気に食わないお隣さん (難民180301)
しおりを挟む

前編

 薄暗い六畳一間の一室に、タタン、タタンと軽快なタップ音が響く。

 

 音の源は部屋の中央でせわしなくタップされているアーケードコントローラーだ。お盆サイズの台に八つのボタンとアーケードスティックが配されたその装置は最新のゲーム機に接続され、モニター内のキャラクターを動かしている。

 

「クソッ」

 

 そして部屋の主でもあるプレイヤーが、手を止めないまま悪態をついた。

 

 彼の名前は掛野十三。ひょろ長い長身痩躯に尖ったアゴ、ワカメのような乱れ髪が特徴的な二十二歳の男性である。

 

「このアマ、対策詰めすぎだろうがっ……!」

 

 普段から細い目を緊張でさらに細め、冷や汗を流しながらモニターを凝視している。モニター内では二人の筋肉たくましい男性がパンチ、キック、ビームのような何かを繰りだして争っており、掛野の操作する金髪のキャラクターが押され気味だ。

 

 ゲームのジャンルは2D格闘ゲーム。二人のプレイヤーが個性あるキャラクターを操作し、一対一で勝負する。グラフィックや遊びやすさ、目新しさを重視して進化する昨今のゲームとは違い、九十年代の格ゲーブーム時代から微塵も変わらない公平なゲーム性を売りにするニッチなジャンルである。

 

 もちろん技術の進歩、流行の変化によってゲームシステムやキャラクターデザインは多少変化しているが、一対一で戦い知識と実力のある方が必ず勝つという格ゲーの本質は変わっていない。

 

 今やその本質はスポーツの競技性と同一視され、海外だけでなく日本でも突出した一人のプロゲーマーを皮切りにプロ格闘ゲーマーが複数生まれている。

 

 その複数のうちの一人が掛野だった。

 

 実家からほど近いターミナル駅のイベントスペースで格ゲー大会が開かれるというので記念に参加してみればまさかの優勝、格ゲーブームに商機を見出している企業から声をかけられスポンサーを獲得し、あれよあれよという間にプロへ至った。

 

 スポンサーの支援もあって日本全国だけでなく海外の大会でも成績を残し、今もっとも勢いのある若手として注目されている。

 

 したがって彼は世界屈指の腕前を持つプロゲーマーなのだが――

 

「ぐぬぬ……!」

 

 モニター内での戦いは一方的だった。掛野の操るキャラはなすすべなく体力ゲージを減らされ、特殊な必殺技を使えるEXゲージも残っていない。逆転の目は一つとしてなかった。

 

 悔しさに歯噛みしているうちに敵のパンチに引っかかり、体力はゼロに。リザルト画面で敵キャラが勝ち名乗りをあげる。

 

「くっそう!」

 

 掛野は頭を抱えた。

 

 決して負けてはいけない戦いだった。なぜなら、相手はインターネットを介してオンラインで巡り合ったアマチュアにすぎず、プロである自分が負けていい相手ではなかったから――ではない。プロはプロ同士の戦いに備えてキャラクターごとの対策やプレイヤー対策を練るため、アマチュアの間で流行っているキャラクターや戦術には意外にも弱いことが多い。そういったマイナー戦術を巧みに実行するアマチュアを相手にすると、黒星を喫するのは珍しいことではなかった。

 

 ではなぜ負けてはいけなかったのか。

 

「……はーい」

 

 呼び鈴が鳴る。ゆらりと立ち上がって玄関へ向かう掛野。唇を固く引き結び、眉間にしわを寄せている。

 

「こんにちは、掛野さん」

 

「こんにちは、イズミさん」

 

 扉を開けるや否や高い声であいさつされ、機械的に返した。

 

 玄関先にたたずんでいるのは隣人のイズミ。スリム体型と低身長、童顔のため小中学生程度にも見えるが、近所の大学に通うれっきとした女子大生だ。掛野の目線から四十センチほど下の位置に、ショートボブの黒髪と猫のような吊り目がある。その目は満面の笑みで細まっていた。

 

 見た目こそかわいらしいイズミだが、掛野にとって今は絶対顔を合わせたくなかった人物である。というのも――

 

「掛野さん。素人に負けるプロってどう思う?」

 

「……プロも人間だし、たまにはそういうこともあると思うよ」

 

 イズミはつい先ほど負かされた相手であると同時に、勝ち煽り、死体蹴り、ブーイングがとても得意なあんちきしょうだからである。

 

「うんうん、そうだね。あ、これ、昨日作りすぎた煮物。おすそわけに来たんだ」

 

「わあ、うれしい。とってもおいしそうだなあ」

 

 掛野は苦虫をかみつぶしたような顔でイズミからタッパーを受け取った。

 

(この野郎、いつもより手が込んでやがる)

 

 ニコニコ笑顔のイズミと掛野。ただし掛野のこめかみは苛立ちのためピクピクしている。

 

 どうやらイズミは、『煮物のおすそ分けに来たついでの世間話』として遠回しに煽る腹積もりらしい。仮に掛野がキレて追い返せば、『親切にもおかずを分けに来た隣人に逆切れしたキレる若者』という汚名を被ることになる。どんな煽りにも耐えしのぶしかない。

 

「でもさ、仮にだよ? 前まで愛用してたキャラクターを性能が悪いからって理由で捨てて新キャラに乗り換えたプロがいたとして。その人が新キャラ使って捨てたキャラにボロ負けしたらどうかな? しかも素人に。最っ高に笑えない?」

 

「どうかな、プロの仕事は大会に出て目立つことだからね。大会じゃまず見かけないクッソ低能マイナーキャラなんかにオン対戦で負けたって、誰も気にしないさ」

 

「あはは、クッソ低能マイナーキャラだって。じゃあそんなキャラに完封されたプロって何なんだろうね? クソ低能マイナーの下だから、ゴミかな?」

 

「なんだとコラァ! はっ!?」

 

 ゴミ扱いされたことで掛野は激昂し、瞬時に負けを悟った。一対一の勝負で負けた以上、正義は勝者にのみある。ましてや親切な隣人の建て前まで用意してきたイズミに対し、掛野に反論できる資格はない。声を荒げた時点で敗北を上塗りしたのだ。

 

 敗北感でいっぱいの掛野はその場で膝をつき、地面をたたいた。

 

「畜生……! 俺の負けだ!」

 

「はっはっは、これぞ愉悦、勝利の味! 今日もごちそうになるよ」

 

 打ちひしがれる掛野を玄関先に残し、イズミは勝手知ったるという風に、悠々と掛野の部屋へ入っていくのだった。

 

---

 

 広大なインターネット対戦の世界でたまたま隣室に住む者同士が巡り合った日のことを、二人は覚えていなかった。ただ、アーケードコントローラーを叩くタップ音と、手痛い一撃を食らったときの悲鳴や息をのむ音、プレイ内容に対する悪罵の声が薄いボロアパートの壁を通して聞こえてきたので、もしやと思い煽りに行けばビンゴだった、とうっすら記憶している。煽りに行ったのがどちらが先だったのかはおぼろげだ。

 

 二人はいつしかプレイ時間を合わせ、意図的にオンライン上でかち合うようになった。勝率は五分五分、かろうじて掛野が勝ち越しているといったところ。掛野としてはマネーマッチで見かけないマイナーキャラに負けても内容が悪くなければ悔しくはないが、相手がイズミのときだけはがむしゃらに勝ちを狙いにいくため、負ければひどく悔しい。高い渡航費を自腹で賄って出場した海外の大会で一回戦負けした以上に悔しい。

 

 更に精神面だけでなく経済面でも痛い。

 

「今日はなーに?」

 

「チャーハンと中華スープと、キャベツの千切りでいいか」

 

「おっけー。チャーハンは絶対パラパラで頼むよ」

 

「分かってらい」

 

 冷蔵庫から二人分の材料を取り出して調理にかかる掛野。その間イズミはちゃぶ台にひじをついてテレビを眺めている。

 

 負けた方は勝った方に一食ごちそうする。何度か対戦を繰り返すうち知らぬ間にできていた暗黙の了解だ。掛野が勝ったときにはイズミのところへ勝ち煽りに行き、昼食か夕食をいただくことになる。

 

