俺の担当アイドルが、全員合鍵を持っている件 (雨あられ)
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1話

それは営業先から電車に乗って会社へと帰ろうとしたときの事だ。

 

「ふぅ、間に合った……ん?」

 

ギリギリに乗り込んだ車両が何だか妙な雰囲気だった。一体どうしたのかと辺りを見回す、するとその理由はすぐに分かった。

 

電車の中で、高校生らしき金髪の男性が倒れていたからだ。

 

耳には黒いカフス、ダボダボのズボンを穿いて、口にはマスクをつけた柄の悪い男が車両の中で突っ伏して倒れている。その様子を見ている周りの乗客はひそひそと何かしゃべることはあっても、彼の周りの座席だけ空いていて、まるで、厄介者には関わりたくないと言わんばかりの仕打ちであった。確かに、見かけは不良のようであまり関わりたい人種ではないが……それでもそんなことを気にしているような状況じゃないだろうに。

 

「おい、君、大丈夫か?電車降りられるか?」

 

「……」

 

傍に駆け寄って呼びかけてみる。が、まるで反応がない……。

 

こ、こういう時って、どうすれば良いんだ?

 

ただ酔っぱらいが酔って寝て居るだけというのなら、ゆすって起こして勝手に帰ってもらえば良いのだが、辺りに飲んだり吐いたりしたような形跡はない。何か、病気で倒れていたのだとしたら下手に動かすのは不味い気がするし……。意識は無さそうだが……呼吸はしているようだし、と何もできずにいると、ゲホゲホっ!と咳をして金髪の体が動く。

 

「!君、大丈夫か?」

 

「……たい……」

 

「え?」

 

「降りる……」

 

「降りたいのか?次の駅で良いのか?」

 

そういって男は小さく頷いてよろよろと立ち上がった。が、足がふらついていて危なっかしかったので慌てて手を貸してやり近くの空いていた席に座らせる……。見かけの派手さのわりに、意外と華奢だと思った。

 

「もうすぐ、次の駅に着くから」

 

聞いているのか、居ないのかヤンキーは体を丸めて頭を横に振っていた。

 

 

……しばらくすると次の駅についた。男の肩を持って外に出ると外では駅員さんが二人待ち構えていた。どうやら、誰かが既に連絡してくれていたらしい。

 

「大丈夫ですか?気分が悪いのなら、仮眠室に……」

 

「平気、ちょっとふらついただけなんで」

 

「しかし、顔色がよくないようですが……」

 

「タクシーで、帰るんで」

 

そういって駅員さんたちの申し出を断る。というか、この声、もしかして……女?

ずっと男だと思っていたが、確かに何か柔らかいものが当たっているような……。

 

「アンタも、その、ありがとな」

 

そう言ってワインレッドの瞳をこちらに向けると、俺から離れてのろのろと歩き始める綺麗な金髪の少女。このまま放っておいてよいものかと思案したが、足取りはそこまで悪くなかったのでその背中を見送ることにする。

 

それに、何となくだが、マスク越しにではあるが最後に笑顔を見せてくれたような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ」

 

あの後、道がわからない外人に道案内したり、迷子の両親を一緒に探したり、家に帰りたがらないパンキッシュな非行少女を説得して家に帰したりと、朝から晩まで人助けばかりして一日が過ぎていった。

 

人助けと言えば聞こえはいいが、そんな事をしていても会社の利益にはならない。客先にあまり回れなかったことを上司に報告すると、散々に怒られてしまった。

 

……人を笑顔にするのが好きだった。

今の営業の仕事を始めたきっかけも、会社の商品を売ってお客さんに喜んでもらいたいと思ったからだった。だけど、現実は嘘のようなボッタくり価格で、ほとんど使い道のない商品を売り込む日々……。

 

はたして、これが本当に俺のやりたかったことなのだろうか?

俺が本当にやりたかったのは……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、そこのお前!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不意に、どこからか聞こえてくる渋い声。ぱっと後ろを振り向くとそこに居たのはダンディな佇まいの男が一人……っていうか、今声に出してなかったはずじゃ……。

 

「う~む、見かけのわりに中々気骨のあるやつじゃないか。お前ならば、或いは……」

 

人の顔をじろじろと見まわしてこの言い草……いきなり何なんだ。と思っていると、ガシっと、両肩に手を置かれてこちらをまっすぐに見据える謎の男性。も、もしかして、ホm……

 

「よし、お前……アイドルのプロデューサーをやってみる気はないか?」

 

「……へ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺の担当アイドルが、全員合鍵を持っている件

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ」

 

駅のベンチに腰掛けると、自然と口からため息が出る。

 

俺は、天井社長の熱心なスカウトを受け、この283プロへと転職することを選んだ。

 

決め手となったのは、やはり社長と一緒にとあるライブに裏方として連れて行ってもらったことだろう。響き渡る歌声に、会場全体の一体感、なによりは楽しそうに歌い、踊り、そして笑うそのアイドルたちの美しさと、それを見せるための裏方の努力、そして、それを全力で楽しむ観客たち……全員がこの日のために生きてきたとばかりに精気に満ち溢れていた素晴らしいライブだったのだ。

 

俺も是非こんな仕事をしてみたいと思ったのだが……。

 

事務所は超が付くほど小規模な新興芸能事務所で、俺以外には天井社長と、七草はづきという謎のアルバイトが一人だけだった。

 

しかも

 

「アイドルのスカウトまで自分でやるだなんて……」

 

そうボヤきながら再びため息が出てくる。

天井社長が言うにはただ可愛い子をスカウトするだけでは駄目らしくて……

 

『良いか!プロデューサーというのは、アイドルの、一人の女性の人生を預かる仕事だ!お前が一生をかけても構わないと、そう思えるような女性でなくては……意味がない!!』

 

そう机をたたいて力説していたのを覚えている。確かに、言っていることは正しいし、俺自身もそう思ってはいるが……そんな女性、そう簡単に見つかるわけがないだろうに……。飛び切り可愛い美人を探すってだけでも難しいっていうのに。

 

「とりあえず、適当にその辺を探してみるか……」

 

軽い鞄を持って、重い腰を持ち上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新宿駅で降りると駅周辺をふらふらと歩きながらアイドルになってくれそうな女性を探す。金髪のハーフっぽい子に、さっぱりしたベリーショートの黒髪美人など、可愛い女性はたくさんいる。居るにはいるが……どの子も、人生を賭して魅力を知ってほしいほどか、と問われると疑問が残る。それは単に一目見ただけだからというのもあるだろうが……何か、心動かされないのだ。その日、俺は日が暮れるまで街の中を歩き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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カランコロンと雑貨屋の中に足を踏み入れると中からいらっしゃいませ~と落ち着いた女性の声が響いてくる。

 

あれからすでに3日……毎日様々な街の中を歩き回ったが、残念ながら本気でスカウトしたいと思えるような魅力的な少女を見つけることは出来なかった。

 

……俺の理想が高すぎるのだろうか?

 

社長は急ぐことはないと言ってくれたが……時間をかけたらと言って見つけられるようなものなのか?とさえ思えてくる。

今日はそろそろ引き上げろと電話があったので、ついでとばかりにはづきさんに頼まれたゼムクリップを買って今日はもう帰ることにした。

 

雑貨屋の中は文房具以外にも可愛らしい小物が並べられていて、どこか温かな雰囲気があった。

 

俺のようなスーツを着ている男性というのは場違いなような気もするが……と、あったか。

ぎっしりとゼムクリップが詰まっているケースを見つけてそれを手に取ってみる。

……クリップなら簡単に見つけられるんだが……。

 

「大体、ほとんど素人同然の俺にスカウトなんてこと……」

 

「あれ……P……君?」

 

不意に懐かしい声に名前を呼ばれた気がした。

 

そして目に映る、長くて綺麗な茶色い三つ編みに服の上からでもわかる豊満なボディスタイル……何よりは少し垂れた優しそうな瞳。

 

「千……雪?」

 

「やっぱり、P君!?」

 

パタパタと嬉しそうに駆けてきてくれたのは優しい笑顔が特徴的な女性、桑山千雪……!?

彼女は俺のすぐ隣までやってくると茶色いたれ目を更に細めて微笑んだ。

 

「久しぶりだねP君!?」

 

「あ、あぁ久しぶり……千雪は……ここで働いてるのか?」

 

「う、うん。雑貨屋さん。店はあんまり大きくないけど、自分で作った雑貨も置かせてくれて……」

 

顔を少し赤くして、照れながらそう話してくれる彼女の姿は昔とちっとも変っていなかった。いや、昔よりも綺麗になったとさえ思う。

 

彼女は、家の近所に住んでいた幼馴染というやつで、子供のころはよく他の友達も誘ってみんなで遊んでいた。高校まで同じ学校に通っていたのだが、別に付き合ったりしていたわけではなく、せいぜいバレンタインデーには義理でチョコ貰ったり、誕生日にプレゼント送り合ったりする程度の仲だった。

 

まぁ、そんな彼女とも、とある事件を境に話すことは無くなってしまったが……その千雪とこんなところで再会するとは……。

 

「P君は今はどんなお仕事をしているの?」

 

「あぁ、俺は……」

 

そうおずおずと尋ねてきた千雪を見て改めて思う。

 

千雪ははっきり言って美人である。

本人は地味で暗いなんて思っているらしいが、そんなことは全然ない。むしろその奥ゆかしい性格は男子の中でもかなりの人気を誇っていた。

実は歌が上手くて、困った人は誰であれ見過ごせないほど優しい性格をしていて、何よりはたまに見せる笑顔がとても素敵で……って、あれ。

 

「千雪!」

 

「は、はい!?」

 

なんでこんな簡単なことに気が付かなかったんだろう。

彼女の両手を握って珍しく見開いた目をまっすぐに覗き込む。

居たじゃないか!こんなに、身近に……!

 

「俺の……俺のアイドルになってくれないか?」

 

「は、はいっ!………………ぁ、アイドル?」

 

自分の一生をかけても良いと思えるような、アイドルが!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「というわけで、天井社長!無事にアイドル候補生を見つけることが出来ました!」

 

『おぉ!そうか!よくや……コホン、いや、まだこの目で見ないことには何とも言えないがな』

 

「まぁそうですよね。ですが、きっと天井社長も納得してくれるかと思います」

 

『なるほど、自信ありと言うことか。期待させてもらおう』

 

駅へと歩きながら天井社長に電話で詳細を報告する。

千雪は事情を説明すると輝いていた瞳が曇っていきなぜか少し落ち込んでいた。しかし、すぐに真剣な面持ちになって雑貨屋の仕事もあるから、少し考えさせてほしいとその場での返事は保留になったのだった。

 

彼女は……もしかすると今回の話を断るかもしれない。

雑貨屋の仕事を気に入っていたし、本人も、あまり人前に出るのを喜ぶ性格ではないからな。

しかし、俺の中ではもはや彼女以外はありえないとさえ思っている。

何があっても俺は彼女をアイドルにして、そして……トップアイドルにしてみせる!

 

『では、残りの4人も早く見つけるように』

 

「えぇ、任せてくださいよ!残りの4人……うえぇ!?よ、4人っ!?」

 

この人は一体何を言っているんだ!?

落としかけた携帯を持ち直して慌てて聞き直す。

 

「あ、後4人ですか!?」

 

『そうだ。うちのスローガンは【切磋琢磨】。アイドル同士、助け合い、競い合うことで実力を高めるというもの……そのためにはお前には最低でもあと4人はアイドルを見つけてもらう』

 

「いや~そんな簡単に……社長、ちょ、社長!!?」

 

……切れてしまった。いやいやいや、無理だ!無理すぎるだろう!

千雪を見つけるのでさえ一苦労だったのだ。それを後4人もだなんて……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、時に奇跡というものは立て続けに起きるらしい。

 

重い足取りのまま駅に向かう途中のことだ。ざわざわと騒ぐ野次馬が集まっている場所を見つけた。何だろうかと列をかき分けて中をのぞくと、どうやら雑誌のモデルが写真撮影をしているようである。

 

「イイねー咲耶ちゃん!!もっとちょうだい!もっとちょうだい!!」

 

咲耶と呼ばれた女性を見る。

俺と同じくらいの背丈に、黒くて長い黒のポニーテール。男の俺でさえ素直にカッコいいと思えるような凛とした容姿にスラリとした体躯……しかし、ゴツゴツした感じはせず、どこか清廉潔白さを感じさせてまるで……。

 

「すごい、王子様みたい~」

 

「私、絶対この雑誌買お!!」

 

前に居た女子高生が声を高くする。そう、本物の王子様みたいだった。

体中キラキラしていて、開いた胸元が少しセクシーで……でもそれ以上に俺が気になったのは「何か」彼女が物足りないと思っているようなそんな表情をしていたからだ。

 

しばらく瞬きを忘れて彼女に見惚れていると……

 

……ニコッ

 

と笑った彼女と目が合い、ドキリとしてしまう。

まぁ笑いかけてくれたのは俺じゃなくて、俺の前で見ている彼女たちにだろうけど……。ウィンクまでもらった彼女たちは、はう、何て胸を押さえて苦しそうにしている。目で殺すというのはこういう事を言うのだろう。

 

撮影はもう終盤だったらしい。

何度かポージングを行うと、お疲れ様~!と撮影はお開きになったようである。咲耶と呼ばれた少女もペットボトルの水を飲むとこちらに近づいてきて……え?近づいてきたぞ?

 

「やぁ、私に何か用かな?」

 

「えっ」

 

てっきり、彼女たちに声をかけたのかと思って下に目線を向けてみるが、彼女は首を振って俺の方を見て、再び微笑む。そんなにじろじろ見ていたか、俺?不審者だと思われてしまっているのかもしれないぞ……。

 

「おかしいな、確かに私を見ていたと思ったのだけど……気のせいだったかな」

 

そんなもの、ここに居るギャラリー全員が君の事を見ていただろう。

そう思ったがこれはまたとないチャンスだとも思った。俺は自分でも気が付かないほど彼女に魅かれているんだ。だったら……

 

「いや、気のせいじゃない。確かに君を見ていたよ」

 

そこで、息を一度整える。

俺の伝えたいことを全てを込めて……。

 

 

「君の一生を俺にくれないか?」

 

 

社長は言っていた。トップアイドルに挑戦するというのは、その女性の人生全てを賭けたものだと。

アイドルとしてこの咲耶には無限の可能性がある!

そして見せてやるんだ、どこか物足りなさそうな彼女にトップアイドルになったその先の景色を……!

 

俺の一言に、咲耶は先ほどまでの爽やかを張り付けたような笑顔が一瞬で吹き飛び、眉を八の字にしてどこか困惑した乙女チックな赤面を浮かべていた。

アイドルなんて自分には似合ってないと思っているのだろうか。

周りもうおおお!?っと驚きの声が上がっているし……って、そうか!?

 

有能なモデルをアイドルに引き抜こうとしてるから騒ぎになってしまったのか!!

