茶番クエスト【完】 (トラロック)
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Il faut de tout pour faire un monde

 

 強大な魔法詠唱者(マジックキャスター)『アインズ・ウール・ゴウン』と『リ・エスティーゼ王国』との戦争から数年の歳月が過ぎ去った。

 大都市の一つを奪われはしたものの王国は目立った危機に立たされておらず、束の間の平和を感受するに至っていた。

 懸念されていた犯罪組織『八本指』の活動も噂に上らず――

 

  

 

 世間が目まぐるしく変化していた中で騎士『クライム』は鍛錬を続けていた。

 才能の無い自分に出来る事は『続ける』事だけだ。ボサボサの金髪の少年兵クライムは今日も今日とて剣を振るう。

 実力で言えば(ゴールド)級――または白金(プラチナ)級以上の冒険者に匹敵する。――それでも魔法相手にはなすすべが無い事は自覚していた。

 出来ない事に対してクライムに出来る事は学ぶことだった。

 剣の鍛錬が終われば膨大な書籍に目を通す日々――

 それだけの努力をする理由はひとえに『黄金』と名高い彼女――

 

 ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフの笑顔を守る為。

 

 現在の自分があるのはラナーのお陰と信じて疑わない。

 ――本来は主の為に命を投げ出す所存、と言うところなのだが命を粗末にする事は堅く禁じられている。

 城での生活を許されたとはいえ身分不相応な待遇は何かと肩身が狭い。

 それを振り払う意味も鍛錬に励む毎日にはあった。

 

  

 

 ある日、いつものように主であるラナー王女に挨拶に向かった。

 白銀の全身鎧(フルプレート)も武器も衣食住も全て――ラナーが用意した。

 完全武装に近い姿での謁見は本来は失礼にあたるのだが、クライムは特別だとラナー自ら許可したので小間使いは黙って従うしかない。

 その反動で陰口を叩かれる事が多々ある。

 

「ラナー様、クライムです」

 

 いつものように扉をノックし、挨拶してから扉を開ける。

 お抱えのメイドが応答するものだがラナーの場合は不在が多い。そして、クライムならば多少の礼儀知らずでも主自身が許しているのでお咎めは無い。

 

「……失礼します」

「まあ、クライム。いつも早いのですね」

 

 朗らかな声が彼を出迎える。

 何百と繰り返した挨拶なのにいつも新鮮な気持ちにさせられるやりとり。

 ラナーの笑顔は健在である、とクライムは確認出来たことを様々な神に感謝する。――残念ながら特定の神を信奉していないので信仰による恩恵は受けられない。

 

「おはようございます、ラナー様」

「はい、おはようクライム」

 

 そう言いつつ彼に椅子を勧める。

 無作法を承知でラナーは文句一つ言わずに紅茶の用意を整える。――お茶菓子などは事前に用意されていた。

 それらをラナーが手ずから配置していく。

 メイドが居ないので自分で殆どの事を(おこな)う。

 

  

 

 ラナーは王国では忌み嫌われた存在でもあるので、半ば軟禁状態の暮らしが続いていた。

 どうしてそういうことになっているのか――

 単純に彼女の知性を貴族や兄達が妬んでいるからに他ならない。

 幼い体格には不釣合いな知性の高さは他の諸侯を震え上がらせていた。

 御歳まだ十代後半に過ぎない小娘を大人――または老人たちが恐れるほどとはいかなるものなのか、クライムは理解出来ない。

 朝の一時の準備が整い、二人共に席につく頃――

 周りは一段と静かになり、落ち着いた雰囲気だけが場を支配する。

 季節は夏に差し掛かる。

 戦争の傷跡も――完全にとはいかないが――癒え始めていた。

 紅茶を一口含んで軽く息をつくラナー。

 その一挙手一投足は絵画に残したくなるほどの優雅さがあった。

 

「さて、()()()()はこのくらいに致しましょう」

「はい」

 

 いつものやりとりは既に儀式同然――

 それは間違ってはいないのだが、言葉としては勿体なさを感じる。けれどもラナーにしてみれば茶番にしか思えない――

 

 ラナーは退屈していた。

 