 スポンサーから定期的に給料が入るとはいえ、渡航費、遠征費は自腹を切ることが多い掛野にとって一食おごるのは割と痛い。しかし実家からの仕送りで細々と暮らしているイズミも一食が重いのは同じなので、お互い文句は言わない。勝った方が得をして負けた方が損をすることについて、二人の意見は完全に一致していた。

 

(くそったれ、今日だけは何としてでも勝っておきたかったんだが)

 

 チャーハンを手際よく炒めながら掛野が顔をしかめる。

 

(あのことについてどう切り出す? ――ダメだ、どう考えても煽り倒される未来しか見えん)

 

 イズミに対する頼み事をどう切り出したものか。せめて勝っていれば、勝者の優位を盾にして簡単に言い出せたのに。負けた今となっては、散々煽られた上何か恐ろしいものを要求されそうだ。

 

 しかし頼める相手はもうイズミ以外いない。せめて夕食の味でご機嫌をとろうと、イズミの好みに合わせた薄味でチャーハン、中華スープを仕上げた。

 

 ちゃぶ台に運んで手を合わせ、小さく「いただきます」を言ってからハシをつける。

 

「なんか味がおかしくない?」

 

(何ィ!? やべえ、今機嫌を損ねられるとまずい!)

 

 チャーハンを口に運ぶなり眉をひそめるイズミ。戦々恐々の掛野は努めて冷静に口を開く。

 

「調味料が少なかったんでな。お前薄味が好きだからちょうどいいだろ」

 

「え、なんで僕の好み知ってるの気持ち悪っ」

 

「ああん!?」

 

「まあ、実際好きだからいいや。おいしいよ」

 

「お、おう」

 

 隙あらば毒を吐くイズミだが、満足げに笑われては掛野も突っかかる気力が失せた。

 

 その後、食を進めながら横目でイズミをチラチラと見やる。テレビの内容が受けているのか夕食の味付けが好みなのかは知らないが、少なくとも表情は上機嫌だった。ただ、どんなタイミングで切り出しても煽られる未来しか見えず、結局迷うだけ時間の無駄かもしれないとの考えが頭をもたげる。

 

 イズミが食べ終えるのに合わせて掛野も最後の一口を呑み込むと、ついに迷っているのが馬鹿らしくなった。

 

「なあ」「あのさ」

 

 ばっちりと声が重なる。

 

 しばし無言でにらみ合ってから、もう一度。

 

「なんだよ」「何かな?」

 

 また重なった。

 

 そして痛いほどの沈黙が下りる。両者真顔でにらみ合い微動だにしない。掛野は二度連続でダブルノックアウトを経験した気分である。格ゲーでのダブルノックアウトは六十分の一秒単位で同じタイミング、同じ強さの攻撃がかち合わなければ起きないため、非常に珍しい。

 

「実は、頼みがある」

 

「……頼み?」

 

 珍現象で面食らっているのはイズミも同じはず。そう判断した掛野は先に切り出した。

 

「今週末、東口のイベントスペースで三対三のチーム戦トーナメントがある。俺も出る予定だったんだが、メンバーの一人が急病でリタイアした。助っ人で俺のチームに入ってくれないか」

 

 最寄りのターミナル駅で行われるそのイベントは賞金も出ず、公式大会ではまず見ないチーム戦なのでゲーマーとしてはメリットが少ないものの、主催がスポンサー企業で直々に出場を要請されては断ることはできなかった。しかし声をかける予定だったプロゲーマー仲間の二人のうち一人が腱鞘炎を発症し、あと一人実力のあるプレイヤーが必要だったのだ。

 

 たとえ優勝しても賞金や賞品は出ない。せいぜいネット上の配信サイト利用者かスポンサー企業にアピールできる程度のものだ。「それ、僕の参加するメリットは?」などと聞かれたらもう詰みである。

 

「なるほど、あのイベントね。いいよ」

 

「……」

 

「聞いてる? いいよ、って言ったんだよ」

 

「……嘘ォ!?」

 

 どんな罵詈雑言と拒絶の言葉が来るのかと身構えていた掛野だったが、意外にもあっさりと了承された。

 

 驚きのあまり立ち上がった掛野の下で、イズミはいつになくしおらしい様子だった。しきりに手を組みなおし視線を下に固定している。

 

「その代わり、僕の頼みも聞いてほしい」

 

「あ、ああ、そういうことか。何か変なもんでも食ったのかと」

 

「どういう意味さ」

 

 イズミのジト目を受けながら胸をなでおろす掛野。イズミは対価もなしに頼みごとを聞くようなお人好しではない。そう見えたとしたら裏で何かを企んでいるか、頭がおかしくなったかだ。

 

 イズミは一つため息をついて仕切り直しにかかった。

 

「まったく失礼な男だな。――僕が大学生なのは知ってるだろ?」

 

「おう」

 

「女子大生数人揃ってキャイキャイやってると、まあお決まりの話題になるわけだ。やれ彼氏はいるかとか、高校時代の恋愛はどうだったとかね」

 

「ふむふむ」

 

「で、僕はある日言われた。『イズミちゃんって恋愛とか全然興味なさそう。男の人と手をつないだこともなさそう。何それ超ウブなんですけどー』と。君なら、僕がどう答えたか分かるよね?」

 

「――んっ?」

 

「彼氏くらいいる。毎日お互いの家を行き来し、真剣にヤリ合う仲さ。僕はそう答えた。そして今度その彼氏に会わせてやると啖呵を切った」

 

「おう……」

 

「だから今度、僕の友だちに会ってくれない? 僕の彼氏役として」

 

「アホかキサマ」

 

 掛野は天を仰いだ。ブリッジに近い角度で身体をのけぞらせ、目前のアホの奇行を嘆く。

 

 毎日お互いの家を行き来するのは良しとしよう。しかしヤリ合うとはなんだ。勝負していることを言い換えているにしては卑猥な意図が透けて見える。腐っても女なのだからもう少し言葉を選べ。

 

 この話は嘘ではないだろう。呆れるほどプライドが高く煽りに弱いイズミがそんな言い方をされれば見栄を張るのが当然だし、そうでもなければお互い気に食わない仲の掛野に頼み事をするなどあり得ない。

 

「あのなぁ、お前――」

 

 態勢を戻してイズミに向き合った掛野は息を呑む。

 

 終始涼し気な声音で話していたイズミだったが、それは虚勢だったようだ。俯き加減の顔は耳まで真っ赤に染まり、唇を噛みながらぎゅっと手を組んで、目には涙さえ見える。

 

 振りとはいえ彼氏になれ、と異性に言っているのだから恥ずかしいのは当たり前だろう。相手が掛野なら悔しさもあるかもしれない。

 

 憎たらしくうっとうしい普段のイズミとはかけ離れた弱弱しい姿。これほどあからさまな弱味を見せられれば――全力で煽りに行きたくなるじゃないか。

 

「いやぁ、イズミさんのような美人さんが彼氏の一人もいないなんて驚きですねぇ」

 

「ぐぬぬ」

 

「おまけにそんなに顔を赤くしちゃって。本当にウブなんですねぇ。あ、もしかしてコウノトリが赤ちゃんを運んでくるとか思ってるタイプかなー?」

 

「この、いい加減に……!」

 

 意を決して顔を上げたイズミの眼前に、掛野は雑誌をつきつけた。

 

 少々大人向けな内容も含む青年マンガ誌。その内で上から二番目くらいに性的なページを開いている。

 

「ひゃあ!?」

 

「ぷくく、どうしましたー? ただ肌色が多いだけの健全マンガでございますよー?」

 

 両手で顔を抑えて身を伏せるイズミ。掛野はイズミの耳元でねちっこく追い打ちをかける。さっきゲームでも口でも負けた分の報復であった。

 

「……くたばれっ! しょーりゅーけん!」

 

「グハァっ!?」

 

 ついに我慢の限界を迎えたイズミは全力のアッパーカットを放った。小さな拳が掛野のみぞおちに突き刺さる。しかし、前のめりに倒れた掛野の口元には笑みが浮かんでいた。

 

「ははっ、俺の、勝ちだ!」

 

「はっ!? く、やるじゃないか」

 

