逃げ出した八一君と迎えに来た銀子ちゃんの話 (銀子ちゃん可愛い)
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サーファーになりたい八一君に「ぶちころすぞわれ」

△▼△

 

対局が終わった。

結果だけ見れば勝ち。

世間で無敗の女王なんて呼ばれている通り、無敗記録を更新出来た。

 

「······ハァ」

 

思わずため息をはく。

将棋を始めて八年。

女流二冠であり歴代最強の女性棋士などと、世間で持て囃されている私は、その実スランプに陥っていた。

一般的に、将棋の世界でも女性より男性の方が強いとされる。

女流と言う活躍の場が用意されている事もあり、より強い棋士との対局が望みづらい事、そもそもの競技人口が少ないこと等が理由として挙げられる。

でも、私にとっては関係のない話、そのはずだった。

同年代随一の棋士と八年も打ち続ける。

贅沢な話だ。

それなのに追い詰められているのは。

男性と女性の感性の違いから来るものなのか?

それとも、私に才能がなかったから、か。

それでもなんとか、奨励会一級まではこぎ着けた。

けれどそれも限界が近いのは確実だ。

初黒星は、遠くない。

 

「あいつはもう、先に進んじゃってるのに······」

 

あいつ、こと弟弟子である九頭竜八一はもう四段、つまりプロ入りを決めてしまった。

史上四人目の、25年振りの中学生棋士。

また一歩、あいつに置いていかれた。

その事が私を尚焦らせる。

いや、八一のプロ入り自体は喜ばしいことだし、素直にお祝いもしたけど。

問題はやっぱり私自身。

私の目標である、八一と公式戦対局するためにどうしても私もプロにならないといけない。

その為には、こんなところで躓いていられないのに······

 

「······現実は非情である、かぁ」

 

こんなはずじゃなかった。

そんな気持ちが膨れ上がる。

子供の頃は、八一と一緒ならどこまでも行ける気がした。

女流で二冠をとり、奨励会入りを果たしたときも、私の才能ならもっと上を目指せると思っていた。

プロになって、あいつと対等の舞台で本気の将棋を指せば、そうすれば······

いつからか離れてしまった手を、もう一度······

 

「なんて、ね」

 

女々しい、と思う。

自分でも。

結局私は、あいつの隣にいる為に強くなろうとしている。

雑念で溢れているんだ。

だから、将棋だけを見て、強くなる事しか考えてない将棋星人に追い付けない。

離される、置いていかれる。

 

「だめだめ、こんな弱気になってたら本当に負ける」

 

首を振って邪念も振り払う。

 

「そう言えばあいつも、今日プロ初手合いだったっけ」

 

どうなったかな、とスマフォの電源を入れる、と。

 

「着信······桂香さん?」

 

すぐに着信が入った。

相手は師匠の娘で私の姉貴分である清滝桂香さんだ。

 

「何だろう? いや、八一の対局が終わったのかな······はいもしもし」

 

そんな事を考えながら電話に出る。

そして······

 

「え、八一負けたの······は!?」

 

負けた八一が音信不通の行方不明だと伝えられた。

 

 

▲▽▲

 

 

俺こと九頭竜八一は逃げていた。

プロ初対局、相手は存在そのものが盤外戦みたいな山刀伐七段。

正直なめてた。

普通に考えてB級1組の七段に新四段が敵うわけないんだけど、なんと無く周りが、

 

『あいつなら行けんじゃね?』

 

的な雰囲気だったし、俺自身あの地獄の様な三段リーグを中学生で潜り抜けたと言う自負から、

 

『俺なら行けんじゃね? てか寧ろ、東京まで来たんだからタイトルホルダーとかとやった方が良かったんじゃね?』

 

とか思ってた。

調子乗ってた。

バカだった。

クズ竜呼ばわり待った無しのクズだった。

結果。

惨敗だった。

実力をだしきれずにぼろ負けした。

詰み見逃しで逆に詰むとか言う一番恥ずかしい負けかたした。

姉弟子の罵倒じゃないけど本当に頓死した。

で、

 

「うぐ、ぐすっぐず」

 

逃げて逃げて逃げて。

海まで走って飛び込んで。

自殺と間違われて救助、保護された。

サーフショップの店員さんに。

もう10月だけどこの辺暖かいからまだサーフィンする人がいるらしい。

 

「あー、坊主。帰るのが嫌なら暫くここにいるか?」

 

期待を裏切った、恥ずかしい将棋を指した。

止められなかったら本当に死んでたまであるおれは店員さんのそんな言葉に甘えてアルバイトしながらサーフィンしてた。

 

「サーフィンたーのーしーーー!」

 

