A long day、 Nishimura Fleet (石狩晴海)
しおりを挟む

第一話

**注意事項**
本作には設定の独自解釈が数多く含まれます。
また作中に書かれる各艦艇の背景記述には、作劇優先の演出がされています。
詳細な情報をお求めの方は、是非ご自身の手で彼女たちの艦歴を紐解いてみてください。


 深夜の時間帯。

 薄暗い部屋の中で、卓上のランプだけが光源だった。それでありながら、古めかしい油式の照明は油口を限界まで絞られおり、座っている人間の輪郭を辛うじて知ることが出来る程度だ。

 頼りない骨董品の代わりに、窓の外から赤い警戒灯火が入って、流れて、去って行った。

 港に据え付けられている回転灯は、部屋の主の許可も得ずに室内の光量的沈黙を蹂躙してゆく。

 暴者の照射で部屋の天井には蛍光灯が設置されていることが解った。この暗さは部屋の主が望んだものだったのだ。

 卓上には硯と小筆。そして厚紙の白札一枚。

 もう一度回転灯が流れ去るのを待ってから、薄暗闇の中で部屋の主が筆と札を手に取る。

 盲目の環境でありながら、筆先に迷いは無かった。

 

  最上淵

  時雨に満潮

  折れ扶桑

  山城(くだ)

  無手の礫湾

 

 一度卓上に筆と札を置き、詩を反芻してみる。

 自己評価でさえ、最悪。

 盛り込みたい単語に引きずられたひどい作品だ。

 情緒が無い。流れがあやふやで情景が思い起こせない。結論有りきで作られている。

 脳内で批判を反響させながら、じっと座す。

 墨が乾いた頃合いを見計らって、もう一度札を手に取る。

 詩を返すと裏面にもう一首自らの返歌を詠み置く。

 息を潜め無言で筆を走らせる。

 表裏の二首を詠み終えてなお、頭の中の自己批判が止まらない。

 今度は詩に対しての罵詈ではなく、己が所業への慙愧(ざんき)だ。

 自分は総責任者で在りながら、この程度のことしか出来ない。

 才覚を(ほしいまま)にしてどれだけ持て囃されようが、それは人の一面でしかないことを知らしめられている。

 得意分野から一歩離れただけで、この様だ。

 先程届いた報告を聞く一時間前に戻りたいとは言わない。だが、あの時の決断が五分だけ早ければ、こんな事態に陥ることはなかったはずだ。

 いや、違う。

 たられば、もしはず。評価にこれらは使用厳禁。最初期に学んだろうと自戒する。

 歯噛みしながら明日の日付と自分の名前を書き込み、表返した方にはあの日付と彼の中将の名を拝借させてもらう。

 詩と筆を置き起立した。姿勢を正して、記名に敬礼。

「前文は了承しかねますが、御命令は遂行致します。ですから閣下、どうか……」

 『彼女』たちにご加護を。

 悪夢の海峡を越え、明日の湾港に至る意思()を御与え下さい……。

 

◇*◇

 西村艦隊の長い一日

◇*◇

 

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 航空巡洋艦最上型一番艦『最上』は、思わず叫び声を上げてしまった。

 赤茶の水兵服と同色のキュロット。短く切った髪をしたのんびり屋の彼女だが、今回ばかりは叫ばずにいられなかった。

 朝の訓練を終えた後に、艦隊司令の執務室に呼び出された。ここで僚艦を指定され作戦指示を受ける。いつもの演習か出撃任務と思っていた。

 今、同室に並んでいる艦娘は『扶桑』と『山城』の戦艦姉妹。それに駆逐艦の『満潮』と『時雨』。どうみても全滅した西村艦隊の再編成である。

 彼女たちと並んでいると、最上の中にある”アノ記憶”が強烈な炎熱をもって訴えてきた。

 この選定はいけない。この作戦はダメだ。

 更に任務内容が追い打ちをかけてくる。

「ボクたちだけでスリガオ海峡の穢艦(えがん)を掃討しろって。本気で言ってるの!?」

 艦編成も作戦場所も、史実において西村艦隊が全滅した作戦に似ている。あの惨劇から生き残ったのは時雨ただ一人だけ。こんな死亡フラグだらけの作戦には賛成できない。

 まだ青年といった感じの艦隊司令は執務室兼司令室のデスクに座り、部下である艦娘からの激しい抗議に微塵も動じなかった。淡々と作戦概要の続きを口にする。

「海峡だけではなく、レイテ湾内にも深海棲艦は出現している。これも殲滅対象に含む」

「目標が多いって。5人だけだと戦力が足りないよ」

「他の戦艦を主軸にした水上打撃艦隊を同じ作戦の援護に付ける。十分に突破可能な戦力だ。疑問を挟む隙は無い。旗艦は山城、お前だ」

 航空巡洋艦の進言を軽くいなした提督は、何事もないように作戦責任者の指名する。

 それでも最上は諦めることなく抵抗を続けた。

「さらにダメじゃないか! 思いっきりあの時と同じになってるよ!」

 レイテ湾突入作戦は、同時突入するはずだった栗田艦隊と同調できずに終わったのも失敗の理由だ。この作戦に援護艦隊を付けても、運良く加勢できるとは思えない。それなのに旗艦まで同じにされては、沈んで来いと言われているようなものだ。

「せめてこっちの艦隊に、誰か対空警戒と哨戒機を載せられる空母を付けて。ボクだけじゃ対応しきれないよ」

 贅沢を言うなら一航戦の『赤城』か『加賀』に制空権を支えて欲しいが、そうは言ってられない。少数の水上艦載機しか扱えない自分だけでは不安が残るという情けない理由だが、状況を良くしようと必死に訴える。

 焦る最上の横で満潮が皮肉げに笑った。

「南雲機動部隊なら昨晩の作戦で損傷して、朝から修繕ドックを占領しているわ。一番傷が浅い飛龍でも起きるのは今日の夕方からでしょ。いつものことながら、ミッドウェーを完全再現していないことは褒めないとね」

「あぁぁーーー……」

 状況を理解した最上は膝から崩れ落ちた。

 正規空母の赤城たちが倒れているということは、最後の砦である五航戦姉妹や他の軽空母たちが代わりに出ているということだ。彼女たちにも頼ることができない。

 自分たちの不幸は、最悪な場所に極悪なタイミングで穢れの濃い深海棲艦が現れてしまったことだ。

 司令官としては、艦娘たちの艤装を即時復元させる高速修復材で一航戦と二航戦を叩き起すまでもなく、代替え戦力で対応可能と判断したのだろう。

 通常なら問題ないが、控えを戦力として投入するのは比島攻略での旧海軍も同じだ。選ばれた艦娘もばっちり同じ。これはまずい。

 見方によっては、五航戦の瑞鶴を中心にした即席空母部隊が囮役担っているという状況にまで一致する。

 なにもそんなとこまで歴史を再現しなくていいじゃないか!

 最上は叫びだしそうになるのを必死に飲み込む。

 これらはあくまでも当て付けで、レイテ突入の記憶を持つ最上が気を回し過ぎなだけと言われても仕方が無い。

 それぐらい解っている。でも焦燥が心の中から溢れ出そうだった。砲塔や燃焼缶が爆発した『陸奥』や『島風』もこんな気持ちだったのかとも思った。

「追加が無理なら、旗艦は山城さんじゃなくて扶桑さんにして! お願い」

 必死に懇願する。二番艦である『山城』の方が司令部機能が充実しているのはわかる。現実でも、あの時の旗艦は『山城』だった。だからこそ、少しでも史実と(たが)う要素が今の自分たちに欲しい。能力的には『扶桑』が旗艦でも不都合は無いのだから。

 白い士官服の艦隊司令は、黙したまま動かない。

「提督は本当にこの作戦をするつもりなの! ボクたちが歴史に引きずられるのは……」

 執務卓に詰め寄ろうとした最上を白い腕が遮る。烏の濡れ羽色をした長髪に変形巫女装束の扶桑が、白熱し煙を吹き上げる僚艦を止めた。

「あなたらしくないわよ。落ち着きなさい」

 彼女と並び立つ妹の山城が一歩前に出た。迷いの無い動作で司令官に敬礼し、作戦内容を復唱する。

「了解しました。これより 当 西() () () ()は該当区域の深海棲艦の掃討を行います。速やかに出航準備を整えヒトマルマルマルに抜錨、作戦行動に入ります」

 山城の発言に最上はぎょっとした。提督からの指示には艦隊呼称まで決められていなかったからだ。それなのに山城は全滅した艦隊名を引き継いだ。

 なによりも恐ろしいのは、非常に尾を引く性格の彼女がこういった方向の話題に自分から触れたことだ。

 最上は山城の表情をそっと覗き込む。作戦旗艦の顔は硬いままだったが、腹の中にある機関部はどれだけ非常加熱しているのか、表側からは計りきれなかった。

 

◆*◆

 

 艦娘たちで再現された西村艦隊の面々は、司令室を出てから足早に整備用の船渠ロッカーに向かう。

 最上は手早く艤装の装着と最終点検をして港に出た。

「折角の新装備お披露目が、スリガオ海峡突破戦になろうとは思わなかったよ」

 複雑な気分で港から滑り出ると、港の堤防先に山のような砲塔を背負った山城が待ち受けていた。山城は姉に似て長身だが、そんな彼女よりも砲塔群の方が大きい。何度見ても圧巻の大型艤装だった。

 本作戦の旗艦を務める山城に、最上はそっと近づき問いかけた。

「今日の作戦だけど、本当にこれでいいの?」

 歴史再現への明確な対策がなされないまま作戦を遂行することへの確認だったが、山城が不満顔で罵ったのは別件だった。

「新参の大佐風情が我が物顔で連合艦隊を指揮しているのよ。どこかのお坊ちゃまが将官任命前の点数稼ぎをしているんでしょ。それだけの後援を持っている相手に、こんな小さな作戦でいちいち反抗していても無駄よ……」

「それは言い過ぎだよ」

 俯く山城に最上は苦笑いした。司令官にも、過小評価している自分たちにも言い過ぎだ。

 しかし少し前の自分も似たような、そして真逆の考え違いをしていたので山城の言葉を完全に否定出来なかった。

 確かにあの若い艦隊司令には謎が多い。

 彼が鎮守府へやってきた時、階級はまだ少佐だった。

 その後あっという間に昇進して、今では将官昇格の打診も受けていると重巡洋艦『青葉』が言っていた。

 従軍記者気取りの青葉が発信源なので眉に唾を塗る話だが、自分たちの司令官が短期間に驚くほどの出世をしているのは現実の出来事だ。

 司令官に対する最上の感想は、最初と現在で違いがある。

 着任した時は、自分たちの纏め役に軍司令部から送られたにしては上等すぎる人だと感じた。

 なにしろ150人にも満たない艦娘鎮守府である。現実の駆逐艦の乗組員ですら、ここより頭数が多いぐらいだ。駆逐艦娘たちを旧軍規律に当て嵌め四人一組で換算すれば、所属人数はもっと少なくなる。

 責任者に佐官を迎えるなんて大袈裟過ぎる。良くて大尉。順当に考えて中尉か少尉で事足りる組織だ。

 しかし、やってきた上司が提督と呼ばれるまでにスピード出世したことで、考えを改めさせられた。

 正確には、彼の価値と一緒に自分たちの有り方も変えさせられた。

 最初の感想での間違いは、自分たちの存在を過小評価していたことだ。

 最上たちは、旧帝国海軍の艦艇の記憶と能力を引き継ぐ艦娘である。つまり鎮守府にいる一人ひとりを軍艦艇と考えた場合、必要となる司令官の裁量が大幅に上昇する。

 100隻を超える軍属艦艇の指揮なんて、一人の人間が部屋一つで取り仕切るものではない。幕僚を据えて参謀職を務めさせ、運営作戦会議で方針を決めるレベルだ。

 そこで最上は思い直した。

 自分たちは旧帝国海軍の再現でもあるのだ。その指揮官が将官になるのは当然の帰結。ある意味山城の指摘は正しい。海軍連合艦隊の総司令が大佐風情に務まるはずがない。

 実際には、彼の階級の方が異常に低くされていた。そう考えれば快速出世も納得できる。

 そして司令本部から艦娘艦隊司令の価値を逆転させる出来事に心当たりがある。

 他でもない自分たちの存在と戦果である。

 おそらくきっかけは艦娘機構の確立させ、正体不明な深海棲艦に明確なカウンターを行ったことだろう。

 最近増えてきた訳の分からない海洋災害を鎮静方向に変換させた立役者であるわけだから。

 最上は苦笑を止めて左腕の新装備を見る。

「やり手ではあると思うけどね」

 そんな航空巡洋艦娘を、山城がぐるりと首を回して見据えた。

「こちらとしては、あなたの艤装が変わっている方が気になるのだけど。司令室でも自分だけでは制空権確保がどうとか言っていたけど、もしかしてそれで艦載機運用を……」

「あー、うん。ちょっと前に司令官が持ってきたんだ」

 山城が指差す最上の左腕には、機械式の航空甲板が盾のように下げられていた。

 艦娘たちの艦載機運用には弓矢式や陰陽術式などがあるが、機械仕掛けの飛行甲板は一番新しい形式である。

 最初は水上機母艦の千歳千代田姉妹から開発試作運用が始まった。この頃は鋼材で枠組みを作る無骨で嵩張る箱型ものだった。その後、徐々に動作の安定化と小型化が進められてゆく。

 機械式の特徴は、艦娘の技量や適正に左右されずに運用できる汎用性と稼働率だ。弓矢式に必要な鍛錬や、陰陽術式に必要な高い適応性を必要としない。

 機械式と術式の間に、こんな小話がある。建造中の仕様変更と数奇な改装歴に翻弄された軽空母『龍驤』の話だ。

 彼女が艦娘になった時、その来歴が面白い形で現れた。初期には千歳たちと同じ機械式の大箱型甲板が装備される予定だったが、術式への適正が見出されて式神型の艦載機運用に変えられた。

 もし軽量の装備で済ませられる陰陽術式型への適正がなかったら、あの小さい身体でロッカーほどの甲板を持ち運ぶ試練を背負わなければならなかっただろう。それこそ元の『龍驤』と同じく、不釣り合いな大きさの艦載機格納庫に押し潰されそうになりながら……。

 そんな経緯もあり、機械式の小型化は重要課題として扱われた。

 最上が使っている機械式甲板は、先に膂力のある伊勢と日向に試験運用された大盾型との融合発展系である。箱型と同じく重く大きな盾型甲板だったが、工廠の努力により最上の腕一つでも運用できる程度にまで小さく纏められていた。まだまだ船体の小さな軽巡クラスには荷が重い大きさだが随分な進歩だ。

 この技術開発成功で、最上型全四隻は全て重巡洋艦から航空巡洋艦への艦種変更されることが決定した。最上にとっては勲章にも似た大切な装備である。

 次は補助動力を組み込んだサブフロータータイプの手持ち甲板が最終系として計画されていて、最上型三番艦『鈴谷』と四番艦『熊野』に搭載される予定だ。水母改造姉妹千歳たちが装備する大箱型への先祖返り的な能力を持つ。

 同じく独立浮場できるフロータータイプは、緊急時に一旦甲板を足元の海上に置いて艦娘と分離運用できる優れもの。重たい飛行甲板の扱い方が増えるので、戦術の幅が広がる。

 今回の作戦で最上が慌てた理由の一つに、自分たちの提督はこうした先見的な装備を積極的に取り入れる人物だと思っていたことがある。

 最上に甲板を渡してくれた時の彼は、温故知新がこれからの鍵だと言っていた。

 新たな力を得るのに過去を否定してはいけない。現実には中途半端に終わった艦載機能力付与だが、艦娘たちなら使い道があるはずだと。

 面白い考えをする人だと思った。

 だが今回の出撃任務は、重たい過去に縛られた内容だ。満足に対策すらしていない。つい先程まで自分たちの艦隊司令は頼りになると思っていたのに、正直に言って提督の考えがよくわからない。

 そしてこの回想が自爆であることを悟る。

「そういえば、伊勢たちも改造後に同じ様な艤装を持っていたわね……」

 扶桑型二番艦の瞳が水準の病みを抱えていた。肩越しから横向きに降りけるような姿勢で、最上を見下ろす。

 瞳孔が波打っているのは錯覚だと思いたいが、あれ物理的に歪んでる? 怖っ!

 扶桑姉妹は改扶桑型とも言われる伊勢型戦艦二人への確執を抱えている。伊勢と日向が扶桑型の欠陥部分を再設計して建造されたためだ。

 そして先の通り、伊勢型航空戦艦の航空甲板は最上が装備するものの先達だ。

 羨む山城が注目するのも頷ける。

 うーん、ここはどうやって切り抜けようかな。

 背中が汗ばむのを感じながら、頭の中で言い訳を高速検索する。

 しかし航空巡洋艦が迷いを晴らす前に、他の所属艦艇も港出口に集まってきた。

 朝潮型三番艦の『満潮』が山城に食って掛かる。ブラウスに緑色のリボンタイを結び、サスペンダースカートをはいている。女の子らしく長い髪を頭後ろ横でシニョン2つに束ねた駆逐艦だ。

「ちょっと、そんな大きな身体で狭い場所を塞がないでよ。邪魔でしょ」

 彼女は幼い外見の割に口調が荒い。行動も活発で、戦艦の二人にも物怖じしない。満潮が山城の巨大艤装をぐいぐいと押して除けようとする。

 悲しいかな駆逐艦の出力では効果はいまいちで、港口は遅々として開かなかった。

 自分を押しのけようとする駆逐艦を鬱陶しがる山城に、後追の扶桑が声を掛ける。

「ほら、退いてあげて」

「姉さまがおっしゃるなら……」

 言われて山城が軽く一歩動いた。

 彼女を押していた満潮は、力の向け先がなくなりつんのめって多々良を踏んだ。港口の海面を足裏の船底が叩き小波(さざなみ)を作る。

 不恰好をさせられた満潮が戦艦姉妹を睨むが、彼女たちは早足でやってくる最後の僚艦へ目を向けていた。

 黒い髪を三つ編みにして肩に垂らす白露型二番艦『時雨』が到着して、頭を下げた。

「遅れてごめん。艤装のことで、提督から少し説明があったんだ」

 戦艦姉妹が時雨を見つめるのには、理由がある。

 時雨の艤装が他の白露型と違う形をしていたからだ。

 通常駆逐艦は、砲塔や魚雷管などを両手や足に携える形をしている。特型以外の者は、吹雪型由来の背嚢式機関部が省略されている場合もある。その中でも白露型は比較的軽装な部類のはずだ。

 だが時雨のそれは箱型の筐体を背負って、肩越しに砲身を伸ばしていた。白露型の制服である濃紺の水夫服が改造されていないだけに、時雨の異様はよく目立った。

 最上も目を丸くしてしまった。

 時雨の形は、まるで小型化した戦艦のようだ。もっと言うなら砲塔を背負う扶桑姉妹を駆逐艦サイズで真似たみたいだった。

 艦娘たちの装備は、基本的に同型艦で共通している。個別に艤装形状の変更が許されるのはごく少数だ。仮に変更があったとしても、史実において何かしらの要因があるはずである。自分とは違う飛行甲板が渡させる鈴谷と熊野も、現実には最上と同じ改装を受けていないという理由があるからだ。

 特に同型艦の数が多い駆逐艦での単独改装は珍しい。例外は、艦娘随一の強運を誇る陽炎型八番艦だけ。

 そこまで考えて思い出す。戦中の『時雨』は、一時期とはいえあの『雪風』と並び称された武勲艦だ。これは嘗ての武功を賞する意味なのだろうか。

 自分の背中が注目されていることを察した時雨は軽く胸を反らした。

「どう? カッコいいでしょ」

 最初に目を背けたのは同じ駆逐艦の満潮だった。

「どうせアタシは特別な武功を持ってないわよ」

「そんなことを言わないで。艤装変更は別に意味があってのことだよ」

 飄々とした態度の時雨に、さすがの満潮も口を噤んだ。

 全員が揃ったことを見て最上は旗艦に声を掛ける。ご機嫌伺いも兼ねて雰囲気を変えたかったからだ。

「それじゃ山城さん。旗艦号令をお願いします」

 本作戦の旗艦は最上をもう一度睨むように見たが、航空巡洋艦が暗に視線を時雨の背中へ誘導させる。

 山城は武勲駆逐艦を見て、もう一度最上を見て、進行方向に向き直してくれた。

 時雨の艤装変更が提督からの命令なら最上も同様と判断してくれたようだ。変に拗れずに終わって少し安堵する。

 作戦旗艦の山城が出航合図の警笛を鳴らす。

 

「西村艦隊、出撃します! 作戦目標、レイテ湾の浄化!!」

 

 満潮と時雨の肩に前触れもなく手旗信号を振る小人が出てくる。艦娘たちの乗組員役を務める妖精たちの一人だ。どこからやってきて、どうやって生きているのかわからない彼女たちだが、艦隊司令からの説明では家霊や付模神の部類だそうだ。素直に船霊の一種だろうと最上は思っている。

 水夫妖精たちは非常にデフォルメが効いた等身で、短い腕でありながら的確な出航合図を発信した。

 西村艦隊は事前に示されていた布陣を組んで出航する。

 露払いは駆逐艦の二人に任せ、扶桑型姉妹が続き、最上を殿にした2ー2ー1の変形複縦陣。5人は巨体から加速が鈍い戦艦の歩調に合わせて滑りだす。

 全艦が港を抜けて更に加速というところで、時雨が満潮に話しを振り出した。

「そうそう、満潮に提督からの贈り物があるんだ」

 言って時雨が取り出したのは手のひらに収まる程度の小箱である。駆逐艦たちには見慣れた箱で、『遠征』で集める小銭入れだ。

「なによいきなり。アタシがこんなありふれたもので喜ぶと思わているのかしら」

「いやいや。形は貯金箱でも、中にはとてもびっくりする装備が入っているそうだよ」

「そんなのあるわけないじゃない。アタシを持ち上げて楽しもうっていうの。なんて最悪な性格の司令官なのよ。信じるあなたも同じよ。生憎とそんな素直さと愛想をアタシは持ち合わせて無いわ」

「そう言わないで取っておきなよ。珍しいものなのは確かだからさ」

 尖り口で卑下する仲間にも時雨はにこやかに笑って返す。満潮の手を強引に取り、小箱を載せた。

「僕も同じものをもらったんだ。悪いものじゃないから安心して。そうだね。雨が止んで欲しい時に開けてみるといいよ」

 満潮の感情を察せずにやりたいことを押し通した時雨が艦隊の前に出る。

 困惑顔の満潮は、ひとまず手を塞ぐ小箱をスカートのポケットに入れて時雨に続いた。

 二人のやり取りを見ていた最上は、なんとも言えない気持ちになった。山城は仏頂面で、扶桑は穏やかに二人のやり取りを眺めていた。

 自虐が強く剣呑な態度の満潮だが、時雨の気取った言葉遣いが苦手にようだ。

 まして同じく西村艦隊に所属していながら、沈んだ様子を見せない時雨に戸惑っているようでもある。

 駆逐艦『時雨』は西村艦隊唯一の生存艦だが、『満潮』もまた最後の一艦という立場を負っていた。

 過去の記録によれば、レイテ突入作戦の前時期に『満潮』は辛い孤独を味わっている。

 満潮が修理のために一時離隊した時、僚艦であり姉妹艦の集まりだった駆逐隊が全滅した。朝潮型姉妹艦で編成されていた第八駆逐隊で『満潮』だけが取り残されてしまったのだ。その後第八駆逐隊は解散し、満潮は第二十四駆逐隊に編入される。

 悲しいことに転属先の第二十四駆逐隊も満潮を残して多数が戦没し、やがて解散。

 流れ流されて辿り着いた西村艦隊の第四駆逐隊には同型艦の妹たちもいたが、心の傷を癒す間もなくレイテ突入に参加。西村艦隊に所属していたという事実から、彼女らの最後は察して欲しい。

 満潮の強い自虐思考は、姉妹たちの最後に関われなかった後悔が裏返ったものなのだろう。あの時一緒にいられたら姉妹たちを救えたのではと悔み、今の自分が他者から助太刀されることに否定的な態度を表す。

 それだけに満潮は、時雨にどのように接すればいいのか測りかねていた。

 時雨はスリガオ海峡夜戦での生還だけで、あの『八番目の死神』に比肩する武名を得たわけではない。『時雨』はレイテ沖海戦より先に行われた数々の海戦で勲功を上げた歴戦の駆逐艦である。特にブーゲンビル島沖海戦に置いては、ただ一隻無傷で帰還した幸運艦としても名高い。

 それだけにスリガオ海峡夜戦での大惨敗は、時雨にとっても悔いが残る記憶のはずだ。地獄の海峡包囲網から生還できたといっても、海戦に勝利したわけではない。沈まずに済んだ、生き残ったというだけでしかないのだから。

 いくら幸運の駆逐艦とはいえ、戦況を覆すだけの力を持ち得ない。どれだけ武勇を重ねようと、状況によっては容赦なく負ける。あの『雪風』すら負け知らずなのではない。彼女が『大和』の随艦であることを忘れてはならない。

 これから行う作戦は『佐世保の時雨』にとって、そういう苦い黒星だ。

 それなのに、満潮の横で遠くを眺めながら自分の世界に浸っている僚艦は暗さを感じさせない。

 孤独と地獄を知っている満潮は、自分より更に酷い落差を味わいながらも背筋を伸ばす白露型二番艦を、羨めばいいのか、縋ればいいのか、突き放せばいいのか、引き込めばいいのか。考えがまとまらないのだろう。

 最後尾から改めて僚艦を見渡した最上は、頭が重くなるのを自覚した。

(思い返せば思い出すだけ、なんてネガティブに傾いた艦隊なんだ……)

 特に今回は自分だって例外ではない。

 スリガオ海峡夜戦では自分も戦没しているのだ。戦闘中の損傷から操舵不備に陥った上で退避中に僚艦と激突している。いつにも増して衝突禁止を戒めにしないと。

 どうか作戦が無事に終わりますように。

 虚しいと知っていても、祈らずにはいられなかった。

 

 作戦海域までの航海は順調に進んだ。

 本来なら片道だけで数日掛かる距離にある比律賓諸島だが、艦娘たちは航海距離そのものを縮めることが出来る。一度昼休憩を挟んで、ヒトヨンマルマルには現着していた。

 内心、最上は首を傾げた。

 地球ってこんなに小さかったっけ……?

 改めて自分たちの能力が飛び抜けていることを教えられる。

 戦闘を目的にしているからピクニック気分とは行かないが、この力のおかげで艦娘たちは外海での作戦活動が容易だった。神出鬼没の深海棲艦に対抗するのにお誂え向きだ。

 これってテレポートなんじゃないのかな?

 疑問に思った最上が術式に詳しい商船改造組に聞いたところ、この力の源泉は古代中国から伝わる由緒正しい移動方法とのこと。軽空母の『飛鷹』は民営書簡の解説書まで開いて詳しく教えてくれた。

 結局は自分の足で移動しなければならないので、瞬間移動とは認定されないらしい。

 艦娘ならば全員扱えるが、あくまで巡航展開用の能力であり、最速の駆逐艦『島風』のように速力、機動力、回避能力が高くなっているわけではない。なにより利用できる場所があらかじめ決められている。

『これは私達の根底と深く結びついた力なのよ。他に転用するには手間が掛かり過ぎるから、悪用はされにくいでしょうけどね』

 それに戦場に向かうだけの力じゃないことが救いよ。

 川崎(民間)産まれを感じさせる言葉を残して講義は終わった。

 鎮守府では、各所と提携して様々な『遠征』活動をしている。そして長距離高速航海能力は『遠征』を支える重要な能力だ。

 艦娘たちの作戦活動には色々と先立つものが必要で、首脳部から配給される資材だけでは見積もりが甘く心許なかった。新参で外縁に近い立場の自分たちは、自力で稼ぐことを強いられていたのだ。

 そこで注目されたのが、ちょっとした遠出にも艦娘なら即座に現場に向かうことが出来る能力だ。これは重大な売り込み要素になる。

 着任直後の司令官は人脈の限りを尽くして外部と連絡を取り、艦娘を派遣する『遠征』を立案、実行してきた。

 初期は失敗も多く苦労の連続だったそうだが、現在は収支の目安が立てやすくなり、計画的に出撃が出来るまでになっている。

 最近は相手側から営業される依頼も増えてきて、艦娘の中には個別指定される者もではじめた。指名が多い艦娘は鎮守府でもちょっとしたアイドル扱いである。本来の趣旨とは外れた外貨の稼ぎ頭としてではあるが……。

(そういう方向にも需要が高い第六駆逐隊や、何をさせても最強の第三戦隊は華があっていいよね)

 益体も無いことを考える最上を殿にして、西村艦隊は一度諸島の東側をぐるりと廻る。

 以前の作戦行動を真似て、南西側からスリガオ海峡を北上してレイテ湾に入る予定だ。

 昔は挟撃が画策された作戦だったが、今回同じ航路を利用するのは別の思惑があった。

 深海棲艦たちは艦娘たちよりも絶対数が多いが、統制の取れた活動を行うには上位種の存在が欠かせず、大部隊を編成することがあまりに少ない。艦娘たちが総兵力で劣りながらも優勢に戦えているのは、敵個別艦隊が統率なく回遊していて、これらを各個撃破することが可能だからだ。

 しかし本作戦は脅威度の高い深海棲艦が多数存在すると予測されている。

 いくら司令系統が煩雑な深海棲艦とはいえ、これら湾内にいる無数を一手に相手取っては飽和攻撃される可能性があった。そこで艦隊展開数が制限されるスリガオ海峡を利用した漸減作戦が指示されていた。

 予定されている砲撃支援も、レイテ湾からスリガオ海峡に向かって詰まっているところを狙うという。うまく行けば無傷の完全勝利で終了する算段だ。

 

 そして最上たちの前に、運命のスリガオ海峡が姿を表した。

 

▲*▲

 

 レイテ島南西方スールー海を東に進む艦娘たちの西村艦隊。

 その旗艦である山城は、出来るだけ俯いて海面を見るようにしていた。

 顔を上げるのが怖くて仕方がなかった。初めて来たはずなのに、周囲はどこも見覚えのある景色をしていた。

 錯覚と言うには生ぬるい。痛みにも似た激しい既視感が戦艦『山城』を襲う。

 記憶が脳髄を突き上げてくる。胃が縮小し、きつい酸味を咽奥に広がる。手の震えを意識して止められない。

 弱気になるな! この程度なんともないはずよ。

 瞼を強く閉じて、拳を握りしめ耐える。

 だが山城が呪縛に抗おうとすればするだけ、この後に起こる悲劇が脳裏で鮮明さを増してゆく。

 あの日、同調予定だった栗田艦隊が展開中に攻撃を受け、所定の日時までに到着できないと知らされた。そこで西村艦隊は日が落ちるのを待って、夜戦にてスリガオ海峡に単独突入することを決定する。

 そして西村艦隊を出迎えたのは、圧倒的な戦力差と完璧な待ち伏せだった。

 最初は姉の扶桑が魚雷を受け損傷したことから始まる。満潮の援護を受けて立て直そうとするが、尽力叶わず二人は沈没する。

 先行していた自分は姉の落伍を知らずに時雨、最上とともに突入を続行。しかし山城も魚雷により航行不能になる。

『本艦を顧みず敵を攻撃すべし』

 最後の命令を下して、山城も沈む。

 その後、最上も被弾して戦闘不能になる。

 こちらの攻撃がどうこうと言う話ではない。一方的な蹂躙だった。

 もはや作戦完遂は不可能と判断して撤退を開始。なんとか海峡を出た二人だが、航行能力にダメージを受けていた最上は支援に来た後詰の僚艦と激突してしまい再起不能となる。最後は敵の爆撃を警戒し、急ぎ雷撃処分された。

