灯台下暗し (聖華)
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灯台下暗し

 *

 

 野暮用を済ませに、図書館に出向いた折のことである。はて、目当ての部屋は何処だったかと、並び立つ本棚の間をゆるゆる歩いていたのだが。

 ふと、背後に気配が歩いて寄ってきた。

 

「吉備津彦様、お時間よろしいでしょうか?」

 

 声に振り返ってみると、アタッカーのキャスト『ロビン・シャーウッド』がこちらを見つめている。目が合ったところで、軽く頭を下げたもので、こちらも礼などを返した。

 この青年は、文化圏こそ違うが、とにかく律儀で礼儀正しい人柄だと記憶している。素直に好ましいといえる人だ。キャストである、武人としての腕前も上々となれば、もう言うことはなかろう。

 

「何、特別急ぎの用がある訳でもない、そう畏まってくれるな」

 

 断りを入れながらも、眼前の表情を見て察する。

 

「そちらは急用であるようだな? 俺に出来ることなら、何でも言ってくれ」

「流石お供の方々に慕われているだけあって、話が早くて助かります」

 

 この青年、普段ならここで緩く笑ってみせる類の人である。だが、どうにも今日は様子が違った。

 ――精悍。眉尻を上げて、唇も引き締めて、瞳には強い色を秘めている。いかにも真面目な、仕事をする人の顔をしていたのだ。

 

「四日前、吉備津彦様は闇吉備津様とヴィランの討伐に赴いていますよね」

「ああ。俺はレーンの維持を主にしていたから、あまり共闘という気はしなかったが……それが、どうしたのだ?」

「言い難いことにはなるんですが」

 

 一拍、間。勢いこんで、語る。

 

「――現在、闇吉備津様は、闇の軍勢との関与が疑われています」

 

 

 

【灯台下暗し】

 

 

 

 情けないことに、俺は一瞬、返す言葉に詰まった。全くもって予想だにせぬ内容に、思考が停止したのである。

 思えば、俺はこの手の、裏切りだの不誠実だのとは無縁の人生を送ってきた。供たちは俺を常に慕い続け、俺は彼らと共に悪しき鬼を打ち倒した。単純に、慣れていないのだろう。

 

「あやつが闇の軍勢と? まさか。そのような男ではないだろう」

「心中はお察しします。ですが闇の軍勢に下ることは、テイルマスターに対する、いや、図書館とそこに貯蔵される全ての本に対する裏切りです。事実であれば、決して見過ごせるものではありません」

 

 普段から自らを正義と自称する人である。成る程、言葉の節々に決意と自信を感じられた。

 闇吉備津が闇の軍勢と内通――正直なところ、違和感はない文面だ。どこのブックの闇吉備津もそうだろう。彼、彼らは常に孤独に振る舞う。刃をもってしか人と交わる術を知らず、人付き合いというものに甘んじることをしない。描かれ方によっては、多少気安い者も居るかもしれないが、それでも何かしら、薄暗いところを持っている。

 俺のブックの闇吉備津も、多聞に漏れず、不愛想であった。どのような人生を送れば、ああも世離れ出来るのかと不思議に思った時期もあったが、どうにも供も媼も翁も彼の人生には居なかったようだ。だから、一人で居る方が落ち着くらしい。

 

 つまりだ。このような状態になった時、味方になってくれる人間の一切が居ない手合いなのである。

 

「つきましては、前回のヴィラン討伐に同行した吉備津彦様に、お話をお聞きしたく。彼に不審な動きなどはありませんでしたか?」

「いいや。先にも話した通り、俺はあやつとは違う場所で動いていることがほとんどで……だが、あの射程でヴィランと戦っていたのだ。交渉をするような暇はないと思うが」

「ええ、こんなことを言うくらいですから、私もいろいろ調べてみたのです。あの時、闇吉備津様はヴィランの一撃を貰って、重傷を負ったのでしたね」

 

 青年の言葉に、「ああ」と頷く。

 その時のヴィランは白色のジャバウォックだった。まさしく疾風の如く戦地を駆けまわるヴィランで、この速度に惑わされず、確かな一撃を与えられるキャストとして闇吉備津が選ばれたのだ。結果として、この作戦は成功した。闇吉備津は休息を必要にされる程の傷を負ったが、それ以外に被害を出すことなく、ヴィランを討伐することが出来たのである。

 

「あなた方の体には、かつて鬼ヶ島の鬼を凶暴化させた『闇桃花』が封じられている……という設定です。その設定が、ヴィランとの攻防によって活性化してしまっただとすれば」

「本人の意図に沿わず、狂わされてしまっている可能性が有る、と?」

 

 今度は青年が頷く番であった。胸の奥底が、ざわつくような感覚がする。自身にも埋め込まれている『闇桃花』がきらりと光ったかのような。

 首を横に振った。

 

「すまない、シャーウッド殿。貴殿の言葉には、同意しかねる。我らは日ノ本一を名乗る剣豪だ。そのように勝手に狂うこともなければ、そも、闇吉備津の奴はその手の小細工をする類ではない」

「先程から、闇吉備津様を庇ってばかりですね」

「頭ごなしに疑う、その態度が好かんだけだ」

 

 あくまで強く語気を吐く。本心からの言葉だったのだが、何故だか眼前の青年は、くすくす笑うことで答えた。

 

 眼前、金髪が舞う。

 青年が前に跳ねると同時、本棚の木目を背景にして、長い髪が扇に広がった。咄嗟に斬鬼丸の柄に手をかけたのだが、胴の前に構えた左腕をがしり掴まれる。そのまま、ぐいと青年の方に引き寄せられて、

 

「――流石としか言えませんよ、吉備津彦様!」

 

歓声に、ぽかんと口が開いた。

 

「それでこそ日ノ本の英雄。その正義、よくよく見せて頂きました。あなたは闇吉備津様と全く仲がよろしくないというのに、そんな相手にも公平に接しようとする。真実を追求しようとする。その姿勢、感服せざるを得ません」

 

 『全く仲がよろしくない』という言葉の、『全く』の部分。これは発声としては「まっっったく!」ぐらいの勢いであった。

 俺の腕を掴んで、子どもじみて目を輝かせる人に、はてどう反応すべきかと悩む。そも、俺はこの人の意図が、いまだに掴めていない。そろそろ俺の腕をぶんぶん振るのは、やめてよいのではないだろうか。

 こめかみのところを掻く。

 

「ま、まぁ、何だ。疑わしきは罰せず、の精神は常に持つべきだろう」

「私も同意見です。そこで吉備津彦様には、闇吉備津様の無罪の証拠を集めて頂きたいのです」

 

 にこにこと笑顔で語るその顔を、まじまじ見やる。

 

「あの方、誰が近付いても『孤独という言葉など我が太刀には無意味』だの『戦う事でしか我と人とは交われぬ』だの、取り付く島がありませんからね。監視をするにしても、誰かが根気よく接する必要があるんですよ」

「……最初から、そうやって頼めばよかったのでは?」

「彼の無罪を心から信じている人でないと、意味がありませんから」

 

 腕が解放されると同時に、琥珀のような色の瞳が離れていく。しかし、近くで見てつくづく思うが、西洋の人とは恐ろしいものである。睫毛とはあれほど長く伸びるものなのか。

 ともあれ、この申し出を断る理由はなかった。俺は、闇吉備津はヴィランと通じていないと、確信を持っていたからだ。先に言った通り、あれは孤独に剣を極めた人だ。この期に及んで何かしらの力に下るくらいなら、それこそ自害でもするだろう。

 

「分かった。その役目、俺が引き受けよう。他の者にも、要請をするのか?」

「吉備津彦様の返答によっては、したかと思いますが。誠意を見せて頂けましたからね、大丈夫です」

 

 何がそこまで嬉しいのか、口笛すら吹き出しそうな雰囲気であった。

 全く、食えない人である。

 

 *

 

「失礼。闇吉備津殿は居られるか」

 

 固く閉められた襖の前、声を掛ければ「入れ」との返答があった。意を決して――というのは大袈裟だが――軽く生唾など飲みながら部屋へと入る。

 

 決して広いとは言えない和室である。床の間と、平机と、乱雑に積まれた布団しかない部屋なのに、それでも窮屈という印象しか受けない。外に面した障子が、朝方の日に白く光っていた。

 白髪は、そんな部屋の中央で座禅を組んでいた。どうにも瞑想の最中であったらしく、赤眼でこちらを見やると一度姿勢を崩す。

 

「お前が下っ端仕事をやるとは珍しい。何用か。手元を見るに、他にも行かねばならぬ場所があるのだろう。手短に頼む」

「否、此度は伝達をする為に来たのではなく」

 

 持ってきた酒瓶を、突き出して見せる。眉が怪訝に歪んだ。

 

「お前の見舞いだ。先のヴィラン討伐は、俺も同伴していたからな。その傷は、俺の責任でもある」

「白々しい事を言ってくれるな」

 

 鋭い言葉と視線に対して、内心で委縮する。全てを見透かされていそうだと、懸念がまず脳裏に浮かぶ。

 俺という人は、どうにもこやつが苦手であった。怖いだとか嫌いだとか、そのような直情的な感覚ではなく、なんとなしに対峙していると心が落ち着かなくなってくるのだ。故に、俺は今の今まで、この人とまともに言葉を交わしたことがない。

 言葉に迷った末に、本心の一部を語ることにした。人間、正直が一番だ。

 

「実はだな。……俺は、お前と交友を深めたいと思っている」

「ほぅ」

「先の戦、お前が負傷したのは我らに連携がなかったからだ。今後、闇の軍勢との闘いはさらに熾烈を極めるだろう。その際に我らを助けるのは、他でもない絆の力であるはずだ」

 

 気が付けば、俺はぐっと拳を握ることすらしていた。

 値踏みをするように、闇吉備津はしばらく黙って俺の表情を見ていた。やがて立ち上がると、部屋の隅にあった机を部屋の中ほどまで担いでくる。

 