なんて叫びながら。

うん。やけが入ってることは認める。

でも傷心で、正直将棋に触れたくなかったから。

その場にある娯楽に飛び付いたのだった。

 

······そして、一週間後。

 

「······楽しそうね、八一」

 

水平線に陽がかかる時間。

赤く染まった町並みを背に。

黒い日傘をさしながら。

陰で顔を隠しつつ。

 

「たーのーーおおぉぉぁああ、あねでーしーー!?」

 

が、降臨した。

思わずひっくり返った俺に向かってザッザッ、と音をたてて歩み寄ってくる姉弟子。

夕方で人が少なくなっているのに加え、赤く染まった町並みを背に迫ってくるその姿は、下手なホラーより怖かった。

姉弟子ホラー苦手なのに。

ホラーより怖かった。

 

「思ったより元気そうで何よりだわ、八一」

「いや、あのですね、これは、ちがくて。

 ちがくてですね?」

 

ほぅ、と息をはくように小さく。

日傘の陰より見えるその瞳は氷のように蒼く。

あ、これぶちきれてる。

そんな判りきったことを改めて思い知らされる。

 

「なにが、違うのかしら?」

 

ヒィ、と情けなく声をあげるのは俺です。

本気でこえぇ······

 

「······はぁ」

 

なにも言えなくなる俺を暫く睨み、ちいさくため息をついて。

 

「帰るわよ、八一」

 

言いたいことは山ほど有るだろうに呑み込んで。

俺に手を差し出した。

でも。

 

「嫌だ! 俺将棋止める! ここでアルバイトしながらサーファーになる!!」

 

その手を振り払いそうさけんだ。

正直まだ大恥かいた心は傷だらけで。

正直まだ将棋に触れたくなくて。

それよりももっと。

目の前のこの姉弟子に。

女流二冠でいまだ公式戦無敗の偉大な姉弟子に。

······失望されるのが怖くて。

だから、自分がどれだけ身勝手なのか判っていなかった。

 

「        」

 

小さく、聞き取れないほど小さく姉弟子が呟く。

 

「え?」

 

思わず聞き返した。

日傘を持っていない左手で俺の肩をつかみぐいっと引き寄せる。

自分も陰に入った事で見えたその顔は怒りを示すように赤く。

でも蒼く染まったその瞳だけは、泣き顔のようで。

 

「ぶちころすぞわれ」

 

姉弟子がよく口に出す、イラついたときの口癖。

でもいつもの平坦なソレでなく、本気で殺されそうなほどの怒気が込められていて。

 

「あんたが音信不通の行方不明って聞いて、師匠が桂香さんが!」

 

「私が。心配しないとでも思ってたのか」

 

ぽろぽろ、と。

目の前にある蒼い瞳から涙が流れ落ちる。

 

「あ、ね」

「見たよ。対局」

 

ぐ、と言葉がつまる。

あれからもう一週間もたっている。

当然と言えば当然だ。

でも、この姉弟子にだけは見られたくなかった。

 

「あんな酷い負け片して、八一がどんなに悔しかったか判る」

 

思わず身体に力が入る、顔をしかめる。

同情なんて要らない。

この人にだけはそんなことを言われたくなかった。

そうだ、だからこそ俺は逃げたんだ。

この人から。

でも······

 

「なんて、言わない。

 私は八一じゃないもの。

 その悔しさも惨めさも八一が自分で受け止めなさい」

 

この人はそんな俺の弱さこそをわかっていたんだろう。

 

「でも、逃げるな。

 どれだけ惨めでも、見苦しくても」

 

泣きながら、でもすごく真剣な顔で。

やっぱり、俺が憧れてた人はすごくかっこよくて。

 

「どうしても我慢できないほど辛いなら、私が支えるから」

 

ぎゅっと頭を抱え込まれる。

もう暗くなっている。

水着でいるのは少し寒くて、姉弟子の体温がすごく心地よくて。

 

「あんまり心配かけないでよ、バカ」

 

······泣いた。

 

 

△▼△

 

 

ーー俺将棋止める!

