シュインというドアの開閉とともに、藤丸立香はレイシフト場へと入る。
するとその中央で何やらデータを確認していると思しき男が、藤丸に気付くと片手をあげて緩やかな笑みを浮かべた。
男性にしては長めの橙色の髪を後ろ手に一つにまとめ、見るものに柔和な印象を与える顔つきをしている男は、このカルデアを現在取りまとめているロマニ・アーキマンだ。
「ああ、藤丸君。悪いね、休憩中だったのに呼び立てちゃって」
「おはようございます、ドクター。なにやら、また新しい特異点が発生したって聞きましたけど…」
藤丸の言葉に、ロマニアーキマンことDr.ロマンは右手を自分の後ろ首にやりながら、困ったような顔でうなずく。
「うん、まあそういうこと。ついさっき、新たな微小の特異点が発生してね。
まだ現段階ではどれほどの影響を及ぼすかはわからないけれど、放置しておくわけにもいかない。藤丸君とマシュにはこのまえキャメロットの修復をしてもらったばかりで申し訳ないのだけれど、またレイシフトしてもらうことになるだろう」
「もちろん大丈夫ですよ。まあ、まかせてください!いつものことですから!」
気合十分といった感じにガッツポーズをとる藤丸に、ロマンは苦々しげに息を吐く。
「本来、こんな生死のやり取りに少年がなれる様なことはあっちゃいけないんだけどね。まあ、指揮を執っている僕が言えることではないのだけど…とりあえず、なんにせよ詳しいことはマシュが来てから話すことにしよう」
「マシュはまだ来てないんですね…あれ、同じタイミングで召集をうけたマシュはともかくとして、ダ・ヴィンチちゃんはいないんですか?てっきりドクターと一緒に説明をしてくれるものかと思っていたんですけど」
「ああ、ダヴィンチにはいま工房で特異点の解析をしてもらっているよ。今回の特異点は正直少し厄介でね…もう少し詳しく調べてもらっているんだ」
「厄介…?」
ロマンの言葉に藤丸がいぶかしげに首をかしげていると、背後のドアがスライドして、今度はマシュがレイシフト場へと入ってきた。
「失礼します、マシュキリエライト、遅れました」
マシュはそういって慌てて藤丸の隣に並んだ。
「やあ、おはようマシュ。いや大丈夫だよ、ちょうどこれから詳しく説明するところだ」
「おはようマシュ」
「はい、おはようございます。先輩、ドクター」
マシュが藤丸ににっこりと微笑むと、藤丸も淡い笑みを返す。いつものやり取りだ。
ロマンはそんな二人を嬉しそうに少しのあいだ見つめていたが、フルフルと首を振って表情をまじめなそれに切り替えた。
「さて、二人がそろったところで今回の特異点について話をしよう。まず先に言っておくと、今回の特異点はかなり異質なものとなる」
ロマンの言葉に、藤丸がはいと手を挙げる。
「異質なものって、もともと特異点ってそういうものじゃないですか?」
「そうだね、特異点と呼ぶくらいだ。もともと正史とは違う異常なものをこそ、僕らは修正しに行くわけだからね。
でも今回の特異点は、その中でも飛びぬけているといっていいだろう」
マシュがこれから待ち受ける言葉にごくりと唾を呑む。
「まず今までと明らかに違うのはその時代だ。なんと年号は2015年、場所はアメリカ合衆国最大の都市、ニューヨークを指し示している」
「2015年!?」
「ニューヨークですか!?」
藤丸とマシュがそれぞれ驚きを見せる。
それも無理はないだろう。本来特異点とは過去に起こった歴史的な出来事を捻じ曲げられた事象。
2015年といえば、広義で見たときに過去と定義するのも難しいほどの直近の年だ。何か世界を揺るがすほどに大きな事件がその年であったわけでもない。
どう考えたところで、その場所、その年で特異点が発生する原因が考えられないのだ。
「そう、二人の驚きはもっともだと思う。だが異質なのはこれだけではないんだ。いま『指し示している』といっただろう?
その特異点となるニューヨークは、すでに僕らの知るそれとは大きくかけ離れている」
その時、ピピッと通信音が入った。ロマンの隣にホログラムが展開され、柔らかな笑みを浮かべた妙齢の美しい女性が映り込む。
『はーい、そこからの説明は私からさせてもらうよ。みんなのダ・ヴィンチちゃんさ』
その美しい容姿にはそぐわない軽快な口調は、すでにこの場においては日常そのものだ。
「レオナルド、何かわかったか?」
『おいおい、天才を侮るなよ?時間さえくれればこのくらいちょちょいのちょいさ。
さて、二人にもわかるように、まずはこれを見てもらおうかな?』
ダ・ヴィンチがそういうと、二人の前に大きなホログラムが展開される。
それはどこかの地図の様であったが、そこが具体的にはどこを示しているのか二人には心当たりがなかった。大きな都市のようではあるのだが、周囲は囲むようにして海で隔絶されており、一つの大きな橋のみがその都市と他をつなぐバイパスであった。これではまるっきり陸の孤島である。
そして何より異常なのはその中央にぽっかり空いた黒点であった。空白の地帯があるのではない。そこにはただただ、大きな穴のみが存在しているのだ。
このような地形の都市があっただろうか、と二人が首をかしげていると、ダ・ヴィンチが意地の悪い笑みを見せた。
『それはね、君たちにこれからレイシフトしてもらうニューヨークだよ』
さらりと述べられたその言葉に、マシュは待ったをかける。
「ちょ…ちょっと待ってください。ニューヨークですか?この隔絶された都市が?
私もニューヨークの簡易的な地形は把握していますが、間違いなくこんな地形はしていなかったはずです」
『うん、いいリアクションだ。そう、これは我々の知るニューヨークとは、すでに大きくかけ離れている。
ニューヨークを取り囲むように展開された海。その下には何かとてつもなく大きな生物の生体反応を感知している。
都市部の中央には虚のようにぽっかりと空いた大穴。そこからは神代と同じだけの魔力濃度を検知した。
あまりにも異常、世界がひっくり返ったと形容しても足らないほどの天変地異といえるだろう』
ダ・ヴィンチの淡々とした説明に、聞いている3人は徐々に顔をゆがめていく。
なんだそれは。もはや土地そのものが神代回帰したのではという程の異常事態だ。
『だが、何よりももっとも異常なのは、そのような地獄の具現ともいえる環境下で、人の営みが当たり前のように行われているという点なんだ。
カルデアからのぞける範囲において、2015年のニューヨークという地点は、唯一人理の灯が興っている』
「ちょっと待ってくださいよ!歴史が崩壊している以上、そのさきに未来は続かない。その前提があるからこそ、僕らは歴史のゆがみになる特異点を修復しているんですよね!特異点なのに当たり前に人の営みが続いているって、その時点で矛盾していませんか!?」
あまりに荒唐無稽な話に、藤丸は思わず大きな声を上げる。その疑問に対して答えたのはロマンだった。
「ああ、藤丸君の言うとおりだ。僕らの使命はあくまで崩壊した世界をもとの形に戻し、正しい未来へとつなげること。
どれだけ異質な空間であったとて、そこで正しい人の営みがあるなら僕らが関与する必要はない。だが、そう安易に考えるには難しい魔力をそこで感知した。
その魔力とは、特異点を崩壊させ人理を揺るがす尖兵」
ロマンはそこで一度話を切り、藤丸とマシュの目をもう一度見つめなおすと、その言葉を口にした。
「魔神柱だ」
*
そこは隔絶された空間だった。あちこちに趣味の悪い装飾華美の家具道具が置かれているくせに、部屋全体の景観は杳として知れない。
ただの人間であれば、その空間にいるだけで神経をおかしくしそうな歪な場所であったが、呼び出されたソレはまるで堪えた様子もなかった。
そも、それを呼び出す魔術師の工房というものは、往々にして奇怪なものだ。いまさらその程度では驚くに値しないのだ。
ねじれた柱のような形状をしたそれは、自身を呼び出した目の前の男に声をかけた。
「…応えよ。
応えよ。我を呼びし者は汝なるや。我の力を乞いし者は汝なるや。
わが名はキマリス。魔術王ソロモンの創りし72柱のうちのひとつ、キマリスである。
さあ、我を呼び出し異形の男よ。貴様は我にいかなる破滅を望む?」
それは一目見てわかる異形だった。
ねじりあげられた柱のような形状に、きれいに配置されたまがまがしい目。そしてそのうちには、途方もない魔力が秘められていた。
魔神柱というものが存在しないこの世界において、それは世界の異物そのもといっても差支えがないだろう。
だというのにその柱に問われた男は、まじまじと魔神柱の全体像を観察した後に、がっかりだという風にため息を一つ吐いた。
「なんだい?その面白げのないフォルムは。ソロモンが創った使い魔っていうから、期待して召喚したのに、出てきたのはてんで面白味のないぼうっきれじゃないか」
「…なに?」
キマリスは自身が受け取った言葉を疑った。
この男は今なんといった?
言うに事欠いて、この暴虐の悪魔を指して面白味がないだと?
キマリスの疑問を気にすることもなく、男はその場をうろつきまわる。
「まずフォルムが単純すぎる。悪魔って言うくらいなら、もっとおどろどろしくしているべきだ。くわえて、言葉があまりに稚拙だ!古典すぎるだろう、もう少し美辞麗句というものを学ぶべきだ!」
仮面をかぶったその男は、大きな声で怒鳴り散らす。それはまるで、買ってもらったおもちゃが期待外れで、癇癪を起す子供のようでもあった。
あまりにも軽薄、あまりにも軽率。
サーヴァント数騎を相手にして余りある魔神柱を眼前にして、この緊張感のなさである。
仮にも自分を呼び出した以上、相応の魔術師であろうその男は、しかしただの子供の様にキマリスの目には映った。
その無防備さにさしものキマリスも言葉を紡げずにいると、ぐるぐると周回していた男は突然その場に立ち止り、ポンと自身の手を打った。
「そうだ!気に入らないなら適当にいじってしまえばいいじゃないか!なにせ材料はいいんだし、遊び放題だ!さすが天才だぞ!ぼく!」
そういって、うれしげに残虐な笑みを浮かべると、男は再びキマリスのほうへと向き直った。視線こそ仮面に隠れて見えなかったが、そのまなざしは、間違いなく獲物を見つめる狩猟者のそれであった。
改めてその男を正面から視認して、こんどこそ魔神柱は瞠目する。自分を呼び出した目の前の男、魔術師であるべきはずのその男には、魔術回路と呼べるものが一切備わっていないのだ。
まさか、自分は魔術師ではないものに呼び出された?
