ホットワインの味 (岸雨 三月)
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ホットワインの味

 

夢の中でこれが夢だと分かっても、中々目覚められないことがある。

今見ている夢が、まさにそうだった。

長い髪に仮面をつけた、仮装パーティにでもいそうな格好の魔法使い。

魔法使いは大鍋に材料を混ぜ、魔法薬を作ろうとする。

私のために作ってくれようとしてるのだと、なぜかすぐに分かった。

でも、魔法使いには、薬の作り方は分からないのか、何度も失敗する。

いや、この感じは、分からないと言うより思い出せないという風かもしれない。

魔法使いはこちらを見て、何か言いたげな様子を見せる。

その目元は仮面に覆われていて、何を言いたいのかは分からないけれど……

私からは魔法使いには話しかけられない。

その距離をもどかしく悲しく思っているうちに、

私と魔法使いの間に、白いもやがかかっていき、いつのまにか夢の終わりを告げる。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

……なんだか変な夢を見ていた気がする。目を覚ますと見知った天井が見えた。ラビットハウスの2階にある私の部屋。目立つものといったら棚の上のボトルシップと、机の上の作りかけのパズルくらい。

 

唯一普段と違うことといえば、私を心配そうに覗き込むココアさんの顔が視界一杯にあることくらいだった。いつもは、私がココアさんを起こす側なので変な感じだ。

 

「チノちゃん、大丈夫? ごめんね、体調悪いのに気づかなくて……」

 

大丈夫ですよ、と答えようとして、自分の声がかなり枯れていることに気づく。ちょっとおじいちゃんの声みたいだ。

 

「チノちゃん、喋ったらダメ。マスクつけて、おふとんかぶって、ぜったい安静だよ! それにしても、リゼちゃんがチノちゃん2階に運んでくれて助かったよ~」

 

ココアさんの言葉からすると、私はお店の営業中に倒れてしまい、リゼさんが2階に運んでくれたということらしかった。確かに、朝から調子が良くなかったけど、それにしても、お店で倒れてしまうのは予想外だった。お客さんにも迷惑をかけてしまったのかな……、と少し心配になる。

 

お客さんといえば、オーダーの入ったカプチーノをさっきまで淹れているところだった。どれだけ遅れてしまったのだろう。すぐにお出ししなくちゃ……!そう思って起き上がりかけて、ココアさんに止められる。

 

「チノちゃん、もしかしてお店に出ようとしてる? ダメダメ、可愛い妹が風邪を引いてるのに無理させるなんて出来ないよ! 何も心配しないで、ゆっくり休んで!」

 

ココアさんが、「お姉ちゃんに任せなさーい!」といつものポーズを取り、目をキラキラさせて私を見つめてきた。

 

時計の針を見ると、カプチーノを淹れていた時から数えて30分以上は経っている。どんなに急いでも、今から出して間に合うはずがないのに。そんなことに気づかず起き出そうとするなんて、自分が思うより頭がぼーっとしているのかもしれない。

 

ココアさんにお店を任せるのは相変わらずちょっと心配だけど、今日ばかりは任せるほかなさそうだ。目をキラキラさせたままのココアさんに向かって、よろしくお願いしますね、という意味をこめてうなずいた。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「はぁ……私、お姉ちゃん失格だ……」

 

孫娘のチノの部屋からココアが出てきたのは半刻ほど経った時だった。チノが倒れたときは全身の毛が総毛立つ思いで、看病もできないうさぎの身がもどかしくてしょうがなかった。が、部屋から出てきたココアの言葉とは裏腹な弛緩した表情を見ると、幸いにも大事には至らなかったらしい。

 

「おいどうした、急に。そんなことより、チノは目覚めたのか?」

 

「妹が風邪を押して無理に働いてるのに気づかないなんて……。これからは毎朝チノちゃんとおでこをくっつけて熱を測ってあげるようにするよ!」

 

「ココアがチノとくっつきたいだけだろ、それ……。まあ確かに、チノが急に倒れたのはびっくりしたけどな。今は病状は落ち着いてるのか?」

 

「うん、今はお薬を飲んで寝かせてるよ。それにしてもリゼちゃんがチノちゃんを2階まで運んでくれて助かったよ! 凄い力持ちだね!」

 

