迷宮都市に再度訪れ冒険するのは間違っているだろうか(改訂版) (汰地宙)
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第一話 帰ってきた者

これは以前投稿していた小説の改訂版になります。


 ―――迷宮都市オラリオ。

 その名の通り、全世界で唯一『迷宮(ダンジョン)』と呼ばれるものがある都市。

 数多くの冒険者たちが、自分たちの追う夢、あるいは目的の為に訪れる都市。

 

「……オラリオ……か」

 

 そして今日もまた、一人の冒険者が都市へと足を運ぶ。

 しかしその冒険者は、どこか普通とは違っていた―――。

 

 

 

***

 

 

 

 冒険者ギルド。

 迷宮都市オラリオの中心にそびえ立つ白亜の塔……『バベル』の一階に存在する、言わば冒険者たちを管理する機関だ。

 新米冒険者の指導や素材及び魔石の買い取りなど、様々なことをこのギルドが行っている。

 

 そしてエイナ・チュールもまた、ギルドで働く職員の一人だ。

 

 エイナは受付で冒険者らの応対をしながら、ある一人の冒険者のことを頭に思い浮かべる。

 くせっけの白髪に深紅(ルべライト)の瞳を持つ、兎の様な少年―――ベル・クラネル。最近冒険者ギルドに登録した冒険者で、現在エイナがアドバイザーを担当する冒険者だ。

 自分より年下で少し頼りないような印象の彼は、エイナにとってすっかり弟のような存在だ。そのせいもあって少しばかり世話を焼きすぎてしまっている気もするが……実際、彼は傍から見てとても危なっかしい。

 

 ベル・クラネルはダンジョンに夢を見ている―――エイナは彼をそう評している。

 何やら彼を育てて教育を施した人物が、『ハーレムは男の夢だろう!』なんてことを平気で言う人物だったようで、純粋なベルはまたその影響を顕著に受けて育ってしまっている。故に彼は、奥手ながら女性への興味だけは人一倍だ。全く、そのベルを育てた人物に恨み言の一つでも言ってやりたくなる。

 

 そんな夢見がちで純粋な彼は、どうやらダンジョンに異性との運命的な出会いを求めているようなのだ。

 それもまた、彼を育てた人物の影響だということで、本当に傍迷惑な―――

 

「……っと、ちょっと。大丈夫か?」

「えっ、あ、はい! 申し訳ありません……では、これで登録は完了です」

 

 物思いに耽っていたせいか、目の前にいる冒険者に訝しげな視線を向けられている。わたわたとしつつもなんとか対応を終え、その冒険者が去って行った後、エイナは数度首を振った。

 職務中に別のことを考えてしまうなど、自分らしくもない。先程のような失態を犯さないためにも、今は仕事に集中しなければ……と思ったところで、また一人の冒険者がエイナの方に向かってきていた。

 

「あ、ようこそ冒険者ギルドへ」

「あぁ、どうも」

 

 はい慌てない、いつも通りいつも通り。とまだ気持ちの乱れが残る自分に言い聞かせ、いつも通りの自然な笑顔で対応する。新たにギルドを訪れた冒険者の顔を見て―――ん? とエイナは思った。

 

 短く切られた黒髪に、吊っても垂れてもいない半眼。そこに収まる、黒曜石の様な黒い瞳。顎髭を少しばかり生やしている。ぱっと見は17、8歳くらいに見えるのだが、その冒険者が纏う雰囲気や顎鬚のせいか、見た目以上の年齢であるような気もする。そして何より、何故だかどこかで見たことがあるような……。

 

 そんな少々不思議な雰囲気の冒険者は、エイナの視線があまりに不躾だったからだろう。大人びて落ち着いた雰囲気とは少し違う、悪戯っぽい表情で笑う。

 

「……俺の顔、どこか変ですかね?」

「うぇ!? あ、も、申し訳ありません!?」

「いや、お気になさらず」

 

 しまった、またやってしまった。先程に続いての失態に慌てるエイナを見て、その冒険者は悪戯っぽい雰囲気をそのままにからからと笑った。

 この男、落ち着いた雰囲気に反して存外茶目っ気のある性格なのかもしれない。

 からかわれたのには少しむっとしてしまうが、まぁいいかと思考を切り替え、改めてギルドの職員としての職務を果たすことにする。

 

「それでは、本日はどのような御用件でしょうか?」

「実は俺、結構前にギルドに登録してたんですが……事情があって都市の外に居ましてね。再登録って形で処理してもらえないかなと」

「以前ご登録されているなら、まだ情報があるかもしれませんが……一度、お名前を伺えますか?」

「あぁ、確かに。俺は―――」

 

 

 

 

 

「―――イシガミ・流渦(りゅうか)と申します」

 

 

 

***

 

 

 

 冒険者ギルドから、一人の冒険者が姿を見せる。

 

 黒髪黒目の、エイナが評するに不思議な雰囲気の冒険者―――流渦は、ぞりぞりと顎鬚を軽く撫でながら街並みを眺めた。

 オラリオの中心にそびえ立つバベル、そしてバベルにあるダンジョンに行くために交錯する数多くの冒険者達。がちゃり、がちゃりと冒険者の武具の金具の鳴る音。そこら中から発せられ、耳に入っては消えていく喧騒。

 ……何もかもが懐かしいと、流渦はくっと笑みを浮かべる。

 

 昔は流渦も、道行く冒険者たちと同じように仲間らと一緒にダンジョンに潜ったものだ……と懐かしみながら、流渦は雑踏に足を踏み入れ―――誰かが飛び出してきたのは、同時だった。

 

 衝撃。そこそこの勢いで飛び出してきた誰かと真っ向からぶつかり、流渦は思わず一歩後ろにたたらを踏む。一方ぶつかった方は「うわぁあ!?」と素っ頓狂な、あるいは少し情けない悲鳴を上げて数(メドル)ほど吹っ飛んだ。……ぶつかった方が吹き飛ぶとは妙な光景だが、ここ(オラリオ)ではままあることだ。

 

「おい、大丈夫か?」

「いてて……あ、はい! す、すいませんっ!?」

 

