たっくんがルイズに召喚されたようです (カレー9610)
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ゼロの使い魔編
俺の夢/旅の始まり


「世界中の洗濯物が真っ白になるみたいに――みんなが幸せになりますように」

 

 乾巧は目を閉じて、深いまどろみに身を任せた。隣にいる真理と、啓太郎の気配が、ゆっくりと遠ざかっていく。

 悪くない結末だった。友人たちに囲まれて、このまま静かに逝く。それは、彼の辿った経緯からすれば、贅沢すぎるほどの終わり方で――。

 

「……を使い魔にするなんて聞いたことありません!」

「……ス・ヴァリエール。例外は認められない。彼はただの平民かも知れないが……」

「そんな……」

 

 巧は薄く目を開いた。彼の終わりを、耳障りな口論が邪魔していた。意識が現実に引き戻される。真理や啓太郎ではない、大勢の気配を周囲に感じた。

 オルフェノクにも、死後の世界があるのか?

 

「いいから早く契約したまえ。この後の予定というものがあるのだからね」

「……わかりました」

 

 あたりを野次が飛びまわっている。眠っているには五月蝿すぎる環境だ。

 巧は舌打ちして、だるい身体を引き起こした。今度こそ本当に目を開ける。

 

「起きたのね」

 

 目の前にいたのは、見知らぬ少女だった。真理でも、ましてや啓太郎でもなかった。

 

「誰だ、お前」

「……あんた、感謝しなさいよね。貴族にこんなことされるなんて、普通は一生ないんだから」

 

 少女の顔が近づいて、唇に生暖かい感触があった。次いで、左手に猛烈な熱――熱!

 

「あっつ! お前――何したんだ! 俺に!」

「ルーンが刻まれてるだけよ、大騒ぎしないで! 叫びたいのは私のほうなんだからね!」

 

 見ると、左手に妙な形の幾何学模様が焼きついて、熱と痛みは少しずつ治まり始めていた。少女の方は、顔を真っ赤にして頬を膨らませると、傍らのはげた男を振り返った。

 

「ミスタ・コルベール! 『契約』、終わりました!」

「そのようだね。なかなか変わったルーンだが……ともかく、無事に使い魔の儀式を完遂できて、大変結構。今年も落第者がいなくて何よりだ!」

 

 コルベールと呼ばれた男はきびすを返し、野次馬たちに声を張り上げた。

 

「さ、それでは教室に戻ろう。『フライ』を――」

 

 まだ事情が飲み込めずにいる巧の目の前で、男と子供たちがいっせいに浮かび上がった。子どもたちが、少女に嘲りの視線と、言葉を投げかける。

 

「ルイズ、お前は歩いて来いよな!」

「その平民と一緒にね! その使い魔、あなたにお似合いよ!」

 

 後には、少女と巧だけが残された。地面に放り出されたままの巧をじろりと見て、少女が口を開いた。

 

「あんた、なんなのよ」

「それはこっちの台詞だ。お前、なんなんだよ。大体ここはどこで、どうやって俺を連れて来たんだ、おい!」

「うるさいうるさい! まだ飲み込めてないの? あなたには馴染みがないでしょうけれど、ここはかのトリステイン魔法学院、ちゃんとハルケギニアだから安心なさい。 あなたは私に使い魔として召還されたのよ」

 

 トリステインに、魔法学院だと? 死後の世界にしては、冗談が過ぎる。

少女は不満げに鼻を鳴らして、胸を張った。

 

「そして私はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。今日からあんたのご主人様よ。ルイズ様と呼びなさい!」

 

 わけがわからなかった。巧は混乱した頭で、とにかく自分も名乗るべきだと結論した。

 

「……乾巧だ」

「イヌイタクミ……タクミ、でいいかしら。変な名前」

「うるせぇな、お前ほどじゃない。大体なんだ、さっきの連中。空を飛ぶのは、なんかの手品か?」

「ただの魔法よ。メイジなんだから、当たり前でしょ! それに、私の名前は貴族にふさわしい高貴な名前なの! 平民のあんたがケチつけてんじゃないわ!」

 

 ルイズは烈火のごとくまくし立て、イライラと巧をにらんだ。

 

「さっさと行くわよ! すぐに授業が始まるんだから。あんたの荷物も私の荷物も、あんたが持ってきなさい」

「『あんたの荷物』だと? ねーよ、そんなもん!」

「その箱! あんたのでしょ。一緒に召還されてきたんだから!」

 

 ルイズがあごをしゃくる。芝生の上に、見慣れた銀色のアタッシュケースが、いかにも所在なさげに転がっていた。

 

「こいつは……」

「い・く・わ・よ!」

 

 ルイズが巧の耳を引っ張った。手にしたアタッシュケースが揺れる。

 

「離せよ! 一人で歩ける。大体、どーしてお前について行かなきゃならないんだ」

「そういうものなの! いいから言うとおりになさい!」

 

 ふざけやがって。巧は舌打ちした。こんな女、振り切るのは難しくない。彼はよほど、ルイズを無視して行こうかと考えて――。

 

「……分かったよ。行けばいいんだろ」

 

 やめた。少しだけ、昔のことを思い出したからだ。出会ったばかりの真理と、目の前のルイズは少し――いや、かなり似ている。

 

(たぶんこれは、俺の人生に与えられたロスタイムだ)

 

手には懐かしいアタッシュケースの感触がある。そして、かなり強引な女が一人。

 また、何かが始まるかも知れない。巧はいくらか軽くなった足を一歩、トリスタニアの芝生に踏み出した。

 

 



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ベルトの力/使い魔の力

「……まあ、大体分かったわ」

 

 ベッドに腰掛けたルイズは、できるだけ静かに言った。不本意そのものの顔で、巧は床にあぐらをかいている。

 

「あんたはメイジがいなくて、月が一つで、なんて言ったかしら、トーキョー? とかいうところから来たってわけね」

「あぁ」

「そんな世界、どこにあるのよ」

「俺のいたのはそういうところなんだよ!」

「サモン・サーヴァントで異世界の生き物が呼び出されるなんて聞いたことないわ!」

「じゃあ、あれはどう説明すんだよ」

 

 巧はベッドの上のアタッシュケースを指差した。ルイズが彼の出自の証拠を要求したときに、巧が開いて見せたものだ。

 

「確かに、すごい錬金の技術だけど……ゲルマニアのメイジなら、できるかも知れないわ。癪だけど」

「こんなもん、こっちの世界にはないだろ」

「ないけど……まあ、百歩譲ってあんたが異世界から来たとして、返す方法はないわよ。使い魔の契約は、もう済ませちゃったしね」

 

 ルイズが見るに、巧はここに残ることに異存はないようだった。この男には、見かけの年齢以上に達観した雰囲気がある。

 

「その使い魔ってのは、なにすんだ」

「まあ、色々ね。主人の目となり耳となり……秘薬の材料探しとか……まあ無理そうね。主人の身の安全を守るとか……無理か。あんたにできそうなのは、そうね……掃除、洗濯。その他雑用」

「ふざけんな。勝手に呼びつけといて、雑用やらせんのかよ」

「好きであんたを呼んだわけじゃないわよ!」

 

 ルイズはそっぽを向いて、布団をかぶった。

 

「もういい。寝る」

「おい」

「何? 今日は使えない使い魔を呼び出して、疲れたんだけど」

「俺の寝床は?」

 

 ルイズは心底めんどくさそうに、扉の向こうを指差した。

 

「外」

 

 

 

 朝。ルイズは巧を伴って食堂を訪れた。

 

「感謝してよね。あんたみたいな平民がこの『アルヴィーズの食堂』に入れるなんて、ほんとは一生ありえないんだから!」

 

 確かに大した食堂だった。だが――。

 

「なんだよ、これは」

 

 巧は口を尖らせて、床に置かれた皿を指した。薄いスープに、パンがふた切れ、添えられている。

 

「それはあんたの。ほんとは使い魔は外。あんたは私の厚意で中で、床。わかったら、椅子を引きなさい」

「ふざけんな。こんなとこで食えるかよ」

「じゃ、外で食べなさいよ」

「あぁ、そうさせてもらうぜ。お前の面を見ながら食うより、よっぽどましだ」

 

 真理を怒らせたときに、カチンコチンに凍らせた料理が出てきたときのことを思い出す。巧は捨て台詞を吐くと、怒っているルイズを置いて外に出た。

 塩味のスープをあっという間に飲み干して、食堂の脇の芝生に寝転がりながら硬いパンをかじる。

 

「くそったれ」

 

 思わず悪態が口をついて出た。自分の意思でここに残ることを決めたことは決めたが、ここまで雑に扱われるのは想定外……。

 

「いや、違うか」

 

 そもそもの前提が間違っているのかもしれない。巧はここに残ることを決めた、というよりも、帰る場所を諦めたのだ。帰ったところで、あの世界には巧の居場所はない。彼がそうなることを望んだのだから。

 

 いつしか、まどろんでいた。もう一度、良き終わりを迎えられるかと思って――。

 

「!」

「わあ!」

 

 爆発音に、意識を呼び覚まされた。やっぱり巧は、生きていた。

 石造りの塔から、煙が上がっている。それからもう一つ、彼の耳に届いたのは、一緒に驚いた女の子の声だ。

 

「あ、ごめんなさい。起こしちゃいましたか?」

「いや、それよりでかい音がしたから」

 

 黒い髪を肩のところで切りそろえた、素朴な雰囲気の少女だ。メイド服を着て、銀のお盆を携えている。

 

「あの、ミス・ヴァリエールの使い魔さん、ですよね。召喚の魔法で呼ばれたっていう……厨房でも、噂になってて」

「あぁ。乾巧だ。その使い魔さんってのはやめてくれ」

「私はシエスタっていいます。あなたと同じ、平民なんですけど。貴族の方々をお世話するために、ここで働いてて――その、ずっとここで眠ってらしたので、大丈夫かな、と思って……」

 

 ほんの数分うとうとしただけだと思っていたが、かなり時間が経っていたらしい。言われてみれば、日が高い。

 

「寝てただけだ。なんでもない」

 

 そういう巧の腹が鳴る。

 

「……もしかして、お腹が空いているんですか?」

 

 

 

「ちょっとだけ、待っていてくださいね」

 

 シエスタが巧を案内したのは、食堂の裏の厨房だった。その片隅にある椅子に彼を座らせてシエスタは厨房の奥に消える。程なくして、お皿を抱えて戻ってきた。

 

「貴族の方たちにお出しする料理の余りで作ったシチューです。まかない食ですけど……よかったら、どうぞ」

「いいのか?」

「ええ。たくさんありますから」

「そうか」

 

 いただきます、と手を合わせると、巧はシチューをフーフーし始めた。シエスタが少し笑う。

 

「猫舌なんですね」

「あぁ。まあな」

 

 十分さめた一口目を、口に運ぶ。

 

「うまい」

「良かった。お代わりもありますからね」

 

 巧はシチューを冷ましながら、ゆっくりゆっくり食べた。

 

「うまかった」

「よかった。お腹が空いたら、いつでも来てくださいね」

「あぁ。本当に助かった。マジでな」

「そんな、大げさですよ」

 

 巧は立ち上がった。無償の善意は、彼の最も、いや、二番目に苦手とするところである。

 

「大げさじゃない。朝飯はもっと……とにかく、借りは返す。俺に手伝えることがあったら、何でも言ってくれ」

「借りだなんて、そんな」

 

 シエスタは巧の申し出におろおろして……やがて、手を打った。

 

「なら、お昼ご飯を運ぶのを手伝ってもらえますか?」

 

 

 

 最初はたかが配膳、と思ったが、これがなかなか重労働だった。席に着いたメイジ達は、わざわざ立ち上がったりしない。こちらから出向いて、ひとつひとつ料理を配ってやらなくてはならないのである。

 それこそ魔法を使えば楽になりそうなものだが、どうやら気位の高いメイジ様どもは、そんなことに一々杖を振ったりはしないらしかった。

 

「さ、デザートを配ったらおしまいですよ! 頑張りましょう!」

「どうすんだ、これ」

「タクミさんがお盆を持ってください。私が配っちゃいますから!」

 

 配膳中のシエスタは、なかなか決まった顔をしている。自分の仕事にプライドを持っている、プロの表情だ。アイロンを握ったときの啓太郎を、少しだけ思い出す。

 

「ギーシュ! 誰と付き合ってるんだ?」

「なあ、教えてくれてもいいだろう? ギーシュ!」

 

 金色の巻髪にフリルのついたシャツをきた、キザなメイジが冷やかされている。

 

「僕には特定の女性はいないのだよ。バラは多くの人を楽しませるために咲くのだからね」

 

 巧は顔をしかめた。歯が浮いて耳が腐り落ちそうな台詞だ。表情一つ変えないシエスタに、もう一つ尊敬の念を覚える。

 そのテーブルを離れる時、巧の耳はことりという音を聞きつけた。見ると、ガラスの小瓶が転がっている。ギーシュとやらのポケットから転がり落ちたらしい。

 

「悪い、ちょっと持っててくれ」

「はい? どうしました?」

 

 シエスタにお盆を持ってもらうと、巧はちょっとかがんで小瓶を拾い上げた。

 

「おい色男。落とし物だぜ」

 

 瓶をテーブルの上に置いた。苦々しげに、ギーシュが巧を見上げる。

 

「これは僕のじゃない。君は何を言っているんだね?」

 

 言い切るより前に、彼の友人たちが騒ぎ出す。

 

「おお? そいつはモンモランシーの香水じゃないか?」

「そうだ! 間違いないぜこれは! ってことはだぜ、ギーシュが今付き合ってるのは――」

「モンモランシーだ!!」

 

「違う! いいかい、彼女の名誉のために――」

 

 ギーシュは何か言いかけて、口をつぐんだ。栗色の髪の少女が歩み寄ってくるのに、気づいたのだ。

 

「さようなら!」

 

 しりもちをついたギーシュに、ワインがぶちまけられる。いつの間に来ていたのか、金色の髪をクルクル巻いた少女が、鬼の形相で立っていた。

 

「……うそつき!」

 

 巧は何も言わずにきびすを返した。修羅場を目の当たりにした食堂は、静まり返っている。

 

「待ちたまえ」

 

 背中に、じっとりとした声が浴びせられた。ギーシュである。

 

「君の軽率な行動のせいで、二人の女性が傷ついた。どうしてくれるんだね?」

 

 巧は無視した。聞くに堪えない。

 

「タクミさん……」

 

 ずんずん歩いていく巧に、シエスタが消え入りそうな声で言う。巧はしぶしぶ振り返った。だが、その口から飛び出した言葉は、シエスタの顔色を真っ青に変えた。

 

「ゴチャゴチャうるせぇな。俺に文句を言う前に、二人に謝りに行った方がいいぜ」

「なッ――いいかな、給仕君! 君が香水をテーブルに置いた時、僕は知らないふりをしたろう! 話を合わせる機転があってもいいんじゃないかね?」

「二股してるヤツが悪い」

 

 巧が切って捨てると、食堂のあちこちから笑い声が漏れた。

 

「そーだそーだ!」

「いいぞー平民!」

 

 ギーシュはギリッと歯をかみ締め……小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

 

「そうか、君はゼロのルイズが呼び出した平民だったな。半人前の呼び出した平民に、貴族の礼儀を期待した僕が馬鹿だった。……もう行きたまえ」

「あぁ、そうするぜ。次は、飯の最中に香水落っことさないようにな」

 

 巧は今度こそきびすを返して、立ち去ろうとした。そこで初めて、シエスタの顔が青を通り越して白くなっているのに気がついたのだ。

 

「タクミさん、後ろ……」

「なに?」

 

 ギーシュが立ち上がっていた。その瞳に、激烈な怒りが燃えている。

 

「どうやら本当に、躾が必要なようだな! よかろう、君に礼儀を教えてやる。……決闘だ」

「馬鹿丁寧な喧嘩の売り方だな。ここじゃ駄目なのか」

「貴族の食卓を平民の血で穢すわけにはいかないからね。ヴェストリの広場で待っている。給仕が終わったら、来たまえ」

 

 ギーシュはマントを翻して、食堂を立ち去った。ギーシュの友人たちがワクワク顔で追っていく。

 巧は傍らのメイドに尋ねた。

 

「ヴェストリの広場って何処だ?」

「行ったら駄目です! 貴族の人を本気で怒らせたら、怒らせたら……! あなた、殺されちゃうわ!」

 

 シエスタは半泣きになって、逃げ出した。

殺される気はない。シエスタの代わりに、そばで一部始終を聞いていたメイジにたずねる。

 

「あっちだ、平民。せいぜい粘れよ」

 

 メイジはそう言って鼻で笑う。その態度に、一瞬、銀色のアタッシュケースのことがよぎり――やっぱり、もっていくのはやめた。素手の喧嘩にあんなものを持って行けば、どんなに加減しても大怪我させてしまう。

 巧は文字通り丸腰で、単身ヴェストリの広場に向かった。

 

 

 

「諸君! 決闘だ!」

 

 薄暗くて湿った広場は、今、ギャラリーの熱気でむんむんしていた。思ったよりも、ここには暇人が多いらしい。

 ギーシュは広場の反対側に立つ巧をびしりと指差し、高らかに宣言する。

 

「相手はルイズの平民! このギーシュが礼儀知らずを躾けてあげよう。まずは、逃げずに来たことを褒めてやる」

「そりゃどうも」

「ま、もう言うこともあるまい。さっさと始めよう」

 

 ギーシュの手にしたバラから、花びらが一枚落ちた。

 

「何?」

 

 とたんに花弁は青銅の人形に変わる。

 

「名乗り遅れたな。僕は『青銅』のギーシュ。もちろんメイジだ。であれば、魔法で戦うのは当然だろう? 君の相手はこの『ワルキューレ』がお勤めするよ」

 

 ワルキューレが殺到して、野次馬が声を上げた。巧はすんでのところで青銅製の拳をかわし、この決闘の本質が処刑だったと悟る。

 

「やっちまえ、ギーシュ!」

「避けろ平民、避けろ! 食らったら死んじまうぞ!」

 

 攻撃を避けることは難しくない。ワルキューレの拳は重いが、動きは所詮、素人だ。巧の戦ったうち、弱い部類のオルフェノクと大差はない。ないが――。

 巧はかろうじて拳を受け止め、転がった。

 

「なかなかやるじゃないか。では、これはどうかな?」

 

 再びワルキューレが突進する。巧は再び拳を避け、転がった。ワルキューレの動きは大したものではないが、ただ、巧には攻め手がなかった。

 反撃できぬまま巧は何度目かに拳を受けとめ、吹き飛ばされて転がった。

 

「あんた! 何してんの! ギーシュも!」

 

 その時、野次馬の中を突っ切って、桃色の髪の少女が駆け寄ってくるのが見えた。

 

「おお、ルイズ! すまないね、君の使い魔を少し借りてるよ」

「借りてるですって! いい加減にしなさい! だいたい、決闘は校則で禁じられてるじゃないの!」

「それは貴族同士の話だ。平民と決闘してはいけない、なんて法はないよ。わかったらそこをどきたまえ」

「……そうだ」

 

 巧はルイズの肩に手を置いた。その体が震えているのが、わかった。

 

「あんたは黙ってなさい! 自分の使い魔がみすみす怪我するのを黙ってみてられるわけ、ないでしょ!」

「こんなの怪我のうちに入るかよ」

 

 どこかの誰かみたいだな、と思った。巧は立ち上がりながら、ルイズにだけ聞こえるように言った。

 

「部屋から俺のカバンを取ってきてくれ。中身だけでもいい」

「使い魔が、ご主人様に命令する気?」

「いいから行け。頼む」

「――ッ!」

 

 ルイズは駆け出した。それを見送るギーシュが、酷薄に笑う。

 

「主人にも見捨てられたか。不憫な使い魔だ。いや、あの『ゼロ』の使い魔なら、当然の結末というべきかな」

 

 バラを振るう。今度は青銅人形の代わりに、剣が一本現れ、巧の前に突き刺さる。

 

「君のことが、いささか哀れになったよ。今、謝るならそれで手打ちにしてもいい。そうでなければ、その剣を取りたまえ。それは『武器』だ。平民どもがメイジに一矢報いんと磨いた牙……楯突く気があるなら、かかってきたまえ」

「寛大だな」

「貴族はいつでもそうあるものだ。どうするかね? もちろん、それを握れば容赦はしない――」

 

 ギーシュのそばに、新たに六体のゴーレムが現れる。

 

「僕も、全力で君を叩き潰そう」

「そうだな」

 

 ルイズが走ってくるのが見える。巧は剣を引き抜いた。

 

「ほう。なかなかの気概だ」

「あぁ。戦いはまだ終わっちゃいない」

 

 そのまま、ギーシュのほうに放り投げた。ギーシュが怪訝な表情で、巧を見る。

 

「タクミ!」

 

 ルイズが、手にした銀色の機構を投げた。ゆっくりと回転しながら、銀色の環は『主人』の手へ戻ってくる。ファイズギア。

 

「でも――俺の武器は剣じゃない」

 

 巧は銀色のベルトを装着した。ポケットから携帯電話を取り出し、コードを打ち込む。

555。巧は電話を高く掲げた。

 

「変身!」

 

【COMPLETE】

 

 ビープ音が鳴り、赤い光が巧を包んだ。巧が変わる。光が和らぐと、そこには銀に包まれた戦士が立っていた。

 

「錬金……!?」

 

 ギーシュは驚愕を抑えきれないまま、七体のワルキューレを散開、殺到させた。だが、巧を止めるには遅すぎた。すでに彼は、最初の攻撃に移っている。

 ワルキューレを紙一重でかわし、その背中に蹴りを入れる。一体、二体、三体……。ほとんどだるそうに、しかし機敏に銀色の戦士は立ち回る。

 拳と足を器用に使いこなし、戦士はワルキューレのラッシュをしのぎきった。

 

 一連の回避と軽い攻撃の間に、ワルキューレが一列に並ぶよう調整されてしまったことにギーシュは気づかなかった。ワルキューレよりもはるかにすばやく接近する戦士に、圧倒されていたのだ。

 

【READY】

 

 いつの間にか、戦士の手には銀色の円筒が握られている。円筒をくるぶしに設置し、戦士は一瞬、ギーシュを見た。

 

「ヒッ!」

 

 戦士はベルトを操作した。心底だるそうに、腰を落とす。

 

【EXCEED CHARGE】

 

 戦士は背後のワルキューレに向き直り、手首をスナップさせると――猛然と駆け出した。見事な踏み切りで中に舞い上がり、ゆっくりと足を突き出す。

 紅蓮の槍がワルキューレたちに向けられた。

 

 ワルキューレの散開は間に合わない。ギーシュは知る由もないことだったが、すでに彼らはロックされている。

 戦士が、空から戻ってきた。クリムゾンスマッシュ。

 

 一列に並んだ青銅の女神を貫いて、戦士は芝生に着地した。その背後で爆発が起こり、ワルキューレたちは砂と崩れる。

 

「あ、ああ……」

 

 戦士はベルトを操作して、変身を解いた。巧がギーシュに歩み寄るのを、野次馬たちは固唾を呑んで見つめている。

 

「参った。参った!」

「わかったら、もうつまらない真似すんな」

 

 巧はギーシュを見下ろしてそう言うと、ポツンと立っているルイズに向かって、口を開いた。

 

「終わったぜ。ほら、行くぞ」

 

 ルイズはポカンと口を開けている。

 

「あ、あんた――あんな力があるなら、どうして言わなかったのよ!」

「疲れんだよ、ファイズになんの。かったりぃんだ」

「バ――」

「?」

「バカ! バカバカバカ! どんだけ心配したと思ってるのよ! このバカ!」

「勝ったんだからいいだろうが! バカ! ブス!」

「誰がブスよ! このバカ! バカバカバカバカバカ!」

「バカバカバカバカバカ!」

 

 ルイズが巧の足に蹴りを入れた。

 

「あんたが勝手なことしたから怒ってるんでしょ! ちょっとは反省しなさいよ!」 

「だから勝ったんだからいいだろ!」

「何言ってんの! 忘れんじゃないわよ、あんたは私の使い魔なの! 勝手に怪我なんかしたら!」

「したら、どうなんだよ」

 

 ルイズはそっぽを向いた。

 

「絶対、ぜーったいに、許さないんだからね!」



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一匹狼/すれ違いハルケギニア

「ご覧になりましたか」

「うむ。見た」

 

 禿げた中年と、白髪の老人……教師のコルベールと、校長のオスマンである。二人の除きこむ“遠見の鏡”には、ワルキューレを圧倒した青年と、彼を召喚した桃色の髪の少女が言い争っている姿が、まだ映っている。

 

「ただの平民が、メイジを圧倒しましたよ! あんな動き、メイジでも出来はしない! やはり彼に刻まれたのはガンダールヴなのでは!?」

「ううーむ。かも知れん」

「オールド・オスマン。すぐに王室に報告して、指示を仰がなくては……」

「いや、それには及ばん」

 

 オスマンはコルベールを手で制した。

 

「ガンダールヴのルーンは戦闘時に強く輝いたと聞く。君は、彼のルーンが輝いたところを目にしたかね?」

「いや、それは。何しろ、隠れていましたし」

「つまり、彼がガンダールヴだという確信は得られておらん」

「ですが!」

「……王宮にあんなオモチャを渡せば、どう使われるかわからんじゃろ。これでよいんじゃ」

 

 オスマンはパイプに口をつけると、プハッと煙を吐いた。

 

 

 

「あーあ。やめだやめ!」

 

 巧ははたきを放り出して、ベッドにひっくり返った。ルイズに命じられた部屋の掃除は、半分も終わっていない。

 彼がこの世界に来てから、一週間が経った。その間巧がやったのは、掃除、洗濯、その他家事。ギーシュと戦ったのを除けば、ほとんど家政夫さながらだった。

 

「やってられっか、こんなの」

 

 開いた窓から吹き込んだ風が頬をなでる。巧がまぶたを閉じかけた時、体に鋭い痛みが跳ねた。

 

「痛ってえ!」

 

 ベッドから転がり落ちるようにして立ち上がると、憤怒の形相の“主人”が目に入る。その手の中で、乗馬用の鞭が剣呑に揺れた。

 

「私、午前中のうちに、掃除を済ませるように言ったわよね。今、何してたのかしら?」

「寝てたんだよ、文句あっか」

「大有りよ! 掃除をサボった! ご主人様のベッドで寝てた! しかも靴を履いてた! それに、私はもう一つ言っておいたわよ!」

「何をだよ」

 

 ルイズはこめかみに青筋を浮かべて、乗馬用の鞭をいじった。

 

「午後の授業には顔を出すよう言ったでしょ! この前はあんたが来なかったせいで、大恥かいたんだからね!」

 

 この前、というのはシエスタと聞いた爆発の時のことだろう。巧は顔をしかめた。“ゼロのルイズ”のうわさは、この一週間で十分耳にしたところである。

 

「魔法が失敗したのを俺のせいにするんじゃねえ! 俺は行かないからな。爆発に巻き込まれるのはごめんだ」

「な、な……」

 

 ルイズが震える。彼女は顔を真っ赤にして巧の耳をつかむと、文字通りに吼えた。

 

「ご主人様に向かってなんって口の利き方! これは調教が必要なようね!」

「いででででで! 離せよ! 離せったら!」

「きゃ!」

 

 思わず振り解いていた。いつの間にかルイズがしりもちをついて、巧はそれを見下ろしている。

 気まずい空気を味わいながら、巧は身に着けていた三角巾と、エプロンを外して捨てた。

 

「とにかく、俺は行かない。使い魔ごっこも、もうやめだ。やってられるか、こんなもん」

 

 巧は部屋を出た。いつになく苛立っていた。彼はふて腐れた顔のまま校舎を抜けて、メイジ達が“アウストリの広場”と呼ぶ芝生の広場に出た。

 

 少し、やりすぎたかも知れない。鈍い後悔が胸の中に広がっていく。しかし、自分から謝る気にはなれなかった。

ここ一週間、さんざんこき使ってくれたのは、他ならぬルイズだった。いけすかないメイジ達からいけすかない視線を向けられ、“使い魔の平民”扱いされるのは、思った以上に堪えた。

 

「くそ」

 

 もともと、他人と仲良くするのは得意ではない。巧にとっては真理や啓太郎が特別だったのだ。

 

「くそったれ」

 

 寝転んだのに、もう昼寝する気にもなれない。巧は立ち木に寄りかかって、目を開いた。

 

「あら?」

 

 知らない女と、目が合う。当然メイジだ。学生というには、とうが立っていて……そういえば、校長と思しき老人と一緒に歩いているのを見たことがある。

 

「あなた、ミス・ヴァリエールの使い魔さんよね? イヌイくん……だったかしら」

「そういうあんたは誰なんだ」

「あら、これは失礼。私はロングビル。オールド・オスマンの秘書よ。あなたはこんなところで、どうしたのかしら?」

 

 巧は目を伏せた。

 

「……別に、どうってことない。ただのサボりだ」

「そうなの」

 

 ロングビルはそこらのメイジと違って、平民がうろついていることをなんとも思わないらしい。彼女は巧を遠慮なく観察すると、口を開いた。

 

「暇なら、少し手伝ってくれない? 宝物庫の目録を作るのに、人手が欲しいのだけれど」

 

 いつもなら、「他を当たれ」と言う所だったが……今の巧は、何かやることが欲しかった。体の良い現実逃避である。

 うなずいた彼を見て、ロングビルはにっこり微笑んだ。

 

「じゃあ、ついてきて。あなたに見せたいものもあるのよ」

 

 

 

 なるほど宝物庫というだけあって、頑丈な塔の中には所狭しと用途不明の品々が置かれている。一つ一つ目録に記していくのは、確かに手間だろうと思われた。

 

「で、俺は何をすればいいんだ」

「いいから、こっちに来て。この棚を見て欲しいの」

 

 巧に見せたいもの、というやつらしい。暗い宝物庫の中、巧は一番厳重に封のされた棚に近寄った。

 

「こいつは――」

 

 光の届かない棚の中に、見覚えのあるシルエットが浮かんでいる。黒地に白のライン。銀色の金属は、ファイズのベルトと同じものだ。

 

「あなたが生徒を倒したときに使ったベルトに、そっくりでしょう」

「ああ」

「これが何か、知ってるかしら? オールド・オスマンも良く知らないのよ。黒のベルト、なんて呼ばれてるけど……センスを疑っちゃうわよね」

 

 ロングビルは少し笑った。巧はしばらく、黒のベルトを眺めていたが、やがて視線をロングビルに向けた。

 

「こいつは、デルタのベルトだ」

「デルタ。本当はそういうのね。使い方も、あなたのベルトと同じなのかしら?」

「大体な。……こいつの出自は、わからないのか」

「ええ。オールド・オスマンに聞いてみれば、少しは分かるかも知れないけれど」

「そうか」

 

 巧は短く言った。すでに自分が生きることを見限った世界の話なのに、妙にデルタのベルトが懐かしく見えた。

 しかし、これがここにあるということは、三原もこの世界に来ているということなのだろうか。奴はこれからも光の中を歩いていける“人間”だ。もしそうなら――。

 

「どうかしました?」

 

 ロングビルが覗き込むようにして、巧を見ていた。

 

「いや、なんでもない。でも、使い方を知ったところで意味ないぜ。こいつは、普通の人間には使えない」

「……そうなのね。でも、使い方を記しておくことに、意味があるものなのよ」

 

 

 その日の夜、巧は部屋の外で横になっていた。

 寝床代わりに使っているわら束の上で、巧は天井を見上げる。まだ、ルイズとは、一言も口をきいていない。

 巧はクシャミを一つして、毛布に包まった。旅をしていた時に使っていた、寝袋が欲しいと思った。石造りの寮は、夜になるとひどく冷える。

 

 と。隣の部屋の扉が、音を立てて開いた。中から出てきたのは、真っ赤な火トカゲである。尻尾で燃える炎が熱い。

 

「な、なんだよお前。こっち来んな!」

 

 炎は天敵である。火トカゲは巧の制止も聞かず、近寄ってくると上着のすそを咥えて引いた。

 

「おい、やめろ! 服が燃えちまう」

 

 隣の部屋のドアは開け放たれている。巧は火トカゲの口から上着を引っこ抜いた。

 隣に住んでいるのは誰だったか、ルイズとしょっちゅう喧嘩している少女だ。それがどういうつもりで部屋に引っ張りこむつもりだろう。

 火トカゲの炎に追い立てられるようにして、巧は部屋の中に足を踏み入れた。

 

 扉が閉まると、部屋は真っ暗になる。ややあって、指を鳴らす音。同時に部屋中のろうそくが次々に点る。

 ろうそくの照らす部屋のベッドに、女が一人座っていた。

 

「なんの用だ」

「あら、剣呑ね。こちらにいらして、座ったら?」

 

 巧は近寄ったが、座らなかった。話が見えない。

 

「あら、つれないのね。でも、そんな所も素敵よ」

 

 女は巧に合わせて立ち上がった。

 

「あたしはキュルケ。“微熱”のキュルケよ。び・ね・つ」

「……」

「あなたがギーシュを倒したときの姿……イーヴァルディの勇者もかくやという姿だったわ。あたし、痺れちゃったわ。その日から、あたしってば、あなたにお熱なの」

 

 巧は後ずさった。

 

「分かる? 風邪を引いたわけじゃないわよ。“微熱”のキュルケは、情熱的なのよ」

「……他を当たってくれ」

「あたしに恥をかかせるつもり?」

「悪いけどな。熱いのは嫌いなんだ。それに――」

 

 巧はあごをしゃくった。キュルケは首をめぐらせて、窓の外を見る。ガラス張りの窓には、男が五人、食い入るようにして部屋の中を見つめている。

 

「ペリッソンにスティックス! マニカンとエイジャックスとギムリまで!」

 

 惚れっぽい割に、きちんと名前を覚えているらしい。巧はひそかに感心して、キュルケに背を向けた。

 その背後で、真っ赤な炎が爆発する。キュルケが窓に向かって魔法を打ち放ったらしい。ガラスの窓が溶けていた。

 

「誰かしらね! 今のは! ぜんぜん知り合いでもなんでもなかったわ! とにかく! 愛してる!」

「や、やめろ!」

 

 あわや巧の唇が奪われようとしたその時、音を立てて部屋の扉が開いた。逆光に影だけ見るのは、ルイズである。

 

「ツェルプストー!」

「ヴァリエール。取り込み中よ」

「人の使い魔に、なにしてくれてるのよ!」

「恋と炎はフォン・ツェルプストーの宿命よ。あなたの家系が一番ご存知でしょう?」

 

 キュルケは顎を突き出した。

 

「それに、あたしが彼をどうしようと、あなたはどうでもいいのではなくて? 随分ぞんざいに扱っていたようだけれど。普通なら、この寒いのに使い魔を外で寝かせたりしないわよ。私のフレイムくらいになると、気温なんか関係ないけど」

