムロード! 行くよ!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十八話 堕落聖戦士

 

 オーラ・コンバーターを開き、内側に格納された翅を高速振動させる。その機動力は敵の狙撃手の予想を凌駕していたらしい。

 

 岩陰に隠れていた一機の《ゲド》がこちらに驚愕する。

 

『なんて……速さ』

 

「墜ちろォっ!」

 

 打ち下ろした剣が《ゲド》の手にした狙撃銃を引き裂く。《ゲド》はすぐさま後退して、剣の鯉口を切った。

 

『……こちらも舐めていたようだ。ゼスティアの新型!』

 

「《ソニドリ》だ。覚えておけ!」

 

『名を刻む前に、貴様は細切れになる!』

 

 飛びかかってきた《ゲド》の剣筋と《ソニドリ》の太刀がぶつかり合った。干渉波のスパークが散る中、オーラが輝きを増す。

 

 結晶剣に宿ったオーラの加護か、敵オーラバトラーに吸い付いた地獄蝶の影が視界に入った。

 

「そこ!」

 

 返した刃が《ゲド》の右肩口を捉える。肩から寸断されるとは思ってもみなかったのだろう。うろたえ気味の《ゲド》へと、《ソニドリ》は構えた。

 

『……ハイになった地上人が!』

 

「それは、こっちの言い草だ!」

 

《ゲド》の剣が真正面から迫る。《ソニドリ》は姿勢を沈ませて、オーラ・コンバーターの主翼を展開させた。

 

 急加速が《ソニドリ》にかかり、敵機へと突撃する。風を帯びた《ソニドリ》が敵を突き飛ばした時、天高く掲げた大剣に神経が走った。

 

 内側から剣が砕け散り、新たなる刃を顕現させる。

 

 光の刃が緑に映えた。

 

「オーラ斬りだぁーっ!」

 

 ティマの叫びと共に《ソニドリ》が刃を打ち下ろす。防御の姿勢に入った《ゲド》であったが、剣閃の出力は単純な物理防御を上回っていた。

 

『受け止めたのに……喰らっている、だと……』

 

 実体の剣は確かに受け止められた。しかし、放たれたオーラの瀑布が《ゲド》を叩き割っていたのである。

 

 よろめいた《ゲド》へととどめの太刀を放とうとして、ミシェルの声が通信網に入った。

 

『エムロード! 雑魚には構わないで! ちょっとばかし……前線が、まずい!』

 

 ミシェルにしては要領を得ない言葉は、この戦局が決してうまく転がっているわけではない事を予期させた。

 

 太刀筋を仕舞い、《ソニドリ》は身を翻す。

 

『待て……、とどめを差していけ!』

 

「いいよ。もう、そこまでやる事もないだろうし」

 

 ティマの言葉に無言の同意を浮かべて、《ソニドリ》が飛翔する。その背中に執念の声が響き渡った。

 

『殺していけ! ……ゼスティアの白い……オーラバトラー!』

 

 飛翔高度まで達した《ソニドリ》の拡大倍率の眼差しが捉えたのは、城壁まで侵攻されているゼスティアの軍隊であった。

 

 敵は《ゲド》十機ともう二機。

 

《ドラムロ》と《ブッポウソウ》だけでは決して芳しいわけではないはずだ。

 

「アンバーは……?」

 

 きょろきょろと見渡したティマの視線を追うと、城壁から《ガルバイン》が砂礫を巻き上げて前線へとようやく加入したところであった。

 

『《ガルバイン》ならっ!』

 

 小型のオーラバトラーは即座に敵の間合いへと入り、小型銃型のオーラショットで《ゲド》のコックピットを狙い澄ます。

 

「やっぱり、アンバーは乗ると強いよね。乗らないと……だけれど」

 

「今はちょっとでも心配が減らせればいいよ。……ミシェル! 応援は!」

 

『難しいわね……。《ドラムロ》と《ブッポウソウ》じゃ、抑え切れない……。《ソニドリ》で降りてきて!』

 

「了解!」

 

《ソニドリ》が急下降に入りかけた、その時である。

 

 肌を粟立たせる殺意の波に、《ソニドリ》は咄嗟に機首を引いていた。

 

 跳躍した敵機が剣で斬りつけてくる。瞬時に腕を掲げ、手甲で一閃を防御した途端、接触回線が開く。

 

『大したもんじゃないか。さすがは騎士団長も見込んだ、オーラバトラーだとも!』

 

「何者だ!」

 

 斬り返した刃を、敵機は軽やかにかわし、なんとその切っ先にオーラバトラーを立たせる。

 

 怖気が走り、払った剣を敵はするりと避けた。

 

『名乗っていなかったのは、無礼か? 地上人』

 

「……エムロード。あいつ、尋常じゃない、オーラ力だよ……」

 

「うん……何となく分かる。プレッシャーが……」

 

『段違いだろうさ! 騎士団長の手を煩わせるまでもない! そうでしょう! ザフィール騎士団長!』

 

 眼下に収まる編隊を指揮する漆黒のオーラバトラーに、自然とその眼差しは吸い込まれていた。

 

 青い結晶、全てを断じる黒き装甲の持ち主。

 

 その立ち振る舞いからは、よどみも、ましてや惑いも見られない。真実、敵として屹立していた。

 

「……どうしてなんだ。どうして、こんな出会いでしかない……」

 

『墜ちろォッ!』

 

 迸った敵兵の叫びに《ソニドリ》が返答の刃を返していた。ひりついたオーラの干渉波に、エムロードは吼える。

 

「こんなのって……ないはずなんだ!」

 

『女々しいぞ! 白いオーラバトラーのパイロット! 邂逅を、誰かのせいにして棚上げなど!』

 

「ボクは女だ!」

 

『だからって、剣筋を澱ませるつもりもないんだろう。だったならさ!』

 

 敵が袖口から新たに刃を出現させる。射出された飛び道具が《ソニドリ》の肩を穿った。

 

「がたついてるよ!」

 

「オーラ力で補強する!」

 

 ティマの悲鳴に言い返し、《ソニドリ》が輝く剣を高く掲げた。外さない。絶対に外すものか、と心に誓った刃が敵オーラバトラーを打ち据えかけて、敵機が滑るように懐へと潜り込む。

 

 大振りの剣を中断し、片腕の手甲で咄嗟にコックピットを保護した。

 

 敵の手甲に装備された爪が炸薬を引火させ、コックピットのエムロードを眩惑する。

 

 その一瞬の隙を突き、敵が《ソニドリ》を蹴りつけた。白い機体が流れ、森林地帯に没する。

 

 辛うじて致命傷は免れた形の《ソニドリ》へと、敵オーラバトラーは容赦のない剣戟を見舞ってきた。

 

『どうだ! この剣圧! 同じ地上人でも土台が違う!』

 

 赤い敵機へとエムロードは敵を見る眼を注ぐ。

 

「だからって……こうして傷つけ合う!」

 

『違うさ、求め合っているんだよ! 戦場って奴を!』

 

 ――求め合っている? 戦場を? 殺し合いを?

 

 不意に無音の胸中へと滑り落ちた疑問に、エムロードは困惑する。

 

 ランラは《ゼノバイン》へと復讐を誓い、様々なものを切り捨ててまでここに来た。アンバーはオーラバトラーに乗れば無双の強さを誇る。

 

 今も、《ガルバイン》は《ゲド》相手に善戦していた。

 

 その立ち振る舞いにはいささかのてらいもない。迷いも、ましてや怯えも。

 

 自分よりも戦士に向いているのだ。

 

 比して、己は?

 

《ソニドリ》に搭乗し、「リボンの聖戦士」の異名を取っていても、弱ければ、その意志が脆ければ、ただ容易く折れるだけの代物。ただ朽ちていくだけの何者でもない弱者。

 

 それを、求めているのか?

 

 あの漆黒のオーラバトラーに乗る――蒼も。

 

『刻め! このオーラバトラーの名は《レプラカーン》! 白いオーラバトラー、もらったァッ!』

 

 奔った剣筋を《ソニドリ》が掴んでいた。

 

「……違う」

 

「エムロード?」

 

 面を上げたエムロードが《レプラカーン》と名乗った敵兵を睨む。結晶剣から放たれるオーラに怨嗟が宿った。

 

 澱み、純粋なる緑の光に闇が入り混じる。

 

「ボクは……こんな……異郷の地で死ぬために、あの人に会いに来たんじゃない!」

 

 掴み取った剣に神経が脈打った。敵の剣をこちらのものとした動きに《レプラカーン》が手離して後ずさる。

 

『何だって言うんだ……』

 

《ソニドリ》は掴んだ敵の剣をそのまま握り潰した。新たな輝きが宿ったが、それは今までのような純然たるオーラの光ではない。

 

 赤黒い闇さえも内包した、禍々しい漆黒が、敵の剣を武器へと変じさせる。まるで樹木のように枝が発達し、それは剣と呼ぶにはあまりに異なっていた。

 

「……エムロード? 何をやっているの! このオーラは――!」

 

「黙って……いろ。ボクは……このバイストン・ウェルに呼ばれた、聖戦士なんだァーっ!」

 

 漆黒のオーラが逆巻き、左手に握った剣が直後、形状を失って敵へと伸長した。物理法則を無視した幾何学の動きが《レプラカーン》を襲う。

 

『オーラ・コンバーター全開。……こいつは、やばい!』

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十九話 超化戦線

 

 恐らくそれ以外の形容句を持たないのだろう。左手より発生した赤と黒のオーラ武装は翅を発振させた《レプラカーン》をどこまでも執念深く追いすがる。

 

 敵が飛翔高度に入っても同様であった。

 

『どこまで伸びてくるって言うんだ! しつこいぞ!』

 

 袖口から発射されたワイヤーソードが邪悪なる武装へと叩き込まれる。その直後には、ワイヤー諸共同化していた。

 

 巻き込まれた形の《レプラカーン》のパイロットの悲鳴が迸る。

 

『い、嫌だ! 助けてくれ! 騎士団長!』

 

 懇願の声に対して、漆黒のオーラバトラーは一瞥さえも寄越さない。

 

《ソニドリ》の左腕が変容していた。三つの鉤爪となった武装が《レプラカーン》をくわえ込む。

 

《レプラカーン》の装甲がミシミシと音を立てて軋んでいくのが伝わった。

 

『こ、殺される! やめさせてくれぇー!』

 

 見かねたのか、《ゲド》が一機、戦いに割って入ろうとする。しかし、それさえも、エムロードからしてみれば児戯であった。

 

「邪魔をするな!」

 

 叫びと共に枝分かれした漆黒の鉤爪が《ゲド》を包み込んだ。《レプラカーン》と《ゲド》では耐久力が違うのだろう。

 

 すぐさま全身に亀裂を走らせ、《ゲド》が闇の血脈に呑まれていく。

 

『これは……! 騎士団長! このオーラ……!』

 

《ゲド》のコックピットに潜入した闇の一欠けらがオーラバトラーの内側――まさしく心臓部とでも呼ぶべき場所を掌握した。

 

 次の瞬間には、《ゲド》の眼から光が消えている。

 

 その眼球が、禍々しく赤に照り輝いた。鉤爪が離れた途端、開放された《ゲド》が漆黒のオーラバトラーへと斬りかかる。

 

 明らかな味方の誤認に、他の《ゲド》部隊が割り込んだ。

 

『どうした……? 何をされたんだ……?』

 

 赤い眼の《ゲド》のフェイスマスクが割れる。内側からせり上がって来たのは獣の口腔部であった。四つの牙と、変異した顎を持っている異形である。

 

『まさか……《ゲド》をオーラバトラーから……キマイ・ラグへと変質させただと……』

 

 変質した《ゲド》が叫びを上げる中、《ゲド》部隊が漆黒のオーラバトラーの守りに移った。変質した《ゲド》の狙いがすぐにでも理解出来たのだろう。

 

『傀儡とするなど……白いオーラバトラーめ!』

 

『人を人とも思わぬ狼藉……覚悟せよ!』

 

「うるさい……お前ら全部……死んでしまえ!」

 

 放出されたエムロードの思惟が変質した《ゲド》を猪突させる。

 

『南無三!』

 

 二機の《ゲド》が剣をその腹腔へと見舞った。貫かれた形の《ゲド》が項垂れたその刹那、黒いオーラが浮かび上がり、斬りかかった《ゲド》二機へと侵食する。

 

 迸ったのは絶叫であった。

 

『嫌だぁーっ! 成りたくない! 人形になんて成りたくない!』

 

『助けて……騎士団長……蒼、先輩……』

 

 二機のオーラバトラーから人の気配が失せた。直後には赤い眼窩をぎらつかせた、野性のオーラバトラーが漆黒のオーラバトラーへと飛びかかっていた。

 

 それをまるで躊躇もなく、漆黒の機体は大剣で叩き斬る。払った一閃が二機を砕き、その背骨まで寸断した。

 

『慈悲がないのは救いだろう。それとも、こういうのがお望みか? ――狭山翡翠』

 

「ボクを、その名で……」

 

 侵食の進んだ《レプラカーン》を投げ捨て、《ソニドリ》が飛翔する。瞬く間に雲の上まで至った《ソニドリ》が左手から異形の刃を顕現させた。

 

 樹木の形状をした刃、それらが脈打ち、蠢動する。

 

「呼ぶなァーっ!」

 

 左腕の鉤爪が獣の顎のように開き、漆黒のオーラバトラーへと迫る。左手の瘴気のオーラだけで《ソニドリ》の全長を超えていた。

 

 当然、その闇の口腔は相手さえも飲み込むかに思われたが……。

 

『……オーラを自ら飼い慣らすでもない、ただただ暗黒面に堕ちるか。ガッカリしたよ、翡翠。その程度だったとは。それではバイストン・ウェルに呼ばれたのは、君じゃない。やはり、わたくしこそが、この時代のバイストン・ウェルを救う――聖戦士であったようだ』

 

 漆黒のオーラバトラーが行った事は少ない。

 

 一太刀。

 

 ただ一太刀だ。

 

 大剣を掲げ、それを軽く払ったのみ。ただそれだけで、空気が鳴動した。滞留していたオーラが逆巻き、まるで暴風のように《ソニドリ》を突き飛ばしていく。

 

 左手の顎ごと、《ソニドリ》のオーラは吹き飛ばされていた。

 

 残った白い躯体へと、相手は剣を下段に構える。

 

『これで、オーラの守りは消えたな』

 

 まさか、とようやく《ソニドリ》を操っていたエムロードは自覚する。自分が何でもない、ただの獣となって相手の狩人の領域へと、むざむざ踏み込んだという事実を。

 

 ――しかし、どうして?

 

 相手と自分に違いなどないはずだ。このバイストン・ウェルに必要だから呼ばれた。それだけのはず。どこにも、差異なんて……。

 

『無知蒙昧なるその頭では、理解も出来ないだろう。目的を掲げて戦う事と、闇雲に獣となるのは、天と地ほどの差』

 

 漆黒のオーラバトラーが剣を振るおうとする。

 

 ――逃げられない。

 

 直感した。この間合いからは逃れられない。如何なる策を弄しても、敵の刃より逃れる術は、一つとしてない。

 

 死を受け入れるのにはあまりに短く、かといって戦士として死ぬのには、あまりに早過ぎる。

 

 こんな唐突なる終わりが自分の運命だというのか。

 

 誰にも望まれず、誰にも望まず。結果として、何かを成し遂げたわけでもない。

 

 ただただ凡百に堕ちる我が身は、呪われた黒い波動を帯びて、怨嗟となるだけ。

 

 これではまるで……。

 

「まるで……あの《ゼノバイン》と……同じ」

 

「――いいや。違うとも」

 

 紡いだ言葉が実感を帯びるより前に、脇腹に熱を感じた。振り返ると、剣を突き出したランラが、内奥より声にする。

 

「お前は……まだ戻れる」

 

 直後、オーラを失った肉体は《ソニドリ》から遊離する。ランラが結晶剣を握り締め、吼え立てた。

 

「《ソニドリ》! 呑まれてるんじゃ、ないぞ!」

 

《ソニドリ》のオーラ・コンバーターが開き、稼動した翅が機体を翻そうとする。しかしその時にはもう、敵のオーラバトラーの射程に入っていた。

 

『逃すと思うのか? 暗黒面とは言え、それなりのオーラ力だ。ここで摘まねば禍根が残る。ジェム領のため……いいや、我が騎士団のために、死んでもらうぞ。翡翠』

 

 怖気の走った声音にランラが言い返す。

 

「悪いな。こいつの名前はエムロードだ」

 

《ソニドリ》の眼光に宿っていた赤が失せ、翅を広げた《ソニドリ》が機体を持ち直そうとする。その瞬間、剣閃が放たれていた。

 

 漆黒のオーラバトラーより解き放たれた刃のエネルギーは青い輝きを宿し、真っ直ぐに《ソニドリ》へと迫る。

 

 ――逃げ切れない。

 

 その判断に全てを預けようとしたその耳朶を、ランラの声が打つ。

 

「諦めるな! ここで死ぬのならば、貴様に可能性など見ていない!」

 

 結晶剣より純粋なる光が放出される。戦場を彩った光の泡沫に、漆黒のオーラバトラーの放った剣閃が消失した。

 

《ソニドリ》が内奥から虹色のオーラを浮かべる。オーラの波が渦となり、渾然一体となった力の瀑布が大地を薙ぎ払った。

 

『覚醒するか。しかし、全てが――』

 

 漆黒のオーラバトラーが飛翔する。その大剣が眼前に突きつけられた。

 

『遅い!』

 

 大剣が《ソニドリ》の腹腔を貫き、自分諸共、完全に抹殺するのはもう理解出来ている。

 

 理解出来ているはずなのに――。

 

 頬を熱が伝っていた。

 

「これ、は……」

 

「お前の心が……オーラの故郷が……まだ終わりたくないと、願っているんだ。だからこそ――翔べ。エムロード。虹の輝きが、お前のオーラの真なる……」

 

 結晶剣から手が滑り落ちる。エムロードは最後の力を振り絞って自分を正気にさせてくれたランラを見やった。

 

 彼は瞼を閉じていた。

 

 その意味するところに、エムロードは悲痛なる叫びを上げかけて、《ソニドリ》の内側から発する声を聞いていた。

 

「……今の……は? ティマ? それとも……《ソニドリ》が?」

 

 硬直したエムロードは眼前に迫った現実を直視する。漆黒の騎士の放つ大剣。

 

 だが、それがどうした。

 

 今、何よりも怖いのは失う事だ。それは、我を、でもあり、何よりも――守りたいものを、であった。

 

「琥珀、ランラ、それに、ゼスティアのみんなを……失いたくない! 失って……堪るかァーっ!」

 

 感情の昂りが、オーラを同調させた。虹の皮膜が浮かび上がり、漆黒のオーラバトラーの剣を受け止める。

 

『剣を受けるか。だが、それがどうしたと言う!』

 

「ボクは、ここでまだ! 終わりたくない。終わるために、戦ってきているわけじゃない!」

 

 その時、《ソニドリ》の内部結晶体が輝きを帯びた。緑色の部位が虹色に染まっていく。

 

『その白いオーラバトラー……、虹を帯びるというのか! ならば、その前に、斬る!』

 

 漆黒の大剣が打ち下ろされ、《ソニドリ》の頭部を打ち据えた。

 

 一撃、その名の下に攻撃は実行され、《ソニドリ》が急降下する。砂塵が巻き上がり、《ソニドリ》の躯体が撃墜された。

 

『翡翠!』

 

 叫んだアンバーの声に、エムロードは瞑目したまま声にする。

 

「ボクは……ボクらは……聖戦士だ!」

 

 結晶剣が乱反射し、《ソニドリ》の内奥から虹を放出させた。噴き出したオーラの瀑布が周囲を塗り替えていく。

 

 瞬く間に空が虹色で染め上がり、目に入る範囲全てが掌握出来る感覚にエムロードは瞼を上げる。

 

《ソニドリ》が立ち上がった。光が吸い込まれていき、《ソニドリ》のゴーグルに収められた四つの眼窩がオレンジ色に煌いた。

 

『何、これ……。このオーラの放出値は……!』

 

 ミシェルの声が耳朶を打つ間にも、《ソニドリ》と同期したエムロードは吼えていた。オォン、と《ソニドリ》も応える。

 

 白い機体が飛翔した。翅もコンバーターの力も借りぬ、純粋な――。

 

『あれは……跳躍?』

 

 うろたえた《ゲド》部隊がおっとり刀の攻撃を浴びせかけようとする。オーラショットの弾頭が中空の《ソニドリ》を捉えかけたが、《ソニドリ》を駆動させるエムロードは真っ直ぐ前を見据えていた。

 

「……来い!」

 

《ソニドリ》がオーラの波に乗り、襲いかかった幾何学軌道を描く敵の弾頭を蹴りつけ、掌底で叩き落し、そして――瞬く間に敵の間合いへと踏み込む。

 

『まさか……!』

 

 敵が剣を取るよりも速く、手刀が《ゲド》の喉笛を引き裂いた。そのまま両手を入れ込み、真っ二つに引き千切る。

 

 爆発の瞬間を待たず、《ソニドリ》は再び飛びかかっていた。

 

《ゲド》部隊が剣を構え、《ソニドリ》へと襲いかかる。

 

『その首!』

 

『貰い受ける!』

 

 両側から迫った刃を《ソニドリ》は指先で受け流し、剣へと神経を飛ばした。

 

 発達した神経が剣を内側から毒に浸し、直後には相手の剣は《ソニドリ》の剣となって開花する。

 

 翻った剣閃が舞い遊び、《ゲド》二機を両断する。

 

『オーラの覚醒。いや、開花。その純粋なる力の行き着き先を、まだ分かるはずもない。翡翠!』

 

 漆黒のオーラバトラーが剣を掲げる。《ソニドリ》は姿勢を沈め、疾走していた。

 

 懐へと潜り込んだ《ソニドリ》を討つべく敵機が剣を打ち下ろす。その一閃を《ソニドリ》は両手で受け止めていた。

 

『白刃取りなど!』

 

 漆黒のオーラバトラーがすぐさま大剣を捨て、脇差を《ソニドリ》の頭蓋へと差し込もうとする。

 

《ソニドリ》は噴出したオーラをまるで水飛沫のように扱い、舞い散った燐光のオーラで防御していた。

 

『オーラのみで受けるか! ……聞いた事があるぞ。三十年前の戦乱で、巻き起こった現象を。オーラの暴走! その最果てを! 白いオーラバトラー! ハイパー化したとでも言うのか!』

 

「違う……ぞ」

 

 搾り出した声の主にエムロードは目を向けていた。ランラが朦朧とした意識で紡ぐ。

 

「ハイパー化じゃ、ない……。これは、もっと純然たる……」

 

『どっちにしたところで、堕ちるのならば、同じ!』

 

「違う!」

 

 オーラを纏い付かせた手刀が脇差の刃と干渉する。スパーク光が散る中で、エムロードは漆黒のオーラバトラーの内側で息づく蒼の気配を察知していた。

 

「これは、違う! そういうんじゃない!」

 

『伝説にでもなるというのか! このバイストン・ウェルで刻まれるべきはわたくしだ!』

 

 脇差と干渉していた指より発達した神経が相手の刃を掌握する。浴びせ蹴りが漆黒のオーラバトラーの機体を退けた。

 

『ザフィール騎士団長……』

 

『……潮時だな。撤退するぞ』

 

 オーラショットの焼夷弾が放射され、こちらと隔てるかのような炎の壁が構築される。

 

「逃げるのか!」

 

 昂揚したエムロードの声に、相手は冷徹に応じる。

 

『勝てぬ戦に、わざわざ深追いする事もない。今は、オーラの開花を見れただけでもいいとしよう。翡翠。いずれ、どちらかを選ぶ事になる。闇のオーラか、今のような輝きか。どちらがいずれ見れるかは、これからの楽しみにしておくとしよう。それと……琥珀』

 

 まさか、アンバーに繋がれるとは思っていなかったのだろう。突然開いた回線にアンバーが困惑する。

 

『この声……蒼、先輩……?』

 

『わたくしはこの地で使命を帯びた。その宿命の名はザフィール。最早、分かり合えぬ。そちらと同じだ。ジェム領国のために、この身は捧げられた。剣を取るのならば、わたくしは躊躇わない。戦うとも』

 

 その言葉を潮にして、相手が下がっていく。《ゲド》部隊が負傷した機体を背負い、撤退機動に持ち込んだ。

 

 炎の壁が消えた頃には、《ゲド》の編隊も、ザフィールと名乗った蒼の機体も存在しなかった。

 

 ただ闇雲に戦っただけ……。その悔恨が胸を占めていく中、倒れた気配にエムロードはハッとする。

 

 ティマがランラを呼びつけていた。

 

「ランラ! まずいよ、エムロード! すぐに城に戻ろう!」

 

 緊急措置が必要なのは見るも明らかだ。

 

 慌てて戻ろうとしたところで、エムロードは《ソニドリ》から虹のオーラが消えている事に気づいた。

 

 あれは何だったのか。そして敵意の塊のようであった、暗黒のオーラも。どちらも、この身一つから発したものだというのか。

 

「ボクは……」

 

 どちらの道を行くのか、とザフィールは説いていた。どちらかしか選べないのだろうか。破滅か、あるいは光の先か。

 

 この手が導くものは、と掌に視線を落とす。

 

 戦場はどこまでも無情に、突き放すかの如く静寂に包まれていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十話 超常疾走

「《ソニドリ》は城に戻りなさい。……アンバー?」

 

 いつまでも下がる様子がない《ガルバイン》の肩に、ミシェルの《ブッポウソウ》が触れる。

 

「大丈夫?」

 

 その声でハッとしたのか、アンバーが応じていた。

 

『あたし……』

 

「先ほどの戦闘、上々だったわよ。やるじゃない」

 

『……ミシェル。でも、敵の……あの黒いオーラバトラーの主は……』

 

「聞かせてもらう事になりそうね。あなた達の因縁を」

 

 漆黒のオーラバトラーはどうやらただの知り合いではなさそうだ。この二人と何らかの関係があるのだとすれば、情報は探っておくべきだろう。

 

 アンバーは静かに応じていた。

 

『……あたしよりも、エムロードのほうが、辛いと思う』

 

「暗黒のオーラ、か。あれもハイパー化の一種なのかしらね」

 

 敵を掌握してみせた先ほどの立ち回りは常軌を逸している。あれほどのオーラの使い方を学んだのだとすれば、それは恐るべきだ。

 

「……聖戦士はオーラを司る救世主。でも、それはあなた達の称号だった。私には……」

 

 ない、とミシェルは拳を握り締める。《ブッポウソウ》で援護程度しか出来ないこの身では、前線で戦い抜く事は難しいだろう。

 

 なればこそ、これまでのような戦いでは駄目であった。これまで以上の戦いを。もっと強いオーラバトラーを。

 

 たとえ求めた先にあるのが間違いでも、ミシェルは手を伸ばすしかなかった。

 

「……勝てないのなら、私だって。聖戦士なんでしょう、ミシェル」

 

 その呟きは聞きとめられる事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 撤退戦に持ち込んだ事を咎められる覚えはない、とザフィールは切り出していた。

 

 その声音にエルムは《レプラカーン》の中で歯噛みする。

 

「……助けられたなんて思っていませんよ」

 

『構わない。同じ国家の聖戦士同士、こういう事もあるだろう』

 

 その一言で片づけられた気がしてエルムは反骨精神を剥き出しにする。

 

「……いいんですか? ご用命にはグラン中佐の奪還もあった」

 

『中佐ならば無事だろう。彼らに、中佐を殺すほどの胆力はない。それは打ち合えば分かる』

 

 まるで分からない自分が愚鈍とでも言うように。エルムは舌打ちし、《レプラカーン》の状態を確かめる。

 

 機体の半分の制御系が奪われていた。あの白いオーラバトラーが一瞬でやってのけたのだ。

 

 神経を伸ばし、《レプラカーン》の身体を掻き乱した。その手腕に、エルムは拳をコンソールへと打ちつける。

 

「どうして……勝てなかった……!」

 

 否、そもそも勝負にならなかったではないか。あの機体、ただのオーラバトラーではなかった。こちらの領国が改良した、というデータがあったはず。すぐにでも参照し、対策を練るべきであったが、《キヌバネ》に搭乗したザフィールからはそれすらも無為、とでも言うような気配がある。

 

 彼女からしてみれば、小手先の勝算などあってないようなもの。

 

 自分の行動それそのものが、所詮は児戯だとでも言われているかのようであった。

 

「……情報戦術は、遊びじゃないんですよ」

 

『承知している。そちらの戦いの流儀には口を出さないさ』

 

 暗に、その流儀では勝てない、とでも言われているかのようで、エルムは《レプラカーン》を背負う《ゲド》を蹴りつけた。

 

 よろめいた《ゲド》から《レプラカーン》が離れる。

 

『何を!』

 

「自分の足で帰る。……聖戦士ならば当然だろう」

 

 その言葉に《ゲド》が《キヌバネ》へと窺う視線を振ったが、彼女は意に介した様子もない。

 

『好きにするといい。口を出すつもりもない』

 

「……口を出すまでもない、の間違いだろうさ」

 

《ゲド》部隊と《キヌバネ》に大きく遅れを取る形で《レプラカーン》が疾駆する。エルムは今回の敗北が色濃いものとなって屹立している事を再認した。

 

「……勝てないだと? ふざけるな。勝てなくて何とする。聖戦士ならば、土台は同じのはずだ。勝てなくって……どうするという」

 

 森林地帯を抜け、荒涼とした大地をエルムは睨む。

 

 バイストン・ウェル。魂の慰撫される土地。それら全てが、今は――憎い。

 

 自分を受け入れない世界。自分よりも優れたものに優しい世界など、壊れてしまえばいい。

 

「こんな仮初めの世界、破壊してやる。優しくない世界なんて、あったって仕方ないんだ」

 

 赤い装甲のオーラバトラーはその憎悪の権化のように、亀裂の走った機体を走らせていた。

 

 ただ闇雲でも走るしかない。

 

 暗礁に乗り上げた世界を。どこまでも突っ切る事だけが、ただただ、人間である事の証明であった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十一話 鬼札

「……では、ゼスティア領に我が方のオーラバトラー部隊を派遣せよ、というご用命だと、考えても?」

 

 対面の椅子に座り込んだ外交官の言葉に、ギーマはフッと笑みを浮かべていた。余所行きの笑みは対外的な相手には通用する。

 

「ええ、その認識で」

 

「しかし、アの国が滅びてからもう三十年です。他国は確かに、オーラバトラーの開発には躍起になっている。ですがそれは、戦争をしたいという意味では決してない」

 

 味わい深い、紅の液体がカップの中で揺れる。ここの領国ではオーラバトラーやそれに代替するオーラマシンの製造よりも、他国へと献上する良質な茶葉が有名であった。

 

 こうやって外交する国家もある。

 

 何も武力だけが国と国が矛を交える際に必要なものでもない。ただ、美しい虹色の田園地帯を荒らすのは惜しいという理由で、何度か戦火を免れたこの国にはお似合いの美学である。

 

「……ゼスティアはアの国の二の舞にはなるつもりはございません」

 

「ですがやっている事は似ています。オーラバトラーの開発。知らぬとでも?」

 

 外交官が寄越した写真は《ソニドリ》が写し出されている。無論、この程度は外交カードの一つ。持っていても何ら不思議ではない。

 

 卓上の写真に、ギーマは頭を振っていた。

 

「こればかりではございません。我が領国は良質なオーラバトラーを提供出来る、と言っているのです」

 

「良質……ですか。ですがこちらが首を横に振れば?」

 

「オーラバトラーは必要な戦力です。どの国家であっても」

 

「フェラリオが舞う、幻想の舞台では無用の長物でしょう。どこでもオーラバトラーを必要としている、という認識には野蛮人の理論が窺える」

 

「どうでしょうか。これは専守防衛のためにある」

 

「防衛、ね……。どうにもギーマ・ゼスティア殿。あなたは急ぎ過ぎている感が否めないですな。今回の面会と言い、外交努力といい、そちらはどうしても浮き足立っているような気がしてならない」

 

 いつもならば、この挑発に食ってかかっていただろう。しかし、今のギーマには心強い味方がいる。

 

「……失礼ながら。貴婦人を外交に立たせるのは理解出来かねます」

 

 隣の席に座り込んだレイニーを目にした外交官の言葉に、ギーマは虚飾の笑みで返す。

 

「妻です。彼女はいずれ、ゼスティアの王妃となる。ならば、慣れさせておくのが人情では?」

 

「それは人情とは呼びませんとも。ご婦人には辛いお役目だ」

 

「いえ……ご心配には及びません」

 

 レイニーもよく演技をしている。会ってまだ半日と経っていないのに、自分の婚約者の役目を買って出ているのだ。その胆力、相当なものだと判断した。

 

「……失礼ながら、奥方は」

 

「ああ。目が見えないのです。これは生まれつきでして。……ですが、何か問題が?」

 

 強く出たこちらに相手は意見を仕舞ったようだ。

 

「いえ……、見目麗しいお方ですが、それは……」

 

 見目麗しいとは、とギーマは笑いを堪える。つい先刻まで、上等な身分とはまるでかけ離れた辻占であった少女だ。

 

「ご心配には及びません。妻はそれなりに心得ております」

 

「……なるほど。ですが、やはりオーラバトラーの支援を寄越すのは、個人的な心象を言えば反対です。要らぬ戦いまで招いてしまう」

 

 ギーマはカップを傾けていた。芳しい茶葉の香り。鼻腔を突き抜けていくのは苦味と甘味の入り混じった芳醇な色彩である。

 

「……この茶葉だけではこれから先の時代、生き残ってはいけません。断言しましょう。そちら方の揃えていらっしゃるオーラバトラー部隊、一端にしようというのならば我がゼスティアは支援を惜しみません」

 

「ギーマ殿。貴殿はまだお若い。アの国が引き起こした悲劇を、……その全てまでは知らぬ世代でしょう」

 

「教本では」

 

「教本で知るのと、実際にあの戦火に巻き込まれかけたのではまるで違うのです。あれは……そう、恐ろしい戦いでした」

 

「……失礼ながら、あの戦場に?」

 

「あの当時は、嫌でも耳にしたものですよ。伝説のオーラバトラー、《ダンバイン》。アの国はショット・ウエポンなる地上人を召喚し、忌まわしい兵器を数多く開発した。語るもおぞましい……オーラバトラーを」

 

「ですがそのお陰で、今日の繁栄があるのです。ショットなる地上人がいなければこのバイストン・ウェル、開発は向こう五十年、いやともすれば百年は遅れていたかもしれない」

 

「そのほうが……よかったのかもしれませんがね。オーラバトラーの群雄割拠はコモンに戦という蜜の味を覚えさせた。元々、殺し合いなど好まぬ我々に、殺し合いの美学を叩き込んだのです」

 

「ですが、美学は美学です。醜悪ではない。そう切り捨てられない時点で、そちらもお分かりなのでは? オーラバトラー、ひいてはオーラマシンがどれほどに重要なのかを」

 

 外交官は立ち上がり、窓辺へと歩み寄った。その声が憔悴している。

 

「……ゼスティアは特に困ったところのない土地だと聞きます。ですが、我が国は出来るだけ穏便に進めたいのです。茶を摘み、平和的に外交し、民草はその潤った景気で日常を謳歌する。それでは、いけないのでしょうか?」

 

 背中を見せた形の外交官に、ギーマはレイニーへと視線を流していた。彼女は頭を振る。

 

 まだ、その時ではないと。

 

「そうでしょうとも。この国は平和だ。ですが平和とは、いつ戦火に染まるとも知れぬ、合わせ鏡のようなもの。失ってからでは遅いのです。我が方も、ジェム領の間断のない侵略行為に遭っている」

 

「ジェム領国……。にわかに信じられませんな。あの国ではオーラが極めて薄い。そのため、コモンの民草はオーラバトラーをうまく扱えないのだと伝え聞いていますが……」

 

「それを補うために、召喚したのですよ。地上人です。地上人の編隊はこちらにとっては脅威。無論、どの国に対しても」

 

「ジェム領が全面戦争に打って出るとでも?」

 

「可能性はございます」

 

 外交官は目頭を揉み、椅子に座り直した。

 

「正直……そのお話を鵜呑みにするのはどうかとも思うのです。ジェム領は確かに、国交を断絶して久しい。ですが、あの国が悪に染まったなど」

 

「考えられない事が起こる。それが戦争というものではないのですか?」

 

「仰るとおり……。しかし、それでも信じ難いのです。ゼスティアは力がある。それは理解しているつもりですとも。ですが……ジェム領には、友人がおりまして」

 

 その切り出しに、ギーマは身を強張らせた。ここに来ての新たな札に、まずいな、と声を飲み込む。

 

「それは……」

 

「とても穏やかな……こう言うのもなんですが、戦いなどまるで好まぬ人種で。そのような人間のいる国が、脅威など……飲み込み難いと言いますか」

 

「個人的な心象は外交には」

 

「無論です。それは排除すべきでしょう。ですが……あなた方はまるでジェム領を、排斥すべき絶対悪のように誇張されている気もするのです。ゆえに、すぐには呑めない、と……」

 

 ここまでか、とギーマはこれまでの温厚な手立てを捨てる覚悟を持った。レイニーの肩を叩く。

 

「……何を」

 

「妻は、昔から外交が得意でしてね。ここから先は彼女に交渉していただきましょう」

 

「……目の見えぬ貴婦人に外交など――」

 

「失礼ながら、外交官様。娘さんはお元気ですか?」

 

 それが彼のウィークポイントであったのだろう。今までとはまるで違う気配が応接室に降り立った。

 

「何を……」

 

「大変ですわね。ただでさえかさむ国債に、家族に迫る病魔。一役人の、通常の報酬では賄えないでしょう」

 

「……まさか私に、裏取引を持ちかけようとでも言うのですか」

 

「まさか。ですがゼスティアはあなたを支援出来ます。無論、個人的にも。仰りましたよね? ゼスティアには力があると。ならばその力、如何なく発揮させていただきたいというのが正直なところです」

 

 ギーマは舌を巻いていた。辻占で磨いた技術であろうか。その舌鋒の鋭さ、容赦のなさにはなかなかに真似出来ないものが宿っている。

 

「……ゼスティアの、そちらの要望を呑め、と?」

 

「要望というほどでもございません。これはただのお願いです。こちらは最大限の補助をしましょう。オーラバトラーの支援をお考えになってくださいますか?」

 

「……一考しましょう」

 

 まさかこれほどまでに容易く話が通るとも思っていなかった。ギーマが最後の一声を外交官に浴びせる。

 

「では、調印をお願いします。これから先、ゼスティアを支援なさる事を」

 

「……有益なパートナーになりたいものですな」

 

「それはこちらも」

 

 笑い返しながら、ギーマはレイニーへと視線を流す。

 

 状況を一変させたのは彼女だ。オーラが見える、と嘯く少女。

 

 ――ともすれば自分は、時代を変える切り札を手に入れたか。

 

 その予感に、ギーマは高鳴る鼓動を止められなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十二話 決闘見敵

「ランラの命には別状ないって……、エムロード?」

 

 部屋の小窓から入ってきたティマに、エムロードは面を上げる。ベッドの上で座り込んでいた自分を見るなり、ティマは慌てて近づいてきた。

 

「どうしたの? ……目、腫れてるよ」

 

「ゴメン……。ボク、とんでもない事を……」

 

「ランラの事は誰もせいでもないよ。狙撃手は倒したんだ。エムロードのせいになんてさせない」

 

 そうかもしれない。だが、それだけではないはずだ。エムロードはティマへと問いかける。

 

「《ソニドリ》の……あの、黒いオーラは?」

 

 ティマはその言葉に押し黙った。ティマが口を噤むのも分かる。あれは、あってはならないオーラだろう。

 

「……ティマも、教えてくれないんだ」

 

「違うよ! だって、エムロードが心配だからさ。これ、聞いたらもう、《ソニドリ》に乗ってくれないかもしれないし」

 

「それは……、でも、知らなきゃ前に進めない。ティマ、あれは何?」

 

「……あたしも詳しくはない。でも、オーラ力には暗黒面もあるって聞いた事がある。その暗黒面に、触れてしまったみたい……」

 

「オーラの暗黒面……、ティマ、それは《ソニドリ》を……どうにかしちゃうほどなのか?」

 

「《ソニドリ》は他のオーラバトラーとは違う。だから、エムロードの不安とか、恐れをダイレクトに感じちゃちゃうんだ。それで……暴走した」

 

 やはり、あれは暴走なのか。エムロードはでも、と言葉を継ぐ。

 

「あの黒いオーラは確かに……暴走だっただろうけれど、虹色のは?」

 

「あれも、観測した事のない現象だった。でも、敵のオーラバトラーが言っていたよね。ハイパー化、って」

 

「……ティマは知っているの?」

 

 彼女は翅を揺らし、瞑目する。出来れば言いたくない事のように。

 

「これは……知らないほうがいいと思う」

 

「でも、でもボクは……!」

 

 知らなければまた誰かを傷つけるであろう。それはもう嫌なのだ。

 

「ボクは、強くなくっちゃいけない。じゃなくっちゃ、何のために……このバイストン・ウェルに呼ばれたんだ。ボクが勝たなくっちゃ、ゼスティアが負けるっていうんなら、戦う。あの黒いオーラバトラーを……倒す」

 

 結んだ決意にティマが戸惑いを浮かべる。

 

「でも、ハイパー化は知っても――」

 

「教えなければ、結局は繰り返す」

 

 割って入った声音に二人して息を呑んだ。

 

 扉を開いたのはランラである。

 

「もう無事で……」

 

「怪我は大した事ない」

 

 そんな事はないはずだ。狙撃手に狙われたのだから。

 

「安静って……!」

 

「黙っていろ。ミ・フェラリオ。エムロード。ハイパー化に関して、教えておこう。オレもほとんど又聞きだがな。三十年前に、初めて起こった現象とされているが、フェラリオの一部はこれを知っていた。それはオーラの膨張現象と言われている」

 

「膨張……現象……?」

 

 ティマへと視線を流すと、彼女はばつが悪そうに答えていた。

 

「……オーラマシンが受け止めきれるオーラには限界があるんだ。それを超えたオーラは閾値を超え、オーラマシンの拘束具を外し、暴走させる。オーラマシンを何倍にも強靭にさせるんだ。それをハイパー化、能力の際限ない増強を意味する」

 

 ならば、それはこちらにとって優位ではないか。そう言いかけたエムロードへとランラの厳しい声音が飛ぶ。

 

「だが、万能でもない。ハイパー化は、オーラマシンでも抑え込めない個人のオーラ力の暴走。その行き着き先は、自壊だ。オーラマシンごと、その存在は自滅する。ハイパー化は諸刃の剣だ。出来れば使わないほうが望ましい」

 

「自壊……、そんな事が、起こるって言うの?」

 

「……悔しいけれど事実だよ。オーラバトラーでも、もしエムロードのオーラ力を受け止め切れなくなれば、それは自滅へと辿る道となる」

 

 そんな、とエムロードは掌に視線を落とす。この力が身を滅ぼすというのか。今まで強力だと言われてきたオーラが、自分を殺すと。

 

「だがあの現象は……ハイパー化とも呼べない代物であった。単純なハイパー化は、もっと極端だと聞いている。オーラマシンの巨大化、それに、閾値を越えたオーラが周囲に及ぼす影響も。しかし、あの虹色の光は……まるで違う。周りのオーラも、《ソニドリ》のために変異したような印象だ。あれはまるで……オーラの隷属。そう、隷属というのが正しい。オーラを、お前は飼い慣らした。ある一面では、な」

 

「ボクが、オーラを……」

 

「《ソニドリ》には未知の部分が多い。敵国に改造されたんだ。我が方の技術部門では解析出来ないかも。しかし、手をこまねいている場合ではない。ここは不確定要素があっても、勝ちに行く」

 

 ランラの眼差しに浮かんだ決意は本物だ。本気で、ジェム領国を討つつもりなのだろう。彼をそこまでさせるのは、やはり《ゼノバイン》との因縁か。ゼスティアの戦力を使って狂戦士を討つ。そのためならば目の前の障害物は迷わず排除する、という心持ちだろう。

 

「でもボクは……、暗黒面のオーラに飲まれた……」

 

「一度や二度の敗走で自信を失くすな。オーラの補強と、その隷属……うまく扱えればこれ以上の戦力もないだろう。勝利するために、お前と《ソニドリ》は必要だ」

 

 脇腹を刺されてでも、か。エムロードは軽症ながら、我に帰るためにランラに刺された箇所をさする。彼はその手を目にして声を発していた。

 

「恨むのならば恨むといい。オレは気にしない」

 

「いえ……ボクは、出来れば報いたい。ランラ。その術があるのならば」

 

「でもっ! エムロード! どうするって言うのさ!」

 

 ランラと視線を交わし、エムロードは立ち上がった。

 

「独房へ」

 

「まさか! 言っていたグランとの一騎討ち? 無茶だよっ!」

 

「オレも、無茶だとは思っていたが、騎士団の動きはこちらを遥かに凌駕する。時間は余りないのかもしれないな」

 

「ランラ! エムロードをけしかけないで!」

 

 ティマの声音にエムロードは片手を上げていた。

 

「大丈夫。……大丈夫だから。ティマ、ありがとう。結晶剣は?」

 

「エムロード……。あたしは本当に心配。だって、前回の戦闘で思わぬ事態が起こり過ぎた」

 

「その思わぬ事態を、一つでも想定内に抑えるのが、騎士の役目だと、ボクも思う。だから、今は、一つでも違えた道の矯正を」

 

「同感は、一部な。だが、グランが言う事を聞くかどうかは未知数だ。こちらの交渉など全て蹴ってしまえばいい身分でもある」

 

「それでも、ボクはあの人が、ただ単に黙秘を続けるとも思えない」

 

 ランラは暫時、沈黙を浮かべた後に、顎をしゃくった。

 

「ついてこい。独房まで案内する」

 

「ランラ……、あんたには慈悲がないの?」

 

 ティマの責め立てる言葉にランラは鼻を鳴らした。

 

「慈悲? そんなもので戦が勝てれば、誰も苦労しないだろう」

 

 ランラとて負傷している。しかし、この状況を少しでも好転させるのには、こちらから切り込むしかない。

 

 騎士団はグランの身柄など関係なしに動いている節がある。だとすれば、こちらも対応策があるはずなのだ。

 

 地下へと向かう階段を降りる際、ランラは口火を切った。

 

「しかし、グランという男……、一筋縄ではないはずだ」

 

「それは……戦えば分かる。ボクだってそう感じた」

 

「軍人としてだけではない。男として、彼には尊敬すべき部分がある。いや……これも買い被りかもしれないが」

 

 地下牢へと足を踏み入れた途端、兵士が敬礼する。

 

「状況は?」

 

「……あれから水も食事も取っていません。当然、口なんて利くはずが……」

 

 兵士の眼がこちらへと注がれ、彼らは姿勢を正した。

 

「失礼。リボンの聖戦士殿もお連れで?」

 

「あまり時間はかけられん。面会をする。許可は得ていない」

 

「……多分、喋りませんよ?」

 

「それでもさ。エムロード」

 

 促されて、エムロードは牢獄の最奥まで歩み寄った。最も厳重に守られた牢屋の奥で、両手両脚を手錠で縛られたグランが気配に面を上げる。

 

「グラン中佐、ですね」

 

 エムロードの問いかけにグランは返答もしなかった。

 

「何とか言いなさいよ!」

 

 ティマの声が響くばかりで、地下牢はどこか茫漠としている。ランラが歩み出てグランへと言葉を投げる。

 

「ジェム領国所属軍、中佐階級のグラン殿とお見受けする」

 

 その声音が今までと違ったからか、彼は声を投げた。

 

「……ゼスティアの軍人ではないな?」

 

「流れ者だ。ゆえあってゼスティアに身を置いている」

 

「流浪の民か。ゼスティアにそこまでの了見があるとは思えなかったが」

 

「ある盟約を結んでいてね。して、グラン中佐。願いを聞き入れてもらいたい」

 

「そんな単刀直入に?」

 

 うろたえたティマに比してグランは落ち着き払っていた。

 

「何がだ。《マイタケ》は動かんのだろう」

 

「オーラバトラーは抜きで、の話だ。エムロード。彼女は白いオーラバトラー、《ソニドリ》のパイロットである」

 

 グランの眼差しがこちらへと注がれる。しかし、その胡乱そうな目つきはすぐに疑念へと変わったようであった。

 

「オーラバトラー抜きで何をしようというのだ。まさか力比べか?」

 

「そのまさかだ。剣術の心得はあるだろう。一騎討ちを願いたい」

 

 グランが失笑する。そのあまりの馬鹿馬鹿しさから漏れたものらしかった。

 

「……そんな事をして何になる?」

 

「騎士団がゼスティアへと攻めてきた。これは今までにない事だ。あの黒いオーラバトラーも」

 

 その名前を出した途端、グランが目を見開いた。

 

「……《キヌバネ》が出たというのか」

 

「《キヌバネ》というのか。騎士団は確実にゼスティアを陥落すべく行動したが、《ソニドリ》の活躍により、それは阻まれた。もう、ジェム領の軍備は堕ちたと見るべきだろう」

 

「どうとでも罵るがいい。だがジェム領がただ堕ちたなど、信用なるか」

 

「ではグラン中佐。そちらの剣で、それを確認すればいい。言っておくが、エムロードは強い」

 

 嘘八百でもないが、ほとんどがブラフだ。これに乗るかどうかが完全な賭けの部分が大きい。グランは自分とティマを見比べ、次いでランラを見やった。

 

「……条件が」

 

「仮釈放ならば考えてある」

 

 思わぬ発言にエムロードは目を見開いた。

 

「何を言ってるのさ! そんな事をしたら、ゼスティアが!」

 

「脅威には晒されるかもしれないな。だが、究極的にオレは、どちらの味方でもない。ゼスティアには与するが、忠誠までは誓った覚えはない。協力はする。それとこれとは別だ」

 

「……よく舌が回る男だ。そうやって漂ってきたのか?」

 

 グランがランラに興味を示したのが窺えた。彼はその機を逃さない。

 

「生き抜くためには手段は選べなくってね。崇高な理念とやらも。オレには一つの大きな目的しかない。そのためならば、何でも行う。やれる事は、何でも」

 

 それは《ゼノバイン》を倒すために彼が学んだ処世術なのだろうか。状況に流されている間にも、グランは言葉を投げた。

 

「一つ、聞く。どこまで条件は通る?」

 

「オレが可能だと判じる部分まで」

 

「それならば……少しばかりは信頼出来るか」

 

「あんた……! あたし達よりもランラが信用出来るって……!」

 

「それはそうだろう。ゼスティアのミ・フェラリオと地上人、それと流浪の民の身分を比べればどちらに比重を置くべきかは簡単に分かる。この男は少なくとも、嘘はつかない。それは眼を見れば歴然としている」

 

「あんた、軍人でしょう?」

 

「ミ・フェラリオが分かった風な口を利く。ああ、確かに軍人だとも。だが、軍人は、頭が堅ければ出来ない仕事でもある。請け負おう。一騎討ち、であったな?」

 

 ランラは満足気に頷く。

 

「衛兵。グラン中佐を外に出す。彼に食料と水を」

 

「逃がすって言うんですか?」

 

 そう誤解されても仕方あるまい。しかしランラはどこにもてらいを浮かべなかった。

 

「必要な事だ。これから先のゼスティアには、な」

 

 そう彼が言えば自然と凄味が出る。衛兵は言われるがまま、グランの拘束を解いた。茶褐色の肌を持つ大男が、狭苦しい牢獄から出て身体を伸ばす。

 

「剣を取ればいいのだな?」

 

「ああ。エムロード。やれるな?」

 

 その声音に、エムロードは確信する。これは試されているのだ。自分が言い始めた事を遂行出来るかどうか。何よりも、《ソニドリ》のパイロットとして、これから先に戦うのに相応しいかどうかを。

 

 ならば、これは自分の試練だ。

 

 拳を握り締めたエムロードはグランへと向き直った。

 

「出来れば、正しい戦いを」

 

 その言葉に何を思ったのか、グランが眉を跳ねさせる。この戦いに正しさなどない、とでも言い返されるかに思われたが、彼は静かに返答する。

 

「……いいだろう。正しい戦いを」

 

 地下牢から開放され、グランと自分は中庭まで案内される。

 

 中庭には整備途中の《マイタケ》が横たわっていた。彼は鼻で笑う。

 

「いいのか? ここで貴様らを殺し、《マイタケ》でいつでも逃げられる」

 

「それも、勝てば、の話だろう」

 

 ランラの余裕に、グランはどこか満足そうな笑みを浮かべる。

 

 剣が投げられ、グランがそれを手に取った。

 

 自分は《ソニドリ》の結晶剣である。

 

「戦いの条件は出来るだけ対等にしたい。休息が必要ならばそうするが」

 

「心遣い、痛み入る。なに、婦女子を相手取るのに、万全など、それこそ手心が沁みるというものだ」

 

 今の条件でも充分だという事か。相手が嘗めるのも分かる。自分はただの少女。相手からしてみれば地上人と言ってもその程度にしか見えまい。

 

「エムロード……、こんな条件、あまりにも……」

 

「大丈夫。ティマ、離れていて。ボクが……勝つ」

 

「心意気は痛快そのものだな。では、勝ってみせよ! 白いオーラバトラーの地上人!」

 

 グランが剣を振るい上げる。その迫力に気圧された。結晶剣で受け流そうとして、その膂力に押される。

 

 相手の力はこのバイストン・ウェルで遭遇したコモン人でも類稀なものであった。現実世界の大人の力と大差ない。

 

 後ずさったエムロードは結晶剣を正眼に構え直す。

 

「構えはいい。その剣筋も、一級と呼んでも。だが女子供で! この、グランの剣はさばけるものではない!」

 

 再び足を擦り、グランが一刀の下にこちらを仕留めようとする。エムロードはその刃を真正面から受けた。火花が散り、鎬を削る。

 

 横薙ぎに払った剣を相手は弾き返し、そのまま返す刀を肩口に叩き込もうとして、こちらの反射した刃に後ずさる。

 

 こちらがオーラの加護を受けているとは言っても、一進一退。

 

 相手は剣を手に果敢に攻め立てる。その動き、剣の流れ一つを取って見ても一級品のものである。

 

 ――やはり無理なのか。

 

 過ぎった不安に差し込むように、グランが面打ちを叩き込もうとする。薙いだ剣で流し、その横合いから打ち込もうとして、受けた刃の流麗さに舌を巻く。

 

 ――出来る、と判じたのは恐らく両者同時。

 

 コモン人とは思えぬ剣の冴えにエムロードは肩で息をする。

 

 グランは一度体勢を立て直し、剣を上段に構えた。今度こそ、とどめの一撃が来る。しかし、どうすればいいのだ。

 

 このまま受けるだけの戦いではいずれ疲弊する。どうすれば……。

 

 そう考えた矢先、ランラがこちらをじっと見つめている事に気づく。

 

「エムロード?」

 

 ティマの声にエムロードは瞼を閉じていた。

 

 そうだ。このバイストン・ウェルでは、雌雄を決するのは単なる力の過多だけに非ず。

 

 オーラという力が左右するというのならば、そのオーラの流れを見極め、読み、その果てを自分で掌握する。

 

 眼を開いたエムロードはグランの剣筋に止まった漆黒の蝶の翅を見ていた。

 

 地獄蝶。オーラを纏う者に絶対に存在する万人の死角。

 

 地極蝶が見えたという事は、それ即ち――。

 

 エムロードは踏み込んでいた。グランが轟、と剣を叩き込もうとする。

 

 その勢いを、斬、の勢いのみで返した。

 

 剣が跳ね上がり、宙を舞う。

 

 どちらの剣が地面に突き刺さったのかは、問いかけるまでもない。

 

 グランが後ずさり、折れた剣を下げていた。

 

「……使い手だな」

 

 そのこぼされた声でようやく我に帰る。勝利の余韻が寄せてくる前に、ランラが割って入っていた。

 

「これで、条件は呑んでもらえるな?」

 

「敗北したのだ。しかもよりにもよって剣で。それならば、もう抵抗は無意味だと、悟ったよ」

 

 グランがランラを見据える。彼は淀みなく口にしていた。

 

「ジェム領国の現状を教えてもらいたい。それと、……騎士団に関しての情報を」

 

「断る理由もないな。……気になっていたが、名は?」

 

 問われているのが自分だと気づくまで数秒かかった。周囲を見渡してから答えるという愚を冒す。

 

「……エムロード」

 

「そうか。エムロード。義は通す。自国の情報を売り渡すのは売国奴のする事だが、負けたのならば流儀に従おう。それが戦士というものでもある」

 

「話が分かって助かる」

 

「最初から、こうするつもりだったのだろう?」

 

「何の事だかな。エムロードが勝てる、という保証もなかった」

 

 しかし、ランラは自分を信じていた。だからこそ、地獄蝶を思い返したのだ。

 

 それを口にする前にグランがフッと笑みを浮かべていた。

 

「嘘か真か……どちらでも構わん、か。ただし、条件がある。自国に刃を向けるのだ。それなりのケジメを、な」

 

「ある程度ならば聞こう」

 

「部下の……《ドラムロ》に乗っていた同族の開放を。それが成されないのならば情報は一切流さない」

 

 しかしそれは、と言いかけてランラが代弁していた。

 

「……驚いたな。部下に裏切り者だと思われてもいいと?」

 

 そのはずだ。グランが率先して情報を流す代わりに部下を逃がせなど。正気とは思えない。しかし、彼はその双眸に浮かんだ決意を崩さなかった。

 

「言っただろう。義は通す。それは自分の生まれ育った場所に対しても同じ事」

 

「なるほど。武人の名前は伊達ではないわけか。いいだろう。《ドラムロ》に乗っていた部下は全員、逃がす事を誓おう」

 

 ランラの約束もギーマが帰ってくるまでだろう。彼が指揮権を譲渡すれば部下の命はないかもしれない。グランは慌てているようでもあった。

 

「可及的速やかに頼む。儂も、気に食わんと、考えていてな」

 

 仮説であったが騎士団との不仲は確かの様子。つけ入る隙はある。

 

「後は情報戦術に頼むしかないな。戦術室に案内する。エムロード」

 

 ランラがすれ違い様、静かに肩を叩く。

 

「よくやった。前進だ」

 

 そのたった一言だけであったが、エムロードには他に替え難いもののように感じていた。

 

 この一勝が、うねりを変えるというのならば。自分はそれを信じたいと。そう思ったのは何も間違いでないような気がしていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十三話 ザ・アザーサイド

 よくやったな、という激励が一瞬、何の事だか分からなかった。

 

 上官の振り向けた視線に、レイリィは目礼する。

 

「《アグニ》だよ。あのじゃじゃ馬をよく使えるようにしたものだ」

 

「恐れ入ります」

 

 管制室へと向かう道すがら、上官は探る声音を向けてきた。

 

「しかし、まさか本当にいたとは思わなかった。オーラ適性、ゼロのコモン人。オーラバトラーにも乗れず、かといって地上人ともまるで違う組成を持った存在など」

 

 こちらも、まるで想定外であった。《アグニ》はあのまま一生、軍の倉庫でさび付いていくばかりだと思い込んでいたからだ。

 

「イリオン。そう、彼は名乗っていたのだな?」

 

「ええ。ですが、彼は……」

 

「存じている。彼とも呼べんのだったな。どちらでもない、と」

 

 その性質に関しても、今は全くの謎だ。言い切れる事は一つしかない。

 

「《アグニ》は彼に応えている」

 

「強獣を殺してみせた彼の手腕は確かだろうな」

 

「《アグニ》そのものの性能とも言い換えられます。あれは、ただのでくの坊ではなかった」

 

「開発部の道楽では済まなかった、か。ようやく一端にバイストン・ウェルと渡り合える戦力の見通しが立っただけでも僥倖だろう」

 

 しかし、とレイリィは言いつける。

 

「いいのでしょうか? だって、《アグニ》は……」

 

「侵略兵器など、言わなければ分かるわけがない。バイストン・ウェルのコモン人は闘争を忘れた人種だと聞いている」

 

 侵略兵器。それは、隠し通さなければならないだろう。イリオンに露見すれば、もう乗らないと言いかねない。だが、向こう側からの侵略は絶え間なく来るのだ。

 

「今回だけではないと、教えるべきでしょうか」

 

「一度でもオーラ・ロードが開ければ、触媒として何度でも連中はやってくる。バイストン・ウェルの妖精共を応戦するのに、《アグニ》以上の適任もいまい」

 

 敵を駆逐するのに、敵と同じ存在を使わねばならないとは。

 

「それもこれも……三十年前の、あの狂科学者が招いた事実、というわけですか」

 

「ショット・ウェポン。彼は稀有な天才であった。だがその才能はバイストン・ウェルと地上という、二つの世界を大きく隔てる結果になってしまった。……彼の功罪は大きいだろうな。もし、魂を慰撫する、という情報が確かならば彼の魂はいつまでも平穏を得られないだろう。地獄に堕ちるとすれば彼だよ」

 

 だが自分達とて地獄への道筋を辿っていないとは言い切れないのだ。

 

「《アグニ》はいつでも出せます。問題なのは、イリオンにどう言い繕うか」

 

「何とでも言え。強獣が襲ってくるのだと思わせておけばいい。バイストン・ウェルの妖精にはお似合いの立場だ」

 

 管制室の扉が開くと、解析に当たっていた軍人達が一斉に振り返り、挙手敬礼する。

 

 返礼した上官が一人の白衣の男へと問いかけた。

 

「首尾は?」

 

「上々です。解析結果を」

 

 手渡された情報が投射画面に浮かび上がる。それをレイリィも端末に同期させ、胡乱なその結果を目にしていた。

 

「解析不能……? これがその結果だというのか」

 

 上官の声に白衣の男はコンソールのキーを叩く。

 

「どれだけ情報を解析しても……同じ結果しか出ないのです。あの灰色のオーラバトラーに搭乗していた少女からは、この結果しか……」

 

 レイリィはその結果とやらを読み上げる。

 

「あの少女を覆っていた黒い皮膜は生物的なものだが、少女自体に生物としての組成は見られず……遺伝子も、その細胞も全て……虚構の代物に過ぎない、という結果が?」

 

 存在が虚構、という事実には納得しかねていた。男は眼鏡のブリッジを上げて説明を始める。

 

「彼女の肉体はこちらの次元にないのです。いえ、実体はこちらにあるのですが、それは影のようなものだと言うべきでしょうか……。結果から申し上げますと、あの少女はコモンでも、ましてや地上人でもありません。虚数空間の影……、無数の情報の積み重ねで構築された、別種の存在」

 

「フェラリオか」

 

 上官の言葉に男は頭を振る。

 

「フェラリオはまだ実体の存在です。あれは解析すればそれ相応の結果が出る。フェラリオでもなく、人間でもない。……オーラそのものが、形状を伴って実体化している、というのが正しいでしょうか」

 

「まどろっこしいな。つまり?」

 

 男は一拍置いて口にしていた。

 

「あの灰色のオーラバトラーに乗る少女は……オーラという揺らめく影そのものなのです。触れる事は可能ですが、それは我々地上人がオーラを高く持っているという事実に似ていると言うべきでしょうね。彼女自身を破壊する事は出来ない」

 

「触れられるが、それをどうこう出来ない、か。まるでゴーストだな」

 

「ええ。そう評するのが正しいでしょう。あれはまるでゴーストなのです。亡霊、怨念、それそのものがあのオーラバトラーを動かしていた……」

 

「灰色のは? どうなっている?」

 

「解析はしました。ですが……驚いた事にこれと言って特徴的ではないのです。ただの……オーラバトラーとでも言うべきでしょうか」

 

「バイストン・ウェルの謎の兵器にただの、も何もないような気がするが」

 

 上官の文句に男は慌てふためく。

 

「戦力としては上々ですが我々に動かせるようには出来ていないのです。あの亡霊の少女のみが、動かせる特別な一機でして……」

 

「要は意味のないもののサルベージをさせられた結果か。無駄足を……」

 

 上官の苛立ちにレイリィは口を差し挟んでいた。

 

「ですが、《アグニ》の適性者が現れた事は大いなる一歩です」

 

「……そう、君のように誰しも思えるわけではないよ。オーラ・ロードは?」

 

「解析映像、出します!」

 

 管制室の巨大なモニターに映し出されたのは虹の螺旋であった。どこまでも落ち窪んでいく螺旋の通路である。

 

「開いたまま、ですね……。またいつ、強獣がやってくるか分かりません」

 

「そのための《アグニ》だ。専守防衛の理念はある」

 

 それは基地の外には決して被害を及ぼさぬため、という前提ありきであったが、上官は言葉を継いでいた。

 

「前回の強獣はどうした?」

 

「ガッター種ですね。肉体の分析作業は行いましたが……」

 

 映し出されたのはほとんど肉体が溶け果てた骨格であった。やはり、と上官が口走る。

 

「バイストン・ウェルの生命体は死ねば塵に還る、か」

 

「ええ、オーラを失った生物は急速な壊死が進み、やがてその肉体は消滅します。これでもまだ持ったほうなのですが、やはり死からは逃れられないようですね。如何に妖精の国の生き物でも」

 

 上官は手渡された資料を手繰り、ふんと鼻を鳴らした。

 

「結果を出せ。そうでなければこの部署は意味がない。如何に本国が金を惜しまないとは言っても時間までは保証出来ないのだ。結果を出せない部署の行き着く先くらいは分かっているな?」

 

「御意に……」

 

 白衣の男が頭を垂れる。上官は資料を手に身を翻していた。その背中にレイリィは声を投げる。

 

「ですが、彼らも必死です」

 

「了承している。だが、《アグニ》共々、我々はままごとをしている場合でもないのだ。バイストン・ウェルは着実に地上界を侵しつつある。この現状をどうにか食い止めるために、我々は存在している事を忘れるな。連中に慈悲はない。妖精共の好き勝手にはさせるな。奴らを滅殺してでも、地上界の平穏を守れ」

 

 命令の声音にレイリィは挙手敬礼する。

 

 上官は資料を手に基地を出て行った。その背中を見送り、静かに口にする。

 

「……地上界の平穏、か。それが何を犠牲にしてでも守るべきものなのか……、そこまでは……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《アグニ》を動かした功績は認める、という論調にターニャは言い返していたようであった。

 

「何も分からないのに、それでも動かしたんですよ! 認める、なんて上から目線……」

 

「だが、バイストン・ウェル側の人間であるのに変わりはない。自由は認められないのだ」

 

「……だから、軍人って言うのは」

 

「今のは聞かなかった事にしてやる。《アグニ》を動かせ。それだけが貢献出来る条件だ」

 

 ベッドから身を起こしたイリオンは言い争いを半ばの意識で聞いていた。

 

「実験動物じゃないんですよ! 意思のある人間です!」

 

「バイストン・ウェル側ならば即刻抹殺だってあり得る。これでも譲歩だろう」

 

「譲歩? 他人事だと思って……そんな事を」

 

 ターニャが困っている。それだけは窺えた。イリオンがベッドから出ようとしたところで見知った声が耳朶を打つ。

 

「どうした? 何を言い争っている」

 

「これは……少佐、何故こんなところに……」

 

「イリオン君の容態は?」

 

「少佐が気にする事では……」

 

「請け負っている。最後まで徹底するのが軍人だろう。君は下がれ。後はやっておく」

 

「……どうなっても知りませんよ。噛みつかれるかも」

 

 言い置いた兵士が立ち去るとターニャは大声で言いやっていた。

 

「なんて言い草なの! こんなのって聞いていないわ!」

 

「ターニャ、落ち着いて聞いてくれ。……イリオン君は?」

 

「眠っているわ。相当に疲れたのでしょうね」

 

 ここは眠った振りをするのが正解だと感じて、イリオンはベッドで横になる。レイリィが一瞥を投げてから、ターニャへと語りかけた。

 

「……イリオン君にはこれから先、地上界へと押し寄せてくる相手の駆逐作戦を頼みたい、と上からのお達しだ」

 

「そんな生易しい言い方じゃないはずよ」

 

「……そうだな。《アグニ》に引き続き乗れ。後はどうとでもしろ、と。先ほどの兵士の弁を借りるのならば、我が方の勢力としてイリオン君を含める、というのが上の決定だ」

 

「……あの子はまだ……」

 

「分かっている。決定権はないだろう。我々がバイストン・ウェルの人間をどうこうしようなど、傲慢の一事だ。しかし、それでもイリオン君にはやってもらいたい。《アグニ》は、あの子以外は動かせない。それが決定であるのならば」

 

「……それだって、どうしてもっとやりやすい兵器を造らなかったの? 米軍は最初から、バイストン・ウェルの力を利用しようと考えている。それを知らないで済ませられないわ。……三十年前、あの兵器が忘れられないのよ。オーラバトラーって言うね」

 

「世界に爪痕を立てたんだ。バイストン・ウェルにも清算を求めたいんだろうが、生憎妖精達に罪はない。彼らはただ、生きていただけであった。叡智をもたらしたのは地上界の人間だ」

 

「それが分かっていても……実行しろって言うのね」

 

「辛い事を迫らせる。だが……我々に残された手は……」

 

「――やりますよ」

 

 イリオンは覚えず口を差し挟んでいた。二人が仰天してこちらへと視線を注ぐ。

 

「でも……あなたはバイストン・ウェルの……」

 

「どうせ、帰る手立ても分からないんだったら、役に立ちたい。僕みたいなのが、役に立てるのならば」

 

「そう言ってもらえると助かるが……個人的な心象では、君を危険に晒したくはない。《アグニ》はただの兵器じゃないんだ。オーラを全く使用しない、オーラバトラーとも、現状の兵装とも似て非なるもの……。あれを、どう言えばいいのか……」

 

「それでも、僕しかやれないのなら、やります。やらせてください」

 

 その言葉振りが意外であったのだろう。二人は顔を見合わせ、やがて言葉を紡いだ。

 

「……確認しているだけでも、バイストン・ウェルから地上界に侵攻してくる勢力は相当数に上る。それでも……やってくれるか?」

 

 これは悪魔の取引かもしれない。だが、自分はバイストン・ウェルの、彼の地でも「要らない」人間であった。

 

 ならば、必要とされる場所で戦っていたい。

 

「《アグニ》に乗ります。そして、地上界に……出来れば平穏を」

 

「そう、か……。そこまで思ってくれているとは考えもしなかった。君の勇気に、敬意を評したい」

 

「イリオン君……でも無謀なのよ。敵はすぐ傍まで迫っている。脅威は、あんなもんじゃないの」

 

 それでもやる、と決意した双眸にターニャは諦観を差し挟んだ。

 

「……やる……のね」

 

「僕は、あの灰色のオーラバトラーに殺されかけた。もう、消えた命なんです。なら、少しでも誰かのために」

 

「心持ちは立派だ。こちらとしてもよろしく頼みたい。イリオン君。君を正式に、《アグニ》の専属パイロットに、任命する」

 

 レイリィはしかし、その決定がまるで苦渋の末の決定のように、どこか苦々しい顔を浮かべるのであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十四話 影水晶

 

 冷たい床の感触に、彼女は瞼を開いた。

 

 ここはどうやら半身の中ではないらしい。そう感じた身を起こすと、周囲にオーラの反射が見られた。

 

 四方八方は銀色の壁に覆われているが、その向こう側で息づく人影を察知する。

 

「寒い……」

 

 彼女は自身に纏っている皮膜が剥がれているのを寝ぼけた頭でようやく理解した。やはり半身からは離れているらしい。

 

 自分の甲殻であり、己の存在そのものであるところのオーラバトラー――《ゼノバイン》からは意図的に距離を取られているのをオーラの感触ではかる。

 

「……何してるのぉ……? もしかして、アタシを解剖でもする?」

 

 この場所を俯瞰している「眼」へと彼女は語りかけた。相手は通信で応じる。

 

『それが相応しい対処ならば』

 

「バカらしい。あんた達、結局は《ゼノバイン》が欲しいんでしょ? オーラでそう言っているのにウソなんて通用しないわよ」

 

『……理解が早いようだ』

 

「そりゃ……だってアタシ、《ゼノバイン》と一緒だもん。ねぇ、服をちょうだいよ。アタシの裸を見て楽しい?」

 

 くすくすと笑いかける彼女へと銀色の壁が一面だけ開いた。武装した兵士が二人、拳銃を突きつけて歩み寄ってくる。

 

「殺すの?」

 

 喜色を滲ませた声音に一人が毛布を放る。どうやら思っていたよりも拍子抜けの場所らしい。

 

「……紳士気取るつもり? アタシ、そーいうのバカっぽいと思うけれど」

 

 毛布を羽織り、彼女は笑みを吊り上げる。相手は冷静な声音を乱さない。

 

『理解しているのならば問おう。あれは何だ? あのオーラバトラーは今までのものとは違う。別種の存在だ』

 

「別種……面白い見方をするのね。ねぇ、アタシと《ゼノバイン》がどうして、こんなところに? オーラがとても濃いし……バイストン・ウェルじゃないわね」

 

『地上界だ。君達はバイストン・ウェルより浮上してきた』

 

 浮上。その言葉の意味が分からぬほど、意識は朦朧としているわけではない。

 

「へぇ……浮上したんだ。じゃあ何? フェラリオの導きかしら。それとも、他の? どっちにしたって……こうやってアタシを閉じ込めるだけしか出来ないのね。地上人は」

 

『不確定要素が過ぎる。まず問おう。君は何者か』

 

「何者か、ねぇ……。どう答えるべきかしら。因果の集約点。あるいは異端の狂戦士って呼ばれていたから、そっちの通り名で?」

 

『……あまり時間はかけないほうがいい。首にかけられているものがあるはずだ』

 

「ああ、これぇ?」

 

 金色の首輪がかけられている。外そうともがくと、不意に皮膚を突き刺す電撃が放たれた。突然の事に五感が麻痺する。フラッシュバックした視野が白と黒に激しく移り変わり、その眩惑に身体が弛緩した。

 

『電撃を仕込んである。……警告はするつもりであったが』

 

 直後、笑みが喉の奥から漏れてくる。相手は強攻策に打って出てきた。それはつまり、どうしても自分から聞き出したい何かがあるのだろう。

 

 そういう相手と話すのはやぶさかではない。否、「何年ぶり」だろうか。

 

 くっくっと笑うこちらを、相手が胡乱そうに尋ねる。

 

『何が可笑しい?』

 

「何が? 全部よ、全部。結局、気取っちゃってまぁ……。殺す気はないんだ?」

 

『情報が欲しい』

 

「手早くていいわね。アタシの要求は一つ。《ゼノバイン》と共にバイストン・ウェルに帰る」

 

『ならば、協力は惜しまない』

 

 どこまで本気なのか。オーラを読んだが無数の人間のオーラが混在しており、今の状態では本音は掴めそうにない。

 

「……いいわ。協定を結びましょう」

 

『助かるとも。君の帰還を補助する事を誓う』

 

「ねぇ、そういうのいいから。アタシに何が聞きたいのぉ?」

 

『……現時点でのバイストン・ウェルの実情と戦力。それに、我が方のテストに協力してもらう』

 

「テストぉ?」

 

 素っ頓狂な声を上げた彼女へと、二人の兵士が銃弾を叩き込んだ。唐突な銃撃に身体が痙攣する。

 

 しかし――弾丸は肉体を滑るばかりで命中しても血の一滴さえも出てこない。

 

 相手が息を呑んだのが伝わった。

 

「……急に撃つのは……紳士って呼ばないんじゃないのぉ?」

 

『君の特異体質についても知りたいものだな。死なない肉体』

 

「調べたのね。いやらしい……」

 

 笑みを浮かべたこちらに兵士が明らかに恐怖を浮かべたのを関知する。彼女は手をすっと床につけた。直後、跳ね上がって相手の喉笛に噛み付く。

 

 尖った歯がスーツに隠れていない兵士の喉を掻っ切った。血潮を悲鳴が舞う中、彼女は壁に張り付く。もう一人の兵士が銃撃を見舞うが、それらは全てあまりにも遅い。蹴り上げて相手の銃身を落とし、床についた反動でそのまま跳ねて爪を叩き込んだ。

 

 肩口に手刀が突き刺さる。その刹那、電撃が全身を走った。

 

 痙攣する肉体とは裏腹に、彼女は狂気の笑みを浮かべ、兵士へと拳を振るい上げる。

 

 一発、相手が脳震とうに震えたのが伝わる。もう一発で、頭蓋に皹が入ったのが分かった。さらにとどめの一発で兵士は意識を閉じたのが窺える。

 

 そのまま蹴って突き放し、扉から逃げようとして、無数の銃口が自分を照準したのを目にしていた。

 

 恐らくは予期していたのだろう。

 

 重武装に身を固めた兵隊が彼女を羽交い絞めにする。

 

 前の二人は捨て駒か。そう感じた彼女は声を軋らせていた。

 

「なんて事。死んでもいい人間を使ったんだ?」

 

『……こちらとしても損耗は避けたい。素直な返答を望む』

 

「殺すわ。こいつら全員、皆殺しにしてやる」

 

『それでは君の条件は呑めんな』

 

 それは困る。オーラ・ロードを開くのに、自分と《ゼノバイン》だけでは絶対に足りないのは目に見えている。

 

 昂った神経を少しずつ醒まし、彼女は頭部に突きつけられた銃身を掴んでいた。

 

 兵士がうろたえて後ずさる。狂喜の笑い声を響かせた。

 

「殺しなさいよ! 殺せ!」

 

『残念ながらまだそうはいかないのだよ。君のオーラバトラーには価値がある。だから殺さない。……どれほど兵を損耗しても』

 

「偽善者! 人でなし!」

 

『どうとでも……。大きな一つ事を成すためには小事にこだわってはいられない』

 

「人の命が小さいって思えるのなら、あんた達だってアタシと同じよ!」

 

『そう、同じだとも。だから血を流さない交渉をしたい。駄目だろうか?』

 

 思わぬ返しに彼女は銃を掴み上げた手を離した。兵士が銃身で叩き据えようとしたのを声が押し留める。

 

『やめろ。個人的な復讐心は無意味だ』

 

「そうよ、やめておきなさい。アタシを殴ったってお仲間は生き返らないんだから」

 

 兵士が歯噛みして後退した。声はこちらへと促す。

 

『さて、君の事を何と呼べばいい? 我々は協力関係だ。等しくあろう』

 

「はじめに自分が名乗るって、ママから教わらなかったのぉ?」

 

『これは失敬。こちらは……地上界の軍隊の一部だ。どこの軍なのか言っても理解できないだろうが、そういう組織だと思ってくれていい』

 

「ろくに自己紹介も出来ないのね。かわいそう」

 

『では君がお手本を見せてくれるか?』

 

 彼女は床に流れる鮮血を指で拭い、壁に血で文字を書き殴った。

 

 相手が、ほうと嘆息をつく。

 

『アメジスト。それが君の名前か』

 

 彼女――アメジストは指についた血を舐める。

 

 口中に広がる「獲物」の味に恍惚さえ覚えた。

 

「アタシの《ゼノバイン》はどこ?」

 

『《ゼノバイン》と言うのか、あのオーラバトラーは』

 

「答えなさい」

 

『協力次第だ。言っただろう? 約束は』

 

「違えないとでも? どうかしら。アタシはあんた達をいくらでも殺せる」

 

『では、こちらも。バイストン・ウェルの兵器など、恐れるまでもない』

 

 それは、今までとは違うスタンスであった。少しだけ、興味が出てくる。

 

「……愉しませてくれるのよねぇ?」

 

『アメジスト。君の赴くまま、語って欲しい。今のバイストン・ウェルはどうなっているのか。その全てを』

 

 協力なんて生易しい。自分も相手も搾取しか考えていない。だが……どちらに転んでも、自分には旨味がある。

 

 何よりも、少しばかり地上界にいるのも悪くない。

 

 このオーラの濃度に、呼吸困難に陥ってしまいそうで、そのギリギリの感触が心地いい。

 

「いいわ。アタシの事を教えてあげる」

 

 口角を笑みの形に吊り上げたアメジストに、兵士達がうろたえた。

 

『ではアメジスト。対等にいこうか』

 

 対等なんてものじゃない。これから行われるのはいずれにしても、何らかの破滅の遠因になるであろう事は、アメジストも容易に理解出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第三章了

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四章 怨嗟序曲
第三十五話 地獄襲来


 

 賑わいを見せる、というのは何もこの世界特有のものではない。

 

 領国の人々が運ばれていく骨董品めいたオーラバトラーが街中を抜けていくのを囃し立てた。彼らの目に映っているのは、普段なかなか目にする事もない、オーラバトラーの外殻。

 

 オーラバトラーは兵器としての歴史は浅い。まだ三十年程度の兵装は、同時に式典においての特別な装飾品としての役割も含めていた。

 

「あれが、《ダンバイン》……」

 

 口々にコモン達が言いやったのは象徴的な青いオーラバトラーの外殻である。キマイ・ラグの口腔部を本来ならば加工し、顎の部分を戦士の様相に仕立て上げなければそれはオーラバトラー《ダンバイン》とは呼ばないのだが、今回は特別であった。

 

 炸薬による花火が上がり、今宵の祭典を引き立てる。

 

 街道を埋めるのは、オーラバトラーを模した骨格のみのものであった。

 

「オーラモデル、と我々は呼んでおります」

 

 そう、対面の高官が告げたのを聞いてギーマはテラスから覗く街灯を注視した。

 

「あれは、戦闘能力は?」

 

 高官は頭を振る。

 

「何も戦いだけがショット……、ショット・ウェポンのもたらしたものではないのです。彼の革命者は文明をもたらした」

 

「文明、ですか。フェラリオの世界とは相容れなさそうな……」

 

「文明は我々コモンにもあって然るべきです。ですが、根底の部分では、オーラを信奉し、フェラリオを恐れ、オーラの導きを信仰し続けてきた。失礼ながら、ゼスティアに信仰の自由は?」

 

「無論、領民にはそれなりの生活を確約しております。縛るだけが政ではありますまい」

 

「まったくもって。いい領主であると」

 

 どこまでもおべっかだとして、ここではっきりさせる必要もなし。ギーマはこの祭典を探りかねていた。

 