 吹っ飛ばしてしまった少年は、尻餅をついて痛そうに腰をさすっていた。不注意だったなぁ、と申し訳なく思いながら手を差し出そうとすると、少年は手を取ることなく立ち上がって胸の前で両手を振った。なんともまぁ、元気のいい少年だなぁ……と何の気なしに少年の姿を目に収めた瞬間、暴力的ともいえる衝撃……否、笑撃が流渦の腹部を強襲した。

 

 ……ところどころに見える白から、元は綺麗な白い髪をしているであろうと想像できる、その少年冒険者。

 しかし今、その白は見るも無残に真っ赤に染め上げられていた。いや、白い髪だけではない。少年冒険者の体の前半分は、全て血で真っ赤だった。……形容するなら、中身をぶちまけたトマトだろうか。妙に血なまぐさい辺り、どうやら魔物の血でも頭から浴びてしまったらしい。なんとも運のない少年だ。

 

 しかし街中をそんな姿で駆け抜けてきたとは……あまりに珍妙、あまりに奇怪。

 冒険者の鍛え上げられた腹筋で全力で吹き出すのを抑えながら、わたわたとギルドへ駆けて行った少年を見送って、

 

「……あいつ、あのままギルドに行くのか……」

 

 色んな意味で大丈夫だろうか、と。

 何とか笑いを抑えきった腹を押さえた流渦は、少年冒険者がちょっとばかり心配になった。

 

 

 

***

 

 

 

 あの愉快な少年冒険者とぶつかってから十数分後。

 ぶらぶらとオラリオの北のメインストリートを歩きながら、流渦は一つのことをぼんやりと考えていた。

 

「ファミリア……どこに入ったものかな……」

 

 ファミリア。

 下界に降りてきた『神』達を主とする集団であり、親である神と子である冒険者たちの共同体。冒険者として活動する者らは、必ずこのファミリアに所属する。というよりは、所属しないと活動できない―――と言うべきだろうか。

 

 ファミリアに入ると、そのファミリアの主神より『恩恵(ファルナ)』と呼ばれるものがほぼ例外なく与えられる。

 この恩恵(ファルナ)によって刻まれる数値は『ステイタス』と呼ばれ、これを刻むだけで一般人とは一線を画す能力を得られるのだ。

 逆に言えば、それを得なければモンスターとは到底渡り合えないということでもある。それだけ魔物は強く、ダンジョンは危険極まりない場所なのである。

 

 つまりファミリアに入ることは、冒険者として活動する上で必須条件。

 では問題は、どのファミリアに入るか、ということなのだ。

 

 迷宮都市オラリオで名高いファミリアと言えば、やはり『ロキ・ファミリア』と『フレイア・ファミリア』の名が真っ先に上がるだろう。

 この二つのファミリアがこの迷宮都市におけるツートップであり、絶対的な力を持つファミリア。だがそれだけの強大なファミリアなだけあって、そう簡単に加入できるものではない。まぁ片方(・・)は、何とかなるかもしれないけれど。

 

 なんにせよ、そのような強いファミリアに入りたくともそこらの有象無象の冒険者では門前払いが関の山。

 では狙い目は必然、発足してから日の浅いファミリアということになる。

 

 そういう零細ファミリアの主神たちは、こういう往来で勧誘をしていることも珍しくない。実際、現役時代もそんな神の姿を多々目撃したことがある。同時に気に入られて無理矢理引き抜かれそうになったことも思い出して、ちょっと微妙な気分になった。

 

 とまぁ、そんな勧誘をしている神がいることを期待してわざわざ人通りの多い場所を歩いているわけなのだが、なかなかどうしてこれが見つからない。今日は運が悪かったか、と流渦は頭を掻く。どこでもいいわけではないとはいえ、見つからないというのはそれ以前の問題だし。

 

 もう空も朱色に染まりつつあるし、取り敢えずは宿を探して、ファミリア探しはまた明日にするべきか。明日に回せば時間もあるし、どんなファミリアがあるか確認していいファミリアがあれば―――と思った時、何か変わった気配を感じる。

 

 微かではあったが、その気配は正しく『神気』―――神々が纏う気配。それが感じられたということはつまり、と気配を感じた方向に視線を巡らせてみれば―――いた。

 

 常に人が流れていく往来で、必死に人々に声を掛けようとしている少女―――いや、少し小柄な女性が一人。

 濡れ羽色の艶やかな髪を背に流し、前髪で目元を隠したちょっと暗そうなその女性は、おたおたしながらもなんとか声を掛けようと必死だった。

 

「あの……私の……」

「……」

「うぅ……あっ、あ、あの……」

「……」

「う、うぅ…………」

 

 しかし人々はちらりと目を向けるだけで取り合おうとはせず、女性はしゅんとして下を向いてしまう。まぁいくら神と言っても、あんなにおどおどしていてはついていきたいと思われないのも……失礼ながら、頷けてしまうところはある。

 

 俯く女性は、周りの人々とはかなり違う服装をしている。流渦の生まれ故郷である極東においては、巫女服と呼称される服に酷似した服だ。

 上半身に纏う着物は深い落ち着いた緑色。下半身の袴は夜闇のように深い藍色。そして首元には、暗い赤色の宝玉が埋め込まれた首飾り……極東の文化があまり見られないオラリオでは、はっきり言ってかなり異彩を放つ格好だ。

 

 おどおどしているし、自信は無さげ。それでも彼女は……なんだろう、やはり同じ極東の要素を感じるからだろうか、親しみが持てるしどうにも放っておけなかった。

 はいすいません、ちょっと失礼……と軽く謝りながら人の流れを突っ切り、女性の元へと向かう。

 

「よっと……すいません、少しよろしいですかね」

「ぅ……わっ、あ、ひゃいっ!?」

 

 急に目の前に知らぬ男が現れ驚いたらしいその女性―――女神は、やはりおどおどした様子で口を開く。

 

「え、えっと、何の、御用で……?」

「いや、貴女が団員の勧誘をしているように見えたもので」

「あ、見てたんですか。……そうなんです。えっと、来てくれたってことはもしかして……?」

 

 俯きがちだった女神は、顔を上げて流渦を見つめる。前髪の隙間から覗く瞳は、期待を含みながらも、彼女の不安を表すように微かに揺れる。やっと誰かが来てくれて嬉しいけれど、本当に入ってくれるのかな……、そんな彼女の心の声が聞こえてくるようだった。