 

「返事は今すぐじゃなくていい。決心がついたら、ココに連絡してくれ。それじゃ!」

 

慌てて彼女の白い手を持って名刺を握らせると、すぐにその場を走り去った。周りから口笛だのなんだの聞こえていた気がしたが、どうやら現場での引き抜きはかなり問題があったらしい……反省しよう。

 

 

 

 

 

 

 

「……P……というのか。アナタは」

 

貰った名刺を胸元に引き寄せると、嵐のように走り去った彼の方向をじっと眺めていた。

 



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2話

「でさ……あの時のまこったら……」

 

「はい、それでは30分、いや20分で駅まで……」

 

……雑踏の中は、とても、苦手。

白と灰色の地面を歩きながら、大勢の体をすり抜けて反対側へと渡り切る。華道のコンクールのためとはいえ……こんな街中まで一人で来たのは……初めてであった。

 

「あ」

 

背中に、大きな何かが……ぶつかりました。

そちらを流し見ると……携帯電話でお話をしたまま、走っていくじゃんぱーを着た大きな男性……。余所見を、していたのでしょうか、こちらには特に気が付くことなく行ってしまいました。

 

「……」

 

前を向いて、再び歩き出そうとしたときに、足元に、違和感が……

どうやら、履いていた下駄の鼻緒が……切れてしまったようでした。

じんわりと、背中に汗が浮かんでくる。

 

その場で屈みこんで、鼻緒をもう一度穴に挿してみましたが、ぷっつりと切れてしまって、どうしようも……

 

日差しが、熱い。

目の奥が、ぎゅっとなったように縮こまって痛い……。

 

昔からそうだった。

凛世(りんぜ)は、他の子たちとは、変わっているから……だから、誰も凛世の事など見ていない……。

だから、凛世は……誰にも見つけられない、気にかけられないのです。

落ちている石と、変わらない、居なくてもいい存在……。

 

 

「君、どうかしたのか?」

 

 

 

そんな時だった。

背の高いすーつ姿の殿方が、凛世と、すぐ同じ目線までしゃがみこむと、低いけれど、どこか優しそうな声をかけてくれたのは。

 

「……凛世、でしょうか……?下駄の鼻緒が……」

 

「あぁ、切れちゃったのか……ええと、ちょっとそれ、貸してくれないか」

 

そういうと彼はズボンのポケットから、自分のハンカチを取り出すと……突然その場で切り裂いた!

 

どうして……と思っていると、そのまま今度は、黒い小銭入れを取り出して5円玉を一つ……下駄の下から通すと、鼻緒と布を蝶々結びで……。

 

「はい……ちょっと不格好かもしれないけど、少し歩くくらいなら問題ないと思う」

 

そういって申し訳なさそうに笑う。

しかし、不格好だなんて、とんでもない。

今、凛世の下駄には、温かくて素敵な紺色のリボンが結ばれたような気がしました。

 

「ご親切、感謝いたします。ですが……貴方様のハンカチが……代わりの品をお返しにあがりますので……ご所在を、お教えください」

 

自分でも、過ぎたことをお願いしていると、そう思いました。けれど、この優しい殿方に、凛世は何か、何かお返しをしてあげたいと、生まれて初めて、心からそう感じてしまったのです。

 

私を見つけてくれた、この方に何か……

 

けれど彼は首を横に振って笑顔を見せる。

 

「ハンカチは返さなくていいよ、貰ってくれ。それより……」

 

そして、次には真剣な目をして凛世の肩を力強く掴むと……

 

「俺の……パートナーになってくれないか?」

 

 

「っ!!?」

 

意識が遠のくかと思いました……。自分が、少なからずこの方に惹かれ始めていたのは、事実。

ですが、まさか、凛世に「求婚」の申し出など……!

 

このようなまっすぐな「告白」の言葉を口にされては、凛世には、抗う術などあろうはずがありません……。

ぱーとなー……即ち、凛世が彼の……伴侶として……

 

「そ……君……ロ…………した……だ俺………高の舞台……れて…………せる……どうかな?」

 

「……」

 

ぼーっと、胸の中に、不思議な気持ちが、染み込んでいきます……ですが、彼が折角、凛世のために、必死に話しかけている。真剣に、お聞きしないと……。

 

「あ……すまん、急にこんなこと言われても困るよな……でも、ちょっとでも興味があったら、この名刺の事務所にきてほしい、待ってるから」

 

「こちらに、貴方さまが……」

 

彼から渡された白い一枚の紙。ここに彼が、そして凛世たちは……。

 

「必ずや、お伺いいたします。この凛世、不義理は、いたしません」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺の担当アイドルが、全員合鍵を持っている件

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、彼に言われたのはこの事務所で間違いがない筈だけど……」

 

白瀬咲耶は名刺と目の前のビルとを改めて見直す。

街角の茶色い3階建て家屋。1階はペットショップやクリーニング店、靴屋と書店……どの店も特別賑わっているわけではないけれど、そこまで寂れているというわけでもない……目線をそのさらに上に向けると窓ガラスには白い文字で大きく「283(つばさ)」と書かれている。

 

ここにアナタが居る。

 

入るのに少し躊躇してしまうような正面入り口を抜けると、中は薄暗い階段と3階までしか行かないエレベーター。薄暗い階段を上り始めると2階に283プロの文字が見えてくる。詐欺ではなかったけれど、あまり大きな事務所でないことは確かなようだ。

 

「フフ……」

 

それでも不安に思うことはなかった。

 

なぜだろう。

 

きっとアナタとなら平気だと、そう思っているからかもしれない。

自分でもわからない何かを、アナタならきっと与えてくれる……そんな気がする。

 

階段を上り切ると意外に綺麗な茶色いドアが迎えてくれる。

 

扉の前に立つと肺の奥まで息を吸い込んで……吐き出して……ノックをしようと手をかざした……その時だった。

 

「おっと!?す、すみませ……あ!君は!」

 

ガチャリと偶然にも、反対側からドアを開けてくれたのはこの前私に愛のプロポーズをしてきた……いや、違う。

 

あれはきっと、彼なりのスカウトの言葉だったのだろう。

そう頭では理解していても、この胸の高鳴りは、焦燥感は?

何事にもあまり動じたことのない私であったが……今日ばかりはそうも言っていられないのかもしれない。

 

「こんにちは。今日はこの前のお話について私なりの答えを持ってきたのだけれど……」

 

「おぉ、本当かい!!あ、こんなところではなんだし、どうぞ上がってくれよ!」

 

「失礼します」

 

そういって扉を開けてくれているアナタに導かれるようにして事務所に入る。

と、早速目についたのはソファで眠っている猫の目隠しをした女性……。それを見たアナタはギョッと目を剥いて慌てて女性の事を揺さぶり起こす。

 

「は、はづきさん!起きてください!新しいアイドル候補生の子が来てくれてですね……」

 

「ふわぁ~……人が気持ちよく眠っているときに何ですかプロデューサーさん」

 

「だから、新しいアイドル候補生が来たんですよ!?それで、ここを使いたいので……」

 

「大丈夫、私なら気にしないよ」

 

「ほら、彼女もこういってることですし~」

 

「いやいや、でもですね!?」

 

「冗談ですよ。冗談。こんにちは。ようこそ283プロへ」

 

笑顔で私の事を歓迎してくれるはづきさん。

それに対して疲れた様子のプロデューサー。

たった数秒の出来事だったけれど彼らの関係性がわかったような気がする。

 

「えっと、まぁこんなところだが座ってくれよ」

 

「じゃあ、失礼して……」

 

彼に言われた通り、先ほどまではづきさんの寝て居た白いソファの上へと腰かける。

 

お尻の下がほのかに暖かい……。

 

この事務所の中は私の思い描いていたそれよりも随分と庶民的な、誰かの家のようなアットホームな雰囲気があった。

白いソファに大きなテレビ、奥には冷蔵庫にキッチンまで……事務所というよりまるで……。

 

「ここが気に入りましたか?」

 

そういって私の前にそっとコーヒーを出してくれたのは先ほどまで寝て居たはづきさんだ。耳元に掛かっていた髪をかき上げて微笑む姿はまるで別人のよう。

 

「えぇ、とても」

 

そう笑顔で返すと、彼女もまた目を細めて微笑んでくれた。

人によってはこの事務所のことを質素ととらえるかもしれないけれど、私はこの温かな雰囲気の空間がとても好みだった。

出してもらったコーヒーに口をつけようとしたとき、ちょうど、彼が社長室から出てきたようだった。

初めて会った時といい慌ただしい人だ。

 

「ごめんごめん。お待たせ」

 

私の斜め前の席に着くと、コーヒーが自分の前に置かれていないことに気が付きはづきさんの方を2度見する。しかし、彼女は既にパソコンで別の作業を始めたのかわかりやすく落ち込んだ後、改めて私の目を見る。撮影の時に私を見ていた、吸い込まれるようなまっすぐな瞳……。

 

そうだ、私はこの目に……

 

「それで、この前の話の答えなんだけど……聞かせてくれないか」

 

ここに来た時点で私の答えはすでに決まっていた。だけど

 

「その前に一つ、アナタに質問をしておきたいのだけれど……良いかな?」

 

「ああ、もちろん!」

 

「アナタは……私のどこを好きになったんだい?」

 

気に入った、とか、見込んだなんて言葉は使わない。

私の一生が欲しいのだろう?

だったら、どこに惚れ込んだのかくらい聞く権利はあるはずだ。それにそれがつまらない返答なら、私は……「全部だ」!?

 

「キミの全部が好きだ」

 

顔には火さえ灯ったような気がした!?

てっきり顔だとか、スタイルだとか、そういった言葉が返ってくると思っていたから……その間もアナタは言葉を続ける。

 

「咲耶を初めて見たとき、何て綺麗な子だろうと思った。けれど、すぐに綺麗なだけじゃなくカッコいいと思った。堂々としていて、自分の魅せ方を知っていて……引き込まれるような何かがあった。その時から、俺は君の全部に惹かれていたんだ」

 

先ほどまでのどこか頼りない雰囲気は消え失せて、真剣な表情でそう語る。

アナタの放つ情熱的な言葉一つ一つが頭の奥に焼き付いてくる……。上手く目線が合わせられないと思ったが、そんな私を逃すまいと、彼は更に顔を近づけて言葉を続ける。

 

「改めて言わせてくれ。どうか、俺のアイドルになってくれないか?」

 

まるで言葉に針金が通ってるんじゃないかと思うくらい、力強い彼の言葉。

それなら……私の答えは……

 

「あぁ……私は……アナタに私の一生を捧げると誓うよ」

 

「!本当か!ありがとう!!咲耶!!!」

 

ガンと、奥に席に居たはづきさんが机に頭をぶつけた音が聞こえてきた。

私の方はと言うと……なんでもないように微笑んで見せているが、身体が熱くて仕方がない……。

参ったな。

これから毎日こんな日が続くと思うと……心臓が一つでは足りないかもしれない。

 

「よし!な、なら気が変わる前に詳しい手続きを!いや、その前に社長に報告を……はづきさん!」

 

「はいはい、全くプロデューサーさんもバイト使いが荒いんですから……」

 

はづきさんに声をかけて社長室に駆け込む……と思ったら再びこちらに戻ってくるプロデューサー。続いて、私の両手を優しく包む。

 

「アイドルになってくれて、本当にありがとう!これから一緒に頑張って行こう!」

 

そういって歯をむき出しにして少年のように笑った。

 

胸の中がドキドキとしてはち切れそうだった。

アイドル、私にできるかはわからないけど彼と一緒ならどんな結果だってきっと……。

アナタそう言って私の手を離すと、そのまま再び走って社長室に飛び込んでいく。

本当に忙しない人だな、私のプロデューサーは……フフ。

 

ようやく出されたコーヒーに口をつけると、奥に座っていたはづきさんが私の前に再びやってくる。

 

「改めまして私はアルバイトの七草はづきです。これからよろしくお願いしますね」

 

「白瀬咲耶です。こちらこそ、よろしくお願いします」

 

「ライバルは多いみたいですよ?」

 

「え?」

 

ぽつりと呟いたはづきさんの一言に首を傾げる。

まぁ、その言葉の意味は……すぐにわかるのだけれど、ね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ふぅ」

 

パイプ椅子に腰かけてレッスンルームの少し明るい天井を見つめる。

あれから数日、色々とあったが無事に5人のアイドルを集めることができた。

一人目は幼馴染の桑山千雪。勤めている雑貨屋との兼務を条件に、アイドル活動を行ってくれるとのことだった。

彼女がそう言ってくれたのは嬉しいが、兼務となるとそのうち……

 

「おはよう、ございます……P君」

 

「おはよう、千雪」

 

と思考を巡らせていると本人が到着したようであった。パイプ椅子から立ち上がり落ち着きなくレッスンルームを見渡す彼女の方へと近づいていく。

 

「今日は動きやすい服は持ってきたか?」

 

「うん。ジャージを買って……でも、運動なんて久しぶりだし、心配で」

 

「大丈夫。今日はそこまで激しい運動はしないよ。前にも言ったけれど、無理はせず、千雪のペースでステップアップしていこう」

 

「はい!」

 

微笑む千雪は可愛いらしい。って、いかんいかん。自分のアイドルに向かって。っというより、こんな親し気な会話はあまり……。

 

「こほん、千雪、皆の前では、俺の事はプロデューサーと呼ぶように」

 

「プロデューサー……さんですか?」

 

「あぁ、仕事の時もそうだけど、あまり親し気に呼び合っていると勘違いをされてしまうかもしれないしな」

 

「あの、二人の時は……」

 

「……二人の時は、その、別に構わないけど」

 

「……はい!わかりました。プロデューサーさん」

 

また微笑む。少し残念そうにして。

何だか距離が出来てしまったような気がするがこれで良い。彼女と俺はあくまでアイドルとプロデューサー。そのことを忘れてはいけないのだ。

 

その後千雪を更衣室に案内している間に、また一人、レッスンルームに入って来ていたらしい。黒いドアを開けて中に入るなり、大きな声が聞こえてくる!

 

「おはようございます!!プロデューサー!!」

 

「おはよう。恋鐘……朝から元気いっぱいだな!」

 

「うん!うちはいつでも元気いっぱいたい!」

 

恋鐘がぐっと力んで見せると、ブルンとたわわに実った二つの果実が跳ねる。

明るい笑顔に、長い髪を大きなリボンでポニーテールにした姿が特徴的な少女の名前は月岡恋鐘(つきおかこがね)。

……俺が4人目にスカウトしたアイドル……。

 

 

 

 

 

 

 

 

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それはアイドルを探して街の中を練り歩いていたある夕方のことである。

 

公園でコーヒー缶を片手に一息ついていると、何やら落ち込んでいるらしい一人の少女がブランコに座っているのを見つけた。

 

放っておいても良かったのだが、楽しそうにサッカーをする子供たちや、雑談をする主婦と比べてその姿はあまりに異質で……

 

隣のブランコに腰かけると、意を決して声をかけることにした。

 

「えーっと、どうかしたのか?」

 

「……あ。えへへ、恥ずかしかとこ見せたばい」

 

目尻を拭って笑う彼女を見て、心がざわついた。

 

……話を聞いてみると、なんでもほかのアイドル事務所のオーディションに挑戦し、そして……ことごとく落ちてしまったらしい。

それでも、納得のいかなかった彼女は今回落ちた理由を直接オーディションを受けた事務所に問いただしに行ったらしいのだが……原因はどうやら彼女の長崎訛りが原因だったらしい。

 

彼女、月岡恋鐘はまだ上京して日が浅いために標準語が苦手で、喋ろうとすると緊張して歌やダンスが上手くいかないらしい。逆に、彼女の出身である長崎弁は審査員の人に顔を顰(しか)められ……もう自分でもどうすれば良いのかと悩んでいたみたいだった。

 

全てを話し終えた恋鐘はブランコから立ち上がると、お尻についた砂利をぱっぱと払いこちらへと振り向く。

 

『話しば聞いてくれてありがとう。うち、少し気が楽になったばい!』

 

『……これからどうするんだ?』

 

『アイドルになる夢は諦めとらんけん、またオーディション受くるつもり!』

 

『じゃあ……標準語を勉強するのか?』

 

『それも考えたばい。ばってん、やっぱりうち長崎ん良かところばそのままみんなに伝えたいけん!もっと、今以上に!がんばらんと!!』

 

彼女の中に再び闘志の火が宿る。すごい気迫だ。それに、あのキラキラとしたアイドルへの純粋な気持ち。絶対にあきらめないという鋼のようなメンタル……。彼女を見ていると、俺の闘志もかっかと燃えてくるようであった。

 

『なぁ、だったら……』

 

そして俺は……気が付けば彼女に名刺を差し出していた。

彼女はそれを受けとってくれた。

ただ、それだけの話である。

 

 

 

 

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いつのまにか、レッスン場の中には4人のアイドルが揃っていた。

千雪に恋鐘、咲耶に凛世……。時間は……もう予定時間を2分過ぎたか。

 

「よし、じゃあ、早速レッスンを始めるぞ」

 

立ち上がって、初めてのレッスンを行おうとする。思い思いにそれぞれと話をしていた皆の顔も自然と引き締まる。

 

結局来なかったか……最後の一人は。

 

最期の一人は……彼女しかいないと思ったんだが……仕方がない。

俺の顔が浮かないことに気が付いたのか、凛世が心配そうに声をかけてくれた。

 

「プロデューサーさま……どうかいたしましたでしょうか?お顔の色が、あまり……」

 

「ああ、いや、大丈夫だ、ありがとう凛世。じゃあ改めて……「わ、悪い!遅くなった!」……!?」

 

……来たか!5人目が!

