立ち塞がるモノ (素朴龍)
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立ち塞がるモノ

「…………っ、」

 

視界が大きく開ける。

頭上、それに地平線の彼方まで続くかと思ってしまうような空色は、目の錯覚。あまりにもまっさらな色をした天井と壁は、見る者の距離感を鈍らせてしまう。実際には触れようと触れまいと広さには限界があるだろう―――それでも試そうとは思えないが。

 

広大な部屋。

いや、ここまでの規模になると、おおよそ部屋と呼ぶのも躊躇われる。大きな空間だが物と呼べる物は殆ど無く、真っ先に中央の異物に目が行く。

それは、囁かに浮かぶ単眼のオブジェ。それを囲むように、粗雑に、寒々しく乱立する石柱。形としてはそこまで奇妙ではないが、何処か異質で不快な肌触りを感じる。その異質さは概念の違い。未知の文明のアーティファクト。恐らくあれがムーンセルの中心で、このSE.RA.PHの大元たる存在。

 

電脳の七つの海を描く、七天の聖杯(セブンスヘブン・アートグラフ)―――。

 

その、聖杯を安置する空間に、調和を乱すモノが存在()る。

幾つも積み重なった石柱の山の上、折った右足の上に腕を乗せて、一人の男が後ろを向いて座っている。雰囲気は外見よりも老成したように感じられるが、一方で何処か幼さを残す顔。すると彼はこちらを一瞥し、体ごと振り返る。その顔立ちは印象に乏しいが、その『眼』だけは―――何故か酷く記憶に残りそうだった。

 

「やあ、待っていたよ。おめでとう、君が今回の聖杯戦争の勝者だ」

 

聖杯へと続く道の前を陣取っているこの青年は、一体何者なのか。

こちらの反応も構わず言葉を続ける。

 

「祝砲くらい上げたかったんだが、生憎そんな機能はなくてね。俺からの拍手だけで勘弁してくれ。だが俺は誰よりも君を認めよう。君は、これまでで最も素晴らしいマスターだ」

 

黒服の男は終始穏やかだが、後退りしてしまうような恐ろしさを感じる。この男は、私達を殺そうとしている。何故かそんな気がして止まないのだ。

 

「――――――」

 

アーチャーもだんまりだ。

しかし男は突如アーチャーに顔を向け、懐かしむ様に話し掛けた。

 

「これは。久しぶりだな、エミヤ―――いや、アーチャー。いつ以来だろうな、こうして出会うのは。それに見知った顔もいるじゃないか」

 

意味深な男のセリフにも反応せず、断固として口を閉ざし続けるアーチャー。

久しぶりとは、一体……?

 

「口も聞いてくれないか、まあ良い。俺もオマエも、厳密には以前とは別人。それも仕方ないだろう―――そこの彼女も、同じなのは見掛けだけだ」

 

「気を付けて。あいつ……マスターよ。NPC(ノンプレイヤーキャラクター)じゃない。……でも、どうして? 最後のマスターはアンタなのに―――」

 

「さて。ここに相応しくないのは君の方だと思うけどね。……今は、それも瑣末な問題だよ。出口は一人分、それは変わらないんだ。それ以上でもそれ以下でもない」

 

口を開いたのは凛。彼女の疑問も尤もだ。

あの男は何物で、どういった存在なのか。

 

「俺が誰なのか、か。良い質問だ。俺はNPCでありながら、今はマスターになった存在。少々長くなるが―――」

 

区切りを付ける男。

しかし話は始まらず、何かを思い出したように、

 

「おっと、自己紹介がまだだったな。俺の名は―――」

 

蒼く輝く『死』の眼を見開き、こう、告げた。

 

「遠野志貴。生前死神と呼ばれた、しがない殺人鬼だよ」

 

「遠野志貴―――!? かつて真祖の姫君に従い、死徒狩りをしたっていうあの……!? まさか、実在したなんて……!」

 

「へぇ、裏とはいえ歴史に残すなんて、自分でも驚きだ。生前俺は、()()と共に、ブリュンスタッド城を拠点に様々な人物と共に死徒達を狩った。時には教会の連中や協会の連中とも手をみ、二十七祖を筆頭とした強力な死徒共を次々と狩っていった―――この『眼』と命が続く限り」

 

眼―――?