 オーラバトラー――三十年前にもたらされた災厄を人はこうして、信仰の対象に出来るのか。

 

「この祭りは……」

 

「オーラバトラーは最初から兵器の側面である、というのはバイストン・ウェル世界全土にもたらされた共通認識ではないのです。それはこのような形で人々に受け入れられた」

 

 目を凝らせば、オーラモデルとやらの造形はオーラバトラーのそれより随分と精巧である。強獣の部品がそのまま覗いている箇所もあり、どこか荒削りな印象も受けた。

 

「強獣の部品をそのまま使用しているのですね。ここいらでの狩猟行為は」

 

「解禁されて久しいものです。ですが、無暗に狩るべきでもないと。強獣には彼らの世界観があります。そこはコモンと分けるべきであると」

 

「さもありなん、ですね。強獣もバイストン・ウェルの生命だと」

 

「主義者であるつもりはありません。ですが、命を摘むのに、我々は慎重になるべきなのです」

 

 相手は三十年前の出来事を引き合いに出そうとしているのだろうか。その話題にギーマは切り出していた。

 

「浄化、ですか」

 

「フェラリオの長は汚らわしき地上界の者達を追放した。我らが同朋と共に。それがどのような悲劇を招いたのか、そらんじるまでもないでしょう」

 

「強獣も同じ、とするのはそのためですか」

 

「忘れないでもらいたいのは、強獣とて、コモンとて、バイストン・ウェルに生きるただの生命体でしかないのです。だからこういう催しが必要になる」

 

 花火が打ち上がり、夜空に極彩色の花を咲かせた。

 

 魂を慰撫するその瞬きに、ギーマはフェラリオの世界を幻視する。この世界の上層に存在するという、妖精の領域。全てのコモンが恐れるべき、上位存在。

 

「これは、バイストン・ウェルで死んでいく魂を……」

 

「慰め、そして彼らを還るべき場所へと還す。それが生きている者の務めでしょう。この世界を徘徊する亡霊になんてなってはならないのです」

 

 バイストン・ウェルを闊歩する亡霊。それを酔狂でも、ましてや何の意味もなく発したわけではないのだろう。

 

 相手はこちらがその亡霊と行き遭った事をある程度は知っているのかもしれない。あるいは、彼らも遭遇したか。

 

 異端狂戦士。この時代のバイストン・ウェルを食い潰す何か――。

 

 しかし、藪蛇を突けば不利なのは明白。どうあっても、こちらから有益な情報を与えるわけにはいかない。

 

「……亡霊とは穏やかではない」

 

「何も冗談ではないのです。《ダンバイン》……、聖戦士が何故、必要になるのか。勇者は何故、この世界に呼ばれなければならないのか」

 

「……悪を、排除するためですかな」

 

「その悪が、何も地上界の欲深い地上人だけでもありますまい」

 

 何を言わせたいのだ。ギーマは探りかねて、式典の装飾を煌めかせるオーラモデルを見やっていた。

 

 兜の形状は兵装と言うよりも芸術。キマイ・ラグの発達した口腔部がその精緻な芸術とは対比の様相を呈している。

 

 獣と人。それを融合させた華美。

 

「まるで、我々の歴史のようだ」

 

「強獣は元々、我らコモンからしてみれば、別種の世界を共にする生き物でした。それが混ざり合い……、あまつさえ兵器として利用出来る、などとしたのは地上人です」

 

「ですが、コモンも時間さえあれば編み出したかもしれません。遅くとも、それでも叡智には手が届く。それが人と言うものです」

 

 その言葉に相手が微笑む。

 

「まるでコモンの可能性を信じていらっしゃるようだ」

 

 事実、ギーマはコモン人であろうとも、オーラバトラーを生み出せたであろうという確信があった。地上人の持ち込んだ叡智が全ての元凶。何もかも、地上の人間のせいだというのはあまりにも責任を放棄している。

 

 コモン人でも、手の届く領域にオーラバトラーと言う価値はあった。

 

 そう思わなくては、自分のこれからも――。

 

「して、このオーラモデルの進軍はどうです? なかなかに壮観でしょう?」

 

 確かに芸術品がこうして夜の街を彩っているのだと思えば、見応えはある。その意味も、この領地での平穏を約束するものとして必要だろう。

 

 だが――。

 

「張りぼてですね」

 

 口にしたギーマに相手は眉を跳ね上げる。

 

「……今、何と?」

 

「張りぼてであると、申したのです。これでは意味がない。確かに、オーラモデル。なかなかに見ていて価値はあります。しかし、今の世の中、見ているだけでは意味がないのです。例えば……ここで急に敵国が進軍してくれば? オーラモデル……鳥籠のように精緻なあの張りぼてで、ではどうしますか? 手足もついていない、前時代的な戦車のようなもので、では戦えますか?」

 

「……戦えなくては価値がないとでも?」

 

「そこまでストイックではありませんとも。ですが、いざという時に刃を取れる。その心持ちはあるべきです」

 

「……同盟を結ぶのはやぶさかではありません。ですが、野蛮人の理論で戦に向かうのは、それこそ本末転倒なのではないでしょうか?」

 

 この国の当主はどうやらまだ日和見のようだ。いざという時の姿勢がまだ見えていない。それを外交問題に持ち出せるだけの胆力も持ち合わせていない。

 

「我々は何も、敵国とした相手にのみ銃口を向ければいい、という単純な帰結ではないのです。どのような国が敵になっても、それを蹴散らさなければならない」

 

「……蹴散らすとは、穏やかではない」

 

 相手は日和見だけでは飽き足らず、戦うための牙もそがれているか。そのような相手に、では戦えと、争えと教え込んでも仕方のない事。ここは一度、冷静に事態を俯瞰し、価値を問いただすべきだ。

 

「失礼、言葉が荒かったようです。ですが、専守防衛、その理念をこの国家が保っているのならば、それを実行すべき兵力は常に備蓄しておくべきかと。戦場を、常に想定して兵士は剣を研ぐべきです」

 

「……ゼスティア領は確かに、ジェム領との緊張関係で戦いを強いられているでしょう。その立場も、分からないでもありません。ですが、我々はこうして……オーラモデルを目にして平和を享受する。それでは、いけませんか? オーラモデルが我々の平和の象徴なのです。戦いの道具でしかないオーラバトラーが、ここまで芸術として成り立つ、それこそが、本当の平和ではないのでしょうか?」

 

「歩み寄りは必要でしょうね。ですが、戦いは常に傍にあるもの。戦の種はどこにでもあるのです。例えばそれは、分かり合えぬ相手であったり、同じものを競合する相手であったり、でしょう」

 

「……オーラモデルは理想形です。それを崩してまで、では平和を勝ち取るべきだと?」

 

「この国の政は、その国の、でしょう。他国の常識を当てはめて、ではそれが正しいというのも間違っている」

 

 痺れを切らしたのか、高官は強く声にしていた。

 

「我が方の防衛はこれで万全だと、言えば分らぬのか!」

 

 いきり立って声にした高官にギーマは諌めようとして、丘の向こうで赤い光が瞬いたのを視野に入れていた。

 

「……新手の花火でも?」

 

 目線で問いかけるが高官が頭を振る。

 

「いや……、あの方向に花火はないはず……」

 

「しかし、あれは炎の赤だ」

 

 では何が、と目を凝らしたところで、不意に暗く沈んだ景色が開いた。丘を越えた場所で開かれたのは血潮を想起させる赤い絶壁である。

 

 牙のように激しく開いたそこから、紫色の何かが這い出てきた。

 

「失礼を」

 

 双眼鏡を取り出し、その場所を注視する。何か、と見えた物体は四つ足を持ち、生き物であるのが窺えた。

 

「……まさか、強獣?」

 

「あり得ません! 強獣の巣からは千メットは離れているんです!」

 

 では、何が、と口をついて出る前に扉が荒々しく開かれる。駆け込んできたのはレイニーであった。

 

「レイニー……、君は」

 

「主様! 早くお逃げください! 地獄から、あれが……!」

 

 思いつめた様子の声音に高官が眼差しを振り向ける。

 

「地獄、だと……」

 

 ギーマは双眼鏡越しに確認出来るその物体を今一度視認し、高官へと指示を出していた。

 

「こちらに来ます。市民に退避を」

 

「退避? 冗談ではありません。あれがもし、他国からの侵略ならば、徹底抗戦をすべきでしょう!」

 

「……ですが、貴国には武力が」

 

「ないわけではありません。……繋げ」

 

 高官が懐から通信機を取り出す。ミシェルの持ち込んだ地上人のオーソドックスとは異なるものの、それが広域通信が可能なものだと一発でギーマは判じた。

 

『こちら航空班。ギシェルの丘の向こうから謎の物体を視認。攻撃許可を』

 

「爆撃を許可する」

 

 高官の迷いのない言葉にギーマは身震いした。

 

「……逸り過ぎでは……」

 

「ギーマ殿。先ほど、我が方の防衛力が地に堕ちたのだと、そのような言い草をされていたがここで撤回させていただく。我が国は防衛力では貴国を上回る」

 

 ほどなくして、丘へと無数の炸薬が撒かれた。爆撃が丘を吹き飛ばし、土石流が敵勢力を叩きのめす。

 

 岩石が爆ぜ、稲光の如き兵装が敵を滅多打ちにした。

 

「何と言う……」

 

 絶句するギーマに高官が鼻を鳴らす。

 

「如何です? これが我が国の力。同盟関係を結ぶのに、これほど分かりやすいものはないはず」

 

 確かに、この国を侮っていた。それは認めよう。だが、敵の正体も見ずに叩きのめすのは上策とは言えない。

 

「……送り狼を。敵の正体が見たい」

 

「どうせ、武力国家の尖兵でしょう。見るまでもない」

 

 そう、ギーマも思い込んでいた。所詮は国家同士の謀。わざわざ敵を観るまでもない話だと。

 

 だが、レイニーが――オーラを視る少女が危惧している。

 

 あれは危険なものだと。地獄、という言葉が今さらに思い返される。

 

「レイニー。地獄とは……」

 

「……その言葉通りです。あれは、地の底、海と大地を縫い止めたバイストン・ウェルの、忌むべき闇から生まれ出でた存在。あれは、否定してはならぬのです。否定すれば、より強い否定の力で、こちらを上回ってくる」

 

「より強い、否定の力……」

 

 刹那、丘の向こうで光が弾けた。赤い輝きが瞬く間に粘性を伴って流れ込んでくる。

 

 溶岩のようなそれと共に、紫色の生命体が街へと雪崩れ込んでくる。

 

「馬鹿な……。爆撃が通用しないだと……」

 

「……来ます。オーラバトラーを」

 

「ひ、必要ない! 我々には……」

 

「死にますよ」

 

 詰めた声に高官は眉を跳ねさせたのも一瞬、すぐさま声に調子を取り戻した。

 

「我らの防衛手段は、オーラバトラーに非ず! 騎兵! オーラモデルに乗り込め!」

 

 その号令で街中より鎧を身に纏った騎兵隊が張りぼてとしか思えなかったオーラモデルへと搭乗していく。

 

 球体の操縦席に乗り込んだかと思うと、なんと、オーラモデルが二足で立ち上がった。

 

 木造の山車で隠されていた部位が展開し、大型のオーラ・コンバータ―が解除される。

 

 そこから棚引いたのは可視化出来るほどの巨大なオーラの塊であった。

 

「オーラモデル……じゃない」

 

 張りぼてなどでは決してない。高官が声を張り上げる。

 

「オーラネフィリム! これこそが、オーラバトラーを超えし、巨兵!」

 

 三階建ての建物をゆうに超える巨躯を持つオーラネフィリムが街の各所に秘匿された武装を手にする。

 

 どうやらこの国家、街そのものが防衛都市としての役割を帯びているようだ。家の軒先の地下から巨大な剣が鞘に包まれて出現する。

 

「……侮っていましたな。まさか、このような守りがあるなど」

 

「なに、爆撃が効かなかった場合の保険ですよ。これは最後の最後に言おうと思っていたのですが、デモンストレーションにはちょうどいい」

 

 オーラネフィリムが丘の向こうから襲来する影へと剣を突きつけた。その体躯から打ち下ろされる威力は相当のはず。

 

 溶岩流に乗った一匹の紫色の生き物がその射程に入った。オーラネフィリムがオォンと吼え、一閃を浴びせかける。

 

 両断された生命体より青い血潮が舞い散った。それを目にした高官が叫ぶ。

 

「これが! 我が方の防衛力!」

 

 確かにギーマも舌を巻いていた。オーラバトラーを超える巨大な兵器が独力で開発されているなど。

 

 しかし、とギーマはレイニーがまだ震えているのを目にする。

 

 彼女の怯えはまだ去っていない。

 

「……あれは、死んだのか」

 

「死んだのか、ですと? 見れば分かるはず! 両断ですよ!」

 

 真っ二つに切り裂かれた生命体を、オーラネフィリムが観察する。その腕を伸ばした瞬間、内側から何かが跳ね上がった。

 

 オーラネフィリムの腕へと吸い付いたのは小さな牙である。何が、と思う前にその牙が膨れ上がり、オーラネフィリムの腕を喰らい尽くした。肩口から溶け落ちたオーラネフィリムがまるで人がそうするかのように息をつく。

 

 次いだ剣を払う前に、両断されたはずの生命体が再生した。鮮やかなまでの自己再生にギーマは目を瞠る。

 

「地力で再生……、それも並大抵の速度ではない、あんなものが……」

 

「あれが……、何だと言うんだ! オーラネフィリム!」

 

 残存するオーラネフィリムが再生した敵を滅多打ちにする。どこまでも残酷に、どこまでも冷酷に。その暴力はどこまでも、人の領分を超えた代物であった。

 

 潰し、叩き、引き裂き、打ちのめす。それらが何度実行されただろう。

 

 既に原型も留めぬほどに破壊された生命体より、無数の牙が放射される。その牙がオーラネフィリムへと吸着し、その機体から血潮を奪った。

 

 球体のコックピットに保護されたパイロット達を射抜き、その命を奪い取っていく。

 

 有り様に、ギーマは身を震わせた。

 

「これが……、こんなものが……」

 

 あっていいのか。否、――あるはずがない。

 

 再び、修復を果たした紫色の生命体がか細く鳴く。それが丘の上から溶岩流に乗ってやってくる無数の同じ生命体の声と相乗した。

 

「逃げなければ!」

 

 レイニーの言葉にギーマはハッとする。

 

 逃げる? だが、こんなどん詰まりでどうやって?

 

 硬直した身体をレイニーが必死に引く。

 

「主様! ここで死ぬのは貴方のオーラにもとります! 逃げるのです!」

 

「し、しかし……」

 

 同盟は、と口にしかけてそれどころではない事を実感する。視界の先には、地を埋め尽くさんばかりの紫色の異形が。

 

 オーラネフィリムが屹立し、それを阻もうとする。

 

 高官が手を払った。

 

「殺せ!」

 

 オーラネフィリムがオーラバトラーの用いるそれよりも遥かに長大なオーラショットを構える。

 

 火縄銃の形状を模したそれに点火され、一斉掃射が紫色の群れを撃ち抜いた。だが、全く勢いは殺される事もない。

 

 それどころか死者の雪崩れはより一層、街を飲み込んでいく。

 

「逃げると言ったって……」

 

 どうやって? どうすればこの死者の手から逃れられる?

 

 ギーマが目にしたのはレイニーを止めようとした憲兵の持つ通信機であった。駆け寄り、通信機を引っ手繰る。

 

「何を!」

 

「無理は承知!」

 

 通信機にギーマは声を吹き込んでいた。

 

「敵陣が街に進軍している! オーラネフィリムは絶対に敵を通すな。何があっても街の南側だけは死守せよ! 国家の威信をかけて」

 

 こう命令すれば、軍人がどう動くのか。それくらいは自分でも知っている。国の頭目を守るために、軍人達は躍起になる。それこそ、死に物狂いで、彼らは戦うであろう。その戦いに敬意を表する時間はなくとも、逃げる時間は稼げる。

 

 ギーマはレイニーの手を引いて部屋から逃げ出そうとしていた。

 

 その足元へと銃弾が放たれる。

 

「逃げようと言うのですか! ゼスティアの若き頭目よ!」

 

「……せっかくですがこの国と運命を共にする気はない」

 

「同盟を! 破棄するとでも?」

 

 喚き散らした高官にギーマは冷徹に告げていた。

 

「……ここで潰える運命ならば」

 

「笑わせる! 青いんだよ、ガキが!」

 

 銃口がギーマへと向けられた刹那、窓辺から高官を打ち抜いたのは紫色の生物が発した粘性のある器官であった。

 

「これは……舌、か……」

 

 確かめる術もなく、今はただここで生き残った運を持て余すのみ。ギーマは駆け出したその時には、レイニーが声にしていた。

 

「下層にユニコンが! それに乗れば……!」

 

「この国から逃げ切れる……か。しかし、あれは一体何なのだ! オーラバトラーを超える武装でも全く勝てないなんて……」

 

「あれは、地獄人です」

 

 どこかその言葉だけは冷静に発せられたのを聞いて、ギーマは疑念を新たにする。

 

「……後で詳しく聞こう」

 

 レイニーにはあれが既に視えていたのだろうか。視えていたのならば、逃れる術も分かっていたはずだ。

 

 それとも、これさえも王になるための試練だとでも言うのか。

 

 オーラネフィリムが足音を立てて進軍していく。巨大な剣と銃器で武装した巨体でも、機体装甲を這い登る地獄の使者には全く通用しないらしい。一機、また一機と蝕まれ、墜ちていく。

 

 ユニコンの手綱は幸いにして繋がれており、ギーマはすぐに鞭を取った。

 

 弾かれたようにユニコンが駆け出す。

 

 滅びる国を背に、ギーマは口走っていた。

 

「……犠牲だとは思わんぞ」

 

 充分な距離が取れたと認識出来たのはそれより千メットは離れてからだろうか。

 

 地獄の雪崩れも、死者の群れも全くの無縁と思える草原に至ってようやく、であった。

 

 息が上がっている。ユニコンの馬車に備え付けられている水筒に入った水を呷った。馬車に乗り込んだレイニーは顔を俯けている。

 

 その伏し目にギーマは苦々しげに言ってのけた。

 

「……知っていたのか」

 

 レイニーはぎゅっと拳を膝の上で握り締める。無言の肯定にギーマは問いを重ねた。

 

「……どうして」

 

「あれの出現は、予期出来ても言ってはならぬのです。その掟を、破るわけにはいきません」

 

「……仲間か」

 

「違います!」

 

 それだけは、という必死の形相に、ギーマは二の句を容易く継げなかった。

 

 僅かな沈黙の後、レイニーは口にする。

 

「違います……」

 

「では、あれは何なんだ。それだけは教えて欲しい」

 

「……地獄人。主様は、地獄、をご存知で?」

 

「……そういう知識が地上界にあるのは知っているが、このバイストン・ウェルには当てはまらないと」

 

「地獄は、どこにでもございます。人が生きている限り、どこにでも。このバイストン・ウェルで、オーラの高い者が大量に死んだ時、それは現れるのです。反転現象とも、呼ばれています」

 

「反転……、あれはオーラバトラーなのか?」

 

「オーラビーストと、伝え聞いています。オーラバトラーとは似て非なる存在。あれを動かすのは叡智の動力ではなく、ただの怨嗟」

 

「……そのようなもの、眉唾だと切り捨てられる」

 

「ですが、目にすれば変わるでしょう。あれは存在するのです」

 

 確かに、あの国を一夜にして滅ぼしたのは紫色のあの生命体。だが、地獄――、そしてオーラビーストだと。

 

「……そのようなもの、信じられるわけが……」

 

「主様は地獄に近いものを持っていらっしゃいます。あれはその性質に引き寄せられた」

 

 その言葉にギーマは息を呑む。

 

「まさか……。フェラリオの王冠か?」

 

 レイニーは首肯する。ギーマは額に手をやっていた。ここに来て、どうしてフェラリオの王冠が自分を害する?

 

 あれは確かに呪われたものであった。だが、呪いなど前時代的だ。全て、自分の世代で変えるのだ、と息巻いてきた。

 

 ゆえにこそ、信じ難い。呪いは実在した。そして、自分を追ってくる。どこまでも執念深く。

 

 それを止める流れが、どこにあるというのだろう。

 

「……王冠を捨てるしかないのか」

 

「いえ、その必要はありません」

 

 レイニーの言葉にギーマは腰から提げた剣をその首筋へと突きつける。見えていなくともオーラで分かるはずだ。この殺気を。

 

「……辻占の町娘。ここで首を刈ってもいい」

 

「殺しても構いません。ですが、見えるのです。暗黒城を率いる貴方のお姿、なんて麗しい……。ゆえにこそ、死んで欲しくないのです」

 

「ならば! オーラビーストとやらの襲来を防げたはずだ!」

 

「あれとこの眼は繋がっております。下手をすれば、相手に上を行かれる心配があった」

 

「よく舌が回るものだな。ある事ない事、吹聴するのは楽しいか!」

 

「信じたのは貴方です」

 

「ならば、信に値しないと断じるのもわたしだ!」

 

 剣を振るい上げかけたギーマは風圧を感じた。振り仰いだ先にいたのは青いオーラバトラーである。

 

「《ビランビー》……。どこの所属の……」

 

『大丈夫ですか! そこの旅のお方!』

 

「……女の声」

 

 思わぬパイロットの声にギーマは瞠目する。《ビランビー》が翅の振動数を下げ、緩やかに着地した。どうやらよく見れば改造機のようで、純然たる《ビランビー》とは少し違う。

 

 コックピットより這い出たパイロットはスーツに身を包んだ小柄な少女であった。

 

「……また女か」

 

「騒ぎを聞いて駆けつけました。その身なり……、国家領主レベルかと存じます」

 

 礼節はあるようだ。ギーマは敬礼した相手に返礼する。

 

「貴君は……」

 

「紹介が遅れましたね。私はアの国より派遣されたパイロットです。名前を、リリディア。少尉階級です」

 

「アの国……。面妖な。滅びた国の名を騙るか」

 

「騙っているわけではありません。アの国は再興の時を待ち、散り散りになった兵士達はその国土再生計画のため、こうして見回っているのです。……近辺で地獄人の存在を確認いたしました。ゆえに、逃げ遅れた民草もいるのでは、と我々は警戒しているのです」

 

 地獄人の事を知っている。それだけで情報源としてはそれなりに重宝出来るとギーマは判断した。

 

「その方、リリディア少尉と言ったか。オーラバトラー乗りにしては、随分と華奢な……」

 

「ショット博士の技術です。オーラ増幅器を積んでおりますゆえ」

 

 話には何度か上がった事があった。アの国にはオーラを増幅させ、コモンでも地上人と対等に戦う術が確立されていたと。

 

 まさか、それを目の当たりにするとは思っても見ない。

 

「しかし……いまどき、《ビランビー》とは」

 

「可笑しいですか?」

 

「面妖なだけだ」

 

「どうとでも。こちらこそ、草原のど真ん中で淑女に剣を突きつけている御仁は奇妙に映る」

 

 切っ先を下げ、ギーマはレイニーを睨む。まさかこの展開まで読んでいたのか。

 

 彼女は瞼を閉ざしたまま、微動だにしない。

 

「これより、東方の国へと出向きます。あなた方はそこから?」

 

「ああ、命からがら逃げてきた。外交の途中でね」

 

「それは、災難でしたね。ですが、私達も一度、地獄人の惨状は見ておかなくてはいけないのです。とんぼ返りになりますが……」

 

 リリディアのこちらを慮った声にギーマは首肯していた。

 

「構わない。こちらとしてもあの状況は反芻しておきたい」

 

 何が起こったのか。何故、オーラネフィリムなる兵器でも全く通用しなかったのか。一度検証せねば、その本質を見極められないだろう。

 

 それはレイニーの知見も含めて、であった。

 

 彼女はオーラビーストを知っていた。それはつまり、一度あれに遭遇しているという事だ。

 

 しかし、紫色の生物が土石流のように迫ってきたあの災厄としか言いようのない状況から生き延びたとなれば、それは相当な強運か。あるいは不幸なだけである。

 

 リリディアの《ビランビー》が先行する形で、ユニコンに鞭を打った。駆け出した馬車が草原の来た道を辿る。

 

 滑空するオーラバトラーより高音の警笛が鳴らされた。恐らくその言を信じるのならば、仲間を呼びつけたのだろう。

 

「……しかし、アの国の忘れ形見か。それは如何様な……」

 

 この事態の究明もそうであったが、今は転がっていく状況に翻弄されるほかなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十六話 孤独戦士

 剣で打てば分かる、と言い放った自分に対し、怪訝そうな眼を向けてくるものは少なくなかった。

 

 如何に聖戦士とおだてられようとも、その力ではさすがに負けるであろう、と予感されていた勝負に勝った自分を見る、領国の兵士達の眼差しには奇異なるものが混じっている。

 

 言い方を選べば、敵国の枢軸に口を割らせる事が出来た実力者。悪く言えば、力押しで無理やりこの状況を打開したただの厄介者。

 

 加えて《ソニドリ》の件もある。彼らが全幅の信頼を置くのは難しいだろう。

 

「こっちだ」

 

 促したランラは牢獄の手前に即席で作られた作戦指示室の扉を開ける。牢屋と直接繋がる形で、手錠をかけられたグランが歩み出ていた。

 

 その眼に映る自分はどのような存在なのだろう、とエムロードは勘繰る眼を向ける。

 

 彼に勝ってみせた。その一面だけで言えば戦士のそれ。しかし、グランは容易く心を開くとも思えない。当然、自国の情報など。

 

「グラン中佐。貴様は剣に誓ったな? 負ければそれなりの譲歩はすると」

 

 

「ああ。誓ったとも。儂はジェム領の戦士。嘘は言わん」

 

「では、貴国の……、騎士団について語ってもらおう」

 

 ランラが話題を選んでくれて助かった。自分ではその話はどうしても避けたいからである。

 

 グランが自分を見やる。試すような視線だ。

 

「……地上人の軍隊と聞いている」

 

「軍隊と言うのは少し違う。あれは正規軍ではないのだからな」

 

「しかし、一端の兵に思えた。特に、あの黒いオーラバトラー……」

 

「《キヌバネ》、か。あれは国の酔狂な連中が作り上げた、地上人の力を増幅させる代物らしい。そういえば、白いオーラバトラーとよく似ている」

 

 勘繰る相手を見据えたグランにランラが制する。

 

「質問をしているのはこちらだ」

 

「《キヌバネ》とやらの性能を知りたい」

 

「知ってどうする? 知れば勝てるか?」

 

「少なくとも負けはしない」

 

 ランラの強気にグランは鼻を鳴らして嘲笑した。

 

「そうかい、そうとも言えるな。……だが侮るな。あれはそのような簡単なものではないのだ。ザフィール騎士団長。あれの性能は儂でもはかり切れん」

 

 ザフィール。蒼の事だ、とエムロードは緊張する。

 

「地上人が呼び出された時期を知りたい。何年前か」

 

「何年も前ではない。半年ほどか」

 

 この世界でも半年なのだ、と実感すると共に、たった半年で、とエムロードは感嘆する。

 

 たった半年程度で、相手は国家の中枢に自身を据えた。その実力は余りあるはず。

 

「地上人の総数は?」

 

「それはこちらでも分からん。どうにも……、読めん筋でな」

 

「読めない、だと? 貴様はジェム領の中佐階級のはずだ」

 

 ランラの物言いにグランは肩を竦める。

 

「軍人の地位は堕ちて久しい。しかも、相手は地上人だ。腕力でも勝てんさ」

 

 この屈強なる軍人、豪腕なるこの男でさえも、腕力でも勝てないと言わしめる。それがコモンと地上人の間に降り立った差そのものなのだろう。

 

「では話を変えよう。グラン中佐、どうしてジェム領国は地上人を召喚した?」

 

「フェラリオにでも聞くといい」

 

「……そうでもしたいが、こちらにも余裕はなくてね。それに、そちらのフェラリオの都合とこちらでは違うかもしれない」

 

 何を問い質そうと言うのだろう。ランラの言葉はどこか慎重であった。グランはそれを受けてか、言葉を選ぶ。

 

「……こちらも、フェラリオに関しては万全とはいかなくてね。儂の部隊に与えられる情報と、国家の政の地位が持っている情報は違う」

 

「国家直属の名高い、グラン中佐でも、か」

 

「儂でも、だ」

 

 目線を交し合ったランラはそこで話題を打ち切った。

 

「また来よう。エムロード、今は無理だ」

 

「で、でも……情報は……」

 

「急いては事を仕損じる。今は、待つべきだな」

 

 ランラが身を翻したその時、グランは口を開いていた。

 

「――しかし、その地上人。強かったな」

 

 先ほどの戦闘は見られていたはずもないのに、エムロードはオーラの暴走を言い当てられた気がして硬直する。ランラはそれに返していた。

 

「地上人の強さは折り紙つきだ。それはどこの国でも、だろう」

 

「そうだな。そうであった」

 

 牢獄から地上に出る階段で、ランラは不意に言葉を投げる。

 

「……剣で打ち勝ったのは案外、有効だったのかもしれないな」

 

 一瞬、自分が賞賛されたのだと理解出来なかった。エムロードは愚直に聞き返す。

 

「それは、どういう……」

 

「ああいう手合いは、一番に実力差を重んじる。それが相手との埋めようのない差であったとしても、だ。戦いに必要なものを知っている眼をしている」

 

 その評価にエムロードは目を伏せた。

 

「……ボクは、結局……」

 

「言うな。言わないほうがいい。言えば己を縛る鎖となる」

 

 今は、遠ざけたほうがいいのだろうか。オーラの暴走、それによる敵機への思わぬ攻撃を。

 

 そして、あの時の蒼からかけられた言葉を。

 

「オーラの暗黒面……。堕ちるのならば……」

 

 そこまでの価値だと言い捨てられた。ならば、とエムロードは拳を握り締める。

 

 ――強くなりたい。誰よりも、何よりも強く。全ての不安から、自分を解き放つべく、本当の強さが。

 

 それさえ手に入れば、何も迷わなくっていいはずなのだ。それさえ、あれば……。

 

「ランラ。また剣の鍛錬を」

 

「オレはこれでも病み上がりだが」

 

 そうであった。ランラは重篤なのに自分の役目を果たしている。恥じ入ったエムロードへと、ランラは肩に手を置いた。

 

「だが、一秒でも早く強くなりたいという意思は伝わった。通常の打ち合いよりかは浅いが、それでいいのならば」

 

 エムロードは面を上げて頷く。

 

「お願い……します。ボクは、もっと強くなりたい……!」

 

 それがどれほどの修羅の道でも。

 

 今は、それでいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 城の窓から牢屋へと繋がる道で、歩みを止めた二人を目にして、ミシェルは瞼を閉じていた。

 

 どうして、自分は勝てない? どうして、自分は同じ地上人なのに、二人には遠く及ばないのだ。

 

 何が原因だ。何が、二人と根本的に違う。

 

 視線を掌に落としていると、声をかけられた。

 

「ミシェル……」

 

 どこか物怖じ気味なアンバーに、ミシェルはにこやかに応じていた。

 

「どうしたの?」

 

「いや……、ミシェルこそ。何だか、沈んでいるみたいだから」

 

「沈んでいる? 私が? それはないわ。私はギーマに代わって今、このゼスティア城の代表なのよ? 参っていられるわけないじゃない」

 

「それは……、そうなのかもしれないけれど。でも、理屈と本質は、全然違うよ……」

 

 理屈と本質、か。この少女は時折、全てを見透かしてくる。

 

 隠し立てするのも限界、とミシェルは窓の外を顎でしゃくる。ランラとエムロードが草原へと出向こうとしていた。

 

「強いわね。あんな事があった後でも、まだ強くなりたいなんて」

 

「……ミシェルは、でも、もっと強いんでしょう?」

 

「見せかけよ。この数日間で分かったでしょう? あなた達のほうがよっぽど強い。私は……、ただここに来たのが少し早かっただけ。そんなの、大した差にならないんだって」

 

 そう、ちょっとだけ早く、このバイストン・ウェルに呼ばれただけなのだ。ただそれだけの瑣末な違い。そんなもの、意味を持たないのだとはっきり分からされた。

 

 アンバーは言葉を選びかねていたようであったが、ミシェルは頭を振った。

 

「駄目ね。……どう考えても、嫌なほうへと考えちゃう。そういうつもりでもないのに。……ねぇ、よければ聞かせてくれる? あなた達は地上……、いいえ。現実世界ではどういう生活をしていたの?」

 

「どういう、って……。ただの女子中学生だよ。少し……変わった事はあったかもしれないけれど、でも、それでも多分、大多数の……、ただの人間だったと思う」

 

「どういうスクール時代を送ったの?」

 

「そんなの、それこそ取りとめもない……、放課後にアイス買ってぐだぐだ話したり、適当なところでぶらついたり……、本当に取り留めない……」

 

「そう。……羨ましいわね」

 

「羨ましい? でもミシェルだって、そう歳は変わらない……」

 

「私はね、粋がってはいるけれど、紛争国で生まれたのよ」

 

 思わぬ過去だったのだろう。アンバーが息を呑んだのが伝わった。ミシェルは自分の経歴を、それこそ取り留めもないように語る。

 

「五歳の時にクリスマスプレゼントの代わりに銃を渡されて……、それでずっと。銃弾をかわす日々のほうが、多分長かったかな。つい三年前に、紛争が終わって。私は米国に引き取られた。米国では、ちょっとばかし平和が見られたけれど、でもそれだって仮初めよ」

 

「……仮初め」

 

「そうでしょ? だって、人殺しを知った人間は、知らなかった頃には絶対に戻れないのよ? アンバー、あなただって同じ。戦いを知れば、知らなかった頃には決して戻れない。時計の針は進み始めれば、それは無情なのよ。その無情さに、人は抗う事さえも許されない」

 

 それほどまでに時間は残酷だ。そして強さも。人間としての強さだって、残酷に時と共に過ぎる。

 

 エムロードがこのバイストン・ウェルで居場所を決めるのならば、そこに自分は同時に立っていないだろう。その予感だけは確固としてあった。

 

 聖戦士は、二人も三人も要らないのだ。

 

「ミシェル。でも、だからって、バイストン・ウェルは……」

 

「なかった事には出来ない。覚えておきなさい、アンバー。ここで起こった事が、たとえ夢幻、それこそ、ファンタジーだったとしても、それはなかった事には出来ないのよ。摘んだ命は、地上と同じ……いいえ、それ以上に重いかもね。だって、同じ世界で同じ人間が殺し合うのならばまだしも、私達は特例。特例で人殺しを許されている。特例で、別の世界の人間を殺しているのよ。それって多分、もっと罪深い」

 

 地上で人殺しをしているほうがよっぽど救いはあったかもしれない。ここには十字もなければ、救済者もいない。

 

 祈るべき神のいない世界に、どこまでも汚くあれる人は、如何にずるいのか。そのような事を、アンバーに押し付けたかったわけでもない。

 

 だが、彼女達と自分は違うのだと再認識しただけ。

 

 在り方だけではない。世界への希望のスタンスが違う。この世の中に、どこまで希望を抱けているのか。

 

 それが全く、と言っていいほど、異なっていた。異なり過ぎていた。

 

 だから、分かり合えない。だから、こうして、すれ違う。

 

 ミシェルは歩み出していた。アンバーの脇を通り抜ける。

 

「あなた達と私は、多分絶対に交わらなかった線なんでしょう。こんな場所で、交わってしまったけれど、でもそれだって多分、運命の気紛れ」

 

 気紛れで交差した運命は、きっと同じくらいの気紛れさで異なってしまう。

 

 アンバーは自分の背中に何か言おうとして、それでも言えないようであった。

 

 ――いいとも。独りは慣れている。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十七話 ワンデイ・リメインズ

『オーラバリア増大』

 

 その報に、汗ばんだパイロットスーツへと、風を入れようとして、逆に気密をきつくしていた。ヘッドアップディスプレイの上官が微笑む。

 

『……ラフに行けよ。前線で気負えば死を招く』

 

「はい。レイリィ少佐」

 

 返して、操縦桿を握り締め、機体を前進させていた。粉塵の向こう側から現れたのは、この世界とは異なる理で生まれ出でた獣。強獣――ガッター。

 

 バイストン・ウェルでは慣れ親しんだ獣であったが、この地上界に出る影響でその存在が歪むのだと聞かされていた。

 

 ゆえに、眼前の強獣は、バイストン・ウェルで一般的に狩られる強さではないのだと判断すべきだろう。

 

 歩兵を蹴散らし、ガッターが吼え立てる。

 

 丹田に力を込め、フットペダルを踏み込んだ。

 

「メタルトルーパー、《アグニ》。強襲します!」

 

《アグニ》が黄色の眼窩を煌かせ、脊髄から伸長した腕をガッターへと突き出す。掌の中央部に埋め込まれた連装バルカンが火を噴き、ガッターを押し返した。

 

『効いているぞ!』

 

 兵士達の昂揚に、《アグニ》をあまり前に出し過ぎないよう、留意する。逸れば死を招く。そう教え込まれたばかりではないか。

 

《アグニ》を中距離に置いて、もう片方の腕に装備されたガトリング砲を照準する。

 

 敵影は焚かれたスモークの中にあった。蠢く影に向けて、ガトリングの銃弾が撃ち込まれる。

 

 ガッターの悲鳴が夜を劈いた。甲高いその咆哮に《アグニ》を押し留めつつ、戦意を高める。

 

《アグニ》は、その設計思想からどうにも敵――つまり強獣の敵意に強く影響を受けると聞かされている。あまりにも敵に至近距離で戦闘を挑めば何が起こるか分からないとも。

 

 中距離による銃撃戦。それなりの効果はあったはず、とスモークが晴れた箇所を注視した時、不意にガッターの肩口から何かが膨れ上がった。

 

 ガッターより肉腫が生まれ、それが形状を成そうとしているのだ。ガッターが蹲り、新たに生まれ出でた何かが蠢動する。

 

『……まさか、第二変異か』

 

「第二変異……。何が……」

 

 来るというのか。その言葉を紡ぐ前に、弾けた肉腫から黄色い血潮が舞い上がった。ガッターより生まれ出でた新たなる強獣が口腔部を開き、空へと吼える。

 

「キマイ・ラグか」

 

 それほど珍しい強獣ではない。だが、殊にバイストン・ウェルにおいて、その独自性は群を抜いている。

 

 キマイ・ラグ――、オーラバトラーの骨子となる強獣。

 

 バイストン・ウェルでは乱獲による激減が心配されていたな、という考えが脳裏を過ぎったのも一瞬。甲殻に身を包んだ人型に近いキマイ・ラグは瞬間的に《アグニ》との距離を詰めてきた。

 

 まさか、至近距離で、と思わぬ敵の動きに《アグニ》がうろたえてしまう。ガトリング砲をその怪力で押さえ込もうとしたキマイ・ラグに新たな武装を発動させる。

 

「この!」

 

 腹腔のパネルが裏返り、ワイヤーを射出させた。キマイ・ラグの肉体に命中した部位から電撃が迸り、敵を痺れさせる。

 

 そのままこちらの膂力に任せてキマイ・ラグを押し倒した。

 

 蠢く敵の心臓部を狙い、右腕をすり鉢状に変形させる。高速回転に至った右手がドリルとなってキマイ・ラグの心臓を射抜いた。

 

 敵が痙攣し、そのまま息絶える。

 

 三十秒ほど、沈黙が降り立っていたが、やがて米兵から勝ち鬨の声が上がった。彼らの歓声を受けつつ《アグニ》が振り返る。

 

『よくやってくれた。イリオン君』

 

 その言葉にイリオンはヘルメットを脱いでいた。

 

「いえ。《アグニ》を動かせるのは、僕だけみたいですから」

 

『頼もしいな。二週間前まで怯えていたとは思えない』

 

 イリオンは微笑み、サムズアップを寄越す。相手もそれに応じていた。

 

「レイリィ少佐。それは言わない約束でしょう?」

 

『そうだったな。基地に戻って欲しい。上官より報告があるとの事だ』

 

 返礼し、イリオンは声にしていた。

 

「了解。ディ・イリオン。帰投します」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「キマイ・ラグ、か。現れる強獣のランクも上がってきたな」

 

 そうこぼす直属の上官に、レイリィは返していた。

 

「オーラバリアも今までにない数値です。通常兵器はまるで役に立たない」

 

「ゆえにこそ、《アグニ》が前に出るべきなのだ。メタルトルーパー……、それも適性者ならば意味があるというもの」

 

 しかし、とレイリィは苦味を噛み締めていた。

 

「……たった一人なんて」

 

「一人でも、いたという事が奇跡なのだ。オーラを持たぬ人間。《アグニ》への適性がある者など」

 

 いないと思われていた。この地上界では、《アグニ》を乗りこなせる人員などどこにもいないと、もう見切りをつけられていた矢先であった。

 

 イリオン――、あの子供に出会ったのは。

 

「ですが、一応は民間人という措置を取ったほうが……」

 

「あれが禁猟区に現れた時点で、もう無関係ではないとも。それに……結局のところ、どうなのだ? 彼、なのか?」

 

「それは何とも……」

 

 頭を振ったこちらに上官は鼻を鳴らす。

 

「……まぁ、乗ってくれるのならばどちらでもいい。彼でも彼女でも」

 

「しかし今のところ、同意を得て、搭乗してもらっている状態でして」

 

「民間人を軍属に、というのは? 前例がないためか?」

 

「……手続き上に不備が生じます」

 

 レイリィの声音に上官は操作パネルへと手を伸ばしていた。今回の強獣、ガッターとキマイ・ラグのデータを精査する。

 

「興味深いな。元々、強獣が現れやすい区域であった。この港町は。だからこそ、我が米軍が三十年も前より、それを予見し、ここに基地を作った。それが役立ったのはこの二年程度であったがね。予算食いだと、何度も罵られたクチだ」

 

 微笑んだ上官はもうそのような侮辱を受けずに済む、と安心しているようであった。

 

「ですが、目下のところ不明なままなのです。どうして強獣はここに現れるのか。どうして、バイストン・ウェルとここが繋がってしまっているのか。その答えは、誰も……」

 

「それに関しては専門職を呼んでおいた。今日付けで着任する。目を通しておきたまえ」

 

 手渡された端末に表示された情報に、レイリィは目を見開く。

 

「……どうして、次から次へと」

 

「本国も若い力に期待しているのだろう。イリオン君には近々、勲章も与えられる予定らしい」

 

「彼は軍人ではありません」

 

「軍人ではない、という逃げ口上をいつまでも繋ぎ通せるものでもないのだ。二週間で三度の襲来。その三回とも、メタルトルーパー《アグニ》が撃退せしめたとなれば、その実績を買わないのは逆に不審となる」

 

「……ですが彼は来訪者です」

 

「バイストン・ウェルの、かね? それも、どこまで信頼に置くべきかな」

 

「どちらでもないのが、その証明かと」

 

 その言葉に上官はコンソール上に表示されたイリオンの情報を読み取る。

 

「身体検査の結果、完全にコモン人である、という結果が出たものの、それ以外はまるで一切が不明。現在科学では解明出来ないと言うのか。バイストン・ウェルの、妖精の叡智は……」

 

「彼は被害者でもある」

 

「だが加害者でもあるのだろう。強獣を撃退出来るのは彼だけだ。《アグニ》だけが、我々の希望なのだ」

 

「そもそも強獣は何故、ここに現れるのか。その事実究明こそが、急がれるのでは?」

 

「……我々が言い争っていても、それは意味を成さんよ」

 

 全て、この人物に任せるというのか。レイリィは端末を目にし、そこに映し出されている金髪の少女の名を紡いでいた。

 

「……ミシェル・ザウ。この時代の天才、か」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十八話 ファインド・ザリアル

 よぉ、イリオン、と呼ばれる事が多くなった気がする。

 

 最初のほうこそ、《アグニ》に乗れるだけで気味悪がっていた整備士達も、今はほとんど打ち解けていた。

 

「あんなもの、よく立ち向かえたな」

 

 背の高い紳士然とした白衣の男性は、《アグニ》にこびりついた黄色の血潮を素手で触っている。

 

「危ないですよ」

 

「分かっているとも。だがね、ガッターや今回のキマイ・ラグ、そのような生物の血は……、知っているかい? とっても冷たいんだ。まるで最初から、死んでいるかのように」

 

「強獣研究ですか?」

 

 囃し立てられた彼はふふんと鼻を鳴らす。

 

「先駆者と呼んでくれ」

 

「変わり者でしょう」

 

「……失敬だな。して、今回も無理をしたな。《アグニ》はただでさえデリケートなんだ。レディを扱うように繊細にしたまえ」

 

「そういう経験なくって」

 

「ないのならば想像だよ、想像。それだけが人間に与えられた、神の叡智だ」

 

 こめかみをペンで突いた彼に、イリオンはパイロットスーツに風を入れていた。密着したパイロットスーツはそれだけで蒸してくる。

 

「デックさん」

 

「うん? 何かね、イリオン君」

 

 彼は乱暴に書類に書きつけつつ、こちらへと耳を傾ける。

 

「強獣は……、何度も言いましたがバイストン・ウェルではあんなに凶暴でも、ましてやそこまで強くもないはずなんです。だって言うのに、こっちじゃまるで一大事みたいになってしまう」

 

「実際に一大事だがね」

 

「でも、だったら捕まえれば? ……わざわざ貴重なサンプルを毎回殺すって言うのは……」

 

「あれが放たれれば地上界は混沌に帰る。試算上、ガッタークラスの強獣を完全に無効化するのに必要な火薬や軍備と、《アグニ》一機の整備バランスとでは確実にこちらが勝る。それにオーラバリアだって突破口が完全に見つかったわけじゃない」

 

 オーラバリア。こちら側で聞かされた、バイストン・ウェルの生物の特権とも呼べる現象である。

 

 バイストン・ウェルの兵器、そして生物は漏れなくオーラバリアを纏っており、それは通常の火器では決して破れない聖域なのだと言う。自分からしてみれば、バイストン・ウェルの生物にそこまでの頑強さがあるとは思っていないだけに、事の重大さは伝わってこないが。

 

「《アグニ》だけだって言うんでしょう? それもどうなのかな……」

 

「オーラを持たない人間だけが唯一動かせる真なる兵器。喜べ、少年。君の相棒は人類を救う」

 

《アグニ》を仰ぎ見る。ガッターを思わせるどこか前のめりな姿勢。背骨部分より前に伸びた両腕と短い脚。頭ばっかりが重々しく項垂れており、黄色い巨大な眼窩はまさしく異形と呼ぶに相応しい。

 

 異形を狩るための異形。魔を討つための魔。

 

 白銀の装甲を持つ《アグニ》にはそこらかしこに軍人達の寄せ書きが散見された。「本国の希望!」だの、中には会えない恋人への恋文まである始末。

 

 それほどまでにこの地上界の軍人達は、《アグニ》に希望を見ている。だが当の自分としては、こんなもので何かが変わるのかは眉唾物であった。

 

 白銀の怪物。強獣を模した兵器。バイストン・ウェルのオーラバトラーに代わる存在。

 

「実際、何でオーラバトラーを造らないんですか? あんなもの、強獣の装甲を繋ぎ合わせれば……」

 

「理論上可能なのと、実際に可能なのは違うんだ。いつも言っているだろう? 人は忌避する生き物だ。時に、それは敵対者であったり、ある意味では兵器そのものでもある。だが、その忌避の度合いは違う。時代によって、あるいはそれは為政者の気紛れで。そういうものが蔓延しているのが、この地上界なんだよ」

 

「分からないな……」

 

「分からなくっていい。無理に分かる必要もね」

 

 頬杖を突いていると、不意に携行食糧を手渡された。チーズ味、と書かれたそれをイリオンは引っ手繰って頬張る。

 

「……慣れたのはその食料だけかい?」

 

「……これだけが、何だか気分が悪くならないんですよ」

 

 他の食事は全部駄目であった。これと、コーヒーや水だけだ。この世界の肉や野菜は全く身体に合わないらしい。

 

「困り者だな。自分の身体のメンテナンスもしてやらなければならないなんて」

 

「《アグニ》のメンテナンスは頼っていますよ」

 

「任された仕事だ。存分にやろうとも。そう言えば、レイリィ少佐の姿が見えないな」

 

「少佐はお忙しいんですよ。だから、ここまでは来ない」

 

「と言って、期待しているんだろう」

 

 肘で小突かれてイリオンはむっと眉根を寄せた。

 

「……怒りますよ」

 

「からかい甲斐がある! 君はまだまだ分かりやすい」

 

「分かりやすい、ですか。それっていい事なんですかね」

 

「分かりにくく感情を隠すよりかはずっと。……おい、そこの! 《アグニ》の脊柱に重量を降ろす時は慎重にって言われているだろう!」

 

 専属担当者が声を飛ばしてタラップを駆け上がっていく。その背中を見送ってイリオンは携行食糧を口の中いっぱいに入れた。

 

 気だるさが血中に重く沈殿している。一度、ターニャの下を訪れたほうがいいかもしれない。

 

「デックさん。僕、一旦医務室に……」

 

「ん? ああ、後は任された。やっておくよ」

 

 医務室に行くまでの間、軍人達が顔を合わせるとハイタッチを求めた。どうにも、彼らからしてみれば、自分は栄光の存在らしい。

 

《アグニ》という決戦兵器に乗れるだけの逸材。あるいはバイストン・ウェルからやってきた来訪者。

 

 所詮、この地上界には馴染めないのは分かり切っているのだが、イリオンはこの米軍基地をそれなりに好いていた。彼らの風俗もそうならば、心意気も、国家という枠組みも、どれもこれも、旅団にいた頃から考えてみれば、保障されている。

 

 こちら側では大国らしい、アメリカという国家も、自分を中心に回っていると思うとどこか気分はいい。

 

 イリオンは格納庫から出ると、潮風が頬を撫でていくのを感じた。

 

 どこまでも続く水平線。そう言えば、バイストン・ウェルでは湖を渡る術を、結局は知らないままだったな、と思い返す。

 

「……こっちじゃ、湖どころか、海だって渡れる」

 

 基地を発着した航空機が海の向こう側に向かって飛翔していく。バイストン・ウェルに比べてこの地上界は全て、洗練されている。

 

 雑多なものがない、と言ってもいいだろう。

 

 多種多様な人々が棲んでいるのは何も地上界だけではない。バイストン・ウェルのほうが、よっぽど分かり合えぬ者達との共存を望まれる。

 

 フェラリオ、他国のコモン、それに――。

 

 どこまで行っても争いはついて回るのだ。それは生きている限り、どこまでもだろう。だからこそ、イリオンはこの地上界がどこか眩しかった。

 

 争いの種はあるものの、それは大いなる力によって抑止されている。オーラバトラーのような恐るべき兵器は存在しない。

 

 ここでは誰もが対等で、誰もが特別になれる。

 

 地上界こそが、イリオンにとっての自由の都であった。

 

 ユニコンに似た動物を飼っている宿舎では、美しい毛並みを持つ獣達がいななき声を上げている。こちら側の動物はとても大人しく、人間の言う事を理解している。

 

 あちら側の剥き出しの野性とはわけが違った。

 

 基地の中では「イヌ」と呼ばれる小型種を連れている軍人もいた。イヌを最初に見た時、その忠義心に驚いたほどだ。まるで騎士のように、彼らは完全に別種であるはずの人間に懐く。

 

 イヌだけではない。あらゆる動物の加護と祝福をこの地上は受けている。

 

 照り輝いた太陽の眩さだけではない。地上界はこうも美しく、恵みの輝きを受けて一日を祝福のうちに終われる。

 

 バイストン・ウェルとは大きく違っていた。

 

 あの場所は一日を送れるかどうかも怪しい。どこから強獣が襲ってくるかも分からなければ、他国の難民や、亡国の民、あるいは山賊などまだ生易しい。

 

 オーラバトラーによる虐殺だってあり得る。フェラリオに惑わされて、湖の底に導かれる事だって。

 

 それに比べればどれほどまでの安息。どれほどまでに安住の地であろう。

 

 地上は、神に愛されているのだ。

 

 オーラ・ロードを渡った先が、理想郷だとは思いもしなかった。

 

「ある意味では……感謝、かな」

 

 イリオンが医務室に入ったのをターニャは振り返らずに手を振る。

 

「お帰り。作戦はうまく行ったみたいね」

 

「ターニャ先生。バイストン・ウェルの強獣は日に日に凶暴化しているようです。僕に……もっと何か出来る……力はないでしょうか?」

 

 振り返ったターニャは金髪を一本に括り、イリオンの脈をはかった。いつも通りのメンテナンス。脈拍と心拍数、脳波を計り終えた後、自分だけしか適応されない、オーラ計数を検知される。

 

「……やっぱり、オーラがゼロなのよね……」

 

「それって、そんなにおかしいですか?」

 

「いいえ……。これが《アグニ》に乗れる保証なんだもの。一応は計っておくように上からきつく言われているだけ」

 

「僕が……、いつお荷物になるか分からないから」

 

 その言葉にターニャが額にデコピンをした。

 

「マイナス思考。よくないわよ」

 

「でも、実際のところどうなんです? 《アグニ》が動かせなくなればお払い箱かも」

 

「言葉をよく覚えたものね。たった二週間でスラングまで理解するなんて」

 

「それは……僕には日本語とか、英語とか、全部同じように聞こえるから……」

 

 カルテに書きつける手を休めずターニャは尋ねていた。

 

「日本語も英語も……何もかも同じように聞こえる、か。バイストン・ウェルの素質かもね。でも、地上界に来たコモン人のデータは乏しいから、どうとも結論付けられないけれど」

 

「三十年前なんでしょう?」

 

「……こっちでは、よ。バイストン・ウェルでは何年経っているのか、想像もつかない」

 

「先生もバイストン・ウェルに来ればいいんですよ。僕がこっちに来られた。きっと、みんなも行ける」

 

 励ましたつもりであったのだが、ターニャはどこか悲しげに頭を振った。

 

「……きっと、そうならないほうがいいわ」

 

 どういう意味なのだろうか。どうして、そんなにも物憂げな眼差しを伏せているのだろうか。問い返す前に、診断は終わった。

 

「《アグニ》に何か、違和感は?」

 

「いえ……、違和感どころか、整備班の皆さんはよくしてくれています。乗る度に、馴染んでいる感覚がある」

 

「馴染む、か。そもそもの設計理念からして、あれはどういうものなのか……、まだ上からの正式な情報は降りてきていないわ」

 

「不安にさせないためなんじゃ?」

 

「……それも、どこまでの真意かしらね」

 

 疑りかかっているターニャにイリオンは手を払う。

 

「強獣からみんなを守れればいいんです。僕はきっと……《アグニ》に乗るためにこっちに来た……」

 

 自分の掌へと視線を落とす。この手で守れるもの。この手を、決して滑り落ちない証明。戦えば賞賛が送られる。戦えば居場所が保証される。ならば、戦うしかあるまい。戦えば、何もかもが手に入るのならば、戦うしか……。

 

「そんなに狭苦しく、自分の存在意義を固める必要もないのよ」

 

 ターニャの言葉は優しい。優しいがゆえに、今は甘えるわけにもいかない。

 

「いえ、僕に出来る事をやっているだけです。それに、僕がやらなきゃ強獣が放たれてしまう」

 

「……米軍の仕事なの。あなたは米軍人じゃない」

 

「でも、恩は返したい」

 

「恩義なんて……、そんな地上人みたいな事……」

 

 地上人。それが自分と誰かを隔てている。だが最早、地上もバイストン・ウェルもないのではないか。

 

 強獣が来るのならば死守するしかない。この基地を。人々を。自分が守り手になるのだ。

 

「僕は……みんなを守りたい。《アグニ》の整備点検を見てきます。レイリィ少佐は……」

 

「少佐は上とのあれこれがあるみたい。また連絡するわ」

 

 腰から提げた通信機はバイストン・ウェルでは決して見かけなかった代物だ。掌に収まるこれ一つで世界中どこへでも繋がるというのだから、恐れ入る。

 

「はい。では、また」

 

 ターニャの医務室を去る時、彼女が小さくこぼしたのをイリオンは背に聞いていた。

 

「……でも、あなたにはきっと、別の生き方も……」

 

 そこから先を聞いて甘んじるわけにもいかなかった。

 

「……強獣を倒す。そうすれば、居場所がある。ここに、確固とした居場所が……」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十九話 ブラック・バード

 乗っていた軍用機が揺れて、ミシェルはハッと目を醒ました。

 

 同乗していた秘書官が笑みを浮かべる。

 

「……寝てた?」

 

「ぐっすりでしたよ。プロフェッサー、最近お疲れなのでは?」

 

 その問いにミシェルは頭を振る。

 

「落ちちゃうのよ。自然と。何だかよく分からないけれど、不思議な夢を見るわ。この半年ほど」

 

「へぇ。どういう夢なんです?」

 

 秘書官はノート端末に視線を落としたまま尋ねていた。ミシェルは頬杖をついて応じる。

 

「何だか、変なんだって。私が、見た事もない場所で戦っているの。あれは……資料にあったオーラバトラーね。オーラバトラーに乗って、私が戦っている。他にもオーラバトラーがたくさんいたわ。山のように巨大なオーラバトラーもいれば、騎士の偉容を持つものも。多種多様なオーラバトラーの中の、一機に乗り込んでいる」

 

「資料の読み込み過ぎなのでは? あまりに仕事熱心ですから」

 

「そうかも……。でも、不思議なのよ。私はその中でも、何だか別の存在みたいなの。三十年前に確認されたバイストン・ウェルへの転生者……、そう、聖戦士。私は聖戦士みたいなのよ」

 

「へぇ、聖戦士ですか」

 

 抑揚のない秘書官の声にミシェルは頬をむくれさせる。

 

「……信じてない」

 

「そりゃ、夢ですからね」

 

「当たり障りなく応じるのが一番、ってわけ。でも、割と無視出来ないのも出てくるのよ。私は一領国の城を任されているんだけれど、その城の主がとんだ悪人でね。盗っ人猛々しいって言うのはああいうのを言うんだわ」

 

「じゃあプロフェッサーは悪役ですか?」

 

 その言葉には唸るしかない。

 

「……なのかなぁ」

 

 秘書官はガムを差し出す。眠気覚ましに、という事なのだろう。ありがたくちょうだいし、眼下にたゆたう海面を視界に入れた。

 

「日本までどれくらい?」

 

「あと三十分ほどです」

 

 機長の声にミシェルは鼻を鳴らした。

 

「とんだ距離ね。もっとマシな航空機でもチケットを取っておけばよかった」

 

「プロフェッサーの頭脳は偉大ですから。民間機になんて乗せられませんよ」

 

「テロリストに遭えばお終いだから、でしょ? あなた達米軍人の言い草にはもう飽き飽きだわ」

 

 肩を竦めると秘書官は微笑みかける。

 

「プロフェッサーは本国の希望なんです。ちょっと手狭ですが、我慢してください」

 

「希望、ねぇ。そういえば基地には既に展開済みなんですって?」

 

 ノート端末にその情報が先んじて表示されていた。こちらに向けられた画面にはどこか間抜けな形状をした兵器が映っている。

 

 頭ばかり大きく、突き出るような形で筋張った脊髄から両手両足が伸びた奇異なる姿。人を模した形と言うよりかは、獣を模したと言われたほうが納得する、米軍の最新兵装。

 

「メタルトルーパー、《アグニ》。とんでもない代物ね。でも、動かせる人間がいないって、欠陥商品でしょ?」

 

「二週間前の情報ですが、動かせる人間が出た、と。いえ、これは来たと言ったほうがいいでしょうが」

 

 胡乱な論調にミシェルは慎重に問い返す。

 

「……ジャップじゃないわよね?」

 

「国籍不明、性別不明、この人物です」

 

 映し出された金髪の華奢な子供にミシェルは小首を傾げる。

 

「……エイプリルフールは三ヶ月前の昨日までよ?」

 

「プロフェッサー。残念ながら事実です。この少年……、いえ、性別不明なのでどうとも呼べませんが、この人物のみが、《アグニ》を動かせる鍵、だと」

 

「鍵ぃ? どこからどう見ても子供じゃない」

 

 他の情報にアクセスしようとするが、どれも黒塗りで役に立たない。

 

「……何をやっているの基地の軍人達は。酔狂で日本の守りを任せているわけじゃないのよ」

 

「これでも尽力している、と。報告は常に受けています。《アグニ》のデータもバックアップ済みです」

 

 困惑気味の秘書官にミシェルは嘆息をつく。

 

「……で? こいつが唯一の希望とか言い出さないわよね?」

 

「……今のところは」

 

「ろくでなし! あんなものに予算を食わせるなんて、本国も数寄者よ! 相当三十年前の密の味が忘れられないと見るわ」

 

「オーラバトラーの技術はこの惑星に革新をもたらしました。殊に、オーラバリアは」

 

 ミシェルは見え見えの議論に手を払う。

 

「核シェルターを安く作れるようになったんじゃない? 高官達はせいぜい自分の命が長くなった事に安堵したでしょうね」

 

「それだけではございません。オーラバリアの発展によって、軍部ではそれを突破する術を持つ兵器の開発が急がれました。どこの国でも、相手がもしオーラバリアを実装していれば……という疑心暗鬼です。もしもの時の引き金が、まるで役に立たない可能性もあるのですから」

 

「オーラバリア突破、ね。……夢のまた夢の技術だわ」

 

「いっその事、全く不明なら、まだ夢のある話だったんですが……」

 

 濁した語尾にミシェルは舌打ちする。

 

「《アグニ》が実現してしまった。でも、それもつい二週間前までは実現可能だが、不可能な領域、と諦められていたのに」

 

「手の届く場所になってしまった。……国家の威信をかけてでも、オーラバリア突破の兵器に金を積めと……」

 

「正しい判断だとは思うわ。でも同時に、狂っているともね。バイストン・ウェルから持ち込まれた技術で、国取り合戦なんて」

 

 馬鹿げている、という声音に秘書官は頭を振った。

 

「しかしプロフェッサー。既に世界はそう動くと規定されているのです」

 

「悲しいわね。ヒトは、ヒトだけで争えばいいのに。バイストン・ウェルの叡智はそれに留まらないものを生み出した」

 

「……噂ですが、彼の国がオーラバトラーを実戦配備しているとか言う……」

 

「噂よ、それ。色々、尾ひれもついているけれど」

 

 この地上界でオーラバトラーは製造出来ない。米国が二十年も前に確立させ、そして辿り着いた諦めに、他の国が追従するなどあり得ないだろう。

 

 だからこそのメタルトルーパー。オーラバトラーを造れないなりに地上人が考え出した忌むべき兵器。

 

「強獣の出現頻度が上がっているという報告を受けています。基地に降りればまずはそれでしょうね」

 

「嫌ね、仕事がいっぱいで」

 

「降りますよ。シートベルトを」

 

 機長の声に秘書官と自分はシートベルトを確認し、降下準備に入った。

 

 眼下に望める米軍基地は山なりであり、港町の半分を占めている。これだけ米軍が主張をしているのだからやはり反発は然るべきで、基地の外壁にはたどたどしい英語の罵倒がスプレー缶で書かれていた。

 

 信号を送り、軍用機が降下していく。ほとんど振動を感じさせず、軍用機は用意されたタラップに接続された。

 

 振動数を減らしていく羽根を仰ぎ見たミシェルへと、待ち構えていた軍部の仕官が敬礼する。

 

「お待ちしておりました。プロフェッサー」

 

 返礼せず、ミシェルは歩み出る。

 

「《アグニ》が見たい」

 

「その前に、強獣の出現頻度に関して、我が方と情報のすり合わせを行いたく――」

 

「何度も言わせないで。《アグニ》を見せなさい」

 

 仕官が秘書官に視線を飛ばす。彼女が全く気圧されないのを確認して、交渉は無意味だと悟ったらしい。

 

 相手は咳払い一つで空気を変えた。

 

「……分かりました。格納庫へ」

 

 案内された基地はどこか雑多な印象を受ける。馬の飼育小屋に、宿舎や機能棟が連立し、接続されているどこか奇異なる形状。

 

「これは、対強獣のための?」

 

「ええ。ちょっと工夫に工夫を重ねたら、こんな風になってしまって……」

 

「違法建築よ」

 

「言葉もありません」

 

 案内されたのは広く取られた格納庫であった。だが、急造品であるのはそこいらに散らばっているパーツを見てもよく分かる。大方、《アグニ》が動かなければここも稼動していないはずだったのだろう。

 

「ご覧ください、プロフェッサー! これが、メタルトルーパー、《アグニ》です!」

 

 事前情報と同じ、否、さらに武装が施されたその姿はヒト型兵器とは言い難い。無用に無用な武装を重ねた獣の様相だ。

 

「……搭乗者は?」

 

「今は身体検査ですかね。おい、被験者は?」

 

 通信を繋いだ仕官にミシェルは前に出る。相手が思わず、と言った様子で塞ごうとした。

 

「危ないですよ!」

 

「危険は百も承知よ。問題なのは、これが使えるかどうか。そうでしょう?」

 

「それは……、その通りですが……」

 

「内部データを洗い出すわ。端末を繋がせる」

 

「おい、待て! あんた誰だ!」

 

 整備士達が声を荒らげる。それを、仕官が制した。

 

「本国からの研究者だ。君らより遥かに高次の権限を持っている!」

 

「研究者だって……?」

 

 疑念の眼差しにミシェルは髪を結っていた。自前の端末にはステッカーが貼ってある。その端子を繋ごうとして、手を掴まれた。

 

「……これは俺達の希望なんだ」

 

「だから? 解析にも回せない兵器なんて兵器とは呼べないわよね?」

 

「それは……」

 

「分かっているのならば退いてちょうだい。時間も惜しいわ。それに……」

 

 先ほどから意識に靄がかかったようになっている。まただ。また、眠りの兆候が現れ始めている。

 

 急がなければ、と思った矢先、金髪の子供が格納庫に割って入ってきた。

 

「何をやっているんですか!」

 

 吼え立てたその子供を、ミシェルは見下ろす。

 

「あなたが……、ディ・イリオン?」

 

「……あんたは何者だ」

 

 反骨精神丸出しのその瞳に、ミシェルは言い返していた。

 

「ミシェル・ザウ。この時代の生み出した、最後の天才よ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十話 忌避血縁

 服を支給されても困る、と返していたのは、彼らからしてみても野蛮人に思われただろう。

 

 アメジストが唯一、気に入ったのはこの世界では「水着」と呼ばれるものであった。

 

 身体に密着するものでないと、気持ちが悪くて着ていられない。画面がゆっくりと垂れ下がり、自分の眼前で相手の映像が映し出された。

 

 金髪の中年男性にアメジストは片手を開く。

 

「ハァーイ、ミスター。アンタ達の文化じゃ、こうやって挨拶するんでしょ?」

 

『間違ってはいないが、礼節を学びたまえ』

 

「嫌よ。面倒な事は何もかも」

 

 アメジストは密閉された空間を仰ぎ見る。半球型の空間の内側は自傷防止のためにクッション構造になっている。

 

 どうにも馴染めないのは近くに獲物も、ましてや自分の愛機もいないからか。

 

「ねぇ、《ゼノバイン》のところに帰してよ」

 

『それは君からしっかりと情報をもらってからだ』

 

 嘘であるのは明白。自分と《ゼノバイン》を二度と引き合わせないつもりだろう。どうするか、とアメジストは爪を噛んでいた。

 

「情報? バイストン・ウェルの事を話せばいいの? 今日も? ……どうせ、似たような話よ」

 

『だが我が方としてみれば大変、有意義でね』

 

「退屈よ、何もかも。バイストン・ウェルはもう秒針の狂った時計。概念がおかしくなっている。それに、誰かが気づき始めているのに、誰も見ない振りをしている」

 

『それが興味深い。では君は? 概念の外にいるとでも言うのか?』

 

「そうよ。だから《ゼノバイン》は生まれた。あれは世界から凝縮された負の感情そのものよ。アタシと《ゼノバイン》は壊す事しか知らないの」

 

『破壊者の宿命を帯びている、というのか。あのオーラバトラー、とてつもないサンプルだな。三十年前のオーラバトラーとはまた違う。物理接触をほとんど拒んでいる。操縦席にすら入れない始末だ』

 

「そりゃ、そうでしょ。アタシ以外、《ゼノバイン》は動かせない」

 

 当たり前の帰結に相手は笑う。

 

『いやはや、驚いたものだ。君達、バイストン・ウェルの妖精は。いつも我々を驚かせてくれる。して、バイストン・ウェルでは、今、何が起こっている?』

 

「また、それぇ? 何も起こっちゃいないわよ。……いいえ、もう起こった後なのよ。それを分かっている人間がいるかいないかはともかく」

 

『こちらでは強獣が、君達の世界から迷い出ている』

 

「知った事じゃ」

 

『忘れないで欲しい。強獣は君らの世界から出た……膿みそのものだ。それを対処しなければ地上界もほどなく飲み込まれるだろう。我々はね、大変危惧しているのだよ。君ら、バイストン・ウェルの身勝手さに、ね』

 

「バイストン・ウェルがどうなったところで、アタシと《ゼノバイン》は変わらないわ」

 

『地上界がバイストン・ウェルの強獣で汚染……、いいや、充満すれば、それこそ破滅だ。三十年前の浮上の如く、君らはまた、災厄の種を持ってくる。だから、我々は三十年間、君達への対抗手段を練った。オーラバリア、オーラバトラー、強獣、フェラリオ……、あらゆる叡智を開発し、解析し、そして解きほぐした。君達が奇跡と呼ぶ代物でさえも、我々は係数済みだ。ゆえにこそ、問いたい。何故、バイストン・ウェルはこの地上界と干渉し合う?』

 

「知った事じゃないわ。そんなもの。縁を切りたかったら勝手に切ればいい」

 

『そうもいかない様子でね。バイストン・ウェルとこの世界はオーラ・ロードで繋がっている。オーラ・ロードの切断が今まで何度か試みられたが、全てが無駄に終わった。フォーリン、と呼ばれる数百名の被験者がいてね。彼らには意図的に、バイストン・ウェルへと転生してもらった』

 

 意図的にバイストン・ウェルに転生――。その言葉の赴く先を理解出来ないわけがない。

 

「……へぇ。殺してきたんだ」

 

『言い方が悪かったかな。バイストン・ウェルのルールに則って死んでもらったんだ。転生者にはいくつかの制約があるようなのでね』

 

「……でも、誰も成功しなかったんでしょ?」

 

 相手は黙りこくる。それが答えであった。意図してバイストン・ウェルに突入するなど出来るはずがない。オーラ・ロードを開けるのはあの世界でも一握りだ。

 

『……しかし、我々には切り札があってね。三十年前だ。米軍ではヘヴンスフィール現象と呼ばれている、ある一大現象が巻き起こった。それに巻き込まれた、数十名の人間が死亡……いや、消失した。そう、あれは消失と言う他ない。消え失せたのだ。彼らはこの世から。兵器などの灼熱による滅却では決してない。あれは、そういう物理現象を飛び越えた、完全なる消去。……存在の消去が実行された。数十名、だ。そこには本国で評価されていた科学者、ショット・ウェポンも存在していた。彼が書き残した手記はとても興味深くてね。後に、S文書と呼ばれている国家機密だ』

 

「それをどうしてアタシに教えるの?」

 

『君には、意義があると感じたからだ。わたしはね、確かにこのバイストン・ウェル関連の情報で成り上がった、所詮はその程度の高官だ。家系ぐるみで、バイストン・ウェルに関わってきた。あの世界のもたらす恩恵に、一番に預かってきたと言ってもいいだろう。それが君らからしてみれば、とてつもなく忌まわしいかもしれないがね』

 

「……アンタ、何者なの?」

 

『自己紹介が遅れたね。わたしは、ジラード。ジラード・ウェポン。狂気に染まった科学者、ショット・ウェポンの、子孫だ』

 

 驚愕がなかったわけではない。だが、それがどうした、という意味合いのほうが強かった。

 

「……で? アタシに驚いて欲しいわけ?」

 

 ジラードはフッと自嘲する。

 

『そういう気持ちも……あったのかもしれないがね。わたしはこう考えている。あのお方の残した遺物を、しっかりと次世代に届ける。それこそが、我が血筋の意味合いなのではないかと』

 

「驕りね。ショット・ウェポンなんてそれほどの人間じゃなかった」

 

『それは君達の側からしてみれば、そうかもしれない。バイストン・ウェルのコモンは彼の叡智がなくとも、もしかすると百年、いやもっと短いスパンで、オーラバトラーという戦いのための兵器に辿り着いていたはずだ。彼はオーラバトラーを、あるべき形、と幾度か評しているからね。バイストン・ウェルの進化系統樹の中ではむしろ自然なる流れだったのかもしれない。……だが、そう考えると違和感が付き纏うのが、今回の君の乗ってきたオーラバトラーだ』

 

「《ゼノバイン》がそんなに珍しい?」

 

 口角を吊り上げつつ、言ってやるとジラードは喜色を浮かべた。

 

『ああ、珍しい……、いや、素晴らしいとも。我々がオーラバトラーを目にする機会はなくってね。三十年前の骨董品を未だに解析しているんだが、あれは凄まじい。最も戦果を挙げたとされる青いオーラバトラー……、コードDを完全に凌駕している』

 

「それでも、欲しくても手に入らないのが、癪に障る、とでも言いたげね」

 

『……ああ、そうだとも。何故、君でないとあれは開かない? どのような意味がある?』

 

 ここに来て単刀直入な質問が来たか。いや、相手も痺れを切らしている。いい加減、《ゼノバイン》の仕掛けを知りたいのだろう。

 

 だが、言ったところで地上人が理解出来るものか。否、理解したところで、それは全て遅いのだと言う事を、彼らに教えて何とする。

 

「……意味。そんなもの知ってどうするの? どうせ、アンタ達、《ゼノバイン》を量産して、強化して、戦争にでも使う気でしょう?」

 

『上の判断としては、その通りだろう』

 

 含めた言い草にアメジストは白い髪をいじる。

 

「……何か、自分には考えがあるような口調ね」

 

『これは祖国も知らない、我が家系にのみ秘匿された情報でね。しかし、これを話すのならば、交渉材料として《ゼノバイン》の構造を知りたい。どうかな?』

 

 相手も餌を釣り下げてきたわけか。それに食いかかるかどうかを試されている。

 

「……地上人は戦争しか考えていない」

 

『どうかな? バイストン・ウェルのほうがよっぽど野蛮かもしれない』

 

「アンタ達、オーラが明け透けよ。どこまでも意地汚い……、どす黒いオーラをしているわ。どうしても《ゼノバイン》が欲しい、っていうね」

 

『本音を言えばその通りだ』

 

「本音じゃない部分なら?」

 

 問いかけにジハードはフッと笑みを浮かべた。

 

『食わせ者だな、君は』

 

「こんな場所で! いつまでも何の益にもならない女を監禁していても仕方ないんでしょう? アンタの言う、上が命令してくるって言うんならね」

 

『存外に話は理論的に通用するじゃないか。君もそこまで分かっているのなら、どこかで妥協点を探すんだな。そうしなければ一生、このままだ』

 

「お生憎様。一生はあり得ない」

 

 断言したからか。あるいは、これだけは言える、確定したものだからか、相手はその言葉に乗ってきた。

 

『……今のは違ったな。何だ? 何が起こる?』

 

「《ゼノバイン》が欲しいんでしょう?」

 

『ああ。だが違う。……本質的に違うと分かる。そういうレベルでは決してない事を、君は訴えかけたいのか』

 

 情が移ったか。あるいは痺れを切らしたのはこちらのほうだったか。アメジストは舌打ちする。

 

「……勘は鈍くないのね」

 

『君が教えたいのは、《ゼノバイン》なんてものは所詮、まやかし、こけおどしだと言っているようだ。それ以上の何かが来る。それ以上の何かのために、《ゼノバイン》があるとでも』

 

「察しがいいのは血筋かしら? それとも、ここまで話してあげればさすがに?」

 

『……今日はここまでのようだな。だが、一歩前進したよ。君は知っている。明確に何とは言えないが、知っているのが分かった。それだけでもよしとしよう。もう一度だけ、名乗っておく。わたしはジラード・ウェポン。いずれはあの偉人さえも超える、この歴史の支配者となる男だ』

 

 プツン、と映像が途切れる。しかし、消える寸前のジラードの眼差しだけは印象に残った。野心の塊――、否、全てを見据える傲慢さ。

 

 あれが地上人。あれが、これから先に待ち受ける、災厄をもたらす存在。

 

「そう……、だから遣わされたのね。アタシと《ゼノバイン》は」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十一話 戦禍絶叫

 踏み込みは鋭敏に。しかし、相手の射程は来る前に読め。読む前に悟れ。

 

 それが絶対条件。それが勝利のために必要な事。エムロードは草原を抜けていくオーラの風を切り裂き、結晶剣でランラへと打ち込んでいた。だが、相手は病み上がりとは思えない剣さばきでこちらの必殺の一撃を散らしていく。

 

「地獄蝶がまた舞ったぞ」

 

 それだけ隙が多いという事なのだろう。それでも自分は知らなければならない。

 

 どうして《ソニドリ》は暴走したのか。どうして、自分にあのオーラは宿ったのか。それらを知るのには畢竟、強くなるしかない。強くならなくては、誰も真実に追いつかせてくれない。この足も、手も、真実を掴み取る事はない。

 

 ランラの剣が首を刈らんと迫る。相手とて必死。必殺の一閃にエムロードは緊張を走らせる。どこまでも冷徹なる刃に呼気一閃、返す刀を打ち込んだが読まれていたらしい。

 

 その剣筋が止められ、踏み込みが浅かったせいか、腕力だけで押し返されてしまう。

 

 ランラが剣を返し、地面に突き刺した。ここまで、という証。エムロードも同じように地面に剣を突き立てる。

 

 息が上がっているのはお互いであった。共に剣の高みへと昇ろうと言うのだ。片方だけ息が上がっているのではたかが知れているというもの。

 

「……オレなりの私見だが」

 

「……どうぞ」

 

「《ソニドリ》には元々、何者かの意思が宿っていた。そう思える現象が今までいくつか散見される」

 

「根拠は……」

 

 その問いにランラは口を噤んだ。代わりのような言葉を漏らす。

 

「直感だ。それと、あのオーラバトラー特有のアンバランスさ」

 

 分かり切っている事を繰り返すのは真意を悟らせたくないからか。あるいは、それに肉薄する事でさえも、相手からしてみればまずいのだろうか。

 

「ジェム領は随分と罪深いオーラバトラー製作を行ってきたと見える。《ソニドリ》は元々の躯体に何かを宿らせた。そう見るのが正しい」

 

「ちょっと! それってあたしの《ソニドリ》が欠陥品だって言いたいの!」

 

 岩場から飛び出したティマの声にランラは手を払う。

 

「喧しいミ・フェラリオめ。貴様のせいだと言えば満足か?」

 

「ムカつく奴! エムロード、こいつ、ぶった切っちゃって!」

 

「……生憎だけれどボクだって必死だよ。それでも有効打が得られないんだ」

 

「剣筋の乱れは大分改善された。後は、オーラバトラーに乗っての問題だが」

 

「……《ソニドリ》はもう出せないとでも?」

 

「そうは言っていない。だが不確定要素が多過ぎる。ミシェルの許可がせめて欲しい」

 

「弱気だね! ランラ、あんたってば、そんな弱気でどうするって言うの!」

 

「ティマ。ボクもミシェルの許可を得るのは賛成だ」

 

 その言葉にティマが眼前へと降り立つ。

 

「……エムロードは、ランラの言う事は聞くんだね」

 

「一応は剣の師匠みたいなものだから」

 

「命令で見ているだけだ。師匠などと勝手におだてられても迷惑になる」

 

 そう言いつつも、ランラは自分の隙をしっかりと観察しているのが窺えた。オーラの隙、それは肉体のロスよりもなお如実に現れる。

 

 オーラを切らさないようにしていたためだろう。ランラは口元だけで笑った。

 

「……少しは分かってきたか」

 

「ここまでやれば嫌でも」

 

「構えろ。打ち合いながら話をする。舌は噛むなよ」

 

 相手が剣を正眼に構えた。こちらも剣を抜き放つ。

 

「どっちが」

 

「……言うな。女だてらにっ!」

 

 打ち込みの鋭さは今まで通り、否、今までよりも遥かに強く。その打ち込みを切り返して、薙ぎ払った剣を相手はステップで回避し、次いで下段よりの振るい上げで牽制した。

 

 こちらも無用な打ち合いによるロスは減らしたい。最小限の打ち込みで相手の剣をさばく。

 

「……グランの処遇の事だ。お前はあれと打ち合い、情報を手に入れた」

 

「どういうっ!」

 

 必殺の勢いを灯らせた一撃を、相手は事もなさげに受け止める。

 

「その情報の中で、信頼に足るものが一つ。トカマクからの通信での裏付け済みだ。騎士団とやらはもう、ジェム領国を必要としていないらしい」

 

 ハッと集中が途切れた刹那、剣が払われ結晶剣が打ち上げられた。その隙を逃さず、ランラの切っ先が奔り、首の数ミリ手前で止まった。

 

 唾を飲み下した直後、剣が離される。最早、勝負あった、という事だろう。

 

 過度の緊張から逃れた身体に重石が圧し掛かる。汗をどっと掻いていた。

 

「それって……」

 

「軍属とゼスティアは戦いを繰り広げていたようだが、もう無用だと言いたいのだろう。騎士団がこれからの敵となる」

 

「騎士団……、あの黒い、オーラバトラーが……」

 

「《キヌバネ》、か。故意かそうでないかは分からんが、《ソニドリ》とよく似ている」

 

 ザフィール――蒼の乗っている機体。今度こそ問い質さなければならない。オーラに呑まれる事なく、本来の自分の剣で。

 

 どうしてジェム領についているのか。それに、どうして敵対するのか。分かっているはずだ。自分が「狭山翡翠」だという事くらい。

 

 ならば争わずに済む方法はないのだろうか。

 

 そのような無為な考えを他所にランラは空を仰ぐ。

 

「……曇ってきたな」

 

 曇天がどこからか空を覆いつくしていた。雨のにおいが充満する。

 

 草原の草いきれがどっと濃くなった。

 

 ランラは待機させておいた《ブッポウソウ》に乗り込む。彼からしてみれば、専属機でなくとも乗りこなしは可能だと言う。

 

「乗れ。雨に打たれるぞ」

 

 言われるままに、エムロードは《ブッポウソウ》の操縦席に乗り込んでいた。不承という顔をしながらティマも入る。

 

《ブッポウソウ》が歩み出したその時には、雨は降り出し始めていた。降りしきる雨音の激しさに、バイストン・ウェルでも平等なのだと感じ取る。

 

 雨は大地を潤し、硝煙に煤けた草木を慰撫する。それだけの優しさがあるのに、どうしてこの世界にも争いの種はあるのだろうか。

 

 どうして、合い争うしか道はないのだろうか。

 

「……この《ブッポウソウ》の通信機は壊れている」

 

 何を前置いたのか、とエムロードが怪訝そうにする前に、ランラは言いやっていた。

 

「ゼスティアの長……、ギーマはお前とアンバーに隠し事をしている。それも重要な、これからの戦局に左右するものだ」

 

 思わぬ発言にエムロードはティマと目線を交し合った。ティマが慌てて取り成す。

 

「ちょっ、ちょっと待ってよ。そんなの、心の準備が――」

 

「ここ以外では傍受される。動いているオーラバトラーの中が一番に安全だ。それに、ここにはオレとお前、二つのオーラがある。オーラの読心術をどれほど心得ていても二つは同時に読めないはずだ」

 

 それが分かっていてランラはこの状況を招いたのだろうか。考える間もなく彼は口にする。

 

「本来、ゼスティアとジェムが戦っている理由は一方的なものだ。それも大概に、度し難いほどの。だからこれは、オレにも、お前にも正義はない。無論、向こうもそうだ。この二つの領国に正義はなく、大義もない。どちらが先であったか、それだけのシンプルな答えだ。だからオレは、肩入れしていると言っても、それは一時的なものだと考えてくれていい。《ゼノバイン》へと追いすがるために、お前達の助力は必要不可欠。割り切ってオレは力を貸している。だが、お前とアンバーは違う。ある意味では、ほとんど命令に実直に従うしかないお前達は、オレとは待遇が違うんだ」

 

 だから真実を話してくれているというのか。その上で、判断しろと。

 

「でも……、ボクらはもう」

 

「ああ。戻れないだろうな。何機も墜としてきた。今さら綺麗な手に戻れと言っているんじゃない。せめて、ここから先の戦いは自分で切り拓け。何を信じるべきかは自分で決断しろ。そうしなければ、何もかも、だ。何もかも遅く、遠くなってから、お前はきっと、最も残酷な判断を迫られる。それだけは……オレとしても避けてやりたい。これは、余計な感情かもしれないがな」

 

 余計な感情。恐らくは、彼の命令以上の事だろう。ランラはゼスティア全体の足並みに逆らってでも、自分達を慮ってくれている。それは、前回、《ソニドリ》の暴走を招いた結果からか。

 

「……でもボクは……、自分で引き金を引く事を選んだんだ」

 

「不可抗力の部分もある。ゆえにこそ、お前達は巻き込まれたんだ。このバイストン・ウェルの……血で血を贖うしかない因果に。それをオレは止められない。止められない事がハッキリと、前回分かってしまった。《ソニドリ》の事も含め、お前達には決断出来るだけの時間がない。そう、時間がないんだ。残されているのは、決定するのにはあまりにも……」

 

 惨い運命か。何もかも、過ぎ去ってからでしか、自分には残された時間はない。

 

 蒼の事も、アンバーの事も、そしてこのゼスティアを勝利に導くのかどうかでさえも、何が正しいのかまるで分からない。

 

「……でも、たとえ闇の中でも手を伸ばしたいんだ」

 

 エムロードは結晶剣を握り締める。そう、この手がどれほど歪み、どれほど闇に塗れていようとも、それだけは。絶対にそれだけは自分の意思だ。

 

 そう信じたい。そう、願っていたい。

 

「……立派だと、お前を鼓舞する気もない。オレもお前も、ゼスティアの思惑からしてみれば駒に等しいからだ。それでも、駒なら駒なりの――」

 

 そこで不意に《ブッポウソウ》の管制システムに割り込んで来たのは熱源反応である。

 

 まさか、また敵か、と身構えた時には《ブッポウソウ》は飛翔していた。

 

「最大望遠!」

 

 捉えたのはゼスティア城内から上がる黒煙である。それが自分達のものではない事を、ランラは察知する。

 

「……敵襲?」

 

「でもでもっ! 城内の守りは完璧のはず……!」

 

 ティマの声にランラが尋ねる。

 

「中にいるのは、ミシェルとアンバーだけか?」

 

「他の兵士だって集っているはずだよ! だって前回の敵襲からずっと、最大警戒で……」

 

「……どちらでも構わん。《ブッポウソウ》の足で間に合うかどうかは怪しいな」

 

「ミシェルに連絡を!」

 

 通信機を繋げようとしたが突如として《ブッポウソウ》が後退した事によって手が空を掻く。

 

《ブッポウソウ》へと仕掛けたのは赤いオーラバトラーであった。

 

 剣を手にした相手に対し、《ブッポウソウ》はほとんど丸腰に等しい。

 

 オーラショットを相手へと構えたが、敵機はまるで恐れる事もなく、射程に入ってくる。その勢い、殺気にこちらが気圧されるほどに。

 

「……《レプラカーン》。前回の《キヌバネ》の護衛にいた奴か!」

 

『《ブッポウソウ》か。だが、関係がない。そう、関係がないとも。地上人で、優れていないなんて、嘘だ!』

 

 叫んだ声と共に《レプラカーン》の剣圧に機体が軋む。オーラショットで距離を取ろうとするが、相手は高機動を心得ている。脚部でオーラショットを保持する手を蹴り上げ、機体を旋風のように翻して剣を浴びせかける。

 

 その有り様、鮮やかさは並大抵ではないと判断出来た。

 

「……まさか、地上人?」

 

 発した声に《レプラカーン》のパイロットが吼える。

 

『……白いオーラバトラーの? 相乗りでこの《レプラカーン》を墜とせると思うな!』

 

 ランラが舌打ちし、ティマへと声を飛ばす。

 

「ミシェルへ! とっとと繋げ、このミ・フェラリオ!」

 

「やっているよ! でもミシェル機との通信が途絶していて……。アンバーに繋いだほうが早いかも……」

 

「どちらでもいい! さばき続けるのは限界が来る!」

 

 その時、通信に滲んだのは焦燥であった。

 

『聞こえてる? 翡翠! 城内に敵機が奇襲をかけてきて……。《ガルバイン》で応戦しているけれど、何だかおかしいの!』

 

「おかしいって、何が!」

 

『ミシェルが目を醒まさなくって。眠っていて、何度揺り起こしても……』

 

 何という事だ。これでは作戦指揮は地に堕ちたようなもの。今、ゼスティア領の兵士達を指揮出来るだけの人員はいない。

 

 ここにランラが縫い止められ、自分も《ブッポウソウ》の中である。

 

「ランラ! ボクだけでも出て行けば……!」

 

「駄目だ! 前回の敵のやり口を忘れたか! どこかに伏兵か、狙撃手がいるはず……! 狙い撃ちにされるぞ!」

 

 ランラは身に沁みて感じているはずだ。しかし、ここからでは《ソニドリ》を呼び出そうにも――。

 

「《ブッポウソウ》のオーラが邪魔をして《ソニドリ》に直通出来ない……。これじゃ、何の意味も……」

 

「《レプラカーン》を出来るだけ引き剥がし、城内に近づいたところで《ガルバイン》と合流。それが一番に現実的だろうが……、こいつは!」

 

『墜ちろォッ!』

 

《レプラカーン》の剣筋が打ち下ろされ、《ブッポウソウ》がたたらを踏む。遥かに性能で劣っている《ブッポウソウ》では近接の強い相手に対してまるで意味を成さない。

 

 それに加えて三人も乗り込んでいるせいでオーラが雑多だ。

 

 普段でさえも重いのに、余計に動きが緩慢になっている。

 

『甘いぞっ! それとも、嘗めているのか! ゼスティアのオーラバトラー!』

 

「雑兵だと……思い込んでさっさと本丸に行ってくれればまだいいんだが。相手にお前の声を晒してしまった。《ソニドリ》のパイロットが乗っていると分かれば、相手は離れてくれないだろう」

 

「お荷物なら……」

 

「降ろせば的だ。どうにも……歯がゆい戦いになりそうだな」

 

《ブッポウソウ》にはまともな兵装もない。そのせいか、《レプラカーン》の猛攻に対して、適切な対処を選ぶ事が出来なかった。

 

「……オーラ斬りが使えれば……!」

 

 口惜しくティマが言いやる。オーラ斬り。顕現させてみせた、あの力はしかし、一過性のものだろう。

 

 二度も三度も、あれを制御出来る気がしない。しかも、この機体は《ソニドリ》ではないのだ。

 

 直後、城内から爆発の光が連鎖した。オーラバトラーが攻め込んでいるのならば、混乱は必定だろう。

 

 ――こんな時、何も出来ないなんて。

 

 拳を握り締めたエムロードに、敵オーラバトラーのパイロットが声を浴びせる。

 

『貴様も地上人なのだろう!』

 

 ランラへと目配せする。今は少しでも時間を稼いだほうがいいはず。

 

「……そうだが」

 

『ならば! 証を立てろ! こちらより強いのだと、本当の力量でぶつかってみせろ! ……《キヌバネ》のパイロットのように』

 

「蒼先輩の……ように」

 

 ザフィールは証を立てている。ジェム領の聖戦士として、彼女は背負っているはずだ。何もかもを。その騎士としての忠誠を。

 

 ならば、自分は?