はぁはぁと息を切らせながら扉を開けて入ってきたのは金色のショートヘアに、ワインレッドの瞳を持つ、孤高の狼のような少女……西城樹里。

 

俺が最後にスカウトしたアイドルである。

 



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3話

人生で一番慌ただしい毎日を過ごしていた。

 

まず、みんなのプロフィール写真の撮影から始まり、衣装制作に楽曲・振り付けの手配……それが落ち着いてくるとアイドルたちとのミーティングにレッスン、営業、コミュニケーション……。

 

毎日が綱渡りだった。アイドルたちのスケジュール管理や営業、企画立案に現場の手配などなど、仕事は山積みな上、俺には5人も担当アイドルが居るのだ。残業しながらキーボードを叩いていると、ふと、あれ、これ全部マネージャーの仕事じゃないか?などと自分のプロデューサーという肩書に疑問をもったこともあったが、他に従業員などいないし、そんなことを考える暇すら惜しかったので、俺は次第に考えることを辞めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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凛世が緊張している。

 

今日やってきたのはとある歌番組の収録現場……。

暗い舞台袖に比べてステージの上はまぶしいほどにスポットライトを浴びている。凛世はこの後ステージに上がって一曲披露し、MCの人と何度か話すという簡単な段取りを踏むことになっている。レッスンを真面目にこなして、厳しいオーディションに合格して出演を勝ち取った彼女ならば、この規模のライブでも失敗することはないと思うが……

 

舞台袖から観客席を覗き見る凛世は、小さな肩を震わせながらステージ衣装の裾をぎゅっと握る。

いつもポーカーフェイスの彼女にしては珍しい光景だった。

 

……俺の仕事は、アイドルたちが100パーセント実力を出せる環境と舞台を用意してやることである。今、凛世には舞台が用意されている。

なら、次に俺がしてやるべきことは……

 

「凛世」

 

「は、はい……!」

 

凛世の目の前で大げさに息を吸い込んで見せて、声を出しながら吐き出す。

そしてまた吸って、吐き出す……。

 

「あの……プロデューサーさま……?」

 

「深呼吸だ、ほら、凛世も」

 

笑ってそう言うと、凛世はその場で大きく息を吸い込んで……吐き出す……大きく息を吸い込んで……吐き出す……。

すると少しは落ち着いたのか、俺に対しても微笑む余裕を取り戻す。

 

不意に、凛世が控えめに俺のスーツの袖を掴んだ。

そしてこちらを上目遣いに見上げながら小さな口を開く。

 

「プロデューサーさま……どうか凛世を……見ていてください。ずっと……そうすれば、凛世は……」

 

「……ああ、ずっと見てるよ」

 

俺がしゃがみこんで目を合わせながらそういうと、いつものように、いや、いつも以上にどこか活き活きとした微笑みを浮かべる凛世。

スタッフの方から声が掛かる。ちょうど、凛世の出番になったみたいだ。ステージが彼女を待っている……。

 

凛世は俺の顔を見て頷くと手を離し、静々とステージへと歩みを始めた。

 

まっすぐに伸びた美しい歩き姿に、牡丹のような赤い着物を身に纏った彼女の登場に会場は一瞬息をのみ、時間が止まったようであった。

 

……そして思い出したかのように歓声に沸いた。

 

凛世がマイクの前に立つと、お手本のようなお辞儀をしてから観客席を見渡し、先ほど俺に見せてくれたようなおしとやかな笑みを浮かべて見せる。場内は再び息を呑む……。

 

『皆さま本日は誠にありがとう……ございます。精一杯……歌いますので……どうか……ご清聴のほど……よろしくお願いいたします……!』

 

フフっと声が漏れ出た。

こんな大きな舞台に立つアイドルにしてはあまりに謙虚で、控えめで……しかしどんなことにも真剣な彼女に皆、惹かれてしまう……それが杜野凛世(もりのりんぜ)。俺が選んだアイドルなんだ。

 

会場中に凛世の歌が響きはじめた。

 

先程までのお淑やかさは残ったままに尺八や和太鼓が混じった激しいアップテンポの和ロックを歌う凛世。観客はそのギャップに熱狂し、狂ったように声を上げてサイリウムを振るう!

 

凛世はずっとステージの中心で歌い、踊り、輝いた笑顔を見せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや、良かった!すごく良かったぞ、凛世!」

 

「……はい……凛世も、プロデューサーさまが喜んでくれて……嬉しいです」

 

そんな健気なことを言う助手席の凛世に、くしゃくしゃと褒めるように頭を撫でてやると、凛世は幸せそうに眼を細めた。

 

最高だった!今日のライブは!

凛世の曲が終わった後ちょっぴり泣きそうになってしまった。まだまだそんな段階ではないとはわかってはいるのだが、それでも自分のプロデュースしたアイドルが、あんなに立派に……と思うと感動も一入であった。

 

カッチカッチとウィンカー音を響かせていたが、信号が青になったのを見てアクセルを踏み、ハンドルを切る。

しばらく道なりに進むと恋鐘たちの仕事をしていたラジオ局が見えてきた、と、もう外で待っていたか。鞄を持った恋鐘と咲耶が手を振っている。

 

車を止めるなり、ばん!と窓ガラスに恋鐘が顔をくっつけてきてビビる。

 

「凛世、どうやったと!?」

 

「はい……プロデューサーさまも、大変喜んで下さいましたので、成功かと……」

 

「うんうん!凛世は頑張り屋やけん絶対上手ういくと信じとったばい!う~プロデューサー!うちもたいがい大きかテレビに出たか!!」

 

恋鐘が車の後部座席に乗り込みながら声を荒げる。続いて、咲耶が困ったように苦笑をしながらそれに続く……。ああそうか、これで全国区のテレビに出たのは凛世で四人目。つまり、恋鐘以外全員ということになるからな。

 

「ここ最近、うちはラジオラジオラジオ……ラジオの収録ばっかりやなかと!」

 

 

座席に座ってシートベルトをすると、むんと腕を組んで後部座席にふんぞり返る恋鐘。

 

「まだ新人なのに、冠番組がもらえるなんてすごいじゃないか」

 

「そ、そりゃそうやけんど……」

 

「恋鐘も、そろそろ次のステップに進みたいとそう言いたいんだよね」

 

「そう、そん通り!」

 

みんな順調にアイドルの人気も出て仕事も貰えるようになってきた。しかし、皆が皆同じような売れ方をしたわけではない。咲耶や千雪はテレビに出てから爆発的に売れ始め、売れっ子アイドルと言っても差し支えないレベルになっていた。樹里や凛世はブレイク寸前、注目のアイドルで、恋鐘は、ローカル番組やラジオが多かったが、その分レギュラーや冠を多く持つ、期待のアイドルといったところだろうか。しかし、ローカルと全国区、少しずつ開いていく同期との差に、恋鐘も焦っているのかもしれない……。

 

「大丈夫、いつかちゃんととびっきりの舞台を用意してやるからな」

 

「すらごとやなかろうと~?」

 

「凛世は……プロデューサーさまがとってきてくれたお仕事なら……なんでも致しますが……」

 

「おぉ、そうか!凛世は慎ましいな!見ろ恋鐘少しは凛世の慎ましさを見習ってだな…………あれ、凛世?」

 

「ぷくー……!」

 

凛世は、片っ方の頬っぺたを膨らませて……拗ねた。

 

なんで?と思い、恋鐘と咲耶に答えをもらおうとするが恋鐘もぶーぶーとご機嫌斜めで、咲耶はそんな二人と俺を見てからやれやれと肩を竦めて微笑むばかり。

 

女性に慎ましいっていうのは、褒め言葉じゃないのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ややご機嫌斜めの凛世と恋鐘を事務所まで送っていくと、次はそのまま咲耶を写真撮影の現場へとやってくる。

 

咲耶は今、売れに売れている。

 

元モデルということもあって、写真撮影やファッションショーのオファーがよく舞い込んできたが、なんといっても、人気アイドルたちの登竜門「SPOT LIGHTのせいにして…」というテレビ番組のオーディションに合格できたというのが大きいだろう。アレに出てからというもの、咲耶のファンは爆発的に増えて、引っ切り無しに仕事が舞い込み、今や、千雪と並んでウチの看板アイドルと言っても差し支えない状態だ。

 

「咲耶さんスタンバイOKですー」

 

「あ、はい」

 

その絶賛人気売り出し中の咲耶の今日のお仕事はブライダルモデルである。いつもはクール系の写真を撮ることが多い咲耶にとっては珍しい、女性らしさの際立つウェディングドレス。本人は似合わないだろうからと受けるのを渋っていたが、きっと似合うからと説得したら、案外簡単に了承してくれた。まぁ咲耶は余程のことでない限り仕事を断るイメージは無いが……それこそ新郎側のモデルでも難なくこなしてしまいそう……と、しょうもないことを考えながら楽屋へのドアを開ける。

 

「や、やぁ……プロデューサー」

 

っ!?

 

純白の花嫁ドレスを着た咲耶の姿に、思わず息を呑む。

 

バレリーナと呼ばれる真っ白なウェディングドレスはキュッと細められた腰元からふわふわの透き通った雲のようなチュールが伸びていて、スタイリッシュな彼女にとてもよく似合っている。しかしそのドレスに負けないくらい綺麗なのは、清楚で上品なメイクをしたいつもより大人の女性らしくなった咲耶で……

 

「変……じゃないかな?」

 

「いや……綺麗だ」

 

上手い褒め言葉は見つからなかった。

だが咲耶はそんな俺の言葉に満足したのか、安心したように赤い口紅が塗られた口元を緩ませる。椅子に座ったままの咲耶と暫く見つめ合っていたが、メイクさんの、それでは失礼いたします。という声で我に返った。

 

「えっと、咲耶、似合ってるぞ?」

 

「うん、ありがとう。アナタにそう言って貰えるのが、何より嬉しい」

 

「あぁ、本当に綺麗だ…」

 

少し褒め過ぎたのか、珍しく咲耶は照れて顔を赤くし、耳元まで真っ赤にしている。

 

「そういえば……結婚前にウェディングドレスを着てしまうと、婚期が遅くなるらしいね」

 

「え?あー、そんなジンクスもあるな」

 

鏡を見て自分の姿を見つめている咲耶の後ろに立つと、同じように鏡の中を覗き込む。

 

「それが、あながち間違いでもないみたいでね。女性が結婚をしたい理由の一つである「ウェディングドレスを着る」ことが達成してしまったがために、結婚の意思が弱まるみたいなんだ……」

 

「へぇ、なるほど……」

 

え~っと、何だろうか。俺に仕事で着せられたことを、怒っているのか?

そう考えていると、咲耶は、椅子の背もたれに乗せていた俺の手に、自らの手を重ねると、振り返って、こちらを見上げる……。

 

「……でも、私は、いつかもう一度このドレスを着て……皆から祝福を受けたい、そう思っているよ」

 

赤く染まった頬でそうつぶやく咲耶を見て、また見惚れそうになった。

 

「そうか……その時は……俺も呼んでくれよ?スピーチの一つや二つ、咲耶の為なら安いもんさ」

 

「…………はぁ」

 

?盛大にため息をつくと、目元を覆って頭を振る咲耶……どうかしたのか?やっぱり、スピーチは社長の方が良かったか?社長の声は演説映えするからな……などと考えていると、スタンバイ、おなしゃーす!というスタッフさんの声が響いてくる。と、そろそろ時間か。

 

「行こう、咲耶」

 

そういって手を差し出すと、テンションの下がっていた咲耶が珍しくも口を半開きにして間の抜けた表情を見せる。しかしすぐに、笑みを浮かべると、俺の手の平に手を乗せ、握り返す……。

よっと。咲耶を立たせて、手を放そうとしたが……咲耶は俺の手を思った以上に力強く握っていて手を離すことができなかった。どうやら、咲耶も慣れない仕事で緊張しているらしい。

そのまま撮影現場までエスコートすることになってしまったのだが……

 

 

 

 

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「それで、どうしたと!?」

 

「どうしたも何も、現場で咲耶のやつが珍しくアガっちゃって、リテイク連発でな、それで……」

 

「……ぷ、ぷろでゅーさー。も、もう良いんじゃないかな?」

 

「良いわけないだろ!?それで、どうしたんだよ!」

 

「あ、あぁ、それで、撮影スタッフの人が、相手役が居た方が良い絵になるんじゃないか?って言いはじめて、急遽俺まで白いタキシード着ることになって……」

 

「~っ!」

 

いつもクールで涼し気な表情を作っている咲耶がソファに顔を埋めたまま恥ずかしそうに足をばたつかせる。

こんな咲耶は初めて見る。

 

この前の仕事で撮ったブライダルモデルの見本誌が届いたから自席で確認していたら、恋鐘たちにばれてしまい……咲耶の写真を見せることになったのだ。

 

見せたのは咲耶が新郎と腕を組んで幸せそうに微笑んでいる写真だったのだが、隣に居る新郎のモデルが、何故か俺だとバレてしまいこの騒ぎである。

いや本当に、緊張した。いくら顔が映ってないとはいえ、あんな状態の咲耶とフリとはいえ結婚式の写真を……最後のキスシーンもどきの写真なんて、特に理性を保つのが危なかった。

おかげで良い写真が取れてはいるが、もうあんなに緊張するのは二度と御免である。

 

「……羨ましい、限りです……」

 

皆、写真を凝視して儚そうにため息をついたりしている。そうだよな、ウェディングドレスは女の子の憧れ、仕事とはいえそれは羨ましいだろう。

 

「まぁ、みなにも機会があればブライダルモデルの仕事を取ってくるからな?」

 

「真で……ございましょうか……っ!」

 

「あぁ、その時は、ちゃんとした新郎のモデルもつけてさ」

 

そう言うと、凛世は再び大きなため息をつく……。あれ、ブライダルモデルをやりたかったんじゃ?

