プロジェクト東京ドールズ 二次創作 (里奈方路灯)
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ヤマダとミサキの肝試し

とある方のイラストを元に作った小話です。拙文で申し訳ないです。


「アげてイくっす……!」

 

 中世の騎士のような鎧をモチーフに何処かファンタジックなデザイン性とオーラを放つ水色に輝く衣装(ドレス)を身に纏った少女(・・)は、右の手を大空に(かざ)した。黒?赤?青?形容しがたい禍々しい光が入り混じる力の渦がその手から放たれ、辺り一帯を狂気に染める。

 

 少し癖っ気のある外ハネ、しかし短くお洒落に切り整えられた――まるで青空を映したかのような水色の髪を揺らし、ニタりと大きく浮かべた口元の笑みからは尖り恐ろしくかつ可愛らしい歯を覗かせて、ギラつきピンク色に光を放つ瞳で御伽噺の中のような白く美しい肌の彼女は目前の敵を捉えた。

 

『ヤマダさん、敵の防御、とても硬いです。気を付けてください』

 

「問題ねーっすよユキさぁん、サクっとワンキルっす!!」

 

 耳元に殲滅結界(テアトル)を通じて聞こえる声をさも関係ないと一蹴した彼女「ヤマダ」。それが彼女の名。右手に衣装(ドレス)と同様の水色に輝く鎧から造られたかのような大剣――「戦剣ニケ」と呼ばれる武器を召喚したヤマダは、しっかりとそれを両手で握りしめて、大きく跳ねた。

 

 市街地に鎮座する敵……まるで巨大な扉。人間を優に見下ろせる程の二枚の扉が、目の前にある。傍から見れば珍妙なオブジェでしか無いが……これでれっきとした人類の敵、「ピグマリオン」という怪物の一種。このタイプの敵には特徴がある。それは、一度防御を崩さないとどんな攻撃も通らないという事。

 

 その扉のような敵の懐へ、ヤマダは飛び込んだ。

 

「そりゃああああッッ!!」

 

 ザシュン!黒色の激しい剣撃が扉に刻み込まれる。扉が少し後退し、隙間の中からまるで勾玉のような形状をした生物が此方を覗いた。これが、このピグマリオンのコア。ヤマダ、笑みを深める。

 

「もっぱつ!!」

 

 すかさず剣を放り投げ次いで水色の鎧槌「戦槌アレス」を召喚して扉に遠心力を活かしたアッパーカットをぶち込み、槌を放り捨てて自身も勢いで空に跳ね上がる。扉がバッコりと抉れ開き、中のコアがおっぴろげになる。空中でヤマダ、次に召喚するは……銃。これもまた、衣装(ドレス)と同じモチーフの水色に輝く鎧のような大型の銃。「戦銃ヘルメス」を、狙撃するように抱き構える。

 

「フヒヒッ……さよならっす!!♪」

 

 衣装(ドレス)と銃から、黒い衝動が銃口に集う。弱った敵を仕留めんとばかりに溜まりに溜まった注がれし呪詛が、臨界点を超えると同時に地上のピグマリンのコアへと放たれた。

 閃光弾(フラッシュ・バン)を何十個も焚いたかのような光が着弾と同時に破裂し、辺り一帯を飲み込む。一秒経って直ぐ後のその場にはもう砕け散った地面と消し炭以外に何も無かった。

 

「ッッッはーーーーーー……たまんねぇっすなぁ……」

 

 恍惚な狂気の笑顔で快楽に酔いしれるヤマダは、銃を片手でブンブン振り回して周囲を窺う。そろそろ、この辺りの敵は一掃した筈……

 

『ヤマダさん、上です』

 

 空を飛んだヤマダよりさらに上、丁度太陽が影を作りヤマダの身体にそれを知らせた。視認したそれは……棺桶。空に浮かぶ棺桶だ。

 

 ゲッ……!!パンデモニウム!!?

 

 パンデモニウム。一度その棺桶が開けば中から女のような怪物が薔薇と共に現れ、辺りに毒と呪いをばら蒔くピグマリオン……正に「万魔殿」。だから、手遅れになるまでに速攻するしかない。しかし……

 

「やっべ……次の装填、大分かかるっつのに……!」

 

 先程、扉の処理にエネルギーの殆どを使ってしまった。感情(フィール)が足りない。まだ、供給まで時間が必要だ。

 

 マズったな……!素殴りで倒す?応援を待つように立ち回る?被害を出来る限り軽減するように注意を引き付けて……大人しく応援を、あっ、やべっ!棺桶が開……

 

『上に、ミサキさんが居ます』

 

(つめ)が甘いわ、ヤマダ――想定済だけれど」

 

 そのパンデモニウムより更に上……紫の装飾の真っ黒な衣装(ドレス)に身を包んだ、夕暮れ後の夜空を模したような青色で可愛らしいポニーテールを揺らし、凛々しく冷たい表情の少女「ミサキ」は空から光の巨剣を無慈悲に棺桶に振り下ろした。

 

「ギャッッッッ!??ギャオォォォォォォ……」

 

 光の剣を叩き付けられると同時に気色の悪い断末魔と共に棺桶もろとも真っ二つになったピグマリオンは、泡となって空中に消え逝く。完全に消滅したようだ。

 

 タッ、二人の少女がひび割れたアスファルトの上に立つ。ヤマダは笑みから一転して曇り睨み付けるような表情で、対するミサキは凛々しさを崩さず、静かな瞳で彼女を見据える。

 

『周囲に敵の反応はありません。ヤマダさん、ミサキさん、お疲れ様でした』──

 

──戦闘を終え、土埃で汚れた体をシャワールームで洗い流し、ヤマダは適当なシャツにどてらを羽織ってこの場所……「DOLL HOUSE」の廊下を闊歩する。もうすっかり戦闘の衝動は剥がれ落ち、瞳は薄赤色に、表情も狂気を捨て去って気怠げだ。

 

 ふぃーーー……ひと仕事終えた後は爽快っすな。

 

 誰に呟くでも無く、自分の中で満足した彼女は右手に持ったミネラルウォーターをくぴ、くぴと飲む。水如きに含まれたミネラルなんぞに然程興味は無いが、疲弊した体へ水分が染み込んでいく感覚は格別だ。よきにはからえ、水風情。

 

「んぁ?」

 

「あら」

 

 ヤマダが目の前を見ると、ばったり。其処には同じく体の汚れを落としたであろうミサキが立っていた。服装は青色の学生服にジャケット……これが私服?相変わらず、見ているだけで窮屈な女だ。表情は変わらず凛々しいまま、右に泣きぼくろを付けた瑠璃の瞳でヤマダを見やる。

 

「これはこれはミサキさん。獅子奮迅のご活躍、恐悦至極とても助かりましたぁ……」

 

「そういう貴女は悪鬼羅刹そのものだったわ。見ていて危なっかしい戦い方ね、よく頑張ったわ」

 

 ヤマダの含みある言い方に対して、ミサキは皮肉を交えて素直に返す。その瞬間、二人の視線に火花が散る。

 

「そーいう言い方は無いんじゃないっすかぁ~~?討伐数ならジブンの方が上だと思うんすけどね~~」

 

「ペース配分がなって無いから強敵を瞬時に処理出来ないのよ。戦闘は効率。無闇やたらではいつか痛い目を見るわ」

 

 睨み合うヤマダとミサキ。……普段なら誰かが中立に入るが、其処は不運。今この場には二人以外居ない……まぁ、巻き込まれる者の方が不運ではあるが。

 

 ふぅ、やれやれと睨んでいた瞳を先に逸らしたのはヤマダだった。根負けをしたようで

 

「……ピグマリオンよりお化けの方が怖いってのも考えもんっすが」

 

 そうじゃなかった。

 

「ちょッっはああぁぁぁぁーー~~~!?」

 

 瞬時、その言葉を聞いただけで顔をT-fal(ティファール)のケトルが如く真っ赤に染めるミサキ。瞳がしどろもどろと揺らいだ後、しっかりとヤマダを見据える。

 

「アンタねぇ!それは今関係無いじゃない!!」

 

「おっ、認めたっすなぁ~~?語るに落ちたりミサキ嬢。NO.1ドールズはピグマリオンよりお化けが怖い~~♪」

 

「わーっ、わーーーーっ!??」

 

 中空で人差し指をくりくりと回し煽るヤマダの口を、ミサキは必死に他の誰にも聞かれまいと慌てて両の手で塞ぐ。ふがふが、っはっと上手く難を逃れたヤマダは狙った獲物を逃がさないハンターのようにニヤついた眼で彼女を追い立てる。

 

「そんな女、他に居ませんよ~~♪あんな非科学的なもん信じてるなんてミサキさんも結構、ウブっすなぁ。そんなに怖いんすか?」

 

「ここっ、こ怖くなんか無いし!!何馬鹿な事言ってんの!!?」

 

 必死にそれを否定するミサキ。先程半ば認めたような発言をした事をさて置き、恥かしそうな顔を全力で怒りっぽく歪めて隠そうとする。その姿に、普段の彼女のような完璧な冷静さは微塵も感じられない。

 

「……本当に?」

 

 下からその顔を怪訝に覗き込むヤマダ。

 

「……本当よ……!!」

 

 上から鋭い眼差しで威圧するミサキ。その答えに、ヤマダはにっこりと満面の笑顔を浮かべた。

 

「よしっ、それじゃ明日遊園地のお化け屋敷に行きましょうーーー!!明日ジブンとミサキさん非番なのは知ってるんで」

 

「……は?」

 

 突然の提案をしたヤマダ。ミサキに背を向けて歩き出すその姿に、彼女は必死で待ったをかける。

 

「な・ん・で!私がそんなトコっ、アンタと行かなきゃいけないのよ!!?絶対に行かない!!断固拒否するわ!!」

 

 ミサキの猛烈な抗議に、ヤマダは足を向こうに向けたまま上半身を振り向かせた。こう見えて体は柔らかい。

 

「ビビったんすか?」

 

「……ッ!?」

 

 えも言われぬ暗い気迫。ミサキはその暗い雰囲気に少し背筋を冷やした。

 

 全身を振り向かせ、近付き、ヤマダは首を傾げて斜め下角度の首でミサキを見詰める。

 

「お化け、怖いって、泣いて逃げちゃうって、認めちゃうんですかぁ~~~???」

 

「怖くないッッッ!!」

 

 バン!まるで張り詰めた音が弾けるような勢いでミサキは声をあげた。再びヤマダの眼を、しかし揺るぎない瞳で注視する。

 

「行きましょう。私が、最強のドールだって事を証明してあげる……!」

 

「フヒッ、そう来なくっちゃぁ……♪♪」

 

 ホント、この人ノせ易いなぁ~~~……と、心の中で嘲笑いながらヤマダはミサキとの次の日を楽しみに夜中を過ごすのだった……──

 

──楽しそうな音が聞こえる。滑車が音を立て、人々が楽しそうに声をあげる音。少女なメロディと共に、乗り物が回る音。一様に皆、人々の笑顔が見てとれる。

 

 私達は、この笑顔の為に戦っていると。普段のミサキなら考えられるだろうが、今日だけは奈落のどん底に落とされたカンダタのような気の持ち様だった。

 

「っはぁ~~~~~……」

 

 まるで魍魎の産声。サングラス越しでも分かる表情の暗さ。格好だけはいつもの学生服にジャケット、結ったポニーテールとしっかりはしているが……落とした肩からは遠目でも落ち込んでいると分かる。

 

「絶好のお化け屋敷日和りっすなぁ」

 

 ヤマダはサングラスを他人に見えないように外すと、楽しそうに人差し指でクルクル回す。彼女達はアイドルだ。だが、この程度の隠密行動は容易い。気配を消す事に関してはお家芸の二人だった。最低限の顔隠しがあれば充分だ。近くを人が通ると分かり、再度ヤマダはサングラスをかける。

 

 二人して並び合ってパーク内を進み、目的地へ静かに歩いていく。俯いたミサキの袖を引っ張ってヤマダは歩き、到着した勿論場所は「お化け屋敷」。

 

 目前に聳え立つそれはもう一言で「廃墟」。日本民家が老朽化し、苔が生え、瓦が崩れ、柱が所々折れている……密かに取り付けられたスピーカーからは「ヒュ~~~ドロドロドロ~~~……」と如何にもな音がなる。まるで端から子供騙しかのように。

 

「う、うあ……」

 

 その姿を見たミサキは、その場で膝を笑わせる。なんとか立ってはいるが、顔から血の気がどんどん失せていく。

 

「はい、学生二人で……おーい、置いてくっすよーーー??もう無理?」

 

「いっ、行く……!行くわよ!!」

 

 ヤマダに急かされ、ミサキはなんとかその足を動かす。ギク、シャク。まるでロボットが歩くように、しかも右手と右足を同時に出して歩いていた。歩き方すら忘れている。

 

「よっと」

 

「ヒッ!?」

 

 ピシャン!!ヤマダが引き戸をガラガラと開けて二人で中に入ると、閉じ込められるかのように勢い良く戸が締まった。ミサキが振り向いて戸を開けようとする。

 

「ほう、逃げる」

 

「っ!?逃げないわよ!!」

 

 戸に手をかけかけたミサキは、その問いで振り返った。もういっぱいいっぱいなのが見て分かる。本当に、この人面っ白ぇーーー!!

 

「あ、サングラス」

 

「うっ、分かってるって!!」

 

 その目でしっかりと光景を望む為に、二人共サングラスを外す……真っ暗な室内。あるのは、天井から吊るされたランプを模した電灯だけ。ギシ、ギシと木製の床を二人で歩いていく。先へ進めば進む程、心なしか電灯の明かりが少なくなっていく……。

 

 カランカラン!!

 

「ひゃあっっ!?」

 

「おっと!」

 

 隣で鳴った音に反応し、ミサキはふと隣に居たヤマダの腕にしがみついた。ミサキが恐る恐る顔を見上げると、其処には此方を憐れむヤマダの姿が。

 

「……なんか、申し訳無くなってきたっす。このまま行きます?」

 

「いいえ!いらないわ!こんなもの、架空よ架空!!」

 

 強がり、一人で歩いていくミサキ。それを、したり顔で早足で追いかけるヤマダ。

 

「ねーえ、怖いんでショ?どうしたぁ?もっと頼ってイイんですよ?」

 

「うっ、煩い!私は、この程度でッ」

 

 ぶぉん!ミサキの目の前の空中を口の開いた提灯が通り過ぎる!!!

 

「あギャあァッッッッッ!!!????」

 

 ガシッ、声にならない悲鳴をあげてミサキはついぞ両の腕でヤマダの身体を縋るように抱き占める。まるで子供、ヤマダは優越感に顔を染めた。

 

「うははっっっ!!NO.1ドールがそんなんでどうすんすか!??ねェ!恥ずかしく無いんですか!!」

 

「分かった!!もういいからっ!!早く此処から出しなさいよぉぉぉぉぉ!!!!」

 

 此処ぞとばかりにヤマダは煽るが、今のミサキの思考回路は其れ処ではない。ギュウウウウウウウウウっ、と力いっぱいヤマダの身体にしがみつくミサキ。そのあまりの全力に、ミシッ、ミシッと何かにヒビが入る感覚がヤマダの五体に響いた。

 

「あががががッッッ!!ちょっ、ミサキさんっ洒落なんねーすからッッ!!離してってば!!!」

 

「嫌、嫌あぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 その時の痛烈な感覚を、ヤマダは今後決して忘れることは無かったという。肝に銘じたのは、「ミサキをからかってお化け屋敷に連れて行っては駄目だ」という確立した事実だった……。

 

 

【挿絵表示】

 



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辛辣なるウォーゲーム

「……うげっ」

 

「「うげっ」とは何よ、失礼ね」

 

 DOLL HOUSEの食堂にて、うっかり顔をあわせた二人きりの「ミサキ」と「ヤマダ」。二人は私服姿で手にそれぞれの食事を持ち、机を挟んで向かい合うように、しかし直列にはならないように席を一つずらして座った。

 

 それぞれテーブルに置いた物……ミサキは500mlのペットボトル、そして手に持たれたのはラップに包まれた具入りのパン。ヤマダもまたペットボトルを置いていたが、それとは別に3つに分けられた皿をテーブルに置き、皿を包んでいたラップをペリペリと鼻歌を歌いながら上機嫌で剥がしていく。

 

「ふふんふーん♪ふーふふーん♪ふーふふん♪」

 

「……それはそれで気色が悪いわ」

 

「んあ?人が何に好き好んだって勝手じゃないですか」

 

 柄でも無いとはいえ、ノリ気を阻害されては人は良い気分ではいられない。一体目の前の女はどうすれば満足するんだ。まあ、満足させてやる気なんかさらさら無いのだが。

 

 そう思いながらヤマダは黄色い麺の乗った皿に、別の皿に盛られた錦糸卵の入り混じる鮮やかに切り分けられた色取り取りの野菜を無造作に載せ、そしてボウル式の皿に入った琥珀と黒曜石が入り混じったような美しい色の「つゆ」を回すようにかける……その姿は、多少歪ながらも紛う事なき「冷やし中華」だ。出前だろうか。

 

「貴女、相変わらずその手の麺類はまともに食べるのね」

 

「人の食うもんに一々口をはさまないでくださいよー。そういうミサキさんは、なんすかそれ?」

 

 ヤマダは訝しげな表情でミサキが手に持ったパンを見る。ミサキがパンを包まんでいたラップをはがし、香る仄かなソースの匂い……挟まれていた具とは、何を隠そう「焼きそば」である。通称、焼きそばパン。

 

 したり顔でミサキはヤマダの瞳を流し見た。

 

「この世で最も美しく、完成された、合理的で、効率的なパンよ。粉物の中の粉物……粉モン IN 粉モンとはこの事だわ。あげないわよ?」

 

 至福のうっとりとした目で手に持ったそれを眺めるミサキの姿を見てヤマダは自分の頭に手を当てると、やれやれと頭を振る。

 

「うわぁ……炭水化物に炭水化物とか肥満の元」

 

「貴女は体を動かさないからね。私には必要な栄養よ、この食事の完成度が分からないのね」

 

 そう言うと、ミサキは大口を開けてあむっとそのパンを嬉しそうに頬張った。……本当に、幸せそうに食べている。それがちょっと悔しい。

 

 ……負け惜しみという訳じゃ無いが。

 

「食欲をそそる程よい酸味に豊富な具材から来る栄養価、極めつけは麺類であるという食事のお手軽感……!」

 

 対抗。……そうだ、きっと。この感情は「負けたくない」と。そういう事なのだろう。ヤマダは饒舌に続ける。

 

「こんなに「効率的」な食べ物を目前に高々とその謳い文句とはぁ……目が曇りましたか?ミサキさん」

 

 その言葉に、ミサキは少し、眉を釣り上げる。「効率的」。その言葉を使われては黙っていられない。

 

「……まるで私に喧嘩を売っているようね?」

 

「勘弁してくださいよ……」

 

 箸でちゅるちゅる、と麺を軽くすすり食べると、ヤマダは笑顔をミサキに振り撒いた。

 

「分かりきっているのに疑問形にしないでください」

 

 俄然、対立。滲み出た亀裂からのフォッサマグナ。各々が自分の信じたそれを最高だと信じてやまない。

 

 ミサキ、パンを再び齧ると、しっかり咀嚼した後にペットボトルを手に取り開ける。プシッ!小気味良い音を立てるその透明の液体……「炭酸水」を、グビ、グビと喉を鳴らして飲み、蓋を締めてそれをヤマダに突き付けた。

 

「炭酸水……水分吸収率は通常の水よりも遥かに良いわ。運動後の補給にとても重宝され、糖分を使ってないから食事にも最適。こんなに効率的な飲み物、そう無い……貴女のただのミネラルウォーターと違ってね」

 

 ズルズル、と目前の冷やし中華を減らしてる最中に自分のペットボトルの中身「ミネラルォーター」を口内を流し込むように飲むヤマダは、ふう、と一息つくとミサキの方をじとり、と見た。

 

「わざわざ味のついてない炭酸とか、飲む気になれねーっす。効率を重視するなら炭酸抜いたコーラでも飲んでろっす」

 

「それじゃ美味しく無いじゃない!!」

 

「……」

 

 あれよこれよといがみ合う二人。傍から見たら仲が良いのか、悪いのか。

 

「『ほう……炭酸抜きコーラですか。たいしたものですね』」

 

「「……ッ!?」」

 

 ヤマダとミサキ、二人して横を見る。其処には何時の間にか一人の少女が立っていた。サイドに編み込みを加えた美しい銀色の髪、宝石のような黄色の瞳……無表情さに、大人らしさ、というよりは幼さを抱えた、可愛らしい少女。「ユキ」だ。

 

「マスターが、言ってました……。意味は、よくわかりません」

 

「お、脅かさないでよ……」

 

「ユキさんの気配に気付けなかったとは、このヤマダ一生の不覚……」

 

「お二人が楽しそうにお話してたので、入るタイミングがわかりませんでした」

 

 まるで二人の関係性を表現するように手を合わせるユキ。それを見て、当の二人はハッと笑う。

 

「仲がいい……ね。或いはそう見えるのかしら」

 

「それは愉快な事っすなぁー。嫌よ嫌よも好きのうち、ってね」

 

 ……あん?と二人の眼間に再び火花が散る。しかしユキはそれを静かに楽しそうに見ている。

 

「わたしも食事をとりたいのですが、一緒に食べませんか?マスターがカップ麺をくれました。三つあるので、二人とも好きそうでしたから……」

 

「「……」」

 

 なんと、わざわざ自分達の為にタイミングを見計らっていたのか。それも、その食事は「カップ麺」だという。これは正におあつらえ向きな。

 

「ありがとう。折角だからいただくわ」

 

「ヤマダも別にカップ麺一個ぐらいならペロっといけますなぁ。サンキューっす、ユキさん」

 

「いえ、貰い物ですから。それでは、用意します」

 

 そしてユキは取り出したカップ麺の包装をゆっくりと、しかし手際良く剥がしていくと、それぞれにかやくを入れ始めたのだが……。

 

 ……!?

