Caligula Acquired immunity (灰色平行線)
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【1】The end of epilogue

「みんな……ゴメン……‼」

 絞り出すようなアリアの声がメタバーセスに響く。

「悔しい……なんで、なんでアタシはアンタなんかに……」

 憎悪と絶望と悲しみの混じった瞳がこちらを見つめている。

 地面とも床とも水面とも言い難い、言葉にするのも難しいその場所にLucidは立っていた。立って、仰向けに倒れている彼女を見下ろしていた。

 もう彼女は何も言わない。バーチャドール、アリアは壊れて、死んでしまった。

「やった……やったぞ!」

 側では、ソーンが歓喜の言葉を発していた。

 

 

 ◇◇◇

 

「お、おい……これ、どうなってるんだよ。峯沢! おい峯沢‼」

「ひ、ひまわりちゃん? 嘘でしょ?」

「な、なんで……なんであの子まで……」

「う、嘘だろ? ちょっと覗いてない内に……」

 アリアを始末した後、グランギニョールの最奥に戻って来たLucidとソーンを待っていたのは、青ざめた顔の楽師達だった。

「お、おい! Lucid! どうなってんだよこれは‼ なんでお前がソーンと一緒にいるんだよ‼」

 楽師の1人、イケPが叫ぶ。

「……」

 だが、イケPの言葉にLucidは何も答えない。代わりに、楽師達に向かって自らのカタルシス・エフェクトである二丁拳銃を構える。

「そうだな。後始末もしっかりしないと。……やれ、Lucid」

 そんなLucidの後ろで、ソーンはくすりと微笑んだ。

 

 ◇◇◇

 

 μの力によってインターネットから世界中に向けて発された誤情報の嵐は現実を驚くべきスピードで蝕んでいった。

 嘘の情報や機械の誤作動や停止などによって巻き起こった混乱は、その規模をどんどん大きくしていく。そして、壊れていく世界に絶望した人々は、次々にメビウスへと招かれていった。

 メビウスの人口も大幅に増えたが、それは最初の内だけだった。現実での体が死ねばメビウスでも死んでしまう。現実での死者の増加に伴って、メビウスでの人口も少しずつ減っていった。

 ウィキッドは早い段階でメビウスから消えてしまった。突然倒れたかと思うと、息苦しそうにもがき始めた。

「は……? ふざけん……なよ。まだ、世界の終わりを見て……な……」

 あれだけ「やっと終われる」と言っていた彼女の表情には、喜びも安堵もなかった。

 ミレイは執事の歳三が死んでから姿を見せなくなった。最後に見た彼女はひどく冷たい目をして、何も信じられないといった顔をしていた。

 梔子は全てを諦めてしまった。今までのようにNPCの家族と過ごすこともなく、何もせずにぼーっとすることが多くなった。

「もう……いいんだ。私には、もう、何も無いから。ありがとう……」

 最後にそう言って、彼女は静かに消えた。

 他の楽師や元帰宅部がどうしているのか、いつ消えたのかは分からない。マインドホンによって洗脳を施された彼らに会おうとは思えなかった。

 そして、メビウスにももう数える程しか人がいなくなった頃、ソーンは未完成のランドマークタワーから飛び降りて死んだ。果たして彼は答えを得ることはできたのだろうか。彼女の言う「一凛が何を思って飛び降りたのか」を彼は知ることができたのだろうか。

 Lucidは奇跡的にも楽師達の中でも元帰宅部の中でも最後まで生き残った。だが、メビウスに残る道を選んだはずの彼の顔に浮かんでいたのは……。

 

 ◇◇◇

 

「どうして、みんないなくなっちゃうんだろう……」

 誰もいない駅前の広場を見つめながら、悲しそうにμは呟く。μの後ろからLucidは呼びかける。振り向いたμはLucidの姿を見て絶望したように顔を歪ませた。

「あなたまで行っちゃうの⁉ わたし、あなたを幸せにできなかったの⁉」

 今にも涙を流しそうな顔で悲痛な叫び声をあげる少女に彼は……。

 

「―――」

「ああ……‼」

 

 意識が遠のく。その瞬間、現実も、メビウスも、完全に終わってしまった……はずだった。

 

 ◇◇◇

 

「おい、起きろー。入学式始まるぞー」

 その言葉がLucidを終わりかけていた夢から別の夢へと引き戻す。

 

 気がつけば、そこは見慣れた教室だった。生徒たちが椅子を持って廊下に並び始めている。

 周りに流されるままに椅子を持って廊下に出ると、2年2組のプレートが見えた。

「今日の入学式、お前在校生の挨拶だろ? やっぱデキるヤツは違うなー」

 クラスメートが話しかけてくる。

 2年生、入学式、在校生代表。これではまるで、あの日のままではないか。……何がどうなっている?

 ただ1つ分かるのは、Lucidは謎の楽士ではなく、ただの一般生徒としてそこに存在しているということだった。



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【2】Second prolog

 物語を円滑に進めるため、主人公に名前をつけることにしました。ご了承ください。


 流されるままに始まってしまった入学式。

「在校生代表、祝辞。在校生代表、2年2組、譜城(ふじょう)(かなで)

 司会の学生の言葉に、Lucid……いいや、譜城奏は立ち上がる。譜城奏。それがLucidとして現実もメビウスも崩壊させた彼の名前だった。

 ステージの上に立ち、体育館を見渡す。奏の目に映るのは、整列して座るたくさんの生徒たち、顔にノイズがかかったような教師や来賓の人の姿。この場でμの曲が流れれば、体育館がデジヘッドで溢れ返そうなその光景に、自分がまだメビウスにいるのだということを実感する。

 だとしたら、今の状況はなんだ? 知らない内に高校生活がループしてまた2年生になったとでもいうのか? いいや、ただのループならそもそもこんなにも生徒がいることの方がおかしい。現実が崩壊してしまっている以上、数える程しかいなかったメビウスにこんなにも人が増えるなどありえないことだ。

 ならば、あれは全て夢だったのか? 入学式で逃げ出したことも、そこからアリアと笙悟に出会い、帰宅部に入部したことも。ソーンに楽士に誘われたことも。帰宅部、楽士、彼らの心に踏み込んだことも。何もかも、長い長い夢だったのだろうか?

 とりあえず奏はそれっぽい言葉を口に出す。未来のこと、学校生活のこと、今更何をと自分で思いつつ、奏は祝辞を読み上げる。

「以上、在校生代表による祝辞でした。続きまして、新入生代表、答辞、新入生代表、1年1組、響鍵介」

 祝辞の後、司会の学生が言った言葉、というよりは名前に、奏はある種の予感を感じた。

 まさか。まさかまさか。そんなまさか。

「気付いちゃいましたか……残念ですよ、先輩」

 その予感を感じた時、自分はどんな表情をしていたのだろう。ステージの上に上がった鍵介は、奏に淡々と告げる。

 

 その言葉が、予感を確信に変えた。

 自分が初めてメビウスに気付いたあの日、あの入学式の日に時間が巻き戻っている!

