とある魔術の幻想姉妹(ロマンサーズ) (エーミユー)
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禁書目録が幻想殺しと出会う前

 あなたは、神の子が起こした奇跡を信じますか?

 

 そう問われた時、十字教徒なら「はい、信じます」と答えるだろうし、歴史学者なら「それは創話に過ぎない。彼は元々ただの大工だった」と答えるかもしれない。

 浄土を信じるものなら「我々が信仰しているのは御仏なので」と答えるかもしれないし、理学者なら「奇跡が起きた確率はゼロとは言えない」と答えるかもしれない。

 

 同じ問いを幻想殺し上条当麻に訊ねれば、「そんなことよりパンが食いたい」と言い出して答えてくれないかもしれないし、ロマンサー汀宝良(みぎわたから)に訊ねれば、「そいつ『ロマンサー』だったんじゃない?」と言い出して宗教家からの顰蹙を買うかもしれない。

 

 

 

 とんでもない作り事を言う者、もしくは、『とんでもない作り事を現実にしてしまう能力を持つ者』の事をロマンサーと言う。

 神の子に対して、ロマンサーというレッテルを貼ってしまうと、前者の意味だろうと後者の意味だろうと十字教徒は怒り狂う。

 十字教徒にとって神の子の奇跡は、真実、奇跡でなければならないのだ。

 法螺吹き呼ばわりは以ての外だし、異能者呼ばわりも、やはり禁句である。

 十字教徒の間では、神の子をロマンサーと称する事はタブーとされていて、転じて、ロマンサーの存在自体をタブーとする者も多数存在する。

 

 イギリス出身の姉妹、通称『幻想姉妹(ロマンサーズ)』も、その存在を十字教からタブー視され、極東の地、日本に流れ着いた二人だった。

 

 

 

 その日は、予報外れの雨が降る夜だった。

 

「成る程、ではその地での仕事は手早く済みそうですね」

 

 ユウ=マッキンタイアは、通話相手である姉、エイミィ=マッキンタイアにそう言った。

 ユウは携帯電話を耳に当て、その長い足を組んで椅子に座っている。

 歳の頃は十代後半程度に見える女性だったが、妙に落ち着いた雰囲気を纏っていた。

 

「そうねぇ、おそらくだけれど、あと二日か三日ってとこかしら。首謀者はどうせケチな逸れ魔術師でしょうね」

「ところでエイミィ、晩御飯はちゃんと摂りましたか? あなたは、仕事となると寝食を忘れるクセがありますからね。私はいつも心配です」

 

 ユウが眉根を寄せながらエイミィに問うと、電話の向こう側で溜息をつく気配があった。

 

「確かに、仕事中に無理する事はあったけど、それは手強い仕事の時だけよ。ユウと別々に仕事するようになってからは、ちゃんとご飯食べてるし、睡眠もしっかりとってるわ」

 

 エイミィはそう言うが、ユウとしてはどうしても気になってしまう。

 エイミィは食にこだわりがないタイプの人間で、好き嫌いをしないのは美徳だが、こだわりが無いあまりに、一食二食は平気で抜いてしまうのだ。

 

「今日は、依頼主のおばあさんから、大根のタイタンをいただいたわ」

「タイタン? 古の神ですか?」

「違うわよ、調理法の『炊く』よ。『炊いたん』」

 

 ああ、そっちか、とユウは納得した。そういえば冷蔵庫の野菜室に大根があったな、自分も明日は大根の炊いたんでも食べようか、と思案する。

 レシピはよくわからないが、大抵そういう料理は、だしと醤油とみりんと酒でなんとかなるものだ、と日本に来てから覚えた和食の調理法を思い浮かべた。

 

「それじゃ、もう遅いし、そろそろ寝るわ。じゃあね、ユウ。また、明日の定期連絡で」

「ええ、また明日」

 

 ユウがそう言うと、通話が切れた。

 特にする事も無いので、早速大根の炊いたんの調理を始めた。

 ユウは、煮物は一日寝かせた方が好きだ。明日食べるなら、今日作っておいた方が良い。

 適当に、ニンジンや豚バラ肉を加えて、調味料で味を整える。

 

 あとは少し煮込むだけ、というところまで調理が終わった時、家の外から何がしかの物音が聞こえた。

 その物音は微かなものでしかなかったが、常人よりも優れた聴覚をもつユウの耳には、容易く届いた。

 警戒しながら玄関のドアを開け、周囲を探る。シトシトと降る雨に紛れて分かりにくいが、確かに何者かがいる気がする。

 ユウとエイミィが日本に来てから購入したこの家は、背の高い木が生い茂る森の中に建てられた、コテージの様な一軒家だった。

 玄関から数歩離れた所には屋根付きのガレージがある。エイミィが車に乗って出掛けているので、今は空っぽの筈だが、ガレージの中から何故か人の気配を感じた。

 

「泥棒ですか? 生憎そこに高価なものはありませんよ」

 

 呑気な態度でガレージの入り口に立ったユウが、中の気配に対して問いかける。

 

「……泥棒じゃ……ないんだよ……ごめんなさい、雨宿り、させてほしいんだよ」

 

 息も絶え絶えな、少女の声。よくわからないが、病気か何かで衰弱している様だ。放って置くのは非道だろう。

 ユウはそっと、その白いシスター服を着た少女に近付くと、横たわるその影を抱き上げた。

 

「わわっ……あっあの……」

「ふむ、どうやら体調不良の様ですね。ガレージなんかに居たら、悪化するばかりです」

 

 ユウは女性の割に長身で、百八十センチを超えようかという体格だったが、それにしても少女を軽く抱えるその膂力は、モデルの様に細身であるのに、常人のそれとは段違いだ。

 

 少女を抱えたまま家の中に戻り、玄関から廊下を渡ってリビングに入ったユウは、部屋の隅にある両開きの扉で閉じられた棚の前に立った。

 

「さっ、ちょっと立ってください」抱えていた少女をそっと立たせると、ユウは銀細工の蝶番で閉じられた棚の扉を開けた。

 

 中には洋の東西を問わず、様々な刀剣が納められている。

 

「ひうっ!」少女が怯えたように一歩さがる。

「ああ、大丈夫ですよ。危ない事はしません」

 

 言いながらユウはその刀剣の中から一本を取りだす。

 

「この『剣』を持つと、すぐに病気が治ります。さあ、どうぞ」

「なにを……言ってるの? そんなわけないかも」少女は訝しげだが、熱に浮かされた様子で、とりあえず、鞘に納められたその剣を受け取る。

「どうです?」

 

 ユウが笑顔で訊ねると、少女は驚きに目を丸くする。

 高熱でぼうっとしていた頭がすっきり晴れ、ジンジンとした節々の痛みも無くなった。

 