「だ、だから私は親父から色々と仕込まれてるだけだ……! 訓練すればあれくらいは普通に誰でも出来るぞ。そうだココア、いざって時にチノを助けられる体力を作るために、明日から私と一緒に毎朝走りこみってのはどうだ?」

 

「ヴェええ!?そ、それは遠慮しておこうかな……。ほら、私って街の国際バリスタ弁護士志望で、どっちかというと知性派お姉ちゃん目指してるみたいなところあるし」

 

「まず知性派は『街の国際バリスタ弁護士』とかいう単語を発さないだろ……」

 

他愛ないお喋りに花を咲かせているのは、今のラビットハウスの従業員である2人……ココアとリゼだ。孫娘に友達が出来たのは喜ばしいものの、この年頃の子供達のお喋りはかしまし過ぎて、わしの目指していた隠れ家的喫茶店とは方向性が違うんじゃよなぁ……、そんなことを独りごちる。

 

「さーて、チノちゃんが起きた時のために栄養のあるもの作ってあげなきゃ!」

 

「ココア、パン以外の料理作れるのか?」

 

「作れるよー! 私だって日々成長してるんだから! ねぇリゼちゃん、ステーキとハンバーグだったらチノちゃんどっちが喜ぶと思う?」

 

「どっちも病人に食わせる料理じゃないぞそれ……。消化に良くて体の温まるものを作ってやれよ」

 

「体の温まるもの……って何だろう?ビーフシチューとか?」

 

「たしかに、シチューとか煮込んであるものは病人でも食べやすいかもな。でも肉から離れたほうがいいんじゃないか?」

 

「じゃあやっぱり地中海風オマール海老のリゾットかなぁ」

 

「何が『じゃあやっぱり』なんだよ、そんなものを食べたがる病人がいるか!? グルメか、グルメなのか!?」

 

「えぇ~、私は風邪引くといつも地中海風オマール海老のリゾットが食べたくなるけどなぁ」

 

「本当にグルメだった!!?? 大体ココアはそこまで手の込んだものは作れないだろ……ちょっとは真面目に考えろよ」

 

「う~ん、何がいいんだろう……?」

 

「風邪に効く体の温まるもの……ですか。それでは、ホットワインなどはいかがでしょう?」

 

「「青山さん!!??」」

 

突然会話に割り込んできた娘は小説家の青山。まだわしが人間で現役のバリスタだった頃からの常連客だ。ココアやリゼよりは一回り年上のはずだが、持ち前のマイペースさで、不思議と今のラビットハウスの雰囲気に馴染んでいる。

それにしても、いつから店にいたんじゃこやつ。

 

「ホットワインてあの、クリスマス市の屋台とかで良く売ってるあれか」

 

「青山さん、ホットワイン作ったことあるの?」

 

「ええ、以前ココアさんが風邪を引いて倒れたときに作って差し上げたことがあります」

 

「ええっ!? そうだったんだ~、ごめん私全然覚えてなかった……」

 

「無理もありませんね。ココアさんがぐっすり眠ってらっしゃったので、私一人で全部飲んでしまいましたので」

 

「いや、意味無いだろ、それ……」

 

ホットワイン……か。そういえばココアが風邪を引いた日の前後にわし秘蔵のワインが一本無くなっていたことがあったが、こやつの所為だったか……。

 

しかし、ホットワインと言えば、ワインを温めただけのイメージを持たれがちだが、実際は、スパイスの配合や暖め方によって出来栄えが大きく変わる、奥の深い料理だ。クリスマス市に出ているホットワイン屋も、長年にわたり他の屋台と競い合う中で生まれ、引き継がれた秘伝のレシピであの味を出しているのだ。と、ワインにもうるさい(元)バリスタとしては、思わず一席ぶちたくなる。果たしてココアにちゃんと作ることが出来るじゃろうか?

 

「奥の本棚のレシピ本を探してみたら、本には書いて無かったけど、本の間にメモが挟まってたよ!」

 

見るとココアがひらひらと古いメモのようなものを振っている。

 

「これ、ホットワインのレシピじゃない?」

 

「一体どこからそんなものを……。ずいぶん、古そうなメモだな。このメモの字、誰の字なんだろう? ずいぶん、几帳面で綺麗な字だけど……。この店の本に挟まってたってことは、昔のラビットハウスの店員の誰かが書いたのかな」

 