 

その言葉を聞いてよくひっぱたかなかったものだと思う。

その場の感情で口から出ただけ、八一が本当に将棋を止められる訳がない、とは思う。

だからこそ口で「ぶちころすぞわれ」と言うだけで済ませられた。

正直にいってしまえば、その言葉も、手を払われたのも。

泣いてしまいたいくらいにショックだった。

八一のその言葉は私の願いを壊すものだし、手を払われたのもやっぱり私じゃ隣には居られないのだと思わされた。

 

「っうぅぁ、ずっ、うぐぅ」

 

でも、私の胸に頭を預けて泣いている八一を見ると少しだけ嬉しくなる。

八一が弱味を見せてくれて。

少しだけ、認めてもらえたみたいで。

 

「暗く、なっちゃったわね」

 

暫くして、八一が泣き止む頃にはもう星が出ていた。

八一は恥ずかしいのか顔をあげない。

 

「あの······」

「ん?」

「ありがとうございます、姉弟子」

「私は八一の姉弟子だもの、これくらい当然よ」

 

それに、八一の為だけに迎えに来た訳じゃない。

怖かったんだ、私が。

無いと思っていても、本当に止めちゃったら、と。

そう思うと怖くて。

居場所がわかったって連絡が来るなり飛び出していた。

 

「泣き止んだなら離れなさいよ」

「······あの、ごめんなさい」

 

ん? と思ったが、八一が離れたときその理由がわかった。

うん、制服の胸元鼻水ついてる。

 

「······八一」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」

 

半目でにらむとすぐさま土下座して謝りだした。

まぁ、制服は学校用、対局用、予備と持ってるし、怒ってはいない。

 

「冗談よ。クリーニングに出せばいいし問題無いわ」

「クリーニング代は出させて頂きます!」

「別にいいわ。私、お金はあるし」

 

女王と女流玉座を四年維持したのだ。

賞金だけで四千万、その他もろもろでまずお金には困らない。

プロ入りしているとは言え、タイトルどころかリーグ入りすらしていない八一より余程稼いでいる。

両親も自分で稼いだのだから自分で管理しろと言っているし。

無駄に使う気はないけど、これは必要経費ってやつだろう。

 

「まぁ、このままにはしておけないわね」

 

とりあえず、海水でハンカチを濡らし拭うことにする。

あらかた八一のソレを拭ってハンカチを濯ぎ。

 

ーーそう言えば、今までまともに海で遊んだ事なんて無かったわね。

 

なんて。

 

「八一」

「何ですか姉弟子?」

 

ちょいちょい、と手を振って八一を呼ぶ。

不思議そうに近づいてきた彼に、

 

「えい」

「わっ、いきなり何すんですか!?」

 

水を掬ってかけてみた。

ふむ。

 

「ドラマとかでよくこう言うことしてるじゃない?

 何が楽しいのかしら?」

「あー······」

 

正直なにも楽しくない。

まぁ、子供だったら水がかかるのも楽しめるのかもだけど。

······いや、子供の頃も海に来ても将棋指してたわ。

まぁ、日下にでたらぶっ倒れるしね、仕方ないね。

 

「······姉弟子」

「うん? っわぷ」

 

バシャン、と。

八一に水をかけられた。

 

「や、い、ち」

「ていっ」

 

バシャンバシャン!

 

「ふ、ふふは」

 

何度も何度もかけられる。

 

「八一、そこに直りなさいっ!」

 

私も水を掬って八一にかける。

ぱしゃん。

八一が水を掬ってかける。

バシャン。

 

「ふふっ」

「あはははは」

 

ぱしゃん。バシャン。

いつの間にか水浸しだ。

 

「もう、どうするのよコレ」

「あー、ごめんなさい」

 

水浸しだ。

水着の八一はいいけど。

制服の私まで水浸しだ。

幸い10月にしては気温が高いようで、寒いと言うほどではないけど。

 

「結構、疲れるわね、コレ」

「姉弟子は、もうちょっと体力つけた方がいいんじゃないですか?」

 

水泳とか良いみたいですよ、と八一。

余計なお世話だった。

 

「······ならやってみようかしら。

 八一と一緒に」

 

砂浜に仰向けに倒れる。

制服が酷いことになるが、まぁ、今さらだ。

 

「じゃあ、どっかいいところ探します」

「え、本気で?」

「将棋するにも、体力有った方が良いですから」

「······うん、解った」

 

八一と水泳って、八一と水着でって事で。

あ、ダメだ。顔が赤くなってきた。

 

「よいしょっと」

「爺くさいわよ八一」

「ほっといてください」

 

八一が横にならんで寝転ぶ。

空を見上げれば、一面に星が浮かんでいた。

 

「綺麗ね」

「はい」

 

さて、今は何時なのか。

暗くなってはいるけど、10月だし。

早ければ5時には陽が落ちる。

其ほど遅くはないはずだ。

 

「星に願いを掛けたら、叶えてくれるかな?」

「姉弟子? 珍しいですね、そういうの」

 

そうだろう。

夢は自分でつかむもの、願いは自分で叶えるもの。

今までそうしてきたし、当然これからもそうする。

信じているものは将棋の神様だけ。

だからコレは、ただの気の迷いだ。

 