 

「ユ、ユキ……貴女、それ……」

 

 ミサキは驚愕した表情でそのカップ麺のパッケージを指した。ユキは作業を止めず、商品名を読み上げた。

 

「「辛辛戦(からからうぉー)」……です。とても美味しそうです」

 

 そのパッケージは黒と赤で構成され、表面に辛そうな粉末が山盛りになったラーメンが載っている……。これはしくじったかもしれない。ユキの好みを想定していなかった……!?

 

「「辛さとは美味さだ、辛さとは戦だ!」……ねぇ。このキャッチコピー考えた奴馬鹿じゃないですか?……んで、どします?」

 

 ヤマダはちらり、とミサキの方を見た。……まったく、私のマスターめ、なんてことをしてくれたというの……!?

 

「……いただくわ。折角ユキが作ってくれているんだもの、それを無下には出来ない」

 

 だが、逃げるわけにはいかない。此処で逃げるということは、負けるという事。それだけは、絶対に嫌だ。

 

「ヒュゥ、ええカッコしぃ♪ジブンもそれ、乗りました」

 

 二人はほんの少しの汗を垂らしながら、不敵に見詰め合う。此処まで来たら止まらない。イチかバチかのチキン・ラン……!

 

「お待たせしました」

 

 トッ、と4分たってそれぞれの目の前に置かれたカップ麺。辣油の浮いた赤色にドロついたスープに麺が漂い、そして中央には如何にも辛そうな赤い魚粉……むせ返るような香りに、二人は戦慄する。

 

「……美味しそうね」

 

「強がってんじゃないですか?」

 

「そっちこそ」

 

 さっきまでの強気な笑みは既に霧散していた。青褪める。いざ目の当たりにすると、これは笑えない。いや、本当に笑えない……。

 僅かに震える手で箸を握り締め、魚粉をスープに溶かし、そして……麺をひとつまみし、啜った。

 

 ……あれ。思ったよりも。

 

「美味しい……!いけるわ!!」

 

 顔を一気に明るくするミサキ。しかし対面のヤマダ、その表情を憐れむように見て。

 

「……そう上手くはいかねっすよ」

 

 ボソり、と呟いた。そして、二人は二口目を口に運び……。

 

「……~~~ッッッ!!???」

 

「はーーーいっ、キターーーーー!!!??」

 

 其処で奔る痛烈な感覚に二人はその身を悶えさせた。

 

 えっっっ……何?コレ……。

 

「かっっっっっっら!!!」

 

 いてもたってもいられず、一言目の感想がそれだった。舌の上に奔った稲妻のような痛み。もうこれは、辛いとかじゃなく痛い。

 ミサキ、炭酸水を手に取ろうとして……やめた。水は、辛さを広げるだけ。一時凌ぎにしかならない。此処でのベストな選択は、水を飲まない事だ。

 

「辛いもんって、大概二激目で来るんすよねー……しかしこれは、ヤマダでもビックリっす。ははは……笑えねー……」

 

 顔を曇らせて笑うヤマダ。まるでアナフィラキシーショック。開発者出てこい、誰だこんなカップ麺作ったの。味を楽しむ遊びが無い、確実に調整ミスだろ……。

 

 火山。例えるなら、火山だ。火山から吹き出す溶岩を啜る感触……それが最も適している表現だ。これはカップ麺と呼ぶには余りにも暴力的……。

 

 再び、顔を合わせる二人。まだ二口目だというのに、顔がつらくてつらくて堪らないって顔だ。……だけれども。

 

「粉物を笑う者は粉物に泣く……私は負けないわよ。アンタは?」

 

「ヤマダは無敵なんで……。こんぐらい、サクっとクリアしてみせます」

 

 そして、再び笑みを強めて、二人はその赤き器に挑んだ。焼ける口内、吹き出す汗……最中、幾度と無く食べたくないと思ったことか。たかだか一杯ぐらいの麺を頂くという事が、こんなに遠いと感じた事はかつてない。

 でも、だからこそ、これを乗り越えた時はきっと爽快だ。その山頂を目指して、二人して苦難を乗り越え、そして辿り着いた場所こそ……!

 

 トッ!二人は麺が空になりおぞましいスープだけが残った器をテーブルに置いた。現界を超えていっぱいいっぱい……ミサキは背もたれに盛大に背を預け、ヤマダは椅子に逆さに座り背もたれを抱きしめるような形だ。湿った艶やかな二人の髪が、その「戦」を盛大であったと物語っている。

 

「いや~……勝ちました勝ちました。タロスたんぐらい強かったっすわ~~~……」

 

「ふ、ふふ……歯牙にもかけない、とは……この事よ……」

 

 確かにくたびれていた二人の表情。けれど、その様は何処か満足げである。

 

「おっ、強がっていくぅ~~」

 

「とはいえ、苦しかったのはやはり事実。ヤマダ、私達の勝利よ」

 

 二人は顔を合わせ、ミサキはそのまま、ヤマダは背面へと右腕を伸ばして、お互いの健闘を讃え合うようにグッ!とサムズアップを行った。

 

「はむはむ……美味しいです」

 

 隣で冷めた赤いカップ麺を美味しそうに次々と咀嚼していく規格外の戦闘特化ドールは気にしないようにして。



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100回目の死

「ひくっ」

 

 DOLL HOUSEのリビングルームで高く跳ねる声が一人。いつも通りの明るめでキュートなコーデの私服、紫水晶の瞳に桃色の髪……特徴的に跳ねたカーブ掛かったアンテナのような一線の髪が目を惹く少女、「サクラ」。声を上げたのは、彼女だった。

 

「あらあら、しゃっくりですか?」

 

 心配そうに声を掛けた彼女……草原(グラス)を彷彿とさせるような透き通った薄緑色の髪、水色のスカート、近くに居るだけで安心出来るお姉さん染みた雰囲気を纏うDOLLSの癒し「シオリ」。頬に手を当て、翡翠のような瞳でサクラを見詰める。

 

 口に手を当て、不安そうな瞳でシオリを見るサクラ。心なしか、何処か涙ぐんでいるようにも見える。

 

「……うう、シオリさん……!もし、治らなかったら……」

 

「『100回しゃっくりをすると人は死んでしまう』……とでも、言いたげですね?サクラさん」

 

 キィ……開いたドアに背を預け、首の角度を少し上げて赤紫色の瞳を覗かせる眼鏡をクイ、と右手の人差し指でさも意味深に微調整するこれまた少女……短めに切りそろえた紫の髪の最年少ドール「ナナミ」は、サクラの心の内を代弁するようにその言葉を紡いだ。サクラはハッとする。

 

「えっ……?ナナミちゃん、どうしてわかったの!?」

 

「純粋無垢なサクラさんの事です。どうせそんな迷信を信じているんじゃないかって思いましてね……その反応を見るに図星のようです」

 

 満足げに首を縦に振るナナミ。ドアを閉め、リビングには三人の少女が見合い合う。

 

「でも……しゃっくりで死んでしまうなんて。サクラさん、本当に思っているんですか?」

 

「うう……だって、そうやって言うじゃないですか……!ひくっ」

 

「しゃっくりを100回する程横隔膜が弱っているなら有り得なくもない、とは言いますね」

 

「ひぐっ!?……うえぇ……また出ちゃった……」

 

「もう、ナナミさんったら」

 

 しゃっくりが次いで出るサクラを面白そうに煽るナナミ。困ったようにシオリは咎めるが、とはいえまだ楽観視の色は見て取れる。なにせ、しゃっくりだ。そう深く考える事も無い……当人のサクラを除いては。

 

 ピコン!人差し指を立てて、ナナミはサクラに提案をする。

 

「しかし、この私なら!しゃっくりを止める方法を知っています。さあさあ、お任せください!」

 

──治療手法【壱】:飲水──

 

「えぇっ!?本当?ナナミちゃん!……ひくっ」

 

 両の手を合わせ、パアァっと表情を明るくするサクラ。しゃっくりが漏れるが、其処はしょうがない。得意げな顔でナナミは続ける。

 

「ふふん……ズバリ、コップに冷水を注ぎ!それを手前の反対側から飲めばいいのです!」

 

「ほぉ……!」

 

 そして、言われた通りに冷水を注いだコップを用意したサクラ。しっかりと両の手で持ち、コップの対岸に口を近付ける。

 

 んおぉ……むうぅ……ええぇ……?

 

「……どうやって飲むの?ひくっ」

 

「……そこまで深く考えた事は無かったですね。策士策に溺れましたか」

 

 上手く反対側から水を飲む事が叶わず、治療失敗。

 

──治療手法【弐】:服薬──

 

 作戦に失敗したサクラと付き添ってくれるシオリの次の手は、手早く最終手段を取る事にした。コンコン、と一つのドアをノックする。

 

 ガチャリ。中から広袖を羽織った気だるそうな水色の髪の少女が顔を覗かせた。

 

「んあーー……ジブンになんか用すかー?」

 

「ひくっ、あっ、あのっ!ヤマダさん、しゃっくりに効くお薬って持ってませんか?」

 

 ドールズ内でもサプリメントのエキスパート、ヤマダ。彼女への相談というのが次の手だった。これほど手早い手段というのも無いだろう。

 

「あー……あるにはあるっすよ。ちょっと待つっす…………はい、コレ」

 

 案の定。ほんの数分ヤマダが自室を探したかと思うと、サクラの手に渡されたのは一片のブリスターパック……中には一錠、カプセルの薬剤が入っていた。ほわぁ……!なんとスムーズで有り難い事だろうか。サクラは直ぐにそのカプセルを取り出し、掌に乗せる。

 

「ありがとうございましゅっひくっ、ヤマダさん!」

 

 そして、満面の笑顔でそのカプセルを飲もうとして。

 

「ところで、あれは何の薬ですか?」

 

「くしゃみの誘発剤っすよ。30分程持続するやつっす」

 

 ぴたり。サクラの動きが止まった。

 

「へぐっ!?……あ、あの、それって……」

 

「しゃっくりってのは息を吸う行為。それを止めるには息を吐く行為をしてやればいいんです。それがくしゃみ……片方を迎え、片方に別れを。『ハロー!そしてグッドバイ!』……まあ、試した事は無いですが理論上止まります」

 

 事細かく説明をしてくれているヤマダ。薬をくれたのもありがたい。しかし、それでも。サクラはその顔を青褪める。

 

「あっ、あのっ!私、用事思い出しちゃいました!ヤマダさん、これ、後で飲みますね!……へぅっ」

 

 そう言うと、小さなしゃっくりを最後にその手にカプセルを握り締め小走りでサクラはその場を去ってしまった。

 

「あら、サクラさん……ヤマダさん、有難うございますね」

 

 そして、それを追うようにシオリは歩いて向かう。その後ろ姿をヤマダはぼーっとした瞳で見送り。

 

「辛くなったらちゃんと飲むんすよー」

 

 そう声をかけて、静かに自室へと戻っていった。

 

──治療手法【参】:息縛──

 

 小走りで通路を行くサクラは、目の前に人が居る事でその足を止めた。

 

「どうか、しましたか?」

 

 急いでいる此方に気が付いて声をかけてくれた銀髪の大人しそうな少女、ユキ。普段から協調性はあれど、人柄上自由な彼女だ。半ば期待は無くとも、サクラは藁にもすがるような思いでユキに事情を話す。

 

「ユキさん……っ!しゃっくりを止める方法、知りませんか……?ひくっ」

 

 ユキはその言葉の意味を受け取った後、ほんの少し空を仰ぎ……そして、首を縦に振った。

 

「しゃっくり……止めれます、わたし」

 

「えっ……!?おっ、教えて……くださ!ひゃうっ」

 

「まあ……!」

 

 まさかの言葉に、サクラと追いついたシオリは顔を明るくした。

 

「では、わたしと一緒に息を吸ってください……」

 

 すう、とユキはその胸を膨らますように大きく息を吸い込んでいく。

 

「はっ、はい……!すぅ……」

 

 そして続くようにサクラも息を吸い込んでいく。……段々、吸うのが苦しくなっていく。肺が、お腹が空気でいっぱいになる感覚。もう、限界というところで

 

「ストップです」

 

 ユキは掌をサクラの目の前にかざすと、その言葉を皮切りに口を閉ざした。サクラも、それを真似する……これは、息止め!?

 

「成る程……息を止めるのも効果的と聞いたことがあります」

 

 感心するようにその光景を見届けるシオリ。……数十秒、経って。そして一分、差し掛かった所で。

 

「……ぱぁっ!!げっ、限界です……!」

 

「……ふぅ、お疲れ様です。サクラさん」

 

 肺の容量に限界が訪れ、その息を盛大に漏らし新しい酸素を一気に取り込むサクラ。それに合わせるようにユキも息の交換をする。

 

 顔を赤くしいっぱいいっぱいというサクラとは別に、ユキのその表情はとても涼しげだ。目の前の少女は、一体どれだけの余裕があったのだろう。

 

「……ユキさん、どれだけ息止められるんですか……?」

 

「えっと……時計の針で数えて……4分、ぐらいです」

 

「よっ……!?」

 

 静かな表情でその事実を告げられたサクラは驚愕する。多分、自分のベストの三倍~四倍……凄い、ユキさん。

 

 でも、これで。私のしゃっくりも止まった……!

 

「ひくっ」

 

 ……え?

 

──治療手法【肆】:驚愕──

 

「ひぐっ!?……うぅ……今何回目ですかシオリさぁん……」

 

「93回……100回まで、後7回です」

 

「うっふぅ~~……!!」

 

 声になりそうもない悲しみの音をあげ、サクラは嘆く。ユキさんの教えてくれた方法は、自分には効果が無かった。肺活量の問題なのだろうか……?後、七回。そうすれば、もう一度。手に入れたこの命を散らしてしまう……!

 

 かくなる上は、とヤマダから渡されたカプセルを見る。くしゃみの誘発剤。これに、頼るしかない……!くしゃみが止まらなくなるの、嫌だけど!!

 

「あら、二人してこんな所でどうしたのかしら」

 

 ふと、通路を通りがかった青色のポニーテールと泣きぼくろが特徴的な凛々しい彼女……同じチームAの、ミサキ。サクラはその姿を見ると、駆け寄って懐に飛びついた。

 

「うわぁ~~ん!ミサキさん!私、死んじゃうんです!!……ひぐっ」

 

「ちょっ、何!?暑っ苦しいわね……!って、サクラ。貴女もしかして」

 

 その様を鬱陶しそうに邪険にしつつも、サクラの息の吸い方に違和感を覚えるミサキ。

 

「そうなんです……しゃっくりが止まらなくて、今ので94回目です」

 

「呆れた……」

 

 シオリの状況説明にミサキは軽くこめかみを指で押さえると、自分の腹部に抱きつくように引っ付いていたサクラを剥がして目の前にしっかりと立たせる。その瞳が潤んでいるのを見て、やれやれ、と首を軽く振った。

 

「はぁ……貴女のしゃっくりがどうなろうと私には関係無いけれど、いつまでも引っ張られていては厄介だわ。ものの1分で解決してあげる」

 

 肩に置かれた手。その柔らかくも力強い手から、サクラは彼女にいつも通りの頼もしさをひしひしと感じ取る。顔に綻びが混じっていく。心強いなぁ……!

 

「わあぁ……!ミサキさん……!!ひくっ」

 

「シオリ、これまで取った手段は?」

 

「コップの反対側から水を飲むのは断念、息止めは失敗、最終手段はくしゃみの誘発剤を投与します」

 

「OK……なら、これね」

 

 ミサキは簡潔に状況を聞くと、自分の財布から三枚のスタンプカードを取り出した。それを、手品師が如く巧みな手捌きであたかも握られた左手の中に隠れるようにサクラに観せる。

 

「3、2、1、0で消えるわ」

 

 しゃっくりの治療法……これまで挙げられた代表的な三種の他に、「意識を逸らす」というものがある。要は、意識をしゃっくりから切り離してしまえばいい。

 

「3」

 

 ミサキが折り込まれた人差し指を展開した。一枚、隠れたスタンプカードが出てくる。

 

「2」

 

 サクラが息を飲み、次に中指が伸び、二枚目のスタンプカードがミサキの手から現れた。残るは、あと1枚。

 

「1」

 

 シオリがその場を見守る中、ついにミサキの薬指と小指が伸び、三枚目のスタンプカードが現れる。次の瞬間には、消える……!

 

「0」

 

 ブォンッ!!……消えた。サクラが注視していた、左手の三枚のスタンプカードなぞでは無い。消えたのは、ミサキの右手(・・)だった。

 気が付けば、サクラの左頬の下……首の横を掠めるようにして、鋭利な貫手が通り過ぎていた。勿論、当たってなどいない。でも、その瞬間に感じた「死んだ」と感じる明確な「生命感(スリル)」は、サクラの意識を逸らすにはこの上なく充分過ぎる物だった。その時の脅威たるや、正に殺戮人形のそれで。

 

 気が付けば、その命が脅かされていると錯覚し納得させる状況のトリック。いきなり驚かす。これもまた、しゃっくりを止める常套手段の一つ。

 

「は……っ、あ、あぁ……」

 

「ほら、消えたでしょ?貴女のしゃっくり」

 

 そうミサキは得意げにウインクして見せると、貫手の構えを解いてスタンプカードを綺麗に財布に仕舞い、自分の髪を軽く撫でた。僅かワンミニッツにも満たない消失手品(ミスディレクション)の寸劇……意識からしゃっくりを分断する、二段構えの殺戮手法。

 サクラは少しばかりの冷や汗を流して、自分の首が繋がっている事を確認しようと手を当てた。……あ、しゃっくりが出ない。

 

「あ……ありがとうございます!」

 

「ミサキさんの手際の良さは本当に惚れ惚れしますね……少し、びっくりしましたけれど」

 

 喜ぶ二人に背を向けて、ミサキは歩きだす。その手を振り、最後に言葉を残して。

 

「これからはいつでも言いなさい。また一瞬で止めてあげるわ」

 

「えと……次は、遠慮しておきます」

 

「えっ!?なんでよ!」

 

 申し訳なさそうに断るサクラの言葉を聞いて、ミサキは驚愕に振り返る。

 

「……ミサキさんのやり方だと、いつか心臓の方が止まっちゃいそうですもんね」



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そう、私こそが

 意識が透水していく。研ぎ澄まされた感覚のダイブ、とっくにこなれた浮遊感を超えて、目指すは他の何でもない忌まわしき奴の元へ――

 

 

【挿絵表示】

 

 

──彼女は降り立った。紫の装飾、水色に輝く心の鍵穴を携えた漆黒の衣装(ドレス)「殺戮人形」……敵を倒すために造られた少女の姿を身に纏った、青き結われたポニーテールを揺らし右目に泣きぼくろを付けた凛々しい表情のDOLLSが一人「ミサキ」。白き地に足を付けると、その瞳でただ目の前を見据えた。

 

 シミュレーター用に拵えた無機質な白い空間。その一帯が彼女が降り立つと共に水色に染まり、辺りに閉ざされた扉や飛び散った瓦礫、爪痕を残した壁面を形成していく。……忘れもしない、世界から忘れ去られた場所「魔都新宿・『アタラクシア』内部」。私はこの光景を、脳裏から外した事は無い。

 

 クケケ。

 

 嫌味な呟きが聞こえた。ミサキはその手に少女が持つには無骨過ぎる灰色の大剣「傀剣カルディア」を握り締め、瞳を閉じる。

 ……空。建物の上部から降ってくる威圧感の塊を五感で確かめると、振り降ろされる鋭利な刃を剣で受け流して、目前にそびえ立った怪物に瞳を開けて対峙した。

 

「また会いに来たわ……死神」

 

 歯を剥き出しにした白きノーフェイス、圧倒的な巨躯に赤き爪が殺意を体現するピグマリオン「リーパー」。これまで戦ったピグマリオンの中でも知性・凶暴性共にトップクラス……死神の名を冠するに相応しい忌々しい怪物。ミサキはシミュレーターにて、この最悪の敵の再現データを復元して1対1での討伐を試みていた。

 危険度設定はMAX……つまり、実物と同じデータ。本来はDOLLSの力を集約して紙一重ギリギリでようやく倒せた相手だ。一人での討伐など、おこがましいだろう。

 しかし、私達は強くなっている。まだ、先へ進まなければならない。これより先……もっと強い敵が出てきた時に負けない為に。勝つ為に、今日こそはこの敵を、一人で倒してみせる!

 

「さあ、狩りの時間よ」

 

「ケケケッ!」

 

 剣を両手で敵に構え、ミサキは地を駆けた。リーパーの懐、肉薄の距離へと接近をする。

 

 キンッ!ギギンッ!!剣と爪が擦れ合う音が建物の壁に響いていく。この無謀なシミュレーター……今に始まったばかりではない。ミサキは週に数回、通常のシミュレーターをこなした後のトップギア、ベストコンディションの状態でこの空間に入り浸っていた。誰に話すでも無く、たった一人で。それがNo.1の努め。誰よりも最前線で、誰をも傷付けず、この身が朽ちるまで敵を倒し続ける……!それが、彼女との約束……。約束……?

 

 突き出される爪の攻撃を防ぎ、合間合間に斬撃を刻んでいく。僅か数ミリの舞踏、薄皮一枚で致命打を避けての死と隣り合わせの攻防戦。

 

 攻撃が理解(わか)る……眼に見えている!これならッ!

 

 ぐにゃぐにゃとした、まるで道化師のような挙動。動きが読みづらいのがこの敵の大きな強さだろう。

 

 けれど、基礎行動のパターンはこの体に馴染ませてある。予測不能のモーションは、私の反射神経で凌駕する……!!