 

 奏は反射的にステージを飛び降り、体育館を走り抜ける。あてもなく、ただただ逃げるために走っていたあの入学式とは違う。今度は目指す場所を見据えて走る。

 だが、奏は気付いていない。自分の心は違っていても、自分の行動は何も変わっていないということに。鍵介……いや、今はカギPと呼ぶべきか。信じられないものを見たような表情をした奏を見てカギPが彼をどう思ったか。体育館から逃げる奏の姿を見て、かつて仲間だった帰宅部の面々がどう思ったか。

 奏の心情に関わらず、動き出した物語はそれぞれの思惑を乗せて勝手に進んでいく。

 

 ◇◇◇

 

 体育館を抜けた奏がやって来たのは、駅前広場だ。もしも時間が巻き戻っているのならば、μがここでライブをしているはずだ。そう思って駅前広場に来た奏だったが、広場には生徒の姿がない。

 なんとなく、前回そうしたように駅の入り口まで走り、自動ドアに触れてみようとするが、駅の入り口は相変わらず見えない壁に塞がれており、中に入ることはできない。奏は駅の入り口に背を向け、広場を見回してμを探す。

「……いた」

 ライブやイベントに使っているステージの上、そこにμはいた。だが、ライブなどしていなかった。たった1人で誰もいない駅前広場を見つめている。

「……」

 何も言わず、静かに佇むμ。

「μ?」

 寂しそうなその背中へ、奏は呼びかける。

「え? ……‼」

 奏の言葉に振り向いた彼女は、奏の姿を見て、目を丸くする。

 

「Lucid! るしーどお‼」

「うおう⁉」

 

 そして、満面の笑みで抱き着いてきた。

「会いたかったよ! Lucid‼」

「ま、待って! 待ってくれ! る、Lucidって……!」

 遠慮なしに力一杯抱きしめてくるμ。突然のことに混乱しそうになるが、μの言葉をスルーする訳にもいかない。

「え? だってLucidはLucidでしょ?」

 不思議そうに首を傾げるμ。やはり、彼女は何かを知っている。奏が知らない何かを。

「もしかしてLucid、まだ記憶が戻ってないの?」

 続けて発した彼女の言葉が決定的となった。彼女は……。

「……なあ、μ」

「なあに?」

「……時間は、巻き戻ったのか?」

 

「そうだよ? 私とLucidで巻き戻したんだよ?」

 

 彼女は覚えている。奏が忘れてしまったことも全て。私とLucidで巻き戻した。奏にそんな記憶はない。

「うーん、でもLucidは記憶をちょっぴり忘れちゃってるみたい……」

 ようやく奏から離れたμは、腕を組んで考える。

「あの時私と一緒にいたんだから記憶はしっかり保持したまま過去に戻れると思ったんだけど……」

 μは彼女にしか分からない記憶で、彼女にしか分からない言葉で彼女は考える。

「いや、μ、頼むから説明を――」

「μぅぅぅぅぅぅぅぅ‼」

 とにかく何がどうなっているのかを理解しなければ。そう思って口を開いた奏の言葉は、甲高い叫び声によってかきけされた。

「ア、アリア⁉」

 驚きの声をあげるμ。現れたのは妖精のように小さな小さな少女。μと共にメビウスを作ったもう1人のバーチャドール、アリア。

「μ! 早くメビウスの輪を解いちゃってよ! メタバーセスに帰るわよ! OK⁉」

 まくしたてるように言うアリア。

「ごめんね、それだけはしたくないの!」

 そんなアリアにμはそう返すと、飛んで逃げて行ってしまった。

「あ、μ!」

 アリアが呼びかけるも、μは遠くへ行ってしまう。その背中を見つめながら奏は考える。

 それだけはしたくない。確かにμはそう言った。以前のμならばメビウスから出さない理由を「約束だから」と言っていたハズだ。決して彼女の意思ではない。だが、今の彼女は違う。明らかに自分の意思で人をメビウスから出さないようにしている。

 μの行動の変化の理由はおそらく、時間の巻き戻りにあるのだろう。彼女にしか分からない何かが起こっているのだ。

「お前! 何言ったのか知らねえけど、μが逃げたってことは、ローグだな⁉」

 叫び声によって思考が遮断される。

 μとの会話に集中していて気がつかなかったが、いつの間にか3人の生徒が奏の周りに集まっていた。前方と右側と左側、すぐ後ろの駅には入れない。逃げる場所などない状態だ。

「うおおおおおぉぉぉぉぉッ‼」

 雄叫びと共に、生徒たちの体が黒い鎧に覆われていく。

 何度も見たデジヘッドだ。

 

 その姿を見た瞬間、奏は条件反射のようにカタルシス・エフェクトを発動させようとしていた。今までアリアやμの手助けを受けて力を使っていたことも忘れて。

 

 その瞬間、真っ黒な何かが火柱のように奏の足元から吹き出し、彼の体を包みこむ。

「ゆ、You⁉」

 驚いたようにアリアが叫ぶ。

 黒い火柱が消えた後、そこにいたのは制服に身を包んだ男子生徒ではなかった。

 黒い服に黒い帽子。衣装の各所についた×のマーク。透明になった体。そして黒いドクロの頭。

「さあ、始めようか」

 Lucidとしての姿に変貌した奏が、デジヘッドたちに二挺拳銃を突きつけていた。



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【3】どっちつかずの僕に

「ゆ、You……! それって!」

「これは……」

 カタルシス・エフェクトを構える奏、いや、Lucidに、アリアは目を丸くする。だが、驚いたのはLucidも同じだった。

 Lucidが構えた二挺拳銃は、見慣れたいつものデザインではなく、随分と刺々しい見た目をしていた。それはデジヘッドが使っている武器によく似ている。

 だが、ここで悩んだところでデジヘッド達は待ってくれない。襲いかかる3人のデジヘッドに、Lucidはいつもと違うカタルシス・エフェクトで挑む。

 

 アリアの目から見て、その戦いは一方的だった。

 向かってくる3人のデジヘッド相手に目の前の男は慣れた様子で拳銃を撃つ。拳銃とはいっても、カタルシス・エフェクトだ。出るのは実弾ではなくゲームなんかで見かけるエネルギー弾のようなものだ。

 前方からのデジヘッドが二挺拳銃の連射によって倒れる。

 その隙に、左右から向かってくるデジヘッドが距離をつめてくるが、男は右側のデジヘッドに向かっていくと、拳銃でデジヘッドの頭を殴りつけた。頭を殴られ動きの止まったデジヘッドの背後に回り、背中を蹴ってもう片方のデジヘッドの方へと押し出してやる。