 軟禁状態なのだから仕方が無いし、当たり前とも言える。

 娯楽に飢えてもいい年頃だ。

 親しい友人は冒険者として忙しく滅多に会いにきてくれない、ともなればクライム相手で満足する方法を模索するしかなくなる。

 同年代の男女に出来る娯楽とは――

 ラナーはクライムとチェスのようなボードゲームをする気は全く無い。けれども楽しみは欲していた。

 

「……前々から打診していたクライムとの戦闘の許可が降りました」

 

 そう笑顔の王女が言うとクライムは唸った。

 単純に戦闘と言っても()()戦うかで様相が変わる。

 

「……魔導王と……ですか?」

「はい」

 

 迷う事無く即答するラナー。

 どういう経緯(いきさつ)からそういう話になったのか。クライムには全く理解出来ない。――またはしたくない問題だった。

 

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)との戦闘。

 

 王国の兵士十万人規模を一つの魔法で抹殺せしめた相手だ。更には凶悪なモンスターを複数体召喚し、蹂躙しつくした。

 そのような相手に兵士一人で立ち向かって勝利する事は絶望的――。クライムをして不可能と言い切れる相手だ。

 単純にクライムに死ねと笑顔で言っているのと同義だ。

 

「嫌そうな顔をしないで下さい。向こう見ずな戦いをしろとは私も言いませんよ」

「……内容からして向こう見ず、なのですが……」

 

 苦笑するしかないのだが、他に言いようも無かった。

 知性溢れる王国自慢の第三王女の発言にはいつも驚かされる。

 

「いきなりかの王との戦闘をしろとは言いません。これはあくまで試合形式に則ったものです」

「はい」

 

 こほんと可愛らしい顔の王女ラナーが呼吸を整える。――その仕草一つ取ってみてもクライムにとっては宝物であった。

 

  

 

 魔導王との戦闘は一言で言えば死んで来いと言っていることと同じ――

 しかしながらラナーの話振りでは事は単純である筈がないとクライムは予想する。

 知性溢れる彼女が単なる戦闘だけを(クライム)に課す筈が無い。

 

「試合は一対一……。基本的にはその認識で間違っていないのですが……。かの王はクライムに一つの条件を出しました。……表向きは、ですね」

「はい」

 

 どんな話だろうと受け止める覚悟は出来ている、という態度を示すクライム。

 常識外れはいつもの事。とはいえ、それでも驚かされる。

 危険な任務はもちろんあるけれど、様々な対処を事前に用意してくれるからこそラナーはクライムを死地に送り出すのだ。

 そして、五体満足で帰ってこられるように取り計らってくれる。

 一見すれば甘い、と見られるかもしれない。しかし、今までの経験上、楽して勝利が収められたケースは皆無だ。いや、自分ひとりだけの勝利など、が正しいか。

 

「向こうが指定するモンスターを実際にクライムに倒してもらいたいそうです。……もちろん魔法攻撃に弱いクライムの事ですから魔法詠唱者(マジック・キャスター)相手では手も足も出ない事は百も承知です」

 

 単なる攻撃魔法であれば耐えられるかもしれないが、精神攻撃や即死魔法などは対抗しなければ成すすべなくやられてしまう。それはクライムとて自覚していた。

 それに剣技に完全耐性を持つモンスターの存在もある。

 

「最初は弱いモンスターから……。後々仲間を募ってチーム戦もやってもらいます。というか、そういう戦闘を私個人が見たいからですが……。なんでもクライム一人で倒せとは言いません。様々な人にお声掛けしておりますので安心して下さい」

 

 誰が来るのかはお楽しみという事で詳細は伏せられた。

 一部はクライムの予想する人だと言われているので、脳裏に浮かぶのは三人ほど。

 

「魔導王は本気では戦いません。……戦えるものならばそれでも構わないのですが……」

 

 敗北が大前提となっている戦闘はクライムでも苦笑するしかない。けれども、実際にそうなると思っている。

 単なる守護騎士風情にどうこうできる相手とは思えない。

 

「クライムの戦闘において苦手とするモンスターについては別件の者に相手をしてもらいましょう。……粘体(スライム)とか幽霊(ゴースト)とか……」

「それはつまり私が勝利しなくても良いと?」

「モンスターをどう倒すのか……。クライムの勝利も大事ですが、それだけでは面白くありません。……それとケガについては万全の体制にしていただきますので。連続戦闘の最後に大物と戦うような苦行は致さないようになっています」

 