「嘘! これは! まさか……」

 

 さっきまでは熱のせいで頭が働いていなかったが、よく考えればこれはおそらく魔術の類だ。

 実は少女は十万三千冊の魔道書の知識を記憶しており、魔術に造詣が深い。

 その自らの脳内データベースから、合致する魔術を検索すると、答えは直ぐにでた。

 

「あなた、ロマンサーだね」

「おや、シスター服を着ているので、そうかもしれないとは思いましたが、やはりそっち系の人でしたか」

 

 ユウは、驚いた様子もなく頷いた。

 

「ロマンサーが発した言葉は、現実になる。その条件は、発言の中に自らの『WOP(ワードオブパワー)』を入れる事。おそらく、あなたのWOPは……『剣』」

「ふむ、まあ、それは置いといて」

 

 ユウをロマンサーと断定した少女は、警戒して数歩さがる。その手には受け取った剣が握り締められているが、華奢で短身な少女には使いこなせそうにない。

 

「そう怖がらないでください。あなたを害する気は無いですよ。病気も治してあげたでしょう」

 

 確かにその通りだ。害を成そうとする人間ならば、わざわざ相手の病気を治すなど、あり得ない。

 少女は少しだけ、警戒を解いた。しかし、剣は握り締めたままだったが。

 

「お名前は?」ユウが問う。

 問われた少女は、思い悩みながらも「インデックス」と答えた。

 ここまでユウは、かなり親切にしてくれているし、悪意はなさそうだし、『自分を追う魔術師たち』とは違うと思ったのだ。

 

「ふむ、インデックス、変わったお名前ですね。私の名前はユウ=マッキンタイアです。よろしく、インデックス」

「……私の名前を聞いても態度を変えないんだね」

「おや、もしや、そっち系の世界では、あなたは有名人なのですか? 失礼ながら、私はそういう知識に疎いんですよ」

 

 インデックスの懸念は全くの無駄だった様で、ユウはインデックスの事を知らなかった。

 魔術の世界に関わる者なら、血眼になって求めるインデックスの知識も、ユウには無用な物らしい。

 

「私の、『年下の姉』ならばあなたの事を知っているかもしれませんが」

「年下の姉? それ、妹じゃないの?」年下なのに姉とは、妙な言い回しだ。インデックスは当然の疑問を訊ねた。

「エイミィ、という名前なんですがね。今は仕事で出掛けているんですが、年下なのに姉だと言い張る、可愛い妹、のような姉です」

「なんだかよくわかんない。煙に巻かれているみたいかも」

 

 そんな問答をしていると、短身痩躯のわりに食い意地のはったインデックスのお腹が、ぐう、と鳴った。

 

「空腹、ですか?」

「えっと、まあ、ちょっと、かなり、お腹すいたかも」

 

 お腹を押さえて浮かない顔のインデックス。ユウは目を閉じ、二度頷くと、インデックスに問い掛けた。

 

「大根の炊いたんで良ければ、用意しますが?」

「タイタン? ギリシャの神が大根に?」

 

 自分と同じ聞き間違いをしたインデックスが可笑しかったのか、ユウは吹き出して笑った。

 

 雨に濡れたインデックスに、「そのままではまた体調を崩してしまいます」と言って風呂に入らせ、シスター服を乾燥機に突っ込む。

 着替えがないと困るだろうと思い、インデックスの体格でも着られるであろうフリーサイズのアンダーアーマーの上下と、七分袖のシャツを洗面所に畳んで置いておく。

 ユウにとっては七分袖のシャツでも、インデックスには萌え袖程度の長さのワンピースになるだろうが、まあ、着られるならなんでもいいだろう。

 そして、ユウは大根の炊いたんの調理を再開した。少し煮込めば、とりあえず食べられるくらいにはなる。

 ユウとしては、明日まで寝かせた方が美味しいと思うのだが、インデックスはかなり空腹な様だし、風呂から上がったら直ぐに食べさせてあげようと、手早く煮込み、皿に盛り付けた。

 炊飯器に残っていた白米をよそい、常備菜である瓶入りのビネガーベジタブルを小鉢に取ると、二人掛けのテーブルに配膳する。

 

 食事の準備が整ったので、一向に風呂から上がってこないインデックスを迎えに行こうと風呂の方に行く。

 洗面所のドアをノックして「開けてもよろしいですか?」と訊くと、「OKなんだよ〜」という能天気な声が聴こえた。

 ドアを開けると、鏡の前で、長い髪をタオルで拭いて乾かそうとしている、裸のインデックスの姿があった。

 さっきまで、それなりに警戒していたというのに、今は完全に無警戒だ。

 

「なかなか風呂から上がってこないと思えば、ドライヤーを使わずに髪を乾かすタイプの人でしたか。あなたくらいの長髪だと、タオルで乾かすのは億劫なのでは?」

 

 ユウの髪型は、耳が隠れる程度の長さで切り揃えたショートボブだった。あまり長いと、髪を洗った後に乾かすのが大変なので、ユウはいつも髪は短めにしている。

 短髪の自分がドライヤーを使っても、それなりの時間がかかるので、かなりの長髪であるインデックスがタオルだけで乾かすとなると相当な手間だろうな、とユウは思った。

 

「ドライヤーって、なに?」インデックスが問う。

 問われたユウは一瞬、何を訊かれているのかわからなかった。

「……ああ、私も日本暮らしが長くなってきたので、日本式の言葉に慣れてしまっていました。日本でいうドライヤーは服の乾燥機ではなく、ヘアドライヤーの事ですよ。インデックスはヘアドライヤーは使わないんですね」

 

 ユウの姉は、今でもドライヤーと言うと乾燥機の事だと勘違いする。

 ユウは、インデックスもそうなのかと思ったが、「ヘアドライヤーって、何かな? 知らないんだよ」と彼女は答えた。

 きょとん、とした表情のインデックスに、これまたきょとん、とした表情を返すユウ。

 まさか、ヘアドライヤーを知らない人間が現代社会にいるとは、そっち系の世界の人々は、家電を使わないルールでもあるのだろうか? と疑問が浮かぶ。

 まるで未開の地からやってきた様な子ですね、とユウは思ったが、よくよく考えれば自分だって数年前まで未開の地で暮らしていた様な者だった。洗面台からドライヤーと櫛を取り、インデックスの長い髪を梳かしながら乾かしてやる。

 

「わっ、あったかい風が吹いてるんだよ。どういう魔術?」

「魔術ではなく、これは只の家電です」

 

 風邪をひかない様にしっかり乾かして、用意しておいた服を着せ、食卓に案内する。

 多少冷めてしまっていたので、大根の炊いたんはレンジで温めなおし、白米は新たによそった。冷めた方の一膳は、ユウ自身が食べようと、テーブルの対面側に置き、キッチンへ向かう。

