世界が終わる、その前に。 (バナナ天国)
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2016年、夏

一瞬、気の迷いで投稿したのが、見返すととんでもない駄文だったのでせめて自分だけでも納得できるものにしようとがんばりました。

もう一つのシリーズも並行して進めてますが、妄想がまた一つ溜まったので消化しようと書き上げました。

なんとか二つとも完走させたい!


遠くまで澄んだ青い空、真夏の太陽がジリジリと照りつける。温く湿った空気を揺らす蝉の大合唱と吹き抜ける風の音。この世界は驚くほど静かだった。静かな終わりを迎えていた。

 

アスファルトの路面を割って青々とした雑草が、長く続く高速道路の路面の至る所に繁茂している。西日に照らされた片側二車線、計四車線の道路には、操縦者もなく、時を止めた色とりどりの車の群れが乱暴に路肩に投げ捨てられていた。小さな窓ガラスは全て割れ、ポッカリと空いた車の眼窩には寄生生物の様に幾重にも蔦が伸びている。 等間隔に建てられた電灯は殆どが折られ、「降り出口 二㎞先」と書かれた青い標識もシダ植物に覆われて見る影もない。

人工物を飲み込む緑の津波。

動きを止めた文明の残滓。

ひっくり返った車の横に、小さなジャポニカのノートが落ちていた。広げると格子模様の紙面に拙い平仮名で日記が書かれている。内容はその日の出来事、驚いた事、面白かった事。作者は恐らく男の子で、このノートは夏休みの宿題なのだろう。幼い子供らしい、率直で素直な作文が続く。

七月二十五日、七月二十六日、七月二十七日……。取り留めのない日常がパラパラと音を立ててめくれ、

「七月三十一日。きょうは、おかあさんたちとくるまでおでかけ。はやおきした。じしんがあるから、おばあちゃんのいえにいく。たのしみだな。」

そこから先に文はない。日付の上に小さなゴシック体で「2015年」と印字されている。

「一年前…なんだよな」

点描の様に、声が溢れる。

拾い上げた日記を静かに閉じて、皇 徹(すめらぎ とおる)(13歳)は空を仰いだ。

 

錆びの浮いた車の屋根を蹴って、次の車体の上へ。「降り出口 二㎞先」の標識を過ぎて、そろそろ十五分は経った頃だろう。

相変わらずギシギシの渋滞は動く気配がない。

額から落ちるベッタリとした汗を日焼けした腕で拭うと、徹は大きく息を吐いた。無断で店から拝借した緑のシャツと半ズボンの中に熱気が篭り、顎を伝って新しい汗が、足元に点々と落ちる。

大量の車に阻まれて草だらけの路面は通りにくいからと、車の屋根を踏みつけて進むのはどうにも安直過ぎたらしい。平坦ではないこの通り道は、常に規格の違う車体に阻まれ、結局は登って降りての繰り返しで余計に体力を消耗した。二日前から飲まず食わずの体は不調こそないものの、やはり疲労が蓄積する。

ため息が漏れた。

炎天下に呆けた脳味噌は、どうして自分は、こんな事をしているのだろうと、ありきたりなフレーズを電気信号に乗って繰り返している。 無意味で不毛な肉体労働だ。自分一人倒れたところで、何も世界中から糾弾され責任能力の有無を問われることもあるまいに。

 

いいや、違う。

 

悪態を吐く思考に割り込む声。勿論善意の第三者ではなく、自問自答だ。徹が膝を屈しそうになると、いつも律儀に語りかけてくる。

 

花を集めるんだ

 

毅然とした声が脳内で反響する。本来の目的を海馬から掘り起こし、迎合する様に徹も叫んだ。

そう、花を集めるんだ! 花を集めてっ……世界を救う?

最後の言葉の尻がすぼみ、頭がまた掻き乱される。分からない。この思考が自分でも分からない。花が世界を救う鍵だと明確に理解しているのに、何故と問われると全く理解できない。とにかく花を集めなければならないんだ。

そこらに咲いてる花じゃない。特別な特別な花。

「だから…」

いつしか蝉の声は止んでいた。

 

頭上に影。

 

言いかけた言葉を飲んで、その場を飛び退き五メートルほど離れた前方のトラックの荷台に着地。一瞬遅れて元居た車体が屋根から底まで潰され、けたたましい破砕音を撒き散らす。

「いつも通り、問答無用だな。」

腰を沈めて、着地した姿勢のまま徹は笑った。

潰れた車体の上で、白いつるりとした巨体が跳ねる。それは何度か執拗に車体を踏み潰し、やがて重力を忘れた様にフワリと宙に浮んだ。

特徴的な白い歯の並ぶ巨大な口と、手足のない深海生物の様な体。ゲームの世界の敵キャラの様などこか非生物的な不気味さを秘めたそれを、徹は「化け物」と呼んでいる。

この化け物は、複数で行動し、体格もキャンピングカーほどで統一され、一様に空を飛んでいて、徹を見つけると我先にと襲いかかる。試した限り、金属、木材、石に水、小規模から大規模に至るまで物理攻撃は全て無効化し、排泄も呼吸もしない。まるで大量生産のベルトコンベアーから生まれた様な没個性っぷりだ。本当は生物ではないのではと疑いたくなるが、食べた限り味はマズイが機械の類ではない。

そして、最大の特徴は徹以外に敵意を示さない。いや、正確には人間以外と言うべきか。

一年後のこの世界は奴らで溢れかえっている。目覚めた直後に襲われ、それを退けてからここまでの道のりで幾度となく戦った。無論、物理攻撃を無効化する相手に勝つには、こちらも特殊な方法を用いなければならないが…。

 

「よしよし、俺も味気ない行進に嫌気がさしていたところだ!徹底的にボコにしてストレス発散のはけ口にしてやろう!!」

徹は落ちてきた化け物に向かって叫ぶと、ズボンのポケットから手鏡ほどの小さな銅鏡を取り出した。

「変身!」

銅鏡を掲げて、徹が吠える。鏡から閃光が迸り、一瞬にして徹を包む。本能で危険を察知したのか、抵抗される前に始末しようと化け物が大口を開けて光へと疾走。重力を無視しして空中をうねる大魚となって、光と一緒に徹を一口で呑み込んだ。その瞬間、ボコっと泡立つ様に化け物の腹部が膨らみ、泳ぐ様な突進が止まる。

一瞬もがく様に白い巨体が蠕動(ぜんどう)し、直後に爆散。空気を入れすぎた風船の様に体が弾け、白い肉片が周囲に降り注ぐ。季節外れの白雪は、路面に落ちると溶ける様に消えてた。

消滅した化け物の跡には、徹が悠然と立っていた。その姿は先ほどとは異なり、手足にしめ縄と手甲を組み合わせた様な赤色の具足。衣服も空手の道着に似た白い服に、赤い胸当てと、燃える様な赤の装甲が各所に付属している。

 

今日の天気は晴れ時々化け物か、と徹は内心で苦笑する。

というのも 一匹目が潰えた見るや、十となく二十となく、無数にけたたましい音を立てながら、同様の化け物が車体を踏み潰し、徹の眼前に落下してきたのだ。いづれも上下の歯を打ち鳴らし、一秒でも早く喰らい付きたいと巨体を震わせる。

群れの先頭。二匹目は、先走る様に突進を開始。

車から車へと跳ねる様にして一気に間合いを詰めると、巨大な口腔を開く。その下顎に、徹は左手で牽制の掌打を入れ、次いで右から落雷の拳を叩き込んだ。

開いた口を強制的に閉じられ、頭から顎、トラックの荷台まで拳が貫通。潰れた饅頭となった化け物の頭から、拳が乱暴に引き抜かれる。

口元には獰猛な笑み。

倒れこむ様に、徹の身体が前に傾く。みし、と足裏の重さに荷台が歪み、同時に紅蓮の圧力が動くもの全ての時間を止めた。

トラックのタ車体が路面に突き刺さる様に大きく沈んだ。

徹は一蹴りで砲弾となって疾走。白い波濤(はとう)を切り裂いて、赤い流星が水平に疾る。

 

