中学時代のトラウマと再会した。 (聖樹)
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01:想起と再会

サンドバッグなヒロインを作りたいというのが原点にあります。



これ絵です(仮)

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 中学三年の秋、俺はとある女子と席替えで隣になった際に、気兼ねなく話しかけてくる彼女に対し(こいつ俺のこと好きなのか?)という、なんとも健全な中学生らしい勘違い抱いた。

 

 彼女は当時のクラスカーストでもトップに近い位置におり、容姿が整ってて愛想が良く人気者だった。当時の俺はあざとい女子の打算的な笑顔というのにめっぽう弱く、彼女の思うツボにハマった俺はまんまとテンプレート通りに彼女に告白した。

 

『あ、あの、もし良ければなんだけど、おおおれと、男女のお付き合いをして、くれませんかっ!!!』

 

 出会ってから一ヶ月の準備期間を設けての、誰もいなくなった放課後の教室での告白という最高級なシチュエーション。「放課後残っててくれないか?」って頼んだ時でさえも人の良さそうな笑顔で快諾するから、いよいよ俺の勘違いはマッハで加速していった。ラストスパート全開だった。

 

 セリフも自分の中では上々、しかし相手からは無情にも「無理」というセリフのが返ってきた。

 

 そして畳み掛けるように、いつものように、いやいつもよりも俺への見下しが含まれた笑顔で、彼女は言葉を続ける。

 

『あははー、比企谷(ひきがや)って今まで何人かの女子に振られてきてんだってねー。噂になってるの知ってるよ、私比企谷みたいな底辺の人間じゃ無いからさ』

 

『え、』

 

『いい加減にさ、現実見た方がいいんじゃない?  振られた数なら百戦錬磨な比企谷が未だにたった数秒の告白でどもるんだもんね? どもる男って前提としてキモいからね? 知ってる?』

 

『そ、そんなの……』

 

『そんなの? ……ぶふっ! まさか、知ってるって言い返すの? うっわまじ終わってる!!! 自分の評価が低いくせに誰かに好かれようとかまじ哀れというか救いようなさすぎ! 比企谷さ、そのまんまじゃいつまで経っても希望ないしいい加減諦めたら? 色々とさ』

 

『……っ』

 

『ぶはっ! 何泣きそうになってんのまじキモい! あははごめんねー比企谷、酷な事言っちゃったね! ……でもさ、比企谷は少し自分の置かれてる立ち位置とか、自分が招いた状況とか、あと自分の怠け具合とか認識の違いとか、そういうのを少しは理解した方がいいんだよね。まっ、わたしには関係ないんだけどね。じゃ、帰るね』

 

 そう言ってそいつは……俺が青春を捨て去る最後の一撃を与えた真鶴(まなづる)弓弦(ゆづる)は教室を後にした。

 

 翌日、こんな事があったにも関わらずいつも通りに話しかけてきた真鶴がきっかけで俺は他人との干渉を恐れ、心を閉ざしていた。

 

 

 ーーーーーーーー

 

 

「あら、今日も来たのね。この世のありとあらゆる憎悪を結集させたかのような禍々しい瞳に負のオーラを感じるわ。病谷(やみがや)くん」

 

「流石に病んでるって領域には達してねえし蔑称に文字数変えたらなんか芸術点が低い。やり直し」

 

「何を訳の分からないことを言ってるのかしら。何某(なにがし)くんは確固たる存在を持ち得ないエキストラ枠のモブなのに対しあまりにも可愛すぎて存在感を意図せず誇示してしまう私にやり直しを要求する権限があるとでも思ってるの?」

 

「上手い蔑称が思いつかないからって投げやりになって存在否定までするなんて煽り耐性なさ過ぎだろ」

 

「今日もいつも通りだねー、ゆきのんもヒッキーも」

 

「そうだな。いつも通り雪ノ下(ゆきのした)から謂れのない暴言に晒されて俺の心は理不尽に傷つけられてるよ。由比ヶ浜(ゆいがはま)、フォローとアフターケアはお前の仕事だろ、俺の受けた心の傷と同等の攻撃をあいつに与えてやってくれ」

 

「え? アタシがゆきのんに攻撃? する訳ないじゃん何言ってんの、ヒッキーまじサイテー! キモい!」

 

「相変わらずアホっぽい語彙の少なさだな。それとな由比ヶ浜、人はキモいって言われると案外傷つくんだぞ。俺だってな、鍛え上げられたぼっちメイルを纏ってはいるもののキモいってのは傷つくんだぞ。考慮してくれよな、そこらへん」

 

「えへへー、ゆきのーん。今日クッキー焼いて来たんだー、食べて食べてー」

 

「え、えぇ……頂くわ」

 

 俺の申し出は、雪ノ下ラブな由比ヶ浜には届かない。なんでこの二人は奉仕部の部室に来た途端に男子の目の前でゆるゆりを展開するのだろう。八幡百合男子じゃないからいたたまれない。

 

 まあ由比ヶ浜の意識が雪ノ下に向いてるおかげであいつが作る劇物(クッキー)を服毒せずに済むのは良いことだ。雪ノ下は良いスケープゴートになってくれている。

 

「あ、ヒッキーの分も焼いてきたから食べてよ!」

 

 嫌だよ。

 

 なんて言えるわけもなく、仕方なく、ため息をつきながら、分かりやすく拒絶の表情を浮かべながらもその『ヒッキーの分』とかいう危険物を手に取り口に運んだ。

 

 ……現実的な不味さってのが一番キツイんだよなあ。

 

 なんていうの、吐き出したくなるようなコミカルな不味さよりも微妙に口の中に不快感が残る感じ? 例え方が分からないし例が出し辛いんだけど、なんか悲しくなる不味さなんだよな。

 

「失礼しまーす。あのー、奉仕部ってここですよねー?」

 

 由比ヶ浜が用意してきたクッキーをなんとか食べ切り気持ち悪さに俯いていると、部室の戸が開く音と共に女子生徒の声がした。珍しく奉仕部を頼ってきた依頼者なのだろう。

 

 そちらに目を向けるべきなのだろうが、いかんせんしっかりとクッキーを咀嚼してしまった為に後味が口内に広がってて気持ち悪くてそれどころではない。依頼者への応対は二人に任せるとして、俺は不快感が収まるまで顔を伏せてる事にした。

 

「……あれ? 比企谷? 比企谷じゃん、おーい」

 

 顔を伏せてる事にした、なのに依頼者は俺が何者であるかを認識し、正しい苗字で俺を呼んだ。

 

 聞き覚えのある声だし、その口調にも覚えがあった。ヘラヘラしてて、能天気を気取って偽物の笑顔を貼り付けた奴が発する音。

 

 それがトラウマの一因、というか俺のトラウマの大きな部分を占めている人物であると深層心理で分かっていながら、しかし俺を顔を上げ声の主を視界に捉えてしまった。

 

 程よく脱色された髪色。ウルフカットと呼べばいいのか襟足が長い髪型で、スカートは短く、カーディガンは大きめのサイズなのか自然と萌え袖になってて童顔の、馬鹿にするような笑顔を浮かべた少女。

 

 方向性は由比ヶ浜だが根本が違う。性格の悪さが滲み出ている。

 

 その懐かしい、憎たらしい顔を見て、つい咄嗟に俺はその名を口にしてしまった。

 

「……真鶴」

 

 そう、そいつは俺の闇の中学生時代においての最後のトラウマ要因である真鶴弓弦だった。

 

 おかしい、俺は同じ中学の人間が進学してこないような高校を受験したはずなのに、よりにもよってこんな馬鹿そうな(成績は実際下の方だった気がする)奴が偶然同じ総武高に進学してたなんて……。

 

 真鶴は俺がなつかしの比企谷八幡本人だと確認すると、いつしか見せたかのような見下しと興味の笑顔を浮かべて俺の目の前に急接近した。

 

「ふーん、随分と身の程を弁えられるようになったんだね」

 

 足先から頭のてっぺんまで、品評するかのように見回しながら真鶴が俺に呟く。

 

「ねえねえ、あの二人のどっちか比企谷の彼女なの?」

 

「はっ!? なな、何言って……」

 

「ぶはっ、まーたどもってるし!! まじさー、なんでそんなまともに人と喋れないわけ? まじだっさいんだけど、わら」

 

 ださいって。喋り方に知性のかけらもないお前に言われたくないセリフなんだが。

 

 と言い返せたらなあ、こいつ怖いんだよなあ。

 

「ねえねえねえねえ、比企谷さー、この学校来てからもまだ告白チャレンジとかやってんの? 記録更新した? あははっ、教えてよ!」

 

「……してねえよ」

 

「えーまじ!? 意外だなー、中学の頃はあんなにチョロチョロ男子だったのに! んー、じゃあ友達出来た? またぼっち?」

 

「……ぼっちだけど」

 

「ぶふっ、あはははっ! あ、い、か、わ、ら、ず、ぼっちくんなんだ!! ひゃーお腹痛い! よくそんなんで登校出来るよねー」

 

「……うるせえ」

 

「えへっ、何? 今なんか生意気なこと言った? おい、ウザ谷?」

 

「いや、なんでもないから……」

 

「……そ。あはっ、びっくりした、高校デビューかなんかで変われたのかと勘違いしたんかと思ったよ。あはは、やっぱしザコ谷はそうやって大人しくしてなきゃねー!」

 

 低身長で童顔で、萌え袖でいつも笑顔。ぱっと見は愛くるしいロリ系美少女なのだが、こいつはやたらに短気で早い話が『納得出来ない事は受け入れない』タイプの馬鹿。

 

 キレたら暴れるし意味の分からないことを言うし、琴線に触れないのが無難なのだが、そんな事知りもしない雪ノ下は失礼な発言を続ける真鶴に正直な意見をぶつけた。

 

「……どうやら部室に、動物園の猿が一匹迷い込んでしまったようね」

 

 いや、意見というよりそれは直接的な中傷だった。

 

「は? 猿?」

 

「何首を傾げているのお猿さん。貴方の事よ、部室に入るなり意味の分からない事をキーキーキーキー鳴き出して。ここは貴方の来る場所ではなく『人間の生徒』の依頼を聞く部活なの。野生動物は早急にお引き取り願うわ」

 

「あはっ、なにそれ。私に向かって猿って言ってんだ、あんた」

 

「? それ以外の捉え方が出来るのかしら?」

 

「なにそれむかつく。てかあんた雪ノ下雪乃(ゆきの)じゃん。何、天下の雪ノ下様がこんなザコ谷と一緒に部活してるとかイメージダウン甚だしいんですけど」

 

「貴方からの評価に一喜一憂する程私は落ちぶれてなどいないのだけれど、旧知の間柄とはいえ他者を平気で見下した発言を繰り返し初対面の相手にも喧嘩腰で応対するだなんて、よっぽど不出来な環境で育ったのかしらね」

 

「は? なにそれ家柄自慢? きもいんですけどまじで。見下した発言って言うけどさ、あんたも今私を見下してんじゃん。同じ土俵に立ってるくせに何偉そうな口効いてるわけ? クソ生意気なんだけ」

 

「あの!!!!」

 

 突然の叫声によって、悪口を畳み掛けていた真鶴の声が遮られた。

 

 それまで黙っていた由比ヶ浜が、真っ赤な顔をして真鶴を睨みつけていた。

 

「あの……奉仕部に依頼しに来たのならさっさと要件を言って帰ってよ。喧嘩を売りに来たわけじゃないんでしょ?」

 

 この場を抑える正論が由比ヶ浜の口から放たれ、ヒートアップしつつあった真鶴は平静を取り戻した。

 

「そうだったそうだった。ごめんねめっちゃ酷い事言っちゃって。実は解決してほしい悩みがあるんだ」

 

 割とあっさり謝罪を入れモードを切り替える真鶴に雪ノ下と由比ヶ浜は驚きの表情を見せる。しかし、さっきまでとは打って変わり真面目そうな、というか深刻そうな表情を浮かべる物だから無下に出来ず、一度眉間に指を当てた雪ノ下はすぐさま表情を切り替え話を聞く体制を取った。



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02:最大の敵

 今更ながらに、由比ヶ浜が真鶴に向けて明確な『拒絶反応』を起こしてるのが見て取れた。

 

 さっきこいつが言った、要件をさっさと言って帰ってくれという言葉が正しくそれだし、雪ノ下ならともかく空気を読んで合わせる事に重きを置いてきた由比ヶ浜がそんな反応を見せるだなんて思ってもみなかった事だ。

 

 中学の頃はトップカーストにいたのにここまで嫌われ性能が高いと、現在実はぼっちなのではないのかと邪推してしまう。まあ容姿の整い具合や『見下してる相手でなければ』基本的に人当たりは良いという観点で言うと、当たり障りない連中にとっては嫌われる要素は皆無なのだが。

 

 ちなみに俺は大嫌いだ。嫌いというか怖いし、ほんっとうに心の底から関わりたくない。なんというか、無理だ。

 

「それで、解決してほしい悩みってなんなのかしら」

 

「うん、それなんだけど。私、最近ストーカー被害受けてんだよね」

 

「えっ、ストーカー?」

 

 由比ヶ浜が食いつく。雪ノ下も、先ほどまでの様子から冷たい目で真鶴を見ていたが、女性からしたらやんごとなき事情を持ち込んできたので少し前屈みになり興味を示した。

 

「少し前に一個上の先輩に告白されて、別にタイプじゃなかったしそこまで接点も無かったから振ったんだけど、それから妙に背後に気配を感じるというか……学校内でもそうだし、家の周辺とかで変に見られてる気がするんだ」

 

「思い込み、とかではないのよね?」

 

「ではないねえ。実際何度か一定間隔開けて付けてくる足音とか聞いたし。……まあだからさ、割と怖いじゃん? そういうの」

 

 口調では軽く言いつつも、その表情は暗く本当に恐怖に怯えてるのが伺えた。

 

「でもそれは、親や学校に相談して警察になんとかしてもらうのが一番良いと思うのだけれど」

 

「……まあ、そうなんだけどさ」

 

 雪ノ下のもっともな意見に口ごもる。しかし依然として彼女は下を向きっぱなしだ。

 

「親とかに言えない事情とかあんのか?」

 

 久しぶりに見た真鶴が、あまりにも弱った姿を見せるのでつい関わらないでおこうとしていたのに口を挟んでしまう。

 

 真鶴は驚いたような顔で俺の方を見て、そしてすぐに目を逸らして机の上を凝視した。なんだよ、俺が自主的に喋るのがそんなに珍しいのか。

 

「……言えないってわけじゃないけど、やだ。言ったら色々バレるだろうから、言いたくない」

 

 なんだそれ。お前普段何やらかしてんの?