「座布団はないぞ」

「ああ、そんなところだろうと予感があってな。お猪口なども自前で持ってきた」

 

 対面に座り込むと、互いの前にお猪口を並べ、酒瓶と水の入った竹筒を中央に据えた。

 障子すら閉め切っている部屋である。紙で透かした光しか明かりがないもので、昼前だというに薄暗くあった。闇吉備津は「準備が良い事だ」と一言。互いに酒を注いだところで、杯を打ち交わして一息に飲み下す。酒が喉を焼いて、鼻の奥から通り抜けていく感覚。

 

「意外だな。お前が、昼から酒を飲むなぞ」

「まぁ、偶にはこういうのも良かろう。今日は戦場に出る予定もなくてな」

「道理で」

 

 俺が次を注いでいると、眼前が竹筒の中身は何かと問う。俺が水だと伝えれば、自らの器にそれを淹れた。人の腕での作業だったが、こちらもやおらと爪が長く、それが竹筒の表面を軽く削ぐのが見えた。

 

「そちらこそ、酒ではなく水を選ぶとは。下戸なのか?」

「否。酔わなさ過ぎるだけの事」

「? どういう意味だ」

「言葉の通りだ、我には泥水も酒も同じ様に感ぜられる。恐らくだが、砂利と黄な粉の区別もつかぬのだろう」

 

 その言葉を聞いた途端、今この人が行っている『水を啜る』という動作が、酷く機械的なものに感ぜられてきた。

 俺もそうだが、キャストというものは基本的に食事の必要がない。空腹になったような気がして、また食事に舌鼓を打てるからこそ、食事をするのである。であれば、眼前はただ単に空気を読んで、飯事じみて水を口にしているに他ならぬのだ。

 きっと、俺は苦虫を噛んだような顔をしていたのだろう。

 

「お前は、こういう事を聞きに来たのだと思ったのだが。違ったか?」

 

 内心ぎょっとする。隻眼だというのに、つくづく目力のある人であった。

 

「そう、だな。俺はお前のことを知る為に、こうして訪れたのだ。貴重なお話、感謝しよう。となれば、普段の食事はどうしているのだ?」

「…………。摂食は殆どせぬ。人目を引かぬ程度に、偶に喰う姿を見せている。喰う必要がない事を表に出すと、どうにも不憫がられるようでな。感づかれないように人真似をするのが常よ」

 

 返答までにあった間の意味は、今の俺にはどうも判断しあぐねた。俺の中の闇吉備津の像は、この場で当人の語る一言一言でのみ構成されていて、大凡の推測すら立て難かった。

 ともあれ、これは先手を打たれたとは思う。俺はそのような境遇、放っておくには忍びないと感じる訳だが、実際に口に出してしまうことは出来なかった。周りと距離を置く為に人真似をする虚しさは、果たしてどれほどのものだろう。

 

「いやはや、こうして話を聞くまで気付かなかったな。お前も存外、周囲のことを考えていた訳だ」

「世渡り云々は下らぬ児戯とは思うが、否定するつもりはない。是は行わぬが、流れに抗う必要性までは感じない。我はただ、己の望む生き方に対して、最適解を取っているだけだ」

 

 ふぅ、と息をつく音が聞こえた。意外と、表情が豊かな人のようだ。うんざりしたような顔をしているのが、よく分かったのである。

 

「語り疲れた。明日はお前が話すが良い」

「それはどういう」

「面倒だから言っておこう。我は貴様の魂胆の、一切を知り得ている」

 

 単刀直入とはまさにこの事である。咄嗟、「一体何を」などという言葉が口をついたが、ああ、俺は自身が嘘をつくのに慣れていないことを知っていたのだ。一瞬で観念まで辿り着いた。どこまで見透かしているのか、どこまで知っているかは分からない。ただの鎌掛けである可能性だって当然あったのだが、武人としてこれ以上の恥を晒す訳にはいかなかった。

 口を噤んだ後、ため息を吐くように語り出す。姿勢を今一度正す。

 

「お前に対して、ヴィランとの関与を疑う声が上がっている」

「至極真っ当な疑念だな。闇を冠する身としては、光栄な程よ」

 

 やはりと言うべきか、反応は極めて薄かった。

 

「俺はお前の無実を証明する為に、こうして言葉を交わしているのだ」

「それが我が潔白と、如何様に繋がるのだ?」

「分からん。お前の人格が健全だったところで、それが説得材料になるかと言われると怪しいからな。だが、俺がお前のことを知れば、何か妙案が浮かぶのではないかと」

「発想まで猪突猛進とは、畏れ入った」

 

 言うと、闇吉備津は机に乗っていた酒瓶と竹筒とを、乱雑に端に追いやった。すっかり空いた机の中央を、鬼の指で――この人の左腕は、もはや人の形をしていない。白い甲殻に包まれて、時折蛍光に光りすらする――引っ掻いて三本の線を引く。

 

「我らはどうにも三という言葉に縁があり、故事成語だの諺だのでも切りが良い数字とされている。故に三度、此処で対話をするとしよう。それまでには、解決策も出るはずだ」

 

 一番右の縦棒に、斜めに線を入れた。木屑が、甲殻の隙間から出る青い靄に燃え消える。体の奥底にある『闇桃花』が、そわりと花びらを揺らしたような感覚。

 誰かの無罪を証明する上で、最も確実な方法がある。……『本当の犯人を、見つけ出すこと』。あらゆる真実が暴かれて、罪人と被害者が明らかになること。この人が言いたいのは、そういうところだろう。

 ここは無頼漢が如く、自身ありげに笑ってみせるしかなかった。

 

「成る程、今日が一度目となると、残るは二回か。これは、語る内容を練らねばならないな」

「我が体が健全を取り戻すまでに、あと三日はかかると言われている。無理を押して刀を振るっても良いが、まぁ此度は待つつもりでいるのだ」

 

 酒瓶と竹筒を引っかけながら、立ち上がる。どうしてだろう。ほとんど宣戦布告と変わらぬことを宣われたというのに、気持ちは晴れやかであった。思えば成る程、自分は常々この人と腹を割って話がしたいと考えていたのだろう。その気が思いかけず舞いこんできたものだから、足取りが浮ついているのだ。

 襖から出て行こうとしたところで、ふと疑問に行き当たって振り返る。

 

「闇吉備津。お前も、ひょっとしてシャーウッド殿に何か言われているのではないか」

「幾らか話はした。だが、我はあれの言う事を聞いてやるつもりはない」

 

 それだけ聞ければ、十分だった。

 図書館に向かうことを決めると、闇吉備津の部屋を後にした。

 

 **

 

 図書館の中を暫く歩けば、目当ての人は見つかった。腰ほどまである金髪が、ゆらゆらとしている。

 此方を認めると、眼前は表情を緩くさせた。やはりと言うべきか、つくづく喰えない人だと思う。

 

「おや、先日振りですね。どうですか? 調子は」

「一先ず今日含め三日、様子を見る事と相成った」

 

 あのように語ったからには、あれも三度の対峙が済むまで目立った動きはしないだろうと、確信に近い物があった。誠実な人柄である事は、先の対話でよくよく感ぜられた。成る程、想像にそぐわぬ人であってくれて、安堵した所がある。

 でなければ、言葉など交わしていられなかっただろう。

 

「……お前の推測は、半分だけ当たっていた。実際に顔を合わせ、対話をして、道理がいった」

「と、言いますと?」

「あれは、ヴィランに通じているどころの騒ぎではない。恐らく、アナザーとノーマルという表裏一体の関係だからこそ、分かるのだろう」

 

 言葉を交わす度、眼前が此方を見やる度、如何にも言い知れぬ感覚にさせられた。闇桃花が風に吹かれたような、ぞわりと背筋に這い上がる物があった以上、此れは最早確信としか言い様がなかった。

 ぱちぱちと目を瞬かせながら見やる人に、吐露。

 

「ヴィランその物だ、あれは。此方に引き戻さなければ、厄介な事になるだろう」

「それはまた……ご愁傷様、と言うべきなのでしょうか。ちなみに物的な証拠、みたいなものはありますか?」

「腕の蛍光が、普段以上に燃えていた。恐らくヴィランの気に当てられて、活性化したのだろう」

 

 米噛の所を、指で掻く。大分爪も伸びた物で、そろそろ整えなければならないと思った。

 此度は魔が差したか、あるいは心の何処かに溜め込んでいた所を突かれたのだろう。こればかりは、英雄だからと言ってあれを責める事は出来ない。多かれ少なかれ、人間はその様に作られている。キャストが人間の形を模して描かれた以上、避けては通れない道理であった。寧ろ、此処でどうにか立ち直らせてやった方が、成る程、成長に繋がるやも分からん。

 

「図書館の資料によれば、闇のインクが浸透しきるのに大凡一週間かかると言われています。闇吉備津様が戦地に出られて今日で五日、残りは二日ですか。もしや、そのことを知って?」

「さてな」

 

 それ以上の事は、口にしなかった。あの場において、互いに言葉にせずとも契りを交わしたのだ。相手に敬意を持てばこそ、其処に水を差すような無粋は避けたかった。

 

「それよりも、だ。聞いたぞ、お前から事情を聞き及んでいると」

「ええ、そうですよ。私はお二人に話をしました。闇吉備津様には忠告をして、吉備津彦様には協力を依頼していますね。他のキャスト様に関しては、誓って何一つ話していませんよ」

 

 笑顔で語る人には、どうにも悪意という物を感じられない。やはり食えぬ男だ。

 

 *

 

「今日は手ぶらなのだな」

「俺だけ飲み食いしていても、面白くないだろう」

「左様か」

 

 襖を開けた先、既に机は部屋の中央に置かれていた。布団も、どこぞやに仕舞われたらしい。「もしや、布団を置いていたのも人の振りか」と尋ねれば、「療養中というのもあって、お前以外の輩も顔を出す」と返答が来た。