 そう、煽り合いは先にキレた方が負けなのだ。一度煽られる弱味を見せたなら、正解は相手が飽きるまで耐えるか正面から論破するかの二択のみ。ちゃぶ台返しめいた暴力行為は降伏と同義だ。今夜の煽り合戦は一勝一敗に落ち着いた。

 

「ゲホッゲホ、と、とりあえず、お互いの頼みを聞くってことで、いい、ゲホッ」

 

「……それでいいけど。効きすぎだろ。大丈夫?」

 

 ついでに頼み事の件も解決した。イズミは掛野のチームメンバーに、掛野は一時的にイズミの彼氏を演じる。

 

「バカヤロー、お前の貧弱パンチなんざ効くわけっ、ゲホっゲホ!」

 

「あー、分かったから黙ってなよ。ったくもやしゲーマーめ」

 

 イズミは掛野の呼吸が整うまで背中をさすった。

 

 その後、お互いの頼みについて打ち合わせを行う。イズミの方は別に日取りを決めているわけでもなかったので、ひとまず日程の決まっているチーム戦トーナメントの方へ先にかかることとなった。といってもエントリーの手続きやチームメンバーへの連絡などすべて掛野が請け負うため、イズミが特別にやることはない。

 

 この日は木曜日。トーナメントは土曜日の午前から行われる。

 

 翌日の金曜日、薄い壁越しにネット対戦を、直接顔を合わせていつもより濃密な煽り合戦を一日中行って、二人はトーナメント当日を迎えるのだった。

 

---

 

 トーナメント会場であるイベントスペースは、ターミナル駅に隣接するショッピングモールの一階にあった。一階から五階まで吹き抜けになったモールは広々としていて、アクセスが良く品ぞろえもいいことから毎日多くの客でにぎわっている。

 

 その客の多くが各階層の手すりに寄りかかり、一階で進行するイベントを興味深げに観戦していた。広場となっている一階の一角に巨大なスクリーンが一つと無数のモニター、ゲーム機が設置され、トーナメントが進んでいる。

 

 トーナメントの様子はカメラを通してネットでライブ配信されており、コメント欄は会場の熱気に負けない盛り上がりを見せていた。

 

『今きた。カケノチームはどうなった?』

『キヨコちゃんペロペロ』

『ファックカケノ』

『カケノチームなら笑える勢いで勝ち進んでるよ』

 

 大会参加チームは全部で八チーム。相手の体力を一度ゼロにすると一ラウンド、二ラウンド取って一セット。先鋒、中堅、大将戦の三セットのうち先に二セットとれば一勝。二勝したチームが勝ちとなる。

 

 そんなルールのもとで一回戦をストレートで突破したカケノチームは、今現在二回戦の中堅戦を行っている。すでに一セット目を勝ち取っているため後一セットで勝利だ。

 

『さあ最終ラウンド、ここをとれば決勝進出が確定するカケノチーム。カケノが召喚した最強の助っ人の勢いが止まらない!』

 

 実況解説のあおりを受け、ゲーム画面とは別に中堅戦を戦うプレイヤー――イズミの顔がアップで配信画面に映される。涼しげな横顔とよどみない手つきからは余裕がにじみ出ていて、コメントではその正体への興味と憶測が囁かれている。

 

『この余裕っぷりからしてどう見てもプロなんだけど』

『プロならスポンサーの名前アピールくらいするだろ、上下ジャージなんて着てこねえよ』

『最強の最弱キャラ使い』

『カケノの彼女? だったらキヨコちゃん立つ瀬ないな』

『男の子か女の子かそれが問題だ』

『僕は男の娘がいいです』

 

「変態じゃねーか!」

 

「せ、先輩? 試合見ましょうよ」

 

 掛野が暇つぶしがてらコメント欄をスマホで流し読みしつつツッコんでいると、横から控えめに袖をひかれた。見ると、いまどき珍しいメガネにおさげの少女が掛野を見上げている。

 

 掛野と同じ企業ロゴの入ったティーシャツを着ている彼女は、掛野と同じ時期にプロ入りしたプロゲーマー、キヨコだ。本名は山内清子。アマチュアから入ってきたプロゲーマーの中には知名度を考えて、プロになっても昔のニックネームを使い続ける者が多い。キヨコもその一人だ。

 

 真面目な彼女らしくチームメンバーの試合を見るよう抗議するが、掛野はふてくされたように「ふん」と鼻を鳴らす。

 

「結果は見えてる。大会上位の常連レベルならともかく、対策を詰めてない並の連中にアイツが負けるなんざありえねーよ」

 

「だ、だからってですね、素人さんなのに顔出しまでして出てくれてるんですよ。きちんと見なきゃ失礼です」

 

 キヨコの言うとおり、イズミは全世界にネット配信されている大会に素顔と実名をさらして堂々と出場している。掛野もその心意気には感動していたかもしれない。相手がイズミでさえなければ。

 

「顔出しするけど大丈夫か、って聞いたさ。あいつはなんて答えたと思う? 『世間に晒して恥じるようなモノは持ってない』だと。あの自信過剰女が……!」

 

「あ、あはは」

 

 イズミのどや顔を思い出して歯ぎしりする掛野。実際イズミの見た目は掛野が口出しできないほどに整っているし、格ゲーの実力も現時点では世界トップクラスなので恥になる部分は一つとしてない。

 

 とはいえ、プロとして初めて大会に出たとき緊張で呂律の回らなかった自分と比べると、掛野としてはイズミの堂々とした態度が悔しかった。その気持ちを紛らわすように、ヤケクソ気味の声援を飛ばす。

 

「がんばれー、イズミちゃーん!」

 

 イズミの肩がビクリと跳ねた。手元が狂って難易度の低い基本のコンボを失敗し、その隙に手痛い反撃をもらってしまう。

 

 しかしそれまで優勢に進めていた勢いのおかげでどうにかラウンドを制し、チームの決勝進出が決まった。

 

「よう、危なかったな」

 

「だ、れ、の、せいだと思ってるんだこのワカメヘッド!」

 

「誰がワカメだこのチビ女ァ!」

 

 相手選手と握手を交わしたイズミは肩を怒らして掛野へ詰め寄る。

 

「君にちゃん付けなんてされると鳥肌が立つんだよ! おかげでバカみたいなミスしちゃっただろ!」

 

「はん、その程度でプレイに影響出る方が悪い。プロはどんな野次にも動じないもんだぞ」

 

「僕はアマチュアゲーマーだ! そして君の声は数千数万の大ブーイングにも勝る不快音なんだよっ!」

 

「なんだとコラァ! 人の声援を騒音扱いたあどんな了見だ! おいキヨコ、お前もこの背と器の小さいチビ野郎になんか言ってやれァ!」

 

「ええと……ふ、二人とも仲がいいんですね」

 

「どこがだ!」

 

 声をそろえて反論する二人。

 

 勝利者インタビューにやってきた司会進行役は、所在なさげに苦笑いを浮かべている。中途半端に差し出されたマイクがむなしい。

 

「あ、あのう、チームカケノの皆さん。勝利者インタビューよろしいでしょうか……?」

 

「おっと、すみません。構いませんよ」

 

 意を決して割って入った司会者の声にこたえ、掛野は営業スマイルを浮かべた。あまりの豹変ぶりにイズミはげんなりした顔でドン引きする。

 

「えー、二回戦も一回戦と同じく、先鋒にキヨコ選手、中堅に助っ人のイズミ選手というオーダーで見事勝利をおさめました。今のお気持ちは?」

 

「はい。人数合わせに誘ってみたイズミさんが案外活躍してて困惑しています。彼女ばっかり目立ってるのが気に入らないので、今度は彼女を大将にしたいですね」

 

「はぁ~? 君さあ――むぐっ!?」

 

 案の定突っかかってきたイズミだったが、掛野の目くばせを受けたキヨコに口をふさがれて退場していった。今インタビューを中断されると配信の流れが放送事故に近いレベルで乱れる。なお、先ほどの口喧嘩配信ですでに放送事故扱いされているのには気づいていない。

 

 イズミが思った以上に活躍していて困惑しているのは事実だった。イズミの実力は知っているが、さすがに衆人環視の緊張感で多少は動きが鈍るかと思ったのに、初戦から危なげない動きで実力を発揮した。それに加えキヨコもいつも以上の活躍を見せ、三番手の掛野が出ることなく勝利が決まってしまう。別に出番がないのはいいけれど、イズミだけ目立って自分は目立たないのだけは我慢ならない掛野だった。