 

 何のために剣を取る? 何のために立ち上がり、相手を上回る?

 

 この手は、この指は、何を得るために伸ばせばいいのだ。

 

 堂々巡りの思考に打ち止めをかけるかのごとく、《レプラカーン》が踊りかかった。

 

 その剣には迷いなき殺意が宿っている。殺す、という意思。それさえも自分は、まだ手探りのままで。

 

 誰かを倒す事さえも、他人任せの、少女騎士。

 

 責任を取るのが怖いのだ、と心の奥で誰かが囁く。

 

 敵を倒す、という責任。この剣が誰かを討つ、という責任。ゼスティアを守り通す、という責任。アンバーを、友を犠牲にしない、という責任。

 

 何もかもから中途半端な立ち位置を取っている。

 

 ――前回のような暗黒面のオーラを飼い慣らす自信もない。

 

 それなのに、状況だけは回ってくる。どうしようもなく、足掻こうとも状況だけは無情に。何もかもを通り越して。

 

 時間がないのだ、とランラは言った。

 

 それは間違いではない。時間は刻々と過ぎていく。それなのに、何も決められないなんて。何も守れないなんて。何も、成せないままなんて――。

 

「……違う」

 

「エムロード?」

 

「……それは、違う! 違うと言いたい!」

 

 結晶剣へとオーラを注ぐ。自分の何もかもを落とし込むイメージを結晶の内側へと。

 

「来い、《ソニドリ》! 来てくれ!」

 

「エムロード。この距離では、さすがに《ソニドリ》といえども……」

 

 ランラの諦観の混じった声音にエムロードは叫ぶ。

 

「ボクはもう、逃げたくないんだ! だから……」

 

『その信念、その災禍の芽、ここで摘み取る! 《レプラカーン》、殺すぞ!』

 

 相手の打ち下ろした剣が《ブッポウソウ》の片腕を叩き斬る。その反動で後退した刹那にオーラショットを相手の肩口へと叩き込んでいた。

 

 それでも赤い装甲には傷一つない。

 

「……やはり《ブッポウソウ》の装備では」

 

「《ソニドリ》!」

 

 その時である。黒煙が上がっていた城内から、吼え立てる声が響き渡った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十二話 妖魔降域

 

 しかしそれは《ソニドリ》ではない。

 

 ゼスティア城の城壁へと手をかけたのは、茶色の多層装甲を持つ、巨大なオーラバトラーである。

 

「……あれは」

 

『まさか……、《マイタケ》? グラン中佐のか。鹵獲されたと……』

 

《マイタケ》の装甲が裏返り、内側からミサイルが掃射される。広範囲の敵影を捉えたミサイルが幾何学の軌道を描き、敵陣営のオーラバトラーを退けていく。

 

《レプラカーン》にまでその射程は及んだ。

 

 戦場を掻き乱した攻撃に、《レプラカーン》のパイロットが怒る。

 

『……《マイタケ》を自由自在に……? まさか……』

 

《マイタケ》より直通通信がもたらされる。浮かび上がった表示にエムロードは息を呑んだ。

 

「……グラン」

 

『そちらは息災か?』

 

 まさかグラン本人が乗っているなど思いもしない。ランラはまず疑いの声を向けた。

 

「……貴様、この期に乗じて……」

 

『勘違いをしてもらっては困る。こちらも、義理は通したい。剣で負けたのだ。ならば、なおさらの事』

 

 肩入れするというのか。信じられず、エムロードは声を吹き込んでいた。

 

「でも……、祖国に……」

 

『刃を向けた。背信行為だ。……そうなるだろうな。だが儂は、ジェム領の軍事責任者。騎士団の跳梁跋扈を許すわけにはいかん』

 

《マイタケ》が爪を軋らせ、敵オーラバトラーを叩きのめす。広域射程のミサイル攻撃が《レプラカーン》を狙ったが、その直撃を許すほど相手もやわではない。

 

『……愚かな。地に堕ちたか! グラン中佐!』

 

『その声、エルムだな。騎士団の直属にいつからなった? 儂がゼスティアに捕縛されてからか?』

 

『……貴方はいつだって、僕の事を小ばかにして!』

 

『信じろとは言わん。だが矛は仕舞って欲しい。要らぬ血を流す』

 

『それを! 貴方の口から聞きたくはなかった! それだけの話ですよ!』

 

『……残念だ』

 

 敵オーラバトラーが撤退機動に入る。それを目にして《レプラカーン》が剣を払った。

 

『どうして逃げる? 向かえ! 敵は前にいるだろうに!』

 

『エルム様! このままでは全滅してしまいます。何よりも、……グラン中佐が』

 

『撃てないと言うのか? 中佐だから、撃てないとでも!』

 

 隙だらけの《レプラカーン》へと《ブッポウソウ》が距離を詰める。

 

「……戦場で痴話喧嘩とは。その首もらった」

 

《ブッポウソウ》のオーラショットの砲口が《レプラカーン》の装甲へとゼロ距離で当てられた。

 

『嘗めるな! 《レプラカーン》を!』

 

 オーラ・コンバーターより噴出したオーラが限界値を超え、その装甲を染め上げる。オーラの護りを得た《レプラカーン》の装甲に向けて放たれたオーラショットは確かにこの時、空撃ちであっただろう。

 

 ――それが通常弾頭ならば。

 

《レプラカーン》に撃ち込まれた弾丸が瞬時に炸裂し、その装甲板に根を張った。思わぬ攻撃だったのだろう、相手はうろたえる。

 

『……この弾丸は』

 

「《ソニドリ》の特性を応用した、試験弾頭だ。相手のオーラを触媒にして何倍にも膨れ上がる。お前がオーラを使えば使うほどに、その根は機体の奥深くまで侵食し、やがては自壊する」

 

「あたしが開発したんだけれどねっ」

 

 ティマの声に《レプラカーン》が剣を払う。根を断ち切ろうとするのだが、それさえもオーラを纏っての動きだ。一度根付いた試験弾頭は敵の装甲板へと容易に沁み込み、そのまま駆動系を支配しようとする。

 

『僕は地上人だぞ! 聖戦士だって言っている!』

 

《レプラカーン》が剣を掲げ、オーラを高めた。爆発的に膨れ上がったオーラにランラは慎重に声にする。

 

「……まずいな。試験弾頭の侵食よりも相手のオーラの向上が早い」

 

「逃げるしかないよ。《マイタケ》が敵を撤退させているうちに、城内に!」

 

「いや……、こいつは容易くないぞ。……対ショック態勢に入れ! ――来る!」

 

 何が、という主語を欠いたまま、エムロードはランラの操る《ブッポウソウ》が急速に飛び退ったのを関知した。

 

 直後に猛烈な頭痛が脳内を掻き乱す。

 

「……何だ、これ。頭が……」

 

 割れそうなほどに痛い。額を押さえるエムロードに、ランラが苦味を噛み締める。

 

「……やってしまったか、これは。まずいものを招いてしまった」

 

 何を、と面を上げたエムロードの瞳に映ったのは、何倍にも巨大化した《レプラカーン》であった。

 

 赤い装甲が肉腫のように膨張し、その機体そのものでさえも空を覆いかねないほどの巨躯である。

 

 巨人のオーラバトラーにエムロードは絶句した。

 

「これは……」

 

「ハイパー化だ」

 

 静かに口にしたランラは《ブッポウソウ》を下がらせようとして、《レプラカーン》が足を踏み鳴らしたのに舌打ちする。

 

 ただそれだけの動作のはずなのに。

 

 地面を伝ったオーラの波が、《ブッポウソウ》の駆動系を完全に麻痺させていた。

 

 瞬く間に《ブッポウソウ》の内部コンソールが黒く染まっていく。完全に停止した事を確認したその時には、雨粒を蒸発させるほどのオーラの灼熱が周囲を支配していた。

 

 曇り空が《レプラカーン》を中心に渦を巻く。バイストン・ウェルの全ての現象が、《レプラカーン》へと集中していた。

 

 草原に吹くオーラの風は荒立ち、大地を流れるオーラの血脈は《レプラカーン》の血となって、その体躯を凶暴化させている。

 

 ぎらついた眼光が《ブッポウソウ》を睨んだ。

 

 エムロードはその時初めて、「恐れ」を抱いた。今まで、敗色濃厚な戦闘になってもそれでも抱かなかった恐怖。それが今、大いなる存在となって目の前に屹立している。

 

(何だこれは。何だかよく分からないが、とても気分がいい。ああ、そうか。これが……力か)

 

 空間を鳴動させる《レプラカーン》のパイロットの声にエムロードは背筋を凍らせる。

 

 バイストン・ウェルそのものになってしまったかのように、相手の声は四方八方から聞こえてきた。

 

 哄笑が空間を震わせた。

 

(とてつもない! とてつもないぞ、これは! 《レプラカーン》がお前達よりも大きいという事は! 僕が勝つという事だ!)

 

 一歩踏み出すだけで何もかもが崩壊する。《レプラカーン》を制御する様々な現象が根こそぎ外れてしまったかのようだ。

 

 その装甲から棚引く瘴気は機体をぼやかせている上に、際限なく巨大化する本体は、次々とオーラを飲み込み、溶け落ちたどこまでも赤い空が広がる。

 

「……バイストン・ウェルに……、なった」

 

 そう言うしかない。相手はバイストン・ウェルになった。そう形容するしか、今は術を持たなかった。

 

(小さい、小さいな、お前達は! そしてお前もだ! グラン中佐! 裏切り者には死を!)

 

 大型オーラバトラーのはずの《マイタケ》が今はまるで赤子のよう。《レプラカーン》に見下ろされた形の《マイタケ》であったが、その闘志は死んでいないようであった。

 

 黒い爪を立たせて戦闘姿勢に入る。

 

(勝てるって? 勝てるってお思いですか? グラン中佐!)

 

『……話には聞いた事がある。オーラの暴走現象、ハイパー化。しかしそれは、身の破滅を意味する。今すぐオーラを解け。《レプラカーン》より降りろ。そうすれば、まだ……』

 

《レプラカーン》が吼え立てる。その咆哮だけで大地が荒れくれ、竜巻がそこらかしこに発生した。

 

(何様だ! グラン中佐、貴方は摘まれるんですよ。今、この僕に!)

 

《レプラカーン》が手を伸ばす。《マイタケ》が袖口から刃を顕現させ、その指先を引っ掻いた。しかし、すぐに傷口は再生してしまう。

 

(無敵だ! 《レプラカーン》は無敵になった!)

 

 今や、胸元までの大きさだけで雲を超えている。見上げるばかりの巨大さになった《レプラカーン》が片手を払った。

 

 それだけでゼスティア城が震え、今にも崩落しそうになる。

 

 遥か遠くの大地で爆発が生じ、草原が根こそぎ焼け落ちた。

 

「……手だけで」

 

 何をしたわけでもない。ただ手を払っただけ。それだけで破壊の爪痕が激しく刻まれる。

 

(……うまく制御出来ないなぁ。でもまぁ、これが強いって事なんでしょう? これが! 強いって事じゃなくって、何だって言うんだ!)

 

『呑まれているぞ! エルム! 情けなくもオーラの甘美なる囁きに惑わされるとは……、貴様それでも誇り高きジェム領の軍人か!』

 

 グランの叱責に《レプラカーン》より声が響き渡る。

 

(うるさいんだよォッ! あんたがそんなんだから、僕がこうなった! 分からないのか、この蚊トンボ!)

 

《レプラカーン》が剣を振るい上げる。大地を割るほどの大きさ、天地を縫い止めるほどの大剣。それは罪人を罰する稲光を想起させる。

 

 確実なる死を、エムロードは予感する。

 

 自分も死ぬ。グランも、ランラも、アンバーも、ミシェルも……、みんなが、死んでしまう。

 

 どうして何も救えない? どうして、何も出来ない? どうして……、こんな時に、こんな場所に収まっている?

 

「……そうだろ。翡翠」

 

 エムロードは《ブッポウソウ》のコックピットの強制射出ボタンに手をかける。

 

 空気圧縮で《ブッポウソウ》の結晶体が弾き出された。その行動にランラは目を瞠る。

 

「……何をやっている! やり過ごせ! ハイパー化は諸刃の剣だ! 使用すれば確実にパイロットは死ぬ! ……今は静観しろ。グラン一人の犠牲で済むかも知れん」

 

 その言葉にエムロードは静かに首を横に振った。

 

「いいえ、でもボクは、それを許せない」

 

「エムロード! それは情けなくないよ! あんなの化け物じゃない! 立ち向かうほうが……」

 

「どうかしてるって? ……どうかしているのかもね、ボクは。でもさ、聖戦士って、おだてられるための条件じゃないはずでしょう。おだてられて、囃し立てられて、それで喜んでいるのなら、……それは嘘だ」

 

 結晶剣を手にエムロードは駆け出していた。空気中に充満する強烈なオーラ。敵意のオーラが渦巻き、この領域を踏み締めている。

 

 ――だが、それがどうした。

 

 相手は確かに化け物のように大きい。相手は確かに限りなく不可能に近いほど強い。相手は確かに、自分では遥かに及ばないほどのオーラ力。

 

 ――だから、それがどうした。

 

 結晶剣を正眼に構える。

 

 それをようやく視界に入れたのか、《レプラカーン》より声が響いた。

 

(白いオーラバトラーの聖戦士! 何をやっている!)

 

「……立ち向かうと決めた。それが答えだ」

 

 狂気の笑い声が大気を打ち震わせた。

 

(オーラバトラーもなしにか? まさか、その小さな、松明のように小さなオーラで、僕を倒そうとでも? そんなもので、僕に立ち向かえるとでも?)

 

「ああ。《ソニドリ》が来れば、ちょっとはまだマシな成りに見えるかもしれない。でも、ここでお前を討つのは《ソニドリ》に乗ったボクじゃない。聖戦士、エムロード! ただの一人に過ぎないボクが、お前を討つ!」

 

(狂ったか? そんなのでこの《レプラカーン》を倒せるはずがない!)

 

「倒す、倒すんだ!」

 

 結晶剣の内側よりオーラが灯火を得る。しかしそれは、目の前で爆発する炎を前にして、水鉄砲で打ち消そうとでも言うようなもの。

 

 あまりにも灼熱。あまりに常識外れ。

 

《レプラカーン》の眼窩が地上のエムロードを睥睨する。

 

「何のために来た! 何をするために来た! それはただ呼ばれたからだけじゃないはずだ! 意味があるはずなんだ、価値があるはずなんだ、そうだと信じたい! だから、ここでボクは剣を取る! ただの戦士として、刃を握る!」

 

(聖戦士など、笑わせる! そんなものはただの必要条件だ! 世界を変えるのは僕、エルムのほうだ!)

 

「……壊すのは、の間違いだろ。ちょっと力を持ったからって、思い上がるのはいい加減にしろ。お前の力が! 聖戦士のそれだと言うのならば、ボクはそれを壊す!」

 

(潰れろ! 聖戦士の成り損ないが!)

 

《レプラカーン》の剣が落ちるのは、まるで天が落ちるかのよう。地を打ち砕く稲妻。破壊の一閃が今まさに、罰する絶対者のように打ち下ろされようとしている。

 

 だが、恐れて何とする。

 

 震えて何とする。

 

 怯んで何とする。

 

 ここで――、退いて何とする。

 

 エムロードは満身より吼える。丹田に込めた声と相乗してオーラの輝きが結晶剣より乱反射した。

 

 魔を討つのは虹色のオーラ。

 

 禍々しい赤の隕石が、その小さな奇跡を打ち砕かんとする。

 

「ボクはゼスティアの聖戦士! エムロードだ!」

 

 オーラの光条が赤い怨念へと一直線に奔る。

 

(脆いだけだ! そんな希望など、消えてしまえ!)

 

 そう、消えるだけかもしれない。何もかも潰えて、何もかも終わって。

 

 それがこの「狭山翡翠」の終わりだと言うのならば。それでも受け入れよう。

 

 だが立ち向かわないのだけは嘘だ。立ち向かわず、逃げるのだけは絶対に嘘だ。

 

 それは「狭山翡翠」ではない。否、――聖戦士、エムロードのする事ではない。

 

 地は穿たれ、空は消失点の向こうに消え、大地は粉砕し、海と大地の静謐が貫いたバイストン・ウェルは、ここで消滅する。

 

 そう思えても何ら不思議はなかった。何もおかしくはなかった。

 

 ――景色が溶ける直前に、虹の皮膜が世界を覆わなければ。

 

 螺旋のようにどこまでも続く回廊。万華鏡の煌きが赤い虚飾を吸い込んでいく。

 

 その現象は空の向こう側、こことも知れぬどこかから生じているようであった。

 

 空と大地の境目が消え、《レプラカーン》の機体が薄靄に阻まれる。

 

(これは……! オーラ・ロード……!)

 

「オーラ・ロード……」

 

 どうしてだかこの時、いや、それは必然だったのかもしれないがこの時、エムロードは「彼女」の位置が分かった。

 

 一度しか見た事のないその姿でも、それは魂の基盤に刻まれた姿であったからであるかもしれない。

 

 ここへと「呼んだ」存在。コモン人の叡智を超え、神秘の域へと、その指先をかけるに相応しい妖精。

 

 それは、神域の巫女。

 

 ゼスティア城の頂上より天を指差す女性を、この時確かに見据えていた。

 

 麗しいブロンドの髪に、物憂げな水色の瞳。

 

 ローブに身を包んだその姿。空を覆う悪鬼へと、その指先が据えられる。

 

(……貴様、エ・フェラリオ!)

 

 聞こえるはずがないのに、この時、エムロードはその声を聞いていた。

 

 ――逝きなさい。その忌まわしき影は、バイストン・ウェルの外へと。

 

 城壁が浮かび上がった。無数の兵士の影が中空へと吸い込まれていく。

 

《レプラカーン》は無限に彩られた虹の孔へと飲まれようとしていた。赤い影が天空を引き裂いてもがく。

 

(オーラ・ロードを開いて、向こう側へ……! だがそれは! 先延ばしにするだけだ! 三十年前の愚かしさを忘れたか!)

 

《レプラカーン》のパイロットの声が遠くなっていく。踊るように地上の廃材が宙を舞い、それぞれが無数の軌道を描いて、空へと消えていく。

 

《マイタケ》の巨体が無重力の虜となった。まさか、あれほどの大きさのものが、と目を見開いた直後、一機のオーラバトラーが飛翔する。

 

『翡翠――!』

 

《ガルバイン》がこの現象の只中を突っ切って自分へと手を伸ばす。その手へとエムロードは触れようとして、不意打ち気味の暴風に煽られた。

 

 オーラの辻風がエムロードを地面より浮かび上がらせる。

 

 このまま虚空へと呑まれるかに思われた身体を、抱き留めたのは《ブッポウソウ》であった。

 

 再起動した《ブッポウソウ》が自分を必死に地面へと縫い止めている。

 

「……ランラ」

 

『ここで死なせるわけにはいかん』

 

「でも……、これは……」

 

『翡翠!』

 

《ガルバイン》が重力の反転した世界で飛翔能力を失い、空へと吸い寄せられる。

 

 エムロードは手を伸ばした。だがその機体は、もう赤い影と共に虹の裾野に至っている。

 

「助けなきゃ……! 《ブッポウソウ》で……!」

 

『馬鹿を言うな! これはオーラ・ロードが開いているんだ! 無闇に飛び込めばお前も呑まれるぞ!』

 

「でも……、琥珀をボクが守らなくっちゃ……! だって言うのに、こんなの……!」

 

 結晶剣を強く握り、エムロードは念じる。《ソニドリ》へと命令を遣わそうとして、それが阻害されたのを感じた。

 

 誰でもない、《ソニドリ》を押し留めるオーラの主は――。

 

「……ミシェル? 何で! 何でさ!」

 

 像を結んだミシェルに問いかける間にも空は荒れ狂う。大地が吼える。岩石が舞い上がり、森林より根こそぎ木々が吸われていく。

 

「琥珀!」

 

 叫んだ声も虚しく、次の瞬間には何もかもが静寂に落ちていた。

 

 ここにいたはずの《レプラカーン》もいなければ、敵国の奇襲兵達も。もっと言えば、善戦してくれたグランの《マイタケ》も、そして無二の友も。

 

 あまりにも多過ぎるものを犠牲にして、バイストン・ウェルは再び、均衡を保っていた。

 

 だが、それがもう戻らぬものであるのは疑いようもない。

 

 エムロードは《ブッポウソウ》の手から離れ、結晶剣の切っ先を突きつけていた。

 

 他でもない、ゼスティア城のエ・フェラリオへ。

 

 その神秘なる瞳は、悲しげに伏せられている。

 

 しかし、この殺意だけは収まりようがなかった。

 

「何をした! お前は!」

 

 ――こうするしかなかった。元はと言えば私が、彼らの命に逆らえなかった。その罪なのだから。

 

 頭の中に直接響いてくる声に、エムロードは吼え立てる。

 

「だったら、どうしてこんな……、こんな結末を……!」

 

 ――聖戦士、エムロード。いえ、狭山翡翠。貴女は知らなければならない。ここに呼ばれた理由を。その大いなる罪悪を。時空を超えた、災厄の種である事を。

 

「災厄の種……? 何を言っている。ボクを呼んだのはお前のはずだ!」

 

 ――そう、そういう事に、この時間ではなっている。でもそうではない。連綿とした時の調べの中に、貴方はいる。巨大な異端の狂戦士、その影と重なって。

 

「分からぬ事を……。琥珀を返せ! みんなを……返してくれぇーっ!」

 

 その場に崩れ落ちる。誰も守れなかった。誰も救えなかった。何一つ、成し得なかった。

 

 悔恨が熱い熱となって頬を伝い、胸を焦がす灼熱の怨嗟にエムロードはエ・フェラリオを恨む。

 

 憎い……、憎い!

 

 だからこの時、それを呼んだ事を忘れていた。それが自分の意思と繋がっている事を。それが、自分の、願いと共にある事を。

 

 エ・フェラリオへと踊り上がった機影を、エムロードは目にしていた。

 

 その手に炎熱のどす黒い剣を握り締めた、暗黒のオーラを宿したオーラバトラー。それが自分の代わりに、エ・フェラリオを断ち切ろうとしているのを。

 

「《ソニドリ》……!」

 

 振るい上げられた《ソニドリ》の攻撃は彼女を打ち砕くかに思われた。

 

 だが、それを阻んだのは横合いから放たれたオーラショットである。

 

 砲撃の主は森林から大軍を率いていた。

 

 ――漆黒の鎧に、青い結晶に包まれた眼光。忘れるはずがない。その因果を。

 

「……あれは、《キヌバネ》……?」

 

 だがどうして。どうして《キヌバネ》が――、蒼が《ソニドリ》を止めるのか?

 

 理解出来ないまま滑り落ちていく思考の表層をエ・フェラリオの声が弾く。

 

 ――聖戦士、ザフィール。いいえ、時の旅人、と銘打ったほうがいいでしょうか。

 

『分かっているのならば話は早い。我々は時のいや果てより、ここに来た。我がジェム領の軍備は……随分と様変わりはしたが、それでもここに来るまで、出来るだけ間違いの布石は打たないようにした。これが最小の間違いだけで済んだ結末のはずだ』

 

 蒼の言っている事の意味が分からない。今、何が起こっているのかも。

 

 ブロンドの髪を持つエ・フェラリオは自ら名乗っていた。

 

「私の名前はジェラルミン・ジュラルミン。エ・フェラリオとして、この戦いを調停する。いずれ起こるであろう、地上界での戦いを、私は止められなかった。何度も繰り返したこの時間の試行を、少しでもまともにするために、オーラ・ロードを開き、そして行動したのですが……、貴女がここにいるという事は」

 

『ああ。諸悪の根源を取り除きに来た。《ソニドリ》、そして翡翠。いずれ合見えるあの場所に行く前に、――わたくしはお前達を破壊する』

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十三話 仇旅蓮歌

 

 どれくらいの距離だったのか、まるで分からない。相当逃げるのに必死だったと見える。

 

 自分でも情けない、とギーマは自嘲していた。

 

「……ユニコンの足で二日、か。それを一夜にして……、生き意地が汚いのもここまで来ればお笑い種だ」

 

『笑ってもらっては困ります。地獄人が出現したのでは笑い事ではないのですから』

 

 通信は常にオープンにされており、前を行く《ビランビー》の背中をギーマは馬車より追っていた。

 

「……詳しく聞いていなかったな。地獄人とは何なんだ。どうして、あんな風に……何もかもを喰らい尽くす?」

 

『説明は、今より三十年前に遡らなければなりません。知っての通り、アの国……、このバイストン・ウェルに最初の火を持ち込んだ原罪の国家のお話から』

 

「大方の知識はある。ショット・ウェポンという技術者がオーラバトラーを開発し、他国に戦争を吹っかけた」

 

『それは表向きでの話です。バイストン・ウェルは魂を慰撫する場所。ここに行きつくのは、地上界で役目を終えた魂でもあるのです。それはコモンとなって転生するか、あるいはフェラリオになるか、それとも……名もなきオーラの風になるか。……それは誰にも分かりません。ですが、地上界で罪を帯びた魂は、この安息の地、バイストン・ウェルでも許されなかった場合……、その罪があまりにも重かった場合、魂はオーラの安らぎを受けません。地獄へと堕ちるのです』

 

「それが、昨夜のあれだと?」

 

 紫色の甲殻を持つ、オーラバトラーと強獣を足したかのような生物。どちらでもない、異端としか言いようのないその存在。

 

『あれは末端です。時折溢れ出すのです。地獄でも裁き切れなかった魂の成れの果て。最早、ヒトでもなく、強獣でもなく、そして魂としての存在は悪として。それを我々、アの国の調査隊はこう名付けました。――オーラビースト。オーラを持つ、獣だと』

 

 どうにも納得は出来かねる。オーラバトラーを超えるべくして開発された巨人、オーラネフィリムをその数で圧倒したという生命体。

 

 それがどうして、自分の前に現れたのか。忌むべき偶然か。恐るべき運命によるいたずらか。

 

 それとも――。ギーマの視線は自ずと馬車で静かに佇むレイニーへと向けられていた。

 

 彼女が招いたのか。自分を王だと欺き、陥れるために。そのシナリオのための自作自演、レイニーがわざと外交をうまく利用し、あの場所へと誘導したのだとすれば……。

 

 疑いは膨れ上がるばかり。

 

 どうして、何故……、そのような問いは往々にして無意味だと分かっているのに。

 

「……貴殿らは落ち着いているのだな。そのオーラビーストとやらが、あんなにも……、出現したと言うのに」

 

『あれの出現頻度自体は落ちているのです。一番多かったのは、大災害と大きな戦の後。三十年前には散発的に頻出していた彼らも少しばかりはここ近年、鳴りを潜めていた』

 

「しかし、聞いた事もないぞ。地獄とやらも、オーラビーストと言うのも。何故、噂にも上がらない?」

 

『ギーマ殿。あなたはこの世界の果てを見た事がありますか?』

 

 その問いには素直に否と返すしかない。

 

「そんなもの、見た人間がいるのか?」

 

『オーラバトラーが跳梁跋扈し、オーラマシンは発達した。三十年。たった三十年と唾棄されるかもしれませんが、それでも三十年あったのです。どうして、三十年もあって、誰も世界の果てを見に行こうとは思わなかったのでしょう? オーラボムでも、ユニコンの足でも何でもいい。どうして誰も、世界を網羅しようとは思わなかったのか、不思議に思いませんか? 何百年……いいえ、何千年かもしれない、このバイストン・ウェルの歴史が、どうして今もまだ、前人未踏の地と、穴だらけの世界地図でしか知れないのは』

 

「それは……、禁忌があるからだろう。口にするもおぞましいが」

 

 コモンならば誰でも本能的に分かっている。言ってはいけない存在の名前を。

 

 しかし相手は地上人。そのようなタブーはまるで無視してその名を紡いだ。

 

『ガロウ・ラン、ですね?』

 

 ガロウ・ラン。それはどのような侮蔑の言葉やどのような屈辱の言葉よりもなお、コモンは先に教えられる「最も忌むべき者達の名前」だ。

 

 この広い世界で、絶対に分かり合えないとすれば、それは彼らだと。

 

 戦争があるのも彼らのせいだ。貧困や、飢えがあるのも彼らのせいだ。フェラリオの不可思議な幻惑が人を惑わすのも彼らのせいだ――。どこまで本気かは分かりかねるが、コモン人はそう信じて疑わない。

 

 ギーマもその一人であった。彼らの名は、口にするだけでも充分に総毛立つ。

 

「……彼奴らの世界とコモンの世界は交わらない。ゆえにこそ、調停はある」

 

『了解しておりますとも。だから、世界は穴だらけなのだ。だから、世界には見えない場所があっても、何ら不思議はないのだと。……ですが、考えても見てください。文明国家の体裁を整えたコモン人が、三十年前ならばいざ知らず、どうして現在でも、彼らを恐れるのです。あなた達にはもう、オーラバトラーという叡智がある』

 

「所詮は地上人の道楽による代物だ。完全な信用は置きかねる、というのが心情だと思うが」

 

『それは建前でしょう? あなたは外交として、様々な国家を回っている。それは戦争をやるためです。目を塞ぎたくなるほどの、大虐殺の手前でしょう』

 

 まだ話していないはずの情報だ。どうして、と勘繰ったこちらに、先んじて相手は応じていた。

 

『……失礼。オーラを見れば、大抵の事は。殊に、コモンは読まれやすい。明け透けな思考は控えたほうが無難かと』

 

「……諫言、痛み入る。しかし我々は相手のオーラを見る、不躾な地上人との外交まで考えてはいないのでね」

 

 精一杯の皮肉にリリディアはご冗談を、と笑った。

 

『地上人を呼んでいる事くらいは分かるんですよ。特有のオーラがありますから』

 

 そこまで悟られていれば、ここでの取り繕いは逆に滑稽なだけか。ギーマは根負けしていた。

 

「……外交努力に勤しんで何が悪い」

 

『戦火を広げる、あるいは領地のため、大いに結構でしょう。我々が関知するものでもございません。それはコモン人の営みの一つですから。たとえこのバイストン・ウェルが、全ての魂の終わりの地であったとしても、世界は裏表など関係なく、連綿と続いていくのです。それが地上だから、バイストン・ウェルだから、などというまやかしは抜きにして』

 

「随分と言葉を弄すな。ハッキリ言えばいい。ここに分不相応な野心を抱いたコモンを嗤いに来たとでも」

 

『いえ、嗤えませんよ。あなたは運命的にも地獄人と邂逅した。それはアの国の……、滅びた国家の調査員として、看過出来ぬ事柄ですので』

 

 せいぜい三十年前に道を踏み外した国家の生き残りが言う、忠告だとでも規定したいのだろうか。いずれにせよ、気に食わないと鞭を振った。ユニコンが足を速める。

 

「しかし、奇怪なのはそれだけではない。貴殿一人か? 調査隊と言うのは」

 

 リリディアは先ほどから組織立った物言いをしている割には、他の誰かと合流しようという素振りはない。何か、大きな事に担がれているのでは、と疑いたくもなる。

 

『調査隊は世界に散らばっています。私が偶然にもあなた達を見つけたので、今は私の管轄です』

 

「そういう、言葉の上だけの篭絡をして、ではわたしに信じろと? 調査隊とやらも、アの国の生き残りというのも、どうにも眉唾物だ。貴殿らには何か、譲れない信念でもあれば、別だが」

 

『譲れないものならばありますよ。地獄人を、決してここから出してはいけないのです。このバイストン・ウェルから。オーラ・ロードを開くフェラリオを、接触させてはいけない。それは世界の終わりを意味する』

 

「何を言うかと思えば、世界の終わりだと? まさかバイストン・ウェルが滅びるとでも言うのか」

 

『あなたはその兆候を知っているはずだ。目にしたのでしょう? 異端狂戦士を』

 

 どこまでも人の心を読んでくる。何も考えられないな、と襟元を整えた。

 

「……いい趣味とは言い難い。他人が口を割る前に、こちらの機密を暴くのは」

 

『失礼。口の堅いコモン人とお見受けしたので。そういう方には言ってあげるとよろしいのだと、経験則で知っております』

 

「侮蔑だ、それは」

 

『《ゼノバイン》は世界を侵して回る病魔のようなもの。それに触れれば、地獄人とのリンクが自ずと張れてしまったのも納得ではあります。ですが《ゼノバイン》を破壊しようとして戦力を集めていたようでもありませんね。……まぁ、そのような事、無駄なのですが』

 

 ランラ達のあの眼差しが思い起こされる。《ゼノバイン》を、仇を取るまで死ねないと決意した瞳。どこまでも復讐者としてしか生きる事を許していないあの死狂いの様を。それを軽視されたようで、ギーマは自然と声にしていた。

 

「……この世にはこうと決めれば、もうてこでも考えを曲げない者達もいる。軽々しい言葉はしなくてもいい闘争を招きかねない」

 

『忠告感謝しますよ。ですが、我々は遥かに上の行動を基本としている。領国同士の争いなら、それは取るに足らないと』

 

 どこまでも口の減らない女だ。ギーマはそれに比してレイニーが全く口を開かないのが先ほどから気にかかっていた。

 

「……わたしを殺そうと思ったわけではないのだろう」

 

「それでも、主様の逆鱗に触れたのならば、私は言葉を弄するべきではないのでしょう」

 

「……やろうと思ってこの状況を作り出したのでなければ、許すべき寛大なる心も持ち合わせている。これでも次期当主の身なのでな」

 

「許して……くださるのですか」

 

「それはこれから見る景色次第だ」

 

『そろそろ着きますよ』

 

 リリディアの言葉に、確認するまでもない、とギーマは周囲を見渡していた。紫色の結晶体がそこいらに散らばっている。オーラビーストとやらの骸だろうか。

 

「……何かと戦った?」

 

『いえ、彼らは夜しか行動出来ないのです。陽の光を浴びた者達でしょう』

 

 太陽の光だけでこうにまで劣化してしまうのか。ギーマが馬車を止め、手を触れようとするとリリディアの厳しい声が飛んだ。

 

『触らないようにお願いいたします。死んでいてもそれは地獄へと繋がっている』

 

 手を彷徨わせる。オーラビーストの死骸は街のほうまでずっと続いていた。

 

『……おや。街は完全に終わったわけではないようですね』

 

 最大望遠で何かを捉えたのか。ギーマが胡乱そうに口にする。

 

「まさか、まだ人が?」

 

『ええ、生存者です』

 

 リリディアの《ビランビー》が速度を上げ、街の上空へと至った。その時、街から飛翔したのは巨大な影である。

 

 無数のオーラビーストに機体を侵食されながらも、その巨躯にはまだ闘志が宿っていた。

 

 オーラバトラーの倍ほどはある大剣を《ビランビー》に見舞う。

 

 拡大された声が響き渡った。

 

『何奴!』

 

『剣を仕舞ってください。敵ではありません』

 

『信用なるか! 祖国は死んだ!』

 

『……敵ではないと』

 

『証を立てろ!』

 

 オーラネフィリムが激しく剣を振るう。《ビランビー》はあえて交戦を控えている様子であった。

 

 その赴くところをギーマは理解する。

 

「そこのオーラネフィリムのパイロット! わたしはゼスティア領の外交官! ギーマ・ゼスティアだ!」

 

 如何に軍人とは言え、高官の名前ならば聞き覚えがあるはず。その剣が止まった。

 

『……交渉国家の?』

 

「此度の災厄……、残念であった。わたしとしてもその方の対処に尽力したい。街へと通してもらえるだろうか?」

 

 オーラネフィリムが立ちはだかる形でいるために、馬車では街に入り込めない。

 

 相手は聞き分けがいいのか、剣を鞘に仕舞う。

 

『……浮いているのは』

 

「アの国の調査官殿だ」

 

『聞いた事もない』

 

『極秘権限があります。知らないのも無理はない』

 

 よくもまぁ、そうも易々と嘘がつける。いや、真実かもしれないが確かめる術などないのだ。

 

『……女だてらにオーラバトラーの騎士か。真似事を』

 

『戦闘経験だけは積んでいるつもりですが』

 

『吐き捨てろ。ゼスティアの高官殿。それがしはこの国家のオーラネフィリムのパイロットが一人。イースと申す』

 

 巨人のオーラネフィリムは人がそうするように膝を立て、その場に傅く。彼は軍人としての領分が分かっているタイプなのだろう。

 

 政の領域に口を出さない、生粋の軍人か。

 

「……街へと入っても」

 

『構いませんが、怪物共の警戒のため同行させていただきます』

 

「許す。彼女も」

 

 仰ぎ見たギーマに、イースは胡乱そうに返す。

 

『……アの国なんて。御伽噺です』

 

「それが案外、そうでもないようなんだ。《ビランビー》にも許可を」

 

『……そう仰るのならば』

 

 オーラネフィリムが身を翻し、街へと道を開く。

 

 道中のオーラビーストの死骸は日光で死んだのではなく、巨大な質量による両断で粉砕されていた。

 

 彼の偉業だろう。

 

「……立派な剣士だ。あのような異常事態でも、問題なく剣を振るえるとは」

 

『いえ、勿体なきお言葉です。それがしには元より、剣を振るう以外の才はなく……。頭の出来も悪いので生き意地が汚かっただけでしょう』

 

「他の者達は」

 

 無言が全てを物語っていた。

 

「……そうか」

 

『見える範囲では、他のオーラネフィリムもない。撃墜されたのですか』

 

『口が裂けても今の発言を繰り返すなよ、女。我々は応戦の果てに、自ら喉を掻っ切り、腹切りをして自害した。この化け物共に喰われた軟弱者は一人もいない』

 

 それが彼の国の誇りか。高官との話にあったオーラモデルに偽装しての軍備増強を彼が聞けばどう思うだろうか。

 

 軍人としては、素直にオーラネフィリムに乗ればいいとだけ教えられてきたクチだろう。

 

 この国が辿っていた偽装も、軍備増強政策にも彼らは全く、関知の外であったに違いないのだ。

 

『高官殿。……いや、まどろっこしいですね。ギーマ殿とお呼びしても?』

 

「構わない。こちらこそ、イース、と呼んでも? 階級は分からんが」

 

『呼び捨てで構いません。階級もさほど上ではございませんゆえ。それに……国が滅びれば、階級など……』

 

 屈辱を噛み締めた声音にギーマは街中で崩落した家々を見渡していた。どの家屋にもオーラビーストが突っ込んだ痕跡がある。

 

 民間人は皆殺しか、と怖気づいた様子のユニコンに鞭を振るう。

 

『酷い有様でしょう。……守り切れなかった』

 

「その方のせいではない。あんなものが攻めてくるなど想定外だ」

 

『しかし……、目の前で喰われていく民を見るのは……』

 

 オーラネフィリムの力であっても、全ての敵を粉砕は出来ない。彼は自らの至らなさに、激しい後悔を抱いているようであった。

 

『民はいずれ死に絶える。それが遅いか早いかだけでしょう』

 

『……自業自得で滅びた国の言い草か。それらしいものだ』

 

 どうやら水と油らしい。リリディアもどうしてだか、相手に心を許す気はないようだ。

 

「……政府高官で、誰かは……」

 

 尋ねた声音にイースは、残念ながら、と声を搾り出す。

 

『……生き残っていれば今頃命令があるはず。それがないのは……』

 

 帰結する先は見えていた。分かっていたはずだろう。

 

 彼らは一夜にして虐殺された。地獄、と呼ばれる場所から来た異端者によって。

 

 現実に、ギーマは身震いする。こんな、兵力でも何でもない。思想さえも存在しない相手に、一方的に蹂躙を許す。

 

 それがこの地の末路か。

 

「……こういう感情からは切り離すべきだろうが、悲しい、な」

 

 オーラネフィリムが地獄人の現れたと思しき箇所へと、剣を突き立てる。街の郊外とも言えない場所であった。

 

 既に亀裂のようなあの亜空間は閉じている。

 

 せめて手向けの花を、とギーマは周囲に花を探そうとして、土地が黒く汚染されている事に気がついた。

 

 地獄人の痕跡には、赤黒い血のようなものが溜まっており、それが土壌へと侵食しているのである。

 

『……地獄人の出現はその土地の死を意味します。それが通った箇所の土は、もう……』

 

「バイストン・ウェルの大地さえも穢すか。まさしく悪鬼だな」

 

『ギーマ殿。それがしから、是非、聞き届けていただきたい願いがあります』

 

 見上げんばかりのオーラネフィリムが自分相手に頭を垂れていた。

 

『どうか、仇を。滅ぼされた国の末裔がするだけの、ただの意趣返しですが、それでもこの行き所のない暴力だけは……如何ともし難いのです。どうか、その道標に、同行を』

 

 ギーマは目を見開いていた。結果論とは言え、自分の下に二人の強力な戦士がついた。

 

 これはレイニーの予言通りなのだろうか。

 

 ――暗黒城の主として、相応しい力を。

 

 一方はアの国の調査員。一方は滅びた国の兵士。

 

 しかし、この二つは時代を変えるだろう。間違いなく、ランラ以上の戦力だ。

 

 自分の下に集いつつあるのは、やはりフェラリオの王冠の宿命か。あの呪われし王冠が、因果を集めているのかもしれないと、ガラにもなく思ってしまう。

 

「……顔を上げてくれ、イース。志は同じだ」

 

『……ああ、喜んで……!』

 

「そういえば、聞いていなかったな。オーラネフィリムの名前を」

 

『験を担ぐと言いますか、あの伝説のオーラバトラー、《ダンバイン》より名前を授かりました。――名を《ギガスバイン》と』

 

《ギガスバイン》。巨人の《ダンバイン》か。青い装甲に、装飾華美な絢爛なる軍旗をなびかせる。どこか強獣との境目がまだ存在しないかのような機体各所の構造は、より俗世とは隔離された巨人を思わせた。

 

「では、イース。ゼスティアのために、戦って欲しい」

 

 これでお膳立ては整ったか。だが、問題なのは戦力を揃えれば、この外遊は終わりではないのだ。

 

 地獄人という新たなる脅威に対して、何らかの措置を取るべきである。そうでなければ、何のための外交か。

 

「……他国に密書を送らねばならないだろうな。同盟関係の国家には全て。だがユニコンでは難しい」

 

『オーラネフィリムは緩慢なので、そういう事には……』

 

『私がやりましょうか? 同盟国、とは言ってもユニコンで外遊出来る程度の距離なのでしょう?』

 

「頼めるか?」

 

『小間使いではないのですが、地獄人とのリンクが張れたあなたは厄介です。監視のためにもその行動を逐一見ていなければ』

 

『……どの口が』

 

「イース。彼女にも事情がある。わたしは夜が来る前に、この街を離れる。リリディア、落ち合う場所を決めよう」

 

『南方に小さな村があります。村民も穏やかな気風なので受け入れてくれるかと』

 

「オーラビーストの事は」

 

『言わないほうが無難でしょうね。要らぬ恐怖を招く事になる』

 

 だが、巨人を引き連れて何もなかった、というのも通用しないだろう。策を講じている間に、レイニーが声にしていた。

 

「オーラネフィリムはオーラモデルを偽装出来るのでは? その方法ならば、警戒心を抱かれずに済むはず」

 

 イースへと視線を飛ばす。《ギガスバイン》は足を折り畳み、器用にもオーラ・コンバーターを仕舞い込んで山車の形態へと変形していた。

 

『この国から外交に来たとでも言えば』

 

「理屈は通用する、か。あとは物分りがいいかどうかだけだが……、それはわたしの手腕だな」

 

 何よりも、ここで自分が臆すれば全てが水泡に帰す。

 

 戦い抜いてみせるとも。

 

「……地獄人。それがどれほどの困難と悪の権化であろうとも、わたしは制する。この戦い、勝利者はわたしだ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十四話 浮上侵域

 眠りに落ちていた。深い、深い眠りに。

 

 淡い混濁した意識を滑り落ちるのは、バイストン・ウェルに呼ばれてからの出来事だ。

 

 閉じ篭った自分へと手を差し伸べてくれた親友。彼女と共に強くなれると思っていた。何よりも、全てが終われば地上に帰れると。何事もなかったように、日常が待っていると。

 

 そう信じなければやっていけなかった。そうどこかで考えを放棄する事で、頼らずに済んだ。誰かを当てにせずに済んだ。だが、記憶は。この脳内から爆発的に開かれた記憶は――、悪夢であった。

 

 空を覆う赤い影。それに立ち向かう、丸腰に等しいエムロード。その手を取ろうとして、永遠に機会を失ってしまう。《ガルバイン》と共に闇へと堕ちていくビジョンに、ハッと目を開けていた。

 

 コックピットの中である。もしかすると、今のビジョンはただの夢で、コックピットを開ければ整備士の人々が待っている――、そう思って結晶体を開けた刹那、鼻腔を突いたのは潮風であった。

 

「……海?」

 

 まさか、とアンバーはコックピットより這い出る。辺り一面は濃い緑で覆われており、森林地帯に落着したのが窺えた。

 

 ――しかしこの匂いは。この懐かしい香りは。

 

 急かすような鼓動と予感に衝き動かされ、アンバーは森林を抜けた先を視野に入れていた。

 

 港町が広がっている。海鳴りが遠く聞こえ、海面が陽光を反射する。

 

 見知った光景にアンバーは絶句していた。

 

「……嘘でしょう? ここは、地上界……?」

 

 そんなはずはない、とアンバーは事態を反芻する。巨大なレプラカーンとの戦いで、自分は、と記憶を手繰りかけたその時、草むらを揺らした影にびくついた。

 

「……貴君は」

 

「……グラン」

 

「……中佐階級で通っている。敵国とは言え、そちらで呼んで欲しいものだ」

 

 思わず口をついて出た言葉をアンバーは頭を振り、言い直していた。

 

「……グラン……中佐。ここは……」

 

「儂も驚いた。バイストン・ウェルではないな」

 

 やはり、そうなのか。だとすれば、この見知った光景は。夢でも幻でもないのならば、この場所は……。

 

「地上に、出たって言うの?」

 

「……《レプラカーン》がハイパー化した。そこまでは覚えているな?」

 

 確認の声音にアンバーは頷いていた。グランは顎でしゃくる。

 

「結構。ではついて来い」

 

「……何で命令口調で」

 

「ここが地上界だとするのならば、丸腰では危険だ。儂は《マイタケ》を安全圏まで移してある。貴君のオーラバトラーを拾うぞ。名は……」

 

「《ガルバイン》、だけれど」

 

 その名前にグランは鼻を鳴らす。

 

「……験を担いだか。よりにもよって滅びたアの国の英雄機の名を。だが、儂からしてみれば、それはどうでもいい。貴様らが滅びようとな」

 

「……こっちだって、捕虜の扱いのはず」

 

「驚いたな。ここが地上界だとすれば、そのような縛りももうないはずだが」

 

 返された皮肉にアンバーは言葉を仕舞っていた。ここで舌戦を繰り広げても、何の益にもならないのは分かっている。

 

「何が起こったのか、整理しても?」

 

「儂もそうしたいところだ。一人だと混乱してしまう」

 

 思わぬ返答にアンバーは思い出せる範囲から口にしていた。

 

「……ジェム領の《レプラカーン》とか言うオーラバトラーが……ハイパー化した」

 

「まだよくその言葉を理解していないようだな」

 

「詳しくは知らない」

 

「ハイパー化。……三十年前に地上界で発生したと言う、オーラの膨張現象の事だ。我々はその現象に対して極めて無力であり、ああなったという事は《レプラカーン》のパイロットも無事では済むまい」

 

「死んでるって……?」

 

「可能性では。しかし、こちら側に浮上したという事は、少なからずオーラの加護があったと見るべきだ。オーラ・ロードが開く条件は大きく二つ。オーラ同士の干渉による突発的な増幅によって地上界との、何かしらの中和が成されオーラマシンが浮上する場合。もう一つは、これが一般的なのだが、フェラリオの導き」

 

「フェラリオ……」

 

 ティマの事を思い返していたが、ティマにそこまでの力はないはず。ならば、と思索に浮かべたのは始まりの日に邂逅した青い目の女性だろう。

 

 彼女の導きで自分とエムロードはバイストン・ウェルに転生した。

 

「……心当たりがありそうだな」

 

 図星を突かれ、アンバーは目を逸らす。

 

「だからって、教えないよ」

 

「それで構わん。こちらも必要以上の事は言うつもりはない。だが、地上界にオーラバトラーで出たという事実を、もっと重く見るべきだ。基本的にオーラ・ロードは一方通行。オーラバトラーだけで帰る方法を、我々は知らんのだからな」

 

「……戻れないって言うの?」

 

「可能性では。しかし、戻った前例がないわけでもない。代償はつき物だが、オーラバトラーが二機あれば、ともすれば可能かも知れん」

 

「その論拠、あるんでしょうね?」

 

「……儂も分からんよ」

 

 グランは草木を掻き分け、落ち窪んだ池に《マイタケ》を沈めていた。半分水中に入った形の《マイタケ》は機体をさながら胎児のように丸まらせている。

 

「動くの?」

 

「確認済みだ。《マイタケ》は動くが……目立ってしまう。そちらは地上人と聞いた」

 

「だから?」

 

「周囲の見回りはそちらに頼みたい。無論、オーラバトラーは動かさぬ形で、だ」

 

「そんな義理……」

 

「ないとは言わせんぞ。貴様らのお陰で浮上したも同じなのだからな」

 

 それは、と言葉を詰まらせる。レプラカーンが何を起こしたのか、今のところ皆目不明であるが、それでもこの現象の解明には自分が動く他ないのだろう。

 

「……知らないよ」

 

「投げやりに言うのは結構だが、問題なのは状況の把握だ。この地上界がどのような理なのか、それを見定める」

 

 どうしてグランがそこまで慎重なのか、と考えてみると、彼は生粋のコモンなのだ。バイストン・ウェルから出た事のないコモン人からしてみればこの地上界は未知の領域。ならば、動かないほうがいいと考えるも致し方ないのだろう。

 

「……この森林に覚えはある」

 

「ほう。ならば余計に水先案内人を頼みたいところだな」

 

「だからって、教えるとは言っていない」

 

 アンバーは身を翻していた。グランの話では、オーラバトラーが二機あればバイストン・ウェルに戻るのは可能。だが、よくよく考えてみれば戻る必要はあるのだろうか?

 

 自分とエムロードは望まずしてバイストン・ウェルへと転生した。ならば、これは帰るべき場所に帰還したと捉えてもいいのではないのだろうか。

 

 それならば、とアンバーは森林地帯から抜けられる林道へと顔を出していた。

 

 やはり、この道は知っている。

 

「……学校に向かう丘の途中だ」

 

 この道中で自分達はバイストン・ウェルへと召喚された。ならば、丘の上には学校があるはずだ。

 

 歩くのもさほど苦ではない。

 

 彼の地での苦しみに比べれば、戻ってきた感慨のほうが強かった。

 

「……何日くらい経ったんだろう? 一週間とか?」

 

 バイストン・ウェルの一日がこちらの一日とは限らない。浦島太郎のような感触を胸に、アンバーは丘の上に建つ女子校を視野に入れた。

 

 そこから先は考えるよりも足が動いていた。

 

 駆け出した足は校門の前で立ち止まる。

 

「……本当に、戻ってこられた……」

 

 一生あのままだと思い込んでいた。だが、戻る術はあったのだ。

 

 ならば、とアンバーは校内へと足を踏み入れる。生徒達の声が聞こえてくるのと、太陽の昇り方から鑑みて、今は放課後に相当するだろうか。

 

 アンバーはその足取りのまま、自分達の校舎へと駆け込んでいた。すれ違った生徒が仰天して目を丸くする。

 

 そうだ。この服飾は現代日本には相応しくないだろう。中世の騎士を思わせる服装に、相手は立ち止まっていた。

 

「あの……。今って、西暦何年?」

 

 まさか、こんな冗談のような会話を交わすなど思いもしない。相手は、周囲を見渡しつつそれを言ってのけた。

 

 その年代の日付が自分達のいた時代と全く同じである事に、アンバーは心底安堵する。

 

「よかった……。一年も経っていないんだ……。時間的には二週間経ったかどうかか……」

 

「あの……何を言って」

 

「いや、何でもないの! その、この格好は演劇部から衣装を借りていて。それで、ほら……役作りって言うか」

 

 それでも胡乱そうな眼差しであったがある程度は納得を得たらしい。少しばかり警戒が薄らぐ。

 

「教室は……こっちだよね」

 

 教室へと足を進める。戻ってこられた、というのに気が乗らないのは自分とグランだけ地上界に放逐されたような気がするからか。

 

 エムロード――翡翠は恐らく、まだあの地に残されている。

 

 それを負い目に思わないわけではない。

 

 だが、それでも戻れた。という事は方法があるのだ。ならば、今は少しでもこの感触を噛み締めよう。そう感じて教室に足を踏み入れた途端、驚嘆と好奇の眼差しが注がれる。

 

「あの……演劇部で……」

 

 しどろもどろになったアンバーに声が投げられた。

 

「琥珀……さん?」

 

 声をかけてきたのは女子のリーダー格の少女である。思えば彼女との喧嘩別れの末、あちらへと飛ばされたのだ。

 

 アンバー――琥珀は幾ばくかの逡巡の後、頷いていた。

 

「うん、そう。……アン、じゃない琥珀……」

 

「……登校拒否しているとか聞いたけれど……何なの? その格好」

 

 馬鹿にされるのは別段、気にする事ではない。それよりも、と琥珀は聞いていた。

 

「あの、ここって地上界だよね?」

 

「は、はぁ? 何を言っているの?」

 

 そうだ。地上界の人間は普通、バイストン・ウェルの事を知らない。だから「地上界」という言い回し自体がふさわしくないのだ。

 

「あっ、違って……。何て言えばいいのか……」

 

「何なの? 変な演劇にでもかぶれた? どう頭がおかしくなればそんな格好をして校内をうろつくのかしら?」

 

 嫌味も今は愛おしい。久しい感覚に琥珀は乾いた笑いを返す。

 

「いや、その……。まぁ、色々あって。それで、こっちに翡翠は……来ている?」

 

 望み薄な言葉だったが聞かなければならないだろう。相手は眉間に皴を寄せて首を横に振った。

 

「……いいえ」

 

「そっか。そうだよね……」

 

 やはり翡翠はまだバイストン・ウェルか。落胆した琥珀にかけられたのは思わぬ言葉であった。

 

「その、ヒスイってのは、どこのヒスイさんなのかは知らないけれど」

 

「……えっ? 翡翠だよ。狭山翡翠。目の敵にしていたじゃん」

 

「……本当にどうにかなったの? 頭でも打った? 狭山翡翠とかいう生徒は……このクラスにはいないけれど」

 

 まさか、と琥珀は相手の肩を掴んでいた。想定外の行動に相手がうろたえたのが伝わる。

 

「翡翠だって! あたしとずっと……つるんでいた……狭山翡翠!」

 

「あの……本当に何の事を言っているの? サヤマヒスイなんて、聞いた事もないわよ?」

 

「嘘つかないでよ! それとも……嫌がらせ? あたしが翡翠と仲良くしていたから?」

 

「ちょ、ちょっと! そういう言い方……! 本当に知らないのよ!」

 

 そんなはずは、と琥珀は教室の奥に貼り付けられている名簿へと駆け寄る。そこに狭山翡翠の名前を探すが、そのような名前はどこにも存在しなかった。

 

「……どう、なっているの……」

 

「聞きたいのはこっちよ。登校拒否なんてして、品位を落としてばかり。挙句の果てに妄想癖? 心底、この学校の落ち目ね」

 

「いや、違う……。違うんだ。あたしは翡翠と一緒に、バイストン・ウェルに行った。それは間違いない。だって言うのに、ここに翡翠は……いない? 元から?」

 

 混乱する脳内へと女生徒が声を飛ばす。

 

「いい加減になさい! 演劇にかぶれたかどうか知らないけれど、よく分からない事ばかり言うのなら先生を呼ぶわよ!」

 

 どういう事なのか。琥珀は覚えず、教室から逃げるように走り去っていた。

 

 翡翠がいた証明、それを探そうとしたが、どこにもない。よく二人乗りをしたバイクもなければ、翡翠が所属していた剣道部にも……どこにも翡翠がいた証明がないのだ。

 

「……どうして? 客観的に翡翠の証明を言えるのは……」

 

 誰もいない。戻ったはずの地上界でどうしてだか、翡翠の存在だけが抜け落ちている。

 

 日時はあれから二週間経ったかどうか、という程度のはずなのに。忘れ去られるほどの日にちは経過していない。

 

 その証拠にクラスメイトも自分の事は覚えていた。

 

 ――しかし、翡翠の事は。

 

 何故、自分は認識されて翡翠は誰の記憶にも残っていないのか。

 

 その謎を氷解させる術もなく、琥珀は上級生の教室の前に赴いていた。あの日から変わらない――行方不明者の中には城嶋蒼の名前がある。

 

「……蒼先輩はあちら側に行ったのに、記録にある。でも、どうして翡翠はいない事になっているの……?」

 

 答えが見つからず、琥珀はよろめくように校舎を後にしていた。

 

 その後を密かに尾行していたのだろう。校門でグランが待ち構えている。彼は腕を組んで憮然と校舎を眺めていた。

 

「……何かあったのか?」

 

「……翡翠。いいや、エムロードも地上人だった……、あたしと同じ」

 

「それは聞いているが」

 

「でも! ここにいたはずなの。あたしと同じようにあっち側に転生して、それで戦わなければいけなかっただけなのに……! どうして、どこにもいないの?」

 

「落ち着け、ゼスティアの地上人よ。今は確認が欲しい。ここは間違いなく、地上界か?」

 

 その問いに琥珀は首肯する。自分達のいた時間軸の地上界のはずだ。

 

「そうか。それが了承出来ただけでも御の字としよう。一度、《マイタケ》の下へと戻る。その上で、身の振り方を判断せねばならない」

 

 力なく、琥珀はグランの背中に続いた。その様子があまりにもおかしかったのだろうか。彼は目線を振り向けずに問いかける。

 

「……相当、衝撃的な事でもあったのか?」

 

「……分からない。あたしにも」

 

「そうか。分からないのならば解きほぐすしかあるまい」

 

「どうして……、そんなに落ち着き払って……!」

 

「落ち着いているわけでもない。儂とて精一杯だ。地上界に出たという事は、もうバイストン・ウェルに戻るのは望み薄だという事だからな」

 

 彼はバイストン・ウェルで成し遂げなければいけない事があったのだろう。どこか憔悴したような背中にそれ以上の言葉を浴びせる気にはなれなかった。

 

「幸いな事に《マイタケ》の運用には支障がない。そちらのオーラバトラーも既に池まで回収済みだ。余計な心労まで背負う事はない」

 

 グランなりの気遣いだろうか。しかし、琥珀の胸を占めいていた不安はその程度では払拭出来なかった。

 

 ――どうして翡翠の記憶も、記録もこの場所には残っていないのだ。何かが……この地上界はおかしい。

 

 その確証が得られないまま、琥珀は不意に道路を登ってきたテレビ局の車体を目にしていた。

 

 気が散っていたせいだろう。テレビ局のバンが眼前まで迫った時、グランが咄嗟に自分を突き飛ばしていた。

 

 路面を転がりながら、琥珀はテレビ局クルーの声を聞いていた。

 

「おい! 人を轢いたぞ!」

 

「出てきたんだよ!」

 

 言い争いが耳朶を打つ中、降りてきた女性キャスターが駆け寄って肩を掴んだ。

 

「もし! 大丈夫?」

 

 返答しようとして、琥珀は項垂れる。彼らに当り散らしたところでしょうがないのに、どうしても叫び出したかった。

 

「大丈夫ですから! 放っておいて!」

 

 喚いたのは自分でも情けない。だが、地上界に親友の居場所がないと思えば自然と自分の存在意義さえも奪われたようで、無気力に陥っていた。

 

 女性キャスターも面食らった事だろう。そう感じて立ち上がろうとしたのを、相手は強い力で肩を掴み、真正面を向かせた。

 

「……あなた」

 

 息がかかるほどの距離に迫った相手の面持ちは――。

 

「……あたし?」

 

 どうしてなのだろうか。その時、眼前の女性キャスター相手にそのような言葉が漏れたのは。

 

 しかし、栗色の髪も、瞳の色も、顔立ちも全て――自分の生き写しのように見えたのだ。

 

 あるいは自分がもう少し成長すればそうなっていたであろう鏡像だろうか。相手も自分を見据えたまま、やがて震える唇で言葉を紡いだ。

 

「そう……ようやく……繋がったわけ」

 

 栗色の髪の女性はどこか憔悴し切ったように声にする。その声音もどうしてだか自分に似ている事に琥珀は違和感を覚えた。

 

「あの……どこかで」

 

 出会ったのか。そう口にする前に、港が重苦しい灰色の雲に包まれた。突如として、暗くなった天地に轟いたのは赤い稲光である。

 

 薄靄の中、海上に赤い巨神が出現していた。

 

 その姿を見て、女性は声にする。

 

「《ハイパーレプラカーン》……」

 

「どうしてその名前を……」

 

 地上人がバイストン・ウェルのオーラバトラーを知っているはずがない。それも自分達と戦ってハイパー化した相手など。

 

 彼女は振り返り、尻餅をついている自分を目にして微笑んだ。

 

「……出会うべくして、この邂逅はあった。リボンは橋渡し。無数の世界を……結ぶ」

 

「どういう――」

 

 問いかけようとしてグランが立ち上がり、雷鳴のように威嚇の声を響かせていた。

 

「動くな!」

 

 抜き放たれた剣にテレビクルーが瞠目するが、彼女は全く動じていない。その立ち振る舞いにグランは胡乱なものを寄越す。

 

「……貴様、何者だ? どうしてゼスティアの地上人と同じような……オーラをしている?」

 

「あの子はあたしだからよ。グラン中佐」

 

 名前を呼ばれてグランはうろたえた。

 

「……物の怪が!」

 

 斬りかかろうとしたグランへと制するように女性は言葉にする。

 

「時間はないの。説明している時間も、分かってもらえる余裕も。グラン中佐、それに……アンバー。オーラバトラーがあるはず。すぐにそれに乗って、あの巨大な赤い影と戦って欲しい」

 

「貴様の要求を呑むと思ったか!」

 

「……呑まなければこの世界が滅びるだけよ。お願い、今はあたしの言う通りにして」

 

 グランは暫し睨み合いを続けていたが、やがて問答が無駄だと悟ったのか、剣を仕舞った。

 

「……面妖な」

 

「事実は事実なの。今のあたしに言えるのはこの程度。そして……アンバー。あなたも早く、《ガルバイン》に」

 

「……何で、《ガルバイン》の事を知っているの?」

 

「説明出来るような状況じゃないの。すぐに米軍の応戦部隊が出撃する。でも、ハイパー化したオーラバトラーに通常兵器は役に立たない。この時間軸の地上界において、応戦の術を持っているのはあなた達、たった二人なのよ」

 

「……《マイタケ》でも勝てるかどうかは分からんぞ」

 

「それでも、あなたは行くのでしょう? グラン中佐」

 

「……癇に障る。軽々しく呼ばないでもらおうか」

 

「車でオーラバトラーまで送るわ。地上界ではオーラバトラーは無二の性能を誇る。今は……その希望に縋るしかないの」

 

「様々な事を知っているようだが、本当に何者だ? ただの地上人ではないのか?」

 

 グランの問いに彼女は目線で返していた。

 

「この時間軸の果てよりやってきた、――異邦人、とでも紹介すべきかしらね。あなた達には立ち向かってもらうわ。この時間軸の果て、未来の可能性の終着点。そう、――オーラバトラー大戦が訪れるまで」

 

 転がっていく状況を、琥珀は一つも飲み込めなかった。しかし、海の向こうよりやってくる赤い巨兵の影は、否が応でも決断を突きつけているのだけは間違いなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十五話 ウォッチ・オーバーユー

 

 基地に響き渡ったけたたましいブザーの音にイリオンは叩き起こされていた。

 

「……また強獣か」

 

 スーツを着込み、廊下を折れたところで米兵達とかち合う。

 

「強獣ですか」

 

「それならまだマシだ! このブザーの音は……ああ、訓練だけだと思っていたくらいだぜ……」

 

「何が起こったんです?」

 

 歯の根が合わない様子の兵士達が頭を振る。

 

「……死なないでくれよ。俺達も死にたくはねぇ」

 

「……何が来たって言うんだ」

 

 格納庫で無数の整備士が取り付いている《アグニ》が今か今かと出撃の時を待ちわびているようであった。

 

 強獣を殺す度、最初はよちよち歩きの赤ん坊のようであった《アグニ》にも戦士の様相が似合ってきた。今は、激戦を重ねた狩人だ。

 

「乗れますか!」

 

「待ってください! ミシェル博士が!」

 

 金髪の少女がこちらへと歩み寄る。どこか能天気なその面持ちのまま、彼女は端末に映し出された敵をこちらへと見せる。

 

「……何だこれ……」

 

「こちらでも観測しかねている。でもオーラを持つ敵性存在なのは確かよ。今までの常識ならばこれを強獣と呼ぶところだけれど、生憎、この反応、三十年前に同じものを観測した例がある」

 

「だったら、すぐに出撃します!」

 

《アグニ》へと搭乗しかけてその肩を掴まれる。

 

「情報もなしに闇雲に飛び込んだって死ぬだけよ。落ち着きなさい」

 

「だって……でも、それはまるで……」

 

 言いよどんでいたこちらへと、ミシェルは断言する。

 

「ええ。これはまるで――オーラバトラーのそれよ」

 

 オーラバトラーの名をまさかこの地上界で聞く事になるとは思ってもみない。しかし、イリオンも予感はしていた。映し出された赤い影のような巨大なものは見た事がないが、その造形はオーラバトラーのそのものであると。

 

「分かっているのなら……なおさら」

 

「なおさら、適当に出させるわけにはいかないのよ。私の提唱するプランに沿ってもらう」

 

「時間なんて!」

 

「本国で開発しておいた。直通便で今朝方届いているはずよ。その装備なら、少しばかりオーラバトラーとマシな戦いが出来るでしょう」

 

 全て予見していたと言うのか。その言葉振りにイリオンは呆然とする。

 

「……《アグニ》の、追加装備?」

 

「そう。メタルトルーパー、《アグニ》には先がある。お行きなさい。その装甲を真っ赤に染めて。――メタルバルキリー、《アグニ》としてね」

 

 メタルバルキリー。それが新しい名前だというのか。ミシェルが開発班に声を飛ばし、新型武装がトレーラーごと運送されてくる。イリオンは転がっていく状況に、拳を握り締めた。

 

「……こんな時、僕はなんて無力な……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら? 騒がしいわねぇ……。それで? 聞きたい事は全部?」

 

 問いかけたアメジストにジラードは落ち着き払った声を出した。

 

『ああ。それが今の君の現状であり、そして逃れられない未来なのだという事は分かった』

 

「……絶望しないのね」

 

『したところでどうしようもない。わたしはウェポンの家系の男だ。功罪を生み出した血筋と言うのはいつだって冷徹なものだよ』

 

「罪の血筋……ね」

 

『しかし、興味深いな。その話が真実だとして、では君はどうして……それこそ絶望しないのか?』

 

「そういう風には出来ていないのよ。アタシは虚数の影だもの」

 

『そうであったな。まさしく君は影だ。ゆえにこそ、輝くものもある』

 

「……何を言わせたいの?」

 

 ジラードは何かをひた隠しにしている。それがオーラで窺えた。

 

『つい数分前の事だ。これを』

 

 何もない空間に突如として映像が浮かび上がる。だが、驚くほどでもない。バイストン・ウェルの技術を流用すれば、難しい話でもないからだ。

 

 問題なのはその映像に克明に映し出された――赤い巨神であろう。

 

「ハイパー化したオーラバトラーね」

 

『取り乱しもしないのだな』

 

「戦場では割と見かけるのよ。ここまで肥大化したのはなかなかだけれど、でもバイストン・ウェルでもハイパー化は散発的に起こっている」

 

『三十年前の浄化が生み出した代物かね』

 

「どうかしらね。いずれにせよ、これ、どうするの? だってぇ……、放っておくとアンタ達の世界、滅びちゃうわよ」

 

 くすくすと笑うと相手は冷静に声を返していた。

 

『そうだな。ハイパー化したオーラバトラーは放っておけば脅威となる』

 

「対抗策があるとでも言いたげね」

 

 そこから先は笑わなかった。ジラードは声に喜色を滲ませる。

 

『オーラバリアは確かに、三十年前は驚異的であったさ。核攻撃でさえも受け付けない鉄壁。さらに言えば相手の火器はバイストン・ウェルでは通常の威力なのに、こちらで使用すれば、それは大量破壊兵器と同等の兵装になる』

 

「そこまで分かっていての静観? それとも、もう地上界の人間達はハイパー化でさえも制御出来るとでも?」

 

『いや、資料があまりに少なくってね。ハイパー化に関しては遅れを取っている。正直に言えば、助けが欲しいところだよ』

 

 その段に至って相手の考えが読めてきた。

 

「……アタシと《ゼノバイン》に?」

 

『理解は早いようだ』

 

「嫌よ。滅びるのなら勝手に滅びなさい。アタシは力を貸さない」

 

『それは君がバイストン・ウェルにも、地上にも戻る場所がないからかね? 故郷のない身は辛かろう』

 

「そうだと思う? そんな、人間的な感情に縛られているとでも」

 

『それはない、とは言い切れないだろう? 君は確かに虚数の影。《ゼノバイン》共々、この世界の結果論によって導き出された存在だ。ゆえにこそ、思うところはあるんじゃないか? バイストン・ウェルにも、地上界にも、ね』

 

「アタシを駆り立てようったってそうはいかない」

 

『無論、簡単ではないだろう。しかし、わたしと君はもう、運命共同体だ。秘密を共有した』

 

「……最低。強請るってわけ」

 

『馬鹿を言わないでくれ。これはお願いだよ』

 

 どうとでも言い繕えるものだ。これだから地上人は侮れない。

 

 エゴと屁理屈で、どこまでも自分の利益のみを追い求めるケダモノ達――。

 

「……だから、アタシが生まれた」

 

『《ゼノバイン》の整備は完璧だ。いつでも出せる』

 

「アタシがイエスと言わなければ同じ事よ」

 

『だが君は出てくれるだろう? 分かっているはずだ。あのオーラバトラーが暴れればまた分岐する。そうなれば……何万回か? もう嫌気が差しているはずだ』

 

 舌打ちを漏らす。やはり話すのではなかった。酔狂に駆られたこちらの負けだ。

 

「……いいわ。《ゼノバイン》を頂戴。あんな、今にも破裂しそうな風船、ちょっと穴を開けてやればいいのよ」

 

『我々は非力でね』

 

「……どの口が」

 

 ゆっくりと、密室の扉が開く。数名の銃火器で身を固めた兵士が銃口を向ける中、アメジストは歩き出していた。

 

 その身体に、黒き皮膜の衣装を纏う。どこから現れたのか相手には分からなかったのだろう。

 

 突然に姿が変わったためか兵士が狼狽して引き金に指をかける。

 

「あら? 撃たないほうがいいわよ? アンタ達の上に、爆弾が吊られているのと同じなんだから」

 

 口角を吊り上げると、兵士が殺意を仕舞う。全員が大なり小なり震えているのが窺えた。

 

『アメジスト。君の良心に期待する』

 

 良心。何を言っているのだろう、とアメジストは鼻を鳴らす。

 

「アタシにそんなものはないのよ。影であるアタシにはね」

 

 既に配備されていたのだろう。廊下の奥に《ゼノバイン》が佇んでいた。

 

 その結晶体の前でアメジストは声にする。

 

「ただいま」

 

 ――おかえり。

 

 そう聞こえた刹那、結晶体が四つに開け、内側より粘性を持った糸が引き出された。次々と神経に接続され、アメジストがコックピットへと収容される。

 

 結晶体が閉じ、《ゼノバイン》と一体化した五感が昂揚をもたらした。

 

 戦闘の昂揚感、戦場の狂気。血と硝煙がもたらす禁忌の果実の味。

 

「――行くわよ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十六話 義勇震域

「一つ聞くが……あんなものを相手取って勝てるとでも?」

 

 後部座席に乗り込んだグランの問いかけに女性はハンドルを乱暴に切って林道を駆け降りていた。

 

 舌を噛みそうになった琥珀へと女性が声を投げる。

 

「……地上界に出たオーラバトラーには特別な加護が存在する。オーラバリア、とあたし達は呼んでいるわ」

 

「そ、それは社外秘で……!」

 

 クルーが声にしたのを、女性は言い放つ。

 

「そんなものに頓着している暇はないのよ! もう世界のどん詰まりなんだから!」

 

