比企谷、P辞めるってよ (緑茶P)
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その1

渋で細々書いてる零細Pです。

色んな意見を聞いてみたく、こっちにも投稿。

再投稿&完結作品なので、ぱっぱと読み進めたい方はそっちでも読めます。

チラリズム・小出しが好きな方はどうぞお付き合いください笑




プロフという名のあらすじ

 

 

比企谷 八幡 男 22歳

 

 大学の先輩に美味しいバイトだと唆され付いてった先が346プロだった。逃げようとするが時給の良さとチッヒの甘言に唆され隷属させられた。ちょろい。丁度、シンデレラプロジェクトによるアイドル部門立ち上げの事務処理などをしている時に武内Pに効率の良さを認められ、引き抜かれる。

 最初は何人かいた社員・バイトは激務に耐えかねて徐々に消えていき、その度に便乗しようとしてチッヒに(社会的に)殺されかけている。気付けば、プロジェクト初期メンバーとして芸能関係のあらゆる事に精通して普通の社員より働かざる得なくなった。

 送迎(バイク&ハイエース)・発注・スケ管理・人員配置などなど上司二人の補助がメインだったが年数を増すたび丸投げされるようになった。やだ、優秀。

 チッヒに組まれた地獄のカリキュラムにより単位も就活もギリギリだった(チッヒ的には就活は失敗するように組んでた)。それにより、無事に今春から社会人に。

 

 アイドルからは最初は腐った目のせいで引かれるが、予想の斜め下ばかり着いてくる会話と根は真面目で誠実であることが伝わると徐々に心は開かれる様だ(ちなみに小梅嬢は初期から好感度MAX)。また、前向きで頑張り過ぎなアイドルにとっては彼のやる気のない反応が程良い息抜きになる事もあるらしい(だいたい怒られてるが)。

 ただ、将来のユメが専業主婦と言って憚らないのでよく女の敵だのクズだの呼ばれている。

 

 

武内P

 

 真面目で紳士。よく逮捕される。比企谷と一緒にいると囲んでる奴だいたい警察。

 

 仕事しすぎのワーカーホリック。好物はハンバーグ。

 

 

チッヒ

 

 「鬼、悪魔、ちひろ」で有名なあの方。武内Pと八幡と同じ大学のOG。その経験を生かした魔のカリキュラムで八幡をバイト漬にした諸悪の根源。

 

 シンデレラプロジェクトのやべー方。

 

 

ーーーーーーーーー

 

 

武P「皆さん、大切な話があるのでご注目願います」

 

 低く呟くような声。それでも、その声を聞き逃す者はこの部屋には誰もいない。ガヤガヤと明るく声を交わしていた乙女たちはたったその一言で佇まいを直し、声の主に視線を向ける。

 

 その目に宿るのは強い信頼と、熱意。この男が命じるならば、全力でそれに取り組んで見せると雄弁に語っている。

 

 見られる方が焦げ付いてしまいそうな眼差しを受けるのは、大柄な鋭い視線の大男であった。その視線に値するだけの成果を、結果を彼は彼女達に示し続けて来た。

 

 彼が起こした伝説的な企画にちなみ、”魔法使い”と呼ばれるほどに。

 

 その彼が、向けられた熱すぎる視線をゆっくり見まわし、重々しく口を開く。

 

「皆さんお忙しい中でお時間を頂きありがとうございます。こうしてお会いできる時間が滅多に無くなってしまいましたが、それぞれの活躍を聞くたびに、嬉しく思っています」

 

 その言葉に乙女達が浮かべた表情は、本当にそれぞれだった。

 

 ココに集った誰もが今をときめくトップアイドル。こうやって時間を合わせて顔を合わせる事なんて本当に難しく、彼女達が昔のように集い、談笑する機会は全くという程なくなってしまっていたのだ。

 

 その喜びと哀愁、そして不器用なプロデューサーの気遣いに最後はみんな苦笑いで答える。

 

楓「あらあら、なんだか久しぶりの集合は湿っぽくて駄目ですね。これからは”週5回”で”集合”しましょー!」

 

川島「……楓ちゃん?」

 

 しんみりとした雰囲気をぶち壊すような陽気な声がお決まりのお叱りを受けた事で室内の湿っぽい空気は笑いへと変わって行く。

 

きらり「にょわー、でも楓ちゃんの言う事に大賛成だにー。きらり、みんなのお顔みたらもっーとハピハピでがんばれるにー!!」

 

杏「き、きらりはもうこれ以上元気出さなくて大丈夫じゃないかな・・・。く、苦し、い」

 

茜「うお―――!なんだか熱い展開ですね!!新旧シンデレラ集めてやっちゃいます!?なんかやっちゃいます!!?」

 

ナナ「…新旧って深い意味はありませんよね?旧は最初にデビューした組の総称ですよね?ね!?」

 

夏樹「私はナナさんの生き方、ロックだと思ってるぜ!!」

 

 ~ガヤガヤ~

 

 静かだった部屋に活気が再び広がり、各々がやりたい事や展望を語り始める。この眩い輝きこそが彼女達をその地位に立たせているのだと、改めて認識させらる。

 

凛「で、プロデューサー。今日の話ってなに?その、ホントにそうゆう企画があるなら嬉しいんだけど…」

 

 明るく未来を語っている彼女達の中から、黒髪ロングの女の子”渋谷 凛”が控え目に話を切り出して来た。無愛想だった昔とは違い、自然な笑顔で問いかけてくるのだから感慨深いものがある。ただ、惜しむらくは彼女の淡い期待に答えられるような報告では無い事に胃が痛む。

 

 そんな俺の憂鬱さが移った訳でもないだろうが、武内さんが気まずげに首元を抑えるいつもの仕草をしながら言葉を紡いでいく。

 

「いえ、将来的にはその企画もやってみたい企画ではあるのですが……今日は残念なお知らせをしなければなりません」

 

 その一言に、部屋の空気が固まった。姦しくも温かかったその空間に緊張が満ちてゆく。

 

 重苦しい重圧に俺の胃がきつく締めあげられる。次に武内さんが発する言葉を今からでも取り消したい衝動に駆られるが、そんなことはいまさら出来ない。

 

 自分はサイを投げ、もう目は出てしまったのだから。

 

「”シンデレラプロジェクト”発足時から皆さんや自分を支えてくれていた比企谷君が大学の卒業と共に就職し、この役職を離れる事となりました」

 

 

「「「「「「「「「…………」」」」」」」」」」」

 

 

 小さく息を整えた武内さんがそう言い切り、しばしの時間が流れる。

 

 言われた意味が実感を持って伴わないのか、彼女達はゆっくりと武内さんの隣に立つ俺へ視線を移して行く。

 

 どいつもこいつも一癖二癖ある変人と言って差し支えない奴らではあったが、素人から駆けあがって行くこいつ等を支えて、昇り詰めていく彼女らは間違いなく尊いものだと思った。

 

 だからこそ全力で応援して来たつもりではあるが、この会社を去る自分にはもうそれは叶わない。

 

 そんな自分に彼女達がどんな言葉を投げかけてくるのか、恐くてたまらない。だが、それすら受け取らずに逃げ出す事だけはしたくなかった。そのために武内さんに無理を言って彼女達と最後の機会を設けて貰ったのだ。

 

 続く沈黙に、なにか言うべきかと口を開けかけた瞬間に微かな掠れた音に口をつぐむ。

 

 それは、ほんの少しずつ数を増し、遂には大きく、弾けた。

 

「「「「「「wwwwwwwwwwwwww」」」」」」」」

 

 『どわはっはっはー』と吹き出しが入りそうな程の大爆笑である。なに?妖怪の仕業なの?

 え、なにこれ?八幡急な展開の変化についてけない。シリアスパートじゃないの?これ?

 唐突なアイドル達の反応に俺も、武内さんも戸惑いを隠せず困惑していると彼女から次々と言葉が飛んでくる。

 

星「ふふふふひひひひひ!!し、親友が、しゅ、しゅうしょくWWWWW!!」

 

周子「あっはっはっはっは!!マジで!!てか、留年じゃないんだ!!単位この間までギリギリだったのにWWW!!」

 

杏「ねえねえ。就職先はどこー?養ってくれるププッ、奥さん見つかったのWWW!!杏にも紹介してよー」

 

蘭子「折れし翼を休め再び羽ばたかんことを!!(また、がんばりましょう!!)」

 

 

・・・・・・こ、コイツら。てか、誰のせいでギリギリになったと…チッヒのせいだったわ

 

 

奈緒「しっかし、あんたらも人が悪いよな。大層な話かと思えば比企谷のドッキリかよ~。一瞬、ビビっちまったぜえ!!」

 

みく「ホントにゃ!!悪ふざけも度が過ぎると悪質にや!!」

 

リーナ「ちょっとWW就職しましたの報告がわるふざけて言い過ぎWW!!」

 

 

・・・・・いや、マジで受かったんですけd

 

 

新田「比企谷君、失敗は決して恥ずかしい事なんかじゃないわ?そこから新しい自分を見つける事だって出来るわ?」

 

アニャ「ダ―!!これからも、がんばりましょう!!」

 

紗枝「ほんに、いけずやわー。万年就職希望が”専業主夫”の人が何をゆうとんのやらww」

 

文香「その目、私は好きですけど…」

 

 

・・・・・・・大笑いされるよりもしんみり言われる方が傷つくな。

 

 

幸子「まー、しょうがないですから?もう一年くらい世界一可愛い僕の面倒みさせて上げてもいいですよ!!」

 

まゆ「もうちょっとしたら養って上げますから、そんなに焦らなくて大丈夫ですよ!!」

 

拓海「まあ、他で内定貰えなかった事くらい気にすんなよ。幸いココで仕事は続けられんだから自暴自棄になんなって」

 

楓「採用、さいよう・・・さい、ハッ!即採用なんて、うそくさいよう!!」

 

 

~どわっはっはっはっは!!~

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・プツン。

 

 

 

武内P「あ、あの、皆さん。今回の件はドッキリとかで「うっせーーー!!てめえら俺が就職すんのが、んなに滑稽か!!!」」

 

 

 武内さんが気まずげに何かを喋りかけていたが、思わず俺の怒髪天が天をついてしまった。

 

 八幡、…久々にプッツンきちまったぜ。

 

「もーいい!!ちくしょう!!人がせっかくシリアスにお別れの席を設けたのに!!お前らあとで泣いてもしらね―かんなー!!俺が居なくなったら誰がロケ弁発注すると思ってんだ!!言っとくけど、あそこまで鬼チッヒ予算で最上級の物なんか用意できる奴なんかいねーかんな!!」

 

ちひろ「…ほほう、もっと削ってもいけたみたいですね」

 

 なんか背筋が冷えたがもうここまできたらいい逃げだ!!い、いったれ!!

「てか、誰のせいでこんなギリギリまで単位と就活遅れたと思ってんだ!OBだっていう武内さんとちひろさんにカリキュラム聞いたらほぼココのバイト一色になる様なスケジュールなってたんすけど!!おかしいでしょ、夜間部の授業単位まで受けてギリギリってのは!!」

 

 あ、チッヒと武内さんが目をそらしやがった。コイツら。なんか「いや、ちょっと興が乗りすぎまして…」とかいってっけどぜっ許。あーもう、ココまできたら今日は言いたい事全部吐きだして行ってやる。大学四年間でために溜めた俺の愚痴を受けてみろ。

 

 そっからは何を言ったかあやふやだが、なんか日頃おもってた事を一人一人になんか言ってた気がする。みりあはいい子過ぎるだの、森久保はもっと自信もてとか、なんか勿体ないんだけどバイトとして口挟むのもな~的な奴を全部ぶちまけた気がする。あと、なんか最後に酸欠気味に何かを叫んだ気がするが頭が痛いので思い出せない。

 

 怒りが醒めて、気がついたらみんな顔真っ赤で相当怒ってるぽかったからヤバい事だけは分かった。久々の黒歴史殿堂入り事件入荷である。ちなみに八幡は真っ青になってた。低血圧を疑うレベル。べー。マジベーわ。

 

 4年間それなりに必死に努めて来たバイトの最後がこれとはなかなかな結末だけど、まあ、下手にお涙ちょうだいとならず丁度よかったかも知れん。笑って、怒ってくれたならこっちも飛び立ちやすいってもんだ。

 

 美少女達に泣く泣く引きとめられでもしてみろ。常務が投げつけて来た契約書に印鑑とサインしてしまうまであるボッチのちょろさ舐めんな。

 

 そんな結論で自分を納得させ、ちょっとの寂しさと笑いをかみ殺して俺は部屋を出た。

 

 なんか、武内さんが呼び止めたそうにしてたけど何だろうか?まあ、真面目な人だから段取り的な物を最後までしたかったんだろうが俺らにはこれくらいがちょうどよさそうなので勘弁して頂こう。

 

 記憶があいまいなままだが色々ぶちまけたせいか気分がよくグッと背を伸ばし、窓から覗く桜のつぼみを見つめ、新春からの新しい生活と彼女らの活躍に思いをはせた。

 

 社畜とアイドルに幸あれ!!

 

―――――――――――――――

―――とあるお好み焼屋――――

 

加蓮「いやー、今日は面白かったわ―。まさか武内Pまであんな悪ふざけに乗ると思わなかったもの」

 

奏「意外ではあったわね。まあ普段はふざけた事しか言わなくてもやっぱり比企谷君にも意地はあったんでしょう?」

 

奈緒「アイツにそんなんあった方が驚きだよなー。逆に安心したよ」

 

周子「まあ、私もニートしてたから分かるけどなかなかしんどいンよ?そら卒業式二週間前に単位ギリギリ取った男をとる会社なんかあらへんやろけど、大手を振って他に内定無しとは言いづらいもんやって」

 

 ま、私はそれで大手振っとったから勘当されたんやけどー、と笑う彼女に苦笑が走る。

 

卯月「んー、皆さん笑ってましたからてっきり冗談なのかと思ってましたけど、ホントだった場合どうなるんでしょうか?」

 

未央「ちっちっちー、甘いなー。甘いよしまむー。武内Pは言ってたじゃん?”この役職を離れる”って」

 

卯月「どういう事ですか?」

 

未央「つーまーり、会社からいなくなるとは言ってないんだよ!!」

 

卯月「……あ、そういう事です、か!?」

 

 その場に居るアイドルが一様に大きく頷く。

 

美優「まあ、そんなギリギリの学生を雇う会社なんて普通ないし、この業界だと新入生は顔合わせを兼ねて色んな部署を回る事になりますからね。まあ、少し寂しい気もしますけど戻ってくるまでの我慢ですね!!」

 

みく「ホーンと悪質な冗談にゃ。自分が一般企業の内定取れない恥ずかしさを誤魔化すためにあんなドッキリ仕掛けるなんて!!ミク達が真に受けたらどうするつもりだったのよ!!」

 

卯月「みくちゃん素が出ちゃってるよ…。で、でもでも、それはいい方の問題でホントに辞めちゃってたら!?」

 

拓海「うーん、むしろそっちの方が難しんじゃねぇか?普通、あそこまで食い込んじまったら逃がさねえだろうし、大体、常務とちひろさん、武内Pのお気に入りだろアイツ。業界大手の大御所三人に気に入られてる人間を引っこ抜くなんて相当気合いがいるぜ?それが他業種だとしてもな?」

 

卯月「な、なんかそう言われてみると比企谷さんにそれ以外の選択肢がなさそうに思えてきますね」

 

凛「それに、卯月だって聞いたでしょ?最後にアイツが言ってた言葉」

 

卯月「う、ううホントにあんなストレートに言われて恥ずかしくなっちゃいましたよ」

 

杏「全員の痛いところ。いいとこも悪いとこも、ぜーんぶ指摘してって最後に”俺はお前らの全員のファンだぞ!!頑張れ!!”だもん。ホント恥ずかしいよね」

 

凛「あんな恥ずかしい事を宣言する奴がこの会社辞められる訳ないじゃん?」

 

楓「あんな事言われたら、アイドルも愛取られちゃいますね?」

 

 

~どわっはっはっはっは!!~

 

 

文香「新入生の入社式は4月1日らしいですね」

 

ありす「じゃあ、その日にあのマダオをみんなで笑いに行ってやりましょう!!顔真っ赤にして恥ずかしがりますよ!!」

 

夏樹「お、いいね!その案私も乗ったぜ。みんなはどうする?」

 

その他「さんせ―!!!」

 

 

 やんややんやと姦しく、騒がしく、そして楽しく笑う私たちは意気揚々とその日を待ち望み、せわしなくも過ごすうちにその日を、迎えました。

 

 

 

 ただ、どんなに見直しても新入生の一覧に、彼の名前が見つかる事はありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 



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その2

初なので連投。

誤字脱字が多いのはもはや病気の域。

心の目で解読してくだしゃあ…。

―――――――――

プロフという名のあらすじ


 雪ノ下 雪乃 女  22歳

 色々あったが家族の関係は修復に向かいつつあるため、丁度今頃になって思春期の母子みたいな関係になってる。不器用か。そんなこんなで自分の夢を叶えるべく家業を継ぐために大学を専攻し、学ぶ度に自分の身内の凄さを実感したために今ではそこそこ大人になったとの評判。今春から社会人。
 
 美人・絶壁・毒舌を兼ねそろえたパーフェクトウーマンである。


 雪ノ下 陽乃 女  25歳

 雪ノ下家のヤベ―方。

 すったもんだの末、家業は継がずに個人で設計事務所を構えているらしい。顔だしNGで有名ながら、緻密な設計と独創的なアイディアは国内外問わずファンが多い。
 一時期は荒れていたらしいが、最近は終始機嫌が良いとの事で身近な人間ほど不穏な空気を感じているらしい。


 渋谷 凛   女  15歳

 coolの狂犬と言えばこの人。見た目に反したあまりの愛情深さから「咥えた獲物は離さない。情熱の蒼き炎が獲物を焼きつくす」との呼び声が高い。まさに狂犬。


 ~346プロ 某地下倉庫~

 

凛「え、え?話が違うんですけど?誰?無責任に”ドッキリだー”とか騒いでた人?え、未央さんでしたっけ?」

 

 日の差さない地下倉庫の中、集まる乙女を照らすのはいくつかのカンテラの明りのみ。そんな中、響く声は最早ホラーを通り越して、スプラッタのワンシーンだ。更に、その主演女優たる少女の瞳孔が開ききっているのだから今期のノミネートは間違いない出来だ。

 

未央「あっつ!!あっついから!!低温蝋燭なんてどっからパチッて来たのさ、しぶりん!!てか、それは皆で同罪じゃないかなー!?私を磔にしていいのは、あの時笑わなかった人だけッツツツツツあっつーーーーーい!!!」

 

 なんの企画で使ったのか分からないが置いてあった磔セットにあられもなく張り付けられた未央の悲鳴がどうにもコメディぽく地下室に響く。そんな尊い犠牲を脇に他のメンバーが膝を突き合わせて協議を進めていく。

 

拓海「嫌でも実際、あの退職宣言がマジモンとは思わなかったぜ。いくら笑われて腹が立ったて言ってもそれで安定を手放すような馬鹿でもないだろ?」

 

紗枝「そうどすねぇ。346が激務なんはウチラも身を以って知っとりますけど、待遇だけを考えるならここを超える様な所そうあらしまへん。ましてや、あんな状況やろ?」

 

 単位ギリギリ・バイト三昧・就活期間2週間・性格。この目も当てられない四拍子が揃っているなら、マトモに就活に励んだとしてもココよりよい条件が難しい事は分かっているはず。バイトだった時でさえ一般社会人の給与は大幅に超えていた。ソレを超えるメリットは一体なんなのか?

 

周子「うーん、さらに言えば武内Pは分かるけど常務、部長、ちひろさんがあそこまで育てた人材を逃がすともおもえへんしなぁ?」

 

 武内Pは性格上、本人の強い意向ならば身を引くのも分るのだが、他の三人はそう甘くはない。実際にちひろさんがあの手この手でちょくちょく辞めようとするあの男をやり込めていたのは周知の事実。

 なんなら上の二人は必要とあらば、もっと直接的な圧力をかける事に躊躇いはないはずだ。この業界が長ければそのクラスの人間の黒い噂は嫌でも耳に入ってくる。

 

川島「て、ことは。あの二人に釘をさせるほどの後ろ盾。もしくは、比企谷君を手放しても惜しくないくらいの旨みをどっかの誰かに提示されたってことよねー?」

 

 たかがバイトの進退一つに何を大げさな、と考えなくもないがこの巨大プロジェクトの実権を握る二人の仕事をたった一人で補佐しきる人材は探して見つかるモノではない。彼自身、自覚はないかもしれないが、学業との片手間でソレをやり切ったというのだから大概イカレテいる。

 

奏「でも、その彼の仕事っプリを知ってる人間も結局は芸能関係に絞られる訳でしょ?前提が破綻しちゃうわ」

 

 状況を考えれば考えるほど今回の件は不可解な点が多い。そんな謎ときに皆が唸る中、小さく鼻を啜る音が響き視線を集めた。

 

仁奈「仁奈は難しい事も、おにーさんが居なくなった理由も分らないでごぜーます。でも、おにーさんと最後に会ったとき仁奈、”ありがとう”って言えてないで、ごぜー、ます。あんなにやさしい”頑張れ”もらったのに、お返し、じとつもでぎてないでごぜーまず!!」

 

 

「「「「「・・・・・・・・」」」」」

 

 

 それは、きっとみんなが気付いていて、ちょっとずつズルして触らない様にしていた、核心。

 

 何とか彼が辞めた理由を彼自身の中に求めたかった。

 

 あんなに全部、良いとこも欠点も見ていてくれた彼が去った理由を、自分たちの中に見つけたくなかった。

 

 そんな自分たちの醜い部分は何時だって彼が皮肉気に笑って請け負ってくれていたから。

 

 いなくなった今だって、それに甘えようとしている。

 

 どれだけ甘やかされていたのかを、思い知る。

 

「…だからだよ」

 

 誰もが、俯いてしまった中で凛とした声がその沈痛をうち切る。

 

 その声に魅かれる様に、目を向ける。

 

 握りしめた拳は真っ白になるまで握られ、悔しげに噛みしめられたその唇は微かに血が滲んでいる。

 

 だが、その瞳だけは何処までもまっすぐを見据えている。

 

凛「きっとアイツはいまさら謝罪なんか求めないし、引きとめて欲しくなんかない。居なくなるぞって言う時に大笑いした私たちにアイツは楽しげに好き勝手にいって”頑張れ!!”って言って出て行ったんだ。だったら、アイツが居なくたって前に進んでいける所を見せてやる。それだけがきっと、私たちが出来るたった一つのお返しなんだ」

 

 その瞳に、迷いはない。だが、たった一つの後悔だけは、滴となって地面を叩いた。

 

 願わくば、最後に、たった一つだけまた甘える事が許されるならば。

 

「ごめんね、ありがとう比企谷」

 

 この一言を呟く弱さを、彼に願おう。

 

 その一言に、張り詰めていた全員の糸が切れた。

 

 涙を流すもの、肩を寄せ合うもの、至らなさに壁を叩くもの。

 

 様々な感情を抱きつつ、彼女らは己の弱さと醜さを受け入れた。

 

楓「だ、そうですけど。どうします、武内くん?」

 

 そんな空気にまったくそぐわぬ穏やかな声と共に軋んだ扉の向こうから気まずげに現れる巨躯の男。

 

 まったく誰もが状況が分からぬまま固まった空間を彼はゆっくり見まわし、ゆっくり口を開く。

 

武内P「とりあえず、その蝋燭を片づけてください。…渋谷さん」

 

 蝋まみれになって何かに目覚めかけている未央の事は触れないだけの慈悲が一介のプロデューサーにもあったのだ。

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

武内P「おおよその経緯と誤解については、かえ…高垣さんからお聞きしています」

 

 そうゆっくりと語る彼の前にはきっかり正座で構えるトップアイドル群。なかなかシュールである。

 

武内P「私の言い方の問題もあったのでしょうが…正直なところ、あんまりな彼への対応に思う所も多々あります。ですが、彼の日頃の口癖を聞いているとそんな誤解が生まれてしまったのも仕方ないのと、先ほどの貴方がたのお話を聞かせて頂き、迷いも産まれました」

 

 滅多に見せない彼の強めの言葉に何人かのアイドルが吐血しながら地に伏せ、その他も脂汗や気まずさで軒並み挙動不審だ。客観的にみていた彼からすればまさに悪鬼の所業だった事は想像にかた過ぎる。

 

 そんな彼女達を見て彼は小さくため息をつき、言葉を続ける。彼はゆっくりと懐から携帯を出す。

 

「本来は余計なお節介なのかもしれませんが…貴方がたの新たな決意を、思いを知らないまま彼がこの仕事を辞めてしまうのは少々残念です。彼には、やって来た事の成果を実感する権利があります」

 

 呟くようなその言葉を理解すると、取り戻せないと思っていた何かを、取り戻せるかもしれない。そんな期待に彼女達は思わず顔を明るく見合わせた。

 

「ただし、彼が承諾してくれた場合のみです。それに、もう関係者でない彼にあなた方が全員で押しかける訳にはいきません。会いに行けるは一人だけです」

 

 その一言に、視線は自然と一人に集まる。

 

 集った視線に臆する事もなく、彼女は力強く頷き微笑む。

 

凛「うん。行ってくるね、みんな!!」

 

 

ーーーーー

 

 

 晴天の春の陽気は緩く空気をほぐし、それにつられた様に桜のつぼみもその身を華やかに散らしている。軽やかに舞う花びらは、こ洒落たカフェテラスにも流れてゆったりと俺のコーヒーに流れ着く。

 

 行き先ならいくらでもあるだろうにこんな所に態々来る不躾者に軽く片眉を潜めて遺憾の意を示してみるが、当の本人はこちらの意向など知った事かと真っ黒な湖面をゆらゆら舞うばかり。そんな気まぐれで不遜な姿に溜息を洩らし、これも春の風情とそのまま頂く事にする。

 

「…コーヒー相手に何を一人で百面相してるの、気色悪谷君」

 

 口に広がる苦さに顔をしかめていると、心底呆れたような声を掛けられた。

 

「春の風情って奴を感じてたんだよ。あと、ナチュラルに名前を悪口に変換すんのいい加減辞めろ、雪ノ下」

 

「あら、てっきり友達がいなさ過ぎてついに食器相手ににらめっこを始めたかと思って心配して上げたのにご挨拶ね?」

 

 流れるように交わされる会話の剛速球(一方通行)に俺は顔をもっとしかめてしまい、俺の向かいに座るタイトなビジネススーツに身を包んだ”雪ノ下雪乃”が楽しげに笑う。

 

「失礼な事言うな。にらめっこなら産まれてこの方負けなしだ。なんなら見つめ合わなくても向こうが勝手に笑いだすまである」

 

「はいはい、それは良かったわね。人を笑顔に出来るって素敵な事だわ。才能があるのね」

 

「…もうその優しげな視線が何よりの暴力ってのもある意味才能だよな」

 

 優しく嗜めるようなその表情が何とも癪だが、少なくとも今日の彼女は随分上機嫌であるらしい事が窺えた。昔と変わらぬ紗のような黒髪は陽光を受けて艶やかに輝き、華奢で儚さすら感じる造形はいつもと変わりない。だが、いつもならば冷たさすら感じてしまうその怜悧な表情は、朗らかで優しげだ。理由は分からずとも無闇に藪を叩く必要もないので鼻を一つ鳴らして鋒をおさめる。

 

 なにより、今日というハレの日を迎えられる恩人相手に毒舌合戦を仕掛ける必要もあるまい。

 

「しかし、良かったのか?初っ端の同期の奴らの集まりについてかなくて。社会人じゃああいうのってたいせつなんだろ?」

 

 適当な話題転換のつもりだったのだが、胡乱気な視線を向けられしまう。今日だけで睨めっこだけでなく蛇を引きよせる才能まで発覚してしまった。そりゃ友達もできねぇわけだぜ。

 

「ええ、そうね。学校と違ってなが―い付き合いになる人たちとの大切な集まりを間髪いれずに断ろうとした誰かさんの用事が終わったら、参加させて頂く事にするわ。…誰かさんを引きずってね」

 

 刺々しい言葉に気押されつつも、どうにも要領を得ない。入社式というハレの日で当然のように企画された同期達の宴会。友でありながらライバルである同世代の人となりを知るにおいてそれは様々な観点から見ても必要な行事で、それ如何によっては今後の立ち位置だって変わってしまう。まあ、しかし。自分がそれに参加したところで結果はお察し。壁の花となれれば良い方で、居るだけで盛りさげてしまう人種が居ては迷惑だろうから別件の用事を優先させたのだが…何故か雪ノ下が俺の頭をひっぱたき後ほど合流という流れにされてしまった。

 

 社長令嬢でいつか自分がその社長の座につかんとしている彼女が、コネと温情で拾って貰ったような自分と関係を勘繰られて不快な思いをするのはどうにも忍びないし、今後を考えるなら控えるべきだ。という事を説明すればさらに大きくため息をつき”なんだか昔より拗らせてるわね、この男…”などと呆れたように呟かれた。意味が分からない。

 

「まあ、その辺はおいおい修正していくとしても今日の用事っていうのは何なのかしら?アナタにしては珍しく嘘じゃないのは分かるけれど、今日で無ければダメだったの?」

 

「なんか前のバイト先の上司から電話が来て、大切な話があるらしくてな。詳しく聞こうにもどうしても直接にしてくれないかって言われてたから会うまで内容は分からんけど、もしかしたら、退職か事務関係でなんか不備があったんじゃねえか?」

 

「まさかと思うのだけれど、入社式まで済ませておいて今さらごねようって話ではないでしょうね?」

 

 何気なく答えると彼女は整った眉をほんの少し潜めて聞いてくるが、それに関しては苦笑を返すしかない。

 

 武内さんは言わずもなが、チッヒにも渋々といった体ではあるが了承を得ているし、肝心のアイドル達とは黒歴史確定級の清々しいほど派手に別れを決めて来た。ココまでやっといてあっちに戻れる程のハートは持ち合わせていない。

 

 そんな俺の様子を見て彼女も眉間のしわをゆっくりとほどいて、微笑む。

 

「ま、そうだと良いのだけれどね。貴方はいつも甘いからせいぜい絆されない様に気を張っていなさいな」

 

 桜が舞う中、悪戯っぽく笑う彼女に思わず見とれ、頬が少し熱くなるのを誤魔化すように目線を逸らす。そんな憎まれ口を叩く彼女が自分の為にあっちこっちに駆け回って、頭を下げ回ってくれた事を知っている俺は思わず心の中で悪態をついてしまう。

 

 本当に甘いのはどっちだよ。

 

 そんな心の声が聞こえたかどうかは分からないが彼女が今さら、といった感じで聞いてくる。

 

「そういえば、約束の時間は何時なの?待つのは構わないのだけど、あまり時間が掛かるならあっちのグループに連絡しなければならないわ」

 

 言われて時計を見てみれば待ち合わせの時間まで後10分といったところだ。

 

 生真面目なあの人の事だからそろそろ――――

 

「比企谷!!」

 

 

 聞き覚えのある声が、俺を呼んだ。

 

 



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その3

しぶりん、到来。


プロフという名のあらすじ

 

 

 佐久間 まゆ  女  16歳

 

 皆さんご存知、仙台の星”ままゆ”。優しく、気立ても良く、美人で、一生懸命という何拍子も揃ったスーパーアイドルである。東北女子らしく”毛も深けりゃ情も深い”との名言に違わず色々拗らせている。やだ、東北恐い。

 

 

 

 小早川 紗枝  女  15歳

 

”舞子はーん”ならぬ”紗枝はーん”でお馴染みの彼女。京都人特有の言葉づかいは一見嫌みに聞こえるが、京都人特有の奥ゆかしさを理解すると気遣いに溢れている事に気付かされる。

 

紗枝「せっかくどすから、ぶぶづけでもたべなはれ」

 

さて、貴方はどっちに聞こえました?

 

 

 松永 涼    女  18歳

 

 クールであり、パッションであり、キュート。万能系イケメン女子である。アイドル部門でも珍しい常識人であり、危険分子のお目付け役でもある。最初は胃を痛めていたが、最近は息するようにお世話しているので良いお母さんになりそうだともっぱらの噂である。『おまえがママになるんだよ』待ったなしである。

 

 

―――――――

 

 

 

 聞き覚えのある、と言うと少し語弊があるかも知れない。

 

 涼やかで、その名に相応しい澄み渡った声は聞いたことがないくらい弱々しく震えていたから。

 

「…そんな日数経ってねぇのに久々に会った気がするな、”渋谷”」

 

「っ!!」

 

 彼女の目深にかぶった帽子と眼鏡の奥の瞳が意図的に取られた距離感に不快感を表すが、あえてそれを気がつかない振りをして、ゆっくりと周りを見渡す。

 

「武内さんが居ないって事は…用があんのはお前の方か。どうした?向こう二月分くらいの引き継ぎと書類に関しては個別に作ったファイルに纏めてるから「比企谷」

 

 見え透いたその場しのぎの言葉を弱々しい声が遮る。

 

「仕事、辞めるって…本当?」

 

 半ば予想していた問いかけ。そして、紡がれぬ事を願っていた言葉だ。

 

 あの時、彼女達の前で問われなくて本当に良かった。たった一人でこれなら、全員分のならばきっと耐えきれなかったかも知れない。終わりが見えている物語に、あるはずのない未来にみっともなく縋りついていたかも知れない。でも、役割を終えきった今だから偽りなく笑って答える事が出来る。

 

 ほんのり苦さを伴いつつも、本心から、笑えるのだ。

 

「ああ、この前話した通りだ。どうした?弁当のグレードが落ちて早速、俺が恋しくなったか?」

 

「……なんでか、聞いても良い?」

 

 茶化すように問いかけた言葉は絞り出すような彼女の言葉に塗りつぶされてしまう。

 

 俯いた彼女の表情は窺う事が出来ないが、震えるほど握られたその指は怒りか悲しみか。或いはどっちも混ぜ込まれたものなのか、俺には分からない。だが、嘘だけは吐くべきではないのだろうと小さくため息をつき、言葉を紡ぐ。

 

「俺が、お前らにしてやれる事はもうやり切ったからさ」

 

「ッツ!!そんな事は「あるんだよ」

 

 凛が俺の胸倉を掴み掛かり、激昂するのを遮る自分でも驚くほど冷めた声が出た。

 

「そんなこと、ないよ…」

 

「あるんだよ、”凛”」

 

 かつてと変わらぬその呼び方に彼女の顔がくしゃりと歪む。それでも、俺はもうその溜まった滴を拭う資格は無くなったのだから手をそっと震える彼女の手へと重ねた。

 

 最初は、楽なバイトだと思ったのだ。

 

 支給された車で指定された場所に指定された時間で送り届けるだけ。空いた待ち時間でちょっと設営や雑務を手伝えば更に追加報酬。決め手は無口であればある程に好ましいというのも魅力的であった。送迎対象がアイドルの卵たちだと知った時にはさすがに肝を冷やしたが、”無口”という点で納得もした。余計な因子はちょっとでも省きたい業界として、それはある種のステータスですらあったのだから、自分でも雇われた理由は驚くほど納得できた。

 

 だが、こっちが無言を心がけているのに好き勝手に暴走する彼女達に思わずツッコミを入れてしまったのが運の尽き。案山子かと思っていた運転手が移動中の暇つぶしに使える事が分かると仕事は一気に面倒になったのだ。やれダジャレの品評会だの、おすすめホラーだの、世界一可愛い娘のヨイショだの乗せる度にどうでもいい事に付き合わされる地獄と化した。

 

 気がつけばバイトを紹介した先輩は消え、アイドルに同伴してたマネージャーも減り、雑用をこなしていたはずの二ーちゃん達も居なくなって、アイドルは倍増していた。

 

 人は減っても、増え続けるアイドル。

 

 それらが頭打ちになるまでには事務所のスタッフは三人までになっていた。

 

 そこで、辞めればよかったのだ。楽な仕事がそうじゃ無くなった。たったそれだけの話でいつものようにバックれてしまえば良かった。与えられた仕事を投げ出せば自分はお役御免。ただのバイトに責任感なぞ不必要。そう思って実行した事だってある。

 

 そんなときに送られてくる一言は決まって『彼女達、待ってますよ?』という悪辣なメールだ。

 

 人の仕事に好き勝手文句言いつつ、ステージが終わった後に満面の笑みを浮かべてくる彼女達を人質に取る悪辣な事務員からの一言が俺を働かせ続けた。

 

 どうせ辞められぬならと、全てのスケジュールを網羅して、金に飯、メイク、発注、全てを最適化して纏められる物は纏め、彼女達の自助努力で出来るものは全てをやらせるようにした。

 

 常務に目をつけられて厄介事に巻き込まれもした。

 

 彼女達個人の悩みを打ち明けられ、彼女達も人なのだと気づいた。

 

 

 

 そうして、

 

 

 

 馬鹿みたいに働いているうちに、彼女達は、手も届かぬほどの星となっていた。

 

 

 

 

”自分が押し上げた”などと自惚れる事が出来るほど恥知らずではない。彼女達は最初こそどん底であったものの、その中でも誰にも負けない輝きを放っていたのだから何時かそこに至っていたのだ。

 

 それに気がついたときにふと見回してもうひとつ気がついた。自分は何にも持っていない事に。

 

 大学四年の単位ギリギリで就活未定。バイト三昧で使う暇のなかった莫大な貯金通帳。絵に描いたようなクソ野郎がそこにいた。

 

 もう一度、彼女達を仰ぎみれば嫌でもまた気づいてしまった。自分のやって来た事は、もう、彼女達には必要のない事なのだと。

 

 人も、予算もないからこそ重宝されて来た。トップアイドルになった彼女達の周りには器用貧乏な自分には及びのつかないほどの一流がその席に名乗りを上げている。

 

 それでも、何か無いかと言い訳を探して絶望した。

 

 原石を見つけ、宝石へと磨き上げたのは自分では無い。

 

 武内さんの並はずれた真摯さと情熱がそれを彼女達に決意させていたのだ。

 

 無から有を絞りだす様なちっぽけな運営資金をココまで膨らませたのは自分では無い。

 

 ちひろさんの化け物じみた経営能力があってこその運営だったのだ。

 

 考えれば考えるほど代えの聞かない大役を演じていたのはいつだってあの二人だ。俺はいつだってその補助だけで、二人がやって見せた事なんて出来やしない。誰にだって出来る仕事なのだと思い知った。

 

 自分は、4年間、代用品、、、だという事も忘れていた本物の大馬鹿野郎だったのだ。

 

 常務からの正社員の誘いに揺らがなかった訳では、ない。

 

 それでも、彼女達以外の誰かに自分が全力を出すのはどうしたってしっくりこなかったのだ。

 

 だから、例え就職が失敗していたとしても武内さんの元に残る事は無かっただろう。

 

 あれは俺にとっては、仕事、、では無かったのだから。

 

 じゃあ、何だって?言わせんな恥ずかしい。

 

 

「…言ってよ。コレが、最後なんだし、さ」

 

 掴んだ胸倉に押しつけるように頭を寄せる凛の声はわななくように震えていて不覚にも笑ってしまう。

 

 普段は生意気で口うるさいコイツラだが、こういう所だけは似通っている。みんな揃いもそろってひねてしまってやがるのは誰の影響なんだか。…俺か?