 

 爪の振り下ろしをワンステップで回避、勢いで地を蹴って地面に叩きつけられたリーパーの腕に飛び乗り、さらに其処から跳躍。リーパーの白き顔面に思いっきり剣を叩き込む。

 

「せやあぁぁぁぁぁぁッッッ!!!」

 

 ガシュリッッ!リーパーの額が割れ、生き物と(うそぶ)くように赤い血が吹き出る。ミサキは機を逃すまいと、さらに手を伸ばして追い打ちをかけた。

 

 生意気なのよ……ッ!

 

(いなな)け!!」

 

 ミサキが開いた掌を握りこむと、そこから青白い光が弾け飛ぶように敵に放たれた。50弾の、フィールの衝撃。割れたリーパーの顔面に追撃が矢次早に捩じ込まれていく。

 

「キキャキャキャキャ!」

 

 地面に着地したミサキにリーパーは攻撃を受けている途中ながらも突っ込んできた。この痛みを厭わない動き方、予測はしているがッ!来た、四連撃!!

 

「ちぃっ!」

 

 一発目。左爪からの大振りな素早い切り上げ。幾ら早くとも動きがテレフォンになっていて此処の反応は意識していれば確実に間に合う。その初手を手始めに難なく剣で受け流す。息をする間も無く二撃目が飛んでくる。右爪の振り下ろし。勿論、理想的な動きは完成されている。ベストタイミングでのガード、逆に言えば此処を防げないと次は無い……!

 三発目。この一連の流れでこれが一番辛い……!溜められていた左爪の、最速の直突き。ぶっちゃけ、「視えない」。人間の視力では当然の事ながら、特別なドールの力を以てしても視認が叶わぬ「反射」を馬鹿にしたかのような消える魔爪。こればかりは視力が2.0あろうが、そういう理屈では通らない……!!

 

 ギャリッ、僅かに剣で受け流し損ねる。ミサキの態勢がほんの僅かに崩れる。ほんの僅か、それだけあればこの化物には十分すぎる執行猶予……。

 

「ケアァッ!!」

 

 最終段、両爪による振り下ろし。リーパーの全力とも言えるこの一撃は、これまでの連撃全てをこなした上で受けてようやく無事で済む。つまり、一つでもミスをした場合の彼女は。

 

「きゃあああああああッッ!??」

 

 受け止めきれず、地をぶつかり転がって弾き飛ばされた。

 

 痛い……?熱い……!皮膚が焼けるような感覚。脳髄が混ぜられるような感覚。疲弊した体に鞭を打って、それでも、と必死で剣を地面に突き立てて彼女は立ち上がり釣り上がった瞳で敵を睨み付ける。

 

 ケケケ。

 

 リーパーの笑い声が聞こえる……。恐怖?膝が、体が震える。

 

 (わら)うな……。

 

 ケケケケケ。

 

 駄目押しのように、リーパーは額から溢れ出る血をその全身に纏って鎧を形成していく。此方の攻撃を遮る、嘲り笑うかのような防御壁。お前なんぞ、この程度だと。お前なんぞ、只の餌だと。

 

 嘲笑(わら)うな……!

 

「キケキャギャギャギャギャギャ!!!」

 

 お前では勝てないと。また分かっていて負けに来たのかと嗤うように。

 

(わら)うなーーーッッッ!!!」

 

 ミサキは剣を振り構え、リーパーに向かって走った。最早、満身創痍。その先にあるのは……敗北。

 

『魔法の庭園』

 

 声が聞こえた。何かを通じて声が聞こえた。この声……?よく見知った、とても癒される声……。

 

「ギゲッ!?」

 

 建物内部だったはずの一帯に青色の空と花畑の草原が広がる。リーパーの体が球体に閉じ込められ、拘束された。

 

 覚えがある、この光景。まさか、このテアトルは……!?まさかこのフィールは!!

 

『結末の時です。光よ、飲め』

 

 身動きの取れないリーパーに、この空間を形成するテアトルで織り成された巨大な槍……「想いの槍」が、ミサキの背後から飛んできて楔を打った。

 

「あれ、壊せばいいんですよね?」

 

 さらに、隣から声。声の主が手を敵に向けると、リーパーの体に衝撃が放たれ血の鎧が軽く消し飛ぶ。

 

 呆然とした最中、あっという間の出来事。ミサキが右を見ると、其処にはストイックに敵を倒す為の黒の衣装(ドレス)を身に纏った、頭頂の一本線が特徴的な桃色の髪の少女。左を見ると、胸部から翼を広げるようにオーラを放つ、白と黒を基調に紫のタッチが施された荘厳な衣装(ドレス)を身に纏った、薄緑色の長髪の少女。

 

また(・・)一人でシミュレーターですか……?全く、先日皆で力を合わせるって言ったばかりじゃないですか」

 

「ミサキさん、大丈夫ですか?痛いところ、無いですか?」

 

 よく見知った、二人の仲間。ミサキはその姿に、驚愕を混じえて声を荒げる。

 

「サクラっ、シオリ……!どうして此処に!?これは私一人の戦いよ!」

 

 戸惑いの表情を隠せないミサキの肩に手を置いて、シオリはその顔をじっと、見合わせる。

 

「……すみません、ミサキさん。今から私、ほんのちょっとだけわがままになります」

 

「な、何……?」

 

 柔らかな、でも頑なな静かな圧。その雰囲気に、ミサキは気圧される。

 

「私は悔しい。貴女に頼られない事が。私は悲しい。貴女に置き去りにされる事が」

 

「……ッ!?」

 

 その言の葉が。まるで、過去の自分の姿を映すように。そう聞こえてならなかった。

 

「ミサキさんが一人で立ち向かう姿、とても立派です。格好良いと私は思います」

 

 強く想いを感じる、彼女の瞳。ミサキはその視線から、絶対に逃げることが叶わなかった。

 

「でも、行き過ぎたその姿はただただ傲慢……。一人で居るより、皆で戦える方が絶対に強い筈です。絶対に嬉しい筈です。絶対に楽しい……」

 

 あの時、皆で重ねた手。その温もりが、脳裏に鮮明に浮かび上がってくる。

 

「信じてください、私達は仲間だって。その方が、効率的(・・・)に皆を守る事が出来る、少なくとも私はそう思います。その為のDOLLS(ドールズ)、その為のチームA(わたしたち)ですよ?」

 

 ほんの少し悪戯じみた表情。その様子が、ミサキの強ばった顔に綻びを与えた。

 

「私……まだ未熟で、アイドルも戦いも不慣れです」

 

 サクラは敵を見据えたまま、ミサキにその言葉を紡ぐ。

 

「けれど、皆さんの、ミサキさんの隣に立ちたい。皆を守りたいって気持ちは、負けてません……!だから私は、此処に並び立つんです!」

 

 其処には、不安など一切無い信念を貫く少女の姿。少し前まで新入りで、いつも慌てふためいていた彼女が、もうこんなに立派に想いを伝えられるようになっていて。

 

 ……はは。なんか、一人でもっともっとって先走っていた私が馬鹿みたいだ。

 

「気負わないでくださいね?ミサキさんはそれでいいんです。ただ、ほんの少しだけ……私達と足並みを近付けて欲しい。そうすれば、私達はそれに合わせる事が出来ます。『一蓮托生』、それが私達でしょう?」

 

 随分と好き勝手言ってくれる。この私に足並みを合わせろ?気負うなって?……上等よ。

 

「しょうがないわね。付いてこれるかしら?」

 

「はい!私は……私達は、負けない!」

 

 不敵な笑みを浮かべたミサキに応えるように、サクラは自身のスキルを展開した。地面に広がった紋章を通じて、ミサキへと死を(ついば)(レイヴン)の如き力が宿っていく。

 

「グギャアァァァァァァァァァ!!!」

 

 楔が剥がれ、解き放たれたリーパー。けたたましい雄叫びを上げて、此方の方へと向かってくる。

 随分とおぞましい姿だ。さぞ凶悪な事だろう。けれど、先程まで心の隅にあった翳りはもう無い。今は、こんなにも想いの力が溢れてくる……。

 

 ……嗚呼。私達は。

 

「さあ、見せてください!私達の絆の力……チームAの、エースの力を!」

 

 シオリのエールに、ミサキは満面の笑みを浮かべて応える。

 

「そう、私こそが……!」

 

 翼が生えたように高く、高く飛び上がって、ミサキは青空を背に、その手に握られた光の剣を対峙するリーパーに振り降ろした。

 

 私達は、DOLLSなんだと。

 

「最強のドール!!!」



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全力少女

「とぉっ!」

 

 シャキンッ!

 

「やぁっ!」

 

 シュビンッ!

 

「ヒヨ、WIN!」

 

 ドンッ……!!

 

「……なーにしてんのよ、オフの朝っぱらから」

 

 まだ太陽が真上に昇らない涼しげに澄んだ空の下、中庭で一人の掛け声が聞こえてきた。その様子が気になった彼女は、わざわざ其処へと興味本意だけで足を向かわせていた。

 

「あ、アヤちゃんだー!ヒヨと一緒に練習する?勝利の後の正義のポーズ!」

 

 彼女へと気付き声を返した少女……小さな体、しかしポージングから溢れ出る躍動がとめどない、栗色の髪をサイドテールで留めた、黄と橙の暖色のパーカーに黒いショートパンツという活発容姿のチームBの天真爛漫「ヒヨ」。碧色の瞳が此方を捉える。

 

「やんないわよ……」

 

 その姿を紺碧の瞳で窺っていたのは、赤いワンピースと赤みがかったクリーム色の上着をフリルで統一し整え、黄金色の髪をツーサイドアップで纏めた、ヒヨ程ではないがまた小柄な少女……チームCのリーダー「アヤ」。ほんの少し呆れを交えたジト目でヒヨの問いに答える。

 

 まったく、この娘は……。仮にも世界を賑わせるアイドル「DOLLS」の一員だというのに、その振る舞いには少女らしさが足りないように思う。

 それはそれとして彼女を彼女たらしめる要素とは納得しているが。それでも、だ。もう少し、年相応のらしさがあっても良いのでは……?

 

 ダメだ。一度心配になると何処までも気になる。アヤは覚悟を決めてその口を開いた。

 

「休みのヒヨがなにやってんのか気になってきたわ。今日、一緒に行動してみていい?」

 

「えっ!いーのー!?やったー!アヤちゃんと遊べるー!」

 

 両手を上に広げ、輝く笑顔を振り撒くヒヨ。ううう、その無邪気さに少し罪悪感……。楽しそうなのは嬉しいけれど。

 

「そんな喜ばれると悪い気はしないわね……ま、いいわ」

 

 ヒヨとアヤ、二人の少女の組み合わせ。妙な噛み合いの無さをじわりと感じつつも、アヤは彼女の姿を眼に収めようと躍起になった──

 

──「あ、DXシャリババーンガンだー!!」

 

 街中の玩具店、外から一望出来るショーケースの中にはヒヨがのめり込んでいる作品に登場する武器が。隣に置かれた液晶モニターにはヒーローが果敢に、鮮やかにその武器を構え振り回す姿が映っている。それを、頷いて感心するように目を輝かせるヒヨ。

 

 ……確かに、よく出来ている。最近のおもちゃはこんなに完成度が高いのか……、とアヤも心惹かれた。けれど。

 

「この前マスターが買ってくれてたじゃない……」

 

 アヤはこのおもちゃに見覚えがある。確か、レッスン場でヒヨが楽しそうに取り回していた。それ自体は悪い事では無いが……。値札を見る。如何せん、見事な出来だけに値札が張る。見える、喜ぶ子供とむせび泣く親の姿が……!

 

「これはβモデルで、あれはαモデルなんだよ!いいなぁー、二丁持ちしてみたいなぁーー」

 

 ……β?α?何が違うのだろうか??駄目だ、分からない。

 

「また今度マスターにねだっときなさい」

 

 よく分からないが、此処はもうマスターに任せよう……あたしには分からない世界だ。というか、今更だが。本当に今更、気付いたのだが。

 

 街中で、アイドルが、こんなにはしゃいで大丈夫なのか?もっと静かに振舞うつもりだったが、喜んでいるヒヨに気を取られ失念していた。今からでも……

 

「あっ、あの……!?ドールズの、アヤさんとヒヨさんですよね?」

 

 気が付いた時には手遅れ。周りには人だかりが出来ていて、その中の一人がおずおずと声をかけてきた。あーもう、ホラー!

 

 ちょっ、ヒヨ!どうすんの!そう、声をかけようとした時には。

 

「あっ、ワンちゃんだ!」

 

 そう言うと、直ぐ近くの路地裏を駆けていくヒヨ。いや、待って。もうてんやわんや。

 

「ちょっ……自由か!?あっ、えっと!ゴメン!今忙しいの!!」

 

 ファンの人にお詫びの一言を入れると、その後ろ姿を急いで追いかける。縦横無尽っかっつーの!まったく!!

 

 日の届きにくい、埃っぽく薄暗い路地裏を。何の因果か、二人して走る。服、汚れないようにしないと……擦るだけで取れないんだから!

 

「てやっ!!」

 

 先頭を走る白い野良犬が、一軒の石塀へと駆け上がってその上を走っていく。それに続くようにヒヨも塀へと飛び乗った。……目を疑う。

 

「嘘……!こんな塀の上走んの……?って、早っ!」

 

 追う為にと仕方なく自分も飛び乗り、斜めに造られた塀の頂上の先端を勢いだけで走り抜けるアヤ。バランスには自信があるけど……!ヒヨはっや!?なんて体幹!?つか、パンプスじゃキッツ……!

 

 そして行き止まり……否、垣根で塞がれている。犬は垣根の下を素早く潜っていった。だが、これは流石に「人間では無理」。ふう、これでようやく止まってくれる……。

 

 安堵するアヤをよそにそんな中、ヒヨが取った行動とは。

 

「ほっ!」

 

 隣の壁に足を着いての三角飛び。勢い良く、もう綺麗な流れで迷い無くそれをこなし垣根の向こう側へと姿を消した。

 

「嘘でしょ……!!??」

 

 一級スタントマンすらびっくりの足運び。無理ッ!無理無理無理!!……いや、此処まで来たら合わせるしかない。こんなのやった事無いけれど、私はチームCのリーダー!おてんばのお守りには馴れてんのよ!!

 

「ええいっ!!!」

 

 もう、失敗とか知らない……!全力でそれに挑む。塀を蹴り、壁を蹴り抜いて……うわっ!ザリったぁ……!!……なんとか、成功……!垣根の向こうへと辿り着く。心臓が冷えつくような感覚に囚われつつも続くように次へ次へと塀の上を走っていくが。

 

 目前のヒヨが飛んだ。光の中に消えた。何が起きた?薄暗い中から、広がる日の光……路地裏を抜けて、一瞬の眩みの後。目の前に広がるは……草むらが一面を占める土手。その手前……直ぐ下には大きな川。

 

 ちょっ……!?マジで!??目測15メートルあんだけど!!!???

 

「わああああああああッッッ!??」

 

 この勢いでは止まれない。減速したら川に落ちる。だったら、飛ぶッ!!!最早、掛け声というより叫び声に近い。塀の高さを考えて……!いやっ、でもっ……無理っっっ!!!

 

 もう足から着地とか考えず、ひたすら遠くへ飛ぶ体勢へと体躯を促す。塀を強く、力いっぱい強く蹴った。もっと、もっと遠くへ……行けっ!!!

 

 ズザザッ、ごろんごろんごろん……衣服が汚れる事なんかお構いなしに身体をなんとか対岸の草原へと身を届かせたアヤは、直様体を起こして隣でさながらヒーローキック後の着地体勢をとっているヒヨへと悪態をついた。こんなの、心臓が幾つあっても足りない。

 

「あんたねぇ!あたしが居るんだからちょっとは遠慮とかしなさいよ!落ちる所だったじゃない!!」

 

「ほぇ……?ああ、ごめーん!アヤちゃんがついて来てる事忘れてた!!」

 

「……」

 

 唖然。開いた口が塞がらない。この少女は、一体何にこんなに夢中になれるのだろう。

 

 ドッと疲れが溢れたアヤは、川のせせらぎを望む土手の草むらに腰を降ろした。先程の犬は何処かへ行ってしまっていた。

 

「……もう、いいわ。ほんっと、元気ね……」

 

 ここまでくると、呆れを通り越して最早感心の感情が浮かぶ。ヒヨが小走りで近くの草むらへと向かったと思うと、直ぐに此方へと笑顔で戻ってきた。

 

「はいっ!」

 

 差し出された両の手の中を見ると、其処には黒く実ったつぶつぶで表面が構成される……果実。

 

「これ木苺じゃん……?よく見付けたわね」

 

「良い香りがしてたんだ。お疲れ様です、どーぞ!」

 

 アヤがその手から一粒手に取ると、持っていたハンカチで軽く拭って口に放り込む。ぷちぷちとした食感が踊り、舌の上で弾けた。

 

「あんがと。……うん、おいし」

 

 甘すぎず、酸っぱすぎず。爽やかな、青い春の味わい。……それだけで、心が豊かになる。まるで、この一時だけ。普通の女の子に戻ったかのような。

 

 アヤの隣に座ったヒヨも、美味しそうに木苺を頬張る。その笑顔に安堵した。不思議と、平和だな、って。

 

「ねえ、アヤちゃん」

 

「ん?」

 

「振り回しちゃって……今日はゴメンね。アヤちゃんが遊んでくれるからって、いつも以上に張り切っちゃったかも」

 

 二人して、目の前の川を見詰めていた。ヒヨは先程までの勢いを消して、静かな声色で想いを紡ぐ。

 

「何よ、らしくないわね」

 

「ヒヨね、昔の事、よくわかんないけど……こうやって、走り回って、元気に動いて、皆と笑い合える今、凄く好きなんだ。DOLLSになって、本当に嬉しくて……」

 

 静かに、でも嬉しそうに語る彼女の姿に。自分よりほんの少し幼い、彼女の姿に。全力で今を生きる、少女の姿に。

 

 ぽん。気が付けば、ヒヨの頭をアヤは優しく撫でていた。まるで、姉が妹を愛でるように。

 

「そんな事気にしなくていいの。私が来たいからついて来たんだから」

 

「……!うんっ!」

 

 ファサッ……。二人して、草むらの上に寝転がる。空を、眺めた。薄い雲が気持ち良さそうに漂う、澄み渡る青空。こんなに綺麗な空がすぐ見上げれば見渡せるなんて、普段は気にもかけないのに。

 

 今は、それが。とても嬉しく思えた。

 

「……ねえ。全部無事に終わったら。何したい?」

 

 アヤは問う。隣のヒヨに。

 

「マスターの、お嫁さんになりたいな」

 

 ゲホッ!?まさかの回答にアヤは思いっきり咳き込む。

 

「いやっ、そういうことじゃなくて……ほら、他にあるでしょ。普通の女の子に戻って、やりたい事とか。旅行したり、無駄に夜更かししたり、もっと気楽にさ」

 

 少しばかりの無言の後。ヒヨは、惜しげなくその想いを告げる。

 

「……皆で、ずっと。皆を笑顔にしたい。アイドルを続けたいし、ヒーローショーにも出たいし……ヒヨはずっと、皆の笑顔を守っていきたい。それが、あたしのやりたい事かな」

 

「ははっ、あんたらしいわ」

 

 アヤは雲が途切れ真上に登った太陽を遮るように手で日陰を作り、静かに呟いた。

 

「……眩しいなぁ」

 

 それは、ヒヨの耳には届かず。

 

「え?何か言った?」

 

「んーや。独り言」

 

 彼女は、ヒヨは。今のままが一番輝いている。そう実感して、アヤは柔らかな笑みを浮かべた。

 

「そうね、私は……」

 

 

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Border line

「私達が死して尚存在する理由……なんだと思う?」

 

 薄ら雲が月の光を遮る東京の市街、「殺戮人形」の衣装(ドレス)を身に纏い佇む少女……毛先にウェーブがかった艶やかな金色の髪、光り煌くインペリアルトパーズの瞳、誰もが眼を惹く美麗な顔立ち……見て取れるような「美人」の彼女「レイナ」は、自身が率いるチームBのメンバーにふと、問いかけた。

 

「なんですか?薮から棒に」

 

 メンバーが一人……「覚醒人形」の衣装(ドレス)のナナミは、怪訝な表情の顎に手を当てて最年少ながらも少しでもと知的に振舞う。 

 

「いえ、少し気になっただけ」

 

 レイナの、漂う雲のような曖昧な問い。その問いに、頭に人差し指を当てながら幼げな容姿を「殺戮人形」の衣装(ドレス)で攻撃的に着飾ったヒヨは一つの想いとして素直に答えた。

 

「女の子としてもう一度生きるため?」

 

「言うまでもなく、私達の忌むべき敵を倒すため、でしょうかね」

 

 そして、また別の答えをナナミは口に出す。この場面、前者に乗っかるのは容易だがそうでは無い気がして彼女は答えて。その二つの考え……レイナの求めていた答えが、両方(・・)ともこの場に揃った。

 

「そう。どちらも正解だと私は思うわ。ごめんなさい、変な事を聞いて。さ、行きましょう?」

 

 レイナは満足げに頷くと、笑みを一瞬で戦う為の表情に変えた。チームリーダーの合図を皮切りに、ヒヨはテアトルを展開し始める。

 

「ヒヨ、行くよ!」

 

「ま、やりましょうか」

 

「さあ、美しく無いものを狩りに」

 

 ああ、今日もそれが始まる。私達の存在意義、求める為に殺戮の闇へと身を投げて――

 

――時刻は昼下がり。場所は中庭。洋風の白いテーブルを中心として二人は椅子に腰掛ていた。レイナとシオリ、アッサムティーの芳醇な香りが包み込む二人きりのビューティフル・スペース。

 

「ねぇ、シオリ。貴女は、DOLLS(わたしたち)が美しくないと思ったことはあるかしら?」

 

「……あら、どうしたんですか?レイナさん。らしくもない質問で」

 

「貴女に、だから聞きたいの。見たく無い物を見ず生きるのは幸せな事だわ。けれど、私達にそれはきっと許されない。だから、貴女にだから聞きたいの」

 

「……本気でしょうか?」

 

「勿論よ。素直なのが美徳だから」

 

「まあ……。例えるなら……そう。私達は、飾られる場所を無くした惨めな人形。記憶を無くして、心を手放して、目を背けて、罪を背負って生まれてきた存在……ふふ」

 

「……ふぅん?やっぱり。貴女で良かったわ」

 

「給仕の些細な戯言(たわごと)……何でもありませんよお嬢様。お役に立てたでしょうか?」

 

「ええ。とても参考になったわ。ふふふ……」

 

「それはよかったです。うふふふふ……」

 

「あっははははは……」

 

「あははははは……!」

 

 存在の意義に迷える人形。美と歪、其の狭間で彼女は天秤のように揺れ動く――

 

――Border line――

 

――「どっせゃああああ!!」

 

 紫色の呪具のような槌を思いっきり振るい、周りのピグマリオンを散らしていくナナミ。一撃の威力は申し分無い。けれど、この場は些か不利……?