 

 俺が抱いた疑問と同様のものを雪ノ下と由比ヶ浜も抱いたようで、訝しげな目で真鶴を見る。

 

「事情は分かったわ。然るべき機関に助けてもらわないのは解せないけれど、それは今回は不問にしましょう」

 

「ありがと」

 

「それで、真鶴さん? は私達にどうしてほしいのかしら。というか、最終的にどうなりたいの? そのストーカーを捕まえるのか、それとも写真や動画に収めたいのか」

 

「後者だね。どうにか私がストーカーされてるっていう決定的な証拠を手に入れたい。そうすれば、それを脅しの材料にしてストーカーしなくなるだろうし」

 

 そこまでするのなら警察に届け出ちまえばいいだろうと率直に思う八幡だが、そういう細かな指摘はこいつ嫌いだった記憶あるからやめておく。

 

「決定的な証拠を掴んだのなら警察に届け出ればいいじゃない。確実に被害は収まるわよ」

 

 そうか、言っちゃうのか、言っちゃうよな。

 

 俺に気付けたことなんだ、雪ノ下が気付かないわけがない。そしてこいつは真鶴の扱い方を心得ていない。そりゃズバズバ言えちゃうわけですよ。

 

 雪ノ下の発言にてっきりまた「むかつく」だの「うざい」だのこいつの必殺稚拙文句が飛ぶのかと思ったが、そんな事もなく。ただ彼女は静かに、それに異を唱えた。

 

「やだって。私、あまり事態を大事にしたくないんだよ。面倒くさいし」

 

「現時点で十分めんどくさい事になってると思うけど……」

 

 由比ヶ浜の言う通りである。ここまで来て何を今更。

 

「いやいや、同い年の人らに手伝ってもらうのと大人を関わらせるのじゃ全然違うから。私、自分より明確に偉くて強くてちゃんとした人苦手なんだよ〜」

 

「あら、初対面の人に苦手意識を持たれてしまったわ」

 

「暗に自分の存在を私以上だと格付けしないでくれる? 普通にうざいんだけど」

 

「私と貴方では人間レベルという格で雲泥の差がある事は確かよ? もっとも、最低限の礼節を弁えない貴方と比べたら誰もが格上なのだと思うけれど」

 

「……うざ。なんですぐ煽ってくるわけ? まじムカつくんだけど」

 

「まあまあゆきのん! それに真鶴さんも、すぐピリピリしないでよ……ヒッキーも黙ってないで二人の喧嘩止めてよ!」

 

 馬鹿言え、俺が真鶴に関わったらそれこそ烈火の如き暴言が飛んで来てたちまち俺は涙を流すぞ。いいのか、男の涙見たいのかお前。

 

「あー、もうイライラする。まあ早い話がさー、私の護衛を誰かに頼みたいなって話。ストーカーされてるのに単独行動とかしたくないし、でも私バスケ部だから帰り遅くて同じ方向の友達いないからやばいじゃん?」

 

「そうね。でも私達が、それを受ける必要はないわね」

 

 雪ノ下はハッキリと、真鶴の依頼を受理しないという旨の発言を伝えた。

 

 知らなかった、この部活って受け付けない依頼とかあるのか。普段仕事なさ過ぎて読書部と呼んでも差し支えない部活だったのだが、折角来た仕事を蹴るほどの余裕はあるらしい。

 

 ……まあ俺としても、よりによってこいつが持ってきた依頼なんかに関わりたくないのだけど。てかさっさと諦めて帰ってくれねえかな。

 

「は? なんで? 意味分かんないんだけど」

 

 当然真鶴は苛立ちが募ってる様子。八幡、トラウマ再発でちょっと怖い。

 

「意味わからないのかしら? なら懇切丁寧に教えてあげるけど、ストーカー行為は立派な犯罪で相手は犯罪を犯す危険人物なのよ? 学生の私達が加担し解決する事よりもリスクの事を視野に入れて考えるべき。もしこちらで立てた策が失敗しストーカーの反感を買えば、協力者と貴方両方の身に危険が及ぶ可能性がある」

 

「だよねだよね、やっぱりそれは警察の人に任せるべき仕事だと思う!」

 

 紛れもない正論が雪ノ下と由比ヶ浜から放たれ、真鶴は「そう、なんだけどさ……!」と再び口ごもった。

 

 そんなこと分かってる、理解している。それでも、という意思が込められた声だが、それでも現実的な話を見据えれば俺も二人の意見に賛成だしそれが最適解とも思えた。

 

 一介の高校生がストーカー被害を解決? そんなのは小説などならあってもいいかもしれないが、現実でやるのは偽善と蛮勇に過ぎない。ハイリスクノーリターンの、無為な桟橋を渡っているに他ならないのだ。

 

「……比企谷、助けてよ」

 

「!?」

 

 突然こちらに矛先が向くのでつい驚いてしまった。肺に空気を逆流させてなければ「ひゃっ!?」などと可愛らしい悲鳴をあげてしまう所だった。八幡危機一髪。

 

「虫のいい話だってのは分かってる。今ままでの事、まあ色々と。でも……もうなりふり構ってられないというか、まじでメンタル限界なんだって」

 

 ……それはふざけた頼みだった。

 

 こいつの言う事は最もだ。真鶴が全てではないが、こいつがきっかけでありこいつのせいで色々諦めてしまったのは紛れもない事実な訳で。つまり俺をこちら側にドップリと浸からせた張本人がまさにこいつな訳だ。

 

 そんな人物からいきなり助けてと言われても、流石に首を縦に振るのは難しいと言う話。極力関わりたくないのに、何故そんなに密接に関わる期間を設けなきゃならないのか、拷問以外の何でもない。

 

「……やっぱ、駄目?」

 

「……それを決めるのは部長である雪ノ下だ。俺に聞くなよ」

 

「なにそれ、こわ。……雪ノ下さん、どうかお願い」

 

 真鶴は座ったままだが深々と頭を下げていた。

 

「先程も言った事だけれど、貴方のような礼儀知らずの頼みを聞けるほど私も部員達も暇じゃないのだけれど。確かに貴方の焦りや不安は理解出来た、でも人に物を頼むのならそれ相応の態度ってものがあるわよね」

 

「……ハッ、なにそれだる。もういいや、ごめんねー変な空気にしちゃって。もう奉仕部には頼まないから、邪魔者は退散するねー」

 

 淡々と告げる雪ノ下を前に、明るい声音で真鶴はそう言って顔を上げた。そして、不満さを前面に押し出した顔で雪ノ下、由比ヶ浜、そして俺の順番に一瞥すると、部室を出て行った。

 

「……なんだったの今の人。嫌な感じ」

 

 真鶴はいなくなってから、一気に肺の中の空気を吐き出しながら由比ヶ浜は机に脱力し突っ伏した。雪ノ下も、あまり表には出していないが不快な奴と相手をしていたという感じの表情で椅子に背中を預けている。

 

「ヒッキー。今の人ってヒッキーの知り合い、なんだよね?」

 

「知り合いとか冗談じゃない。あれは……まあ、敵だわ」

 

「敵?」

 

「敵。最初の会話聞いてなかったのか? 俺に悪意を持って接する人間の最前線なんだよ、あいつ。一番関わりたくない奴がよりによって同じ高校とか、最悪だ……」

 

「そうなんだ……」

 

「……大変だったのね、比企谷くん」

 

「おい待て雪ノ下、お前が俺に同情するのは一番駄目な奴だ。一番涙腺に来るから」

 

 あの氷の女王雪ノ下雪乃でさえも俺に暖かな同情を向けてくれる。……普段なら他人に同情とかされるのは癪だしそういうのが一番嫌いだと激情してしまいそうなところだが、今回ばかりはそんな余裕すらなかった。

 

 はあ……死ぬかと思った。ストレスで。



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03:ふざけた提案⇒破棄

 今日も無事に部活動を終え(真鶴とかいう暴風雨が去ってからは読書兼携帯弄り活動)、雪ノ下と由比ヶ浜が先に帰り俺は鍵を閉め職員室に鍵を届けていた。

 

 今日は疲れた、どっと疲れた。中学時代並みに心労の絶えない1日であった。いや、非常に頑張った、俺。

 

 なんだろうなあ、ここまでしんどいと思えたのは久しぶりだ。戸塚(とつか)の八幡コールか小町に甘やかされないとなかなか取れない疲れだぞこりゃ。いかん、多分他者から見たら俺の目の濁りもいつも以上にどんよりと腐り果てているのだろう。

 

 さて、まだ部活動に精を出しているサッカー部を横目に、お前らより先に帰れるんだぜざまーみやがれと普段なら無視してる至福を肥やし駐輪場へと歩を進める。

 

 ふむ、今日はどん底までテンション落とされたから割とそれ以外の事象が楽しく思えるな。こりゃいい、最高の気分だ。ははっ。

 

 

「あっ、比企谷。遅かったね」

 

 あーん?

 

 おい冗談だろ? なんで真鶴のやつ、まだ学校にいんの? てか、なんでこんな所で突っ立ってスマホいじってんの?

 

「……じゃあな」

 

 駄目だ、アホな事を言いだされる前に投げ出さなければ。そう思い立ち、そそくさと自転車を引っ張り出しサドルに腰を下ろす。

 

「待ってよ」

 

 全力で漕ぎ出して盗んだバイクで走り出すと歌い上げたかったその瞬間に、後ろからの抑止力に阻まれ停滞させられた。

 

 見ると、自転車の荷台を真鶴のやつが両手で掴んで行かないよう押さえていた。……こっちも割と力んだからか、姿勢が結構斜めってる。

 

「なんでせう……」

 

「送ってって?」

 

「はあ?」

 

 なーに言ってんのこいつは。なんで俺がこいつを送ってかなきゃならない、その義理は? 道理は? 理屈は? 理由を申せ理由を。

 

「うわその目、前より腐ってんじゃんどうしたの? ドライアイ?」

 

 馬鹿ふざけんな今俺の目の前にいるお前のせいで腐ってんだよ。ドライアイで目が腐るかってんだ、脳みそ腐ってんのか。

 

「あの……送ってくってのはつまりどういう事なんだ」

 

「えっ? ………………へっ?」

 

 へっ? じゃねえよ聞いてんだよこっちは。

 

「そのまんまの意味だけど」

 

「だから、お前んちまである程度ついてこいって事だろ。どうせさっきの相談内容に照らしての頼みだろうし」

 

「まあ」

 

「だからさ、お前の自転車はって話。俺と同じ中学だったんだから自転車通学なんだろ?」

 

「いや、バス」

 

「じゃあバスで帰れよ」

 

「はあ!? いやいやいや何言ってんのバス停で待ってるとか危ないじゃん馬鹿じゃないの? やば、まじ、比企谷ほんっと考えが浅いわ」

 

 悪態吐かれるほどの発言ではねえよ。本当胸糞悪いなこいつといると。

 

「てか、バス通学だったらどうやって帰るんだよ。俺に自転車押して歩いて帰れって言うのか?」

 

「は? 馬鹿じゃん、2ケツに決まってるっしょ」

 

「は?」

 

「あ?」

 

 あの母音での牽制合戦がしたいわけじゃないんだが。というかこいつ、普段もっと猫被ってる癖になんで俺には猫被らないの? 過去を知られてるから? 被ってくれよむかつくから。

 

「……なんでお前と2ケツなんか」

 

「聞こえてんですけど」

 

「聞かせてんですけど」

 

「はあ? 何やっぱ調子のってんじゃんうざ。クソ谷のくせにザコ谷のくせに、なんなん? クソまじうざいんだけど」

 

 こいつの頭ん中の国語辞典から『まじ』と『うざい』と『クソ』を除いたらどんな会話するのか気になって仕方のないセリフでしたね。

 

「……お前、先輩とやらにストーキングされてんじゃないの」

 

「されてるよ」

 

「どこにいんだよ、そいつ」

 

「ん? んー、さあ?」

 

 法螺吹き女かな?