 

「ああ、もう!今日はアタシのオーディションだろ!?「SPOT LIGHTのせいにして…」!今日こそ勝つ!いくぞ!プロデューサー!」

 

「お、おい待て樹里!……はぁ……よし、皆も準備して車に乗ってくれ」

 

事務所を出て行った樹里に続くためにそういうと、はーい!と元気な声が返ってくる。が、咲耶だけ、未だに、ソファのクッションに顔を埋めたまま、起き上がらない。

 

「咲耶?」

 

「ひゅい!」

 

耳元で名前を読んでみると、ピンと咲耶が背筋を伸ばす。なんだ、起きてたのか。それにしても、ひゅいって……最近カッコいい路線だけでなくて、可愛い路線の方もいけるんじゃないかと思えてきた。

 

「行くぞ」

 

「あ、あぁ……」

 

すっと手を指し伸ばすと、咲耶も笑みを浮かべる。あの時のように咲耶を起き上がらせる……って、力強っ!!どうやら、勝手にウェディングでの失態を話してしまってお怒りらしい……握った手が少々痛い。

 

「……咲耶さん?」

 

「……全く、アナタって人は……」

 

「うちも、もっともっとがんばらんと……」

 

「恋鐘?置いていくぞ~」

 

「あ、待って待って!」

 

アイドルたちとの関係も適切な距離感で良好だ。このままいけば、あれにも……アイドルたちの伝説の祭典、「WING」に出ることだって夢ではないかもしれない……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「うぅ……情けなか……」

 

気だるか瞼ば持ち上げて天井を見つめる。

体中、気持ち悪かほど寒気がしとって、喉がイガイガ、頭はフラフラ……。

誰がどう見てん、風邪ば引いてしもうた……。

仕事も休んで、プロデューサーに迷惑かけて……

 

ウチは、ウチは焦っとった。

 

最近のみんなは凄かった。

咲耶はテレビでもクールでスタイルようて、自分を魅せるのがバリ上手か。

千雪さん、優しゅうて気配りがでける綺麗な大人の女性、そん上、歌もウチらん中じゃ一番上手たい。樹里は運動神経が良うて、ダンスがばりカッコよかし、凛世も、つい最近まで同じところにおると思うとったけん安心しとったのに、いつの間にか、どんどん人気が出て……。

 

うちには何もなか。うちはただ、大口叩いてるばっかりで……。

 

プロデューサーも、社長も、はづきさんも。みーんな焦ることはない~、恋鐘ならいつか絶対に売れる~って優しい言葉ばかけてくれたけど。

ばってん、売れんのはうちだけやった。

 

もっと頑張ろう!自分には努力しかなか!

そう思うて、夜遅うまで自主レッスンしとったら、今度は夜風に当てられて体調まで崩して……折角もろうとった仕事もキャンセルして……本当に情けなか……。

 

「もう、長崎に帰ろかな……」

 

今まで、オーディションに受からんかったんも、きっと自分に才能がなかったけん……うちは長崎ん定食屋で働くのがお似合いなんかもしれん。

 

やっぱり、アイドルなんてうちには……。

 

突然、ピンポーンと、インターホンが鳴り響いた。

 

宅配便も何も頼んどらんけれど……

重か身体ば動かしてインターホンの画面に映った人物を見ると、そこにはショートヘアの金髪に、黒いカフス……大きなマスクにヤンキーのような少女が……。

 

「樹……里?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

樹里は、うちらの中じゃ一番最後にスカウトされたとプロデューサーはいっとった。

やけん、うちも先輩として負けられんと、レッスンのたびにぶつかり合うて……ようケンカした。

 

「どげんしたと?ゴホ、突然……」

 

「どげんしたと?じゃないだろ、その、お見舞い、ってやつ……ほら」

 

そう言ってガサっとぶっきらぼうに突き出されたコンビニの袋には、果物のゼリーにプリン、バナナに、アイスクリーム?

 

「こ、こげんいっぱい?」

 

「……そのいつもうるさい恋鐘がいねーと、レッスンにもいまいち張り合いがでないっていうか……だから、早く治せって……」

 

「っ!!樹里~……!」

 

じんわりと胸の奥が温かくなってくる、目元がウルウルと震えだす。

 

「お、おい、泣くなよ」

 

「な、泣いとらんもん!ぐす、ゴホ……」

 

「お、おい、まだ悪いなら、ちゃんと温い格好して寝てろって……」

 

そういって、ウチの事をベッドに寝かせると、買ってきたものを冷蔵庫に入れてくれる樹里。

そして、枕元に戻ってくると……。

 

「……」

 

どげん声をかけたらよかか、わからんくなって、黙る樹里。

不器用で、優しい樹里。

そんな樹里の姿が、うちは、たまらのう嬉しかった。

 

暫く黙って樹里んことば見よーと、再びインターホンが鳴り響く。うちん代わりに樹里が出てくるると、今度は凛世たちがフルーツを籠一杯に乗せて持ってきてくれて……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目ば覚ますと、いつん間にか、夕方やった。

 

うちは幸せ者やった。

みんなん事、羨ましかと、嫉んどった自分が愚かしかほどにみんな優しかった。あの後、咲耶も千雪さんもはづきさんまで来てくれて、みんながみんな、うちば心配してくれて、優しか言葉たくさんかけてくれて……。

 

誰もおらんなって、寂しかね……と思うとったら、鼻が詰まっとってんわかるくらい、台所から良か匂いが漂うてきて……。

 

「起きたか、恋鐘」

 

「ぷ、プロデューサー!?」

 

匂いに釣られて台所に顔を出すと、台所に向こうとるプロデューサーが……!?仕事も忙しかし、来てくれんちゃろうと思うとったけん、うちは飛び跳ねるほどたまがった!!

 

同時に、今ん自分ん情けなか姿ば思い出して慌てて布団に戻る。

せめて、顔ぐらい洗っていれば……!?

プロデューサーの声だけが響いてくる。

 

「だいぶ元気になったみたいだな」

 

「う、うん、みんなが看病してくれたけん、大分楽になったばい」

 

「そうか」

 

布団の近くにあったタオルで自分の身体を急いで拭う。

へ、変なところ見られとらんよね?うち、変じゃなかよね?

 

「よし、出来たぞ、夜ご飯」

 

「ふわ!?」

 

拭き終わったんとほぼ同時くらいに、プロデューサーが足でドアを開けて部屋の中に入ってきた。両手にはお盆に乗せた……?

 

 

「これは、ヒカドったい!?」

 

甘いサツマイモの匂いに、大根に干ししいたけ、にんじんに旬のお魚……それがむわっと湯気と一緒によか匂いを醸し出す。長崎では何度も見たことがある、うちもバリ好きな料理……!

 

「前に、風邪を引いたときは、おふくろさんがコレをよく作ってくれたって言ってただろ?味は、保証できないけど……その」

 

頬ば掻きながらそう話すプロデューサーに胸がきゅっと苦しゅうなる。

早速レンゲを持って一口食べてみる……。

 

「……」

 

味は正直ようわからんかった。

サツマイモは、ゴロゴロしとって、大きすぎる気がした。ばってん……ばってんこれ……

 

「ぐす……ぐすぐす……」

 

「こ、恋鐘?」

 

「……ばりうまかばい。プロデューサー!うちこげんうまかヒカドは初めて食べた!」

 

「そうか。その、ゆっくり食えよ」

 

うちは泣いた。みんなの優しさが、プロデューサーの優しさが、全部全部嬉しかった。プロデューサーはうちのこと、ぽんぽん撫でてくれて……

涙でぐずぐずになった煮物んスープはちょっぴりしょっぱかった。

ばってん、うちはそのスープの味が、ずっと、ずーっと、忘れられんかった。

 

 

 

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俺は、プロデューサー失格かもしれない。

 

恋鐘が、他のみんなと自分の人気とを比較して焦っていたことには気が付いていた。

恋鐘自身は気が付いていないかもしれないが、彼女の実力は皆と比べても見劣りしない、いや、5人の中で一番総合力が高いとすら思っている。

だから、何かきっかけさえあれば彼女は必ず売れるとそう確信していた。

しかし、そのきっかけを、中々与えてやれずにいた。そして俺は、恋鐘のメンタルなら、きっと耐えてくれると、大丈夫だとどこかで過信していたのだ。そして、その結果がこれだ……。

 

もうアイドルを辞める、なんてことを言われても仕方がないと思った。

けれど恋鐘は、俺の作ったあまり出来の良くないヒカドを完食すると、風邪が治ったら風邪で遅れた分もうち頑張るけんプロデューサー!とまだ俺についてきてくれると言ってくれた。

俺ももう少し、彼女を気に掛けるべきだったんだ……いや、過ぎたことはもう戻らない。だったら……

 

「さて……」

 

「……もう帰ると?」

 

「あぁ、そろそろ遅くなってきたしな……」

 

暗くなった空を見てそうこぼす。これから俺に出来るのは、彼女に、恋鐘に最高の舞台と環境を用意してやることだけだ。

決意を新たに踵を返し、部屋を出……?

 

「おねがい。も、もう少しだけ……そばにおって?」

 

「……え?」

 

「おねがい……ぷろでゅーさー……」

 

……流石に、それは卑怯だろう!

弱った恋鐘はいつも以上に乙女乙女しており……何だか放っておけない。

 

その日は結局ずるずると泊まり込みで看病することになり、次の日には恋鐘はすっかり元気になった。ただ、暫く俺は積極的に甘えるようになった恋鐘に、なすすべがなくなってしまうのだが、それはまぁ、仕方がないことだろう……。



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4話

「プロデューサーさん、とりあえずあそこに!」

 

「ああ、そうしよう!」

 

バシャバシャと水たまりを蹴ってシャッターのしまった店の軒下へと避難する。

千雪の教育番組撮影の帰り道であった。行きは晴れていたのに、仕事を終えてテレビ局を出たころには雲行きが怪しくなり、そして、駅にたどり着く前にこの土砂降りだ。

 

「はい、プロデューサーさん」

 

ハンカチを取り出そうとしたとき、隣の千雪がバッグからピンク色のミニタオルを出してくれる。

 

「これは千雪が使ってくれ、大事なアイドルに風邪でも引かれたら敵わんからな」

 

そういってタオルを押し戻す。千雪は素直にそのタオルで自分についていた水滴を取り除くと、すぐにまた、はい、とタオルを差し出した。ほとんど使っていないようなものだが……、まぁ昔からこういったところだけは強情な彼女である、素直に好意を受け取っておこう。

 

「ついてないな、天気予報では、降水確率10%だったんだが……」

 

「本当ですね、私、今日に限って折り畳み傘を持ってなくて……」

 

未だに強く地面に振りつける雨を見てそうつぶやく。

にわか雨だとは思うがこの雨の降りようではたとえ距離が短くても、駅まで走るのは得策ではないだろう。幸い、この後は特に急ぐような仕事はない。千雪も、今日はこの後ミーティングの予定があったが、別に今日行わなくても構わない内容だ。

 

「ここ、ショッピング街なんですね」

 

「ん?あぁ、そうみたいだな」

 

千雪に言われた方へと振り向く。来た方向ばかり見ていて気が付かなかったが、彼女の言う通りここは駅から少し離れたショッピング街。連なるようにコーヒー店やアクセサリーショップなどが建ち並んでいるのが目に映る。これなら、ビニール傘くらいは手に入りそうだなと考えていると、隣の千雪が、妙にソワソワとしていることに気が付いた。

 

「……そうだな、どうせなら少し見ていくか」

 

「え?良いんですか」

 

「あぁ、どうせこの後は差し迫って仕事もないしな」

 

千雪の顔にぱっと笑顔が咲く。

それから嬉しそうに駆けだしていくと、子供みたいに、こっちです、プロデューサーさん!と手を振って俺のことを呼んでいる。いつもは落ち着いて、大人っぽい彼女の可愛らしい側面を覗き見た気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……千雪、少し買い過ぎじゃないか?」

 

「だって、なんだか楽しくって……」

 

そういって困り眉を浮かべたまま笑う千雪の手にはたくさんの雑貨が入ったビニール袋。もちろん、一部は俺が持つといったのだが、これくらい平気だと言ってきいてくれなかった。

店の中を見て、これなんか恋鐘ちゃんが好きそうとか、樹里ちゃんならこの小物が似合うと思うとか、自分のものよりほかのアイドルに対するプレゼントが多いみたいだった。千雪はそれで良いのかとも思ったが、自分の事より他人のことを考えている千雪は存外楽しそうで……それもいいのかもなと思いなおした。

 

「あ」

 

不意に楽しそうに歩いていた千雪の足が止まる。気になる店でもあるのかと思ったらそこは、高級感あふれるジュエリーショップ。少し立ち止まってそこを眺めた後、行きましょうか。と言って歩き出す千雪……

 

「見ていかないのか?」

 

「いえ、でも私……こういうのは似合わないし」

 

「そんなことはないだろう。少し見ていくか」

 

「あ、プロデューサーさん……」

 

俺が店に入っていくと、遠慮気味に千雪も後をついてくる。正直、俺もこの手の店にはほとんど来たことがない。入ると、いらっしゃいませーと、きれいなスーツを身に纏った女性店員が頭を下げて出迎えてくれる。

 

「わぁ…!」

 

ショーケースの前にやってくると、目を輝かせて少女のように指輪やネックレスを見つめる千雪。そういえば、千雪はこういった高級なアクセサリーを身に着けているところはほとんど見たことがないな。

 

「いかがでしょうか、奥様にプレゼントなど……」

 

「いや、俺と彼女は……」

 

「申し訳ございません。お似合いでしたので、つい」

 

そういっておべっかを使ってくるおせっかいな店員。言われた千雪は顔を真っ赤にしてしまっている。俺(プロデューサー)みたいなやつが、千雪(アイドル)と釣り合うわけがないだろうに。そのやり取りの後、しばらく店のショーケースを見て回ったが、どれもこれも高い。ほとんどの商品が6桁の大台に軽々と乗っているものばかり。中には、それを超えるものも……。道理で客がほとんどいないわけだ。

 

「……」

 

近くにいた千雪がとあるショーケースの前で立ち止まる。何を見ているのかと視線の先を追ってみると、見ているのは……指輪か。しかも、プラチナの……。

 

「気に入ったのか?」

 

「うん、これ素敵だなって……でも」

 

「すみません、これください」

 

「え!!」

 

「はい、かしこまりました」

 

先ほどの店員が怖いくらいの笑顔でうなづいて商品をショーケースの中から出してくれる。確かに、安いものではないが、今の俺の給料では別に3カ月分と言わずとも買える品物である。千雪はまだ信じられないといった風に、口を半開きにして俺のことを見ている。

 

「ど、どうして……?」

 

「まぁ、最近、千雪には仕事にあまりついてやれずに寂しい思いをさせていたから。その、罪滅ぼしと、ここまで頑張ってきてくれたご褒美もかねて」

 

実際、5人もアイドルを担当するとなると、仕事が一緒の時はいいが、別々の時には誰か一人にしかついていてあげることができない。そうなってくると、必然最年長の千雪には一人で現場に向かってもらったり、誰かの面倒を見てもらうケースが多かった。本人はもっと頼ってほしいと言っていたが、そればっかりでは、さすがに申し訳ない。

 

「サイズはいかがなさいましょうか」

 

「あぁ彼女の指に合うように……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

未だに、雨は降りやまず、ショッピングモールから駅へと向かう道にはさっきよりも多く、水たまりができているようであった。

 

