COCODRILO ー ココドゥリーロ ー (明暮10番)
しおりを挟む

ミスマッチな奴ら/Hard jumper

 ころした。

 己の野心で、己さえ消し去った。

 

 

 ころした。ころした。

 命を、尊厳を、実験と言う名義で使い捨てた。

 

 

 ころした。ころした。ころした。

 何十人何万人さえ、死地へ追いやった。

 

 

 ころした。ころした。ころした。ころした…………

 

 

 

 暴風吹き荒む赤い光の中、実質的な特攻を開始した。

 攻撃は躱され避けられ受け止められ、嘲笑うような『奴』の声が響く。

 

 

「お前の罪は決して消えない!!」

 

 

 心の底で、意思に揺らめきを与えられた。

 その一瞬の隙を、奴は巧妙に縫って入る。自身のモチーフらしく、蛇のように狡猾な存在だ。

 

 

EVOLTEC・FINISH(エボルテック・フィニッシュ)!!』

 

 

 煌々、そして赤々と燃え盛る拳が、超衝撃を纏い胸に打ち付けられた。

 

 

CIAO(チャ〜オゥ)!』

 

 

 高威力の一撃はこの身体を容易く吹き飛ばし、遥か天空まで舞い上げられた。

 罪の意識と懺悔、そして己と言う矮小な存在を呪いながら…………途切れかけの意識の最後、赤い光を前に、希望を一人の青年へ託す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピキ、

 

 

『MURCIELAGO』

 

 

「お、おい! おっさん! 何があったんだ、ここで!」

 

「あっ、あいつ!」

 

 

 ピキピキピキ、

 

 

 

「ぐぇ!?」

 

「ぎゃあああ!?」

 

「おごぉ!?」

 

 

 ピキッ。

 

 

「あ〜……やっちゃった。つい全員ボコっちゃった……ん?」

 

 

 ガラガラガラガラ……

 

 

 

 

 

 

 

「あら? 比較的軽傷な人がいるじゃん。運が良かったねぇ」

 

 

 まるで爆撃でも行われたかのように、辺り一面の道路や壁にクレーターとヒビだらけの路地裏。時刻は既に二十時を越し、満月が妖艶にもおどろしく空に浮かぶ。

 

 雲のない夜空、月明かりはビルの谷間さえ照らす。月光の中に立つ女性の目線の先には倒れ伏す、黒いロングコートの男がいた。

 

 

「ちょっとおじさぁ〜ん、生きてるぅ? 話聞きたいんだけど〜」

 

 

 

 

 

 

 

 

『COCODRILO』

 

 

 

 

 

 

 

 男の意識は戻らず。女性は背中を叩くなり揺するなりするが、見た目以上にダメージがあるようで、全く目を覚ます事はない。

 

 

「んー? 無事過ぎる?」

 

 

 女性は辺りを見渡した。

 

 

 

 

 

 荒廃した路地裏には、彼の他に倒れている人間がいた。

 先ほど女性が倒した若者らとは別に、下半身と上半身が無残に千切られた凄惨な死体が一つ。強い圧で壁にでも叩きつけられたのか、目玉は飛び出し、骨が胸を突き破っている。普通ではない殺され方の、残酷な死だ。

 

 

 比べればその男、傷だらけとは言え人間としての原型は完璧に残されている。いや、そもそも、この有様の中では浮いて見えるほどにこの男は綺麗過ぎるのだ。

 

 

「やっつけた奴ら……じゃ、ないか。それに他の連中と比べてソコソコ歳食っているし、浮き過ぎない?」

 

 

 女性は男に興味を抱いた。うつ向けの顔を確認し、知人かどうか判別しようと顔へ手を伸ばす。

 

 

 

 

 

 

「……んでもまぁ、今回の仕事にゃ関係なさそうか」

 

 

 今回の『ターゲット』はこんな小柄ではないし、怪我して気絶しているのならば危害を加えて来る危険性はない。この興味は単なる好奇心だと割り切る。

 与えられた『仕事』と好奇心とを天秤にかけ、伸ばした手を引っ込めた。今の彼女には時間がない。

 

 

「大方、二次被害で気絶したお陰で『免れた』ってクチか。こんだけやっても起きないなら時間の無駄無駄」

 

 

 女性はのっそり、立ち上がった。立てばその身の丈は非常に高く、二メートルに迫らんばかりの高身長だ。女性はその、枯木のような身体をのらりくらりと揺らしながら、路地裏の奥へ奥へと進み始める。

 

 

「…………しっかしぃ、この路地むこうまでボロボロだねぇ」

 

 

 ぼやきながら、女性は月光さえ届かない闇へ身を溶かした。

 

 

 

 

 

 

 

 そのすぐ一分後だった、男が呻き声と共に目を覚ましたのは。

 乱れた黒髪を手で撫で付けつつ、依然として痛む身体を無理矢理に起こした。上半身を動かした拍子に怪我に触れたか、男は一瞬だけ顔を歪めるも、すぐに状況の把握を実行する。

 

 

「……………………」

 

 

 酷く荒廃した路地裏で、空には月。男は全てを見渡した途端に、表情が曇り始めた。

 

 

 

 

「……『塔』がない……?『壁』も……しかも、夜だと……!?」

 

 

 次に目線には、倒れた若者たちと、あの無残な死体に向けられる。この光景に驚くと同時に、彼の思考は理解を止めた。

 

 

 

「何が……ここは、何処だ……!?」

 

 

 

 月光が男の顔を照らす。

 口髭を蓄え、汚れて窶れた顔……しかしその目は眩い信念に輝いている。

 

 

『氷室幻徳』は「この世界」にて最初の覚醒をした。

 

 

 

 

 

 パラパラパラ、リ。

 

 

『第一話 ミスマッチな奴ら/Hard jumper』

 

 

 

 

 

 

 

 

 幻徳は鉄火を当てられたような、忌々しい痛みに耐えつつ立ち上がる。

 次いで、彼の注目は惨殺死体に当てられた。生臭い血と肉の匂いが充満し、目を背けたくなる悍ましい苦痛の表情が、今際に見た恐怖を表現している、

 

 

「……ここが何処かも重要だが……何が起きたのかも重要か」

 

 

 死体を半身を喪失している。切断面を見れば皮膚が最大限まで伸びきり、なけなしの耐久性の限界点で千切れていた。このような死体を少し見た事はあるが、冷静を保てるほどに慣れている訳ではない。どくどくと漏れる腑と、胃粘液と混じった黒い血を眺めた時に嗚咽がこみ上げた。

 

 

「…………ッ。き、斬られた訳ではないらしいが……人間の所業ではないな……『スマッシュ』か、或いは……」

 

 

 幻徳は懐に手を入れ、中身を一瞥する。指の先には青い蛍光色が目立つ、妙な機械があった。彼はその機械が手中にある事に、まずは安心を得た。

 

 

「……俺は何処まで飛ばされたんだ……」

 

 

 場所の確認をしたい。目の前の死体とは別に、倒れ伏す数人の若者に目を向ける。鼻や口や頭部から流血しているものの、気絶で済んでいるらしい。怪我による覚束ない足取りで彼らに近寄り、肩を叩いて引き起こす。

 

 

「おい、大丈夫か? 何があった」

 

 

 幻徳の問い掛けに応じるように、青年は目を覚ました。何か強い物で殴られ、鼻が折れている。

 

 

「は、はにゃが、はにゃが……!」

 

「酷いな……生憎、手当て出来る物がないんだ。案内してくれ、病院に行こう」

 

「ふぁ、ふぁのほんにゃぁ……」

 

「……『あの女』? 女にやられたのか?」

 

 

 色々と聞きたい事はあるが、怪我人に鞭打つ気はない。ボタボタ花粉症患者の鼻水が如く滴り落ちる血を、取り敢えず鼻を摘んで止めておき、ゆっくりと立ち上がらせる。四肢は丈夫のようだ。

 

 

「………………ん?」

 

 

 

 立ち上がらせた時、青年のポケットから零れ落ちた物に気が付く。ビニールの小袋に入った、白い雪塩のような粉。

 人目を憚るような路地裏、ただの塩にしては極端に小さい包装、そしてアウトローな服装の若者……全ての要因においてそれが何なのかは、すぐに悟る事が出来る。

 

 

 

「…………お前、『麻薬の売人』か……」

 

 

 苦痛に歪む青年の顔が、驚愕に変わった。同時に幻徳を突き飛ばし、大きく距離を取る。

 飛ばされた幻徳は、死体から溢れる、まだ温い血溜まりに転ばされた。赤黒い粘液は服や皮膚にまとわり付き、まるで内臓を触ったかのような不快感を催させる。

 

 

「お、おっふぁん、け、け、けいしゃつか!?」

 

 

 鼻を折られて酷い鼻濁音ではあるが、彼は幻徳を警察だと勘違いしている事は聞き取れる。

 

 

「俺は警察ではない!」

 

 

……とは弁解したものの、麻薬取り引きの証拠を見た自分をみすみす見逃すものなのか。

 その通りだが、青年は元から聞く耳を持たない。怯えと殺意を目に宿し、足元にあった鉄パイプを手に取った。

 

 

 

 奇妙な事だが、青年の好戦的な気質も去る事ながら、彼はもう鼻の痛みを気にしていない様子に見える。

 幻徳はその異常性に気付き、戦闘は免れないと知り、血溜まりから立ち上がった。

 

 

「……敢えて言う。罪を償え……まだ後戻りは出来るだろ」

 

「うるひぇ! んにゃ綺麗事でにゃびくかひょ(んな綺麗事で靡くかよ)」

 

「……こんな事している場合ではない。人が死んでいるんだぞ!」

 

 

 

 説得も虚しく、青年と共に倒れていた連中ものっそり起き始めた。

 目を開け、仲間が幻徳と相対している様子を見ただけで、彼らも各々ナイフやパイプと、武器を取り出し構える。幻徳を事情も知らずに敵と見なしたのだ。

 

 

 

 数は六人、しかも気絶から覚めたばかりなのに足取りがしっかりし始めている。痛みも気にしていない。

 その様子を見て幻徳は確信した、「やはり麻薬を使用している」と。

 

 

 

 

(……しかし、ただの麻薬でここまでなる物か……?)

 

 

 疑問が思考を掠めたが、熟考する時間は与えて貰えないようだ。六人の内の一人が、幻徳に向かって襲いかかる。

 

 

 

 

 

 ウカウカしていた彼ではない。彼は何度か修羅場を超えてきた身だ。

 一直線に向かう青年を寸でで回避すると、次々と強襲する仲間も同じく避けて行く。気付けば六人組がいた場所と、幻徳のいた場所とが入れ替わっていた。

 

 

「ちょ、ちょこまかと! 素早いおっさんだ!」

 

「……まだ三十五だが……」

 

 

 青年たちはまた武器を構える。

 説得と弁明……錯乱者に話し合いの余地は不可能だと判断した彼は、懐から『奥の手』を取り出す。

 

 

 

 けばけばしい青の蛍光色に、レンチのようなレバーの付いた『オモチャにしか見えない何か』だ。

 ナイフか警棒かを取り出すと思われたが、存外にヘンテコな物を取り出した為に青年らは拍子抜けの声をあげる。

 

 

「オモチャぁ!? んなもんで戦うのかよ!?」

 

「……これが分からないのか? 都民にある程度の公表はされているが……」

 

 

 やはり、何処か状況に整合性がない。自分が最後までいた光景と、この目の前の光景があまりにも違い過ぎた。

 幻徳は確かに動揺を抱いていたが、襲いかかる一人を避けた後に横腹へ蹴りを入れた後、オモチャを掲げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかしその刹那、轟音が鳴り響く。

 

 

「……なに?」

 

 

 視線の先、イカした外車がヘッドライトを見せつけ、甲高いエンジン音を吐き出している。

 驚いたのはその後だ。外車はまるで幻徳たちをいない者として扱っているが如く、容赦のない時速140キロ越えで突っ込んで来た。

 

 

「馬鹿か!?」

 

 

 幻徳はオモチャを再び仕舞い込み、大急ぎで真横へ飛び込んだ。そのすぐ横を、外車は暴風巻き上げ突っ切る。

 

 

「わ!?」

 

「なんだ!?」

 

「うおおお!?」

 

 

 驚きは止まらない。外車は呆然と立っていた青年たちを、この狭く限られた通路上で、しっかり回避したのだ。左の前輪後輪をビルの壁に乗り上げさせ、車体を斜めにしながら平然と走る。ドライブテクニック云々の話ではない、まるで車自体が意思を持っているかのようだ。

 

 

「………………」

 

 

 これには幻徳も青年らも、敵対している事を忘れて眺めるしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事態はそれまでに留まらなかった。次は青年らの真横の壁が破壊され、そこから巨人が雄叫びをあげながら出現したのだ。

 

 

「どうなってるんだ!?」

 

 

 次から次へと起こる災難。幻徳の思考はまたも停止する。

 その巨人は長い黒髪を振り乱し、異様に発達し膨張した筋肉に禍々しく血管を浮き出させ、目は爛々と光っていた。人間の姿をしてはいるが、一切の理性を思わせない狂気が空気に漏れ出している。

 

 

「こいつ……!?」

 

 

 散るコンクリート片やガラスに注意しながら、土煙の中から姿を現わす現す怪物を前に、幻徳は戦慄した。

 

 

 

 しかし怪物は幻徳らを無視し、先ほどの外車を追い掛ける。恐るべき脚力で地面を蹴り上げ進み、一歩一歩のたびに辺り一面に地震を感じさせたほどだ。

 

 

 青年らは怪物の登場の際に衝撃で吹き飛び、壁に打ち付けられ気絶している。

 幻徳は何とも言えない気持ちを抱くものの、この尋常ではない事態を見過ごす気は毛頭もなかった。

 

 

「何だか知らんが……!」

 

 

 

 

 懐からオモチャらしき物を再度掲げ、下腹部に当てる。その行動が起動条件なのか、機械からやけに癖の強い音声が流れた。

 

 

 

 

 

『スクラッシュゥドライバー!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼はこの日より、『流々家町』の都市伝説として謳われる。

『仮面ライダー』として。同時に『正義のヒーロー』として。

 

 

 

To NEXT……




幻徳が紅守ハーレムをヒィウィゴー覚悟乗っ取りゴースト展開は微塵も考えていない


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

驚天動地のファニースト/HE we go

 人畜無害な人間であっても、極々一般的な市民にとって警察の存在を前に行動する事は畏怖を抱いてしまうものだ。法定速度は守っているのに、パトカーを前にしたならば余計に速度を落としてしまうし、路上に立つ警察官を見れば「何事か」とついつい警戒してしまう。

 

 

 そう言った感情は謂わば、その人物が罪を犯す事に対して恐怖を持っている事の裏返しでもあり、至って平和な人間である証拠でもある。警察は自己に対する警戒より『委縮か恐怖か』を判断できる人間が、理想的な警察官だと言える。故に、昨今では疎ましがられ気味の職務質問は、『自身に恐怖を抱く者』を見極められる警察官がやはり上手い。その能力がない警察官が手当たり次第に行う為、疎ましがられているのだ。

 

 

 怖い者無しの人間でも、あの群青の制服を見れば警戒を抱く。その警戒に後ろめたさや思惑が付随すれば恐怖を伴い、行動に整合性が取れなくなってしまう。隠し通そうとしても、ボロが出ると言う訳だ。口から吐く嘘よりも、行動で示す嘘は存外に見破られやすいのだ。

 結果、警察官を前にすると身体の中心線を背けたり、目を逸らしたり、不自然に道を変えようとしたり、肩を怒らせたりする。警戒が委縮である一般的ならば逆に警察官から目を逸らさないか、職務質問を心配してうんざりした顔になるか等の行動になる。

 

 

 制服は謂わば、警戒の判別装置だ。敢えて警戒を与える事で、正体を照らす松明でもあるのだ。

 最も、光から逃げようとする程に敏感な者を追う場合には、覆面警官が起用されるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、残念ながら、この効果が全員に当て嵌まるかと言われれば「否」と言わざるを得ない。

 もし、元から『恐怖が欠如』した人間がいれば?

 もし、自身の行いが『罪ではない』と信じ切った人間がいれば?

 もし、狂気的なまでに『恐怖と理性』を乖離させた人間がいれば?

 

 恐怖とは、社会生物故の自覚から発生する物であり、『狂気』はそれらを解き放つ翼だ。

 こう言った者らは松明を叩き割る、火を恐れぬヒグマを連想させるだろう。そう言う狂気を持つ者ほど、人間を凌駕した存在なのかもしれない。

 そして狂気を持つ者は、背後に『何もない』、底の人間に多いとされる。恐怖が生まれる原因に、立場の崩壊や社会からの排除が含まれているからだ。或いは、それらを捨て去る覚悟を持った人間も含まれる。

 

 

 

 

 そんな狂気を持つ者には何をすべきか?

 この国は『屠殺』を容認したのだ。

 敢えて、『狂気』を引き入れる事により。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここまで『正常と異常』なんて言葉を一句たりとも使用していない。

 法の下に従う者を「至って平和な人間」とは言ったが、正常なんて言っていない。

 何故なら人間には思想があり、一人一人の感情があり、一人一人の嗜好がある。その符号の連鎖に環境が入り込んで初めて『性格』が形成され、個人の倫理によって隠された『本性』も作り上げられる。

 

 自身の正常を他人に否定された事はないか? 

 正義と信じた行動が裏目に出た事はないか?

 正常に基づき異常と見做した者を排除した事はないか?

 正義の名の下、自身を痛め付けたりしてはないか?

 

 

 

 

 そろそろ気付くべきだ。

 我々は『正常故』なんて括りで行動する以上は『狂気』であると。

 我々は正義ではなく、その狂気に基づいて行動していると。

 

 

 我々は高知能的な存在である以上、『狂気のトリガー』を握り続けていると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この国の判断こそ、引かれたトリガーの結果。

 類は友を呼ぶと同様に、狂気は狂気を好む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カリカリカリ。

 

 

「『紅守黒湖』さん!」

 

 

 カキカキカキ。

 

 

「『屠桜ひな子さん!」

 

 

 カッカッカッ。

 

「総死亡者数二十二人と出ているんですよ!?」

 

 

 ズズーズズー。

 

 

「出来ました〜〜!」

 

『驚天動地のファニースト/HE we go』

 

「誰がラクガキしろって言いました!?」

 

 

 

 紅守黒湖と屠桜ひな子は、『仕事』を終えたその二日後には警視庁の取調室にいた。

 額に血管を浮かせるほどに激怒するスーツ姿の女性刑事を前にしているものの、屠桜は満面の笑みで描いたラクガキを見せ、隣の紅守は優しくそれを見守っていると言う、場に整合性がない珍妙な空間と化していた。

 

 

 

「ねーくーちゃん。お腹すいたよー……」

 

「そうだね、カツ丼ください」

 

 

 通常の人ならば委縮してしまう、無機質な取調室内にも関わらず、二人の態度は親戚の部屋に遊びに来たかのような朗らかさ。

 刑事こと『君原茶々』は正義感の強い女性だ。彼女らのその、無責任な態度がまた火に油を注ぐ。

 

「バカにしてるんですか!? あなた方には報告の義務があるはずです!!」

 

「怒っていると可愛い顔が台無しだよぉ〜?」

 

「いい加減に……ッ!!」

 

 

 怒りが振り切り、思わず殴りかかってしまいかけた。

 そんな時にチラリと見た、ひな子の描いた絵に注目する。

 

 

 

 

 

 今回の大量殺人事件の主犯と思われる巨漢の元レスラー『井々村 弼』が、首を吹っ飛ばされている様子が幼稚な絵で表現されていた。

 その背後にはキメ顔の紅守が立っており、「井々村は紅守が始末した」と一種の報告文になっている。君原にはそれはラクガキにしか見えないが、意味の全くない絵ではないとも気付けた。

 

 

 そして井々村の前には、「ワニに下から顔を噛まれているようにしか見えない黒い卵頭」の変なキャラクターが立っている。

 

 

 

「……あと、現場にいたらしい、この人物についても答えて貰いますよ!」

 

 

 彼女の質問に、紅守は困ったような表情を見せた。

 

 

「いやー答えるも何も、ソレに関してはあたしも分かんないんだよねぇ」

 

「分からない訳ないでしょ! 数人の警官が目撃しているんですよ!」

 

「いやホントホント」

 

 

 いつまでやっても平行線な取調が続くが、君原の背後で呆れたように眺めていた男性が電話を終えると、三人に介入して来る。

 

 

「……お前ら、もう帰っていいぞ」

 

 

 言い渡したのは、帰宅命令だった。

 

 

「つ、『ツルさん』? 帰すのですか?」

 

「上からの指示だ、従っとけ……」

 

 

 その声には諦念が込められており、察知した君原はそれ以上の言及を辞めた。

 男性こと『御剣燈悟』は、徹底的に嫌悪を表出させた目で二人を見遣る。

 

 

「さっさと帰れ。俺はお前のツラをできるだけ見たかねぇんだ」

 

「……まっ、帰って良いらしいし。ひな子、帰ろっか?」

 

 

 彼はツルさんと呼ばれているが、文字通り『鶴の一声』で取調は終了した。君原は納得し切れていない様子を見せながら、フラフラと去って行く紅守とひな子を後ろから黙って睨む。

 

 

 扉が閉じられ、二人は退室する。誰もいなくなった事を確認した後、君原は直談判を起こした。

 

「上からの指示って、説明になっていないです!! あの二人は何も言わないし、到底納得も出来ませんよ!」

 

 

 御剣は彼女からの質問を予想していたようで、疲れた顔を一瞬見せながら続けた。

 

 

「組織ってのはそういう場所だ……余計な詮索はするな。現場に関しては俺から報告はしている」

 

「しかし、『例の人物』は謎のままで……」

 

「……それに関しては、あっちにもこっちにも分からねぇ」

 

 

 御剣はふと、その『例の人物』が現れた、一昨日の出来事を思い出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一昨日の事件の際、御剣は『仕事』をする紅守のお目付役として、彼女らの動向を追っていた。

 GPSからの探知を目印に、何処へ行ったか何処へ行くのかを予想しておき、何とか二人の目的地に齧り付く。その時の彼は、ビルの五階から伺っていた。

 

 

 元レスラーであり、今回の大量殺人事件の犯人である井々村は、麻薬の過剰摂取により末期的な幻覚症状をきたし、幻覚上にある『超満員の白熱試合』と言う幸せな妄想に取り憑かれ暴走していた。

 彼の目には様々な物が試合関連の物に見え、人間ならば対戦相手と見做して襲い掛かる……そのどうしようもない凶暴性から、国は彼の人権を排除し、屠殺を命令した。

 

 

 

 

 

 その命令を受けたのが、『紅守黒湖』であった。彼女は公的『スローター』な訳だ。

 

 

 

 

 御剣の眼下では、ひな子を運転手とした『ランボルギーニ・ムルシエラゴ』の前に、件の井々村が待ち構えている。今の彼には、横幅の広い車の正面部でさえ、筋骨隆々の対戦相手と見えてしまっていた。

 

 

 車は二ドアオープンの為、天井のない座席から紅守が不吉な笑みを浮かべつつ、井々村へ注視している。何を考えているのか分からないが、取り敢えずは「どう殺すのか」と言う思考のみが巡っているのだろうなと考えると、御剣の嫌悪感は増大して行く。

 何故こんな奴に頼むのかとも考えたが、『こんな奴だからこそ頼まれるのか』と、いつも自身の中で質問と納得が始まる。だが、どうしても納得出来ない場所があるのだから、彼は決まり切った質問がふとした瞬間にいつも出現しているのだと思っている。

 

 

 

 

 

 そんな思案はさておき、紅守は何処から持って来たのか、ゴングを木槌で叩いて『試合開始』を井々村に錯覚させた。

 同時に彼は手を差し出し、指を前後に動かして『挑発行為』を行う。『打たせて返す』がレスラーの本領……特に、『正義と悪』と言う括りで試合までのストーリーを展開するお約束が多い『アングラ』の『ベイビィフェイス(正義の味方)』のやり方だ。

 

 

 紅守はひな子に何かを言った後、彼女はアクセルを目一杯に踏み込み車を井々村目掛けて猛進させる。ここまで来れば御剣でも何を起こすのかが予想出来る、『レスラーを轢き殺す』のだ。

 だが相手は銃弾を物ともせず、分厚いコンクリートさえぶち壊す怪物……通常の車より幾分か軽いであろうスポーツカーが彼を轢死させるなんて到底思えない。スピードを出るとしても車とレスラーの距離は三十メートルもない、井々村を吹き飛ばせるほどのスピードが出せるものなのか。

 

 

 

 いや、車は囮だ。『打たせて返す』……衝突する車を受け止めさせ注目させ、紅守が始末するつもりだ。

 

 

 そんな彼女の思惑なんか察知する理性など存在しない井々村は、馬鹿正直に迫るランボルギーニを待ち構えている。勝負は決していた、御剣は既にこの後の処理や報告諸々をどうするかに思考をシフトさせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、ここで『乱入者』の登場だ。

 紅守は存在に気が付き、ひな子に停止を求めて車を急停止させた。

 

 止まったランボルギーニと、待ち構えるレスラーの間に……『例の人物』は空から降って来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地面を割り、粉塵を巻き上げ、そいつはゆっくりと佇んでいた。

 次に彼はハッキリと聞き付ける。まるでレスラーを熱く紹介し観客を扇動する司会のような、その音声を。

 

 

 

 

 

『クロコダイル・イン・ローグッ!! オォォォウラァァァァアッッ!!!!』

 

 

 

 

 謎の人物の登場は、全てを見透かしたような紅守の表情にさえも、驚きを与えている。

 御剣は自身の目を疑った。煙の中から現れた人物は、厳密に言えば人間と捉えられなかった。

 

 

 

 紫を基調とした身体、胸を晒したようなデザインのスーツに、黒い身体にヒビらしき模様が浮いている。腰にはオモチャのようなベルトが装着しており、紫色の棒らしき物が赤い光を漏らしていた。

 そして『ワニに下から顔を噛まれているようにしか見えない黒い卵頭』と言う表現以外見つからない頭部に、エメラルド色の丸い目が付いている。

 

 

 

 

 そこにはヒーローショーで見るようなスーツ姿をした怪人がいた。

 

 

 

 

「…………見た感じでは、麻薬の症状に見えるが」

 

 

 怪人は構え、臆する事なく井々村へ戦う意思を見せた。

 紅守とひな子の乗るランボルギーニを対戦相手と見做していた井々村は、標的をその怪人へと変更した。何故ならば、彼の目には『ヒールの覆面レスラー』が写っていたからだ。

 

 

 

「ちょっとちょっと!? いきなり横槍は困るんだけど!?」

 

「……誰だ?」

 

「いやいやあんたが誰よ?」

 

 

 互いに困惑し合う怪人と紅守だが、運転席にいるひな子は目をキラキラ輝かせている。

 

 

「ふおぉぉぉ!! カッコイイのキターーーッ!!」

 

 

 純粋にこの怪人の姿を賞賛しているようだ。怪人は声に反応し、ひな子を見遣る。彼女がいる席が運転席だと気づいたようだ。

 

 

「……未成年じゃないのか? 車の運転は二十歳からだと……」

 

 

 この状況で気にする所はそこなのかと、思わずツッコミが出てしまいかけたのだが……ベイビィフェイスとは言え、いつまでも待つ相手ではない。煮えきった井々村は雄叫びをあげ、怪人目掛けて突進を始めたのだ。

 

 

「あー、先制許したー。あんたが責任取りなさいな」

 

 

 井々村の標的は怪人だが、紅守は彼を助けるつもりはないらしい。

 

 

「……下がっていろ」

 

「あたしの台詞なんですけど」

 

「アレは人間には止められん」

 

「それもあたしの台詞なんですけど」

 

 

 邪険に扱う紅守だが、怪人の目線がレスラーに向けられたと同時にその表情には悦楽が含まれている事に気づく。

 彼に仕事を任せたのではない、『お手並み拝見』だ。彼女は既に、この謎の人物の異質さに気が付いていたようだ。

 

 

 

 

 

 両手を掲げ、怪人に摑みかかろうとするレスラー。あの腕に捕らわれれば、四肢を断裂させられる未来しかない。

 だが怪人は後退りなど一歩もせず、同じく腕を広げ待ち構えた。自分より巨大な存在に対し、一縷の恐怖を抱いていないようだ。

 

 

 

 

 

 レスラーの腕が怪人に注がれる。

 怪人はその手を……受け止め、暴走列車が如くの彼を停止させたのだ。細身でスラリとした体格で、自身より大柄な存在の力に対抗出来ていたのだ。

 

 

 

 

「……『ライダーシステム』は人間を凌駕する」

 

 

 いや、対抗だけではない。寧ろ『上回っている』。

 分厚い壁のような井々村の手の平を押し込み、なんと逆に後退りさせた。怪人が一歩踏み込む毎に、井々村が一歩下がるのだ……御剣は目を疑った、紅守でさえ不可能な事を突然現れた怪人が成し遂げた。

 

 

「おぉ! 意外や意外! 上出来以上!」

 

 

 紅守から賞賛の声が掛けられるが、怪人にとって背後から投げかけられるべきその声は、真上から響く。

 御剣からは紅守の行動が見えていた。助手席からフロントガラスの縁を土台に飛び上がり、綺麗な軌道を描きながら怪人と井々村の頭上を舞っている。

 

 

 怪人は彼女に気付くが、井々村は目の前の好敵手に夢中で目を向けようともしない。

 

 

 紅守の手に握られていたのは『拳銃』。彼女は二人の真上をターニングとして、井々村の背後へ真っ逆さまに落ちる。その過程の途中にて、後頭部に銃口をゼロ距離で突き付けた。

 

 

 

 

「お前!? やめろ!!」

 

 

 怪人の声はなんと、紅守を止める声だった。

 だが彼女にそんな制止は通用しない。引き金を握り、満面の笑みで『試合の幻想』を楽しむ井々村へ最後の言葉を送る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「バイバイ、ベイビィフェイス」

 

 

 引き金を引いたと同時に、甲高い発砲音が木霊する。

 いくら銃弾を食らわないほどの肉の鎧に守られたと言えども、頸椎まで鍛えている訳はない。放たれた銃弾は延髄を切り、井々村の頭部を吹き飛ばした。

 

 

「よっと」

 

 

 井々村の背後でもう一回転し、紅守は華麗に着地する。

 同時に彼の無くなった頭部からは、栓が抜けたかのように鮮血が噴出した。

 

 

 飛んで行った頭部は紅守が五秒前にいた、ランボルギーニの助手席に収まる。ひな子からピーッと悲鳴があがる。

 

 

 

「フィニッシュは、延髄斬り……いや、延髄撃ちか」

 

 

 

 生命が喪失され、それはただの『物』となった井々村の身体は一気に重くなった。怪人はその重量さえ耐え抜き、彼の死体をゆっくりと寝かせた。

 

 

 死体を置いた後、彼は拳銃をクルクル回して平然と立つ、紅守へ詰め寄った。

 

 

「どうして殺した!?」

 

 

 表情は見えないが、肩を怒らせて歩く様は声色から憤怒は読み取れる。

 

 

「なにも殺すまでしなくては良かっただろ!?」

 

 

 彼の発言に対し、紅守はまず答えない。

 

 

「いやぁ〜、少し予定は狂ったけど結果オーライ! 寧ろ車壊さなかったからハッピーエンド?」

 

「俺の話を聞けッ!! 人を……殺したんだぞ!!」

 

 

 怪人の怒りは義憤であった。そこにまた、御剣は驚く。

 あの怪人は井々村に対峙したものの、殺すつもりは毛頭も無かったらしい。状況を詳しく知らないようだ。

 紅守は近くまで寄った彼へ、興味半分呆気半分の表情で迎え入れた。

 

 

「あんた、表見た? 十人単位の人間が、そこの筋肉怪獣に殺されたんだよ? もう善悪の区別のつかない猛獣を処理しただけ。人間じゃない」

 

「麻薬で自我を見失っていただけで……!」

 

「あーー……おたくさん、何も知らずに首突っ込んだの。寧ろ尊敬するわ」

 

 

 紅守は彼を通り抜け、死体に足を乗せた。

 

 

「コレは、現代医学じゃあ処理しきれないほど麻薬の汚染されちゃった訳。大量殺戮者で更生の余地ナシ、ブレーキもない止め様もない暴走列車を止めるにはどうするかって、死で以て止まるしかないじゃん?」

 

 

 絞首台か自分の銃弾かの違いだとも、主張しているようだ。罪悪感の光のない、冷ややかな目で死体と怪人へ視線を行ったり来たりさせている。

 怪人は憤怒から腕をワナワナ動かし、今にも彼女へ殴りかからんばかりだ。

 

 

「……お前……本当に何者なんだ……?」

 

 

 御剣は心の中で、この怪人が紅守へ攻撃を加える事を期待してしまっていた。

 そうだ、そいつこそ怪物だ。倒せ、殺せ…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だがそれは、連絡を聞き付けた警官隊によって制止させられる。

 奥から詰め掛けて来る警官隊は連絡のない怪人の姿を見た途端に銃口を向け、警戒し出した。

 

「怪しまれてるけどぉ? 戦う?」

 

「……チッ」

 

 

 怪人は何処から取り出したのか、紫色の妙な銃を見せた。

 

 

「おっ? なにそれなにそれ?」

 

 

 

 銃撃戦でも行うのかと、御剣も身を乗り出し警戒したが、その銃口からは銃弾ではなく煙が出現した。煙は辺り一面を覆い、警官隊の恐怖を煽ったものの、消え去った後には怪人の姿が消失していた。

 

 

 紅守も含めて全員が四方八方を確認するも、何処にもいない。煙に紛れて逃げたのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

「へぇ……ベイビィフェイスはまだいたの」

 

 

 その相貌は、何処か楽しげだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 追憶が終わり、彼は廊下に立っていた。君原は書類作業か何かで席を外した。

 彼自身も、紅守の存在と処遇に不満を抱く一人の人間だ。だからこそ、あの紅守へ対抗心を明確に見せたあの怪人に同意した。

 全く素性の不明な仮面の男……だが、彼こそがもしかしたら、この鬱屈を打破する光となり得るのかもしれない。

 

 あの怪人は、自分が追い求め待ちに待った『ヒーロー』なのかもしれない………………

 

 

 

 

 

 

「……買い被り過ぎだ。希望なんかねぇ」

 

 

 懐からタバコを取り出し、火を灯し吸い込んだ。

 

 

 

 

「……また禁煙失敗だ」

 

 

 そうぼやきながら、紫煙を吐く。

 

 

To NEXT……




感想のほど、非常に感謝します。まさかムルシエラゴを知っている方がいるとは驚きでした。
全ての感想に目は通すつもりですが、メモ帳で本文を書くのであまりマイページを覗きません。返信しなかったりが多いとは思いますが、善処願います。

メールボックスに来た場合は、それなりに返信するつもりです。希薄な私ですが、どうぞよろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

この町のニューヒーロー/LIght sider

 幻徳は路地裏にいる。

 

「……なんてことだ」

 

 

 未だ癒えぬ傷を庇いつつ、そしてここが何処なのかを理解する為に、この二日間は町の散策に費やした。

 ここは『流々家町』。東都も西都も北都も、更には戦争もライダーもスカイウォールもない……パンドラボックスが開かれる前の平和な日本と同じだった。

 

 

 以前に彼は、似た事象があった事を覚えている。

『最上魁星』が実行した、『エニグマ』による次元融合。最上はスカイウォールから発見した未知のウィルスを使い、自身を不死の超生命体として完成させるべく、幻徳の世界と『スカイウォールのない世界』とを引き合せようとした。大まかな目的は、その別世界の自分と融合する事により完全体に至ろうとしたらしい……その目論見はあと少しの所で崩れ去ったようだが。

 

 

 

 言える事は一つ。あの日より世界は『平行世界』の存在を確信した。壁がない、十年前そのままの日本が存続している平行世界がある事を知った。

 エニグマの仕業ではないにしろ、幻徳は数多ある平行世界の一つに飛ばされたらしい。推測するならば、エボルトに吹き飛ばされた際に、スカイウォールの何かしらの作用に触れた可能性がある。そも、最上は平行世界のウィルスをスカイウォールにて発見した……逆に言えば、スカイウォールには次元を超越する非科学的な力を元々宿していたとも言える。それが完成系へ近付くにつれ作用が変容し、触れた自分を平行世界に引き込んだのではないか。

 

 

 

 

 あまり考えたくはないが、そもそもパンドラボックスの力は物理法則や理論を優に超越する。壁に隠された力があってもおかしくはないだろう……科学はさっぱりだが。

 

 

 

 

「…………なんてことだ」

 

 

 

 しかしもし、以上の推測が正確な場合、果たして帰る手立てはあるのだろうか。

 最上の事件では、エニグマを利用して移動と帰還が可能だったらしい。だがこの世界には何もないのだ。帰り道が分からなくなってしまった。

 

 彼にはどうしても戻らねばならない理由がある。ビルの狭間に腰を下ろし、我が祖国を思う。

 父親の仇、国を復興、『万丈』の奪還、地球崩壊の阻止…………彼はまだ、『償い』をしていない。こんな世界で燻ってはいられないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………………なんて、ことだ」

 

 

 だが今、彼が打ちひしがられているのは別の要因にある。

 彼は今、無一文。寝る場所も食べ物を得る術も、何も無い。元の世界に戻る以前に、生物的な生存さえままならない状態なのだ。

 

 

 そうだ、今の彼は『ホームレス』も同然だ。帰る以前に、餓死してしまいそうだ。

 

 

「単価は『円』……ドルクやルルクじゃない。本当に十年前の日本だ。そうなると、これもただの紙か」

 

 

 彼の世界での紙幣であるルルクを一枚、忌々しげに投げ捨てた。正直、現在の彼は肉体と精神共に限界が来ている。荒むのは無理もないだろう。

 

 

 体力の限界については、この世界に来る前に受けたダメージが六割だ。残りの四割は二日前の『再変身』……消耗している上に、より負担の大きい再変身を行ったのだ。帰る事すら不明な現状と、一昨日の最悪な事態を目の当たりにした精神的疲労も計り知れない。正直、歩いていられた自分が不思議なほど。

 そこは彼の根本にある『強い自我』が残っていたからだろうか。この自我が拠り所となり、彼は深い絶望に堕ちる事は無かったのだ。

 

 

 

 

 しかし、生物としての本能的な限度には抗えない。どんなに強固な精神力を持っていたとしても、空っぽの胃は悲鳴をあげるし、栄養不足の脳はぼんやり霞むし、疲れ切った筋肉は固まって行く。何か、食べなければならない。

 

 

「…………まさか死を真に実感するのが、こんな有り様だとは……」

 

 

 戦場ではなく、自分は平行世界の薄汚い路上で野垂れ死ぬのかと考えれば、至極馬鹿らしくなって来た。

 何としてでも元の世界に帰り、国を一つにせねばなるまい。そうしなければ死んでも死に切れない。

 幻徳はみっともなくても良い、誰かに恵んで貰えやしないかと考え、ゆっくりと腰を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タッタッタッタッタッ……

 

 

「……誰か?」

 

 

タッタッタッタッ……

 

 

「……通りすがりか」

 

 

タッタッタッ……ポロっ。

 

 

「……ん?」

 

 

 

 

 

 

 

『この町のニューヒーロー/LIght sider』

 

 

 

 

 

 

 

「……財布を落として行った」

 

 

 優しい性格の彼は、その財布を我が物にしようと言う邪な選択肢を考えやしなかった。

 純粋に「財布がなくなったら大変だ」と思い、善意から拾い上げ届けてあげようと至った。

 

 

 

 

 

 

 仄暗い路地裏を出れば、光彩と嚠朗が幻徳を染める。

 春の陽気が充ち満ちる街、笑顔で行き交う若者たち、俯瞰し招き誘う案内板の連なり、広き交差点から展開するビルより広告の数々。長閑だが忙しく、それでも大らかなる絢爛な街は異端者さえ迎え入れる。街はただ受け入れるだけ。

 顛末どうなろうとも、それは街ではなく受け入れられた者たちへ一存される。

『町』は単なる箱舟なのだ。

 

 

『明るく強く、未来を進む流々家町』

 

 

 町のキャッチフレーズが書かれたポスターの前を通り抜け、幻徳は目を凝らした。

 一瞬しか落とし主を確認していないが、春らしい薄紅色の服を覚えている。そして女性だとも覚えている……財布もキャラクターの顔に見立てられた可愛らしいガマ口だ。

 

 

「しかも子供か。尚更落としたら困るだろうに……」

 

 

 幻徳は優しい性格だ。

 黒いコートの裾をはためかせながら、少し窶れた顔で落とし主が向かったであろう方向を直走る。

 

 街角、パーキングエリアを超えた。

 

 

「きゃっ!」

 

「おおっと」

 

 

 小学生くらいと思われる童女と軽くぶつかってしまう。

 

 

「すまない。怪我は?」

 

「あ……えと……大丈夫……です」

 

「悪かったな」

 

 

 あまり子供慣れしていない、不器用な言い回しで謝罪した後、さっさとその場を後にする。

 

 

 

 

「……この世界の人間は、地毛が色とりどりだな」

 

 

 先ほどの子も薄い緑色の髪色だった。散策中も赤だの青だのと言った色を見たし、染めていると言う訳ではなく老若男女問わず一般的な地毛らしい。メラニン色素のバリエーションの高さに驚いた事は言わずもがなだろう。

 

 

 

 

 

「イタッ!」

 

「おう……」

 

 

 交差点の前で今度はがっつりとぶつかった。スマホを見ながら歩いて来た物だから幻徳と衝突したのだろう。

 

 

「す、すいません! ぼーっとしていて!」

 

「いや、良いが……ながらスマホは危ないからやめなさい」

 

「……すいません」

 

 

 今度は赤い髪の、大学生くらいの女性だ。

 彼氏と連絡でも取っていたのか……と推測しながら、幻徳は歩行者信号が青となった交差点へ歩を進める。

 

 

「この先が交差点だから、渡ったとは思うのだが……」

 

 

 今日は休日でお昼時なのか、交差点は一層混雑している。気を抜けばまたぶつかりそうだ。

 

 

 

「わっ!」

 

「おとと……」

 

 

 

 そう思った途端に、今度は三つ編み眼鏡の少女とぶつかる。今時珍しいな、こんな文学少女はとも思った。

 

 

「ご、ごめんなさい!」

 

「いや……良い……」

 

 

 交差点の途中なので、互いに謝罪は手短に済ませた。

 

 

「……どうなっているんだ」

 

 

 短時間で三人の女性とぶつかる。図らずも今日は厄日なのかとうんざりして来た。

 

 

 

「あっ」

 

「…………」

 

 交差点を渡り終えたと同時に、また衝突。スーツ姿の女性だが、休日出勤とはご苦労な事だと変に同情する。

 

 

「申し訳ありません、急いでいたもので……」

 

「……あぁ、こっちも急いでいたから……」

 

 

 言葉遣いから滲み出る有能感に、思わず圧倒されかけた。恐らく何処かの大手企業の秘書か何かだろうか。

 

 

 

 

「……あ」

 

 

 幻徳は視界の先に、桃色の髪をした、薄紅色の服の少女を発見する。良く見れば隣に同行者がいた。

 

 

「付き添いがいたか……いや、ここまで来たんだ」

 

 

 どうせならば届けて終えようと考え直し、約十メートル少しの距離を詰めようと駆け出す。

 

 

 

 

「うわっ」

 

「うおっ!」

 

 

 焦りが祟り、なかなか激しくぶつかった。薄紫色の髪をした眼鏡の女性で、紅潮した顔をしている……咥えタバコの煙が顔に当たった。

 

 

「すまない、急いでいて……クサッ! 酒クサッ!」

 

「あぁ!? ぶつかっといてソレは失礼でしょうがアンタ!」

 

「あ、いや、これは咄嗟に言って……」

 

 

 胸倉を掴まれ、女性よりも背の高い幻徳は一気に眼前まで引き寄せられた。タバコの煙に酒の匂いが混じって臭い。

 

 

「アンタかって酒は飲むし、タバコは吸うんじゃないのぉ!?」

 

「酒もタバコも絶っているんだ!」

 

「かーっ! つまんない男! 絶対童貞だわ!!」

 

「止めろ止めろ大声で言うな!!」

 

 

 公衆の面前で声高々に何を言うんだこの泥酔女はと、相手にすれば長くなると踏んだ幻徳は女性の腕を無理矢理引き剥がし、逃げを決め込む。

 

 

「あ! コラ待てヒゲ!!」

 

「相手に出来るか飲兵衛が!!」

 

 

 呆然とした表情でこちらを見てくる人々の視線と、追ってくる泥酔女と戦いながら彼は目的の少女に向かって走る走る。

 粗方走り抜ければ、女性も諦めたようで、幻徳を一瞥した後に踵を返し人混みに流れて行く。だが困った事に、幻徳は少女の姿を見失ってしまったのだ。

 

 

「はぁ……何処に?」

 

 

 この先は角になっている。曲がったのだろうと思い、幻徳もそこを曲がろうとした…………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へぶっ!!」

 

「うぐっ!?」

 

 

 街角へ迫った彼の脇腹に、何かが突っ込み互いに苦痛の声をあげた。

 今度の今度はかなりの衝撃だ、幻徳も衝突者も路上にひっくり返る。

 

 衝突者の硬い頭が彼の肋骨に当たったのだ、その痛みは怪我だらけの彼にとって堪えるもの。

 

 

「イダダダダ…………」

 

「うぅー! 痛いよー!」

 

 

 死にかけのゴキブリよろしく呻く幻徳の横を、衝突者の同伴者が申し訳なさそうな声で近付いて来た。

 

 

「だ、大丈夫ですかー……?」

 

「ま、前を良く見て角は曲が……」

 

 

 痛みに耐えながら横を見て、衝突者の姿を確認した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 桃色の髪と、薄紅色の服。頭頂部より跳ねた髪と、ト音記号の飾りが印象的な少女がアヒル座りで泣いていた。

 幻徳はやっと見つけたのだ、財布の落とし主。

 

 

「……君は」

 

「いやー、すいません。この子、財布を落としたとかなんだでいきなり走り出して……」

 

 

 付き添いの女性も思いの外若く、身長を度外視すれば恐らく二人は同級生だろうか。

 それよりもこの少女の言葉から、幻徳は安堵の息を吐く。目の前のこの少女こそ、財布の落とし主だ……何処かで見覚えがあるような。

 

 

「その財布は、これか?」

 

「え?」

 

「さっき入れ違いになった時に落としていたぞ」

 

 

 懐から取り出し、財布は桃髪の少女に見せると、先ほどの泣き面が一転して笑顔になり、両手で無邪気に受け取る。

 

 

「わー! 知らないおじさんアリガトー!!」

 

「コラコラ『ひな子』……ちょっと失礼でしょうがソレは……」

 

 

 目を輝かせて子供っぽくお礼を言う様を見て、幻徳は指摘とか説教とかの考えは失せてしまった。

 安心からほうっと息を吐き、ゆっくり立ち上がる。

 

 

「いやー。わざわざありがとうございます」

 

「次は気をつける事……二重の意味で」

 

 

 

 

 

 

 グゥゥウゥウウウゥゥ。

 

「あ」

 

 

 立ち上がった拍子に、大きく腹の虫が鳴った。二日分の空腹のツケが巡って来たかのようだ。

 幻徳は聞かれていやしないと信じてはいたが、目の前にいる二人が呆然とした顔をしている様を見て察してしまう。

 

 

「………………」

 

「…………何も食べていないんだ」

 

「そう言えば顔色が……」

 

「……無一文なんだ」

 

「あ」

 

「察するんじゃない」

 

 

 何故、年下の女性らにこんな事を言わないといけないのやら。恥ずかしくなった幻徳は口元を押さえながら目を逸らし、さっさと退散しようと一歩後ろに下がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃー、ひな子がご馳走してあげるよ〜! 優しい知らないおじさん!!」

 

「!!!!!!」

 

 

 その言葉に幻徳は食い付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ファミリーレストランでは、奇妙な光景を見る事が出来る。

 二人の女子高生の前でハンバーグにむしゃぶりつく、中年男性の姿だ。専ら、従業員らの話題のネタになっていたが、そんなこと彼らは知る由もない。

 

 

「ほ、本当に何も食べていないんですねー……」

 

 

 ひな子の友人だと言う『碧 八葉』は、若干引き気味に幻徳の食べっぷりを見ていた。

 前のめりになりつつ、フォークとナイフを使って口にハンバーグやご飯、添え付けの野菜を詰め込んでいる。ただ、乱暴な食べ方ではあるが良く噛んで食べている点は育ちが良いのか悪いのやら。

 

 

「もう二日も食べてなかった」

 

「えっ!?」

 

「とても感謝している」

 

 

 食べる事に集中しているせいで、会話も簡素になっている。口に食べ物を入れたままではなく、キチンと咀嚼して嚥下した上で話している所はやはり育ちは良さそうなのだが。

 

 

「わーい! いただきまーす!」

 

 

 ひな子には少し遅れて、ステーキハンバーグがやって来た。食べる時にソースに付かないよう、右手のシュシュをご丁寧に外してから食べ始めた。

 

 

「ふふふ……やはりお肉は良き良き!」

 

「いつも肉食べている印象だが……太らないなぁ〜」

 

「八葉ちゃんはチーズインハンバーグ?」

 

「こっちは結構、動かないとなぁ」

 

 

 和気藹々とお喋りする二人の前で、幻徳はポツリとぼやく。

 

 

 

 

「合挽きだなコレは。またイベリコ豚を食べたい……」

 

(この人、本当に何者なんだ……)

 

 

 優しい事には違いないが不思議な男、幻徳に八葉は興味を抱く。お食事に夢中なひな子に代わり、話しかけた。

 

 

「えぇと、幻徳さんはお仕事はされているんですよね?」

 

 

 言った後で失礼過ぎやしないかと思ったが、お腹いっぱいで機嫌が良いのか幻徳は答えてくれる。

 

 

「公務員をしていた。これでも管理職だった」

 

「へぇ! 公務員! でも、なんで二日も食べられていないんですか?」

 

「まぁ、色々あったんだ。人間生きていれば色んな事が起こる」

 

「悟ってらっしゃる……」

 

 

 薄々、八葉の中では「リストラなのか」とか「転職失敗なのか」とか予測付けられはしている。最も彼の境遇など予測出来ようもない物なのだが、一先ず現在は飯にありつけられ幸せだ。

 

 

「そう言う君たちはアレか、学生か?」

 

「高校生です。今日は休みですけどね」

 

「わたしの宿題を手伝って貰ってたんだよ!」

 

 

 まさに青春だなと、幻徳もまた学生時代に想いを馳せる。

 国を変える、国を引っ張ると言う志を抱き、友と良く語り合ったものだと想起した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうだ、その『友』はいない。自分が殺したも同然なのだ。

 テーブルの下の足に、あの時の感触が蘇る……そうだ、自分は唯一無二の親友を踏み越えた。深い深い幻徳の罪の、特に許されない罪状だ。

 

 

「………………」

 

「……? どうしたんですか?」

 

 

 さっきまで勢いのあった手が止まっていた。

 幻徳はハッとなり、思考を一旦打ち払う。

 

 

 

 

「いや。何でもない……友達を大切にな」

 

「え? は、はい……」

 

「……すまない。少しお手洗いに」

 

 

 フォークとナイフを静かに置き、彼は立ち上がってトイレへ向かう。

 罪から逃げるつもりはない、ただ向き合い考える時間が欲しいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幻徳が暫し席を外した後、八葉はひな子に話しかける。

 

 

「世知辛い世の中だねぇ。アレが社会の厳しさってもんかね」

 

「え? こーむいんって、凄い人じゃないの? くーちゃんもこーむいんって言っていたよ」

 

「そこは色々あるんだろうさ。幻徳さん、優しい人っぽいからなぁ……騙されたりとか?」

 

「おじさんかわいそう……」

 

 

 幻徳に同情するひな子ではあるが、次の瞬間には己の話題で話を変えた。

 

 

「そう言えば! こないだわたし、カッコいいヒーローを見たの!」

 

「え? カッコいいヒーロー? 特撮の話?」

 

「えっとね。紫色の、サメ? ワニ? みたいな見た目の……」

 

「やっぱ特撮じゃねーの?」

 

「特撮じゃないよ〜……」

 

 

……瞬間、甲高い銃声が一発、二発……五発、レストラン内で響き渡る。

 客も従業員も含め、驚きに身を跳ねさせた。

 

 

「オラァ! 手を上げろ!!」

 

 

 さっきまで料理を待っていたように見えていた二人が立ち上がったと同時に、別席の三人組も銃を取り出し客に向けた。

 

 

「抵抗するとぶっ殺す! オラ、今すぐ金を持って来い!!」

 

 

 総員五人による強盗事件が発生してしまった。

 少し遅れ、状況を把握した客が全員悲鳴をあげる。

 

 

「マジかよ……強盗だぜ、ひな子……!」

 

「あと、なんかベルトしてたよ!」

 

「まだヒーローの話してんのか!?」

 

 

 マイペースと言うより、状況の理解をしていないひな子は、『ヒーロー』の話を続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幻徳はトイレにいる。

 だが便器は使用せず、洗面所にてぼんやり鏡を眺めていた。

 

 

 乱れた黒髪、すっかり伸びた髭、やや痩けた頬……非常に窶れて廃れた見た目ではあるが、これでも以前の自分より人間らしさを取り戻した末だ。

 

 整えられた黒髪、同じくセットされた口髭……目ばかりが狂気と野望でギラギラと鈍い輝きを帯びていたあの時の自分と比べれば、この末は妥当な位置だとも思える。

 

 

 

 懐から、『スクラッシュドライバー』なる機械を取り出した。

 精神を汚染し、兵器へと成り果てさせる悪魔の装置……だが既に堕ちきっていた自分へは皮肉のように目覚めを与えてくれた、救いの装置。救いとは言うが、唐突に正気を与え罪を読み上げる、地獄の装置でもあった。

 

 

 言えど、力と自分に償いの機会を設けてくれた。父の死、友の死、自分の都合で死んで行った者たちへ、その為に彼は戦わねばなるまい。

 自分が全てを終わらさねばならないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガチャリと、扉が開いた。

 別の客が来たのかと、幻徳はトイレから出ようする。

 

 

 

 

 

 

「おい。手を上げろ」

 

 

 拳銃をコメカミに向け、強盗が脅す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へぶっ!?」

 

 銃を向ける腕を取り引き寄せ、幻徳はスクラッシュドライバーを鈍器として間髪入れず殴りつけた。

 

 

 

 

「表で銃声がした。警戒するに決まっているだろ」

 

 

 ふらついた強盗を締め上げ、顔面を壁に叩きつけてやる。呻き声を出すまでもなく、一瞬で気絶してしまった。

 

 

「……治安はどうなっているんだ」

 

 

 人数は何人だ。銃声は五発だったが、一人一発撃ったとしたら五人だろうか。

 するとあと四人か……いや、正確な数は分からないが、戦うしかない。

 

 

 

「……恩人を守らなくてはな」

 

 

 強盗を殴ったスクラッシュドライバーを腰にセットする。

 すると自動的に帯がドライバーの左側部から飛び出し、腰を回った後に右側部へ辿り着く。ドライバーは幻徳の腰に固定された。

 

 

 

 

 ポケットから、『紫色のボトル』を取り出した。

 ボトル上部の蓋を回した時、音声が響く。

 

 

 

 

 

『DANGER……!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その間、レストラン内では店の収益金の奪取ならびに、客から財布の回収を始めていた。

 相手は銃を持った五人組……一人がトイレの客を脅しに行ったものの、銃持ち四人を一般市民が相手に出来ようがない。従業員も客も、強盗らの指示に従うだけだ。

 

 

「……おい。トイレの様子を見に行ったにしては遅くねぇか?」

 

「あいつがトイレ使ってんかもしれねぇな。ちょっと見て来い」

 

 

 内、一人が帰りの遅い仲間を怪しく思い、トイレへ向かった。

 

 

 

 

 

 別の強盗は客らから財布を回収し続け、とうとうひな子らの席に到達した。

 

 

「おい。財布を渡せ」

 

「これはひな子のだよ?」

 

「分かってんだよ!?」

 

 

 銃口を向け、強盗は威嚇するものの、ひな子には恐怖の挙動一つすら見せない。マイペースも度が過ぎれば無謀だろう。

 

 

「ちょ、ひな子!? ここは従って……」

 

「だからこれはわたしのだってば!」

 

「そ、そう言う問題じゃなくてだな……!」

 

 

 話の脈絡を掴めていないひな子へ苛つきが募ったのか、強盗は怒鳴り付けた。

 

 

「良いからさっさと渡すんだよゴラァ!?」

 

 

 一発だけ撃ってやろうか。男はそう決心し、銃口をひな子へ向け引き金に指をかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドタン、バタン。

 店の奥で大きく鈍いくぐもった音がなる。それに気を取られ、彼はひな子らから視線を逸らした。

 

 

「なんだ、どしッ」

 

 

 強盗の視界が歪み、ホワイトアウト。

 トイレの扉を蹴破り、驚異的な脚力でそのままひな子らの席へと跳ぶ。そしてそのまま、強盗一人へライダーキックをお見舞いしたのだ。

 

 

「ぐおぇ!?」

 

 

 強盗は吹き飛び、彼女らの前の机へ倒れた。

 料理が全てひっくり返り、ひな子は「私のハンバーグ!?」と悲鳴をあげる。

 

 

「もお! あと半分もあったのに……」

 

 

 

 ご立腹の状態で、無残に散ったハンバーグから顔を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひな子も八葉も、目の前に現れた救助者の姿に呆然とするしかない。

 紫色のスーツ、ワニをあしらったマスクの、奇妙な存在……ひな子は言わずもがな、覚えのある人物。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「むむむ、『紫のヒーロー』!!」

 

 

 それは彼女にとって、二日ぶりの再会だった。

 目の前に立つこの存在こそ、幻徳のもう一つの姿なのだ。

 

 

「な、なんだテメェ!?」

 

 

 事態に気付いた強盗が彼の元へ近付いて来る。銃口を向け、今にも撃たんとせんと引き金に指をかけながら。

 

 

「よくも仲間を!!」

 

 

 銃弾は放たれ、空気を裂き真っ直ぐと彼の背中へ飛ぶ。

 客からは悲鳴があがり、目の当たりにしている八葉は思わず目を伏せた。だがひな子だけは輝かしいまでの羨望の目で眺めている。

 

 

 

 

 凶弾は着弾した。

 だが彼の背中に火花を散らし、少しふらつかせた程度。

 

 

「……へ?」

 

 

 貫ききれなかった弾はひしゃげて、床に落ちる。

 

 

 

「……四人目か。二人はトイレで寝ているぞ」

 

 

 幻徳は極力声を低くし、威圧を込めながら発砲した男へ瞬時に距離を詰める。

 動揺と思考の鈍さ故に、彼の接近に気が付いたのは風を皮膚が感じた時だが、それではもう遅い。

 

 

 「ぉッ」

 

 

 叫ぶ前に、男の顎へアッパーカット。脳天まで貫く衝撃と激痛が彼を襲うが、それはほんの一瞬の感覚。

 あまりの激痛を脳は拒絶してしまい、意識を遮断してしまう。男の目の前に白い点々が明滅したかと思えば、そのまま気絶する。

 

 

 

「……あと一人」

 

「お、おい!動くな!!」

 

 

 もう一人は背後にいた。勝てないと踏んだのか、ひな子と八葉に銃口を向け、人質にする。

 

 

「う、う、動いたら、あ、頭を……」

 

 

 

 幻徳は臆する事なく、瞬時に回転し腰から何かを取り出した。

 

 

 

 

『ネビュラスチームガン!!』

 

 

 

 

 場にそぐわない音声が流れたと同時に、幻徳の手に握られた『ネビュラスチームガン』より光弾が発射される。

 光弾は銃弾をも凌駕する速度で一気に放たれ、強盗の持つ拳銃を弾き飛ばす……いや、弾き飛ばすだけでは済まない、拳銃は空中分解した。

 

 

「へ?」

 

「人質も作れないな」

 

「い、いや、ま、まだ!!」

 

 

 強盗は錯乱したのか、丸腰であるのに八葉を捕らえて引き寄せた。

 

 

「う、うわ!?」

 

「あ! 八葉ちゃ……」

 

 

 だがそれよりも早いのが、幻徳だ。

 強盗が八葉に視線を向けたその一瞬の隙に距離を詰め、男の胸倉を掴む。

 

 

「お、おお!?」

 

 

 それだけではない。大の大人である強盗を片手で持ち上げ、振りかぶった末にレストランの窓へ思い切り放り投げる。

 

 

 強固に作られているであろうレストランの窓は破られ、男はガラス片と共に朦朧とする意識のまま路上に倒れ臥す。

 

 

 

 

 

 

「うわ!? う、動くな!!」

 

 

 待っていた先には、警官隊が彼へ銃口を向けた。レストランに限らず、大抵のフランチャイズやらチェーン店の店では防犯設備が整えられている。店員のボタン一つで、警察が飛んで来るシステムだ。

 

 

 

「ご、ごめんなさいぃぃ……!