 森林へとバンが押し入り、獣道を突き進んでいく。

 

 琥珀はその姿に問いかけずにはいられなかった。何よりも、どうして自分に似通っているのか。それを聞き出さない限りは、この局面、ただ転がっていくだけだと。

 

「……あなたは誰なの?」

 

「田村琥珀……と言えば、納得出来る?」

 

 まさか、と息を呑んだこちらへと、グランが声に凄味を利かせる。

 

「混乱の種になる事はやめてもらおうか。地上人」

 

「グラン中佐、あなたには少しばかり分からない話かもしれないけれど、浮上したっていう事は、ある程度察しがついているんでしょう? 戻るのは容易くないってくらいは」

 

 グランを目で窺う。彼は歯噛みしていた。

 

「……浮上に関して、聞いた限りでは」

 

「だったら、こっちで少しばかり役に立ってもらわないと。それに、《ハイパーレプラカーン》は簡単には墜とせないはず」

 

 バンが激しく揺れ、《マイタケ》を沈めた池の前で急停止する。

 

 降りた女性は顎でしゃくった。

 

「二機のオーラバトラーならばあるいは、とか聞かされているかもしれないけれど、それも分の悪い賭けよ。あまりおススメは出来ないわ」

 

「……よく喋る」

 

「悪いわね。喋らないと斬られそうだから」

 

 舌鋒鋭く言い返した女性はこちらへと振り返る。

 

「……乗れって言うの?」

 

「力はあるはず。聖戦士として経験を積んだのなら」

 

「乗らずともよい。儂だけで行く!」

 

 グランが前に歩み出る。《マイタケ》へと搭乗しようとしたその背中に女性は声を投げていた。

 

「聖戦士の力添えがなくても勝てるとでも?」

 

「……聖戦士だけが、特別ではないだろう」

 

「それはその通りだけれど、ハイパー化したオーラバトラー相手に一機じゃ難しいわ。しかもそのオーラバトラー、万全じゃない」

 

 看破されてグランも息を呑んだらしい。琥珀は声を荒らげていた。

 

「分かっているのなら! 何をさせたいの!」

 

 こちらの眼差しを真正面から受け止めた女性は、参ったとでも言うように肩を竦めた。

 

「……自分は騙せないわね。オーラバトラーの肥大化現象、ハイパー化。その状態の相手を倒すのに、実はさほどの準備は必要ない。相手は膨れ過ぎてもう破裂寸前の風船みたいなもの。一撃でも空けてやれば、それでパン」

 

 女性は手を叩き、こちらの反応を窺う。グランも自分も沈黙するばかりであった。

 

「破裂して、それで終わり。相手は自壊する」

 

「……そんな簡単なら、米軍がやるはず」

 

「言ったでしょう? オーラバリアっていうものがあるの。そのせいで、現行兵器では穴どころか、掠り傷一つ与えられない。つまりは、地上界の火器は役に立たないの」

 

「……オーラバトラー同士なら別だと言いたいのか」

 

「勝ち筋はあるわよ。それなりにね」

 

「その割には……どうして誰も乗りたがらない? この《マイタケ》、確かに儂のものだ。だが、地上人が乗れば、それ以上の性能だという事、まるで分かっているような口振りだが」

 

 立ち尽くしたグランに女性はふふんと鼻を鳴らす。

 

「……伊達に脳筋じゃないわけ。まぁ、ここで騙せていれば、あんな事には……。いいえ、これは未来を変動させるか」

 

「知っている風だから言っておく。儂は逃げも隠れもするつもりはない。だが、地上人に騙され、踊らされて戦うのは癪だと言っている」

 

「あたしの言う事が信用ならない?」

 

「ゼスティアの地上人のほうがまだマシだな」

 

「そこまで言われちゃ、ね。ねぇ、琥珀。あなたはどうなの? 小さいけれど、《ガルバイン》ならあんな今にも破裂しそうなオーラバトラー、一撃のはずよ」

 

《ガルバイン》の性能をまるで全て知っているような物言いであった。琥珀が声を発せずにいると、グランが《マイタケ》のコックピットへと手を翳す。

 

「儂が出る。婦女子に前を行かせるほど落ちぶれてはいない」

 

「意外ね。地上人は別だとか思っていそうだけれど」

 

「地上人とは言え、女だ。後ろで戦いを見ていたほうがいい」

 

《マイタケ》へと乗り込んだグランが起動をかけさせる。《マイタケ》の巨躯が森林から顔を出し、荒れ狂ったオーラの風を受け止めた。

 

『オーラ・コンバーター出力最大。《マイタケ》、出陣する!』

 

《マイタケ》が後部に無数に備え付けられたコンバーターを開き、推進剤のオーラを散らせながら滑空する。その後ろ姿を女性はずっと眺めていた。

 

 まるで失ったものを回顧するかのように。

 

「……それでも行くのね。あたしが挑発しなくってもきっと、あなたは……」

 

「いいんですか? せっかくのスクープを……」

 

「いいのよ。あなた達も言っている場合じゃないわ。逃げたほうがいい。……まぁ、逃げたって、この世界の余命はもう決まっているんだけれど」

 

 どこか達観したように告げる女性に琥珀は歩み出ていた。女性が目を丸くさせる。

 

「……あたしも出る」

 

「ハイパー化した相手よ。危険に晒すものでもないわ」

 

「でもっ! グラン中佐は前に出た! あの人が出るのならば、あたしも……!」

 

「義を通したって相手はコモン人よ。地上人の理念で動いたところで、命一つの価値だって全然違う。彼らが死んだところで、じゃああたし達は悲しんでどうするの? 別世界の出来事でしょう?」

 

「それは……」

 

 反論出来ない。バイストン・ウェルの理は別の話だ。だから、現実の、この地上界の理で動くべきではないと。

 

 ――だが、実際にはどうだ。

 

 荒れ狂うオーラの烈風。暗く沈んだ海上を行くのは、赤い稲妻を生じさせる鬼神のようなオーラバトラー。

 

 あれの原因が自分達にあるのならば、ここで足踏みしている場合でもないはずだ。何よりも……。

 

「……翡翠なら、こんなところでグラン中佐だけに行かせない。行かせちゃ、いけないんだって、きっと言うはず! あたしは、翡翠に恥ずかしい生き方をしたくない!」

 

 だが、この地上界に翡翠の居場所はなかった。ともすれば最初から見当違いの事をしているのかもしれない。

 

 それでも、翡翠に顔向け出来ない自分になるのはもっと怖い。

 

「狭山翡翠なら、ね……」

 

 澱みなく放たれたその名前に、琥珀は目を見開く。

 

「知って、いるの……」

 

 その答えを相手は言わず、こちらを真っ直ぐに見据える。

 

「田村琥珀……いいえ、アンバー。あなたに、この世界を、もうまかり間違ってどうしようもないこの世界を、救う気はある? もう、地獄の淵にみんなで足をつけている状態なのよ。それでも――戦えるの?」

 

 その問いかけに、逃げてはいけなかった。琥珀――アンバーは拳をぎゅっと握り締める。

 

「……ここで逃げたら、あたしはもう、翡翠に会えない。それだけは分かるから! あたしがあたしじゃなくなっちゃう前に、翡翠にだけは会いたい! 傍にいたい!」

 

「そう……。願うのね。でもその願いは……」

 

 皆まで聞かず、アンバーは池に沈められた《ガルバイン》へと向かっていた。胸の中にオーラの鼓動を呼び覚まし、握った拳共々、縁で紡がれた名前を呼び起こす。

 

「来て! 《ガルバイン》!」

 

 膨れ上がったオーラの瀑布が池を割り、水飛沫が上がる中、紫色の躯体をした愛機が問い質す瞳を向けている。

 

 アンバーは一つ頷き、手を開いた。

 

 それに同期して結晶体が開き、アンバーを導く。コックピットに収まったアンバーは操縦桿を掴んで前を見据えた。

 

 ――向かうべきは一つ。

 

 決意の双眸を浮かべると、《ガルバイン》の眼窩に光が宿る。オーラ・コンバーターを開き、翅を高速振動させて森林地帯から飛翔していた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十七話 羅刹開戦

 

 オーラの嵐は先ほどよりも強くなっている。吹きつける敵意のオーラに、《ガルバイン》のオーラ・コンバーターが揺さぶられた。コックピットに吹き抜けるオーラの旋風は敵意を滲ませて、バイストン・ウェルで経験した戦いよりさらに色濃い憎悪を降り立たせる。

 

 ――《ハイパーレプラカーン》。

 

 本来在り得るはずのない赤い鬼神がほとんど靄と一体化して海上に屹立していた。だというのに、海は恐ろしいまでに静謐を保っており、こちら側の理とあちら側の理が違うのだと突きつけてくる。

 

 この《ガルバイン》も然り。

 

 あちら側の理で動くマシンは、結晶体を突き抜けて全身を貫かんばかりの憎悪と対面していた。

 

《マイタケ》にそれほどの飛翔能力はないのか、低空飛行で《ハイパーレプラカーン》へと接近している。

 

 その黒い爪を軋らせ、飛び掛らんとするのは戦士の背中だ。その背中に《ガルバイン》より直通を繋ぐ。

 

「グラン中佐! 行かせられない!」

 

『何をやっておる……。戻れ、ゼスティアの聖戦士』

 

「今は、ゼスティアだとかそういう事は関係ないんだって、あなただって分かっているはずでしょう! いつまでこだわって……」

 

『……だが、あれは我が国のもたらした災厄だ』

 

 事実、その通りなのだろう。騎士団の一人がハイパー化した。それは逃れようのない。だからこそ、その決着は自分の手で、というグランの理屈も分かる。

 

 だがそれ以上に、ここは地上界、自分達の戻るべき居場所だ。

 

「……翡翠が安心して戻ってこられるようにしたい。だから! あたしは剣を取る!」

 

《ガルバイン》に抜刀させる。しかし、対峙すればそのオーラ力の量は圧倒的。敵から溢れ出すのはマグマのような灼熱のオーラ。比して自分の持つ剣のオーラは何と非力か。

 

 松明のようなものだ。松明で、煉獄の炎に敵うものか。

 

 それでも、ここで退けば世界は終わる。翡翠の守りたかった世界。……何をまかり間違ったか、彼女がいない世界。

 

 それでも、自分は守り通したい。この手にあるのがたとえ異端なる力、この地上界にあるまじき能力であったとしても。

 

「それを通すのは、あたしだ!」

 

《ガルバイン》の瞳に光が灯る。オーラを漂わせた《ガルバイン》が紫色に揺らめいた。《マイタケ》は低空飛行のまま、オーラ・コンバーターを開放する。放出されたオーラが流転し、特殊な力場を形成した。

 

 だがハイパー化した相手はそれさえも児戯だとでも嘲笑う。

 

 その片腕が軽く払われただけで、海面が反転した。

 

 津波と大嵐が《ガルバイン》と《マイタケ》を襲う。アンバーはオーラを一点集中させた。額に弾けるイメージを伴わせ、剣を突き出す。

 

 切っ先に集中したオーラが刹那、凝縮し一筋の光条として放たれた。

 

 津波へと突き刺さったオーラの光が拡散し、嵐へと風穴を開ける。

 

 爆発的に膨れ上がった衝撃波が《ハイパーレプラカーン》の足元をぐらつかせた。赤い蜃気楼が僅かにたたらを踏む。

 

『……効いているのか……。あんなデカブツに』

 

 自分でも驚愕していた。まさか、オーラをちょっと練っただけの反撃にこれほどの威力があるなど思いもしない。

 

 やったのは《ソニドリ》が編み出していたオーラの爆発現象を真似ただけのものだ。だというのに、眼前に広がるのは捲れ上がった海面であった。

 

 海が抉れ、水飛沫が大量に舞い上がる。それらが雨の如く降りしきり、一瞬にして港町は大時化に覆われた。

 

「……ただの、オーラショットが……」

 

 バイストン・ウェルではオーラバトラー一機に掠り傷をつける程度の応戦に過ぎないはず。

 

 だが、巻き起こされた現象はそれを否定する。晒し出された海底が茶色く濁り、舞い上がった辻風が《ハイパーレプラカーン》の足場を揺さぶらせた。

 

『……海底を抉ったと? まさか、オーラバトラーにそれほどの力など……』

 

 茫然自失のグランの通信が焼きつく前に、《ハイパーレプラカーン》が動く。その手に握り締めた剣を敵が振るい落とそうとした。

 

 巨躯のせいか、動きは緩慢でありながらも導き出される威力は天地を割るほどなのは容易に想像出来る。だからこそ、アンバーは瞬時に《ガルバイン》を敵の剣の前に出させた。

 

 翅を開き、《マイタケ》を押し出した《ガルバイン》が剣を掲げる。

 

 干渉波のスパークが天蓋のように覆い被さった。

 

 敵意のオーラと自分のオーラがぶつかり合う。混ざり合うオーラの意思が、声となって《ガルバイン》の内奥へと切り込んだ。

 

(貴様らさえ……ゼスティアさえいなければ……! このレプラカーンは無敵だ!)

 

「間違っている! それは争いの光、ヒトに闘争の道を強いる光だ! あっちゃいけない!」

 

(だったら、お前らが消えろ!)

 

 払われた剣筋が膨大な熱量となって海を焼き払った。蒸発した海面が一瞬で沸き立ち、水蒸気爆発にも似た衝撃波が《ガルバイン》を見舞う。

 

 しかし、それでも決定的な敗北の一手にはならない。

 

 どうしてだか、バイストン・ウェルでの戦闘に比べれば、巻き起こっている事象自体は大きいはずなのに、《ガルバイン》の中は静かだ。

 

 まるで戦闘の只中にいないかのように。

 

「どうして……こんなにも静かなの……」

 

 不釣合いな静寂に、アンバーは背筋を凍らせる。《ガルバイン》は今にも空中分解してもおかしくはない攻撃を受けている。だが実際には、ほとんどノーダメージと言ってもいい。

 

 この決定的な矛盾がアンバーの判断を鈍らせていた。

 

 赤い影が歩み出る。

 

 港町へと踏み込もうとする《ハイパーレプラカーン》にアンバーは我に帰っていた。

 

「駄目っ! させない!」

 

 開いた翼の速力をそのままに《ハイパーレプラカーン》の頭部まで舞い上がる。剣先を相手へと突き出し、威嚇した。

 

「あたし達の故郷を、穢す事はさせない!」

 

 いつか、翡翠と一緒に帰った道。いつか、翡翠と共に過ごした町。それを異世界の暴力で壊させてなるものか。怒りと憎悪だけで膨れ上がった怪物に、蹂躙させてなるものか。

 

 その意志が形となり、《ガルバイン》は矮躯に似合わないオーラを漂わせた。

 

 ひりついた空気にグランの慄いた声が僅かに漏れ聞こえる。

 

『……羅刹に堕ちるか。紫のオーラバトラー』

 

 構わない。この眼前の悪鬼を止められるのならば。自分一人の犠牲で、何もかもが元通りとなるのならば。

 

 ここで、オーラの暗黒面に堕ちる事に躊躇いはなかった。

 

 瞳を静かに閉じる。ランラより教わったように相手のオーラを五感ではなく第六感で仔細に分析した。

 

 そのオーラの弱点、脆き欠点を。

 

 次に目を開いた時、アンバーの視界には空域を舞う巨大な暗黒蝶が入っていた。

 

 恐ろしく巨大な地獄蝶が飛び回っている。それも一羽や二羽ではない。数十羽の地獄蝶に囲まれた《ハイパーレプラカーン》は、今にも破裂寸前の風船だ。

 

 どこをどう突いても、確実に始末出来る。

 

 オーラの瞳が真っ赤に輝き、アンバーは叩くべき弱点を見据える。

 

《ガルバイン》の翼は迷いなく正確に、そして相手を一撃の下に射抜くであろう。オーラ・コンバーターを全開に設定し、剣を鋭く軋らせた、その時であった。

 

 ――割って入った謎の悪寒に、アンバーは躊躇する。

 

 何かが来る。主語を欠いた予感に衝き動かされ、アンバーは攻撃の手を緩めていた。

 

 その直後である。

 

 空域を引き裂いたのは無数の弾頭であった。照り輝いた閃光が《ハイパーレプラカーン》の表皮へと突き刺さる。

 

 爆発の光輪が拡散する景色に、アンバーは絶句していた。振り向けた視線に同期して、《ガルバイン》が目線を向ける。

 

 その先にいたのは真紅の翼であった。

 

 曇天に沈んだ港町を突っ切っていくのは人の叡智の結晶。鋼鉄の巨体が推進剤の尾を引きながら一目散に《ハイパーレプラカーン》へと突き進んでいく。

 

 その様はさながら特攻機。赤く、目に焼きつく姿と相まって命そのものを乗せたとしか思えない戦闘機械が飛翔する。

 

「あれは……戦闘機?」

 

 否、あのような戦闘機は見た事もなければ聞いた事もない。

 

 戦闘機と呼ぶにはその姿は異形に映った。頭部ばかりが妙に前に出ており、脊柱より伸びた両手両脚はヒトより獣に近い。

 

 その背中に、無理やりとしか思えない武器コンテナを積載し、全身これ武器とでも言うような鋼鉄の針鼠が《ハイパーレプラカーン》の支配する空域へと突っ込んでいく。

 

 どう考えも異質。

 

 しかしながら、《ハイパーレプラカーン》はその攻撃を捉えかねていた。まるで――。

 

「……見えて、いない?」

 

 そのようなはずはない。はっきりと視界に入っている戦闘兵器を、オーラの塊である《ハイパーレプラカーン》は目視出来ないようであった。

 

 見当違いの方向を引き裂く敵に、戦闘機械の武装コンテナが開く。内側より立方体の小型武装が飛び出した。

 

 それらが自律的に宙を舞い、《ハイパーレプラカーン》へとちくちくと攻撃を浴びせる。

 

(ちょこざいな!)

 

 相手のパイロットの声が天地に轟く中で、真紅の特攻機は《ハイパーレプラカーン》の背後へと回っていた。

 

 相手が真正面の空間を叩き斬る。

 

 その余波だけで港町へと激震が見舞われた。津波と暴風がビルを吹き飛ばしていく。

 

「こんな事……させるわけにはいかない!」

 

《ガルバイン》へと再び闘志を引き戻し、アンバーは満身で叫んでいた。

 

 雄叫びがオーラとなって剣に帯び、その輝きを増す。煌いたソードの一閃を、アンバーは下段より振るい上げていた。

 

 拡張したオーラが白銀の瞬きとなって《ハイパーレプラカーン》を袈裟斬りにする。

 

「オーラ……斬り!」

 

 翡翠の見よう見真似だ。それでもこの時、オーラによる剣閃は《ハイパーレプラカーン》へと確実なダメージとなってその赤い表皮を裂いていた。

 

 真紅の機体が注意を引いてくれたお陰か、《ハイパーレプラカーン》からしてみても、今の一撃は想定外であったらしい。

 

 ぐらついた蜃気楼がそのまま海面へと没しようとする。

 

「やった……?」

 

 期待したのも束の間、《ハイパーレプラカーン》のオーラが不意に反転した。そのオーラが内側へと逆転し、外に放たれていた灼熱が急速に縮小する。

 

 オーラの縮退現象に《マイタケ》が《ガルバイン》を庇うように前に出ていた。

 

『ゼスティアの聖戦士!』

 

《マイタケ》の背中越しに、アンバーは目にしていた。

 

《ハイパーレプラカーン》が弾け飛び、そのオーラが放つ禍々しい風を。その風一つ一つに、万華鏡のような輝きが集約する。

 

「これは……オーラ・ロード?」

 

 爆発の光に掻き消されたオーラ・ロードがそれぞれの軌跡を描き、四方八方へと拡散した。

 

 港町へと降り注いだ虹色のオーラが逃げ惑う人を、故郷の町を掻き消していく。

 

 オーラ・ロードの末端に触れただけなのに、町も人も、最初から何もなかったかのように抉り取られていった。

 

「何が……何が起こっているの?」

 

 混乱する脳内へと、どこかで見知った声が響き渡る。

 

 ――あなたは知らなければならない。何故なら……。

 

 そこから先は虹色の輝きに解けて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 残酷だったのではないか、と問い詰められて、ミシェルは振り返っていた。

 

 制止された形の軍人に一瞥を投げる。

 

「レイリィ少佐、だったかしら」

 

「……イリオン君を殺したな?」

 

「勘違いをしないで。あの子が自分で行くと言ったのよ」

 

「だが、あれは何だ! あんなもの、……あれはオーラ・ロードだろうに!」

 

「知っているのね。知っていて、あなた達もあんな傀儡に大枚を叩いた。同罪よ」

 

「……プロフェッサー。これは三十年前の、ハイパー化現象と合致します。やはり、あの中では……」

 

 秘書の声にミシェルは首肯していた。

 

「ええ。無数の可能性世界の枝葉が内包されている。今、それが弾けた。風船みたいに、パン、って。ハイパー化したオーラバトラーを一つの特異点として、また全てが変わろうとしている」

 

「……どこまで知っているんだ」

 

 その問いにミシェルはふんと鼻を鳴らす。

 

「どこまで? 全てよ。これから先、起こるであろう事は……非科学的だけれど、私からもう聞いている。あちら側にいるようなのよね。私は」

 

「何を……言って……」

 

 問答を繰り返すのも惜しい。ミシェルはハイパー化したオーラバトラーの残骸が海へと粉砕して落下するのを目にしていた。

 

 その一個一個の破片には虹の燐光が棚引き、小規模ながらオーラ・ロードがいくつも開いている。

 

 帰結する先に見えているのは、最悪の未来であった。

 

「オーラ・ロードが開かれた。その意味、分からないわけじゃないでしょう?」

 

 レイリィが歯噛みし、沈痛に面を伏せる。

 

「守れなかった……と言いたいのか……」

 

「バイストン・ウェルの妖精達からしてみれば、これも一種の未来なのよ。ハイパー化したオーラバトラーの進軍。それは始まりの予兆に過ぎない」

 

 導き出される答えを、ミシェルは一拍置いて口にしていた。

 

「――始まるわよ。オーラバトラー大戦が」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十八話 ラヴァ―

「何の光ッ!」

 

 操縦桿を引いたイリオンは屹立する赤い鬼神が銀色の輝きに切り裂かれたのを、《アグニ》の操縦席より確認していた。

 

 ハイパー化。その詳細は分からなくとも、これがあってはならない災厄であるのは分かり切っている。たとえ湖を渡る術を知らぬコモンでも、これはまずいのだと反射的に分かる。

 

「これは……人の世にあっちゃいけない光だ。禁断の虹……!」

 

 積載した武器弾薬庫はほとんど尽きている。それでもメタルバルキリー《アグニ》は曇天に沈んだオーラの天空を滑走した。

 

 青い推進剤を棚引かせ、真紅の翼を得た《アグニ》が敵を睨む。

 

 敵はもう一機のアンノウン――紫色のオーラバトラーの放った剣閃で致命傷を受けたらしい。その遺骸が海に没する前に、無数の輝きが乱反射し、地上を地獄に染め上げたのだ。

 

「……極小規模でのオーラ・ロード……。こんなものって……! デックさん!」

 

 繋いだ先の整備班より、悲痛な声が迸る。

 

『イリオン……君。我々に……観測出来るのは、ハイパー化したオーラバトラーが生み出した……干渉波の洪水だ。このままでは呑み込まれるぞ。……港町だけじゃない。全てが……バイストン・ウェルと引っくり返ってしまう……』

 

 引っくり返る。そうなるとどうなるのか、無線に問い質そうとして、イリオンは《アグニ》へと貼り付いた敵機の破片が異常な数値を示しているのを目にしていた。

 

「……計測した事のないオーラバリア……。これが……基地のみんなの頭上に……落ちる……」

 

 そうなればどうなるのか。想像に難くない。

 

 オーラバリアは今の地上界の叡智をもってしても、無力化出来ない隕石のような暴力だ。

 

 その暴力が、人の命を摘み取っていく。人間の痕跡や証明などまるで無意味だとせせら笑うかのように。

 

 オーラは、平等に何もかもを奪うだろう。

 

 ――守ると決めた大切な者達を。

 

 イリオンは骨が浮くほど、パイロットスーツの中で拳を握り締めた。

 

 首裏が汗ばみ、この空域から今すぐにでも離れるべきだと危機管理能力が告げている。

 

 それでも、とイリオンはオーラの暴風が吹き荒れる絶海を突き抜けた。

 

 フットペダルを踏み込み、加速度に身を浸した《アグニ》が旋回し、崩壊の途上にある赤い影をヘッドアップディスプレイに照準する。

 

「……全部がオーラ・ロードだって言うのなら、関係ない。全部、撃ち落とす!」

 

 叫びと共に引き金を絞る。連装ガトリングと武装コンテナに装備された全火器が放出され、赤い影を突き飛ばす。その身をオーラの皮膜が守ったのも一瞬。こちらの容赦ない弾頭がハイパー化した敵へと殺到した。

 

 ――《アグニ》は全てのオーラバリアを持つ敵を無効化する。

 

 事前にミシェルから聞かされていた通り、メタルバルキリーへと進化を遂げた愛機は異常なほどの攻撃力を発揮した。

 

 その暴力はまさしく騎士の名を冠するに相応しい。

 

 空を引き裂く一陣の烈風。赤い比翼、鋼鉄の獣騎士。

 

 そう、その名は――。

 

「メタルバルキリー《アグニ》は、伊達じゃないッ!」

 

 殺人的なGが胃の腑を押し上げる。今にもブラックアウトしそうな脳内で、イリオンはただひたすら撃墜を重ねた。

 

 照準に入った敵を葬る。

 

 ただ、それだけの、疾走する野性。本能を剥き出しにした、鋼鉄の外皮を持つケダモノ。

 

 一つでも多くのオーラ・ロードを消し去る。

 

 その目的のみで駆け抜けようとした矢先、照準警告の赤に《アグニ》のコックピットが支配される。

 

「接近? まさか、さっきの紫色のオーラバトラー……」

 

 そこまで口にした時、視界いっぱいに大写しになったのは、灰色の悪鬼であった。

 

 羽音をまるで散らせず、無音のまま接近した死神。自分をこちら側へと手招いた諸悪の根源が、煉獄のオーラを纏いつかせ、その腕を振るい上げる。

 

『――邪魔よ』

 

 まるでそれだけの、羽虫のような侮蔑さえ伴わせて。

 

《ゼノバイン》、の識別コードを振られた敵機によってもたらされた一撃に、《アグニ》は激震を受けた。

 

 緊急措置が実行され、武器弾薬がパージされる。《アグニ》が得た翼を、《ゼノバイン》は一撃の下に奪い取っていた。

 

「あれは……僕を……」

 

 思い出されるのは、翅を開いた旅団の仲間の最期。その声が明瞭に響き渡る。

 

 ――生きろ。イリオン。

 

 奥歯を噛み締める。萎えかけた意識に無理やり火を通し、イリオンはフットペダルを限界まで踏み抜いていた。

 

 急加速に振られた機体が軋みを上げる。空中分解の警告が鳴り響く中、イリオンが赤く染まった照準を敵影へと据える。

 

「……お前だ。お前が何もかもを……、未来を奪った!」

 

 連装ガトリングによる猛攻を敵機は片手を翳しただけで無力化する。可視化されるほどの膨大な黄昏色のオーラにイリオンは絶句していた。

 

 オーラバリア。それも桁違いだ。強獣なんて生易しいほどの。

 

《ゼノバイン》は崩れ落ちていくハイパー化したオーラバトラーを見据え、その生物的な瞳に光を灯らせる。

 

『……ホント、ヤになっちゃう。あのジラードって言うの、分かっていてやってる。だから、アタシだって、こんな……残飯処理みたいなのはやりたくないんだけれど』

 

 腹腔より声を発し、イリオンは弾丸を殺到させた。《ゼノバイン》は最小限の動きだけでそれを制する。

 

「逃げるなァッ! 戦え、《ゼノバイン》!」

 

『ヤよ。アンタ、勘違いも甚だしいんじゃない? アタシは、救いに来たのよ? アンタ達……地上人を』

 

「救い……だと。お前は旅団のみんなを殺したじゃないか!」

 

 怨嗟が火器の勢いと渾然一体となって《ゼノバイン》に降り注ぐ。しかし相手は、まるで意に介していない。

 

 振るい上げただけの手で防御した。

 

「……これならッ!」

 

《アグニ》が片腕を振るい上げる。武装が解除され、三つ指のマニピュレーターが高速回転した。すり鉢状の拳が、《ゼノバイン》へと突きつけられる。

 

「お前を殺す! そうでしか、僕はみんなに報いる事は出来ない!」

 

『随分と狭いのね。そんなだから、鈍重そうな翼を、バカみたいに誇示して』

 

「これは誇りだ! 黙れェッ!」

 

 補助推進装置が起動し、《アグニ》を超加速へと押し上げる。パイロットへの負荷を完全に度外視した速度だ。これで砕けない強獣はいないはず。

 

 如何に強力なオーラバリアとは言え、こちらはメタルバルキリー《アグニ》。

 

 その存在理由はバイストン・ウェルの妖精の神秘を砕くためにある。

 

 この世で唯一の神秘殺し。その腕には、灼熱が宿った。

 

「墜ちろォッ!」

 

 満身より発した殺意を、《ゼノバイン》とそのパイロットは風と受け流す。

 

『誰が。せっかく掃除しに来てあげたのに、恩知らずにはお仕置きしないと。……ねぇッ! アンタもそう思うでしょう! 《ゼノバイン》!』

 

 オォン、と声が響き渡り、《ゼノバイン》が保持する剣にオーラの加護が宿った。剣先が払われる。

 

 それだけで《アグニ》へと致命的なダメージが与えられたのが窺えた。それでも、本能を押し留める事はない。

 

 渾身の叫びと相乗して、高速回転の拳が叩き込まれようとする。

 

『邪魔よ! オーラディス、ヴェール!』

 

《ゼノバイン》の胸部より銀色の装備が露出する。その刹那、禍々しいオーラの波が《アグニ》へと襲いかかった。

 

 第一装甲板が剥離する。続いて第二装甲板、最終装甲板へとオーラが侵食した。

 

「これは……オーラの反転現象……。《アグニ》は……」

 

《アグニ》はオーラを持たない兵器。しかしこの時、災いしたのは追加武装であった。追加武装までオーラが完全にゼロになったわけではない。

 

 引火した武装より《アグニ》本体へとダメージが至る。

 

『砕け散りなさいよ! 地上人の浅知恵なんてェッ!』

 

 全身が赤い警戒色に塗り固められた。パイロットへと即時撤退、コックピット部の強制パージが推奨される。

 

 だが、イリオンはその警告をマニュアルで無視させた。

 

 下部より引き出した強制キーで《アグニ》の武装を再び点火させる。

 

『……まだやるって言うの。意味ないのよ、それ』

 

「……かもな。でも、僕は退けない。退くために……! 生きちゃいないんだよ! 分かるか!」

 

《アグニ》の残った片腕の武装マウント部が強制排除された。その下に隠されていたのは、野性を体現したかのような刃である。

 

 三つ指のマニピュレーターはこの時、奇跡的に稼動した。

 

 刃の鯉口を切り、その剣が軽やかに引き出される。

 

 オーラゼロの剣。バイストン・ウェルの理を断つためだけに存在する奇異なる武器はその刀身より蒸気を発し、瞬く間に灼熱の域まで引き上げられた。

 

「斬る!」

 

『冗談! 《ゼノバイン》!』

 

《ゼノバイン》が握っていた剣が不意に光をなくした。残ったのは枯れ枝のようなガラクタである。

 

 敵パイロットが舌打ちを滲ませたのを、イリオンは聞き逃さない。

 

 勝利の喜悦に、口角を緩める。

 

 それは地上界で得たものであったのかもしれない。レイリィと出会い、ターニャの優しさに触れ、この世界で息づく者達の美しさに心打たれた。

 

 バイストン・ウェルにはない、自分達の居場所。

 

 異端でしかない自分が見出した、最愛の故郷。心の還るべき極楽浄土はこの地上界にあった。

 

 ならば、これ以上を望むのは傲慢と言うものだろう。

 

 自分は、間違いなく救われたのだから。

 

 ――ゆえにこそ、救うために戦うのに何の躊躇いが要るものか。

 

 幻想の世界、海と大地の狭間にあるあの場所は自分達を拒絶した。しかし、この大地と人しかない、この世界は。この偽りのない、地上世界には。

 

「……還るのは、ここだったんだ」

 

 噴煙を上げ、灼熱の刃が振るい落とされた。

 

 その一閃が赤く焼きつく。《ゼノバイン》の胸元に斜の傷跡が刻み込まれた。

 

『生意気なのよ、このオンボロ!』

 

《ゼノバイン》の爪が《アグニ》の片目を突き破る。その貫手はコックピットまで至っていた。

 

 目と鼻の先に悪しき敵の爪がある。イリオンは割れたバイザーから覗くその視界に、ぺっと唾を吐いた。

 

「……墜ちるのはお前だ」

 

 敵の絶叫が響き渡り、暗黒のオーラの螺旋が《アグニ》を吹き飛ばす。イリオンは操縦桿から決して手を離さなかった。

 

 その手を、レイリィとターニャが取ってくれるのを、ぼやけた視界の中で幻視する。

 

 どこか、懐かしい景色であった。小さい、まだ何の意識も生まれていない、芽生えていない視界でレイリィが少しうろたえ気味に自分に手を差し出す。それを、小さな、ほんの小さな自分の手が握り返すと、彼は見た事のない顔で破顔一笑した。

 

 直後に抱き上げられ、ターニャが自分を抱える。安堵する鼓動、血の根底に刻まれた脈動と生温かいミルクのにおい。

 

 ターニャの乳に育てられ、自分は赤子から世界を回帰していた。不思議と恐怖はなかった。そのような事もある、と基地の人々から教えられてきたからだ。

 

 ――走馬灯。そう、呼ぶのだと。

 

 その在り方を、イリオンは美しいと感じられた。死の瀬戸際に想い人のところに還れるのだ。これほど嬉しい事はない。

 

 涙で滲んだ視界の中で、イリオンはその優しい世界に祝福した。

 

「ああ……ママン……」

 

《アグニ》の手が宙を掻く。その機体がバラバラに砕け、真紅の翼は折れた。

 

 仄暗い死の爪痕とはほど遠い、柔らかな安堵に包まれ、イリオンはその瞼を閉じた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十九話 悪夢回廊外典

 

「ホント……ヤになる。何もかもが。アタシと、《ゼノバイン》がこうして浮上したって言うのも、あのジラードは……」

 

 そこから先の言葉を飲み込んで、アメジストは街へと降り注ぐ極彩色の欠片を眺めていた。

 

 オーラ・ロードの断片。それは人々の可能性を摘み取り、何もかもを「向こう側」へと落とし込む無辺の断崖だ。

 

 続くのは何もないであろう、バイストン・ウェルの未来。それを止める、そそぐために、ハイパー化した《ハイパーレプラカーン》はここで破壊をよしとした。

 

 接続された四肢より、繋がれたのは痛覚。

 

 ひりついた痛みが先ほどの地上人の叡智の剣を胸元に受けていた。《ゼノバイン》と同期した黒い皮膜に切れ込みが走る。赤い爪痕にアメジストは歯噛みした。

 

「……こんなもの、受けている場合じゃないって言うのに。妙な感傷に頭を突っ込んだみたいね。《ゼノバイン》、ハイパー化したオーラバトラーをこの次元より完全に破壊するわ。また事象が分岐する前に」

 

 それが、自分の役割だと集約されるのならば。ここは泥を被るしかない。

 

《ゼノバイン》が呼応し、その腕を掲げかけた、その時であった。

 

 肌感覚で敵の位置が分かる。

 

《ゼノバイン》へと急速接近する熱源に文字通り肌を粟立たせた。

 

「……誰!」

 

『お前は……どうして地上にいる!』

 

 紫色の小型オーラバトラーが羽音を散らして肉迫する。その手には細い剣があった。振るい落とされた一閃を《ゼノバイン》は再び武装へとオーラを点火する。

 

 赤銅のオーラが纏い付き、枯れ枝のようであった武器を自身の武装へと完全変異させた。

 

 受け止めた刹那、敵の接触回線が入る。

 

『お前は……《ゼノバイン》……』

 

「そっちの事情は知らないけれどねぇッ! アタシは討てって言われてきてるのよ!」

 

 小型オーラバトラーの剣圧を押し返し、オーラの爆発力のままに頭蓋を打ち砕こうとする。だが、その一撃は岩石のような巨体のオーラバトラーが制していた。

 

 黒い爪に亀裂が走る。

 

「邪魔立てェッ!」

 

『……貴君の戦いを邪魔立てする気はない。だが……預かった命だ。聖戦士を潰えさせるのは、我が方としてもよしとはしたくはない』

 

 巨岩のオーラバトラーが手を開いた。その内側がささくれ立ち、《ゼノバイン》を引っ掻く。

 

「……内蔵武装……!」

 

『下手な武器の勘繰りは……地上人だけの特権ではない!』

 

 低い地鳴りのような声と共に岩石のオーラバトラーが《ゼノバイン》を押し止めようとする。しかしその程度の膂力で《ゼノバイン》が収まるはずもない。

 

「冗談! アンタ達、消えなさいよ! オーラディス――」

 

 紡ぎかけたその言葉は一際大きなオーラ・ロードの断片に遮られていた。頭上に迫った万華鏡の欠片が三機のオーラバトラーを覆いつくそうとする。

 

 それを紙一重で回避したのは同時。

 

 後退した《ゼノバイン》は宙を舞う二機を凝視していた。

 

 片や、ほとんど岩石そのものと言ってもいい異形のオーラバトラー。片や、少女騎士のような可憐な外見を持つ小型オーラバトラーである。

 

 だが、とアメジストは二種のオーラが混じり合っているのを発見する。

 

「……なるほどね。見かけより、なのは紫色のほうみたいね」

 

 小型オーラバトラーが切っ先を突き出す。突きつけられたのは迷いのない敵意であった。

 

『《ゼノバイン》……。ランラの……生涯の仇』

 

「知らない名前で吼えないでよ。それとも、他人の殺意で殺し合いの真似事しちゃいけないってママに教わらなかったの?」

 

『……お前』

 

 先走りかけた小型オーラバトラーをもう一機が制する。どうやら巨岩のほうのパイロットは場慣れしているらしい。容易くこちらの挑発には呑まれなかった。

 

『……一つ、聞きたい。貴君は知っておるのか。この現象を。何が、この先に待っているのかを』

 

『グラン中佐……! 《ゼノバイン》はバイストン・ウェルの毒! 倒さないと……』

 

『逸るな、と言っている。敵の敵は、というわけでもないが、理由も聞かずに飛びかかれば、要らぬ被害を招くぞ』

 

「よくご存知で。それとも、教えてあげれば? そんな剣じゃ、《ゼノバイン》に太刀打ちできないって」

 

 剥き出しの殺気を、巨岩のオーラバトラーは押し止めさせた。

 

『落ち着けと言っている。貴君、何のためにゼスティアよりここまで来た? 全ては戦いを終わらせるためであろう。聖戦士の命、軽く散ってはならぬと、コモンは教え込まれている』

 

『でも……、敵は前にいるのに……!』

 

「食らいつきたければ来れば? 負けないけれど」

 

 その言葉にもグランと呼ばれた男は静かなる闘志で応じていた。

 

『《ゼノバイン》……異端狂戦士の名、聞き及んでいる。数多の国を滅ぼし、数多の人間を手にかけた、と。啜った命の数はそれなりとも。しかし、ゆえにこそ問いたい。何故、地上にいる? 浮上してきたのか?』

 

「賢しい男は嫌われるわよ? 声に似合わず、戦いでは冷静なのね」

 

『噛み付けば何もかも解決するのならば、コモン人の歴史とて闘争に彩られている。そうではないと言いたい』

 

 鼻を鳴らす。気に食わないが理性はあるようだ。少なくとも、自分を見て斬りかかってきた小型オーラバトラーや先ほどの地上人の機械よりも。

 

「……こんな場末の淵に足をかけている状態で話し合いが出来るのも、相当に太い神経だと思うけれど?」

 

『かもしれないな。だが、だからこそと言っておこう。《ゼノバイン》、その力、ただ破壊のためだけにあるとは考え辛い』

 

『でも……ランラの仲間を殺して回っているって……』

 

『結果論と二元論に集約されれば、我々とて道を踏み誤る。ゼスティアの聖戦士。まずは曇りなき眼で見定め、決める。そうしなければ終わりの淵に立っている世界で、何も出来ずに溺れるだけだ』

 

『でも……』

 

 小型オーラバトラーのパイロットはまだ敵対衝動を拭い去れていない。だが、このままではいずれにせよ悪い方向に転がるだけなのは互いに理解しているはずだ。

 

「……町が消えるのを黙って見ている? それとも、何か行動する?」

 

『……消させない。翡翠とあたしの、育った町なんだから!』

 

 小型オーラバトラーのオーラが爆発的に膨れ上がる。その殺意のオーラが旋風となって岩石のオーラバトラーを吹き飛ばした。

 

 聖戦士のオーラはコモンのオーラを容易く凌駕する。僅かに均衡が崩れた一瞬、それだけで小型オーラバトラーが《ゼノバイン》へと接近戦を試みていた。

 

「来るのなら、最初から来なさいよ! 殺意だけで!」

 

 咆哮と共に互いの剣筋がオーラバリアを干渉する。弾け飛んだオーラの皮膜が竜巻を引き起こし、一帯の大気が砕けた。

 

『……あたしの名前は、ゼスティアのアンバー! オーラバトラー、《ガルバイン》の……パイロットだぁっ!』

 

「いちいち名乗るなんて、地上人も堕ちたわね! ここで死になさいよ!」

 

 点火した赤銅のオーラが片腕の武装を補填する。燃え盛るオーラの剣を下段より払った。それに呼応して敵も刃を振るう。

 

 ぶつかり合った途端、互いのオーラ力の強さに磁石のように弾かれ合った。

 

「……生半可なオーラじゃないみたいね」

 

『そっちこそ……』

 

 息は上がっているが、オーラ力は全く衰えていない。それどころか、《ガルバイン》と名乗った機体の内包するオーラが爆発力を伴わせて煌く。

 

「……燃え尽きる前の、松明みたいなものね。そんな、付け焼刃ァッ!」

 

《ゼノバイン》が瞬時に距離を詰め、《ガルバイン》を足蹴にする。敵は足を引っ掴み、切っ先を跳ねさせた。

 

《ゼノバイン》の頭部を狙ったその一撃はしかし想定内。

 

 仰け反った《ゼノバイン》が片腕の武装のオーラを吸い尽くす。

 

 燃え盛った赤銅のオーラが《ガルバイン》を押し包もうとした。瞬間、敵機が《ゼノバイン》を振り回す。小型のオーラ・コンバーターとは思えない出力が発揮され、アメジストは内部で歯噛みする。

 

「……オーラだけは人一倍な地上人が、のさばって!」

 

 張り上げられた叫びと共に《ガルバイン》の背面オーラ・コンバーターが十字の輝きを宿し、一直線に《ゼノバイン》のコックピット目がけて突き抜ける。

 

 その加速度は並大抵ではない。まさしく、斬ると断じなければ不可能な速度だ。

 

「……教えてあげる! そういうの、犬死にって言うのよ! 《ゼノバイン》!」

 

《ゼノバイン》の胸部に仕込まれた銀色の装備がせり出し、オーラの出力値を限界まで振り絞った。

 

「オーラディス、ヴェール!」

 

 瞬間的に内包するオーラを膨れ上がらせ、敵のオーラを反転させる。

 

 ――それこそが虚数のオーラの使い手である《ゼノバイン》と自分の必殺技。

 

 敵が強いオーラと殺意で向かってくれば来るほどに、それは度し難いほどの毒となる。

 

《ガルバイン》は燃え尽きる前の蝋燭のようなものだ。

 

 今だけ、この一瞬だけの最高疾走をもたらしているに過ぎない。

 

 たった一秒にかける敵など、恐れるまでもない。

 

 そう考えていたアメジストは不意に割って入った岩石のオーラバトラーに愉悦に滲んだ口元を呆けさせた。

 

 岩石のオーラバトラーが《ガルバイン》の剣を腹腔に受け、こちら側のオーラディスヴェールを背筋の満身で受け止める。

 

 その行動にアメジストは絶句していた。

 

「何を……」

 

『……互いに剣を収めよ。この……世界が終わるかのような一時に争い合って如何にする』

 

『……グラン……中佐』

 

『アンバー、それに《ゼノバイン》のパイロットよ。……そそげぬ因縁はあろう。恨んでも恨み切れぬ、その因果は。しかし、ここは双方の命、このジェム領のグランが預かった。貴君らの戦いはよく分かる……、その果てない恨みのぶつけどころも、な。だが、今はこの砕け落ちていく世界に、何か異を唱えねばならぬのではないか』

 

『中佐……、あたし……』

 

《ガルバイン》の刃が引き抜かれる。岩石のオーラバトラーは腹部を貫かれていた。

 

 ともすればパイロットは瀕死の重態。そうでなくとも、味方同士で斬り合ったのだ。禍根は拭い去れまい。

 

 だが、グランと名乗る男は言ってのけた。

 

『……ゼスティアの……白いオーラバトラーの聖戦士、エムロードに教えられた。ただ、闇雲に戦うだけが、未来ではないのだと』

 

 振り返った岩石のオーラバトラーには風穴が開いている。結晶体の内奥が粉砕され、オーラの風が逆巻く中、搭乗者が巨岩の機体から這い出ていた。

 

 屈強なる肉体を持った歴戦の猛者が、血濡れの身体をおしてこちらを睨み据える。その瞳に衰えぬ闘志を抱かせて。

 

「問おう! 異端狂戦士、《ゼノバイン》! ここでの終決は、貴君の意に沿うのか! それとも否を唱えるのかを!」

 

 硝煙の棚引く戦場で、ただのコモン人が一人、異端狂戦士たる自分に問いをぶつける。

 

 一見、素っ頓狂にも見えかねないこの問答はしかし、自分の心に波紋を投げかけた。

 

 ――このままでいいのか?

 

「……今さらの問答よ。アタシは……そうなるように仕向けられた。造られたのよ。それを、投げ打ってまで、この事象世界に留まるつもりもないわ」

 

 額が切れており、片目を瞑ったグランが声を投げかける。

 

「迷いがあるならば応じよ! 躊躇いを踏み越えられぬならば、応えよ! 戦い、破壊し、何もかもを壊し切ってもなお、貴君の胸に不安が残ると言うのならば! ならば、その命、真っ当に投げ打つべきだ! 断じて計算ずくの戦場で散り行くだけの代物ではない!」

 

 真っ当に投げ打つ。そのような選択肢、自分に存在するのか。

 

 問いかけた《ゼノバイン》の瞳がグランを見据える。

 

 相手は胸元をその拳で叩いた。

 

「心臓の音が聞こえるのならば! 貴様とてまだ……まだ命ある、バイストン・ウェルの一部だという事実を! この終末の光景に消し去るべきではないのだ!」

 

 その雄叫びがどうしてなのだろう。

 

 今まで自分の前に示されてきた様々な可能性世界――可能性の枝葉とは違うように映ってしまった。見えてしまっていた。

 

 そして、自分の、深淵だけの心に淡い希望が宿る。

 

 ――ともすれば、この因果を終わりに出来るのではないか、と。

 

 そんな希望、そんな戯れ言、何百回と続いてきた、連綿とした光の銀河の向こう側に置いて来たというのに。

 

 この男の言葉はその吹けば飛ぶような希望を想起させる。

 

 何もかもを闇と絶望に塗り固められた自分に、新たな何かを見出させた。

 

 しかし、それはやはり、ただの希望の先送り。全ての終結する地点は、もう見えている。

 

「……無理なのよ。何もかも。ここが終点。だからこそ、もうすぐこの事象世界だって焼け落ちるわ。今に……」

 

 その時、首裏に走った怖気は何百回と経験してきた終局の訪れを告げていた。

 

 頚椎に宿った戒めの記憶。脳髄を焼き切らんばかりの、終末の洪水が思考を白濁の向こう側へと染め上げていく。

 

 アメジストは最後の、ほんの瑣末な感傷を投げ捨て、赤銅に燃えた武装を叫びと共にグランへと振るい上げていた。

 

 しかし、彼は逃げなかった。

 

 その眼差しにあったのは光。――明日があるのだと、どこかで信じ込んでいる、「今」を生きる者のみが宿す輝きである。

 

「……そんなのに縋るのは、もう随分昔にやめたのよ」

 

 だから、異端狂戦士は破壊する。破壊し、蹂躙し、そして世界の淵を、この世の果てを目にする。

 

 そのためだけに事象特異点の最果てを辿る事を許された、灰色の境界――《ゼノバイン》。

 

 その道が殺戮と抹消にのみ集約されるのならば。自分は喜んで悪意を受け取ろう。

 

 人々の持つ負を、この双肩に背負おう。

 

 そのためだけに、世界が産み落とした……最後の一滴なのだから。

 

 足掻くのをやめた。信じる事をやめた。救いを放棄した。思考を放棄した。炎に生きる意味を。殺戮に安らぎを。血と悲鳴の果てに、魂の安息を。

 

 だからこその存在。だからこそのアメジストという名前の――はずであった。

 

 その一撃を《ガルバイン》が受けなければ。

 

 グランを貫くであろう一撃を、《ガルバイン》が機体ごと受け止める。左肩が砕け散り、根元から粉砕された。

 

《ガルバイン》が残った右手に握った剣を離し、こちらの武装を掴む。

 

 何を、と声にしかけたアメジストは流れ込んでくるオーラの記憶瀑布によろめいていた。

 

《ゼノバイン》と《ガルバイン》が共振し、共鳴し、それぞれの記憶が互いの脳内へと津波のように流れ込んでくる。

 

《ガルバイン》のパイロットが持っているのは希望の記憶であった。彩られた極彩色の煌きに、脳髄がシェイクされる。

 

 だが、相手は見ているはずだ。

 

 見えているはずだ。

 

 バイストン・ウェル。その終末の光景を。

 

 互いに双方の記憶野が混濁する。《ガルバイン》が後退した。《ゼノバイン》も後ずさる。

 

 残ったのは……深い絶望と、そして恥辱であった。

 

「……覗いたわね。このアタシを! 覗いたわね!」

 

『……嘘でしょう。あなた、もしかして……』

 

「覗いたなァッ!」

 

 オーラが点火し、《ゼノバイン》の爪が《ガルバイン》へとかかる。ゼロ距離へと持ち込んだ《ゼノバイン》が《ガルバイン》の頭部に頭突きをかました。

 

「ねぇ……? アンタはそれでいいかもねぇ……。何も知らず! 何も分からずに! 死んでいくんでしょ? ……アタシはそうじゃない。何もかも覚えている。何もかもを覚えたまま……また剪定事象の宇宙へと……あの果てない銀河へと漕ぎ出すのよ……? どれほどの孤独なのか……アンタ達のお粗末な脳みそで、分かるわけないでしょ!」

 

《ゼノバイン》の顎を覆っていた拘束具が砕けた。歯茎を軋らせ、《ゼノバイン》が吼える。

 

 その孤独なる咆哮が、《ガルバイン》とグランを圧倒した。

 

 砕け落ちていく港町の光景。当たり前の日々を代償にして、異端狂戦士は希望を恨み、蔑み、そして拒絶する。

 

 深淵に堕ちた心が、何もかもを吸い尽くす。

 

「《ゼノバイン》! 殺しなさい!」

 

《ゼノバイン》の腕が《ガルバイン》の首根っこを押さえ込んだ。そのまま豪腕の握力で締め上げる。

 

「ホラ、ホラ! オーラが高いんだから感じるでしょ? オーラバトラーと一緒に圧死しなさいよ! この世間知らず!」

 

 締め上げられていく《ガルバイン》が呼吸を求め喘ぐかのように中空を指先で掻いた。アメジストは喜悦を宿らせる。

 

 死を予見した次の瞬間、無数のオーラの熱源が中空を掻っ切った。

 

「ミサイル弾頭?」

 

《ゼノバイン》へと命中したミサイルの群れが殺到し、弾丸がオーラバリアの皮膜を叩く。

 

 戦闘機が空を引き裂き、《ゼノバイン》へと爆雷を投下する。しかし、それらは絶対の護りを誇るオーラバリアを前にほとんど意味を成さない。

 

「だから無駄だって! 言っているでしょうに!」

 

《ガルバイン》を捨て、《ゼノバイン》は跳ね上がった。オーラの跳躍力で一瞬にして高空に至った《ゼノバイン》が戦闘機を引っ掴む。

 

 赤銅のオーラに上塗りされ、戦闘機が直後には姿を変えていた。

 

 蝙蝠のような羽根を有する異形の機体に乗り、《ゼノバイン》が音速を超えて空域を疾走する。

 

 随伴機をすぐに追い越した《ゼノバイン》の翼になった機体が背中へと接合された。

 

 まさしく異形なる翼。翼手目を想起させる悪鬼の羽根を得た《ゼノバイン》が空域を睨む。こちらへと敵意を伸ばそうとする無知蒙昧な地上人の戦闘機がすぐさま弾丸を放ってきた。

 

「……数は四。推し量り、ね。ジラードのヤツ、根回しまではしていなかったってワケ。妙なところでその始末の悪さが出てくるわねェッ! アンタ達って言うのはさァッ!」

 

《ゼノバイン》が手を払う。その一動作だけで赤銅のオーラが中空に無数の乱反射を浮かべさせた。

 

 その領域を飛び越えた戦闘機が瞬間的に姿を変える。

 

《ゼノバイン》のオーラに抱かれ、地上人の生み出した戦闘機は、異形なる翼へと変異した。

 

《ゼノバイン》の手足と同義になった戦闘機が二機、味方機を追い立てる。

 

『な、何だ? 何が起こった! 味方機! こちらを誤認している! ロックオンを外せ! ロックオンを……』

 

 その言葉が焼きつく前に、《ゼノバイン》のオーラの虜となった異形戦闘機が味方機を撃墜する。その残酷極まった光景に、アメジストは愉悦を滲ませていた。

 

「そうよ……。アンタ達の命なんてねぇ、その程度なのよ! アタシを惑わせて……! 覚悟は出来ているんでしょうね、その二人ィ!」

 

 再び戦闘機を足蹴にした《ゼノバイン》が《ガルバイン》とグランに向けて滑空していく。真っ直ぐなその殺意を最早抑えるものはいない。

 

 衰えたオーラの躯体である《ガルバイン》はほとんど無効化された。グランも死に体である。こんな状態で、何かが生まれるわけがない。

 

 何かが起こるわけがない。

 

 戦闘時の昂揚がアメジストへと、絶対的な殺戮を予見させる。

 

 血飛沫が舞い散るのを、一秒後の自分は直視しているはずであった。

 

 ゆえにこそ、それが幻視に終わった事を、二秒後、三秒後の自分は判断出来ていなかった。

 

 獣のように吼え立てた《ゼノバイン》が瞬時に感知したのは、開いたオーラ・ロードが黒く染まった光景である。

 

《ゼノバイン》は、「それ」を感じ取るように出来ている。

 

 だからこそ、この時破壊の矛先はそちらへと向いていた。

 

 どす黒く染まったオーラ・ロードの果てからやってくる「それ」を、アメジストは悪寒として感じ取る。

 

「……来たわね」

 

 いやに醒めた思考が、狂気の刃を止めた。

 

 通信回線が繋がり、どうして今の今まで静観を貫いていた相手が声を響かせる。

 

『ご覧よ、アメジスト。これが……』

 

「ええ。アンタ達が最も忌避しなければならない結末よ」

 

 感じ入ったかのように通話先のジラードは言葉に熱を篭らせる。

 

『……素晴らしい。現れるのだね。我々の辿った過ちの結果。この事象世界を終わらせる、神の……』

 

「神様? 悪魔の間違いでしょ」

 

《ゼノバイン》は《ガルバイン》とグランへと一瞥を投げる。

 

《ガルバイン》のパイロット――田村琥珀は知ったはずだ。自分の運命と、そしてやらなければならない事を。

 

 この《ゼノバイン》を通じて。

 

「皮肉なものね。アンタ達も繋がっていたんだ? ……この無限回廊の果てに。でも、ここで打ち止め。アンタ達はここから先には行けない」

 

 黒く禍々しいオーラがオーラ・ロードの果てより、こちらを睥睨する。

 

 負けるものか、と《ゼノバイン》の赤い瞳が睨み返した。

 

 天地が逆巻き、万華鏡の断片が降り注ぐ地獄絵図。

 

 その地獄の底より、相手が腕を伸ばす。オーラ・ロードの亀裂に指先をかけた敵影に、アメジストは全身が総毛立ったのを感じた。

 

『あれが、君の言う地獄人かね?』

 

「……いいえ。そんなものじゃないわ。地獄人はあれを抑え込むために、アタシと《ゼノバイン》が生じさせていた、慰められない魂の群れ。そう、扉を塞ぐために、無数の無念があった。でも、そんなものでも地獄より現れる代物には意味がなかった。この事象世界にも現れるわよ」

 

『地獄人でも、地上人でもない……凄まじいな。あのようなものを、我が代で目に出来るとは……。この忌まわしき血にも感謝せねばなるまい』

 

「祈っている場合? 来るわよ」

 

 直後、地獄の裂け目より赤黒い咆哮が無数の眼球を有する怨嗟となって放出された。

 

 天地を縫い止める赤と黒のオーラ。それは神話の時代に記された禁断の塔を想起させる。

 

 ――ヒトは天に昇るために、混乱の塔を造り上げた。

 

 神の座を目にするために。その頂を目指した者達は、言葉を乱され、罪を背負って彷徨う宿命。

 

 しかし、ここで言葉は一つの意味となる。

 

 バイストン・ウェルと言う名のバベルの塔は、逆さ吊りの悪魔と共に屹立する。

 

 この世に再び、神の世界を築こうと言うのか。

 

 通信先のジラードの声が喜色に跳ねる。

 

『あれが……バイストン・ウェルの最果て。この世の終わり……』

 

 悪魔が扉を開く。

 

 裂け目を無理やりこじ開け、白き闇は再臨する。

 

 妖精の世界を経て、その赤い眼差しに、深淵の絶望を湛えて。

 

 怨念の声で吼え立てた忌まわしき相手を、アメジストは睨み、名を紡ぐ。

 

「ええ。――事象特異点《ソニドリ》。また会ったわね。アタシの倒すべき……敵」

 

 海と大地が赤い声で貫かれ、神話の時代が到来しようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第四章 了

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五章 蒼玉の聖戦士
第五十話 無惨戦線序幕


 

 燃え立つのは絶海の地平。

 

 灼熱の彼方に抱かれた水平線の向こう側から暗黒の太陽が昇り、港町は宵闇と黎明の狭間に支配された。全てが決する一瞬を求め、地面を覆い尽くさんばかりの甲殻の兵士が各々の武器を掲げる。

 

 槍、刀剣、弓――多種多様な武装を施された異界のマシン、オーラバトラーは鬨の声を上げていた。

 

 中天に、日を遮る暗夜の逆さ吊りの城が屹立する。

 

 あれこそが怨敵と決めた者達が猪突し、暗黒城から放たれた雷撃を前に蒸発していく。

 

 青い稲光を轟かせ、闇夜の城は絶対の優位を保っていた。

 

 その優位性に風穴を開けようと兵士達は集うが、ほとんど烏合の衆に等しい。敵方から放出されたオーラの爆風が貧弱な装備ばかりのオーラバトラーを蹴散らしていく。

 

 茶褐色の機体が、吹き荒れる嵐の中で剣を突き立てて暗黒城を睨んだ。

 

 黄色の眼窩が眩く輝いている。

 

「……ここで……墜ちるわけには……」

 

 結んだ言葉に前を行く一機のオーラバトラーが大剣を掲げた。士気を上げようとパイロットの声が響き渡る。

 

『臆するな! 敵は暗黒城にあり!』

 

 勇猛な男の声である。それだけで、ジェム領のオーラバトラー達に闘志が宿った。番えられた弓が、オーラショットが、それぞれの軌道を描いて暗黒城に突き刺さる。

 

 彼らはたった一機のオーラバトラーに希望を見出していたのだ。

 

 その羨望を受けるのは、ずっしりと佇む漆黒の騎士であった。

 

 青い結晶を眩く煌かせ、先陣を切るオーラバトラー、《キヌバネ》が鞘から剣を抜き放つ。

 

 全ては守ると決めた祖国のため。彼はオーラの暴風を真正面から受けながらも敵オーラバトラーと対峙した。

 

 暗黒城より飛翔する敵機を一機、また一機と《キヌバネ》は撃破する。その動きにどこにも衰えはない。それどころか、敵を斬る度に研ぎ澄まされていくかのようだ。

 

 ジェム領のオーラバトラー技術はまだ発展途上でありながらも、所属する兵士であるコモン人のオーラは土地柄か、軒並み低い。

 

 ゆえにこそ、一騎当千は他の統治国家よりも輝く。

 

《キヌバネ》が敵陣地に飛び込んだ。敵は《ドラムロ》で固めた重火装備部隊である。オーラショットが矢継ぎ早に繰り出される。

 

 覚えず叫んでいた。

 

「ザフィール騎士団長!」

 

 自分の声はしかし、彼の歩みを止めるまでには至らない。

 

《キヌバネ》が《ドラムロ》を叩き伏せ、その膂力でパイロットごと両断する。あまりに苛烈な戦い振りに言葉さえも失くす。

 

 それを予見したのか、《キヌバネ》に収まる男は声を張り上げた。

 

『怯むな! 討ち取れるぞ!』

 

 その言葉に背中を押された兵士達が一挙に攻め立てる。如何に暗黒城が優れた基盤を敷いていても、一度乱れた統率を容易く覆すほどの万能さはない。

 

 放たれる稲光を回避し、無数の弾頭が暗黒城を襲う。しかしながら、暗黒城の守りは手堅かった。

 

 防御皮膜が張られ、こちらの砲撃を物ともしない。

 

「……オーラバリア」

 

 紡いだ言葉に後続部隊から先輩兵士がオーラバトラー、ゲドの肩を叩いた。接触回線が開かれる。

 

『何やってる、アオ! そんなんじゃ波に乗り遅れるぞ!』

 

「すいません……。でも、浮上は思ったよりも……」

 

『しんどいか? そりゃ俺達もさ』

 

 笑って返した先輩騎士は《ドラムロ》で向かってきた敵を斬り伏せる。問答無用の太刀筋は本物の戦場のにおいであった。

 

「……でも、どうしてみんな戦って……。だってゼスティアはあんな事を、あんな卑怯な真似をしたって言うのに……」

 

 思い出すだけで怒りに思考が白熱化する。先輩はそれを諌めた。

 

『戦場で義憤に駆られるのはいいさ。だが、冷静さを欠くなよ。ザフィール騎士団長の背中を追いたいのならば』

 

《キヌバネ》が敵の本丸へと押し入ろうとしている。単騎戦力だ。相手からしてみれば恐ろしい精鋭騎士であろう。

 

 暗黒城より降り立つオーラバトラーにも殺気が宿る。

 

「殺すつもりだ……」

 

『当たり前だろうが。ここは戦場だ。どう言い繕ったって、もう戦地なんだよ』

 

 そう、――ここは戦場。

 

 つい半年前までならばそのような世迷言信じられなかっただろう。あるいは妄言と切り捨てるにしてももう少し年頃の少女らしい弁も立っただろうか。

 

 だが、城嶋蒼がこの半年で失ったものはあまりに大きかった。

 

 突然のバイストン・ウェルの転生より先、鍛錬の日々。そして、次々と死んでいく、同じように転生したクラスメイト達。

 

 彼女らの死に涙し、時には慟哭した。それでも、自分達の使命を全うせんと、《ゲド》に乗り、こうして騎士団に迎え入れられるまでになったのだ。

 

 全ては悪辣なる国家ゼスティア。その打倒のために。

 

 蒼は《ゲド》を走らせ接近してきた敵影を打ち破った。

 

 ――剣筋は見て覚えろ。

 

 ザフィールの教えだ。彼は自分に剣術を叩き込み、そして生きる術を説いてくれた。恩人である。どれだけ感謝してもし切れない相手が今、暗黒城の直下へと近づこうとしていた。

 

「危険です! ザフィール騎士団長!」

 

『危険は承知なんだろうさ。誰かが暗黒城のオーラバリアを解かない限り、決着はつかない。……呪われたフェラリオの王冠さえ破壊すれば、暗黒城は瓦解する』

 

 だがそれは、別段《キヌバネ》でなくても構わないはずだ。

 

 そうだというのに、彼はこうして部下達に背中を見せる。そうと決めた男の背中、騎士のあり方を。

 

 彼の戦いは部下達を奮い立たせた。オーラで劣るジェム領の兵士達が勝つ手段はそうそう多くはない。

 

 敵オーラバトラーに組み付いた兵士が炸薬の信管を抜いた。

 

『……ご武運を。先に待っております』

 

 爆発の光と轟音が腹腔に響き渡る。半年の間、慣れ親しんだ者達が次々と死んでいくのは蒼の心を磨耗させるのに充分であった。

 

「……もう誰も、死んで欲しくないんです!」

 

『それは綺麗事さ。来るぞ。構えろ、アオ!』

 

《ゲド》に剣を携えさせて敵と切り結ぶ。敵はまるでこちらに対して命の頓着などないかのようであった。まさしく悪鬼。まさしく分かり合うことなど断じてない、怨敵である。

 

 だから、ここは割り切る。

 

 そうするしか生き残る術がないというのならば。

 

 蒼は相手の剣を押し上げ、薙ぎ払いの一閃を浴びせた。敵コックピットに刃が入り、人を斬る感触がオーラとなって伝導する。

 

 覚えず膝を折りかけた蒼は先輩騎士の叱責を受けた。

 

『一機墜とした程度で呼吸を乱すな! 百機でも二百機でも来るぞ! 呼吸を整えて敵をさばけ。そうでないと押し負ける』

 

 戦局は悪いほうに転がっている。それだけは間違いない。

 

《キヌバネ》が敵の牙城に爪をかけているとは言え、それでも数で勝るのはゼスティアなのだ。それに加えて圧倒的な威力の雷撃は放たれるだけでも脅威。

 

 こちら側は防戦の後に反撃へと打って出るしかない。

 

 ここまで不利な戦局も、バイストン・ウェルでは常であった。

 

 ゼスティアの新型オーラバトラーに城下町は蹂躙され、ジェム領の残った兵力は最後の砦である城壁へと押し込まれていた。

 

 敵は常にこちらの上に立っている。その状態からの戦いは熾烈を極め、コモン人だけでは限界が生じた。

 

 その結果、自分達は呼ばれたのだ。

 

 エ・フェラリオによる導きがオーラ・ロードを開き、地上人を転生させる。万華鏡の輝きに抱かれて修学旅行のバスごと転移させられたのは昨日のように思い出せる。

 

 あれから全ては始まった。

 

 命を削る戦場。不利な戦局からの打開。何もかもが無為に帰すかもしれない、という危惧を抱いても、それでも前に進むジェム領の気高い騎士達。

 

 彼らの矜持があったからこそ、自分は生きてこられたのだろう。

 

 ただの小娘の理論が通用するほどに甘い世界ではない。バイストン・ウェルは地上界よりももっと気高い理念のみが原動力であった。

 

《ゲド》で敵へと牽制の銃撃を浴びせかける。反応した相手が飛翔し、斬りかかってきた。それを半身になって回避してから、オーラを込めた太刀筋で相手の胴を割る。

 

 戦う度に研ぎ澄まされるのはオーラ力と呼ばれる能力であった。

 

 地上人は生まれつきコモンよりもオーラが強いらしい。ゆえに、自分達地上人は重宝されたのだが、それも過去の話。

 

 どれだけ言い繕っても四十人の女子供でしかない自分達は、戦場で戦うのに慣れているはずもなかった。

 

 一人が命を落とせば、連鎖式に無数の犠牲が出る。オーラの駆動系が最もダイレクトに反映されるとされる機体、《ゲド》であっても、それは同じ事だ。

 

 どれほどのオーラが強くても、死ねば同じ。死んでしまえばそこまでの価値。

 

 だから戦うなどまるで埒外の価値である自分達は無闇に前に出て死んでいった。あるいは逃げようとして後ろから刺された。

 

 無残に殺された。尊厳などまるで無視して虐殺された。

 

 蒼はそれを知っている。それを覚えている。だから、と操縦桿を握る手に力を込めさせた。

 

「……わたくしはゼスティアを許さない」

 

 雷鳴が走り、青白い灼熱が地表を焼き切った。

 

 無数のオーラバトラーが手足をもがれ、それでも抗おうと天に手を伸ばすのをゼスティアのオーラバトラーが抹殺していく。

 

 ――見ていられなかった。

 

《ゲド》のオーラ・コンバーターを全開にして敵へと飛び込む。オーラを帯びた剣が最初は敵の出端を挫いたが、それも最初だけだ。

 

 遥かに場慣れしている敵が即座に包囲陣を敷き、《ゲド》へと間断のない攻撃を見舞ってくる。

 

 銃撃網に抱かれた《ゲド》の装甲は脆い。元々、アの国の試作品である欠陥だらけのオーラバトラーだ。すぐに膝を折り、コックピットが露出する。

 

 蒼は色濃くなった死の気配に呼吸困難に陥っていた。

 

 ――嫌だ、死にたくない。

 

 そんな自分を嘲笑うかのように敵が《ゲド》を足蹴にし、コックピットに銃口を向ける。

 

 ああ、終わったな。そんな感傷が僅かに胸を掠めただろうか。

 

 咆哮と共に割り込んできた先輩騎士のオーラバトラーが敵機を突き飛ばした。

 

 名前を紡ぐ間もなかった。

 

 彼の機体が全方位から自分を狙った弾丸を受け、崩れ落ちる。一瞬で大破したオーラバトラーから僅かに覗いた先輩騎士は微笑んでいた。

 

 血濡れの顔で、最後まで先輩らしい面持ちで。

 

「……アオ。生きろよ」

 

 そんな爽やかな声で、と息を詰まらせた直後、無数の《ドラムロ》に先輩騎士の機体は押し潰されていた。

 

 圧死した先輩騎士の今際の際のオーラが心に刻み込まれる。

 

 恐れ、怯え、畏怖……それらをひっくるめて何もかもを覆そうと抗った――勇気。

 

 勇猛なる意思の輝きが、蒼の萎えかけていた心を再燃させる。

 

《ゲド》で剣を構え直し、蒼は敵を睨んだ。

 

「……ザフィール騎士団長に比べれば」

 

 彼の戦いに比べればこれくらいは雑兵散らし。その程度でしかない。だが、自分は。自分はここで生きるだけの兵士。ここで死ねば終わりの兵士なのだ。

 

 ゆえに、全力で立ち向かう。全力で、相手を薙ぎ倒す。

 

 満身より吼え、蒼は敵へと猪突した。

 

《ゲド》の機動力を活かし、敵の懐に潜り込んでの一閃。一機、また一機と敵の内蔵骨格を斬りさばく感覚を手に馴染ませる。

 

 叩き割った《ドラムロ》の頭部より銃器が現出した。それを瞬時の判断では回避出来ず、コックピットにもろに受ける。

 

 割れたコックピットはほとんど使い物にならない。それでも戦いは止めるわけにはいかない。

 

「ここで潰えれば、何のためだって言うんだ!」

 

 何のため誰がために。彼は死ななければならなかったのか。自分の級友達も、どうして死ななければならなかったのか。

 

 自分だけ置いて、などという女々しい言葉繰りで終わらせるつもりはない。自分は置いていかれたのではない。

 

 彼らより先の未来を、歩む事を許されたのだ。

 

 ならば、その責任は負うべきだ。責任を負って、前に進むべきなのだ。

 

 敵影を払い、両断し、突き進む。

 

《ゲド》が敵の生態油を浴びて照り輝く。昂揚した精神が敵の胸元を破って息もつかせず反転し、背後に迫っていた相手を切り裂いた。

 

 平時の自分では反応も出来ないであろう領域。死狂いの域に足をかけているのが分かる。

 

 コックピットは丸見えなのに、敵の弾丸や剣が命中するイメージが脳内に結ばれないのはそれがオーラの加護だと言うのか。

 

 敵を踏みしだき、《ゲド》が前を行こうとする。

 

 一機でも墜とさなければ。その使命感に衝き動かされ、飛翔しようとしたその時であった。

 

 暗黒城からの再びの稲妻が地表を焼く。蒸発した港町の海水が潮気をはらんだ風を運んできた。

 

 面を上げると《キヌバネ》が暗黒城の中枢から吹き飛ばされ、弾き出されていた。オーラ・コンバーターより噴出した青いオーラが辛うじて機体を制御するが、それでもダメージを拭えていない。

 

 何が起こったのか。それを判ずるより先に緑色のオーラを纏った機体が暗黒城から飛び出していた。

 

 白亜のオーラバトラーが《キヌバネ》へと接近する。しかし、その手に得物はない。丸裸で《キヌバネ》に挑んで勝利した者など今まで存在しない。

 

 当然、《キヌバネ》は相対する刃で斬り伏せんとした。その打ち下ろした剣筋が殺気を帯びたが――相手の白いオーラバトラーはただ手で受けたのみであった。

 

 それだけのはずだ。

 

 だというのに、刹那、《キヌバネ》の剣が塗り変わった。

 

 オーラが反転し、《キヌバネ》の愛用する大剣が瞬時に位相を変える。

 

 どうしてなのか、傍目には判別がつかない。白いオーラバトラーが剣を奪い取り、《キヌバネ》へと一閃を見舞った。

 

 ただの一撃ではない。

 

 オーラを滾らせた、光り輝く剣閃が《キヌバネ》の機能の半分以上を奪い取っていた。

 

《キヌバネ》が機体を回転させつつ、その勢いを減殺しようとするが、白亜のオーラバトラーの勢いは留まるところを知らない。

 

 オーラ・コンバーターが開き、可視化された強大なオーラの加速度が《キヌバネ》へと突撃を確約する。

 

 重圧に《キヌバネ》が苦戦しているのが自分でも分かった。

 

「騎士団長!」

 

 声と共に《ゲド》の残った満身のオーラで跳躍する。

 

《キヌバネ》の翅は砕け、剥き出しのコックピットから覗いたザフィールは呼吸を乱していた。オーラの波も安定していない。装甲は剥離し、それぞれの亀裂から漏れ出たオーラが相手のオーラバトラーへと繋がっている。

どうして、と息を呑んだ蒼はザフィールの声に叱責された。

 

「馬鹿野郎、何で来た! こいつは! 勝てる相手じゃない!」

 

「でも! 騎士団長が……! みんなが……」

 

 死んでしまうのは見たくない。その一念であった蒼へと敵機が睥睨する。

 

 その一睨みだけで身が竦んだ。オーラの根を握られた感触がした。魂を吸引するかのごとき、四つの眼から注がれる眼差し。

 

 あ、と一息で呼吸困難に陥った蒼は眼前の敵が迫ったのに全く関知出来なかった。

 

 振るい上げられた剣の勢いに、呼吸さえも殺された一瞬。

 

「――蒼!」

 

 どうしてなのだろうか。終わりは訪れるかに思われたのに。

 

《キヌバネ》が、自分へと振るわれた刃をその身で受けたのを目にするなんて。

 

 青い生態油が迸り、《キヌバネ》が両断される。

 

 決して見たくはない光景、見る事はないと思っていた光景が大写しになる。

 

 ザフィールの身体が機械と甲殻の間に押し込まれ、剣圧によってその存在証明を根こそぎ奪われていた。

 

 慟哭したのか、それとも怨嗟の雄叫びを上げたのか、それは分からない。

 

 分からないが、蒼は《ゲド》で白いオーラバトラーに挑んでいた。

 

 絶対に勝てるわけがない。それでも、今は向かうしかないのだ。

 

 そう断じた神経が奔り、敵を睨む。

 

 殺気がオーラとなって顕現し、この時、《ゲド》は想定以上の出力で敵へと刃を打ち下ろした。

 

 ――お前だけは、許さない。

 

 破壊と殺戮を体現した四つ目のオーラバトラーが剣を捨て、その爪でコックピットを貫いた。

 

 激痛よりも、感じたのは衝撃。

 

 全身が粉砕したと思えたほどの崩壊は何をもたらしただろう。

 

 単純なる死を許さない怨恨か。あるいは、敵へと最後に噛み付かんばかりの殺気か。

 

 睨んだ眼差しを向けた蒼を敵オーラバトラーが直視し、次の瞬間、相手の爪より放たれたオーラの瀑布が、身を押し包んでいた。

 

 フェラリオが繋ぐのと同じ、万華鏡の色を湛えたオーラの嵐。

 

 きっとこうやって幻想に抱かれて死ぬのが自分にはお似合いなのだろう。

 

 瞼を閉じようとした。せめて安らかに眠ろうと。

 

 そうやって、城嶋蒼の「一回目」の死は訪れた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十一話 無間回廊塵芥

 青空であった。

 

 憎々しいまでの晴天が、地の果てまで広がっている。あの世は人間の心象風景なのだと言う事をどこかで聞いた。だから、せめて死んでからは安らかに、という何者かの作為なのだろうか。

 

 どう考えてもあり得ない。

 

 あまりに高い青空に、そして荒涼とした紺碧の大地。苔むした岩壁からは植物が異様な角度から伸びている。

 

 ここが現世ではないのは、どこかで分かっていた。割り切っていた。

 

 だが、この場所は。

 

 この風景は。

 

 そしてこの――オーラを纏い付かせた風は。

 

 蒼は身を起こしていた。

 

 周囲には制服に身を包んだ女生徒達が所在なさげに点々と見渡している。彼女らの面持ちに、見覚えがあった。

 

 だが、どうして。あってはならないはずなのに。

 

「……何でみんな……生きているんだ」

 

「……何を言っているの? 城嶋さん。ここは……どこなの?」

 

 一人のクラスメイトの声に不安が増長されたのか、他の生徒もめいめいに声にする。

 

「何これ……バスは? どこに行ったの?」

 

「修学旅行の道じゃ……ないみたいだけれど……」

 

 蒼は額を押さえて記憶を反芻した。

 

 自分の今際の際の記憶を。あの時の衝撃と死の足音、それに色濃い戦場の空気は忘れるはずがない。何よりも、あれが夢幻の類ではないのは自分がよく知っている。

 

 だから、この状況が飲み込めない。何が起こったのか、純粋に「分からない」。

 

「……みんな! ひとまず集りましょう。そうしないと、こんな知らない土地……」

 

 クラス委員が手を叩いて彼女らの不安を何とか押し留めようとするが、当の彼女も膝が笑っている。

 

 皆が恐怖に打ち震えているこの光景も、初めてではない。

 

 自分は既に経験している。

 

 ――だがどうして?