「八一」

「なんです?」

 

「手」

 

「て?」

「手、繋いでくれる?」

 

戸惑ったように、でも。

 

「はい」

 

おずおずと、八一が私のてを握る。

暖かい。

冷えてきた、と思うのは制服が濡れているせいか。

八一の手の温もりが、すごく安心する。

 

「八一」

「······なんです?」

 

目を閉じて、大きく深呼吸をした。

 

「これから話すことは気の迷いよ。

 忘れなさい」

「は? いや、いきなりそんな事を」

「い い わ ね」

「······はい」

 

目を開けて星空を見上げる。

バカなことをしようとしてる。

言ったところで、八一を困らせるだけ、なのに。

 

「さっき八一は、もう将棋止める、って言ったわよね」

「あ、あれは思わずって言うかその場の勢いって言うか」

「もし、本当に八一が将棋を止めるのなら」

 

八一の言い訳のような言葉を遮って私は言葉を紡ぐ。

間違いなく、これから八一を縛る、卑怯な言葉を。

 

「······私も、将棋を止めるわ」

 

 

▲▽▲

 

 

「······あ、あーはは面白い冗談、ですね?」

 

あり得ない人からあり得ない言葉が飛び出した。

姉弟子、空銀子はその呼称からもわかる通り俺より早く師匠に弟子入りしている。

初めてあったときは将棋の妖精かと思った、とかそう言うのは置いといて。

もう八年間も一緒に学び研鑽してきた。

その情熱も信念も、才能も。

誰よりも俺が知っている。

だからこそ、信じられない。

 

「ねぇ、何で私がプロを目指してるか、わかる?」

「そんなの······」

 

プロを目指す理由、つまり女流棋士にならなかった理由か。

うーん、そう言われると、なんでだ?

 

「自分の才能を、世間に知らしめるため·····とか?」

「違う。それだったら私は、今頃女流六冠になってるわ」

「とんでもない事をさらっと」

「私ならできるもの」

 

えー。やっぱり自信家ではあるんだな······

じゃあ、

 

「女流よりも強い相手と戦いたい、とか?」

「半分当たり」

 

俺より強いやつに会いに行くタイプだったかー。

まぁ、そうか。

姉弟子だもんね。

 

「で、半分って?」

「解らないの?」

 

ちょっとあきれた顔で俺の方に視線を向ける。

 

「私は、あんたが止めるなら私も止める、って言ったのよ?」

「······え? つまり、姉弟子がプロを目指す理由って」

 

繋いでない方の手で自分を指差す。

こくん、と頷かれる。

 

「いーやいやいやいや、可笑しいでしょ。

 いっつも指してるじゃないですか、もう五万局近くも」

「そうね。でも私は。

 公式戦で八一と戦いたい。

 八一と私の本気の将棋を指したいの」

 

真剣な顔で、真剣な声で。

つまりはこれは冗談でも何でもなく。

 

「貴方は私の憧れで、目標なんだから」

 

そう言って笑った彼女の顔を、きっと俺は生涯忘れない。

見惚れるほどに、綺麗な笑顔だったから。

 

「だから止める何て言わないで。

 私の進む先にいてほしい」

「······うん。俺、強くなるよ。

 銀子ちゃんが進む先で、誰にも恥じることなく目標だって言える場所で、きっと」

 

すぐ、追い付かれちゃうのかも知れないけど。

でも、その時が来たら。

また一緒に強くなろう。

二人で、何処までも。

 

 

△▼△

 

 

ーーーーーで。

そこで終わっていれば綺麗な青春の一幕でおわったろうに。

 

「へくちっ」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 

まず間違いなく水を浴びたからだろう。

この貧弱ぼでぃはしっかり風邪を引いた。

そしたら八一が······

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「八一うるさい鬱陶しい頭に響く黙れ」

「はいごめんなさい!

 あの姉弟子、大丈夫ですか?」

 

自分のせいだとメソメソ。

まぁ、確かに水をかけてきたのはこいつだけど。

そもそもの原因は私だし。

それにちょっと、ホンのちょっと、楽しかったし。

 

「八一······」

「はい、なんでしょう!?

 水ですか? 氷ですか!?