 

 ちぃっ……!次から次へと……数が!!

 

「無理です!!」

 

 手一杯のナナミに、襲いかかる口だけのピグマリオン「イーター」。その大きくかっ開いた口に鋭い閃光が放たれて、一瞬で敵は消滅する。

 

 ズッ、ガガガガガン……焦る最中、リズミカルに音が鳴ると周囲を一斉に静音が包む。

 

 気が付けば背後にはレイナが降り立ち、水色に煌く水晶で造られたかのような二振りの銃「アルテミス」を構えて佇んでいた。月の女神を冠する透りにまるで芸術の一品であるようなそれは、彼女が手にする事でより一層輝いて映える。

 

「あら、随分弱気ね?けれど素直なのは良い事だわ」

 

「チームワークですよ、作戦的です!」

 

 不敵に静かに笑うレイナ、ナナミも頬を若干引き攣らせつつも広角を歪めて笑い返す。恐らく弱点への躊躇無き連打……!それを寸分の狂い無く緻密な射撃で……?体幹力バツグンのレイナさんだからこそ出来る芸当……ちっ、うちのリーダーは化物ですか!?

 

 心強くもあり、恐ろしくもある。ともかくは、この人が仲間である事を何よりの幸運と理解した方がいいだろう。

 

 ほんの僅かな、束の間の夜の無音。テアトルに包まれた一帯を、しかし直ぐにざわついた空気がそれを壊す為に現れる。

 

「さあ、フィナーレよ。杜撰なハムアクターのお出ましね」

 

 レイナが呟くと、ナナミは目の前に巨大な質量反応を確認する。えっ、この大きさは……!?

 

 闇から出てきたのは、まるで巨大な岩。聳え立つ威圧感、巨大な胴体に大きなアギト。見るからにそれは……ファンタジーの中にだけ登場していい西洋龍。データベースに記録され、付けられた月並みなピグマリオンネームは「ドラゴン」。

 

 薄ら雲はとうに過ぎて、空に燦然と輝くはほんの僅かに欠けた満ちかけの月。

 

「明日の月はきっと――美しいでしょうね」

 

 アルテミスを構え優雅に笑みを浮かべつつ、レイナは敵に耽美な殺害予告を送った――

 

――給仕とお嬢様の茶会に、紛れ込んだ庭師。お茶を出された庭師にもまた、お嬢様は意地悪な問いを出す。

 

「ねえ、庭師さん(マスター)。DOLLSとしての私達と人形としての私達。どちが本物か……貴方は分かるかしら?」

 

「レイナさん」

 

「シオリ、これは何れ向き合ってもらう答えだわ。今、此処に居る私達。さて、それは本物かしら?本当に、真実なのかしら……」

 

 レイナは一口、アッサムティーで口を潤す。

 

「DOLLSとしての私達か、人形としての私達か……或いは、そのどちらでもない(・・・・・・・・・)のかしら……?ねえ。貴方の口から、その答えは聞きたいの」――

 

――

 

 ドラゴンが首を引き、口に赤き灼熱を渦巻かせる。

 

「ッ、ブレス!!」

 

 次に何が来るか分かる。ナナミはその場から退避、しかしレイナは動かない。

 

 ちょっ、レイナさん……!?

 

「ヴゥゥゥルオオォォォォォ!!」

 

 直後、口から吐き出される周囲一帯を焼く煉獄の焔。そのマグマの中に、取り残されるレイナ……焔が過ぎさって、彼女は無傷。

 

 両の手のアルテミスを前方に構え、その場に立っていた。焔の渦、その丁度中心……「台風の目」を捉え、的確に打ち抜いてその場に憚っていた。

 

レイナはアルテミスをナナミの方へと放り投げると、その右手にフィールで織り成した光の剣を造り、それを日本刀を構えるように目前のドラゴンに向けた。足を縦に揃え、その姿勢……さながら、武士。

 

「ナナミ、手筈をお願い。……さあ、来なさいな。私と違って、美しくないモノよ」

 

 ドラゴンが巨大な上体を起こし、大きく爪を振り上げた。勢いを乗せた、前進をしながらの振り降ろし。余りにも大きなその一撃は当たればひとたまりも無いだろう。

 

「グアアアアアアアッッッ!!!」

 

 ……だが、レイナが待ち望んでいたのはその一撃だった。

 

 山が降るかのような物量。その波が地に降り立つ頃には。ドラゴンを置き去りにして、レイナはその向こう側へと「透り抜けて」居た。……抜き胴。完成された足運びから来る、瞬間移動にも錯覚する魔法染みた歩法。

 

 なんて綺麗すぎる体躯……!?レイナさんのバランス力が圧倒的なのは知っていましたが、あそこまで行くと本当に化物の領域……!今、私は何を見た?視界が幻でも見たんじゃないかって程の!!

 

「ヒヨ、お願い。ナナミ、ガーデンコールよ」

 

『うん、決めるよ!!』

 

「ッ!……了解!!」

 

 レイナの指示を元に、テアトルを展開していたヒヨと後方で待機していたナナミが動き出す。ヒヨがドラゴンに対して繰り出したのは、ヒヨの小さな体に溜め込んだ、ありったけを込めた溢れる衝撃。敵の外側では無く、内側に響く鼓動。

 

「グヴォォッ!?」

 

 ドラゴン、ブレイク。先程まで威圧感を放っていた巨大な身体が、地にひれ伏して最早見る影も無い。水揚げされたマグロにも満たない、まな板の上の鯉。

 

「感情の極致、迸れ!!」

 

 ナナミが準備していた、テアトルで編まれた想いの槍。それを、感情をぶつけるようにドラゴンに思いっきり打ち付ける。

 

 巨大な肉体に槍が楔を打ち、まるで目打ちをされたウナギのように無防備に。

 

 トッ、レイナがドラゴンの上に飛び乗った。場所は頭蓋の上へ。そして今度、両の手に握るのは……白いボディの、長銃。

 

 傍から見れば、何の変哲も無い長銃かもしれない。しかし、ナナミはそれが何なのか知っていた。

 

「あれは……っ、ファクトリーが躍起になって開発していた秘蔵の設計図「インパクトライフル」……!?完成していたんですか!??」

 

「弘法、故に筆を選ぶ。戦いは勝つべくして勝つ。美しいでしょ?」

 

 ズガンッ、ズガンッ!試し打ちの二発。重い衝撃がドラゴンの硬い皮膚へとねじ込まれた。手に残る確かな威力を実感し、レイナは目を細めて真下のドラゴンを嘲笑った。

 

「今の私は、闇の狩人」

 

 ズガンッ!ズガンッ!ズガンッ!ズガンッ!人類の敵に容赦など要らない。憎しみが込められたとも観える射撃の連打、その姿がどう他人にどう観えようと間違いでは無いと納得して撃ちまくった。

 

「全ての敵を屠り尽くすまでは、止まる事無き殺戮人形!!」

 

 ズガガガガガガガガガガガガガン!!!無数の弾雨をドラゴンの頭蓋に打ち付けた。

 トッ。当たり前に事切れたドラゴンの頭部からアスファルトへと降り立ち、ライフルを一丁。両の手で、構える。

 

「さようなら」

 

 

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 最後の一撃。介錯を受け、ドラゴンは黒い霧となって深い夜の闇へと消えて逝った。

 

「ありがとう、ナナミ、ヒヨ。perfectな戦いだったわ。お疲れ様」

 

 吹き散る暗雲を厭わず優雅に座するレイナ。月に照らされた彼女の姿の何処にも傷は見えない。ナナミは、改めて彼女の持つカリスマ性というのを思い知った。

 

『ナナミちゃん、レイナちゃん、お疲れ様ーー!』

 

「やれやれ、本当にこの人はどれだけ完璧超人なんだか……お疲れ様です」

 

 レイナは空を見上げた。東京の夜、星が綺麗に見える訳じゃ無い。けれど、見上げればいつだってそれは其処にある。

 

 どちらも本物のレイナ達だ。だって、僕にはどっちも本物なんだから。

 

 存在の証明……そんなちっぽけな事で悩んでいたなんて。ふふ、其処に在るなら構わないじゃない。境界線なんて関係無い。ええ、マスター……今の私は。

 

「とても美しいわ」



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JUVES

 

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 スイーツが、食べたい。

 

 暗闇の中、自室のベッドの上で眼を開いたパジャマ姿のナナミは、その腕に熊のぬいぐるみを収めながら呟いた。

 

「食べたい……」

 

 脳内に響いた声を反復する。上体を起こし、ベッドの棚の上にある眼鏡を手に取ってかけた。熊のぬいぐるみを傍らに置き、まだ目覚めきらぬ脳味噌をじわりじわりと動かして思考の海に身を投げる。

 

 時刻……時計が刺すのは深夜二時。当然の如くスイーツのお店が開いている訳が無い。ならば、コンビニ……?コンビニスイーツ。妥協案としてはありだ。本物とは言えない。が、あれが出来合いの物というなら及第点だ。企業の努力の結晶、称賛にも値する。

 しかし、こうも夜遅く。一人で外に出かけるのは……マスターでも叩き起こして?……その為だけに起こすのは流石に気が引ける。もしそうしたなら、渋々の反応を見せて十中八九頷いてくれるだろう。そんな彼だからこそ、躊躇する。ただでさえ普段から頑張ってくれてるというのに……いや、そもそもこの時間に甘いものを食べるというのはどうなのだろうか。私達はアイドルだ。というか、うら若き乙女だ。ウェイトコントロールを怠ってはいけない、スイーツを食べる時と場合は選ぶべきであって……

 

 キュリリィン!その時、ナナミの脳内に電流走る。

 

 そういえば、夕方、確か、マスター、こう言っていた……!

 

『甘いものが食べたかったからついコンビニでいっぱい買っちゃったけど、食べきれなかったんだ。冷蔵庫に入れておくから気が向いたら食べてほしいな』

 

 ……ウルトラC。覚えていて良かった。あの時は「たかがコンビニ」と思った筈だ。けれど、今は「されどコンビニ」……この舞台の主役は私だ。千載一遇!神が与え賜うた僥倖……!そうと決まれば話は早い。あっ、ウェイトコントロール?35gのスイーツを食べた所で35gしか太らない筈。よし、証明終了!

 

 僅か5分程度の思考時間。為すべき事柄、自分への理由付けを終えたナナミは最高にハイで浮つきそうな心を必死に抑えて忍び足で自室を飛び出した──

 

──消灯時間なんてとっくに過ぎて。カーテンの隙間から僅かに差し込む月明かりを頼りにして、彼女は食堂の中へ。目的地へとただそれを目指した。慣れ親しんだ場所だ、道標は少しあれば十分。

 

「腹が減ったー屈辱はー反撃の嚆矢だ」

 

 静かに、しかしこのワクワクを誤魔化しきれず、小さな声で知っているアニメの主題歌を即興の替え歌で歌う。

 

「冷蔵庫のその彼方ー獲物を食べるーふふんふーん」

 

 途中で思いつかなくなった歌詞も楽しんだもん勝ちと気分をノせて、そして辿り着く冷蔵庫。いざ、宝物庫へと手をかける。

 

 ふゆり、僅かな温もりをその手に感じた。呆気に取られるナナミ。一体何が……?

 

「げっ、ナナミ……!何で、此処に……!?」

 

「それはお互い様です」

 

 すぐ隣。声のする方向、見やれば確かに其処に居た。見慣れたツーサイドアップは解いた、年上ではあるが自分より背は低い、けれど何処か頼り甲斐のある。パジャマ姿の彼女……アヤ。

 

 その一瞬。お互いは、お互いの目的を理解していた。シンクロ二シティ。この場所にこうして少女が二人して立つ事……偶然じゃあない。

 

「なぜここへ、来たのでしょうか?」

 

「それはあんたが一番分かりきってる事でしょ。いいの?太るわよ?」

 

「この想いは永続しないし、大局を覆す力にもなりません。即ち、若気の至り。それだけ理由があれば十分でしょう」

 

「……大臣の真似?まあ、いいわ。それじゃ……開けるわよ」

 

 目的は一致している。ならば、その時は仲間の筈だ。そして、二人の手が冷蔵庫のドアを開けた時……二人は怪訝に顔をしかめる事になる。

 

「レアチーズ、タルトですね……」

 

「だけど、これって……!?」

 

 入っていた。明かりが広がる冷蔵庫の中。マスターが言っていた通り、その中にはコンビニスイーツが。それは喜ばしい。今は喉から手が出るほど渇望する物だ。……が故に。その現状に、二人の心情には渦巻く物があった。

 

 一個だけなのだ、レアチーズタルト。宝物庫の中身には、ほんのひと握りの財宝しか無かった。考えてみれば納得だ、少女が九人この寮にて。スイーツの奪い合いなんて当たり前のようなもの……その結果がこれ。

 逆に考えてみれば、一つだけ残っている事こそが幸運。喜ぶべきなのだ。しかし、それが、この場で何を意味するか……。

 

「……僅か1パックばかりのタルト、まあ。深夜だし?二つに分割して仲良く……」

 

「私がこの世で許せない物が二つあります。ゴワついた熊さんのぬいぐるみ、そして切り損なったチーズタルト」

 

「何?」

 

 アヤはナナミの顔を見つめた。この心の中のもやもや。飲み込もうとしている筈、出した妥協案。……出した答えが「仕方がないから」だなんてのは、自分でも分かっている。

 

「それでいいのでしょうか?良くないですよね。求めた物は同じ、求めた物は一つ……」

 

 ナナミは続ける。その言葉を、そう在るべき理由を。

 

「一つを二つにするのか?どちらかに大きさが偏らないか?破片の一つも溢したくない。完成したそれをうっかり見窄らしい姿にしてしまったら……欲望は小出しでは駄目なんです。やる時はきっちりやった方がいい」

 

「へぇ?このあたしにいっぱしに言うじゃない」

 

「夜の台所に乙女が二人。なら決まっていますよね」

 

 静かな表情のナナミの言葉にアヤは微笑むと、食堂の端……窓枠に置かれた小さなケースを手にとった。パカリ、開けた後のそれをこなれた手つきで軽妙にシャッフルしていく。

 

 ダン!テーブルに置かれたのは……53枚のカード「トランプ」だ。

 

「勝負しか無いでしょ!」

 

better(ベター)……」

 

 二人の少女、真夜中に衝動を燃やして。静かな時間は、ゆっくり、ゆったりと流れていく──

 

──「ペアね」

 

「ペアです」

 

 机の上に置かれた一本の蝋燭を灯りに、二人は黙々と手札を切っていく。内容はマンツーマンの「ババ抜き(ジョーカーゲーム)」。既に机には幾つもの揃ったトランプが置かれ、残りの手札はナナミ五枚、アヤ四枚。次順、アヤ。

 

 言うまでもなく、最後までババを握っていた方が負け。本来複数人でやるパーティーゲーム故、二人でやる場合ゲーム進行は圧倒的にスムーズ。だから手早く終わらせるにも都合は良い。そして、このゲームは手札が少なくなってからこそが本番。

 

「ふふん♪あたし、こういうゲームって意外と強いのよね~。神様に愛されてるってカンジ?」

 

「みたいですね。私もそう思います」

 

 ナナミ、手札にはジョーカー。これを如何に処理するか。今の手札、五枚。確率は五分の一……アヤなら容赦なく五分の四を引いてくるだろう。

 

「だから、実力行使に出るとしましょう」

 

 負けを薄々勘付いたナナミは戦い方を変える。流れを、変えにいった。

 

「……?え、ちょっとナナミ、どういうつもり!?」

 

 アヤがその目を疑った。あろう事か、彼女……ナナミ。一枚だけを、四枚の中から突出させる。まるで、「これがジョーカーです」とでも言わんばかりの。

 

「ええ、カードは……このままでいい(・・・・・・・)。この位置が良いんじゃないですか」

 

 蝋燭の光で反射する眼鏡をクい、と抑えて静かに、力強くナナミは言い放った。読み合い。よくある手段。あえて一枚を際立たせる……それがババであるか?否か?知っているのは本人だけ。

 

「良かったですね、五分の一から四分の一にしておきました」

 

「なんのつもりか知ら……」

 

 瞬時、アヤは迷い無くカードを引き抜いた。その突出したカードを、だ。考えるのが悪手だからだ。結局の所、どう惑わされようが確率は五分の一。変にノったら、負ける。だから勝負師の勘を信じて。

 

「ええ、取ってくれるって、信じてました」

 

「……あんたねぇ……ッ!?」

 

 アヤ、ノーペア。薄明かりの中で、確かにアヤの手元に引き寄せられたのは……紛う事なき「ジョーカー」。そのまさかに、アヤは口角を歪める。

 

 五分の一の確率……!?なんで此処で!あろう事かジョーカーがあの位置に……!?

 

 其処でアヤはハッ、とした。もう、「ノせられて」いたのだ。

 

「五分の一、四分の一……そんなちゃちな物より、私は一分の一。確定した答えが欲しかったので」

 

「ふぅん……上等じゃない……!」

 

 静かに空気を飲むアヤ。熱くなりすぎそうな心を抑える。とはいえ、ここまではまだ勝負は五分といって差し支え無いだろう。五枚、対して四枚。戦況が大きく変わった訳では無い。次順、ナナミ。

 

 落ち着け……、落ち着くのよアヤ……あたしは強い、こういう事柄にめっぽう強い!ならば勝利は必然!後は自然と、流れが勝つ……!

 

 アヤは五枚の札とにらめっこする。ナナミのようなあからさまな細工はしない。ナナミ、手を伸ばした。その手が、ふよふよと宙を漂い、そして一枚の札に指が触れた。

 

 よし……!

 

「……今、気配が死んでいました」

 

「あ?」

 

 何を言っている?と、言わんばかりのアヤの表情。ナナミは無表情のまま、言葉を紡ぐ。

 

「アヤさん、今笑ったんですよ。ほんの少しだけ、些細な違い。私はこの場面でそれを見逃すはずが無い。なのに、可笑しいですね?気配がまるっきり、まるで息を殺すように死んでいた。その札がジョーカーだったのなら、もっと喜んでいい筈なんですよ」

 

「御託はいいわ。とっとと選びなさい」

 

「それでは失礼して──」

 

 そしてナナミは、指をかけたままのカードを引き抜いた。

 

「御無礼」

 

 手札から無慈悲にも机に切られる、エースのワンペア。マークはダイヤモンドとスペード。ナナミ、残り手札三枚。アヤ、四枚。

 

 ーーっ、はーーーっ……。アヤ、空気を大きく吸って、大きく吐いた。

 

「……何時から気付いていたワケ?」

 

「嘘偽りは無いですよ。勿論最初から。確信を得る為に能書きは垂れましたが、納得は最初からしていました」

 

 アヤは当然の如くナナミから札を引く。自分がジョーカーを持っているのだから、ペアで無い理由が無い。ハートとダイヤモンド、7が手札から切られた。

 

 ナナミが見越していたのは、この状況まで。五分の一の確率、それを口車に乗せる。そこにひっかかったのなら、その次に繋がる。後はアヤからうっかりのボロが出るのを待つだけ。運に任せていては負けるだけ……そう理解していたからこそ、状況を作った。アヤの勝負強さを見越していたからこその、駆け引き。

 

 これにて残り札、ナナミ二枚。アヤ三枚。次順ナナミ……運命の分かれ道。三分の二、高い確率を引くだけでナナミが勝つ。此処まで来たら、もう後は運否天賦。

 

「さあ、勝負の時間です。二つに一つ、表か?裏か?(ヘッドオアテイル?)

 

「……っ、あー、やめやめ!そういうのじゃ私は勝てない!!」

 

 ダン!アヤは三枚のカードを、伏せたまま机の上に置いた。自分のカードを自分で見ないようにする為。

 

「良いんですか?三分の二を引くだけで私は勝つんですよ?」

 

「だからこそ、よ。勝つべくして勝つ。これが私の必勝条件!」

 

 単純に、運だけで勝つ。それが、アヤの選んだ勝利への標。

 

「……お熱いことで」

 

「意地よ。それだけのハナシ」

 

「ええ。だから気に入りました」

 

 二人の少女、最終決戦。ナナミが最後にもなるであろう一枚を手にしようとする。心が踊る。嗚呼、高ぶる衝動(こころ)を抑えられない……!