 

 

 男は辛うじて意識を残してはいたものの、抵抗する気力を失い、情け無い泣き面で手を上げ降参した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 拘束から逃れた八葉は、脱力感からぺたんと床に腰をつく。

 そこへヒーローは近付き、腰を屈めて視線を合わせた。

 

 

「………大丈夫か」

 

 

 聞き覚えのある声。聡明な八葉はすぐにピンと来る。

 

 

「もしかして、幻徳さん……!?」

 

「……秘密にして欲しい」

 

「……!」

 

 

 八葉の手を引き、勢い良く立たせた。スーツ越しと言うのに、その手は存外に暖かい。

 

 

 

「ふぉぉぉ! 凄い! 強い!」

 

「…………」

 

「それ何処で売ってるの!?」

 

 

 幻徳はひな子にも正体を明かそうかと考えたが、やめておく事にした。彼女は口が軽そうだからだ。

 

 

「………………」

 

「?……あ。わたしの財布」

 

 

 キャラクターの頭を模したガマ口、ひな子の財布……幻徳が届けようと直走った財布。

 それを彼女に渡した後、机の上で伸びる強盗を掴んで引きずり、踵を返した。

 

 

「あー……ねぇ! せめて正体だけでも!」

 

(せめて正体ってなんだ……)

 

 

 無邪気に駆け寄る彼女を無視し、気絶状態の強盗ら全員を捕らえて店の入り口へ向かう。

 呆然と見ていた客に従業員たちだった……あまりに現実から逸脱した光景の為、幻徳を賞賛する思考まで巡っていなかったようだ。

 

 

 

 

「無駄な抵抗はやめて、投降しなさい!!」

 

 

 外からパトカーのサイレンと、拡声器越しの警官の声が響く。

 もう終わっていると思いながらも、幻徳は扉を開けて出て行こうとする。

 

 

「じゃあ! 名前! ヒーローさんの名前!」

 

 

 ごねて付いて来ようとする彼女に、幻徳は少し戸惑った後に、名前を告げた………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 銃口を向け、来るべき戦闘に備える警官隊だったが、目の前に現れた光景に目を疑う。

 紫色のスーツに身を包んだ、コスプレか何かの格好の奇妙な人間が、残り四人の強盗を引き摺って出てきたのだ。

 

 

 

 警官たちは驚きから、咄嗟に銃口を幻徳へ向ける。

 だが彼は気にも留めずに一歩一歩と、銃を向けていない一人の警官へと近付いて行き、彼の前に強盗らを放り投げた。

 

 

 

「……事件解決だ」

 

 

 

 幻徳は振り返り、またレストランの方へ歩き始めた。

 思わず警官は彼へ問い掛ける。

 

 

「……名前は……?」

 

 

 

 彼はゆっくりと首を回し、その警官の呆然とする顔を視界に入れたまま、ハッキリと告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺は…………『仮面ライダーローグ』」

 

 

 ネビュラスチームガンを構え、銃口から鈍色の煙を吐き出させた。

 煙は辺り一面を覆い、『ローグ』の姿を隠す。天蓋が奥ゆかしく人を隠すように、ローグはその煙に身を溶かす。

 

 

 

 煙が消えた頃、ローグの姿は消失する。

 その様子を、客と従業員全員は割れた窓から見ていた。同じく眺めていたひな子は、興奮した様子で呟く。

 

 

「仮面ライダー……ロー()! ひ、ヒーローだぁ……!」

 

 

 

 

 

 彼女の後ろより、変身を解除した幻徳が何食わぬ顔で現れた。客も従業員も全員、表に注意が向いていたので、裏口から再入店するのは容易かったのだ。

 

 

「あ! おじさん! おトイレ長かったよ! 今さっき、凄かったんだよ!」

 

「……あぁ。凄かったな」

 

 

 幻徳は振り向き、唯一店内にいた八葉を見やる。

 彼女だけ、裏口からこっそり帰って来た彼を確認していた。

 

 

「……げ、幻徳さんって、一体……」

 

「……人間だ」

 

「いや、人間って事は知ってんけど……」

 

 

 人を守ったと言うのに、彼の表情は虚しい。

 そしてこの日より、『仮面ライダーローグ』の名は広まる事となる……正義のヒーローとして。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

偏愛なるヴァイオレンス/BE tween the two

 警察が客を保護した所で、事件はあっけなく終結した。

 実行犯を全員逮捕の他、一般人に一人の負傷者もなく、かつスピード解決であった事も含めて多大な評価を得られるだろう。

 

 

 しかし、パトカー内のドライブレコーダーや、数多の人々の声からは警察ではなく、一人の存在が全てを解決させたと主張する。

 正体を隠し、仮面を纏った孤高の戦士。

 彼は己をこう呼んだ。

 

 

 

 

『仮面ライダーローグ』。

 彼の活躍と逸話は着実に、この日より町中へ伝播して行く事となる。

 混沌を迎えた流々家町の、真っ当なヒーローとして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現行犯と証言者多数と言う状況証拠から、あの五人は犯人として何の障害もなく裁かれるハズ。

 故に被害者全員を警視庁に集めて話を伺う事はされず、事件解決として客らは普通に帰宅を許可された。

 

 

「……宿題の休憩に来ただけなのに、なんか凄い濃い時間過ごしたな」

 

 

 そう呟く八葉の両隣に、ひな子と幻徳が並ぶ。

 

 

「……まぁなんだ。無事で済んだから良かっただろ」

 

「……えー、まぁ……お陰様で……」

 

「………………」

 

 

 八葉にとっては妙な感覚だ。あの事件を解決させたヒーロー本人と、殆ど他人事のように会話している現状に果てしない違和感を覚えていた。本当ならば彼へ色々と質問をしたいのだが、本人が非常に気まずそうな空気を醸し出している為に聞くに聞けないのだ。

 

 

 この三人組で言うのならば唯一、ローグの正体を知らないひな子はと言うと、非常に上機嫌にヒーローを語っていた。

 

 

「正体を隠し、ただ悪を倒す為だけに戦う孤独のヒーロー、『ロープ』……決して表に現れず、影に徹す孤独のヒーロー……か、カッコいい……!」

 

「……ひな子、ロープじゃなくて『ローグ』だってば」

 

 

 八葉は八葉で、必要以上に幻徳を意識している為に、さっきから遠方から来た親戚をもてなすような余所余所しさを見せていた。それがまた、フレンドリーに接したい幻徳にとっては辛いのだが。

 

 

「……そろそろ俺はお暇する」

 

 

 ひな子と八葉との空気の差異に耐えきれなくなった幻徳は、自分の境遇を無視して別れようとした。

 いや、と言うよりもこのまま付いて行った所で自分に救いが訪れる訳はない。

 

 

「え?」

 

「食事の恩は忘れない。何か困った事が起きたら是非、相談してくれ」

 

 

 それだけ言い残し、次の三叉路で別れようと決心する。

 彼女らへの恩は感じているが……だが、次会う頃には生きていられるのかも不安だ。不安ではあるが、ローグに至るまでの二週間と比べればと変な自信だけはあった。

 次に身体が動かなくなるまでに元の世界への帰る方法を得なければならない事が、彼を懊悩させ焦燥させてはいるのだが。これから家無しだがどうしようかと、彼は思考し続けた。

 

 

 

「……失礼ですけど、幻徳さん……家、あるんですか?」

 

 

 唐突に放たれた八葉の追求に、幻徳は思わず面食らう。

 

 

「……どうしてだ?」

 

「いや、だって、その……辞めさせられたとしても、何も食べられないほどに困窮するかなぁって、思いまして〜……」

 

「………………」

 

 

 その理由付けだとしても、実家に帰るやら行政の保護を受けるやら次の職を探す等と出来るハズだ。それが出来ないと言う事は、住所がないから履歴書や書類が書けないか、本人にその意思がないかだ。幻徳の様子を見るならば後者は考え難く、家すらも失っているのではないかと八葉は推理した限りだった。

 

 若いと思って半端に見ていた。思いの外、頭の回る娘だ。

 

 

 

 

 だが幻徳にとって、この世界の現状と、元の世界との現状は変わらない。もう帰る場所はないのだ。

 

 

「……確かに家無しだ……そして、親もいない」

 

 

 脳裏に巡るは、忌まわしき記憶。

 慢心と野心に溺れ、幾多の人間を死地に送った時。

 全てが白日の下に晒され、父親に絶縁を言い渡された時。

 正気に戻ったものの、新たな使命の為に影に徹する覚悟を決めた時。

 再開した時の、父親の慈愛に満ちた目が合わさった時。

 

 

 目の前で、父親が崩れ落ちた時………………

 

 

 

 

「……いや。何でもない。俺の事は気にするな」

 

 

 決して消えやしない罪の意識。それを実感したならば、自分を矮小化してしまう。他者と比較し、自分を貶める事が癖になりつつあると本人は思っている。

 だからと言えど、罪を償う機会を抜き取られた彼には、こうするしか自分を肯定化出来ない。正直に言えば彼は、未だ現世に這い蹲っている自分を許せないのだ。

 

 

 

 三叉路で別れよう。幻徳はそう決めると、束の間の四メートルを彼女らと歩む。

 

 

 

 

 

 

 

 ツカツカツカツカ……

 

 

「な、なぁひな子。黒湖さんに何とかして貰えないもんか?」

 

「え? くーちゃんに?」

 

 

 ツカツカツカ……

 

 

「あの人、人脈広いんだろ?」

 

「……もう良い。あまり世話になる訳には……」

 

 

 ツカツカ……ツカッ。

 

 

 

 

「良いよ! おじさん、とっても良い人だし! くーちゃんに聞いてみるね!」

 

 

 

 ブゥゥゥウウン…………

 

 

「……大丈夫なのか?」

 

「多分!」

 

(あれ、この人って素直なのかな?)

 

 

『偏愛なるヴァイオレンス/BE tween the two』

 

 

 

 

 幻徳は三叉路で……別れる事なくひな子らの後を付いて行く。

 そうだ。罪を償うまでは死ねない。

 

 

 

 

 

 

 ひな子に付いて行くと、ビジネス街の無機質な雰囲気が消え、段々と瀟洒な家々が目立つようになる。

 

 到着した場所は、綺麗なマンション。大型ガレージ付き、入口はオートロック式。なかなか良い場所に住んでいる。

 

 

「……高そうなマンションだな」

 

「この子の保護者が警察の人らしくて。しかも結構稼いでいる人なんです」

 

「ここまでとなると……キャリア組か?」

 

 

 今の自分には地位はない。身分不詳の自分と対等に接してくれるのかと、不安になって来た。

 

 

(と言うか、警察だと?)

 

 

 幻徳は焦り出す。警察ならば余計に面倒なのではないのか。

 この世界では恐らく戸籍も何もない。警察に連行されたりしないだろうか。

 

 

「やっぱ俺は……」

 

「じゃ、付いてきて!」

 

「…………あぁ」

 

 

 不安がる幻徳を前に、ひな子と八葉はズンズンと先を行く。彼もまたそれに押し切られた。

 励ますように八葉が彼を一瞥する。幻徳は一回深呼吸してから、琥珀色のライトが眩しいマンションのエントランスへ足を伸ばした。

 

 

 

 

 エレベーターを上り、九階。廊下を少し歩いた先の『九○三号室』が彼女の家だ。表札には『紅守』とある。

 ひな子が持っている鍵を差し込み捻り開錠するが、ドアは開かない。

 

「あれ? 鍵開いてた」

 

「ひな子、ちゃんと鍵閉めてたよな?」

 

「むむむ……もしや、またもや泥棒か……!」

 

 

 幻徳は辺りを見渡す。

 

 

(一端のマンションよりもセキュリティは厳重か。階層も九階の上、鍵は壊れている様子はない……空き巣とは思えないが……)

 

 

 ならば答えは単純だ。

 

 

「保護者が帰っているんじゃないか?」

 

「あ、そっか。くーちゃんか!」

 

 

 そう合点し、早速鍵を開け直す。

 開け放たれると同時に、一声が一同に浴びせられた。

 

 

 

 

「黒湖!?」

 

 

 リビングから颯爽とやって来たのは、赤い髪の女性だ。やけに焦った様子。

 

 

「あ、『ちよちゃん』」

 

「あ……ひな子ちゃん……と、」

 

 

 後ろの八葉に目線が行く。

 

 

「八葉ちゃんもいたの!」

 

「お邪魔してます、千代さん」

 

「あはは……私の家じゃないけど……」

 

 

 笑顔で二人を出迎える千代。

 しかし、その八葉の後ろからヌッと現れた幻徳を見て笑顔は消える。

 

 

「………………」

 

「……お邪魔します」

 

「……え、誰?」

 

 

 花の女子高生組と相反する、全体的に黒い髭男に警戒するのは当たり前だろう。そもそも、見知らぬ人間だ。

 説明に困るのは幻徳もだが、八葉もそうだ。何て切り出そうか考えあぐねている間に、幻徳は彼女への既視感に気付いた。

 

 

「…………交差点で、ぶつからなかったか?」

 

「…………あ」

 

 

 千代は思い出したようだ。

 ながらスマホの最中、交差点前でぶつかった男だ。

 

 

「なんでその人が……」

 

「このおじさん、良いおじさんなんだよ! わたしの財布を届けてくれたんだ!」

 

 

 八葉も「そう言えば、財布を届けてくれたんだった」と思い出す。

 ここに至るまでに起きた出来事の情報量が多く、すっかり忘れていた。

 

 

「ひな子が落とした財布をわざわざ……話を聞いたら困っている人らしくて、黒湖さんに相談をと」

 

「そうなの……黒湖だったらいないみたいね。昼過ぎから電話かけてるけど、繋がらないったら……」

 

「黒湖さんなら、パーティーに行ったとかで……」

 

「パーティぃ……? あの招待状の……はーん、成る程……女に釣られたわね、あいつ」

 

 

 下足場から玄関に上がるひな子と八葉に続き、幻徳も。キチンと靴を揃えていた。

 

 

「成り行きでこうなったが……よろしく願う」

 

「ど、どうも……えと、お名前は……?」

 

「氷室幻徳だ」

 

「氷室さん、ですね。『柳岡 千代』と言います……お昼の時はどうも、すいません」

 

 

 ぶつかった件について、再度の謝罪。

 

 

「こっちも不注意だった、結構だ」

 

「言い訳ではないのですけど、なかなか相手が電話に出なくて……」

 

「黒湖って人に?」

 

「四十五回もかけてんのにメール一本。本当にあいつは……」

 

「………………」

 

 

 良く良く考えてみれば、その『黒湖』と言う人物の不可思議さに気付ける。

 高校生の保護者であり、キャリア組と思わしき収入の警察関係者であり、目の前の二十代行くか行かないかの女性と親密な関係にある。

 警察関係者にしてはやけに、若い人間と交友しているのだなと感じた。キャリア組ともなれば難関大学、大学院を出る上に超難関の試験を突破せねばならず、必然的に年齢層は若くても二十代後半となる。

 

 人間の交友と言うのは、優先順位が発生するものだ。つまりは大抵、仕事仲間や古くからの友人を優先する傾向にある。親密な関係ならば更に優先順位は狭まるし、年齢層も個人と合致する。前述のキャリア組の事情を鑑みるに、些か交友関係者の年齢層が若すぎやしないか。

 

 

 

 

「……少し聞きたいが」

 

 

 ひな子と八葉は既に別の部屋に行ったようだ。

 

 

 

「その、黒湖って人物はどんな人だ? 女性のようだが……」

 

 

 そうは言ったが、名前の印象でしか女性と断定出来ない。

 下駄箱の上に飾られた百合の花を見やる。

 

 

「どんな人って言われましても……うーん……一言で表せられないって言うか……」

 

「警察関係者と聞いたが」

 

「そうですよ」

 

「なら、階級は。警視とか、警視監とか……」

 

 

 

 

 ドアノブが捻られたが、その瞬間はまだ二人は気付いていない。

 

 

「あー……そう言うのではないんですけど……なんて言うのか」

 

「それほど凄い人物なのか?」

 

「凄いと言えば凄いですけど」

 

「釈然としないが……」

 

 

 そして、ドアは開かれた。

 

 

 

 

「近いのなら、『エージェント』でしょうか……って」

 

 

 千代の目が、幻徳から背後に向く。

 

 

「黒湖!? やっと帰って来たわね!!」

 

 

 彼女の形相が一気に厳しくなる。

 幻徳は件の人物が帰って来たとあり、振り返った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ッ!?」

 

 

 忘れもしない、されど予想外の人物だった。

 彼の二日前の記憶が蘇る。躊躇なく、人頭に引き金を引いたあの女。

 満月を背に、あの不気味な笑みがフラッシュバックする。

 

 

 

 

 眼鏡と、やけに胸が開かれたスーツ姿ではあるが、目の前にいたのはあの、『人殺し』。

 

 

 

「え。誰、このオッサン?」

 

 

 氷室幻徳は、図らずも『紅守 黒湖』と接触してしまった。




遅れ馳せました。
ビルドは終わりましたので、この作品を続けて参ります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

マシーンは急に止まらない/Budy a body

 幻徳は咄嗟に目を逸らした。動揺を悟られまいとする、無意識の行動だ。

 

 

「胸元くらい隠せ! 目のやり場に困ってんじゃないの!!」

 

 

 紳士的なエチケットと捉えられ、千代は勘違いをする。

 幻徳の隣をズカズカ通り、黒湖の目の前に到来。開いた胸元を隠してやるのかと思いきや、鼻先と鼻先がくっつかんばかりまで顔を近づけ、凄い剣幕で問い詰める。

 

 

「一体、何度電話したと思ってんのよ……! 聞いたら何よ? え? 面倒だとか言ってたパーティー行ったらしいじゃない?」

 

「ぱ、パーティーくらい、あたしだって行くよぉ〜?」

 

「あんたがパーティーって、どうせ女の子でしょ……!」

 

「あー……いやまぁ、そうなんですけどぉ……」

 

 

 幻徳は一転して、再び目線を黒湖に向ける。

 千代の追求を前にタジタジとなる表情の向こうに、あの夜に見せた残虐性が潜んでいると知っている。

 だからこそ幻徳は恐れた。目の前の人間は、平気で人を殺せる怪物なのだから。

 

 

 

 

「………………」

 

「えー……それより千代ちゃん。その人誰?」

 

 

 話題を晒すべく、幻徳に注目させる。

 

 

「むぅ……ひな子ちゃん達が連れて来たの。何でも、財布を届けてくれた方らしいわ」

 

「……氷室、幻徳だ」

 

 

 自己紹介をしたと同時に、自室からひな子がヒョコリと顔を覗かせた。

 

 

「あ! くーちゃんおかえりー!」

 

「お邪魔してます、黒湖さん」

 

 

 後ろに八葉が続く。

 場に異性ばかりとあって、幻徳は何処となく居辛さを感じる。

 

「ただいま〜ひな子ぉ。あと八葉ちゃんも来てたんだ。宿題のお手伝い?」

 

「殆ど私がやっているんだけど……」

 

「折角ご足労願ったんだし、ご馳走するよ?」

 

「では、お言葉に甘えて」

 

 

 そう言えばこの二人、強盗のせいで料理にありつけていなかったなと幻徳は思い出す。

 ハ葉も空腹が限界のようで、黒湖の誘いを受ける。

 

 

「それでひな子、この人は?」

 

 

 黒湖は幻徳を指差す。内心、失礼だと遺憾に思ったが、そんな厳格な事を言える立場ではないと打ち消した。

 

 

「良いおじさん!」

 

「いや、そうじゃなくて。どう言う経緯で連れて来たの?」

 

「お仕事とお家がないんだって!」

 

 

 何の隠し立てもしないひな子の物言い。ハ葉が代弁しようとしたが、遅かった。

 それを聞いた途端に千代の表情が固まった様を見て、幻徳は心が痛くなった。

 

 

「へぇ〜……つまりホームレスを連れ込んだ訳?」

 

 

 対して黒湖は、おもちゃを見つけたかのような笑みで彼を舐めるように見やる。その視線に寒気さえ覚えた。

 

 

「……以前は公務員をしていた。職を探していた所、お嬢さん方に貴女の助けを勧められ……」

 

 

 

 

 どうしてこんな、殺人鬼に助けを乞わねばならないのか。

 幻徳はふと考え、馬鹿馬鹿しくなって来た。やはり断ってやろうかとも決意したが、それより先に千代が言葉を被せる。

 

 

「確かにホームレスにしては身なりが綺麗……って、公務員だったんですか」

 

「へぇ〜ほぉ〜? それはそれは何か後ろめたい事で失敗したんでしょうねぇ?」

 

 

 驚く千代と、何故か面白がる黒湖。全く別の反応をそれぞれ受け、幻徳は少したじろいだ。

 そのたじろぎが、断る言葉を飲み込んでしまった要因だが。

 

 

 

 

「とりあえず、晩御飯にしよっか。半日食べてないのよ千代ちゃあん」

 

 

 気持ち悪い猫撫で声で千代を宥める。

 

 

「話は済んでいないわよ!」

 

「ご飯の後で聞くからね。ひな子もお腹ぺこぺこみたいだからさ……ね?」

 

「くーちゃん早くぅ」

 

 

 リビングに向かうひな子が誘う。

 

 

「……ご飯の後よ。あと、私にも振る舞いなさい。あんたの電話待ちで何も食べてないの」

 

「……あは♡ 愛情込めてあげるからねぇ」

 

「食器の準備はしてあげるわ」

 

 

 煮え切らない気分ではあるが、分別のある女性のようだ。彼女は八葉とひな子に続き、リビングへ向かった。

 

 

 

 

 

 

 つまり、廊下にて黒湖と幻徳は二人きり。

 やけに空気が淀んでいると感じながらも、この殺人鬼に一瞬の油断は欠かさないでいた。彼女は今、靴からスリッパに履き替えていた頃だ。

 

 

「しっかし、あたしに助ける義理はないしなぁ〜。おじさんが可愛い巨乳JKだったら何でも言う事聞いてあげてたけどねぇ?」

 

 

 鼻からあまり期待はしていない。それ以上に、彼女に借りを作る事は願い下げでもあった。

 

 

「……迷惑ならば構わない……」

 

「それに今日はクタクタだし、とっても機嫌悪いから可愛い娘以外と関わりたくないし……境遇はとても面白いけどねぇ? ホームレスおじさん?」

 

 

 ニタリと笑う。あの夜に見せられた笑みと同じだ、気味が悪い。

 

 

「……無理ならば他を当たる」

 

「他なんてあるんですかぁ?」

 

「…………どうにかすれば」

 

 

 黒湖が一歩一歩と、幻徳に歩み寄る。

 

 

「見ない顔だけど、この町の人?」

 

「まぁ、そうだ」

 

「氷室幻徳さんだっけ? ゲントクって、どう言う字になる?」

 

「幻と言う字と、道徳などの徳」

 

「公務員らしいけど、何処のお勤めで?」

 

 

 突然の質問責めに、意図が読めない幻徳は訝しむ。

 

 

「……市役所のしがない会計補佐だった」

 

 

 元の世界の肩書きを言っても仕方ない。

 会計補佐と言っておけば、失脚の理由は金関係だと思わせる事が出来るだろう。

 

 

 

 

 

「『しがない会計補佐』……ねぇ?」

 

 

 彼女の目が、鈍く光った気がした。

 

 

「所で氷室さん」

 

 

 幻徳の眼前にまで顔を寄せる。思わず呻き声を上げてしまった。

 

 

 

 

「……聞き覚えがあるんですよねぇ、そのお声」

 

 

 そして同時に、迂闊であったと気付かされる。

 彼は二日前、ローグの姿ではあったが、黒湖と話した。

 

 

「どっかでお会いした事、ありましたっけ?」

 

 

 八葉でさえも、声で彼だと断定出来ていた。

 幻徳にとって幸運だったのは、二日と言うスパンがあったお陰だろう。記憶が曖昧になっている。

 黒湖はまだ、断定しかねている。

 

 

 

 

「……市役所ではないか? 税務課にもいたから、何かしらで会っている可能性もある」

 

 

 動揺を押し殺し、当たり障りのない考察をする。

 

 

「ただ俺自身、恐らく初対面だろうと思うが」

 

「ふーん、そっか。まぁ、ありえるっちゃありえるか」

 

 

 案外、すぐに納得してくれた。

 顔を離し、眼鏡を外す。伊達メガネのようだ。

 

 

 下駄箱の上、百合の花の側にある据置型の時計を眺めた。もうすぐ六時になりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コチッ、コチッ、コチッ、コチッ。

 

 

「あ、話戻すけど。最初のお仕事の話」

 

 

 コチッ、コチッ、コチッ、コチッ。

 

 

「まぁ、考えてあげても良いけど?」

 

「……? いきなりどうした?」

 

 

 チッチッチッチッチッチッチッチッ……。

 

 

「別に明確に断ってないじゃん? どんな仕事でも文句ないなら、アテが一つあるよぉ。ひな子達がお世話になったみたいだし」

 

 

 チッチッチッチッチッチッチッ。

 

 

 

 

「ただし、あたしの『仕事』を一回、手伝ってくれたらの話だけど?」

 

 

 カチッ。

 

 

 

『マシーンは急に止まらない/Budy a body』

 

 

 

 

 六時に差し掛かる。

 待ちきれなくなったひな子が、リビングから「くーちゃん早く」と急かし始めた。

 

 

「はいはい、今行きますよぉ」

 

 

 外した眼鏡を胸の谷間に押し込み、フラフラとリビングの方へ。

 彼女からの条件を聞いた幻徳は『仕事』について質問をする。

 

 

「……その、『仕事』ってのはなんだ? 非合法ではないよな?」

 

 

『殺し』の仕事ならば、今ここで殴りかかるつもりでもある。

 

 

「まさかぁ」

 

 

 幻徳の方へ振り返る。あの、不気味な三白眼だ。

 

 

「合法よりも合法な仕事だよ。政府公認、警察特権、社会貢献!」

 

 

 そう言えば警察関係者らしい。千代は『エージェントに近い』と言ってはいたが。

 しかしこんな殺人鬼が警察と関係があるとはどう言う事か。国内で戦争をしている訳ではあるまいのに。

 

 

「容疑者の張り込みでもさせるのか? 一般市民に……」

 

「なに『一般』ぶってんのさぁ。現状、『一般以下』じゃないの? ホームレスおじさん?」

 

「……ぐうの音も出ないな」

 

「まぁまぁ、簡単なお仕事お仕事。所謂、『パパ活』?」

 

「パパ活……?」

 

 

 パッとしない幻徳をよそに、彼女は手をブラブラ振って催促する。

 

 

「やるかやらないかは自由だから。やるなら来週の正午にウチの前に来てよ」

 

「…………」

 

「大丈夫大丈夫! ほら、前金あげるからさ」

 

 

 折りたたんだお札をポケットより出し、幻徳に投げ渡す。

 かなり久々に見た『日本円』の為、単価の算出に手間取ったが、六万円がある。

 

 

「今日は女の子たちとお食事したいからさぁ。夜餉はご参加出来ませんぜ?」

 

「……適当にその辺で買うさ。野宿にも慣れた」

 

「本当に元公務員? 逞し過ぎない?」

 

「……慣れは恐ろしい物だ」

 

 

 六万円をポケットに突っ込み、踵を返す。

 

 

「……彼女らによろしく伝えておいてくれ」

 

「是非、『来週も来るよ』って言っておくねぇ」

 

 

 食えない女だ。

 幻徳はドアを開け、出て行く。黒湖の視界より、外れたかった。

 退出をひな子らに悟られやしないかと思った。だが流石は高等マンション、ドアの開閉音さえ静かだ。幻徳は煌びやかなマンションより、闇の世界へ還って行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何故、幻徳は彼女から金を受け取ったのか。

 黒湖と話した時、彼女の異形の片鱗を感じたからだ。

 

 

「……あの女は、底知れない事は確かだ。そしてどうやら、この世界の日本も『平和』とは言えないようだ」

 

 

 思い出せば二日前。現場にやって来た警官らは、ローグは警戒せど、黒湖には一切関わっていなかった。警察と関係がある事は本当だろう。

 

 

「ならば間違っている……もう、『力で抑えつける平和』はこりごりだ……」

 

 

 父親の顔が過った。目の前で崩れ落ち、幻徳の腕の中で息を引き取った父親の死に際だ。

 

 

 

 同時に、もう一人の『青年』の顔が過った。身を呈し、巨悪に立ち向かう勇者。『ラブ&ピース』を愚直なまでに掲げる、一人の戦士だ。

 

 

 

 

「……あの女の懐に潜り込む。元の世界に戻れるまで……奴を止めてやる」

 

 

 幻徳はあの『狂気』に立ち向かう為、敢えて借りを作ってやると決意した。

 そして清算は、『全てを変える事』。腐り切ったこの町を変えてやるつもりだ。

 

 

「……最も、この世界で生きる為。俺は元の世界に……必ずや『償い』を果たす……!」

 

 

 気付けば黒湖の住むマンションは、遥か後方。もう一度睨み付け、決意を強固な物とする。

 その念を込め、手元のボトルを強く握りつつ前を向く。

 暗く、汚く、それでも確かな希望の闇へと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間は少し遡る。幻徳が家を出た、すぐ後。

 黒湖は窮屈かつ、『微かな血の匂い』の漂うスーツから着替えようと自室に向かう。

 

 

 

「くふふふふ……」

 

 

 思わず、笑みが零れる。

 

 

「元公務員? 市役所勤め? 会計補佐?」

 

 

 口角は釣り上がり、邪悪な笑顔を見せた。彼女の本性が剥き出しとなる。

 

 

「そんな訳ない! あたしには分かるよぉ」

 

 

 幻徳に顔を近付けた時、彼女は確信した。

 

 

 

 彼の目の奥に宿る『狂気』を。

 皮膚の下に隠れる『呪い』を。

 手の毛穴の奥から漂う『血の匂い』を。

 

 

 

 隠したって隠しきれない、寧ろ隠すには重過ぎる『罪』を。

 

 

「あれは何人殺したかな? 一人? 二人 もっともっと……十? 百? いやいや、もっともっと……」

 

 

 羽織っていたスーツを脱いだ。

 

 

「……あっはぁ♡ とんでもない『怪物』見つけちゃったぁ」

 

 

 新しいオモチャを、見つけてしまったようだ。

 

 

 

 

「くーちゃんまだぁ?」

 

「黒湖〜! 早くしなさいよ!」

 

「幻徳さんも準備出来ましたよ」

 

 

 リビングから一斉に呼び声がかかる。

 部屋着に変え、フラフラ自室から出て来た。

 

 

「ごめんねぇみんな。着替えていたから」

 

 

 彼女はみんなの待つ、明るいリビングへ入って行く。

 何処までも幸せで、何処までも単純な、普通の生活。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【NOW LOADING】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あっという間の一週間。日曜日である。

 最初の幻徳はネットカフェで寝泊まりした。この世界でやっと、屋内で腰を落ち着かせられた。

 

 

 シャワーを浴び、行きしなに買った消毒液と包帯で傷に手当てを施す。

 アイスクリームバーでひたすらアイスを食べ、アイマスクを購入して眠りについた。

 太陽が出る頃にはかなり精気を取り戻せた気がする。

 

 

 

 ただネットカフェのリクライニングチェアでは寝辛く感じたので、その翌日からはビジネスホテルに泊まった。

 

 

 

 

 

 

 

 今日の彼はコンビニ前にいる。買った新聞を読んでいた。陰鬱な事件だ。

 すっかり傷は癒えていた。

 

『男性殺害、帰宅を狙う。』

 

 刺殺事件のようだ。一つの家族の、一人の父親が殺されている。

 幻徳も似た境遇にある為、義憤に駆られていた。新聞によれば怨恨か通り魔かも判断しかねている状況らしい。

 

 

「……胸糞の悪い事件だ」

 

 

 一緒に買ったイチゴミルクを飲みつつ、新聞を捲る。

 

 

『謎のヒーロー!? 正体は誰だ!』

 

 

 自分のニュースだ。ここの所、マスコミはこの話題で盛り上がっていた。写真には収められていない為、目撃者から得たイメージ画が添えられている。

 なかなか近く描かれている。ただ目が釣り上がっていたり、ワニの部分がやけに顔を挟んでいたりと、実際との齟齬はあるが。

 

 

「……目立ち過ぎたか」

 

 

 イチゴミルクを最後の一滴までズコズコとストローで吸う。

 飲み切ったと同時に、新聞とパックは『燃えるゴミ』へ。ストローは『燃えないゴミ』にキチンと分別して捨てた。

 

 

「……新聞はそのまま捨てて良かったのだろうか……?」

 

 

 そんな心配をしながら、コンビニ前からコインランドリーに戻る。

 着ていた服を洗濯していた。今の服装は、古着屋で適当に買ったパーカーとTシャツとステテコ。下着も変えた。移動のし易さを考え、サンダルにも履き替えた。

 洗濯完了まで二十分。乾燥もしてくれるので、終わればすぐ着れる。

 

 

「どんな仕事をさせられるのやら。あの女が何かしでかすのなら、止めなければ」

 

 

 スポーツ用品店で買ったボストンバックの中に、『スクラッシュドライバー』を入れている。肌身離さず持っていた。

 何だかんだ六万円で色々出来た。残り残高は九千円。

 

 

「………………」

 

 

 黒湖を思い出していた。

 あんな残虐な殺人鬼を、慕う人間がいた事に改めて驚かされる。巧妙に本性を隠しているのか、周知なのか。

 どちらにせよ危険人物には変わりない。これから注意しておく限りだろう。

 

 

 

 ベルが鳴り、洗濯完了を知らせる。

 洗い立ての服はボストンバックに押し込んだ。

 

 

 腕時計を見る。本屋で買った、安い品だ。

 時刻は十一時半を過ぎていた。

 

 

「そろそろか」

 

 

 何が始まるのか。杞憂に済めば良いと思ってはいるが、嫌な予感がして止まない。

 だが何が起きても止めてみせる。『スクラッシュドライバー』と『ボトル』があれば、彼は最強だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぴったり十二時。黒湖の家の前にいた。

 その五分後にマンションのエントランスから出て来たのは、五人。

 黒湖とひな子、八葉と、後は知らない二人。片方はひな子らと同年代の少女で、もう一人は小学生と思わしき童女。

 

 

「あ! 優しいおじさん! 久し振りー!」

 

「幻徳さん……?」

 

 

 彼を確認するなり、ひな子は明るく駆け寄り、八葉は当惑する。

 当惑も無理はない。先週まで着の身着のままであった彼が、清潔な服を着ている上、パーカーとサンダルにステテコと言ったやけにスポーティーな服装に様変わりしているのだから。顔色も良くなっている。

 

 

「前は挨拶もなしにすまなかった」

 

「一緒に食べるつもりだったのに、いなくなっちゃうんだから!」

 

「会ったばかりの人間がいても、気不味いと思ってな」

 

 

 次に八葉が話しかける。

 

 

「幻徳さん、お金無かったんじゃ……?」

 

「まぁ……日給の仕事を紹介されて……な」

 

 

 嘘は言っていない。

 ここで黒湖から貰ったと言えば『ヒモおじさん』なんて揶揄されそうだからだ。

 

 

「へぇ。六万少しで生活出来たんだぁ。会計ってのは嘘じゃなかった?」

 

「……それで? その、お二人さんは?」

 

 

 黒湖からの話を躱し、顔の知らない二人の少女を見やる。

 お団子で結んだ髪型の子と、やけに緊張している子。

 

 

「こちら、『浮菜ちゃん』と『凛子ちゃん』でーす。ほらほら、ご挨拶してして?」

 

 

 黒湖に流されるまま、浮菜と凛子がおずおずと頭を下げる。

 

 

「ど、ども。み、『水沢浮菜』と申します……」

 

 

 お団子の子が浮菜のようだ。何だか後ろめたい事でもあるのか、挙動不審だ。

 

 

「……『浅葱凛子』です」

 

 

 童女の方はやけに声が暗い。この歳の子は人見知りでもするのだろうと、幻徳は合点した。

 

 

「氷室幻徳だが……一つ聞きたいが、何処か出掛けるのか?」

 

 

 仕事と言われたのに、現状はレジャーランドに向かう一行その物。

 黒湖に説明を求めたのだが、説明をしたのはひな子だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もしかしておじさんも行くの!?」

 

「……何処に?」

 

「『テケラン』!!」

 

「テケラン……?」

 

 

 新型の武器かと思った。

 略称で話すひな子の代わりに、八葉が注釈する。

 

 

「『テケリリランド』に行くんですよ」

 

「遊園地か?」

 

「そうですよ。アレ? 幻徳さん、テケリリランド知らないんですか?」

 

「娯楽に疎く……」

 

 

 会話に黒湖が割って入る。

 

 

「今回は、氷室さんが『保護者』として、遊園地に行って貰いまーす」

 

 

 

 唖然とする幻徳。

 

 

「……『仕事』って、コレか?」

 

「あたしが用事でさ。ね?」

 

「……政府公認とか何とか言ってなかったか?」

 

「一種の誇張表現よん」

 

 

 拍子抜けだ。一週間抱いた緊張が落ちる。

 

 

「三人は中学生だし、凛子ちゃんに至っては小学生だし。やっぱ大人が一人でもいないと不安でしょ?」

 

「確かにそうだが……だが」

 

「ハイハイ、行った行った。あ、氷室さんのチケットないから、当日で買ってね。お金残ってるでしょ?」

 

 

 ひな子らの背中を押し、幻徳に寄せる。

 何かを企んでいる事は明白だが、全く読めない。

 

 

 

 

 

 幻徳の耳元で、黒湖が喋る。

 

 

「今日はみんなに、『お父さん』のように振舞ってねぇ」

 

 

 気付かない内に、四万円を彼のポケットに突っ込んだ。

 

 

「なんでお父さんに……」

 

「じゃっ。頑張って」

 

 

 それだけ言うと、黒湖はパッと離れてガレージに向かう。

 この時に幻徳は、自身のポケットに四万円があると気付いた。

 

 

「…………何を考えてやがる」

 

 

 意図が読めない。不気味に思いながら、ガレージから走り去って行く彼女の車を眺めた。

 

 

 

 

「ではいざ、テケラン!!」

 

 

 ひな子の声をキッカケに、一同は駅へと向かい出す。

 幻徳は嫌な予感と不気味さを抱きながら、彼女らの後ろを付いて行く。

 

 

 

 この時の彼は気付く由も無かった。

 黒湖は幻徳を保護者とする為に向かわせたのではない。『生贄』に捧げた。

 彼女なりの、『お手並み拝見』だ。

 

 

 

 

 

 

「……………………』

 

 

 一行の中に、『狂気』が潜んでいる。




明日はジオウです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彼はチケットも買えない/Cheer up!!

 晴れた昼下がり。草木がさざめく河川敷。

 穏やかな町の中、ここだけが妙な緊迫感に支配されている。

 

 

「女、男、ジジイ、子供……」

 

 

 しゃがみ込み、被せられたブルーシートを上げ、中を覗く。

 

 

「……と来て、また女か……」

 

 

 シートの下には、顔面の皮膚を引き剥がされた女性の遺体があった。

 生々しく赤黒い筋組織が露出し、最早誰なのかも察知出来ない。

 

 

 厳つい人相と、繋がったもみあげと顎髭が特徴的な警部『笠木 三郎太』は忌々しげに呟く。

 

 

「これで八件目か……ひでぇ事しやがる」

 

 

 既に幾多の警察が場を抑え、調査を行っている最中だ。

 笠木は遺体を再び隠し、背後に立っていた男へ振り返った。その目には侮蔑と厭悪が込められている。

 

 

「……重役出勤とは良いご身分だな」

 

 

 のっそりと立ち上がる。

 

 

「……えぇ?『御剣サン』よぉ」

 

 

 彼の後ろにいた男は御剣橙悟。紅守黒湖のお目付役だ。

 隣には部下の君原茶々が控えていた。

 

 

「……申し訳ありません。遅れ馳せました」

 

「今日はこっちの補佐とか言うが、『アレ』は大丈夫なのか?」

 

 

『アレ』とは言わずもがな、黒湖の事を指す。

 

 

 笠木は熱血漢で正義漢の、ステレオタイプな昭和警察官気質であった。警察の意義と理念による純粋な正義を理想とする男。

 故に、何か起これば面目だの地位だのを第一に考える今の警察の遺憾を抱いていた。

 

 警察の力不足を隠す為、全てを黒湖に一任する現状にも退っ引きならない思いがある。彼は警視庁屈指の、『反・紅守黒湖派』の筆頭であった。

 

 

 

「紅守は、被疑者の子供の保護に向かいました……被疑者本人とも接触しているハズです」

 

 

 今回も例に倣い、笠木の嫌いな展開だ。

 

 

「……気にいらねェな……んなの、さっさと被疑者本人を引っ張ればすぐじゃねェか?」

 

「……事情もあり、そう言う訳にもいかないのです」

 

「何が『事情』だ……ウカウカしている内に死体は増えちまったんだろうが」

 

 

 ブルーシート下の遺体も、死後二日は経過している。

 

 

 

 

「死体は顔の皮膚を剥がされている……剥がされているだけじゃねぇ、『持ち去ってもいる』」

 

 

 河川敷周辺に、遺体の消えた顔面の皮膚は発見されていない。

 だが寧ろ、発見されていないからこそ、この事件の被疑者は早々に浮上した。

 

 

「『仮面蒐集家(スキンコレクター)』……奴の犯行そのまんまだ」

 

 

 

 

 

 二十年前、七人を殺害したとして逮捕された『男』がいた。

 連続殺人鬼としてメディアにも取り上げられもした。

 

 

 しかし、一般には知られていない。

 その男が『心神喪失』として『医療刑務所』に収監され、人知れず『社会復帰』までした事を。

 同時に、『顔面の皮膚を剥がして持ち去る』手口も。

 被疑者への社会的地位を守る為と、模倣犯の抑制を図り、情報が統制された。

 

 

 本当は七人ではなく『七十人』を殺害した事も、統制されている。

 大衆の混乱と、二桁に至るまで止められなかった警察への追及回避も込められていた。また同時に、犯人の父親が政治界の有力者であった事も含められる。

 

 

 

「二十年前は女だけがターゲットだったが……今回は男も子供も手にかけている。タガが外れて、自制すら出来ねぇ状態だろ」

 

 

 

 

 男は「仮面蒐集家」と呼ばれているが、それは警察関係者間のみ知る。

 今回の事件は、「一般人が知る由もない、仮面蒐集家の手口で行われた」点から、この『男』に再び疑惑がかけられた。

 

 

 

 

 

「しかし、どうして今頃になって……」

 

 

 君原が妥当な質問をする。

 

 

「被疑者は医療刑務所を退院した後、結婚している。その妻が、数ヶ月前に死んだ。キッカケはそれだろ」

 

「妻の死の悲しみを忘れる為、再び殺人を犯した?」

 

「そうだ、おかしかねェ。それに妻の死亡した日の二日後に第一の殺人を確認した。偶然にしちゃ出来過ぎだろが」

 

 

 状況証拠も揃いつつある。

 ここまで要因が重なれば、疑う思考が寧ろ妥当だ。

 

 

 

 

「……なのに、令状より先に、あの『イカレ女』を向かわせんだな?」

 

 

 御剣を睨み付ける。元々の強面も相まって、今にも殴りかかりそうな気迫を醸していた。

 

 

「……被疑者の、『現在の状況』が原因でしょう」

 

「……なにが現在の状況だ。警察の面子と人命を天秤にかけんのか?」

 

「……上の、判断です」

 

 

 分かりやすく舌打ちする。

 

 

「事ある毎に上上上と、判断判断判断……」

 

「………………」

 

「……なぁ、いつから『そう』なっちまった。え? トーゴさんよぉ」

 

 

 呆れ果て、踵を返す。

 その際、笠木は愚痴をこぼす。聞こえるよう大声なのは叱責も込められていたからだ。

 

 

 

「俺らは、乗せられもしねェんだな! 切符すら貰えねぇ訳か。なんの為の警察だッ!」

 

 

 

 

 笠木のポケットの中で、携帯電話が鳴った。部下からの連絡だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガタン、ガタン、ゴトン、ゴトン。

 

 

「………………」

 

 

 ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン。

 

 

「…………………………」

 

 

 

『間も無く、三番線、特急、久多跡行きが』

 

 

 

「お、おじさん…………ほ、本当なんですか?」

 

 

 

『七秒で、到着します』

 

 

 

「……頼む。知り合いの碧らには秘密にしてくれ」

 

「ほ、本当に言ってます?」

 

 

 

『黄色い線の内側、三角印の、一番から、八番まで…………』

 

 

 

 

 

「……電車の切符、一人では買えん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『彼はチケットも買えない/Cheer up!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 券売機で八葉らが切符を買う後ろで、幻徳は浮菜にこっそり頼み込んだ。

 

 

 

「教えてくれ」

 

「ま、マジに言ってます?」

 

「大マジだ……」

 

 

 浮菜は信じられない。

 この現代社会に於いて、電車の切符を買えない人間がいようとは。しかも大の大人が。

 

 

「お金を入れて、ボタンを押すだけですよ?」

 

「幾ら入れるんだ? 高いのか? お札は何処から入れる?」

 

「ほら、券売機の上に料金表がありますから……」

 

「アレは……どう、見たら良いんだ?」

 

「…………マジですか」

 

 

 保護者として同行する男が一番保護されなくてはならない。

 幻徳は目を細め、何とか料金表を理解しようと努めていた。

 

 

 

「失礼承知で聞きますけど、電車は乗った事ありますよね?」

 

「ICカードの定期のお陰だが……それも学生時代だ。免許を取ってからは乗っていない」

 

「い、一度も券売機を使った事ないんですか……!?」

 

「……からっきし」

 

 

 浮菜は頭が痛くなる。

 ただでさえ彼女にとってこの現状は『悩みの種』であるのに、厄介を起こさないで欲しいと思った。

 

 

 そうこうする内に手前のひな子らが切符を買い終わり、幻徳らの番。

 

 

「おじさん! 出来るだけ早く買って! 次の電車は乗るから!!」

 

「ハハハ! そんなに焦らなくたって、テケリリランドは逃げねぇぜ?」

 

 

 何気無い会話でさえ、幻徳へのプレッシャーとなる。

 焦燥と苛つきが仕草に出ており、口髭をしきりに触っていた。見かねた浮菜は、渋々補助する。

 

 

「えぇと……氷室さん……でしたっけ?」

 

「氷室幻徳だ」

 

「その、切符を一度に二枚買って貰う風にして教えますから……」

 

「なに? 一度に二枚も買えるのか……?」

 

 

 券売機の前で大人と中学生が並び、小声で話し合う。

 少し異様な光景だが、まさか大人が切符の買い方を中学生から学んでいるとは思えまい。

 

 

 

 

「………………」

 

 

 彼らの背後、凛子は買った切符を持ちながら二人を眺めていた。

 

 

「凛子ちゃん、自分で切符買えたんだ。小学四年生だっけ? 偉いなぁ」

 

 

 八葉が声をかけ、ゆっくり振り向く。相変わらず緊張した面持ちだが、最初より幾分か落ち着いている。

 ひな子はいつの間にか買ったオレンジジュースを勢い良く飲んでいた。

 

 

「お父さん、仕事で忙しいから。あと、通学で……久多跡小だから」

 

「へぇ、そっか。私、小学六年までは一人で買えなかったなぁ」

 

 

 八葉の視線が幻徳らに移る。まだ四苦八苦しているようだ。

 

 

「ハハハ! ウッキーナと何やってんだか。こう見るとあの二人、『親子』みたいだな!」

 

「……うん」

 

 

 凛子の目が、儚げな光を纏う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部下の電話報告を聞いた笠木の表情は、困惑に満ちていた。

 

 

「……どう言う事だ……!?『アリバイ』があるだと……!?」

 

 

 元仮面蒐集家の男には、八件の事件の内、五件にアリバイがあった。

 

 

「もしかして、模倣犯なのでは……?」

 

 

 君原の意見に対し、笠木は頑なに否定する。

 

 

「いや。手口は秘匿されている、そんな訳はねェ。共犯の線もあるが……」

 

「……そうなると、動機が分からなくなる……」

 

 

 妻の死がトリガーだと言う動機が、共犯ならば説明がつかなくなってしまう。そも、二十年前も単独で犯行に及んだ人物が、今になって仲間を付けるものなのか。

 

 

「一体、どうなってやがんだ……!?」

 

 

 笠木自身、『手口は秘匿されている』と答えた反面、アリバイのある五件に説明がつかない事態への割り切れなさもある。

 

 

 

 

「……いや。模倣犯の可能性はあります」

 

 

 数多の可能性を考察する彼の前で、御剣が意見する。

 

 

「……なに?」

 

「公開されていない手口……知っている可能性のある人物は他にもいます」

 

「他にも……」

 

 

 笠木にも合点が行く。答えは盲点にあった。

 

 

 

「……ッ!!『二十年前の被害者遺族』かッ!!」

 

 

 

 

 

 メディアへの秘匿はなされど、遺体と向き合う者は嫌でも真相を知らされる。

 自分の娘が、姉が、妹が、妻が、顔を剥がされ殺された事は嫌でも知らされる。遺族にとっての、当然の権利だ。

 

 

 

 遺族には唯一、手口は教えられた。

 

 

「向島と笹山は遺族を洗え!! 桂と崎岡は浅葱の妻の死を調べ直すんだ!!」

 

 

 可能性が示された後の、彼の指令は的確だ。

 その場にいた部下全てに捜査を命令。停滞寸前の現場は一気に慌しくなる。

 

 

「あの、私たちは……」

 

「お前らはここに俺と残れ……現場を荒らすんじゃねぇぞ」

 

 

 御剣と君原を残した理由については、元仮面蒐集家の犯行が否定された場合に、黒湖らにストップをかけさせる為だ。

 二人を置き去りに、笠木は鑑識官の方へ走る。

 

 

「……ツルさん」

 

「単独犯の可能性がなくなっただけだ。警部も分かっている。俺たちは俺たちの仕事をするぞ」

 

 

 事態の急転に役割を見失いかけた君原を、御剣は宥める。

 

 

「しかし、手口が知らされているにせよ……遺族が同様の手口で犯行に及ぶものでしょうか……?」

 

「……確かにそうだが……」

 

 

 それ以外に可能性はない。彼はそう断言したいが、君原と同様に違和感がある。

 もっと別の可能性があるのではないか。

 

 

 

「……他に手口を知っている人物は、『仮面蒐集家の親族』ですが……」

 

「父親はありえねぇ、今年で七十の老人だ。母親は昔に亡くなっている。兄弟はいなかったな」

 

「なら、医療刑務所を出た後……」

 

「妻と子供ぐらいだろ……最も、自分が元殺人鬼だなんてうち明かす訳はないか」

 

「妻は亡くなっていますし、その子供は現在保護されていますし……」

 

 

 可能性の弾丸は尽きた。

 お手上げだと言わんばかりに、君原は首を振る。

 

 

「やはりツルさんや笠木警部の言う通り、遺族の犯行……?」

 

「……………………」

 

 

 ふと、御剣に思い付きが巡る。

 

 

 

「君原。急ぎ、詳細を知りたい情報がある」

 

「え?……何でしょうか?」

 

 

 彼の表情に、気のはやる様が伺えた。

 

 

 

 

「『アリバイのある五件』だ。『共通点』を探すぞ」

 

 

 彼らもまた、行動を始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 特急電車に揺られ、四十分。

 

 

『藍峰東、藍峰東。各駅停車は、お乗り換えです』

 

 

 テケリリランドのある駅に、一行は辿り着いた。

 

 

 

 

「テケリリランド!!」

 

「まだ駅なんだけどなー」

 

 

 はやる気持ちを抑えられないひな子は、どんどん先を行く。

 後続の八葉は引き止めるのに手一杯だ。

 

 

「帰りも教えてもらいたい」

 

「あー……往復券で買いましたから、もう大丈夫ですよ」

 

 

 最大の難関を突破し、幻徳は浮菜に感謝する。

 

 

「何か礼をしたい。ジュースでも奢ろうか?」

 

「い、いえいえ。申し訳ないですよ……」

 

「ぜぇん然構わない。炭酸にするか? お茶にするか?」

 

「えぇ……じゃあ、お茶で……」

 

 

 近くにあった自販機まで駆け、緑茶を買って来る。

 浮菜の方へ戻った時、彼女の後ろに立っていた凛子に気が付く。

 

 

「浅葱ちゃん……だったか」

 

「…………うん」

 

「何か飲むか? さっき自販機見たらコンポタージュもあったぞ」

 

「コンポタージュは……今はいらない、かな?」

 

「……そうか」

 

 

 やや残念そうな顔。

 それは別として、浮菜に買ったお茶を渡す。

 

 

「あ、ありがとうございます、氷室さん。すいません」

 

「構わないと言ったろう。ちゃんと自販機で一番高いお茶にしたからな」

 

(どうでも良い……)

 

 

 内心で侮蔑しつつも、喉は緊張でカラカラだったのは確か。

 素直に感謝し、浮菜はペットボトルに口を付ける。

 

 

「美味いか?」

 

「…………まぁ、はい」

 

「一番高いお茶だからな」

 

(拘り過ぎでしょ……)

 

 

 呆れ顔の浮菜と、得意顔の幻徳。

 差し詰め、父親の面倒事に巻き込まれた娘の図のそれでもあった。

 