「私の勝手でしょ! それに、こいつが自分で外に出たのよ!」

「そこまで許しておいたなら、彼があたしの部屋にいてもいなくても同じでないかしら? ヴァリエール家は人を使うのも下手糞ね」

 

 この台詞が相当カンに触ったらしく、ルイズは顔を真っ赤にして歯をかみ締めた。爆発しそうになるのを抑えて、彼女は巧にこう言い放った。

 

「……タクミ! 行くわよ!」

 

 巧もこれには異存なかった。このままキュルケの部屋にいたら、何をされるか分からなかったからだ。

 

「あら。行ってしまわれるの?」

「ああ。じゃあな」

 

 巧はルイズの後に続いて、廊下に出た。

 

「あんたも中で寝なさい」

「……」

「ほら、わら束持って」

「怒ってないのかよ」

 

 ルイズはここで初めて、巧を一瞥した。

 

「外に置いといたら、キュルケに何されるか分からないでしょ。明日は街に行くから、早く寝なさい」

 

 それだけ言うと、ルイズはきびすを返して、自分のベッドに戻っていった。点されていたろうそくが消えて、部屋が暗くなると、巧も程なくして眠りに落ちた。

 



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馬と親しむ/ご主人様の矜持

 馬。

 馬といえば、木場のことを思い出す。ホースオルフェノクの男。一度は袂を分かち……最後には、再び肩を並べて戦うことのできた仲間。

 だが、乗り物としての馬と巧とは、相性が良くないらしかった。

 

「腰が痛え」

「情けないわね。馬にも乗ったことないなんて……これだから平民は」

 

 ルイズは周囲の目を睨み返しながらぼやいた。

 

「帰りは、馬を借りて乗って行ってよね。平民の男と二人乗りなんて、おかしいったらないもの」

「仕方ないだろ。俺だって、あそこまで馬に拒否られるとは思ってなかったんだ」

 

 そういえば、草加にはじめてあった時に、あいつは馬に乗っていた。巧と馬との相性は、こちらを基準に考えたほうがいいのかも知れなかった。

 

「とにかく、財布はあんたが持ちなさい。落とさないのはもちろん、スリにも気をつけるのよ」

「こんな重いもん、掏られるのかよ」

 

 貨幣の詰まった皮袋を、巧は懐にしまった。

 

「没落メイジの中には、そういうことをする連中もいるわ。ちゃんと用心しときなさい」

「へいへい」

「まずは服。それから布団……は無理ね。かさばりすぎるわ」

「布団ならベッドがあんだろ。換えが要るのかよ」

「何言ってんのよ。服も布団も、あんたのよ」

「何?」

 

 巧は目を丸くしてルイズを見た。

 

「なによ。いいから行くわよ」

 

 ぷいっと顔をそらしてルイズはどんどん歩き出した。一体どういう心変わりがあったのか、ともかく巧はそれに続いた。

 

「平民の服って良く分からないわね。といって私の分かる服じゃ、高すぎるし……」

「いらねーよ。これ、お前がもらった金なんだろう」

「要るわよ! あんたの上着、ギーシュと決闘して以来、ボロボロじゃない!」

「別に平気だろ、このくらい」

「それに、これから暑くなるわよ。一枚くらい、薄いのを持っときなさい。洗濯するにも困るでしょ」

 

 巧は困惑しながら、ルイズの言うままに薄手のズボンを一枚と、シャツを二枚買った。

 

「布団は……そうね、学院のを借りましょう。あとは――」

 

 服を押し付けて、ルイズは巧を眺め回した。

 

「あんた、剣を持ちなさい」

「なんだって?」

「キュルケに目をつけられたとなると、命がいくつあっても足りないわよ」

「俺にはファイズのベルトがあるの、見ただろ」

「ファイズ? ああ、錬金するやつね。あれかさばるじゃない。今日も持ってきてないし」

 

 確かに、ファイズギアは持ち歩くには邪魔だ。肩からかけることも出来なければ、背負うことも出来ない。東京にいた頃は、バイクの荷台にくくりつけたり、車の助手席に乗せたりしていたのだが、当然ハルケギニアにはそんなものはない。ルイズの言うことは、もっともといえばもっともである。

 

「馬にも載らねえしなあ」

 

 そんなわけで、二人は武具店にやってきた。裏通りに居を構える、胡乱な店である。

 

「七十五エキュー? そりゃ話になりませんや。どんなに安くたって、剣は二百からが相場で」

 

 五十がらみの主人は顔の前で手を振った。

 

「うそおっしゃい。ここは傭兵連中も来るんでしょ。そんなんじゃ商売上がったりじゃない」

「それがそうでもございませんで。近頃は貴族の方々が下僕に剣を持たせるとかで、随分繁盛しております」

「盗賊?」

「ええ、土くれのフーケとかなんとか言いまして」

「それで、相場が高騰してるのね」

「へえ」

 

 あんたが喋るとややこしいことになる、と言われたので巧は黙っていた。なるほど、ルイズはなかなか隙がない。だが、金もないようだった。

 

「――棒! 相棒!」

 

 ふと、剣の山の中から声がかけられた。

 

「相棒! 相棒じゃねえか、おい!」

 

 聞き間違えではない。ルイズと店主が振り向いた。主人が舌打ちする。

 

「バジ公、黙れ! 今、貴族のお方と商談中なんだ!」

「うるせいやい! 俺は相棒を見つけたんだよ!」

「俺か?」

「ああ、そうだぜ! 相棒よ、この剣の山をどけてくれい!」

 

 ルイズが主人に向き直る。

 

「誰?」

「いや、誰といいますか、その、インテリジェンスウェポンの一種、だとは思うんですが、へい」

 

 二人の会話を尻目に、巧は剣の山をかきわけた。

 

「こいつは――」

 

 見慣れた銀色の輝き。黒い樹脂のハンドル。全体を埋めるようにして周りに積み上げられた剣をどけると、鋭角のシルエットがあらわになる。

 

「へへ、久しぶりだな、相棒!」

 

 確かに相棒だった。巧の相棒と言い切れる相手がいるとしたら、それは“これ”を除いてはありえない。

 

「バジ公……そうか。お前が」

 

 SB-555V。オートバジン。うれしそうに、そのディスプレイが光った。

 

「おい、俺を買えよ」

「ああ、買うぜ。店主! 幾らだ?」

「そいつなら50で結構でさ。大体、持ってこられたはいいが捨てられもしませんで。貴族の方にも溶かせませんでで、邪魔で邪魔で仕方がなかったもんでして、へえ」

 

 巧は財布を取り出した。

 

 

 

「ちょっと! こんなの買っちゃって、どうするのよ!」

「こんなのじゃねえや、小せえ嬢ちゃん! 俺ぁオートバジン! 俺と相棒は一心同体なんでえ! 安心しな、全力で働いてやっからよォ!」

 

 ルイズはオートバジンが騒ぐのを無視して、巧が押す二輪車を指差した。

 

「どう考えても邪魔じゃない! どうやって持って帰るのよ! 馬で三時間かけて来たのよ!」

「馬より早く帰れるぜ!」

「うるさいわ! 今からでも返しに行くわよ」

 

 巧は黙って、燃料タンクに瓶から液体を注いだ。余った金で酒場から買ってきた、一番強い酒だ。

 

「本当に大丈夫なんだろうな」

「おうともよ! 効いてきたぜ。エンジンをかけな、相棒」

 

 イグニッションキーをひねる。銀色のバイクは機嫌よくエンジンを響かせた。荷台には買ったばかりの服をくくりつける。

 

「これ、すごくうるさいわ」

「エンジンだ。こいつに乗って帰る」

 

 ヘルメットは、昔使っていたのと同じものがついていた。いささか傷が目立つが、とりあえず使うのに支障はなさそうだ。

 

「私は?」

「相棒と一緒に乗んな! ばっちり送ってやるからよ!」

「いいの?」

「ああ。でも、馬はどうすんだよ」

「馬舎に置いてけばいいわ。どうせ借り物だし」

「そうか。じゃ、後ろに乗れ」

 

 巧は予備のヘルメットを出した。

 

「しっかり掴まってろよ。危ないからな」

 

 ルイズがうなずくのを見届けて、巧はアクセルをひねった。軽快な音を立てて、オートバジンは走り出した。

 

 

 

 初めて乗るバイクの速さと乗り心地に、ルイズは目を白黒させた。巧が精通しているらしいこの不思議な乗り物は、馬とはまるで違う。耳もとを切る風の鋭さ、冷たさ。幻獣で地を駆けるのとも、竜に乗って空を飛ぶのとも、別物だ。

 

「なあ――」

 

 彼女の前で、巧が何か言ったような気がした。

 

「なに?」

「今日はどうしたんだ」

「なにがよ!」

「俺に服を買ってくれたり、剣を買おうって言い出したり――お前、ちょっとおかしいぜ」

「あんたが言ったんでしょ!」

「なにを!」

「『使い魔ごっこは終わりだ』って!」

「……」

 

 巧は黙った。二人の耳元を、いく陣かの風が吹き去った。

 

「ツェルプストーにも言われたわ! 『私には人を使う才能がない』って! むかついたわ! でもそうよね! あんたはあんなだし、一度も私の言うことを聞いたことがなかったわ。気が向いたことだけやってたのよ!」

「……」

「ギーシュの時だってそう。一度は、私がゼロ呼ばわりされたことに怒ってるのかとも思ったわ。でも違うの。あんたは吹っかけられた喧嘩を買っただけなのね」

 

 巧は言い返しもせず、黙って聞いていた。それから、アクセルを緩めた。このほうが、互いの声がよく聞こえる。

 

 

「洗濯だけはちゃんとしてるわ。でも、それはあんたが洗濯好きってだけのことだったのよ。最初に私についてきたのはどうして? キバって人に似てるから?」

「どこで聞いたんだ、それ?」

「いつも寝言で言ってるわ。キバじゃなければ、クサカかミハラ? ケイタロウ……は違うわね、きっと。なら――」

 

 巧は引き取った。

 

「真理だ。園田、真理。お前は少し、真理に似てる」

 

 街道にはほとんど、オートバジンだけだ。巧は、ちらりとルイズを見た。

 

「でもお前は真理じゃない」

「そうよ。あんたがやってたのは、『マリの使い魔ごっこ』。私がやってたのも、『使い魔のご主人様ごっこ』だったわ」

 

 殊勝な台詞だった。それでいて、辛らつだった。巧はさらにアクセルを緩めて、彼女の声を聞いた。

 

「私もやめるわ。ご主人様ごっこはおしまい。あんたが使い魔ごっこをやめたようにね」

「ああ。いい考えだな」

 

 ルイズは巧の耳に、口を寄せた。ヘルメット越しに、彼の耳は彼女の声を拾った。

 

「私はルイズ! ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ!」

「俺は――」

 

 空を行く大きな影と、小さな銀色の単車がすれ違う。向かい風が吹いて、二人の耳元でひときわ大きく、風鳴を響かせた。

 でも、ルイズには確かに聞こえた。

 

「乾巧だ。乾が苗字で、巧が名前」

 

 そこまで聞いて、彼女は自分が家名だと思っていた“タクミ”が、彼の名前だと知ったのだった。ルイズは少し笑った。

 

「何も知らなかったのね、私」

 

 それが聞こえていたのかいなかったのか、最後にもう一度、巧が口を開いた。

 

「悪かった。あの時、突き飛ばしたりして」

「――いいのよ。気にしてないから」

 

 怪我もしてないしね、と言ったのは口の中だった。遠くに、魔法学院の姿が見え始めていた。

 



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灰色の眠り/功名が辻

「それじゃ、古着と喋る馬だけ買って、帰ってきたの?」

「喋るだけじゃないわ。めちゃくちゃ速いのよ」

 

 ルイズは得意げに言った。街から帰ってきた夜、キュルケは自分も紙袋を手にルイズの部屋に押しかけてきたのだ。

 

「ふーん。まあいいわ! ダーリン、あたしも服を買ってきたの! ボロボロになったのと、そっくりな上着よ。一から仕立ててもらったんだから!」

「いらないわ。間に合ってるもの」

 

 巧が口を開く前に、ルイズが言った。

 

「なーんであんたが答えるのよ!」

「今日! 私はタクミの服を新調したの。それにこれから来るのは夏! そんな厚手の上着着てたら、暑いだけでしょ」

「あーら、夏が過ぎたら来るのは冬よ。今そろえておいてなにが悪いの?」

 

 二人はにらみ合った。同時に杖を抜きかけたその時、大地が振動する。

 

「地震か?」

 

 巧が色めきたった。地震だとすれば、かなり大きい。

 しかし、キュルケの伴ってやってきたもう一人の少女が、首を振った。

 

「違う」

 

 少女は小柄な背丈よりも大きな杖で、窓の外を指した。

 

「ゴーレム」

 

 なるほど、外には巨大な土人形が歩いている。その肩に、黒いローブの影。

 土人形は、拳を振りかぶった。あれは、見覚えがある。石造りの建物は、確か――。

 

「宝物庫が!」

 

 ドォン!

 宝物庫が殴りつけられ、その壁が粉々に砕け散る。

 

「あんな巨大なゴーレムを操れるなんて……トライアングルクラス以上のメイジじゃなきゃありえないわ」

「トライアングル……?」

「すごく強いメイジよ! 急がなくちゃ!」

 

 飛び出しかけたルイズの肩を、巧は捕まえた。

 

「どこに急ぐってんだよ!」

「ゴーレムを止めるのよ!」

「無茶言うな! つぶされちまうぞ!」

「だってこのままじゃ、宝物庫が荒らされちゃうわ!」

 

 ルイズの言葉に、キュルケが首を振った。

 

「もう遅いわ」

 

 巨大な土人形は、任務を終えて、ゆっくりと宝物庫を離れていくところだった。どこまでも歩いていきそうなその姿は、しかし、何歩目かでふっと崩れて、消えた。

 

 『黒のベルト、確かに領収いたしました。土くれのフーケ』の犯行声明が発見されたのは、翌朝のことだった。

 

 

「ミセス・シュヴルーズ! 当直はあなただったのでしょう! これは職務怠慢というものではありませんか!」

 

 宝物庫に集まった魔法学校の教師たちは、“責任の所在を明確にするため”、学級会を始めつつあった。巧がいつもいじめられてきた、あれだ。こういうのは、どこの世界でも同じらしい。

 ルイズとキュルケ、タバサ(後からキュルケに紹介を受けた)に巧は、第一発見者として朝から宝物庫に集まっている。

 

(当直って、そんなに大事なのか?)

 

 隣のルイズに小声で尋ねる。ルイズも小声で答えた。

 

(形骸化した職務よ。まじめにやってる教諭なんて、ほとんどいないわ)

 

 ルイズの言う通りらしい。遅れてやってきたオールド・オスマンがそこを突くと、教師たちは静まり返ってしまった。

 

「で、犯行の現場を見ていたのは、誰かね?」

 

 はげ頭の教師が、ルイズ達を示した。確か、コルベールとか言ったか。

 

「この三人です」

 

 巧は数に入っていない。使い魔で、平民だからだ。だが、オスマンの瞳は彼を捉えて、油断なく光った。

 

「……それで、後には土しかなかったというわけか。報告の通りじゃな、ミス・ロングビル」

「ええ。街の噂と一致しています」

 

 オスマンの傍らに立ったロングビルがうなずいた。以前、オスマンの秘書だと話したのは、嘘ではないらしい。

 

「私の調査によれば、農村近くの森の廃屋に、黒いローブを着た男の目撃情報がいくつか。ミス・ヴァリエールの証言と合わせて考えると、黒いローブの男がフーケ。廃屋はフーケの隠れ家かと」

「よろしい。この件は我々魔法学院で解決する。貴族たるもの、自らに降りかかる火の粉を自力で払えぬようでは話にならん」

「その通りですわ、オールド・オスマン!」

 

 ミス・ロングビルがそう言ったが、それに追従する教師は一人もいなかった。

 

「では、捜索隊を編成する。我こそはと思う者は、杖を掲げよ」

 

 オスマンがこう言った時も、杖を掲げる者は一人もいなかった。

「はい」

 

 巧の主人を除いては。それに続くようにして、しぶしぶキュルケが杖を掲げる。やや遅れて、タバサが杖を掲げた。

 

「仕方ないわね」

「心配だから」

 

 オスマンはうなずいた。反対の声を手で制し、三人に歩み寄る。

 

「勇敢な生徒たちじゃ。敵の姿をその目で見てなお臆さず、立ち向かう勇気を持っておる。……ミス・ロングビル!」

「はい」

「彼らをサポートしてやってくれんか。勇気にふさわしき働きができるよう」

「もとより、そのつもりですわ」

「それから」

 

 オスマンは巧に向き直った。その目に謎めいた含みがあるのを、巧は感じ取った。

 

「君にも。魔法学院は、諸君らの努力と、貴族としての義務に期待するぞ」

 

 それで、巧以外の四人は直立不動になった。

 

「杖にかけて!」

 

 普段の様子からは考えられないほど、綺麗に声をそろえて唱和する。それから、スカートのすそをつまんで、恭しくお辞儀した。

 巧の苦手な雰囲気だった。

 

 

「ほんとに走るのね、あれ」

 

 馬車のかなり後ろをついてきているオートバジンを見ながら、キュルケが声を漏らした。オートバジンのエンジン音を馬が怖がるので、並走はしていない。

 

「面白い」

 

 呟くようにタバサも言った。

 

「でしょ! 本気を出せば、馬より速いのよ!」

「でも、あんたは馬車に乗るのね」

「まあ? 私がいないと暇だろうと思ってね?」

「呆れた。二人乗りが恥ずかしいのね」

「そんなこと言ってないでしょう!?」

「言ったようなもんよ」

 

 ロングビルが手綱を取る馬車は、森の奥へ進んだ。

 

「ここからは徒歩で行きましょう。使い魔の方にも、そう伝えてください」

 

 ロングビルの一言で、全員が乗り物から降りた。巧もオートバジンを降りて、森の小道へ入る一行に続く。

 

「おい相棒! 俺は置いてけぼりかよお!」

「いいから待ってろ。必要なときは呼ぶ」

 

 やがて、森が開けた。そこそこ広い空間に、炭焼き小屋が一軒、所在無さげに建っている。

 

「どうすんだ?」

「一人、偵察と囮に出る。フーケを確認したら、外へ出す。集中砲火で終わり」

 

 タバサが淡々と説明する。曰く、小屋の中には土がない。戦いになれば、ゴーレムを作り出すために外に出てくるはずである。

 最後に彼女は、巧を指した。

 

「囮」

 

 全員の視線が巧に集中する。彼は小さくため息をついた。

 

「ああ。そうなる気はしてた」

 

 

 

 巧はすばやく小屋に近づいた。中には誰もいない。部屋の隅にチェストがあるが、到底人の隠れられるような大きさではなかった。

 巧は首を振って、皆を呼んだ。

 

「誰もいないぜ」

「……ワナの気配もない」

 

 タバサが扉を開けた。ルイズとロングビルを見張りに残し、彼らは突入する。

小屋の中も、探すところはほとんどない。

 

「何もないな。聞いた話が間違ってたんじゃないか」

「いや、違う」

 

 タバサがそう言った直後、地面が揺れたのとルイズの悲鳴が聞こえたのと、小屋の屋根がゴーレムに吹き飛ばされたのとでは、どれが先に起こったのかよくわからなかった。だが、タバサとキュルケが呪文を唱えたのは、間違いなく同時だった。

 ゴーレムの胸に火球が命中し、竜巻が直撃する。

 

「おい、効いてないぞ」

「無理よ、こんなの!」

「策が必要」

 

 タバサに促され、三人は小屋をまろびでる。

 巧は懐からファイズフォンを引っ張り出した。5846。オートバジンが「俺を呼ぶならこれを使え!」と言ったコードである。

 

【AUTOBAJIN TAKE OFF】

 

「ダーリン、早く!」

 

 オートバジンより、タバサの風竜のほうが早かった。キュルケの伸ばす手を見て、巧は首を振る。

 

「あいつを探さねえと!」

「そんなこと言ってる間に、踏み潰されちゃうわよ!」

「平気だからさっさと行け!」

 

 タバサがうなずいて竜を出した。直後、風竜のいた場所をゴーレムの拳がえぐる。

 

「タクミ!」

 

 いた! ゴーレムの向こうで、杖を振り回している。ゴーレムの背中に、いくつか爆発が起きた。ゼロのルイズお得意の失敗魔法だろう。一度は教室をまるごと吹き飛ばしたらしいのに、今はゴーレムの表面に土ぼこりをあげるばかりだ。

 

「なにやってんだ! 早く逃げろ!」

「私の台詞よ! 使い魔を置いて逃げられるわけないでしょ! それに、敵に背中を見せるなんて貴族のすることじゃないわ!」

 

 巧は舌打ちして、走り出した。右手の甲でルーンがぼんやりと輝きだす。杖を構えるルイズに飛びつくと、地面を転がった。一瞬前までルイズのいた地面が、ゴーレムの足に踏み潰される。

 

「馬鹿野郎! 死んだらおしまいだろうが!」

「だって、悔しいもの! あんたも私も、クラスじゃゼロのルイズにゼロの使い魔なのよ!」

「んなこと……」

 

 言い返しかけて、巧は思いとどまった。ギーシュをぎゃふんと言わせてから、巧に注がれるようになったじっとりとした視線、視線、視線。キュルケやタバサといると忘れそうになるが、彼女たちは例外なのだ。

 巧は逃げ出した。だが、ルイズは逃げられない。恐らくは、“ルイズ”の下に続いている家名のため、そして、メイジとして生きる自分自身のため。

 巧は歯を食いしばった。

 

「タクミ! 後ろ!」

 

 それが彼を、一手遅らせた。ゴーレムが拳を振り上げる。とっさに彼は、ルイズをかばった。だが――。

 

BRATATATATATATATA!

 

 硬質な推進音とともに、無数の銃弾がゴーレムに爆ぜた。おっとり刀に駆けつけたオートバジンが間に合ったのだ。

 

「相棒、危なかったなあ! それとも余計だったか!?」

「お前、おせーよ! 呼んだらもっと早く来い!」

「おう、その口ぶり! それでこそ相棒だぜ。ほら、ベルトだ。使え!」

 

 オートバジンの突き出すアタッシュケースを受け取る。タバサの風竜がルイズをピックアップした。青い瞳と、目が合う。

 

「あなたは」

「俺はあいつをやる。ルイズ、ゴーレムをなんとかしないとなんだろ」

「そうよ、でも――」

「いいから、空で見てろ。お前の命と、ついでに名誉くらいなら――俺が守ってやる」

 

 言いながら、巧は変身コードを入力する。555。

 

【STANDING BY】

 

「変身!」

 

【COMPLETE】

 

 ビープ音とともに、巧はファイズに変わった。オートバジンのハンドルを引き抜く。真っ赤に輝く光の剣が現れた。ファイズエッジ。

 

「相棒、行くんだな?」

「ああ。また付き合ってもらうぜ」

 

 ファイズエッジを手首でまわし、巧は身構えた。

 

「“ゼロの使い魔”の力、見せてやる」

 

 

 

「ミス・ロングビルは!?」

 

 風竜の上で、キュルケが叫んだ。ルイズも叫び返す。

 

「知らない! 森の中の偵察に行って、それきりよ!」

「なら、とりあえず命の危険はないわね。まともな判断力があれば!」

 

 風竜は大きな弧を描いて旋回した。上空から見るファイズは、ゴーレムに対してひどく小さく見える。何度も切りつける光の刃は、ほとんどゴーレムに有効打を与えていないようだ。

 それどころか、拳を受けて吹き飛ぶ。立ち木に背中からぶつかったファイズを見て、ルイズは思わず声を上げた。

 

「タクミ!」

 

 

 

「相棒!」

 

 吹き飛ばされた衝撃で、巧の手からファイズエッジが零れた。ゴーレムは追撃のため再び拳を振りかぶりつつある。

 

「うるせえな」

 

 巧は心底だるい、といった様子で呟いた。名誉なんてもののために戦うのは初めてだ。少しばかり、力みすぎたかもしれない。

 戦場のテンポとしては緩慢すぎる動きで、巧はミッションメモリを抜いた。ベルトのホルスターから、デジカメ型のユニットを引き抜く。

 

【READY】

 

 取っ手がぱたりと落ちた。拳にユニットを嵌めると、ファイズフォンのエンターキーを押す。

 

【EXCEED CHARGE】

 

 巧は猛烈な勢いで迫るゴーレムの拳に合わせ、ほとんど無造作に拳を突き出す。

 グランインパクト。

 ゴーレムの腕が粉砕し、その動きが明らかに乱れた。巧はその隙を見逃したりはしない。おかわりとばかりに今度はファイズポインタを取り出した。

 

【READY】……【EXCEED CHARGE】

 

 エンターキーを押し、腰を落とす。手首を軽く振ると、巧は駆け出した。

 

「やあああーーーッ!」

 

 繰り出した蹴りの先に、赤い光の槍が現れる。巧は光の槍ごと、ゴーレムを貫いた。巧が着地するのと同時に、土人形は大爆発を起こした。胸に巨大な穴をあけ、貫かれた瞬間のまま、固まっている。だがそれもつかの間のこと、ゴーレムは元の砂に形を変え、ぐしゃりと崩れ落ちた。

 

「ハァー……」

 

 巧は一つ息をついて、変身を解いた。着地した風竜から、ルイズたちが走ってくるのが見えた。

 

 

 

「すごいわ! ほんとにあのゴーレムを倒しちゃうなんて! やっぱりダーリンね!」

「誰がダーリンだ。それより、フーケはどこだよ。ロングビルもいねえし」

「空からも見つからなかったわ。隠れてたんじゃないの?」

 

「そうよ」

 

 噂をすれば、ロングビルが茂みの中から現れた。

 

「ミス・ロングビル! フーケはどこからゴーレムを操っていたんですか?」

 

 ルイズの質問に、ロングビルは首を振る。

 

「流石ね。私のゴーレムを倒しちゃうなんて」

「ミス・ロングビル?」

 

 ロングビルはローブをどけて、無線機型デバイスを抜いた。

 

「でも、仕方ないわね あのジジイ、あなたが戦ってる時の映像、全然見せてくれないんだもの」

「ミス・ロングビル! どういうことですか?」

「鈍いのね、ミス・ヴァリエールも、ミス・ツェルプストーも。さっきのゴーレムを操ってたのは、私。この“デルタのベルト”の使い方を知りたくて、使い魔くんにゴーレムをけしかけたのよ。話だけじゃ、正直よく分からなかったしね」

 

 ルイズの顔が怒りに歪む。

 

「そんな……タクミが死んでたらどうするつもりだったんですか!?」

「その時はその時で、素直に文献を漁るわよ。手がかりはゼロじゃないもの。でも、手間が省けて良かったわ。こうして使うんだものね」

 

 黒いデバイスを、口元に近づける。

 

「変身」

 

【STANDING BY】

 

 巧は黙ってそれを見ている。

 

「ちょっと、タクミ! なんとかしなさいよ!」

「大丈夫だ」

 

 ロングビルは少し笑った。

 

「じゃあ、死んでもらおうかしら」

 

 正体を現したフーケは、デバイスを腰のホルスターに突き刺した。巧がファイズに変身するときの強い光――ルイズとキュルケは、目を閉じた。タバサでさえ、とっさに目を閉じた。

 巧は、閉じなかった。

 

【ERROR】

 

 淡白な電子音声が鳴っただけだった。フーケはぽかんと口を開け……何か言うより先に、走り寄った巧が、彼女を倒していた。

 巧はフーケの腰からデルタのベルトを外して、ルイズに放った。

 

「ほら。フーケを倒して、デルタのベルトを取り戻したぜ」

「え……え? これで、終わり?」

「ああ。あっけないもんだな」

 

 女子生徒たちはまだ、目を白黒させている。巧は気絶したロングビルを見下ろした。

 

「言ったはずだぜ。普通の人間が使い方を覚えても意味はない、ってな」

 

 

 

「よくぞフーケを捕らえ、ベルトを学院に取り戻してくれた」

 

 オールド・オスマンは重々しくそう言った。

 

「フーケは城の衛士に、ベルトは宝物庫に。あるべき物があるべきところに収まった。早速、君達の“シュヴァリエ”の爵位申請を宮廷に出しておこう。追って沙汰があるはずじゃ。ミス・タバサはすでにシュヴァリエじゃから、勲章の申請に留めたが……見事な成果じゃ」

 

 オスマンは三人の頭を順に撫で、最後に巧を見た。それから、手を打って、三人娘を送り出した。

 

「フリッグの舞踏会は、予定通り執り行う。これも君達のお陰じゃ。舞踏会の主役として、着飾るのじゃぞ」

 

 ルイズが、巧を促した。それを見て、オスマンが口を開く。

 

「すまんが、君は残ってくれんか。話があるでな。ミスタ・コルベール、君も、席を外してくれ」

 

 巧は、三人娘に続いて、コルベールがしぶしぶ部屋を出て行くのを見送った。

 

「なんすか」

「まずは、謝罪せねば。君に爵位を授けられんのを残念に思う。その代わりと言ってはなんじゃが、望みがあれば言ってよい。出来る範囲で、叶えよう」

 

 巧は、少し考えてから、口を開いた。

 

「じゃあ、教えてくれ。あのベルトは、どこから手に入れたんだ? あれは、俺たちの世界の武器だ」

「世界とな」

「俺は、こっちの世界の人間じゃない。ルイズの召喚で、呼び出されたんだ」

「ほう、ほう」

 

 オスマンは目を閉じた。次に目を開いたとき、そこには先ほども見せた、超然とした光が宿っていた。

 

「あれは、私の命の恩人の遺品じゃ。三十年前、ワイバーンに襲われた私を助けてくれた……そう、君のような顔立ちの……私と出会った時点で、ひどく衰弱しておった。私も手を尽くしたのじゃが……」

「死んだのか」

「そうじゃ。私は彼の持っていた青い薔薇を彼の墓に供え、彼のベルトを“黒のベルト”として保管した。確かに、彼は『元の世界に帰りたい』としきりに漏らしておったよ。きっと、君と同じ世界から来たんじゃろうな」

 

 巧は眉を寄せた。この話では、オスマンの命の恩人とやらが三原なのかそうでないのか、よく分からなかった。

 オスマンは悲しげに首を振ると、巧の手をとった。

 

「力になれずすまんの。じゃが、このルーンについても話しておかねば」

 

 ルーンは薄ぼんやりと発光を続けている。

 

「いつも、このように光っておるのか?」

「大体は。あんまり気にしてないけど」

「左様か。良いか、この印はガンダールヴというてな、伝説の使い魔の証じゃ。このルーンの持ち主は、ありとあらゆる武器を使いこなすという」

 

 この世界で巧の使った武器は、すでに操作に習熟しているファイズギアだけだ。なんら、実感はなかった。

 

「伝説……」

「君は、ひょっとするととても危険な力を秘めておるのかも知れん。君の使うベルトのことではなく、君自身の持つ力じゃ。ゆめゆめ、用心するのじゃぞ」

「……ああ」

「恩人の遺品を取り戻してくれたこと、重ねて礼を言う。私はおぬしの味方のつもりじゃ、なんぞ困ったことがあれば、いつでも訪ねて来い。現代に現れたガンダールヴよ」

 

 

 

 アルヴィーズの食堂から、椅子と机がなくなると、大きなホールが現れる。舞踏会の会場にうってつけのホールだ。

 巧はバルコニーの柵にもたれて、華やかなパーティー会場を眺めた。なんだか、場違いな感じがした。いや、本当にそうなのだ。彼はこの世界には本来存在しない。後から書き足された異物のようなものなのだから。

 

「相棒は踊らねえのかい」

 

 バルコニーの柵の向こうで、オートバジンがそう言った。巧はワインを煽って、答えた。ハルケギニアでは、水の変わりに酒を常飲する。それでも、ここまで酒を飲んだのは初めてのことだった。

 

「相手がいないからな」

 

 さっきまではキュルケが傍にいて、あれこれ話していたが、パーティーが始まってからはそっちに夢中だ。移り気な少女である。

 

「ヴァリエール公爵が息女――」

 

 ルイズの名が大声で呼ばれる。こうして聞いてみると、彼女がプライドの拠り所にし、時には押し潰されそうになっている家名は、かなり高級な部類のようだった。

 主役がそろって、ダンスが始まる。貴族の男たちが、ルイズに群がっているのが見える。“ゼロのルイズ”が実はそれほど蔑称ではないのか、功績を挙げた少女につばをつけておこうと言うのか。

 

「どうだかな。相棒だって、その気になりゃ相手の一人や二人、じゃねえの」

「かもな」

「……今日は気持ち、余裕だね相棒」

「かもな。――おいバジン!」

「なんでえ」

 

 巧は、少し息を吸った。

 

「お前も、一度ぶっ壊れたのか?」

「ああ、まあな。毒針まみれになって、墜落しちまった。情けねえことにな」

「そうか」

 

 ルイズが誘いを断っているのが見えた。オートバジンが、ライトをピカピカ光らせた。

 

「だから、どうしたってんだ? 俺も相棒も、今生きてる。それでいいじゃねえか」

「ああ、そうだな」

 

 巧は、ルイズが彼を見つけたのを見て、少し手を振った。そして、オートバジンの言葉に、素直にうなずいた。それは飲みなれない酒のせいだったかも知れない。あるいは。

 

「生きてるってのは、いい」

 

 手のひらから灰が零れ落ちたような気がした。でも、それはやっぱり気のせいで、巧の手は綺麗なままだった。

 

 

 

 少しして、彼はルイズの手をとった。楽師たちが、一曲めを演奏し始めた。

 




ここまででいったん一区切り。サクサク展開を心がけてきましたが、これがなかなか難しい。

ルイズはともかく、たっくんは自分からガンガン動くタイプの主人公じゃないので、動かすのが大変です。

今更ですが、たっくんの設定はテレビ版と矛盾しない程度に小説版の設定を取り入れています。彼は本当に自分のことを語らないので、仕方ないですね。

二巻分以降は早晩上げる予定ですので、気長にお待ちください。


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風のアルビオン編
アルビオンからの呼び声/王女の憂鬱


 居並ぶ生徒たちから歓声が上がる。白い馬車の中から、白いドレスに身を包んだ少女が、赤いじゅうたんの上に降り立った。にっこり微笑むと、優雅に手を振って見せる。トリステインの王女、アンリエッタだった。

 

「あれがトリステインの王女? ふん、あたしのほうが美人じゃないの」

 

 多くの生徒が整列して王女を迎える中で、それを遠巻きに見ている者たちがいる。留学生であるキュルケにタバサと、平民でルイズの使い魔の乾巧だ。

 

「ねえ、ダーリンはどっちが綺麗だと思う?」

 

 キュルケに水を向けられた巧は、つまらなそうに答えた。

 