 だからこそ、安心させるように大きく笑みを向けてやる。

 

「えぇ。俺も丁度、所属するファミリアを探していたもんで」

「……あ……」

 

 女神の瞳が、一度大きくゆらりと揺れる。不安げではなく、喜びに震える様に。

 おどおどしていて不安げで、どこか頼りない女神様。……しかし自分はそんな女神様を、どうやら支えてあげたくなってしまったようで。

 浮かべた笑みはそのままに、彼女に向けて手を差し出す。

 

「―――俺を、貴女のファミリアに入れてくれませんか? 女神様」

「―――ッ、は、はいッ!! よろしくお願いします!!!」

 

 ぱぁっ、と。

 まるで暗闇で一筋の光が差したような。先程までとは打って変わって明るい笑顔で、女神様は流渦の手をぎゅっと握る。流渦より随分小さなその手を、しっかりと握り返す。

 

 ―――ここから、新たな『眷属の物語(ファミリア・ミィス)』が紡がれる。

 




ぼちぼち更新していければと思います。


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第二話 流渦の不思議

 北のメインストリートから少し外れたところにある、寂れた一軒家。ここが女神様が用意したファミリアのホームらしかった。

 それなりにぼろっちいが、最低ランクの派閥(ファミリア)である現状のホームとしては十分すぎるくらいだろうか。

 

「じゃあ、あの、どうぞ」

「失礼します」

 

 内装はあまりひどくなければいいんだが、と願いながら家の中へと入り―――その内装を目にした流渦は、猛烈な懐かしさに襲われた。

 土間に竈。恐らくは茶の間であろう六畳ほどの場所にはちゃぶ台が一つ。少し戸の空いた押入れには、二組の布団が入っているのが見えた。

 

 外見は随分とぼろかったが、内装は中々悪くない。生活する上で不自由もなさそうだし、何より見慣れたものが多々あるのがいい。勿論流渦はオラリオの一般的な建築様式にだって慣れているが、やはり生まれてすぐから慣れ親しんだものが一番落ち着くというものだ。

 女神様も東洋風の服装だし、オラリオに来たのに極東に里帰りしたような気分の流渦なのであった。

 

 取り敢えずは奥の居間に通され、女神様と向かい合って正座で座る。

 座って互いの顔を見合うなり、流渦は正座したまま深々と頭を下げた。

 

「まずは、俺をファミリアに入れて下さったこと、真に感謝申し上げます」

 

 突然頭を下げてそう礼を述べる流渦に、女神は戸惑うように数度目を泳がせる。

 

「え……えっ!? あっあの、その、私だって団員を探していたんだから、その、気にしないで、ください?」

「ありがとうございます」

 

 気にしないで、と言われたならいつまでも頭を下げているのも逆に失礼だろう。すぐに頭を上げて、再度女神様に視線を向ける。

 

「俺はイシガミ・流渦と申します。五年程前までこのオラリオにて活動していましたが、今日に至るまで極東の方に里帰りをしておりまして。今日、五年ぶりにオラリオに戻ってきた次第です」

「い、以前活動をしていたんですかっ? な、なら何で私なんかのファミリアに……」

 

 流渦が元冒険者であることを知り、女神様が目を丸くする。こちらにも事情があるだろうとさほど驚いてはいない様子だが、それでも経験者の加入は少々意外だったと見える。

 

「新たなスタートと言う意味もありますが……後は、ブランクのある俺でも加入しやすいかなと思った次第でして」

「そ、そうですか……」

「何分、大きいファミリアには簡単に受け入れられるものでもありませんので」

「なるほど……」

 

 素直な理由を苦笑交じりに答えると、女神様も納得した風に何度か頷いた。

 正直なことを言えば、しっかり自分を売り込めば自分を加入させてくれるファミリアはそれなり(・・・・)の数あるだろうとは思っている。

 それでも売り込みをしなかったのは、面倒だとか、実力をひけらかすようなのはいささか矮小なプライドがとか理由は数あるが……まぁ、先程口にした新たなスタートというのを、一番の理由だとしておくことにする。

 

「それはそれとして、女神様」

「あ、はい……?」

「女神様は、いささかご自身を卑下される嫌いがあるようですが」

 

 流渦の指摘に、女神様はぴくりと肩を跳ねさせる。

 

「何か事情がお有りなのでしょうが……もっと、堂々とされてはいかがでしょう」

「……」

 

 何も言わない女神様は、押し黙ったまま俯いてしまう。ただでさえ長い前髪で見えづらい表情は、完全に隠れてしまって流渦の側からは伺えない。

 流渦の言葉には責めるような色はなく、ただ主神としてあるべき態度を指摘すると共に、あまりの自信のなさを心配するような言葉だった。

 

 だからこそ、女神は理由を口にしなかった。流渦の知るところではない、彼女の過去。明かすどころか思い出すのも辛い過去の記憶に。女神は首から下げた首飾りを握り締める。

 もしかして地雷を踏んだだろうか……と、流渦は内心冷や汗ものだった。

 

「貴女はこの【ファミリア】の主神です、女神様」

「……そう、だね」

 

 ようやく得られた返答に、流渦は少なからず安堵した。加入してすぐ仲が険悪になるなんて、幾らなんでも堪えるものがあるし。

 口元に薄い笑みを浮かべながら、言葉を続ける。

 

「この【ファミリア】に加入したい者が居るならば、必ずこの【ファミリア】に惹かれるものがあるからでしょう」

「……そう……かな?」

「どんな理由かは数あるでしょうが……その中にはきっと、貴女に惹かれたから、という者だっていることでしょう」

 

 「少なくとも、私はそうでした」と、流渦は芯のある声音で告げる。

 その言葉で、ようやく女神は顔を上げる。その視線の先にあるのは、力強く口角を上げる流渦の顔。

 

「だから、貴女は顔を上げるべきだ。貴女に惹かれる者の為にも」

「――――――っ」

 

 女神は感極まったようにきゅっと唇を引き結び、何かを堪える様にまた俯いて……すぐに顔を上げる。そこには、淡く儚い笑顔があった。

 萎れた花が、水を与えられて上を向くように、女神は笑った。

 綺麗な笑みを浮かべたまま、女神は今度は自分の番だと言わんばかりに一度咳ばらいをする。

 