「レシピ読み上げるね。えーっと……赤ワイン、シナモンスティック、生姜、胡椒、クローブ、はちみつ、苺、オレンジ、それからそれから……、うーん結構用意するものがあるね。お店には無い材料もあるから、スーパーまで買い物に行って来るよ」

 

「いやちょっと待て、いくらお客が少ないからって、チノも寝てるのに店に私一人はまずくないか? チノの看病と店のことと、流石に同時には出来ないぞ」

 

「あらあら、ここにもう一人居ることを忘れてもらっては困りますね~」

 

「「青山さん!!??」」

 

見るといつの間にか、青山が店の制服に着替えている。そして腕まくりをして「青山さんに、……任せなさーい」等と言いつつ、顔を微妙に赤らめて例のポーズを取っている。恥ずかしいなら最初からやらなければ良いと思うんじゃが。

 

「お店のほうは私が引き受けますよ。私とリゼさんと二人いれば、大抵のことは何とかなるでしょう」

 

「青山さん、今日はお客さんなのに、いいんですか?」

 

「いいんですよ。困ったときはお互い様、です。それに私もチノさんに早く元気になってもらって、またチノさんのコーヒーが飲みたいです。チノさんのために、美味しいホットワイン、作ってあげてくださいね」

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「出来たよー!!!!」

 

1階から聞こえるココアさんの声で目が覚めた。

 

ほどなくして、ドタバタと階段を上ってくる音が聞こえる。

 

「ホットワイン……?」

 

ニコニコ笑ったココアさんが、ワイングラスを持ってきた。

 

濃厚な赤ぶどうの香りをベースに、はちみつ、ミルクとベリーとオレンジの混ざり合った香りがする。

 

「(この匂い……どこかで……)」

 

鼻の中に広がるいい匂いは、私が覚えていないはずの記憶を刺激する。

 

一口、湯気の立つグラスをふーふーして飲んでみる。

 

「!!!」

 

この味は間違いなく、一度飲んだことがある。……これを作ってくれたのは、ずっと昔、幼かったあの日、私にとって、セカイの、全てだった、あの人……

 

 

「ぐぅ……」

 

「ヴェアアアアアア!!!?? チノちゃんがまた倒れちゃった!???」

 

「落ち着けココア、アルコールが効いて眠っちゃっただけだろ……。もう少し、休ませてやれよ。」

 

体の奥が芯から熱くなるような気持ちだった。たぶん、ホットワインのスパイスが効いているせいだ。部屋を出て行くリゼさんとココアさんの後ろ姿を眺めながら、私は再び眠りに落ちていった。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「やれやれ、チノが倒れたときはわしも肝を冷やしたが……、結局ただの風邪だったようで安心したわい」

 

夜になりラビットハウスはバータイムに入っていた。今日は客が入っていないのを良いことに、わしは息子に向かって独り言を言うように呟いていた。

 

「じゃが、ココアの作ったあの甘ったるいホットワインには参ったわい。何故かおすそ分けと言ってわしも飲まされたし。今もまだ甘い匂いがラビットハウス中に充満してるように感じるわ。あのレシピは甘味が多すぎてワインの香りを殺してしまっておる、そもそもワインとは……ぶつぶつ……」

 

「……親父、あのレシピ書いたの、誰だか分かって言ってるのか?」

 

「……分かっておる、分かっておるよ。あいつ(チノ母)じゃろ。あいつが幼いチノのために甘く飲みやすいよう作ってあげたホットワイン。あの味と全く同じじゃった。……チノにとっては懐かしいお袋の味じゃ、内心さぞかし喜んでおったじゃろう」

 

「……いや、あのレシピの字は親父の字だったぞ」

 

「なぬっ!?」

 

あいつ(チノ母)のレシピは、元をたどれば親父から教えてもらったレシピだったんだろう。いつだったか親父、チノが風邪を引いて、試行錯誤して子供でも飲める甘いホットワインを作ってたことがあったんじゃなかったか」

 

「なんと、まあ、そうよの……」

 

わしの作ったレシピがあいつ(チノ母)のレシピになり、それをココアが偶然にも見つけて再現するとは。

 

不思議なこともあるものだ。

 

それにしてもココアの奴、まるで魔法でも使ったかのように、最初からそこにあるのが当たり前だ、とでも言うように、あのレシピを見つけていた。この店の現マスターである息子も、レシピを書き残したわし自身も、あれの存在を忘れていたというのに。

 