「さあな」

「もーぅ、いけずなんだから!」

 

 巧は、王に良い思い出がない。日本には皇族がいたが、もちろん巧なんかとは縁がなかったし、巧と縁の深い“王”のことを思ってみれば、やっぱり良い思い出はない。

 

「あら」

 

 キュルケが声を上げた。その視線の先には、獅子の体に鷲の頭を持った、奇妙な獣がたたずんでいる。馬ばかりの王女一行の中では、とりわけ目立った。

 

「なんだ、ありゃ」

 

 キュルケは答えない。仕方ないので、巧はタバサに視線を向けた。タバサはそれに気づいて、広げていた本から顔を上げる。そして、短く言った。

 

「グリフォン」

 

 次いで、乗り手を指差す。羽帽子を被ってマントを羽織った、凛々しい男である。

 

「いい男」

 

 巧は小さくため息をついた。奇しくも、それは今日一日の王女が何度も見せた振る舞いと似ていた。

 

 

「どうしたんだ、お前」

 

 夜になった。巧は床に敷いた布団の上に座って、ルイズに尋ねた。昼間、王女の行列を迎えてから、彼女は落ち着きがない。今も、ベッドに立ったり座ったり、教科書を開いてみたり閉じてみたり、どうにも体を持って行きあぐねている様子だった。

 

「なんでもないわ。なんでもないのよ」

「……そうかよ。明日も早いんだから、もう寝たほうがいいぞ」

「そうね。そうなのよ」

 

 ルイズはベッドに腰掛けて、しかしランプは消そうとしない。

 

「……」

 

 本格的におかしい、と巧が感じたとき、部屋の扉が叩かれた。最初に二回、それから三回。それを聞くと、ルイズははじかれたように立ち上がった。ドアを開ける。

 廊下に立っていたのは、黒頭巾を被った人物だ。

 

「……あなたは?」

 

 黒頭巾はさっと部屋に入ると、ドアを閉める。手にした杖を振って、短くルーンを呟く。光の粉が宙を待った。

 何も起こらない。

 

「ごめんなさい。でも、どこに目や耳が光っているか、わかりませんからね」

 

 黒頭巾は頭巾を取った。巧にも見覚えのある顔である。ルイズがさっとひざを突いた。

 

「姫殿下!」

「お久しぶりね、ルイズ・フランソワーズ」

 

 アンリエッタ王女だった。

 

 

 

 それから、巧は二人の少女が思い出話に花を咲かせるのを見ていた。どうやら、ルイズと王女は旧知の仲らしい。

 巧はルイズに目で合図すると、黙って席を外した。

 

「……」

 

 後ろ手に扉を閉めると、見知った顔と目があった。

 

「あっ」

「なにしてんだ、お前」

 

 この世界に来てから二日目、初めてファイズに変身した相手である。金髪をカールさせて、フリルつきのブラウスを着た、鼻持ちならない貴族である。

 

「ギーシュだったか? 立ち聞きかよ」

「ち、ちちち違うよ、きみ! ぼくは女子寮に入る不審な人影を発見してだね、それが姫殿下かな? でも違うかもしれないなー、と思ってね」

「立ち聞きだろうが」

 

 巧は扉に寄りかかって、ギーシュを見た。決闘したときとは、随分雰囲気が違って見える。ゴーレムを巧にけしかけた時よりも、年相応だ。

 

「お前、今のほうがいいぜ」

「それはどういう意味だね、きみ」

「そのまんまだよ。あの後、あの女とは仲直りできたのか?」

 

 ギーシュは答えなかった。どうやら、完全に振られたらしい。巧は黙って、目を閉じた。

 その時、扉が内から開いた。顔を出したのは、ルイズである。

 

「タクミ、ちょっといい? ……ギーシュ、あんたはなんでここにいるのよ」

 

 

 

「ルイズと一緒に土くれのフーケを捕まえたのは、あなただそうですね」

 

 ギーシュごと部屋に招き入れられた巧は、アンリエッタにそう言われて、所在無さげにルイズを見た。

 

「姫殿下は、私たちの力を借りたいそうなの。アルビオンの皇太子様から、手紙を取り戻して欲しい、って」

「手紙?」

「わたくしがウェールズ皇太子に送った手紙です。それがアルビオンの貴族に渡れば、彼らはすぐにもゲルマニアの皇帝に届けるでしょう」

「それの何がいけないんだよ」

 

 ルイズとギーシュが巧をにらんだ。

 

「姫殿下の御前よ!」

「そうだ。言葉を慎みたまえ」

 

 アンリエッタは二人を手で制した。

 

「申し訳ありません。少し急なお話でしたね」

 

 アンリエッタは、手短に国際情勢を話した。

 アルビオン王国の現王権は、貴族の反乱によって危機にさらされている。反乱軍が勝利を収めれば、次はトリステインに侵攻してくるであろう。これに対抗するため、トリステインはゲルマニアと同盟を結ぶことを決め、アンリエッタはゲルマニアに嫁ぐことになった……。

 

「政略結婚ってやつか」

 

 アンリエッタはうなずいた。

 

「分かった? トリステインのためにも、結婚を反故にさせるわけにはいかないの!」

「……なるほどな」

 

 そんな大事を招きかねない手紙の内容を聞かないだけの分別は、巧にもあった。

 

「それで、お前は行くって決めたのか」

「ええ。お国の一大事ですもの。あんたも来るのよ」

「アルビオンは戦争してんだろ。危なくねえのかよ」

 

 アンリエッタの表情がかげる。

 

「そうよね、やっぱり……ルイズ、ごめんなさい。わたくし、どうかしていたわ。友人を戦場に送ろうだなんて……」

「姫さま! いいんです、私だって姫さまの力になりたいのですから! ちょっと、タクミ!」

「それに、姫さまだって――」

「タクミ!」

 

 ルイズが首を振る。

 

「……悪い」

「いいえ、ありがとう。わたくしの周りに、わたくしの気持ちを考えてくださる人は、多くありませんから。お気持ちだけでも嬉しいわ」

 

 やや、気まずい沈黙が流れる。

 

「……姫殿下!」

 

 それまで黙って跪いていたギーシュが声を上げた。

 

「その困難な任務、このギーシュ・ド・グラモンに仰せ付けください」

「あなたは……」

「グラモン元帥の息子にございます」

「まあ、あの……ありがとう。あなたも、あの勇敢なお父様の血を受け継いでいるようね。ではお願いしますわ。この不幸な姫をお助けください、ギーシュさん」

 

 ギーシュの表情がパッと明るくなる。

 

「姫殿下……! このギーシュ、そこな使い魔よりも殿下のお役に立つことを誓いまする」

 

 そうして、ちらりと巧を見た。ルイズも巧を見た。アンリエッタも、巧を見た。

 巧は顔をしかめた。この世界に来てから、こういう“使命感にあふれた”雰囲気に飲まれがちだ。

 

「ああっ、たく、分かったよ! 行けばいいんだろ!」

 

 でも、それも悪くなかった。巧も、アンリエッタの手助けがしたいと思ったのだ。何か大きなもののために自分を犠牲にしなくてはならない彼女が、せめて役割を完遂できるよう、力を尽くしたいと感じたのである。

 

「ありがとう。ギーシュさん、使い魔さん。わたくしの大事なお友達を、これからもよろしくお願いしますね」

 

 ギーシュは感激に顔を輝かせた。この時ばかりは、巧も彼に倣って跪く。

 ルイズは、いつぞやフーケを捕らえに行くことを決めた時と同じ顔で、アンリエッタを見た。

 

「では、明日朝にもアルビオンに出発したいと存じます」

 

 

 朝もやの中、ルイズとギーシュは馬に鞍をつけていた。巧は厨房の裏からオートバジンを引っ張ってきて、イグニッションキーを挿した。アイドリングしておくには、この時間は少し静か過ぎる。

 

「また馬かよ」

「あんた、馬とは相性悪いわよね。馬もそいつとは相性悪いみたいだし……」

「馬は遅すぎんだい! 相棒、嬢ちゃんを後ろに乗せるわけにはいかねえのかよ!」

 

 オートバジンのランプがピカピカ光る。ルイズは首を振った。

 

「どの道、一人は馬に乗らないと。あんた、どう見ても三人以上乗れるようには見えないわよ」

「だってよ」

「馬に合わせて走ると燃費悪ぃんだよなあ!」

「我慢しろ」

 

 巧はオートバジンを黙らせる。鞍をつけ終えたギーシュが、今度は口を開いた。

 

「お願いがあるんだが……ぼくの使い魔を連れて行ってもいいかな?」

「お前、使い魔なんていたのかよ」

「当然さ! 出ておいで、ヴェルダンテ!」

 

 ギーシュはそう言うと、鞍から飛び降りた。地面が盛り上がって、小さな熊ほどもある、巨大なモグラが顔を出す。

 

「あんたの使い魔、ジャイアントモールだったの!?」

「そうだよ! 可愛いだろう、困ってしまうだろう! ヴェルダンテはいつも、貴重な宝石や鉱物を見つけてきてくれるんだ。土系統のぼくにとって、この上もない協力者だよ」

 

 巧はルイズの手に視線をやった。昨晩、アンリエッタが彼女に託した、“水のルビー”が光っている。

 

「おい、その指輪、隠しといたほうがいいんじゃないか?」

「失礼な! ぼくのヴェルダンテは人に襲い掛かったりはしないよ! 何しろぼくに似て、紳士だからね!」

 

 紳士だというモグラはしかし、ルイズの指輪を見るなり飛びかかった。

 

「きゃ!」

「ああっ、駄目だよ、ヴェルダンテ!」

「確かにお前によく似てるな!」

 

 巧はオートバジンを降りると、ルイズに駆け寄って……沸き起こった一陣の風に思わず目を細めた。風は見事にヴェルダンテを吹き上げ、オートバジンの真上で解き放った。

 

「ぐえ!」

「ああ、ヴェルダンテ!」

 

 オートバジンとヴェルダンテはひっくり返って、土にまみれた。後者はともかく、オートバジンは不満の声を上げた。

 

「チクショウ! 相棒、早く引き起こしてくれえ!」

「ヴェルダンテ、大丈夫だったかい! ……誰だ! 人の使い魔を!」

 

 朝もやの中から、長身の男が現れた。また、見覚えがある男だ。確か、王女に同行していた、羽帽子の男……。

 

「すまない。だが、婚約者がモグラに襲われているところを、黙ってみているわけにはいかないからね」

「貴様、ぼくのヴェルダンテに!」

 

 ギーシュが引き抜きかけた薔薇の杖は、一瞬で男の起こした風にさらわれた。

 

「やめろ。僕は敵じゃない。君たちが姫殿下に密命を受けたのと同様に、僕も密命を受けたんだ。君たちに同行するように、とね。学生だけでは、心もとないのだろう」

 

 巧は男を見た。この見下ろされる感じ……巧は草加雅人を思い出す。

 

「誰だ、お前」

「ああ、申し遅れた。女王陛下近衛衛士隊、グリフォン隊隊長の、ワルド子爵だ」

 

 ワルドはにっこりと笑った。気に食わない。

 相手が悪いとみたギーシュが、やや力の抜けた声で尋ねる。

 

「『僕の婚約者』とは?」

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールだよ。……本当に久しぶりだね、ルイズ」

「ワルドさま……」

 

 立ち上がったルイズが震える声で言うと、再びワルドはにっこり笑って、ルイズに駆け寄るなり、抱え上げた。

 

「ああ、ルイズ! 僕のルイズ! 相変わらず軽いな君は! 羽のようだよ!」

「……お恥ずかしいですわ」

「照れ屋なのも変わっていないね。では、彼らを紹介してくれたまえ」

 

 ワルドはルイズを降ろして、言った。ルイズはすっかりペースを乱されて、順にギーシュと、巧を指した。

 

「あ、あの……ギーシュ・ド・グラモンと、使い魔のタクミです」

「君がルイズの使い魔か。まさか人とはね……婚約者がお世話になってるよ」

「ああ。世話してる」

「ちょっと!」

 

 ルイズはとがめたが、ワルドは声を上げて笑った。

 

「あっはっは! こいつはふてぶてしいな。流石はあのフーケを捕まえたというだけのことはある。アルビオンでも頼りにしてるよ」

「そうかよ」

 

 巧はワルドに背を向けて、オートバジンにまたがった。ヘルメットのシールドを下ろして、イグニッションキーをひねる。

 ワルドは気を悪くした風もなく、口笛を吹いてグリフォンを呼び出した。よどみない動きで騎乗すると、ルイズを抱きかかえるようにして乗せる。

 

「では、行こうか。諸君、出撃だ!」

 

 グリフォンが駆け出す。ギーシュは誇りと、それからちょっぴりの劣等感をにじませて馬に鞭を入れた。

 巧の見たところ、ワルドはかなり草加雅人に似ていた。その奥にどんなものを隠しているのか知れないが、何重にも仮面を被っている……。

巧はしばらくその背中を見送ってから、アクセルをふかした。

 朝もやの中にエンジン音を響かせて、オートバジンは街道に消えた。

 

 



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全速力で港町/霧の中の婚約者

「ふーむ」

 

 息せき切って飛び込んできたコルベールの報告を聞いて、オールド・オスマンは髭をいじった。彼はアンリエッタと一緒に、学院長室の窓からルイズ達を見送ったところである。

 

「これはことですよ、オールド・オスマン。フーケが脱獄したとあっては! 魔法衛士隊が出払っている今を狙って、手引きをした者がいるということですぞ。それも城下に!」

「わかったわかった。その件は後で聞こう」

「ですが……」

「ミスタ・コルベール。姫殿下の御前ですぞ」

 

 オスマンは静かにそう言って、コルベールに退出を促した。

 コルベールが不満げに退出したのを見届けると、アンリエッタは机に手をついた。

 

「ああ! 城下に裏切り者が……アルビオン貴族の手の者でしょう。一体、これからどうすれば……」

「まあ、落ち着きなされ。すでに杖は振られたのですぞ。我々には待つことしか出来ますまい」

「それは、そうですが」

「何、一行には彼がいます。お会いになりましたかな、ミス・ヴァリエールの使い魔と」

「あの青年が、何だと言うのです? ただの平民ではありませんか」

 

 オスマンは微笑んだ。

 

「貴族だ、平民だ、と先入観で物事を見てしまうのは、我々メイジの悪い癖ですな。彼はガンダー――いや、おほん。彼は異世界から来たのです」

「異世界、ですか?」

「左様。ハルケギニアではない、どこかの世界。そこからやってきた彼ならば……と、まあこの老いぼれは考えております」

「ここではない、どこか……」

 

 アンリエッタは、巧の消えて行った街道の先を見つめた。彼の乗っていた奇怪な乗り物を思い出す。

 

「では、賭けてみましょう。わたくしの知らない世界の可能性に」

 

 

「ちょっと、ペースが速くない?」

 

 いつの間にか、ルイズは昔の口調でワルドに話しかけるようになっていた。ワルドは背後を一瞥する。すぐ後ろをギーシュがへばって、そのかなり後ろを、銀色の馬に乗った巧がついてきている。

 

「ギーシュも馬も、潰れちゃうわよ」

「急ぐ任務だ。出来れば、ラ・ロシェールの港町まで、休憩なしで行きたいんだが……」

「無理よ! 普通は、早馬でも二日かかる距離なのよ。仲間は置いていけないわ」

「やけに、彼の肩を持つんだな」

 

 ワルドは少し笑う。

 

「もしかして、彼は君の恋人かい?」

「違うわ」

「本当に違うみたいだな……分かった。次の駅で、もう一度馬を変えよう」

「ありがとう」

「婚約者の頼みだからね」

 

 ワルドはまた、笑顔を見せた。魅力的な笑みだ、と思う。しかし――。 

 

「ワルド、あなたもてるでしょう? いつまでも、私みたいな婚約者を相手にしなくても」

「いいや。君は魅力的な女の子だよ。十年前から、ずっとね。僕は、いつか立派な貴族になって、君を迎えに行くと決めていたんだ」

 

 ワルドはルイズを覗き込んだ。

 

「心配しなくてもいい。この旅で、きっと僕らの距離も縮められるよ」

 

 駅が近づいてきた。ワルドは手綱を引いて、グリフォンの速度を緩めた。

 

 

 

「どうした?」

 

 馬とグリフォンに気を使って距離を開けていた巧が、あっという間に追いついてきた。巧はぎしり、と銀の馬を停めると、“ヘルメット”のフタを開ける。

 

「今日はこのまま、走りっぱなしじゃなかったのかよ」

「もう一度、馬を変えるのよ。このままじゃもたないわ」

 

 巧は、ギーシュがワルドと窓口で手続きしているのを一瞥した。魔法衛士隊の証明があれば、優先して馬を借りられる。

 

「何度変えても同じじゃないのか。俺の後ろにあいつを乗せたほうがマシだ」

「ギーシュがうんと言わないわよ」

「あいつもプライド高いかんな。そっちに乗せるのはどうだ」

「グリフォンには、まだ余裕があるけど……」

 

 ルイズは言い淀んだ。その表情を読んだらしい、巧は窓口に向かって声を上げた。

 

「おいギーシュ! 馬はやめだ。お前、俺の後ろに乗れ」

「あ、え?」

 

 巧は予備のヘルメットを投げた。ルイズが言って、明るい水色に白のラインが通るよう塗り替えさせた、半ヘルである。

 

「被れ」

「き、きみね。ぼくはこれでも貴族なんだ。平民の操る馬の後ろになんか、乗れるものかね」

「へろへろで言っても、説得力ねえよ。いいから甘えとけ」

「しかし……」

 

 はああ、とルイズはため息をついた。

 

「もういいわよ。私がそっちに乗るわ。ワルド、ギーシュを乗せてあげて」

「何?」

「今のギーシュじゃ、巧の後ろに乗っても転がり落ちちゃいそうだもの。あなたが見ててくれれば、安心できるわ」

「それは……」

「駄目?」

 

 今度はワルドがため息をついた。

 

「本当なら、脱落者は置いていくところなんだが……君の頼みなら仕方がない。ギーシュくん、乗りたまえ」

「は、はひっ!」

 

 ルイズはヘルメットを被ると、慣れた様子でオートバジンにまたがった。

 

「じゃあ、お願いね」

「お前なあ……」

「何よ。いいから出しなさいよ、置いてかれちゃうわよ!」

「分かった、分かったよ。しっかり掴まってろ」

 

 ルイズは巧の背中に手を回した。今度は巧がため息をついた。オートバジンは愉快そうにランプを明滅させると、轟音を立てて走り出した。

 むき出しになった耳の横を、風が吹き去っていく。

 

「ねえ!」

 

 ルイズは声を張った。グリフォンのペースについていくオートバジンのスピードは、かなり緩やかだ。すぐに、巧が答えた。

 

「なんだ」

「ワルドのこと、どう思う?」

「お前の婚約者だろ」

 

 当たり前の答えが返ってきた。そういうことを聞きたかったわけじゃない、と思っていると、巧はちらりとルイズを見た。

 

「なんかあったのか、お前」

「え?」

「バレバレなんだよ。ワルドと喧嘩でもしたのか?」

「別にそういうわけじゃ、ないんだけど」

 

 ルイズは巧の肩越しに、先を行くワルドを見た。ルイズはすっかり忘れていたけれど、彼は十年間、彼女との婚約を忘れていなかったのだ。

 

「実感がないのよ」

「結婚がか」

「うん。私たち、十年も会ってなかったのよ。急に結婚なんて言われても……」

「そういうのは本人に言ってやれ」

 

 巧はため息をついた。オートバジンの上に、短い沈黙が流れる。

 

「ねえ!」

「今度は何だよ」

「私が結婚したら、あんたはどうするの?」

「さあな」

 

 思ったとおりの答えだった。

 ルイズは、ワルドと結婚した後のことを想像してみた。そこに、巧がいるイメージはわいてこない。

 ややあって、巧が言った。

 

「その時は、また旅にでも出るさ」

 

 そうよね、と呟いたのは、たぶん巧には聞こえていないだろう。ワルドと一緒になった未来には、巧の居場所はない。少なくとも、自分も巧もそう感じている。

 ルイズは、目の前に座った巧の姿を確かめた。ヘルメットを被った巧の顔は、全く見えない。

 でも、巧の背中は広かった。

 

 

 全速力で走ったお陰で、一行はその日のうちにラ・ロシェールに到着した。宿の戸を開いた四人を、ワルド以外の三人が見慣れた顔が迎えた。

 

「あーら、ダーリン! ついでにヴァリエールも。こんなところで、奇遇ね!」

「ツェルプストー!」

 

 キュルケだ。いつも通り、厚物の本を抱えたタバサの姿も見える。声を上げたルイズの方を、ワルドが叩いた。

 

「知り合いかい?」

「クラスメイトよ。あんたたち、こんな所で何してるのよ!」

「タバサがちょっとね。まあ、あたしたちにも色々あるのよ。それより、そちらの殿方を紹介してくれないかしら? あなた、おひげがとっても素敵よ。情熱はご存知?」

 

 言うが早いか、キュルケはしなを作ってワルドににじり寄る。ワルドは表情一つ動かさずに、キュルケを押しやった。

 

「失礼、それ以上近づかないでくれたまえ。婚約者が誤解するといけないのでね」

 

 大っぴらな台詞に、ルイズの頬が染まる。キュルケの目から熱が冷めた。

 

「なあんだ、あんたの婚約者だったの?」

「そうだ。ルイズのご学友だそうだね。これからも仲良くしてあげて欲しい」

 

 キュルケは露骨に顔をしかめた。痺れを切らして、巧は口を挟んだ。へろへろになったギーシュを支え続けているのが、いい加減めんどうになったのである。

 

「挨拶はその辺でいいだろ。早く部屋を取ってくれ」

 

 

 

 翌朝、ほとんど日の出と同時に巧は起きた。いつもなら、ルイズを起こしてあれこれ準備させ始める時間だ。しかし、今彼の隣で眠っているのはギーシュである。

 昨夜、部屋を取ったワルドは、自分はルイズと相部屋をとって、ギーシュと巧をこの部屋に押し込んだ。疲れ果てたギーシュは、ベッドに倒れこむようにして眠りに落ちて、まだ当分、起きる気配がない。

 

 二度寝しようとした巧の意識を、ノックの音が引きとめた。

 

「朝っぱらから、誰だよったく……」

 

 扉を開ける。魔法衛士隊の男と、目が合った。ワルドだ。

 

「おはよう、使い魔くん」

「俺は乾巧だ。出発か?」

「いや。昨晩、言わなかったかな。明日まで、船は出ないんだ」

 

 巧はギーシュのベッドに目をやった。

 

「そんなら、昨日あんなにとばさなくてもよかったんじゃないか?」

「街道で一泊するのは危険が大きい。何、婚約者に無用の危険を冒させたくなくてね」

「そうかよ。で、なんの用だ」

 

 ワルドは唇の端を吊り上げた。

 

「話が早い。君は、ガンダールヴだそうだね。一度、手合わせ願いたい」

「何?」

「フーケを尋問したのは、僕なんだ。その時、少しばかり気になってね。彼女を倒した君を、調べさせてもらったよ。実に興味深い。確かにこのルーンはガンダールヴだ。今も少し、光っているな」

 

 巧はワルドの手を振り払う。

 

「離せ。朝っぱらから、わざわざ俺の手を拝みに来たのかよ」

「もちろん、違う。僕は歴史と兵に興味があってね。君があのガンダールヴだというのなら、ぜひ一度手合わせ願いたい」

「俺はどっちにも興味がない。他を当たれ」

 

 巧は大きくあくびをして、回れ右をした。

 

「どうしても駄目かな。こうして早起きをしてきたんだ」

「嫌だね。だいたい気に食わないんだよ、お前。前の世界で俺に冤罪を着せてきた奴に似てる」

 

 ワルドは怪訝な表情になったが、巧は気にせず、ベッドに戻りかけた。

 

「仕方がないな」

 

 そう聞こえた時、ワルドが猛烈な気配を放った。巧が振り返ったのと、ワルドが杖を抜いたのが同時だった。お陰で巧は身をかわすのが間に合う。

 

「ぐわ!」

 

 巧に当たらなかった風の魔法は、ギーシュの布団に命中した。かけ布団が破れて、白い羽根が部屋中を舞う。

 巧は顔をしかめた。

 

「どういうつもりだ、お前」

「アルビオンでは、貴族派の攻撃が予想される。襲撃を受けた時も、『他を当たれ』と言えるかな」

「話が違ってきたぜ。お前、そんなに俺と戦いたいのかよ」

 

 ワルドはあの笑顔を浮かべて、うなずいた。

 

「ああ、どうしても君と戦いたいんだよ」

 




今日の更新はここまで。話数は一巻のときよりかさみそうですが、文字数はそんなに変わらないかな、という感じです。

思ったより早く、たくさんのフィードバックをいただき、驚いています。

読者の皆様、ありがとうございます。

個別に返信するほどのコミュ力はありませんが、更新で応えていければと思っております。

今後ともよろしくお願いします。


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観察と復讐/人のいうことを全然聞かない男達

 巧とワルドは宿の中庭で向かい合った。

 

「なかなか雰囲気があるだろう。この宿は、かつてはアルビオンの侵攻に備える前線基地だったのだ」

 

 歴史と兵に興味があるというのは嘘ではないらしい。ワルドは得意げにそう言った。

 

「古き良き時代、貴族がまだ貴族らしかったころ……名誉と誇りをかけて貴族達はぶつかり合ったものさ。ま、実際は下らないことで戦うことも多かったんだが……例えば、そう、女を取り合ったりね」

 

 巧は内心、ため息をついた。この男は、十近くも年の離れた少女に本気で懸想し、彼女に近づく“悪い虫”を本気で排除する気らしい。

 巧にはルイズに対してそんな気はない。ワルドに付き合ってやることにしたが、もちろんおとなしく排除される気もなかった。

 

「興味ねえな。さっさと始めようぜ」

「まあ、待ちたまえ。貴族の立会いには、それなりの作法というものがあるものだ。介添え人がいなくてはね」

「介添え人だ?」

「ああ。呼び出したのはこちらだからね。介添え人も用意させてもらったよ。もう、顔を見せるはずだ」

 

 ワルドの言葉通り、程なくして足音が聞こえてきた。ややあって、ルイズが物陰から顔を出す。

 

「タクミ……? 何してるのよ」

「お前こそ。朝っぱらから、暇してるのかよ」

 

 ルイズは頬を膨らませかけて、はっとした表情になった。

 

「ワルド、一体何するつもりなの? 来いって言うから来たけれど」

「彼の実力を少し試してみたくなってね」

「もう、バカなことやめて。今はそんなことしている場合じゃないでしょう?」

「それは重々承知しているがね。軍人というのは厄介で、強いか弱いか気になってくると、夜も眠れない生き物なのさ」

 

 ルイズは、今度は巧を見た。

 

「タクミ、やめなさい。うっかり怪我でもしたらどうするの? ギーシュと戦った時に言ったこと、忘れたとは言わせないわよ!」

「さあ、忘れちまったな」

 

 巧はベルトを嵌めた。例え殺しは無しの喧嘩とはいえ、メイジ相手に生身で挑むのは悪手でしかないことは、それこそギーシュとやりあった時に嫌というほど理解していた。

 

「もう! どういうつもりなのよ!」

 

 ルイズが地団駄を踏むのを見て、ワルドは微笑んだ。

 

「大丈夫だよ、ルイズ。君の使い魔を傷つけたりはしない。……さ、介添え人も来たことだし、始めるとしようか」

 

 ワルドは腰から杖を抜いた。フェンシングさながらに突き出して構える。

 

「待ちくたびれたぜ。――変身!」

 

【COMPLETE】

 

 かつての練兵場が真っ赤に照らされ、巧はファイズに変身した。

 

「全力で来い」

「ああ。遠慮なく行かせてもらう」

 

 巧は準備運動とばかりに手首をスナップさせると、ワルドに踊りかかった。

 

 

 

 驚いたことに、ワルドは巧の初撃を杖で受け止めた。細い杖は良くしなって、巧の拳を受け止める。そのまま飛び退って、距離を開けた。

 

「魔法は使わないのかよ」

「もちろん使うとも。でも、僕は魔法衛士隊だからね。ただ魔法を唱えるだけじゃないんだ」

 

 ワルドは一歩踏み込むと、風切り音を立てながら連続して突きを見舞った。巧は一つずつ丁寧にいなしていく。なるほど、ズレた自信ではないらしい。ワルドの動きは、巧みが戦ってきた中でも上澄みのオルフェノクに相当する。

 突きながら、ワルドが口を開く。

 

「詠唱すら、戦いに特化されている。杖を構え、剣のように扱い、詠唱を完成させる。軍人の基礎さ」

 

 ワルドは巧の拳を再び杖で受けた。

 

「君は――」

 

 まだ何か言っていたが、巧はワルドを無視した。確かにワルドはギーシュと比べれば格の違うメイジのようだったが、巧から見れば隙はある。おそらく、彼の技術は誰かと組んで戦うためのものなのだ。あるいは、巧をまだ舐めているのか。

 

 巧は一歩踏み込むと、ガードに回ったワルドの杖をかち上げた。ワルドは正面からの打ち合いを避けて、飛び退った。生身の人間とやりあうには、いくら加減してもファイズの出力は高すぎる。

 

「デル・イル・ソル・ラ・ウィンデ――」

 

 低い声で詠唱を続けながら、ワルドは巧の攻撃を避け続けた。ご自慢の魔法で、カタをつけるつもりらしい。

 巧は苛立ちながら、さらに踏み込んだ。観察は終わった。ワルドを詰むのはたやすい。

 

(けどな――)

 

 ワルドはルイズの婚約者だ。ルイズの目の前で叩きのめすのは、気が引ける。といって、ワルドのためにぶちのめされるのも気に食わない。

 

(めんどうくせえな!)

 

 ゴチャゴチャ考えながら戦うのは得意じゃない。巧はなんらかのリズムを持って突き出されたワルドの杖を払った。男の目が見開かれるのがわかる。がら空きになったボディに、巧は拳を――。

 

「いい加減にして!」

 

 叩き込みかけて、やめた。拳はワルドにほんの少しぶつかって、止まった。堪えかねたルイズが大声を上げたのだ、と気づくまで、ちょっぴりの時間がかかった。

 

 ワルドは、やめなかった。

 

 ぼん、と鈍い音を立てて空気が弾け、巧は横殴りに殴られて宙を待った。派手な音を立て、巧は隅に積み上げられた樽に突っ込んだ。ビープ音を立てて変身が解ける。

 

「タクミ! ……ちょっと、ワルド!」

「いや、すまない。怪我はないかな」

 

 巧はワルドの手を振り払った。

 

「あちこち痛えがな。大丈夫だ」

「結構。ともあれ、勝負ありだな」

「何が勝負あり、よ! あなたは魔法衛士隊の隊長なのよ! タクミと戦ったら、あなたが勝つに決まってるじゃない!」

「では、君はアルビオンでも敵を選ぶつもりかな? 貴族に囲まれたときも、弱いので見逃してください、と?」

「それは……」

 

 聞くに堪えない。巧は樽から身を起こした。

 

「これで分かったろう。彼では君を守れないよ」

「ああ。かもな」

「ちょっとタクミ! どこいくのよ!」

「朝飯はまだだろ。部屋に戻って、寝る」

「血が出てるじゃないの! 先に手当てしないと!」

 

 樽のささくれで切ったのか、額から血が流れてきていた。巧は額をちょっと触って、ルイズの出したハンカチを押しとどめた。

 

「いらねえよ。こんなの、怪我のうちにはいるか」

 

 それからワルドに顔を上げて、ささやかな敵意を向ける。

 

「この借りは必ず返す。次はないぜ」

 

 巧はきびすを返す。ワルドは冷ややかに笑った。

 

「“次”があることに感謝するんだな。戦地で死ねば、そんな口も叩けないよ」

 

    ◆

 

 夜になった。階下の食堂からは、目を覚ましたギーシュとキュルケたちが飲んでいる声が聞こえてくる。出発前夜の前祝ということらしい。

 巧は一人で、部屋のベランダに出ていた。大騒ぎは好きじゃない。それに、ワルドがいるというのが気に食わなかった。

 

(まあ、向こうもそう思ってるだろうけどな――)

 

 ともあれ、顔を合わせてギスギスするだけ損だ。巧は小さくため息をつくと、ベランダの柵に寄りかかった。と、部屋の中の人影と、目が合った。

 

「お前……」

 

 ルイズだった。

 

「タクミも下へ来たら? 皆、残念がってるわよ」

「皆?」

「……キュルケとか」

「苦手なんだよ、ああいうの。それに、俺を殴ったやつが二人もいる宴会なんて、ごめんだね」

「ワルドに負けたことを気にしてるの? あの人はスクウェアクラスで、衛士隊の隊長なのよ。負けたって恥でもなんでもないわ」

 

 巧は顔をしかめる。

 

「気にしてねえよ。っていうか、あんまり俺に構うな」

「別に誰に構おうが私の勝手じゃない! 私が構いたいときはあんたに構うし、構いたくないときは構わないわよ」

 

 巧は黙った。そう言われてしまっては、巧にできる事はあまりない。ルイズは巧の隣に来ると、自分もベランダの柵に寄りかかった。

 

「タクミ、ワルドのこと嫌いでしょ」

「別に」

「いいわよ、とぼけなくっても。それより、どうして?」

「なんとなくな」

「……もしかして、私に気を使ってるの? あんた、気に入らない相手に遠慮したりしないでしょ」

 

 巧はすっとぼけた。

 

「別に」

「うそ。私のときはそうだったじゃない!」

 

 巧は黙って、そっぽを向いた。ルイズは大きなため息をついた。

 

「もう……いつも通りにしなさいよ。ワルドもあんたも、互いに変な気を使ってて、かえってこっちがやりにくいわ。一度、きちんと話してよ。長い付き合いになるんだし」

「長い付き合いだ? お前が結婚したら、俺はついていかないって言っただろ」

「そんなすぐに結婚したりしないわよ! これからはワルドと休みを合わせて、ちょくちょく会ったり、ご飯を食べたり……その時は、あんたも私に付き合ってもらうからね」

 

 巧は黙って聞いていた。これも、『時々すっごい熱くなる』というやつなのだろうか?