「遅れたけど……私は、イワナガヒメ。ようこそ、【イワナガヒメ・ファミリア】へ」

 

 女神―――イワナガヒメ。

 暗く不安気だった彼女は、今ばかりは女神としての一面を見せ。

 これから長く付き合うことになる我が子に、笑いかけた。

 

 

 

***

 

 

 

 そして流渦は、椅子に座って上半身を晒していた。

 イワナガヒメは流渦の背中側に座り、広く筋肉質な背中をじっと見ている。

 

 言っておくが、特にやましいことをしているわけではない。

 これから行うのは、『恩恵(ファルナ)』の付与。

 団員の背に、ファミリアの主神が自らの『神血(イコル)』を使って、【ステイタス】を刻み込む。

 

 故に今、イワナガヒメは流渦の背中を見ているのだが。その背中には、掠れてはいるが【神聖文字(ヒエログリフ)】とファミリアの刻印が刻まれていた跡があった。

 

 以前冒険者をしていたというのは、嘘偽りない事実だったらしい。まぁ嘘を言えばすぐにわかるのだし、別に流渦が嘘を言っているとは思っていなかったが。自らの目で見てみると、それが本当なのだということが実感を伴って感じられた。

 ……一体どこのファミリアだったんだろう。一体その時の流渦はどんなことを―――

 

「(……って、違う違う)」

 

 ふるふると首を振り、思考の沼に沈みかけた意識を現実に引き戻す。

 今は『恩恵』を与えることに集中しなければ。

 

 左手に持つ小さい針で、右の人差し指を軽く刺す。微かばかり滲む血が、表面張力で丸くドーム状になる。

 その指で、流渦の背に触れる。

 指を流れるように動かすたび、【神聖文字(ヒエログリフ)】が刻まれてゆく。

 そしてそれを刻みながら、当然その内容を目にして……瞠目した。

 

「な、なにこれ……!?」

 

 予想外の数値。

 経験を積んでいるんだろうとは思っていた。もしかしたら上級冒険者かも? と淡い期待も抱いていた。

 

 だが。(だれ)が想像するできるだろうか。

 まさか、自分が主神を務める、団員が一人もいない零細ファミリアなんかに―――

 

 ―――『Lv.4』が、加入するなんて。

 

 Lv.4。

 都市でもかなり上位の方に食い込むレベル。

 

 確かにまだ上の冒険者も存在するが、Lv.4ともなれば下にいる人の方が膨大な数だ。何せ冒険者の半数は下級冒険者であり、上級冒険者も上に行くほどその数を減らす。

 それだけの実力を持つ冒険者が今、目の前にいる。

 

 改めて流渦の【ステイタス】の数値を見る。そのレベルもさることながら、補正の数値も軒並み高い。

 

 今も尚、自分の下にある彼の体を見て、思う。

 ―――彼は、いったい何者なのだろうか―――と。

 

 

 

「……ねぇ、流渦」

「……はい?」

 

 ステータスを刻み終え、それを羊皮紙に書き写して流渦に見せている時。

 今まで使っていた敬語を使うことなく―――流渦に、そうするよう説得されたからだ―――イワナガヒメは、流渦の名を呼んだ。

 紙を持ったまま振り向く流渦に、問う。

 

「……流渦は、どれだけの間冒険者をしていたの? ……一体どのファミリアに所属していたの?」

「あぁ、その話ですか」

 

 流渦が語らなかったことを、敢えて直球で問いかける。答えづらいことは答えてもらわなくてもいい、ただ少しでも、自分の眷属のことを知れればそれでいい。

 しかしイワナガヒメの予想に反し、「お答えします」と流渦はあっさりと自らの身の上を語り始める。

 

「五年前まで冒険者だった……と言うのはお話ししましたね。冒険者をしていた期間は……十年程ですね。十歳のころから、ダンジョンに潜り始めたはずです」

「……」

「所属していたファミリアは―――【アストレア・ファミリア】」

「……!! 『アストレア・ファミリア』って……あの?」

「はい。……数年前、無くなったファミリアです」

 

 【アストレア・ファミリア】。

 正義を司る神、アストレアが率いていた【ファミリア】。探索(ダンジョン)系【ファミリア】として活動する傍ら、迷宮都市(オラリオ)の秩序も守っていた……と、聞いたことがある。

 そして数年前、とある【ファミリア】の謀略により消滅した、とも。

 

 流渦は、その構成員の一人だったという。

 

「俺はそこそこ調子よく冒険者をしていました。ファミリア内でもそこそこ強かったんですよ」

「え……ほんと?」

「第二級ですから。……話を戻すと、Lv.4になった年に俺はオラリオを出たんですが―――」

 

 その時ファミリアも脱退しまして、と告げたところで一度言葉を切り、流渦は俯いた。

 

「……ファミリア消滅を聞いたのは故郷でです。風の噂で耳にしました」

「……そう、なの……」

「……死ぬほど後悔しました。何故俺はその時あの場所にいなかった。何故皆を助けられなかった……とね」

 

 俯いた流渦の表情は、悔しさと空しさと悲しみと怒りと……感情が複雑に入り混じっていた。傍から見ているだけのイワナガヒメの胸すらも、きつく掴まれるような感覚に襲われる。

 流渦は顔を俯けたまま、【ステイタス】の写しにちらりと目を向けて、クッと笑う。

 

「……だからかもしれませんね、このスキルが発現していたのは」

 

 それは、気づかぬうちに発現していた己のスキル。

 迷宮都市から遥か離れた故郷の地で、無力感に苛まれた己が力を欲するが故に発現していたような。

 

 ―――もし五年前にこのスキルを持っていて、俺がもう少し長くこの都市に居たら。

 そんなありもしない『もしも』を考える意味などないと、流渦は自嘲気味に笑う。

 

「……していた? 元から持ってたんじゃないの……?」

「……多分、その時に発現して、今日それがようやく日の目を見たんでしょう」

 

 顔を上げた流渦の顔に先程までの複雑な感情はない。

 ただ真っ直ぐに前を向く意思のみがある。

 

