あの夏に、私は帰りたい。 (大石蔵良の嫁)
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はじまり

私は小さな頃から、よくいじめられていた。どうやらいじめられやすい体質のようで、どこに行っても何をしても、同じ結果を生んだ。

「花...ごめんね、ごめんね...」

母はいつもこう繰り返しては、傷まみれになった私を抱きしめてくれたことを、鮮明に覚えている。

確か、小学校低学年の初夏だった。見かねた父方の祖父が、しばらくこっちで過ごしてはどうか、と提案してくれたのだ。藁にもすがる思いだった両親は、何か少しでも変わることを願って、私を祖父母が住む田舎へと送り出した。

「花ちゃん、よぉく来てくれたねぇ」
「辛かったろう、夏休みの間はここでゆっくりして行け」

あまり会うことの出来ない孫が、しばらく滞在するのが嬉しかったのだろう。私の頭を撫で繰り回しては、名前をたくさん呼んでくれた。
祖父母の家は大きな木造の平屋で、今思えば、地主かなにかだったのだろうなと思う。両親と暮らしている家は、都心にあり、いつも喧騒と共にあった。
けれど、ここは虫の声や野生の動物、1日数本のバスの音しか無い。とても、静かなところだった。ここでの生活はとても穏やかで、ずっとここで暮らしていたいとさえ思った...だがそれも、束の間だった。
田舎といえど、やはり子供はいるものだ。
田んぼの脇道を散策していると、背後からいきなり蹴り飛ばされて、田んぼに落ちた。

「やーい!田んぼに落ちやがったー!」
「汚ったな〜!」
「だっさー!」

ああ、またか...と、私は思った。 潤いを取り戻した心が、またゆっくりと死んでゆくのを感じる。安息などなかったのだと。ゆっくりと起き上がると、同い年ぐらいの子供が数人、私を嘲笑っていた。

「ドロドロだー!」
「くっせぇ!近寄んな泥女〜!」
「これでも食ってろ!!」

子供のうちの1人が、私に向かってそこらから抜いた雑草を投げつけてくる。他の子供もそれを真似ては、小石や雑草を浴びせてきた。反撃してはダメだ、面白がられて酷くなる。 祖父母に迷惑がかかる、我慢するんだ...。
そう自分に言い聞かせては、俯いて棒立ちしているしかなかった。

「お前達、何をしているんだい?」

確かにそう、聞こえたのだ。男の人か女の人か分からない、とても綺麗で不気味な声。他の子供たちにも聞こえているらしく、投げるのをやめて、青ざめた顔をして止まっていた。

「ヤバい...!むつめ様だ...!」
「むつめ様が来ちゃう...い、嫌だ、嫌だ...!」
「きゃああああっ!」

思い思いに喚き散らし、皆がどこかへと逃げていった。
むつめ様とは何かわからない私は、田んぼから上がって、ゆっくりと祖父母の待つ家へと帰った。
その後、あの子供たちが行方不明になるとも知らずに。

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どうして

私は、祖父母の家へと帰宅した。
泥や雑草で、在らぬ姿となった孫を見た祖父母は、驚きを隠せずに棒立ちしていた。あの表情は、今でも覚えている。
ひとしきり立ち尽くした2人は、私を風呂に入れて、丁寧に洗い流してくれた。

「花ぁ、可哀想に...可哀想に...」

祖母は、涙を流しながら、湯気の上がる私の体を拭う。
居間でテレビを見ていた祖父は、手がまるで梅干しのように赤くなるまで、力を入れて握っていた。怒ってくれているのだろうか、優しいな...なんて、当時は思ったものだ。
そうこうしていると、玄関の戸が強く叩かれた。

「おい!いるんだろう!ここを開けてくれ!」

何度も何度も、戸が壊れてしまいそうなくらい、叩いていた主は、祖母が出るのを待てずに戸を引いた。

「あらぁ、井山さんじゃあないですかぁ...」

祖母は驚きながら言った。祖父が奥から、その人を睨みつけている。

「ここによそ者のガキが居るだろう!!そいつを出せ!!」

井山さんという人は、ひどく怒り狂ったようすで怒鳴った。
こんな大人を見たことがある。時々、家の近くのコンビニで、店員さんにクレームを言っている人だ...なんて、呑気に考えていた。

「この子は、よそ者じゃありません、うちの孫ですよ」

祖母がいつになく強く答えるものだから、着替えていた私は少し体をビクつかせる。その様子を見た祖父が、こっちへ来いと手招きし、居間で待つように言いつけた。

そこからは、井山さんの大きな怒鳴り声と、祖父の低い威圧のある声が何度も交わされるのを、ただ聞いていたと思う。
だがその中で、1つ気になることを耳にした。

「うちの子が帰っていない」

あの、田んぼで出会った子供の1人だろう。確か、顔のよく似た子供がいたはず。
私は、祖父の言いつけを守らないで、玄関へ出た。

「あの」
「あっテメェ!うちの子供をどこへやったあああっ!!」

話をしようとした矢先、大きな平手を食らった。 頬が、ヒリヒリして熱を持っているのが分かる。痛い。痛みや恐怖で、視界が滲んでゆく。怒られる。声を出せば怒られる、だから抑えなきゃ。
そう必死で、声を抑え続けた。
滲む視界の中で、祖父が井山さんを殴ったのが見えた。
とても怖かった。
震える私を見て、祖母が立たせて奥の部屋へ連れていってくれた。体の震えが酷くなるなか、窓を見ると、日が落ちていた。7時半だった。確かに、これで子供が帰らないのは可笑しい。
その後、祖父は井山さんを無理やり落ち着かせて、事情を聞いたらしい。話によると、あの時出会った子供たち皆が、まだ帰っていないという。
その時、私の脳裏に過ぎったのは