わしは生前、孫娘のチノに何も残してやることが出来なかったことを心から悔いていた。その悔いは今でも変わる訳では無いが、意外なところに残っているものもあるよと、外から来たココアに教えられたような、そんな不思議な気分だった。

 

「あの娘、やはり何か第六感みたいなものがあるのかもしれんのう……、超能力か?」

 

「突然何を言ってるんだ親父。レシピのこともすっかり忘れてたみたいだし、ついにボケが始まったか? うさぎにもボケってあるのか」

 

「なんじゃとー!!! わしはボケておらんわ!!」

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

また私は、不思議な夢を見ていた。

長い髪に仮面をつけた、仮装パーティにでもいそうな格好の魔法使い。

魔法使いは大鍋に材料を混ぜ、魔法薬を作ろうとする。

しかし今度は、魔法使いは一人では無かった。

真っ白なひげの老魔法使いと、栗色の髪の少女魔法使いとが居て……

三人で作った魔法薬は、甘く、体を芯まで暖かくするような味だった。

 



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おまけ(ココアとチノのホットワイン作り教室)

 

ラビットハウス風・苺とオレンジのホットワイン(4人前)

 

 

赤ワイン 400ml

シナモンスティック 1本

 

生姜 チューブなら1cm程度

 

クローブ パウダーなら3振り程度

 

胡椒 パウダーなら3振り程度

 

苺 5~6粒

 

オレンジ 1個

 

蜂蜜 大さじ2杯

 

コンデンスミルク 大さじ2杯

 

 

「街の国際バリスタ弁護士料理家!ココアと!」

 

「チノの」

 

「「お料理教室~~~!!!」」

 

 

「今日はラビットハウス風、苺とオレンジのホットワインを作っていくよ!」

 

「作り方は簡単、材料を全部お鍋の中に入れて、弱火で暖めるだけです。ココアさんでも出来ます」

 

「オレンジは輪切りにして1~2切れ鍋に浮かべて、残りはグラスに刺して飾り付けにすると可愛いよ!」

 

「シナモンスティックも、煮込んでも良いですが、煮込まずにグラスに刺してマドラーの代わりにするとおしゃれな見た目になります。無ければシナモンパウダーで代用してももちろん大丈夫です。苺はあまり煮込みすぎるとぶよぶよになるので、食感を楽しみたければ最後にさっとワインをくぐらせる程度が良いと思います」

 

「はちみつとコンデンスミルクはレシピどおり入れると結構甘くなるよ、味見しながら分量を調節しようね。私もチノちゃんも甘くしたほうが好みかな?」

 

「祖父はワインの香りを楽しみたい派だったので、自分用にはあまり甘いのは作らなかったみたいです。スパイスは他にスターアニスなんかが見た目も可愛くて定番ですが、これも香りが強すぎるので祖父は使わなかったみたいですね」

 

「暖めるときは香りを飛ばさないよう、中火以上にしないのがコツなんだって!お酒が飲める人向けだったら、湯気が出る程度まで暖めれば大丈夫だよ!」

 

「父はおつまみに塩気のあるチーズを合わせると美味しいって言ってました」

 

「逆にチノちゃんみたくお酒に弱い子向けだったら、泡が出るまで時間をかけて暖めて、アルコールを飛ばさないとだよ!」

 

「こ、子供じゃないです……。それにココアさんだってお酒は弱いじゃないですか、人のこと言えないです」

 

「でも、酔っぱらったチノちゃんにまたお姉ちゃんって呼んで欲しかったな~」

 

「まさか、それでわざとアルコールの飛んでないホットワインを持ってきた訳じゃないですよね?」

 

「(ぎくっ!)ソ、ソンナワケナイヨ?チノチャン?」

 

「はぁ、相変わらずしょうがないココアさんです。今度ココアさんが風邪引いたときは、お返しにアルコールの飛んでないホットワイン持っていっちゃいますよ……」

 

 

 




この作品はpixiv小説に掲載しているものを再編集し掲載したものとなります。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=9329982

pixiv小説の拙作の中では最も評価をいただいている作品ということになるので、一応、私の代表作という位置づけでしょうか。感想・評価等いただけると励みになります。

ちなみに、おまけに出てくるホットワインのレシピは実際に作って試しています。美味しいのでぜひ作ってみようね! といいつつ、かっちり分量を量っている訳ではないので、ココアさんも言ってるように特に甘味に関しては味見しながら作るのがおすすめです。



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