「俺はもう後悔しない。だから俺は新たなスタートを切りたくて、この【ファミリア】に入ったんです」

 

 一から始めよう。一からまた自分を見つめ直し、【ファミリア】のために尽力し、今度はあの時のように「守れなかった」と後悔しなくていいように。

 決意を感じさせる表情の流渦は、イワナガヒメの両手をしっかりと握った。不意に手を握られたイワナガヒメは、頬を微かに朱に染める。

 

「えっ……えぇっ!?」

「誓います。俺は絶対にこの【ファミリア】を守る。絶対に貴女と共にいる」

「……」

「だから―――どうか、見守ってください、イワナガヒメ様」

 

 ともすれば、愛の言葉のようなその誓い。

 自分の子供が言ったその言葉は、確かにイワナガヒメの心を揺らす意志の強さがあった。

 

 イワナガヒメは、この時確かに。

 目の前の流渦(こども)のことを、愛おしく思った。

 

 

 




流渦の素性が明かされる回でした。

この下は流渦の【ステイタス】になります。


***

〈ステータス〉

イシガミ・流渦

Lv.4

 力:S989
耐久:A852
器用:B803
敏捷:C671
魔力:S924

・発展アビリティ
狩人:G
正射:G
 ・射撃命中率上昇
 ・射撃威力に補正
強心:H
 ・精神強化
 ・強敵と対峙した時ステータスに補正

【魔法】
 ストリーム
【詠唱式】『押し流せ(シェイド)
     『弾けろ(バースト)
 ・付与魔法(エンチャント)
 ・身体強化

【スキル】
 孤軍奮闘(ストラグル)
・混戦時『力』と『耐久』に補正。
 ・敵の数に応じて効果上昇。

 激流邁進(ノンストップ・ストライヴ)
 ・成長に補正。
 ・向上心(おもい)の丈により効果上昇。
 ・向上心(おもい)が続く限り効果持続。




***



補足ですが、発展アビリティ『正射』『強心』はオリジナルの物です。
激流邁進は、『憧憬一途(リアリス・フレーゼ)』の同類ですね。


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第三話 再会、酒場にて

以前書いた文章のお粗末さが光る。そして今回手直しして尚、お粗末です。

年単位で時間が経っているので初投稿です。


 ダンジョン第一階層。

 地下へと続くダンジョンの入り口に当たる、冒険者たちを迎える最初のフロア。

 どの冒険者にとっても通過点に過ぎないその階層を、流渦は一人歩いていた。

 

 フロアを薄暗く照らし上げる壁面の薄明かりを眺め、ひとつ笑みを落とす。

 

「随分と懐かしいな……五年も経てば当然のことか」

 

 最後にダンジョンに潜ったのは五年前。しかもその時既にLv4に到達していた流渦は、当然第一階層など素通りしている。いつしか何も感じなくなっていたが、こうして改めて景色を眺めてみると、初めて挑戦した時の胸の高鳴りがつい先日のことのように思い出された。

 

 【ファミリア】の先輩冒険者達の背中をがむしゃらに追いかけていた、未熟で青臭ったあの時。今や自分もすっかり大人になってしまったものだ―――酷く懐かしい記憶に、思わず口角が上がる。

 

 その時だった。

 

 ボコリ―――前方から響いた音に足を止め、鋭く壁を睨みつける。視線を向けた先、淡く光る壁面が破られていく。それも一か所ではなく、数か所同時……その数、五。

 壁を突き破って姿を現したのは、恐らくはほとんどの険者が初めて遭遇するであろうモンスター。ダンジョンにおいて最も弱いとされるそのモンスターの名は、ゴブリン。

 

 生まれ落ちて間もないゴブリン達は、赤子のように産声を上げることも無く、佇む流渦へすぐさま敵意を剥き出しにする。

 彼らの懸命な威嚇を、流渦は一笑に付した。

 

「ギギャアッ!!」

「キィ……ギャアァッ!」

 

 その笑みを挑発と取ったか、或いはただの本能か。濁った声と共に二匹のゴブリンが向かってくる。

 爪で流渦を引き裂かんと腕を振り上げ、噛み砕かんと牙を剥いて迫るゴブリン達。それを迎え撃つ流渦はただ、右の拳を微かに持ち上げる。

 

 破裂音。

 

「ギャヒ―――!?」

 

 目にも止まらない速度で打ち出された拳が、先に飛び掛かってきた一匹の頭蓋を無惨な肉片と血しぶきへと変える。戸惑うような声を上げたもう一匹の頭蓋もまた、右の拳で粉砕。

 首を失った体が、どちゃり、生々しい音を立てながら地面に倒れるのを目にして、何が起こったか理解しきれていないゴブリン達。当然その隙を逃す流渦ではない。

 

 地面を蹴る。一瞬にして目の前に現れた流渦に茫然と目を向けたゴブリン達へ、右足を一閃。纏めて蹴り砕かれた三匹の体が、肉が潰れ骨の砕ける不快な音を立てた。

 

 二級冒険者と、ダンジョン最弱モンスター。蹂躙と呼ぶに相応しい、手ごたえのない一方的な戦いだったが……それでも、久々にダンジョンへ足を踏み入れたという実感を十二分に感じられた。気づかぬ内に、また口角が上がっていた。

 

 懐のナイフでさっさと死体から魔石を抉り出し、下の階層へと歩を進める。

 

 目指すは第七階層―――『新米殺し』の出現する階層だ。

 

 

 

***

 

 

「凄い、こんなに……」

 

 流渦がダンジョンから帰還した後、オラリオ西のメインストリート。

 【ファミリア】発足を記念して、食事にでも―――そんな話になって酒場へと足を運ぶ最中、隣を歩くイワナガヒメが目を丸くしながら呟いた。

 その手に乗っているのは、本日の稼ぎが入った布袋。そこそこの重みにほんのり嬉しそうなイワナガヒメとは対照的に、流渦は頭を掻きつつ苦笑を浮かべる。

 

「この程度しか稼げず、申し訳ない」

「そんな……これでも十分、だよ?」

 

 イワナガヒメはふるふると小さく首を横に振るが、流渦はやはり納得がいかなかった。

 