 

 雪ノ下が一度質問していたが、それってただの思い込みとか被害妄想なんじゃないかって思えてきた。

 

 別にこいつが一般生徒から普通に人望を持ってるのは知ってる。まあ信頼関係やら繋がりやらの『タグ付け』が欲しいだけの中身が無い連中にしか好まれないタイプだが。

 相手の事を知ろうとする、というか相手その人を視る事が出来る稀有な人間からしたら、真鶴ほど醜く映る人間はきっといない。

 

 だからこそ、表面上の繋がりでしか無い枠組みに当てはまるこいつにそこまで執着する奴がいるとも思えない。

 

 ストーキングの行動原理は言ってしまえば『恋』だ。だが『恋』と『可愛い』は全くの別物だし、『恋』と『人当たりが良い』というのも全くの別物だ。恋との比較に出した二つはただの要素に過ぎないが、恋というのはそれらをひっくるめて相手に認められたいと思う感情なんだと、俺は一時期思っていた。

 

 認められたいだなんて大仰な存在認識を抱かれなさそうなこいつが、特定の誰かにストーキングなんてされるかね……? どうにも実感が湧かん。

 

 まあ、極度の勘違い野郎とかならストーキングもワンチャンあるか。悲しくなる話だが。

 

「ねー比企谷、帰らないの?」

 

「帰るよ。だから退いてくれって目線送ってんだよ」

 

「退かないって。いいじゃん別に、私重くないよ?」

 

「重量の話じゃなくて、なんで俺がお前の面倒見なきゃなんないのって話なんだわ」

 

「………………旧知のよしみ?」

 

「仲良しみたいに言うんじゃねえよ」

 

「ねー、いいじゃん別に減るもんじゃないし! 何、比企谷は私を後ろに乗せてチャリ漕ぐと死ぬ病にでもかかってんの!?」

 

「まず前提としてそこ小町の特等席だから。誰か乗せるとかあり得ないから」

 

「小町って誰? 彼女さん?」

 

「妹だよ。はあ……まじ勘弁してくれって、俺もう疲れてんだって」

 

 泣きつく気持ちでそう言うと、真鶴のやつが溜め息を吐き、荷台から手を離した。

 

 意外と押してみるもんだな、と自身の功績を褒め称えたくなるような気分だったが、すぐ横で心底つまらなそうな顔をした真鶴が視界の端に映った。

 

「疲れてんならもういいよ、帰れば? 私とそんなに居たくないなら私もクソ谷なんかと居たくないし」

 

 いや、いやいやいや、何で俺が女の子の機嫌損ねちゃってあーあやっちゃったみたいな野次飛ばされそうなセリフ言ってんの? 俺がお前に受けた苦しみをミリ単位ですら理解出来ないだろ? なんで俺が悪いみたいになってんの? 悪くないよ、俺。

 

 てか単純にクソ谷って呼ぶのやめろ。最近は黙認してるがヒッキーでさえ実はちょっと引っかかりを覚えてたのにクソ谷は直球で悪口じゃねえか。性格悪いなんて粋超えてんぞ。

 

「……じゃあな」

 

「えっ」

 

 さて、お許しも得たし全力疾走、立ち漕ぎでこいつを置いてってやりますか。そんな気分で、風を切る隼の如き速度で俺は学校を後にした。



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04:初めて真鶴が負ける姿を見た日

 翌日。

 

 問題です。過剰なストレスを短時間で受けた場合、1日経ってそれが回復する事はあるでしょうか。答えはノーだクソ怠い。

 

 登校して早々、学校の喧騒と教室前のたむろと葉山グループの中身のない拡声器トークで精神に追い打ちを受けて俺は死の淵を机の上で行き来していた。

 

 だー、なんもやる気起きねえ。駄目だ、小町セラピーが通じねえ相手がいるなんて思わなかった。チラつくんだよなあ、あの不快な笑顔が。

 

「八幡、おはよ」

 

 ? なんだい今の耽美な音色は? 天使のラッパ? 天界の鐘? 俺の目の前には何が現れたって言うんだろう?

 

「あ……戸塚……戸塚? ……戸塚ぁぁ」

 

 なんだ、エンジェルがいたのか。びっくりした。

 

「わああ八幡!? どうしたの急に抱きついてきて!」

 

「戸塚ぁ、頭を撫でて、くれないか」

 

「えぇ!? ……ぼ、ぼくで、いいの?」

 

「お前じゃなきゃ駄目なの」

 

「わかった……じゃあ」

 

 あ、戸塚のおててが僕の頭部を優しく撫でている。あー、頼んだらやってくれるだなんて、戸塚は本当に天使だなあ。

 

「え……ヒッキーとさいちゃん、何してるの?」

 

 その声で現実に戻された。腕枕から片目だけ外界を覗かせると、俺の顔を見て「こいつ頭大丈夫か?」とでも言いたげな由比ヶ浜の姿と、その後方でヤバい奴を見る目で俺を凝視している葉山グループの面々が映った。

 

「ヒキタニくん、っべーしょ! なんか様子おかしいべ?」

 

 そうだな、様子おかしいな。戸部、お前声デカすぎ。離れてて一番鮮明に聞こえるのはお前の声なんだ、ボリューム落とせ。

 

「ヒッキー、昨日の事引きずってるの?」

 

「引きずってるとか言うな、俺は微塵も気にしちゃいない。あんなの日常茶飯事だ」

 

「日常茶飯事だったら今こんなにゲンナリしてるわけなくない? 明らかにいつもより目がヤバイよ?」

 

「そんな事ない。なんだかんだ戸塚のおかげでメンタルの大部分が修復した。ありがとな、戸塚」

 

「よく分からないけど、八幡が喜んでくれるならそれでいい、かな!」

 

 天使だなあ〜。

 

 

 

 

 

 という一時的な平和を手にした日の昼。奴は再びやってきた。

 

「あのー、比企谷くんっていますか?」

 

 助けて誰か、あの女だ。

 

 いや、俺に友人と呼べる存在なんていないしクラス内で俺を知る人物なんてそんないないしいたとしても由比ヶ浜か戸塚か川崎(かわさき)くらいだし由比ヶ浜は昨日の現場を目の当たりにしてくれるから庇ってくれるし戸塚は何となく察してくれそうだし川崎は真鶴みたいな奴とは会話したならなさそうだから大丈夫だ安心しろ比企谷八幡!!

 

「ヒキタニくん? ヒキタニくんならあそこの席だべ」

 

 戸部エェェェェェェ!!! 何でよりによってお前が出てくるんだ戸部ェェ!! せめて比企谷? 誰? って反応示せよお前の中での俺はヒキタニなんだろおおおおおお!!?

 

 くそっ、めんどくさい。このまま寝たフリを続けるか、そうだそうしよう。何を言われても、何をされても、俺は一貫して寝たフリだ。クソッ、教室出るタイミング逃したから今日は断食か……!

 

 あれ、なんか俺今テンション高いな。何でだ? 疲れの蓄積と中途半端に睡眠取ったからか? そのおかげで変なテンションの高さと手の震えが止まらなくなってるのか? まるでヤク中だな。

 

「比企谷」

 

 来た……っ!

 

「寝てんの? ……寝たふり?」

 

 無反応、無反応、無反応。

 

「……うざ。無視すんなっての」

 

 ゲシッ。足を蹴られた。こいつ、しかも周りから見えないよう壁際の足で蹴りやがった。

 

「……ねえ、昨日なんで帰ったの? まじであり得ないんだけど」

 

 真鶴が急接近し、耳打ちでそう俺に向けて呟く。すごいな、女の子に耳打ちされて恐怖って抱けるものなんだ。

 

「……え、まじで寝てる?」

 

 半信半疑なのか、真鶴は俺の両脇に手を突っ込み指でこしょぐりあげてきた。

 

「うっ!? うひゃひゃはっひゃぺぷひょっ!!? ……あ、」

 

 思った以上のこしょばくて奇声を上げてしまった。周囲の注目を集めてしまっている。

 

「おはよ、比企谷」

 

 こいつ何を笑顔で挨拶したんじゃボケ。しかもまた偽物の笑顔で、その顔を見ると胸糞悪くなるから二度と向けないでほしい。

 

「……何しに来たんだよ、お前」

 

「んー、むかついたからやり返しに来た」

 

「やり返しにって……別のクラスにまで来て何をしでかすつもりなんだよ」

 

「冗談だよ、流石にこんな目立つ所で変な事はしない。……でも、昨日のアレはうざかったの本当。私これでも比企谷来るまで1時間くらい外で退屈してたんだけど」

 

「はあ? ……んな事言われても知らねえよ」

 

「私が比企谷に嫌われてるのは知ってるけど、結構ガチで今ストーカー怖いんだからね? これでも必死にあんたに縋ってるつもりなんだけど」

 

「……別の奴に頼めよ。いるだろ、友達なんか沢山」

 

「だーかーら、部活あるからクラスの人らとは時間合わないし同じ方向の奴なんてあの時間まで残ってんの比企谷くらいなんだって」

 

「……」

 

 迷惑だなあ、ただただ。消去法で頼られても困る、せめてちゃんとした理由を提示してくれないと。

 

「ねえ比企谷、どうしたらあんたは私を助けてくれんの?」

 

 はあ? 何言ってんのこいつ、俺は誰も助けねえよ。戸塚と小町以外。

 

 そもそも前提として過去を忘れ去ってるかのようにお気楽なコミュニケーションを図って来ているが、加害者にとっては些細な事も被害者にとっては一生の傷になるんだよ。そう心のノートに書いてあっただろ、知らんけど。

 

「……あの、仮に私がお願いって形で比企谷を頼ったら、一緒に帰ってくれる?」

 

 突然そう言い出すと、真鶴は身を乗り出し上目遣いで懇願して来た。

 

 こいつも一応世間でいう美少女に区分されるくらいには顔は整っている。だから仮にこいつ以外にこれをされたら流石の八幡ハートもメトロノームばりに揺れまくるとは思うが、生憎こいつの『媚び顔』は中学の時に散々見ている。むしろ怖いと思えるまである。

 

 だから、そんな媚び媚びな顔をされても一切揺らがないし何の感想も抱かない。

 

「知るか。そんな仮面で頼み込んでくる内は絶対お前と帰ってなんかやんない。お前も知ってる通り、俺はお前が嫌いなんだ」

 

「……は? 何お前、いきなりしゃしゃるじゃん?」

 

 しまった、精神の成長と疲れと慣れからついこいつの扱い方を誤ってしまった。

 

 先程は変な事はしないと言っていたが、前言撤回と言わんばかりに不機嫌そうな顔をしている。声も段々とボリューム上がってってるし、これは爆発するのも時間の問題だ。

 

「ヒッキー、真鶴さん、何話してるの?」

 

「由比ヶ浜、と……三浦(みうら)?」

 

 爆発寸前といったタイミングで助け舟が出た。由比ヶ浜と、何故かその横に三浦がいる。三浦は腰に手を当て、これまた不機嫌そうな、というか威圧するような表情で真鶴を見下している。

 

「ひゃっ!? え、な、なに? え、だれ?」

 

 先程までキレかけていた真鶴も、ガチの威圧モードに入った三浦を見て恐れを抱いたようだ。

 

「あーし、今機嫌悪いんだけどさー。ヒキオに飲み物買ってもらおうと思ったら変な女いるんだけど。あんた誰?」

 

「へっ? あ、私は、その、比企谷の、同中の、」

 

「ふーんそう。興味ないわ、どっか行ってくれる?」

 

「え、で、でも、」

 

「でもなに? あーしもう喉カラカラなんですけど? じゃあ代わりになんか買って来てくれんの? じゃああーしヨーグルッペな?」

 

「ヨ、ヨーグルッペ? って、なん、」

 

「……」

 

「買って、きます」

 

 三浦に無言で凄まれた真鶴は涙目になりながら退散して行った。

 

「ふぅ、ありがとー優美子(ゆみこ)!」

 

「よく分からないけど気にすんなし」

 

 由比ヶ浜に感謝された三浦は葉山グループの輪の中に戻って行った。由比ヶ浜は俺の脇に残り、怪訝そうな目で俺を見てくる。

 

「大丈夫? ヒッキー」

 

「なにが」

 

「さっきのだよ。あの人、またなんか嫌な事言って来たんじゃない?」

 

「さあな。俺からしたらあいつは存在自体嫌だし何を言ったところで不快だ。だから助け舟を出したお前の判断には感謝してる。サンキューな」

 

「……ヒッキー、昔あの人と何があったの?」

 