その蒼い眼の事だろうか。

 

「ああ。俺のこの眼は『直死の魔眼』。モノの死―――生命の終焉ではなく、存在の終焉を視る事が出来るんだ。まあ尤も、厳密には魔眼ではないらしいんだが―――そんな事はどうでもいい」

 

モノの死。存在の終焉。直死の魔眼。

理解が追い付かないが、そんな私を気にせず彼は話を続ける。

 

「そして死に際、俺は願ったんだ。いつまでも()()と共に有りたいと、いつまでも()()の隣にいたかったと。俺は血と殺戮に塗れた生を離れ、在りし日の平穏を取り戻したかった……いささか自分勝手すぎるのは分かっているがね」

 

その為にサーヴァントを保有し、私を倒して聖杯を手に入れようとしているのか。

それにしても―――()()というのはいったい誰なのか。

真祖の姫君と言われても、予備知識の無い私には何の事だかさっぱり分からない。

 

「―――ムーンセルは全てを記憶する。それは(遠野志貴)の生前の記憶も例外ではない。俺はある時偶然に、ムーンセル内で役割を全うする遠野志貴を模したNPCとして生み出された。しかし―――」

 

「時が経ち、ある時自我が芽生えた。……アイツにも理由は分からないみたいだけどね」

 

「そうだ。理由は定かではないし、俺には理解する術はない、理解しようとも思わない。自我を獲得した以上、俺は(遠野志貴)として行動するしかない。生前の俺が最期に見た夢。その実現の為、俺は此処に存在()る」

 

死者(遠野志貴)の夢、それは―――。

 

「無論、彼女との安息だ」

 

男は簡潔に言い放つ。

その眼は真っ直ぐ私達を見て、極々自然に、気負う事なくその言葉を口にした。

 

「何処で、何を間違えたのかは分からない。それに過去を変える事は出来ない。だが、おかしいと思わないか? 何故彼女だけ? 真祖というだけで他者から疎まれ、恐れられ、命を狙われる。アイツだって安生を願っているのに、道具として運用される運命なんだ……!」

 

いつの間にか涼し気だった顔は紅潮していき、口調も心無しか荒々しくなっている。

激情に身を任せ、遠野志貴は思うままに己が心情を吐露する。

態度や仕草は凄烈だが、その眼は―――酷く物悲しい。

 

「―――俺はそれが許せない。アイツは幸せになるべきなんだ。唯一の味方だった俺も結局は人の身、最後にはこっちが先に逝って、アイツはまた一人になってしまった……。あのデカいだけで殆ど何も無い寂しい城に一人、次の活動まで自らを鎖で縛り、目覚めると死徒を駆逐してまた眠りにつく……いつ狂うかも分からないまま。どう思う!? やっと手に入れた感情を押し殺し! 殺戮活動の為にその無限の時を費やす! 俺のような彼女の味方がいつまた現れるか―――いや、もう現れないかもしれないのに!」

 

度を過ぎた情念は、相手に哀れみを与える。

私には彼が、程無く壊れてしまいそうな―――否、既に壊れてしまったように思えてならない。

―――なんて、哀れ。

 

「分かるか彼女の心が!? 彼女の悲嘆が! 彼女の哀惜が! 今にも崩れ壊れてしまいそうで、とても危なっかしくて、俺に助けを求める声が聞こえないのか……!?」

 

「お喋りが過ぎるな、殺人貴」

 

と、唐突に。

これまでずっと言葉を発しなかったアーチャーが一歩前へ出て、口を開いた。

 

「……ああ。お前には分かっていると思う。―――そう、これはエゴ。単なる俺の我が儘だ」

 

アーチャーの言葉に反応した彼は、先程までの表情とは一変し、最初に見たような冷たい挙動に戻っている。

その異常なまでの変化が、既に人間として壊れている証拠ではないのだろうか。

 

「話を戻そう。此処に辿り着いた俺は、膨大な知識を吸収し、表層のルールを変更して聖杯戦争を作り上げた。事の顛末としては、ざっとこんなものだろう」

 

いや、少し待って欲しい。

何故目の前に聖杯があるのに、それを使わないのか。

今の口振りでは、彼は聖杯に接続していないのではないか?

 

「当然の疑問ね。何故なの? 理由があるんでしょう?」

 

「……残念ながら、俺では聖杯には触れられない、触れる権限がない。正規のプレイヤーでないNPCである俺が触れようとしても、ムーンセルにとっては不正なデータに過ぎないからな」

 

なら、どうやって願いを―――、

 

「言わずとも分かるだろう。だから俺は、君に願って貰おうと言っているんだ」

 

「――――――!」

 

故に彼は、私を此処で待ち続けたのか。

……私には叶えたいと強く思う願いがない。

心の何処かで、彼の願いを叶えてあげたいと思う自分がいる。

しかし。

 

「却下だな。マスター、死者の願いは聞き入れられん。君は君の願いだけを聖杯に入力するべきだ」

 

「残念だけど、それはアーチャーに同意ね。時間は巻き戻らない。ましてや死人、古臭い怨念の記録が安息を願うなんて、断じて間違ってるわ」

 

「……全く、君達二人も変わらないな。そんな事、とうの昔に分かっているよ。だが―――」

 