 

「箸とフォーク、どちらにしますか?」

「できればフォークが良いんだよ」

 

 自分も日本に来たばかりの頃は、箸が上手く使えなかった事を思い出し、懐かしくなるユウ。

 フォークを食器棚から取り、テーブルに座っているインデックスに渡すと、「どうぞ、召し上がれ」といってキッチンにもう一度戻った。

 背中越しに、インデックスの食前のお祈りの声を聴きながら、急須で日本茶を用意する。

 姉のエイミィは和食を食べる時にも、無糖の紅茶を飲んだりする人だが、ユウは和食にはちゃんと日本茶を合わせる。

 冷蔵庫からパックの梅干しを取り出して小皿に少し盛り、その小皿と箸と湯呑み二つと急須を器用に持ち、ユウもテーブルに着いた。

 二つの湯呑みに其々日本茶を淹れ、一つをインデックスの方に渡したあと、白米にもお茶をかけ、梅干しと共に食べる。

 

「それ、ピックルドプラム? たしか、日本で有名な、プラムの塩漬けだよね?」

「ええ、梅をプラムと言い切るのは語弊がある気もしますが、ピックルドプラム、日本語で言う梅干しですね。一つ食べますか?」

 

 梅干しの盛られた小皿をインデックスの方へ近づけると、彼女はフォークで掬うように一つ取り、小顔の割に大振りな口に放り込んだ。

 瞬間、インデックスは目を閉じて呻くように顔を伏せた。どうやら、予想以上に酸っぱかったらしい。

 

「に、日本人はよくこんな酸っぱいの食べられるね。ほっぺ歪むかと思ったんだよ」

「私は日本人ではありませんが、好きですけどね、この味」

 インデックスの反応を見て微笑むと、ユウはサラサラと梅とお茶漬けを掻き込んだ。

 

 余程空腹だったのか、生来早食いなのか、インデックスはあっという間に全て平らげた。

 日本茶を飲んで一息つくと、彼女の雰囲気に少しだけ陰が差す。

 

「ユウは、どうしてこんなに親切にしてくれるの?」

「……特に理由らしい理由は有りませんね。強いて言うなら、助けたかったから、というところですか」

 

 ユウは優しい人だ。だから、自分の事情に巻き込んではならない、とインデックスは思った。

 明らかに訳ありの自分に手を差し伸べ、当然の様に助けてくれた。ならば、『魔術師に追われている自分』はユウに迷惑をかけてはいけない。

 

「さて、私はそろそろ寝ようかと思っているのですが、インデックスは姉の部屋で良いですか?」

「え?」

「いや、ですから、姉の部屋で寝ますか? と訊いています。姉は数日帰ってきませんから空室ですよ」

 

 インデックスは、久しぶりにあったかいベッドで眠りたい、と当然の誘惑に駆られた。

 けれど、自分は追われる身だ。長居すれば、ユウに危害が及ぶかもしれない。さっさとここを去らなければならない。

 

 しかし、どういうわけか、インデックスはユウのベッドに潜り込んでしまっていた。

 それは、人肌が恋しかったからかもしれないし、インデックスがとある事情から無くした記憶の中にある、『親しかった友人』とユウのパーソナリティが似通っていて、無くしたはずの思い出を刺激されたからかもしれない。

 インデックスはベッドの中でユウと向かい合って、少しきつめに抱きついた。

 

「あったかい……」

 

 インデックスは、母親の顔も知らないけれど、「お母さんみたいなんだよ」とユウに言った。

 

「私は、あなたのお母さんというような歳ではありませんよ」

「ふふ、じゃあ、お姉ちゃん?」

「いえ、おばあちゃんですね」

「そっち!? お母さん通り越しちゃうの!?」

 

 小気味良いインデックスの突っ込みに、ユウは笑みを漏らす。

 

「むう、からかってるね」不服そうなインデックス。

「冗談ですよ。あるいは、事実かもしれませんが」

 掴み所のない雲の様な雰囲気を纏うユウに、インデックスは急に真面目な表情を向けた。

 何やら、真剣味を帯びたインデックスの碧眼をユウはジッと見返す。

 

「ユウは、更なる力を求めたりしてない?」

「……なんだか、物騒な質問ですね」

「私は、『ロマンサーを完成させる方法』を知ってるんだよ。ユウになら、教えてあげても良いかも」

 インデックスの言葉にユウは泰然とした様子で答えた。

「生憎ですが、真のロマンサーに至る方法は知りたくありませんね」

「あれ、そうなの?」

「ええ、私の姉は、とある事情からそういう力を求めるかもしれませんが……私は知りたくありませんし、姉にも知って欲しくないですね。彼女が更なる力など得たら無茶なことをするかもしれない」

 

 自分が出来るお礼など、魔術知識に関する事しかない。ロマンサーについての情報を教えることでお礼をしようと思っていたインデックスの当てはハズレてしまった。

 

「じゃあ、私にできるお礼は、何も無いかも」

「良いんですよ、お礼なんて。必要ありません」

 

 ユウは、インデックスの背中を優しくトントンと叩いた。そのさまは娘に対する母の様であったし、妹に対する姉の様でもあった。

 その内に、インデックスは微睡みの中に沈んでいき、その目を閉じて眠った。

 

 

 

 草木も眠る丑三つ刻、インデックスはパッと目を覚ました。

 隣で眠るユウを起こさないように、静かにベッドから立ち、窓の方へ歩く。

 閉じたカーテンを少しだけ捲り、雨が上がった事を確認した。

 音を立てず抜き足差し足で、部屋の入り口に向かい、ドアノブを掴んだところで、「インデックス」と声を掛けられてビクッと驚く。

 

「ユウ……起きてたの? ゴメンね、お礼もしてないけど、私はもう行かなくちゃいけないんだよ」

 

 ベッドの方へ振り向き、暗闇の中のユウと顔を合わせるが、ぼんやりと浮かぶ輪郭しか見えず、その表情は確認できない。

 

「あなたが何らかの事情を抱えていることはわかります。ただ、私には私の事情があって、あなたを本当の意味で助けることはできないかもしれない。だから、無責任なことは出来ない」

「良いんだよ。勝手に雨宿りしにきた私に、こんなに優しくしてくれた。それだけで充分なんだよ」

 

 ユウは、眠る時も外さなかったネックレスを首から取り、「この『剣』を持つ者には、幸運が訪れます」と言って、インデックスの方へ歩み寄った。

「剣?」インデックスが問う。

 

 ユウは、ドア横にあるスイッチを押し、蛍光灯を点けた。

 ユウの手にあるネックレスには、剣を模したクルスの飾りが付いていた。

 