 そして眩い光が、二人を包んだ……。

 

「……何してるのかしら?」

 

 何故なら、食堂に入ってきたミサキが部屋の照明のスイッチを押したからだ。

 

 ……。

 

「……あ、その……」

 

「え、えっとね……?」

 

 ふとした横槍、灯台を下にした二人だけの世界に思わぬ第三者。正直、消灯時間が過ぎているのに真剣に遊んでいたからこそとても小っ恥ずかしい。あろう事か規律に厳しいミサキが相手だ。今の二人はまるで悪戯が母親にばれた子供のように。

 

 ミサキは机を見渡すと直様に状況を理解した。

 

「ふーん……何をしているかは分かったわ。全く、私ならその程度いとも容易く済ませられるのに」

 

「あっ、ちょ……」

 

 心の底でビクビクしていた二人の目の前に置かれたレアチーズタルトを手に取ると、ミサキは台所に立ってまな板と包丁を取り出し、そして迷いなき一閃。

 

「ふ……もはや、敵なし」

 

 そして、二人の目の前に差し出される二つの小皿。其処には寸分の狂い無く分断されたレアーズタルトが。鮮やかな断面、紛う事なき50:50(フィフティ・フィフティ)

 

「さ、それを食べたのなら寝なさい。歯も磨いておくといいわ」

 

「あ……」

 

 優しい表情で去ろうとしたミサキに対して、アヤは机を叩いて抗議した。

 

「あんたはっ……、この少女心ってやつを分かってない!!嬉しいけど……!嬉しくないっ!!」

 

「えっ?な、何……!?」

 

 いきなりの物申しに戸惑うミサキ。何が悪いのかが分からない。

 

「もうっ、なんで分からないかなー……っ!?今日からミサキには「ゲームをピコピコ、アニメを漫画っていうお母さん」の称号を与えるわ!!」

 

「?、?ご、ごめんなさい……???」

 

 高まった熱の行き場を失った二人。人の好意がこうも虚しい結果を生むとは、なんとも歯がゆい心境である。

 

 ナナミは芸術品にも近い半分のタルトを目と舌で味わうと、心残りを感じつつも何処か満足げに静かに呟いた。

 

「やれやれです」



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あめあめふれふれ

 都内某所、撮影スタジオビル一階エントランス。

 

 フロア内、撮影を終えた私服姿のサクラとシオリは二人して顔を見合わせていた。

 

「雨と風、凄いですねぇ……」

 

「台風ですからね……」

 

 ガラスのドア越しに分かる、建物の外側を吹き荒れる暴風雨。予約していたハズの事務所への送迎車は渋滞により未だ到着していない。ロビーに備え付けられた液晶テレビからはニュース番組による現地のリポーターの必死な声が聞こえる。

 

『えー!ご覧のとおり、街中は大型台風により交通の便に大きな支障が出ています!駅前の椰子の木も、今にも倒れそうな程に揺れています!!』

 

 時刻、夕方四時。まだ明るい筈が、外は真っ暗。このままでは、当分帰れそうに無い。

 

「とりあえず、ミサキさんに電話しておきますね」

 

 サクラがスマートフォンを取り出して、電話帳から「ミサキ」の名前を取り出す。トゥルル、トゥルル……4コール程で電話が繋がった。

 

『もしもし、サクラ。そっち、大丈夫なの?』

 

「あ、ミサキさん……その、お迎えの車が渋滞で遅れてるみたいで……このままじゃ、帰れないかも、です」

 

『そう、なら迎えに行くわ。待ってなさい、30分もあれば着く筈よ』

 

 プツッ。ツー。ツーと其処でミサキとの電話が潔く途絶えた。

 

「ミサキさん、なんて?」

 

「あ、あの、迎えに来てくれるって……でも」

 

『あっ!風で車が一台横転しました!あっ、椰子の木に当たって……』

 

 ググギャン!画面の端でえげつない音が鳴り響いた。その光景に、二人は再度顔を見合わせる。

 

「……大丈夫なんでしょうか?」

 

「さぁ……?」──

 

──ドールハウスの玄関にて、いつも通りの凛々しい私服姿に青いポニーテールを揺らして、しっかりと念入りにスニーカーの紐を結ぶミサキ。

 

「ねえ、ミサキちゃん。本当に行くの?」

 

「仲間が困っているのなら助けるべきです。少なくとも私はそうします」

 

 マスターの問いかけにミサキは断固たる意思の表情で返す。外がどれだけ壮絶であろうとも、決意は揺るがない。

 

「べーつに、今行かなくても良いんじゃないですか?どうせその内送迎車も着くっしょ。迂闊に外に出るとあぶねっすよ」

 

 支度中のミサキに広袖姿のヤマダが声をかけた。ヤマダはヤマダなりにミサキの心配をしているようだ。だが、ミサキはそれを突っぱねる。

 

「その迎えの車よりも私の方が早いと言っているの。それで一分一秒でも彼女達の安心が買えるなら安いものだわ。ああ、ヤマダも安心して。私は大丈夫だから……ですよね、マスター」

 

 ミサキは何故か優しげな表情でマスターの顔を見やる。えっ、こっち?

 

「あ、うん……」

 

「はいはい、ヤマダが悪ぅございましたー。ま、さっさと行くといいっす。泣きっ面で帰ってきたら存分にあやしてあげますよ。おーよちよちって」

 

「それは屈辱ね。その時を楽しみにしてるわ」

 

 微笑で素っ気の無いやり取りを終えるとミサキは右手に竹刀、左手に和傘を持ってマスターにポリエステル製の傘を三つ、さも当然のように渡した。

 

「さ、行きましょう」

 

「あ、僕も行くんだね?うん、そうだよね」

 

 流石に台風の中彼女を一人で行かせる訳にも行かないよなぁと直ぐに納得し、でもまあ頼られている?のだから悪い気はしないなぁと頷いた──

 

──「ねえ、やっぱり無理が無いかな?傘あんまり意味無いよ??」

 

「みたいですね。マスター、私の傘を預けておきます。先陣を切るならその方が効率的です」

 

 雨が風に煽られて街中を打ち付けていく。傘をさしていても、横殴りの水滴が余裕でボディに打ち込んでくる……ミサキは先導をする為にと、和傘を閉じてマスターに預けた。

 

「え、でもそれじゃびしょびしょになっちゃう……」

 

 と、マスターが言いかけた時。雨粒と一緒に前方から道路を転がって何かが跳ねた……。物凄い勢いで迫ってきて目前に現れると、1メートルはあると認識出来たそれは、まごう事なき「看板」だ。

 

 あ、死んだ。

 

(かぁ)ッ!」

 

 マスターが死を意識した刹那。ミサキが持っていた竹刀で、その看板をアスファルトに叩き落とした。

 

「こういう事もあるみたいなので。私の側を離れないでくださいね」

 

「う、うん……頼りにしてるね……」

 

 すまし顔で此方の無事を確認すると、再び進みだすとても頼りになる彼女。男のくせに只の傘持ちの自分が申し訳無い……と思っていた最中、ドールハウスから預かっていた小型インカムがポケットの中で音を立てた。嫌な予感しか感じなくとも、耳に装着して応答する。

 

「もしもし!?」

 

『マスター!聞こえますか?市街地にピグマリオンの反応を確認!その辺りのようです……3体!』

 

「よりにもよってこんな時に……!?」

 

 3体。はぐれピグマリオンだろうか、数は少ないにしろ、今の状況では……!?テアトルもバトルドレスも、武器ですら!!

 

 焦っていると、直ぐ目の前。雨の中の虚空から、入れ歯のようなピグマリオン「イーター」が出現した。丁度、ミサキの真ん前……。いきなり過ぎるニアミス!?

 

「ミサキッ!?」

 

「邪魔ァ!」

 

 マスターの心配をよそにミサキは動揺する様子無く目前のイーターの顎をノータイムで蹴り上げると、浮いたイーターの頭頂に竹刀を振り下ろした。

 

(めぇん)ッッッ!!」

 

「ギャアッッッ!?」

 

 登場して直ぐ。まともに断末魔を述べることも許されず、まるで牙で挟むかのように蹴りと竹刀を喰らったイーターは砕け散って靄の中に消えていった。

 

「え……えぇ?」

 

 驚く暇も無く。マスターは背後の違和感に振り返る。巨大な手に四足が付いたようなピグマリオン「スラッパー」。その手が、此方を叩き潰そうとするかのように仰け反った。

 

 チィッ!

 

「ミサキちゃん、御免っ!」

 

 こういう時、特に躊躇せず足が回避行動を取る辺り、もう自分の感覚が大分麻痺しているのが分かる。しかし、慣れとはありがたいものだ……既に後退のステップを踏んでおり、取る行動はただ一つ。「ミサキに任せる」。

 

 まるでスイッチのようにミサキがマスターの位置と入れ替わると、その手に握りこんだのは竹刀では無く先程地面に叩き落とした看板。

 

小手(コテ)ェッッ!!」

 

 振り降ろされる叩き潰しを、逆にお好み焼きをひっくり返すかのように看板で地面から足元をすくい上げ押し返し、スラッパーは間抜けにもアスファルトに倒れ込んだ。

 

 ……うん。

 

 後一つ、反応があったピグマリオン……横から、人の耳を模したかのようなちょっとグロめのピグマリオン「リスナー」の溜めの行動が見えた。ミサキの居る方へ向いている。マスターは雨音に負けぬよう、大声で叫ぶ。

 

「来るよ、衝撃波!」

 

「マスター、奴の方へその傘を!」

 

「了解!」

 

 リスナーの放つ衝撃波を遮るように、ミサキの望み通りリスナーの方へと開いた傘を投げてやる。衝撃波が雨粒を波紋を広げるように吹き飛ばし、進路上に投げられた傘はいとも簡単にひしゃげて吹っ飛んだ。だが、その先に既にミサキは居ない。

 

 ほんの5秒程。マスターの手から和傘を受け取り、リスナーの背後へ。

 

(つき)ィッッ!!!」

 

 閉じた和傘の先端で、彼女は思いっきりリスナーを貫いた。

 

「~~~ッ!?」

 

 余程痛いのだろう。モリで突き刺された魚のように跳ね打つリスナーは、そのままその先へ──地面に倒れ込んでいたスラッパーの方まで勢いで持って行かれ、そしてスラッパーとまとめて和傘で串打ちにされる。

 

(シメ)ェッッッ!!!」

 

 最後。地面に放った竹刀を拾って、ミサキは和傘の柄を金槌で釘を打ち収めるようにぶっ叩いた。

 

 ずば抜けた空間把握能力。芯を捉えられた和傘が無残に砕け散り、貫かれ内部に深刻な衝撃を受け雨の中に霧散するピグマリオン二体。その間、僅か42秒。

 

「私の行く手を阻むな……ッ!」

 

 腹の其処から響くドス黒い声を呟きながら、雨をふんだんに吸った前髪を手で凪いでミサキは何事も無かったかのようにマスターの方を向く。

 

「お待たせしました。先へ進みましょう」

 

「あ、うん……」

 

 当然のように進み始めるミサキに、残った傘を一つ開いて着いて行くマスター。

 

 あの……言いたい事色々あるんだけれど……テアトルの展開も無しに、まともな武器も使わず、ドレスも無く、一方的にピグマリオンを殲滅する彼女。いやいや、知ってたけどさ。改めて実感した。最強すぎるでしょ……!?──

 

──「ミサキさん……っ、て、びしょびしょじゃないですか!?」

 

 サクラ達が待つビルまで無事?に辿り着いたマスターとミサキ。しかし、そこに着くまで殆ど傘をさしていなかったミサキの服は水分をめいっぱい吸っていた。

 

 が、ミサキは気にする様子など微塵もない。

 

「この程度なら大丈夫よ。活動に支障は無いわ」

 

「もう、そういう事じゃなくて……!まっててください、タオルを借りてきます!」

 

 シオリが怒るような表情を見せて、受付の方へと走っていく。

 

「……そんなに怒らなくても」

 

「それだけ心配なんだよ、ミサキちゃんがサクラちゃんとシオリを心配するようにさ。はい、そんな姿よりはマシだと思う。僕の方が濡れてないしね」

 

 少し眉を潜めるミサキの肩にマスターは自分の着ている上着を被せた。流石に年頃の少女がこの姿というのも可哀想だろう。タオルが来るまでの繋ぎではあるが。

 

「あ……ありがとうございます」

 

 俯くミサキ。雨に濡れて体調が優れないのだろうか?だとしたら大変だ。

 

「ん?顔が赤いけど……風邪とか引いてない!?」

 

「大丈夫ですっ、問題ありません!!」

 

 予想以上に声を張り上げるミサキ。元気なようでホッとする。

 

「それじゃ、帰ろうか。傘、二つしか無いけれど……って、あれ?」

 

 マスターがふとビルの外を見ると、其処には先程までの暗がりは無く、まだ落ちていない陽が斜めに射していた。

 

「台風、通り過ぎたんですかね……?」

 

 台風が予報通りの挙動をしないとはいえ、早すぎる通過。これは僥倖だろう。と思いはしたが……ミサキの表情が、どんどん曇りを見せていく。

 

「あ、あの……ごめんなさい、サクラ、マスター!私、また突っ走ちゃって……もう少し待てば、良かったものを……」

 

 落ち込んだ様子のミサキ。だが、それは違うと。サクラが、真剣な眼差しでミサキの両の手を握った。

 

「いえ!そんな事無いですよ!ミサキさんが来てくれて、凄く嬉しかったんです!」

 

 ミサキの肩に、ふわっと大きめのタオルがかけられる。シオリが笑顔を覗かせた。

 

「そうですよ?無茶のしすぎは駄目ですけれど、ミサキさんの事は信頼しているんですから。ありがとう、ね?優しいうちのエースさん」

 

 パァッ、と表情を明るくするミサキ。その笑顔が、とても嬉しそうで。

 

「二人とも……!」

 

「それじゃ、雨も上がった事だし帰ろうか!凄いんだよ、今日のミサキちゃんの武勇伝はね……」

 

「え?聞きたいです!」

 

「まあ、そんな事を……!」

 

「む、無我夢中だったのよ……!」

 

 台風一過の晴れの下。皆で笑って帰れる事が、とても楽しいと思う4人であった──

 

──とあるビルの屋上。ドールズの制服に身を包んで、空に戦銃「ヘルメス」を構える少女が一人。

 

「ユキさんの指した場所的中っすなぁ。台風が一撃で静まりましたぁ」

 

「台風さん、穏やかになりました。虫の居所が悪かったみたいです……これで、ご機嫌」

 

 ヤマダが銃を下ろすと、隣のユキが空を眺めて笑った。其処には、先程までの黒雲は無く晴れやかな空が。

 

「しっかしまあ。ピグマリオンの反応があるからって出てきたのに、あの人単体で片付けちまうとか。お陰で暇持て余しちゃいましたし……こいつぁおまけって事で。自然ならユキさんにお任せあれ、って感じですけどまさか本当に台風に感情があるわけ無いですし……無いっすよね?」

 

「……」

 

「ま、まあそういう事にしとくっす」

 

 ぼーっと、ただ空を眺めるユキ。少し怖くなったヤマダは、さらっとそれを流した。

 

「あ、そうそう。今日の件、ミサキさんには内緒でお願いしますよ。あのお人好しに貸しなんか作ったらどんな世話を焼かれるやら。ヤマダそういうの苦手なんで」

 

「ヤマダさん……ツン、デレですか?」

 

「ちがいますっての」



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Just wanna hold your hands

「ふわぁ……っ」

 

 月が昇る、深い夜。まだ光と音が耐えぬ街中で眠たげな息を吐いて伸びをすると、会議が終わった後の黒いスーツ姿のマスターは自分のスマートフォンを開いた。ドールズの皆の待ち受けと共に表される、デジタルタイプクロック。午後12時を過ぎていて。

 

 ……大分遅くなったな。結構、久々かも。

 

 急げば終電に間に合うかな。あー、でも今から走るのはしんどい。……なんでこんなに遅くまで時間かけるかなー、もう。でも、皆の為だし。それだけ熱意を注いでもらえてるのか。悪い気はしないや……。ドールハウスまで、タクシーでも呼ぼうか?……タクシー、高いんだよなぁ。

 

 くたびれながら市街を歩き、とりあえずは駅までの方向を目指す彼。其処で、一つの明かりを見付けた。

 

『夏季限定!ビール300円キャンペーン!!!』

 

 街角の牛丼チェーン店に張り出された広告。魅力的な提案だ、最後に食事をしたのは夕方辺り。ふと、マスターは自分の胃袋をスーツ越しに撫でた。

 

 ……めっちゃお腹空いた。でも、終電が……その気になれば歩いて帰れるし?もう遅いしご飯も無いよな……ああ、飲みてぇ……。この感情は今だけのものだ……。

 

「い、一杯だけなら……」

 

 こんなに疲弊した日、仕事終わりに一杯やらずと帰れるか。そう思っていた時には、彼は小さな店舗の自動ドアへと手をかざしていた。

 

 明るい店内、空いているカウンターが並ぶ静寂な空間へと足を踏み入れる。

 

「いらっしゃいませー」

 

 店員からかけられる声。ちらほら、人は居るようだ。皆忙しい事だ、こんな夜遅くまで……お疲れ様です。

 心の中でそう思うと、彼は席の一つへと腰を掛けた。……ふう。誰に気遣うでもない空間で一息をつく、その行為だけでとても安らぐ。どっと疲れが出てきた。どんどん出して楽になろう。

 

「いらっしゃいませ。ご注文は後でよろしかったでしょうか?」

 

「あ、チーズ牛丼の大盛りを一つ。それと生中ください」

 

「かしこまりました」

 

 店員に最初から決めていた商品を頼むと、コップに水を注ごうとして……やめた。焦らず、慌てずのお預け。今の乾きを潤すのは、水ではダメなのだ。この乾きは、もっと崇高で、尊大な……そう、グンと冷えた「ビール(・・・)」で潤わさねば……!

 

 密かにほくそ笑み、心を高鳴らせるマスター。誰に問うでもなく理解した。普段少女に付き添っていて自重しているからこそ、一人だけの時間ではせめて羽根を伸ばしたい。いいだろう?仕事終わりの一杯。頑張っている自分へのご褒美だ……!

 

「いらっしゃいませー」

 

「へぇ、こんな時間でも営業しているなんて近頃の人間は勤勉だなぁ。忙しなさもまた強さの秘訣か」

 

 ……ん?

 

 マスターが聞いたことのある声に目を向けると、入口には銀髪で赤い瞳、おとぎ話の王子様のような服に身を包んだ、街中で見かけたらまず眼を惹くであろう少女の姿を見付けた。

 

 って、アイツは……!?

 

「おや?マスター。奇遇だね」

 

「デウス……!」

 

 瞳を合わせた二人は互いを視認した。あろう事か因縁の二人。ドールズを率いるマスターと、それに敵対したデウス。午夜の思わぬ待ち合わせ、息を飲んでその視線は対峙する──

 

──注文が終わり、隣合って座るマスターとデウス。マスターの手には既に冷えたジョッキが握られていた。

 

「っっっは~~~!!!この一杯で生きてるなぁ~~~……」

 

「そんな物の為に生きられるのかい?不可解な生き物だねキミは」

 

「例えだよ例え。それぐらい美味しいっていう表現さ。もっと優先するものは他にある」

 

 怪訝な様子で此方を覗うデウス。尚、彼女も此方を真似してビールを頼もうとしたが、見た目からして断られた。だって、どう見ても大人には見えないよな……。身分証も持ってないみたいだし。

 

「で、何でこんな所に居るの?」

 

 して。ドールズの敵であった彼女と何故こんな所で呑気に席を一緒にしているのか。別に平和ボケしている訳じゃない。今の彼女に戦う意思は無さそうだし、せめて理由を聞かなければならない。

 

 正直内面彼女がどう答えるか緊張物だったが、デウスはあっさりとその理由を述べた。

 

「単純に世間を知るためさ。『少女たちへの無理解は、お前を殺す』……そう言われてしまったからね。だから知ろうという訳だ、キミたちの事を」

 

「さいですか」

 

 深夜の牛丼屋は決して少女では無い……!と内心思いつつも、口には出さなかった。そんな理由で大人しくしていてもらえるならひとまずは儲け物だ。くくく、存分におっさんへの理解を深めるといい。

 

「お待たせしました。こちら、チーズ牛丼になります」

 

 気が付けばもう二人の目の前の上に置かれる、今腹の其処から求めている神器。それが、この場に並ぶ……。腹を満たすための白米、濃く味付けされた牛肉、そのポテンシャルを最大限に引き出す蕩けたチーズ……。

 

「いいじゃないか」

 

 気が付けば、言葉にしていた。まずはコップを手にする。注がれた水を口に含み、飲み込む。……まっさらな条件が整った。後は、いただく……!

 箸を握り、器に満たされたそれを口の中に放り込む。……美味い。チーズと牛肉がこんなに合うとは。最初に考えた人は天才じゃないだろうか。

 白米をかき込み、咀嚼。其処から、さらにビールを一口……おいおい、いつから此処は地球の裏側になった?まるでリオのカーニバルじゃねぇか……!!