 

 

「………………」

 

 

 凛子は二人の様子を見ていた。

 儚い光の目で見ていた。その目に、靄がかかって来る。

 

 

 

 

「浅葱ちゃんもどうだ? 一番高いお茶が」

 

「リンゴジュースが良い」

 

「…………そっか」

 

 

 渋い顔のまま、幻徳はまた自販機に向かう。リンゴジュースがないと気付いたのは、その時だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仮面蒐集家のアリバイがある五件の情報が分かった。

 

 

「……ツルさん。どう言う、事でしょうか……?」

 

 

 捜査一課より寄せた事件の詳細を、メモに纏めた。

 閲覧した君原は当惑を見せている。

 

 

「一件目、二件目……全部、『男性』。しかも、『妻子持ち』ばかり」

 

「それだけじゃねぇ……」

 

 

 御剣が得た情報は、遺族の詳細にまで至っていた。

 

 

「見ろ。三件の被害者家族の子供は皆、『同じ小学校』だ。内二件は老人男性だが、孫がその小学校だ」

 

「同じ小学校……?」

 

「あぁ。私立の小学校だな」

 

 

 メモの内容を読み上げる。

 

 

 

 

 

 

「……『久多跡小学校』……」

 

 

 君原が学名を聞き、呟いた。

 

 

 

 

 

 

「……確か、『仮面蒐集家の子供』も同じ小学校でしたね」

 

 

 

 

 彼女の呟きを聞いた途端、御剣の目が見開かれた。

 可能性の弾丸が一つ、込められる。

 

 

「……まさか……」

 

 

 

 

 

 

 

 学習心理学の分野に於いて、『観察学習』と呼ばれるものがある。

 人間に限定して話を進めるが、行動の獲得には『他者』を必要な場合がある。他者を『お手本』として、模倣する。

 

 

 こう言う実験結果がある。大人が人形に攻撃を加える映像を見た子供は、性別に関係なく、同様に攻撃行動を取ったと言う結果だ。

 子供は大人の行動を真似し、同様の行動を取った。モデルの行動に対し、『自分にも出来るのか』『やる必要はあるのか』と判断出来る生物に見られる学習だ。

 

 

 この結果を鑑みるならば、人間は他者を模倣し、能力を会得出来るようになっており、現在に至る複雑な社会はこの能力によって培われたとも言えるだろう。

 犬が犬のまま、猫が猫のままなのは、観察学習が出来ない故。人間はそれが可能であり、急速な進化を遂げてこられた。

 観察学習は、人間の進化に密接に関わる現象だ。

 

 

 

 

 

 人間は、『他者より影響を受ける生物』だ。それは社会生物としての恩恵であり、呪いでもある。

『自分にも出来るのか』『やる必要はあるのか』の判断を誤れば、我々はなんでも行えるほど、危ういのだ。

 自我のある者は兎も角、『自我の弱い子供』ならば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 御剣は脂汗が滲み出ている事に気付く。自分でも恐ろしい想像をしていた。

 

 

「……もし、なんらかの形で……あの男の闇に触れてしまったのだとしたら……」

 

 

 喉が渇いて行く感覚が、機敏に感じ取れた。

 

 

「…………盲点だった……」

 

「……ツルさん?」

 

「君原。至急、紅守と屠桜に連絡をとれ」

 

「はっはい」

 

 

 御剣のただならぬ雰囲気に、君原もまた飲まれた。

 彼女が電話を扱う最中、御剣は小さく呟く。

 

 

 

 

 

 

「……まさか、『浅葱の娘』だとは……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遊園地が見えて来た。

 ミネラルウォーターを持つ『浅葱凛子』は、しかしぼんやりと別の存在を見ている。

 

 

「テケリリランドの、テケリリはなんだ?」

 

「マスコットキャラクターのしょごたんの鳴き声ですよ」

 

「変な鳴き声だな……エイリアンか何かか?」

 

「さぁ……?」

 

 

『優しい父親』のような男、氷室幻徳を。

 初対面の子にも打ち解けられる、彼の姿を。

 

 

 

 その目に光はない。暗い暗い、漆黒。

 

 

 

 

「…………………………」

 

 

 幻徳は図らずも、『死への切符』を持ってしまったようだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

事態はデンジャラスへ/Number of skins

 幻徳はテケリリランドで唖然となる。

 

 

「あれが……しょごたん?」

 

 

 彼の前には複数の目と触手を持った、異形の怪物が沢山いた。

 先に浮菜が言っていた通り、「テケリ・リ」と鳴いている。

 

 

「わーい! しょごたんだ! しょごたんの群れだー!」

 

「待て。あの冒涜的な怪物がしょごたんなのか……?」

 

 

 幻徳には理解が出来ない。

 

 

「幻徳さんは分からないんですかー? しょごたんの良さが!」

 

「いや、良さも何も……狂気の山脈で見てしまうような……」

 

「キモかわいいで人気ですよ」

 

「キモいしか分からん……」

 

 

 八葉でさえそう言うのだから、アレが人気なのは確かだろう。釈然とはしないが、幻徳は納得せざるを得なかった。

 

 しょごたんの群れの奥の方で呻き声が上がる。暴走したひな子がしょごたんに殴りかかっていた。

 

 

「あー! ひな子!! しょごたん殴っちゃカワイソーだろ!!」

 

「なんで殴るの……?」

 

 

 彼女を止めに、すぐさま八葉と浮菜は駆け寄った。完全に保護者の立ち位置となっている。

 

 

 

 

「……俺は必要だったのか……?」

 

 

 思えば八葉も浮菜も中学生と思えないほど、しっかりした娘だ。ひな子だけがやけに幼く見えるが、ストッパーの役割は完結している。

 この集団に成人男性がいるだけで空気は淀みやしないかと心配になった。

 

 

「………………」

 

 

 凛子と目が合う。人が多い場所に来た為か、再び緊張感が表情に出ている。

 

 

「遊園地は来たことあるのか?」

 

「え?……ううん、はじめて」

 

「俺も何年振りだろうか」

 

 

 見渡せば、大きな観覧車にとても高いジェットコースター、行きしなに見たポスターによればモトクロスショーも行われるとあり、それなりの規模の遊園地だと分かる。

 今日は日曜日とあり、家族連れの客で賑わっていた。

 

 

「多いな……アトラクション一つにせよ、結構並ぶかもしれんな」

 

「……いっぱい乗れたら良いな」

 

「フリーパスだから、何でも何度でも乗れるぞ。気になった物があれば言ってくれ」

 

 

 しょごたんに叱られ、げんなりしたひな子が帰って来る。

 

 

「まぁまぁ、ひな子……気を取り直して、何か乗ろうぜ。何乗る?」

 

「……かんらんしゃ」

 

 

 

 

 

 父親の手を引き、次のアトラクションへ急かす子どもが横切った。

 凛子はその親子を、ジッと見つめている。

 

 

 

 

 

 

 ひな子の提案で、最初のアトラクションは観覧車となった。

 

 

「まずは高い所から全体の混み具合を見て……それから乗る順番を決めるの!」

 

 

 天真爛漫なひな子にしては合理的な判断だ。

 

 

「高いな……」

 

「おじさん、高い所嫌いなの?」

 

「そう言う訳ではないが……高い場所にあまり縁起を感じた事がなくてな」

 

「? おじさんって変わり者だね!」

 

 

 お前には言われたくないと思いつつも、心中に留めた。それが大人と言う物だ。

 

 

「幻徳さん、大きなカバンですね」

 

 

 八葉は幻徳の膝の上に乗せられたボストンバッグを指差す。

 

 

「なに入っているんですか?」

 

「大層な物は入っていない。服とか下着とか……」

 

「邪魔でしたらこの遊園地、貸しロッカーありますけど」

 

「あー……それには及ばない」

 

 

 強固な金庫に入れるとしても、『スクラッシュドライバー』は手放せまい。

 

 

「自分の物は手元にないと気が済まないタチで……」

 

「……そうですか」

 

 

 八葉は、幻徳が仮面ライダーローグである事を知っている。

 もしかしたらスーツか何かが入っていると思っているかもしれない。それを察知し、話題にするのを止めた。

 

 

「ん?」

 

 

 誰かの携帯電話が鳴る。

 ひな子のようだ。

 

 

「もしもーし? ふんふん。やだ」

 

 

 十秒で通話終了。見ていた側が心配になる。

 

 

「ひな子、誰から? 黒湖さん?」

 

「えーとね、けーさつの人」

 

 

 浮菜の身体が跳ね上がる。

 

 

「け、け、け、けいさつ? なんで?」

 

「あ、ひな子の言う事は気にしないで。たまに解読が必要になるから」

 

「そ、そ、そうなの?」

 

 

 動揺がバレバレだが、幻徳は外を眺めていて気付かなかった。

 

 

「あのアトラクションが良くないか? 空いているぞ」

 

 

 コーヒーカップルのようなアトラクションだ。デザインはやはり異形の怪物だが。

 

 

「くるくるくとぅるぷ……ふふふ……おじさん、オメガ高い」

 

「後はあの……メリーゴーランド? そっちも空いているな」

 

「ふかきものどのライド! オメガ高い!」

 

「あとは、あれか」

 

「ティンダロスハウス! オメガ高い!」

 

「それが言いたいだけだろ」

 

 

 二人はやけに目が良いらしく、アトラクションの順番を決めて行く。

 

 

 その間、凛子は一つ前のゴンドラを眺めていた。

 両親が見守る中、楽しげに観覧車からの景色を楽しむ子供を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方で御剣と君原。パトランプを鳴らし、車を走らせていた。

 

 

「どうだ? 出たか?」

 

「……待てと言ったのに『やだ』と言われて切られました。電話の電源も落とされましたね、かけても繋がりません」

 

「……こんな時に」

 

 

 苛立ちから顰め面になる御剣だが、君原が持つ端末に表示された地図は、ひな子の場所を依然と示していた。

 

 

「テケリリランドからは動いていないようです」

 

「よし。このまま急行する」

 

「GPSはちゃんと作動しているようですが……」

 

 

 君原は疑問を呈す。

 

 

「……ケータイの電源は入っていないのに、どうしてGPSは作動しているんですか?」

 

 

 ハンドルを切り、やや乱暴に次の角を曲がる。

 曲がり切り、道が安定したと判断すると、御剣は話し出した。

 

 

「そうか……そうだったな。お前はまだ知らなかったな」

 

「え?」

 

 

 御剣の横顔を眺める。悲壮が込められていた。

 

 

 

 

 

「……どうして屠桜が、『紅守と組んでいるのか』」

 

 

 テケリリランドまで二キロを切った。御剣はアクセルを更に踏み込んだ。

 

 

 

「まずGPSの件だが……それは、『屠桜に埋め込まれたマイクロチップによる物』だ」

 

「…………え?」

 

 

 君原の表情が驚きに染まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コーヒーカップルを乗り終えた後、そこには青い顔の浮菜がいた。

 

 

「え、えうぅ……屠桜さん、ま、回し過ぎですってぇ……」

 

「大丈夫か?」

 

「……なんで氷室さんたちは平気なんですかぁ……」

 

 

 浮菜以外の四人は強靭な三半規管の持ち主だ。一秒間三回転二分コースの超速を物ともしていない。

 

 

「まぁ、昔の俺もしょっちゅう、車酔いになったもんだ。まだ若いから慣れないだけで」

 

「じゃあ凛子ちゃん平気なのはなんでですか……」

 

「……まぁ。人間、得意不得意はあるさ」

 

 

 幻徳に支えられ、覚束ない足取りでひな子の後を追う。

 

 

「次は、ふかきものどのライド! 私を待っているッ!!」

 

 

 皆を置いてきぼりに邁進するひな子、凛子に付き添う八葉の後ろで、幻徳と浮菜は疲れを見せ初めていた。

 

 

「……元気ですね」

 

「いや……あの娘らがパワフル過ぎるんだ」

 

「うぅ……インドア派の弊害がここで……」

 

「……仕方ない、俺たちは休憩でもしよう」

 

 

 幻徳は手を振り、八葉を注目させる。

 

 

「この娘がこんな調子だ。フードコートで休憩して来る」

 

「分かった幻徳さん! 次乗り終えたら迎えに行きます!」

 

 

 ふかきものどのライドへ向かう彼女らを見送ってから、二人はフードコートへ行った。

 仲良くヨロヨロと向かう二人を一瞥し、八葉はつい笑ってしまう。

 

 

「本当に親子みたいだな、あの二人」

 

 

 視線を再び、凛子の方へ戻す。

 

 

「さっ。凛子ちゃん、ひな子の所まで競走でもすっか!……って」

 

 

 

 

 瞬間、先ほどまでの和やかで朗らかな気分は霧散してしまった。

 

 

「……あれ? あれぇ!?」

 

 

 

 

 さっきまで隣にいた凛子が、いなくなっていたからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 フードコートでは、運良く席に座れた。

 

 

「はー……遊園地って、疲れるんですね」

 

「あのメンバーだから疲れるんだろ……カラオケの方が楽だ、カラオケに行きたい……」

 

 

 電車での長距離移動の上に、広大な遊園地を歩く事は思いの外体力がいる事を実感する。

 椅子の背凭れにダラリと身体を預け、互いに青空を見上げる。とても高く、気持ちの良い天気だ。

 

 

「……そう言えば、君はあの二人の友達か」

 

「え? ま、まぁ、そうですね……ははは」

 

「あの浅葱って娘はどう言う繋がりなんだ?」

 

「それは分からないですねー。なんか、ちちゆりさ……じゃなくて、黒湖さんの親戚の娘とか?」

 

「……あの女の親戚?」

 

 

 身内を預かるほど、黒湖に情なんてあるのだろうか。

 幻徳はゆったりと回る観覧車を眺めながら、ぼんやりと考えていた。

 

 

(奴は一週間前……確かに『仕事』と言った……なにか、裏がある気がするが……となれば、あの浅葱と言う少女が怪しいな)

 

 

 保護者として同行しろと言われていたが、別に彼女らが見守らなければならないほど幼い訳ではない。現に今は二手となっているが、全く問題はなさそうだ。もっと言えば、黒湖がそれほど心配性には思えない。幻徳に金を渡すほど、必要な事であったのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……アイスでも食おう」

 

 

 考えれば考えるほど、脳も疲れて来た。身体は甘い物を欲しがっている。

 

 

「買って来てやる。なにが良い?」

 

「え? い、いや、自分で買いますよ?」

 

「学生の身分じゃお金はあまり無いだろ。気にするな」

 

 

 最も、自分の金も他人の物だがと恥ずかしく思いつつ、彼は席を立った。

 

 

「じゃあ……バニラで」

 

「バニラか。分かった」

 

 

 味を聞いた幻徳は、颯爽と売店へ走る。ボストンバッグは決して手放さない。

 

 

(着替えとかの割には、大事そう……)

 

 

 浮菜はその様子に、怪しさを感じつつあった。

 

 

 

 

 

 二人のいた席はフードコートの端の方で、売店まではそれなりに移動しなければならない。

 そして売店に着いたとしても、休日の昼下がりは人、人、人。

 ましてや今日は気温が高く、絶好のアイス日和。

 

 

 アイスの売店は、長蛇の列であった。

 

 

「なんて事だ……参ったな」

 

 

 髪を撫で付け、忌々しげに列を見る。

 

 

「これじゃあ、碧たちが戻って来てしまう……別のアイス屋は無いものか……」

 

 

 売店を見て回ってから並ぼうと考え、見渡す。最悪、ホットドッグ屋の小さなデザートメニューでも構わない。

 カップル、親子が右往左往する中、幻徳一人がフードコートをひた走る。

 

 

 

 

 

 売店群の端まで来た所で、見覚えのある人物を発見。

 

 

「……ん? あの娘は……」

 

 

 薄い緑色の髪にサイドテールを結わえ、ウール製のスカートが風で靡く。斜め掛けの小さなバックからは、ウサギのぬいぐるみが顔を出していた。その姿は凛子だ。

 

 

「浅葱凛子? 一人じゃないか」

 

 

 辺りを見ても、ひな子と八葉はいない。

 

 

「逸れたか……やっと保護者らしい事が出来る」

 

 

 バックを担ぎ直し、凛子の元へ。

 彼女はどんどん先を行く。

 

 

「おーい! 浅葱ちゃん!」

 

「…………………………」

 

「……聞こえていないか? この距離なら聞こえるハズだが……」

 

 

 呼び掛けるが、反応はない。彼女の背中を追う内に、人の少ない薔薇園ゾーンに入っていた。

 

 

「おい! 俺だー! おじさんだ! 氷室幻徳だ!」

 

 

 流石に聞こえると断言出来る距離だ。それでも足を止めない所か、小走りになっている。

 わざとだろうかと、幻徳も疑いを持ち始める。

 

 

「……子供ってのは良く分からん」

 

 

 ぼやきを零しつつ、凛子を追う。

 薔薇園の奥へ入り、とうとう人のいない用務員倉庫前まで。

 

 

 凛子は倉庫の影へ滑り込み、見失ってしまう。

 

 

「……こんな所になにがあるってんだ……」

 

 

 辺り一面に薔薇の甘い香りが充満する。鼻先を掠め、蝶が優雅に横切り、別の花壇へいなくなった。

 幻徳は走り疲れ、ゆっくり倉庫へ寄る。

 

 

「浅葱ちゃん。あっちの売店でアイスでも食べないか……今日は暑い」

 

 

 凛子が曲がった倉庫の角へ、足を踏み入れた。

 

 

「……浅葱ちゃん?」

 

 

 角の先は高い木製の壁があり、行き止まりだ。きつく錠前をかけられた、従業員用入り口が目に入る。

 そのすぐ向こうの道路で、パトカーのサイレンが響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウゥ〜、ウゥ〜、ウゥ〜。

 

 

「……なに? 何処だ?」

 

 

 ウゥ〜、ウゥ〜。

 

 

「別の道はない……壁の高さ的に、あの娘には登れない……」

 

 

 ウゥ〜……。

 

 

「……………………」

 

 

 キキィィィっ。

 

 

 

 

 

 

 ガタン。

 

 

 

 

 

「…………浅葱ちゃん?」

 

 

 

 

 

 

 ザシュッ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『事態はデンジャラスへ/Number of skins』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 到着と同時に、御剣と君原はテケリリランドの入園口へと急行する。

 

 

「警察です! すいません、緊急事態なんです!」

 

「え、えぇ?」

 

 

 警察手帳を係員に提示。

 当惑しつつも係員がメインセンターに連絡を飛ばし、入園の許可が下りる。

 ゲートが開けられたと同時に、二人は何振り構わず、GPSが指し示すひな子の場所へ疾走。

 

 

「屠桜は!?」

 

「その先です! あ、あまり移動をしていません! ゆっくりと、回って……!!」

 

 

 

 

 

 

 ひな子は、ふかきものどのライドを満喫していた。

 

 

「ひゃーっ!!!」

 

「屠桜ッ!?」

 

 

 ひな子発見と同時に、辺りを見渡す。

 その場に、浅葱凛子の姿はない。

 

 

「屠桜!! 浅葱凛子は何処だ!?」

 

「あっ、けーさつのひと。くーちゃんは?」

 

「だから浅葱凛子は……」

 

 

 アトラクション周りのフェイスにしがみ付く彼の耳に、聞きたくなかった言葉が木霊する。

 

 

 

『迷子のお知らせです。流々家町、久多跡よりお越しの、「浅葱凛子ちゃん」』

 

「…………なに?」

 

『お見かけの方は迷子センターまで…………』

 

 

 

 八葉がセンターにアナウンスを打診した。園内全体に、浅葱凛子の特徴情報が鳴り響く。

 同時にこれは、『浅葱凛子が保護下から喪失した』事を示している。

 

 

 

 

「……見失っただと……!?」

 

 

 フェイスを叩いた後、御剣は君原に命令する。

 

 

「君原!! 遊園地側にも協力を仰げ!! 隈なく探すぞ!!」

 

「は、はいっ!!」

 

「あれ? もう帰るの?」

 

 

 置いて行かれたひな子のみ、事態を全く理解していないようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フードコートにて、浮菜は待ちくたびれていた。黄昏ていた為、園内放送は聞き流している。

 

「……遅いなぁ、氷室さん。混んでるのかな……」

 

 

 そんな彼女の元へ、八葉が大急ぎでやって来る。

 

 

「う、ウッキーナ!!」

 

「あれ、碧さん……屠桜さんと凛子ちゃんは?」

 

「ひな子はライド中だけど、凛子ちゃんはいなくなった!!」

 

「え!?」

 

 

 疲れていた浮菜だが、急事態に立ち上がり驚く。

 

 

「ま、迷子!?」

 

「黒湖さんから『目を離すな』って言われていたのに!」

 

「探しに行かなきゃ!」

 

 

 二人もまた、御剣らと同様に凛子捜索を開始する。

 だが事態は、御剣と君原の願いとは別に、八葉と浮菜の焦燥とは別に、危険な方へと向かっていた。

 

 

 

 

「そう言えば幻徳さんは?」

 

「あの人も帰って来なくて……」

 

「……幻徳さんも迷子か?」

 

 

 大の大人がそんなハズはないだろう。八葉は自嘲気味に笑う。

 

 

 

 

 

 

 誰も予想出来ない。

 危険な事態の矛先は、氷室幻徳だ。

 

 

 

 

 彼は薔薇園の用務員倉庫横で、首から血を吐き出していた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

マスクを剥がすのは/Over the veil

 ポタ、ポタ、ポタ、ポタ。

 

 

「……ハァ……!」

 

 

 

 ポタ、ポタ、ポタ、ポタ。

 

 

 

「ハァ……ぐっ…………」

 

 

 

 ポタ、ポタ、ポタ…………

 

 

 

「……何者なんだ……何故なんだ……!?」

 

 

 

 

 ひたっ、ひたっ、ひたっ。

 

 

 

「…………………………」

 

 

 

 ひたっ、ひたっ、ひたっ。

 

 

 

 

 

 

 

「……浅葱凛子……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『マスクを剥がすのは/Over the veil』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼は、屋根の上からの襲撃者に斬られた。

 

 

 その人物こそが、浅葱凛子だ。

 バッグにしまっていたウサギのぬいぐるみは、頭部の綿が抜かれていた。綿を抜かれ、空洞の中に自身の顔を覆う。残りの身体は彼女の背後にぶら下がっている。

 両手には刃渡り四十センチに至る包丁が握られ、片方は血で濡れている。赤い滴が、地面に落ちた。

 

 

 

 

 幻徳は完全切断を免れていた。

 凛子の攻撃をいち早く気付き、後ろに仰け反る。だが包丁のリーチの差で、刃先で喉仏の少し上を削られた。

 

 

「……チッ」

 

 

 怪我は問題ではない。

 問題は、スクラッシュドライバーの入ったバッグと離れ離れになった点だ。

 

 

 

 回避時に、勢い余った包丁が持ち手を斬った。ボストンバッグは、凛子の足元に落ちる……幻徳の血の滴の、受け皿と成り下がった。

 

 

「……どう言う事だ……これは……」

 

 

 幻徳は信じられなかった。

 十代前半の幼けな少女が、明確な殺意を持って襲って来る事に。

 

 

 殺意だけではない、本当に殺す気で凶刃を振るった事に。

 

 

(操られているのか?……いや、そんな安易な物では断じてない。あの殺意は本物だ……こいつの意思だ)

 

 

 喉の傷を押さえながら、急いで立ち上がる。

 立ち上がった所で、逃げ道は彼女に塞がれた。彼女自身が壁となって。

 

 

「……何故、俺を襲う……!」

 

 

 喉の蠕動だけでも、痛覚が発生する。叫ばれない。出せる範囲の声で彼女に問う。

 

 

 

 

 

 

 凛子は顔をゆっくり上げる。

 

 

 

「……お父さんは」

 

 

 表情はぬいぐるみがマスクとなり、伺えない。

 

 

 

 

 

「お父さんは……『ヒトゴロシ』」

 

 

 血の臭いを掻き消さんばかりの薔薇の匂いが鬱陶しい。

 

 

 

「私も、『ヒトゴロシ』」

 

 

 刃が鈍く陽光を映す。

 

 

 

「たぶん、いけないこと」

 

 

 

 風が止んだ。

 

 

 

「でも私は、お父さんの子供だから」

 

 

 暫し静寂。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……『優しいお父さんだから』」

 

 

 

 雑に切られ出来たぬいぐるみの亀裂から、口が僅かに見える。

 荒い息を繰り返す口は、満面の笑顔だ。

 幸福の笑みだ。

 

 

 幻徳は、固唾を呑む。

 

 

 

(父親が人殺し……だと?)

 

 

 

 

 彼女は、何らかの形で、父親の殺害風景を見た。

 観察学習……善悪の区別が曖昧な彼女は、『彼女にとって優しいお父さん』の行動を模倣した。

 模倣し、実行し、覚えてしまった『殺しの味』。

 殺しの味は、人間を依存させる厳酷な味。

 

 

 だが、彼女の中には「殺しはいけない事」と認識もある。

 快楽と良心のアンビバレンツ。

 依存と抵抗のジレンマ。

 血筋と自我の二律背反。

 その半端で幼い心は『劣等感』を生み、自分がこうなった原因を消したがる。

 

 

 だけど、大好きな父親は消せない。

 だから消すのだ。『父親の代わり』を。

 

 

 

 彼女の殺意は、後戻り出来ない一本の線上に半端に留まった、結果である。

 

 

 

 

 

(……父親が人殺し……)

 

 

 場違いだが、苦笑いを零す。

 

 

 

 

「……俺の逆か」

 

 

 その自嘲は、凛子には聞こえない。

 

 

 

 

 

 

 ワンツーステップで、彼女は再び幻徳に斬りかかる。

 

 

「ぐぅッ!?」

 

 

 一気に距離を詰めたと思えば横に飛び、壁を蹴って跳躍する。軌道が読めない。

 

 

「なんて身体能力だ……!!」

 

 

 跳躍した凛子は、回転しながら幻徳の首を狙って迫る。

 常人では反応出来ない凛子の人外じみた攻撃。

 

 

「……ッ!!」

 

 

 だが幻徳は、一般の人間よりも身体能力に恵まれていた。

 凛子の攻撃に何とか反応し、刃が喉を搔き切る前にしゃがみ込んだ。

 

 

「はっ!?」

 

 

 幻徳の反応に、凛子も反応。

 彼が回避に成功したと一瞬で理解し、そのまま包丁を斬り下げる。頭頂部に斬り込みをつけるつもりだ。

 

 

「うおぉおお!?」

 

 

 急いで身体を地面に伏せる。

 だが、前に出していた左手に刃が入る。所謂、手刀と呼ばれる箇所に食らったが、本物の刃に人体が敵う訳がない。パックリ割れた手の側面部より、血飛沫。

 

 

「…………」

 

「うぅ……!」

 

 

 痛がる余裕はない。避け切った恩恵でチャンスが生まれた。

 幻徳から見て前方が空く。その方向には出口と、血の付いたボストンバッグ。

 

 

「ぐぅぅ!!」

 

 

 逃げ切る事は不可能だ。

 ここは人のいない薔薇園。袋小路から出られた所で、逃げ切ったとは言えない。本当に逃げ切る時は、薔薇園から出た時だ。

 現状、とても無理だ。凛子はもはや、『怪物』。寧ろ、この場から出る前に仕留める力量がある。

 

 つまり逃走は不可能。無謀。悪手。『BAD』だ。

 

 

 

 

 

 

 

 ならば生き残る道は一つ。『戦わねば』。

 

 

 

「バッグを……!!」

 

 

 落としたボストンバッグを拾えば、変身して戦う事が出来る。

 あの刃を凌ぐ、無敵の鎧が手に入る。

 

 

「……回収しなければ……!!」

 

 

 彼は無様に、犬のように這った後、態勢が整ったと同時に立ち上がり走る。

 バッグ目掛け、無我夢中だ。

 

 

 

 

 だが、それを待ってくれる相手ではない。

 凛子は仕留め切れていないと判断し、幻徳を追う。

 跳んでいた状態から地面に着地したと同時に、また跳び上がる。

 

 

「もう少しだ……ッ!!」

 

 

 手を伸ばせば届く。

 血だらけになった左手を、彼は必死に突き出した。凛子は背後にまで迫る、迫る。

 

 

 

 

 

 

 いや、それは幻徳の一瞬の勘違い。背後に気配はない。

 

 

 気配は、上だ。

 

 

「ッ!!」

 

 

 突き出した手を急いで引っ込め、背後に倒れ込む。

 そのコンマ一秒の後、凛子は空から降って来た。

 跳躍した彼女は倉庫の屋根を伝い、先回りをした。

 

 

「あんな一瞬で屋根にッ!?」

 

 

 幻徳は肝を冷やす。

 凛子の刃が、後退した自分の鼻先を掠めたからだ。

 

 

「………………」

 

 

 希望のボストンバッグを踏み付け、凛子は静かに佇む。

 血で濡れた包丁を、一度上から下へ素振りし、露払い。

 またもや幻徳は、袋小路に戻された。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………最悪だ」

 

 

 幻徳は行き止まりの奥へ走る。

 厳密に言えば、行き止まりではない。錠前のかけられた、従業員用通路だ。

 

 

 先程、パトカーのサイレンが聞こえた。この奥は駐車場。来客、帰宅客、係員、警備員……薔薇園よりは人がいるハズ。

 

 

「おおお!!」

 

 

 扉に体当たりするが、頑丈だ。

 ならば錠前をと無造作に掴み揺するが、やはり頑丈だ。

 

 

 

 

「……スゥゥ……」

 

 

 凛子は浅い呼吸と共に、鳥の翼のように両手の包丁を広げる。

 彼女にとって予想外は、幻徳が思いの外身体能力が高かった事だろう。僅かに苛立ちが起きていた。

 

 

 

「開け……!! 開けぇぇ……ッ!!」

 

 

 だが、幻徳は彼女以上に取り乱している。出口を求め、無様に錠前を引き千切ろうとしている。素手で壊せる訳はないのに。

 人間、自分以上に狼狽える人間を見ると、落ち着くものだ。凛子は冷静になる。

 

 

 

 冷静になった上で、最後の一手にするつもりだ。

 

 

「ッ」

 

 

 膝を屈めた後、一直線に幻徳へ突進。そして幻徳の十歩後ろで飛びかかる。

 豪快なのに、全くの無音。優雅な一撃、必殺の刃。

 

 

「開くんだ……開いてくれぇ……ッ!!」

 

 

 刃が、幻徳の頸を狙い、突き刺さろうとした。

 今の彼は、パニック状態。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし。『開いた』!!」

 

 

 錠前は動いていない。

 凛子が反応するより先に、幻徳は突然大きく旋回した。

 

 

 

 彼の着ていたパーカーが、脱げる。そして遠心力で投げる。

 開いたのは、『パーカーのチャック』。

 

 

 

 

 凛子から見れば、視界一面がパーカーに染められた。

 

 

「ッ!!」

 

 

 そのまま視界を奪われるだけの彼女ではない。

 飛ばされたパーカーごと、幻徳を斬ろうとその場に身体を捻り、コマのように横回転。頭部と下半身が逆転する勢い。

 

 安いポリエステルが包丁を防げる訳はない。寧ろこの行為は、幻徳からも凛子の姿を見えなくしてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 パカッと、真っ二つ。刃は十分、幻徳の左頰から右側頭部まで貫く長さ。墓穴を掘ったのは彼だった。

 

 

 

 

「……?」

 

 

 しかし、人を斬った事のある彼女には分かる。『感触がない』。

 

 

 

「……!?」

 

 

 斬ったパーカーより、小銭や札束が宙に飛び出した。お金の雨の中、従業員用出口の前にいた幻徳は、いなくなっていた。

 

 

 

「ッ!?!?」

 

 

「ふぅッ……!!」

 

 

 彼は跳躍途中の凛子の下を擦り抜け、再びバッグへ整ったフォームで疾走する。

 

 

 

 

 彼がパーカーを投げたのは視界を奪う為ではない。凛子の態勢を変えさせ、真下を通り抜けやすくする為だ。奥まで逃げたのは、凛子に直線的な攻撃をさせる為でもある。

 勿論、デコイの役割も含め。凛子は完全にパーカーと、飛び散ったお金に注意を向けられていた……反応が遅れた。

 

 

 

 

「……頼むッ!!」

 

 

 今度は届く。ズタボロのゴミ状態と化したボストンバッグを、彼は右手で掴んだ。

 

 

 

 

 掴んだが、やっと掴めたそれを離してしまう。

 手に、何かがぶつかった。

 

 

「がっ……!?」

 

 

 錠前だ。

 高速で飛んで来た錠前が彼の手にぶつけられ、衝撃と痛みで離してしまった。

 

 

 

 

 幻徳は勢い余って転び、バッグの上を通り過ぎて盛大に地面に倒れる。

 倒れた状態で見た凛子の姿に、戦慄さえ覚えた。執念を感じたからだ。

 

 

 

「ぐあぁ……!」

 

 

 

 凛子は包丁の柄で錠前を殴り、折損させた。

 取った錠前を上に投げ、バットのように、包丁の側面で叩き付ける。

 錠前は彼女の狙い……不慣れな事なので頭部とは大きく外れてしまったが、幻徳の伸ばした右手に当てられた。

 

 

 

 

 

(あのバッグに執着している……)

 

 

 思えば出会ってから電車、駅から遊園地、そして園内においても彼はボストンバッグを手放していなかった。

 凛子は気付く。なにかがバッグの中にあると。勿論、彼女なりの想像ではあるが、武器や連絡手段だろう。

 

 

 いずれにせよ、危険要因は潰すまで。袋小路から出さないよりも、バッグに近付かせない事に目的をシフトさせた。

 

 

 

 幻徳は間に合わなかった。バッグは、チャックすら開けられていない。

 

 

 

「……………………」

 

 

 

 幻徳はその場に、情け無い呻き声を上げつつ這い蹲っている。バッグへの執着が消せないのか、気力が尽きたのか、諦めたのか。

 しかし、次に彼がバッグへ手を伸ばそうとするならば……いや、伸ばす事も出来ない。凛子にとって、その行動は彼の隙だ。

 腕を切断し、悲鳴をあげる寸前で喉を斬り、静寂のまま事を済ませる算段が出来ていた。

 

 

 

 詰みだ。幻徳はどう足掻いても、次で死ぬ。

 彼女の、本当の、最後の一手が、彼を殺す。

 

 

 

 

 

 凛子は跳躍する。地面を蹴り、壁を蹴り、刃を振り上げ幻徳を狙う。

 彼は立ち上がろうとする。遅い、もう遅い。

 

 

 

 幻徳が見上げた頃には、刃は目前に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ウサギには一度、コテンパンにやられたが」

 

 

 彼は左腕を上げる。

 

 

「……救われた点では、良く似ている」

 

 

 ガキン。

 肉の柔い衝撃ではない、硬い無機物の衝撃。

 

 

 

 

 

 

「俺のバッグの上で『露払い』をした時に、図らずも救われた」

 

 

 凛子は動揺した。

 

 

 

 

 

 

『スクラッシュゥドライバー!!』

 

 

 

 

 蛍光色の、何とも言えない、オモチャのような物に刃を止められたからだ。

 幻徳の左手から流れる血が付いたそれは、バッグの奥に仕込んだハズの『スクラッシュドライバー』。

 

 

 

 ハッと、凛子はバッグを一瞥する。

 ボストンバッグに、大きな切れ込みが出来ていた。

 

 

 

 幻徳ではない、自分だ。幻徳の行く手を遮った時に行った、包丁の露払い。刃先がバッグに当たり、切り開いた。

 彼はその開いた口に左手を突っ込み、一瞬でスクラッシュドライバーを抜き取れた訳だ。

 

 

 

 

 頑丈なスクラッシュドライバーは包丁を防ぐのに申し分ない強度を持っている。

 フォームを崩され、次の一手が出せない彼女をドライバーで弾き、距離を作った。

 

 

 逃げ切れる距離ではない。まだ彼女の可動範囲内、手の平の上。

 だが、幻徳の勝利でもある。

 

 

 

 

 

「……新聞は見るか?」

 

「……!?」

 

 

 バッグの切り口より、新聞がこちらを覗いていた。

 

 

 

 

 

『謎のヒーロー!? 正体は誰だ!』

 

 

 

 

 今朝の新聞。幻徳は、新聞は普通に捨てて良いのか迷った挙句、やっぱりゴミ箱から回収していた。

 それは一週間前に流々家町を騒がせた、謎のヒーローの考察記事。

 

 

 

 

 

「似顔絵が似ていなくてな……」

 

 

 ドライバーを腹部に当てると、自動的にベルトが射出され、巻かれる。

 その技術に凛子は驚かされた。

 

 

 

「…………きっちり、記憶に焼き付けてやる」

 

 

 

 幻徳は立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

『最強の秘密兵器。補欠』

 

 

 

 

 

 

 何故か彼の着るTシャツには、堂々とそんな文句が書かれている。

 そんな事はどうでも良い。彼は徐にポケットから、ボトルを取り出した。ボトルは、ずっとポケットにしまっていたようだ。

 

 

 

 

 

 フタを回す。

 

 

『DANGER……!!』

 

 

 音声の後、迫り来るような音楽が鳴る。凛子はその、間抜けながらも異端な状況に、警戒していた。

 

 

 次にボトルを間髪入れずに、ドライバーの中心部にある窪みに挿入。

 ワニが、水面から出現したかのような意匠のネオンが、ボトルより飛び出る。

 

 

『クゥロコダイルッ!!』

 

 

 一気に音は禍々しさを放出。

 心臓の鼓動のように明滅を繰り返す、ボトルの光。

 危険を察知した凛子は、何かが起こる前に幻徳を殺そうと構えた。

 

 

 

 構えは一瞬。飛びかかる。

 

 

 

 

 

 

「……変、身……」

 

 

 

 

 

 青痣のついた右手で、スパナのようなレバーを押し込む。

 連動し、ボトルの左右から棒が飛び出し、挟む。

 

 

 

 

 

 

 その前に凛子は幻徳に斬りかかる……が、しかし、何かが下から迫り上がり、彼女を吹き飛ばした。

 態勢を整え着地に成功するが、目の前に広がる光景に絶句する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼は理科室で見る、実験用ビーカーの中に、収まっていた。彼女はその、ビーカーの淵に叩き付けられた。

 その中に、紫色の液体が満ち、幻徳の身体を浸している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暫し静寂。

 次の瞬間、それを壊す音声が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『割れるッ!』

 

 

 幻徳の身体は、液体が凝固した物に包まれた。

 

 

『食われるッ!!』

 

 

 ビーカーの左右にワニの口が地面から現れる。

 

 

『砕け散るッ!!!!』

 

 

 口がビーカーを噛み、圧砕。

 

 

 

 液体とビーカーの破片が散乱し、思わず凛子は腕で防いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 再び、幻徳の方へ視線を向けた時、彼の姿は面影もなく変貌している。

 

 ビーカーは消えた。あるのは黒い、ジェット石のような頭の、紫を基調としたスーツの人影。

 

 

 

 最後に、そのジェット石が、顎の部分から伸びていたワニの口に挟まれる。

 白いヒビが入り、青い目が表出。

 

 

 

 

 

 

 

『クロコダイル・イン・ローグッ!! オォォォウラァァァァアッッ!!!!』

 

『KYAAAAAAAAA!!!!』

 

 

 

 

 

 凛子にとって、見覚えのある存在が目の前にいた。

 いや。彼女の見た物より、目は丸く、ワニの部分は短い。

 

 

 新聞で見た、あの似顔絵の主……『仮面ライダーローグ』。

 それが自分たちと一緒にいた、何処か情け無さのある男、氷室幻徳だった。

 

 

 

 

「紫の……ヒーロー……!?」

 

 

 

 沈黙を、凛子は破る。己を隠せないほどの、動揺が身体を巡っていた。

 

 

「あなたが……!?」

 

 

 何者なんだ、アレは一体なんだ、何が起きた……幾多に巡る不確かな思考の中でも、一つだけ確かな事がある。

 

 

 

 この男、危険だ。

 

 

 

 

 

 

「……お互い、マスクをしている」

 

 

 今までと一気に変わった彼の雰囲気。

 ドスの効いた声には、明確な闘志が含まれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……さぁ。マスクを剥いでみろ」

 

 

 幻徳は……ローグは自身の仮面を指先で突き、挑発。

 

 

 凛子は何振り構っていられない。自分で作り乗せた土俵だ、戦わねばならない。

 この、異形の戦士と。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

嗜虐的ジェットコースター/Fear and loating

 圧倒的な存在感だ。

 

 

 ただ佇む姿さえ、只ならぬオーラ。

 変わった空気の流れに、凛子は本能的に『強大な相手』と感じ取れた。

 

 

「…………フゥッ!!」

 

 

 一息に、凛子から飛び掛った。

 一直線ではない。壁、地面、ローグの前方、後方と縦横無尽に翻弄する。

 

 

「……『ブラックハザード』のようだ」

 

 

 一縷の動揺も今の彼にはない。あるのは絶対の自信と、勝者の余裕。

 

 

 

 

 凛子は包丁を構えた。ローグの左斜め後ろ、屋根の庇を足場としてトップスピードでかかる。

 先ほどまでの彼には反応出来たかどうか。だが、今ならなんて事はない。

 

 

 

「後ろか」

 

 

 ローグは振り向きもせず、両腕を瞬時に上げ、身体一つで刃を受け止めた。

 本当ならば両腕は両断され、不能になってしまう。しかし、凛子の望んだ血飛沫と心地の良い肉の感触はなく、火花と激しい金属音だけが起こる。

 

 

 彼の腕は、両方の包丁をも止めていた。コンマ一ミリも、刃は入っていない。

 

 

「……!? なんで……!」

 

 

 ローグは瞬時に腕を引き、身体の回転と共に凛子を捕らえようと伸ばして来る。

 うかうかしていられないのは凛子の方だ。身体を捻り腕を避け、懐へ落ちる。今度は腹を刺すつもりだ。

 

 

「無駄だ」

 

 

 ドライバーの少し上、鳩尾目掛け全体重を乗せ刃を突き刺す。

 しかし、刃は入らない。

 

 

「あり得ない……!!」

 

「お互い様だ」

 

「!?」

 

 

 ローグの腕が、凛子の右腕を掴む。

 引き剥がそうと力を入れられる前に、一気に捻る。彼女の小さな腕は背中に回され、拘束される。

 

 

「っ……!!」

 

 

 諦める気はない。まだ自由な左腕で、ローグの顎下を狙って後ろ手で斬りはらう。

 その腕さえ、もう片方のローグの手によって捕まえられる。攻撃手段は全て封じ込められた。

 

 

「うっ……! うぅ……!!」

 

「暴れるな。殺しはしない……」

 

「それはなに……!? 何者……!?」

 

「……立場が完全に逆転したな」

 

 

 喉や左手の傷は、機密性の高いスーツによって流血を免れる。多少の無理は可能となり、怪我を思わせないパワフルさを見せ付けた。

 そして仮面ライダーとなった事で、『ネビュラガス』の効果をフルに発揮。身体能力が向上し、身体を覆うスーツによって防御力、攻撃力も一気に上げられた。

 

 まさに『無敵の力』だ。凛子は圧倒的な力量差に、衝撃を感じずにはいられない。

 

 

「抵抗するな。少し、眠ってもらうだけだ」

 

 

 このまま地面に叩きつけ、一瞬で気絶させよう。

 子供相手への罪悪感は微塵もない。この娘は危険だ。それに両手が塞がっている今、それしか止める方法はない。

 

 

 

 

 

 しかし、彼女は一切諦めない。

 足が動く内に、その場で跳んだ。

 

 

「むっ……!」

 

 

 後ろ手に拘束され上へは行けないが、頭を思い切り背後へ落とし、拘束部分を軸として華麗な『ムーンサルト』を披露した。

 凛子の両脚が、顎下に直撃。視界の振動により僅かに緩んだ腕力。

 

 

 彼女は更にローグの顎下を踏み込み、そのまま腕を引く。足が上半身を押し上げる時の力は、女性でも簡単に人間を持ち上げられる力を発揮出来る。

 幻徳の手から腕は抜け、凛子は弾けたバネのように前方へすっ飛ぶ。

 

 

「一筋縄ではいかないか……」

 

 

 すっ飛ぶ凛子に、回し蹴りを行う。だが凛子は地面に手をついた瞬間、腕の力で跳躍。地面に落ちるのではなく、舞い上がった。

 ローグの蹴りは彼女の被るウサギの耳を掠め、外れる。

 

 

「屋根の上に……腕だけでか?」

 

 

 凛子は軽やかな身のこなしで、倉庫の屋根へ着地。三メートルの高さを腕のみで跳び切るとは驚嘆に値する。

 

 

「本当に生身の人間か……?」

 

 

 相手が自分と同じ種だと信じたくなくなって来た。

 ただその感情は、凛子にも言える。目の前の男は、本当に人間なのか。

 

 

 

 

 

 幻徳は彼女からの攻撃を警戒し、構える。

 彼を見下す凛子はスーツの脆弱点を考察し、何処に刃を入れるかを練っていた。暫し相手の出方を見る膠着状態が続く。

 

 

 

 

 

 

 その状態は、たった十秒で終わった。

 

 

「お、おい! なんだあんた!?」

 

 

 従業員用路から、三人の警備員が入って来る。君原らの要請を受け、凛子の捜索に回された者たちだ。

 言動からして、屋根の上の凛子に気付いていない。

 

 

「錠前が壊れている! なにをしたんだ……」

 

「離れていろッ!! 死ぬぞッ!!」

 

 

 真に迫ったローグの声。気圧された警備員らは思わず怯み、黙り込む。尤も、彼らは凛子のターゲットより外れている。手はかけられないと思われるが。

 

 

 問題は、凛子はその第三者の登場により、逃走を図った事だ。自身の姿をあまり晒したくはないのか。

 駐車場には警備員がいる。一限的に彼女は、園内へ逃げ込んだ。

 

 

「逃げた……!?」

 

 

 彼女は目立たぬよう、包丁を仕舞っている。バッグが紛失している点を見ると、恐らくは今まで、ぬいぐるみの中に隠していたのだろう。

 はたから見ればウサギの面を被った少女。それに顔を隠している為、彼女を探す園内の従業員らの目を逃れられる。人混みに紛れ、隠れるつもりか。

 

 

「四の五も言ってられんな」

 

 

 ローグは自身の姿が晒される事を考えず、呆然と立ち尽くす警備員らを無視し薔薇園に飛び込む凛子の後を追う。

 

 

 追跡は余裕だ。百メートル二秒を誇るローグの走力を持ってすれば、十分に凛子に追い付ける。九秒台が世界記録と聞くのならば、その速度は脅威的だろう。

 問題は、縦横無尽に飛び回る彼女を視認し続ける事だ。尤も先ほどの走力スペックに関しても、平坦な道を走った場合の測定値であり、人混みや高低差、障害物や道の状態などを考慮すれば全開のスピードを維持したまま走り抜けられる訳ではない。

 凛子が人混みに逃げ、何処かに隠れ潜んだのならば、捕獲は絶望的だろう。

 

 

 

 

「ならば極力……今のうちに距離を詰めるだけだ」

 

 

 薔薇園は幸い、直線的な道が多く、人も少ない。歩き疲れのないよう合成ゴムの道、陸上トラックと同様の素材。チャンスはここだ。

 

 

 脚部に充填されたゲルパッドが、ローグの脚の動きに合わせ伸縮。バネの役割を果たし、それが走力増強に繋がる。

 

 

 

 瞬足、韋駄天。ローグは走者として美しいフォームを保ち、疾走する。

 彼の後には風が巻き起こり、薔薇が散る。踏み込んだ脚は容易く道を踏み抜き、足跡が残っていた。

 

 

 背後から迫る轟音に気づいた凛子はチラリと一瞥する。

 舞い上がった暖色の薔薇たちは、まるで彼に付き従う僕のようだ。暗色の王が、薔薇を率いているのだ。

 彼女の目には、そう映っただろう。晴天と薔薇園を裂く、ローグの姿は。

 

 

 凛子は強い恐怖を感じた。逃走は無理だ。

 人混みならば紛れて逃げられる。だからこそ彼女は園内側へ逃げた……今思えば正解だ。広く見渡しの良い駐車場に逃げていれば、あれよあれよでまた捕獲されていただろう。

 

 

 

 

 

(なんとか、巻ければ……!)

 

 

 目前に迫っていた花壇を、ベリーロール。

 後続のローグも、走速勢いそのまま、ピルエット・ジャンプ。

 

 

 距離はたったの二十メートル。

 前方に肥料を乗せたリアカーがやって来た。園芸家のお出ましだ。

 凛子はその下を滑り込み、園芸家の股下を抜けた。

 ローグは驚く園芸家をよそに、リアカーの縁を踏み台に飛び上がる。

 

 

 距離は一気に縮まり三メートル。

 上空のローグはこのまま、凛子の頭上から捕まえる算段だ。

 彼女も彼女で、やはり肉体的な限界を迎えている。呼吸は荒くなり、肩がブレ始め、姿勢も前のめりになって行く。

 薔薇園の出口は目前だと言うのに。

 

 

 

 

 ローグの手が、彼女を捕らえようかと伸ばされた。

 

 

 

 しかし、天は気まぐれだ。味方をしてくれるのはヒーローだけとは限らない。それは彼が元の世界で死ぬほど突き付けられた摂理。

 

 

 

「りん()ちゃんみっけ!!」

 

「!?」

 

 

 出口付近の花壇裏より、ひな子が飛び出した。

 驚いた凛子は、その刺激を反射神経として上手く彼女を躱す。

 

 

 ローグは違う。飛びかかった状態で、自由度は低い。

 

 

「ひな……ッ!? 危ないッ!!」

 

「ふぇ?」

 

 

 身体を捩り、たった五センチの場所から何とか軌道を変更。ひな子との直撃は免れ、ローグは胴体から着地するが上手く受け身を取り、倒れる事はしない。

 

 

「くっ……!」

 

「あ!! ロープ!!」

 

 

 ひな子は憧れのヒーローとの再会に湧く。凛子の事は忘れた。

 

 

「ロープお空飛べるんだね! ジェット噴射!? ガス推進!?」

 

「……浅葱凛子はッ!?」

 

「え? りんごちゃん?」

 

 

 視界が少し外れたが、凛子の姿は十分に捉えられた。

 だがその後ろ姿は、人でごった返すアトラクションゾーンに逃げ込む様子だ。

 

 

「ロープ、お願いが御座います!!」

 

「……逃すか!!」

 

「この屠桜ひな子めを……あ! ロープ!!」

 

 

 何かを懇願する彼女を無視し、ローグは再び駆け出した。

 一人置いてけぼりを食らったひな子はボーッと眺め、しょんぼり肩を落とす。

 

 

「うぅ……ツイてないよぉ。みんなどっか行っちゃうし、楽しみはメンテナンス中だし……」

 

 

 彼女にとっても散々な日だろう。

 

 

「これはまた今月中に来直さなければ! くーちゃんと!」

 

 

 そう決意してから、ひな子はモトクロスショーを見に薔薇園を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アトラクションゾーンのローグは、言わずもがな目立つ。

 

 

「なにあれ! カッコいい!!」

 

「え? ヒーローショーここでやるの?」

 

「新聞で見たぞ、紫のヒーローじゃねぇか?」

 

「最近の遊園地は凄いなぁ」

 

 

 通る人々が彼の姿を見て、驚いた、子供ならば興奮したり。その姿は町で話題のヒーローの為、余計に反応された。まさか本物だとは思っていないたろうが。

 

 

「すいません! 写真良いっすか?」

 

「後だ!」

 

 

「うわっ!? なんだ!?」

 

「邪魔だ!!」

 

 

 再変身の負担を憂慮し、変身解除しなかった己を呪った。人々は彼に話しかけたり、ローグの存在に気付かず障害物となったり、本来のスペックを発揮出来ない。

 だが凛子の姿は以前として視界にある。その距離は段々と離されて行くのだが。

 

 

(変身したままだと目立つが……解除すれば追い付けなくなる……このままか!!)

 

 

 凛子を一旦見逃す事はしない。いつ衝動に駆られ、誰かを殺すのか分かった物ではない。

 

 

 

 同時に慈悲もあった。殺人兵器と化した、あの少女への慈悲。

 彼はどうしても、彼女に対して非情になれずにいた。

 非情になれずにいたからこそ、彼女の逃したのかもしれない。自分の弱さであり、責任だ。

 

 

 

 

 

 

「…………俺は、『悪漢(ローグ)』……」

 

 

 腰に手を回す。

 人々は好奇の目を見せ、子供たちは駆け寄り、気付かない人間が立ちはだかる。

 

 

 

 

「……ローグになるしか」

 

 

 その手に握っていたのは、『ネビュラスチームガン』。

 

 

 

「……捕らえる術はない」

 

 

 彼は一瞬立ち止まり……空に向けて光弾を撃った。

 甲高い発砲音が鳴る。銃声とは違う軽い音だが、電気系統のショートらしきその音は人々にショックを与えるには十分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「退けッ!!」

 

 

 もう一発を撃ち上げる。二度目の警告は、膠着していた人々に鞭を入れた。

 人々はローグを中心とし、逃げ始める。本気にした者もいれば、まだアトラクションの一種だと思い込む人もいる。それでも、皆はローグから一気に離れた。

 

 

「おおお!?」

 

「なんだなんだ!? 本物の銃か!?」

 

「なんかヤベェって! 逃げろ逃げろ!!」

 

「いや、まさか本物な訳……」

 

 

 

 彼の進行方向に道が出来た。真っ直ぐの道が。

 

 

「…………赤っ恥かかせやがって。絶対に捕まえる……!!」

 

 

 前方に、呆然と立つ男児がいた。

 ローグを恐怖の対象と見ているのか、それとも憧れの眼差しなのか。それは分からないし、読み取る余裕は彼にはない。

 

 

 彼は『ローグ』だ。悪の仮面を被った男、悪を装った男。

 だがせめて、『己の中の正義』を信じさせて欲しい。

 彼は男児の頭をそっと撫で、過ぎ去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この騒ぎはすぐに広まり、御剣と君原にも連絡が来る。

 

 

「え、園内で発砲騒ぎ!? どうなっているんですか!?」

 

「次から次へと……!」

 

 

 凶報を聞き付け、一旦は浅葱凛子探しを中止し、現場に向かう二人。

 だがどう言う運命の悪戯か、道すがらに吉報に恵まれた。

 

 

 

 浅葱凛子が通り過ぎた。ウサギのぬいぐるみを被っていたが、二人には事前に服や見た目の特徴が告げられていたのですぐに気付く。

 

 

「いたぞ!! 浅葱凛子だ!! 君原はこのまま現場に行け! 俺は浅葱を……」

 

 

 

 

 発砲音が鳴る。

 思わず足を止め、その方向を見た。

 

 

 

「つ、ツルさん! あ、あれ……!?」

 

 

 悲鳴や当惑の声を縫って、姿を現れた存在。

 それは君原は新聞で……御剣は、肉眼で見た存在だった。

 

 

「なっ……!?」

 

 

 黒と紫が基調の身体に、黒光る鉱石のような頭、それをワニが食らいついているような意匠……御剣はフラッシュバック同然に思い出す。仮面ライダーローグだった。

 ヒーローとして讃えられた男が、珍妙な銃を撃ちながら驚くべき速度で走り迫っている。

 

 

「何故、アレが……!?」

 

「と、止まりなさい!!」

 

 

 君原は手を広げ、彼の行く手を阻む。拳銃を出さないのは、あまりに民間人が多いからだ。

 だがローグは絶対に止まらない。二人に衝突せんばかりの勢いだ。

 

 

「無理だ!! 避けろ君原……」

 

 

 御剣の警告よりも早く、ローグは跳躍した。

 人間ではあり得ない脚力で、二人の上を悠々跳び越した。

 唖然とする君原、愕然とする御剣。だが御剣は確信した、あの時のヒーローだ、間違いない。

 

 

 

 

 着地すると、ボソリと呟く。

 

 

「悪かった」

 

 

 そしてまた走る。二人の目の前にいたのが、もう遥か向こうまで。

 

 

「……まさか、浅葱凛子を追って……!?」

 

 

 彼女の進行方向にローグは続いていた。君原の指摘を聞き、御剣はハッとする。

 

 

「……全く状況が分からんが、追うぞ!」

 

 

 二人もまた、凛子を追う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ローグは発砲を繰り返し、人混みを強引に切り開く。そのお陰で、凛子との距離は段々と縮められていた。

 

 

「もう少しか……!」

 

 

 推定で十五メートル。今度は必ず捕らえる。

 

 

 

 ここで凛子は奇妙な進路に曲がる。突如右に曲がり、アトラクションに入り込んだ。

 

 

「ん……!?」

 

 

 アトラクション前で、彼は一旦立ち止まった。

 そこは閉鎖されており、今は無人。

 

 

 

 

 

『しょごたんコースター、メンテナンスにより営業終了のお知らせ』

 

 

 

 

 

 今更、隠れたって無駄だとは彼女も理解しているハズ。

 人質でもとって籠城でもするのか。いや、凛子はそんなまどろっこしい事はしない。

 

 

「…………なんだ?」

 

 

 唐突に、ブザーが鳴り響く。

 メンテナンスの技師待ちだったジェットコースターが、動き始めた。

 

 

「どう言う事だ……!?」

 

 

 張られた立ち入り禁止のテープを通り抜け、階段を上がりコースターの乗り場に至る。既にコースターは最初の山を上がっていた最中だ。

 管理室に向かい、停止させようとする。緊急停止ボタンを押すが、反応しない。

 蓋を開け、配線を見る。斬られていた。

 

 

「何処だ!?……まさか、コースターか?」

 

 

 すかさず彼はレール上を走り、跳躍し、頂点へ至る寸前だったコースター内に飛び乗った。

 だが車内を見渡しても、彼女の姿はない。フェイクだったかと早合点する。

 

 

 

 

 

 

「…………いや」

 

 

 二つ前の座席の下から、見慣れたウサギ頭が現れる。凛子だ。

 

 

「見つけた」

 

 

 ローグは早速そこへ向かい、ウサギ頭をとうとう掴んだ。

 だがすぐに違和感に気付く。座席に寝かされた身体が目に入ったからだ。

 

 

「……従業員? このコースターのか?」

 

 

 ジェットコースターの管理をしていた従業員が、ウサギのぬいぐるみを被されていた。

 すぐに引き剥がす。成人男性で、気絶させられていただけだ。監視をしていた従業員を気絶させ、鍵を奪い、ジェットコースターを起動させたと言う訳だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……しまった」

 

 

 全て察知する、彼女の思惑も、居場所も。

 ローグは瞬時に振り向き、ぬいぐるみを握る腕で凛子の攻撃を受け止めた。彼女は後ろの座席に隠れていた。

 

 

 

 

 マスクから晒したその目は黒い。何処までも黒い、暗い、深淵の目だ。殺意の目だ。

 

 

 

 

「……!!」

 

 

 コースターは最初の急降ポイントに移る。急いで残った方の手で従業員を掴み、横に放り投げた。従業員は整備士用の通路に上手く入り、場を離脱した。

 

 

 

 

「ふんッ!!」

 

 

 投げたと同時に掴みかかるが、凛子は前へ跳び、回避した。御丁寧にぬいぐるみを奪取し、頭に被り直して。

 

 

 

 

 ジェットコースターはとうとう、降下を始めた。スピードを上げ、轟音を撒き散らし。

 

 

「……………………」

 

「……乗せられたと言う訳か」

 

 

 彼女は賭けた。最後の賭けだ。

 ジェットコースターによる最大速度の中で、ローグを倒すつもりだ。

 刃では倒せない。だが足場の不安定な場所ならば、彼にハンディを被せる事が出来る上、邪魔も入らない。

 そして勝利するには、ローグを最大速度で突き落とす事。強固な彼と言えど、時速百キロ強から落とされる衝撃には耐えられないと踏んだ。

 

 万が一耐えたとしても、彼は自分を見失う。彼女にとっても危険な賭けと言うのは、そのタイミングでジェットコースター横に見える林に飛び移る点だ。只では済まないだろうが、自分には成功出来る力量がある。この男から絶対に逃げ切ってみせる。

 

 

 

 

 逃げ切るからこそ、やはり戦わねばならない。手段はもうこれしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガタン、ガタガタ、ガタン、ガタガタ。

 

 

 

 

「……遊園地は初めてだったな」

 

「………………」

 

「身長は足りていたか?」

 

「………………」

 

「……楽しもうじゃあないか」

 

 

 彼もまた、応えるまでだ。

 

 

 

 

 

 キィいいいいいいィィンッ!!