 流渦とて二級冒険者の端くれ。上層などとっくの昔に乗り越え、五年前は中層以降での探索をメインに据えていたのだ。その時の稼ぎに比べれば、今回の稼ぎのなんと微々たることか。今回は慣らし程度にしておこう、と決めて第七階層での稼ぎに留めたのは自分とはいえ、納得のいかないものがあるのも確かだった。

 

 次こそはより深い階層……上層を越え、せめて中層を探索して倍以上の稼ぎを持ち帰ろう。ぐっと拳を固く握り、流渦は一人決意を固めた。

 

「期待しておいて下さい、イワナガヒメ様……!」

「えっと、無理はしないで……ね?」

 

 めらめらと気炎を上げる流渦の隣、へにゃりと柳眉を下げるイワナガヒメは、この子もやっぱり一人の冒険者(おとこ)なんだなと、柔らかく微笑みを零していた。

 

 

 

***

 

 

 

 メインストリートに並ぶ酒場の数々は、夕刻にもなるとダンジョン帰りの冒険者達で連日大層な賑わいを見せる。

 流渦とイワナガヒメが前にしている酒場―――『豊穣の女主人』でもそれは変わりはないようで、店内からは酒を飲み騒ぐ客達が生み出す喧騒が、扉越しにも溢れ出していた。

 

 慣れた流渦は懐かしさに頬を緩めるが、その隣、イワナガヒメはどうにも慣れない様子で小柄な体を更に小さく縮こまらせる。

 

「凄いね……私、こういう所に入るの初めて……だ、大丈夫かなぁ」

「なに、ただ好きな様に楽しめば良いのです。酒でも飲んでいれば喧しいのも気にならないでしょう」

「そ、そうだね……。うん、お酒飲む」

 

 ふんす、と可愛らしく意気込むイワナガヒメは、言っては何だが神様らしい威厳の欠片もなかった。

 

 そんなおのぼりさんの神様を横目に、酒場の戸を開く。途端、遮る扉がなくなり濁流の如くに迫る喧騒。後に続く神様の「ひゃぁ……!」と控えめな驚愕の声が、一瞬で呑まれて掻き消えた。

 

「いらっしゃいませニャー! お二人様ですかニャ?」

「ええ、二人です。空いてます?」

「はいはい、ありますニャー!」

 

 「ご案内しますニャー!」と元気よく歩き出す猫人(キャットピープル)の少女の背を追う形で、流渦とイワナガヒメは店内に足を踏み入れる。

 更に近くなる大音量に圧倒されるイワナガヒメの手を引きつつ、案内された席は壁に近い席。ここなら幸い周りを囲まれてもいないし、イワナガヒメも多少は肩の力を抜いて食事ができるだろう。イワナガヒメもまた同じ事を思ったようで、ほっ、と安堵の息を付いているようだった。

 

「それでは、何かご注文はありますかニャ?」

「俺はエールを。後はそうだな、鳥の香草焼きとパスタを頼みます」

「あ……えっと、私は、じゃあ……同じお酒を」

「承りましたニャー」

 

 厨房の方へと跳ねるような軽やかさで去っていく少女の背を見送り、酒と料理が来るのを暫し歓談しながら待つ。と言ってもイワナガヒメは緊張しきりで「はぁ」だの「へぇ……」だの上の空で、一方的に流渦が話題を提供しているだけの形だったが。

 

「はい、ご注文の品ですニャ!」

 

 それでも次第にイワナガヒメが雰囲気に慣れてきた頃、戻ってきた元気な声と共に、ドンッ! と重々しい音を立てて料理とジョッキがテーブルへと置かれる。香草焼きの香ばしい香りとエールの炭酸の弾ける音に、思わず流渦とイワナガヒメの喉が鳴った。

 

「じゃあ……」

「うん……」

 

 最早言葉は必要なかった。互いにジョッキを手に取り、軽く掲げる。どちらが音頭を取るかと迷うように暫し無言で見つめあい、結局苦笑と共に流渦が口を開く。

 

「では、我々のファミリア発足を祝して……」

「しゅ、祝して……!」

 

『乾杯っ!』

 

 景気よくジョッキをぶつけ合わせ、欲望のままに一気に煽る。

 門出を祝う一杯が爽快な炭酸と共に乾いた喉に染み渡る感覚に、流渦は堪らず破顔した。

 

 

 

 

「ご予約のお客様、ご来店ですニャー!」

 

 それから数十分程経ち、流渦もイワナガヒメもそこそこに酔いが回ってきたころ。

 流渦が香草焼きを齧って幸せを噛み締めていると、店員の一人の元気の良い言葉と友に冒険者達のどよめきが耳に入る。

 

「……なんでしょう?」

「流渦君、あれ、あれ」

 

 上げた顔に訝しげな表情を浮かべていたからだろうか、イワナガヒメがその原因がいる方を指差してくれる。その指の先に視線を向けると、「ほう」と自然と声が漏れた。

 

 緋色の髪を揺らす神を中心とした、道化の紋章を持つファミリア―――どよめきの原因は、【ロキ・ファミリア】の誇る、第一級冒険者達だった。

 主神の趣味で美男美女揃いの彼らの中でも特に目立つのは、光を受けて輝く金髪を背に流す、人形のように整った造形美を持つ少女―――

 

「おぉ、えれぇ上玉ッ」

「馬鹿、エンブレムを見ろ。ありゃ『ロキ・ファミリア』だ……」

「げっ……ってことはありゃあ【剣姫】か……」

 

 ―――【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン。

 歳若い少女らしく細身な外見とは裏腹に、第一級と呼ばれる最高峰の実力者の一人……Lv.5の冒険者である。

 

 その他の面々もまた、団長である【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナを筆頭とした、オラリオに居て知らぬ者はいない程の有名人達。冒険者達がざわめくのも頷けるというものだ。

 

「ふわぁ、すごい……みんな強そう……」

 

 思わずといった風に零れたイワナガヒメの呟きには、一大ファミリアを率いる神への感嘆と少しの羨望が垣間見える。

 迷宮都市オラリオにおいて【フレイア・ファミリア】と並び最強との呼び声高いファミリア。下界に降りてきて間もないとはいえ、同じ神としては羨ましいと思うのは当然だろう。

 