「本当に良かったのか?なんだったら、傘くらい2本買っても……」

 

「いえ、駅や事務所までそんなに距離もありませんから、それだと、勿体ないですよ」

 

「そうか。まぁ千雪がそういうなら……」

 

ビニール傘を広げてなるべく千雪が濡れないように傘を寄せる。千雪も俺に肩を寄せて、所謂「相合傘」というやつをすることになるのだが、まぁ流石にこの年で恥ずかしいとかはないか。って、なんか、距離が近くないか?まぁ濡れないようには仕方ないかもしれないが。

 

「私、雨の日ってなんだか憂鬱でしたけど……今日から好きになれそうです」

 

「そうか」

 

「……うん」

 

ざぁざぁと雨は降り続く。身体を少し雨に晒すことになったというのに、千雪はずっと上機嫌だった。

 

 

 

 

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「~♪」

 

「おはようございます!あ、千雪さん、おはよー!」

 

「おはよう、恋鐘ちゃん」

 

「うーっす、ふわぁ」

 

「やぁ樹里、寝不足かい?」

 

今朝もアイドルたちの元気な声が事務所に響く。

ソファに座り、和気あいあいとコミュニケーションをとる彼女たちはすっかり打ち解けたようである。

 

それにしても、うちの事務所も随分と大きくなったと思う。

事務所の物理的な大きさはともかく、もともと人気のあった千雪や咲夜に続き、恋鐘は朝の連続テレビ小説の主役に抜擢された。長崎を舞台にしたものなので、その本場の方言や明るい性格が幸いしたらしい。凛世は高齢のファンが多いことから時代劇からオファーが来たし、樹里も、その見た目のかっこ良さから女子中高生を中心に人気を集めてこの前はアリーナでの単独ライブを成功させたし……本当、順風満帆全てが上手くいっていた。キーボードをたたいていると自然と顔が緩んでしまい、前に居たはづきさんから奇異の目で見られてしまう。まぁそれでも嬉しいものは嬉しいのだ。

 

「千雪さん……その……指の……」

 

「わぁ、素敵な指輪ったい!」

 

「へぇ、珍しいな千雪さんが指輪なんて!」

 

「誰かに買ってもらったと?」

 

「え、えっとこれは……」

 

しかし、そうなると、いよいよもってWINGの出場が現実的なものになってきたぞ。

今のところ、シーズン目標はすべてクリアしている。あとは本戦出場の連絡さえくれば「「えー!!!」」……?

 

「ぷ、プロデューサーからの、ご褒美!!?」

 

恋鐘や樹里の驚くような声に思わず視線を外す。すると、ソファからこっちを見る5人の目と鉢合わせる。困ったようにこちらを見る千雪……この前の事、話してしまったのか……。まぁ特に口止めはしてなかったけど……しかしそうなると。

 

「大変……羨ましく思います……」

 

「あぁ、実に魅力的な響きだね」

 

そういって期待と羨望の入り混じった視線を受ける。

千雪がばらしてしまったら、こうなることは予想ができていた。まぁ、誰か一人だけというわけにはいかないだろうから、後々何らかの形では皆にも何かしてあげるつもりだったが……。

気が付くと4人は俺のデスクまで近寄って、俺のことを凄みのある顔で見下ろしている……。

 

「プロデューサ~?うちらもがんばっとーよ?何かご褒美ばくれてん、バチは当たらんとよ?」

 

「あぁ、こればっかりは恋鐘の言うとおりだ!」

 

「お前らなぁ……」

 

現金な奴らだ。レッスンに行くって言った時は、なかなかソファから立ち上がらないときもあるというのに、こういうときばっかり。千雪も近寄ってきて、小さくごめんなさい。という声が聞こえた。いや、別に千雪が悪いわけでは……。

う、皆のウルウルとした子犬のような視線が突き刺さってくる。

 

「プロデューサー」「プロデューサー様……」

 

「……わかったわかった。皆にも何か、買ってやるから」

 

すると、やった!とかありがとうございます……とか、各々嬉しそうな反応を示す。しかし、千雪と同じクラスの買い物となると…………。貯金を崩しかねない事態に対して、はぁと、ついついため息が漏れてしまう。それをニコニコした様子で見ているはづきさん。

 

「いやぁ、ははは、困りましたよ本当……」

 

「ふふふ、いえいえ、楽しみですよ」

 

「え?」

 

「私にも何か買ってくれるんですよね?プロデューサーさん♪」

 

彼女のその思いがけない一言に思わず閉口してしまう。

その後も、楽しそうに今から時間があるから何か買ってもらおうと話す4人に、それを笑顔で見守る千雪。こういうのって経費で落ちたりしないだろうか。しないよなぁ……流石に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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アタシがアイドルになったのは、たぶん、こいつがプロデューサーだったからだろう。

 

「樹里は何にするか決まったのか?」

 

「ん?いや、まだ」

 

「そうか、まぁ、別に無理に決めることはないぞ」

 

町でプロデューサーに声をかけられたとき、思わず心臓が止まるかと思った。

 

だってこいつは、電車で倒れたアタシの事を一目散に助けてくれたあの時のリーマンだったから。周りの目なんて気にせず、そうするのが当たり前みたいに。正直、その、ちょっとだけカッコいいなって思った。

 

ただ……プロデューサーはアタシのことを覚えていないみたいだった。

スカウトされた時も、初めて会ったみたいな口ぶりだったし。まぁ、倒れた時は風邪ひいてて厚着してたし、マスクもつけてたから声も今と全然違うから仕方がないといえば仕方がない……けど、いつか、きちんとあの時のお礼言いたい。そう思っている。

 

「お、見ろ、スポーツショップがあるぞ、新しいランニングシューズなんてどうだ?」

 

「まぁ悪くないけど……」

 

千雪さんは指輪で、アタシはランニングシューズ?そんなのってなんだかどうなんだよって、思う。値段の問題じゃないし、別にプロデューサーも本気で勧めてないってのはわかるけど、それでもそう思わずにはいられない。

 

指輪をつけてた千雪さん。幸せそうな顔をしてた……。普段も優しい笑みや楽しそうな笑顔を浮かべることはあったけれど、あんな幸せそうな顔は今日見るのが初めてだった。今も千雪さんは恋鐘や凛世の買い物に咲夜と一緒に付き合っているが、その表情はいつになく明るいように見えて……。

 

「樹里、どうかしたか?ぼーっとして」

 

「い、いや、なんでもねーよ」

 

アタシが指輪?そんなの柄じゃない。

それに、アタシはこいつには普段いやってほど支えられてる。こいつがアタシがミスした時に、裏で必死に頭下げてるのを見たことがある、夜も遅くまで働いていて、毎日代わり映えのしないコンビニ弁当ばっかりで。むしろ、アタシの方がこいつにご褒美ってのをあげたいくらいで……!

 

「な、なぁ、プロデューサー?ご褒美ってのは、なんでもいいんだよな」

 

「ん?まぁそりゃ限度ってものがあるだろうけど……」

 

「ならアタシは……」

 

 

 

 

 

 

 

 

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「は!?合鍵!!?」

 

思わず樹里に言われた一言に大声をあげてしまう。

 

「ば、馬鹿、声がでけーって」

 

きょろきょろとあたりを見回すが、ほかの4人は現在バッグを見ているのに夢中で、こちらの声に気がついていないようであった。それにしても、いったい何を言い出すんだ樹里のやつ!?

 

「いや、すまん。聞き間違えだったかもしれん。えっと、樹里の家の合鍵を作りたいってことで良いのか?」

 

「んなわけねーだろ。アンタん家だよ」

 

ますますもって混乱する。

プレゼントに、他人の、しかも、俺の家の合鍵だなんて、正直意味が分からない。

 

「まぁ、その、なんだよ。アンタの家って学校と事務所からそこそこ近いだろ?だから、アタシの別荘みたいに使おうと思って」

 

「なんだ、そういうことか……」

 

樹里のやつ、ランニングなんかで外に出かけたりすることが多いから、そういう意味で、うちみたいな避暑地があれば嬉しいってわけだ。確かに、うちは樹里の学校にも事務所にも地理的に近い。家に帰るよりは早く着くだろうけど……。

 

「いや、でもなぁ」

 

「それに、アンタって、家にいないことが多いだろ?なんだったら、部屋の掃除とか、たまった洗濯ものとかしといてやるからさ」

 

「え?いや~、それはさすがに」

 

「おーい、樹里~!プロデュ~サ~!何しよーと!早うこっち来て~!」

 

「……とにかく、決まりだからな!」

 

「あ、おい」

 

ばちっと背中をたたかれたかと思えば、恋鐘たちの方へと混ざっていく樹里。

って、いやいや、俺の家の合鍵?そんなもの渡すわけ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へぇ、ここがアンタの家か」

 

……パチリと電気のついた我が家を見回して樹里のやつがそうこぼす。

どうして、こうなってしまったんだ……!?確かあの後、地下にある鍵屋に連れてかれて、いつもの樹里とは思えないほどに理詰めをされて半ば無理やりカギを……。っく、樹里のやつ、こう見えて頭が良いからな。って、なんで俺も言いくるめられてるんだよ。

 

「樹里やっぱり、鍵なんてのは……」

 

「うわ、おい、なんだよこの弁当のごみの山」

 

見るとそこには、机の上に置かれたコンビニ弁当の山。っていうか、終わってない洗い物に、大量の洗濯物、部屋に女の子を呼べるような状態ではとてもない。

 

「い、いや~最近家に帰っても何かする気力がわかなくってな……」

 

「限度ってもんがあるだろ。ったく……その辺に落ちてるごみ袋使っていいか?」

 

「え?あぁそれは構わないけど……」

 

壁にカバンを立てかけると、てきぱきと部屋のごみを掃除し始める樹里……。

 

「って、何やってるんだ。そんなことわざわざしなくても……」

 

そこまで言いかけて、胸元の携帯電話が鳴り響く。表示を見ると、これはテレビ局の……?

 

「はい、283プロ、Pです。はい、はい……え!?本当ですか!!はい、はいすぐに確認します!はい!では、よろしくお願いします。はい」

 

「どうかしたのか?」

 

机の上のごみをがさがさとごみ袋に詰めながらそう聞いてくる樹里。

 

「今日の生放送の番組で出演予定のアイドルが体調不良で出られないらしい。だから、うちの凛世に頼めないかって」

 

「へぇ、よかったじゃんか」

 

「あぁ!でも、すぐにとなると……あぁ、くそ、なんでもっと早く連絡してくれないんだ!?」

 

時刻を確認する。出演する番組まであと4時間を切っている。リハーサルも何もなしにぶっつけ本番となりそうだが、いや、それでも生放送のあの歌番組に出られるというのはかなりおいしい話である。

俺がその場でうろうろとしていると樹里の奴が再び俺の背中をバシリと叩いた。

 

「悩んでる暇があったらさっさと行って来いよ!アタシも切りの良いところで帰るからさ」

 

「樹里……」

 

「ほらほら!急いで凛世に連絡とってみないとまずいんだろ?」

 

「あ!そうだった!!」

 

樹里に追い出されるような形で家を出る。まずいぞまずいぞ、凛世に連絡して、行けそうだったら迎えに行ってそれから先方に連絡して、段取りの確認。あー!今日は折角ゆっくりできると思ったのに!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ、何とかなったか……」

 

番組は無事に終了した。少しバタバタしたところはあるものの、凛世と連絡も取れてスムーズに事が進められた。こういった急な頼みでも、凛世はほとんど断ったことがない。向こうのスタッフも感謝してくれたし、凛世の顔も売るいい機会にもなった。この業界は突然こういうことがあるからわからない。

 

凛世を送り届けた後、家に帰ってきてドアを開ける。開いた。って、開いた……!?

あ、あぁ……そうか、そういえば樹里のやつがいるんだっけか?あいつ、まだ帰ってなかったのか。ほどほどにして帰るって言ってたのに……。

 

「ただいま……!?」

 

部屋が……見違えるようにキレイになっている!!?

溜まっていたはずの洗濯物はすべて綺麗に干されていて、積み上げられていた食器などの洗い物もすべて終わっている。部屋の中には、ゴミなんてものは見当たらず、散らばっていた本やアイドルたちのCDはすべて棚の中に陳列されていて……。

そして、いい匂いに目を向けてみれば、机の上に置かれているのは焼いたステーキにみそ汁に……と、ベッドの上で眠る樹里。

 

「お、おい、樹里。これは全部お前がやってくれたのか?」

 

「……ん?あぁ、おかえり」

 

「ただいま」

 

俺の言葉を聞いて寝ぼけたまま満足げに八重歯を出して笑う樹里。瞼をこすって立ち上がると、じゃ、そろそろ帰るわ。と言ってカバンを持つ。それを慌てて止めに入る。

 

「馬鹿、こんなに暗いのに一人で帰らせるわけないだろ」

 

「……な、なんだよ急に。アタシに変なことしようとする奴なんていねーって」

 

「お前は俺の大切なアイドルなんだぞ!」

 

もしも樹里に何かあったら死んでも死にきれない。

大体、樹里も樹里だ、自分がもっと有名なアイドルだってことに自覚をもってほしい。樹里にお前がいかに可愛いかとか、魅力的なのかとかを説き伏せているとあっという間に顔を赤くして樹里は顔を枕に埋めて、わ、解ったからやめてくれ!と、俺の説得を聞き入れてくれたようだった。

 

「……そういえば、これって樹里がやってくれたんだろう?ありがとう、部屋も見違えるようだし、料理も美味そうだ」

 

「まぁ、その……アンタには世話になってるからな」

 

そういって枕を抱えたまま不器用に目をそらして再び顔を赤くする樹里。彼女は不器用で、優しくて、義理堅い。そういうところを尊敬しているし、アイドル活動をしているうえでも皆に知ってほしいと思っている彼女の素晴らしい魅力の一つだ。

 

「なぁ、ずっと待っててくれたってことは、まだ樹里も晩ご飯を食べてないんじゃないか?せっかくだし一緒に食べないか」

 

時刻は既に11時を回っている。晩御飯というにはいささか遅すぎるような気もしたけれど、それでもこんなご馳走を目の前にしてお預けというのも酷な話だ。

 

「え?あぁ……けど」

 

炊いてくれた米をよそって、箸に手を付けると、さっそく、さっきから美味そうな匂いを放つステーキ肉にかぶりつく……。うん、かったい!!!!

 

「……硬いな」

 

「あ、アンタがもっとはやく帰ってくると思って……えっと、レンジでチンするか!」

 

冷めた肉が乗った皿ををひったくっていくとそのままレンジに入れる樹里。俺は待っている間、冷めたみそ汁を啜っているとそこであることに気が付いた。

 

「まて、樹里。ステーキなんてそのままレンジで温めたら……」

 

「ん?うわ!」

 

ばちばちっと油がはじけるような音が聞こえてくる。慌てて止めて取り出すと、温かくはなったようだが、さらに硬さを増したステーキ肉が出てきたのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんかごめん。悪かったよ」

 

「ん?」

 

びちゃびちゃの米と、温めなおしたら小さく切りすぎて具材が消えたみそ汁、その他家の冷凍食品などで夕食を食べ終えると、樹里は落ち込んだ様子で顔を伏せた。

 

「せっかく、アンタのために、その、恩返ししてやろうって思ったのにうまくいかなくて……」

 

「樹里……」

 

「は、ははは。人間。慣れてないことなんてするもんじゃないよな。料理だって、不味かったろ?これでもちっとは習ったし、うまくいくと思ったんだけど、練習した時と器具とか違ってよくわかんなくて……」

 

頭を掻きながら申し訳なさそうにそういう樹里。

……その頭にそっと手を置いて子供をあやすように優しく撫でる。

 

「そんなことないぞ。樹里の作ってくれたご飯は、とても美味しかった。ありがとう、樹里」

 

樹里はワインレッドの瞳を揺るがせて、彼女にしては珍しい控えめな照れたような笑顔を作る。確かに料理はお世辞にもおいしいと言えるものではなかったが、彼女の想いは十分に伝わっている。ステーキってのもスタミナをつけてほしかったからだろうし、具材を小さく切ったのも、俺が食べやすいようにだろう。樹里の気持ちが籠った料理、こんなご馳走は他にはないだろう。

 

「へへ、これからもっと上手くなるからさ、だから、期待しててくれよ!」

 

「あぁ、期待してる」

 

……待てよ、これから?