 

 疑問が突き立った胸中を断じるかのように不意にいななき声が耳朶を打った。

 

 こちらへと接近するのは馬によく似たバイストン・ウェルの原生生物、ユニコンである。馬車を引くユニコンとそれに付随する甲殻の騎士――オーラバトラーに少女達が震える。

 

「何……あれ」

 

「馬車……? 外国なの?」

 

 どうしてなのか。自分はこの先、何が起こるのかを知っている。否、経験しているのだ。馬車から降りてきたのは幻想的な身なりをした女性であった。彼女は自分達を物のように数え始める。

 

「えっと……全部で四十四人」

 

『かなり多いな』

 

 オーラバトラーの拡声器の声に級友達は怯えを隠しきれない。

 

 しかし、蒼だけは違っていた。その声の主を誰でもない、自分の魂が知っていたからだ。

 

「……ザフィール騎士団長?」

 

 声にした途端、相手が胡乱そうにこちらを注視する。しまった、と口を塞いだ時にはもう遅い。オーラバトラーで武装した者達が一斉に銃口を向けた。

 

『……奇妙な。地上界から呼んだはずの者が、どうして俺の名前を知っている?』

 

「それは、その……。だって、騎士団長は……覚えていらっしゃらないのですか?」

 

 あの激戦を。白亜のオーラバトラーの恐るべき戦闘形態を。

 

 しかし、眼前の《ドラムロ》に収まったザフィールは疑念を返すのみであった。

 

『……地上界には我らコモンでは推し量る事も難しい理があるとは聞いていたが、まさかここまでとは……。しかし、四十四名。大義である』

 

 ここから先に待ち受ける過酷な運命をどうしてだか自分だけが知っている。ザフィールの口にするあまりに残酷な命令も。

 

「どういう事なの……。帰して! 元いた場所に帰してよ!」

 

 ヒステリックに泣き叫ぶ少女達に、騎士達は困り果てている様子であった。その逡巡にエ・フェラリオの女性は声にする。

 

「呼ばれた事はとても名誉なのよ。貴女達は、選ばれた。まぁ、四十四名も呼ぶつもりはなかったんだけれど」

 

『アルマーニュ・アルマーニ。如何に現状では最高位のエ・フェラリオとはいえ、ハッキリ言う。呼び過ぎだ、馬鹿者』

 

「仕方がないでしょう? 我々フェラリオの開いたオーラ・ロードに、たまたまかかったのが四十四名だった話。それに好都合ではありませんか。これだけ地上人がいれば、卑劣なるゼスティアには絶対に負けない!」

 

 声高に言ってのけたアルマーニにザフィールを含め、騎士団が言葉を詰まらせる。

 

『……訓練がいる』

 

「そもそも説明が、でしょうね」

 

《ドラムロ》のコックピットが開き、中から現れたのは見間違えようもない。

 

 ――ザフィール本人であった。

 

 しかし、と蒼は違和感を覚える。どうして、ザフィールが健在なのか。そもそも、ここは「どこ」で、「いつ」なのか。

 

 あの世と断じる事も出来たが、あの世にしては出来過ぎている。あるいは、過去の反芻である夢幻だとするにしては、生々しいオーラの風が吹きつけるこの地は本物であった。

 

 本物のバイストン・ウェルだ。

 

 ザフィールはオールバックに流した紫色の髪を撫で、こほんと一つ咳払いしてから、全員と目を合わせる。

 

 自分はよく知っている。ザフィールはいつでもそうやって、他人との了承を得てから、まずは話し始めるのだ。

 

「……いいだろうか」

 

 紳士然としたザフィールの行動に級友は絶句していた。彼女らへとザフィールは静かな論調で語り始める。

 

「驚くのも無理はない。……いや、驚くな、というのが逆に不可能か。まずは説明をしたいとは思うが、ここで時間を潰すのも勿体なくってね。何とか馬車には乗せたいが、四十人越えとなると……」

 

 後頭部を掻いたザフィールの行動で蒼は一つ思い出していた。

 

 この直後、ゼスティアの奇襲に遭うのだ。それで否が応でも自分達は思い知らされる。このバイストン・ウェルに安息はない事を。そして戦う事でしか身を守る方法はないという現実を。

 

「あ、あのっ……!」

 

 蒼は声にしていた。伝えなければ、と思い立って、ではどこから、と硬直してしまう。

 

 ザフィールに自分がいずれ知るであろう事を教えるのがベストだろうか。だが、近い将来死ぬなど、教えてどうするというのだ。

 

 面を伏せた蒼へと慮った声がかけられる。

 

「……気分でも悪いのか? 医療班はいるが」

 

 ああ、こうやって他人の事を思いやれる。それがザフィールという男の度量であったのに。

 

 自分はザフィールの死を知っている。そればかりか、この数秒後には訪れるであろう、数名のクラスメイトの切り捨ても。

 

 ……だからなのだろうか。

 

 あるいは、ゆえに、かもしれない。

 

 蒼は反射的にザフィールの乗っていた《ドラムロ》へと駆け出していた。さすがの彼もそれは想定外であったらしい。完全に反応が遅れたザフィールを他所に蒼は《ドラムロ》のシステムをチェックする。

 

「……よく知っている。《ドラムロ》の装備だ。でも、どうして? どうして、わたくしだけが、《ドラムロ》を……ひいてはこのバイストン・ウェルの事を知ったままで」

 

 熱源関知の報がけたたましくもたらされる。蒼は操縦桿を握り締め、森を抜けてこちらへと強襲しようとするゼスティアのオーラバトラーへと初撃を浴びせかけた。

 

 まさか出てくる前に攻撃が来るとは思っても見なかったのだろう。

 

 銃撃が正確に敵機を射抜き、つんのめった《ドラムロ》が火達磨に包まれる。随伴機が撃墜されたせいか、相手の反応が一拍遅れた。

 

 今だ、と蒼は機体を直進させ、エンジンに火を通す。押し出される形で敵《ドラムロ》が地面を転がり落ちた。《ドラムロ》の弱点は既に分かり切っている。隙だらけの相手へと炸薬を見舞うと瞬時に敵が粉砕され、爆発する前に地表に叩きつけられていた。一瞬の交錯で敵の弱点を熟知した動きにジェム領の戦士達が圧倒されたのが伝わってくる。

 

『……貴様、何者だ? 如何に地上人がオーラ力に優れるとは言え、初見でオーラバトラーを……』

 

 攻撃の矛先が自分へと据えられる。無理もない。いきなりオーラバトラーを稼動させた地上人は今まで観測されていないはずである。

 

 言い訳を何か講じようとしてザフィールが彼らの銃口を制した。

 

「やめろ。彼女は俺達を助けてくれた。恩義に報いるのがジェム領国のやり方のはずだ」

 

『しかし、騎士団長! こいつ、得体が知れないんですよ!』

 

「得体が知れないのならばこれから知る必要がある。貴君、地上人であったな。名前は?」

 

 一拍の警戒の後、静かに応じていた。

 

「城嶋……蒼」

 

「アオ、か。どのような字で書くのかは分からんが、歓迎する。我々、ジェム領へと、ついて来てもらえるな?」

 

 確認の声に、やはりと確信を新たにする。

 

 彼は騎士団長、ザフィール。自分が師事した男のはずなのだ。

 

 そして、死んだはずの人間の名前でもある。

 

「……選択権は、多くはないんですよね」

 

「なに、悪くはせんよ。もてなしをさせてもらう。なにせ、四十名を超える地上人だ」

 

 クラスメイト達は完全に怯え切っている。まずは彼女らを安心させる事が先決だ。

 

「……話しても」

 

「構わない。地上人同士のほうが話は通用するだろう」

 

 蒼は《ドラムロ》から出るなり、級友達へと声を発していた。

 

「みんな! 怖がらないで。彼らは敵じゃない」

 

「敵じゃないって……。城嶋さん、何を知っているの? あの兵器は……どうやって動かしたの?」

 

「……説明は後にさせて欲しい。わたくし達は、一度彼らの国である……ジェム領国に行かなければならないんだ」

 

「どうして……! こんなわけの分からない場所で落ち着いていられるのよ!」

 

 恐慌に駆られた級友を鎮める術は分からない。蒼は務めて冷静を保とうとした。

 

「……わたくしにも何が何だか……。ただ、これだけは言える。こんな中途半端な場所に陣取っていたら狙われるだけだ」

 

「それには概ね同意よ。貴方達、その身は思ったよりも多くの命を救うと考えて欲しいわ」

 

 アルマーニの言葉にクラス委員が噛み付いた。

 

「何よ! 知った風な!」

 

「今は! ……わたくしを信じて欲しい」

 

 その説得が叶ったのか、彼女らは言い争いを一旦はやめてくれた。それでも、どこかで軋轢は生まれるだろう。今は、遠回しにしただけの話だ。

 

「アオ・キジマ、でしたっけ? 私、ちょっと気になっているの。もう一度《ドラムロ》に乗ってもらえる? その中で話がしたいわ」

 

 アルマーニの提言にザフィールは首肯する。

 

「帰りは馬車か。……まぁ、どうせ速度も出せない。ゆっくりと帰路につこうじゃないか。地上人の聖戦士達、領国では催しが開かれる予定だ。ゆっくりとした足取りでもいい。俺達を信じて欲しい」

 

 ユニコンがいななき声を上げる。馬車が先導する形で四十人余りの大行列が歩みだしていた。

 

 ザフィールは先頭の馬車に乗り、後方では先ほどの敵《ドラムロ》の残骸を友軍兵が調べている。

 

「ねぇ、貴女……、何か違うわね」

 

 同乗したアルマーニの言葉に蒼は逡巡を浮かべた。

 

「違うように……見えますか」

 

「いくらオーラ力が高くても、初見でオーラバトラーは動かせないはずよ。それとも、似たような機械を動かした経験が?」

 

 つい先ほどまで、《ゲド》に乗っていたはずだ、とは言えない。

 

 誰にも信じてもらえる気がしなかった。自分は一度、ゼスティアとの戦闘の最後の最後まで戦い抜いた、など、気が触れたと思われるのがオチだろう。

 

「……似たものを動かした事なら」

 

「やっぱりね! 貴女、とても面白いわ。オーラの質も何だか他の地上人と違う……。何て言うのかしら……、どちらかと言うとコモンに近いわね」

 

 ――それは一度全てを経験しているから、とは言えず蒼は曖昧に頷いた。

 

「彼らは……どういう組織で?」

 

「ああ、気になるわよね。そりゃそうか。だって召喚されたばかりで、意味も分からないでしょう。説明するわ。私達、ジェム領国の歴史を」

 

 アルマーニが慣れた様子で語り始める。彼女からしてみれば連綿とした人の歴史を、まるで糸をほぐすかのように紐解くようなもの。

 

 エ・フェラリオは長命がゆえにコモンの歴史を細部に至るまで言の葉に紡げる。

 

 その話を聞きながら、蒼は転がり始めている状況をどこか別の自分で俯瞰していた。

 

 ――どうして、あの時、死なずに済んだ?

 

 その疑問だけが堂々巡りの思考を満たしていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十二話 孤城災禍

 

 城門を抜けると騒々しいパレードからは一転、静かな城壁内部では静謐を湛えた騎士団のオーラバトラーが配備されている。

 

 彼らは来るゼスティアとの決戦に向けて実戦を加味したシミュレーターを稼動させているはずであった。

 

「おっ、ザフィール騎士団長!」

 

 その中の一機から這い出てきた兵士の顔に蒼は息を呑む。

 

「あなたは……」

 

 あの時、自分を庇った先輩騎士。だが、どうして……という思いが疑念の眼差しとなって彼に注がれた。

 

「……ん? どこかで会ったか? そんなはずがないか! 地上人の知り合いはいないはずだからな!」

 

 快活に笑って見せたのも、今は涙の代物であった。彼は目の前で死んだはず。思わぬ再会に相手がうろたえた。

 

「おいおい……何だって言うんだ、まったく……。騎士団長! この地上人、何でか俺の顔を見て泣いちまって!」

 

「そのおっかない顔にびびったんだろうさ」

 

「俺のどこかおっかないって言うんですか!」

 

 そのやり取りも過去の遺物のようであった。永遠に失われたはずの邂逅が、果たされている。

 

 理解をするより先にザフィールが馬車から降りて声にする。

 

 四十名余りの地上人へと彼は声を張り上げた。

 

「聞いて欲しい! 君達地上人は、アルマーニュ・アルマーニ……君らの言葉で言う、妖精によってこのバイストン・ウェルに転生された。だが恐れる事はない。むしろ、誇ってくれ。君らは聖戦士として選ばれたのだから!」

 

 聖戦士。その言葉を全員が咀嚼するのは不可能だろう。

 

 彼女らにとってしてみれば、異郷の地である以上に、ここは馴染みのない土地だ。

 

 理の違う世界、妖精の舞う魂を慰撫する場所。そう説明されても、戸惑うのが最初の反応としては正しい。

 

 だからか、自分の落ち着き振りがアルマーニを驚かせたようだ。

 

「……驚かないのね」

 

「……ええ、まぁ」

 

 濁した蒼はザフィールの指揮の下、大勢の地上人が城へと呼ばれていくのを目にする。

 

 彼女らには残酷な運命が突きつけられる。即ち、隷属か死か。

 

 だが、ジェム領では隷属と言っても、優れた兵士になれるかどうかの話だ。

 

 そうでない人間は精神を病んで死に至るのみ。

 

 現実をどの程度受け入れられるかが、彼女らの生き死にに関わってくる。無論、受け入れられない事実に押し潰されるのも、それも一面ではあるだろう。

 

『……貴公はまず、《ドラムロ》から降りろ』

 

 兵士に命令され、蒼は素直にコックピットから出ていた。

 

 アルマーニもその後に続く。

 

「アルマーニは妖精の籠に移動。相当なオーラを消費したはずだ」

 

「そうね。まさかあんな数を呼び込めるなんて思わなかった」

 

「一箇所に集っていたんだろうな。……不運な事だ」

 

 ザフィールはこの時点で、自分達の将来を危ぶんでいたのか。そう考えると目頭が熱くなってくる。

 

『《ドラムロ》、地上人くさいぜ』

 

「その《ドラムロ》は解析に回せ。地上人のオーラで変容している可能性もある」

 

 運び出されていく《ドラムロ》を見やっていると、不意にザフィールが声にしていた。

 

「……君にどの程度の説明が必要かな」

 

「どの程度って……」

 

 全て分かっている、と言えばそこまでなのだが、一度目は困惑するあまり、ザフィールを完全に信じるまで時間がかかった。それこそ、取り返しのつかないところまで行ってから、ようやく愚かにも信じる事が出来たのだ。

 

「……奇妙だな、とは思っている。いきなり《ドラムロ》を動かし、その上君の面持ちには……何か他の地上人と違うものを感じ取った」

 

 ザフィールは苔むした岩に腰かける。彼とどう対話すればいいのか、蒼は最初分からなかった。

 

 あなたは死んだはずだ、とでも言えばいいのだろうか。それともこれから死ぬ運命だとでも。

 

 だが、どのような言葉を弄しても、やはり、というべきか、再会の感傷には勝てなかった。

 

 頬を伝う熱いものにザフィールは目を見開く。

 

 彫りの深い顔立ちの騎士団長は、自分の処遇を決めかねているようであった。

 

「……泣くなよ。女子供に泣かれるのはその……慣れていなくてね。所帯を持っていないのもあるかもしれないが……」

 

 どこかおどおどとしたザフィールに蒼は涙を拭って質問の言葉を振ろうとした。

 

「あの……ジェム領国はまだ……その……安泰なのですか?」

 

「……可笑しな事を聞くのだな。アルマーニに何か吹き込まれたか? まぁ、まだ安泰……と言えるかもしれない。だが、その平穏も長く続くかと言えば否と応えるしかない」

 

「ゼスティアが攻めてくるから」

 

「驚いたな。本当に説明が要らないのか」

 

 蒼は佇まいを正し、ザフィールの眼を真っ直ぐに見据えた。彼も自分から視線を外さない。

 

「……聖戦士はジェム領の剣として、立ち向かわなければならない。邪悪なる野心を持つ領国……ゼスティアに奪われた妖精の冠を奪還するために」

 

「……アルマーニはそこまで話したのか?」

 

 無論、まだアルマーニはそこまで自分を信頼していない。だがいずれは分かる事だ。ならば話の早いほうがいいはず。

 

 無言を是にするとザフィールはオールバックにした髪を掻く。困った時に彼がやる仕草だ。懐かしい、と胸にこみ上げてくる。

 

「……真摯に話さなければならないようだ。ゼスティア……侵略国家は我々の王族宝物庫より、とある重要物資を奪い取った。それは――フェラリオの王冠。妖精達の王、ジャコバが封じたとされるこの世の叡智全てが込められたとされる、奇跡の遺物だ。……だが、それは表向きでね」

 

 ザフィールが煙管を取り出し、火を点けかけて自分を気にする。

 

「……吸っても?」

 

「はい。慣れて……」

 

 いますから、と応じかけてまだ出会って三時間も経っていないのだ、と口を噤む。相手はフッと微笑んだ。

 

「……奇妙な縁だな。君とはまるで初めて会った気がしない。いや……今のは女性を落とす落とし文句ではない。忘れてくれ」

 

 こうして、ちょっとしたジョークに対して自分で恥じらうのも、本当に自分の見知ったザフィールなのだと感じ取る。彼はそうやっては、よく部下からからかわれていた。

 

「あの、ザフィール騎士団長。フェラリオの王冠は……」

 

 彼は紫煙をたゆたわせ、ああと首肯した。

 

「あれは……奇跡の産物と言われていたが、その実は違う。所有者の闇……暗黒面のオーラを引き出す代物だ。あってはならない、災厄だよ」

 

 やはり、と蒼はその事実を噛み締めた。最終決戦に挑む前に、ザフィールが言ってくれた事実と符合する。以前はそこに至るまで王冠の事は伏せられていた。

 

 ただ、相手が侵攻してくるのを闇雲に対処していたのみである。

 

「そんな危ないものを、どうして相手は?」

 

 それは聞きそびれていた内容であった。フェラリオの王冠がどうしてゼスティアに必要であったのかは結局一つも聞けていない。

 

 ザフィールは碧眼を伏せて話すべきか思案しているようであった。

 

 当然だろう。会ったばかりの地上人。全てを話して得をするはずもない。

 

「……今は、先延ばしにさせてくれ。これは王族特務の内容なんだ。騎士団でも一握りの……俺と副長くらいしか知らない」

 

 副長、と蒼は自然と城壁内部の護りを司る一機へと視線を吸い寄せられていた。

 

 赤い装甲を持つ機体――《レプラカーン》が剣を携えて城の外を見張っている。

 

「……よく分かったな。あれが副長の機体だって」

 

「あ、……それは」

 

 どう誤魔化すか、と愚策を講じている間にザフィールは笑みを浮かべる。

 

「戦士としての素質があるのかもしれん。オーラさえ読めば不可能ではないからな」

 

 そういう事にしておこう。蒼はオーラ力について再度、問い質していた。

 

「地上人……わたくし達はオーラ力が強いんですよね?」

 

「ああ、遥かに凌駕している。俺なんて足元にも及ばない。だが……優れた気質を持っているとは言え、磨かれなければそれは原石のままだ」

 

 重々、承知している。オーラの強さが、そのまま戦士としての強さに直結するわけでもない。

 

「……しかし、君は話しやすいな。まるでこちらの心を読んでいるかのような……これも強大なオーラの素質か」

 

「いえ、その……」

 

「謙遜なんてするなよ。俺が馬鹿みたいじゃないか」

 

 煙管の煙が消え、ザフィールは立ち上がる。鎧を身に纏った荘厳な騎士。いつもその背中を追っていた、あの勇猛果敢なる英雄がまるで唯一無二の友を見つけたかのように口元を綻ばせた。

 

「どうしてだろうな。初対面の気がしない相手には……俺は特別に何かしてやりたくなってしまう。ちょっと実験棟に向かう。ついて来てくれ。面白いものを見せる」

 

 そう前置きされて蒼はザフィールの背中に続く。

 

 制服姿の地上人に城内のコモン達がうろたえる中、実験棟と称された場所は高い煙突を有していた。

 

 そこから紫色の噴煙が棚引いている。

 

 入るなり地下へと続く階段があり、オーラの密度が濃い中で研究者達が渋面をつき合わせている。

 

「よぉ。調子はどうだ?」

 

「騎士団長! 全員、敬礼を!」

 

 佇まいを正そうとしたコモン達にザフィールは手を払って笑みを浮かべる。

 

「よしてくれ。ここでは対等、という約束だろう?」

 

「ですが、一応は上官なので」

 

 参ったな、とザフィールは後頭部を掻き、返礼する。

 

「で、あれの進捗を聞きたい」

 

「は。六割、と言ったところですね」

 

「やはり……完成は難しいか」

 

「ゼスティアより我々のオーラバトラー技術は劣っておりますゆえ、相手の新型機を潜んだモグラから常に情報を同期させて仕入れております」

 

 空気の循環が悪い研究施設はそこいらに青い結晶が散見された。ザフィールは質問を繰り返す。

 

「実戦には……」

 

「不向きですが、完成すればこれとない戦力になるでしょう。勝ち得ますよ。我々は」

 

 最奥にまるで玉座のような空間が空けられている。その座に無数のケーブルで繋がれた漆黒の甲殻騎士が位置していた。

 

 剥き出しの眼球部がこちらを睥睨している。

 

 まさか、と蒼は息を呑む。

 

「これは……《キヌバネ》」

 

「ほう。まだ名前はなかったはずだな?」

 

 しまった、と口を噤むと研究者は満足そうに頷いた。

 

「ええ。ですがオーラバトラー、《キヌバネ》ですか。よい名です。そのまま採用いたしましょう」

 

「アオ・キジマ。君はこれを一目見るなり、《キヌバネ》、と言ったな? ……予感が確証に変わった。君は何か、このジェム領にとって重要な事を知っている」

 

 ザフィールの慧眼は騙し切れない。蒼は《キヌバネ》を見やり、それから彼に向き直った。

 

「……信じ難い話かもしれません」

 

「いいさ。妖精の舞う世界だ。一つや二つの奇妙な話には慣れている」

 

「ですが……ここでは少し」

 

「では、俺の部屋に案内しよう」

 

 蒼は目を見開いた。ザフィールの部屋には一度として招かれた事がなかったからだ。その反応にザフィールは、いや、と手を払う。

 

「勘違いしないで欲しい。地上人に手を出すほどでは……」

 

「騎士団長、さすがですね。恐れ知らず!」

 

「は、囃し立てないでくれ!」

 

 研究者達と対等に話すザフィールには自分の知らぬ一面が垣間見えた。そうだ、彼の全てを知ったわけではない。

 

 むしろ、知らない部分の多いまま、永遠に別たれてしまったのだ。それをやり直す機会に恵まれている。

 

 それだけで、幸福だと言えた。

 

「いえ……、ザフィール騎士団長。わたくしからも、話したい事がございますゆえ」

 

 ザフィールは咳払いして厳しい声を出す。

 

「そうだな。地上人のもたらす利益にはバイストン・ウェルは少なからず影響を受け続けてきた」

 

 佇まいを正したザフィールと向かい合う。

 

 ここからが始まりなのだ、と蒼は自らに言い聞かせた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十三話 敵影戦塵

 ザフィールの個室、と呼ぶのにはあまりにも簡素な造りの部屋に蒼は瞠目してしまう。

 

 まさか騎士団長身分でも自分達とそれほど待遇が変わらないなど思いもしない。

 

 否、自分達の待遇のよさが異常であったのだ。

 

 地上人とおだてられ、戦場に駆り出されるために特上の部屋を用意されていたのだろう。あの時はそのような事を考える余裕など、一瞬もなかったが。

 

「適当なところに腰かけてくれ。変に気負わなくっていい」

 

 ザフィールは鎧を脱ぎ、軽装に着替えている。ザフィールの鎧姿ではない部分は初めて目にする。それだけ地上人との距離があったのだろう。

 

 今は違う、とまでは言い切れないが少しは距離を縮められたのではないかと思う。

 

 彼は窓辺に座り込み、煙管を取り出す。蒼はゆっくりと、しかしながら必要な事を全て伝えるべきだ、と感じた。

 

「オーラ・ロードが開く時、向かうべき宿縁もまた、開かれる」

 

 そう口火を切ったザフィールはこちらへと目配せする。

 

「俺にとっての君が、ともすればそうかもしれない」

 

「そこまで大層ではありません。自分は……ただの一兵士でした」

 

「そのような見目麗しい服飾の兵士など聞いた事はないがな」

 

 制服姿のままである事を、蒼は恥じ入る。

 

「申し訳ありません……。礼節が……」

 

「いい。俺も礼節がなっていないのは同じだ。転生したばかりの地上人を部屋に招きいれれば早速部下達の噂話だろうな。まぁ、その程度、どうとでもなる。君は重要な事を俺に教えようとしてくれている。今は、その一事だ」

 

 そうだとも。彼に伝えなければならない。自分が、最終決戦で目にしたあの白いオーラバトラーの事を。彼が、死に行く運命に立たされている事を。

 

 しかしどこから話せばいいのだろう。

 

 彼との出会いからか。あるいは、何がどうなって、ゼスティアとの最終決戦にもつれ込むのか、か。

 

 分からない胸中を持て余していると、不意にザフィールが警戒の色を瞳に湛え、窓枠を引っ掴んで外を窺う。

 

「……何か」

 

「まずいな……。オーラが逆巻いている。これは……敵襲だ!」

 

 ザフィールの声が弾けるのと、監視塔より敵襲の鐘が鳴るのは同時であった。ゼスティアの強襲攻撃の報告にザフィールが舌打ちする。

 

「まずかったか。……まだ俺の《ドラムロ》は解析中……。仕方ない。他の機体で出るしか……」

 

「あの!」

 

 通り過ぎかけたザフィールを蒼は呼び止めていた。彼は振り向かずに応じる。

 

「話の途中で打ち切るようで申し訳ないが、敵だ。今はそれを討ちに行く」

 

 赴きかけたザフィールの背中に蒼は声を投げていた。

 

「自分も同行させてください!」

 

「それは看過出来ない。君の乗れる機体がない」

 

 今のジェム領の戦力はたかが知れている。この状況で、自分の操れる機体など……。

 

 そう考えたところで蒼は閃くものを感じた。

 

「……実戦配備予定の《ゲド》があったはずです」

 

「まさか。《ゲド》なんて危険な機体にいきなり乗せられるか」

 

「ですが! 今は国防の危機! なら、わたくしは出ます。ジェム領の聖戦士として!」

 

 その言葉振りがあまりにも意外であったのだろう。ザフィールは絶句していた。言葉を彷徨わせかけて、彼の大きな手が肩を掴む。

 

「……死ぬかもしれないんだぞ」

 

 ザフィールは本気で慮ってくれている。それが分かるだけでも今は前進しているのだと信じたい。

 

 首肯した蒼にザフィールは確認を振り向ける事はもうなかった。

 

「……しかし、《ゲド》がある事を何故……いや、今さらか。言っておくが、斬り込みにかかる。いきなりの実戦配置だ。分からなければそれでもいい。とにかく斬られるな。それだけだ」

 

 格納庫へと飛び込んだザフィールは《ゲド》の配備を急がせる。オーラバトラー、《ドラムロ》がようやく配置完了したばかりの戦闘準備の中で《レプラカーン》が出撃姿勢に入っていた。

 

『《レプラカーン》。エルム、出る!』

 

 赤い装甲のオーラバトラーが先陣を切る。剣術を携えた機体は敵オーラバトラーへと激しく切り結んでいた。

 

 敵は茶褐色の新型だ。

 

「……ゼスティアの新型機か」

 

「データ照合、出来ません。完全な新型をぶつけてきましたね」

 

 整備班の言葉にザフィールは声を飛ばす。

 

「騎士団に告ぐ! 敵機は今までの比ではないぞ! 警戒は厳にせよ!」

 

 了解の復誦が返り、次々と《ドラムロ》が出撃する。だが、たった三機編成のゼスティアの新型機は恐れるものなどないかのように城下町へと火矢を放つ。

 

 その蛮行にザフィールが拳を震わせた。

 

「……祝いの席を穢すとは……。ゼスティアの野蛮人が」

 

 運び込まれて来た《ゲド》には無数の計測チューブが繋がれている。大方、実験機として役目を終える運命であったのだろう。それを自ら解き放つとは夢にも思わない。

 

「騎士団長! 正気ですか! 《ゲド》なんて戦力にも……」

 

「構わん。俺が許す。アオ、やれるか?」

 

 無言の是を返答にし、蒼は《ゲド》のコックピットに乗り込んだ。

 

 操縦感覚はまだ手に馴染んでいる。最終決戦で培ったオーラのさばき方を思い返し、蒼は呼吸を一つついた。

 

 それだけで《ゲド》が瞬時に起動する。

 

 整備班からざわめきが漏れ聞こえた。

 

「必要オーラ値が尋常じゃないはずだぞ……」

 

「それだけ、聖戦士、というわけか。侮れんな。俺は鹵獲した《ビランビー》で出る! 用意は?」

 

「出来ています! ただ、この機体、プラス五ほどオーラが重いですよ!」

 

「乗りこなしてみせるさ。ザフィール、出陣する!」

 

「騎士団長が出られるぞ! 出撃シークエンス、省略! 実行、実行!」

 

 緑色に塗装された《ビランビー》がオーラ・コンバーターを開き、全開出力で城壁を飛翔した。その後に蒼の《ゲド》が続く。

 

 僅かにつんのめったが、《ゲド》は思ったよりも素直に自分のオーラを受け止めてくれていた。

 

『……あれか』

 

 ゼスティアの新型機が《ドラムロ》を圧倒する。装備されていた銃火器を引き裂き、敵機は城門を目指していた。

 

『これより先に進ませるわけにはいかん。アオ!』

 

「はい!」

 

《ビランビー》が着地した刹那には抜刀し、敵の腕を取ろうとする。その勢いを相手も殺さずに剣で応じていた。

 

 その剣さばきに、出来る、と瞬時に判断する。

 

『名を聞こうか、ゼスティアの騎士!』

 

『我が名はギーマ。ギーマ・ゼスティアだ!』

 

 その名前に蒼も硬直した。今、相手は何と言ったのか。

 

「ギーマ……? それってゼスティアの……」

 

『ああ。領主直々とは、これは感謝すべきなのか、なっ!』

 

 剣で弾き返した《ビランビー》の攻防を敵新型は速度面で圧倒する。回り込んだ敵機へと蒼は跳ね上がっていた。

 

 剣を打ち下ろし新型と向かい合う。

 

「ここで! 撃墜する!」

 

『……このオーラ……。まさか! 聖戦士か!』

 

『正解だ! ゼスティアの次期領主よ! ここで潰えろ!』

 

《ビランビー》が突きを見舞おうとする。それを相手の新型が阻んでいた。

 

『気を抜かないで、ギーマ。あんたはそれだから油断ならない』

 

 女の声にザフィールと蒼は同時に息を呑む。

 

「まさか……。女のパイロット……?」

 

『物珍しがっている場合? このオーラバトラー、《ブッポウソウ》の性能に! 恐れを成しなさい!』

 

 相手の息巻いた通り――否それ以上に、新型機《ブッポウソウ》はこちらの戦力を削ろうとする。

 

《ビランビー》の剣がそれを制そうとするが、オーラバトラーの膂力が段違いだ。

 

『このままでは……』

 

「騎士団長!」

 

 割って入った蒼はオーラを膨れ上がらせるイメージを額に弾けさせる。何度もザフィール本人より習った力だ。

 

 オーラを一点に凝縮し、それを放つ。

 

 剣先にオーラを溜め蒼は腹腔より叫んでいた。

 

「オーラ……斬り!」

 

 爆発的なオーラの剣圧が敵の将である《ブッポウソウ》を薙ぎ払おうとする。その一撃は必殺の間合いに入った――はずであった。

 

 だが、一撃を受けたのはもう一機の《ブッポウソウ》である。女パイロットでもなく、ゼスティアの当主でもない戦士が、ただの剣で……。

 

「オーラ斬りが……受け止められた……」

 

 呆然とした蒼へと返す刀が入りかける。

 

 その剣を防いだのは上空より降り立った赤い戦士であった。

 

《レプラカーン》のパイロットの叱責が飛ぶ。

 

『迂闊ですよ! ザフィール騎士団長!』

 

『エルムか……。悪い、危ないところだった』

 

『……地上人を可愛がるのはいいですけれどねッ! 目の前の相手を倒してからにしてください』

 

『肝に銘じよう。して、敵の実力は』

 

《レプラカーン》が相手を弾き返し、距離を取ってこちらの通信領域に入る。秘匿回線が繋がれ、蒼とザフィールの間でのみその言葉が紡がれた。

 

『……脅威度で言えばかなり……。これは、ともすれば地上人……』

 

『二人呼んだと言うのか? この短期間で?』

 

『……それ、ウチだけは言えませんよ』

 

 こちらは四十人規模で呼んだのだ。それを指摘されてか、ザフィールは笑い声を上げる。

 

『違いないな。エルム、行けそうか?』

 

『こちらの兵力差は実力で埋められますが……お荷物が』

 

 やはり自分か、と蒼は歯噛みする。しかしザフィールは言い返した。

 

『エルム。彼女を侮るものでもない。降りてきた地上人の中では最も強いだろう』

 

『……当てになりますかね、それ。ですが今の《レプラカーン》と騎士団長ならば、一機くらいは』

 

『鹵獲可能、か。欲を言えば一気に詰みに行きたいところなんだが』

 

『無理でしょうね。あれで編成は考えられている。前に当主が出過ぎないように、と』

 

 女パイロットの《ブッポウソウ》が剣を構え、ギーマを守りつき従う。その鉄壁を容易く崩せるとは思えない。

 

「なら、必然的に……」

 

『ああ。今の一撃、受けられはしたがダメージにはなっている。見ろ』

 

 オーラ斬りを受けた《ブッポウソウ》の関節部がスパークし、その膝を落とす。

 

 ここまで、と判じたのだろう。二機の《ブッポウソウ》が急速に戦域を離れていく。

 

「待て! 逃げるのか!」

 

『逃げるですって? 馬鹿を言いなさい。戦力の一角を削がれた状態で長く戦うなんて愚策、犯すわけないでしょう』

 

 撤退の手際は潔い。無数の火矢が放たれたかと思うと、すぐさま相手はオーラの炸裂弾を用いてこちらの射程から逃れていた。

 

 ザフィールが舌打ちする。

 

『逃げ足だけは……』

 

『その点でもこちらは劣っています。ですが、一機残っただけでも我々の戦果でしょう』

 

 機能不全を起こした《ブッポウソウ》が両手を上げる。抵抗の意思はない、と見ていいだろう。

 

「……一機倒せた……」

 

『感慨にふけっている場合ですか。……まったく、これだから新兵は』

 

『まぁ、落ち着け。エルム、貴様だってちょっと早いだけで新兵だっただろう? 先輩面はあまりしてやるなよ』

 

『……お勝手に』

 

《レプラカーン》が飛翔し、城壁へと戻っていく。ザフィールは申し訳なさそうに口にしていた。

 

『すまんな。いい奴なんだが、ちょっと繊細なところもある』

 

「いえ……。騎士団長、敵を」

 

 コックピットより出るように誘導された機体だが、ハッチが開かないと言っているらしい。

 

『仕方ない。ハッチを粉砕して、パイロットを……』

 

 先輩騎士が手を伸ばした、その瞬間である。

 

 敵機が不意に踊り上がり、《ドラムロ》を足蹴にしてザフィールの機体へと肉迫する。

 

 その勢いの衰えのなさに蒼は咄嗟に飛び込んでいた。

 

「騎士団長!」

 

《ゲド》が剣筋を受け止める。敵も満身であったのだろう。その太刀は並大抵の執念ではなかった。

 

 太刀筋と共に顕現したオーラが《ゲド》のコックピットを割る。粉砕されたコックピットの破片が蒼へと降り注いだ。

 

『アオ! 貴様、謀ったな!』

 

『謀った、だと? 勝負は最後まで計略ありきのもの。騙されるほうが悪いのだ』

 

《ブッポウソウ》へと《ビランビー》が剣を携えて斬りかかる。その刃に宿った鋭さに、必殺の勢いを感じた直後には、蒼の意識は闇に落ちていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十四話 騎士道宣戦

 

 どこまでも連なる螺旋の回廊を降りている感覚だ。

 

 白亜に染まった無間地獄。その隙間へと意識が滑り込み、まるで鏡面のように磨き上げられた湖へと、意識は誘い込まれていた。

 

 湖を渡る術を、確かバイストン・ウェルの者達は多くは知らないのであったか。

 

 そのような知識を思い返した途端、湖の水が自分へと降り注ぐ。

 

 一滴一滴が万華鏡の色に染まり上げられ、記憶の瀑布が意識を洗い流した。

 

 それは最終決戦の時の記憶。《キヌバネ》が謎のオーラバトラーに攻撃され、撃墜寸前まで追い込まれる。

 

 死臭漂う戦場で、自分は一振りの剣と共に《キヌバネ》を守っていた。直後、白いオーラバトラーがその爪を伸ばし、自分の腹腔を破る。

 

 朦朧とした意識の中でどうしてだろうか。

 

《キヌバネ》の相貌とそのオーラバトラーの顔が、まるで生き写しのように感じられたのは。

 

 やがて意識は消失点の彼方へと迎え入れられる。

 

 湖の底、記憶の海の更なる奥。

 

 見知った電車の発車警告が耳朶を打ち、面を上げていた。

 

 そこは港町の、小さな駅。無人改札を無数の影が通っていく。

 

 どうしてだか霧に煙ったかのように左右どちらも先が見えない。

 

 自分の運命のようだ、と感じたのは一瞬。

 

 電車が訪れ、光が乱反射して行き過ぎていく。

 

 その一刹那であった。

 

 ――電車の乗客の中にザフィールを発見する。

 

 どうして、何で……。そのような瑣末な思いよりもなお濃い、恋情の声音が喉を震わせていた。

 

「騎士団長!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわっ! 何だ、脅かすなよ。起きていたのか?」

 

 夢の喉と同期して叫びが迸った。蒼はびっしょりと汗を掻いており、薄い寝巻きがじっとりと濡れていた。

 

 ザフィールのほうを見やると、彼は頭を振った。

 

「俺じゃないぞ。着せ替えはきっちり、女子供にやらせた。この部屋に運んだのは俺だがな」

 

「わたくし、は……」

 

「運がよかった。破片はちょっとした傷だけだと。痕も残らないそうだ。悔しいが、ゼスティアの上を行っているのは医療技術だけだからな」

 

 はは、と乾いた笑いを浮かべるザフィールに、蒼は身体に巻かれた包帯を目にしていた。それでようやく、先ほどの戦場が現実なのだと思い知る。

 

「……あんな隠し玉があったなんて」

 

「迂闊だった、なんて思うなよ。迂闊なのは俺のほうだ。いきなり戦闘を任せてしまった。地上人だからっていきなり、な。俺もどうかしていた」

 

 猛省するザフィールに、違う、と言いたかった。彼のせいではない。自分も無理やり付いて行ったのだ。

 

「いえ……。力の分を弁えない人間は、その域を超えた事にも気づかない……」

 

「おっ、よく分かっているじゃないか。俺がよく新兵を叱る時に言うのに似ているな」

 

 似ているも何も、ザフィール本人から幾度となく聞かされてきた言葉である。自分は分を弁えず、前に出てしまった。

 

「……やられましたね」

 

 額に手をやり、悔恨を噛み締める。ザフィールは静かな語り口で諳んじていた。

 

「負けが分かるうちはまだマシだ。成長の伸びしろがある。問題なのは、どうして負けたのかが分からなくなっちまった時だ。その時、人は成長の機会を永遠に失う」

 

「思わぬ手でした。敵機を、あんな形で……」

 

「それなんだがな。《ブッポウソウ》とか言う敵新型はあのまま鹵獲に成功した。まぁ、奴さんも弱っていたからな。最後の抵抗のつもりだったんだろうさ。あの後はほとんど戦闘もなく、簡単に捕縛出来た」

 

 やはり自分だけが劣っていたのではないか。悔しさに拳をぎゅっと握り締める。

 

「……悔しいか?」

 

「はい……。わたくしは……弱い」

 

「……俺も甘えていた。全部分かった風に言ってくるもんだから、大丈夫かも、ってな。他の地上人の徴兵を急ぐべき、という意見もあるが、ちょうどいい封殺剤になった。これで地上人をいたずらに戦局に投入しろとは上も言わないだろうさ。おっと、今のはこれな。王族への侮蔑に繋がる」

 

 唇の前で指を立てたザフィールに蒼は自然と笑みがこぼれていた。ザフィールもどこか悪戯坊主っぽく笑う。

 

「いい笑い方だ。戦士もたまには休息が必要さ」

 

 立ち上がりかけたザフィールへと蒼は言葉を投げていた。

 

「その……騎士団長。この後は、どうなさるおつもりで……」

 

「義を通すような喋り方をする必要もないんだがな。まぁ、いい。捕虜の尋問さ」

 

「捕虜……? 《ブッポウソウ》のパイロット……!」

 

 ハッと気づいた蒼は殺気を滲ませる。あのオーラバトラーさえいなければ、と怒りに白熱化しかけた思考をザフィールが制していた。

 

「逸るな。とは言っても、因縁か。相手もこっちの、君との面談を望んでいる。……会うか?」

 

 思わぬ言葉であったが、蒼は一も二もなく頷く。あそこまでの実力と執念、並大抵の戦士ではないだろう。

 

「分かった。申し出よう。立てるか?」

 

 手を差し出したザフィールへと、その手を掴む。その時に感じられた体温で、ああ、生きている、と蒼は泣きそうになった。

 

 ――この人は、まだ生きている。この場所で、息づいている。

 

 まだ一日と経っていないのに、あの戦場はやはり夢であったのだろうか。だが夢にしては生々しい。それに、今までの経験則の説明もつかない。

 

 ザフィールの力で蒼は支えられ、部屋から出た。すれ違う騎士達が物珍しそうに観察する。

 

 自分は薄着でザフィールと共にいれば要らぬ勘繰りを受ける事になる。それを気にしたが、彼はそのような瑣末事、気にも留めていないようである。

 

「うん? どうした? 俺の顔に何かついているか?」

 

「いえ……。騎士団長、あまりにも無頓着なのでは……」

 

「言いたい奴には言わせておけ。どれだけ口に戸を立ててもそういう奴は結局言いたがりなんだ。だったら、言わせておくに限る」

 

 やはり、彼は本物だ。本物の強者なのだ。だから、戦場以外では弱さなど見せない。戦場でも一騎当千の活躍を見せつけ、無敵の名をほしいままにする。だが、彼の本当の顔がどちらなのか、自分にはまだ分からない。

 

 今、自分に見せている顔か。あるいは、最終決戦に挑んだ時――あの前夜に見せた相貌が本物なのか。

 

 判ずる術はない。だが傍に寄り沿う事は出来る。彼を理解するために、傍に。少しでも長い時間……。

 

「来たぞ。牢屋係は?」

 

「恐ろしいって言うんで、交代しましたよ」

 

 先輩騎士が欠伸を噛み殺す。彼も生き残ったのか、という安堵と共にザフィールは厳しい声音になる。

 

「……捕虜は?」

 

「口を割りません。それどころか、不気味なくらいの沈黙で……。何も知らないのでは」

 

 先輩騎士の疑念にザフィールは頭を振る。

 

「何も知らない一般兵の忠義ではなかった。あれは……執念の鬼だ」

 

 ザフィールをして鬼と言わしめる敵兵とはどのような相手なのだろう。蒼は通信を震わせた低い声音を思い返す。

 

 絶対に逃がすまいと、確実な一手を取ろうとした敵。その使い手を見てみたいという気持ちはある。

 

「知りませんよ」

 

 牢屋の扉が開けられ、鎖で縛り上げられた強面の男が真っ直ぐにこちらを睨んでいた。

 

 浅黒い肌に、戦士の威容を灯らせる瞳。屈強な肉体は否が応でも熟練の手だれを想起させる。

 

 こんな男があの新型機に乗っていたのか、と蒼は息を呑んだ。

 

「……殺すか」

 

「決断を急ぐな。名をまずは聞こう」

 

「……グラン」

 

「それが名前か。ゼスティアのコモンと見たが」

 

 グランはザフィールの言葉に吐き捨てるような調子で返す。

 

「殺すのではなければ尋問か。いくらでもするがいい。どうせ、貴様らでは儂から一個の情報すら引き出せぬ」

 

 まさしくそうであると決めた眼差しに蒼は絶句する。彼から一つの言葉を引き出すのに、こちらは十の問いが必要とでも言うように。

 

「……並々ならぬ戦士だと見受けた。ゼスティアの新型……《ブッポウソウ》であったな。あれは高性能の機体だ。中距離から近距離のあらゆる戦局に対応する万能機。しかし、弱点あるとすれば、少しばかり必要オーラ値が高い。ジェム領のコモンでは扱い切れないだろう」

 

「貴様らでは手に余る。……それで何だと言う? まさか儂に戦い方でも教わりに来たか?」

 

「貴様……! 騎士団長に向かって……!」

 

 怒りを発しかけた先輩騎士をザフィールが手で制する。

 

「いや、いい。敵国の兵士相手に話しているんだ。それなりの警戒はすべきだろう。しかも、鹵獲され、自身も捕虜となった。その面持ちから鑑みるに生粋の武人と見える。敵の腹の中に入ったのならば自爆も辞さない、とでも言うような眼をしている」

 

 まさか、と蒼と先輩騎士は言葉を失う。グランはその慧眼に目を見開いていた。

 

「……驚いたな。儂の心情をそれなりに理解する……指揮官がいたとは」

 

「伊達にジェム領の護りを任されているわけではない。して、グラン。あなたはどのようにして、《ブッポウソウ》の開発に着手し、現在ゼスティアではどこまで配備が進んでいるのか、聞かせてもらう」

 

「……容易く口を割るとでも」

 

「少しばかりは譲歩するさ。貴君は実力を認めた相手には敬意を払う。そういう人間だと感じた」

 

 その言葉に一拍の沈黙が降り立つ。グランはここに来て初めて目を背けた。

 

「……敗残の兵とはどこまでも生き意地汚く、そして醜いもの。言える事は一つもない」

 

 そうか、とザフィールが踵を返す。先輩騎士が覚えずその背中に呼びかけた。

 

「騎士団長? もういいんですか?」

 

「聞くべき事は一日に限られている。それに……彼の眼を見ただろう? 誠意さえ忘れなければ、こちらの要求には応じてくれるさ」

 

 自分はそうだとは思えなかった。相手の手に落ちるくらいならば自爆さえ考えに浮かべる戦闘狂。だとすれば時間を与えるのは愚策に思える。

 

「騎士団長。少しでも早く、相手から情報を引き出すべきと……進言します」

 

 自分の言葉に先輩騎士もザフィールも意想外であったのだろう。二人して目を見開く。

 

「お前……! 来て早々何を……」

 

「わたくしはそれなりに戦局を読めると自負しています。だからこそ、禍根の芽は早期に摘むべきかと……」

 

 分不相応の言葉なのは分かっている。分かっていても、彼をこれ以上危険に晒したくはなかった。

 

 ザフィールは顎に手を添えて考え込み、やがて言葉にする。

 

「……臣を疎かにすれば民を守れぬ、か」

 

「騎士団長? まさかこいつに? まだ来て一日経つか経たないかですよ?」

 

「いや、地上人の目は当てになる。俺はそこまで軽く見ていないのでね。アオ、ついて来い。意見を聞くのにちょうどいい場所がある」

 

 ザフィールの背中に続く。どれほど不自然に映っても自分にはあの最期が……《キヌバネ》を破壊せしめた白いオーラバトラーの脅威さえ取り除ければそれでいいのだ。

 

 だから、ちょっとばかしの疑念は甘んじて受けよう。

 

 ザフィールの部屋に戻るのかに思われたが、彼が向かったのは城壁の一端であった。見張り台の一つは無人である。

 

 ここならば聞き耳を立てられる心配もない、という彼なりの配慮だろう。

 

 ザフィールは双眼鏡を覗き、敵の進軍がないのを確認してから振り返っていた。

 

「……懲罰ものだぞ。普通なら上官にあそこまで口にするべきではない」

 

 やはり彼もそれは思っていたのか。蒼はそれでも、と言葉を振り絞る。

 

「わたくしは伝えなければならないのです」

 

「地上人の先見の明は無視出来ない、か。自分で言って捕らえられていれば世話はない」

 

 微笑んだザフィールは自分の話を聞くつもりなのが窺えた。

 

「……グランという武人に関する正確な記録はございませんが、ゼスティアの新型機は初めて見ました。あの性能ならば、完全なワンオフ機が出るのもそう遠くはないかと」

 

「敵の戦力をはかるのに量産機は適材適所だ。現在、研究者達が躍起になって解析している。ともすれば、《キヌバネ》に転用出来る技術もあるかもしれない」

 

「……どうして、グランと言いわたくしと言い、あなたは疑わないのですか? もっと疑ってかからないと……」

 

「足元をすくわれる、かね?」

 

 問い返されて言葉をなくす。ザフィールは頬杖をついて見張り台から望める城下町を視野に入れた。

 

 火矢が放たれた城下町にはまだ燻る炎があり、騎士団が消火活動に当たっている。まだ戦火は拭い去れたわけではないのだ。

 

 そう思うとこうしてザフィールを自分に縛り付けている事さえも愚かのような来さえしてくる。

 

「そうさな。君の言う事も一面では正しい。俺はあまりに迂闊で、大雑把で、そして危なっかしい。そう言われてしまえば立つ瀬もない」

 

「そこまでは……」

 

「言ってないって? だが俺はまだ一日と経っていない地上人にここまで心配される。それは恐らく弱いのだと、思い知らされるさ」

 

「そんな……! 騎士団長はお強いです! 他の誰よりも……」

 

「だったら言われないだろ? どうして君は俺の雲行きを案ずる?」

 

 それは、と返事に窮する。あの光景を言っていいものなのか、胸の中で葛藤が渦巻く。

 

 ともすればあれこそが悪い夢で、今バイストン・ウェルに転生している事が現実なのかもしれない。

 

 どちらを夢幻と断ずる事も出来ず、蒼はただ言葉を彷徨わせた。

 

「……言えない、か」

 

 悟ったザフィールに蒼は歯噛みする。

 

 言えない自分が何よりも悔しい。

 

 彼は見張り台より望める城下町へと顎をしゃくった。

 

「どう思う? 君は我々の営みを」

 

「どう、と仰いますと……」

 

「コモンは愚かか、と聞いている」

 

 地上人の目線を問われている。蒼は口にしかけて、そう簡単なものではないのだと発しかけた言葉を仕舞った。

 

「……分かりません。まだ……。あなた達に接するのに、わたくしはまだ言葉を持たぬのです」

 

「その割には介入するのに躊躇いがない。度量がある、と褒めるべきか?」

 

「いえ、わたくしにはそんな……」

 

 発した謙遜をザフィールは肩に手を置いて制していた。

 

「気負うなよ。君はジェム領の聖戦士だ。それにたった一人というわけでもあるまい。こちらには四十人余りの聖戦士がいる。容易く陥落はしないさ。そうだろう?」

 

「それは……」

 

 だが、言えるものか。そのほとんどが死に絶え、そして最終決戦の地にて彼も死ぬのだと。そのような残酷な運命、まかり通っていいはずもない。

 

 沈黙をどう受け取ったのだろう。ザフィールは自分の頭をわしゃわしゃと掻いた。その行動に蒼は面食らう。

 

「何を……」

 

「考え過ぎるな。何も君だけがこの世でたった一人の戦士でもない。俺もいる、他の騎士もだ。言いたくない事は言わないでいいが、その小さな身体に背負うのには、あまりに重い宿命もあるだろう。俺達は確かに、聖戦士……地上人に縋った。それは弱い在り方かもしれん。自分達で戦い抜く勇気のない、弱虫のやり方だと糾弾されても結構だ」

 

「そんな……ジェム領国は……」

 

「誇り高いのだと、思ってくれているのならば少しは信じてくれないか? 俺や他の騎士達を」

 

 蒼は何も言えなくなってしまう。あの光景が胸を占めているせいで、自分だけが運命を変えられるのだと思い上がっていた。

 

 だが、実のところでは違ったのだ。ザフィールがいる、他のクラスメイト達もいる、騎士達も健在だ。

 

 ならば、自分一人で何もかも背負っていいはずもない。

 

 それは彼らへの侮辱に繋がる。

 

「……失礼を」

 

「いいさ。騎士への無礼なんてそんなものだ。吐き捨てていい。ルールは破るためにある」

 

 快活に笑ったザフィールに、蒼はちくりと胸が痛んだのを覚えた。前回はここまで心を開いてはくれなかった。ザフィールはそれこそ死に物狂いでゼスティアと戦い抜いたのだ。その背中を遠くで見守る事しか出来なかった弱い自分――。

 

 全て知っているのならば、分かっているのならば、自分のやるべき事は決まっているではないか。

 

 蒼はザフィールと向き合い、そして言葉にしていた。

 

「……ジェム領に勝利を。それがわたくしの望みです」

 

 ザフィールは拳を突き出す。

 

「だな。物分りのいい地上人で……いや、君でよかった。心底そう思うよ。よろしく頼むぞ、蒼」

 

 その期待に今は全力で応じたい。

 

 蒼は慣れない敬礼をする。ザフィールは返礼し、フッと口元を綻ばせた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十五話 剣劇舞踊

 

 踏み込みは浅く。かといって敵影を捉えた瞬間の斬り込みは何よりも深く。

 

《ゲド》が前衛を務める先輩騎士の《ドラムロ》の背中より躍り上がる。切り結んでいた《ブッポウソウ》が突然に膨れ上がったオーラ反応に目線を振り向けたその時であった。

 

 打ち下ろした剣を《ブッポウソウ》が受ける。その隙をついて《ドラムロ》が炸裂弾を放った。眩惑に《ブッポウソウ》の統率が乱れる。

 

『これは……目視戦闘が!』

 

『怯むな! 敵とて通信を使っている! ジャミングすれば……』

 

「そんな暇は与えない」

 

 敵をレーダーで見るのではない。オーラで見るのだ。

 

 それを心得たジェム領の部隊はすぐさま前に出ていた《ブッポウソウ》へと斬り込んでいた。剣がコックピットを引き裂き、その武装を断絶する。

 

 数機の《ゲド》が上がってきたのを敵パイロットが捕捉する。

 

『《ゲド》の編隊……! 地上人か!』

 

『オーラ強いぞ! 嘗めてかかるなよ!』

 

 敵の通信域に蒼は接触回線を開いていた。完全に虚を突かれた相手のオーラバトラーへと言葉を投げる。

 

「何もかも……遅い」

 

 背後から突き立てた切っ先がコックピットを貫いた。さらに加速度を得た《ゲド》部隊が敵《ブッポウソウ》編隊を押し返していく。

 

『こんなの……想定外だ! ジェム領はもう、地上人の編成を使いこなしたと言うのか!』

 

『撃て! 弾幕を張って敵を近づけさせるな!』

 

 敵《ドラムロ》が砲戦に撃って出ようとする。《ゲド》は装甲が脆い。そのため前に出すぎれば格好の的だ。

 

『騎士団長。《ゲド》で引きつけるのはここまでです。後は……』

 

『分かっている。引き受けよう。俺と――この《キヌバネ》が!』

 

 粉塵を引き裂き、漆黒の機体が大地を踏み締めた。その威容に敵陣営がうろたえたのが伝わってくる。

 

 青い結晶体を煌かせ、灯ったオーラの炎が頭部に収まった四つ目の動きと連動して敵影を睨む。

 

 漆黒の騎士が《ドラムロ》の火線を蹴散らし、ゼスティアの指揮官機へと肉迫していた。その速度があまりにも通常のオーラバトラーを凌駕していたためだろう。相手の通信に混乱が生じる。

 

『なんて速度……! こいつが例の』

 

「ああ。俺の《キヌバネ》だ!」

 

 払い上げられた剣閃が敵のリーダー機の両腕を切り裂き、そのコックピットへと突きつけられる。どう見ても王手の戦局。敵とて馬鹿ではないのだろう。

 

 残存部隊が撤退していく。その去り様に先輩騎士が声にしていた。

 

『張り合いがないぜ! こんなんじゃよ!』

 

『そう粋るものでもない。敵の戦力がこの程度で御の字だと思うべきだ』

 

 ザフィールの驕らない態度に先輩騎士は並走する《ゲド》へと通信を振っていた。

 

『よくやるじゃねぇか。まだ二週間だぞ』

 

『聖戦士達は素質のある者達であった。それが戦場で実感出来る。何よりも心強いじゃないか』

 

 ザフィールの言葉に統率の乱れた《ゲド》部隊を蒼は率先して導く。

 

「《ゲド》編隊! 遅れが見えるぞ! 一秒のロスも命取りと思え!」

 

『はい!』

 

 返ってきた声に先輩騎士が囃し立てる。

 

『怖いねぇ。二週間でもう指揮官の風格が出るって奴は』

 

『そう言ってやるな。アオはよくやってくれている』

 

 ザフィールのお墨付きに蒼はコックピットで拳を握り締める。この二週間で身についた力に、ようやく自信が持ててきたところだ。

 

「恐縮です。ザフィール騎士団長」

 

『かしこまるなよ。そこで気を張り詰めるのは悪い癖だ』

 

『まったくだぜ。のし上がったのはお前さ。何も誰かに気を咎められる事だってないんだ』

 

 先輩騎士とザフィールの言葉が自分の強さを裏付けてくれている。それでも、まだ、という一念があった。

 

 ゼスティアを退け続け、二週間。しかしながら勢力図は変わっていない。盤面を覆すのにはまだ圧倒的に足りないのだ。

 

「ですが……ゼスティアの侵攻は全く衰えません。何か、国力の源でもあるのでしょうか?」

 

『俺達でも分からない、資金源でもあるのかもしれない。探りを入れるのにはそろそろ時期的にも申し分ないな』

 

《キヌバネ》が戦場を後退していく。その一機に続いてジェム領のオーラバトラーは城下町へと帰投ルートを辿っていた。

 

 今に、国家繁栄の礎を築ける。そう信じて疑わなかった。

 

 ――だからなのか。それとも、それは始めから決まっていたのか。

 

「……ちょっと待ってください。あれは……黒煙?」

 

 蒼は最大望遠の先にある城下町より上がる噴煙を目にしていた。《キヌバネ》が敵の気配を感じ取り、その機動を鈍らせる。

 

『……嘘だろ。留守中に強襲なんざ……』

 

『まさか……。気を抜くな! 者共! 近くに敵が張っているはず!』

 

 そうだ。城下町に仕掛けるほどの戦力的余裕があるのならば、近づけさせない策も巡らせているはず。そう確信した刹那であった。

 

 地上人の《ゲド》部隊の一機がワイヤーにかかり、爆発の連鎖を及ぼす。

 

 しかしオーラバトラーの装甲を砕くほどではない。すぐに、これが陽動、あるいは錯乱のための作戦だと判断したのは自分とザフィール、それにジェム領の熟練騎士達だけで、クラスメイトの地上人はそうはいかない。

 

 爆発の余韻に紛れ、白い旋風が巻き起こる。

 

《ゲド》を一機、また一機と剣圧が叩き潰していく。その太刀筋に迷いはない。こちらの包囲陣を潜り抜け、痩躯の機体が《ゲド》編隊へと叩き込む。

 

『敵の新型だ! 密集陣形!』

 

 そう発した《キヌバネ》へと刃が振るわれていた。鞘から抜刀した《キヌバネ》が剣を受ける。

 

 硬直した敵機を蒼は確かに目にしていた。

 

 緑色の結晶をその装甲に宿した機体――白亜のその鎧はアルビノのキマイ・ラグを使ったのだと判別出来る。否、それ以上に、その姿はまさしく……。

 

「……あの時の、白いオーラバトラー……?」

 

 だが、何故。どうして、ここで? という疑念が突き立つ中で悲鳴が迸った。クラスメイト達の断末魔が通信に焼きつき、蒼は目をきつく瞑る。

 

 白いオーラバトラーが滑るように《キヌバネ》を切り払い、背後へと回り込んだ。

 

『……なんてぇ、速さ』

 

 ザフィールの言葉が焼きつく前に蒼は前に出ていた。《ゲド》でその太刀を受け流そうとするが、出力が段違いだ。

 

 敵機は勢いを殺さず、力任せに剣を振るい落とす。それだけで脆い《ゲド》の装甲はオーラの風に軋んだ。

 

『あまり迂闊な真似をするな! 撃たれるぞ!』

 

 ザフィールの言葉に先輩騎士を含め、ジェム領の騎士団は動きを止める。下手に射程に入り込めば次にやられるのは自分だと彼らは瞬時に判じたのだろう。

 

 だが足を止めた地上人の《ゲド》部隊は違う。

 

 彼女らに熟練の二文字はない。代わりにあるのは未熟の絶望のみ。

 

 切り裂かれ、コックピットを無残にも貫かれる。その断末魔を聞いていられなかったのか、ザフィールが《キヌバネ》を飛翔させた。

 

『貴様……っ、それでも騎士か! 無抵抗の相手に対してのその行動!』

 

 逸った剣筋を読んで敵は後退する。その動きの流麗さに蒼は直感で口にしていた。

 

「もしや……地上人?」

 

『地上人だって? あり得んだろ! そうだとすればゼスティア連中、何回オーラ・ロードを開いたって言うんだ!』

 

 先輩騎士が《ドラムロ》で援護射撃するも、白いオーラバトラーは軽業師めいた動きでそれを回避し、《ドラムロ》の直上に回る。

 

 それを《キヌバネ》が跳ねさせた切っ先で防いだ。白亜の機体は全く衰えを見せず、そのまま横払いする。

 

 舌打ちと共に《キヌバネ》が下がる。

 

『……まともな奴とは思えんな。それに、あの機体……、《キヌバネ》と同等か、それ以上』

 

 蒼はどうするべきか判断を下しかねていた。ザフィールに言うべきなのだろうか。あの機体はいずれ破滅をもたらす。ここで斬り伏せなければ。そう思う反面で、勝てるのか、という逡巡が勝る。

 

 ザフィールと《キヌバネ》でも防ぎ切れないかもしれない脅威。それを前にして、立ち竦むしかない。勝てる、勝てないの土俵に相手は立っているのだろうか。

 

『……アオ! 遅れているぞ! 剣を!』

 

 ハッと面を上げたその時には、敵機がこちらへと迫っていた。咄嗟に剣筋を上げ、刃を受け流そうとしたが、敵の出力の激しさに息を呑む。

 

 緑色のオーラが、オーラ・コンバーターより絶えず放出されている。そのオーラ密度の何という濃度か。可視化されたオーラはその機体の潜在能力を示している。

 

 ――駄目だ、と一瞬でも思ってしまった。感じてしまった。それゆえに、オーラマシンは出力を下げてしまう。

 

 パイロットのポテンシャルをもろに受けるのがオーラバトラーの弱点だ。殊に心の弱さを一度でも露呈してしまえば、その力は半減以下になる。

 

 剣を受け止め切れずに、烈風の如き敵の刃に圧倒される。《ゲド》がたたらを踏んだその時には必殺の太刀が眼前に迫っていた。

 

 あ、と声を上げる前に命は絶たれるであろう。

 

 そう確信した、その時である。

 

『アオ! やらせねぇっ!』

 

 先輩騎士の《ドラムロ》が割り込み、白いオーラバトラーの剣をその機体で受ける。半身が切り裂かれ、胴体を割られた形の《ドラムロ》が爆ぜた。

 

「……そんな。まさか!」

 

 粉砕された《ドラムロ》より断末魔が上がった瞬間には、白いオーラバトラーがその勢いに圧されている。

 

 ほんの一瞬だが、足を止めた。それを逃すザフィールではない。

 

『墜ちろォッ!』

 

 突き上げられた剣にオーラの加護が宿り、その剣閃を何倍にも拡張させた。

 

『オーラ、斬りィっ!』

 

 叩き落された一撃を敵機は受け止める。白い装甲が捲れ上がったが、深追いはしない主義なのだろう。

 

 すぐさま反転し、攻撃を受け流した。ダメージはほとんどないも同然。

 

 白亜のオーラバトラーの強襲に編隊は絶大な打撃をもたらされていた。ザフィールが《キヌバネ》の剣を仕舞わせる。

 

 それが戦闘終了の合図であったが誰も喝采しなかったのはここでの戦果があまりにも絶望的であったからだろう。

 

『……やられたな。掴まされたんだ。弱い部隊に気を引かれている隙に本隊が城下町を襲う。そいつで慌てて取って返したところを本丸であるエースで叩き落す、って寸法か。あの白いオーラバトラー……なんて強さだ』

 

 蒼はそれだけではないのを予感していた。あの機体、白いオーラバトラーはいずれ《キヌバネ》と戦い、そしてジェム領国は崩壊する。

 

 だがそんな残酷な事実、今の彼らに言えるものか。

 

 先輩騎士は死に、そしてクラスメイトの中でもオーラに長けた者達は全滅した。

 

 騎士団の名折れ、などという生易しいものではない。まさしく敗走の二文字が、自分達に突きつけられた現実であった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十六話 蒼閃演武

「城下町の被害はほとんど問題ありません。《レプラカーン》を出すと敵機はすぐさま撤退しましたが、そんな事が……」

 

 報告を聞き終えたエルムは絶句していた。無理もないだろう。留守中の襲撃かと思いきや、本当の狙いは自分達騎士団であった。そのような皮肉、今は一時も聞きたくはないはずであった。

 

「あいつ……みんなを殺した……。殺された……」

 

 残ったクラスメイト達はさめざめと泣いていた。級友の死に涙するのは彼女らだけの特権であったのだろう。騎士団の者達は皆、沈黙していた。

 

 痛いほどの静謐を一番に感じているのはザフィールであろう。

 

 悲しむ事も出来ず、かといって地上人を叱責も出来ない。その立場に板ばさみにされているに違いなかった。

 

「しかし、失態ですね」

 

 エルムの矛先がこちらに向く。蒼はあえて何も言い返さなかった。

 

「分かっているのですか。《キヌバネ》の補修だって時間がかかる。それだけじゃない。アルマーニは自分の持てる力を振り絞ってあなた達を呼んだのに、これではただの重荷だ。邪魔だと言っているんですよ、弱い地上人なんて」

 

「ちょっと! あんた、そんな言い方はないじゃない! 城嶋さんだって、前に立ってくれて……」

 

「前に立てば、では偉いのですか? なら、こちらも言い分がある。騎士団とて欠いては惜しい戦力を失った。それはあなた達、地上人のせいだと」

 

 エルムの言葉は厳しいが事実だ。《ゲド》編隊を庇って死んだ先輩騎士の面持ちが思い起こされる。

 

 彼は、死ななくてもいい男だった。いい人間だったのに、どうして。

 

「……白亜のオーラバトラーの解析結果、出ました」

 

 研究者が所在なさげに歩み寄ってくる。エルムがその書類を引っ手繰った。

 

「……何だ、この解析結果は。《キヌバネ》の能力の応用機体だと? 悪い冗談を」

 

「しかし、調べれば調べるほどに不思議なのです。オーラの痕跡から辿っても、《キヌバネ》と似通っている。いや、兄弟機と呼んでもいいほどの近しさなのですよ。これは、まるで《キヌバネ》の能力値をそのままに、開発したかのような……」

 

 どこか結論を先延ばしにしている言葉振りにエルムが怒声を張り上げた。

 

「言えばいいだろ! 《キヌバネ》の技術が盗まれた、と!」

 

 決定的な事実とは言え、それがその通りならば自分達は《キヌバネ》と同等の敵を相手取らなければならない。しかもオーラの質を鑑みるに相手は間違いなく地上人。聖戦士同士での戦闘になるだろう。

 

 その帰結する先を研究者は言いあぐねていた。

 

「……仮に《キヌバネ》と同じ設計図から生み出されたのだとすれば、決定的に違うのはオーラ力です。コモンのオーラでは、並の実力で勝利出来る相手とは……」

 

「もう、いい。エルム、少し外してくれないか? 地上人なりの流儀があるはずだ。埋葬は行ってやりたい」

 

 遮ったザフィールへとエルムは睨む眼を寄越す。

 

「……あなたが甘いから、彼女らは」

 

「それも込みで、だ。……領主と話したい。これからのジェム領の戦いについて」

 

「騎士団長自らの役目ではありますが、領主様もお忙しいのです。敗残の兵が言い訳がましく口にするのを、快く思われますかね」

 

 その言葉に蒼も言い返していた。あまりにもザフィールと、死んでいった者達を軽視していたからだ。

 

「そんな言い方……! 城下町を守れたからって、そっちが偉いってわけでもないでしょうに!」

 

「前に出過ぎて、墜とされればそこまでなのですよ。……だから、戦場に楽観を持ち込む地上人は」

 

「そっちだって、地上人だろうに!」

 

「分を弁えてください。こちらとそちらは違う」

 

「何が違うって――」

 

 掴みかかろうとして、静かに鯉口を切られた切っ先が喉元へと突きつけられる。それが答えとも言えた。

 

「今のでも納得が?」

 

 全く反応出来なかった。それどころかいつ抜いたのかも分からない。拮抗するだけの実力がないのならば、口出しさえも許さない。その論調は確かに正義だ。

 

「やめろ、二人とも。領主への直談判が無理ならば仕方ない。次から勝つための方策を練る。敵オーラバトラーは一回勝てたのなら、また仕掛けてくるだろう。それを抑止する方法を編み出さなければ負ける」

 

 ザフィールはその双肩に今次作戦の失敗を一手に背負っていた。蒼は歩み出しかけてその足をエルムに遮られる。

 

「……退いて」

 

「退けませんね。あなたはどうしてだか、ザフィール騎士団長に気に入られている。それがどういう手を使ったのかか分からないが、今の騎士団長をどうこう出来るとお思いで?」

 

 その通りだ。何も出来ない。何も、癒せない。

 

「わたくしは……」

 

「弱いだけの地上人は黙っていていただきたい」

 

 歩み去っていくエルムの背中に蒼は拳を握り締めていた。この手に力がない、それだけでこうまでこぼれ落ちていくものなのか、という無力感。それが今の自分を苛む。

 

「……強く、なりたい」

 

 誰よりも強く。そうすれば、ザフィールの目線も分かるのに。

 

 今は、ただ無力な自分を持て余すのみであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 死んだクラスメイトに関して、咎められる事はなかった。しめやかに行わされた埋葬は、無言のままに終わり、そして降り始めた雨がバイストン・ウェルの地を慰撫する。

 

 城下町の被害はエルムの言う通り少なかったらしい。派手に見える噴煙で注意を逸らした隙をついての地上人部隊の駆逐が相手の本懐であったのだろう。

 

 蒼は曇天を睨み、奥歯を噛み締めていた。

 

「どうして……。わたくしは、また……」

 

 前とは違うのだと、どこかで思っていた。思いたかった。だが、帰結は同じだ。

 

 白いオーラバトラーが現れ、自分達の関係性を崩していく。早いか遅いかの違いだけ。

 

 ジェム領は敗北の運命なのかもしれない。

 

 自然と蒼の足取りはいつかのザフィールと語り合った監視塔に行っていた。彼はいないだろう。そう分かっていても、どうしてだか一人を持て余したのだ。

 

 一人になれれば。本当の意味で孤独になれればまだマシだったのかもしれない。

 

 だから、どうしてだろう。

 

 監視塔で煙管を吹かせるザフィールと直面した時、身体が動かせなかったのは。

 

 彼は静かな面持ちでこちらを見据え、言葉を手繰ろうとしているようであった。だが、うまく言葉が出ないのだろう。

 

 代わりのように、彼は見張り台から望める景色に話題を放っていた。

 

「不思議なものだな。君と会って何かが変わったと思っていた。自分の事を前から知っているかのような地上人……。こういうのを、地上界では運命だとか、赤い糸だとか言うんだろ? ……俺には分からんが、そういう縁が働いたとして、これも縁の一つなのだろうか。死んでいった連中はみんないい奴ばかりだった」

 

 何を言えばいいのか、まるで浮かばない。その代わりに脳裏に結んだのは、《キヌバネ》が撃墜されるイメージであった。

 

 あの思いをするくらいならば、一人や二人死んだところで……。そう考えてしまう自分に嫌気が差す。

 

「アオ。君はよく戦ってくれたよ。誰も君を責めないのは、君が前に出て、自分の身を削ってくれているのを知っているからだ」

 

 見通されて、蒼は面を伏せる。

 

「違うんです……騎士団長。わたくしは……そんなんじゃない。ただ、知っているから、人より恐怖が麻痺しているだけ……」

 

「知っている、か。前にも言っていたな。ゼスティアの強襲を防いでくれた時。なぁ、もしかして……こんな事を聞くのは馬鹿かもしれないが……未来が分かるのか?」

 

 そう問われて、簡単に首肯出来るわけもない。未来が分かるのならば、何故被害を最小限に留めなかったのか、という疑問。分からないのならば、中途半端な行動で掻き乱して、恥ずかしくないのか、という事実。

 

 どちらに転んでも、自分は責を負うべきだ。だというのに、ザフィールはその沈黙をどう受け取ったのか、頭を振った。

 

「……いや、違うな。分かるから、何だって言うんだ、って話だ。結局俺は、誰かに当り散らしたいのかもしれない。弱いのさ。責任の所在がないから、ただ自分の無力さを噛み締めるのが怖くって……。だからこういうずるい受け答えを気にする。すまないな、アオ。君を侮辱した」

 

「いえ……騎士団長は、でも……」

 

 言えるものか。あの白いオーラバトラーに敗北する、など。ここで言ってどうするというのだ。

 

 ザフィールはどこか自嘲気味な笑みを浮かべて、紫煙をたゆたわせた。

 

「分からんもんだな。俺はゼスティアに勝てると思っていた。今朝までは確かに。あの白いオーラバトラーを見た途端、その時に、何となくだが……俺達は負けるんじゃないかと思えてしまった。どれだけ今まで絶望的な状況になっても考えなかった思考回路だ。こういうの、なんて言うんだろうな。虫の報せ、って言うのだろうか」

 

「騎士団長は……死にません。死なせませんよ……」

 

 せめて精一杯言えるのはそれだけだ。未来が分かるというのならば、死なせない。殺させないと。

 

 彼は少し寂しげに笑った。

 

「君がそう言ってくれるのなら、そうなのかもしれないな。……いや、そう信じたい」

 

 そう信じる事が出来れば、どれほどの幸福か。自分は自分の言葉でさえも信じられない。

 

 嘘つきなのだ。

 

 未来が分かると息巻く事も出来なければ、守り通すと義理でも言えない。そんな中途半端だから、何も残らない。何も、この手の中に残ってくれない。

 

 あの時、確かにこの腹腔を、爪で抉られた感触はあった。死んだ、と自分では思ったのだ。

 

 なのに、死んだはずの人間がこうして過去に戻って干渉する事自体、間違いなのかもしれない。

 

「わたくしは……騎士団長の死ぬところを見たくないだけの……弱い人間なのです」

 

 その言葉を潮にして自分は駆け出していた。もう、ザフィールの期待に沿う事は出来そうにない。

 

 だからこれは、最後のわがままだ。

 

 格納庫へと踏み込んだ蒼は《ゲド》へと乗り込んでいた。制止の声を全て振り切り、無理やりスクランブルをかける。

 

《ゲド》が森林地帯を駆け抜け、敵国との領地を一挙に抜けていった。

 

 撃たれても文句は言えない距離まで肉迫する。分かっていたはずだ。これは夢のようなものだと。醒めれば何もかも、消え失せる。それだけの泡沫の代物なのだ。

 

 だから、自分の命だけで終わらせられるのならば、それに越した事はない。

 

 ゼスティア城が視野に入る。もう後戻りは出来ない。せめてあの白いオーラバトラーと刺し違えてでも、騎士団の面子を保つ。

 

《ドラムロ》がおっとり刀で出撃してくる。蒼は丹田に力を込めて敵部隊の包囲陣を突破せんと咆哮した。

 

 オーラが今際の際に応えてか、いつもの倍以上に膨れ上がる。《ドラムロ》を太刀で切り裂き、その躯体を踏み潰した。

 

 敵の勢いは衰えない。それでも、しゃにむに敵地を目指す。

 

《ゲド》の爪で払い、《ドラムロ》の第一陣を超えた時には、《ブッポウソウ》が降り立っていた。

 

『一機だけ……? 何の考えで!』

 

 以前邂逅した地上人の声である。蒼は吼え立てて自らを鼓舞した。

 

《ブッポウソウ》と打ち合ったのも一瞬。こちらの玉砕覚悟のオーラは相手の受けるだけのオーラを上回っていた。

 

《ブッポウソウ》が刃を跳ね返される。その隙をついてゼロ距離の炸裂弾でコックピットを射抜いていた。

 

 断末魔が焼きつき、蒼は肩で息をしながら敵の牙城を睨む。

 

 逆さ吊りの暗黒城とその姿がだぶり、喉の奥から罵声を浴びせる。

 

「来い! 闇の城のオーラバトラー共! それともこのただ一人の……弱いだけの地上人も墜とせないか!」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十七話 転生再臨

 

 挑発に乗るとも思えない。それでも、蒼は撃墜した《ドラムロ》へと剣を突き立ててその期を待った。

 

 果たして――そのオーラバトラーは訪れた。

 

 白亜の機体が降り立ち、《ブッポウソウ》二機を随伴する。

 

「……一機で来い。それとも、墜とす自信もないか!」

 

 分かっている。この程度の易い挑発、乗るほうがどうかしている。それでも、蒼はこの一時に全てを賭けていた。

 

 何もかもを捨て去ってでも、敵の喉元に噛み付いてやると。

 

 白い機体が前に歩み出る。その時、照合が成された。

 

「……オーラバトラー、《ソニドリ》……」

 

 それが因縁の名前か。蒼は切っ先を跳ね上げる。敵機も同じように切っ先を突きつけた。

 

「……真似事をッ……!」

 

 飛翔した《ゲド》が中空より加速し、《ソニドリ》へと攻撃を浴びせかける。相手は後退し、抜刀してすぐさま肉迫する。敵機の加速度のほうが明らかに上。接近されればそこまでと判じた神経が炸裂弾で距離を稼ぐ。

 

 しかしながら、敵はその攻撃を潜り抜け眼前に立ち現れていた。

 

 ほとんど瞬間移動のような速度。蒼は吼え立てて剣を払う。その剣を相手はかわして一突きをこちらに見舞っていた。

 

 肩口が抉れ、オーラの暴風に吹き飛ぶ。すぐさま使い物にならなくなった左腕をパージし、右手に掴んだ剣共々、相手の距離に突き込んでいた。

 

 分かっている。これは無策だ。

 

 玉砕覚悟の一撃なのだ。どれほどに度し難いのかは理解しているつもりであった。

 

 それでも、相手を許せない。自分を……許せない。許すのにはこの方法しか知らないのだ。

 

《ソニドリ》と共にもつれ合い、地表へと落下する。土煙を引き裂いて《ゲド》が《ソニドリ》のコックピットへと一閃を放っていた。

 

 殺すつもりの一撃は《ソニドリ》の結晶体に亀裂を走らせる。

 

 僅かにうろたえた相手へととどめの一撃を振るいかけて、蒼は《ソニドリ》の腹に収まる、少女の相貌を目にしていた。

 

 このバイストン・ウェルの装束に身を纏っているが、特徴的なピンクのリボンが真っ先に目を引く。

 

 その面持ちも、置いてきた因縁も、何もかもが蒼の行動を静止させていた。

 

「……翡翠?」

 

 まさか、と蒼は絶句する。《ソニドリ》の腹腔にどうして地上界で親密であった人間がいるのか。その意味を理解する頭が働く前に、敵機の放った剣筋が《ゲド》の右腕を根元から叩き割っていた。

 

 後退するも既に遅い。相手の間合いに入っていた《ゲド》を一撃、また一撃と攻撃が削っていく。

 

 蒼は混乱する脳内で事柄を整理する。ここに来るまで怒りに駆られていた神経とは別の、一種の醒めた精神が事柄を俯瞰する。

 

 相手の圧倒的な性能は地上人であったから。これは理解出来る。相手も地上人を召喚するのは道理に叶っている。

 

 ――だが、それが何故、よりにもよって「狭山翡翠」なのだ。

 

 理由を探そうとして、そんなものは最初から存在しなかったのではないか、と思い立つ。

 

 自分がここに呼ばれた理由がないように、相手だって呼ばれる理由なんて知るはずもない。

 

《ソニドリ》の猛攻に《ゲド》は両腕を失い、機体に裂傷を負っていた。ほとんど立っているだけでもやっとな機体へと、《ソニドリ》が剣を突き上げる。

 

 ――殺すつもりなのは明白。

 

 だが、どうして。何故という問答が何度も繰り返される。

 

「どうして……。どうして翡翠なんだ。他の誰かなら……いくらでも殺せる。いくらでも倒せるのに……。何で、狭山翡翠! 何でなんだ!」

 

 その問答に意味がないかのように、《ソニドリ》がすっと剣を掲げ斬りかかってくる。必殺の勢いに蒼は終わりを予感した。

 

 その時である。

 

 暴風のような砲撃が眼前を塞いだ。その膨大なオーラショットに《ソニドリ》は攻撃を中断され、後ずさる。

 

 生きている、と感じ取った身体は熱源へと目を向けていた。

 

 中空で飛翔するのは漆黒の騎士。青い結晶体が射る光を灯す。

 

「ザフィール騎士団長……」

 

 どうして、と言葉を結ぶ前に森林地帯を無数の機体が駆け抜けていく。《ドラムロ》や《ゲド》など、ジェム領国の総攻撃に近かった。

 

 携えられているオーラに蒼は圧倒される。

 

「どうして……、みんな……」

 

 級友達が慣れぬオーラマシンに乗り込み、《ソニドリ》へと反撃を試みる。しかしそれらの銃撃はほとんど空を穿つばかりで、《ソニドリ》一機相手に翻弄されるばかりだ。

 

《ゲド》や《ドラムロ》を《ソニドリ》が斬り倒していく。やめろ、と声にならない叫びを上げた。それでも《ソニドリ》は止まらない。青い血を迸らせ、オーラマシンが抹殺されていく。

 

「やめるんだ、翡翠……」

 

 懇願しても終わりはやってこない。《ソニドリ》が緑色の眼窩に喜色を浮かべた。戦闘の狂気を宿らせた機体へと、蒼が叫ぶ。

 

「……お願いだから! やめてくれ! 翡翠――!」

 

 その声を聞きとめる事もない。オーラバトラー、《ソニドリ》は抹殺者だ。自分達の敵だ。相手は温情をくれてやるつもりなど毛頭ないらしい。

 

《ゲド》部隊をその剣で打ち壊し、少女達の叫びを浴びて白い機体は吼え立てる。

 

 緑色の結晶体をぎらつかせて、《ソニドリ》の眼光が《キヌバネ》を睨んだ。

 

 ――まさか、分かっているのか。

 

 あの時の因果を。あの時、倒せなかった敵を。

 

 ならば、自分が守らなければならない。あの未来の終局を越えられるのは自分だけなのだ。

 

「……動け、《ゲド》! 動いてくれ……ぇっ!」

 

 手足となった《ゲド》は動作する様子もない。飛翔した《ソニドリ》が《キヌバネ》と切り結ぶ。乗っているのは翡翠のはずだ。

 

 地上人程度にザフィールは遅れを取らないはず。

 

 しかし、《ソニドリ》の勢いはただの地上人の駆るそれとは別格であった。剣圧が《キヌバネ》の太刀筋を押し切り、オーラ・コンバーターから放たれる高密度オーラの加速度が膂力でさえも圧倒する。

 

『……このオーラバトラー……。バイストン・ウェルの理ではないな……!』

 

《ソニドリ》が蹴り払い《キヌバネ》の剣を突き放す。地表へと真っ逆さまに落下するザフィールに蒼は声を張り上げていた。

 

「騎士団長! 動けよ! 《ゲド》!」

 

 刹那、灯ったオーラの灯火を蒼は脚部に全力で点火し、その敏捷性で機体ごと《キヌバネ》を受け止めた。《キヌバネ》の重量で《ゲド》が軋みを上げる。

 

 最後の大仕事を成し遂げた愛機は完全に沈黙してしまった。砕けた結晶体を拳でかき分け、蒼はコックピットより這い出る。

 

《キヌバネ》に収まるザフィールは昏倒しているようであった。

 

 緊急射出用のレバーを引き上げ、蒼はコックピットで項垂れるザフィールを目にする。

 

「騎士団長……。よかった、生きて……」

 

 しかしすぐに終わりがやってくるのは明白。《ソニドリ》はダメージを受けていない。白亜の悪鬼は《ゲド》部隊を蹴散らし、《ドラムロ》をまるで羽虫のように叩き潰す。

 

 その手に纏ったオーラだけで一騎当千の力が窺えた。

 

 こちらのオーラバトラーの頭部を掴み上げると、放たれたオーラの爆発力が瞬時に敵機を無力化する。否、無力化ならばまだ生易しい。

 

 そのような瑣末な代物では断じてない。

 

《ソニドリ》のオーラによってジェム領のオーラバトラーは傀儡のように動きを変位させ、同朋を叩き切っていく。

 

 性質の悪い操り人形が戦場を闊歩した。

 

『な、何をやっているんだ! やめさせろ!』

 

『駄目です! 信号途絶……あのオーラバトラーは、最早我が方の味方機では……』

 