 試合形式ならば後半はケガと疲労との戦いになる事が多い。それを無しにすると正式な試合とは言えない気がした。

 単純に様々なモンスターと戦って勝利するだけに聞こえる。いや、実際そうなる予感がした。

 ラナーはどんな手段でも勝利を勝ち取れと言っている、と。

 それこそ手段は問わない、という風に――

 ラナーと魔導王はどんなやりとりでこの度の試合とも言えないような戦闘を催すのか、クライムには全く想像出来なかった。

 

  

 

 話は理解した。その目的はラナーの娯楽――

 ただそれだけの為に一人の少年は死地に放り込まれる。

 戦いの最後に待ち受けるのが魔導王アインズ・ウール・ゴウン。

 だが、とクライムは疑問に思う。

 絶対に勝てないような相手と戦う理由だ。

 他のモンスターならいざしらず――

 敗北を楽しみにしているとも思えない。――少なくともラナーはクライムの活躍を楽しみにしているはずだから。

 

「そうですね~。千試合ほどになりますかね」

「……随分と長い試合になるようですね」

 

 百ではなく千。それはさすがに苦笑が漏れ出る。

 どれだけのモンスターと戦わせる気なのだ、と抗議したくなった。

 その中にはきっと凶悪で巨大な物も含まれているに違いない。

 

「そう……。これは魔導王にたどり着くまでのクライム成長物語……ですわ」

「……成長できますか? 試合形式であれば限られた範囲の戦闘しか望めないと思うのですが……」

 

 様々な地形や予想できない場面を乗り越えるのであればまだしも、観客の居る場面のみであれば成長はそれ程見込めないと予想している。なにより、鍛錬や新たな技術の開発はどうすればいいのか――

 

  

 

 困っているクライムをラナーはうっとりしながら眺め、彼の顔が少しでも上がろうとすれば即座に表情を引き締める。

 苦難に立ち向かう騎士は確かに魅力的だ。だが、ラナーの目的は少し――かなり違っていた。

 何の才能も無い少年の努力、奮闘は何よりの好物であった。いや、それを正確に表す言葉が見つからなかっただけだが――

 かといってあっさり死んでもらっても困る。

 そこは間違ってはいけない。

 

 クライムが半死半生となる姿を自分は何よりの楽しみとしているのだから。

 

 もちろん『愛』ゆえに――。それは間違えようのない事実である。

 他の兵士達は何の魅力も無い。ただの駒に過ぎない。

 城勤めの多くの兵士が何万人死のうと琴線に触れることは無いし、実際に何の痛痒も感じなかった。

 減ったら増やせばいいだけだ。

 国民とはいわば富を与えれば勝手に増える厄介な労働力――

 その数を制御するのが統治者の勤めである。そう信じて疑わないのもまた自分たち貴族階級の特権であった。

 話に一段落を付けてクライムを退出させたラナーは窓辺に近付く。

 今回の試合は特殊なものだから一度の説明で全てが終わる事はさすがのラナーとて思っていない。

 

(クライムの為に多くのモンスターを用意してもらっています。その全てを上手く打倒してくださいね)

 

 一概にモンスターといってもラナー一人で集めきれるものではない。また、どれだけのモンスターが居るのか、その情報を集めることも大変な労力となっている。

 ――クライムの為ならば努力は惜しまないのだけれど――

 

(モンスターの中にはもちろん人間も含まれていますわ。……なにせ、クリーチャーの中に人間種という分類が実際にあるんですもの。そして……それは私も同様です)

 

 この世界は人間種だけのものではなく、亜人種と異形種が居る。

 それらが生存競争している世界に自分達は生きている。

 

(……しかし、どうしたものでしょうか。延々と戦闘するだけでは物足りませんわね。そして、どの程度であればクライムは成長できるのでしょうか。魔法を覚えたりするものでしょうか)

 

 才能が無いと周りから言われているのでラナーもついそう思い込んでしまいそうになるのだが、彼には彼にしか出来ない才能がちゃんとある。

 ラナーだけがそう思っているだけで周りから認められていないだけかもしれない。

 そうだとしてもクライムは自分にとって特別だ。――そう思わせた才能があるのだから――

 

(魔導王を仮に打倒しても敵が居なくなるわけではありません。平和にもなりません。その事実は変わらないし、変えられない……。なんとも不合理な世の中ですこと)