 

「そうかよ」

 

 ルイズも彼女なりに、十年のブランクを埋めようとしているのだろう。巧は息をついた。

 

「まあ、好きにしろよ。気が向くうちは、付き合ってやるから」

 

 巧は首をめぐらせて、ルイズのほうを見た。月明かりが翳った。今夜は雲ひとつない、快晴である。

 二人は同時に、月を見た。

 

 月は見えなかった。代わりに見えたのは、石でできたゴーレムである。その肩に、黒いローブが翻る。着ているのは、二人のよく知る女で――。

 

「フーケ!」

「感激だわ。覚えててくれたのね」

「忘れるわけねえだろ。お前、脱獄したのか」

「察しがいいね。私みたいな美人は、もっと活躍しなきゃいけないって、義人が出してくれたのさ」

 

 フーケの隣に、白い仮面をかぶった男が顔を出す。ルイズは叫んだ。

 

「何が義人よ! こんなところに、何しにきたってわけ!?」

「御礼に来たのさ! 素敵なバカンスをありがとう、ってね!」

 

 石のゴーレムがベランダを粉砕する。一瞬早く、巧はルイズを抱えて飛び退っていた。階段を転がり落ちるようにして下る。

 

 

 

 階下も修羅場だった。ゴーレムだけでなく、完全武装した傭兵の一団が宿の襲撃に投入されたらしい。一杯やっていたメイジたちは、テーブルをひっくり返した陣地から、傭兵たちに火線を伸ばしていた。

 巧とルイズはファイズギアのアタッシュケースを盾にしながら、テーブルの裏に駆け込んだ。

 

「おい、どうなってる!?」

 

 キュルケが振り向いた。

 

「それはこっちの台詞よ! あんた達、何の用事でここまで来たわけ? あたし達に襲撃される謂れはないわよ」

「色々あってな。それより、上にはフーケが来てるぜ」

 

 ワルドが羽帽子を押さえながら、口を開いた。

 

「おそらくアルビオン貴族の手引きだろう。傭兵団も、おそらくは貴族派の手のものだ」

「何をしてるのかしらないけど、このままじゃジリ貧よ。魔力が切れたところを突撃されるのは時間の問題だわ」

「その時は、ぼくのゴーレムで防いでやる」

「ギーシュ、あんたのワルキューレじゃ、せいぜい一個小隊が関の山でしょ。あたしはあんたより、ちょっとばかし戦については詳しいのよ」

「……いいか、諸君。聞きたまえ」

 

 ワルドが低い声で言った。メイジ達は彼の言葉を傾聴する。

 

「このような任務は、半数が目的地にたどり着けば成功とされる。……僕とルイズはこのまま港へ向かう。ギーシュ君たちはここに残れ」

「わ、わかりました!」

「使い魔君も、いいね」

「ああ」

「ミス・ツェルプストーとタバサ嬢には、申し訳ないが……」

「迷惑よ! 人の事情も知らないで!」

 

 キュルケは文句を垂れたが、タバサはうなずいた。

 

「囮。了解」

「ちょっとタバサ!」

「早く行って」

 

 ワルドはうなずくと、ルイズの手を引いた。巧はベルトを取り出してはめると、ルイズに言った。

 

「心配すんな。すぐに追いつく」

「でも……」

「いいから早く行きなさい。貸し一つよ、ヴァリエール!」

 

 キュルケはしっしっと手を振って、ワルドとルイズを送り出した。タバサが風の防御へ気を張る。

 巧は変身しかけて――ギーシュの肩を叩いた。

 

「おい、大丈夫か」

「だだ、大丈夫さ。ぼくはグラモン元帥の息子だよ、きみ。卑しき傭兵ごときに遅れをとってなるものか」

「全く、トリステインの貴族は勇ましいわね。口だけじゃないと、もっといいんだけど」

 

 キュルケは手鏡を取り出して、手早く化粧した。

 

「ダーリン、外のゴーレムは任せて良いかしら? 傭兵たちはこっちで相手をするから」

「ああ。けど、三人だけで大丈夫なのかよ」

「もちろん。戦はゲルマニア貴族のたしなみですわ」

 

 巧の表情を見て取ったのか、タバサが付け加えた。

 

「敵の目的は戦力の分散。追いつくなら、急いだほうが良い」

 

    ◆

 

「なんだ?」

 

 フーケは眉をひそめた。傭兵の一角がどよめいたかと思うと、銀色の塊が飛び出してきた。同時に、傭兵たちの隊列が炎にまかれて、崩れる。

 

「ったく、使えない連中ね! どいてなさ――!」

 

 ゴーレムの目の前に、赤い円錐が出現した。かつてゴーレムを粉砕してくれた、例の槍だ。

 待ってましたとばかりにゴーレムは守りを固める。

 土のない代わりに石で作ったゴーレムは、耐久性も破壊力も、以前のものを凌駕している。

 

「来な! 今度は負けやしないよ!」

 

 フーケは声を張り上げた。誤算があったとすれば、相手は乾巧だったということと、彼がとても“急いでいた”ということだ。

 同じ相手と戦う時、巧はモタモタしてはいない。さっさと切り札を切って、倒しに行く。今回切ったのは、急いでいるときのアレだ。

 

 ガードを固めたゴーレムに、紅蓮の円錐が複数狙いをつけた。

 

「何!」

 

 フーケは咄嗟に飛び降りる。それが彼女の命を救った。

 

「やッ!」「たァ!」「ハァ!」「てりゃーッ!」「とりゃァァーッ!」

 

 複数の方向から同時に声がして、ゴーレムに紅い槍が突き刺さった。ゴーレムは内側から大爆発を起こし、崩れ落ちる。

 

【REFORMATION】

 

 白いガスを噴出して、にっくき銀色の戦士が着地したのが見えた。戦士に銀色のマシンが寄り添う。

 

「おいバジン! 行くぞ!」

「待ちくたびれたぜ相棒!」

 

 フーケは再び土にまみれ、戦士が遠ざかるのを見送った。

 

「ちくしょう……」

 

 女はつぶやいた。誰にも聞こえないように。彼女だけに聞こえるように。

 戦士はどこまでも、彼女を置いて遠ざかっていく。炎の中から、学生たちの影が近づいてくるのが見えた。




今日はここまで。

戦闘描写の濃淡はなかなか自信を持ちにくいところです。




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亡国の城/大使のお仕事

 巧は桟橋を示す道標に従い、港に続く山道をオートバジンで駆け上がった。月光の届かない山道にファイズの纏う赤いラインの光跡がにじむ。

 

「相棒! 嬢ちゃんたちがどの船に乗んのか、わかってんのか?」

「知らねえよ、そんなもん! 行けば分かるだろ!」

 

 フーケと一緒にいた仮面の男の姿がいつの間にかなくなっていた。ルイズとワルドが先行したことが何かのタイミングでばれたらしい。

 

「おい、急げよ!」

「無茶言うな、全力だ!」

 

 山道が終わって、いきなり視界が開けた。巨大な樹木が目に入る。長大な枝には、巨大な果実がなっていた。

 

「あれが桟橋か」

 

 果実に見えたものは船だ。船が綱で舫われて、枝に吊るされている。

 

「相棒! 上だ!」

 

 オートバジンの声に、さっと身をかがめた。進行方向に、白い仮面の男が立ちふさがる。黒い杖を抜いて、男は身構えた。

 

「相棒、まずいぜ。一隻、港を離れかかってる」

「ああ、俺にも見えてる」

 

 貨物船と思しき船が、もやいを解きかけているのが、これだけ離れていても見えた。ワルドが急遽、発進を取り付けたのだろう。ぼんやりしていれば間に合わなくなる。

 

【READY】

 

 巧はファイズエッジを抜いた。赤い光の剣が闇に輝く。

 

「悪いが、ぐずぐずしてらんないんでな。一気に決めさせてもらうぜ!」

 

 巧は男に斬りかかった。男が低い声で詠唱する。男の杖が青白い光に覆われ、ファイズエッジを受け止めた。巧は舌打ちする。もやいを完全に解いた船は、いよいよ港を離れつつある。

 二人は輝く剣を目まぐるしく振るい、数合打ち合った。そのたび火花が散って、夜の闇に零れ落ちる。埒があかない。

 そう見たのは仮面の男も同じか、打ち合いを切り上げると男は距離をとった。低い声で詠

唱を開始する。

 巧はエンターキーを押した。

 

【EXCEED CHARGE】

 

向かい合う二人の体が薄く光ったように見え……直後、めちゃくちゃな光が丘を照らした。それは空中を走った無数の雷光と、地を這う紅蓮の光線だった。

 

「ぐぁあああああ!」

 

 ファイズの体の表面を電撃が走り回った。体中を無数の針で刺されるような感覚に、巧はのたうつ。のたうって――電撃を振り払った。男の放った雷はソルメタルの表面を流れ落ちて、地面に逃げた。

 

「ぅらぁぁァアアアア!」

 

 ファイズエッジを携え、巧は赤い光の走った地面を駆け抜けた。男はすでに、紅蓮の光にとらわれて空中をもがいていた。

 

「はッ! せやァーッ!」

 

 巧はファイズエッジを大きく二度、振るった。一太刀目は男を深く切り裂いた感覚があった。しかし、二太刀目は手ごたえがない。

 

「何?」

 

 一撃で男が灰になった……わけではなかった。二撃目の時点で、男は跡形も無く消えていた。

 

「おいバジン、今、何がどうなった?」

「知らねえよ! それより相棒、急がねえと! あの船、出ちまうぜ!」

 

 巧は釈然としないものを抱えたまま、オートバジンにまたがった。エンジンをふかす。枝の一つから、幻獣が一頭、船に向かって飛び立ったのが見えた。ワルドのグリフォンだ。

 

「あそこだ、相棒! 飛ばせ!」

 

 オートバジンががなった。

 

    ◆

 

 人型に変わったオートバジンにつかまって、巧はグリフォンと一緒に船の甲板に降り立った。

 

「タクミ!? ちょっと、フーケはどうしたの?」

「倒した」

「倒したって……」

「言ったろ。すぐに追いつくってな」

 

 巧はワルドに向き直った。

 

「悪いな。ハネムーンを邪魔しちまった」

「いや、見上げた忠誠心だ。賞賛に値する。大した忠犬ぶりだな」

 

 巧は鼻を鳴らした。ルイズはまだ何か言いたそうにしていたが、片手を振って制した。

 

「立て続けだったんでな、疲れたんだ」

 

 巧は舷側に寄りかかると、まぶたを閉じた。船の帆が風を切る低い音を聞きながら、巧は浅い眠りに落ちた。

 

 

 

 アルビオンが見えたぞ、という声に、隣で舷側に寄りかかった体温が起き上がった気配がした。巧は無視して、眠り続けた。

 しばらくすると、にわかに船上が騒がしくなった。巧はそれでも眠り続け――ぼごん、と鈍い音を耳にして、ようやく目を開いた。遠かったが、あれは間違いなく爆発音だ。

 

 巧は頭をかきながら立ち上がった。いつの間にか、船が止まっている。巧たちの乗る船に、黒塗りの船が並んでいた。あたりを走り回る船員を避けながら反対側の舷側に歩くと、黒船の側面にずらりと並んだ大砲が目に付いた。

 

「なんだ?」

 

 巧は所在無さげに立つルイズに声をかける。

 

「空賊だわ」

「何?」

「内乱の混乱に乗じて、暴れてるのよ。最悪だわ、こんなところで捕まるなんて……」

 

 ルイズが唇を噛んだ。そうこうしている内に、舷縁に縄をかけて、空賊たちが乗り移ってくる。舷側に立てかけられたオートバジンがライトを光らせた。

 

「……ざっと数十名ってトコだな。相棒、どうする? 俺達が本気になれば、あんな奴らなんてことないが――」

「それはやめておきたまえ」

 

 いつの間にか現れたワルドが、オートバジンの台詞をさえぎった。

 

「あれだけの大砲がこちらを狙っているんだ。船員をなんとかできても、大砲はどうしようもないだろう。メイジがいなければ、僕と使い魔くんで向こうの船を制圧できるかもしれないが――」

 

 ワルドはルイズの肩に手を置いた。巧は顔をしかめる。

 

「リスクを取るのは賢明ではない」

「だったらどうする。黙ってやられんのかよ」

「いや、恐らくそうはならない。僕の推測が正しければ、だがね。君はその二輪車を黙らせておけばいい」

 

 その言葉で、またオートバジンはライトをピカピカやったが、巧は拳で叩いて黙らせた。空賊の一人が近づいてきたからだ。

 

「おや、貴族の客も乗ってたのか。なかなか別嬪がいるじゃねえかよ」

 

 男はルイズに近づくと、その顎を片手で持ち上げた。

 

「お前、おれの船で皿洗いをやらねえか? 今の王党派の連中よりは、良い思いをさせてやれるぜ」

 

 辺りの空賊から、忍び笑いが起こった。ルイズはその手をピシャンと撥ね退けて、男を睨み付ける。

 巧がおい、と言いかけたのは間に合わなかった。

 

「下がりなさい、下郎!」

「こいつは驚いた! 下郎ときたもんだ!」

 

 男は笑い声を上げた。今度は周りの空賊も、大声をあげて笑う。

 

「だが、そいつはあんまり賢くないぜ。お前ら、当分ウチの船の世話になるんだからな。来い。お前らの身内から、たんまり身代金をせしめてやるよ」

 

 男は再び、ルイズに手を伸ばす。それを、ワルドがさえぎった。

 

「お戯れを」

「……なんだ? 心配しなくたって、男も後から連れてってやるぜ」

「その必要はありません。自らの足で乗り込みましょう」

「何?」

 

 ワルドは男の前にひざを着いて、最敬礼の姿勢をとった。ルイズを背中に隠した巧は、空賊たちの間に奇妙な動揺が走ったのを見て取った。下手な芝居を指摘された劇団のような、どことなく気まずい空気が流れる。

 

「我々はトリステインの大使。あなたに密書を言付かってきたのです。ウェールズ・テューダー皇太子殿下」

 

 ルイズは口を押さえる。巧は眉根を寄せた。

 

「え!?」

「なに!?」

 

 男は複雑な表情で二人の反応を見つめ……やがて口を開いた。

 

「あー……どうして、分かったんだ?」

 

    ◆

 

 ルイズとワルドの二人は、空賊船の船長室に通された。巧は平民なので、甲板に残った。

 

「相変わらずの扱いだな、相棒」

「ほっとけ」

 

 船の上は、なかなか居心地がよかった。

 どっちにしたって、皇太子に対する口の利き方なんて分からない。空賊船がアルビオンの軍艦だというなら、ルイズに任せてしまったほうがよほど楽だった。そうでなくても、宿を出てからの連戦で、相当に消耗している。

 

 少し前に、船は陸の真下に入った。アルビオン大陸は、あろうことか、空をうろうろと浮遊しているらしい。日の光は大陸に遮られて、辺りは夜のような暗さである。

 巧は左手のルーンを見た。日の出ているうちはほとんど分からないが、この暗さだと、ぼんやり光っているのがよく分かる。

 

「相棒、どうしたね?」

「いや。こいつが、ちょっと気になってな」

 

 オスマンやワルドの言うところのガンダールヴは、伝説の使い魔の証だという。しかしこいつは、いつも中途半端に光っているばっかりで、巧の役に立ったことは一度もなかった。

 

「ま、下手に役に立たれても困るがな。伝説なんて柄じゃない」

「そうかい? 相棒は意外と、そういうの得意だろ。元の世界じゃ、救世主やったりしてたじゃねえか」

「何の話だ」

「俺は途中でリタイアしちまったけどよ。なんだったかな? 闇を切り裂き光をもたらす、とかなんとか。あの嬢ちゃんと一緒にさ」

「……マジで何の話だよ」

 

 オートバジンがいぶかしげにライトを点滅させたとき、にわかに船上があわただしくなった。明かりのないせいで気づかなかったが、いつの間にか船は停止し、上昇に転じている。

 

「もうすぐ、接岸するそうよ」

 

 振り向くと、ルイズが立っていた。下の船室から上がってきたらしい。

 

「話は済んだのか」

「ええ。手紙はお城に置いてあるんですって」

「ふーん。それ返してもらったら、任務はおしまいか」

「帰りもあるのよ。あんまり気を抜いちゃ駄目だからね」

 

 巧はルイズを一瞥した。表情が暗い。

 

「どうした。何かあったのか?」

「ううん。少し疲れただけよ」

「あんまり無理すんなよ。ただでさえ急ぎ旅だったんだ。気を張りすぎると、もたねえぞ」

「……そうね」

 

 ルイズは顔を伏せた。

 

「ねえ、タクミ……」

 

 彼女が何か言いかけた時、船が軽く揺れた。接岸したらしい。

 ワルドが船首につないであったグリフォンを連れて、歩いてきた。

 

「行こう。皇太子殿下がお呼びだ。大使の我々を、最優先で城に通してくれるらしい」

 

 大使の三人は皇太子に先導されて、タラップを降りた。背の高い老メイジが、微笑みながら近づいてきた。

 

 

 

「トリステインの大使殿だ」

 

 ウェールズの紹介に、老メイジは怪訝な表情をした。明日にも滅ぶ国に何の用だ? とでも言いたげだ。しかし彼はやわらかくうなずいて、皇太子とともに巧たちをウェールズの部屋に通してくれた。

 

 ルイズたちが部屋で話している間、また、巧は外で待たされた。今度は、ウェールズにパリーと呼ばれた老メイジと一緒である。

 

「……」

 

 沈黙が降りた。老メイジはこうして待つのに慣れているらしい。分捕り品の船から積荷を降ろすのに皆出払っているのか、城の中はやけに静かだった。

 

 ズン。

 

 巧は顔を上げた。低い響きが空気を伝わってくる。

 

 ズドドドドーン!

 

 ついで、空気が爆発した。さいぜん聞いたことのある、大砲の発射音だ。だが、その規模は比べ物にならない。百発以上を同時に放ったとしか思えない、大爆発音である。

 

「ご心配なさらずとも、ここまで砲弾は届きませぬ。ご安心召されよ」

 

 老メイジが落ち着き払って言った。

 

「なんなんだ、今の」

「叛徒どもの船にございます。あちらをご覧ください」

 

 城壁の向こうに、船が見える。その大きさに、距離感が狂ったように錯覚した。

 

「かつての本国艦隊旗艦、ロイヤル・ソヴリン。叛徒どもが手中に収めてからは、レキシントンと名前を変えております。空からこの城を封鎖する、忌々しい船にございます。先の陛下よりお仕えして以来、これほどの屈辱はありませぬ」

 

 老メイジの声に、怒気がにじみ……彼は少しばかり、狼狽した。

 

「――大使殿のお耳に入れるようなお話では、ありませんでしたな。失敬いたしました」

「いや」

 

 巧は少しばかり、言葉を選んだ。しかし、結局、いつも通りに言った。

 

「俺は平民で、あの女の使い魔なんだ。かしこまらなくったって、誰も文句は言わない」

「左様で」

 

 老メイジは、身分を明かした巧の物言いにケチをつけることもなく、微笑んだ。彼はまだ巨艦の見える窓の外を見やると、口を開いた。

 

「大使殿の乗ってきた船には、硫黄が満載されておりました。反乱が起こってからは、我々王党派は苦汁を舐める毎日でしたが、硫黄は火の秘薬。あれだけの量があれば、無事、王家の誇りと名誉を示しつつ敗北することができるでしょう」

 

 パリーは、きゅっと口角を上げた。

 

「あなた方が、殿下にどんな御用でいらしたのか……詮索はいたしますまい。しかしこのパリー、感謝いたしますぞ。殿下の侍従を仰せつかって以来、これほど嬉しい日はありませぬ」

 

 なるほど、と思った。

 パリーが振り返る。

 

「最期の大使殿、ようこそアルビオンにいらしてくれましたな。もはやここは亡国、大したもてなしはできませぬが、今夜は祝宴が催されます。是非ともご出席くださいますよう。何、アルビオンの酒は強いことで有名です。メイジに非ざる方が一人混じっていようと、誰も気にしはいたしますまい」

 

 彼の背後で、再び巨艦が砲を斉射した。さっきのルイズが言いかけたことを思い出して、巧は理解した。確かに、ルイズには耐え難いものだろう。しかしそれは、巧には馴染み深いものだ。

 巧は少し、息を吸った。まぶたの裏に、近づいてくる“王”の影がちらついた。

 

 アルビオンは居心地がよかった。この城は、滅び行く者たちの気配に満ちている。

 




今日はここまで。ちょっと忙しくなるので、投稿ペースは遅くなります。




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まどろみ/決戦前夜

「大使殿! このワインを試されなされ!」

「これ、そんなものをお勧めしてはアルビオンの恥ですぞ!」

「こちらの鳥を食してごらんなさい、美味くて頬が落ちますとも!」

 

 パーティ会場は着飾った貴族と、豪華な料理に華やいでいた。王党派の貴族達はかわるがわるトリステインの大使に寄ってくると、料理や酒を勧めた。

 それから「アルビオン万歳!」と叫んで去っていく。

 

「……随分、派手ね」

「ああ」

 

 巧は短く答えた。ウェールズが言ったとおり、平民が会場にいることを気にする貴族は一人もいなかった。それどころか、会場では給仕やコックと思しき者達も一緒になって、酒を飲んでいた。

 

「最期だからこそ、ああも明るく振舞っているのだ」

 

 ルイズはワルドの言葉に小さく首を振った。それから、顔を伏せて、その場から立ち去った。

 巧は追いかけようかと思って――やめた。代わりに、隣のワルドを見た。

 

「追いかけなくていいのかよ」

「なんだって?」

「お前、ルイズの婚約者だろ。距離を縮めようってんなら、やることがあるんじゃないのか」

「ふむ」

 

 ワルドは顎に手を当てた。

 

「君は随分協力的だな。私のことが嫌いなものと思っていたが」

「かもな」

「この前も随分加減してくれたようだね」

「……かもな」

「その調子で頼むよ。僕はルイズと上手くいきたいんだ」

「だったらさっさと行ってやれ」

 

 巧はもう、ワルドのほうを見なかった。大事なのはタイミングだ。わざわざ、ルイズに余計な心労をかける必要は無い。

 

 パーティの中心に、ウェールズの姿が見える。きらびやかな明かりに照らされた男は、なるほど確かに貴人だった。あちこち痛んだ巧の姿とは対照的である。

 ふと、目があった。ウェールズは歓談を切り上げると、巧に近寄ってきた。

 

「君は……そうか、ラ・ヴァリエール嬢の使い魔の」

「……乾巧だ」

「タクミくんか。それにしても、人が使い魔とは。トリステインは変わっているな」

「トリステインでも、珍しいぜ」

 

 敬語を使おうとして、やめた。いちゃもんをつけられるなら、その時はそのときである。ともあれ、ウェールズは微笑んだ。

 

「そうらしいな。君のことはパリーから聞いたよ。彼の話を聞いてくれて、感謝する。随分、救われたようだったから」

「別に……話を聞くだけなら、誰だってできる」

「ほう」

「俺は本当の意味じゃ、あんたらの救いになんかなれない。感謝に値する人間じゃないんだ」

「そうかな。滅び行く国なら話は別さ。死者は話を出来ないが……死にゆく者は、どうやら随分話したがりになるようだからね」

 

 ウェールズは小さく息をついて、巧の隣で壁に寄りかかった。パーティは終わる気配が無い。そこここで、貴族たちが、あるいは貴族と平民たちが、会話に花を咲かせている。

 

「我々の敵である貴族派『レコン・キスタ』はハルケギニアを統一し、『聖地』を回復したいそうだ。大した理想だが、そのために流される民草の血は、いくばくにも上るだろう。全て、アルビオンの内から発したものだ。……我々は、内憂を払えなかった」

 

 巧は、黙って聞いていた。

 

「我が軍は三百。敵は五万。万に一つも勝ち目はあるまい。我々にできるのは、勇気と名誉の片鱗を貴族派に見せつけ、ハルケギニアの王家が決して脆弱でないと示すことだけだ。『統一』と『聖地』の回復という彼奴らの野望に、なんら影響がなくとも――」

 

 ウェールズの視線が、パーティを見据えた。

 

「迷ってるのか」

「これも王族の責任と義務だ。しかし、同時に彼らも、私にとっては守りたかったものの一部なんだよ。アンリエッタのようにね」

「手紙にも、亡命が勧めてあったんだろ」

「愛が故に知らぬ不利をせねばならぬときがある。身を引かねばならぬときがある。仮に私が亡命すれば、貴族派はトリステインに攻め入るだろう」

「ああ」

 

 政治の話はよく分からないが、今の話はなんとなく分かる。巧は少し迷って、口を開いた。

 

「俺にも……死んだ知り合いは大勢いる。俺のせいだったり、そうじゃなかったりするがな」

 

 巧は息をついだ。自分のことを話すのは、苦手だ。

 

「だが、今でも信じてる。意味なく死んだ奴はいないってな。本当はどうか、知らないが」

 

 ウェールズは目を丸くして、巧を見つめた。

 

「君は――」

 

言いかけて、小さくのどを鳴らす。笑ったのだ、と気づくまで、間があった。先ほど歓談しているときに見せていたきらびやかな笑顔とは対照的な、皮肉な笑みである。

 

「なるほど、ラ・ヴァリエール嬢がそばに置くわけだ! いささか話しすぎてしまったよ。君のような男が我が王家にいれば、今日のような日を迎えることは無かったかも知れんな」

 

 ウェールズは顔を上げた。そこにはもう、さいぜんと同じ、一人の貴人が立っていた。

 

「先ほどの話は、アンリエッタには内密にしてくれたまえ。ウェールズは勇敢に戦い、勇敢に死んでいったと。それだけ、彼女に伝えてくれればいい」

 

 皇太子は立ち去りかけて、振り向いた。

 

「そういえば、明日は君も参列するのかい?」

「参列?」

「ワルド子爵から聞いていないのか。明日、彼とラ・ヴァリエール嬢との婚姻の媒酌を頼まれたんだ。決戦の前にね」

「それで、引き受けたのか。この状況で」

「ああ。これを逃せば、もう、目出度い瞬間に立ち会うことはできそうにないからね。それに――」

 

 ウェールズは少しはにかんだ。

 

「一つ、愛の増える様を見届けていきたいんだ。私のそれは、実ることなく終わりそうだからね」

 

 皇太子は最後に微笑むと、再びパーティの中心に戻っていった。巧はそれを見送って、自分はパーティ会場をあとにした。

 

 

 

 大事なのはタイミング……だが、タイミングを計るのは得意じゃない。巧はろうそくの燭台を断って、暗い廊下を歩いた。明り取りの窓からさす月の光で、彼には十分明るい。

 だから、窓辺に主人が立って、しかも泣いているのも、よく見えた。

 

「おい」

 

 巧は先に声をかけた。ルイズはしばし顔をぬぐった。

 

「な――何よ。いたなら、言いなさいよ」

「今、来たんだよ。お前、寝たんじゃなかったのか」

「……眠れないわよ」

 

 また、ルイズの目から涙がこぼれた。

 

「あの人たち、どうして死を選ぶの? わからないわ、誰もあの人たちの死なんて望んでないのに……」

「そうしなくちゃなんない時があるんだ。誰が望まなくってもな」

 

 この城はよくない。自分のことを話しすぎてしまいそうだ。巧が窓枠に視線を伏せると、ルイズはついっと振り返った。

 

「あんたは――」

 

 ルイズは口をつぐんだ。それから、次に口を開いたときは、いささかその声はやわらいでいた。

 

「時々、あんたのことが分からなくなるわ。私とそんなに違わないはずよね。なのに、あんたはたまに、何歳も年上みたいに思えるわ。ウェールズ様と同じくらい……ううん、もっとかしら」

「老けてるっていいたいのかよ」

「違うわ、違うけど……達観してるっていうか。なんだか、そう、他人事みたいなのよ」

 

 ひとごと、と巧が繰り返すのが聞こえて、やってしまった、と思った。だが、その言葉はあまりに彼にぴったりだった。時たま、巧の視線は遠くを見ている。アルビオン王党派のパーティを眺める、トリステインの大使と同じ視線だ。

 

 ルイズは巧を見た。予想に反して、巧は声を上げたりしなかった。ただ、冷めた視線を月に向けていた。

 

「……ごめんなさい。仕方ないわよね。ここは、タクミの世界じゃないもの」

「いや。気にすんな」

 

 ニューカッスルに満ちた空気が、巧にもう少しだけ、自分を話させた。

 

「お前が呼んでくれなきゃ、俺は終わってたんだ。時間のあるうちは、いくらでも付き合ってやるさ」

 

 そう言った巧の声は、夢見るようだった。

 

「帰りたくないの?」

「さあな。帰ったところで……」

 

 そこまで言って、巧は口をつぐんだ。その雰囲気が少し変わって、次にルイズに向き直ったときには、もういつもの巧に戻っていた。

 

「それよりお前、ここで結婚すんだって?」

「は? 何よそれ」

「聞いてないのか。少なくとも、あいつはその気だぜ」

「あいつって、ワルドのこと? そんな話、聞いてないわよ」

 

 巧は月に背を向けて、窓枠に寄りかかった。

 

「皇太子にも話が通ってるみたいだぜ。お前には、何も言わなかったのか」

「そう、みたいね」

 

 ルイズは少し、眉をひそめた。自分の知らないところで、勝手に自分にとっての一大事が進行している。あまり、いい気はしなかった。

 

「結婚……」

 

 ルイズはまた、月を見上げた。

 

「ねえ、あんたはどう思う? ワルドのこと、嫌いみたいだけど……私と彼が、結婚したら」

「前も言ったろ。旅にでも出るさ」

「それは、あんたの話でしょ。私の結婚のこと、どう思うかって聞いてるの」

「……」

 

 巧は沈黙した。しばらくして、苦い顔で口を開く。

 

「わからない」

「……そう」

 

 ルイズは息をついた。

 

「そうよね。私ですら、よく分からないのに……」

「この前は、のり気だったろ。どうしたんだよ」

「だって、あんまり急だもの。立派なメイジになってから、って話でしょ、あの時のは」

 

 ルイズは口を尖らせて、窓から身を離した。

 

「私、少し話をしてくるわ。まだ、結婚するつもり、ないし……それにここは戦地で、私は大使だもの。浮かれたことはできないわ」

「そうか。それがいいぜ、きっと」

 

 ルイズはワルドの部屋に走り出しかけて……足を止めた。月光に背を向ける巧の表情は、逆光でよく見えない。だが、さっきの彼の言葉は、また、どこか遠くに向かって話しているようだった。

 

「タクミ、あんた……」

 

 つばを飲み込む。何を言ったらいいのか、よく分からない。ルイズは漠然とした不安感に駆られるまま、言葉を続けた。

 

「勝手にどっか行ったり、しないわよね?」

「なんだそりゃ。今の状況じゃ、どこにも行けねえよ」

「いいから! 私が話をつけて戻ってくるまで、ここで待ってなさい。わかった?」

「わかったわかった。さっさと行けよ」

 

 巧は手をひらひら振った。その手に、ガンダールヴのルーンがうっすら光っている。それで、ルイズは一応落ち着いて、窓辺からワルドの部屋へ、足を向けた。

 

 

 

 ルイズを見送って、巧は目を閉じた。昔のことを思い出す。啓太郎と、長田結花がまぶたの裏を掠めた。それから、草加雅人が。

 

(ごめんな、啓太郎)

 

 手のひらから零れ落ちていった幸せの萌芽。もし、ルイズとワルドがそれを育むことができるなら、巧はそれを祝福したかった。そのために自分が邪魔なら、どこぞに消えたって構わない。

 

(だが――)

 

 ワルドと草加が、真っ暗な視界の中でダブる。あいつらは、少し似ている。自分にないものを求めて、闇の中を走り続けている……。

 

 

『でも、お前は真理じゃない』

 

 そうだ。ルイズが真理でないように、ワルドは草加じゃない。

 

(俺は――)

 

 俺は、どうしたらいい? 

 

 巧は城の中の闇を見上げて、虚空に尋ねた。もちろん、答える者はいない。月の光を浴びた風が、彼の頬をなでた。

 遥か向こうから、砲声が聞こえてきたような気がした。アルビオンの夜は深い。

 



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帰れる狼/さよならアルビオン

 夜が明けた。鍾乳洞に作られた城からは、疎開する人々があとからあとから船に乗り込んでいる。巧たちが昨日乗ってきたイーグル号と、貨物船にも、およそ兵士とは見えない者たちが分乗した。

 巧はそれを眺めながら、オートバジンに寄りかかった。

 

「相棒、どうしたね。さっきから上の空じゃねえか。ここを出るなら、さっさと船に乗ったほうがいいぜ。外の火薬のにおいが、ここまでしてきやがる」

「お前、鼻なんかあったのかよ」

「雰囲気だよ、雰囲気。わかるだろ」

 

 巧は鼻を鳴らした。

 

「少しな」

「だろ? さっさと行こうぜ。俺、まだスクラップにゃなりたくねえや」

「駄目だ」

「なんでだい。やっぱり嬢ちゃんが心配なのか?」

「……まあな」

「だったら、行ってやりゃいいじゃねえか。何も、ワルドに気兼ねしてるわけじゃねえだろ?」

「……」

 

 巧は、答えなかった。

 昨晩、戻ってきたルイズは結局、結婚式を挙げることを巧に告げた。大方、ウェールズの顔を見て、断りきれなかったのだろう。気持ちは分からないでもない。

 

「俺は――」

「なんでえ」

「いや。なんでもねえ」

 

 巧は手のひらを見つめた。

 どこまで、ルイズの人生に関わっていいのだろう? 巧はこの世界の人間ではない。おまけに、いつまた灰化が再発するか分からない。

 それに――これまで、自分が行動したせいで失われたものも、数多くあったのではないか? 虚空にあの男の亡霊が立ち上った気がした。

 

「……」

 

 巧は再び、手のひらを持ち上げて、今度は裏返した。手の甲に刻まれたガンダールヴが、弱弱しく光っている。

 

「……やめだな」

「相棒?」

「考えんのはやめだ」

「なんでまた」

「昨日、付き合うって言っちまったからな。俺もベストを尽くすさ」

 

 どのみち、答えの出ない問いだ。だが、ここに真理や、啓太郎や、海堂がいれば――。いや、これも所詮、仮定に過ぎない。

 巧はそれ以上説明しなかった。だが、オートバジンは嬉しそうにライトを点滅させた。

 

「それでこそ相棒だ」

 

    ◆

 

「では、式を始める」

 

 ウェールズ皇太子の声が、礼拝堂の中で厳かに反響した。礼拝堂の中にいるのは、彼を除けば新郎と新婦……ワルドとルイズのみである。

 

「新郎、子爵ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドは――」

 

 ルイズの頭の中で、ウェールズの声がうつろに反響する。

 なんだか、ここにいるのが場違いなように感じた。全てがオートメイションに進行している。ルイズのあずかり知らないところで。

 いや、これまでもそうだったに違いない。結婚自体、物心つく前に決まっていたものだった。魔法学院に入って、系統に目覚めて、立派なメイジになって――。

 

「新婦、ラ・ヴァリエール公爵三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン――」

 

 ルイズはそれを是としてきた。昨日だって、ワルドと、それから何より皇太子の瞳を裏切れなくて、今日、彼女はここに立っている。

 別に、それが悪いと思っているわけじゃない。彼女は貴族である自分に誇りを持っているし、そうであるためには満たすべき条件がごまんとある。だから、後悔はしていない。していない、けれど――。

 

「新婦?」

 

 皇太子がこっちを見ていた。彼女の婚約者も、ルイズを見下ろしていた。

 

「緊張しているのかい? 大丈夫、少しくらい間違えたって、誰も笑う者はいない。これから先も、僕がそうはさせないよ」

 

 ワルドの声は優しい。その瞳に映ったルイズが、ルイズを見返した。

 タクミがいたら、どうするだろう。

 ふと、そんなことを思った。タクミが、ルイズの視点で世界を見回したら――きっと、彼はルイズのようには生きまい。捨て台詞を吐いて、オートバジンでまた、どこかに旅にでも出るのだろうか?