「どうぞ、効力はあと一日も保たないかもしれませんが、あなたの道先に幸多からんことを、祈っています」

 

 インデックスはネックレスを受け取り、胸の前で両手を使って握り締めた。

 

「ありがとう、ユウ」

 

 そう言い残して、今度こそインデックスは部屋を出て行った。

 乾燥機から、シスター服を取り出してさっと着替え、ユウの家を跡にする。

 ユウは、森の中に消えていくインデックスの後ろ姿を、自分の部屋の窓から、その背が見えなくなるまで見つめていた。

 



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ロマンサーとロマンサー

 汀宝良(みぎわたから)は、年齢当てクイズが苦手だった。

 それは別に、初対面の女性に「わたし何歳だと思う?」と訊ねられるのが苦手だとか、そういう意味では無い。

 現在、大学に通う学生である宝良は、将来の進路を警察に定めていた。

 それを戸籍上の兄である刑事、脇坂純一に相談したところ、警察官採用試験の問題集と共に、年齢当てクイズの課題を頂戴した。

 警察官にとって、相手の年代を瞬時に判断するのは必須な能力らしい。

 しかし、宝良には他人の年齢、特に女性の年齢はさっぱりわからなかった。

 二十代の半ばかと思えば、化粧の濃いティーンエイジャーだったり、三十代前半かと思えば、年齢不詳の美魔女だったりと、全く当たらない。

 

 

 

 特に何の予定も無かったその日、宝良はシックな雰囲気を醸し出す薄暗いバーで、適当に頼んだカクテルを飲んでいた。

 目の前のカウンターに立つ女性バーテンダーが作ってくれたカクテルは、半透明のエメラルドグリーン色がキラキラ光って綺麗だったが、何という名前のカクテルだったかは既に忘れてしまった。

 宝良は、何気無くその女性バーテンダーの顔を見る。フランス人形の様な、顔立ちの整った美形の外国人だった。

 国際化の波が押し寄せる昨今の日本ではあるが、女性のバーテンダーで、しかも外国人というのは珍しい。

 早速宝良はその女性の年齢を当てようと思案した。しかし、外国人女性の年齢を当てるのは、日本人女性よりさらに難しい。

 おそらくは、若い方だと思う。しかし、十代というのは無い気がする。バーテンダーという職業を考えても、少なくとも成人はしている。

 二十代か、三十代でも前半だろう。仮に彼女が何らかの事件の被疑者であったなら、自分は彼女の事を『二十代から三十代の白人女性』と報告する。

 これで彼女が、実は若作りの四十代であったりしたならば、いよいよ自分には年齢当てクイズのセンスがないな、と宝良は内心で苦笑した。

 

「なにか、御用ですか? 先程から熱心に私の顔を見つめているご様子ですが」

 

 不意に、女性バーテンダーが宝良に話しかけてきた。その日本語は訛りもなく流暢で、少なくとも、一年や二年の滞在ではここまで上手く話せるはずも無い。日本に来て、かなりの年月が経っているのだろう。

 しかし、声のトーンは想定よりも高かった。それこそ、幼さを感じさせるレベルで。

 これは、もしかしたら十代後半という可能性も有り得るぞ、と宝良は思った。

 

「いや、用があるわけじゃないんだ、ゴメンね」

 

 答え合わせのために、年齢は訊いてみたかったが、初対面の女性に年齢を訊くのは失礼、という常識は持ち合わせていた。と言っても、年齢当てクイズを習慣にしだしてからは、何度か不躾に年齢を訊ねる事もあったのだが。

 

「惚れちゃった?」

 

 ちょっと悪戯っぽくウインクしながら、砕けた口調で女性はそう言った。

 宝良は、結構魅力的な人だな、とは思ったが、口説こうという気は無かった。

 その後も、そのバーテンダーとの他愛もない会話を肴にカクテルを飲んでいると、しばらくして、マナーモードで胸ポケットに入れていたスマホに、着信が入った。

 『ロマンサー案件』とだけ書かれた無愛想な短文、送り主は脇坂。

 脇坂は宝良にとって兄であり、仕事を振ってくる刑事でもあった。

 

「最後に、ミネラルウォーター貰えるかな?」

「ええ、わかったわ」

 

 バーテンダーの口調は完全にフランクなものに変わっていたが、馴れ馴れしさは感じなかった。

 彼女はバックスの冷蔵庫を開け、中から炭酸水を取り出してグラスに注いだ。

 宝良は一瞬、あれ? と思ったが、イギリス英語ではミネラルウォーターは炭酸水を指すという事を何処かで聞いたのを思い出した。

 訛りがない事から日本暮らしは長そうだが、バーテンダーとしては新人なのかもしれない。

 

「どうぞ」

「余計なお世話かもしれないけど、日本ではミネラルウォーターは炭酸が入ってない水の事を言うんだよ。バーテンなら覚えといた方が良いよ」

「あら、そうなの? ごめんなさい、取り替えるわ」

「ああ、別に良いよ。酔い覚ましに水を飲もうと思っただけだから、炭酸水でも構わない」

 

 宝良はそう言ってグラスを手に取ると、「この炭酸水を飲むと酔いが覚める。『嘘』じゃない」と小声で呟いた。

 宝良は『嘘』のWOPを持つロマンサーなのだ。

 彼の言葉の中に『嘘』という単語が入ると、その言葉は現実のものとなる。

 一気にグラスを呷って飲み干すと、「ごちそうさま、またね」と言ってバーテンダーにひらひら手を振った。

 

「ええ……またね」彼女は、何処と無く妖しげに微笑んで返した。

 宝良は、彼女の微笑みが少しだけ気になったが、手早く会計を済ませてバーを跡にした。

 

 バーを出ると、歩道を歩く会社帰りのサラリーマンやOL、学生風の若者たちの雑踏が宝良の前を過ぎる。

 その雑踏の隙間から、片側二車線の道路を挟んで向こう側に、スズキのフラッグシップセダン車、キザシが停車しているのが見えた。

 キザシは刑事の捜査用覆面パトカーとして多数採用されている車種だ。

 宝良は歩道橋を渡って、そのキザシの後部座席に乗り込む。運転席には煙草を燻らせている脇坂がいた。おそらくGPSで宝良の居場所を探し出してここに来たんだろう。

 

「早速で悪いが、ちょっと遠出するぞ」言いながら脇坂はギアをドライブに入れて発進した。

「何処へ?」シートに深く凭れて訊く宝良。

「神奈川県」

「神奈川ぁ? なんで本店(警視庁)の脇坂さんが神奈川の事件を捜査すんのさ」

「犯人のアジトは神奈川だが、事件自体は23区内で発生してるんだよ。高級車窃盗のニュースは知ってるだろ?」

 