たどり着いたその結論にキマリスは戦慄する。
出来る出来ないの話ではない。本来は、ありえないのだ。
召喚するということ自体が本来魔力を消費して行うことだ。さらに呼び出すのがソロモンの悪魔ともなれば、それに必要な魔力は並みの量ではない。
それが、何一つ魔術回路を持たない男に呼び出されるなど、あっていいことではない。
「貴様…名は?」
その視線に気圧されて、キマリスは尋ねる。いや、正確に言うならば、そう問わずにはいられなかった。
目の前のあまりにも不可思議な、魔神柱の魔力よりも悪質な眼差しを向ける男が何者か尋ねずにはいられなかったのだ。
男は問われて、その邪悪な笑みをますます深め応えた。どこまでも軽薄に、どこまでも軽率に。まるで目の前の獲物が、おいしそうで仕方がないとでもいう風に。
「堕落王、フェムトだよん」
最低最悪の暴虐の子供が今、最も手にしてはいけないおもちゃを手に入れた。
A.D.2015 人理定礎値:ー
狂騒血魔戦線 紐育
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2話
「な」
「な」
『な』
「なんじゃりゃーーーーっ!?!?」
藤丸の渾身の叫びであった。
事態のおおよその把握を終了したカルデアの面々は、なにはともあれ当の特異点にレイシフトすることになった。
実態は相変わらずわからない、危険度も不明だ。
しかし、何が起こるかわからないというのであれば、それはいつもと同じことである。ようは当たって砕けろの精神だ。
藤丸、マシュ、そしてサーヴァントを一騎つれて、彼らはアメリカのニューヨークへとレイシフトをおこなった。
いったいどれほどの危険や未知が待ち受けているのかと、心構えを決めていた3人ではあったが、彼らを歓迎したのはその予想をはるかにしのぐものであった。
一言でいうと、奇奇怪怪、百鬼夜行、魑魅魍魎。
とにかくニューヨークの街並みは、そういった妖怪、怪物、鬼と思しきもので溢れかえっていた。しかし、より異常なのはそれらが普通にこの街並みで営みを交わしているところだった。
蜘蛛のような足で自身を支えている怪物が、バーガーショップに並んでいる。
3メートル弱は体躯のある灰色の皮膚をもった巨人が、ベンチに座って人と談笑を交わしている。
信じがたいことに、これらの姿はこの街にとって日常として受け入れられているのだ。
「すごいな…世の中にはこんな街もあるのか…」
「いやいやいや、いくらニューヨークはいろんな人が集まるからって、これはあり得ないから!」
つれてきたサーヴァント、やや天然の入っているその少年の言葉に、藤丸はぶんぶんと首を振って突っ込みを入れる。
そう、彼らに連れ添ってきたもう一人のサーヴァントとは、気付けば藤丸がカルデアへと招くことになっていたひとりのホムンクルス、ジークである。
たとえ特異点であれ、そこが2015年のニューヨークで、なおかつ人の営みがあるというのであれば、魔術師にとって神秘の秘匿とは絶対だ。ならば、サーヴァントとしての力を使わない限りは一般人に見えて、そこにいても人の目を引かないような存在であるべきだと結論付けた。
ゆえにこの少年、ホムンクルスの抜擢である。ちなみにマシュも戦闘用の鎧に換装せず、普段の服でレイシフトをしている。
「そ、そうか。やはりおかしいよな」
藤丸からの容赦ないツッコミに、ジークもわずかにたじろぎながら言葉を返す。するとその時、藤丸の手首のデバイスからピピッと通信音が入った。
『あ、あー。どうやら通信は普通に通るようだね。聞こえているね、藤丸君』
藤丸の手首のそれからロマンの声が聞こえる。
「は、はい。こちら確かに聞こえています、ドクター」
藤丸とジークの二人で端末を覗き込む。周囲に人がいる環境のため、大きくホログラムを展開していないのだ。
『よし、それじゃあ…ってあれ、二人だけかい?マシュはどうしたのかな』
ロマンの言葉に二人はそろって首をかしげる。そういえばこちらに着いてから、一言も話していないように思う。
はてと思い、藤丸は顔をあげてマシュがいる場所のほうを見てみると、マシュはその場から一歩も動かずに周囲をきょろきょろと見渡してばかりいた。
「………」
かろうじて理性が留めているらしく、その場から動くことこそはないが、その眼は如実に、周囲のモノが興味深くてしかたないと物語っていた。
「…あー、マシュ?」
藤丸が恐る恐る声をかけるも、すべてのモノに目を奪われているマシュにはまるで届いていない。
「マシュー。マシュキリエライトー?」
藤丸がもう一度、今度はやや大きな声で言葉をかけると、こんどは聞こえたらしく、夢から醒めたようにはっと我に返ったそぶりを見せた。
「先輩、先輩!すいごいです、すごいんですよ!」
マシュは興奮した様子で藤丸に詰め寄る。
「人が、現代の営みをしているんです。しかも色々な人種の方々が!
やはり大都会ともなれば、国籍人種はおろか、モンスターの方々とも当たり前に交流するものなのでしょうか!?」
「そんなわけあるかい!」
藤丸立香、本日2度目の渾身のツッコミがさく裂した。
*
『さて、少し落ち着いたかなマシュ?』
「…はい、ご迷惑をおかけしました」
二人が興奮冷めやらぬマシュを説得して公園まで移動して、ベンチに座ってすこしたったころである。
完全におのぼりさんと化していたマシュは、しばらくの間そわそわと落ち着かなそうにしていたが、すこし時間をおくと冷静に戻ったようだ。今は少し恥ずかしそうに頬を染めている。
『これは、あらかじめ予想できなかった僕らにも落ち度があるだろう。の特異点でも、同じように興奮を見せたわけだからね』
ロマンの言葉に、マシュはますます申し訳なさそうに肩をすぼめる。
「大丈夫だよマシュ。なにはともあれ、ここの現地調査をしてみないことには始まらないんだ。
それなら街を見学してみる機会はあるんじゃないかな?」
「そうだな。俺もこのような街に訪れたのは初めてだから、興味深いのは確かだ」
二人のフォローに、マシュもはっとしたように顔を上げる。
「は、はい。ではその時まで、見学は我慢します!」
その様子を見ていたロマンは、やれやれと一心地ついて安心したような表情を見せた。
『うん、それじゃあマシュも落ち着いたところで、状況の確認をしようか。見ての通り、君たちの目の前には、我々の知るそれとは異なるニューヨークが広がっている。
人とともに渾然一体となって営みを交わすモンスターたち。彼らは一見、僕らが今まで戦ってきた幻獣やエネミーの亜種のようにも思える。…レオナルド、解析は済んでるかい?』
ロマンの問いかけに、ダ・ヴィンチがやや興奮した声音で応える。
『勿論だ、天才を見くびらないでくれよ。とはいえ、驚かされたのも事実だけどね。
さて、私もこんなものを見たのは初めてだから、とりあえず結論から言おう。この街に住むそれらは、我々の知る世界の生物ではない。魔獣や幻獣でもなければ、どこかの魔術師が拵えたキメラのような存在でもない。
端的に言ってね、それは我々とは別の世界の生物なのだよ』
「…はい?」
現地の3人は、二の句が継げに黙り込む。それではほとんど何もわかっていないのと変わらないではないか。
『…そうか、そういうことか』
理解を示したのは、向こう側にいるロマンだけであった。
『仮説の一つとして考えてはいたんだ。今までカルデアスはすべて赤く染まっていたのに、突然ここだけ青色を示したその意味を。
僕たちは魔神柱の魔力をたどってここへとたどり着いた。だが、魔神柱の魔力を感知したからと言って、そこが僕たちが焼却された世界とは限らない』
ロマンの解説に、ダ・ヴィンチが続く。
藤丸は、彼らの言葉を聞いてるうちに、ぞわりと背筋が寒くなるような感覚を覚えた。
『つまり、そこは我々のいる世界とは別の平行世界のニューヨークかもしれないというわけだ。そこに何がまかり間違ったのか、とにかく魔神柱が召喚されたため、我々はその魔力をよすがにしてたどり着いてしまった』
「ま、まってください!平行世界とはつまり、魔術の世界でいうところの、編纂事象のことでしょうか?
数あるうちの、そんぞくする可能性の世界に誤って飛び込んでしまったと?」
マシュの疑問に、ダ・ヴィンチはにやりと笑みを深める。どうやら研究者として、今のこの状況が面白くて仕方ないらしい。
『さて、それはどうだろうね。編纂事象とはそれぞれの世界がある程度近しいところに存在しているものだ。だから私たちの知る世界と、いくらか類似した世界のはずなんだ。
ところがここに生きる者たちは、普通の人間もいるにはいるが、明らかに私たちの知るそれとは逸脱したものも多い。
私はね、おそらくここは編纂事象や剪定事象といった垣根すら大きく飛び越えた別世界だと思うよ。それこそまさに、平行世界としか形容できないようなね』
ダ・ヴィンチの言葉を聞いて、今度はジークが手を挙げる。
「その、編纂事象や剪定事象とは一体なんだ?」
『魔術世界における、平行世界の分類わけみたいなものさ。
可能性の数だけある平行世界。だが世界にはそのすべてのifを許容できるだけのキャパシティーが存在しない。そのため可能性は、未来の存続ができるものとできないものに分類別けされる。
先があると判断され許容された世界が編纂事象。先がない、あるいはもう進展がないと切り捨てられた世界が剪定事象。
魔術世界では大雑把にそうやって呼ばれているのさ』
滔々と、ゆるぎない口調でダ・ヴィンチは語る。
その言葉にふむふむと頷いていた藤丸が、今度は自分の番とばかりに手を挙げる。
「じゃあ、さっき言った剪定事象でも編纂事象でもないってどういう事?」
『文字通りの意味さ。まずここは剪定事象のうちには存在しない。明らかに私たちの知る世界とは大きくかけ離れすぎているからね。
一方で、剪定事象でもないのも間違いない。そもそも剪定事象である時点で、存在自体がないはずなんだ。
魔力が感知できたからと言って、簡単に飛んでこれるはずがない』
ここでダ・ヴィンチは言葉を切る。生徒たちが自分の言葉の意味を理解しているかをよく確認してから、話を続けた。
『つまり、残された結論はひとつだ。
ここは選定事象でもなければ、編纂事象でもない。われわれとはまるで違う法則によって運営されている世界だ。
おそらく、ここでなにが起こったとしても、我々の世界には何一つとして影響を及ぼさないだろう』
「私たちとは違う世界…でしたら、なぜカルデアスは魔神柱の魔力反応を検知したのでしょうか?」
マシュの質問は酷くまっとうな物だといえるだろう。本来であれば関わることのない世界に、自分たちのルールが適用されている。
その疑問に答えたのはロマンだった。
『そう、それこそ今回の騒動のすべての元凶だ。おそらく、何かのトラブルによって、そちらの魔術式によって、こちらの魔神柱が呼び出されてしまったのだろう。
…まったく、ソロモン王の使い魔が聞いて呆れるよ。
ようは自分たちの意図しないものに引っ張り出されてきたのだからね』
なぜか呆れたような口調のロマンの解説を最後に、会話がプツリと途切れた。
『…さて、これでおおよその解説は済んだかな?それではこれからの事について話すとしよう。具体的にこれからどうするかだ。