「お前らは俺の”夢”だった。お前らが叶ったなら、もう俺はあそこに未練はねぇよ…言わせんな、恥ずかしい」

 

 慣れない事を言ってる自覚はあるが実際口に出すのは恥ずかし過ぎて死にそうだ。

 

 勘弁してくれよと深く溜息をついていると凛は人のシャツに頭をごしごし擦りつけ、俺のポケットからハンカチを抜き取って盛大に鼻をかんだ……おい、ポケットに戻すな。

 

 盛大に顔をしかめている俺を彼女は軽く両手で突き放し、そのまま結構強めに俺の胸板にパンチを放ってくる。

 

「…辞めた事、後悔させるから。泣きつくなら、今のうちだよ?」

 

「おう、やってみろ。ずっと見てやるから」

 

 真っ赤な目じりや垂れてる鼻水を啜りながらも不敵に笑う彼女は、どんな撮影の時より輝いて見えて魅力的で思わず頭を撫でてしまう。こうやって気安く触られる事を嫌っていた彼女が今だけは誇らしげに笑っているのがちょっと惜しくなってしまう。

 

 見上げた星に手は届かずとも、その名と、物語を俺は生涯忘れはしない。

 

 何度だって見上げてそれを語ろう。

 

 だって自分はかつてそれが夢追うタダの少女だった事を知っているのだから。

 

 

 

「…えっと、その、比企谷君?そちらが前の会社の方で良いのかし、ら?」

 

 がっつりワールドを展開していた所に遠慮がちな声を掛けられ急速に現実に引きもどされ、状況を認識する。

 

 気まずげな雪ノ下。

”なんかの撮影?””カメラどこ?”などと騒ぐ周りの客。

 今さっきまで言っていたハズイ台詞を反芻、爆死←いまここNEW!!

「ち、違います!!いや、違わないんだけど!!違います!!」

 

 爆死して自分の痛さに気付いた瞬間に密着していた凛から大幅に距離をとる。なんだこの浮気現場を見られた亭主の様な反応。もちつけおれ。

 

「だ、大丈夫よロリコン谷君。私は誤解なんてしていないわ。そうよね、いくらアナタでも未成年に手を出すほど落ちぶれてはいないはずよ…。YESろりーた、NOたっち」

 

「お前も大概動揺してんな!!?てか凛そこまで幼くねえだろ!!」

 

「嘘よ!!完全に変質者の目をしていたくせに良く言えたものね!!この犯罪谷君!!」

 

「てめぇ!!」

 

~けんけんがくがく~

 

 

 喧々諤々と混乱している俺たちが言い合いをしていると、後ろから震える様な手によって中断された。

 

「ひ、比企谷?そ、その人とど、どういった関係?」

 

 なんかさっきよりも形容しがたい表情をした凛がわなわなと雪ノ下へと指を指すが、一体こいつはどうしたんだろうか?ロリ呼ばわりされたのがそこまで腹たったのか?若く見られるのも嫌とかマジで思春期ムズイな。

 

 一方、指を差された雪ノ下はさっきまでの剣幕はどこえやら行ったのか、若干頬を染めつつこちらに一歩距離を寄せてくる。

 

「と、突然、そう聞かれると困るモノね。なんと言ったら良いのかしら。…そうね、彼とは親しくさせて頂いてるわ」

 

 ん?まあ、付き合いもそこそこ長いので表現に困るのは分かるのだが、普通に会社の同期とかでよくないか?雪ノ下にしては珍しいミスだがもしかしてまださっきの動揺から立ち直って無いのだろうか?

 

「し、親しい・・・仲っ!?」

 

「そう、とっても、親しくさせて頂いてるの」

 

「?????????!!!!???」

 

 な、なんだこの二人のやり取り?意味は分からないが、ひたすら空気が重いぞ?周りの客もなんか帰っちゃったし。なんなの?

 謎の緊迫の視線の交錯は一分ほど続き、凛がよたよたと出口へと向かって行く。

 

 状況はさっぱり分からないが、あんな状態の女の子を一人で帰らせるのはさすがに不味かろうと彼女のあとを追おうとすると急に強い力で腕を引っ張られ、近くの椅子へ腰を落としてしまう。

 

”ジョゴゴゴゴゴゴゴゴゴオゴオオゴオゴ”

 

 目の前に置かれたカップにやたら高い位置からポットのお湯がそそがれ、立ち上る湯気の先にはにっこりほほ笑む雪ノ下。

 

「さて、”簡単な運送業”と言っていたバイトが何であんな可愛い女の子が関わってくるのか、じっくり教えてちょうだい?比・企・谷・君?」

 

 微笑むその姿は天使のはずなのだが、なぜこんなにも悪寒が止まらないのか…誰か詳細キボンヌ。

 

――――――

 

 

 

346 デレマス詰め所

 

 

 

松永「…えーっと?みりあちゃんの解読によってだいたいの経緯は分ったし、アイツなりに考えて辞めたってのは分かるし応援してやりて―んだが、そろそろ立ち直れよ凛?」

 

凛「…ぜsdfgyじlぺsrtfyふいpdrfyふじこl」

 

みりあ「ふむふむ、まだまだ立ち直れないってー」

 

松永「めんどくせーな。別に”彼女”確定って訳でもないなら良いじゃねーか。大体、それよりも恥ずかしいやり取り前半にしといて何言ってん「背f対klphjgdjcldkfvbsンdあぁぁぁぁ!!!!」

 

みりあ「そこに触れるな!!?だって」

 

松永「お、おう。みりあちゃんマジ万能翻訳だな…。人語の発音じゃなかったぜ(ゴクリンコ」

 

紗枝「まあ、しかし、えらいよわりましたなぁ?まさかほんまに退職とは思いまへんでしたわ~」

 

茜「むむ?確かにずっとフォローしてくれてた比企さんが辞めるのは確かに残念ですが、割り切り系の紗枝さんがそういうのはめずらしいですね!!やっぱり、紗枝さんも寂しいんですね!!分ります!!」

 

紗枝「んー?まあ、寂しいし、あの人ほど丁度ええ人もおりまへんですけどウチが言ってるのは多分別件どすえ?」

 

茜「どういう事です?」

 

紗枝「だって、プロデュース業やめるーゆうことは『アイドルに手―だしてもおっけー』ゆうことやろ?そなことあらへんと思うけど、比企谷さんがもしその気の娘がおったらなんやコロッと騙されんか心配なんよー」

 

 

 

その他「「「「「「「!!!????」」」」」」」」」」

 

 

 

 スッ

 

 

松永「待てよ、まゆ。…何処行くんだ?」

 

まゆ「…お手洗いですよー?」

 

松永「なら鞄は必要ねぇよな?置いてきな」

 

まゆ・松永「「……」」

 

まゆ「うふふ、今日はメイクのノリがわるくっ―――て!!!(クラウチングスタート」

 

松永「逃がすな!!あのマジきちなにすっか分かんねーぞ!!」

 

その他「おえーーー!!逃がすな――!!」

 

 

 ドタドタと綺麗なお城には似つかわしくない騒がしい喧騒と共に美城常務の怒声が今日もけたたましく響き渡り、武内Pの胃痛は今日も深まるのでした、とさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紗枝「みんな行きましけど、いかへんでええんどすか?」

 

 

「…………あんたのそーいう所嫌いや」

 

 

 

 

 

 

 



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幕間1~千川ちひろは解からない~

プロフという名のあらすじ

 

 美城常務(専務?)  女  ピー歳

 

 荒らぶるシンデレラ達をまとめ上げる鉄壁の女”ミシロ・サン”。破天荒過ぎる彼女達とそれを容認するP達にかつてぶちぎれ大幅な整理(大乱闘)を行った事があり、業界内では多くの賞賛を浴びている。社内では好き勝手に言われてるが対外的にみれば至って普通で有能な取締役。むしろ、今までがやばかった。頭痛薬が友達。チッヒとは親戚関係であるらしい。

 

 

 今西部長       男  50代?

 いつも笑顔で人を安心させるような人物。修羅場は華麗に避け、終わったころに現れ纏めて手柄を掻っ攫ってゆくその超人的嗅覚が彼をこの地位まで押し上げた。まさに管理職の鏡である。闇が深い。

 

 

 

――――――

 

明かりも落ち切った社内で唯一光を上げている部屋を見かけ立ち寄ってみれば、見知った顔が眉根を寄せて唸っていた。

 

「精が出るな、ちひろ」

 

「美城さん!!どうしたんです?こんな遅くまで!?」

 

「それはこっちの台詞だ、馬鹿もの」

 

 時計の針はもう深夜と言っても差し支えなく、幾ら仕事熱心とはいえ限度がある。だいたい、自分が定めた就業規約には残業時間上限が明記されているのだから気軽に破られても困るのだ。

 

「だいたいお前がココまで残らねばならない程の企画など今は動いていないはずだろう?」

 

「えー、えへへへへ」

 

 片眉を上げて問い詰めれば気まずげに笑ってお茶を濁す彼女に溜息をついて呆れてみる。美城の分家である彼女とは昔からの顔なじみであるが、こういう時の誤魔化し方の雑さは全く変わらない。その事がどうにも自分の深い部分をくすぐってくる。

 

「どれ、見せてみろ。常務自ら手伝ってやるなんてめったにない機会だぞ?」

 

「あっ、だ、駄目ですよう!!」

 

 疼いた悪戯心が彼女の手元にある資料をかっさらい、それを取り返そうとする彼女を身長差で圧倒する。昔からよくやったこの悪戯に懐かしさから笑いが込み上げてくるが、それも奪った資料の中身を見る度に冷えていく。

 

「……何だ?このどんぶり勘定の予算請求は?」

 

「………まあ、新人さんですし。今からそれの訂正、というか、アドバイスと言いますか…」

 

 私の冷めた声を聞いたちひろが”あちゃー”と言わんばかりの顔で俯くがそれに斟酌していられるほど今の私に余裕はない。

 

 新年度からシンデレラプロジェクトには大幅な増員を施した。むしろ、今までの体制が異常だったのであってこれで正常になったとすら言える状態だ。その分の予算増減だって織り込み済みではある。だが、それでもこの予算請求は酷過ぎる。

 このままいけば、半年も立たずに初期予算を超えるのは明白だ。

 

「必要な経費ならそれも一種の戦略だろう。だが、これは少々無駄が多すぎる」

 

「…今まで一丸で動いていたプロジェクトが、数班に分かれての行動ですからね。重複するものもありますし、トップアイドルのご機嫌とりに使う予算は前の倍以上です。絆を積み重ねていないプロデューサーとアイドルだったら…まあ、適整かもしれない数字ですね」

 

「…前の数値を見せつけて。それを参考に作りなおさせれば良いだろう。お前がココまで残ってしてやる事はない」

 

「それに素直に従ってやり直してくれるような方々でしたらよかったんですがねぇ?」

 

 皮肉気に笑う彼女の顔に眉をしかめてしまう。新しくシンデレラ運営に入れたメンバーはそこそこにベテランと新人を折り混ぜている。だが、346という大手からスタートを切って育った彼らには”極限状態”というものに親しみがない。むしろ、自分たちのアイドルにどれだけの価値があり、どれだけ会社から引き出せるのかを熟知しているだけに質が悪い。

 そんな先輩を見た新人たちがどうなるかなど火を見るより明らかだ。

 

「再編が、必要か?」

 

「いまはまだ、としか」

 

 簡潔なやり取りには冷たい意志が宿っているのを感じ、奪った資料をデスクの上に放り溜息をつく。大多数は粛清をしたつもりでもこういった事は何度だって起こりうる。それを理解していたつもりであってもやはり徒労感はぬぐえない。

 

「なんだ?言いたい事があるなら聞いてやるぞ?」

 

 投げ出された資料を無機質に眺める彼女に声を掛けると、こちらを見ないまま言葉を紡いだ。

 

「…なんで比企谷君の退職を認めたんですか?」

 

 向けられた声に先ほどの無邪気さはなく、かつてのゾッとするほどの冷たさを彷彿させられる。

 

「ふん、お前のプランではあっちから頭を下げてくる予定だったのだろ?私が頼まれたのはそこまでで辞める人間を引きとめる義理なんてないさ」

 

「嘘ですね。それなら顔だしNGだった有名建築家の独占ドキュメンタリーと大手ゼネコンのスポンサー入りが同時に来た理由だって一切誤魔化さずお話してくれるんですよね?」

 

「…まだその事は公表してないはずなんだがな」

 

「舐め過ぎです」

 

 誤魔化すように遠くに視線をやっても視線は緩まない。今回のお怒りはどうにも誤魔化されてくれるレベルではないようだと観念して深くため息をつく。まあ、こんな現状になっている責任は自分のせいでもあるのだから仕方なくはあるのだろう。

 

「向こうから提示されたのはあくまで”本人の意思の尊重”だ。圧力と引きとめ無しに彼がこちらを選択するならこっちが丸儲け美味しいプランだった。私としては勝算の高い賭けだったつもりだがね。結果はご覧の通りだ」

 

 いつぞやのアイドルとの送別会があった時には期待もしたがそれも不発に終わったならば残った実を取るべきだと判断したのは経営者として当然の事だ。残らなかった事の要因をこちらに求められても困る。

 そういって腕を組み溜息をつけば彼女は本当に不思議そうに首を傾げた。

 

「…おかしいんですよ。美城さんの引き止めに抜けたがあったとしたって、4年間できっちり心の底まで追い詰めたはずなのに。ここ以外の選択肢なんて思い浮かばないくらいきっちり仕上げたはずなのに、急にこんな妨害が入るなんて完全に予想外です。何度だって私の予想を超えて来た彼でも絶対に越えられない数値に設定したのに…計算が、合いません」

 

 そう呟く彼女の中ではきっと膨大な数式が巡り、全ての可能性を意のままに操る方程式が渦巻いているのだろう。その鬼子とすら呼ばれた化け物じみた能力が今まで間違った事なんてほとんど見た事がない。彼女にとっては人も、経済も全てが計算式でしかないのだ。

 

 だが、だからこそ今回の失敗に気がつく事はないのだろう。完全な数字として全てを計算式に当てはめる彼女にはそれは不確定な因子過ぎるだろうから。この頭でっかちな幼馴染が、それを考えるきっかけにでもなってくれるのならば今回の件はお釣りがくるくらいかもしれない。

 

「比企谷の”友人”が手を差し伸べたそうだ。チャンスだけならば作ってやれるかも知れないとな。そっから先はアイツの実力だったのだろうさ」

 

「”ともだち”…ですか?」

 

 私の言葉に今度こそ本当に理解が及ばないと言った顔を彼女は向けてくる。だが、その意味は私がどんなに言葉を尽くしたところで伝わりはしないだろう。計算をし尽くした先に残るその”何か”だけは自分自身が見つけねばならない。

 

 少なくとも、私はかつての格好つけたがりの友人にそう教わり、まだその答えを探しているのだから。

 

 懐かしい記憶を思い出した私は軽く苦笑を洩らし、壊れたロボットみたいな挙動で”友達?”と連呼するちひろの頭を叩いて再起動させる。

 

「ほら、いつまでバグっているつもりだ。さっさと帰り支度をすませろ。送ってやる」

 

「いたっ!?で、でもまだコレを直さないといけませんし…」

 

「その予算請求した馬鹿者どもを朝一で私の部屋に呼べ。それで解決してやる」

 

「ひえーーーーー」

 

 私の横暴な解決方法に目を回す振りをしているが口もとのにやけを隠せて居ないのだからお互い大概な性格だ。まあ、どうせ一度は暴君で通した名だ。こんな時くらいは有効活用してやろう。

 

 そう考え、久々に武内の奴をいじめる切っ掛けに心を躍らせつつ口元を綻ばした。

 

 

 



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その4

くる、きっと来る~


●REC

 

皆さん、こんばんわー。まゆですよー。

 

 今日は少し恥ずかしいんですけど、私と旦那様の愛の巣(キャッ/// 改め、おうちをちょっとだけ大公開していきたいと思いまーす!!

 詳しい場所は秘密なんですけど、都内まで15分くらいで行き来できるし、商店街も盛んで昔ながらの町並みが守られてるとってもいい所なんですよ?

まゆ「あ、こんにちわー。いつも彼がお世話になってますー」

 

ご近所A「あら、まゆちゃん!もう、最近みないからオバちゃん心配したわ!!所で、この前もらったウンヌンカンヌン……あらまあ、もうこんな時間!!子供たちが帰ってきちゃうわ!!それじゃあね!!」

 

まゆ「はーい。また今度ゆっくり―」

 

 あ、さっきの方は町内会長の奥様ですね。彼ったら人見知りなせいか引っ越しの挨拶にもいかないものだから代わりにご挨拶に行ってから随分良くしてくれています笑。でも、ちょっとお話が長いのとたまに彼の事を悪くいっちゃう時があるのが玉に瑕ですけど、ホントにいい人なんです。うふふ。

 

 さあ、そんな事をお話しているウチに愛しの我が家に着きましたよー。

 

 築45年ではあるんですけど、いい職人さんが作ってくれたおかげで頑丈な基礎はまだまだ現役のお家で全然痛んでいないんですよ!そのうえー(カチャカチャキィィ・・・ガッチョン、なんと外見の年季に反して中はリフォームされているのでピッカピカなんです!!

 1DKなのでちょっと手狭にも感じますけど、このどこに居ても、、、、、、お互いを感じ合える距離感が心地よくもあります(キャッ。

 

 あ、もー。私がちょっと目を離すとすぐ散らかしちゃうのが彼の悪い癖ですね。ぷんぷん!!

 使った食器を浸けてくれているのはともかく、脱いだ服を脱ぎっぱなしで床に放置なんて。もう、私が居ないとホントにダメなんですから!!………スンスンクン…スゥゥゥゥゥゥ…アッ、…フウ。まったく!!コレは私がちゃんと、ちゃんと処理しておきます!!(バック回収。

 

 早速、恥ずかしい所を見られちゃいましたね、お恥ずかしいです笑。

 

 さあ、気を取り直してお部屋を見てきましょう!次は寝室の方です。こっちは旦那様の趣味が前面に出ていて、本やアニメ、映画のDVDが所狭しと並んでいますよー!!お仕事や講義が終わった後にはこの部屋でビールを呑みながらいっつものんびりしているのを眺めているとなんだかこっちまで和んできちゃいます!!

 さあて、旦那様の気になる最近の新刊はだいたいココに積んでいるのでチェックしてきましょう!!

 えーっと、N○Kの最新作の偉人物に…あ、コレは最近ベストセラーになった奴ですね。ム、可愛い女の子の漫画ですね!?没収したいところですけど二次元なのでコスプレで再利用させてもらいましょうかね。後は…就職関係と?建設業の関係の過去問。ああ、就職関係で悩んでたようなので彼の苦悩が自分の事のように苦しいですね。こんな時に支えて上げられなかった自分が悔しくてしょうがありません。

 

 んん?一番下に何か…”忍び寄る危機!!粘着質なストーカー徹底解説及び撃退法~完全版~!!”…!?

 あぁ、分かります。私の旦那様は困った事に非常にモテルのです。

 

 まあ彼がどうしたって多くの女性の目に留まってしまうのはしょうがないと思うのですが、優しい彼はどうしてもその好意をきっぱりと断れないせいで勘違いしてしまう娘が出てきてしまうのです。その中にはこうして道を誤ってしまう子が出てきてしまうのは彼を独占している私としても心苦しいですが、譲るわけにもいかないので妻としてしっかりと対処していきたいですね。

 

 むしろ、こんな本を買ってまで悩んでいる彼に気づいて上げられなかった事こそ私の不徳です。今日だって彼に付きまとう悪女達が私たちの仲を引き裂こうとして来たのを撒くのに時間を取られたというのに…もっと精進しなければなりませんね。

 

 あら、すみません。せっかくのお部屋紹介なのに湿っぽくなっちゃいましたね笑。

 

 丁度良い時間ですし、彼に食べて貰う愛情、、たっぷりのご飯づくりで気分転換しましょう!!疲れて帰って来た彼が思わず夜まで元気になっちゃう特製レシピ大公開です(キャッ!!

 

 

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 最後にマカの粉末を大匙3杯入れたら~”旦那様大好き鍋”のできあがりです!これで疲れた彼だってイチコロ!!

 

 

 ……皆さん、動物って好きですか?まゆは、とってもだ~いすきでっす!!

 

 

 さあさあ、ご飯も掃除もお洗濯も済みました。後は愛しい彼の帰ってくるのを待つばか「せーんーぱーい。ご飯買って帰って来てるならメール返信してくださいよー。私まで夜ごはんの材料買ってきちゃったじゃ…ない……で…部屋、まちがえ”ドッッッ”ッッっひ!!?」

 

 

まゆ「はじめまして~?随分と手慣れた様子で入って来られた様子と?ココの二階は二部屋しかないって考えると?もしかしてもしかして、もしかして?よくここに来られてらっしゃるんじゃないですか~?」

 

 あらあらあらあらあらあらあら?亜麻色のきれーな髪に男の庇護欲をそそりそーな幼い顔立ち。もしかしたら事務所の仲間たちにだって引けを取らなさそうなこの女性は一体どなたでしょうか?お名前と、彼…先輩とは、誰の事で、どんな関係かお聞きしても?

「い、一色いろはと、もも申しましゅ!?セ、せんぱい、というか、比企谷さんとは大学でお世話になってて、ととっと隣に住んでる住民でしゅ!!?」

 

 ほーん、お隣さんで、大学の…後輩です、か。なるほど、なるほど。な、る、ほ、ど。

 

まゆ「あぁ、そーだったんですか!!ごめんなさい!私ったらうっかりしてるからとんだ失敗をしちゃいました!!」

 

いろは「あ、あははははははは、そ、そういう事ってありますよね!!ありますありますありますよね!!!だ、だから、その手に持ってる包丁を.....なんで振り上げるんです?」

 

まゆ「最初の一撃で仕留めるべきでした」

 

いろは「ちょおおおおおおおおおおおお!!!!!!??????」

 

 あぁ、そうでした。てっきり事務所関係のことばっかりだと思っていましたが、彼ぐらいの男性になると何処で阿婆擦れをひっかけてくるかなんて分からない事くらい想像出来るじゃないですか。私が至らないばかりに、彼は隣に住む悪夢にうなされ続けていたなんて!!ひっそりベットの下で彼と共に多くの時間を過ごしていたというのに、今になってそれに気がつくなんて!!

 でも、でもでもでもでも!!安心して!!貴方を苦しませる諸悪の根源はきっちりココで仕留めるから!!

 これで貴方に振り向いて欲しいだなんて怠慢だったまゆは今日でこの女と共に死ぬから!!

まゆ「新しい生活を!!新しい私と!!いざ!!!なむさん!!!」

 

いろは「……あ、死んだわコレ」

 

 

 

 

比企谷「……………人んちで何してんの、マジで?」

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 くったくたに疲れて帰って来た新社会人。

 

 自宅前で揉み合う芸能人レベルの美女二人(片方E;万能包丁)。

 

 玄関に転がってるハンディカム。

 

 …え、もう、八幡ぜんぜん状況がわからない。どういう事なの?

まゆ「お帰りなさい、あなた!!ご飯にします?お風呂にします?それとも、その、わ、わたし…とか///?」

 

比企谷「…憧れであったその一言も包丁片手に殺人未遂犯から掛けられるとは夢にも思わなかったぜ」

 

 なんなら下手なホラーも裸足で逃げ出す狂気を感じるよ、佐久間さん。

 

比企谷「…何この状況?」

 

まゆ「害虫駆除です」

 

比企谷「それ後輩や。害虫やない」

 

まゆ「同義です。浮気です。もうプロポーズしてくれたんですから私だけを見ててください!!」

 

比企谷「…もう、全然分からないけど一応聞いてやる?プロポーズ?」

 

まゆ「”これからはテレビの向こうからずっと見ててやるからいい加減にカメラ目線で撮れ!!”って言ってくれたじゃないですか!!つまり、これはプロポーズです!!」

 

比企谷「お前が撮影中に俺の方ばっか見て撮影になんねぇっつてんだよ!!そのせいで何回スタジオ追い出されたと思ってんだ!!」

 

まゆ「え…それってつまり、プロポーズじゃないですか。改めて言われると照れちゃいます///」

 

比企谷「え、何それもう…日本語で交信してもらっていい?」

 

 もうこいつは駄目だ。捨ててこう。

 

比企谷「あー、一色。生きてるか?」

 

いろは「……とりあえず、現在進行形で私に包丁ぶっさそうとしているこのキ○ガイどかして貰って良いですか?…あと、オマエアトデオボエテロヨ」

 

 前門の重度ストーカー、後門の怒れる後輩。

 

 選ぶとしたら、どっちが勝率が高いだろう?いや、どっちかっていうと…生存率か?

 そんな意味のない現実逃避を思い浮かべながら俺は輝く夕日を眺める。きっと、こんな異常な日常も懐かしいと思える日が来るのだろうか?

 多分、絶対ない。

 

 コレを一旦解決したら、もう二度と思いだすものかと固く決意して俺は事態の解決に着手を始めた。

 

 

 

 

 

~蛇足~

 

 

雪乃「もしもし?こんな時間にいったいどうした――ウチの寮のセキュリティ?それは、まあ、厳重な方だと思うわよ?仮にも大手だし、事件なんかあったら直接評判にも響くもの。厳重にもなるわ。

 

 は?いまから引っ越し手続きしたい?何を馬鹿な事いってるのよ。今が何月で、最初に寮なんか絶対に入りたくない言ってたのが何処の誰かだったのか覚えてない訳じゃないでしょうね?

 ああぁもう、分かった!分かったからそんな情けない声を上げないでちょうだい!!ちょっと寮母さんに掛けあって見るから待ってなさい!!

 でも最初に言っておきますけどね、新入生用の空き部屋なんてもう女子寮の境になってる私の隣室ぐらいしか空いてなかったはずよ?騒がしくしたら即刻出て言って貰うから肝に銘じておきなさい?

 そう、分かったならいいわ。とりあえず、事情を聴いてもらわないと何とも言えないからこちらに向かって頂戴。ホテル?――――今日ぐらいなら泊めてあげるからさっさと来なさい。馬鹿ね」

 

 

 

―――――

 

 

 一色 いろは  女  21歳

 

 本作での出番終了。報われない...。

 

 一色のいちゃラブが欲しい人は 渋 別作 いろはすデート へどうぞ。

 

 彼女は犠牲になったのだ。

 

 

 



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その5

天使、降臨。


 梅雨が明け、夏の始まりが密やかに近づいて来たそんな季節。場末の喫茶店で懐かしくも珍しい物を見かけた。

 

 自分の中ではいつも皮肉気で饒舌な方ではなかった印象の強かった男が随分と柔らかな表情で楽しげに話しており、一瞬、見間違いかと思ってしまう。それでも、特徴的なアホ毛に濁ったその目から自分の知っている彼なのだと伝えてくる。

 

 何事かと思って動揺をしていると、その向かいに座る存在を見て緩く苦笑と納得と零れてきてしまった。

 

 容易く手折れそうなほどに身体は華奢で、抜ける様な白さの肌と髪。そんな儚げな容姿の子がほんのり頬を染めて親しげに話しかけてくればどんな偏屈な男だって緩んでしまうのは当然だ。

 

”ありゃあ凛がショック受けるのも仕方ないわな”

 

 好いた男が自分よりずっと可愛らしい女とタダならぬ関係だと見せつけられた上に、好みが自分と真逆だったと思い知らされるなんて思春期には致命傷以外の何物でもない。いまだ傷心中の自分の後輩を思い浮かべて心の中で念仏を唱えておく。南無三だ。

 

 さて、珍しいものを見たことで自分の中の悪戯心がムクムクと疼いて来たのを感じ、時計を確認すれば次の予定までは余裕がある。そのうえ目の前には可愛い娘と懐かしい友達の姿。

 

 これを素通りしちまうってのはあまりにロックじゃない。

 

 そう自分の中で結論が出た瞬間に私”木村 夏樹”はその喫茶店の扉を開いた。

 

 

―――――――――――――――――

「よう、ダンナ。随分とマブイスケ連れてんじゃねぇか」

 

「…夏樹か」

 

 私が楽しげに笑って話しかけると彼”比企谷 八幡”は綻ばせていた表情をしかめて不機嫌を隠そうともせずに返事をするので思わず笑ってしまう。相も変わらずに人付き合いの下手くそさは健在らしい。

 

「おいおい、久しぶりに会った友人に随分冷たい反応だな。ロックじゃねえぜ?」

 

「いつ友達になったんだよ…。というか、流れるように席に座らないで貰っていいですかね?」

 

「なんだよ、鎌倉までバイクで遠乗りしたり、箱で一晩中ロックを語ったりしたんだから十分友達だろ?ついでに言えばアンタはもう一般人で、私だってoffだ。プライベートに誰と一緒にいても問題はない。そうだろ?」

 

「前半はほとんど仕事だったんだけど…なに?最近のパリピって友達感こんながばいの?マジべーわ」

 

 ぶつくさと言いつつも本気で追い出しにかからなのだから人の良さも健在だ。そう思って笑い、急な闖入者に戸惑っている可愛い娘ちゃんに改めて声を掛ける。

 

「ああ、急にお邪魔しちまって悪かったよ。私の名前は”木村 夏樹”っていうんだ。ハチとは前に一緒に仕事してた事があってな。懐かしくてつい声を掛けちまったんだ」

 

「は、はじめまして。”戸塚 彩加”です。八幡とは高校の頃からの、その、”友達”なんだ!!」

 

 はにかむ様に”友達”という彼女に思わずこっちまで赤面しちまう。いや、遠目に見ても可愛らしかったけど実際に間近で話すと凶悪に可愛いなこの子。こりゃあ思わず顔も緩むし、横槍入れられたら不機嫌にもなりますわな。

 

「かー、”友達”だってさハチ。お前も隅に置けないぜ?」

 

「…うぜぇ」

 

 彼女のあまりの可愛さに思わず肩を組んでからかってやると深い溜息をつくもんだから笑ってしまう。これでボッチだと言い張るのだからそのポーズだって随分と微笑ましく感じちまう。

 

 ニヤニヤしながらハチをこずいてると彩加が頬を膨らまし始めたので慌てて身体を離す。

 

「ああ、悪かった。そりゃいきなり来てこんなベタベタされたんじゃ気分も悪いよな。調子に乗り過ぎたよ」

 

「い、いや別に、大丈夫。……でも、ちょっと嫉妬しちゃった、かな?」

 

「…天使かよ」

 

「天使に決まってんだろ」

 

 殺人的な可愛さに見惚れていると、間髪いれずにハチが訂正を入れて来たので彼女に見えない様に机の下で拳を交わす。ココに、教会を立てよう(崇拝)。

 

「で、何しに来たの?帰る?」

 

「もう、八幡!久々に会った友達にそんなこといっちゃ駄目だよ!!」

 

 彩加ちゃんの彫像の型を取るには幾ら積めばいいのかを考えているとハチが不機嫌そうに問いかけて来たので我に返る。あと、マジ彩加ちゃんかわいいな…。

 

「ああ、忘れてた。この前はマユが迷惑かけて悪かった。それを伝えて置きたくてね」

 

「マジで笑えねーよ。松永が確保に来なきゃマジで刺される一歩手前だ」

 

「あー、悪かったって。今はチーム全員で厳戒監視中さ。風呂どころがトイレまで見張ってるから安心してくれよ。仮に脱走してもGPSをくくってるからすぐに確保できる」

 

「…聞いといてあれだけど今をときめくスターの私生活じゃねぇな」

 

 あれだけの事をされても、ほっとしたような、わるい事をしたかのような微妙な顔を浮かべるのだから大概にこの男もアマちゃんだ。その甘さも個人的には嫌いではないが、心配にはなる。

 

「他の奴らは…元気か?」

 

 触らなくても、見なくても許されるであろう事に向かい合う姿勢は尊敬できるが、心配にもなる。

 

「年頃な奴らは一時期荒れたり沈んだりしたがね、ベテランの楓さんや瑞樹さんが上手く纏めてくれたよ。層が厚いのはやっぱり他じゃ真似できない強みだよ。ただまあ、ちょっと時間がかかりそうなのは何人かいるがね」

 

 一番顕著なのは”ありす”と”小梅”だろう。

 

 最初っから懐いていた小梅が誰もいない空間に手を伸ばして『君も触れないんだね…』と悲しげに呟くのは良いとしても、心を開ききったアリスは依存に近い形になりかかっていたのだろう。裏切られたと感じた心のささくれが、厚かった心の壁を更に硬く閉ざしてしまっている。文香が根気よく付き添っているが、どうなるかは何とも言えない。

 

「……そうか」

 

「まあ、それもなるようにしかならないからな。気にすんなよ」

 

「お前も、文句があるなら今のうちに言っとけよ」

 

 沈み、怯えつつも、そんな事を言うこのお人好しに思わず笑ってしまう。

 

 こんな男だからこそ、私も笑って続けられるのだろう。

 

 

 相談くらいはしてくれたらと思ったのは確かだ。

 

 いや、正確にはアンタは何度だってして来たのに私たちが受け取らなかったのが原因なのだろう。でも、きっと今回の件を見送ったとしても別れはそう遠くはない未来の話だった。

 

 どんだけ騒いでも、引きとめても、押しとどめても変って行く物は止まってくれないし、無理に引きとめても何時かは無理が出て歪んじまう。だから、アンタが去ったのは何にも気にする事じゃないんだ。

 

 後は残されたこっちの問題なのさ。止められなかったちっぽけな自分の非力も、変わって行った仲間の道も、全部呑みこんで進んでいくしかないんだ。数少ないチャンスを掴んでいながら、それが出来ないならソイツだって去って行くしかない。私たちがいるのはそういう世界なんだから。

 

 

「…案外、ドライなんだな」

 

「バンドをやってりゃね、こういう事も少なくない。だから、いつだって笑って送り出すようにしてんのさ。友情と思い出はくさりゃしないんだから、その方がロックだろ?」

 

 そういって締めくくった私を見て、ハチは小さく笑って吹き出す。

 

「くく、やっぱりお前、男なんじゃねぇの?こんなに女にカッコよくされたんじゃ立つ瀬がねぇよ。絶対に付いてんだろ」

 

「おいおい、彼女の前で下品な話なんてすん――――」

 

 

 

戸塚・夏樹「「へ?男(女)?」」

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

蛇足

 

 

夏樹「まじかー。こんな可愛い生物が、えー、まじかー。べーわ、まじっベーわ」

 

戸塚「あの、その、ごめんね。あんまりカッコいいからてっきり…てっ、これも女の子には失礼だよね。えーっと、、、」

 

八幡「もう性別:戸塚と性別:イケメンで良いんじゃない?小さい事に拘んなよ」

 

夏樹「そうかなー、でも、確かにあんまり拘んのもロックじゃねえよなー。そうしとっかー」

 

戸塚「ぇぇぇぇ、納得しちゃったよ…」

 

夏樹「まあ、でも納得だよ。あれだけ美人に囲まれて平然としてっからまさかと思ってたけど…性別:戸塚じゃしょうがねえよなー。可愛いもんな彩加ちゃん。親しくもなっちゃうよなー」

 

八幡「…ん、なんかどっからか腐の波動が。海老名さんか?」

 

夏樹「よっしゃ!俺は二人を応援するぜ!!アイツらにも上手く説明しといてやんよ!!ついでに、今日これから昔の身内を集めたライブやるんだ!!二人もぜひ来てくれ!!」

 

戸塚「え、いいの!!僕ライブとか行った事なかったから凄い楽しみ!!いこうよ、八幡!!」

 

八幡「ん、あ、ああ。いいけど。…なあ、夏樹、親しくってなんの「そうときまりゃ早速いこうぜ!!今夜は最高のライブにしてやるぜ!!」

 

戸塚「わーい!!ありがとう!!」

 

 

 

 

――――――後日、元アシストP”八幡”が二刀流だったという噂がながれ、ありすの人間不信は深まり、文香の頬はほんのり赤く染まったそうな。

 

 

 

――――

 

 

 

 

 

 

プロフという名のあらすじ

 

 

 

 

 

戸塚 彩加  性別:戸塚  22歳

 

 説明不要の大天使である。癒される。

 

 スポーツドクターになった。靭帯を痛めてリハビリで寄りそわれたい。

 

 戸塚の別作はこちら →https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=5463858

 

木村 夏樹  性別:イケメン 18歳

 

 説明不要のビックロッカー”なつきち”である。多分、ステッカー張ってる車がライブにいっぱい来る。

 

 バイクをもっているため、たまに仕事の移動でハッチーとツーリングを楽しんだり、出張先のライブハウスに連れ回したりと普通の友達みたいな感覚。

 

 可愛いものに目がない。

 

 

 

 



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幕間 その2

 朦朧とした意識に、唄が聞こえた。それは、誰もが耳にした事のある有名な童謡で。

 

 祈る様に、願うように。ただただ健やかにあれ、と望むその声に思わず息をするのを忘れてしまう位に耳を奪われる。

 

 紡がれた歌に合わせるように頭を撫でられ、思わず息をそっと吐いて身体の力を抜く。柔らかな感触と温もり、そして、包み込むようなまどろみがゆったりと自分を包み込む。

 

 この安らぎを自分は二つ、知っている。

 

 

 遠い記憶にしかいない懐かしき母と呼ぶべきあの人と、

 

 

 決して、手を伸ばすべきでなかった、

 

 

 最愛の人の

 

      温もりだ。

 

 

「あら、お目覚めですか?こんな所で寝ちゃうなんて…三下の私が言うのもなんですが、”お疲れさんした”。ふふ、悪くない出来です」

 

 深い悔恨を胸に、抗いがたい誘惑を振り切って目を開けてみれば、さっきまでの神秘的な歌声はどこへやら。別の意味で深く息を吐かされる。それでも起き上がろうとする身体をそっと押しとどめて離さないのに抵抗出来ないのは惚れた弱みか、思っているよりも自分が弱っているからか。後者である事を願いつつ、せめてもの反撃を口にする。

 

「ええ、楓さんに虚を”つかれたので”、疲れました」

 

「あら!トップアイドルの膝枕に酷い言い草ですね、武内君?」

 

 言葉とは裏腹に楽しげに笑いながらほっぺを抓ってくるこの美女が語るその肩書に、今度こそ自分の深くまでに根付く職業倫理がメッタ刺しにされている事を解かっているのかいないのか。ただ、その笑顔になんだかんだと絆されて笑ってしまう自分の甘さがこの胃痛の原因であるのだから彼女ばかりも責めれない。

 

 

 彼女の名は”高垣 楓”。

 

 最近は日本に留まらず世界に名を知らしめたトップアイドルで、

 

 私の恋人だ。

 

 

―――――――――――――――――

 

 多くの人にいまだからかわれるが、色んな意味で”一目ぼれ”と言う言葉を自分が体験する事になるとは思わなかった。

 

 当時、若輩の自分に丸投げ渡された巨大プロジェクトの企画。失敗して元々。そんな大企業ならではの様々な事情の絡み合った末での人選だったと今西さんから聞いたのはかなり後の事であった。

 

 それでも、生来の融通の利かなさか自分は真剣に人選を考え、あらゆるデータとシュチュエーションを予想して取り組み、一年近くかけて準備した段取りを――――――全て、ゴミ箱へ投げ捨てた。

 

 高尚な目的や、理由があった訳ではない。

 

 廊下ですれ違っただけの、たった一目見たその瞬間に思ってしまったのだ。

 

 ”彼女”が輝くステージを、見てみたいと。

 

 いったい何人に『気が狂った』と言われたのかなど覚えてもいない。自分でもそう思っていたのだから否定のしようだってなかった。

 

 アイドルの消費期限は15‐18歳と呼ばれるその業界で最も最初に口説きに掛かったのが無名のモデルで、23歳だと言うのだから。そもそも口説かれた本人が無表情で”…当て馬、という役柄でしょうか?”と言って首を傾げるのだから救いがない。それでも、各所を強引に黙らせ、彼女を何度も説得し、舞台へ引っ張り出した。

 

 そして、彼女が謳うたびに、舞うたびに、

 

 

 ――――――世界が揺れた。

 

 

 正直、一気に変った世間の評判や自分の実績なんてどうでもよかった。

 

 ただ、凍ったような彼女の表情がステージが終わるたびに解けていき、輝いていくのが、嬉しかった。

 

 その、輝きが何より、尊かったのだ。

 

 そして、その輝きが増すほどにそれだけに目を向ける事は許されなくなった。多くの人が、企画が、夢を抱いた少女たちが自分の元へと雪崩れこんで来たのだ。

 

 彼女が評価されるのが誇らしかった。

 

 新しい輝きに出会え、それを押し上げていくのが堪らなく嬉しかった。

 

 自分の裁量で出来る事が増えていくことが、気楽であった。

 

 そんな順風満帆の流れの中で―――当然のように、彼女の担当を外された。

 

 ”プロデューサ―”として、”アイドル”として、当たり前の事を二人揃って忘れて有頂天になっていた事を、思い知らされた。どんなに固い絆で結ばれた二人も、結ばれてはならないという、そんな当然の事を言われるまですっかり忘れていたのだ。

 

 

――――

 そんな事を語っている自分がこうして彼女に膝枕をしてもらっているのだから、世の中、どうしようもない人間で溢れているのをどうしたって咎められない。

 

「んん~?どうかしました~?」

 

 上機嫌で自分の髪を梳いてくれる彼女に大きくため息をついて”貴方のせいで頭が痛くて”と八つ当たり気味に返せば”あらあら殊勝な心がけですね―。お詫びにもっと撫でてあげましょ~”等と言ってわしゃわしゃしてくる彼女にまた大きくため息を着いてされるがままにする。

 

 

 まあ、結果的に言えば、

 

     超ごねたのだ。

 

        二人揃って。

 

 

 会社のあらゆる極秘を暴露する準備と、軌道に乗ったアイドル部門の丸ごと余所に移籍する段取りを完璧に整えて、自分の先輩が所属する765プロに受け入れ準備もバッチシの状態でハリウッド出演まで達成している”高垣 楓”と大層に魔法使いと呼ばれ始めた”武内 駿輔”が『やだ』と、呟くのだ。

 

 だれが止められるだろうか?

