それは陽だまりの花のように (弥走)
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柔らかな雨の季節
気まぐれカランコエ


 ゴコクチホー。立派なログハウスが立ち並ぶゴマントという名の街の一角。

 昨日まではキラキラと輝いていたブナ並木も、刺激のない退屈な毎日にうんざりしているのか、今日はただ鈍色の影を石畳に落としている。

 天気予報では梅雨入りはまだしばらく先という話だが、空には鉛を張ったような雲が切れ目ひとつなく垂れ込めていて、とても陽は望めそうにない。

 とは言うものの、晴れたら晴れたで特有のジメジメした暑さに悩まされることになるのだろうが。

 シュサキ付近の森林エリアは、四季が明確にある数少ない区画のひとつらしいが、この季節ばかりは現代日本の四季を律儀なまでに再現しているサンドスターには文句の一つも言ってやりたくなる。

 オグロスナギツネはそんなとりとめのない思考を巡らせながら、ゴマントリバーのほとりを歩いていた。

 耳――キツネ耳ではなくヒトの耳の方だ――の後ろに手を当てながら前を歩くのは、黒とベージュを基調とした、ヒトが着る制服のような衣服を身につけたオオミミギツネだ。

 オオミミギツネは、その名が表すように白と黒の大きな耳が特徴のアニマルガールで、自然の音を聴くのが大好きらしい。

 私も溢れんばかりの自然を全身で感じること自体は嫌いではないのだが、今は川のせせらぎに耳を傾けるよりも話し相手が欲しい気分だ。

 さりとて、オオミミギツネの楽しみを遮ってまで話しかけるのは気がひけるので、再び『できる限り足音をころして歩くチャレンジ』を再開することにする。

 小石や木の枝がない場所を見極めてゆっくり右足を下ろし、左足をそっと上げる。左足を下ろし、今度は右足を上げるための微妙な重心移動に意識を向ける。しかし、そのせいでオオミミギツネが立ち止まったのに気づけずに鼻頭からオオミミギツネの背中にぶつかってしまった。

「わぷ!」

「オグロスナギツネちゃん、何してるのね?」

「えへへ、ちょっと遊んでたら夢中になっちゃって……」

 不思議そうな顔を向けるオオミミギツネから視線を外し、その先に建つ一軒のログハウスに目をやる。

 同じ大きさの丸太が一定間隔で積み重ねられたその建物は、本来はジャパリパークへの来場者向けに建設されたものだったが、女王事件が収束した現在まで、フレンズ以外が泊まったことは一度もない。

 この辺り一帯には似たようなログハウスが何軒か並んでおり、今は少し変わった想い、端的に言えば『ヒトと同じような生活をしたい』という想いをもったフレンズ向けに開放されている。

 クルペオギツネは半年ほど前からここに暮らしているが、オグロスナギツネとオオミミギツネはここから少し東、ジンジョウリバーの下流に位置する小さなシェアハウスに、数人のアニマルガールと同居している。

 この近くにはハイイロギツネも住んでいるため、前にみんなで同じ家に引っ越そうと提案したことがあるのだが、ズルズルと先延ばしになってしまっており、未だに話は纏まっていない。

「そういえば今日は何の用で呼ばれたんでしたっけ?」

「オグロスナギツネちゃん、今日は何だかうわの空だけど大丈夫なのね?」

「えへへ、すみません。アルルさんから借りたマンガが面白くって、昨晩つい夜更かしして読んじゃったんです。お陰で今日は眠くって……」

 こうやって寝不足なことを思い出した途端出るのだから、欠伸というものは不思議なものだ。

「そんなに面白いなら私も借りようかな……。じゃなくて、今日は話があるとしか聞かされてないから、私にも何の用なのかはわからないのね」

「はなし……。はっ、もしかして群れを解消したいとかじゃないですよね!?」

「クルペオギツネちゃんに限ってそんなことはないから、心配しなくても大丈夫なのね」

 しかしそう言われても、一度頭に浮かんでしまった考えはなかなか振り切れない、心配性のオグロスナギツネであった。

 