開き直りながらも、心は動じない。

敢然として、私達を強く見据える遠野志貴。

 

「君達に逃げ道は無い。出口は一人分、地上に帰還できるのは一人だけなんだから。その上―――ここで俺に殺されれば、出て行く事すら適わない」

 

表情の変化に乏しかった彼の目付きが変わる。

懐から「七ツ夜」と銘打たれた飛び出しナイフを取り出し、心から残念そうな顔で言う。

 

「―――悪いが、ここでお前達は死ぬ。俺はまた大人しく、願いを聞き入れてくれる様な次の訪問者を待つよ」

 

「待って。貴方、自分で戦うつもり? 紛いなりにもマスターなんでしょ?」

 

生身、と言っては語弊があるが、サーヴァント無しで戦うなど聞いた事がない。

その質問に彼は、今までずっとそうやってきた、と答える。

 

「それに―――俺のサーヴァントは()()だからな」

 

「え……?」

 

言って霊体化を解き具現化したのは、金色の髪に白い服、紫のロングスカートを着た美女。

目を閉じたその容貌は、形容するならば「月の姫」。

とは言えここは月の(Moon)離散的観測装置(cellular automaton)―――月の内部で月の表面の美しさを表現するのもおかしい話だが。

アレが真祖、ヒトを律する星の触覚―――。

 

しかし、何処かおかしい。

サーヴァントとして必ず持っている筈の、敵に対する殺気やら、ヒトを超えたモノから感じる圧倒的な存在感が全く感じられない。

存在が希薄。

感情が希薄。

何もかもが希薄。

例えるならそう―――眠り姫(Sleeping Beauty)という比喩が、最も相応しいだろう。

 

「真祖の姫君―――? 何で彼女がこんな所(ムーンセル)に居るのよ!?」

 

「狼狽えるな、アレは真祖などではない。見ろ」

 

アーチャーの言葉を聞き真祖らしき女性を見ると、微妙にだがノイズが走っている。

確かにアレはデータとして機能していない。ましてやサーヴァントなどでは断じてないだろう。

しかしさっきからの口振りと言い、彼や真祖と面識があるとしか思えないのだが。

 

「そいつの言う通りだ、こいつは()()じゃない。口も訊かないし目も開かない、只の紛い物さ」

 

「聖杯と言えど、星の触覚たる真祖は召喚出来ないようだな」

 

「ああ。これで良いだろう。どうやら君達は俺の願いは聞き入れてくれないみたいだし、そろそろお喋りにも飽きてきた頃だ」

 

「それはこちらの台詞だ。今のオレは、貴様と交わす言葉など持ち合わせていない」

 

「そういや、そうだったな」

 

薄い笑いを浮かべた遠野志貴の一言を最後に、この会話は終わった。

いつの間にか、真祖らしき女性の姿も消え去っている。

 

身軽に台座から降り、距離をとって私達に対峙する遠野志貴。

後ろに控えていたが、彼に反応する様に前に出たアーチャー。

 

片手には逆手に持った、業物のナイフ。

両手には陰陽を模した、流麗な夫婦剣。

 

その眼は死を視る、直死の魔眼。

その眼は鷹の如き、全透の心眼。

 

かつての敵と、再び相見える二人。

 

私の、彼等の、最後の戦いが、今―――、

 

「さあ、存分に殺し合おう――――――!!」

 

幕を開けた。

 

 ◇

 

先に仕掛けたのはアーチャー。

彼が今までそうしてきたように、双剣で相手に切り掛る。

 

「は―――!」

 

対する遠野志貴は不動。

ナイフを構えた先程の姿勢のまま、全く動き出す気配がない。

莫耶が相手を切り裂く、瞬間―――、

 

「消えた……!?」

 

声を張り上げていったのは凛。

だが一瞬で己が言葉が間違っていた事に気付く。

 

厳密には消えていない。

遠野志貴が保有するのはあの『眼』のみで、空間転移だの認識阻害だのといった特異な力を持ってはいないのだから。

ならば何処か、それは敵の背後。

その身体能力こそ人間の域を大きく超えはしないものの、彼は永年養われた暗殺者としての技術を有し、起立状態からコンマ数秒単位で最高速度まで移動速度を上げる事が出来る。

 

アーチャーの背後に立ちながらも追撃しようとしない遠野志貴。

その口元は小さく歪んでいる。

 

「……弓兵と暗殺者が正面切っての斬り合いか。どちらも場所が場所だけに真の力を出せないのが悲しいとこだな。けど、」

 

そんな事にこだわる俺達じゃない。

 

そう、彼は私達を殺し、再び悠久の時を過ごす。

そして私達は彼を倒し、彼方に浮く聖杯へ進む。

 