 宝良は最近世間を賑わせている高級車窃盗団の情報を思い出した。

 たしか、テレビのニュースでは微妙に暈されていたが、裏にチャイニーズマフィアが絡んでいるとかいう事件だ。

 犯人グループは一夜にして、何十台もの車を一気に盗んでいる事から、かなり大きな組織による犯行と目されている。

 

「今から行くのはマフィアのアジトってわけ?」

 

 宝良の質問に、脇坂は左手を振って否定した。

 

「マフィアに関しては、どういう筋の誰が絡んでいるのかもわかってない。神奈川のアジトにいるのは下っ端のヘイハイズだけだ」

 

 ヘイハイズという聞き慣れない単語に、宝良は首を傾げた。

 

「物知らずなお前にも分かりやすく言うと、ヘイハイズってのは中国人密航者の子供の事だ。密航者の子供だからな、当然、出生の届けなんか出されないから、日本の国籍はもちろん中国の国籍も持ってない」

 

 脇坂の説明に、宝良は納得した。国籍が無いとなると、マフィアの下っ端にでもならないと生きていけないわけだ。

 犯罪者の世界にも国際化の波は押し寄せているらしい。

 

「でも、要するにそれって盗っ人のチンピラって事でしょ? なんで脇坂さんが捜査してる上に、『請負い屋』である俺に依頼すんのさ」

 

 宝良はまだ学生の身分ではあるが、『請負い屋』と呼ばれる、警察の手には負えない事件を解決する仕事を生業としている。

 なので、脇坂が持ってくる事件は、今までその全てが難事件であった。

 

「……アジトには四人のヘイハイズが居るらしいんだが、そのうちの一人は、ロマンサーだ」

 

 宝良の眉間に皺が寄る。その目には剣呑な光が宿った。

 

「成る程ね。わかったよ、ちょっと寝るから、着いたら起こして」

 そう言って、宝良は後部座席のシートにその体を倒して目を閉じた。

 

 

 

 神奈川にある、犯人が潜むアジトとやらは、それなりに高級そうな一軒家だった。

 下っ端のチンピラとはいえ、ロマンサーだけに、中々の高給取りらしい。

 時間は既に深夜だが、家の灯りはまだ点いていた。

 脇坂は、運転席の窓から、そのアジトを眺める。

 

「どうする? 寝静まるまで待つか?」脇坂が問う。

「いや、チンピラが早寝早起きとかしないでしょ。さっさと乗り込んで生け捕りにしてくるよ」

 

 車から降りた宝良は、後部に回ってトランクを開けた。中には宝良用の装備が収納されている。

 ただし、装備と言っても物騒なものは何もない。黒革のジャケットや、手袋など、普通の衣類ばかりだった。

 それらを一つ一つ手に取り、「与えられたダメージと、敵のロマンサーの言葉は全て跳ね返る。『嘘』じゃない」と言って着けていく。

 装備を着終えると、宝良は軽い足取りでアジトへ走り寄った。

 玄関の鍵は閉まっていたが、ロマンサーである宝良にはどうという事もない。

 

「鍵が閉まってるなんて『嘘』」

 

 音を立てないように忍び込み、暗い廊下を進んで、下部の磨りガラスから明りが漏れるドアの前に立つ。

 ドアの向こうはおそらくリビング。数人の気配があるが、時折聞こえる声は、まだ子供の様に思えた。

 そういえば、こいつらの年齢聞くの忘れてたな、と宝良は今更ながらに確認を怠っていた事を思い出した。

 まあ、相手の歳とかどうでもいいか、とドアを開けて部屋の中に飛び込む。

 

「なんだぁ! テメエ!」チンピラの一人が声を荒げた。

 部屋の中にいたのは四人の少年。

 結構でかいプラズマテレビにはゲーム機が繋がれている。

 なんだよ、やっぱりまだ子供じゃないか、と宝良は一気にやる気が無くなった。

 

「右から、18歳、16歳、15歳、12歳。どう? 当たってる?」宝良は一人一人指差しながら、年齢を指摘していった。

「何わけワカンねぇ事言ってんだ!」

 

 16歳と言われた少年が宝良に殴りかかった。宝良は避けもせずに黙って鳩尾で受ける。

 

「ぐあぁっ!」

 

 しかし、ダメージを受けたのは少年の方だった。殴った右手を押さえて呻く。

 宝良は少年の頭に手を当て「気絶する。『嘘』じゃない」と言った。少年は瞬く間に意識を失う。

 

「テメエ! 何しやがった!」

 

 15歳の奴が跳びかかってきたが、その少年にも同じ言葉を使って気絶させる。

 

「二丁あがり、と」

「お前、ロマンサーか?」

 

 一番年嵩の少年が、宝良に問い掛ける。

 

「そう言うアンタも、ロマンサー?」皮肉げに問い返す宝良。

 

 年嵩の少年はチッと舌打ちすると、一番年少の、まだランドセルが似合いそうな少年に何やらアイコンタクトを送った。

 少年たちは距離を開けながら、宝良の右側と左側にそれぞれゆっくり回り込む。

 宝良は、年少の方にも軽く意識を向けつつ、年嵩の少年を見遣った。

 年嵩の少年は懐からナイフを取り出し、全力で床を蹴って宝良に斬りかかった。

 宝良はそれを冷静に、手袋をはめた右手で受ける。ナイフは少年の手から、弾かれた様に離れた。

 宝良はさらに右手で、丸腰になった少年の頭を掴むと「お前も気絶。『嘘』じゃない」と言って無力化する。

 その瞬間を好機と見たのか、年少の方も走り寄ってくる。宝良は左手を突き出して構えるが、走り寄ってきた少年は徐ろに宝良の左手を掴んだ。

 

「ん?」宝良は目を丸くする。

 

 宝良へのダメージは全て跳ね返るはずだったが、ただ掴まれただけでは能力が発動しなかった様だ。

 そして少年は、自らのWOPを含んだ言葉を叫んだ。

 

「『小』さくなれえええ!」

 

 ロマンサーの力が込められたその言葉は、少年へと跳ね返り、少年は身長10センチ程になって宝良の左手に収まった。

 

「ロマンサーは君の方だったか」

 

 『小』さくなった少年は、宝良の左手に握られて、顔色を青くした。

 

「悪いけど、君も気絶だ。『嘘』じゃない」

 

 ロマンサーの少年も気絶させたあと、その小さな体を床に置き、

 

「小さくなるっていうのは『嘘』」と言ってその身長を元に戻す。

 