 

「まあ、これは儀礼に過ぎないが……それをやるだけの価値というのは、いつの時代もあるものだ。さ、繰り返そう。汝は始祖ブリミルの名において――」

 

 そんなことはないだろう、と思う。ルイズがルイズであることに縛られているように、タクミもタクミであることに縛られている。

 でも今は、彼の自由さを素直に信じたかった。ルイズは深呼吸して――ウェールズの言葉の途中で、首を振った。

 

「新婦?」

「ルイズ? どうした、気分でも悪いのかい?」

 

 ルイズはワルドに向き直った。

 

「違うの。ごめんなさい」

「日が悪いなら、改めたって――」

「違う、違うのよ。ごめんなさい、ワルド。私、あなたとは結婚できないわ」

 

 ウェールズが、ふっと肩の力を抜いた。

 

「新婦は、この結婚を望まないのか?」

「はい。お二方には大変失礼をいたすことになりますが、私はこの結婚を望みません」

 

 ワルドの顔に朱がさした。対照的に、ウェールズはつき物が落ちたような顔で祭壇を降りた。

 

「ひょっとして、私は大変な身勝手をしてしまったのかも知れないね。子爵にも、無礼を働くことになってしまった。誠にすまない」

「そんな……お顔を上げてください、殿下」

「死者が生者を自由にしようなどとするものではない。子爵、どうか彼女を恨まないでやってくれないか。彼女は、私の期待に応えようとしてくれただけなのだ」

 

 ウェールズが怪訝な表情になった。ワルドは彼に見向きもせず、ルイズの手をとった。

 

「緊張してるんだ。そうだろ、ルイズ。君が、僕との結婚を拒むはずがない」

 

 ルイズは三度首を振った。

 

「ごめんなさい、ワルド。本当に……ごめんなさい」

「君は、僕のことが」

「憧れてたわ。一度は恋だったかもしれない! でも、でも……今は、違うのよ」

 

 ワルドは顔を上げた。ルイズは思わず後ずさる。彼の表情は、いくらかの狂気をはらみつつあった。

 

「世界だ、ルイズ。僕は世界を手に入れる。そのために君が必要なんだ。君の能力が……君の力が!」

「私、世界なんかいらないわ」

「僕には要る! そのために、君の才能が必要だ」

「いやよ、いや! ようやく分かったわ、あなたと結婚したいと思えなくなった理由が! あなた、私をこれっぽっちも見てないもの! 私を通して、ありもしない魔法の才能を見てるだけなのよ! 手を離して!」

 

 ワルドはぱったりと動きを止めて、手を離した。

 

「こうまで言っても駄目なのか。この旅で君の気持ちを掴むため、ずいぶん努力したんだが」

 

 魔法衛士隊の名に恥じぬ動きで、ワルドは杖を抜いた。研ぎ澄まされた切っ先が、稲妻さながらに少女を狙う。

 だが、彼の刃は柔肉ではなく、大理石の床をえぐった。

 

「何!?」

 

 ハルケギニアに存在しない合成樹脂の靴底が、彼の杖を踏みつけていた。飛び出しざまの蹴りで、ワルドの切っ先はあさっての方向に逸らされたのだ。

 

「そのへんにしとけ。こういうのは、しつこいとカッコ悪いぜ」

 

 ワルドは下から睨め付けた。

 

「イヌイ……タクミ……!」

「ああ。俺だぜ」

 

     ◆

 

「おい、無事か?」

「うん。……来てくれたのね」

「まあな」

 

 ワルドが巧の足元から杖を引き抜いた。

 

「貴様……!」

 

 杖を突き出しかけ、飛び退る。一瞬前まで彼のいた床が、派手に爆ぜた。杖を抜いたウェールズが、呪文を詠唱したのだと分かった。

 

「タクミくん、気をつけたまえ。その男は、まだまだやる気だ」

「ああ、そうらしいな」

 

 一人、礼拝堂に追い詰められたワルドは、依然として戦意を失っていない。その瞳には、爛々とした光が宿っている。

 巧はウェールズを一瞥した。

 

「あんたは、ルイズを連れて逃げてくれ。こいつは俺が相手をする」

 

 懐からファイズフォンを抜いた。555。

 

「変身!」

 

【COMPLETE】

 

 薄暗い礼拝堂が真っ赤に照らし出された。光の中に銀色の戦士が浮かび上がる。

 戦士は、リズムを取るように手首を振って、駆け出した。

 

【READY】

 

 巧はファイズショットを抜いた。オートバジンは外に置いてきた。ルイズたちを守ってくれるはずだ。

 

「貴様と戦うのはこれで二度目だな。加減はなしで行くぞ」

「三度目だろ」

 

 巧はワルドの杖をファイズショットで受け止めた。ワルドの顔がゆがむ。

 

「気づいていたのか」

「ああ。動きが同じだったからな。宿を襲ったのも、お前の差し金だろ」

 

 硬質な音を立てて二人は離れた。

 

「そうだ。あそこでお前を殺せなかったのは失敗だったな」

「ああ。お陰でお前の本性に気づけた」

「言わなかったのはあの小娘への気遣いか? 全く大した忠犬ぶりだな。お前のような男は、貴族にも少なくなった。僕のようにね」

「らしいな」

 

【EXCEED CHARGE】

 

 おしゃべりは終わり、とばかりに巧はワルドの杖をかいくぐった。

グランインパクト。死なないまでも、ワルドの腕は二度と使い物に、ならなく――。

 

「なんだ?」

 

 ワルドの全身が燃え上がり、崩れ落ちた。まさか。巧は十分に手加減していたはずだ。

 

「危なかったな」

 

 背後からの一撃を受け、巧は床に転がった。倒したはずのワルドが立っている。

 礼拝堂の入り口から、傷だらけのウェールズがルイズをかばいながらまろび出て、巧のそばに転がった。そのあとから、ぞろりとワルドたちが顔を出す。

 

「分身か!」

「いや、あれは風の偏在だ。分身と違い、全てが本物だ」

 

 ウェールズは息をついた。その腕に、ひどい水ぶくれが出来ている。

 

「その通り。どうやら、任務のうち三分の二は達成できそうだな」

「任務……?」

 

 ルイズが怪訝な表情でワルドを見上げる。

 

「そうとも。アルビオンでの僕の目的は三つ。一つは君。もう一つは君の持つアンリエッタの手紙」

 

 ワルドは笑みを浮かべる。

 

「そして最後はウェールズ、お前の命だ」

「……やはり、貴族派か。トリステイン貴族の中にも潜んでいるとはな」

「我々はハルケギニアの将来を憂い、国境を越えて繋がった貴族の連盟さ。表の所属など、無意味な仮面に過ぎない」

 

 ワルドの“偏在”がいっせいに仮面をつけた。

 

「その仮面! 最初から、全部あなたが仕組んでたのね!」

「そうとも。そちらの使い魔はもっと早くに気づいていたようだがね。さて、他に何か聞きたいことはあるかな? 元婚約者のよしみだ、冥土の土産に教えてあげるよ」

 

 ルイズは唇を噛んで、ワルドを見返した。

 

「あんたなんか……あんたなんかに、聞くことはないわ! それに、こんなところで死ぬつもりもないんだから!」

「いや、死ぬよ。ウェールズは治療なしでは戦えない。君の頼みの使い魔も、五対一なら十分殺せる。魔法衛士隊の戦力分析は、伊達ではないよ」

「……ああ、そうかよ」

 

 巧はゆっくり立ち上がった。ことここに至っては、遠慮する必要はなかった。

 

「ほう! 向かってくるのか。素晴らしい。正直、君は嬲り殺しにしたかったからな。魔法衛士隊の戦術陣形、とっくり味わって――」

 

【COMPLETE】

 

 巧はもう、何も言わなかった。ただ、手元のスイッチを押した。

 

【START UP】

 

 ファイズは超加速した。

 

【THREE…TWO…ONE...】

 

衝撃音が五連続、ほとんど同時に聞こえて、礼拝堂の中に小爆発が起こり、ワルドの“偏在”は残らず消滅した。

 

【TIME OUT】

 

 アクセルグランインパクト。

 

「があああああああ!」

 

 最後に残ったワルドがひざをついた。その右腕は衝撃に醜く爆ぜ、鮮血を滴らせている。

 

「何……何、が……クソ、この『閃光』ともあろうものが……」

 

 ワルドは霞む視界に、銀色の戦士を捉えた。戦士は奇妙な音を立てながら、元の姿に戻りつつある。ワルドは彼と、目があった。

 ゆったりした動きで、戦士は構える。完全敗北。ワルドの脳裏にその言葉がちらついた。

 

「これで勝ったと思うなよ……お前達はすぐに死ぬ! 同胞達は今にもこの城を蹂躙するだろう! 逃げ場はどこにもない! ウェールズも、そこな小娘も、貴様も同じだ! 愚かな王党派もろともに灰になるがいい、ガンダールヴ!」

 

 ワルドは不器用に左手で杖を振って、宙に浮くと、巧が入ってくるときにあけた穴から、空に飛び去った。

 巧はそれを見送ると、変身を解いた。ルイズは、倒れたウェールズのそばに跪いて、泣いていた。

 

「殿下……殿下! しっかりしてください!」

「こいつは……」

「タクミ、どうしよう、殿下が死んじゃうわ! 私、私なんかを、かばって……」

 

 巧は唇を噛んだ。彼にはどうしようもない。ルイズは顔をくしゃくしゃにして、泣いた。

 

「私、また何も出来ないわ! ここまで来たのに、私――!」

 

 その頭を、ウェールズの手が優しくなでた。

 

「そう泣くものではない、トリステインの大使殿」

「殿下!」

「ありがたいことに、まだ生きている。ヤツは結局、何一つ任務を果たせなかったようだな」

「動いてはなりません、お怪我が……」

「何、大した傷ではない。すまないが、私の杖をとってくれないか」

「ですが――」

「なに、このくらいの傷、自分で治してしまえるさ。少々寿命は縮まるだろうが、この状況ではな」

 

 ウェールズは杖を器用に使って、水ぶくれをなぞった。ワルドがつけた傷は、たちまち癒えた。

 

「タクミくんは、怪我はないかな」

「ああ。おかげさんでな」

「それは何よりだ。本当に――いや。今は、君たちを脱出させなくてはな。まだ正午には間があるが、船は出てしまったし、頼みのグリフォンはあの男のものだったし。情けないことに、我々には竜騎士の一騎も残っていない。さて、どうしたものか……」

 

 考え込むウェールズの足元で、地面がぼこりと盛り上がった。

 

「なんだ?」

 

 三人は目を見合わせて、距離をとった。敵が地面から現れたのだろうか。

 ウェールズが杖を向けたとき、床石が割れて、茶色の生き物が顔を出した。

 

「こいつは!」

「知り合いか?」

「知り合いというか、使い魔です。知り合いの。ジャイアントモールのヴェルダンテ」

 

 モグラが出てくると、後からひょっこり、金髪の少年が顔を出した。

 

「ヴェルダンテ、一体どこに穴をつなげたんだい? ずいぶん広いところに出たけど……おや、ルイズにタクミじゃないか! こんなところにいたのかね」

 

 ギーシュは早口にそういうと、立ち上がって土をはたいた。

 

「ところで、ここはどこかな。それから、そちらの、方は……」

 

 そこまで言って、気づいたらしい。ギーシュは真っ青になって、ひれ伏した。

 

「こ、これは皇太子殿下! たたた、大変な無礼をお許しください!」

「いや、楽にしてよろしい。それより、その穴は城の外に続いているのかな?」

「は、その通りです! おそらく、ルイズ、や、ヴァリエールの水のルビーを追ってきたものかと!」

「なるほど」

 

 ウェールズはルイズとタクミに向き直った。

 

「おあつらえ向きの脱出路だ。君たちは早く逃げたまえ。ここはすぐにも、戦場になるぞ。そうなれば、命の保障は出来ない」

「……殿下もご一緒ください! 姫殿下もそれを望んでおいでです!」

「ならぬ。ラ・ヴァリエール嬢、密書を持って帰還し、大使の仕事を全うせよ。私もアンリエッタも、それを望んでいる。君!」

「はいッ!」

 

 突然呼ばれたギーシュが、直立不動で答えた。

 

「彼女をお連れするんだ」

「は! ルイズ、行こう!」

「ちょっと、離しなさいよ! 離せったら!」

「仕方ないだろう! 行くぞ!」

「ギーシュ、この! タクミ! なんとかしなさいよ!」

 

 巧はギーシュに抱えられて穴に消えるルイズを振り向いた。ギーシュが手招きしている。

 

「君も、早く!」

「先に行け」

「なんだって?」

「外にバジンを置きっぱなしなんだ。俺はあいつと一緒に、空から帰る。どうせあいつの龍で来たんだろ。空で合流すればいい」

「タクミ、あんた……」

「心配すんな。すぐに追いつく」

 

 ギーシュは一瞬、彼を見つめた。

 

「……分かった。大陸の北側へ来たまえ。今ならそこが手薄だ……あとで会おう」

「ああ」

 

 二人は完全に、穴の中に消えた。礼拝堂には、ウェールズと巧だけが、残された。

 

「君も、早く行きたまえ。本当に帰れなくなるぞ」

「ああ。かもな」

 

 巧はファイズフォンでオートバジンを呼んだ。二足歩行の機械が、天井にあけた穴から降りてくる。

 

「相棒、どうしたね。嬢ちゃんたちは、もう逃げ出したみてえだが……」

「ああ、ちょっとな」

 

 巧は息をついで、ウェールズを見た。ウェールズは目を眇めた。

 

「俺と、こいつは――」

「やめておきたまえ。死ぬぞ」

「それはあんた達も同じだろ。放っておけるわけないだろうが」

「放っておけ。君には関係のないことだ。君はトリステインの少女の使い魔で、アルビオンには何の義理もない。君のしようとしているのは愚かな自殺行為だ」

「何――」

「私は皇太子だ。王族だ。国に殉ずる義務がある。君にはそんな義務はない。あの少女にもない。わかるかな」

 

 ウェールズの言いたいことは、わかる。しかし、しかし。巧は手のひらが崩れ落ちるような錯覚を覚えた。

 何もつかめない。何も手元に残らない。

 

「それでも、私たちのために何かしたいというなら――」

 

 ウェールズは、巧に向かって何かを投げた。輝きながら宙を待ったそれを、巧は危なげなくキャッチした。

 

「アルビオン王家に伝わる、風のルビーだ。アンリエッタに渡してくれ」

 

 そう言って、ウェールズは巧に笑いかけた。

 

「タクミくん、君の一番近くにいる少女を、守ってやれよ。僕にはできなかったことだ。それからついでがあれば、アンリエッタのことも守ってくれ。僕にはもう、できない」

 

 ウェールズは最後に、例の自嘲の笑みを見せた。

 

「さっきはああ言ったが、やはり生者を縛らずにはいられないようだな。未練だよ」

「……俺は平民で、使い魔だ。好きに吐き出しとけばいい」

「いや」

 

 ウェールズは首を振った。

 

「友人のよしみ、ということにしておいてくれないか。ずいぶんわがままなようだがね」

「構わないぜ」

 

 巧は小さく笑った。ウェールズも少し笑って、それから皇太子は巧に背を向けて、彼の戦場に消えた。

 

    ◆

 

「ちょっと、落ち着きなさいよ。ダーリンはすぐ合流するって言ったんでしょ?」

「落ち着いてられないわよ! あいつは、あいつはね……」

 

 死ぬ気なのだ、とは、ルイズは言わなかった。言ったら、本当にそうなるような気がしたからだ。

 

「ギーシュ! なんであの時タクミを止めなかったのよ!」

「し、仕方ないだろう! あんな顔をされたら、止められる男はいないよ!」

「それを止めなきゃしょうがないでしょうが! このバカ!」

「ば、馬鹿だとぅ!」

 

 はいはい、とキュルケが仲裁する。

 

「結局、私たちの任務もあんまり意味なくなっちゃったわね。間諜の真似事も、結構面白かったんだけど」

 

 タバサがぼそりと答える。

 

「そんなもの」

「そうね。生きてるだけで大成功よ、こっちは」

 

  キュルケはため息をついて、空を見上げる。と、ルイズが静かになっていることに気づいた。一瞬遅れて、甲高い推進音に気づく。銀色のゴーレムが青年を抱えて飛んでくるのが、ようやく彼女にも分かった。

 

 

 

「遅いわよ」

「悪かったな」

「帰ってこないと思ったわ」

「……すぐに追いつく、って言っただろ」

 

 風竜の背びれを背もたれに、ルイズたちは腰掛けている。タクミを降ろしたオートバジンが、竜と並んで飛んでいた。

 

「死ぬのかと……思ったわ」

「……」

「勝手に怪我するなって言ったでしょ。死ぬのも、駄目なのよ」

「……ああ、気をつける」

「助けてくれて、ありがと」

 

 タクミの返事はなかった。

 

「……今回、私は何にも出来なかったわね。ワルドに騙されて、あんたに助けられて。それだけ。戦争も止められなかったし、きっとみんな、死んじゃった」

「そんなこたないさ。お前だから、ウェールズは手紙を託したんだ。ワルドでも俺でもない、お前に」

「そう、かな」

「ああ。たぶんな」

「たぶん、ね」

 

 ルイズはふっと笑った。少しだけ、胸の奥が暖かくなったような気がした。

 

「ねえ、そういえば、忘れてたわ」

 

 タクミが怪訝な表情で振り返る。

 

「おかえりなさい、タクミ」

 

 彼は、はとが豆鉄砲食ったような顔になって、やがて、ほんの少しだけ、表情を緩めた。

 

「ああ、ただいま」

 




風のアルビオン編、これにておしまい!  結局文字数的にも一巻分を超えてしまいました。

ゼロの使い魔編は無数に生まれたゼロ魔ssのお陰でテンプレも整備されていますし、プロットの再編も簡単でしたが、アルビオンまで行くものはそれなりに希少なので苦労しました。

そんなわけで、アルビオン編はかなり手癖で味付けしました。
それでも、やはり基本プロットがきっちりできているだけで筆が止まることはなくなるもので、ヤマグチノボル御大の世界構築には舌を巻くばかりです。

閑話休題。

この前お気に入りが50を超えてキャッキャしていたのですが、いつのまにか三桁の大台を超えていました。
ひとえにゼロの使い魔、仮面ライダーファイズという作品の魅力で引っ張っている作品ではありますが、それでも数字に出ると感動もひとしおです。

感想も何度も読み返し、かみ締めております。
モチベの続く限りお話も続きますので、愛想の尽きないうちはお付き合いいただけると幸いです。







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始祖の祈祷書編
郷愁/零れ落ちた


「……それでは、やはりウェールズ様は父王に殉じたのですね」

 

 アンリエッタは沈痛な面持ちで息をついた。

 トリステインに帰還した巧たちは、学院に戻る前に王都に立ち寄った。もちろん、アンリエッタにアルビオンでの顛末を報告するためである。

 ルイズと巧を居室に通し、アンリエッタは目的の手紙を懐に収めたのだった。

 

「それに、あの子爵が裏切り者だったなんて。魔法衛士隊の中にまで、敵の手は及んでいるのですね」

 

 王女は小さく笑った。奇しくも、それは巧が見たウェールズのそれと似ていた。

 

「裏切り者を大使に選ぶなんて、私は王女失格ね。亡命を勧めるどころか、足を引っ張るばかり。それとも、ウェールズ様は私を愛しておられなかったのかしら」

「……やはり、亡命をお勧めになったのですね」

 

 ルイズが低く言った。

 

「ええ、ええ……でも、意味はなかったようね。ウェールズ様は立派な王族だったということなのでしょう。私よりも……国に殉ずることを選んだのだから」

「姫さま――もっと強く、私が殿下に亡命を勧めていれば――」

「いいのよ。あなたに命じたのは密書を届けることと、手紙を取り戻すこと。ウェールズ様を亡命させて欲しい、などとは一度も伝えなかったのだから」

「でも……」

 

 アンリエッタはルイズを手で制した。

 

「あなたは立派に勤めを果たしました。私の婚姻を妨げ、ゲルマニアとの同盟を挫こうとする敵の謀りは未然に防がれたのです。胸を張りなさい。あなたに託した水のルビー……それは、あなたが取っておきなさい」

「まさか! こんな貴重なもの、いただけませんわ!」

「忠義には報いるところがなければなりません。出来れば、使い魔のあなたにも、なにかしてさしあげたいのですが――」

 

 蚊帳の外だった巧は首を振った。トリステインでの“平民”がどれだけ弱い存在なのかは、身にしみてわかっている。

 それより、彼からも王女に、伝えなければならないことがあった。

 

「それより、これを受け取ってくれ。ウェールズ皇太子から、姫さまに」

 

 アンリエッタは怪訝な表情で、巧を見返した。その手のひらに、青い宝石のはまった指輪が移る。

 

「これは、風のルビーではありませんか」

「最期に、預かったんだ。姫さまに渡してくれってな」

「そう、ですか」

 

 アンリエッタは指輪を嵌めると、杖でなぞった。指輪の径がすぼまり、水のルビーは彼女の薬指に納まった。

 

「あの人は別れ際まで、皇太子だった。それでも、姫さまのことを忘れたわけじゃない……たぶんな。姫さまを守るために戦ってたんだ」

 

 最後は、確信を持ってそう言った。ガラでもない話だが、巧以外にこれを伝えられる人間は、一行の中にはいない。

 

「そうなのかしら。そうかもしれないわね。あの人がくれた命なら――」

 

 アンリエッタは顔を上げた。

 

「ありがとう、優しい使い魔さん。私も――ここで一つ、背負って生きてみようと思います」

 

 

 

「……あんた、あんなことも言えたのね」

 

 王宮の中を歩きながら、ルイズが巧の顔を覗き込んだ。

 

「なんだ、悪いかよ」

「いいえ、良くやったわ。ウェールズ様のことを聞いたときの姫さまは、今にも……」

「ああ」

 

 今にも、死んでしまいそうだった。

 

「とにかく、これで任務は完了だな。俺たちも帰ろうぜ」

「そうね。あんまり授業を休んでもいられないし……」

 

 言いながら王宮を出た二人の前を、兵士の一団が通りすぎた。城に降りたときにも絡んできた、マンティコア隊の連中である。彼ら以外にも、王都のあちこちに完全武装の兵隊の姿が見えた。

 

「きなくさいな。一体なんだってんだ」

「レコンキスタが次に攻めてくるなら、トリステインだもの。皆ぴりぴりしてるのよ」

「そうならないように、同盟を結ぶんじゃなかったのか」

「これからね。まだ結ばれたわけじゃないのよ。姫さまがゲルマニア王家に嫁いで、初めて……だから、私たちががんばったんだけど」

 

 ままならないわね、と呟いて、ルイズはため息をついた。巧も同じ気持ちだった。任務は果たしたはずなのに、いまひとつ心は晴れない。

 巧の場合、それはきっと、“また”生き残ってしまったせいなのだろう。彼はつまらなそうに空を見上げた。

 飛行禁止令の出された王都の空には、雲ひとつない。

 

「……大丈夫?」

「何がだよ」

「あんた、アルビオンのお城にいたときから、少し変よ。何か――なにか、あったの?」

「……」

 

 巧は言いよどんだ。言ってみれば、何もできなかったことが問題ではあった。

 

「なんでもねえよ」

 

 だが、彼はぶっきらぼうにそう言うに留めて、オートバジンのイグニッションを捻った。

 

    ◆

 

 国家の情勢は予断を許さない状況ではあったが、王都以外の地域にあっては、まだまだ他所の世界の話だった。それは魔法学院でも同じことで、オールド・オスマンはいつもの通り、自室にこもって煙草をふかしていた。

 

「いい加減にしていただけませんか、オールド・オスマン。私を秘書代わりに使うのは」

 

 いや、いつも通りとはいかなかった。フーケの騒ぎがあって以来、彼の秘書は不在である。

 

「私とて暇ではないのです。今日もヘビくんの試作をするつもりだったのに……」

「まあ、そう言うてくれるな、ミスタ・コルベール。私一人では、片付かん事務というものがある」

「新しく秘書を雇ってはいかがです。あるいは、他の先生方に声をかけるとか」

「今日は残念ながら、捕まらんでな。ああ、そっちの印を取ってくれんか」

「今日も、でしょう……」

 

 コルベールはそう言いながら、机の端から判子を取り上げた。積み上げられた書類のバランスが崩れて、ばさりと雪崩が起こる。

 

「なにをしておるか、全く」

「すみません。何しろ整頓が全くなされておりませんので」

 

 負けじと言い返しながら、コルベールは床にかがんだ。

 

「おや?」

 

 と、目に入ってきたのは革張りの古書である。

 

「なんです、これは。何も書かれていないようですが」

「これ、もっと大事に扱わんか。トリステイン王家に伝わる、“始祖の祈祷書”ぞ」

「“始祖の祈祷書”? 国宝の?」

「正確には、始祖の祈祷書とされる書籍の一つ、じゃがな」

 

 伝説の品として名高い“始祖の祈祷書”にはまがい物も多い。

 

「君も王室の伝統は知っておろう。王族の婚姻に際しては、貴族より“始祖の祈祷書”を携え、詔を読み上げる巫女を用意せねばならん。その巫女に、我が学院の生徒が選ばれたというわけじゃ」

「それで、王室から貸与されたのですか。それにしても、白紙とは……ところで、その生徒とは?」

 

 オールド・オスマンは重々しくうなずいた。

 

「もう、呼んである」

 

    ◆

 

「――さて」

 

 巧はヴェストリの広場にしつらえた大釜から、自分の入った風呂の残り湯を汲んだ。傍らのオートバジンに、ぶちまける。

 

「おい、相棒! もうちっと丁寧にやってくれ。水の勢いでぶっ倒れちまうかと思ったぜ」

「ああ、悪い」

 

 巧はぼろ布を手にして、オートバジンを磨きだした。

 

「もっと強くやってくんな。特に足回りを頼むぜ」

「わかった、わかった。しっかし、お前もずいぶん汚れたな」

「あったりめえよ! 相棒に出会ってからこっち、近くの町から遠くの国まであっちゃこっちゃ連れ回されてんだぜ。さしもの俺も、汚れてくるってもんさ……って、どうしたね、相棒」

「いや、ここらは傷がひどくてな。磨いてもどうしようもなさそうだ」

「ああ、そりゃ前からついてたやつさ。俺がやられた時の……こっちに来たときにふさがっちゃあいるが、完全には消えなかったみてえだな」

 

 巧はオートバジンの傷跡をなぞった。円形に、ちょうど何かが刺さったような形をしている。

 

「お前が、やられた時……」

「なんだ?」

「バジン、お前、どうやって壊れたんだ?」

「そりゃ相棒、前も言わなかったか? でっけえオルフェノクの棘が何本も刺さってよお。ありゃ痛いなんてもんじゃなかったぜ」

「そうか……」

 

 巧は黙って、ぼろ布をお湯に浸した。

 

「俺とお前は、ひょっとしたら――」

「ちょっと待った。お客さんだぜ、相棒」

「何?」

 

 彼が顔を上げると同時に、声が聞こえてきた。

 

「イヌイさーん!」

 

 シエスタだった。いつものメイド服に、今はカチューシャを外している。

 

「やっぱりここにいたんですね。今日は広場で“お風呂”を焚いてるって、親方から聞いて」

「ああ。どうした?」

「あの、ですね! あれです、あれ……そう、今日はとっても珍しい品が手に入って! ご飯のときに厨房でご馳走しようと思ったんですけど、私、配膳で忙しくて! 今、いかがですか? 東方の、ロバ・アル・カリイエから運ばれた、緑茶って言うらしいんですけど」

「緑茶……」

 

 言われてみれば、懐かしい香りが、シエスタの携えたお盆から漂ってきていた。彼女はポットを取り上げると、洋風のティーカップにお茶を注いだ。

 

「ちゃんとフーフーしてあげますからね」

「いいよ。それくらい自分で出来る。それより、一緒に飲もうぜ。ご馳走なんだろ」

「……! はい!」

 

 巧はオートバジンに寄りかかりながら、シエスタと並んでお茶をすすった。トリステインの夏は、日本と違ってからっとして、夜は涼しい。すぐに適温になった茶は、温かかった。

 

「ほんとは、ずっと謝りたかったんです。あの時のこと……イヌイさんが、決闘したときのこと」

「……そんなこともあったな」

 

 なんだか、ずっと昔のことのように聞こえた。アルビオンの道中では、ギーシュと絡むことも多かったし、一応、巧には彼に含むところはない。

 

「私、イヌイさんが大変なことになると思って――逃げてしまって。本当に、ごめんなさい」

 

 シエスタはぺこんと頭を下げた。

 

「気にすんな。そうすんのが普通だろ」

「でも……」

「済んだ話だ。あいつとももう、対立してるわけじゃないしな」

 

 それに。

 

「俺にも、少しはこの、国のことがわかってきた。メイジに逆らうのは、やばいことなんだろ」

 

 世界とは、言わなかった。

 

「ええ、だから――」

「まあ、気にすんな。俺に借りを感じてるなら、これからも飯をわけてくれりゃいい」

 

 そう言って、巧はお茶をすすった。やはり、適温に冷えている。隣でシエスタが、ぽつりと言った。

 

「ありがとう、ございます。……イヌイさんって、強いんですね」

「強い? 俺が?」

「はい。私は、そう思います。貴族の方と接していると、折れそうになることも、多くて」

「ああ――わかるぜ」

 

 シエスタはカップを両手で暖めた。

 

「あの、イヌイさんさえ良ければ、なんですけど。一度、私の故郷に来てみませんか? タルプの、小さな村なんですけど」

「村?」

「ええ。皆、私たちと同じ平民ばかりで……その、この国は“貴族と平民”だけじゃないんです。きっと、イヌイさんにも、その……一息つけると思います」

 

 寝耳に水の話だった。

 

「相棒、行ってみたらどうだい」

「ひゃあ! この椅子、喋るんですか!?」

「チッチッ、俺は椅子じゃねえ。オートバジンと呼んでくんな」

 

 巧はシエスタをなだめた。

 

「大丈夫だ、悪いやつじゃない」

「あ、その。さっきの話なんですけど」

「ああ。考えとく。マジでな」

 

 

 

 空になったポットとカップをお盆に乗せて、何度も振り返りながらシエスタは帰っていった。

 

「モテモテじゃねえか、相棒」

「うるせえ。余計なこと言いやがって」

「でも、必要だぜ? 最近の相棒は、ひでえ顔してるからな」

「どんな顔だよ」

「嬢ちゃんにでも聞いてみな。俺が言っても、聞かねえんだろ」

「かもな」

 

 トリステインの夏は、冷える。昼間の熱気がすっかり抜けた夜風が、巧の髪を吹きぬけた。

 ひどい虚脱感が巧を襲って――やがて、消えた。だが、それは間違いなく、気のせいではなかった。

 

(続く)

 




続いた。


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トラッフルホッグ/言葉遊び

 ゆらゆら揺れるランプの明かりを頼りに、ルイズは始祖の祈祷書を眺めた。もちろんそれは白紙だったから、ランプが点いていようと点いていまいと変わらないようなものだったけれど、詔をしたためようとするなら話は別だ。

 

「はあ……」

 

 何度か寝返りを打って、今日何回目かのため息をつく。いくら眺めても祈祷書が白紙のままのように、詔が浮かんでくる気配は無かった。羽ペンをインク壺のところに戻して、ルイズはベッドにひっくり返る。

 

 姫さまの新しい門出を飾る詔を任されたのは、とっても名誉なことだと思う。ヴァリエール家のルイズ・フランソワーズここにあり! と叫べる、ルイズにとっては数少ない機会だ。

 なのに筆が全く進まないのは、結婚式そのものを祝福する気になれないからだろう。

 

「だめよ、ルイズ。そんなこと、ほんの少しだって考えちゃ……」

 

 がちゃん、とドアのほうで音がして、巧が帰ってきたのが分かった。

 

「おかえんなさい」

 

「まだ起きてんのか。珍しいな」

 

「ただいまくらい言いなさいよ」

 

「ここは俺の部屋じゃないらしいからな」

 

 ドアの札をしゃくって、巧が布団を広げる。不意に怪訝な表情になって、男はベッドの側に視線を向けた。

 

「……お前、なにやってんだ?」

 

「書き物」

 

 ルイズがそっけなく答えると、背後で巧が布団を広げ始めたのがわかった。ルイズが自分から干渉しない限り、巧はいつも勝手に自分のことをしている。要するにルイズも自分のことに集中できるわけだが、相談に乗ってほしいときは今一つ気が利かないと思う。

 

「ねえ」

 

「……どうした」

 

「やっぱいいわ。あんたに聞いてもしょうがないから」

 

「なんだそりゃ。だったら最初から声かけんなよな」

 

 俺は眠い。巧はそう言って、布団に入った。今日も昼寝しているのを見かけたのに、もう眠ってしまうつもりらしい。

 

 よく寝るやつ……と呟いて、ルイズはランプを吹き消した。こうして暗くしてみると、彼女の使い魔の手元でルーンが光っているのが良く見える。ワルドは――思い出したくもないけれど、このルーンをガンダールヴと呼んだ。

 

 伝説の使い魔、ガンダールヴ。タクミがほんとにそうなら、なんで私はゼロのままなのかしら。

 

 かすかな劣等感をシーツごと被って、ルイズは無理やり目を閉じた。彼女の使い魔が普通の人間と変わるところのない寝息を立てていることが、ほんの少しだけ救いだった。

 

    ◆

 

「ああ、あれ? なんでも、始祖の祈祷書らしいわよ。トリステインの王女の結婚式で、詔がどうとか」

 

 天気の良い日なら、日当たりの良い中庭は巧の定位置だ。少なくとも授業のあるうちは、誰にも邪魔されずにのんびりしていられる……はずなのだが。

 

「ダーリン、聞いてないの?」

 

 今日はどういうわけだか、キュルケがちょろちょろしていた。授業を抜けて、中庭にサボりに来たらしい。彼女の向こうでは、タバサも中庭に下りてきている。普段は多少奇矯に振舞っていても、あえてサボるタイプだとは思っていなかったが……。

 

「知らねえな」

 

「あら、そう。この前のアルビオン行きも、その関係だと思ってたんだけど。トリステインとゲルマニアの同盟の話、聞いてないかしら?」

 