 

 の の の の

 

 

「ドッキリやろう!」

 オグロスナギツネ、オオミミギツネをログハウスに招き入れたクルペオギツネは、開口一番そう叫んだ。

(クルペオギツネにしては珍しく)やけに真面目な表情(かお)で出迎えられたため、内心ドキッとしたが、何のことはない、いつもの遊びの提案でほっと胸を撫で下ろす。

 こちらを見つめるクルペオギツネのハシバミ色の瞳は、よほど自信があるのか、今日の空模様とは裏腹に爛々と輝いている。

 向かいでロッキングチェアを揺らすオオミミギツネにちらりと目をやると、白黒の大きな耳を垂れ下げて「また始まったのね」とでも言いたげな表情を浮かべている。

 ただまあ、クルペオギツネが突然こんなことを言い出した理由はだいたい想像がつく。

「どうせ昨日のドッキリ番組見てやりたくなっただけなのね?」

 そう、昨晩テレビでドッキリ番組をやっていたのだ。面白いことが大好きなクルペオギツネのことだから、それを見てやりたくなったのだろう。

 オオミミギツネの推測はやはり図星だったようだが、クルペオギツネは不敵な笑みを浮かべたまま口を開く。

「ふっふっふ。どうせいつものくだらない遊びだと思っておるのだろう、オオミミギツネ君?」

 ……そしてナゼか口調も偉そうだ。というか、普段自分から持ちかける遊びの大半がくだらないって自覚はあったんだ。と思わずツッコミたくなるが、その言葉は胸の内に押し込んでおくことにする。

 ――だって、そのくだらない遊びをしてる時が、何だかんだ一番楽しいんですからね。

 こちらも口には出さない。

「今回はいつもとは違うのだよ……」

 変な口調のクルペオギツネはオオミミギツネに任せておくとして、オグロスナギツネは、天然木を切り出した如何にも高級そうなテーブルの上に置かれた編みかごから、乾燥果実をひとつ摘んで口に放った。

 一口噛むと、爽やかな酸味と、遅れて濃厚な甘みが口いっぱいに広がる。

 この体になってからもう長いが、未だに果物の類はあまり食べないオグロスナギツネにとって、これは初めて食べる美味しさだ。

「ん、これおいしいです! クルペオギツネちゃん、これ何ていう木の実ですか?」

 更にもうひとつ果実を口に含みながらクルペオギツネに尋ねる。

「あ、それ? それはねー、えっと……何だったっけ?」

 しかし、いつものほわほわした雰囲気に戻ったクルペオギツネの返事は曖昧だ。オオミミギツネも手を伸ばして黄色い乾燥果実を少しだけかじると、すこし顔をしかめてから残りも口に入れる。

「……確かに美味しいけど、こういう酸っぱいのはちょっと苦手なのね」

「そうだ。確かゴールデンベリー、だったかな? 昔よく近くに生ってるの見てて、それで気になってたから買ってみたんだ」

 何の果実か思い出したらしいクルペオギツネが、瞳と同じハシバミ色の耳をぴこぴこ動かしながら答える。

 クルペオギツネの言う昔、とは単純に何ヶ月前とか何年前とかいう意味ではなく、フレンズに成る前ということだろう。

 オグロスナギツネとクルペオギツネは、動物だった頃のこともかなり覚えているのだが、その一方でオオミミギツネはほとんど覚えていないらしい。とは言え、動物だった頃の習性が完全に消えることはないようだ。