 周りの視線を対して気にした様子もなく酒場の中心辺りのテーブルを陣取った彼らは、運ばれてきた酒を手に取った。

 そして彼らの主神―――女神ロキがおもむろに立ち上がり、声を張り上げる。

 

「よっしゃあ、みんなダンジョン遠征ご苦労さん! 今日は宴や! 飲めぇ!」

 

 その音頭を皮切りに、彼らの宴もまた始まる。

 一層騒がしくなった酒場の中、流渦は入ってきた彼らを一瞥した後気にする様子もなく酒を飲み続けていた。

 妙に落ち着き払った流渦の様子に、イワナガヒメが小さく首を傾げる。

 

「ねぇ、流渦君。気にならないの? 最高峰のファミリアの冒険者達だよ……?」

「ん? えぇまぁ、気にならないわけではありませんが。結構な間冒険者をやってれば騒ぐ程でも御座いませんので」

「ふーん、そっかぁ……」

 

 流渦の言い分に納得したのだろう、イワナガヒメも時折気にする様子を見せる程度で、またちまちまと酒を飲み始める。

 そんなイワナガヒメを横目に、流渦はもう一度だけ【ロキ・ファミリア】の懐かしい面々(・・・・・・)に目を向けて、何杯目かになるエールをぐいと大きく煽るのだった。

 

 

 

 

「そうだ、アイズ! そろそろお前のあの話を聞かせてやれよ!」

 

 そんな風に唐突に話を切り出したのは、【ロキ・ファミリア】のメンバーの一人、狼人(ウェアウルフ)の青年だった。

 エール独特の苦みに随分と慣れ、それがお気に召したらしいイワナガヒメがちびちびジョッキを傾ける傍ら、流渦は【ロキ・ファミリア】の面々がいる方へと意識を向ける。

 

 他の冒険者たちも耳をそばだてる中、青年に話を振られた剣姫は首を傾げていた。

 

「あの、話……?」

「あれだって、帰る途中で逃がしたミノタウロス! 最後の一匹、お前が第五階層で始末しただろ!? そんでほれ、あん時いたトマト野郎の!」

 

 トマト野郎。

 そのフレーズには聞き覚え……というか、見覚え|(・・・)がある。

 

 冒険者ギルドで再登録を済ませて出て行った際にぶつかった少年。

 確かに足の先まで真っ赤に染まっていたあの少年ならば、『トマト野郎』という形容があまりにもぴったりとあてはまるが―――

 

「……っ」

「……ん?」

 

 その単語に息を詰まらせる細い声を流渦は聞き逃さなかった。声が聞こえたカウンター付近へ目を向けると、妙に身を固くしている白髪の人物が一人。

 

 その癖のある髪は処女雪の様に白い。その白は間違いなく流渦が見覚えのある少年のもので、流渦は意図せず、苦い表情を浮かべてしまう。

 

 これは、余りにも酷だ―――更に険しくなる流渦の顔に気づいたのだろう、イワナガヒメが流渦を不思議そうに見つめる。

 上機嫌に語り始める青年はそんな流渦の事も、ましてや当人が居合わせているなどと気づくはずもない。

 

「ミノタウロスって、十七階層で襲ってきて返り討ちにしたら、逃げ出していった奴?」

「そーそーそれそれ! 奇跡みてぇにどんどん上層まで逃げていきやがってよぉ、俺たちが必死で追いかけていった奴! 俺たちゃ帰りで疲れてたっつーのによぉ」

 

 青年へと疑問を投じたアマゾネスの少女に、いっそ大げさなくらいのリアクションで青年が返した。

 

「それでよぉ、いたんだよ! いかにも駆け出しっていうひょろくせぇ冒険者ガキが!」

「…………っ!」

 

 青年の容赦のない言葉に、件の少年が更に身を固くする。膝の上で握られる拳から滲む彼の複雑な心境は、察するに余りあった。

 流渦は知らない事であるが、自らの醜態が語られる相手は己の想い人。助けられ、憧憬の念を向けている少女なのだからその心境はそう想像のつくものではない。

 そして尚、狼人の青年の話は続く。

 

「笑いをこらえるのが大変だったぜ、兎みてぇに壁際へ追い込まれちまってよぉ! 可愛そうなくらい震え上がっちまって、顔をひきつらせてやんの!」

「ふむぅ? んで、その後はどうなったん?」

「あぁ、間一髪ってとこで、アイズがミノを細切れにしてやったんだよ。なっ?」

「……」

 

 青年に話題を振られたアイズは、答えない。

 それを意にも介さず、青年はここに一番の気合を入れて、語る。

 

「そしてそいつ、くっせぇ牛の血を全身に浴びてよぉ! トマトみてぇになってやんの!」

「うわぁ……」

「アイズ、あれ狙ったんだよな? そうだよな? 頼むからそうだと言ってくれ……!」

「……そんなこと、ないです」

 

 二人目のアマゾネスの少女がひきつった苦笑を見せ、青年はとうとう腹を抱えて笑い始める。再度話を振られたアイズは、拗ねたようにそっぽを向いた。

 

「それにだぜ? そのトマト野郎、叫びながら逃げるように走りさってよぉ……くくっ! うちのお姫様、助けた相手に逃げられてやんのっ!」

 

 きっと、笑い話なのだろう。

 事実店内は笑いの渦に包まれているし、語る青年以外の【ロキ・ファミリア】の団員にも笑っている奴らはいる。……流渦の前のイワナガヒメは、戸惑っておろおろしているが。

 

 そして流渦もまた、笑う気にはなれなかった。

 視界に端にいる、白髪の冒険者―――今正に笑われている、当事者。

 彼が心底悔しそうに身を震わせる様を見て笑える程、流渦は薄情でも、人の胸中を察せないわけでもない。

 

 立ち上がってまで話していた青年は、しかし急にその笑みを引いてどかっと椅子に腰かけた。

 そして一転、実に気分が悪いとばかりに吐き捨てる。

 

「しかしまぁ、久々にあんな情けねぇヤツを目にしちまって胸糞悪くなったな。なっさけなく泣いちまってよぉ」

「……あらぁ~」

「ほんとざまぁねぇよな。ったく、自分より格上に襲われたからって泣き喚くわ……そんなことなら最初から冒険者になんかなるんじゃねぇって。ドン引きだ……なぁアイズ?」

 