 

 チームの闇を垣間見た司会者は「そうですか」と頬を引くつかせて相槌をうつ。

 

「えー、たった今連れていかれたイズミ選手ですが、コメントでは彼女について多くの質問が寄せられているようですね。一体どういったご関係なんでしょう?」

 

 これはチャンスだ。掛野はほくそ笑む。

 

「弟子です」

 

「弟子、ですか?」

 

「はい。たまたま近所で会ったのですが、出会い頭に弟子にしてくれと――」

 

「君のような師匠がいてたまるか!」

 

 ドゴォ、と鋭いローキックが掛野のスネに突き刺さる。配信画面外での暴行により、掛野の『自分に有利な関係を吹聴して既成事実にしよう』作戦は水泡に帰した。視界の端で必死に頭を下げているキヨコが目に入る。どうやらイズミは制止を振り切って掛野の口を塞ぎに来たらしい。

 

 うずくまってフェードアウトした掛野に代わり、イズミがマイクを奪う。

 

「えーとですね、僕と彼は元々知り合いだったんですが、おととい土下座で頼まれたんですよ。急遽助っ人が必要になりました。イズミ様がいれば優勝は確実です。なんでもするからお力を貸してくださいって具合に」

 

「ホラ吹き娘がァ! 俺が土下座なんざするか!」

 

「ホラ吹きはそっちだろ! ていうか君が先に頼んだのは事実じゃん!」

 

「先も後もあるか! お互い貸し借り無しだってことになっただろーが。マイクよこせ、俺が真実を伝えてやる!」

 

「いーや、真実は僕だ! それと中堅も絶対僕だもんね!」

 

「えー、皆さん、次の決勝戦は三十分の休憩をはさんだ後になります! カメラ、カメラ止めて!」

 

 マイクを奪い合う掛野とイズミ、その横でおろおろしているキヨコ。収拾不可能と判断した司会者は、話の流れをぶった切って最低限の告知をした後、強引にカメラを止めた。

 

 類を見ないほど加速したコメントの流れにより、しばらく配信サイト全体が重くなったという。

 

---

 

 腹部に強い圧迫感を覚え、掛野はうめきながら目を開いた。

 

 よく知っている自宅アパートの薄汚れた天井。少し顔を動かしてみると、デジタルの目覚まし時計が午前五時を指している。窓から見える空は曙光で橙に染まっており、朝の風があけ放した窓から吹き込んでいた。寝汗と夏の暑気でほてった身体が冷えていく。

 

 次に圧力を感じる腹の上を見て、「ああ、そうか」と状況を思い出した。

 

 掛野の腹の上に背中をくっつけエビぞりになって寝息を立てているのは、小憎たらしい毒舌チビ少女、イズミだった。上から見ると掛野とイズミの身体で十字型になっている。イズミの向こう側には電源のついたままのモニターとゲーム機が見える。

 

 あのインタビューの後、ジャンケンで掛野の出番は大将戦となり、結局キヨコとイズミの二人で優勝が決まってしまった。本当はジャンケンではなく三人で十セット先取の試合をして公平に順番を決めたかったのだが、時間がなかったのだ。

 

 意外だったのは、ほとんど無双状態に近い大活躍を見せたイズミがそのことを大して自慢しなかったことだ。大会に出場するプレイヤーは、大会で当たる可能性の高いキャラクター対策を詰めていることが多く、オンラインでも大会でも見かけないイズミの最弱キャラに対策を立てているプレイヤーがいなかった。対策がなくとも競り勝てる地力のあるプレイヤーもいなかった。活躍している本人が、活躍の理由をそう分析しているらしい。

 

「まあコイツはどうでもいい。キヨコのヤツには後で詫び入れとくか」

 

 独り言ちる掛野はおさげの少女を脳裏に思い浮かべる。

 

 キヨコは掛野の母校の高校に通う女子高生で、掛野を先輩と慕いしばしば教えを請う。しかし今回の大会での掛野はイズミに対応するので忙しくさほど話せなかった。ほんの少し奇妙奇天烈なところはあってもキヨコは大切な後輩だ。今度埋め合わせの必要があるだろう。

 

 なんにせよ、プロゲーマーの仕事はとにかく目立ってスポンサー企業の広告となること。その点で言えば、昨夜は手間をかけず優勝の名誉を手に入れただけでなく、いい意味でも悪い意味でも目立ったので大成功といえる。

 

 とはいえ自分を差し置いてイズミばかりが活躍したのは心底気に入らなかった。そこで優勝チームインタビューもそこそこに自宅へ戻りイズミに勝負を吹っ掛けた。夕食の用意も忘れ、煽り煽られながら勝った負けたを繰り返し、気づけば今の状況だ。

 

「寝落ちしたのは初めてだ。腕が痛い……」

 

 六十分の一秒単位の読み合いと複雑なレバー、ボタン操作の必要な格ゲーをプレイするには高い集中力がいる。それを寝落ちするまでプレイし続けたのは初めての経験だった。腕も頭も痛い。

 

 ただ、こんな状況でも勝ち負けを気にするのが掛野という男である。

 

 黒く染まった手のひらと甲を確認する。そこに油性マジックで記録された正の字によると、35勝36敗。念のためイズミの手の記録を確認しても一致する。まさかの負け越しであった。

 

 イズミを起こさないよう、仰向けのまま長い腕を使ってアーケードコントローラーを引き寄せる。ポーズ画面で止まっていた試合を再開し、動かないイズミのキャラを一方的に――

 

「させるかぁ!」

 

「何い!?」

 

 叩きのめそうとしたところで、イズミが飛び起きる。獲物に飛び掛かる猫のようにアーケードコントローラーに組み付いたかと思うと、寝起きとは思えない精度で操作を開始する。

 

「寝込みを襲おうったってそうはいかない。勝ち越し記録はいただきだ!」

 

「くそったれ、プロをなめるなァ!」

 

 腕も頭も目も痛いし、寝起きで頭がはっきりしない。それでも意地を張り合う二人は関係なく、早朝から全力でぶつかりあうのだった。

 

---



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

後編

 日曜日の大学のキャンパス内は閑散としている。平日授業に使われる講義棟は軒並み施錠され、休日にわざわざやってくる学生の大部分が図書館の自習スペースか部活の活動場所に集まっているからだ。

 

 とはいえ例外もあって、部活動に精を出す学生向けに休日も開かれている食堂棟と購買の周囲だけは、まばらに人影がある。広々とした食堂の屋外テーブルにはサークルの集まりだろうか、若い男女がいくつか固まって雑談を交わしている。

 

 そんな彼らは雑談の合間にチラチラと、一点に視線を向けていた。

 

 食堂棟と隣接する自販機スペースのベンチの上。そこでスヤスヤと寝息を立てる男女――イズミと掛野の二人が、視線の向かう先である。

 

 深く寝入っている二人は仲良く肩を寄せ合いお互いに寄りかかって眠っているのだが、四十センチ以上も身長差があるのでせいで大木に寄り添う猫のような図となっており、学生たちは微笑ましくその様子を見つめている。

 

 しかし寄りかかられているのは猫、イズミの方も同じで、大木たる掛野に体重をかけられているせいで非常に寝心地が悪かった。

 

 顔をしかめながらまどろみを振り払って目を開ける。

 

「うーん、重い……おい、君。起きろ」

 

「くく、そこでリバサ昇竜たあ安い、安い女だぜ……」

 

「ふんっ!」

 

「ぬう!?」

 

 脇腹をひじでついた。極めて不愉快な夢を無理やり中断させる。

 

「な、なんだ? もう時間か?」

 

「待ち合わせの二十分前だ。そろそろ起きてた方がいい。君、低血圧なんだから」

 

「そうかあ……ふああ」

 

 掛野が一目をはばからず大あくびをするので、イズミもつられて小さくあくびをもらす。

 

 夜通し格ゲーで戦い続け寝落ちした二人は、結局起きてすぐ対戦を再開して三時間近くモニターの前に釘付けとなった。イズミの友人に彼氏の体で掛野を会わせる予定が昼の十一時からだったので、それを思い出した二人は大慌てで支度し、待ち合わせ場所についたとたん揃って眠りに落ちたのだ。