「……多分いつか話したぞ。八幡の黒歴史公開の下りで。まあ俺が黒歴史としてストックしてる失敗談の、最後の項があいつってだけの話だ」

 

「そうなんだ。あの人、可愛いのにね」

 

「見た目だけな。中身は誰よりも、引き合いに出すならお前らよりも醜いよ」

 

「ア、アタシらは別に醜くないし! そーゆー捻くれた見方でしか物事を測れないヒッキーの方がよっぽどだし!!」

 

「事実を言うな事実を。泣いちゃうだろ」

 

「あっ、ごめん! そんなつもりじゃ」

 

 素直すぎるだろ由比ヶ浜。真鶴に会った後の清涼剤に一番なるの、意外とこいつかもしれない。良い意味で気が抜けるからな。

 

「あ、そうだヒッキー。今日アタシ優美子達と遊びに行くからゆきのんに伝えておいてくれない?」

 

「構わんが」

 

「ありがとー! 今度ゆきのんとヒッキーも一緒に3人でどこか遊びに行こうね!」

 

「それはいいや」

 

「ひどい!!」

 

 などと平和なやり取りをしながら、俺は少し先の未来に対する不安を馳せていた。

 

 また帰り、真鶴に待ち伏せされてたらどうしよう。いや、流石にヨーグルッペ買いに行ったから今日中には帰ってこないか。ヨーグルッペってなんだ。



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05:彼女の傷は俺程ではないにしても小さくはないようだ。

「真鶴……」

 

 結果今日も特にやること無く、読書をして終えた部活から帰ろうとしたら駐輪場に奴の姿があった。

 

 ……なんかそんな気はしてたんだ。人は希望的観測よりも悪い勘の方が当たりやすいというが、まさにピンポイントに考えていた事態に撃ち抜かれたため、ただでさえ疲れてるのに一層疲労が溜まる。

 

「……っ、比企谷!」

 

 駐輪場の柱に背を任せ、しゃがみこみながら暇そうにスマホをついついと指でいじっていた真鶴がこちらの存在に気付き顔を上げた。

 

 ……ちなみに、前から来る際に彼女のパンツが丸見えになっていた。昨日は1時間ほど暇してたと行っていたが、今日もそうだというのなら1時間パンツを露出していた事になる。

 

 変態だ。或いは馬鹿だ。いや馬鹿か。

 

「もーまじいつまで待たせんのって感じ。むかつく」

 

 待っててくれなんて言ってないし勝手な行動の癖に何を偉そうにしてるんだこいつは。

 

 と、真鶴が立ち上がろうとした時に足が痺れていたのか、一度立ち上がった背丈がガクンと揺れつい咄嗟に、真鶴なんかに手を伸ばし転ぶのを阻止してしまった。

 

 現在、真鶴は俺の腹の上辺りに顔面を突っ込んでいる。

 

「あ、しまっ、これはその……」

 

 やばい、やばいぞかなりやばい。これが他の女子ならともかく、相手が真鶴となるとどうせ「触んな変態!」とか「きしょ! この程度でいい気になんなよクソ谷」などと罵られてもおかしくない。しまった、反射的にラノベ主人公っぽい事するもんじゃないな現実で。

 

「ごめん、ありがと」

 

「はっ?」

 

 しかし真鶴から返ってきた言葉は予想に反した、なんてことは無いただの謝罪と感謝だった。

 

 なんのつもりだ? 俺を懐柔する為に粉撒いてんのか? とも思ったが、「いちち」と呟きながら前屈みになり自分の太ももやふくらはぎをグーで軽く殴ってる彼女を見ると、そんな考えを排した素の反応なんじゃ無いかと思えてしまう。

 

 ……だからなんだ。俺がこいつに何かしてやる謂れはないだろ。一人でさっさと帰ろっと。

 

「ちょっ、待ってよ比企谷!」

 

「ちっ」

 

 おっといけないつい舌打ちが。

 

「んだよ」

 

「一緒に帰ろーよ」

 

 うーん、一緒に帰ろうだなんて普段の俺なら絶対にどもりかけたのちに「お、おう」と控えめにそれを受け入れてしまうだろう。だってこんな俺に手を差し伸べてくれる声だ、無下には出来ないからな。

 

 相手がなー、悪いというか最悪というか、こいつだもんなー。

 

 そりゃね、俺だって自分の事根っからの悪人だとは思ってないしむしろ善の属性が強いとまであるのだが、だからといってトラウマの中心でありここ二日間の悩みの種であるこいつと共に帰るのなんて極力避けたいわけで。

 

「やだ」

 

 という回答しか出てこないという事を、なぜこいつは予測出来ないのだろうか?

 

 ちなみに俺は帰ると決めたら本当に帰る。さっさと帰る、僅かな躊躇すら抱かずすーぐ帰る。昨日みたいにまた反射的に不貞腐れようものなら弁明の言葉を待たずにペダルを漕ぎ出すであろう。

 

「……お願い」

 

 しかし今回は彼女も食い下がった。顔を伏せて、表情を見えないようにして、俺の制服の裾を掴んで逃がさないという意思と取り合わないという意思を同時に感じさせる。

 

 あざとくかつ有無を言わさない技術だ。並みの男ならこれをされてまず抜け出せる奴はいないだろう。……葉山はきっとこの手の粘着は散々されてきただろうし、難なく抜け出すんだろうけど。

 

「お前バス通なんだろ、2ケツなんかしないぞ」

 

「今日は自転車で来た」

 

「は? ……なんで」

 

「比企谷が2ケツは嫌だって言うから」

 

「かといって自転車で一緒に帰るのも嫌だからな。並列運転は迷惑だし、お前が後ろを走ってたらさっさと帰るし前を走ってたらどうせ遅いだろうから進路変えて勝手に帰る」

 

「……」

 

「てかその要望を俺が聞くわけないだろ。お前のせいで俺がどんな扱いを周りから受けたか知ってんのかよ。自分の人生観をガラリと悪い意味で変えたやつに手を差し伸べるのなんて、マトモな神経なら絶対やらない。お前がしてる事は俺に対するセカンドレイプとなんら変わらないからな」

 

「……」

 

「……黙られても困るんですけど。俺はお前が嫌いだし、お前だって俺なんかと帰ってるとこ誰かに見られたら嫌だろ? だから一緒に帰るのは……」

 

 と言ったところで、彼女の異変に気付いた。

 

 彼女はずっと俯いているが、裾を掴む手は震えていて僅かに震える音で嗚咽が漏れるのを耐えていたのだ。

 

 ……泣き落としか。下らない手段だ、虫唾が走る。

 

 こんな奴の手などさっさと払って帰ってしまおうと思った刹那、ずっとだんまりを決め込んでた真鶴がようやくポツリポツリと言葉を紡ぎ始めた。

 

「ひき、がやの言う通りで……ぅぐっ……私は……あんたに、酷い事をした……ごめんなさい……許してもらえるわけ、ないと、思うし……ヒック……もう、取り返し、つかない事しちゃったって……分かるし……っ……でも……もう……ひきがやしか……頼れる人、いない……っし……」

 

 参った、ガチで泣いてしまわれている。

 

 放課後の学校の駐輪場、夕焼けに照らされた舞台で制服の裾を掴み女子に泣かれている。なんてドラマティックな展開なのだろうか。

 

 さて、彼女の主張だが、謝りたいのか縋りたいのかという、本音と建前がごっちゃになってて正直それでも俺はこいつを助けてやりたいとは思わなかった。

 

 別に建前で謝る事がいけない事だとは思わない。ただ目的意識のチラつく薄っぺらい謝罪など、された方がかえって失礼な事なのだ。

 

 相手を明らかに下に見てる、だから誠意を持って謝罪なんかせず片手間で済ませられる、そんな魂胆が見え透いていて、俺は彼女の涙に男らしく揺らぐ事が出来なかった。

 

「……なんでそこまで頑なに俺に助けてもらおうとするんだよ。ストーカーなんだろ? 警察に頼った方が絶対いいと思うんだが」

 

「……言ったし」

 

「は?」

 

「親には言ったし! なんか変な奴に付きまとわれてるって!! ストーカーされてるってはっきり言ったし!! でも、取り合ってもらえなかった……厄介事は御免だし、今まで何もされてないならこれからも大丈夫だって……」

 

 今まで何もされてないならこれからも大丈夫? なんだそりゃ、そんなわけがないだろ、とこいつの親に苦言を呈してやりたい。

 

 危険は突然起きるから恐ろしいのであって、前例が無いからと安全を確保したと考えるのは被害に遭った事がない人間の、それも頭の弱い一部だけだ。そいつらは人生において危機に無縁だったが為に、自分にもその周囲の人物にも絶対の安全圏が保証されてると根拠無しに思い込む。

 

 ……そして、世の中上手い具合にそういう奴らも痛い目をみる。バランスよく、均等に均される。

 

 まあ俺から言える事は、子がこれなら親も親と言うことか。

 根拠もないのに自分だけはセーフティーゾーンにいると思い込んでる、きっと他者に対して絶対の優位性を感じ強調して生きている。だから自分至上主義で他人の気持ちなぞ知る余地もない。

 

 故に恒常的にこいつは誰かの加害者であり続けるわけだが、今回は偶然ストーカー、そして親の被害者に成り下がったわけだ。

 

 だからなんだ。それが俺が助けてやる理由になると思ってんのか? 馬鹿を言うな、そんなお人好しキャラなら最初の時点で要求を呑んでいる。

 

 俺は、泣きじゃくる彼女が安心感など抱かぬよう、ボソリとリアリズム溢れる提案をしてやる。

 

「……あのさ、そのスマホは携帯電話としての役割も担ってるんだぞ? 暇つぶし用ゲーム機だけじゃなく。それ使ってお前の口から助けを求めればいいじゃねえか」

 

「……やだ」

 

「知るか。とにかくお前の起こした痴情のもつれに無関係の俺を巻き込むな」

 

「私が起こしたんじゃないしっ!!」

 

 俺の発言に食ってかかるように顔面をぐいっと上げた真鶴が物凄い形相で抗議してきた。びびった、身長差なかったら顔面の皮を食い破られていた。

 

「お前みたいな奴はみんなそう言うんだよ。相手が勝手にしたことだ、自分は全然悪くないって。そんな訳あるかってんだ。自分の非を素直に認められない奴なら恨みを買ったってハブにされたって当然の報いだろ。空気を読むでもなく周りを自分より下に見てんだから」

 

「ち……がうし……っ、私の事……何も知らないくせにっ……、好き勝手、言ってんな……!」

 

「はあー? 馬鹿言うな、お前が俺にしでかしてきた事を考えればお前の『負の部分』に関してはお前以上に熟知してるわ。だからこうして教えてやってんだろ、お前の理想とは異なる本当の真鶴ってのを」

 

「今回は……ほんっ……本当に……違うもん……うぐっ……ぅ、うぅぅ!」

 

 そこまで言うと真鶴は本格的に声を上げて泣き出してしまった。めんどくせえ……なんか道行くモブどもに俺が泣かしたみたいな目で見られてる。勘違いしないでほしい、俺とこいつの話し合いで非があるのは100こいつで被害者は俺なんだ。八幡悪くない。

 

 ……と言って泣いてるこいつを放置して帰るわけにも行かず、俺はなんとか泣いてる真鶴を泣き止ませて今日は渋々共に帰る事にした。

 

 帰ってる最中、相手は泣き腫らした後だからか一言も話題を出さなかった。勿論俺からも出さない、無言の帰路。

 

 そうして彼女の言う通りに帰ってみて、一つ気付いた事があった。それは、確かに彼女の地元(つまり俺の地元)のバス停を過ぎた辺りから何者かがこちらを監視し、付いてきている気配と足音だった。

 

 まさか妄想じゃなかったとは……と思ってつい彼女の方を見ると、真鶴は俺に対し「ほら!」と言った目線で主張するでもなく、ただ純粋に不安そうな顔でチラチラと後ろを気にしていた。

 

 ……本当に僅かだが、彼女の事が心配……にはなってないな。ストーカーの事が気掛かりになった。これはちゃんとした案件であり、奉仕部の力を借りるに値する問題なのだと分かった。まあ一番は警察なんだが。というか思いの外ガチじゃねーかよ、本当に警察に頼れって。



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06:結局真鶴弓弦は弱いだけの人間。

 夏の本格的な暑さも過ぎ去り涼しくなっていく中、眩しいくらいに落ちた夕陽をバックに雪ノ下は冷たい目でこちら側を睨みつけていた。

 

 いや、正確にはこちら側の、部室の入り口に立つ俺の隣にいる少女に向けて絶対零度の眼光を放っていた。

 

「比企谷くん? これはどういう事かしら?」

 

「どういう事とは」

 

「何故貴方と一緒に、そこの礼儀知らずのお猿さんがいるのかと入ってくるのかと聞いてるの」

 

「ねえ、いきなり猿呼ばわりはうざいんですけど。何なの? 私今日あんたになんかした?」

 