 ただ、一生に一度の我儘は冷静になった自身の良心を容赦なく締め上げ、その他の業務への滞りなど一切許さぬ姿勢へと駆り立てて度々こんなざまをさらしている。

 

 そんなとき、散々まきこんだ周囲は気を利かしているのか周りに誰もおらず、彼女だけがこうしてくれている事がある。それを嬉しいと思うか、恥ずべきかは微妙な所だ。

 

 そんな微妙な心境のせいか、余計な言葉が、こぼれ出た。

 

「ちょっとだけ、比企谷君を、羨ましく思ってしまいました」

 

「ん?どうしてです?」

 

 零してしまったあとに慌てて口を噤むが、どうにも聞き逃してはくれないらしく微かに色身の違うオッドアイが覗きこんでくる。

 

「…最高の状態で見送って、綺麗なまま思い出として去って行った…からでしょうか?」

 

 この目に、自分は弱い。自分以外には決して開かないその冷たげな視線が、自分にだけは無邪気に問うてくるのが嘘を許さないのだ。たった一つの嘘がこの輝きを奪ってしまいそうで、本音だけを引きずり出す。

 

「彼の辞めた理由が、羨ましいんだと思います。努力や能力が足りずに辞めていく人はたくさん、たくさん見てきました。でも、彼はそんなことはなかった。同年代の自分が同じ事をやれと言われても絶対に無理なくらい彼は優秀だった」

 

「ええ、そうですね」

 

「そんな彼が辞めた理由は”見届けたから”でした。自分にとっての最高のアイドルが、最高に輝くのを見届けて”彼女達”以外には尽くしたくない。そういって彼は去って行きました」

 

 それは”仕事”として彼女達に携わる自分たちにとってはあまりに眩し過ぎ、妬ましい去り際だ。

 

 誰だって何十年と時間を費やして”最高のアイドル”を探し求める。そして、それを最後に引退を夢見る。そして、夢見るだけであって実際は自分の様にその後は続いていかねばならない。

 

 彼は彼女達を”夢”だったと語った。

 

 そして、その在り様を残酷なくらい理解して、去って行った。

 

 どうしたらあの年齢でそこまで割り切れるのか、不思議なくらいにその先の惨めな結末を理解していた。

 

 そう、語った自分の言葉を聞いた彼女は、ほんのちょっとだけ嬉しそうにほほ笑んだ。

 

「ふふ、そんな話を聞いちゃうと自惚れちゃいそうです」

 

「…何がですか?」

 

「だって、そんな事を言われたら、自分が貴方にとっての一番星だったと勘違いしちゃいそうで」

 

「………自惚れではないと、思って、頂いても、その、大丈夫…です」

 

「ふふ、そんな事いいつつも別の女の子にトキメキだって感じているのでしょう?浮気者ですね~?」

 

「うっ!?」

 

 悪戯気に言われた言葉に返す言葉がみつからず、目線を逸らしていつもの癖で首筋を擦ろうとするとそれも遮られ、正面から顔を合わせられ、囁かれる。

 

「うふふ、そういって貰えるのは嬉しいですけどね?でも、貴方は何度だって何処でだってちょっとの輝きに手を差し出さずにいられないんです。それが貴方の、”プロデューサー”の在り方なんです。比企谷君は”家族”として接していたんでしょう。だから、身内の為ならなんだって頑張れる彼は身内以外にそうする自分が許せない。たったそれだけの違いなんです」

 

 それは、在り方の違いだと。

 

 魂の在り様の違いだと彼女は言う。

 

 納得出来る生き方の形でなく。納得できる後悔の終わり方の違いなのだと。

 

「…そう、なのかもしれませんね」

 

「でなければ、ここまでボロボロになって尽くさないでしょう?」

 

 呆れたように微笑む彼女の瞳と撫でてくれるその手の労わりに、ちょっとだけ胸が痛む。だが、頭の片隅で自分が新しく担当する子達のプロデュースを考えるのはどうしたって止まってくれない。

 

 あぁ、まったくもって彼女の言うとおりである。

 

 自分の惚れた女を傍らにこんな事を絶えず考える自分のなんと浮気性な事か。

 

 だが、ココだけは、ちょっと訂正が必要だ。

 

「楓さん」

 

「はい?」

 

 

 

――――自分だけのものにしたいと思ったのは、貴女だけですよ?

 

 そう伝えた彼女の真っ赤に染まるその顔にちょっとだけ気分が良くなった。

 

 

 

―――――

 

 

 

 高垣 楓   女  25歳

 

 346グループどころか日本全体で見ても類を見ない程の著名を誇るアイドルである。業界内で後に伝説とされる”シンデレラプロジェクト”の由来が彼女と武内Pの馴れ初めへの祝いを込めた皮肉である事を知る人間は少ない。

 元はモデル部門で働いていたが、あまりの無表情に評判は良くなかった中での引っこ抜きだったため意外と交渉は簡単だった。なお無表情の理由はダジャレに誰もツッコミをくれなかった事が原因であったらしい。

 

 346を潰そうとしたりなんやかんや在ったが、グループの纏め役としてしっかり働き、恋も勝ち取った英雄としての地位を順調に固めている。

 

 

 

 



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番外編:城ヶ崎 美嘉は愛を囁かない

バレンタイン企画の残骸。

それは、比企谷君がまだ346で働いていた時のワンシーンで在ります。


 輝かしい玄関ホールに飾られる巨大な時計は煌びやかにそびえ立ち現実感を奪う。何度訪れても、一介の元読書モデルごときには馴染めそうもなく、足元はいつだって空を掻くようにフワフワして現実感を遠ざける。ふらつきそうになる足に活を入れて、微かに薫る喫茶からの紅茶と甘い焼き菓子の匂いに後ろ髪をひかれながらも足は迷わずにある場所を目指して突き進む。

 

 おそらく、事務的な役割を担っているであろう華やかなお城の裏側に押し込められた無骨な廊下。薄暗く、少々埃っぽいようなこの薄暗さにちょっとだけ安心感を覚えるのは日本人の性か、自分の貧乏性か。まあ、女子高生としては枯れた感性だと思い小さく苦笑を洩らす。華やかで、熱狂的な舞台も期待を一身に受ける撮影も、誰よりも輝いて魅せる自信は揺るがずにあるが。それとこれとは話が別なのである。

 

 飾り気のない乱雑な廊下を進み、分厚い防火扉の前で足をとめ、その扉に手を掛けた。

 

 それに何より、自分よりもっと好き好んでこんな所をベストプレイスにしている変人だってこの世にはいる事を考えれば、そんな変な癖でもないのだろうと開き直れるというものだ。

 

 埃っぽい空間に春の足音を感じさせる独特の湿った空気と、微かな紫煙の香りが鼻孔をくすっぐて通り抜けていく。

 

 暮れる夕日が強める陰影の中に、季節外れの蛍のように灯ったその光点。

 

 ともすれば、影に混じってしまいそうなほど鬱屈とした空気を感じさせるその瞳が気まずげに眼を逸らすその仕草に、歳の離れた妹を思い出して笑ってしまいそうになる。

 

「煙草、辞めるんじゃなかったっけ?比企谷さん?」

 

「あの時の俺はどうかしていたよ、カリスマJK」

 

「意志弱過ぎ」

 

 からかう様に嫌みを言ってやればさっきの後ろめたさは何処へやら。悪びれなく禁煙中のはずの煙草をふかしてシレっと言い返してくる彼の肩を叩き緩く笑う。

 

 何処も彼処も豪華絢爛なこのお城で、私、"城ヶ崎 美嘉"は今日もこの日蔭者の隣に腰をおろす。

 

 ふらつく足元が地面につき、冷たく味気ない硬さが伝わるココが、私は嫌いではない。

 

――――――

 

「こんな辺鄙な所でこそこそ引きこもってまで吸いたいもんなの?正規の喫煙室あるんだからそっちで吸った方が暖かいでしょ」

 

 季節は二月。暖かくなりつつあるとはいえ、非常階段の下という日の差しにくいココはそれなりに肌寒く快適とは言い難い。それに、縮小傾向ではあるものの業界柄か館内にも整備されているのだからそちらに居てもいい気はする。

 

「馬鹿、あんな密閉された空間で暇そうに煙草なんてふかしててみろ。説教好きなのか、寂しがり屋なのか知らんオッサンに絡まれちまって、息抜きがストレスタイムに早変わりだ。あと、チッヒに見つかったらここぞとばかりに仕事を増やされそう」

 

「もう八割くらい後半が理由じゃん…」

 

 言わんとしている事も、その気持ちも分からなくは無いものではあるのだが、もうちょっと年上としてマトモな理由づけする努力をしてほしい。脱力する私を余所に呑気に煙を吐きだす彼にもう一度深くため息を吐き、視線を送る。

 

 身長も顔もマトモに見ればそこそこ悪くないはずなのに、気だるげなその瞳と声。そして、ゆったりと煙草を咥えるその唇が退廃的な雰囲気で覆い隠してしまって台無しだ。もっとマトモに身だしなみと受け答えをすればそこそこに見れるようになるだろうに。随分と昔に聞いた、彼の憧れの人もこんな風に煙草を吸っていたのだろうか?

「ん、ていうか何でお前がいるんだ?今日はレッスンも仕事も無かったんじゃないっけ?」

 

 思いだしたように聞いてくる彼に、頭をよぎったおかしな感想と不愉快さを振り払って、今日の目的の物に意識を移す。

 

 ポケットに収まる程度の、シンプルにラッピングされた小さな箱。偶然に街で見かけて思わず彼を思い浮かべて買ってしまったソレ。いつもならなんという事もなく渡せるそれも、日取りが良いのか悪いのか今日だけはなんとなく気恥ずかしくなってしまう。いや、他意は決して無いのだけれども。

 

「はい、これ」

 

 自分の中の良く分からない感情を誤魔化すように、つっけどんにポケットの中のソレを渡す。

 

 他意は無い。ただちょっとした悪戯心と嫌味と、ほんのちょっとの日頃の感謝。籠めた思いはたったそれだけなのに何故こんなに自分は居心地の悪い思いをしなければならないのか。そんな身勝手な感情を八つ当たり気味に視線に乗せて隣の男を睨んでみると、一気に気が抜けた。

 

「…なに、今日がどいう日か知らないとか言わないよね?それとも、”お菓子会社の戦略には乗らない”的な感じ?」

 

 渡された当の本人を見てみれば、ホントに不思議そうに渡された箱をほうけた顔で眺めているのだから。渡したこっちだって拍子抜けもいい所だ。変な期待をこの男に求めていた訳ではないがちょっと反応としては失れ――――

「いや、素直に嬉しいもんだな。こういう風に普通に貰えるってのも」

 

 溢れだす苛立ちは、スッと呟かれたその一言に塗りつぶされてしまった。

 

 本当に、本当に見た事も無いくらい、柔らかな表情を浮かべた彼に思わず、息を呑んだ。

 

 え、いや、ちょっとばかしその表情は、反則だ。いつもの、皮肉気な表情と軽口を返してくれなければ、どうしていいのか分からない。必死に空回りする私のオツムは何とか言葉を絞りだそうとするが、金魚みたいに上下するだけで役に立ってはくれない。

 

「そうだよな、下手に難しく考えたりする必要もなくこうやって普通に気持ちを伝える様な日だもんな。今日って」

 

「きききkっきっきき、気持ちって!!ぎ、義理だから!!っかかかかっかかか勘違いしないでよね!!!!?」

 

「あ、そりゃそうだろ?俺がそんな初歩的な勘違いするか。開けていいか?」

 

「…どーぞ」

 

 な、何なんださっきから。いつもは絶対に言わないような事をポンポンポンポンとッ。というか、別に事実だから良いんだけれども、そんなあっさり言われるもなんとなく癪に障る。狂いっぱなしの調子に深くため息をつきながら促せば嬉しそうに丁寧に箱を開けていく様がいつもより幼げで二割くらい爽やかに見える。…大丈夫か、私?

「…洋物煙草?」

 

「にひひひ、早速試してみてよ」

 

 中身を見た彼が訝しげに首をかしげるのを見て若干気分が良くなる。そうそう、カリスマの贈り物は相手の予想をいつだって越えていくのだ。ちょっと得意げに彼が咥えている煙草を取り上げて開ける様に促せば彼は不思議そうにしながらも箱から一本ソレを取り出し―――驚いたように動きが止まって小さく笑った。

 

「すごいっしょ?」

 

「ああ、こりゃ予想外だった」

 

 彼が片手に持つそれも、包装されていた箱も、きっと遠目から見れば何の変哲もない煙草に見えたはずだ。だが、手にした彼と隣にいる私だけには分かる。

 

 ふんわりと薫る柔らかなカカオの香り。それはさっきの紫煙よりももっと柔らかく私の鼻をくすぐった。

 

 輸入品のアクセサリーショップの隅っこに小さく展示されていたこの”シガレットチョコ”。

 

 ちょっとした悪戯はどうやら上手く成功したようで何よりだ。

 

「降参だ。大人しく禁煙に励みますよ」

 

「ん、莉嘉とか年少組も増えて来たことだしね。それがいいよ」

 

 深く溜息をついた彼は差し出された私の手に大人しく喫煙セットを引き渡して行く。

 

 初期の頃は自分や楓さんぐらいの年齢の人達ばかりだったシンデレラプロジェクトも随分と人数や層が厚くなって今では小さな子だって多い。送迎などで接する機会が増えていくなら今のうちにやめてしまった方がお互いの為だ。それに。

 

「単純に身体だって心配だしね(ボソッ」

 

「なんかいったか?」

 

「いや、なんにも。ほら、せっかくのカリスマからのチョコなんだから喜んで食べてよね?」

 

「はいはい、頂きますよ」

 

 誤魔化すように笑ってチョコを美味しそうに食べる彼を眺めて思う。

 

 彼が言っていた事を。

 

 さっきの言い草では、まるで気持ちを伝える事が、出来なかった事があるかのような言い方だ。それが、どんな事情だったのか。或いは経緯だったのなんか、分かりもしない。

 

 でも、あの時の彼の優しい表情が、自分に向いていない事だけは嫌でも分かった。

 

 一生、向けられる事は無いのだとは、分かってしまった。

 

 どうにも、自分はこういう事が多い。いつだって魅かれるのは年上で、自分の気持ちを意識して動こうとしたときにはもう相手が別の人に魅かれている時だ。

 

 

 それが分かるのはいつだって―――――この日だ。

 

 

「もうちょっと待ってれば年少組のレッスン終わるから一緒に送るぞ?」

 

「いや、いいよ。帰りによりたい店もあるし…少し歩きたい気分だしね」

 

 立ち上がった私に掛けられた声を緩く断って軽く手を振って歩きだす。

 

「ん、分かった。ホワイトデーは期待しとけ」

 

「三倍返しでよろしく」

 

 掛けられる声を適当に返しながら、防火扉をゆったりと閉じる。一歩、二歩、三歩目で力無く壁に寄りかかった。

 

 声は震えずに、返せていただろうか?溜まった滴を悟られずに済んだだろうか?なによりも、こんな情けない顔をみせずに、済んだのだろうか?

 今日はバレンタイン。

 

 世間は甘く愛を囁き、輝く奇跡に目を輝かせるもう一つの聖夜。

 

 だけど、今の私にはこれくらいの冷たい廊下が心地いい。

 

 

 

 

 

 私は、この日が、嫌いだ。

 

 



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その6

ソレは忘れかけていた、忘れようと努めていた大切な物で…


『この化学式は~』

 

 広い講堂に響く朗々とした解説は外でミンミンうるさい蝉にも劣らないほど耳朶を叩き、内容の難解さも含めてもたらされる頭痛は留まる所を知らない。

 

 朝から延々と続くこの苦痛にうんざりしつつも溜息一つに納めて再びペンを握る。

 

 セミたちが一生を声高く歌いあげ、太陽が猛々しく大地を焼く過酷なこの季節。垂れ幕に掲げられた言葉を信じるならば”夏を制する者は受験を制す”との事だ。

 

 個人的な鬱屈で聞き洩らせるほど安い講義料では無いし、びっしり埋まっているはずのスケジュールを必死に自分の勉学の為に調整してくれたプロデューサーや、気を使ってくれているユニットの事を思えば、立ち止まる事は許されない。

 

 もはや、呪文か早口言葉にしか聞こえないその言葉を必死に追いかけて私”城ヶ崎 美嘉”はペンを走らせる。

 

 

―――――――

 

 盛夏の日差しもなりを潜め、一生を声高く謳う蝉の声が鈴虫の恋唄に変わる夕暮れのなかでぼんやりと慌ただしい人の流れを眺め思う。この中で”アナタはなぜ大学へ?”と唐突に問われて答えられる人間は一体どれくらいいるのだろうか?

『私は…やっぱり文学に魅かれていたからでしょうか?もっと深くソレに携わりたくて…』

 

『うーん、”本当にやりたい事”っていう物を見つけるためかしら?』

 

『ん~?高校にあった彫像が面白くて』

 

 近しい知り合いに聞いて回ってみれば、目的を持って、目的を探して、中には意味の分からないモノまで様々だ。

 

 だが、それでも自分よりはマシなのかもしれない。

 

 いけそうな成績で、行っておいた方が役に立ちそうで、ほんのちょっとだけ”ギャルは勉強できない”っていう偏見を見返してやりたくて。そこまで出しただけで理由なんか底を尽きてしまった。もっと言ってしまえば小さな頃から聞かされた”進学”という選択肢はまったく疑問に思わないほど自分に根付いていて、今でも出来るならばそうするべきだと言う考えがずっとそばにある。

 

 それが普通の事だと、ずっと思っていた。だが、世間を賑わすカリスマJKのこのステレオタイプな考えは随分と周りには意外だったようだ。

 

 ラジオでぽろっと洩らしただけで反響は様々。

 

 てっきり周りの同年代のアイドルと一緒に本格的な芸能活動に本腰を入れるものだと思われていたらしいのだが、ファンや視聴者からの意見や感想はともかく、仲間たちやプロデューサーまでが驚いていたというのだからなんともはや居た堪れない。

 

 周りには苦笑と共にそれっぽい言葉で言い繕いはしたものの、こっちの内心だって中々に複雑だ。

 

 今でこそアイドルのトップランカーとして引きたてて貰ってはいるものの、それが永遠に続く訳が無い事は誰にだって分かる。それが途絶えた時に、誰がどんなふうに保証を取ってくれるのかと思えば身の毛がよだつ。プロジェクトのみんなや、プロデューサーが信じられない訳ではないが芸能界は残酷だ。

 

 そんな考えがチラつく自分には、明るく、何の迷いも無く自分の才能を信じて飛び出して行ける仲間が眩しく、ちょっとだけ妬ましい。

 

 そこまで考えて小さく頭を振って、溜息をつく。

 

 疲れているせいかどうにも思考が暗い方向に引っ張られがちだと自覚して、気分転換に周りを見渡し、目についたのは自動販売機に並ぶ特徴的なシルエットの缶コーヒー。

 

 かつて知り合いに一口飲ませてもらって暴力的な甘さに咽かえった記憶を思い出してクスリと笑ってしまう。あの時は甘過ぎて飲めたもんでは無かったが、今ならなんとなくいけそうな気がした。

 

 買ってみたそのコーヒーの相も変わらず尖ったデザインに苦笑しつつも、タブを空ける。

 

 ――――コレを毎日飲んでいたあの男ならば、自分の選んだ進路になんと言っただろうか?

 

「ワンッ」

 

「…わん?」

 

 小さな感慨は足元から聞こえた謎の鳴き声に上書きされ、思わず目を向けてしまう。

 

 毛むくじゃらな生物がはっはっと忙しなく舌を出して、くりんくりんしているおめめを興味深そうに向けてくる。―――端的に言って、犬がいた。

 

「うおっ!!?って、あちゃ!!」

 

「わふぅっ!!」

 

 急に足元に出現した存在にちょっとカリスマらしからぬ声が漏れ出てしまった上に、せっかく買ったコーヒーをその拍子に落としてしまった。突然の闖入者も唐突に奇声を上げた変な女に飛びずさって抗議の声を上げるが、原因はお前だ。

 

「あーあーあー、もう、アンタどっから来たの?御主人はどうしたのさ?」

 

「わふ?」

 

「いや、そんな疑問形で首傾げられても…」

 

 言葉が分かっているのかいないのか間の抜けた対応をしてくるこのワンちゃんにがっくりと肩を落としてしまう。

 

 まあ、首輪は何故か着いていないが、この人懐っこさと毛並みの良さから見るに野良ではないだろう。おおよそ、主人の目を盗んできた脱走兵ってとこか。このまま放置するのもなんとなく罪悪感が沸き、どうしたものかと頭を巡らせていると私の周りをぐるぐる楽しそうに駆け回っていた彼が元気にじゃれついてくる。自由かよ。

 

 毛が長めのミニチュアダックスな彼は大層体温が高く、出来ればこの夏場には御遠慮願いたい。あ、ちょ、顔舐めはNGでお願いします!化粧崩れるし、犬的に大丈夫か分からんし!!

「サ、サブレー!!何処行ったのー!!」

 

 そんなこんなで彼と戯れて(激闘)いると遠くから、何かを探す声が聞こえてくる。

 

 その声に一瞬だけ彼が振り向くが何事も無かったかのようにスル―して、またじゃれてくる。いや、十中八九アンタのご主人さまなんだから反応しろよ…。

 

「サブレ!!また人様にご迷惑を!!ごめんなさい!!」

 

 駆けつけて来た飼い主はじゃれつく毛玉を抱き上げ、しかりつけた後に私に大きく頭を下げる。何度も謝ってくる彼女に苦笑をしつつ、私は飼い犬から想像していた飼い主像と違っていた事にちょっと驚いた。

 

 てっきり活発だけどちょっと抜けている人だろうと予想していたのだが、そんな想像をひっくり返すかのように女性は落ち着いた茶髪をゆったりとお団子にまとめ上げた大人な雰囲気を身にまとった人だった。暖かくて柔和な雰囲気の中にどこか目を離さなくさせる何かを感じさせるその人に見惚れているうちに彼女の視線が何かに向いている事に気がつく。

 

「あの、もしかして、そこのコーヒーって貴女のだったりするの…かな?」

 

 気まずげに聞かれたその言葉で合点が行って、笑ってしまう。

 

「あー、気にしなくても良いですよ。私が勝手にびっくりして落っことしちゃっただけですし」

 

「だ、駄目だよ!ウチの子が迷惑かけたんだもん!!ほら、サブレもお姉ちゃんに謝りなさい!!」

 

「わふ?」

 

「全然聞いてなかった!!?」

 

 飼い主の気苦労どこ吹く風で他所見をしていた彼の間抜けな返答に再び雷が落ちるが、傍から見ている自分でも可愛いと思ってしまうのだから効果の方はお察しだろう。そんな飼い主とペットの心温まるコントに笑いをかみ殺していると、唐突に手を握られちょっと驚く。

 

「本当にごめんね?もし良かったらお詫びに代わりの甘いもの、御馳走させてくれないかな?」

 

 見上げる様な上目づかいで申し訳なさそうに囁く彼女と、腕の中で同じようにこちらを窺う彼女の犬があまりにそっくりで、私は思わず笑ってしまう。

 

―――――こういう所がそっくりなのはちょっとズルイ。

 

 

――――――――

 

「へー、美嘉ちゃんは受験生なんだ」

 

「あはは、まあ」

 

 長い日差しもなりを潜め、涼しげな月明かりと小さなランタンの明かりに揺られるカフェテラスで甘いパンケーキの香りと、柔らかな声が響き、ちょっとした非現実感が自分を包み雰囲気だけで酔ってしまいそうになる。そのせいかお愛想みたいな返答しかできなかったのだが彼女こと”由比ヶ浜 結衣”さんは気分を害した風も無く楽しげに笑って言葉を続ける。

 

「そっかー。この歳まであっという間だったから忘れかけていたけど5年前は私もそうだったんだっけ」

 

「結衣さんの時はどんな感じでした?」

 

 懐かしそうに遠くを見つめる彼女になんとなくそう問うと、彼女はちょっと恥ずかしそうに笑ってコーヒーで口を湿らせた。

 

「私は頭良くなかったからボロボロだったよ。”大学行くー”って言ったときに先生や親に何回も説得されちゃったくらい」

 

「へぇ、なんか全然そんな感じがしないから意外ですね」

 

 そういって笑う彼女に自然とそんな言葉が零れた。彼女と話しているとなんとなくだが理知的な部分が見え隠れするのだからタダの謙遜の類だとすら思ったのだ。それが表情に出たのか分からないが彼女はちょっと楽しげに言葉を続ける。

 

「私の当時の数学は12点くらいだったからね」

 

「……まじ?」

 

「マジ」

 

 悪戯が成功したような顔で結衣さんは笑うが、それが本当ならば親や教師が正気を疑うのも無理は無い気がする。だが、彼女の出身大学は聞いた限りではそこそこの中堅所だったはず。計算が合わない。

 

「…裏口?」

 

「全うに合格したし!!」

 

 彼女の可愛い容姿の下に付いたたわわな果実をマジマジ見つめながら言うと彼女は胸元を隠しながら強めに否定して来た。冗談である。………冗談、である。

 

 私の疑惑の視線に苦笑を浮かべながら彼女は言葉を紡げる。

 

「当時はもう必死に勉強したよー。友達が付きっきりで教えてくれてるのに全然分からなくて、友達の方が自信喪失しちゃうくらい。身近に無かった言葉や歴史、考え方がどうしても分からなくって、混乱しちゃってさー」

 

 困ったように笑って言う彼女の笑顔にちょっとだけ影があるのは当時は本当に悩んでいたのだろう事を窺わせる。それに、その悩みはきっと多くの受験生が抱える苦しみなのだろう。

 

「…そこまで苦しんでも大学に行きたいと思った理由って、何でした?」

 

 無意識に口から零れてしまった言葉に思わず口を抑えてしまう。初対面の人間にするには少々踏み込み過ぎた質問だったかと思い、恐る恐る結衣さんの方を窺って見れば彼女は恥ずかしそうに頬を掻いて視線を逸らしていた。

 

「あ、すみません。初対面なのにちょっと失礼でしたよね…」

 

「えっ!?いや、全然そんなこと思って無いよ!!ただ、まあ…私の志望理由はちょっと不純な動機だったから、ね」

 

「不純?」

 

 気まずげに答える彼女に首をかしげると、もっと困ったように笑うのだがどうにも分からない。大学に進学を希望するのに純粋、不純があるモノなのだろうか?例えば、就職を先送りにするため等、前向きな理由じゃなくたってそれもプラスに働く事の方が多いのだからそこまで恥ずかしがる様な事でも無い。

 

 その他にも色々と考えてみるが、どうにも納得できそうな答えを見つける事が出来ずにいた私を見かねたのか結衣さんは小さくため息をついて何かを呟く。

 

「―――ぃ」

 

「え?」

 

「だ、だから、―ッ――ぃ」

 

「ん?」

 

 何かを囁いているのは分かるのだが、肝心の所が聞こえずに何度も聞き返してしまう。

 

 結衣さんが囁く度に顔を真っ赤にしていくので体調を崩したのだろうかと心配し始めた頃に彼女は”キッ”と顔を上げてはっきりとその理由を口にした。

 

「だから、”恋”だって!!私、由比ヶ浜 結衣は片思いしてた人と同じ大学いきたいな~っていう浮ついた理由で受験勉強をしていました!!」

 

 店中に響きそうな大声で明言させられた彼女は”うわーん、年下のギャルにいじめられたよー!!さぶれー!!”といって足元で丸まっていた愛犬に泣きついたが、こっちはそれどころではなかった。

 

 こい。来い?濃い?鯉。故意?――――恋。

 

 どれだけ穿った見方をしても最後にはこの変換へと落ち着いてしまった。

 

 まったく予想していなかったその発想に思考が止まってしまうが、時間を掛ければ掛けるほどじんわりと納得が自分の中に染み込んで来た。

 

 そうだった。自分は久しくその感情を忘れていたせいか、世の女子の大半はその感情を糧にどんな困難だって越えていけてしまう生き物だったという事までいつの間にか忘れてしまっていた。

 

 二度も経験した苦さが、努めて思いだそうとさせていなかったあの甘い感情を、この人はしっかりと糧にしたのだ。

 

 その事に、素直に感動を覚えてしまって。

 

 自分のステレオタイプな理由のちっぽけさに、笑ってしまった。

 

「結衣さんって、カッコいいですね」

 

「うぅぅぅ、絶対馬鹿にしてるし」

 

 拗ねたようにサブレに顔を埋めながらこちらを睨んでくる彼女が可愛くて、思わずまた笑ってしまう。

 

 こんな可愛らしく強い女性に好かれた男をちょっとだけ妬ましく思い、自分がかつて恋した男を思い出してちょっとだけ想像力を働かせてみる。

 

 気だるげにレポートを書いている彼の隣で課題をこなす自分は厄介な教授や授業の事を愚痴りながら進路の事を話して、冗談めかして彼をからかって怒られている。

 

 飲み会に呼ばれて不機嫌そうな彼を宥めながらちょっとだけ隙を見せてドキドキさせてみたり。

 

 適当な理由をこじつけて二人っきりで出かけてのんびりと二人で歩く姿を。

 

 大学を卒業したアイツとそんな未来を叶える事は出来ないけれど、そんな妄想みたいな想像は確かにやる気をみなぎらせてしまう。

 

 コレは、数学の12点だって確かにひっくり返してしまうには十分な原動力だ。

 

「ねぇ、結衣さん。せっかくだしどんな風に勉強してたのか教えてくれません?最近、ちょっと伸び悩んでて」

 

「えー、絶対に美嘉ちゃん成績いi「あー、サブレにじゃれつかれてすっごい困ったな―。明日の予習が出来なかったせいで成績落ちちゃうかもなー」

 

「急に恩着せがしまくなったし!!」

 

 渋る彼女にごねまくって教えて貰った”化学記号 クラスメート暗記法”や”世界大戦~A・B組仁義なき女子高生編~”を聞かされた私は久々に腹を抱えて大笑いし、姦しくその夜を過ごし、私はちょっと年上の友達を手に入れたのだ。

 

 きっと、みみっちく貧乏性な自分は彼女や仲間の様に生きていく事は出来ないだろう。

 

 でも、今は、それでもいいと思える。

 

 未練たらしい自分は、今すぐには恋なんて出来ないだろうが、こんな風になってみたいと憧れる女性と知り合えたのだから。

 

 まずはそれに近づける様に努力をしてみよう。

 

 そう思えたのだ。

 

 

 

 

――蛇足――

 

結衣「あ、もしもしヒッキー?いま大丈夫?」

 

八幡『…超絶眠くて大丈夫じゃないから切っていいっすか?』

 

結衣「えへへ、そんな事いってられるのも今のうちだよ―?今日、サブレの散歩中にねー」

 

八幡『ガン無視かよ…。ていうか、なにお前、いままだ外にいんの?』

 

結衣「え、うん。いま、帰り途中。それよりも聞いてよー今日なんとヒッキーが好きなアイドルの――

八幡『どっか近くのコンビニで待ってろ、場所はメールで送れ』

 

結衣「え!いいよ!!サブレもいるし…」

 

八幡「んなアホ犬役に立たん。あと、こんな時間にあんまウロウロすんな。切るぞ」

 

 無愛想な声を最後に、無機質な機械音を鳴らす携帯を片手にちょっと呆れてしまう。

 

結衣「変な所でちょろいなぁ、ヒッキーは」

 

 携帯の液晶が指す時刻は深夜ちょっと前。彼が住んでる寮から私の住んでるこの町まで来て私をアパートに送れば丁度終電が出てしまう時間。

 

 電話に出るのも渋るくせに、自分を迎えに来るのは迷わない彼の甘さと脇の緩さについつい笑ってしまう。

 

 こんなんではいつ誰に食べられてしまうか分かったものではない。

 

 現在地を送ってサブレをなでくりまわして、考える。

 

 いい子、悪い子、普通の子。

 

 掛け替えのない二人と私をかつてそう評した人がいた。

 

 でも、昔から何度だって自己申告して来たつもりなのにソレはどうしたって真に受けて貰えない。

 

 私はとってもズルイ悪い子なのだ。

 

「わふ?」

 

 首をかしげる呑気なサブレが最愛の親友二人に重なって見え、優しく撫でた後にゆっくりと背を伸ばす。

 

 さて、彼が来たら何から話そうか?