はっきり言って、この世界が我々の知る世界と切り離されていることがはっきりした時点で、君たちがそこにいる意味はなくなってしまった。
そこで何が起こったとしても、私たちの世界には一切影響を及ぼさない。それなら、今すぐ君たちが戻ってきたとしても問題ないんだぜ』
ダ・ヴィンチの容赦のない言葉。それは宥めすかすようでもいて、同時に挑発するようでもあった。語りかける相手はマスターである藤丸ただ一人だ。
『カルデアの責任者である僕としては、マスターの君が人理修復と関係のないところで命の危険を背負い込むのは許容できない。すぐに帰還命令を出すべきだろう』
ロマンは心配そうな声音で、でもどこか諦めるような口調で提案する。」
「…マシュとジークはどうしたい?」
藤丸は考え込む表情のまま、二人に尋ねる。
「私はマスターの意向に従います。戦うというなら戦いましょう」
「…俺も同様だ。マスターの心のままに使ってくれて構わない」
そうつまりは、すべては現地にいるマスターの意向次第ということだ。
合理的に考えて、どちらを選ぶべきかは言うまでもない。カルデアの者たちには、すでによそ見をする余裕など残されていないのだ。
「…それでも」
そう、それでも。
藤丸立香は、振り絞るようにして声を出す。
「それでも僕は、これを見逃せない。魔神柱は僕たちの世界の災厄だ。
そのドタバタに、この世界を巻き込むわけにはいかない。手伝ってほしい二人とも」
藤丸の出した答えに、二人は快活にうなずいた。
「はい、マスター。どこまでもお供します」
「ああ、貴方の力になろう」
モニター越しのロマンとダ・ヴィンチも、呆れたように、しかしどこか嬉しそうに肩をすくめたのだった。
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3話
「なあ、そこのあんちゃんたち」
藤丸が決意を決めた直後のことだ。公園のベンチに集まる彼らに、声をかける者がいた。
普通の人間のそれとは明らかに違う声域から出ている声音。
肌の色が灰色で頭がクワガタムシのアギトのように反り返った、長身3メートルほどの大男が、だらだらとした歩みでこちらに近づいてきていた。
「あんちゃんたち、ここら辺じゃあまり見ない顔だな。よそもんか?」
「…」
突然の現地人との接触に藤丸達が思わず身構えると、こちらまで歩み寄ってきたその男(?)はわずかに狼狽したような様子を見せた。
「おいおい、なんだあんたら、俺たちと接するのは初めてか?そう身構えるなよ、別にとって食うわけじゃねえよ」
そういう男の口調は、少なくとも敵対する意思はないように思えた。
少しだけ警戒を解いて、藤丸は彼との会話を試みることにする。
「ええ、そうなんです。実は海の向こうからわたってきまして」
「へえ、向こう側からかい。それなら正真正銘のおのぼりさんじゃないか。
ようこそヘルサレムズ・ロッドへ」
聞きなれない言葉に、カルデアの面々は反応する。
「ヘルサレムズ・ロッド…?」
ジークが思わず漏らした言葉に、男は訝しんだ。
「おいおい兄ちゃん、まさかそんなことも知らないのかよ?今のこの街の名前さ。
確か、以前は…ああ、そうそうニューヨークと呼ばれたこの街は、一度ひっくり返ったのさ」
「ひっくり返った?」
「ああ、今までのこの世界と裏側の俺たちの世界がひっくり返って、まざっちまった」
『横から失礼するよ、ミスター。ひっくり返ったというと、まさかテクスチャが裏返ったのか…?』
ロマンのモニター越しの言葉に、男は首をかしげる。
「テクスチャ…?いんや、俺も別に専門家じゃねえから詳しいことは解らないよ」
すると男は、今度は藤丸の手首についているデバイスに興味を示したようだ。
「それにしても、兄ちゃん。随分よさそうな物身に着けてるじゃねえか。
それ、こっちじゃなくてそっち側の技術だろ?かなり高い科学力がそちらには出回ってるんだな」
男はまじまじと見つめる。
それもそうだろう。藤丸の身に着けているデバイスは、科学と魔術を掛け合わせて作った道具だ。この世界の科学技術が、こちら側の世界の科学技術と同等だとした場合、明らかに逸脱したもののように感じるだろう。
しまったとカルデアの面々は思う。明らかにいらぬ興味を引いてしまったらしい。
男はまじまじと藤丸のデバイスを見つめ、言葉を重ねようとする。
「あんたさあ…」
その時だった、そん男とカルデアたちの会話に、新たに加わるものがいた。
「おーい、そこにいたのか!」
今度は人間とはっきりわかる、少年の声だ。
みんながそちらに目を向けると、いかにも若者という風なツリ目でぼさぼさの髪型の少年が手を振ってこちらに駆け寄ってくるところだった。
その姿を確認した男が、鬱陶しそうに舌打ちをする。
「なんだよレオ、お前の連れかよ!」
レオと呼ばれた少年は、こちらまで駆け寄ってくると、走って乱れた息を、その場で整える。
「そうだ…はぁ…知り合いだ!…だから手を出すなよ」
少年は自分の倍近くは体躯のある男に、臆せずににらみかかる。だがそんな少年の様子に、男は露骨にイラついたような顔で少年の首元をつかみあげた。
「おいおい、レオちゃんよ。おまえなんか勘違いしてねえか?
お前が何か指示できる立場だと思ってるのか?」
「…ん、ぐうっ」
少年は苦しそうに手をばたつかせるが、男はまるで堪えた様子がない。
「おまえがいきがったところで、お前が勝てるわけねえだろうが!ああっ!?」
男が少年に顔を近づけてすごむ。すると、少年はその勢いに任せて、男に思いっきり頭突きを食らわせた。
完全に不意打ちを食らった男は思わず少年を手放してしまう。
少年は地面に不恰好に落ちると、慌てて立ち上がった。
「そこのあんた達!今のうちに走るぞ!」
「え?」
突然の流れにカルデアの面々は置いてきぼりになり、その場で二の足を踏んでしまう。
「いいから早く!」
「てめえ、レオ!待ちやがれ!」
男の激高に、藤丸達もさすがに慌てて走りだした。
*
少年の走りにつられるまま、藤丸達は男から逃げ回る。
ビルの間に入り込み路地裏の裏まで走り回ると、気付けば大きな交差点に出ていた。
「はあ…はあ…」
しばらく全力疾走をしたので、藤丸と少年はしばらくその場で荒げた息を整える。やがて少し落ち着いた少年は口元をぬぐうと、藤丸に話しかけた。
「はあ…あんた達、よそから来た人だよね」
「はい…どうも、助けてもらったみたいですね」
藤丸の言葉に、少年は呆れたように肩をすくめた。
「この街じゃ、ちょっと無防備すぎるよ。あんた達、ここがどういう街か知ってるだろう?
カツアゲ感覚で臓器を売りとばされるような街で、そんなもの見せつけてたらそりゃかもられるよ」
『カツアゲ感覚で臓器売買って…またとんでもない街があったものだな。スラム街かなにかかい?』
デバイスから、困惑した調子のロマニの声が聞こえる。その声に少年は驚いたようだった。
「…本当にこの街のことを知らないんすね。この街はスラム街なんかとは比べ物にならない、しっちゃかめっちゃかのなんでもありの街ですよ」
少年の物言いに、カルデアの面々は軽く顔を合わせる。
どうやら明らかに自分たちは情報が少ないようだ。目の前の少年はそれを手にするにはちょうどいい存在であるように思える。
『少年、申し訳ないのだが、僕たちはこの街の事はほとんど何も知らないんだ。よかったら話を聞かせてもらえないだろうか?』
代表して、ロマンがデモニター越しに少年に交渉をする。
少年は少しの間厄介そうな顔をしていたが、すぐに取り直してふいと顔を横に向けた。
「はあ、いいですけど。それでしたら、そこのカフェで話しませんか?立ち話もなんですし、ちょうどそこは僕の行きつけなので」
そういって、顔を向けた先にある店を指差した。そこにはダイニーズカフェと書かれた看板の飾ってある喫茶店が建っていた。
「こ、これは…アメリカンな喫茶店というものでしょうか!?」
それに誰よりも良い反応を示したのはマシュであった。
「ステイ、ステイだマシュ」
藤丸はどうどうとマシュを宥め、少年の言葉に同意した。
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4話
4人は喫茶店に入ると、窓際のテーブル席に腰掛け、少年に任せて適当に注文をしてもらった。
ちなみに、カルデアの面々はニューヨークに来るにあたって、多少のドル札を持ち込んでいる。少なくとも軽食程度で人に金銭を頼ることはない。
だが藤丸は、ここで軽い疑問を覚えた。そもそもここでドル札が通貨として通じるのかどうかだ。
これだけ自分たちの知っている世界とは様変わりしているのだ。貨幣そのものが変わっている可能性も十分にある。
しかし、それを目の前の少年に率直に尋ねるわけにもいかない。ただでさえ、素性の知らない余所者と認識されているのに、これ以上頓珍漢な事を尋ねてしまえば、いよいよ危険視される可能性さえあるだろう。
どうしたものかと考えていると、向かいの席に座ったジークが、自分の隣に座っている少年に声をかけた。
「すまない、一つ尋ねても良いだろうか?実は俺たちはドル札しか持ってきていないのだが、ここはドル札が通じるのだろうか?」
率直にして単刀直入。あまりにも豪速球な質問であった。
おそらく、相手に疑問を覚えられる事など露ほども考えていないようだ。
「あ」
驚きのあまり、藤丸から声にならない声が漏れてしまうが、当の尋ねられた少年は特に疑問を覚えることもなく、当然のように応えた。
「ここはヒューマンも使う事が多い喫茶店だからね。普通にこっちのお金持ち使えるよ」
「そうか、ありがとう」
普通に会話を交わす両者。一瞬肝が冷えた藤丸であったが、結果的にオーケーとして気にしない事にした。
すると、そのタイミングでカウンターにいた女性の従業員が快活な声と共にメニューを運んできた。
「あいよ、コーラ4つにポテトフライ。なんだい、レオ。今日はいつものバカ3人組じゃないんだね」
「バカって酷いなあ。まあ、今日はちょっと別口でして」
「ふーん、まあ新しいお客さんが増えるなら結構だよ。ゆっくりしていきな。そこのお嬢さんもね」
「は、はい」
女性は、最後に少し緊張気味のマシュに軽くはにかむと、またカウンターに戻っていった。
「仲が良いんですね」
「うん、まあよく来てるからね」
少年もやや照れ臭そうに頬を掻く。
その仕草に、話を切り出すならこのタイミングでだろうと判断した藤丸は、先ずは自己紹介から始める事にした。
「えと、俺は藤丸立香って言います。日本人です」
「俺はジークだよろしく頼む」
「私はマシュ・キリエライトと言います。よろしくお願いします」
三者三様、それぞれに挨拶をする。
「よろしくです。あ、僕はレオナルド、レオナルド・ウォッチって言います」
『よろしく、レオナルド君。僕はこのメンバーの保護者…という事で良いのかな。
役割を担ってるロマ二アーキマンと言うものだ。
そうだね、まずはお礼を言わせて欲しい。さっきは助けて貰ってありがとう』
「いえ、あれくらいはいつもの事なので大したことではないっすけど、あの貴方達はどこから来たんですか?」
レオの当然の疑問に、ロマンは用意していたとでも言うように淀みなく応える。
『ああ、実は僕らは東アジアの方から来たんだ。ほら、彼は日本人だろ?