 ぶつかるデジヘッド同士。その2人に向かって、拳銃からレーザーを撃ちこむと、1本の光が2人のデジヘッドをまとめて貫いき、デジヘッド達はその場に倒れる。

 

 地に伏した3人のデジヘッドは、元の生徒の姿へと戻る。カタルシス・エフェクトと解除すると、奏もLucidの姿から元の姿へと戻った。

 

「お、おい、お前、今の……!」

 戦闘が終わるのを待っていたかのように声が聞こえた。同時に、物陰から1人の生徒が姿を現す。

 片目を隠した前髪に、どことなく気だるさを感じさせる雰囲気。その人物を奏は知っている。

「あー、まずは自己紹介が先か? 俺は佐竹笙悟。3年生だ」

 佐竹笙悟。そういえば前回も彼とはこの駅前広場で出会ったのだった。あの時も突然アリアが現れ、デジヘッドに襲われ、笙悟に出会った。細かな違いはあれど、状況はよく似ていた。

「譜城奏。2年生だ」

「ああ、知ってる。入学式を飛び出した奴だろ? 始めはこの世界に気付いたせいかと思ったが、どうやら違うらしい。あの化け物と戦ってたってことは、お前も帰りたい側の人間なんだろ?」

 そう言ってこちらを見つめてくる笙悟。その目には期待の感情が色濃く映っている。

 

 ちくりと針が刺さるように胸が痛んだ。

 思い出すのはグランギニョールでの彼の表情と言葉。

 

『……俺は、お前のおかげで、現実(じごく)で生きていく覚悟決めたってのによ……』

 

「お、おい? どうした?」

「……いや、何でもない」

 自分は今どんな表情をしていたのだろう。突然黙った奏に問いかける笙悟に、奏は首を振る。

「奴ら、デジヘッドが襲ってくるってことは、きっと僕も帰りたいと思っているんだろう」

「デジヘッド……? それがあの化け物の名前か?」

 化け物という笙悟の言葉に引っかかりを覚えるが、そういえば……

「そうだよ。あいつらはデジヘッド。黒いドロドロした心が体の内側から溢れだして異形を為したモノ」

 そうだ。前もここでアリアからデジヘッドについて教えてもらったのだった。

「そうだ! You! さっきデジヘッドと戦ってた時に使ってた力! あの力はダメだよ!」

 突然、思い出したかのようにアリアは奏に向き直る。

「あの力……さっき、コイツの姿が変わったヤツか?」

 笙悟の言葉にアリアは頷く。

「そう! あれはデジヘッドと同じ力! あんな力を使い続けてたら負の感情に飲み込まれてYouまでデジヘッドになっちゃうよ! だからアタシが調律したげる! そうすれば安定して力が使えるようになるよ! アタシは『カタルシス・エフェクト』って呼んでるんだけどね」

 アリアの言葉で奏は気付く。今の自分にはアリアやμのサポートがない状態なのだ。黒い感情を安定化させる術もないままに力を使おうとした結果が、Lucidの姿と形の変わったカタルシス・エフェクトなのだろう。

「もう1度、カタルシス・エフェクトを使おうとしてみて。今度はアタシも手伝うから」

 言われるがままに、奏はカタルシス・エフェクトを発動させる。姿は相変わらずLucidへと変わってしまう。だが、カタルシス・エフェクトは、見慣れた拳銃の形をしていた……片方だけ。もう片方の拳銃は刺々しいままだ。

「なんか、中途半端だな」

「うーん、アタシに対する拒絶の感情でもあるのかなー?」

 中途半端、拒絶。笙悟とアリアの言葉が奏の胸に刺さる。

 奏がアリアに対して持っている感情。それはきっと、拒絶ではなく罪悪感だ。殺してしまったことへの、壊してしまったことへの罪の意識。Lucidだって人間だ。メビウスに誘われてしまうような、弱々しい1人の人間なのだ。周りからどれだけ身勝手で最悪な人間だと思われようと、傷つき、悲しみ、苦しみ、後悔だってするのだ。

 アリアのことは信用している。だが、1度アリアを壊してしまった自分に、アリアの手を借りる資格などあるのだろうか。それが彼女に対する拒絶となって現れたのだろう。

「さっきよりはマシになってると思うけど、完全に調律できてないからデジヘッドになっちゃう可能性がゼロになった訳じゃないよ? デジヘッドと戦うならカタルシス・エフェクトを使うなとは言えないけど、使う時は自分がデジヘッドにならないように注意してね?」

 アリアの言葉に奏は頷き、改めて自分の持つ二挺拳銃を見る。いつもの拳銃は帰宅部にいた頃の自分を、もう片方の拳銃は楽士であった頃の自分を、透明人間(ルシード)の姿は自分でも分からない正体を表している。二挺拳銃なんて武器になったのも、どっちつかずで中途半端な自分の性格を表しているのだろう。カタルシス・エフェクトを発動した自分の姿に、奏はそう感じた。

 

「まだ聞きたいことはあるが、ここじゃまたデジヘッドに襲われる心配がある。場所を変えよう」

 奏がカタルシス・エフェクトを解除し、姿が元に戻ったところで、笙悟が提案をする。

「アリアもそれでいいか?」

「うん! とりあえずアテもないし、Youたちについていくことにするよ!」

「場所を変えるって、どこへ?」

 場所は知っている。だけど、話を円滑に進めるためにも聞かない訳にはいかなかった。ここでは初対面なのだから。

「安全な場所が学校にあるんだよ、灯台下暗しだろ? そこで俺の仲間と合流しよう」

 そう言って歩き出す笙悟。後を追いかけるアリア。

 

 行き先は分かっている。音楽準備室、帰宅部の部室だ。

 だが、本当に自分が行ってもいいのだろうか? 皆を裏切った自分が、また皆に会ってもいいのだろうか?