 

 

 

 

 

 

 

『嗜虐的ジェットコースター/Fear and loating』

 

 

 

 

 

 

 

 

 一閃。

 時速は百二十キロ。

 ローグと凛子は互いにかかった。

 

 

 

 凛子の包丁が下から斬り上げられる。それでも決して割けない、ローグのボディ。

 だがエネルギー保存の法則に従い、衝撃は少なからず発生する。尤も、その衝撃が感じられるからこそ、敵からの攻撃に気付けるようになっていた。

 

 足場が不安定だ。安全バーの上で身体を支えるのは困難を極めた。凛子の攻撃による衝撃が、ローグを揺さぶる。

 

 

 

 攻撃を受けるがままではあるまい。ローグは包丁の刃をそのまま鷲掴み、その握力で持ってへし折った。

 

 

 

 しかし闘争心により高揚した凛子に、動揺はない。

 安全バーと座席の間に片足を突っ込み身体を固定。その上で、もう片方の足でローグの腹部を蹴飛ばす。態勢を崩したローグはコースターの後尾に倒れかけるものの、強靭な下半身によって落下はしなかった。

 

 

 

 

 

 

 凛子はバク転し、一つ後ろの座席の背凭れに足を付けた。

 大きく膝を伸ばし、ローグへ突っ込んだ。

 

 

「まるでロケットだ!」

 

 

 折れた包丁の柄で、彼女はローグを殴る。

 残ったもう一本の包丁で顔面を斬る。

 

 

 

 どちらも失敗だ。ローグは倒れず、包丁の方が折れた。

 

 

 

 

 

「詰めが甘かったな」

 

 

 

 

 

 

 凛子の両腕を掴み、座席に押し倒す。

 

 

 

 

 

 ジェットコースターのように、一瞬の勝負であった。

 

 

 

「い……ッ!! うぅ……ッ!!」

 

「暴れるな。お前の負けだ」

 

 

 コースターはまた、二度目の山場に差し掛かる。スピードは落ち、不気味な音を立てて登って行く。

 眼下の全てが矮小だ。気が遠くなるほど高く、空に手を伸ばせば届きそうだ。

 

 

「このままジッとしてろ。乗り場まで戻ったら降りる」

 

「……ッ」

 

「……降りた後は、警察に送る。司法はお前を守るだろうが……自由を束縛するだろう。頭を冷やすんだな」

 

 

 コースターは、落下点へ近付いて行く。

 

 

「お前をそうさせた父親にも会えまい……『罪』に、向き合うんだ」

 

 

 存外に、声は優しい。

 

 

 

 

「……まだ後戻りは出来る」

 

 

 

 途端ローグは、凛子が突然弱々しくなったと気付いた。

 

 

 

 

 

 

 ぬいぐるみより覗く凛子の口から、大量の血が溢れていた。舌を噛んでいる、引き千切ろうとしていた。

 

 

「なにをしているッ!? 自殺はやめろッ!!!!」

 

 

 思わず彼は、片手を離した。

 

 

 

 

 策略だった。

 ジェットコースターが二度目の急降下を始めた瞬間、彼女は自殺を止めようとするローグの腕を掴み、態勢を崩した上で蹴る。

 ローグにとって災いしたのは、急降下のすぐ後に三回転ゾーンが待っていた事。カーブによる遠心力も相まって、彼の身体は凛子から離れてしまう。

 

 

 その幸運を無駄にしない。彼女は瞬時に立ち上がり、浮ついたローグを渾身の力で突き飛ばした。

 彼の身体が、コースターからも離れる。

 

 

 

 

 勝った。

 

 

 

 

 そう思った瞬間だった。

 ローグはレールの柱に上手く足を乗せ、二回転目に突入するコースター目掛けて蹴り込んだ。

 

 

 

 

 鋭い速度で、彼の身体は凛子と衝突した。

 衝撃で今度は、彼女の身体だコースターより離された。

 

 

 

「しまった……!」

 

 

 

 ローグが望んだ事ではなかった。

 全てがゆっくりになって行く中で、ジェットコースターを乗り捨て彼女に手を伸ばす彼の姿が鮮明に映った。

 

 

 耳を劈く音も、微かに赤みがかった空も、自身の鼓動さえも分からない。

 ただ、彼の血の通った暖かさが、自分を包んでいるのだなと理解はしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 三回転ゾーンの中心から真っ逆さまに落ち、コースターの向かう先であるレールの上に激突。

 そこにローグは背中から落ちていた。胸の中には、凛子の姿。

 

 

「……無茶……させやがって」

 

 

 堅固な防御力を誇るローグと言えど、二十メートルの高さから受け身も取らず落ちるのは堪える物がある。

 腕は投げ出され、胸の上の凛子はいつでも逃げ出せる状態だった。

 

 

 

 

 勿論、彼女はすぐに逃げ出した。だが、ローグに突撃されたダメージと、落下により少なからず受けた衝撃は小さな身体に耐えられる物ではない。舌を噛んだ事による失血も祟った。

 彼から少し離れたレールの上で、とうとう力尽きた。

 

 

 

 激しい音と振動。二回転目、三回転目を果たしたコースターが、二人目掛けて襲い掛かる。前はしょごたんを象っており、獲物を食らわんばかりに口を開いていた。

 凛子はもう動く事も出来ないし、仮にローグが動けたとしても二人まとめて間に合わない。

 

 

 今度こその死の宣告に、キツく目を閉じるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

「……浅葱凛子」

 

 

 ローグの声。

 目を開けた先には、彼が立っていた。突っ込んで来るコースターに立ちはだかる。

 

 

「お前の罪は、決して消えない」

 

 

 彼は構えた。

 

 

 

 

 

 

「……だが」

 

 

 霞む目に映るローグの背中は、とても大きく見えた。

 

 

 

 

「お前と俺とは、良く似ている」

 

 

 

 

 右手で、レバーを押し込む。

 彼のスクラッシュドライバーが、紫の閃光を放った。

 

 

 

 

 

 

 

「……共に償う事はしてやれる」

 

 

 コースターは目前。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

CRACK UP・FINISH(クラック・アップ・フィニッシュ)ッ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ローグは飛び、両足で挟み込むように蹴った。

 その時、彼の下半身は紫のオーラで包まれ、ワニの口となる。

 ワニの口は貪欲にコースターに食らい付き、勢いを殺した。前方の急停止により行き場を無くしたエネルギーにより、コースター後尾が浮き上がりローグの頭上に。

 

 

 次に彼は身体を大きく捻り、回転。ワニの習性、『デスロール』を彷彿とさせる。

 それによってコースターは九十度回転し、レールを外れ、暴音散らしながら地面に叩きつけられた。

 

 

 

 振動、破壊、土煙、悲鳴。

 目と耳で感じ取られた物は全て、恐ろしい物ではあった。

 

 

 

 

 

 

 一点を除いて。

 凛子の前、レールの上に立つ、仮面ライダーローグ。

 

 

 

 

 

 

「……一時メンテナンスどころか、今月いっぱいは休止だな」

 

 

 

 彼の困ったようや呟きを聞き、凛子は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

To NEXT…………




来週にしようとしましたけど、今週ヒャホホイ言われたので。
恐らく今後は、スピードが遅鈍となると思われます。ご了承願います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

死神はポリス服で来る/New comEr

「何が起きてんだ?」

 

 

 目を疑う他はない。

 謎の男を追ってジェットコースター前までくれば、無惨に脱線し大破したそれが三回転レールの真ん中に横たわっていたのだから。

 

 

 責任者の男は何故か地上三十メートル上空の整備士用通路で気絶していた。何から何まで理解が至らない状況だった。

 

 

 

 

 ただ、何よりも驚愕させたのは、浅葱凛子が、身体中に打撲痕が付いた状態で発見された事だろう。

 彼女は眠るように、しょごたんコースター前のベンチに寝かされていた。気絶状態の上、前述の全身打撲もあり、まず抵抗されるリスクが皆無だった為、すぐに救急隊に保護された。

 

 

 

 

 

 

 誰が何をしたのかは分からないが……彼は、御剣橙悟には確信がある。またあの謎の男、『紫のヒーロー』がやったのだと。

 紫のヒーローについては、園内での銃乱射が取り上げられた。その上、行方を見失ったと同時にジェットコースターの破損は事故ではないと発覚した事で…………祭り上げられたヒーローは『容疑者』として警察に追われる身となる。

 

 

「……浅葱の件は隠し、こっちは晒すのか」

 

 

 閉園後のテケリリランド。既に警察の見聞が開始されており、明かりはまだ灯されていた。

 勿論、マスコミは食い付いた。そのマスコミに浅葱の事件を悟られぬよう、紫のヒーローが起こした事件を立てた。つまりは『スケープゴート』だ。

 

 

 

 

 

「……ツルさん。紅守さんから報告です」

 

「………………」

 

「『浅葱 尊』は、処理されました。今回の被害者たちの皮膚で出来たマスクを押収したとの事です」

 

 

 結論から言えば、今回の事件は『親子の共同犯行』となる。

 八件の事件の内、三件は父親、五件が娘の犯行だ。紅守の報告によれば、父親が妻を殺したらしい。

 それを皮切りに尊はまた『仮面蒐集家』となり、母親の殺害現場を見た凛子が衝動に目覚めたと言えば、合点が行くだろう……証拠も根拠も何もない、あやふやな憶測だが。

 

 

 

「……屠桜は? 帰ったか?」

 

「同行者が怪我をしたそうで……病院まで付き添いです」

 

「…………そうか」

 

「……………………」

 

 

 虚しい事件でもあり、虚しいままに終わった。

 過去の殺人犯はまた殺人に手を染め、本人は死んだが受け継ぐ者も現れてしまった。ストレートにマスコミに伝われば、日本警察は一貫の終わりだろう。

 

 

 犯人に一切の同情はない。だが、秘匿されたまま消える犯人へ一種の悲しみは感じていた。

 間違っているハズなのに、罷り通る現状へも、同じ悲しみを抱く。

 

 

 

 

 こうした後ほど、自分へ無力感が突き付けられる時はない。向けられている内に撃たれる気分だ……結局は徒労だったと。

 

 

 

 

「……君原。先に戻って、報告書を作っておけ。立ち会いや聴取は俺が受けておく」

 

「わ、分かりました」

 

 

 君原は忙しなく、駐車場へ走って行った。

 

 

 

 

 停止された観覧車が、全てを俯瞰する。こいつは全てを見ていたかもしれないが、何も言わない。

 物も死者も、口は無い。死ねばそこらの、石と同じだ。尊厳も意思も思い出も無駄となる。

 そう考えると、自分と同じように覚醒した娘を残せた犯人は、勝ち逃げられたのかもしれない。

 

 

 少なくとも、御剣よりは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「二人が組む訳か」

 

 

 駐車場へ向かう君原。脳裏には、遊園地へ急行する際に聞かされた話がリピートされる。

 

 

 

 

 

 

「屠桜の体内にあるマイクロチップからは衛星経由で、絶えずバイタルデータが警視庁に送信される」

 

「それは何故……?」

 

「屠桜が死亡した場合、『紅守が即座に処刑が執行される』流れだ。紅守の関係無関係、他殺自殺問わず。最悪、学校帰りの屠桜が交通事故で死んだとしても執行だ」

 

「彼女は人質……と言う訳、ですか?」

 

「いや。紅守は承認している。屠桜だけだ、知らないのは……自分の身体にそんな物があるとは、夢にも思ってないだろう」

 

「手綱の代わりですか……」

 

 

 だとすれば疑問が発生する。

 自分の命に関わる人間を、何故好きに行動させるのか。

 その疑問は勿論、御剣に話した。彼の表情に強い不快感が現れた事を覚えている。

 

 

 

「アイツの考えなんざ、一ミリも分からねぇ。ただ言えるのは、アイツにとってみりゃ、『自分の命すらその程度の価値』なんだろうな」

 

 

 無意識だろうか、ハンドルを握る御剣の手が強張っている。

 

 

 

 

 

 

 

「……俺は恐ろしいよ。本当ならあんな奴、この世にいない方が……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 君原は、正義感の強い刑事だ。世の悪を憎み、不正を許さない人間だった。

 だからこそ、紅守の蛮行が許される今の警察に失望していた上、その紅守を監視する部署にいる己にさえも絶望していた。

 

 

 彼女にとって、悪は無くさねばならない存在。

 悪は許されない存在。

 現状への失望は、怒りに変わっていた。

 

 

 だからこそ彼女は期待していた。

 狂人に打ち勝った、正義のヒーローを。

 強盗から市民を守った、正義のヒーローを。

 紅守に勝るとも劣らない能力を持つ、正義のヒーローを。

 

 

『紫のヒーロー』を初めて見た時……彼が浅葱凛子を追っていると知った時は衝撃を受けた。自分の信じる『正義』を守る存在が、まだいてくれた事に。

 銃の乱射は道を開く為だと後で分かった。負傷者が一人もいない事実もある。

 

 

 だが警察は、ヒーローを『悪』と見做した。

 本当の悪を匿い、正義を悪とした。

 

 

 

 

 

 許さない。許せない。許されない。

 彼女は紫のヒーローが、自分の求める正義の使者だと信じ初めていた。

 何処から現れ、何処へ消えたのか。彼には会わねばなるまい。

 

 

 

 

 

 

 

 愛すべきこの町の為に。『己の正義の為に』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「凄く痛かった」

 

 

 病院に連れて行かれた幻徳は、治療を受けていた最中だ。

 

 

 

 

 ピッ。

 ガタン。

 ゴっトン。

 

 

 

『死神はポリス服で来る/New comEr』

 

 

 

 

 

 

 

 斬られた左手は五針縫うハメになり、浅いとは言え怪我は怪我である喉の傷には包帯が巻かれていた。

 

 

 事が終わり、変身解除した彼は凛子から食らった怪我に悶えた。そんな所を、凛子を探し回っていた八葉と浮菜が見つけてくれ、医務室に運ばれる。怪我の度合いが酷かった為、丁度来ていた救急隊に病院へ運んで貰ったのが、ここまでの流れだ。

 

 

「氷室さん、強盗に襲われたって本当なんですか?」

 

 

 術後、建前では傷害事件として報告し、警察が来るまで診察室で待機していた幻徳ら。付き添いには八葉、浮菜、ひな子の三人もいた。

 ひな子と八葉はジュースを買いに行き、浮菜と二人だ。

 

 

「本当だ。金も盗られた」

 

「あの後、警察が来たとかですし、逮捕されたんですかね」

 

「だろうな。お金を返して欲しいが」

 

「しかし酷い犯人ですね。首を切るとか、殺しにかかっていますよ!」

 

「あぁ。痛かったな」

 

「……氷室さん、妙に淡々としていますね?」

 

 

 それは表面上の彼だ。内面は焦燥の嵐。

 

 

(診察料やらどうなるのだろうか……保険もないし、初診だから高くなる……が、金は一銭もない……そもそも、警察が来ればどうしようか……身分を証明する物は一切ないぞ……)

 

 

 残りの金は、凛子との戦闘時に散らした。無一文に逆戻りだ。

 

 

「折角の遊園地なのに酷い目に遭いましたね。凛子ちゃんも何故か倒れていたそうで……大事には至らずに良かったですけど」

 

「やっぱりカラオケが良いな」

 

「氷室さん。話噛み合っているようで噛み合ってない気がするんですが?」

 

 

 幻徳は金の工面をどうするか考えていた。黒湖の所に行けばどうにかなりそうな物だが、病院に拘束されている現状、今日中には行けないだろう。

 いや、お金云々の話より、黒湖へ物申さなければ気が済まない。

 

 

(あのオンナぁ……浅葱凛子の正体を知っていたなァ……)

 

 

 保護者を頼まれた時に耳打ちされた、「今日はみんなに、『お父さん』のように振舞ってねぇ」の言葉。

 凛子が誰かの父親或いは父性のある人間を標的としていた所を見れば、あの発言は彼女の正体を知っていた上の物だと思わざるを得ない。

 

 

(俺を利用したのか……クソッ)

 

 

 名前は『蝙蝠』だが、その性格は『蛇』のような女だ。思い出したくもない二つが合体しているような女だ。虫酸が走る。

 

 

 

 

「……浅葱凛子は? この病院か?」

 

「みたいですね。面会は止められていますけど。何があったんですかね?」

 

「……ただの貧血なら良いが」

 

 

 凛子の父親が来れば、彼はその父親を殴りつける気でいた。抵抗するなら、再変身も辞さない。

 現在、スクラッシュドライバーは園内で捨てられていた紙袋に入れている。ずっと幻徳の手元から離れていない。

 

 

「氷室さん、それなんですか?」

 

「……荷物を、咄嗟に入れて来た。襲われた時にバッグが斬られてな」

 

「襲われたにしては冷静過ぎませんか?」

 

「……まぁ……人間、特別恐ろしい状況に陥ったら冷静になるもんだ。いずれ分かる」

 

「いやいやいや……」

 

 

 あまりに嘘が下手な幻徳。

 浮菜にはまだ疑問があるだろう。「アイス買いに行ったのに何で真逆の場所のトイレにいたのか」や、「いなくなってから発見されるまでの空白の一時間はなにしていたのか」や、関係ない話題なら「その『最強の秘密兵器、補欠』ってTシャツはなんなのか」とか。彼には疑惑しかない。

 

 

 怪我状態で発見され、そのまま搬送。怪我の治療を受けて診察室で安静と言う流れだったので、全く聞く機会がなかった。

 追及してやろうかとした所で、八葉とひな子が帰って来る。自販機で購入したオレンジジュースと、一番高いお茶を持って。

 

 

「幻徳さん、怪我は痛む?」

 

「おじさん切られたんだって!? 切った犯人はくーちゃんにやっつけて貰えるよ!」

 

「麻酔のお陰で今は痛くない。あと紅守黒湖には知らせるな」

 

 

 左手側面が大きな怪我だった。あとは喉の怪我と、右手の打撲。喉を切られかけたが、左手でガードし、右手で防衛したと言うのが幻徳の答えだ。

 

 

「はい、ウッキーナ。オレンジジュースで良かった?」

 

「あ。ありがとう」

 

「一番高いお茶をくれ」

 

 

 左手が麻酔で不能の為、キチンとキャップを取ってから渡す。

 

 

「遅くなりそうだ。みんなは帰って構わないが……」

 

「迎えが来るらしいんで、それまでは大丈夫ですよ〜」

 

「そうか」

 

 

 一思いにお茶を飲む。

 何だかんだ、休憩も無しに突っ切った感がある。喉は酷く渇いていた。飲む時の動きで喉の怪我が疼くが、御構いなし。

 

 

 

 

 

「所で迎えって」

 

「はーい!!」

 

「ブゥゥ!?」

 

 

 

 陽気な声で入って来たのは、幻徳が会いたくて会いたくない相手、紅守黒湖だった。

 何故か警官の制服での登場。

 驚きのあまり、口に含んだお茶を吐いた。

 

 

「うわ! きたな!」

 

「ゴフッ、ゴフッ!! な、なんで……!?」

 

「可愛いみんなを迎えに来てあげたのよん。あと、傷害事件の被害者がいるとかで、聴取にも?」

 

 

 警察手帳を見せる。本物のようだが、名前が『小森 倉子』と偽名ではないか。

 

 

「は、早かったですね、ちちゆり……黒湖さん……」

 

「ランボルギーニでビューンよ、ビューン!」

 

「え? ランボルギーニって、二人乗りじゃあ……」

 

「平気平気! お膝に一人ずつ座ったら乗れる乗れる!」

 

 

 つまりそうなると。

 

 

 

 

「悪いけどこの車、四人乗りザンス」

 

「俺を置いて行くのか!?」

 

 

 幻徳は換算されない事は明白だ。

 

 

「く、黒湖さん……流石にそれは……」

 

 

 八葉が苦言を呈してくれる。

 

 

「なかなかバイタリティ溢れているサバイバー気質だし、大丈夫そうだけど?」

 

「そう言う問題じゃないかと……」

 

「あー、分かった。警察の人にパトカー手配してあげるからさぁ」

 

 

 絶対しない。幻徳には分かる。八葉らを降ろした後、そのまま帰る気だ。

 

 

 

 

「まぁ、今は被害者の聴取だから。お仕事に来たから、ちょっとみんな席外してくれる?」

 

 彼女の一声で、八葉ら中学生組は診察室の外に出る。

 この女と同じ空間で二人きりとは、幻徳にとって地獄の時間だ。

 

 

「派手にやられちゃったねぇ。強かった?」

 

 

 幻徳と向かい合わせに腰を掛ける。この言動からして、やはり凛子の正体を知っていた。

 

 

「……貴様ぁ……分かっていて俺に託した訳だな……」

 

「だってひな子たちもいるし、スケープゴートが欲しかったもんで」

 

 

 嫌な笑みを浮かべながら、手を叩いた。

 

 

「しっかしまぁ! 病院って聞いた時にゃ、霊安室かな?って思っていたけど、全然軽傷じゃない? 顔面の皮膚剥がされた氷室さん見るかと心の準備してましたからぁ〜、ワテクシ!」

 

「いけしゃあしゃあと……!」

 

 

 怒りのあまり幻徳は立ち上がった。良い様に利用されるのは、一番嫌な事だ。

 

 

「待った待った。生き残った氷室さんには、警察の知らない事を教えてあげるから。凛子ちゃんの事よ」

 

「……ッ!」

 

「警察は父親が妻を殺害する様を見て、模倣した哀れな子って思っているらしいけど」

 

 

 立った彼と目を合わせる為、彼女も立つ。

 

 

 

 

「……違うね。殺したのは『凛子ちゃん』」

 

 

 ポケットから、『一九九二』とだけ書かれたDVDを取り出す。

 

 

「悪趣味な事に、あの子の父親は自分の過去の殺人を映像記録にしていたのよ。多分、これでも観て、殺人衝動を抑えていたんだろうけど……それを凛子ちゃんが観たって訳」

 

「………………」

 

「分かる? 父親の模倣っちゃ模倣だけど……悪夢を再開させたのは凛子ちゃん。今回の事件の元凶は凛子ちゃんであって、父親じゃないって事ヨ!」

 

「……その父親は何処だ?」

 

 

 何故、そのDVDを持っている。何故、そんな事を知っている。その答えは、幻徳には薄々理解はしていた。

 

 

 

「地獄ぞな?」

 

 

 

 凍えるような、笑み。

 やはり、死んだ。殺された……この、目の前の悪魔に。

 

 

 

「……あの娘はどうなる……キチンと、警察の保護下に敷かれるんだろうな……?」

 

 

 適切なカウンセリングと対応をすれば、また染まる前の無害な少女に戻れるハズ。

 

 

「そりゃ勿論。保護下さ」

 

 

 そう希望していたハズなのに。

 

 

 

 

「『ア・タ・シ・の』っ!」

 

 

 こんな女に、全てを委ねるのか。

 

 

 幻徳は我慢の限界だった。生身のまま摑みかかろうとする。

 

 

「あらよっと!」

 

「ぐぅッ!?」

 

 

 だが腕は受け流され、逆にその腕を掴まれ後ろに組まれた。一瞬だった、目で追えなかった。

 

 

(なんて速さだ!? 浅葱凛子よりも……コイツ!?)

 

 

 抵抗しようが、腕は完全に拘束されている。

 足を動かそうにも、膝裏を蹴られ、崩れ落ちた。

 

 

「がぁッ……!」

 

 

 彼はとうとう、屈服する。

 

 

「うーん……軟弱? 良く生き延びたねぇ〜氷室さぁん?」

 

「貴様ぁ……!」

 

「あー。変な事しない方が良いよ。この病院、あたしの息がかかっている所だからさ」

 

 

 それを聞き、幻徳は愕然となる。

 遊園地で凛子に襲われる事も、搬送される事も、この女は計画していた。先回りし、凛子も自分もこの病院に来るように根回ししていた。

 

 

 忸怩たる思いだ。自分は今日一日、この女の手の平の上にいたのか。苦痛の表情のまま、顔を下げる。

 

 

 

 

「で。質問だけど……てか、今分かったから解答編なんだけど」

 

 

 黒湖は体重をかけながらも、幻徳の耳元に口を寄せた。

 

 

「遊園地で発砲事件があって、ジェットコースターの損害事件があったんだってぇ」

 

 

 身体中が凍り付いた感覚がした。

 

 

「んで、その敵意マシマシな声、聞き覚えあるんだよねぇ」

 

 

 彼女は一回咳き込み、質の悪い声真似をする。

 

 

 

 

 

「……『何故、殺した!』」

 

「………………」

 

「『人が、死んだんだぞー!』」

 

「…………ッ」

 

 

 

 

 

 生唾を飲む音さえ、鮮明に聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……初めまして?『紫のヒーロー』さん?」

 

 

 幻徳を突き飛ばし、解放する。

 そして彼が立ち上がる前に懐からナイフを出す。

 

 

 刺す為ではない、白日の下に晒す為。

 ナイフを投げた先には、置いてあった紙袋。

 

 

 

 

 破られた袋の中から幻徳の秘密……スクラッシュドライバーが現れ、床に落ちた。

 

 

 

「確か、腰に巻いていたっけ? あれれ? てっきりスーツが入っていたと思ったけど?」

 

「貴様ぁぁぁ……!!」

 

 

 再び飛びかかろうと振り返る前に、施術後の左手を踏み付けられる。

 傷が開き、脳を焦がすほどの痛みが突き上がった。麻酔は解けていた。

 

 

「ッッッ……あぁッ……!?」

 

 

 彼の鋭い悲鳴が廊下に響く。

 しかし誰も助けに来ない。彼女の息がかかっているとは本当のようだ。

 

 

「ハイハーイ、落ち着きましょうね〜」

 

「ぐあぁ……ッ!?」

 

 

 グリグリとハイヒールの爪先で押し付けるほどに、縫われた糸が紐解する。開いた傷より、血が溢れた。

 

 

「凛子ちゃんの件は、お父さんからの遺言だし。死ぬ間際に娘を託されたのよん」

 

「あの娘は……あの娘はまだ、戻れる……!!」

 

「……へぇ。殺されかけたのに庇護するの。そんな所が『お父さんっぽかった』のかぁ」

 

 

 足が離される。

 赤黒い、粘ついた血が、彼女のハイヒールに絡む。

 

 再び立ち上がろうと闘志を見せる幻徳だが、左手を踏んでいた足で腰を蹴る。ハイヒールのピンは人間の全体重を一点のみで支える、その一発の威力は計り知れない。

 

 

 

 悶絶し、床を這う彼を余所に、黒湖は床からスクラッシュドライバーを拾い上げた。

 

 

「か……返せ……!」

 

「やっぱこのアイテムが重要っぽい? ほーん……」

 

 

 這いつくばった状態で、黒湖を見上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 幻覚を見た。

 黒湖の背後に、鎌を持った骸骨がいた。

 眼窩から血涙を流し、腕は黒湖を守護するように何本も生えていた。

 

 

 誰かの死を……幻徳の死を待ち望んでいるかのように、長い舌を舐めずりさせて。

 

 

 

 

 

 

 

「没収♡」

 

 

 気が付けば、幻覚は消えていた。

 目の前にいるのは、邪悪な笑みを浮かべる……死神だけだ。




『ムルシエラゴ』『将来的に死んでくれ』と『ワンダと巨像』を行ったり来たりしています。
時間が少なくなったので、趣味に時間を回したい所であります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

疑惑のハローワーク/NAsty works

 奪われた。

 スクラッシュドライバーを、いとも簡単にあの女に。

 

 

 よりによって、紅守黒湖に。

 

 

 この、人皮を被った怪物に。

 

 

「意外とズッシリしてんだねぇ〜。鈍器にも使えるなぁ」

 

「返せぇ!!」

 

 

 再び立ち上がろうとしたが、足が動かない。

 いつの間にか両足がワイヤーのような物で、太腿からアキレス腱まできつく縛られていた。ワイヤーの先には、拳銃がある。

 

 

「い、いつの間に……!?」

 

「背中蹴った時。あれれ? 意外と鈍感さん?」

 

「……クソッ!!」

 

 

 次元が違い過ぎる。全てが規格外。生身ではとても無理だ。

 芋虫のように這いながら、彼女を睨むしか出来なくなった。

 

 

「怖い怖い! 大丈夫だってば! こっちの条件を飲めば良い訳だわさ!」

 

「……は?」

 

「今後、氷室さんは、あたしの紹介するお仕事で働いて貰いまーす。その傍らで、あたしの仕事も手伝ってよ」

 

 

 幻徳の顔に嫌悪感が表れた。

 自分が人殺しに加担するなど、ごめんだ。

 

 

「お仕事を手伝う時のみ! これを返します! どう言う原理か分からないけど、これが紫のヒーロー最大の秘密なんショ?」

 

「断る……!! お前の下に付くものか……!」

 

「じゃあ、凛子ちゃん殺そっか」

 

 

 分かりやすい動揺。黒湖は舌舐めずりをして笑う。

 

 

「凛子ちゃんだけじゃないよ。八葉ちゃんに浮菜ちゃんも、人質って事ね」

 

「冗談だろ……!?」

 

「ドッコイ、大マジ」

 

 

 目の奥に、一切の慈愛がない。情けがない。本当に殺すつもりだ。

 

 

 

「これを返した時に襲いかかっても無駄だからねん。ダーッと逃げてサーッと殺しちゃうから」

 

「……嘘だろ……」

 

(嘘ですけど)

 

 

 内心、黒湖はそうほくそ笑んだ。

 彼女が意味も無しに、大切な女の子たちを殺すつもりなんて毛頭もない。

 嘘も演技も手玉取りも、黒湖の得意分野だ。

 

 

 

 

 

 

 幻徳は信じる他ない。

 いや、嘘だとしても信じるしかない。

 

 

 紅守黒湖は、そう信じさせるのに、十分な『狂気』を持っている。

 凛子なんて、比にならないほどの狂気を持っている。

「この女なら、しでかさない」と思わせる、『殺意の狂気』だ。

 

 

 それにドライバーがなくては、黒湖に対抗する以前の問題になる。

 

 

 

 

「……それを破る以外だったら。家も用意してあげるし、凛子ちゃんを手元に置いても構わないけど? あ。生活費、家賃、光熱費諸々は自分で稼いでねん」

 

「……………………」

 

「簡単っしょ? 変身して、あたしを襲わなければ良いだけなんだから。飼い犬が噛むなら、口グルグル巻きにして開かないようにするじゃん?」

 

「…………………………」

 

「あっ。それともあたしが変身してヒーローになるのも手か!? そうなると氷室さんは、死んじゃっても構わないかな〜?」

 

 

 それは出来ない。その点では余裕がある。

『ネビュラガス』の注入を含め、ライダーシステムに耐えうる『ハザードレベル』の獲得……もっと言えば、ポケットの中にある『クロコダイルクラックフルボトル』のスリーステップがなければ絶対に変身出来ない。

 

 

 スカイウォールがないこの世界において、ネビュラガスは存在しない。ネビュラガスは生物に対し、特殊な細胞分裂を促す。その細胞分裂が正に向くのか負に向かうのかが、ハザードレベルに寄る。そして仮面ライダーに変身するには、ただネビュラガスと適合するだけではなく、そのハザードレベルが最低限四レベル以上なければならない。

 

 

 端的に言えば、この世界に於いてドライバーを使用出来るのは、自分だけ。悪用される心配はまずない。

 これは盗られると捉えるよりも、預けておくと考えた方が良いだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………分かった」

 

 

 悔しさ、怒りを、一旦飲み込んだ。

 開いた左手の傷より流れる、己の血を見れば、冷静になっていた。

 憤怒に煮えた血が、蒸発し尽くしたかのようだ。

 

 

 

 

「……乗る」

 

 

 全ては、自分の償いの為。

 血で塗れたこの手で、全てを救う為。

 この血を通わせ続ける為。

 

 

 

 

(だが、決して屈服しない……いつか覚えていろ……)

 

 

 ここで彼は明確にした。

 紅守黒湖。この女を、必ず倒すと。

 

 

 

 

 

 

(……クロコダイルの口を……そう簡単に塞げると思うな……)

 

 

 スクラッシュドライバーを弄る彼女の前で、決意を改めた。

 

 

 

 

「従うしかないよねぇ? 変身しなきゃ、ただのおじさんだもんねぇ?」

 

「……一つ聞く」

 

「ん? なに?」

 

「……俺を手伝わせる理由はなんだ?」

 

 

 冷静になればなるほど、疑問が現れる。

 彼女のバックには……信じたくはないが、警察がいる。そして病院とも手引き出来ると言う事は、それなりの人脈もある。協力者に恵まれているだろう。

 それなのに何故、抵抗する力を奪ったとは言え、自身に敵意を持つ相手を懐柔しようとするのか。いつか自身に危害を加えんとする人間に、何故協力を求めるのか。

 

 

 

 

「理由?」

 

 

 ドライバーをポンポン投げては受けてを繰り返しながら、幻徳の前に来る。もう少し丁重に扱えと思った。

 

 

「ストレートに言うのは味気ないから隠すけど」

 

「………………」

 

「……『人はみな仮面を被っている』」

 

「……?」

 

 

 訳が分からないと、顰め面になる幻徳。

 

 

「そう言う事っす」

 

「どう言う事だ?」

 

「じゃ。言質取ったからねん。約束破ったら切り刻んじゃうみょ〜ん」

 

 

 掴めない言動のまま、ドライバーを弄りながら部屋を出ようとする。

 

 

「おっ? このスパナみたいな所! 押し込めた! 面白い!」

 

「おい! 精密機械だぞ! もっと丁寧にあつか……それよりもこのワイヤーを解け!!」

 

「ワイヤーの先の銃はあげる。護身用にどうぞ。可愛いJCちゃんたちとドライブに行って参りまーす……むふふ♡」

 

「貴様ぁぁぁぁぁ!! 覚えていろぉぉぉぉ!!」

 

 

 幻徳の叫びも虚しく、診察室の扉は閉められた。

 廊下を歩く心地の良い音は、暫くすれば止んだ。

 

 

「……クソッ!」

 

 

 床に手を叩きつけ、幻徳は痛恨の声を吐いた。

 黒湖の手に渡る事を良しとはしたが、アレが手元を離れた点は痛い。もしもの時、身を守る術が無くなってしまうではないか。

 だが、スクラッシュドライバーの件は後回しだ。湧き水のようにドクドク溢れる、左手の血を止めなければ、黒湖へ復讐する前に死んでしまう。何か圧迫出来る物はないかと、辺りを必死に見渡した。

 

 

 

 

 

 

 

 そんな彼の事情を察してくれたかのように、診察室に誰かが入って来る。医者かと思い身体を捻らせ、振り返る。

 

 

 

 

 

 鼻を突く強いアルコール臭。薬品とかの類ではなく、もっと下卑た、酒の臭い。

 そして次にタバコの臭い。酒とタバコ、居酒屋ならまだしも、病院にはまず無縁な臭い。

 

 その臭いの根源こそ、入って来た人物。薄紫色の髪の、眼鏡をかけた女性。酔って紅潮した顔と覚束ない足取り、やけに挑発的な服装の、羽織った白衣以外で医者だと断定出来る要素は全くない人物。

 

 

 

 見覚えがあり、すぐに思い出した。人間は不思議な事に、不快と思った人間の顔は瞬時に思い出せる生物だ。男も女も関係ない。

 

 

 

「あ!! あん時のヒゲ!!」

 

「あ、あの時の飲兵衛ッ!?」

 

 

 一週間前、ひな子へ財布を届ける途中でぶつかった女性。酔って絡まれ、何とか逃げ切った女性。

 まさか医者だったとは。それもよりによって、この病院の。

 

 

「黒湖に頼まれ来てみりゃ、まさか童貞ヒゲ男と再会とは!」

 

「誰が童貞ヒゲ男だ!!」

 

「あー……あーなるほど。黒湖も派手にやったもんだわ」

 

 

 足をきつく縛られ、左手の傷からはこんこんと血が流れている。

 傷は縫われていたようだが、また開かれていた。しかも縫い口を無理やり開いた為、抉れてもいた。

 

 

「こんなちゃっちいクソヒゲ治すのは気が引けるわねぇ……」

 

「言わせておけばこのアル中女……!」

 

「あ? 患者がそんな態度で良い訳?」

 

「医者がそんな態度で良い訳かッ!?」

 

 

 女性は面倒臭そうな表情を見せてから、手に持っていた缶チューハイをあおる。

 

 

「……プハッ。黒湖に頼まれたなら仕方ないっか。ほら、私が治してやるわよ短小ヒゲ」

 

「このバッドドクターが……! お前のような酔っ払いに任せられるか! 他の医者を呼べ!」

 

「勤務時間は過ぎたわよ。んで、残ってんのは当直の私。仕事ぐらいはキチンとするわよ、ヘタレヒゲ」

 

「ヘタレだのヒゲだの、このヤブ医者が……」

 

「座らせるわよ……うわっ、おもっ。太ってんじゃない? ヒゲデブ中年男」

 

 

 女性に起こされながら、不満げにぼやく幻徳。

 

 

「デブでもヒゲでもない! 氷室幻徳だ! 覚えておけ、厚皮女!」

 

 

 彼の名前を聞いた瞬間、女性は少し驚いた顔をした後、ニタッと笑う。黒湖ほどではないが、おぞましさを感じる。

 

 

「へぇ! あんたが黒湖の言ってた!」

 

「なに?……あの女、何と?」

 

「てか氷室幻徳って、『ひ』むろ『げ』んとくでやっぱ『ヒゲ』じゃん」

 

「ぐっ……! 暴飲女が……」

 

「あと、飲兵衛とかヤブ医者って名前じゃないから」

 

 

 幻徳を椅子に座らせ、タバコを咥え火を付ける。

 

 

 

 

「『藤浪 ユリア』。多分、今後ともよろしくすると思うわ」

 

 

 藤浪の言い草に、違和感がある。

 

 

「どういう事だ?」

 

「黒湖から聞いてないって事は、あいつ勝手に決めたのか。かわいそ〜同情するわ〜」

 

「なんの話だ……うぶっ!?」

 

 

 タバコを離し、紫煙を吹きかけた。

 

 

 

 

「この病院、『柳岡会』って所の傘下なの」

 

 

 煙で噎せる彼に藤浪は言う。

 

 

「あんた。その柳岡組の『若い衆』にされたわよ。てかなにそのTシャツ?」

 

 

 

 

 会と言う表現と、若い衆の言葉のニュアンス。幻徳はすぐに気付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……俺が?『ヤクザ』の構成員?」

 

 

 間抜けな顔で、藤浪が左手の応急処置をする様を見るしかなかった。

 そして思考が戻った頃には、展開の速さに笑うしかなかった。

 

 

(おのれ紅守黒湖ぉ……!!)

 

 

 足を緊縛され、藤浪にチクチク左手を縫われながら、幻徳は黒湖への恨み節を心で唱え続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スクラッシュドライバーを奪った黒湖。ご満悦と言った表情で院内の休憩所へ向かって歩いていた。

 

 

「これは何の装置かなぁ? オモチャにしか見えないし……あたし、騙されていたり?」

 

 

 それはないかと、すぐに納得する。幻徳の挙動からして、演技には見えなかった。

 

 

「しかし……あの筋肉怪獣と凛子ちゃんを止めたほどだから……ふーむ。なかなかのテクノロジーな事に間違いはないんだけどねぇ」

 

 

 スーツは飾りで、この装置一つが人体を強化させるデバイス……と言うのが彼女の予想だ。

 尤も、黒湖はローグの身体が銃弾や刃を通さない鎧の上、その鎧が身体強化をかけている事は知らなかった。スクラッシュドライバーはあくまで、変身デバイス。変身装置以外では、すこぶる頑丈なだけの物でしかない。

 

 

 とは言え、これがなければローグになれない事も事実。奪っておいた黒湖の判断は、総体的には正しかった訳だ。

 

 

「『サキちゃん』なら解析してくれるかな〜……かなりのオーバーテクノロジーよ」

 

 

 スクラッシュドライバーの、レバー部分を押し込む。連動して窪みの両サイドから棒が伸びる。それが中央でガチッと嵌り……それだけだ。

 

 

「ここ、何かありそう。もしかして、決定的な何かが足りない……とか?」

 

 

 そう考えながら、「物は試し」とドライバーを腰に当ててみた。

 

 

 

『スクラッシュゥドライバー!!』

 

「うひぃ!?」

 

 

 起動音声と共に、ベルトが射出され腰を固定する。しかも自身のウェストとピッタリサイズ。

 

 

「え? これ凄くない? うわ良いな! こっからどうすんの?」

 

 

 興奮気味にレバーをガチャガチャ押し込むが、何も起こらない。中央で棒同士がガチガチ当たるのみで、身体が強化された気がしない。

 

 

「……やっぱ、何か足りないか……氷室幻徳、その何かは別に隠していたか」

 

 

 診察室に戻って問い詰めようとも考えたが、彼の焦り様を見て、このスクラッシュドライバーが九十五パーセントを占めていると気付いた。彼は残りの五パーセントを握っているに過ぎない。

 このままでも言う事は聞いてくれるようだし、あまり細かい物まで預かれば無くしてしまいかねない。最後の五パーセントについては、泳がしてやる事にした。

 

 

「でもこれ何か良いなぁ……同じ原理の物、サキちゃん作ってくれないかなぁ。ベルト付けるのスッゴイ楽だし」

 

 

 外そうとするが、外し方が分からない。

 

 

「……アレ? 外せ、外れな、ハズ、外れない……?」

 

 

 ベルトやドライバーを色々弄り、何とか外す術を探す。

 

 

 

 

 

「くーちゃん! 遅過ぎ!!」

 

「え?」

 

「うん?」

 

 

 待ちくたびれたひな子が、角から現れた。

 彼女の目線の先には、見覚えのあるベルトを嵌めた黒湖の姿。

 憧れのヒーローの、ベルトを巻いた黒湖の姿。

 

 

「あ、外れた……」

 

 

 側面にあるボタンを押せば、カチッと外れ、掃除機のコンセントのようにスルスル収納される。

 あまりひな子に気を留めていなかった黒湖だが、ひな子の目がキラキラ輝いている事に気付き嫌な予感が巡る。

 

 

「えー……ひな子、帰」

 

「そ、そ、それは、ろ、ロープの……!」

 

「へ? ロープ? 縄がなんて」

 

「まさか……! くーちゃんが……ロープ!?」

 

 

 ロープはあの紫のヒーローの事だと分かった。だが、それはないだろと黒湖は思った。

 そもそも初めて見た時、一緒に車に乗っていたではないか。

 

 

「いや、ひな子? その……ロープ? がいた時、あたし普通だったよね?」

 

「ロープぅぅ!! このひな子めを、弟子にしておくんなまし!!」

 

「ひな子、言葉遣いがおかしいから! あとロープじゃないから!」

 

 

彼女を説得し、八葉らと共に帰るまで、余計に時間がかかってしまった。

 スクラッシュドライバーは、入念に隠す事に決める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パイプ椅子の上で眠る、警官の前をこっそり抜け、病室に入る。

 その病室は、幾つものベッドがあるのに、使用してあるのは一つだけだった。

 

 

 月光が差し込む暗い病室。機械的な音と、穏やかな寝息。

 浅葱凛子が眠る手前、幻徳が立っていた。

 左手はしっかり縫い直されている。最初よりも、かなり上手く。

 

 

「……司法は、お前を見放したようだ」

 

 

 近くに立ててあった椅子に腰掛ける。

 

 

「……不思議なモンだ。殺されかけたと言うのに、情けを感じるとはな」

 

 

 月光が映す彼の目は、優しかった。

 

 

「多分、俺とお前が似ているからだろう」

 

 

 懺悔するように、吐く。

 

 

「……俺も同じ、『ヒトゴロシ』だ」

 

 

 一緒、声が震えていた。

 

 

「…………傷が癒えたら……目が覚めたら、また会いに来る」

 

 

 彼は立ち上がり、またこっそりと病室を出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女が眠る傍らのテーブルに、何かが置かれていた。

 彼の買った、往復券の帰りの切符。病院で泊まる事になり、使いそびれた切符。

 彼の思いが込められていた。

 

 

 

 

「戻ろう…………」

 

 

 そう呟き、院内の仮眠室へと向かう。

 彼はまだ、死ねない。




本日は二本立て。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ヤクザのお仕事/MeaninGful

 翌日。幻徳の『就職先』に、藤浪と共に向かう。

 彼女の車を運転し、案内通りに到着したが、すぐに面食らう。

 

 

「あー、ココここ。止めて止めて」

 

「……マジか。本物じゃねぇか」

 

「贋物な訳ないじゃない」

 

 

 通るだけで威圧を与える、厳しく尊大な門構えの、和風建築物。

 表札は木製で、墨による達筆で『柳岡』。

 そして門の前に立つ、黒服の屈強な男二人。

 間違いなく『ヤクザ』な雰囲気だ。

 

 

 

 

「柳岡……成る程な……」

 

 

 柳岡会と聞いた時、一瞬で合点が行く。

 黒湖の家で会った赤毛の女性が確か、『柳岡千代』と言う名だった。

 恐らくあの娘は、この柳岡会トップの『娘』かそれに準ずる者だろう。黒湖に懐いているように見えた為、彼女経由で幻徳の就任が決められたと考えるべきか。

 

 

「…………俺はもっと、合法な仕事がしたいが……」

 

「柳岡会も合法な仕事はしてるわよ。病院の経営だってやってるし、一大企業と繋がりあるし」

 

「いやだって……ヤクザ……」

 

「ゴタゴタ言うな! ほら、路肩に停めて行け!」

 

 

 藤浪にムチ入れられ、渋々車を停める。

 

 

 

 

 

 車を出た幻徳の姿は、昨日までのステテコとTシャツスタイルではなかった。

 シャツもスーツも革靴も全て黒く、ネクタイのみがワインレッドの、『その道の人スタイル』となっていた。

 全て、黒湖の用意だ。今朝、藤浪経由で渡された物だ。

 

 

 綺麗な革財布も付けられていた。中には十四万円と鍵と、黒湖からの手紙。

 

 

『凛子ちゃんの件の支払いで〜す。あと幻徳さんの家はココ。職場から近い方が良いでしょ』

 

 

 ムカつくほどに綺麗な字だ。そして要領を得た簡易地図。バツ印の場所が、自分の家となる場所だろうか。財布の中の鍵は、家の鍵だ。

 

 

 

 

「……どうしてこうなったのやら」

 

 

 昨日から全てを狂わされている感じがしてならない。一週間、六万円で気ままに過ごしていた先週が既に愛おしい。

 

 

「あんたの事は知らされていると思うし、門番に聞けばすぐ通してくれるわよ」

 

「あぁ……いや、俺は良いが、お前はどうするんだ?」

 

「なにが?」

 

「なにがって、帰りだよ」

 

 

 車内でワンカップを嗜んでいた。

 

 

「帰りだって、車でしょ」

 

「飲酒運転させられるか……」

 

「私じゃないわよ。弟にさせるわ。弟も柳岡会でさ」

 

「……弟さんが送った後は? お前の車だろコレ」

 

「走って帰らせるから」

 

「………………」

 

 

 不憫でしかならない。藤浪の弟に同情しながら別れを告げ、門へ向かう。

 

 

 

 

 ヤクザはその仕事柄、数多の人物より恨みを買われやすい。故に、この家は要塞だ。入口を守る者は、強靭な人物でなくてはならない。

 門番の二人は、かなり大柄な男性だった。そのままSPとして雇われても平気なほどだ。

 

 

「…………何用だ」

 

 

 ドスの効いた、低い声。常人ならば怖気付き、怯えを見せるだろうが、場数をこなして来た幻徳は全く臆しなかった。

 

 

「今日からここで働く事になった、氷室幻徳です。話は通っているハズですが」

 

 

 紛いにも自分の勤め先だ。先輩には丁寧な態度を取る。

 二人の門番も、幻徳が普通の人間ではない事を察知し、中に招き入れた。案外、アッサリしている。

 

 

「コウモリの案内だってな」

 

「え? まぁ、そうですが」

 

「……珍しい事もあるもんだ」

 

 

 妙な含みを持たせた言葉に懐疑を持ちながらも、開かれた門の中へ一歩、足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 ギィィィィ…………

 

 

 

 バタァァァン。

 

 

 

『ヤクザのお仕事/MeaninGful』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 侘び寂びとは良く言う。

 決して飾りはしていない。何処までも質素で、簡素で自然のまま。

 だが何故かそこには広大なスケールがあり、目を奪われる物がある。白砂の庭も、歪に曲がった松の木も、彩色豊かな椿の花も、それら全てが調和を保ち、決定的な衝撃を見る者の情動とする。

 自然であるままの流れが、我々の心にある回帰への願望が、本能として美意識を刺激しているようだ。

 

 

 見事だ。

 そんな感想が出て来るほど、柳岡邸の庭は美しい。

 ヤクザの家でなければ、落ち着けただろうが。そこだけが残念だ。

 

 

「………………」

 

「どう? ウチの庭は」

 

「……あぁ。確か、千代ぉ……さん?」

 

 

 絹の白い着物に身を包んだ千代が、縁側の向かいより現れた。

 前はぶつかられた手前、大人らしく振舞っていたが、上司の娘となりそうな為、言葉遣いに困る。

 彼のそんな複雑な心情を察してか、彼女はカラカラと鈴のように笑う。

 

 

「良いわよ、砕けて貰って! 黒湖に無理やり入れられたんだから。まぁ、他の人がいる時はちゃんとして欲しいけど」

 

「そ、そうか……あぁ、庭だったな。とても良い庭だ」

 

「フフフ! ありがとね。パパに言ったら喜ぶと思うわ」

 

「やっぱり、会長さんの娘だったか」

 

「隠していた訳じゃないけどね。ほら、案内してあげるわ」

 

 

 彼女に案内され、会長のいる居間へと行く。

 何処かで鹿威しが、カコンと落ちた。

 

 

 

 

「紅守はココと、どう言う関係なんだ?」

 

「元々、パパの仕事なんかを手伝っていたのよ。今は専ら、情報とかを聞きに来るくらいだけど」

 

「成る程。そのツテで友人と言う訳か」

 

「………………………………まぁ、そうね」

 

 

 なんだ今の間はと、訝しげる。

 

 

「それでゲンさんって、身体は丈夫な方?」

 

「ゲンさん……」

 

「そっちの方が呼びやすくって! 悪かった?」

 

「いや、構わない。身体はまぁ……丈夫だろうな」

 

 

 ネビュラガスによる影響か、素の身体能力も上がっている。尤も、ローグになれば更に上がるのだが。

 兎にも角にも、一般的な人間相手ならのめす事が出来る程度は、素の能力も高まったハズだ。

 

 

「元会計士って聞いていたから心配だったのよ。仕事柄、体力を使う物が多いしさ」

 

「それなら大丈夫だ。公務員としてホームレスとして、社会を生き延びたからな」

 

「アハハ! そう言えばそうだったわね!」

 

 

 本当は戦争さえ生き延びてこれたが、言っても仕方ない。今だって地球を懸けた戦いに身を投じている。

 

 

 

 

「着いたわ」

 

 

 到着した、襖の前。今一度、ネクタイを良く締めて構える。

 

 

「パパー! 黒湖が言ってた人が来たわよ!」

 

「……来たか。入れなさい」

 

 

 千代が襖を開く。

 

 座椅子に腰掛け、葉巻を吸う男がこちらを見やる。

 影がかかり据わった目に、闇を見て来た人間らしいニヒルな顔立ち……それよりも額の左側にビシリとついた傷痕が、堅気の人間ではない事を早々に察知させる。

 この男が、柳岡会会長だ。

 

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 ナイフを刺すような眼差し。だが、幻徳は臆しない。

 

 

「……紅守黒湖の紹介に有られました。氷室幻徳と申し上げます。初にお目にかかります」

 

「ほぉ。元公務員とは聞いとったが、本当らしいな。キッチリした男のようだ」

 

「いえ、恐縮です」

 

「まぁ座れ。立っていられちゃあ、首が痛い……千代、悪かったな。下がってくれい」

 

 

 会長に言われ、千代は軽くお辞儀した後に襖を閉め、出て行った。凄いニコニコ笑顔であったが、幻徳は緊張の真っ只中だ。

 

 

 

 会長とテーブルを挟み、向かい側に置かれた座布団に座る。肩を無闇に上下させず、腕は随時股関節辺りに固定、忙しなさも遅鈍さも感じさせない、キッチリした動作で正座をする。

 

 

「最近の公務員は正座さえ指導されとるようだな」

 

「両親の教育の賜物です」

 

「その位出来るなら他の職に就けただろうに。何があって家無しに?」

 

 

 面接でもされているのかと幻徳は感じた。要は、試されている訳だ。

 

 

「税金を不正に使用しまして。発覚後は済し崩しに首を切られ、闇金融に手を出したばかりに家も家具も押収され、取り立てから逃げ続けた結果、この有り様です」

 

「……ドラマのような転落劇だな」

 

 

 当たり前だ。ネットカフェで見たドラマの焼き増しで作った話だ。

 

 

「在任中は交渉、会計、管理、運営を担当していました……不祥事を起こした身ですが、お役に立てればと思います」

 

「その点は気にするな。クロは何でか知らんが、お前さんをいたく推してきよった。アレが言うなら大丈夫だろ」

 

「……紅守、黒湖がですか」

 

 

 あの女は何を考えているのか掴めない。不気味に思い、むず痒くなる。

 そんな彼の気持ちを察したのか、会長は苦笑いを零す。

 

 

「気持ちは分かるぞ。気味が悪い女だろ?」

 

「……ええ。昨日は酷い目に遭いましたから」

 

「その左手の傷か?」

 

「これは……まぁ、そうです。とんでもない女性でした」

 

「アレは得体が知れん。ワシらさえも手を出そうとは思わんのに……知ってか知らんが、意外と豪胆だな」

 

「……軽くのされましたが」

 

 