 

 ふう、一息着いた彼は、ただ言葉を漏らした。

 

「最高だぜ……」

 

 美味い、早い、安い。これほどに最高な事があるだろうか?価格はとてもリーズナブルで、注文してからありつけるまでもあっという間、そして何より……「美味い」。これに尽きる。

 

 感嘆のマスターと牛丼をキョロキョロと見比べるデウスが、目を見開いて目前の自分のチーズ牛丼を注視する。

 

「……そんなに凄いのかい?このたった一つの(どんぶり)が?」

 

 怪訝な表情。ほう、知らないらしい、この小さな世界というヤツを。マスターは据わった眼で彼女の瞳を深く捉えた。

 

「なら試してみたらどうだい?それは雄弁にも答えてくれる筈だ」

 

 密かに戸惑いつつもデウスもまた箸を握り(ちゃんと持てるんだ)、丼の表層……チーズと絡んだ牛肉を一口、いただいた。

 

 ゆっくり、丹念に咀嚼する彼女……喉を鳴らした時には、刹那。その表情は驚愕に変化(かわ)っている。

 

Artefact(アーティファクト)……!?素晴らしい物だよこれは……!」

 

「でしょう?」

 

 目配せをするデウスとマスター。後はもうお互い、一心不乱にそれを食らう。

 

 肉を食らう。米を食らう。合間に飲み物を挟む……心を落ち着かせて、もう一度。たかだかそれだけの事が、こんなにも幸せである事。気付けるだろうか……幸福というのは、何処にでも転がっているものである。

 

「成る程……考えを改める必要があるようだね。確かに無理解程、怖い物は無い……!」

 

「分かってもらえて嬉しいよ。僕たちが築き上げてきた物は、こんなにも奇跡に満ち溢れているという事を」──

 

──「──だから言ってやったんだ。「キミのベンヴェーにはウインカーを付けて貰えなかったのかい。可哀想に、リコールにだすといい」……てね」

 

「あっはは!」

 

 すっかり意気投合していた二人は、食事の後に一息付きながら談笑へと洒落込んでいた。デウスが繰り出す奇妙な小話に頷いていると、もう時間が結構経つ事に気が付く。

 

「ああ……もう結構な時間だ。そろそろ帰らなきゃ」

 

「おや、時間が経つのは早いね。いや、キミとのお話が楽しかったからかな?」

 

「はは、そりゃどうも」

 

 それぞれお会計をして(デウスはちゃんとお金を持っていた)店を出ると、暗がりな街中が広がる。……さて、帰るか。

 

「ねぇ」

 

「ん?」

 

 デウスが此方の方へと声をかける。一体どうしたのだろう。

 

「もし、此処でボクが手を伸ばしたら。心優しいマスターは手を取ってくれるのかな?」

 

「……それって、どういう」

 

 問いただすより先に。デウスは、此方へと手を伸ばした。

 

「ボクと一緒に来ないか?マスター。キミになら、この手を差し出してもいいかもしれない」

 

「……。」

 

「お迎えにあがりましたわ、マイマスター」

 

 デウスがそう言うと同時に、直ぐに横槍が入った。マスターに声を掛けたのは……私服姿のレイナ。隣にはシオリが佇んでいる。こんな真夜中に想定外の二人だった。

 

「二人共……っ!?なんで此処に!??」

 

「マスターのお帰りがとても遅かったので。さあ、帰りましょう?私達と一緒に」

 

 シオリが優しくほほ笑みかけてくれる。が、何処か……笑ってないような気がして怖い。なんだろう、このゾクっとする感覚。

 

 二人の登場に、軽く頭を抱えるデウス。忌々しく言葉を吐いた。

 

「まったく、とんだ闖入者だよキミたちは……」

 

「それはアナタの事ね。申し訳無いけれど、お引取り願えるかしら?「No entry(お呼びでない)」わ」

 

「断ると言ったら……?キミたちに僕が退けられるかな?脆弱な紛い物風情で……」

 

 鼻で笑うと、デウスから溢れ出る憤怒のフィール。近くに居るからこそ、より一層深く感じる。相変わらずなんてフィール量……!?こんな場所でゴーレムを呼ぶつもりか!!

 

「あら、それはどうでしょうか?今の私達は……」

 

「あの時よりも少し──かなり違うわ」

 

 が、対抗するように。レイナとシオリの身体が眩い程のフィールに包まれる。自信に満ち溢れた、余裕の表情。マスターと彼女達で紡いできた、絆の結晶。

 

 そして、さらに牛丼チェーン店二階のさらに上、屋上。建物のへりに今にも乗り越えんと足をかける二人の人物が。

 

 一人、低く腰を落として脇に構え納刀された日本刀を、直様にでも抜ける形で構えるミサキ。鞘越しに刀から青いフィールが滲み溢れる。今か今かと必殺の一撃を待ち侘びた。

 

「合図で合わせなさい。奴を絶やすわ」

 

 一人、肩に黒猫を模した巨槌を乗っけて振り下ろす準備を終えたヤマダ。全身に赤いフィールが迸る。表情に狂気を漲らせて頷いた。

 

「オーライ、ミサキさぁーーー!!」

 

 地上。気配を感じ取ったデウスは、歯を食いしばって舌打ちをする。

 

「チッ……」

 

「いっそこうしましょうか。勝った方がホンモノ、わかり易いでしょう。Shall We Dance?」

 

 誘うように、手を差し出すようにレイナがデウスに手を開く。意趣返し……あからさまな挑発。デウスは後ろにステップを踏み、拒否をした。刹那、デウスがさっきまで居た場所に斬撃と衝撃が刻み込まれる。その場所にミサキとヤマダが降ってきたのだ。

 

 気が付かなきゃ終わっていた……綺麗な顔をして悪どい……!やるじゃあないか!

 

「食えないね……!分が悪い!!マスター、また会おう!今日はお休みだ!」

 

 笑顔のままデウスは闇の中へと消えていく。……デウス、一体君は……。

 

 場には残された五人。レイナが手を払って呟く。

 

「あら、つれないわね……無事で何よりよ、マスター」

 

「ああ、うん。ありがとう。よく此処が分かったわね」

 

「EsGの観測結果です。マスターの希に出す特徴的なフィールだそうで、なんでしょうね?」

 

「あ、ははは……なんだろうね」

 

 シオリの疑問にぎこちなく笑うマスター。……心当たりが微妙にある。なんだろう、オヤジフィールかなぁ……?

 

 誤魔化していると、ギュッと。近付いてきたシオリが、両の手でマスターの右手を握り締めた。

 

「何処にも行っちゃダメですよ?マスターは、私達のマスターなんですから」

 

 頬を膨らませて、悪戯めいたけれど瞳に隠しきれない真剣な想いが見えて。マスターは、手を優しく、しっかりと握り返す。

 

「うん……ごめん、心配かけたね」

 

「さあ、帰りましょうか。軽く運動したのでカップ麺が食べたくなりました」

 

「おっ、良いすなー。ヤマダもそれ乗りました」

 

「もうっ、お二人ったら……!こんな夜中に食べたら太りますよ?」

 

「あら?適度なストレス解消は美しさの秘訣でもあるのよ?」

 

「ははは……」

 

 しんみりとした空気が、直ぐに賑やかに。皆の優しさが伝わってきてつい笑顔がこぼれてしまう。幸せだなぁ……。

 

 シオリに手を引かれながら皆と帰路を行くマスター。ドールハウスまではちょっと遠いけれど、でも。皆と一緒ならとても楽しい。

 この温もりを確かに感じつつ、これからも皆を幸せに導いていかなければならない。自分の背負った使命に、もっと深く覚悟する夜を彼は過ごした。

 

「ところで、デウスさんとはどんなお話を?」

 

「ああ、ウインカーを付けない不躾なベンヴェーの話とか」

 

「「「「……ベンヴェー???」」」」

 

 あれ、みんな知らないのかな。あのドイツの車メーカー。結構有名だと思うんだけれど……。



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うつつのゆめ



※いつもよりシリアス成分高いです。貴方の価値観を損なう恐れがあります。




ご了承の方だけ、お読みください。


「ほわぁ~……」

 

 この前までの茹だるような熱さから一転、木陰に入れば肌寒さを感じる空気に触れる街中の公園。太陽から(はぐ)れたベンチの下で、僕は憚らずあくびを溢した。

 

「あら、お疲れですか?」

 

「ああ、ごめん。気が抜けすぎただけだよ。シオリと居ると、どうしても安らぐから」

 

「もう、お上手なんですから」

 

 隣に居るシオリが心配してくれるが、ドールズの皆が日頃頑張っている中で一人疲れている等と弱がれるはずもなく。少しでも男らしく(そもそも目の前であくびをする事自体どうかと思うが)、とびっきりの伊達をかましてみせる。事実、シオリと居ると何処か安心するのは確かだ。

 

 二人っきりのオフ。シオリと僕の休日が重なっただけ。単なる偶然……いや、運命って呼んだ方が格好いいか。その運命を楽しむ最中。昼下がりの午後、人っけの少ない舞台でゆったりとした時間を送る……。

 

「あ、彼岸花……」

 

 ふと流し見た草むらに、特徴的な花を見付けた。まるで打ち上げ花火のような、破裂と表現出来る花弁。彼岸花。あれ、でも、白い……。

 

白花曼珠沙華(しろばなまんじゅしゃげ)……」

 

「え?」

 

 しろば……まんじゅしゃげ?

 

「白い彼岸花ですね。シロバナマンジュシャゲ。曼珠沙華はサンスクリット語の彼岸花を日本語読みにした物で、仏教用語ではよくある事なんです」

 

「へぇ……」

 

 曼珠沙華。そういう呼び方もあるのか。そうか、白花曼珠沙華……よし、覚えたぞ。

 

「あっ、すみません!私ったらつい、説明っぽくなってしまって……」

 

「え?ううん。ありがとう、勉強になったよ。シオリは博識だよね」

 

 何処か思うところがあったのか、慌てる彼女だが此方としてはありがとうと素敵だなぁって気持ちしかない。知的な女性は大好きだ。

 

「あう……そ、その。あのお花が咲くってことは、もう秋なんですよね。秋と言えば、読書の秋!」

 

 顔を少し赤らめて、彼女は持っていた手提げから一冊の本を取り出す。秋、秋……その前に、お昼ご飯で立ち寄ったファミレスの事を思い出してしまった。

 シーザーサラダ、カルボナーラ、マルゲリータ、エスカルゴ、パンケーキ、ティラミス、パフェ……で、足りたっけ??

 

「食欲の秋……」

 

「?今、何か……?」

 

「ああ、うん。秋だなぁってさ」

 

 つい呟いてしまった、印象的過ぎる光景。いや、彼女にとっては秋とか関係無いかも。成る程、そう考えると確かに秋である必要は無いのか。あれだけの栄養、何処へ……。

 

「そうだよね、秋と言えば読書だよ」

 

 嗚呼、駄目だ駄目だ。此処から先はやめておこう。

 

「ふふ。さて、シェヘラザードではありませんが今日はどんなお話をするとしましょう」

 

 本を開き、柔らかな笑みを浮かべるシオリ。また彼女の語りが聞けるのか。僕はなんて幸せ者なんだろう。

 

「どんな話を聞かせてくれるのか楽しみだよ」

 

 この前の撮影の延長線上。なりきりごっこを模した、幸せな一時。僕達の休日は、まろやかに歩いていく──

 

──『物語の主人公というのは、とても情熱的な生き方をしている』

 

 声が聞こえた。暗闇の中で、何処からか声が聞こえた。

 

『一人を殺せば犯罪者、百万人を殺せば英雄とされる』

 

 視界が鮮明になっていく。散らばる瓦礫、残骸となった夥しい程のピグマリオンの亡骸。

 

 ドン。地を転がったイーターに彼女……いつも通りの私服、手に龍を模した銃「ドラグロアー」を握ったシオリはあてつけの様に弾丸を打ち込んだ。

 

『嫌な場所、邪魔な奴、腐った世界、全部壊してもいい……』

 

 ~~♪~~~♪……鼻唄混じりに歩いていく彼女。とてもご機嫌だ。でもそれは、そう呼ぶには、余りにも残酷すぎる情景。

 

『だって主人公は正当化されるんですもの。物語は主人公の為にある』

 

 転がったデュラハンのコア。銃口を突き付け、一発。粉々に砕け散る。

 

『なんて刺激ある人生なのかしら!』

 

 滅びた舞台を、さらに壊しながら彼女はゆっくりと歩んでいく。のに。

 

 僕は、見ている事しか出来ない。

 

『うふふ、ははは!あははははっ!!』

 

 なんで。僕は何処に居る?

 

 なんで。彼女と同じ場所に居ない?

 

『っはーーーーー……』

 

 立ち止まった彼女は、大きく息をついて。恍惚の笑みを浮かべた。とても輝いた笑顔で。

 

『ざまあみろ』──

 

──「シオリ!?」

 

「きゃっ!?」

 

 夢中で彼女の名前を読んだ僕は、体を跳ね起こした。って、あれ、今、僕はどうしてた……?

 

 辺りはもう薄暗くなっていて、場所は公園のベンチ。身体が横になっていた……振り向くと、其処には本を手にしているシオリの姿が。体勢からして……膝、枕……?

 

「あ、あの……どうしました?その、私の、名前……?」

 

 状況を理解した。きっと僕は、シオリの語りの途中で寝ていた。彼女の穏やかな、子守唄と紛うお話の語りに夢の中に落ちていった。

 

 なのに……なんて奴だ。

 

「……うん?あれ、なんだったろう……覚えてないや……?」

 

 嘘だ。僕はあれを鮮明に覚えている。まるで実際に其の目で観たかのように。有り得ない。吐き気がする。自分で自分を疑った。

 

「そう、ですか……ふふ……」

 

 にこり、と笑う彼女。とても嬉しそうに。

 

 ……最悪だ、僕は。こんな優しい彼女のあんな夢を見るなんて。地獄釜のような自己嫌悪に陥る。もっと罵れ。馬鹿だ馬鹿だ、クソ、クソ、クソ!クソ!!

 

 シオリは持っていた本を手提げに仕舞った。寝る前に見た物と表紙が違う。僕が寝てしまったから、別の本を読んでいたのだろう。……申し訳なさでいっぱいになる。

 

「ごめん、途中で寝ちゃってた……せっかくの休日なのに」

 

「いえいえ、構いませんよ。マスターの可愛い寝顔を見ながら本を読めるなんて、とても良い経験も出来ましたし」

 

「……?あっ」

 

 と、シオリの言葉で思い出した。後頭部をさする、名残惜しむように。……自分だけのじゃない、温もりを感じる。そうだ、膝枕だったんだ……!!

 

「……もう一回、しましょうか?」

 

「ちっ、違う!そうじゃなくて!!えっと、その……ありがとう!!!」

 

 もはや自分で何を言っているか分からない。でも、ここはごめんなさいではなくありがとうだと思った。

 くすくす、シオリが口を軽く抑えて笑う。

 

「さ、そろそろ帰りましょうか。今日は楽しかったですよ?」

 

 手提げを肩にかけ、椅子から立ち上がるシオリ。きっかけを作ろうとしてくれたのだろう、先に進みだそうとするように歩き出したシオリの手を。

 

「──!」

 

 慌てて椅子から離れて、その手を握り締めた。

 

「えっ?」

 

「あっ……」

 

 カー、カー。鴉の鳴き声が聞こえる。それ以外に無音の公園。静寂な中、妙な空気が流れる。

 

「えっと、マスター……?」

 

「……その、はぐれるといけないから。手を繋いで帰りたいなぁ、なんて」

 

 僕が苦し紛れに放った言葉に。電灯の照らす中で少しだけ、シオリは頬を赤くして。

 

「……はい♪」

 

 喜んで、手を握り返してくれた。その柔らかい手で、お互いを固く結んで。

 

 言えない。此処で手を取れなかったら、シオリが何処かへ行ってしまうんじゃないかって。そんな不安を自分勝手に拭う為に手を繋いだなんて。

 

 二人並んで帰路を辿る中、罪悪感に包まれながら、でも手は離せないと。何をしてでも彼女の隣に居る為に、僕は彼女の手を離さなかった。



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星空に駆けるヒーロー

「は……ッ、はッ……!!」

 

 少年は走っていた。雲越しの月が照らす夜の街を、星空の下で、逃げ惑うように、追われ、駆られ、路地の裏へと何かを振り払うように必死で走っていた。

 

 なんだ……!?何かが来る……!わかんねーけど、そういう気がする!!

 

 目には見えない何かを第六感で感じ取っていた少年は、得体の知れないそれ(・・)から全力で逃げていた。

 幽霊?妖怪?分からない。分からないけれど、確かなのは。決まっているのは!絶対に此処で足を止めてはいけないということ……!!

 

 けど……っ、もう持たない!駄目だ、もう無理……!いやっ……持ってくれ……!!?

 

 がろんっ、鈍い音と共に視界が廻る。痛い。肩からアスファルトに倒れ込んで地を転がった。右足が焼けるように唸っている。これは、捻った。

 

 動けない。這ってでも……いや、無理だ。すぐ其処まで迫っているそれ(・・)が分かった。駄目だ、逃げられない。

 

「クソッ……」

 

「間に合ったようね」

 

 ザシュン。そういう音がした。少年の瞳に映ったのは、それ(・・)を切り裂く無骨な剣に、黄金色のツーサイドアップを揺らした──少年と然程背の変わらぬ小柄な少女。

 

 これは、一人の少年が僅一夜限(たったいちやかぎ)りの夢を目の当たりにする。その光景を記憶に焼き付けた、唯其(ただそ)れだけの英雄譚である。

 

──星空に駆けるヒーロー──

 

「大丈夫?立てる?」

 

 少女に差し伸べられた手を、少年は決して取らずに一人で立ち上がった。足は……痛い。けれど、別に歩ける。これぐらいなら。

 そんなどうせもいい事より。もっと気にする事はある。一体。

 

「誰だよお前……」

 

 少年は問いかけた。目の前の少女に。よく分からない恐怖を一瞬で消し去った、謎の少女の正体を。

 

「あたし?あたしはねぇ……」

 

 ふふん、自信げに笑い。赤いスカートをダイナミックに揺らして彼女は名乗りを挙げる。

 

「容姿端麗!ハイっパー美少女!!」

 

 ツーサイドアップの片方を空いている右手で払い、少女にしてはやけに発達した胸部……じゃない、其処「心臓」をトントン、とノックする。

 

「お転婆率いるチームCのカリスマ的リーダー、「DOLLS」の「アヤ」とはこのあたし様の事よ!!!」

 

 ンビシィッッッ!!!自己主張に一切の躊躇いを捨て自信満々のその尊顔を彼女は惜しげ無くその親指で指した。

 

 ……

 

「……知らね」

 

「はァ!??」

 

 少女……アヤが先程までの顔とは一転、驚愕の表情で少年を見やった。

 

 いや、知らんもんは知らんし。

 

「えっ、いや、ドールズよ!?今をトキメくアイドルの!!恥ずかしがっちゃって、まーーー」

 

「アイドルって女が見るヤツだろ?」

 

「れ、霊感ウィッチの……」

 

「アニメってガキが見るもんだろ。俺戦隊とライダーしか見ねーし」

 

 少年の心に壁を作った対応にアヤは遂に頭を抱えだした。

 

「擦れたお子様ね~~~……」

 

「いや、お前も子供だろ……」

 

「へっ、こう見えてもあたしはもう19歳なんですーーあんた何歳?」

 

「うげっ!?……じ、12歳……」

 

「歴然の差ね。まだまだ子供だわ」

 

「っせ……!!で、その、アヤは……」

 

 ずぅん……。辺り一帯の空気が一気に重くなったのが分かる。目に見えなくとも、何かがおかしいのが分かる。

 

「……見えてんの?」

 

「わかんねー……けど、なんかおかしいよな……!?」

 

「そう。そのおかしさを元に戻すのが私達の仕事。ね?あんた──」

 

釖太郎(とうたろう)

 

 少年は名を名乗った。こっちがそっちの名前を教えてもらったのに、こっちから名乗らないのはフェアじゃない。

 

「俺の名前はあんたじゃない、帯刀(おびなた)釖太郎だ」

 

「そっか。ね、トウタロウ。其処で見てなさいな、このアヤ様の活躍する舞台ってヤツを……!」

 

 そう言い残して、彼女──アヤは駆け出した。目の前にある何かを、きっと、倒す為に。

 

 ザシュン、ガキンッ!ザンッ……!彼女が舞い剣を振るう度に、辺りの違和感が直っていく。何をしているのかは分からない。けれど、きっと彼女は……

 

「はあぁぁぁッ!!!」

 

 戦っている。

 

 小さな身体をああも駆使して、少女は勇敢に立ち向かう。一体なんで?なんの為に?

 

 突如降り注ぐ、巨大な威圧感。地響きが起こった。アヤが剣を盾にするように構えたが、そのまま弾かれるように後方に吹っ飛ぶ。

 

「アヤっ!?」

 

「っチィッ!!」

 

 が、片手を地面に着いてすぐさま体勢を立て直した。少し強引滲みた華麗な身のこなしで再び剣を目前に構える。

 

 今、気が付いた。彼女の姿は。少年が普段から画面の中で憧れる「ヒーロー」の姿そのものだ。ふと、思わず、少年はそれを口に出していた。

 

「っ、勝て!頑張れ、アヤーーーっ!!!」

 

「うおおおぉぉぉーーーッッッ!!!」──

 

──『ふわふわ 浮かべたのはCandy Star──』

 

 夕方のテレビ番組。リビングにて、その光景に齧り付く少年が一人。

 

「釖太郎ー、もうご飯よー……って、何。DOLLSじゃない」

 

 台所から聞こえてくる母親の声。けれど、そっちのけで。普段なら飛び付く夕飯。だが今は、こっちに熱中している。

 

「アイドルなんて絶対見ないのに……あんた、そういうの見る年頃なの?」

 

「あ?分かってねーなー、かーちゃん。DOLLSはな、アヤはな……」

 

 画面に映っている三人の少女達。そのセンターで、華麗なパフォーマンスをこなす彼女、あの夜出会ったあまりにもヒロイックなアイドル。

 

 今夜の出来事は、あたしとトウタロウだけの秘密。ね?

 

「格好いいんだ」

 

 星空の下で見た最高のヒーローに憧れと淡い想いを抱いて、少年は今日も少女達にエールを送った。



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Knockin' on heaven's door

「はぁ~~、とても幸せです~」

 

 くぐもった室内に響き渡る、可憐な少女の声。

 

 ……どうして。

 

「風情ある露天のお風呂もいいですけれど、やっぱり慣れたお風呂が一番ですね」

 

 ちゃぷん。耳奥に燗のように焼き付けられる、艶やかな水の音。

 

 どうして僕は女子寮の大浴場で。

 

「マスター、後でお背中をお流し致します」

 

 凛とした声の悪魔の囁きとも取れる、魅惑の(いざな)い。

 

 なんでサクラとミサキとシオリと──彼女たちと、『僕と(・・)』で湯船に一緒に使っているんだろう!!???