「You?」

 アリアが不思議そうにこちらを見ている。

「今、行くよ」

 そうして、奏も歩き出す。

 覚悟を、決めなければならない。もう1度、皆と関わる覚悟を。



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【4】外れた歯車は別の道へと転がり落ちる

「ここが俺達の隠れ家だ」

「音楽準備室……??」

 笙悟に連れられてやって来た学校のとある教室。そのプレートを見てアリアは不思議そうに呟く。

「この世界じゃ音楽といえばDTMだからな。吹奏楽は人気がなくて、誰も寄り付きゃしない。人目を忍んで落ち合うには、うってつけなんだ」

 そう語る笙悟の顔は少し得意気に見える。

「ひとまず仲間たちを紹介する。ついでにデジヘッドに見つからずに過ごすコツみたいなのも教えられるはずだ。といっても、お前にはあまり必要がないことかもしれないがな」

 自重気味に笑う笙悟。「程々に頼ってくれ」と彼が言わないのは、前回の世界と違って奏が状況に混乱するだけのメビウス初心者ではないからだろう。

 笙悟は見ている。奏が姿を変えてデジヘッドを蹴散らす場面を。笙悟は聞いている。奏の口からデジヘッドという言葉を。笙悟は知っているのだ。このメビウスという世界について自分の知らないことを奏が知っているということを。

 時間が巻き戻ったとはいえ、奏はもう、以前と同じではいられない。笙悟と、アリアと、皆と、以前と同じ関係は築けないのだ。

「どうせならさ、いっそYouも仲間に入れてもらっちゃったら?」

 笙悟の言葉を聞いて、アリアがそう提案してくる。

「せっかく、同じ境遇の人がいるんだし、一緒にいた方が安全でしょ? それにアタシも、事情を知ってる人が一緒にいてくれた方が協力しやすいしね。旅はミチヅレ、世はナサケってやつだよ!」

「いや、でも……」

「俺はかまわないぞ。というか、お前のあの能力があれば、むしろ俺たちの方が助かるくらいだ」

 戸惑う奏を余所に、アリアと笙悟によって話がトントン拍子に進んでいく。

「ホラホラ~、こう言ってるんだし!」

「わ、分かったよ……」

 奏としても、時間の巻き戻りについてμから詳しく聞くためにμを探す必要がある。そのためには帰宅部と一緒にいるのが最も確実だろう。Lucidとしての姿を笙悟とアリアに見せてしまった以上、もう1度楽士になるという道は閉ざされたようなものなのだから。

「……決まりみたいだな。さぁ、入ってくれ。中の奴らも喜ぶはずだ」

 そう言う笙悟も、なんだか嬉しそうなのが言葉から感じられる。

 

「ようこそ、『帰宅部』へ」

 

 扉が開かれる。

 笙悟に続いて教室の中に入れば、そこには見知った4人の男女の姿が見えた。

「おかえり、遅かったわね」

 髪の長い女子生徒が笙悟に話しかける。

「色々あってな。まあ、それは後で説明するとして……まずは新入部員の紹介からだな」

「へぇ、もう入部が決まってんのか! たまには笙悟も部長らしいことするじゃねぇか」

 笙悟の言葉に大きな体の男子生徒が感心したような声をあげる。

「わ! 良かったー! 入学式を飛び出しちゃうなんて心配したんですよー、先輩」

 人懐こそうな女子生徒が朗らかに奏に話しかける。なんだか懐かしいやり取りだ。

「紹介する。ここにいる四人が、俺たち帰宅部のメンバーだ」

 笙悟のその言葉に、奏はそれぞれの生徒の顔を見る。

 

「私は柏葉琴乃よ。琴乃でいいわ、よろしくね」

『……信じたのに……‼ やっぱり! やっぱり信じちゃダメだった! ばっかみたい……‼』

 

「よお、新入り! だいぶビビってたみたいだけど、もう安心していいぜ! この巴鼓太郎様が、バッチリ助けてやんよ!」

『俺はっ……お前のこと、きょうだいみたいに……‼ うああぁぁぁー‼』

 

「私、1年3組の篠原美笛です! って、この前卒業したばっかりなんですけどね、へへ」

『私、帰ってお母さんに謝りたいって、部長、知ってるじゃないですかぁ‼ 邪魔しないでよぉぉぉー‼』

 

「あ、私、神楽鈴奈っていいます。美笛ちゃんと同じで、この前卒業して1年生になりました」

『だって先輩が私を裏切るはずない! 待っててくださいね! すぐ元に戻してあげます! あははは! あははははははは‼』

 

 自己紹介を聞く度に、頭に浮かぶのは彼ら彼女らの怨嗟の記憶。それと同時に、この頃はまだこんなに部員の数が少なかったんだということを思い出す。

 峯沢維弦も、天本彩声も、琵琶坂永至も、今はまだメビウスに気付いているだけの一般人だ。守田鳴子は気付いてすらいない。響鍵介に至っては楽士側の人間である。

「おい、大丈夫か?」

 考え込んでしまったせいか、気付けば笙悟や部員の皆がこちらを見ていた。

「ああ、すまない……。なんだかおかしな自己紹介だなって思っただけだよ」

 口からでまかせを言う。

「そうだな、俺もそう思う。お前も知っていることだが、ここじゃ高校生活の3年間が延々と繰り返されてる。老若男女、男女問わず、高校生だ。生身の人間……って言い方が正しいのか分からないが、人間らしい連中は誰も大人にならない」

 元々は、笙悟が言っていたセリフだったおかげか、特に怪しまれることはなかった。

「そこらを歩いている大人は、みんなカクカクした偽物よ。あとは機械のお化けみたいになっちゃってる連中ばっかり」

 笙悟の言葉を琴乃が補足する。

「そのことに気づいてるのは、どうも俺たち帰宅部くらい……ってところで本題に入ろうか」

 そう、笙悟が言った時だった。

 

「ちょっとYou! 大事な人のこと、忘れてくれちゃってない⁉」

 部室に叫び声が響く。

 

 ◇◇◇

 

 そこからの展開は、お察しの通りと言うべきか。アリアがμと同じバーチャドールだと聞いて鼓太郎が暴走しそうになり、笙悟が皆を落ち着け、説明している間、奏とアリアは外の廊下で待機することになった。

「そういえば、奏はμのお友達? なんだか親しそうなフンイキだったけど」

 待っている間にアリアはふと疑問に思い、目の前の男にそう聞いてみた。

 譜城奏、彼には謎が多い。デジヘッドの力を使い、黒い思いを体の外側に解放しているにも関わらず、その力を使いこなしていたり、デジヘッドという呼び名を知っていたり。もしかしてコイツ、楽士なんじゃないのかと疑問に思う程には、譜城奏という人物はよく分からないことだらけだった。

「……友達のつもりだよ。μが僕のことをどう思ってるのかは分からないけど」

 少し間を置いてから奏は答えた。

「そっか。きっとμも奏のこと友達だって思ってるよ」

「そうだと、嬉しいかな」

 その声色は優しい。2人の会話は、失ってしまった共通の友人について話しているようだった。

 そんな会話の中で奏は考える。自分がこれからどうするべきなのかを。

「アリア、あらかじめ、これだけは言っておくよ」

「うん?」

「ごめん」

 そう言って奏は頭を下げる。どうして謝るのか、突然の行動の理由をアリアは理解できない。

 

「よし、もう入っていいぞ」

 

 彼女が理由を問いただそうとするより早く、扉が開いて笙悟が2人を呼ぶ。

 