 西村艦隊で残ったのは駆逐艦一隻だけ、白露型二番艦『時雨』のみだ。

 戦力差が倍以上どころではない戦闘だ。後世には敗北当然と言われているが、山城には屈辱でしかない。

 自分の戦歴には、ただの一度も勝利が飾られていないのだから。

 負けるためだけに生まれてきたなんて、認めたくなかった。

 だが現実は、非情に冷徹に淡々と、山城にこれから訪れる敗北の恐怖を突きつけてくる。

 それもただの黒星ではない。待ち構えているのは命を落とす撃沈だ。

 もはや震えは全身に及んでいた。

 妹の異変に気づいたのは、やはり姉だった。

「みんな、少し待ってもらえる」

 姉の扶桑が一声掛けて、先を往く駆逐艦たちと後ろの最上に取舵で回遊してもらう。

 隊列から外れた扶桑は、俯く妹に横付けすると肩に手を添えて慰める。

「今回は色々と云われのある作戦だからかしら、記憶の引力も強いわ。山城、大丈夫?」

「ええ、この程度は慣れたものですから……」

 強がってはいるが、船体を細かく振動させる様子はどう見ても大丈夫とは思えない。

「一先ず、気分が落ち着くまで作戦開始は遅らせましょう」

「大丈夫です。いけます」

 山城が意地を張って顔を上げると、目の前には厳しい顔をした最愛の姉がいた。

 扶桑は無言で妹を見据える。山城の手を取って自分の両手で挟み、祈るように胸に抱いた。双山の谷間を歪ませて震える妹を受け入れる。

「……無理だけはしないで。お願いよ」

「すみません。姉さま」

 このまま抱きついて甘えたい願望を塞き止め、暫し佇む。

 手に感じる姉の柔らかさと暖かさに身を任せる。二人の鼓動が重なるような一体感に、安心する。このまま一つに溶けてしまいたいと思う。それが私達姉妹の本当の形なのだと言いたい。

 だが今は作戦を完遂させて、姉さまに自然と話し掛けるあの嫌味で憎たらしい青二才の鼻を明かしてやらないと。

 私が姉さまの行動を知らないとでも思ったか。最近妙に話し込んでいることまで突き止めているんだから。関係が今以上に進展するなら必ず邪魔してやる。この最難関の任務をやり遂げれば、提督だってやり込められる。

 怪しい方向に逝きかけた思考を修正して、山城は姉に返事する。

「本当に大丈夫ですから」

 震えが収まったことを知らせるために、もう片方の手で姉の手を掴む。

 二人で手を握り合い、互いの心を確認する。

「うん。雨降って地固まるってところかな」

 突然のセリフに振り返ると、駆逐艦の時雨がいた。戦艦姉妹を見てにこにこと笑っている。

「な、何か用なの?」

 姉さまと触れ合っている場面を邪魔する小娘に、山城が威嚇を飛ばす。

「僕から二人に伝えたいことがあるんだ」

 しかし空気を読まない時雨は笑い続ける。

「今度こそ、皆一緒で港に帰ろう。絶対だよ」

 あまりにも普通な鼓舞に、山城の毒気が抜けた。

「あなたに言われるまでもないわ。姉さまと私、天下の扶桑型戦艦が二隻もいるのよ。作戦が失敗することはありえないわ」

「うん。期待してるよ」

 時雨は山城の強がりを素直に受け入れた。

 何かが、引っかかった。

 山城は戸惑いを覚える。時雨の笑顔が、記憶のどこかを逆立てる。

 必死に思い出そうとする。自分の記憶ではない。この感情は『山城』が訴えてきているものだ。

 知って、驚く。

 戦艦『山城』に、笑顔が関連する上向きな記憶があることに驚愕する。

「山城……」

 妹の内心を知ってか、扶桑が名前を呼ぶ。時雨に返事をしろということか。

 仕方なしに駆逐艦を見て、一言だけ残した。

「要らない世話よ」

 言って、顔を背ける。山城は目標のスリガオ海峡を目指して歩き出す。

 でも、ありがとう。

 僚艦が信じていくれているというのは心強い。自分だけでは自暴自棄になりがちだが、頼られているのなら、旗艦の責務を果たそうという気力が湧く。

 震えの収まった指を握り直し、前を向く。怯えていた景色を目に入れる。

 結果は、拍子抜け。

 目の前に広がるのは見渡す限りの海原で、レイテ島の南端にあるパナワン島すら見えなかった。

 パナワン島と南のミンダナオ島の最短部分が、スリガオ海峡の入口を少しだけ窄めている。両岸の距離は20キロメートル以上あるが、海峡中央を通れば島影なぞ見えはしない。

 スリガオ海峡の両岸に挟まれれていた圧迫感は、扶桑型最終改修の象徴である高層艦橋(パゴタ・マスト)があればこそだ。艦娘である今の山城には目視できなくて当然。

 こんな基本的なことすら忘れて、過去の記憶に怯えていた自分が可笑しかった。

 自嘲する山城の行く先には膨れ面の満潮と、催促の手を振る最上がいた。

「ほら、なにをもたもたしているのよ。さっさと作戦を始めるわよ!」

「そろそろ行こう。みんなでやれば、きっと大丈夫だからさ」

 姉の扶桑と、時雨も追いかけて来て山城に並ぶ。

 確かに私達は西村艦隊だ。それでも何もかもがあの時のままではない。

 伝達の時に満潮が言っていたではないか。一航戦二航戦は大破したが健在で、鶴姉妹も五航戦所属のままだ。

 これは深海棲艦の浄化であり、決死の奪還作戦ではない。

 歴史と現在は別の時流にある。気負うことなんてない。

 山城が西村艦隊の面々を見ると、全員が信頼の眼差しで頷き返した。

 

 心を決めた艦隊旗艦は大きく息を吸うと、作戦開始を宣言する。

 

「これよりレイテ湾への突入を目的として、スリガオ海峡の突破を試みます。総員、戦闘配置!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話

 最上が左腕を持ち上げる。手持ちの航空甲板を空に晒して構え、薬指で二回、中指で一回引き金を引いた。甲板の内部機構が稼働して、上面に水上航空機瑞雲』がポップアップする。

「索敵を開始するよ」

 最後に人差し指のトリガーを引くと、甲板の射出機によって瑞雲が打ち出された。

 最上は少し腕の向け先を変えると、もう一機の瑞雲も発艦させる。

 小さな点となって空に消えてゆく自分の艦載機を見送りながら、最上は呟く。

「近くに深海棲艦がいるってわかっていながら、これだけしか航空機がないのは怖いなあ」

 駆逐艦の時雨が最上の左後ろ側から通信を入れてきた。

「今回は、相手に空母型がほぼ居ないとしての編成配置でしょ」

 そう思うことにしようと同意しておく。

 北上する西村艦隊は、移動時とは陣形を変えて進む。

 左に山城、右に扶桑。少し後ろの中央に最上を置いて、最後に時雨と満潮。駆逐艦の二人は、戦艦姉妹よりも外に広がって遠方を警戒している。

 2ー1ー2の変形複縦陣。索敵と先制砲撃を重視した形だ。

 昔の記憶に頼るのなら、海峡に入ったところで北西側から敵の水雷部隊が攻撃してくるはずである。当然哨戒も左側に偏らせている。先行水雷部隊の魚雷で損傷する扶桑を東側に布陣させているのも、そのためだ。

 これで昔の様にはいかない。

 西村艦隊は厳重に警戒を重ねて、スリガオ海峡に入っていった。

 周囲を警戒する扶桑が、妹にあることを確認する。

「山城、栗田艦隊との連絡はどう?」

「相変わらず不通です。おそらく栗田艦隊の旗艦はあの主計科所属でしょうから、忘れているのかもしれません。本当に援護する気があるのか不安です……」

 艦隊旗艦は暗い顔で重たい溜息を吐き出した。

 西村艦隊への支援として挟撃する手筈の栗田艦隊には、世界七大戦艦の一角に加えて連合艦隊総旗艦を務める超大型機密艦が所属している。主力戦艦を中心に数多くの艦艇で構成された打撃艦隊。強力無比の砲火力を誇る無敵艦隊だ。彼女たちが援護してくれるのなら心強い。

 問題は、作戦決行が同期できるかどうかだ。彼女たち"援護艦隊"が計画通りの時刻に到着するか。史実と同じか違うのかが気に掛かる。

 最上は昔を思い返して首を傾げた。

 ……あれ、これっておかしくないかな?

 作戦指示の時、提督は『戦艦を主軸にした艦隊が援護する』と言った。本来、西村艦隊こそが別働隊。援護する側だ。

 つまり歴史上の本隊はあちらだが、今は西村艦隊の方が序列の上位に位置している。

 これは史実に添わない要素だ。

 艦娘の源泉は旧帝国海軍の軍艦である。

 再現元からの影響は強く、艦娘の性格や言動にまで影響を及ぼす。その特徴として、モデル元が抱えたエピソードやそれら関連する環境に身を置くと、活動制限や能力の上昇、なにより特異現象が発生する。

 顕著な例は五航戦鶴姉妹の幸運バランサーや、最上型四番艦『熊野』の帰路不到能力などだ。もやは不運不幸の領域を超えた超常現象で、原理は未解明だが確実に影響を及ぼしてくる。

 この影響は、深海棲艦との戦闘でも例外なく発揮される。

 今日の作戦指示を受ける折に最上が強く反発した理由がこれだ。

 勝利した戦闘の再現なら良い。

 大敗した海戦を彷彿とさせる場所に、艦娘で再現構成された艦隊で向かうのは、キングストン弁で無計画注水するのと同じだ。

 なにより艦娘たちが自発的に歴史を再現をしているのではなく、再現させられていることが問題だ。穢艦側が有形無形の迂遠な方法で艦娘たちを誘導しているような気配がある。噂に聞けば、日本以外の海洋国家に所属するフリートガールズたちも同様の対処を迫られているという。

 上記を踏まえると、本作戦の主役を西村艦隊が担うのは強力な対抗措置なのではないか。レイテ沖海戦での主力である栗田艦隊は、損害を多数出しはしたが帰投している。この海戦の主役は”帰ることが出来る”のだ。

(もしかして提督は最初からこのつもりで編成したのかな?)

 悶々と考え込む最上。答えを聞きたいが、相手は遠い海の向こう側にいる。

 悩む航空巡洋艦を余所にして、山城がぐちぐちと続ける。

「だいたい国号の異称は姉さまのものよ。ぽっと出の晴れ着娘が名乗るのは控えるべきではなくて……」

 そんな作戦旗艦を、満潮が一笑に付す。

「よく言うわね。あっちが主計科なら、山城は整備科の配属になるのかしら?」

「ぬわぁんですってぇっ!!」

 一番言われたくないところを直撃されて、山城の両目が釣り上がった。

 隊列逆側の満潮に向かって舵切りしようとする妹を扶桑が宥める。

「落ち着いて……。今は索敵警戒中よ」

「ぐるるるるるるぅぅぅ……」

 諌められた戦艦妹は、獣の唸り声で駆逐艦を威嚇する。

 満潮は怒り狂う超弩級戦艦に怖気づくこともなく、きつい眼差しで睨み返した。

「嫌味言われて切れるぐらいなら、他人の陰口叩くんじゃないわよ! 傷付きたくないなら大人しく穴蔵(ドック)に篭ってなさい」

 揺るがない眼光に山城の方が先に折れた。前に向き直ってなにやら小言を続けている。

「だって、あっちの二人は……」

「自分から目を逸らすような臆病者が人様をどうこう言わない。艦隊間の連絡が滞るのは経験から想定済みでしょ。どうせ深海魚たちが妨害しているんだから、味方への不審よりも周囲への警戒を密にしなさい」

 言うだけあって、いち早く異変に気がついたのは額に手を翳して遠見する満潮だった。

「右舷遠方に不審物があるわ。最上、確認して貰える」

「了解だよ」

 僚艦の観測を聞いて、航空巡洋艦が新たに哨戒機を打ち出す。

 三機目の水上機が東側に消えてゆくのを見守る間もなく、先に出した瑞雲が戻ってきた。

 偵察機は戦艦姉妹の間に着水して、最上まで漂ってくる。水上機からパイロットの妖精が顔を出して、回収を要請してきた。

 水上航空機には名前通り海上に浮くためのフロートが着陸脚の代わりに付いている。こうすることで艦艇が着艦用の甲板を装備していなくとも航空機が運用出来た。省スペースで搭載運用が可能なため、大型の巡洋艦の速力と航行能力を活用して偵察や警戒網構築を素早く行える。クレーン型のカタパルトを持つ古い巡洋艦から続く伝統的な形式。まさに海原が甲板だ。

 欠点は、水上機なので単体での戦闘能力が低いことだ。瑞雲は爆撃機としても使える偵察機だが、対艦載機戦闘は考慮されていない。空中機動には不要な水上用脚の死重量が大きすぎる。

(瑞雲は可愛いけど、使える場所が限られるよね)

 最上は海上に浮かぶ飛行機を頬を緩めながら眺めていたが、あることに気が付き表情を引き締めた。

 この瑞雲は海峡中央側を担当した方だ。つまり先に飛ばした西側担当に帰還できなくなる何かがあったということになる。

 最上は膝を曲げて、海面に浮かぶ自分の艦載機を丁寧に拾い上げた。

「お疲れ様。そう、うん、うん。わかったよ。偵察ありがとうね」

 左腕の航空甲板に瑞雲を収納しながら、操縦士妖精からの報告を聞く。

 最後にぴしっと敬礼した操縦士妖精が姿を消すと、最上は山城に偵察結果を伝える。

「海峡中央に敵影見えず。航路異常無し、だよ」

「報告を受けたわ。……でも、もう一つの偵察機が落とされたということは、西側にいるのは水雷部隊ではないのかしら?」

 わずかに首を傾げる山城。

 索敵が失敗した場合でも、その結果から状況推移は変わってくる。

 敵艦艇を発見できなかっただけと、偵察機が戻って来ないとでは、今後の対応が大きく違う。

 偵察機が事故を起こしていない限りは、未帰還の場所に脅威となる戦力が潜んでいると考えるべきだ。

 当然山城も姉を撃沈させた西側の部隊を警戒していたので、そこまでは想定内だ。しかし、待ち伏せから奇襲を仕掛ける駆逐隊と内火艇に偵察機を落とす力があるとは思えない。

「何から何まで、昔のままとはいかないのね」

 それはそれで喜ばしいことだが、今の自分が記録に縛られすぎていることに嫌気が出てきた。

 山城が自分の意固地さで傷付くより先に、警戒を続けていた満潮が叫んだ。

「偵察機が予定より早く戻ってきたわ! 照明信号発信を確認」

 まだ昼間であなりがら照明での伝達が出されている。よほどの緊急事態なのか。満潮が目を凝らして瑞雲の点滅信号を読み取る。

「……敵艦発見、急速接近中!」

「艦隊、戦闘用意! 最上、爆装機を出しなさい」

 駆逐艦の叫びと重なる速さで、旗艦が号令を上げる。

「りょーかい!」

 もう一度左腕を空に向けて、連続五機の瑞雲を打ち出す。

 爆撃部隊は西村艦隊の上空で旋回して隊列を整えると、偵察機と入れ替わりで東に飛ぶ。

 続けて最上は戻ってきた偵察機に向かって手を振った

「高度と速度落として、そうそう。ゆっくりと、おーけい!」

 自分の真上に来たところで飛び上がり、ダイレクトキャッチ。慣性を無理に崩さないように身体をひねりながら着水して、更に減速回転。一回転して元の向きに直りながら、見事帰還機を受け止めた。

 満潮が心底呆れた顔をする。

「なによそれ。水上機の運用方法を無視しまくってるじゃない」

「いやー。前に演習で隼鷹さんがやってるの見てさ。ボクにも真似出来るかなって思って」

 照れる最上に、今度は時雨がツッコミを入れる。

「あれは陰陽式艦載機だから無理なくできるんだよ。機械式には壊れるリスクが高いよね」

「そうなの? 弓矢式の瑞鶴さんたちもやってたよ。これなら船速落とさずに回収できるから、便利なんだけどなー」

「正規空母たちも緊急時に素手取りするけど、あれらは手の平を飛行甲板に見立ててやるものだって。それに瑞鶴のは、……純粋に本人の努力だよ」

 時雨に言われて手の中の瑞雲を見る。確かにちょっと無理をしたのか、機体と翼が歪んでしまっていた。

 空母への着艦は"制御された墜落"と言われるほど難しい。十分な訓練を受けていないパイロットには任せられない行動だ。”港に接舷してクレーンで艦載機を補充した”経験のある『瑞鶴』は、ならば自分が受け止めてみせると奮起し、先輩空母たちの技を必死になって体得したのだ。

 着艦作業の短縮程度にと気楽に考えていた最上は、反省しながら瑞雲をしまう。

 そういえば今後の正規空母には、弓矢式の艦載機運用にプラスして機械式の飛行甲板を装備させるとも噂されている。工廠では艦載機を安全確実に着艦させる方向に技術開発を進めている。艦載機運用とはそれほどの大事業だ。

 最上は自分一人で浮かれていたことを恥じらいつつも、索敵に出ていたパイロットの報告を聞いて気分を切り替える。

「敵艦隊構成は重巡1、軽巡3、駆逐2。これ単純な水雷部隊じゃないよ」

 言うや、水平線に見えた船影に対して上空の爆撃部隊が動いた。搭載した爆弾を敵艦に向けて投げ落とす。爆炎が上り爆音が鳴る。

 先制爆撃により高速で接近してくる敵性艦の船影が揺れ数が減じたが、無くなりはしなかった。

 山城は手信号(ハンドサイン)で速力上昇を指示しながら状況を分析する。

「こっちの瑞雲は落とされなかった。航空戦力の無い前衛部隊なら、わたしと姉さまで先手を取ったほうがいいのかな……」

 通常の編成セオリーならば、哨戒を任務とする前線部隊に索敵範囲を広げる航空戦力を持たせないなんてありえない。こうしたミスは深海棲艦ならではだ。

 ただし編成ミスは深海棲艦に知性が無いという証拠にはならない。極僅かだが人語を解す上位種は発見されているし、構成の偏りに関しては単純に穢艦側の空母型が希少なだけかもしれないからだ。慢心は禁物である。

(航空戦力が貴重なのは、わたしたちも同じことよね)

 今現在自分が苦慮しているのは、本来なら主力の正規空母たちが寝込んでいる所為でもある。

 さっきの爆撃が航空巡洋艦の最上ではなく正規空母の誰かの手で行われていたのなら、悩むこともなく姉と二人で残存艦艇への砲撃に移れた。それだけの遠距離高火力が正規空母たちにはあるのだ。

 まず警戒すべきは、目の前の艦隊に同航戦で追い立てられ海峡の中場で挟み撃ちされることだ。海峡西側の戦力はまだ詳細不明だが、偵察機未帰還を踏まえて動かなければならない。

 山城は決意する。

 それなら合流される前に叩く。相手側に戦艦種は居ない。ここは火力差に物を言わせて押し切る。

「砲雷撃戦に入るわ。準備して!」

 山城の指示に従い、西村艦隊も敵性艦隊側に舵を切った。発見時から加速していたので、向かい合わせの反航戦にはならない。先行する西村艦隊を追う様にして、深海棲艦たちも進路を塞がれまいと脚を速める。

 このまま敵艦隊の進路を塞ぎ砲撃戦に有利となる丁字戦での横線を狙いたいが、転舵で船脚を落としてしまうと挟み撃ちに合う確率が増える。

 両艦隊は海峡を進みながら更に接近する。

 満潮は爆撃を避けた敵軽巡が寄り人型に近いボディを備えた穢艦であることを見た。

「雷巡チ級1を確認。こいつらどうみても強襲偵察用の巡洋部隊じゃない!」

 目視で確定した敵艦隊の構成は、人型に近い重巡リ級を旗艦にしていた。他の随伴は異形三胴の軽巡ト級と、砲弾のような形の駆逐ロ級が二隻。一列に並んで進んでいる。

 駆逐ロ級は器物感が強く無生物のようだが、他の艦艇は青白い人体パーツに素材不明な武装を纏っている。それでいて輪郭が薄く実態感に乏しく幽霊のような印象も受ける。また軽巡クラスは中途半端に人体の一部が模されているので、異形への嫌悪感を強く漂わせていた。

 深海棲艦には識別名として発見順にイロハ音が振られている。大型になるに連れて識別音は下がり、重巡クラスは戦艦であっても注意が必要な相手だ。

「撃ち方、始め!」

 旗艦の号令に敵艦隊との距離を読んでいた扶桑は、速度を落として妹の砲撃線を確保しながら言った。

「山城、先に行くわね」

 ドンッ!

 扶桑に背負われた身長と同じぐらいの横幅を持つ巨大艤装が震える。戦艦『扶桑』が放った初弾が艦隊間を飛び抜けて、駆逐ロ級一隻への極至近弾となって海面を崩す。

 派手な水柱が上がり、最上の先制爆撃にダメージを受けていた穢れの駆逐艦は無情にも船体を割られながら横転し撃沈した。

 山城は扶桑の様子を観察し、自らの主砲仰角を調整する。

「測量結果、頂きます」

「ええ、がんばってね」

 愛しい姉の声援に応えるべく、山城も主砲を発射。

 狙いは万全で、無傷の軽巡ト級に向かって戦艦の砲弾が見事な弧を描く。

 しかし回避行動を取り出した軽巡ト級には直撃しなかった。今度も至近弾で終わるが、駆逐よりも頑強で損傷を受けていなかった軽巡ト級は波と飛沫を浴びるだけで切り抜けた。

 山城が悔しがる前に、2つの艦隊が接近する。

 相手先頭の重巡リ級が、黒い艤装に包まれた腕を持ち上げて威嚇声を叫ぶ。声と思ったのは一瞬の錯覚で、正体は同じ腕に装着された砲門が放った噴射音だ。

 扶桑を狙った敵砲弾だが、目標が減速していたことで目算がずれたのか行く先の海面を歪ませるだけだった。

 速力を維持する山城と減速する扶桑の間を抜けた最上が、お返しとばかりに近づいてきた敵旗艦を狙う。

「いっけぇー!」

 右手の20.3cm連装砲を発射。脅威度の高い重巡リ級に直撃する。

 かに思われた。

「やったか、って言っちゃだめなんだっけ」

 最上の軽口は、重巡リ級への砲撃が敵艦隊にいたもう一隻の駆逐ロ級に防がれてしまったためだ。

 突然最上の前に飛び出してきた駆逐ロ級。重巡洋艦クラスの攻撃力を持つ最上の砲撃をまともに受け、船体に大穴を穿たれて沈んでいった。

 この行動は重巡リ級を庇ったものか、それとも最上を襲おうと逸った結果なのかは解らない。重巡リ級を撃ち漏らしたという悔しさだけが、現実である。

 両艦隊の距離がさらに近づき、満潮を時雨も砲撃の準備を開始する。

 隊列の関係から扶桑の後ろに居た満潮はそのまま直進して、彼女を護衛する位置を取る。

 一方で時雨は大きく面舵を切った。左翼側では砲撃が難しいと判断、取り残されるよりも旗艦の補佐を続けることを選んだ。扶桑の前に出て山城と最上の護衛に入ろうとする。

(最後尾には、行かないよ……)

 『時雨』の記憶では昔の西村艦隊がスリガオ海峡に突入した際、自分は最後尾に居た。故に最初の奇襲を受けた時、戦艦『扶桑』が集中的に狙われ後続の駆逐艦は後回しにされた。

 それが生存出来た理由の全てとは言わないが、重大な要因だと思っている。あの時の隊列は妥当で、駆逐艦が戦艦を補佐するのは当然の役割だ。艦隊の隊列は戦術的に大きな意味を持つ。時雨一人で決められるものではない。

 が、納得できない蟠りもあった。

 

 所属する駆逐隊を失った単艦の自分が殿(しんがり)に当てられた。

 運が良かった。

 

 理由を上げればそれだけだ。 

 でもたったそれだけの言葉で、あの恐ろしいまでの消失感を片付けたくない。

 理由を突き詰めてゆくと、姉妹艦が沈んでいたから助かったとも言い換えられる。

 だから、許諾できない。

 『呉の彼女』だって、願を掛けて同型の制服に袖を通さずにいるんだ。僕だって……。

 時雨が艤装を背中に留めている紐を引くと、肩紐と機関部が離れて後ろに倒れる。片腕を腰後ろに廻して艤装を受け止め、腹前に廻す。機関部横のグリップを引き出し、臍下に引き押ててしっかりと固定させた。

「僕だって、……代わりぐらいにはなれるさ」

 つぶやいて時雨は積極的に前に出た。

 相互の距離が狭まり、近射程の打ち合いが始まる。

 西村艦隊が陣形を組み変え体勢を整え切る前に、穢艦の重雷装艦が動く。

 穢れの雷巡は白く中心線が迫り出した仮面を付けている。仮面は瞳の部分だけが欠け、少しだけ露出した人型の瞳が『扶桑』を捉えた。彼女が乗っている口の付いた船体が砲弾を吐き出す。

 砲撃は護衛していた満潮を飛び越えて、扶桑の艤装に命中。

「きゃっ……! やだ、もー……」

 扶桑が短い悲鳴を上げるが、砲弾角度が浅かったようで戦艦の重装甲によって弾き返された。損傷度は軽微。

 続けて敵軽巡二隻の砲撃も受けるが、扶桑は後退速度をさらに落として至近弾で済ませる。軽巡洋艦の中砲径程度なら、いくら高波を作られても戦艦の大型船体で軽々と波濤出来る。

「やってくれたわね!」

 護衛対象を執拗に狙われた満潮が怒り混ぜて反撃する。雷巡チ級に命中。しかし装甲に阻まれて有効打にならなかった。

 腰溜めに撃たれた時雨の砲撃は、丸い船体からヘルメットのような頭部と腕一本を伸ばしている軽巡へ級に向けられる。命中するがこちらも撃沈はできない。自分たちの非力さに厭世感を覚える。所詮は駆逐艦の火力である。

 状況を見ていた山城が、両目を釣り上げて吠えた。

「扶桑姉さまを撃ったわねっ!」

 扶桑型は旧式艦ではあるが、それだけに古い戦い方では使い用がある。同航戦での接近砲撃。この瞬間が一番輝く。

 山城は片舷に並べられた副砲たちで至近した敵軽巡を滅多打ちにした。山城の副砲は主砲と比べれば断然小さいが、それでも軽巡洋艦の主兵装と同等の威力を誇る。山城はネガティブではあるが、腐っても超弩級戦艦だ。火力比べで格下に負けることはない。

 軽巡ヘ級の視点から見れば、己の武装を何本も突き付けられた感覚だ。軽巡洋艦の装甲では耐え切れず、着弾の衝撃で横転し沈んでいった。

 敵重巡は僚艦を沈めた艦娘側の旗艦山城に狙い定めた。

 咄嗟に時雨が増速して航路を敵艦隊に寄せる。左側から味方艦隊を突き抜けるほどの舵きりだった。

 意図を見抜いた扶桑は駆逐艦の背中に叫んだ。

「無茶をしないでっ!」

「平気さ。僕はここで沈まない……」

 時雨のつぶやきが聞こえたのかはわからないが、重巡リ級は単艦隊列を外れた駆逐艦に砲門を向け直した。

 運が悪ければ戦艦さえ大破させる敵重巡の砲弾が時雨の至近に着水し、扶桑型の高層艦橋に匹敵する水柱を立ち上げる。

 西村艦隊は一瞬息を飲むが、時雨が水柱の真横を走り抜けたことを見つけて安堵する。

 水滴を払いながら主砲を構える時雨に、最上は嫌な感じがした。

 時雨の突出が山城に砲撃を集めさせないための囮行動なのはわかるが、他の艦との連携も無いんじゃ無茶無謀だ。

 確かに『時雨』はスリガオ海峡夜戦で沈まなかったが、艦娘の時雨が損傷しないと保証がされたわけではない。

 最上は焦りながら再装填が終了した主兵装で敵重巡を撃つ。気持ちを反映した攻撃は、相手の装甲を少しだけ歪ませるだけだった。

 続けて時雨も敵旗艦を狙い損傷を重ねさせる。駆逐艦の小口径でも重巡をひるませることが出来た。距離を詰めた甲斐がある。

 近付いた時雨を穢れの雷巡が砲撃するが、見事な蛇行操舵で砲弾を避ける。

 さすがに僚艦の独断操舵を見かねた山城が隊列復帰を命令する。

「隊列から離れすぎよ。戻りなさい!」

 命令を受けた時雨が自艦隊に目を向けた瞬間、ざばっと海面を弾かせて残っていた敵軽巡が飛び上がった。

(あっ……)

 覆い来る影と同期したかのように、時雨の思考が驚嘆に塗り潰されてゆく。間延びした時間の中で、首と眼球を可能なだけ右舷に向けた。

 そこには時雨に白兵攻撃を仕掛けた軽巡ト級がいて、その部位だけ人と同じ形をした腕を振りかぶり、扶桑の砲弾に吹き飛ばされた。

 ドォンッ! と一瞬遅れた発砲音で、我に返る。

 扶桑に続いて重巡リ級への牽制砲撃をする満潮が、時雨の無謀を罵る。

「出過ぎよ。もう少し下がって!」

 仲間から険のある言葉を受けて、悔み顔の時雨が取舵で戻る。

 最上は左腕の甲板から魚形水雷弾を取り出して、駆逐艦二人に合図した。

「雷撃行くよ、合わせて!」

 軽巡ト級が扶桑の砲撃で撃沈したから、残りは2隻。自慢の水雷撃で殲滅を狙える数だ。

 深海棲艦の2隻は自艦隊の劣勢と西村艦隊の追撃を察して離脱行動に入る。

 下がるならそれを含めて最適の好機をと伺う最上の後ろで、また時雨が独断先行した。

「逃さないよ」

 重巡リ級に向けて単独で魚雷を発射。両太股に吊るされている魚雷発射管を側舷に向け、一番上部の雷管から魚雷を吐き出していた。

「ああ、どうしちゃっのさ。もう!」

「とにかく雷撃するわよ!」

 最上と満潮も、慌てて魚雷を発射。

 海中に投げ入れられる音を最後に、微かな影が静かに水中を進む。帝国海軍独自の酸素魚雷は、視覚的聴覚的に航跡が悟られづらいのが特徴だ。そして快速で、威力も高い。

 誘導技術が未発達なため長距離での命中度に難がある魚雷だが、これだけ距離が肉薄すれば外すことはない。

 狙われた穢艦たちは、巡洋艦と駆逐艦2隻から撃たれた魚雷を避けようともせず相打ち覚悟で魚雷を打ち返してきた。しかし何度も砲撃された重巡リ級は、雷撃能力を潰されていたようだ。反撃したのは雷巡チ級のみ。

 時雨が先手で放った魚雷は雷巡チ級に命中した。面舵で戦場離脱を試みた深海棲艦たちは隊列が入れ替わっていて、チ級が旗艦の盾となる位置になっていた。

 立て続けに残り二本の魚雷も命中。雷巡チ級の船体が爆発し、破砕された穢艦が海底へ沈んでゆく。

 逝き掛けの駄賃に投げ渡された敵魚雷は、扶桑を狙っていた。

「こっちに来るんじゃないわよ」

 護衛役の満潮は苦し紛れに機銃で海面を掃射するが、努力報われず魚雷は扶桑にまで到達した。

「ありがとう、対処は私がするわ。えいっ」

 援護に礼をした戦艦は、水上下駄で敵魚雷を踏み潰した。本当に踏んだわけではなく、海面を足裏で叩いて小波を起こし魚雷の信管を誤作動させる防御法を使ったのだ。

 ドバンと爆音を鳴らして扶桑の真横で水柱が立った。降り掛かる水滴に少しだけ目を細めて耐える。

 その姿が、ぐらっと傾いて、慌てて踏みとどまった。扶桑の右足を支えていた水上下駄。その鼻緒が魚雷を誘爆させた衝撃で切れてしまっていた。仕方がないので片足立ちでバランスを取る。