 ―サブレの首輪がまた壊れて買いに行かなければならない事か。

 

 ―彼が御贔屓の可愛いアイドルと友達になった事か。

 

 ―それとも、懐かしい高校時代の彼考案のへんてこな勉強法についてか。

 

 まあ、焦らなくたって夜は長い。コンビニで彼と自分の分のお酒でも買ってゆっくりと考えるとしよう

 

「あーんまりノンビリしてると、とっちゃうぞ。ゆきのん?」

 

 ちっちゃな囁きは鈴虫の歌声と柔らかな草の香りに包まれて月明かりの元へと紛れていった。

 

 

――――――――――

 

プロフという名のあらすじ

 

 

城ヶ崎 美嘉  性別:女  18歳

 

 言わずと知れたカリスマJK。若年層が主体の人気であったが、常務のプロデュースにより大人路線も開拓したため高校卒業後は幅広い活躍を期待されていた。しかし、ラジオでもぽろっと洩らした進学希望と地に足が着きすぎた理由が話題を呼んだため暫くの間は周りが騒がしかったらしい。(武Pが常務に呼び出しを喰らう程度)しかし、周りの理解と本人の希望により全面サポートのもとに両立を目指して奮闘中。

 

 今作では武内Pとヒッキーと二回もハートブレイク(バレンタインデー当日)を経験しているためそっち方面ではかなりスレテいる(TOKIMEKIなんてありゃしねぇ、、、)。

 

 ファッションや普段の言動からは想像が付き難いが、ロリコンにも理解があり、庶民派の感覚を持ち合わせた傷心正銘の”いい子”なのである。

 

 趣味のカラオケの持ち歌は”天城越え”

 

 重い。

 

 

由比ヶ浜 結衣 性別:女  22歳

 

 奉仕部の悪い子担当。

 

 高校の猛勉強の末に大学入学を果たした努力の子でもある。ただ、惜しむらくはヒッキーや、ゆきのんの志望校には届かずに滑り止めに入学を果たした事か。それでも教師・ゆきのんは人目を憚らず号泣した事がその奇跡を物語る。ちなみに、ヒッキーと同じ大学に通ってもほぼバイト浸けだったため甘い生活が遅れたかは疑問。

 

 高校、大学と親友の恋と自分の恋心を抱え続けたせいか、交際経験が無いのに溢れる色気が男を惑わせる。最近の犠牲者は勤め先の保育園に通う”城廻 回(まわる)くん(4歳)”が重度の年上好きコンプレックスを刻みこまれつつある。やだ、魔性のおんな。

 

 長年 煮え切らない環境にいたせいか、ちょっと拗らせている。

 

 拗らせて無いガハマさんはこちらへどうぞ→

 「散歩日和」/「sasakin」の小説 [pixiv] https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=5572588

 

 

 

 



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最終話 前

秋の夜長に物語はひっそりと、始まりの終わりを告げます。


「消灯、火の元、施錠確認…良し」

 

 手早く現場内の戸締り確認をしていき、最後の申し送りに跳ねるようにサインをしてグッと身体を伸ばして息を吐き出す。

 

 伸ばした先に映るちょっと傾いた満月がそこそこに遅い時間である事を知らしめ、吹き付ける木枯らしと共に小さくため息を漏らす。

 

 改めて時計を覗きこんでみれば、もはや走った所で終電は絶望的でどうしたものかと考えを巡らす。コレが明日も出勤というならば現場近くの仮設事務所に泊まり込むのも止むなしだが、幸いにも自分は非番であったはず。朝起きたら同僚たちが忙しなく図面を持って駆け回っている中での起床はご遠慮願いたい。

 

 というか、どさくさに紛れてそのまま出勤扱いにされかねないので絶対に嫌だ。

 

 そう考えると帰宅一択でさっさと動き出すべきなのだが、踏み出した一歩を情けなく声を上げた腹の虫が踏みとどめた。

 

 忙しくて取り忘れていた晩飯の催促にもう一度頭を悩ませる。

 

 どうせ帰宅手段はタクシーしかないならば、ちょっと小腹を満たしてからでもいいのでは?

 そんな甘い囁きをしてくる腹の虫君の囁きにこの周辺の飯所を思い返してみる。

 

 寒い秋の夜にあったまり、丁度よく胃袋を満たしてくれて、なおかつこんな時間でも営業してくれている場所を検索していき、当然の様に一つの結論に行きついた。

 

「…ラーメンか」

 

 いい。実にいい感じだ。

 

 冷え切って、飢え切ったこの身体を癒してくれる最強の食事じゃないか。

 

 そう考えれば思考はそれに特化していき、大学生時代に作りあげたラーメンMAPを脳内で引っ張り出してみればすぐ近くにおあつらえ向きな店があった事を思い出す。

 

 そこには学生時代にはしょっちゅうお世話になっていたのに就職してからまったく足を延ばしていない。

 

 懐かしさもひと押しに胸の高鳴りは際限なくメキトキしていき、重かった足取りは上機嫌にスキップまで踏んで鼻歌までうたってしまう。

 

 ラーメンを深夜に啜り、明日は昼まで惰眠をむさぼると言うダメ人間まっしぐらな予定に有頂天な俺を、真ん丸なお月さまが呆れたように照らし、木枯らしは溜息の様に紅葉を散らした。

 

――――――――――

「ヘイラシャシャーイ!!!」

 

 世知辛い世の中にも、秋の底冷えにも負けず煌々と輝く店舗の扉を開ければ威勢の良い声が俺を迎えてくれた。そのうえ、掛けていた眼鏡が一瞬で結露してしまう程の熱気が今は何よりもありがたい。

 

 人も暖房も低めの温度設定のこの世の中でその温もりのなんと有難い事か…っ!!

 思わず感動にうち震えていると、店主が機嫌悪そうにこっちを睨んで来たので慌てて扉を閉めてガラガラの席に座る。

 

 いかんいかん、久しぶりに感じる”楽園”の空気に酔いしれてしまったがこんな事では先が思いやられる。今日の俺はココから更に先を味わいに来たのだからうかうかなどしていられない。

 

 そう気を引き締め直してメニューを開いて吟味する。とはいえ、古き良きこの店には迷うほどの品数は無い。あっさり豚骨とどっしり味噌。それと餃子やトッピング程度。新鋭のチェーン系の様々な種類のラーメンも好奇心をくすぐられるが、こういう古風でシンプルな佇まいは男としてカッコいいと思わざるを得ない。

 

 味噌に豚骨、トッピング、量。様々な事を検討を重ねに重ねていると、新たな客が入店して来たのかひやりとした空気が流れ込んでくる。なるほど、いつまでも入り口で開けっぱなしでつっ立っていた自分を睨む店主の気持ちも良く分かる。しかし、自分とは違いさっさと店内に入店したらしく店主の掛け声も若干機嫌がいい。

 

 だが、そんな事はどうでもいい。そう思って再びメニューに没頭しようとすると隣にさっきの客が座るのを感じる。こんなにガラガラなのに何で隣なのか…。まあ、いい。別に何処に座ろうが関係ない。

 

 再び意識をメニューに戻そうとして隣で上着を脱ぐ気配に合わせて薫ってくるふんわりとした白檀の様な香りにまた意識を逸らされる。キツイ香水だったなら舌打ちの一つもかましてやろうと思っていたのだがどうにも隣の人自身の自然な匂いらしい。いい柔軟剤使ってますね…。

 

 なんだか隣に座った客のせいで思考がぶれがちではあったが、熟考の末にどっしり味噌のフルトッピング大盛りへと無事に結論が出た。更に、明日は休日で帰りはタクシーである。少々、邪道ではあるが餃子にビールもつけてしまう。ふふふ、深夜に頼むこんな注文などマトモな神経では無い。その背徳感が俺を更に高揚させていく。

 

 さあ、いざ――――!!

「なあ、お兄さん。ちょっとウチにラーメン奢ってくれへん?」

 

「は?」

 

 勢いよく注文をしようと呑みこんだ言葉は横からの無粋な一言によって間抜けな吐息へと変ってしまった。

 

 呆気にとられたのは数秒。そこから怒りの炎がメラメラと沸き立つまでもう数秒。

 

 ―――そういうことか。こんなガラガラで横に座るなんて妙だと思ったのだ。

 

 しかも、ちょっとハスキーだがしなやかで高い声は若く、匂いや雰囲気からちょっとした美人であるのは想像がつく。そんな女が態々横に座ってこちらに視線を送っていた時点で気がつき警戒するべきだったのだ。久々のラーメンにちょっと浮つき過ぎていた反省と、それに水を差したこの女への怒り。それが俺を支配する。

 

 壷か、援助の申し込みか。深夜に一人寂しくラーメンを啜る男をターゲットにした悪どいやり口。そんな無粋なモノを神聖なラーメン屋で行うとは最低最悪の下劣である。許し難い。

 

 何よりそんな手口はもうすでに経験済みだ。

 

 家出した京都のバカ娘が全く同じ手口で近づき、それを保護した経験が無ければ危うかったかもしれないが、あの時とその後の苦労を知った俺には死角はない。

 

 深い溜息を吐きだし怒りを納め、クールダウンする。冷静にこの愚か者を宥める為の言葉をまとめつつ――――何かが、引っかかった。

 

 白檀の香り。

 

 ハスキーで掴み所のない関西弁。

 

 そして、あの馬鹿が同じ様に声を掛けて来たのも――――この店では、無かっただろうか?

 脳内にフラッシュバックする様々な情報に従い、ゆっくりと隣に視線を向ける。

 

 あの頃より短くなった透き通る様な銀糸から覗く、狐の様につり上がった細い眦。ちょっとだけ皮肉気に釣り上げた口元。

 

 見間違える事など絶対に無い、その女。

 

 

「―――久しぶりやんな。おにーさん?」

 

 

「―――周子」

 

 

――――――――――

 

 

 

「味噌のフルトッピング大盛り。あと、餃子とビール」

 

「って、反応せんのかーーい!!」

 

 一瞬だけシリアスな空気になりかけたけれど、ここ一年のアイドル遭遇率を考えれば珍しい事でもないかと思いなおして普通に注文する事にした。むしろ、楽しみにしていたラーメンに一拍入れられて腹立たしいまである。

 

「もー、なんなん。凛ちゃんや夏樹はんとはもっと劇的な再会しとったやん。もっと周子ちゃんにも構えよ―。あ、私にも同じもの一つ」

 

「うっせ。俺とお前の間にそんなもん生まれるか。どのアイドル拾った事よりもお前をココで保護した事が一番の俺の失敗だ。ついでに言うとアイドルが夜中にラーメン餃子なんか食ってんじゃねーよ」

 

「勝手にP辞めた人がえらそーに指図しないでくださーい、ほいコレ」

 

 俺のすげない一言に分かりやすく拗ねた周子が嫌味と共にビール瓶の蓋を開けてグラスに開けていき、差し出してくる。

 

「お前は未成年…じゃねえな、そういえばもう」

 

 一方的に渡され、勝手に合わされたグラスの軽やかな音に思わず言い慣れた言葉が出かかるが、それをすんでで呑みこむ。

 

 そんな俺を楽しげに見やった周子はグラスに口をつけて、アルコールを嚥下して小さく息を吐く。

 

「家を追い出されて拾われたのが18歳で、もうそれが3年も前の話。結局、おにーさんが346にいた時は一回も呑ませてくれなかったけどね」

 

「寮の管理人時代と駆け出しの頃にラーメンならたまに食わせてやったろうが。文句いうな」

 

 タダでさえ酔っぱらうとめんどくさいメンバーの中にコイツやフレデリカが混ざると更に面倒な事になりそうなので出来る限り近づかせない様にしていた。当時は酒気よりも食い気が勝っていたコイツラを誘導するためにレッスン後にラーメンを食わせた事を思い出して微かに笑う。

 

「ふふーん。周子ちゃんは掃除婦からトップアイドルに駆け上がったリアルシンデレラだからね。今じゃ、哀れな新卒君の財布に気を使う事無くラーメンもビールも飲めてしまうのさ」

 

「お前が俺の財布に気を使った事がある方に驚きだよ…」 

 

 ちょっとだけ得意げに胸を張る彼女に思わず苦笑が漏れ出る。ホントに無一文で東京をふらついていたコイツは346女子寮に住み込みで働かせても極貧生活が続いていたのだからあながち表現的にはまちがっちゃいない。追い出された理由が自業自得過ぎるのはさておいても、懐に余裕が出来ているのはホントらしい。その事にちょっとだけ出来の悪い妹の成長を見た様で素直に嬉しく思う。

 

「そうだよなぁ、歳はほっといても取るもんな。…中身が伴わなくても」

 

「…言いたい事は色々あるけど、礼子さんの前でソレ言ったら殺されんで?」

 

 まあ、それを伝えると調子に乗るだろうから適当な皮肉を口ずさむと半眼で睨まれた。

 

「ヘイオマチ!!」

 

「「おお!!」」

 

 そんな実の無い馬鹿話をしていると威勢の良い掛け声と共に、カウンターへ待望のラーメンと餃子が置かれた。

 

 山の様な野菜の山に彩られたぷるっぷるなチャーシューに、見ただけで濃厚な事が分かってしまうそのスープ。その大海の中から微かに顔を覗かせる金色の麺が悩ましい。

 

 俺と周子が、辛抱たまらずすぐさま割り箸を手に、手を合掌させる。

 

「「頂きます」」

 

 完全なシンクロを店主に見せつけた俺たちはひたすらに無言で麺を啜る。

 

 野菜、麺、スープ。それぞれを味わっているウチにスープで温めなおしたチャーシューに齧りつき、その肉汁と共に今度は全部を同時にくらいつく。噛みしめる度に深みを出すハーモニーの間に餃子を挟み、口直しと共にニンニクの風味を足した麺にもう一度口を運ぶ。

 

 もう一度。もう一度。そう何度も繰り返す間、俺と周子の間に一切の会話はない。

 

 当たり前だ。この繊細な芸術の寿命は驚くほど短い。よもや話に費やしているウチに店主が見極めた最高のタイミングを逃す事など到底許される事ではない犯罪だ。

 

 アッと言う間に残り一口になったラーメンに、最後まで取っておいた燻製半熟卵を割り黄身を絡めて啜る。

 

 今までのどっしりしたみその風味が和らぎ、一気に優しい味わいになった事を確認し、最後に残ったスープを一気に飲み干す!!

 

 

「「御馳走さまでした!!」」

 

 

 

 器のそこまで飲みきった器をカウンターに叩きつけるように戻し、二人揃って力強く完食と感謝を伝えた俺たちは自然と目があった。

 

 アイドルとしてどうなのかと思うほど額いっぱいに汗を浮かべ、油のせいか妖しく光る口元を真っ赤な舌が淫靡に舐め取った所で目があった彼女は、本当に楽しげに微笑んだ。

 

 きっと似た様なあり様の俺を見て笑っているのだろうが、”アイドルの周子”よりもずっとこっちの自然な笑い方が自分の知っている”塩見 周子”に近く、久々に見たその表情に頬を綻ばせてしまった。

 

 くすり、くすりと笑いあう俺らは店主の訝しげな視線を受けながらもしばらくの間をそうして笑いあったのだ。

 

 

―――――――――――――

 

 

 

「で、結局は成長なんか欠片もしてねーじゃねーか」

 

「ぐへへ~。今をときめくトップアイドルをおぶされるなんて光栄やんな~」

 

 最高のラーメンと懐かしい旧交を温められて、実にいい雰囲気で店を出たまでは良かった。結局最初の宣言通りに奢らされてしまったことも、良しとしよう。

 

問題は―――。

 

「何でこんなに弱いくせに一瓶丸々飲むんだよ…」

 

「ねー、何で眼鏡掛け取るん?なんなん、噂の彼女?彼氏?の為にカッコつけに目覚めたん?気色悪いわ―」

 

 店を出た瞬間からご覧のあり様になったトップアイドル様のせいで気分は最悪へ直滑降である。ふらっふらの足元に真っ赤に染まった顔。どんだけ話しかけても帰ってくる見当違いの解答。コレが顔見知りで無けりゃすぐさまゴミ箱にシュートしてやっている所だ。

 

「単純に視力が落ちたんだよ。あと、何だその噂?…俺にそんなもん出来る訳無いだろうが」

 

「……へー。そーなんや。くふ、くふふふふ、モテへんで苦労しまんなー。おにーさん。ほーら、今のうちに美女の匂いと柔らかさを堪能しー」

 

「美女の匂いが餃子風味だとは知らんかった。なに?京都捨てて栃木に行くの?宇都宮の駅前に飾られてみる?」

 

「おー、嫁入りやーん。だいたーん、くふふふふへへへへ」

 

 周子が奇怪な笑い声を上げながら背中で身体をすりよせてくるが、最初に感じた白檀の香りも今や餃子と酒臭さに上書きされ、わりかし腹いっぱいの現状で身体を締め付けられるのはかなりきつい。

 

 彼女いわく、現在はココからそんなに遠くない所に住んでいるとは言うものの、酔っ払いの言を手放しに信用するのも憚られる。せめて家まで送るにしたって自力で歩けるくらいには回復してもらいたい。

 

 そんな事を考えながら周りを見渡せば、おあつらえ向きの公園が目に付いた。

 

「おい、餃子の女神。そろそろ腕がしんどいから公園で下ろすぞ」 

 

「誰が餃子の女神や!!そんな重ないやろ、この軟弱モノー!もっときばりー!!」

 

「おらよっと」

 

「ぎゃん!!お尻が割れたらどないすんの!!もっと丁寧に扱い―や!!」

 

 

 案の定、背中で暴れ始めて首っ玉にしがみつこうとするが酔いで力が入らないのか、ベンチの上で揺する様に支えていた手を離すと、デロリと落ちて行ってケツを抑えて騒ぎたててくる。うるせえ。

 

「ケツは元々割れてるもんだ。飲み物買ってきてやるから座ってろ」

 

「あっ……」

 

 ぎゃんぎゃん騒ぐ周子の頭をちょっと乱暴に撫でまわすと急に静かになった。いつもなら軽口でもっとうるさくなる筈なのに今日は酒が入ってるせいか何時もと反応が違う事に首を傾げるが…まあ、酔いが回って気持ちが悪くなって来たのかも知れん。ちょうどいい事には変わりが無いのでそんまま自販機へと向かおうとすると、離そうとした手を引き寄せられた。

 

「飲み物は、いらへん。ちょっと横になれば大丈夫やから、膝、貸して?」

 

「…そのまま寝たら容赦なく置いてぞ」

 

 何を馬鹿な、と振り向いて言いかけた言葉を噤んでしまうほど周子の瞳は、静かに澄んでいた。下手に触れれば、儚く消えて行ってしまいそうなその雰囲気は、俺が頷いた事でちょっとだけ元の朗らかさを取り戻した。

 

 引き寄せられるように腰を下ろした俺の膝の上に彼女はそっとその小さな頭を載せ、小さく息を吐いた。

 

 煌々と輝く月が周子の銀の髪を照らしいっそう冷たい輝きを帯びるが、彼女が触れている部分は焼けてしまうかと思うほど

熱を持っていた。そのちぐはぐな様子に耐えきれず、俺は、なんとかいつもの彼女に戻って貰いたくて言葉を紡ぐ。

 

「…こんなんに成るくらい酒弱いなら飲むなよ」

 

 出来るかぎりいつも通りを装った、薄っぺらな言葉。最も嫌悪していたはずのその欺瞞に満ちた態度は、すぐに身を持って報いることとなった。

 

「しょうが無いやん。お酒飲んだのなんて今日が初めてやし」

 

「…は?」

 

 俺の間の抜けた返答に彼女は小さく苦笑して、俺の右肩に小さく触れる。

 

「昔、小学校ではやったんやけどな。石ころスイッチて遊び。”石ころスイッチ”って言って右肩触られたら解除されるまで動いたらダメ。今のおにーさんは、石ころやで?」

 

「急に、なに言っ「石は喋らへん」

 

 唐突に始まった謎のゲームに戸惑って動こうとした俺を、静かだが、力強い意思の籠った声が諌める。

 

 律儀に従ってやることなど無い。言われたとおりに黙っていればきっと取り返しのつかない何かが始まってしまう事が分かっているのに、動く事ができなかった。

 

 俺が動かない事を確認した周子は小さく微笑んで言葉を紡ぐ。

 

「今から言うのは独り言や。酔っぱらってどーしようもないクダまい取る酔っ払いの独り言。

 おにーさんが辞めてからな、色んな人がデレプロに入って来たわ。どっかの目つき悪いアホ垂れと違ってしゃきしゃきしたサブプロデューサーやマネージャーとかメイクさん。それこそ、今までの極貧は何だったん?て言うくらい大切にされとんの。本物のお姫様みたい」

 

 周子の口から語られるデレプロの状況は概ね自分が予想していたものと近くあるようだ。してやりたかった待遇に彼女達が恵まれている事にちょっとだけ救われる様な気分になって――。

 

「でもな、もう、誰も”塩見 周子”を見てくれる人は近くにおらんくなってもうた」

 

 続いたその言葉に頭を殴られた様な錯覚に陥る。

 

「私が馬鹿やっても誰も何も叱らないんだ。冗談を言っても合わせてくれるだけやし、ご飯だって洒落たもんしか連れってってくれない。いつだって私が中心に、気分良く居させてくれようとしてくれる。贅沢な悩みや」

 

 自重するように笑う彼女に掛けようとした言葉は、視線一つで遮られた。

 

「みんなも、そんなもんだって言うから無理やり納得してみたりな。そんなんで騙し騙しやってたらおにーさんの話が聞こえてくるんよ。昔とまったく変わらないおにーさんの話が、さ。

 みんなからソレを聞くたびに、紗枝に煽られたときに素直に走りだしとけばよかったって何度も思ったよ?

 でもね、それでも、心のどっかでおにーさんに怒ってたんだ。辞めた理由を凛ちゃんから聞いてますます憎くなった。

 ”私がこんな孤独な思いをする事を分かってたのになんでいなくなったんだー”って、泣きたいくらいに怒ってた。

 すっごい身勝手な事は百も承知だけどね」

 

 そう言って笑う彼女はゆっくりと立ちあがって満月を見上げて続ける。

 

「だから、羨ましく思ってる癖に怒ってる自分も納得させる事が出来ない周子ちゃんはあのラーメン屋にあの時と同じ時間に、同じ曜日に通うっていう謎の行動に出たのです。

 東京で一人追い詰められていた自分を拾ってくれた王子様が、また鬱屈した自分を救いに来てはくれないかと望みを掛けて何回も通ったのです。他の子の様に迎えに行く勇気のないドヘタレはアホみたいに通って、遂にその背中を見つけました」

 

「その背中を見つけた時に、自分を覚えてくれていた時に、本当に昔のままの”塩見 周子”を見つめて笑ってくれた時に全部がどうでもよくなったんや。おにーさんを憎む気持ちも、トップアイドルの誇りも、他の子達への嫉妬も全部なくなった。

 名誉も、お金も、何にもいらへん。大切にだってされなくてええ。アンタが、近くにいて、見てくれるだけ。たったそれだけ。私が欲しいもんはそれだけやったって気がついたから」

 

 月明かりを背に、こちらを振り向いた彼女の表情は窺い知る事が出来ない。だが、彼女の頬から、小さく地面に吸い込まれる滴が彼女の激情を表している。

 

 そして、願わくば、その先の言葉だけは、聞きたくない。

 

「何にもいらへん!アイドルだって、アンタの傍にいたくて始めた!!アンタがいてくれへんならどんなに有名になったって意味がないんや!!!」

 

 流れる滴もそのままに、彼女はいままで堪えに堪えていた激情を吐きだすように叫び、最後に―――

「――――戻って、来てよ。八幡」

 

 絞り出すようなその懇願に、思わず彼女を抱きしめた。

 

 ほっそりとしたその身体を、力の限り抱きしめる。ただ、その流れる涙だけはぬぐう資格を俺は持って居ないのだ、

 

「ありがとう、すまない。周子」

 

 噛みしめる歯の隙間から何とか出した血へドのような言葉が、自身の胸を締め付ける。

 

「――っなんでや!!なんで!!なんでっ!!!」

 

 胸の中で叫びながら、爪を立てて激怒する彼女の痛みを甘んじて受け入れる。本当に、女の子にココまで言わせておいてデッカイ傷をつける自分は、何遍だって死んだ方がいい。だけど、例えそうだとしても、彼女の願いだけには答える事が出来ない。

 

 きっと、自分が彼女の元に戻れば束の間の安楽は手に入るかも知れない。でも、それはアイドルである彼女を殺す事に他ならない。彼女がいらないと嘯いたトップアイドルの道を、誰よりも近くで見ていたのは他ならないこの自分だったのだから。

自分と変らぬ死んだ魚の様な眼をしていた彼女が、アイドルと接して、アイドルになってからの彼女の瞳の輝きと物語を俺は世界中の誰よりも、知っている。

 

 彼女が寮の廊下をステージに唄を口ずさんでいた頃からの一人目のファンとして、それだけは出来ない。

 

「俺が、お前の一番のファンだから、かなぁ」

 

「――っつ!!」

 

 呟いたその一言に彼女は大きく肩を震わせ、それでも納得はいかない様に強く俺の服を強く握る。

 

 駄々をこねる子供の様なその仕草に、何故かちょっと笑いそうになりながらも言葉を紡ぐ。

 

「お前がテレビで活躍するのが堪らなく嬉しい。街で流れるお前の曲を聞くと思わず足を止めちまう。だから、歌うのを辞めるだなんて言わないでくれ」

 

「…アンタがそばにいるんやったら幾らでも歌って上げるって言ってんじゃん」

 

「それで、あんなにお前を応援してくれていたファンの事を蔑ろにできるくらいお前は器用なのか?」

 

「……」

 

 黙りこくってしまう彼女の頭を出来るだけ優しく撫で苦笑する。掴み所がないようで、その実、結構な直情型の彼女はきっとそんな器用で不実な事は出来ない。昔はいざ知らず、今の彼女は心の芯までアイドルだ。ソレを捨ててしまう事は昔の死んだ目をした彼女になってしまう事だ。

 

 だから、たった一人の為に生きると言う彼女の願いを、俺はファンとしても、兄貴分としても聞いてやることが出来ない。

 

「はぁー、おにーさんてやっぱりズルイ男だよね…」

 

 俯く彼女は小さく溜息をついてゆっくりと握っていた手を緩めて半眼で呟き睨んでくる。 

 

 今言った言葉に何の嘘偽りは無いが、問われた内容に一つだけ明言していないのはしっかりばれていたようで少々気まずく、目を逸らしてしまう。

 

「ま、今日のところは言及するのは辞めといて上げる。それと、コレ渡しとくね」

 

 そういって溜息をついた彼女はポケットからあるチケットを取り出して俺の胸ポケットに差し込む。

 

「このライブを聞いた後にもっかい楽屋で答えを聞かせてよ」

 

「?――ッこれ!?」

 

 渡されたチケットの内容は―――今冬出展予定のシンデレラプロジェクトオールスターズの貴賓席のチケット。出す所に出せば数百万にも成る貴重な物。

 

 俺の狼狽を楽しむ様に周子は頬笑み、踵を返して歩き出す。

 

「お望み通り、そっちから頭を下げて戻ってきたくなるようなライブ、魅せたげる」

 

 さっきまでの激昂が嘘のように、自信満々の笑みを浮かべて去って行く彼女の背中に呆気に取られて動く事が出来なかった。それでも、彼女の確とした足取りを見るに送る必要もないかと思い直してベンチに腰を下ろして大きく溜息をつく。

 

 秋の夜長とはいえども、今宵ばかりはちょっと疲れた。

 

 綺麗に辞めれたもんだと思って安心していた物が蓋を開けてみたらどうした事かしっちゃかめっちゃかで、結局自分は嫌なもんに蓋をして投げ出していただけなのだと思い知らされる。

 

 年下の女の子達を傷つけ、泣かせ、慰められ、世話になっている情けないこの姿を笑っているであろう月に貰ったチケットを透かし、小さく呟く。

 

 

 

「―――これが、最後だろうな」

 

 

 

――――――――

 

 

プロフという名のあらすじ

 

 

塩見 周子  性別:女   年齢 21歳

 

 一応、本作過去編の八幡メインヒロイン枠系女子である。

 

 三年前に京都の実家を追い出されて勢いで東京まで飛び出してしまったロッキンガール。所持金がゼロになった所で禁断のたかりを行ったのが八幡でそのまま346の女子寮の管理・清掃員として住み込み条件で雇われた(保護とも言う)。デレプロ初期・中期メンバーにとっては”明るい京都弁の管理人さん”のイメージがいまだに強い。

 

 そんな彼女がアイドルになったきっかけは常務発案企画の”プロジェクトクローネ”である。武内Pと常務のグループで勝った方が傘下に収まると言う危機的状況で、常務側の最後の一人として紹介された(ラスボス感)。

 

 有名どころをかき集めていた常務のおふざけ枠かと思いきやその圧倒的な才能にデレプロを全滅寸前まで追い込み、常務に”高垣 楓”以来の逸材だといわしめた。

 

 紛争終了後は、アイドル部門のエース枠として様々なイベントやライブをこなす万能選手として活躍を見せる。

 

 

――――

 

以下、sassakin脳内放送済みアニメの『アイドルマスター@シンデレラガールズ~八幡Pと!!~』各話からの抜粋である。

なお、一般放送予定は無い。

 

――

 

第16話「出身は京都!?家出少女にご注意を!!」

 

 

周子「え、なになに?芸能事務所に連れてきちゃうってことはもしかしてスカウト!?えっへっへー、いやー見る目があるねーおにーさん!!でも、私のギャラはちょっと高めで―――」

 

八幡「はいこれ」ポイっ

 

周子「…モップとブラシ?」

 

八幡「ココが今日からお前の職場の”346アイドル女子寮”だ。三食部屋付きで雇って貰うのに苦労したんだぜ?早速だけど、ベテランのチヨ婆に挨拶してきたらそのまま掃除だな」

 

周子「……まじかよ」

 

 

――

 

 

第36話「二人は同郷!?ハートキャッチ・京娘ズ!!」

 

周子「さ、紗枝ちゃん!!」

 

紗枝「塩見屋の周子ちゃん!!どないしてこんな所に!!御両親心配しとったんどすえ!!」

 

周子「ウチの両親なんてどうでもええけど、紗枝ちゃん早く逃げて!!ココにいたらブラシと雑巾持たされて清掃員にさせられちゃった上に、ご飯まで作らされるよ!!」

 

八幡「…それがお前の仕事だし、三日に一度サボってまだ置いてもらえてる事にまず感謝しろ。馬鹿」

 

 

 

――

 

 

第123話「衝撃!クローネ最強のラストピース!!」

 

常務「紹介しよう、コレがクローネ最後の一人で、最強の、アイドルだ!!」

 

凛「…うそ、でしょ」

 

美嘉「あんまり、笑える冗談じゃないわね…」

 

八幡「おい、今なら、罰当番三日で勘弁してやる。だから、さっさと戻ってこい!!―――周子ぉぉぉぉ!!」

 

 

―――――周子「やっと、私のこと見てくれたね。おにーさん」

 

 

 



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最終話 中

周子はんに”スーパースター”を歌って欲しいだけの人生だった。



 12月25日。世間一般で言えば聖夜と呼ばれ、神への祈りを捧げるべ清き尊き日。

 

 本来は家族で教会に赴き祈りをささげ、ディナーを饗する厳かな日である。遠き東洋に伝わるまでにどんな経緯があったのか随分と本来とはかけ離れてしまった行事になった事を嘆かれる昨今。しかし、今日ばかりは、少なくともココに集った夥しい程の人々に関して言えば本国の巡礼者達以上に真摯な気持ちでココに集っているのかもしれない。

 

 誰も彼もが凍える様な寒さに白い息を洩らしながらも沈痛な顔で、列をなして一点を見つめる。明るくライトアップされた巨大なドーム。そここそは彼らのゴルゴタの丘だ。

 

 大々的に打ち出されているそのポスターや垂れ幕に映る姿は彼らにとっては遠き過去の聖人よりも自分を救って来た信仰の対象ですらあった。

 

 だが、それは、今日終わるのだ。

 

 現代において信仰にすら取って代わった”シンデレラプロジェクト”。

 

 七万にも及ぶ人間が悔恨と惜寂の感情を籠めつつも、その最後のライブを心待ちにその開催を待ちわびていた。

 

 

 

――――――――――

 

「比企谷様ですね?専務よりお聞きしております。どうぞこちらへ」

 

「…専務?」

 

 一種の狂信すら感じるほど無言の列の脇を素通りする気まずさと、周囲の視線を一身に受けながらも列整理の兄ちゃんに周子に渡されたチケットを見せれば真っ青な顔して奥へ飛んでいき、タキシードを着た壮年の紳士が最初に発した言葉に色んな疑問をすっ飛ばしてそんな事を呟いてしまった。

 

 自分の知り合い、というか、ギリギリ面識がある346の最上級権力者は”常務”だったはず。顔も見たこと無い”専務”にお聞きされる理由は無いはずだ。

 

「?…ああ、失礼しました。貴方が在籍していた頃は”常務”でしたね。今夏に美城お嬢さまは大旦那様から昇進を言い渡され”専務”と成られましたので。さあ、お嬢様がお待ちですので」

 

 自分が何を疑問に思っているのかに思い当たった紳士が朗らかに笑いながら誤解を解いて道を進めてくれるが、足取りは重い。

 

 え、何。まだ出世すんのあの人。

 

 バイト時代ですら圧倒的な威圧感に人を寄せ付けなかったのに、更にレベルアップしたらいよいよ結婚相手見つかんないんじゃない?ていうか、アレより怖くなった人に申し訳程度に持って来た貢ぎ物の安物ワイン(俺基準での最高品質)を渡すのとか実質罰ゲームじゃん。えー、てかもうやっぱりあの人いんのー。

 

 脳内でうんざりして悪態をついていると簡素な廊下は進むたびに上等な作りになって行き、いつの間にか板張りで高級な絨毯が敷き詰められた廊下まで進んだ所で気がつく。

 

「…ここ、貴賓席じゃないんですけど、道間違ってませんか?」

 

「いえ、あってますよ。専務からは貴方はココにお通しするように申し使っておりますので」

 

 引きつった表情を俺に紳士は朗らかな笑顔で目の前の扉を指し示す。業界の噂でしか聞いた事のない”VIP席”を超える超高待遇席”VVIP席”。

 

 重厚な彫刻で囲まれた高級そうな木製の扉についている取っ手すら触るのを躊躇われる輝きを灯しているのだからそこがいかに一般人に不可侵な領域であるかを知らしめる。縋るように紳士を見やれば笑顔で頷かれるが、俺が求めているのはそういうんじゃない。

 

 そう目で訴えかけるがどうにも笑顔しかかえってこないので大きく溜息を吐いて、厳ついライオンさんが咥える金のわっかを打ち鳴らし、待つ事数秒。

 

「構わん、入れ」

 

 聞こえてくる変らぬ威圧感たっぷりな声に胃が痛くなって紳士改め執事さんを睨んでみると笑顔で返された。死ね。

 

 痛む胃を抑えて、小さくため息を吐いて取っ手に手を掛ける。ココまで来て帰る事もいまさら出来ない。別れ際に浮かべられたアイツらの顔を糧に何とかその取っ手を押し開く。

 

「おう、久しいな裏切り者の比企谷」

 

「…初っ端からひでぇ言われようだ」

 

 奮い立たせた意気地を初っ端からぶちかまされた俺が膝から崩れおちるのを彼女は楽しげに口の端を上げて笑う。そのドサドっプリは御健勝な様で何よりだチクショウ。その筋の人ならきっと結婚相手だって見つかるだろうよ。

 

 ハードパンチに震える膝を何とか支えて立ち上がり彼女に改めて向き直ると予想と違った彼女の姿に少し驚いてしまう。

 

 暗色系でありながら煌びやかでシックなドレスにシルクのケープをはおった彼女は一目で分かるほど最高級である事が分かるロングソファーに気だるげに寄りかかり、足元を見ればヒールは脱ぎ散らかされている。近くに据えられたローテーブルには並々とグラスに注がれた赤いワインに、華やかなツマミが置かれておりソレを無造作につまんで口に運ぶ…まあ、ありていにいって、だらけ切った常務がいた。

 

「なんだ、人の顔を珍獣みたいに」

 

「…プロジェクトの集大成に随分とお寛ぎっすね」

 

「バカもん。最高責任者がいまさらあたふたしている様な状況の方が問題だろう」

 

 言われた言葉にそりゃそうかと変に納得してしまう。だが、何より気になるのはバイトをしていた頃とは随分と違うその態度だ。

 

「…なんかキャラ変わってませんか?専務に昇進して方向転換したンすか?あ、昇進おめでとうございます」

 

「社員でも無い奴の前で肩ひじ張るのも馬鹿らしかろう。それに、自宅では大体こんなもんだしな。お世辞などいらんから、その手に持っている酒をさっさと出せ。お前も飲むだろう?」

 

「いや、俺は「飲め」……ここまでいくといっそ清々しいアルハラだな」

 

 どうやらコッチの方が素らしい彼女の号令に忠実な執事さんが恭しく俺の安酒を受け取り、一人掛け用のソファーに用意をしてくれるので渋々導かれるままに腰をおろす。

 

「社員なら問題だろうが、完全なプライベート空間に他社の人間だからな。端的に言っても”年上のお姉さんにお酒を御馳走になる若者”っと言ったところだろう。―――うむ。悪くない酒だ」

 

「ははぁ、さては既に大分酔ってますね?もう”お姉さん”なんて名乗れる年齢じゃないのに」

 

「ぶっ殺すぞ」

 

 目がマジで、空いた酒瓶を片手に装備した彼女を見て両手を上げて降参しておく。まあ、言われてみれば彼女の軽口はともかく確かにその理屈は一理ある。相手がココまで腹の内を見せている様な空間でこっちだけが肩ひじを張った所でしょうがない。折角の幻の観客席に座れたのだから精々楽しませて貰うとしよう。と、思いなおしていたら結構重めの音と衝撃が自分の肩に走った。

 

「フン、相変わらず生意気な小僧だ。腹立たしい」

 

「いや、ここまでやってまだすっきりしてねえのかよ…」

 

 酒瓶の代わりにガチめの肩パンを二発ぶちこんできた彼女が深く息をつきどっかりとソファーに腰を落とす。マジでどっかの独身を思い出すくらい男らしいなこの人。いまさら隠し属性を出されても持て余しちゃうぜ。

 

 そんな事を思いつつかっぱかっぱと杯を空けていく彼女に溜息をついていると扉から鳴る硬質な音が新たな来訪者を告げる。

 

「構わん。入れ」

 