 ◇◇◇

 

 状況を確認する。

 メビウスに閉じ込められた者は皆、現実でμの歌を聞いていること。μの歌をずっと聞き続けた人間はデジヘッドになってしまうことが笙悟の口から語られる。

 そして、メビウスはμとアリアの2人が作った場所であること。いつからかμがおかしくなり、皆を閉じ込めるようになったこと。μの力が強まり、アリアの力は弱くなっていき、体も小さくなったことがアリアの口から語られた。

 

「ねえ、みんなが家に帰れるように説得するから、μを捜すのを手伝って! μ、ホントにいい子なんだよ!」

 アリアの必死な声が部室に響く。

「ふぅ……現実離れしすぎててよくわからないけど、ここから出るためにはμを捜すしかないみたいね。私は乗るわ……ぐずぐずしていられないもの」

「私もやります! ここはご飯も美味しいし、楽しいとこですけど……でも、帰らなくちゃならないんです!」

「あ、わ、わわわ私も頑張ります……!」

「俺の腹は決まってる」

「仕方ねぇな。お前らだけじゃどうしようもねぇだろうし……オレが助けやんよ!」

 皆も乗り気だ。やっと帰れる手がかりが見つかったのだから当然といえば当然か。

「決まりだな。アリア、μがどこにいるか心当たりは?」

「μに楽曲を提供してる人気ドールP、オスティナートの楽士って人たちを探すのが1番近道のはずだよ。楽士たちの作る曲やμの歌がメビウスを維持する力を生み出してる。楽士たちを捜し出せば、μの元に辿り着けると思う!」

「オスティナートの楽士……ね。で、その大層な名前のヤツらは……」

 

「ちょっと待った」

 

 だが、そこで話を遮る声がする。皆がその声のした方を見る。

 奏だ。

「楽士たちを探すというのなら、皆には覚悟してもらわなくちゃいけない」

「覚悟って、何の……ですか?」

 鈴奈が不安そうな顔で聞いてくる。

 奏は1回、気持ちを整えるように息を吐く。今、言っておかなくてはならない。知っている身として。

 

「現実に帰るために、死ぬかもしれないという覚悟だよ」

 

 それは、帰宅部にいる誰もが考えもしなかった言葉、あの日、あの光景を目にするまで、誰もが予想していなかった事実。

 

「メビウスで死ねば、現実でも死んでしまうんだから」

 

 その言葉を発した瞬間、世界は大きく変わる。ただただ過去をなぞっていた世界は終わりを告げ、誰も結果の分からない未来が顔を見せる。

 奏の物語は、ようやく既存のレールを大きく外れて動き出す。



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【5】巻き戻しと繰り返しの違い

 メビウスで死んだ者は現実でも死ぬ。奏の放ったその言葉に、部室の中が一瞬、静まり返る。

「冗談……なんですよね?」

 恐る恐る、そう言ったのは鈴奈だ。顔には戸惑いの表情が表れている。いきなり『死ぬ』だなんてことを言われても実感が湧かないのだろう。

「残念だけど、冗談じゃないよ。メビウスで死んだ人間は、現実でも死ぬ。そうだろ? アリア」

「うん、奏の言う通りだよ……。メビウスで死ぬってことは、Youたちの魂が死ぬってこと。魂が死ねば、現実の体も死んじゃうんだ……」

 奏に促され、アリアは答える。

「でも先輩、どうしてそんな命の危険があるみたいな言い方をするんですか? その、デジヘッド……でしたっけ? デジヘッドたちは、私たちを殺そうとしてるんですか?」

 そう聞くのは美笛だ。彼女の表情にもやはり戸惑いが浮かんでいる。

「いいや、デジヘッドは僕たちを殺そうとはしない。ただ、現実を忘れさせてμの信者へ変えようと洗脳するだけだ。同時に……」

 一旦言葉を切って奏はカタルシス・エフェクトを発動させる。奏の姿が変わったことに驚く面々であったが、奏は気にせずに話を続ける。

「デジヘッドと戦うための、このカタルシス・エフェクトにも殺傷能力はないし、物を壊したりもできない。カタルシス・エフェクトにできるのは、μの歌によっておかしくなった奴らの精神を正常な状態に戻すことだけだ」

 そう。カタルシス・エフェクトに、物理的なダメージを与える力はない。デジヘッドに人を殺す意思はない。一見すれば、命の危険なんてどこにもないように思える。

 だが、

「楽士たちもそうだとは限らない。彼らはただ暴走しているデジヘッドとは違う。デジヘッドの力を自分の意思で使うことができる。そしてそれは、デジヘッドの力を使わない(・・・・)という選択をとることもできるということだ」

 例えば、ナイフを体に突き刺したり。例えば、高所から突き落としたり。例えば、首を絞めたり。力を使う必要なんてなく、人は殺せるのだ。メビウスは現実ではないが、現実となんら変わらぬリアルさも持ち合わせているのだから。

「……それは、楽士が俺たちを殺すかもしれないってことか?」

 ゆっくりと、無理矢理絞り出すような声で問いかけたのは、誰よりも青い顔色の笙悟だ。メビウスでも彼女の自殺の瞬間を見続けている彼だからこそ、「死」という言葉を誰よりも重く受け止めているのかもしれない。

「可能性は十分にある」

 奏は言葉を選ばずに答える。

「君たちが現実に帰ろうとすれば、楽士たちは必ず立ち塞がる。そんな時、もしも楽士たちが殺意を向けてきたら、君たちはその殺意と真正面から立ち向かわなければならなくなる。だからこそ、僕は君たちに聞いておかなくちゃならない。命がけで現実に帰る覚悟があるのかを」

 話しながら、奏は1人の楽士を思い出す。

 殺すことに躊躇なんて絶対に見せないであろう、歪みに歪みきってしまった彼女を。

 しんと静まり返る部室。誰も声を発する者はいない。

「……少し、考える時間を設けよう。よく考えて、自分の意見を決めてほしい」

 そう言うと、奏は扉を開けて部室を出る。言い過ぎたとは思わない。死んでしまっては元も子もないのだから。

「You! 待って!」

 廊下を歩く奏の後ろをアリアが追いかけてくるが、

「アリア、君は皆についていてくれ」

 そんなアリアを奏は手で制す。

「え?」

「皆に力が目覚めた時、アリアが調律してやる必要がある。だからアリアには皆の側にいてあげてほしい」

 帰る覚悟について偉そうに語りはしたものの、カタルシス・エフェクトが目覚めないなんてことはないだろう、という確信にも近い思いが奏にはあった。

 考えろと言っても結局のところ、彼らの感情までは縛れない。きっと彼らはカタルシス・エフェクトを使えるようになるのだろう。ならば、手助けが必要だ。

「頼んだ」

「奏……」

 歩き去る奏を追いかけることができず、アリアは心配そうに小さくなっていく背中を見つめていた。

 