 

 利用できるものは何でも利用する。

 愛するクライムの為ならば人民の命すら安いものだ。

 

(需要と供給が狂ってもいけません。その調整は……レエブン侯に任せましょうか。それとも……)

 

 窓辺で唸る黄金のラナー。

 口をへの字に曲げつつ今後の展望を模索する。

 

  

 

 昼が過ぎ、午後の執務を終えたラナーは夜食前の入浴を済ませた。

 監禁に等しい城の暮らしは退屈極まりない。中庭に出る事はあるのだが、姫という存在に自由は――基本的に――無い。

 男社会だからとも言われているが、所詮女は何処かの貴族に嫁いで権力の幅を広げる道具――。それ以上にもそれ以下にもならないし、なれない。

 将来が生まれた瞬間から決定している存在に幸せなどあろう筈が無い。だからこそラナーは自分で見つけた楽しみを大切にしている。

 それだけならば何の問題も無い。

 

(……しかし、……他人(ひと)から異常者と言われるのは面白くありませんわ)

 

 少なくとも自分は真っ当なものの考え方が出来る常識人だと信じて疑わない。

 もちろん、王女として演技するのは必須――

 社交界は騙し、騙される世界だから。相手になめられてはいけない。

 姿鏡の前で表情の調整を(おこな)う。

 常に笑顔で居るわけではない。喜怒哀楽は人並みに備わっている。

 時には嘘泣きもしなければならない。だからこそ()()()()の感情表現では不都合なのだ。

 ちゃんと笑い、ちゃんと悲しみ、ちゃんと怒らなければ――

 

 クライムで楽しむことなど不可能だ。

 

 路地裏で彼を見つけなければ感情の一つが抜け落ちた欠陥品のままだった。

 それを補えたのは僥倖である。――今ならそう思えるほどに――

 

(大切なものは首輪を付けて大切に飼うもの。それのどこか間違っているのか……。クライムが人間種のクリーチャーだから……なのでしょうけれど……)

 

 ペットが病気になれば甲斐甲斐しく世話をする事に異常性など認められるわけがない。

 それとどこか違うというのか。

 

(手の掛かるペットほど……愛着が湧くのもまた……、乙ではありますが……)

 

 クライムを拾ったのは自分だ。だから責任を持って世話をして育てている。ただ、それだけだ。いや、それだけというのも味気ない。

 

(それよりも試合はどういう風にしましょうか。その辺りはまだ全然考えておりませんでしたわ)

 

 男社会は疎い。それは認めるところであるラナーは知恵者の意見が欲しくなった。

 一人で悶々と考えてもいいのだが、それが良い案だという保証が無い。

 それからクライムに大ケガをしてほしいわけではない。結果としてそうなる時はちゃんと愛でようと思っているだけだ。

 序盤から敗色の濃い戦いであるのは面白くない――。()()()強い様を見ることも楽しみだから。

 弱者が強者を打倒する。そこに至る過程はラナーとて否定しない。

 弱い者は要らない、などと言うつもりはない。

 

(このようにクライムを心配する心があるというのに……。レエブン侯も折を見て処分いたしますか……。それともネチネチといたぶる方がよろしいかしら?)

 

 この化け物め、と大声で喚いた事は忘れていないラナー。

 女性としてちゃんと傷付く心を持っている。だからこそ仕返しが必要だ。

 あと、会う度に化け物と言って(はばか)らない(ザナック)――。あれも後々処分対象と致しましょうか、と――

 

  

 

 深夜に差し掛かる時間にラナーはベッドで横たわったのまま目覚める。

 いつ何時暗殺されるか分からない世の中において、いつでも覚醒する訓練は貴族であれば必須――

 寝巻きを確認しつつ、側にお付きの従者が居ないことを確認する。

 夜中の活動は肌に悪いのだが、敵は自分が思っているほどに多く、また城の中が安全だと言い切れない。

 ラナーに与えられた部屋は広く――貴族らしい暮らしが最低限出来るほど――一生を過ごすことも可能にする()()()()()だ。

 外出は滅多にしないが、出来ないわけではない。

 余計な発言を嫌う兄達の邪魔さえなければ――

 

(予定の刻限にはまだ早いかしら? いえ……既に到着しているかもしれませんね)

 