 思い出せば思い出すほど腹が立って来る。今すぐにでも単身マンションに乗り込み、ドライバーを奪い返したい気分だ。

 

 

 

 

「………………お前さん、『人を殺した事』は?」

 

 

 突然の質問に、幻徳は軽く驚く。思えばここはヤクザだ、『そう言う仕事』もある。

 尤も、そんな仕事を任されたならば、すぐに立ち去る気でいるが。

 

 

 

 

「……いえ、ありません」

 

「…………そうか」

 

 

 話はそれだけだった。

 それからは仕事に関する覚悟のほどや、仕事の時間について、給与について等を聞かされる。問題なく、ここで雇われるようだ。

 

 

 引っかかる点と言えば、時折会長は幻徳を睨むように見る事だ。まるで彼を、測りかねているかのように。

 

 

 

 

 

「……クロからは、お前さんには自分の仕事も手伝わせると聞かされた」

 

「……ええ」

 

「……どう言う訳か知らんが、クロは入れ込んどるようだな。何かしたか?」

 

「そこの辺りは、私にも理解に至れません」

 

「……まぁ、そうか」

 

 

 またあの目をした。

 

 

「……以上だ。ワシらのシマの上納金回収、ある種の密偵調査、千代の護衛。大まかな仕事はこうなるだろ」

 

(千代の護衛て……)

 

「要領は他の者に倣えば良い。また、明日から頼む」

 

 

 話は終わったようだ。幻徳は恭しくお辞儀をし、部屋を立ち去った。

 一人になった彼は、葉巻を吸う。

 

 

 

 

 

 そのタイミングで、幻徳と行き違いに襖が開かれる。丸刈りの男がヨレヨレの形相で入って来た。

 

 

「ゼヒィ……ゼヒィ……! か、会長、戻りました……!」

 

「何しとった『寛二』。姉に呼ばれただけで」

 

「び、病院まで送ったと思ったら……走って帰され……」

 

「はぁ……お前は本当に姉に弱いな」

 

「それを言ったら会長だってお嬢によわ……うごぉ!?」

 

 

 灰皿が寛二の顔面に当たる。その場で膝をつき、プルプル震えていた。

 

 

「そ、それより……さっきすれ違った男が……例の?」

 

「クロの推薦だ」

 

「堅気にしか見えないッスけど……」

 

「あぁ。ワシもそう思う」

 

 

 煙を吐く。

 

 

 

 

「……思っとった」

 

 

 

 表情は一気に、厳しくなった。

 

 

「……堅気じゃなかったんですか?」

 

「良く良く考えてみろ。あの『紅守黒湖』の推薦だぞ。今までそんな事はなかった」

 

 

 当然、あの男をヤクザの世界に入れて困惑させたいと言う思惑もある。

 しかし、『自分の仕事も手伝わせる』と言う入れ込み具合は、彼にとってみれば異常な事に思えた。

 

 

「……そして、ワシの目は誤魔化せん」

 

 

 葉巻の紫煙が、天へ真っ直ぐ燻る。

 

 

 

 

「……アレは殺しとる。それも、何人も何十人も」

 

「……え? あの男が?」

 

「寛二、あの氷室幻徳には気を付けろ」

 

 

 そして、手をひょいひょいと振る。

 

 

 

 

 

 

「灰皿持って来い。葉巻が戻せん」

 

(会長が投げた癖に……)

 

 

 渋々寛二は、灰皿を彼に献上した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 家を見に行こうと、彼は柳岡邸を後にする。

 偶然軒先きにいた千代に、背後から話しかけられた。

 

 

「ゲンさんお疲れ。やっていけそう?」

 

 

 彼の目がキラッと光った気がした。

 何事かと思う前に、彼は振り返り、スーツの前を開く。

 

 

 

 

『やれやれだ』

 

 

 

 

 シャツの下にTシャツを着ており、そう文字がプリントされていた。

 彼はこのTシャツが使える状況を探しており、今使ったようだが、少し返答としてはズレている気がする。

 

 

「…………え?」

 

 

 困惑する千代。当たり前だろう。

 

 

「……まぁ。楽しむさ」

 

 

 そう言ってイソイソとボタンを留め、何食わぬ顔で家を後にする。

 真面目で堅実な人と言う彼女のイメージも、少しズレ始めて来た。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

期待のニューフェイス/Ability Lack

 幻徳は地図にある通りに進み、自分の家となるマンションに到着した。

 本当に職場の近くで、四階にある彼の部屋から柳岡邸が崇められる。

 

 

「……ヤクザなんてやった事ないぞ」

 

 

 夜から仕事らしいが、何をするのかが全く予想出来ない。

 上納金回収と千代の護衛は分かるとして、『ある種の密偵調査』とは何だろうか。裏切り者の告発でもしなけれないけないのか。

 

 

 

 

「………………」

 

「よっ!」

 

 

 廊下の向こうに、黒湖が立っている。

 会いたくない人物との再会に、溜め息が溢れた。

 

 

「……なにしに来た」

 

「なにしに来たって、就職祝い? あたしが職と家の手配したんだから、そりゃ〜老婆心で尋ねるっしょ」

 

 

 昨夜恨みを買った人物の前に、何食わぬ顔顔で現れる。どういった神経をしていれば出てこれるのかと、幻徳には全く理解が出来ない。

 

 

「しっかし、『げんとくん』スーツ似合うねぇ」

 

「そのあだ名だけは止めろ!」

 

「いいじゃ〜ん。チヨちゃんにはゲンさんって呼ばせてんでしょ?」

 

「情報が早過ぎるだろ……」

 

 

 柳岡邸を後にしてから、まだ三十分だ。

 尤も、会長と話している最中に千代から聞かされたとも考えられる。どちらにせよ、柳岡会にいる間は彼の行動は筒抜けにされているらしい。

 

 

「……それが柳岡会に入れた理由か……」

 

「ん? なにか言った? げんとくん」

 

「いや、何も……だからそのあだ名は止めろ!」

 

 

 憎き宿敵に同じあだ名で呼ばれた事がある。怒りが張り切って仕方がない。

 

 

「…………で。ドライバーは?」

 

「キッチ〜リ、守秘してます」

 

「さっさと返せ」

 

「昨日の話、聞いてた? あたしの仕事を手伝ってもらう時にだけ返すってばさ」

 

「どうしてそこまで……」

 

 

 俺を関わらせようとする、と続ける前に、黒湖から何かを投げつけられる。

 不意打ちに幻徳は驚きながらも反応し、それを受け止めた。

 

 

「反射神経はボクサーレベルらしいねぇ? 今の公務員はアスリート並の鍛錬が必須なの?」

 

「お前、なんのつも……」

 

 

 投げ付けられたのは、新聞だった。

 

 

 

 

 

『テケリリランド、ジェットコースター破壊。犯人は紫のヒーローか』

 

 

 

 

 

 見出しに暫し、目を奪われる。

 

 

「………………」

 

「派手にしたねぇ? 人混みのど真ん中で発砲とか。まぁまぁ、凛子ちゃん捕まえる為でしょ? 分かってる分かってる」

 

 

 浅葱凛子の名は一つもなく、文章の中には「テロリストの可能性もある」とまで書かれていた。

 

 

「どう?『人々を守る正義のヒーロー』から『悪党』に堕とされた感想は?」

 

「……薬物中毒者とレストラン強盗の件は不可抗力だ。自分を顕示する為に行動した覚えはない」

 

「あら? ヒーローじゃなかったの?」

 

「……俺はそんな器ではない」

 

 

 自分は呪われた罪人だ。

 今だって、この世界に飛ばされる前に聞かされたあの声が、脳裏に浮かんでいる。『ヒーロー気取り』。

 

 

「ヒーローじゃないなら、多少ダーティーな仕事もこなせるでしょ?」

 

「なんだその理屈……」

 

「まぁ〜……うん。げんとくんなら柳岡会でもやって行けると思うよぉ?」

 

「ふざけるな。年内には辞めてやる」

 

 

 家を手に入れ、住所欄を書けるようになればアルバイトでも出来る。

 尤も、コンビニバイトすらした事ないが。ヤクザに身を置くよりは健全だ。

 

 

「とりま、挨拶に来ただけだから。この後デートがあるから、帰る」

 

「恋人がいたのか……」

 

 

 こんな奴好きになる男がいる事に驚きだ。自分がその立場だったらと想像しただけで悪寒がする。

 

 

「迎えに行く途中にココ寄っただけだし」

 

「この近くに住んでいるのか? このマンションか?」

 

「ここじゃないよ。げんとくんの職場の人」

 

「なんだ? 会長か?」

 

「いや男じゃ……あー……組長さんじゃないから安心して」

 

「安心も何も……組長じゃなくて会長じゃないのか?」

 

「組長の方がヤクザっぽくない?」

 

「………………」

 

 

 のらりくらりな彼女の語り口。お喋りだけでも精神的疲労が起こる。

 幻徳はさっさと切り上げ、夜まで寝てしまいたかった。

 

 

「……用がなくなったなら、さっさと行け。待たせたら悪いだろ」

 

「はいはいそーしますぅ。じゃっ、近いうちに」

 

 

 手を振りながら、彼の横を通り過ぎる。いっときの油断もならない相手だ、幻徳は黒湖が廊下の角に消えるまで目を逸らさない。

 

 

「……疲れる女だ」

 

 

 新聞を畳む。

 畳んだ時、一面記事に目が映る。

 

 

 

 

 

『アサギ電子社長、死亡。自殺か』

 

 

 

 

 大企業社長の訃報。名前は『浅葱尊』。一代で会社を急成長させた、カリスマの死。多くの人が彼の死を惜しみ、偲んでいる。

 

 

 

 

「………………胸糞の悪い記事だ」

 

 

 新聞を小脇に抱え、家の鍵を開ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 バサッ。

 

 ガキッ。ガチャリ。

 

 バタン。

 

 

『期待のニューフェイス/Ability Lack』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前に、人が降って来た。

 その目は閉じられず、生気もなく濁っている。

 駆け寄り、声をかける。反応はない、死んでいた。

 

 

 

 死体の向こうに、誰かが立っていた。

 

 

「俺はただ」

 

 

 立っていたのは、

 

 

「お前の望みを」

 

 

 彼の人生を根こそぎ変えた、

 

 

 

 

 

「……叶えてやっただけだ」

 

 

…………『悪魔』だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハッ!?」

 

 

 幻徳は眠っていた。

 部屋は六畳一間のワンルーム。黒湖は家具付きの物件を充てたらしく、ベッドと冷蔵庫は元からあった。

 

 

 部屋は真っ暗だ。腕時計を見ると、既に午後八時に差し掛かろうとしていた。仕事の時間だ。

 

 

「………………」

 

 

 彼は何も言わず、脱ぎ捨てていた上着を羽織ると部屋を出て行く。

 

 悲しみとは違う、重厚な黒を抱えながら、夜の街に溶けて行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お客様。他の方のご迷惑になりますので、お控えください」

 

 

 幻徳はキャバクラにいた。

 接待役に過剰な要求をする中年を嗜めるが、酔った彼の逆上を誘う。

 

 

「なんだぁテメェ!? 殴られてぇか!?」

 

 

 脅し言葉の癖に、本当に殴りかかって来る。

 幻徳はサッとその拳を受け流し、足払いで中年の前へ向かうエネルギーを利用し、転ばせる。

 

 

「良くやった新入りぃ!!」

 

「オラァ! 立て!!」

 

 

 後は幻徳よりも怖いお兄さんが、彼を連行して終わり。

 

 

「手荒な……手荒な事はしないで」

 

 

 何故か中年をフォローする幻徳は妙に思われていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「すみませんが、当店の前でタムロはやめていただけませんか」

 

 

 ヘルプで入ったバーの従業員として、店の入り口を塞ぐヤンキー三人に一声かける。

 

 

「なんだこのおっさん?」

 

「別に俺らが何処にいようが勝手じゃん?」

 

「うぜぇなコイツ。締めちまうか」

 

 

 翌日からその三人は来なくなった。顔に大きな青痣をつけた姿が、町で見られたらしい。

 

 

「……やり過ぎたな」

 

 

 幻徳は閉店後のバーで、反省した。酒は飲まないので、麦茶を嗜む。

 

 

 

 

 

 

 

 

「上納金の支払いが、まだのようですが」

 

 

 今度は上納金の回収。怪しい事務所に一人通された。

 

 

「……実はウチですねぇ」

 

 

 奥の扉から、四人の黒服が入って来る。

 

 

「……柳岡さんトコ、離れようとしてんですわ」

 

 

 その後、騒ぎを聞きつけ突入した柳岡会の構成員が目にしたのは、荒れた事務所と気絶した五人の中心に立つ幻徳の姿。

 

 

「……金は回収しました」

 

 

 上納金もキッチリ回収。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そいつを渡して欲しい」

 

「このヤロ……グフッ!?」

 

 

 路地裏で、二人の男を倒した。

 支給されたケータイで連絡すると、三人の仲間がやって来る。

 

 

「またやったな、新入り!」

 

 

 柳岡会に入り、早くも五日が過ぎた。殆ど殴ってばかりの日々だと虚しくなって来る。

 

 

 しかし彼の虚しさとは別に、柳岡会内での彼の立場は向上していた。『期待のニューフェイス』として、注目された。

 元公務員かつ、刺青も入れていない堅気落ちと思われていた初期と比べ、一気に評価され始める。

 

 

「本当にお前、元公務員かよ! 実はヤクザだったんじゃねえか!?」

 

「いやいや、本当に会計士」

 

「説得力ねぇぞ新入り! 今日は奢りだ、飲もうぜ!」

 

「お酒はちょっと……」

 

 

 気絶した二人の懐を、仲間が弄る。

 

 

 

 

 百均で買える小さなチャック付きの袋が取り出された。中身は白い粉。

 

 

 

「見ろ。『夢中遊行(チェザーレ)』だ」

 

 

 チェザーレ。

 この町で出回り始めた、新型ドラッグだ。

 幻徳は柳岡会のシマで売られた、このチェザーレの回収をしていた。密偵調査の一環として、この薬物の大元を探っていた……幻徳は想定済みだが、市場の奪取が目的だろう。誰よりも先に見つけ、チェザーレを燃やすつもりだ。

 

 

 

 

「実物は初めて見たが……」

 

「俺たちでさえも、これには手は出さねぇ。新入り、トチ狂ってもこれは使うなよ」

 

 

 ドラッグなんて一生しないつもりだが。

 

 

「……何か違うんですか? 詳しくは知らないんですが」

 

 

 黒服がチェザーレを回収しながら話す。

 

 

 

 

「チェザーレは変わったモンでな。汗とかションベンから検出されねぇ。しかも安く作れて、その癖依存度が高いからリピーターも付く」

 

「とんでもないな……」

 

「とんでもねぇだろ?」

 

 

 幻徳の「とんでもない」のニュアンスとしては「最低、最悪」の意味だが、あちらは「凄い、最高」のニュアンスとして受け取ったらしい。訂正する気はないが。

 

 

 嬉々として説明しているのかと思っていたが、黒服の表情は切迫していた。

 

 

「しかしな。コイツを使ったら最後、人間じゃなくなる」

 

「どうしてですか?」

 

「使い続けると、幻覚と痛覚の麻痺が起こる。しかも筋肉が異常に活発になって、人の骨を折るパンチを放てるらしい」

 

 

 

 幻徳の脳裏には、あの時の巨漢が現れた。あの男も、チェザーレに汚染された人間だった。

 

 

「最後には幻覚に踊らされて凶暴化。俺らの仲間も同じ症状になってな。酷い目に遭ったぜ」

 

「柳岡会は、そんな危険物を独占するつもりなんですか?」

 

「いいや、会長にその気はない。逆だ、追い出したいんだろう。俺らのシマで勝手な事すんなって忠告だ……それほとヤベーブツってこった」

 

 

 市場を奪取するつもりはないらしい。人間を怪物にするドラッグだ、大型のヤクザにも手に余るのだろう。

 少しだけ幻徳は安心した。この仕事にだけはやり甲斐を感じられそうだ。

 

 

「なら回収して、どうするんですか?」

 

「成分の検査に回すってさ。あのコウモリが知りたがってるらしい」

 

 

 そう言えば警察関係者だったなと思い出した。

 

 

 

 

「んじゃ、この売人らを起こして尋問すっか」

 

「……すみません。尋問は、俺が担当して宜しいですか?」

 

「お前がか? まぁ、良いだろ」

 

 

 アッサリ仕事を任されるほど、彼は既に信頼を得ていた。

 現時点で全く失態のない新入りだ。当然と言えば当然か。

 

 

「先に戻って、チェザーレを渡して来る。何かあれば連絡してくれ」

 

「ありがとうございます」

 

 

 黒服らを見送った後、売人の方へ近付いた。

 

 

 持っていたペットボトルの水を顔に被せる。気つけの為だが、幻徳も似た事をされ、軽くトラウマになっていた。顔を拭きたくなって来る。

 

 

「おい。起きろ。話して貰うぞ」

 

 

 売人は呻き声を上げて、ゆっくり目覚めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の朝。幻徳は鉢花を持って病院に赴いていた。ここの所はスーツばかりだった為、Tシャツとジーパンの姿は開放的に感じた。

 病室に入ると、ベッドから物憂げに窓の外を眺める、少女が目に入った。浅葱凛子だ。

 

 

「……調子はどうだ」

 

 

 凛子は遊園地での一件の翌日には目が覚めていた。今回は二度目のお見舞いだ。

 勿論、幻徳はユリアからその報せを聞き、いの一番に向かっている。最初は驚いていたが、幻徳は「水に流す」と言って警戒を解いていた。

 

 

「……氷室さん」

 

 

 その際に、様々な事は全て伝えておいた。

 

 

「花屋で綺麗な花を見つけた。良いだろ? 飾っておくぞ」

 

 

 紫陽花のような、小さな花が寄せ集まったマロウピンクの華麗な花。

 凛子は、彼が持って来た花を見て、何故か中途半端な表情を見せた。

 

 

 

「……『シネラリア』は縁起が悪いらしいよ」

 

「なに? シネラリアと言うのか?」

 

 

 花の名も知らずに買ったのかと、呆気が出る。

 

 

「日本だけだけど……『死ね』って入っているから駄目だって……」

 

「……返品してくる」

 

「えと……私は大丈夫だから……」

 

 

 花言葉はまともで、「いつも愉快に」……愉快になれる気分ではないが。

 

 

「………………」

 

 

 椅子に座る幻徳。

 いやでも彼の着るTシャツに目が行く。

 

 

 

『最後の一撃は、せつない』

 

 

 

 どう言う状況なのかと突っ込みたくなる。

 

 

「………………」

 

「……ん? この服か? 行きつけの古着屋が文字T推しでな。良いだろ? 今度、買って来てやる。サイズはXSで大丈夫か?」

 

「……う、うん……うん?」

 

 

 服の話になると、彼はイキイキし始める。

 

 

 

 不思議な人だ。本気で殺そうとした相手なのに、目の前にいる彼は朗らかなおじさんにしか見えない。その顔に、警戒や怨恨の念はない。

 

 

「藤浪ユリアって医者がいるだろ。いつも酒の臭いがする奴。あいつの弟と話してな、意気投合したんだ」

 

 

 同時に、あのヒーローは、こんな他愛ない話をする何処にでもいそうな人間なんだと知る。

 

 

「退院したら、祝いにどっか食べに行こう。近くのファミレスになるが……」

 

 

 そして何故、こんな自分に優しくしてくれるのか。凛子は『氷室幻徳と言う男』を図れずにいる。

 

 

「……氷室さん」

 

「どうした?」

 

「……なんで、私に……」

 

 

 質問は言い切っていないが、彼は察した。言い淀む彼女の代弁者として、言葉を繋ぐ。

 

 

「……なんで自分に構うのか?」

 

「………………」

 

「……君の中での俺は、紫のヒーローかもしれんが」

 

 

 真っ直ぐと、凛子と目を合わせる。

 

 

「……俺の過去はヒーローなんかじゃない。俺と君は似ていると思っていて……な」

 

 

 彼の言葉を聞き、驚きとも困惑とも取れる表情を凛子は見せた。

 

 

「……それって、もしかして……」

 

「……続きは、明後日だ。また来る」

 

 

 立ち上がり、後にしようとする幻徳。

 背を向けた彼へ、思わず凛子は話しかけた。

 

 

 

 

「夢か、空耳だったかもしれないけど……」

 

「…………」

 

「確かに、氷室さんは言ってた……『一緒に罪を償う』って……」

 

 

 ジェットコースターが迫る、刹那。彼がヒーローの姿でいた時。

 

 

「……もしかして、氷室さんも……」

 

「……じゃあな」

 

 

 彼は出入口の方へ足早に向かう。

 

 

 

 

「……今度は花じゃなく、フルーツにする」

 

 

 そう話した後、病室を出て行った。

 呆然と見送る凛子。彼女の傍らにあるシネラリアが、可愛らしく揺れている。窓は閉めているハズなのにと思った所で、空調のせいだと気付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 凛子と別れた後は、『仕事の時間』だ。

 スーツに着替え、昨夜の売人から聞いた場所に辿り着く。湾岸の廃れた倉庫。

 

 

 売人は、ここにツルむ連中の一人だった。リーダー格の男がチェザーレを持ち込み、それを売り捌いていた。聞けばその男、叔父がヤクザらしい。流出元はそこだろう。

 

 

「……常々思うが、この町の治安はどうなってんだ」

 

 

 他の黒服を呼ぼうかとも思ったが、彼は柳岡会を信頼している訳ではない。調査の為のドラッグ回収とは言うが、腹の中がわからない以上は自分一人で処理したい。

 それに、連中らにどんな報復をするのか知れない。幻徳は死者を出すつもりはない。売人らも警察に突き出して終えた。

 

 

 

 

「行くか」

 

 

 意を決し、彼は倉庫の入り口へ歩を進める。尤も、彼は返り討ちされる不安は全くないが。

 

 

 

 

 

 

 

「おい、あんたダレ……ッ」

 

 

 見張りの一人を速攻で張り倒す。

 倉庫内には若者が五人。幻徳の存在に気付き、金属バットを手に臨戦態勢を取る。

 

 

「なんだテメェ?」

 

 

 女性一人を侍らせ、ボロいソファに座る男。彼がリーダーだろう。

 

 

 

 

「柳岡会からクレームしに来た。『大倉 俊英』はお前か?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

無痛のワンパンチ/Spider Instinct

 向けられた敵意が、一瞬で畏怖に変わる。『柳岡会』のネームバリューは流石としか言えない。

 

 

「や、柳岡会って……」

 

「あの、ヤクザだよな……?」

 

 

 三人は動揺している。

 しかしリーダー格の大倉と、その彼女には全く驚きと言った念は感じられない。

 

 

「柳岡会って、トシくんのオジさんの敵じゃん?」

 

「……そーだったな」

 

「やっちゃえば? なーんか調子乗ってるらしいし?」

 

 

 仲間を連れているかもしれないと言うのに、思考もせずリンチの指示。確かに一人とは言え、もう少し慎重になれと説きたくなった。

 

 

「でもミカさん。ヤクザやって、大丈夫なんスかね?」

 

「大丈夫っしょ。どーせ下っ端の鉄砲玉だし。それに一人倒されてるし、正当防衛じゃない?」

 

「へぇ。そっすね!」

 

 

 リーダー格は大倉らしいが、実質の司令塔は彼女らしい。彼女の発言に対し、全員が従っている。

 ミカの発破によって、当惑状態だった三人は奮起。金属バットをそれぞれ掲げ、幻徳に迫ろうとした。

 

 

「待て待て。俺に仲間がいるとは考えないのか?」

 

「じゃあ呼びなよおっさん」

 

「……まぁ、いないが」

 

 

 幻徳のおとぼけに、全員が笑い声を上げた。

 

 

「なんだぁおっさん? 本当にヤクザかおめぇ?」

 

「俺らは淳みてーに油断しねーからな」

 

「正当防衛だかんな、せーとーぼーえい!」

 

 

 完全に幻徳を舐めてかかっている。若気の至りと言うのか、浅い考えと言うのか。幻徳は思った以上の『不良』らであった事に、呆れ果てていた。

 

 

「俺はドラッグを渡している奴を聞きたいだけだ。別に戦う気はない」

 

「一人殴っといてそれはねーだろ?」

 

「……まぁ、そうだが」

 

 

 考えが浅かったのは自分もかなと、反省。

 

 

「こいつ寝惚けてんじゃねぇか?」

 

「んじゃ、俺が覚ましてやんよ!」

 

 

 先陣を切り、一人がバットを振り上げ迫る。

 

 

 

 

 人間は基本、恐怖から目を逸らす生物だ。

 身を縮こませ、視線を外し、心身ともに守ろうとする。

 襲い来る脅威を、何とか軽減しようとする。頭を下げ、心臓を遠くにし、腕や足といった末端を差し出す。

 

 

 

 これはあくまで、『脅威を迎えるだけ』。

 真の意味で己を守るのは、『脅威を迎え討つ』。

 迎え討つにはどうすれば良いか。

 

 

 

 

 

 第一に、冷静に見る。

 

 

 シュッ。

 

 

「軌道が分かりやすい」

 

 

 サッ。

 

 

 

 

 第二に、攻撃を惜しまない。

 

 

 ガッ。

 

 

「てめぇ、腕をつかッ」

 

 

 ゲシッ。

 

 

 

 第三で精神論となるが。

 

 

 

 

 

 

「己を見失ったりしない事。恐怖にせよ、力にせよ」

 

 

『無痛のワンパンチ/Spider Instinct』

 

 

 

 

 

 

 

 

 突っ込んだ一人のバットを避け、その腕を掴み引き態勢を崩させ、即座に腹へ蹴りを一発。

 青年はコンクリートの地面に叩きつけられた。気絶とまでは行かなかったが、内臓に入ったダメージに悶絶し、当分は立っていられない状態だ。

 

 

「あ、アキちゃん!?」

 

「おい、一緒にかかるぞ!!」

 

 

 残りの二人も突撃を開始。

 バットを握り締め、焦燥と怒気を孕ませ幻徳を狙う。

 

 

 

「勝負は一種、化かし合いだ」

 

 

 最初の一人による横殴りを屈んで避ける。

 屈むついでに走り出し、懐へ潜り込んだ。だが、潜り込んだ先にいた後続の一人は、バットを振り上げていた。

 

 

「馬鹿正直に攻めた場合」

 

 

 幻徳は最初の一人の襟を掴むと、一思いに引く。

 引かれた場所は幻徳の前となり、つまり振り下ろされたバットの餌食となる。

 

 

「ッ!?」

 

「うわぁ!? なんで!?」

 

 

 渾身の力で殴ったバットは、彼の背中に直撃。

 声にならない声をあげ、膝からストンと倒れ伏す。

 

 

 

 倒れた青年の後ろに、幻徳はいない。

 

 

「虚を突かれる訳だ」

 

 

 消えてなんかいない。

 青年を盾にした幻徳は、倒れ行く彼を目隠しとして、最後の一人の横まで回り込んでいた。

 仲間を殴って動揺した男は、気付くのが遅れただけだ。

 

 

 

 

「反省しろ」

 

「おッ」

 

 

 当て身で一発。

 一分足らずで、三人は行動不能に陥った。

 

 

「……マジで?」

 

「な、舐めやがって!!」

 

 

 傍観決め込んでいたリーダー格の俊秀が、ナイフを持って襲いかかる。

 

 

 

 

 

「省略するぞ。第一」

 

「うぉ!?」

 

「第二」

 

「ぐはぁ!!」

 

「第三」

 

「キュウ……」

 

 

 軽々と、幻徳はのめして終了。

 茫然自失のミカ以外の男たちは、全て床に伏させた。

 

 

 

 

 

 

「な、何者なのよ……?」

 

 

 自分を守ってくれる者らが、全滅。怯え、縮こまるミカを睨み付ける。

 

 

「柳岡会だ。分かったらさっさと行け。見逃してやるから真面目に生きろ」

 

「ひ、ひぃぃぃい!!!!」

 

 

 ソファーを倒し、腰も砕け砕けにミカは裏口から逃走。

 戦意のない人間を追うほど、幻徳は非情な人間ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幻徳は己の身体能力に、改めて感心する。

 ネビュラガスの注入実験の後、素の能力も向上していた。

 

 管理職一筋、喧嘩とはほど遠い身体付きだったものが、逞しくなった。

 感覚の精度も向上し、それに伴う脳の情報処理もスムーズになった。

 ライダーシステムのスペックには到底及ばないが、昔の自分が生身で不良四人を相手取るなんて事は出来なかっただろう。

 

 

 戦いに有利な身体へ改造させられたとは言え、強靭な自衛力を得られた点は有り難い。

 

 

 

 

 

 

 あえて意識を残させておいた俊秀に、しゃがみ込んで話しかける。

 

「薬は誰から貰った?」

 

「し、知らねぇ!」

 

「知らない訳はないだろ。お前の叔父か?」

 

「そ、それは嘘なんだよぉ! そうすりゃみんなヘコヘコするから……」

 

「じゃあ誰だ?」

 

「知らねぇ奴にタダで譲って貰ったんだよ!!」

 

 

 まどろっこしくなる幻徳。

 

 

「そいつの特徴を言え。男とか女とかあるだろ」

 

「帽子を被った、金髪の若い男……あと、頬骨が出ていた」

 

「それだけじゃ分からん。名前は?」

 

「お、俺だって分からないってばぁ!!」

 

 

 面倒になってくる気持ちを抑える。

 

 

「……ヤクザ云々が嘘だとは、出鼻をくじかれたな……じゃあ、取り引き現場の場所と電話番号を教えろ」

 

「取り引き現場は……流々家駅近くの、ラブホの裏。電話番号は知らねぇ、いつも金曜日の昼に会ってた」

 

「それを先言え」

 

 

 つい言葉に棘が入るが、尋問は終了だ。金曜日の駅近、ラブホテル裏。

 金曜日となれば三日後になる。売人だとすればまだ終点ではなさそうだが、確実に近付いているハズだ。

 

 

 情報を得たなら、ここに用は無い。

 さっさと携帯で警察を呼び、全員を連れて行って貰おう。明らかに、この廃倉庫へは不法侵入。薬を売った事は警察に調べ切れるかは分からないが、現行犯の理由付けにはなる。

 

 

「……不法侵入云々は俺もだがな」

 

 

 要件は「溜まっている不良がいる」とだけにして、さっさと呼んで撤収しよう。

 そう考え、彼が携帯電話を取り出した時だった。

 

 

 

 

 

 

 ドサッ。

 

 

 

 重い物が、高い位置から落とされたような音が響く。

 波の音しか聞こえない、閑静で寂れた倉庫地帯だ。良く響き、何処からかも分かる。倉庫の裏手。

 

 

「……仲間がいるのか?」

 

「知らねぇよぉ……!」

 

「逃げても良いが、お前の免許証は控えたからな」

 

 

 彼の財布から免許証を抜き、釘を刺した上で、幻徳は立ち上がり音の発生源を見に行く。

 自信がある、何者であろうとも自分を倒す者はいないと……一部例外を除き。ただフラッと道を逸れたような人間に、負ける気は全くない。

 

 

 

 

 細心の注意を払い、裏口へ向かう。確かここから、ミカが逃げた。

 

 

「……誰かいるのか?」

 

 

 角からの不意打ち、多勢による一斉攻撃、飛び道具。あらゆる可能性を視野に入れつつ、気配を探りながら裏口から顔を出した。

 

 

 

 

 

 考えうる全ての可能性が破綻する。

 裏口より数メートルの位置で、逃げたハズのミカが死んでいたからだ。

 

 

「なっ!?」

 

 

 彼女は脳の破片を血溜まりに散らかしながら、その中に溺れるように俯せになっている。

 

 狙撃されたのか。

 

 

「どう言う事だ!?」

 

 

 自身が撃たれる可能性もある。咄嗟に顔を引っ込め、倉庫内に逃げる。

 

 

 

 

「おいッ!! お前ら、誰かに狙われ…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人間は基本、恐怖から目を逸らす生物だ。

 だが突然現れた脅威へは、なるだけ情報を得ようと凝視する。

 事故の寸前、通り魔の不意打ち。

 しかし、恐怖を把握しようとする前に、その行為自体が『虚』となり突かれてしまう。

 

 

 

 今の彼のように。

 

 

 

「ぬうぉぉ!?」

 

 

 死角から現れた腕に叩き付けられ、彼は吹き飛ばされる。

 尋常ではない威力だ。人間の腕だと分かっているが、だとすればこの痛みは異常だ。

 幻徳は四メートルも横に吹っ飛び、壁にぶつかる。最低限の受動姿勢を取ったおかげで、頭部や内臓へのダメージはないものの、骨が軋むほどの激痛に支配された。

 

 

 まるで車にぶつけられたようだ。認知した人間の腕が、見間違いかと思ったほど。

 

 

 

 

 壁から落ち、床に伏す。視覚を外してはならないと、大急ぎで顔を上げた。

 

 

 

 彼に虚を与えた刺激は、『三人の死体』。

 幻徳に金属バットで挑んだ三人が、顔面を無残に潰され死んでいた。良く見れば見張り役のもう一人も死んでいる。

 

 

 それを見たばかりに、幻徳は動揺。視野が狭まった時、攻撃をみすみす受けてしまった。

 

 

 

 

「……貴様かぁ……!?」

 

 

 悠然と立つ、男が目に入る。

 フードを深々と被り、腹部のポケットに手を突っ込んだままこちらを眺める大男。

 上着の右手袖には腕が通っておらず、それが倉庫の隙間風ではためく。

 

 

 

 新たな襲撃者のお出ましか。

 

 

 

「何者だ!」

 

「……あんたこそ何者だ?『同業者』だったか?」

 

「同業者……?」

 

「違うのか」

 

 

 啜り泣く声がすぐ真横で聞こえた。

 向けば、俊秀が壁に凭れ、恐怖の表情でへたり込んでいる。

 

 

「し、死にたくねぇよ……! なぁ! 助けてくれよぉぉ!! 俺もう、真人間として生きるからさぁぁ!?」

 

 

 彼のこの様子。

 あの襲撃者が、四人を殺したと見て正解のようだ。恐らく、外のミカも殺害している。

 

 

「来てみれば四人ばかし、行動不能になっていた。おかげで仕事を楽に終えられた」

 

「たかが不良たちだった! 殺すのはやり過ぎだ!」

 

「……薬を売っている奴らを、『たかが』と捉えるのか」

 

 

 幻徳は身体を起こした。

 縋り付き助けを乞う俊秀を、引き剥がす。

 

 

「お前は行け」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

「裏口は使うな。あっちの窓から逃げろ」

 

 

 仲間が忍んでいる可能性がある為、表口と裏口は使わせられない。

 

 一目散に逃げ出す俊秀を、フードの男は即座に追跡しようとした。

 だが、立ちはだかるは幻徳。

 

 

「……妙な男だ。襲撃した癖に、今度は守るのか」

 

「俺はクレームに来ただけだ。それに死を以て断罪するほどには思えん」

 

「……妙だ。そして変な男だ」

 

 

 男が構える。腰を低く落とし、左手はゆらりと持ち上げる。

 

 そこで幻徳は気付いた。袖を通していないだけと思っていたが、この男は右腕が欠損している。

 ならば右側が奴の虚になるのではないかと、冷静に観察。恐らく打撲したであろう身体のあちこちが熱を帯びたように痛むが、修羅場を潜り抜けて来た彼には、取るに足らない痛みを無視出来るようになっていた。

 

 

 

「生憎、あんたはターゲットではない。が、邪魔をするなら痛い目を見て貰おうか」

 

「………………」

 

 

 更に幻徳は観察を続ける。

 次に見たのは、死体。

 

 

 皆、顔面が潰れていたが、一人だけ腹部に大きな風穴が出来ていた。

 どうやって潰し、どうやって開けたのか。男が武器を持っている素ぶりはない。

 

 

 だが推察は出来る。腹部の穴の形状が決め手だった。

 

 

(……靴の形? 踏み付けた……?)

 

 

 内側へ緩い曲線を描く、丸っこく瓢箪のような形。靴底の物と一致する。

 ならば武器は『靴』だろうか。靴底に何か、特殊な仕掛けが施されているのだろうか。

 

 

 幻徳は靴に注意し、足による攻撃を警戒する。

 勿論、腕よりの攻撃も。さっきはそれで、壁に叩き付けられたからだ。予想外の怪力を持っているらしい。

 

 

 

 

「待っている暇はない。早々に終わらせる」

 

 

 男は宣言し、一歩踏み込んだ。

 

 

 

 

 たったの一歩で、幻徳の眼前までやって来る。

 

 

「……ッ!?」

 

 

 摑みかかる彼の左手の二の腕を取り、捕獲を回避。

 しかし男の腕は常軌を逸したパワーを有しており、一瞬止めて、一瞬で脇の下から回避する事が精一杯だ。

 

 

 

 

「なんてはや……うぐっ!?」

 

 

 彼の腕を止めた、幻徳の手が痺れ出した。

 受け止めきれなかった衝撃が、右手から肩にかけてダメージを与える。

 

 

(馬鹿な!? 人間の身体じゃないぞ……まるで鉄骨で殴られたように……!!)

 

「今のを避けるのか。やるな」

 

 

 右足を軸とし、背面蹴りをかます。

 

 

「ッちぃ!!」

 

 

 危惧していた足による攻撃。

 更に幻徳はバックステップを行い、彼から距離を取った。

 場所は逆転し、幻徳のいた場所に男が、男のいた場所に幻徳が立つ。惨殺死体が足元にある。

 

 

「手加減はしている。安心して受けろ」

 

「安心出来るかぁ!!」

 

 

 避ける事に息も絶え絶えな幻徳と違い、あれだけの運動量に反し男は一切の呼吸の乱れが伺えない。このままでは明らかに、こちらが押される。

 

 何より恐ろしいのは、彼には俊敏な動きに強力な破壊力、強靭な身体が揃っている事。もう一撃受ければ、幻徳の肉体は保たない。

 

 

 

「俺はサイボーグとでも戦っているのか……」

 

 

 そんな感想が妥当な表現だ。

 サイボーグと聞いた男は、少し考え込む仕草を取る。

 

 

「……サイボーグか。一理あるな」

 

 

 自負してやがると呆気が出る。ともあれ、彼に対抗する手段を探さねば。

 

 

 

 

 いや。一つある。対抗出来る力が。

 

 

「……これを単体で使うのは久しぶりだな」

 

 

 男が異常な強さを持つと認識し、彼も『コレ』を使う事は相応の正当防衛だと捉えた。

 

 

 

 ポケットから取り出したのは、『クロコダイルクラックフルボトル』。ドライバーに差し込み、ローグに変身する成分を流す、要のアイテム。

 

 だがフルボトルの特性として、もっと言えば変身出来ない特殊な状況下で生存する為の、『もう一つの使用方法』がある。

 

 

 

「……それはなんだ? 酒か?」

 

「奥の手だ」

 

 

 フルボトルを勢い良く振る。シャカシャカと、内部にある成分が炭酸を噴き出すような音を立てた。

 三回振った後、意を決して男へ殴りかかる。

 

 

「あんたを殺すつもりはないぞ。無駄な覚悟とは思うが」

 

 

 邪魔者は邪魔者だ。次の一撃で眠って貰おうと、馬鹿正直に突入する彼目掛け、下から拳を飛ばす。

 

 

「『抜く』つもりはない。ただ、一ヶ月入院願おう」

 

 

 拳は幻徳の腹部へ。

 回避する素ぶりはない。

 

 

(……さっきまでの慎重がない?)

 

 

 男の出方を伺っているばかりだった幻徳が、突然の特攻。違和感は拭えないが、拳は彼の腹へ何の障害もなく、ぶち当たる。

 

 

 

 

 逆に驚く羽目になった。

 拳が入らない。まるで腹部に鎧でも入れているかのように。

 

 

「……なに?」

 

「やっと『虚』を見せたか」

 

 

 動揺。

 男が見せた隙を突き、幻徳はボトルを握った右手で容赦無しに顔面を殴る。

 

 

「ッ!」

 

 

 幻徳の拳が頰に当たった瞬間、紫色の煙がフワッと漂う。

 それよりも驚くべきは威力。身体がパンチの衝撃の方向に従い、浮かび上がった。

 

 

 

 今度は彼が吹き飛ぶ番だ。

 少し宙を舞い、横へ飛ぶ。だが意識は手放しておらず、受け身を取り視線を離さない。

 

 

 

「……一ヶ月入院するのは、どっちか」

 

 

 幻徳はボトルを構えながら、挑発した。

 

 

 

 

 

 

 

 フルボトルの中には、生物や機械のエレメントが濃縮されている。ライダーシステムはその濃縮されたエレメントの特性を利用し、戦闘技術にまで昇華した兵器だ。

 しかし、ライダーシステムにとって無くてはならないフルボトルが、単体では無用の長物と言う訳ではない。ボトルを振る時、内部の成分が活性化し、エレメントが滲み出る。

 

 その滲み出たエレメントにも効果はある。特性に則った効果が、所持者の身体に短時間だけ現れる。

 

 

 

 彼の持つボトルのエレメントは『クロコダイル』。

 銃弾さえ通さない強靭な皮膚と、恐竜に近いとまで言われる噛み付く力の攻撃力。

 エレメントが鎧となり、そして力となった。

 

 

 

 

 

 

 

「……今のは、なんだ……?」

 

 

 男はスッと立ち上がる。

 さっきの一撃は、身体に大きなダメージを与えたハズだ。痛みを無視出来るとしても、不気味なほど表情と声が涼しげだ。

 

 

「良く立っていられるな……」

 

「今のはなんだと聞いている」

 

「説明した所で分からないし、信じやしない。所でお前、もしかしてだが……」

 

 

 

 幻徳が次の言葉を言おうとした。

 

 

 

 

 その考えも言葉も、空気を裂くような銃声に掻き消されるが。

 

 

 

「……ッ!!」

 

 

 左頬に鈍痛。

 手を当たれば、擦り傷。血がたらりと、落ちる。

 

 

「……………」

 

 

 正面にいる男も同様に、左頬から血を流していた。

 刹那、何が起きたのか理解が出来なかった。幻徳の左斜め後ろより銃弾が発射され、耳朶の下を縫って頰を通過。更にそれは、真っ直ぐとフードの男の左頰をも掠め、甲高い音を立てて壁の金属部に着弾する。

 

 

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 男は既に、無表情で幻徳の背後を見ていた。

 彼もまた、ゆっくりと振り返る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………なにしてるの?」

 

 

 

 

 良く聞かなければ流してしまいそうな、小さな声。それでも、一気に静寂に満ちたこの場所では、何よりも通る声に思えた。

 乱れた髪、赤いシャツと黒いコート、それよりも目立つのは、片手で構えたスナイパーライフル。そして二人もろとも射抜くような、冷酷な眼光。

 

 

 

 

「ボス……」

 

 

 傷を拭いながら、男は狙撃手をそう呼んだ。

 その人物は彼の仲間であり、幻徳にとっては挟み込みの形になった。

 

 

 

 

「………………アンタ誰?」

 

「『男』がもう一人……!?」

 

 

 銃弾、もう一度。

 

 今度は右頬を掠めた。

 

 

 

 

 

 

 

「…………『男じゃないわ』」

 

 

 吸い込まれそうな瞳で、どんよりと睨む。

 幻徳は今、危険な状況に立っている。今、『蜘蛛』の巣の上に立っている。




555のクロスを書きたい。
活動報告にて。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

あの日のレイニーブルー/Performer arts

「…………タラタラしている内に、やっといた」

 

 

 彼女はポツリと呟くと、銃口を上し、手慣れた様子でもう片方の肩にかけていたケースに仕舞い込む。

 フードの男はその意味を理解し、血が滴る左頬を拭いつつ彼女の方へ向かう。

 

 

 

 

「……お前かぁ……女を撃ったのは……!」

 

 

 必然的に男は幻徳の横を抜ける。

 

 

 クロコダイルクラックフルボトルを振り、幻徳は彼へ足払いをかける。予備動作がなく、避けようのない一手。

 

 

「……ふんッ」

 

 

 すぐ側を通ると言うのに、無警戒な訳がない。

 男は片足を上げ足払いを難無く反応し、回避。超人的な反射神経と戦闘センス。

 

 

「ウガァァッ!!」

 

 

 だが、幻徳の攻撃は終わらない。

 強力な足払いで身体を旋回させ、軸足を入れ替え飛び回し蹴り。

 これさえも男は腕一つで凌ぐが、彼は幻徳の持つ謎の力を恐れていた。

 

 

 

 案の定だ。幻徳の足からまた、紫のオーラが発生し、強烈な一撃によりノックバックさせる。

 

 

「……!……馬鹿な……!!」

 

 

 彼は一瞬、見た。視認した。

 オーラがまるで、ワニの口のように開き、噛み付いて来たのを。

 

 フードの男から距離を離させた幻徳は、追撃をしない。

 彼の標的は彼ではなく、後ろのスナイパーだったからだ。

 

 

 

 

「俺は嫌いなんだッ!!」

 

 

 フルボトルを握る腕を振り上げ、スナイパーに迫る。

 その間の彼の叫びは、嘆きのようでもあった。

 

 

 

 

「命をッ!! 悪戯に屠る奴がッ!!」

 

 

 男は彼女を助けようと、幻徳を追う。

 

 

 当の本人は、興味なさそうな冷めた目。

 

 

 

 

 

「『悪戯』でやってるんじゃない」

 

 

 

 銃声。弾は、幻徳の振り上げた拳にある、フルボトルへ的確に直撃する。

 

 宙を舞う、薬莢とボトル。

 まるで西部劇のガンマンの早撃ちのように、ケースからの取り出し、発砲。神速世界の域だった。

 

 

 

 

 

 

「『ビジネス』よ」

 

 

 エレメントの効果が消失し、隙を見せた幻徳の顔面へと、銃口と銃床を持ち替えた上でぶん殴る。

 5キログラムの、一撃。

 

 

 

 

「ぐぉ……ッ!!」

 

 

 視界がチカチカ、明滅。

 

 バランスを取ろうとするも、それは思考内での話に過ぎない。

 

 身体は命令を無視し、重力に屈服。

 

 もはや痛みを感じる暇もない。あるのは、切った口が舌を濡らした事による、苦い鉄味。

 

 

 

「ぁ…………ッ」

 

 

 冷たく硬いコンクリートの地面へと、無様で憐れな姿を晒し、倒れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドタァ……

 

 

 

『あの日のレイニーブルー/Performer arts』

 

 

 

ァン…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……やり過ぎじゃないのか、ボス」

 

「…………銃創ないだけマシ」

 

「………………」

 

「……それより誰? コレ」

 

「俺にも分からない……妙な力を持っている」

 

 

 スナイパーは、瞬時に吹っ飛ばした物の近くへ行く。

 攻撃する前に何か振っていたのを見て、何かは分からないが狙い撃った。それが無ければ、足を撃つつもりだ。

 

 

 転がっていたのは、濃い紫の小さな物体。ワニが下から口を開けて喰らい付いているかのような意匠。

 何処と無く、ワインボトルに見えなくもない。

 

 

「………………」

 

 

 しゃがみ込み、拾い上げる。

 ツルリとした触感で、内部が異様に暖かい。

 幻徳を真似して振ってみる。低血圧気味の身体に、何故か力が漲る。

 

 

 

 

「……『桃』」

 

「ん? なんだ?」

 

 

 男をチョイチョイと手招きし、近くまで呼ぶ。

 何か見つけたのかと訝しげな顔でやって来た、無警戒の彼の腹目掛け、いきなりのパンチ。

 

 

 

 紫のオーラが発生、細い腕から放たれるにしては異常な、鳩尾まで響く重厚な一撃。

 

 

「ゴフォッ!?」

 

 

 鋼の身体を持つ男が、両膝を突く。

 

 

「……これが秘密ね」

 

「か、ガハッ……! あ、あんた、いきなりは……ッ!!」

 

「仕事ほっぽって遊んでいた罰よ。無駄な事はしないで」

 

 

 ボトルの効果を確信した彼女は、何を思ったのかそれをポケットに忍ばせた。

 不思議な代物だ、そして危険な物。純粋な好奇から、ボトルを手にした。

 

 

「………………」

 

 

 そのまま彼女は倉庫を出て行こうとする。

 悶えていた『桃』と呼ばれる男も、何とか立て直して追い付く。

 空はいつの間にか、不吉な曇天になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 予感を的中させる銃声。

 

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 振り返ると、口元に酷い痣を作った幻徳が、拳銃を天井へ発砲していた。

 ライフルの銃床による一撃だ、歯は折れ、脳震盪で気絶していても良いハズ。

 

 

 

 

 

 僅かに残った、クロコダイルのエレメントのお陰だ。意識喪失の危機を、クロコダイルの硬度でギリギリ回避。

 そして黒湖から待たされた拳銃を使った。柳岡会に入ってからも一度も使用していなかった銃を。

 

 

 

 

「…………ボトルを返してもらおうか」

 

 

 殺意のこもった、低く濁った鴉のような声。

 二人は全く動揺する素振りを見せず、スナイパーに至っては冷めた目のまま。

 

 

「……良く立っていられる……コレのお陰……?」

 

 

 銃口を、彼女へ向ける。

 

 

「黙れ。俺のボトルだ、返せ」

 

 

 幻徳の様子を、瞬時に判断する。

 引き金には指はかかっていない上、銃口上の標準に効き目を合わせている。銃の扱いは心得ているようだ。

 

 

 次に目を見た。その目を通して、彼の真意を覗こうとするかのように。

 

 

 

 

 

 

「…………コソ泥は私の主義じゃない」

 

 

 ポケットに入れたフルボトルを、彼の足元へ投げた。

 それでも彼は拾おうとはしない。決して、油断ならない二人へ一刻も目を離さない。

 

 

「………………」

 

「……フンッ」

 

 

 二人は背中を見せて出て行く。曇天、鈍色の空になる町へと消えて行くかのように。雨が降る前に屋根を探して行くかのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幻徳は背後から撃たなかった。

 拳銃を握る手は、二人が消えた瞬間に震え出し、手から落ちた。

 脳裏には、忌まわしい記憶が蘇っている。

 

 

 

 

 自分の秘書を全ての元凶に仕立て上げ、不意を突き引き金を引いた。

 非情なあの感触が、指に残って仕方がない。

 

 

「……内海……」

 

 

 それから自分は、あの『男』の全てを変えてしまった。数え切れない幻徳の罪の一つ。

 

 

 

 

 

「…………俺は……」

 

 

 

 雨が降る。

 倉庫の搬入口より、激しい雨音が響く。景色が霞み、地面が濡れる。

 濡れた地面はコンクリートの為、水を吸う訳がない。タラッと水溜りを作り、外れた線が倉庫の中へ入って行く。

 

 

 死んだ者らの血に合流し、無色の雨は真紅を帯びた。

 どんどんと線は中に入り、血を流そうとするかのように。

 

 

 

「……俺は………………」

 

 

 死体と拳銃を置き去りに、幻徳は雨の中へ敢えて入って行く。

 

 

 倉庫の外れで、もう一人倒れている人間を見つけた。逃したハズの俊秀だ、あのスナイパーにやられたようだ。

 

 

 髪はしとどに濡れ、スーツの裾から染み込み切れない水が吐き出される。髪は重く、身体も重く、引き摺るように彼は歩き出した。

 

 

 

 

「……ボトルを失うのが怖かった」

 

 

 水溜りを踏み抜く。

 

 

「銃を握るのが怖かった」

 

 

 水溜りを踏み抜く。

 

 

 

 

「…………俺は、何をしているんだ……! 変身しなければ、何も出来やしないのか……!!」

 

 

 見ろ、後ろの惨事を。死体の山を。ドライバーが無ければ何も出来ないではないか。

 だが彼は振り向けない。恐れていたからだ、罪に向き合う事を無意識の内に。

 

 

「…………………………」

 

 

 クロコダイルクラックフルボトル。

 彼はそれだけは、手に入れていた。

 それにだけは、執着を抱いていた。

 

 

 真横にある海に捨ててやろうかと。

 ふと思った考えさえも実行できない。

 

 これを手放せば、自分は何も出来ない。だからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃ。黒湖の所までよろしく、ゲンさん!」

 

「了解」

 

 

 一夜明け、幻徳の今日の仕事は千代の護衛役兼、運転手。

 濡れたスーツは乾かなかった為、先輩から借りた。少しタバコ臭いが、着れるだけマシだ。

 

 今日も雨が降る。ここ一週間は天気が不安定になるらしい。

 小雨だが、走る車の窓は余計に濡れる。ワイパーを低速で動かしながら、黒湖の家まで走らせる。

 

 

「……紅守の奴は仕事じゃないのか?」

 

「衛星電話待たせたのに全然連絡しないし……ずっと帰って来ないし……」

 

「だから仕事じゃあ、ないのか?」

 

 

 千代は少し考え込む素ぶりを見せた後、何かを決めたようで彼に話し出した。

 

 

「大学の友達の、妹さんを連れ戻しに行ったのよ」

 

「……なに? 誘拐か?」

 

「誘拐じゃないけど……宗教にハマって帰らなくなったそうなの」

 

「おい、それはマズくないか。あいつ一人じゃ無理だろ」

 

 

 無理ではなさそうとも思うが、少し対抗心を立たせた。

 

 

「……実際、もう五日経ってんのよ」

 

「宗教団体系は何かと面倒だからな。俺が行こうか?」

 

「ゲンさんには手を煩わせないわ。それに……色々頑張っているみたいだし」

 

 

 

 

 千代は後部座席から、バックミラーを見る。

 そこに写る彼の顔。頰に、大きなガーゼが当てられていた。反対の頰にも、何かで斬られたのか、絆創膏。

 聞いた話によれば、単身で麻薬売人のアジトに殴り込み、情報を得て帰って来たらしい。

 

 幻徳がこんなに強かった事も驚きだが、そのポテンシャルとバイタリティの高さも賞賛に値する。柳岡会に入ってから、ずっと動いていると聞くし、会長息女の自分も鼻が高い。

 

 

 それだけに、自分の勝手なお願いを聞かせる訳にはいかない。

 

 

「噂、聞いているわよ? なんか凄い頑張っているみたいじゃない!」

 

 

 幻徳の表情は、渋面のまま。

 

 

「……まぁな。仕事をする以上、真剣にやるのが俺だ」

 

「へぇ! ゲンさんって、ハードボイルドね!」

 

 

 ハードでは済まない人生を送っている最中だがと、内心自嘲した。

 

 

「……まぁ、黒湖ならやってくれるわよ。遅れているのは……なんかその宗教団体、女性が多いそうだし」

 

「ん? 女性が多くて、何か問題があったのか?」

 

「あー……まぁ、女の癖に女に弱いのよ、あいつ」

 

 

 変な言い方だなとは思いながら、気に留めない。

 

 

「まぁ、何かあれば言ってくれ。いつでも力になる」

 

「………………」

 

 

 心強く、頼りになる。

 しかしそんな自分の感情とは別に、彼の横顔から伺える切ない印象が心残り。

 

 生き急いでいるような、懺悔のような。悲しんでいるような、呆れているような。

 

 

 彼は優しい。優しいあまり、背負い過ぎているのではないか。

 誰のせいにも出来ず、考え過ぎて、生き辛くなっているのではないか。

 

 彼の過去は分からない。尤も、柳岡会の人間は他者に言えない経歴の者ばかりだ。

 しかし幻徳には、『生者』として一線を引いた、深くどんよりとした物があるように感じる。

 

 

 ちょうど、この空のようだ。厚い雲は、空を見せない。

 

 

 

 

 

「……着いたぞ」

 

「ねぇ、ゲンさん」

 

 

 幻徳の座席に凭れ、笑顔の千代。

 

 

「……なにかあったら言ってね」

 

 

 それだけ告げると車を出て行き、黒湖のマンションへ走る。

 

 残った幻徳は顔を触った。もしや、表情に出ていたかと。

 

 

「……………………」

 

 

 

 

 そう言えば、黒湖はいないそうだ。

 今なら彼女の部屋に侵入し、ドライバーを取り返せるのではないか。

 脳によぎったが、彼は行わない。

 

 自分は、エントランスの承認キーが分からないからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日は病院にいた。約束通り、凛子のお見舞いだ。

 

 

「ほら、フルーツだ。リンゴジュースが好きだったろ? 林檎と梨、葡萄だ」

 

 

 スーパーのビニール袋からフルーツを取り出し、一緒に買って来た百均の皿に乗せる。

 ユリア経由で手に入れた、宿直室のナイフで、カッティング。

 不器用なのか、皮付きのザク切り。フォークはないので、爪楊枝で食べる。

 

 

「……あの花、飾っていたんだな」

 

 

 前に幻徳が持って来た、シネラリア。マロウピンクを保ったまま、綺麗に花が揃っていた。

 

 

「……流石に捨てられないから」

 

「水もやれたのか」

 

「もう歩けるよ。ある程度動いた方が、身体が鈍らなくて良いって」

 

「そう言えば明日で退院だったな」

 

 

 凛子の怪我は順調に回復。退院の御達しが来た。

 

 

「約束通り、ファミレスだな。ひな子らと一緒にどうだ? 職場で認められてな、財布に余裕が出来たんだ」

 

 

 

 

 そのせいか知らないが、彼の服装もバージョンアップしていた。

 