 高級車を一夜に何十台も盗んだカラクリは、おそらくこのロマンサーの少年の力だろう。

 車を全てミニカーの様に小さくして回収したのだ。

 この子供達がヘイハイズというのは本当なんだろうが、その裏に巨大なチャイニーズマフィアが絡んでいるというのは眉唾かもしれないな、と宝良は思った。

 背後を洗っても、ショボい違法高級車ディーラーが摘発されるのが関の山だろう。

 何はともあれ、仕事は終了した。宝良は外で待つ脇坂に報告する為、少年たちのアジトを出て行った。

 

 

 

 捜査対象にロマンサーが含まれているので、請負い屋である宝良との繋がりを持つ脇坂が出張ってきたが、本来、警視庁捜査一課の脇坂は高級車窃盗団の捜査権を持っていない。

 とりあえず、無力化して捕縛は済ませたので、逮捕連行は担当の刑事たちに連絡して任せ、脇坂たちは東京への帰路に着いた。

 

 走り出して暫くした時、後部座席の宝良は、座ったまま背後を振り返り、肩越しにリヤウインドウの向こうを覗いた。

 

「脇坂さん、気付いてる?」

「……まあな、行きは途中で消えたから、偶然かとも思ったが、流石に帰りもとなるとな」

 

 宝良たちの乗っている覆面パトカーの後ろにはピッタリと追走してくる黒の日産GTーRの姿があった。

 煌々と光るヘッドライトのせいで運転手の顔は見えないが、明らかに尾行しているのは間違いない。

 神奈川に向かう時にはもう少し車間距離をとっていたが、おそらく尾行者も、既にバレることは承知の上なのだろう。

 

「脇坂さん、ここで俺は降りるよ」

「大丈夫なのか?」

 

 宝良の提案に、脇坂は訝しげな様子だ。

 

「大丈夫だよ。これだけあからさまに尾行してくるって事は、相手は請負い屋に用があるんでしょ」

「出来れば、警察を通さない依頼は受けてほしくないんだがな」

 

 そう言いながらも、脇坂はハザードを焚いて車を路肩に停めた。それに倣うように、尾行車も10メートル程距離を置いて駐車する。

 

「じゃ、またね」宝良は軽い調子で言いながら車を降り、尾行車の方へ歩いて行った。

 脇坂は、呆れたような溜息をひとつ吐くと、振り返らずに車を発進させ、東京へと帰って行った。

 

 宝良が尾行車に近付くと、助手席のウインドウが開けられた。助手席や後部座席に人影はなく、搭乗者は運転手一人のようだ。

 

「ハーイ、脇坂くん。また会ったわね」

 

 妙に明るい声で挨拶された宝良は、ウインドウが下がりきった助手席側から車の中を覗き込む。

 

「驚いたな、あんたか」

 

 果たして運転席に居たのは、今日宝良が呑んでいたバーに居た、女性バーテンダーだった。

 彼女は肩口で切り揃えられたウェーブがかった金髪を、左手のしなやかな指でさっと耳に掛けると、「まあ、とりあえず乗ってよ。東京まで送るわ」と言った。

 宝良はドアを開けて助手席に乗り込みシートベルトを装着すると、指を一本立てて「ひとつだけ訂正させてよ」と運転席ににこやかな顔を向けた。

 

「俺、色々あって脇坂さんちに引き取られたから、戸籍上は脇坂だけど、普段は旧姓の汀って名乗ってるんだ。汀宝良、よろしく」

「あら、そうなの? 調べ物は得意なんだけど、ちょっと焦ってたのもあって、そこまで調査できなかったわ。ダメね、私って」

 

 然程、気にした風もなく女性は嘯き、徐ろに車を発進させた。

 宝良はシートベルトを締めながら、「名前くらいは教えてくれるの? 新米バーテンさん」と質問した。

 

「ミネラルウォーターを間違うようじゃすぐクビになっちゃうわよ。バーテンダーには今日なったばかりなの。もう辞めたけどね」

 

 女性は首をすくめて笑う。彼女はロマンサーの能力を使ってあのバーに潜り込んでいただけで、実際にバーテンダーとして雇われていたわけではない。

 二、三度瞬きして吐息を吐くと、「エイミィ・マッキンタイアよ。エイミィって呼んでくれる?」と自己紹介する。

 

「OK、エイミィ。戸籍の方から調べてきたって事は、俺が請負い屋で、ロマンサーなのは把握してるんでしょ? オーダーは何?」

 

 おどけた風に宝良が言う。エイミィは鮮やかなハンドルさばきでコーナーを曲がりながら、数瞬、間を置いた。

 

「妹を、救けてほしい……正確には、妹と私を、だけれど」

 

 エイミィは、少しだけ顔を暗くした。宝良が見ず知らずの、ほぼ初対面の自分の依頼を受けてくれるだろうか、と懸念しているのだ。

 対して宝良は、何ということもない様子で、「依頼を受ける前に、訊きたいことがある」と言った。

 

「分かってるわ。質問には全て答える」

 

 エイミィは実際、何を訊かれても答えるつもりだった。妹を救うには宝良の助力が必要だ。その為には情報の出し惜しみはすべきではない。

 

「失礼だけど、エイミィって歳いくつ?」

「え?」

 

 てっきり、依頼内容についての質問がくると思っていたエイミィは、唐突な宝良の言葉に拍子抜けした。

 

「答え合わせは大事だからね」ウインクと共に微笑む宝良。

 エイミィには、その言葉の意味が上手くつかめなかったが、とりあえず、宝良は中々ウインクが上手いな、と思った。

 



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上条当麻とインデックス

 上条当麻には記憶がない。

 

 彼自身よくわかっていない事ではあるが、気がついた時には病院のベッドの上にいた。

 

 薄い水色の患者衣型ガウンを着て、カニューレとかいう少し体を動かすたびに涙がちょちょぎれてくる鼻チューブをつけられ、医者に自分の現状と、そうなるに至った経緯を聞かされたのが、透明な少年となった上条当麻にとっての原初の記憶になる。

 

 どうやら自分は、インデックスと名乗る白い修道服を着たシスター少女の抱える厄介ごとに巻き込まれた……らしい。

 そして、最終的に自身の頭部に多大なダメージを喰らいつつも、彼女を何とか救うことが出来た……らしい。

 

 らしい、らしいと伝聞調なのは、真実彼にとってその情報は伝聞でしかないからだ。

 頭部損傷という大怪我によって記憶を失くしてしまった彼は、自身が何者なのかすら完璧に把握できているとは言い難い。

 ただ、そんな彼も、自分が不幸の星の元に生まれた人間であることは、このひと月ほどで既によくわかっている。

 上条当麻は病院のベッドで目を覚まして以来たったひと月ほどで、どういうわけか魔術的、または科学的厄介ごとに何度も巻き込まれている。

 先日も、『御使堕し』なる世界規模の魔術事件に巻き込まれて、結局いつものように病院に運び込まれたことは記憶に新しい。

 この夏休みは、頭部損傷だの右腕がちょん切れたりだの、大怪我の見本市の様なスペクタクルを経験したのだ。

 だから、目の前に山積している夏休みの友の進捗状況が全くもって芳しくないのも仕方無い事なのだ。

 学生寮の自分の部屋で、リビングのローテーブルに各種教科のテキストを並べるが、その殆どの解答は空欄のままだ。

 

