貴女の後ろのメリーさん -怖くない怪談話- (凛之介)
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貴女の後ろのメリーさん -怖くない怪談話-
「私メリーさん」
背筋が凍りつくほど、それは無邪気な声音だった。
「今あなたの家の前に居るの」
電話越しの可愛らしい声がそう告げると同時に、ぴーんぽーん、とチャイムが不気味に響いた。荒くなる呼吸を必死に抑えながら、私は携帯の通話を切る。呼吸を立て直している間にも、チャイムは何度も何度も鳴らされている。
何故このような事態に陥ったかは分からない。メリーさんという人形を捨てたわけでもないし、幼い頃から人形はおろかおもちゃさえ買ってもらったことはない。今はこうして一人暮らしだが、人形は所持していない。
兎にも角にも、今は彼女―メリーさんから逃げなければ。私は物音を立てないように、そっとベランダへと脱出した。ここがアパートの一階でよかったと、心の底から思う。依然として、チャイムは鳴り続けている。
ベランダ用のサンダルに足を入れ、柵を乗り越え一息ついた。が、そんな安堵も束の間。
「どこ行くの?」
耳元で悍ましい囁き。私は思わず地を蹴り駆け出した。背後からはけたたましい笑い声が追ってくる。
私は全速力で走る。五年前まで陸上部に所属していたが、やはり少し鈍っているようだ。あの時ほど早くは走れない。それでも、走るのに不向きなサンダルで必死に走った。
どれくらい、走っただろうか。そろそろ私の体力も限界だ。今にも膝から崩れ落ちそうになる。が、まだ踏ん張らなければ。自分に喝を入れたところで、ふと気が付いた。
今まで走ることで精いっぱいだったが、あのけたたましい笑い声はいつの間にか途絶えていた。が、巻いたわけではなさそうだ。
「ぜっ、ぜっ、ぜっ……ちょっ、はやっ……」
背後から聞こえてくるその息を切らした声で、私は確信した。
メリーさんにも体力の限界がある!
メンタルが回復すると、肉体の疲労も和らいだように感じた。まだ走れる。私は深呼吸して息を整えると、再び駆け出した。背後からは「え”っ」と声が上がるが気にしても居られない。
走って、走って、走った。
口には血の味が広がり、流石に限界を感じる。が、背後から遅れて聞こえる息遣いも相当荒い。
逃げることを諦め、私は立ち止まる。
同時に、希望を見出したかのような声が背後で上がった。足音が近づいてくる。
彼女の手が私を捕らえる――その寸前に、
「でりゃああああああああ!」
渾身の回し蹴りをお見舞いしてやった。見事メリーさんの側頭部に直撃し、彼女は地面に頭を打って倒れた。
荒くなった呼吸、安堵の溜息。私はメリーさんの懐から携帯電話を取り出し、
「私の背中に追いつきたきゃ、もっと体力付けな!」
それを真っ二つにへし折った。
―数日後―
「ご主人、早くトレーニング行きましょう!」
「待って、仕事終わりで疲れてんのよ……ちょっとは休ませて!」
可愛らしい少女が、ルームメイトとして加わり、彼女とは毎日夕方、トレーニングジムに通うようになっていた。
彼女の目標は、私の背中に追いつくことだそうだ。
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