 さっきより若干不機嫌そうな声を出す彼女の声に次の来訪者にそっと心の中で詫びる。きっと今頃扉の向こうで胃を痛めている事だろう。すまん。

 

「失礼します」

 

 そんなことを考えていると耳を叩いたのは聞きなれた呟くような低い声。しかし、聞き間違えようのないほどその声に秘められた熱さは健在で、思わず苦笑してしまう。

 

 入って来た人物がこちらに気がついた事を見て俺も席を立って頭を下げる。

 

「ああ、お久しぶりです。比企谷さん。お元気そうで安心しました。今日という日にお越し頂けると聞いて嬉しく思っていました」

 

「御無沙汰してます、武内さん。…抜けた分際でこんな良い席を貰って本当にすみません」

 

「貴方が尽力してくれていなければ、今日という日はありませんでした。胸を張ってください」

 

「……ありがとう、ございます」

 

 厳ついその顔に朗らかな頬笑みを浮かべて話しかけてくる彼に申し訳なさを感じて言葉を紡げば、彼は真摯にそう答えてくれるのだから、まったくもっての人たらしだ。そんな悪態でも浮かべなければ、つい泣いてしまいそうになるくらいには。

 

「まあ、用意してやったのは私だがな」

 

 …コイツ、酔うとめんどくせえな。

 

「で、武内。用件は何だ」

 

 仲間外れにされたのが不服なのかお年を召したお嬢様は不機嫌そうに武内さんに問い、その声に改めて背筋を伸ばした彼が力強く答える。

 

「観客の収容が済みました。間もなく、開演出来るかと思います」

 

「そうか。…折角だ、お前もココで見て行け。お前にはその資格がある」

 

「いえ、しかし…」

 

「今日の為に用意したスタッフも、機材も、段取りも全てはこれ以上無いものを揃えている。もし何かあるようならば、お前や私が騒いだところでどうにもならん。―――それに、教え子の卒業だ。今日くらいは信頼して、看取ってやれ」

 

「……ありがとう、ございます」

 

 そういって遠くを見つめる常務の表情は何処までも優しげで、武内さんは深く頭を下げて残り一つのソファへと腰を掛けて無線に小さく何かを呟き息を吐く。

 

「さあ、目を見開き一片も見逃すな。お前らが魔法を掛けた原石達の輝きを。そして、これからの芸能界を346色へと塗り替えていく暁の眩さを。全てを見届け、誇れ。コレがお前達の集大成だ」

 

 常務の小さく、歌うようなその一言と共に、会場内の明かりが一気に落とされる。

 

 魔法の夜が、やってくる。

 

----------

 

卯月「レディース!!」

 

未央「アーンド!!ジェントルメン!!」

 

凛「今日という清き日にココに集まってくれた、ファンの皆様に限りない感謝を!!」

 

 

 暗転した世界に浮かび上がる三つの影。逆光に照らされたその姿は判別は出来なくてもその声を聞き間違える物はこの場にも、中継されているテレビの先にも、きっと誰もいない。

 

 

未央「今夜、ここで起こる事がきっと全てが奇跡で成り立ってる!!」

 

卯月「いまだって瞬きをしたらいつもの日常に戻ってしまうじゃないっかって、信じられないくらい!!」

 

凛「それでも、夢で終われないから必死にココまで全力で駆け昇って来た!!」

 

未央「でも、それでも、きっと」

 

卯月「ココがようやくスタートラインだから!!」

 

凛「だからこそ!最初に聞いてもらいたい曲は!!」

 

卯月・凛・未央「お願い!シンデレラ!!」

 

 

 時々不安げな弱さを滲ませる少女達の声はそれでも迷いは無く、力強く示したのは自分達をココまで押し上げてきてくれたこのプロジェクト最初期の、どこまでだって駆けていく意思を歌ったその歌だった。

 

 宣言と共に全ての闇が払われ、眩い光がステージを包む。

 

 焚かれたスモークが晴れ、強烈な光に奪われた視界が戻ってくる頃に並び立つのは、全てのアイドルの頂点に立った15人であった。

 

 沸き立つ大歓声に最初に答えたのは、全ての闇を払う輝きを持つ太陽を背負った少女達。

 

 

きらり「みんな!はぴはぴだにー!!」

 

拓海「最高の聖夜にしてやっから!!アンタらも気合い入れてブっ込んできな!!」

 

未央「みんな!ありがとーーー!!」

 

美嘉「最高のトキメキを経験させてあげる!!」

 

夕美「みんな!!忘れられない夜にしようよ!!みんなの力で!!」

 

 

 彼女らがたった一言ずつ叫ぶだけで会場は嘘の様な熱気に包まれる。歌声が、ダンスが、笑顔が。全てが沈んでいたファン達の心に火をつけていく。熱狂的に高まった会場の雰囲気は留まる事を知らず温度を上げていくかと思われる程だ。しかし、そんな彼らは一瞬だけ桜の花びらが舞ったかのような幻想に戸惑う。

 

 燃え上がる心を優しく諌める様な慈愛に満ちたその声は、季節外れの桜さえ幻視させて魅せる。花びらを背負った少女達がゆったりと躍り出る。

 

 

菜々「みんなー!!大好きだミーン!!」

 

杏「待ったく、クリスマスまでこんなに杏が働いてるんだからみんなも怠けちゃだめだよー」

 

島村「島村卯月!!一生懸命頑張ります!!」

 

みく「う、う~。既に泣きそうだけど、全力でがんばるにゃー!!」

 

志希「うーん、今夜は最高に面白い夜になりそう!!みんなたのしんでねー!!」

 

 

 その柔らかな華やかさに誰もが癒されそして喜ぶ。飛び出た魅力が無くとも、いや、無いからこそ誰よりも自分達のそばに寄り添い元気をくれる彼女達のその声は何度だって自分達を救って来た事を思い出させてくれる。

 

 そんな、春の木漏れ日の様な優しい声に奪われていた心は、すっと囁くような、それでいて絶対的な存在感を感じさせる声に縫いとめられた。

 

 聞いたものを心から虜にし、石の様に動けなくしてしまうほどの美しさを感じさせる魔性の声が観衆を一瞬で引きつける。

 

加連「まだまだ、全然たりないでしょ?」

 

文香「物語にだって無かった新しい世界を一緒に見に行きましょう」

 

凛「ふふ、悪くないね。…いや、すっごく良い」

 

楓「クリスマスはゆっくり済まします?ふふ、今日だけはダメですよ?」

 

周子「最高の祭囃子、聞きたいやろ?」

 

 

 そして、全ての声が、踊りが溶け合って完璧なハーモニーへとなった時に会場から音が消えた。

 

 いや、正確には七万人もの歓声が最高潮に成って時にソレは最早音として人は感知しない。全身を叩く衝撃としか感じる事が出来ない。それでも、少女達の声はかき消されること無く会場の隅まで響き渡る。掠れそうになる声を必死に繋ぎとめ、滴る汗もぬぐう事もせずに全てを伝える事に集中する。

 

 きっと、一人ではすぐにダメになっていた。それでも、歌い続けられるのは、仲間の声が繋ぎとめてくれるから。

 

 永遠にも思える五分も、遂には終わりを迎える。

 

 最後のワンフレーズまで魂を込めて歌った。たった一曲を歌いきっただけで倒れこみそうになる。でも、姿勢は終わっても崩さずに気合いを入れて保つ。

 

 満身相違なのは観客も同じなのか、さっきまでの激動が嘘のように客席は静まり返っている。

 

 誰もが、息を潜めて、静かに待つ。

 

 そんな沈黙がどれだけ続いたのか、ようやく一つの影が動く。

 

 その人こそは本当の意味での、最初のシンデレラ。

 

 全ての始まりが、全ての終わりの始まりを告げる。

 

楓「始まりは、小さな商店街でした」

 

 何処か遠くを見つめる様に彼女は小さく目を眇めながら小さく語りだす。

 

楓「ステージなんてとても言えない簡素なお立ち台で、音源はカセットCD、衣装は手作り。お客さん所がこっちをみる人もいないくらいなちっぽけなライブ。そこが初めての一歩でした」

 

「プロデューサーは何度も申し訳なさそうに頭を下げて来てくれましたけど、私はモデルだった時には感じなかった楽しさを感じていました」

 

「回数を重ねる度に、近所の子供と友達になって公園で遊んだり、商店街のみんなが差し入れをしてくれるようになったり、スタッフの皆と帰りに飲みに行った店でお客さんも巻き込んで歌ったり。本当に、笑っちゃうくらいに騒がしくて暖かい毎日がこのプロジェクトの根っこなんだと思います」

 

「そうして、ちょっとずつお客さんが増えて、テレビ局に取り立てて貰ったりなんかしてちょっとずつ歩んでいると後輩が出来ました。明るくて、強くて、ひたむきな可愛い後輩と踊るステージやイベントは目が回るくらい騒がしくて、楽しくて日々はもっと輝きを増していきました」

 

「そうして、いっぱいの輝きは日々を増すたびに強くなっていき、今日、こんなにたくさんの人が駆けつけてくれる程にまで至りました」

 

 そこまで語った彼女は、遠くに向けていた視線を目の前のファン達にゆっくりと向けて静かに言葉を紡ぐ。

 

「そんな”シンデレラプロジェクト”は今日のライブで一旦、終わりを迎えます」

 

 その言葉に先ほどまでの熱狂が嘘のように静まり返った観客が息を呑み悔しそうに、悲しそうに声を洩らす。

 

 なんでなのだ、これからじゃないか、終わらないで欲しい、と訴えかけるファン達に彼女は優しく微笑んで言葉を紡ぐ。

 

「ありがとう、でも、彼女達という宝石を詰め込んでおくには、このプロジェクトではちょっと小さすぎますから」

 

 その一言に、ファン達は息を呑んだ。

 

「最初は、小さな輝きだったのかもしれません。でも、彼女達は私と同じように仲間と、応援してくれているファンと共にちょっとずつ歩み、真っ暗な夜空でもその存在を示せるくらいに輝ける様になりました。だから、こんな小さなくくりでは無く夜空を照らす星として、彼女達は今日、このプロジェクトを卒業します」

 

「広大な夜空へ旅立つ私たちと、これからも一緒に歩んでくれますか?」

 

 彼女の言葉に、全ての観客が涙をながしつつ大歓声で答える。

 

 そうだ、自分達はプロジェクトに魅かれていた訳ではない。輝く彼女達の笑顔に、姿勢に、心に魅せられていたのではなかったか。

 

 枠組みが無くなって羽ばたこうとする彼女達を自分たちが支えないでどうすると言うのか。それが出来なくて、何がファンだと言うのか。

 

 その思いを載せて必死に声を上げる彼らに、彼女は微笑んで言葉を紡ぐ。

 

「さあ、魔法の夜は始まったばかり。シンデレラの魔性が解けるまで思い切り、踊りましょう?ふふ、良い出来です!!」

 

 こんな時でも変わらぬ彼女にメンバーは肩を落として苦笑し、ファンは大笑いを上げる。

 

 ソレを皮切りにしたのか大音量の音楽が流され、ソレに負けないくらいの大音声がステージに響きわたる。

 

茜「こんなときでも変わらない楓さん!!流石です!!負けられません!!燃えてきました!!ボンバー!!!」

 

幸子「デレプロも、人気投票の数字なども世界一可愛いボクの前では無意味だと言う事を教えて上げます!!」

 

奏「ふふ、出鼻にあんなに見せつけられたんじゃこっちまで燃えてきちゃった。私らしくないわね」

 

 入れ替わりに入って来たアイドルに再び歓声が響き渡り、ファン達の興奮が再び高まって行くその姿にはコンサートが始まる前の悲壮感など欠片も感じさせず、ただ純粋に楽しんでいる事が窺える。全てを呑みこみ、また決意した彼らの笑顔こそがシンデレラを振るい立たせ―――再びドームは熱狂に包まれた。

 

 

-----------

 

 知っていたつもりだった。分かっていたつもりだった。彼女達が眩過ぎる星々だと言う事など。だが、ソレは勘違いだった。この会場の腹の底にまで響くその熱狂が否応なくソレを証明してくれる。

 

 彼女達はまだ夜空にすら昇ってなどいなかったのだ。

 

 その事実に全身の力が抜けてしまうように深くため息をつく俺に、専務がちょっと得意げにちょっかいを掛けてくる。

 

「ふん、逃がした魚の大きさを今さら理解したか。愚か者め」

 

「…ホントに酔うとガキっぽくなりますね、専務」

 

「お前ら男は酔っても無いのにクソガキのような意地を張るのだからもっと手に負えん。…まあ、もっとも片方は最近は少しはマシになったようだがな?」

 

 拗ねた様に悪態をつく俺に楽しげに喉を鳴らしてやり込めた彼女は意味ありげにもう片方のソファに目を向ける。端的に言って武内さんだ。

 

「…?武内さんは十分立派な大人でしょう。アンタよりかは」

 

「ククッ。大人、なぁ。だそうだ、よかったな武内。少なくとも同性からみればメンツは保たれているらしいぞ?」

 

「専務、どうかその辺で…」

 

「嫌だね。日頃の私の頭痛の鬱憤はこんなもんではない」

 

 いやらしげなその視線と含みたっぷりなその声に武内さんは気まずげに視線をそらすが、流石は専務。パワハラに躊躇いが無さ過ぎる。

 

「おい、比企谷。高垣をみて何か気が付かなかったか?」

 

「は?気がつくたって、いつもどうりにギリギリなギャグセンスだと、し、か――――」

 

 言われてさっきの感動的なスピーチを成し遂げた彼女の姿を思い出してみて、一点だけ見慣れないものが輝いていた事に気がつく。

 

「え、あれ?あれって装飾とかじゃねえ…の?」

 

 その左の薬指に輝く、その眩いリングの意味する所とは―――。

 

「馬鹿者。間違ってもアイドルに装飾でそんなものつけさせるか。ならば、結論は一つだろう」

 

 挟んだ疑問は最高責任者の力強い言葉に否定され壊れたブリキの様に軋んだ動きで首を向ければ、みた事もないほど顔を真っ赤にして顔を覆う偉丈夫が一匹。

 

 つまる所、そういう事なのだろう。

 

「えーっと、…おめでとう、ございます?」

 

「…報告が遅れてすみません。ありがとうございます」

 

 いや、あの二人を巡る大騒動には俺も立ち合わせていたから二人が恋人である事は知っているのだが、まさかこのタイミングでそんな思いきった行動に出るだなんて思わなかった。二人とも情熱に浮かされて突発的に動く人間では無い事を知っているために驚きもひと押しだ。

 

「…ていうか、実質的な会社の最高責任者にその話題を振られる事が一番こえ―ンすけど。良いンすか専務的には?」

 

「いいも何も、焚きつけたのは私だ。憚ることも無かろう」

 

「……おかしい。謎が深まった」

 

 まさか、質問が疑問を深める事になるとは思わなかった。そんな風に額に手を当てる俺を出来の悪い生徒をみる様な溜息をついて専務がみてくるが非常に理不尽だ。

 

「そう難しい話ではない。美城の家は古くから実力主義だ。最も社内で頭角を現している武内と私を結婚させようとする一派がいて実際にお見合いまでは強制的にさせられたという事が始まりでな。そっからは省くが、私か高垣を選ばせてやったらすぐさまアッチに飛んで行ったという訳だ。―――その憂さ晴らしでこうしている訳ではない。その目を辞めろ」

 

 事情を聴いているウチに募った言いたい事はどうやら目に現れてしまったようだ。ハチマンソンナコトオモッテナイヨ。

 

「まあ、良い機会でもある。年齢もそうだが彼女ほどのタレントならこの後も暇になる事など無いだろうからな。プロジェクトの終わった今くらいなら諸々どさくさに紛れて都合も良い。そんなわけでつけさせている。むしろ、キューピッドて奴だよ」

 

 そういって笑う彼女は本当に含みなく彼らを祝っているようで、不覚にも少しだけカッコいいと思ってしまった。コレが美城式人心掌握術なのか、彼女のカリスマなのか少々判断に迷うが、武内夫妻はどうやら上司に恵まれたのは確かだ。

 

「ま、コレの処置はコイツラに限った事でも無い。私は基本的にプライベートとビジネスは分けて考えるタイプだ。誰にたいしても、な、、、、、、」

 

「…なんすか?」

 

「…いや、あの娘も厄介なのに引っかかったものだと思っただけだ」

 

 あんまりにさっぱりした解答に苦笑を洩らしていると、意味あり気にこっちも視線をよこして来たので首を傾げてみると彼女は深くため息をつく。

 

「まあ、いい。どうせ私はしばらく武内夫妻と、荒れるちひろの相手で手いっぱいだ。そっちがどうなるかまで構ってられん。お前は、これから始まる演目を見てこれからの事を考えるがいいさ。変な意地を張らぬように、後悔の無い選択をするためにな。――――――コレは世界にたった一人、お前の為だけに謳われる歌なのだから、、、、、、、、、、、、」

 

 

 そういって彼女が指差す先には、たった一人のアイドルが降り立った所だった。

 

 会場の熱気を一身に受け、ほんの少しだけ頬に朱が差しているが、その表情に気負いはない。

 

 柳の様にしなやかで、雪のように彼女は静かにステージの中央に立つ。だが、彼女のさっきまでと違い過ぎる衣装にちょっとだけ会場にどよめきが起こる。

 

 銀糸の様な髪を短く後ろに纏め、狐の様なつり上がった眦。そんな彼女が身にまとっているのはさっきまで来ていた煌びやかなドレスではなく、肩を出した特徴的なパーカーにジーンズ生地のショートパンツにしなやかな流線を描くストッキングに包まれたその足。

 

 綺麗でもある。センスだって感じる。だが、ソレは明らかに私服に分類されるもののはず。何故ソレを彼女がいま着て来たのかが分からない。だが、この会場で、たった一人、俺だけには分かってしまった。それが、自分と初めて出会った時の服装である事を。

 

 髪の長さ以外は何一つ変わらないそのいで立ち。だが、だからこそその瞳の奥の輝きとしゃんと伸びた背中があの頃と違う事を俺に知らしめる。

 

 しかし、その意図を読もうとするこっちを余所に、彼女は俯いたままでまったく動かない。

 

 ざわついていた会場もそんな彼女の様子に気がつき、ちょっとずつ音が止んでいく。

 

 どれくらい経っただろうか。今や会場内では喋る所か、音を出すことすら憚られるような雰囲気が包み込む。

 

 そんな中で、ようやく彼女が。”塩見 周子”が口を開いた。

 

『三年前、本当にバカだったあたしは家を追い出されて東京にやって来た』

 

『コレはその時の一張羅。コレと財布、携帯くらいしか持たんまま家出とかいま思い出せばほんまに頭おかしいよね?』

 

 ポツリ、ポツリと語られ、ちょっとだけおどけた言葉に、ちょっとだけ会場に笑いが広がる。

 

『そんなんで、飢え死に寸前だった私に手を差し伸べてくれた人がいた。全然優しくもないし、口うるさいし、ケチだし、捻くれていたけど、バカみたいなお人好しな人だった』

 

『その人の周りには変人ばっかだったけど不思議と人がよってきて、いつだって賑やかだった。そんな楽しそうな雰囲気に当てられていつの間にか私までああなってみたいと思って、うっかりアイドルになっちゃたくらい』

 

 続く彼女の独白は本当に楽しそうに語られるのに、何故か今度は誰も笑う事は無かった。きっと、その先に待っている残酷な結末を彼女から溢れる雰囲気で察しているのかも知れなかった。

 

『でも、もうその人はいない』

 

『本当に馬鹿な私は、お別れも碌に言えないまま、”ありがとう”だって伝えられないでアイツを見送った』

 

『当たり前のように明日も隣に立ってる事を疑いもせず…っ!…去って行ったあの人を黙ってみてたっ!!』

 

 その震える言葉を皮切りに彼女は視線を上げる。

 

 目に宿るは真っ赤に轟々と燃え盛る決意。全てを呑みこまんとする強過ぎる意志の宿った目に会場全てが引きこまれた。

 

 

 

『きっともうアイツは私なんか待ってなんか居やしないかもしれない!!それでも!!もう一度、あの人の前に立ちたい!!―――――あの人が惚れ直すくらいの!!”スーパースター”になって!!迎えに行くんだ!!!』

 

 その宣言に合わせて曲が流れる。

 

 

 

 ソレは、失った恋人の前に生まれ変わってでも、どこにいてでも見える自分に成って迎えに行く事を誓う強い――決意の歌だった。

 

-----------

 

 

 

 ~今日の蛇足~

 

 

貴賓席in開会前

 

陽乃「ふふふ、比企谷君が貴賓席チケットを持ってるのも、ココに向かって家を出たのは確認済み。大枚はたいてスポンサーになった甲斐があったってもんよ。さーて、久々の比企谷君でどうやってあそぼーかなー♪」

 

―――

貴賓席inオープニング終了

 

陽乃「んー、おかしいなー。オープニング終わっちゃったよ。道に迷ってんのかな―?」

 

――――

貴賓席in中盤終了

 

陽乃「………………」

 

――――

貴賓席inライブ終了

 

ぷるるるる、ぷるるるる、ぴ

 

都筑『はい、何でございましょうか?比企谷様とお会いできてさぞお喜びですk「オイコラ、ドウナッテンノヨ?オン?(ドすの利いた声」

 

 

その後の都筑を見た者はいないそうな。

 

 

ちゃんちゃん

 

 

 

 



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比企谷、P辞めるってよ 最終話 後

「いつまでそうやって呆けているつもりだ」

 

「っつ!!?」

 

 そんな憮然とした声を専務に掛けられてようやく自分が呆然自失に陥っていた事に気がつく。

 

 戻って来た意識をステージに向ければ既に周子の姿はそこに無く、ライブはいつの間にか佳境に差し掛かっているのか凄まじいまでの盛り上がりを見せている。

 

 アイツらの最後の晴れ舞台をこんなにも長く見過ごしていた事に焦りつつ、ライブに集中しようと試みるがその大歓声も、彼女達の歌声もどこか遠くに聞こえて、別世界の事のように感じてしまう。

 

 どんなに目を逸らそうとしても瞼と耳の奥に焼きついた圧倒的な熱量が、ソレを許してくれない。

 

―――――全てを呑みこんでしまうような決意を秘めた瞳が。

 

―――――心の底から絞り出された後悔を振り払う力強い声が。

 

 今なお、自分の心を掴んで離さない。

 

 何度も振り払おうとしても離れぬその熱量に小さくため息をついて天井を力なく仰ぎ、情けなくも八当たりの様に悪態をもらしてみる。

 

「…看板アイドルが二人揃ってこんなスキャンダル起こしてんのは経営者としてはどうなんすか?」

 

「ふん、ようやく口を聞いたと思えばそんな事か。それに関しては私の答えはさっきと変らん。ビジネスさえしっかりこなすならばプライベートは勝手にすればいい。彼女達はソレを叶えるだけの実力を持っているからな。

 それに、魔法が解けたシンデレラは王子様に迎えられて幸せになるのが鉄板だ。…まあ、迎えに来る前に乗り込んでいったじゃじゃ馬なシンデレラも一興。そうだろう、王子様?」

 

 悪態を投げかけられた専務はソレを一笑に伏して、楽しげにそう語る。普段は鉄面皮を通しているくせに変な所でロマンチストなのだからどうにも敵わないが、今日だけはそれが恨めしい。

 

「…比企谷さんが辞めてから、多くの人間がこのプロジェクトに入ってきて本当に多くの問題が起こりました」

 

 にまにまと”やり込めてやった”と言わんばかりの嫌らしい目線を向けてくる専務に辟易としていると呟くような低い声が俺の耳に届く。その声に釣られて声の主であろう武内さんへ視線を向ければ、彼はステージから目を離さないまま訥々と思い出すように語って行く。

 

「急激な変化でしたので当然の事でもあったのですが、戸惑いや遠慮、逆に踏み込み過ぎるが故の軋轢。どうしても起きてしまう摩擦を率先して調整してくれたのは、楓さんと…塩見さんでした」

 

 その一言に驚いた、と言えば少々失礼だろうか。楓さんは最初期メンバーの頃から雰囲気を柔らかくしてくれていたのでわかるのだが、周子のこの前の話では彼女も変化に戸惑っていた側のはずだった。その彼女が他のメンバーの調整にも尽力していたというのは意外だった。

 

 そんな俺の内心を読み取ったのか武内さんは口元を緩ませて、おもしろげに語る。

 

「まあ、少々強引なやり方ではありましたがね。絶妙な加減で我儘に振る舞って嫌われ役を買ってでるやり口は何処の誰から学んだのかはさておくとしても、それが新しく入ったスタッフとアイドル達の距離感の尺度になったのは確かです」

 

 武内さんにしては珍しい直接的なからかいと、周子の取った手法に顔をしかめてしまったのは仕方のない事だ。

 

 この胸に走る苦味は、いつぞや掛け替えのない友人達の感じた後味の悪さなのだろう。思わず”気にくわない”そう口走ってしまったその気持ちが聞く側になって実感できるとは少々、皮肉が効き過ぎている。

 

「…その結果に甘え切ってしまう自分が何とも情けないのですが、そのおかげで私も彼女達も欠けることなくココに居られます。その事に、報いるべきだと、自分は思うのです」

 

 声の雰囲気は昔からは考えられない柔らかさを含みながらも、揺るがぬ芯が通るのを感じさせるものへと変化した。

 

 人の意識を引きつけるその声は多くのシンデレラを輝く星へと押し上げた”魔法使い”と呼ばれた伝説の男のものである事を否応が無く俺に理解させる。

 

「アナタ達がどんな結論を出そうと、私が有像無像の事情の全てを請け負いましょう。だから、貴方はただ心の赴くままに答えを出してください。それで、あなたの貴重な四年間を使い潰してしまった償いになるとも、彼女の抱え込んだ悲しみの代償にもなるとなど思ってもいませんが、それだけは――――確約します」

 

 万雷の拍手と地鳴りのような歓声。そんな中で最高のフィナーレを飾り、笑顔でファン達に手を振るアイドル達が舞台裏に下がって行くのを最後まで見送ってようやく彼はこちらに視線を向けてそう言い切った。

 

 その瞳と言葉は真っすぐに俺を貫き、息を詰まらせる。

 

「…専務もですけど、武内さんも随分変わりましたね。凄い自信だ」

 

「たった今、彼女達に恥じぬプロデューサーであろうと心を新たにしたところですし、人生における恥は先日かき切った所ですからね。そのせいかも知れません」

 

 苦笑しつつ笑う彼は恥ずかしそうに首元を抑える。そんな何気ない仕草をみて、この人も随分と自然に笑う様になった事に小さく感嘆を吐いた。

 

 人は、そう簡単に変わる事などありはしない。

 

 変ったと感じるのならば、ソレは痛みを重ねた先にある条件反射なのだと頑なに信じて来た。

 

 それでも、最近はそれだけではないのかと思う。

 

 痛みは怖い。誰だって避けたくなってしまう。でも、その先にある甘やかな感情を求めて何度だって人はその痛みに手を伸ばす。

 

 痛いと知りつつも、その痛みを胸に掻き抱いて離したくないと願う。

 

 その異常な情動の動きが俺には今だけはちょっとだけ分かる。分かりたいと願ってしまう。

 

 その痛みの受け止め方もまた、人を変えるのだろう。

 

 いまだ冷めやらぬ会場の誰もいないステージ。そこで輝いていた彼女達を、かつての騒がしくも輝ける日々を、そして――――――――あの銀糸の少女を想う。

 

 無性に、彼女達に、もう一度会いたくなった。

 

―――――――

 

 さてはて、勢い促されるまま席を立ち、のこのこと”関係者以外立ち入り禁止”の看板をくぐってやって来た控え室。中からは耳に馴染んだ彼女達の声がライブの成功を喜ぶ歓声を上げているのが聞こえる。

 

 扉に伸ばした手は所在なさげに空を彷徨い、長い戸惑いの末に取っ手へと手を伸ばす。が、開こうとする踏ん切りがどうにもついてくれない。今さら、どんな顔をして彼女達の前に現れればいいのかなんて見当もつかなかった。大体、いまさr―――――「長い。さっさと入れ」

 

「ぐえっ!!!」

 

 様々な葛藤と言い訳を重ねようとしている自分の背中に鋭いピンヒールが叩きこまれ、カエルを潰したような変な声を上げながら転げるように控え室へと送りだされた。

 

 

「「「「「「「!!!?」」」」」」」」

 

 

 突然の闖入者に大いに盛り上がっていた歓声が一瞬で静まり、背中を抑えて悶える男が誰なのかに気付いた彼女達が小さく息を呑んだのが分かった。

 

 最初に思ったのは”ああ、申し訳ない”という感想だった。昔からこういう場に水を差してしまう事が多かった。学習したことを活かさないからこうした事を繰り返す。ベテランぼっちたるモノこういうときには静かに姿を晦ますべきなのだ。次に思ったのは、突然の闖入者に対して咄嗟にアイドルの前に立って守ろうとした新顔のスタッフへの感動だ。素直に、掛け値なく彼女達を大切にしてくれているのだと、心底ほっとした。

 

――――本当に、何様だと自嘲してしまうくらいに心の何処かに残っていたしこりが解けていくことを感じる。

 

 痛みがようやく引いて来た背中を抑えつつ、蹲っていた身体を起こしてゆっくりと控え室を見回し、テレビ越しでは無い彼女達の顔に小さく息を吐く。さっきまでのライブでの笑顔は錯覚だったのかと思ってしまうほどその表情は辛そうにしかめられ、誰もが苦しそうにこちらを見つめてくる。

 

 今日という日に、自分がこんな顔をさせている事の気まずさに思わず顔を鬱向けてしまいそうになるが、やるべきことを。あの日、本来はやっておかねばならなかった事を済まさずに逃げ出すことは許されない。これから、夜空に輝くであろう彼女達の陰りを指してしまう原因だけは取り除いておかねばならない。

 

 そんな決意を胸に顔を上げると、目の前に小さく、華奢な影が差す。

 

「今さら、部外者が何の用ですか?ここは関係者以外立ち入り禁止の筈ですよ」

 

 小さな身体のどこから発せられているのかと思うほど冷たい声と視線。見上げたその先にいたのは人形かと見まごうほど美しい少女”橘 ありす”だった。

 

「…勝手にいなくなって……”待つ”って約束だって破って見捨てたくせに!!どんな神経をしたら私たちの前にもう一度顔なんて出せるんですか!!答えてください、比企谷さん!!!」

 

 だが、そんな冷ややかな声は言葉を重ねる度に熱を帯びて果てしない怒りを込めた業火へと成り、その細い腕が俺の胸倉を掴み上げて問い詰める。燃える瞳は真っすぐ俺を貫き、下手な虚偽は許さないと伝えてくる。向けられたこちらが思わず見惚れてしまう程の純粋過ぎる怒り。子供らしさを酷く嫌って、頑なな知性で壁を作ることで安定を保っていた彼女が、今この時ばかりは本能の赴くままに俺に感情をぶつけてくる。

 

 そんな彼女の怒りに俺が答えられる事なんて多くは、無い。

 

「ごめんな、ありす」

 

「―――ッツ!!」

 

 俺のその短い一言に、ありすは息を呑む。

 

「…求めているのは、謝罪なんかじゃありません。理由を聞いているんです」

 

 うつ向けた彼女の表情は窺う事は出来ないが、掴んだ胸倉を震わせながら彼女は言葉を紡ぐ。

 

「いつもみたいにくだらない理論で、口八丁で騙そうとして、ください。そしたら、―――そしたら、いつもみたいに私が、完璧な理論で論破して、どれだけ苦しんだかを足が痺れるくらい説教してあげて―――――アナタをずっと恨んでいられるんです!!」

 

 絞り出すようなその声が、酷く俺の中に響く。きっと、本当はそうしてやるべきなのかもしれない。

 

 恨みは時として人を進める原動力となる事がある。それが、もういない人間である場合はきっとどこまでだってその人を推し進めてくれる。思考を停止して、ただその恨みを糧に進んでいくことはきっととても楽だ。だけど、身勝手なのは百も承知で、俺はありすにそんな”呪い”のような原動力を抱えて歩いて欲しくないのだ。

 

 そんなのは、彼女の夢に混じってはいけない不純物でしかない。だから、俺は何度だって赦しを乞おう。

 

 たったそれしかできないのだから、それだけはやり切ってみせよう。

 

「ごめんな、苦しませて、ごめん」

 

「―――ッツ!!!」

 

 馬鹿の一つ覚えの様に繰り返される言葉にありすは更に大きく息をのみ、締め上げる様に握られていた手は最早縋るかのように弱々しくなって震える声を絞り出す。

 

「…ズルイです。最低です。何で、そんな酷い事するんですか」

 

 悪態をつきながらも、握っていた手を引き寄せてその小さな頭を俺の胸板に当ててくる彼女の頭をそっと抱き寄せる。

 

「…ようやく立ち直れた支えを奪って、また歩き出せなんて言われてるのに。そんなに真っ直ぐに謝られたら、許さないと私が悪者に、なってしまいます」

 

 グシグシ、ヒクヒクとしゃっくりや嗚咽を漏らしながらの彼女のそんな一言に俺は苦笑いを返すしかない。まったくもってその通りで、最低最悪なやり口。本当にどうしようもない自分に辟易もするが、この少女のお許しを勝ち取れたのなら自己嫌悪くらい安い買い物だろう。

 

 抱き寄せて泣き続ける彼女の頭を撫でていると、袖を微かな力で引かれ、そちらに目を向けると小梅がいつの間にかすぐそばにしゃがみ込んでいた。

 

「…あったかい。やっぱり触れる本物が、私はいいな」

 

「久々にあった判別方法が触れるかどうかって言うのも斬新だな、小梅」

 

「えへへ、久しぶりだね」

 

 そういって彼女もより精密な判別を行うためなのか抱きついてくる。いや、逆に触れない偽物って何だよ。相変わらずコエ―よ。

 

 そんな二人を見ていたせいか張り詰めていた空気も緩み、他の少女達も緩やかに苦笑を洩らす。これで、全ての贖罪が終わったとも思わないが、まあ、後は個別に頭を下げさせてもらうしかないだろう。ご勘弁願いたい。

 

 小さくため息を吐いて目に涙を溜めた彼女達の頭を撫でていると、こつり、こつりと足音が聞こえてくる。顔を上げなくたってそれが誰かなんて分かっている。自分の中に止むことなく熱をくべていた何かが、更にざわめくのを感じるのだから。

 

「ウチの娘達を泣かせるなんてええ度胸やね、おにーさん?」

 

「いてっ」

 

 聞きなれたその呼び名。鼻を擽る白檀の香り。

 

 小突くように頭を叩かれた俺は、目の前にしゃがみこんだその少女の存在に苦笑いしか返せない。

 

「どうやった?宣言通り、サイコーのライブだったでしょ?」

 

「ああ、本当に最高のライブだった」

 

「ココまで来るのにめっちゃ頑張ったんやから感謝しーや」

 

「武内さんから色々聞いたよ、お疲れさん。あんま無茶はすんなよ?」

 

「これが最後なんて自分だって信じられへんけど、まあだからこそええんかもしれんね」

 

「ファンとしては、なんともいえねえなぁ。続いて欲しくもあるし、これからが楽しみでもある」

 

 重ねられる言葉はお互いにどこまでも穏やかで、澄んでいた。決して空虚なんかでは無い万感の思いを込めた言葉たちの筈なのにこれから迎える結末をきっとどこかで俺も彼女も分かっている。

 

 だから、彼女は最後に”あの歌”を選んだのだろう。

 

 だから、自分は目の前の彼女の顔を真っ直ぐ見る事が出来ないのだろう。

 

 ポツリ、ポツリと交わされる言葉も遂には途切れ、小さくお互い息を吸い、終わりの問いが投げられた。

 

「ねぇ、一緒に行こう?」

 

「――――――ごめんな、周子」

 

 

 

――――――――――――――――――――――

 

 その短い返答に、私は小さく息を吐く。

 

 分かっては、いた。この男の頑固さと、不器用さは。でも、ここまで筋金入りだと一周回って笑えてきてしまうのだから大概だ。なにより、振られた自分よりも――――泣きそうな顔をしている男をどうして責められるだろう。

 

「理由、聞いても良い?」

 

「俺は、ただお前らに手を引かれるだけになんて絶対に御免だ」

 

「…行き先の分からない夜空では握ってくれるだけでも救われる、って言っても?」

 

「そんなのは、欺瞞で、いつかは終わっちまう。俺は、痛くても苦しくてもいつまでも続く本物でなくちゃ、我慢できない」

 

「……ほんに、面倒な人やなぁ」

 

 青臭い、馬鹿な理想だと人は笑うのだろう。並び立たねば共に歩く資格を持てないなど、きっと幻想でしかない。支え合って生きて行けばいいと世間では言われる筈だ。でも、この男は”比企谷 八幡”という男はこういう男なのだ。臆病で、卑屈で、やる気だっていつも出さない癖に、根っこの部分では誰よりもおとぎ話の様な理想を抱えて、ソレを頑なに守り続ける大馬鹿者だ。

 

――――そして、私が惚れたのもそんな大馬鹿者の頑固者なのだ。だから、付き合ってやろう。惚れた弱みという奴なのかは分からないが、頑固さも意地っ張りも負けないくらいには自信がある。

 

「また、何度だって迎えに行くよ。アンタが仰天するくらいのスーパースターになったるさかい、首洗ってまっとき?」

 

「ああ、俺がちょっとはマシになったら、今度こそ、その手をとるよ」

 

 彼のくしゃりと泣いてるのか笑っているのか分からないようなその表情に笑いそうになるが、きっと自分だって似た様な顔をしているのだろう。その証拠にちょっとだけ頬が湿気っている。だけど、不細工でも今は笑っていよう。その約束を聞けただけで自分の心は、こんなにも熱く燃え上がり、浮かれ切ってしまっているのだから。今だけは、その感情に嘘なんかつきたくなかった。

 

 だから、その心の赴くままに驚いた顔をした彼の頬にそっと手を添え、唇を彼へと寄せていく。

 

 お互いの香りが、息が分かるほど近づき、頬から伝わる熱がこれから触れる部分の熱さを予想させて身体の奥底が震えるが身体は止まってくれない。これが自分にとっても、彼にとっても初めてだったらいいな、なんて似合わない事を考えてソレを重ね―――――「はい、そこまで!!」られなかった。