「で、何の話だっけ?」

「来月の夏まつりが楽しみって話なのね」

「そうそう、今年の花火は去年以上にすごいらしいね……じゃなくて! ドッキリをしようって話でしょ!」

 わざと違うことを言うオオミミギツネに、クルペオギツネは律儀にノリツッコミで返す。確かに、ドッキリを仕掛ける側になってみるのは面白そうだけど――

「具体的にどんなことをするんですか?」

「よっくぞ訊いてくれたね! それじゃあ私が昨晩、九時間しか寝ずに考えた手順を説明するよー」

 待っていましたと言わんばかりにハシバミ色の瞳をきらーんと煌めかせたクルペオギツネは、尻尾を揺らしながらドッキリ内容の説明を始めた。

 

 

 の の の の

 

 

「ふむふむ」

 オグロスナギツネとオオミミギツネのふたりにドッキリの説明をすること十分。オグロスナギツネの何度めかの相槌を聞きながら、クルペオギツネは何か頭の片隅に引っかかるものを感じていた。

 手順は昨晩考えたものでバッチリ、準備も三人がかりなら滞りなく進められるだろう。だが何か、何かが引っかかるのだ。これはそう、大切なものを見落としてしまっているような――

「そういえば、肝心なこと訊いてませんでした! このドッキリ、すごく良いと思うんですけど、そもそも誰に仕掛けるんですか?」

「ふふふ。それはもちろん、ハイイロギツネだよ! いっつもお小言食らってるお返しにね」

 再び頭の片隅に引っかかる感覚。

「あれ、でもハイイロギツネちゃんは……」

 何かを口にしかけたオオミミギツネが、口を開いたままピタリと止まる。その向かいに座るオグロスナギツネを見ると、こちらもあんぐりと口を開けて自分の方を指差している。

「ん、ふたりともどうかした?」

「く、クルペオギツネちゃん、うしろ……」

「……へ?」

 振り向くとそこに立っていたのは……ここにはいないはずのハイイロギツネだった。

「話は聞かせて貰いましたよ、クルペオギツネさん。私をドッキリに掛けるつもりだそうですね?」

 いつの間にかそこに立っていたハイイロギツネは、口は笑っているのに目がまったく笑っていない。その周りにはゴゴゴ、と震える立体フォントが浮かんでいるようで……

(やばい、これハイイロギツネの激おこモードだ……!)

「こ、これはそのお、なんと言うか……そう! なかなかゴマントに帰ってこないシマハイイロギツネに仕掛けようって相談してたんだよ!」

 何でもいいから今は適当に取り繕うしかない。しかし、流石にこの言い訳は無理があるだろうか。何か喋って誤魔化さないと、ハイイロギツネの怒りはすぐにでも爆発してしまいそうだ。

「と、というか、ハイイロギツネのお家はもう一つ隣でしょ? やだなあ、間違えて入ってくるなんて」

「ふむ、そうですね。それではこの『限定スペシャルいなり寿司』はいらないんですね。何か頼みごとをされていた気がしたのですが、気のせいだったようです」

「あっ」

 ドッキリのことに夢中で完全に忘れていた。今日は一年に一度しか手に入らない激レアいなり寿司の販売日。そしてちょうど販売場所である管理センターに用があるというハイイロギツネに、買ってきてもらうよう頼んでいたのだ。

 これはもう観念して謝るしかないか、そう考えて口を開きかけたその時。

「キャアアア!」

 静まり返った部屋の空気を、一声の悲鳴が切り裂いた。半ば反射的に周囲を見回すが、悲鳴の主はこの部屋にいる誰でもない。となると、外で誰かがセルリアンに襲われてるのではないか。

「っ!」

 思考がそこまで到達するや否や、クルペオギツネはハイイロギツネの横を通り抜けて全力で駆け出していた。

 玄関扉を乱暴に開き、テラスから石畳の道へ躍り出る。耳を澄ませるが、流れる水の音以外は何も聞こえない。

「クルペオギツネちゃん!」

 そこへ遅れて出てきたオグロスナギツネたちが合流する。ハイイロギツネが少し戸惑っているように見えるのは、もしかしたらこれがそのドッキリだと思っているからかもしれない。が、今はハイイロギツネに納得してもらえるまで説明をする時間も惜しい。