「不幸だ……」

 

 例によって例の如く、上条当麻は呟いた。もはや口癖になっているこの言葉だが、それを傍で聴いていたインデックスが咎める。

 

「とうま、あんまり不幸だ不幸だ言うもんじゃないんだよ」

「ん? ああ、すまん。なんつーか、つい思わず言っちまうんだよな」

 

 素直に謝る上条だが、あまり悪びれている様子はない。

 それに対してインデックスはひとつ嘆息した後、人差し指を立てて教師の様な態度でアドバイスを始めた。

 

「とうま、言葉には力が宿ってるんだよ。日本でも、古代から言霊信仰はメジャーな思想だった筈かも」

「言霊信仰?」

 

 まーた、魔術的常識ですか、と上条は胡散臭そうにインデックスを見遣る。

 

「簡単に言えば、ある言葉を口にすると、それが実現するという信仰の事なんだよ。祝詞とか、忌み言葉とか、聞いた事ない?」

「忌み言葉っつーと、あれか、受験生に滑るとか落ちるとか言っちゃダメ、みたいなやつか」

 

 上条の例えは、なんだかあまりに身近なイメージを反映し過ぎな気がした。

 しかし、間違ってはいないのでインデックスはとりあえず頷く。

 

「まあ、そういう事なんだよ。日常的に不幸だ不幸だ言ってると、本当に不幸が押し寄せてくるかも」

 

 成る程、自身の不幸は口癖のせいもあったのか、と上条は嘆息する。

 溜息を吐くと幸せが逃げていく、なんていう迷信もあるのだが、彼は知らないのだろうか。

 

「しかし、まあ、言霊信仰だかなんだか知らないけどさ、流石に言った事が現実になるなんて事、そうそう起こるわけないだろう」

 

 上条はほんのひと月ほど前に、思考した事を現実にしてしまう錬金術師と出会っていたが、あれは二千人の『偽・聖歌隊』とかいう多大な外部要因とリスクを払って成立させていた筈だ。

 ノーリスクで言葉が現実になるなんて事が起こったら、この世界の常識が滅茶苦茶になってしまう。

 

「言った事が現実になるなんて、そんなこと本当に出来る奴がいるとしたら、そいつは神様か何かだろうさ」

「ところがそうでもないんだよ。そういう能力を持つ人は、この世の中に結構いっぱいいるかも」

 

 インデックスはそう言うと、いつも肌身離さず身につけている剣を模したクルスの首飾りを外して上条の眼前に掲げた。

 シルバーで出来たその首飾りは、刃が研がれているわけではないので刃物としての用途には使えないが、キラキラと輝いていて飾り物としては綺麗だった。

 

「なんだそりゃ、ナイフか? いや、十字架?」

 

 上条は思わず右手を出して触れようとするが、インデックスはさっと手を引いて首飾りを庇うように胸の前で握り締めた。

 

「右手で触っちゃ駄目だよ、とうま」

「なんだ、それも霊装ってヤツなのか」

「ん〜、霊装といえは霊装かも。まあ、今はただのアクセサリーなんだけどね。でも、一応とうまの右手で触るのはやめてほしいんだよ」

 

 インデックスは安全ピンで所々を留められた自身の着ている修道服『歩く教会』を眺めながら言った。

 上条の右手『幻想殺し』によってこの霊装が壊された恨みは今も忘れていない。

 

「このアクセサリーはね、とうまと出会う少し前に、とあるロマンサーが私にくれた幸運のアクセサリーなんだよ」

「ロマンサー……?」

 

 上条の頭に疑問符が浮かぶ。ロマンサーとは何だろうか。

 まあ、口にしたのがインデックスである事から考えても、十中八九オカルト的存在だということは推定できるが。

 

「ロマンサーっていうのはね、『言葉を現実にしてしまう能力を持つ人たち』の総称なんだよ」

「言葉を現実にするだと、なんだそりゃ」

 

 そんな滅茶苦茶な能力、学園都市の超能力者にだっていない筈だ。

 少なくとも、上条は知らない。

 

「ロマンサーは、WOPと呼ばれるキーワードを持っていて、そのWOPを言葉の中に盛り込むと、ロマンサーが口にした言葉は現実になるの。ちなみに、私が出会ったロマンサーのWOPは『剣』だった」

 

 そんな能力があれば、自分も不幸から脱却できるのではないか、と上条は一瞬考えた。

 しかし、自身の右手はそんな異能の力がもたらした幸運も一切合切打ち消すだろうという結論に達して、すぐに夢想から覚める。

 

「このアクセサリーをくれた人は、ユウっていう名前のロマンサーなんだけどーー」

 

 インデックスはユウとの出会いについて上条に語る。

 

 自身と敵対する魔術師に追われていると思い込んでいたインデックスは、方々を逃げ回っている内にいっとき体調を崩してしまった。

 しかも、運の悪いことに雨まで降ってきて、このままでは更に体調を悪くして魔術師に捕まってしまうと考えた彼女は、とある森に立つコテージに辿り着き、そのコテージの隣にあったガレージに逃げ込んだ。

 身を隠すとともに雨宿りをさせてもらい、少しでも体調を回復させようとしたのだ。

 しかし、逃げ込んですぐにコテージの住人であるユウ・マッキンタイアに見つかってしまった。

 ガレージで構わないから雨宿りさせてほしいと懇願するインデックスに対して、ユウはコテージの中にインデックスを招き、ロマンサーの能力を使って体調を回復してくれた。

 そればかりか、美味しいご飯と温かいベッドまで提供してくれたのだ。

 

「それで、別れ際にこれをくれたの」

 

 インデックスはもう一度、上条の眼前に首飾りを掲げる。

 

「このアクセサリーはね、『この剣を持つものには幸運が訪れる』そういう『言葉の力』が篭ったアクセサリーなんだよ」

「へぇ、なんだかよくわかんねぇけど、凄いアクセサリーなんだな」

「と言っても、今はその力はもう失われているだろうけどね」

 

 それまでの言を覆すインデックスの言葉に、上条は首を傾げる。

 

「ロマンサーの能力はね、この世界の理を超えることは出来ないんだよ。理を超えた言葉には、制限時間が付くの」

 