「特に何もされてないわ。でも貴方にはこの教室の敷居を跨ぐ資格が無いから、この部活においての最高責任者である私が貴方に尋問を仕掛けてるの。理解、出来るかしら?」

 

「はあ? 教室にたかだか生徒の意思で入っちゃダメとかそんなん決めらんないでしょ。何様なの? うざ、ちょっと優等生扱いされてるからっていい気にーー」

 

 やいのやいの芸のない暴言を吐き続ける真鶴の事を無視し、雪ノ下は俺の方に視線を向けてきた。

 

「……別に俺が連れてきたわけじゃない。ここに入る前に偶然居合わせたんだよ。だからそんな、飼いならされてる家畜を見るような冷ややかな視線を向けるのやめてくれよ。泣いちゃうぞ」

 

「貴方にはこの場の露払いも任せているのにそんな簡単な仕事ひとつこなせないのね。困り物だわ」

 

「待て、俺露払いなんて任せられてたの? なにその大任、対人能力がマイナスに振り切れてる俺に務まるとでも思ってんの?」

 

「なに勝手にコント始めてんの。お客様がこうしてまたやってきたのにそれを無視するとか最低じゃん」

 

 いつもの雪ノ下とのやり取りに空気を読まず真鶴が口を挟んできた。

 

 別にこの言い争いというか、マウント合戦という俺と雪ノ下特有のコミュニケーションを邪魔されるのは俺としては対して思う事は無いのだが、雪ノ下は俺と異なり空気を邪魔されたのが心底腹立たしいといった目で真鶴を睨みつけていた。

 

「……こわ。ねー比企谷、座ってもいい?」

 

「えっ?」

 

 それ俺に聞くの? お前今まで雪ノ下と会話してたじゃん、何でこっち見て話しかけてくんの? あ、雪ノ下が怖いからか。

 

「……はあ。真鶴さん、少し真面目な話をするわ。貴方、前回この部室でどんな事をしでかしたか分かっているの?」

 

「? フツーに依頼出しに来て、懐かしの比企谷がいたから話しかけて、したらいきなり雪ノ下さんにキレられた?」

 

「今ので分かったわ。貴方の話など聞く気が起きない、ご退室願うわ」

 

「はあ事実じゃん!! 私の言った事になんか間違ってる部分あった!?」

 

「事実? それは貴方の主観に過ぎないし貴方にとって都合の良い解釈に過ぎない。それに、その説明だとまるで私が突然おかしな事を言い出したかのように聞こえるのも不愉快だわ。貴方、とことん人を不快にさせるのが得意なようね、大した長所だわ」

 

 いやー皮肉が効いてるなあ。それは世間一般で言う短所だ。雪ノ下にしては珍しく俺以外に明確な煽りを入れている、相当嫌いなんだなこいつの事。

 

「むかつく。じゃー私はどういう態度を取ればいいわけ? 一回素を見られた相手にはなんかキャラ作るのだるいし無駄な労力は省きたいんだけど」

 

「誰が貴方の猫被りを見たいだなんて言ったのかしら。私は貴方のその軽薄で軽率で自己中心的で思慮が浅く矮小で高慢な態度が気に入らないから目の前から早く失せてほしいと、さっきからそう言ってるのだけれど」

 

「……あっそ。そんな事言われても知らないし。うざ、私あんた嫌いだわ」

 

 凍てつくような鋭い目をした雪ノ下に、敵意剥き出しの獰猛な双眸で真鶴が睨み返す。

 

 ピリついた空間に一人取り残されてとっても胃が痛いよ……由比ヶ浜は一体どこで何をしているんだ。どうせ三浦達と話してるんだろうけど、一刻も早くこの空間に来てこのビリビリに張り詰めた空間をアホの空気で一新してくれ。

 

「……はあ。どうしても帰らないのね」

 

「帰らない」

 

「そう。じゃいつまでもここに居てもらっても困るし座りなさい。迅速に意見を出せば帰ってくれるでしょう」

 

 雪ノ下がそう言い、疲れの垣間見える顔で椅子に座る。それが自身の勝利であると勘違いした真鶴は鼻を鳴らし、雪ノ下の前をわざわざ通って壁に立てかけてあった椅子を持って長机の中央側、雪ノ下より僅か右に逸れた場所に置き腰を下ろした。

 

 俺もいつも通りの位置取りに座る。すると、真鶴が「何でそんな端っこに座ってんの?」とでも言いたげな視線を一瞬向けるが、すぐに興味を無くし俺から目を逸らした。

 

「それで、貴方の依頼っていうのは前回言っていた、ストーカー被害の」「やっはろー」

 

 雪ノ下が話し始めたところで長らく不在であった由比ヶ浜が底抜けに明るい声で入室した。

 

 やはり、こいつの存在はこの空間において必要不可欠な清涼剤だ。嫌な女と最低な女が醸し出した重苦しい空気を幾分か、そのアホさ加減で軽くしてくれる。この限定的な空間に限り、由比ヶ浜は小町や戸塚に次ぐ俺の癒し要因になった。

 

「あ、真鶴さんだ。また来たんだね」

 

 が、由比ヶ浜も由比ヶ浜で真鶴には思う事があるらしく、歓迎はしていなかった。しかしそこは空気を読む事に長けた由比ヶ浜、嫌な顔は一切せず、あくまで社交的な顔で軽く話しを振り、警戒していないとアピールしながら雪ノ下の横に着いた。

 

 大したポーカーフェイスだ。この世の面倒ごとは、そういう当たり障りない八方美人が事態を早急に解決せず、先延ばしにするんだよなあ。

 

「真鶴さんがいるって事は、前のストーカーの話?」

 

「……そ」

 

 由比ヶ浜の質問におずおずと、相手を見定める目で観察しながら慎重に真鶴は返答した。

 

 やけに由比ヶ浜を警戒しているな……そういえば、三浦が真鶴を追い払った時はこいつも横に居たんだった。だから三浦と同類だと判断し警戒してるのか。下手な事言うと、三浦にチクられるかもしれないから。

 

「ええと、真鶴さん? でいいのよね、お猿さん」

 

 雪ノ下が横から真鶴に、一応の確認を取って話しかける。

 

「喧嘩売ってる?」

 

「いいえ別に。前回も言ったと思うけれど、ストーカー被害は警察に頼るのが一番だと思うわ。そもそも犯罪行為を行なってる相手に一介の高校生が何らかの形で妨害、もしくは貴方に援助する形を取ったとして、逆上したその人の矛先がこちら側に向いて危害を与えて来た場合、貴方は責任を取れるのかしら?」

 

 前回に伝えた通りの内容を、それでもと曖昧な言葉で返さないよう『責任』という単語を駆使した上で雪ノ下がなぞって話す。ようやく相談が始まって早速釘を打たれた真鶴は俯き、無言の後に顔を上げて言葉を返した。

 

「リスクとかはまあわかるけど、じゃあそれは置いといてさ。仮に私がどうしても警察の力を借りたくないって主張し続けた場合、ここの人らは協力してくれるの?」

 

「現状だと肩入れする事はできないわね」

 

「……っ」

 

「睨まれても困るのだけれど。私、貴方のような小動物に恐れを抱くほどの弱い心は持ち合わせてないの」

 

 煽るなあ。座ったまま腕組んでる真鶴が上履きで床をトントンと叩き始めたよ。かなりイラついてるよあれ、由比ヶ浜も少し距離離してるもんさっきより。

 

「前来た時にさー、雪ノ下は私に事情は分かったつって然るべき機関? に助けを求めない理由は聞かないみたいな事言ってたじゃん。そこまで言っておいてさー、色々難癖付けてやっぱ仕事怖いから出来ませんはまじむかつくんだけど」

 

「あら? 確かに発言の意味は同じだけれど伝わり方が違うわね。そもそもあの時点で貴方の依頼なんて受ける気無かったのだから、貴方が他者に助けを求めない理由なんて単純に興味が無かっただけよ」

 

「何そもそも受ける気無かったって。あんた私の事舐めてるでしょ? 断るつもりだったのに聞くだけ聞いてでも興味ないとかなんなん? 性格まじ悪すぎだと思うわ」

 

「ゆ、ゆきのんは性格悪くなんかない!! ちょっとだけ回りくどいだけだよ!」

 

 険悪さが加速していく中ですかさず由比ヶ浜のフォローが入る。そこで一度クールダウン、する事なく、両者は炎を再燃させて瞳を交差させる。

 

「貴方の巻き込まれてる問題はあくまで個人間の痴情のもつれ、そうでなくても個人的なやりとりでの人間関係の歪みが生じさせた結果論なのだから、無関係である私達がさして知り合いというわけでもなく助ける義理もない貴方の為に、危険を冒してまで貴方の『解決する気のない無駄な引き延ばし』に付き合う必要性は無いとしか判断できないわ」

 

「はあ? なに、解決する気がないって馬鹿じゃないの? 私はストーカーがめんどくさいからあんたらに助けてって頼んでんじゃん。何でそれが解決する気のないって話になるのさ」

 

「ストーカーがめんどくさい、身の危険を感じてるのであれば親を通し、警察に寄り、教師を通して学校に説明を入れるのが筋でしょう? 私の記憶が正しければ貴方のストーカーはこの学校の三年生、受験も控えてるこの時期にそんな問題を起こせば学校の評判は地の底まで堕ちるのだから、実態は確認されなくとも話が出た時点でその先輩には厳重注意や校内での監視など最低限の処置が成される筈よ」

 

「分かんないじゃん。学校って言ってもそこまで生徒の悩みに真摯に応えてくれないかもだし。それに警察だって、ハッキリとした被害が出ないと注意すらしてくれない可能性あるらしいし」

 

「憶測だけでそう決めつけ、無意味だと早合点するのは馬鹿のする事よ。貴方は猿なのだからその点では高知能ではあるけれど、人間社会に溶け込むにはまだまだのようね」

 

「ゆきのん言いすぎだよ!」

 

 本当だよ言い過ぎだぞ。真鶴の顔真っ赤じゃん、怒り通り越して多分泣きそうになってるぞ。

 

「……別に、憶測だけで決めつけてるわけじゃないし。そう言われたし」

 

「言われた? 情報源があるのね。それはなに? ソースは?」

 

 ソース。雪ノ下、今ソースって言ったな。

 

「お母さんが、言ってた」

 

 真鶴の回答に、雪ノ下はため息をついた。

 

「そう。それは外部に厄介ごとを持ち込まない為に貴方に言い聞かせたに過ぎないわ。警察はキチンと説明すればある程度の対応をしてくれるし学校も同様。貴方が大人を頼るのがそんなに嫌っていうなら、私から顧問を通じて話を付ける。これで依頼は完了、良かったわね。もう帰宅しても大丈夫よ」

 

「ゆきのん……」

 

「何かしら由比ヶ浜さん。私の発言にどこか、不明な点でも?」

 

「じゃなくて」

 

 由比ヶ浜が視線を向ける先には俯いてプルプルと震えてる真鶴の姿があった。まるで怒りを我慢してるように見えるが、実際は泣き出しそうになってるのを耐えている。一度この状態を見た俺は、一目で彼女が今どちらの感情で震えてるのかを理解した。

 

 ……まるで長年付き添ったバディみたいな説明をしてしまったが、仲が悪いというか敵視してるからこそ相手の事をよく見ている。だから俺がこいつの感情の機微に気付けるのは、至極当然の事なのである。怖いからな、知っておかないと。

 

 黙り込んでしまった真鶴がいつ泣き出すか知らず、アホらしいと目を離したら由比ヶ浜と目があった。

 

「ヒッキー、何か知ってるの?」

 

「何か? 何かってなんだよ。何の事だ」

 

「真鶴さんの事」

 

「今の流れでなんで突然そう思ったんだよ……俺蚊帳の外だったろ」

 

「勘というか、何となくだけど」

 

「根拠ねえのかよ。ったく、俺がこいつの何かを知ってる素振りなんか見せてないだろってのに」

 

「見せてないって事は知ってるんだよね。何か」

 

 しまった八幡超オバカ! てか由比ヶ浜勘が鋭過ぎ!!