 衣服の着替えは面倒だし、外出することにはならないと予想してそのままでいることにした。

 顔を洗ったり、僅かな化粧くらいはしておかないと()()に失礼に当たる。

 準備を整え終わった後、明かりを灯すマジックアイテムを燭台に乗せて客間に向かったラナーは暗い部屋の明かりについて悩む仕草をする。

 人間である自分にとって暗闇は不安を与えるもの。かといって深夜に部屋を明るくすれば城の中や外で警備する者達に気づかれてしまう、かもしれない。

 少なくとも確認の為にノックは受けてしまう。

 

(……私、都合の良いアイテムをあまり持っていませんから……、どうしましょう)

 

 生活する上で最低限の品物は部屋の中に常備されている。さすがに何も無い部屋に餓死するまで監禁されていては本当に罪人扱いだ。

 あくまでも体面的に王女が活動できるように――かつ、余計な事を言わないように――という配慮からだ。

 

  

 

 客間には薄っすらと明かりが灯っていた。――その光は赤とも青とも判断しにくい妖しいものだった。

 側にアイテム類は見当たらない。だが、現に部屋を照らしている。それはいかなる理由からなのか。

 ラナーはさっと部屋を見渡してみた。

 光源となるのは目の前の人物――しか居ない。おそらく種族的なものか、自然発光する何か、としか言えなかった。

 毒々しい明かりは精神的に良くはないが、かといって文句も言えない。――とりあえず、持ってきた燭台はテーブルに乗せる。

 相乗効果によって更に妖しくなった。

 

「お待ちしておりました。デミウルゴス様」

「ええ、少し早く来てしまいましたが……。深夜にもかかわらずご招待してくださり感謝しますよ、ラナー王女」

 

 音も無く部屋に侵入してきたのは丸いレンズの眼鏡をかけた痩身の男性――。光によって壁に映し出されるのは妖しいモンスターの影。

 腰からこぼれる――先端が棘付きで銀色の――尻尾が妖しく蠢いていた。

 尖った耳は森妖精(エルフ)のように見える。

 見られない服装は何処の国のものか――ラナーの記憶には無かった。

 その者を言葉で表すならば――悪魔だ。物腰と印象は柔らかく、言葉も丁寧――

 警備の厳しい王国の居城に平然と侵入してくる相手に対してラナー達に抗うすべは無い。抵抗が無意味ならば受け入れるほうが建設的である。

 

  

 

 すらりと整った姿勢で手は後ろに組まれていた彼――デミウルゴスに椅子に座るように勧める。

 夜間の秘密会議は何とも言えない雰囲気に包まれたが、ラナーは平然と相手と対峙した。

 彼と会うのは一度や二度ではない。

 

「では早速ですが……。クライム君の強化計画ですが……。試合形式では限界があります」

「はい」

 

 デミウルゴスはまず結論から言った。

 既に打ち合わせの殆どは済んでいる。今更最初から腹の探りあいをする必要も理由も無い。

 

「魔導王陛下も楽しみにしているイベントですので大々的に(おこな)いたいところ……なのですが……。弱者を強者たらしめるのは私であっても難しい問題です」

「……ですから長い試合形式で最後に魔導王との一騎打ちとなる予定です」

「用意するモンスターの質にもよりますが……。彼……確実に死にますよ。……いえ、そういうモンスターが後半にはたくさん出ると思います」

「その辺りの解決はそちらにやっていただかないと困りますわ。……そうでなくとも剣士のままでは勝てない敵というのは……、何だか悔しいので」

 

 なすすべの無いモンスターが居るのは百も承知。だが、ラナーは()()()負けず嫌いだった。どうにかそんなモンスターにも勝ってほしいという思いがある。

 死を振りまく厄介なモンスターが実際に居て、剣士などではどうにもならない相手が世の中には存在している。ラナーとて承知している。

 それでもクライムには()()()()()()()モンスターを打倒してほしいと思っていた。

 

 どんな相手にも苦手となる相性がある。

 

 ラナーとて絶対に無理だと分かっている事がある。それでも何か方法は無いものかと苦心していた。愛するクライムの為に。

 いきなり強敵と戦う事は無いが、その相手に到達するまでに必要となる技術がどうしても欲しい。武器も同様に。

 才能の無いクライムに出来る事は学ぶ事だ。

 