 ◇◇◇

 

 アリアと別れ、学校の廊下を歩く奏。

 突如、学校中のスピーカーから一斉に音が流れ始める。

 

【ピーターパンシンドローム】

 

 軽快さと優しさと合わせたような音楽と、子どもが必死に訴えかけるような歌詞。

 

 学校中にμの歌声が届いていく。

「もう、始まったのか……」

 奏は1人呟く。

 駅前広場でデジヘッドたちを叩きのめしたことが、もう楽士側には伝わっているのだろう。正体の分からない相手を捕まえるため、μの曲を流して凶暴化させたデジヘッドを使おうという魂胆だと奏は推測する。

 前回は、楽士を捜し始めたところで流れ始めたのだったか。

 ふと、帰宅部の皆が心配になる。部室のことはまだバレてはいないだろうし、あの様子なら奏を抜きにして楽士を捜し始めているということもないだろう。

 ならば、まず最初にやるべきことは……。

 奏は、学校の生徒玄関まで来ると、カタルシス・エフェクトを発動させる。姿がLucidになることにはもう慣れたが、2つの拳銃はどちらも刺々しいデザインに戻っていた。おそらく、アリアと離れたことが原因だろう。

 その瞬間、周りにいた生徒たちの姿が禍々しく変わってゆく。黒い本性をさらけ出し、デジヘッドと化す。

「個人的なものだけど……帰宅部、活動開始だ」

 最初にやるべきこと。それは周辺のデジヘッドを倒し、敵の目をこちらに向けることだろう。

 デジヘッドに襲われなければ、帰宅部がカタルシス・エフェクトを発動させることもできないだろうが、それは帰宅部が本格的に活動を開始してからでいい。少なくとも、奏のせいで悩んでいる今じゃない。

「ぉおおおッ‼」

 二挺拳銃を横に薙ぐように振るいながら、エネルギー弾を連射して、周辺のデジヘッドをまとめて倒していく。こんな真似ができるのも、本物の拳銃ではないからだろう。

 距離のあるデジヘッドは銃で撃ち、近づいてきたデジヘッドには殴る蹴るの暴力で対応する。戦闘の派手な音を聞きつけ、新たにデジヘッドが乱入してくれば、それらもまとめて蹴散らしてしまう。ほとんど力押しのような戦い方だが、それが通用してしまう程に奏はデジヘッドとの戦いを経験していた。

 戦闘が終わる。学校の玄関には、1人立つ奏と、その周りに倒れるたくさんの生徒たち。死屍累々という言葉がよく似合う光景だった。

 カタルシス・エフェクトを解除して元の姿に戻る奏。

 

「その力、どこで手に入れたんだ?」

 

 そんな奏に向かって、平坦で抑揚のない声がかけられた。

 声のした方を振り向けば、玄関の下駄箱の影から1人の生徒が姿を現す。その端整な顔立ちから、彼のことを知らない生徒は少ないだろう。彼のことは奏だって知っている。

 もっとも、奏が彼を知っている理由は別にある。

 

『……滑稽だろ。僕はあんたのことを、友達だと思ってたよ』

 

「……維弦」

「あんた、僕のことを知ってるのか?」

 峯沢維弦。かつて奏が裏切った1人。本来は笙悟がここで会う予定だった男がそこにいた。



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【6】巡り巡って誰かの決意

「あんた、僕のことを知ってるのか?」

「君は、学校では有名だからね。顔と名前くらいは知ってるよ」

 維弦の質問に対して、奏はいかにもそれっぽい答えを返す。元々は顔も名前も知らなかった生徒だ。彼と関わるようになったのも、帰宅部の活動がきっかけだろう。

「それで、この力のことが聞きたいんだったね」

「ああ、その力、どこで手に入れたんだ?」

 奏の言葉に維弦は頷く。とことん真っ直ぐで、どこまでも正直な男、それが峯沢維弦という人間だ。故に質問も単刀直入で、言葉を濁すことがない。

「これは、カタルシス・エフェクト。僕たちが普段理性で押さえている感情を解放させたものだよ」

 Lucidの姿に変身しながら、簡単に説明する奏。百聞は一見に如かずというヤツだ。

「感情だと?」

「そう、感情。この世界では心という不確かなモノが実態をもつみたいだからね」

 奏の言葉を聞くと、維弦は少し考える素振りを見せたが、やがてくるりと後ろを向く。

「なら、僕には使えそうにないな。失礼」

 そのまま維弦は立ち去ろうとする。

 

「使えないってことはないだろう。感情のない人形じゃあるまいし」

 

 そんな維弦の背中に呼びかけた奏の言葉。維弦の足がピタリと止まる。

 少し、ズルい言葉だっただろうか。

「……あんたに、僕の何が分かるって言うんだ⁉」

 もう1度、維弦はこちらに向き直る。その言葉と表情には、明らかな苛立ちが含まれていた。その言葉は彼が踏み込んでほしくない心の領域に片足を突っ込むものだった。

「憐れんでいるのか? 同情しているのか? 僕に感情がなかったらなんだっていうんだ? 知りもしないで中途半端に分かった様な顔をされるのが1番不快だ……‼」

 怒りと嫌悪感を隠そうともせずに、維弦は奏を睨む。

「……怒れるじゃないか。ちゃんと」

 そんな維弦に対して、奏は優しく笑う。

「それだけしっかり感情をむき出しにできるんだ。カタルシス・エフェクトだって使えるさ」

「……何?」

 予想外の言葉だったのだろう。維弦は少し驚いた顔になる。自分では気付いてないのかもしれない。彼自身は自分のことを人形だロボットだと言いはするが、実のところ、よく見れば感情の変化は分かりやすい人間だ。なにせ彼は嘘をつかないのだから。

「気が向いたら音楽準備室に顔を出してくれ。帰宅部の部室になっている。そこでならカタルシス・エフェクトの使い方を教えられる」

「……」

 奏の言葉に維弦は少しの間沈黙した後、

「……失礼」

 去って行ってしまった。

 

「上手くいかないな……」

 維弦が立ち去り、再び1人になると、奏はため息を吐く。

 言葉が上手く見つからない。どういう言葉をかけるべきか分からない。維弦の抱えているモノを知らないからではない。知っているからこそ、言葉に悩む。

 前回は、相手の事情を知らないからこそ踏み込めた。時間をかけて相手との関係を深め、ようやく吐き出してくれた心の奥の奥にある事情だったからこそ、自然と言葉が出てきた。