 

 ちなみに対戦は僅差で掛野が勝ち越した。リバサ昇竜とはイズミの好きなリスクの高い逆転戦術の一つで、これが裏目に出て掛野に勝ちを奪われてしまった。先ほどの寝言は勝利の余韻だろう。イズミにとっては苦い敗北である。

 

 不意に立ち上がる掛野。

 

「エナドリ買うわ。お前もなんかいる?」

 

「カフェ……ブラックコーヒーちょうだい」

 

「おう。あ、やべ間違えた」

 

 お互い体力が残ってないので煽り合い皆無の淡泊なやり取りに留まる。

 

 が、掛野に投げ渡された缶飲料のラベルを見ると、イズミの中でスイッチが入った。

 

「これどう見てもカフェオレなんだけど。寝起きはブラックがいいんだけど」

 

「お前みたいな子供にブラックはまだ早い。背伸びはかわいいだけだからやめとけ」

 

「同い年だろーが! それとかわいいとか言うな! 君に言われると寒気がする!」

 

「朝からテンションたけーなオイ……」

 

「逆に君はどうしてそう冷静に僕の神経を逆なでするのかな。まったく」

 

 小さくいただきますとつぶやいて、カフェオレを一口。甘い。眠気覚ましには足りないけれど、やはり味としてはブラックよりも断然好みだ。もちろんそんな感情はおくびにも出さない。

 

 ちびちびと冷たいカフェオレの味を楽しんでいると、エナドリですっかり覚醒した掛野が口を開く。

 

「よし、目は覚めた。最後の打ち合わせといっとくか」

 

「うん。ここで認識がずれると一気にボロが出るからね。まず、僕と君の出会いは?」

 

「駅前のゲーセンで対戦してから意気投合してよく会うようになった。いつの間にか付き合っていた」

 

「次に、彼女のどんなところが好き?」

 

「全部」

 

「次に――」

 

 二人が打ち合わせているのはカップルとしてのカバーストーリーである。恋人同士でもなんでもない二人だが、イズミのプライドを守るために友人の前でカップルを演じなければならない。そのための基本設定を確認しているのだ。

 

 ただし、二人とも恋愛経験皆無な上どうでもいいことには手を抜く性格のため、細かい部分はかなり雑だ。たとえばお互いのどこが好きか、なんてことは考えようもないので思考放棄で全部としている。

 

(この人のことが好き、か。演技にしてもぞっとしないや)

 

 設定を復唱していく掛野を見ながらイズミはこっそりため息をつく。

 

 ひょろっとした長身痩躯、ワカメのような乱れ髪に鋭い目つき、しゅっと通った鼻筋と突き出た頬骨によりシャープな印象のある顔貌。見た目は細いことを除けばさほど悪くないし、内面は、煽り合いをしてばかりで大して知らないけれど、ニッチな世界でプロをやれているならまあ悪人ではないのだろう。

 

 けれど好きか嫌いかで言えばどちらでもない。そんな感情よりも、格ゲーで完膚なきまでに打ち負かして二度とあなたには勝てませんと敗北宣言をさせたい気持ちの方がはるかに強い。

 

「――こんなところか。何か間違いはあったか?」

 

「特にないよ」

 

「そうか。それにしても、お前が俺の彼女なんて演技にしてもぞっとしねーな」

 

 掛野は知らぬ間にニヤニヤとした腹立たしい笑みを浮かべていた。人を全力で煽るときの合図だ。対抗するようにイズミの額に青筋が浮かぶ。

 

「……はぁ~? そんな態度でいいのかな? 今のうちに愛想振りまいとけば本物になってくれるかもよ? 君みたいなさえないノッポが彼女を持てるチャンスだよ?」

 

「はっは、チビがなんか言ってんな。彼氏彼女なんて言葉はな、その幼稚園児ボディーをどうにかしてから言うセリフだ。じゃなきゃ背伸びしているようにしか見えねーからな」

 

「幼稚園児言うな! 小学生くらいはあるわ!」

 

「俺にとっちゃ百四十センチ以下はみんな一緒ですぅー」

 

「このデカブツ……!」

 

 ここまでが二人の間でのウォームアップだった。一度ツッコミに回った分、戦局はイズミのやや不利か。一触即発のピリピリした空気が漂う。

 

 いつもならイズミが暴力に訴えるか、掛野がキレるかして終わる煽り合いだったが、

 

「こんにちはー。 二人ともまだ十分前なのに早いねー」

 

 待ち人が来たのに合わせ、争いの空気がきれいさっぱり霧散した。お互いに後で覚えてろ、という意図を込めた一瞥をくれてから気持ちを切り替える。

 

 こうして、イズミの面目を保つための演劇が開幕したのだった。

 

---

 

 待ち合わせ場所に現れたのはイズミの友人の一人、田宮である。肩甲骨あたりまで伸ばされたふわふわのくせ毛、おっとりしたタレ目、サイズ大きめのカーディガンが緩くおおらかな印象を与えている。

 

「あれ、田宮一人? 松井は?」

 

「バイトー。どうせイズミちゃんにべそかいて謝られるだけだから、休んでまで行く価値ないんだってー」

 

 もう一人の友人はイズミの嘘を見抜いてドタキャンしたようだ。もしも先日の対戦で掛野に負けていれば敗者のプライドが邪魔して頼み事なんてしなかっただろうから、今日の待ち合わせでは本当に謝るしかなかっただろう。

 

 閉口するイズミから視線を外し、掛野を見やる田宮。

 

 掛野がうさん臭い営業スマイルを浮かべると、田宮も微笑で応えた。

 

「でもその価値はあったみたい。初めまして、田宮です」

 

「どうも初めまして、このチ――イズミの野ろ――イズミさんの彼氏の掛野です」

 

(今チビって言おうとしたな!? 人の名前くらい普通に言え!)

 

 初手からガタつきを見せる演技だったが、それからは手はず通りに進行した。イズミにとっては寒気のするような営業スマイルと丁寧口調で、主に掛野が田宮の質問に応対する。馴れ初め、お互いの好きなところ、日常でのノロケ経験など、想定通りの質疑応答を通して彼氏彼女の関係を田宮に刷り込んでいく。田宮自身も恋愛に疎いのか、イズミたちの想定を超える質問をすることはなく、円滑に目的達成へ近づいていった。

 

「ところで」

 

「はい?」

 

 その流れをぶった切ったのは演技の主役、掛野その人である。

 

「彼女、恥ずかしがって大学でのことをほとんど話してくれないんですよ。よければ何か教えてくれませんか」

 

「いいですよー」

 

 イズミは眉をひそめた。掛野に大学生活の話をしないのは恥ずかしいからではなく、その暇があれば煽るか対戦をしているからだ。まさか掛野がこちらに興味を持つわけもないし――イズミはハッと息をのむ。

 

(コイツ、煽りのネタを探すつもりか!)

 

 掛野の貼り付けたような笑顔が若干崩れ、にやりと唇が吊りあがっているのを見てイズミの疑念が確信へ変わる。煽りのネタ、つまりイズミの弱味を未発掘の一面から探ろうとしているのだ。

 

 彼氏が彼女の未知の一面を知ろうとするのはおそらく不自然ではないから、イズミが無理に止めることはできない。できることは田宮が下手なことを言わないよう祈るばかりである。

 

「まず、私たちの所属しているサークルが『格ゲー愛好会』っていうんですよ。それを立ち上げたのがイズミちゃんなんですー。入学式にジャージ姿で、『格ゲー好きな人サークルやろう』って書かれた看板片手に正門前にポツンと立ってました」

 

 イズミにとっては特に恥でも弱味でもないエピソードだった。真新しいリクルートスーツを着込んだ新入生たちの中で一人だけジャージだったのは場違いだったが、悪目立ちでも宣伝効果が高まったので結果的に正解だった。ほっと息をついて続きを聞く。

 

「あんまり目立ってたから、新入生も在学生も気になって結構集まったんです。私もその時の一人ですね。集まった人たちにイズミちゃんがサークルの趣旨を説明して、みんなで駅前のゲームセンターへ格ゲーをしに行きました。そしたら――」