 恐らく、人目を忍んで山や森に一人篭ろうにも、それはそれで心配を煽るから、波風を立てない為にこのキャスト寮で暮らしているのだろう。普通ではない人に、普通を強いることは、存外残酷なのやも分からなかった。

 

 今日も今日とて、対面に座りこんだ。机の表面には、三本と一本の線がある。

 

「題目は考えてきたかね?」

「ああ」

 

 言うと、俺は机の上に斬鬼丸の刀身をそのまま置いた。太刀と呼ぶのも憚られる大剣である、これだけで机の八割ほどを占拠した。

 

「今日は互いの生き様について語りたいと思う。故きを温ねて、新しきを知るというやつだ」

「お前の英雄譚ならば、聞く前から諳んじているが」

「当然。故に、ここで語るのは、俺が何を思い英雄と化したかという話である」

 

 正座をして、気付けに己の膝を叩く。お奉行か、落語家か。何を気取ればいいのか、こうして話す直前になっても分かりはしなかった。

 眼前は、変わらず胡坐を組んでいる。赤い目が据わっていた。

 

「俺は、数居る皇子の一人でしかなかったが、鬼の力を宿しているとの占いによって、多くの学と武術を授けられることに相成った。由緒正しき大皇の血に、はてどういう経緯で鬼の血が混じったのかは、俺すら終ぞ知らなでいる。けれど、周りはこの人外性には目を向けず、俺をただ一人の人間として認めてくれた」

 

 *

 

 俺の生涯、一切疎まれることがなかったかと言えば、そうではなかった。

 先も言った通りだ。俺は数居る皇子の一人、自身が政に興味がなくとも、周囲は放っておいてくれないのだ。ある者は、鬼の分際で大皇に目をかけられていると恨んできたし、ある者は、此度の鬼退治は厄介払いに違いないと憐みの目を向けた。

 鬼により、平穏が乱れていた時代である。俺の出自を知る民衆に、石を投げられることもあった。もちろん、誠意をもって接することで、受け入れられたこともあるのだが。少なくとも、鬼の力と言うものは、俺にとって十分過ぎるしがらみであった。

 

「桃様、今日も素晴らしき剣筋でありました! これならば、鬼が幾ら束になろうと、敵ではないでしょう!」

「犬飼は相変わらず熱気盛んというか……とはいえ、大将の刀の腕は最早都でも随一でしょう。こんなお人の下に居させて貰えれば、拙者も楽が出来るというもの」

「馬鹿二人の言葉は、あまり気にしないで下さいね、桃様。全く、二人とも褒めるにしても極端すぎるのよ……」

 

 その日は、最後の稽古の日だった。明日には都を出るということで、最終確認も兼ねてこうして四人で集まって、わいわいとしていたのである。早速、「馬鹿とは何事ですか、留玉臣!」だの「そうでござる! 拙者はこんな堅物とは違って」だの「二人とも、極端に真面目で極端に不真面目過ぎるのよ!」だのとやり始めた供たちを、微笑ましく眺めていた。

 この三人は馴れ合うことはしなかったが、しかしいざ事態が動けば、戦闘でも野営でも、速やかに役割を分担して万全に手筈を整えてくれる。俺にはもったいない人材だと、何度思ったか分からなかった。

 

 どうして、その時だったのかは分からない。いつもの口喧嘩を止める為だったのかもしれないし、自分が口論会に参戦していないことを寂しがったのかもしれない。

 

「では、旅の前に改めて。この旅に同行する故を、聞くとしよう。此度の任には危険が付き纏う、再び故郷の土を踏めるかも分かりはしない。それでも、俺と道を共にする理由は何か、と」

 

 三人は一様に口を噤み、目配せをし合う。最初に言葉を発したのは、犬であった。

 

「常に桃様のお傍に居る為で御座います。私は貴方の人柄、剣技、あらゆる物に惚れこんで此処に居ります。そんな貴方様の刃が切り開く未来を、すぐ隣で見届けさせて頂きたいのです」

 

 肩を竦めた猿が、「犬飼は真面目が過ぎるでござる」と揶揄った。

 

「常に大将のお傍に参じる為でござるな。先も言った通り、大将は下っ端の扱いもいい。下手な貴族に遣えて城で胡坐を掻くよりも、貴方と共に戦地に出向いた方が余程安泰でござろう」

 

 「二人とも私情まみれじゃない」と、雉がため息をついた。

 

「常に桃様のお傍に置いてもらう為です。この留玉臣、今以上に桃様のお役に立って、旅の終わりには『やはり頼りになるのは雉だな』と一言頂く算段です」

 

 誰一人、世の泰平だのとは口上に出さなかった。これは決して、そうした大目的を忘れていたからではない。単純に、俺を気遣ってくれたのだろう。三人は俺という個人に好意を持ってくれているからこそ、こうして集ってくれたのだと。まったく、人情に厚いことであった。

 不意に犬が口を開いた。

 

「桃様は何故我ら三匹を、供として選んで下さったのですか?」

 

 *

 

「――人々に笑顔を齎す為。世の平穏を取り戻す為。それも無論、俺が刀を振るう理由の一つであろう。しかし一番は何かというと、やはりこうした人情によるところなのだ。俺は恩返しをする為に、英雄へとなったのだよ」

 

 長々と話して、ようやく一息ついたところ。相槌すら打たずにこちらを見ている人に、曰く。「やはりお前には、俺が阿保に見えるかね」と。眼前は、孤独に生きた剣豪である。であれば、他者が為に生きる俺の道は酷く甘い、滑稽なものに見えるのやも分からない。

 意外なことに、即答が返ってきた。

 

「否、そのようには思いはせぬ。『英雄』というのは、大凡そういうものだ。好ましき人格で、誠実な精神を持たねば、誰も後ろには続かぬだろう。我には歩めぬ道だが、真っ当だ」

 

 俺の口から出た言葉は、単純な好奇心だったのだろう。

 

「闇吉備津。お前は、人と共に過ごすことに、こう……喜びのような感情を、抱かないのか?」

「皆無ではないが、常人の抱くそれとはまた違う。我と人では、恐らく他者に求める物が異なるのだろうな。人間は居てくれないと困るが、情愛なる物に意義は感じない」

 

 はぐらかされた、と思った。敢えて眼前は、話題の本質――『自分が他者に何を求めているのか』を、誤魔化したのだ。言いたくないのか、慮ってもらいたいのかは定かではないが。

 少し悩んで、姿勢を楽に取ることにした。ここから先は、恐らく固くある必要はない。

 

「先の通りだ。俺は、人に対して情愛を持っているし、俺に対してそういう感情を持ってもらいたいと思っている。大凡の人間と同じで、人に好かれる方が好きでな」

「その辺りの感情を、我はいまだに掴めんでいる。仕組みとして理解はしているが、どうにも共感し難い」

 

 顎に手をやり、僅かながらも首を傾げる仕草が、なんとも不思議に映った。例え白髪の隻眼で異形相が垣間見えているとしても、こういう部分はやおらに人間らしいと思うのだが、一体どこでズレが出ているのだろうか。そもそも、そのズレは正せるのだろうか。正して良いのだろうか。分からぬが、この場で語るべきことは一つであった。

 

「どう説明すべきかな。俺はお前とは全くの逆で、仕組みとして理解出来ておらなが、共感だけは抱いている」

 

 赤色の虹彩が伺う中で、己の言葉で語る。

 

「他人と会話をするのは、楽しい。誰かと美味い酒を飲んで、良い試合をして……そうだな、偶には喧嘩などするのも一興か。どういう理屈で楽しいのかと問われると、いかんせん言葉にしようがないのだが、とにかく幸福に胸が暖かくなるのだ」

 

 それは、紛れもない俺の本心であった。俺は恐らく、根本的な部分で人間というものを好んでいるのだと思う。自分と異なる思想を持って行動している誰かを、邪魔だと排除するのではなく、知って受け入れたいと考える手合いなのだ。

 だからこそ、受け入れてもらえたことの恩返しに、英雄なぞしようとしたのだろう。共に立つ同胞が居てくれたことが、単純に嬉しかったのだ。

 

「理屈で話すのなら、群れを作る生き物としての本能なのやもな。それが満たされて、安心するのやも分からぬ。何にせよ、俺はこの幸福を守る為に、刃を振るい鬼に立ち向かったのだ。なかなか、抗いがたい心地よさだよ」

 

 こうして話していると、何故今まで眼前と努めて交流しようとしなかったのか、分からなくなってきた。別に俺は、この人に嫌悪を抱いてはいない。俺と同じ原典を持ちながら、異なる物語と人格を持つ一人。寧ろ、今のように知りたがるのが、正しいのではないだろうか。

 それなのに、どうして俺は。この武人を見る度に、今のように心が騒ぐのだろう。

 

「……それだけなのか?」

 

 低音が、氷のような冷たさを持って、鼓膜を叩いた。薄暗がりの中で、白い髪がやたらと浮かびあがっている。

 

「お前が他者に見出す価値は、それだけなのか?」

 

 口を開こうとして、舌が乾いていることに気付いた。ああ、何故俺は、ここで答えを躊躇うのだ?