「短期間で少ないモンスターでの強化など不可能に近い。それが出来れば他の冒険者も最強にすぐなれます。……であれば武具、技術、仲間の追加は必須です」

「それは既に目星をつけております」

「よろしい」

 

 デミウルゴスはラナーの言葉に満足し、口角を吊り上げる。

 お互いの確認作業を終えてラナーとデミウルゴスは互いに用意した書類を交換する。

 試合に必要となるさまざまな事柄が記されたものであるが、どちらも相当な枚数に(のぼ)った。

 しばし、書類に目を通す二人の間に沈黙が下りた。

 

「最終決戦に彼が魔導王を倒すことなど……」

「負けが確定している試合は面白くありません。……けれども、それは……」

 

 最後の試合内容は既に決定事項――。ほぼ確定していると言っても過言ではない。それについて()()議論をする気はない。

 どう勝つのか、どう負けるのか分からない方が面白いこともある。

 ラナー個人としては勝ってほしいけれど、相手は数多の魔法を使いこなす最強の敵――

 クライムの実力から様々な手段を考慮しても敗北しか出て来ない。

 勝てないのであれば死なない負け方をすれば良い。

 さすがに死んでもらっては困る。ラナーとしてはとても――

 

「……しかし、優遇された戦闘を彼は良しとしますか?」

「そこは上手く言いくるめますわ。……クライムは私のためならば手段を選ばないところがあるようです。……ですので……」

 

 と、悪魔めいた顔に変ずるラナー。

 口角を挙げて嬉しさを表現する。

 

「私の騎士はどのような手段を用いても勝ちに行くと思います。そして、勝てないと分かればそれなりに……」

 

 才能がなまじ無いからこそクライムは他の騎士とは違う戦いが出来る。

 自分の実力をちゃんと把握して敵に立ち向かえる。そういう生存本能が他の人よりも強く、そして、いつだって彼はラナーの元に帰って来る事が出来る。

 主の為に死ぬわけではないけれど――

 死なないことで主の役に立つことを学べる優秀な騎士だ。

 

「クライムの代わりは早々見つかりません。それが残念な点ではあります」

 

 そうでなければこんな茶番に付き合う事はしない。

 確かに城にはクライム以上の実力を持ち、優秀な人材がたくさん居る。だが、それらは有象無象に過ぎず、替えが効く。だからこそ愛着が持てない。持つ価値すらない。

 書類に目を通し終わったラナーはふうと息を吐き出す。

 蠱惑的で扇情的な恍惚とした表情を浮かべて――

 油断すれば太ももを強く締め付ける結果になりそうなほどに――

 

  

 

 人前で自分の本心を見せない事が美徳とされている貴族社会においてラナーは今、とても無防備になっていた。

 それでもやはり隠し通せない感情というものが存在し、相手に油断を見せる結果になっている。――それもまた織り込み済みだったりするけれど――

 目の前に座る悪魔は自分(ラナー)にどういう評価を下すのか、と目線だけ向けると未だに書類に顔を向けていた。

 ため息が聞こえていなかったのか、それとも大して興味を抱かせないものだったのか。

 どちらにせよ人間相手であればとても悔しい思いだ。

 王国第三王女の弛んだ顔が拝めないとは実に勿体ない、と。

 

「……後はいつ試合を始めるか、ですわね」

 

 いつもの客人用の表情に切り替えて、少し残念そうにラナーは言葉を続けた。

 先ほどまでの痴態が嘘のようだ。――それもまた彼女の処世術の一つだ。

 

「闘技場の設営からですと……、試合はすぐにとは行きませんね」

「場所の選定や規模はそれなりに……」

 

 デミウルゴスとしては既に設営されている『ナザリック地下大墳墓』の第六階層が浮かんだ。――だが、観客に人間を入れるとなると話が変わる。

 ここは地上の適当な場所に作るべきだと予定に入れておく。

 一度の打ち合わせで事態が進むとは思えないので、焦る必要は無いと判断する。

 

  

 