 それともプリンでも買ってきます?」

「うっさい、どれも要らない」

 

はぃ、とうなだれて小さくなる八一。

犬か。

尻尾がシュンとしてるのが見えるようだわ。

 

「寝るわ」

「あ、はい。じゃあ出てきます」

「······て」

 

布団から右手をだす。

妙な気恥ずかしさから顔を背けながら。

 

「て?」

「手、握ってて。寝るまででいいから」

「あ、うん」

 

熱で体温が上がった手に八一の手が重ねられる。

ひんやりとして気持ちいい。

 

「姉弟子、手繋ぐの好きですね」

 

見なくてもにっこり笑ってるのが見える。

バカ八一。

目を閉じて、ちょっと素直に言葉を返す。

そう、今の私は風邪で弱ってるんだから、仕方ない仕方ない。

 

「えぇ、知らなかった?」

「······えと、実はそうじゃないかなって薄々」

「えっち」

「何で!?」

 

ばーかばーか、バカ八一。

 

「誰でもいい訳じゃないから。

 八一、だからなんだか、ら······」

「え······?」

 

意識が遠退く。

近くに八一がいる。

いて、くれる。

何処までも先に行っちゃう八一······

でも確かに手が繋がってる。

······いまは、まだ。

 

「やぃち······   」

「······おやすみ、銀子ちゃん」

 

額に、何か触れた気がした。

 



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一緒に寝たい八一君に「ぶちころしゅじょわれぇ」

△▼△

 

 

どうしてこうなったとか、最近よく考える気がする。

いや、違う。

今までもそう考えることは多々あった。

でもそれは上手くいかない対局の事とかであって。

間違っても今のこんな状況を指して考えてはいなかった。

 

「どうしました、姉弟子?」

「……別に」

「そうですか?

 なら行きましょうか。

 対局は三時からでしたよね?

 お昼どこで食べます?」

 

そう言いつつ左手で私の手をとる。

その右手には日傘。

もちろん八一のじゃない。

私の日傘だ。

つまりその影には私も入る。

むしろ私が入る。

私が持つと背丈の関係で丁度八一の顔の辺りに傘が来る。

それは危ないってことで八一が持つことになった。

これって相合い傘って言うんだろうか?

そこまでして何で手を繋ぐ事にこだわるのか。

 

ーー手繋ぐの好きですね……

 

微かに聞こえた声を振り払う。

幻聴だ。

何でかわからないけど、最近八一は私に過保護だ。

そう、八一がサーファーになるとか言い出したのを黙らせて連れ帰ってから妙にベタベタ引っ付いてくる。

まぁ、直後に私が熱だして倒れたせいも有るのだろう。

昔はよく熱を出して寝込んでいた。

その時に看病してくれたのは桂香さんとこいつだ。

今回もお世話になった。

感謝してる。

けど。

もう治ってから一週間経つ。

いつもだったらとっくにそれぞれの生活に戻っている。

学校に行くにも手を繋ぎ、当然のように鞄も日傘も持ってくれて。

八一が日傘を持つから日陰に入るために密着するように歩いて。

棋院に行くにも手を繋ぎ。

……別に、それがイヤって言う訳じゃない。

昔みたいに八一と手を繋いで歩くのは私の願いだったし。

正直安心する。

すぐにどこかに行ってしまう八一を繋ぎ止められるみたいで。

いや、どこか行くっていうのはどんどん強くなる将棋を指してるんだけど。

物理的に繋ぎ止めても意味はないけど。

でもやっぱりこうして手を繋いでいると、八一の存在を近くかんじて安心する。

ただちょっと。

何て言うかこう。

こう、七寸盤を買うためにコツコツお金を貯めてたら懸賞で当たったような……

そんな釈然としないものを感じる。

 

「どうしました?

 何か悩んでるみたいですけど」

「どうしたって言うか……」

 

あんたがどうしたのよ?

とは聞けなかった。

一応、仮にも。

これは私が願ってたことで。

余計なこと言って手放してしまうのはちょっと惜しくて。

……だから気にしないことにした。

どうせ、そのうち元の関係に戻るのだろうから。

私は姉弟子で八一は弟弟子。

その関係に変わりはないんだから。

 

「何でもない。

 お昼は洋食にしましょう。

 ハンバーグがいいわ」

 

変わらなくていい。

だって、私の居場所はちゃんとここにあるんだから。

 

 

 

 

▲▽▲

 

 

 

 

勝った。

連勝記録更新。

良いことなんだけど。

何だろう、今日は異常に調子がよかったな。

何時もの勝てるかどうか判らないという不安もなく。

凄くあっさり勝ってしまった。

感想戦でもなにも問題点が見つからず、まさに勝つべくして勝ったような……

何時もの苦労は何だったんだと言いたくなるような。

よほど集中していたのか、しっかり読み込んだ筈なのに思ったほど時間がたっていなかったり。

体内時計には結構自信があるんだけど、十分くらい考え込んでたつもりが二、三分しかたっていなかったり。

 

「……まさかね」

 

ぐーぱーぐーぱー。

八一に繋がれていた手をにぎにぎする。

まさか八一と手を繋いでいたから調子がよかった、なんて事は。

流石にないと思うんだけど。

 

「いやでもなぁ……」

 

昔はよく手を繋いでいた。

それこそどこへ行くにも二人で一つといった感じで。

手を繋がなくなって何年もたってはいるけど、未だにそれがルーティーンとして残ってる、なんて。

むしろこれまで苦戦してきた原因は八一と手を繋がなくなっていたから、なんて。

 

「……まさかねー」

 

たまたま今回の相手が弱かっただけだろうか?