 

 赤と白のボーダー色パーカーで、インナーも赤。穿いているチノパンも赤で、スニーカーまで赤い。

 チノパンの裾は膝下までたくし上げ、パーカーと同色の長靴下が見せ付けられていた。

 

 分かっていた事だが、インナーには白文字で『漢の中の漢』。

 この格好で来られた時は頭が真っ白になった凛子。雨で薄暗い中、目立っただろうなとも。

 

 

 

 ただ、やはり優しい幻徳だ。

 

 

「ほら。食べろ食べろ。林檎は皮ごと食べるのが良いって聞いた」

 

「ありがと、氷室さん」

 

 

 いつも通りの彼だ。

 

 

「……葡萄、皮ごと食べるのか……!?」

 

「葡萄の皮には老化を抑える成分があるらしいって聞いた」

 

「…………知らなかった」

 

 

 いつも通り。

 

 

「氷室さんだけ梨食べてる……」

 

「ん?……あっ」

 

「……梨、好きなんだ。私、葡萄食べるから」

 

「すまない本当にすまない是非食べてくれ梨を」

 

 

 

 

 しかし、時折切ない顔を見せる。空のように曇った顔。

 

 

「……氷室さん」

 

 

 意を決して、凛子は切り出した。

 

 

「……二日前の、続きが聞きたいな」

 

 

 二度目の訪問の時に言った言葉。

 

「俺はヒーローなんかじゃない。俺と君は似ている」

 

 その意味を、続きを知りたい。

 厚い雲に隠れた彼の素顔を見てみたい。

 切ない顔の正体はそれじゃないのかな。

 

 

 

 凛子も驚きだった。

 いつの間にか自分は、『氷室幻徳という男』を知りたがっている。

 

 

「………………」

 

「………………」

 

「……約束だったからな」

 

 

 濁した自分の言葉。二日前に自分の口から放った物なのに、まるで他人の言葉のように思えた。

 あの時の自分は、その他人の代弁者だっただけだと。

 しかし、それはない。過去も今も、紛れもなく自分だった。逃げる事は出来ないだろう。

 

 

「……君は賢い。気付いているだろうが」

 

 

 口を開き、止まる。そして閉じ、顔を落とす。また上がると、また口を開いた。

 

 

 

 

「…………俺は人を殺めた。何人もだ。今は後悔と償いの日々だ……いや。償いは、止められているか」

 

 

 凛子に向けているようで、独白のようだ。

 

 

「…………父親も亡くした」

 

「……ッ!」

 

「…………まぁ。実際殺したような物だ」

 

 

 あの光景は忘れない。血を吐き、崩れる父親の姿を。

 

 

「……俺が逆らっていれば、親父の元に帰っていれば……親父は死なずに済んだかもしれない」

 

 

 手を組み、項垂れる。

 涙を見せない……いや、涙さえも枯れている。恥からなのかもしれない。

 

 

 

 

「……とんだ無能だ。最初も最後も」

 

 

 

 暫く、沈黙が続いた。幻徳も、凛子も、互いの顔が分からない。

 奇妙な時間だ。

 病室のように、真っ白な時間。

 雨空のように、どんよりした時間。

 

 

 

 

 だが、それを綺麗なマロウピンクが染め上げた。凛子の声だ。

 

 

 

「お父さんや、お母さんが大切だってこと」

 

 

 優しい声。

 

 

「私は……出来なかったけど」

 

 

 その顔には、笑み。

 

 

「…………分かるよ。お父さんを守りたかったんだよね」

 

 

 

 

 

 

 邪悪な笑みだった。

 

 

「…………私たち、そっくりだね」

 

 

 見つけたようだ。

 新たなる『矛先』。

 新たなる『父親の像』。

 新たなる『拠り所』。

 

 

 

「お父さんの事、氷室さんは悪くないよ……だから」

 

 

 

 跳ねそうになる声を抑え、愉悦と幸福感を抑え、続ける。

 

 

 

「『お父さん』の『意志』を、『継がなきゃ駄目だよ』」

 

 

 

 この人は絶対に離れない、『最高』だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……親父の意志……か」

 

 

 幻徳は顔をやっと上げた。

 凛子は笑みを浮かべていた。優しげで、少し困り顔の微笑み。

 

 

「……親父は皆の為に戦っていた」

 

 

 心に少し、光が射す。

 

 

「そうだな。戦い続けなければ……俺の役目は終わっちゃいない」

 

 

 幻徳もまた微笑みを見せる。

 心から笑っているんだと、分かるような清々しい笑みだ。

 

 

「……消えない罪だとしても、背負って戦うんだ。償う為に……親父に近付く為にな」

 

 

 パッと、表情が変わる。

 

 

「君は親父のようにはなるなよ!」

 

「う、うん。私も、償って行く……色々あったけど、お父さん、私の事を大事にしていたから。私がした事を、お父さんのせいにしちゃ駄目だもんね」

 

「あぁ。その意気だ……お互いな」

 

 

 励ますように凛子の背中を優しく叩く。

 そしてそのまま彼は、ゆっくり立ち上がった。

 

 

「明日、十時に迎えに来る。夕方には出なきゃならないが、それまでは楽しもう」

 

 

 皿や葡萄の茎、林檎や梨の芯や切れカスをビニール袋に纏め、背を向け歩き出す。

 

 

「じゃあ、また明日」

 

「うん! またね、氷室さん!」

 

 

 

 

 幻徳は突然、上着の背を下ろした。

 

 

 

 

『為せば成る』

 

 

 困惑していた今までだったが、凛子には笑えていた。

 

 

「それじゃあな。凛子」

 

 

 病室を出る時、彼はずっと思っていた。

 

 変身出来なくても、過去がのしかかろうとも、今の自分は過去とは違う。

 違うからこそ、償いは出来る。もう戻らない、戻る必要がないんだと。

 

 

 幻徳は進むだけだ。平和な世界を……父親が望んだ世界を創る為。

 

 

「……『エボルト』。そして『紅守黒湖』……貴様らは俺が倒す……『大義』の為に」

 

 

 その為に引き金を引く覚悟は出来た。

 無力とも思える自分の拳も、いつかは礎となるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幻徳が出て行った後、病室の中。

 凛子はニタッと笑う。

 

 

 

「……バイバイ、『お父さん』」

 

 

 週末は雨続きだそうだ。




 別作品たる仮面ライダークロス作品、『555EDITIØN「 PARADISE・BLOOD 」 』もお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ファミレスへ行こう/Surprise drive

 ぽつっ。

 ぽつっ、ぽつっ、ぽつぽつっ。

 

 ぽつっ、ポツっ、ポツッ、ポツポツポツポツポツ

 

 ザァァァァァァァ。

 

 

 ザァァァァァァァ。

 

 

 ザァァァァァァァ。

 

 

 

 

「……さぁ。行くかな」

 

 

『ファミレスへ行こう/Surprise drive』

 

 

 バタンッ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 十時きっかし、今日は金曜日。

 幻徳は言われた時間に病院へ赴き、凛子を迎えに行った。

 病室には院内服から私服に着替えた彼女の姿。

 

 遊園地で見た、胸に虹色の蝶が描かれた服。背中には兎のぬいぐるみ。

 

 

 退院をお祝いする看護婦たちの中心で困惑気味だったが、幻徳に気が付くと笑いかけ手を振った。

 

 片手に、シネラリア。

 

 

 

「昨日ぶりだな。腹は空いているか?」

 

「……うん!」

 

「よし行こう。約束のファミレスだ」

 

 

 二人は一緒に、出口へと向かう。

 

 

 

 

 その途中、藤浪ユリアがやって来た。相変わらず酒で顔は赤く、咥えタバコをしている。

 ただいつもの白衣姿ではなく、手術をする時のスクラブに身を包んでいた。

 意外な事に監察医らしいが、仕事の後なのだろうか。

 

 

「退院おめでとー。元気そうじゃない?」

 

「おい、院内だぞ……タバコはやめないか」

 

「火ぃ着けてないからいいじゃない。口が寂しいのよ。あんたかてスーツで、葬式かっての」

 

 

 夕方から仕事……チェザーレを流す売人を締めに行く。だから仕事着だ。

 

 

「全身打撲と聞いた時はさぁ、何日かなって思っていたけど、案外早かったわね。若いってのは良いわ」

 

「凛子、こいつは無視しろ。全身不謹慎女だ」

 

「ケッ。公務員崩れの不甲斐性男がなに言ってんだか」

 

「ちゃんと一人暮らししている」

 

「いやそうじゃなくて」

 

 

 顔を合わせる度に言い合いをしている印象だなと、凛子はクスッと笑う。

 ユリアは彼女のその顔を見て、驚いたような顔を見せた。

 

 

「あ、笑った顔は初めてね。いっつも陰鬱そうに窓の外眺めていたからさ」

 

「本当は良く笑う子だ」

 

「……ほぉ。懐かれてんのね。絶対あんた、子供には好かれないと思っていたのに」

 

「それはこっちの台詞だよ」

 

 

 長話はしなかった。手をピョコッと振り、ユリアは二人の横を抜けて行く。

 

 

「んじゃ。どっか行くんでしょ? 早く行けば」

 

「酒は控えろよ、タバコもだ」

 

「はー、ツマンナイ男なこと、このヒゲ」

 

 

 彼女の憎まれ口を抜け、病院を出る。凛子としては一週間ぶりの外。

 生憎の天気だが、それを晴らす光景があった。

 

 

 

 

「りんごちゃーん!」

 

 

 病院前に停められていた車から、ひな子が手を振る。

 良く見れば八葉、浮菜もおり、テケリリランドの時のメンバーが揃った事になる。

 

 

「あ……みんな」

 

「俺が呼んだんだ。賑やかな方が良いだろ?」

 

 

 幻徳に導かれ、凛子は後部座席に乗る。八葉、浮菜、凛子の順で座り、少し窮屈だ。

 

 

「久しぶり、凛子ちゃん! お見舞いに行けなくてごめんね?」

 

「ゴーカートに乗って事故ったって聞いたけど、大丈夫?」

 

 

 八葉と浮菜の二人が労いの言葉をかける。黒湖は凛子がゴーカートで怪我したと言う事にしたらしく、彼女もその理由に従う事にした。

 

 

「うん。初めてでしたから、はしゃいじゃって……」

 

「そう言えば水沢、あの時は放ったらかして悪かったな。凛子の保護者をしていたもんでな」

 

「あぁ……大丈夫ですよ。アイスは食べられましたし」

 

 

 幻徳が運転席に座る。助手席にはひな子だ。

 彼が謝罪しているのは、アイスを買うと言ってそのままいなくなった事についてだ。

 本当はその隣の子どもと、文字通りの死闘を繰り広げていたが。

 

 

 

「ねぇ、おじさん! レンタカーよりくーちゃんの車借りればいいじゃん!」

 

「スポーツカーに五人も乗せられるか。それよりおじさんはやめろ、まだ三十五だ」

 

「流石にあの車は……庶民の私らにゃ恐れ多いぜ」

 

「でも定員オーバーな事には変わらないし……あ、警察きたら隠れなきゃ」

 

 

 

 ワイワイ騒ぐ、一行。

 彼女らに反し、凛子はぼんやりと窓を見つめていた。

 

 

 

 

 雨の水滴がつぅっと流れて、止まっていた小さな水滴に合流する。

 水滴の質量は更に大きくなり、スピードが上がる。

 そのままどんどんと他の水滴を巻き込み、また重くなり、速くなる。

 

 最後は窓枠に衝突し、消えてしまった。

 

 

 

 

 

 人間は複雑な生き物だ。同時に、単純な動物でもある。

 窓の水滴のようだ。遅鈍とした物が、何かの拍子に加速する。

 一旦加速すると止まらなくなり、底へ底へと落ちて行く。

 

 

 欲望なのか、それこそが人間性なのかは分からない。

 ただ人間は、落ちる時はどこまでも堕ちて行ける可能性を秘めている。

 私のようだ、父親のようだ、そして幻徳のようだ。

 

 

 だから凛子は期待する。幻徳が、『堕ちて行く』事に。

 

 

「だって、似てるんだもん」

 

 

 

 

 

 

 彼女の呟きは、一行の騒ぎに掻き消される。

 

 

 窓の景色が動き出した。

 

 

「出発だ」

 

「発車ぁー!」

 

 

 彼の運転する車が進む。

 病院は遠くなって行き、霞む前に角を曲がって見えなくなった。

 

 

 

 

 

 

 市内の一般的なファミリーレストラン。

 金曜日の午前なのに、学生のひな子らが何故いるのか。理由は単純で、祝日だからだ。

 

 時間も早いので待ち時間もなく座れたが、店内は若い人でいっぱい。

 

 

「僭越ながら、乾杯の音頭を取らせていただく。浅葱凛子の退院を祝し、乾杯」

 

「カンパーイ!」

 

「乾杯っ!」

 

「あ。か、乾杯!」

 

 

 ドリンクバーで淹れて来たジュースを掲げ、各々が凛子のコップに当てて行く。

 気恥ずかしそうにしながらも、彼女は全員のそれを受けた。

 

 

「いやぁ! 休校日の午前に飲むコーラは美味い!」

 

「碧さん、おっさん臭すぎない?」

 

「さぁ、何でも頼め。今日は俺の奢りだ」

 

「リブステ! エビグラ! ハンバーグ!」

 

「それは頼み過ぎだと思います……」

 

 

 注文を済まし、料理が来るまでの小休止。八葉が話題を振った。

 

 

「あの時はウッキーナと必死に園内探したなぁ」

 

「観覧車の前に張ったり、並んでいる人たち一人一人見て行ったり……翌日、筋肉痛が酷かったよ……」

 

「あの時は本当にすみません……」

 

「いなくなった事は駄目だけど、こうやって一緒になれたんだし、気にすんなって!」

 

 

 幻徳はカルピスを飲み、話題に乗っかる。

 

 

「碧と水沢は探してくれていたが、ひな子もか?」

 

「ひな子は一人で回ったよ!」

 

 

 そう言えば凛子を追っていた最中に見たなと、想起する。

 

 

「モトクロスショー見た! 乗りたかった!」

 

「いないと思ったら楽しんでいたんかい!」

 

「遊園地はね、楽しんでナンボだよ! くーちゃんも言ってた!」

 

「へ、へぇ……く、黒湖さんが」

 

 

 何故か黒湖の名前が出ると、表情がギクシャクとする浮菜。誰も気にもとめなかったが。

 

 

「じゃあじゃあ! またみんなでテケラン行こう! 絶対!」

 

「それは良いな。凛子のリベンジって事でな」

 

「賛成だけどひな子……まぁ、そろそろテストだし……次は冬かなぁ」

 

 

 幻徳がカルピスを飲み干した。

 

 

「淹れて来る」

 

「あっ、氷室さん一緒に行きまーす」

 

「淹れて来てやろうか?」

 

「あー大丈夫大丈夫です! 行きましょ行きましょ!」

 

 

 コーラを飲み干した八葉が立ち上がる。

 二人は一緒にドリンクバーへ向かう。

 

 

 

 

 ドリンク機にコップをセットし、カルピスのボタンを押し続ける。

 ノズルから、一直線にお茶が注がれた。

 

 

「碧、コーラは隣のノズルだ。淹れられるぞ」

 

「ねぇ、氷室さん」

 

 

 彼女に呼ばれ、チラッと見る。ボタンから指が離れ、目線は外されなくなった。

 

 八葉はスマートフォンを突き付ける。ネットニュースのスクリーンショット画像。

 

 

 

『テケリリランド、ジェットコースター破壊。犯人は紫のヒーローか』

 

『ヒーローは幻想か? テロの可能性も』

 

『紫の男、園内で発砲。死傷者はゼロ』

 

『強盗を殴り、窓を割る。ヒーローの逸話に潜む暴力性、犯行は妥当か』

 

 

 

 指のスライドに合わせ、次々と画像が変わる。遊園地の事件の、物だ。

 八葉は幻徳の正体を知っている、彼もいつ質問が来るのか待ち構えていたはいたが、

 

 

「………………」

 

 

 説明に困るものは困る。

 

 

「……まぁ、私は氷室さんがこんな事しないとは知っていますよ」

 

「……どうかな。俺はヒーローじゃない」

 

「…………氷室さんはヒーローですよ。少なくとも、私たちの」

 

 

 またスライドする。今度は、コメント欄だ。

 

 

 

『レストラン強盗を目の当たりにした者です。彼がこんな事をするとは思えません』

 

『彼は間違いなくヒーローだ! 訂正しろ!』

 

『人を撃とうとした奴らを殴って成敗してんのに、なに言ってんだ?』

 

『この犯人ニセモノだろ』

 

 

 

 擁護するコメントばかりだ。一部を抜粋しているが、どれも共感を得られているコメントだとは「いいね」の数で分かる。

 

 

「正直に言うが、ジェットコースターの件も発砲の件も俺だ。弁明も反駁もしない」

 

「……理由は聞きませんし、何か正当な理由があったとも信じていますから」

 

「碧、お前はどうして……」

 

 

 スマートフォンの液晶が黒くなり、ポケットに仕舞われる。

 露わになった彼女は微笑んでいた。

 

 

 

 

「だって途方に暮れていたのに、落とした財布をわざわざ届けた人が悪い人な訳ないじゃないですか」

 

 

 同然で、単純な理由だった。同時に目から鱗で、鳩が豆鉄砲を食らったかのような。

 彼女は純粋に、幻徳の人間性を事実から評価していた。

 

 

 

「……それを言うだけに、一緒に淹れに来たのか?」

 

「氷室さんが不信になっていないか気になりまして。なんと言うか、氷室さんは難しく考えてしまう人っぽいですし」

 

 

 失礼だなとは思ったが、的外れでもない。中学生とは思えないほど、人の事を良く見ている。

 

 

「だから、味方はいるんだって、知って欲しくて」

 

 

 とても心強く、気恥ずかしく、安心出来る。一人で戦って来た自分にとって、何と強大な言葉だろうか。

 胸が熱くなるような感覚が喉にまで表れ、幻徳は淹れたばかりのカルピスを飲んだ。

 カルピスかと思えば、お茶だった。幻徳は思わず失笑する。

 

 

「……思えば、俺は一人の男を信じ、託したんだったな」

 

「……え? 氷室さんがですか?」

 

「……純粋な正義を持った男……馬鹿らしいと思っていた『ラブ・アンド・ピース』を掲げ続けた男」

 

 

 

 

 

 彼は言っていた。

 

『ラブ・アンド・ピースが、この現実でどれだけ脆く弱い言葉かなんて分かっている』

 

 

 彼は夢想家だった。

 

『愛と平和は、俺が齎すモノじゃない』

 

 

 そして輝いていた。

 

『一人一人がその想いを胸に生きて行ける世界を創る』

 

 

 だからこそ、託せたのかもしれない。

 

 

『その為に、俺は戦うッ!!』

 

 

 

 

 

「素敵な人じゃないですか。どう言う人でした?」

 

「あぁ……戦車でやって来た」

 

「…………へ?」

 

 

 困惑する八葉の前で、懐かしむようにお茶をまた飲んだ。

 通りかかる店員から声がかかる。

 

 

「すみません、バーの前で飲むのは……」

 

「あっ、すみません。すぐ戻ります……」

 

 

 注意されすぐ謝罪する幻徳。

 やっぱりこの人は、悪い人ではないと、安心した八葉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 それからは皆で楽しみながら、食事をする。

 遊園地では成し遂げられなかったアイスを浮菜に奢ってもやれた。

 

 

「そう言えば氷室さん、切符の買い方は理解出来ました?」

 

「え? なんの話?」

 

「やめろ水沢ぁ! 何でもない、何でもないぞぉ〜?」

 

「おじさん変なの〜」

 

 

 

 

 レストランの後は、幻徳行きつけだと言う服屋。

 お見舞いの時の約束通り、Tシャツを買いに来たが、それだと侘しい為に凛子をコーディネートする事になった。

 

 

「黙っていたが、実は俺はファッションにうるさくてな。俺に任せろ凛こっ」

 

「あ……えと、八葉さんお願いします!」

 

「八葉ちゃんオシャレだもんね!」

 

「いつ見ても碧さんのセンスは凄いと思うな」

 

「おっ。黙っていたけど、やっぱ分かっちゃうかぁ〜!」

 

「待て、待て……おい、何故だ」

 

 

 

 

 次に本屋。これは凛子自身の要望だ。

 

 

「海の生物に興味ありまして、図鑑を」

 

「ほほぉ……わたしのちしきを借りたいと申すか……!」

 

「ひな子が水棲生物好きとは意外だな……あっ、ウッキーナなに買うの?」

 

「ちょっと、情報処理系の本を……氷室さん、なに探しているんですか?」

 

「転職求人誌」

 

「やめましょうよ」

 

 

 

 

 最後はクレープを買い、それを食べながら車を走らせ、黒湖の家の前に到着。

 時刻は午後五時。幻徳にとっても子どもにとっても、帰りの時間だ。

 

 

「そう言えばひな子、紅守は帰って来たのか?」

 

「うん! 昨日の夜中に! シュルルのキリキリのぶみ〜っでボコボコだった!」

 

「言っている意味は分からんが帰って来たんだな」

 

「また朝にどっか行っちゃったけどね」

 

 

 このまま黒湖を待つのも手だが、生憎仕事がある。

 凛子を一旦預けておこうと決めた。最悪な女だが、今いないのなら大丈夫だろう。

 

 

 あの女は、凛子をまた『堕としにかかる』。

 幻徳はそれを危惧していた。何故か彼に凛子を一任させたが、真意は知れない。注意しなければ。

 

 

「それじゃっ、氷室さんまたね!」

 

「楽しかったです」

 

「あぁ。また遊ぼう」

 

 

 車から降りて行く、八葉と浮菜。

 最後に出ようとする凛子にも、声をかける。

 

 

「八時には迎えに行く。君の面倒を見る事になってな」

 

「うん。ひな子さんたちと待ってる」

 

「よし。じゃあ、後でな」

 

 

 凛子は飛び出し、ひな子らの傘の下に移る。

 雨は一向に止む気配がない。右往左往するワイパー越しに、厚い雲を眺めた。

 この調子では一晩中降る、売人は来るのだろうか。

 

 

 

 

「……『ヒーロー』か……」

 

 

 幻徳は車を走らせた。

 

 

 サイドミラーに写っていた凛子らが、手を振っている。分かるハズもないが、鏡に向かって幻徳も手を振った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 流々家駅の近くのラブホテル裏。そこが聞かされた、売人の居場所だ。

 

 

「お前がそうか?」

 

「は?」

 

 

 男が反応する前に、腕を締め上げ拘束。傘は地面に落ち、互いに雨曝しを食らう。

 冷たい雨に濡れるも、男も幻徳も気にする暇はない。幻徳にとっては掴んだチャンス、男にとっては窮地だからだ。

 

 

「いででででで!? あ、あんた、誰だ!?」

 

「顔を見せろ」

 

 

 帽子を取り、相貌を露わにする。

 金髪をワックスで固め、頬骨の浮き出た男。死んだ俊秀が言っていた特徴と合致。

 

 

「チェザーレをばら撒いているそうだな」

 

「け、警察かよ……!」

 

「年貢の納め時って奴だ」

 

 

 本当はヤクザから派遣されたが、一々柳岡会からと言うのも嫌なので警察のまま勘違いさせた。

 

 

「さて、質問に答えて貰おうか。誰の命令だ? そして、どういう理由だ?」

 

 

 彼の質問に対し、男は震えた口調で話す。

 

 

「じ、実験だって……」

 

「実験だと? 麻薬を広めるのが実験か?」

 

「ち、違う! 効果だよ! チェザーレの効果を調べているとかなんとか」

 

「調べるもなにも周知だろうが。つまり貴様、製造元と繋がっているようだな……」

 

 

 決して直線ではなかったが、ようやくゴールに辿り着けそうだ。

 息を吸い、吐き、自身を落ち着ける。

 

 

 

 

「もう一度聞く。誰が」

 

 

 男の身体が重くなる。雨水を服が吸ったからか、それとも抵抗か。

 感覚だけならそう判断される。だが違う、幻徳の眼前に広がる血飛沫が、男の死を理解させる。

 

 

 

 

 

 頭部を、撃ち抜かれた。

 

 

「はっ!?」

 

 

 反射的に手を離し、物陰に避難する。男は胸から崩れ落ち、ぬかるんだ泥に顔面を埋めた。

 コンコンと流れる、赤黒い血。

 

 

 

 

「まさか……ッ!?」

 

 

 脳裏に巡るは、倉庫で見たスナイパー。

 そうだあの女、俊秀から聞き出したに違いない。だからここで、張り込んでいたのか。

 

 

「……ッ!」

 

 

 物陰を飛び出し、大通りまで走る。殺しをビジネスと言っていた連中だ、契約外の人間なんかまず撃たないと、幻徳側で高を括った。

 射線の方へ一目散に走り、立ち並ぶビルを次々に見やった。

 

 何処だ、何処にいる。屋外か、屋内か。待機しているのか、逃げたのか。

 

 

 

 

 

 

 

 ドサっと、重い音がした。幻徳の真後ろだ。

 乾いたばかりのスーツをまたドロドロに濡らし、幻徳は瞬時に振り返った。

 

 

 

 カッパを来た、小さな女の子。

 生気のない目が、幻徳に向く。

 

 そして水彩画のように、濡れた道端にじんわりと血が広がる。

 広く広く、赤く赤く。

 

 

 

 

 

「…………なんだと……!?」

 

 

 

 首の折れた、幼気な死体。幻徳は強い動揺と怒りに、震えていた。

 この時ばかり、頭の中からは、その一つしか残らなくなっていた。

 

 

 

 雨はまた止まない。

 雨はまだ止まない。




ユリアさんがキリヤさんと同じ監察医とは面白いですね。書いていて思い出しました。
次回の投稿は間があくかもしれません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

君色スカイ/Call Less

仮面ライダー鎧武とまどかマギカのクロス、『縢れ運命!叫べ勝鬨!魔鎧戦線まどか☆ガイム』も宜しくお願い致します。



 ザァァァ…………

 

 ザァァァァァ…………

 

 ザァァァァァァ…………

 

 ザァァァァァァァァ…………

 

 

 ザァァァァァァァァァァァァァァァァァァ…………

 

 

 

 

 

 

「あの時はありがとう」

 

 

 

 

 

 

『君色スカイ/Call Less』

 

 

 ザァァァァァァァァァァァァァァァァァァ…………

 

『君 スカ /C ll Les 』

 

 

 ザァァァァァァァァ…………

 

『君  カ /C L  』

 

 

 ザァァァァァァ…………

 

『君

 

 

 ザァァァ…………

 

 

 

 

 

 

 時刻は午後七時に迫ろうとしていた。

 雨は止まず、夜に沈んだ街を濡らす。

 泣くように、流すように、消すように、叫ぶように。

 

 

 

「……ご職業は?」

 

「…………自営業です」

 

「お勤め先は?」

 

「…………すみません、お手洗いいいですか?」

 

「正直に答えてください」

 

 

 幻徳は、取調室にいた。

 二つの死体の第一発見者として、身元を確認されている最中だった。一つは銃殺死体、もう一つは絞殺死体。

 一度に二度の現場を発見した彼が何かしら疑われても仕方ないだろう。

 

 しかも彼は、なかなか自分の職を話さない。疑いは深まるばかりだ。

 

 

「あなたは二人の死体を発見しました。一方は路上ですが、もう一方は人通りのない路地裏。そんな場所で何していたのですか?」

 

「いや、何もやましい事はしていません」

 

「何を? されて? いたんですか?」

 

「……あの、お手洗い」

 

「だから質問に答えてください!!」

 

 

 取り調べを担当するのは、君原茶々。

 美人の部類に当たる、やや童顔気味の顔を鬼のように引き攣らせる。なかなか怖い。

 

 

「あの、そろそろ帰していただきたいんですが……」

 

「聴取は済んでいませんよ! 正直に答えたならすぐに帰します!」

 

「しょ、職業はちょっと」

 

「なんでご職業は言えないんですか! アレですか、ヤクザですか!?」

 

「ふっ、い、いや、いいやぁ!? このご時世にや、や、ヤクザはないですよぉ!?」

 

「動揺してるじゃないですか……」

 

 

 

 取調室に、もう一人入って来る。御剣だった。

 

 

「君原。その人の身元引受人が来た」

 

「あ、ご家族の誰かがいらっしゃったんですね」

 

「…………驚くなよ」

 

 

 彼の後ろからニュッと顔を出したのは、紅守。

 ギョッと君原の表情が変わる。

 

 

「こ、紅守さん!?」

 

「ヤッホー、茶々ちゃ〜ん。昨日ぶり〜♡」

 

「だから下の名前で……って、身元引受人!?」

 

 

 やけに敵意の篭った目で幻徳を睨む。

 俺はそいつと無関係だぞと言いたいが、無関係とは言い切れないので黙るしかなかった。

 

 

「どう、げんとくん? 初取調室は? 楽しめたぁ?」

 

「楽しめるかッ!……それより、俺は出られるんだろうな」

 

「出られる出られる。てか、げんとくんは無罪だってのは判明したからさ」

 

 

 紅守の説明によると、一つ目の男性……薬の売人の殺害は狙撃銃による物だった。

 現場にはそんな物は存在しなかった上、銃弾が死体内に残留していた点を鑑みると、ある程度の距離があったと分かる。近くに立っていた幻徳ではない。

 

 

 二つ目の殺害に関しては、死亡推定時刻が分かった事でアリバイが証明された。

 比較的新しい死体であり、時刻は正午……今日は祝日で、友達の家に遊びに行く途中だったらしい。その時間帯の幻徳は凛子らと遊びに回っていた最中であり、殺人は不可能だ。

 

 

「よって、げんとくんは無罪!」

 

「……無罪なら無罪で、正直に職業を仰れば良かったのに」

 

「そりゃげんとくん、ヤク」

 

「言うなッ! 止めろッ!!……余計に怪しまれるだろ」

 

 

 しかし紅守の報告に、出入口付近に立っていた御剣が口を挟んだ。

 

 

「待て。その男性が正午に出掛けていたって証言は誰が……」

 

 

 

 

 もう一人、取調室に入る影。

 立っていたのは、凛子だった。

 

 

「う……ッ!」

 

「……この子は……ッ!?」

 

 

 君原と御剣は動揺を隠せないでいた。

 遊園地の時、自分たちが追っていた『仮面蒐集家』の娘。連続殺人の『真』犯人。

 

 

「氷室さん、大丈夫だった?」

 

「来てたのか、凛子……もう七時か」

 

 

 やけに親しげな二人の様子にまた驚きつつも、紅守、凛子、幻徳の三人は取調室を後にしようと出入口へ向かう。

 

 

「そんじゃ、あたし御用事が御座いますからドロンいたしますぅ〜」

 

「こ、紅守さん!『例の件』、くれぐれも迅速に……!」

 

「だ〜か〜ら〜それはそっちの仕事っしょ? 死体が見つかったらまた呼んでねぇ〜ん」

 

「くッ……!」

 

 

 君原と紅守の会話が気になった幻徳は、こっそり御剣に聞く。

 

 

「……なにか、あったのですか?」

 

「……一般の方にはお話致しかねます」

 

「………………」

 

 

 聞けるハズもない。

 君原もそうだが、この男も、紅守の仲間であるだけで幻徳を警戒していた。

 別に仲間ではないと言いたいが、信じられるものなのか。

 

 

「……あの、殺された女の子の件でしょうか」

 

「……だから話す事は」

 

「必ず、止めてみせますから……自分が」

 

 

 驚きから幻徳を凝視する御剣を抜け、紅守に続いて外に出る。

 廊下を進み、家路につこうと歩く彼らの背中は、取調室からは見えない。響く足音が消えるまで、御剣は待機する。

 

 

 足音がなくなったタイミングで、君原が声をかけた。

 

 

「……あの男性は、何者なんです? 紅守さんの傘下……にしては、従順に見えませんでしたが」

 

 

 彼女も幻徳が、ただの紅守の取り巻きではない事に気付いたようだ。

 紅守の言動に突っかかる彼が、自分と重なりでもしたのか。

 

 

「……そもそも、あの紅守が男に入れ込んでいる時点で異常事態だろ」

 

「それは……妙に思いますが……浅葱凛子と親しそうでしたし、彼女の遠縁ですか?」

 

「……いいや、分からん。名前とかは控えただろ、身元を特定しておけ」

 

 

 君原が書いた、聴取書を見る。

 

 

『氷室幻徳。三十五歳。流々家在住。元公務員、自営業』

 

 

 紙の一行にも満たない。

 

 

「……おい、少な過ぎる。出生地、学歴や家族関係は聞いたのか?」

 

「聞いたんですが、ゴニョゴニョ隠されまして……職業を追求していた時に、紅守さんが来て……」

 

「……後ろめたい経歴がある事は確かか」

 

 

 これでは特定しようがないと、またの機会にしようと諦めた。

 今自分たちがする事は、別にある。

 

 

 

 

「…………しかしあの男」

 

 

 別れ際に言った「止めてみせる」。

 彼にそんな力があるのかと、御剣は勘繰る。

 

 

 あるとすれば、それこそ紅守が入れ込む理由ではないかと推測。どちらにせよ、『零課』としても注視しておくべき人間である事に変わりはなさそうだ。

 

 

 

 

 だが、二人の認識を潰す出来事が、近いうちに来るとは思わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帰りは紅守の車。幻徳のレンタカーはとっくに返している。

 彼女の車は二人乗りのスポーツカーである為、凛子を幻徳が膝に乗せる形となった。

 運転も勿論、紅守。幻徳はランボルギーニなんて運転した事がなく、任せるのは不安だからだ。

 

 

「スポーツカーなんて運転した事ないっしょ?」

 

「車には全く興味がなかったもんでな。税金もかかるし……」

 

「元公務員の癖にケチ臭いねぇ」

 

「公務員だから金にはうるさくなるんだ」

 

 

 カラオケ料金を「研究費」として経費で落とした事を思い出したが、アレはまずかったなと今更ながら後悔する。

 また車に金はかけず、ファッションに金をかけていたが、それは口が裂けても言いたくなかった。この紅守には。

 

 

 

 

「……一週間近くいなかったそうだが。何処で何やっていた?」

 

「何やってたかなんて勝手でしょぉ? まぁ、ウハウハしてたのよん」

 

「……千代が心配していた」

 

「そのチヨちゃんが……あー、やめとこ」

 

 

 嫌な事でも思い出したのか、紅守は溜め息吐き困り顔を見せた。

 幻徳にとっては初めて見た表情だったので、少し驚く。

 

 

 

 

「……それで紅守」

 

「んあ?」

 

「俺を迎えに来たって事は、何か『仕事』があるって訳だな」

 

 

 凛子は幻徳の膝の上で眠っていた。この姿だけならば、年相応に見えるのだが。

 

 

「凛子ちゃんスッゴイ懐いてんねぇ」

 

「おい、本題を言え。用がないなら俺の身元引受人を名乗らずほっぽっていただろ」

 

「勘は良いね。アタシと比べちゃまだまだだけど?」

 

「………………」

 

「はいはい、拗ねない拗ねない!」

 

 

 会話するだけで神経がすり減る人物と言う点で、彼の仇と似ている。さっさと帰りたいと思っていた。

 

 

 

 

「げんとくんが今朝見つけた死体……子どもの方ね。アレ、今月に入って三人目よ。しかも年齢層も同じ」

 

「……なんだと?」

 

 

 あんな子どもを三人も殺しているのか。怒りから、顔を顰めた。

 

 

「雨の日に消えて、次の雨の日に死体が見つかるってのを繰り返してんね。今日は殺して捨てるまでが早かったけど」

 

「……詳しく教えろ」

 

「お? やる気になった?」

 

「……俺が止めてやる。お前より先に」

 

「ちょっとそれは自意識過剰じゃなぁい?」

 

 

 紅守は片手間に、透明なA四サイズファイルを手渡した。

 

 

「三人の死体の監察記録に、行方不明の日時、プロフィール、家族関係、エトセトラエトセトラ」

 

「……また探偵紛いの仕事か……まぁ、今回は真剣にさせてもらう」

 

「聞いたけど、一人で麻薬の売人特定したそうじゃん? しかも一週間足らず! 期待してるみょん」

 

 

 お前に期待されても嬉しくないとは思いながら、外の景色を眺めた。

 街灯が照っている。雨雲が月を消して、街は深い黒に覆われていた。

 静まり返る夜だが、慟哭のような雨はずっと止まない。永遠の雨の世界に行き着いたかのようだ。

 

 

 

 

「……お前は、今日は仕事上がりか?」

 

「ホントは非番なんだけどさ。ウヒヒ♡ これから『姉妹丼』なのん♡」

 

「姉妹丼? 美味いのか?」

 

「そりゃウマいウマい。極上極上!」

 

「親子丼と他人丼の他にあるのか……」

 

「親子丼とかマニアックだねぇ、アタシもいつか食べたいよ」

 

「食べた事ないのか? 親子丼を? トロトロで美味いぞ……いや、姉妹丼とやらよりメジャーだろ?」

 

「まぁ、他人丼も姉妹丼もトロトロで……ウヒヒヒヒ♡」

 

「…………なんだ、話が噛み合っていないような……」

 

 

 時刻は午後八時を過ぎた。雨は明日へと持ち越しだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 土曜日の朝。折角の休日も、雨だと台無しだ。

 しかしたまに、雨を心待ちにしていた者もいたりはするだろう。

 

 

「修理に出していた長靴が返ってきたわよ」

 

 

 配送で届けられた箱を開けると、ピカピカに磨かれた青い長靴が入っていた。

 母親の声を聞き、小学生くらいの少女が意気揚々と玄関口まで走って来る。

 

 

「ホント!?」

 

「ほら。凄いわね、とっても綺麗よ」

 

「わぁ! ホントだ、綺麗!」

 

 

 少女は目を輝かせながら長靴を取り、それを腕いっぱいに抱えながら下足場に持って行く。

 相当楽しみにしていたようで、すぐに履いていた。

 

 

「ねぇ! これでおでかけしていい? 雨降ってるから!」

 

「今から?……そうね、じゃあおつかいに行ってきてもらおうかしら?」

 

「やった!」

 

 

 ここ最近は梅雨入りの為、どんよりした雲と絶え間ない雨が恒例となりつつある。

 だが、今の彼女にとっては、梅雨の残りの日程は楽しみにしか他ならない。

 お気に入りの長靴が返って来た。傘に雨が当たる音を聞きながら、水溜りを踏む。子どもらしい、雨を楽しむ方法だ。

 

 

 

 

「でも、本当にママのお古でいいの? なら、もっと可愛いの買ってあげるわよ?」

 

「やーっ。ママと一緒がいいの!」

 

 

 子どもらしく、大好きな親の真似事をしたがる。

 今日も雨は止まない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、氷室さん……」

 

「あぁ……おはよう、凛子」

 

「ごめんなさい……寝ちゃってた」

 

「気にするな。それより風呂に入りそびれただろ? 着替えも置いてあるし、朝風呂でも入ったら良い」

 

 

 凛子は幻徳の家に預けられていた。

 彼の膝の上で眠った際にそのまま夜を越してしまい、寝惚け眼のままベッドから出て来る。

 

 

 この部屋はワンルーム、見渡せば何があるのかが分かる。

 幻徳の部屋はテーブル、ゴミ箱、ベッド、冷蔵庫と、生活に必要な物だけだった。

 整理整頓され、無駄な物は置かれていない、几帳面な部屋。眠ってから初めて彼の部屋を見たので、少し困惑する。

 

 

 

 幻徳はまたスーツ姿で出ようとしていた。仕事だろうか。

 

 

「……お仕事? 土曜日なのに」

 

「休日出勤は慣れている……夕方には帰るから、ひな子に連絡しておくし、紅守の家で待ってたら良い。昨日は『姉妹丼』とやらで預かってくれなかったからな……」

 

 

 

 靴を履き、立ち上がる。

 

 

「それじゃ、行って来る」

 

「……行ってらっしゃい」

 

 

 幻徳は雨の街へ出て行く。

 凶悪犯を……未来ある子どもを殺害する大罪人を裁く為。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紅守から貰った資料によると、殺され遺棄された子どもたちには、一定の共通点があった。

 

 

「八、九歳の女児、絞殺……そして黄色い傘と青い長靴か……」

 

 

 見つかった三人の被害者は、身に付けていた物が一部消失していた。

 一人目は黄色い傘と青い長靴。

 

 二人目は黄色い傘のみ。履いていた赤い長靴は残っていた。

 

 三人目も……幻徳が第一発見者だった子だが、黄色い傘と青い長靴が消えていた。

 

 

「同一犯で間違いはないか。しかし何故、女児と傘や長靴を……」

 

 

 しかしこれで、犯人のターゲットは把握出来た。

 彼の役目としては、これらの特徴を持つ子どもを守る事だろうが。

 

 

 

 

 

「…………多いな」

 

 

 意外と同様の見た目をした女児は、良く見かける。

 それに長靴の色は兎も角、学校指定の黄色い傘は小学生は必ず持つ。

 本日は土曜日、同様の特徴でおでかけしている子どもは、幻徳が見た人数で十人はいた。

 

 

「これじゃ、一人一人見守るのは無理だ」

 

 

 なので彼の役目は、別の行程にシフトする。資料の二ページ目をめくった。

 

 

 

 

 

「……鉄粒。なんでこんな物が」

 

 

 全ての遺体の肺から、鉄粒が発見された。次いで古いコンクリートの破片と、少量のアスベスト。

 

 

「アスベストか……こっちの世界でも、既に製造は中止されているな。という事は……二十年は前の建物、それも廃墟か」

 

 

 アスベストを吸い込むと、肺の繊維を壊し、癌の誘発や呼吸困難を招く。一時期は耐火材として使用されていたが、前述の被害が問題視され一気に衰退化し、日本では輸入どころか製造や使用も禁止されている。

 

 とは言え、日本全部でアスベストが使われた建築物が完全撤去された訳はなく、今でも監査の目を抜けた建物は現存している。

 例えば法規制までに運用を停止した場所とか。

 

 

 

 

「鉄粒……何処かの工場かもしれんな」

 

 

『ガーディアン』導入の際に、製造工場を視察した時を思い出した。

 カッティングによって飛沫した鉄の破片で、コンベアが白く濁っていた。

 

『難波重工』では全行程をロボットによる自動化にした事で、高性能ガーディアンの量産化ならびに、人件費の削減を実現したと声高らかに自慢していた研究員を覚えている。

 

 カッティングの際の鉄粒は、吸い込めば肺に溜まり、肺を壊す要因となる。工場勤務の職業病とも言っていた。

 難波重工は絶対に許さないが、この点を見れば健康被害の問題を解決していたと評価出来るだろう……視察当時も、同じ事を言っていた気がするが。

 

 

 

 

 

「工場……それも製鉄、鉄工、加工系。犯人はそこを根城にしているのか?」

 

 

 幻徳はそう推理し、資料を閉じる。

 そうと決まれば、鉄工系の工場の廃墟を虱潰しに当たってみるのみ。

 

 

「………………」

 

 

 鞄にしまいかけた透明ファイル越しに、資料をチラリと見る。

 なんの必要があるのか、遺体の顔写真が載せられていた。

 

 

 三人とも、涙の痕がある。表情は苦悶と恐怖で歪み、未来を奪われた光のない目。そして頸椎を折るほど、強い力で首を絞められジワジワと…………

 

 

 

 

 怖かっただろう、苦しかっただろう、死にたくなかっただろう。

 

 幻徳は絶対に許す事が出来ない。怒りで、狂気に陥りそうになる。

 だが、決して、殺しやしない。そうなれば自分はまた、転落する。

 罪を償わしてやる。

 

 

 

 

「……雨は止まんな」

 

 

 黒い傘を携え、幻徳は雨の街を行く。

 守る為に、涙を止める為にだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼の数メートル後ろで、そこを通りかかる小さな影。

 黄色い傘と、青い長靴で上機嫌に雨の中を歩く。

 手元には買い物鞄。おつかいの帰りだ。

 

 

「カレーの材料と、ステキ玉……あっ、福神漬け忘れちゃった」

 

 

 買い忘れに気付き、少女はパッと振り返る。

 

 ドンっと、ぶつかった。後ろに誰か立っていたようだ。

 

 

「あ、ごめんなさい……」

 

 

 オロオロと謝罪する。

 しかし、ゆっくりとぶつかった対象を見て驚いた。小さな彼女にとって、まるで巨人のような、黒尽くめの老人が立っていたからだ。

 

 

 胸まで長い白髭は雨に濡れ、黒い中でかけている眼鏡だけが不気味に光を反射させている。

 

 

 

「やっと見つけた」

 

 

 嗄れた声で、話しかけた。その目はジッと、少女を捉えて。

 

 

「あの時は本当に、ありがとう」

 

 

 

 少女は怖くなり、横にあった路地裏へ飛び込んだ。人通りがなく、母親からも入らないようにと言われた近道。

 逃げた彼女を、老人は水溜りを踏み抜き慌てて追う。雨雲の、僅かな太陽光では、路地裏は薄暗い。

 

 

 

 

 

 

 

「…………うん?」

 

 

 幻徳は、ピチャッと響いた水溜りの音で振り返った。

 誰も、何もいない。気のせいかと、再び歩き出す。

 

 

 雨は止まない。まだまだ止まない。




次回:ローグと呼ばれた男/Are you Ready?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ローグと呼ばれた男/Are you Ready?

 正午。

 御剣、君原、紅守の三人はある、一軒の家へ向かっていた。

 

 

「ねぇ〜、ちゃっちゃん、何処行くのぉ? てかお腹すかない?」

 

「変なあだ名で呼ばないでください……!」

 

 

 神妙な面持ちの御剣に反し、君原をナンパする紅守。執拗な彼女の口説き文句に、君原は苛つきから顔を引き攣らせている。

 

 

「……数十分前の通報者だ。おつかいに出した娘が、一時間経っても帰らないそうだ」

 

 

 紅守へ説明をしたのは御剣。

 

 

「恐らく、現時点で新しい不明者……となれば、死体が出る前に動くしかねぇ。詳しい話を聞きに行く」

 

「ふーん」

 

 

 紅守は興味がないらしい。

 君原へのアタックを止めず、ヘラヘラとした態度でフラフラ歩く。動作が大きい割に服が濡れていない辺り、傘の動かし方が上手い。

 

 

 

 暫く歩き、通報者の家へ到着。名前は『北上』。

 

 

「静かにしろ。ここだ」

 

 

 御剣はインターホンを押す。

 雨音が鳴り止まない中、甲高い呼び出し音が一際大きく木霊した。

 

 

 

 

「そら!?」

 

 

 激しく扉を開け放ち、女性が飛び出す。

 ずっと泣いていたのか、涙は流れたまま。懇望を宿した表情と、靴すら履くことを忘れるほどの狼狽。

 帰らない娘が帰って来たと思い込んでいた彼女は、頭を下げるスーツ姿の二人を見て、我に帰る。

 

 

「……警視庁から派遣されました。詳しく、当時の様子をお聞かせください」

 

 

 後ろめたさを感じながら、淡々と御剣は述べた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ローグと呼ばれた男』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 通されたのは広い和室。ここがこの家のリビングのようだ。

 テーブルを挟み、『北上 ひばり』は娘の写真を見せる。

 

 

「……十一時からおつかいに行かせたのですが……一向に帰らなく……黄色い傘と、青い長靴で出掛けました……」

 

 

 涙は止まらず、悲しみを押し殺すように声が震えている。

 居た堪れなさを感じ、思わず君原は下唇を噛んだ。

 

 

 

(……黄色い傘と、青い長靴)

 

 

 御剣は、空が青い長靴と黄色い傘で出掛けた事に着目していた。

 今までの被害者の特徴の一つだ。よって同一犯だとまずは確信する。

 

 

 

 

(……ヌフフ♡)

 

 

 一方で紅守。

 写真で笑う、消えた少女『北上 空』を見ながら、場違いに「可愛い」とニヤついていた。

 次にひばりの顔から身体まで余すことなく眺め、煩悩を滾らせる。

 今の彼女は密着性の高い黒いシャツを着ており、ボディーラインが分かる。紅守の興奮させるには十分だった。

 

 

「おつかいの道筋は、教えていましたか?」

 

「はい……この辺りは少し入り組んでますので……出来るだけ、人の多い大通りを使うように言っておりますから……」

 

 

 紅守は周辺地図を思い出す。

 少し歩けばビル街があり、少し歩けば商店街、少し歩けば工業地帯と、やや複雑な位置にこの住宅街はある。

 様々な施設が密集し、空いたスペースに何とか建物を突っ込もうとした結果、路地裏だけで迷路のような構図が出来上がってしまっていた。

 

 つまりこれは、人目を避けられる道が多い事を指す。

 犯人が誘拐から死体遺棄まで姿を見られないのは、雨天時のみの犯行と言う要因と、この土地の条件があるのだろう。

 所謂、『起きるべくして起きた』とも言える。

 

 

 

 

「……誘拐、なんですね?」

 

 

 空のおつかいルートを見ながら考察していた紅守らに、沈んだ声でひばりが質問した。

 

 

「はい?」

 

「……それくらい想像がつきます……連絡先のメモを持たせているので……事故ならすぐ連絡が来るハズです……」

 

 

 御剣は敢えて誘拐とは言わず、質問する。

 

 

「では犯人からの連絡は?」

 

「……来ていません……どうしてウチの子が……!」

 

 

 耐え切れなくなったひばりは、手の平で抱えながら一層多く涙を流す。

 声を殺そうとする彼女の嗚咽が場に満ちる。君原はそんな彼女の様子を辛く感じ、目を伏せた。

 

 

「……夫が死んで、あの子だけが私の支えなんです……」

 

(ウッヒョ! 未亡人!! エッッロい!!!)