彼は過去に挑み、私達は未来へ向かう。

 

既に言いたい事は言った。

お互いに譲る事はない、決して相容れない。

ならば、ここで決着をつけるしかないのは自明の理であろう。

 

不気味に笑っていた表情も今は消え、口を一文字に結んでいる遠野志貴。

改めて得物を構え、両者が相互に動き出す。

その胸を突こうと迫り来るナイフ。その体を引き裂こうと繰り出される干将。

互いの武器が鍔迫り合いになるか、という時だった。

 

「む―――」

 

「その剣はもう、殺し慣れてる」

 

「…………!?」

 

一瞬、凛と共に言葉を失った。

 

刀身を真っ二つにされた干将が、音を立てて地面に落ちる。

砕けたのではなく、折れたのでもない。

例えるならそう、まるで紙を鋭利な刃物で切ったようにスッと切れたのだ。

その証拠に、切られた干将には亀裂どころか傷一つ見当たらない。

 

「直死の魔眼……。モノの死を視るってこういう事なのね」

 

直死の魔眼。

存在が発生した瞬間から定められた存在限界を読み取る、つまり始まりの時から内包している『存在の終焉』を線や点という視覚情報として捉える事が出来る。

生前畏れられていた彼を「死神」たらしめていた能力。

線を断ち、点を突き、死を穿つチカラ。

 

されどこの程度で驚く騎士ではない。

自らの武器を壊されたのにもかかわらず、無関心そうな表情をしているアーチャー。

 

「―――I am the bone of my sword. (我が骨子は捻れ狂う)

 

至って冷静にあの言葉を紡ぎ、あの螺旋剣を弓に当て、射る。

 

偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)

 

「その剣も殺す―――!」

 

鈍い輝きを放ち風を切って進む稲妻と、それに立ち向かう黒い影。

剣とナイフが触れ合うその刹那。

 

「うおっ……!?」

 

その鍵となる言葉が発されたと同時に、螺旋剣が爆ぜる。

壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

しかし爆風は届かなかったのか、それとも最初からアーチャーにその一撃で倒す気などなかったのか、少しばかり服を焦がしながらも遠野志貴は爆炎中から抜け出してきた。

 

「目暗ましか……まぁ良い。どうせどちらも一撃で終わるんだ、呪文(ことば)を紡いでいる暇なぞ無い―――!」

 

言って加速する黒、対する紅は視界を覆い隠した時に稼いだ距離により離れた位置で再び干将を投影する。

 

「―――鶴翼(しんぎ)欠落ヲ不ラズ(むけつにしてばんじゃく)

 

「……? オマエ、得物を投げてどうするつもりだ?」

 

見ると、アーチャーは両手に握り締めていた干将莫耶を左右に投擲していた。

それが象るは二つの弧、滑らかな曲線、雄々しくも美しい十字。

その様はまるで、翼を広げた大鶴。

引かれ合う陰と陽、鋼をも破壊する夫婦(かんしょう・ばくや)の絆は死して尚続いている。

彼らが狙うは敵の首、即ち、一撃必殺。

 

「っ―――は―――!」

 

それでもやはり死神。

迫り来る死の気配を察知し、絶妙なタイミングで一方を躱し、もう一方を弾く。

彼が嗅いだ生の匂いは、限りなく確かな未来と成り遠野志貴を救う。

決して許されない筈だった無傷の未来を掴み取り、なお一層に追撃を始める。

―――が。

 

「―――心技(ちから)泰山ニ至リ(やまをぬき)―――心技(つるぎ)黄河ヲ渡ル(みずをわかつ)

 

「二つ、目……!?」

 

手には干将莫耶が再び現出する。

振り下ろされる二撃目。

先の打ち込みを繰り返すかの如く両剣が戻ってくる。

二度目は無い、今度こそ……!

 

「無駄な事を、何度やっても同じだ―――!」

 

されど当然のようにそれらを弾く遠野志貴。

ただただ頭に浮かぶのは、本当に人間なのかという疑問だ。

全く怪物じみてる、あれを再度逃れるなんて離れ業をやって退けるなんて。

だがしかし、その為の布石―――。

 

「お、おおああァァ――――――ッ!!」

 

驚きの声が口から漏れそうになる。

身を捻って最大限の力をもって避け軌道を反らすその挙動は、あえて言葉にするなら驚くべき生存本能を持った獣のそれだ。

アーチャーが持つ夫婦剣に呼応して、さながらブーメランのように戻ってくる一撃目の干将・莫耶。

それを躱しつつ弾きながら、目の前に迫っていた二剣を殺す。

―――なんて、化け物。

 

しかし、この瞬間。

不可避の二撃をまさか防がれたアーチャーと、三度にも及ぶ超人間的な回避を見せた遠野志貴。

この打ち合いは八方塞がり、どちらにもこれといった傷は見当たらない。

どちらも打つ手無し、両者に一瞬の隙が出来ていた。

 

―――否、隙が出来るのは貴様だけだ。

この手には、更なる先の攻め手が用意されているのだから……!