哀れな三匹目は抜きざまの足刀で二つに裂かれ、続く四匹目も横肘の一撃で彼方へと吹き飛ぶ。五匹目の頭に左の手刀を叩き込み、同時に六匹目の腹に右拳が着弾。雪玉のごとく弾けたそれは、直後に消滅霧散する。

化け物たちは死を恐れない。どれだけ同類が殺されようと、無感動に無感情に進軍する。

決して揺るがない白い死神。

それを喰い千切り、赤い猛虎となって徹は吠えた。白と赤の圧力が陽炎の様に車列を焦がし、巨大な暴風となって渦を巻く。

 

右中段の拳が(ひね)られ、化け物たちが紙吹雪の様に吹き飛んでいく。それらは車に激突し、高速道路から投げ出されて下方の森の中へ消えた。

これで三十、いや四十か。倒した敵を数えているうちに、化け物達が一箇所に集まりだした。白い身体が死体にたかる蛆の様に蠢いて、一つの方向へ伸びていく。

「お、今回はトンガリか。」

化け物達はの境目が消え、つるりとした白い球体に真っ赤な角が生えた大型の個体が出現する。

徹はこれをトンガリと呼んでいる。通常の個体よりも強度が高く、またスピードもある。いわば上位個体だ。

赤い角が徹の方へ向き、即座に突進。中世騎士のランスチャージを思わせる重さと速度。直線上にあった車は風穴が穿たれ車内をえぐり取られて、なお微動だにしない。

常識はずれの貫通力だ。

「破っ!!!」

大気が沸騰する程の気勢と共に、徹は右の正拳でそれに応じた。

迎え撃つ拳が角の頂点と拮抗し、点と点が刹那の剛体となって硬質な絶叫を撒き散らす。次の瞬間、拳の圧力に打ち負けて角の頂点から真っ直ぐに亀裂がは走る。大型個体の疾走が急停止。

赤色の剛拳が無慈悲に振り抜かれ、大型個体は砕け散った。一連の化け物達による攻勢もここに崩れ、なおも抵抗する残党は勝ち目ない突撃を開始する。

 

 

「降り出口 二㎞先」の標識が示す道は、半ばから崩れてそれ以上進むことは出来なかいため、残念無念と、徹は先程と同じ四車線の高速道路へと戻ってく来ていた。

どうやら化け物の大群は幾ら倒しても無限わきする様で、実を結ばない労働の対価には肩を落とすしかない。まさか化け物達の行為に責任者が居るわけでもあるまいて、不平不満を心に詰めたままジリジリと路面を焦がす太陽の元を歩き続ける。

「さて、次は何処に行くべきか?」

弱々しい言葉ともにふと顔を上げると、またぞろ青い標識が目に飛び込んできた。

標識の上の矢印は真っ直ぐに道の先を示し

「下諏訪 二十五㎞先」

天啓の様に、白い文字でそう書かれていた。

「諏訪…か。」

皇徹は、口の中でその響きをしばらく転がした。

諏訪といえば湖があった。そこでここまでの汗を落として、一息つくのもいいだろう。それから今後の方針を…

 

花を集めよ。

 

頭の中で声が響く。

「そうだな、早く集めなければ」

徹はウンウンと、頷きながら歩き出す。陽炎が遠く見える山並みを揺らして、手招きをしている。

「よし、まずは諏訪だ。そこで汗流してから花でも草でも集めよう!」

皇徹は歩き出す。人気の絶えた道の上を。

止んでいた蝉の大合唱が、いつのまにかまた鳴り始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




乃木若葉の勇者覚醒が、2015年なのは博識な諸読者の皆様にとっては、親の誕生日よりも明白な事実だと思います。この作品は、その一年後の世界。2016年からスタートします。

スタンスは西暦勇者全員集合です。もちろん、沖縄と北海道の勇者も出します(予定)。
楽しみにしててください


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諏訪の日常

乃木若葉や白鳥歌野、他の沖縄や北海道でも言えることだけど…あのバーテックスによる終末世界になった後で一番やばいのは、生存者達のいるコロニー(四国や諏訪など)に大社以外の変な宗教(オウムとか創価とか)が居座ることだよな。
あんな人々が不安定になった状態なら、それこそ神や悪魔で説明して適当な救済論ひねくって勇者祀るだけでも宗教集団作れそうだし。そんでトップに立った奴が要らん教義やらお布施やらで欲満たし始めたらもう大惨事だと思う。
その点、日常生活にそこまで宗教色を持ち込まず仮とはいえ政治と宗教で分けてた大社は偉い?のかもしれない。(まあ、あの時点で唯一ことの真実を知ってる団体だし)


  頭上の青空を(とんび)が長い弧を描いて飛んでいる。

 チカチカと、いつまでも色の変わらない信号に地団駄を踏みながら、藤森水都は腕の中のランチボックスを強く抱きしめた。中身はサンドイッチと夏野菜のサラダ。今朝も、早くから畑に出ている親友のために得意ではないが水都が作ったものだ。

 

「美味しいって言ってくれるかな…うたのんは。」

 頭に浮かぶのは親友の屈託のない笑顔。畑を耕している時の様に、収穫を喜ぶ時の様に、彼女は笑ってくれるだろうか。

 信号はまだ変わらない。いい加減渡ってしまおうか、と大胆な信号無視に打って出ようとした時、

「藤森ちゃん、乗っていく?」

 後方車線からトロトロとやって来た白いトラクターの窓から、麦わら帽子を被った女性が人の良さそうな笑顔を見せた。

「あ、え、あっと…あ…」

唐突な誘いに、水都は口を意味もなく開閉させるだけで答えることができない。

 

「畑の方に行くんしょう。遠慮せずに」

それを好感触と捉えたのか、女性の方はやや強引な口ぶりで水都を誘う。信号はまだ変わらない。水都はアウアウと幾度か口を閉じかけてから、意を決して

「あの、私、ひ、一人で行けるので…」

「その信号は、昨日から全然言うこと聞かないのよ。律儀に待ってたら日が暮れるよ。」

結局、乗せられてしまった。

 

 

 どうしてこう、自分ははっきりと人に意見できないのだろう。

柔らかな助手席のシートに背筋を正して座ると、水都は小さく溜息をついた。

緑の背もたれはくたびれて、車内には僅かに煙草の匂い。前面のガラス窓には小さなクマのストラップが吊るされている。

 

 ハンドルを握る女性は、おばちゃんトークで水都に話しかけてくる。返答を待つと言うよりも、ただ話したいから話すと言った一方的な会話。内容は、家で飼っている犬が子供を産んだとか、旦那が夏バテで痩せたとか、そう言った平和なもので、それでも二転三転する相手の会話に相槌すら追いつかない。

 返事を諦めて、水都は話すに夢中な女性から窓の外へと視線を向けた。

 

トラクターの小さな車窓から、ゆっくりと白い街並みが流れて行く。背の低い民家が続き、蕎麦屋、文房具店、ガソリンスタンドと不規則な模様が通り過ぎていく。道には、自転車を漕ぐ老人に、三、四人で固まって歩く少女達、それを追い越して小さな少年の一団が木の棒を片手に走る。