 扶桑がふらふらと揺れていると、血相を変えた山城が急いで駆け寄ってくた。

「扶桑姉さまっ!?」

「大丈夫よ。大したことは無いわ。応急処置ですぐに直せる程度よ」

 戦場を見渡した扶桑は敵戦力の逃走を確認した。穢艦側の旗艦を逃したが撃退は出来た。巡回部隊を壊滅させたのだ。

「でも、でも……!」

「慌てるんじゃないわよ。まだ一戦目を切り抜けただけなんだから」

 満潮が扶桑の水上下駄を拾って近づいてきた。

 山城の表情がさらに険しくなった。駆逐艦の癖に戦艦であり艦隊旗艦である自分に意見する小娘を睨みつける。爆発しないのは、姉が軽い仕草で抑えているからだ。

 扶桑は駆逐艦から自分の履物を受け取ろうとしたが、満潮は差し出された戦艦の手の平をじっと見つめた。

「あの? 拾ってくれてありがとう。返してもらっても……」

 戸惑う扶桑の右手を、満潮は自分の肩に乗せた。その状態で手に持つ水上下駄の修繕を始める。

「少しは不便を我慢なさい。すぐに直しちゃうから」

 身長の高い扶桑からは手元の作業に集中する満潮の顔は俯かれていて見えないが、駆逐艦の不器用な心遣いに甘えることにした。

 支えを得て楽にはなった扶桑は、満潮にヒシャーと歯を剥いて威嚇する妹を宥める。

 旗艦の勤めよりも同型一番艦の心配を優先する妹に変わって、西村艦隊を見る。

 扶桑の損傷を受けて、西村艦隊は進軍速度を落としていた。雷撃で損傷してしまったが、撃沈するほどではない。損傷箇所も歴史とは少し違う形になっている。気を緩めは出来ないが、少しの安堵ぐらいはしてもいいだろう。

 最上は戦闘開始時に打ち出した爆撃隊の回収作業をしている。

 そして時雨は一人、深く俯いていた。背嚢一体型の主砲を背中に戻さずに、両手に持って力なく垂れ下がっていた。

「時雨……」

 扶桑が声を掛けると、最初は気づかなかった様子でのっさりと鈍い動作で寄せてきた。

「どうして? って、聞いてもいいかしら?」

 こちらもなにか言いたげな山城を制して問いかける。すっかり扶桑の方が旗艦として動いていた。

 内容は先ほどの戦闘での行動について。独断での隊列逸脱に強引な攻撃など、普段の時雨には見られない問題行動だった。

 顔を上げた時雨は普段の澄ました表情を保っていなかった。青ざめた顔で、主砲を持つ手も震えを抑えるためにきつく握られている。

 口を一文字に結んで、何かに耐えているようでもあった。

 痺れを切らした山城が、喋らない時雨に詰め寄る。

「黙っていないで何か言いなさい。独断先行で戦果を稼ぐなんて、ソロモンでの姉妹艦を真似たつもりなの」

 白露型二番艦は、戦闘中と同じ言葉をつぶやいた。

「僕は、この戦いじゃ沈まない」

 作戦前には余裕があったが、時雨は自分の楽観を悔いていた。

 囮役として突出した時に、頭の何処かで黒い霧のような恐怖が出てきた。明確なものではないが、僅かな濃度でも見通しが効かなくなる。黒い霧から逃れるように前へ、前へと出た。

 それでも戦っている最中はまだ軽い方だった。

 敵の魚雷が扶桑に命中したと思った瞬間に、全身を瞬間冷凍されたような虚脱感がやってきた。

 抜けた力と入れ替わる形で、駆逐艦『時雨』の感覚に置き換えられる。

 それは、おぞましい記録だった。

 突入作戦失敗、西村艦隊は壊滅。戦死者の数は3000名を超え、貴重な戦艦を二隻も失う大敗である。

 時雨の五感に地獄の光景が生々しく再現された。だた一人生き残ったのだからこそ、これから起こる悲劇を他の誰よりも一番鮮明に覚えていた。

 艦隊を焼く炎の色や熱まで繊細に思い出せる。過去の砲撃、爆発、炎上、全ての音が耳朶に震え伝わる。

 刻まれた記憶が沈む魂を鮮烈に突き動かしてくる。『生きろ、生き延びろ!』と。

 そして悟る。黒い霧の正体は死への恐怖ではない。寂寥への後悔だった。

 みんなと一緒に逝きたかった……。

 どれだけ衝動が身体を埋め尽くそうとしても、惨劇を記憶している頭の中から恐怖の霧が払われることはない。

 皮肉にも西村艦隊の全滅という結果と、時雨の生存は近しい意義を持つ。

 

 これに抗うには……、西村艦隊で『時雨』だけが沈めばいい。

 

 行き着きたくなかった結論に、何もかもが虚しくなった。

 衝動に任せて生き残ればいいのか、恐怖に打ち勝って果てるべきなのか。

 矛盾がこれほどまでに辛いとは思っていなかった。心臓がぎりぎりと締め付けられるように痛む。

 だからこそ、過去に抗うために感情を押し殺して力を込める。どちらにも傾かないで、自分の望みを叶えるんだ。

 生き延びることが示されているのは自分だけだ。やらなければならない。

「みんなを守るためなんだ。やらせてほしい」

「残念だけど、死にそうな顔をしている人に守って欲しいとは思わないわ」

 水上下駄の鼻緒を外した満潮が、結び直す余裕があるのか確かめながらそっけなく言い返した。

「さっきの戦闘、攻撃してきた軽巡を扶桑が撃ち落としてなきゃ中破以上の損傷してたわよ。ポンコツの扶桑に無駄な主砲を使わせた時点で、あんたの思惑は失敗しているのよ」

 僚艦を見下して鼻を鳴らす満潮。

 時雨が言い返せずに押し黙るが、ポンコツ認定された戦艦は駆逐艦以上にもっと酷く落ち込んでいた。

 一時期の扶桑型は、主砲を発射すると自分の艦橋を損傷してしまう不具合があった。戦艦の本分である大口径砲台のプラットフォームという役割を投げ捨てる設計上の完璧完全な欠陥だ。

 後に改修を受けある程度解消されはしたが、ただでさえ主砲の衝撃波対策は超弩級戦艦種の逃れられない構造的な問題である。船体にも不具合を持つ扶桑型が弾数を重ねると、どんな故障が出るのかわかったものではない。

 余分なところまでモデル元を再現してしまった扶桑姉妹には、出来るだけ主砲の連続使用を避けるように司令官から言い渡されてた。扶桑型は砲塔の数が多いので、一つの主砲を連続で使わないよう入れ替わりで撃つことが出来るが、無駄弾を撃たないことに越したことはない。

「ふふふ、山城。今日も空が青いわね……」

「はい、姉さま。あの青海をいつか二人で渡りましょう……」

 ポンコツ姉妹は頭上を見上げ、太平洋の空へと漕ぎ出し始めた。

「鬱陶しいから、そういうのは司令室でやってくれない」

 切れた鼻緒では直せないと判断した満潮は、自分のリボンタイを外して代用に当てる。

「あの……、そこまでしなくてもいいのよ」

「どうせ装備の損傷は司令官に補填してもらうんだから、気にするんじゃないわよ。私の格好よりもあんたの航行能力の方が重要なのは話すまでもないでしょう」

 扶桑の制止を聞かず、緑色の鼻緒が付け直された。

「左右で色が変わっちゃったけど、鎮守府に戻るまでは我慢しなさい」

「ええ、ありがとうね……」

 扶桑は満潮に水上下駄を返してもらうと、海面を軽く滑って見せる。

 満足げに頷く満潮に頭を下げて、今度は時雨の前に立つ。

「気負っていないって、言ったじゃない……」

「僕も、そのつもりだったけど。ダメだったよ」

 勲章を授かったこともある勲功の駆逐艦は厭世感を漂わせて笑った。

「沈んでしまうことは怖いけど、一人残されるのはもっと寂しかったんだ。『扶桑』みたいに居られたら良かったのに」

「あら、私もここは怖いわよ」

「僕が言ったのは伝説の方さ。でも、それは貴女のことでもあったんだね……」

 時雨の飾った言い方に、扶桑は微笑みを溢した。

 東方の海で日が昇る場所に聳える神聖の大木。広い大海で一人佇む伝説の樹。どんなことにも揺るがない強さを、永遠の命と讃えられた空想上の存在。

 欠陥戦艦の烙印を押された自分だが、それでも『扶桑』と呼ばれる以上の称賛は無い。

「ありがとう。私の名を認めてくれる貴女は、とても優しい人ね。だから西村艦隊(私たち)のことで必死になってくれている。でもね……」

 伝承の大樹を由来とする超弩級戦艦が、時雨の頭をゆっくりと撫で擦る。

「呉のと違って、貴女は小破だけで大戦を切り抜けたわけじゃない。最後には沈んだのよ。貴女を楯にした作戦は容認できないと言われたわよね」

「うん……」

「全員で港に帰るんでしょ。貴女も西村艦隊の一員なの。約束、忘れちゃだめよ……」

 時雨が頷くのを見て、扶桑は手を離した。

 入れ代わりで満潮がやってくる。

「扶桑がどう言おうが、私は許さないからね」

 言うや、平手を振り上げる。

 咄嗟に身を固くする時雨の頬に、満潮の張り手がぺちっと張り付いた。

「だけど、取り残されるのが嫌だから頑張るっていうのは賛同してあげる。今度は気をつけなさい」

 振り返って言い捨てる。

「似合わないことをするから失敗するのよ。あんたはいつもの気取った感じでいればいいの。白露型はそんなのばっかりでしょ」

 満潮の声音は、少し上ずっていた。

 背中を見せる相手の顔を想像して、時雨も笑った。

「確かに白露型(僕たち)は、船底のどこかが抜けてる節があるからね」

 姉妹艦たちの言動を思い出す。

『いっちばーん!』

『はいはーい』

『素敵なパーティっぽい?』

『ドジじゃないですよー』

『ガッテンダー!』

 返す返すも明るく愉快な姉妹たちだった。

「朝潮型はしっかり者が多くて羨ましいよ」

「頼んでも換わってはあげないわよ」

「それは……、少し残念かな」

 駆逐艦二人は苦笑し合いながら、左右に別れて元の陣形に戻る。

 扶桑は状況に取り残されて不満顔の山城の肩に触れてスリガオ海峡進攻を再開させる。

 四人は陣形を整えなおして、艦載機を回収していた最上を待つ。

 追いついた最上が、もう一度航空甲板を掲げた。

「索敵の第二陣、いくね」

「待ちなさい。前方に何か見えるわ。山城も確認して」

 扶桑が青空の中に小さな違和感を見つけた。北北西の蒼穹が胡麻よりも小さな点に穢している。

 姉が指す物体を認めた山城が即座に命令を下す。

「最上、艦載機を緊急発艦! 制空権防衛を優先して」

 飛んできたのは深海棲艦側の艦載機だ。駆逐艦を小型化した様なフォルムをしている。

 最上は命令を実行しながら渋面になった。つまりこれは、

「やっぱり西側に航空戦力が居たんだね」

 歯噛みする山城。

「どうして当たって欲しくない予測ばかり的中するのかしら……」

 満潮が肩を竦めた。

「運が悪いのは今に始まったことじゃないでしょ」

「わ、私は不幸じゃないわよ!」

「安心して。だれも山城一人を不運扱いしないわ。ツキがないのは西村艦隊そのものよ」

「僕たち全員が通り雨を呼び寄せているんだから、濡れないことよりも乾かすことを考えよう」

 駆逐艦たちの返答に、顔を赤くして不幸を否定した旗艦が拗ねた。

 仲間たちの絆に微笑む姉が、妹を促す。

「山城、陣形の指示をして」

「全艦、対空警戒! 輪形陣に」

 山城を中心にして、後方に扶桑、前方に最上、右舷に満潮、左舷に時雨。日頃の訓練の成果を発揮して、素早く陣形を組み変える。

 航空機による艦艇への攻撃も、基本は砲撃と変わらない。正面よりも側面から攻撃する。的が小さいよりは大きい方がいいからだ。

 これに対して対空兵装を効果的に使える形にして防衛する。飛んでくる敵航空機に僚艦の防空圏を重ねる配置を取るのだ。

 単横陣を敷いた艦隊の防空圏全てを通ってもらうことが理想だが、当然航空機側も律儀にまっすぐ飛ぶことはない。狙う艦艇を絞って突入と離脱をする。艦隊を一列に並べては味方艦の対空範囲に無駄が多い。

 そこで選択するのが輪陣だ。輪形陣ならば中央列の艦艇は前後の僚艦から援護が受けられる。攻撃する艦載機に視点からは、どの方角から陣形に突入しても複数の対空範囲に飛び込まなければならない。

 加えて今は最上が射出した護衛機が居る。西村艦隊の頭上で円を描いて敵艦載機を待ち受ける。

 穢れの艦載機は翼もなく軽快に飛び回る。敵駆逐艦はまだ船の様相を真似られている箇所があったが、艦載機はもはや何が元になっているのか解らない。艦載機も大戦期の技術を”再現”している艦娘側と違って、どうやって飛行しているのか判明していない。捕獲しようにも深海棲艦でさえ”残骸”が残る程度である。艦載機などは、捕まえてもすぐに実体が消えてしまい調べ様がなかった。

 仮にヘリコプターとみなしてもローターが見受けられないし、飛行音からジェット噴射式のVTOL機とも疑われていた。実験巡洋艦『夕張』などは冗談混じりに重力制御のUFO説を出して笑っていたが、真偽が定まらない現状では、彼女の作り笑いに誰も追従出来なかった。

 そんな正体不明の敵艦載機が、全員の目に判る大きさまで近づいてきた。山城が号令を出す。

「対空迎撃、開始!」

 群れを()してやってくる敵艦載機に向かって、瑞雲たちが攻撃を開始した。それぞれが散開して複雑に飛行路を絡ませ合う。

 西村艦隊の航空戦力不足は出発前から解っていた。対空砲火用意中の最上が涙目で愚痴る。

「やっぱりほとんど落とされちゃったじゃないか」

 穢艦の艦載機たちは瑞雲たちを蹴散らして西村艦隊に肉薄する。

 時雨も主砲を背中に戻し、背嚢の貨物部分からピストル型の10センチ高角砲を取り出した。白露型の姉妹艦が使っているタイプだ。対空兼用の主砲を両手に握って敵艦載機の迎撃を開始する。

「それにしても、数が多いね……」

 敵艦載機の航空戦闘力は護衛水上機より高い。更に飛来する敵機が瑞雲で対応不可能な数となっては、虚しく散るしかない。

 時雨は首筋に冷たい金属の刃が押し当てられる様な嫌な感覚を覚えたが、強く首を振って幻覚を振り払う。

 今は一つでも数多く撃ち落とし敵の爆撃雷撃を避けることに専念するが、必死に迎撃する西村艦隊の対空砲火をくぐり抜けて、数機の敵艦載機が肉薄してきた。

 二機の敵艦載機が急接近して、山城の前で転進。航空雷撃を落としてくるが無理な機動の代償に大きく外した。

「馬鹿にしてっ!」

 作戦旗艦が逃げる敵艦載機に対空機銃を向ける。

 その流れを待っていたと言わんばかりに、追撃の敵艦載機一小隊が飛び抜けた。山城が意識を逸らした瞬間を狙われた形だ。

 敵艦載機が艦隊最後尾の扶桑を狙って直進した。

「えっ……。ちょ、ちょっと……」

 扶桑が避けようにも、山城へ撃たれたはずの航空雷撃がこちらを挟むように航跡を伸ばしており転舵を阻害する。こうなっては迎撃するしかない。

 穢艦の攻撃機は標的の対空砲火をロールを切って交わし、爆弾を投下。水柱が複数立ち上る。

「きゃぁー!」

 悲鳴を上げる扶桑が右腕で頭部を庇う。致命打に為らずに済んだが、投下弾の炎が袖に引火した。慌てて腕を海面に浸けて消火する。

 お陰で袖が無くなり肩から脇までの諸肌が露わになった。衣装の破損は思っていたよりも大きく、右の合わせが緩められ扶桑の豊かな実りが僅かに横面を覗かせた。

「今日は厄日だわ……」

「扶桑たちは毎日が厄日でしょ!」

 満潮が身も蓋もない突っ込みをしながら、半身の姿勢で右腕の両用砲を空に向け続ける。

 腹に抱えた爆弾を投下した穢れの航空機体たちは、深追いをせずに西村艦隊に尻を向けて自分たち母艦へ帰投していった。

 最上が振り返って全員の状態を見る。戦艦姉妹を狙った艦載機以外を艦隊に接近させずに済んだのが幸いだ。まだ戦える力を充分に残している。

 しかし、次の不運はもう目の前まで来ていた。

 敵側の航空戦力をやり過ごした西村艦隊が、左前方に目標を発見する。山城は相手の前衛に嫌なものを見つけて顔を歪めた。吐き捨てるように伝達する。

「戦艦ル級を確認! やっかいなことが続くわね」

 出来れば遭遇したくなかった戦艦種。戦艦ル級は両手の大振りの艤装を持つ人型の深海棲艦だ。とはいえ完全な上位種というわけではなく、人語を解したり配下の穢艦に命令するといった事例は確認されていない。

 より上位の戦艦タ級でないことが救いだが、脅威であることに変わりはない。戦艦ル級の攻撃でも、直撃されれば最上や満潮たちの装甲では耐え切れず撃沈は免れない。先ほどの戦闘から続く姉の損傷を考慮すると、アンラッキーヒットに耐えられるのは自分しかいない。

 いざとなれば……。

 先程聞いた時雨の決意を笑えない判断を描きながら、作戦旗艦はほぞを噛む。

 西村艦隊に襲いかかる絶望は、まだ終わっていなかった。

 戦艦ル級の背後、陣形の中央に居るのは巨大な帽子を頭に載せた白肌の少女がいた。彼女が人間では無い証拠に瞳を薄蒼一色に輝かせている。

 最上が悲鳴を上げる。

「空母ヲ級……!? そんな、事前の調査じゃ軽空母だけのはず」

 帽子の穢艦は正規空母に匹敵する能力を有している。自分一人で対抗できる相手ではない。まして偵察と戦闘で散々消耗した後だ。絶望的な能力差がある。

「大丈夫さ。ちゃんと軽空母もいるよ」

 時雨が肩を竦めて笑った。

 アンコウみたいな楕円のボディに人間の手足が生えたような穢れの艦艇、軽空母ヌ級が二体も随艦していた。

「どうりで深海棲艦側の艦載機が多いわけだ。空母三隻に護衛の戦艦なんて、贅沢な艦隊構成をしてるね」

「超弩級戦艦二隻は贅沢な編成じゃないの?」

 ………………。

 満潮の鋭い自虐が西村艦隊に沈黙を(もたら)す。

 最上が凍てつく空気に刺されながらも、空元気の大声で笑った。

「この期に及んで自爆はやめよう。悲しいからね! ねっ!!」

「うふふふ。山城、今日もいい天気ね」

「はい。扶桑姉さま」

「うーんと、ほら。扶桑たちとは鎮守府で毎日顔を合わせているから、特別って気がしないんだよ」

「……どうせドックにいる方が長い超弩級戦艦ですから」

「山城、しっかりして。船体が酷く傾いているわよ。あら、もしかして私も……?」

「うちの戦艦たちはどれだけトラウマ持っているのよ。欠陥は船体だけにしなさい」

 駆逐艦の追撃により戦艦姉妹は顔を覆ってさめざめと泣きはじめた。

「だから、そんなことしている場合じゃないって! 山城さんは戦闘指示を出して!」

 先頭で身構える最上からは、自軍と同じ輪形陣で向かってくる深海棲艦の全隻が確認できた。戦艦ル級と空母三隻の他に輸送ワ級と呼んでいる艦種が2つ。

 輸送ワ級。石油タンクのような球体に女性の上半身が後ろ手で拘束された異形の輸送船。今回は空母たちの艦載機を補填する役割を担っているのだろう。穢艦たちが盛大に航空機を飛ばせた理由がこれだ。

 必死の対空砲火で制空権は奪われなかったが、西村艦隊側の有利とは言い難い。最上の艦載機格納庫は空に近い。これ以上敵航空機で攻撃されても瑞雲での援護ができないまでになっていた。

 山城は、瞬間で決断した。

 確かに敵空母群は強力だが、この狭いスリガオ海峡で戦うのに適した艦種ではない。

「前に出るわ! 全艦、私に続きなさい!!」

 増速して最上を抜き、砲門を開く。

「艦載機を補充される前に敵輸送艦を叩くのよ!」

 超弩級戦艦が主砲以外の艤装を載せているのは意味がある。長大な主砲は水平仰角にしても側舷から有効射程までが長い。連射にも適さないので隙も多い。その空白を埋めるのが副砲の役割だ。

 空母の主砲を艦載機と言い換えると、弱点もわかりやすい。

 航空機を飛ばされる前に懐に入れば、一方的に攻撃出来る。通常の艦隊編成なら駆逐艦や軽巡が護衛役をするはずだが、深海棲艦にはそこまでの論理的な思考が出来ないのだろう。

 ましてやここは狭いスリガオ海峡だ。逃げ撃ちならぬ引き発艦しようにも逃げ場がない。

 戦艦ル級が駆逐艦の代わりに空母を護衛役をするのなら、最初に自分が飛び込んで引き付ける。

「主砲、撃てーーっ!!」

 山城は前進して主砲一斉射。空母ヲ級の脇に居た輸送ワ級が、着弾の衝撃で跳ね上がった。

 ぐったりと海面に座り込む輸送ワ級。タンク部分に穿たれた穴を赤い舌が舐め取ったように見えた後、炎が急激に膨張して船体を爆炎で包む。

 敵戦艦ル級は味方の損害に振り向ことなく山城に向かって吠えた。身体の半分程もある両手先の艤装を持ち上げ主砲を発射。

 砲弾の一つが山城に命中する。先に身体の前で両腕を交差する防御姿勢を取っていたので致命打にはなっていないが、代わりに命中弾は山城の両袖をむしり取っていった。

「ぐぅ……! 解っていても辛いわね」

 痛みを堪えて山城は進み、戦艦ル級との至近に接して構えを取る。

 それは古式の拳打法。名も無い当て身武術。まだ鉄器が希少だった頃、青銅で鎧った敵を打ち倒すために考え出された無手の技法。失われた古武術だった。

 山城が自ら習得した格闘技ではない。『山城』の艦娘となってから覚えた、いや”思い出した”技だ。

 おそらく『山城』の建造に関わった数多くの作業員の中に、これを扱う誰かが居たのだろう。建造中に『山城』の内部で繰り返された古武術の鍛錬が、『山城』と同調した艦娘に伝えられた。

 『戦艦』には意味の無い記憶だが、今の山城には昔に忘れられた武術を”再現”できる手足があった。

 この技を使うと鍛錬と称した鉄骨殴打の不快感を思い出してしまう。身体の内側を叩かれる感覚を何度も思い出したくはないから、普段は使用を控えている技能だ。

 此処に至り躊躇はしない。悲運のスリガオ海峡を超えるためなら、構わず拳を振るおう。

 山城はボクシングのようなフットワークを使わずに、踵を下ろすベタ脚で構えた。脚捌きからして基礎理念の古さが伺える。だが重い艤装を背負った山城には丁度良い。踵を下ろす安定感は、海上で扱う格闘技として理にかなっている。

 大きく踏み込み、拳ではなく掌を突き出す。打点は手の平の中心ではなく親指の付け根、手首関節だ。まだ握り拳の有効性が確立する前に考え出された打ち込み方。拳一つ分間合いが短いが、その分踏み込みに踏ん切りが付く。

 身体の重い戦艦種は、至近戦といっても帆船時代の白兵戦にはならない。戦闘中に接舷は即衝突で、そこまで近づくことが、まず無い。まして戦艦同士の衝突なんてありえない。

 ただし現在スリガオ海峡で繰り広げられている戦いは艦隊同士の海戦ではあるが、艦娘による深海棲艦の浄化作業でもある。嘗てのセオリーは一つの発想や決意によって容易に翻る。

 吶喊しての格闘戦よりも、適正距離を取った砲撃の方が敵艦に与えるダメージを期待できる。

 それでも山城は決断した。

 空母三隻の脅威度を減らしつつ西村艦隊が戦艦ル級の射程内に居座るリスクを下げるため、自ら格闘戦に飛び込むことを選択した。砲戦では味方の損害がどれだけ出るか解らない。それなら死中に活を求めるべきと。

 穢れの戦艦は山城の行動を理解できず、掌打をまともに受ける。胸を強打され、戦艦ル級がよろめいた。

 追撃に山城の背面体当たり。背負われた山のような艤装で殴る。文字通り『山城』をぶつける。

 さすがにこれには戦艦ル級も腕を上げてガートした。戦艦二隻の艤装が、激音を鳴らし、火花を散らして衝突する。

 攻勢の山城は反動に耐えたが、戦艦ル級が驚愕の表情で海面に倒れた。派手な着水音が轟き、水飛沫が舞い飛ぶ。

 初撃の格闘戦で優位を取れた山城だが、内心は野蛮な行為と僻へきしてた。こういうのは単純な長門型一番艦や、金剛型四番艦の裏面が担当すべきだ。そしてやっぱり身体の中に違和感が出てきた。肋骨当たりに針先で突かれる微痛を感じながら、山城は号令を叫ぶ

「総艦、撃て!」

 戦艦が転倒させられ護衛を失った敵空母群に西村艦隊の砲火が飛ぶ。

 山城の後を追い近づいてくる四人の砲撃で、もう一隻の輸送ワ級を撃沈。軽空母ヌ級の一隻を小破まで持ち込む。

 戦果を見て、山城は焦った。

 敵空母群の艦載機能力を封じ切れなかった。連戦で砲身の精度が落ちていたのか、押し切れていない。

 空母ヲ級が被る平べったい帽子の前面には、大きな歯が目を引く口がある。下にいる白肌の少女は無表情だが、帽子の顔がにんまりと笑った気がした。

 帽子の口があんぐりと開き、咽奥から深海棲艦の艦載機を吐き出し始める。飛行原理不明の敵艦載機が湯水の如く湧き出てくる。

 脇の固める軽空母ヌ級たちも大口を開けて艦載機を出してきた。

 本当に空母ヲ級が笑ったのかは解らない。これが穢れた空母たちの発艦方法なのだから。

「対空迎撃をーー……」

 山城も機銃を準備して西村艦隊との連携に入ろうとするが、目の前で戦艦ル級が起き上がるのを見て脚を止めてしまった。

 ここに穢れの戦艦を留めておかないと、消耗した西村艦隊に大口径砲が向けられてしまう。山城が敵陣に飛び込んだ意味が失われてしまう。

 敵艦載機が迷う山城の頭上を飛び越え、西村艦隊への爆撃を開始する。

 狙われたのは満潮だ。甲高い降下音を鳴らして爆弾が駆逐艦に殺到する。

 弾雨から頭部庇った右腕に被弾。連装砲が破裂した。

「きゃあーっ!」

 不幸中の幸に、連戦のおかげか次発未装填だったので二次被害は少ない。爆炎でブラウスの右袖が焼け落ちただけで済んだ。

 但し二次被害の少なさは初撃でのという意味でしかない。身軽になった敵艦載機は、後続と入れ替わって再度の爆撃を狙っていた。

 満潮の援護に扶桑がやってくる。対空機銃で曳光弾の噴水を出しながら味方駆逐艦を自分の防空圏深くに入れようとする。

「大丈夫? 今助けるわ」

「無理に来ないで……。扶桑、上よっ!」

 満潮の警告に、扶桑は慌てて身体を前に倒した。直後、敵艦載機の爆撃が左砲塔に直撃。

「こんなところで……」

 着弾の衝撃で飛びそうになる意識を後悔が繋ぎ止める。装甲貫通こそしなかったが、損傷は大きく衝撃波により左上部の主砲機関が破損、使用不能に陥った。満潮が叫ばなければ艦橋(頭部)直撃でもっと酷い被害になっていた。

「扶桑姉さま!」

 慕う姉の被弾で山城が我を失う。完全に後ろを向いて後退し始める西村艦隊旗艦。

 その背中を身を起こした戦艦ル級の近距離砲撃が襲った。

 砲撃音、炸裂音、悲鳴が続く。

「あああーーーっ!!」

 山城の左主砲塔に命中。倒れそうになるのを必死に踏み留まる。

「やってくれたわねぇ!」

 お返しに掌打からの組み付きで、戦艦ル級の砲撃を封じ込めに入った。

 苦渋の顔で最上が左腕の航空甲板を掲げた。

「瑞雲の残り全部、発艦! このままじゃやられっぱなしになっちゃう」

 継戦能力維持とかキルレシオ換算とか四の五の言っていられない。敵空母に空を好き勝手されては西村艦隊が保たない。出し惜しみ無しで水上機を連続射出する。

 時雨が両手の高角砲で航空機に牽制しながら最上に近付いた。

「僕が扶桑と満潮を援護するから、最上は山城をお願い」

「ちょっと、勝手に決めちゃ……」

「あの時、最後まで一緒にいてくれて本当に心強かった……。だから、今回もお願いするよ」

 時雨は被せるように言い残すと、手際よく艤装に次弾装填して走り出す。

 駆逐艦の背中を見送る最上は言葉が出なかった。

 白露型二番艦が何時の事を指して最上を頼ったのか考えるまでもない。自分と彼女が関連する『最後』なんて一つだけだ。

「まったく、しょうがないなぁ」

 僚艦にお願いされてしまっては、応えないわけにはいかない。

 最上は打ち出した艦載機たちに扶桑側の護衛を指示すると、敵艦隊に向かって増速した。

 戦艦同士で組み合っているところに砲弾を打ち込む勇気はない。だから直接的な援護ではなく、山城がやりたかったことを引き継ぐ。狙いは敵艦隊の中核、進入して攻撃力を削ぐ。

 右手と両太股の20.3センチ連装砲を一点集中。まずは取り巻きの軽空母ヌ級を落とす。

 戦闘初期の対空砲火前から飛んでいる自艦の艦載機が距離情報を送ってくる。最上は情報通りに狙いを定め、引き金を絞った。

「いっけぇー!!」

 最上は、実のところ軽巡洋艦の派生型である。

 巡洋艦を重軽二種に分別する境目は技術的な限界や運用方法から生まれたのではなく、当時の軍縮条約の文面上から発生した制約だ。この規制は砲塔の口径を基準にして作られた。

 一定以上の火力を要する艦艇が重巡洋艦、それ以下なら軽巡洋艦という判定をし、それぞれを何隻までの保有を認め合うという内容である。

 最上型はこうした条約文の穴を抜けるように建造された巡洋艦だ。

 つまり大型の船殻に、条約で軽巡洋艦に定義された砲塔を載せる。軍縮条約が破棄された折りに、砲塔の交換改装が行われ条約定義の重巡洋艦へと変更される。

 艦艇を建造しつつ、無駄なく戦力を増強させるための搦手だった。

 建造当初、最上は軽巡洋艦だったのである。故に山地を冠する重巡の命名則から外れ、軽巡基準の河川名をしている。

 数奇なことに、その後の最上は水上機甲板の設置で砲塔の数が減らされ、総火力が下がってしまう。条約を出し抜き高火力を得たはずが後戻りする結果になった。

 だが最上は自分の来歴を悔やんだことはない。

 航空巡洋艦の砲撃が穢れ軽空母に炸裂する。空母ヲ級の帽子と同じような大きな目と歯を見せる船殻に、破裂穴が穿たれた。着弾痕から盛大に浸水され軽空母ヌ級が傾く。船体を立て直そうと白い腕脚をおたおたと振りまわした。

 よし。撃沈は出来なかったが艦載機運用能力を奪えた。自分にはこれだけの砲火力が残されているのだ。艦隊補力の巡洋艦として充分に働ける。

 結局のところ最上が持つ主砲の口径は他の重巡洋艦と同じだ。砲門が減り片舷投射重量が下がっているが、戦闘に必要なのは命中するかしないかだ。着弾の観測機を持つ最上は命中率に自信がある。砲塔の数が減らされたところで、落ち込むことはない。

 確信を得た最上が腕を上げ、戦闘初期から上空を飛び回っている一機の瑞雲に礼の手信号を出した。あの瑞雲は危険を冒してまで敵艦艇との距離を知らせてくれたエースだ。

 運用コストが高すぎる戦艦に換わる戦力、巡洋戦艦の後継種。海戦に置いて全方位に力を振るうのが重巡洋艦の役割だ。特に航空機動部隊の隆盛著しいあの時代、艦載機能力を強化された航空巡洋艦は万能の艦艇といえる。何より単独で着弾観測機運用を行うと、まるで超長射程を扱っているような高揚感がある。

 今度は山城と睨み合っている戦艦ル級を素通りして、陣形奥に座す空母ヲ級を狙う。

 空母ヲ級の艦載機は扶桑たちに向かっていて、護衛の戦艦ル級はこちらの旗艦が抑えている。敵主力艦艇を落とす好機は、今しか無い。

 最大戦速を絞り出しならが、ゆるい蛇行で空母ヲ級に近づく。

 穢れの空母が帽子の横に生えた護身用の高角砲で最上を撃つ。近距離が弱点の空母だが、ある程度の武装を持っていた。

 しかし、まるで予見していたのか最上が蛇行の大きさを変えた。敵に向けて片舷を見せるまで船体を傾ける。敵艦艇の砲撃を避けることができたが、そのままでは折角近付いた敵空母から離れる勢いだ。両足の砲塔も背中側に向けられていて、攻撃の意思を失い逃げ帰る用意をしていた。

 相手の戦意喪失に、艦載機操作用の杖を構えていた空母ヲ級が腕を下げた。

 狙い通り。

「それじゃ、いっくよー!」

 掛け声と共に逆舵。

 もう一度空母ヲ級に向き直るかもと思うが、それすら越えて重巡洋艦の大きな船体が軋みを上げながらもくるりと回る。空母ヲ級の目の前に、最上の後方に向けた砲門が挨拶する。

 台風の脅威を船体に刻まれた第四艦隊事件。その損傷艦の中に『最上』の名前がある。あの時のコンクリートよりも硬くビルよりも高い波浪や、砂嵐となんら変わらない暴風雨に比べれば、スリガオ海峡の穏やかな海面は安全で走りやすい陸上競技場のように思える。このぐらいの転舵は造作もない。

 これは逆舷に準備していた主砲を、接近回頭で目標に向け直す戦列艦以前からあるちょっとした強襲法の一つ。砲塔旋回が出来る近代艦艇では無駄が多い、割に合わないと言われるが、引っ掛け(フェイント)とはそういうものだ。古事を知れば新しいものが見えてくる。廃れた戦術だって、現代に適応する状況は存在する。

 詰めに詰めた近距離だ。照準は甘くても構わない。一斉射!