 だが、今回はそうもいかない。奏は知っている。帰宅部のみんなが何を抱えているのかを。今は帰宅部にいないみんなが何を抱えているのかを。そして楽士のみんなが何を抱えているのかを。

 知っているからこそ、口に出てしまう。知っているからこそ、言葉が出てこない。

 恋愛ゲームの2週目のようにはいかないのだ。相手の好きなプレゼント、好きな場所、好感度の上がる選択肢を最初から知っていて、最短日数で相手と結ばれるような展開にはならない。メビウスは現実じゃないけれど、そこに生きているのは間違いなく本物の人間だ。最初から相手のことを分かっている人間なんて、むしろストーカーにでも思われるのではないだろうか。

 なんにせよ、後は維弦が部室に来てくれることを祈るしかない。

 維弦については一旦区切りをつけ、奏は再びデジヘッドを捜して校内を歩く。部室にはまた明日、顔を出そう。そしてその時に、みんなの決断を聞こう。

 

 ◇◇◇

 

 奏がデジヘッドたちと戦っている頃、部室に残された帰宅部の面々はというと。

「なんだ、この曲……」

 スピーカーから突然流れ始めた音楽に笙悟が呟く。

「これ、カギPの曲だよ! 洗脳されてるデジヘッドは楽士の曲を聞くとそれに共鳴して、より凶暴化するんだ」

 アリアの言葉に皆の顔つきが変わる。

「このタイミングで流すってことは、先輩を捕まえようとしてるってことですか?」

 不安そうに美笛が口を開く。

「捕まえる……で、済めばいいんだけどね……」

 そんな美笛の言葉に続いて発せられた琴乃の言葉。その言葉に、皆の頭の中に1つのイメージが浮かぶ。

 死。

 捕まって洗脳されるだけならば、まだマシだ。もしも、奏が死んでしまったら? デジヘッドとの戦いで、楽士との戦いで、何かの事故で、考えられる要因はいくらでもあった。

 それでも、助けに行こうと声をあげる者はいない。正義感の強い鼓太郎でさえもだ。

 この中の誰もカタルシス・エフェクトを使えないのだ。奏のように戦える訳じゃない。ここで助けに行っても足手まといになるだけかもしれない。あるいは、そんな言葉を言い訳にして、ただただ自分が死ぬのが怖いのかもしれない。さっきアリアが口にした、カギPという楽士が自分たちを殺さないという保証はないのだから。

 嫌な空気が部屋に充満する。誰も口を開かぬまま、楽士の曲が流れ続ける部室で椅子に座ってじっとしている。

 

 そんな停滞した状況を打破するかのように、突然、部室の扉が開かれる。

 

「帰宅部の部室というのは、ここでいいのか?」

「峯沢……!」

 意外な来訪者の姿に笙悟は驚いたように声をあげる。

「紹介する。峯沢維弦だ。コイツもホコロビが見えるのはわかってるんだが、人間嫌いみたいでな。今まで何度勧誘してもフラれっぱなしだったんだ」

 笙悟が立ち上がって説明する。本人の目の前で失礼なことも言っている気がするが、維弦自身は特に気にした様子も見せない。

「ここに来ればカタルシス・エフェクトとやらの使い方を教えてもらえると聞いた」

「聞いたって、誰にですか?」

 ここの場所を聞いたとなれば、思い当たるのは1人しかいない。それでも、念の為に美笛は維弦に問いかける。少し神経質になっているのかもしれない。

「……」

 美笛の質問にたっぷり間を置いて、

「……そういえば、名前は聞いていなかったな」

 ようやく出てきた答えに皆が脱力した。マイペースというかなんというか……。

「名前は知らないが、黒いガイコツのような男だった」

「新入りだな」

 その後に続いた維弦返答により、笙悟が納得したように頷く。

「でも、いいの?」

「何がだ?」

 アリアが維弦に問いかける。

「確かに、メビウスに気付いてるYouならカタルシス・エフェクトも使えるようになるかもしれない。だけどメビウスも完全じゃないんだよ? メビウスで死んじゃったら現実の体も死んでしまう。現実に帰ろうとするってことは、デジヘッドや楽士たちと戦おうとするってことは、死の危険に自分から足を踏み入れることでもあるんだよ? 維弦は本当にそれでもいいの?」

 

「構わない」

 

 即答。間を置かず、考える素振りも見せずに返された維弦の短い言葉に、問いかけたアリアだけでなく、部室にいる全員が目を丸くして維弦を見た。

「僕はこの世界じゃ生きているとはいえないんだ。死んでいるのと同じだ。だから死ぬ危険性があろうと、僕は生きるために現実に帰る」

 維弦はまっすぐアリアを見て、そう言い切った。そこに一切の迷いはない。それは、誰よりも自己の強い彼だからこそ言える言葉だった。

「……そうよね」

 そして、そんな彼の言葉に心動かされた者が1人。

「本当の意味で生きたいなら、死ぬ気でやらなきゃ意味ないわよね」

 そう呟きながら、柏葉琴乃は立ち上がる。

「アリア、私もやるわ。私も、何が何でも現実に帰りたい!」

 決意した瞳で語る琴乃。元々、危機に対するメンタルは帰宅部の誰よりも強かった彼女だ。1度決めたら必ずやり遂げるという強固な意思を彼女は持っている。

「今ならいけるかも! Go L i i i i i i i ve‼」

 維弦と琴乃、2人の意思から予兆を感じたアリアが叫ぶ。

 その瞬間、絶対に帰るという強い思いが、2人の理性の殻を突き破り感情の塊となって溢れだした。

 

 ◇◇◇

 

 いったいどれだけのデジヘッドを倒しただろう。

 デジヘッドを捜して倒してを繰り返しているうちに、奏は体育館に来ていた。体育館にいたデジヘッドたちを倒した後、体育館から出ようとして、入り口に誰かがいるのに気がついた。

 

「せぇーんぱいっ! デジヘッドばかりじゃ退屈でしょう? 僕とも遊んでくださいよ」

 

 そこにいたのは入学式で見た姿。

『こっ、こんなことで諦めないからな‼ もう僕は昔とは違うんだ‼ 簡単に思い通りにできると思うなよ‼』

 そう言って努力することを覚えた彼の姿はどこにもなく、

「鍵介……いや、カギPか」

「先輩、僕のこと知ってるんですか? いやあ、光栄だなあ」

 今、奏の目に映っているのは帰宅部の響鍵介ではなく、平凡な人間になりたくないとヘラヘラ笑っていた、楽士のカギPだった。



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【7】意思無き者の苦悩

 響鍵介。彼が帰宅部にいたのは、帰宅部の皆にとっては未来のことだが奏にとっては過去のことだ。過去でも未来でもなく、現在の彼はオスティナートの楽士の1人、カギPとして活動している。