 無邪気さに思わず手を振ると、少年達はそれに気づいて不思議そうにこちらを眺め、立ち止まった。景色が流れる。背後で幼い歓声が聞こえ、やがてそれも遠のいていく。

「…本当に、諏訪は明るくなったわね。」

気付くと、横に座る女性が優しい微笑みを浮かべていた。水都は話を聞いていなかった事がバレないかと、肝をつぶしながらも

「そうですね。」

と、静かに言葉を返す。脳裏に浮かぶのは一年前の悪夢。突如、空から降ってきた化け物に蹂躙され、怯えながら逃げ惑う人の群れ。絶望の去った後も、空を見上げることを恐れ一歩も動けぬ沈んだ日々

「こんな風に、また皆が笑って暮らせるのも藤森ちゃんと白鳥ちゃんのお陰よ。」

白鳥ちゃんというのは、うたのん。つまりは藤森水都の親友である白鳥歌野の事である。

「二人とも、小さいのに本当にすごいわ」

 

違う、凄いのはうたのんだけだ。

 

水都は微笑む女性に控えめに頷きながら、心の中でその言葉を否定した。

 白鳥歌野は、化け物を倒すことのできる只一人の勇者だ。一年前のあの日、彼女のおかげでどれだけの人々が助かったか分からない。諏訪に避難した人々が、まだ暗く顔を伏せている時も彼女は率先して農作業を始め、人々にも一緒にやろうと呼びかけた。

 口先だけで行動を起こさない人間はいくらでもいる。しかし、彼女は常に先頭に立ってその自信溢れる行動で、人々を照らし続けた。それに引き換え、自分は…。

  嘆く人々に声ひとつかけられない。

  どう行動すればいいのかも分からない。

 出来る事と言えば神の声を聞き化け物の襲来を予測するぐらいで、神託を受ける巫女の役目だけが藤森水都という内気な少女の立場を明るくしていた。

車窓から見える街並みは徐々に薄れ、代わりに緑が増えてくる。トラクターは何時の間にか農道に入っていた。青々と育ったナスやキュウリの野菜畑には、女性と同じ麦わら帽子を被った人達が水を撒いたり、草を刈ったりと、忙しなく動いている。その大人達に混じって見覚えのある「農業王」のシャツを、視界に捉えた。

 

白鳥歌野だ。

「すみません、ここで止めてください!」

慌てて水都は、女性に声を掛ける。女性は急に大声を出した水都に、驚いたように目を見開いてから

「ここでいいのね。」

と笑って、道の脇にトラクターを止めた。

「ありがとうございます!」

 トラクターが停車すると同時に水都は扉を跳ね開け、お礼もそこそこに目の前の畑へと駆け出した。畑の中で白鳥歌野も振り返り、水都に気づいて手を振っている。

「みーちゃーん。丁度良かった、こっちにー」

 歌野は右手に赤く熟したトマトを握り、なにか叫んでいる。どうやら、野菜の出来を自慢しているようだ。

 水都もまた手を振り返しながら、ランチボックスを高々と掲げた。

「うたのーん、お昼ご飯持って来たよー」

 

 

 

 

 目が覚めたとき、太陽は既に天高く昇っていた。

 皇 徹(すめらぎ とおる)はビーチパラソルの様に伸びた木の下で目を覚ました。緑の傘を通り抜ける木漏れ日に顔をしかめ、幹に預けていた身体を起こしてゆっくりと背を伸ばす。

 ピキ、パキ、と関節が小気味のいい音を立てる。同様に手首、足首をカキ、コキと鳴らして朝の準備運動は完了。

 

「さて、今日こそ行く…諏訪に。」

 現在、下諏訪までの25㎞地点を過ぎ高速道路を降りたところである。とはいえ、状況は昨日の高速道路とあまり変わらない。足元に茂る草花と、頭上を覆う樹林の天蓋。諏訪へと向かう舗装路は植物の侵食で形を無くし、完全な山道と化していた。渋滞の中を進まなくなったとはいえ、山道もまたノーマルな人間の状態では進むのに手こずることは変わりない。

 見通しのきかない山道は闇雲に歩いても体力を消耗するだけで、最悪の場合、諏訪にたどり着けない可能性すらある。

 

 だからこそ、まず必要なのは行く先を見定めることだ。

 徹は背後の木に手をかけると、枝から枝へスルスルと猿もかくやという身の軽さでよじ登って行く。時間にして約十二秒。周辺の木よりも頭一つ高い杉の 大木の頂きから顔を出すと、一気に視界が開けた。

木々の天蓋を絨毯にして広がる緑の大パノラマ。その中央に、高尾山、守屋山、大見山に三方を囲まれたなだらかな諏訪盆地が見える。更によく目を凝らすと諏訪盆地を囲う様にして、何本もの柱が並び立っているのも確認できた。

「あれは…御柱か?」

 柱は一本一本にしめ縄がされ、鉄格子のごとく諏訪盆地を囲むそれらは間違いなく、諏訪の名物の一つ御柱だ。

 それにしても、御柱といえば斜面を滑り落ちているイメージしかないが、なぜ諏訪を囲う様にして立っているのだろう?祭りだろうか?顎に手を当てて、その迫力に思わず徹は唸った。

  諏訪の御柱祭は迫力のあるものだと聞いたが、斜面を滑り落ちるだけでなく、ああいった迫力も兼ね備えているのか。

「ううむ、奇祭だ。」

これは是非とも、寄って確かめねばなるまい。そう一人で強く頷くと、徹は杉の大木の頂点を蹴って高く高く跳んだ。

 

 

 

 

「おいしい!おいしいわ、みーちゃん!」

 ランチボックスの中から、持ってきたサンドイッチが瞬く間に消えていく。親友からの惜しげのない賞賛に、藤森水都は口を手で押さえて微笑んだ。

 

 木漏れ日の下、傘を広げる木の幹に背中を預けて二人は遅めの昼食を取っていた。両手に持ったキャベツとハムのサンドイッチを頬張りながら、歌野は「おいしい、おいしい」と目を輝かせている。水都もランチボックスから卵サンドを一つ手に取った。

 

「手伝ってくれる人、前よりもかなり多くなったねうたのん」

 三角形の角を小さく齧りながら、水都の視線が水平に動く。畑の至る所では自分たちと同じように、持ってきた弁当を広げる大人達の姿が見える。

「そうね、お陰で農作業も前よりスピーディーになったわ。あ、みーちゃん、最後の一つ頂いていいかしら?」

 いつの間にか、歌野のてからサンドイッチは消えていた。箱に残った最後のサンドイッチを薄く日焼けした歌野の右手がつかんでいる。

「うん、どうぞ。」

水都は笑って頷いた。もともと、歌野に食べさせようと思って持ってきたのだから、喜んでくれるならそれで満足だ。

 

「今は野菜を5種類くらい育ててるんだけど…今度は何を育てよう?」

  パンの最後の一欠片を口に放り込むと、歌野は空を仰いでそう問いかけてきた。水都は頰を掻きながら、同様に空を見上げて考える。

「唐突だなぁ。今育ててるのは全部夏野菜だよね…うたのん?」

「オフコース!旬の季節に旬の野菜を食べるのが、一番美味しいもの!今は、トマトにピーマンにナス、キュウリ、それにトウモロコシね。」

  歌野の人差し指が踊るように跳ねて、野菜の名前を読み上げていく。その顔は夢を見るように朗らかで、きっと頭の中で農業の妄想でもしているのだろう。

「あ」

少し思い付いた事がある。饒舌な野菜のウンチクが始まる前に、水都は歌野の肩を叩いた。

「じゃあ、秋野菜なんかいいんじゃないかな?もう8月に入ったし、ちょっと早いかもしれないけど。」

しばしの沈黙。歌野の視線が左に動いて、それから右へ。脇に置かれた水筒の蓋を開け、麦茶を一気煽り

「それ、採用!」

プハァ、と息を吹きながら天高く吠えた。

「何、今の間は?」

「まあまあ、気にしない気にしない。じゃあ、みーちゃん一緒に秋野菜の種を倉庫に探しに行こう。」

 そそくさと、歌野は立ち上がると不審な早口と共に歩き出す。

「もしかして…私が良いアイデア出したのが意外だと思ったでしょ!?うたのん!」

歌野の歩調が早まった。水都も慌ててランチボックスを抱え、その背中を追う。

「レッツゴー!」

「待ってよー、うたのーん!まって……」

 