なんて、失礼極まる事も考えてしまう。

いや、流石に有段者一歩手前なのだから弱い訳もない、筈。

いやいやでも、一応プロの八一とある程度対等に指せるのだから私も四段になれるくらいには実力がある、のか?

でも最近は負け越してるし三段位かな?

まぁ、三段になれば三段リーグ何て言う登竜門があるし、実際のところ三段には実力はプロ以上なのも居るらしいのだけど。

八一が居間でぐったりしながら愚痴ってたのを聞いただけだから実態は判らないけど。

 

「……あの化け物共めー、とか言ってたっけ」

 

自販機でお茶を買いながらそんなことを呟いていると。

 

「何がですか?」

 

と、弟弟子が来た。

って言うか、八一は今日は対局なかった筈なのにずっと待ってたのか?

 

「……何でいるのよ?」

「待ってたからですが」

「ストーカー? 頓死すればいいのに」

「酷っ!? いや、この前倒れたから心配してるんですよ」

 

まぁ、そうだろうと思った。

もう一本お茶を買って八一に渡す。

結構長く待たせたはずだから、お礼もかねて。

 

「ありがとうございます。

 どうですか、調子は?」

「良かったわ。

 無事不敗記録更新ね」

「それは良かった。

 で、何が化け物なんです?

 今日の対局相手じゃなさそうですが」

「あぁ、三段リーグ」

 

お茶を口に含んだ八一が嫌そうに顔をしかめる。

そこまで嫌か……

 

「……何でそれが今出てくるんですか」

「んー……」

 

どう説明したものか。

 

「私ってさ、強いじゃない?

 まぁ、プロほどではないにしろ」

「まぁ、自分で言うか?

 とは思いますが確かにそうですね」

「で、どの位強いかって考えると、八一より下だけど絶望的な差でも無いわけで」

「あぁ、それで三段ですか。

 んー、しかしなぁ」

 

私の予想に不満があるのか八一は考え込むしぐさをする。

暫くうんうん唸って考えがまとまったのか顔をあげ。

 

「棋力はまぁ、そのくらいかと思いますけど。

 仮に今すぐ姉弟子が三段リーグに入ったとして、絶対に勝てないでしょうね」

 

と言った。

さも確信しているといった顔で。

うん、生意気。

 

「ごめんなさい、バカにしてる訳じゃないです。

 ただ多分、いくら姉弟子でも三段リーグには飲まれると思うんですよね。

 むしろ初めからあれに対応出来たら人じゃないです」

「……えー、そこまで言うほどなの?」

「言うほどですね。実際俺も初めのうちは飲まれて負けましたから。

 根性とか気合いとかじゃないです。

 あれは怨念とか呪いとかそっち系のソレですよ。

 とにかく心を折りに来ますからね、あの化け物共」

 

また凄い顔でらしくもない毒を吐く。

そんなに嫌か。

て、言うか私も怖くなってきたんだけど。

 

「まぁ、姉弟子が三段に上がるのはまだ先でしょうし、とりあえずは有段者目指しましょう」

「それもそうね。今年中には昇段したいところだわ」

「……史上五人目の中学生プロでも目指してるんですか?」

 

少しひきつった顔でそんなことを聞いてくる。

まぁ、出来るなら狙いたいところではある。

流石に無敗でプロ入りは不可能としても、この弟弟子に負けたくない気持ちはあるのだから。

そんなことを考えながら笑顔を返す。

八一の顔がさらに引きつった、失礼な。

そんなことを話していたら将棋会館の玄関まで来た。

傘立てに仕舞ってあった日傘を取る。

……八一が。

 

「さぁ帰りましょうか、お姫様」

「あんたね……」

 

微かに笑いながらそんな冗談を言ってくる。

ほんの少しドキッとした、気がする。

いや、気のせいか。

『浪花の白雪姫』なんて異名を勝手に付けられてから、この弟弟子は度々こう言ってからかって来るのだ。

軽くローキックを食らわせて差し出された手をとる。

 

「あ、そうだ」

「何ですかいきなり」

 

ちょっと不満そうな顔。

でもからかう方が悪いので黙殺する。

 

「そもそも何で自分の強さなんてのが気になったかって言うとね」

「まだ続くんですかそれ……」

「うっさい聞け。

 最近なんか限界を感じてたのよ」

「………………はぁ!?」

 

なに言ってんだこいつ?