 その言葉尻をあり得ない機動で懐に入った味方機が切り裂いた。友軍などまるで感じさせない、その無慈悲な立ち回り。

 

 間違いない。《ソニドリ》には機体の纏うオーラを書き換える能力があるのだ。

 

「……敵機でさえも自分の力にするなんて……」

 

 言葉をなくす。何という、傲慢が形を成したかのような機体か。まさしく悪の権化と呼ぶに相応しい。

 

《ソニドリ》が駆け抜け一機、また一機とオーラの虜にしていく。

 

 自らの手を汚す事もなく、敵を無力化するその有り様に蒼は心の奥底から恐怖した。

 

 ――あれはオーラバトラーの形をした悪魔だ。

 

 指揮棒を振るうかのごとき軽やかさで、ジェム領の機体は同士討ちを始める。地獄の演舞を奏でるのは白亜の悪魔。

 

 純真なる闇。最大の敵と、蒼は心にその姿を刻み込んだ。

 

 あれは倒さなければならない。だが、どうやって……? と蒼は昏倒したザフィールの収まっている《キヌバネ》を見やる。

 

《キヌバネ》ならば、ともすれば勝てるかもしれない。

 

 何よりもザフィールに死んで欲しくない。

 

「騎士団長、わたくしはあなたに……」

 

 鎧を纏ったザフィールの身体を持ち上げようとするが、やはりというべきか女子供の手ではどうしようもない。

 

 しかし、悪魔は囁き、歩み寄ってくる。

 

 確実なる死の手札を伴って。

 

 蒼は《キヌバネ》の操縦桿を握り締めていた。オーラを纏わせるイメージを額に浮かべさせる。地上人のオーラに呼応するのがバイストン・ウェルのオーラマシンならば、ザフィールよりも強い者を主と認めるはず。

 

 渾身のオーラを注ぎ込んだが、それでも《キヌバネ》は結晶体を明滅させるばかりで、蒼を主と認めない。

 

「頼む……《キヌバネ》。今だけでいい。わたくしを! お前の主にしてくれ!」

 

 叫んだ蒼の言葉の無情さを嘲笑うかのように、《ソニドリ》は援護に訪れた友軍機を全て粉砕していた。

 

 傀儡となった機体がそれぞれ魂を失ったかのように傾ぎ、やがて膝を折って沈黙する。物言わぬ道化を《ソニドリ》は踏み潰した。

 

「……許さない」

 

 蒼の声に《ソニドリ》が結晶の奥の四つ目で睥睨した。

 

 蒼は喉から声を迸らせる。

 

「お前だけは絶対に! 許さない!」

 

 刹那、《キヌバネ》の躯体にオーラが宿る。ハッと気づいたその時には、ザフィールが口角から血を滴らせていた。

 

「騎士団長……!」

 

「……ああ、そうだよな、クソッタレ。許せないよな、こんな奴……。だから、だからよ、《キヌバネ》! 俺に力を貸せ!」

 

《キヌバネ》が剣を高く掲げる。死したオーラバトラーより魂のオーラが《キヌバネ》の剣へと寄り集まった。

 

 眩く光り輝く一振りの剣を携え、オーラバトラー、《キヌバネ》が聳え立つ。

 

 しかしザフィールは満身創痍だ。それは見れば分かる。蒼は彼の胸元を叩いていた。

 

「やめてください! 騎士団長! 見れば分かります。これは……禁術です!」

 

 その言葉にザフィールは乾いた笑いを返す。

 

「ああ、そうか……。分かっちまうよな……、アオ。でもさ、ここで終わらせたいのなら、やるべき事は一つだろ」

 

《キヌバネ》のオーラが内奥より点火する。鼓動が脈打ち、青白い輝きを帯びた《キヌバネ》は平時のものとは明らかに異なっている。

 

「死した者の無念のオーラを身に纏い……討つべき敵を睨む! 《キヌバネ》、やるぞ。ハイパー化だ!」

 

 その言葉を嚆矢として、《キヌバネ》を覆う外骨格が震えた。青い結晶体が砕け散り、内側の内部筋肉繊維を剥き出しにした《キヌバネ》のオーラが何倍にも膨れ上がっていく。

 

 禁術とは言え、その爆発力は凄まじい。《キヌバネ》の躯体が《ソニドリ》を倒すという一つの目的の下、洗練されていくのが理解出来た。

 

 これが《キヌバネ》の真の姿。偽装の骨格を捨て、その忌むべき肉体さえも超越した、オーラバトラーの究極系。

 

「ハイパー化……」

 

 青いオーラを纏いつかせ、《キヌバネ》が《ソニドリ》へと剣を振るい上げる。風が逆巻き、風圧だけでバイストン・ウェルの自然が猛威に震える。

 

 この大地が、海と地を結びつける神秘の場所が一つのオーラに怯えている。

 

 ハイパー化はまさしく禁術。オーラの楔を解き放ったオーラバトラーの成れの果て。

 

《ソニドリ》が地に突き立った武器を手に取る。緑色のオーラが迸り、一瞬にしてその武装を自らの物と化していた。《ソニドリ》のオーラは武器の限定的な仕様さえも超越する。

 

 その威容に言葉をなくした蒼へと、ザフィールは声を振り絞る。

 

「……恐れるな、アオ。俺達が……勝つ」

 

 外骨格が軋み、次の瞬間には跳躍した《キヌバネ》が《ソニドリ》へと超越した剣術を払っていた。その一閃だけで空間がビィンと激震する。

 

 敵は姿勢を沈めて一撃を回避し様、こちらへと反撃の刃を振るう。

 

 恐ろしい密度のオーラが切っ先に込められていた。

 

 これほどの殺意、本当に翡翠が操っているのか、と蒼は困惑する。

 

「本当に……乗っているのは……」

 

「知り合いか?」

 

 どう答えればいいのか分からず、蒼は重々しく口にしていた。

 

「……地上界での仲で」

 

「なら、聖戦士か。この実力も頷ける。しかし、解せんな」

 

 その言葉に蒼は疑問符を浮かべていた。

 

「……ゼスティアに洗脳されたのなら、別段、おかしなところは……」

 

「違うさ。こいつは違う。洗脳なんて受けちゃいない。そういう太刀筋は、見れば分かる。こいつは……本当にジェム領を恨んでいる。どうしてなのか、俺にはさっぱりだが……」

 

「恨んでいる……? 翡翠が、我が方を……」

 

「理由は不明だが、こいつの殺意だけは本物だ。来るぞ!」

 

 超加速で後退するも、敵影はすぐさま迫り来る。その執念がどこから来るのか判じられないまま、《キヌバネ》は必殺の好機を逃し続けていた。

 

 みしり、と装甲が悲鳴を上げる。《キヌバネ》の内蔵オーラが今にも弾け飛びそうになっているのだ。そうなってしまえば、ザフィールとてただでは済まない。暴走したオーラがパイロットでさえも食い尽くすだろう。

 

「騎士団長! 退いてください! 《キヌバネ》はもう……!」

 

「……かもしれん。だがな、だからこそだ! こいつを止めなければもっと被害が出る。もっと……悲しむ人間が増えるだけだ。ここで禍根は終わりにする!」

 

《キヌバネ》が大きく剣を後ろに引いた。青い刃が拡張し、《キヌバネ》の躯体の数倍にまで膨れ上がる。

 

「ハイパーオーラ……斬りィッ!」

 

 高出力のオーラが駆け抜け《ソニドリ》を覆いつくす。《ソニドリ》は携えた武装で受け切ろうとしたがすぐにそのオーラは燃え尽きた。

 

 ザフィールの命の灯火だ。簡単に折れてなるものか。

 

 彼が満身から雄叫びを発し、《ソニドリ》を打ち砕かんとする。《ソニドリ》の表皮が裂け、その装甲が浮かび上がった。

 

「……効いている?」

 

「……アオ。すまん。最後の一手だ」

 

 ザフィールが激しくかっ血する。蒼はその手を取っていた。彼は微笑む。

 

「すまんな……。最後の最後に、弱くって……。お前のオーラを貸してくれ。あの白いのは、ここで叩く。叩かなければならない」

 

 蒼は頬を伝う熱いものを止められなかった。頭を振り、ザフィールの手をぎゅっと握り締める。

 

「……どれだけの時間が流れようとも、永久に」

 

「そう言ってくれると、俺も注ぎ甲斐がある。最後のオーラだ! 受け取れ、《キヌバネ》!」

 

《キヌバネ》がオォンと吼え立て、《ソニドリ》へと二の太刀を打ち込む。だが、それは相手も予見したのだろう。オーラの盾を瞬時に張り、干渉波で後退してみせる。

 

 この間合いでは取り切れない。それが二人同時に分かった。

 

 ――ゆえに、踏み込むのは下策。

 

 どちらかが仕損じれば、それは大きな損失となる。

 

「……それでも」

 

 蒼は前を行く。歩まなければならないのだと心に誓っていた。それは誰でもない、自分とザフィールのために、である。

 

 ザフィールのオーラに自らのオーラを沿え、《キヌバネ》は装甲を失いながらも《ソニドリ》へと肉迫する。

 

《ソニドリ》がその爪を貫手として、コックピットを砕かんと鋭く構えた。

 

 蒼は《キヌバネ》の操縦桿を倒し、最後の一閃を《ソニドリ》の頭部へと叩き込む。オーラの瀑布が相乗し、何もかもを風圧の向こう側へと押し出していった。

 

 青と緑のオーラが残滓となって居残る空間で、蒼は荒く息をつく。

 

 肩を荒立たせたまま、コックピットを破り、眼前まで迫った《ソニドリ》の爪を目にしていた。

 

「……勝っ、た……?」

 

《ソニドリ》は装甲が砕け素体の状態に近い。《キヌバネ》もほとんど内部筋肉素材が露出していた。

 

 蒼は腰に提げた剣の柄に手を沿え、呼気を詰めてコックピットを蹴った。結晶体が砕け、《ソニドリ》の爪に触れないように前を見据える。

 

「……騎士団長」

 

 ザフィールは事切れていた。オーラを使い尽くしたのだ。生命力の根源たるオーラがないコモンは即座に死に絶える。蒼は悲しんでいる暇はなかった。今は、《ソニドリ》を――翡翠の首を取らなければ彼らに報いられない。

 

 剣を手に《ソニドリ》のほうへと足を進める。直後、《ソニドリ》から降りてきたその姿に絶句していた。

 

 地上界ではトレードマークだった大きめのリボンを今は違う形であしらえている。《ソニドリ》のオーラと同じ色を有した結晶剣を手にし、狭山翡翠はこちらを睨んでいた。

 

 まるで怨敵を見据えるかのように。

 

 蒼はうろたえつつも、剣を正眼に構える。

 

「……何でこんな事をした。みんな……生きていたんだぞ! 翡翠!」

 

 激昂する蒼に比して翡翠は冷静であった。

 

「……何にも分かっていないんですね、蒼先輩。あなたはどうして、このバイストン・ウェルに招かれたのか。そして何故、またしてもこの《ソニドリ》と合間見える形となっているのか。そして――この躯体はヒスイ、と言うのか」

 

 ハッと蒼が眉を跳ね上げた時、翡翠は斬りかかっていた。抜刀の術にも覚えはある。教え込んだのは他ならぬ自分だ。

 

 相手の踏み込みと居合いに、蒼は歯噛みする。

 

 必殺の心得の篭った一撃にただ悲観と達観を持ち込むしかない己を恥じ入るかのように。

 

「……騎士団長を殺したな」

 

「どうでもいいじゃないですか。それよりも……素晴らしい。まだ一度枝をつけただけなのに、ちょっとは見られるようになった。これならば、輪廻の枠組みにあなたを捕らえてもまだ釣り銭が来るほどだ」

 

「繰り言を……。翡翠っ!」

 

 跳ねた剣筋を相手はかわし、人間とは思えない跳躍力で後ずさる。払われた剣には殺意が宿っていた。

 

「……キジマアオ。オーラバトラー、《ソニドリ》はあなたを覚えた。爪をかけた人間はみんな覚えているのですが、その中でもあなたの紡ぐ未来は極上だった。ゆえに、《ソニドリ》はあなたを微細特異点として因果を結ぼうとしている。それがどれほどの幸福か、分からないのですか?」

 

「幸福だと……。何を、何を言っている! わたくしはただ、ザフィール騎士団長に……、生きていて欲しかっただけなんだ。それを願っただけの……女なのに」

 

 剣を持つ手が震える。涙が頬を伝い落ちる。どうしようもない感情の堰が振り切っている自分を翡翠は醒めた目線で見下ろしていた。

 

 周囲には骸に成り果てた者達とオーラマシンの数々。その中で異彩を放つのは、こうして向かい合う漆黒の《キヌバネ》と白亜の《ソニドリ》。

 

 そして――争い合う運命に立たされた、少女が二人。

 

 蒼は逡巡を紡いだ後に、やがて切っ先を据えた。

 

「……翡翠。お前を、殺す」

 

「そうですか。そのほうがいい」

 

 どうしてなのだろう。この時、違和感を覚えなかったのは。この翡翠が本物だと、信じて疑わなかったのは。

 

 蒼は満身から吼えて斬りかかる。その刃が翡翠の腹腔を貫いた。

 

 瞬間、彼女は恍惚に笑みを形作る。

 

 突き刺さった剣を支点として螺旋の渦が生じていた。万華鏡の色彩が網膜に焼きつく。

 

「そうです。キジマアオ。あなたの運命を弄んでみるのも楽しいかもしれない」

 

 その声音が翡翠のはずなのに、どうしてだか超然としている事に、蒼はようやく気づいた。

 

 だが、その時には既に全てが遅い。

 

「……翡翠じゃ……ない……?」

 

「いいえ。サヤマヒスイですよ。ただし、まだバイストン・ウェルに来ていない、仮想の存在ですが。この幻像は《ソニドリ》の作り出した未来のビジョン。事象特異点、《ソニドリ》は紡ぐべき未来の形を創造出来る。こういった風にね」

 

 翡翠の幻像が崩れ落ちる。内側から発生したのは靄のような空間であった。

 

 周囲がオーロラの揺らめく世界に堕ちていく。ここで戦っていた証明も、そして《キヌバネ》と《ソニドリ》を置いたまま、蒼は無限回廊の淵へと足をかけていた。

 

 一歩後ずさっただけで、時のいやはてへと身体が転落する。

 

 どこまでも続く白の地獄の連鎖を、蒼はその身で感じていた。地獄万華鏡の果てへと、吸い寄せられていく。

 

 剣を振るおうとして、その直後、景色は塗り変わっていた。

 

「翡翠! お前は……!」

 

 ハッと身を起こす。

 

 散らばった少女達がめいめいに起き出し、困惑の声を発していた。

 

 蒼はゆっくりと、機械仕掛けのように周囲を見渡す。

 

 草原地帯にクラスメイト達が三々五々に散っている。この状態は、と記憶を手繰ろうとして、蒼は自分の服飾が異なっている事を発見した。

 

「……制服に戻っている……」

 

 それだけではない。その手に握り締めていたのは――。

 

「騎士団長の……剣?」

 

「城嶋さん、どうして剣なんて持っているの?」

 

 問いかけに蒼は答えられない。自分でも不明だからだ。だが、この剣の持ち主だけは分かっている。

 

「……騎士団長……」

 

 不安げに声にした蒼は景色の既視感に絶句する。

 

「ここは……ジェム領国が来る前の……転生直後の召喚場所じゃ……」

 

「転生? 城嶋さん、さっきから変よ……。ここはどこなのか知っているの?」

 

「ここは……異世界バイストン・ウェル。そう、そのはずだ。そしてジェム領国の迎えがやってきて、わたくし達を……」

 

「……何を言っているの? 城嶋さん。ここは……どこなの?」

 

 一人のクラスメイトの声に不安が増長されたのか、他の生徒もめいめいに声にする。

 

「何これ……バスは? どこに行ったの?」

 

「修学旅行の道じゃ……ないみたいだけれど……」

 

 蒼は額を押さえて記憶を反芻した。

 

 自分の今際の際の記憶を。あの時の衝撃と死の足音、それに色濃い戦場の空気は忘れるはずがない。何よりも、あれが夢幻の類ではないのは自分がよく知っている。

 

 だから、この状況が飲み込めない。何が起こったのか、純粋に「二度目でありながら」、「分からない」。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十八話 仮想世界異形

 

「……みんな! ひとまず集りましょう。そうしないと、こんな知らない土地……」

 

 クラス委員が手を叩いて彼女らの不安を何とか押し留めようとするが、当の彼女も膝が笑っている。

 

 皆が恐怖に打ち震えているこの光景、これも二度目だ。

 

 自分は既に経験している。

 

 ――だがどうして?

 

 疑問が突き立った胸中を断じるかのように不意にいななき声が耳朶を打った。

 

 ジェム領のユニコンとオーラバトラーがこちらへと向かってくる。

 

 ――どうして、ここまで……「同じ」……。

 

「何……あれ」

 

「馬車……? 外国なの?」

 

 馬車から降り立った女性がクラスメイト達を数え始めた。

 

「えっと……全部で四十四人」

 

『かなり多いな』

 

 息を呑んだ。まさか、と自分の聞き間違いだと思いたかった。

 

 だが、紛れもない。その声の主は、つい先ほど自分の胸の中で死んだはずなのに……。

 

「……ザフィール騎士団長?」

 

 声にした途端、相手が胡乱そうにこちらを注視する。警戒するオーラバトラーが一斉に銃口を向けた。

 

『……奇妙な。地上界から呼んだはずの者が、どうして俺の名前を知っている?』

 

「だってさっきまで……。騎士団長! わたくしはさっきまで、《ソニドリ》と戦っていました! 翡翠もいて……、あの記憶は……」

 

 夢だったのか。否、夢にしては生々しく、そして血の臭いさえも纏いつく。どうしてここまで「同じ」事が起きているのか。そもそも、この目にしている現象は本物なのか、偽物なのか。

 

 その是非を交わす前にアルマーニが疑問符を挟む。

 

「……貴女、オーラが違うわね。どうしてかしら。他の地上人もオーラ力自体は高いのに貴女だけずば抜けている。検証したいわ。何なの、貴女」

 

 歩み寄ってくるアルマーニに対し、ザフィールが注意を飛ばす。

 

『エ・フェラリオ。相手は武器を持っている。……だが、どうしてだ? 俺と同じ剣を……』

 

「奇妙な符号じゃない。運命的なのかもね」

 

 アルマーニの呑気な言葉繰りに兵士達が惑わされている間にも事態は転がっていく。

 

 蒼はハッとここで起こるであろう「未来」を口走っていた。

 

「いけない……! ゼスティアの奇襲が来る!」

 

 その言葉に胡乱な眼差しが注がれる。あり得ない、と一笑に付されてしまった。

 

『おいおい! いくらなんでもここにゼスティアがはかったようなタイミングで来るなんて……』

 

 その瞬間、一機の《ドラムロ》へと機銃による火線が瞬く。

 

 よろめいた《ドラムロ》へと、敵の奇襲作戦班が割って入っていた。想定よりもかなり速い。恐らくは自分が奇襲を口にしたせいだろう。

 

 ゼスティアの思わぬ伏兵に全員が戸惑う。

 

『ゼスティアの機体! この地上人、どうして……』

 

『うろたえている場合か! 剣を取れ! ここで立ち向かわずしていつ立ち向かう! ジェム領騎士団の名が泣くぞ!』

 

 蒼は《ドラムロ》と敵のオーラバトラーが接戦に入るのを黙って目にするしかなかった。ザフィールの駆る《ドラムロ》が敵オーラバトラーと近接戦に入る。その光景すら、どこか虚飾じみている。

 

 その時、肩を触れる人影があった。

 

 反射的に剣を向けると、アルマーニが手を上げる。

 

「……剣は、向けないで欲しいわね」

 

「アルマーニュ・アルマーニ……。どうしてここにいる? どうして……またわたくし達を呼んだ?」

 

「また? それに名前まで……。貴女、本当に何なの? オーラ力が桁違いに高い上に、ザフィール騎士団長と同じ剣を持っているなんて。……言いたくはないけれど、まるで選ばれた、みたいな……」

 

 選ばれた。その言葉に蒼は思い返す。白亜の悪魔、《ソニドリ》に乗っていた翡翠の姿、その口の紡いだ意味深な言葉を。

 

「……あれは翡翠であって翡翠でない……? でも、この手で殺したはず……。いいえ、殺したから、ここにいるの?」

 

 アルマーニは困惑の只中にある自分へと興味が湧いたらしい。顔を覗き込んで、悪戯そうな笑みを浮かべた。

 

「……面白いわね、貴女。大丈夫よ。ザフィール騎士団長はかなりの手だれ。奇襲だからって言ってやられたりはしないわ。それに、他の騎士団の面々もね。何があったのか、よく聞かせてもらえる?」

 

 この戦闘も間もなく終わる。それは分かり切っていた。相手はジェム領国への奇襲作戦が目的だ。ゆえに、それほどの兵力で向かってきているわけではない。

 

 想定通り、ザフィールの《ドラムロ》が最小限の被害で敵陣営を退ける。

 

 それも一度見た光景。そして、圧倒された景色であった。

 

『……アルマーニ。何が起こった?』

 

「今は、まだ決定的なのは何も。でも、面白い発見がありそうよ。ザフィール騎士団長、それにジェム領の騎士達。もしかしたら思わぬギフトを、手に入れたかもしれないわね」

 

 にやりと笑みを浮かべたアルマーニを、蒼は見つめ返していた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十九話 時間転移魔境

 前回とは違い、ザフィール達の顔を改めて確かめずに、自分は馬車に乗り込んでいた。

 

 眼前にはこのバイストン・ウェルの神秘の結晶が読めない微笑でこちらを観察する。

――エ・フェラリオ、アルマーニュ・アルマーニ。

 

 そういえばまともに話したのは初めてかもしれない、と蒼もその眼差しを受け止めていた。相手は破顔一笑する。

 

「可笑しいの。にらめっこしているわけじゃないのよ?」

 

「……アルマーニ。状況を教えて欲しい」

 

 こちらの声がどこか違ったからであろう。アルマーニは手を揉んで応じていた。

 

「先ほど話した内容と大差ないのだけれど、貴女達は呼ばれてきた。このバイストン・ウェルの戦乱の時代に。私達、ジェム領国はゼスティアという敵国の脅威に晒されている。さっきみたいな野蛮人がゼスティアよ、汚らわしい、ね。でも、聖戦士が必要とは言え……」

 

「四十四人も呼ぶつもりはなかった。そうだろう?」

 

 先回りした言葉にアルマーニは笑いながらその麗しいかんばせに指を這わせる。

 

「……面白いわね。どうしてだか、貴女からは違うのよ。違うオーラが見えるわ」

 

「アルマーニ。ゼスティアの奇襲攻撃は今に始まった話でもない。それに、これからも続く。警告しておいたほうがいい。相手は、かなりの上手を行くと」

 

「それ、来たばかりの地上人の言葉だって? ……難しい事を堂々と言うのね」

 

「……だって」

 

 だってそれが事実なのだ。これから起こる未来そのものなのだ。言葉にしかけて、なんて馬鹿馬鹿しい想定と己を笑わずにはいられない。

 

 ただ、何かが起こった。その結果として、自分は遥か過去まで戻ってこられたのだ。ならば行動するべきは、最善の策だと分かり切っている。

 

 だが本音を言えば、もう一度ザフィールに会いたい。会って話をしたい。

 

 しかし、本能が告げていた。もう一度ザフィールと会って、同じように行動しても、恐らくは最悪の道を辿る。

 

 ならば、一手でも違う、別の最善を模索するしかない。

 

 アルマーニは最初も、二度目でもほとんど接点のなかった人間の一人だ。そして、フェラリオの神秘はコモンの叡智を超えると言われている。ならば、この不明な現象に少しでも打開策が打てるのではないかと、自分は考えていた。

 

「……コモンは湖を渡る術を多くは知らない。だがフェラリオは違うはず」

 

「……どこで聞いたの? その定型句。バイストン・ウェルに棲んでいるのならば常識のように言われる、コモンの迷信だけれど、でも地上人が言うのは初めて聞いたわ」

 

「実情を知りたいんだ。ジェム領の国防に強く関わっているはずのフェラリオである、お前は……どこまで知っていてこの戦いに加担している?」

 

 アルマーニは、ふぅんと訳知り顔で何度か頷く。

 

「何だか、奇妙だけれど、でも聖戦士なら、別段おかしくもないのよね。地上の事なんてまともには知らないし。もしかするとこの三十年で、地上人は未来さえも予知出来るようになったのかもしれない。いいわ、今のジェム領の方策を、貴女に教えましょう。ただし、私の部屋についてから、ね」

 

 馬車が停まり、アルマーニを迎え入れたのは雑兵であった。彼らへと妖精は語りかける。

 

 その驚愕に塗り固められた視線が自分へと突き刺さった。

 

「……まさか」

 

「その通りなんだから仕方ないでしょう。私の部屋へと通してちょうだい」

 

 雑兵が腰から取り出したのは、なんと手錠であった。まさか、こちらを拘束する気か、と構えた自分にアルマーニは微笑みかける。

 

「大丈夫よ。拘束されるのは貴女じゃない」

 

 手錠は、なんとアルマーニにかけられていた。その現実に蒼は言葉をなくす。エ・フェラリオは国内でも重宝されている立場のはず。どうして拘束などという真似に出るのか。視線を彷徨わせている蒼へと、アルマーニは皮肉めいた笑いを浮かべる。

 

「何? 私がこんなのをするって、もしかして想定していなかった?」

 

「……ああ、うん。何と言っていいのか」

 

「囚われの姫みたいでしょう?」

 

 アルマーニはあろう事か手錠をかけられた腕を翳してみせる。だがそれは直視出来なかった。囚われの妖精を嗤えるほど自分は残酷ではない。

 

「……笑わないのね。まぁ、いいわ。私の部屋に案内して」

 

 大層、立派なこしらえのしてある御殿が待っているのだと、自分は思い込んでいた。

 

 だから、向かっているのが牢獄に続く道だと気づいた時、蒼は立ち止まっていた。

 

「どうして……」

 

「どうして? どうしてなのか、って……私に聞く?」

 

 彼女自身から説明を聞こうとすれば、この先に赴くしかないのだろう。蒼は覚悟を決める必要があると判じていた。

 

 ザフィールとあえて話を交えず、この無間地獄の只中、打開する術があるとすれば、それは悠久の時を生きてきた妖精の知恵にしかないであろう。

 

 アルマーニはほとんど何もない牢獄で腰を下ろす。兵士がこちらを窺ったが、アルマーニは一言で下がらせた。

 

「あとで彼女の部屋を用意してあげて。ここに長居させる事はないから」

 

 去っていった兵士の足音には侮蔑があった。こんな場所、誰がこぞって長居するものか、という一種の蔑視さえも覗かせる。

 

「さて、何から話しましょうか。不思議な地上人さん」

 

 アルマーニの論調には悲観はない。この境遇にも随分と慣れた、とでも言いたげだ。

 

「……エ・フェラリオの扱いは、どこでも?」

 

「そうとも限らないけれど、でもジャコバ様がいなくなってからは、フェラリオへの扱いは地に堕ちたと言ってもいいわね。妖精の女王がいないのに、神秘と能力を独占するフェラリオは邪魔なだけなのよ。安泰なはずの国家を脅かす毒になる」

 

「驚いた……。エ・フェラリオはさぞかし……」

 

 そこから先を蒼は口ごもっていた。これ以上は去っていった兵士と同じ目線になる。だがアルマーニは感じ取った様子だ。

 

「そうね。さぞかし立派な宮殿にでも棲んでいると思われたのでしょう。実際、この境遇を知っているのは騎士団長くらいのものよ」

 

「……ザフィール騎士団長は、知って?」

 

「そうね。あの人も怖がっている。エ・フェラリオの操る神秘に。でも、そんなの当たり前よ。コモン人は神秘を恐れ、秘匿してきた。それがオーラバトラーという形で結実したのは、何でもない、コモンが招いた結果だって言うのに、それを認めたくないのよ。でもね、そんなの些事だと思わない?」

 

「些事……? でも、酷いとは思う」

 

 てらいのない言葉を発したつもりではあったが、アルマーニは面を伏せる。

 

「そうは……思って欲しくはなかったのよ。せめて、貴女にはね」

 

「わたくしに……は?」

 

 どうして自分なのか。面食らった蒼にアルマーニは言いやる。

 

「同じものを感じたから、かな。だってコモンでもなければ地上人とも違う。そうね……妖精、私達と同類と、思いたかった。ただのわがまま。忘れてちょうだい」

 

 忘れられるものか。アルマーニは瞼を伏せ、頭を振った。きっと彼女は幾星霜の月日を独りで生きてきたのだろう。

 

 その中でジェム領に巡り会えたのは何も幸運ではなかったのかもしれない。地上人を召喚するための触媒、ただの体のいい道具。

 

 きっとジェム領のあらゆる者達が、彼女に祝福をしておきながら、このような境遇に落とされているなど思いも寄らないだろう。

 

 ――エ・フェラリオは化け物。妖精は禁忌を生む。

 

 コモンの弱々しい感性では、妖精の時間感覚とそして感情にはまるで無頓着であろう。だから彼女は事ここに至るまで誰にも理解されなかった。ようやく見つけたと思った理解者である自分は彼女を拒んでしまった。

 

 それが決定的な断絶だとも思わずに。

 

 せめて自分一人でも歩み寄るべきであったのだ。彼女を守る騎士として。絶対に裏切らない……友人として。

 

 だが今は間違ってしまった。それを恥じ入るばかりで、何も好転なんて出来ない。

 

「……ごめんなさい」

 

「謝らないで。無様に思えるだけだもの」

 

「でも、ごめんなさい……。そして、ありがとう」

 

 感謝の言葉が口から出たのはどうしてだろうか。このような境遇にありながら、絶対に誰にも弱さを見せないその姿の、一部分だけでも知れた事が嬉しいのか。あるいは、ザフィールと巡り会わせてくれた張本人だからか。

 

 いずれにせよ、ここでただ悲観するだけが問題を解決するのには至らないのだと、蒼は判別していた。

 

 アルマーニは言葉を失っていたが、やがてぷっと笑い出す。

 

「面白いのね、貴女。でも、感謝されるのは筋違いなのよ。召喚したって言っても、本当に選んだわけじゃないんだから」

 

「四十四人も呼んで、ってのは、どういう理屈で?」

 

 アルマーニは上を指差す。天井を仰いだ蒼へと彼女は言いやっていた。

 

「領国の主は出来るだけ多くの地上人を呼べというお達しだったのよ。その結果が四十四人。オーラ・ロードを開いた結果の産物だけれど、でもこれで私への待遇は変わるかと言えば、そうではないでしょうね。ただ単に厄介なものを押し付けた、と思われている」

 

「それは、訓練に時間がかかるから?」

 

「いいえ。オーラ力が強過ぎるからよ」

 

 その返答に蒼は疑問符を挟んだ。オーラ力の強い者を集め、騎士団を設立する。それがジェム領の目的ではなかったのか。

 

「どうして……。だって元々のオーラ力の低いジェム領では、ゼスティアに」

 

「勝てない。見込みもないのよ。どれだけ優秀な騎士を集めても、ゼスティアとジェムでは土地が違う。土地によってコモンの質は大きく左右される。今のゼスティアは最良の土地よ。あの土地にもし、地上人なんて呼んだら……それこそとんでもない。化け物みたいなオーラ力になるでしょうね」

 

 脳裏を掠めた《ソニドリ》と翡翠のビジョンに蒼は拳を握り締める。単純に呼ばれた土地の違いなのか。それとも……、と考えを持て余す。

 

《ソニドリ》、あの白亜のオーラバトラーは別種のような気がしていた。他のオーラバトラーにはないものを持っている。ゆえに、単純な力押しでは勝つ事は出来ない。

 

 二度も戦えばよく分かる。《ソニドリ》に勝利するのには、相手の力量を上回る何かが必要だ。

 

 それが決定的に足りていない。だから負けた。そして、翡翠の姿を取った《ソニドリ》は、「何か」をさせるために、自分を選んだ。

 

 そう思うのが必定であろう。しかしその「何か」が依然として不明のまま。

 

 アルマーニは考え込んでいるこちらをじっと観察していた。

 

 その視線に気づいてびくりと肩を震わせる。

 

「……何か?」

 

「いいえ。地上人の考えってのはコモンと違うのかな、と思ったのよ。貴方達ってあの場所にいるんでしょ? 湖のたゆたう光の向こう側……万華鏡の空を越えた場所に」

 

「それは……オーラ・ロードの先って言う意味で?」

 

「簡潔に言うとそうなっちゃうかもしれないけれど……、私の潜在記憶とでも言うところに、そのようなイメージがあるのよ。これはフェラリオならみんなかもしれない。泡沫に還るのがフェラリオの運命だって教え込まれているから」

 

「元々は泡だったって?」

 

「分からないものよ。妖精なんておだてられてもね」

 

 アルマーニは少しだけ寂しそうに微笑んだ。蒼はようやく、自分の疑問をアルマーニへとぶつける覚悟を携える。

 

「……もしも、の話で恐縮なんだけれど、時間を巻き戻したり、あるいは行き来出来る……そういうフェラリオがいる?」

 

「何、そのもしもの話。随分と具体的だけれど、でもそんなのないわ。オーラの道は絶えず……確かに無数に存在する……織物の糸のようなものだけれど、でもだからって意図的に時間をどうにか出来るなんてそれこそジャコバ様みたいなものじゃないと……」

 

「妖精の女王には、出来る……」

 

「いいえ。言葉選びが悪かったわね。ジャコバ様なら、まだ手の届く領域かもしれない……仮説よ? そう、仮説、取るに足らない、例え話。だってそうでしょう? 時をどうこう出来るなんて、妖精の女王だって思い浮かばないわ。時はね、確かにオーラの流れと等価の部分もある。でも同時に、誰一人として触れられない、すごく遠い場所にあるのよ。それは、そう、どれだけ足が疲れても、どれだけ手をしゃにむに伸ばしても、絶対に届かない領域……事象の彼方、絶対の特異点。無理難題はこの世に数多くあるけれど、そのうちの一つ。時をいざ、どうにかしようなんておこがましいと思わない? だってどうにかしたって、その時の中にある運命はどうにも出来ないはず。それはもうオーラとしてその人間の中に組み込まれているから。分かりやすく言うのならば、時はスタートとゴールまでの地点で、そしてオーラの運命はその二点を、どう行き来するか、という道標。道標は自由よ。確かに限りなく無数に、無限に近い数が存在する。でも、絶対に変えられないのは二点の間の距離と、そして二点が存在する、という前提条件。分かる? 時を操るのには、スタート地点をゴール地点と逆にするだとか、そういう事までしなきゃいけない。それをこの世にあまねく生命全てに適応? そんな気の遠くなる事、神様だってやりたがらないでしょうね。だってそれは何億、もっと多いかもしれない命を全て管理するという事。ジャコバ様どころじゃない。それこそ……言いたくはないけれど絶対者。超越神にのみ許された俯瞰視点の領域」

 

 アルマーニの繰る言葉には不思議と重みがあった。彼女は経験則も込みで言っているに違いない。

 

 妖精の世界でさえ適任者のいない領域を人がどうするというのだろう。それは傲慢であり、そして何よりも冒涜だ。

 

「……でも、そういう存在がいるとすれば? 例えば……一個人のスタート地点をいじって、ゴール地点をすごく遠くに設定する」

 

「無理よ、あり得ないわ。それは、究極的に個体として完成する生命体でもない限りはね。だって、コモン人にそんなものを適応してみなさい。きっと、その一人だけではない、限りなく増え続ける選択肢全てをしらみつぶしにするなんていう、気の狂いそうな作業になるのよ? それをやるのなんて、因果律の向こうに魂でも置いてこない限りは不可能よ。もっと言ってしまえばね……こんなのは妖精の繰り言だと思ってくれてもいいんだけれど……。――ヒトに、そこまでの神秘を操る事なんて到底出来ない」

 

 自然と説得力があった。エ・フェラリオとして遥かな時を生きてきたアルマーニにはコモンにもましてや地上人では推し量れない世界がある。彼女が無理というのならば無理なのだろう。

 

 しかし、あれはではどう形容すればいいのだ。

 

《ソニドリ》は、白い悪魔はそれを可能にしている。だから、自分はこうしてアルマーニと対等に話せているのだ。

 

 最初に呼ばれた時など彼女を憎みすらした自分は、今、憎悪の対象であった妖精の知恵を必要としている。なんて皮肉、と自分でも笑えなかった。

 

「……勉強になった」

 

 つまり、フェラリオでも不可能な事が巻き起こっている。彼女らでも解明出来ない何かが、自分に降りかかっていると言う事が分かっただけでもいい。

 

 立ち去ろうとした自分をアルマーニは呼び止めていた。

 

「ねぇ……また何か話してくれる?」

 

 懇願さえも窺わせたその声音に、蒼は素直に問い質す。

 

「……でも、やんごとなき身分なのはそちらのほうじゃ……」

 

「そう、そう見えるわよね。でもね、勘違いして欲しくないの。貴方達を呼んだのは……半分くらい寂しさを埋め合わせたかったのもあるのよ。こんなの、長い時を生きてきただけの、妖精の気紛れかも知れないけれど」

 

 そう、気紛れだ。そんなはた迷惑なもので自分達はこのバイストン・ウェルに運命を束縛された。ザフィールも、自分も運命の被害者なのだ。

 

 だが、だからと言って彼女を憎み切る事も出来なくなった。憎むのには多くを知ってしまった。妖精であっても、寂しさくらいは感じるのだと分かってしまった。

 

 だから、この時、願いを無下には出来ない自分が存在した。

 

「……分かる範囲でいいのなら」

 

 世界の全てを知っているように嘯くフェラリオに、世界の半分だって知らない自分がこの世界の仕組みを教える。

 

 この関係性を何と呼ぶのか、この時にはまだ分からぬまま。

 

 アルマーニはこの時、真剣にそれでいてまるで幾星霜の時を生きてきた妖精の眷属とは思えないほど、少女の眼差しで聞き入っていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十話 騎士臨場

 訓練は滞りなく行われるべき、と進言したところで、何も変わらないのかもしれない。

 

 しかし、蒼は自分一人のイレギュラーで仲間を失うのは耐え難かった。ゆえに最適解を導き出す。

 

 ここでの最適解は、あの局面――《ソニドリ》との対決へと赴く前に、戦力を拡充させる事だ。今のジェム領の戦力で心許ないというわけでもないが、アルマーニの言う通り、オーラ力の弱いコモンはただの餌食となる。

 

 一人でも犠牲を減らす、という方針を取るのは何も間違いではないだろう。

 

 謁見を、と声にした自分に対してジェム領の兵士は目を丸くしていた。

 

「……何と言った?」

 

「領主と会いたい。謁見の許可を」

 

 その言葉に鯉口を切った剣の切っ先が喉元へと突きつけられる。

 

「何を言っているのか……分かっているのか! 地上人が……!」

 

 禁術で召喚された地上人に自分達の長を任せるなどあり得ない選択肢。それを全て分かった上で、蒼は交渉のレートに挙げられないかと考えていた。

 

 戦うのはいずれ自分達だ。ならば軍団を率いる長の顔を知っていても何らおかしくはないはず。こちらが目線を逸らさないでいると相手はうろたえた。

 

「……さっきの予言と言い、エ・フェラリオとの間柄と言い……何なんだ、貴様は」

 

「キジマアオだ。呼びにくければアオでいい」

 

 一触即発の空気に割って入ったのは騎士団長の声であった。

 

「よさないか! 味方同士で!」

 

「ザフィール騎士団長……。しかしこいつ、分からないんですよ」

 

 兵士の素直な感想にザフィールは自分を見下ろす。偉丈夫の面持ちに蒼は感情をフラットに保ち、出来得るだけ読まれないようにする。

 

 ザフィールは暫しの睨み合いの後、声にしていた。

 

「……胆力もある。ついて来い」

 

「まさか! 領主様に会わせるのですか!」

 

「予言は気になる。それに、エ・フェラリオたるアルマーニと対等の口を利く地上人だ。興味はあるだろう」

 

「それは……その通りかもしれませんが……」

 

「呑めないのならば俺の名前を出せばいい。俺の決定だ」

 

 そう言われてしまえばただの兵士は何も言えないのだろう。離れてから、蒼は口にしていた。

 

「あの兵士……オーラ力が……」

 

「言うな。誰しも触れられたくない事くらいはあるぞ」

 

 諌めた声に蒼は口を噤む。

 

 前回はまるで分からなかったのだが、ジェム領国の兵士達はオーラ力の欠損率が高い。

 

 オーラを持っているものの、どれもこれも出来損ないだ。オーラバトラーを動かしてもまともな働きは出来ないであろう者達のほうが圧倒的に多い。

 

 この事実にザフィールは歩みを止めずに尋ねていた。

 

「地上人には、オーラの見分けくらいはつくのか?」

 

 その問いにまごついていると彼は続けた。

 

「先に来ている、エルムと言う地上人がいる。その者より聞いた。地上人からしてみれば、オーラの質というものが浮き彫りになるのだと」

 

 エルム――《レプラカーン》のパイロットだ。彼はそういえば地上人であった。しかし自分とはまるで異なる気配を持っていた理由がようやく頷ける。

 

 オーラ力が違えば、それだけ見える景色が違う。

 

 エルムは自分よりも情報量の多い視野で生きてきたのだろう。だからこそ、台頭しようとする自分が気に入らなかったのかもしれない。

 

「……オーラ力が違うと、確かに見える景色は違います」

 

 今まさに、であった。どうして前回は分からなかった兵士達のオーラ力が、今はこうも手に取るように分かるのだろう。この城に点在するオーラバトラーがどこに、どのように開発されているのかも、視線を飛ばすイメージを伴わせれば理解出来る。

 

 これは、まるで意識が拡大化したかのようであった。

 

 今まで持て余していた自意識が研ぎ澄まされ、別の領域に介入可能になっている。

 

 ――これがオーラ力……。

 

 改めて、バイストン・ウェルにおけるオーラの絶対性を感じ取っていた。オーラ力が強ければこの世界では絶対だ。そしてオーラ一つで国が動くと言うのは誇張でも何でもない。まさしくオーラ力を操る聖戦士は、国家の謀においては重要な位置を占める。

 

 エ・フェラリオの一挙手一投足に気を配るのもさもありなん。彼女らはオーラ力をこうして理解している。それに対して、コモン人はあまりに弱く脆い。

 

 ここまでの力の差が歴然となっているのならば、聖戦士の召喚は国家事業だ。加えてジェム領は長くゼスティアと闘争している。この拮抗状態を崩すのには聖戦士は必須だろう。

 

 ここまで理解出来てもなお、この先の未来がもし「同じ」であるのならば、自分の行動一つでは……。

 

「暗い顔をしている。まるで世界の終わりを見て来たかのように」

 

 思わぬ言葉が振り向けられ、蒼は頭を振っていた。

 

 まさか本当に世界の終わりから来たとは言えない。あなたはその世界の終りの戦いで自分を庇って死ぬのだ、など。

 

 ザフィールは笑いかけて問いを重ねた。

 

「どうして領主と会いたい? 理由は」

 

「……戦っている理由を」

 

「まさか、ジェム領とゼスティアの闘争の発端か? ……俺が物心ついた時にはもう争っていた」

 

「それでも、自分の耳で聞きたいのです」

 

「……参ったな」

 

 埋めがたい溝がこの二国には横たわっているのは窺える。しかし、どうして、そもそも何故争わなければならないのか。

 

 それを知らない事には、この事態は永遠に解決しないだろう。

 

「だが、知ったところで聖戦士にはどうしようもない事かもしれんぞ?」

 

 かもしれない。バイストン・ウェルの理だ。自分達地上人には、理解出来ない発端かもしれない。

 

 しかし、自分はもう二度死んだのだ。ならば恐れていては前に進めない事だけは分かっている。

 

「……少しでも、まともになるために」

 

「変わった奴だな……嫌いじゃない」

 

 返答されて蒼は顔を伏せていた。覚えず紅潮した顔を見られたくなかったのだ。

 

 謁見の場は豪華絢爛を凝らした一室で行われる事になっていた。兵士であるザフィールはこれ以上の権限がないと下がる。

 

「俺もそうそう何度も会えるお方ではない。丁重に、な」

 

 席を外したザフィールに、不安を駆られつつも蒼は上階より現れた影に傅いていた。前々回、玉座に呼ばれた事がある。その時の粗相を覚えていた。

 

 相手がベールに隠れた顔に僅かながら興味を浮かべたのを感じ取る。

 

「……地上人でも、理くらいは分かっているのね」

 

「領主ともなれば、地上人でも流儀はございます」

 

 領主は玉座につき、顎をしゃくる。

 

「楽になさい。私は何もあなたに対して非礼をどうこうするような権利はないのだから」

 

「いえ、このままで」

 

「強情ね」

 

 フッと口元を綻ばせた相手に蒼は面を伏せたまま、事態を分析する。

 

 一度目の召喚では、領主の性別は確か男であったはず。重々しいテノールの声であったのをよく覚えている。それなのに、今玉座につく領主と言うのは――。

 

「いいわ。それも含めて買いましょう。キジマアオ。いいえ、アオでいいかしら」

 

「どのような呼び名でも。陛下」

 

「仰々しいのはよしてちょうだい。あなたと私に、何の違いがあるの?」

 

 笑ってみせた相手に、蒼は改めてその「変化」を実感する。声はどう聴いても少女のものだ。

 

「……非礼を承知で。あなたの……お名前は……」

 

 相手はベールを取り払い、その麗しいかんばせを露にする。白銀の瞳を持つ少女領主は、重々しく告げていた。

 

「私の名前は、シルヴァー。ジェム領国の領主、シルヴァー第一王妃である」

 

 どういう事なのか、と蒼は己に問い返していたが、それでも姿勢は崩さない。

 

 何故ならば、「前回は男の、しかも老練の領主であった」などと言ったところで誰が信じるであろう。

 

 そのような世迷言を発すれば、たちどころに牢屋行きだ。蒼は出来るだけ賢く立ち回らなければならない。そのためにもイレギュラーをイレギュラーとして呑み込むだけの胆力は必要であった。

 

「シルヴァー王妃、とお呼びすれば」

 

「どうとでも。シルヴァーと呼び捨てでもいいわ。地上より召喚されし、聖戦士だもの。御前にあってもその力の健在さだけがはっきりしている」

 

 シルヴァーの言葉に蒼はここでの最適解を模索する。

 

 まずは、発端だ。全ての始まりを問いかけなければならない。

 

「……何故、ゼスティアとこのように長い……戦いを?」

 

「難しい事を聞くのね。私が小さい頃からずっと、連綿と続いている戦いの理由なんて。でも、そんなの簡単なの。ゼスティアは……十年前にあるものをジェム領国から盗み出した。そのせいで私の父は早くに死に……私は王妃を継ぐ事になった。まだ何も分からない小娘だと他の領国からは侮られているけれど、それでもうまくやっているつもりよ?」

 

 肩を竦めたシルヴァーの年の頃は恐らく自分とさして変わらないだろう。そんな少女領主は、始まりは、と口火を切っていた。

 

「そう、始まりは、フェラリオの世界に、コモンが干渉した事から生まれたある……因習であった。これは長い歴史をかけて作られたただのたとえ話か、作り話の可能性が高いんだけれど、ジェム領国が作られる時、一匹のフェラリオが祝福の品を差し出してきた。それはフェラリオの世界とこのバイストン・ウェルを結ぶ、絆の品として、代々、王族は引き継いできた。絶対に絶えさせてはいけない伝統として。それだけはこの国が守らなければならない、唯一の品であった」

 

「……それは……」

 

 茫然自失の蒼へとシルヴァーは言いやる。

 

「王冠よ」

 

「王冠……」

 

「それもただの王冠じゃない。フェラリオの一流の錬金術師が作り上げた、最上の触媒。この地へと平穏を確約する、妖精との盟約。それがフェラリオの王冠。それを代々、我が王家は引き継ぎ、守り、そして重要視してきた」

 

 初耳であった。そんな、王冠一つで二つの国家が合い争っているなど。そして、話し振りが正しいのならば、その王冠の行方は――。

 

「……それが、ゼスティアに?」

 

 無言で頷いたシルヴァーは額に手をやって嘆かわしい、と声にする。

 

「ゼスティアの野蛮人達は、フェラリオと私達の絆の証を盗んだ。それだけに留まらない。その証を、ゼスティアと言う土地に根付くようにさせた」

 

「根付くように……」

 

 王冠、という言葉が正しければまるで遊離した言い草である。シルヴァーは頭を振っていた。

 

「……もう手遅れの事象。だから私達は争い合っている。せめて、ゼスティアに王冠が完全に根付いてしまう前に、土地を奪還すれば戦いは終わるはずだから。そのためのオーラバトラー、そのための聖戦士よ」

 

 だがその理屈が正しければ戦争を起こしたのはジェム領国が先なのではないか。

 

「……失礼を承知で。その王冠がどのようなものなのか、わたくしは知り得ません。ですが、民草を危険に晒してでも、それを奪還すべきなのですか? その戦いの果てに何が待っていても?」

 

 言葉に熱が帯びていたのは、やはり二度もザフィールの死を目にしたからなのかもしれない。彼は志に死んだ。この領国のために命を落とすのを是としたのだ。だが自分には分からない。彼がそこまで守りたかったものが。命を燃やし尽くしてでも、守り通さなければならなかった意地が。

 

 分からないがゆえに、こうして惑う。こうして問いを重ねるしかない。こうして、領主と会い、そして己の中に答えを見出そうとする。

 

 それが傲慢でも、それでも構わない。自分が納得出来ない道で戦うのはもう御免であった。

 

「……あなたには信じるものがあるのね。ザフィール騎士団長が私に言うのに、よく似ているわ、その口調」

 

「……騎士団長が……?」

 

 意外であった。自分の論調がザフィールに似ているなど。シルヴァーは雅に微笑む。

 

「ええ。何人兵士を殺せば気が済むのだ、と、叱責されたわ。子供の頃にはザフィールが怖かったくらいだもの。剣を取る兵士と言うのは、とても実直なのね。私にとっては領国のために死んだ兵士でも、彼からしてみれば杯を交わす戦友だった、と。何度も何度も……あなたの思っているような駒ではないとまで言われた事もあったわ。私には……そんなつもりはないのだけれどね。父が早くに死んで、何とかしなきゃって必死だった。何とか領国を保たなくては、って。……でも、見透かされていたのかもね。ザフィールはいつでも声をかけくれたわ。無理はするんじゃない、って……。その言葉がありがたかった。私は、だって生粋の籠の鳥。このジェム領からほとんど出た事もなければ、オーラバトラーの血潮舞う戦闘に参加した事さえもないもの。ただ……この城で待っているだけの、無力な張りぼてなのよ」

 

 その言葉には自然と重みがあった。彼女は、こうして領主を演じ、そして少女である事さえも抑圧して生きているのだろう。

 

 どうして、こうも生き辛い。

 

 ここはバイストン・ウェル、魂を慰撫する聖なる地ではないのか。

 

 ここでもわだかまりがある。ここでも、誰かが不幸になる。そんな事、耐えられるものか。

 

「……約束いたします。わたくしが必ず、ジェム領に勝利を」

 

 だから、彼女に誓えるのは身の自由やあるいは少女としての幸せではない。

 

 あくまで自分は聖戦士として職務を全うする。そのためには、戦って勝つしかない。それだけが、自分の示せる絶対だ。

 

 シルヴァーはしばらく呆然としていたがやがて口にしていた。

 

「ええ、武勲を願っているわ。アオ」

 

 ――騎士の誓いをここに。自分は恭しく頭を垂れていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十一話 未来奪還

 

 ゼスティアに侵攻しない理由は今のところ地脈としての不利と、そしてオーラバトラーの決定的な不足。

 

 そして新情報として、フェラリオの王冠が相手側にあり、不用意な行動は出来ない事。

 

 これは思ったより攻めにくい、と蒼は実感する。戦略的優位だけならば覆せる可能性はあるのだが、相手は国益に直結する秘宝を手中に入れているのだ。

 

 ならば、ジェム領はあくまでも専守防衛に尽くすしかない。

 

 あるいは勝てる見込みのある強襲以外は選択すべきではないとも。

 

 ため息を漏らすと、解放されたクラスメイト達が庭先に集められているのが視野に入った。

 

「……城島さん……」

 

 一人の少女の突き刺すような視線に蒼は覚えず視線を背ける。自分だけ特別扱いなのが納得いかないのは分かっている。しかし、出来得るだけ優位に立ち回らなければ、この後に待ち受けているのは全滅だ。

 

 クラスメイト達は死に絶え、それだけではなくザフィールも殺される。

 

 あの白亜のオーラバトラー、《ソニドリ》に。そして、それを駆るのは自分の後輩、狭山翡翠――。

 

 どれもこれも遊離して思える事実だが、度し難い事にどれもこれも疑いようのない真実なのだ。

 

 経験してきた自分には分かる。

 

 どれもこれも、起こり得る。そして、身を滅ぼす毒をどう制するか。それにかかっている。

 

 ジェム領のこれからの生存率と、そして何人が意義のある戦場を生き抜けるかは、全て自分の行動にかかっているのだ。

 

 そう思うとやるせない。どうにも、戦略家気質ではないらしい。我ながらそこまで器用ではない事に嫌気が差すほどだ。

 

 その時、クラスメイトの一人が歩み寄ってきていた。兵士が制そうとする。

 

「お、おい! 訓練中だぞ」

 

「訓練なんて、関係があるんですか? 私達は被害者ですよ」

 

 それは、と言葉を濁した兵士を振り切り、クラスメイトの一人は自分へと鋭い眼差しを投げていた。

 

「城島さん、あなた、知っていたの?」

 

 その疑問もある程度では察せられた。ここまでうまく立ち回れるなんてあり得ない。事実、あり得ない事が起こっているのだが、それを彼女らに話したところでどうなる?

 

 自分が出来る事は、せいぜい一人でも死なせない事だ。彼女らを直接的に守る事は出来ないが、死なせないように努力する事は出来るだろう。

 

「……答えられない」

 

「そう、そうなのね。やっぱり……あなたって昔から気に食わなかった。私達をこんな場所に呼び寄せて! それで、聖戦士? ……あなた、死ねって言っているんでしょう!」

 

 罵倒は覚悟の上だ。しかし、こうも突きつけられると辛いものなのか。

 

 自分だって、被害者の側だ。聖戦士になりたくってなったわけでもないし、こうして時間遡行を繰り返して、死なない道を模索しているような特別でもない。

 

 自分だって、彼女らの側にいたっておかしくない。それでも、これは義務なのだと感じる。

 

 憎まれ役を買って出てでも、多くを生かす道を探す義務なのだと。

 

「……そう思ってもらっても構わない」

 

 乾いた音が残響する。頬に走った鈍い痛みに蒼は目線を伏せていた。

 

「生意気に! あんた、本当に人でなしね! だったら、さっさと戦場に行って、さっさと死んじゃえば? そうよ、あなたから死ねばいいのよ!」

 

 まさか、級友にそこまで恨まれるとは思っても見なかった。しかし、この立ち振る舞いを客観的に観ればその通りだろう。

 

 自分だけ特別扱いを受け、彼女らはわけも分からないままオーラバトラーのパイロットにされてしまう。

 

 そんな境遇、呑み込めと言うのが間違いだ。

 

「……心配しなくても、前には出る」

 

 抗弁のように発してしまった事に後悔してしまう。クラスメイトは侮蔑の眼差しで立ち去って行った。

 

「人でなし! 死んじゃえ!」

 

 どのような恨み節も甘んじて受けるつもりであったが、死ねと、こうもハッキリ言われるとさすがに辛いものがある。

 

 何よりも、仲間意識さえ持っていた級友に、どうしてここまで憎悪されなければならないのか。

 

 自分は恨まれてでも、この現状を変えるだけの義務があるのか。

 

 全ては、一回目に死ねなかったのが原因だ。そうだ、あそこで容易く死んでいれば、こんな事にはならなかった。

 

「……だったら、わたくしは前に出る。そう、前に出て、砲弾さえも恐れない……死神になってやる」

 

 そう口走る事だけが己を保つ拠り所となった。

 

 自分のオーラバトラーが別の訓練場に開け放たれている。どうやらアルマーニと話した事により、特別待遇を受けるようになったらしい。

 

 しかし、相も変わらずあてがわれたのは《ゲド》である。

 

 思わず整備士に問い質す。

 

「もっといいオーラバトラーはないんですか」

 

「これでも万全ですよ。……大きい声じゃ言えませんが、《ゲド》だって個体差があるんです。四十人の軍隊全員に同性能の《ゲド》なんて用意出来ません。出来るだけ、あなたにはいい機体追従性の《ゲド》を用意しました」

 

 なるほど。初耳であったが、《ゲド》にも個体差がある、というのは頷ける。同じ機体のはずなのに、容易に墜ちて行った仲間がいたのを思い返し、覚えず目頭が熱くなっていた。

 

 面を伏せた蒼に整備士がうろたえる。

 

「せっ、聖戦士様? どうされたんで……?」

 

「いや、何でもない。こうしたところで、生存率が変わるのだと思い知っただけだ」

 

「……し、しかし、アオ様でしたっけ? アルマーニ様とまるで対等に話したり、領主様への謁見を申し出たり……まるで初めてとは思えませんよ。まさか過去にも転生経験がおありで?」

 

 半分冗談なのだろうが、自分からしてみればもうこれで三回目であった。ならばそれなりにうまく立ち回るのが道理であろう。

 

「似たようなものだ」

 

「いずれにしたって、まずはオーラ力です。《ゲド》で計測しますんで、搭乗を」

 

 結晶体のコックピットが開け、蒼を導く。操縦桿を握り締め、オーラを注ぎ込むイメージを伴わせた。

 

 すると、《ゲド》の機体が飛翔し、翅を振動させてその躯体を軽く上昇させる。

 

 前回までよりも高く飛べる感覚に、蒼は急上昇からの加速をかけさせる。《ゲド》は滑空し、中空で剣を引き抜いていた。

 

 抜刀した《ゲド》がいくつかの剣戟で空を裂き、鞘に戻してから地上へと舞い戻る。

 

 その様子に整備士達は絶句していた。

 

「……すごい」

 

「まさか……一回目であんなに?」

 

 自分からしてみれば一回目ではないのだが、彼らからしてみれば最初に乗った《ゲド》で空中遊泳に近い芸当をやってのけた鬼才であろう。

 

 蒼は一拍息をついてから、声を振り向けていた。

 

「この《ゲド》はいい。かなり自分のイメージに近い動きを実現してくれる」

 

「いえ、それもこれも高いオーラ力の恩恵ですよ。……すごいな、ザフィール騎士団長が見たら仰天するんじゃないか?」

 

「ここまでやってのけたのは初めてかもしれません。エルム様だって、ここまでじゃなかった」

 

 エルム。因縁めいた名前に蒼は歯噛みする。そういえば彼とも不和も解決しなければならない問題の一つであった。

 

《ゲド》から降り様に乾いた拍手が鳴り響く。

 

 いつから見ていたのかザフィールがこちらへと歩み寄ってきていた。

 

「騎士団長……」

 

「見事な手並みだった。地上人はまさか地上でもオーラバトラーの訓練でもしたのか?」

 

 冗談めかした言葉に蒼は視線を背ける。

 

「いえ、そういうわけでは……」

 

「かしこまるなって。俺はただの上官だ。だが使える部下は使わせてもらう。来い。少し話がある」

 

 ザフィールからの直々の呼び出しに、蒼は緊張してしまう。しかし、これもよく考えれば一度目ではないのだ。

 

 どこか醒めた脳裏で蒼は返答する。

 

「はい。何だったでしょうか。わたくしの動きに問題でも?」

 

「まさか、百点満点を上げてやってもいいくらいだよ。《ゲド》は、オーラ力に左右されやすい、繊細な機体なんだ。オーラの気質が少しでも乱れれば、飛翔さえも難しい。そういう点で先ほどの空中舞踏、見事であったとさえ言わせてもらう」

 

「……どうも」

 

 素直に喜べないのはこれから先の運命を分かっているからなのかもしれない。これから先、ゼスティアと戦争を続ければ間違いなく、ザフィールは死ぬ。いや、彼でなくとも大勢死ぬのだ。

 

 その運命を、もしかすると変えられるかもしれない、と蒼は思い始めていた。

 

 白亜のオーラバトラーの操縦者は狭山翡翠。その事実だけでもザフィールに伝えれば、ともすれば最悪の未来は回避出来るかもしれない。

 

 口にしかけて、どう言えば、とまごつく。

 

 ――自分は未来を知っている。あなたはこのままでは死んでしまうとでも言うのか。

 

 馬鹿な。狂人の扱いを受けるだけである。

 

 しかし、どうにかしてザフィールの死の運命を変える方法はないもの、と思索を巡らせる。

 

 前回知らなかった事実を、自分はいくつか手札として持っている。

 

 フェラリオの王冠とゼスティアとの闘争の歴史。そしてアルマーニの真意。

 

 この二つでうまく立ち回れないか、と思案していた自分にザフィールは声を振り向ける。

 

「大丈夫か? 眉間に皺が寄っているぞ?」

 

 その言葉に覚えず、額を隠す。ははっ、とザフィールは快活に笑っていた。

 

「何だよ、深刻そうな顔をしたかと思えば、年相応の少女でもある。本当に、転生者と言うのは分かり辛いな。まぁ、エルムもそうだった。あいつも、最初は心なんて開かなかったからな」

 

 エルムの過去に切り込めるかもしれない。そう考えて口に出そうとしたその時、声が響いていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十二話 幽世現身

「他人の過去を喋るお喋りな舌は、斬り落とすべきですかね。騎士団長」

 

 いつの間にか、壁に背中を預けていたエルムが声にする。危うく本人の前で過去を詮索するところであった。

 

「居たのか。何か用か?」

 

「いえ、警告をしようと思って。地上人はあなた達コモンが思っているほど、純粋ではありません。どのような考えを巡らせているのか、分かったものじゃない」

 

 まるで吐き捨てるかのような物言いに、蒼は当惑する。その内実をザフィールが代弁していた。

 

「お前だって、地上人だろう?」

 

「ええ、その通り。だからこそ、同じ地上人は信用ならない。特に、オーラが強い奴は、余計に」

 

 睨むような眼差しに蒼は及び腰になってしまう。憎悪と怨嗟の入り混じった一瞥を振り向けて、エルムはザフィールへと言葉を発する。

 

「注意してくださいよ。オーラ力の強い地上人は災いをもたらす。ないほうがいい、災いを」

 

 その言葉振りに、まさか、と蒼は震撼していた。

 

「まさか、あなたもこの先の未来を知って?」

 

 そのような言葉が出てしまったのもこの時は仕方なかったのかもしれない。仲間が見つかったと思い込んでしまったのだ。しかし、エルムから注がれる視線はより怪訝さを増していた。

 

「未来を……? 何を言って……。聖戦士だからって驕らない事ですね」

 

 やはり、未来を知っているのは自分だけ。しかし、だとすればこの少年は自分にただ単に突っかかっているだけという事になる。

 

「……先の事が分からないなら、口を出さないで欲しい」

 

 自分でも傲慢な言葉であったと思う。だが、少しでも寄り道は避けたいのだ。無論、相手は快く思わなかったらしい。

 

 怒気を宿らせた瞳でこちらを睨む。

 

「……何なんですか、その物言い。本当に気に食わない。騎士団長は、どうしてだかあなたを買っていますがね、結局のところ目障りなんですよ。ちょろちょろと動き回って」

 

 その言葉を潮にして彼は去って行った。ザフィールは後頭部を掻く。

 

「……すまないな。悪い奴ではないはずなんだが……」

 

「いえ、分かっています。悪い人ではないから……」

 

 そこから先をあえて濁した。そう、悪人ではないから今に頓着し、そして暴言を吐ける。ある意味では純粋と言い換えてもいい。

 

 ザフィールもどこか察したのか、頭を振る。

 

「いがみ合いはよそう。何の生産性もない」

 

 その通りである。いがみ合っている暇があれば、今は少しでも未来をよくする事だ。蒼は提言していた。

 

「騎士団の戦力を増やせませんか? わたくしと同じ、聖戦士を使って」

 

「それは俺も考えたんだが、すぐには不可能だろう。四十人分の《ゲド》の量産だけで二か月は経つ。それくらい、慌てたってどうしようもないんだ」

 

 慌てたところでどうしようもない。それは真実だろうが、しかし自分からしてれば急務なのだ。

 

「《ゲド》である必要性もありません。《ドラムロ》でも……」

 

「おいおい、《ゲド》どころか《ドラムロ》の名前まで知っているのか? ……本当に何者なんだ、お前は……」

 

 圧倒された様子のザフィールに、お喋りが過ぎるのは自分のほうだ、と慌てて口を噤む。

 

「いえ、これは、その……」

 

「まぁ、召喚された聖戦士の素質もあるのだろう。オーラ力も強い。だから、俺は詮索しないが、そういうのに気味悪がる奴もいる、気を付けたほうがいい」

 

「……肝に銘じておきます」

 

 未来が分かっているとはいえ、あまり喋り過ぎればともすれば予期せぬ改変をもたらすかもしれない。ゆえにこそ、慎重を期すべきであった。

 

 自分は、分かっている事が他人より多いとは言え、未熟には違いないのだ。

 

「だが、説明する手間が省けるのはいい。オーラバトラーの詳細を一から説明するのはなかなかに骨が折れてな。どうにも……地上界にオーラバトラーに類する兵器はないらしい。地上人がもたらしたはずの兵器なのにこれは奇妙と言えば奇妙なんだが……」

 

「ロボットに関する分野は、まだ進歩していませんから」

 

「ロボット……よく分からない言葉を使うんだな」

 

 そうか。コモン人からしてみれば、ロボットと言う単語さえも意味不明。地上の常識がこちらでは非常識などまかり通る。

 

 言葉を慎重に選ぶべきだと判じたばかりだが、常識からして疑わなくてはいけない場面も多いかもしれない。

 

「ところで……用と言うのは……」

 

 本題を切り出すとザフィールは頬を掻いていた。

 

「ああ。まぁ、言っちまえば新型機のテストを見てもらいたいんだ。さっきの《ゲド》の空中遊泳は見事だったからな。もしかしたら、オーラバトラーに関する審美眼があるかもしれない」

 

 素質を見込んで、か。蒼はそれさえも欺瞞なのだ、と自己嫌悪に陥ってしまう。

 

「……自分にオーラバトラーの見分けなんて」

 

「ついていただろ、今。《ドラムロ》と《ゲド》の違いが分かるだけ充分だ」

 

 ザフィールの歩みは研究施設へと向けられていた。研究施設ではまだ生きている強獣が飼われている。それぞれ、猛々しい咆哮を上げる強獣はオーラバトラー製造の格好の材料だ。特に重宝されるのはキマイ・ラグという種類だと言う。

 

 オーラバトラーの骨格部品が並び立つ湿っぽい通路を抜け、ザフィールが訪れたのは新型機の研究所であった。

 

「ああ、騎士団長。よく来てくださいました」

 

 強獣の血で汚れた白衣を持て余す研究者にザフィールは軽口を叩く。

 

「少しは洗濯でもしろ。いくら研究者身分とは言え、そんなんじゃ子供も女房も逃げていくぞ」

 

「ご心配なく。独り身ですゆえ」

 

 まったく、とザフィールは笑いかける。どこか平時の緊張を解いているようでもあった。

 

「……騎士団長は、馴染みが?」

 

「ああ、実は俺は元々、領主に召し仕えられた時には研究者志望だったんだ。言っていなかったか」

 

 それはこれまでの二度の未来でも聞いていなかった新事実だ。目を見開いているとザフィールは機嫌をよくする。

 

「おっ、そんなに意外だったか?」

 

「ですが腕が立つってのと、オーラ力の高さを買われてすぐに軍務に異動させられたんですよね、騎士団長殿」

 

 嫌味たっぷりの言い草にザフィールがなじる。

 

「何だとー。お前だって俺と同期だろうに」

 

 どこか楽しげにじゃれているように映ってしまう。ザフィールが本当に輝ける場所は、ともすれば戦場ではなく、こうした日陰の場所だったのかもしれない。

 

「しかし……強獣の血の臭いが……」

 

 この臭気には覚えがある。ガッターと呼ばれる強獣の臭いだ。見た目は凶暴そうだがあまりにも弱いために、キマイ・ラグと共に乱獲の憂き目に遭っている。

 

「まぁ、強いのは当然だな。ジェム領の研究施設は全部地下だ。だからこうして臭いが沈殿してしまう。おい、たまには換気しろよ。気分が悪くなっちまう」

 

「そんな事を言いましても、地下がとても都合がいいのですよ。オーラバトラーの部品の加工は多湿が好まれるのです。それに、地下はオーラが溜まりやすい。その滞留したオーラを吸って、よりオーラバトラーは強くなるんです」

 

「理論上ではそうでも、換気くらいはしろって言っているんだ。ったく……。しかし、新型機は進んでいる様子だな、この感じじゃ」

 

「ええ。大方骨格は出来上がりましたとも。後は肉づけの段階ですね」

 

 示されたのは漆黒の装甲を持つ、青い結晶体のオーラバトラー――。その姿を目にして、覚えず涙が頬を伝った。

 

 まだ「この時間」には健在な、ザフィールの乗機。そして、最後の最後、《ソニドリ》に刃を突き立てた誉れある機体でもある。

 

 涙した自分に皆が動転する。

 

「ど、どうなされました? 聖戦士様?」

 

「どうしたんだ? このオーラバトラーがおっかなかったか?」

 

「いえ……また巡り会えるなんて思いも寄らなくって……つい……」

 

 その名前を研究者が紡ぐ。

 

「……どこかで見覚えでもあるのでしょうか。オーラバトラー、《キヌバネ》。我が方の最新鋭の機体のはずですが……」

 

「情報漏えいか? だがまだ出来上がってもいない機体の存在なんて……」

 

「いえ、本当にそんなではないのです。そんなでは……」

 

 別の時間線でも相見えたこの機体に、蒼は勝手ながら運命を感じていた。

 

 最初の時間線では、ずっと先を行くのを見守る事しか出来なかった機体。それが、今、こうして完成を待ちわびて骨格を晒している。

 

「お前を呼んだのは他でもない。《キヌバネ》は未完成、だからこそ、出来るだけ完成品を研ぎ澄ましたいんだ」

 

 意図が分からず、蒼は問い返す。

 

「研ぎ澄ます……」

 

「剣を、持っていただろう? 俺と同じ剣だ」

 

 ザフィールが腰に提げた得物を示す。蒼はそういえば剣は没収されてしまったな、と思い返していた。

 

「あの剣……」

 

「俺の権限で取り返す事は出来る。だがその代わり……と言っては何だが、条件として。この《キヌバネ》の完成を、手伝って欲しい」

 

 わけが分からず蒼は聞き返す愚を犯す。

 

「手伝う……。《キヌバネ》の完成を?」

 

 だが自分が何もしなくとも《キヌバネ》は完成しザフィールの愛機となるはずだ。それを信じ込んでいるからこそ、意味不明なのであったが、ザフィールは微笑む。

 

「《キヌバネ》にはまだ誰のオーラも馴染ませていない。よちよち歩きの赤ん坊よりも危ういんだ。こいつのオーラを安定化させるのにはジェム領の技術だけでは足りない。どうにかして、俺のオーラだけで適性値まで振ろうとしたが、もっと効率のいい方法がある。俺とお前で、《キヌバネ》を理想のオーラバトラーに仕上げるんだ」

 

「理想の……オーラバトラー……」

 

 思わぬ言葉に唖然とする。ザフィールは《キヌバネ》の骨格に触れていた。

 

「こいつは俺の乗機になる予定だったんだが、お前の《ゲド》の乗りっぷりを見て、考えが変わった。俺一人で完璧さを追求しても、それは独りよがりだ。だが、誰かが客観的にオーラを注いでくれれば、もしかしたら違う結末になるかもしれない。それくらい、可能性に満ちたオーラバトラーなんだよ、《キヌバネ》は」

 

 どこか興奮した様子の声音に蒼は《キヌバネ》へと固めていた認識を改める。もしかすると今までの時間線でも、ザフィールは必死に自分一人で、オーラを練り、《キヌバネ》を完成に導いていたのかもしれない。そう考えると、そこに自分でも手伝いが出来るのは光栄であったが……。

 

「ですが……わたくしのオーラを混じらせれば、よくない方向になるかも……」

 

 その懸念をザフィールは快活に笑って吹き飛ばす。

 

「心配するなって! お前ならやれるさ!」

 

 どこから湧いてくるのか分からない自信。これこそがザフィールだと思い直すと同時に、どうしてここまでも「同じ」なのだ、と訝しむ。

 

 どうにも奇妙な符合が付き纏う。

 

 自分は何故、ジェム領の聖戦士として召し仕えられ、そしてザフィールとこのタイミングで出会ったのか。それそのものに、意味はあるのか。

 

 探り当てるのには、この提案を呑むしかない。

 

 蒼は迷いなく首肯していた。

 

「……お力になれるのならば、是非……」

 

「堅苦しいのはよせって。俺は、手伝って欲しいんだ。優れたオーラの使い手に」

 

 手が差し出され、蒼はおずおずとその手を握り返していた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十三話 伝説継承

 

 起動キーに用いるのは、このジェム領で受け継がれてきた騎士団長の剣なのだと言う。

 

 だからこそ、二つとない品のはずだ、とザフィールは説明していた。

 

《キヌバネ》は腹腔のコックピットを抉り出された形で最奥に背中を預けている。

 

 まだ骨格段階だが、胎盤のように取られたコックピットブロックだけには反応出来るように調整されていた。

 

「元々、俺の剣を差して、セーフティを解除する――そういう仕様にしていたつもりだったんだ。これは鹵獲された時に、相手の戦力に堕ちるのを防ぐためだったんだが……偽装防止のための剣が、まさか二つあるって言う奇縁に巡り会うとは……」

 

 ザフィールは後頭部を掻いていた。研究者も渋面を突き合わせる。

 

「騎士団長の剣は偽装防止の措置が何重にも施されているんです。装飾、剣の長さ、そして刃こぼれのパターン……あらゆる面から偽装不可能な領域に達しているはずなのですが……この剣はまるで写し身だ」

 

 蒼の所持していた剣は研究者達の探究心を満足させるために使われている。もちろん、これも《キヌバネ》完成のためだと思えば何の不都合もないのだが、それでも「前の」ザフィールが使った剣を妙な観点で調べられるのは気分がいい話でもない。

 

「……あの剣の持ち主、お前じゃないんだな?」

 

 その微妙な視線の変化を感じ取ったのか、ザフィールの質問に心臓が飛び出すかと思ってしまった。

 

「……いえ、あれはわたくしの剣です」

 

「嘘が下手だな。それに、だとすればもっと妙な話だ。地上人にはそっくりそのまま他人の剣を模倣する術がある事になってしまう。しかもコモンの剣だ。この奇妙な符合にはそれなりの措置が取られるだろう」

 

 まさか極刑か、と身を強張らせた蒼にザフィールはいたずらっぽく微笑む。

 

「……冗談だ。だが、それにしたって二つとない剣がもう一つ、か。奇縁には違いない」

 

「この剣を用いて、出来る事は大きく二つあります」

 

 研究者の声にザフィールが促す。

 

「話してくれ」

 

「まず一つに、あまり無茶をさせられなかった起動キーであるこの刀剣を、試験に回すのが出来るようになった事ですね。起動キーである騎士団長の剣は厳重に守られるべきですが、こちらを使えば今まで無理だと思われていた事が多数出来るようになります」

 

「たとえば?」

 

 研究者達は蒼の剣を検分し、そして声にする。

 

「テストパイロットの選出、そして《キヌバネ》のオーラ力による出力の変動値の検出も可能です。つまり、今までよりもより高次元に、《キヌバネ》の開発を進める事が出来るようになった、というわけですね」

 

「《キヌバネ》完成までに貢献出来るって寸法か。分かりやすくっていい」

 

 ザフィールの言葉に、ですが、と研究者は声を翳らせる。

 

「……二つとないものが二つあるという事はその分、隠密性に関しては下がったと思うべきでしょう。我々の判断で申し訳ないのですが、この二つの剣を知っているのは限られた人員にすべきでしょうね」

 

 その言葉にザフィールが顎に手を添えて思案する。

 

「元々、鹵獲防止のための機構だからな。確かに二つあればまずい……か。しかし、それなりに知れ渡っているんじゃないのか?」

 

 自分は転生時に所持しているのを何名かに見られてしまっている。それだけで迂闊であったが、研究者は、いえと首を横に振った。

 

「それに関しては問題ないでしょう。起動キーの検出具合が、装飾や刃こぼれまで検出すると分かっているのは我々くらいなものです。だから、たまたま似たような剣であっても、本物だとは誰も思わないでしょう」

 

「……まぁ、確かにそうだ。似た剣を造るだけなら他の国でも出来る」

 

「左様で。では、まずは起動に関しての反応から見ましょうか。聖戦士様。まずはこの駆動部に剣を差してください」

 

 駆動部、と示されたのは鞘型の部位だ。蒼はおっかなびっくりに剣を差し込む。

 

 すると、最奥に座していた《キヌバネ》の眼窩に光が宿った。青い結晶体が煌めき、オーラの力を充填する。

 

「これは……! ザフィール騎士団長で想定していたオーラに極めて近い数値です! この数値が出るのならば……」

 

「俺は要らない、か?」

 

 肩を竦めたザフィールに蒼は、いえと首を振っていた。

 

「これは……わたくしの力とは、言えませんから」

 

 しょげた蒼にザフィールは言いやる。

 

「お前の力さ。それに、《キヌバネ》はこれから先、もっと飛べるって事が証明されたんだ。そんな顔しないで喜べよ!」

 

 背中を叩かれて蒼は困惑する。《キヌバネ》が完成しても、ザフィールが死んでしまえば意味がないのだ。

 

 だから、《キヌバネ》起動が自分からしてみれば吉兆とは思えない。むしろ、逆であった。《キヌバネ》が目覚めなければ、ともすればザフィールは戦場であそこまで苛烈に戦って散る必要性はなかったかもしれない。

 

「……何かあったって顔だな。詳しくは聞くつもりはないが、まずは一歩目だ。《キヌバネ》は聖戦士の剣でも起動出来るっていう証明だな」

 

「ええ。しかしそれだけではありません。聖戦士様の持つオーラ力はザフィール騎士団長に匹敵します。これなら、もしもの時でも……」

 

 そこまで口にして、研究者は失言だと感じたのだろう。慌てて口を噤んだのを、ザフィールが面白がる。

 

「もし、俺が戦えない状況でも、だろ? 心強いじゃないか」

 

「……すいません。そんなつもりでは」

 

「いいって事よ。俺もいつ戦えなくなるか分からん。そういう時、俺の背中を任せられる奴がいるだけ違うっていうものだ」

 

「……わたくしが?」

 

 集中した視線にザフィールが頬杖をつく。

 

「他に誰がいるって言うんだよ。写し身の剣に、それに桁違いのオーラ力、これほどの適任者もいないだろ」

 

「しかし……やはり《キヌバネ》はザフィール騎士団長を主軸に置いて設計をすべきかと……」

 

 ザフィールと同期であったと言う研究者が進言する。やはり騎士団長の名前は堅い。その名誉を傷つけるくらいならば代わりなんて持たないほうがいいに決まっている。

 

 ザフィールは別段、気にも留めていないようであった。

 

「……俺は構わないんだが、みんな、気にし過ぎだろう。そこまで神経を尖らせる事か?」

 

「……騎士団長の存在が我が方の軍の士気に関わっているのです。如何にエ・フェラリオの力で四十名以上の聖戦士を呼び出したとはいえ、彼女らは皆、素人。それに引き替え、あなたは……」

 

「あー、もう分かったよ。変に気を遣わせる事は言わないさ」

 

 それでも、どこか承服し切れていない様子のザフィールに、蒼は進言していた。

 

「……もっと専用の武装を考案してみては? 騎士団長にしか使えないような……」

 

「たとえば?」

 

 蒼は呻る。今までの時間線でザフィールのみが発動せしめた技を思い返すと、自然と行き着いた言葉があった。

 

「……オーラ斬り……」

 

 にわかにざわめく。研究者達が磁石のようにさっと引いたのが手に取るように分かった。何か、禁忌でも口にしたであろうか。慌てて取り成そうとする。

 

「……す、すいません。素人考えの言葉を……」

 

「いや、アオ。今の名前、どこで聞いた?」

 

 いやに詰めた声音のザフィールに蒼ははぐらかす。

 

「どこかで……。聞いたような気がするんです」

 

「そう、か。それは結構、バイストン・ウェルでは重要な言葉でな。三十年前……アの国にて、開発された、最初期のオーラバトラーがある」

 

「……名前を《ダンバイン》。オーラバトラー、《ダンバイン》……」

 

 何か、特別な意味を持っているかのように研究者は繰り返す。蒼はその緊張感をはかりかねていた。

 

「《ダンバイン》……。それが何か?」

 

「その《ダンバイン》に乗っていた……聖戦士。そいつが発現せしめたオーラを凝縮し、相手へと放つ切断技。それがオーラ斬りであったと、言われている。分からないのは、その戦いに赴いた人間は皆、死に絶え、伝説と噂ばかりが独り歩きしているからだ。だから、本当に《ダンバイン》があったのか、それともその聖戦士なんてものが、本当に一国の戦いに介入するほどのオーラ力であったのかも、全てが不明のまま。……そう、不明のまま、闇に葬られてもおかしくはない、物語であったはずなんだ。だが、コモンの間でまことしやかに語られる伝説の奥義を、まさか聖戦士の口から聞くなんて思いも寄らなくってな……」

 

 それでコモン人は恐れを成しているわけか。しかし、だとすれば疑問なのは、どうしてあの最終局面、ザフィールはオーラ斬りを発現出来たのだろう。

 

 その疑念が突き立ったまま、研究者は次の話題を振る。

 

「し、しかし、《キヌバネ》もなかなかにいい数値を記録しています。これなら一週間もあれば肉づけ出来るかも」

 