 脳髄の奥の方で『闇桃花』の葉が、揺れる音を聞いた気がする。

 

「答えるまでもない、それ以外に抱くべき感情はないだろう。好意以外の感情というのは――敵意だの害意だの――諸刃の剣と同じなのだ。持つ側も、疲れるし傷つく。好き好んで抱くような代物ではないな」

 

 闇吉備津は、まじまじと俺の顔を眺めていた。自分が今どんな表情をしているのか、俺自身分からないでいたが、少なくとも眼前の人は一切の無表情で居た。

 

「お前」

「なんだ」

「斯様な極端な生き方をして、よく『つかれない』な?」

 

 語感としては、『憑かれない』のように聞こえたが、きっと『疲れない』と言おうとして抑揚を間違えただけだろう。

 いや、それよりも。正直言って、これは完全に「お前が言うな」という奴だ。苦笑をする。

 

「お前の方が余程、振り切れた生き方をしていると思うぞ。闇吉備津」

「生憎と、我は斬る以外に能がない。学がない。だから、己の生き方に疑いは抱いておらん。人からすれば極端でも、己自身は普通だと思っている」

「だが、普通でないことは知っているのだろう。人の真似をするくらいなのだから」

 

 ぴくり、と。厚く垂れた瞼が動くのが見えた。恐らく、予想していなかった返答だったのだ。

 

「こうして話していても思うのだ。お前はいかにも人外じみて振舞っているし、恐らく感覚もそちらに寄っているのだろうが、それでも根っこは人間だ」

「……聞こうか」

「他者を比較に出すのもどうかとは思うのだがな。お前、温羅と話をしたことはあるか」

「否。好む好まざる以前に、あれは鬼だ。キャストとして呼び出されていなければ、間違いなく斬り捨てている」

 

 その返答に、一切の迷いはなかった。この判断以外に正答などないと、信じてやまないのだろう。良くも悪くも、愚直な人なのやもしれない。時代が時代なら、あるいは使命が使命なら。この人は恐るべき人斬りとなっていたのだろう。斬るべき命は、等しく軽いものと見繕う類だ、これは。

 ある意味羨ましくはあった。

 

「温羅の奴は、お前を更に難解にしたような奴でな。凄まじく素直で、真面目で、良い奴なのだが――何だろうな、致命的に我ら人とはズレている。例えば、俺たちは武器の手入れをするだろう? 鬼は、その手のことを一切せぬらしい。何故だと思う?」

「……武器にも寿命があるから、その通りに死なせてやらねばならぬ、だとか」

「正解は『武器が自分で手入れをしないから』だ」

 

 「?」が頭の上に浮かんでいるのが、見えた気がする。やはり表情は変わらなかったが、纏う雰囲気が俺の言葉を訝しんでいる。

 

「俺も正直、理解がいっていないのだが。植物は自ら実をつけ、波は自ら浜辺に打ち寄せるだろう。あらゆるものは、己の力のみで判断や行動をし、進化すべきということらしい。彼が仲間を守るのは『守りたい』と思い行動するからであって、誰かに『守って欲しい』と頼まれても、その気にならなければ無視して当然であると」

「無機物にその理屈を求めるのか」

「らしいな」

 

 机を挟んで男が二人、なんとも言えぬ顔をしているのは、実に滑稽に見えただろう。

 俺が眼前にした今の説明だって、本当に鬼の理屈になっているかと聞かれると、実のところ回答に困る。口語で説明する為に、聞いた内容を組み立てて伝える――この工程を通す以上、どうしても『人間の解釈』や『人間でいうところの、こういう考え』というものが入ってくる。どこまで相手に道理を合わせようとしても、それは『極めて人外に近い擬人化』にしかならないのだ。

 

「お前には、そういう類の腑に落ちなさがない。間違いなく変人だが、結局人間らしいよ」

「生まれてこの方、人間らしいなぞと言い表されたのは初めてだ」

 

 言って、この人は滅鬼刀を己の足の上に置いた。俺は斬鬼丸を机から降ろそうとしたのだが、手で制される。

 

「我は生涯、英雄であろうと考えたことは一切なかった。そも、この世界には己しか在らず、他者は己が生きるに用いる道具でしかなかったのだ。それは他者を命として扱わぬという事ではない。お前も自身の刃は丁重に扱うだろう、家を持つ人は己の家に火を点けぬだろう。物だからと無意味に壊したり蔑ろにはしない……ただ、終ぞ今まで共感だけを持てずに居る」

 

 **

 

 物心ついた時には、観念の目を持っていたように思う。

 どうにも、自身は鬼の力を宿す、数多く在る皇子が一人という立ち位置であるらしかった。忌み嫌われるだけの時期の方が長かったと記憶しているが、ともあれ、都の危機に備えて一通りの学と武術は授けられた。そうして、鬼共が人の世を脅かした処で、鬼である是に然るべき役割が回って来たのである。

 

 生憎と、語るべき事は多くない。強いて言えば、是は後天性の人間不信ではなかったのである。

 

 教育者は決して厳し過ぎる人ではなかったし、鬼の出自に嫌悪でなく興味を持つ同世代の人間も居た筈だ。恐らく、翁や媼、供に値する人間は居た筈なのだ。だが、生憎と記憶に薄い。己という人は、他者にとんと興味を持てなかったのである。

 感情や欲望を知らない訳ではなく、持っていない訳でもない。だが、それらが致命的に人とずれていた。

 味覚が無いのは、鬼の力に依る処ではない。食事に娯楽を見いだせず、努めて得ようとしなかったので、『美味い』とか『不味い』とか言う基準がまず存在しないのである。人との交わりについても全く同じで、誰一人是に目を向けなかった訳ではなく、是が己以外を排除したからに過ぎないのだ。

 こうした人間的な疾患が、鬼の力を由縁とする物だったのではないかと問われれば、成る程、そうやも分からん。鬼の血が脳髄を弄繰り回した所為で、人情の一切を思い出せずにいるのやもしれない。とはいえ、正常を知らぬ身である、だからと言ってそれを恨む事は難しいが。

 

 とはいえ、先述の通りである。我にも、感情や欲がない訳ではなかった。寧ろ、常人よりも削ぎ落とされているからこそ、ある一方向においては、常人よりも感情的で欲望に忠実なのであった。

 暗闇に、一つだけ光があったなら。人はそれにしか、目が向かないだろう。これは、それと全く同じ理屈なのだ。

 

 *

 

「我という人はな、吉備津彦」

 

 淡々と語っていた人は、ここで一度間を置いた。腕を組む。

 

「今の今まで、お前と友人になりたいと思っていたのだ」

「……はぁ?」

 

 思わず、間抜けた声が出た。けれど、分かってもらえるだろう。散々人と相容れないと話しておいて、どうしてこんな言葉が出てくるのだろうか。否、もちろん、ありがたい言葉ではあるのだが。どうにも、雲行きが怪しくなったように思えた。

 

「言っただろう。我には唯一、抗えぬ欲情がある。お前ならば、恐らく我を満足させられる」

 

 「故に」と見つめる眼光の赤色が、溶けて尾を引いているように見える。煌々と光り過ぎていて、またあまりに朱色が強くて薄気味悪い。『闇桃花』が落ち着かない。ゆらゆらとする。

 

「理由がどうあれ、お前が我を訪ねてくれたのは嬉しく思う。怪我の功名、不幸中の幸いと言うべきか」

 

 ここに来て俺は、ようやくこの人が腕を組んだ意味を知った。人の手に握られた右腕、爪が突き立てられた皮膚から血が流れている。血が流れる程に、握りしめている。

 俺は初めて、この人の表情が大きく変わる瞬間を見た。口角を吊り上げ、隻眼を歪め、今にも笑い出しそうな顔で宣うのだ。

 

「――我はなぁ。今にもお前に斬りかかりたくて仕方がないのだ、吉備津彦。お前と刃を交える日ばかりを夢見て、明日にはそれが叶おうとしている」

 

 斬鬼丸を掴みながら俄かに立ち上がると、三本ある縦線の、二本目に斜めに線を入れた。咄嗟の思いつきだったので、力が入り過ぎた。かなり深く、切りこみが入ってしまう。

 口に溜まった唾を飲み下した。

 

「俺は、お前と斬り合いをするつもりはない。理由がないだろう」

「お前にその気がないなら、我とて鯉口は切らぬよ」

 

 それ以上居ても居られなくなってしまって、俺は足早に場を後にするしかなかった。

 また、図書館で探し物をしなければならない。

 

 ***

 

 私は、正義というものを信仰していると言っていいでしょう。

 感情があればこそ、他人を思いやれると同時に、他人を害してやろうという気にもなる。また、人を害するにしても『復讐』や『自分の身を守る為にやむを得なく』という言葉があれば、それは正しい物となる。

 真に正しき物を守りたいと思った時、それが守るに値するかどうかを決める基準となるのが正義の有無なのです。悪徳は何を犠牲にしてでも討つ必要がありますが、その際に誤って正義を討つことは、あってはならぬことなのです。

 

 今回、私が『桃太郎』を原典に持つ二人に近付いたのも、そういう故でした。己の眼で正義を見極めて、討つか助けるか決定を下さなければならないと思った次第です。

 その結果は――なんとも奇妙で、そして素晴らしいことに――両方が、正義だったのです。

 

 私が先に接触したのは、闇吉備津様でした。この順番に深い意味はありません。ただ、今回の一件の元凶であるヴィラン討伐の情報が欲しかったので、ヴィランと一番近くで戦っていた彼に話を聞こうと思ったのです。

 彼は私から『ヴィラン憑き』のことを聞き及んでも、全くの無表情で居ました。代わりに、

 

「邪魔をしてくれるな」

 

その一言と共に、私の首元に滅鬼刀の刃を向けたのです。彼の動きは緩慢で、私にも同時に弓を構える時間が与えられました。ただの脅しに過ぎないのは明白でしょう。

 

「いかなる善悪、いかなる道理を無視してでも、我は吉備津彦を斬らねばならぬ」

 

 話を聞いて分かったのですが、彼はどうにも倒錯した性癖の持ち主でした。刀を通しての命のやり取り以外では、彼は娯楽や快楽というものを感じられないようなのです。恐らくですが、唯一他の生き物と関わる瞬間が、戦闘の中にしかなかったのが原因でしょう。

 彼は私に、こんな事を話しました。

 

「我はようやと、生涯の友となりえる者を見つけた。全く刀身が同じで、全く互角の腕を持ち、しかし別人である者と、ここに来てようやく出会えたのだ。我はあれを殺しきれぬだろう、あれは我を殺しきれぬだろう。永劫打ち合える相手に、初めて検討ついたのだ」

 

 私たちが友人を欲しがる理由は、同志が欲しいだとか癒しが欲しいだとか、それら全てをひっくるめて『いつも傍に居て欲しい』というところに集結します。彼の思考は物騒の一言でしたが、そういう点では全く、普通の人間に変わりはなかったのです。