と言わんばかりの顔。

 

「勝てなくなるって言うか、そろそろ連勝記録も終りそうって言う意味で」

「はぁ?

 まぁ、勝負は水物ですし。

 そもそも一級まで無敗で上がってきたことの方が驚きなのでいつ負けてもおかしくないとは思いますが」

「それはそうなんだけど、何か今日はあっさり勝っちゃってね」

 

本当あっさりと。

何度も言うけどあっさりと。

 

「……何が言いたいんです?

 自慢ですか?

 どうせ俺は初戦敗退のクズ竜ですよー」

「八一って時々卑屈になるわよね?

 じゃなくて、もしかしたらルーティーンなのかなって」

「はぁ……?」

 

駅に続く道を二人で歩く。

隣り合って手を繋ぎ。

昼間であれば日傘をさして密着して。

そんな風に八一の隣にいることが私にとって最高のポテンシャルを発揮できる状況なのでは、と。

まぁ、考えてもそのまま言うのも恥ずかしいので。

 

「手を繋ぐ事が。

 ほら、昔はよく手を繋いでたし?」

「あぁ、なるほど。

 たしかにあり得ますね。

 ……俺もそうかもしれないなぁ」

 

たしかに。

私がそうだとしたら八一だって同じルーティーンを持ってる可能性が高い。

まぁ、八一が嫌々手を繋いでいたのなら違うだろうけど、この反応ならそれもないだろう。

 

「じゃあ、これからもずっと対局前は手を繋いで行きましょうか」

「…………え?」

「とりあえず検証に、次の俺の対局の時、付き合ってくださいよ」

「……本気?」

「姉弟子が言い出したんじゃないですか。

 それで勝てるならずっと手を握っていても良いくらいです」

「……八一のえっち」

「あ……いやいやトイレやお風呂は当然別ですよ!?」

 

慌てたように言い繕う。

まぁ、他意がないのは判ってる。

こいつの頭の中にあるのは将棋だけだ。

でももう少し意地悪してみようかな。

 

「へぇ、つまり寝るときは手を繋いだままと。

 私と一緒に寝てナニをするつもりなのかしら」

「……そうですね、手を繋いだまま目隠し将棋でしょうか。

 って、痛っ!?

 なんで蹴るんですか!?」

「色っぽさの欠片もないと言いたいのかわれ。

 頓死しろクズ」

 

やっぱり八一の頭にあるのは将棋だけだ。

脳筋ならぬ将棋脳だ。

……うん、ブーメランであることは認める。

 

「じゃあ姉弟子はどうしたいんですか?」

「…………え、何が?」

「だから、一緒に寝て何がしたいんですか?」

 

……

…………

………………は?

え、待っていやいや、はぁ?

 

「待っておかしい前提間違っとるよ何故に一緒に寝る事に?」

「色っぽさのある回答をお願いしますね」

「ぶ、ぶちころしゅじょ、われぇ」

 

あ、駄目だ恥ずかしくて呂律回ってない。

て言うか、はぁ?

え、本気で一緒に寝る気なの?

 

「イヤ冗談ですよ?

 第一師匠も桂香さんもいるのに一緒に寝れる訳無いでしょ」

「…………夜這いしたら殺す」

 

となりを歩く八一から一歩離れる。

すぐさま一歩の距離を詰められる。

まぁ本気で言っているとは思ってないけど。

仮に一緒に寝るとしてもやることは八一の言う通り目隠し将棋だろう。

寝るまで指し続けるのが目に見える。

実際まだ一緒の部屋で寝ていた時はそうだったし。

電気を消して暗い部屋で目をつぶって。

脳内将棋盤を見ながら対局して。

気づいたら眠っている。

そんな感じだった。

きっとそれは、今一緒に寝ても変わらないだろう。

 

「……まぁ、その辺はゆっくり行きましょう」

 

ぼそっ、と八一が呟いた。

 

 

 

 

△▼△

 

 

 

 

「……ありません」

「ありがとうございました」

「あーもう、負けたぁ!」

 

家に帰りついて。

夕飯食べてお風呂にはいった後は一家団欒の時間だ。

ソファーに座ってテレビ見る?