「痩せっぽちで骨ばっている今の状態から、少しはマシになるか?」

 

 ザフィールの問いかけに研究者達は笑い返していた。

 

「言わないでくださいよ、騎士団長」

 

 和やかな空気が包む中、蒼だけが不安に駆られる胸の内を隠していた。

 

《キヌバネ》の完成、それは即ち――あの破滅がゆっくりと、しかし静かな歩みをもって、近づいていると言う事実であったからだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十四話 強者渇望

 そこの聖戦士、と声を投げられて、蒼は振り仰ぐ。

 

 月下の城壁に座り込んでいるのは自分とは別の時間軸でこの場所に導かれた聖戦士であった。

 

「……エルム……さん」

 

「敬称をつけられるだけ、まだマシだと思うべきなんですかね」

 

 嫌味を込めた言葉に、蒼は気色ばむ。相手は城壁を軽く跳躍し、地面を踏みしめたかと思うと抜身の刃を投げていた。

 

 傍らの地面に突き刺さった剣に、蒼は息を呑む。

 

「取れ。それでハッキリする」

 

 思わぬ言葉に蒼は言葉を彷徨わせていた。

 

「……どうして……」

 

「取れと言っている。決闘だ」

 

 想定外の展開に蒼は何とかして収まらないかと思索を巡らせていた。

 

「そ、そんな事する意味って……!」

 

「意味とかそういう問題じゃない! 騎士団長に取り入って……目障りなんだよ!」

 

 どうやら相手からすればそれが理由らしい。蒼はおっかなびっくりに突き立った剣の柄へと手を伸ばす。

 

 これを掴めば、即座に決闘なのだろうか。

 

 無論、今までの時間線でも兵術を習わなかったわけではない。しかし、ほとんどがオーラバトラーの戦闘訓練に割り当てられ、そして実戦での戦歴をほとんど挙げられなかった自分では、剣術もどこかおぼつかない。

 

 しかし相手の闘志は本物だ。既に剣を構え、いつでも踏み込めるようにしている。

 

 蒼は剣を取り、正眼に構えていた。

 

 剣の心得は地上界で剣道の主将身分をしていたのみ。だがこの世界において、それは一分のアドバンテージにも成り得ない事を実感していた。

 

 剣術の心得が多少あったところで、殺し合いの剣と、所詮は習い事の剣では雲泥の差が生じる。

 

 自分が学んできたのは武ではなく舞。所詮は真似事の世界だ。

 

 だがこの世界で尊ばれるのは、武術。そう、殺し合いの剣術だ。

 

 自分は武に関して素人もいいところであった。武にルールもなければ、ましてや心得も関係がない。

 

 ただの一刹那に、どれだけの魂を賭けられるかと言う、死狂いの精神。それこそが、このバイストン・ウェルでは重要視される。

 

 戦いにおいて、必要以上の正当性など逆に邪魔な代物でしかない。

 

 獣のように相手の喉笛を掻っ切るだけの器量と、そして野生だけが支配しているのが戦場だ。

 

 真似事の剣術では相手をのす事は出来ない。それが分かっていてもこの時、踏み込んでくるエルムの剣を寸前で受け止めていた。

 

 相手の剣は突きの構え。鋭い「点」の一打が攻め立てる。蒼は幸いにして打突を受け流す術はあったが、それでも殺意の波に呑まれないようにするのにはそれなりの研鑽が要った。

 

 相手の殺気に中てられ、足腰が弱った瞬間、エルムは足を払っていた。無様に庭を転がった自分の眼前に、白銀の切っ先が突きつけられる。どう見ても王手の状況に、エルムはせせら笑う。

 

「これが桁違いのオーラ力を持つ聖戦士? 片腹痛い! 地獄蝶も見えていないくせに」

 

 初めて聞く言葉に戸惑いつつ、立ち上がりかけて、鋭い言葉と切っ先が阻んでいた。

 

「弱いんなら、さっさと脱落してくださいよ。《ゲド》にでも乗って、ゼスティアに侵攻すればいい! そうして自爆して、少しは役立ってくださいよ、騎士団長の腰巾着なんて……!」

 

 侮蔑の言葉に、蒼は何も言えなかった。自分には力がない。力がないから、二度もザフィールを失い、そしてジェム領の大勢の兵士を死なせた。その責を、自分だけが覚えている。自分だけが知っている。重責に、この時の蒼は立ち上がる事さえも出来なかった。

 

 エルムは吐き捨てるように口にする。

 

「剣で勝てないのならば、立つ資格はなし!」

 

 断じられた声音に打ちのめされた瞬間、警笛が領地を駆け抜けた。思わぬ形での警報にまさか、と見合わせた視線にエルムは手を払う。

 

「……僕じゃない」

 

「ゼスティアの機体だ! オーラバトラーが来るぞぉー!」

 

 やぐらからの大声にエルムは駆け出していた。蒼も反対側へと駆け出す。確か、常に駐在されている《ゲド》がいるはず。その機体に乗れれば、と格納庫に赴いた蒼に訓練中であったのだろう、クラスメイト達がどよめく。

 

「城島さん……?」

 

「時間が、ない」

 

 その一言で了承が取れた人間は誰もいないが幸いにして、起動状態の《ゲド》は眼前にあった。駆け寄ってコックピットに入っていたクラスメイトを押し出す。

 

「何を……!」

 

「敵襲。《ゲド》で出れば、まだ間に合う……」

 

 結晶体を閉じ、正面に据えられた情報を処理しつつ、蒼は《ゲド》の最適化を行っていた。自身のオーラを注ぎ込むイメージを伴わせ、翅を高速振動させる。

 

 飛翔した《ゲド》より拡大鏡で目にしたのは、城下町に火を点けて回る《ブッポウソウ》であった。

 

「……《ブッポウソウ》が三機。ならっ……!」

 

 まだ勝てると、どうしてだか昂揚した神経が告げる。一気に距離を詰め、肉薄した瞬間に剣の濃口を切る。

 

 居合いの抜刀に敵もうろたえたらしい。相手の右腕を付け根より断ち切っていた。続いて二の太刀が舞い、コックピットへと一撃を見舞おうとする。それを敵は察知したのか、あるいは危険予知の信号くらいは働いたのか、《ブッポウソウ》は急速後退し、一閃を回避していた。

 

 舌打ち混じりに《ゲド》を前進させ、追い打ちをかけようとして、不意打ち気味のプレッシャーが肌を粟立たせていた。

 

《ゲド》に急制動をかけさせ、衣裳店に機体を突っ込ませる。色とりどりの織物を纏いつつ、反対側の道路へと躍り出た《ゲド》より蒼が目にしたのは、中空から仕掛ける射撃機の《ブッポウソウ》であった。

 

 直感的に判断する。

 

 あれに乗っているのは前回仕掛けてきた、女パイロットだ。

 

 先輩騎士を討った相手――そう神経が断じた時には、《ゲド》の射撃機器へと合わせていた。《ゲド》の片腕に装備されたオーラショットが稼働し、振動を巻き起こさせつつ砲弾が中空の敵機を狙い澄ます。敵は後退しつつ着地し、腕を断たれた友軍機へと一瞥を向けていた。

 

『後退しつつ援軍を待ちなさい。強襲しておいてやられるなんてみっともないだけよ』

 

 やはり、その声は以前の少女パイロット。蒼は踏み込み様に一閃を浴びせようとする。急速接近したこちらに、敵は素早く回り込み、濃口を切っていた。

 

 互いに抜刀した刃が火花を散らす。

 

「そのオーラバトラー……、ゼスティアの!」

 

 吼え立てて剣を打ち下ろした蒼に対し、相手は冷静なる太刀筋で応戦する。

 

『ジェム領に知り合いはいないつもりだけれど』

 

「言わせておけばっ……!」

 

 振り払い、さらに追撃を見舞おうとして、敵は懐より炸薬を投げていた。誘引した爆発が《ゲド》の視野を眩惑する。

 

 その隙をついての一撃を相手はコックピットへと浴びせかけようとして、不意に判じた習い性が携えた刃を斬り上げさせた。

 

 刃と刃がぶつかり合い、僅かに後退したのも一瞬、蒼は拓けた視界の中で《ブッポウソウ》へと火線を咲かせる。

 

 敵はジグザグに後退しつつ、二機でこちらの隙を探っているようであった。

 

 蒼は敵機へと声を振り向ける。

 

「よくもまぁ……抜け抜けと。どうして街に火を放った! 彼らに非はないはずだ!」

 

 そうだとも、フェラリオの王冠を奪い、そして身勝手な戦争を仕掛けてきているのは向こうのはず。確信めいた声音に少女パイロットが返答する。

 

『分かっていないのね。諍いっていうものは、非がある、ないで判断されるものではない!』

 

 斬り込んできた《ブッポウソウ》に、蒼は《ゲド》で応戦する。剣戟が舞い、敵の肩口へと斬り込もうとした太刀に、敵機はすぐさま距離を取り、直後にもう一機が割り込んできていた。

 

 片腕を失った一機より援護射撃が成される。

 

 塞がれた形の蒼の《ゲド》に、《ブッポウソウ》の刃が迫る。

 

「……この……生意気に」

 

『教えてあげましょうか。オーラ力が強くたって、それはきっちり振るえればの話。闇雲な力っていうものは、いつの世だって邪魔なだけ!』

 

《ブッポウソウ》が背後より仕掛けんとする。蒼は《ゲド》に飛翔をかけようとして前方の機体が荷重をかけて防いだのを感知する。

 

 このままでは斬り伏せられる、と感じた刹那であった。

 

 弾けるオーラショットが《ブッポウソウ》の装甲を叩き据える。火炎を撒き散らしたのは真紅のオーラバトラーだ。

 

 抜刀し、敵陣を退けんと高機動で攻め入る。その太刀筋に迷いはなく、何よりも洗練されている。

 

「オーラバトラー……《レプラカーン》」

 

《レプラカーン》は《ブッポウソウ》の陣営を崩し、その剣圧で敵に大きなプレッシャーを与えていた。

 

『何をやっているんです。こんな雑魚にかまけて……』

 

 エルムの声に蒼は息も絶え絶えに応じる。

 

「……考えなしに出てしまったせいで」

 

『そんなだから……。まぁ、いいでしょう。戦いとはこうするものです。よく見るといい』

 

《レプラカーン》が切っ先を下げる。

 

 敵機が陣営を建て直し、再び《レプラカーン》へと仕掛けていた。まず第一波となる敵の攻撃網を《レプラカーン》は軽く身をひねってかわし、そしてカウンターの太刀筋を浴びせかける。

 

 コックピットへと正確無比に放たれた剣に敵がうろたえたのが伝わった。

 

『……使い手、ね』

 

『嘗めないでもらおう。この《レプラカーン》、エルム、勝負には逃げない』

 

 剣を突きつけた《レプラカーン》に《ブッポウソウ》のパイロットは声にする。

 

『そう……。でもまぁ、この辺りが潮時ね。下がるわよ』

 

《ブッポウソウ》が急速後退していく。こちらの援護がやってきたのだ。

 

 息をつく蒼にエルムが吐き捨てる。

 

『そんな太刀筋でよく前に出ましたね。恥ずかしくないんですか』

 

 未熟なる太刀で戦いに打って出た愚を責められる。だが、あのままでは無事では済まなかっただろう。

 

 ザフィールや他の騎士の《ドラムロ》が合流した時には、敵は完全に撤退していた。

 

『……苦々しいな。しかし、一機討ち取ったか』

 

『駄目ですね。……自害しています』

 

 わざとコックピットの深くまで食い込まないように放たれた刃であったが、パイロットは既に死んでいると言う。ザフィールは検分し、そして指示を発していた。

 

『よし。ここは消火活動に移る。城下町を焼いた連中を許してはおけない』

 

 消火活動に入る騎士団に対し、エルムの《レプラカーン》は城壁を目指していた。

 

「どこへ……」

 

『消火活動は地上人の領分じゃない』

 

 そう言い捨てて、《レプラカーン》は飛翔していく。

 

『やれやれ。まぁ、言えた義理じゃないから仕方ないんだがな』

 

 ザフィールの呆れ声も他所に、戦場を離れていく《レプラカーン》の背中を蒼は見据えていた。

 

 彼がいなければ深手を負っていたのは間違いない。

 

 ――強く、なりたい。

 

 初めて抱いた欲求ではない。しかし、これまでよりもさらに強く、さらに高みに至らなければ、これから先の未来を切り拓く事は難しいだろう。

 

「……騎士団長。お願いがあります」

 

『どうした? 《ゲド》の無断使用ならば問わないが』

 

「いえ、そうではなく。……わたくしに、稽古をつけていただきたいのです」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十五話 太刀筋交錯

 

 大勢の騎士団員達がどうしてだか野次馬として囲んでいるのを、蒼は目にして困惑していた。

 

 ザフィールが後頭部を掻く。

 

「すまないな。秘密にしておくには口の軽い奴に当たったらしい」

 

「地上人の太刀筋ってのも見たいもので」

 

 悪びれもしない騎士団員にザフィールは注意を飛ばしていた。

 

「茶化すなよ。アオは必死なんだ。そうだろ?」

 

 問い返されて蒼は首肯する。今のままでは駄目だ、と感じたのは昨夜の戦いで明らかとなった。エルムにも勝てず、そしてゼスティアの侵攻にも難儀するのならば、強くならなければならない。まずはそれからのはずだ。

 

「よろしくお願いします」

 

「かしこまる事は……まぁ、あるか。剣を習いたいって言うんなら、真っ当と言えば真っ当だ」

 

 しかし、とザフィールは奇縁の剣を観察する。自分とザフィールの剣は全くの同じ。しかしながら持ち主が違えば、それは剣としての機能はまるで異なる。

 

 奇縁の剣とは言え、同じ性能を発揮するわけではない。

 

「アオ。まずは呼吸からだ」

 

「呼吸……」

 

「お前の呼吸法は確かに、他の地上人に比べれば少しばかり落ち着いてはいるが、それでもバイストン・ウェルの呼吸の仕方じゃない。バイストン・ウェルは地上からしてみれば深海のようなもの。まずは深く呼吸する事から始めろ。ここでは踏み込みに際しても、呼吸一つで差異が出る」

 

 深海の呼吸――。蒼は指示通りに深呼吸する。バイストン・ウェルの空気が肺に取り込まれ、どこか自分ではないものが内奥からしみ出すのを感じていた。

 

「次に、剣の構え。正眼は正しいが、見るのは剣ではない。オーラだ」

 

 それは、エルムも言っていた。地獄蝶がどうだとかいう話だろうか。

 

「地獄蝶……ですか?」

 

「知っているのか。そうだ。人体には無数の死角がある。その死角にはそれぞれ、オーラの蝶が顕現する。オーラの強い者ほど可視化出来るそれを、我々は地獄蝶と呼んでいる」

 

「人体の……死角……」

 

「アオ。お前の体表に見えている地獄蝶は、今、七羽だ」

 

 そんなに、と瞠目した蒼にザフィールは笑いかける。

 

「これでも少ないほうだ。素人はもっと多い。だが、地獄蝶は決定的な差ではない。見えたからと言って、ではそこに打ち込めば勝てると言うほどの単純さじゃないんだ。たとえば、死角があったとしても相手がそれを意図して見せている死角だとすればどうなる?」

 

 意図した死角。それは逆に、敵からしてみれば狙い通りであろう。そこに刃が来れば、想定通りに反撃が出来る。

 

「そう、思っている通り、想定した死角に斬り込めばこちらの首が飛ぶ。つまり、地獄蝶とは目安程度で考えていい。優れたオーラの使い手には可視化出来る、戦場での優位点の一つだと」

 

「それは、オーラバトラー搭乗時にも、ですか?」

 

 自分は見えたためしがない。ザフィールは呻った後に応じていた。

 

「……間違いではない。見える事もあると言う。しかし、こうした打ち合いの延長線上にオーラバトラー戦がある。何も格別に離れた事をやっているわけじゃないだろ? オーラバトラーによる戦いだって」

 

 確かに、実戦が疎かではオーラバトラーによる戦闘も疎かになる。戦いは、何もオーラバトラーによる戦闘経験値だけではない。敵と対面した時にどう落ち着くのか、どう対処するのかの組み立てはこうした生身の打ち合いのほうが色濃く出る。

 

「……打ち合いを」

 

「分かっているさ。焦るな。焦るといい事なんて一つもない。呼吸とオーラを見る事。そして最後には、オーラの流れに乗る事がある。たとえば吹き抜ける風だ。それに混じるオーラに逆らって刃を振るった場合」

 

 ザフィールが剣を払う。風切り音はどこか鈍い。

 

「そしてこれが、オーラの風の境目を縫った剣筋だ」

 

 次に払われた刃は先ほどの打ち払いとさして変わる事はないように見えて音が段違いであった。ヒュン、と鋭い太刀の音に蒼は絶句する。

 

「……そこまで違う」

 

「そりゃそうだろう。地上に木はあるよな? 木目に沿って切るのと木目に逆らって切るのとでは段違いのはずだ。それと似通っている。要は、オーラの流れを自らのものとする。オーラに逆らわず、それに準じて戦闘スタイルを変化させるんだ。無論、戦局によってはそんな最適は狙っていけない場合もある。向かい風のオーラに、剣を振るうような真似だってあるさ。そんな時に頼りになるのは、先に組み上げた二つだ。オーラをよく見て、深呼吸する。それだけで生存率は随分と違うはずだ」

 

「聖戦士殿ー。騎士団長の言葉が難しかったら俺達が教えるぜー」

 

 野次が飛んでザフィールはおいおい、と取り成す。

 

「真面目な話だよ」

 

「真面目ぶってますけれどねー、そんな好条件なんてないでしょ」

 

 兵士の言葉もさもありなんとでも言うように、ザフィールは肩を竦める。

 

「……言っている事も間違いじゃない。そんな好条件は……まぁ千回戦ったとして、そのうちの十回あるかないかだ。しかし、もしその十回に相当する戦いがあった場合、全力を絞れないのはどうかしているだろ?」

 

 蒼は深呼吸し、オーラを可視化しようとする。しかし、ぼやけるばかりで、自分の視界にはオーラが安定しない。

 

 凝視しかけて、ザフィールのオーラが変位した。彼の眼差しの先にあったのは、エルムである。

 

「お前も、こっちに来て鍛錬するか?」

 

「……ご冗談を。剣の鍛錬? まさか、負けたからってそんな真似を? ……イラつかせるのだけは一級品ですね、聖戦士」

 

「そう言うなよ。お前だって聖戦士だろ?」

 

 エルムはその言葉に心底嫌気が差したように言い放つ。

 

「同じ? 笑わせないでくださいよ。場数が違う。そんなのと一緒に剣を振るっていれば、馬鹿になりますよ」

 

 エルムは鋭い一瞥を寄越し、蒼へと忠言する。

 

「……勝てないからって、騎士団長直々の鍛錬の要求。これだから、女って奴は始末に負えない。手段を選ばないからな」

 

 その言葉を吐いてエルムは立ち去っていく。その背中にザフィールが言葉を投げていた。

 

「お前、嫌な奴だぞー!」

 

 エルムは振り返りもしない。その姿勢に兵士からも反感が出ていた。

 

「気に食わないですよねー。《レプラカーン》が強いのは認めますけれど」

 

「お前らもそう言ってやるな。いざとなれば背中を預ける戦士だ。聖戦士なら、それなりに矜持もあろう。分かり辛いくらいなのさ、それでちょうどいい」

 

 蒼はザフィールへと質問を振っていた。

 

「……エルムさんは、訓練みたいなのを?」

 

「うん? ……そういえばあまりしたところを見た事はないな。《レプラカーン》も一週間で物にした。天性のものだろうな。だが、クセもある。それを自分で見抜けていない部分に危うさも。しかし、あいつは人の話を聞かないからな」

 

 困ったようにザフィールは笑う。蒼はエルムと言う聖戦士の事を、そういえば何一つ理解していないのに気づいていた。

 

 前の二回だって、まともに言葉を交わした事はない。ともすれば、彼の強さに迫る事が、自分に出来る最善かもしれないのに。

 

「まぁ、エルムの事は忘れて。まずは呼吸法。そして、オーラを見る事だ。流れまでは読もうと思うな。一回に出来る事は限られている」

 

 ――一回に出来る事は限られている。その言葉は何でもないアドバイスのはずだったのに、この時の自分にはいやに響いていた。ループしている自分にとって、一回とはいえそれは絶対だ。だからこそ、一回に出来る事は所詮はその一回に過ぎない。そう、どれだけ吟味しても、一回は一回。

 

 ザフィールがこの先死ぬ運命にあるのも、ジェム領が全滅する恐れがあるのも、それは一回の数に過ぎない。

 

 やる気の質が削がれるかに思われたが、案外、逆であった。

 

 ――ならば、せめて一回を意義のあるものに。

 

 構えた蒼にザフィールは静かに笑みを湛えさせる。

 

「……やる気が起こったみたいだな」

 

 破、と吼えて剣を振るう。

 

 二つの相似形の剣が、交錯していた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十六話 妖精幾星霜

 訓練していたのね、と口火を切られて蒼が唖然としているとアルマーニは窓を顎でしゃくる。

 

「見えるのよ、中庭が」

 

 ああ、それで、と蒼はアルマーニとの面会時間を確認していた。三十分の面会の中で、知るべき事、語るべき事を知り語らなければならない。それは思いのほか難しい。

 

「で? 何が聞きたいの?」

 

 相手はとうに分かっているのか、あるいはある程度の当て推量があるのか、落ち着き払っていた。

 

「……わたくしが何を言いたいのか、まるで予見しているような言い草ね」

 

「ある程度はね。オーラの風が告げてくれる。貴女、あの子と反目しているのね。空を舞う鳥が囁いてくれたわ」

 

 どこまで本気か、と疑っているとアルマーニは少女のように微笑んだ。

 

「冗談よ。でも、当たっているでしょう?」

 

 確かにエルムとの不和は解決せねばならない問題だろう。アルマーニならば彼の心を解きほぐす材料くらいは知っているのかもしれない。

 

「……彼もあなたが?」

 

「ええ。呼んだわ。この国に召し仕えられて最初の召喚だった。でも、如何にエ・フェラリオとは言え、召喚にはかなりの体力を消耗するのよ。中には一度の聖戦士を呼ぶのだけで、ミ・フェラリオに戻ってしまう者さえいるくらいにはね」

 

「……あなたにはそんな兆候はない。四十人も呼んだのに?」

 

「少し語弊があるようね。四十人、精査して呼んだわけじゃないのよ。まぁ、その中に貴女のような人間がいたのだから当たりを引いたと思うべきなのだろうけれど」

 

 詳しく聞く必要性がありそうだ。蒼は問い質していた。

 

「フェラリオは、呼ぶ人間を選べない?」

 

「半分正解。でも、半分は外れ。オーラ・ロードを開くのに、場所を選べないのは本当よ。だって、地上界の地理は一年……いいえ、一日でも違えば塗り替わっている場合だってある。そんななのに、妖精の世界の者達が正確な位置を把握出来ると思う? 案外、呼ばれた側は選ばれたって自覚が強いけれど、呼んだ側からしてみれば、何でこんな人間が、とも思うの。ああ、貴女は別よ。いい人間だとは思うわ」

 

「含むような言い草ね」

 

 アルマーニは一拍の逡巡を挟んだ後に、貴女ならば、と前置いた。

 

「いいでしょう。エルム・リムロード。彼を呼んだのは間違いだった、と私は思っている」

 

「間違い? でも聖戦士で、卓越した……技量を持っている」

 

 それは自分に突きつけられた殺意から鑑みても明らかだ。彼は特別だろう。間違いなくこのバイストン・ウェルでは指折りの戦士のはずだ。

 

 しかし、アルマーニの表情は曇っている。

 

「……得てして、自分を特別だと思っている人間の行動原理は二つある。他人のためか、自分のためか。後者の場合は最悪の結果さえも招きかねない。エルムを呼んだ時、ちょうどゼスティアとの大きな戦端が開かれていた。ザフィール騎士団長の前任者が軍を率い、聖戦士の力を見るためにゼスティアへと攻め込んだ」

 

 まさか、そんな事実があるなんて。震撼した蒼はその先を促していた。

 

「……それで、どうなったの?」

 

「言わずもがな、ゼスティア相手にそんな戦いが有効打ならば今頃関係性はもっとよくなっているでしょう。……惨敗よ。それも、敵にこちらの将を……討ち取られた。騎士団長が移り変ったのはその時。ザフィール騎士団長はその時の戦いで名を挙げ、今の地位についた」

 

 自分が一度も聞き及ばなかった事実に、蒼は絶句していた。アルマーニはさらに先を続ける。

 

「その時に……聖戦士として、今と同じ《レプラカーン》で先陣を切ったのがエルム。彼のオーラ力はかなりのものだった。でも……驕りが招いたのは軍隊としての敗北。ゼスティアとの国力の差を見せつけられた。さらに言えば、聖戦士は一人では意味がないのだと、実感させられた」

 

 まさか、と蒼は渇いた喉で紡ぐ。

 

「それで四十人以上を……」

 

 アルマーニは無言で頷く。何という事だ。その時点で優位を打てていれば、では自分達は呼ばれなかったのか。

 

 ならば、エルムが自分に向けている憎悪の正体は……。

 

「自分が特段に優れていないと言う、自負と自覚。それが彼の貴女への態度の全てでしょう。自分一人では納得いかなかったから、ジェム領は聖戦士を募った。それが一番に屈辱なのでしょうね。自分一人でいいはずだ、と言うのが彼の論法の根源だから」

 

 彼は自分一人ではどうしようもないと判断したジェム領そのものに有用性を問い質すために、あれだけ苛烈な物言いを選んでいるのか。

 

 しかし、もし呼ばれた順番が前後していれば自分とてそのような考えになっていなかったとは言えない。彼の怨嗟を笑えないのだ。

 

「でも……それでもわたくし達は……」

 

「ええ、不都合だし、それに不幸だとは、思っているわ。でも、貴女は真っ先に剣を取り、そしてオーラバトラーに乗った。他の四十名からしてみれば理解出来ないほどのスピードで、貴女はあらゆるものを習得しようとしている。それはどうして?」

 

 思わぬところで核心に迫る問いかけをしてくる。これだからフェラリオは侮れない。

 

「……少しでも未来をよくするために、よ」

 

「未来、ね。貴女もまた確証のない言葉を吐くのね。未来なんてジャコバ様くらいしか分からないじゃないの」

 

 妖精の女王でさえも不確定な未来を、自分は既に二度経験している。しかも、どちらも同じ存在が鍵となって。

 

 ――オーラバトラー、《ソニドリ》。あれをどうにかして破壊しない限り、ジェム領に勝利はあり得ないだろう。

 

 だが、そう考えれば、と蒼は熟考する。

 

 もし、今の段階で《ソニドリ》を破壊出来れば? その問いかけはしかし、不可能だろうという結論に至る。

 

 たとえ、《ソニドリ》を破壊するとしてもゼスティアの領土への強襲が必要だ。そこまでの兵力があるとは思えない。

 

《ブッポウソウ》を操る相手の女兵士も相当な手練れ。ともすれば、聖戦士の可能性もある。ここは慎重を期さなければ読み負けるのはこちらだ。

 

「……何を考えているの? アオ」

 

 問い質されて蒼は我に返っていた。こちらの顔を覗き込んだアルマーニは、その麗しいかんばせを伏せる。

 

「言えない事があるって顔。……私の事は話しているのに」

 

 不服だ、とでも言わんばかりのアルマーニを蒼は取り成す。

 

「す、すまない。わたくしは、でも……」

 

 アルマーニは直後、笑顔になって、なんて、とおどける。

 

「話し相手になってくれるだけ、正直嬉しいのよ。だって……他のコモンからしてみれば、私はただの妖精、ただの……召喚のための手駒だから」

 

 召喚するためだけに彼女はこの塔に幽閉されている。他の権利を全て剥奪され、それでも死ぬ事は許されず、そして生き永らえるしかない。

 

 それがフェラリオの常識から鑑みればどれほどの地獄なのかは推し量るしかないが、それでも彼女にこれまで、意義はほとんどなかったのだろう。

 

 使い潰されるだけの存在――そんなの……。

 

 覚えず拳をぎゅっと握りしめる。アルマーニはこれまであらゆる不条理を受けていたに違いない。それを少しでも解きほぐせるのならば自分の三回目のこの時間でさえも意味はあるのだろう。

 

「……アルマーニ。あなたの話を、わたくしに聞かせて欲しい」

 

「私の? ……このバイストン・ウェルの常識が通用しない、貴女が?」

 

「常識知らずだから。オーラについての使い方も、もし知っているのならば……」

 

 ザフィールの訓練に報いるために少しでも力と能力が欲しい。そのためならばアルマーニと少しでも友情を育もう。

 

 彼女も話し足りなかったのか、じゃあ、と言葉を継いだ。

 

「こういうのはどう? フェラリオの世界で言い伝えられている、転生者の物語」

 

「転生者……。それってアの国って言う……」

 

「何だ、知っているんじゃない。そうよ。一匹のミ・フェラリオが紡ぐ、バイストン・ウェルの戦乱の物語。この世界始まって以来の、コモンと聖戦士の起こした諍い」

 

「……確か、ショウ・ザマって聞いた」

 

「その聖戦士の名前だってコモンの間じゃ、まことしやかにって感じでしょうね。私達フェラリオの伝達手段ならばもっと正確に知れるのに」

 

「それはどんな?」

 

 アルマーニは一拍置いた後に、ふふっ、と微笑む。

 

「オーラを、私達は受信する器官がある。それはコモンにはない。身体の作りが違うのよ。オーラを感じる受容器官の中に、記憶をそのまま引き継げる器官がある。だから、私達はあの争いを、まるでその只中にいたミ・フェラリオと同じ規模で知る事が出来る」

 

 そんな特殊能力があるとは。蒼は瞠目していた。

 

「でも……そんなのコモンの人達は……」

 

「知っていたって、教える術はないわ。分からないんだもの。それに、このオーラの受容器官って言うのも、ミ・フェラリオの時には発達しているけれど、エ・フェラリオになると少し弱ってしまうの。だから個体数の少ないエ・フェラリオの歴史は綴られにくい。そもそも、ミ・フェラリオへの退化時に、記憶のほとんどは損なわれてしまう。だから、フェラリオ間でも記憶の齟齬はあるし、アの国のミ・フェラリオが特別であったのは、その後地上人に捕獲されたからよ」

 

 見知らぬ事実に蒼は息を呑む。それではまるで……。

 

「地上人の間には……バイストン・ウェルを知っている人間がいるみたいじゃ……」

 

 その疑念にアルマーニは何でもない事のように告げる。

 

「それは、その通りでしょ? 居るんじゃないの? もしくは、居ても巧妙に隠しているか、でしょうけれど」

 

 バイストン・ウェルを知っている人間が地上にいる。それだけでも衝撃であったが、三十年前に起こったとされているその争いは、この世界にどのような爪痕を刻んだのだろうか。

 

「……わたくしは、このジェム領から遠くに言った覚えはない」

 

 その言葉だけでも充分に怪訝そうであったが、蒼は続ける。

 

「教えて、アルマーニ。この世界はどうなっているの?」

 

 アルマーニは観察するようにこちらを見据えた後に、ふっと言葉を継いだ。

 

「……そんなの知って、どうするの?」

 

「分からない。分からないけれど、知らないままじゃ、きっと駄目なんだ。駄目だって、分かった」

 

 アの国で起こった戦乱も、今起こっているゼスティアとの争いも、何もかもは全て、バイストン・ウェルという世界の不理解から巻き起こった気がしないでもない。一体、この世界は何なのだ。

 

 そこから紐解けば、と思った蒼は直後のアルマーニの言葉に制される。

 

「……そんなの、フェラリオでも分からないわ。この世界はどうなっているのか、なんて」

 

 まさか。そんなはずがない。神秘を操る妖精には、この世界の果てだって分かっているはずではないか。

 

「意地悪しないで、アルマーニ。本当は世界がどうなっていて、何が起こっているのかくらいは分かるんでしょう?」

 

 しかし、アルマーニは冷淡に応じる。

 

「そんなのは分からないのよ。そして、知らないのよ。私達でもね。どれだけ高位のフェラリオでも、きっと知らないし、把握出来ないわ。この世界がどうなっているのか。……もっと言えば、たとえば八里先の土地に町があるのか、村があるのか、どのような領地があるのか……そういう事さえも、分からないのよ。これは絶対にそう。フェラリオでも定かではない」

 

「でも……さすがに地図くらいは……!」

 

 そこまで口にして、アルマーニは床の砂を綴る。その砂が書き綴った地図は、ところどころ虫食いであった。

 

「……こんなはずは……」

 

「でも、これが事実。アオ、この世界は未踏の地ばかり。あなた達、地上人の世界はもう、前人未到のほうが少ないってのは聞いたわ。それは、でもバイストン・ウェルとの齟齬でしょう。バイストン・ウェルは確かに、オーラバトラーと言う強力な兵器と、そしてオーラと言う力に溢れている。でもそれは、あなた達の世界にあると聞くもっと強力な兵器と、それに溢れている数多の悲しみとは大差ないの。オーラバトラーも、オーラも、何も全てが特別ではないのよ。……こう言うと、絶望するかもしれないけれど、聖戦士でさえも。オーラが高く、そしてコモンより強いだけの、ヒトに過ぎない。それは覆せないの」

 

 自分は所詮、オーラが少し強く、そして不幸にも召喚されただけの存在。妖精の神秘でさえも解き明かせない謎に満ちた世界――それこそがバイストン・ウェル。

 

 改めて、この世界は不可思議な神秘に閉ざされているのだと実感する。誰かの関知もなく、そして地上と繋がるのは万華鏡の道であるオーラ・ロードのみ。

 

 まさしく、この世界は不可侵の領域。オーラと魂が彩る異世界。

 

「……誰も、開拓しようなんて……」

 

「思わないでしょうね。そういうものなのよ。言ったでしょう? コモンは湖を渡る術さえも知らないの。そんななのに、どうやってこの世界を開拓するって言うの? 水や食料だって、決して豊かじゃない。それなのに、単独での開拓なんて自殺行為よ。それでも世界の果てを見たとしても、きっと絶望するだけでしょうね」

 

「……それは何で? だって地上ではそういう歴史があるから、世界は丸いんだって分かった」

 

「天動説……だったかしら。聞かされたわ、色々とね。でも、それだって数多の犠牲があってこそなのよ。コモンもフェラリオも、いたずらに犠牲は出したくない。それは根柢の精神からそうなの。だから、地上人の蛮行と相容れない部分はあるのかもね。ゆえにこそ、アの国での戦乱は起こるべくして起こったとも」

 

 地上人を招き、バイストン・ウェルに戦争を勃発させたのは地上人だと言いたいのか。蒼は覚えずいきり立って反発していた。

 

「……でもフェラリオやコモンだって。時間さえあればオーラバトラーを造っていたかもしれない」

 

「それはないわ。あり得ないのよ。私達には線引きがある。フェラリオの世界と、コモンの世界。それと……これはコモン人達が顔をしかめる内容だからあまり言いたくないんだけれど、闇の眷属、ガロウ・ランの世界。ほとんどその三つの世界で成り立っているの。だから、それぞれが侵略行為でも発しない限り、交わりようもないのよ。三つの世界がそれぞれ均衡をもって存在すれば」

 

「誰も、侵さない、か……」

 

 しかしその均衡を脅かすものこそが地上人――。導かれた結論に、素直に悲しいな、と感じていた。

 

 彼らは彼らの諍いを止めるために、地上人を召喚したのに、それが禁断への入り口となってしまっていた。かといって、もうオーラバトラーがなかった頃には戻れないだろうし、一度でも争いを覚えたコモンは、いずれは繰り返すのだろう。

 

「……持ち込んだのが、地上人であった。それだけの話なのよ。不幸だとすれば、このバイストン・ウェルに綴られる物語の中に、聖戦士は常に最上の存在として語られる事ね。彼らの愚かしさを教訓にしようと言うのは、なかなかないのよ」

 

 それはきっとエ・フェラリオだからこその達観だろう。コモンにそこまでの見識はない。

 

 悠久の時を生きる妖精でもなければ、このバイストン・ウェルを平定にも導けないのだろうか。それとも、それを達成するために、自分はこうして時間を繰り返しているのか。

 

 全てが不明のままであった。

 

「……アルマーニ。シルヴァー領主に会った」

 

「あら、よく許したわね、あの姫様」

 

「ゼスティアと戦っている本当の理由を聞いた。……フェラリオの王冠だと」

 

 声を潜めた蒼にアルマーニは頭を振る。

 

「情報を期待しての言葉だったのだろうけれど、申し訳ないわね。私にはその王冠に関しての知見はそれほどないのよ。王冠は、私の前にこの国に呼ばれていたフェラリオがもたらしたものらしいわ。この領地との恒久的な平和を望んでの品物だったって。どういうものなのかの実態は分からない。でも、フェラリオがコモンに物を贈る文化は根付いていないから、相当な恩義があったのでしょうね。その恩義に相当するだけの品物だったと推測すべきでしょう」

 

「恩義……。それをゼスティアは奪った。何故……」

 

 ジェム領の平穏を願った王冠を、他の領地が奪ってどうするのか。その問いにアルマーニは眉根を寄せた。

 

「こっちが知りたいわよ。戦いの発端が何だったのかなんて分からないまま、ただ地上人の召喚のために、このざまなんだから」

 

 アルマーニは片腕にはめられた手錠を掲げる。彼女は囚われの身。この塔から出る事さえも許されない妖精。

 

「……わたくし達を召喚した時に自由だったのは」

 

「自由じゃないわ。監視付きだし、さらに言えばちょっとでも勝手な事をすれば首をはねられていたのよ? それくらい、オーラ・ロードを開いて地上人を呼ぶって言うのはリスクが高いって言うの」

 

 これ以上の質問は無意味だろう。

 

 それに、ちょうど扉がノックされた。

 

「三十分経ちました」

 

 蒼は立ち上がる。アルマーニはひらひらと手を振っていた。

 

「また聞きたい事があれば何でも。聖戦士様」

 

 おどけた様子のアルマーニは少しでも他人と話せて気分が紛れているのだろうか。それならばまだいいのかもしれない、と蒼は感じるのみであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十七話 戦火開門

 

 剣筋が甘い、という指摘を受けて、蒼は呼吸を詰めていた。

 

 正面から向かい合うザフィールの正眼の構えに、蒼は下段に剣を携える。

 

 やぁっ、と言う一声で飛びかかるも、その動作は予見され、避けて見せたザフィールがすぐさま死角に潜り込む。

 

 オーラの死角、地獄蝶。少しでも可視化出来るように集中するが、意識の網がぼやければ今度は向かってくる剣に集中出来なくなる。

 

 オーラと剣の両方に意識を割くのは、まだ難しい。

 

 ぴたりとザフィールの剣が止まり、そこまで、と声がかけられた。

 

 二人して井戸水を呷り、ふぅと息をつく。

 

「出来るようになってきたじゃないか」

 

「まだまだですよ」

 

「それでも、呼んだばかりの地上人が俺と打ち合うか、普通」

 

 自嘲したザフィールに、蒼は視線を逸らしていた。このまま未来が進めば、あの最悪の光景がまたしても現実になるのだろうか。

 

 逆さ吊りの暗黒城。そして、ゼスティアの大軍に対し、劣勢を強いられるジェム領のオーラバトラー。呼ばれた四十名以上の聖戦士はほとんど死に絶えるなど、言えるものか、と蒼は拳をぎゅっと握り締める。

 

「……そういえば他の聖戦士は……」

 

「オーラバトラーの基本動作を覚えさせようとしているはずなんだが……」

 

 その時、不意に中庭から飛翔した《ドラムロ》がよろけたように城壁に頭から落下していた。兵士達の諦観の声が響き渡る。

 

「あーあ、何やってんだか」

 

 だが、呼ばれたばかりの聖戦士としてはまだ上々だろう。自分も一回目ではオーラバトラーをまともに動かすのに三か月を要した。

 

 現状、まだ一週間前後。最善を模索しているものの、どれが正解なのか分からない以上、やはり慎重にならざるを得ない。

 

「アルマーニュ・アルマーニからよく話を聞いているらしいな」

 

 どこかから嗅ぎつけたのか、ザフィールが問いかける。

 

「そりゃ、呼ばれた側ですから。理由くらいは知りたいですし」

 

「妖精の神秘は時として地上人を眩惑する。気を付けておけ」

 

 単純に忠言のつもりだったのだろうが、蒼からしてみれば、アルマーニも憐憫の対象である。わけも分からず四十人以上の聖戦士を呼ばれ、その責を問われているのだ。彼女はせめて自由にすべきではないのか。

 

「……アルマーニを、解放出来ないんですか」

 

 無理な注文だろう。しかし、ザフィールは真剣に応じていた。

 

「……気持ちは分からないでもない。コモンとフェラリオは交わらぬ運命とは言え、少しは慈悲を感じている部分もある。だが、それはやってはならないんだ。たとえば地上人を呼ぶ心得のあるフェラリオを野に放って、それをゼスティアに奪われればどうする?」

 

 思いもしなかった。いや、それが一番あり得るのだ。

 

 ゼスティアは常にこちらの同行に目を光らせている。もし、アルマーニを解放すれば、すぐにでも捕虜として捕縛するに違いない。

 

 そうなれば今の境遇よりももっと地獄に彼女は突き落とされるのは想像に難くないのだ。

 

「……すいません。想像力不足でした」

 

 自らの不明を謝ると、ザフィールは水筒を投げ捨てていた。

 

「アルマーニの意思ならば尊重するが、俺やお前が知った風な口を利くのが彼女からしてみても一番の屈辱だろう。ここは、単純ながらに分けるしかない。フェラリオと自分達は違う、と」

 

 それが精神衛生上いいのだろう。妖精の世界とコモンの世界は交わらない。そう断じる事が、自分達にとってもいいのだと。

 

「……アルマーニは、いつからここの?」

 

「俺が子供の頃には、既に、だった。妖精に時間の尺度は合うか分からないが、もう十年近くになるか」

 

 アルマーニはその間、孤独に耐え続けていたのだろう。それでも、彼女の痛みの半分も推し量る事は出来ない。

 

「騎士団長。戦いが終われば、関係ないんですよね? ゼスティアが降伏すれば」

 

「ああ、それはそうだが……。妙案でも?」

 

 問われて蒼は剣を構えていた。

 

「いえ、今は何も。その代わり、早く強くならなければ、と思いました」

 

 ザフィールは笑みを形作り、応じるように剣を構える。

 

「いい覚悟だ」

 

 やぁっ、と声が奔る。携えた剣にはまだ理想も、ましてや展望もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 研究施設に入った蒼は、もうすぐ六割ですよと言う声を聞いていた。

 

「《キヌバネ》の性能は折り紙つきです。ゼスティアなんて斬り飛ばしてくださいよ」

 

「焦るなって。俺だってこいつには慣れなきゃならん」

 

 ようやくコックピットブロックが固定され、《キヌバネ》は骨格の肉づけも得て、一端のオーラバトラーに近づきつつあった。

 

 しかし、と蒼は顎に手を添えて考え込む。

 

「どうした、アオ。何か不都合でも?」

 

「いえっ……、そういうわけじゃ」

 

「でも、考えなしじゃないって顔だ。何がある?」

 

 蒼は研究者の参照する数値を叩き出す機器を覗き込んでいた。

 

「これ、オーラ力の数値ですよね?」

 

「ええ。ザフィール騎士団長の数値ですが、何か?」

 

 記憶している《キヌバネ》搭乗時のザフィールの数値が、正しいのならば――。

 

「どうした? 俺の数値が乱れているか?」

 

「いえ、安定域です。聖戦士様、何かありますか」

 

「……いや、勘違いかも知れない」

 

 そう、勘違いだろう、と自分に納得させる。ザフィールはそのまま、動作を続行させる。

 

「しかし、《キヌバネ》、確かに凄いな。こちらの順応性が高い」

 

 腕や足を動かすザフィールに呼応して《キヌバネ》が追従する。その動作には曇りがないように見えるが……。

 

「《ゲド》の数倍のパワーゲインがあります。これなら、ゼスティアが相手でもあっという間ですよ」

 

 だが自分は知っている。これを凌駕する性能のオーラバトラーが既に相手方にはあるのだと。

 

《ソニドリ》の存在をしかし、ほのめかすのは危険だ。もし、敵がこちらの予想を超えてくるのならば、今こそ仕掛けるべきだろう。完成してもいない《キヌバネ》を晒すわけにはいかない。

 

 急がず、せめて安定まで見守る義務があるだろう。この機体に、二度も助けられたのだから。

 

「ですが、《キヌバネ》に使用する装甲が少し足りませんね。キマイ・ラグの備蓄だけでは、全身を覆うのは難しそうです」

 

 思わぬ言葉に蒼は戸惑う。今までの戦いで、備蓄不足なんて事はなかったはずだ。

 

「……そんなに足りないんですか?」

 

「ええ。これは久しぶりに狩りに行かなければ……」

 

「強獣狩りか。俺が先導するが……」

 

「いえ、ここは聖戦士軍団を前に出しましょう。なに、居てもガッターくらいなものです。《ドラムロ》と《ゲド》で固めれば、怖くも何ともない」

 

 コモンの常識では強獣に恐れ戦くのは最早時代錯誤なのだろう。しかし、初陣であのおどろおどろしい強獣と行き会って、正気でいられる者が何人いるだろうか。蒼はそれとなく提言する。

 

「……わたくしが行きます。聖戦士軍団は、今は少しばかり難しいかと」

 

「……アオがそう言うのならば、最小限でいいのかもしれない」

 

 この時間軸のザフィールの理解は得られている。それでも強獣狩り、と言うのはこれまでになかった流れだ。

 

「難しいんですか? 素材を得るのは」

 

「いえ、簡単ですよ。強獣の巣に仕掛けて、炸裂弾でもお見舞いすれば、視界がくらんだ強獣達なんて動く的です。《ドラムロ》でも十匹程度獲れるでしょうね」

 

 蒼は一考し、自分に充てられる機体の希望を言っていた。

 

「《ゲド》でお願い出来ますか? この間、《ブッポウソウ》と対決した奴で」

 

「そう言うと思って、聖戦士様用に調整してありますよ。あの個体の《ゲド》なら、聖戦士様のオーラ力に呼応してくれるはずです」

 

 ジェム領のオーラバトラー改良技術が相当高いのは、二度も死ねばよく分かる。《ゲド》を一晩で個人専用に仕上げるのは造作もないだろう。問題なのは、実際に戦えるオーラ力を持つ兵士があまりに少ない事。如何に兵器を量産出来ても、それを扱う人間の不足はどうしても賄えないのだ。

 

「兵力不足ってのが一番に手痛いですからね。キマイ・ラグは乱獲されて久しいですが、ガッターなら」

 

「循環パイプのパーツも欲しい。出来るだけ多くの、血管の太い強獣の素体さえあれば」

 

 バイストン・ウェルのコモン達に強獣への畏怖はない。ただの獣、ただの野生だ。その点では地上界よりも割り切りが潔い。

 

「では強獣狩りの編成を組もう。アオ、お前も来られるな?」

 

「ええ、もちろん。ですが先にも言った通り……」

 

「恐れ知らずの聖戦士にわざわざ配慮ってのもおかしな話だが、分かった。強獣狩りに組み込むのはお前と、俺達兵隊だけだ」

 

 そのほうがいい。しかし、いつかは争いに組み込まれる必定。ここである程度の運用は試しておくべきなのかもしれない。

 

「……志のある者は……」

 

「登用するよ。そうじゃなくっても人手不足だ。人材は出来るだけ遊ばせておく余裕はない」

 

 クラスメイトの中にもそろそろバイストン・ウェルに馴染んできた人間もいそうなもの。そういう人材を集めて早期に兵隊を組めば、ともすれば最悪の未来は回避出来るかもしれない。

 

 淡い希望を胸に、蒼は装甲がまだ完全に装着されていない《キヌバネ》を見やる。

 

「……もうすぐ、一端にしてやれる」

 

 その時には、共に戦おう、と心に誓って。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十八話 異端狂者邂逅

 案外、胆の太い人間はいたもので、クラスメイトからも十名ほどの志願者が出たと言う。このよくも分からないバイストン・ウェルで生き抜くのには、戦いが効率のいいとどこかで直感した人間もいるのかもしれない。

 

 強獣狩りの編隊はユニコン・ウーの馬車によってパイロットが運ばれ、オーラバトラーは寝かした形で運搬される。

 

 敵の強襲も加味して、いくつかのオーラバトラーにはパイロットが乗り込んだ形でわざと寝かせてあるものもあった。

 

 自分の乗っている《ゲド》もそうだ。わざと寝かして、相手の奇襲を待っている。

 

 等間隔の振動と共に通話が繋がれた。

 

『退屈しているか?』

 

 コモンの兵士の声に蒼は応じる。

 

「別段」

 

『不愛想だよな、お前も。ザフィール騎士団長には心を開いているんだろ?』

 

「……そうでもありませんよ」

 

『どうだかな。女なんて』

 

 わざわざ軽蔑するために通話を繋いだのだろうか。それならば、無用だ、と切ろうとして、相手は、待てと制していた。

 

『別にお前を侮辱するために繋いだわけじゃないさ。強獣に関する知識は?』

 

「ある程度。ガッターとキマイ・ラグ、それに他の小型獣もそれなりに」

 

 実際その通りであった。一回目の時間軸で自分は強獣に関するいろははそれなりに教わった。相手はそれを訝しげに返す。

 

『地上界で教わるはずはないんだが……。まぁ、いい。ユニコンとかは、地上にも似たようなのがいるって聞く。そういうのはいいんだ。……ただ』

 

「ただ?」

 

『強獣狩りは俺達の領分だ。従ってはもらうぞ』

 

 要は聖戦士とは言え、強獣狩りには一日の長がある自分達に対して対等以上に立ち回るな、と言いたいのか。

 

 そんな小さな事、考えもしなかった。

 

「了解しました。わたくしは、ジェム領の方々よりも出過ぎた真似なんてしません」

 

『……そういう返事でいいんだよ。ったく、騎士団長も何で、女なんて。邪魔だろうが』

 

 それを潮にして通話が切られた。相手も思っている事はそれ相応だろう。戦いの場に女なんてという価値観はあってもおかしくはない。そうでなくとも騎士団は男ばかりだ。

 

 自分ばかりが騎士団長に可愛がられているという風に見られてもおかしくはない立ち振る舞いはしてきた。こういう風当たりも覚悟の上。

 

 だが、それでも少しばかりの寂しさは募るもの。蒼は以前の時間線を思い返していた。

 

「……さっきの兵士、前の時間だったら、すごく気前がよかったのに……」

 

 自分によく、大丈夫か、と問いかけてくれた。先輩騎士やザフィールほどではないにせよ、女だからと言って差別はしなかった。

 

 それと同一人物、そして同一の声で女なんてと蔑まれるのはどこか納得が行かない。いや、これは単純に心の問題か。

 

 同じ人間なのに、言動が違うのを、承服し切れていないのだ。

 

 だが、相手からしてみればこれが初対面。こちらへの印象がぞんざいなのは頷ける話だ。

 

「……前の時間線の記憶は引き継げない。引き継いでいるのは、わたくしだけ……」

 

 しかし、前回はどうして剣まで引き継げたのだろう、と蒼は鞘に仕舞ったザフィールと同じ剣を見やる。奇縁の剣、写し身の刃。だが、その原因は一切不明。

 

 これではどうにもやり辛い一方だ、と嘆息をつく。

 

 その時、先遣隊が止まったのを振動で窺った。

 

 強獣の巣穴に行き着いたのだろう。

 

 巨大な縦穴が大口を空けており、底から時折、咆哮が空へと吸い込まれるように響く。

 

 強獣の巣穴はどれも似たり寄ったりらしい。洞窟に巣穴を持つ個体もいるらしいが、基本的に太陽光を苦手とするため、こうして湿っぽく、そして光の当たらない場所を好んで生息域にする。

 

 それが何百年と降り積もり、こうして巨大な縦穴を形成するに至るのだと言う。

 

「さしずめ、強獣の歴史、か……」

 

 巨大な縦穴へと降下するオーラバトラーが足並みを揃えている。自分は、と言うと、被せられていた布を取られ、《ゲド》が陽光の下で眼窩に生命の光を宿らせていた。

 

 起き上がらせ、前衛の隊列に入る。

 

『アオ。分かっているとは思うが、出過ぎると如何にオーラバトラーとは言え、強獣にやられる事もある。まぁ、《ゲド》のパワーで押し切られるなんて事はないと思うが、油断はするな。来てまだ日が浅いんだ。強獣の野蛮さにはさすがに面食らうだろう』

 

『騎士団長、ハッキリ言えばいいんですよ。聖戦士とは言え、出来るのはオーラ力の強い、兵器を動かすだけだろ、って』

 

 騎士団の兵士の思わぬ茶化しに、蒼はただただ閉口するばかりだ。ザフィールは認めずに続ける。

 

『油断はするな、それだけは肝に銘じておいてくれ。降りるぞ。ここはジェム領の狩り場だ。既に無数のトラップと、そして降下に必要な光源は確保されている。縄を伝って降りれば、オーラバトラーならば何の問題もない』

 

 ザフィールは《ドラムロ》で荒縄を掴み、そのまま火花を散らせて降下する。

 

 人間ならば手の皮が擦り剥けるような荒縄でもオーラバトラーならば抵抗もなく利用出来る。

 

 蒼は改めて、このバイストン・ウェルに根付いたオーラバトラー文化を再認識していた。確かに人間ならば少しばかり面倒な事でも、オーラバトラーありきならば、支障はなくなる。

 

 地上界における機械文明の広がりに近いようで、どこか別次元のように思えた。

 

 次々に降下していくオーラバトラー隊の中でようやく自分の番が来る。

 

 荒縄の強度を《ゲド》の指先越しに確かめ、オーラで手首を補強してから縦穴を降りる。

 

 オーラバトラーのオーラに呼応するようになっているのか、縦穴を通過するごとに次々に光が明滅していった。

 

 予め仕掛けたと言うトラップの一部だろう。

 

 オーラの強い兵器が通過して初めて稼働する光源だ。

 

 穴の中はごつごつとした岩石で占められており、湿っぽい岩肌は苔むしていた。青白い岩が光を照り受けて、どこか不気味に輝く。

 

 そこいらの穴から白い触手のようなものを伸ばす存在が見受けられた。あれも強獣なのだろうか。ただただ、触手を伸ばしてこちらを窺っているようである。

 

 蒼は縦穴の底を踏みしめていた。《ゲド》の内部オーラは安定しており、強獣相手に恐れるまでもない、と判じたその時、不意に《ゲド》の内側に固定されていたオーラ測定器が異常値を示す。

 

 明らかに平時のオーラではない風圧が吹き込み、蒼は咄嗟に剣を構えさせていた。

 

「何か!」

 

 声にした途端、先ほど不平不満を漏らした兵士の搭乗する《ドラムロ》が横転する。

 

 何かに蹴躓いたのか、と感じたが、違う。横たわった《ドラムロ》の半身が焼け爛れたように融解している。

 

 これは、強獣のせいなのか。構えた蒼は《ゲド》の間接照明を起動させた。

 

 明かりの先にあった光景に息を呑む。

 

 肩口に仕込んだ照明が照らし出したのは、先に降り立ったオーラバトラー達の骸であった。《ドラムロ》や《ゲド》が食い散らかされたように殺傷、否、虐殺されている。

 

 こんな事をするのが強獣と呼ばれる存在なのか、と問おうとした矢先、プレッシャーの波が肌を粟立たせ、蒼は剣筋でその殺意を捉えていた。

 

 相手がどのような化け物、悪鬼羅刹であっても対応するだけの頭を持っていた蒼は、この時に眼前に大写しになった影に、覚えず絶句する。

 

「……嘘。《ソニドリ》……」

 

《ゲド》の照明が照らした敵の頭部形状はまさしく、《ソニドリ》の生き写しであった。

 

 しかし、機体色が異なる。灰色のカラーリングに身を包んだオーラバトラーは、携えた剣を乱暴に振るう。

 

《ドラムロ》から奪取した武装であろう。その剣筋の力任せの感覚に、蒼は直感する。

 

「……翡翠じゃない。じゃあ誰が……」

 

『アオ! そいつと打ち合うな!』

 

 ザフィールの操る《ドラムロ》が割って入り、火線を咲かせる。灰色の《ソニドリ》の似姿が飛び退り、胸部装甲を捲り上がらせ、銀色の骨格を露にした。

 

 直後、その骨格部位から赤黒いオーラが煮え滾ったように放たれる。拡散したオーラの波と共に通信網を震わせたのは少女の声であった。

 

『オーラディス、ヴェール!』

 

 怨嗟の色のオーラを携えた不明機の動きは明らかに常軌を逸している。高機動で回り込んだ敵の速度に《ゲド》の反応速度を上げてギリギリ追従する。

 

 抜刀して居合い抜き。それでようやく敵の一閃を受け止めた蒼に哄笑が浴びせかけられていた。

 

『やるじゃない! でも、そんなんじゃ、アタシと《ゼノバイン》は墜とせない!』

 

「この声……翡翠じゃない。それに、《ゼノバイン》……。そんなオーラバトラー……」

 

『聞いた事もないのは俺も同じだ! ジェム領の狩り場に理由なく踏み込むのは公約違反のはず! 他国の領土に土足で踏み入るも同義! 分かっているのか、灰色のオーラバトラー!』

 

 吼え立てたザフィールに、灰色のオーラバトラーは動きを止めていた。

 

『……何でもないのよ。ちょっと……血が欲しかっただけ。だから強獣でも殺せば収まるかなって思ったんだけれど、とんだ三下揃いだったわ。やっぱり狩るんなら、獣よりも、人間よねッ!』

 

 跳ね上がった相手にうろたえた蒼の《ゲド》をザフィールは突き飛ばし、《ドラムロ》の火線がいくつも舞い遊んだ。

 

 しかし、敵を捉えるのには至らず、どれも空しく空を穿つのみ。それほどまでに敵は速く、そしてまるでオーラを我が物のようにして使う。オーラの扱い方が自分達とは別次元だ。纏うようにして、《ゼノバイン》と呼ばれた機体は飛翔する。

 

 その手に構えた剣が煮え滾るオーラによって焼かれ、煤けた剣が打ち下ろされていた。《ドラムロ》の耐久力で受け止められる限界に近いオーラ力であろう。ザフィールの《ドラムロ》が軋みを上げ、降り注ぐ灼熱のオーラの雨に機体を焼かれていく。

 

「騎士団長!」

 

 蒼は叫んで《ゲド》を前進させた。剣による打突を見舞おうとして、相手は即座に跳ねる。

 

 こちらの動きが全て読まれているかのようであった。

 

『……つまんないオーラね、アンタ。打ち合うにしてももうちょっと張り合いのある子はいないのかしら。どいつもこいつも、《ドラムロ》に《ゲド》……三流よ』

 

「三流だと……嘗めてかかると!」

 

 切っ先を下げ、下段に構えて打ち上げる。こちらと打ち合った灰色のオーラバトラーは緑色の眼窩に喜悦を滲ませたようであった。

 

『そう! そうよ! もっと憎みなさい! 憎めば憎むほど、少しだけオーラの質は上がる! ……でも、この程度。上昇値なんてたかが知れているわね』

 

 不意に相手が力を抜くと、よろめいた《ゲド》の背筋に向けて剣が薙ぎ払われていた。

 

《ゲド》が姿勢を崩す。否、そうではない。《ゲド》の背筋が割られ、脊髄を剥き出しにされたのだ。表皮を破られた《ゲド》はオーラを保てずに自壊状態で膝を折る。

 

 蒼は目を戦慄かせていた。

 

 こんな事は――あり得ない。

 

「……何者なの……」

 

『言ったでしょうに。《ゼノバイン》だって。勝てるって見込みがあって戦う相手もいないわねぇ……。どれもこれも、オーラ値の低い、なんて三流のコモン達。雁首揃えるのはいいけれど、達しないんじゃ話にもならない』

 

『馬鹿にして……。《ゲド》! 動け!」

 

 オーラを注ぎ込むイメージを伴わせるが、どれもこれも空回りするばかりで、《ゲド》の骨格にも、ましてや肉体にもオーラは宿らない。穴の開いた風船に息を吹き込んでも無駄なように、今の乗機にはまるでオーラが存在しなかった。

 

『残っているのは、そこの《ドラムロ》だけ? ……ちょっとマシだけれど、弱いわね。オーラがろくに使えないんだったら、生きていても死んでも同じよ。……さて、どうする? ここで死んじゃう?』

 

 喜色に滲んだ声に蒼は呆然としていた。相手は何のために、いや、どうして自分達の前に現れたのか。

 

《ソニドリ》と同じ姿のオーラバトラーは何なのか。

 

 問い質す言葉も持たず、直後の通信回線を震わせたのは、ザフィールの詰めた声であった。

 

『……俺が引き寄せる。アオ、お前は逃げろ』

 

 思わぬ言葉に蒼は瞠目していた。

 

「出来ません! 相手は手練れです! 一人で立ち向かうなんて……」

 

『それでも! ここで全滅しちまえば、ゼスティアに勝つどころじゃないだろうが!』

 

 張り上げられた声に《ゼノバイン》のパイロットがせせら笑う。

 

『なに? 痴話喧嘩? 他所でやりなさいよ、そんなの!』

 

《ゼノバイン》が煤けた剣を携えて《ドラムロ》へと猪突する。《ドラムロ》は剣で受け止めたものの、機体駆動系に軋みが上がっており、限界が近いのを窺わせる。

 

『アオ! お前だけでも上昇しろ! 引き付けているその間に!』

 

「出来ません! ……わたくしに、また騎士団長が死ぬのを……ただ見届けろって言うんですか……。また見ているだけなんて……!」

 

 そんな事は耐えられない。蒼は《ゲド》にオーラを通し、剣に自身のオーラ力の粋を注ぎ込む。オーラの輝きを得た剣で《ゼノバイン》へと飛びかかった。

 

《ゼノバイン》は《ドラムロ》を突き飛ばし、即座に自分と打ち合う。

 

『憤怒のオーラってヤツ? そういうのも、面倒なだけなのよ!』

 

「黙れぇっ! わたくしは、未来を変えるために……ぃ!」

 

『未来を……? アンタもしかして、アタシと同じように、繰り返してるんじゃ……』

 

 思わぬ言葉に蒼が面食らっていると、不意打ちの爪による貫手が《ゲド》の装甲を射抜いていた。

 

《ゲド》の半身が砕かれ、オーラが気化していく。

 

 晒し出された蒼は眼前に佇む灰色のオーラバトラーに死を覚悟する。しかし、相手は攻撃を仕掛けてこなかった。

 

『……しらけた。ここでは殺さない』

 

 飛翔した《ゼノバイン》が赤黒いオーラを纏い、高空へと一瞬へと至る。戦闘の気配が失せたが、強い血の臭気に蒼はむせ返る。

 

 咳き込みながら、突き飛ばされた《ドラムロ》へと駆け寄っていた。

 

「騎士団長!」

 

 結晶体を強制的に開き、無事を確認する。ザフィールは額を切ったのか血を滴らせていたが、瞼を開いていた。

 

「……アオ。無事だった、か……?」

 

「騎士団長……。よかった……」

 

 安堵したのも一瞬、彼は状況を問い質す。

 

「……みんなは?」

 

 蒼は周囲を見渡し、破壊されたオーラバトラーを見やって首を横に振る。

 

「そう、か……。残念だった……」

 

 きっと、彼からしてみればその程度ではないはずなのに、ザフィールはそれ以上の言葉を重ねようとはしなかった。

 

 何よりも、蒼はこの奇妙な遭遇を思い返す。

 

《ソニドリ》と同じ形状のオーラバトラー。しかし、乗っているのは翡翠ではない。

 

「……《ゼノバイン》。何なの……」

 

 問いかけても、応えは彷徨うばかりであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十九話 流転再会

「あら、帰ってきたのね。アオ」

 

 こちらを見やったアルマーニに、蒼は伏せた眼差しのままで応じる。

 

「……何かあったのね」

 

「……アルマーニ。この世界に、同じオーラバトラーは存在するの?」

 

「……何を。同系統の、と言う意味ならば」

 

「そうじゃなくって! ……違うけれど同じ、みたいなオーラバトラーは、いるのって聞いているの」

 

「……落ち着いて、アオ。何があったの?」

 

 言葉を搾り出すのに時間が必要であった。だが、涙が止め処ない。冷静に説明するのには難しい。

 

 膝を折った自分にアルマーニは優しく抱き留めていた。

 

 思わぬ妖精の体温に、蒼は瞠目する。

 

 ――冷たいんだな。

 

 そんな事を考えてしまう。

 

「よし、よし……。アオ、何があったのか、言いたい時まで待つから。私の話を聞いてくれるんだもの。貴女の話を、じっくり聞く、それくらいの権利はあるでしょ?」

 

 蒼は涙が枯れてからようやく、強獣の巣穴で巻き起こった謎のオーラバトラーとの激戦を語る事が出来た。

 

 しかし、どこまで話すべきなのか。まごついた蒼は、ひとまず「見た事のあるオーラバトラーによく似ている」とだけ濁す事にした。

 

《ソニドリ》の存在をいたずらに語ればゼスティアのスパイを疑われる。だが、ここで何も語らなければそれも不自然だ。

 

 蒼は出来るだけ感情的にならないように、淡々と必要事項を口にする。アルマーニは素直に話を聞いてくれた。

 

「……まだ日の浅い貴女が、見た事のあるって言うからにはそれなりに印象のある……と考えたほうがいいのかしら」

 

 思ったよりも聡い。疑われるか、と身を強張らせた蒼に、アルマーニは口にしていた。

 

「でも、よかったわ……。貴方が死ななくって」

 

 思えばアルマーニとまともな話が出来るのは自分だけだ。自分が死ねば、彼女は一人に逆戻りなのだろう。

 

 考えもしなかった、と己の不明を恥じ入る。

 

「……とても……強いオーラバトラーだった。わたくしと騎士団長だけ生き残ってしまった……」

 

 またしても騎士団の兵士は減ってしまった結果だ。最悪の結果を導き出さなかっただけマシだと思うべきなのだろうか。

 

 後衛に配備されていた聖戦士達――つまりはクラスメイトは一人も死なずに済んだ。だが、不信感を露にした者達も少なくはない。

 

 中には、もうこんな場所は嫌だとパニックに陥った者もいるという。

 

 戦えない戦士はどうしようもない。蒼は出来得るだけ人道的な配慮を、とザフィールに進言していたが、この困窮した領国での人道的配慮とは即ち、牢にでもぶち込んで、事なかれを維持する程度だろう。

 

 それが窺えているはずなのに、人道的など笑わせる。

 

 結局、自分の傷つかない道に逃げたいだけではないか。

 

 悔しさに拳を握り締めた蒼を、アルマーニは優しく諭す。

 

「誰のせいでもないわ。だって、強獣の巣穴に別の国のオーラバトラーなんて」

 

「……警戒が足りなかった」

 

 その言葉にアルマーニは頭を振る。

 

「アオ、貴女のせいじゃない。だから責めないで」

 

 分かっている。あんな場所に《ソニドリ》と瓜二つのオーラバトラーがいるなんて誰も予想出来ない。しかも戦闘能力はともすれば《ソニドリ》以上かもしれない。

 

 そんな凶暴性を秘めた敵の存在を関知出来るとすれば、それは経験しなくては不可能だろう。

 

「……でも、気になる名前だった。《ゼノバイン》って……」

 

「アオ、その名前が気になるのは理解出来るわ。あの伝説の機体、《ダンバイン》とよく似た名前……。恐らく、似ている、と思ったのは《ダンバイン》と、なんじゃないかしら。どこかで見た《ダンバイン》の姿と酷似していた、そうじゃない?」

 

《ダンバイン》は今のところ、どこでも見た事はないのだが、ここでの収まりがいいのはその結論であろう。

 

 蒼は首肯していた。

 

「かもしれない」

 

「でも……《ゼノバイン》、ね。数奇な機体もいたものだわ。それに、赤黒いオーラ? 地上人のオーラじゃない。コモンのオーラでも……。アオ、フェラリオはオーラの痕跡を感じ取れる。貴女に残留したその《ゼノバイン》とやらのオーラ、間違いなく、血に塗れているわ。一人や二人じゃない。数百人規模の、虐殺者……」

 

 そんな相手だったとは、改めて突きつけられると蒼は困惑してしまう。よく《ゲド》で立ち向かったものだ。その《ゲド》も半壊、今は別の《ゲド》をあてがってもらえるように指示されている。

 

「ザフィール騎士団長は? 何か言っていた?」

 

「いや、それが何も……。騎士団の兵士を失ったのが、ショックだったのかもしれない……」

 

「そんなタマかしら? ……いえ、これは失礼な物言いね。でも、そんな程度で参ってしまうのならば、このジェム領の騎士団長は務まらないはずよ?」

 

 別の意図があると言うのか。蒼は問い質したい気持ちに駆られたが、アルマーニとて当て推量だ。自分以上に分かる事なんてないのだろう。

 

「アルマーニ。わたくしは出来れば仇討ちをしたい」

 

「間違えないで、アオ。確かに、《ゼノバイン》と言うのは強力なオーラバトラーだったんでしょう。貴女と騎士団長だけしか生き残っていないのが何よりの証明よ。でも、私達の敵はあくまでゼスティア。それを忘れないで」

 

 討つべき相手を見誤るな、か。ここで怨嗟を募らせたところで、《ゼノバイン》に届く刃になるわけでもなし。

 

 ならば、もっと合理的に考えるべきだ。

 

 ゼスティアが攻めてきた時、自分はどう動くべきなのか。どのように立ち回るのが正解なのか。それを模索する事こそが――。

 

「……ありがとう、アルマーニ。冷静になれた」

 

「それならよかった」

 

 アルマーニは微笑み、そして片手を上げて自嘲する。

 

「囚われのフェラリオでも、誰かの助けになれて光栄よ」

 

 そう、彼女は囚われの身分のまま。それがよくなる事はないし、このままでは好転する事は決してないだろう。

 

 蒼はそんな彼女を出来れば救ってあげたかった。こんな、残酷な運命に雁字搦めにする事はないと思ったのだ。

 

 ここでもし、アルマーニをこの塔から出してやる事が出来たのならば――。

 

 そう夢想した、瞬間であった。

 

 領地に響き渡ったのは警報である。

 

 まさか、またしても、と構えた神経にアルマーニが視線を巡らせる。

 

「ゼスティアの夜襲? それとも……」

 

 今しがた話した《ゼノバイン》が彼女の心配の種になっている。蒼はゆっくりと、受け答えした。

 

「……アルマーニ。あなたは、死なせない。それに、みんなも、だ。もう、誰も……死なせて堪るか……」

 

 一室を出て、塔を駆け下り格納庫へと至る。

 

 その途上で兵士に声をかけられた。

 

「聖戦士様! 一体何が……!」

 

「問いたいのはこっちだ! 何が起こった?」

 

 尋ね直した蒼に、兵士は狼狽する。

 

「分かりません……ですがよくない事なのは……」

 

 疑いようもない、か。蒼は奥歯を噛み締め、格納庫に飛び込んでいた。聖戦士候補のクラスメイト達が当惑気味の視線を投げる。発進準備に入っていた一機の《ゲド》に、蒼は割り込んでいた。

 

「何を!」

 

「《ゲド》で出る! 敵の数は?」

 

「それが……たった一機のようなのです。でも、その一機はまるで小山のような大きさで……」

 

 要領を得ない言葉を受けながら、蒼は《ゲド》を急発進させる。オーラを注ぎ込んで無理やり飛翔させた《ゲド》の躯体ががたついた。

 

「小山のような敵……? 分からぬ事を……」

 

 視線を巡らせた蒼が目に留めたのは、城下町を踏みしだく、茶色の岩石であった。

 

 否、岩石に見える部位は全て積層構造の装甲であり、岩肌の厳めしさを持つそれは蠢動し、中枢に据えた赤い眼光を滾らせている。

 

 それは間違いなく――。

 

「オーラ、バトラー……あんな大きさの?」

 

 覚えず自分自身に問い返す。オーラバトラーの大きさは千差万別とは聞いていたし、最初の戦いの時に無数のオーラバトラーは目にしていたが、今まで見てきたどの機体よりも大きい。

 

 そして、その装甲の堅牢さよ。

 

 城壁を守る駐在オーラバトラーが放った火矢を岩石の装甲を持つオーラバトラーは意に介せず、攻撃を受けた事さえも意識の外のようであった。這い進むかのように、その速度は遅くとも、それでも城へと真っ直ぐに向かってくる。その途中にある家屋を踏みしだき、木造細工の領民の備えを叩き壊していた。まさに抜身の暴力そのもの。

 

 蒼は降下しようとして、昼間の《ゼノバイン》との戦闘がちらつく。不用意に降りて、逆にしてやられたのでは話にならない。

 

「どうすれば……」

 

《ゲド》の攻撃力では阻止にもならないだろう。そのような思いが掠めたその時であった。

 

 赤い装甲のオーラバトラーが滑空し、敵の眼前へと勢いをつけながら着地する。

 

 抜刀したオーラバトラーより声が迸った。

 

『ゼスティアの新型か……。通しませんよ!』

 

 エルムの《レプラカーン》が打突の構えを取り、敵オーラバトラーへと眼光を飛ばす。

 

「前に出過ぎると……!」

 

『黙っていてください。役立たずは……』

 

 そう言われてしまえば、不用意に立ち入る事も出来ない。《レプラカーン》の剣が跳ね上がり、岩石のオーラバトラーへとオーラを纏わせた剣閃を浴びせかける。

 

 その必殺の一撃は確かに、装甲を打ち据えたが。

 

『……堅い』

 

 打撃や剣戟はまるで意味がないかのように、巨岩のオーラバトラーが黒い爪を奔らせる。爪による軋り攻撃が《レプラカーン》の剣を打ち砕いていた。その破壊力は、ただのオーラバトラーの比ではない。

 

『……単純なパワー負け……? 馬鹿な……』

 

 メイン武装を失った《レプラカーン》は携行火器で相手を遠ざけようとするが、それでも敵機は接近する。まるで、痛みや破壊の危険性を度外視した、前進のみを重視した、戦車のようなオーラバトラーだ。

 

 その苛烈なる在り方に、蒼は閉口しつつ、城壁より複数展開した、騎士団の《ドラムロ》を視野に入れていた。

 

「来ちゃ駄目だ! こいつは、ただの……!」

 

 その時、奇岩のオーラバトラーの赤い眼窩が輝き、装甲の継ぎ目が開く。内側に格納されていたのは、小型のミサイルだ。全身から発せられた突然の火矢の殺到に、《ドラムロ》は出鼻を挫かれ、そして迎撃されていく。

 

 近づく事さえも容易ではない。

 

 蛇に睨まれた蛙のように、眼前の《レプラカーン》は硬直している。このままでは、と判じた神経が《レプラカーン》へと剣を投げていた。

 

「エルム! これを!」

 

 通信が正常に繋がったかどうかは定かではない。しかし、突き刺さった剣をどう扱うのかまでは忘れていないようで、《レプラカーン》はその剣を地面から引き抜き、今度は飛翔して岩石のオーラバトラーの背面を取っていた。

 

 機動力では遥かに勝る事実から、まずは吟味すべきだと感じたのだろう。《レプラカーン》を操るエルムは、相手オーラバトラーの弱点を探ろうとしていたが、やはりと言うべきか、特筆すべき点は見当たらないようで攻めあぐねていた。

 

 空中で、《ゲド》による接触回線を開く。《レプラカーン》へと、蒼は言葉を投げていた。

 

「迂闊な攻撃は! 危険ですよ!」

 

『黙っていてくださいよ……。中途半端な聖戦士は……』

 

「そういうものでもないでしょう! この敵は! 今潰さないと禍根を残します!」

 

 その言葉にはさすがに頷かざるを得なかったのか、エルムは苦味を返していた。

 

『……何なんだ、あのオーラバトラー……』

 

「さっき、攻撃の瞬間に装甲が開きました。その時を狙って……」

 

『それくらいは織り込み済みでしょう。ただ単に目元に行くだけですよ。ただ……見る限りでは装甲も堅牢。それに、纏っているオーラも。コモンのオーラ力の色をしているのに、こんな出力値……』

 

 エルムには相手のオーラが手に取るように分かるのだろう。分かるからこそ脅威を何よりも明確に感じ取る。自分は、と言えば、巨岩のオーラバトラーを見下ろすばかりだ。

 

「……あんなのって……。ゼスティアの?」

 

『そう考えるのが筋でしょうね』

 

「堅さが段違い……。あんな、オーラバトラーを用意するだけの兵力があるなんて」

 

『いずれにしたって、敵には違いないでしょう。墜としますよ!』

 

《レプラカーン》が加速を得て敵機へと肉薄する。

 

「危ないですよ!」

 

『戦場で危険や、そんなものにいちいち頓着していたら、何が出来るものか!』

 

 奔った刃が装甲を打ち据えるが、やはりと言うべきか、傷一つつかない。敵オーラバトラーが《レプラカーン》へと爪で引っ掻く。

 

 先ほどのように受ける愚は冒さず、《レプラカーン》は後方に飛び退り、距離を取る事で相手の出方を見ていた。

 

『……動き自体は緩慢。しかし油断はならず、ですか。まるで装甲車か重機関車……。だがこんな……コストを度外視した機体をゼスティアが造るって……?』

 

 敵オーラバトラーが腕を振るい上げる。土くれを舞い上げ、怒りに震えたかのような攻撃に兵士達がうろたえたのが伝わった。

 

『こんなの……勝てるわけが……』

 

『勝てる! 弱気になるな! 敵の思うつぼだぞ!』

 

 だがエルム自身もどこかで及び腰のはずだ。蒼は《ゲド》を飛翔させつつ、敵の弱点を探ろうとする。仔細に観察すればするほどに「あり得ない」構造なのだ。

 

 ――あんなものはゼスティアとの戦いのどん詰まり……「オーラバトラー大戦」にはいなかった。

 

 そう、自分にはその記憶がある。あの最終局面で出てこなかったオーラバトラーならば、それは完全なる新型となる。

 

《ゼノバイン》と同じくイレギュラーだ。

 

 だが、そう何度も想定外が出てくるのだろうか。蒼は注視し、袖口に仕込まれている通信用のワイヤーを射出する。敵の装甲面に接続されたそれから、パイロットへと言葉を投げていた。

 

「そのオーラバトラーのパイロット! 何が目的だ! ゼスティアの新型なのか!」

 

 こちらの声に、敵パイロットが応じる。

 

『……ジェム領の聖戦士か。いずれにせよ、ここで儂を止められるか? この我がオーラバトラー、《マイタケ》の能力を。止められるのならば示せ。そうでないのならば、諦めるがいい。儂は抵抗心もない相手を殺すようなつもりもない』

 

 その声音に蒼は見知った人物を思い返していた。

 

「……確か、その声……。グランとか言う……」

 

 そう、前回の時間軸で、ゼスティアのために自ら身を挺した軍人、グラン。その声と同じなのだ。

 

 相手はまさか自分の名前が看破されるとは思っていなかったのか、《マイタケ》と呼ばれたオーラバトラーを制止させる。

 

『……何故、儂の名前を……。何者なのだ』

 

 ここでは被害を最小限に食い止めるために、自分の知識をフルに生かすべきだろう。いずれにせよ、現状ではどのようなオーラバトラーでも、この《マイタケ》一機を止める事も叶わないのだ。

 

 蒼は唾を飲み下し、慎重に声にしていた。

 

「……わたくしは、あなたを知っている。どうしてなのか、聞きたくはないか」

 

『……儂の素性が割れているはずがないのに、何故、知っている? まさか貴様も、ゼスティアの潜入兵か?』

 

 ここで聞き入れるべきは「貴様も」という言葉だろう。ゼスティアの潜入兵が、既にこのジェム領に隠れているのだと相手は無意識のうちに暴露している。

 

 だが最大限に利用するべきなのは、その潜入兵を追い回す事ではなく、その名を騙ってここはグランを押し留めるべきだろう。

 

「……作戦に支障が出る。《マイタケ》の運用を停止するんだ」

 

『それが、本国の命令か』

 

 ああ、と首肯すると、相手は《マイタケ》の攻撃網を緩めた。蒼は接近し、真正面から《マイタケ》を睨む。

 

 赤い眼光のオーラバトラーと向かい合い、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「……思ったよりも事態は難航している。《マイタケ》による破壊行為は現状、意味がない。いや、薄いと言うべきか」

 

『それは領主の言葉か』

 

 これには乗るべきだろう。ゼスティアの領主は知らないが、相手がそう思い込んでいるのならば、最大限に活用する。

 

「そうだ。今、ジェム領を襲っても待っているのは《マイタケ》を完全に駆逐するだけの包囲陣。旨味はない」

 

 この通信が他の兵士に聞かれていれば、自分も一巻の終わり。しかし、《マイタケ》への説得と、そしてハッタリは、ここでは効いたらしい。

 

《マイタケ》の腹腔が開き、中から現れたのは予想通りと言うべきか、浅黒い肌の軍人であった。

 

『アオ! そいつをやったのか?』

 

 その質問に蒼は冷静に返す。

 

「条件次第ではこちらへの破壊活動に対する旨味がないのだと判断させました」

 

 嘘ではない。ただし、これは時間遡行を繰り返している自分ならではの視点だ。

 

「……その方の聖戦士。何者なのだ」

 

「言いたい事は分かっている。問い質したいのも。ただ、現状のジェム領にはゼスティアにおいて、優位に回れる兵力がある。それを無視しての《マイタケ》の侵攻はただ単に失敗するだけに留まらない」

 

 これもイカサマ。しかし、相手は名前を看破してみせた理由をどうしても知りたいらしい。ここでの無用な動きはしなかった。

 

 追いついてきたザフィールの《ドラムロ》が率先して拘束する。

 

『アオ! こいつ……もう戦意は?』

 

「ありません。騎士団長、ここはわたくしにお任せください」

 

《ゲド》による拘束具を用い、蒼はグランを縛り上げる。だが屈強なる軍人の眼差しは死んでいない。それどころか、眼光は恐るべき光を湛えている。

 

 少しでも嘘が露見すれば、それだけで攻勢が逆転するであろう。

 

 蒼は《ゲド》のコックピットで嘆息をつき、やがて声にしていた。

 

「エルムさん。《レプラカーン》を下がらせてください。もう、大丈夫ですから。巨岩のオーラバトラーを拘束し、そのまま城内へと」

 

『……構いませんが、随分とあっさりと。……何か、勘繰られればまずい腹でもあるのですか?』

 

 こちらにはないが、グランにはありそうだ。蒼は《ゲド》でグランを繋ぎつつ、これから先に待つであろう苦難を思案していた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十話 暗黒魔境域

 牢に入れてから、蒼は改めてグランと向かい合っていた。

 

 やはり、前回、捨て身でゼスティアの軍勢を下がらせたグランその人だ。だが、この時間軸では何故、あのような巨大オーラバトラーを動かすに至ったのか。それを詳らかにしなければならない。

 

「……驚いたな。声でそうかと推測はしていたが、まだ少女ではないか」

 

「余裕はないものでね」

 

 応じるとグランは自嘲する。

 

「それはどの兵力でも同じ、か。……何故、儂の名前を知っている? 潜入兵にしては事前に伝え聞いていた姿形ではないな」

 

 グランがどのような情報を持っているのかは分からない。だが、自分の知り得るグランと言う男の素性を明かさせれば、相手は困惑する事だろう。

 

「ゼスティアの生粋の軍人、グラン中佐。オーラバトラー、《マイタケ》の運用は、如何にして?」

 

 うろ覚えの階級であったが、どうやら合致していたらしい。相手はふんと鼻を鳴らして応じる。

 

「せっかく、開発に成功したのだ。使わないでどうする? 遊ばせておく余裕もないのは知っていよう」

 

「それには確かに。だが、少しばかり過剰ではないのか。ゼスティアの領主の命にしては、あまりに迂闊」

 

 それは蒼が感じたそれそのものであった。単騎のオーラバトラーによる蹂躙。それは兵力の統率を主とする領国同士の争いではなかなかあり得ないからだ。

 

 たった一騎で何が出来る。

 

 それが戦いの最終局面まで至った自分の意見だ。最悪の事態に転がったとしても、一騎で出来る事はたかが知れている。

 

 しかし、オーラバトラー、《マイタケ》の能力は、その単騎戦力としては破格であると言ってもいい。

 

 多重積層構造の装甲に、この時代のオーラバトラーの火器としては珍しい、ミサイル携行火器。さらに言えば、オーラを纏った剣よりも硬い爪。どれもこれもコストを度外視した設計だ。

 

 ともすればあれがゼスティアの切り札か、と勘繰ったが、自分はそうではない事をよく知っている。

 

 ゼスティアの鬼札はあくまでも白亜のオーラバトラー、《ソニドリ》。

 

 その決定的な部分さえ違えないのならば、《マイタケ》との戦いとて前哨戦。あるいはゼスティアが送り込んできたこちらの戦力をはかるための試金石。

 

 実際、今攻められれば、ジェム領はまずいのだ。

 

《ゼノバイン》によって騎士団の半数以上を失い、聖戦士の教育もまともに行き渡っていない現状、攻め込まれればお終いであった。

 

 自分のハッタリが効くのも、それほど長い期間ではないだろう。ここは知り得る事はカードとして出しておくべきだ。

 

「ゼスティアに忠義を示しているにしては、《マイタケ》での特攻は少しばかり……いや、かなり強引に見えた」

 

「……潜入兵からしてみてもそうか。いや、実際に強硬策であった。それは認めよう。だが、この期に関しては、ジェム領の弱点を攻め入るべき、と判断が下るも致し方なし、と厳命が下った」

 

「それはゼスティアの……」

 

「連中は焦っている。儂のような門外漢にまで、あのような新機体をあてがうほどであろうからな」

 

 門外漢、と言う言葉が引っかかる。グランは忠義の兵士ではないのか。

 

 そういえば前回も、不自然な自己犠牲であった。あの状態で切り抜けるのは今にして思えば、忠義に殉じているのではなく、別の方向性……場当たり的なやけっぱちにも思える。

 

 ともすれば、と蒼は言葉を組んでいた。

 

「……あなたの経歴をジェム領では一切、差別しない」

 

 確信的なものがあったわけではない。だが、グランがゼスティアに完全なる忠誠を誓った騎士ではないのは、何となくだが分かっていた。

 

 グランは面を上げ、フッと微笑む。

 

「儂にゼスティアを裏切れと?」

 

「ジェム領にも居場所はある」

 

「馬鹿を言え。殺して回った虐殺者に、居場所などあるものか」

 

 その段階で、蒼は確信する。《マイタケ》による侵攻は、自分の退路を断つための決死の特攻。つまるところ、彼もゼスティアに居場所がない。

 

 ――だが、何故だ?