 彼は得られるかも分からない友情の為に、私や図書館に剣を向けようと言うのでした。

 

 この信念が私を感動させて堪らなかったことは、想像に易いでしょう。正義とは即ち、誰かを救う為に人が行う行動の全てです。救済が揺るぎない信念をもって実行された時点で、それは正義以外の何物でもないのです。

 

「素晴らしいお考えです、闇吉備津様! 是非私にも、協力をさせて下さい!」

 

 であれば、私が取るべき道は、この正義の手助けをすることのみでした。もちろん、正義にも優先順位というものがあります。理想としては、あらゆる正義が執行されるべきなのですが、場合によっては正義と正義が衝突してしまうこともあるのです。そういう時には、どちらの正義の方がより優先されるべきか、吟味するのもまた正義の使者としての努めですからね。

 という訳で、私は然るべき証拠の一切を集めきったにも関わらず、一旦図書館への報告を取りやめておいて、お相手である吉備津彦様にもまたその信念を尋ねに行ったのです。ここの次第によっては、当然闇吉備津様の正義を蹴ることも視野に入れておりました。

 

「――現在、闇吉備津様は、闇の軍勢との関与が疑われています」

 

 つまり、ここで私の言葉を鵜呑みにするようなら、闇吉備津様には申し訳ないけれど、協力の話は無しにしようと思ったのです。だって、そうでしょう。闇吉備津様の正義は素晴らしいもの、であればご友人になられる相手にもそれなりの品格が欲しい。釣り合わないで貧相なことになってしまうくらいなら、縁がなかったのだと諦められた方が良いでしょう。

 ですが私のこうした懸念は、全く、ただの失礼でしかなかったと知りました。

 

「すまない、シャーウッド殿。貴殿の言葉には、同意しかねる。我らは日の本一を名乗る剣豪だ。そのように勝手に狂うこともなければ、そも、闇吉備津の奴はその手の小細工をする類ではない」

 

 庇うくらいならば、成る程、日ノ本の英雄様です。私も納得だけしたのでしょう。予想の範疇を出ていません。ですが、彼はあくまで私の言葉を断固として否定したのです。『嘘の一切を、つこうとしなかった』のです。

 私はここに、彼の信念のような物を見ました。己の不利を理解していながらも、それでも他者に不利益を擦り付けようとしなかった。ただ擦り付けないだけなら罪悪感から来るものとも解釈出来ましたが、彼にはそもそも擦り付けるという選択肢自体が無いように見えたのです。

 

 私は、もうすっかり感極まって、吉備津彦様の手を取る事さえしました。このお二方の正義は、なんと素晴らしいのだろうと、その感動ばかりが胸を熱くしていました。そうして思ったのです。この二人の正義が、等しく同じ結末を迎えることが出来たなら、それはとても幸福なことであると。

 

 

 

 図書館の中、アシストカードの保管されている部屋の鍵を開けたままにしていたのですが、どうにも何かが侵入した痕跡がありました。細心の注意は払っていたのでしょうが、頁のほとんどがヴィランのインクに染まりつつあるのでしょう。隠しきれない、腐ったインクの残り香がありました。

 私はカードの配列を眺めていって、武器のところに一枚の盗難があるのを確認すると、部屋の鍵を閉めてしまいました。鍵はこの一件が終わるまで、『ついキラキラ光る物を持ち帰ってしまうカラス』の、巣の中に置いておくこととします。

 

「あの二人、上手くいくといいんですが」

 

 小首を傾げておくと、修練場へと向かいます。クロスボウの動作確認及び、対ヴィラン用の動きのイメージを練っておかなければいけません。あとは、非番のキャストの把握をして、編成まで決めておいていいでしょうね。

 二人だけで解決してくれるのが一番ですが、別に二人だけで解決してくれなくとも、図書館を平和に保てればいいのです。

 

 **

 

 意識が覚醒する。背には土壁の感触があって、腕は組まれ胡坐を掻いた姿勢であった。まだ、日は登り切っていない様子で、白い障子紙には桃色と橙と暗闇が混じった色が乗っている。

 なんとなし、足元に寝かせていた滅鬼刀を手に取って、真上へと投げる。狙った通りにきっちり三回転して、もう一度手元に落ちてきた。面倒な事になるのでやらないが、部屋の隅の方を這っているカツオブシムシの幼虫を鬼断ちで焼く事も出来るだろう。療養は完全に済んでしまって、溜め込まれてしまった力が発露させる場所を探しているようであった。

 

 立ち上がり、強張った筋肉を解していると、遠くの方から朝鳴きをする鳥の声が聞こえてくる。

 朝の空気は冷たく清らかで、だからこそ鳥の声が響くのだ――と、キャストの誰ぞが是に語ってきたのを思い出す。誰が言ったのか、最早興味はない。あれらも、犬や猿や雉になる筈だった人間と同じだ。居なくなれとは思わないが、存在しても存在しなくても変わらない。

 だからこそ、我はあの一人に執着しているのだろうか。他がぼやけて見えるからこそ、あれの輪郭が鮮明に見えるのだろうか。どちらでも良い。結局是は、剣以外に能のない人なのだ。

 

 平机はこの三日間、同じ場所に鎮座していた。昨日、吉備津彦が付けていった傷が、机の中央に大きく斜めに横たわっている。木屑を鬼の指で一か所に集めると、気を練りこんで鬼火を噴かせた。朝焼けすらない部屋の中、蛍光色がごうと燃える。木屑を一瞬で灰へと変えた。

 掃除も終わった処で、机の傍に座り込んで、胡坐を組む。何処からか足音が聞こえてきて、眼前の襖が開く時まで、瞑想をする。

 

 

 

 ――刀身が何かに触れると同時、切り裂くように力を入れる。土踏まずを踏み込む。腰を捻らせて、腕の筋肉を張らせる。肉の柔らかい感触の後に来た骨を、力任せに殴りつければ、刃は更に奥へと進んでいって、やがて空気の中へと出た。対象を、斬り捨てた。肉薄していたが故に、血やそれに準ずる体液が肌に掛かるだろう。この目は血が入ったくらいでは、見えなくなってくれない。

 脳内回路を常に働かせ続ける。勝利の為に斬るべきは何処か、足を断って機動力を奪うか、腕を切り裂き得物を落とさせるか。致命傷を与えるにはどう刃を入れるが良いか、突風が如く直線に流すか、あるいは大振りに兜割りなどしてみるか。

 五感で探るべきなのは、敵対者のみではない。風向きで動きは刹那の秒数遅くなる。足元の具合の如何によっては蹴り込む方向が変わり、場合によっては奇策として土砂崩れなぞ起こしてみても良いやも分からん。

 

 唯一、我が鬼の体を恨んだのは、敵との格の差に気付く瞬間である。

 凄まじい力で打ち合っても、刀身が振動するのは感じるが、腕が痺れる事はない。相手以上に手数を多く、動きを大きくとっても、鼓動が早くなったり肩で息をする事はない。幾らか斬りつけられても、失血に意識が霞む事も、ましてや痛みに動きが鈍る事なんて一切ない。

 常人ならば進めぬ道を悠々歩いているのを知った途端、戦闘に対するあらゆる高揚が、その一瞬だけ冷めるのだ。眼前が抱く恐怖や焦燥と言った物を、是は決して味わえぬのだと。生への執着の絶頂、どんな事をしてでも勝って生き残るのだと言う執念を、是は決して抱けぬのだと。そんな理屈が脳裏を掠めた途端、あらゆる戦闘は虐殺へと成り下がった。泣き叫んだり罵り喚き散らすのを、ただ斬るだけの児戯でしかなくなった。

 

 だからこそ、我はあれと友人になりたがったのだ。

 日ノ本一の剣豪。是に妙な考えを抱かせる暇を与えぬ程の、卓越した剣技を持つ人は、他には居ないだろうと思った。味方ならば躊躇いも生まれるだろうが、ヴィランと化した今ならば、是とも本気で戦ってくれるに違いない。

 後は、あれが気付いてくれればいいのだ。己の刃の価値は、果たして何の為にあるのかと。我はヴィランを殺したいのではなく、吉備津彦と刃を交わしたいのだ。

 

 

 

 時は止まる事を知らず、ただただ進み続ける。障子の紙はやがて真っ白く変わって、夕焼けに赤く焼かれ、最後には紫に染まりつつあった。襖が揺れないどころか、足音すら聞こえてこない。

 止むを得ず、机を持ち上げながら立ち上がった。平机を肩に担ぐと障子を開いて、すっかり夜へと沈んだ風景の中を走り出したのである。

 

 ****

 

 頭上には、中途半端な月が浮かんでいた。半月から満月に至る為の中間、下膨れした月であった。

 夜の森はとにかく、暗い。あらゆる植物が月明かりを遮って、夥しい数の影を作り出しているので、視野は開けているのに暗く感じられるのである。どこかで肉食の獣が遠吠えをしている。あおあおん、うおおん、と。

 

 吉備津彦は、この暗黒世界をふらふらと歩くことしか出来ないでいた。

 ここから先、己がどこへ向かうべきなのか、どこへ向かおうとしているのか。分からないで――

 

「ッ!」

 

咄嗟、刃を真横に走らせる。飛んできた物体が、刀身をもらったところから砕け散り、そのまま一刀両断された。

 月明かりの下、無惨を晒している木片は、どうやら机のようであった。横が長く足の短い平机で、中央からすっかり二つに折られてしまっている。

 

「探したぞ、吉備津彦」

 

 響くような低音と共に、木々の影から偉丈夫が浮かび上がる。病的な白磁の上に、血のような赤い塗料が乗っている。

 吉備津彦は、不可解極まりないことに、己が胸を撫で下ろしたのを知った。見られてはいけなかったはずなのに、どうしてだか『実のところ、俺はこうなって欲しかったのだ』という心持ちがあったのである。

 