「さあ、どうだかな。お前、わざわざそんなことを聞きに来たのかよ」

 

 巧は背中をにじってキュルケから距離をとった。初対面の印象もあって、巧はこの女がどうも苦手だった。何しろ燃やすことを愛好しているというのが良くない。

 

「もう、つれないのね。ちょーっと、手伝って欲しいことがあるのよ」

 

 キュルケは胸元から古びた羊皮紙を取り出して、べろりと広げた。

 

「なんだそりゃ」

 

「宝の地図よ」

 

「宝ぁ?」

 

「ゲルマニアでは、爵位と公職の購入が認められているわ。誰でも軍人や官僚になれるの。それって貴族になれるってことよ」

 

「それで、宝探しってわけか。興味ねえな。だいたい、お前は元から貴族だろうが」

 

「違うわよ。貴族になるのはあ・な・た。ダーリンならシュヴァリエを目指しても良いけど、もっと手っ取り早く地位を手に入れておいたほうが、後々安心よ? 最近、あちこちきな臭いんだから」

 

「それはどうかな」

 

 不意に、背後からきざな声が割り込んだ。

 

「ギーシュ! あんた、いつから聞いてたの?」

 

「最初からさ。タクミ、そのゲルマニア女の口車に乗るのはやめておきたまえ。戦時となれば、貴族は矢面に立って戦うものだ。きみ、戦うのは得意でも、好き好んでるわけじゃないんだろう」

 

 それに、とギーシュは続ける。

 

「その宝の地図だって、怪しいもんさ。どこの馬の骨とも知れない輩の古文書を高値で売りつける商人を何人も見たことがあるよ。その多くがニセモノだ」

 

 そう言うと、彼は片手に下げたワインを煽った。水の悪いトリステインでは、酒を常飲する。……が、それにしても彼は飲みすぎていた。明らかに、顔色が悪い。

 

「二股の挙句に振られて、荒れてるのよ。最近」

 

「ぼくは二股なんてしてないやい! ケティは手を握っただけだし、モンモランシーにだって軽くキスしただけさ! それを寄ってたかってきみたちは!」

 

 ううっ、と泣き出した少年の声は、途中から胃液を戻す音に変わった。きゃあ、と叫んでキュルケが飛びのく。

 

「お、おい……」

 

「大丈夫、大丈夫だとも」

 

 ふふふ、と笑って、ギーシュはワインで口をすすいだ。酔っ払いの面倒を見た経験は、巧にはない。真理は時たま、酒のビンを開けていたけれど、それにしたって格好をつけていただけだ。

 

「いいのよ、ダーリン。酔っ払いはほっといて、宝探しに行きましょうよ」

 

「興味ないって言ってんだろ。だいたい胡散臭いぜ、その地図」

 

「まあ、一枚二枚ならそうでしょうね」

 

 キュルケは再び胸元に手を突っ込むと、羊皮紙の束を取り出した。

 

「でも、これだけあればどうだか分からないでしょう? 一つくらいは、本物があるかもしれないわ! 本当に一攫千金も夢じゃないわよ。本物が見つかれば、ゲルマニアに行かなくったって、褒賞がもらえるかも知れないわ」

 

 そしたら、姫さまからの覚えもめでたいでしょうね。キュルケは、これはギーシュを見ながら言った。

 

 ゲロを避けて、ギーシュはどかりと腰を下ろす。

 

「その話、ぼくも一枚噛ませてもらおう」

 

    ◆

 

 最初に言ったように、巧は宝には興味がなかったし、貴族にはもっと興味がなかった。姫さまからの褒賞とやらも、あまり現実的なものには思えない。アンリエッタ王女は今、そんなに愉快な心持ではないはずだった。それに、彼のご主人様も。

 

「いいわよ、行ってきたら……」

 

 ベッドの上で白紙の本――キュルケに聞いたところでは始祖の祈祷書なる由緒正しいものだそうだが――を広げて、ルイズは気のない返事を巧に返した。

 

「お前、大丈夫かよ」

 

「なにが。私はいつだって大丈夫なんだから。あんたは好きにしなさいよ」

 

「……」

 

 今のルイズは、どうも詔とやらで頭がいっぱいらしかった。確かにこの間のことを思い出してみても、ルイズとアンリエッタの関係は一日二日のものではない。ぽっと出の巧が土足で立ち入って良い領域ではないのだ。

 

 政略結婚そのものをどうにも出来ない以上、この問題はルイズが自ら折り合いをつけるしかない。

 

 そうでなくても、本来一人部屋に、二人きりで毎日過ごしている。ここらで一人きりになる時間を確保してもいい頃合だ、と巧は判断した。

 

「じゃ、行ってくる」

 

 と言った巧に、ルイズはやっぱり気のない返事を返して、ひらひらと手を振って見せた。

 

 そんなわけで、巧はキュルケたちに同行することになったのである。

 

 

 

【REFORMATION】

 

 ――ファイズの背後で、巨大な影が爆発する。根城にしていた寺院に逃げ込みかけたオーク鬼が、クリムゾンスマッシュの露と消えた。

 

「さっすがダーリン! 鎧袖一触ね!」

 

 廃寺院を中心に、廃村のあちこちにオーク鬼が倒れていた。槍によるものと思しき刺し傷や、かまいたちに吹かれたような切り傷、墨になるほどの火傷で倒されたものがいくつかある以外は、冗談みたいに大きな穴が空いて、死んでいる。

 

「打ち合わせと違うぞ」

 

「それは酔っ払いが先走ったからでしょ。本当なら、もうちょっとスマートに行くはずだったのよ」

 

「ぼ、ぼくはもう素面だぞ!」

 

 ギーシュが声を震わせると、

 

「粗忽者」

 

 とタバサが止めを刺した。

 

「なんだとぅ!」

 

「もういいだろ。後でやれ。宝探しに来たんだろうが」

 

「そ――そうだ! キュルケ、今度こそ本物なんだろうね! “ブリーシンガメル”とやらは!」

 

「ええ、たぶんね」

 

「頼むよ、本当に……」

 

 ギーシュが情けない声を出した。気持ちはわからないでもない。キュルケの言い出して始まった宝探しの旅は、宝探しという点では全くの空振り続きだった。当初ギーシュが懸念していたように、宝の地図はどれも偽物だったのである。

 

 四人は廃寺院の中に足を踏み入れた。

 

「えっとね、祭壇の下を探ってみて。チェストがあるはずよ」

 

「どれ……あった」

 

「その中に、ここの司祭が村を放棄するときに隠した金銀財宝と、ブリーシンガメルがあるはずなんだけど……」

 

 ギーシュが、埃まみれのチェストを引っ張り出した。巧はタバサと並んで、それをやや遠巻きに眺める。

 

「“ブリーシンガメル”って、なんなんだ?」

 

「“炎の黄金”で作られているとされるタリスマン。身につけた者をあらゆる災厄から守る……とされている」

 

 大きな音を立てて、ギーシュがチェストをこじ開けた。果たして――。

 

 

 

「これが“ブリーシンガメル”かい?」

 

 ギーシュは不満げに、焚き火に向かって古びた首飾りを示した。くすんだ真鍮が鈍い光沢を放つ。

 

「それに、“金銀財宝”? 銅貨ばかりじゃないか! なあキュルケ、これで七件目だぞ! 全部ハズレだ、秘宝なんて一つも見つからないじゃないか!」

 

 キュルケは聞いているのかいないのか、小さいやすりでつめを磨いている。タバサはいつも通り大物の本を広げているし、あまりチームの雰囲気は良くなかった。

 

「今日もこのパンか」

 

 巧は、ギーシュが手に取ったのと同じ、焚き火であぶった固パンをかじった。どうにも学生たちのテンションが上がりきらないのは、食事の内容が振るわないこともあるようだ、と思う。巧はともかく、貴族の子ども達には我慢ならないのだろう。

 

「じゃ、どうするの? あんただけ手ぶらで帰ってもいいのよ」

 

「きみ、まだ諦めてないのか?」

 

「あったりまえよ! まだ宝の地図は残ってるんだから!」

 

 キュルケは、また羊皮紙を広げた。

 

「次は、かなり期待が持てるわよ。タルブの村に伝わるという、竜の羽衣。風系のマジックアイテムみたいね。馬を使えば、ここからすぐよ」

 

「村か……」

 

 田舎の村だ、貴族が行けば眉をひそめはするものの、表面上は歓待してくれるだろう。少なくとも、野宿はしないで済む。チームの雰囲気は、新たなアテの浮上に和らいだように見えた。

 

 巧にしてみれば、別に野宿も耐えられない話ではなかった。旅はいいもので、普段がどんな人間であっても、どこかに行く“途中の人”になれる。彼の“旅”が始まったのも、そうした旅の途中に起きた出来事だった。

 

 焚き火にかけたヤカンのお湯で、コーヒーを入れる。

 

 

「ダーリン、これ濃いわよ」

 

「普通」

 

「薄いな」

 

「……悪かったな、へたくそで」

 

 巧は、最後に出した薄いコーヒーを覚ましながら啜った。学院を出てから、一週間が経っていた。

 

(続く)

 




エターしたと思ったか?

俺はエターしたと思った。


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望郷/

 タルブの村は、広々した草原と森に囲まれた、素朴な村だった。連れ立って訪れた貴族たちと巧は、村長の家に通されると、素朴なりの歓待を受けた。

 

 ヨシェナヴェという郷土料理を作っているところだ、と村長は言った。

 

「あんまり期待できそうに無いわね」

 

「それでも、人間の食べ物だよ」

 

 贅沢な内緒話を交わす貴族に、村長は不安げな笑みを浮かべた。

 

「大したおもてなしも出来ませんで。料理がお口に合えばよろしいが」

 

「いいえ、お気になさらずに。いきなり押しかけたのは私たちなんですから」

 

 さっきまでの内緒話が無かったかのようにキュルケはオホホ、と笑ってみせる。村長は額の汗を拭って立ち上がると、扉を開けて給仕を招きいれた。

 

「そう言っていただけると助かります。こちらの娘は魔法学院で勤めておりまして、腕は確かなのですが……何しろ、素材が足りませんでな」

 

 魔法学院の生徒たちが「え?」と顔を上げるのと、「あ」と給仕が声を上げるのが同時だった。鍋の盆を抱えた少女が、巧たちを見ていた。

 

「皆さん、どうなされたんですか?」

 

 魔法学院の給仕……シエスタだった。

 

 

 

「ここは、私の故郷なんです。しばらく、お休みを貰ってたのに、貴族の方が尋ねてきたっていうから……でも、知ってる人達で良かった」

 

 村に程近い草原に、大きな木造建築があった。ここが“竜の羽衣”の納められた寺院だという。

 

「ほんとは、イヌイさんとご一緒したかったんです。前、お話したでしょ。でも、私がお休みを貰った時には、もう出かけてるって聞いて……」

 

 シエスタは大きな南京錠のロックを外すと、一度に扉を引き開けた。

 

「さあ、これが“竜の羽衣”です」

 

「こいつは――」

 

 巧は思わず息を呑んだ。暗い室内に、深い緑色の構造物がうっそりとたたずんでいた。三枚のプロペラと、広がった翼。五十年以上も古い、戦う形。オートバジンが、興味深げにランプを明滅させる。

 

「戦闘機、だな」

 

「ダーリン、知ってるの?」

 

「相棒じゃねえ、喋ってるのは俺だろが! こいつはなあ、俺らの世界の武器なんだ。どこのどいつがどこから持って来たってんだ?」

 

 シエスタが恐る恐る手を上げた。

 

「私の、ひいおじいちゃんです。“竜の羽衣”で、東の地からここまでやって来たんだ、って……誰も、相手にしませんでしたけど」

 

「そりゃそうだろう。これはドラゴンやワイバーンと比べても大きいくらいじゃないか。こんなコチコチの翼じゃあ、羽ばたくことは出来ないよ」

 

 翼は羽ばたくからこそ飛べるんだ、とギーシュは講釈を垂れる。シエスタもうなずいた。

 

「でも、ひいおじいちゃんは譲らなかったそうです。すごく働き者で、色んな便利な道具を思いつく人で……尊敬できる人だったけれど、変わり者だったって」

 

 オートバジンは不満げにランプを明滅させて、

 

「だろうな、この世界じゃ」

 

 とだけ言った。ギーシュとキュルケはつまらなさそうに“竜の羽衣”を見上げる。巧だけは、少しばかり懐かしさを覚えて戦闘機の周囲を一回りした。

 

 その様子を見て、彼らの落胆が伝わったらしい。シエスタは、いそいそと言葉をつむいだ。

 

「でも、“竜の羽衣”はこれだけじゃないですよ! ひいおじいちゃんは、空を飛ぶことにすごく執着する人だったらしくて……似たようなマジックアイテムを、たくさん買い集めたそうなんです。奥にもいくつか置いてありますから、あんまり気を落とさないで!」

 

 キュルケが、少し気を取り直した様子で顔を上げた。

 

「そうなの?」

 

「ええ! こっちです!」

 

 シエスタは戦闘機を回り込んで、一行を寺院の置くにいざなう。ただ床に置いてあった戦闘機とは違って、奥に安置された“竜の羽衣”たちにはそれらしい置き場所が設えられていた。

 

 博物館だか美術館だかのような寺院の奥で、一行は展示台を縫うように歩き回る。

 

「……駄目だ、めぼしいものは無いよ」

 

「こっちもそうね。どれもがらくたばかりよ」

 

 ギーシュとキュルケが声を上げる。巧の見る限りでも、その通りのようだった。様々な素材で作られた鳥の彫物に、真っ白な細長い一枚布。布で包まれた巨大な塊は、飛行装置だという。美術的には価値が無くも無いのかも知れないが、それも彼にはよくわからない。

 

「……」

 

 視界の端に、ふと意識がとまった。展示台の上に、見慣れた白いシルエットがある。

 

「これは……」

 

 フォンとベルトからなる、金属製のツール。今もオートバジンの二台に括りつけてあるファイズツールと同じシルエット。明らかに、スマートブレインの技術が絡んだ代物だった。

 

「天のベルトじゃねえか」

 

 布で包まれた装置に向かって、「兄弟、おう、兄弟じゃねえか!」と叫んでいたオートバジンも、同じアルカヴに目をとめた。

 

「なんだって?」

 

「サイガツールだよ。相棒もやりあったろうが? 兄弟に加えて、まっさかこんなところでお目にかかるたあ、思ってなかったがね。なるほど、こいつは“竜の羽衣”だあな」

 

「お前、たまに何言ってるかわからねえぜ」

 

「相棒――?」

 

 オートバジンが何か言いかけたとき、キュルケがきゃあっと声を上げた。

 

「ダーリン、これは? もしかして“黒のベルト”と同じお宝じゃないの?」

 

「なんだって? 本物があったのかい?」

 

「いや、これは――」

 

 駆け寄ってきたギーシュとキュルケに、巧は首を振った。

 

「普通のやつには使えない。黒のベルトと同じならな」

 

「そんなの、買う側は知らないでしょ。売りつけちゃえば、こっちのもんよ」

 

 キュルケのこの言葉に、わわわ……とシエスタが割り込んだ。

 

「だ、駄目ですよ! これは、ひいおじいちゃんの集めた、この村の宝物なんですから! 持って言ったりしちゃ、いけません!」

 

「あら、いいじゃないの。一つくらいなくなったって」

 

「まあ、その辺にしとけ。使えなきゃ、ただのがらくたなんだから」

 

 ちぇ、とキュルケは口を尖らせる。ギーシュも、ため息をついて床にへたりこんだ。

 

「やれやれ。結局、宝探しはどれも空振りと言うわけだね。はあ……」

 

 

 

 ほうほうの体で村に戻った一行は、学院から村長に届いたという伝書フクロウからの知らせを聞くことになった。どういうわけで彼らがここにいることになったのかは定かではないが、文面は授業をサボり続けた学生にかなり強い怒りを示したもので、学生の三人組は(タバサでさえ)顔を青くした。

 

「ごめんなさいね。帰り道も、一緒にいられると思ったのだけど」

 

 タバサの風竜の上で、キュルケは申し訳なさそうな顔をした。

 

「気にしなくていいから、さっさと帰れ。授業に出ないと、やばいんだろ」

 

「彼の言うとおりだ! キュルケ、早く乗ってくれ!」

 

 ギーシュの言葉に「野暮ね」と呟いて、キュルケは竜の背に飛び乗った。タバサが小さくうなずくと、瞬く間に竜は地を蹴り、上昇に転ずる。

 

 最後にキュルケから投げられたキスを避けて、巧は村に戻った。日は既に、かなり西へ傾いている。上手く街道に出れても、到着はかなりの夜中になるはずだ。特に切羽詰った用事も無い巧は、ここで一泊することにしたのである。

 

    ◆

 

 貴族の三人が飛び立ったあとのシエスタは、さっきよりもさらに気楽そうに、巧を案内してくれた。改めて村長と、彼女の両親に挨拶した巧は、最後に小高い丘に案内された。

 

「すごいんですよ、ここからの眺めは。イヌイさんに、ずっと見せたかったんです」

 

「ああ、確かにすごいな」

 

 丘からは、タルブの村を囲むという広大な草原が一望できた。遥か向こうの山に、夕日が没しようとしている。

 

「ここ、私のお気に入りの場所なんです……子どものころはいつもここで、夕日を見てて。帰りが遅くなって、怒られてました」

 

「そうか」

 

 巧も、夕日を見上げた。日の丸を抱いた戦闘機。白いベルト。木造寺院の作り。どれも直接彼に関係のあることではなかったけれど、彼の居た世界を象徴するものだ。それだけに、彼の中にあった望郷の思いが絶妙に刺激される。

 

「今日は、泊まっていって下さい。父も母も、イヌイさんのことを気に入ったみたいだし。ひいおじいちゃんの国の人が来たのも、何かの縁だろう、って」

 

「悪いな。急に来たのに。それに――」

 

 シエスタの曽祖父は、彼と同郷の者が現れた時に、戦闘機を譲り渡し、「陛下にお返し」するよう遺言していたそうだ。だが、巧にはとても、それを遂行することは出来そうにない。

 

「いいんです。イヌイさんなら。だって、イヌイさんだから」

 

 照れくさそうにそう言って、シエスタは笑った。私、お夕飯の準備してきますね、と、足早に丘を下る。

 

「いい感じじゃねえか、相棒」

 

 どうだい、ここに居ついちまうってのも。オートバジンがからかうように言った。

 

「冗談じゃねえ」

 

「実際どうなんだ、そこんところ。帰れるとしたら、相棒は帰りたいのかい?」

 

「……さあな」

 

 どの道、この命は長くない。少しばかり誰かのために生き長らえてみよう。そのくらいの気持ちで始めたこの世界での暮らしが、思ったよりも長く続いていた。

 

「そうかい。ま、後悔だけはしないようにな。俺は、今度こそ最後まで、お供するからよ」

 

「そうかよ」

 

 でも、あんまし俺なんかに義理立てすんな。巧はそう言って、立ち上がった。丘の上からは、村も良く見える。その一軒から、シエスタが顔を出したのがわかった。夕食の時間だ。

 

(続く)

 



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空中の怪物/徹夜明けの戦場

「えー……こほん」

 

 巧の前で、ルイズが始祖の祈祷書を広げた。その目の下には、浅いくまが現れている。

 

「この麗しき日に、始祖の調べの光臨を謳いつつ、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールが恐れ多くも祝福の詔を詠み上げ奉る……」

 

 巧はあくびをかみ殺した。タルブの村から帰ってきて、疲れているのは彼も同じである。ルイズは続けた。

 

「炎……」

 

「炎?」

 

「炎は熱いので、気をつけること」

 

「……」

 

「風が吹いたら、樽屋が儲かる」

 

「……待て」

 

 流石に、巧は口を挟んだ。

 

「こいつは姫様の結婚式で読みあげるんだろうが。ふざけんのもいい加減にしとけよ」

 

「ふざけてなんかないわよ! 精一杯考えてこれなの!」

 

「そ」

 

 これほどの剣幕で噛み付かれては、「そうかよ」と言う他なかった。

 

「大丈夫なのかよ。祝福の詔とやらは『口上の後、四大系統に対する感謝の辞を誌的な言葉で韻を踏みつつ詠み上げ』なくちゃならないんだろ」

 

「そうよ!」

 

「間に合うのかよ、それ」

 

「間に合わせないといけないのよ、私が……式まで、もう時間がないんだから。あんたはもう、寝なさい」

 

 ルイズは放り投げるようにそう言って、カーテンを閉めた。ランプの明かりは消える気配がない。今日も、夜更かしして詔を考えなおすつもりらしかった。

 

 一週間あけた割に、状況は何も進展していなかった。こうなってしまうと、巧にできることはほとんどない。

 

「……根詰めすぎるなよ」

 

ルイズに聞こえているのかいないのか分からないくらいの声でそう言うと、巧はしばらくぶりに部屋の布団を広げた。

 

    ◆

 

 巧が目覚めた時、ルイズはすでに身支度を整えて、始祖の祈祷書を携えていた。その表情には疲れの他に、妙にはつらつとした雰囲気が漂っている。

 

「タクミ、遅いわよ。さっさと準備なさい」

 

「お前、徹夜したのか?」

 

「まあね。なんとかすればなんとかなるものよ」

 

 フフフ、とルイズは不気味に笑った。徹夜明けの異様なハイテンションが彼女を支えているらしい。呆れるばかりの粘りだ、と巧は内心舌を巻く。

 

「布団を畳んで、上着を着なさい。すぐにも馬車が迎えに来るわよ!」

 

 しかし、馬車は来ていなかった。馬車が乗りつける手筈の広場には、王都のものと思しき早馬が一頭、口から泡を吹いてつながれるところだった。

 

「君、オスマン氏の居室は!」

 

 馬から飛び降りたばかりの使者は、つばきを飛ばしながら二人に尋ね、礼も言わずにオールドオスマンの居室に走っていった。ルイズと巧は、わけもわからず広場に取り残される。

 

 二人は顔を見合わせて……どちらともなく、使者を追った。

 

 

 

「……布告とな?」

 

「いかにも! 敵軍はタルブの草原に陣を展開、我軍と衝突しつつあり! 学院におかれましては生徒及び職員の禁足令を願いたく!」

 

 二人が耳を押し当てた分厚い扉の向こうからは、それでもはっきり、使者の言葉が聞き取れた。

 

「アルビオンが、もう攻めてきたんだわ」

 

 苦虫を噛み潰したような表情で、ルイズが呟く。

 

「……況は……っておる?」

 

「は! 敵軍は巨艦『レキシントン』を筆頭に戦列艦が十数隻、上陸した総兵力はおよそ三千! 我軍の艦隊主力は卑劣な騙まし討ちにより壊滅状態、地上戦に投入可能な兵力は二千と見積もられております!」

 

「……ルマニア……援軍は……」

 

「同盟に則り、ゲルマニア軍の派遣を現在要請中、しかしながら先鋒隊の到着は三週間後とのことです!」

 

「……ずいの、それは」

 

「は! 現在はタルブの村に竜騎兵による火災が発生しているのみですが、今後被害の拡大が予想されております!」

 

 巧は全身の血が逆流するような感覚を覚えた。弾かれたように扉から離れると、広場に向かって駆け出した。

 

「ちょ、ちょっと!」

 

 ルイズの静止も聞かず、中庭に飛び出す。オートバジンに挿しっぱなしのイグニッションキーをまわして、ヘルメットに頭をねじ込む。ほとんど同時に、足元のスタンドを蹴っとばした。

 

「おい、相棒!?」

 

「待ちなさいよ、タクミってば!」

 

 石造りの塔から追いかけて来たルイズが、何とか間に合った。

 

「どこ行くつもりよ!」

 

「タルブの村だ! シエスタを助けに行かねえと!」

 

「何言ってんの! 戦争してるのよ! メイジの一人や二人を相手にするのとはわけが違うんだから! 相手は戦艦に、本物の軍隊なのよ!」

 

「だとよ、バジン。行けるか?」

 

 オートバジンは、困惑したようにランプを明滅させた。

 

「そりゃ、行くだけなら行けるだろうさ。この世界の軍隊も、ライオトルーパー連中と比べりゃ物の数じゃねえ」

 

「あんたまで馬鹿なこと言ってるんじゃないわよ!」

 

「まあ、最後まで聞け。いいか、相棒、帰ってくるのはかなりキツイぜ。嬢ちゃんの口ぶりじゃ、相手にはアルビオンで見たあの船もいるんだろう。……王子サマの言ったこと、忘れたわけじゃねえよな」

 

「覚えてるよ、うるせえな」

 

「だったら、やめとけよ! 今度こそ死んじまうぜ! せっかく生き残ったんだからよ、もうちょっと命を大事にしろよ!」

 

「そうよ! 死んだら駄目だって、言ったでしょ!」

 

「それも分かってる」

 

「だったら!」

 

 巧はルイズを見た。それから、オートバジンを見た。

 

「俺がお前たちの言うことを聞いて引き下がれるような人間なら、ここには来てなかった。これしかないんだ、俺には。他のやり方じゃ、何も掴めない」

 

 悪いな、とハンドルを撫でて、巧はエンジンをふかす。「仕方ねえな」と呟いて、オートバジンは静かになった。

 

「分かったわ」

 

 ルイズは、静かにならなかった。

 

「私も連れて行きなさい」

 

「は? 今なんつった」

 

「私も連れて行きなさいっていったの! 村の人達を助けに行くんでしょ。手がいるわ」

 

「馬鹿言うな。残れ」

 

「馬鹿言ってるのは、そっちよ! 戦争なのよ! 喧嘩するのとはわけが違うわ。助けに行くと言うなら、それなりの計画を立てなくちゃ」

 

 それに、とルイズは続ける。

 

「最近、あんたのことが分かってきたわ。放っておくと、すぐに死にたがるんだから。ちゃんと監督者が必要でしょう」

 

 いいからヘルメットをよこしなさい、とルイズは手を突き出す。

 

「……こりゃ相棒の負けだぜ」

 

「お前まで、そんなこと言うのかよ」

 

「俺は相棒の身を第一に考えて言ってんだ。だいたい相棒よ、もう考える時間も惜しいんじゃねえか?」

 

「……」

 

 確かに、オートバジンの言うとおりだった。巧はルイズのヘルメットを取り出すと、目の前の主人に放り投げる。

 

「危なくなったら、お前だけでも逃がすかんな。その時はちゃんと逃げろ」

 

「タクミも逃げるなら、そうするわよ」

 

 顔をしかめて、返事をせずに、巧はエンジンをふかした。ずん、と音を立てて、世界に一つしかないオートバイが走り出した。

 

    ◆

 

 道を無視して、オートバジンは最短距離を進んだ。ものの焦げるきな臭い匂いが強くなる。不意に森が途切れて、巧たちはだだっ広い草原に出た。

 

「まずいぜ、相棒」

 

 オートバジンが小さく言う。草原の向こう、タルブの村のあった場所から、煙が上がっているのが見えた。空中には『ロイヤル・ソヴリン』……いや、『レキシントン』を筆頭に、アルビオンの艦隊がのしかかるようにして飛んでいる。

 

 巧は目を眇めた。

 

「ありゃなんだ?」

 

 空に、鳥のようなものが飛んでいる。戦艦と並んでいるせいでサイズ感が狂っているが、鳥よりもかなり大きい。

 

「アルビオンの竜騎兵よ。まずいわ。あいつら、森を焼くつもりみたい」

 

 村の外れの辺りから一際大きな炎が上がって、一筋の白い煙が空に向かって吹き上がった。上空を旋回する竜の一騎が降下してきて、ブレスを吹いた。

 

 ごう、と炎が頭上を通過して、青い草原が燃え上がる。ヘルメットの奥で、巧は奥歯をかみ締めた。

 

「バジン、落とせるか」

 

「落とせば落とせねえことはねえが、俺も落ちるぜ! それより相棒、兄弟を呼ぼうじゃねえか!」

 

「兄弟?」

 

「ここの宝物庫、見なかったのかよ! 俺が教えてやったじゃねえか!」

 

さっさとやれ! 四桁の数字をオートバジンががなって、巧はいつかのことを思い出した。

 

【3】【8】【2】【1】

 

【JET SLIGER COME CLOSER】

 

 視線の先で、村の外れの建物が爆発した。一瞬遅れて、それが“竜の羽衣”を納めた寺院だったと気づく。

 

「ちょっと! どうするつもりなの!?」

 

「さあな」

 

 硬質な推進音をめちゃくちゃに上げて、巨大な質量が近づいてくる。低空に下りて来ていた竜騎のいくつかが、その異様な姿に道を開ける。寺院に保管されていた時のボロ布が高速機動にはためいて、燃え上がるタルブの草原に舞い上がった。

 

「来たぜ、相棒!」

 

 かすれた【SMART BRAIN MOTORS】のロゴが空中を横切り、モンスターマシンはオートバジンと併走する。

 

SB-VXO。ジェットスライガー。

 

「変身!」

 

 コードを打ち込んでファイズに変わると、巧は大質量に飛び移った。ルイズに手を伸ばす。

 

「来い!」

 

「でも……」

 

「嬢ちゃん行け! 下に残るのはやべえぞお!」

 

 一瞬の逡巡の後、ルイズは巧の手を取った。ファイズの腕が彼女をモンスターマシンに引き入れて、加速した。

 

「タクミ……?」

 

 不意に違和感を覚えて、ルイズは顔を上げた。無機質な仮面の向こうに、巧の表情はうかがい知れない。ジェットスライガーは緩やかな螺旋を描きながら、しかし猛スピードで舞い上がった。

 

 

 

 強い恐れがあった。かつてジェットスライガーの操縦桿を握った時とは、何もかもが違う。

どこを操作すればどの機能がもたらされるのか、どう操作すれば性能が最も発揮されるのか、肌感覚で理解できる。

 

 

 伝説の使い魔だの、ガンダールヴだの、全く実感のなかった言葉が、急にリアルに感じられる。右手のルーンが、焼け付くように熱い。

 

「こいつも“武器”ってわけか」

 

 さらに上昇する。上空にいてこそ、タルブの村の惨状がはっきり把握できた。寺院だけではない、村全体がめちゃくちゃに焼かれている。森にも草原にも火の手が上がり、のどかな村は全く、蹂躙されていた。

 

「ふざけやがって」

 

 見慣れぬ飛行物体に群がってきた竜騎兵たちを、ジェットスライガーは推進剤の一吹きで振り切った。ハルケギニアにはあり得ない三次元機動で直角に移動すると、あっという間に巧は竜騎兵の全てを視界に納めた。レーダーが竜を補足し、ロックオンマークがディスプレイに踊る。

 

「――!」

 

 いつに無く好戦的な気分だった。こいつら全員、ぶっ潰してやる!

 

 だが――。

 

 巧の手が止まった。これは……これは、今までのとはわけが違う。ゴーレムやオークを倒したり、ワルドの手を粉砕したりするのとは、何もかもが違う。

 

『きみは、戦いを好んでいるわけじゃないだろう?』

 

 ギーシュの言葉が頭をよぎった。その通りだ。相手はメイジとは言え生身の人間。

 

(俺に、背負えるか?)

 

 ルイズに召喚されてからこっち、巧は殺人だけは避けてきた。異世界とは言え、死人が生者をどうこうしようなんて、馬鹿げているにも程がある。しかし――。

 

『戦うことが罪なら――』

 

 そうだ。巧は拳を握り締める。この瞬間、乾巧は「死せるオルフェノク」であることをやめた。傍観者であることをやめた。そして、この世界に、新しく「自分の白」を求めることを決めたのだ。

 

 拳を解いて、コンソールを操作する。搭載された全ての火器が待機状態になり、ミサイルポッドが解放された。

 

「ルイズ」

 

 振り向いた少女に、巧は低い声で言った。

 

「目を閉じてろ」

 

 次の瞬間、無数のミサイルが、全ての方向に放たれ――全ての竜騎兵が爆発した。竜騎士の操る火竜は、最速でも百数十キロ。音速で迫るジェットスライガーの火線に、なす術があろう筈もなかった。

 

「す――」

 

 すごいじゃない、とルイズが呟いたのが、巧に聞こえた。

 

「人の話を聞いてろよ」

 

「見届けなくちゃ。使い魔を一人で戦わせるわけには、いかないもの」

 

「……そうかよ」

 

 彼のご主人様は、時々、少しばかり高潔に過ぎる。

 

「行きましょう。地上への艦砲射撃は止まってないわ。竜騎士だけじゃなくて、旗艦を落とさなくっちゃ」

 

「落とすったって、お前な……」

 

「ラ・ロシェールの港町を押さえられたら、トリステインまでほとんど間がないわ。学院のみんなも、どうなるかわからない。……誰かがやらなきゃ、いけないわ」

 

「ああ、そうかよ」

 

「ごめんなさい、助けに行くなんて言ったのに。これじゃ、結局おんなじね」

 

「気にすんな。他にできるやつは、いないんだろ」

 

 ジェットスライガーの機首を、雲間に浮かぶ巨艦に向ける。巧も、あの船に一矢報いてやりたいという気がしていた。

 

「行くぜ」

 

 操縦桿を握りなおす。いつか地上を走り抜けた港町に向けて、今度は空を突っ切った。

 

(続く)

 



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白/虚無

 雲間の巨艦は、その全貌を隠していることもあって、巧の距離感を幻惑した。近づきすぎた、と感じたのは、舷側が一斉にきらめいたときだった。

 

「ふせッ」

 

 膝に抱えたルイズの頭を押し込んで、巧は自分も身を沈めた。ジェットスライガーの全体に小さな激発音が弾ける。しかし、当初想定したクリティカルな一撃は、いくら待っても訪れなかった。

 

「油断しすぎだ、相棒!」

 

 空中で正しく盾を構えたオートバジンが叫んだ。

 

「飛行機は無くったってドラゴンは飛んでるんだぜ。対空攻撃の手段くらい備えててしかるべきだろうが?」

 

「悪いな。また助けられちまった」

 

「いいってことよ」

 

 オートバジンは嬉しそうにランプを点滅させて、自身も盾から火線を伸ばした。そのボディに火花が散る。巨艦が近づいてきていた。

 

「だが相棒、このままじゃジリ貧だぜ。策はあんのかい?」

 

「あるわ」

 

 弾丸の死角に身を縮めたまま、ルイズが口を開く。

 

「あんだって?」

 

「あるって言ったの! ねえ、これでも私は元マンティコア隊隊長の娘なのよ。戦の心得だって無いわけじゃないんだから。この船を『レキシントン』の真上に持って行きなさい」

 

「真上だと?」

 

「いいから! そこに死角があるの! どんなに仰角を取ったって、真上に砲は向けられないわ」

 

 巧が口を開きかけたとき、再び散弾が周囲に無数の火花を散らした。議論している暇は無い。

 

「くそ、信じたからな」

 

「もちろん!」

 

 巧はジェットスライガーの機首を持ち上げた。散弾の雨を縫うようにして、『レキシントン』の死角を目指す。ミサイルはもう無い。ジェットスライガーの砲はこれほどの巨艦を相手取るにはやや不足。と、くれば選択肢は強行着陸くらいのものだが……。

 

 しゅうっ、と白い煙が視界を横切った。振り向いた瞬間に、煙の主は視界の端から消える。

 

「こいつは……」

 

 オートバジンの声に、奇妙な響きが混じった。白い影が煙を噴出しながら、一直線に飛ぶファイズに寄り添う。

 

 巧は空を飛ぶライダーの姿を幻視した。それが幻でないと理解できたのは、白いライダーのフライトユニットから発射された光弾を、反射的に回避したときだった。本物の破壊力が持つ圧がある。

 

「ちょっと、なんなのよ! あれも、あんたの世界から来たヤツなの!?」

 

「わからねえ! 初対面だ!」

 

 ジェットスライガーを急加速させる巧を、オートバジンが覗き込む。

 

「相棒、マジで言ってんのか? ありゃサイガじゃねえか。天を司る帝王のベルト……」

 

「なんだと……」

 

 BRATATATATATATAT!