 

 問いを重ねる。オーラ力も強く、何よりも新型機を手足のように動かせる人員は、どちらの陣営からしてみても欲しいはず。なのにどうして捨て石のような真似をしたのか。

 

 その疑問だけが氷解しない。

 

 一体、グランは何を隠し持っているのか。解きほぐさない限りは、何も決定的な事は言えなさそうだ。

 

「……人道的配慮を心がける」

 

 その言葉を潮にして蒼は立ち去りかけて、グランに呼び止められる。

 

「……これは老婆心のようなものだが、出来得る限り、ジェム領からは離れたほうがいい。もうすぐ、大きな争いが起こる」

 

 その忠告は、自分を潜入兵だと信じ込んでの事だろう。蒼は振り向いていた。

 

「大きな争い? 何が……」

 

「あれは完成した。ゆえに、もうゼスティアに待つ必要性はなくなったのだ。だからこそ、言っておく。大勢死ぬ前に、ジェム領を離れろ。そうしたほうが巻き添えを喰らわずに済むぞ」

 

 巻き添え。そして、完成した、という言葉。蒼は自ずと、その名前を紡いでいた。

 

「まさか……《ソニドリ》か?」

 

 その言葉があまりに意想外であったのだろう。グランも瞠目していた。

 

「……極秘事項の名前を何故知っている?」

 

 これは関知してはいけない事項であったか。蒼は咄嗟に口を噤み、忘れてくれ、と身を翻す。

 

「今のは……単なる気の迷いだ」

 

 だが、と蒼は拳を握り締めていた。

 

 ――来るのならば来い。今度こそ、八つ裂きにしてやる。

 

 それだけが、ザフィールを二度も失った自分が言える、確固たる信念であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「捕虜の身元? 何でそんな」

 

 問われたザフィールからしてみれば意味不明なのであろう。蒼はしかし、語気を強くしていた。

 

「どうにも……ゼスティアの民らしくない。相手は本当に、ゼスティアの兵士なのですか?」

 

 蒼の詰問にザフィールは、参ったなと後頭部を掻く。

 

「相手の兵士がどこ出身かなんて俺でも分かるもんか」

 

「ですが、あの浅黒い肌に、独特のオーラがあります。何者かの憶測は立つのでは?」

 

 それに、と蒼は言葉を継ぐ。

 

「何者か知り得なければ、同じ事がまた起こります」

 

《マイタケ》の事を言っているのだとザフィールには伝わったであろうが、実際に思い描いたのはオーラバトラー大戦の風景であった。

 

 数多のオーラバトラーが飛び交い、互いに血潮を撒き散らすあの大戦に至るのはそう遠くないのかもしれない。ならば一つでも多くの確定事項を持っておくべきだ。

 

 ザフィールは周囲に人気がない事を確かめてから、耳打ちしていた。

 

「……あまり他言して欲しくないのだが」

 

「分かっています。相手も何を仕出かすか分かりませんから」

 

「……理解があって、と言うべきなのかな。いずれにせよ、看過出来ない事象として、グランと言う軍人がいる。そして、オーラバトラー、《マイタケ》も。あの戦術クラスのオーラバトラーは大したものだ。だが、うまく運用出来る兵士が居なくてね。《マイタケ》は解体され、《キヌバネ》の部品となる事が決定した」

 

 それは部品不足に喘いでいたジェム領からしてみれば吉報だろう。だが、それだけではないのだと予感する。

 

「グランと言う武人に関しての記録は……?」

 

 前回を経験していない自分以外は初対面のはず。ザフィールは案の定、首を横に振っていた。

 

「どうにも……分からない事のほうが多い。彼の出自、に関しても。コモンの出身地はある程度絞れるものだ。それこそ、オーラの質でね。だが……彼ばかりは少し異なる。オーラ力が導く彼の出自は……どうにも信じ難い」

 

「アルマーニが言ったのですか?」

 

 渋い顔をしてザフィールが首肯する。蒼はその先を促していた。

 

「何者なのです? それを明かさなければいたずらに兵の不安を煽るだけになります」

 

「それが……」

 

 ザフィールが濁すという事はそれなりの事実なのだろう。蒼は突き詰めていた。

 

「……他言はしませんから」

 

「では……。聖戦士……いや地上人は縁のない話かもしれないが、このバイストン・ウェルには、我々コモンと、そしてフェラリオだけではない。もう一つの種族がいる。蛮族で、とてもではないが対話が不可能な相手だ。その眷属とコモン人は長年に渡って争ってきた。絶対に分かり合えない魔、禁忌と呪術を主とする、闇の種族。バイストン・ウェルの歴史は、闇との対峙にある。コモンは彼らを忌避し、名前すら呼ぶ事を憚ってきた」

 

 前口上の後に、ザフィールは口にする。

 

「その名を、ガロウ・ラン。闇の眷属、ガロウ・ランのオーラに極めて近いものを、彼……グランから感じ取った」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガロウ・ランに関して問い質しても、コモンは口を割らないであろう。

 

 ゆえに、訪ねていた自分はアルマーニと顔を合わせるなり、こうして利用するために会うのか、と少しだけ罪悪感に駆られた。

 

 だが当の彼女は話せる相手が楽しみらしい。

 

「あら、アオ。来てくれたの」

 

「……あまり長話は出来ないけれど」

 

「そうよね。城下町が襲われた。しかも、見た事もないオーラバトラーに。あのオーラバトラー、かなりの機体ね。ここの塔に幽閉されていても伝わってきたわ。オーラ力がとてつもない、コモンが乗っていたのでしょう」

 

 それはわざと遠回しにするように言っているのだろうか。あるいはザフィールから戒厳令が出ているのかもしれない。

 

「アルマーニ。分かっている事を教えて欲しい」

 

「分かっている事って。あのオーラバトラーが凄まじい相手であったくらいしか――」

 

「闇の眷属に関してだ」

 

 そう切り出すと、牢の前で佇んでいるコモンの兵士が殺気立ったのが伝わった。アルマーニもどこか慎重になる。

 

「……意味が分かっているの?」

 

「分かっていなければこんな事は問わない。アルマーニ。わたくしは所詮、地上人で……来たばかりの人間。だからバイストン・ウェルに根差した忌避や、そういうのは分からない。でも、知り得る事は出来る。何があったのか、いや、どういう暗黙のルールが降り立っているのか」

 

 きっと、問い質す事さえもタブーのはずだ。しかし、アルマーニは少し考える仕草をした後、すぐに応じていた。

 

「……どこまで知りたいの?」

 

「言えない、とは言わないんだな」

 

「アオのためだもの。貴女は私の理解者、そして有益な話し相手。貴女の必要な事なら何だって答えてあげたい。それが禁忌に触れるものだとしてもね」

 

 アルマーニはあくまでも対等な話し相手として自分を認識しているのだろうか。聖戦士としてではなく。いや、彼女からしてみれば聖戦士だろうが、コモンだろうがどうでもいいのかもしれない。自分を忌避しない相手ならば、この世の誰でも。

 

「……ガロウ・ラン、彼らはどこから来たんだ? コモンとどういう関わり合いで生きている」

 

「ナンセンスな質問ね。ああ、でも、コモン人は答えたがらないでしょう。それは禁忌だから」

 

「何で禁忌とされている」

 

「蛮族、ガロウ・ラン。彼らの言い伝えは古くにまで遡れる。コモン人のいるコモン界の下層、地下深くの闇の中で生きる邪悪なる存在。彼らは幾星霜の年月を、コモンとの対立で過ごしてきた。いいえ、ほとんどは対立にさえもならなかった。彼らとコモンは、言ってしまえば理の違う生命体。ゆえに、対立と言うよりも、棲む世界の違うだけの、別種ね。その別種に対して、コモンは恐れ続けていた」

 

「それは何故?」

 

 アルマーニは肩を竦める。

 

「コモンは戦うようには出来ていないのよ。だから、古くから聖戦士の逸話があった。彼らコモンが困窮し、そして疲れ果てた時、それを救済するのは地上界より訪れる聖戦士だと。そう、彼らは信じ込んでいたし、実際、聖戦士が解決した問題も数多くあったのでしょうね」

 

「フェラリオの価値観でも、実際のところは……」

 

 アルマーニは頭を振った。

 

「分からないわ。だって見てない事を見たように語るのには、それを経験したフェラリオが最低限でも必要だけれど、私の場合、ガロウ・ランとコモンの戦いの記憶はない。役に立てなくって申し訳ないわね」

 

「いや、いい。ただ……ガロウ・ランとコモンの人々は、交わらないものなのか?」

 

「そんな事をコモンに聞いてみなさいな。彼ら、ひっくり返るわよ。そして貴女は処刑される。魔女だってね。それくらい、ガロウ・ランとコモンが交わるなんてあり得ない話なのよ」

 

 だが、グランの出自はガロウ・ランの血が混じっているのだと聞いた。間違いないのならば、この世界に禁忌を恐れなかったコモンがいる事になる。

 

「……アルマーニ。もっと聞きたい事は山ほどあるんだけれど……」

 

「それを時間が許さない、わね」

 

「時間だ。それに聖戦士とは言え、そのような忌まわしい名前を口にするのは憚って欲しい」

 

 コモン人からしてみれば今の会話もあってはならない話だろう。蒼は立ち去りかけて、アルマーニに袖口を掴まれていた。

 

「アオ。貴女はどうしても、その歴史を紐解きたい。そして、何かを恐れている、違う?」

 

 脳裏に過ったのは白亜のオーラバトラー、《ソニドリ》。あれが完成したと言うのならば、自分はこんな場所で燻っている場合ではない。

 

 いずれ来るゼスティアとの闘争において《ソニドリ》は必ず弊害となる。ならば、完成直後に破壊するのが最も的確なはずだ。

 

「……アルマーニ。あなたにだけ言う。……近いうちにジェム領を離れなければならないかもしれない」

 

 囁きかけた蒼に、アルマーニは、そう、と瞼を伏せた。

 

「それは決められた事なのね」

 

「果たさなければならないんだ。そうでなければ……わたくしは何のために……」

 

 何のために繰り返しているのか。それを腰に提げた剣に問う。どうしてだか、この身と共に時間を逆行したザフィールの剣。写し身の剣は何を語りたいのか。何を――導くと言うのか。

 

「いいわ。アオ。それが貴女の望みならば、私は口を挟まない。ただ……これが果たされるのならば、貴女にだけ、望んでもいいのかしら」

 

「……出来る事は手伝いたい」

 

 アルマーニも孤独だ。だからこそ、手を差し伸べられるのならば、と思っていた。妖精は一つ頷き、小さく告げる。

 

「――私をここから連れ出して」

 

 蒼は目を見開いていた。アルマーニは、そのまま続ける。

 

「そうすれば、貴女の知りたい事、知るべき事を何でも話してあげる。貴女には、ただのコモンでは手伝う事なんて出来ない。でも、酔狂な妖精ならば、どう?」

 

「……本気で言っているのか」

 

 問い質した瞳に、アルマーニは首肯していた。

 

「ガロウ・ランについて話せるのも、ここでは無理があるわ。アオ、貴女が睨んでいるその人物と私を引きあわせてくれれば、もしかしたら……」

 

 望む結末に赴けるかもしれない。蒼は選択を迫られていた。コモンの兵士が急かす。

 

「何をやっている。如何に聖戦士とは言え、これ以上の狼藉は――」

 

「御免」

 

 蒼は剣を鞘に入れたまま、薙ぎ払っていた。コモンの兵士がうろたえたその時には既に昏倒している。

 

 もう一人の番兵が抜刀して斬りかかったのを、蒼は身をかわし、峰打ちで制していた。

 

 一瞬の交錯にアルマーニが唖然とする。蒼は彼女へと手を差し出していた。

 

「……走るぞ」

 

 この決断は間違いかもしれない。それでも、今は心に従っていたい。

 

 アルマーニは、何度も頷いた。

 

「ええ……ええ。貴女は私を守ってくれる騎士。私は、最後まで、貴女の武運を祈りましょう」

 

 その手を取り、蒼は妖精を縛り付ける鎖を切り裂いていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十一話 叛逆聖戦士

 

 ジェム領の中にオーラ関知に秀でた者はそうそういないことを、自分は今までの経験則で知っている。だから、ゼスティアが何度も攻めてこられたのだ。

 

 内側からの破綻など、余計に視界に入らないだろう。

 

 蒼は一気に地下牢まで駆け進んでいた。しかし、やはりと言うべきか、屹立した影に息を切らしたアルマーニを下がらせる。

 

「……下がって」

 

「理解できないなぁ。アオ・キジマ。何故、フェラリオを逃がすような真似をする? 国家反逆罪ですよ」

 

「アルマーニが望んだ。それに、わたくしも。ならば、今はそれに従っていたい」

 

 エルムは指を鳴らす。降下してきたのは赤い装甲のオーラバトラー、《レプラカーン》。

 

 オーラバトラーとの生身での戦いは計算外だ。蒼は、ここでの撤退の術を考えていたが、エルムが用意したのは、自分の乗ったことがある《ゲド》であった。

 

 まさか反逆者の肩を持つのか。困惑する間にも相手は口にする。

 

「勘違いしないでいただきたいのは、武器も持っていない相手を斬り下したところで、武勲にはならないからだ。《ゲド》に乗れ、アオ・キジマ。その誤った野心、ここで砕く」

 

 どうやらエルムは言動に難はあれど、真っ当な騎士であったらしい。

 

 ――自分とは違う。彼は皮肉を吐いても、ジェム領に忠誠を誓っていたのだ。ある意味では愚直なほどに。

 

 蒼は《ゲド》へと乗り込んだ。

 

 特に細工された様子もない。本当に、一騎討ちを所望していると言うのか。

 

「……何故、ここまで義理を通す」

 

『義理? またしても勘違い甚だしいな。ここで討ったほうが得だと判断したから、《レプラカーン》で戦うまで』

 

「……生身の反逆者だ、殺せばいい」

 

『それだと張りがないんですよ。……否定したい相手を、ただただ武力で圧倒するのは、どこかね!』

 

 彼もまた歪みの持ち主か。ある意味での同情を禁じ得なかったが、蒼は油断する気もましてや手加減するつもりもなかった。

 

「《ゲド》、わたくしのオーラを全開に設定する……」

 

 操縦桿を握り締め、オーラ力を注ぎ込むイメージを伴わせる。四肢に循環した血液のオーラが《ゲド》の眼窩に生命の輝きを灯した。

 

『エルム、《レプラカーン》。反逆者を討つ!』

 

「アオ・キジマ。ここは進むために。……《レプラカーン》を迎撃する!」

 

 互いに抜刀し、翅を高速振動させてまずは一閃を浴びせかかったのは蒼のほうだ。《ゲド》の剣筋が奔り、《レプラカーン》の頭部を狙い澄ます。

 

 やるのならば短期決戦。それは絶対であった。

 

 だが、その予見した間合いを、相手はすり抜けて下段より払い上げる。蒼は習い性のプレッシャーに任せ、《ゲド》を飛び退らせていた。

 

 頭蓋が割られる限界すれすれまで、相手の剣を受ける戦法。《レプラカーン》は居合いを心得ている様子だ。しかし、居合い抜きは自分も得意とする戦法の一つ。

 

 ――心を静かに保て。湖に映る月のように。

 

 正眼に剣を構え直し、蒼はそのまま挙動させる。《ゲド》が構えたまま、空間を駆け抜けていた。《レプラカーン》は足で払い、姿勢を崩そうとする。その行動を予見して飛翔した《ゲド》が直上より一撃を見舞う。

 

「もらった!」

 

『甘いんですよ、そんなのはねぇッ!』

 

 頭上の剣を払った《レプラカーン》が後退する。その足元へと、《ゲド》は銃撃していた。

 

《レプラカーン》はもちろん、そのような粗末な照準の射撃など回避行動さえも取らない。当たらないと分かっているからだ。

 

『無暗やたらに撃ったところでッ。この《レプラカーン》は墜とせないッ!』

 

 敵は再び踏み込んで剣を見舞おうとする。それこそが――好機であった。

 

 一発、炸薬の詰まった弾丸を放つ。たった一発の炸裂弾が大地を割り、《レプラカーン》の足場を崩していた。

 

 一瞬の隙だ。

 

 逃せば次はない。

 

 蒼は《ゲド》の脚力と翅に全身全霊のオーラを注ぎ込んでいた。向かう剣術は一つ。一刀の下にオーラバトラーを混濁させたくば、狙うのは生身と同じく眉間――頭蓋への必中攻撃。

 

 蒼は刃で《レプラカーン》の頭部をへと一閃を入れる。全力を傾けた唐竹割り。果たして――《レプラカーン》の頭部装甲に、その一撃は入っていた。

 

 人間のそれと同じだ。オーラバトラーも、機械とは言えオーラ力で動かす以上、人間の弱点はそのまま弱点となる。

 

 頭を割られれば、機体を替えない限りは行動不能に陥るであろう。

 

 蒼は肩で息をしながら崩れ落ちる《レプラカーン》を視界に入れていた。

 

 エルムが手を抜いていたとは思えない。しかし、どこかで、彼もまた納得していなかったのは、刃を交えれば分かる。

 

『……情けは不要だ』

 

 その一言に全てが込められている気がした。蒼はアルマーニをコックピットに招く。

 

 兵士たちが騒ぎを聞きつけて包囲する前に、《ゲド》を高高度に飛翔させていた。

 

 ジェム領の城壁を駆け抜け、地下牢へと続く回廊へと身を躍らせる。

 

「アオ……。本当にうまくいくの?」

 

「焚きつけた側が何さ」

 

 こんな皮肉程度で済むのならば許して欲しい。自分は、忠義の騎士を斬ってまで進むと決めたのだから。

 

 回廊内部に監視はほとんど行き渡っていない。

 

 だからなのか、グランの囚われている地下牢には思ったよりも簡単に到達できた。

 

 突然に現れた《ゲド》に相手は処刑を予感したのだろう。

 

「殺すのか」

 

「違う。生かしに来た」

 

 コックピットを開いて言いやると、グランは目を見開く。

 

「潜入兵に……フェラリオが何故……」

 

「利害が一致した。だから次いでの用事だ。あなたを助ける。ゼスティアを止め、バイストン・ウェルの運命を変えるのならばこれしかない」

 

 今は、これしか思い浮かばない。蒼は牢獄を破壊し、グランの鎖を断ち切る。

 

「……ゼスティアに向かうのか」

 

「それも込みで、考えなければならない」

 

 さすがに三人乗りのオーラバトラーは重い。ペダルを踏み込んで蒼は《ゲド》を飛翔させる。しかし、先ほどまでとは雲泥の差の機動力だ。

 

 誰かが追いついてくるはず。

 

 その予感は、半分は正解で、半分は完全な想定外であった。

 

 ジェム領の門前で、松明を掲げてこちらを睨む一団に、蒼は通らぬのも不義理、と降下する。

 

 いずれにせよ、推進剤が持たない。

 

 城壁を超えるほどの馬力も持たぬ《ゲド》では、彼らと対峙しない道はなかった。

 

 松明を掲げた兵士達が、まさか、本当に……とうろたえる中で、たった一人の正統なる騎士がこちらを見据えていた。

 

 その瞳に、顔を見せぬ失礼は返せないと、蒼はコックピットを開いていた。

 

「重そうだな、アオ」

 

 どうして、こんな時にもそんな余裕のある言葉が吐けるのだろう。

 

 ザフィールを前にして、蒼は委縮してしまっていた。

 

 今、自分の行おうとしている事。そして、何を成そうとしているのかを、その眼差し一つで問い返される。

 

 ――本当に正しいのか。間違っているのではないのか。

 

 ザフィールの眼はいつもそうだ。過ちに陥りかける自分を指し示す道標。煌々と道を諭す灯火そのもの。

 

 だが、今は、違えた運命にまで灯火を差すのは非情というもの。

 

 蒼は言葉少なに切り抜けようとしていた。

 

 言葉を重ねれば重ねるほどに、自分ではザフィールを圧倒出来ないと感じたのである。

 

「エルムを下したのか。それはやはり、能ある鷹ほど、という奴かな。こっちにはいない生き物だが、いくつかの地上界の伝承で聞いた事がある。わざと能力をひた隠しにしてきたのか」

 

「そんなつもりはありません。……不義理を重ねたつもりも」

 

「だがエルムを倒せた。それは称賛すべきだろうかな。……俺の部下として」

 

「よしてください。わたくしにはもう……資格なんてないんでしょう?」

 

「分かっていてならば、俺にはお前を止める口はないさ。……何のつもりかだけは聞いてもいいか?」

 

「……領国同士の戦いは、どこかで濁されたものがある。わたくしはその胡乱なる真実を、自明にしたい」

 

「悪い言い草だ。もっとハッキリ言え」

 

「では……。何か、よからぬものが蠢いている。それはきっと、わたくしだけじゃない。騎士団長にもきっと危害を加える」

 

「まるで行き遭ったかのような言い草だな」

 

 その通りであった。《ソニドリ》あれを止めなければ、二つの領国は互いに滅ぼし合うのみだ。

 

 そして今、止めるだけのピースが揃おうとしている。

 

 ガロウ・ランの末裔たるグランと、エ・フェラリオ、アルマーニ。この二人の紡ぐ真実を聞けば、ともすればこの因果にピリオドを打てるかもしれない。

 

 この、間違った時の輪廻に、終着を。

 

 蒼は言葉にしていた。出来れば下がって欲しい。そのための言葉を探っていたのだ。

 

「……斬りたくない」

 

 どうにも、自分はザフィールを前にして及び腰になっているらしい。それもそのはず。ザフィールの後ろには、漆黒の装甲を纏いし、甲殻騎士が佇んでいる。

 

 こちらの返答をあくまでも待っている彼の姿勢に、尊敬はあっても否定などするものか。

 

 蒼は最後の最後まで、非情になり切れなかった。その言動に、ザフィールは一言だけ添える。

 

「……残念だ」

 

 その身は後部に位置するオーラバトラーへと搭乗を果たしていた。ザフィールのオーラ力を受け、内側より青い炎のようなオーラが照り輝く。燻るオーラの青が結晶体を通し、その眼窩に生命を宿していた。

 

「……オーラバトラー、《キヌバネ》……」

 

 完成したのか、という感慨さえも惜しい。今この瞬間、最大の敵として屹立する相手に、感傷など。

 

 ザフィールの携える剣を模したオーラバトラー用の大剣を引き抜き、《キヌバネ》は道を阻む。

 

『いざ――』

 

「アルマーニ。それにグラン。……ちょっと無茶をやる」

 

 コックピットを閉じ、《ゲド》を精一杯飛翔させる。しかし、その高度に易々と追いついてきた《キヌバネ》はまず、《ゲド》の足を引っ掴んでいた。

 

 重量で遥かに勝る《キヌバネ》が組み付くだけでも、《ゲド》からしてみれば死活問題。翅の推力が落ち、自由落下に巻き込まれる前に、蒼は剣筋を奔らせていた。

 

 狙うは頭部。それは揺るぎない。

 

 しかし、そんな小手先を心得ていないほどの迂闊な騎士のはずもなし。

 

《キヌバネ》が剣を受け、そのまま返す刀を見舞う。

 

「対ショック姿勢を!」

 

 二人に警告する時間さえも今は惜しい。蒼は奥歯を噛み締め、落ちた推力を持ち直すべく、翅にオーラを注ぎ込む。

 

《キヌバネ》によって振り回された形となる《ゲド》は、しかし空中で持ち直し、その頭部を持ち上げた瞬間、肌を粟立たせるプレッシャーを感じる。

 

 覚えず半身になった《ゲド》へと、迷いのない太刀が浴びせられていた。

 

 今、回避行動を咄嗟に取らなければ斬られていた――。

 

 その予感に首裏に沸いた汗がどっと冷える。《キヌバネ》の払った剣を受けるが、《ゲド》と《キヌバネ》ではそもそものパワーが段違いだ。

 

 オーラを注ぎ込める推力も違う。ザフィールの剣の重さを何倍にも引き上げた《キヌバネ》の一撃は、《ゲド》を城壁へと叩きつけていた。

 

 一瞬のブラックアウト。しかし、直後には《ゲド》の身を翻させ、直感の居合いを抜く。

 

 その太刀筋と相手の剣が弾き合い、火花を散らせた。暗礁の城下町に、二機のオーラバトラーの放つオーラ力と、互いの剣圧による火花のみが明滅する。

 

 最早、問い質す愚を犯す相手でもない。

 

 ここでの問答は全て無意味。ならば勝つしかない。勝つ以外にこの針の穴のような選択肢の活路を見出せるものか。

 

 蒼は《ゲド》の人造筋肉の状態を見やる。まだ、動く。それだけで構わない。《ゲド》へと行動を叩き込み、操縦系統の導くダイレクトな感覚に、蒼は乱れた呼吸を整える

 

 オーラ力がまだ自分の身体には宿っている。それだけで、充分なる戦う理由だ。

 

 剣筋を払い上げて、《キヌバネ》の死角へと潜り込もうとするが、《キヌバネ》には死角などない。

 

 分かっているはずであった。二度も見たのだ。ザフィールの操る《キヌバネ》は、《ソニドリ》を相手に善戦してみせた。それだけの能力のあるオーラバトラー。一騎当千の可能性に満ち溢れた機体である。羽ばたき、オーラの風圧をなびかせて《キヌバネ》が正眼に構えた剣を打ち下ろす。雷撃のような一撃に終わりを予見した。

 

 だが、《キヌバネ》の剣は《ゲド》を割らなかった。

 

 寸前のところで止まった切っ先に、声が震える。

 

「……騎士団長」

 

『……行け。勝負はここまでだ』

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十二話 戦線超域

 その言葉に松明を持つ兵士達が抗議する。

 

「何故です! 彼の者は裏切った!」

 

『……大義あっての行動だと、信じている。ゆえに、ここでは見逃す。行け。俺の気の変わらぬうちに』

 

 急速に凪いだザフィールの殺意に、蒼は喉元で涙が溢れ出しそうな自分を押し殺していた。ここで、泣けばきっとザフィールは悲しむ。だから、泣くまい。泣くのは、全部終わってからでいい。

 

「……本当に……」

 

 アルマーニの声を皆まで聞かず、蒼は飛翔していた。《ゲド》へと火矢が見舞われるが、どれもが掠めもしない。

 

 城壁を超え、暫く経った森の中で、グランが口にしていた。

 

「……よい師に出会えたのだな」

 

 ――師。そんな陳腐な言葉で言い表せるものか。

 

 自分は結局、今回もザフィールに助けられたのではないか。自分一人で戦い抜くと誓ったのは見せかけか。それとも崩れ落ちそうな我が身を自ら慮る愚直さか。

 

 ザフィールは声もなく涙していた。

 

 止め処ない熱を頬に感じつつ、アルマーニとグランが余計な言葉をかけないのだけが救いであった。

 

 ユニコンによる追撃もない。本当にジェム領を振り切ったのだと分かった時、蒼は涙の痕を擦り、やがて声にしていた。

 

「……ゼスティアに攻め入る」

 

 恐らく、気が触れたのだと思われたのだろう。二人が慌てて説得する。

 

「無茶よ! 一騎で何が……」

 

「儂もその言葉には賛成だ。フェラリオに同意するのは癪ではあるが、このままゼスティアに赴いたところで自決行為にしかならない」

 

「でも……わたくしは……」

 

「落ち着きましょう、アオ。貴女は少なくとも私と、この屈強なる……軍人に聞きたい事があった。そのためのジェム領脱出。違う?」

 

 問い質されて、蒼は自分の問題を棚上げにしなければ、二人の話を聞けない事に気づく。まだ、自分かわいさに嘆くのは早いのだ。

 

「……グラン中佐。あなたは……ガロウ・ランなのですか」

 

 どうしても、直截的な物言いになってしまう。だが、問わなければならないのならば言葉は少ないほうがいい。

 

 グランは一拍挟んだ後に、首肯していた。

 

「……ガロウ・ランの末裔。血筋はコモンだ」

 

「嘘おっしゃい。ただのコモンのオーラじゃない。三世代以内にガロウ・ランがいるはずよ。油断しないで、アオ」

 

「妖精風情が、吼えてくれる。儂の事を信じられぬのならば、何故逃がした。戯れにしては興が過ぎるぞ」

 

 ここは自分が逃げるわけにはいかない。蒼は一つずつ、解きほぐす事にした。

 

 誤解と、そして偽りを。

 

「……グラン中佐。あなたの事を、わたくしは知っているけれど、潜入兵じゃない。どこのスパイでもないんだ」

 

 その言葉にグランは絶句しているようであった。そして、その面持ちは苦渋へと変わる。

 

「我が身ながら、不実であったか……」

 

「無理もない。あの状況であなたの階級と所属を明らかに出来るのは異常でしかないから。わたくしもそれを最大限に利用した。……お互い様、とまではいかなけれど」

 

「アオは出来る事を全うしただけよ。悪くないわ」

 

「妖精に口出しが出来るものか。いたずらにオーラ・ロードを開く、もののけめ」

 

 二人の衝突は悪い方向に転がるだけだ。蒼は、ここでの手札の温存は意味がないのだと悟っていた。

 

 ザフィールにも背を向けた。最早自分は、どの国にも与しない。

 

「……二人に言っていなかった事がある。どうしてわたくしが、先回りしたような事を言えるのか、何故、予めある程度の事態の予測がつくのか」

 

「それは……優れたオーラ力の持ち主だからではないのか。聖戦士はオーラを操る術に長けていると聞く」

 

 グランの言葉も真っ当ではあるのだが、自分はそれに当て嵌まらないイレギュラーである。

 

「……語らなければいけない。わたくしが、見てきたものを……」

 

 長い話になりそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルマーニは幽閉されていた塔では久しく梳いてなかった茶髪を梳いていた。思えば、水辺で身体を洗う事もなかった。相当に臭気がきつい事だろう。蒼に我慢させる事はない、と湖にたゆたうアルマーニは服飾を解き、水面に身を任せていた。

 

 半透明の素肌、白磁の四肢は擦り切れ、どこかやけっぱちな色に染まっている。

 

 無理もない。ほとんどの外出を封じられ、あの塔で繋がれていたのだ。それを解き放ってくれた騎士に感謝していた自分は、しかし、先にもたらされた言葉に狼狽していた。

 

「……フェラリオでも到達出来ない、三度目の生……」

 

 にわかには信じ難い。しかし、そうだとすれば全てを先回りする蒼の機転も裏付けられる。承服するのにはあまりにその在り方が苛烈であっただけだ。

 

 瞼を閉じていたアルマーニは、草むらが揺れたのを関知して、身体を翻す。

 

「……いやらしい。ガロウ・ランの末裔」

 

「血筋上は切れている。確かに三世代以内にガロウ・ランの血筋はいたが、軍属になる時に血縁は消し去った」

 

「……殺したの。野蛮人」

 

「勘繰るな、妖精。向こうから切ったのだ」

 

 樹の陰から声を発するグランにアルマーニは問いかけていた。

 

「……ガロウ・ランは闇の眷属。簡単に血縁を消せるし、同族も犯して殺す。そういう種族だと、聞いていた」

 

「間違ってはいない。野蛮なる我が闘争の血筋は、隠し切れないのも、な。だが難民兵としてゼスティアに売り込むのには分かりやすかった」

 

「呆れた……。貴方は結局、戦いしか知らないのね」

 

「妖精の身では理解は出来んさ。人界の複雑さは」

 

 そう言われて、言い返すだけの気力も不思議と湧かない。蒼の境遇を聞いたせいなのかもしれなかった。

 

「……信じるの?」

 

「義はある。信に足るとも」

 

「……荒唐無稽。妄想癖があるのかも」

 

「意外だな。貴君は理解者の側だと思っていたが」

 

 むしろ理解を求めていたのは自分だ。語るべき口も持たず、話すべき相手もいない、異端なるエ・フェラリオ。その境遇に少しでも陽が差したとすれば、それは蒼の存在に他ならない。

 

「……皮肉ね。反目し合うはずの種族がこんな形で結託するなんて」

 

「あの聖戦士の言葉に嘘はないように感じられる。だが……だとすれば奇縁なのは……」

 

「オーラバトラー、《ソニドリ》」

 

 紡いだ名前に、グランはむぅと呻いた。

 

「……知っているんじゃ? ゼスティアの兵士だったんでしょう。捨て駒とは言え」

 

「研究者達とは話してもらえなかった」

 

「信じるとでも?」

 

「……それはそちらの勝手だ。だが、儂は……その《ソニドリ》とやらを知らん。だから……彼女の力にもなれん」

 

「……意外ね。もっとガロウ・ランは薄情なものかと」

 

「血筋は薄れていると……! まぁいい。そのオーラバトラーが基点となって、彼の騎士を縛り付けているのとすれば、我々で出来る事も模索せねばなるまい」

 

「《ソニドリ》の破壊。でも、貴方は丸腰もいいところよ。攻め入ってきたオーラバトラーでも手土産にすれば違っただろうけれど」

 

「……何も言えんな。だが、不幸だな。死んでも死にきれんとはこの事か……」

 

「この魂の慰撫する大地……バイストン・ウェルで繰り返すなんて、それはとても……」

 

 それ以上は口には出せない。どうして、分かった風な事を言えよう。

 

「《ソニドリ》破壊が厳命ならば、儂は沿う。それがこの命を預けると言う結論だ」

 

「……そうでもなさそうだけれど。アオは、もしかするととっても、孤独だったのかもね。私達なんかよりも、ずっと……」

 

 死んでも死に切れず、そして輪廻の鎖に繋がれたまま、彼女は報われる時を待ち望み、そして今を迎えた。

 

 きっと、胸の内は穏やかではないに違いない。

 

 それでも、前を向こうとしているのだけは、評価しようではないか。

 

「……《ゲド》の修復を手伝いにゆく」

 

「最初からそうすればいいのに。妖精の柔肌でも観に来たって言うの」

 

「……癇に障るフェラリオだ。だが、そういう風に出来ているのだとすれば、我々も相当に歯がゆいな。こうして自分自身の問題で踏み止まる時点で、彼の騎士の心には触れられん」

 

 その独白にアルマーニは空を仰ぐ。天の果て、雲海の向こうにたゆたうフェラリオの世界が、今日は見えなかった。

 

 凶兆か、あるいは……。

 

「……いずれにせよ、《ゲド》を直さなくっちゃ私達にはどうしようもない」

 

「妖精は身体を休めておけ。元々、体力もない」

 

 吐き捨てた言葉であったが、これまでとは違うのが窺えた。

 

「……ガロウ・ランでも心配は出来るのね」

 

「そちらこそ。フェラリオでも人の心を知ろうとは、思えるのだな」

 

 決定的に溝は埋まらない。だが、それでも二人の胸にあったのは一つだろう。

 

 ――アオのために。何か一つでも……。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十三話 傀儡無知

 

 オーラバトラーの修復に必要な物資を募るのには限界がある。ユニコンを引き連れた行商人を道すがら呼び止め、近場の村へと続く道を尋ねていた。

 

「しかし、こいつぁ、立派なジェム領のオーラバトラーだ! 《ゲド》なんてそうそうお見かけ出来ねぇ」

 

「近くにオーラバトラーの修繕を出来る場所を探している」

 

「そりゃお前さん、ジェム領に行けばいいだろうに」

 

「……用向きがあってジェム領には寄れないんだ」

 

 そこから逃げて来たとも言えない。行商人はこちらを覗き込んで胡乱そうにした。

 

「……お前さん、敗残兵か」

 

 珍しくもないのだろう。ここはゼスティアとジェム領の中間地点。逃げおおせた兵士の一人や二人は見てきたクチに違いない。

 

 ははぁ、と行商人は大げさに驚いてみせた。

 

「一端の騎士って奴ぁ、もっと立派に散るもんじゃないのかね。生き恥なんて晒さずに」

 

 耳に痛かったが言い返す気力も湧かない。つい先ほどまで、全てを口にしたショックで、放心状態であった。ようやく、次に進まなければ、と言うところでこうして足踏みするのだから笑えもしない。

 

「……悪いこたぁ、言わねぇ。とっとと領国に帰んな。敗残兵なんてやってると、どこから山賊が襲ってくるか分かんねぇ。ここんとこも物騒だ。義勇軍を指揮した難民の群れが南から流れて来たってのを小耳に挟んだ。そいつら、略奪、強盗、何でもアリだ。あんたみたいな細腕の剣士なんざ、そいつらにかかりゃあ……」

 

「お陀仏だ、とでも言いたいのか」

 

 声を差し挟んだグランに行商人は怯え切っていた。

 

「あ、あんた……ゼスティアの、大将……」

 

「儂を知っておるのか。ならば、集落への案内くらいは出来ような? ジェム領にもゼスティアにも与しない村があったはずだ。身を隠したい。答えは?」

 

 凄みを利かせたグランの声音に、行商人はすっかりやられた様子であった。

 

「へ、へぇ。そりゃあもう、ございますとも。ついてきてくだせぇ。オーラバトラーは積載してくだされば、隠しますので」

 

 随分と態度が変わったものである。蒼はグランを仰ぎ、一礼していた。

 

「すいませんでした……」

 

 騙した事、そしてこのような情けない姿を見せた事、ない交ぜになった謝罪に、グランは鼻を鳴らす。

 

「貴君は生き残ろうとする意地がある。それが消えぬ限り、儂は共をするまでだ」

 

「私を忘れてない?」

 

 水浴びを終えたアルマーニが茶髪を括り上げながら歩み寄る。その姿に行商人が腰を抜かしていた。フェラリオは観るのも初めてなのかもしれない。蒼は出来るだけ行商人の目線に立った。

 

「我々を少し隠密に運んでいただきたい。それだけなのです」

 

「へ、へぇ。フェラリオとゼスティアの旦那となれば、そりゃあ、もう……!」

 

 自分は数にも入っていないか。それを自嘲したところで、ただ虚しいのみだ。蒼はユニコンの馬車に乗り合わせ、《ゲド》にほろをかける。

 

 行商人の生活源なのか、果物がうずたかく積まれていた。

 

 赤い果実は地上界で言うところの林檎に近い外見をしている。

 

「み、皆さんで果物は分けてくだせぇ! あっしには気を遣わないで!」

 

 ユニコンがゆったりとした歩みで大地を踏みしめる。蒼は等間隔の振動を感じつつ途方に暮れていた。

 

 このままうまく村に溶け込めたとしても、その先に待つのは《ソニドリ》の破壊。本当にこなせるのだろうか、と不安に駆られる。

 

 そんな蒼を他所にして、アルマーニは果実を頬張っていた。

 

「はい。アオも食べたら? おいしいわよ」

 

 つい数時間前までは塔に幽閉されていたとは思えないたくましさだ。いや、こういうところも含めて、妖精なのかもしれない。人心では読めぬ、神秘の存在――。

 

「エ・フェラリオ。この行商人の糧だ。そう容易く食っていいはずがない」

 

「そう言いつつ、貴方もお腹は空いているんじゃないの? さっき、湖のほとりで寂しそうに腹を押さえているのを見たわ」

 

「……卑しいフェラリオめ」

 

「そっちこそ。コモンもどき」

 

 いつの間にか、二人は軽口を交わせるようになったのだろうか。蒼はそれも分からないな、と陽光を仰いでいた。

 

 この地の空の果てには、フェラリオの棲む世界が広がっていると言う。

 

 まったく、人知の及ばない話であったが、しかし、事実なのだから始末に負えない。バイストン・ウェルには、人界と、妖精界、そして悪辣なる種族、ガロウ・ランの支配する世界がある。

 

 だが、ガロウ・ランと言う種族に関する知識も、グランを見るうちに変わってきている。

 

 彼がいくら末裔で、少し血を引いているだけとは言っても、コモン界で生き延びるのは処世術を要したはずだ。彼も彼で窺い知れぬものがあるはず、と、こちらが視線を注いでいると、グランは一瞥もくれずに答えていた。

 

「……聖戦士。そこまで見られても何も出んぞ」

 

 視線を読む術くらいはオーラに長けているのならば心得ていてもおかしくはない。蒼は羞恥に顔を伏せる。

 

「……まぁ、お主からすれば分からぬ事だらけであろうがな。妖精に関しても、儂のようなコモンに関しても」

 

「でも今間違いないのは、これはすっごいおいしいって事くらいかしら?」

 

 首を傾げてみせたアルマーニは、もう三個目に齧り付いている。さすがにがっつき過ぎでは、と諌めていた。

 

「アルマーニ。この人の収入源なんだから……」

 

「気にしないでって言っていたじゃない。それに、アオ。誤解しないでね。私、別にがっついているわけじゃないのよ。ただ……今までジェム領でもらってきた食事は味気なくって……。確かに、フェラリオに定期的な食料は必要ないわ。私達はオーラ力でもって、肉体を幾星霜の時間規模で維持出来る。でも、何も食べさせないのと、水と白湯でといた米しか与えないのは別よ」

 

 どこか、今までの処遇に不満があるようであった。ジェム領はそんな待遇であったのか、と蒼はどこか懐かしむ。

 

「それでもマシなほうであろう。フェラリオに餌が要らぬと言うのならば、水さえも与えない」

 

「それは拷問って言うのよ。知っていて? ガタイだけ大きいちっぽけな脳みそのコモンもどきさん」

 

「言っていろ。妖精の言葉は喧しくてかなわん」

 

 グランは馬車で寝転がる。アルマーニは舌を出してから、自分の肩を突いた。

 

「……見習えってわけじゃないけれど、蒼も休めば? 昨夜の戦いから不眠不休でしょう?」

 

「でも、わたくしは……」

 

「いいの。今はただの移動中なんだから。強襲されたらそこまでの運なのよ。だから、休みましょう? そのほうが、きっと、いいはずだから」

 

 アルマーニの言葉は自分の境遇を知って慮った声音が滲んでいる。今までよく、独りで戦って、という声音に蒼は自然と涙がこぼれ出ていた。

 

 大粒の涙に自分でもどうしたらいいのか分からない。

 

 たちまち困惑するアルマーニに、蒼は何度も首を横に振った。

 

「大丈夫。……大丈夫ははずだから……」

 

「そうは見えないわ。アオ! 貴女には私がついている! 今までザフィール騎士団長を、よく守ってくれたわね……。でも、私はエ・フェラリオ。もっと長い時間で、貴女に付き従えるわ。だから、今までみたいな孤独だとは、思わないで」

 

 きっと、アルマーニの今思いつく最大の言葉だったのだろう。だからこそ、余計に辛い。この世界の妖精にまで、自分は慰められるなんて、と。

 

 その時、横になっていたグランが不意に口を開いていた。

 

「……戦士にしか分からぬ修羅もある。フェラリオ、彼の騎士は時を渡り、二度も亡国の危険と隣り合わせとなってきたのだ。誰にも理解されずに……。その苦しみを、簡単に分かるなどと言ってはいけない」

 

「何よ! 貴方には分かるって言うの?」

 

「少なくとも、簡単に踏み入っていい話ではないのだけはな。聖戦士、儂はあえて、根掘り葉掘りは聞かん。だが、聞いて欲しい時には、聞き役くらいには徹しよう。それで構わないのならば」

 

 グランなりの気遣いか。蒼はその不器用な在り方が今は素直にありがたかった。

 

「えばっちゃって! 結局、何も出来ないのはお互い様じゃない」

 

 ふんとふんぞり返ったアルマーニの姿は捕らえられていた時には見られなかった瑞々しさがある。そうか、本来の彼女は奔放であったのか、と蒼は再認識させられた。

 

「……二人とも、ありがとう。でも、涙が止め処ないんだ。だから少しだけ……泣かせて欲しい」

 

 枯れるとも知れない涙だが、こうして生きている事を噛み締めるくらいには。

 

 自分はまだ、ただの少女であった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十四話 暗礁境域

 村に入れば、たちまち噂になるのは避けられないだろう、と行商人から伝え聞いていた。

 

 それくらいには小さい村だと。しかし、ジェム領、ゼスティア、どちらにも与しない珍しい土地だとも。ある意味では好条件である。

 

 少しくらい噂が立っても、寝込みは襲われないのは保証すると言うのは、行商人の弁であった。

 

「それは、どうして?」

 

「あっしもここではよく泊まらせてもらってるんでさぁ。だから旅人の身なりくらいじゃ、物取りなんて出やしねぇよ」

 

 しかし、成りが成りである。ジェム領の騎士だと露見すれば、と言うこちらの不安に、大丈夫じゃないかしら、と声にしたのはアルマーニである。

 

「だって、フェラリオを連れた屈強な男との組み合わせよ? こんなの、報復が恐ろしくって関わり合いさえも持ちたくないでしょうね」

 

 そう言われてみれば確かに、と考え直した蒼にグランはふんと不承そうであった。

 

「妖精にしては弁が立つ。もし何かあっても、こちらには剣もあろう。村人を害さなければ、何もないはずだ」

 

 自分よりも何年も生きているはずのグランが言うのだから重みが違う。

 

 蒼は自然と身の無事だけは確証していた。

 

「ありがとう。では、お元気で」

 

「それはこっちの台詞でさぁ。よき旅を!」

 

 立ち去っていく行商人に蒼は感想を漏らす。

 

「……いい人だった」

 

「立ち振る舞いだけだ。すぐにゼスティアか、ジェム領に寄ってこの村を口伝する」

 

 息を呑んだ蒼にグランは頭を振る。

 

「……残念だが人の情に期待するにしては、我々の罪は重過ぎる」

 

 それがこの世界に生きる者達の術なのだろうか。たとえ、地上界からしてみれば、オーラ力が全てに思えるこの世界でも、陰謀や策略が渦巻いている。そんな暗黒な感情は廃されたかのように、大地は美しいと言うのに。

 

「私達の罪、ね……。何かした覚えはないのだけれど。された事はあってもね」

 

 アルマーニの言葉もよく分かってしまう。した覚えなんてないのに、自分達はいつの間にか加害者の側に立っているのだ。それがどれほどに理不尽でも、それでも歩み進む事だけは、前を見据える唯一の方法だろう。

 

「村人がそこいらにいるな。……閑散とはしていないが」

 

 何か含むところのあるグランの評に蒼も村人達へと観察の視線を注いでいた。行商人の助言によって《ゲド》はこの村からしてみれば陰になる岸壁に覆い隠してある。歩けば十分もしない距離だが、わざわざ確かめにいかないくらいには、ぱっとは思いつかないであろうと言われていた。

 

 村人達の眼差しは物珍しさや奇妙さに対しての興味よりかは、どこか警戒が勝っているようであった。

 

 まるでつい先ほど嵐が過ぎ去ったのに、またしても嵐の要因が現れたかのように。

 

「……コモンにしては目つきが鋭いわ。戦地みたいに」

 

 アルマーニも同意のようだ。蒼は腰に提げた剣が役に立たない事を祈っていたが、どこかで抜く事もあるかもしれないと覚悟を決めていた。

 

 グランが前に立ち、軒先を掃除していた宿の主人へと歩み寄る。巨漢のグランに比すれば鍛えてもいないコモンの、なんと弱々しい事か。見上げる形の主人にグランはあえてなのか、高圧的に言い放っていた。

 

「宿を取りたい。三名だ。出来るな?」

 

「も、もちろんですが、今日は特別なお客様が寄っていらっしゃいまして……」

 

「特別な客? 儂らは一般客でいい。その賓客とやらとは顔を合わせないほどの、雨風さえしのげれば……」

 

 そこまで譲歩しても主人の顔はどこか影が差している。

 

「いえ……難しいのです。その方々は、だって……」

 

「――ほう。ここで見るとは思わない面持ちが、揃っておるではないか」

 

 声の主へと視線を向けた瞬間、グランが硬直する。自分も息を呑んでいた。

 

 涼しげな目元を持つ、高貴なる身なりの男性が、自分達を見据えている。それが誰かなのか、蒼は――いや、ジェム領の聖戦士ならば「知っている」。

 

「……ギーマ・ゼスティア……」

 

 その名を紡ぎ出した蒼に、ギーマはフッと口元を綻ばせた。

 

「わたしの名前を知っているか。よい。名は知れてこそ意味があるというもの。こんな辺境の村でも、それなりの旅客が――」

 

 刹那、蒼は抜刀していた。自らに課した、この剣を使わないでおこうなどという些末事は消え失せ、この男を討たなければ、という使命に剣先が奔る。

 

 その太刀筋を、阻んでいたのはグランであった。

 

 ギーマはふんと鼻を鳴らす。

 

「敵国に捕らえられて女子供を付き従えるとは。いい身分になったな。グラン中佐」

 

「……申し立てするだけの口も持ちますまい。ただ……ここであなたを斬らせない」

 

 グランの怪力の腕が自分の袖口を引っ掴んで離さない。如何に強力なオーラ力があるとは言っても力の差は歴然であった。

 

 少女であるこの身では、グランの筋骨隆々な身のこなしには敵わない。

 

 分かっていても歯噛みする。蒼は、満身より叫んでいた。

 

「……退いてください! グラン中佐! わたくしにとって、こいつが何者なのか、知らないはずがない……!」

 

「さぁ、知らんな」

 

 一蹴したグランの拳が鳩尾へと入っていた。覚えず身体を折り曲げた蒼へと追い打ちの蹴りが浴びせられる。

 

 アルマーニが声を張り上げる。

 

「アオ! 貴方……外道ね! 悪辣なるガロウ・ラン!」

 

 その言葉に村人達がどこから湧いたのか、一斉に寄り集まり、声を潜めさせた。

 

「ガロウ・ラン……? あの大男が……?」、「コモンに仇なす闇の種族……ああ、恐ろしい……」、「闇の種族を、コモンの宿に泊まらせるのか……」

 

 それぞれの囁き声を制したのはギーマであった。

 

「まぁ、待て。グラン、よくやった。ジェム領に囚われたと聞いた時には、あの《マイタケ》を使ってもか、と落胆したものだが……手土産を持って帰ってきたとなれば、話は別だ」

 

 ギーマの手が蒼の顎へと伝い、その顔を上げさせる。その切れ長の瞳が喜悦に滲み、口角を吊り上げてせせら笑った。

 

「……ジェム領の騎士。まさか手懐けているとは思うまい」

 

 蒼は唾を吐く。ギーマは、おっと、と身をかわしていた。

 

「それでいて、反骨精神もある。それに、エ・フェラリオ……知っているぞ。アルマーニュ・アルマーニ。あちら側の召喚に使われるだけの妖精風情が、まさか外に出ているなんてな」

 

「全てはゼスティアのために。一匹でも有用なエ・フェラリオを、二匹用いれば、より強力な地上人の召喚も可能でしょう」

 

 まさか、と目を戦慄かせた蒼に、ギーマは笑みを浮かべる。

 

「……グラン。気に入ったぞ。懲罰は止めだ。あの高性能のオーラバトラー、《マイタケ》を失った代償は帳消しにしてやる。代わりに、分かっているな?」

 

 グランは傅き、ギーマへと騎士の誓いを口にしていた。

 

「我が剣はゼスティアの御許に。どのような時であっても」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十五話 戦場希望唯閃

 まさか、と目を戦慄かせた蒼に、ギーマは笑みを浮かべる。

 

「……グラン。気に入ったぞ。懲罰は止めだ。あの高性能のオーラバトラー、《マイタケ》を失った代償は帳消しにしてやる。代わりに、分かっているな?」

 

 グランは傅き、ギーマへと騎士の誓いを口にしていた。

 

「我が剣はゼスティアの御許に。どのような時であっても」

 

 ギーマは首肯した後に、こちらへと一瞥を寄越す。

 

「よい、許す。だが、ジェム領の騎士は要らないな。両手を刎ねて見世物にしてやろうか」

 

 血の気が引いた蒼にアルマーニが声を荒らげる。

 

「人でなし! ゼスティアの……畜生以下!」

 

「それは褒めているのかな、エ・フェラリオ。これより君は、我が方につく。嫌でもつく事になるだろうさ。わたしの下にはフェラリオを屈服させる術はあるのだからね」

 

 例のフェラリオの王冠か。蒼は奥歯を噛み締めてギーマへと言い放っていた。

 

「……アルマーニを傷つけたら許さない。呪ってやる……」

 

「これは恐ろしい。オーラの高い者に呪われると末代まで続くからな。グラン、さっさとこの生意気な舌を抜いてしまえ。所詮は敵国の兵だ。この期に一人減らしても何ら問題はあるまい」

 

 戦慄く蒼にグランは、恐れながらと声にする。

 

「この村で残虐行為に及べば、今日の宿すら危ういかと」

 

 グランの忠言にギーマはわざとらしく思案する。

 

「……確かにな。まぁ、こんな寒村で宿を取ったのには理由があるのだ。グラン中佐、元々付き人の兵はいるのだが、貴様が居てくれるとなればより心強い。わたしの部屋の守りを頼もうか」

 

「御意に」

 

 項垂れたグランに蒼は言葉を放っていた。

 

「グラン中佐……本当に……!」

 

「くどいぞ、ジェム領の女狗が。グランは我が方の騎士。貴様らが対等に口を利いていい相手でさえもない。《マイタケ》を失ったのは痛いが策はある。グラン、その者達を拘束して宿の地下へと放り込んでおけ」

 

 無言のままにグランが屹立する。アルマーニが罵声を浴びせかけたが、グランは沈黙のまま二人分の体重を担ぎ上げ、地下牢へと放り投げていた。

 

 アルマーニが柵に飛びついて抗議する。

 

「見損なったわ! グラン……所詮はしっぽを振るしか能のない、ガロウ・ランの血筋……!」

 

「言っていろ。貴様らは明朝をもって、ゼスティアに捕縛され正式に捕虜となる」

 

 どこまでも冷徹なグランの声音に蒼は、希望はないのかと面を伏せていた。

 

 アルマーニは何度も柵を蹴りつける。

 

「最低! 最悪! 天罰が下ればいいのだわ! ゼスティアなんて!」

 

「喚くな、エ・フェラリオ。安い命をより安くしたいのか」

 

 その言葉を潮にして、グランは立ち去っていく。蒼は周囲を見渡していた。

 

 抜け穴も見当たらない、完全な座敷牢だ。

 

 アルマーニは抵抗をやめてふんと胡坐を掻く。

 

「なんて奴! 一瞬でも気を許したのが間違いだったわ!」

 

「……アルマーニ。わたくしに非はある。斬りかからなければもっとマシな処遇だったかもしれないし、ジェム領の騎士だと勘繰られもなかったかも」

 

「そうしたって、どっちにせよ、あのガロウ・ランとギーマ・ゼスティアは仲間でしょうに。なら、何で女子供を連れてって話になるわよ。どっちにしたって、あいつは裏切り者よ。恩知らず!」

 

 散々喚き散らしたアルマーニは、最早罵声に割く体力と気力もないようであった。

 

 無理もない。ようやく幽閉されていた身分から脱したと思えば、また牢獄に逆戻りだ。

 

 蒼は剣だけは没収されなかったな、と思い手をやるが、やはりと言うべきか、堅牢なる鉄柵を叩き斬るほどのものではないだろう。それに、どっちにしたところでオーラ力が高くとも、そこまでの無策には出られない。

 

「……グラン中佐は……本当に……」

 

「裏切ったのよ。なんて、腐れ外道!」

 

 アルマーニの瞳は少しだけ潤んでいた。信じた分、裏切りは辛い。それは身に染みてよく分かる。自分も、これまでの戦いが塵芥に化したのだとすればきっと折れてしまうだろう。

 

 二度の死を経てもまだ立ち上がれたのは、ザフィールとこの二人のお陰でもあるのだ。それでも、やはりと言うべきか、ここでの敵将との遭遇は想定外。

 

 心証としては手痛いものがある。

 

「……ギーマ・ゼスティア。見たのは初めてだったわ。貴女も、そうなんじゃ……」

 

 疑問に蒼は応じる。

 

「……最初の時に見た」

 

 それで通じたのだろう。そう、最初のバイストン・ウェルでの転生――最後の最後、オーラバトラー大戦まで行った時に、暗黒城の主として無数の敵兵を率いた将として目にした事がある。

 

 ――ギーマ・ゼスティア。闇の城を司りし、ゼスティアの長。

 

 しかし、実際にはその性格までは把握していない。あそこまで冷酷だとは思いも寄らなかった。

 

「賓客って言うのがまさかゼスティアの主なんてね。巡り合せがよくないのかもしれないわ」

 

「……これからどうすればいいのだろう」

 

《ソニドリ》破壊のため、ゼスティアに潜り込むつもりがこんなところでご破算になるとは想定もしていない。蒼は剣の柄をぎゅっと握りしめる。

 

 その手へとアルマーニの指先が絡まっていた。

 

「アオ……気を落とさないでって言うのは、無理かもしれないけれど、でも……全てが潰えたわけじゃないはずよ。希望は……どこかに残っているはず」

 

 それが気休めだと彼女も分かっているのだろう。不安の翳った瞳に、蒼は頷き返していた。

 

 希望は、まだ残っている――。

 

 そう信じるしか、明日を展望する術は自分達にはないであろう。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十六話 暗君霹命

「《マイタケ》の鹵獲は想定外だ。騎士の資格の永久剥奪も視野に入れいていたが、どうやらその必要はないらしい」

 

 振り返ったギーマは忠誠を誓う屈強なる騎士を視野に入れていた。

 

 グランは進軍した時のまま、その岩石のように険しい面持ちの中に忠義の光を宿している。

 

「このグラン、一命にかけて汚名をそそぐ所存でございます」

 

「よい返答だ。だが……こうして名前もない村に赴いたのには理由があってな。……正直に言えば、我が方の軍備力はもう少しで拡充される、と言うところに来て弊害が出てしまった。強獣の巣穴に誰かが仕掛けたらしい。ジェム領ではない、というのが軍師であるミシェルの見立てだ。敵国がやるにしてはかなり……えげつないやり口であったと聞く」

 

 実際にミシェル・ザウ――ゼスティアの聖戦士の言によれば、強獣の骸が四散し、血の痕跡も色濃い事から強獣同士の共食いも可能性には挙がったが、それを否定する論拠として、新たなる脅威が浮上したのだ。

 

「……強獣同士が喰い合ったのでは?」

 

「それも考えたさ。だが違うと言うのが、その帰路についていた者達の証言で明らかとなった。村々を焼いて回る、とあるオーラバトラーと騎士がいると、小耳には挟んでいたがまさか我が先遣隊がそれに遭遇するとは予想もしていない」

 

 ギーマは苦味に顔をしかめる。二十数名の強獣狩りに用いた先遣隊はほとんど全滅。そして生き残った者達も手傷を負った。

 

 無論、それは敵国には割れていないが、出来るだけ資金と資材を手広く得る必要がある。少なくとも国防と強襲の要であった《マイタケ》とグランを永久に失ったと思っていたゼスティアでは余裕などなかった。

 

「……状況は芳しくないご様子」

 

「正直、そうだと言える。今ジェム領が仕掛けて来れば、危うい程度には。だが、貴様が帰ってきてくれるとなれば一騎当千だ。これでジェム領からの強襲に備えられる」

 

「ありがたきお言葉」

 

 傅いた騎士にしかし、とギーマは思案を浮かべていた。

 

「……あの少女騎士、何故わたしの事を知っていた? ジェム領で我が姿を見た者と言えば限りなく上級の騎士のはず。名のある騎士ならば必ず風評が流れてくる。だと言うのに……見た事もない少女騎士など」

 

「聖戦士なのです。あれは」

 

 グランの言葉に、なんと、と目を見開く。

 

「まことか」

 

「確認済みです。あのフェラリオ、アルマーニュ・アルマーニは相当数の地上人を召喚したと」

 

「……あの時の強襲失敗のせいで、正確な数までは割れなかった……。それが今になって効いて来るか……」

 

 事前にジェム領の地上人召喚の儀の事は忍び込ませていた密偵であるトカマクから聞かされていたのだが、その情報も当てにならなかった。まさか、即時応戦するとは思っても見ない。殺し損ねた地上人の一人が、こうして牙を剥いてくるなど。

 

「……だが、あの時の地上人だとすれば余計に分からない。わたしは一度として、生身で戦線には出ていない……」

 

 ミシェルを伴った強襲は何度かあったが、前に出るのは聖戦士である彼女の役目である。自分は後方支援型の《ブッポウソウ》で安全圏からの援護と、そして戦局を見ての早期撤退が常であった。

 

 だから、聖戦士とは顔見知りのはずがないのだ。

 

 だと言うのに、あの少女騎士の殺意には迷いがまるでなかった。まるで最初から、自分の事を敵だと認識しているかのような……。

 

「……分からぬ事は一つでも減らしたほうがいい。グラン、この村を去る際、あの者の首を刎ねておけ。禍根を残すよりかはいい」

 

「ですが、聖戦士相当ならば、捕虜として扱う手も……」

 

「余裕がないと言うのはそれもあってな。貴様が捕獲された後、こちらのエ・フェラリオを使って再召喚を行った。その結果、二名の聖戦士の召喚に成功したのだ。その者達にあてがう試作型のオーラバトラーを完全に補強するのに、材料が足りん。ゆえに強獣の巣へと仕掛けたわけだが……結果論として失うもののほうが大きく、こうしてわたしは資金繰りに奔走する羽目となったわけだ」

 

 肩を竦める仕草をするとグランは瞠目していた。

 

「聖戦士……」

 

「そうだ。しかも少女だよ。どうしてこう、引き運が悪いと言うのか……。ミシェルの時に女は扱い飽きたと言うのに。おっと、これは言ってくれるなよ。あれで恐ろしい素質の持ち主だ。怒らせたくはない」

 

「承知していますが……新たな聖戦士が二名も……。それはバイストン・ウェルに破局をもたらすのでは?」

 

「聖戦士の多重召喚はフェラリオからしてみてもタブーらしい。何度も拒んだが、我が方の戦力補強には仕方ないのだ。最終的には拷問を用いた」

 

 それもこれも、ジェム領と言う弱小国家にいつまでも手を焼いているからだ。

 

 正直なところを言わせれば、一気呵成に攻め立てて、すぐにでも城を落としてやればいい。だがそれが出来ないのは土地柄にもよる。

 

 ジェム領に強襲をかけようと思えば、隔てる国境の森を抜け、巨大なる城壁と門扉を超えるしかないのだ。

 

 他の方法で幾度か歴史上では試したそうだが、どれも失敗に終わっている。敵対国家に、真正面から挑むと言う愚策しか、この何十年では通用していない。

 

 敵も真正面からの攻めには弱いようで、幾度かはオーラバトラーの破壊にも成功しているが、敵の騎士団は思ったよりも粘り強く、圧倒的有利な戦局でも相手は覆してくる。

 

 だから、強襲からの撤退が常となってしまった。

 

 ギーマは腰かけた椅子の肘掛けを忌々しげに握り締める。

 

 こんなだから、他国の援助を受けようにも、腰の引けた領国と言う評価がついて回る。畢竟、自分の国は自分で回せと、何度も外交面ではさじを投げられてきた。

 

 オーラの適性面では勝てているのに、オーラバトラーの技術では劣り、防衛成績はいいはずなのに、奇襲では一度として成功を収めていない。

 

 ほとんどいたちごっこに近い。むしろ他国からしてみれば、どうしてその均衡が崩れないのかと不思議がられてしまう。

 

 それは次期領主としては致命的な屈辱であった。

 

「……今回の外遊、他国にオーラバトラーの支援を頼んだのだが、どこもかしこも三流以下の、《ドラムロ》の払い下げのようなものを寄越す。嘗められているのだ、我が国は!」

 

 怒り心頭に達し、肘掛けを殴りつける。それをグランは静かに諌めていた。

 

「ジェム領との間に降り立った因縁を理解している他国も少ないでしょう。理解ある支援国を募るのが、最大の道標かと」

 

「分かっているさ、クソッ! どうしてこう、連中は平和ボケを他者にまで押し付ける……! 三十年前の浄化の再現を恐れて、敵国との干渉のない国家はどいつもこいつも軍縮だ。それが平和への近道だと抜かす。整備不良の《ドラムロ》なんて、使い物にならんと整備士のミ・フェラリオがぼやくのを、どうしてわたしが聞いてやらねばならんのだ!」

 

「しかし、聖戦士二人の戦力です。使えるのでは?」

 

「……ああ、まともなオーラ力ならな。それなりに二人とも素質はある。だが……肝心なオーラバトラーがまだ剥き出しの筋肉繊維を、これから調達する段階だ。これでは勝てるものも勝てん」

 

 嘆息をついたギーマへとグランは問いかける。

 

「……して、その新型機、どのような代物で?」

 

「《マイタケ》に資源を費やし過ぎた。オーソドックスな、騎士型のオーラバトラーだ。《ゲド》を基本骨格とし、アルビノのキマイ・ラグを使って装甲の軽量化と、高機動の実現をはかった新型機。まぁ、軽くそして必要オーラ値を高く設定した、《ゲド》の発展型とでも言えばいいのか。型の名前は、確か……《ソニドリ》、と言ったか」

 

 その名前にグランが僅かに反応したのが伝わったが、彼には教えていないはずである。その対応も含めて、後で言いつける必要があるだろう。

 

「……左様でございますか」

 

「何か、含むところのあるような言い草だな、中佐」

 

「いいえ。このグラン、一命をもって、失った信頼を取り戻す所存でございます」

 

「口だけはいい。戦果で示せ」

 

「御意に」

 

 だが、本国も浮き足立っている。ジェム領との確執は明らかに、以前までよりも濃くなっているのだ。そんな矢先に、敵の騎士を捕らえたとなれば、風向きは果たしてこちらに向くであろうか。

 

「……戦局とは、如何ともしがたい代物でもある。何が優位に向くのかもな。《マイタケ》を失った分、しっかりと働いてもらおうか、グラン。連中を根絶やしにするぞ」

 

 これは殲滅戦なのだ。相手を草根の一つでも残してはいけない。禍根を残すくらいならば敵を一蹴して見せよう。

 

 グランは傅きながらも、言葉を返していた。

 

「……ですが、こちらの戦力が整っていない事を露見されればまずいのでは?」

 

「誰が整っていないと言った。既に整いつつあるのだ。それを、誰かが話でもしない限りは大丈夫だ。それに、あの騎士とフェラリオくらいなものだろう。ゼスティアの領地ギリギリまで迫っているのは。ジェム領の連中は弱腰さ。今ならば押し切って時間を稼ぐ。その間に《ソニドリ》とやらを完成させればいい」

 

「それほどの……オーラバトラーなので」

 

「持たせれば力となるのは確定だ。聖戦士を呼んだくらいだ。当てにならなくては困る」

 

「ですが、少女でしょう」

 

「そちらの同行していた騎士も少女騎士ではないか。それとも……あの乙女は違うとでも言いたいのか?」

 

 探ったギーマにグランは滅相もないと頭を振る。

 

「ジェム領も必死であると言うだけの話です。手負いの獣は最も恐ろしい」

 

「そうだな。だからこそ、徹底的だ。徹底的に潰す。それ以外を考えないでいいほどに」

 

 拳を握り締めたギーマにグランは忠義の声を出すばかりであった。

 

「我が命は主君のために」

 

「堅苦しいな。《マイタケ》の件は帳消しでもいいと言っているのだ。だがまぁ、この先の働き次第な部分もある。勝ってもらうぞ、グラン。貴様には、とことんまで、相手を殺し尽くしてもらおう」

 

 それこそがゼスティアの主が今、部下に指示すべき事柄であろう。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十七話 仇敵閃劇

「あいつ……最初からそのつもりだったのよ。だから、ガロウ・ランってのは!」

 

 暴言を吐くアルマーニを諌めようとして、蒼にはその資格もない事に気づいていた。どしてだろう。グランは信頼に足るのだと、勝手に思い込んでいた。

 

 だからこそ裏切られた時が辛い。裏切りには何度遭っても慣れないものだ。

 

「……所詮は女だから。座敷牢も堅いし、これでは何も出来ない……」

 

「あいつ、やっぱりすぐにでも殺してやるべきだったのよ! そうじゃないから……こんなざまに……」

 

 悔恨の滲んだアルマーニに蒼は慰めの言葉を振ろうとして、座敷牢の前に佇む影に気づいていた。

 

「……グラン中佐」

 

 その名を呼ぶとグランは暗い眼差しのままこちらを見据える。アルマーニが声を張った。

 

「裏切り者! 貴方、よくもこんな……!」

 

「静かにしていろ、鬱陶しいエ・フェラリオが」

 

 グランが剣を掲げる。まさか、と蒼が震撼した直後、その切っ先が捉えたのはアルマーニの掴む――鉄柵であった。

 

 眼前で咲いた剣にアルマーニが腰を抜かしているとグランは重々しい声音のまま顎をしゃくる。

 

「行け」

 

「どうして……。ゼスティアのために尽くすんじゃ……」

 

「……あれは暗君だ。教えられた通り、ゼスティアでは新型オーラバトラーの開発が進んでいた。その名を《ソニドリ》」

 

 紡がれた名称に蒼は震撼する。既に《ソニドリ》が準備段階に入っていると言うのか。

 

「その方の言葉が真実であるかどうか。それとも我が主の命が本当なのか、それは分からぬ。だが、分からぬからと言って捨て置いていい案件ではないのだと、それも判じた」

 

 鉄柵を切り裂き、自分達を促す。蒼は恐る恐る聞いていた。

 

「でも……あなたにはメリットがない」

 

「そうだな。ゼスティアに拾われた命として、やるべき事ではないのは分かっている。だが、しかし、この命は二度救われている」

 

 ハッとした蒼にグランは言いやっていた。

 

「あの牢から解き放ったのには勇気が要ったはずだ。その勇気、今この場で返そう」

 

「でも、わたくしは……。ただ、運命を変えたいだけで……」

 

「その一心で動けるのならばその方はもう立派な騎士だ。アオ。行け。行って未来を変えて来い」

 

 自らの手には写し身の剣が握られている。

 

 ――未来を変える。

 

 そのために、自分は剣を取ると決めたのだ。グランより剣を引き継いだその手には覚悟もあった。決して振り返らないと言う覚悟が。

 

 蒼はアルマーニの手を引いていた。アルマーニはグランの背中を凝視する。

 

「……礼なんて、言わないんだから」

 

「必要ない。エ・フェラリオ。アオを頼む」

 

「……貴方の事、散々闇の眷属だとかなんだとか言ったけれど、一旦は取り消すわ」

 

「要らん。ただ黙って行け。その道筋に、光あらん事を」

 

 蒼は駆け出していた。ギーマの手が回らないとも限らない。地下牢を飛び出し、二人が目指したのは岩石の中に隠しておいた《ゲド》である。

 

「《ゲド》なら、一晩あれば辿り着ける!」

 

「でも、アオ……。裏切ったグランは……」

 

 分かっている。グランの事を思うのならばしかし、ここは進むべきだ。

 

「……彼の信念に報いたい」

 

 その一言で充分であったのだろう。アルマーニは言葉を重ねようとはしなかった。

 

 村人達の突き刺さるような視線があったが、誰一人として声を上げる事はない。不干渉を貫くこの村ではジェム領の味方も、ゼスティアの味方もないのだろう。

 

 蒼は目的とする岩石地帯が目前まで迫った時、不意に感じたプレッシャーに、アルマーニを留めさせ、抜刀する。

 

 突き抜けた烈風を剣筋が受け止めた。

 

『……様子が変だとは思っていた。あの実直な軍人にしては、喋り過ぎだとも。だが、このような裏切り、誰が想定する?』

 

 飛翔するのはゼスティアの標準機、《ブッポウソウ》である。付けられていた、あるいはこちらの手を先読みしたか。蒼は剣を下段にオーラバトラーと向かい合う。

 

《ゲド》はすぐそこの岩石に仕舞い込まれている。

 

 この様子だと勘付かれたわけではなさそうだが、時間の問題であった。

 

『どうした? 生身ではオーラバトラーとやり合えんか』

 

「アオ! さすがに剣だけで、オーラバトラーを下すのは!」

 

 分かっている。無茶無策。しかし、ここで《ゲド》を手に入れなければいずれにせよ待っているのは――。

 

 蒼はすっと、剣を正眼に保っていた。

 

「アオ!」

 

『驚いたな、ジェム領の少女騎士。貴様、剣でこのギーマ・ゼスティアに敵うと思っているのか』

 

「……やってみなければ分からない」

 

『笑止!』

 

《ブッポウソウ》が剣を引き抜き、こちらへと急速降下する。その勢いはまともに受ければ切り裂かれるだけだ。

 

 蒼は身を転がし、かわしざまに一閃を見舞っていた。うまくいけばオーラバトラーの筋繊維くらいは斬れるかと思っていたのだが、やはり堅牢なる外骨格に守られた騎兵をたった一人で倒せるわけがない。

 

 翅を高速振動させて躍り上がった《ブッポウソウ》は銃火器をこちらに照準する。横っ飛びして火線を掻い潜るが、それでも危うい綱渡りだ。一発でももらえばこちらは致命傷。比して相手は一発や二発程度では蚊が刺したほどでもない。

 

 一発逆転の策を弄するのには、今全てが足りない。

 

 どうすれば勝てる? 否、どうすれば、この状況を打開し、未来を掴める?

 

 あらゆる想定が滑り落ちていく中で、蒼は《ブッポウソウ》の甲殻が茶褐色に染まっているのを発見していた。

 

 ――自分の記憶が正しいのならば、この状態の《ブッポウソウ》の問題点は……。

 

 最初の記憶だ。それも正しいかどうかは不明。だがそれに賭けるしかない。蒼は《ブッポウソウ》の剣筋を切り抜け、石を拾い上げていた。

 

 片手に掴んだ小石を《ブッポウソウ》の高速振動するオーラ・コンバーターに向けて放り投げる。吸い込まれた小石が乱反射し、《ブッポウソウ》はその直後、誘爆していた。

 

『何だと!』

 

「後期型に開発された《ブッポウソウ》の弱点は、オーラ・コンバーターの仕様変更だ。それまでオーラを放出する形であった《ブッポウソウ》だが、コモンの力を分散させるだけだと判断されたために、周辺のオーラと空気を吸い込む形へと変更された。だがそれは、同時に塵や異物でコンバーターが破損する恐れもあった。ただの小石程度でも」

 

『……貴様、何故《ブッポウソウ》の後期型の弱点を……!』

 

 知っているのではない。覚えているのだ。

 

 実際に向かい合って戦い、その末に勝ち取った弱点である。蒼は今一度、《ブッポウソウ》のオーラ・コンバーターに小石を投げる。相手は機体を翻してそれを回避したが、一瞬の隙が生まれたのは間違いなかった。

 

 岩陰に隠しておいた《ゲド》へと飛び乗り、蒼は瞬時に起動をかけさせる。オーラを放出し、《ゲド》が飛翔していた。

 

 手負いの《ブッポウソウ》へと《ゲド》が炸薬を用いて牽制する。

 

 敵は飛べないせいか、守りに徹するのを、蒼は弾幕を張って距離を稼いでいた。

 

「アルマーニ!」

 

 コックピットを開いて手を伸ばす。アルマーニの細腕を握り締め、コックピットへと導いた。

 

「アオ! あいつ、倒さないと……!」

 

「いや……今はその時じゃない」

 

 どのみち、この場所は国交の途絶えた寒村。相手からしてみてもオーラバトラー同士の戦闘は控えたいところだろう。

 

《ゲド》で飛び立ち、蒼は出来得る限り村から離れていた。グランの作ってくれた貴重な時間だ。精一杯引き離したと思ったところで、緊張の糸とオーラ力の頭打ちに達したのか、高度と推進力を下げた《ゲド》はそのまま草原へと降り立っていた。

 

 肩を荒立たせ、脱出の心地に身を浸す。アルマーニが額の汗を拭ってくれていた。

 

「アオ……。大変な目に遭ったわね……」

 

「グラン中佐が時間と策を用意してくれた。感謝をしてもし切れない」

 

 だが、当の彼は恐らくギーマによって処分されるのであろう。その予見に、蒼は沈痛に面を伏せていた。

 

「彼も……救えなかった」

 

「貴女のせいじゃない」

 

「でも、わたくしのわがままには違いない。《ソニドリ》を倒す……その一点だけで持っているのだから……余計に」

 

 性質が悪いのは自分のほうだ。奥歯を噛み締める蒼に、アルマーニは周囲の光景を目にしていた。

 

「穀物の食糧地ね。うまい具合に伸びた草が《ゲド》を隠してくれているわ」

 

 稲に似た植物が生い茂る平原であった。稲と違うのは明らかに丈が長い事と、実っているのが赤い実である事であろう。

 

「……どれだけオーラ力があってもこんな場所からゼスティアを目指すのは不可能よ。村を経由したから余計に場所が分からなくなってしまった……」

 

 どの方角にゼスティアがあるのか、それすら分からない。蒼は無暗に逃げた結果がこれか、と拳を握り締めたところで、不意打ち気味の熱源警告が劈いた。

 

 咄嗟の状況判断だ。

 

 飛び退った《ゲド》を焼き払ったのは黄昏色のオーラの瀑布である。

 

 灼熱のオーラに一瞬にして穀物の原が焼き払われる。

 

『またアンタなの。《ゲド》風情で、調子に乗って』

 

 眼前に立ち現れた存在に、蒼は息を呑んでいた。

 

「嘘、だろう……《ゼノバイン》……」

 

 片手に携えた剣をオーラで上塗りした灰色のオーラバトラーが、こちらを睥睨していた。焼け野原に降り立った《ゼノバイン》が剣を払う。怒りに満ちた剣筋だ。

 

『ジェム領の敗残兵? それとも、こんな場所に好き好んで現れるなんて……相当駆逐して欲しいみたいね! アンタ!』

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。