 突如、脳内を電流が駆け巡った。

 

 眼前の景色がぐにゃりと曲がり、鉄の匂いが鼻から抜ける。

夏の日差しが降り注ぐ柔らかな小道。目の前で微笑む老人や女性は、顔も名前も知らない誰かで、それらが万華鏡のように形を変えて色を変え温度を変えて、終わりなく頭の中で螺旋を描く。

  それは花が咲くように豊かで、風が吹くように激しく、水が満ちるように静かな色彩。巨大な樹海の中に集った、少女達の儚い舞踏。

 水都は咄嗟に膝をついて、視界いっぱいに広がったその膨大な幻覚(イメージ)の濁流に耐えた。異変に気付いた白鳥歌野が、酷く驚いた様子で近づいてくる。

「みーちゃん、大丈夫!」

肩にかけられた親友の手をそっと握りながら、徐々に水都の中から幻覚(イメージ)の光が失せていった。

「 だ、大丈夫だよ…うたのん。ちょっとクラッときただけ。」

 ゆっくりと顔を上げ精一杯のの笑顔で応える。歌野は今にも泣きそうな表情でブンブンと顔を横に振り

「熱中症かも…木陰で休みましょうみーちゃん。冷たいものを、すぐに持ってくるから。」

 有無を言わせぬ口調でそう言うと水都に肩を貸し立ち上がった。どうやら彼女に自分の嘘は通じなかったらしい。

 

「うたのん、さっきの立ちくらみは多分神託だよ。だから、心配しないで…。」

「ノン、心配するわよ。というか心配させて、みーちゃん。親友なんだから、こんな時に気を使う必要なんてないじゃない。」

「…うん、そだね。」

 水都を先程昼食を広げた木陰に横たえると、歌野はすぐに走っていった。水を用意するつもりなのだろう。

ゆっくりと伏せた身体を転がして、水都は小さく息を吐いた。頭の中がまだチカチカする。

それにしても、先程のアレはなんだったのだろう?歌野には神託だと言ったが、水都の知る限り神託にあんな思わず膝をつくような衝撃は伴わない。まるで無理やり頭の中に電極を刺されたような気持ち悪さだった。

それに…

 明滅する色彩の中で確かにアレは言葉を発した。明確な発音で、明瞭な短文を。

 

 

花を集めよ

 

 

そう確かに言ったのだ。

 

 

 




今回、書いてる中で思ったが諏訪での巫女と勇者の扱われ方ってどうだったんだろう?優遇はされてると思うけど、歌野様とか呼ばれるの嫌いそうだし…なのでこの作品ではフレンドリーに「歌野ちゃん」「藤森ちゃん」という呼び方で諏訪の人たちが呼んでることにしました。原作と違う!知ったかすんなハゲ!もっと調べろ無能!等の厳しい目線で読んでください!(願望)そして罵倒コメントをドシドシ送ろう!(ドM)

さて、これでようやく次の話から派手な戦闘シーンを書けます。本編を読んでなお続きを見たいというドアMな方はお待ちください。


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巨神の拳

この前「宇宙戦争」という映画を見る機会がありました。最後の場面で宇宙船からシールドが消えてる事を伝えるのが、「勇者の章」の惨状とダブってちょっと笑いました。

バーテックスA「(勇者から)シールドが消えてるんだ!」
バーテックスB「サジタリウスを持ってこい!スコーピオン用意!」
皆も是非、ヨウツベで調べるか、レンタルショップで借りよう。
この応用は、ハガレンのラスボス戦の場面でも使える。


 ズダダ、ズドドドドと空バケツの底を叩いて蛇口から水が落ちていく。畑の裏に作られた給水施設で、白鳥歌野はまだ新しいバケツの中に並々と水を注ぎ込んだ。

 諏訪の外のインフラが全壊してから一年、未だにこの結界の中で水に困ることはない。それは、満々と水をたたえる諏訪湖の存在と、この地を治める神の恩恵があればこそ。

 

 夏場とは思えない冷やかな水で手拭いを濡らすと、歌野は右手にバケツ、左手に手拭いと団扇を持って水都を寝かした木陰へと走り出す。

「みーちゃん、水持ってきたわ!あと団扇も!」

 こういう時にも、農業で鍛えた身体は便利だ。息切れ一つなく戻って来た歌野を見て、水都が恥ずかしそうに笑っている。

「うたのん、焦りすぎ。そんなに慌てて怪我しないか、こっちが心配だよ。」

「ノープロブレム!大丈夫よみーちゃん。と、取り敢えず汗を拭いて、私の水筒のお茶を飲ませて…あとこのトマトも食べなさい。」

 水都の白い肌を濡らした手拭いでゆっくりと拭きながら、畑でもぎ取ったトマトを差し出す。緊急事態の栄養補給にも対応できる、やはり農業は偉大だ。

 汗を拭き終わった手拭いをもう一度水に濡らし、水都の首に巻いてから歌野は何秒かぶりの重い息を吐いた。

取り敢えず、応急処置はひと段落を迎えたが、

「ありがとう…うたのん。」

 側で団扇をあおぐ歌野の手を握り、水都が言った。歌野はその言葉に首を横に振り、そっとその他を握り返す。

「お礼なんかいらないわ、みーちゃん。だって友達だもの。私、いつもみーちゃんに助けてもらってるから…これぐらいなんて事ないわ。」

「そんな事…」

ない、と言いかけた水都の声を遮って、歌野の右手が水都の頬を撫でる。

「それに…」

 真っ直ぐに力を秘めた瞳に見つめられ、水都は自分の体温が高まるのを感じた。

「それに、私はみーちゃんに…」

「あ…」

 鼓動がどんどん早くなって、心臓の鳴らす早鐘の音が体から突き抜けるほどに大きく聞こえる。二人の呼吸が徐々に重なって、互いの瞳が、唇が、心が近づいていく。

「私はみーちゃんに、農業の大切さを再確認させてもらったもの」

「え?」

 鼓動は一気にスピードを落とした。心の距離は遥か彼方にまで開いていく。

「あの…何故そんな話に?」

 唐突に夢から覚めた思いで、水都は歌野に問いかける。そんな友の想いなど知りもしないで、歌野は自慢げに団扇を振って力説した。

 

 曰く、水を入れたバケツを持って全力疾走で戻ってこれたのは農業で鍛えた身体のおかげ。

曰く、即座に栄養補給できる野菜を持ってかれたのも、農業をやっていればこそ。

曰く…

それは、もう満面の笑みで歌野は語り散らし、散々に言い散らしたのである。 結果…

 

「みーちゃん、なんでそんなにむくれてるの!?ねえ!?」

「知らない、知らない。あーもう、うたのんの農業バカ!そんなに野菜が好きなら野菜と結婚すればいいんだ!」

 水都は歌野に背を向けて寝転がり、歌野は何が親友を怒らせたのか分からないまま二人はしばし目を合わせずに話す事になった。

「……せっかく、いい雰囲気だったのに…。」

「え、いい雰囲気って?」

「そういう所は、聞かなくていいの!」

 少女二人の問答は続く。どこまで青い夏空の下、白い雲海は山を下り真っ直ぐに諏訪の空へ伸びていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 山裾の斜面。