「あ、あのこれって……」

「しっ、ちょっと静かにするのね」

 三人に声をかけて黙らせたオオミミギツネは、耳に手を当て周囲の音を探っている。こういう時にオオミミギツネがいると心強い。

「あっち。あっちから誰かが襲われてる音が聞こえるのね」

 オオミミギツネが指差したのは、鬱蒼とした森が茂る川の対岸だ。幸いにもすぐ近くに石橋が架かっているので、濡れずに向こう岸まで辿り着けるはずだ。

 目線で仲間に合図を送ってから、一刻も早く襲われているフレンズを助け出すため、私は全力で走り出した。

 

 

 の の の の

 

 

「はっ、はっ、はっ……」

 目まぐるしく流れる木の枝や根を躱しながら疾走すること三十秒。果たして視界の奥に現れたのは、黒く蠢く歪な存在だった。

「みんなっ、見えたよ!」

「せ、セルリアン⁉︎ ドッキリではないんですか⁉︎」

「最初からそう言ってるのね!」

「いや、言ってはいなかったと思います!」

 直後、行く手がぱっと開けた。

 正面にはセルリアンの群れ、ざっと見て5体ほどだろうか。左手にはアニマルガール、どうやらへたり込んでしまって動けないようだ。

 絶対に、護らないと。

 セルリアンの注意はそのアニマルガールに向いているようで、こちらにはまだ気づいていない。となると、今が最大のチャンスか。

(出し惜しみなんてしてられないよね!)

 背後の仲間を信じ、勢いそのまま一気に前に出る。

 視界が次第にスローモーションに、モノクロに変化する。想い起こすは、掛け替えのない日常。感情の極点、輝きの奔流を渦巻く激情に乗せて解き放つ。

「せやぁぁああ!」

 朧に揺蕩うプラズムを両の手に纏い、上下から叩きつける――『束縛のウェイバリングバイト』。

 曇天の下、薄暗く沈む森がサンイエローの光に照らされた。一撃で核を破壊されたセルリアンが砕け散る。

「つぎっ!」

 踏みしめた足で思いきり地面を蹴り、最も近いセルリアンに肉薄する。煌めく右手を下段から振り上げるが、既にこちらを認識していたセルリアンは軽々とその攻撃を躱す。間髪入れず、その後ろから大きな爪のような部位を持ったセルリアンが攻撃を仕掛けてくる。腕を振り上げて体が硬直した一瞬の隙を狙った不可避の一撃。

(やばっ⁉︎)

 しかしその爪がクルペオギツネの体に届く直前、眼前のセルリアンが粉々に砕けた。セルリアンから放出されたサンドスターの輝きに照らされ立っているのはハイイロギツネ。どうやら木の上からの降下攻撃で石を直接叩いたようだ。

「ありがと!」

 お礼を簡略に伝えると、横に飛んで残りのセルリアンから距離を取る。

「まったく、いつも先走るからそうなるんですよ?」

「お小言はあと! 残りを片付けるよ!」

 セルリアンを挟んだ向かいにはオグロスナギツネとオオミミギツネが構えている。ちょうど両側から挟み込んだ形だ。

 しかし、この黒いセルリアン相手に絶対優位が存在しないことはわかっている。その高度かつ正確無比な連携に苦しめられたことは一度や二度ではない。

「わかりました。それじゃあいつものでケリをつけましょう!」

「りょうかい!」

 クルペオギツネは再び前に出ると、胸いっぱいに空気を吸い込み――

「わぁぁああっ!」

 思いっきり吠えた。

 その咆哮は振動を伴う波となり、セルリアンの体を拘束する。その直後、戦場にエメラルドグリーンの光が降り注ぐ。セルリアンを衰弱させ、フレンズのサンドスター伝達効率を引き上げる癒しの光。

 ハイイロギツネが木伝いに高く、高く跳び上がると、突如足元から巻き起こった砂嵐がセルリアンを一纏めに巻き上げる。

 ハイイロギツネの周囲に生まれたプラズムの輝きが、ただ一点、ハイイロギツネの額に収束される。

「礼儀を正して出直してきて下さい!」

 ハイイロギツネが、頭を振り下げた。

 パッ――カーン!