普段はちょっと世情から疎い生活をしていてね、先日ニューヨークが大変な事になったと聞いて、ちょっと様子を見に来たのさ』
ロマンの応えに、レオは少し訝しげな様子で返事をする。
「はあ…世情に疎い生活。それにしても、興味を持ったくらいの気持ちで良くここまで来れましたね。
あの橋を渡って来るのは、結構お金がかかったと思うんすけど」
『ま、まあね。幸いお金にはそれ程困らない生活をしているものでね。
それで、大枚叩いてやって来たはいいものの、殆ど情報を仕入れないで来たものだから、右も左もわからずにいた所に君に助けられたと言うわけさ』
ロマンの言はかなり厳しいものがある。結局、説明しているようでいて、殆ど何も話していないに等しいのだ。言外にこれ以上は尋ねるなという主張でもあったが、これからここの事について解説してもらおうというのに自分達の詮索はするなというのは、あまりにも都合が良い話でもある。
レオは少し考えるそぶりを見せたが、何故か隣に座るジークと向かいの正面にいるマシュにちらと視線をやると、すぐにデバイスのロマンの方に顔を戻して「いいですよ」と応えた。
「じゃあ、取り敢えずざっくりここで起きた事に説明するんで、何か疑問があったら言って欲しいっす。
できる限りは解説するので」
*
その後、レオは訥々とこの街について語った。
それは、カルデアの面々にとってはとても信じられない内容ではあったが、レオの顔に偽りを語っている様子は無かった。
所々、ロマンはかなり専門的な内容まで踏み込んで質問したが、その大半は彼には応えられなかった。
レオもまた、この世界の仕組みに通ずる専門家というわけではないようだ。
「…というわけっす」
『なるほど、ありがとう。大分わかって来たよ』
一通りの説明が終わり、レオは話しすぎて乾いた喉を潤すために、コーラに口をつける。
ストローが無くなりかけたコーラに不満を表すように、ズズズッと音を立てる。
少しの間沈黙が広がる。ロマンは今手に入れた情報を整理しているのだろうが、藤丸にはレオも何やら考え込んでいるように見えた。
やがて、沈黙を先に破ったのは勇気を出して声を出したレオの方だった。
「あの、いいですか?率直に訊きたいんですけど、貴方達は何処から来たんですか?」
明らかに不審の視線であった。ロマンは誤魔化すように軽い笑みを浮かべる。
『な、何を言ってるんだい?さっき言ったみたいに…』
「いくら情報の入らない環境からきたって言っても、流石にあまりにも知らなすぎるんすよ。
世界中がひっくり返るくらいの大事件なのに、殆ど知らないなんて流石にあり得なくないですか?
それに…」
ここで、レオは少し躊躇うように唇を舐めた。そして、再びジークとマシュにちらりと視線を向ける。
「あー…フジマルを抜いたそこのジークとマシュちゃんは、なんというか、変な言い方なんですけど、人間じゃ無いですよね?」
「んなっ!?」
『!?』
それぞれ、思いがけない言葉に驚きを示す。そしてその態度こそがそのまま、レオの質問に対する答えだった。
「僕、なんというか人よりちょっと目が良いので、オーラみたいなのが見えるんすよ。一応、人によってちょっとずつ違ったりするんすけど、そこの2人は明らかに色合いが違うんす」
『驚いた、わかるのかい君は』
「はい。人間ではない、程度ですけど」
なんてこった、という声が息を吐くようにロマンから漏れる。
最初から方針として、カルデアの存在はなるべく秘密にする方向で動いていた。
それは魔術やサーヴァント、レイシフトといった存在がこの世界で認知されない様にするためだ。
異世界から、魔術師と英霊がやってきた、風聞されてしまえば、カルデアのメンバーは一気に動きづらくなってしまう。いや、それですめばいいが、もし悪用しようと企む輩に目をつけられてしまった場合、負わなくてもいいリスクを負う事になってしまう。
未知の世界で底知れぬ勢力を相手にするなど、それはおおよそ最悪の展開と言えるだろう。だというのに、今目の前の唯一の情報源だった少年から、決定的な根拠とともに疑念を持たれてしまった。
決断の時間である。彼に対する身の振り方を決めなければいけないこのタイミングで、真っ先に声をあげたのはマシュであった。
「あの、ミスターレオナルドに私たちの事を全て明かすことは出来ないでしょうか?」
『ま、マシュ?!』
そのような事を言われるとは思っていなかったのだろう。ロマンは少し慌てた声を出す。
「ここまでの会話の中で、ミスターは信用に値する善性を持ち合わせていると思います。彼に私たちの素性を話したところで、彼は軽々しく風聞したりすることは無いと思うのです。
それに、私たちは既に充分な情報提供を受けています。だというのに…」
「なのに、こちらの情報を出さないのは卑怯だって?」
藤丸がマシュの言葉を引き継ぐと、マシュはすまなそうな顔でコクリと頷いた。
藤丸は、レオが話をしている間、マシュのが暗い顔をしていた事に気付いていたのだ。
「うん、そうだ。確かにマシュの言う通りだ」
藤丸は噛みしめるようにして頷いたあと、言葉を続ける。
「ドクター、俺もマシュに一票だ。レオさんに何もかも打ち明けるべきだと思う」
藤丸がそう言うと、ジークも嬉しそうに淡い笑みを浮かべて、彼に同意する。
「そうか、マスターがそう言うなら俺も気兼ねなく賛成できる。マスターの意向に沿うと決めていたから口にしなかったが、俺も話すべきだと思うんだ」
3人の言葉に、ロマンは一つ諦めたような様子で溜息をついた。
『…3対1って訳だね。レオナルド、君は…そう、これで4対1だ。
笑うなよ、これでも僕は彼らの心配をしてるんだよ?
まあ、いいさ。上手くいけば現地の協力を得られる訳だしね。
…あー、ミスターレオナルド?』
それまで話の流れについていけず、ぽかんと眺めていたレオが、ビクッと背を震わせてホログラムに目を向ける。
「はい」
『僕らの素性について語らせて欲しいんだけど良いかな?』
ロマンのキリリと覚悟の決まった引き締まった表情を見て、レオはようやく、どうやらまたとんでも無い事に首を突っ込んでしまったらしいと理解した。
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5話
『…というわけなんだ』
ロマンが一通りカルデアについて、そして魔神柱と並行世界について語り終える頃には、レオは頭痛を訴える様に額を手で抑えていた。
「あー、なんだ。大丈夫ですか?」
「…いや、久々にキツイのが来たなーと思って」
レオの煩悶とした素振りも無理はないだろう。田舎から来たお上りさんかと思った集団が、実は並行世界から来た魔術師で、ここにいるであろう怪物を倒しに来た、などと、今時映画の題材としてもお粗末だ。
しかし、映画の中よりも奇々怪界としているのが、このヘルサレムズ・ロットである。
レオは少しの間情報を頭の中で整理すると、ロマンに質問をする。
「要は貴方達はここにいるであろう、その魔神柱とかを倒しに来たんすよね?」
『うん、この街から魔神柱の魔力を感知した。実際に姿は見えないが何処かで潜伏しているのだろう』
「…わかりました。それなら、ここで一番荒事に詳しい所に行きましょう」
レオはそう言うと、コップの底に僅かに残った氷水とコーラを飲み干し、立ち上がる。
「知っているんですか?そういう所を?」
「ええ。というか、僕もその機関の一員すから。
案内しますよ、ライブラへ」
*
「…というわけで、ここへ投げて来たわけか」
「…っす」
カルデアの面々が連れてこられたのは、高層ビルの一室であった。
明らかに寂れた安アパートのドアを開けると、そこはそぐわぬ豪奢なエレベーターで、そのまま乗せられていると、何故かこの一室へと到着したのだ。
ダ・ヴィンチは『置換魔術の一種か…?』などとボソボソと呟いていたが、そもそも世界のルール自体が違うこの世界でそう言った事を考えても仕方ないだろうと、早々に思考を放棄した。
そうしてたどり着いたオフィスで出迎えてくれたのは、頰に傷のある、眼に隈をつけた男であった。
男はとりあえずカルデアの面々をソファに座らせ、マグカップに入ったコーヒーを飲みながら来訪者とレオの説明を聞いていたが、聞いているうちに顔色を悪くし、最後には露骨に不機嫌そうな顔でレオを睨みつけたのだった。
「少年、なんでお前はこんな厄介ごとばっかり引っ張って来るんだ」
「そんなこと言われても俺も知らないっすよ」
半泣きで答えるレオ。
それは半ば男の八つ当たりであったが、本人にしてみれば愚痴の一つも零さなければやっていられない気分だった。何せ、この時点で2轍を決めて、愉快犯テロリストの本拠地を突き止めた所なのだ。
お疲れのコーヒーを一杯飲んだ後に、三時間ほど仮眠を取ろうとした所に、明らかに厄介な案件が舞い込んで来たのだ。その気持ちも致し方ないだろう。
半ば諦めた様な調子で、男は表情を仕事用のそれに切り替えると、爽やかな笑顔(目の隈は消せないが)で来訪者達に挨拶をした。
「カルデアという機関ですね。ようこそいらっしゃいました。
私はライブラの構成員スティーブン・A・スターフェイズと言うものです」
『ありがとうございます。僕達は研究機関カルデア。
僕はこちらで所長代理を務めているロマ二・アーキマンです。画面越しでは握手も出来ませんが』
スティーブンの爽やかな笑みに対して、ロマンはいつもの柔和な笑みで返す。
「いえ、お気になさらず。しかし画面越しというのは、そちらが言うところの並行世界から通信をしていると言う事で良いのですか?」
『ええ、魔術と科学技術を併用して、藤丸君を基点にして観測を行っているんです』
「魔術…ですか。私達の世界にもそういった類の物は多く存在しますが、あなたがたのそれらは私達の知るそれとは大きく違うのでしょうね」
『恐らくは。ところで、こちらからも質問をしてよろしいでしょうか?
レオ君の話によると、この施設は世界の均衡を保つ事を旨とした機関と聞きましたが…』
「ええ、間違いないですよ。なにぶん、世界を揺るがす天変地異が起こったこの紐育です。今までの法則がまるで通じなくなったこの街では、革新的な技術が次々に生まれ出そうとしています。その中で世界の覇権を得ようとする輩は少なくないのですよ。なので…」
大人達の会話は、厳粛に、しかし決して険悪な雰囲気ではなく、お互いに笑みを浮かべたまま続けられた。
最初、レオに対して厳しい視線をやっていたスティーブンを見たため、怖い人なのではないかと思っていた藤丸だったが、ここに来て、強面だが実は温和な人なのではないかと、スティーブンに対する評価を改め始めていた。
その時である。
藤丸達が入ってきた扉が無遠慮に大きく開かれ、褐色肌で銀髪長身の男性が入ってきた。
「てめえ陰毛頭!一緒に飯食おうつったのに何すっぽかしてやがんだ!!