 

「ああ、その、なんだ。あれらしいぞ。真鶴の親、厄介事は御免だとか何もされてないのなら無問題だとか言って取り合わなかったらしい。……恐らくだが、真鶴の証言が本当だろうと嘘だろうと関係無く大事にされるのを嫌ってるんだろうな。じゃなきゃ、何もされてないなら無問題だとか馬鹿げた事は言わないだろうし」

 

「それで? 親に言われてるから公には助けを求めないって? どんな理屈なのかしら、まるで親の言いなりね」

 

 と言ったところで何故か雪ノ下も苦虫を噛み潰したような苦い表情を浮かべた。それに対し真鶴は恨めしそうに雪ノ下を睨む。

 

 なるほど、こいつが割とすぐ暴れたり不機嫌になったら泣いたりとストレスに過剰とも思えるほど弱い事を考えると、典型的な外弁慶タイプで親には逆らえないのか。

 

「話は聞かせてもらったぞ」

 

 突然第三者の声。いやこの場には既に人間が四人いたので、数を合わせるのであれば第五者の声がした。

 

 奉仕部の顧問、平塚(ひらつか)先生だ。平塚先生は当然の如くノックもせず、部室に入ると真鶴の背中を見た。

 

「真鶴弓弦、以前相談事があると言われ奉仕部を勧めて以降音沙汰無いから何かあったのかと思いきや、そんな深刻な事情を抱えていたとはな」

 

「事情を知らずにここ教えたんですか?」

 

「ん、ああ。授業終わりにチラッと言われたのでな。次の授業があるし時間ない中で説明する暇もなかったので、とりあえず奉仕部の面々に話を付けてもらってその様子でも見てやろうかと」

 

「丸投げじゃないですか」

 

「丸投げじゃない。君たちを信頼してるからこその判断だ。……しかし、事態は生徒のみに任せられる問題じゃないようだね」

 

 真面目な顔で考える平塚先生に、真鶴は縋るような顔で言葉を待っていた。

 

 警察に頼るのは嫌とか、学校に頼るのは嫌とかほざいてた割にはアッサリと教員の介入を許してしまっているが、これは単純に彼女に『ちゃんと相談する勇気がなかった』と捉えるべきなのだろうか。

 

 確かに彼女みたいな、フレンドリーな間柄や同じ身分、自分以下の身分の人間には横暴で自分勝手に振る舞って教師や大人の出る幕になると途端に借りてきた猫のように静かになる奴はいる。それの一部、と考えるのが自然か。

 

 なんというか、昔の俺はこんなのに告ったのかと考えると頭が痛くなった。こいつ、何から何までダメダメすぎて良い所の欠片もないじゃんか。

 

 

 結局その日は平塚先生が上に話を付け、警察と連携して何らかの手段を打つという形で片がついた。

 

 まあ再三言ってきた一番妥当な結末だ。これまで奉仕部が請け負ってきた依頼と違い、彼女のは初めから危険の伴う実害的な意味でリスキーな物だったから『餌を与えるのではなく、餌を取るやり方を教えて成長を促す』などと言ってはられなかったし、丁度良い。

 

 その日は平塚先生が真鶴の不安な気持ちを汲んで、車で家まで送って行ったそうな。あいつ学校に自転車が置きっ放しだが、元々バス通だしそこまでの痛手はないと言っていた。

 

 自分から歩み寄れはしないものの、教師という心強い味方に守られる事が保証された真鶴は緊張が少し和らいだせいか、中学時代に何度か目にした恐らく素の気の抜けたを見せた。そして、その顔を見るたびに過去の思い出が掘り起こされるようで、その夜は無性の苛立ちと悶々とした感情に板挟みにされる羽目になった。



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07:こいつとの物語はまだ終わっていなかった。

「おつかれ、比企谷」

 

 中学時代の因縁の相手、真鶴弓弦と再会してから五日目の事。ファーストコンタクトの日から数えて金曜日の今日、またしても真鶴に帰り際に声を掛けられた。

 

 真鶴の問題はもう解決したと言ってもいいはずだ。

 平塚先生によると一昨日警察からそのストーカー先輩の元に注意勧告が出されたと聞く。まあ実害は受けてないからそれ以上の介入は出来なかったらしいが、それでも平塚先生曰く先輩とやらは素直にそれを聞き入れ反省しているらしい。

 

 それが1日置いて今日、もう二度と見ないだろうと思っていた小憎たらしい真鶴が、駐輪場で俺を待ち伏せていた。

 

「その顔やめてよ。怖いって」

 

 生まれて初めてこいつに怖がられた。定石だ。だがそれくらい今の俺は純粋にこいつに苛ついているらしい。

 自覚が無いから無意識に手を出してしまいそうで怖いな……。

 

「何してんの、嫌がらせかよ」

 

「そんなしょーもない事するわけないじゃん。ただ一緒に帰ろって待ってただけだし」

 

「嫌がらせじゃねえかふざけんな」

 

「えー、あんまし酷い事言うとまた泣くよ?」

 

「知るか。お前なんかの涙に踊らされる程生半可なぼっちじゃないんだよこっちは。泣きたきゃ泣け、俺は帰る」

 

「とりあえず話くらいは聞いてよ」

 

 言いながら、真鶴は俺の腕をガシッと掴んで来た。慌てて払いバックステップで距離を取ると、真鶴はその仕草に不機嫌そうな表情を浮かべた。

 

「うざ……。一つ頼みがあるんだけど、聞いてくれないかな。比企g「嫌d「うっさい」

 

 食い気味に否定の言葉を出したら食い気味にその言葉を否定された。

 そして真鶴は、近くにあった自転車のサドルに鞄を置いて中から少し高そうなチョコ菓子の箱を出した。

 

「食べる?」

 

「いらん」

 

「なんで? 嫌いな相手からお菓子を貰うのが嫌だから?」

 

「そりゃあ……」

 

 そうですよ、と肯定する。多分最後らへんは声が尻すぼみになって相手に聞こえたかどうか分からないんだが、俺の反応を見て真鶴は「そういう事なんだよ」と言いながら鞄に戻した。

 

「これ、例の先輩から貰ったんだ。『これでどうか許してもらえないかな? 友達からまたやり直したいんだ』って言われながら渡された」

 

「うわぁ……」

 

「これは私の憶測でしかないんだけど、なんだかんだ先輩まだ諦めてない感じしない?」

 

 その憶測はまあ当たりだろうな。意中の相手にストーカー認定をされ、警察に頼られた上に警告されて、その上でまだ関係を持続させたいだなんて常人なら思わないはずだ。

 

 実質的なデメリット、通報やその他諸々のリスクに比べると関係を続けていくメリットが少ない。一度猜疑心を持たれた相手に心の許しを得るのなんてよっぽど不可能なのは誰だって分かるはずだ。それなのに諦めず近寄ってくるという事は、自分をストーカーだと認めたフリをした上で大丈夫なラインを伺うつもりなのだ。

 

 先輩には真鶴から離れようという意志は全くなく、むしろ今まで以上に厳かに綿密に接近する事だろう。

 

「で? だからなんだよ」

 

「私の彼氏役をやって欲しいんだけど」

 

「グフォッ!?」

 

 どうせ帰宅時のボディーガードを頼まれる程度だろうと思っていたら予想外のブローが突き刺さって思わず吹き出してしまった。

 

「……何、その反応」

 

「いや何もかもがあり得ないだろ。よりによって俺にする頼みじゃなくねえかそれ」

 

「なんで? 同中で帰り道近所だし一番私にとって都合が良いの比企谷じゃん。私はただ単に先輩に対して牽制したいだけなの」

 

「お前が昔しでかした事と、俺がお前をどう思ってるのかという事と、俺がお前と行動するとどんだけストレスを抱えるかという事を念頭に入れて考え直せ」

 

「やだ、私が比企谷のストレスとか知るわけないじゃん」

 

 こいつ殺してやろうか?

 

 いかん、あまりの衝撃発言につい手が出てしまいそうになってしまった。抑えろ、真鶴なんかに手を出したら例えデコピンでも次の日には学校一の嫌われ者になってる可能性が大いにある。ただでさえぼっちなのに『いたいけな少女に暴力を振るう不良野郎』なんて不名誉な肩書きを加えられたら三年になってからの進路にも影響してしまう可能性大だ。

 

 かと言って飲み込められない要望だ。こいつ何も分かってないし何も変わってない、昔のまま。そりゃ人は簡単に変われるものではないと俺自身定義してはいるが、ここまで等身大の『トラウマを与えた真鶴弓弦』に「彼氏役をやって欲しい」だなんて言われるとは思わなかった。なんの反省も罪悪感もないんだな……。

 

「……ふざけんな。その話には乗らない、いい加減お前は俺を馬鹿にしすぎなんだよ」

 

「えー、私が先輩にめちゃくちゃに犯されて殺されてもいいの?」

 

「……知らん」

 

「は? ひど、そこはどもれよクソ谷。まじ空気読めないわあんた」

 

 俺の一言に不機嫌がピークに達した真鶴は俺のシャツの襟を掴むと強引に顔を引き耳打ちする。

 

「……昔の比企谷がした事とか、ぜーんぶ学校中にばら撒いてもいいんだけど。私の影響力って結構凄いんだよ、比企谷もそれくらいは分かってるよね?」

 

「……外道女」

 

 まさかの急展開、俺のありとあらゆる黒歴史が人質にされてしまった。

 プロぼっちを謳う俺だが流石に過去のあれこれを学校中にばら撒かれて変な噂を立てられ奇異の視線で見られ、ついでに面白おかしく名前や逸話を織り交ぜたジョークネタの定番にされ総武高の笑いのネタのフリー素材にされてしまう未来を想像すると、それは脅しの材料としては十分だった。

 

「で、どうする? 私のお願い、聞いてくれるのかくれないのか」

 

「お願いだと? 恐喝の間違いだろ、人の弱みに付け込んで無理やり要望を呑ませようとするのは。言っとくが、お前のしてる事は恐喝罪に適用されるんだぞ」

 

「だから? 恐喝罪とか知らないし、それって捕まるの? もし捕まるってんで通報とかされたら先にみんなに言いふらすからいいよ。したら私が捕まった後それも噂に加味されて余計厄介な事になると、私は思うけどなあー」

 

「この……」

 

 やばい、八幡ここ近年で一番腹立ってる。葉山を相手にした時なんかよりやっぱど苛つくんだけど、戸部達自称ウェーイ系(笑)も霞んでしまうほどこいつの事許容出来ないんだけど。

 

 というかこいつ、この前ガチ泣きした際に俺に謝罪してなかったか? お願いと一緒くたになってて誠意がこもった物ではなかったが、それでも自分のしでかした事に対し自覚してるような言動をこいつしてたよな。それが何、ここに来てふりだしに戻ってるんだけど?

 

「……彼氏役は無理だ。お前の彼氏とか死んでもなりたくない」

 

「それはこっちも願い下げなんですけど」

 

 こっちから断ってんだからそれに重ねてくんなよ、一々俺の心を抉って来やがるなこいつ。つか一度告白して振られてその上ネタにされた相手に対しまた好きになるわけねーだろ。

 

「役だって言ってんじゃん。何ガチになってんの?」

 

「役でも無理だ、お前と近距離でイチャコラするなら死んだ方がマシ」

 

「はあ? …………そんなに私ブスじゃないと思うんだけど」

 

「見かけの話じゃないから。中身が生理的に無理なんだよ。だから彼氏役は無理。絶対無理」

 

「……あそ」

 

 心の内を素直に述べると不機嫌を通り越し、少し暗い顔をして真鶴は俺から目を逸らした。

 

「だから『彼氏役』っていう明確な立ち位置は定めず、ただある程度近くにいる事くらいならまあ、いいんじゃねえの」

 

「……っ、まじ?」

 

 こちら側の、一億歩くらい譲歩した提案に真鶴は目を丸くして真偽を尋ねてきた。

 

「まじ? ってなんだよ。言うこと聞かないと黒歴史バラされるんだろ。なら保身に走るのは当然だろ」

 

「いやそんな事するわけないじゃん馬鹿じゃないの」

 

 何言ってんのこいつ? みたいな目で見られても困るのですが。それを発言者であるあなた自身に向けられるの微塵も納得出来ないのですが。

 

「どうせ何を言っても比企谷には断られると思ったから極端な話を出しただけでそんな事するわけなくない? 人の秘密バラしたら私だって立場無くなるし」

 

「……その程度の事は分かってるのか。なら余計に腹立たしいわ」

 

「そんな睨まないでって。確かにさっきのは冗談にしても笑えない話だったって分かってるし。それはごめんて」

 

「お前……」

 

「あ、でももう比企谷言ったから訂正は無しだかんね。今更さっきの無しは通用しないから」

 

 後になって黒歴史をバラす気はありませんだなんてふざけた事を抜かした真鶴がそれを禁止にするのか……なんというか、本当合わねえなこいつとは。

 

 こういうタイプの人間と仲良くないにしても同じグループに居れる奴らの気が知れないわ。俺だったら初日に心が折れるとまである、実際今週の月曜日から若干鬱気味な気がするし。

 

 

 

 そこからまた自転車で一緒に帰ったが、さして話題も無いし今回も無言だろうと思っていたが、前とは異なりなんかやけに真鶴の方から話を振ってきた。奉仕部の奴らとどんな関係なのか、だの彼女はいるのか、だのクラスの人と遊んだりしないの、だの。

 

 趣味の話題なんかも聞かれて互いに読んでる漫画を出し合ったりしたが、俺と真鶴は見事に読んでる漫画のジャンルが異なっており趣味は全く合わないらしい。特に盛り上がる事もなく終わった。

 

 地元に戻り、真鶴の家の近くまで来て突然彼女が買いたい物があると言ってコンビニに入っていった。「一緒に来ないの?」などと聞かれたが特に目的もないしこいつの買い物に付き合ってるより1人になった方が気が楽なのでしっしと手で追い払い、コンビニの横にある駐車場で時間を潰していた。

 

 はあ……ストレッサーだ。あいつ。

 

「お待たせー。はいこれ」

 