 川の水が川上から川下へ流れていくように、太陽が東から昇って西に沈むように、この世界には理というものがある。

 例えば、『死』というWOPを持つロマンサーが、「お前は『死』んだ」と言えば、その対象には死が訪れ二度と生き返らない。

 生物に死が訪れるという現象は、理を超えた事にはならない為、制限時間が付かないのだ。

 しかし、そのロマンサーが死体に向かって「お前は『死』んでいない」と言っても、精々数分生き返らせる事が出来るかどうかという程度だろう。

 一度死んだ生命は生き返らない。それがこの世界の理だからだ。

 実際、インデックスは知らない事だが、『嘘』のWOPを持つロマンサーである汀宝良は、その能力を使って友人を生き返らせた事があるが、やはりその友人はほんの数分で再度死んでしまった。

 ロマンサーの能力でも、死を『嘘』にする事は出来ないのだ。

 

「でもまあ、何事にも例外や裏ワザってものはあるからね。『真のロマンサー』になれば、世界の理すら覆す事が出来るんだけど」

「なんだ? 真とか偽とかあるのか?」

「普通のロマンサーが偽者って事はないんだよ。でも、完成された『真のロマンサー』は世界の理を超えた言葉すら現実にする。もしも、『真のロマンサー』がアクセサリーに幸運をもたらす力を込めれば、そのアクセサリーは、永続的な幸運のアクセサリーになるんだよ」

 

 そのアクセサリーを付ければ、不幸少年上条当麻の不幸すら打ち消して、幸運をもたらしてくれるかもしれない。

 もしかしたら、上条の不幸はロマンサーの能力すら超えている可能性もあるが、未だ誰も試した事は無いので考えても詮無き事だ。

 

「へえ〜、でも、そのアクセサリーの力は、今は消えちゃったんだろう? てことは、お前が出会ったロマンサーは『真のロマンサー』ってヤツじゃなかったんだな」

「うん。ユウは普通のロマンサーだったんだよ。でも『真のロマンサー』になる方法を教えてあげるって言っても、ユウは、そんなの知りたく無いって言って断っちゃったんだよ」

 

 そう言ったインデックスは、なんだか御機嫌そうに見えた。

 ユウが、インデックスの魔術知識を求めて彼女を助けたわけではないという事実が、彼女にとってはとても嬉しい事だったのかもしれない。

 そんなインデックスを見ていると、不思議と上条も微笑ましい気分になった。

 

「ユウは、なんかお姉ちゃんみたいな人だった」インデックスが言う。

「お姉ちゃん、か」

「もしくは、お母さんかな? 私にお母さんやお姉ちゃんがいるなら、こんな人が良いなって思ったんだよ」

「……そっか」

「ユウには、ちゃんとしたお礼もしてないから、また会いたいなあ」

 

 穏やかに微笑むインデックスを見て、上条も少し口角を上げる。

 しかし、目の前のテーブルに広がる空欄だらけのテキストが視界に入った瞬間、ふたたびげんなりとした気分に戻った。

 

「課題……全然進んでない……不幸だ」

 

 上条が呟いた言葉に、インデックスは、「ま〜た言ってる」と呆れた声を洩らした。

 

 

 

 

 上条が夏休みの課題を目の前に四苦八苦している頃、何故かユウ・マッキンタイアは学園都市にあるオープンカフェのテラス席にいた。

 その長い脚を組んで椅子に座っている彼女は、何がしかの洋書を片手に、氷でかなりカサ増しされたアイスティーをほんの少し口に含んだ。

 洋書のページを捲りながら脚を組み替えると、ジーンズの右腰辺りのベルトループにジャラジャラと何本も提げられている小さな刀剣の飾りが音を立てる。

 十五分程、そうして本を読んでいると、テラスの前の歩道から女性の悲鳴が聴こえた。

 ユウがチラリとそちらの方へ目を向ければ、歩道に手をついて倒れ込んだ女性の前を、女物のバッグを抱えた男が走り去っていくところが見えた。

 どうやら、引ったくりらしい。学園都市の科学技術は外の世界の数十年先を行くと聞いていたが、治安に関してはあまり良くないようだ。

 ユウは右腰に付けた刀剣の飾りを一本取ると、「『剣』よ、縫い止めろ」と言って、引ったくりの男に対してヒョイと投げる。

 剣はその言葉の通りに、引ったくりの男が履いているカーゴパンツの踵あたりの裾を地面に縫い止めた。

 男は、「ぶげっ」と、蛙がひしゃげた様な声を出して転び、その手に抱えたバッグを手放した。

 ユウが軽い足取りでそのバッグに近寄って拾い上げると、不快になる様な警戒音を鳴らしながらドラム缶型の警備ロボットが数台現れ、男を捕縛し始めた。

 その警備ロボット達の内の一台は、バッグを拾い上げたユウをセンサーカメラでジッと見つめている。

 まるで意志を持っている様だ。そんなに見つめなくても、ちゃんと持ち主に返すというのに。

 とある理由から、ゲストIDを持たずにこの学園都市に忍び込んだ身であるユウは、警備ロボットの視線から片手でさりげなく顔を隠しながら、バッグを引ったくられた少女に歩み寄って、その手にバッグを返した。

 

「どうぞ」

「あっ、ありがとうございます。助かりました。念動力者の方ですか?」

 

 剣を操って引ったくりを捕まえた事から、少女はユウがサイコキネシスを使ったんだと勘違いしたようだ。

 ユウは曖昧に微笑んで、「まあ、そんなようなものです」と呟く。

 

「あの、何かお礼を」少女はそう言ってユウに一歩近寄るが、ユウは気紛れに助けただけに過ぎない。特に礼など必要なかったので、「お気になさらず」と言って片手を振るが、少女はそれでは気が済まないようだ。

 

「では、本屋の場所を教えていただけますか?」引き下がらない少女に対してユウはそう言った。

「本屋、ですか?」

「ええ、学園都市の詳しいマップを売っている様な本屋が良いのですが」

「マップなら、ネット検索すれば出てくると思いますけど……」

「出来れば、紙媒体が良いのですよ」

「えっと、それなら、検索したマップをプリントアウトすれば大丈夫ですよ」

 

 成る程、そういう手があったか、とユウは頷く。

 改めて少女に、ネットカフェの場所を教えてもらうユウ。

 この程度の事で礼を済ませるのは忍びないと少女は言うが、これ以上は必要ないと言ってユウは断った。

 ユウはさっきまで座っていたテラス席に戻ると、テーブルの上に閉じて置いていた本を手に取り、ふたたび開いた。

 さて、どこまで読んだか、と思い返しながらページを捲っていく。

 アイスティーの氷が少し溶けて、からん、と音を立てた。

 



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