 山道のガードレールを突き破って横転した大型バスの残骸が、雑草と木の根の海に埋もれていた。車体の窓ガラスは既に砕け、タイヤも外れて、骨組みだけとなった体には幾多もの苔と草が生えている。

 それは長方形の四角い岩。

 緑の苗床となったその奇岩の上で、数頭の鹿達が、悠然と草を()んでいる。人間という天敵がいなくなり、騒がしい機械の唸りも消えた森は野生動物達の楽園だ。猟銃に脅かされることも、土地開発の作業車に追い立てられこともない。

 

 しかし…。

 しかし人間共が消えてからも、ここら時々妙な奴らが現れる。彼等は車に乗らないし、猟銃も持たない。だが、野生動物(おれたち)の仲間かと問われるとそれも違う。なぜなら…

 岩の上にいた鹿の一頭が耳を立て、草を食べていた顔あげた。口の上に乗る黒い鼻先をひくつかせ、濡れた双眸(そうぼう)は遠く大見山の(いただき)を見据えている。

 山の頂には雲がかかっていた。それは重く膨らんだ入道雲。まだ昼過ぎだというのに、雲はむらむらとその影を濃くしながら夏の空に広がっていく。気の早いにわか雨の気配に、他の数頭の鹿達は森の奥へと駆けて行った。見上げる一頭は、さて如何(どう)するべきかと脚を二度、三度踏みならしてから、いや何もするまい、と草を食べる作業に戻る。

 雲の正体は見当がついたし、被害もここまでは及ぶ事はないだろう。何せあの雲は、()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、みーちゃん。いい加減機嫌なおしてってば。」

 そっぽを向いてふて寝を決め込む水都の頬を右手でプニプニと突きながら、歌野は空いた左手で脇腹をくすぐった。五本の指が蜘蛛のように水都の細い腰を登り、五弦を弾く激しさで一気に責め立てる。

「わっ…ちょ…やめてよ、うたのん!あははは、脇、くすぐるの、やめ、やめて、あははははは!」

 効果は抜群だ。

 仏頂面が弾かれた様に崩れ、水都ら弓なりに体を捩って歌野の手から逃れようとする。歌野は追撃の手を緩めず、右手も加えて両方から脇を強襲。水都はビクリと体を跳ね上げて、子猫の様に必死の抵抗を続ける。

「抵抗しても無駄無駄。みーちゃんセクシーよ!とってもキュートでセクシーだわ!」

「セクシーじゃない!はあ、はあ、息、苦しい…笑い過ぎて、息、苦しいから、あはははは!」

 木陰で転がる二人はキャーキャーと悲鳴をあげながらも、抱き合う様に離れない。やがて、歌野が何度目かの水都を下に敷く形となり、二人は互いに荒い息を弾ませる。膠着の時間は僅か一秒。マウントを取った歌野の顔には勝利を確信した笑みがこぼれ

「みーちゃん、覚悟!ビッグスマイルにしてあげるわ」

「いやー!!!」

 絹を裂くような悲鳴も虚しく、今、必殺必勝の一撃が振り下ろされる!

____突然、耳障りなサイレンが辺りに響いた。

 

 

 同時に顔から笑みが掻き消え、厳しい表情で二人は立ち上がる。周りを見やると、休んでいた大人達もサイレンの音に慌てて街へ引き返していく。

 この音はバーテックス襲来の合図だ。

 化け物の接近に諏訪の空気が一気に硬質化し、風にそよぐ木々のざわめきが不安を煽る。

「うたのん、これって…」

「大丈夫よ、みーちゃん。すぐ終わらせてくるから。」

 隣で歌野は青い空を見上げたまま、いつもの自信溢れる声でそう言い切った。その言葉に水都は頷くことしか出来ない。

「うん」

 水都が小さく頭を振るのを見届ると、 農業王のシャツを翻して歌野は颯爽と走り出した。まだ幼い少女のその顔には、恐れもなく、迷いもない。 親友が自分の帰りを信じてくれている。その思いさえあれば、いつだって戦える。

 

 

 

 

 

 

 

 歌野が向かったのは諏訪大社の上社本宮。その神楽殿には勇者の戦装束と武器がある。

 歌野の戦装束は緑色と黄色を基調としたものだ。

 着る事により身体能力の上昇や専用武器以外でのバーテックスへの攻撃も可能となる。

 手際よくそれを身につけて、歌野は祭壇に置かれた武器を手に取った。

 

 

 それは飾り気のない一本の鞭。

 だが、ただの鞭と侮るなかれ。諏訪を治める武神にして地の神の王子が武器とした藤蔓。その神威が宿った歌野の鞭は、物理攻撃の効かないバーテックスを屠る事が出来る諏訪で唯一の武器なのだから。

 

 武器と防具、二つの装備を整えた歌野は反転、神楽殿が震えるほどの勢いで高々と跳躍すると、諏訪全体を見下ろして軽やかに空を行く。

「見えた!」

諏訪の全景をぐるりと見渡すと、バーテックスがどこから来るのかすぐに分かった。

 彼等の攻略目標は諏訪の北東。

 『御柱結界』の要の一つである下社春宮だ。 大見山を下る巨大な雲が、すでに裾野まで到達している。

 歌野は突き刺さるように小学校のグラウンドに着地。

 落下の衝撃で地面が小さなクレーターとなって沈むのを構わず、一歩踏み出して、二歩目で跳んだ。

 二度目の跳躍はさらに速く、砲弾と化した勇者の体は一息に諏訪の上空を横切って春宮の境内に落下。土砂の飛沫が天高く舞い上がり、またも大地が掘削される。それでも着地の勢いを殺せずに電車道を作りながら、五メートルほど滑走に耐えてようやく停止した。

「華麗に着地!今回の到着速度はマイベスト記録を更新ね!」

 軽口をたたきながら靴の泥を払い、空を睨む。

 結界の正面。蒼穹に広がるバーテックスの積乱雲は、その数目測で(おおよ)そ二千匹。無個性な顔つきが一斉に白い歯を打ち鳴らし、奇怪な威嚇音とともに結界へと押し寄せている。

 

 息を深く深く吸い込み、

「さあ、ここからが私の大見せ場。ショーの始まりよ!!」

威嚇の音に負けじと歌野は声を張り上げて、結界を背に化け物の群れと対峙する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春宮の境内。

 天を貫くように立つ御柱を守りながら、歌野の鞭が猛毒の奔流となってバーテックスを弾き飛ばした。弾かれた敵は即座に腐敗し朽ち果てる。

「今回は、なかなかハードな戦いね!」

 嘯くように言いながら、歌野は柱を背に空を睨んだ。呼応するように頭上を三匹のバーテックスが強襲。三つ顎が横列に開き、流星の如く降り注ぐ。跳ね上がった鞭が一匹目を顎から粉砕。手首を返して軌道を反転。返しの打ち込みで二匹目の頭を微塵に砕き、続く三匹目を横薙ぎに弾く。

 

 弾けた三匹目の背後に影。

 

 三匹の生贄を越えて、新たに一匹が歌野へと迫る。

 それに背を向けて、歌野は腰から回転。回転に連動した後ろ回し蹴りが前方に炸裂し、槍の穂先となって星屑の顔面を捉えて後方へと打ち返す。

 顔の潰れた化け物の巨体が砲弾となって飛翔。背後の同胞を巻き込んで連鎖的に粉砕する。

 化け物達の悲鳴を聞きながら蹴り足の慣性を利用して、勇者が刻むのは鮮やかな輪舞。踊るよう戦場を駆け抜けて、鞭と蹴脚が乱れ飛ぶ。

 