「……闇吉備津、どうしてここに」

「三度対話をしよう、という事だっただろう。そちらが忙しそうなので、こちらから来てやった」

「畏れ入ったよ。ここまで気遣いが出来る人だったとは、やはりお前は人間らしいよ」

 

 闇吉備津に対して、苦笑する。というにも、顔の筋肉が引き攣っているようで、どうにも苦笑しか浮かべられなかったのだ。

 

「お前こそ、よくその姿を保っていられたな」

「何、もうじき限界が来る。酷い気分だ。己の物語が書かれていた頁の、その一枚一枚が、端から黒く滲んで読めなくなっていくような――」

 

 そこで吉備津彦は、一度言葉を止めた。何やら液体がぽたぽたと滴る音がして、掌を月明かりに晒してみると、案の定篭手や爪の間から黒いインクが漏れ出している。タールのような、どろどろとした、黒くテカる液体だ。

 地面に一滴インクが落ちると、そこからじゅうと煙が上がった。雑草が溶解していた。

 

 悪役がかった口上が、宣われる。

 

「お前がヴィランと戦っていた時に、俺は『話をする黒いキャスト』に会った。姿形も、男だったか女だったかも分からぬ。そうだな、千切れた糸のようなものは見ただろうか。インクを流し込まれた時に、その辺りの都合の悪い部分も、書き換えられてしまったらしい。結果はご覧の通りだ、直に俺はキャストという輪郭を失って、ただのヴィランへと成り下がる」

「だが、お前自身その身に堕ちる事を望んでいたのだろう」

「…………」

「責めるつもりはない。黒のインクは、あらゆる物語の闇を増幅させる物。であれば、今のお前の状況もインクの所為である事は間違いない」

 

 闇吉備津が吉備津彦へと歩み寄る。その度に、長い髪が暗闇を背景に揺れた。目覚ましい白色が、黒色を切り裂いていく。滅鬼刀が、蛍光に模様を浮かべていた。

 闇吉備津はただ、眼前を見つめた。崩れ落ちていく赤装飾に、目を細めた。

 

「だが、火の無い所に煙は立たないのだ、吉備津彦。その感情は紛れもない、従来お前の中に眠っていた物だ」

「俺は――ァ」

 

 言った言葉が詰まる。物理的に、つかえる。その体の奥底から、喉を通じて何かが競り上がってくる。咳きこみ吐き出せば、ぶよぶよとした黒いスライム質の物が、地面に落ちるのが見えた。いや、見えたのか? 分からない。吉備津彦の瞳は、もはや正常とは言い難かった。

 腐ったインクの匂いが、夜の森を犯していく。キャストはインクで出来た人型、故に骨も内蔵も持っていなかったが、この時については、骨が変形する音や血肉が蠢く音が鳴ったのである。ごりごりと、ぐちゃぐちゃと。これはつまり、物語の英雄が、読者を不快にする存在であるヴィランになりかわったことの証であった。

 体から流れるインクが、身に纏う鎧を黒に染めていく。肌は灰色にくすんで、結ばれた髪がやたらに踊る。口や目からは瘴気じみた赤色が湧きだし、これしか目につくような色がないので、視線がここに誘導される。花が花弁を派手に彩るのと、同じように見えた。

 

「言わずとも分かっている。分かっているさ、吉備津彦」

 

 見知った者が異形化していく様を目の当たりにしても、闇吉備津は一切表情を変えなかった。心も、すっかり平静としていた。そうして、奇妙なことに、穏やかな調子で堕ちた英雄に語りかけたのである。

 

「お前が何を望んでいたのか。何故、健全な折には我から遠ざかり、ヴィランとなってからは逆に惹き寄せられたか。我には全て、推測ついている」

 

 ヴィランの気に当てられたのだろう、滅鬼刀だけでなく、鬼の甲殻から漏れ出す蛍光色も強くなっていた。眼帯を取り払う。煌々と燃える鬼火が、眼孔に収まりきらず火花を吐き出していた。

 すっかり黒色に沈んだ影キャストが、その燃える色を見つめている。

 

 かちゃり。刃の金属が、揺れて鳴る音がした。

 

「お前もまた、我と本気で刀を交えてみたかったのではないか。否、我のみでない。水晶の戦姫アシェンプテル、雷すらも手懐ける怪童丸に、氷雪の剣士深雪乃。刃を持つあらゆる一人と、お前は一戦したかったのではないか」

「……それは、ありえぬことだったのだよ、闇吉備津。あってはならないことだったのだ」

 

 その返答は、疑問への答えになっていなかった。弱音の吐露でしかなかった。

 戦場が、動く。先に斬りかかったのは、黒に堕ちた鬼であった。大きく一歩跳んで、肉薄、そのまま袈裟に斬鬼丸を振るう。闇吉備津が刀身を弾いて、そのまま吉備津彦の首元に横薙ぎ。飛んできた『二刀目』が、これを防いで激しい打ち合いにもつれ込んだ。

 そう、そうなのだ。今、吉備津彦の手には二本の刀が握られていた。文様の一切が描かれていない、ただ鈍色に光る一本。アシストカードでいう『滅鬼刀』である。『血に飢えし滅鬼刀』ではない方である。

 

「『吉備津彦』は日ノ本一の剣豪であった。そんな者が、我欲のままに刃を振るうことがあってはならない。仲間との手合わせは己や相手を高める為のものだ、力を試したり、ましてや優越感を得る為のものであってはならない。それは、自らの名と剣技に対する侮辱である」

 

 瞳孔、虹彩、白目。全てに区別がいかなくなった目に映っているのは、無数の線であった。相手の刀の通る道、自らの二刀が行ける道。これら全てを、彼は今視認していた。二歩進み、一歩右に、半身で三歩、屈んで跳ぶ。全ての線を掻い潜って、闇吉備津に蛇が如く這い寄った。

 言葉と共に瘴気を吐いて、その息で触れた物を溶かしながら、狂ったように語り続ける。

 

「武器を持つことは、他者を傷つけることである。他者を傷つけることは、疑いようのない悪徳である。これが唯一善となる瞬間は、悪を切り裂くその時のみだ。しかし、悪を踏み台にしての善すらも、本当の善かと言うと疑うところがある。とならば、成る程、そもそも刀を握ること自体が、世界に対する反逆なのやもな」

 

 笑い声が森に響く。からからと、子どものように笑う吉備津彦の刃を、闇吉備津は反射神経のみで防いでいた。先に言った通り、今や吉備津彦はあらゆる太刀筋を明確に見切っていた。ヴィランと化したことで、恐らく害意という物と懇ろになれたのだろう。本気で得物を振るう時、そこには殺生の是非はともかく敵意が介在する。ヴィランの目は、この人の悪意とも言うべき物を視覚化していたのである。

 これに対して、闇吉備津はこれら敵意を直感で読み取っていた。刃の通る線は見えないが、それでも煌めく刃の光と、眼前の筋肉の動きで、次に起こる現象――どこに一手が及びそうか、回避は踏むか打ち返してくるか――を直感できる。味覚は食事を娯楽と認識せず、表皮も湯浴みと水浴びを区別できぬほど鈍感だが、戦闘となるとこれら感覚は途端解き放たれて、張りつめられた糸のようになるのであった。そよ風一つあれば、闇吉備津という発条機構は起動したのである。

 

「俺は温羅を斬らなかった代わりに、『闇桃花』を斬って身に封じた。世界はこれを正義に満ちた行為だと言う。だが、ああ、何故鬼は斬って可哀想なのに、あの花は斬っても道徳に触れなかったのだ? 無作為に周りを惑わす無機物が存在してはならぬなら、何処までなら許された? 世界を救う為の錯乱ならば許されたか、無機物ではなく言葉を話す物なら許されたか」

 

 言わば、線に則って踊る黒を、盲目の白が乱すような構図である。長い二色の髪が靡き揺れて、あたかも巨大な二匹の獣が、取っ組み合って転がっているようでもあった。

 接敵の度に、刃と刃が火花を散らす。金属を打ち鳴らした時の、甲高い音がする。青い炎と赤い瘴気が混じって紫に見えた。

 

「誰かの形見を壊す時、何故皆一様に形見ではなく、形見に込められた思いに目を向けるのだ。命とは何だ。生きている物しか持たない、価値のある物なのか。何故この世の全てを『斬ってはならぬ』『壊してはならぬ』としてくれぬのだ」

 

 体幹のバランスを取る為に、闇吉備津は鬼の腕を後ろに振りながら、滅鬼刀を大きく下ろした。同時、吉備津彦の目に映る一本の線と、鬼の腕が交わる。斬鬼丸を先行させる、半身捻って縦斬りをかわすと、敵の右側面へ一歩、擦れ違いざまに鬼腕を切り取らんと距離を詰めた。これを見た闇吉備津は、咄嗟に体を引いて、斬りにきた斬鬼丸を叩き落とそうとして――

 

「俺はどこまでなら斬ってよい。どこからが斬って駄目で、この原罪の所在は誰が決める」

「っ、!」

「オオトリテイや常識は、何一つこの良心を慰めてくれはしないッ!」

 

 慟哭のような訴え、叫び声。

 滅鬼刀を振りきった硬直に留まる右腕が、吉備津彦の文様を持たぬ刃に、切り裂かれた。勢いのまま骨のところまで斬り進もうとしたのを、闇吉備津が吉備津彦の胴を蹴り飛ばして距離を取る。表皮が破れたところからインクが飛び散る、だくだくと流れた。

 

「闇吉備津よ、逃げるなら今の内だ。でなければ、俺は本当にお前を殺すぞ」

 

 中途半端な月を背に、刃を構えるその瞳。今尚垂れ流される赤い瘴気が、撫でた目尻を溶かしていた。血涙じみていた。

 事実、この瘴気は吉備津彦の血のようなものだった。口から出るのは喉や中身を焼いた後、目から出るのは脳髄や眼球を焼いた結果の、ヴィラン化の副産物でしかなかったのである。