 声に無い悲鳴を上げて深海棲艦の空母がよろめいた。

 扶桑たちを攻撃していた艦載機の動きが鈍くなる。穢れの空母たちは、艦娘たちと違い母艦が直接艦載機を操作していると言われている。だから一機一小隊ごとの能力は高いが、頭を潰されると途端に戦力が減衰する。

 奮戦する最上だが敵旗艦の推測損害は小破。一時の混乱を得ただけだった。

 軽傷の軽空母ヌ級が操る艦載機が最上を狙ってくる。奇襲回頭からさっさと離脱に移っていた最上を追いかける。艦艇が艦上機を振り切れるはずもなく、容赦の無い爆撃が襲いかかった。

「うわわわわ!」

 最上は悲鳴を上げて逃げる。やっぱり時代の流れには勝てないのか、航空機の圧倒的優勢は戦術を工夫した程度では覆せない。爆撃の炎が赤茶の制服を焼き焦がしてゆく。

 山城を助けようと飛び込んだはずの最上がコメディチックに走り回る。

 彼女の滑稽な結果を笑わずに受け止めた戦艦がいた。駆逐艦二人に援護を受けて、体勢を立て直した超弩級戦艦だ。

「最上、良い情報をありがとう。奮戦のお礼に戦艦『扶桑』の力、見せて上げます!」

 巨大艤装右側の主砲から砲弾が放たれる。

 最上の艦載機が彼我の距離を観測し、攻撃してくる敵艦載機の動きを鈍らせ、扶桑に集められたチャンスが結果を産む。僚艦の援護を存分に得た扶桑の砲撃は、最上を攻撃している軽空母を一撃で粉砕した。

 姉の戦果を見て山城は微笑んだ。

 残っている敵戦力は、空母ヲ級と中破した軽空母ヌ級。そして眼前の黒い戦艦。

 山城は戦艦ル級の腕艤装を掴み、両腕を広げて運用阻害をしている。手の平からは薄く穢れの黒煙が立ち上り、深海棲艦との接触面に蝋燭で炙られるような痛痒を感じる。

 目の前の穢艦は顔を怒りに歪めて砲門を西村艦隊に向けようとするが、山城によって妨害されている格好だ。理性の薄い深海棲艦は体系だった体術を持たない。腕力で山城より優れていても、艦娘として継承された技術と技能の前にやり込められていた。

 今なら、いける。

 山城が叫ぶ。

「西村艦隊、『夜戦』用意!!」

 旗艦の号令で西村艦隊に緊張が走った。

 記憶にあるスリガオ海峡は深夜の戦い。夜戦だった。

 今回、わざわざ日中に作戦を開始したのも昔に重なる部分を忌避したからだ。云わくのある作戦だ。不安要素はできるだけ減らしたかった。

 意外にも一番に賛同したのは、姉の扶桑だ。

「了解よ。いきましょう!」

 左砲塔を破損し(はだ)けた肩を抑える扶桑だが、特徴的な長身(パコダ・マスト)を揺るがすことなく凛々しく立っていた。

「最上の艦載機も今飛んでいるのだけ。『夜戦』へ入るのに躊躇する理由はないわ。損傷を受け続けるより、こちらから押していきましょう」

 脇にいる駆逐艦たちに目を向けて意思を伝える。

 二人も肯定の意味で頷き返した。

「わかったわ。やってやろうじゃない」

「向こうには僕たちを怒らせた代償を払ってもらう」

 残存する敵艦載機から攻撃を受けている最上は、逃げながら一も二もなく泣き付いた。

「いいから早くしてー!」

 僚艦たちの同意を得て、山城は心の中で感謝を捧げる。

 この作戦を始める前は苛立ちと不安で心が潰されそうだった。スリガオ海峡突入直前には、余裕を失い震えるだけだった。

 辛い記憶しかない西村艦隊編成だが、艦娘となっている自分たちは昔の艦艇そのものではないのだ。

 互いが助け合えば、勝利を目指せる。あの悲しい結末を変えられる。きっとレイテ湾に辿り着ける。

 前哨戦に勝利して、現在強力な航空部隊と競り合っているうちに、そうした希望が持てるまでになった。

 戦艦ル級が組み合う山城にしびれを切らして、背中の副砲を向けてきた。

 山城は丁度良いとばかりにすり足と押し手で相手を崩しに掛かる。

 思いがけない反撃で相手が堪え固まった瞬間を見抜き、今度は身を引きながら腕を交差させ、その場で旋回する。

 戦艦ル級の身体が空気投げの要領で海上から引き離された。宙を舞う穢れの戦艦が瞳のない翠眼を見開いて驚愕しながら、頭頂から着水する。

「おめでとう。貴女はあのホテル娘より先に空を飛んだ戦艦よ」

 二度目の水柱を作り上げる相手に、嫌味を残して数歩離れた。

「これより西村艦隊は『夜戦』を執り行う!」

 今一度の号令。

 まだ太陽が空に見える時刻に『夜戦』を敢行する支離滅裂な命令を繰り返す山城。彼女は意識を身体の内側に向け、自らと同化している『戦艦』の認識を強く持つ。

 山城の心に広く、どこまでも広がる海原を勇壮に進む戦艦が映し出される。特徴的な高層艦橋に多数の砲塔。扶桑型二番艦、超弩級戦艦『山城』である。

 『山城』は見渡す限りを水平線に囲まれ、海原の王者として君臨していた。

 空想の戦艦は、東へ東へ、朝日の方角を目指す。『山城』が太陽を迎え、天頂に掲げ、背へと落とす。東進が一日を早回しにして過ぎ去る。

 そして女王が勅命を発する。艦隊に向けての命令とは違う。自分が制する大海原に対しての、厳格なる幻覚の宣言だ。

 欲するは、闇夜の狩猟場。

 

「 我、 夜 戦 に 突 入 す !」

 

 艦娘『山城』の言霊に世界が切り替えられた。

 『夜』を所望する絶対王者に世界が従う。女王がお望みの通り、太陽を水平線に沈めた幻影の戦艦『山城』は夜の海に浮かんでいた。空想の光景が艦娘『山城』を通して現実に影響する。なぜなら王者の言は絶対だ。

 まず視界が失われた。

 分断機(シャッター)で外界から切り離された倉庫のように、光量が激減し視界が極端に短くなる。空の太陽が月と見間違えられるほどに輝きを絞った。一呼吸よりも短い狭間に、世界が夜へと変わる。

 これが艦娘の『夜戦』能力。

 本当に地球の地軸や自転を操り昼夜を切り替えているわけでない。そんな大それた力が艦娘一人にあるはずがない。狭域で光学観測阻害を擬似再現(エミュレーション)しているだけだ。物理的に光を遮っているわけではないし、影響を受けるのは艦娘と深海棲艦のみ。格好付けて言えば『戦場を仮想の夜に落としている』。

 この観測阻害というシチュエーションは、戦いを進める上で重要な意味を持っている。

 最初に西村艦隊を爆撃していた深海棲艦の航空機が統率を失った。目標である扶桑たちを見失い、出鱈目に飛び回る。

 海上の夜間飛行は最高難易度に位置づけられる。昼でさえランドマークが何もない見渡す限り海原に、夜ともなれば太陽もなく方角を失いやすい。そんな劣悪な環境を計器だけを頼りに飛ばなければならない。まして戦闘機動を重ねられると、達成できるのは極僅かなエースたちに限られる。

「今度は私の番ね」

 扶桑型一番艦が両腕を仮想の夜空に広げた。背負った巨大艤装から花火のような対空砲火が始まる。僅かな光が(はだ)けた扶桑の胸前に淡い陰影を落とす。光量が少なくとも、描かれた曲線によって存分に存在を誇示する双房が見えた。

 空に打ち上がる光の逆滝に穢れの艦載機たちは我先にと離脱する。対空砲火が弱い艦艇相手ならまだしも、機銃を数多く持つ戦艦が近くに居ては接近出来ない。折角爆弾投下目標が見えても、呼び寄せる光こそが相手の牙だ。逃げるしかない。

 航空機が逃げる先、そこに彼らの母艦がある。本来なら視界が効かない『夜戦』で正確な位置情報が判るはずがない。穢れの艦載機だからこその帰巣本能であり、意図しない先導員となった。

 満潮が不敵に笑う。

「夜戦の水雷撃こそ、私たちの領域よ!」

 西村艦隊の駆逐艦娘二人は、慣れた手付きで魚雷を装填してた。山城が『夜戦』場を展開した時から、二人の手は無意識に動いていた。

 夜間戦闘の訓練は、前時代から繰り替えし受けている。それこそ死ぬ(沈む)ほど行った工程だ。更に艦娘として生まれ変わっても、訓練は続けられてきた。満潮と時雨は、眼を開かずとも水雷撃の装填から発射まで出来る。もはや身体(船体)に刻まれて習性となっていた。

 時雨の両足の魚雷管が前面に向けられ、満潮も左腕の魚雷発射管を突き出す。

「雷撃、いくよ」

「時雨こそ外すんじゃないわよ」

 駆逐艦二人から魚雷が放たれる。狙いは艦載機が戻る先に居る空母ヲ級。散々艦載機で攻撃されたお返しに加えて、この雷撃にはもう一つ目的があった。

 最上が魚雷を握って軽空母ヌ級に近づく。

「これで最後だっ」

 ラグビーボールをゴールラインに突き刺すように、水雷弾を打ち込んだ。

 二箇所への同時攻撃に、護衛役の戦艦ル級は完全に動きを止められた。首を振ってどちらを援護すればいいのか迷っている間に、着弾。水中の長槍が敵空母群に止めを刺した。

 高く太い水柱が沈む穢れの艦艇を覆い隠す。見て判るほど昼間の魚雷から威力が増していた。

 これが『夜戦』もう一つの効果。艦娘たちの能力は環境によって変異するが、環境の範囲に『夜戦』も含まれている。旧帝国海軍が夜戦を得意としたことを起因にして、艦娘たちが自発的な能力上昇が出来る特殊戦闘領域。それが『夜戦』。ここでは大型の敵空母にも駆逐艦の魚雷によって大損害を与えられる。

 但し能力上昇の影響を受けるのは艦娘だけではなく、深海棲艦側も同じ。無闇に『夜戦』を展開するのは愚策だ。それらリスクを秤に掛けた上での決断を必要とした。

 今回は正しい判断だったと僚艦が示したことで、山城の戦意は高揚した。

「さあ、こちらも終わらせましょう」

 西村艦隊の旗艦が主砲を最後に残った戦艦ル級に向ける。まだ海原に倒れたままの相手に容赦なく打ち込む。ドンッと内蔵まで揺らされる砲撃音と衝撃波。

 黒い大型穢艦は水上に身体を転がして避ける。直撃はしなかったが衝撃で吹き飛ばされる。

 戦艦ル級は不利な体勢なのを承知で腕を持ち上げ、反撃を試みた。

 扶桑型二番艦は相手の照準が夜戦に適応しきれていないと踏んで、無理に回避行動を取らず自弾の必中を狙う。

 山城と戦艦ル級が至近距離で撃ち合う。

 直撃した砲弾が、胸に大穴を作る。

 苦悶の表情で沈んでゆくのは、深海棲艦の方だ。

 戦闘の轟音が止んで、興奮を覚ます余韻が艦娘たちに訪れる。

 『夜戦』が解除され擬似的な夜となっていた周囲に光が戻ると、崩れ落ちてゆく深海棲艦の船体がはっきりと見えた。

 穢れが黒い塵となって海に消えてゆく。戻るべき空母の撃沈に合わせて、敵艦載機たちも空中分解を始めた。

 スリガオ海峡に入ってからの二戦。特に”残骸”が残ることもなく消えてゆく。

 少しだけ外れを引いたことを悔しく思う。片腕で胸前を隠しながら扶桑が呟いた。

「新しい仲間は、まだお預けね」

 満潮は戦いで乱れた髪を左手で軽く直しながら、消え去る敵艦隊を眺めていた。不満そうに顔を歪めて言う。

「『夜戦』しても大丈夫だったじゃない。警戒しすぎだったわね」

「そうでもないさ。『夜戦』よりも前に被弾しちゃ、警戒する意味がない。特に扶桑と山城がね」

 時雨が戦艦姉妹を交互に見る。

 諸肌隠す扶桑は左上砲塔が損傷して使用不可能。艤装の内部では妖精たちが復旧作業中だ。

 山城は面白くも笑えない状態になっていた。

 戦艦ル級最後の攻撃が身体には当たらなかったかわりに、右主砲の砲身に命中。その一本が見事に歪んでしまった。傍目に見ても利用不可能、現場の応急処置では直せない損害だ。

 よりによって身体よりも細い砲身に当たった不運を、酷く肩を落とした山城が嘆く。

「不幸だわ……」

 扶桑型の主砲は連装砲なので完全な沈黙ではないが、戦力が削られたことには違いない。山城は戦闘中に左側にも一発被弾している。早期の損傷確認が待たれた。

「満潮の右腕は大丈夫? 被弾したよね」

「……あんたが気にすることじゃないわ。大丈夫よ」

 への字口の満潮が損傷した主砲を持ち上げる。主砲に群がる妖精たちが修復材を持ち出して修理しているのが見えた。

「すぐには使えないけど、完全に壊れわけじゃない。私はまだ戦える」

「右腕をちょっと見せてくれないかな。艤装よりも腕の方が心配だよ」

「はい。ストップ」

 満潮が追求してくる時雨を制して言い返す。

「もしかして自分が無傷なのを気にしてるの? 冗談じゃないわ。私は無駄に心配されるのって大っ嫌いなのよ。それ以上グダグダ言うのなら魚雷をぶち込むわよ」

 怒りを吐き出して背を向ける。

 時雨は満潮が必要に右腕を見せないことへ不安を募らせる。

「心配するに決まっているじゃないか。僕の怪我なんて関係ないよ」

「ちゃんと自己診断は出来てるわ。第三戦隊の姉二人みたいなヘマはやらない。他人に構う余力があるなら周囲への警戒に向けなさい」

 言い合う二人に扶桑が割って入る。

「時雨も満潮も、程々にしなさい。まだ戦闘は続くわ。警戒も維持するけど、陣形の再構築も急がないと」

 先の戦闘で敵陣に突進した山城と最上は、三人との距離を少し開けている。

 さらに長身の戦艦は、時々可愛らしく右膝を後ろに折り曲げて片肺航行していた。最初の戦闘で損傷した右の水上下駄が不調のようで思うように進めず、なかなか先行する二人とは距離が詰められない。

 西村艦隊の損傷度合いも重要だが、艦隊行動の基礎となる陣形が崩されていることも問題だ。

 早く隊列を立て直さないと、小中破した艦を個別に狙い打たれて沈められてしまう。

 事前調査によって数えられた深海棲艦の艦隊数は4。これで五合目に辿り着いたといったところだ。まだまだ海峡攻略を掲げるには遠い。

 西村艦隊単独では任務達成が難しい状況になっている。切実に支援艦隊の到着が待たれた。

 最上は航行速度を落とす山城に一言。

「ねえ、山城さん。瑞雲たちを拾いに行ってもいいかな?」

「……するのなら急ぎなさい。どれだけ稼働機が残っているのかも報告すること」

「もちろん!」

 旗艦の許可を取り付けた最上が急ぎ足で走り出した。

 最上の艦載機たちは、『夜戦』展開時に艦隊上空から退避して方々に散っていた。

 『夜戦』中は視認飛行が不可なので、迂闊に飛び回らずに逃げるのが賢明だ。その分艦載機たちが散り散りになってしまうので、戦闘終了後の回収に手間が掛かる。穢れの空母郡に対抗するために全機発艦したから尚更だ。

 最上も西村艦隊の苦境を理解している。山城から離れる時間を短く済ませるため、前方の海面へ着水した瑞雲の回収から入った。

 南側へ逃れた艦載機たちは、行き脚を鈍らせた扶桑の護衛よろしく後ろの三艦に集まっていた。回収と補給、発艦は最上にしか出来ないが、随行だけなら誰でも構わない。満潮や時雨からロープを出してもらい曳航されているちゃっかり者も居る。その姿は散歩する愛玩動物のようで、これぞ水上機の特性と言ったところだ。

 現状、制空対空能力の確保は命に関わる重要項目。こうした艦娘ならではの現場運用も活用していかなければならない。

 先を進む最上の背中を見て、山城は溜息一つを溢すと水上下駄の回転数を上げた。瑞雲を拾い上げる最上と、後方三人との間に山城が入る形だ。艦隊が単縦陣以上に伸びてしまっていることを不安に思う。早く姉たちと合流したいが最上一人を孤立させることはできない。気休め程度ではあるが、瑞雲の制空能力が西村艦隊には必要なのだ。

 スリガオ海峡で大型空母が出てくるのは予想外だった。司令官が『軽空母ヌ級を認む』と事前情報で出していたことに違和感を覚えはした。だがそれには『自分が知っているあの戦いではない』という『安堵』もあった。気の緩みから状況分析を軽んじた山城は、このことで提督を罵るのは軽くで済まそうと考える。

 それだけに、別の危機感が増大してきた。

 穢れの艦艇たちが艦娘たちを仲間に引き込もうと手を尽くしているのなら、この戦いに空母を投入するとは思えない。付喪神や魂魄の概念を利用してモデル元から能力を借り受けている艦娘には、艦歴に添った戦いを仕掛けるのが一番である。以前の海戦には存在せず地形的にも不利な艦種を混合させているのは、何か裏の意図があるのでは……。

「考えすぎかしら……」

 深海棲艦たちの緩やかな指揮系統では複雑な艦隊行動は無理だと解っている。やれるとしても強力な個体が連合旗艦となって群れを引っ張る程度だ。だからこそ、鎮守府は無限に湧き出る穢艦に”土竜叩き”を続けられてきた。

 今回の掃討浄化作戦には、そういった上位種の存在は感知されていない。アレらの存在感は空母ヲ級すら足元に見る。『鬼』と『姫』が事前情報で見逃されては、鎮守府の観測体勢を一から見直すことになってしまう。

 言葉に変えられない焦燥が山城の胸中に漂い続ける。いくら考えても晴らせそうにない。

 せめて警戒は密に厳にと、努めて顔を上げて遠くを見た。

 

 見てしまった……。

 

 敵艦載機の大群が、青い空に浮かんでいた。

 脳裏に叢雲という形容が出た。同名の駆逐艦娘に怒られそうだが、空を覆い尽くす数に連想せずにはいられなかった。

 続けて水平線に穢れの母艦たちも姿を表す。その艦隊構成に、先程の戦艦ル級と空母ヲ級に感じた絶望が容易く塗り替えられる。

 空母ヲ級が二体。さらに艦隊旗艦を務める片方は赤い燐光を放つ強化体だ。敵旗艦が操る艦載機も同様の光を纏っている。叢雲が赤い光を放つ様は、まるで夕闇が世界を食らいつくそうとしているかのようだった。

 山城が喉に引き攣りを感じながらも叫んだ。

「全艦、対空警戒!! 最上、悪いけど回収は終わり! すぐに戻りなさい」

 妹に続いて扶桑も声を張る。

「右舷、敵艦隊見ゆ!」

 首を巡らせて東側を見据えていた姉の声は、悲鳴に近かった。

 それもそのはず。東側に姿を表した艦隊の先頭には戦艦ル級が二隻。こちらも旗艦となっている方が赤い眼をしていた。

 山城たちは、頭と右手から二艦隊に迫れる形になった。

 相手側の戦闘序列。北側、空母ヲ級2、戦艦ル級1、重巡リ級2、駆逐ニ級1。東側、戦艦ル級2、空母ヲ級1、重巡リ級1、軽巡ヘ級2。加えてそれぞれ旗艦に赤色後光(エリート)が認められる。

 想像以上の大艦隊。

 大戦力の挟撃を前に、西村艦隊の誰もが動けずにいた。

 最初に恐怖を振り切ったのは、国の威信を掛けて造られた超弩級戦艦だ。

「みんな、一箇所に集まって! 密集陣形で最初の艦載機爆雷撃を凌ぐわよ!」

 不調の片足を引きずって扶桑が声を張り上げた。

 山城は、そういうことかと歯噛みする。

 これは力技だ。

 歴史にあるスリガオ海峡夜戦の再現は場所と艦娘側だけで、深海棲艦たちは数頼みの力押しに来ている。

 指示系統が貧弱であることを甘く見ていた。艦娘たちに各個撃破される深海棲艦だが、閉所に数を集めることで対策としていた。単純な殴り合いなら頭数が物を言う。その上で、旗艦に強化体を据えた艦隊での同時攻撃。昔の連合軍ような組織立った待ち伏せではないが、こうした正攻法も立派な戦術だ。これらが本能と幸運に寄る状況ではなく意図的に演出された舞台だとしたら、その黒幕に称賛の張り手を贈りたい気持ちだった。

 胸に瑞雲数機を抱えた最上が血相を変えて山城に合流する。

「ど、どどどど、どうしよう。山城さん」

「落ち着きなさい。一先ず持っているそれを壊さないようにしまって補給しなさい。姉さまがおっしゃるように集中防御するわよ」

 山城が取舵を切り姉と駆逐艦二人への連携を回復させようとした時、今度は時雨が叫んだ。

「二人とも止まって! こっちに来ちゃだめだ!」

 時雨が指差す所には、海面に一線を刻むものがあった。

 水雷航跡っ……!

 それもひとつではない。10本近い数の魚雷が西村艦隊に向けて迫ってきていた。

 魚雷を回避するために山城は舵を切り直し、時雨たちは減速する。これで二組の距離が更に開いた。

 通り過ぎる魚雷の発射元を見つけた満潮が、強張る頬で無理やりに笑顔を作る。

「これは、なんとも絶望的な状況だこと……」

 西村艦隊の後方八時。穢れ艦の新手が出現する。

 正確には新しい艦隊ではなく再編成部隊だった。なぜなら旗艦に居るのは最初の戦闘で取り逃がした重巡リ級だ。穢れの雷巡を始め、軽巡駆逐で構成された水雷戦隊を率いて戻ってきた。

 満潮は空母と戦艦の艦隊とは別に敵の水雷戦隊が現れたことを訝しむ。

「あの重巡、レイテ湾からの増援と合流したにしては方角がおかしいわね。海峡の外に回遊部隊がいたのなら、どうして私達がスールー海を横断している時に攻撃してこなかったのよ」

 知性が薄い深海棲艦たちは目に見えるものを襲う。スールー海で遭遇戦が起きなかったのは運が良かったのか。それにしてはご都合に思える。

 駆逐艦の疑問に扶桑が応えた。

「思い出して。レイテ沖海戦は比諸島をめぐる4つの海戦を纏めた総称よ。わたしたちのスリガオ海峡夜戦もその一つ。あの逆襲部隊をよく見てみて」

 促されて穢れの水雷戦隊を観察した満潮は得心した。あの5つめの艦隊は、そういう仕組みで出来ていたのか。後で高雄たちに恨み文句を叩きつけなければ。

 一つの謎が解消されたが、西村艦隊は分断された上に三方を大戦力に囲まれた状態になっている。

 上空に留まっていた敵の艦載機部隊が山城と最上に向かって飛翔、殺到する。

 気を張り機銃を構えた山城と慌ただしく航空甲板を操作する最上へ向けて、扶桑が叫んだ。

「二人とも、今は逃げなさい!」

「ですが、山城は姉さまと……」

「私は大丈夫よ。後で必ず時雨を……!」

 言い終わる前に山城と最上の頭上へ穢れの航空機が侵入しようとする。

 最上と二人だけでは効果的な対空陣形を組めない。言われたとおりに逃げるしか手段がない。

「必ず戻りますから!」

 山城は蛇行しながら敵艦隊との距離を引き離しにかかった。最上も航空甲板を掲げて逃げる。

「準備できた子から発艦! 出来るだけ急いでね。直上だけでも守りきるよ」

 機械式甲板から残り僅かの瑞雲が飛び立つ。積極的な迎撃ではなく、最上の指示通りに直上護衛だけに専念する。たった数機の護衛機たちでは微塵の余裕もない。

 機関出力を上げて海上を疾駆する山城と最上に、敵艦載機たちは易々と追いついた。船の速さで航空機を振りほどけるはずがない。爆撃と雷撃、機銃の弾丸が何度も二人に降り注いだ。

 最上は航空甲板で頭を庇った。もう瑞雲の運用は見込めない。後は楯代わりに使うだけだ。ごんこんと航空甲板が着弾音を鳴らす。

「日向さんに怒られちゃうよ」

 一方山城は、脚の遅さから最上の少し後ろを走ることになった。当然最上よりも襲い掛かる敵艦載機の数が多くなる。数多くが命中し衣服がボロボロと焼け剥がされる。戦艦『山城』の装甲に守られ、行動不能にまでは陥っていないが中破判定は既に超えていた。最後には極短赤袴が焦げ落ち、丸い臀部を持ち上げ支える下履きが見えた。

「ああん。恥ずかしいわ……」

 尻を覆い隠したいが、羞恥を堪えて走る。

 姉たちの姿はもう山城からは見えない。

 追い立てられる二人の前にレイテ島の南東岸が見え始めた。さすがに海峡と名付けられただけのことはある。全力で走れば岸まで簡単にたどり着く。

 これ以上西側に逃げては座礁の危険があるが、そんな小さなことに構っていられない。生き残れるかどうかの瀬戸際なのだ。座礁して固定砲台となっても動ける限り戦うだけだ。

 ここで一旦穢れの航空機たちが引いていった。爆弾弾丸を撃ち尽くし、燃料を減らしたのだろう。

 帰投先へ向けて山城が振り返ると、戦艦ル級と空母ヲ級の両艦隊が追いかけてきてた。艦載機が考え無しに山城たちを攻撃したために、母艦たちも引っ張られた形だ。

 深海棲艦たちの愚直さに少しだけ感謝しつつ、内心ほくそ笑む。

 扶桑たち三人で水雷戦隊を相手取ることになるが、主力二艦隊と事を構える自分たちより生還率が高いはずだ。

 敵水雷戦隊の出現元を気にした満潮ではないが、山城も少し気がかりがあった。この分断が史実に基づく戦術なら『時雨』はこちら側に居て然るべきだ。先に落伍と撃沈をするのは『扶桑』と『満潮』のはずである。突入先行する側に『時雨』が居ないのでは、西村艦隊全滅の再現性が低くなる。

「これも佐世保の武勲艦が張り切ってくれた御蔭かしら」

 先の戦闘で、被弾した姉と満潮の援護に時雨が入ったことが切っ掛けだろうか。まあ偶然だと結論付ける。

「最上、脚は落ちてないわね」

「大丈夫。まだまだいけるよ」

「それじゃあ、取舵いっぱい。岸に沿って南下、姉さまたちと合流します」

 艦隊旗艦の言われるがままに操舵する。

 最上が身体を左に傾けて、綺麗なターンを見せる。レイテ島東海岸を右手にして南へ進路を向ける。

 このまま速力を保てば敵艦隊の包囲を抜け出せる。

 戦闘出力を続ける機関の熱は高いが、窮地を脱せる目星が見えたことに最上が眼を輝かせた。

 ガキンッと悲痛な音がしたのは、余裕が出た最上が山城に振り返った瞬間だった。

「こんな時に……!」

 山城の顔が歪む。彼女の姿勢が左に傾いたまま戻らない。旋回を続け最上との距離が離れだす。

 最悪なタイミングで山城が履く水上下駄の舵が折れていた。空爆時に撃たれた艦載機雷撃のダメージが、遅れて表面化してしまった形だ。

「山城さん! ちょっと待ってて!」

「私に構わないで! あなたは行きなさい」

 もう一度反転して旗艦の援護に入ろうとした最上を山城が制する。

「ここで相手を振り切っても、合流されてはどの道同じよ。どちらかが殿を務めて押し留めないと……」

「それならボクが残るよ。旗艦の山城さんこそ離脱しないと!」

「速度と損傷を考慮すれば選択肢すら現れないわ。歴史的にも妥当でしょう。ほら、空爆の第二波が来る前に逃げなさい」

 追って来る大戦力から再び艦載機たちが飛び出してきた。空母三隻が抱える艦載機の総数を考えれば、遊々と話し込む余裕はない。

 最上は溢れ出す涙を堪えら切れず嗚咽した。敵は西村艦隊が万全の状態でも勝てるか解らない大群だ。山城を一人残せばどうなるか、火を見るより明らかである。

 だからといって、ここに最上が加わっても共倒れになるだけ。

 最上がなによりも嫌なのは、こうすることで『山城』以外の艦娘がスリガオ海峡から脱出することができることだ。

 予想外の敵戦力が確認され、自軍現戦力での目標達成が困難であり、作戦旗艦の山城が戦没したので、撤退した。

 なんと通りのよい筋書きだ。そんな犠牲を強いる選択をしたくない。

 かといって、戦えば沈む。逃げれば残悔を抱える。どちらも選べない。

 自分がどうすればいいのか。最上の思考が混戦する。

 山城は姉と同じように片足を浮かすきわどい操船で船体の傾きを正した。だが最上に背を向けていて、お互いの距離が離れ続ける。

 顔の見えない僚艦の決断を促すため、旗艦『山城』が命令を下した。

「現時刻を以って旗艦の権限と機能を扶桑姉さまに移譲します。合流後は姉さまの指示に従いなさい。ふふふ、旗艦の変更が簡単過ぎるのはあまり好きではなかったけど、こういう時は便利ね」

 数少ない山城の栄誉に、帝国海軍連合艦隊総旗艦を務めたことがある。建造前から予定されていた栄光であり、唯一の計画通りに行われた任務と言えなくもない。逆に同型一番艦である戦艦『扶桑』は時期が合わず海軍旗艦を務めはしても連合総旗艦になれなかった。山城は姉を気遣い連合艦隊総旗艦就役を積極的に自慢することはないが、唯一誇れるたった一つの栄誉としている。

 連合総旗艦の変更は海軍首脳部の移設と同義。(おか)で例えるなら省庁の建屋引っ越しに相当する一大行事。おいそれと行えるものではない。

 しかし、艦娘となってからは旗艦の役割が作戦艦隊のまとめ役程度にまで落ちてしまった。連合艦隊への全体指揮権を持つ総旗艦は名目だけの価値となり、事実上廃止されたと言える。

 現在の司令官は必要に応じて頻繁に旗艦を変更する方針を明言していて、『遠征』などでは駆逐艦娘が旗艦に収まるのも珍しくない。

 連合艦隊総旗艦に誇りを抱いていた『戦艦』勢は、その扱いの軽さに多少なりとも不満があった。もちろん山城もその一人。あの荘厳たる帝国海軍連合艦隊総旗艦を一時期でも務めた身としては、軽々しく扱われるのは気持ち良くない。

 これが艦娘としての特性であり利便性なのは理解していた。作戦艦隊の指揮なら、艦娘同士でコミュニケーションを計ればそれで済んでしまう。艦艇の人格を持つ艦娘は、巨大な船体を操るために船員を載せ明確で厳格な指揮系統を施設する必要がないのだから。姉妹艦同士なら無言の目配せや首肯だけで通じることすらある。

 指揮系統の即決簡便化に悪い所があるとすれば、今こうして、背を向けて最上に命令を伝えるのだって、……苦労させられているところだ。

 山城は自分の顔がどれだけ恐怖に引き攣り、血の気を失い、哀涙に瞳を濡らしているかを自覚していた。

 追って来る敵戦力を考えれば、これから伝える命令は自殺行為に他ならない。

 しゃくりあげる胸を強く手で抑える。声が上ずらないように意識しながら、言葉を続けた。

 

「私がどれだけ攻撃されようと、構わず作戦を完遂させるようねえさまに伝えて……」

 それが、かつて『山城』が発した最後の命令に近しいことに涙を溢す。山城も、最上も……。

 

「…………い、いやだ! その命令は聞けない、聞きたくない! ボクも一緒に戦うよ」

「何を言っているの。私は何をするのも扶桑姉さまと一緒でなければ嫌なの。あなたとなんか願い下げよ。さっさと離れなさい」

 最上に背中を見せたままの山城が、追い払うように手を振る。

 それを見てはっとする。白い指先が尚色を失い震えていることに最上は気がついた。山城の意図を、理解してしまった。

 気丈に振る舞おうにも、魂まで震わせる恐怖を全て隠すことは出来ない。指先の震えは山城の真意を代弁いていた。

 航空巡洋艦『最上』は、スリガオ海峡夜戦の最中に没してはいない。一度海峡から脱出した後に追撃を受けたことが原因だ。

 まだ自分はここでは沈まない。山城が沈ませないと言っている。

 最上が強く唇を噛み締める。

 悔しい。すごく、悔しかった。

 どうして自分たちはこうまで歴史の強制力に翻弄され、その運命を覆せないのか。

 最初の戦闘で扶桑が落伍しなかった。満潮は沈まなかった。『夜戦』を行なっても無事だった。

 安堵していたのは確かだ。負傷は受けていたから、慢心していたとは思いたくない。

 だからといって、山城が沈まないとは限らない。

 これから起こることが解っていたはずなのに、既に知っているのに。逃げられない。

 そんなのは嫌だ。

 涙を浮かべて、必死に考える。どうすればいい。

 山城が沈む状況を、深海棲艦たちに再現させないことだ。

 再現させないためには、歴史とは異なるものを付ければいい。

 じゃあ、なにが用意できる。

 最上では駄目だ。『最上』よりも先に『山城』が沈んでいる。自分がいることでは変わらないし、ここで逃げ去っても単艦残された山城の撃沈は確実だ。

 自分が居てもだめなら、……他の艦に頼ろう。

 そうだ。ボクたちは艦隊だ。

 第二艦隊第一遊撃部隊第三支隊。通称として指揮官の名を戴いた西村艦隊。あんなにきれいな扶桑がいるじゃないか、皮肉屋だけど仲間思いの満潮に、いつだって落ち着いている時雨もいる。

 なによりも、『扶桑』が健在なら『山城』は沈まない。

 もう一度みんなが集まれば、西村艦隊なら、戦えるんだ!