今度ダイニーズの大ミートスパ奢らせるからなこの野郎!!」
続いて、こちらは明らかに人間では無いとわかる、青色の滑らかな肌に、魚類とも昆虫ともつかない顔つきの男が入ってくる。
「待ってください。先程、レオ君に事情を尋ねてみようと言ったばかりでしょう。
なんで貴方は三歩歩いたら先の会話を忘れるんですか」
先程までの、静かに淡々と物事が進んでた雰囲気が一瞬で搔き消え、渾然とした騒がしさに間が支配される。
銀髪の男は、ソファに座っているレオにツカツカと歩み寄ると、頭をホールドしてグリグリと拳でこめかみを抉る。
「いだっいだだだだた!ごめんなさいって。だってしょうがないじゃないですかあ!!なんか色々巻き込まれて、ここまでカルデアの人達を連れてくるのに忙しかったんすからあ!!」
「あ?カルデア?」
男は、その時レオの言葉にようやく周りを見渡す冷静さを手に入れたようだ。
レオと同じ列にソファに座るカルデアの面々をぶしつけに見回した後対面に座る、
こめかみをひくつかせた、
スティーブンを、
視界に入れた。
「はははは。ザップ君、僕達は今大切な話をしているんだ。乱痴気騒ぎなら、外でやりたまえ」
絶対零度の、笑みだった。
「うす…」
それまで大きな声で騒いでいた銀髪のザップと呼ばれた男は、その一言であっという間に意気消沈し、逃げ去るように扉から出て行った。
藤丸の、スティーブンに対する温和な人物だと言う評価は、一瞬で覆されたのだった。
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足早に部屋から出て行った白銀の男を見送った後、スティーブンは何事もなかったかのように先ほど窓の柔和な笑みを表情に張り付けて、再びロマンと会話を行おうとした。
「うちの者が失礼しました。それで、ミスターロマニ」
『ひゃっ、はい!!』
一方のロマンは先ほどの絶対零度に当てられたのか、明らかに委縮していた。
「ドクター…」
マシュが残念そうな声を上げると、ロマンは慌てて弁明する。
『ち、ちがうぞう!別にスティーブン氏の笑顔が震え上がるほどに怖かったとかそんなんじゃないぞう!』
『はいはい、チキンロマンはちょっと代わろうねえ』
『だから違うってレオナルド、僕は別に…うわ、何するんだ』
画面の向こう側でドタバタと音がしたと思えば、画面外に消えていったロマンの代わりに、今度はダ・ヴィンチが映り込んだ。
『はーい、ミスタースティーブン。ロマンに代わって今度は私が解説させてもらうぜ。
いやあ、声から想像がつくとおりのナイスミドルだね』
いつも通りに軽い笑みを浮かべているダ・ヴィンチに、スティーブンも思わず目を丸くして言葉を失っている。
「あー…失礼、レディは」
『ああ、自己紹介が遅れたね。私はここで技術顧問を務めている、万能の天才ダ・ヴィンチちゃんさ。お見知りおきを』
「は、ダ・ヴィンチ…?」
スティーブンが何を言っているんだこいつは、という風に呆然とした顔で目線を上げると、目の前のカルデアの面々が神妙な顔でうなずいていた。
「は、はあ…よろしくお願いします、ダ・ヴィンチ女史」
『お、理解を諦めたね?そういう対応も懐かしい、なにせここの奴らはどいつも純粋だからね。利害さえ合えば互いの素性がわからなくても問題ないと言える程に、大人じゃないのさ…いや、それは今はいいだろう。
さて、それではスティーブン氏。我々大人組はそろそろ建設的な話の一つでもしようじゃないか。具体的にはこれからどうするかだ』
その言葉に、スティーブンも表情を引き締める。
「ええそうですね、我々に最も必要な相互理解はそこでしょう。魔神柱、と言いましたか?」
『ああ、ソロモンが創りし72柱の使い魔。その一柱がおそらくここに潜伏しているのさ。あれはいるだけで世界に恐慌を及ぼすものだ、こちらも早急に排除したい』
「あの、ちょっといいっすか?」
その時手を挙げたのは、それまで所在無さげにしていたレオだった。
「その、魔神柱はあなたたちの世界にいたもので、今はこちらに存在しているっていうのは聞いたんですけど。でも、だからって貴方たちがここで面倒を見る必要はなくないですか?
ぶっちゃけ、僕らの世界がその魔神柱に荒らされようと、そちらには関係ないですよね?」
レオは解らないという顔をする。貴方たちには世界を救うという使命があるのだろう、ならばこんなところで道草を食っている暇はないのではないか、と。
その言葉に、ダ・ヴィンチは応えることなくニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて視線を藤丸に振る。
『だ、そうだぜ。藤丸君』
ダ・ヴィンチの言葉に合わせて、視線が藤丸へと集まる。
急に視線が寄せられたことで藤丸は小さな緊張を覚えた。いつも一緒に活動しているカルデアの面々はともかくとして、ライブラの二人はここで藤丸に話が降られる理由がわからないようだ。いぶかしげな顔をしている。
藤丸はごくりと一つ息を呑む。
「どうしても何もありません、あれは僕たちの世界の産物です。なら、僕たちが責任を取らないと」
「それを、なぜ君が決めるんだい?指令を出す大人達ではなく、年端もいかない一人の少年が」
スティーブンの問い。
藤丸はこの時、確かに理解した。
自分たちは計られているのだ。カルデアという組織の有り様を、藤丸という一人の少年の意思を。
これに応えるのは自分だけだと藤丸は覚悟を決めた。今自分が言う一言が、そのまま彼らとの今後の協力体制に直結するのだ。
マスターだからなんて形だけの答えじゃない、確かな意思。
それを藤丸は考える。自分にとっての戦う理由、自分が自分の意思で戦う理由。それはーー
「それは、僕が明日を生きるためです。僕が自分らしく生きる為に、自分に恥じない決断をしたい。どんなに怖くても、危なくても、一人の人間であるために」
「そうか、ならばそれが少年の答えだろう」
藤丸の言葉に応えたのは、スティーブンでも、レオでも無かった。
扉が開き、二人の人影が入ってくる。一人は影の様に実感のない男だった。長身で白髪、顔中包帯巻きという様相であるにも関わらず、そこにいるのが一瞬でわからなくなる暗殺者の様な気配遮断を持つ男だ。
だが、藤丸の言葉に応えたもう一人の男は、その真逆といっても良かった。
筋骨隆々の長身に、整えられた赤毛の頭髪と髭。堂々とした歩みは、自身への自負を姿勢で表していた。
そして何より、その爛々と光輝く目こそが、カルデアのメンバーを引き付けていた。確固たる意思を持った先達のサーヴァント達と比べても見劣りしない程の、英雄たる資質、騎士たる矜持がそのまなこには宿っていた。
「歓迎しよう、カルデアの方々。私はライブラのクラウス・V・ラインヘルツだ」
*
「クラウス」
入ってきたクラウスと名乗る男に、スティーブンは声を掛ける。
「スティーブン、今戻った。例のテロリストは無事に制圧完了した」
「そうか、それは何よりだ」
どうやら、クラウスは何かしらの任務を完了した後らしい。
二人にしかわからないやり取りをしていると、クラウスの傍に控えていた骸骨の様な老人が微笑んだ。
「ほほほ。では、お二人が先の任務について話している間に、私はお茶を淹れてきましょう。ご客人は苦手なものなどはございますか?」
遠回しな『ご客人を放っておいてよろしいのですか?』というメッセージである。
老人がキッチンに消えていくと、クラウスがバツが悪そうに咳を一つする。
「いや、申し訳ないカルデアの方々。改めて自己紹介をさせて欲しい。
私はクラウス、このライブラを取りまとめている者だ」
それぞれソファに腰掛けて、今日何度目になるかわからない挨拶を交わす。
『失礼ミスタークラウス。先ほどから私たちの事をカルデアの者と認識しているようだが、貴方はその情報を何処で手に入れたんだい?』
ダ・ヴィンチの訝しげな笑みに、クラウスもふっと顔を緩める。
「スティーブンは見ての通り狡猾な男だ。あなた方も気をつけた方がいい、さりげなくメールで私に貴方達の情報を送信していたのだよ」
少なくとも藤丸とマシュ、ジークは、スティーブンが携帯に触っていたそぶりなど見ていない。
驚いて三人がスティーブンの方を見ると、当のスティーブンはまるで気にした風もなく、表情の読めない笑顔を浮かべるだけである。
『なるほど、随分意地の悪い男だね。今後は気をつけるとしよう。
それでミスタークラウス、どうやら藤丸君は君のお眼鏡にかなったのかな?』
ダ・ヴィンチの問いかけに、クラウスは頷く。
「ああ、今の少年の言葉はたしかに真に迫るものだ。我々も貴方方に全面的に協力させてもらおう」
「あ、ありがとうございます!」
ホットした様な顔で慌てて頭を下げる藤丸とマシュに、クラウスはその必要は無いと手で示す。
「もともと、我々の目的はこの街の均衡と世界の秩序を保つ事だ。なら協力をするのは当たり前だ。こちらこそよろしくお願いします」
お互いの信頼と協力体制が得られた事で、場の空気が少しだけ緩まる。その対面で、先ほどキッチンに消えて行った老人が、ティーセット華やかな紅茶の香りを運んできた。
そのまま、面々へと紅茶を注いでいく。ふわりと、紅茶の柔らかな香りが場に充満していく。
「あ、ありがとうございます」
藤丸がお礼を言ってそっとカップに口付けると、ほお、と大きく息を吐く。
自分が見知らぬ環境にいることさえ忘れてしまいそうになるほどに、甘く優しい味わいであった。
隣を見ると、マシュも感激した様に目を輝かせ、ジークも驚いた様に紅茶をしげしげと見ている。
「凄く、美味しいです。おれ、こんなに美味しい紅茶は初めて飲みました」
「それはそれは。喜んでいただいて何よりです」
老人は、一度だけ嬉しそうに破顔すると、そのまま何事も無かったかのようにクラウスの後ろに立った。
おそらく彼はクラウスの執事なのだろう。先ほどまで紅茶を注いでいたのが嘘みたいに、その存在感を今は薄めている。
うっかりするとそこにいることさえ忘れてしまいそうだ。
『良い執事を持っているんだね。察するにミスタークラウスは貴族の出かな?』
「そのような所です。彼は私の誇りの執事だ」
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7話
『それじゃ、一息淹れたところで、本題といこうか』
全員が紅茶を楽しみ、一息ついたところでダ・ヴィンチは本題を切り出した。
『つまるところ、我々の最終目的は魔神柱を見つけ、これを倒す事だ。その為にはまず魔力源を探すところから始めないといけない』
「そちらから位置を割り出すことは出来ないのですか?