 闇吉備津は、臆せず眼前を見返した。鬼の腕で傷口を掴むと、ぼうと鬼火が燃え盛った。

 

「吉備津彦、残念だな。お前はどうにも、友に恵まれなかったらしい」

「何を言う」

「お前は善良な人に囲まれ過ぎたのだ。だから、誰一人お前に言ってくれなかった――」

 

 紙とインクが焦げる臭い。鬼の手と腕の間から、蛍光の炎が漏れて空気を燃やす。ごうごうと音が鳴る。

 

「目的の為にしか振るわれぬ剣は、ただの道具に過ぎないと。信念なんぞの道具に成り下がる前に、一度でも人斬りじみて、好き勝手に刃を振るってみれば良かったのだと」

「っ、ぬかしてくれぬな!」

 

 傷口を燃やし止血した闇吉備津は、眼前、跳び掛かってくる二振りの刃を黙って『見送った』。己の腕を掴むのをやめて直立して、けれどそれ以上身動きを取らなかった。

 ――突き刺さる。一本は肩口を、一本は脇腹を抉っていた。めりこんでいた。

 

「『心を捨てよ、命を捨てよ』」

 

 吉備津彦がそのまま闇吉備津の体を引き裂こうとした瞬間、球状に結界が展開される。二刀は肉に埋まったまま、抜き取ることも斬り進めることも出来なくなった。眼前に居るはずの人の姿が、結解の中に隠れて見えない。二人の間を、魔力が文字列になって過っていく。

 ワンダースキル。全てのキャストが持つ絶対の特権。これを発動する瞬間、キャストはあらゆる摂理を無視して、物語の主人公へと成り上がる。主人公としての振る舞いの一切が許容されるほどの、力を手に入れる。

 吉備津彦の顔に、焦りが出た。今の彼は、両腕を塞がれたも同じだ。

 

「『剣の求める魂のままに』――さぁ、今度こそ『死の境へ行こうか』」

 

 光と共に、偉丈夫のシルエットが具現する。同時、地面に滴り落ちていた闇吉備津のインクから、幣が生え始めた。魔力に靡く白髪を中心に、世界が死んでいく。足元の雑草は、溶けることも燃えることもなく、ただ枯れる。茶色に変じていった。

 『黄泉比良坂』。自らの命を代償に、周囲を『死に易い空間』にするスキルである。とはいえ、術者が死ねば技の効果は消える。普段の戦地においても、瀕死の時にわざわざ使用するスキルではない。それこそ自殺行為にしか過ぎない。

 

「気でも狂うたか、闇吉備津! お前、そのような体で俺に留めをさせると――」

「『今、あらゆる全てを討ち果たさん』」

 

 発した言葉は、詠唱と白色のオーラに掻き消えた。

 吉備津彦は己の刃が、二進も三進も行くことに気付いた。腕に力を入れれば切り裂けるし、足に力を入れれば抜いて距離を取れる。

 

「言ったはずだ。我はお前と友人になりたい」

 

 二本の刀を肩と腹に埋めたまま、体を直立に、腕だけで大剣を構えた。右手を体の前に、刀身を左の腰に密着させて、滅鬼刀を覆い隠すように左腕を添える。居合切りをする時の体勢を思ってもらえれば、分かりやすいだろう。

 吉備津彦が動かないのは理由があった。刀というのは、基本的に流れるように動くものである。刃のところの金属が薄いのは、振るった時の力がかかる箇所を最小限にして、肉を断ち易くする為なのだ。引っかかったところから更に肉を削るには、鋸のような、刃の表面積が大きい物の方が向いている。力任せに振り切れば、それよりも先に眼前の攻撃をもらう。今持っている有利を持ち越す為の隙を、伺っていたのだ。

 故に、話に付き合う。

 

「友人か。俺も、そこまで請われたのは初めてやも分から――」

「――だが、それは過去形だ」

 

 言葉を遮る闇吉備津の瞳からは、既に光が消えていた。

 

「お前は可哀想な奴だよ、吉備津彦。我は鬼を斬る時には一切の情けをかけなかったが、お前については哀れが過ぎて、本気で勝ってやろうという気すら薄れる」

「……」

「我を殺せる瞬間は、何度もあった。そうでなくとも、今以上に有利を取れる選択肢は幾つもあった。お前はそのあらゆるを見逃して、今だって様子を伺う事をしている。斯様な臆病者に、どうして我が本領を見せねばならぬのだ」

「…………」

 

 吉備津彦が言葉を発しないでいると、ますます勢い込んで闇吉備津は語った。自分が絶対的な不利に置かれているというのに、最早それすらどうでもいいと言いたげだ。

 

「なんだ、ヴィランなんぞに魂を売り渡して、ようやとやるのが飯事か。戦いの最中にぴぃぴぃ弱音を吐くのが、貴様の戦い方なのか。嗚呼、日ノ本一の剣豪が聞いて呆れる、どうしようもなくつまらない男だ」

「……………………」

「ほら、とっとと是を殺してみせるがいい。貴様のような路傍の石に単に命をやるのは惜しいから、返しに致命傷だけは与えてやる」

 

 しばらく、二人は顔を突き合わせていた。一人は最早虚空を眺め、一人は逆光の中に顔を伏せていた。

 やがて、口火が切られる。小さな声が、漏れる。「うるさい」とか細い声が、夜闇に吸い込まれた。

 

「はて、なんと言ったか。腹から声も出せんとは、貴様さては女にでも――」

「黙れと言っておるのだッ!」

 

 次の瞬間、吉備津彦は『刀を捨てた』。闇吉備津に突き刺さったままの二刀を手放すと、その頬に思いきり拳を打ち込んだのである。相手が動くと同時、闇吉備津は左腕の甲殻を鞘代わりに刃を走らせて――つまり、鬼の甲殻を太刀筋を確定させる為の線路に仕立てあげたのである。新幹線があの速度で脱線というものをしないのは、軌道が固定されているからだ――光速が如き抜刀を放つ。

 しかし、飛んできたのは斬撃ではなく打撃、致命にはなりにくいが相手の重心を反らすには適していた。首を刈る筈の刃は、がくんと下に狙いをずらし、吉備津彦の胸元を切り裂くに留まった。傷口から、どす黒く粘り気のあるインクが飛び散る。振り抜く時の筋肉の動きで、闇吉備津の体に埋まっていた刀が地面に落ちる。

 

「黙って、聞いておれば! 好い気になりおってからに!」

 

 吉備津彦は傷の痛みに口元を歪めながらも、刃の落ちた先に前転。ドローショット、斬撃と共に突進してくる一人に向けて、滅鬼刀の方を投擲する。幾ら異形化する前の普通の刀といえど、かなりの大振りであるが、ヴィランの底力という奴だろうか、短剣が如く軽々空気を裂く。

 闇吉備津は舌打ち、一度足を止めて、刃の側面でこの投げ大剣を弾いた。その隙に吉備津彦は斬鬼丸を再び握る。

 

「俺はな、俺だってな!」

 

 後は愚直だった。いまだに太刀筋は目に見えていたのに、最早それを見ようとはしなかった。ただ、右手に持つ愛刀の重みを、戦いの流れに沿わせて振るう。

 一回、太刀が打ち合わさる度に、赤い瘴気と蛍光の火花が暗闇に舞った。三度の打ち合いの末、鍔迫り合いにもつれ込むと、二本の刀はぎゃりぎゃりと嫌な音を鳴らす。互い、歯を食いしばり、股を大きく開いて力を押し付け合う。

 

「やれるものなら、好きに戦いたい! 名誉だとか善悪だとか、雑念の一切を忘れて剣に打ち込みたい! 俺だって人間だぞ!? そりゃあ、本能のままに馬鹿らしく刀を振るえたら、どんなに楽だろうさ!」

 

 両者の足元に、傷口から流れたインクが水溜まりを作る。言葉の合間に、呻き声が混じった。

 

「だがな、だがな!」

 

 吉備津彦の、赤一色しかなかった瞳に、虹彩の色が浮かんだ。傷が深かった為だろうか、言葉や唾と一緒に黒いインクが吐かれていた。

 

「――それをやってしまったら、それはもう、英雄の『吉備津彦』ではないだろうがッ!」

「ッ、」

 

 先に描写した通り、ヴィランと化した吉備津彦のインクは、タールじみていた。腐ったような臭いと、スライムじみた粘り気を持つ、悍ましい物へと変貌していた。

 唾を吐く要領で、口に溜まったインクを闇吉備津の右目に吹きつける。まだ異形化していない方の瞳が、周囲の瞼や目尻ともども闇の力で軽く溶ける。片目が見えない、遠近感が合わない。闇吉備津が溜まらず腕に張っていた力が弱めれば、吉備津彦は死角となった左側へと跳びこんで、

 

「御免ッ!」

「ぁ、がっ、あぁ――――!?」

 

 走った激痛に、視界が白くなる。言葉の終わりは、最早言葉にならぬ悲鳴であった。

 闇吉備津の視覚外に潜りこんだ吉備津彦は、刃を逆さに持ち直し、金的目掛けて勢いつけて峰打ちをかましたのである。下から上に、斬鬼丸の背中で、股間を叩き潰した形である。痛覚に耐性がある闇吉備津も、流石にこれは効いたらしかった。

 常人ならば息子がぺちゃんこになって、泡を吹いて気絶するか、患部を抑えて転げ回るところであったが。首の後ろに多量に冷汗を掻きながらも、闇吉備津はどうにか体勢を保った。「くっ、貴様ァ……!」と吐いた息が、恨みに塗れていたが、恐るべきことにこれだけで済んだ。

 

 からからと笑う声。

 

「いやはや、外道をやってみるのも存外楽しいな、闇吉備津。次は口に刃を咥えてみようか、あるいはその長い髪をどこかに括り付けてみるのも面白いやもしれん。味方のヴィランが居れば、そいつを肉盾にするのも良いか。ああ、実力さえ伴えば、あらゆる奇策は見栄えが悪いだけで手段としては、大いに『アリ』なのだろうな」