 心に閃いた一縷の希望に、最上は全身全霊で大声を張り上げた。

「扶桑さんを呼んでくるから、みんなを連れて戻るから! 沈んじゃダメだよ! 絶対に助けるからね!」

 急げ、急げ!

 扶桑たちが居る場所を目指して全力で走り出す。

 山城に背を向けて動き出した最上に、深海棲艦たちも反応する。戦艦と空母の護衛役だった穢れの重巡洋艦が三隻が、独立航行で最上の予想進路上に壁を作った。大型艦の補助には軽巡と駆逐艦を残している。

 最上を逃さない腹積もりだろう。それは甘い。

 丁時航路不利の位置だが、最上の後部主砲は航空甲板に置き換わっている。縦棒でも火力が減るわけじゃない。

 無数の砲門が向けられ砲火が始まるが、臆さず増速。

 昔この場所で西村艦隊が対峙した敵軍総数に比べれば、自分と同級の巡洋艦三隻なんて無いも同じ。前方の砲塔で反撃しつつ真っ直ぐに突き進む。

 回避蛇行を捨てた行動が運良く働いた。砲門の数に頼ってばら撒かれた砲弾は、最上に直撃することなく海面を叩く。

 砲撃されても構わず接近する艦娘に穢れの重巡たちも珍しく狼狽を見せた。このままでは衝突してしまう。攻撃を続けるか、最上を回避するか迷っている。その判断が下される間にも、両者の距離は縮まる。

 最終的に避けることを選んだ重巡リ級たちだが、既に時遅し。

 最上が三隻の真ん中に突っ込んだ。

「衝突は、ボクの得意技だよっ!」

 重巡同士の激突は何度も経験済み。上手く損害を減らす要領は良く知っている。

 船体を使ったバリケードなら、ぶつかってもいいっていう覚悟を決めていないとね。

 衝突する瞬間に少しだけ膝と曲げ腰を落とす。首を窄め、肩を上げ、両腕で頭を固定する。これで相手の腰を狙う。

 衝突した瞬間、前進する力に強い抵抗が加わるが、それを押し退けるよう更に力を込めて進む。

 体当たりされた重巡リ級が、衝撃でバランスを崩した。上体を最上に被せるようにして転倒を防ごうとする。

 機を逃さず最上は上体を起こし、脚を前に出し、押し進め、相手の身体を肩と背中で持ち上げた。

 技もへったくれも何も無いゴリ押しのチャージリフトフォール。

 最上の突進力に持ち上げられ、その背中から転げ落ちた重巡リ級が頭から水面に叩きつけられる。

 派手に立ち上る水しぶきに、残り二隻の重巡リ級が最上を見失う。砲撃しようにも距離が近くて同士討ちの危険がある。格闘しようにも姿が見えない。

 水柱が収まった時、全速力を出す航空巡洋艦は背中を小さくしていた。二隻の重巡リ級は慌てて最上への追撃戦を開始する。

 僚艦の強引な包囲突破を見て、山城は呆れた。

「あれではまるで猪ね……」

 彼女の衝突癖が直らない理由が、なんとなく察せられる。

 一人佇む山城へ、いよいよ穢れの航空機たちが襲いかかってきた。腹を空かせた野獣が獲物を仕留めるように、怒涛の勢いで容赦の無い暴力を降り注がせに来る。

 絶望を前にして、山城は自分の心が落ち着きを取り戻していることをに驚いた。

 なぜだろうと自問してみる。答えは考えるまでもなかった。

 仲間が希望をくれた。姉さまが助けると言ってくれた。最上も深く考えてはいないだろうが、別れ際に少しだけ敵戦力を分割してくれた。

 これだけお膳立てされたのだ。最後まで足掻いて見せよう。

 まだ指は震えている、唇は血の気を失って青い。

 だが山城の涙を堪えた瞳が映すのは、死地(過去)ではなく戦場(現在)であり、目指先は(未来)だ。

 敵航空機舞台に対して、左側を前に半身になって構えた。左外側の砲塔は二戦目に背後から被弾した場所だ。僚艦たちには隠していたが、この左砲塔も内部機構が破壊されていた。使えない艤装を楯にして、少しでも船体を守ろうとする。

 爆撃の第二波が山城に降り注いだ。対抗に機銃残弾を躊躇なく空へと打ち出す。

 航空雷撃も迫る。これは舵の折れた左脚の水上下駄を蹴り飛ばして誘爆させた。どうせ逃げられないなら、徹底的に反撃してやる。

 主砲は有効射程前でも発射。穢れどもを近づけさせないよう絶え間なく撃つ。砲身が加熱して歪もうが、身体が発砲の衝撃に折れようが構わず攻撃した。

 山城の猛攻に深海棲艦たちも歩みを鈍らせる。

 だが相手は大型艦6隻の大部隊。まして空母が半数を占めている。一人で押し返すには、物量が違い過ぎた。

 数に任せて機銃の防空圏を突破した敵艦載機たちが、山城への爆撃と命中させる。楯代わりにしていた左砲塔の装甲を貫通、内部で爆発。

 悲鳴を上げる間もなく、山城は爆発の衝撃で海上に倒れた。

 衝撃と熱で真っ白に染まる思考と視界を、歯を食いしばって押し留める。倒れた身体の動く所を全部使って、体勢の立て直しを始める。

 今度は激痛が意識を削り出す。

 砲塔に近かった左脇腹が痛い。皮じゃなくて骨にきている。でも内蔵じゃないから問題ない。動け。

 肋から発生した激痛が背骨を通って脳内を焼く。

 たった一発で、この様か。オンボロめ。

 自分の身体を罵りながら、それでも山城は立ち上がった。

 見れば眼の前に戦艦ル級が3隻が並んでいた。先頭の一人は感情の無い赤い瞳で山城を捕らえている。

 砲門数では勝てない。先制して敵の数を減らす。

 本能な反射行動で、山城が身体を翻し右側主砲で相手を撃とうとする。

 艤装が艦娘の意思を反映せずに沈黙。仰角装置動作不能。主砲が先程の転倒で故障していた。

「不幸ね……」

 自分の不運を嘆いた時、穢れの戦艦たちが一斉に攻撃開始。損傷した山城の船体を更に蹂躙した。

 怒涛の攻撃に再び山城は倒れる。衣服のほとんどが焼け破れ剥がれ落ち、山城の身体には紐状に残った残骸が巻き付くだけになった。

 撃沈を確認するためか、戦艦ル級の一隻が警戒しながら近づいてきた。

 倒れている山城の手が右砲身を掴み持ち上げ『手動』で照準を合わせる。発射された砲弾が接近する戦艦ル級の腕に命中。一部砲塔を破壊する。

 幽鬼のごとく山城が立ち上がる。切れた額から流れて落ちた血糊が眼窩の淵を通り、涙の様相を体していた。左側の艤装は装甲が剥離し、火災炎と黒煙を立ち上らせる。満身創痍の大破重体。

「本当に、とんだ欠陥兵器で、出来損ないだこと……」

 山城は自分の状況に自虐で泣き笑う。

 ある畜産家は言った。経済動物の言葉を理解しては仕事を行えない。気が狂うだろうと。

 もしも船に魂や意思があったのなら、その声が工員や乗組員たちに聞こえはしなかったのだろうか。

 聞こえたこともあったはず。自分たち艦娘の存在が、万物に宿る意思()の存在を証明している。

 いや、だからこそ。嘆きと怨嗟を訴える『戦艦』の声が当時の技師たちや上層部に届かなかったのは、神仏の慈悲だったのかもしれない。

 建造当時に正しく設計されていたのなら、山城がこれほどの恐怖や苦心を背負うこともなかったのだから。無数の栄光と期待を背負い、それを裏返された超弩級戦艦の深く暗い嘆きは、深海棲艦たちの穢れすら超える霊障になっていただろう。

 今からでも自分の内にある『山城』を通して叫び散らそうか。

 無意味な行動と解っていても、船の記憶を意識してしまう。このまま奴ら側に堕ちて、姉さまの元へ帰るのも悪くない。

 山城の魂と重なる『戦艦』も酷く損傷していた。

 そんな情けない『山城』に向けて、どこからか誰かが絶賛している声が聞こえた。

 なにごと、一体どこから?

 船の記憶を辿ると、水抜きされた船渠に支え下駄で浮かぶ『自分』がいた。

 そんな『山城』を近場の丘に登った子供たちが見下ろしている。もっと高いところから見ようと木によじ登り『山城』の姿を見ては感嘆の声を上げていた。

 艦隊に参加していることが珍しい『山城』。大した戦歴もなく船渠に篭ってばかりだが、軍港近くの子供たちには大人気だった。

 それは『山城』が、いつだって見ることが出来た『戦艦』だからだ。

 作戦前に時雨が見せた笑顔を、唐突に思い出す。

 そうか、あの顔だったんだ。

 あれは丘の上からドックを見下ろしては、まるで自分のことように『山城』を自慢する子供たちと同じものだった。

 その感情の正体は信頼であり、憧憬だ。

 すごくおおきい。かっこいい。

 とてもつよいんだぜ。

 どんなふねがあいてだって、たいほうでいっぱつだ。

 少年たち特有の高い声で、何度も称賛され感嘆される。

 いつもの自分なら、あるはずの無い戦歴を想像され期待が重く辛いと嘆くかもしれない。

 違う。そうじゃない。これは戦艦『山城』の栄光。

 震災の折、横須賀に姿を見せたビック7のように。その巨体は、そこにあるだけで人々の支えになる。

 これこそ『山城』が『戦艦』として活躍した、小さな小さな確かな戦果。己が身の不幸を嘆きながらも、奴らに組みせず鎮守府に席を置く原初の理由。

 あの笑顔に応えるために……。

「私は『戦艦』扶桑型二番艦の『山城』! どんな状態だろうと、いかなる困難だろうと、負けるわけにはいかないの!」

 巨大な船体は、そこにあるだけ国威を背負う。大艦巨砲時代において超弩級戦艦は戦略兵器の一面も持っていた。国力の象徴として扱われた。

「簡単に沈められると思わないことね!」

 今一度自らの腕で砲身を固定させる。加熱した砲身が手の平を焼き焦がす。

 傷だらけの身体で、不恰好に傾きながら、半壊した艤装を支える姿は、無様だった。だとしても、山城は栄光ある海軍旗艦の姿として誇り戦う。

「主砲、撃てー!」

 号令を下しても反応しなかった。今度はどこが壊れたと、自分の装備を見る。

 砲塔の縁に何人かの妖精たちが具現化していた。

 兵装要員の妖精たちが涙を浮かべて首を振る。

 現状での主砲発射は、山城の損傷を増やすだけだとわかっているからだ。敵に攻撃されるのではなく、山城自身の発砲で船体や艤装がダメージを負ってしまう。通常の対衝撃防御も儘ならないのが山城の現状だった。乗組員たちは主の身を案じて命令を拒否していた。

「いいから撃ちなさい! 今こそが戦艦『山城』の死力を尽くす時なのよ!」

 どうせこのスリガオで果てるのなら、せめて『戦艦』らしく華々しく戦って散りたい………。敗れるにしても『飛龍』のように一矢報いて終わりたい。

 脳裏に浮かんだ言葉に、自嘲する。

(こんなんじゃ、あの娘たちのことを笑えないわね……)

 沈むのなら戦場で……。

 あの大戦艦姉妹が言葉にせず内に秘めているであろう想い。謀らずも彼女たちに共感してしまった。

 山城がまだ稼働することを目視した穢艦たちが、今度こそ確実に沈めようと包囲展開する。

「同じ散るのなら、私が『山城』である意味を失わせないで……」

 山城は妖精たちに笑いかけた。

 砲長妖精は宿借り先の決意を聞いて、涙をこぼし鼻水を垂らしながら主砲発射を指示した。

 兵員妖精たちもわんわん大泣きしながら動き始める。

 ああ、たしかあの時も艦内はこんな感じだったかな……。

 扶桑型二番艦は哀愁と懐かしさを感じながら、敵の包囲攻撃が始まるのを見ていた。

 冷静冷徹に考えて、先に砲火を切るのは深海棲艦たち。損傷と故障の多い山城に次を耐える力はない。

 ここで詰みだ。

 別れ際の最上には心ないことを言ったけど、一つだけ本心が混じっていた。

 

「ひとりは眠るのは嫌。扶桑姉さまと御一緒したかった……」

 

 それが何よりの心残りだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話

 広く、全方に水平線が望める海洋に二本の脚で立つ人影6つ。

 港と海峡の浄化作業を行うため、鎮守府から派遣された艦娘たちの別働隊だ。

 6つの艦影のうち、青い制服の4人が高雄型重巡洋艦の四姉妹である。

 一番艦『高雄』以外の三人は損傷度合いが中破以上のひどい状態だった。ここに来るまで敵艦隊数4を相手に大立ち回りした結果だ。中心の二人を守る陣形を敷いていたため護衛役の高雄姉妹に攻撃が集中、被弾してしまっていた。見返りに中央の戦艦二人が主砲を迷いなく斉射でき、予定より早く進撃できた。

 

 その甲斐あって彼女たち()()()()()今、()()()()()()()

 

「作戦成功です。みなさん、大丈夫ですか?」

 長い黒髪をポニーテールにしている大型戦艦の片方が僚艦たちを労う。笑顔を見せて気を抜けたような顔をしているが、電探機能を持つ簪のような頭部艤装と手持ちの番傘は稼働し続けていた。

「戦没、落伍共に無し。艦隊枠がいっぱいで”むっちゃん”たちが編成されてなかったのが幸いだったのかな」

 それとも艦隊枠数を見越しての采配か。横の旗艦をちらっと見るが、色々な波が激しい互いの妹に対して彼女は何も言わなかった。

 敵の攻撃で衣服を破かれ胸の肉鞠下半分を晒す二番艦の『愛宕』。ぷろんぷろん、盛大に双房を弾ませながら味方の超戦艦に笑い返した。

「いやいやー、私沈んじゃうかと思ったわよー。てーとくの指示通り旗艦をしなくて正解だったわー」

「編成が良かったんですよ。御蔭で進軍中の旗艦引き継ぎ作業もなかったですし」

 二人のやり取りを聞いた四番艦『鳥海』は、こっそりと溜息をついた。メガネの片側入った大きなひび割れが気になり眉を顰める。

「この程度で運命が変わるなんて。天の采配は、誰にも解らないということですね」

 栗田艦隊が本来なら行った作戦行動を、艦娘たちは艦隊編成の段階で回避していた。その結果が、この早期レイテ湾到達と高雄型の残存だ。

 スリガオ海峡夜戦に先駆けて行われたシブヤン海海戦。主力である栗田艦隊はここで大損害を受け、所属艦数隻を沈められている。

 出撃する艦隊を変更するだけで事足りるなら、厳しく警戒しなくても良いと思いがちだが。

 事はそんな簡単には運ばない。鎮守府でのドタバタ生活でも”そうしなければならない”状態に陥ることがある。些細な出来事で本当にやるしかなくなるのだから、過去のトラウマたちが戦場で顔出すのではという恐怖はとても大きい。

 今回のシブヤン海横断とて、艦隊の総力を結集し尽力した上での辛勝だ。途中で何度かあの時が再現される……、と思わせる場面もあった。思い出すだけでも背筋に冷や汗が浮かぶ。

 南を向いて三本骨の番傘をかざす戦艦少女は、左足のオーバーニーソックスの穴に人差し指を差し入れた。ここまでの戦闘で受けてしまった唯一の損傷だ。

「『戦艦』に限らず、艦娘ってホント辛いわね」

 素地のゴムをパチンと鳴らして弾く。そこに書かれた『非理法権天』の文字が、太股の動きに合わせて揺れた。

 全ては天が定める権威法典の理りに従う。

 これは信念の叫びだったのか、それとも足掻きの嘆きか。この言葉を自分に掲げてくれた人たちはもういない。文字通り天に届かず、道の中場で断たれて終わった『自分』には答えを出せない問い掛けだ。

 だから超戦艦と同調して艦隊に復帰した時、一番最初にあの人に聞いた。

『私たちは誰なのか?』

 自分は『彼女たち』の答えを見つけ出すことができるのだろうか。

 有り大抵にいえば不安だった。自分に世界最大の戦艦なんて重責が務まるのか。

 彼の答えは、何よりも雄弁な無表情だった。

 執務室の机に両肘を置き、軽く指を組んだ両手で顔の下半分を隠す。目に見える部分は、眉一本動かさず瞬き一つもせず。怒っているような、泣いているような、笑っているような、悲しんでいるような。

 そして間を空けて出された一言に、とても深い親愛を感じらた。

『自分を決められるのは自分だけだ。艦隊司令だろうが艦娘だろうが、この業に違いはない』

 変わらずの自分で良い。それは自らが下した選択。最後の最後で自分に命令できるのは、自分だけ。

 だから解った。

 提督は、艦隊のことを第一に考えている。わたしたちのことを想ってくれている。

「それでね。私たちの運命が彼女たちの記憶に引きづられているのなら、提督もそうなのかなって思ったの」

 艦娘たちが旧海軍艦の写身なら、鎮守府にて指揮を執るあの人は何を背負っているのだろうか。

 皆に知られないように歴史書や古い記録を持ち出しては、熱心に勉強しているようだった。それは古に連合司令部が背負った苦悩を追体験するということ。

 彼は自分たちと同じ想い(歴史)を背負ってくれている。

 深海棲艦への対処もそうだ。記録と違う編成の艦隊で穢れたちを塗りつぶせば良いというわけではない。浄化する艦娘の力量練度が足りなければ返り討ちにあってしまう。編成編成で司令官に掛かる責務はとても重たい。

「ビッグ7はどう思う?」

 少女の質問に、長身の相方は腕を組み目を閉じて黙したまま微動だにしなかった。湾港に入ってからずっとこの形を崩さない。

 それが彼と同じ答え方であることを察し、傘の少女は微笑んだ。

 さすが巨砲の覇者(オールドネイビー)。よくわかっている。

 高雄型三番艦『摩耶』が物怖じせずに苦笑を漏らす。

「はあー、さすが未来にワープ航法までするような()は考え方が違うねえ。あたしには只の場違いなあんちゃんにしか見えないぜ。面白いやつとは思うけどさ」

「昔と今は別ってことだよ。私たちも、提督も」

 喋っていてはっきりと思い出した。あれは南方海域強襲偵察で回収された『彼女』の断片を前にした時のこと。

 強制ではないと彼は言った。実際、同調前の自分は彼の命令に従う義務を負っていなかった。

 それでもわたしは進んで水原へと歩きだした。自分の意思で歩を進めた。

 ワタシは『彼女』に選ばれたんじゃない。望んで『彼女』と一つになったんだ。艦娘であることを、『戦艦』であることを悔いることなんてない。

「一人じゃだめでも、私たちは艦娘なのよ。戦隊組んで、艦隊を構成して、連合して挑めば良い。昔はダメだったかもしれないけど、今の私達には出来るんだから!」

 彼女が言う私達の範囲には、この支援艦隊だけでなく、全ての艦娘、装備や鎮守府運営に関わる妖精たち、なにより総司令官である提督も含まれているのが解る。

 摩耶たちが見る先には水平線しか見えないが、測量儀や電探を動かす超戦艦は何を読み取っているのだろうか。

 おそらく南方のスリガオ海峡では今まさに歴史通りか覆るのか、瀬戸際の戦いが行われている。

 超戦艦が自艦隊を労い鼓舞する理由は西村艦隊の援護だ。栗田艦隊の南下が難しいならば、自身単独での突入を具申しかねない雰囲気だ。

 ポニーテールの少女が思わせぶりな仕草を続けるが、艦隊を預かる旗艦は黙して動かない。深く思考の海に潜っているのか、吉凶の報を待っているのか。

 ぷろぷろ。小さなプロペラ音が艦隊に近づいてきた。レイテ湾到着時に偵察へと出していた水上機だ。

 艦隊の殿を務める高雄型一番艦『高雄』が戻ってきた零式水上機を拾い、報告する。

「北方に穢艦(えがん)の反応と痕跡を多数発見しました。航路痕から小沢艦隊が挟撃される可能性もあります」

 高雄の言葉に番傘の少女が渋面になる。戦艦少女の願いが遠退いてしまった。

「先程から回されている電探で何を見ているのか、お教えいただいてもよろしいでしょうか」

 ビシッと背筋を伸ばし礼儀正しい高雄。

 悩む少女は、探っていた状況を僚艦たちへ伝達する。

 集められた情報は最悪と言えた。

 航路痕がありながら海運管制に登録情報がない。それすなわちまともな船ではない証拠。その上艦娘たちに感知されるとすれば海賊船ではなく幽霊船の側、深海棲艦であろう。

 今回のレイテ沖海戦には4つの艦隊が動いている。スリガオ海峡浄化の主力を務める西村艦隊以外に、共同でレイテ湾を攻略する栗田艦隊。それに外洋に逃げる穢艦たちを狩る志摩艦隊と小沢艦隊。

 北方の侵攻役が栗田艦隊で、後詰が『瑞鶴』たち航空母艦で固められた小沢艦隊になる。レイテ湾という巣を壊され散り散りに逃げる深海棲艦たちを、航空機の航続距離を利用して個別に浄化するのが小沢艦隊の役目だ。島々によって海域が限定される南側には、高速の水雷戦隊を主軸に据えた志摩艦隊で対応する。戦況作りとしては基本を抑えた堅実な艦隊構成である。

 その前段階として、穢れの吹き溜まりを南側から追い立てる役割を担う西村艦隊。スリガオ海峡からレイテ湾へ押し上げられ、密集して動きが鈍った深海棲艦を大火力で吹き飛ばす栗田艦隊。

 予定だけを見れば完璧な作戦だ。

 だが現実は艦内厨房製造の氷菓子ほど甘くはない。

 レイテ湾の深海棲艦たちが予想よりも数多かった。集まったのか新たに産まれ落ちたのかわからないが、敵艦隊の数が増殖していた。

 次に栗田艦隊が到着するより先に数を増やした穢艦たちが北側へ出立していた。今回の小沢艦隊は囮役ではないのだが、なんの因果か似たような戦況に陥っていた。

 栗田艦隊がレイテ湾に突入完了した段階で、終局のサマール沖海戦は既に回避できている。ならばエンガノ岬の悲劇阻止に注力すべきなのだが、問題は北側のみではない。

 嘗ての雪辱を果たすために奮起した栗田艦隊はレイテ湾に巣くう深海棲艦の大部分を打倒したが、通信妨害によって連携を欠いた攻撃は戦況の混迷を促進させてしまった。

 北側と同じく、栗田艦隊の火砲より先にスリガオ海峡へと南下した敵艦隊も少数ながら存在する。

 シブヤン海で取り逃がした重巡以下の艦も、志摩艦隊が上手く捕捉できていればいいが、スリガオ海峡に再集結されては面倒なことになる。

 西村艦隊の旗艦『山城』との電信が途絶え詳しい状況は解らないが、南下した穢れの艦たちが交戦状態に移行していることは見えた。まず間違いなく西村艦隊との戦闘だろう。

 戦線が二分化している上に、南北別々で戦力不足を抱えることになってしまった。

「推察される戦力比を考えれば、援護しないとやられてしまうかもしれないわ」

 電探で探った情報から、ポニーテールの少女が戦闘結果を予測する。

 少女はどちらの艦隊を援護するとは言わなかった。対象に西村小沢両艦隊が当てはまるのは誰にでも解る。奇しくもレイテ沖海戦で悲運に見舞われた2つの艦隊だ。

 こうした歴史の強制力を見せ付けられると心が折れそうになる。どれだけ頑張って手を尽くしても、傷つき血と涙を流しても、定められた運命は変えられない。自分たちの行動は徒労だと言われているようで、手先足先に枷と錘が結ぶ付けられた気分になる。

 だからといって、負けるわけにはいかない。

 少女には夢がある。些細な願いだけど、譲れない想いがある。

 ”あの時”のメンバーで沖縄の観光旅行をする。みんな笑顔で楽しく南国バカンスを満喫する。

 辛かった時代もあったけど、今はこんなにも幸せだと。世界に、歴史に、大声で『ありがとう』と叫ぶ。

 そのための対価なら、いくらでも払ってあげる!