 しかし、この程度ではバーテックス達の勢いは揺るがない。

 砕けた同胞の穴を埋め、化け物の群れは淡々と前線を整える。何匹死のうが関係ない。幾度砕けようが構わない。津波のようにせり上がり、粛々と勇者へ牙を剥く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鞭の鋭い風鳴りが幾重にも空気を震わせる。

 歌野が、数えて百二十匹目のバーテックスを叩き落とした所で敵の追撃がピタリと止まった。

 不自然な戦闘の空白は、バーテックスが吐き出し尽くしたわけではない。化け物の群れで出来た雲の中へ、前線に押し上げられていた残存兵力が戻されていくのだ。

 足元でたわんだ鞭紐(むちひも)が弾かれるように手元へ巻き戻り、緩やかにとぐろを巻く。不気味な静寂を孕んで渦巻く暗雲を見つめ、歌野はいつもの自信に満ちた表情を崩さない。

 

 

  敵軍の静止は時間にしておよそ一分程度。

 その間、攻撃しなかったのは体力温存と、第二波の攻撃を警戒したため。まあ、どちらにしても山裾を覆う、雲ほどの群勢に単騎で特攻しても勝ち目は薄いのだが。

 さて、次は何を仕掛けてくるのかしら。

 

 歌野の視線が注がれるなか、暗雲を突き抜けてそれは高速で飛来した。

 

 角のような器官を発達させた進化個体。

 皇徹が『トンガリ』と呼んでいたアレである。

 通常個体とは速さも耐久性能も桁外れな化け物が、雲の中から矢の雨のように降り注ぐ。百、いや二百は確実に超しているだろう。

 

 その脅威を目の当たりにして白鳥歌野は____________しかし、ひどく落胆した。 なんだその程度か、と。警戒していた自分が馬鹿みたいだ。

 ため息を一つ、苛立ちを表すように鞭が空気を打ち鳴らす。

「悪いけど、その攻撃はベリーイージー。もう、攻略済みなの。」

 歌野が打ち鳴らす藤蔓の鞭が頭上から下へ流れる螺旋を描き、諏訪の勇者の身体を包み込む。次いで手首を返して、グルグルと永続する蔓の回転を引き絞ると、歌野を軸芯に鞭が収束。

 直後、

 飛来した進化体の弾頭は螺旋の奔流に阻まれて_______止まった。

 次いで、次々と飛んでくる矢の豪雨。ドガガガカガガガツと到底生物の生存が見込めないような大音声(だいおんじょう)が響き渡り、境内は濛々(もうもう)と土煙に包まれる。

 

 矢の豪雨が止んで、煙が薄れた境内の真ん中に現れたのは鞭の柱。柱には隙間なく進化個体による矢が突き刺さり、またその周囲にも同じ進化個体が百を超えて散らばっている。

 それは余りにも異様な光景だった。

 歌野を包み込む鞭の螺旋が、収束することで中心を空洞にした硬度な柱となり、彼女に降り注いだ百を超える矢の雨の全てを拒絶した。

 弾かれたモノは地面に転がり、突き立ったモノも壁を破ることが出来ない。それでも、進化個体達はまだ生きている。棘のように柱に突き立ったまま、自らをまた撃ち出そうと猛然と身体を震わせる。その抵抗を、歌野は螺旋の中心で嘲笑う。

 鞭を掲げた歌野の手が反転。収束とは真逆の回転が柱を駆け上り、螺旋のうねりが一気に膨張。鎧袖一触(がいしゅういっしょく)とばかりに、周囲の進化体達を吹き飛ばし、立ち込めた土煙を晴らす。

 鞭の螺旋を解くと境内は惨憺たる有様だった。進化個体によって数十を超える穴が大地に穿たれ、桜や杉の並木が折れて太い枝葉が境内に散乱している。

背後の御柱も流石にいくつか流れ矢が掠ったのだろう。滑らかな木肌が傷付いてはいるものの、しかし、全体として見れば無事だ。

 

 

して、問題は…。

 

 視線は、未だ空に浮かぶ雲を見つめていた。先程の攻撃で目に見えて小さくなっているものの、バーテックスの群れはまだそこにある。

 最初、目測で二千程と予想したバーテックスの数は、始めの攻撃で通常個体を百二十匹消費して、先程の進化個体が凡そ二百ほど。あの進化個体を一匹作るのに、通常個体十匹が消費されるため全体の消費は二千匹を超える。それでもまだ余力を残していたことは誤算でしかない。

 更に悪いことに…

「明らかに進化してわね、あのバーテックス達。」

 歌野は鞭担いで、やれやれと首を振った。顔には先程と同じ余裕の表情が張り付くも、内心は穏やかではない。雲の中で蠢くバーテックス達は恐らく四百匹程だろう。それらが互いを貪る用にして異質な個体を完成させようとしている。

 それはある意味で、先程の矢の雨よりもまずい事態だ。確か、今まで戦った中で一番強かったのは百体程の星屑が合わさった進化体。それが三匹同時に襲来した時だった。

 今回はそれよりも更に上。四百匹分の進化個体がどの様なものなのか、能力も行動も弱点も未知数。対処を誤れば、最悪の場合は初手で死ぬ。

「ちょっとデンジャラスな状況かも。」

それでも柔らかい笑みを顔に貼り付けたまま、歌野は迷いなく雲へと跳躍する。

未知の進化個体に対して、確実な勝機があるとすれば今この瞬間だけ。進化が終わるその前に、バーテックスを殲滅するしかない。

眼前で雲が次第に薄れ、個々のバーテックスの境が消え巨大な輪郭が見えてくる。

 合体の速度が異様に早い。

 進化は既に秒読みの段階だった。

 一度の跳躍では距離が足らずに歌野は落下。二度の跳躍に備えた時には、既に完成した足先が視界をよぎる。

 

 

間に合わない!

 

 

 目を背けたくなる様な、ゆっくりとした時間の流れ。一秒を永遠に引き伸ばした様な気の遠くなる感覚の中で、歌野はゆっくりと足をたわめ、次の跳躍に備える。しかし、既に必勝の時は過ぎていた。

 二度目の跳躍より早く雲を引き裂いて、見たこともない大型のバーテックスが落下してくる。

 バーテックスの頭上に丸い影。

 

 「精霊、ダイダラボッチ」

 

 聞き慣れない男の声が空から響いた。次の瞬間、列車と見紛うほど巨大な拳がバーテックスを上から一息に押し潰した。

 

 




今回何よりも苦労したのが、歌野さんの戦闘描写。何度となく躍動感溢れるシーンにしようと試行錯誤を重ねましたが…全滅。鞭が文章表現に対して難敵過ぎた。
いかんせん武器としての応用がきいて、魅力的すぎるから帰って書きたい場面を絞り込めない。剣や槍と違って柔らいという特性が表現しにくい。誰か解決策を教えてくれ…。

逆に水都ちゃんとのイチャイチャシーンはアホほど早く書けた(早漏)というか水都ちゃんは書くのが楽だと思う。個人的な意見だが内面まで理解しやすいから、書きやすいのかも知れない。


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巨神の拳2(少々、改稿しました。)

待っていた人がいるかわ分からないが…お待たせ。
しかし、今回も話はあまり進まないんだ。本当に申し訳ない。


 山裾まで広がる平野を埋めるように無人の建築群が続いている。

 忘れ去られた古代遺跡のような様相のそれらは、かつての諏訪の旧市街。結界に入りきらず人々に捨てられた町の一部である。

 打ち捨てられた建物はどれも新しく、積もった落ち葉もまだ浅い。それでもコンクリートの壁には無数の亀裂が太く走り、壁面の窓ガラスは無残に割れているのは、一年前の災厄による被害であろう。