 王女と悪魔が画策している間、挑戦者クライムは今日も今日とて鍛錬漬けに明け暮れていた。

 既にラナーからモンスターとの戦い自体は――簡単にだが――聞いていた。――詳細までは知らされていないが――

 どんな相手でも自分の実力を出し切るだけだ。それだけを思って剣を振るい、学問に励む。

 世に知られているモンスターを効率よく倒すには学ぶ事が一番だ。だが、知られていないモンスターは対処が難しい。

 巨大モンスターとの一騎打ちの場合は敗走してもいいのか、と。

 試合形式なので無理なら諦める事が出来る。死んでも勝て、とは言われていない。

 

「それは追々……」

 

 ラナーは言葉をはぐらかした。

 何らかの対策は考えられているようだが、嫌な予感しかしない。それでも彼女はクライムに戦ってほしいと思っている。その期待に出来るだけ応えたい。

 

 だが、と。

 

 敗北した場合はどうなるのか。ラナーが悲しむだけで済むのか。それとも何らかの罰則が別に存在するのか――

 そういう邪念が剣を鈍らせる。

 

「クライムが絶対に勝てないと言わしめるような相手はもっともっと後半に出ると思いますわ。だから……、今から心配せずとも……」

「……しかし、私の敗北でどんな結果になるのか……」

「どうもしませんわ。……悔しい気持ちになるのは嫌ですけど……」

 

 確かにいきなり負けてもらっては困る。それは本当だ。

 クライムが敗北しそうになるまで随分先になる予定だが、気がかりを早めに知りたい彼に何でもかんでも教えるのは()()()()()()()()()()()()

 だから教えたくない。

 ラナーはとても我侭な娘である。そして、それは本人が一番自覚している。

 

  

 

 不穏な空気を感じ取る事は悪い事ではない。ただ命令に従う短絡的な人間でないことは喜ばしい。

 何も知らずに動いていればいい、とはラナーとて思っていない。

 それでこそ育て甲斐があるというもの――

 今はまだ従順な『犬』であってほしいと思う反面、彼との腹の探りあいも悪くはないなと――

 クライムが気にする気持ちは理解出来なくはない。

 全てが八百長じみたものなのだから。――時には手を抜いてもらう事も検討されている。

 試合形式、というだけで実際はモンスターの確実な撃破――

 

(それは観客に見せる為の理由付け)

 

 ラナーとしてはクライムが勝利する様子を見る事が出来ればモンスターの質には拘らない。

 

「戦う前から敗退について議論するのは……、面白くありませんわ」

「申し訳ありません」

 

 自分が苦手とするモンスターが居ることを自覚しているからこその疑念だとは思うけれど――

 でも確かに無謀に突撃するような勇者でない事は理解した。

 時に賢さは邪魔だと思うのは――きっと自分(ラナー)自身の我がままの一部だ。

 

「私が何の対策もなしに延々と戦い続けろと言うつもりはありませんよ。……数が……多いのは致し方ありません。ですが、()()()()()()の撃滅をクライムに要望いたします」

 

 序盤はクライム一人の戦いが中心になるので、中盤以降はまた改めて疑問を聞く事にする。――今からすべてを話していては楽しみが減ってしまうので。

 

  

 

 命令一つで従順に動く従者では面白みに欠ける。けれどもクライムは様々な知識を得ているお陰で自分の判断が()()()()出来る。それは飼い主たるラナーとて誉めるべきところではある。

 そうでなくては、と。

 

(クライムの自由意志はまだ邪魔ですが……。いずれは首輪すら食い千切る(おとこ)というものになるのかしら)

 

 自分の手から離れる場面は想像できないし、したくないけれど――

 彼が自分に忠誠をいつまでも誓ってくれるように振舞わなければならない。それはそれで手間であり、徒労だ。だが――

 

(手の掛かる子はなんと頼もしいことでしょう。それでこそ、ですよ)

 

 それでこそ側に置いていつまでも愛でたくなる。

 その気持ちをいつまでも持っていたい。けれども永遠に続くものは無いとも思っている。

 

(……刹那のひと時こそ至宝である。人生とはなんと儚いものなのでしょうか)

 

 だからこそ、今を生きる(せい)を精一杯楽しまなくては――実に勿体ない。

 立ち去ったクライムに向けて手を伸ばすラナー。

 見えない鎖は我が手中にあり。――しかし、それはいつでも断ち切られるもの――

 これ()が切れるまでが勝負ですよ、と胸の内で呟く。

 戦いは既に始まっているのですから――。ラナーは至上の喜びを味わっていた。

 

『おわり』

 

 



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