 

 クスクス、とおかしそうに笑う田宮。

 

「イズミちゃんが全員叩きのめしちゃったんですよー」

 

「はは、そうなんですか」

 

 愛想笑いで驚いたふりをしているが、掛野の目は笑ってなかった。結果を知っていたイズミ自身も特に思うところはなく、口を噤んでいる。

 

 格ゲーの勝敗には操作技術と知識が直接反映される。運も絡むことはあるが、それは実力が高いレベルで拮抗している場合に限ってのことだ。プロ級の実力を持つイズミが初心者やライトゲーマーに負けることは天地がひっくり返ってもあり得ないだろう。

 

「それから自信のあった人たちがムキになって何度も再戦するんですけど、一回も勝てないんです。結局、『たかがゲームじゃないか、本気になってみっともない!』って大騒ぎし始めて。そしたらイズミちゃんが」

 

『たかがゲームで顔真っ赤にして大騒ぎするのはやめなよ』

 

「って言い返してですねー、もうほとんどの子が怒って帰っちゃったんですよー!」

 

 何がおかしいのか、心底愉快そうに笑っている田宮だが、イズミには笑いどころが分からない。首をかしげながら当時に思いをはせる。

 

 小さいころから格ゲーが好きで、ゲームセンターで暇を持て余した大学生たちや中年オヤジ相手に戦ってきた。知り合いは大量にできたものの、率直すぎる言葉選びはしばしば煽りや挑発としてとらえられ、親しい遊び仲間を得ることはなかった。

 

 そこで閃いたのが大学のサークルだ。サークルは特定の何かが好きな者同士で集まって構成される。自分と同じくらい格ゲーの好きな同志なら、多少の煽りにも耐えてくれるだろうし、単純に自分の実力を超えるかもしれない。その思い付きの結果は田宮の話した通りだ。周囲に迷惑だからあまり騒ぐな、というイズミにとっては煽りでもなんでもない正論を口にしただけで学生たちは去って行った。その時残ったのが田宮ともう一人の友人で、今では数少ない格闘ゲーム仲間だ。

 

 なお、学生たちの機嫌をとるために本気を出さない選択肢はなかった。誰が相手だろうと本気で勝ちに行く。ついでに煽る。それがイズミの生き方である。

 

「ハハッ、そりゃあ笑えますね!」

 

「でしょー!」

 

 また白々しい演技を――呆れながら掛野にジト目を見たイズミは絶句する。

 

 掛野が笑っていた。

 

 煽りの一環でも、営業スマイルでもない、心の底から湧き出る満面の笑みだった。

 

 見たことはあった。際どい接戦を制し勝ち星を拾ったとき、掛野はこの表情をしている。けれどすぐに腹立たしいニヤニヤ笑いに変わってしまって、今のように長続きはしない。

 

 なぜそんな顔をするのか、どこが笑えるのか、案外笑顔はカッコイイかも――と、イズミが混乱している間にも掛野と田宮はひとしきり笑い合っている。その様子が妙に仲睦まじく見えて、知らずのうちに口を開いていた。

 

「も、もういいだろ、その話はっ」

 

「そうだねー。今日は二人の話を聞きに来たんだものねー」

 

 じゃあ次は何聞こうかなーと考え込む田宮。掛野はすでに営業スマイルを取り戻している。

 

「掛野さんはゲームセンターでイズミちゃんと知り合ったのよね? 格ゲーが得意なの?」

 

「世界で一番得意です」

 

 即答。食い気味に発された答えは大げさなようだが事実である。掛野は昨年の世界大会で海外の強豪を蹴散らし見事優勝、この功績でプロとしての基盤を整えた。格闘ゲーム界では現在世界で一番強いプロゲーマーとして知られている。

 

 しかし誰が認めようともイズミは掛野を認めていない。猛然と食って掛かった。

 

「嘘つけ。たまたまキャラ相性のいい相手が連続しただけだろ。それに何より僕が出てなかった。僕が出てたら絶対君は世界二位だったね」

 

「キャラ相性を活かしきるのも実力だっての。海外遠征の旅費さえ賄えない貧乏人ちゃんは黙ってやがれ」

 

「くぅ……! お金さえあれば君なんか、君なんかぁ……!」

 

 結果はイズミの負け。ジャブを放ったところに右のカウンターをもらった形だ。トーナメントの当たりが良かったことや、イズミに大会で活躍できるポテンシャルがあるのは事実だが、勝負の世界にたらればはない。世界大会優勝という確固とした強みの前にはイズミの煽りも弱かった。

 

「あらー? 痴話喧嘩?」

 

 ここで状況を思い出す。二人の頬に揃って冷や汗が流れた。

 

 ついいつもの調子でやり取りをしてしまったが、これは恋人らしくない。恋人とは、よく分からないが常にベタベタして甘い言葉をささやき合っているもの。煽り合いやケンカなどもってのほか、と二人は認識している。

 

「喧嘩なんてしませんよ。我々は仲良し。なあ!?」

 

「そうだねっ! とってもナカヨシ!」

 

「んー……?」

 

 わざとらしく腕を組むイズミと掛野。ガタガタの演技を見せつけられた田宮が訝しげに首を捻る。

 

「仲良しな我々はちょっと一緒にトイレへ行きたくなった! 行くぞ恋人!」

 

「よし来た!」

 

「トイレはさすがに別々だと思うけど?」

 

 二人は奇天烈な理由で席を立つ。田宮の制止は聞こえないふりをして、自販機スペースの裏にあるトイレの前へ引っ込んだ。「カップルってそんなものなのかな?」と田宮は納得しかけている。

 

「おいチビ女! 当たり前のように口を挟むなよ、素が出ちまっただろーが!」

 

「う、うるさいなノッポワカメ……ご、ごめんなさい……」

 

 蚊の鳴くような声で謝罪するイズミ。一応こちらの頼みを聞いてくれているのにその邪魔をしてしまったのだ。掛野も演技を忘れてやり返しはしたが、イズミが口を挟まなければ演技を続けていただろう。十割の非があるとなればさすがのイズミも謝らないわけにはいかない。

 

 すると、掛野はバツの悪そうな顔でガシガシと頭をかいて舌打ちする。

 

「お前、もう帰れ」

 

「えっ?」

 

「お前といるとどうしても気が緩んじまう。だったらお前より弁の立つ俺が一人で対応した方がいい。腹痛で帰ったってことにしとくからよ」

 

 イズミは言い返せなかった。掛野といるとつい素の自分が出てしまうのはイズミも同じだったからだ。このまま二人でいれば先ほどのように何度もボロを出すことになるだろう。

 

「……君ってそんなに口が達者だったっけ?」

 

「なめんな。一部の例外を除き、プロゲーマーってのは強いだけじゃやっていけねえ。スポンサーに売り込む営業力、視聴者の受けを狙うトークスキルがいるもんだ。あのフワフワ女言いくるめるくらい楽勝よ。一人ならな」

 

 一瞬だけ男女を二人きりにするリスクが頭をよぎるものの、すぐに消えた。異性に迫る気力があればその分格ゲーに打ち込む。それが掛野という男だと確信しているからだ。

 

 この頼みを通してお互い貸し借りなしに戻るため、場を任せきりにする申し訳なさはほとんどない。むしろ自分が手伝えない悔しさの方が強い。

 

 その心を察してか、掛野はニヤニヤ笑ってトドメの一撃を放つ。

 

「オラ、素人はさっさと帰れや。邪魔」

 

「く……覚えてろよっ!」

 

 完全敗北したイズミはそう言い捨て、駆け足で帰路につくのだった。

 

---

 

 掛野への戦意を燃やし自宅アパートへ帰ってきたイズミは、アパートの階段を上り切ってすぐのところで足を止めていた。

 

 イズミの部屋の扉の前にセーラー服の少女が陣取っている。制カバンを胸に抱いて扉へ寄りかかる彼女の顔には覚えがあったが、どうしてここにいるのか見当もつかない。

 

「キヨコ、ちゃん?」

 

「あ、イズミさん。こんにちは。昨日はお疲れ様でした」

 

「う、うん。お疲れ様」

 

 昨日の大会でチームメンバーだった少女だ。大会中はほとんど相手選手の分析と掛野との口論に終始していたので、顔合わせのあいさつ以外でまともに話すのは今が初めてである。