 

「明日は肉じゃがに挑戦するからな!」

 

……待て、明日からも来るつもりか!?

 

しかし、やる気に満ち溢れた目ととびっきりの笑顔を見せる樹里を見て、また来るのか?なんて野暮なことは俺には言えず……結局、その日は樹里を車で送っていくだけとなった……。彼女の手元には、今日作ったばかりの銀色の合鍵……。

 

 

家に戻って綺麗な家を見てから、これは流石にまずいんじゃ?と気づき始めたのだが、その時はもう遅かった……。

 



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5話

「こうしてお前と落ち着いて飲むのは久しぶりだな」

 

「そうですね。最近は何かと忙しかったですから……」

 

小洒落たバーのカウンターで天井社長と二人でグラスを傾ける。

 

担当アイドルたちの……W.I.N.G本戦出場が決まった。

 

もちろんすぐに舞台に立つというわけではない。

1カ月後、まずは準決勝を勝ち抜き。そして、決勝で勝てば……晴れてその年のトップアイドル、すなわちアイドルたちの頂点に輝くことになる。だが本戦に出場するアイドルは283プロのみんながデビューする前から活躍していた超人気アイドルばかり。猛者たち相手に、みんなの力がどこまで通用するか……。

 

「……ふん、下らん心配事をしているようだな」

 

「社長?」

 

「お前たちは実力でこのステージまで駆け上ってきた。後は栄光の勝利を目指して、戦いのロードを突き進むのみ……!」

 

おぉ!?今日の社長は燃えている!

 

「そうですよね!彼女たちならきっと!」

 

「そういうことだ!まぁアイドルを家に連れ込む不祥事を起こして本戦出場を棒にする輩もいるが、うちには全く縁のない話!気にすることなど何もないな!!ワーッハッハッ!」

 

ブー!とお酒を噴き出した。

アイドルを家に連れこむ……不祥事!?

 

「おい、お前。大丈夫か!?」

 

「ケホ、は、はい。気管支に入っただけで」

 

「顔色があまり良くないようだが……あまり深酒はするなよ。お前には明日からもバリバリ働いてもらわねばならんのだからな!」

 

「は、はい。それはもちろん……」

 

……不祥事で本戦出場が取り消し!?

いや、そんなことは当たり前なのだが……非常にまずいぞ……なんてたって現在、俺の担当アイドルたちは……!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺の担当アイドルが、全員合鍵を持っている件

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「凛世、こっちの方で合ってるか?」

 

「はい……間違いございません……」

 

それは樹里に合鍵を渡した1週間後のことである。

 

凛世が鳥取の両親に会って、挨拶をしてほしいと言ってきたのだ。

もちろん、親御さんには凛世をスカウトした時に会社の資料などを送ったりしているし、契約書に判子も押してくれていたからアイドルになることは了承してはくれているのだろうが……直接お会いしてその挨拶をするのは今回が初めてになる。それに、聞くところによると凛世はほとんど家出同然で事務所まで来たらしい。

 

本来、親への説明と説得もプロデューサーである俺の仕事だ。出来ればスカウトした当初から伺って親の理解を得るべきだったのだが、忙しさを理由に後回しにしていたのだ。

 

こんなに大切なことを後回しにしていたなんてプロデューサー失格である。凛世は大丈夫だと言っていたが……。

 

「もっと早くに挨拶にいければ良かったよ、なかなか時間が取れなくてすまなかった」

 

「いいえ……そのようなこと……プロデューサーさまも、お忙しかったですから……」

 

……そういってくれると助かるが、凛世の優しさに甘えては……と、もしかしてあれがそうだろうか?

 

見えてきたのは堂々と門を構えた大きな武家屋敷で……。

敷地の端から端までが見ることが出来ないほど広くて……でかい。いや、まさかこんな建物のはずが……。

 

「ここで、ございます」

 

凛世が窓を開けてパンパンと手を2度ほど叩くと門が独りでに開いていく……!?

 

「……す、すごいな」

 

「……プロデューサーさま」

 

「ん?」

 

「旅路でお話いたしました通り……杜野家では、凛世の活動は……快く思われていません……」

 

「……あぁ」

 

「アイドルになりたいと申した時は、それはもう、大騒ぎで……」

 

「そうだろうなぁ」

 

こんないい家の箱入り娘のお嬢様が突然アイドルを始めると言ったら、それは大騒ぎもするだろう。

 

「ですが、プロデューサーさま。凛世は露程も後悔して、おりません。……どうか……それだけは、心に留めて、いただきたく……」

 

「…………わかった。ありがとう、凛世」

 

 

 

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カコン。

という鹿威しの音が聞こえる客間。

 

俺は、座布団に正座をして座り、手を膝の上に押し込めながら既に並々ならぬ居心地の悪さを感じていた。

 

部屋には俺の隣に居る凛世とその前に居る着物の似合う美人な母親。そして、俺の正面に座ってじっと俺のことを見下ろしているこの人こそが……凛世の父親にして有名な杜野家の当主……!

凄まじい威圧感の持ち主で、そのあまりに鋭い眼光に先ほどから冷や汗が止まらない……何なら、少しちびっているかもしれない。

 

やがて、お父さんはパンと膝の上を手の平で叩くと……

 

「……それで、君に凛世を幸せにできるのかね?」

 

この重たい沈黙を破った一番初めの言葉が、それだった。

無駄な世間話など一切ない、けれど冷たい現実味を帯びた一言だと思った。おそらく凛世のお父さんとして一番に確かめたいことなのだろう。

 

凛世の幸せ……。

それはいったい何なのだろうか。

この場でどう答えれば、彼らを納得させられるのだろうか……?

 

凛世をトップアイドルにすること。それが俺の目標であり、凛世と見ている共通の夢だと思っている。しかし、それが叶った時に、凛世にとって幸せなのかというと……わからない。今は上手くいっているが、アイドルという職業柄将来なんて何が起こるかわからないのだ。

 

凛世は可能性の蕾だ。アイドル以外にも様々な進路があっただろうし、俺がスカウトしていなくても、ほかの分野で華を開かせていた可能性は十分にある。むしろ、凛世を知っている今だからこそ、無いわけがないと確信している。

 

俺は……どう答えるのが……

 

「プロデューサーさま……」

 

そう俺が悩んでいると、隣に居た凛世がそっと俺のスーツの袖を握った。

不安げに揺らぐ、凛世の朱色の綺麗な瞳……そうだ、俺は……!

 

「凛世を幸せにできるかは……今の俺にはわかりません」

 

ピクリと父親の眉が動く。心なしか、部屋の空気が一層重くなったのを感じる。

しかし、ここで退くわけにはいかない。干からびそうな唇を舌で一度湿らせると今度は迷いを捨ててお父さんの方へと向き直る。

 

「ですが、俺は俺に出来る全てを賭けて、彼女と共に歩んでいきたいと思っています。どうか、彼女を俺に任せてください、お願いします」

 

「プロデューサーさま……!」

 

「……」

 

無言で頭を下げる。

 

カコンと、再び鹿威しの音が響く。

10秒、30秒、1分とも思えるような長い長い沈黙が続く。

その間、俺は想いをこめて一心に頭を下げ続けた。彼女を安心して任せて(プロデュースさせて)もらえるように……!

 

「……その言葉に嘘偽りはないな?」

 

「はい」

 

顔を上げて、お父さんの目をまっすぐに見つめる。当たり前だ。

俺は彼女を『トップアイドル』にするためならどんな困難だって彼女と一緒に乗り越えて見せる!

 

暫く、無言で対峙していたが、俺と凛世とを見比べると目を瞑って上を向き、目元を軽く揉んでからお母さんと何やら頷き合い……そして。

 

「……凛世をよろしくお願いします」

 

ゆっくりと、姿勢を崩して頭を下げるお父さん!!?

 

「い、いえ、そんな!こちらの方こそ!?」

 

慌ててこちらも頭を下げると、お父さんはパッと手の平を出してそれを制した。

 

「もう結構ですよ、プロデューサーさん。あなたのような人ならば杜野家も安泰でしょう」

 

「は、はぁ…?」

 

流石に杜野家レベルまで安泰させられるかはわからないが……いや、それくらい稼げということだろうか?

 

「凛世……とても良い人と、出会いましたね」

 

「……はい。凛世は……世界一の、果報者でございます」

 

そっと、俺の隣に寄り添うと凛世は母親に自慢するように誇らしげな笑顔を見せる。俺の覚悟が伝わったのだろうか?なんだかどっと疲れたな……。

 

「……ところでプロデューサーさん。この前の凛世の『らいぶ』についてですが……」

 

「え?あ、見てくださったんですか?」

 

「毎日『でーぶいでー』で三度は、見ています」

 

お母さんがクスクスと口元を覆いながら楽しげに笑うと凛世は珍しくも口を開けてポカンとしていた。認めていないとは言うものの、子供のことが気にならない親などこの世にいない、か。

 

「よ、よしなさい。……オホン、それでだね、私なり先のらいぶにおもうところがありましてね……まず、あの舞踊について……」

 

そして始まるお父さんのいかにすれば凛世を美しく見せられるかという講座。日本舞踊のプロの意見として大変参考になったが、いつの間にか、凛世の昔話にシフトしていて、気が付くと、凛世と、凛世のお母さんにお酌までしてもらって晩御飯までごちそうになることに……しかし、一時はどうなるかと思ったが、どうやら無事に彼女のアイドル活動が認められたようである。

 

「プロデューサーさま、どうか……凛世を末永く……お願いします……」

 

「ああ、こちらこそ。これからもよろしくな。凛世」

 

いつもよりも心なしか頬を上気させた凛世は、その日、ず~っと俺の隣で幸せそうに微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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……その後、風呂に入っていたら凛世が背中を流しにきたり、用意された部屋に行けば、凛世と布団が一つの部屋に閉じ込められたりと色々アクシデントもあったが何とか……凛世の両親への挨拶が済んだ。そう、済んだのは良かったのだが。

 

「プロデューサーさま……おはようございます」

 

「……ん?」

 

眠い瞼を擦って起き上がると、そこには制服の上からエプロンを身に着けた凛世の姿があった。

 

「あ、あれ?凛世?どうやってここに……」

 

「合鍵を、母から、いただきまして……」

 

チャリンと可愛らしい猫のキーホルダー付きの合鍵を見せてくれる凛世。

そうか。凛世のお母さんからもらったのか……って、いやいやッ!?

 

なんで俺の家の合鍵を凛世のお母さんが持ってるんだ!?

 

「朝餉の準備をと……思ったのですが…………ご迷惑、だったでしょうか?」

 

泣きそうな顔をする凛世を見て慌てて首を横に振る。

 

「まさか!助かるよ……」

 

「はい!すぐに、ご用意を……」

 

嬉しそうに微笑むと、鼻歌交じりに再び台所へと消えていく凛世。

これで、ウチの合鍵を持ったアイドルが二人に増えてしまったわけだが……ま、まぁ二人くらいなら、どこかのタイミングで鍵を渡してもらえば良いか……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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それから5日経ったある日の夜のこと。

今日は夕方から咲耶と打ち合わせをする予定があったのだが、前の現場でトラブルがありすっかり遅くなってしまった。時計を見ると時刻は既に10時を過ぎてしまっている。階段を走って駆けあがると事務所のドアを開け……

 

「っ!?」

 

「あいたたた……って、咲耶!?すまん、大丈夫か?」

 

「ああ……私は大丈夫だよ。こちらこそ、タイミング悪くすまないね」

 

……咲耶?

どこか、いつもよりも元気のない咲耶が俺に向かって謝罪をする。何だか様子が……。

 

「足音が下から聞こえてきたからね、出迎えようとして……このありさまというわけさ」

 

「そうだったのか、待たせて悪かったな。事務所には誰もいないのに……」

 

「いいや何も謝ることはないよ。それとも、アナタは私が連絡をしていても遅刻を咎めるような、そんな人間だと思っているのかな?」

 

「……」

 

「それならば、私に対する認識を改めてもらう必要がありそうだね?」

 

どこか、いつもと違って意地悪く、いや、少々怒気の混じったかのような声でそういう咲耶に、少しばかり動揺してしまう。

 

「さ、咲耶?俺はそんなつもりは……」

 

「なんて、冗談さ。打ち合わせを始めようじゃないか。アナタがとって来てくれた、とっておきの仕事の話をね」

 

そういって、背を向けて歩き出すと、足を組んでソファに腰かける咲耶。

……違うな、やっぱり。いつもの咲耶と少し違う。

 

「咲耶、何かあったのか?」

 

「え?」

 

「いや、いつもと様子が違う気がしたから……」

 

一瞬、目を見開いてから困った顔を浮かべると。そんなことはないよと首を振るう。しかし、それこそが、そんなことないだ。

じっと、咲耶を見つめていると、咲耶はやがて観念したかのように大きく息をついた。

 

「……本当に何もないんだ。事務所はとても静かなものだった」

 

「何でもないのに、咲耶はこんな顔しないだろ」

 

「……!……フフそうだね。アナタは本当に私のことをよく見ているな……時折、アナタのことが怖いとすら思ってしまうよ……」

 

大きく息を吸い込むと、目を閉じ、そして

 

「……今日は、事務所に誰もいなくてとても静かで……だから少し、思い出したんだ。幼い頃のことを」

 

咲耶はポツポツと昔のことを話し始めた。

彼女は父親に男手一つで育てられ、愛情はたくさん貰っていたがいつも父親は帰りが遅かったこと、そんなお父さんを待っていた咲耶はいつも夜は一人ぼっちで過ごしていたこと……毎日電話で話をしていたが……やはり、心寂しかったこと。

 

「優しい声の主は、遠くに居て。私ひとりの部屋は、どうしようもなく静かで……まるで世界で一人ぼっちになってしまったような感覚。どうしてか今日は、それを思い出してしまった。それはきっと、今日がとても静かで、アナタの電話が……父に似ていたから」

 

咲耶は、大人びていてとても強い女性だと思っていた。

どんなに困難な壁にぶつかっても、その笑顔を崩さずに、クールでかっこよくて……余裕な表情でやり遂げてしまうようなそんな完璧な女性だと思っていた。

 

「咲耶……」

 

「なんて、ほんの少しのセンチメンタルさ。よくあることだろう?」

 

けれど、彼女だって。舞台の袖では緊張に足を震わせて、一人ぼっちが怖いと思うようなどこにでもいる少女なんだ。今日だって、咲耶ならば大丈夫だろうと、俺は心のどこかで甘え切ってしまっていたのだ。

 

「すまない、そんな顔をさせるつもりはなかったんだ。やはり、過去のことは話すものではないね」

 

困ったように笑う咲耶。

担当アイドルにこんな顔をさせるなんて、俺はプロデューサー失格だ。

俺に、出来ることは……。

 

「咲耶、夕飯はまだか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「驚いたよ、アナタにこんな特技があったなんて」

 

「特技、なんて言えるもんじゃないぞ。一人暮らししてたらこれくらい、机の上を片付けてくれるか?」

 

コンロの火を止めると、咲耶に鍋敷きを敷いてもらい、熱々のままのフライパンを乗せる。ほんのりと鰹節の匂いも香ってきて我ながら会心の出来だ。

 

「ほい、焼うどんだ。ま、美味しいかはともかく不味くはないと思う」

 

「おや、それは楽しみだね」

 

そういう咲耶は目を細めて本当に楽しそうに笑っている。

咲耶の反対側に胡坐をかいて座ると俺も早速小皿にうどんを……と思っているとすぐに咲耶がよそってくれた。

 

「じゃ、いただきます!」

 

「!……うん。いただきます」

 

ハフハフと熱々のうどんをそのまま飲み込むように口の中に流し込む。

しこしこした白玉のうどんと魚の風味の効いたダシとが良い感じにうまみとなって焦げ付いて、適当に入れたにんじんや豚肉が程よいアクセントになっている。

 

「うんうん、まぁこんなもんだろ」

 

「……」

 

「……咲耶?」

 

「あぁ、すまない。とても美味しいよ」

 

……目元に溜まった涙をごしごしと腕で拭うといつもの、ようにはいかない咲耶の初めて見る泣き笑い。

 

「あまり無理して食べることはないんだぞ」

 

「無理なんてこと!わたしは……これが食べたかったんだ」

 

すると、今度は途端に怒ったようにハフハフと自分の小皿に乗った焼うどんを一気に平らげ始める咲耶。それならいいんだが……今日の咲耶は本当に様子が変だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「送っていくからそのまま待っていてくれ」

 

遅い晩御飯を終えると、使った食器やフライパンを流しに持っていき洗い物を始める。咲耶もなんだかんだ結構食べてくれていたからまずいということはなかったのだが、ちと料理に色気がなさ過ぎただろうか。次はもう少しましな……って、え?