 

 

 紅守だけが垂涎状態で楽しんでいた。

 言うのは、彼女は御剣の呼び出しで同行はしていたが、この聴取自体には意味を見出していない。

 彼女が待っているのは、警察側の情報と『もう一つの情報』。

 

 

 

 

 携帯のバイブレーション。

 御剣は胸ポケットからスマートフォンを取り出し、一言断ってから部屋の外で応対する。

 次に戻った時、君原にタブレットの操作を命じた。

 

 

「神奈川県警からメールが届いているハズだ」

 

「神奈川県警ですか……? は、はい、開きます」

 

 

 開いた新着メールは、隣県の『行方不明情報』。

 この町自体、東京と神奈川の県境に位置しており、特にこの地域は丁度その際目。

 

 

 メールに添付されたデータを見て、君原は愕然とする。

 

 

「こ、こんなに……!?」

 

 

 町で起きた三件の事件。

 その同様の事件が、県境を越した先の神奈川県側に何件も存在していた。

 

 

「それも……三年も前から……」

 

「あ、やっぱ初じゃないのねん」

 

「あっ!?」

 

 

 君原からタブレットをひったくる紅守。神奈川側の同一事件の調査は、彼女からの提案だった。

 

 

「警視庁と言っても、所詮はイチ地方警察だからねぇ。県境さえ越えれば、捜査資料は共有されないんだから」

 

 

 最近見たドラマで、死体が丁度県境に存在しており、どっちの県の管轄が調査するかで揉める一コマがあった。

 紅守としては昔からよく聞く、調査の撹乱方法。県境に死体があれば、どっちの県で犯行が行われたのか分からなくなるからだ。

 管轄外の調査は両県出来ず、情報の共有にしても認可が必要で時間がかかる。両県が共通の捜査本部を設置するなら、通常の倍の費用が嵩む……など、面倒事が何かと多い。

 

 

 

 それはそれとして紅守は、流々家町と神奈川県側の事件で、一番遠く離れた物を直線にし、結んだ線を中心に円を作る。

 彼女の作った円の中こそが、重視すべき捜査網だ。

 

 

「分かっているだけで、古いのが三年前って事。少なくとも倍はやっているかな〜?」

 

 

 包み隠さず不穏な事を連発する紅守。君原が止まる前に、ボソリとひばりは質問する。

 

 

 

 

「他にも……同じ、事件が……? 他は、どうなったんですか……!?」

 

 

 

 押し黙る君原を他所に、御剣は話す。最早、隠す事は出来ない。

 

 

 

「何人かは未だ行方不明。内、何人かは亡くなりました」

 

 

 ひばりは目を見開き、絶句する。

 開かれたその目より、更に多くの涙が滴り落ちた。

 少し俯いた彼女は次に顔を上げる時、激しい怒りが滲み出ていた。

 

 

「どうして!? どうして早く捕まえなかったのよ!?」

 

 

 穏やかそうな彼女からは予想も出来ない、悲痛な叫びだ。

 

 

「あなた達警察がもっとしっかりしていれば、空はッ!!」

 

 

 どう声をかけるべきか迷う君原の隣で、御剣が頭を下げた。

 興奮状態の彼女を落ち着かせるには、弁解は邪だ。

 

 

「……我々の力不足です。申し訳ありません……」

 

 

 真摯な態度で謝罪をする御剣の姿で落ち着きを取り戻した彼女は、また自責の念より押し黙ってしまう。

 それからは怒りと理性、消えた娘の安否と悲しみが一気に混線し、どんな感情を抱けば良いのか分からなくなった。ただ、泣くしかない。

 

 

 

「……大丈夫ですよ、北上さん」

 

 

 そんな彼女を紅守は、優しい声で抱き締める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな中、幻徳は傘を差しながら紅守より指定された場所まで来ていた。

 北上家の前だ。彼自身が得た情報を纏めたメモを携えて。

 

 

「……中間報告する暇もないだろ」

 

 

 ブツブツボヤいていると、家の扉が開かれる。

 中から出て来たのは、御剣と君原だ。

 

 

「警察……!?」

 

 

 幻徳は二人の姿にギョッとし、瞬時にその場から離れ、電柱裏に隠れた。

 

 

 

 

「……良く良く考えてれば隠れる必要はないよな……何やってんだ俺」

 

 

 ヤクザと認め始めた自分が悲しくなってくる。

 気を取り直して出て行こうとするが、その間に二人はさっさと行ってしまった。向こうも切羽詰まっているらしい。

 

 

「しかし警察がいるって事は、紅守もここか?」

 

 

 再び家の前に戻り、今度はインターホンを押す。

 暫くして、紅守黒湖本人が出て来た。胸元と背中の開いた、刺激的な恰好だ。

 警察と言うより、モデルか何かだろと心で愚痴る。

 

 

「なんだその恰好?」

 

「イヤ〜ン、げんとくん。何処見てんのん〜?」

 

「…………俺なりに調査した。言われた通り、纏めて渡す」

 

 

 持っていたメモを渡す。

 全て彼の手書きの字だが、育ちの良さの伺える綺麗な字で判読には支障はない。管理職だった事を伺わせるように、要点だけを書き上げていた。

 

 

「へぇ! げんとくん、何でも出来そうだねぇ?」

 

「言ってろ。内容を説明する」

 

 

 少し濡れて湿ったメモを、彼は指で示しながら紅守に解説。

 

 

「犯人は古い建物を根城にしている。被害者の肺から出たアスベストからして、築二十年以上前だろう」

 

「ほぉほぉ」

 

「となると挙げられるのは、商店街側だ。この辺は古い建物が多く、中にはシャッターの降りたまま買い手のない店もある。東の方に行けば、廃墟同然の場所さえ存在する」

 

「商店街……こっから南下した所だねぇ」

 

「……非常に入り組んだ場所だ。場合によっては、一切人に見られずに行動できる。そうなると大通りに隣接した場所は除外され……」

 

 

 

 

 

 幻徳は今、『嘘』を付いている。

 彼が目星をつけている工業地帯とは逆の場所を示していた。

 そうだ、彼は紅守に犯人を殺させない為だ。敢えて、撹乱。

 

 

 本当の場所は、もう分かっていた。だがこうして紅守に会いに来たのには、理由がある。

 

 

 

「以上だ。この近辺を散策すべきだろう」

 

「たった一時間半なのに、良く調べたねげんとくん。アタシも鼻が高いですぜ」

 

「……おい。約束だ」

 

 

 幻徳は右手を差し出した。

 

 

 

 

 

 

 紅守はその意味を分かっている。ニヤリと笑うと、谷間に指を突っ込み、「例の物」を出した。

 

 

『紅守の仕事を手伝う時のみ、返す』。それが約束だ。

 

 

 彼女が取り出し、幻徳の右手に乗せたのは『スクラッシュドライバー』。

 実に、十日ぶりの帰還。握り締める己の手が震えている事に、彼自身が気付かない。

 

 

「……嬉しそうじゃん、げんとくん?」

 

「……なんか生暖かいな」

 

「そりゃそりゃ、信長の草履を温めてあげた秀吉よろしく、アタシもげんとくんの為に温めてあげたから〜」

 

 

 今日は一段とウザい。雨の日はウザくなる人間なんだろうかと、幻徳は訝しんだ。

 

 

「……俺も調べる。お前は?」

 

「調べたい事がこっちもあるから、別行動になるかな」

 

 

 同行と言われたら隙を見て離れなければならなかったが、その手間はなくなった。

 幻徳は心中でほくそ笑む。この瞬間、喜びに満ち溢れていた。

 

 

「……早速動こう。また誰かが消えたらしいからな」

 

「その通り! しかも今し方通報されたばかりだから……時間はないよねぇ?」

 

 

 ドライバーを懐に入れ、幻徳は離れようとする。

 

 

 

 

「げんとく〜ん」

 

 

 彼を呼び止めた。

 振り返ろうとした時には、紅守は隣に立っている。

 

 

 

 

「……死んだ子どもたちの写真、見た?」

 

「……それがなんだ」

 

「かわいそうだよねぇ、辛そうだよねぇ? 一生お家にもお母さんにも会えないんだ……永遠に、闇の中さ」

 

「……………………」

 

 

 彼女の顔が耳元にまで近付く。

 生暖かい息が、かかる。

 

 

 

 

「……苦しめて未来の光を潰した犯人へは、死ぬしか贖罪にならないよねぇ?」

 

 

 

 腕を動かし、紅守を離そうとする。そうするまでもなく、彼女は一瞬早く幻徳から離れた。

 

 

「……俺はお前とは違う」

 

「……イヒヒ♡ お互い頑張ろうねぇ〜」

 

 

 折れるんじゃないかと思うほど身体を反らし、不気味な笑みを浮かべながら幻徳を挑発する。

 手をフリフリ揺らし、真っ黒な傘を回しながら雨の中へ行く。彼女より先に動くつもりが、彼女の先制を譲ってしまった。

 

 

 

「…………やっと奴を出し抜けそうだ」

 

 

 しかし幻徳には一本のルートしかない。

 彼は既に、ここが神奈川県との県境と言う点に着目し、隣県の行方不明者を調べ上げていた。

 

 

 一つ壁の向こうは、こちらからは分からない……元の世界で嫌でも思い知らされた考え。

 捜査の情報は隣県警察と共有されない事は、幻徳は知っていた。

 

 

 

 

 その範囲内で、金属加工を請け負っている工場は十ヶ所。

 内、三ヶ所は廃墟。

 その内、築二十年以上の物は一ヶ所のみ。

 

 

 

『鍵村鉄工所』

 随分昔に、破綻している。

 

 

 

 

「……俺がやる」

 

 

 自分用のメモ帳に書かれた施設名と、行き先までの簡易的な地図を見ながら、彼も雨の街へ歩き出した。

 

 

 背後で視線を感じ、振り向いた。

 家の中から、ひばりが出て来ている。

 

 

「……こ、こんにちは」

 

「……黒湖さん……」

 

「……何処見てるんですか?」

 

 

 自分に向けられている視線ではないと知り、彼女の見ている先を眺める。

 紅守が行った先だが。

 

 

「…………とんだ人誑しだな」

 

 

 幻徳は気を取り直し、街に駆けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗く、寒く、臭く、汚く、息苦しい。

 燦々と降り注ぐ雨の音が屋根や窓枠を叩き、不気味なアンサンブルを奏でていた。

 

 

「君の名前は、なんて言うんだい?」

 

 

 老人は鉄骨の横で座り込む空へ、語りかけた。

 恐怖で震え、母親を思って涙を流していた。

 

 

「あの時聞きそびれちゃったからさ」

 

「……き、北上……空、です……」

 

 

 老人の語気に宿る狂気を、幼いながらに感じ取った空は、震えながら名前を言う。

 名前を聞けた老人は、嬉しそうに手を組んだ。

 

 

「そらちゃんか。良い名前だね」

 

「その……人違いじゃ……」

 

「忘れちゃったのかい? ほら、手を出して」

 

 

 恐る恐る出した彼女の小さな掌に、老人は飴玉を落とした。

 空も母親も好きな、『ステキ玉』と言うキャンディーだ。

 

 

「ね? 一緒だろ? 君はあの時、同じ物をくれたんだ」

 

 

 老人は大きな手で、空の頭を撫でた。

 冷たく、ゴワゴワとした手だ。

 

 

 

 

 

「もう僕には君しかいない」

 

 

 汚れた口元が開く。長い髭が揺れた。

 

 

「裏切られ、全てを失った僕に、君だけが優しくしてくれた」

 

 

 電気の止まった建物内。足元にある小さな蝋燭だけが中を照らす。

 

 

 

 

「何度も、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も……ハズレを引いて」

 

 

 背後にある戸棚には、夥しい数の青い長靴が、並べられていた。

 

 

「ずっと、ずっと、ずっと、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと……君一人を探してた」

 

 

 戸棚の下のパイプには、夥しい数の黄色い傘が、立てられていた。

 

 

 

「そしてようやく巡り会えた、そらちゃん。君だけは僕を裏切ったりしないよね?」

 

 

 

 彼の目には、怯えを見せる空の姿は見えていない。

 しかし笑っていないとは気付いていた。

 

 

 

 

「……笑ってくれないね」

 

 

 頭を撫でていた老人の手は離れる。

 止め処なく溢れる空の涙だが、彼がその涙には気付く事は一切ない。

 

 

「どうして笑ってくれないんだい? 僕に至らない所があるなら直すから」

 

「………………」

 

「ほら。笑っておくれ、そらちゃん」

 

 

 怖い、怖い、怖い、帰りたい、助けて、助けて…………

 空は頭の中でそうずっと、懇願していた。だが、助けなどは一切来ない……彼女は愚直なまでに助けを願っているが、この近辺は寂れた工業地帯。建物も少なく、人も少ない。

 

 

 

 だがそんな事情、今の彼女には分かるまい。

 目の前にいる巨大で恐ろしい男の醸す威圧に、耐え切れなくなった空は、泣きながらも必死に笑顔を作った。

 

 

 

「おぉ……ッ!」

 

 

 老人は背筋を伸ばし、喜びに少し震えた。伸びた老人の身長は更に大きくなり、空からすれば怪獣のようにしか見えない。

 

 

「よかった。あぁ、ありがとう……ありがとう……」

 

 

 また背筋を曲げ、空と目線を合わせながら、彼女の手を己の両手で包んだ。

 嬉しそうな声をあげ、感謝を繰り返す。

 

 

「君の笑顔がまた見れて、満足だよ」

 

 

 老人は立ち上がる。

 

 

 

 

 

「もうこれで、思い残すことはない」

 

 

 

……空の手を握ったまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雨の中、立入禁止看板を蹴っ飛ばし、幻徳は鍵村鉄工所に辿り着く。

 また新たな行方不明者が現れたと聞き、急いで現場に到着した。

 

 

「ここか……ここで合っていて欲しいが……!」

 

 

 割れた窓、錆びたトタン屋根、置かれたままの鉄骨。ここが当の昔に捨てられた事を妙実に語っていた。

 

 

「何処だ……何処にいる……!」

 

 

 傘を煩わしく感じた幻徳は、傘を放棄した。

 雨風に晒されながら鉄工所の作業場に向かう。

 

 

 重そうな扉だが、施錠はされていない。幻徳は扉の窪みに手を入れ、力を込めて開いた。

 

 

 

 

 

 

 ビンゴだ、彼の予想通りだ。犯人と、攫われた子どもがいた。

 

 

 

 

 

 男が、少女の首に手をかけ、絞め殺そうとしている様を。

 

 

「お前……!? やめろぉぉぉぉッ!!」

 

 

 足元に転がっていたパイプを手に取り、幻徳は立ち向かう。

 老人は泣きながら、何かをブツブツ呟きながら、喘ぐ少女の頸椎を折らんばかりに絞めていた。

 

 だがそれが幸運だ。幻徳に気付く事はなく、彼の接近を許したからだ。

 

 

 

「ぬぁあッ!!」

 

 

 飛び上がり、老人の腕を殴りつける。

 そこで彼は初めて乱入者の存在に気付く。

 

 

 しかしそれでは遅過ぎる。

 痛む腕に気を取られていた隙に幻徳は懐に潜り込み、パイプで腹部を突いた。

 

 

「ぉぐぅッ!?」

 

 

 濁った悲鳴をあげ、とうとう手を離し倒れ込む。

 持ち上げられていた少女は地面に落っこちるが、幻徳がパイプを捨てて抱き留めた。

 

 

「大丈夫か!? 無事か!?」

 

 

 首には赤く、男の手形が付いていた。

 少女は目を開けないが、急激な酸素不足により、気絶しただけだと分かる。ホッと、一息ついた。

 

 

 

 

「ああああぁあぁあああぁあああッッッ!!!!」

 

 

 幻徳が咄嗟に捨てたパイプを拾い、老人が襲いかかる。

 

 

「ッ……! 正気じゃないのか、こいつもッ!?」

 

 

 鳩尾を突いたのに、復帰が早い。痛覚が鈍いのか。

 

 

「あぁあッ!!!!」

 

「チィッ!!」

 

 

 頭部目掛けて振り下ろされたパイプを、寸前で横へ避ける。

 歳を取った老人の割に、腕力が強い。地面に叩きつけたパイプが、大きくひしゃげた。

 

 

「ぞらぢゃんをぉ……ぞらぢゃんをがえぜぇぇぇぇッッ!!!!」

 

 

 錯乱したようにパイプを、彼へ向ける。

 何とか避けている幻徳だが、子ども一人を抱えていては自由度が低い。

 

 

「くぅ……! 変身するまでもないと思っていたが……これは……ッ!!」

 

 

 猛烈に浴びせられる鉄パイプによる攻撃。

 縦に来れば横へ、横に来れば飛んでと、何とか回避を続けていた幻徳。

 

 

 

「……うぉっ!?」

 

 

 何か、柔い物を踏みつけた。

 避ける最中にそれを踏んでしまい、態勢が崩れる。

 

 

 

 

 

「があああああぁぁああぁあぁッッッ!!!!」

 

 

 無慈悲に注がれる、鉄パイプ。

 回避出来ない事を悟った幻徳は、多少手荒だが彼女を背後に放り投げ受け身を取る事に。

 

 

 

「ぉッ……!?」

 

 

 放り投げる過程が、隙だった。

 腕でガードをする頃には、パイプは脇腹に命中。

 

 肋骨が軋む様を感じながら、彼は工場の奥へと吹っ飛ぶ。

 

 

「がはあッ!?」

 

 

 ゴミや壊れたおもちゃを巻き込みながら、彼はコンクリートの上を転がる。

 かなりのダメージを負う。常人ならばまず、立ち上がれまい。

 

 

 

 

 

「ハァ……ハァ……」

 

 

 しかし幻徳は何とか受け身を取り、上半身を起こす。

 手には、『クロコダイルクラックフルボトル』。回避が出来ないと踏んだ彼は、ボトルの効果で防御する事を選んだ。

 

 その選択は吉だった。

 エレメントが浸透する前に受けた為、衝撃を無効化しきれなかった。しかし肋骨が複雑骨折する重傷は免れる。

 

 

「はぁぁ……だ、だから、汚いんだ……この、世界ばぁぁあ!!」

 

 

 手を伸ばし、彼女の元へ行こうとする老人。

 

 すぐに阻止しなければ。幻徳は立ち上がろうと地面に手を当てた。

 

 

 また、柔い物を触る。

 幻徳は、自分が座っている場所から、工場内全部を見渡せた。

 

 

 

「空ぢゃん……! 僕といっじょに、逝こうッ!!」

 

 

 自分の隣も、自分の目の前も、自分の後ろも。

 

 

 

 

 

「『ともだち』も、待っているよぉぉぉぉお!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 死体。

 死体。

 屍の山。

 

 

 死後何年も経過したであろう、乾涸びた死体が転がっていた。

 首がどれも曲げられ、パサパサに渇いた髪が垂れ下がる。

 

 目玉は腐り眼窩が覗けるのか、死蝋化し角膜の浮いた目がこっちを覗くのか。

 

 

 

 

 

 戸棚に並べられた青い長靴と、立てられた黄色い傘。

 その一つ一つの持ち主である、消えた子どもたちがこの場にいた。

 

 

 残酷に腐った、死体となって。

 

 

 

 

 

 幻徳が踏んだのは、ゴミ同然に転がされた、子どもの死体だった。

 幻徳が触ったのは、苦悶に歪んだ死に顔の、子どもの死体だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………許さん……」

 

 

『カッパを来た、小さな女の子。

 生気のない目が、幻徳に向く。

 

 そして水彩画のように、濡れた道端にじんわりと血が広がる。

 広く広く、赤く赤く……』

 

 

 

 

 

「……許さんぞ…………」

 

 

 

 

『三人とも、涙の痕がある。

 表情は苦悶と恐怖で歪み、未来を奪われた光のない目。

 

 そして頸椎を折るほど、強い力で首を絞められジワジワと…………』

 

 

 

 

 

「許さんぞ……」

 

 

 

 

 

『かわいそうだよねぇ、

 辛そうだよねぇ? 

 一生お家にもお母さんにも会えないんだ

 

……永遠に、闇の中さ』

 

 

 

 

 

「許さんぞぉぉ……!」

 

 

 

 

『苦しめて未来の光を潰した犯人へは、

 

 

 

 

 

 死ぬしか贖罪にならないよねぇ?』

 

 

 

 

 

 彼の中で、何かが切れた。

 

 

 

 

 

「貴様だけは、絶対にぃぃッ!!!!」

 

 

 スクラッシュドライバーを腰に巻き、フルボトルを挿す。

 ドライバーの音声を無視し、一気にスパナの押し込みまで行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

『割れるッ! 食われるッ!! 砕け散るッ!!!!』

 

 

 ビーカーが割れた、理性が割れた。

 

 

 

 

 

 

 

『クロコダイル・イン・ローグッ!! オォォォウラァァァァアッッ!!!!』

 

『KYAAAAAAAAA!!!!』

 

 

 工場内を。

 そして雨の音全てを割いた、スクラッシュドライバーの悲鳴。

 

 

 

 幻徳……仮面ライダーローグの復活だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

『Are you Ready?』

 

 

 

 

 正義、信条、誓い、贖罪、懺悔、罪悪。

 全てを、怒りの炎で焼き尽くした。

 

 

 

「俺はロォオォォグだぁぁぁぁッッ!!!!」

 

 

 

 

 彼は、老人目掛けて飛びかかる。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

怒りのムーンサルト/Kill heat

お待たせしました。


 雨の中、走っていたスポーツカーが停まる。

 助手席からふらりと降りた人物は、眼前にある廃工場を眺めた。

 黒い傘をさして雨を避け、不敵な笑み。

 

 工場の名前は『鍵村鉄工所』。

 

 

「こ〜こねぇ。げ〜んとくん」

 

 

 彼女が、幻徳の嘘を見抜けない訳がなかった。

 いや、見抜く必要すらない。

 

 

「ひなこぉ。ここにいるんだよね」

 

「うん! この……ピコピコしてるのがここだよ!」

 

 

 運転手のひな子が、周辺地図が映されたスマートフォンの画面を見せ付ける。

 

 

 幻徳のいる場所に、アイコンが明滅していた。

 彼女は彼を監視する為、スクラッシュドライバーにGPSを設置。これで変身可能状態の彼の動向を伺う事が出来た。

 

 

 彼が何かを隠しているとは薄々気付いており、GPS情報に注目したら案の定、言われた場所とは違う場所に彼は向かったと言う訳か。

 

 

「サキちゃん特製GPS。雨なんかじゃ壊れないなぁ」

 

 

 関心しながら雨の中、傘をさしもて立っている。

 暫くすると、一台のパトカーがやって来た。乗っているのは零課の二人……御剣と君原。

 

 

「いきなり呼び出して……なんだ? ここか?」

 

「確かにここは近場に建物も少ないし、打ってつけかな?」

 

 

 犯人がいる確信はあり、紅守も納得している。

 連続殺人犯の根城だと合点し、君原は焦燥感を露わに突入を進言。

 

 

「ならすぐに行きましょう! 空ちゃんが危険です!」

 

「まぁまぁ落ち着いて落ち着いて」

 

「落ち着いていられますか!? 人命がかかって……」

 

「無闇に突入しても逆上されるだけだよぉ? 安心しなよちゃっちゃん、先陣はいるからさ♡」

 

 

 首をカクリと回しながら、君原の頰を触ろうとする。彼女はその指から離れ、拒絶を見せた。

 唇を尖らせいじける紅守だが、すぐに助手席にいたもう一人を降ろそうとする。

 

 

「ほら、『凛子ちゃん』も降りなよ」

 

 

 現れたのは、浅葱凛子。

 彼女は幻徳に、ひな子と遊ぶように取りはかってもらっていた。

 紅守の家で家庭菜園を手伝っていた所、ひな子と共に出動。良く分からず、ずっと紅守の膝に座らされていた。

 

 

 困惑したような表情だ。ニヤッと笑いながら、紅守は耳打ちする。

 

 

 

「……幻徳さんの勇姿を見に行こっか?」

 

 

 凛子の目が、驚愕で開く。

 

 

 

 

 

 

 

 バタンッ。

 

 

『そうだ! 氷室幻徳ッ!!』

 

 

 ドタンッ、ガガガ。

 

 

『それがお前の正体だッ!!』

 

 

 ガキッ、ドスンッ。

 

 

『お前が変えてやるんだッ!!』

 

 

 ドグッ。

 

 

 

『お前だけが、正義だッ!!』

 

 

 

 

 

 

【 怒りのムーンサルト/Kill heat 】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紅守らは工場の前まで来る。

 雨は一向に止まず、寧ろ激しさを伴い始めた。遠くに見える山々が雲に霞がかり、落ちた気温が鳥肌を立てる。

 

 

「おい。お前の言った通り、近辺の廃工場は包囲させたが……犯人がいる確証はあるのか?」

 

「あたしにはないね。あたしじゃなくて、もう一人が確信あんのよん、ツルさん」

 

「協力者か? あまり一般人を巻き込むな……」

 

「一般じゃないからセーフセーフ」

 

 

 だってヤクザだから、と内心で嘲笑う。

 御剣はチラリと、凛子を見た後に声を潜め、話しかける。

 

 

「それより紅守……なんで浅葱の娘を連れて来た」

 

「そりゃ、逆授業参観みたいな? パパの晴れ舞台だからねぇ」

 

「……父親はお前が既に」

 

「違う違う。お髭がチャーミングな二代目パパだから」

 

 

 御剣の脳裏に、取り調べをしたあの男……氷室幻徳が過る。

 紅守と親交がある上に、確か凛子も来ていた。あの男が、現在の凛子の身元引受人だろうか。

 

 

「……紅守、答えろ。あの男は何者だ? 身元不詳の人間は関わらせられんぞ」

 

「あたしにも分かんないっす」

 

「だからなぁ……」

 

「ヘーキだって! 完全にあたしの管轄内だし?」

 

 

 手をヒラヒラさせながら、御剣より離れる。車から出る時に少し濡れてしまった彼とは違い、一切雨に当たられていない彼女は浮いて見える。

 

 

 自身の車の前に戻り、凛子とひな子を誘導して工場内へ歩き始めた。御剣も君原もその後に続く。

 タブレットを持ったままのひな子は傘をさせないので、凛子と相合傘となっている。ジィーっと液晶を凝視している先には、以前としてアイコンが明滅を繰り返していた。

 

 

「ひな子ぉ、どの建物?」

 

「えっとね……あの一番大きなトコ!」

 

 

 ひな子が指差した、雨曝しの工場本棟。

 半開きになっている扉へ向かおうとした時、タブレットを見ていたひな子から声が漏れる。

 

 

「あ。ピコピコなくなっちゃった」

 

 

 

 

 

 

 

 続き、雨音を破壊した衝撃音。

 五人の目前にある工場の壁が破れ、何かが突き抜け現れた。

 

 

「な……ッ!?」

 

「おぉ〜……」

 

 

 

 

 降り頻る雨粒に、揺れる水溜りの水面。

 雨模様を蹂躙するかのように現れたそれは、巨漢の老人だ。

 

 

「ガフッ……!」

 

 

 赤黒い血を吐き、伸び切った髭が染まる。

 老人は一、二度泥の上を転がったものの、態勢が安定したと同時にふらり立ち上がる。

 

 

「おい、なんだ!?」

 

「なんで吹っ飛んで来て……!?」

 

「……へぇ〜?」

 

 

 困惑する御剣と君原。

 紅守だけが、全てを察したかのように笑っている。老人に注目する各々とは違い、一点、空けられた壁の穴を注視する。

 

 

 明かりのない工場の中から、曇天の鈍い陽光と雨を浴びる。

 青い目を光らせた、禍々しい姿の異形。

 御剣らにすれば『紫のヒーロー』……紅守らにすれば『仮面ライダーローグ』が、その身を晒した。

 

 

「ロープっ!?」

 

「……こりゃ予想外だわ」

 

「紫のヒーロー……ッ!? まさか、紅守……!?」

 

 

 全てを悟った御剣は紅守を睨み付けた。

 だが、ローグを眺める彼女の表情を見てしまい、二の句が継げない。

 

 

 先の割れた、蛇のような長い舌。

 耳まで迫らんばかりに引き上がる口角。

 

 傘が目より離れてを隠し、口元が強調され見えた。

 悪魔の笑み。凡そ、『常人』の自分には決して見せない、『同類への笑み』。

 

 

 

 

「……ッ!」

 

「……予想外だわ……あっはあ♡」

 

 

 暫し目を離せなかった彼だが、君原の呼ぶ声で現実に引き戻される。

 ローグは老人に一気に近付き、腹部を殴った。

 

 

 

「あの老人が、事件の犯人なんですね!?」

 

「恐らく……いや、そうなんだろうな!」

 

 

 傘を投げ捨て、拳銃を握りながら急行する二人。

 しかし、状況は難解だ。

 

 

「こ、これ、どうしたら良いんですか!?」

 

 

 犯人と思われる男を暴行する、紫のヒーロー。どう対応すべきか。

 

 

「…………」

 

 

 紅守のあの笑みを思い出す。

 そして次に、取調室を出ようとした時の彼の言葉を。

 

 

 遊園地で見た時の、輝きを感じた姿を。

 初めて見た時に感じた、あの輝きを。

 

 

 思い返し、正体を知った今、御剣は彼が『善人』である事に気付かされる。

 同時に狂気により、今の彼は後戻りの出来なくなる位置まで来てしまった事に気付かされる。そうなれば、彼は『獣』に堕ちる。

 

 

 

 

「……止めるに決まってんだろ」

 

「え!? ツルさん!?」

 

 

 彼に『人殺し』をさせてはならない。そう判断した彼は、二人の間に駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 装甲越しに伝わる、鈍い肉の感覚。

 脳に焼き付き離れない、子供たちの死体。

 感情全てを支配した、憎悪と明確なる殺意。

 

 

 何度も何度も、この男を殴った。倒れたならば、蹴飛ばした。

 マスクのモニターは正常に動作しているのに、目の前が真っ赤になっていた。

 ただ機械的に殴り、蹴り、殴り、蹴り、殴り、蹴り。

 

 

 楽には死なさない、トドメは後だ。心の底で、そんなサディスティックな声が轟く。

 罪は死で以て償わせろ、法では無理だ。殺せ殺せ。

 俺はヒーローなんかじゃない。ローグだ。

 

 

 

 

 

 胸倉を掴み、何度目かの拳を顔面へ。

 老人は大きく倒れ、天を仰ぐ。

 それでも尚、蹴りかかろうとするローグだが、目の前に腕を広げた御剣が立ち塞がる。

 

 

「止まれッ!! 殺人は容認出来ないッ!!」

 

「どけぇぇぇ……ッ!!」

 

「うッ!?」

 

 

 御剣の肩を掴み、思い切り横へ放り投げる。

 ローグのパワーは人間を遥かに超えている。警察と言えど止められない。

 

 

「ぐぅ……! なんつぅ力だ……!?」

 

 

 スーツを泥塗れにしながら、急いで御剣はローグに縋り付く。

 

 

「待てッ!! あんたは殺しちゃ駄目だッ!!」

 

「どけぇぇぇぇッッ!!!!」

 

 

 腕を振るい、張り付く彼を剥がす。

 それでも御剣は、立ち上がりローグを止めようとした。

 

 

「あんたはヒーローのハズだろッ!?」

 

「俺はローグだッ!!」

 

「違うッ!! 目を覚ませッ!?」

 

 

 あまりに鬼気迫る状況。君原は完全に自分の動き方を見失い、オロオロと傍観するしかなかった。

 

 

 

「おぉー! 流石ロープ……! 走る機関車(?)だ……!!」

 

 

 興奮し、顛末を見守るひな子。

 

 

「あーあ。ツルさんも熱くなっちゃって。琴線に触れちゃったかな?……それより」

 

 

 その横、傘を持っていた凛子に、紅守は囁く。

 

 

 

 

「どぉ? あれがげんさんの正体だよぉ?」

 

「………………」

 

「暴力的で、衝動的で、感情的で、不器用なほどに単純な、化けの皮さ」

 

「……………………」

 

「あれってさ、『ヒーロー』って呼べる? 最低だよねぇ?」

 

 

 ここまで押し黙っていた凛子。

 次にはその口が、ゆっくりと開かれた。

 

 

 

 

 

「……最高」

 

 

 

 

 

 父親の部屋で鑑賞した、殺害現場の映像。

 そうだ、自分はあの時確かに、心の底から悦楽を感じていた。

 

 ローグが、殺意を以て、攻撃している。

 あの悦楽が、好奇心が、快楽が、全身を巡る。

 

 

 

 傘が隠し、紅守は見えない。

 憧れのロー()に興奮し、ひな子は見てない。

 ローグを止めようと、御剣と君原は見れない。

 

 

 足元の水溜りに映り、他ならぬ彼女自身が見られた。

 邪悪な笑みだった。我ながらそう思う。

 

 

 

「しかし美しくないねぇ……あたしがお膳立てしてあげよっか」

 

 

 紅守は身を翻し、何処かへ行く。

 

 

 

 

 

 

 

 御剣の邪魔を排除し、尚も老人に殴りかかるローグ。

 いつものスーツはドロドロになり、クリーニング屋もお手上げ状態だろう。だが、今の彼にはスーツの一着ぐらい一縷も考えやしなかった。

 

 

「落ち着けと言っているだろッ!! お前の仕事ではないんだッ!!」

 

「こいつは殺さないと駄目だ……ッ!!」

 

「後戻り出来なくなるんだぞッ!?」

 

「知った事かぁぁぁあッ!!」

 

 

 再度、御剣を引き剥がす。今度は老人の首に手をかけ、締めようと始めていた。

 

「ヒーローじゃないなら……ッ」

 

 怒りで我を忘れている。これほどの感情を露わにするほど、工場内で凄惨な光景を見たからだ。

 もう声は届かないのか。泥を掴み、立ち上がり、叫ぶ。

 

 

「……あんた何の為に戦ってたんだッ!?」

 

 

 拳銃を持つ。しかし、撃つ為ではない。

 銃口と銃床の位置を逆に握り、ローグに駆け寄る。

 

 

 

 

 

 

「『ヒーロー気取り』だったのかッ!!??」

 

 

 

 ローグの背中を、銃床で殴った。彼の防御力を知っての行動だ。

 割れたのは、銃の方だった。ローグにさして、ダメージはない。

 

 

 しかし彼の言葉は、殴った事による衝撃と共に、やっと幻徳に響く。

『ヒーロー気取り』の声。

 

 

 

『今更、ヒーロー気取りか!!』

 

『お前の罪は決して消えないッ!!』

 

 

 

 

 

 ローグの動作が止まる。

 全ての感情を抜けて現れた、一つの声。憎むべき真の敵の、声。

 

 奴を倒す事。そして国を立て直し、自らの罪を、償い続ける事。それが彼の、戦う理由。

 

 

 

「………………」

 

 

 自分の手が、冷静になって眺められた。

 

 拳は、血で塗れていた。

 

 目の前には首を締め上げ、顔は腫れ上がり、もう意識のない老人。

 

 

 

「…………俺は?」

 

 

 首にかけていた手を離す。老人は泥の中へ、倒れて動かなくなった。

 

 

 

 血だらけの拳は、雨では流しきれないほどこびり付いている。

 その手を見た時、思い出した。自分はこの手を血で染め、力を手に入れた事を。

 殴り、怒り、恍惚し……絶望を味わった事を。

 

 

 

 

 

「……俺の……手、なのか?」

 

 

 

 氷室幻徳の手は、また血で塗れていた。

 狂気に陥っていた、あの頃と同じように。

 

 

 

 

 

「……………………」

 

 

 

 

 眼前に倒れている、老人。最悪の殺人鬼だ。絶対に許されない。

 だがそれよりも許せないのは、自分だろう。彼は己で否定し、正義を定義し、『あの頃の氷室幻徳』に戻ってしまった。

 

 

「正気に……!?」

 

 

 期待をする御剣の手前、彼はスクラッシュドライバーのレバーを押した。

 ボトルからエネルギーを搾り出し、それは脚部に集中。

 

 

 

 

CRACK UP・FINISH(クラック・アップ・フィニッシュ)ッ!!』

 

「ッ!? おい、まだやるのか!?」

 

 

 右脚が、紫色のエネルギーで光り出す。

 破壊力を帯び、当てられた者を完全に消滅させる、一撃必殺。

 御剣はそんな攻撃が成される事は知らない。だが、彼から発せられる空気を間近で浴び、一瞬で危険と察知した。

 

 

 

「待てッ!! やめろッ!!」

 

「つ、ツルさん!! 離れて!!」

 

 

 危険と判断した君原が、必死に御剣を引き剥がす。

 二人にとっては目を疑う光景だろう。蓄積したエネルギーが発光し、嵐が来る前のような緊張感が張り詰める。

 

 

 

 

「おおお! 必殺ワザッ!!」

 

「……………………」

 

 

 何かが来る予兆に大興奮するひな子の隣、凛子は待ち望んでいた。

 彼の一撃が、全てを破壊する事を。堕ちる彼を見る事を。

 

 

 

 

「待て…………!」

 

 

 御剣の声は、一気に降り出した雨が搔き消した。

 ローグを腰を一瞬落とし、跳ぶ。

 

 

 

 彼はそこでバック転を行なった。紫光を放つ右脚が曲線を描き、三日月型の軌跡を辿る。

 雨粒を刹那に蒸発させ、彼の周りだけ雨が止んだようにも見えた。

 

 曇天に見える、紫炎の月。ローグの、怒りと無情のムーンサルト。

 

 

 

 

 

 彼の右脚は天と地を逆転させ、老人に落ちようとしていた鉄骨を蹴る。

 工場の上に積まれて放置されていた、錆びた鉄骨。それが、動けない彼を串刺しにしようと落下していた。

 ローグはそれを蹴っ飛ばし、防ぐ。

 

 

 

 

 直撃した鉄骨は落下を止め、ローグの蹴りによってエネルギーの方向を変える。

 真っ直ぐだったそれは大きく、くの字にひしゃげ、廃工場目掛けて吹き飛んだ。

『鍵村鉄工場』の看板を巻き込み、鉄骨は工場の上部を破壊し、ぶっ刺さる。

 

 激しい音とインパクトが、雨を裂いた……ようにも思える一瞬だった。

 

 

 

 

 

「………………」

 

 

 ローグは着地する。再び雨に塗れ、ひっそりと佇む。

 そんな彼の横に、紅守が傘をさして立っていた。ローグと違い、全く濡れていない。

 

 

「ありゃ? こっちを蹴るの?」

 

「………………」

 

 

 鉄骨を落とした張本人は、紅守だ。工場の上から壁の穴を利用し、無傷で降りて来たようだ。

 

 

「さっさとトドメさしちゃいなよぅ。悪を根絶すべきがヒーローでしょ?」

 

「…………紅守。もう終わった」

 

「え? 終わってないっすよ? 死んでないし?」

 

 

 老人は仰向けのまま、雨曝しになって動いていない。

 しかし口をパクパク開けている所を見るに、生存している。

 

 呆然とする御剣と君原の前、ローグは倒れている老人に近付く。

 

 

「死んだも同然だ」

 

「あの〜、話聞いています?」

 

「……延髄と脊骨を折った」

 

 

 彼は淡々と説明。

 

 

 ローグの暴行を受け続けた老人が、無事な訳がない。脊骨と延髄の損傷により神経は断裂し、不能となった。

 今の老人は、首から下を一生動かせない。

 

 

「殺す必要はない。こいつはもう、死ぬまでこの様だ。二度と立つ事も、殺す事も出来ん」

 

 

 紅守は分かりやすいほどにオーバーな表情と動作で、呆れを表現した。

 

 

「そいつの人権は剥奪されたんでっせ、ゲンさん。政府公認」

 

「だから人間以下の状態にしただろ」

 

「ノンノンノンっ! 死ななきゃ駄目駄目!」

 

「死んだら駄目なんだ」

 

「ん?」

 

 

 ローグの藍晶石のような目が、紅守に向く。

 

 

 

 

 

 

「こいつは『証人』……痛覚に対し、異常な鈍感度……『チェザーレ』をやっている可能性がある。麻薬の流通者に近い」

 

 

 紅守の呆れ顔が、「おっ?」と興味を含めたものとなる。

 

 

「口頭の意思疎通は可能だ。尋問を取った方が有益だろ」

 

「錯乱状態で話にならんって事もあんじゃないの?」

 

「時間はある……この男が死ぬまでだ」

 

 

 ローグは……幻徳は、フルボトルを抜く。

 身体が光ったとおもえば、粒子を散らすようにスーツは消えた。

 

 その下からは、影のかかった表情の、彼の真の姿を現わす。

 気付いていたとは言え、直接変身解除のシーンを見た御剣と君原は驚愕した。

 

 

「…………ほら」

 

 

 雨に濡れ、乱れた黒髪。廃れた容姿のまま彼は、スクラッシュドライバーを投げ渡す。

 

 

「あっれぇ? あれほど嫌がってたのにぃ?」

 

「……発信機かなんか付けてただろ。四六時中見られるよりはマシだ」

 

「バレてーら」

 

 

 それだけ言い残し、幻徳はそこを後にしようとする。

 御剣らを一瞥し、懺悔を込めた渋面。紅守の隣を抜けた。

 

 

 

 

「げんとくん、なんだかんだ理由付けてるけどさあ」

 

「………………」

 

「…………あは♡ やっぱ良いや♡」

 

 

 不気味に笑いながら、睨み出て行く幻徳を見送る。

 歩き去ろうとする彼の傍を、ひな子が目を輝かせながら近付いた。ネコミミのついた、可愛らしいカッパ姿だ。

 

 

「ま、まさか、優しいおじさんがロープだったなんて……!」

 

「……ロープ?」

 

「やっぱおじさんは優しいおじさんだった! ねぇねぇロープ! ひな子めを弟子にしてくださいっ!!」

 

「弟子って……」

 

「おじさんのような、悪い人をやっつける『ヒーロー』になりたいんですっ!!」

 

 

 

 幻徳は暗い声で呟く。

 

 

 

「俺はヒーローなんかじゃない……ヒーローですらない」

 

 

 引き止めようとする彼女を離し、再び歩く。

 

 

 

 

 

「ヒーロー気取りの……殺人鬼だ」

 

 

 

 雨に打たれ、心を打たれ、自分を愚かに思いながら幻徳は、工場を後にする。

 

 

 

 

 全てが終わり、応援のパトカーのサイレンが響く。

 御剣はその間、動けない老人を見下す紅守に問う。

 

 

「……おい。あの男の事、嫌でも話してもらうぞ」

 

「だったらさっきのげんとくんを捕まえたら良かったんじゃん?」

 

「それは…………」

 

 

 何故か言い淀む御剣。代弁するかのように、君原が話し出す。

 

 

「先の遊園地の件で重要参考人とされていますが……警察に協力してくださるなら非常に有益な事です。紅守さんからお声掛けを願いますよ」

 

「え〜? それやっちゃ、あたしの仕事無くなっちゃうよちゃっちゃ〜ん!」

 

「だからその名で……!」

 

 

 辺りが突如、明るくなり始めた。

 雨が次第に弱まり、雲の切れ間から青が覗く。

 

 

 過ぎた雨雲の後にやって来る晴天。太陽が照り、空気中を舞う水滴粒子が虹を作る。

 突然の停止。

 全てを冷やし切り、役目を終えたと悟ったかのようだ。

 

 

 

 

 

「……雨、止んだ」

 

 工場の中から、気絶した空を背負う凛子が出て来る。

 既にいなくなった幻徳を探したが、彼女らに気付き駆け寄る君原の姿で、捜索を中断。

 こうして無事に、最後の被害者は生きて、母親の元に帰る事が出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帰りの途中、雑木林の傍。

 空にかかる虹を見上げる、幻徳。

 

 

 その下、誰もいない場所で彼は一人、泣いた。

 

 

 

To NEXT……



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

狂笑ナイトローグ/CollApse

 幻徳は闇の中にいた。

 遠くがまるで見えない。或いは遠くさえ黒である為、遠近の区別がつかない。そんな闇の中。

 

 

「……? 何処だ、ここは?」

 

 

 足元も分からず、ただ進む。

 心に蟠る気持ちと不安を何とか殺し、出口を求めた。

 歩けど歩けど、黒い世界。自分の影さえ見えない、闇の世界。

 

 

 見渡し、一歩ずつ進み、時に立ち止まり、振り返ってはまた、前へ。

 前に前へ前と考えた所で、前後左右なんて把握は出来ない。ただ幻徳は狂信めいた確信がある、

 誰かが呼んでいるような、或いは声でなくとも、気配がするような。

 

 言い様もない感覚に従い、彼は蟻のように進むのみ。

 

 

 

 

 

 

「……うぉっ!?」

 

 

 上から何かが降って来た。

 途端、幻徳にスポットライトが当たる。

 異様な光景に疑問を抱く事はなく、彼は落ちて来た物を払い上げた。

 

 

 A4用紙が数枚、ホッチキス留めにされていた。何かの資料のようなそれは、演劇台本だった。

 

 

 

 

 

 

 

○暗い世界・幻徳の意識(独白)

 

 男、君を眺める。

 

男「どうだ? 晴れ晴れとした気分だろ?」

 

 

(自我)彼の言葉を否定する。自分はやるべき事をしたと主張する(自我終了)

 

 男、君を眺めながら高らかに笑う。

 

 

男「やるべき事だと? 確かにそれは正しい。お前はお前の正義で、悪を打ち倒したんだ!」

 

 

(自我)否定する。自分は正義の使者ではないと告げる(自我終了)

 

 男、笑いながら君を指差す。

 

 

男「いいや、俺は正義だ! 俺は俺の力で、正義を全うしたんだ! お前が望んだ、それを実行しただけに過ぎない!」

 

 

(自我)否定する。自分は子供を助ければ良かったと言う(自我終了)

 

 男、憤怒の表情で君の前に立つ。

 

 

男「何故、真実を認めないッ!? お前は世を変え、国を統一する男だろう!? 民の上に立ち、支配し、戦争に勝利するッ!! 勝利は正義だッ!!」

 

 

(自我)掴みかかるが、男は避ける(自我終了)

 男、大声で捲し立てる。

 

 

男「何を今更怖気付くッ!! お前は底無しの可能性を持っているハズだッ!! 親父を超える、支配者の器を持っている男だろうがッ!!」

 

 

(自我)立ち尽くす(自我終了)

 

 男、腕を振り乱しながら続ける。

 

 

男「怖いのか!? 犠牲がッ!? 犠牲なくして、勝利はないッ!!」

 

 

 

 

 

 

「その過程で死んだ者は、『大義の為の犠牲』に他ならないッ!!」

 

 

 大声が響き、持っていた台本を落とした。

 聞き覚えのある声……いや、聞き覚えがあるも何も、四六時中聞いて来た、自分の声だ。

 

 

 先方に、男が立っていた。

 整った髭と、撫で付けた髪。そして東都政府の制服に身を包んだ男。

 思い出したくもない、自分でありながら自分じゃない存在。

 

 

 

 

 

 

 

 

COCODRILO サブタイトル『狂笑ナイトローグ/CollApse』

 

○暗い世界・幻徳の意識(対話)

 

 氷室幻徳、『氷室幻徳』と相対し、困惑。

 

 

 

 

 

 

 

 

 紛れも無い、過去の自分だ。

 パンドラボックスの光によって狂わされ、野望と好戦に満ちていた時代の自分。

 十年間の自分……多くの人間を死へ追いやった、悪魔の存在。邪悪、外道……

 

 

 それが今、薄汚れた格好に成り果てた自分自身の前に、高慢な表情で立っていた。

 

 

「お前は……!?」

 

「何を混乱している? 俺はお前だ」

 

 

 燃え盛る目を大きく見開き、幻徳は愉快そうに睨み付けて来る。

 

 

「欲望を抱き狂気に向き合っても尚! それらをひた隠そうとする貴様に物申しに来た」

 

「俺はもうあの頃の氷室幻徳ではないッ!! 消えろッ!!」

 

「いいや逆だ。消えるべきは貴様の方ではないのか? え?」

 

 

 舞台役者のような大袈裟な仕草を見せる。

 天より注ぐ一筋のライトを浴び、暗闇が見守る中で幻徳はまた叫ぶ。

 

 

「俺は……お前は、数多の国民を死地に送り、人以下に殺したッ!! だからこそ、償わなければならないッ!!」

 

「償う必要はない、今の俺よ。お前の行動が、正しい! お花畑の思考で平和を掲げ、国が蹂躙されそうになった事態を、最小の犠牲で済ませたのだからな!」

 

「その結果が、更に多くの犠牲を生んだ……!」

 

 

 記憶に過り、表情が微かに歪んだ。

 その歪みに気付き、何を想起したのかなど、自分自身が察知出来ないハズはない。

 

 

 

 

「親父は甘かった、死んで当然とは、思えんのか?」

 

 

 

 

 彼は怒りに駆られた。

 この時ばかりはエボルトよりも怒りが優った。自分の声で、自分自身がそう言ったのだから、当然だ。

 見下し、容姿ばかり綺麗に飾った自分に殴りかかる。

 

 だが拳が当たる事は無かった。

 奴の鼻先に拳骨が激突しようとした瞬間に、氷室幻徳へのスポットライトは消え、彼自身も消えた。

 闇を擦り抜け、愕然としていると、背後から声が投げかけられる。

 

 

「そもそもだ、氷室幻徳! 俺自身よ! 親父が倒れた時、お前は確かに笑ったハズだ! 国の全てを、お前は手中に収められ、歓喜していたんだッ!!」

 

「俺はお前じゃないッ!!」

 

「言ったな氷室幻徳、俺よッ!! その言葉こそ、貴様の本性に他ならない!」

 

「なに……!?」

 

 

 背後にて、再びスポットライトを浴びる氷室幻徳。

 真っ直ぐこちらを見据え、勝ち誇った顔で言い渡した。

 

 

 

 

「償うと言っている割に、俺を認めようとしないのだからなッ!! 罪を背負う自分だけを見て、『罪を作った俺』には見向きもしないッ!!」

 

 

 思わず押し黙った。その隙に彼は、間髪入れず叫ぶ。

 

 

「所詮はエゴだッ!! お前には、『罪の意識』は皆無なんだよ、氷室幻徳よッ!! 俺自身よ、お前その者よッ!!!!」

 

「……!!」

 

「お前に罪を償うつもりは無いッ!!……罪から逃げたいだけだろ?」

 

「……き、貴様ぁぁぁぁ……!!」

 

 

 詰め寄る、胸倉を掴む。今度は奴を捕えられた。

 捕えられたと言うのに、殴る事は何故か、出来なかった。

 

 

 

 悶々としている内に、氷室幻徳は呆れた表情で、一発殴る。

 

 

「良いだろう、氷室幻徳! お前が自分の書いた、元の氷室幻徳を演じようとしても……俺がいるって事を教えてやる」

 

 

 

 右手を、制服のポケットに手を入れたまま、もう片方の手を前に突き出す。

 

 その手に持っている物に、地面に倒れる彼は絶句する。

 

 

「……それは……!?」

 

「懐かしいよなぁ、氷室幻徳。お前はこれで、全てを創ったんだ」

 

 

 邪悪な笑顔、自分の顔だと信じられない。

 フルボトルを、持っているデバイスに挿し込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

『BAT!』

 

 

 

 重低音を靡かせ、電子的な待機音が一定の間隔でリピートを続ける。

 ポケットに片手を突っ込み、全てを嘲笑うような笑みを浮かべ……

 

 

 

『バットフルボトル』を挿した『トランスチームガン』を、天に掲げた。

 

 

「やめろ……!」

 

「貴様の本性を見せてやる」

 

「やめろッ……!!」

 

 

 トリガーに指をかける。

 

 

 

 

「……『蒸血』」

 

 

 そして、何の躊躇も見せず、引いた。

 

 

 

 

 

『MIST・MATCH!』

 

 

 トランスチームガンの銃口より、鈍色の煙が噴出。

 幻徳は浴びるように包まれ、姿が見えなくなった。

 

 

 

 立ち込める煙の奥、蝙蝠を模した形のライトが浮かび上がる。

 

 

『BAT!……BA・BA・BAT!』

 

 

 煙が晴れ始め、現した姿は異形の存在。

 パイプを張り巡らせた装甲、人間の温もりを感じさせない無機的な相貌。煙を纏う怪人だ。

 

 

 幻徳は、その怪人から目を離せなかった。

 自分の罪の、具現化がそこに立っているから。

 

 

 

 

『FIRE!!』

 

 

 怪人の背中から放たれた火花が、微かに揺蕩う煙を散らす。

 完全なる姿のその存在こそ、狂気に陥っていた頃の自分の姿。

 

 

 

 

「刮目しろ……これがお前だ……お前なんだよ」

 

 

 囁くように、そいつは示した。

 

 

 

「……『ナイトローグ』よ」

 

 

 

 その言葉を最後に、彼は意識を飛ばした。

 逃げるように、避けるように……恐れるように、死に急ぐように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 氷室幻徳、目を覚ます。

 

 

「う……っ」

 

 

 体温の微かな低下に身体が驚き、脳から覚醒した。

 闇に慣れた目が光に冴え、苦しそうで眠たそうな、気怠い表情でチラリ、横を見遣る。

 

 

 布団を持った、凛子が立っていた。

 

 

「…………凛子か。その毛布、かけて欲しい」

 

「……もう朝だよ、幻徳さん」

 

「朝? もう? まだ寝たばっかだろ……」

 

「八時間は寝てるって!」

 

 

 寝惚ける彼を揺すり、何とか上半身を起こす事に成功した。

 

 

 

『おはようございます』

 

「眠たい」

 

「Tシャツと言葉が真逆……」

 

 

 以外と低血圧気味な彼に四苦八苦しながら、うつらうつらと危なかったしい幻徳を、背後から引っ張ってベッドから出そうとする。

 

 

 

 凛子が使っていた敷き布団等は、既に畳まれている。

 やっとベッドから降りた幻徳は凛子の姿を見て、「あっ」と思い出した。

 

 

「そう言えば、今日か」

 

「そうだよ、幻徳さん」

 

 

 彼女の格好は、学校制服。

 ここに住む事となると元いた学校は校区外となる為、彼女は転校した。

 今日がその転校初日、登校日。

 

 

「すぐに支度しよう。味噌汁と、焼き鮭があったな……コンビニので悪いが」

 

「炊飯器、空っぽだった……」

 

「炊き方が分からんから、米は無しだな」

 

「……空っぽだったから炊いておいたよ」

 

「いつの間に……」

 

 

 味噌汁、焼き鮭、白米。朝ご飯としてはオーソドックスだ。

「いただきます」と声を揃え、食事を進めて行く。

 

 

 

「学校は何処だった?」

 

「『マリモ學園』。私立校だって」

 

「良く私立校に入れたもんだ。小学校中学校は私立が良くて、高校からは公立が良いんだ。俺もそうだったな、小学校から勉強尽くしだ」

 

「幻徳さんはどんな学校だったの?」

 

「大学は国立だった。凛子は賢いようだし、目指してみるのもアリだな」

 

 

 他愛もない会話。

 喋る合間に食事を進め、二人は同時に「ごちそうさま」で終えた。

 

 

「お皿片付ける?」

 

「流しに置いておけ、帰ったら洗う。もう時間が無いぞ」

 

「……時間無いの、幻徳さんの寝坊のせいじゃ……」

 

「さ、さあ。行こうか」

 

 

 幻徳もスーツに着替え、玄関先に待たせていた凛子と一緒に外に出る。

 

 

 

 前回の事件の後、紅守から車を貰った。

 中古のバンだが、まともな足が手に入った点は有難い。

 

 

「忘れ物はないな? 初日から忘れ物はメチャクチャ恥ずかしいからな」

 

「忘れ物はないけど……幻徳さんも、そんな事あったんだ」

 

「忘れもしない、アレは高校初日……」

 

「……早くエンジンかけないと」

 

 

 後部座席に凛子を乗せ、幻徳はエンジンをかける。

 車が軽く揺れ、アクセルを踏むと進み出した。ハンドルを左に切って駐車場を出て、道路に入る。

 通学と出勤する人々が駅に走り、或いは車やバイクを走らせる。幻徳らもちょうど、その中に並ぶ。

 

 

「マリモ學園ってのは、どんな学校だ?」

 

「エスカレーター校の女子校だって。中等部に、ひな子さんや八葉さんがいるよ」

 

「エスカレーター校か……受験の心配しなくて良いな、羨ましい」

 

「幻徳さん、お仕事はどんなの?」

 

「…………まぁ、社会貢献な仕事だな」

 

「?」

 

 

 赤信号となり、車は十字路で止まる。

 歩車分離式の為、交差点は一気に人で溢れた。

 

 

 無個性なスーツ姿、明るい色の制服。大学生ならばお洒落な服装だったり、無頓着な者ならばモッサリとした物。

 またスーツ姿にせよ、ストライプが入った物だったり、似合う者と似合わない者がいる。学校制服にせよ、それをどう着こなすかと工夫しているような、おませな学生もチラホラ伺える。

 

 疲れた顔の者、音楽を聴く者、一人の者、駄弁る者、ゆとりのある者、急ぐ者、電話をする者、スマホを弄る者、下を見る者、空を見上げる者、地味な者、派手な者。

 

 

 スクランブル交差点は、様々な人で溢れかえっていた。

 

 

 

 

 

「……たまに思うんだ」

 

 

 信号待ちの沈黙を、幻徳を破る。

 

 

「この交差点を歩く人々が、皆同じ考えを持って、同じ習慣で同じ場所を目指すのなら、どうなるのか」

 

「……みんな、同じ人だね」

 

「ああ。みんな、同じ様にこの交差点を渡るだろうな。同じ方向で、同じ表情で、同じ物を持って、同じ歩き方だ」

 

「私は嫌だね、それ」

 

「だけど経済学の世界じゃ、人間はみんな同じ考えを持っている前提で展開される。つまり、経済的にも文化的にも……その方が社会は美しく巡るらしい」

 

 

 凛子から見た彼の横顔は、寂しげだった。

 

 

「……しかし、同じ考えを持っていたとしても、人間は何故か細かい所が違う」

 

 

 歩行者信号が点滅を始める。

 

 

「そのちっぽけなエラーが、同じ所を目指しているハズなのに、どんどん人と人をズラして行く」

 

 

 青かった歩行者信号が、赤になる。

 滑り込みて交差点に出た者が、大急ぎで対岸へ走って行く。

 

 

「この交差点を歩いていた者も、同じ職場か同じ学校で、同じ考えや性格を持っているハズなのに、違って見えるのは」

 

 

 

 

 幻徳らとは別の車道から、青信号になる。

 

 

「……細かい所……『自我』があるからだ」

 

 

 幻徳は首を回し、凛子を見遣った。

 

 

「凛子。自分が自分である最後の証明は、その自我だ。自我の前に、同じ者は存在しない」

 

 

 別車道が赤信号になると、次は幻徳らの車道が青になる番だ。

 

 

「……君は父親とは違う。浅葱凛子は君だけだ」

 

 

 

 信号が変わり、前を向き、アクセルを踏む。

 誰もいなくなった交差点を真っ直ぐ、突き進んだ。

 

 

 

 

 

 

「……幻徳さんにも、自我はあるんだよね」

 

 

 凛子の質問には、簡素に答えた。

 

 

「……そうだな。そうだと願っている」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マリモ學園の前に着いた。通学中の生徒でごった返している為、校門より少し離れた場所で凛子を降ろす。

 

 

「ひな子らに会ったら、よろしく伝えてくれ」

 

「うん」

 

「帰りも迎えに行けると思うが、アレだったらひな子と紅守の家に行けば良い」

 

「分かった。それじゃ、行ってくるね」

 

「行って来い。勉強頑張れ」

 

 

 ドアを閉め、校門に向かう他の生徒らに混じって消えてしまった。

 出来るだけ見送る幻徳は、見えなくなったタイミングで、職場に向けて進路を取ろうとハンドルを握る。

 

 

 

 

 

 ポケットで、スマホが揺れる。

 

 

「誰だ?」

 

 

 メールだ、それも柳岡会の上司。

 会内で数多の功績を立てた幻徳は、信頼され、難しい仕事を任されるようになれた。

 

 

 メールを開き、確認する。訝しげな、彼の表情。

 

 

 

 

 

「……チャイニーズ・マフィアまでいるのか? どうなってんだこの町は……」

 

 

 呆れながらも彼は目的地……『久多跡中華街』へ車を走らせる。

 胸に蟠る、自分自身への不安を募らせながら。




ARANA
次回『燃えよドラゴン/Sniper Come back』


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

燃えよドラゴン/Sniper Come back

 久多跡中華街。

 神奈川県の境界に位置するここ流々家町だが、横浜中華街とこの街とは似たような起源を辿っているらしい。

 オフィス街を抜けた湾岸部。少し先に海が見える場所に、この街はあった。

 

 

「……チャイニーズマフィアか」

 

 

 幻徳は露店で買った、豚角煮バーガーを食べながら、メールで送られた指令を見返した。

 

 

「黒社会……黑社會(ヘイシャーホェイ)……分かりやすい名前だな」

 

 

 政治家として少なからず外交にも携わった幻徳は、中国語もある程度話せるし、読める。

 彼に与えられた指令は、件の黑社會の調査。聞けばこの黑社會、この中華街のみならず、横浜・神戸までも裾野を広げているらしい。

 

 中国本土でもなかなかの影響力があると言う為、柳岡会と言えども関わり合いは避けたいハズだ。

 しかし今回ばかりは調査をしなければならない。

 

 

「……黑社會の下部組織が不穏な動きを見せている。何があったか、何をするかの調査か……俺はスパイじゃねーぞ……」

 

 

 愚痴を零しながら、街を歩く。

 派手な色合いの華やかな街並みは、先程まで車で走り抜けていたビル街とは打って変わり、強烈な印象を異国情緒と共に与えて来る。

 

 少し辿々しい日本語で呼び込みする中国人の店員たちの間を抜けて、幻徳は薄暗い路地裏に入る。

 

 

「波の音か。裏手は湾岸っぽいな」

 

 

 情報によると、この路地裏に埋没したかのような建物が、黑社會の支部だそうだ。

 

 

「……本当にここか?」

 

 

 看板は出ていないが、入り口にある逆さまの福……『倒福』からして、何かしらの商店とは思える。

 

 

「……ちょっと見てみるか」

 

 

 意を決して、戸を開く。

 客を装い、店内の雰囲気を把握しようとした。

 

 

「いらっしゃいませ」

 

「に……ニーハオ」

 

你好(ニーハオ)(こんにちは)。日本語で結構ですよ」

 

「……そ、そうですか」

 

 

 出迎えたのは、所謂チャイナドレスに身を包んだ女性店員。

 

 

「ここはレストランですか?」

 

「あの、どなたからの紹介を受けた方でしょうか?」

 

「紹介?」

 

「申し訳ありません。当店は完全紹介制でして……」

 

「あぁ……一見さん御断りの、そう言うタイプか……」

 

 

 完全に出鼻を挫かれた。

 ただ、店内の様子は確かに、高級そうな飲食店だ。奥に客室でもあるのか、良い匂いが漂っている。

 

 

「それは知らなかった。いや、本当に失礼しました……あぁ。对不起(ドゥイブーチー)(すみません)」

 

没事(メイシー)(いえいえ)」

 

 

 幻徳は出て行くしかなかった。

 

 

 

 

 戸が閉められ、彼が出て行った事を確認すると、女性はくるりと踵を返し、奥の部屋へ入る。

 

 

 観音開きの豪勢な扉の向こう。

 そこは壮麗な装飾を施された、絢爛とした広間だった。

 黒服に身を包んだ男たちが一列に並び、多くの料理が置かれた丸テーブルを挟んで対話する三人を傍観している。

 女性は部屋に入るなり、その丸テーブルに座る一人の元へ近付く。彼が店主のようだ。

 

 

「どうした?」

 

「一般人が入店しただけです」

 

「看板は取っていたハズだが……倒福も取り去るべきだったか」

 

 

 男は再び、対話者の二人へ視線を戻す。その二人が客人のようだ。

 

 

「少し想定外がありました、申し訳ありません……では、説明を続けさせていただきます」

 

 

 彼の視線の先にいる二人。

 一人はフードを深く被り、顔を見せず、目の前の食事に手を付けない巨漢。

 もう一人は、食事をどんどん口に入れて行く、暗い目をした人物。

 

 

 

 

「……構わないわ」

 

 

 どう言った因果だろうか。

 いつか、幻徳と遭遇した、『二人の殺し屋』だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 入店拒否された幻徳は、次はどう情報を得ようかと悩んでいた。

 

 

「近辺の人間に聞き込むか……いや。こう言う組織は情報統制がしっかりしている」

 

 

 一度、乗ってきたバンに戻り、湾岸の方へ走らせた。

 