 

 くっつく寸前に挟まれた白魚の様に滑らかなその御手。先を辿って行けば般若の様な形相を浮かべた凛ちゃん。

 

「ぺろ」

 

「うひゃあ!!なんで舐めんの!!」

 

 しばしの黙考の末に舐めてみると驚いて彼女は大幅に飛び跳ねて怒鳴ってくる。しかし、文句を言いたいのはこっちである。舐めた御手と同じくらいにあまりにしょっぱなオチ。これではオーディエンスだって納得すまい。

 

 そんな意見を目に載せて訴えかけてみると彼女は若干顔を赤くしつつも声を上げる。

 

「こ、子供を挟んでなにやってんのさ!!教育に良くない!!」

 

「む」

 

 言われてみればその通りである。コレはこちらの配慮が足りなかったと言わざる得ない。なので早速、ありすちゃんや小梅ちゃんをどかそうと思ってもう一度そっちに向き直れば、小梅ちゃんがおにーさんの口を両袖で塞ぎ、ありすちゃんが手を広げて立ちふさがる。まさに徹底抗戦の構えである。

 

「んー。一応、聞いとくけど。どいてくれへん?」

 

「は、破廉恥なのはダメです!!」

 

「やだー」

 

 笑顔で問いかければ清々しい程の拒否。さてはてどうしたもんかと頭を悩ませて居れば、影はまた増えて。

 

まゆ「うふふ、ずっと会えなくて寂しかったですよー、あ・な・た、、、」

 

涼「あ!いつの間にすり抜けてやがった!茜、確保だ!!」

 

茜「お任せください!!ファイアー!!」

 

八「ちょっ、ま!!」

 

 茜ちゃんのタックルで軒並みなぎ倒された所に更に続々と人は寄って行き。

 

楓「あらあら、情熱的なハグではぐらかすなんて、ふふ、悪くありません」

 

川島「…楓ちゃん?」

 

夏樹「相変わらずロックな人生送ってんな~」

 

美嘉「いや、目が無いのは分かってんだけどさー。目の前でそんな露骨にされるとさー。私の乙女心がさー」

 

莉嘉「あ、おねーちゃんが拗ねてる!!あははははイデ!!」

 

 際限なくその輪は大きくなっていき。彼を囲んでいく。

 

新人A「こ、この人があの分刻みスケジュールと極限予算案を残してった諸悪の根源か…」

 

ベテランA「ていうか、トップアイドル二人がスキャンダルってどうすんのよ…。今日絶対に事務所に帰りたくないわ…」

 

 古い知り合いも、初対面も、関係無くその輪は大きくなって。彼の周りはいつだって騒がしく、賑やかだ。

 

「こんな結末では不服かね?」

 

 賑やかな喧騒に思わず苦笑いをしていると後ろから問いかけられる。目線だけで振り向けば、腕を組んだ専務と武内Pが同じような表情で立っていた。

 

「いや、ちょっと残念やけど、きっとこれで良いんやと思います」

 

「ふん、随分余裕だな。取られた後に泣いたって私は知らんぞ?」

 

 口調の割に楽しげな彼女の顔に笑ってしまう。前々から思ってはいたがこの人も随分と茶目っ気が溢れているし、なかなか憎めない。そんな彼女に軽く微笑んで小さく息を吐く。

 

「ええんです。きっとこの胸の火はもっとずっと持ってないといけへんもんやと思うし。―――あんな風に皆が笑えてるんなら、ちょっとくらい我慢しますわ」

 

 もう戻る事は無いと思っていたこの風景はきっとかけがえのない宝で、灯だ。個人的な事の本番は、彼を迎えに行けるくらいになってからのお楽しみにとっておこう。そう呟く私に彼女は小さく微笑んで視線を切り、がやがやワイワイと騒がしい輪に向かって声を張り上げた。

 

「さあ、いつまで駄弁っているつもりだ馬鹿共!会場代の延長代金もタダでは無い。つもる話も、喜び合うのも、泣くのも全部打ち上げ会場に回ってからにしろ!!今日は年少組以外に誰ひとり帰れると思うなよ!!」

 

 その激に控え室は大きく湧き、年少組からは大きく不満の声が上がり、でも、誰も俯いているモノは誰もいなかった。

 

 これからきっと色んな事が起こる。それでも、今日という日が自分達を支えてくれる。

 

 

 

―――――そう自然に思える聖夜に、そうであるようにと心の中で祈りを捧げた。

 

 

  

――――――――――

 

 

 ~エピローグ~

 

 

八「俺と雪ノ下に密着取材、ですか?」

 

D(ディレクター)「はい。3年前ににご協力頂いた”20代トゥエンテイ-全力疾走-”の御二人の回が大変好評でしてね。今回は特別版としてあの頃から成長して主任になった御二人に密着させて頂き、その成長を視聴者に届けたいと思っています」

 

 笑顔でなされた端的なその説明に、俺と雪ノ下は思わず渋面を浮かべてしまう。好評とはいわれても、こっちには苦い思い出しかないのが実情だ。会社で一番厳しいとされる所長(現上司)に着き朝から晩まで揃って怒鳴られ続け、過密スケジュールで疲労困憊の修羅場状態でやらかしてしまったミスを職人や関係各所に頭を下げ回ったのを全国放送で流されたのだ。こんな顔だって浮かべてしまう。他人の不幸は蜜の味なのはいつの時代だって変わらない。チクショウ。

 

八「いや、好評ったってもうあそこまで怒鳴られる事もないから面白い絵図らなんか取れませんよ?」

 

雪「そうね、それに見られて困る仕事もしていないですが守秘義務も多く取り扱っていますので放送出来ない所が多くありますよ?」

 

 雪ノ下と目線を一瞬交錯させ、速攻で断る理由をたたみかける。数多の修羅場をくぐりぬけて来たこのコンビネーションはちょっとしたもんだと自負している。だが、そんな俺らの反論など見通していた様にディレクターはにんまりと笑顔を浮かべる。

 

D「いやー、そうだと思いましてね?今二人がやってる建築の持ち主のタレントに許可を取りに言ったら宣伝に使って良いなら、ってオッケー貰えたんですよ!!しかも、前のドキュメンタリーで話題を呼んだ”雪ノ下 陽乃”の設計でそっちにも確認とったら全面協力まで貰っちゃいまして!!もう、”ここまできたらやるしかない”てくらいの状況です!!…あ、ちなみにお二人に拒否されても会社から辞令が届くと思うっス」

 

 

雪・八「……断らせる気ないな(じゃない」

 

 深々と溜息を吐いた俺達に満面の笑みを浮かべるディレクターが思いだした様に言葉を紡ぐ。 

 

D「あ、それとですね。前回からウチの司会者が変わりましてね?前とは違う人がリポートするんで、本人の希望もあって今回、ご挨拶させて貰って良いですかね?」

 

 へえ、前来た子は緊迫した現場でもきゃっきゃ騒いで職人達の気を逆なでていたからそれはあり難い。まあ、それが前より酷くならない保証はまだないわけだが、先に顔合わせして覚悟ができるだけ大分マシだ。手の回しようといいこのDなかなか出来る。

 

雪「あら、それは朗報ね。今度はどんな方が来られるのかしら?」

 

 雪ノ下の隠す気もない言動は言外に”下手な人材連れてくんなよ”アピールなのだろうがDはソレを分かっているのかいないのか自信ありげにほくそ笑む。

 

D「ふふふ、あの時は予算ももぎ取れずあんなのでしたが今回は一味違いますよ?実を言えば今回の企画もその司会者の発案でしてな。やっぱりトップに立つ人間は金を取るだけあります」

 

八「へえ、そこまで自信あるってのは相当ですね。芸能に疎い自分達でも知っている方だと嬉しいのですが…」

 

D「その心配はありませんよ。日本でその人を知らない人などいないでしょうから。…まあ、実際合って頂いた方が早いでしょうな。入って貰いましょう。どうぞ、入室してください」

 

??「はい、失礼します」

 

 ディレクターがあげた声にゆっくり扉が開かれ、その姿に、その声に、俺は言葉を失ってしまった。

 

 きらめく銀糸は最後にあった時よりずっと伸び腰のあたりまで伸ばされ、狐の様につり上がった眦はあの頃よりもやさし気な柔らかさを称えてはいるが、意地悪げに釣りあげられた口元だけは変わらない。

 

 そして、俺は力なく笑って天井を仰いでしまう。

 

 なるほど、彼女を知らない日本人なんて、いや、海外にいたって知らない人なんてホントに未境の地に住んでいる人くらいなもんだろう。

 

 それほどまでに彼女は、強く輝く星なのだから。

 

八「あのクリスマス以来か、周子?」

 

周子「せやな。ふふ、―――約束、果たしてや?」

 

 ずっと聞いてなかったその声は妙に耳に馴染み、離れていた刻を忘れさて小さく俺を笑わせる。彼女も同じなのかくすり、くすりと笑う。

 

 どれだけ離れていたって結局、あのラーメン屋と変わらぬやり取りをしている俺たちは変わらなかった。

 

 ならば、そろそろ星に手を伸ばしたって罰は当たらないだろうか?

 そんなバカな事を考えて俺は、彼女を、この狂おしいほどの痛みを抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 周子 True End  おわりん♪

 

 



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後日譚

 

 

 

 ふわり、ふわりと花びらが舞うように散って行き、ソレを眺める自分の心も同じようにフワフワと現実感がない。さっきから目を通している台本だって文字を撫でるだけでちっとも頭に入ってきやしないのだからこのままではトップアイドル”塩見 周子”の涸権にだって関わるような浮つきっぷりだ。これではいかんと何度も気を引き締めようと頬を軽く張ってみたりはするものの、浮つく心と耳に纏わりついたこそばゆい言葉がすぐさまソレを解いてしまうのだから如何ともしがたい。

 

「ほんま、”デート”一つでココまで浮つく歳でもないやろ…」

 

 深い溜息と共に、台本を脇に放りだして小さく悪態を吐いてみる。ただそれすらも若干口角が上がってしまっているのが分かるのでいよいよ苦笑するしかなくなってしまう。だが、まあ、数年ぶりに再会を果たした想い人。ようやく叶った長年の恋心。そんな相手から誘われたソレに心躍らせぬ女などいるものだろうか?

 誰が聞いている訳でもないだろうが、ちょっとだけ情状酌量の余地を呟くのは微かな抵抗だ。

 

 考えてみれば長い付き合いで二人だけで出かけた事は結構な回数があるのだ。それこそ、買い出しや休暇の暇つぶしに遊びに行った事だってある。世間一般の基準で言えばソレだってデートにカウントしても良さそうな物であるのだが、どう振り返っても親戚の従妹の面倒を見ていたような扱いだった。だが、今回ばかりはちょっと毛色が違う。

 

 あの自分が知る限り最も偏屈な男が、あの”比企谷 八幡”が自分を照れながらも誘ってくれたのだ。

 

 手のかかる妹分としてでなく、”惚れた女”として何処かに行こう、と。

 

―――にやけるなというのは、ちょっと無理な相談だ。

 

 男っ気のない人生に悔いは無かったが、もうちょっと勉強くらいはしておくべきだったと今さらな後悔が沸いてくる。”男女のデート”というからには遊んで終わりでは、きっと無く。聞きかじった程度の知識しかないが、その先だって当然あるのだろう。

 

 数年前に重ねる事の叶わなかったあの熱が生々しく脳裏によみがえり、頬が焼ける様に熱くなった。

 

「今度は、―――」

 

 その熱に浮かされる様にそっと唇に指を添え、小さく呟いた言葉。緩く吹いた風にかき消されなんと呟いたかは自分でも定かではない。だが、きっと―――。

 

 

 

凛・まゆ(ハイライトなし)「「随分と、ご機嫌ですねー?」」

 

周子「うっひゃあ!!」

 

 後ろから掛けられた幽鬼の様な声(二重奏)に全ての熱を奪われ、思わず飛びのいてしまった。慌てて振り向けば目の光を失ったヤバ気な雰囲気を醸し出す二人組に息を呑む。

 

周子「ど、どど、どないしたん、二人とも?もう、二人の撮影は終わったん?」

 

まゆ「うふふ、無事に終わりましたよー。所でさっき、面白い話を小耳に挟みましてー」

 

周子「おもしろい、噂?(ゴクリ」

 

凛「なんでも、どっかのトップアイドルが、どっかの出演者にいきなり熱烈に抱き合ってー、お付き合いする事になったらしいんだー。しかも…」

 

まゆ「その事を、仲間に伏せたままにしていたなんて…。周子さん、信じられます?」

 

 二人は満面の笑みで問いかけてくるが、目は笑っていないし、問いかける声は確信に満ちている。そのうえ、背に隠し持っているナニカ、、、。まあ、端的に言えば、殺る気マンマンなヤベ―女がそこに二人もいた。

 

 あっれ―、おかしいなー。結構厳重にばれない様に頑張ったんだけど、よりにもよって一番ヤバい所に真っ先にばれてんじゃーん。などと、現実逃避していると、二人がじっくりと距離を詰めてくる。

 

まゆ「信じられませんよね。苦楽を共にした仲間にそんな仕打ちをするなんて。私は、周子ちゃんを信じてますよ?」

 

凛「そうそう。私たちは信じてるからね。でも、信頼って確かめる事でより強度を強める事が出来るからさ。チョーっとだけ、確かめさせて欲しいんだ?具体的に言えば、明日のデートとやらが終わる頃までウチでゆっくりしていて欲しいだけなんだよ?後はアイツとの待ち合わせ場所を教えてくれたらいいんだ。そうしたら……ね?」

 

周子「いや、もう完璧に信頼してないし、ぶち壊す気満々じゃん…。ていうか、どっからその情報を手に入れたん?」

 

凛・まゆ「ちひろさんにリアルマネー(スリーピース!!」

 

周子「あんのクソアマッ!!!て、言うか馬鹿じゃないの!!二人とも馬鹿じゃないの!!!」

 

凛「何とでも呼べばいい!!需要と供給が成り立った先にある”神の見えざる手”!!それが、いまこうして役に立ったそれだけでいい!!」

 

まゆ「つまり、ソレに従った私たちは”天使”とすら言えます!!ちなみに、待ち合わせ場所・時間にはファイブフィンガーまで出す用意があります!!」

 

周子「さっきから生々しい数字ださんといてくれる!?あと、やっぱり馬鹿やろ、アンタら!!!」

 

 力の限りに罵倒を飛ばした後に、深くため息を吐いてしまう。一体、どこでこの二人の心はこんなに歪んでしまったのか。恋の罪深さに煩悶としていると二人が嘘のように静まりかえっている事に気がつき、視線を向けてみる。

 

まゆ「ふう、仕方ないですね。”天使”の方で手を打って頂けないなら”悪魔”の方を実践させて頂きましょう」

 

凛「大丈夫、あんま痛くない様にする―――「「「確保―!!!」」」

 

 二人が後ろ手に隠していた何かを出そうとした瞬間に複数の影が彼女達に殺到して一瞬で取り押さえる。あまりに一瞬の事にこちらは馬鹿みたいに口を空ける事しか出来ない。

 

茜「隊長!確保完了です!ボンバー!!」

 

涼「ハンカチ、結束バンド、ガムテープ…目薬。ちっ、ついにココまでガチな装備と技術を身につけてきやがったか!!」

 

早苗「みんな、良い動きよ。訓練がよく生きてるわ。…この二人が安静になるまで保護します。いくわよ!!」

 

凛・まゆ「「んんんんんんーーーーー!!!!」」

 

 あっという間に現れ、颯爽と去って行く彼女達に引きずられるまゆちゃん達。あまりに華麗な手際に賞賛と安堵しか出てこないが、彼女達は一体どこを目指しているのだろうか?多分、アイドルが持っている必要はない技能の行く末を不安に思いつつも首を傾げる。

 

周子「……あの道具で何するつもりやったんやろ、あの二人?」

 

 どうにも分からないそのラインナップに首をかしげつつ、小さく溜息が零れる。

 

 あまりに熱に浮かされて忘れかけていたが、そういえば自分と彼が出かけるとなってトラブルが無かった事など一度だって無かったではないか。時には迷子を拾い、時には警察に追われ、時には見知らぬ他人の為に駆け回った。その一つ一つを思い出してつい笑ってしまう。

 

 確かに緊張も、胸の高鳴りも、初めてに対する不安も期待もあるが、それらを小さく吐きだして今度は大きく息を吸って空を見上げてみる。きっと、自分が想像したあまやかな展開なんて無いのかも知れない。また、騒々しく奔走して終わるのかも知れない。だが、ソレでもいいと思えた。

 

 彼と一緒なら、色気のないそんな日々でもきっと笑っていられるから。

 

 いまは、明日もこんな良い天気である事を祈るくらいがちょうどいい。

 

――――――――――

 

 

 

 朗らかな春の陽気に小さな子供達のはしゃぐ声。公園に植えられたコブシの花がそよ風にその大きな花弁をふるりと揺らす。あまりに穏やかな空気に小さく笑いを洩らしてしまう。在り難い事に仕事は途切れることなくやってきて、ソレを忙しなくこなして行く日々が続いている。こうして昼下がりからのんびりとベンチに腰掛ける様な日常は随分と久しぶりに味わう。そのせいか、夜通し服装を考えていた寝不足な頭がうつらうつらと眠気を誘う。

 

 時計を見てみれば約束の時間まではまだ結構ある。我慢できずに早く家を出てしまうなんて我ながら子供っぽくて笑ってしまうが今は都合がいい。彼が迎えに来るまでちょっと時間がある。ほんのちょっとくらい、10分だけ目をつぶろう。そう、ちょっとだけ、目を、瞑るだ―――――け。

 

 そんな思考からどれだけ立っただろうか、気がつけば日差しとは違う温もりに身を寄せていた事に気がつく。身体もいつの間にか横になっていたが寝ぼけた頭はその温もりと柔らかさを離したくないとぐずって身を寄せる様に要求してくる。抗う必要性などまったく感じず、求められるままにその温もりを更に求めようとしたところで、ハタと気がつく。

 

 自分は、待ち合わせをしていたのではなかったのでは無かったか?

 おそるおそると目を開ければ、自分の頭はちょっとだけ硬くも柔らかい膝に乗せられ、身体には男性用と思われるコートがかけられている。頭に添えられた優しげな手からはほんのちょっとだけ薫る落ち着いた香水の薫り。その手の奥から覗くその顔は、遠くの子供にやさしげな目線を送る”比企谷 八幡”その人だった。

 

 本来なら、飛びあがって謝るべきだったろう。今からだって、そうするべきだったと頭では分かっている。でも、その優しげな表情にどうしようもないくらい目を奪われた。その、見た事もない表情に、心奪われていた。

 

「もうちょっと寝ててもいいぞ、疲れてんだろ?」

 

「っ!?ご、ごめん!!ウチ!!」

 

 どれくらい見つめていたのか、彼が目線だけをこちらに向けて静かにそういった事でようやく意識が戻り、慌てて起き上がろうとするがそっと肩を抑えられる。決して、強い力でもないのに何故か反発する気も起こせずにまた彼の膝に上に頭を下ろしてしまう。だが、申し訳なさだけはどうしたって拭えない。

 

「ごめん、結構時間が押しちゃったやろ。気にせんで、起こしてくれたらよかったのに…」

 

「別にそんな忙しないスケジュールなんか組んでねぇよ。こんな陽気じゃ眠くなるのも分かっちまうしな」

 

 謝ろうと思いつつもイケずな事をされた恨み事を零す自分に彼は朗らかに苦笑しつつ頭を撫でてくるので、こっちとしては唇を尖らせるしかない。なんだか、こんな大人の対応をされると自分だけが子供の様でどうにも癪に障る。居心地の良い暖かさにどっぷりとはまり込みそうになるのを何とか踏み留まって、何とか彼の手を緩く払って身体を起こす。

 

「ホントにそんな急がなくても問題ないから大丈夫だぞ?なんなら、近場に変更してもいいしな」

 

「んー、気遣いはめっちゃくちゃ嬉しいんだけど今日を逃すといつになるか分かんなくなりそうだし、せっかくおにーさんが考えて来たデート、しっかり味あわせてや?」

 

「あんまり期待してて肩すかし喰らっても責任はとれねぇぞ?」

 

 起き上がって改めて彼を見れば、落ち着いた色合いのテーラードジャケットにすっきりしたブラックパンツ。昔より短く刈りあげた髪の毛に、印象的な淀んだ目が眼鏡によって中和されている。まあ、端的に言って、イケメンがいた。

 

「…なんで、俺は今ほっぺをつねられてんすかね?」

 

「対応と格好が女慣れしてそうでキショイから」

 

「いや、ちゃんとした格好して来いって言ったの君なんですけど…」

 

 心に吐き上がった謎の感情を素直に表現(暴力)していると彼は溜息を吐きつつも抓っていた手を取って、歩き出す。なんとなくソレも女慣れしている匂いを感じてなんとなくムカつく。そうやって手を引っ張られて公園の前に止まっているカッコいい車の前で入るように促され、思わず彼と車を二度見してしまう。

 

「え、これ、おにーさんの車なん?え、こんなキャラと違うやろ!!私の知ってるおにーさんは軽バンとかでデートに行くはずや!!」

 

「何かしら言われるかと思ってたけど、どんなイメージ抱いてんだ!!…昔、言ってた先生が”廃棄するのは忍びないから”てんで譲ってくれたんだよ。ほとんど乗る暇もないから車庫の肥やしになってたけどな」

 

「ほへー、なんや、おにーさんの乗る車ってハイヱースとか仕事用のイメージしかなかったからびっくりや」

 

「あー、俺も乗り慣れてるから買うならそっちかなーとかおもってたんだけどなぁ…」

 

「どうして買わんかったん?」

 

「今の仕事は車で出社は原則禁止。ついでにいえば、ボッチが個人で持ってても意味ね―わハイヱース」

 

「もう、後半の理由が全てやん…」

 

 切なげなよもや話をしている内に乗り込み終わった車が見た目に似合わない優しげなエンジンを震わせ、ゆるりと景色を後ろへと運んでいく。流れていく景色に、横でハンドルを握る彼につい昔を思い出してしまう。管理人をやってるときは買い出しで、アイドルだった時は現場までの道のりを、こうして彼の隣で多くの時間を過ごした。いまじゃもう覚えていないようなどうでもいい内容ばっかだったが楽しかった事だけは覚えている。

 

「なあ、この前の取材なかなかええ感じに編集してくれてるみたいやで?」

 

「もう、次に依頼が来ても絶対断るからな。サンプル見たけど事あるごとに昔の映像との比較出しやがって、ぜっ許」

 

「なはは、二人の超長文クレーム見たで!!もうみんなで大爆笑!!」

 

「いや、クレームの意味まったくねえじゃねえか…」

 

 また、どうでもいいような話を二人で次々と交わして行く。笑って、怒って、呆れて、愚痴って、尽きることなく会話は続いていく。けど、その内容は二人揃ってお互いの仕事の比重が大きくて、昔とは違った感触がちょっと新しい。

 

 

 結局、彼はプロデューサーとして業界に戻る事は無かった。

 

 

 彼の仕事を取材して、彼の周りの人を見て、何よりも頭を抱えながらも全力で仕事を取り組む彼を見て、そんな我儘な感情はすっかり萎んでしまった。きっと、彼が自分たちと並び立ちたいと言った誇れるモノは彼の今の職場で得た物で、自分たちの元に戻っては意味のないものなのだろう。本心を言えばちょっとだけ残念な気持ちが無いわけではないが、この時間をこれからは一人占めできると喜んでしまう自分の現金さに苦笑してしまう。

 

”こら、あの二人に恨まれるんも止むなしやな”

 

 心の中で二人に謝りつつも意識を車窓に向ければ、どれだけの時間が立ったのか柔らかく注いでいた陽はゆっくりと傾き夕暮れが密やかに近づいていた。いつの間にか首都高もおり、都内には無い広い空が広がる道路には星々もきらめき始めている。

 

「ん、すっかり遅くなってもうた。ごめんな、おにーさん?」

 

「いや、いまの時期だったら夜でも楽しめるから気にすんな。それより、そろそろ着くからちょっと目を瞑っててくれ」

 

「んー、まあええけど、何で?」

 

「サプライズって奴だよ」

 

「なんやそれ似合わへんなぁ」

 

 意地悪げに笑う彼に苦笑しつつも言われた通りに目を瞑って、座席に身を預ける。ちょっとだけ開けた窓から流れ込んでくる虫の音と、草露の匂いが一層近くなったように感じて深く息を吸い込む。たったそれだけで肩の力が抜けていく気がするのだから不思議なものだ。

 

 そうして、しばらく揺られていると車が緩やかに止まるのを感じる。

 

「もう、目開けてもいいん?」

 

「もうちょっと待ってくれ」

 

 そういった彼が車を降りて、自分の方のドアを開けてゆっくりと手を引く。真っ暗な空間にでも気遣う様に引かれるその手と声が不安を打ち消して、引かれるままにゆっくり歩く。そうしていると、目を瞑っていても分かるほど明るい何かが現れた事に気がついた。

 

「開いても、大丈夫?」

 

「ああ、いいぞ」

 

 

 その声に導かれ、目に映ったのは――――

 

 

 夜空に咲き誇った満開の桜と、月光の優しい光に照らされた一面の菜の花だった。

 

 

――――――――

 

 

 どこまでも続いていくかのような桜の並木を仄かに照らして連なる提灯。その脇には地平の果てまで染め抜くような艶やかな黄色が今は月光によって柔らかな光をともしている。そんな幻想的とすら言えるこの光景を目の前にして、俺はたった一人の女から目が離す事が出来なかった。

 

 月も、花も、風も、音も、全てが彼女を引きたてるための脇役だ。腰まで伸びた輝く銀糸は風に踊り、白いブラウスは月光を受けて輝き、散って行く桜と提灯の頼りない光は彼女の儚げな雰囲気を際立たせた。

 

 今にも消えて行ってしまいそうな彼女にこちらも息をつめていると、彼女は小さく息を吐きこちらに問いかけてくる。

 

「何でココに連れて来てくれたのかって、聞いても良い?」

 

「吉野の桜には叶わないだろうけど、俺が知っている限りで一番きれいな桜はココだったからな」

 

「そっか…」

 

 そういって彼女は再び桜へ視線を向ける。

 

 

―――ずっと、昔の話だ。

 

 

 彼女が誰もいない寮の談話室で流されていた京都の桜を、ずっと眺めていた事があった。

 

 その時に彼女が何かを言った訳でもないし、何かを求めた訳でもない。でも、きっとその時の彼女の心境は身勝手にもなんとなく分かる様な気がしたのだ。すぐ近くに実家がある俺ですら、千葉のあの家がどうしようもなく恋しくなってしまう時がある。ならば、18という若さで故郷を離れて、今まで碌に帰る事の出来なかった彼女の郷愁は如何ばかりだったろうか。

 

 彼女は、決してそんなそぶりは見せない。だから、ここから先は俺の自己満足だ。押しつけがましい、理想だ。

 

 だから、笑ってくれても、怒ってくれてもいい。泣いたって誰も責めやしない。全部、俺のせいなのだから、

 

 その押し付けられた痛みを、どうか、一人で抱えないで、分けて欲しい。

 

――――それを受け止められるだけの強さが欲しくてお前の元を離れたのだから。

 

 

 

「桜が咲いてるうちに、お前の両親に挨拶に行っていいか?」

 

 

「――ッ!!…うちの親父、めっちゃおっかないよ?」

 

 

「ああ、まあ愛娘を貰いに行くわけだからな。気持ちは分かる」

 

 

「…オカンだって五月蠅いし」

 

 

「気に入られるように努力するよ」

 

 

「一人っ子だから婿に入れとか言われるかも」

 

 

「まあ、その辺は要相談だな。別に俺はどっちでもいいけど」

 

 

「私、言っておくけど、相当にめんどくさい女やで?」

 

 

「知ってるよ。世界中の誰より厄介な女だよ、お前は」

 

 

「ははっ、酷い、いわれよう、やん」

 

 

 

 

「周子、結婚してくれ」

 

 

「――――!!」

 

 

 一世一代の告白。

 

 返答は大粒の涙と、かみ殺すように上げられたしゃくり。

 

 だが、まあ、自分に似てどこまでも捻くれたこの女が泣きつくのに二回も選んでくれた事を素直に喜ぼう。

 

 さて、コイツを連れて吉野の桜を見に行く計画と、おっかない親父さんの対策。俺はどっちを先に考えるべきだろうか?

 幼子の様に泣き続ける彼女の頭を撫でながら、俺は呑気にそんな事を考えた。

 

 

――――――

 

 

 東京を発ってから三時間と少し。流れる景色はあっという間に見慣れたものに変わって行ってそのあっけなさに少々、鼻白んでしまう。あれだけ遠く思えていた故郷は実際に足を向けてみればこんなにも簡単にこれてしまうような距離だったのだ。まあ、それだって今回の様な事が無ければ踏み出す踏ん切りはつかなかったのだろうから大きな一歩には違いない。

 

 そんな事をぼんやりと考えて、その勇気をくれた隣の誰かさんに視線をやって小さくため息を着く。

 

「ふふ、今からそんなんで大丈夫なん?これからが本番やで」

 

「…いま考えて来た挨拶全部飛びそうだから、声かけないでくれ」

 

 外の朗らかな陽気など目もくれずに蹲って頭を抱えているおにーさん。あの初めてのデートの時の凛々しさは一体どこに行ったのかと思う滅入りっぷりに思わず苦笑してしまう。

 

「大体、この前うちに挨拶行く前のお前だって似た様なもんだったろうが」

 

「あはは、そういやそやったねぇ。何万人が揃うおっきなライブでもあそこまで緊張はしなかったかも?」

 

 男親に挨拶にいく自分だってあの様だったならば、況や、女親に挨拶に行く彼の緊張はいかばかりか。そう考えてまた笑ってしまう。

 

 あの後からは本当にあっという間に物事が決まって行き、あれよあれよという間に彼の両親へご挨拶と相成った。噛み噛みでぎこちない動きをしていたのは最初のうちだけで、お祭り騒ぎの小町ちゃんとお義父さんのはしゃぎっぷりがお義母さんに一喝される頃にはいつものように笑って、ちょっとだけ泣いた。なんとか受け入れて貰えたのだと言う安堵と、思っていたよりも気さくだった彼のご家族と、隣の恥ずかしそうに頭を抱える彼の家族に成る事を許してもらえた嬉しさ。色んな感情がないまぜになって自然とそんな形へと落ち着いたのだ。

 

「あれだけ盛大にお祝いしてもらったら緊張してるのが馬鹿らしくなっちゃった。だから、きっとこっちだって大丈夫やって」

 

「あの馬鹿騒ぎっぷりは比企谷家末代の恥だよ」

 

「きっと、ウチの家だって似た様なもんだよ。家出していた看板娘が男を引きつれて帰ってくるんだから、お店の人たちも一緒になって蜂の巣をつついたような騒ぎになっていると思うし、人数が多いぶんおにーさん家よりも大変な事になっとるかも?」

 

「勘弁してくれ…」

 

 茶化すように言った一言に、深いため息をついて更にげんなりとした顔をする彼の手を苦笑しつつもゆっくり引っ張る。きっと、頑固な親父に、年甲斐もなく騒ぐ母親。噂好きな騒がしいお店の人たちが今か今かと待ち構える今回の挨拶もハチャメチャになる。彼と、自分が揃ってそうならなかった事なんて一回もないのだ。でも、そうやっていつもの騒がしい日常を彼とずっと繰り返して行く。その一歩だと考えれば足は知らずに弾んでいく。

 

 こんな日々を重ねて、彼と一緒に歩んでいこう。

 

 ソレはきっと、優しい陽光が差し込む今日みたいに暖かい道のりだろうから。

 

 

 

「きっと大丈夫やって。なにせ、ウチが惚れた旦那様やもん。みんな気にいってくれるよ」

 

「ああ、―――そうなるといいな」

 

 

 

 弾む心にしたがって彼に微笑めば、彼は小さく笑って答えてくれる。

 

 これ以上に求めるモノなんて、私にはちょっと見当たらない。

 

 

 

 

 

 

 

fin

 

 




プロフという名のその後




比企谷 周子   性別:女  年齢:28歳


 ドラマ、コメディ、ニュース、ラジオ、ステージと彼女の活躍をみない日は無いほどの名声を誇る人妻アイドル。当時、あまりに気さくに行われた一般人との結婚発表は日本の経済がひっくり返ったとすら言われている。相手については特に公表もされていないが、”伝説のクリスマス”に歌を捧げた意中の相手だとは明言され今でもマニアの間では議論がなされている(ブロントさん説まで囁かれているとか…。そんな押しも押されぬミステリアスなトップアイドルの彼女は二児の母でもある。激務にも関わらず子育てに手を抜いた事はなく、その姿勢に多くの女性の共感を呼んだ。ママ友の高垣 楓 氏とはよくプライベートで会っている事が確認されている。

 また、芸能界において絶対的な地位と実力を誇る彼女だが、同期の”デレプロ”内での共演NG(蒼い人など)が最も多い事も有名である。当人たちは否定しており、実際にテレビ局などで談笑している姿も確認されているのだが、何故か共演する現場には事故や不備が多くなり、強行した勇気ある司会者は無事に収録を成功させたのに何故か”二度とやらない”と泣きわめいた(芸能界3大怪奇。

 今日も彼女はトップアイドルの道を駆け抜けていき、世界を照らす。
 


比企谷 八幡   性別:男  年齢:29歳

 噂の旦那さんである。専業主婦に夢を抱いたのは今は昔、大手建設業にお勤めのそこそこ順調な社会人。某番組に取材された事によって相方の社長令嬢との親密さを勘繰られたりしたが、無事に別の人間と結婚した事が本人から発表され社内が凍ったのは語り草(社長令嬢は砂となった。だいたいの現場を上手くこなす器用さからか、お抱えの設計事務所”spring fiel”からの指名が多く、大体そこの専属になりつつある。そこの所長とも一時期噂が絶えなかったが、本人の愛妻っぷりを知っている一部からのフォローによって最近は沈静化しているらしい。

 また、”定時の比企谷”とも呼ばれ、愛する我が家への帰宅を邪魔されると物凄く嫌そうな顔をする事でも有名(部下が超気を使っちゃう系上司。

 謎の交友関係の広さが疑問視されるが、本人いわく”古い馴染み”とのこと。謎のままである。

 雪ノ下建設が誇る愛妻家・親バカである彼は、今日も定時を目指して業務に勤しむ。


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雪ノ下建設  宮前平 源治の独白

('◇')ゞ山の伐採を終えて帰ってきたsasakinです。いつも皆に支えられて生きてます(笑)


今回はリクに答えてくれたシロネシアさん(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=12893748)の要望に応えて”やめるってよシリーズ”の更新です(笑)



 

 俺の名前は“宮前平 源治”。そこそこ名の通った建設会社『雪ノ下建設』で所長を任されているもんだ。かれこれ新卒の頃から30年近く叩き上げとして現場を回して来たし俺のやってきた現場は振り返ってみてもちょっとしたもんだ。

 

 俺らや職人が血と汗を滲ませて作った建築物がこの街の景色を作っていると思えばどんな苦労だって背負っていける。――――そういった心意気が必要だとは思っているのだが、最近は時代が変わっちまったらしい。

 

 部下が出来るようになって久しいが大概の奴らは半年持たずに消えちまうか、噛みついてきた時に“優しく”指導してやるとすぐにべそ掻いて引きこもっちまう有様だ。曰く、“時代じゃない”って事らしいが出来てねぇ事をほっときゃソレが大損害になることもあるし、下手すりゃ職人の命にだって関わってくる。ソレを出来るように育ててやっているつもりだが、気がつきゃ俺の現場に回されるのは潰れてもいい人材か短期の現場ですぐに逃げられるような段取りがされた状態ばっかりで、小僧どもの間には俺の現場は“宮前平監獄所”なんて呼ばれてるらしいってんだからお笑い草だ。

 

 だがまぁ、ないもんねだりしてる暇はないし、俺は俺の仕事をするだけだと開き直っていた春の事だ。新入社員の歓迎会なんて名目で開かれる観桜会で明らかに周りに人が寄り付かない俺の元に意外な人物がやってきた。

 

 スラリとした体つきに、温和そうな顔つき。ソレでも関東指折りの建築会社を運営し、県議まで務めているという我が社の社長様が苦笑を零しながら俺の隣へと腰を下ろした。周りの上役からは“余計な事を言うな”なんて視線を感じるが、知った事ではない。結果は現場で出しているし、お宅らの政治ごっこに付き合う程に酔狂でもないので単刀直入に用件を問うた。

 

「……社長直々に解雇通達にでも来ましたか?」

 

「―――くくっ! あぁ、いや、すまない。噂通りの人物だと思ったらおかしくてついね。君の実績から鑑みてソレをするときは私の首を切るより難しいだろうから安心してくれ。……だがまぁ、この調子だとこっちの要件に適した人物だと分かったのは僥倖だった」

 

「………意味がよく分かりかねますな」

 

「君に指導して欲しい新人が二人いてね」

 

 訝しむ俺に、そんな事を飄々と嘯いてその男はわちゃわちゃしている新人共の塊に指を指す。どいつもこいつも浮ついて、今どきの甘ったれた面をしてやがるガキ共だ。大量の新人の中で半分は3か月くらいで逃げ出す。3年持てば立派。5年から先は一握りのこりゃ豊作と言われる業界でわざわざ“監獄長”と呼ばれてる俺に任せたいとはよっぽどその新人は社長の不興を買ったらしいと思って微かに同情を込めてそいつらを探す。

 

「ああ、そっちじゃなくて―――あっちの離れた席に座ってる二人だね」

 

「あれって……いいんですか?」

 

「勿論だ。当然の事だが他の新人とは違って少なくとも5年は君の専属でローテーションは無し。教育方法についても誰にも口出しをさせない事を誓うよ」

 

 涼しい顔をしてそんな事を嘯くこの男に内心舌を巻きながら、改めてその指先を確認する。

 