 圧縮されたプラズムは圧倒的な爆発力を内包した衝撃波となり、セルリアンたちを石ごと粉砕した。

 

 

 の の の の

 

 

「わたし、エナガって言います。あの、助けてくれてありがとうございましたっ!」

 ハイイロギツネに引っぱり起された小さなフレンズは、そう言うと深々とお辞儀をした。

「ふふふ、私のこといーっぱい褒めていいんだよ?」

 クルペオギツネは一歩前に出ると、上機嫌そうにハシバミ色の耳と尻尾を揺らしている。

「大丈夫でしたか? 怪我、してないですか?」

 胸に手を当て、心配そうに声をかけるのはオグロスナギツネだ。他者のことを誰よりも心配するあまり心配性を患っているが、それも彼女の美点だろう。

「あ、はい。大丈夫……です」

 クルペオギツネにどう接するべきか測りかねているのだろうか。エナガは少し戸惑っている様子だ。

 一方のクルペオギツネはというと、初対面のエナガにも完全にスルーされて不満げに頬を膨らませている。

「でもみんな無事で良かったのね」

「むうう……。ま、いいや。それじゃあ家に帰ってみんなでいなり寿司食べよう!  それじゃ、おっさきにー!」

「あ、待つのね!」

 クルペオギツネがいたずらっぽい笑みを浮かべて走り出し、それにオオミミギツネが続く。

「全く……そうですね、エナガさんも食べに来ますか?」

 ハイイロギツネが相変わらずの呆れ顔から問いかけると、エナガは微妙な表情でもじもじしている。

「えっと……すごく行きたいんだけど、友達を待たせてるので……」

「いえ、無理にと言っているわけではないですから! ――まだ、セルリアンが残っているかもしれませんから、気をつけて下さいね」

「また襲われたら私たちが助けにいきますよ!」

「もう、オグロスナギツネさんはまた軽々しく……」

「でもハイイロギツネちゃんもその時はすぐに駆けつけるでしょ?」

「それは……助けにいきますけど……」

 二人のやり取りを聞いていたエナガからふと笑みがこぼれる。

「ふふ、皆さん仲良しなんですね」

「仲良しですよ! 私のかけがえのない家族ですから!」

 オグロスナギツネは両手をぶんぶん振って興奮気味だ。

「それじゃあわたし、そろそろ行きますね。本当にありがとうございましたっ」

 手を振りながら徐々に高度を上げるエナガを、ハイイロギツネとオグロスナギツネも手を振って見送る。

 見上げた空はまだ鈍色に染まったままだが、頬を撫でる葉風は穏やかで、天気が快方に向かうことを予感させる。

 二人はエナガの姿が見えなくなるまで手を振ると、自分たちも我が家に帰るべく歩き出した。

 

「そういえばクルペオギツネさんって普段はのほほんとしているのに、いざセルリアンが出たってなると怖いぐらい真剣になるのってどうしてなんでしょう?」

 行きは全力で走り抜けた道なき森の道をログハウスの方向へ歩きながら、ハイイロギツネがふとそんなことを呟いた。

 確かにさっきのクルペオギツネのオーラというか、雰囲気のようなものは、味方の私でも怯みそうになったほど凄まじかった。しかし私にはその理由にもあらかた予想がついている。