まさか、盤を挟んで対局だ。

今日は調子がいいから勝てるかと思ったのに無理だった。

 

「いやいや、銀子も大分強うなっとるわ。

 こりゃあ負けるんも近いかも知らん」

「ぐぬぬ、相変わらずの上から目線がムカつく……」

「ま、見おろされとうなかったら早うわしに勝てるようになるんやな」

 

じゃらじゃらと駒をかき混ぜ初期配置に戻す。

感想戦の時間だ。

と、そこで。

 

「師匠、風呂空きましたよ」

 

八一がお風呂から出てきた。

 

「おぉ? 出たか。

 じゃあ入ってくるか。

 感想戦は八一とやっとき。

 銀子、今日は調子がよかったでな、見所も多いで」

「お、そうですか?

 では失礼して」

 

師匠と入れ替わりに八一が対面に座る。

じゃあ初めから並べようか。

 

「って、姉弟子髪の毛濡れたままじゃないですか」

「めんどくさい。

 そのうち乾くわよ」

「駄目ですよ。

 只でさえ体弱いんだから、また風邪引きますよ?」

 

そう言って居間を出ていき、戻って来たときにはドライヤーを持っていた。

 

「あ、並べてください、後ろで見てるんで」

「わかった」

 

ぶおおぉ、とドライヤーがヒートブレスを吐き出す。

温かいを通り越してちょっと熱い温風が髪を撫でる。

パチンパチンと駒を動かし、先程の対局を再現する。

 

「あ、今のとこ」

「ん、ここ?」

 

髪を乾かしながらもちゃんと見ているらしく。

八一が気になったところで口を出す。

そんなことを繰り返してだいたい髪が乾いた所でドライヤーを止めた。

 

「はい終わり」

「ありがと」

 

髪を乾かし終わった八一が今度こそ対面に座る。

そこで初めて八一を目に入れた。

 

「八一、あなたも髪濡れてるじゃない」

「あー、まぁすぐに乾きますよ」

 

百八十度意見を翻した八一をよそに、私はドライヤーをもって立ち上がる。

 

「ちょ、どうしたんですか姉弟子?」

「いいから座ってなさい」

 

ぶおおぉ、と再び唸りをあげるドライヤー。

八一の後ろにまわって髪を乾かす。

がしがしと指で髪をかき混ぜながら温風を当てる。

 

「どう?」

「なんか、あー……」

 

何かを言おうとして口ごもる八一。

なんだ、どうした?

別に変なことはしてない筈だけど。

 

「いや、なんか頭撫でられてるみたいで変な気分です」

「……いいこいいこ」

「ちょ、ま」

 

やめてやめて言う八一を気にせず髪を乾かす。

短い八一の髪はすぐに乾いた。

 

「あーもう」

 

八一は少し赤くなっている。

ドライヤーが熱かったのだろうか。

顔だけでなく首の方まで赤くなっていた。

 

「どう、気持ちよかった?」

「…………勘弁してくださいよ。

 それより感想戦の続きやりましょう」

 

そう言って盤に視線を移す。

私も対面に座って盤を見る。

 

「本当、今日は調子が良いみたいですね」

「そうね。アレ……の、おかげかしらね?」

「まさか本当にここまで効果があるんですかね」

 

手を繋ぐ、それだけの事が私を一回りも強くしたんだろうか?

でも最近の私は少し焦っていた気がする。

八一のプロ入りと言うのは明確な差となって現れた。

置いていかれたと言う気持ちでいっぱいになっていた。

それが焦りとなりを、焦りが私の将棋を、読みを妨げていたのなら。

手を繋ぐと感じる安心感が焦燥を和らげ実力を伸ばしてくれたのかもしれない。

誰でも知っていることだ。

焦っても上手く行くことは無いって。

八一が先に行っちゃうのは仕方がない。

なんて、諦められるほどこの想いは軽くはないけど。

同時に焦っても仕方がない。

焦って躓く位なら、自分のペースで歩いた方がいい。

置いていかれるのも挫けるのも、もう何度も経験した。

 

ーー百折不撓

 

何度折れて曲がっても、その度に打ち直してまた進もう。

私には才能も実力も足りて居ないかもしれないけど、八一を目指して進む。

その意思だけをずっと持ち続けよう。

……諦めなければきっと、夢は叶うものなのだから。

 

「八一、ありがと。

 私はまた、強くなれる気がする。

 きっと追い付くから、もう少し待ってて」

「……おっかないこと言いますね。

 でも嫌です」

「え……ひどい」

 

えがおでことわられた……

 

「待ったりなんてしません。

 俺ももっと上を目指します。

 だから」

「そうだった。

 足踏みしてる八一なんてらしくないもんね。

 いいよ、どこまでも昇っていけばいい。

 でも、例え別の星まで行っちゃっても、必ず捕まえてみせるから」

 

覚悟、しててよね?



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