 その先にいるのは、入社前に話題となっていた社長令嬢だという紗の様な黒髪を流した“雪ノ下 雪乃”と、飛び入りで社長がねじ込んだというコネ入社で悪目立ちしていたアホ毛の目立つ根暗そうな…“比企谷”とかいったか? そんな二人が気心知れたように隅っこで杯を交わしている。

 

 それで、この話の内容も十全に理解できた。

 

 社長令嬢と問題児。どっちもどの現場に行ってもお邪魔虫だろうし、娘に関して言えばもっと面倒だ。普通の新人のように尻を蹴飛ばすことも、怒鳴ることも、下手に仕事を振る訳にもいかない。―――だから、俺なのだ。

 

 社長令嬢だろうが、上役のコネだろうが仕事の前には平等。出来なきゃできる様になるまでやらせる。そんな当然の事が随分としずらい世の中で悪名轟く俺以上の適任はいなかっただろうさ。それに、二人にとっても悪い話ではない。後々、ほんとにこの会社を背負って立つならば“肩書のお陰”だなんてレッテルだけでなく誰にも文句の言えない実績と、地獄を味わったという周囲の評価が無ければならないのだから。

 

 この優男の顔に似合わぬ過激さに今度はこちらが悪い笑いが零れるのを感じて、念のために最終確認を行う。

 

「一応の確認ですが、娘さんが引きこもりになっても責任は負いかねますが?」

 

「構わんよ。ソレを選んだのはあの子だし、その時は適当な男を見繕って気兼ねなく家に囲い込んでやれば私と妻の気苦労も減るだろうからね」

 

「………お偉いさんの考えは分かりかねますが、まあ、お引き受けしましょう」

 

「頼むよ」

 

 桜舞い散る花見の席で、若者二人の所属先がひっそりと決まった瞬間はひらりと人知れず風に乗って溶けていった。

 

 

 

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「比企谷っ!! この現場写真の工程が2個も抜けてんぞ!! 今すぐ作り直せ!! 雪ノ下!! テメェまた設計図と工程の更新の確認怠りやがったな! ここの下地は新素材から既存の物に変更してんだから工程も全部書き直して連絡しとけって昨日の夜中に言ったろうが!!」

 

「「すみませんっ!! 今すぐやり直します!!」」

 

 あの花見会から早くも一年ほどの季節が流れ、また桜の芽が膨らんできた時分。最初の頃は何週間持つかなんて側近の事務員や馴染の職人たちと軽口を交わしていたものだが、意外や意外にもこの二人はいまだに食い下がっていて今日も現場に鳴り響く怒声にキレ気味の反骨心旺盛な返答が返ってきた。

 

 キーボードを叩きつける様にタイピングし、設計図面の山を蹴り倒さんばかりの勢いでひっかまして、鳴りやまない電話を肩に挟んで――――顔を蒼くして書類とタブレットを抱えて事務所を飛び出していく日常も既に見慣れたものになりつつある。

 

「すぐに辞めちゃうと思ったけど、あそこまで続くとはやるじゃないかね」

 

「ふん、仕事も未熟な癖に生意気な所だけはいっちょ前だ」

 

「ようやく一年目って人間に現場管理のほとんどをやらせて熟してるんだ。未熟どころがとんでもない金の卵だよ」

 

 側近ともいえる事務員の軽口に鼻を鳴らして答えると彼は苦笑を浮かべつつ返してきた言葉を聞こえないふりをして書類にペンを走らせる。実質、あの二人は少し異常なくらいの出来栄えであったのは俺だって認めているのだから言われるまでもない。

 

 雪ノ下は実家や専攻していたという事もあるのだろうが、処理能力が尋常でないくらいに高く、分厚い辞書一冊分はある基本設計図面を網羅して正確に全てをこなしていく。その上、見た目で舐められそうな問題も生来の気の強さとたまに見せる甘さで見事に職人たちからの信頼を勝ち得て対等にやり取りを行っている。

 

 比企谷は雪ノ下ほどの処理能力はないが、それでも新人としては破格だ。その上に融通の利かない部分のある雪ノ下の弱点を埋める様に工程を纏めたり、組み直す柔軟さと器用さはそれだけでも貴重な人材だ。何より、本人に自覚はないのだろうが立派過ぎないがゆえに職人たちに笑われつつも好かれるという不思議な性質であらゆる技術を教え込まれているため引き出しの多さはずば抜けている。

 

 どっちも“新人”という枠には少々収まりきらないし、そこまでの仕事を回しても二人で大方はこなしていくので俺が指摘するミスもこの程度で済んでいるし、何より――――詰め込めば詰め込むほどにどこまでも詰まっていくその可能性に俺自身も少しだけ胸が弾んでいる。

 

 長年、出会う事の出来なかった“愛弟子”という存在に俺は年甲斐もなく張り切ってしまっているのを感じ、小さく笑いを噛み殺した。

 

 

 

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 あれから、早いもんで4年が経った。

 

 テレビ出演であの二人の大ポカが放送されたり、ソレを二回目で挽回したりと様々な出来事や現場をこいつ等と回して、経験して、作ってきて、気がつきゃ“監獄”なんて呼ばれていた俺の部署はいつしか“登竜門”なんて御大層な名前を囁かれるようになって随分と若手が増えた。

 

 もちろん、俺が変わった訳じゃない。出来ねぇ事は徹底的に出来るようにさせるし、尻込みしてる奴らは容赦なく檄を入れてけつを蹴飛ばしている。それでも、前のように一人ではなくなった。

 

 深夜もとっくに過ぎた時間に、現場の詰め所を覗いてみれば小汚いソファーに薄っぺらい毛布一枚を分け合って寄りかかりながら寝ている愛弟子二人組。机の上にこれでもかと書き込まれた図面に工程表。入社当時よりも随分とマシな面構えになったとは思うが、この二人が寄り添っている時だけは昔の様な柔らかく、気の許した表情を浮かべる。実績に関しては他の新人共なんか目でもなく、指導力も俺の元で新人を潰されないレベルまで引き上げることで有名だ。

 

 もはや、誰もこいつらを色眼鏡で笑う様な奴なんていないだろう。

 

 そんな事を柄にもなく感傷に浸りつつ手に持っていたぬるい缶コーヒーを啜って、溜息を吐く。

 

 約束の五年は、もうすぐだ。そして、もうこいつ等もいい加減に卒業の時期が近付いている。このまま手元に置いておきたい気持ちが湧き上がるが、そんな惰弱な心を笑い飛ばして俺はポケットから二本分の缶コーヒーを置いて詰め所を後にする。

 

 冷気に冷やされ煌々と輝く月を仰ぎながら、先日、比企谷が気まずそうに報告してきた事を思い出す。

 

『……俺、結婚するかもしれません』

 

 その自信なさげな声と表情に思わず笑って何も言わず肩を叩いてやった時に悟ったのだ。

 

 あいつらは、もう支え合う相手を見つけた。

 

 これからは、俺抜きでのその形を探っていくべきだろう。

 

 どうか、そんな若人達に幸あれと俺は静かに口の中で呟いた。

 

 

 

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 あの時から五年目を迎えた観桜会。

 

 今年も誰も彼もが特設された会場で桜と酒、そして、新人の熱気に煽られて頬を緩ませる独特の空気。あの時以来、現場の都合で参加は見送っていたが今回は都合がついたためウチの部署全員で参加して大いに羽を伸ばしている。

 

 久々に会った同期や後輩からは“顔が柔らかくなった”だのと揶揄われつつも、あの時とは違って俺の周りにも少しだけ杯を鳴らす人間が増えたのはいい変化なのか、どうなのか、背中がむず痒い。

 

 そんな時に、会場のステージに比企谷が同期達に押し出されるように上がらせられ全員の注目を集めた。らしくもなく顔を耳まで真っ赤に染めたアホ毛はしばらく口をもこもことしていたが、意を決したように言葉を紡いだ。

 

「あー、その、こういう会社の行事で言う事でもないと思うんですけど……結婚の報告を……」

 

 その一言に会場中が一気に湧き立つ。なんだかんだと皮肉屋ながらも面倒みのいい男だ世話になった連中も多いだろうし、後輩連中からは変に慕われている。上役連中だってアイツ個人の事は知りはしないだろうが、オッサン連中というのは存外にこういう恋バナが大好きなのでニヤニヤとその恋の行き先を見守っている。

 

 一部の女性社員はやさぐれたように酒を流し込んでいるがソレもしょうがない事だろう―――――なんたって、相手はもう決まっているようなものだろうから。

 

 その中で、目に涙を溜めて口元を押さえている雪ノ下の元へと比企谷は真っ直ぐと足を進める。モーゼのごとく割れる人垣は神聖さなんて欠片もないお節介な温かさに包まれていて―――その肩を優しく掴んだ。

 

「雪ノ下。ここまで黙ってたのは、あー、すまん」

 

「ばか、どれだけ待たされたと思ってるのかしら? このスケコマシヶ谷君」

 

 真っ赤に染まる二人の初々しい会話に、周りも涙をこらえてその明るい未来を見守る中――――――ついに、その言葉を発した。

 

 

「俺、 結婚したんだ」

 

 

 

 

 

「「「「「「「「「「   え?   」」」」」」」」」」」」」

 

 

 

 誰もが、自分の耳か、頭がおかしくなった事を疑った。雪ノ下も、見た事もないくらい間抜けな唖然とした顔を浮かべている。

 

 そんな密かな大混乱の中で“馬鹿”は照れ臭そうに言葉を紡いでいく。

 

 

「いや、社長令嬢なのに、いままで俺とセットみたいな扱いをされててずっとスマナイと思ってたんだよ。そのせいで厳しい現場回されたり、周りの連中からからかわれたりして本当に迷惑かけてたなって思ってさ……。でも、ようやく俺も身を固める覚悟が出来たっていうか―――相手からもOKが貰えて、誰よりも最初にお前に伝えなきゃなって思ってたんだ。

 

 こういう場で公にすれば今までの誤解も全部解けると思って、ちょっと目立っちまったけど―――――――え、あれ、みんなどうした? なんでちょっとずつ近付いて……まて、その手に持ってる酒瓶はとりあえず持ち方が違う、って、え? っちょ――――!!!」

 

 

 

 真っ白に燃え尽きて魂が抜けている雪ノ下に朗らかな笑顔で話しかける比企谷は―――人の波に悲鳴を残して見えなくなった。

 

 社長は笑顔のままフリーズし、夫人は頭を抱えている。

 

 巻き起こされる大乱闘に、救いようもなく、ままならない世界と俺たちを笑うように桜は風に乗って散っていく。そんな脱力感を感じつつ俺もその中心に腕まくりして乗り込んでいく。

 

 

 

 

――――――――とりあえず、100発くらい殴っておこう。

 

 

 

 

 

終わりん♡

 

 

 

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ピンポーン

 

 

周子「おかえりーん ――――って、なんでそんなボコボコなんっ!!?」

 

 

ハチ「……俺がききてぇよ(ぼろぼろ」



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ぬくもりは、そこに

( `ー´)ノ嫁といちゃいちゃをぽいっとな


 カーテンの隙間から差し込む柔らかな光にぼんやりと意識が引き起こされるのを感じて、目を開いた。

 

 朝独特の冷え込んだ空気に気だるい体の輪郭を感じつつも体を包む布団の柔らかなぬくもりと清涼な澄んだ空気が心地よくて深く息を吸い、隣から感じるもう一つの温かさに身を寄せることで少しだけあった心の中の不安と共にゆっくりと息を吐き出してゆく。それを何度か繰り返すうちにすっかりと覚めてしまった瞳を隣に移せば、今ではすっかりと見慣れた男の顔がすぐそばで無防備な顔で静かに寝息を立てている。

 

 昔より短く揃えられた鴉の様な真っ黒な髪の毛に呑気に揺れるアホ毛。出会った頃に比べれば少しだけ鋭くなった顔つきと特徴的な澱んだ目は起きていれば初対面の人が息を呑んでしまう様な雰囲気も出すようになったが、今は瞼の奥で呑気にお休み中だ。

 

 その見あきる位に見た顔もこんな身近で見ることも最近は少なかったせいか新鮮に感じられて、少しだけ体を乗り出して見つめ、輪郭を確かめる様にゆっくりと撫でその感触を味わうように感じる。

 

 毎日の現場に少しだけ焼けた肌はろくな手入れもしていないせいかざらつく感触で、少しだけ伸びた無精ひげはチリチリとした反発を返してくるのが面白くて何度も楽しんでしまう。そして、大きな枕をクッションに身を預けつつもう少しだけ体を乗り出すと素肌を冷えた空気を撫でてゆくが気にせずにその特徴的な髪の毛を撫でる様に触れば、行水程度の手入れしかしてないそれは思いもしないくらい柔らかく、しっとりとした手触りを伝えてくる。

 

 何度体験してもイジリ飽きないこの感触と数本だけ跳ね上がったアホ毛の独特の弾力が面白くて夢中になっていると小さく呻く声が聞こえてきた。

 

 その男の瞳が胡乱気に開かれて、寄りかかるようにして髪の毛を梳いて遊んでいる自分を捉えて緩く腰に手を回しつつ引き寄せてぐずるように私の胸元に顔を埋めた。

 

「……まだ、早いだろ」

 

「早朝から嫁より先におっぱいに挨拶とはお大臣様やなぁ」

 

 もごもごと人の胸元でくぐもった声を漏らす旦那に苦笑を漏らしつつもそのまま抱き寄せつつ抱え込む体勢に切り替え、こちらももうしばし彼の髪の毛と体温を楽しむことにする。

 

 時計を見れば時刻は早朝と言ってもいい時間。だが、ありがたい事にアイドルを引退しても色んな仕事に追われる有名タレント“比企谷 周子”と、日本指折りの建築会社で結構な役職についている旦那“比企谷 八幡”の平日といえばこんな時間に目が覚めたら真っ青になって家を飛び出さなければならない生活なのだが――――たまに揃った朝からオフの日くらいはこれくらいのんびりと夫婦の時間を楽しんでも罰は当たるまい。

 

 そんな独白を一人心の中で呟きつつも鼻歌交じりに自分の男の毛繕いに腐心して、ゆったりと時間の流れを楽しんだ。

 

 あれだけバイト時代は“楽に生きたい”とか嘯いていたくせに、結局346を辞めたあとも

就職先が限られていたとはいえ激務が予想される建設業で奔走しているのだから本人の言はともかく社畜根性が沁みついている。その反動か、こうしたたまの休日の朝はこんな感じで蕩けているのはご愛嬌という奴だろう。

 

 そんな不器用な男の生き方にクスリ、と笑いを零していると小さな電子音と白い湯気が上がってポットが朝の一仕事を終えた事を伝えてきた。

 

 無精な性分が二人揃ってるもので休日の朝は台所まで寝起きのコーヒーを淹れに行くのも嫌がった結果、ベットの脇の台に湯沸かしポットを置くことに満場一致で可決した。結果、それ以来から彼は職務を忠実に果たして私たちの朝の始まりを伝えてくれる必需品となっている。

 

「おにーさん、お湯わいたで。コーヒーと紅茶どっちがええ?」

 

「………コーヒー。あまいやつ」

 

「ブレへんなぁ」

 

「こだわりは貫く主義でして」

 

 必死に朝の訪れを拒んで微睡を味わっていた彼も習慣化された日課には敵わないのか渋々といった感じでソレを手放して、私の胸元から離れつついつものオーダー。ちょっと離れた温もりに寂しさを覚えつつ口ずさんだ言葉に帰ってきたいつもの軽口に苦笑を漏らして、常備してある彼用のあまーいコーヒーのインスタントの封を開けてお湯にとく。

 

 瞬間、部屋に広がる柔らかな香りと湯気が広がってソレを二人揃ってベットからちょっとだけ身を起してソレを舐めるように啜っていく。

 

 会話もないけど、気まずさもない空気に身を任せる様に肩を寄り添って味わうコーヒーに負けないくらい甘いこの空気が休日で一番最初に味わう幸せだったりもする。そんな折に、彼がまじまじと私の顔を見つめてくるので首を傾げて聞き返す。

 

「んー、美人な嫁の顔に朝からむちゅーかーい?」

 

「顔面偏差値だけは相変わらず高いのは認めるがな――――いや、懐かしい夢を見てな」

 

 ひねくれてるのか素直なのか分からない返しに肩を軽く叩いて返していると、そんな私に苦笑を浮かべつつも歯切れ悪くそう答えた。

 

「昔って―――アシスタントしてた頃?」

 

「いや、正確には俺はまだ木っ端のアルバイトで――――お前に初めて会った時の事だな」

 

「………うへ、嫌なこと思い出すなぁ」

 

「まぁ、今となっちゃ感慨深い思い出だな」

 

 彼が続けた言葉が出来れば思い出したくない類の黒歴史だった事にげんなりとしてコーヒーを脇に置いて枕に倒れ込んで睨んでみれば意地悪気に答える彼が憎らしい。膝で軽くこずくとおかしそうに笑って彼も枕に倒れ込んでくる。

 

 ちょっとだけ舞う風圧に目を眇めるふりをしつつ隣でケラケラと笑う男を見つめ、当時を思い出した。

 

 

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 歴史ある和菓子屋の情緒と言えば聞こえのいい古臭い日本家屋に朝早くから漂う和菓子の甘い匂い。その住み込みで働く男衆を支える女衆の朝だって早かった。ドタバタと大人数の飯を炊き、手早く店を綺麗にし、家事をこなして一息ついたと思ったら学校に飛び出していく―――そんな毎日。

 

 別に小さな頃からソレが普通だったし、店のみんなも可愛がってくれた大切な家族だったから役に立てるのは普通に嬉しかった。それに、溜まったガスは学校で気楽に遊んでれば十分に抜くことが出来たから別に不満もない。だからこうやって、暮らして普通に過ごしてくんだろうなと漠然と考えて生きていた。

 

 そんな日々の転機は、ある日突然やってきた。

 

 高校を卒業するときに問われた進路相談だ。

 

 両親を交えて交わされた担任との相談は私が一つも言葉を挟むこともなく双方が最初から“家業を継ぐ”という方向で話に花を咲かせていた。私がその時に発した言葉は『しっかり家業を継いで頑張るんだぞ、塩見!』と力強く肩を叩いた担任に『あ、はい』なんて反射的に答えたそれだけだった。

 

 それに、誰も、私も―――疑問を抱かなかった。

 

 そうあるべきなんだと、疑いもせずそのまま時を過ごして当たり前のように卒業し――― 一人古ぼけた和菓子屋に立つ日々が始まった。

 

 甘い匂いに、忙しく家事と店を切り盛りする日常。

 

 学生の頃には任せられなかった計理や、得意先への挨拶。

 

 苦も、楽もなく、ただこなしていく日々の中で――――魔が差した。

 

 長期休暇で帰ってきた県外の大学に進学した友人達からの誘いのメール。

 

 誰もが楽し気に言葉と予定を話し合うグループを店番の合間に覗いて苦笑を漏らしていた時にふと思ってしまった。“たまにはいいじゃないか”、と。出勤票を見れば今日の売り子さんは挨拶回りの母以外は全員出てきている。大きな仕事も終わって、後は大した事はない事を確認して―――――人生で初めて仕事をさぼった。

 

友人たちのトークに『今から合流する』なんて送るやいなや、さっそく部屋に引っ込み作業着を着替えて家をひっそりと抜け出して遊びに出かけた。

 

 きっと、普通に言えば誰も怒らずに笑って送り出してくれただろう。

 

 でも、初めてやったその悪事に湧き上がる不思議な背徳感と興奮は不思議と気分が良く“してやったり”という不思議な達成感があった。そんな子供じみた反抗をする自分も無性に可笑しくてその妙なテンションのままかつての学友たちとの再会を祝って大いにはしゃいで回った。

 

 何度もなる携帯も煩わしくて電源を切った。

 

 家に帰ればこっぴどく叱られるんやろうなぁ、とか しばらく休みは返上で連勤させられるかな? なんて呑気に考えつつも友人と分かれたのは夜も更けてからの事だった。友人たちはこれから更にどこかに行くのだというが、流石にこれ以上はまずかろうと思い直して別れを告げた。

 

 夜の京都は町並みを抜ければ、一気に静かに暗くなる。

 

 さっきまでの陽気な気分は街の影に飲み込まれ、着信履歴が凄い事になっている携帯を見ると更にげんなりとしつつも言い訳を考えているウチにあっという間に家についてしまい、玄関先に仁王立ちしているシルエットに息を呑んだ。

 

 普段から気性の荒い父がどんな罵声を浴びせてくるか予想と覚悟を決めて引戸を開ければ―――予想に反した静かな声が耳を叩いた。

 

 

『お前なんぞ、いらん』 そんな端的な一言。

 

 

 ぞっとするほどの冷たい温度のその声に何よりも心を抉られた。

 

 こんな事ならばいっそのこと、怒鳴って欲しかった。だが、こんな事態になったからは少しでも下手に出て事態の収束を測らねばと一歩を踏み出した瞬間に頬を張られた。

 

 意識がぶっ飛ぶと思うくらいの速さで振りぬかれたそれにふらつく足を何とか堪えて踏みとどまった私に冷たい声が更にのしかかった。

 

『あんたの様な卑怯な子を育ててしまったんは人生最大の失敗やわ』

 

 それから、どうしたかっていうのはあんまり覚えていない。

 

 でも、今まで堪えていた何かが一気に弾けて滅茶苦茶に怒鳴った事は覚えている。

 

 燃える様に怒ってもいた。押しつけがましい人生に苛立ってもいた。頑固な性分にも呆れていた。でも、あのとき私の胸に一番溢れていたのは間違いなく悲しさだった。

 

 短い人生でもこの家は好きだった。家の手伝いでみんなの助けになれているのが嬉しかった。他の子達が遊び呆けているのだって羨ましくても我慢した。自分の人生がこの店の為に使われる事にだって、文句はなかった。

 

 でも、私のその覚悟は―――――たった一度の過ちで全否定されて、捨てられるようなものだったと正面切って言われてしまった事で私の心はバラバラになった。

 

 

 そっから店の人に止められ、部屋に押し込められてから数週間部屋に引き込もった後―――――私は家を出た。

 

 

 しばらくは友達の家でも渡り歩いて過ごそうかとも思ったが、“歴史”だの“伝統”だのが嫌でも目に入るこの街の全てが憎たらしくて、嫌気がさして目の前の夜行バスに飛び乗った。行き先なんて見もせずに、ただただこの街を離れていく無機質な街灯の羅列に胸の中に溜まるヘドロと奇妙な爽快感が溢れていくおかしな感覚。それら全てから目を逸らすように瞼を閉じて暗闇を進むバスの重低音をただただ聞き続けた。

 

 行きついた先は、下品なネオンがあちこちで輝いて煩わしい雑踏がどこまでも続くこの国の首都だった。人生で一度はなんて思っていたにも関わらず、感慨もわかず何処からか漂うドブの様な匂いに眉を潜めた程度でその事実を受け入れて、近くの満喫を渡り歩く日々を過ごした。

 

 目減りしていく残高がついには切れかけるまでに稼ぎ口を探しては見たが、身分証明も住所を持たない厄介者を受け入れてくれる場所はついに見つからず―――その頃には、全てがどうでもよくなった。

 

 だが、いきなり風俗で体を売るというのも抵抗がありネットで見つけたのは“神待ち”という奴だった。家出した少女が住み込みをする代わりにそういう対価を渡すというものらしい。ただ、それなりにリスクはあるらしく色々と調べて考えてみた結果……やっぱりどうでもよかった。

 

 どうせ、価値なんてない身の上。

 

 そんな自嘲をしてショーウインドウを鏡代わりにして眺めれば―――見た目は悪くない。

 

 適当に、好みの人間に声を掛ければそのうち捕まりもするだろうし。それに、少なくとも脂ぎったオッサンが待ち合わせ場所に現れるという事もなく顔ぐらいは外れ無しで楽ができるというのもいい。そう考えた瞬間に気分も楽になって腹が減っていた事と、微かにかぐわしいラーメンの匂いが漂っていた事にも気が付いて――――結論はあっさりと出た。

 

 匂いを辿って街からちょっと離れた場所に煌々と輝く赤ちょうちん。中を覗いてみれば明らかに旨そうなこってり味噌の全トッピングが目の前を運ばれて行くところだった。それに釣られて店内にも視線を回してみてもみるが、どうにも客は一人だけらしい。

 

 後ろ姿から見るにちょっと猫背で根暗そうな真っ暗な髪の色。

 

 見るからに陰キャっぽいが、逆にそういう方が手玉に取りやすいとも書いてあったし、何より―――ラーメンが届いた瞬間に見えたアホ毛をピンと立たせて嬉しそうに笑った顔が、随分と可愛らしかったのが決め手だった。

 

 

 そこから、意気揚々と乗り込んだ先にある私の風変りな運命と騒がしい日々に――――まだ私は気が付いていなかったのだけれども。

 

 

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「いっそころせ……」

 

「嫁が急に物騒な事を言い始めて暴れ出した件について」

 

 当時の事を思い返した私がその特大の黒歴史の重圧にくじけてシーツと枕をもみくちゃにしつつ悶えると、ドン引きしつつも脇にあるカップを寄せつつ私をシーツごと取り押さえて緩く笑っている。

 

「まさかラーメン屋で人生初のナンパをされるとは思わんかった」

 

「それ以上その話を続けるなら、しばらく解凍されてない冷食だけが食卓に並ぶことになるで」

 

「くくっ、分かったよ。でも、まぁ、あの時のお前の夢見たあと、目が覚めた時に今のお前を見れてほっとしたんだ。――――ちゃんと、あの時に捕まえておいてよかった」

 

「………“人生最大の失敗”とか言ってたの忘れてると思ったら大間違いやで?」

 

「下手すりゃお縄の大博打だったんだからそれくらい見逃せよ」

 

 しれっと体に巻き付けたシーツを剥いて臭いセリフを吐くようになった男を恨めし気に睨みつつ嫌味を返せば、苦笑と共に額にキスが落ちる。その甘やかすような優しさが込められたそれに絆されそうになるが―――こんなもので済ましてやるものか。

 

 離れていく彼の首に腕を絡めて、唇を重ねる。驚くように固まった彼にねだるように何度もついばむように重ねてゆけば力強く骨ばった手が私の背中に回されて、唇を、首筋を鎖骨を―――体中に自分の物だと証明するように証を残していく。

 

 その痛痒いようなこそばゆさと、彼の物だと証明されていくその被征服欲が心の深い所を満たされるのを感じて思わず熱い吐息が漏れ出た。

 

 明日の撮影の事がちょっとだけよぎるが―――夫婦円満の証拠だ。むしろ、見せつけてやってもいいかと開き直って負けじと彼の体にも所有権証明を付けていく。警戒すべき悪い虫は自分の事務所の外にだってたくさんいるのだから。

 

 そんな馬鹿な事を考えながらもお互い、真っ赤なあざだらけになった事を見てひとしきり笑った後に、もう一度身を寄せ合って布団に潜り込む。

 

 起きてから予定していた外出の予定にはもうちょっと時間がある。

 

 今しばし、この時間が続いたって罰は当たらないだろう。

 

 

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「で、お前は何してたんだ?」

 

 ひとしきりいちゃついてラブ注入にも区切りがついた頃、私に腕枕をしている彼が思い出したように問いかけてきた事に一瞬首を傾げるが寝起きに彼の頭を弄っていた事を言っているのだろう。ソレに思い至って私は伝え忘れていた事を口に出した。

 

「んー、おに―さんも白髪が生えてきたなーって」

 

「…………マジか」

 

 彼の背に回していた手を髪に伸ばしてそのあった部分を緩く撫でまわしていると、信じられないといった風に驚いた後に憮然とした顔でため息を吐く彼が面白くてつい笑ってしまう。

 

「くくっ、気にせんでもまだ2,3本やで? そんな気にせんでもええのに」

 

「生えてきたってだけでも自分が歳食ったていう自覚が芽生えて嫌になるんだよ。―――お前は元から地毛が銀だから気になんないよなぁ」

 

 そういって彼は私の髪を梳くように撫でて、その感触を楽しむ様に流したり握ったり匂いを嗅いだりして楽しみ始める。なるほど、やっている時には気が付かないがやられると結構に気になるものだな、なんて一人笑って髪を弄ぶその手を取る。

 

「どうせならおにーさんも“白”やのうて綺麗に“グレー”になってくれたらええんやけどなぁ……」

 

「夫婦お揃いってか? 髪の毛の色までは自分で選べたら世話ねぇだろ」

 

「ふふ、なんかそこまで行けたらちょっと嬉しいやん。というか、抜けるほうが早かったりして?」

 

「おまえ、それはマジでナイーブな問題だからやめろ」

 

 げんなりとした顔で本気で嫌そうに答える彼に思わず吹き出してしまった。ひとしきり笑った後に取った手を意味もなく触って、握って、頬に添えてその骨ばった感触を楽しんでいく。出会った頃よりずっと固く、苦労を重ねた事が分かるその手に重ねた時間を感じる。できれば、この手がもっとよぼよぼでゴツゴツになって、髪の毛が抜けるか染まってしまいきるまでずっと寄り添っていけたらと思う。

 

 そして、どうかその最後の瞬間までこうしてこの温もりを感じていたい。

 

「急にニヤニヤしてなんだよ」

 

「んふふふ、もうちょっと年季が入ってきたら伝えることにするわ」

 

 訝しむ彼を笑って誤魔化し、彼の腕を引き寄せてもっと強く抱きしめる様に要求すると彼も困った様に笑いながらもそれに答えて力を強めてくれる。それが嬉しくて笑いを零しつつも彼の顔を見上げて、おねだりをしてみる。

 

「な、なんか歌ってぇや」

 

「あぁ? やだよ。プロの前で歌うとかなんの罰ゲームだよ」

 

「ええやん。おに―さんの歌が聞きたいやって」

 

 渋る彼に懇願するようにお願いする事数分。ようやく彼がガックリと肩を落として“期待すんなよ”なんて言いながら少し思案した後に――――歌を口ずさんだ。

 

 “春よ、来い”と、物悲しくも歩みを止めずに進み続ける思いを重ねる唄。

 

 何度も冷たい雨に曝されても、想い人を胸に待ち続ける―――懐かしい歌だった。

 

 考えた末にソレを選ぶ彼と、その道の先に彼の隣に居続けられるその幸運を味わいつつも、私はその声を噛みしめる様に聞く。 聴く。  きく。

 

 

 そして―――――――ゆっくりと唇を重ねてその歌を終わらせた。

 

 

「………歌えないだろ」

 

 

「うん。でも、私の春は もうあるから。 何度だって巡るから。 八幡は、もうその歌は歌わなくていいんだって伝えたかった」

 

 

「身勝手なやつ」

 

 

「旦那さまに甘えるのは、奥さんの特権やろ?」

 

 

 困った様に笑う最愛の人に、私はもう一度優しくキスを落として彼と布団の中へ潜り込んでいく。

 

 

 

 

 今日のお出かけは―――午後からでもいいだろう。

 

 

 お互いがそこにあることを確かめる様に激しく求めあう中で私はそんな事を考えて、小さく笑った。

 




('ω')評価もついでにぽちっとにゃー


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甘く、蕩けるようなジレンマを

(´ω`*)残暑も厳しい中で今日の更新は有料リクエス『周子と八幡の初夜』!!

リクエストくださる皆さん本当に嬉しくて毎回張り切っちゃいます!!ありがとう!!(糞デカボイス

(・ω・)さあ、今日もなんでも許せる広い心でいってみよー!!



「おーしっ、そんじゃあ我らが舎弟“ハチ公”の残り少ない独身期間を惜しんで―――乾杯だオラアッ!!」

 

 夜の繁華街の片隅にある小汚い居酒屋。その喧騒の中でもよく響く軽薄な声が乾杯の音頭を高らかに取った時はその場にいる誰もがチラリと目を向けたが、酒の席。ソレも音頭の通りならそのハイテンションも頷けるものとして、その視線を自らの卓へと戻していった。

 

 何よりも、その声に合わせて杯を酌み交わした面子が傍目から見れば明らかに堅気ではないのであれば猶更のこと。

 

 音頭を取ってガハガハ笑う男は派手に染められた銀髪に厳ついサングラス。それに悪趣味な柄シャツに身を包んだお手本のようなチンピラで、ソレに向かい合うように座り呆れた視線を向けている二人だって大した差はない。

 

 2mに届きそうな巨躯をスーツに包み込み品よく杯を乾す偉丈夫は明らかにどっかの組の若頭にいそうな風貌で、その隣で苦笑いを漏らす男も細身ながらその暗く澱んだ瞳は何人か埋めた事があると言っても疑うモノはまずいないだろう。

 

 そうね、俺なら速攻でその店を出ていくレベルで関わりたくない集団なので気持ちは良く分かる。

 

 そんな独白を俺“比企谷 八幡”は心の中で呟いて更に苦笑を深めるのであった。

 

「おーい、ハチ公。テメーの為にわざわざアメリカから駆けつけてやった俺様に対して随分とノリがわり―じゃねーか! おらっ、もっと景気よく飲み干してエンジンかけろや!!」

 

「お前の喧しさに呆れてモノも言えないだけだろう、内匠」

 

「あぁっ? 祝いの席で騒がないでいつ騒ぐんだよ、相変わらずアホか武内」

 

「このやり取りも346日米対抗ライブ以来と思うと感慨深いもんがありますね……」

 

 和やかな酔い絡みから一転してガンを付け合う二人の緊迫感にいよいよサラリーマンたちが慌てて店を逃げ出していく様子を横目にしつつ、せめてもの店への罪滅ぼしでビールを追加注文した。

 

すんません、ウチの元上司達の柄が悪くて……。

 

 こうしてお互いに悪態を掛け合っている姿は正に“道を究めた方面の方々”にしか見えない二人だが、本来はこんな湿気た居酒屋にいていいような二人ではないのだ。

 

 かつて俺がバイトしていた芸能界最大手である“346プロダクション”。

 

 そんな大企業の中から一切の下地も助力も無いまま未だに伝説として語られる“シンデレラプロジェクト”を立ち上げ、アイドル群雄割拠の時代にその名を知らしめた稀代のプロデューサーであり、いまだに『魔法使い』と恐れられる“武内さん”。

 

 その大学時代からの同期であり悪友であった“内匠”さんは素行の悪さと強引さで左遷に左遷を繰り返された先―――神奈川の茅ケ崎支店では日本最後のロックアイドルグループと呼ばれた“炎陣”を。更にデレプロとの激戦の結果で飛ばされたアメリカでは『IDOL』という概念を作り上げ、未だかつてない莫大な市場を気づきあげた“怪物”。

 

 あの激動の時代から俺がデレプロを辞めて既に7年が経とうとしている。

 

 その間にも二人の情熱は絶えることも無く燃え盛り、今では二人揃って346の方針を決めてしまえる程の重役にまで上り詰めた。

 

 そんな芸能界の大御所の二人がまるであの頃と変らないやり取りをしているのを見ていると思わず懐かしさと、愉快さが先だって笑えて来る。

 この光景が見れただけでも今日の飲み会を、無理を言って開いた価値はあるのかもしれない。

 

「………やめだ、舎弟の門出祝いでお前に構ってる時間が勿体ねぇ」

 

「元はといえば、お前のバカ騒ぎのせいだろう。んんっ―――改めて、比企谷さん。来週にせまった結婚式、おめでとうございます」

 

「―――いえ、逆に二人に来て貰えて本当にありがたいです」

 

 俺から漏れ出た笑い声にピタリといい合いを止めた二人がバツ悪そうに、それでも心から祝福してくれているのが分かって―――俺は深々と頭を下げた。

 

 そう、コレは俺が

 

“比企谷 八幡”という男が独身でいられる残り僅かな期間での、最後の機会だろうから。

 

 無駄にしないように、かつての恩人たちに心から頭を下げもう一度盃を掲げた。

 

 

「「「独身最後の夜に」」」

 

 

 寂れた居酒屋でもガラスの鳴り響く音は変わらず澄んで、綺麗な音を鳴らした。

 

 

――――――― 

 

 

「しかし、“よーやっと”って感じだよなー。てっきり俺はデレステ解散ライブをしたら速攻で結婚するもんかと思ってたぜ」

 

「まだあの時は自信をもって横に並べる自信が無かったっすから…」

 

「相変わらず師弟揃って小難しく考える奴らだ。“楓ちゃん”も“周子ちゃん”も随分と泣かされたと思えば思わず涙が出てくらぁ……」

 

「いや、お前に言われる筋合いはない。向井さんがアメリカで浮気をしたお前を殺しに行くのを止めるのに何度骨を折ったと思っている」

 

「ケジメつけてからはスグに責任取っただろーが。グチグチ言うなっ!」

 

 あーだこーだとほぼ貸し切りになった飲み屋の卓で好き勝手に会話の花を咲かせていると急に内匠さんに痛い話題を刺され思わず眉を顰めてしまう。

 

 思い出すのは俺がデレプロを辞めてからの間の事。

 

 ただの少女だったあいつ等がみるみる内に眩い星になっていくのを見送っていく中で、誰よりも隣にいた少女が―――自分の最愛となる“塩見 周子”が手も届かない高みに上っていく光景で俺は彼女達に依存し始めている自分に気が付いて多くの静止も振り切り346を後にした。

 

 武内さんのように導く事も出来ず、内匠さんのように強引に引っ張り上げる事も出来ず、経理の鬼であったちひろさんのように千里先まで見渡すことも出来ない凡人の俺をお人好しのあいつ等はきっと見捨てる事が出来ないから。

 

 もっと高くに登れるはずの道を、自ら降りてしまうだろうから。

 

 そんないつか訪れる憐憫と同情に塗れた悲劇を享受する事が怖くて俺は全てを放り出して逃げ出したのだ。

 

 そこから、雪ノ下のコネで何とか今の会社に滑り込み“何者”かになるために死に物狂いで働いてきた。

 

 それでも足りなくて。

 

 偶然に再会したアイドル達の言葉を聞く度に、一人芝居の自己満足を打ちのめされて。

 

 最後に――― 一番、傷つけたくない少女を泣かせてしまった。

 

 だが、それでも星に灯った燈は消えることなく俺を照らして、また手を取ってくれた。

 

 まぁ、語れば長い。聞けば“なんでそんな遠回りを”と誰もが目を剥くそんな物語の末に俺はようやく彼女を抱き留める事が出来た。

 

 かつて偶然から拾った妹分の少女に、『愛してる』なんて言葉を気兼ねなく伝え、抱き留めるのに掛かった時間はなんと驚きの“8年”。文句を言われてもぐうの音もない。

 

 ちなみに、武内さんは楓さんと解散ライブ終了―――というか、楓さんが解散ライブに普通に結婚指輪を付けて出演したので速攻でバレたし、内匠さんはライブが終わった直後に拓海を迎えに来てそのまま市役所に向かって、そのままアメリカに連れて行ってしまった。

 

二人の行動力から考えると返す言葉も無いのである。

 

 そんな事をつらつらと振り返っていると、武内さんと言い合いをしていた内匠さんがふと思いついた様にこちらを向き、嫌らしい顔をして俺の肩を組んでくる。

 

「んで、もう周子ちゃんとの同棲も半年くらい経つんだろ?―――毎晩やりすぎて腰がソロソロきつくなってきたんじゃねぇーのぉ??」

 

 普通に呑んでた酒を吹き出した。話題の転換がジェットコースターかな?