魔力が検知できるなら大体の位置情報は出る筈では?」
ダ・ヴィンチの言葉に、マシュが疑問を投げかける。
『うん、本来ならそうなんだけどね。ところがこの街と来たら、あまりにも情報量が多すぎるんだ。
濃密な魔力濃度に加えて龍脈らしきポイントがあちこちで点在している。
とてもじゃないけど、遠くから探知ができる状態じゃない』
「つまり、現地に赴いて調査をする必要があると」
クラウスが言葉を引き継ぐと、ダ・ヴィンチはその通りと指を鳴らす。
「ならばこちらで細かな地図を用意しよう。
それに、こちらでもパターンさえ教えていただければ、探知を手伝えるかもしれない」
『おっとそれは心強いね。…ふむ、では二手に別れるとしようか。
つまり、ここで私たちと情報を分析する班と、街中を歩き回ってポイントの情報を収集する班だ。
藤丸君?君たちは行動班だ。それと、渡してある予備のデバイスをここに置いていってくれたまえ。
それでこの拠点と行動班で情報を共有できる』
スティーブンは少し考えるそぶりをした後、指示を割り振る。
「私達の行動班からはレオを出そう。彼はこの街の下町住まいだから、細かい道まで案内出来るはずだ。
行けるか、少年」
「うす」
スティーブンの問いかけに、レオは短く答える。
「それと、護衛役にビルの下で不貞腐れているザップを連れて行ってくれ。
どうしようもないチンピラだが、戦闘力は確かだ」
スティーブンが先頭になり、淡々と大雑把な方針が決まっていく。だが、それに待ったをかける声があった。
隣で様子を見ていたクラウスだ。
「待て、スティーブン。君はまず仮眠を取ってくるといい。
これで何日寝ていない?」
「…二日だが、この程度なら問題はない。頭はまだ動くさ」
「いや、ダメだ。この先大きな戦いが待ち受けているかもしれない。
君はこれから五時間の仮眠を取って来るといい」
クラウスは拒否は認めないとばかりに、じっとスティーブンを見つめる。
少しの間バツが悪そうな顔をしたスティーブンだったが、やがてハアと一つ諦めたようにため息を吐いた。
「わかった、少し眠らせて貰うよ」
そういうと、スティーブンはソファから立ち上がりフラフラと部屋から出て行った。
『いい上司じゃないか、ミスタークラウス』
「スティーブン昔からは無理をしすぎるところがある。
…さて、それではチーム分けも決まったし、行動に移すとしようか」
*
藤丸達は、エスカレーターを降りたところでくだを巻いていたザップと呼ばれる男と、もう一人魚人の様な相貌の男を連れ立って、大通りを目指して歩く。
歩きながら自己紹介をしつつ、藤丸とレオでカルデアについて説明をしていく。ちなみに、マシュとジークは二人でキョロキョロと辺りを見回しながら少し先を歩いている。
「ほーん、カルデアねえ」
ザップから出てきた感想はそんな曖昧なものだった。
ザップレンフロというこの男は全体的に軽薄な態度が目立つが、ライブラの戦闘員として、非常に強力な戦力なのだそうだ。
「ほーんって…もうちょっと何か無いんですか貴方は」
隣の青い皮膚の男が呆れた様な声を上げる。
彼はツェッドという名前らしい。人智を超えた技術によって作られた魚人だが、現在はライブラの一因として世界の均衡を守る為に力を振るっているらしい。
「つっても、トンチキな連中と肩を並べるのは今更だしなぁ…でも、お前らみたいなガキどもを現地に送り込む輩は初めてだがな」
葉巻を咥え、手をパンツのポケットに突っ込みながら歩くザップの姿は、見るからにチンピラのようで…というかチンピラそのものであったが、その言葉には一家言の含みがあるように藤丸には思えた。
「それは…しょうがないんです。カルデアの中でレイシフト適性があるのは俺だけだから」
藤丸が庇うように言うと、ザップは再び気に入らなそうに「ふーん」と適当に相槌を打つばかりである。
「まあ、見た目にそぐわない化け物なんざ、ここでは珍しくも無いがよ。なんだ、お前はただのガキで、目の前で目キラキラさせてる嬢ちゃんと白髪のガキはやれるんだって?」
「ちょっとザップさん、ダメっすよ彼女に粉かけたら」
レオが待ったをかけると、ザップは彼の頭をホールドして拳を額に押し付ける。
「ばーか、お前誰がケツの青いガキの尻なんざに手を出すかよ!俺が言いたいのは、戦えるのかって話だ!」
「いで、いでででで!ごめんなさい、ごめんなさいって!!」
二人のこうした行いはいつもの事なのか、ツェッドは特に気にした様子もなく、藤丸に声をかける。
「たしかに、現状傍目から見ている限りは、少し浮ついたただの観光客の様にしか見えません。
失礼ながら、いざという時は彼等は本当に戦えるのですか?」
「ええ、それはもう。ちょっとやそっとで負ける奴らじゃありませんよ」
藤丸も、そこだけは確信を以って答えることが出来た。
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8話
一行は路地裏を抜け大通りに出た。
ぶわっと、幾重にも積み重なった音と光の暴力が藤丸を襲う。
先ほどまではこの異常な光景にあっけにとられていたため気に掛ける余裕がなかったが、人魔入り乱れる環境にある程度慣れた今、改めて大通りに出てみると、思わず気おされてしまう程の人の多さであった。
考えてみれば、カルデアに来てからこれほどの多くの人(と人以外の何か)を目にするのは初めての事であった。
ちらりと藤丸が隣を見ると、先ほどまでややはしゃぎ気味だったマシュが、今は少し青ざめた表情をしていた。今まで見たことのない人の波に引いているようだ。
「マシュ、大丈夫?」
藤丸が尋ねると、マシュは少し申し訳なさそうにほほ笑む。
「は、はい。ありがとうございます。
情けないですね、さっきまではしゃいでいたのに」
「いや、無理もないよ。ほら、深呼吸深呼吸」
藤丸が安心させるように穏やかに言うと、マシュはその場で大きく2.3度深呼吸をする。
「なんだあ、おのぼりさんか。そこの嬢ちゃん」
「ただでさえ、ここはほかの都心部とは桁が違いますからね。僕も初めて来たときは、多少なりとも緊張しました」
藤丸とマシュの後ろで、ザップとツェッドは勝手な感想を言い合う。
「そこの白銀のガキは大丈夫か?」
ザップは葉巻をくわえたまま、顔の動きだけでジークを指す。
「ああ、少し驚いたが。元々ひとの営みに顔を出したことはあるから、多少免疫はある」
「そうかい」
そういって、ザップは吸い終わった葉巻を吐き捨てる。どうやらジークの事を心配してくれたらしい。
「んで、これから何するって?」
「ああ、はい…とりあえずダ・ヴィンチちゃんに連絡をとって」
藤丸が手元のデバイスをいじると、ホログラムが全員に見えるように展開される。しかしそこに映し出されたのは、ダ・ヴィンチではなくロマンであった。
『やあ、藤丸君。大通りには出たみたいだね』
「あれ、ロマン?ダ・ヴィンチちゃんじゃないんで?」
藤丸が当然の疑問を投げると、ロマンは困ったような顔をする。
『ダ・ヴィンチなら、今はクラウス氏と宗教画について熱く語り合っているよ。どうやらクラウス氏は芸術方面に一言持っている人みたいだね。目の前の女性がダ・ヴィンチその人だとわかったら、興奮気味にあいつの作品について語り始めたんだ』
藤丸の隣のレオが、ああ、と苦笑いを浮かべた。
『なまじ造詣に深いものだから、ダ・ヴィンチも盛り上がっちゃってね。
あの会話が終わるまではもう少しかかるかな、あれは。だからこっちは僕が担当だ。
さて、ライブラのほうから貰い受けた地図をこちらで電子化した。これを見てほしい』
ロマニが言うと、ホログラムに大きめの地図が展開される。
『その地図に何か所か、赤い点が打ってある所が見えるかな?そこが龍脈に近い反応を見せているポイントだ。
みんなにはとりあえずそこへ向かって、魔力の調査をしてほしい』
ライブラの三人が、地図を覗き込んで場所を確認する。
「ああ、これならわかりますよ。僕たちで案内できます」
『たすかるよ、よろしく頼む。それと、君たちは先ほど昼食がまだという話だったかな?できればうちのマシュと藤丸にジークも一緒にご飯に連れて行ってくれると助かる』
「うし、んじゃ適当に入って飯食ってから向かうか」
「よ、、よろしくお願いします。せ、先輩!これはいわゆるみんなでお出かけご飯というやつではないでしょうかっ」
「ああ、これはおれもあまり経験したことがないな」
マシュとジークがうれしそうに言葉を弾ませると、それを見たロマンと藤丸は少しだけ頬を緩めた。
*
「んで、だ」
話を切り出したのはラーメンをすすっているザップからだ。
カルデアとライブラ一行は現在、一瞬ヤクザと見まがう風貌の店主が経営しているラーメン屋で昼食をとっている。ここがいいと提案したのは今話を切り出したザップで、それに反対したのはツェッドであった。
ツェッドの反対はまっとうな意見といえるだろう。この寂れた雰囲気のラーメン屋は、来客の人々に案内するにはあまりに庶民的に過ぎる。
だが、このうらびれたラーメン屋の外観にだれよりも喜びを示したのは、だれであろう来客人のマシュであった。
「こ、これが下町のジャパニーズラーメンですね!」
目をキラキラさせながら屋号を眺めるマシュに、ツェッドも何も言えなくなってしまったのだった。
「これから俺たちはその龍脈?だったか。とにかくポイントに向かえばいいんだろ?」
「はい」
藤丸も同様にラーメンをすすりながら応える。
カップラーメンともエミヤが作る丁寧なインスタントラーメンとも違う、豚骨の出汁が効いた素朴な醤油のスープが口の中に広がる。
高校の友達と行ったラーメン屋もこんな味だったなと思いつつ隣をちらと見ると、マシュが箸を使って醤油ラーメンを咥えていた。
「あち、あちち」と言いながら、今一つ慣れない様子で麺をすすってはコクコクうなずいている。新境地の味はどうやらお気に召したらしい。
「そうすっね。何か所あるんでしたっけ」
レオの言葉に、藤丸もデバイスを展開する。
「えーと…12か所ですね」
「やっぱりさっき見たときも思いましたが、多いですね」
ツェッドも会話に加わる。確かに一つの都市に散在する拠点を12か所まわるというのは、なかなか骨が折れる作業のように思えた。
「だろう?だからよ、ここは二手に分かれて場所を分担するぞ。どっちにしろ、ここ全部を今日中にワンチームで調べるのは無理だろ」
ザップの提案は合理的なものだった。
「だが、ちょっと待ってほしい。俺たちはこの街の全容をまだ知らない。チーム分けをするならカルデアとライブラが混在するチームになる」
次に発言したのはジークだ。ちなみに彼は早々に箸での食事を諦め、フォークで麺をすくようにして食べている。
「そうなるな」
「であれば、マスターの安全を最優先にするようなチーム分けにしてほしい。マスターはこのカルデアのメンバーの中では一番戦闘能力が低い」
「ん~それなら坊主はおれとレオと同じチームだな。ライブラで一番戦闘能力が高いのはおれだ。んで、そこの陰毛頭は戦うのダメダメだが索敵能力は高い」
考えるそぶりをしながら、ザップはテーブルの中央の餃子をつまむ。
「わかった。あなたが言うならそれがいいのだろう。マスターもそれでいいだろうか」
「うん、いいよ。ありがとうジーク」
淡々と決まっていく今後の予定だったが、藤丸の隣でマシュが細い声を漏らした。
「あっ…」
「どうした、マシュ?」
藤丸が尋ねと、マシュは少しだけ悩むそぶりを見せたが、すぐになんでもないという風に首を横に振った。
「い、いいえ…なんでも、ないです」
「…いいか?ならチーム分けをすんぞ。俺と坊主とレオのチーム、半魚野郎と白髪のガキと嬢ちゃんのチーム分けだ」
話は終わったとばかりに、ザップはどんぶりをもってラーメンのスープを飲み干した。
「決まったのなら異論は挟みませんが…藤丸くんの事をちゃんと守ってあげてくださいよ、ザップさん。
任された以上、道端で喧嘩を吹っかけるような真似は厳禁ですからね」
プハーッと空になった丼を粗雑に置いたザップは、爪楊枝で歯の隙間をシーシー言わせながらツェッドの言葉に馬鹿にしたように返す。
「ばっきゃやろう、お前俺様を誰だと思っていやがるんだ。大船に乗ったつもりでいろい」
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9話
「「あああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!!」」
悲鳴を上げながら追ってくる集団から逃げ回るのは、レオと藤丸の二人だ。
後方からは応戦しているザップの爆発音が頻発している。
先に弁明をしておこう、ザップは確かに不用意に喧嘩を吹っかけたりはしなかった。
彼はこの街において『控えめに言って人間のクズ』『頭より下半身で物事を考えている男』『不用意が服を着て歩いている』など、数々の称号を欲しいままにしていたが、それでも彼が未だに5体満足でいられるのは、その比類なき戦闘能力故であった。
本気になればどんな怪異にでさえ対処してみせるライブラでもピカイチと言える才能は、この異形犇めく混沌の街においてさえ、畏怖の対象であった。
だがしかし、恐れられるという事は、裏を返せば怨まれるという事でもある。
普段はレオがいてさえ不用意に襲われることのないザップであったが、なんと今はそこにさらに無害そのものであるような一人の少年を連れて歩いている。
日頃から怨みを溜めつつも恐ろしくて手を出せない連中が、もしかしたらとチャンスを狙うには、充分な動機であった。
レオと藤丸は路地裏に入り込み、とにかくジグザグに、狭いルート狭いルートを走っていく。
「おらぁっ!待てレオ!てめえを捕まえればあいつに良い人質になるんだよ!!」
後方から響くノイズ混じりの恫喝に、レオも負けじと声を張る。
「バッカヤロー!待てって言われて待つ奴がいるか!それに僕を人質とった所でザップさんに通用するわけないでしょうが!!