 折れた電柱も、乗り捨てられた車も、戸が破られた玄関も全てあの日のまま街は時を止めていた。

 

 

時を止めた街の上に、影が落ちる。

 

 

大型バーテックスを一息に押し潰して、巨大な拳は諏訪の旧市街に垂直落下。重低音が夏の空に轟いた。

 大質量の激突に複数の建物が一瞬で圧壊。コンクリートの支柱が砕け、鉄骨が折れて壁面に深く亀裂が走る。同時に大小さまざまな瓦礫の雨が辺り一面に降り注ぎ、連鎖的に破壊の波が広がっていく。

 街は白煙を噴き上げながら倒壊の悲鳴を上げ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 七階建てマンションの屋上。貯水タンクの上に立って、白鳥歌野はその光景を見下ろしていた。

 砂煙が風に乗って歌野の足元まで吹き寄せ、戦装束の裾が翻る。

「どうなったのかしら…。」

 吐き出される煙がドーム状に街を覆っていき、拳の影もバーテックスの影も見えない。耳に届く音だけが、今も建物の崩壊が続いている事のみを伝えている。

 

 いっそ近づくべきだろうか?

 

 グッ、とたわめた足に力を込めながら、歌野は視線を左右に彷徨わせる。

 勇者の身体能力であれば、少なくともあの崩壊の続く煙の中を進んでいくことは可能だ。降ってくる瓦礫に当たったところで、大して支障はないだろう。

問題があるとすれば、バーテックスは言うまでもないが巨大な拳の存在だ。

 その正体も、意図するところも分からぬ存在はバーテックスよりよほど度し難い。

 

「やめた」

たわめた足を戻して、歌野はゆっくりと息を吐いた。吐いた息と共に全身の筋肉から緩やかに力が抜けていく。

 何も焦ることはない。

バーテックスの落下地点は未だに煙が濃く立ち上り、敵の捜索は困難な状況だ。しかしバーテックスもあの巨大な拳の直撃を受けて平然としていられないだろう。

このまま、崩壊が収まるのを待って____________________ 紡いでいた思考を、極大の轟音が遮った。

 

 

 

 夕立の遠雷を10倍したような大音声の衝撃に、マンション鉄骨がギチギチと軋み、貯水タンクが小刻みに震える。

 

 市街地の中心、噴き上がる煙の中に影。

 それは屋上に立つ歌野の視線とほぼ同じ位置で建物を一跨ぎに薙ぎ倒し、同時にズンッと腹に響く足音が澱んだ大気に打ち鳴らされた。

 

 街が揺れる。

 

 路上に打ち捨てられた車たちがポップコーンのように跳ねまわり、建物の震えが止まらない。 噴煙の向こうから放射される強大な殺気に、夏場の熱気は何処かへ去った。

 ズンッ、ともう一度足音が街を揺らし、重層な白の暗幕を巨影が抜ける。

 一歩。

 天まで届く白煙のうねりを引き裂いて、山羊の角ような太く鋭い歩脚がアスファルトの路面を踏み砕く。

 次いで次々と、鋭い歩脚が煙の壁を突き破り大地に太く根を下ろした。その数、合わせて四つ。四本の脚に支えられて、歪な逆円錐の体躯がその中心に鎮座している。円錐の表面が大きく陥没ているのは、恐らく拳の威力によるものだろう。

 

「バーテックス…。」

 地響きと共に歩み出たバーテックスの威容に、歌野は苦々(にがにが)しげに言葉を吐き出した。

 体長20メートル前後。白煙を裂いて現れたバーテックスの姿は、今までのどの進化体とも異なる。

 明らかに別格の威圧感。

 だが姿形の差異など関係ない。目という器官など存在しなくても分かる。

大型のバーテックスは勇者である歌野を、その背後にそびえ立つ御柱の壁を、未だ生き残る人類という種そのものを煮え滾る殺意でもって『睨みつけていた。』

 

 

 地上を睥睨し、玉座に進み出る王のように、悠然とその威容を見せつけながらバーテックスは結界へと迫る。既存の物理法則が通用しない化け物には堅牢なビル群も紙細工と変わりなく、行く手を遮るその一切を大型バーテックスはただ触れるだけで瓦解させていく。

 

震える貯水タンクの上。

 魂まで引き千切るような視線の圧力を真正面から受け止めてなお、白鳥歌野は頑として揺るがない。 敵の視線の圧力を減らすように、静かに深く息を吸い吐きだす。

「?」

そこでふと歌野は背後の結界へと顔を向けた。

「みーちゃん…?」

 歌野の背後には峻厳な御柱の壁。結界の境界線近くに、もちろん人影などあるはずがないが、なんとなく藤森水都の、自分の一番の親友の視線を感じた気がしたのだ。

 まさか…。

 歌野はプルプルと首を振って雑念を払う。

 水都にも、そして諏訪の人々にも戦闘中は結界の境界に近寄らないよう厳命している。だから、親友にそんな危険な真似はして欲しくはないし、もしそんな事をしていたら絶対に怒る。危険な事は、自分だけで沢山だ。

 視線を前に戻すと、先ほどよりも大きく、こちらに近づいたバーテックスの姿が見えた。距離にして約200メートル。コンクリート片を周囲にブチまけながら歩みが止まる様子はない。

 歌野は杞憂と思いつつも、もう一度後ろを振った。やはり親友の姿は見えない。

 

 

地響き。

 

 

 心の中の不安が拭えぬまま、敵との距離が更に詰まる。迫る四本の巨大な歩脚。その内の前一本が太陽を遮るように高く上がり_______もう時間がない。

「大丈夫、絶対に結界までは行かせないわ。」

  言い聞かせるように言葉は溢れた。

 

 

 

 踏み込む。

 歌野は爆発的な脚力で傾いた貯水タンクを蹴って突撃を開始。前方に連なる民家と雑居ビルの屋根を足場に、低く飛ぶ矢となって水平に疾走。同時に、高く掲げられたバーテックスの前脚が破城槌となって突き出され_________轟音。

 

 疾走する歌野の鞭はバーテックスの前脚と真っ正面から激突。放たれな一撃はバーテックスの脚先を打ち砕くも、巨体による推進力の優劣は埋めがたい。

 破城槌の前脚が振り切られ、歌野はそれに巻き込まれる形で後ろへと吹き飛んだ。景色がビデオの逆再生のように前方へ押し戻され、けたたましい金属と共に、歌野の体は屋上に張られた自殺防止の金網にぶつかり急停止。

 苦しげな呼気が口から漏れるも、戦闘は一瞬の停滞も許さない。

 砕かれた脚を引き戻して、バーテックスの放つ第二射は先ほどより更に速い。狙い違わず歌野を射抜く砲弾の軌道。勇者は金網を掴んで、一瞬速く身をよじるとフェンスの上に跳躍し、直撃の軌道を回避。

 格子の針金が、少女の重みにぐにゃりと曲がり

 

 直後、バーテックスの脚が金網を突き破り、屋上を発泡スチロールのように縦に貫いた。

 それを見下ろす形で撃ち込まれた脚先に上空から鞭を絡めると、歌のは縄を巻き取る様にして一気に降下。

「はあああああああっ」

 裂帛の気合とともに、腐食し始めた部分に勢いのまま飛び蹴り叩き込む。

 

 ドズンっという鈍い音。

 巨大な脚は蹴りの衝撃で僅かに揺らぐも、損傷は表面への亀裂と極めて軽微。

 硬い。

 やはり今までのバーテックス達とは格が違う。

 歌野は素手での破壊を諦めて、後方へ跳躍。バーテックスの突き出した歩脚がそれを追って、水平にビルを薙ぎ払う。

 ビルの屋上は脚の一掠りで微塵に砕け散った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぼんやりと霞んでいた視界が回復し、耳元に風の唸り声が戻ってくる。