 今一度、意思を固め直す。

 戦艦の少女はエンガノ側へ抜けた深海棲艦の数が少ないことを願い、状況不利と見て解る西村艦隊の援護を行いたかった。しかし偵察の結果、小沢艦隊の危機を知ってしまった。

 高雄たちの損傷状態から栗田艦隊全体の継戦能力と航行速度も下がっている。たとえ目の前の海峡を早急に制圧しても、エンガノ沖での海戦に間に合わなくなる。

 北か、南か。どちらの援護に向かうのか決断をしなければならない。

 この状態での戦力分割は愚策かもしれない。だが、戦闘力で計れば自分は単艦でもやれる。

 黙したままの旗艦に決意を告げようとすると、間に愛宕が割って入り手を上げて押し留めてきた。

「そんなことをしても、沈む船が二番艦から一番艦に変わるだけよ。ここがどこだか忘れちゃだめ」

 唇に人差し指を当て、愛らしくウィンクする愛宕。

 鳥海もメガネの位置を直し同型二番艦に続く。

「先程ご自身で仰られた連携とは、真逆の行動を考えていませんでしたか?」

 左右から挟まれ、少女は言葉に詰まった。

 摩耶はにやにやと笑ってる。

「それぞれが勝手に動いちゃ、レイテ突入はできなかったよな」

 高雄が一歩前に出て、敬礼した。

「私達は艦隊です。あなたたちをここまで守ってきたのは、作戦を完遂させるためです。作戦中の艦隊への命令権は、提督が指定した作戦旗艦が持ちます」

 作戦のために守った。勝手させるためじゃない。

 艦隊の行動を決めるのは旗艦だ。あなたではない。

 一つ一つ、正しい言葉が重い。自分が作戦旗艦だったらと、虫の好いことを考える。彼はここまで見越して、史実で旗艦を務めた自分を外したのか。

 落ち込む少女を見て、姿勢を戻した高雄は柔らかく笑った。

「信じてください。私達も、ご自身も。こうして話し合えるからこそ、私たちは艦娘と呼ばれるのですから」

「そうそう。私たちは非情無情のバケモノなんかじゃないんだから」

「姉貴は怪獣だろ。直径幅の」

「摩耶ちゃんは作戦が終わったら一緒にお風呂に入りましょうねー。ゆっくりと長い時間を掛けてスキンシップよ」

「おうよ。みてみろ。最悪こうして殴り合えば解り合えるさ」

「それは姉さんたちだけです」

 四姉妹が笑い合う。吊られて戦艦少女も口元を綻ばせる。

「なんか、励まされちゃったね」

 自分の言葉を反芻する。

 話し合おう。信じよう。昔と今は同じではない。みんなが一つになれば、悲劇はきっと変えられる。

 自然と栗田艦隊の視線が旗艦に集まり、判断を待つ。

 それまで不動を貫いていた長身長髪の彼女が目を開いた。

「……高雄たちがここまで守ってくれた。ならば今度は私達が他の艦隊を助ける番だ」

 迫力は凄まじく、仁王立ちのままでありながら周囲の海面を波立たせる。

「救うのは一つだけではない。全てを賭して全てを救う。諦めるのは、沈むのは、なにもかも果て尽くしたその後だ!」

 彼女は珍しい経歴を持つ艦娘だ。なにしろモデル元の『本体』と会うことが出来る。

 『本体』は十全に力を発揮する場を得られず、8月15日の横須賀で苦汁を舐めることとなった戦艦だ。耐え難きを耐え忍び難きを忍び。大戦を生き延びた大戦艦は戦勝国側への賠償に引渡され、新型爆弾の標的艦として最後を迎える。その巨体はビキニの珊瑚を寝床と定め、今でも大洋の海底に横たわっている。

 世界七大戦艦の筆頭、唯一形を残す大艦巨砲主義の象徴。海洋の古強者は、誰にも看取られず深夜に一人沈むその時まで海上で威容を示し戦い続けた。

 不撓不屈を体現した『本体』と”直接面会”し魂を譲り受け引き継いた艦娘が、彼女だ。艦娘の特性にモデル元からの記憶継承があるが、彼女ほどごく自然に、そして完全に融合している例は数少ない。

「これより我が栗田艦隊は南方突入隊援護の為、艦砲射撃を行う!」

 旗艦の命令に戦艦少女は少し驚く。北側を見捨てるのなら、先ほどの宣言はなんだったのか。

「それでいいの?」

「あちらには切り札がある。いつ使うかは先輩なら(たが)えまい。後押しの援護なぞ一度で十分」

「なによ、それ。切り札なんて聞いてないわ」

 今度は別の意味で驚く。おそらく提督がスリガオ海峡突破の為に用意した仕掛けだろう。栗田艦隊所属の自分に知らせられていないのはわかるが、旗艦にだけ伝えられていたことに嫉妬する。自分が焦りに空回りしていたことを理解した戦艦少女は頬をふくらませた。帰ったら、教えてくれなかった仕返しにほっぺを抓ってやる。

 後輩の可愛らしい仕草に、旗艦がニヒルに笑い返した。

「言ったはずだ。最後の一滴まで力を絞り出すと。全力を果たすのは自分たちだけではない。信じてやろうではないか。超弩級戦艦の意地と誇りを」

 旗艦は少女の胸を軽く叩いた。手甲と胸がコーンと高い音を鳴らす。

 これはズルい。彼女に戦艦の矜持を掲げられては反論できない。

 続けて長身の大戦艦は高雄姉妹へ命令と飛ばす。

「砲撃後に全速反転、小沢艦隊への合流を目的に直線しつつ敵船影の再索敵に入る。切込み役は摩耶、お前だ」

「よし、まかせとけ」

 摩耶は右腕に装着している対空高射砲を魅せつけるようにガッツポーズする。左腕は先の戦闘でひどく負傷しており、応急処置として首から三角筋で吊るされていた。頭部にも包帯が巻かれた痛々しい姿だが、摩耶の戦意はいささかも衰えていない。

 発見した船影に対して密な索敵と同時に追撃戦もしくは同航戦を仕掛けるつもりだ。相手側の哨戒機に対しては、対空番長の異名を持つ摩耶が先頭に立たせることでこれを迎え撃ち無力化させる。

 鳥海が呆れ気味に嘆息する。

「結局、反転離脱することになりましたか。理由がはっきりしているので”謎”ではありませんが」

 ポニーテールの少女が頭の15m測距儀とレーダー傘をくるくると回す。

「わたしたちでも直線なら速力が稼げるから、絶対に間に合わせるわよ」

 高雄は観測機を回収して、乗組員の妖精さんを労いながら格納した。

「旗艦の全速は震災救助の時にバレちゃってますしね。隠すまでもないですか」

 そういえばそうだ。高雄と二人で笑い合う。

 返す返すも面白い。戦争をするための超大型兵器である彼女(オールドネイビー)は、いつだって、人々を守るため、命を救うために戦ってきた。

「全艦前進。砲撃準備、急げ!」

 旗艦の彼女が命令した。全員が待ってましたと同調する。

 摩耶が先行し、続く戦艦の二人もゆっくりと加速しながら続く。

 レイテ湾からスリガオ海峡へ入り口まで進み、艦隊が面舵を切る。射撃方向に左舷を晒し、砲門を一点に集中させた。

 少女は高揚した気分を表すように、レーダー傘を高く掲げる。囮役の自分たちが相手に良く見えるように、標的となる相手の姿が良く見えるように。

 果たして西村艦隊の旗艦を囲む穢れの大型艦数隻を捉えた。

「目標捕捉! さあ、世界最大の援護射撃よ。たとえ十里先の的にだって当ててみせるわ!」

「全門斉射、撃てーっ!!」

 旗艦の号令に、世界最強の暴火力が続く。

 

「46センチ三連装砲、全三基九門斉射。スリガオの暗闇を、薙ぎ払えっ!」

 

 砲口が咆哮を上げ、砲弾射出の衝撃波で彼女たち自慢の船体が軋み、膨大な力の放出は砲門側の海面を大きく真円に窪ませた。その直径は砲手の全長と比べても半分以上の大きさになる。

 人の認識が世界を隔てる垣根であるのなら、彼女たちの砲撃は正しく世界を砕く威力を持つ。

 世界最大。

 この定義に偽りなどない。

 一度ならず二度までも世界の限界を打ち破った爆音が、海原に響き轟いた。

 

▲*▲

 

「時雨、合図をしたら走りなさい」

 扶桑の言葉に時雨は顔を上げて驚く。

 穢れの水雷戦隊との砲撃中、敵軽巡へ級を扶桑の主砲が打ち砕いた瞬間だった。

 山城たちが敵大型艦を引き離した後、扶桑たち三人は残った深海棲艦たちとの砲雷撃戦を繰り広げてた。

 一時離脱した味方艦との合流を目指し西へ進もうとする扶桑たちと、阻害する深海棲艦。それぞれの思惑が、航路を複雑に絡ませ合う。

 保護曳航していた瑞雲たちをひとまず逃しはしたが、一番大きな枷が残っていて思うように進めないでいた。

 唇を噛み締めた扶桑が、時雨に告げる。

「足手まといが居ては、手遅れになってしまうわ。お願いされてくれないかしら……」

 超弩級戦艦の祈りにも似た言葉。

 散々な評価を受ける扶桑型戦艦だが、扶桑本人は努めて自虐を口にしない。それ以上に妹を気遣いすらしている。

 そんな扶桑が『足手まとい』と自らの卑下した。

 時雨は高角砲のグリップを潰さんばかりに握り込む。扶桑の悲しそうな笑顔が、純粋に悔しかった。

 確かに、自分たちが敵艦隊を振り切れないのは、只でさえ脚の遅い扶桑が片足を封じられているためだ。満潮に切れた鼻緒を繕ってもらったが、最初の魚雷で水上下駄自体にダメージが入ってたようだ。

 思うように動けない扶桑が穢艦たちに囲まれないよう、満潮と二人で庇う様に挟み、走り回って援護している。それこそ時雨たちが山城たちのもとに向かえない理由だった。

 駆逐艦一隻なら、簡単に抜け出せる程度の包囲戦。

 元々南側から上がってきた敵の水雷戦隊は、損傷艦で構成された残存部隊だ。おそらくシブヤン海で栗田艦隊に敗北した艦隊の生き残りが、レイテ湾までの迂回路としてスリガオ海峡を通ろうとしたために自然発生したものだろう。どれもが大なり小なり損傷を抱えていて脆くなっている。今も満潮の水雷撃で一隻の手負いの駆逐ロ級が撃沈した。

 囲う側の数が減れば突破も容易になる。殿を任せて先に進めと長身の戦艦は言う。時雨は承服しかねた。

 自分がここを離れては、昔と同じく二人を残すことになる。

「ダメだ。今度こそみんなで進むんだ」

 扶桑は上げている片足を軽く叩く。

「私がこんな状態だから、頼んでいるの。山城をお願いね、っと……」

 背中の巨大艤装が災いし大きくバランスを崩した。

 時雨は慌てて彼女に駆け寄るが、駆逐艦の肩を借りるまでもなく扶桑が姿勢を戻す。

「大丈夫よ。さすがに船体が裂かれたり、艦橋を彷徨わせる姿を二度も晒すつもりは無いわ」

 意外としっかりとした体幹で立つ扶桑を見上げる。

 わざと傾いて時雨を呼び寄せたのかと考えたが、戦艦の指は震えていた。

「現実をちゃんと受け止めないと、自分たちに何が出来るかさえわからなくなってしまう。積み上げてきた努力を、無駄にしてはいけないわ」

 扶桑と時雨は今まで準備をしてきた。いつかやってくるであろう、このスリガオの再現(悪夢)を乗り越えるために……。

 二人を周回円の中心にして、穢艦たちと牽制をし合う満潮が言う。

「努力ねえ。もしかして、その艤装で自分を『戦艦』に見立てて、二人のかわりに沈むつもりだったの?」

 時雨は僚艦の疑問に沈黙しか返せなかった。

 図星と読み取った満潮が立腹する。

「バカじゃないの! そんな考えをする方が恥ずかしいわよ」

 微笑む扶桑は髪飾りの一つを外すと、時雨の髪に付け替えた。

「でもそれだけじゃないから、あまり怒らないであげて」

 戦艦に庇われた駆逐艦は、自分の髪に手をやり困惑する。

「これは……?」

「最上に着けてはいけないでしょうから」

 扶桑は悪戯っぽく笑う。上品な微笑だ。

 『山城』は後方に続く『最上』を『扶桑』と誤認し、最後までスリガオ海峡の強行突破を指揮した。『扶桑』が最初の雷撃で落伍せずにいたのなら、その砲撃で敵艦隊に一矢報いたかもしれない。あの時『山城』の後続にいたのは損傷した『最上』と『時雨』だけで、反撃すら満足にできず引き返すことになる。

 この髪飾りは何を願ったものか。時雨が問いかける前に、持ち主が笑顔で告げる。

「もう一度、私を妹に会わせてくれないかしら?」

 呉と佐世保を代表する駆逐艦は、無事に帰港することからも市井に知られていた。

 帰ってくる。搭乗する艦が『雪風』『時雨』ならば、もう一度会うことが出来る。『幸運艦』とはそう言う船だ。

 時雨はスカートのポケットに手を差し入れ、小箱を握り締めた。

 髪飾りを自身に見立て、西村艦隊の旗艦に会わせてほしいと言うことか。

 二人を包囲せんとする穢れの艦たちが、機を見計らい魚雷を発射してきた。攻撃してきた深海棲艦は三隻。動きの鈍い扶桑が狙われる。

「長々と話し込む余裕はないわよ。さっさと決めなさい!」

 満潮が雷撃の打ち返しで、一隻だけ狙いを外させる。

 それでも2つの魚雷航跡が扶桑に向かってきた。

 時雨は咄嗟に扶桑を助けようと腰に組み付き押し出そうとした。

 一瞬、超弩級戦艦が微動だにしないことに驚き、自分の失策を理解する。

 出航前、満潮がどれだけ押しても山城は動かせなかった。今の時雨も同じである。単純に押しては効果がない。

 それなら扶桑に残された推力も利用して回頭させる。

 扶桑の腰を一度押した後、肩と手を取り身を反らす。

 二人はダンスを踊るようにして回転して、足元を魚雷がすり抜けていった。

「あら、ふふふ。さすが『佐世保の時雨』ね」

「偶然だよ。こんなの」

「そうかしら。あなたの機転が昔とは違う結果を引き出したのだと思うけど」

 笑う扶桑が言うとおり、敵魚雷が『時雨』の下を素通りし戦艦に命中したスリガオ海峡の戦い。原因理由は単純で、魚雷の深度設定が戦艦を標的にしていたから駆逐艦の『時雨』には反応しなかっただけのこと。

 些細ながら史実を覆したことに、踊る扶桑は子供のように高揚した微笑を浮かべた。

「ああ、まるで私まで幸運になったみたい……」

「確かにこれは運が良かったってことだよね」

 我ながらの幸運に呆れながら、時雨は心を決めた。

 歴戦の武勲艦と呼ばれても、数ある駆逐艦の一隻でしかない。激戦を生き延びたから『幸運艦』と呼ばれるが、全ての戦果を輝かしく誇ることは出来ない。

 『幸運』の根底には、人々の意思による必然の積み重ねがあった。艦を沈ませないように乗組員たちは決死の努力をしてきた。まさに血が滲み命を削る訓練をして、仲間たちの死を乗り越えてきた。

 『時雨』は無傷だった戦いを喧伝されたが、本当は作戦に出れば損傷することが常だった。『時雨』の修繕履歴は海軍の記録情報として目に見える形で残されている。乗組員名簿の中には負傷戦死者だっている。

 こんなありふれた型落ち駆逐艦のどこが『幸運艦』と呼べるのだろう。

 スリガオの生存も、度重なる修復と改修によっても対空・電探装備を追加されていた御蔭でもある。

 『佐世保の時雨』に関しては造られた栄誉に見えなくもない部分があるが、全ての戦歴が『幸運』だからで済まされるものではない。

 他と比べて被害が少なかった、海の上に長く浮かんでいられた。それだけの違いしかない。何度となく傷ついた経験から、いつ自分が『幸運』の向こう側に転げ落ちても不思議ではないことを知っている。現に『時雨』はあの夏の長い一日より先に、海上から姿を消していた。

 胸の奥で渦巻く苦しみ怒り痛み嘆き憤りに、なによりも『時雨』が二度も体験した全てを失う極大の敗北感に、『幸運』なんていう便利な言葉で蓋をしたくない。

 だからこそ、今度こそ自分たちの手で勝利を掴むんだ。そのためなら駆逐艦『時雨』の『幸運』だって使ってやる。

 武勲艦の決意を読み取った扶桑が稼働する主砲を全て使い、深海棲艦たちに砲撃する。

 時雨を行かせるための牽制だ。

「さあ、行きなさい! 西村艦隊の命運、あなたの預けるわ」

「先にいくよ。すぐに追いかけて来てね」

 時雨は扶桑の手を離し、飛び出す。戦艦の排水量を錘にしての擬似的なカタパルト射出される。砲弾が届くより先に、急加速を受けた時雨の船体は先を進んでいた。

 駆け抜ける。白露型二番艦『佐世保の時雨』がスリガオ海峡を走る。

 それでも行く手を塞ごうと回り込む軽巡ト級と駆逐ロ級へ、行き掛けの駄賃とばかりに砲撃する。

「誰も沈ませないし、僕の邪魔はさせない」

 軽巡ト級は放たれた砲弾を避けるために蛇行、艦娘の駆逐艦に追いつけなくなった。駆逐ロ級は反撃をまともに受けてしまい、船首から海面下に沈んでゆく。

 せめて一矢と軽巡ト級は戦線離脱する時雨の背中に向けて主砲を構えるが、放たれた砲弾は全力でひた走る目標に届かなかった。

 僚艦の離脱を確認した満潮は、扶桑に船体を寄せる。

「頭数を減らすからには、ちゃんと勝算を残しているんでしょうね。これで考え無しだったり、歴史をなぞるだけなら怒るわよ」

 敵残存水雷戦隊は重巡リ級、雷巡チ級、軽巡ト級。どれも損傷が軽いものばかり。戦い方によってはダメージを抱える満潮扶桑のどちらかを撃沈できる火力を残している。

 突然、扶桑は満潮を背後から抱きしめた。

「ちょ、ちょっと何するのよ。重たいじゃない。脚が痛いからって寄りかからないでよ」

「そう言われても……。満潮だって右腕が折れているんじゃなくて?」

 戦艦の静かな追求に、満潮の眉間に皺が寄せられる。

 決して頭上に載せられた二つの脂肪塊が不愉快なわけではない。上半身の装束がほとんど吹き飛ばされているので柔らかい肌感触を直に感じるが、絶対に自軍戦力と比較してのぐぬぬという顔ではない。これは痛みを堪える表情だ。

 大戦力で分断されてからの満潮は、左腕の魚雷しか使っていなかった。右の主砲は構えられることがあっても使用されない。

 被弾からの復旧が終わっていないだけではなく、時折片腕を力なく垂らしていたことから状態を言い当てられた。先の戦闘後に掛けられた時雨の心配は、直球ど真ん中で当たっていたのだった。

「強がりも良いけれど、損傷報告はちゃんとしましょうね……」

「気付いていたのなら余計も余計よ。時雨を先行させたことも、私が満足に戦えないことも、どうやって対処するっていうの」

 時雨を追いかけるのを早々に諦めた軽巡ト級が再度転進して、扶桑と満潮を囲もうとする。

 二人は遅い脚で懸命に進みながら、出来る限り包囲網を組ませない様に転舵と砲撃を続ける。

 穢れの艦も扶桑たちを海底に誘おうと攻勢を強めた。砲弾が雨霰と降り注がせる。

 至近弾が立ち上らせる水柱と水滴に眼を顰める満潮は、この弾雨をどうしてくれようかと思案する。

 ……ふと、弾雨という言葉が気になった。

 どこで聞いたのか満潮が思い出す前に、扶桑から切り出してきた。

「そろそろ弾雨に止んでもらいましょう。そのために……」

 長身の美女が頬を染めて気恥ずかしそうに言う。

「プ……、プレゼントを、貰ってもいいかしら?」

「はぁっ!?」

 満潮は自分でも険悪と思う返答をした。目尻を吊り上げ高い声で不審感を態度に出す。

 危機的状況でなに乙女なことを口走るのよ、この欠陥戦艦は。自分から贈り物を要求するなんてはしたない。そんな古めかしい価値観を持っていそうで、口から甘い甘い間宮羊羹が出そうになる。

 もじもじと身を捻る扶桑を気持ち悪いと思いながらも、少しずつ満潮の中で言葉が繋がれてゆく。

 弾雨を止める。プレゼント。関連するとしたら、時雨から渡されたあの小箱のことか。

「右手では物を掴めないでしょ。私が取ってもいいかしら?」

「……好きにしたら」

 後ろからくっついてきたのはそのためか。片腕を負傷している満潮を援護する意味もあるだろうが、これが本命だったんだ。

 持ち主の了解を得て、扶桑が駆逐艦娘のスカートポケットから『遠征』用の小箱を取り出す。

 そのまま満潮の目の前に持ってくる。どうやら開けるのは満潮の役目ということらしい。

 心の底から呆れながら、満潮が小箱を開封した。

 大日本帝国海軍が独自に設計した超弩級戦艦の第一号。その手の平から光が溢れ出す。

 この小箱には、態々術式を使った空間圧縮で体積やら重量やらを減少軽減する仕組みが組み込まれているそうだ。『遠征』先で見つけたものを適当に放り込んでも嵩張らずに持ち帰ることができる。しかも内蔵量で外側の色が変わる機能付き。重量軽減で中身の予想が難しくても、小箱の色で判別できるようになっていた。

 とても便利な収納道具だが、それを今ここで広げる意味が満潮には解らない。

 ()して小箱の色は”内容量一杯を示す赤色”をしている。こんな所で大量のお小遣いを広げてどうするというのか。

 おそらく全てを知っている扶桑が、顕現光の中へ手を伸ばす。

 その時、満潮は深海棲艦たちの砲弾の中から直撃するものを見つけた。明確な観測データではなく、狙われた側の直感だ。小箱の顕現光で視界を遮られ、回避が遅れたのもある。

 まずい。駆逐艦は被弾の損傷が少ないことを願い、衝撃に備えて眼を閉じる。

 目前で、ごがんっと大きな着弾音。

 扶桑が満潮を庇ったようだが、時雨のように踊って立ち位置を入れ替えたわけではない。

 一体どうやって?

 恐る恐る瞼を押し上げる。

 敵の砲弾を弾いたのは、扶桑の船体ではなく左腕が握る変形五角形の黒い板だった。

 自分を覆い隠すほどの大きな板に、満潮が見たままの印象を口にする。

「これは楯、なの?」

「いいえ、()()()()よ」

 言って扶桑は、細く白い指で、力強く持ち手を握り直した。

 

◆*◆

 

 時雨が走る。

 山城と最上を追って北西へと進みながら、電探を稼働させ二人を位置を詳細に探す。

 単艦でこの場所を走っていると、どうしても艦の記憶が浮き出てきてしまう。

 だが、今の時雨は心穏やかにいられた。

 自分は一人じゃない。一人でいないために、走っている。

 山城へ渡す小箱を握り、『佐世保の時雨』は恐れることなく悪夢の一夜を振り返る。

 豪雨よりも激しい無数の砲弾を受け、至近弾の衝撃で何度も船体が浮き上がった。その度に海面に叩きつけられ、船内を撹拌させられた。折角増強した電探も、アンテナやメーターの類が軒並み破壊され使用不能になった。

 あの時のように計器類が吹っ飛んでなくて助かった。自分がどこに向かってるのか、方位と距離がはっきりと解る。

 落伍炎上する『扶桑』に照らされて敵陣に突撃したが、今の時雨の背を押す光は彼女の信頼だ。もう僚艦を焼く炎の熱に背筋を凍らせることもない。

 眼前を塞ぐ砦のような敵艦隊、永久に届かない遠い遠いレイテ湾。

 そんなものは、ない。このレイテ島に寄生する深海の穢れたちが、昔の記憶を模倣しているだけだ。

「『ぜったい、だいじょうぶ』……。うん、そうだよね」

 『呉の』の口癖をつぶやく。

 止まない雨はない。明けない夜もない。延々と続く水平線にだって、いつか港が姿を見せる。

 信じて走る。

 狭いスリガオ海峡。離れるといっても、遠くは無いはずだ。

 見れば、向かい左舷に艦影発見。最上が敵重巡を引き連れて逃げてきていた。

 涙の跡を拭いもせずに最上が大声を張り上げる。

「しぐれぇー! 山城さんがー!」

「わかってる! そのまま扶桑のところまで! 迎え撃てるから!」

「りょうかぁーいっ!」

 二人して叫び合う。

 時雨は進路を変更して最上と真正面に向き合った。機関最大、両舷全速、全力で突き進む。

 最上と擦れ違う瞬間に、ハイタッチ。言葉も合図も無しに決まった。

 そして高速の反航戦。時雨は砲弾と魚雷を発射。狙いも甘く、追撃妨害が目的の攻撃だった。

 穢れの重巡たちは、たかが一隻の駆逐艦に何ができると侮っていたのか、時雨に目もくれなかった。軽く蛇行や増減速をするだけで目立った対処をしない。

 作戦の途中で標的を分散させるのは下策だ。重巡リ級の判断が間違っていたわけではない。

 高速で向かい合う場合は、自分と相手の速度と進路を正確に予想しないと命中しない。向かってくる時雨を狙うより、追撃する最上を攻撃した方が命中させやすい。当たり前の判断である。

 しかし現実は非情である。穢艦は運が悪かった。『時雨』は運が良かった。

 最上を追走する三隻の重巡の内、一隻が盛大に艦首を持ち上げて横転した。時雨の魚雷がベストタイミングで舳先に着弾。高速航行の慣性も加わってバランスを保てず転覆轟沈した。

「あぁーっと、キミは巡り合わせが悪かったようだね」

 時雨本人も驚く、完全なラッキーヒットだった。

 離れてゆく最上が歓声を上げる。

「流石、佐世保の!」

「偶然だよ。そっちが注意を引いてくれたおかげさ」

 一言だけ交わして、二人は互いの背中も見ずに走り去った。

 

◆*◆

 

 戦艦三隻、空母三隻に護衛の軽巡と駆逐艦。多勢に囲まれた絶望的な状況でも山城の心は穏やかだった。

 山城が主砲を撃つ前に、深海棲艦たちの砲門が火を吹くのは明らかだ。それでも最後の最後まで戦えたことに多少なりとも充足感を覚えていた。

 スリガオ海峡で戦って散る。戦艦『山城』の最後として余分も不足もない幕引き。

 ねえさま、山城はあの天の海にてお待ちしております。

 再会を願って空を見上げた山城は、違和感を覚えた。

「あれは……?」

 見つけたのは北側の空から飛来する多数の砲弾。

 穢れの戦艦たちの砲弾ではない。もっと遠方から飛んで……。

 考えるより先に、音速を越えた砲弾が穢れの集合体に降り注ぐ。飛来音が着水の衝撃と重なって聞こえた。

 深海棲艦たちが不意打ちに驚く。直撃していないのに砲弾が当たるのだ。

 山城は知っている。これこそが海中に没してから水平弾道に切り替わる九一式徹甲弾。海中で弾頭尖型帽を外した砲弾は目標の船腹に突き刺さる。砲弾が水没しても弾道の先に標的があるのなら、命中させることができる。なによりも九一式の潜行命中で大穴が開くのは、相手の喫水下だ。

 この砲弾を装填出来るのは、強力な火砲を装備する戦艦のみ。

 砲弾が飛んできた方角を電探で遠見した山城は、水平線の向こう側、西村艦隊が目指すべきレイテ湾で反転離脱する艦娘たちを感知した。

 一回だけの砲撃支援。残りは自分やれということだろう。

「余計なことを……」

 折角の決意に水を差された気分だったが、気持ちとは別に山城の表情に険は無い。

 砲撃支援で被害を受けたのは後列の空母たちだ。

 一隻が撃沈。もう一隻は無事だったが、旗艦である赤い強化体は被弾し頭の甲板部分(帽子)を傾斜させている。艦載機を飛ばすにも、船体の復旧が必要だ。

 世界最大の支援砲弾を受けて、護衛にいた軽巡も一隻が消失。

 強固な装甲を持つ戦艦たちも無傷ではいられない。撃沈する戦艦こそなかったが、三隻とも小破以下の損傷を受けた。足並みを揃えることがむずくかしなり、艦隊行動や連携に支障が出る。

 一つの案が、山城の中で閃く。

 隊列を乱した戦艦たちの内部に入り込み、誤射を警戒させて主砲を封じる。数頼みの副砲で嬲られるだろうが、装甲が保つ間に一回は主砲が使える。ダメージコントール中で連携が計り辛い今がチャンスだ。一隻は巻き添えにする覚悟で進もうとした。

「待って、山城!」

 玉砕を止める声は、全力で疾走る駆逐艦『時雨』だ。

 山城の援護に現れた時雨は、小箱を背嚢の主砲に先詰めして打ち出す。

「これを使って!」

 山なりに飛ばされた赤い綴り模様の小箱が、穢艦の包囲を飛び越えて山城の元に届けられた。

 思わず受けて止めた山城は思い返す。別れ際に姉が言った『時雨を……』というのは、このことか。

 引き換えに時雨の引き止めは穢れの戦艦たちに攻撃の猶予を与えた。船体が損傷していても稼働する砲塔はある。山城が得た反撃の好機は、一転して再び窮地に変わる。

 二隻の戦艦ル級が両手の主砲で山城を撃った。 既に大破炎上している山城に止めとなる砲撃。

 だが撃沈の宣告は、山城が開いた小箱の顕現光によって弾き返される。

 狭処に押し込められていた物質が元の形に復元する際に放つ光。その中から黒く大きな板が現れる。

「あ、ああ……」

 山城の心に無数の感情がひしめき、言葉に詰まる。それでもおもむろに右手を伸ばして、出現した板を手に取った。

 戦艦『山城』が艤装することの出来なかった航空甲板。扶桑型の艦種転換改造は計画のみで終わった。歴史には存在しない装備だ。

 だが確かに、ずっしりと、重く、冷たく、しかし熱く、腕の内にある。

 これは未来への手形。過去とは違う『山城』の(かたち)

 荒れ狂う海上で命の天秤を水平に抑え、西村艦隊の撃沈を否定する屈強な浮き板だ。

 航空甲板からわらっと妖精たちが湧き出して来て、大破撃沈寸前の山城の応急対応を始めた。応対要員の追加によって艦上火災が勢いを弱めだす。

 復調する山城を再び水底(みなぞこ)へ落としめようと、穢れの戦艦たちが砲撃を続けてきた。

 山城の状態は救助を受けて立て直し始めただけで、囲まれている窮地は変わらない。

 どう凌ぐのかと考える前に、あるものが目にとまった。

 航空甲板の裏側で一人の妖精が蹲り耳を塞ぐ仕草をしていた。

 意図を察して命令する。

「総員、対衝撃防御」

 『航空戦艦』の指示に、その甲板長妖精が深く頷いた。即座に部下たちへ命令を伝達する。

 山城は海面にしゃがみ込み、航空甲板に身体を隠す。敵から見えるのは、航空甲板と大きな艤装だけになった。

 ”航空戦艦化によって減少したバイタルパート”を活かして集中防御する。亀が甲羅に引きこもるように、柔らかい部分を鋼鉄の艤装で覆い隠す。

 これが答えだ。

 深海棲艦の戦艦種三隻が一斉に砲撃する。

 何度目かになる砲弾の雨。しかし今度は損傷を大きくすることなく敵砲撃に耐えた。

 楯となった航空甲板と、この瞬間にも山城の維持に奔走するダメコン妖精たち。身を低くしたのも効果があったのだろうか。そして何より……。

 時雨の砲撃が、一隻の戦艦ル級を痛打していた。

「人を無視するのは、あまり歓心しないね」

 駆逐艦から妨害で艦橋被弾、正確な砲撃が出来なかった。

 山城に航空甲板を渡した時雨は面舵を切った。あえて山城と合流せずに、敵艦隊を挟み込む位置を目指していた。たった二隻では満足に陣形を組めない。それならばいっその事と、思い切った考えだ。

 駆逐艦単騎なのに大胆な行動ね。

 山城は僚艦の行動に呆れるやら、恐れるやら。『戦艦』である山城ですら相手戦力に打ちのめされたのだ。単艦の『駆逐艦』が狙われれば一溜まりもないはず。

 こうした時雨の思い切りの良さに、あの『狂犬』と同型だということを実感する。

 何はともあれ、防御できたのならやることは一つ。

 今こそ『戦艦』の本分を果たす。

 山城は今一度自分の腕で砲身を支え、叫んだ。

「主砲、発射準備。目標、敵戦艦! 撃てー!!」

 『戦艦』とは、圧倒的な砲火力を用い敵を撃滅する海戦の王者だ。航空機で艦艇を撃沈させる用法が判明したあの時代には、もはや過去の産物だったのだろう。それでも『山城』には、かの勇猛果敢な者(ドレッドノート)を始点とする大型戦艦の過渡期に建造された誇りがある。この力は決して無駄ではない。

 半壊した山城の艤装で発砲可能な砲身は左1、右3。そのうち右一つを自分の手で持ち上げている。

 火を吹いた砲身に右腕が痺れる。指先が痛い。爪が内出血で赤黒く変色したかもしれない。それでも気迫と意地で砲撃を成功させる。

 一発の砲弾が時雨の攻撃に首を捻っていた戦艦ル級に直撃。胴に風穴を開け、爆破炎上して倒れた。

 戦艦ル級の撃破を見て、片腕を使って帽子を支える強化体の空母ヲ級と、同じく赤い戦艦ル級が目配せする。

 赤光の二隻は山城たちに背を向けて北上を始めた。護衛役の軽巡へ級、駆逐ニ級も後に続く。

 山城は艦隊の損耗を鑑みての一時離脱と推察する。戦力を再編成し、艦隊を立て直すつもりだろう。

 易くはさせじと追撃戦を決める前に、山城と時雨には門番が立ちはだかった。

 損傷の無い空母ヲ級が航空機を残し、一隻の戦艦ル級が殿となって二人を阻む。思考が浅い深海棲艦だが、最低限の活動はする。艦娘たちの思惑を挫くべく動いてくる。

 山城は仕方なしに航空甲板を構え、時雨に命令する。

「遊撃はもういいわ。こちらに来なさい」

 対空迎撃の機銃範囲を重ねて、さらに水上機を出して防御を固める。二隻では効果が薄い陣形だが、直掩(ちょくえん)の艦載機があるのなら固まった方が有利だ。

 しかし何事も上手くいくとは限らない。

「どうすれば出せるのよ! もうっ」

 大楯の航空甲板に痛みで震える指を差し入れてあれこれと触るが、艦載機が取り出せない。渡されたばかりで慣熟していない艤装に、山城が苦戦する。

 時雨も高角砲を構えて山城に急接近。

「とにかく機銃で迎撃しよう。今は楯として割り切らないと」

 仕方なく時雨の進言を受け入れた。

 逸る山城と時雨だが、二人が揃う前に敵の艦載機が到達した。個別に狙い撃つ。狙いは時雨。

「引き撃ちなら……」

 山城へと向かいながら、時雨は穢れの艦載機たちを引きつけ撃ち落とそうとする。

 幸いに時雨は雷撃機落としを得意とする駆逐艦だ。とはいえ成功率は芳しくないし、今の相手には爆撃機も混じっている。

 それでも運勝負なら負けないと気を張る時雨の頭上に、水上偵察爆撃機瑞雲の二小隊が飛来し守りに入った。

 山城が発艦できたのかと目を向けると、作戦旗艦は突然現れた瑞雲たちに驚いていた。

 なるほど。これはあの人の艦載機か。

 納得して安堵した時雨は、丁寧に照準を定め穢れの航空機に牽制の発砲。

 穢れに対抗する艦載機は駆逐艦と連係し、時雨を味方の戦艦が固辞する対空機銃圏にまで守り通した。

 集まった二人に戦艦ル級が近接し砲撃しようとしたところを、遠距離からの砲弾が撃ち貫ぬく。巨大な水柱を上げて大型の深海棲艦が沈んだ。

「この瑞雲はいったいどこから……」

 山城はこと成り行きに呆然とした。空を飛ぶ真新しい瑞雲たちを眺める。

 最上の艦載機は、もうほとんど残っていなかったはずだ。自分の航空甲板は機構が閉じたままで動かせていない。

 答えは時雨が教えてくれた。

「山城が持っているものは、向こうにもあるんだよ」

 南を指す指を追って視線を動かす。

 この忌まわしく狭いスリガオ海峡を、最上と満潮に支えられながらやってくる最愛の姉が見えた。その左腕に山城と同じ黒い大楯の航空甲板を下げ、三人の頭上を瑞雲たちが飛び回っていた。