 

「―――唯名(せいめい)別天ニ納メ(りきゅうにとどき)

 

「――――――!」

 

目を見開き驚愕を露わにする遠野志貴。

凍てつく空気、相も変わらぬ電脳の晴天。重心を低くし勢いをつけ始めた弓兵の双手には、

 

両雄(われら)共ニ命ヲ別ツ(ともにてんをいだかず)―――…………!!!」

 

「がっ―――あ―――!!」

 

それは双剣を冠するには余りに桁外れで巨大。

禍々しくも純一無雑の想いが込もった、陰陽の鶴翼が握り締められていた。

両手を交差させ、それを遠野志貴の体を切り裂く。

かつてある騎士が修練の末辿り着いた、干将莫耶という武器の真髄。

彼が磨き上げた必殺、これこそが―――鶴翼三連である。

 

これで、終わった。

誰もがそう思うであろうこの状況。

 

「―――な、に……?」

 

何故かアーチャーの右腕の肘から下が、浅い水面に音を立てて落ち。

「全くの無傷」の遠野志貴が、短刀を翳して悠々とそこに佇んでいた。

 

「そんな……!? 倒す所まではいかなくても確実に致命傷だった筈よ!」

 

そう、先の一撃は素人目から見ても完全に勝負を決めるものだった。

刃先は内臓まで至り、普通の人間なら即死も免れない程の死傷。

それにもかかわらず、彼が全く無傷で居るのは一体どういう理屈なのか。

これでは「再生」と言うより「復元」である。

 

「分からないな。何故そうまで驚くんだ? ―――ああ、そういう事か」

 

納得したように言うと、構えを解いてこちらを振り向く。

するとその顔はまたも、人柄が良い好青年のそれに代わっている。

何だか随分と判断に困る性格をしているみたいだ。

 

「俺はNPC―――ムーンセルの用意した代理人であり、過去の人物の再現。つまり、元のデータはムーンセル内の蔵書の中にある訳だ」

 

私達から見て奥にいる遠野志貴が、アーチャーの横を通り過ぎてこちらへと歩いてくる。

此処に居る遠野志貴もアーチャーも、真に彼ら自身ではなく蔵書の記述を引用してきたコピー。

サーヴァントとして召喚された彼は例外として戦闘のために肉体のデータを持つが、本来の彼等はムーンセルの膨大な情報の海に保存されている。

すなわち、

 

「そう。ここに居る俺を(しょうきょ)してもデータ本体には全く影響せず、本来のマスターでもサーヴァントでもないのだから直ぐに再構成されてしまう、っていうカラクリだ」

 

「そん、な―――反則じゃない……!」

 

歯を食いしばり力無く膝を落とすアーチャーと悠然とした表情の遠野志貴を交互に見て、凛が小さく呟く。

いつも冷静沈着な彼女が、これほどまで動揺している。

それ程までに、無限に命のストックがあるというのはこの上なく聖杯戦争のルールを逸脱している事なのだ。

対してアーチャーは腕を失い戦闘不能に近い状態、そしてあの眼の前では回復もあまり意味を成さない。

 

「ん……君の事は生前から知っていたけど、そんな顔を見たのは初めてだな。―――流石元が良いだけある、なかなかに嗜虐心をそそる表情だ……っと、これは遠野志貴の発言じゃあないな。失敬」

 

「ぐ、どうすれば良いのよ―――!」

 

万策尽きた、とはこんな状況の事を言うのだろうか。

いや、その言葉も微妙にニュアンスが異なる。

元より敵を倒す以外の選択肢しか私達にはなかったし、そも彼が此処にいる事など予想だにしていなかったのだから。

アーチャーの右手、凄く痛そうだ。早く治してあげたい。あんなの私だったらショックで気絶してしまうかもしれないのに―――って、ああもう……! これから殺されるかもしれないという時に、何考えているんだ私は……!