「ハイイロギツネさんが普段、『自分の中で大切にしているもの』って何ですか?」

 疑問に質問で返されると思っていなかったのか、ハイイロギツネは一瞬答えに迷うそぶりを見せたが、すぐに迷いのない言葉が返ってくる。

「……礼儀、ですね。何事にも真摯に向き合って、相手を想うことを忘れない。あの、それとクルペオギツネさんと、どんな関係が……ああ、なるほど」

 そこでハイイロギツネも同じ考えに思い至ったのか、納得した表情を浮かべる。

「たぶんですけど、クルペオギツネさんにとっての『大切なもの』は今の平和な日常そのものなんだと思うんです。だからいつも、いろんなくだらなくて楽しいことを考えて、日常をめいっぱい楽しもうとしてるんじゃないかなって。それにきっと、護りたいものの中には私たちも含まれてますから」

「それで普段のクルペオギツネさんの態度にもう少し誠意というものが見られれば、私も叱らずに済むんですけどね」

 大きな根っこをジャンプで避けながら苦笑いをするハイイロギツネ――の姿が突如として掻き消えた。

 いや、消えたように見えただけだ。顔を上げれば、そこにハイイロギツネの姿はきちんとある――足に縄が巻きつき、宙吊りになったハイイロギツネの姿が。

「なっ……⁉︎」

 突然の出来事に、ハイイロギツネはスカートを抑えながら困惑している。が、これはもしかしなくても――

「よっし! 引っかかったね、ハイイロギツネ!」

「く、あな……はっ……」

 クルペオギツネ、あなたの仕業ですか。早くこの縄を解いて下さい。そう言いたいのだろうが、逆さまの顔はわなわなと引きつり、うまく言葉になっていない。

「いやー、肝心のドッキリはもうダメっぽかったからどうしようかと思ったんだけどね。予定してた仕掛けをちょっと改造したら予想以上に上手くいったよー」

 当のクルペオギツネはというと、ハシバミの尻尾をぶんぶん振って満足げだ。

「お、オグロスナギツネさん……」

 視線で早く解いてください、と助けを求められるが……この状況、どうしたものか。縄を解けばクルペオギツネは間違いなく二時間説教コースだが、解かなければ後で私も一緒にお小言マシマシ説教コースだろう。

 なんとなく今のハイイロギツネの面白い格好を惜しく感じる自分がいるが、素直にハイイロギツネの縄を解いてあげることにしよう。

「あー! オグロスナギツネ、解いちゃったら意味ないじゃーん」

 残念そうに尻尾を垂らすクルペオギツネに一応目線でごめんなさいを伝えておく。

「さて、クルペオギツネさん。これはどういうつもりですか?」

 あっ、これハイイロギツネの激おこモード(クルペオギツネ命名)だ。

「えっとお……」

「まあまあ。ハイイロギツネちゃん、落ち着くのね。今回の戦いで大活躍だったクルペオギツネに免じて許してあげてほしいのね」

「そ、そうですよ! ほら、一回落ち着きましょう。クールに、ね!」

 すると、オオミミギツネとの二人がかりでの説得が功を奏したのか、それとも他の要因があったのか。ハイイロギツネは思ったよりもあっさりと怒りを収めてくれたようだ。

「まあ、今回は許すことにします。……あなたがただ他人を揶揄(からか)うためだけにこんなことをしているのではないと分かりましたしね」

 後半は小さく呟いただけだったため、ハイイロギツネの隣にいる私と、耳が良いオオミミギツネにも聴こえただろうが、少し離れたクルペオギツネには聞き取れなかったようだ。

「ん、なんか言った?」

「何も言ってません。ぼんやりしているといなり寿司、全部食べてしまいますよ」

 ハイイロギツネはそう言うとそそくさと歩いて行ってしまう。

「うえっ、頼むからそれだけは勘弁してー!」

 

 慌ただしく走り去っていくクルペオギツネの足元には、季節外れの、しかし華麗に咲き誇るカランコエの花が、柔らかな風に揺られ(なび)いていた。



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