 

◆*◆

 

 スリガオ海峡の中場。レイテ島南部の東海岸側で、危機的な状況を脱し再集結した西村艦隊。

 満身創痍で片軸を失っている山城だが、跳ねるように前に出て同型一番艦に飛びついた。

「扶桑姉さま……!」

「よく無事でいてくれたわ。本当に良かった……」

 傷だらけで涙する妹を、扶桑は剥き出しの乳房で受け止めた。

 山城は豊満な感触を顔全体で堪能して安心する。危機を切り抜けた安堵感が加算され、涙が止まらない。背中に腕を回して泣き縋る。

 泣き声は、強く抱き返されることでより広く響く。

 そして応急隊員たちの活躍で艤装の火災が収まるのと同期するように、小さく啜り泣きに変わっていった。

 航空巡洋艦『最上』がはにかみながら、感動対面中の『山城』の顔を覗き込む。

「山城さん、山城さん」

 姉に甘える戦艦はお邪魔虫を睨みつけたが、最上は少しだけ怯みはしても引き下がらなかった。

「みんなが揃ったから、指揮系統の明確にして欲しいんだけどさ」

「……別にどうでもいいでしょ、そんなこと」

「いやいや、よくないって! 山城さんが居るんだから、ちゃんと旗艦を務めてよ」

 姉の大きな胸でふてくされた顔を隠す山城に、最上が首と手を振って抗議する。

 二人のやり取りから察した扶桑が、妹が片足の水上下駄を失っているのを見て慈母の笑みを浮かべた。抱きついてくる山城の頭を丁寧にあやす。

「魚雷で損傷して、あの電文を出したのね」

「……はい」

「自分を見捨てろだなんて悲しいことを言わないで」

「………………」

「私から大切な妹を失わせないで、ね」

 姉の手に髪を梳かれながら、山城は言葉に詰まる。

 一時は沈むことも覚悟した。姉と一緒にいられないことを悔やんだ。

 こうして(じか)にぬくもりを感じていると、手放さないで良かったと思う。

 だから、

「……はい。短慮を起こして、すみませんでした」

 思ったことを言葉にした。

 扶桑は何も言わず山城を抱き返す。妹の顔を隠して出した謝罪を、咎めることもなく、同意するわけでもなく、自然体で受け入れる。

 時雨が呟く。扶桑たち二人を通して遠くを見て、柔らかい微笑を浮かべている。

「よかった……」

 悟ったような物言いに、顔を赤くしている満潮が突っかかる。

「こんな恥ずかしい場面の、どこがいいっていうのよ」

 半裸の姉妹が抱き合って胸の膨らみを揺らし押し付け撓ませている。美しいかもしれないが、恥ずかしさの方が大きい。少なくとも破れた右肩のブラウスを捲れないように手で抑える朝潮型三番艦は、肌や下着を他人に晒すのに躊躇する。

 しかし白露型二番艦の返答は別の方向性を持っていた。

「だって最後の命令を出した『戦艦』の『山城』は轟沈したけど、僕たちの山城はここにいるからさ……。僕たちは勝てたんだ。このスリガオ海峡で行われた悪夢の夜戦に……」

「あんたのセリフも大概恥ずかしいわね」

 満潮が半眼で睨めつけるが、時雨は意に介さず笑っている。どうも僚艦との感覚がずれている気がしてならない。

 とはいえ納得できるところもある。

「でも確かに、誰も沈まないでここまで来られた。もう全滅の心配は無いわね」

 言って満潮も笑う。少女らしく愛くるしい笑顔で、再編成された西村艦隊の勝利を祝う。

「いいえ、まだよ」

 駆逐艦たちの勝利宣言を否定した山城が、目元を拭い扶桑から身を離して自立する。それでも姉の手を握ったままの山城。甘え癖の抜けない妹に扶桑が寄り添う。

 満潮は作戦旗艦の姿を少し情けないと思いつつも、支えてくれる姉妹がいることに免じて悪態を飲み込んだ。

 一度鼻筋を通して深呼吸した山城が、僚艦たちを見据える。

「私たち西村艦隊の目的は、スリガオ海峡に具現化した穢れの殲滅と浄化です。先に栗田艦隊がレイテ湾を攻略しているのに、残存勢力に”巣”を再建されては意味がないわ」

 先程の戦闘で一艦隊分の穢艦たちが北に離脱した。それも大型艦が半数を絞める強力な編成をした強襲艦隊である。野放しにしては、またいつ原因不明の海難事故を起こされるか解らない。

「それとも、ここで撤退したいのかしら?」

 艦隊旗艦が、所属艦たちを顔を見る。

 最上は深く考えていなかった。

「それじゃさっそくレイテ湾に行こうよ。ああ、みんなの状態を確認するのが先かな」

 いつもの慌て様に間の抜け様。深刻な状況も、彼女の前では平素と変わりない。

 満潮は眉をひそめた。

「ちゃんと最後までいける作戦や計画はあるんでしょうね。ここまで来て任務失敗なんて嫌よ」

 ツンツンした態度は心配の裏返し。損傷落伍撃沈者を出すことを嫌っているのは見て解る。

 時雨は、笑顔でいた。

「山城が約束を守ってくれるなら。僕も、守るよ。絶対に」

 信頼を向けてくる駆逐艦の髪に、光る飾りを見つける。よく見知ったものだ。

 姉に振り返ると、少しだけ手を握り返された。微笑む扶桑の顔には”怒らないで”と書かれている。

 ちょっと剥れる。さすがにそこまで嫉妬深くないですー。

 山城は姉の手を離し、扶桑が懸念の感嘆詞を出す間もなく時雨の前に立った。

「お礼を言うのはこちらよ。御蔭で思い出せたわ」

 今一度『戦艦』の誇りを魂に刻むこと出来た。

 お礼として、自分の髪から飾りを一つ外し時雨の横に付け足す。

 驚く時雨と扶桑を見て、すこし心が晴れる。

 よし。やはり扶桑姉さまとわたしはどこでもいっしょが一番よ。

 西村艦隊旗艦、扶桑型二番艦が胸を張り、号令を発した。

 

「残る深海棲艦を掃討する。西村艦隊、最後の戦いよ!」

 

▲*▲

 

 比律賓諸島群の中央東側に、比較的地表面積が大きな島がある。

 レイテ島だ。

 周辺の小島たちと囲む南側の海洋をスリガオ海峡と呼び。その北に大きく拓いたレイテ湾がある。

 空撮写真でレイテ湾を見ると、東側に口を開いた三日月にも見える。スリガオ海峡との連結が無ければという、注釈が付けられるが。

 そのスリガオ海峡とレイテ湾の境界線に、暗い影が集まっていた。既に日は島の西側に掛かりはじめている。

 影が濃く長く伸びる時刻だが、この影たちには形があった。海面に映された平面の存在ではなく、自らの(船体)立ち(浮かび)、他の艦艇にも悲劇惨劇の最後を遣わさんとしている。座礁、転覆、沈没。海難事故での畏れをはじめ、炎上、撃沈、轟沈などの戦没艦の怨念も吸い上げ、異形の艦船へと組み立てられた深海棲艦。

 穢れの存在一個艦隊が、レイテ湾とスリガオ海峡の海路を塞いでいる。

 意図的に要所を抑えているわけではない。基本的に深海棲艦は、腹を空かせた(けもの)のごとく海上を回遊して船舶を襲撃するが、この艦隊はスリガオから曳いてきた所だ。

 旗艦を務める空母ヲ級赤色強化体(エリート)の指示で、反攻を強めた艦娘たちとの戦闘を一時離脱した。わずかながらに思考機能を有する強化体ならではの判断だった。

 赤い空母ヲ級が算段した結果は、自軍の勝利。体勢を整えれば虫の息になっている艦娘如き負けはしない。自分以外の深海棲艦は沈められるが、艦娘たちも海底へと誘える。

 今一度自艦隊の戦力を確認する。

 肩幅よりも大きな帽子を被る大型の穢艦、空母ヲ級が自分を含めて二隻。脅威の砲弾投射重量を持つ戦艦ル級が一隻。重巡、軽巡、駆逐艦がそれぞれ一隻。損傷軽微の艦もいるが、この小休止で復旧されている。

 対する相手艦隊で無傷なのは駆逐艦一隻のみ。他の艦娘は軒並み中破で戦力減退している。

 戦力差は明白。勝利を確信した空母ヲ級の無表情を、ずり下がった帽子が隠した。

 あの艦砲支援砲撃を受けてから、僅かにでも動くたびに頭上の飛行甲板が傾いて視界を遮ってくる。その度に仕方なく片手で持ち上げ支える。鬱陶しいことこの上ない。

 帽子の縁を持ち上げて遮られていた視界を直した場所に、陣形を組んで北上してくる艦娘たちの艦隊が見えた。

 さすがに多少の応急処置はしてきたようだが、艤装の損傷は酷く、衣装は剥がされ、半数は巻きつけられた包帯を晒していた。

 艦娘たちは半死半生の(てい)だったが、嘲りや哀れみよりも違和感を覚えた。

 あれは、なんだ?

 まず陣形がおかしい。単横陣ではあるのだが間隔が狭い。いや、狭いどころではない。全員で手を繋いでいる。列の中央に居るボロボロの戦艦を他の艦娘たちが支えている。

 なによりも、艦娘たちの表情には意思があり闘志があった。

 砲撃支援した味方艦隊は既にレイテ湾を離脱していて、自分たちの状態は良いと言えるものではない。だというのに、なぜそんな顔で絶望へと進むことができるのだ。

 強化体の空母ヲ級は西村艦隊の出方を読み切れず、麾下穢艦への指示を滞らせた。

 その隙が、合図となる。

 作戦旗艦戦艦『山城』が西日に赤く照らされながら声を張る。

「西村艦隊、戦闘始め!」

 旗艦の号令に従い、艦娘全員で宣言した。

 

「「 我らは、 希望(レイテ)へ 到るため、 」」

 

 空母ヲ級は敵の意図を悟って驚いた。

 なんだと? バカな、自滅するつもりか!?

 

「「 いまこそ 夜戦に 突入す!! 」」

 

 西村艦隊が己の魂に映る風景を解き放ち、世界に訪れる夜の帳をいち早く引き出す。スリガオ海峡の夕焼けが夜天へと塗り換わった。

 空母ヲ級の混乱が深まる。

 『姫』のお言葉によれば、やつらは可能な限り『夜戦』を避けてくるはずだ。『夜戦』が発生しない故に、航空戦力を割りさけると仰られていた。

 なぜならこの場所での『夜戦』は、大敗を想起させ撃沈に繋がってしまう。虎穴に要らずんば、という程度の話ではない。

 一体何をするつもりだ!?

 

 穢れの旗艦を当惑は画策されたものか、それとも無策の挺身か。

 悲願レイテ突入を目的にした、西村艦隊によるスリガオ海峡夜戦が始まった。

 

▲*▲

 

 開幕『夜戦』。

 発案者は、まさかの満潮だった。皮肉屋で慎重論者の彼女には珍しい。最終作戦を問われ口ごもる戦艦姉妹を罵倒しながらの、思い切った提案だった。

 損傷艦を抱える西村艦隊が打撃力を出すには、能力の環境変応を利用するしかない。戦闘開始から『夜戦』に入れば、ある程度の優位性を持って挑むことが出来る。中破による攻撃力減衰もカバー出来る。

 当然問題もある。むしろ山積みだ。

 時雨はもう誰も沈まないといったが、それはこれ以上進軍しない場合に限る。

 況して『西村艦隊』が『スリガオ海峡』で『夜戦』を挑むのだ。艦の記憶による艦隊全滅の再現がいつどこで再発するか解らない。

 それでも満潮は進言した。

 夜戦には航空機の抑制させる効果もある。赤光強化体には効果が薄いが、もう一隻いる空母ヲ級の艦載機を封じる事が出来る。

 大型艦一隻の足止めだけでは割に合わないと思われがちだが、新たに扶桑と山城が瑞雲を装備したとはいえ、西村艦隊の制空能力は低いままだ。偵察爆撃水上機の制空能力を過信してはいけない。

 また相手の方が艦隊所属数で一つ多い。手数的数で西村艦隊側が不利だった。

 だから山城はやると決めた。

 姉と繋いだ手を握って二人で前に出る。他の三人は逆楔陣形になり、西村艦隊は最後尾に最上を据えた変形複縦陣に移行する。

 片軸同士の山城と扶桑だが、姉妹支え合う双胴戦艦の形で航行する。ここまでは艦隊全員で手を繋ぎ曳航してもらった。全てはこの場で余力全てを出し尽くすためだ。

「いくわよ、山城」

「はい、扶桑姉さま!」

 返事をして戦艦『扶桑』に抱きついた。再会時ほどの感情的な抱擁ではないが、しっかりと背中に腕を廻す。抱き合いはしたが、扶桑型姉妹の進行方向は敵艦隊に向いていた。そのまま一つの戦艦となって、穢れの艦隊たちへと進んでゆく。

 深海棲艦は最前衛に戦艦ル級。中央に二隻の空母ヲ級を配する輪陣形。空母運用の基本形だ。

 先制で山城の右砲塔が発砲した。稼働可能な三門の砲門から砲弾と噴煙を吐き出す。

 砲弾の一つが穢艦側の先頭に立つ戦艦ル級に命中するが、『夜戦』の影響が薄い戦艦『山城』の砲撃では押し切れない。両腕の分厚い装甲に阻まれ中破寸前で終わる。

 赤い戦艦ル級eliteが反撃のチャンスを得て歪に笑う。脚の故障を二人で補ったが、艤装の破損までは手が回っていない。山城の右砲塔が正面を向いているので、扶桑は故障した左艤装を敵艦隊に見せていることになる。このままでは砲撃できず、扶桑と山城が戦艦ル級の的になるだけだ。

 混乱から立ち直った穢れの旗艦空母が夜間艦載機を発進させた。狙いは戦艦姉妹ではなく、後方の駆逐艦たちだ。後は沈むだけの扶桑と山城は随伴艦たちに任せておけばよい。

 狙われた時雨が、両手に構える対空両用砲を夜空に突き上げる。

「無策に真っ直ぐ来るなんて、失望だよ」

 『雷撃機落とし』『デストロイヤーバスタースレイヤー(駆逐艦殺し返し)』そして『佐世保の幸運艦』。時雨は異名も数多い。どれも渡りが悪く広く知られていない呼び名だが、駆逐艦『時雨』の底力は否定できるものではない。的確な対空砲撃と回避行動で穢れの艦載機たちを寄せ付けなかった。

 今度は夜間爆撃を凌いだ西村艦隊に戦艦ル級が砲門を向けた。正面から向かってくる扶桑型戦艦が撃沈される光景が目に浮かぶ。

 発砲の轟音と、着弾の破砕音。

 予測と違い、撃ったのは扶桑で、損傷したのは戦艦ル級。

 魚雷回避で時雨と扶桑が行ったステップターンを、今度は山城と行っていた。パートナーが違うだけではない。旋回の目的は回避ではなく、照準と砲撃だ。

 砲撃の反動も使って姉妹の位置が入れ替わり、扶桑の稼働砲塔が正面を捉えていた。

 戦艦ル級は二度の攻撃を受けても赤色強化体(エリート)故の頑強さで堪えた。

 だが、姉妹二人は抱き合ったまま、まさに踊るように回り続け使用できる右側兵装を深海棲艦へと向け直す。踊る姉妹で二回づつ、連続して四回の砲撃を降り注がせた。

 山城が破損した左側砲塔を、扶桑の砲が肩代わりする。折れかけた扶桑を山城が支える。比翼の鳥。扶桑の龍樹に、創世伝説の女禍と伏義。二人で一つの存在。姉を抱きしめる山城は、自分たちは最初からこの形だと言いたかった。

 超弩級戦艦姉妹の連続砲撃に、さしもの戦艦ル級も海中に沈んでゆく。

 続いて満潮が魚雷を撃ち出し、時雨も高角砲で追い打つ。

「一気に押し切るわ! 外すんじゃないわよ」

「了解。いくよ」

 駆逐艦二人は、脇に控える重巡リ級と軽巡へ級を攻撃した。

 これが夜戦奇襲第二の目的。脅威となる戦艦ル級を始め、取り巻きを先制攻撃で沈黙させる。撃沈させなくてもよい。砲撃できないまでの損傷を与えられれば中破組の生存確立がぐっと上がる。

 結果、重巡リ級が大破で残存したが敵軽巡を落とせただけで上出来だ。

 輪形陣の欠けた部分を補うために前に出てきた駆逐ニ級が、遅い援護射撃を放つが西村艦隊の誰にも当たらなかった。

 なぜか最後尾で気も漫ろな最上の砲撃も同様に終わる。

 ここで『夜戦』の展開が終了し、擬似的な夜明けが訪れる。暖かな朝日ではなく、時は逆巻き夕暮れの冷たい光が戦場のスリガオ海峡を照らす。

 出来るのなら動けない空母ヲ級を仕留めるまで『夜戦』を続けていたかったが、『夜戦』展開能力は最初から限定的な力だ。完全にコントロールできるものではない。西村艦隊の終焉を考えれば、『夜戦』を長引かせるより旨味だけをさらってゆくのが上策だ。これでいい。

 赤い光を放つ空母ヲ級が、予想外の逆襲に憤る。沈み掛けの艦隊にここまでやられて、黙ってはいられない。

 随伴艦の空母ヲ級に指示して、茜色の空へと艦載機と飛ばす。

 正規空母二隻分の航空戦力だ。艦娘どもはどうにかして偵察機を補充したようだが、すり減っている制空能力を多少補強しようと構わずすり潰してやる。

 穢れの艦載機に対抗するため、回転を止めた扶桑姉妹が大型甲板を掲げる。艦隊後方の最上は目を閉じて佇むだけだった。

 航空戦艦へと変わった扶桑型から少数の水上機が発進する。新しい瑞雲だったが、空母ヲ級たちが放った数の半数程度だ。

 やはり巡洋艦の艦載機は底を付いている。付け焼き刃の水上機など全て撃ち落とす。

 両艦隊の艦載機が茜色の空で向かい合う。

 数を比べれば深海棲艦側が圧倒的だ。特に赤く発光する強化体の艦載機が、拙く飛ぶ水上機を蹴散らす。自軍の支援を受けた爆撃雷撃機が制空権を失くした西村艦隊を攻撃範囲に捉えた。

 扶桑と山城が対空砲火を始めるが焼け石に水。艦載機の動きを止められない様からすれば、急流に松明を投げ入れるのと同じ。後方からも時雨が高角砲の援護砲撃を行うが、これも蟷螂の斧。

 一寸の虫が振るう斧とて、まったくの徒労ではない。重ねられた対空策に穢れの艦載機は少しずつ撃ち落とされてゆく。ただ西村艦隊の先頭に立つ戦艦二人の命運を覆すほどの力がなかっただけだ。

 帽子を支える空母ヲ級が爆雷撃を思考指示する瞬間、自分が、真横から、爆撃された。

 穢れの爆撃機たちは統制を失い、命中弾を出せなかった。必殺の武装を失った航空機たちは西村艦隊の対空砲火を避けながら反転帰投する。

 怒る赤色の敵旗艦は、またずり落ちた帽子甲板を持ち上げて空を見上げる。どこからか現れた4機の瑞雲が夕焼けの空を舞っていた。

 馬鹿な! 空母も居ない。飛行場もない。それなのにどうして航空機が増える?

 理由は、空母ヲ級から一番遠くに浮かぶ艦娘にあった。

 西村艦隊の最後尾でずっと俯いていた最上が顔を上げた。左腕の機械式航空甲板を頭上に翳して誇る。

「ボクはただの巡洋艦じゃない。艦載機運用能力を強化された航空巡洋艦さ!」

 『夜戦』を先に持ってきた最後の理由。それが最上の航空戦力を微量でも回復させる時間稼ぎ。

 西村艦隊に残された戦力では相手の砲雷撃か航空戦力か、『夜戦』でどちらを抑えこむのか選択しなければ為らなかった。

 狙うのなら敵正規空母の方が見込みがあった。武装を黙らせるという視点で語れば、航空母艦たちの飛行甲板はそのまま弱点でもあるのだから。

 逆に分厚い装甲に覆われた穢れの戦艦を確実に落とすには、こちらの戦艦が二隻掛かりで挑む必要があった。その分他の戦力が残ってしまう。頭数が足りない西村艦隊には悩ましい問題だ。

 仮に『夜戦』で空母ヲ級たちを沈めても、残った戦艦ル級に対抗する手段が無い。運頼みのラッキーヒットを願って砲雷撃戦に入るのは論外だ。並の幸運量を保有していても、損傷している誰かが撃沈してしまうだろう。

 逆に戦艦ル級を倒しても、『夜戦』が明けた段階で空母ヲ級の航空爆撃が来るのは解り切っていた。

 どちらを撰び、どうやって作戦を補強するか。

 最終突入決行前、悩みに悩む西村艦隊で、ただ一人楽観している艦娘は言った。

『航空戦力対策なら、なんとかなるよ』

 改装航空巡洋艦最上型一番艦『最上』。彼女が提案した作戦は単純だった。

 ずばり、残り物を掻き集める。

 最上は戦闘開始から今まで、スリガオ海峡に散った己の艦載機を呼び掛けていた。

 艦娘側の艦載機は深海棲艦ほど強力な精神接続を持っていない。とはいえ根本を同じくするだけに、母艦を務める艦娘との繋がりが全く無いわけではない。

 明確な数までは解らないが、数機の瑞雲がいまだ健在であることを最上は感じていた。その弱く細い蜘蛛の糸を手繰るように、スリガオ海峡のどこかに残っている自分の瑞雲たちにお願いした。

 海原を滑走路に出来る水上機は、海洋で羽根を休めることが出来る。燃料が残っていれば、再び飛べる。撃墜されていなければ、復帰することが出来る。

 ボクたちが夢にまで見た湾港まで、あと少しなんだ。お願い。力を貸して……!

 広範囲距離無制限での思念なので強制権を持つ命令には出来なかった。だから、必死に祈り願った。

 結果、西村艦隊の空を助ける僅かながらの力が舞い戻ってきたが、喜ぶ間もなく僅かながらの好機が隙になった。

 包帯を巻いたの右腕に顔を顰める満潮が、巡洋の僚艦に怒鳴った。

「なにやってるのよ! 自分も守りなさい!」

 穢れの正規空母は二隻ある。数機の瑞雲では片方の手勢と拮抗するだけで精一杯だった。

 通常の空母ヲ級が操る雷撃機が西村艦隊の複縦陣を迂回気味に周り、最後尾の最上を狙う。

 一応の艦載機対策として扶桑と山城を前面に出し全力砲撃させることで、艦隊全体への対空効果も付随させていたが、相手の数が多すぎる。対処し切れなかった一機の雷撃機が最上への攻撃を開始した。

 ここで艦娘と穢れの艦載機の間に割り込む機体が現れた。南から現れたそれは、最上の頭上を通り単身戦いへ挑んでゆく。

 最上には解る。だから驚いた。

「キミは……!」

 最後に駆け付けた瑞雲は、スリガオ海峡の入り口で北西側へと偵察に出た機体。『最上』がこの戦場で最初に発進させたあの偵察機だ。スリガオ海峡南西に潜んでいた敵航空戦力を発見した後、追撃を必死に振り切り生存。残り燃料を考えて一度着水していた。

 母艦に戻ろうにも最上が艦隊戦闘に入ってしまい連絡が取れず、半ば漂流する形になった。敵戦力に発見されれば、一機だけの水上機なんて霧一粒より儚い。それでも最上からの指示を辛抱強く待っていた。

 だからこうして、母艦の危機に駆けつけることが出来た。

 最上の上空を通過する瞬間、パイロット妖精が笑顔でサムズアップする。

『まかせて』

 航空巡洋艦にだけ聞こえる声がした。

 水上偵察爆撃機『瑞雲』と、穢艦の雷撃機の戦いが始まった。

 最初にコースを変えたのは瑞雲だ。本来は相手の後ろに付いてドッグファイトを演じたいが、瑞雲は戦闘機ではないため旋回能力が足りない。なにより雷撃機が攻撃高度まで下がっている。追い縋るのは難しい。現状で機体は限界近くまで軽い。出発時に持っていた爆撃弾は最初の逃走時に投棄したし、燃料だって残量僅かである。それでも力及ばず、やり方を間違えれば敵の首筋に噛み付く前に振り切られ雷撃が成功されてしまう。

 瑞雲は目的を最小限に絞り混んでいた。雷撃の攻撃可能範囲が『最上』の予想進路上から外れればいい。絶対に母艦『最上』を死守する。

 騎士たちの騎乗槍試合のように向かい合って突撃する。高度を落とし深海棲艦の雷撃機が理想とする飛行経路を、真逆から突き進む。

 攻撃のチャンスは一度。それは穢れの航空機も同じだ。高速で擦れ違うので、機銃の有効射程に入っている時間はとても短い。

 仮に穢艦側が激突チキンレースを避けて飛行経路を変更すれば、今度は雷撃弾の命中率が下がる。それだけではなく無防備な横腹を瑞雲に晒すことにもなる。もはや相手も度胸試しに付き合うしかなくなっていた。

 穢れの艦載機の機体下部、チェーン駆動のミニガンが回転を始める。大戦時の技術レベルから装備を再現している艦娘側には、羨ましいほどの先鋭装備だ。兵装の優位性を使って、有効射程外でも構わず牽制射撃してきた。

 瑞雲のパイロットは、ゆるい楕円の顔を引き締め目標を睨みつける。

 相手は大型艦に付随する装備の一つで、自分たちとは違って自律性が薄い。何かしらの考えを持って、射程外牽制をしているんじゃない。向かってくる相手に受動で反応しているだけだ。

 それなら!

 瑞雲は、急降下爆撃用のダイブブレーキを水平飛行で使った。浮き具と機体を繋ぐ支柱が外装を広げて空気を受け止める。急激に失速して高度が落ち、つんのめるように機首を下げた瑞雲の頭上をチェーンガンの弾丸が通過する。

 弾丸を避けた瑞雲は、水上脚を海面に叩きつけるように落ちて、もう一度飛び上がる。フローターの底が破裂する音が聞こえたが、今は無視。

 海面から夕焼けの空を仰いだ先に、敵の雷撃機が爆弾を抱える腹を見せていた。

 上昇しながら左に捻り込み、機銃を連射。弾丸が敵雷撃機の右腹にハニカム模様を描く。旋回能力が低い瑞雲では機体を左90度に傾けるのが精一杯で、とても相手との衝突が避けられない。水上脚が穴の空いた敵とぶち当たる。

 既に損傷していたフローターは、支柱を残して脱落。不幸中の幸いに、水上脚が壊れた御蔭で回復不可能な程バランスを崩さずに済んだ。

 一方深海棲艦の航空機は、水上機の蹴りによって機体の右半分を破砕され墜落していった。

 防衛に成功した瑞雲だが、自身も墜落寸前だった。なんとか機体を平行に戻し海面スレスレで復帰した時には、旋回のしすぎ進路方向に母艦の『最上』が見えた。

 今から『最上』を避けようにも、無茶をし過ぎた機体では旋回も上昇もできない。それどころか水上脚を失くした影響で飛行速度が落ちている。海上に支柱を接触させては、跳ね上がる。

 水上脚がないから着水も出来ない。欠片よりも小さい残りの力を機首を引き上げることに使うが、損壊激しい瑞雲は言うことを聞いてくれない。このままでは母艦に衝突してしまう。

 常日頃から衝突禁止をスローガンにしている母艦にぶつかるわけにはいかない。操舵を諦め、水柱を跳ね上げ墜落着水。

 最後と思われた瞬間に、妖精がコックピットから跳び出した。

 とおぉぉぉぅっ!