 

「まぁそんな顔するなよ。君達を殺すのはこの男を葬ってからだろう? どうやら絶体絶命のこの窮地を脱する方法も無いみたいだし、これで―――」

 

「……手はある。くたばるのは貴様の方だ『殺人貴』」

 

「強がりは止せエミヤ。今やお前は死に体、片腕が無いのにここからどうやって?」

 

その体では満足に剣も振るえず、弓兵としてのステータスである弓を射る事も出来ない。

今の騎士としての彼は、文字通り死に体だ。

私の知る限り、この状況を打破する術は……、

 

「―――マスター、君は分かっているだろう。オレは勝てない喧嘩はしない主義なんだ」

 

その眼の炎は未だ消えず、残った左手で拳を握り締め立ち上がる。

希望の光を讃えた私のサーヴァントが「まだ戦いは終わっていない」と、そう告げていた。

然り。彼が居る限り私達に敗走の二文字は無い。

彼の騎士の行動も言葉も、総てはこの先の勝利の為に積み重ねられるものでしかないのだから。

 

残された左腕を伸ばして目を瞑り、厳かに口を開くアーチャー。

ここから、反撃が始まる。

 

「―――I am the bone of my sword.(体は剣で出来ている)

 

「ち、―――……!!」

 

その詠唱を聞くや否や、遠野志貴が肉迫して腕を振り上げる。

彼を知る者ならば分かるだろう、彼の隠し持つ切り札。それを発動させまいと、

この距離、しかも達人の一撃だ。不意の行動と言えども彼に隙は無い。

だが、この身はヒトならざる英霊―――隙が無ければ、作るだけの事だ。

 

「―――投影(トレース)開始(オン)

 

「固有結界は展開させない―――くっ……!?」

 

突如彼の頭上から降ってきたのは、普遍的な形状の剣の雨。

だが普通と違うのは、その使用方法が攻撃ではなく足止めであるという事だ。

それは何重にも及んで目の間に立ち塞がる剣の檻。

数メートル先に居る筈の遠野志貴が見えなくなる程に、隙間無く剣がそこに刺さっていた。

 

「―――憑依経験、共感完了」

 

「ち……こんな足止め、意味無いんだよ!」

 

だがそれもやはり、彼の眼の前では効力を示さない。

刃渡り一メートル弱、厚さ数センチに及ぶ剣という名の鉄塊がいとも簡単に斬られていく。

しかし、一見意味を成さないこの数十秒にも満たない抑留は。

 

「これ、で―――な――――――……!?」

 

確実に敵へ、奇襲と拘束をくぐり抜けたという一瞬の安堵を与えていた。

アーチャーの背後、空に浮かぶは無数の剣。

見ればそこには、神話に伝わる絶世の名剣、魔剣を初めとする伝説の武器の数々が列挙している。

断言できる。真に魔術師ではない、謂わば只の人間である私には一つも分からないが、魂魄の重みがひしひしとそれを伝えている。

あれらをアーチャーは贋作だと言っていたが、充分に真に迫っているのではないか。

 

「―――避けきれるか」

 

一言口にしたのは、「全投影連続層写(ソードバレルフルオープン)」。

それは今から()()死ぬ彼へ向けての手向けと捧げる最期の言葉だったのか。

 

「ぐっ、があ―――ああああああああああああァァァァ――――――!!!!!」

 

中る中る中る中る中る中る中る中る中る中る中る中るアタルアタルアタルアタルアタルアタルアタルアタルアタルアタルアタルアタルアタルアタルアタルアタル貫く貫く貫く貫く貫く貫く貫く貫く貫く貫く貫く貫くツラヌクツラヌクツラヌクツラヌクツラヌクツラヌクツラヌクツラヌクツラヌクツラヌクツラヌクツラヌク刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さるササルササルササルササルササルササルササルササルササルササルササルササルササルササルササルササル斬り殺す刺し殺す撃ち殺す突き殺す薙ぎ殺す打ち殺す討ち殺す射ち殺す惨殺する強殺する抹殺する屠殺する撲殺する誅殺する減殺する虐殺する嬲り殺す呪い殺す処分する退治する抹消する始末する滅菌する駆除する殺害する殺傷する殺人する殺戮する殺す殺す殺す殺す殺す殺す死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ

 

「う、おぇ…………!」

 

喉元を突き上げてくる吐瀉物を飲み込み、思わず声を漏らす私と凛。

目を逸らさずにはいられない、もはや元の形も残さぬ大虐殺。

高く上がる水飛沫に、明らかに血の色が混ざっているのが見えた。

アーチャーと過ごし始めて随分経つが、改めて彼の人格を再認識させられた。

……でも何故だろうか、怖くは無い。

彼の行いを肯定する訳ではない、が―――不思議と彼を好いている自分が居た。

 

「ふ、は……っ、でもこれじゃあ、また復活してしまうんじゃ……?」

 

「―――いや、その心配はないよ」

 

予想に反して声を上げたのは、遠野志貴だった。

尤も、声は聞こえるが砂煙のお蔭でその姿は見えない。

でも、復活した筈なのに心配はいらないとはどういう事なのか。

 

「やってくれたな、エミヤ。再構成されるから絶対に大丈夫だと思っていたんだが―――」

 

晴れていく砂煙、そこには、

 

「驚いたよ。まさか―――刺さったままなんてな」

 