「むつめ...様...?」

その言葉を呟いた時、その場にいた3人が一斉に、こちらを振り向いた。
何かに、怯えたような顔をして。

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おきにいり

怯えた顔をした3人が、私を見つめる。
私はとんでもない事を言ってしまったのだろうか、謝らなきゃ、謝らなきゃ...そう焦るも、恐怖で声が出ない。嫌われる、いじめられる。大好きな人達にまでも。
怖かった、ただただ怖かった。
口をパクパクしている私を見つめたまま、伊山さんは崩れ落ちた。

「あ、あああ...ああああああああああっ!!!」

地面が揺れてしまうんじゃないかと思うほど、大きな声を上げて、井山さんが泣き喚いた。我に帰った祖父が井山さんの肩を抱き、慰める。
状況を飲み込めず、まだ口をパクパクさせる私を、祖母が泣きながら抱きしめた。

「なんでぇ...なんでぇ花なのよぅ...」

私は今更、とんでもない事に巻き込まれたのだと、自覚した。

井山さんを祖父が帰した後、いつにも増して静かな食事を終え、2人が私に向き直った。

「花、お前が聞いた声はな...この土地の神様の声だ」
「その神様は、むつめ様って言ってねぇ...私たちを守って下さってるのぉ...」

いい神様じゃないかと思ったが、そうでは無かった。

「でもねぇ、むつめ様はある日突然、山の祠からでて来られるのよぉ」

涙を堪えて、祖母の顔が歪む。

「出てきたむつめ様は、村にいる子供からお気に入りを見つける。お気に入りにしてもらった子供は、むつめ様から加護を授かる...だが、相手は神様だ。当然、代償がいる。」

だんだんと、祖父の話が頭に入ってこなくなってくる。神様のお気に入り、それが私だと。そう言いたげだった。

「その代償は、むつめ様の元でお仕えしなければならないということだ。むつめ様は沼のほとりにある祠の神様。むつめ様の元へゆくには、沼に入らなければならない...」

沼に入る...それは、死を意味しているのだと思った。絶望に呑み込まれて、足先から体が冷えていくのを感じる。痛い思いをしただけで、人生の幕を閉じる。
初めて、悔しいと思った。
いじめられている時はいつも、ただただ辛かった。でも悔しいと、逃げ出したい、抗いたいと思ったことは無かった。
それから祖父は、泣き崩れる祖母に手を添えながら、他のことも話してくれた。
居なくなった子供たちは、私をいじめたから攫われたのだと。むつめ様は、決してよい神様ではない。願えばそれ以上の代償を持っていかれると。
だけど、私の耳には届かなかった。生きたい、もっと生きて世界を見たい。いつか、いつかいじめられない、強い私になりたい。
私は、生きることしか頭になかった。
強く、強くなりたい...強く、生きたい!

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かみさま

祖父母は、俯いたまま動かない私を、強く抱き締めてくれた。背中をさすり、頭を撫で、たくさん泣いてくれた。
私は、家族に大切にしてもらえている。それだけが、これまでもこれからも、私にとっての支えだ。支えてくれる家族のためにも、私は生きたい。

「おじいちゃん…私、生きたい。だから、方法を教えて」

顔を上げ、祖父の目を見つめた。まるで、瞳から人のナカまで覗き込むかのように。祖父は、私の目をみて、恐怖したようだった。私自身は、ただ見つめていただけだったのだが、そうではないように見えたらしい。
唾をゆっくりと飲み込むと、祖父は一呼吸おいて、また話をしてくれた。

まずとにかく、私はむつ目様の元へ行かなければいけないらしい。だが、“すぐに”命を奪われることは無いのだという。お気に入りだからだ。
だからといって、ずっとむつめ様と共にいる訳ではないらしく、また帰ってこられる。ただ条件として、この村から出てはならない。
そもそも、私をこのまま、両親の元へ帰すことも出来るのだという。けれど、それをしてしまったが最後...村の人々は1人ずつ、残忍な殺され方をするのだ。
そして村人がいなくなれば、範囲を広げ、隣町や村。そして街へと侵食していく。
そうなってしまっては、私が戻ってこようとも、もう止められないのだと、祖父は教えてくれた。

すると、落ち着きを取り戻した祖母が、ぽつりぽつりと、語り始めた。

祖父母は、生まれも育ちもこの村だったそうだ。
幼少の頃。祖母ととても仲の良かったヨネという少女がいた。とても明るく、可愛らしい子だったと、祖母は振り返った。
それがある日突然、他の子供が行方不明になった。大人達はみな、「むつめ様が来られた」と騒ぎ立て、残った子供を呼び集めた。
すると、その中からヨネが引っ張り出され、むつめ様の沼へ連れていかれたのだと。
それ以来、村でヨネを見かけることはあったが、どんどんやつれてゆき、次第に見なくなったらしい。

神様に自分を捧げ、最期は誰にも知られずに消えてしまう。まるで、お供え物じゃないかと、当時は憤怒したものだ。
だが、希望はあった。 すぐに死んではいない。確実に、生きてはいたんだ。
大切な祖父母や、両親が死んでしまうくらいなら、私が何とかしよう。そして、絶対に生きて帰ろう。そう決意し、私は拳を強く握り、息を大きく吸い込んだ。
負けない。
私は、人の人生を振り回す神様なんかに、負けやしない!
固く握った拳を開き、祖父母へ差し出す。

「私を、沼へ連れてって」


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