 

「さ、咲耶?」

 

「……」

 

黙って、背後から俺を包み込むように抱き着いてくる咲耶。こ、これは最近よく凛世が読んでいる少女漫画に出てくる、後ろからギュっという奴では!?

 

「少しだけ。ほんの少しだけでいいから……このまま……」

 

「……わかった」

 

返事をすると、咲耶の俺を抱く力が、ますます強くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は、アナタに情けないところをたくさん見せてしまったね……」

 

車に乗ったままやや落ち込んだ様子の咲耶を寮へと送っていく。

 

「俺は嬉しかったよ」

 

「嬉しい?それは……どうしてだい?」

 

「たまに不安になるんだよ。俺は、咲耶たちの力になれてるのかって。だから、今日みたいに俺に弱いところを見せてくれてくれたことが嬉しかった。俺は、いつでも咲耶の支えになりたいからな」

 

「……」

 

咲耶は俺の言葉を聞くと何も言わずに俺とは反対側を向いてしまった。

助手席は暗くて表情も良く見えない。

 

「さて、ついたぞ咲耶。寮の皆にもよろしくな」

 

咲耶の方へと顔を向けると、そっと、咲耶は俺の袖を摘まんだ。

 

「咲耶?」

 

「……かな」

 

「え?」

 

「ま、また、アナタに甘えても……良いかな?」

 

車のフロアライトに照らされた咲耶の顔はいつもよりも数段赤くて、声は消え入りそうなほどにか細い。呆気に取られていた俺だったが、頷くと咲耶の頭にポンと手を置いた。

 

「あぁ、もちろんいいぞ」

 

俺が傍にいるだけで咲耶が寂しくないというのだったら、それくらいお安い御用だ。

 

「それなら……いや、こんなことをお願いするのは……流石に私には……」

 

「なんだ遠慮するな。乗りかかった船だ。なんでも言ってくれ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まぁ……そんなこんなで合鍵を3つも配ってしまったわけなのだが。

当然、3人も自由に家を出入りする人間が居ればバレないはずもなく……。

 

俺は、3つの合鍵を突き付けられて、3人の前で正座をしていた。

 

樹里は腕を組んで俺のことを見下ろし、咲耶と凛世は微笑んでいるものの、どこかその奥には凄みを感じている……。まさに修羅場というやつだった。

 

「アナタの話は分かったよ。けれど、その話を聞く限り、アナタが自分の意志で渡した合鍵は私のものだけなのだろう?なら、ほかの二人には返却してもらうというのはどうかな?」

 

「……は?何いってんだよ!アタシが一番初めに鍵を貰ってたんだし、そっちの二人こそ鍵を返せばいいだろ!?」

 

「凛世は……末永く……プロデューサーさまと……ともに……」

 

何故か、見えない火花を散らす3人に。キリキリと胃が痛くなってくる。

確かに俺は掃除もろくにしておらず、飯もコンビニ弁当ばかりだったが、喧嘩をしてまで世話をしてほしいわけではないぞ!

 

「ま、まぁ待て!俺が悪かった!そもそも、担当アイドルが合鍵を持っている状況がおかしいんだ!!3人の鍵は俺が責任を持って預か……」

 

「はぁッ!?」「今、そういう話はしていないよ?」「凛世は……断固、拒否いたします……」

 

肩身が狭い。そりゃ、俺が原因だと思うこともあるが、凛世なんていつの間にか合鍵を持っていて、俺はこれっぽっちも悪くないではないか。

3人はミーティングでも見たことのないような白熱の議論を交わすと、やがて結論が辿り着いたのか頷き合って、正座をしていた。俺の方へと向き直る。

 

「あ~、プロデューサー。とりあえずは3日で交代制にしたから」

 

「へ?」

 

「明日は私が家に来て、その次の日は凛世、その次が樹里……といった風にね」

 

俺は……飼育係の育てている鶏か何かか?

いや、きっとそういう感覚なんだろうな。

 

「つーわけで、布団は買った方が良いな!」

 

「それは素晴らしいね樹里、出来れば日常品は揃えておきたいよ」

 

「凛世は、プロデューサーさまさえ居れば……幸せでございます」

 

何だか当たり前みたいに泊まり込む前提で話が進んでいる……!?

マズイ。不味いぞ、これ以上話がエスカレートする前に……何とかしないと!

 

でも、俺一人にはどうしようも……社長や葉月さんに話すわけにも……。

この状況で頼れるとしたら、俺には……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「それで彼ったら、私が何度注意してもトイレを使った後に便座を下げないのよ。何度私がお尻の冷たい思いをしたか……」

 

「あら~、そうなのね」

 

「そうなの。でも、それだけじゃなくて……」

 

最近彼氏と同居を始めたというナースの友人の話にまた一つ相槌を打つ。

彼女は愚痴を聞いてほしいって言っていたけれど……。

 

「たまに手料理作ってくれたと思ったら、目玉焼きに血液みたいなケチャップをかけて……!」

 

「まぁ!」

 

「でも、食べてみると結構おいしかったの♪彼といると色々な発見があるのよね」

 

「そう」

 

これは完全に惚気話の類よね……。

もう3時間も彼と彼女の同棲生活について聞かされている。初めは真剣に聞いていたけれど、段々と疲れてきてしまった。

 

「私ももっと彼を癒してあげたいのだけれど……あら、そういえば6時から人に会うって言ってなかったかしら?」

 

「え、あ!」

 

いつの間にか、時計の針は5時20分を差していた。待ち合わせ場所に行くなら、ギリギリの時間。慌てて椅子から立ち上がると荷支度を始める。

 

「今日はごめんなさいね。色々愚痴聞いてもらって、千雪ちゃんって話しやすくて~」

 

「ううん。そんなこと」

 

「じゃ、その指輪の彼によろしくね♪」

 

「うん……えぇ!?」

 

私が顔を上げると彼女はにこりと笑ってピースサインを見せる。

 

「気付いてないと思ったの?女友達に会うにしては気合入れまくりのメイクに~明らかに千雪ちゃんが買わなさそうなプラチナリング。おまけに私の話聞いてるとき、時計と指輪交互に何度も……」

 

「え、えぇ……!?た、探偵なの?」

 

「うふふふ、『恋する女の子』なら当たり前よ?大丈夫、千雪ちゃんなら相手の男もイチコロよ。なんと言っても今をトキメク人気アイドルなんだから!」

 

「も、もう!私と彼は別にそんなんじゃ「ほら、時間」あ!ごめんなさい。また今度!」

 

「えぇ、またね千雪ちゃん♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう、私とプロデューサー……P君はそんな仲じゃない。

 

子供の頃だって、結婚の約束をした仲だとか、親同士がすごく仲が良かったとか、そんな特別なエピソードは一つもない。

 

ただ、なんとなくいつも傍で遊んでいて、よく私のことを気にかけてくれて、気が付いたら、目で追っていて……そして、何もすることなく離れ離れになったのだ。

 

本当に何も……。

 

「千雪!」

 

「え!?あ……」

 

「どうしたんだぼーっとして。通り過ぎてしまったからびっくりしたぞ」

 

「P君……」

 

P君に肩を掴まれてようやく我に返った。いつの間にか待ち合わせ場所を通り過ぎてしまいそうになったみたい。

さっきまでのもやもやした気持ちは晴れて、今度は鼓動の音が自然と早くなってしまう。

 

「とりあえず、外で話すのもなんだし店に入らないか」

 

「う、うん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「悪いな、時間とらせちゃって」

 

「そんなこと、私こそ今日は誘ってくれてありがとうございます」

 

ほのかにオレンジ色の提灯のついた居酒屋に入ると、予約していた雰囲気のある二人掛けの個室に通される。プロデューサーさん、どこでこんなお店を知ったのだろう。私の知らない他の誰かとも、こんなお店に来るのだろうか?

 

「千雪は何か飲むか?」

 

「え。あ、私は……じゃあこれを……」

 

「梅酒のロック?意外と渋いなぁ」

 

「いえ、でも私あまり強くなくて……」

 

「そうか。俺に無理に付き合わなくても」

 

「ううん。今日は少し私も飲みたい気分だから」

 

「そうか……すみません!」「はーい!」

 

そうプロデューサーさんが店員さんを呼ぶとお酒のオーダーをして、二言くらいお話をするとすぐに店員さんがお盆に乗せてお酒を運んできてくれた。

 

「じゃ、いつもお疲れ様。乾杯」

 

「あ、はい。乾杯♪」

 

チンと重なったカップが鳴る。

プロデューサーさんは運ばれてきたお酒を一気に流し込むとうはぁ~!と美味しそうなため息をついた。私も、自分のカップに入ったお酒を一口だけ口に含む。

 

「そういえば、千雪とこうして飲むのは初めてだな」

 

「そうですね……今までは未成年の子たちも一緒に居たし……プロデューサーさんも控えていて……」

 

「はは。千雪、今日は他のメンバーもいないし、前みたいにP君と千雪ちゃんで良いんだぞ」

 

「えっ……?う、うん、ふふ、私、もうプロデューサーさんって呼ぶのが染みついちゃって」

 

「まぁ……咄嗟に名前を呼んでしまって何かを勘繰られても困るし、本当はその方が良いのかもな」

 

プロデューサーさんがどこか寂しそうにお酒を口に含んだのをみて、私も手元にあった梅酒で口の中を潤す。

 

勘繰られても、私は……別に……。

 

「……ところで、プロデューサーさん。今日は聞いてほしいことがあるって」

 

「あ、あぁ。まぁなんだ。もう少しお酒が進んでからな?」

 

「?」

 

素面じゃ、言いにくいことなのかしら。

 

でもそれって、どんなこと?

 

私にしか話せない、特別なこと……?

久しぶりに呑むお酒の効果なのかアルコールがすぐに体中を駆け巡って、胸の中の鼓動はずっと鳴りっぱなしで、正面にいるプロデューサーさんにさえ聞こえそうなほどに大きくなっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お酌をしながらプロデューサーさんへのお酒のペースを上げていく。

世間話をしながら料理を食べていると、時間はあっという間に過ぎてしまう……。

 

初めは少し硬い雰囲気だった彼も、お酒が回り始めたのか仄かに顔を赤く染めてほろ酔いしたような態度をとるようになった。

 

「千雪~、いつもありがとな~」

 

「うふふ、もう、今日5回目ですよ。プロデューサーさん」

 

「それだけ、俺は千雪には感謝してるんだ。だから俺と出会ってくれてありがとう、千雪」

 

「……はい」

 

そんなこと、私の、私の方こそ……。

 

「千雪……」

 

「ぷ、プロデューサーさん!あの、そろそろお話したいことについて……お聞きしたいのですが……」

 

このままじゃ、我慢できなくなりそうで、強引に話を変えるとプロデューサーさんはあ~と声を漏らし、少しずつ話を始めた。

 

「あぁ、うん、実はな……千雪の力を借りたいんだ」

 

「私の?」

 

「今、誰にも相談できなくて、困ってることが有ってさ。千雪しか俺には居ないんだ」

 

いつも笑顔の絶えない彼の顔が曇る。

優しくて頼りになって、私の手を握って導いてくれる彼の……そんな顔は見たくない。

 

苦しくて、切なくて、私の中で何かが弾けたのを感じた。

 

所在なさげな彼の手に私の手を重ねると、その大きな指を包み込むようにして握る。小さな子供をあやすように。

 

「あの!私にできることがあったら、なんでも、言ってください」

 

「千雪……実は」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、あ、合鍵を、樹里ちゃんたちに……!?」

 

「あぁ……どうしてこうなったのか、俺にはさっぱりで」

 

「……」

 

そう頭を抱えるプロデューサーさんを前に、私は放心しながらも頭のどこかで答えを見つけてしまう。

 

まさか、樹里ちゃんたちも、あなたのことを……。

 

ううん。それは決めつけるのはまだ早いのかもしれない。それに、その言葉は私が口にして良いセリフではなかった。それよりも、なんでその中に私は居ないのだろう?というような疑問が出てくるほど苦しくて……

 

また、私は彼と離れ離れになってしまうの?

 

「こんなことを話せるのは千雪だけなんだ」

 

「えっ……」

 

「千雪、俺はどうするのが良いんだろうか」

 

そういって、俯いてしまうP君を前に、私はまたギュッとキツく胸の奥が締め付けられるような錯覚を覚えた。

 

私だけ。私にだけ頼ってくれたP君。

いつかそんな日が来たら、私は……。

 

「千雪?」

 

気がつけば、私は君の隣に寄り添っていた。

そして、強く、強く胸元に顔を抱き寄せてそっとその頭をねぎらうように撫でた。

 

「プロデューサーさん。あなたは何も間違っていませんよ。大丈夫、大丈夫です」

 

「千雪……あの、少し恥ずかしいんだが……」

 

私から、離れてしまいそうになるプロデューサーさんを更に強く抱きしめる。離れないでほしい。少しでも安心してほしい。

 

「P君。今は、いっぱい辛いのを吐き出してください。大丈夫ですから」

 

「ち。千雪……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お時間ラストオーダーで……きゃ!?す、すみません……」

 

そういって出ていった店員さんの声を聴いてピクリとプロデューサーさんが意識を取り戻した。何となく目が合うと、唇に吸い込まれそうな気がしたけれど、それ以上に、顔が火照って……。

 

「千雪、そ、そろそろ」

 

「……う、うん」

 

ぎこちなくプロデューサーさんの身体が離れると、冷たい冷気が滑り込んできてとても肌寒い。どうせなら、あのまま時間が止まってしまえばよかったのに……

 

ううん。ダメ。それは駄目。

だって彼は、私に困っていると相談してくれた。

だったら私は彼のために出来る全てをしてあげたい。

彼の、役に立ちたいから……。

 

「プロデューサーさん。安心してください。後は……私に任せてください!」

 

 

 



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番外編 限定千雪記念

暑い……!