 ふと小走りに駆けてくる音がすると思ったら真鶴が背後からMAXコーヒー、いわゆるマッカンを俺の後頭部に軽くぶつけてきた。暴行罪だ。

 

「マッカン……コンビニに売ってたのか?」

 

「んーん、無かった。だから近くの自販機まで行って買ってきたよ」

 

「はあ? なんで」

 

「だって比企谷これ好きだったじゃん」

 

「……なんで知ってるんだよ」

 

「なんで知らないと思われてんの。中三の頃はそこそこ付き合いあったじゃん」

 

「……」

 

 一々嫌な事を思い出すような話ばかりするなこいつは。てか、いくらマッカンとはいえ嫌いな相手からの差し入れは流石に頂けないというか、しかし喉が渇いていたのは事実で無碍にしようにも捨て切れない。

 

「飲まないの?」

 

「……」

 

「……そっか。私から貰った物だから飲めないのか。分かった」

 

 そう言うと真鶴は俺からマッカンを奪って開け、中身を一気に口内に流し込む。全て飲み終えた彼女は「おえっ……甘すぎ」と言いながらコンビニのゴミ箱まで歩き、マッカンを捨てると俺の方をチラリともせずに自転車に跨った。

 

「帰ろ」

 

 いやに不機嫌そうな声で彼女が言う。なんか、何故だか分からないが俺が悪い事したみたいで納得し切れなかった。というか、喉乾いた。



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08:比企谷小町はごみいちゃん製造機。

「は〜〜〜〜〜〜〜。あぁ〜〜〜〜…………はぁ」

 

「どしたのお兄ちゃん、ゾンビみたいな唸り声上げて」

 

 土曜日、リビングのソファーに寝転びながら呻きを上げていたら小町(こまち)が何事かと顔を見せてきた。

 

「いや〜、一難去ってまた一難とはまた言い得て妙な言葉あったもんだな〜と思ってな」

 

「イマイチ答えになってないんだけど……何か悩みでもあるの?」

 

「鋭いな小町。流石は俺の妹だ」

 

「へっへ〜ん。お兄ちゃんへの洞察力はピカイチだと自負しております! まあ普段他人に洞察されないお兄ちゃんだからこそピカイチの座を維持出来るってのもあるんだけどね!」

 

「小町ちゃん、兄の心を通り魔的に切り裂いていくのはやめようね」

 

「それで、悩みってなんなの? 小町が悩めるお兄ちゃんの為に聞いてしんぜよう」

 

「あ〜、なんつーか、詳しく話すと俺の兄としての沽券に関わるからサブストーリーは端折るんだが、簡単に言うと面倒な奴に絡まれてな」

 

「ほうほう。それは男? 女?」

 

「いきなりする質問じゃないだろ。それに、小町が思ってるような奴じゃない。俺はそいつを心から嫌ってるし、小町だって好きになれるタイプじゃない筈だ」

 

「えー? 小町お兄ちゃんに酷い事する人以外は基本的に嫌いにならないよ。……あ、今の小町的にポイント高い!」

 

 ドンピシャじゃないですか、真鶴と小町は水と油である事が証明されたよ。

 

「で、その嫌いな人ってのは男なの? 女なの?」

 

「女だよ。その質問なんの意味があるんだ……」

 

「いやあ、事と次第によっては小町のお義姉ちゃん候補になる可能性もあるわけだしライバルになる方々に情報は共有しておいた方がいいのかなって思ったり思わなかったり〜?」

 

「なんだお義姉ちゃん候補って……そんな候補今の所0人だし今後もきっと0人だよ。小町は兄を買い被りすぎだぞ」

 

「そういうお兄ちゃんは自分を過小評価し過ぎだよ。小町お兄ちゃんの捻デレは好きだけどそういう自分の存在を蔑ろにしちゃう所はポイント低いからね!」

 

「馬鹿言え、俺は自分を蔑ろになどしていない。人には適材適所ってのがあるんだ。世の理に逆らわず、誰よりも従順であろうという清い心が今の俺を形作ってるんだよ。言わば誰よりも自分を正確に理解しているとまである」

 

「はいはいすごいなー。それで、お兄ちゃんはその面倒な人からどんな絡まれ方をしてこんなにぐでーんとしてるの?」

 

「なんかそいつ興味無い男に言い寄られてるらしくてな。その相手に牽制する為に俺に彼氏役をしろって迫ってきたんだよ、勿論断ったけど。で、色々あってとりあえずそいつと一緒に行動する事になったわけだ」

 

「へえ」

 

「いつまで続くのか分からねえ。しかも何で俺なんかを選ぶのか分からねえこの状況、ストレスがマッハで蓄積されていくわけですよ。先の事考えるともう部屋に引きこもっていたくなる」

 

「その人、女の人なんだよね? それでわざわざお兄ちゃんに彼氏役を頼んできたと。……お兄ちゃん、私の知らない所でも遺憾無くごみいちゃんを発揮してるんだ」

 

「待て。小町、今回のはマジで違うぞ。今回のはごみいちゃん案件じゃない、勘違いしないでくれ」

 

「はいはい、とうとうお兄ちゃんもそんなチャラ男じみた事を言うようになったんですね。その成長っぷりに、小町は感動すればいいのか呆れてしまえばいいのかよく分からないよ」

 

 言いながら小町はリビングを出て階段を上って行った。

 

 本当に違うってのに……真鶴と俺は何かがあるわけじゃない。純粋な敵同士だ、絶対にその関係性は変わる事ない。

 

 ……ふと、マッカンをくれた時の事を思い出すが、たったそれだけの出来事で何かを精算できるわけではない。俺はあいつが見せた僅かな『優しさ』の様なものを頭から排斥し、また唸り声を再開した。

 

 

 ーーーーーーーーーーー

 

 

『でさー、友達が葉山くんに会いたいって言うから総武の文化祭行くつもりなんだけどー、そっちに知り合いいないから真鶴さ、一緒に回ってくんない?』

 

 中学の頃の知り合いである折本(おりもと)かおりが久しぶりに電話をしてきた。

 

 内容は仲町(なかまち)さんって子がうちの学校のイケメンナンバーワンである葉山隼人(はやと)くんとどうにかして知り合いたいという旨の物だった。それで、文化祭共に回って欲しいのだという。

 

「まだまだ先の話じゃん。気が早すぎじゃない?」

 

『そうなんだけどさー、ぶっちゃけそっちの文化祭がいつから始まるか知んないし早めに話つけとこうと思ってさ』

 

「まだ一ヶ月くらいあるんじゃないかな? まあ文化祭一緒に回るのは別にいいよ、けど私葉山くんと別に知り合いじゃないからね?」

 

『え、マジ!? てっきり知り合いかと思ってた! 葉山くんがよっぽどのイケメンなら自分に釣り合いそうな可愛い子に手当たり次第声掛けるもんでしょ!?』

 

「うーん、そういう人なのかよく分からないけど、この学校何故か異様に美人多いからなあ……私なんか霞んじゃってるし」

 

『真鶴が霞むってやばいなー、相当レベル高いじゃんウケる! そこら中美男美女が闊歩してるとかどんな学園ドラマだよって!!』

 

「いや美男美女が闊歩してるわけじゃないけど、上がずば抜けてるってだけだよ。……あ、そうだ。比企谷なら葉山くんと同じクラスだし知り合いかもよ」

 

『えっ、比企谷?』

 

 特に意識もせずに放った呟きに、折本が反応した。

 

 折本はブハッと一度吹き出し、笑いをかみしめる事なく嬉しそうな声音で話題を転換する。

 

『比企谷とかチョー懐かしいんだけど! あいつ総武高だったんだ、マジウケるんだけど!!』

 

「そ、そっか」

 

 何がウケるのだろう。

 

 あははー、と笑って返すけれど、正直ウケるかどうかはさておかせてもらう。流石に比企谷がどこどこにいるっていう話でウケる要素は皆無だと思うし、最近あった事とこれからを思えばまあ、あいつを笑う気にはならなかった。

 

『てか比企谷と葉山くんが同じクラスだったとしてもタイプ違いそうだし絡まなくない? 葉山くんって爽やかイケメンなんでしょ?』

 

「ん? んー……どうだろね。でも最近の比企谷、可愛い子と対等に話したり守ってもらったりしてるから案外葉山くんと近い立ち位置なのかなーとは思うよ」

 

『え、あの比企谷が女の子と対等に!? なにそれ見てみたいんだけど!!』

 

「文化祭まで我慢しな。それまでは……忙しそうだから」

 

 というか、これから比企谷を利用しようってのに折本なんかに介入されて話をややこしくされるのが嫌だった。

 

 少なくとも問題が解決するまでは誰も比企谷の、ひいては私の邪魔をしてほしくない。なので今は折本が総武に近付かないようしておかなくてはならない。

 

『えー面白そうなのになあ。あの比企谷の変わりっぷりを見てみたいだけなんだよーう』

 

「今は多忙な時期なんだって」

 

『そう? ならしょうがないけどさー……』

 

 折本は物分かりが良く、真剣に頼み込むとあっさり引いてくれた。

 

「まあ文化祭の件は分かったよ、それまでになんとか葉山くんと仲町? さんが話せるよう手を回しとく」

 

『ありがとね! 真鶴、やっぱり良い子だなあ〜』

 

「あはは……じゃ、私もう寝るから」

 

『うん! じゃね〜』

 

 ピッ。電話切ると、スマホの画面の上の方にSNSの通知が出たのでそれを開く。送り主は私を最近ストーカーしてる植木(うえき)先輩だった。……知っていた。

 

 長い時間考えたであろう連投で紡がれる文章。それに対し私はただ淡白に『はい』『そうですね』『そうなんですか?』などと一定の言葉のみで返す。それなのに相手からは必死にメッセージが送られてくる。

 もう面倒くさすぎる。

 

 でも、それももうすぐで終わる。それも私が輝く、最高の形で。

 

 もう少しだけの辛抱だ。駒は揃ったし、準備は万全だし、後は先輩に私と比企谷の姿を見せつけて、爆弾を一個投げるだけで全てが終わる。

 

 私はスマホを置き、電気を消してベッドの上に寝転がり目を閉じる。

 

 ……私が良い子とか、中身を見てなさすぎでしょ。と、折本の言葉に対し今更返す言葉が浮かんできた。自分で自分にうっさい、とツッコミを入れたくなるような自己嫌悪でなんか無性に腹が立った。

 

 これ絶対比企谷のせいだ、そうとしか考えられなかった。



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09:あいつの周りにはダルい奴しかいないわけ?

 チャイムが鳴り四限が終わると、離れた席に座っていた友人の(はるか)が背筋を伸ばし私の方に体を向けた。

 

「ん〜疲れた〜。弓弦ちゃん、ご飯食べよー」

 

 遥の声を号令に他の女子達も集まってくる。このクラスで私が所属する、一番地位の高いグループの女子達だ。

 

「はーまぢ月曜は憂鬱だわ体いつもより重いもん」

 

「わかるー。なんかもういっそ月曜も休みにしてほしいわ」

 

「それなー、まぢそれ」

 

 口々に話しながら周囲の机をくっつけて各々昼食の準備を進める。

 そんな中、私の対面に座っている遥が何の用意もしない私に気付き声を掛けてきた。

 

「? 弓弦ちゃん、ご飯食べないの?」

 

「んー、食べるよ。食べるんだけど……」

 

 言葉を濁しながら教室の戸の方に目を配らせる。

 

 先輩がもし来てて、私を見てるのなら比企谷の所まで行ってあいつと一緒に食べる。気乗りはしないが、そもそも先輩に勘違いさせてアクションを起こしやすくしておかないとならないから仕方のない事だ。

 

「弓弦っち、どしたん?」

 

「あのキモいストーカー先輩が来てないか警戒してる」

 

「あー、植木って人?」

 

「まだストーカーしてんのあの人? 警察に注意されたんしょ?」

 

「でもでも、ストーカーって警察に注意されたりしたら余計逆ギレして危ない事するとか聞くよ?」

 

「うえーこっわ! てかキモ! ウケる!」

 

「ウケないってーの。別の友達が頭に浮かぶからやめろし。わら」

 

「……あっ、弓弦ちゃんあっち! いるよあの人!」

 

 遥が何かを発見し逆側の戸を指差すと、そこには植木先輩が立っていてこちらを見ていた。

 

 その手にはコンビニで買ったと思われるレジ袋がぶら下がっている。先週お菓子でご機嫌を取ったからって今日早速一緒にランチ出来るとでも思ったのだろうか。気持ち悪い。そもそもあのお菓子妹に上げたから私一口も食べてないしご機嫌取れてないから。

 

「私場所変えるわ。遥、付いてきて」

 

「え? いいけど、どこ行くの?」

 

「F組」

 

「F組? 相模さんがいるクラスだ」

 

「友達?」

 

「ううん、友達の友達的な? ゆっこと仲良い子で夏休みに一緒に遊んだ子」

 

「へー」

 

 F組といえば葉山くんってイメージあったんだけどそっちは出てこないんだ。まあ葉山くんってサッカー部の葉山くんって感じが強いからクラスとかは知らないのかな。

 