ええい、この…シャッフル!」
目的の狭い路地まで来たレオはくるりと振り向き、追いかけてくる十数人程に視線を合わせる。
すると、追っての異形達は次々とその場で酔ったようにふらふらと目を回して倒れる。狭い路地の中では、それだけで続く追ってを阻む壁となっていた。
「おおー」
何が起こったかはわからないが、ともかくレオが彼等を止めたのだと理解した藤丸は感嘆の声を上げる。
とその瞬間、今度は3メートル程の肉壁を容易くジャンプするバッタのようなフォルムの異形が乗り越えて来た。
「うわあああ、そんなのありかよ!」
予想外の存在に咄嗟に身構えるレオだったが、今度は藤丸の出番だった。
「ガンド!」
制服の中に着込んでいた礼装を起動し、飛び越えて来た異形にガンドを放つ。直撃したそれは、電流でも流されたようにその場で崩れ落ちた。
「おおー」
今度はレオが藤丸に拍手を送る。
二人はその可笑しさに少しだけ顔を見合わせ、思わず吹き出してしまった。
「てめえレオ!調子乗りやがって!!」
笑い出してしまいそうな二人であったが、そうは問屋が卸さない。視線を戻せば、追ってたちが次々と肉の障壁を乗り越えようとしていた。
「やべえ、走ろう!」
「はい!」
*
「はっ…そろそろ…キツくなってきた…」
「…はっ…僕も、です…」
更に暫く走り続けていたが、二人は未だに追っ手を振り払えていない。実際、二人はしぶとく逃げ回っている方だが、とにかく数が多過ぎるため、完全には振り払えないでいた。
その時、ピピッという音と共に、藤丸の端末に通信が入る。
『待たせたね藤丸くん。逃走ルートをシミュレーションして確保できたよ』
「ドクター!待ってた!」
『いいかい。その先にある十字路を右に曲がったら、道は行き止まりだ。7メートル程の高さのビルが道を塞いでいる。
だから君達は、そこを一息で飛び越えてくれ。それで追っ手は君達が一瞬で消えたように錯覚するだろう』
「了解!」
「いやいや了解って!僕そんな身体能力無いっすよ!」
『それなら大丈夫だ。レオくんは藤丸くんと手を繋いで合図したタイミングで思いっきりジャンプしてくれ』
「はい?」
訝しげに目を顰めるレオだったが、今はとにかく時間が逼迫していた。
藤丸は有無を言わさずレオの手を掴み、目的の十字路を右に曲がる。すると情報通りに目の前に7メートルほどのビルが立ちはだかる。
『合図するよ!』
「ええい、わかりましたよ!跳べばいいんでしょ!」
ヤケクソ気味になりながら頷いたレオに併せて、ロマ二が合図を取る。
『3…2…1…今だ!藤丸くん!』
「礼装起動!全体強化!」
瞬間、藤丸が礼装を起動して二人の身体能力を一時的に急激に上昇させる。すると、二人は宙を飛ぶように高く跳躍し、ちょうどピッタリ屋根の上で着地をした。
急激な浮遊感な上に、手を繋いだバランスの悪い状態で着地をした二人は、そのままゴロゴロところがるようにして、その場で崩れる。
「い、つつ…」
『お疲れ様、二人とも。マシュ達も直に駆けつける。
もし追ってが君達の場所に気づいたとしても、そこを登れる形状をしているヒトは居ないはずだ。追いつくまでにはマシュ達も間に合うよ』
「はあ…つっかれたあ。ありがとう、ドクター」
「疲れた…凄いねさっきの」
二人で屋根の上に座り込みながら、息を整える。
「ええ、まあ。僕じゃなくて、カルデアの技術が凄いんですよ。魔術と科学のハイブリッドだとかで」
「へえ、なるほどね」
二人の会話はそこで途切れ、少しの間沈黙が降りる。別に気まずい空気というわけでは無いが、二人ともまずは体を休ませたかったのだ。
そして、少しだけ間を置いてから、藤丸はレオに声をかける。
「あの…ちょっといいですか?」
「ん?」
「会ってすぐの人にこんな事言うのもなんですけど…レオさんってなんでライブラに居るんですか?」
それはかなり不躾な質問だった。
外様の人間がいきなりあなたは何故そこに居るんですか、などと下手をすれば相手を怒らせてしまうような質問だ。
だが、藤丸は尋ねずにいられなかったのだ。この逃走劇の中で浮かび上がってきた疑問の答えがどうしても欲しかった。
「なんでって…目的があってとしか」
「それは、自分の命を脅かしてまで達成する必要があるんですか?」
「……」
「疑問に、思ったんです。レオさんって目が特殊ですけど、それ以外は普通の人じゃ無いですか。戦う力もないし、その目の力があったって、この街のカツアゲから逃げ切る事だって一苦労じゃないですか。
多分、僕と喧嘩をしてもほぼ五分五分だと思うんですよ。
なのに、なんで一般人みたいな貴方が、この街にいて、ライブラなんて危険なとこ所属してるんですか?」
「いや、それは君も同じだろう?」
「僕が戦っているのは、僕しか居ないからです。生き残った中で、僕が唯一マスターになる資格があったから。
もし、Aチームの誰かがいてくれるなら、きっとその人の方が良いんですよ」
Aチームなどという存在をレオが知らない事は、藤丸も重々承知している。でも、勝手に滑り出した言葉を、藤丸には止めることが出来なかった。
「でも、レオさんは違うじゃないですか。多少特殊な力を持っていても、貴方はただの人ですよ。多分探せば代わりをしてくれる人はいくらでもいる。
なのに、なんで貴方は無理してまでライブラに所属しているんですか?
ーーなんで、戦い続けているんですか?」
最後にその言葉を吐き出して、藤丸は自分が何を問いたかったのを理解した。
一般人でしかない、つまり、自分と同じでありながら、なんで自ら危険な場所を選んで所属しているのかと。そうせざするをえなくてここにいるのではなく、貴方はそうしたいからそこにいる。その境遇の一致と在り方の不一致に、藤丸は問いを正さずにいられなかったのだ。
僕はこんなに怖くて、それでもしょうがないから戦い続けているのに、貴方は何故そこにいるのか、と。
『……』
「んー…」
レオは考える素振りを見せる。それは藤丸の張り詰めた問い詰めに対して、あまりに軽い様子であった。
「…そうだな。多分君と同じだよ」
「…はい?」
「うん、僕も怖いよ、こんな常識の通用しない街。ここにきてからもう何度死にかけたかもわからないし」
ハハハと、レオは苦笑いをして頰を掻く。まるで自分の武勇伝を語る学生の様な軽さだ。
「んでさ、それでもこの街に居て、ライブラに居るのは、やっぱり目的があって、この街でも仲間が出来て、友達が出来てっていうのもあるんだけど、多分根っこはもっと単純なんだ」
「単純…?」
「うん、多分君もおんなじだよ。
僕には妹がいるんだ。ちょっと生活に難はあるけど、それを感じさせないくらい生意気で強い妹。でも、俺はやっぱりお兄ちゃんだからさ。
男(兄貴)なら女(妹)の前でカッコつけなくちゃ。だろ?」
「そんな…事で良いんですか?」
藤丸は驚く。あまりの価値観の違いに驚いたのではない。
レオの言葉が、ストンと綺麗に自分の胸に落ちたことに驚いたのだ。
「そう、そんな事で良いんだよ。君もそうだろ?」
レオはそう言って、握り拳を藤丸に向ける。
藤丸は恥ずかしそうにしながらはにかむレオを見ながら、自分の中につかえていたモヤモヤが取れるのを感じた。
自分がこんなに必死になりながら頑張るのは、無理をしてまでカッコつけようとするのは、そうか、そんなに単純な理由だったのか。
「…そうですね、きっとそれでいいんです」
藤丸も同じくはにかみながら握り拳をつくり、レオのそれにゴチンと合わせた。
『…マシュ達がそろそろ着くね。移動するよ、藤丸くん』
「はい!」
ロマ二の声に、藤丸は清々しい顔で返事をした。
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10話
「先輩ご無事ですか!」
「マスター無事か」
「レオ君!大丈夫ですか!?」
屋根伝いに、マシュ・ジーク・ツェッドのチームが合流する。
「ああ、マシュ。こっちはなんとも。そっちは大丈夫だった?」
「よかった…はい!こちらはなんともありません」
安心した様に一息ついた後に、グッと握り拳を作るマシュだったが、ジークがそこで声を挟んだ。
「いや、少しも大丈夫じゃなかったぞ。マシュは、マスターと別れてから随分と気落ちしていたようだ」
「ジ、ジークさん!?」
「マーシュー?」
「あわ、あわわわ。ごめんなさいごめんなさい!でも体調の不良というわけではないんです!」
マシュは怒った様子の藤丸には慌てて頭を下げる。
「んじゃ、なんだっていうのさ」
「いえ…あの…そのですね…」
マシュは言いづらそうに言葉を濁す。
藤丸が続きを言うように言葉に出さずに促しても、なかなか切り出してくれない。
するとその時、ピピピピッという電子音が響いて場の雰囲気を崩した。ちらりと視線を向けると、レオがポケットから携帯を取り出すところだった。
「あ、ザップさんからっすね。向こうも片付いたみたいっす」
「全くあの人は…」
ツェッドが呆れた様に額に手を当てる横で、レオも苦笑いをしながら電話に出る。
『うおーーい!!無事かーレオ!死んでねーかー!』
暢気な様子さえ見える叫び声が、携帯越しに響く。
「大丈夫か?じゃないっすよ。こっちは大変だったんすから!」
『んだよ、生きてんじゃねえか。じゃあ別に問題ないだろうが』
「問題ないだろうがじゃないですよ、貴方はバカですか。いえ愚問でしたね」
ツェッドがきつめの口調で通話に横入りすると、すぐに反論が返ってくる。
『なんだと魚類てめー!俺をなんだと思って…ん、なんでお前がレオと一緒に居るんだよ?』
「ザップさんが不甲斐ないから応援をお願いしたんすよ」
『んだと!!』
ザップはさらに声を荒げるが、そこにもう一つ通信が入った。藤丸のデバイスからだ。
出たのはダ・ヴィンチだった。
『おや、そちらはザップ君にも繋がっているのかい?それならちょうど良かった。
彼にも此処に来てもらって一度集合しようじゃないか。
ちょっとした報告があるんだ。
…なんだい、ロマ二その顔は?たしかにクラウス氏との現代芸術論は白熱したがね、だからといって仕事を忘れる様なダ・ヴィンチちゃんじゃないんだぜ?』
今度は藤丸の端末上でロマ二とダ・ヴィンチが小競り合いを始める。
結局、それをみんなで宥めたりザップが来るのを待っているうちに、藤丸はマシュが何故調子を悪くしたのかは聞きそびれてしまうのだった。
*
『単刀直入に言おう。君達に測ってもらう予定だった12の龍脈だがね、その中でも一際特異な物を観測した。
実は君とレオ君が必死に走り回っている間に、マシュ達には二つの観測点を回収してもらっていてね。取り急ぎその二つをパターン解析したんだ。
その結果、ある程度共通するパターン…わかりやすく言うならば周波数の様な物を確認した。その土地本来の魔力の流れ、とでもいえばいいのかな?