 

少なからず冷房の利いていたバスを降りると、うだるような初夏の日差しが容赦なく脳天を貫いていく。

 

申し訳程度に置かれた朽ちたベンチ近くの木々からはセミたちが耳を劈(つんざ)くような鳴き声を上げ続け、整備の進んでいないデコボコしたコンクリートからはジラジラとした熱気が透明な炎のように視界で揺れている……。

 

「ぷ、プロデューサーさん。本当にこんなところで撮影を……?」

 

「そうみたいだな……」

 

ベージュのパンプスに黄色いスカート、やや大きめの茶色いフェルトハットをかぶった千雪がミニタオルで頬についた汗をぬぐいながらそんな質問を投げかけてくる。

携帯のマップアプリを起動したのは良いものの、辺りには目印になるような建物らしい建物が一つもない。コンビニの一つすらないのだから、ハッキリ言ってド田舎も良いところである。

 

「アチ~……サウナかよ」

 

「そうだね。でも空気が美味しいよ。街とは違ってとても澄んでいるみたいだ」

 

「咲耶は前向きだよなぁ」

 

影になっている場所でヤンキー座りをすると早速溶けている黒いネイビーキャップを被った樹里に両手を広げて深呼吸を繰り返すデニムシャツを身に纏った咲夜。今日はこの3人でTVCMの撮影に行くことになったのだが……なんせ暑い。

 

「みんな水分補給は十分にしてくれよ……と、こっちか。少し歩くみたいだな……」

 

「へいへい」

 

「あ、みんな虫よけスプレーは大丈夫?あと、日焼け止めも……」

 

「ありがとう千雪さん。じゃあ、虫よけスプレーを貸してもらおうかな」

 

「アタシは日焼け止め借りていいか?もうなくなりそうなの忘れててさ」

 

「はい、どうぞ。樹里ちゃん、日焼け止めはまだ持っているから今日の撮影中よかったら使ってね」

 

「え?いや、そこまでしてもらうわけには……って、うわ!」

 

素っ頓狂な声を上げた樹里の手元にはブチュっとクリーム状の日焼け止めが結構な量出てしまっている……。

 

「ごめん千雪さん!ちょっと力が入っちまったみたいで出し過ぎちまった……」

 

「ううん、気にしないで。それよりも、多すぎるようだったら他の人に……」

 

「そうだな……よしプロデューサー!アンタ、日焼け止め塗ってないだろ?」

 

「ん?そりゃまぁ、塗ってないけど……」

 

「それなら……ていや!」

 

うおっ!?

急に俺の手を掴んだと思ったら、手首をこすりつけてくる樹里!?

かと思えば、こんどは手の裏を擦り合わせたり、手を擦り始めたり……!?小さくて、スベスベとした手が気持ちは良いがって!?

 

「お、おい樹里!!?」

 

「はは、照れんなって!……へへ」

 

「はぁ……どうせ塗るならもっと手ばっかりじゃなくて……なぁ咲耶」

 

「おっと、虫よけスプレーを出し過ぎてしまったようだ」

 

咲耶!?

シャーっと自らの手の平にスプレーを噴出する咲耶!

虫よけスプレーに出し過ぎたも何も……

 

「というわけで、フフ、お裾分けさプロデューサー!」

 

「お、おい咲、ひぃや!」

 

なんだ、急に抱き着……うおおおお!!?冷たい!?

 

「フフッ」「あははははっ!」

 

どうやらこの虫よけスプレー、気の利いたことに冷却効果もあるらしくて抱き着かれると思いきや不意に咲耶に首根っこを触れられた俺はどこから出したのか自分でもわからないくらい情けない声が出てしまった。

 

「お前らなぁ……!」

 

「あははっ!ひぃや!って、あははっ!はー、おもしれー千雪さん、これ、今度新しいの買って返すな」

 

「こちらはお返ししておくよどうもありがとう。千雪さん」

 

「……う……うん」

 

……?

大笑いする二人を尻目に、千雪は二人から日焼け止めと虫よけスプレーを受け取った後も何か言いたげに口をまごつかせる……。

 

「千雪、どうかしたか?」

 

「あ、えっと…………ううん、何も」

 

「そうか?何かあったら言ってくれよ」

 

「…………うん」

 

やっぱり何か言いたげな千雪だったが、結局その後も聞き役に徹していて、千雪が言いたいことを言ってくれることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はーい!いいね~!次のカットは……軽く水をかけあって遊ぶ感じで」

 

「はい」「了解!」

 

暫く歩いた先には、魚が泳ぐほど透き通った綺麗な渓流があった。

樹里たちは早速メイクさんたちに準備をしてもらうと水着に着替えて撮影に入る。白い肌が、太陽の光を弾き、跳ねる水しぶきが天然の反射板になって彼女たちの笑顔を映し出す。

 

「そらそら!」「きゃ!も~う」「フフフ」

 

「いいねー、そのまま自然な感じで~|」

 

……よし、今日は3人とも調子が良さそうだ。監督からの受けも良い。

炎天下の中歩いたからか、冷たくて気持ちのいい川に入ってから一層テンションが上がっているのかもしれないな。はしゃぎ過ぎてケガをするなんてことだけは十分注意してほしいが……ん?

 

「やぁお疲れ様です。プロデューサーさん」

 

「あ、これは!お疲れ様です!」

 

不意に現れた髭の生えた小太りのスポンサーに頭を下げると向こうは上機嫌で笑顔を浮かべる。先ほども挨拶に伺ったが、暇なのか現場をうろうろしているようである。

 

「いやいや、こちらこそ。にしても、いやぁ良いですなぁ。彼女たちは弊社の飲料水のイメージにぴったりで!」

 

「ありがとうございます!」

 

「特に桑山千雪君と言ったかな。彼女は良いですな~。先ほど挨拶に来てくれた時も、こう、お淑やかで女性らしさが滲み出ていて!家でゴロゴロしているだけの女房に爪の垢を煎じて飲ませたいくらいですよ!」

 

「は、はは……」

 

相手の冗談になんとも言えない乾いた笑い声をあげる。こういう時、下手に大笑いするとそれはそれで相手の心証を悪くしかねないのが難しいところだ……。

 

「ところで、どうですかな。この山は」

 

「……良いところですね。高山植物も川も綺麗で」

 

初めはとんだド田舎だと思ったが、木陰に入れば涼しい川の風が緑の匂いを乗せて心地よい。都心の撮影ではこうはいかないだろう。

 

「そうでしょう?ここは、私の祖父が住んでいた山でね。子供の頃はよくここで泳いだものですよ……」

 

「……」

 

「はーい、一旦休憩入りまーす!」

 

懐かしむようにシミジミとしていたスポンサーを横目に、撮影中の千雪たちに目が映る。

全てのカットを取り終わってカメラの内容を確認する間千雪たちは一旦休憩に入るようだ……と、俺も監督に呼ばれているな。撮影した動画の確認作業だろう。

 

「それでは、失礼いたします」

 

「あぁ。良いCMに仕上げてくれよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい!OKです!お疲れ様でーす!」

 

そうスタッフの人が声を上げると、張りつめていた場の空気が一気に緩んでいくのを感じる。先ほどまでアイドルたちだけが話し声を上げていたので自然と場は騒がしいと感じるほどの話し声に包まれる。

 

「本日はありがとうございました」

 

「いやぁこちらこそ。みんな良い子で雰囲気も良かったっすよ。またお願いします」

 

俺も監督やスタッフさんに頭を下げていると、不意に後ろから樹里たちに声を掛けられる。

 

「なぁプロデューサー!もう少し川で泳いできても良いか!?」

 

「ん?まぁ少しくらいなら構わないけど……」

 

袖を捲くって腕時計の時刻を確認するが、まだ昼になって少し経った程度の時間だ。夕方まで出ている帰りのバスにも十分間に合う。

 

「よっしゃ!咲耶。競争だ!さっきの休憩中は引き分けだったからな」

 

「フフ、私は構わないよ」

 

「……準備体操はきちんとしろよ」

 

「おう!」

 

こちらに振り返って手を上げるとニカっと笑って駆けていく樹里たち。あれだけ、長時間撮影をして、休憩時間には川で泳いで遊んでいたのにまだ遊ぶのか……まぁウチのメンバーの中でも特にタフな二人組だし、大丈夫なのだろうけど……。

 

「千雪はもう上がるか?」

 

「はい、私はもう十分楽しめましたから……」

 

「そうか」

 

しかしそうなると、樹里たちが遊んでいる間千雪は暇を持て余すことになるが……。

 

「ああ、そういえばプロデューサーさん。この先に名の知れた和菓子屋さんがあるらしいっすよ」

 

「は、はぁ和菓子、ですか」

 

「せっかくですし、帰る前によって行かれては?」

 

「そうですね。はい、ありがとうございます」

 

「では、我々はこれで。おい、撤収だ、てっしゅ~」

 

そういって、次の現場へと向かう監督さんたち。

 

「和菓子か……せっかくだし、樹里たちが遊んでいる間二人で買いに行くか?」

 

「!」

 

俺の言葉を聞いて千雪は驚いたように目を見開いたが、次には目を細めてはい!と笑顔を見せてくれる。樹里も咲耶もしっかりしているし、和菓子を買いに行くくらいの間目を離しても大丈夫だろう。

 

「じゃ、じゃあ、行きましょうか!」

 

「え?ははは、流石に着替えないと風邪を引いてしまうぞ。それに、挨拶回りも途中で……」

 

「あ!す、すみません。き、着替えてきます……!」

 

恥ずかしそうに顔を俯けて真っ赤にする千雪。

何だか元気がないのかと思ったが、調子が戻ったようで安心した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千雪と並んで、木漏れ日が差した並木道を歩く。

暑いは暑いが、木々の間を吹き抜けていく風が、葉と葉が触れ合いざわめきを起こすその音が、千雪のペースに合わせてのんびりと歩くこの空間がなんとなく心地が良い。この辺の道は舗装すらされていないが、地面はよく踏み固められていて歩きやすかった。

 

「静かだなぁ……」

 

「……はい」

 

「なんかいいよな、こういうの……」

 

「…………うん」

 

普段が忙しい分、こういった静かな時間は余計に貴重に思えてしまう。

朝から晩までデスクに噛り付いていたかと思えば、客先に頭を下げて、そして、アイドルたちが仕事やレッスンをこなし……毎日休む暇もないほど忙しくて……。

 

「……なぁ千雪。後悔、したことはないか?」

 

「……後悔?」

 

「あぁ、千雪はアイドル以外にも別の道があったんだ。それなのに、俺が無理に巻き込んでしまって……だから」

 

……千雪がその場で立ち止まった。

俯き気味でよく見えないが、その表情は、いつもは優しい笑顔を浮かべている千雪には珍しく少し怒っているようであった。

 

「P君は……私をスカウトしたことを後悔していますか?」

 

「そんなわけないだろ。むしろ、俺が誇れる数少ない功績だ」

 

「だったら、そんな、そんなこと言わないでください。私にとってもあなたに出会えたことは……私の人生でも数少ない、幸運、でしたから」

 

「千雪……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……ラジオ局

 

「かーーっ!!ブェエックシュ!!」

 

「?いかがなさいましたか……恋鐘さん……」

 

「んふふ~!凛世~、クシャミが出るっていうことはたぶん誰かがウチん噂ばしとーみたいなぁ!」

 

「左様で……ございますか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ついたみたいだな」

 

チリンチリンと青い風鈴が涼し気な音を奏でる。

昔の茶屋のような縁台に、先客として日に焼けた数名の子供たちがかき氷を頬張っていた。

売れている店、というような印象はあまり受けない。

樹里たちの分は持ち帰るとして……

 

「せっかくだし、食べていくか」

 

「うん!」

 

「いらっしゃい」

 

軽く間窓口から白い調理衣を着たおじいさんが顔を覗かせ人のよさそうな笑顔で俺たちのことを迎えてくれた。

 

「わぁ!見て、P君!」

 

千雪が笑顔で指さしたのは、透明なプルプルとした弾力のある寒天の中に、器用にも花や金魚の模様があしらわれた和菓子だった。ほかにも、スイカや桔梗を模した砂糖菓子もあって、夏らしい涼やかな商品が並んでいる……。

 

「綺麗~」

 

「ああ。それに美味そうだ」

 

ショーケースの中身や店の前に張り出された達筆で書かれたメニューを一つ一つ眺めながら、ふと視線を横に向けるとそこには、膝を折り曲げて真剣に和菓子を吟味する千雪の姿があって……。

 

「ははは」

 

「え?どうかしましたか?」

 

「いや、なんだか真剣に悩んでいる千雪が面白かったから……」

 

「あ!もう、そんなこと言うんですか?女の子にとってお菓子選びは真剣勝負、なんですよ?」

 

「ははは、そうだな」

 

そうなんです。と、言って再び和菓子たちとにらめっこを始めた千雪。怒ったり、笑ったり、悩んだり、コロコロ表情が変わって本当に、楽しい人だなと思う。

 

やがて、うん!と言って千雪が背筋を伸ばして立ち上がった。

 

「決まったのか?」

 

「うん、私、これを……」

 

そういって、千雪が指を差した先には……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この後さぁ、ショウくんちでスマブラしよー」

 

「やろやろ!」

 

「えぇ~、うちかーちゃん怒るからなー」

 

子供たちの話し声をなんのけなしに聞きながら、口を開くとぱくりと、先ほど自分用にかったわらび餅を口に入れる。

サラサラと程よい甘さの黄な粉と、冷たくてもちもちとしたわらび餅。

ごくりと飲み干して、サービスで出してもらった温かいお茶を飲むとはぁと息をついて目を瞑る。

 

「美味いな」

 

「うん、瑞々しくてとっても美味しい!」

 

そういう千雪の手元には、赤い金魚の入った寒天菓子……ではなく、黒い長方形の羊羹が……。

 

「それでよかったのか?」

 

「うん、だって、他のお菓子はもったいなくて食べられない気がして……」

 

「はは、千雪らしいな」

 

ま、羊羹も美味いしな。

再びつまようじをわらび餅に刺して、一口口に運ぶと……千雪がふふっと、どこか悪戯っぽく笑う。

 

「……なんだか、良いですね。こういうの」

 

「そうだな、たまにはこんな日があると良いな」

 

「うん……私は、たまに、じゃなくたって……」

 

「え?」

 

やや顔を赤らめると、耳に掛かった髪をかき上げて微笑む千雪。

今、なんて…………うーん、聞き返しても教えてくれなさそうだが……。

ひょいと、次のわらび餅を口に放り込むと、よし!じゃ、公園行くか!と子供たちの次の行き先が決まったのか、元気よく店の奥から飛び出してきた。そして

 

「……あれ、あの後ちゅーするぞ」「な」

 

ぶっと、去り際の子供たちのひそひそ声がハッキリと聞こえた。

慌ててお茶を飲んでわらび餅を流し込むと、千雪の方も聞こえていたのか、その顔は赤い、赤い金魚のように見事な朱色に染まっていた。

 



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