手足、否、全身に剣を貫かれた遠野志貴が、身動き一つせずに倒れていた。

剣先は水で満たされた地面に深く突き刺さり、文字通り手も足も出ない。

 

「魔力で編まれた幻想、そして幻想は消えるもの―――それが鉄則だと思っていたが」

 

「……オレのこれは特別でな。普通の投影魔術とは少しばかり違うんだ」

 

彼の使う投影魔術は、凛によると地上から大源(マナ)が枯渇する前の時代の代物らしい。

彼等魔術師(メイガス)の使う魔術(マギ)はとっくにこの世界から失われているらしいが、私には詳しい事は分からないし、知る必要もない。

二人の会話は続く。

 

「それにあの呪文だ。騙されたよ。固有結界を使わないなんて、思いもしなかった」

 

「……貴様に固有結界は使わん。その眼が相手では、俺の『世界』ごと殺されかねない。だから今回のような手を使った。フ―――固有結界無しではあれ程の数を投影するのに時間がかかるからな、見事に騙されてくれて助かったよ」

 

「―――全く久しぶりだな、完全な敗北ってものは」

 

諦めた様に目を閉じ、体中の力を抜いていく。

すっと冴え渡ったその顔は、何処にでもいる普通の青年のそれだった。

 

「……守り手として、改めて祝福しよう。―――おめでとう。そして行け、聖杯は君のモノだ。七天の聖杯へ接続し、己が願望を入力するが良い」

 

「――――――」

 

「さて、と! 後はもう接続するだけよ。もしかして、何をするか分からない訳じゃあないでしょうね?」

 

何かを装って、びっと力強く聖杯を指さす凛。

そして一瞬の沈黙の後、「私の事は良いから。気にしないで」とだけ言った。

……その選択は私には出来ない。出来ないけど―――聖杯戦争というルールの下で生き残った以上、その選択は避けられないものである。

 

だから―――そのお蔭で決まった。

私の願いは、聖杯戦争の終結。

この幾人もの生命を奪い、争いの種にしかならないこの戦いを終わらせ、魔術師にすら触れることができない様に封印する。

そして、彼女(トオサカ リン)の生還。

私には戻る肉体が無い、だから唯一の生還者としての彼女を確実に地上へ送り届ける。

……私が聖杯に融けるまでどれくらいかは知らないが、この二つだけは絶対に入力しなければいけない。

願いを入力せずに終わる事は、これまで奪ってきた多くの命を裏切る事と同義なのだから。

 

「さぁ、行きなさい。……どうせ私じゃ聖杯には触れられないし、近付く事も出来ない。それに、私とランサーじゃ彼に勝てなかったし、勝ち残れたかも分からないし。この結末も悪くないわ―――聖杯を手に入れるのが、あなたで良かった」

 

これ以上彼女に喋らせるのは忍びない。

私は彼女にありがとう、とだけ返して、無言の見送りを受け取る。

あと―――、

 

「アーチャー」

 

「む―――」

 

「ありがとう。貴方と過ごしたこの数ヶ月、すっごく楽しかった。辛い事も、迷惑掛けた事もたくさんあったけど、支えてくたよね。……もうこれでお別れだけど、私、絶対忘れないから」

 

「――――――」

 

これで、私の聖杯戦争(じんせい)は終わり。

凛は忘れているのだろう。彼が不正なデータとして聖杯には認識されないと言っていたが―――それは私も同じだという事を。

私も彼と同じ網霊(サイバーゴースト)。本来の役割から逸脱したNPC。データだけで本体がない聖杯にとっては「不正なデータ」。

でも、分解されるのには幾らか猶予がある筈。その間に願いを入力してみせる。

 

涙が溢れ出しそうになるのを隠して、聖杯へ続く階段へと足をかける。

最初は記憶もなくてどうなるか心配だったけど、終わって振り返ってみれば呆気なかった。

……そりゃあ、数ヶ月間の生活で、しかもずっと戦い漬けだったんだから当たり前か。

やっぱり寂しい、かも。彼らの方を振り向―――、

 

「振り返るな!」

 

突然の怒号に動きが止まる。

いや、怒号じゃない。これは、不器用な彼なりの別れの挨拶だ。

 

「我々は敗者と過去の遺物、君は輝かしき勝者だ。何を願おうがそれは君の自由だが、その栄光は君だけのもの。だから今は―――振り返らず、臆せず……誉れあるその道を、駆け上がれ」

 

「…………うん!」

 

目元の涙を拭って、めいっぱいの笑顔で元気良く返事をして階段を駆け上がる。

―――ありがとう、アーチャー。私の、最高の――――――。

 

「……行ったか。ふふ、羨ましいな。俺の別れも、これくらい清々しいものだったら良かったのに。―――願わくば、貴女に幸あらん事を」

 