 

 さっさと近づいて用件を聞こうとしたイズミだったが、キヨコから発される妙な圧力に押され一歩引いた。きょとんと首をかしげるキヨコの目は据わっており、口元に浮かぶ微笑はどこか白々しい。

 

 平たく言えば不気味だ。近づきたくない。もしかしたら一つ隣の部屋と間違えているのかも。イズミは一縷の希望を持った。

 

「えっと、一応確認しておくけど、僕に用があるんだね? アイツの部屋と間違えてないよね」

 

「間違えてません。今日はイズミさんにお話があってきました」

 

「そっか。うん、とりあえず上がって」

 

 希望は絶たれた。そもそも扉横のポストに表札があるので間違えるはずもない。イズミは割り切って自室へ招き入れる。

 

 普通の女子高生相手なら立ち話で用件を聞いて手早く追い返すところだが、キヨコは若いながら掛野と同じ企業をスポンサーに持つプロゲーマーだ。昨日の大会でも年下とは思えないハイレベルな試合を見せてくれた。懇意にしておけばプロの間の有益な情報や知識を聞き出せるかもしれないし、その知識が掛野を打倒するカギになることもあり得る。

 

 ネット上の攻略サイトが隆盛して久しい昨今だが、格ゲーの攻略情報は今でも流通しないことが多い。プロレベルのやり込みで初めて見つかる情報は秘匿され、自分だけの強みにするプレイヤーがほとんどなので、公開される情報は少しプレイすればだれでも分かる程度のものに限られている。したがって、実力も高く他のプロとのコネもあるだろうキヨコを邪険に扱うのは悪手なのだ。

 

「何もなくて悪いね」

 

「あ、いえ、お構いなく」

 

 申し訳程度のおもてなしとして麦茶を差し出すと、円卓の前で礼儀正しく正座しているキヨコがつつましい社交辞令を口にした。

 

 こういった表面上のやり取りがイズミは大嫌いである。用件があるなら早く言え、と言いかけたのをこらえ、努めて冷静に切り出した。

 

「で、何の用?」

 

「……ください」

 

 キヨコの声は小さく、しかも震えている。下を向いているのもあって聞き取れなかった。

 

 すると、意を決したようにイズミの瞳を見据えはっきりと口にした。

 

「カケノ先輩と、別れてください」

 

「は?」

 

 目が点になるイズミ。それにかまわずキヨコはまくしたてる。

 

「誤魔化さないでください。昨日の先輩とイズミさんを見ていれば嫌でも分かります。表面上はいがみ合っていても、それは心の底で深く愛し合っているからなんですよね。本当にお似合いの二人だと思います。でも! 私は先輩が好きなんです! だから別れてください!」

 

 これは酷い。イズミは戦慄した。価値観や思考回路があまりに違いすぎて、目の前の少女がもはや別の生き物のように感じられる。可及的速やかに少女の形をした謎生物を叩き出したい衝動に駆られるものの、その衝動の通り強硬な手に訴えれば次の行動がまったく予測できない。できる限り相手を刺激しないよう、穏便に論破する必要がある。

 

 大きく深呼吸。

 

「……分かった。僕とアイツが付き合っている、とキヨコちゃん独自の視点で思い込んでいるのはもういい。好きなように考えればいいと思う。でもさ、付き合っている二人に対して正面から別れてくださいってのはないだろ。それは気に入らない人に対して『あなたの存在が気に入らないので今すぐ死んでください』って言うのと同じレベルだよ?」

 

「自分でも酷いことを言っているとは分かっています。ただで別れてくれるとは思っていません」

 

「ただとかそういう問題じゃなくて――」

 

 キヨコが制カバンに手を入れる。スタンガンか、包丁か、はたまた金一封かと緊張を高めるイズミ。

 

 果たして出てきたのは、アーケードコントローラーだった。

 

「ゲーマー同士、格ゲーで決着をつけましょう。私が勝てば、イズミさんにはカケノ先輩と別れてもらいます」

 

「最初からそう言ってよ。すぐ準備するから!」

 

 格ゲーは勝ち負けに言い訳をつけることが難しい。純粋にその時点で強い方が勝つ。白黒をつけるには最適なのだ。下手な話し合いよりもよほど簡単で分かりやすい。

 

 すぐさまゲーム機とアーケードコントローラーの準備を整え、イズミとキヨコは戦いを始めるのだった。

 

---

 

 三十分後。

 

「うええええん!」

 

「ま、まあまあ」

 

 そこには幼児のように泣きじゃくるキヨコと、気まずげにその背中をさするイズミの姿があった。

 

 結果はイズミの圧勝。もともと操作するキャラクターの相性が良かったことと、昨日の大会でキヨコの手癖を見抜いていたことが幸いして一方的な展開となった。

 

 試合内容だけでなく、ルールが一般的な二セット、三セット先取ではなく十セット先取だったこともキヨコの精神を傷つけている。勢いや流れで実力を覆すことのある短期戦ではなく純粋に力の差がはっきりと出る長期戦で完封されたため、プロとしても恋する乙女としてもプライドがズタズタである。

 

「元々付き合ってないから大丈夫だって、ね?」

 

「嘘つきぃぃ僕っ娘ぉぉお!」

 

「僕っ娘は関係ないだろ! ったく、扱いづらい子だなあ」

 

 思い込みの激しいらしいキヨコには何を言っても無駄で、イズミは大人しくティッシュで涙を拭くことに徹した。さすがにここまで激しく泣いている相手を煽りでこき下ろすほどイズミは無情ではない。相手が掛野なら話は別だが。

 

 涙と鼻水を吸ったティッシュの玉で小さい山ができたころ、ようやくキヨコは話せる程度に落ち着いた。

 

「ぐすっ、カケノ先輩はですね、私のヒーローなんです」

 

(うわっ、自分語り始まった)

 

 急に語り始めたキヨコにドン引きするが、口には出さない。下手に会話するよりも言いたいことを全部吐き出させて満足させる方が早い、と判断したのだ。

 

「私は学校でいじめに遭って、学校に行く振りをして毎日ゲームセンターの格ゲーで時間を潰してました。そしたらクラスメイトに遭遇して、対戦に誘われたんです」

 

(そりゃいじめも受けるよ)

 

 このエキセントリックな性格で見た目も抜群にいいとくれば、性格をネタにいじめが起きるのは当然だろう。同情よりも納得の気持ちが先に立つ。

 

「学校じゃ敵わなかったその子たちに連戦連勝して、とっても嬉しかった。でも『たかがゲームでいい気になるな』って言われて――そこに割って入ったのが先輩でした」

 

「へえ、いいとこあるじゃん」

 

「『うるせえ、たかがゲームに命かけてるヤツだっているんだよ! こちとら来週大会控えてんだぞコラ! ガキのケンカならよそでやりやがれ!』って怒鳴り散らしてくれたんです。その子たちは驚いて逃げて行きました。あの時の先輩が本当にかっこよくて――」

 

「いやいやいや! それ、ただ八つ当たりしただけじゃん!」

 

 黙って聞いているのも限界だった。あの男もたまにはいいことをするものだ、と感心したとたんオチがつけられる。しかも大きな試合を控えてナーバスになっていたところを刺激され年下の高校生にキレるという最悪のオチだ。イズミの経験を聞いて珍しく笑っていたのも深い意味はなく、自分の飯の種をたかがと言うような連中が言い負かされたことが愉快だっただけだろう。単純な男である。

 

 しかしキヨコにとって重要なのは困っているところを助けられた一点のみなので、他の部分は都合よく無視しているようだ。イズミの反論さえ無視し恍惚として続ける。

 

「気づいたら私は、彼の所属する企業さんに売り込みをかけていました。ちょっと両親を巻き込んで警察沙汰になったりしましたけど、どうにか彼と同じ身分になれました」

 

「うわぁ……」

 

 巻き込まれた企業とキヨコの両親に最大限の同情を送った。混とんとしたいきさつを「ちょっと」で済ませるキヨコだ。一体どんな無茶な方法を使って無名の未成年がプロになったのか、想像するのも恐ろしい。

 

「彼の近くで少しずつアピールしていく予定だったのに……これからだったのに……私の初恋……」

 