 

 オートバジンが空中を駆けるライダーに向けてぶっ放す。とにかく、サイガとやらは、今は敵だ。巧は片手でルイズの頭を抑えながら、ファイズフォンを抜いた。

 

【BURST MODE】

 

 空を飛びまわるサイガを、三点バーストのエネルギーが狙った。しかし、乗り物が違う。速度はともかく、ジェットスライガーには小回りが――。

 

「きゃ!」

 

 咄嗟に機体を捻った拍子に、ジェットスライガーに砲の一撃が直撃した。

 

「くそッ、どうしてこうなる!」

 

 けたたましくアラート音が鳴り響き、ディスプレイが真っ赤に染まる。巨艦の甲板がいっぱいに広がって、作業中の船員たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。

 

 強行着陸、予定通り。いや――これは、墜落だ。

 

 巧の時間間隔が鈍化する。しがみついてきたルイズだけは生身。連れてきたのは彼自身、なんとしても守らなければ。

 

 フットレバーを踏み込んで、機体分解寸前まで逆噴射をかけた。甲板直前、エンジンへの燃料を全カット。この船にどんな魔法がかけられているかは知らないが――。

 

 

 

 ものすごい音を立てて、超絶マシンは甲板に叩きつけられた。いかに戦艦が強固に作られていようとも、オーバーテクノロジーの粋を集めたジェットスライガーよりも硬く出来ているはずはない。大質量は甲板の一部を引き裂き、舷側を半分方突き破って、止まっていた。

 

 しゅうっと推進剤を吹いて、サイガが甲板に下りる。「手を出すな」と叫ぶ艦長らしき男の声が聞こえた。

 

 サイガは墜落した超絶マシンに向け、再び死の塊を打ち込む。船上に白いほこりが巻き起こり、その姿が見えなくなる。

 

「やったか……?」

 

 船員の一人がそう呟くのと、ほこりの中に赤いラインが浮かび上がるのが、同時だった。

 

 ガシリ、と金属の足が甲板を踏みしめる音が響き、白い幕の向こうから無数の銃弾が放たれる。次の瞬間、ぼん、とほこりを突き破り、剣を携えた銀と赤の戦士が飛び出してきた。

 

仮面ライダーファイズ。

 

「来たな」

 

 サイガは低く呟いて、自身のフライトユニットから自身の獲物、トンファーエッジを引き抜く。片方はたった一人の機械の戦士を、もう片方は無数の船員を背に負って、二人の戦士が激突した。

 

 

 

 バチバチと打ち合う戦いの音を煙の向こうに聞きながら、ルイズはジェットスライガーの席にうずくまった。あれほどの弾丸を受けながら、ジェットスライガーは原型を留め、彼女は生きていた。

 

 全身が痛い。怪我らしい怪我はしていないのに、体がショック状態で動かなかった。

 

(また、駄目なのね)

 

 格好をつけるのは一人前でも、成果がついてこない。「見届ける」なんて大口を叩いたのに、また、タクミに守られて、今も守られている。

 

 ゼロのルイズのままだった。彼女はあの日、タクミを呼び出したあの日から、一歩も進めていない。

 

 深くて低い劣等感の淵、絶望の中で、ルイズは一つの輝きを見つけた。姫さまの結婚式を寿ぐために携えた、始祖の祈祷書だ。白くけぶった世界の中で、確かに白紙だったはずの祈祷書が輝きを放っている。

 

 ルイズは引き寄せられるように、始祖の祈祷書を手に取った。落とした時に開いた祈祷書には、今や輝くルーン文字がいっぱいに並んでいた。

 

『序文――』

 

 四つの系統の始まり。そしてそれに属さない“虚無”の系統。

 

『これを読みし者は、我の行いと理想と目標を受け継ぐものなり――』

 

 虚無を扱う者は心せよ。異教の手より聖地を奪回せよ。虚無は強力なり。

 

『したがって、我は虚無の担い手を選ぶ。たとえ資格無き者が指輪をはめても、この書は開かれぬ。選ばれし読み手は、“四の系統”の指輪をはめよ――』

 

 こんな状況だというのに、頭が混乱した。手元で、水のルビーが輝いている。指輪。そして祈祷書。つまり、自分は選ばれたということなのか? 始祖の祈祷書、すなわち始祖ブリミルに?

 

 文章の最後で、一際強く輝くルーン文字が目を引いた。

 

『初歩の初歩の初歩。“エクスプロージョン(爆発)”』

 

 ルイズは目を丸くし……呪文を唱えた。自分が生きるために。

 

 まだ誰も、それに気づいていない。

 

 

 

 数合打ち合って、巧は飛び退った。破損したジェットスライガーのオートチェックが終わるまであと数秒、時間稼ぎはもう十分だ。

 

「相棒、行けるぜ! やられたのは火器管制だけだ!」

 

「ああ、だがな――」

 

 それは巧の見るファイズの視界にも表示されている。しかし、しかし。目の前の相手がそれを許すか?

 

 サイガの腕前は“上の上”。ここで逃がしてくれるタマではない。巧は左手のアクセルメモリに手をやった。切り札の切り所だ。

 

「!」

 

 サイガがぴくりと動いた。察されたか? いや、これは――。

 

 巧も背後を振り向いた。ジェットスライガーのところから、強烈なプレッシャーが出ている。あそこに残してきたのはルイズだけのはずだ。

 

 ならば、これは。

 

 不意に、少女を中心にして一陣の風が吹いた。

 

「うお……」

 

 それは船員どころか、ファイズや、サイガですら強く踏みとどまらなければ耐えられないほどの強風だったが、それが船から離れた途端辺りにもたらした威力に比べれば、そよ風のようなものだった。

 

 空を遊弋する艦隊が、光に包まれる。

 

 次の瞬間、『レキシントン』を除く全てのアルビオン空中艦隊は、炎上していた。一瞬前まで地上に砲撃を加えていた艦の全てが、機首を落として沈んでいく。

 

「馬鹿な」

 

 『レキシントン』も無事ではなかった。帆柱は全て折れ、甲板のあちこちがめくれ上がり、船底の一部は吹き飛ばされていた。辺り一面に、炎が広がっている。

 

「なんだこいつは」

 

 巧は甲板の上をにじった。炎の向こうでルイズが膝をついたのが見えた。

 

「なんでもいいぜ、チャンスだ相棒! 引き上げるぞ!」

 

 それに異存は無い。だが、サイガが見逃してくれるとも思えなかった。“帝王のベルト”とやらがファイズギアと同じなら、こいつを装着しているのは――。

 

 巧はファイズエッジを構えなおした。

 

「相棒!」

 

 オートバジンががなる。船員たちが消火活動に走り回った。そしてサイガは、戦意をまるで無くしたように手を地に向け垂らした。

 

「お前……」

 

 消極的に放たれたエネルギー弾を払いのけて、巧は後ずさった。「行け」と言うかのように白いライダーは顎をしゃくり、それを最後に背を向けた。

 

 致命的な隙だ。しかしこの状況では、もっと優先すべきものがある。巧は後ずさると、やはりサイガに背を向けた。

 

「ルイズ!」

 

 状況から察するに、この大破壊の爆心地はこの少女だ。いつもの失敗魔法とは毛色が違っていたが、間違いない。

 

「ルイズ、しっかりしろ、おい!」

 

 少女が薄く目を開けた。生きている。

 

 ジェットスライガーに飛び乗って、巧はスラスターをふかした。裂けた舷側が再び破壊されて、超絶マシンは空に舞い戻った。

 

「逃げるぞ!」

 

 船員の声が彼らを追う。杖を掲げたメイジたちを、サイガが制した。

 

「やめておけ。消火活動に専念せよ」

 

「は……」

 

 それからサイガは飛び去る飛行機械を見やり、低く呟いた。

 

「また、すぐに会うことになりそうだな。イヌイ君」

 

    ◆

 

 すれ違いざまに絡んできた風竜を撃ち落し、巧はタルブの村に降下した。風に頬を打たれて、ルイズは再び、薄く目を開けた。

 

「起きたか」

 

「……ええ」

 

「すぐに地上に降りる。もう少し寝てろ」

 

「ううん、平気よ」

 

 ルイズは身を起こした。冷たい風が髪を吹き流した。

 

「ねえ」

 

「なんだ」

 

「なにが起きたのか、聞かないの?」

 

「まあな。どうせ、自分でも良く分かってないんだろ」

 

 図星を突かれて、ルイズは口をつぐんだ。

 

「わかってないこと、ないわよ。伝説……そう、伝説なんだから」

 

「なんだそりゃ」

 

「……整理できたら、ちゃんと話すわ」

 

「そうしてくれ」

 

 巧は首をひねって、村に生存者の姿が無いか探した。轟音とともに飛行する異界の兵器を認めて、村民たちが焼け残った森の中から出てくるのが見える。その先頭で、シエスタが手を振っていた。

 

「良かった」

 

 ルイズが呟いたのが、巧にも聞こえた。

 

 

 

 ジェットスライガーが巨大なホイールを地面につけて、タルブの村に着陸する。シエスタが駆け寄ってきた。

 

「イヌイさーん!」

 

 ルイズを膝から下ろして、変身を解く。異様な熱と光を放っていたガンダールヴのルーンが、明滅しながら薄れていく。巧は体をだらりと椅子に預けた。

 

「タクミ……?」

 

「……疲れたんだ」

 

 殺人の消耗は、想像していたより小さかった。これまで重ねてきた罪が、少し重くなっただけだ。

 

 巧はガンダールヴを見下ろした。

 

 危険なのは、このルーンだ。武器についての知識と高揚感、体が軽くなるような感覚。それらは全て、無からもたらされるものではない。この能力に頼りすぎることの危険が、身にしみて感じられた。

 

 ルイズがまた巧を呼んで、彼は今度こそ身を起こした。主人も自分も、また新しく一歩を踏み出したばかりだ。それに、巧にはまだ、この世界でやるべきことがある。

 

「ああ、今行く」

 

 乾巧はジェットスライガーのシートを滑り降りて、タルブの草原に足を踏み出した。その背後で、二輪車の姿を取ったオートバジンが、不安げにランプを明滅させた。

 

 戦いはまだ、始まったばかりである。

 

(続く)

 




始祖の祈祷書編、おしまい!

働きながら創作するって大変ですね。今日も疲れた。

始祖の祈祷書編は連載期間にも反映されていますが、かなり進めるのに苦労しました。

この辺からゼロの使い魔は「ルイズとサイトの物語」としての性質を強くするので、原作に沿ってサイト代役ものをやる上ではけっこう鬼門になるのかなと感じます。

従って本作ではややゼロ魔要素を削ぎ、ライダー分を重点することでここまで進めて参りました。ここまでご覧下さった読者の皆様、ありがとうございます。

作者が疲れ果てて創作意欲がゼロにならない限り、間は空いてもとりあえず話は続くと思います。

どうぞいましばらくお付き合いください。


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誓約の水精霊編
夢の続き/虚無の暗黒


 王都には浮かれた空気が漂っていた。王宮の窓の外からは、戴冠式から数日が経っているにもかかわらず、まだお祭り騒ぎを続ける群衆の声が聞こえてきている。

 

「トリステイン万歳!」

 

「アンリエッタ王女万歳!」

 

 ルイズはため息をついて、隣で同じようにつまらなさそうな顔をしている巧に文句をつけた。

 

「あんた、もうちょっと嬉しそうな顔しなさいよ。これから姫さまにお会いするんだから」

 

 巧は彼女を一瞥すると、口を尖らせる。

 

「お前こそ、嬉しくないのかよ。お前の掴んだ勝利だろうが」

 

「……」

 

「姫さまの結婚も流れたんだろう。万々歳じゃないのか」

 

 言葉とは裏腹に、巧には愉快そうな様子がない。ルイズはもう一度ため息をついて、応接テーブルに身を投げ出すように肘を着いた。

 

「戦時の王女様になるのと、政略結婚で嫁に出されるのと、どっちがマシなのか私にはわからないわ。今だって、ゲルマニアの使者が来てるって話じゃない。想像できる? お休みなんて一日も無いんだから」

 

 そりゃキツいな。巧はほとんど呟くように答えた。国賓のための待合室は広すぎて、彼には少し居心地が悪い。

 

 あの後……タルブ上空での戦いが終わった後、おっとり刀で駆けつけたトリステイン軍はアルビオン陣地への突撃を敢行した。支援砲撃と艦隊の喪失を受けて混乱し、士気の下がったアルビオン軍は総崩れとなり、トリステインは緒戦において大勝利を収めた。

 

 ……らしい。巧がそれを聞いたのは、魔法学院に戻ってしばらくしてからだった。

 

 もちろん、ルイズも巧も、自分たちのしたことについては固く口を閉ざしてきた。何しろ聞いたところではジェットスライガーは“フェニックス”として処理されているということだし、そもそもあの時何が起こったのかについては、互いに理解しかねるところがあったからだ。

 

「姫さまは、どうして私たちをお呼びになったのかしら」

 

「さあな」

 

「あんた、誰かに話したんじゃないの? その、“虚――」

 

 む、は発音できなかった。部屋の扉がノックされて、男が顔を出した。

 

「ラ・ヴァリエール嬢。陛下がお呼びですぞ」

 

「か――かしこまりました。マザリーニ枢機卿?」

 

「何か?」

 

「もしかして、今の……いえ、なんでもありませんわ。すぐ向かいます」

 

 少し動揺した声で「行くわよ、タクミ!」と言って、ルイズは出された紅茶を流し込んだ。結局冷めなかった紅茶を眺めて、巧は立ち上がる。大抵、彼が席を外すよう求められるのはこのタイミングだ。

 

「では、こちらへ」

 

 だが、いかにも「平民でござい」という様子の巧を、枢機卿だという男は一瞥しただけだった。巧はルイズと並んで、アンリエッタの居室に通された。

 

 

 

「ルイズ! ああ、ルイズ!」

 

 マザリーニ枢機卿が扉を閉めるやいなや、アンリエッタはルイズに駆け寄った。

 

「姫さま……いえ、姫殿下とお呼びしなければなりませんね。殿下もご機嫌麗しゅう」

 

「ルイズ、ルイズってば。そんな他人行儀はやめてちょうだい。私から最愛の友人まで取り上げてしまうつもりなの?」

 

 ルイズは顔を上げて、いたずらっぽく微笑んだ。

 

「では、いつものように姫さまとお呼びしますわ」

 

「そうしてちょうだいな。昔もつらいことばかりだと思っていたけれど、今では退屈は二倍、窮屈は三倍、そして気苦労は十倍よ。女王になんてなるものじゃないわね」

 

 巧は居心地悪く二人の少女が会話に花を咲かせるのを見守った。いつかも席を外したように、自分にはこういう、仲睦まじいだけの空間はそぐわないように感じられる。

 

「姫さま、此度の戦勝祝いを言上させてくださいまし」

 

 何気ない口調で、ルイズが言った。不意に時が止まったようになって、アンリエッタはルイズの目を、それから巧の目を覗き込んだ。

 

「あの勝利は、あなたのお陰だものね」

 

「な――」

 

「私に隠し事はしなくても結構よ、ルイズ。何より、あれだけの戦果を上げておいて、隠しきれるわけが無いじゃないの」

 

 アンリエッタは傍らの机から羊皮紙を掬い取ると、ルイズに手渡した。巧も、少女の肩越しに覗き込む。

 

「……おい、なんて書いてあるんだ?」

 

「全部よ」

 

「なに?」

 

 聞き返した巧には答えずに、ルイズは顔を上げた。

 

「ここまでお調べなんですか?」

 

「ええ。異国の飛行機械を操る騎士と、魔法学院の生徒。そして奇跡の光――。けれど、私は奇跡など信じませぬ。あの光はあなたなのでしょう? そして、騎士とは……」

 

 アンリエッタは巧に微笑みかけた。

 

「あなたね、タクミさん」

 

「……さあな」

 

 巧は否定も肯定もせず、そっぽを向いた。

 

「ちょっと、タクミ! ――その通りですわ、姫さま」

 

「おい、いいのかよ」

 

「いいのよ。……姫さまには、全てをお話しますわ」

 

 ルイズの瞳に、決意の光が燃えていた。“虚無”の系統。水のルビーを嵌めて、初めて“始祖の祈祷書”が読めたということ。最後に彼女は、アンリエッタの前に跪いた。

 

「恐れながら、姫さまに私の力を捧げたく存じます。本当に“虚無”なのか、確信はありませんが――」

 

「いいえ」

 

 アンリエッタは首を振った。

 

「その力のことは忘れなさい。王家の血筋を引く者に現れた力、そしてガンダールヴのルーン。間違いなくあなたは“虚無”の担い手よ。過ぎたる力は人を狂わせる。私がそうならない保証はないわ」

 

「でも!」

 

「あなたの力を知れば、私欲のために利用しようとする者が必ず現れるでしょう。敵は空の上にだけいるのではありません。権謀術数の世界に身を置くのは、私だけで十分よ」

 

「姫さま」

 

 ルイズは顔を上げた。

 

「私はずっと“ゼロ”でした。嘲りと侮蔑の中、ただ身を震わせているだけだった私に授かったこの力、最も信頼できる方のために使いたいと存じます」

 

「ああ、ルイズ……あなたは今でも、そう言ってくれるのね。思えば、あなたには助けられてばかり。ラグドリアンの湖畔で、身代わりになってくれた時も……」

 

「姫さま」

 

 二人の少女が、ひし、と抱き合うのを、巧は黙って見ていた。やはり、こういう空間には慣れない。

 

 

 

 アンリエッタの花押が入った証文に、お小遣いをしこたま持たされて、巧とルイズは王宮を出た。戦勝ムードの漂う街には、昼間だというのに酔っ払いがあちこちで乾杯していた。

 

「……やったわ。やった!」

 

 ルイズは今日一番の笑顔を浮かべて、巧を振り向いた。

 

「そんなに、嬉しいのかよ」

 

「だって、本当に系統に目覚めたのよ! それに、姫さまに恩返しできるチャンスが同時に来るなんて。急に運が向いてきたのかしら?」

 

「まあ、確かについてるな」

 

 巧はマザリーニから帰り際に聞いた話を思い出す。ルイズの“エクスプロージョン”は、アルビオン艦隊の船に搭載された風石を瞬時に消滅させ、ことごとくを墜落せしめたものの、それそのものは人体を何一つ傷つけなかったらしい。もちろん、怪我人が無かったわけではない。しかし、死者は無かった。

 

 トリステインは多数の捕虜とアルビオンの軍艦技術をほとんど無傷のまま手に入れることに成功したのだ、とマザリーニは得意げに語った。とにかく、巧にとって大切なのは、ルイズが誰の命も背負わずに済んでいるということだ。

 

「ほら、行くわよ!」

 

 ルイズは軽い足取りで、王宮前のブルドンネ街を駆けた。

 

「こけんなよ」

 

 巧は小さく息をついて、ふっと笑った。ルイズが露店にかがんで、彼を呼んでいるのが見えた。

 

「お前、そんなのがいいのかよ」

 

 金貨でいっぱいの皮袋をずしりと懐にしまって、巧はルイズに言った。彼女は露店の店主から、水晶の嵌ったペンダントを受け取ったところである。

 

 胡散臭い店主の言うことには“錬金を介さない本物”だというそれは、いかにも祭りの露店にありそうな安っぽい代物で、祭りの風に背を押されない限りは手に取ろうとすら思わない作りをしていた。

 

「これがいいの! 文句ある?」

 

「……いや、ないな」

 

 だったらいいでしょ、と言ってルイズはペンダントを嵌めた。興味なさげにそれを眺めて、巧は拳を握った。身体の芯に鉛を流し込まれたように、疲れがまだ居座っている。白いライダー……サイガといったか……と戦って以来、ずっと調子が戻らない。

 

「ああ」

 

 息が漏れた。寮に戻ると、巧は倒れこむようにして、束の間の眠りについた。

 

 夢を見た。森の中の開けた窪地。すり鉢みたいな地面の一番底で、巧は真理と一緒だった。辺りには耳鳴りのようなエンジン音が響き渡り、やがてそこら中に、つるりとした無表情なライダーが顔を出す。

 

 ライオトルーパー……海堂が連れているのを、何度か見たことがある。しかし、この数は。

 

 昔の夢じゃない。俺は、こんな世界を知らない。

 

 無数のライダーが稜線を越えて殺到する。巧は自らも変身して、押し寄せる敵の波と激突した。一人、二人、三人……十を超えてからは、数えるのをやめる。

 

「退くんだ! 戦いは数だぜ、相棒!」

 

 突然、オートバジンが叫んだ。嘘だ。この時こいつは、喋ったりなんかしなかった。巧は戦って、そして――。

 

 変身が解けた。巧は泥の中に倒れ伏す。ライオトルーパーの一体が、彼の足を自らのバイクに繋いだ。

 

「巧!」

 

 二人は一瞬、手を繋いだ。直後、ライオトルーパーはバイクをスタートさせる。

 

「真理!」

 

 巧はなす術なく、地面を引きずられた。真理が遠ざかる。最後の一瞬、彼女の表情は歪んで――いや、これも嘘だ。巧はこんな風景を知らない。知らないのに、どうして。

 

「タクミ! タクミってば!」

 

 呼びかけに応えて、巧は目を覚ました。まぶたが緩んで、涙がこぼれた。心配そうな顔で、ルイズが彼を覗き込んでいる。

 

「ちょっと、どうしちゃったのよ」

 

「……どうもしねえよ」

 

「嘘。ずっとうなされてたじゃないの」

 

「悪い夢でも見たのかもな」

 

 他人事みたいにそう言って、巧はベッド脇の椅子に座りなおした。口に出したせいか、今まで見ていた夢の記憶は、急速に薄れていた。

 

「また、こいつを読んでたのか」

 

 ベッドに広げられた“始祖の祈祷書”を手に取る。何度見ても、巧には白紙にしか見えなかった。

 

「虚無、か」

 

 ルイズの嵌めた水のルビー、始祖ブリミルとやらが用いた伝説の系統。

 

「で、なんかわかったのかよ。あの時の爆発のこととか」

 

「少しはね」

 

 ルイズの表情は浮かない。

 

「……虚無ってのは最強の系統なんだろ。もうちょっと喜んでもいいんじゃないのか」

 

「――いかないの」

 

「なに?」

 

「うまくいかないの。途中までは呪文を唱えられるし、爆発も起こるんだけど。船を沈めるなんて、とても無理。きっと、呪文が強力すぎて、私の精神力じゃ扱いきれないんだわ」

 

「そういうもんか」

 

 そうよ、と答えて、ルイズは魔法の講義をしてくれた。メイジは精神力をエネルギーに魔法を行使する。精神力の回復には、時間がかかる。

 

「私、ずーっと魔法が使えなかったでしょ。十年以上溜めてたエネルギーを、あの時“レキシントン”の上で使いきっちゃったのよ、きっと。次にちゃんと呪文が唱えられるようになるのは、いつになるのかわからない」

 

 そこまで言って、ルイズはため息をついた。

 

「“虚無”についてはわからないことばっかりよ。なんせ、詠唱がとちゅうでも、効果を発揮するんだから。そんな呪文、聞いたことないわ……」

 

 後半は独り言になって、ルイズはまた“始祖の祈祷書”とにらめっこを始めた。

 

 巧はと言えば、このまま呪文が使えないなら、それはそれでも構わない気がした。“レキシントン”の甲板で見せた“虚無”の威力。直接人を傷つけるものでないとはいえ、あれは堂考えても、ルイズのような少女が背負うには荷の勝つ力だった。

 

 いざとなれば――。巧はファイズギアの納まったアタッシュケースを見つめる。何とかできるのは、彼しかいないのかも知れなかった。

 

 ガンダールヴのルーンは、巧の手の甲で、抗うように明滅を続けている。

 

(続く)

 



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灰色の目覚め/炎の夜明け

「トリステインの新兵器だと?」

 

「そのような噂が、兵の間に流布しております。何でもゲルマニアとの共同開発によって実現した、超強力なゴーレムだと」

 

「ふむ……」

 

 アルビオンはロンディニウム郊外の寺院。王政を打倒して誕生した新生アルビオンは、大勝間違いなしと目されていたトリステインとの緒戦において、信じられないほどの大敗北を喫した。

 

 レキシントンを旗艦とする空中艦隊は突如出現した怪光戦によって潰滅、同時展開していた地上部隊はトリステインの迎撃になす術もなく散り散りになった。聖地奪回を掲げる神聖皇帝クロムウェルの野望は、初手からつまづいた形になる。

 

「面白い。トリステインの言うフェニックスとは別に、そのような戦場伝説が誕生しているとは! これもハルキゲニアの新たな歴史というわけだ」

 

 しかし、当のクロムウェルには焦りの色はない。開戦前と同じに薄い笑みを顔面に貼り付け、報告に来た大隊長に下がるよう命じる。

 

「さて。傷の具合はどうかな、子爵殿」

 

「元より癒えていればこそ、こちらにお呼びたてになったのでしょう。申し訳ありません、閣下。一度ならず二度までも、失敗しました」

 

 奪った王宮とは比べものにならぬ程に狭く、古びた部屋の中で跪いているのはワルドだった。体のあちこちに大小の火傷を負い、残った片腕には包帯を巻いている。

 

 クロムウェルは彼の言葉を聞いて、鷹揚に笑んだ。

 

「気にすることはない。新兵器はともかく、敵は未知の魔法を使った。確かに手痛い敗北であったが、どうして貴殿一人に責任があろう。今回の敗戦は、我々全員に責任がある」

 

「既にお聞き及びでしたか」

 

「もちろんだとも。我が優秀な秘書官から報告を受けている。敵が使ったのはおそらく“虚無”の力であろうということもな。ミス・シェフィールド」

 

「ここに」

 

 どこに潜んでいたのか、部屋の影の中からフードを被った女が現れた。地味な雰囲気の、クロムウェルの秘書だ。

 

「君から説明してくれたまえ。アンリエッタの件だ」

 

「かしこまりました」

 

 女は羊皮紙の巻物を広げた。

 

「アンリエッタの率いるトリステイン軍の用いた未知の魔法。先ほど閣下が仰ったとおり、これは“虚無”であると推測されますわ。トリステインは“始祖の祈祷書”を解き明かし、伝説の“虚無”を手にしたのでしょう。少なくとも、王室に分けられた秘密の一端を握っていると予想されますわ」

 

 ワルドは顔を上げる。

 

「王室の秘密とは……?」

 

「アルビオン王家、トリステイン王家、ゲルマニア王家に分けられたという始祖の秘密だ。各王家は始祖の秘宝を分かちあっている……そうだな」

 

「ええ」

 

 女が頷く。

 

「アルビオン王家に分け与えられた秘宝は、水のルビーとあと一つ。ですが、水のルビーは見つからずじまい。もう一つの秘宝は、未だ調査中ですわ」

 

「要するに、どちらも行方知れずというわけだ。我々はここまで足早に駒を進めてきたが、何ら目標を達成できていない!」

 

「閣下……私の力不足です。申し訳ありませぬ」

 

「子爵、子爵。それは違うと言ったはずだ。貴殿を責めるためにここへ呼んだのではない。貴殿は、先程の戦場伝説、その正体を知っているはずだ」

 

「ゲルマニア製のゴーレム、ですか」

 

「その通り。何度か戦ったことがあるだろう? 何、少し頼みがあるのだ」

 

「頼みなどと言わずとも、一言御命令いただければ」

 

「そう言うな、私たちはお友達だろう? 頼みというのは他でもない。……入りたまえ」

 

「は……」

 

 廊下から、うっそりと入ってきた男があった。ワルドは目を見張った。金髪碧眼の美青年。戦死したはずのウェールズ皇太子である。

 

「驚いたかね。本式ではないが、これも“虚無”の力だよ。死者を蘇らせ、思うがままに使役する。ウェールズ君は確かに名誉の戦死を遂げたが、私の力によって蘇ったのだ」

 

「……まさか。そんなことが」

 

 しかし、目の前にいるのは確かに戦死したとされるウェールズに他ならない。ワルドは慎重に尋ねた。あれ程の敗戦にも関わらず、クロムウェルのこの余裕。死者すら蘇らせる“虚無”の力を恃みにしているとすれば、それもうなずけた。

 

「であれば、我が軍の損耗も問題にはならぬ、と?」

 

「まさか、まさか」

 

 クロムウェルは苦笑した。

 

「いかな“虚無”とて、所詮は魔法の一種にすぎんよ。あれほどの敗戦を帳消しにできるのなら、最初からそうしていたとも。ウェールズ君を蘇らせたのは、あくまで彼が駒として必要だったからだ」

 

「駒とは……」

 

「ふむ、『私では不足なのか』という顔をしているね。だが、考えても見たまえ。駒にはそれぞれ、役割というものがある。貴殿がビショップなら、彼はナイトといったところかな。一足飛びに女王を落とし得る」

 

 ワルドは眉根を寄せた。クロムウェルはウェールズを使って、アンリエッタを調略するつもりなのか。今頃トリステインは戦勝に湧き、出陣を主導した女王の発言力は上がっているだろう。作戦が成功してアンリエッタを傀儡にすることができれば、トリステインを骨抜きにできる……。

 

「しかし――」

 

 ワルドは影のように立ち尽くすウェールズの姿を見た。蘇ったという青年の雰囲気はどこか希薄で、不気味だ。ウェールズが口を開く。

 

「皇帝陛下。子爵は、私を疑っておいでのようです」

 

「ふふ、無理もない。安心したまえ、彼は間違いなく任務を遂行するよ。そうだね?」

 

「もちろんです。アルビオンに栄光あれ」

 

「そういうことだ。――子爵」

 

 クロムウェルはさっと身をかがめると、ワルドに耳打ちした。

 

「貴殿の感覚は正しい。私が兵を蘇らせないのも、それが理由だ。皇太子殿下は、既に人間ではない」

 

 ワルドははっと顔を上げた。クロムウェルの肩越しに、ウェールズが笑みを浮かべた。その表情に、奇妙な幾何学模様が浮かび上がった……ように、見えた。

 

    ◆

 

 しゅぼ、と機関に火が入った。“錬金”によって作られた小さな金属の機関がせわしなく動き始める。ピストンの上下動がシャフトに伝わり、機構の中心にセットされた木の板がゆっくりと回転し始めた。波上に切り分けられた板には、どこか間の抜けた感じの蛇が描かれている。

 

「おお! 回った! 回ったぞ!」

 

 禿頭のメイジは小躍りしながら跳ね回った。

 

「やったなバジンくん! 私の“愉快な蛇くん”がここまで進化できたのも、きみのおかげだ!」

 

 呼び掛けられたオートバジンが、ランプを明滅させて答える。

 

「俺の助言なんて大したことねえよ! すごいのはコルベール先生じゃねえか。こんな短い期間で、もう内燃機関を完成させちまった!」

 

「そ、そうかね? そう言われると悪い気はしないが……これは私たちの、そう、内燃機関だよ。内燃機関……実にいい響きだ。素晴らしい言い回しだ……」

 

 コルベールは恍惚と呟く。人型に変形したオートバジンは、何度も感慨深そうにうなずいている。巧は一人と一台をどこか遠巻きに見ながら、“私たち”の中に自分が含まれているのかどうか、考えていた。

 

 この禿頭のメイジとオートバジンとの間に親交が生まれたのは、つい最近のことだ。コルベールはずっと、異世界から来た乗り物に興味津々でこちらを見守っていたらしい。好機の視線を向けてくるメイジはいくらでもいたので、巧は気づかなかったが――。

 

「こいつはもう、なんにだって使えるぜ! 車輪を回せば馬車に馬はいらなくなるし、プロペラを回せば空も飛べる! もちろん、出力はもっと上げなきゃならねえだろうが……」

 

「なんだって!」

 

 コルベールが他のメイジと違ったところは、異世界の技術に強い興味を示していた点だ。彼はオートバジンを分析させて欲しいと頼んできた。オートバジンは快く了承し、巧もそれを止めようとはしなかった。元より有閑の身分である。

 

「そ、空を飛べると言ったのかね? 回転の力で?」

 

「ああー、そうだな。まずは揚力の説明からしなくちゃならねえ。そうだ、現物を見てみればいいぜ! 前に行ったタルブの村ってところにな……」

 

 コルベールが羊皮紙にメモを取る。一人と一台は、あっという間に意気投合した。コルベールが進めていたエンジンの研究に、オートバジンの知識は大きく役立った。以来、彼らは巧をほとんど置いてけぼりにしながら、エンジンの開発を進めている。

 

「あとは、燃料だよなあ。強い酒や市販の油じゃあ、燃焼効率が悪すぎるぜ」

 

「ふむ……それについては、私の方でなんとかしてみよう。錬金が得意なメイジなら、何か思いつくかも知れないからね」

 

「これは希望的観測だがよ、タルブの零戦から燃料のサンプルが採れるかも知れねえ。どんなにうまくいっても、雀の涙だろうが……」

 

「それはいい情報だよ! ゼロから始めるより、余程期待できる」

 

 これも、“時々すっごく熱くなる”というやつか。研究室とは名ばかりの小屋の中には、外よりも熱気が籠っているように感じられる。巧は、上着のボタンを外した。

 

「……」

 

 実際、気温は高いのだろう。エンジンを動かすのに液体燃料を燃やしているし、乏しい光源を補うため、昼間だというのに部屋にはランプが灯されている。

 

「俺、出てるわ」

 

 議論に熱中する二人から、返事はない。巧は扉を開けて、外に出た。爽やかな空気が頬を撫でる。

 

「シー……」

 

 今日は洗濯日和だ。シエスタはそろそろ、干したリネンを取り込み始めるところだろう。巧も作業に加わらなければ。真っ白な洗濯物と青空のコントラストが、きっと疲れがちな心身を癒してくれる。