 少年をこき下ろす青年の言葉は、さっきにも増して容赦がない。

 

「あんなのがいるから、俺らの品位が下がるっつーかよぉ……勘弁してほしいぜ」

「いい加減その煩い口を閉じろ、ベート。ミノタウロスを逃がしたのは我々の不手際だ。巻き込んでしまったその少年に謝罪こそすれ、酒の肴にする権利などない。恥を知れ」

「おーおー、流石エルフ様々、誇り高いこって。でもよ、そんな救えねぇヤツを擁護して何になるってんだ? それはてめぇの失敗をてめぇで誤魔化すための、ただの自己満足だろ? ゴミと言って何が悪い」

「これ、やめぇ。ベートもリヴェリアも。せっかくの酒がマズぅなるわ」

 

 ……流石に、青年──ベートの今の発言はないだろう。

 彼にだってその『弱者』の側であり、彼が言う『品位を下げる』側だった時代があるのだから。彼が幾ら白髪の少年と違って怯え震えるわけでは無かったとして、それでも他人の恥をあげつらう権利などなかろう。

 

 少なくとも流渦は、それを知っている(・・・・・)

 

「アイズはどう思うよ? 自分の目の前で震え上がるだけの情けねぇ野郎を。あれが俺達と同じ冒険者を名乗ってんだぜ?」

「……あの状況じゃ、しょうがなかったと思います」

 

 正論である。誰だって圧倒的な相手を目にすれば恐怖を覚える。

 今でこそ強敵相手だろうと冷静に立ち向かうことの出来るようになった流渦にだってそんな時代はあったし、彼にも、それこそ【剣姫】や【勇者(ブレイバー)】にだって、そんな時代はあったのかもしれないのだから。……いやでも【勇者(ブレイバー)】に限ってそれはなさそうだな、と流渦はどうでもいいことを思う。

 

 肯定が得られない事に納得がいかないのか、或いは酒が回ってきたか。ベートの発言は過激さを増す。

 

「何だよ、いい子ちゃんぶっちまってよ。……質問を変えるぜ? あのガキと俺、番にするならどっちがいい?」

「……ベート、君、酔ってるの?」

「るせぇよ。ほら、アイズ選べよ。雌のお前はどっちの雄に尻尾を振って、どっちの雄に滅茶苦茶にされてぇんだ?」

「……私は、そんな事を言うベートさんとだけは、ごめんです」

「無様だな」

 

 エルフ―――リヴェリアの情け容赦ない言葉がベートに突き刺さる。

 一転、容赦なく責められたベートが一瞬浮かべた憎々し気な表情。そういう空気ではないと重々理解してはいたものの……しかしそれは、酒で緩んだ流渦の腹筋を容易く粉砕した。

 

 ブフゥッ。

 

 耐え切れずにエールを噴き出した流渦に、一瞬、周囲の視線が一斉に注がれる。それでもあまりの可笑しさに笑いが中々治まらない流渦は、とうとう肩を震わせながら机に突っ伏した。

 

 他人に思い切り笑われたベートはそれだけで人ひとり射殺せそうな程の視線を流渦に向け、実際に向けられたわけでもないイワナガヒメが「ひぇ」と小さく悲鳴を上げる。

 

 周りの客たちが「死んだな、あいつ」と流渦に憐みの視線を向け始めるが、突っ伏した流渦がそれに気づける筈もなく。

 

 結局反論する方を優先したのか、チィ、と舌打ちを零して再度リヴェリアへと向き直ったベートが、語気を強めて言い放つ。

 

 

「雑魚じゃ、アイズ・ヴァレンシュタインには釣り合わねぇ」

 

 

 とどめとばかりに言い放たれた、残酷なまでの、現実。

 その言葉は、きっと未だ若い少年の胸を容赦なく抉っていったことだろう。

 

「ベルさんっ!?」

 

 椅子が倒れる音。流渦の、客の……そして剣姫の視界を、まるで走り去る兎の様な白が横切って行った。それを追う様に駆け出す鈍色の髪の少女。

 

「何だぁ、食い逃げか?」

「うっわぁ……ミア母ちゃんの店で食い逃げするなんて、命知らずなやっちゃなぁ……」

 

 まさか彼が当人だと知るはずもない【ロキ・ファミリア】の面々がそう口にする中、アイズもまたその金髪を揺らして飛び出していった。

 

 しん、と暫し店内を沈黙が支配する

 そんな中流渦は、ひー、ひー、と少し息を荒くしたまま何とか顔を上げる。

 

「……ッでいつまで笑ってやがんだテメェはァ!?」

 

 周囲と同じく駆け出して行ったアイズを怪訝そうに見送っていたベートの矛先が、とうとう流渦へと向けられる。とうとうあいつも終わりかと客が胸の中で手を合わせる中。しかし流渦は臆すことも無くベートの顔を真っすぐに見返す。

 

「いや、だってよぉ。あんまり可笑しいじゃねぇか、あんだけの啖呵を切って『ごめんです』だの『無様』だのと……クク」

「テメェ……」

 

 まずい、笑わないつもりが思い出したらぶり返してきた。口元を押さえて肩を震わせる流渦の態度が彼の神経を逆撫でしたのだろう、ベートの纏う雰囲気がどんどん物騒になっていく。

 

「ちょ、ちょっと……」

「ックク……いや、いや。大丈夫、大丈夫ですとも」

 

 慌てるイワナガヒメへひらひらと手を振り、何とか笑いを押さえ込んで席を立つ。そして獣じみて凶暴な視線を向けてくるベートの正面に、堂々と歩み寄った。

 

「まぁ何だ、ちんちくりんが実に立派に冒険者を語るようになったな、とな」

「ンだよさっきから馴れ馴れしくよォ……何なんだ、テメェは?」

 

 心底不快げなベートに、その背後、最悪ベートが暴れ出しても止められるよう微かに警戒する【ロキ・ファミリア】の面々。自らの背後の、不安げなイワナガヒメ。そして周囲の客―――

 

 数々の双眸に囲まれる中。

 ただ一人、流渦だけは、口元に笑みを浮かべた。

 

 

 

 



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