 完全紹介制と言ってはいたが、どうにもきな臭い。

 それに柳岡会の情報もある。詳しく調べる必要はあるだろう。

 

 

「……ん?」

 

 

 チラッと上を見た時に、彼は気が付いた。

 サンバイザーよりはみ出した、白いカード。

 

 

「………………」

 

 

 そう言えばこの車は、紅守から貰った物だ。何か、車に細工でもされていないかと不安になってくる。

 

 

「……一体なんだ」

 

 

 サンバイザーからカードを抜き取り、書かれている文字を読む。

 

 

『困ったらグローブボックスを引っ張ってねぇ〜げんとくん。ヒッパレーヒッパレー!』

 

「馬鹿にしてるのか……グローブボックス?」

 

 

 カードの隅に、絵が描いてある。

 助手席の前の物入れだ。

 

 

「……ダッシュボードじゃないのかコレ?」

 

『ダッシュボードはメーカーとか集まっている部分の事だよ〜ん』

 

「クソ……読まれてやがる」

 

 

 どうせロクでもない物でも入っているのだろうと、試しに助手席前のグローブボックスへ手を伸ばす。

 取っ手を引くと、カバーが勝手に落ちて開く。

 

 案の定、中には拳銃が入っていた。

 

 

「誰が使うか」

 

 

 乱暴に閉める。

 

 

「さて……どう見るか?」

 

 

 コンテナの近くに車を停め、再び歩く。

 

 GPSを駆使して把握した、この辺りの地図をスマホで見る。

 路地裏から見れば小さな建物に思えたが、それはビルに隠れた一部分に過ぎない。

 実際は中華街から湾岸にかけて広がった、巨大な建造物だ。

 

 

「完全紹介制のレストラン……にしてはデカイな」

 

 

 建物の南側を見回ってみる。

 監視役がいないか慎重になりつつ、視察。

 

 幻徳は懐から何かを取り出した。

 

 

「特別に分厚い壁じゃなさそうだが……聞き取れるか?」

 

 

 まるで聴診器に機械が付いたような物。

『コンクリートマイク』と呼ばれる物で、壁に伝わった『音の振動』を機械で増幅させ、盗聴するものだ。

 本来は害獣駆除業者がネズミの巣を探す目的で使われるが、幻徳の物は盗聴特化用に改造し、支給された。

 

 

「取り扱い説明書があったな……まずイヤフォンを挿して、機械のボタンを押す……後はこれを壁に付けるだけ……簡単だな」

 

 

 辺りに注意しながら屈み込み、マイクを壁に押し当てる。

 

 

 

 

 

『あっ♡ や……あっ♡ あっ♡』

 

「………………」

 

『あっダメ! きちゃうっ♡ きちゃうっ!♡』

 

「………………………」

 

 

 マイクを離す。

 頭を抱えて、溜め息を吐いた。

 

 

「……忘れよう。そうしよう」

 

 

 場所を変えようと立ち上がる。

 そうだ。場所が悪かっただけだと割り切り、移動した。

 

 

「……………」

 

 

 建物から少し離れた所。

 彼は突然、立ち止まる。

 

 

 

 

 

「……誰だ?」

 

 

 見上げる。

 

 

 空っぽのコンテナの上に立つ、邪悪な気配を感じ取った。

 そこに立つ者は幻徳を不気味に見下ろしている。

 

 

「良く、気付いたナ」

 

 

 漆黒の装束に身を包み、口元を隠して表情を伺わせない。

 生々しい傷跡のあるスキンヘッドと、爛々とした三白眼が特徴的だ。

 股下に垂れた布に、陰陽を表した『太極図』が描かれている。

 

 

 若干、片言な日本語と、オリエンタルな暗殺者の風貌。

 すぐに中国人であると分かり、同時に普通の人間では無い事も分かる。

 

 

「お前は黑社會の用心棒カ?」

 

「その口振りでは、あの建物が黑社會のアジトで正解のようだ……こことは関係ない」

 

「しかし、ただ迷い込んだ一般人でもナイ」

 

「……お前こそ、黑社會の人間か?」

 

 

 男は首を振る。

 

 

「無関係なら、さっさと出て行きナ。じきに『戦争』にナル」

 

「そう言う訳には行かない。仕事でな……」

 

 

 コンクリートマイクを仕舞う……と同時に、内ポケットにある『もう一つ』に手をかける。

 

 

「仕事? お前は探偵か何かカ? 生憎だが、お前からは『人殺しの臭い』がすル。普通では無いんダロ?」

 

 

 幻徳の表情に、動揺が浮かぶ。

 

 

「……臭いだと?」

 

「この稼業を続ければ分かル……お前は少なからず、人を殺しているナ?」

 

「……だったらなんだ」

 

「黑社會に敵対しているなラ、利害は一致すル。組むカ?」

 

「……お前一人じゃないのか?」

 

 

 男が顎を上げると、奥からゾロゾロと何人か現れる。

 屈強で、柄の悪い男たちばかりだ。ナイフや金属バットに鉄パイプ……中にはどう手に入れたのか、日本刀や拳銃さえ持っている人間も。

 

 

「………………」

 

「この建物は既に、包囲してあル。ネズミ一匹、逃しやしナイ」

 

「………………」

 

「数で言えば……中にいる奴らよりは上ダ。奴らを外に炙り出し分散させれバ……向こうが銃を持っていようが押し切れるダロ?」

 

「お前、一体なんなんだ」

 

 

 男は目元だけ歪め、笑う。

 

 

「そんな事は問題ではナイ……組むカ?」

 

「断る。黑社會の調査だけだ。襲撃しろとは言われていない」

 

 

 どうせ裏社会の潰し合いだ。参加する義理もない。勝手にやってろ、と言うのが本音だ。

 寧ろ、「黑社會は内部崩壊状態だ」と報告材料が出来た。

 

 

「そうカ」

 

「無関係な人間は見逃すんじゃないのか? 俺はこのまま帰らせてもらう」

 

 

 懐から手を抜き、彼はその場を去ろうと踵を返す。

 腐れ外道の仲間なんか、ごめんだ。

 

 

 

 

「残念ダ」

 

 

 男は袖の下に忍ばせていたナイフを、背を向けた幻徳へ投げつけた。

 ナイフは無回転のまま、刃先を真っ直ぐ幻徳へ向け、とてつもない速度で飛ぶ。

 

 完全に視界に入れておらず、ナイフの存在など夢にも思わないだろう。

 刃は背中から心臓目掛け、突き刺さる。

 

 

 

 

 

 

 ガキンッ。

 

 

「ナニ?」

 

 

 カラカラ……。

 

 

「………………」

 

「お前……背中に鉄片でも忍ばせていたノカ……」

 

「……見逃すんじゃなかったのか?」

 

 

 カラン。

 

 

「やるのなら……相手になるぞ」

 

 

龍爭虎鬥(ロンズェンフードォウ)(燃えよドラゴン)/Sniper Come back』

 

 

 

 

 

 内ポケットに入れていた『クロコダイルクラックフルボトル』。

 万が一に備え、彼は手の中に入れて振っていた。

 

 活性化したエレメントが、クロコダイルの強固さを幻徳に与える。

 投げナイフなど、余裕で弾く。

 

 

「得体の知れない人間を、生かして帰すと思っていたカ?」

 

 

 男は集めたチンピラたちへ指示し、一斉にかからせた。

 

 

「だから嫌いなんだ……裏社会ってのは」

 

 

 フルボトルを手に持ちながら、幻徳は襲い掛かるチンピラたちに立ち向かう。

 

 

 最初の男がナイフを手に持ち、斬る。

 

 

「ヒャハァッ!!」

 

「ッ!」

 

「おぉ!?」

 

 

 だが幻徳は身を屈めて回避し、がら空きの足を払って転ばした。

 背中から倒れさせ、抵抗される前に腹部を踏み付け気絶させる。

 

 

 

「てめぇ!?」

 

「おオラァッ!!」

 

 

 それぞれ鉄パイプと金属バットを持った二人組が、一斉に殴りかかる。

 しかし幻徳とは場数が違う。

 彼は冷静に凶器の軌道を読み取り、無駄のない動きで回避した後、懐に潜り込み一人の鳩尾を殴る。

 

 

「グェッ!?」

 

 

 背後にいたもう一人には、動揺している内に後ろ蹴りで吹っ飛ばす。

 フルボトルによる肉体強化により、その一撃さえ意識が保てなくなる威力だ。

 

 

「この……!」

 

 

 銃を向け、幻徳を撃とうとする。

 彼は落ちていた金属バットを手に取り、敵が引き金を引く前に投げつけた。

 

 

「ぐっ!?」

 

 

 バットを顔に受けて怯んだ隙に、幻徳は突入。

 途中立ち塞がる男は、攻撃した腕を掴み上げて無力化し、地面に叩きつける。

 

 銃持ちの男の気が戻る寸前に、彼の懐に到着。

 顎に幻徳は拳を打ち付けてやった。

 

 

 

 一瞬の間に、五人が倒れる。

 彼の破格の強さに、残りのチンピラたちは慄きを見せた。

 

 

「やめろ。束になったとて、俺には敵わん」

 

 

 背後から強い殺意。

 幻徳は瞬時に身を翻す。

 

 

 先ほどの暗殺者の男が、満を辞して襲いかかって来た。

 

 

「超人的な身のこなし……普通ではナク、只者でもナイ……何者ダ?」

 

「柳岡会の者だ」

 

「柳岡……ジャパニーズマフィア……カ」

 

「……不本意だがな」

 

 

 暗殺者は両手にナイフを持ち、斬りかかる。

 両方から迫る凶刃だが、幻徳は後ろではなく前方に飛び込んだ。

 

 

「ムッ……!」

 

 

 懐に入れば、攻撃も追撃も回避出来る。

 幻徳は男の懐にて、彼の両腕を掴み、無力化を図る。

 

 

 しかし流石は暗殺者だ。

 彼の突入を読んでおり、その場で飛び上がって蹴る。

 

 胸を蹴られ、その衝撃で幻徳は後退し、腕を解放させてしまう。

 

 

「ぐっ……」

 

 

 一瞬の怯みを見逃す、暗殺者ではない。

 

 足が地面に着いた途端、また即座に前方へ飛び上がった。

 今度は懐に入られぬよう突き刺しの姿勢で、幻徳の心臓目掛けて突進。

 

 

「終わりダッ!!」

 

 

 二つの刃が幻徳の胸へ突き刺さった。

 

 

 しかし、暗殺者は驚かされる。

 全体重をかけたハズなのに、刃は幻徳の薄皮を捲るだけで、深く刺さらない。

 まるで岩を刺したかのようだ。

 

 エレメントの鎧はまだ、持続している。

 

 

「なんだトッ!?」

 

「ふッ!!」

 

 

 幻徳はフルボトルを握った右手で、動揺を見せた暗殺者の顔面に殴る。

 紫色のオーラがワニの口となり、頭に噛み付いた。

 

 

「コレは……ッ!?」

 

 

 強烈で、破滅的な一撃。

 男はまるで車に轢かれたかのような衝撃を感じながら、血を吹き出しつつ横へ吹っ飛んだ。

 

 

「グゥオェエエッ!!??」

 

 

 地面を滑り、置いてあった箱や、立ててあったフェイスをぶち抜き、海へ転落。

 

 

 後に残った幻徳は、ギラリと、残ったチンピラを睨んだ。

 

 

 

 

「……一ヶ月分の治療費持っている奴だけ来やがれ。保険かけてあるなら同様だ」

 

 

 人間じゃない、化け物だ。

 

 

「ひ……ひぃいいい!?!?」

 

 

 チンピラたちはそう確信し、一斉に逃げ出す。

 湾岸に一人残った、幻徳。

 

 

 

 

「……クソッ。手こずらせやがって」

 

 

 胸から垂れる血を拭いながら、彼はバンに戻ろうと走る。

 

 停めてあったバンに近付いた時、彼は己の不運を呪った。

 

 

「……包囲しているって言っていたな……」

 

 

 黑社會を狙うチンピラたちがここにも待機しており、それが幻徳の車の辺りだ。

 

 

「……言えば何とかなる……か?」

 

 

 幻徳は近付き、十名以上の集団に話しかけた。

 

 

「すまない」

 

「あ?」

 

「俺の車なんだ」

 

「知るかよ。関係ねぇ奴はすっこんでな」

 

 

 中国人では無さそうだが、日本人でも日本語が通じない事にほとほと嘆く。

 

 

「ちょっと退いて貰うだけで良いんだ。俺の車なんだからな」

 

「そもそもおっさん」

 

「おっさん……」

 

「こんなヒト気のねぇ所になんで車停めてんだ?」

 

「仕事なんだよ」

 

「もしかして黑社會の奴じゃねぇよな?」

 

 

 数人の男たちが幻徳の方へ近付く。

 こう言う人間には無闇に近付かない方が良いと、教訓にした。

 

 

「関係ない。俺は柳岡会だ」

 

「柳岡会? なんでヤクザが……」

 

「その黑社會ってのを監視しに来たんだよ。それで黑社會は内部分裂が起きている……お前らはクーデターかなんかしようとしてんだろ?」

 

 

 彼らは黑社會の敵だとは知っている。

 敵の敵は味方……と言うのは妙だが、向こうにとっても幻徳とやり合うのにリスクもメリットもない。

 ここは正直に打ち明けても構わないだろうと、口早く伝える。

 

 

「内部分裂……んまぁ、確かにそうだな」

 

「何か知っているなら聞きたいが」

 

「本当に柳岡会か?」

 

「そもそも俺は日本人だ。マフィアってのは身内で固めるだろ……多分な」

 

 

 納得したかどうかは別として、幻徳を警戒して近付いていた者たちは飽きたように、彼から離れる。

 

 

「ったく、緊張させやがって……だったら早く帰んな」

 

「そのつもりだ……それで、何があったんだ?」

 

「黑社會の首領が殺されたみてぇだぜ」

 

 

 その情報に、幻徳は眉を顰めた。

 

 

「暗殺か?」

 

「らしいな。んで、その後継が首領の嫁で、まだ若い女だ」

 

「それでクーデターか……」

 

 

 あまり興味はない。一般人を巻き込まないのなら、潰し合って貰って結構。

 馬鹿は死なないと治らないのだから。

 

 

「それじゃ、車を」

 

 

 鈍い銃声。

 

 

「なんだ? 先行隊か?」

 

 

 

 

 

 瞬間、コンテナの陰から誰かが現れる。

 人影が見えた途端に、幻徳の前方にいた者たちは血を吹き、倒れた。

 三発の銃声、しかし撃たれたのは倍の六人。貫通した弾が上手く、後ろの人間さえも射抜く。

 

 

「なんだと……!?」

 

 

 布で包んだ何かを抱えた人物が、スナイパーライフルを向けている。

 

 

「……ん?」

 

 

 その人物と、幻徳は目が合う。

 

 

「お前は……!」

 

 

 幻徳も相手も、忘れもしない。

 あの廃倉庫で見た、殺し屋。

 

 

「……なんであんたがいるの?」

 

「こっちの台詞だッ!!」

 

「なになに? え? 知り合い?」

 

 

 抱えていた布の下は、若い女だった。

 

 

 

「こいつ……! 良くも仲間を……!」

 

「おい! あいつが抱えている女が『そう』じゃねぇか!?」

 

「ふざけやがって……!!」

 

 

 幻徳の後ろにいたチンピラが、意気揚々と前に出る。

 そのタイミングで出て来たのは、別の集団……黑社會の人間。

 

 

「ちょ、ちょっと、待て。待て待て待て」

 

 

 向こうから見れば、幻徳もチンピラの仲間にしか見えない。

 

 

「お前は姫を連れて先行け」

 

 

 黑社會側の集団で、一歩前に現れた男。

 手には、ナックルと銃が合体したような武器を嵌めている。

 横からはマシンガンのように、連なった薬莢がぶら下がっていた。

 

 

「待て待て! 俺は違うッ!?」

 

「あ? こいつなんだ?」

 

 

 殺し屋はあっさり、言い放った。

 

 

 

 

 

 

「敵。無視して」

 

「嘘だろ……!」

 

 

 殺し屋は女を連れ、退避する。

 マフィアたちは一斉に拳銃を向け、同時にチンピラたちも拳銃を向ける。

 

 

 

 銃撃戦が始まった。

 

 

「ふざけるなクソぉぉぉおおおッ!!!!」

 

 

 バンの後ろに隠れるのが、やっとだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

マフィアをぶっつぶせ/Trail & Invade

 敵と誤認された幻徳ごと、黑社會の構成員らは一斉射撃を実行。

 何人かは撃たれ、もう何人かは応戦し、あと何人かは幻徳に続いてバンの裏に隠れる。

 

 銃弾の雨を抜け、一人のチンピラがバットを掲げた。

 だがそのチンピラを、奇怪なナックルを握った男が捉える。

 

 

「クソッ……!!」

 

 

 バットを振りかぶる。

 しかし男はナックルの側面より連なる、薬莢の束を鞭のように側頭へぶつけた。

 

 くらりと、軽い脳震盪。

 隙を見せた彼の鳩尾へ、男は拳を叩き込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ドガンッッ!!!!

 

 

 

 

『マフィアをぶっつぶせ/Trail & Invade』

 

 

 

 

 

 重い銃声が響き、チンピラは殴られた鳩尾から背中にかけ、大きな穴を開けて倒れる。

 血飛沫が舞い、贓物が散る。

 口から黒い血を吹き出し、苦悶の表情のまま彼は逝った。

 

 

 

「趣味の悪い武器だ……!」

 

 

 その様をバン裏より伺っていた幻徳。

 

 奴の持つあのナックルは、拳による攻撃力を上げるなんて代物ではない。あれは拳に嵌められるライフル銃だ。

 ナックルの持ち手が引き金になっている。

 引き金は普通に押しても、硬くてなかなか動かない。しかし勢いをつけ、殴る形で押し当てると作動し、発砲される。

 

 

 恐ろしい武器だ。

 だが使用者の彼も恐ろしい。重い薬莢の束がついた物を片手ずつで軽々振り回す上、発砲時の尋常ではない反動を意に介していない。

 殴りかかるモーションも、プロのボクサーを彷彿とさせる。

 俊敏と強靭、その二つを兼ね揃えているからこそ、あの武器が使える訳だ。でなければ本当に、ただ趣味の悪い武器なだけだった。

 

 

「あの女ぁ……!」

 

「なぁ、あんた! あんたは武器ねぇのか!?」

 

 

 隣にいた、同じくバンの裏に身を隠していた男が幻徳に聞く。

 完全に仲間扱いされていた。彼が持っている拳銃を撃ち、銃声を散らしている事もあり、幻徳は頭が痛くなる。

 

 

「俺は無関係だと言ったろぉ!?」

 

「こうなっちまったら共同体だろ!」

 

「ふざけるなぁッ!!」

 

 

 鳴り響き続ける銃声の中で、またあの重い銃声。誰かがまた、あの男の餌食となった。

 チンピラ集団は何とか数で応戦しているとは言え、武器の差で全滅するのは目に見えている。

 

 いつ、あの男が来るのか。

 幻徳のクロコダイルクラックフルボトルでも、ゼロ距離で受けるマグナム弾には耐えられない。

 

 

「分が悪過ぎる……! おいッ!! 逃げた方が良いだろ!!」

 

「逃げられるか! 莫大な金が入るんだ!!」

 

「何をするんだッ!? 今の首領を殺すつもりかあ!?」

 

「そうじゃねぇよッ!! あの『小娘』を捕まえんだよッ!!」

 

 

 殺し屋が布にくるみ、運んでいた女の事だろう。

 

 

「じゃあ、あの娘が……黑社會の跡継ぎか?」

 

 

 彼らが狙っている者は、死んだ黑社會の前首領の嫁で、つまりは現在の首領だ。

 という事は、殺し屋は今の首領を護衛しているのか。色々と事態が拗れているようだ。

 

 

 しかし幻徳は、少しだけ見えた現首領の顔を思い出していた。

 

 

「……跡継ぎにしては若過ぎるだろ。見た感じまだ十代の気が……」

 

「知るかよッ!! そうやれって、『女』に言われたんだッ!!」

 

「女ぁ? 誰だそりゃ?」

 

「ここでする話じゃねぇだろぉがよぉッ!?」

 

 

 銃弾が車の窓を割る。

 幻徳らに降りかかり、頭を抱えて窓ガラスから防御する。

 ここで隠れていられる時間は少ないと悟った。

 

 

「クソッ!! 俺は付き合わんぞ!! 何とか街から出れば……!」

 

 

 バンがまだ銃弾に耐えられている内に、と動き出す幻徳。

 

 だが、前方からやって来る応援のチンピラたちを見て、顔を顰めた。

 

 

「おい、加勢に来……あッ!?」

 

「……嘘だろ」

 

 

 幻徳が先ほど見逃したチンピラ連中が帰ってきた。

 何か言われる前に動く……前に、彼らは幻徳を指差し喧伝する。

 

 

 

 

「そいつ敵だぞぉッ!! 仲間が何人かやられたッ!!」

 

 

 

 

 幻徳は思わず呟く。

 

 

 

「……最悪だ……!!」

 

 

 仲間の報告を聞き、隣にいたチンピラが敵意と銃口を向ける。

 

 

「てめぇ!? 騙しやが」

 

 

 引き金が引かれる事はなかった。

 車の反対側から撃ち込まれた弾丸を受け、男は脳漿をぶちまけ死んだ。

 

 

「……ッ!?」

 

「あぁ? 裏でコソコソなにやってンだ?」

 

 

 あの男だ。あの男が放った弾丸だ。

 バンを隔ててもう、近くまで迫っている。

 

 

「離れな……あぁ、そうだった……!!」

 

 

 離れたいが、前方のチンピラたちは幻徳の敵となった。見逃したツケが、よりによってこんな場所で回ってきた。

 武器を構え、迫って来る。内の何人かは拳銃を取り出し、幻徳に狙いを定めている。

 

 現在、彼は二つの勢力から狙われるハメになった。

 

 

 

「だから裏社会は嫌いなんだッ!!!!」

 

 

 バンの扉を急いで開き、中へ入る。

 同時にチンピラたちは銃を撃つ。

 

 弾丸はバンの扉を貫通し、襲い来た。何とか身を屈め、座席を盾にして凌ぐ。

 

 

「うおっ!?」

 

 

 だが奴らが発砲した事により、ナックルの男がバンより離れてくれた。

 外からマグナム級の弾薬を撃ち込まれる危険は、ほんの僅かの間だがなくなる。

 

 幻徳は考えもなしにバンに入った訳ではない。

 

 

「そうだ……! 確か、武器はあった……!!」

 

 

 使うつもりのなかった、グローブボックスの拳銃。

 急いで彼はそれを開き、中にある拳銃を手に取った。

 

 

 

「……は?」

 

 

 だが、手にとってみて、違和感を覚える。

 拳銃を幾度も握ったことのある彼にとって、その違和感は確実なものだった。

 

 あまりにも軽い。

 幻徳は天井に銃口を向け、引き金を引く。

 

 

 

 

 

 軽い音が鳴り、飛び上がったのはBB弾。

 

 

 

 

 

「オモチャ渡しやがったな紅守黒湖ぉッ!!……うおぉッ!?!?」

 

 

 

 

 

 銃声が鳴り、持っていたエアガンがバラバラに弾ける。

 幻徳のいる場所目掛けて、男がナックルを打ち付けた。発射された弾丸が、エアガンを破壊したようだ。

 

 

「危ねぇ!?」

 

 

 幻徳に直撃は免れたが、エアガンを握っていた右手がビリビリと震えている。

 かなりの衝撃だ。身体のどの箇所に直撃しても、致命傷になり得る。

 

 

「クソッ!! 車から出るしか……おぉ!?」

 

 

 反対側からは、チンピラたちの集中砲火。

 ライフルほどの直進力ではないが、銃は銃だ。バンの薄い車体を貫き、幻徳の頭上を飛び交う。

 窓ガラスが割れ、あちこち穴だらけだ。

 

 

「袋の鼠じゃねぇか……!!」

 

 

 今の状況を客観視して、幻徳は自分が情けなくなる。

 銃弾飛び交うバンに隠れ、今は助手席の座席下に身体を埋めている状態だ。

 こんな事したのは、子供の時以来。なおさら情けない。

 

 

「紅守めぇえ……!! 絶対に許さんぞぉぉ……!!」

 

 

 黒湖への呪詛を吐きながら、何か突破口はないかと車内を見渡す。

 

 

 

 彼の目の前に、ヒラヒラと何か落ちて来た。

 

 

「……あ?」

 

 

 銃弾により破壊された、助手席上のサンバイザーからだ。

 それはグローブボックスにある武器のことを知らせた、黒湖からのメッセージカード。

 

 

「……何が困ったら引っ張れだ……!!」

 

 

 車が大きく揺れる。

 天井に何者かが乗ったようだ。

 そしてチンピラたちのいる反対側へ渡った。ナックルの男だ。

 

 助手席から伺えば、そこは彼による一方的な殺戮。

 チンピラの攻撃を人間離れした身体能力で回避し、ナックルを打ち込んでいる。そして発射された弾丸によって、無惨に肉を撒き散らして絶える。あまりに惨たらしい。

 

 

「車の中を覗かれたら終わりだ……! どうにかして……」

 

 

 行動を起こそうとした幻徳は、何かに引っかかりを感じ、黒湖のメッセージカードを見やる。

 

 

 

『困ったらグローブボックスを引っ張ってねぇ〜げんとくん。ヒッパレーヒッパレー!』

 

「……引っ張れ?」

 

 

 グローブボックスの開閉は、レバーを引く事で行われる。

 確かに引っ張る。だが、レバーではなく中にある物を示すのなら、「引っ張れ」よりも「開けろ」の方が自然ではないか。タンスやクローゼットを「引っ張れ」なんて言わないのと同じだ。

 

 それに文章を見る限り、「ヒッパレーヒッパレー!」と、引く事を強調しているようにも思える。

 

 

 

 

「……まさか」

 

 

 幻徳は開きっ放しのグローブボックスを掴み、引いた。

 

 何とボックスごとパコッと、引き抜けてしまった。

 

 

「なんだと!? この車どうなってんだ……?」

 

 

 ボックスが抜けた後にある空洞を、幻徳は覗く。

 

 そこにあった物に、目を疑った。

 

 

 

「…………どこまでも……悪魔の女だ……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごあ……ッ!?」

 

 

 血を吐き、倒れ臥す。

 その眼前に立つは、黑社會の幹部。名前を『(フー)』と呼ぶ。

 血まみれのナックルからは、硝煙が立ち昇っていた。何発も何発も撃ち放った為、引き金を握る手に熱気が当たっている。

 

 

「えぇ、どうしたぁ!? 俺を殺せねェようじゃ、姫にゃ辿り着けねぇぞぉ!?」

 

 

 この男一人で、十人近く死んでしまった。

 規格外の強さと狂気を誇るフーを前に、チンピラたちは戦意を喪失しつつある。

 

 

「ケッ! 骨のねぇ奴らだなぁオイッ!?」

 

 

 ナイフを構え、フーへ突き刺そうとする。

 勿論、そんな読みやすい軌道の攻撃を食らう彼ではない。

 刃が心臓に突き刺さる前に、それを握る腕を殴ってへし折る。そのまま逆にナックルを心臓へ打ち付け、撃ち抜いてやった。

 

 

「チンケなハッタリで生きてきたようなてめェらと俺じゃあ、潜った修羅場の数が違ェんだよ」

 

 

 背後を一瞥する。

 黑社會の構成員が、バンの中を調べようとしていた。

 

 

「そういや、誰か中に」

 

「う、うおおおおお!!」

 

「いたンだったな」

 

「ぉッ」

 

 

 後ろを見たのが隙だと思ったチンピラは、襲いかかったところで頭部を打ち砕かれた。

 この男、フーに隙がない。もはや、距離を取るしかチンピラたちは出来なくなっていた。

 

 

「おぉ? まだかかってこれンのかぁ!? いいぜェ、死にてェ奴はかかって来いよぉッ!!」

 

 

 挑発しつつも、彼からチンピラへ近付く。フーはまだまだ戦えた。

 その後ろでは、銃を構えた四人ばかりの構成員が、バンに入り込んでいる。

 

 

 

 

 

「くぉ!?」

 

「ゲエッ!?」

 

「うおおッ!?」

 

「ぐあッ!!??」

 

 

 だが突然、全員がバンの中から吹き飛んだ。

 予想外の事態だ。フーは誰にやられたのかと、瞬時に振り返る。

 

 

 途端、車が爆発。

 発生した爆風を身体で受け、顔を腕で隠してカバーする。

 

 

「なにッ!?」

 

 

 腕をどけ、炎上する車の残骸を睨み付けた。

 

 

 

 

 その鋭い目は、愕然としたものへ瞬時に変わる。

 炎の中に立っていた者は、異様な姿をしていたからだ。

 

 

 

 

 

『割れるッ! 食われるッ!! 砕け散るッ!!!!』

 

『クロコダイル・イン・ローグッ!! オォォォウラァァァァアッッ!!!!』

 

『KYAAAAAAAAA!!!!』

 

 

 

 全身をスーツに纏わせた、暗い紫の存在。

 そこにいた存在こそ、『仮面ライダーローグ』だ。

 

 

 

 

 

「どういう訳か知らんが……」

 

 

 ローグの青い目は、フーを捉えた。

 グローブボックスの裏に隠されていた物とは、黒湖に預けたハズの『スクラッシュドライバー』だ。

 

 

「……背に腹はかえられん。使わせてもらう」

 

 

 その声には何処か、失望の念がこもっているようにも思えた。

 

 

 ローグを目の前にし、フーは素早く臨戦態勢を取る。

 幾度も修羅場を抜けて来た彼だ、ローグの醸す異様な雰囲気を察知したのだろう。

 

 

「ンだてめぇ!? 何者だッ!?」

 

 

 問いただす彼に対し、ローグは何も言わない。

 だが代わりに答えた者は、あまりの展開に呆然と立ち尽くしていたチンピラたちだ。

 

 

 

「あ、あいつ、『紫のヒーロー』だよな……?」

 

 

 紫のヒーローの呼び名に、フーは反応する。

 

 

「紫の……『ヒーロー』ぉ?……ジェットコースターぶっ壊したテロリストってのは聞ィーたぜぇ」

 

「……俺はヒーローではない」

 

「それよりも、だ……お前も梁浩然(リャンハオラン)の雇われか?」

 

「誰だか知らんな」

 

「……んまぁ、その仮面ごと口を割らせればイイだけか」

 

 

 フーは一息の内に、ローグとの距離を詰める。

 身を屈め、下から彼目掛けて飛びかかる姿はまさしく「虎」。

 

 

 

 

「フッ!!」

 

 

 フーの拳はローグの脇腹を捉える。

 少しばかり、全治一年分の怪我をしてもらう。

 戦闘不能にし、尋問する。殺すのはそれから。

 

 

 ナックルは数ミリで、彼と接触する。

 だがその刹那、フーの頭に疑問が掠る。

 

 

(避ける素ぶりがない?)

 

 

 棒立ちのローグにナックルが直撃。

 引き金が押され、撃鉄が弾丸の尻を弾く。

 

 

 重厚な銃声と共に、発射された凶弾がローグのスーツを貫き、胃を掠って肉を抉る…………

 

 

 

 

 

「知らんと言っただろ」

 

 

……ハズだった。

 弾丸は、彼の身体を貫いていやしなかった。

 

 

「なにッ!?」

 

「ふんッ!!」

 

「ッ!?」

 

 

 ローグの手刀が、フーに目掛けて振り下ろされる。

 しかし嫌な予感がしていた彼は、すかさず身を落としてローグの腕を蹴った。

 

 これにより軌道がズレ、フーへの直撃は免れる。

 その上で彼は、蹴りによる体勢の変化を利用し、ローグで自分の身体を押すようにして距離を離す。

 

 

 

 ナックルから垂れ下がる、薬莢の束に当たる。

 バキンッ、と鈍い音を立て、呆気ないほど簡単に割れた。

 

 

「おい、嘘だろ……!?」

 

 

 無理な姿勢で距離を離した為、地面に背中から倒れる。

 しかし今度は、ローグに飛びかかられる番だ。

 

 

 

 

「今のを逃げ切ったか」

 

「……ッ!!」

 

 

 跳躍し、足を大きく天へ振りかざしていた。

 そのまま、フーへ踵落としを食らわせるつもりだ。

 

 

「チィッ……!!」

 

 

 気付くのが遅れた……いや、向こうが速すぎる。

 回避のタイミングが遅れた彼は、避けるよりも衝撃を緩和する方法を模索。

 

 

 

 傍らに、破壊されたバンのドアがあった。

 フーは片手のナックルを捨て、ドアを引き寄せて盾にする。

 

 

 

 

「ウァアッッ!!!!」

 

 

 断頭台の刃のように振り下ろされた、ローグの足。

 踵がドアに当たった瞬間、厚い鉄板がベシャリとへこむ。

 

 

「ンなッ……ぁ!?」

 

 

 へこんだドアがフーを圧迫し、彼を中心にアスファルトがヒビ割れる。

 受け止めきれないダメージが容赦なく襲い、口から血が吐き出された。

 

 

 虎は、鰐に食われる。

 

 

「ガフッ……!?」

 

「安心しろ。死にはしないよう、威力は調整している」

 

「どう……安心しろってンだ……!?」

 

 

 ギリギリと、力を込めるローグ。

 このままではドアとアスファルトに押し潰される。フーは渾身の力を込め、ドアごとナックルを殴りつけた。

 

 ナックルから放たれた二発の弾丸はドアを貫き、ローグの顔面に直撃する。

 

 

「む……!」

 

 

 少し、力が緩む。

 その僅かな隙に、フーはドアとアスファルトの隙間から脱出する。

 次の瞬間、ドシンッとドアがくの字にひしゃげた。

 

 

「ググ……! 残念だが、俺を殺したところで姫はもう、秘密のアジトだぜ……!」

 

「殺す気はない……が、俺も仕事でな」

 

「は……?」

 

 

 ローグはフーに、突撃を開始する。

 すぐに回避しようとするが、先ほどのダメージはかなりのものだ。動かした膝がガクンと、地に落ちる。

 

 

「クソ……!!」

 

 

 振りかぶられた彼の拳が、フーを捕捉。

 彼は役目を果たしたと納得し、覚悟を決めた。

 

 

 

 

 

 ローグの拳はフーのコメカミを掠め、外れた。

 

 

「ヒャハアッ!!」

 

 

 気付けば横に、外した自分のナックルを握ったチンピラがいた。

 ローグの拳は、自分の顔面に当たろうとしたナックルの先に添えられる。

 

 

 

 

 彼の腕にナックルが当たる。

 銃声が鳴る。

 チンピラの腕に鈍い音が鳴り、骨が外れて後方へ振り飛んだ腕より、ナックルが離れた。

 

 

 弾は貫通していない。ローグの腕の上で、ぺしゃんこになっていた。

 

 

「ぎ……ィ、ギャァアァアアアッ!?!?」

 

「常人に耐えられる反動な訳がないだろ」

 

 

 すかさず裏拳をかまし、チンピラを沈黙させる。

 その様をフーは、呆然と見ていた。

 

 

「……殺さねェのか?」

 

「殺す気はないと言っただろ……なんだ? 中国語で話すべきだったか?」

 

「そうじゃねェよ……」

 

 

 ローグが睨みを効かせる。

 一連の流れを見て、「勝てない」と踏んだチンピラたちは一目散に逃げ出した。

 

 

 

 今この場で意識を保っている者は、ローグとフーだけだ。

 

 

「ほれ。俺はお前を助けてやったぞ」

 

「……いや。テメェが出てこなきゃ俺の圧勝だったじゃねェか。恩人ぶんな、マッチポンプがよォ」

 

「何にせよ、お前は俺に事情を話さなければならない」

 

「俺は何も言わねェ」

 

 

 荒い呼吸を繰り返し、地面に片膝ついたフー。

 予想以上のダメージだ。もう自分はリタイアだと実感している。だがそれでも、媚びるつもりはない。

 

 拷問されようが決して、口は割らないつもりだ。

 ローグは膝を曲げて腰を下ろし、フーと目を合わせようとする。

 

 

 

 

 

「『裏切り者』は、あっちの方なんだろ?」

 

 

 その言葉に、伏せていた彼の顔が上がる。やっと、ローグと目が合った。

 

 

「なンだテメェ……? ここまでやって、黑社會に味方しようってか?」

 

「俺の仕事は、変な動きをしている黑社會の調査……だったが、事情が変わった」

 

「事情だぁ?」

 

「どうやら俺は、この騒ぎを止めなければならないらしい」

 

 

 黒湖に、自ら渡したスクラッシュドライバーが、どういう訳かアッサリと戻って来た。

 なぜ黒湖は自分にベルトを返したのかを考えていたが、どうやら「力ずくでも喧嘩を止めろ」と言うことらしい。

 

 

「ここは日本で、平和な街だ。隣国のマフィアに面倒を起こされたら、たまらん」

 

「…………だからってテメェを信用しろできるか? 俺をこんなにした奴をよぉ」

 

「この騒ぎが止んだら別に良い。黑社會を潰すつもりはない」

 

「……………………」

 

 

 フーはまた顔を伏せ、閉口する。

 

 

 

 

「…………そうか」

 

 

 これ以上の尋問は無理かと踏んだローグは立ち上がり、その場を離れようとする。

 ならば別の人物から聞き出すかと、考え直したからだ。

 

 血と硝煙で混沌とした湾岸から、さっさと出たかった。

 彼は海の方へ歩く。

 

 

 

 

 

浩然(ハオラン)のアジト、教えてやる」

 

 

 ローグは足を止め、振り返る。

 

 

「よくよく考えりゃあ、姫は無事に逃げたし……別に裏切り者のアジトを言っても構わねェか」

 

「そいつを止めれば良いんだな」

 

「出来るンならなァ」

 

「余裕だ」

 

 

 ついでに質問する。

 

 

「それと、だ……その姫とやらを運んでいた『スナイパー』……あれは誰だ?」

 

 

 倉庫での因縁もある。

 誰にでも手をかける殺し屋を、野放しには出来ない。

 

 

「こっちの事は言わねェぜ」

 

「……だろうな」

 

「知り合いか?」

 

「個人的な恨みがあってな」

 

「何があったンだ……」

 

 

 向こうも裏切り者を追っているのなら、会えるだろうと考え直す。

 そして最後に、一つの質問をする。

 

 

 

 

 

 

「それで、だ。その……浩然ってのは、女か?」

 

 

 フーが訝しげに、顔を顰めた。

 

 

「あ? 浩然は男だ」

 

「そうなのか? あのチンピラども、女から指示を受けたって言っていたもんだから、てっきり……」

 

「女だぁ? 浩然に女がいる情報はねェが……」

 

 

 

 次に言ったフーの憶測から、食い違いが発生する。

 

 

 

 

「いずれにせよ、前首領を殺し、『姫さえも殺そう』としたんだ。間違いなくクロだろ」

 

「は? お前、なに言ってんだ? こいつらはその、『姫ってのを誘拐する』つもりだったぞ?」

 

「……は? 浩然は首領を殺し、自分が成り上がるつもりなンだろ? 奴は暗殺者も雇っているって話で……」

 

「あ? ならなんで、こいつらに誘拐を命じた?」

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 ローグとフーは一斉に、路上で気絶するチンピラへ顔を向けた。

 ナックルによる反動で腕の骨を外してしまった、哀れな男だ。

 

 

 

「……聞く必要があンなぁ?」

 

「お前は手を出すな。俺が尋問する」

 

「動けねェよ」

 

 

 そのまま寝ているチンピラを、ローグは叩き起こしてやった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

バンシヲの館/Versus vipers

 幻徳はバイクを走らせていた。

 行き先は流々家町の郊外にある、山林地帯。そこに裏切り者がいる。

 

 

「………………」

 

 

 目立つ事を避ける為、今は変身を解除している。

 ハンドルを切り風を切り、目的地を目指す。

 

 

 

 

「……『斑蛇(バンシヲ)』か」

 

 

 

 ブルルルル…………

 

 

 

【 バンシヲの館 】

 

 

 

 ブゥウウゥウウウン…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 叩き起こしてたチンピラはローグを見るなり、まずは怯えた。

 

 

「ひ、ひぃいい!? ゆ、許してくだざあぁあいい!!!!」

 

「許すか許さないかは後だ。とりあえず、俺の質問に答えろ」

 

「なんでも! なんでも話します!!」

 

 

 脅しをかける必要はなかったなと、フーに目配せし、仮面の裏で苦笑いする。

 

 

 

 

 この男の話によれば、彼らに指示を下した者は黑社會の構成員らしい。

 幹部を皆殺しにし、首領を拉致すればかなりの額の報酬が出ると言う内容だ。

 

 

「内通者か。アウトローとは言え、これだけの数を即座に集めるのは難しい。かなり前から計画されていたと、見ていいだろう」

 

「か、肩がハマらないんすけど……」

 

「関節が割れたかもな。入院してボルトを打ってもらえ……しかしなんで、拉致なんだ? それに、こんな数を揃えて襲撃とは手間がかかり過ぎている」

 

 

 ローグの疑問に、フーが答えた。

 

 

「浩然は黑社會の下部組織、『黑桃(ヘイタオ)』の首領だ。影響力はある……奴が一声かけりゃ、数を集めンのは造作もねェぜ」

 

「それにしたってもっと、スマートに事を運べるだろ。下部組織とは言え、マフィア……チンピラとは違って、ずる賢い攻め方を見つけるのは造作もないハズだ」

 

「ンだテメェ。ヒーロー名乗る癖に、やけに裏社会に詳しいじゃねェか。同業者かあ?」

 

「俺は一度も名乗った事はない…………それで、そこのところはどうなんだ?」

 

 

 浩然は何を企んでいるのかを、吐きそうなほど震えているチンピラに問いただす。

 だがその答えは、望んでいたものではなかった。

 

 

「な、なぁ……その、浩然ってのは誰なんすか?」

 

 

 ローグは小首を傾げる。

 こいつは雇い主も知らないのか。

 

 

「お前たちを指示した奴じゃないのか? 黑社會が内輪揉めしている事は知っていただろ」

 

「そ、そりゃ知ってはいましたっすけど!? でもそれとは別っすよ! 指示した女も黑社會の人間でしたし、下部組織とはそんな……」

 

「じゃあ、この襲撃は? 拉致の理由は?」

 

「さあ……?」

 

「……意義も知らずに参加したのか、馬鹿が……」

 

 

 呆れてため息が出てしまう。

 チンピラはローグが苛立っていると察知し、必死に命乞いをする。

 

 

「ほん、ほ、本当にコレしか知らないんですぅうぅう!! 今思うと、俺らも鉄砲玉かなんかに利用されただけなんすよぉ!?」

 

「ノコノコと不良の延長のようなお前らが、本物に喧嘩売った結果だ。自業自得だろ」

 

「いいいいい、命だけはぁぁぁぁ!! 死にたくないっすぅうううう!!!!」

 

「一人殺そうとしといて、それは無くないか?」

 

「許してくだサァァアいいッ!!」

 

 

 これ以上は何も聞けないと判断し、ローグは自分の拳を見せつけた。

 

 

「許すか許さないかは、俺が決める事じゃあない」

 

「ヒイッ……! じゃあ、誰……すか?」

 

「裁判所だ」

 

 

 ガツンと鼻を殴ってやり、再びチンピラを気絶させる。

 思案しながら立ち上がる彼を、フーは訝しげに眺めていた。

 

 

「……なんだ?」

 

「良く分かンねェ奴だな……お前は誰の味方なんだ?」

 

「まず、お前らの味方ではないな」

 

 

「それより」と呟き、話を戻す。

 

 

「本当にお前らの言う、黑桃のボスが首謀者なのか?」

 

「あぁ? 間違いねェよ。奴は『暗殺者』を雇っている」

 

「暗殺者?」

 

「『斑蛇(バンシヲ)』は知らねェか?」

 

「いや……」

 

 

 フーは少し、面倒そうな表情を浮かべた。

 

 

「姿は誰も見た事がない、謎の暗殺者だ」

 

「雇われの時点で『誰も見た事がない』とはおかしくないか?」

 

「まぁまぁ、そこは噂に尾鰭がついたもンだろ。この情報が来るまで、存在してるかも怪しかったからな」

 

「………………」

 

「その情報が来ての、この襲撃だ。これを偶然って言う方が妙だろ?」

 

 

 前首領の死、暗殺者『斑蛇』の情報、襲撃。

 確かにタイミングが良過ぎる。ここまで滑らかに事を運ぶには、首領の暗殺から全て計画されたものだと考えるべきだ。

 そうなると、確かに暗殺者を雇ったと言う浩然が疑われる。

 

 

「……だが、何か引っかかる」

 

「何がだよ」

 

「現首領を拉致しろとか、青臭いチンピラに襲撃させたりとか、意図が読めん」

 

「じゃあなんだ? 裏切り者は他にいるってか? 生憎、マフィアってのは全員が全員を監視していてな、何か企んでもすぐ噂が広まるんだ。浩然以外にそんな臭わせる奴はいねェ」

 

「……引っかかる」

 

「引っかかる引っかかる、うるせェ奴だな。釣り針かテメェ」

 

「黙れダサいシャツ野郎」

 

「あ?」

 

 

 フーの着ている、トラ柄のシャツの事を言っている。

 

 

 

 何にせよ動かなければ。

 何も分かっていない現状だ。まずは疑わしい、浩然の元に行くべきだろう。

 

 

「さてと、動くか」

 

「……おい、なんでこっち来ンだよ」

 

「犯罪者を野放しには出来んからな」

 

「気絶させてムショ送りってか?」

 

「その通りだ」

 

 

 動こうとするフーに対し、ローグの対策は早かった。

 腰から引き抜いた『ネビュラスチームガン』を構え、ナックルのみを破壊する。

 

 

「ンだそりゃ!?」

 

「これで反抗はできないな。もう動けんだろ……殺す訳じゃない、安心しろ」

 

 

 諦めたのか、カクンと頭を降ろす。

 ローグはゆっくりと、彼の方へ近付く。

 

 

 

 だが、すぐにフーは顔を上げた。

 その表現は悪い笑みだ。

 

 

「安心できねェって」

 

 

 近付くローグに向かい、彼は上着を瞬時に脱ぎ、投げ付ける。

 

 視界を奪うつもりかと、即座に上着を除去しようと手を伸ばす。

 

 

「……なに?」

 

 

 気付いたのはその時だ。

 投げ付けられた上着の、ポケットの部分に火が付いていた。

 

 

 中にライターでも入れていたのか、しかしなぜ。

 

 

 

 

再见(ザイチエン)(またな)」

 

 

 次の瞬間、上着が爆発した。

 

 

「グッ……!!」

 

 

 白煙が舞い上がり、ローグの視界を奪う。

 それだけではない。少なからず発生する衝撃に、規格外の防御力を誇るローグと言えども、エネルギーを分散しきれない。身体が少し、後ろに動く。

 

 

「爆弾か……!?」

 

 

 煙を払い、フーのいた場所へ突っ込む。

 もうそこに、彼の姿はない。

 

 

 

 

 あるのは、弾丸と薬莢が分けられた幾つかの弾薬と、小さな注射器。

 辺りを見渡すが、ここは湾岸だ。周りはコンテナに囲まれ、隠れる場所に困らない。

 

 

「……弾薬から火薬を抜いて、ポケットに仕込んでいたか。この注射器は……鎮痛剤か?」

 

 

 チンピラを問い詰めていた時に、行動を起こしていたのだろう。

 ナックルをブレット・プラー代わりにしたのか。

 火薬を抜き、鎮痛剤を打ち、痛みが緩和したところで上着に火を放ち、実行。

 

 思っていた以上に大胆な男だ。

 思わず、今日何度目かの悪態を吐く。

 

 

 

 

「……クソッ! だから裏社会は嫌いなんだ……」

 

 

 相手は数多の修羅場を超えた猛者。手負いになった場合の策を考えていない訳がない。

 

 その事を、ローグは無敵である事にかまけて度外視してしまった。

 頭部に手を当て、反省する。

 

 

「……今は奴より、浩然だ。何とかしないとな」

 

 

 騒ぎを聞きつけ、遠方よりサイレンが響く。

 警察が高い。ここでウダウダしている暇はないようだ。ローグは走り出し、街から離れようとする。

 

 

 

 

 ふと、彼は思い出した。

 湾岸で戦った、謎の男を。

 

 

「……暗殺者、斑蛇」

 

 

 明らかにチンピラとは違う、肝の据わった雰囲気の男。

 そのナイフ捌きと戦闘スキルは、まさに『暗殺者』と呼ぶに相応しいほどの鮮やかさだ。事実フルボトルがなければ、殺されていた。

 

 

「……まさか、あいつが?」

 

 

 男を吹き飛ばした所まで戻る。

 落ちた海を眺めるが、それらしい人物はもう既に、いなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後は鍵の外し忘れか、チンピラたちの乗り捨てか。近場にバイクがあった為、拝借させてもらった。

 既に流々家町を抜け、海沿いの道路を走っていた。

 もうすぐで山に入る。アジトは目前。

 

 

「……来てみたが、どうするか……」

 

 

 正面から入っても、門前払いか、最悪撃たれるか。

 再び変身するしかないのかと、懐にあるスクラッシュドライバーを見る。

 

 

「……これがなければ、俺は何もできんのか……」

 

 

 悔しさを噛み締め、今はただ前を向き、バイクを走らせるしかない。

 

 

 森林帯に入り、辺りからひと気がなくなる。

 暫く進むと、遥か先に豪華な屋敷が見えて来た。あそこが黑桃の首領、梁浩然のアジトだ。

 

 

 

 

「さぁ、どうす……る……?」

 

 

 正門に近付いた瞬間に、彼は目を疑う。

 

 

 

 

 門はひしゃげ、門番は顔を吹き飛ばされ、小型のボートが屋敷に突き刺さっている。

 閑静な森に響く銃声、破裂音、サイレン。

 

 

 

「…………は?」

 

 

 

 もう既に、浩然は襲撃されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

!!!!【 Versus vipers 】!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 襲撃者の報告を聞きつけ、黑桃の構成員たちは現場に急行する。

 

 しかし廊下を曲がった時、死角から現れた刃に、一人が顔面を突き刺された。

 

 

「なにッ……グェッ!?!?」

 

 

 そのまま刃は後続の男に襲いかかり、右腕と首根を掻っ切られる。

 

 

「待ち伏せか!?」

 

 

 襲撃者に銃を構える。

 

 

 しかし次は、脳天を撃ち抜かれた。

 弾丸は更に後ろにいた者をも串刺しにし、一発で二人が死んだ。

 

 

「狙撃手もい……ッ!?」

 

 

 気付いた頃にはもう襲い。

 死に行く仲間に気を取られ、眼前に迫っていた男の刃によって股から脳天まで刻まれた。

 

 

 

 

「……キリがないですね」

 

 

 握った指の隙間から伸びる、三本の刃を振り、血を落とす。

 中華装束に身を纏ったこの、細い目の男は『(ロン)』。(フー)と同じく、黑社會の幹部だ。

 

 彼の後ろには一緒について来た、店の従業員の女と首領が、身を寄せ合って控えている。

 

 

「やはり、フーと他の構成員を待つべきだったのでは……?」

 

 

 彼は背後にいる狙撃手に、目配せする。

 構えていた狙撃銃を担ぎ直し、無感情に呟く。

 

 

 

 

「…………五分待っても来なかった上、音信不通。やられた可能性もあるでしょ」

 

「フーがやられるとは、到底思えませんが……」

 

「でも来なかった。何か起きたと見ていいわ」

 

「……無事を願いたいものです」

 

 

 遠くで轟音が響き、ピシピシと屋敷の壁が軋む。

 

 

「……『桃』は派手にやっているようね」

 

「あの方の強さは把握しましたが……お一人で大丈夫なのでしょうか」

 

「そんな柔じゃないわ」

 

 

 狙撃手は振り返り、後方を確認する。

 敵の増援が既に押し寄せていた。別働者の心配をする暇はない。

 

 

「倒しても倒しても、湧いてくる……!」

 

「……あの屋敷よりはマシね」

 

「あの屋敷?」

 

「なんでもない」

 

 

 銃を構え、ほぼノーモーションで引き金を引く。

 ひとつ銃声が鳴るだけで、数人が倒れる。彼女の放つ凶弾に、無駄な弾は存在しない。

 

 

 

 

「ヒューッ! さすが『怜子ちゃん』!」

 

 

 彼女の戦いぶりに称賛を浴びせる人物。

 この人物こそ、黑社會の現首領として命を狙われている娘だった。

 

 

「日本語で『アッパレ』って言うんだっけ?」

 

「………………」

 

「首領、危険ですから私よりも前に出ないように」

 

 

 怜子と呼ばれる狙撃手は若干、苛ついた目付きだ。

 だが背後に控える彼女を一瞥する余裕はない。まだ前方より迫る浩然の部下を始末する。

 

 

 しかし向こうも、狙撃手の存在を確認したからには馬鹿正直に突撃をしない。

 次第に柱や物陰に隠れはじめ、暫くすれば鉄製の分厚い盾を持った者たちが現れた。

 

 盾持ちは横一列に並び、後続の者らに攻撃の機会をやる。

 

 

「あなたの番」

 

「任されました」

 

 

 刃を構え、ロンが出来る限り姿勢を低くして突入する。

 迎え撃つ部下たちだが、その弾が彼に当たることはない。

 

 

 射撃の為に盾から出した顔や腕を、怜子が的確に狙撃するからだ。

 もはやマシンと言っても良いほどの精密射撃。これにより与えた動揺は、迫り来るロンへの対処を崩すことにもなる。

 

 

 

 

 一発の被弾も受けず、盾の前へ到達したロンは大きく跳ぶ。

 盾を飛び越し、がら空きの上面よりその脳天目がけて刃を突き刺す。

 

 

「ぁ……ッ!?」

 

 

 生気を喪失し、盾が手放される。

 射線の突破口が開かれた。

 

 

 

 

 

 そこからはロンと怜子による、たった二人の蹂躙だ。

 ロンが斬り刻み、奥からは怜子が狙撃する。

 あれよあれよで敵の数は減り、ものの数分で生命なき肉の塊が犇めくだけとなった。

 

 

「……第二陣も突破したようです」

 

「すぐにまた来るわ」

 

「しかし私の体力も、貴女の弾も無限ではありません。早い内に浩然を討たねば……」

 

 

 焦燥感を抱くロンに対し、怜子は汗ひとつかかない冷静沈着ぶり。しかし一定の緊張は保ってはいるようだ。

 

 

 警戒を怠らない二人と比べ、首領は楽観的そうだ。

 

 

「あのさ、空気読めないと思うんだけど」

 

「自覚あるなら喋らないでくれる?」

 

「い、いーからいーから! オシャベリさせて!!」

 

 

 今度は更に苛ついた目を、彼女に向ける。

 その視線に押されそうになりながらも、半笑いで喋り出す。

 

 

「こうさ、派手にやってたら来るかもしんないって思わない?」

 

「どなたが? フーですか?」

 

「ロン知らないのぉ? 巷で話題のアレじゃん!」

 

 

 両手で指差し、得意げに話す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 屋敷の前まで来た幻徳。

 早速侵入しようと試みたところで、思わぬ存在に出くわした。

 

 

「…………」

 

「……よオ」

 

 

 見覚えのある姿と、頭部の傷。

 湾岸で戦った、暗殺者の男だ。

 

 顔面の半分に青痣が生々しく残り、エレメントの鰐の歯に噛まれた傷痕からは血が滴っている。

 

 

「お前、湾岸の……」

 

「ククク……何をしたのかは知らんガ……仕留め損ねたようだナ……」

 

 

 袖に隠していた手には、数本のナイフが握られていた。

 

 

「一度やられたガ……もうお前に対し油断はしなイ」

 

「ここにいると言うことは、やはりバンシヲとはお前か?」

 

 

 ピクリと、男の片目が動く。

 

 

「その名に辿り着くとはナ」

 

「とすれば、この騒動もお前をどうにかすれば、一応の目処が立つ訳か」

 

「一度倒した相手と油断しているのカ?」

 

 

 暗殺者は構えを取った。

 

 

「殺せなかった事を後悔させてやル」

 

 

 

 

 幻徳は首を振る。

 

 

「……再変身は危険なんだがな」

 

「なんだト?」

 

「仕留めるだの殺すだの、勝手に俺のスタンスを捻じ曲げるんじゃない。俺がお前に言えることは一つ」

 

 

 スーツの上着を、脱ぎ捨てる。

 その下には、スクラッシュドライバー。

 

 

 

 

生きててなによりだ(・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 握っていたフルボトルを挿す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 両手で指差し、得意げに話す。

 

 

「『紫のヒーロー』!!」

 

 

 

 

 

 一際激しい破壊音。

 彼女たちの前方にある壁を突き破り、何かが侵入する。

 

 

「……!」

 

「え!? え!? え!?!?」

 

 

 瞬時に迎撃態勢を整えるロンと怜子に、狼狽える首領とビクつく給仕の女。

 

 

 現れた存在とは暗殺者と、その腹を蹴りつける異形の存在。

 

 仮面ライダーローグの再臨だ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。