 

 気絶していたのか…。

 皇 徹(すめらぎ とおる)が目を覚ますと、そこは瓦礫の山の中だった。自分の体は、倒壊したビルの瓦礫の山に埋もれる形で仰向けに倒れていた。

 視線を回すと、左右の手にはしめ縄を巻いたような赤い手甲、胴と両足にも紅蓮の胸当てと具足が輝き、変身はまだ解けていない。

 どうやら寝ていたのは、ほんの数分の間のようだ。

「クソ、しくじったっ!」

 徹は思わずそう叫んだ。

 

 

 精霊『ダイダラボッチ』

 その力を用いた巨拳の一撃で完璧に仕留めたと思ったが、大型の化け物は辛うじて生きていたようだ。まさか、死んだフリに騙されて反撃を受けるとは…………我がことながら間抜けすぎる。

 

 立ち上がろうと上体を起こすと、胸の真ん中に鈍い痛みが走った。

歩脚の一撃を受け止めた場所だ。

「こんなもの!」

 顔を僅かに歪めながら、徹は痛んだ場所に3度拳を叩きつける。先程よりも更に痛いが、3発叩いて平気ならば……問題ない。

 

 待ってろ、すぐにとどめを刺してやる!

 紅蓮の戦装束が、徹の怒りに応えるように輝きを増す。全身に怒りをたぎらせて、赤い勇者は瓦礫の山を飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 横薙ぎの衝撃波の中、落下するビルの瓦礫を足場として諏訪の勇者は空中を疾走する。一歩、二歩、三歩と超人の脚力で重力を無視して空を駆け、四歩目で歌野は前方の民家の屋根に着地。

 疾走の勢いは緩めない。

 屋根の瓦を蹴落としながら、更に前へ。

 

 彼方に見える大型バーテックスは、無理な横薙ぎの一撃を敢行したせいで体制を崩し、次の反撃まで時間がかかっている。

 この戦いにおいて、歌野の勝利条件は一気に懐に敵の飛び込む事だ。素手による攻撃は、どうやらこのバーテックスには通じない。しかし、歌野の鞭による直接打撃は違う。

 視線の先で、体制を立て直すバーテックスの砕けた前脚が目に映った。

 最初に奴の脚先を砕いてみせた鞭の攻撃。それを今一度、今度は奴の体の中心に叩き込む!

 

 

 

 

 

 

 敵との距離が秒針を追って詰まる。

 あと200メートル………150………100。

 僅かにバーテックスの巨体が後退した。同時に、引き戻された前脚が内側に折り畳まれ、急速に力を溜めていく。それは、先程と打って変わった大仰な挙動。

 射出のタイミングを計る事は容易だった。

 三度目となる前脚の刺突。歌野は予測される軌道を直前で横に避け、余裕の回避……そのはずだった。

 

 

 繰り出された前脚は歌野の前方に着弾。衝撃で派手に土砂が巻き上がり、勇者の前面に巨大な壁を作り出す。

「なっ」

 目くらまし?!

 歌野の前進が一瞬止まった。

 視界は土砂で遮断され、バーテックスの予想外の攻撃に思考は刹那の間空白になる。

 

 大型バーテックスは、その一瞬を見逃さなかった。

 残る三本の脚がバッタの後ろ足のごとく折れ曲がり、バーテックスの体が深く沈み込んだと見えた次の瞬間。

 軽やかに、20メートルの巨体が宙に舞った。

 それは勇者の頭上を飛び越え、諏訪の結界に王手をかける大跳躍。絶望の影が、ゆっくりと真夏の太陽を遮っていく。

 

 

「さぁせるかあああああああ!!」

 天を裂く絶叫と共に、諏訪の勇者は全速力で鞭を放った。

 伸びた藤蔓の先端が長大な蛇となって、バーテックスの後ろ足に食らいつき満身の力で絞り上げる。

 そのまま勢いよく鞭を引くも、勇者の腕力をもってしてもバーテックスの体重には打ち勝てない。逆に歌野の体が、落下するバーテックスの重さに引きづられる始めるほどだ。

 

 

 

 結界の強度がどれほどのものか、それは勇者である歌野にも正確なところは分からない。

 しかし…今もしあの巨体が諏訪の結界と接触すれば

 

 防げはするだろう。

 その確信は十二分にある。

 確かに正確な強度は分からないが、しかし歌野はこの一年、常に結界を守って戦ってきた。少なくとも他の人よりは、結界について知っているつもりだ。

その意味では、バーテックスが落ちたところで問題はない。

 

 しかし、それは今現在の戦局においての話だ。

 この先、2年か3年の後。

 おそらく、その許してしまった一撃が蟻の一穴となり、諏訪の結界は食い破られてしまうだろう。そして何より、バーテックスの与えた一撃の影響は結界だけではなく、諏訪で怯える人々の心に突き刺さる。

 

 結界の中は安全じゃない。

 勇者の力は絶対ではない。

 閉じこもっていても、いつかは殺される。

 

 一人でもそれを感じてしまえば、その不安はウィルスよりも確実に、そして平等に人々に感染するだろう。そうなれば、人々の今日まで立て直してきた生活は内側から破綻する。

 

 バーテックスは群体であり、個体。

 人類滅殺を存在原理とするこの生物にとって個々の命など関係なく、全ては人を殺すためだけに捧げられる。ただ一つの目的に対して互いを補い合い、後続がより確実に人を殺せるようになるならば命すら躊躇なく投げ出す。

 あまりにも透徹した存在だ。究極の生命と言っても何ら間違いはないだろう。

 

 だが、だからこそ負けるわけにはいかない。

 

 

 

 

 

 巨体がいよいよ結界に落ちる。

 歌野は、喉から血が出るほど咆哮した。いくら満身の力を込めたとて、もうバーテックスの一撃を逸らすことは不可能だった。

 気合の咆哮も虚しくバーテックスの体が地に影を落とし、直後、赤い人影が疾風となって歌野の横を駆け抜けていった。

 

 見覚えのない甲冑のような紅蓮の戦装束。

そいつは何事かこちらに叫ぶと、落ちるバーテックスに追いすがるように手を突き出し

「ダイダラボッチ!」

 聞き覚えのある声だった。

 

 瞬間、戦装束が淡く光を放ち、同時に人影の背後を抜けて巨大な腕が高く伸び、バーテックスの後ろ足を掴んだ。

 巨体の自由落下が結界の直前で停止。

 腕がひねられ、バーテックスは跳躍した軌道を戻るかたちで持ちあがり、一気に後方の地面へと叩きつけられる。

 

 

 地震のように市街全体が大きく震えた。震源であるバーテックスも余りの衝撃に動けない。

「今度こそ、くたばれ!」

 獅子吼とともに、追撃の巨拳が振り下ろされる。バーテックスは咄嗟に二本の脚を掲げて身を守るも、拳の一撃は凄まじい。掲げた脚を紙細工の如く粉砕し、隠れていた本体を貫通して深々と地面に縫い止める。

 

 ズン、と地鳴りにも似た重低音が一度だけ大気を打ち鳴らした。

 

 戦闘の喧騒が風にかえっていく。

 拳に縫い止められたバーテックスの体も、舞い散る砂塵のように白く風化しボロボロと崩れて_________消えた。

 

 




バーテックスのフィギュアとか欲しいなぁ、関節がグリグリ動くやつ。
作者は、この一年間ほどは『佐世保祐一』の大筋を頭の中だ作ったりしてました。
その関係で『佐世保祐一』の方は全話改稿することに決めました。そうしないと物語が破綻しちゃう。


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