 

「……ランシー……」

 

 それにしても、ここから厨房の裏へは、どう行くのが近道なのだろう。教室を移動する学生たちにぶつかれば、どんな面倒が発生するとも限らない。とすると、多少遠回りなのは承知でヴェストリの広場を経由した方が……。

 

「モンモランシー!」

 

 あまり爽やかではない声に、巧は顔を上げた。薔薇の花を握りしめた金髪の少年が、血相を変えて辺りを歩き回っている。

 

「モンモランシー! どこだい!?」

 

 そういえば、ここに来て最初の面倒ごとは、彼とそのガールフレンドに纏わるものだった。巧はそっと目を逸らし、足早にギーシュから距離を取ろうと努める。

 

「モンモランシー……タクミ!」

 

 だが、その試みは失敗に終わった。ギーシュは凄まじい速さで巧に接近すると、血走った目でこちらを覗き込んだ。

 

「きみ、モンモランシーを見てないか?」

 

「見てねえ」

 

「どこにもいないんだ……今日の授業が終わってから、ずっとだ! ぼくはずっと、彼女を探している……」

 

「お前、また浮気したのか?」

 

「浮気だって!?」

 

 ぎょっ、として巧は後ずさった。ギーシュの目に、異様な光が宿っている。

 

「そんなことをするわけがないだろう! このギーシュ・ド・グラモンともあろうものが、最愛の女性を裏切ることがあるとでも!? きみ、ぼくにまた決闘を吹っかけさせる気なのかい!?」

 

「いや、そんな――落ち着けよ。どうしたってんだ、お前」

 

「モンモランシーがいないんだ。モンモランシーが……」

 

 少年は泣き出した。それからすぐに泣き止むと、顔を上げてキッと巧を睨みつけた。

 

「……まさかとは思うが、きみ、モンモランシーを隠しているんじゃないだろうね?」

 

「何?」

 

「ああ、きっとそうだ! タクミ、きみはなんて奴だ! どこだ、どこに隠してるんだ!? ……そこかい!?」

 

 ダッ、とギーシュはスプリントして、コルベールの研究室の扉を開けた。凄まじい剣幕に、一人と一台も議論を中断する。コルベールが言った。

 

「おや、ミスタ・グラモン。どうしたのかね?」

 

「……いないじゃないか!」

 

「隠してなんかねえよ、大体」

 

 巧が「なんで俺がモンモンを隠さなきゃならねえんだ」と言い切る前に、ギーシュは駆け出していた。「モンモランシー!」の叫びを残して。

 

 オートバジンが困惑したようにランプを明滅させた。

 

「……なんだってんだ?」

 

 巧がぽつりと答える。

 

「また飲み過ぎたんだろ……」

 

 それで、巧はすっかりそのことを忘れてしまった。ギーシュの奇行は、多少行き過ぎていたとは言え、あり得ないことだとは思えなかった。それにその日干したリネンは真っ白でふわりと柔らかく乾いていたのである。

 

 ルイズと自分のリネンを抱えた巧は、上機嫌で部屋に戻った。聞いた話では、この陽気はこの先数日間続くということで――。

 

「……」

 

 しかし、部屋の扉を開いた途端、その気分は吹っ飛んでしまった。ベッドメイクより先にルイズが戻っていたからではない。ベッドの奥に身を屈める、金髪の少女の姿を見つけたからだ。

 

「何やってんだ、お前ら」

 

「……ちょっと事情があってね。安心なさい、ギーシュじゃないわよ」

 

「本当? ああ、本当ね。ごきげんよう、タクミ」

 

 モンモランシーがベッドの端から澄ました顔を出した。

 

「おう。ボーイフレンドがお前を探し回ってたのを見たぜ。こんなとこに隠れてていいのか?」

 

「良くはないわね。全くもう……」

 

 ルイズがため息をついて、額に手を当てた。

 

「ねえルイズ。そんな顔しないでよ。ちょっとだけ、私を匿ってくれればいいんだから」

 

「匿う?」

 

 巧は訝しげにモンモランシーを見た。澄ましたその顔に、冷や汗が浮かんでいる。ルイズが顔をしかめた。

 

「ちょっとだけって、いつまでよ」

 

「それはわからないけど……一週間か、一ヶ月か。とにかく、ギーシュが私を探さなくなるまで! ね、お願い! タクミも、いいでしょう?」

 

 巧はそのままの表情で、ルイズを見た。

 

「どういうことだ」

 

「どうもこうもないわ。モンモランシーはね、ギーシュに惚れ薬を盛ったのよ」



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ラグドリアン湖にて/予兆

 数日後。巧たちはガリアとトリステインの国境沿い、ラグドリアン湖にいた。丘から見下ろした湖は海と見紛うほどに巨大で、巧の感覚では琵琶湖よりもひとまわり以上大きいように思われた。

 だが、水をなみなみ湛えた湖のありようは、どこの世界でも変わらないらしい。陽光を受けて輝く湖面を、巧は存外に懐かしく思った。

 

「ヘンね」

 モンモランシーが眉をひそめる。

「水位が上がってる。ラグドリアン湖の岸辺は、ずっと向こうだったはずよ」

「むー!」

「増水したみたいね」

 ルイズが馬を降りて、手庇を作った。

「ほら、あそこに屋根が出てる。村が飲まれちゃったみたいね。それも、かなり最近」

「むー!」

 

「雨でも降ったか」

 バイザーをあげて、巧は辺りを見回した。確かに、湖の中に黒々と沈んだ建築の姿が見て取れる。ここまでの道中、それほどの大雨が降った痕跡は、見当たらなかったが……。

「むー! むー!」

 

「どうかしら。本人に聞いてみましょうか」

 モンモランシーが波打ち際に近づく。指を水に浸して目を閉じた。

 その時、オートバジンの後部から、転がり落ちたものがあった。簀巻きにして連れてこられたギーシュである。

 

 顎の力だけでさるぐつわを引き剥がし、ギーシュは叫んだ。

「ぶはっ! モンモランシー、モンモランシー! どうしてぼくをこんな目に合わせるんだい? こんなにもきみを愛しているこのギーシュ・ド・グラモンを! ひょっとしてぼくのことが……嫌いになったというのかい!? それならいっそ、このぼくは……!」

 

 簀巻きのギーシュは飛び跳ね、ラグドリアン湖に入水を試みる。

 巧は無言で、ギーシュの足を引っかけた。湖のはるか手前で、ギーシュは再び地面に転がった。

「ぐっ……タクミ、邪魔をしないでくれ! モンモランシーがぼくを愛してくれない世界になんて意味はない。せめて、彼女に愛を証明してから、華々しく散りたいんだ!」

 

「ギーシュ……」

 立ち上がったモンモランシーは平べったい声で名前を呼ぶと、懐から小瓶を取り出した。

「私はあなたのことを嫌いになったりしないわ」

「ほ、ほんとうかい!? だったらこの縄を……」

「でも私、あなたの気持ちがわからない。愛の証明をしたいなら、これを飲み干してくれるかしら?」

「もちろんだよ、モンモランシー! それがどんな毒でも構わないさ。一息に飲み干してみせるよ! できればその前にこの縄を……ムグッ」

 

 小瓶の水薬を流し込まれたギーシュは、たちまちに白目を向いて、昏倒した。水薬は、尋常の人間であれば一週間は眠らせておける、強力な睡眠薬なのだという。

 

「ごめんなさい、二人とも。もうすんだわ」

 モンモランシーが振り向く。巧はルイズと顔を見合わせた。

「私たちは、いいんだけど……ギーシュは本当に大丈夫なの?」

「大丈夫じゃないわよ。でも、こうでもしなくちゃしょうがないじゃない! 私の退学と……貞操がかかってるのよ!」

 

 ギーシュは尋常の状態ではなかった。モンモランシーの睡眠薬を何回飲んでも、彼は数時間で覚醒し、“愛”を旗印に暴走を続ける。ギーシュが眠っている間に解除薬を調合する予定だったモンモランシーは、早々に白旗を上げた。

 

「ねえ、お願い。図々しいことを言っているのはわかっているわ。でも今だけ、本当に今だけ力を貸して。なんらかの形で、お礼はするから」

 

 モンモランシーはそう言って、ルイズに泣きついてきた。

 ほれ薬の調合は禁制である。露見すれば、彼女はどうなるかわからない。加えてギーシュの状態……それに何より、頼られるのは悪い気分ではなかったのだろう。ルイズは渋々の体で承諾した。

 

 解除薬の作成には、水の秘薬が必要になる。市場に出回らなくなった秘薬の原料『水の精霊の涙』を手に入れるため、彼女たちはラグドリアン湖までやって来たのだ。

 

 無論、その間ギーシュを放置するわけにはいかない。モンモランシーが姿を消した時、彼が何をしでかすかはわからなかったし……ほれ薬調合の何よりの証拠である。

 巧はギーシュ係として、二人に同行することになった。巧はいつもの通りぶうたれたが、最終的にはその重要性を認めなければならなかった。目覚めたギーシュがオートバジンからモンモランシーの馬に飛び移ろうとした回数は、一度や二度ではなかったからである。

 

 それぞれの思惑は異なるが、ともかく彼らはラグドリアン湖までやってきた。……やってきたのだ!

 

「……水の精霊に、話を聞いてみるわね」

 気を取り直したモンモランシーが、腰の袋から一匹のカエルを取り出した。ルイズが引きつった声を上げる。

「カエル!」

「私の使い魔よ。そんなに邪険にしないでちょうだい。……ロビン、水の精霊を探して来て。盟約の持ち主の一人が、話をしたがっているから」

 モンモランシーは指先を針でついて、一滴の血をカエルに垂らした。

「これで、相手はわたしのことがわかるわ。わかった? じゃあ、お願いね」

 

 数分後。湖の水面が盛り上がって、輝く水の塊が姿を現した。アメーバのように形をうねらせた後、氷の彫像めいた女の姿をとった。

 使い魔のカエルを手に取って、モンモランシーが水の精霊を見据える。

 

「わたしはモンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ。カエルにつけた血に、覚えはおありかしら」

「覚えている。単なる物よ」

 水の精霊がうっそりと答える。

「貴様と最後に会ってから、今日までに月が五十二回交差した」

「……よかった。水の精霊よ。あなたにお願いがあるの。厚かましいと思うけれど、あなたの体の一部をわけてくれないかしら」

 

「体の一部?」

 巧は眉根を寄せた。ルイズが耳打ちする。

「精霊は私たちとは全然違うの。涙っていっても、本当に泣くわけじゃないのよ」

 

 二人を他所に、モンモンランシーと水の精霊の会話は続いている。

「よかろう。ただし条件がある」

「条件?」

「我は貴様らの同胞に襲撃を受けている。これを退治してみせよ。しからば我の体の一部を進呈すること、約束する」

「襲撃者……」

 

 モンモランシーは困惑した。背後の巧とルイズを見る。二人も彼女と同じに、突然降って湧いた戦闘任務に顔をしかめていた。

 しかし、目を輝かせている者もいた。目を覚ましたばかりのギーシュである。おそらく状況を全く把握しないまま、ギーシュは叫んだ。

 

「もちろん! それがモンモランシーの助けになるなら! このギーシュ・ド・グラモンにお任せあれ!」

 

    ◆

 

 深夜。

「なるほど、水の精霊を狙う不埒者。それがぼくらの敵だというんだね、モンモランシー」

 ギーシュが存外にしっかりした口調で言った。彼は自ら拘束を引きちぎり、戦闘に参加する意思を明らかにしていた。

「そうよ。毎夜、湖の底に襲撃があるらしいわ」

「強敵だな。水中で水の精霊に戦いを挑むなんて……相当の実力者と見てよさそうだ。でも安心して欲しい。きみは必ずぼくが守ってみせるよ、モンモランシー」

「――ッ! ありがとう……」

 

「よろしくやってるじゃねえか」

 オートバジンが呟いた。

「なあ、相棒。ありゃあ、おれたちが骨を折ってやる必要もないんじゃねえのかい? 襲撃者とやらが何を考えてるのか知らねえけどよ、相当の強敵なんだろう?」

「らしいな」

「けど、ほっとくわけにもいかないわよ」

 ルイズが小声で口を挟む。

「昼間のギーシュ、見たでしょう? あんなの、いつまでも隠し通せるわけがないわ」

 

「それもそうだがよお」

 オートバジンはライトを明滅させる。

「おれは心配だぜ? また相棒が怪我でもするんじゃねえかってよお。この世界にも、オル――」

「シッ! 来たようだ」

 ギーシュが声を上げた。下手をすると、ほれ薬を飲んでいない時よりよっぽどしっかりしている。モンモランシーを隣にし、具体的な脅威に直面したことで、腹が据わったらしい。

 発端がほれ薬でさえなければ、美しい姿である。

 

「いいかい。まず、ぼくが敵の動きを止める。タクミ、きみはその隙をついて、襲撃者を仕留めるんだ。きみなら問題ないだろう?」

「どうだか知らねえけどな」

 茂みから覗いた襲撃者は二人組。その表情は目深にかぶったフードのせいでよく見えない。湖面に触れて、なにやら呪文を唱えていた。

「やってはみるさ」

 巧はファイズギアを嵌めた。

 

 巧が襲撃者の背後に移動したのを見計らって、ギーシュが呪文の詠唱を開始する。襲撃者の足元で土が盛り上がり、青銅の腕が襲撃者の足首を捕らえかける。同時に、巧は木陰から飛び出していた。

 光と音を放つファイズの変身は後回し。襲撃者の背中を狙う。

 

しかし敵の反応は素早かった。襲撃者の片割れが放った炎が、たちまち青銅の腕を焼き払う。もう片方の杖は、ギーシュではなく、まず巧を狙っていた。

 奇襲は失敗した。やむを得ない。

 巧はファイズフォンを倒した。

 

「変身!」

【COMPLETE】

 

 赤い光が夜を染める。放たれた風の魔法を、ルナメタルが受け止めた。エア・ハンマー。これはワルドで知っている。

 巧は風のベクトルを逸らし、突き進んだ。

 

「ちょっと待って!」

 不意に、襲撃者が杖を下ろして、手のひらを突き出した。フードを取ると、豊かな赤髪が月夜に流れる。もう片割れも、フードを外した。見覚えのある丸メガネが光る。

「やっぱり、ダーリンよね? 奇遇じゃない。こんなところで何をしているの?」

「そっちこそ」

 巧は変身を解いた。

「こんなところで何してる?」

 

 キュルケとタバサが、そこにいた。

 

    ◆

 

「ほれ薬、水の精霊の涙ね……それで、あたしたちを退治しに来たってわけ」

 ラグドリアン湖のほとり、自らの起こした焚き火にあたりながら、キュルケはモンモランシーを見た。

「何よ」

「いいえ? 自分の魅力に自信のない女って、最悪ね」

「うっさいわね、仕方ないじゃない! もとを辿れば、こいつが浮気ばっかりするからよ!」

「すまない、モンモランシー」

 

 ギーシュがしゅんとした。戦いの緊張が解け、彼は先ほどまでの極端な色ボケ状態に逆戻りしていた。明確な目標を与え続けなければ、そのようになってしまうらしい。

「ぼくが情けないばかりに、きみに迷惑をかけた。かくなる上は……!」

「やめなさいったら!」

 

 湖に向かって走り出しかけたギーシュの首根っこをモンモランシーが掴む。キュルケは呆れて、ため息をついた。

 

「確かに、これをそのままにしておくわけにはいかないわね。でも、どうしようかしら? あなたたちとやり合うわけにはいかないし、水の精霊を放置するわけにもいかないし」

 キュルケは隣のタバサを一瞥する。ルイズが尋ねた。

「あんたたち、そもそもどうして水の精霊を狙ってたのよ」

「それは……タバサのご実家に頼まれたのよ。領地に被害が出たからって言ってね。だから、水の精霊を退治しないと、タバサの立つ瀬がないの。あなたたちが引き上げてくれれば、助かるんだけど……」

 

 キュルケはもう一度、モンモランシーとギーシュを見た。

「これじゃあね」

 

 巧が口を開いた。

「本人に頼むのはどうだ」

「本人?」

「ああ。水の精霊に、水嵩を増やさないように。モンモンならできるだろう」

 

 モンモランシーが振り返る。キュルケが尋ねた。

「そうなの?」

「まあ……多分ね。聞き入れてくれるかは、わからないけど」

 

 領地の問題を解決できなければ、実家で立つ瀬がなくなる。妙な話ではあった。いかに有能なメイジであれ、娘にそうした類の圧力をかける貴族……。

 巧はタバサを見た。

「要は、領地の水が引けばいいんだろ」

 タバサは黙ったまま、うなずいた。

 

    ◆

 

 一夜が明けた。現れた精霊にモンモランシーが問いを投げかけると、水の精霊は微かに姿を揺らめかせた。

「月が三十程交差する前の晩のこと。我が守りし秘宝を、お前たちの同胞が盗んだのだ。我はそれを取り返さんがため、世界を水で侵食する。全てを水で覆い尽くせば、悲報のありかも自然に知れよう」

「気の長いやつだな」

「ちょっと、タクミ!」

 

 ルイズが咎めるのも聞かず、巧は尋ねた。

「その秘宝を俺らが取り返してくれば、水を引いてくれるか?」

「……ふむ」

 水の精霊はふるふると震えた。

「よかろう。宝が戻るのであれば、水を増やす必要もない」

「話が早いな。それじゃ、秘宝の名前を教えてくれ」

 

「『アンドバリの指輪』」

 水の精霊がその名を口にした途端、不吉な予感が巧の背筋を走った。

「旧き水の力が籠もった指輪。我が共に、最も長い時間を過ごした指輪……」

「アンドバリの指輪……」

 モンモランシーが呟いた。巧は彼女を振り向く。

「知ってるのか」

 

「ええ。伝説の中のマジックアイテムよ。偽りの命を使者に与えるという」

「左様」

 水の精霊がうっそりと答えた。

「しかしいささか語弊があるな、死を免れ得ぬ単なる物よ。お前たちには『命』を与える力は魅力的に映るのであろう。しかしゆめ忘れるな、指輪が与えるのは『新たな命』。必ずしも偽りのそれとは言えぬ」

「盗人の見当はつかないのか」

 巧は水の精霊を睨むように見た。

「ふむ。個体の一人は『クロムウェル』と呼ばれていた」

「……アルビオンの新皇帝と、同じ名ね」

 

 キュルケの呟きに、巧はかぶりを振った。

「人違いかも知れねえ。ともかくこれで、水は引く。そうだろ?」

「我は約束を違えぬ」

 水の精霊が形を歪め始める。モンモランシーが慌てて言った。

「あ、待って! 水の精霊よ、あなたを襲う者はもういなくなったわ。約束通り、あなたの一部をちょうだい!」

 

 ぴっ! と飛んできた『水の精霊の涙』を、ギーシュの掲げた小瓶が受け止める。

「モンモランシー。ぼくが受け止めたよ、きみのために!」

「そうね。ありがとう、ギーシュ」

 

 水の精霊はごぼごぼと姿を変え、いよいよ立ち去ろうとした。だがもう一人、精霊を呼び止めるものがあった。

「待って」

 タバサである。

「あなたの前で『誓約』したいことがある。もう少しだけ、時間が欲しい」

 

「構わぬ」

 驚いてタバサを見つめる一行に、水の精霊はうなずいた。

「我に時間の概念はほとんどない。今去ろうと後に去ろうと、大して変わらぬ。……それ故に、単なる物よ。お前たちは我に、変わらぬ何かを祈りたいとおもうのであろうな」

 どこか愛しむようにそう言うと、水の精霊は微かに震えた。

「祈るがよい」

 

 タバサが膝をつく。静かに祈る彼女の肩に、キュルケが手を置いた。

 ギーシュが声を上げる。

「私、ギーシュ・ド・グラモンは誓います! これから先、モンモランシーだけを愛することを!」

「……そうよね。今のあなたは、そう言うでしょうね」

 モンモランシーが少し寂しそうに笑う。

 

 ルイズが巧を見上げた。

「あんたは何か、祈ることないの?」

「俺はいい」

 巧は短く答えた。水の精霊との誓約。彼は既に、それを完了している。

 『アンドバリの指輪』。偽りの命、あるいは新しい命を与えると言う秘宝。乾巧は、それを追わなければならない。

 もし、それが彼の想像する通りのものであれば――。

 

 巧は空を見上げた。朝焼けがまだ、東の空を赤く染めていた。

 嵐がくる、と思った。

 



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宿命/次のページ

 アンリエッタはワイングラスを煽った。正式に王位に就いて以来、彼女の深酒は進む一方である。お飾りの花に徹していれば良かった王女の頃とは、何もかもが違っていた。

 最初は寝酒のつもりだった酒に、近頃は溺れつつある。酩酊の中に浮かんでは消える、輝かしい過去の記憶。十四歳のわずかな一夏、どれだけ願っても聞けなかったあの一言。

 

「どうしてあなたは、あの時おっしゃってくれなかったの?」

 

 女官も侍従も下がらせた部屋には、アンリエッタ一人しかいない。虚しく響いた言葉が、彼女を現実に引き戻した。

アンリエッタは目を閉じ、強いて眠ろうとした。

 明日も早い。ゲルマニアの大使との折衝が控えている。戦争を終わらせるためには必要不可欠な折衝だ。

 

 その時だった。扉がノックされたのは。

 

「……ラ・ポルト?」

 

 アンリエッタは身を起こし、誰何した。返事はない。

 

「それとも枢機卿かしら? こんな夜更けにどうしたの?」

 

 やはり、返事はない。アンリエッタは杖を取って、語気を強めた。まさかこの王城に、侵入者とも思えないが――今は戦時である。

 

「名乗りなさい。夜更けに女王の部屋を訪ねるものが、名乗らないという法はありませんよ。さあ、おっしゃい。……さもなければ、人を呼びますよ」

「ぼくだよ、アンリエッタ」

 

 短い返事だった。

 

「……ウェールズ様? ああ、そんな……」

 アンリエッタは扉へ駆け寄りかけて、ふらりと頭を抱えた。

「嘘。あなたは裏切り者の手にかかったと聞きました。きっとこれは、お酒の見せた幻ね。そうでなければ、巧妙に作られた偽物だわ……」

 

 己に言い聞かせるようなアンリエッタの言葉に、扉の向こうの人物は微かな含み笑いを返した。幻というにはあまりに真に迫っていて、偽物というにはあまりに懐かしい笑いだった。

 

「そう思うのも無理はないね。何か、ぼくがぼくだという証拠を見せられればいいんだが。風のルビーは君に届けてしまったし。ああ、そうだ――」

 アンリエッタはウェールズの言葉を待った。そうであって欲しい、という願望が、既に彼女のほとんどを占めている。

 だが、次の言葉は、それを差し引いても、彼女を信じさせるには十分すぎるほどの確かさを持っていた。

 

「風吹く夜に」

 

 ラグドリアンの湖畔で、何度も聞いた合言葉。アンリエッタは扉の鍵を開けていた。

 

「ウェールズ様なのですね」

 

 何度も夢見たその微笑みが、アンリエッタに向けられていた。

 

    ◆

 

「ちょっとあんた、どうしちゃったのよ」

 

 魔法学院、ルイズの居室。床に敷いた布団に寝転がった巧を、部屋の主人が見下ろした。

 

「ラグドリアン湖から帰ってきてから、ずっとその調子じゃない。体調でも悪いの?」

 

 巧は眼球だけ動かして、ルイズを見上げる。珍しく物思いに沈んでいたせいで、彼女を心配させてしまったらしい。

 とはいえ、どこから説明すればいいのだろう。

 

「いや」

 面倒臭くなって、巧は短く答えた。

「なんでもねえよ」

「なんでもないことないでしょ! もしかして『アンドバリの指輪』のこと?」

 

 巧は目を丸くした。

 

「どうしてわかった?」

「わかるわよ。あんたがあんなに真剣に人の話を聞くところ、初めて見たもの……人じゃなくて、精霊だったけど。何か心当たりがあるのね」

「ああ」

 

 巧は身を起こした。

 

「“レキシントン”での戦い、覚えてるか」

「もちろん。虚無に目覚めた時のこと、忘れるわけないでしょ」

「あの時、ウェールズと会った」

 ルイズが眉を潜めた。

「ウェールズって……ウェールズ皇太子殿下? どこにいらしたの?」

「あの時、俺たちを追ってきた白いヤツがいたろ」

 

 オートバジンによれば、サイガ。巧の知らない、スマートブレインの刺客。

 

「あいつがそうだ。間違いない」

「まさか。だってあれは、共和国の味方だったじゃない。殿下が生きていたとしても、敵方に与するわけがないわ。誰かと間違えたんじゃないの?」

「……かもな」

 

 巧は再び、布団に身を投げ出した。確かに、仮面の向こう側に誰がいるのかを完璧に判別することは困難を極める。それを利用した者に、巧はしばしば迷惑をかけられてきた。

 だが、今回は自信があった。レキシントンの船上で、サイガは巧に声をかけた。あのウェールズが落ち延びることを選ぶとは思えない。何かの間違いだと思っていた。

 

 だが、アンドバリの指輪。その存在が明らかになったことで、話が変わってきた。

 あれはウェールズだ。サイガに変身しているところを見ると、彼は巧と同じ性質を獲得したに違いない。すると、アンドバリの指輪というのは――。

 

「ヴァリエール殿! ヴァリエール殿はおられるか!」

 

 窓の外でがなり立てる声に、巧は思考を打ち切った。寮の前にグリフォンと馬のあいのこじみた獣で乗り付けた者がいる。

 

「ヒポグリフ隊の紋章だわ。……どうしたのかしら」

 ルイズはローブを羽織った。

「あんたも来て。何か起きたのかも知れないわ」

「みたいだな」

 

 声を枯らす男の様子は尋常ではない。巧はファイズギアの入ったアタッシュケースを掴んだ。

 

    ◆

 

「女王陛下がかどわかされました」

 ヒポグリフ隊の男は、青い顔で言った。

「今から二時間ほど前になります。夜間警護の兵を蹴散らし、馬で駆け去りました。現在はポグリフ隊が追跡の任に就いております。私だけは、女王陛下直属の女官であるヴァリエール殿に報告すべしとの命を受け……」

 

 使者は荒い息を吐いた。彼が手綱を握るヒポグリフは、唇の端に泡を吹いている。大急ぎで飛ばしてきたに違いなかった。

 

「姫さま――いいえ、女王様は。女王様は、どっちに向かったの!?」

 よろめく使者の肩を、ルイズが揺する。

 使者も軍人であった。疲労困憊し、ひとまわり以上も歳下の少女に詰め寄られながらも、直立の姿勢を維持しようと努めている。

 

「賊は街道を南下しております。ラ・ロシェールの方面へ。アルビオンの手の者と思われます。近隣の警戒、港湾の封鎖命令が出されましたが、先の戦で我が軍の竜騎士隊は全滅の憂き目に遭っており……ですが、我らがヒポグリフ隊は必ず任務を達成いたします。ヴァリエール殿におかれましては、心を沈め……」

 

 ルイズはもう聞いていなかった。

 

「タクミ! 行くわよ!」

 

 ほどなくして、世界にただ一台のオートバイが凄まじい勢いで魔法学院を出発した。解放されたヒポグリフ隊の男は、地面に倒れ込んで、疲労に喘いでいる。

 

    ◆

 

 オートバジンは飛ぶように駆け、一直線に街道を南下した。敵がアンリエッタを乗せたという馬の姿は、どこにも見えてこない。順番で言えば、追跡に当たっているというヒポグリフ隊の背が、先に見えてくるはずだったが……。

 

「止まれ、相棒!」

 オートバジンが叫ぶ。巧はとっさにブレーキをかけた。

「なん……」

 

 だよ、と言いかけて、すぐにわかる。オートバジンのランプに照らし出された街道上に凄惨な光景が広がっていた。

「見るなよ」

 ルイズにそう声をかけて、巧はヘルメットを取った。

「ひでえな」

 

 街道には複数の死体が転がっている。巧はざっとその傷を検分した。あちこちに火傷を負っている者、ひどい裂傷を負っている者。寒くもないのに氷漬けになっている者……魔法による攻撃を受けたのか。

 

「生きてる人がいるわ!」

 ルイズの声を聞いて、巧は舌打ちした。「見るな」と言ったのが聞こえていなかったのだろうか。だが、彼一人だったら、生存者に気づくこともなかったかも知れない。

「大丈夫か」

「ええ。腕の傷は深いけど……モンモランシーを連れてくれば良かった。このくらいなら、水の魔法でなんとかなるかも知れないのに」

 

「い、いや……それより、女王様を……」

「ええ、追うわ。そのためにここまで来たんだもの。賊の反撃を受けたのね?」

「あ、ああ……気を付けろ。奴ら、変身の魔法を……御伽噺の中から、あいつら……」

 

 生き残りの瞳が霞んだ。がくり、と首を傾げて、男は意識を失う。ギョッとする巧に、ルイズはかぶりを振って見せた。

 

「大丈夫。気を失っただけよ」

「!」

 

 その瞬間、ルイズの背後で何かが光った。「相棒危ねえ!」と叫んだオートバジンの声、背後に感じた微かな熱。街道脇の草むら、その四方八方から、魔法の攻撃が撃ち込まれたのだとわかった。

 

 倒れ込むようにしてルイズを庇った巧は、素早く身を起こす。草むらの影から立ち上がったのは皆、見覚えのあるアルビオンの貴族たちだった。

 

「やはり来たな。タクミくん」

 

 街道の奥に、金髪の男が姿を現す。

「ウェールズ……」

「“レキシントン”以来だな。息災そうで何よりだ」

「ああ、そっちも……てっきり死んだと思ってたんだがな」

「まあ……そうだな。運が良いのか悪いのか、私も彼らも、こうして生きている」

 

 ウェールズは手を広げた。ルイズがおずおずと口を出す。

「皇太子殿下」

「ヴァリエール嬢。君も来ていたのか」

「はい。……畏れながら、単刀直入に申し上げます。女王陛下をかどわかした賊というのは、皇太子殿下なのですか?」

「それは少し違うわ」

 

 答えたのはウェールズではなかった。ガウン姿のアンリエッタが、男の影から姿を現す。

 

「私がここにいるのは、外でもない私自身の意思です。ルイズ。そしてイヌイさん。駒を引いて。私たちを行かせてちょうだい」

「姫さま、なりません」

「ルイズ、ルイズ……水の精霊の前で、私は誓ったのよ。この方だけに変わらぬ愛を捧げることを。世界のすべてに嘘をついても、自分の気持ちにだけは嘘をつけない。ルイズ・フランソワーズ。何も見なかったことにして、ここを立ち去ってちょうだい」

「姫さま」

「命令することも、できるのよ」

 

 ルイズがきゅっと唇を結んだ。彼女が握った杖は、しかしだらりと地に垂れたままだ。

 

「イヌイさん。あなたも」

 巧はアンリエッタを一瞥する。

「ひとつ聞かせてくれ、ウェールズ。本当にこれが、お前のやりたいことなのか」

「城で話したろう? 何事もままならぬものさ」

「ああ、そうかよ」

 巧はファイズフォンを開いた。ウェールズが微笑む。

「君の姿を見た時から、こうなるような気がしていたよ。望んでいたのかも知れないな。できれば、速やかに私たちを止めてくれ」

 

 ウェールズが手を動かし、何かの合図を送る。たちまちアルビオン貴族たちの表情に、影の筋が浮かんだ。貴族たちの輪郭が歪む。迸る灰色の光。詩人と天使の名を併せ持つ、一つ先の生命体。

 

「あれが、さっきの……」

 ルイズの声が遠くに聞こえる。

「お前は隠れてろ。あいつらは俺がやる。――行くぞバジン!」

 巧は変身コードを入れた。555。

 

「変身!」

【COMPLETE】

 

 赤い光。ファイズが飛び出していく。その道行を援護するように、オートバジンは射撃を開始した。

 

「ね、ねえ」

 ルイズはかたわらのオートバジンを見上げる。

「あれって……何? 人間が変身したの?」

「ああ。オルフェノクだ」

 

 銀色の機械は、珍しくシリアスな声を出した。

 

【READY】

【EXCEED CHARGE】

 

 ファイズがオルフェノクを殴りつける。グランインパクト。真っ赤な「Φ」の字が空中に浮かび上がった。

 その時にはもう、巧は次のオルフェノクに照準を移している。

 

「人間の持つ可能性の一つ。古い命の終わりという種子から芽吹く、新たな命の形だ」

「なによ、それ……それが、アンドバリの指輪の力だっていうの?」

「それは俺にも分からねえ。だが、ナントカの指輪には、オルフェノクを芽吹かせる力があるらしいな」

 

 BRATATATATATATA! オートバジンはさらに射撃する。その背中に括り付けられたままのアタッシュケースから、微かな光が漏れた気がした。

「バジン――」

「どうした、嬢ちゃん?」

「ちょっと、ごめん!」

 ルイズはオートバジンの背後に回り込むと、アタッシュケースを引き剥がした。蓋を開けると、皮表紙の古書が現れる。出発する前に巧が巻いたファイズギアの代わりにルイズが押し込んだ、始祖の祈祷書であった。

 そのページの一つが、奇妙な輝きを放っている。

 

【READY】

【EXCEED CHARGE】

 

 地面すれすれから放たれた真っ赤な槍が、オルフェノクの一体を捉えた。斜めに飛び上がるような角度で、ファイズの飛び蹴りがオルフェノクを突き抜ける。クリムゾンスマッシュ。再び「Φ」の字が夜を赤く照らした。

 

 巧は奇妙に思った。オルフェノクたちはひるむことなく襲いかかってくる。その動きはどこかちぐはぐで、散発的だ。全員がファイズを捕らえることに必死で、オートバジンの射撃をなんとかしようという者はいないらしい。

 大振りの一撃を交わす。カウンターパンチを受けたオルフェノクの一体がたたらを踏む。

 

 このオルフェノクたちは、人形めいているのだ。誰かに操られているように。

 

「駄目だな、あれでは」

 街道で観戦するウェールズは、微かに笑う。

「やはりぼくが出る他ないか。強いな、タクミくんは」

「ウェールズ様、私も」

 アンリエッタが杖を抜く。

「ええ、私もお手伝いしますわ」

 

「いや」

 ウェールズは頭を振る。

「アンリエッタ、君はここに。手を汚すのは、ぼくたちだけでいい」

 ウェールズが上着の前を開ける。彼の腰には、白いベルトが巻き付けられていた。

 サイガギア。

「どの道、今のぼくにはメイジとの連携は難しいからね」

 

 白い携帯電話型デバイスを開く。ウェールズの指が変身コードを入力した。

 315。ENTER。

 

「変身」

 

 青い光がウェールズを覆った。アンリエッタが息を呑む。

 純白のルナメタル。紫のスカイハイ・ファインダー。楽園を追放された、天を司る戦士。

 仮面ライダーサイガ。

 



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