 といっても、今やその当時の活力は見る影もなく落ち込んでいる。しおらしく畳に崩れ落ちるキヨコの姿は弱弱しく、風が吹けば塵と化しそうなほど脆く見える。

 

 キヨコをここまで落ち込ませたのは言うまでもなくイズミだった。活力を爆発させたキヨコに十先勝負を挑まれ、全力で轟沈させたのである。

 

 尋常な勝負の結果とはいえ年下の少女が悲嘆に暮れている様が、イズミの良心をチクチク刺激している。落ち込むならよそでやってと追い出すこともできず、かといって付き合ってもいない掛野と別れることはできない。

 

 イズミはキヨコの肩を叩く。キヨコが顔を上げた。

 

「週一で十先勝負を受けるよ。君が勝ったらなんでも言うことを聞く」

 

「……! 本当ですか!」

 

「うん、ほんと。だから今日はもう帰ってくれない? さっきの対戦のリプレイはネットに上げとくからさ」

 

「ありがとうございます! お邪魔しました!」

 

 ばね仕掛けのように飛び上がったキヨコは、九十度頭を下げてから風のように部屋を出て行った。きっと家に帰って負けの原因を探るのだろう。

 

 台風の去った部屋の中央でイズミは深くため息をつき、大の字で仰向けになった。

 

「めんっどくさぁ……」

 

 イズミにとってのベストの選択肢は「二人が付き合っている」というキヨコの誤解を解くことだったが、キヨコの性格からして不可能。次善は口先だけで別れる宣言をしてから掛野と距離をとること。もちろんこれも無理だった。掛野を負かして煽りに行くのはもはや呼吸するのに等しい。キヨコの機嫌をとるためだけに息苦しくなるのは考えられない。

 

 結局、実行した選択肢は三番目。問題の先送りだった。

 

 再戦を受け付けることでキヨコに希望を持たせること。イズミが負けない限りは現状を維持できる。キヨコもきちんとイズミに勝つための作戦を考えるだろうから、イズミにとってもいい対戦相手となるだろう。

 

 と、こういったごちゃごちゃした考えがすべてあの男に起因すると考えると猛烈に腹が立った。

 

「年下相手にキレただけで惚れられるってどういうことだよ。くっそう、あのワカメ男……!」

 

 続いて『帰れ、チビ、邪魔』などと好き放題にのたまう掛野のニヤケ面が頭をよぎる。その瞬間、煮えくりかえったイズミのハラワタが臨界点を迎え――もっとも効果的な報復をすることが決定された。

 

---

 

 タタン、と軽快なタップ音が部屋に響く。

 

 リズミカルにアーケードコントローラーを叩くのは掛野だ。時刻は午後九時。イズミにはメールで『完遂』とだけ伝えておいた。イズミを帰した後に田宮と夕食を共にしメールアドレスを交換してから別れる流れとなったが、いちいち報告するほどのことでもないと判断してさっさと自分の生活へ戻った。

 

 ひと際強いタップ音を最後に音が途絶える。モニター内では掛野の操作するキャラクターが超必殺技で相手をノックアウトしていた。

 

「はい、九勝目ですね。あと一勝したら休憩します」

 

 対外的な丁寧口調の言葉は独り言ではない。掛野の言葉はヘッドセットのマイクに拾われ、パソコンを通してインターネット上に放送されている。プレイ動画と音声、フェイスカメラでライブ配信しているのだ。

 

 掛野のようなプロゲーマーが自分を発信するメディアはネット上の配信サイトが主だ。テレビよりも知名度は低いが、その分コアなファンや目の肥えた格ゲーファンに自分を売り込める。定期的なライブ配信は名前を広める方法として多くのプロが利用しており、掛野もその一人だった。

 

 インターネットを介した全国対戦で十連勝したら休憩とトーク、もう五連勝で配信終了という掛野の配信は、昨年の功績も手伝ってサイト内でも指折りの人気を博している。

 

『あっさり九連勝!』

『これは全一』

『うまいのは分かったけど、結局昨日の助っ人は誰よ』

『正妻のキヨコちゃんが泣いてるぞ女たらし!』

『最強助っ人ちゃんの情報まだ?』

『昨日キャラ崩壊してたことについて一言』

 

「……キヨコさんが正妻ってのは冗談キツイですね」

 

 配信を始めてからというもの、コメントの多くが昨日の助っ人、つまりイズミの情報を求めているようだ。最弱のキャラクターで並み居る強豪相手に無双したのだから当然だろう。

 

 ただ、下手に答えるとファンの関心のすべてがイズミに持っていかれそうで、掛野は適切な答えを探すのに苦労していた。のらりくらりと質問をかわしながら答え方を探っているうちにもう九連勝、そろそろ答えなければ不興を買いそうだ。

 

 幸い、イズミは日曜の午後九時から十一時までの間は絶対に格ゲーもしないしパソコンもいじらない。九時から始まるお気に入りのテレビ番組を見た後、十一時まで大学の予習復習と入浴の時間に充てているからだ。掛野がどう答えようとも文句を言いに来る心配はないだろう。

 

「まあ、率直にいえばあの人は僕の……あ、人来ましたね」

 

 ぴこん、とゲーム音が鳴る。次の対戦者とマッチングしたのだ。画面には相手の使用キャラクターとランキング、一言コメント、プレイヤー名が表示されており――

 

『IZUMI』

 

「何ィ!?」

 

 今、絶対に相手をしたくない隣人の名前がそこにあった。

 

『神タイミングww』

『え、これ助っ人ちゃん?』

『なりすましでしょ』

『ランキングと使用キャラ見てみろ、このキャラで二桁ランクは一人だけだぞ』

『ラスボス降臨』

『イズミンちゃんキタァァ』

 

「クソ、どういうつもりだこの野郎!?」

 

 一戦ごとに掛野の動きを分析し最適な対策を立ててくるイズミに安定して勝つことはほぼ不可能。だからこそイズミが絶対にプレイしない時間帯を選んで配信していた。イズミと口汚く煽り合いながら大苦戦しているところを配信されると、現時点で世界一の認知が揺らぐだけでなく知的で冷静なキャラクター像さえブレてしまう。かといって対戦拒否などしてはアマチュアから逃げるプロの汚名がつく。そうした理由から配信中のイズミ乱入は掛野が絶対に避けたいシチュエーションだった。

 

『一言コメントww』

『助っ人ちゃんのコメントで草生える』

『大分殺意たけーなw』

 

「コメント?」

 

 対戦者のプレイヤー名の下に表示されている一言コメントが指摘されている。たいていのプレイヤーがデフォルトの『よろしくお願いします』で放置しているので掛野は無意識で読み飛ばしていた。改めてその小さなコメント枠に目を走らせる。

 

『悪しきワカメを刈る女』

 

「……上等だコラァ!」

 

 ダダン、と荒々しくキーボードをひっ叩き自分のコメントを変更した。

 

『生意気チビを潰す男』

 

 私はケンカを売っているぞ、というイズミの意志に高く買ってやる、と掛野が返答した形になる。配信中、しかも九連戦で疲労したところに都合悪く現れたことも挑発の一部なのだろう。

 

 なぜケンカを売りに来たのかは考えない。気に入らない相手が近くにいれば全力で突っかかりたくなるのが人間だ。そこに深い理由は必要ない。

 

 最強の助っ人登場、掛野の冷静キャラ崩壊を受け大盛り上がりを見せる配信のコメント欄を視界の外へどけ、掛野は獰猛な笑みを浮かべてモニターへ向かった。極限まで集中力の高まった掛野の目は、モニターの向こう、アパートの薄い壁の向こうで同じような笑みを浮かべているイズミが透けて見えるように錯覚する。

 

 キャラクターと超必殺技、ステージを選択し、読み込み――そして画面中央に『ROUND1』と表れ、『FIGHT!』へと変化。

 

 やめ時を見失った掛野は時間超過で自動終了した配信のことも忘れ、二つの部屋には夜が明けるまで軽快なタップ音が響き続けた。

 

 寝不足でフラフラになりながら律儀にも敗者を煽りに行ったのはどちらなのか、それは二人以外知る由もないのだった。

 

---











テーマ:格ゲー
おおむねまんぞく


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。