 

 斬鬼丸を、今度は逆手に持った。高く宙に掲げ、振り下ろす姿勢になって、

 

「――だが、どうにも俺には合わんようだ」

 

次には自らの胸を、串刺しにしていた。闇吉備津から貰った傷をさらに深々抉るような形である。そうして、貫通した刃を強引に抜けば、ごぼっと音を立ててインクが溢れた。何か、鉱石の割れるような音がある。

 その瞳には、もう虹彩も瞳孔も白目も揃っていた。暴れていた後ろ髪も、インクに濡れて萎えていく。赤色の瘴気が、暗闇の静寂に吸い込まれる。

 

「ああ、くそ、恥ずかしい……穴があったら入りたい……ただただ、気分が悪いばかりだ。……なんだ、てっきり、正義だの形式だの、そういう物に囚われ責任を負っているから、斬ることに迷いが出るのだと思っておったのに……全然、違うではないか」

 

 ゆらり。揺れた体が、どどうと地面に倒れる。

 闇吉備津は内太腿に走る震えをどうにか抑えると、倒れ伏した一人の下に歩み寄った。

 

「嫌がらせのような事をする。お前が最初から、今のような戦い方をしておったなら、我もまた死に物狂いの戦いをしただろう。刃が折れて腕がなくなれど、貴様の喉笛に文字通り喰らい付いてみせる覚悟はあった。だのに、戦意が喪失してから、本気を出すとは」

「すまないな、闇吉備津。俺も先程になって、ようやく試してみる勇気が湧いたのだ。結果は、まぁ、ご覧の有り様なのだが……」

 

 インクに塗れ、体に大穴を開けているというのに、うつ伏せにあるその横顔は晴れやかであった。快活、普段の吉備津彦の通りに、穏やかに笑ってみせた。

 

「俺はまっこと、面倒なことに、義に則った上で勝利をせねば、そも気持ち良くなれんようだ。いやはや、全く、お恥ずかしい限りだ。自らが英雄の名に縛られているとばかり思っておったのに、実際は英雄の名を背負って戦うことにしか、己は興味がなかったのだな」

「我らは学者ではなく、武士であろう」

 

 「うっ」と呻き声が上がる。倒れた吉備津彦の体を、闇吉備津は背中に担ぎ上げていた。そのまま、滅鬼刀を杖代わりに、歩き始める。

 中途半端な月は、相変わらず空にぽっかりと浮かんで、二人のことを見下ろしている。幸運にも雲一つない晴天だったので、月明かりがそれ以上暗くなることはなさそうであった。

 

「計算や思考をすることで、全てを知れる程、利口ではない。我らは実際に刃を振るって、ようやく物事が知れる、能無しなのだ」

「……一理あるな」

 

 インクが流れ過ぎたのだろう。背負われたまま、吉備津彦はその瞼を下ろした。意識を手放しても尚、その右腕は斬鬼丸を握り続けていたのである。

 

 ***

 

「おや、吉備津彦様に闇吉備津様。お二人でどちらへ?」

 

 見慣れた後姿を見て、私は思わず声を掛けました。吉備津彦様は「おぉ、シャーウッド殿。お元気そうで」などと人懐っこく笑いかけて下さったのですが、闇吉備津様はこちらを一瞥するだけです。

 

「ライブラリーの方にな。ほら、今ちょうど美猴殿が戦地に出ているだろう? 観戦に行こうと思ったのだ」

「何故、お前の用に我が付き合わねばならぬのか……」

「あの者の間合いは、お前と近い。俺以上に親しい友人になれるのではないか?」

 

 インクを垂れ流す闇吉備津様が、同じように瀕死に陥った吉備津彦様を背負ってきた時は、正直どうしようかと思いました。いえ、私たちはキャストですから、どんな傷も書き直せばどうにでもなるのですが。熾烈な戦闘があったのは目に見えていましたので、後処理の方法に悩んだ訳です。こうなっては隠し通すのも難しいので、結局、全ての事情を報告することになりました。

 処分の程は、まぁ今の状況を見てもらえれば分かると思います。元々がヴィラン討伐中の不慮の事故のようなものだったので、あまり大事にはならなかったようでした。私も『エピーヌ様が他の場所に出撃していらっしゃったので、反抗があった場合、討伐に時間がかかっていたかもしれません。一週間は前から最悪の事態を考えておくべきでした』などと反省の言葉を述べたのですが、何故だか複雑そうな表情を返されました。もっと他に、良い策があったのでしょうか? 私もまだまだ未熟ですね。

 

 お二人は、あの事件を切欠に親睦を深めた様子でした。何かと、二人で居る姿を見かけます。私は闇吉備津様の友情への憧れを、尊重こそ致しましたが、正直吉備津彦様がこれを受け入れてくれるとは思っておりませんでした。

 ですが、

 

「我はお前と生きるか死ぬかの斬り合いがしたいだけなのだが」

「美猴殿は、不死の宿業を背負っている。お前の酔狂にも快く応じてくれるやも分からんぞ」

「それを早く言え。行くぞ、吉備津彦」

 

こういうやり取りを見ていると、成る程、どうしてこの組み合わせなのかが、分かる気がしました。

 闇吉備津様は、決して感情を持っていない訳ではありません。ただ、感情を発露させる局面が極端に限られているのです。その例外となる吉備津彦様が自ら取っ掛かりとなって、周りに意識を向けさせるようにしている形ですね。

 一見、闇吉備津様がおんぶに抱っこされているようにも見えますが。どうにも、そうでもない様子。

 

「そういえば、吉備津彦様。ティンクからの伝言です。『部屋の畳は明日には元通りになる予定』と」

「それは助かる。床が裸のままだと、どうにも和室という感じがせんで」

「よもや、畳返しなどという芸当を、実際に目の当たりにすることになろうとは」

「正直、俺を起こす為に滅鬼刀を抜くのはやめて欲しいな。闇吉備津」

「次こそお前に斬鬼丸を振らせる」

「そういうことを言っているのではなくてな?」

 

 私がティンクを見かけた時、彼女は魔法を使って、無惨に切り裂かれた畳を運んでいるところだった――とだけ述べておきましょう。

 ため息こそついていますが、なんと言いますか、吉備津彦様はますます人情に厚くなったような気がします。人間不思議なものでして、中には『底抜けのお人好し』という人種があります。この人種はどういう訳だか、自分が目を掛けていなければならない、難癖のある人間と一緒に居た方がいきいきとし出すのです。

 恐らくこの人種はあまりに誠実過ぎるので、一人で置いておくと、どうにも自分の不甲斐なさにばかり目が行くようになって、勝手に自滅してしまうのでしょう。人助けをする人としては天性の才能ですが、逆に平穏過ぎる世だと死んでしまう生き物なのです。

 

 きっと、今までの彼に欠けていたのは『悪友』という存在なのでしょう。

 

「さて、そろそろ行かんと不味いか。すまんなシャーウッド殿、失礼する」

「いえいえ、こちらこそ呼び止めてしまって申し訳ありませんでした。観戦、楽しんで来て下さい」

 

 私は手を振って、二人を送り出しました。

 

 *****

 

「なぁ、吉備津彦」

「どうした、闇吉備津」

「実際のところ、我はどうして今朝方お前に斬り掛かったのだろうな」

「? それを俺に聞くのか」

「お前を起こして来いと言われた時、どういう訳だが、普通に呼び掛けるだけではつまらぬと思った。寝起きを襲われればお前でも本気で刀を抜くと踏んだのだと考えたが、そこから殺し合いに縺れ込めるかと言われれば、怪しいものだ。無意味な襲撃なのだ、これは」

「……つかぬことを聞くが、お前、悪戯というものをしたことはあるか?」

「童が相手の気を引く為にやる児戯だろう。やった事はないが、それがどうした」

「いや、それなら良いのだ。ちなみに、どうだったかね」

「どうだった、と言うと」

「襲撃を仕掛けてみた感想、というか」

「ふむ……何故だか一瞬、己が天才であるかのように思えた」

 

 

【灯台下暗し】 完

 




・イかれたメンバーを紹介するぜ! 致命的に善良な吉備津彦! 致命的に情緒が子どもな闇吉備津! 致命的に刹那主義なロビン・シャーウッド! 以上だ! みたいな話
 真面目過ぎて(無機物有機物問わず)傷つけるという行為に疑問を持ってしまった吉備津彦と、吉備津彦の事情はどうでもいいけど取り敢えず仲良くなりたい闇吉備津と、彼らを優しく見守る(ただし無理っぽかったらサクッと処理する)ロビン・シャーウッドの構図です。全員どっかしら可笑しい

・「モブキャラ誰出します?」と聞いたら「ロビン・シャーウッド」と即答されました。ついでに「良い闇吉備津と悪い闇吉備津、どっちがいいです?」と聞いたら、「可愛い闇吉備津」と返ってきました。その結果がこれです

・冒頭2500字の時点で、『好青年→食えない人』に急激にロビンの評価が悪くなっていますが、これはヴィラン化による影響です。基本的に、ヴィラン化が解けるまでの吉備津彦は、情緒不安定になるように描写しています

・一番最初は【犯人は吉備津彦。】というタイトルでした。犯人はヤス。ついでに第二案は【これは闇吉備津が吉備津彦に寝起きドッキリを仕掛けるようになるまでの過程を描いた物語である。】

・*の数が同じところは視点主が同じです。一個だと吉備津彦、二個だと闇吉備津、三個だとロビン
 また、吉備津彦は「こと」、闇吉備津は「事」。微妙に変換が変わっていたりします

・初めは『偶には好き勝手やること(軽く悪さをすること)も大事だよ』という結論にするつもりでしたが、吉備津彦というキャストを描写する内に「こいつの人生全否定していいの?」となって、こんな落としどころになりました
 真面目過ぎてどうしようもないのが、彼という吉備津彦なのです

・ようするに逆ギレした闇吉備津に逆ギレした吉備津彦が金的に蹴り入れる話でした


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