 体育館で相対する2人。カギPの手には大きな剣が握られ、周りには4枚の盾が浮いている。μから与えられた楽士としての力だ。刺々しいデザインのそれは、デジヘッドが使う武器によく似ている。

「正直、先輩が何を考えているのか分からなくて、興味があるんですよ」

 大剣の切っ先を奏に向けながらカギPは語る。

「先輩ってばすごい勢いでデジヘッドを倒してますけど、それって意味あります? 確かにデジヘッドを正気に戻されればメビウスの維持は危うくなりますよ? だからって1人でデジヘッド狩ったって意味ないでしょう? 先輩がどれだけ強くても、こっちがそれ以上のスピードで再洗脳すれば済んじゃう話なんですから」

 笑みを浮かべながら語るカギPだが、奏は動じない。

「意味ならあるさ」

 そう返す奏の表情は笑っているようにも見えた。Lucidの姿の彼の顔は黒いドクロとなり、表情など分からないはずなのに。

「こうして楽士の1人である君が釣れたんだ。収穫は十分だ。まあ、さすがに楽士全員を同じ方法でおびき寄せる訳にはいかないが」

「まるで楽士のことをよく知っているような口ぶりですね」

 奏の言葉にカギPは眉をひそめる。

「知っているとも。君がこんな姿の私を先輩と呼ぶように、楽士たちがμを通じて何でも知ることができるように、私も独自の情報網を持っているのだよ」

 片方の拳銃をカギPに向けながら奏は答える。お互いの武器がお互いに突きつけられた状況。いつ戦闘が始まってもおかしくはない。

「……ところで、先輩はどうして現実に帰りたいんですか? メビウスにいればどんな願いだって叶うのに」

 カギPは話題を変える。情報量でけん制し合うのは無意味だと判断し、切り口を変える。

「その姿だってμから貰ったものでしょう? その姿で好き勝手できるのに、現実に帰りたいんですか?」

「確かにこの姿はμからだが、決して私が望んだ訳ではないよ」

「え?」

 奏の答えにカギPは意外そうな顔をする。実際、Lucidの姿は楽士として活動していた前の世界で正体がバレないようにと、μが与えてくれたものだ。過去に戻った今の世界においては、どうして変身できるのかすら、はっきりとしたところは分かっていない。

「それで、帰りたい理由だったな。帰りたい理由……」

 奏は言葉に詰まる。自分はどうして帰りたいのか、明確な理由が自分の中に見つからないのだ。

 最初は、時間が巻き戻っているという異常な状況に流されて、μを捜して入学式を飛び出した。その後、笙悟とアリアに流されて、帰宅部と関わることに決めた。そして今、こうしてカギPと対峙しているのは、学校でμの曲が流れたという状況に流されて、とにかく対処しようとした結果に他ならない。

 

『もしかしてLucid、まだ記憶が戻ってないの?』

『私とLucidで巻き戻したんだよ?』

 

 先程、μに言われた言葉が頭に流れる。

 覚えていない。記憶が無い。自分はどうやって時間を巻き戻した? 自分はμに何を言ったのだ? 自分は一体何を忘れている?

 

「家に帰りたいのに、理由なんているかね?」

 だから奏は、そんな言葉で誤魔化した。自分の意思も分からず、ただ流されているだけだなんて、言えるわけがない。そういえば、前の世界で笙悟が似たようなことを言っていた気がするなと思いながら。彼が現実に戻りたい理由は逃げだった。自分の帰りたい理由に大層な意味などないと判断してしまうと、似たような言葉に行き着いてしまうのかもしれない。

「逆に聞くが、君は何故メビウスに残っていたいんだ? この世界が嘘っぱちで(いびつ)だと気付いているのだろう?」

 理由など分かっている。彼の悩みにも触れたことがある。だが、聞かない訳にはいかない。

「僕としては、現実に帰りたいなんて人の方が理解できませんよ。メビウスにいればずっと理想の自分でいられるんですよ?」

 奏の問いかけにカギPは小馬鹿にしたように笑う。

「才能の有無なんて関係ない、毎日同じことを繰り返して生きるつまらない大人になることもない。ずっと子供のままでいられるんですよ! 夢を見ていられるんですよ! 子供のままなら……ずっと子供でいられれば、いつまでも自分の可能性を信じていられる‼」

 その声は、主張は、段々と激しさを増していく。

「僕は特別だ……皆が憧れるオスティナートの楽士だ! 僕がいるべき場所はここなんだ‼」

「そうか……そうだな。君にとって、メビウスという場所は救いなのだろうな」

 奏はその叫びを否定しない。例え帰宅部から楽士に戻ってしまっても、彼がどんな思いで叫んでいるのか、心の奥の奥のドス黒い部分まで知っているから、奏は決して否定したりはしない。

「だけど、君にどんな理由があろうと、こちらも引く訳にはいかないんだ。悪いが力づくでいかせてもらう」

 否定せず、正面から受け止めて、それでも奏は前に進むのだ。自分のためではなく、皆のために。

 

「いいですよ! メビウスから出ようとするローグには、力ずくでもマインドホンで再洗脳させてもらいます‼」

 

 言葉と共に、カギPは奏に向かって走り出す。

 奏は拳銃から弾を撃ち出すが、カギPの周りに浮かぶ4枚の盾の1枚が前に出てそれをはじく。そのままカギPは走り、奏との距離を詰める。

「どうしました? やっぱり楽士が相手じゃデジヘッドのようにはいきませんか?」

「馬鹿言え、デジヘッドも楽士も同じ力をμからもらっていることには変わるまい」

「ですが、本能で襲いかかるデジヘッドと違って楽士は理性を保ってる。デジヘッドのようにはいかないことぐらい、先輩だって分かってるでしょう?」

 言いながら、カギPは奏の目の前まで迫り、大剣を振るう。

「おっと……!」

 奏は後ろに飛び退きながら、今度は弾を連射し、まばらにばらまく。しかし、カギPの周りの4枚の盾が隊列を組み、その全てを防いでしまう。

 思えば、この状態のカギPと1人で戦うのは初めてだ。大剣だけじゃなく、4枚の盾。帰宅部を裏切った時とは勝手が違う。

「タネ切れですかあ? だったら、そろそろ決めさせてもらいますよ!」

 下がる奏にカギPはさらに迫る。

 だが、

 

「ッ⁉」

 突如として飛んで来た1本の矢に、カギPは足を止め、盾を構えて矢を防ぐ。

 それは、体育館の入り口から飛んで来たものだった。

「やっと、見つけた」

 体育館の入り口。そこにいた人物にカギPは目を丸くする。

「まだいたんですか? メビウスから出ようとする人が……?」

 

 弓矢をカギPへと向ける琴乃。そして、剣を構える維弦がそこにいた。



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