それが判れば後は簡単だ。そのパターンを残りの10の地点に流して、呼応するものとそうでない物を観測する。
すると、12の地点の内一ヶ所だけパターンに反応がない場所があった。
我々は、それが魔神柱の潜む最有力候補だと推測する。君達にはその場所に行って欲しいのさ。
その場所はズバリ、エンパイアステートビルだ』
ダ・ヴィンチの言葉に従い、一行はエンパイアステートまで向かった。
「という事で到着しました、ダ・ヴィンチちゃん」
ビルの玄関口にたどり着いた一行は、代表してマシュが通信を行う。
『ふむ、そちらに何かおかしな物は見えるかな?』
「んー、人以外のヒトも沢山いるかな」
「それはここじゃおかしな事じゃねえな。いたって当たり前だ」
藤丸とザップのやり取りに、ダ・ヴィンチは考えるように顎に手を当てる。
『なるほど…貴方はどう考えるかな?クラウス氏』
『一見するといつも通りにも見える…が、人の行き交いが通常と違うように感じる』
ホログラムにクラウスが映り込みながら、神妙な口調で答える。
『というと?』
『正面玄関から出入りする人が極端に少ないのだ。街のごった返した人の波はいつも通りだというのに、正面玄関の周囲にだけ人が少ない様に思う』
「それって、入場規制が掛かってるって事っすか?」
レオの疑問にクラウスはふるふると首を振る。
『いや、その様な情報はこちらに入っていない。恐らくだが、本能的に人が立ち入りづらい様にされているのだ』
『どうやら見えてきたようだね。それは恐らく僕たちでいうところの人避けの結界だ。魔術師達が自分の工房に立ち入られないために使う基本的な結界さ。
だが問題は何のためにそんな物が張られているかという事だ』
『んー恐らく、変に反応されたら困るのだと思うよ。何も知らない人には反応されたくないし、ゲストには気づいてもらわなきゃならないからね』
ロマ二の疑問に誰より早く反応したのはダ・ヴィンチだった。
『どういう事だい?レオナルド』
『つまり誘われているのさ、私たちは。人避けの結界は、元々人通りが少ない所に工房を構えた魔術師が、人には入られないために作るものだ。
だが、この様な都市の中心部で結界を張ろうものなら、異常を探す人間にはどうやったって目につくだろう。寧ろここに何かがありますと主張しているようなものだ。
だから、最初から私たちは誘導されていたのさ。ここにたどり着くゲームの参加者としてね』
ダ・ヴィンチがたどり着いた結論に、ジークが待ったをかける。
「いや、待ってほしい。俺たちは魔神柱の反応を追ってここまで来たんだ。
ならこの案件には少なからず魔神柱が絡むことになる。それをゲーム感覚とはおかしくないか?」
それは真っ当な疑問ではあったが、ここは既に非常識こそ常識としてまかり通る街だ。
ジークの疑問に応えたのは、この街に詳しいクラウスだった。
『それが、あり得るのだ。この街には遊び気分一つで世界を滅ぼそうとするものが数多く存在する』
「なるほど…敵が見えてきたじゃねえか。つまりこいつは…」
ザップの言葉は最後までは続かなかった。
彼の言葉を遮る様に、瞬間大きな地震が発生したからだ。
いや、正確に言えばそれは地面が大きく揺れ動いているだけであって、地震ではない。
衝撃の発生源は、まさに今話題になっているエンパイアステートビルの方からだ。
「先輩!こちらへ!」
マシュが咄嗟に盾を出して藤丸を後ろに庇う。
「レオ、危ねえ!」
「ぐえっ!」
ザップがレオの襟首を掴んで自分の後ろへと引っ張る。
高さ300メートルを超える塔がいま、誰の目にもわかるほどに大きく揺れていた。
ビルの窓という窓が割れ、下にいる人間達へと降り注ぐ。
装飾の石柱が衝撃で破損し、石の塊が落下する。
端的にいって状況は最悪そのものだと言えたが、それはあくまで前座に過ぎなかった。
ビルが蠢動を大きくするにつれて、ビルの中央部分が少しずつ形を変えてゆく。
大きなビルの中に、もう一つ一回り小さな柱が閉まってあったか様に、外壁が内側に凹み輪郭を作る。
やがて、捻れたような奇妙な柱の輪郭を象った外壁は、石材と鉄材に過ぎなかったその材質を、魔力を蓄えた禍々しいものへと、形質を変化させていく。
『ま、まさか…』
ロマ二は絶句したように言葉を漏らす。ゆっくりと形を変えていくそれが知らないものだったからではない。寧ろ、我々が良く知っているものだったからだ。
人の呪いを具現化したような質感。
捻れた柱のような形状。
ラインに沿って綺麗に配置された、禍々しい呪いを宿したギラギラと輝く魔眼。
『ビルの中に、魔神柱を隠していたのか!?』
魔神柱キマリスが姿を大きくして姿を現した。
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11話
魔神柱が姿を完全にする事で、エンパイアステートビルの残骸が、自身を支えきれずに崩壊していく。
アメリカを象徴したビルは既にその跡形もなく、呪いを具現化した魔神柱のみがそこに堂々とそそり立っていた。
「おいおい、これ、話に聞いてたより随分デカくねえか!?」
『オペ子ちゃん!急いで測定!』
『はい、結果出ます!魔神柱の全長…約に、200m!?』
「何でそんなに大きくなってるんですか!」
『恐らく、巨大化の魔術でもかけられたか…いや、そもそも魔神柱にそんな魔術をかけられるわけが無いんだ!ソロモンの使い魔の神秘はそれくらいの魔術に左右されるほど安くはない!
もう何でもありか、ヘルサレムズロット!!』
ロマ二が半ば悲鳴をあげるようにして叫ぶ。
長身200mに及ぶ魔神柱が出現した時点でカルデアの理解の許容量は既に限界値まで達したと言ってもいい。
だがそれですら、この街の奇々怪界にとってはほんの余興に過ぎなかった。
ピシリ、と魔神柱が音を立てる。
「ギ…我が、我が名…は、キマ…り…」
魔神柱が名乗りをあげようとする。だが、その様子は明らかに正常ではない。
まるで今にも消滅しそうなところを、懸命に堪えているようでさえある。
「キマリ…きま…キ、ギギ、キ、キキキキキキキキキキギギギィィィィッ!!!!」
そして再びビシッと誰の耳にも届く大きな音で、魔神柱に亀裂が入る。
魔神柱は基本の構造として、綺麗に配置された眼の間を通るように細いラインが入っている。いまそのライン全てに、根元から3分の2ほどの地点でヒビが入ったのだ。
そして、その亀裂はラインに沿って次から次へと音を立てて広がっていき、やがて頂点へと辿り着く。
その瞬間、魔神柱が大きく花開いた。
「ギギギギギギギギイイィィィッッ!!」
なおも悲鳴をあげながら、頂点から裂くようにして魔神柱のパーツが分かれ、まるで不出来な一輪の花のように魔神柱の姿が変わっていく。
決して見えないはずの花開いた内側の花弁は、テラテラとした生々しい肉の赤色が見えていた。
『酷い…こんなの、殆ど原型がないじゃないか』
ロマ二が苦しげにつぶやく。ただ眺めることしか出来なかった一行にも、それが酷く残酷なことだけは理解できた。
だが、地獄絵図はこれで終わりではない。
綺麗に醜く花びらいた魔神柱(もはや柱と形容するのも正しいかわからないが)の中央から、何かが勢いよく噴出された。
黒く、鈍色に光る楕円形のものが、大量に上空へと打ち出される。
「なんだありゃあ!?」
『計測します。謎の物体、その数約1000!魔神柱と同じ魔力を観測できます。
魔神柱の周囲に散布。こちらにも落ちてきます!』
直径3メートル程になる楕円形のソレは、次々と地面へと突き刺さるように着地する。魔神柱の肌と同じ色合いをしたそれは、表面に凸凹のない楕円形の物体だったが、ビシリと切れ込みが入ったと思うと、そこから昆虫の足のような物が中央部分から複数生えてきた。
「こいつら、動くぞ!」
『恐らく敵性物体だ!魔神柱の魔力をリソースにして簡易式な使い魔にしている』
藤丸の言葉にロマ二が叫ぶようにして応える。
脚と思しき物が生えたソレは、確かめるようにしてその脚で地面を2・3度コツコツと叩くと、その楕円形の体をグイと持ち上げて立ち上がった。
皆の一番手前にいた簡易的な使い魔が、ググッと体勢を前に倒して一歩踏み出す。
それに誰よりも早く反応したのはザップだった。
いつの間にか手に持っていたジッポを握りこむと、そこから紐状に変質した血液が飛び出して使い魔の体へと突き刺さる。
「ザップさん!?」
「問答無用だレオ。明らかに敵意を持ってやがる。そうだろ旦那!」
ザップがジッポに火をつけると、血液の紐を伝播し、使い魔の体を燃やし尽くした。
「ギ、ギイイィィ!!」
使い魔は口のない体で悲鳴をあげてのたうち回る。
それが合図だった。
藤丸たちの周囲だけでなく、地面に落ちてきた1000の使い魔たちが、一気に孵化を始めた。
ビシリ、カツカツ、グイッ。ビシリ、カツカツ、グイッ。ビシリ、カツカツ、グイッ。ビシリ、カツカツ、グイッ。
「マシュ!」
「はい!」
そのあまりに異常な光景に、マシュが素早く戦闘着へと換装する。
ジークが手に剣を出してゆっくりと刀身を抜き出す。
「へ、いいじゃねえか」
「やるしか無さそうですね」
ザップが血の刀を、ツェッドが血の三叉槍を形作る。
『各員、戦闘体勢。直ぐに私も向かおう。
私が到着するまでの間、各個使い魔を撃破せよ』
「「おう!!」」
クラウスの宣戦が戦いの口火を切った。
*
宣告するや否や、クラウスは座っていたソファから立ちあがった。
ソファから少し離れた、レトロなPCが置いてあるデスクへと向かい、ガチャガチャと準備を始める。
「ギルベルト、急いで車を出せ。現場へと急行する」
「かしこまりました」
視線を合わせることすら無く、阿吽の呼吸で言葉を交わすクラウスとギルベルト。
しかし、そこに待ったをかけたのは通信をしているロマ二だった。
『ちょ、ちょっと待ってほしいクラウス氏!ここから車だと、最短ルートを検索しても20分は掛かるぞ!みんなが戦っているところに駆けつけるなんて無茶だ!』
だが、その事実に動じるクラウスではない。クラウスはデスクで準備を整えている手を止めると、ホログラム越しのロマ二をジッと見つめて言葉を紡ぐ。
「ミスターロマ二。我々が今行うべきはそれが可能か不可能かを議論することではない。この街のどこかで危機的な状況が起こり、人が襲われ、仲間が闘っているのだ。
ならば私は間に合う合わないではなく、そこに到着しなければならないのだ」
それだけ言うと、最早一瞬の時間さえ惜しいとばかりに応接室を足早に出て行く。
『……』
ロマ二には2の句を継ぐことができない。
当の本人が既にこの場にいないからではない。あまりにも頑固で無根拠な根性論ではあったが、しかしそこには明確な力の様な物を感じたからだ。
「ホッホッホ、驚かれましたかな?坊ちゃんは昔からこうと決めたら頑として曲げない強さをお持ちなのです」
『ギルベルトさん…』
ギルベルトはあくまでも柔和な笑みを浮かべながら、残されたロマ二に言葉を掛ける。
「それに、確か車では最短で20分と、申されましたね?それは通常の方々が車を運転した場合でしょう」
そう言って一旦言葉を切ったギルベルトは一瞬だけ目をギラリと細めて、泰然とこう言い放ったのだった。
「私なら、3分と掛かりません」
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