―――――――――――――――

 

部屋の中心、聖杯はもう目の前だ。

ゆっくりと手を伸ばし、聖杯へ、ムーンセルの中枢へと触れ―――、

 

「っ―――……!」

 

その瞬間、私は聖杯の中に居た。

吸い込まれた、もしくは溶け込んだのか。

 

ムーンセルは人類の始まりから全てを観測している。

その膨大な情報量と保管の概念は人類には理解できないが、感じ取る事は出来る。

 

データ分解までの数瞬、意識をムーンセルへ接続し―――入力完了。

一言も、一文字も間違いなく伝わった……と、思う。

あとは、分解まで暫く待つだけ。

 

「おやおや。流石の聖杯も君のような人間を分解するのは骨が折れるようだな」

 

え……!?

 

「私は君のサーヴァントだぞ? いくら私でも主人を残して去る程、冷血漢ではないさ」

 

驚いた。でもこれじゃあ、あの別れに格好がつかないじゃないか。

もう肉体すら無い筈なのに、涙が流れ出るような感覚を覚えてしまう。

今私、凄くみっともない顔してる。

 

「ほら、そんな顔をするな。君な最後の大仕事だ、少しくらいなら私も手伝おうじゃないか―――」

 

―――異物がもう一混入したせいで、どうやらまだ分解まで時間はあるらしい。

なら、願いをもう一つ。

せめて彼が、少しでも報われますように―――……。

 

―――――――――――――――

 

―――Epilogue

 

 

「―――――、―――き―――!」

 

声が聞こえる。

懐かしい、何十年も前に聞いていた様な声。

誰だ……?

 

「―――――し―――、―――!」

 

それにしても煩い。

無邪気の子供の様に、ずっと叫び続けているみたいだ。

だから、誰なんだ……?

 

「―――志貴!」

 

うわっ!

って、アルクェイド―――!?

 

「全く……今日は随分と寝ぼすけねぇ。私より遅いなんて」

 

夢、なのか?

俺はさっきまでエミヤと―――あれ、何をしていたんだっけ。

というかそもそも、エミヤって誰だっけ……。

 

「ほらほら、妹が来る前に行こ!」

 

「コラ真祖! 遠野くんを何処に連れていくつもりですか!」

 

「って、なんでシエルがいるのよ!」

 

あれ、先輩―――!?

 

「付いて来たからに決まっているでしょう。それより質問に答えなさい!」

 

「どこって、遊びにだけど」

 

「んなっ!?全くいつもいつも独占して!今日は私が、彼と遊びに行くんですよ!」

 

おいおい喧嘩するなよ二人とも。

仲良くしろって―――、

 

「何の騒ぎですか兄さん―――、ってまた貴女達ですか!あれほど勝手に屋敷には入るなと……!」

 

ほら秋葉が来るんだよ!

今日はどっちも大人しく―――、

 

「……志貴様」「志貴さーん?」

 

うわ、翡翠に琥珀さんまで!

しかも琥珀さんは何か悪い顔してるし、翡翠は怒ってるっぽいし!

ああもう、またこんな展開か……。

 

「みんな、ちょっと静かにしろー!」

 

―――――――――――――――

 

「志貴」

 

「馬鹿ね……。あれだけ忠告したのに、あれだけ説教したのに、死んだ後もこんな事をしてるなんて」

 

「――――――」

 

「―――私が今から、貴方を元のデータごと『破壊』するわ。それでおしまい。この世、どの時間軸においても『遠野志貴』という存在は消滅する」

 

「でも私だけは―――貴方の存在、貴方という子がいた事を、決して忘れないから」

 

「さようなら。それと―――ごめんなさい、志貴…………」

 

 

―――Epilogue end

 

 

 

「―――失われたものへの追悼はあるけれど なに、地球が無くなったわけでもない。道があるのなら、自分はきっと歩いていける。願いに、目的に貴賤はない。小さくとも、一つだけであっても、叶えたい願いを持って歩き続ければ、最後に、大きな花を咲かすだろう。それが、ついには自分をここまで連れてきたように。心配はない。現在(そこ)には変えて行こうとする人々がいて。大切に思える人がいる。一緒に、同じ時を生きていく事が出来る。一緒に進んでいく事が出来る。ああ―――それはなんて待ち遠しい、希望に満ちた――――――」




以前某掲示板に投稿したのを直して投稿。
こっちやってねーで本小説の方やれって声はやめて下さい。
自分でも分かってますので。
だって仕方ないじゃん、飽き性なんだから。

なーんて言い訳はさておいて、ここまで読んで頂きありがとうございます。
若干の設定は活動報告に書いてありますので、それでは。

※ルビ等修正しました


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