 

 恍惚の表情のサクラ、ゆったりとリラックスしたシオリ、手をわきわきとさせて眼を輝かせるミサキ。

 

 マスターがこんな天国(ある意味地獄)と言っても差し支えないような状況に至っているのには、少し理由(ワケ)があったという──

 

──ガチャリ。女子寮のリビング、帰るべき場所のドアを開ける。最初に視界に入った寛げる場所を見付けたマスターは、皺になるのも厭わず、スーツのまま倒れこむように音を立ててソファに座り込んだ。

 今日は流石にハードだったなぁ……けれど、ドールズの皆の為ならと思えば、いくらでもこの身を動かせられる。皆に最高の仕事をしてもらえるように、僕が少しでも気の抜けない管理をしなければならない。とはいえ、此処は僕の居場所だ。とりあえず、今は。

 

「っっっふーーー……疲れたぁ……」

 

「お疲れ様です、マスター」

 

 !!!???

 

「のわっ!?」

 

 後ろから吐息と共に聞こえた優しい声に、しかしまさかの出来事にマスターはソファから転げ落ちた。

 

 バクついた心臓を必死に抑えながら、何が起きたかをしっかりと考え直した。まてよ落ち着け、此処はピグマリオンなんて居ないDOLL HOUSEの女子寮だ……仕事を終えて、帰ってきたんだ。僕は生きている?心臓がこんなに跳ねているんだ、僕はまだ生きている……そうだとりあえず安心出来る所に帰ってきて、それで一息着こうとして、ソファの後ろから……!

 

 カーペットの上で尻餅を着いた体勢からソファの方を見ると、其処には優しげな笑みを浮かべてソファの裏側からその身を覗かせたシオリの姿が。その姿に安堵して、なんだ、とマスターは胸に貯まり込んだ行き場の無い息を大きく吐いた。

 

「び、びっくりしたぁ……!もう、驚かせないでよ……」

 

「ふふ、ごめんなさい。そろそろ帰ってくると思って待ち伏せしちゃいました♪」

 

「待ち伏せって、なんでそんな──」

 

 と言って、つい先程漏らしてしまった言葉に気が付いた。故意では無いが、普段から頑張っている彼女達の前で……

 

「「疲れた」……確かにお聞きしましたよ、マスター」

 

 背後から聞こえる、静かに凛とした声。聞き紛うこともあるまい。

 

「えっ!?ミサキ!??」

 

 マスターがさらにビックリして後ろを振り返ると、棚の裏側にその身を隠すようにして腕を組み、瞳を伏せたミサキの姿が。入口から見えなかったから気がつかなかったけれど、なんて所に隠れているんだ……!

 

「そ、その……」

 

 ミサキは静かに瞳を開いて、揺るぎない眼差しでマスターを見据える。

 

「お疲れ様です。無理もありません……私達のマスターとしての業務、そして貴方はマネージャーでもある。その二つを一人でこなす、ならば疲れるのは必然の事です」

 

「で、でもそれは……皆だって……」

 

 ザッ。ミサキがマスターの眼前に立つと、その片膝と拳を地に着け、頭を垂れた。宛ら、それは主に使える従者……侍のように。

 

「我がマスター。僭越ながら、今宵はこの私がお背中を流させていただきます」

 

 ……。

 

「は!??」

 

「私たち、の間違いですよ?」

 

 スっ。座ったままのマスターの肩にシオリは手を置き、マスターの耳元で再び囁く。いや、ちょっとまって。なんか話が変な方向に飛躍しすぎてってない?

 

「あ、あの……二人とも……?」

 

「天知る地知る、私が居る……」

 

 バァン!勢い良くリビングのドアが開けられ、部屋に入ってきたのは……なんと、サクラだ。その瞳をやる気でメラメラと燃やし、ビシっと敬礼の構えを取る。

 

「お風呂に入るというのは、体のお掃除……お掃除を私無しで語ってはダメです!!さあ、マスター!日頃の垢を一緒に落しましょう!!!」

 

「え」

 

 えぇ……?訳もわからないまま、背中を押されて僕は脱衣所へ放り込まれる事になったのだった──

 

──湯浴着、よし。かけ湯、よし。覚悟……まったくよくないね???

 

 出来る準備は出来る限りした、少なくとも彼女たちと湯船に入る以上はしっかりとした姿でなければならない。とはいえ、タオル一枚……うーん、水着にしてくれって言えば良かったな。渡されてはいはいと促されるままやっていたら気が付いたらこんな状況に。というか。

 

「なんで僕は断れなかったんだ……」

 

 湯船につかり冷えた体を温めつつ、過ぎた事を何度も反復する。いいや落ち着け、此処は一先ずステイだ。焦るな、慌てるな。敵を知り己を知れば百戦危うからず。

 なあに、普段から気楽に接している少女達と一緒の湯船に入る、ただそれだけじゃあないか。この前は初めての経験に少しばかりのぼせ過ぎただけ。言うなれば、あれは初陣……どんな兵であろうと、初めての戦場とは緊張する物。

 僕だって伊達に皆の戦いを身近で見てきて、その修羅場を共に潜ってきた訳じゃ無い。そう、この僕には覚悟がある!皆を幸せに導くという使命が、誰にも負けないこの熱い心が──

 

「お待たせしました♪」

 

「マスターとこうして一緒の湯船に浸かれるのは、やはりいいものですね」

 

「あ……あまり、見ないでくださいね……?」

 

──バスタオルをその身に纏った三人を目の前に先程まで燃えていた覚悟とやらは風前の灯にも成れずに吹き飛んでいった。

 現実という物は残酷である。彼が抱いた建前、決意、覚悟、見栄……あまりにも暴力的で魅力的なその御姿が瞳に入った瞬間、彼は一人前の頼れる大人ではなくただ萎縮して一人の少年にならざるを得ない。

 

 マスターの浸かる両隣にそれぞれ座る彼女達。無言の方が気まずいと悟ったマスターは、とりあえず思った事を口に出す事しかできなかった。

 

「あのさ、皆は……その、恥ずかしくないの?男の人と、一緒のお風呂って……」

 

 と言ってしまって、踏み込みすぎてそれはもっと気まずいだろう……!?僕のアホ……!!となけなしの択を自分で責めることになる。

 サクラは顔を赤くして少し俯いた後、笑顔で答えてくれた。

 

「その、恥ずかしい……ですけれど、マスターとだからいいかなって……嬉しいんです」

 

 ……え……?

 

「この前皆で一緒に入ったときにマスターがのぼせてしまいましたから、今日はそうならないように楽しんで入りたくて」

 

「入浴とは即ち、命の洗濯──日々命懸けで戦っている私達とマスターは戦友です。マスターとこうして一緒のお風呂に入ることが出来て、嫌な訳が無いじゃないですか」

 

 シオリはいつも通り朗らかで楽しそうに、ミサキは静かな表情を携えつつも唇の端っこで仄かに笑みを作り答えてくれた。

 

 ……なんて良い娘達なんだ……!なんか、僕が情けなくなってくる……!!

 

「うん……ありがとう……皆、ありがとう……!」

 

 表情には出せないけれど、僕は今、心で泣いている……。これは、喜びの涙だ……皆の暖かさに、僕の心が共鳴をしているんだ……!!

 

「さあ、それではマスターがのぼせない内に体を洗わさせていただきましょうか」

 

「あ、え?本当にやるの?」

 

「そう言ったじゃないですか。さあ、椅子にお座りください」

 

「……あいも変わらず頭は堅い(ボソッ」

 

 と気持ちを順順に切り替えていく暇無くミサキに促され、有無を言えず小言で文句を言いシャワーの前で椅子に座る。

 

「では、まずは私からお背中をお流し致しますね」

 

 そしてマスターの背後に膝をついて立つシオリ。……今振り向くと凄そうだ。凄そう……だけれど、いや、だからこそ。僕は此処で振り向けない。

 

「ごしごし、ごしごし」

 

 敢えて口でオノマトペを付け、石鹸で泡立てたタオルでシオリが僕の背中を丹念に洗ってくれている。癒しの声色と肌に滑るタオルの繊維の感触がとても気持ちよくて、また力加減がとても絶妙で……。

 

「お痒い所はございませんか?」

 

「うん、凄く気持ちいいよ」

 

「ふふふ、そうですか……ふっ」

 

 いきなりシオリが耳に息を吹きかけてきた。

 

「~~~っっ!!???」

 

 なっ、なんてことをするんだこの小悪魔さんは!!!落ち着いた心臓がまた破裂しそうに跳ねる。ぐ……っ、心臓に悪い……!け、っけれど……、すごく、すごかった……。

 

「さあ、スイッチですよ」

 

「漸く私の出番のようね」

 

 次いでは、ミサキが手にシャンプーを付けてそれを擦り合わせ、泡立てた上でマスターの髪を滑らかに流していく。

 

「頭も洗うの……?」

 

「背中はシオリに取られましたからね。ご安心ください、幾ら泡だとうとこの私の眼はマスターの頭皮のツボをしっかりと抑えます」

 

「え、それって」

 

 髪から頭皮へと滑り込み、ミサキの巧みで繊細な指がマスターの頭の表面を捉えていく。

 

「おおお!?」

 

頭が堅い(・・・・)私がマスターの頭をほぐしてあげましょう。お任せあれ、今の私にはマスターの脳内が丸見えです。これまでの疲れをほぐし、また明日から健やかな日々を送れるよう誠心誠意込めて洗わせていただきます」

 

 あ、さっきの聞こえてたんだ。それは仕方がないとして、もはやシャンプーを超えた勢い。これはもうマッサージの域だ……いや、あまりの丁寧さに長すぎて泡が瞼に垂れてきて眼を開けられないんだけれどね。

 

「さて、仕上げッ!」

 

 ミサキが椅子を回すと、一転マスターは壁から三人に顔を向ける形になる。

 

「さあて……えへへ、私の出番ですね!」

 

 視えない。シャンプーで瞼が開けられないけれど、その声の主は分かる。妙にウキウキしてはいるが……サクラだ。少し、血の気が引いたのが自分で分かった。

 

「え、あの、もしかしてそういう事……?」

 

「モチロンです!体は隅々まで洗わないと!」

 

「ひゃうっ!?」

 

 サクラの柔らかい手で腕を取られ、しっかりとタオルで腕を洗われて行く。普段自分が体を洗う感覚とは一切違う、未知の体験。

 視覚に頼る事が出来ない(そもそもこの状況で目前を直視出来ない)ので、やむを得ずそれ以外の感覚に頼る事になる。……石鹸の良い匂い、胸板をタオルで擦られていく。視えずとも、確かに傍にいる君。

 

 気が付けば、脳髄が痺れるような体験。待て、まずい!待て待て待て、平静をたも……あれ、ぼくはいまどこにいる……?ぼくはいまなにをしている……?

 

「ぷぁっ」

 

「きゃっ……あ、ま、マスター!?」

 

 臨界点を遂に越え溜まりに溜まった血液は留まる場所を見つけられず、やむを得なく皮層の薄い箇所……鼻腔から、逃げ場として、鮮血として溢れ出した。

 

 EXバトルシミュレーターよりも手強いマスターとドールズとの混浴リベンジ、またもや、失敗。




──花々に囲まれた庭園。上には青空とも夕焼けとも……はたまた星空とも取れるような美しく、そして摩訶不思議な世界が広がっている。
 宙に浮かぶ断崖、何処からか流れている滝。少なくとも此処は東京では無い。そんな場所で、マスターはいつも通り眼を覚ました。

「……随分と楽しそうだったわね」

「いやはや、嬉しいのか辛かったのかよく分かんなかったよ」

 灰色の髪に黒い髪飾り、ゆったりとした白いドレス……柔和な庭園の主はいつも通りにティーカップに紅茶を注ぎ、それを嗜んでいた。

 また彼女に呼ばれた……?何でだろう。まあいいや。目の前のお皿に乗った美味しそうなアップルパイを取ろうとしたが、ひょいっと。マスターの手が宙を掴む。取ろうとしたアップルパイは、既に彼女が口にしていた。
 サクサク、もぐもぐ。頬を少し膨らませ、彼女はそれを味わっているとは言い難く咀嚼する。

「えっと……あれ、怒ってる……?」

「さあ?知らないわ」

 妙にツンとした雰囲気の彼女のご機嫌をどう取っていいか分からないまま、マスターは意識を取り戻すまでの時間を其処であたふたと過ごしていた……。


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イノセント・ノヴァ

「切り取られた断面を目にする事で、初めて理解できる──それが幾つもの層を積み重ねて作られた結果である事を。

 合間には様々なファクターが散りばめられ、また添えられたイレギュラーによりそれは奇跡的な輝きを魅せる」

 

 自室のテーブル。フォークにより切り離したケーキの切れ端をシオリは愛しく見つめ、そして口にした。舌の上で味わい、堪能し、自身の糧にすると、湯呑に継がれた暖かい緑茶を一口。一息ついて、また言葉を紡ぐ。

 

小夜啼鳥(ナイチンゲール)の歌声のように美しく、儚く……人の生涯、それは瞬く間に口の中で溶けてしまうミルクレープ・ケーキによく似ている。そんな風に思う事が、たまにあるんです」

 

 テーブルの向かい側、彼女の部屋にお邪魔した少女「サクラ」は、まるで噺のように語るシオリに、お茶を啜るのも忘れて耳を傾けている。

 

「人の、生涯……」

 

「はい。それは、失われた私たちも同じ事。私たちは幾層も積み重ねて来た。記憶は覚えていなくても、身体は知っている。そう、私たちは「知っている」……」

 

 ドールズと人生、その境界線……それは何をして作られるのだろうか。ある日失った私達は、だけれど確かに続いている。それは新しくやり直したんじゃない、まるでジグソーパズルのようにバラバラになってわからなくなってしまっただけで。

 そして、続いている私達も確かに積み重ねてきた。一つずつのピースを嵌めていき、息を止めることなく、先へ進む。ならば、これもまた。「人生」というのだろうか……?

 

「そうだ、あのお話を」

 

「あの話?」

 

「はい、あれは私が積み上げられた奇跡を目の当たりにした時の話。暮明(くらがり)で彷徨っていた私達を照らしてくれた、真夜中の太陽、それを見上げた時の話」──

 

──「……片付いたか」

 

 殺戮の為の衣装を身に纏いモノトーンの味気ない銃を肩に乗せたシオリは、辺りを見渡した。展開されたテアトルの中で朽ち果てた、幾つものピグマリオンの残骸。街への被害は最小限……と見て良いだろう。それに、今回は得たものも大きい。

 

「さあ、帰りましょう。ミサキさん」

 

「はい、シオリさん」

 

 シオリは振り向き、後ろで静かに剣を握った青い長髪の少女を見る。まだ戦うという運命を背負って間もない、無垢な少女の瞳──落ち着いては居る。戦うという事に怯えが無い訳では無い、か?ただ、「職務をこなす」という事には長けているようだ。

 ミサキ。新入りのドール。身体能力良し、アイドル適正良し、戦闘適性良し、協調性……発展途上。まだ感情を取り戻しきっていないからか動きが堅いが、それでもこのスペックは目を見張る物がある。指示にも素直であり、彼女がドールになったのは僥倖。……いや、そういうのは不謹慎か。ならば、こうプラスに考えよう。「彼女がギアに適合してくれた」事に感謝をしよう。

 私が彼女をしっかりと育て上げる。彼女にはそういう素質がある。それは胸に決めている。そして、私たちは最高のチームになる……!

 

『キュオォォォォン。』

 

「!?」

 

 耳鳴りに近い、嫌な感じの音。背筋に寒さを走らせるこの雰囲気、まさか……?まさかッ!?

 

『ギギャアアアアアッッッ!!!』

 

 シオリは上空を見上げた。其処から降り注ぐは、矢継ぎ早のイーターの群れ。嫌な予感が的中した。その奥に鎮座する、白色の門。

 

「モノリス……ッ!?なんでこんな時に!!」

 

 モノリス。ピグマリオンを召喚する、諸悪の根源。シオリが銃でイーターを撃ち抜いていく。だが、手数が足りない……!迫り来るイーターの噛み付きを銃で殴り飛ばして、一歩、二歩と交代していく。

 

『ちょっと、ヤバいんじゃない!?一旦引いた方が!!』

 

「分かっています!!」

 

 わかってる……けれど!

 

 テアトルを通じて聞こえる声に一瞬の思考回路の混線。言うまでもなく、モノリスは最優先撃破対象だ。放っておくだけでピグマリオンが呼び出され、街が壊される。それはできる限り避けたい。だが、新入りを連れて二人での討伐は荷が重い。違う、防衛をしながら他メンバーとの合流を待って……この戦闘をミサキさんの経験に!だから、その荷が重いって──!

 

「ッ!!」

 

 気が付けば、ほんの数秒の棒立ち。体は逃げることを選んでいた。けれど、頭の中で「あわよくば」を考えていた。この戦いを終わらせる為の、欲張り。だから──目前にイーターが迫る。

 

「ミサキさん、逃げましょう!!!」

 

 漸く決断した。此処で敵を殲滅する「ハイリターン」よりも万が一にも彼女を失う事の方が“圧倒的”に「ハイリスク」である事を理解したからだ。

 

 彼女は私が守る。なんとしても。それが、今の私の最優先事項……!

 

 シオリは足を後ろへ誘導しつつも、目前へと銃を向けた。殿(しんがり)は私が務める。一瞬の判断ミスを犯した、私の覚悟で──

 

「私が出ます」

 

 腕を引っ張られた。体が後方へと下がる。それと同時に、スイッチ。遠心力で前方へと飛んでいった彼女、青い長髪を靡かせたミサキが一閃。速度の乗った剣の横薙ぎで複数のイーターを靄にした。

 

 シオリは瞬いた。何が起きたか分からなかった。あの僅か刹那、あれだけの数のイーターが消し飛ばされた。

 

「っミサキさん!!!」

 

 我に帰る。そんな事より。彼女と一緒に逃げ帰るのが優先で。止めようとした。

 

 イーターが大口を開けてミサキに喰らいかかった。まずい。あれは──マズい!!!

 

 ザスン。シオリが銃を構える前に無慈悲な鈍い音がなった。イーターは喉奥を剣で刺し貫かれ、そのまま跳ね上げる形で上空へと薙ぎ飛ばされる。

 飛ばされたイーターは上空から降ってくるまた別のイーターにぶつかり、そしてよろけた。其処へ──

 

「地上から目測32メートル、残り9メートル弱……容易い」

 

 地を蹴ってジャンプしたミサキが、さらによろけたイーターを踏み台にして跳躍。目指すは本丸、根源たるモノリスへ。

 ミサキがその手に光を集める。フィールの剣を、其処に(そび)えるモノリスへと思いっきり叩き込んだ。

 

『キュイィィン……』

 

 分断されたモノリスと共に、地に降り立つミサキ。モノリスは無機質な音を立ててアスファルトを跳ねると、地に転がって消滅しきった。

 彼女は立ち上がると、そっけない顔でシオリと瞳を合わせる。揺らぎ無い戦士の瞳、それがさも当然であるかのように。

 

「これで任務完了……ですか?シオリさん」

 

「え、ええ……」

 

 呆然とした。驚愕をした。私はその日、光を目の当たりにした。暮明を彷徨っていた私達の、大きな力になるであろう無垢なる少女の輝きを。流星の如く現れたその光景はまるで奇跡、例えるならば真夜中の太陽──

 

──場所は女子寮の食堂。テーブルにはズラリと並べられた大量の逸品。たこ焼き、坦々麺、クスクスのパエリヤ、お好み焼き……どれも煌びやかで、何より、どれも「粉物」だ。

 

「何よレイナ、私のお好み焼きが食べれないっていうの?」

 

「その、今は、Not hungryよ……」

 

 ミサキの剣幕にレイナすらしどろもどろする。そう、彼女の料理は美味しい。美味しいのだが……作る量が尋常じゃないのだ。

 

 そんな様子を遠巻きに笑顔で眺めるシオリ。

 

「ふふ。今でこそああですけれど、昔は「シオリさん」って呼んでくれたんですよ」

 

「……なんか、想像がつきませんね……」

 

 サクラはその時を知らない。気が付けば、あの人一倍気の強い彼女だった。

 

 けれど、と。シオリは思う。今の彼女が、誰にでも分け隔て無いミサキが、私達を「仲間」だと思ってくれてるようで。絆が深まった気がして。それをとても嬉しく思うのだ。

 

 ひょい、とミサキが持っていたお好み焼きを皿ごと貰うシオリ。

 

「それじゃ、私が食べちゃいますね♪ミサキさんのお好み焼きは格別ですもの」

 

「へぇ、見る目があるじゃない。シオリの舌は嘘を吐つかないわね」

 

 二人は笑みを交わし合う。目配せのような交差。シオリが味わったその日のお好み焼きは、やっぱりとても美味しかった。



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気のおけない

「ノックしてもしもーし、いるっすかー?」

 

「意外と礼儀正しいのね。恐れ入ったわ、特別に入れてあげる」

 

「すっげ馬鹿にされた気分……あっ、これ差し入れっす」

 

「……箱買いの乾麺?気が効くじゃない」

 

「代わりつっちゃなんすけど、匿ってくんねすか?」

 

「居るだけなら構わないわ。邪魔はしないで」

 

「へいへい、それでいいっすよー」

 

──気の置けない──

 

「ずぞぞ……ねー、さっきから机に向かって何してんすかー?」

 

「見て分からない?空間把握能力の鍛錬」

 

「見てわかんないから聞いたんだっつの。つか、この部屋……」

 

「……」

 

「乙女が住むにはなんつーか、ミスマッチすぎね……?じゃね、例え方がさ、こう……なんだろ、お好み焼きをおかずにパンを食べる、みたいな……?」

 

「しばかれたいのかしら」

 

「じゃなくて、なんだこの既視感……あっ、分かった!これあれだ、ホームセンターの一角だ……!」

 

「目指したもの」

 

「嘘ッ、マジで!?」

 

「冗句よ。気が付いたらこうなっていただけ」

 

「……鉄道模型喫茶とか聞いたことありますけど、ここまで来たら工具喫茶とか出来そうですなー」

 