 中空に緩い弧を描きながら、手足をばたばと振って姿勢を保とうとする。

 最上は慌てて腕を伸ばしパイロット妖精を拾った。

 母艦の手の平に転がった妖精は、疲れ果てて上手く動かない腕を持ち上げ、ぷるぷる震える敬礼。復帰と帰還を報告する。

「ありがとう。すごく助かったよ」

 『最上』も敬礼を返して、小さな撃墜王(エース)をそっと背中の艦橋に収めた。これで最上の航空戦力は本当に失われた。あとは砲雷撃で殴り合うだけだ。主砲を握り直して前進、駆逐艦たちと居並ぶ。

 赤い空母ヲ級は訝る。死に損ないの艦隊に航空爆撃の効果が減ぜられた。今の爆撃でどうしてわずかにでも損傷をしていない。予測通りに運ばないことに、焦燥が募る。

 憤る旗艦に対して、随伴の正規空母が移動を促してくる。移動の目的を理解して、穢れの空母が動き出す。空母ヲ級たちは扶桑型の左側面へ向けて、脚を速める。

 前衛に立つ二人の戦艦は、中破しており砲撃能力が下がっている。特に左舷の艤装が壊滅的だ。そこを利用して故障砲塔側の位置と同調すればいい。多少の攻撃はされるだろうが、自分たちの装甲でも防げる。大したことはない。

 周り込んでくる敵艦を見て、扶桑の右手に握られている大盾型の航空甲板を背中に懸架した。あけた両手で妹の腰に手を掛ける。

 姉の行動に山城が驚く。

「何をするのですか?」

「空母たちは任せるわ。残りの残存艦はこの扶桑が仕留めます」

 言った扶桑は、もう一度だけ山城と一緒になって踊る。

 妹と最後の踊りは、それぞれが戦いに赴くための儀式だった。手を離した二人はお互いの重量をカウンターにして、扶桑は前へ、山城は味方艦へと近づく。

 敵前に進む扶桑が、非常に珍しい行動を取った。敵重巡リ級に対しての挑発だ。

「いらっしゃい。戦果の首級(しるし)はここよ」

 腕を広げ諸肌を見せた扶桑が行き脚を速めた。不調の脚に鞭打って、傷負った船体を押し進める。

「確かに私たち扶桑型は、何かもが足りないのだけれど……」

 重装甲ではあるが艦内構造から冗長になった重要保護区画が災いし、戦艦としては防御力が低い。なぜなら速力を得るため出来る限り装甲を削ったからだ。それでいて早足を手に入れたわけではなかった。扶桑型は弱点が多く、速力も無い。得るものを失い全体の能力バランスが崩壊していた。

 目玉である六基十二門の大型主砲も、同期斉射できるのは半分以下。特に船体中央部にある第三第四砲塔は、使える仰角と方角が限定されている。無闇に発砲すると間近にある自身の艦橋や他の艤装を破壊しかねない。多数の砲塔がまったくの無駄ではないが、厳しい枷と見られても仕方が無い。

 あのレイテ沖海戦、スリガオ海峡夜戦に扶桑型が投入されたのも戦力が足りなくなったから仕方なくだ。

 兵の錬度は十分にあった。士気だって低いことはない。それでも戦場から離れた本土で練習艦同然の扱いだった戦艦は、圧倒的戦力に為す術もなく沈んでしまった。

 昔を思い返した扶桑だが、心まで引きずられているわけでなかった。哀愁と悲願を胸に眼前の敵を見据えている。

「私は帝国製超弩級戦艦の壱号艦『扶桑』。その誇り、見失いはしないわ! 西村艦隊の本当の力、見せてあげる!」

 怯む必要はない。今この場で、西村艦隊として戦えているのだから。魂を引き継ぎ艦娘となっているが、悪夢の海峡に後一歩で終わりを告げられるところまで来ている。ここで勇まぬ道理はない。

 扶桑が選んだ一手は、穢れの旗艦の後を追う重巡リ級と駆逐ニ級を留置き、沈めること。

 開幕の『夜戦』で艦数では逆転できている。さらに扶桑一人で随伴艦を落とせば、砲撃される回数を減らせる。特に重巡洋艦と駆逐艦は雷撃能力を持っているため、浮かばせ続ければ手数を増やされてしまう。なにより敵艦隊の手数を半死半生の自分に集中させる意味でも、単艦で前進する意味がある。

 扶桑は力を込めた右足先に痒さにも似た痛みを感じたが、目も向けず前へと進み続ける。満潮が直してくれた若草色の鼻緒に、扶桑の足指が食い込み血を滲み始めていた。

 この程度、大丈夫。まだ保てる。満潮のリボンタイは傷ついた自分をよく支えてくれた。

 ……そうだ。お返しを考えねければ。

 時雨には髪飾りを渡したのだから、彼女にはリボンがいいかもしれない。団子に詰めている髪を少し解いて、大きめのリボンを結べばきっと可愛くなる。

 そのためにも、この場を押し切る。沈むために進むのではない。明日の楽しみを手にするための前進だ。

 接近する超弩級戦艦の圧力を無視しきれず、穢れの重巡が腕の主砲を持ち上げた。

 好機を見切り、扶桑型一番艦は発砲した。背負う砲門を背に向けて、全門同時発射。

 半裸の長身が爆発的な反作用で加速する。長い黒髪が棚引き、一息で重巡リ級へと接舷させた。代償に腰から肩甲骨に掛けての背中全体が軋み上げ、背骨が鑢掛けされたような痛みを伝えてくる。

 主砲の同時発射で自分が傷つくのは解っている。ならば損傷以上の効果が出るように使うだけだ。砲撃回数を重ね標準精度を下げている主砲なら、命中を願うよりも緊急動力として使う方がいい。

 穢れの重巡が構える腕の砲口は、より内側に入った扶桑に向けられない。

 西村艦隊の超弩級戦艦は素早く平手を振り上げ、緩やかに撫で下ろす。

 山城が古式の格闘術を使うのとは違い、扶桑の手足を送るのは『舞い』の動きだった。戦いの為の技ではない。扶桑自身が覚えている技能を転用して扱っているだけに、殺気や気迫が薄い打撃である。

 重巡リ級は、はっきりと見える手の平に速度が遅く攻撃にも為らないと思った。接近したのをいいことに接射を仕掛け直そうとする。密着状態なら大破した自分の攻撃でも戦艦を撃ち抜ける。

 侮ってはいけない。扶桑の白い細腕に掛けられた力は莫大である。

 手の平を置かれた重巡リ級の肩は、最初の一瞬だけ無事だった。

 すぐに重巡の身体を海中に押し込まんと超圧力を与え始める。穢れの艦の骨が砕け、肉を潰し、それでも止まらず超弩級戦艦の掌が下げられ続ける。

 扶桑の全重量に加えて、舞いにより砲塔加速の力も加えられた一撃が、穢れを強引に水底へと返し導く。

 振り下ろされた掌打が本当に遅かったわけではない。直前までの動作との速度差が激しかっただけだ。なにより降ろされ始めてから最後まで、手の平の速さは一定だった。まるで重巡リ級の船体などなかったように振るわれた一撃が、文字通り存在を消し去る。

 扶桑よりも高く立ち上る水柱が、重巡リ級の墓標となった。

 急激な接近に驚いた駆逐ニ級が飛び掛ってくる。

 残心を狙った突撃は、振り返った戦艦の手刀一振りに両断された。横に立つ穢れの水柱ごと切り裂く。

 腕を振り切った形で止まり、鋼鉄で造られた扶桑の樹がぐらりと揺らぐ。

 最後の全門砲火で船殻が限界を迎えていた。最初の魚雷損傷から不調だった右脚の水上下駄も、格闘動作を支え終えると同時に割れて壊れた。

 全ての力を出し尽くし、戦艦『扶桑』ついに落伍。

「後は、頼みましたよ……」

「扶桑姉さま! ……っ。西村艦隊、全艦砲撃! 敵飛行甲板を撃ち砕きなさい!」

 海面へと倒れる姉に山城が悲鳴を上げそうになるが、唇を噛み締めて号令し直す。

 扶桑が身を挺して造ってくれた有利な状況を逃してはならない。それに扶桑は完全に沈んだわけではない。海面に倒れているがまだ自力で浮かんでいる。追撃させなければ助けられる。

 そのためにも敵の航空戦力をいち早く封じる必要があった。穢れの空母たちが艦載機の整備装填を終える前に、大きな帽子型飛行甲板を吹き飛ばせば、この辛い戦いも終わりだ。

 動ける全員で果敢に攻撃する。山城も一門だけ使える左砲身から砲火を放った。

 砲炎と水煙が空母ヲ級たちの姿を曇らせる。

 目標が霞み、西村艦隊が一度砲撃を止めた。静まった夕暮れの海域で、戦果を祈る。

 視界が晴れた時、穢れの正規空母二隻はそれぞれの艦載機を吐き出しているところだった。

 祈りが通じなかった。結果を見て時雨が悔やむ。

「押し切れなかった……」

 こうなったら航空機を掻い潜って直接魚雷を打ち込む他無い。

 進もうとした時雨の前に、満潮が被さった。

 止めないで欲しいと言うより先に、半身振り返った駆逐艦が口端を釣り上げて笑う。

「やるなら、二人同時よ」

 どうやら同じことを考えていたようだ。時雨も小さく頷き返す。

 満潮は今回の作戦で良い所がない自分に苛立ちを持っていた。最初の魚雷から扶桑を守れなかったことに始まり、さっきの『夜戦』でも敵の重巡洋艦を自分が落とせていれば扶桑が落伍することもなかった。

 おそらく当の扶桑は気にするなと微笑む。護衛の駆逐艦として不足の無い働きをしたと労うだろう。しかしこのままでは自分が自分を許せないのだ。突撃は趣味ではないが、勝利のためならなんでもやってやる。

 飛翔してくる穢れの艦載機を睨み、満潮と時雨は反撃の水雷撃を用意した。

 突然寄ってきた山城が手を差し出して、駆逐艦二人の腕を掴むと残り全ての力を使って引き寄せる。

「旗艦の私を無視して好き勝手に決めるんじゃないわよ」

 満潮と時雨を抱きしめると、彼女たちの頭を抑え覆い被さった。

「山城っ!?」

「ちょ、ちょっと苦し……!」

「爆撃をやり過ごしたいなら黙ってなさい」

 強い口調の山城は、二人を抱えたまま残弾打ち尽くす勢いで対空機銃を放ち始めた。

 山城の意図を理解する。西村艦隊の旗艦は僚艦の行動を否定していない。自らを楯にして反撃の瞬間まで時雨たちを庇うつもりだ。

 驚く駆逐艦たちを見て、山城は苦笑した。

「勘違いしないでよね。これは姉さまを狙わせないためよ。囮をするなら数で固まっているほうが都合が良いだけ」

 思惑通り、深海棲艦の艦載機たちが山城に折よく喰い付いてきた。山城は自由に動ける最後の所属艦に命令を発する。

「最上は砲撃を続けなさい!」

「了解さ。がんがんいくよ」

 最上が一人だけ陣形を外れた。三人を狙う航空機をやり過ごし敵空母の側面に回り込む。

「船数が逆転したってことを、もっと理解するべきだったね!」

 航空巡洋艦が杖を構える空母ヲ級たちへ砲弾を叩き込む。本来空母の穢艦を守るべき護衛艦や直掩機が居ない。最上の砲撃が吸い込まれるように随伴の空母ヲ級へと命中する。

 西村艦隊が『夜戦』から戦闘を始めた理由が、如実に現れた結果だ。

 帆船時代の昔から戦闘艦は砲門の数がそのまま戦力だった。どれだけ時代が移ろおうと手数を使った正攻法は戦闘の基本。

 空母が山城たちを狙う間に、余力となる最上が相手を仕留める。損傷していても最上の火力は十分に残されていた。重巡洋艦の本分、戦艦の補力として力を存分に見せ付ける。

 山城へと爆撃していた艦載機の一部が墜落してゆく。操る空母ヲ級の撃破に成功した証だ。

 これで深海棲艦側は赤い旗艦を残すのみとなった。

 突如、赤い強化体が手持ちの杖を振り上げ最上へと投げる。槍投げのような突き刺さんばかりの勢いだ。

「ええっ!?」

 予想外の豪投に最上が驚く。大型空母だけに物を飛ばす力は強いのかもしれない。

 投げられた杖は不運にも頭に当たった。気絶し航行する力を失った航空巡洋艦が、脱力したように倒れる。

 僚艦の沈黙を見て、満潮が眉を吊り上げて叫ぶ。

「ドジ踏んでるんじゃないわよ! 最上、聞こえてる!」

「呼びかけても無理だね。多分、あの倒れ方は意識が飛んでいる。ヘタをすると扶桑より最上の方が危ないかも」

「二人共黙って! 爆撃は続いているのよ」

 飛来する穢れの航空機に対して、山城が対空機銃を撃ち続ける。

 杖を飛ばした空母ヲ級eliteは、両手を上げて艦載機の思念操作を補強した。

 西村艦隊の旗艦を狙い、複数の投下爆弾が落とされる。

 一発が背中の艤装に命中する。満潮を抑える右腕の大楯にも着弾して振動する。

「……ぐっぅ」

 山城は歯を食いしばり悲鳴を押し留める。何度も攻撃された艤装は半壊どころか穴だらけで、体中どこもかしこも激痛が反響していた。いつもの山城なら「痛い!」と泣き叫んだだろう。今だって堪え切れない涙が頬を伝わり、腕の中の駆逐艦たちに零している。

 だが、今日は……。このスリガオ海峡だけは、そんな弱みなんて見せられない。

 あと少しでレイテ湾だ。敵艦もあと一隻だ。絶対に、耐えてみせる。

 追加の爆撃が山城の身体だけでなく意識も揺さぶる。白化しそうになった視界に、時雨に渡した髪飾りが見えた。錦糸で編まれた(ふさ)が二つ並んで揺れている。

(まるで姉さまと私が踊っているよう……)

 先程まで抱き合っていた感触を反芻するように、腕に力を込めた。

「囮ならもういいよ。離して」

「ちょっと、あんたまで気絶するんじゃないわよ」

 駆逐艦二人に肩を叩かれて、山城はようやく爆撃が収まっていることを知る。

 爆撃音を聞き過ぎたからか耳が遠く、満潮たちの声がよく聞こえていなかったが、薄れゆく意識の中で二人を庇った理由だけが残っていた。満足に砲撃できない自分に変わって決定打となる火力を持つ駆逐艦を保持し、帝国海軍が誇る酸素魚雷にて敵大型空母を撃沈せしめる。

 山城はやり遂げました、姉さま……。

 あとは託すだけだ。最後の命令を出す作戦旗艦は陰惨に笑う。

「さあ、お行きなさい。我が西村艦隊の水雷部隊(ロングランス)。これ勝たなきゃ、一生どころか未来永劫恨んでやるわ……」

 渋面の満潮と時雨は、二人係りで気絶した山城の船体を支え海上に寝かせた。

「山城が言うと冗談に聞こえないから嫌ね」

「間違いなく本気だよ。呪われないためにも、絶対勝とう」

 西村艦隊の駆逐艦たちは、眼前の敵を見据えた。

 爆撃弾を撃ち尽くした航空機が穢れの母艦に戻っている。対空能力が確かでない駆逐艦には、相手が再装填するまでに決着を付けなければならない。

 満潮が包帯が巻かれた右手を上げて、時雨に見せる。

「そういえば、謝ってなかったわね。でも、意地だけは最後まで張らせてもらうわ」

「ぜんぜん反省してないじゃないか」

 先に跳び出した満潮の後に、呆れ顔の時雨が続く。

 酸素魚雷は長距離射程でも機能するが、命中率は高くない。確実を期すなら接近での水雷撃を狙うべきだ。

 対する空母ヲ級も時間を稼ぐために移動し始める。魚雷を警戒して帽子の縁に装備されている副砲で攻撃しながら、満潮たちの動向に注意を払っている。副砲の反動でずれる帽子を支えながらの、ゆっくりとした挙動だった。

 満潮は、勝機を見た。

(高雄たちには文句を言いたかったけど、これでちゃらにしてあげるっ)

 後ろ手で時雨に手信号を送り、痛む右腕を構える。

 敵空母は損傷した駆逐艦の砲程度では怯まない。あくまで自分が倒される可能性があるのは魚雷だけだと踏んでいた。

 引っかかった!

 満潮が取舵30度、後続の時雨が面舵30度。満潮の右舷を空母ヲ級に見せる航路で、時雨が逆側。二隻で挟んで魚雷を十字砲火。わかりやすい戦術だ。

 相手が赤い光を纏う強化体でなければ、このまま雷撃して終わりだっただろう。

 空母ヲ級は満潮の右腕万全ではないことを見抜いていた。右舷攻撃能力を失っている満潮に接近してゆく。航空機が使えずとも、空母ヲ級の体格なら駆逐艦娘一人程度、素手で仕留められる。

 組み敷かれそうになった満潮は、笑っていた。傷ついた右腕は牽制と誘導のために態と見せつけたのだ。こっちに来てくれなければ困る。

 引きつけ役の満潮は、さらに取舵で左に傾斜。空母ヲ級から離れようとする。これは狙った動きだ。

 仕掛けは、満潮と時雨の中間を進む3つ目の航跡。音静かで微かにしか見えない魚影。別れる直前の時雨が満潮の影に隠れて発射した酸素魚雷だった。

 満潮に組み易いと近づけば、この魚雷の罠が発動する。満潮はただ逃げているのではなく、魚雷が命中するように誘導する役割も持っていたのだ。

 だが、今度は空母ヲ級が笑い返した。無表情の深海棲艦には考えられない粘性の高い嘲笑だった。

 大型空母が突如振り返り、自分を狙い撃とうとしていた時雨に逆襲の砲撃。

 時雨は直撃弾を受けてしまい大きく姿勢を崩す。

「くっ、この僕としたことが……」

 罠として放たれた酸素魚雷は急な舵切りをした穢れの空母に命中せず、明後日の方角へと泳いでゆく。

 読み勝った。これで艦娘たちを沈められる。戦艦二隻を含んだ金星(Sランク)だ。

 穢艦は怨嗟が詰まった心の中で喝采を上げた。その身体は、時雨を撃つ為に砲台であり飛行甲板でもある巨大な帽子を()()()支えていた。動きを止めていた。

 

「馬鹿ね! こっちも本命よ!」

 

 満潮が敵空母の背中に向けて捻り込むように魚雷を叩きつける。

 逆腕の左で全力を出すために、逆手持ちにして身体全体で旋回する。体重を載せて、倒れ込みながら魚雷の信管を叩き込む。

「スリガオの地獄を案内してくれて、ありがとう。お礼の倍返しよ!」

 傾く飛行甲板を支えていた空母には、満潮の姿が見えていなかった。

 一度敵艦から離れようとした挙動は、左腕の動作を隠し急旋回するための布石。小型の船体を活かした操舵で翻り、必殺の魚雷を突き刺した。

 驚きと怒りに血相を歪ませた穢れの大型空母は、再度向き直り間近に来た満潮へと腕を伸ばした。

 当然支えを失った帽子型の飛行甲板がずり落ち、空母ヲ級の視界が遮られた。

 傷ついた時雨も、傾いた穢れの飛行甲板が作る死角を利用した接近、手持ちで魚雷を打ち込む。

「今度こそ、さようならさ……」

 

 駆逐艦二人が距離を離すと同時に、酸素魚雷の信管が動作し爆発。深海棲艦の大型空母を海底の水泡へと帰した。

 

「やるなら二人で、って。ちゃんと最初に言ってたでしょ」

 満潮が大きく肩を竦めて、やれやれと溜息をついた。

 

▲*▲

 

 

 山城が目を覚ますと、そこに美しい女神がいた。星空の天幕を背負い儚くも慈愛に満ちた微笑みを浮かべている。

 自分が女神を見上げているのは、砂浜に横たわり彼女の膝を枕にしているからだ。

 ここは天国かしら?

 疑問は瞬時に霧散した。女神の正体はよく見知った姉の扶桑型一番艦だった。

 現実に引き戻された山城は凝り固まっていた喉を開き吸気する。細く高い音を鳴らして身動ぎすると、胸からバリバリと糊で塗り固められたような硬直が剥がれ落ちる。夜になるまで寝ていた対価は思ったよりも大きかった。

 軽く咳き込みながら質問する。

「扶桑姉さま……、私は……」

「提督のお守りが効いたようね。気分はどう?」

 姉の手が山城の髪を包む様に梳く。

 首を捻ると砂浜に二枚の大盾型航空甲板と扶桑型の艤装が置かれていた。周囲には無数の小人たちが蠢いている。応急処置対応の妖精たちだ。修復材を担いで忙しそうに走り回っている。

 山城が目を覚ますまでには、身体も診ていられたのだろう。身体のそこかしこに包帯が巻かれ絆創膏や湿布が貼られていた。お蔭で戦いで受けた痛みも、今はほとんど感じない。

「大丈夫です。手当をありがとうございます」

「お礼なら、あの子たちへ言ってあげて」

 扶桑が応急修理要員たちを示す。

 二頭身ほどの小人が、装備の穴に角材を押し当て小さな玄能で釘打ちする。それだけで金属製の装甲が復活するのだから、謎すぎる技術力だった。さすが鎮守府七不思議に数えられる妖精たちである。当然艦娘たちが召している衣装も、こうした手順で修繕される。彼女らは山城たちよりも更に超常側の存在だ。現代科学や物理法則の尺度で推し量ろうとしてはいけない。

 ぼーっと妖精たちの眺めていた山城だが、一番気になることを切り出した。

「作戦は、どうなりましたか……?」

「レイテ湾の浄化を確認して任務を達成、作戦は完了したわ。私たちの勝利よ」

 本当は姉の答えを聞くまでもなく、こうして二人が装備を降ろして休んでいることから察していた事項だ。

 それでも気になったのは、勝利、という状態の実感が沸かないからだ。

 自分でも卑屈過ぎると思うが、根っからの下向き思考をすぐにかえられるものではない。

 姉からの言葉を受けて、ああそうなんだと頭の表層だけが反応した。心は未だ夢見心地で揺蕩っている。

 艤装に群がる応急妖精たちの数を見ると、自分の分だけではなく扶桑にも応対要員が渡されていることが解った。

 姉と提督が、こんな仕込みをしていたなんて……。

 航空甲板に仕込まれた応急修理要員たちの活躍で、扶桑も山城も撃沈を免れた。

 深海棲艦たちがスリガオ海峡夜戦を再現させるには、まず戦艦『扶桑』を落伍撃沈する必要がある。

 だから、対抗手段として計画のみで頓挫した航空戦艦の甲板を用意し、二人を純粋な戦艦から少しだけ存在をスライドさせる。用心深く念押しで応急対応の妖精たちを潜ませていた。

 もう昔のように感じる司令室での伝達。あの時には既に突破の光明が刺していたのだ。

 西村艦隊の様子から、知っていたのは扶桑と時雨だけだろう。

「……ひどいです、姉さま。山城に黙っているなんて」

 拗ねる妹に、いたづらっぽく笑った扶桑は自分の航空甲板を手に取り、内部から一枚の詠み札を取り出した。俳句などに使う長細い色紙には、当然詩が書かれている。

 山城は、姉が勧めるに従って黙読した。

 

  最上淵

  時雨に満潮

  折れ扶桑

  山城(くだ)

  無手の礫湾

 

 ぱっと、意識が鮮明になる。

 読み手の名前に『山城』最後の提督、西村祥治中将の名が書かれているが、彼がこんな詩を詠んだとは見たことも聞いたこともない。

 なにより、この内容はどう見ても今回の作戦を指している。丁寧にも添えられた日付は、あの夜戦の日だ。悪趣味すぎる。

 誰が書いたと考えるが、これも答えがひとつしかないことに気がつく。

 あの胡散臭い優男か……。

 妹の変化を見て、扶桑が札を翻す。

「言ってしまえば、山城は受け取ってくれないかもしれないじゃない」

 裏面に返歌が書かれていた。

 

  最上川

  時雨に満潮

  似て扶桑

  山城見やる

  葉々の碧湾

 

 扶桑が持つ詩札の先で夜空が白み始めた。レイテ湾に朝日が昇る。どうやら自分はずいぶんと寝こけていたらしい。

「……裏面の詩は、昔の夜戦に対して現在の私達、艦娘による西村艦隊を暗示祈願しているのですね」

 拗ねる妹を、よくできましたと扶桑が褒める。

「確かに私たちは『彼女』たちの記憶を継承しているわ。能力さえ引き継いでいる。でも過去の出来事はそこで完結しているの。私達は先に進むことができる。どんなに困難が続いても、日は必ず登ってくる……」

 円形に広がるレイテ湾に朝日が降り注ぐ。寄せる波々に光が反射して、まるで大きな樹を飾る青葉の揺らめきのようだった。

 姉の背景が、星空から大樹の木漏れ日に変わる。

 その姿は、まさに東方に浮かぶ霊樹の巨木。大海すら葉とする伝承の存在がここに居る。

 そうか。山城は理解した。自分は失うだけ瓦礫だらけの場所を越えて、明日の日に輝く湾港を見つけたんだ。

 胸の奥底、身体の部位ではなく心の在処から、何かが溢れてくる。

 裏詩が示す通り、ここが終着点だった。

 終わったのだ。あの絶望と慟哭のスリガオ海峡夜戦を、西村艦隊は突破した。

 

 勝利、したんだ……。

 

 抑えきれなくなった感情が、嗚咽となって、涙滴となって表現される。

「姉さま、ねえさま、ねえさまぁー!! やりました。山城は、勝ちましたぁー!!」

 山城は胸の内が収まるまで叫び、神聖な大樹にすがり泣き続けた。

「哨戒に出ている時雨が救援艦隊を連れて戻ってくるわ。そんなに泣いていてはみんなに笑われるわよ」

 宥めも聞き取れず、一人の少女が自身の勝利に酔い涙する。

 姉も目元に光を溜めて、最後まで待とうと腰を落ち着けた。

 

 悪夢の海峡を超えた先、希望の港湾に暁が差し込む。

 満身創痍ながら過去を乗り越えた戦艦『山城』。

 彼女は充足感に身を浸し、明日への水平線に初めての勝利を刻んだ。

 

▲*▲

 

 司令室兼執務室の扉が、ノックからの流れ作業で開かれる。返事を待たないのは、もう慣れた。

「西村艦隊が作戦を完了したそうです」

 秘書艦を務める高速戦艦が、あっけらかんと報告する。

「状態は大破3に中破2。全艦艇に激しい損傷が認められますが、喪失艦はありません。後詰の志摩艦隊により応急処置および曳航を行います」

「救援艦隊だが……」

「旗艦の那智と曙には十分以上に気をつけるように言ってあります。最上の対処は他の艦に任せるようにも伝えました。さすがに気にしすぎですよ」

「どうも前職の癖が抜けなくてね」

 部屋の主は、無理やり苦汁を飲まされた顔をした。

 彼は穢れの集合態である深海棲艦に対処するために、陰陽庁から海軍に派遣異動されらた外様。所謂、陰陽師である。

 その腕は確かで、必要とあれば神主、神父、牧師、僧侶、道士、風水師、霊媒師どころか錬金術師にさえ化けてみせると言ってのける逸材だが、提督業など経験があるはずもない。戦略指示どころか、個人レベルの戦闘でさえ素人である。

 そんな部外者も良い処の人間が、特設鎮守府の司令官に収まっているのには理由がある。

 海上とはいえ船という隔離閉鎖空間で生活する水兵たちは、筋を通すために様々な簡易儀式をおこなった。海に関わる者は現担ぎに重きを置く風潮があるのだ。

 こうした航海関係と、神秘性をごった煮する陰陽道とは相性が良い。なにより陰陽師の本業は事物や単語の関連付けである。現担ぎなどお手の物だ。

 手探りながらも着実に成果を重ねてきた彼だが、ここにきて決断を迫られていた。

 秘書官が煌めき立つ。

「これまでの深海棲艦は、歴史再現をすることであたしたちを沈めようとしてきました。逆に鎮守府の方針として、史実に反する作戦を決することで勝利してきたのです。これはすごいことですよ」

 戦史に疎い司令官の指揮が、逆の効果を生んだ結果だ。

 故に、起こり得なかった可能性に勝利を掴んできた鎮守府に対して、深海棲艦がその方針を変換してきた。

 今回レイテ湾への突入が成功したのは、深海棲艦たちが歴史から外れ艦種差で訴えてくるとの読みが当たったからだ。

 鎮守府は敵泊地を陥落させ、南方海域に点在する"巣"への漸減作戦も成功している。深海棲艦に首脳部があるのなら、逆襲を画策してくるはずだ。

 資料によると、レイテ沖海戦では多くの艦艇が航空機によって沈められている。だが攻撃してきた航空機には、艦載機以外のものが含まれている。

 出処はレイテ島を含む周辺諸島にある飛行場だ。

 そして、この地上航空戦力を海に縛られる穢艦たちは再現できない。空母の数を増やすことで対応するのなら、相応の対策で迎え撃たなければならない。

 明確な指針を以って各艦隊を編成し対応策を施したから、勝利を掴み取ることが出来た。栗田艦隊には、所属を高雄型に絞り対空改装を施された『摩耶』を押し立てる。西村艦隊には、所属戦艦二人に幻に終わった航空甲板の艤装を持たせた。

 それでも穢れの艦艇たちが地上へ侵攻し飛行基地を作成していれば、こちらが負けていたかのかも知れない。

 提督は苦笑する。”たられば”は戦況分析に使ってはいけないと思い出し想像を止める。

 秘書艦が卓上に広がれている書類を覗き見する。

「次は艦隊南進での海域奪還作戦ですか。それなら作戦名は天一号でしょうか? 捷一号は今回終了しましたし」

「もう計画素案は首脳部に送ってあるんだ。当然名称もね」

 手早く書類を引き出しに逃がしつつ、どうやって誤魔化そうか考える。

 彼はこの秘書艦が苦手だった。どうも性格的な相性がよろしくない。なんでもかんでも明るい雰囲気に押されてしまう。

 ひとまず内定を受けた事項を流して、それとなく鎮守府内部の調整に役立ってもらおう。

「天は2つと無い。かといって星一号はまだまだ未来の作戦だ。残りを考えて、地号にしようかとも悩んだが、俺たちにはぴったりのがあったよ」

 人差し指と中指を広げて立てる。

 Vサイン。あの時代にイギリス首相を務めた人物が広めたキャッチコピー。

 自分の手を同じ形にして首を傾ける秘書艦に、最後まで説明してやる。

「人二号(ひとにごう)。俺たちを見守ってくれる天は、空と海の2つ。なにより俺たちは一人じゃない」

 艦娘たちが見上げるのは空を覆う星の海であり、渡り駆ける水草原を天に写したものでもある。

 天は2つと無いと言った傍から、この反し様である。

 だが、そんなことなど気にもせず、秘書艦は天邪鬼な提督に笑い掛けた。

「もしかして『人に業』も掛けてますか?」

「韻を踏むなら『人に恋う』でもあるよ。『人』に『二』を引っ繰り被せて『天』の文字。人が二人寄り添えば、それはもう『けん』を凌ぐ『天』なんだよ」

 上下逆さにしたVサインの付け根に、もう一方の手で作ったVサインを横に重ねる。出来上がった『天』を見ながら、秘書艦の首はさらに角度を深める。

 これが『天』なら、彼が言う『けん』とはなんだ?

 好の逆の『嫌』?

 より強い物が存在する『剣』?

 

 悩む秘書へ、司令官が左足を人差し指で小突いてみせる。

 

 秘書艦はひらめき、納得した。

 なるほど。あの押しかけ弟子の旗なのですね。あれには権より天を示す言葉が書かれている。

 この司令官、生半可な詩人(ポエマー)ではない。特濃の気障者だ。このあたりは言葉遊びを生業にする陰陽師ならではといったところか。

「提督は時雨と仲いいですもんね」

「内なる”声”が聞こえるほどじゃないから、まだまださ」

 仕切りに感心する秘書艦に西村艦隊以外の状況も教えて欲しいと頼むと、さっそくと部屋を飛び出していった。

 ……実に事務向きではない秘書だと思う。

 一人残された執務室で、椅子に深く座りなおして鎮守府の今後を考える。

 歴史追従の作戦にもネタがつき始めている。おそらく近いうちに変換点を迎えるだろう。

 それは史実には起こりえなかった戦い、嘗ての軍令部が望んだ形。今度はこちらが迎え撃つ側になる。

 

 大 洋 横 断

  艦 隊 決 戦。

 

 文字通りの総力戦。

 今度の戦いには、歴史的な補助を期待できない。自分たちの力だけで戦わなくてはならない。

 だがそれを見越して、これまで準備をしてきた。

 提督がどこでもない虚空を睨む。白手袋の指が軋みを上げて組み合う。

 決意をする。

 戦いは、まだまだ続く。

 どんな手を使っても、必ず、勝つ。

 見据えるのは未来。目指すのは、許されているは、誰一人として欠ける事の無い完全勝利のみ。

 

 自分はそのために、ここに座している。

 

◇*◇

西村艦隊の長い一日 了




間を開けて、後書かれる。

 白露型駆逐艦二番艦『時雨』の艤装が、同型艦と違ってガ○キャノンしているのはなぜだ?
 この作品は、そんなどうしようもない疑問から始まりました。

 艦隊これくしょんは、登場する艦娘のデザインが細部にまで練りこまれていることが特徴です。
 天竜と木曾の眼帯ネタや、正規空母たちが中破した時の甲板損傷箇所。大和を改造すると副兵装のグラフィックが変化してロングソックスに文字が入るといった具合に。
 そこで時雨の艤装が特徴的なのは、扶桑姉妹への感情からなのでは思いました。
『佐世保の時雨』が語る『僕だけは忘れないから』という言葉。
 時雨は、あの『雪風』と同格扱いされたほどの幸運艦です。他の陽炎型と衣装を別にする雪風と同じく、時雨の艤装もそういった経緯で変更されたと考えました。
 そうして時雨を中心に西村艦隊のことを知ってゆくなかで、ゲーム中にある任務が出てきました。
 艦娘で西村艦隊を再現して出撃、指定マップのボスを倒すという任務です。
 本作で書いたように、史実に記されている結末は艦隊全滅。唯一残ったのは駆逐艦の時雨のみという壮絶な戦いでした。
 ですが、史実とは違いゲームでの彼女たちはこれを超えることができる。
 暁の水平線に勝利を刻み、希望の港に辿り着ける。鎮守府に帰ることが出来る。
 任務を達成した時、感慨深い気持ちになり、自然と本作の構成と資料集めに取り掛かっていました。

 あと、ゲームでの満潮は泣いていいと思う。ハブられ具合が半端ないよね。
 西村艦隊任務で埋まる枠の中に駆逐艦が重なると難易度が上がるから、ゲーム的なバランスから枠を開けられたのかなと思う。

 書いている最中に時雨に改二が実装されて、嬉しかったです。
 色々な人が改二の髪飾りを『形見』とかいうけど、ゲーム中の扶桑姉妹は提督が沈めない限り健在ですぞー。姉妹と時雨の境遇を考えると、解らないでもない解釈だけどさ。

 それでは、今回はこれにて。
 また、どこかでお目にかかれることを願いまして。


◇*◇

文字数:
第一話、13998文字
第二話、39010文字
第三話、39975文字
*投稿ページの自動計算の転記。

◇*◇
嘘予告
http://www.tinami.com/view/416892


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。