 

 というか―――その話題は不味い。

 

「貴様、相変わらずゲスでクズだな」

 

「はぁ~? 大切なことだろーが! というか、お前だって結婚してからポンポコとガキを仕込んでんだから人の事いえねーじゃん」

 

「そういう問題ではないっ! というか、今はそのことは関係ないし―――なにより、お前が言うなっ!!」

 

 ぎゃんぎゃんと再び仲良く喧嘩し始めた二人。

 

 年甲斐なく張り合えるライバルがいるというのはとても素晴らしい事だと思うのだが、二人揃って子供の数まで競わなくていいと俺は思うのだけれども。

 実際、二人がパートナーを娶ってからは頻繁に妊娠報告が世間を騒がせていて今はもう武内さんは2人と妊娠中の1人、内匠さんは双子も含めて4人。夫婦仲が宜しいようで何よりです、はい。

 

 そんな二人を眺めつつ、脳内で揺らめく悩みをいうべきかどうかを迷って―――ビールを流し込んでその振り子に最後の一押しを加える。

 

 どうせ、この流れを流せばもう機会は訪れず、一人で悩む羽目になるのだから。

 

 

「その―――――お二人は、初夜ってどうやって迎えました?」

 

 

「「―――――は?」」

 

 

 俺の苦し気な問いに、騒がしかった声はピタリとやんで

 

 信じられないモノを見るかのような視線が二つ注がれたのであった、とさ。

 

 

 

------------------------------------

 

 

 

「裏切り者の門出を祝して~?」

 

「「「かんぱーい☆!!」」」」

 

「殺意が全然隠せてないやないか~い」

 

 社会人になって、お酒を嗜むようになってから贔屓にしているこじゃれたパブに集ったかつてのユニットメンバー達の音頭についつい苦笑とツッコミを漏らしてしまった。

 

 家出中に今の旦那に拾われ、紹介されたデレプロでは管理人時代からアイドルになった時まで数多くの友人を作る事が出来たが、未だにこんなに際どいネタで笑い合えるのはこの“LIPPS”のメンバー達が一番だ。

 

「あら、一人の男を取り合った仲なのに満面の笑みで祝われる方が気持ち悪いでしょう?」

 

「おやおや~、しばらく凹んでた“奏”リーダーが言うと説得力がありますな~」

 

「こらっ、“志希”ちゃん、めっ! 部屋で普段見もしない失恋映画を見まくって浸ってたのは秘密だって約束したでしょ!!」

 

「いや、現在進行形で全部ばらしてるからフレちゃん……。まぁ、何はともあれ、いよいよ来週が結婚式だし久々の面子で今日はパーと盛り上がろ☆――――ようやく私達も諦めきれる訳だし(ボソッ」

 

「いやいや、そんな複雑なアレなのにホンマよく私刺されへんかったなぁ……いやマジで」

 

 最後の美嘉ちゃんの奴が一番重くて怖い。大切なことなのでもう一度言うけど 怖いわーん。

 

 まぁ、そんなちょっとした引っ掛かりはあるものの、それでもこうして独身最後の飲み会を企画してくれるだけの友情があり、絆がある。ソレを今は素直に喜び、最近ようやく慣れてきた酒精で緩く口元を湿らせた。

 

「ふぅ……まあ、何はともあれ、おめでとう周子。今日くらいは広い心で惚気話にも愚痴にも付き合ってあげるわ」

 

「そうそう、今日くらいはぶっちゃけちゃいなよ。同棲も半年となれば色々な不満も溜まってるでしょ?」

 

 口の軽い志希フレコンビにアイアンクロ―で口の中に熱々のアヒージョを放り込んで折檻を終えた奏ちゃんが苦笑と共にそんな事を呟けば、美嘉ちゃんもソレに便乗してくる。

 

 うーむ。大人な二人である。

 

 “おに―さん”こと私の恋人である“彼”と長い時間の末に結ばれ、ようやく同棲にまで漕ぎつけたのがようやく半年前の事。

 

 電撃記者会見で婚約した事を発表してから随分と世間様を騒がせもしたのだけれども、まあ、アイドルも卒業してタレント業を地道にやってきた成果か今も乾されることも無く芸能界でお仕事を貰えている。

 

 向こうは向こうで建設業の監督さんなんてやっているものだから帰りは遅く、休みは少ない。

 

 そんな二人での共同生活だから愚痴も惚気も溜まる程に一緒に居られていないというのが現状なので何を話した物かと頭を少しだけ捻る事になった。

 

「えー、なんだか味気ないなぁ。フレちゃんもっとラブラブな話聞きたーい!」

 

「同棲生活というよりはルームシェアみたいな感じだにゃー」

 

「なははっ、まあ意外とそういうもんやって。そもそもが家出を拾われた頃からおにーさんがデレプロ辞めるまで毎日のように顔を突き合わせてたわけやし、今更住む家が一緒になったくらいで気恥ずかしさも感じる訳あらへんやん」

 

 ケラケラと笑う私になんだか肩透かしを食らったかのような表情を浮かべる仲間達。

 

 だけども、私達はそうなのだから仕方ない。

 

 イチャイチャもベタベタするのも憧れが無いわけでは無いけれども、

 

 そんな事よりも二人して寝ぼけ眼で歯を磨いて、食後のコーヒーを啜りながら交わす短い朝の会話や、泥だらけだったり汗まみれだったりする彼の作業着を洗ったり、お互いのその日に合った事を寝る前にゆるゆると語るそんな時間があるだけでもはち切れてしまいそうな幸せに包まれているのだから。

 

 “あぁ、この人の一番星になれたんだな”と思えるこの生活がずっと欲しくて、ソレを手に入れた。

 

 これ以上はちょっと贅沢だろう。

 

「と、いいつつ勝ち組の余裕を微笑みで表現する周子ちゃんなのであった。……あー、やってらんねーすわー。志希ちゃんもうお腹いっぱいすわー」

 

「勝手にナレーションいれんといてーや」

 

 しまった。顔に出ていたか。

 

 他の面子もなんだか呆れたような顔でこちらを見ているのでどうもそうらしい。いやはや、実に照れ臭い。

 

「お幸せそーでなによりでーす。……んでー、そんな幸せ絶頂の周子ちゃんの“夜の生活”の方はどうなのかおねーさんに聞かせてごらーん?☆」

 

 にひひっ、と意地悪気な顔に切り替えたカリスマさんが卑猥な指をして詰め寄ってくるのに他の面子も眼の色を変えて詰め寄ってくる。

 

「確かに、気になるわね…」

 

「もう毎晩ぬっちょぬっちょのべっちゃべちゃなんでしょー! フレちゃんそういうのには詳しいのだっ! 処女だけど!!」

 

「んふふ~、今まで溜まってた分を取り返すくらい乱れた生活を送ってた気配がするじゃにゃ~い?」

 

 どいつもコイツも初恋を拗らせた処女共なだけあって耳年増な部分をこれでもかと発揮してニマニマと、興味深々と言った具合であれこれ好きな事を聞きだそうとしてくるのだけれども――――

 

「………………」

 

 無言で静かに目を背ける私の異変にやがてその場の空気は冷えていき、誰かが口ずさむ。

 

「……まさか、」

 

 相談すべきか、しないべきか。

 

 悩む間の沈黙は何よりも雄弁な“肯定”となって。

 

「「「「私、ちょっと用事が出来て」」」」

 

「おいコラ待たんかい、ぼけぇっ!」

 

 一斉に剣呑な気配を醸し出して席を立つ雌豹たちに飛び掛かり、全員を無事に着席させるまでしばしの時間格闘をする羽目になったのであった。

 

 そう。

 

 恥ずかしながらこの“塩見 周子”。

 

 最愛の男と同棲を半年もしながら―――いまだ“純潔”なのである。

 

 

 ほんま、頭の痛い問題が私達夫婦の間には未解決のまま転がっていた。

 

 

 

-----------------------------------

 

 

 

「ハチ公、お前まさか……」

 

「………比企谷さん、コレは真剣な質問なのですが―――機能は正常ですか?」

 

「正常ですよ。健全するくらいに正常ですから二人揃ってその労わるような眼を辞めてください」

 

 俺は勇気を振り絞った事を早々に後悔して二人の疑念を強く否定した。

 

 この二人がこんな息を揃えて何かをするという貴重なシーンは出来ればこれ以外の場面で見たかったぜ…。

 

 だが、そう聞きたくなる気持ちは分からないでもない。

 

 俺の嫁となる周子。彼女の容姿はメンバーの顔面偏差値がバグっていると話題になったLIPPSの一角を担う程であったし、タレントになってから髪を伸ばした彼女は神秘的な魅力すら身に着けて未だにファンを増やしている。そして、そのスレンダーな身体にアクセントを加える凹凸も豊かで、肌は本当に透き通る程に白く滑らかだ。

 

 ドラマに彼女の水着シーンが出ると話題になっただけでその回の視聴率が跳ね上がってトレンド入りを果たすような漫画から出てきたような女、ソレが周子である。

 

 そんな日本どころが世界中の男子が羨む“恋人”という地位に収まった男が同棲をしているにも関わらず未だに清い身である理由なんて心か体に重大な問題を抱えている意外にあり得ない。俺だってそう思う。

 

 だが、それでも―――その数少ない例外になってしまった俺にだって言い分がある。

 

「……………いや、同棲してからの初デートでそういう空気になった時に その、泣かれまして」

 

「「――――っ!」」

 

 その一言に、二人が息を呑み揃って額に手を当てた。

 

 なんとなく、事情を察してくれたらしい。これだから出来る男達というのは無駄がなくて助かる。

 

 念のために言っておくが、無理やり迫って――とかではない。

 

 あの日のデートは最初こそは気恥ずかしさがあったモノの二人で街を歩き、くだらない事を駄弁りながら話している内にいつもの様に軽口を叩き合って昼飯を食う頃には自然体でデートを楽しめていた。

 

 映画を見て、道端の猫を構い、二人の生活に欲しそうな小物を見て回って、家に帰って夕食を二人で作った。どこにでもいそうな“カップル”の平和な休日は―――食休みのコーヒーを飲んでいる時にどちらからともなく自然と身を寄せ合って、最後のイベントを迎える。

 

 緩やかなキスの応酬と、長年にわたりお互い言いそびれていた愛の言葉を何度も何度も繰り返し囁きあった二人。

 

 ただ、事件はそこから始まった。

 

 お互いの服を緩やかに解いて生まれたままの姿になった時に周子の身体がびくりと大きく震えた事に気が付き、慌てて彼女を気遣えば“何でもない”と繰り返すばかり。

 ただ、その身体は明らかに強張っていて―――遂には空元気で笑顔を作っていた彼女の瞳から雫が零れ落ちた。

 

 そして、そこで俺は女性にとっての“初めて“がどれほどに恐ろしい事なのかという事に思い至り、必死に彼女を抱きしめて謝り倒す。

 

 それに、周子が何度も泣きながら謝り返してくる事のなんと心苦しい事か。

 

 “ちゃんと出来なくて”、“ビビりでゴメン”と何度も泣きながら震える彼女に俺の狂ったように煮えたぎっていた獣欲はすっかりとなりを潜めて、ただただその後は周子の柔らかで細い身体を壊さないように抱き留めて一晩中愛してると伝え続けようやく彼女の涙は止まってくれたのであった。

 

 そこから、二回目になる機会はお互いの多忙さもあって中々めぐり込んでこずに、なりそうな雰囲気の時もお互いにあの時の記憶が蘇ってお互いに軽いキス程度で済ませて穏やかな時間を過ごす事を選んできてしまった。

 

 いや、うん。まぁ……お互いにビビりまくった結果として結婚式を目前に控えてもまだ清い体のままという今時は珍しいカップルはこうして生まれたのである。

 

 ただまぁ、流石にもうしんどい。

 

 一緒に暮らしているアイツの飯は美味いし、時間のある時は俺の小汚い作業着も嫌な顔せずに洗ってくれるし、一緒にいるだけで気楽で楽しい。だが、あんな美人の嫁さんを前にして半年間の禁欲はもうホントにキツい。

 

 何回自分で抜いてもアイツの風呂上がりを見るだけですぐに勃つもん。美人の嫁さんを貰ってこんな苦行に挑むことになるなんて当時の俺は思ってもいなかったし――――やりてぇんすわ。実直にいっちゃえば。

 

 でも、また泣かれたらと思えばそっちはもっとキツイ。

 

 そんな性欲と嫁への愛の板挟みの末に俺は頼みの綱となる元上司に無理を言ってこうした場で泣きついている訳である。

 

 笑いたくば笑え。だが、泣いてる嫁を無理やり襲えるクズだけが俺に石を投げられるのだと心するがよい。こっちは真剣に悩んでいるのだ。

 

「ふーむ、まあ、“初めて”ってのにはありがちなパターンだが……故にムズカシイ問題だぜ、こりゃあ」

 

「こうなると男の我々ではなんとアドバイスしたモノか……“待つ”という選択肢も半年、いや、周子さんとの出会いから数えれば7年以上。その葛藤を想えば余りに酷です」

 

「………ちなみに、どっちの嫁さんも知り合いだからスゲー聞きにくいんですけど、二人は嫁さんとどんな感じだったんですか?」

 

 俺の哀愁漂うSOSに一切笑いもせずに真剣に腕を組んで悩んでくれる二人にちょっとだけ安堵の息を漏らしつつ酔いの勢いを借りて聞いてみる。

 不躾なのもマナー違反なのも百も承知だが今だけは真剣に少しでも手がかりが欲しいのである。

 

「ウチの拓海も初めてでちょっとはビビってたが……まあ、あの性格だからな。普通に俺がリードして慣れるまでゆっくり馴染ましたら普通に行けた」

 

「本来は公言する事でもないのですが、事態の深刻さから緊急事態と判断します。……楓さんも初めてでしたがこっちは向こうがノリノリでしたね。むしろ、襲われた感があります」

 

「………ダメだ、参考になんねぇ」

 

 聞きだしといてあんまりな感想だが、当たり前といえば当たり前の話。

 

 各家庭の事情が自分の家庭に通じる訳が無いのだ。

 

 他所は他所、ウチはウチという母ちゃんの名言が今は酷く俺を責めたてるぜ……。

 

「まぁ、飲め飲め。今回ばかりは力になれそうにないが愚痴くらいは付き合ってやっからよ。―――大将、焼鳥と焼酎追加で頼むわっ!!」

 

「………ふむ、責任は取りかねますが所見を述べても?」

 

「―――へ?」

 

 ぐたりと卓に崩れ落ちる俺を気づかわし気に背を叩く内匠さんに勧められるまま焼酎を飲み下していると、腕を組み黙考を繰り返していた武内さんがそんな言葉を呟く。

 

武内さん――――あんた、最高の上司だぜ。

 

 

 

-----------------------------------

 

 

 

「で、なに? 結局は最初の失敗からビビッてやってない訳?? マジ???☆」

 

「いや、美嘉ちゃんは体験したことないから分からんのやって! 普通にビビるわあんなもん!!」

 

 人の旦那を公然と寝取りに旅立とうとする狼たちを必死に抑え込んで再開したLIPPS会議は立場が一転してみんなの冷ややかな視線に晒されて私が身体を縮こませるという構図で始まり、ピンク髪の処女カリスマモデルが生意気な事を言い始めたので必死に反論する。

 

「いや、しゅーこちゃんがこんなに純情だったとは予想外だにゃー。ゆうて日本人の平均なんて10~15㎝で幅も3cm前後。そこまで長引かせるものでもないでしょ~?」

 

「へ?」

 

「「「「え?」」」」

 

 志希ちゃんがケラケラ笑いながら指でスケールを作ったのを誰もが興味深く眺め、何かを納得したのか釣られて笑っている光景を目にした私だけが首を傾げ、また空気が凍った。

 

 え、あれ? いや、調べたことないけどそんなもんなん?

 

 だって、あの日見たおにーさんの“アレ”って……。

 

「周子、落ち着いて。きっと気が動転してたのよ。よーく思い出してみれば案外大した事が無かったりして貴方の悩みなんて簡単に解決するかもしれないわ」

 

 奏ちゃんの言葉に一理あると思い直して少しだけ頬に熱が溜まるのを感じつつあの日の事を思い出してみる。

 

 えーと、向かい合わせで抱き合いながら固いのを感じて下を覗いた時がこんな角度で…確かおに―さんのが臍超えてこのへんまで来ててぇ、太さは恐くて触れんかったから自信ないけど……なんやろ、私の手では余りそうやったから……あ、小さめのズッキーニくらいかも知らん?

 

 いや、ウチかて処女やけど多少の知識はあるし覚悟もあったはずなんやけど―――え、改めて聞くとサイズ感おかしくない?? 棍棒やん、もうソレ。ふつーに凶器やん??

 

 私の意見に同調を求めて周りを見渡せば誰も私の言葉なんて聞いておらず手で作ったスケールを自分の下腹部にあてて顔も真っ赤に夢想に耽っている真っ最中。人の旦那でやめーや。

 

 おいこらっ、おもむろに席を立つな志希ちゃん。トイレに行くならバック必要ないでしょっ!?

 

 

――――― 

 

 

「こほんっ、ふむ、私達はあの男を少し甘く見ていたようね……」

 

「「「異議なし」」」

 

「なんなんこの会議……」

 

 日本中が憧れる大スターたちが成人してからこんな思春期真っ只中だだもれな話題に熱上げてると知ったらファン泣き崩れるで、ほんま。というか、ママさんがもう既にドン引きしてるやん……次回から来づらくて敵わんわ。

 

「というか、相談する相手完全に間違ってるよなぁ……アタシ」

 

 がっくりと項垂れて切り替えたウーロン茶を啜る。

 

 いや、こんな回りくどい事せずに旦那に素直に話せばいいだけの話なのは分かっているのだが、どうにもあれ以来から気を使ってそういう空気を見事に排除してくれているからこちらから言い出すのはどうしたって恥ずかしいし――――あまり大きな声では言えないが“大切にされている感”が凄く心地よくてヌクヌクとソレに甘えてしまってきた。

 

 だが、我慢させているというのも痛い程に良く分かるし、“そういう事”をしてあげたい気持ちは確かにあるのだ。

 

 問題はやり方だ。

 

 無策に行ってもまた二の舞になるだろうし、あんまり甘えすぎててソレが原因で浮気なんかされたら私は多分ふつうに自殺するし、彼を殺してしまう。そんなバイオレンスな展開はこの前出たドラマだけでお腹一杯。しゅーこちゃんは幸せ家族ホームバラエティー路線の家庭を目指している。

 

 それを満たせる方法がどうしても浮かんでこないから皆に相談したのだが結果はご覧の有様。うーむ、こまったなぁ。

 

「はい!」

 

「はい、フレデリカさん」

 

「フレちゃん達が周子ちゃんの代わりに相手をしてあげる!」

 

「殺すぞマジで」

 

「――ひえっ」

 

―――― 

 

「はーい!」

 

「はい、志希ちゃん」

 

「もうめんどくさいから薬で襲わせる、とか」

 

「……悪くないけど、その後のおに―さんが罪悪感で死にそう」

 

「めんどっ」

 

――― 

 

「はい」

 

「はい、奏ちゃん」

 

「“傘”に“貴方の貞操”と説きます」

 

「……その心は?」

 

「―――開くも閉じるもあなた次第」

 

「うまいっ―――フレちゃん、スピリタス注いであげてー」

 

「はいはーい♡」

 

「ちょっ、まっ!!」

 

―――― 

 

「ちょっとは真剣に考えーやっ! 大喜利大会しとるわけやないねんっ!!」

 

 奏ちゃんのせいで最低な下ネタ大喜利や川柳を読み始めたアホ共に活を入れるものの、みんなスピリタスやウォッカの飲み過ぎで完全に酔っ払いと化し始めていてもうケラケラ笑うばかりであるこんちくしょう。

 

 そんな中で、一人だけ混じらずに腕を組んでいた美嘉ちゃんが顔を真っ赤に染めつつも、何かを覚悟したようにゆっくりと手をあげた。

 

「……はい、美嘉ちゃん」

 

「いや、私も多分そんなの見たらビビるからえらそーな事言えないんだけど、さ。でも、ずーっとそんな状態でもいられない訳だし――――ちょっとずつ慣れていくしかないんだと思うんだ」

 

「――――美嘉ちゃん」

 

「いや、これマジのあれだから本気で恥ずかしいんだけど、昔そういう記事のコラムを書くとき調べたんだけど勢いで“が―っ”とやっちゃうのが全部じゃないみたいで……その、“ポリネシアン式”ていうのがあるの。

 

 直接的なのは期間中に絶対しないんだけど、その期限まではお互いの身体を抱き合って眠ったりキスしたり、撫で合うだけ。その、なんていうのかな、来週の結婚式を終えれば本当の意味での“初夜”な訳じゃん?

 

 その時までに、恥ずかしくてもアイツと話し合ってさ―――“ソレ”もアイツの一部なんだって思えるようにゆっくりと受け入れていくのが良いと思うんだ」

 

 その顔はなれない話題で照れている部分もあるのだろうけれど、瞳は真摯に真っ直ぐと私を見つめて必死に言葉を紡いでくれる。

 そして、優しく見守るような微笑みの中に―――ちょっとだけ心の中で押し殺した悔しさと後悔を隠しきってくれる本当に優しすぎる彼女。

 

 それが、苦しくて、嬉しい。

 

 私がデレプロを裏切り、クローネのメンバーとして立ちはだかった時のダンスバトル、ダンスと歌声に込めた全力で彼への想いを語り尽くした親友で、恋敵。

 

 その彼女がこうして押し出してくれるのだから、自分は本当に人に恵まれすぎている。

 

 彼女だけなく、凹んでいる自分をバカ騒ぎで元気づけてくれる友人達も、競い合って自分を新たな高みに連れて行ってくれるライバル達も、馬鹿だった自分を導いてくれた恩人たちも―――何より、暗い闇に捕らわれて自暴自棄になっていた自分を掬い上げてくれた大好きな彼。

 

 その全てに、私は嬉しくなって  

 

 少しだけまた泣いた。

 

 私は、強くなってから――――ちょっとだけ、泣き虫になったみたいだ。

 

 

 

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 武内さん達との呑み会は俺の相談に一段落がついた所で、呑み直しとなり今度は懐かしい話題や最近のメンバー達の事となって会話に随分と花が咲いた。

 

 年長組で新たな恋を見つけたモノも要れば、新しい企画に燃える若手組に対抗心を抱いて張り切るモノ。幼かった年少組も、高校生組もそれぞれが進むべき道を決めて力強く活動を続けている話はなんだか無性に嬉しくなる。

 

 それが、かつてのような眩さに目を眇めるようなモノではなく、駆け上がっていくその姿を見守れる気分に近しいのは成長か、老いかはまだ少し判断がつきがたい。

 

 そんなこんなで久々の元上司という名の友人達との楽しい会合は、二人を家で待つ奥様方からの帰宅を尋ねるメールでお開きと相成る。

 

 別に朝まで飲み明かしても怒るような二人でもないだろうけれども、帰りを待つ人を置いてまで遊び明かそうとするほどに彼らは無思慮でもない、いい旦那なのである。

 

 そんな二人のように成れるかどうか考えて、苦笑を漏らした。

 

 他所は他所、ウチはウチ。

 

 だけれども、泣かせる事だけはすまいと彼女にプロポーズした時の誓いだけは新たに締め直して新居に帰り付けば―――向こうも懐かしの面子との女子会は早々に解散したのか家に灯りが灯っていた。

 

 一瞬だけさっき武内さん達にした相談が頭によぎるが、根本的に示された解決策は遅効性のもので焦ったところでどうにもならん。日を改めてのんびりと周子と話し合えばいいと思い直して玄関のカギを開けたのであった。

 

 

――――

 

 

「あ、おにーさんお帰りーん。随分早い解散やったんやね?」

 

「楓さん達と子供の寝顔みる時間を奪う訳にはいかんからな。気づかいの出来る元部下なんだよ」

 

「なんやの、みんな尻に敷かれとるだけやん。コーヒーのむ?」

 

「ん、たのむ」

 

 リビングのソファーで一足先にシャワーを浴びたのかパジャマに身を包んだ彼女は俺の軽口にカラカラと笑いながらコーヒーを入れるために腰を上げ、俺は素直にソレに頷いてソファーにゆったりと座り込んだ。

 

 ちょっとだけ“子供”という単語にしまったと思いはしたが彼女は気にした風もなく鼻歌交じりでコーヒーを入れてくれているので考え過ぎだと安堵の息を吐いた。

 

「そっちこそ早かったな。他の連中はどうだった?」

 

「なはは、みんな久々に羽目を外して早々に酔いつぶれちゃった」

 

「年長組から何も学んでないのか、アイツ等は……」

 

 何度かかつてのデレプロメンバー達と飲む機会があったのだが、年長が飲酒を控え始めたかと思えば今度は酒を嗜むようになった高校生組が着実に呑み助になり始めていたのを思い出してついつい苦笑が漏れ出した。

 

「ん? お前はあんま飲んでないんだな」

 

「元々あんまり強くもないし、3杯目からはずっとウーロン茶。結婚式も目前に花嫁のげぼ塗れの姿も見たくないやろ~?」

 

「餃子とビールの匂いを漂わせて人の背中でがなってた姿は今でも覚えてるけどな」

 

「えぇい、何時までも昔の話をほじくるいけずめっ!」

 

「ばかっ、零れるこぼれるっ」

 

 入れて貰ったコーヒーを啜りながら揶揄えば、ムッとした彼女がべしべしと肩を叩いてくるのに軽く応戦している内に―――ふとした瞬間に目が合って、そのまま軽くキスを交わした。

 

 柔らかくて、温かい。そんで、その後に二人して“新婚みたいだ”なんて笑い合う心地いい時間を共にして今度こそ身を寄せ合ってのんびりとソファーに凭れた。

 

「なぁ」

 

「なんだ?」

 

「その、言い辛いんやけど―――“夜の事”をみんなに相談して、さ」

 

「―――な」

 

「ごめんっ! 勝手にそういうの話してホンマごめんっ!! でも、このままおにーさんに我慢させ続けたくなくて……さ」

 

 咄嗟に口から出掛けた驚きを漏らす前にそんなしおらしく謝られてはもう何も言える訳がない。というか、俺が何を言えた口だというのか。

 

「いや、その、……びっくりしただけだ。てっきりもうそういうのは触らない方が良いのかと思ってたし――――もっと言えば、俺も勝手に武内さん達に相談してたし…」

 

 

「「………っぷ」」

 

 

 しばらくキョトンとした周子と気まずげな俺が見つめ合う数秒を経て、二人揃って吹き出してしまった。

 

 阿保らしい。=阿呆らしい

 

 こんなお互いに気まずい想いをして誰かに相談するそっくりな所も、一番最初に話し合うべき人間にお互い誰よりも遠慮していた事も。

 

 でも、そういうもんなのかもしれない。夫婦ってのは。

 

 まだ、言い切れないけれどもソレはきっと大切に想い合っているゆえの温かな“ヤマアラシのジレンマ”という奴だろうから、謹んでその痛みを楽しませて頂こう。

 

「ほんま、お互いしょうもないなぁ」

 

「まぁ、俺ららしいと言えばらしい……ほんで、なんか上手い方法は見つかったか? 言っとくけど、勢いとか、薬とか、浮気で解決とかは論外だからな」

 

「なはは、その案は大分初期に出てきたわ。みんなの思考もお見通しやねぇ」

 

 クツクツと未だにお互い喉を鳴らしながら、なんとなくあいつ等が言いそうなのを適当に上げて見れば見事に当てられたらしい。脳みそが俺もアイツ等も一切進歩していない事が可笑しくてまた笑っていると、周子が少しだけ雰囲気を変え緊張と甘さが混じったモノに変えて俺に寄りかかってくる。

 

「うん、ほんで、美嘉ちゃんがうちら向きの奴を必死に考えてくれてな……その、期日内にゆっくり抱き合ったりして身体を慣れさせていくっていう奴なんやけど、さ」

 

「……まさかの発案者だな、ソレは」

 

 意外さと的確な提案になんと言えばいいのか迷ったが、普通にありがたい。というか、元々が人の恋愛関係には世話焼きさと細やかさを持ち合わせている彼女が最も親身で分かりやすいサポートをしていたので、普通に一番適任だったのかもしれない。

 

「そっちは?」

 

「………まぁ、その、“武士はくわねど…”的なアレだな」

 

「なんやの、参考にならへんなぁ」

 

 ニュアンスは違うが武内さんの提案も全く同じものだったので一瞬だけ打ち明けるか迷ったが、ココはわざわざ醜聞を広める事は無いだろうという判断で飲み込んだ。

 少なくとも、男同士の会議でそんな案が出たというのは少しだけ画面が芳しくないのでココはカリスマ様の御威光に縋らせて貰おう。

 

 何より―――

 

「………ちょーっと、反応が素直すぎへんかなぁ」

 

「むしろ、反動か知らんけど我慢しきれるかが自信無いな、コレ」

 

 今まで必死に押し隠してきた最愛の妻を抱けるかも、という期待を持たされただけで痛い位に膨らみ始めたマイサン。ソレを少しだけ恥ずかしそうに眼を逸らす周子が可愛くてこれから始まる地獄とその先の天国に今から頭がどうかしそうになってしまう。

 

「期間は?」

 

「折角やし、ここまで来たなら結婚式終わった後のハネムーンで、とか考えとるけど……大丈夫、かな?」

 

「…頑張る。ルールは?」

 

「えーっと、軽く調べた所によれば初日は…その、全裸で、見つめ合って同じベットで寝るんやって。あの、触るのも無しで――ずっと見つめ合って、好きな人の事を焼き付けるらしい、よ?」

 

 普段から飄々としている周子が恥じらいつつも、何度も俺の顔や、躰、股間をチラチラと見やるその仕草だけで俺の理性はもうグズグズにされかけているのに――――まだ、一日目なんだけどコレ本当に大丈夫? おれ、結婚式中に大変な事になちゃうじゃない??

 

 そんな不安と期待と絶望が入り混じる中で、とりあえず俺は完全に獣になりつつあるポンコツな脳みそを冷やすために風呂へと向かうのであった、とさ。

 

 

 

 

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 さて、そこからの事は語ろうとすると“長く苦しい日々だった”という一言に尽きる。

 

 美嘉の教えてくれた方法というのを二人であの後に調べて実践してみたのだが、厳しく制限された行動の全てが愛する相手の一挙手一投足を意識させる生殺しのまま性感を高め合っていく恐ろしい儀式であり、結婚式のために長期休暇を取っていなければ確実に職場でエライ事になっていた自信がある。

 

 あの“塩見 周子”が顔を真っ赤にしながらも蕩けた顔で枕元にいて襲い掛かれないまま緩やかな時間を過ごす事を考えて頂けば想像がつくだろうか?

 

 正直、寝てらんないっす。

 

というか、お互いの両親を迎い入れた時に強面の周子の親父さんの相手をしてる時でも周子と肩がぶつかるだけで反応して本気でヤバかった。

 

 それでも何とか堪え切れたのは、結婚式の打ち合わせや段取り。ソレと346メンバーやや同級生達との呑み会が重なって毎日が精も根も尽き果てるくらいにクタクタになっていたおかげでもあるのだろう。

 

 苦労の甲斐あってか、結婚式は華やかで、和やかに進んでいき―――二人揃って祝ってくれる人達の温かさに少しだけ泣いて無事にフィナーレを迎えたのであった。

 

 役場に書類を出すだけでなく、こうやって自分達を支えてくれてきた人々に感謝と想いを伝える事で俺達はようやく本当の意味で“夫婦”になれたのだと思う。

 

 そんで、感動の披露宴の後の2次会3次会はだれもが羽目を外して高らかに笑い、踊り、祝ったせいでそんな余韻も吹っ飛ぶほどに大騒ぎ。

 

 俺たちらしい結婚式だったと、死ぬまで語れる事だろう。

 

 

そして、そのまま二日酔いで痛む頭を押さえて旅立った――――常夏の島で俺達は遂にその日を迎えたのであった。

 

 

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 二人で何をするでもなく手を繋ぎ、あてもなくブラブラと散歩なんかをして緩やかな時間が流れるその南国でのんびりとした時間を過ごし、その初日を俺たちは終えた。

 

 華やかな街並みも、華美な商店も、賑やかな観光地も―――いま、隣で歩く最愛の相手への意識を逸らすには余りにちっぽけに思え、ただただお互いに口数も少なくつながった手だけを意識して果てしなく澄んだ海に夕日が沈むのをただ待った。

 

 そして、一番星が地平に輝いた事を確認した二人は何を言うでもなく自分たちの部屋へと戻り、溜まりに溜まった感情を無言のまま身体で示す。

 

 荷物も何もかも玄関に放り投げ、お互いの衣服を興奮で震える手で引き剥がす様に剥きながらベッドに飛び込んでひたすらに抱きしめ合って貪り合うようなキスを交わしあう。

 

「わるい周子、ちょっともう、限界だ」

 

「おにーさんっ、ウチもヤバいかもっ。あたま、ちょっとおかしくなって、やばい」

 

 キスの合間に絞りだしたお互いの言葉は本当にひどいもんで知性の欠片もありゃしない。

 

 だが、単純明快なその言葉だけが“嘘”も“恥じらい”も無くシンプルにお互いに響いて行為の熱はひたすらに高まっていく。

 

 周子に至っては、あれだけ怯えていた俺の一物を自ら求める様に腰をくねらせ、俺はそんな単純な事がひたすらに嬉しくどこまでも興奮が高まって―――もう、なにもかもを思考することを投げやって最後に、本当に最後の理性を絞りだした。

 

「周子―――いいか?」

 

「―――きて、おにーさん」

 

 荒い吐息の中にお互いの耳元に蕩けきった声が響き、俺達は夢中になってその快楽にるつぼへと堕ちていき、その部屋からは朝になっても激しい物音と嬌声が止むことは無かった、とさ。

 

 

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 眩い光がカーテンの隙間から差し込み、海風の香りがゆるりと肌を撫でたのを感じ、目を覚ます。

 

 広々とした海外スイート特有の解放感溢れる部屋の中で起床した俺が体中に圧し掛かっていた何かから解放されて清々しい気分に浸って一番最初に思ったのは“海外でも朝チュンはあるのだな……”というすっとぼけた感想であった。

 

 そんな俺が次に意識を向けたのは自分の胸元でその柔らかな身体を丸めている嫁さんだ。

 

 朝日に照らされるその銀糸の髪はさらりとして俺の胸板を擽り、小さな品のいい寝息とは対照的に涎を垂らして気の抜けきった顔で俺に抱き着くその姿は猫の様で非常に愛嬌がある。

 

 見れば見る程に美人で、可愛く、ほっとけない―――最愛の女のそんな姿が手元にあることが言葉に出来ないくらいに俺は嬉しくて、呆れる程に抱いたその身体をもう一度抱きしめて幸せをかみしめた。

 

「ん、んぁ……あさから、苦しいってば」

 

 それに、寝ぼけ眼で起き出して答える彼女がやっぱり愛おしくてゆっくりと唇を重ねて、緩やかに声を掛ける。

 

「周子、愛してる」

 

「ん、うちも―――どんぶり一杯に愛してるよん♡」

 

 まさに、お腹いっぱいの幸せという奴に浸りながら考える。

 

 さて、今日は彼女とどんな“毎日”を重ねて行こう?

 

 そんな贅沢過ぎる悩みに俺は、残りわずかとなったこのハワイでの思い出作りに頭をこね回し始め――――俺の間違い続けた青春は、今日この日に報われる為に合ったのだと幸せに茹だった脳みそでピリオドを打った。

 

 俺の人生、そう考えれば悪くないもんである。

 

 

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比企谷 八幡 男 26

 

 死にモノ狂いで働いたおかげか現場では今や責任者に近いくらいに出世。社内では同期の社長令嬢とくっつき天下を取ると思われていたがまさかの周子とくっついたせいで阿鼻叫喚の地獄絵図を作りだし結婚式でも気まずい空気を漂わせた伝説の男。

 

 嫁との念願のSEXを迎え、彼のひねくれまくった青春は終わりを迎え幸せな家庭を築いていく事となった。

 

 

比企谷 周子 女 26

 

 最愛の男を長い年月の末に射止めた執念の京女。ラブラブで順風満帆な生活だったが根が良家の娘だったためか乙女な部分が出て旦那を生殺しにしてしまった。

 

 だが、友人たちの助けと助言もありハネムーンで見事に克服し、夫婦の営みに今度はドはまりしてソレはそれで仕事に影響が出て大変だったらしい。もう、べっちょべちょのぬっちょぬちょだ。

 

 そのおかげか初産から双子を賜った。正にハッピーエンド。

 

 結婚式では旦那の会社の社長令嬢に挨拶に行き、「私、猫が好きなのだけれどどうしても好きになれない品種がいるの」 「はぇ?」 「―――泥棒猫だけは、大っ嫌いなの」 「――――」という修羅場を密かに迎えたとかないとか…そういう噂がある。




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