「レイアウトが圧倒的に足りないわ。少なくともこの二倍の部屋の規模で四倍の展示が要る筈よ」

 

「まさかのマジレスにヤマダちゃんびっくり」

 

「言われたから答えただけ」

 

「……工具の良さって?」

 

「お好み焼きの層のように積み重ねられた、先人達の知恵と経験の結晶。だからこその機能美。無骨で飾らないその様は、この上無く合理的で何より美しいものよ」

 

「……機械?」

 

「人だからこそよ……よし、出来た!」

 

「おっ、終わったか……って、何それ。米に……顔?筆で??」

 

「ふっふーん、これは米丸くんと名付けよう」

 

「……何処となくマスターに似てるすな」

 

「そう?気のせいよ」

 

「はぁー、乙女」

 

「もう二十歳だけどね」

 

「あっ、仕舞って誤魔化すんだ」

 

「さて、次の鍛錬よ」

 

「脳味噌筋肉かよ……」──

 

──「くーじゅく」

 

「はっ……!」

 

「ひゃーく」

 

「ふぅっ……!」

 

「……逆立ちで腕立て伏せするアイドルってどうなの」

 

「ん……鍛えた分だけ戦場で剣を振れる数とマスターを抱き抱えられる時間が増えるわ。それって素晴らしいことじゃないかしら」

 

「前半はげどの後半は草」

 

「不測の事態には備えるものよ。備えあれば嬉しいな」

 

「……」

 

「口元を押さえるほどの事じゃないでしょ」

 

「録音しときゃよかった」

 

「それは残念ね。もう二度と言わないわ」

 

「悪かったっす」

 

「いつもの事でしょ」

 

「いやヤマダちゃん良い時の方が多いから。基本良い娘だから」

 

「胸に手を当ててみなさい」

 

「はーいざんねーん!ジブン胸無いんでー!」

 

「……」

 

「おいこら目元に手当てんなこっちをみろ」

 

「大丈夫、所詮胸なんて脂肪の塊だから……!」

 

「ゆーてミサキさんも結構いろっぺーしなぁ」

 

「そう?なら健康美よ。筋肉は裏切らないわ」

 

「まあ、理屈はわかりますが。土台があればその分増えるんすかね」

 

「さて、体もあったまった所だしシミュレーターに行くけれど……来る?」

 

「おっ!いいじゃんいいじゃん!!話がわっかるぅー!!」──

 

──「あーー!やっぱりいいっすなぁー、おもいっきり敵をぶちのめすのはー!!」

 

「体の動かし方はどれだけ身に染み込ませてもいい……剣を握ると、やっぱり実感するわね」

 

「……そいや、動き方。前と変わりました?なんか、前はもっと尖ってたっつーか、あの敵ぐらいならワンテンポ先に踏み出してたっしょ」

 

「ああ……敵の動き方を把握できてるシミュレーターならそれでいいけどね。実践の敵の動き方も踏まえて、ほんの少し引くようにしてみたの……その方がもっと「観える」、「守れる」と思って。合わせてくれるでしょ?」

 

「らしい理由。ま、そりゃ言わんでも──」

 

「あーーーーっっ、ちょっとヤマダ!!こんな所で油売ってたの!!?」

 

「うげっ、アヤさん……!?おいミサキ、足止めをっ」

 

「はいはい」

 

「ちがっ、ジブンじゃなくて!!こら首根っこ掴むな、猫じゃないんだから!!!」

 

「私が受けた依頼は匿う事だけだから」

 

「ありがとね、ミサキ。ほらっ、まだ次のライブの振り付け終わってないんだから行くよ!」

 

「……この恨みはデカいっすよ、ミサキさーん……」

 

「いつでも来なさいな。残ってる限りはいつでもお湯を沸かしてあげるわ」

 

「……へっ」

 

「ふふっ」



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今日を、そして明日へと

 昼過ぎ、青空からほんの少し太陽が傾く都内の街角。住宅街で、密やかに主張する一つの公園。

 

 枠どられた柵の片隅に植えられた、一本の桜……満開と言って差しつかえないほどの染井吉野(ソメイヨシノ)。その傍らで、ただ一人。入学式のシーズンに、何処の学校かも分からぬ、佇む制服姿の少女が一人。

 

「あの日から、確かに一年目……」

 

 長く青い髪をポニーテールで結った、年齢よりももっと大人びた雰囲気を纏わせるスレンダーな少女、アイドルユニット『DOLLS』のチームA、「ミサキ」。

 

 彼女は、仄かに暖かい陽の中で、爽やかにそよぐ桜の木を。ただ見据えてその場にずっと立っていた──

 

──「あれ?今日ミサキさん、見掛けませんね……?」

 

 女子寮の中をお昼ご飯を食べた後に暇つぶしに歩いていたサクラが、ふと居間で見掛けた少女達に問いかける。

 

「あー、そういえば……どうせ彼女の事ですから、トレーニングやらシミュレーターやらで忙しいんじゃないですか?」

 

「今日はミサキさん、朝から公園にお花見に行くと言っていましたけど」

 

 緑茶を嗜みながらシオリがふと出した答え。それに、ソファーでだらけていたナナミはガバッと起き上がりそして驚愕した。

 

「えっ!??あのミサキさんが???一人でお花見?????」

 

「……もしかして、マスターと……?」

 

「ん?僕がなにって?」

 

 声に反応したのは誰かと思えば、通りがかった廊下から顔を覗かせるマスター。

 

 ……。

 

 え?あのミサキさんが??

 

「「「何をしに……???」」」──

 

──月と街頭だけが照らす公園に取り付けられた大時計の短針は、時刻八時を過ぎた事を指し。

 いよいよ公園から誰も居なくなった中で、ミサキだけは桜の木を眺めていた。

 

「……。」

 

「ミサキ、さん……?」

 

 背後からかけられた声にミサキは何気なく振り向く。其処に居たのは他の誰でもない、聞きなれた声に見慣れた容姿。同じドールズ・同じチームA、可愛らしい後輩「サクラ」だった。それだけの話だ。

 

「こんばんは。貴女も、夜桜見物に?」

 

「そうじゃなくって!」

 

 茶化されたようで。つい、彼女に嘘を()かれたみたいで。それが嫌になって声を荒げて、すぐに後悔して……。

 

「あ、あの……その、朝からミサキさんが、此処に居るって聞いて……」

 

 心配だった。儚げな後ろ姿を見て、つい寄り添いたくて。サクラはおずおずと、彼女に本音を言った。受け取った彼女は、思いのほか素直で。

 

「そう……心配をかけたのなら、ごめんなさい。用事は済んだわ、帰りましょう」

 

「は、はい……」

 

 妙だった。まるで諦念のように。でも、何処か安心して。ミサキの言葉を受け取って、サクラが帰ろうとした時。

 

 ぞわり。その時に、悪寒がした。

 

「っ、この感覚……!?ピグマリオン!!」

 

「……」

 

 焦るサクラとは裏腹に、何処か冷静なミサキ。辺りを視認すると、気が付けば数体。ピグマリオンが、まるで私達を囲むように……?いや……。

 

「違う、これは……」

 

 サクラは、敵の視線の焦点を理解した。目的は。

 

「この桜の木……?」

 

 まるで、執着。そんな雰囲気を悟った。何が、どうして?これに、縋るように……?

 

「サクラ。テアトルの展開をお願い」

 

 横目で窺った。その顔はとても冷たくて、その時、味方ながらに怖さを感じて。

 

「今の私は、加減が出来ないから」──

 

──「あっ!ねっ、もしかしてDOLLSのミサキちゃん!?」

 

「あら、可愛いお客さんね。もしかして、貴女もお花見?」

 

「うんっ!!えっとね、えっとね……いつもテレビで見てますっ!」

 

「そう、嬉しいわ」

 

「その、ミサキちゃんは……よく、お花見とかするの?」

 

「そうね。今日は気まぐれ……いつもは、レッスンで忙しから」

 

「じゃあ!来年の今日!準備してくるからサインしてほしい!!」

 

「……別に、今すぐでも構わないわ」

 

「駄目!また来年もこの綺麗な桜をミサキちゃんと見たいから!約束だよ!」

 

「はぁ……ま、何かの縁ね。いいわ、じゃあまた来年の今日。この桜の下で。待っててね、忘れないわ」

 

「うんっ、約束だよ!!」──

 

──ほんの数分。展開されたテアトルの中には、術者であるサクラと、もう一人。ミサキしか残っていなかった。

 

 凄い……、ミサキさんあの数の敵を一瞬で……!でも、あの戦いの中で聞こえたのは雄叫びだけじゃない……あれは、さながら慟哭……。

 

 はぁっ、はぁっと息を荒げたミサキは数歩、歩いてクールダウンすると、召喚した殲滅銃「ヘルメス」を仕舞った。

 

「もういいわ、サクラ。帰りましょう」

 

「えっ、でも……」

 

「“もういい”わ」

 

「あ、はい……」

 

 得も言われぬ気迫。それに圧されて、サクラは、促されて頷くしかなかった。

 

 その時、強く吹いた風。

 

「桜が……」

 

「……っ」

 

 公園の隅に、風が渦を描いて起こる桜吹雪。舞う花弁の一つが、彼女の。ミサキが広げた右の手のひらに入り込んで、

 

 

【挿絵表示】

 

 

『約束、守ってくれてありがとう』

 

 そう伝えた。聞こえたような気がして。その花弁以外は風の中に儚く消えていった。

 

 ほんの一片。ミサキは、その花弁を固く握り締めて。

 

「……止まってられないな」

 

 そう呟くと、公園を後にしようと足を踏み出した。

 

「あのっ、ミサキさん……!」

 

 思わず、サクラはその一人な背中に声をかけて。

 

「……ありがとう。頼りにしているわ」

 

 その言葉を聞くと。

 

「……はい!」

 

 サクラは、元気よく頷いた。



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Deep dive

 突然ですが皆さん。死後の世界があると思いますか?

 

「……甘い」

 

 切り分けられた色とりどりのフルーツタルトを齧り、多彩な味のオーケストラを思いつつ、ただ単に、ナナミはそう呟いた。

 頭の中では多彩に絡み付く答え。甘い、酸っぱい、滑らかなタルトの歯触り、果肉の割ける感触、種の粒粒……

 

 そんなしちめんどくさいことは、考えるだけでいい。特に一人なら。私はわかっている。それを言う理由は……別に、無いのだ。

 

 だから。

 

「甘い……」

 

 そう呟く。再認識するように。それで私の中の答えは完結している。どうせ言ったところで、私の「博識っぽさ」をひけらかすだけ。

 饒舌とは言い訳だ。誤魔化しだ。言葉を紡いでいる間は強さを保てる。ハリボテを見せられる。でも、それは「巧み」なだけで、「本質」には直結しない。

 

 私の「本質」。見せたくない、本当の私。

 

 さて、もう一度お伺いします。

 

 皆さん。死後の世界があると思いますか?

 

 私は──考える。

 

──Deep dive──

 

「何をしているのかしら」

 

「レイナさんの髪からとてもいい匂いがします」

 

 食堂でスマートフォンを嗜んでいたレイナの肩に顎を置き、ナナミはただ目前を眺めていた。

 

 壁……。壁だ。ホワイトボードがある。じー……、今日の晩ご飯、アヤさんだ。楽しみだな……。

 

「落ち着きます……」

 

 目に見えてる世界。脳は答える、其処にあるものはホンモノだと。

 

 でも、もし、私達の見ている物が夢だったら。

 

 そう、例えば……私たちが此処に居るのは巨大な装置か何かの映し出したヴィジョンで、その向こう側に本当の私達がいる……。

 

 レイナに優しく髪を撫でられながら、ナナミは包まれる暖かさに目を細める。

 

「……悪い夢でも見たのかしら?」

 

「いいえ。いつも通りです」

 

 そんな訳ないですよねー。

 

 こんなに優しいリーダーが居て、こんなにひねくれものな私ですら受け入れて、甘やかしてくれる。

 

 もしこれがそういうヴィジョンだとしたら。この夢を見せる向こう側の私を、私は盛大に褒めてあげたい──

 

『死後の世界があるとしたら、生き返ったのは損かもしれませんねぇ!』

 

──ひゅー。ひゅー。鳴らない。なぜだ……?

 

 ヒーロー……勇者に、憧れないことはない。一方的に叩ける相手……何の気兼ねも無しに力を奮っていいとしたら、それが皆に喜ばれる事だったら。それはとても幸せなことだろう。

 

『ちょっと!勇者ってのはそういうモノじゃないんですー!』

 

 ぴーヒョロロロロ……笛から流れるコミカルな旋律に、鳥さん達が中庭に集まってくる。

 

「あの。鳴りませんけど」

 

「おかしいなー。こんなに簡単なのに」

 

 ちくわを口に咥えてふーふー吹くナナミは、訝しげに隣のヒヨを見た。知ってますか?パインアメは鳴らないんですよ。頑張れば鳴るそうですが。

 

 ひゅー、ひゅー……。食ってやろうか、この練り物め。

 

「でも、珍しいね?ナナミちゃんが一緒にちくわ吹きたいだなんて」

 

「わたしもヒヨさんの気持ちを知れば、もっと元気になれるかなって」

 

 ヒヨさんの元に集まってくる鳥さん。この少女は、こんなにも元気で。きっと、私に足りない物をいっぱい持っているのだろう。

 

「うん!ヒヨにおっまかせ!ナナミちゃんのこじらせた性格も、一緒に抱えて走り抜けるから!!」

 

「……面と向かって言われると少し複雑な気分ですね」

 

 笑顔のヒヨに対して、少し引き笑いをしつつ。

 

 この少女のように。もし生まれ変われるとしたら、ヒーローのように胸を張って……自由に、せめて、鳥たちのように。太陽に向かって羽ばたいていければいいなと。

 

 むしゃくしゃして齧ったちくわを手に、ナナミは太陽の方を向いてうおっまぶしっ!?

 

 ……やっぱ、向いてないかも──

 

──「……何の用?」

 

 テーブルのパソコンに向かいながら此方を振り返ったマスターに。私はソファの上で漫画を読みながら、凛として答えるのだ。

 

「一人じゃ寂しいかもしれないと私が来ました。あっ、お気遣い無く。私は此処で流行りのバトル漫画を読んでますので。……へー、このキャラ此処で敵対するんですね……」

 

「それ僕が置いてる本だし……そうだ、小話をしようかな。『カラスが肩に立ち止まり、僕にこう呟いたんだ。「行き先は決めたのかい──』」

 

「結構です。私、生まれ変わってもカラスは嫌ですからね?って、えっ──うわっ、このシーン男性の欲望まみれですよちょっとマスターの変態!」

 

「まだ冒頭にすらって知らないよ!?ってチャイナのスリットからナイフが出てくるぐらいいいでしょ別に!?」

 

「ほーん。自覚があるようで」

 

「そ、そのジト目はやめて……」

 

 慌てるマスターに満足すると、私は視線を本に移した。

 

「マスター、“水槽の脳”という仮設をご存知ですか?」

 

「……あれでしょ?僕たちが今見ている世界は、何処かの誰かが見せている幻影……かもしれないってやつ」

 

 マスターはキーボードを叩きながら答えてくれる。

 

「もし私達が見ているものが全て夢だとしたら」

 

「それはとてつもないファンタジーだね、僕は後ろの辛辣で愛嬌ある少女も其処に居るとしか思えないけど」

 

「その向こう側には、何があるんでしょうね?死後の世界があって、また別の私たちがいるかもしれない」

 

「……さあね」

 

 マスターはキーボードを止めない。けど、タイピングが少し鈍る。

 

「……私は、死んだ先に。それがあるかもしれないと思うことがある。私は死んだら、全てを失うのか。それも構わない」

 

 私は、少し怖いのかもしれない。

 

「誰も救われない世界で、私だけが救われる訳がない。……ふふ、自分だけが特別だなんて、そんな思い上がりはしない」

 

「でも。ナナミはナナミだよ」

 

 タイピングを止めて。マスターは振り返らず、無音の中で声を紡いだ。

 

「特別じゃないかもしれない。でも、僕はナナミを忘れない。それじゃ、駄目かな」

 

「……」

 

「もし、向こう側があったとしたら。其処で出会えたなら。また、仲良くして欲しいな」

 

「……ふふ」

 

 その言葉を聞いて。

 

「ふふふ……約束ですよ、マスター」

 

 漫画を放ってソファに転がり、彼女は満足そうににやける。

 

「やれやれ、厄介な約束をしちゃったかな」

 

「クーリングオフはダメですよ、マスターは立派な大人なんですから」

 

「りょーかい」

 

 もしこれが現実だとして、夢だとしても。こんなに温かい事はあるだろうか。

 

 安堵──きっと、これはそういうものだ。私は一人じゃない。そういう気持ち。こんなに温かい仲間に恵まれて。それで私が特別じゃない訳が無い。

 

 ……ありがとうございます、皆さん。

 

 彼女が満足したのを理解してしばらくキーボードを打っていると、静かな寝息が聞こえてきた。

 普段饒舌な彼女が見せる僅かな素顔。

 

「今はどんな夢を見ているのかな」

 

 瞳を閉じながらほんのりと笑む彼女は、きっとそこで。素敵な夢を見ているのだろう──



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Acteur

「糸。私は個々を、糸だと思うのです」

 

 冷たい空気に湯気を立たせる、テーブルに置かれた一杯の珈琲。彼女はそれにスティック半のシュガーを注ぎ、マドラーで上下にかき混ぜ、そしてミルクを落とす。瞬間、真っ暗だったそれは明るさを手に入れ、ブラックから転じてブラウンに姿を変えた。

 

「人は支え合い、意図を汲み合い、強く、より強くなる。そうそれは、まるで紡がれた織物のように」

 

 出来上がった、シオリの此の時の為のブレンド。口に含み──このぐらいの苦みが、強がる今の自分にはちょうど良い。饒舌に、語りを楽しむために酔う為の苦み。

 街の一角、寒空の下のカフェのテラス。雑多の中で、目の前の彼女……ミサキとの談笑を楽しむ、切り取られた時間。珈琲の味わいに納得をし、クリームたっぷりのパンケーキをナイフとフォークで口に運ぶ。

 ……紡がれる、その個々。交わりて、それが答えなのだと確かに分かる。

 

「糸、確かにそうかもしれないわね。でも、複数では丸くなれば、一つなら鋼をも切断する。そういう糸むぐっ」

 

 「私は一人でいい」と言わんばかりのつっぱねたミサキの口に、シオリからパンケーキが押し込まれた。やけに笑顔で。

 

「ならばミサキさんも一緒に丸くなればいいじゃないですか。私達と一緒に」

 

 笑顔の、しかし何処か有無を言わせぬ気迫に、彼女はむぐむぐパンケーキを味わい飲み込んだ上で、こういう時のシオリは強いと理解しつつ眼差しを向け答える。

 

「私は牙でなければならないわ。先陣を楔び立てる為の、DOLLSの刃。刻み付け、離さず、そして滅ぼす為の力……」

 

「そして私達が追撃をする。根絶やしにする為に。ミサキさんが力だとすれば、私は肖る者。ミサキさんが居なくては、きっと私は戦えませんから」

 

 それは此方の台詞──そう返そうとして、それが手の内で踊らされているようで、恥ずかしくて少し目を逸らした。

 

「はぁ……逃げようとしても、貴女からはきっとムリね」

 

「一蓮托生、ですから」

 

 そんな余裕なシオリに少し仕返しをしてやりたくて、彼女が先ほど頬張ったパンケーキのクリームが口端に付いてるのを気づいたミサキは、それをシオリの頬から人差し指で拭ってやり、と思ったら何を思ったかシオリがその人差し指をパクっと加えた。ミサキの人差し指を、だ。

 ギョッとするミサキの事などよそに、シオリはすぐ口こそ離したが満面の笑み。さぞ甘いクリームを舌の上で堪能してる事だろう。

 

「……どんだけ食い意地張ってんのよ」

 

「これだけ♪」

 

 呆れるミサキの後ろから「お待たせしました」と声をかけられたと思えば、店員が席に料理を運んできた。

 それは、五人前……いや、八人前ぐらいあるか?という量の山盛りパンケーキ。テヘペロッとシオリはおどけて見せる。いや、いつの間に頼んでたの。

 

「明日のトレーニングは厳しくなりそうね」

 

 勿論この量、常人では完食にほど遠いだろう。しかしそれは常人の話である。

 敵わないな、と思いつつ。とても美味しそうに食べる彼女の姿は見ていて飽きない。

 

「……糸。それが紡がれたものこそが人の作りし「社会」……」

 

 ミサキは自分のエスプレッソをいただく。この繊細な味わいも、私には真似出来ない。社会とは、一人一人で積み重ねられて出来ている。

 それは自分が普段からしっかりと感じている事だった。この街の全て、人々が築き上げてきたものだ。だから私には、私にしか出来ないことを。私達は。

 

「『アイドル』というの語源、ご存じですか?」

 

「偶像。(にせ)(つく)った「紛い物の神」……ニュアンスはいいかしら?」

 

「ミサキさんは勉強家さんですね」

 

「信仰心を乗せた刃を振り下ろし、私達は人の敵を討つ」

 

 人の敵。そう称した。間違いは無い筈だ。

 神とは何か?人を救うものだろうか?くだらない。

 

「Atheist。皮肉のつもりは無いわ、神に出来なくても人になら出来る。最後を決めるのは人の意思よ、神は人を救わない、神では人を救えない」

 

「──」

 

 少し、寂しい目をしただろうか。

 でもあの日、『彼女』は救われなかった。『彼女』は強さを求めた。神など居ない、居ても救っちゃくれない。

 

 だから、私は。

 

「これからも頼りにしているわ」

 

「はい♪」

 

 進んでいこうと思う。

 

 頼りになる目の前の、彼女と、彼女たちとともに。これから救う為に、その手のひらから取りこぼさない為に。



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