 ちなみにゆっこっていうのは私と同じ女子バスケ部の友達だ。友達というか、遥の友達だ。つまり友達の友達、遥から見た相模さんみたいなものだ。

 

「でも今外出たら植木先輩に声掛けられんじゃないのー?」

 

「そーだよ、2人とも今出るのは止した方がいいんじゃない?」

 

「大丈夫だよ。一応牽制も兼ねてるからむしろ来てくれた方が都合良いし」

 

 言いながら、遥を連れて教室を出る。そしたら当然植木先輩がこっちに来るわけだが、私は先輩がすぐ近くまで来るのを嫌って間に遥を立たせ、その後ろから『強く出れない自分』を作り上げる。

 

「真鶴さん! あの、良ければなんだけど今日一緒に」「ごめんなさい……私、今から比企谷くんと食べるので」

 

「へっ? ……比企谷くん?」

 

「あっ、わ、忘れて下さい!」

 

 わざとらしく、焦った風に見せかけて先輩にやらかした、と言ってるかのように主張して見せる。先輩は想定通り、私が他の男子にうつつを抜かしてると誤解してくれたようで拍子抜けな表情のまま固まった。

 

「あの、とにかくごめんなさい。……あんまり待たせると悪いので失礼します!」

 

 ぺこりと頭を下げ、遥の耳元に小声で「行くよ」と囁く。

 

 

 最初のインパクトはこれくらいでいいだろう。先輩に私と男の影をチラつかせる。そうすれば、先輩は私が誰とどこで何をしてるのか気になって私に気付かれないようにコソコソと後をつけるはずだ。

 

「ねえ、比企谷って誰? 彼氏?」

 

「彼氏じゃない。同中の知り合い」

 

「へー。ただの知り合いなのに盾役なんかしてくれるんだ」

 

「色々あったんだよ。……そんな期待に満ちた目をされても困るんだけど」

 

「その色々が知りたいのですが」

 

「別に楽しい話なんかないから。あっ、比企谷くんっていますかー?」

 

 F組に着いたが、比企谷が前座っていた席には別の女子が座っていて比企谷本人がいなかったので、前話しかけたロン毛でカチューシャの男子に声を掛けた。

 

「うおわっ、前の子じゃん! またヒキタニくん探しに来たんだ!」

「? 前来た泣き虫女じゃん。またヒキオにちょっかいかけに来たわけ?」

「わっ、葉山くん!? 葉山くんだ!」

 

 三者三様、カチューシャ男子に話しかけたはずなのに彼の返答に対し二者の声が重なった。

 

 一つは隣に居た遥で、遥は葉山くんに挨拶をしてついでに「相模さーん」って手を振り上げてる。

 

 もう一つは……前回私にヨーグルッペとかいう聞いた事ない乳酸菌飲料を注文して来た金髪ギャル。今回は睨まれてはないものの、高圧的な態度には変わりないのでやはり気圧されてしまう。

 

「ちょっかいをかけに来たわけじゃないんだけどな。フツーに比企谷とお昼食べようと思って来ただけだよー」

 

「ヒッキーとお昼?」

 

 私の言葉に、金髪ギャルの隣に居た茶髪ギャルが反応した。……てかこの人奉仕部に居た人じゃん。名前なんて言ったっけ。ゆい、ゆい……ゆいがわら? 覚えてないや。

 

「そう、ヒッキーとお昼。ぷっ、ヒッキーってあだ名面白いね!」

 

「どうも……」

 

「あはは、でさー、比企谷が今どこにいるか知らない?」

 

「ど、どこかなー、ヒッキーいつも1人で食べてるから分からない」

 

「ヒキオならさっき特別棟の方n」「あーそういえば優美子喉乾いたって行ってたよねたまには一緒に買いに行かないって思ったけどアタシそろそろゆきのんの所に行かないとだったたまには一緒に行ってみよっかそうしよう!」

 

 金髪ギャルが喋っていた途中でその口を強引にゆい……さんが手で塞ぎ、強引に引っ張ってくのかと思えば金髪ギャルに力負けして1人で教室を出て行った。

 

 教室を出る寸前、ゆいなんたらさんは金髪ギャルに何かメッセージ性の強い視線を送っていた。そして輪の中に戻って来た金髪ギャルさんは、私を疎ましく思ってるような顔で「そろそろ消えたら? 邪魔」と言ってきた。

 

 ……どうやら、あのゆいなんたらさんは私から比企谷を隔離してるらしい。むかつく。

 

 だが金髪ギャルは確かに「特別棟」という単語を出した。なら、そっち方向に行けば比企谷に会える事は間違いない。

 

「はあー、まいっか。探すのめんどくさいし」

 

「あら、諦めるの?」

 

「んー。先輩には比企谷の名前出しといたし牽制には十分っしょ。ぶっちゃけそんなにあいつとご飯とか食べたいわけじゃないし」

 

「わー、ドライだなー」

 

「ドライとかウェットとか以前に何も無いんだって」

 

 他愛もない話をしながら教室に戻る。その途中、廊下の窓から見える景色、テニスコートが近くにある場所で、なんか比企谷らしき人物が1人で歩いているのが見えた。

 

 探す気力を失くした瞬間に見つけるとかどんな因果だよ。とそう思ったが、もしこの場を先輩に見られたりしてたら、むしろこれって美味しいよなって思ってしまった。

 

「遥、先に戻ってて」

 

「え、弓弦ちゃんは?」

 

「比企谷見つけたからそっち行く」

 

「え、本当!? どこにいるの、比企谷って人!」

 

「目を光らせて探さないでよ、遥がイメージしてるような人じゃないから。絶対」

 

「えー」

 

 ぷんすかぷんすかしている遥を無視し、私は小走りで階段を下る。途中、自販機で飲み物を買っていた雪ノ下さんが目の隅に移った。あちらは私を見て見ぬ振りをしたのでむかついたが、どうせよく分からない言葉責めをされるのがオチなので放っておく。

 

「真鶴さん、待ちなさい」

 

 見て見ぬ振り、をされたと思ったんだけど。なんか雪ノ下さんに呼び止められた。

 

「わっ、雪ノ下さんいたんだ! どうしたのー?」

 

「気付いてたくせに変な芝居打つのやめなさい。それに、貴方そんな喋り方じゃなかったでしょう、いつもの喋り方に戻しなさい」

 

 嫌だわ、周りにはこっちの私しか知らない人とかいるし。

 

「いつものって、別にいつも通りだけど? てか雪ノ下さんとそんなに話したこと無いのに私のキャラとか分かんなくない?」

 

「……まあいいわ。真鶴さん、貴方今からどこ行くの?」

 

「比企谷くんの所だけど?」

 

 私が明確に男子の名前を出した事で私の表の顔しか知らない勢の人らが盗み聞きに意識を集中させ始めたのが分かる。

 

「貴方、まだ比企谷くんに面倒を掛けさせてるの?」

 

「人聞き悪い言い方しないでよ。別に私が誰と一緒にお昼食べようが勝手じゃん」

 

「そうではなくて。貴方は比企谷くんと食事をするのが目的なのではなく、変な脅しやからかいをするのが目的なのでは無いかしら」

 

「そんな事」「屋外で1人で食事をしてる比企谷とお昼を共にしたいのなら、前もって連絡なり約束なりするはず。それをしなかったという事は比企谷くんから拒絶されていて、それでも一方的に近付きたいからこんな事になってる。そう私は推理したのだけど」

 

「流石に考えすぎだよ。そんなに深い意味とか無くて、ただ単に今気まぐれで一緒に食べたいなって思っただけ。じゃ、もう行くね」

 

「待ちなさい、話はまだーー」

 

 うざいから制止の声なんか聞かず雪ノ下を無視して走る。

 

 なんなんだあの人。比企谷が絡むと一々突っかかってきて鬱陶しいな。雪ノ下雪乃、やっぱりあいつの言う言葉には頭が痛くなるし手数でまくし立てて丸めこようとしてくるから嫌いだわ。



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10:何があってもこいつとは合わない。というか何を考えてるのか分からない。

 遂に俺のベストプレイス、学校にいながら何者にも干渉されない優雅な昼食にさえも、真鶴が侵略してきた。

 

「勘違いしないでね。先輩に見せつけてるだけだから」

 

 お前のツンデレは微塵も嬉しくねえよ。デレなんかないんだろうけど。

 

「お前、今やってる事が火に油注いでる事だって分かってやってんの」

 

「分かってるよ。でも比企谷クラス違うし、放課後は部活あるから帰る瞬間しか見せつけれないし仕方ないじゃん。私だってあんたなんかより遥達とお昼食べたいし」

 

「参考までに言うけど、先輩の件のみならず俺に対しても油注いでるからな。かなり強火だぞ、今の俺」

 

「そうなの? ふたを開ける時は火傷に気をつけなきゃね」

 

 小粋なジョークで返したんじゃねえよ俺を馬鹿にしてんのか。

 

「そこまでしてストーカー先輩の反感を買おうとしてる意味が分からん。お前、ロクでもない事しようとしてるだろ」

 

 やべっ、柄にもなく他人の深層に踏み込むような事言ってしまった。

 俺の言葉に対し、真鶴はストローでイチゴ牛乳を飲みながら「んー」と肯定とも否定とも取れないトーンで返してきた。

 

「別に。あの人があんまりにもしつこいから早く離れて欲しいだけだよ」

 

 嘘偽りのない、素直な感想だった。それからしばらく無言で自分の飯を食べ始める。

 俺も残りのパンを咀嚼していると、ある程度食べた所で彼女は箸を止めた。

 

「なんかどもらなくなったよね。比企谷」

 

「……悪いかよ」

 

「なんでよ。褒めてんじゃん」

 

「お前に褒められる筋合いねえよ」

 

「あっそ。……なにそれむかつく」

 

「……」

 

「……」

 

 また無言で飯を再開する。

 あの、昼食って放課後よりも空気が重いというか気まずいんですけど、どこの界隈もこんな感じなの? みんな気まずいのを我慢して机くっつけたりしてんの? まるでお通夜なんだけど。

 

 つうかこいつなんなの? ある日突然話しかけ俺にしか頼れないとか戯言ほざき出したかと思えば何かと付きまとってきて。こいつこそ俺のストーカーじゃねえ? 今日のムーブはまさにストーカーランクの所業だと思うんだけど。

 

 なんて、一方的に言ってやりたい文句は沢山あるんだが、性格上そんな事を言えば知能指数の低さが伺える罵声を浴びせられるから言わない。頭の悪い言葉を吐かれるとこっちまで頭悪くなるって言うからな。言わない? 言わないか。

 

「比企谷」

 

 お前は、黙って、飯も、食えないの?

 

「んだよ」

 

「……昔の事、てか私の事、どれくらい恨んでる?」

 

「はあ? そんなの自分で考えろよ」

 

「考えたよ。結果、私の事殺したいとか思ってるのかなーって思った」

 

「馬鹿じゃねえの」

 

「……殺意とか無いの? 私に対して」

 

「あるわけないだろ。そりゃお前の事は恨んでるし普通に嫌いだけど、嫌いってだけでそれ以上はねえよ」

 

 時々殺意に近いものが芽生えるけどな。

 

 てかいきなり何聞き出したんだこいつ。質問が極端すぎて引くんですけど。

 

「お前、いきなりなんの話しだしてんだよ。少しキモいぞ」

 

「うざ。……まーでもそうだよね。うーん、なんだかなー」

 

 真鶴は空を見上げてボーッと何かを捻り出そうとしている。

 

「私、なんであんな事言っちゃったんだろうね。ごめんねって言っても、比企谷は私の謝罪なんか聞き入れてくれないっしょ?」

 

「……そう直接軽く言ってくる時点で誠意がないだろ。てか今更過去の自分の発言を見直してるみたいな態度取られても、俺はお前への認識を改める気ないからな」

 

「別にいいよ改めなくて。比企谷が思ってる私への印象はそのままでいい、今後そんなに絡む気もないしね。ねえ比企谷」

 

「なんだよ」

 

「ごめんなさい」

 

 目が合うなり、真鶴は頭を下げてそう言った。

 何度目の謝罪なんだろう。『ごめんなさい』と言う言葉は個人にそうやすやすと何度も発していい言葉ではないはずだ。

 

「お前本当なんなんだよ。今日おかしいぞ、気持ち悪すぎる」

 

「うっさい。あんたを利用してるんだからふと昔の事を思い返して、素直に悪い事したなって思うくらい普通じゃん。私だって人間だから罪悪感とかあるし」

 

「だからそういうのを打算的って言うんだよ。……アレだろ? お前のその謝罪は、俺を利用してる免罪符を得たいが為に許しを乞うてるんだろ? 人ってのはな、そういうのが一番腹立つんだぞ」

 

「……」

 

「な、なんだよ」

 

 いつまで経っても変わらない真鶴に事の真実の断片を教えてやると、彼女は何も言わずに俺の目を凝視した。その大きな瞳に意識が吸い込まれそうになり、目を逸らして何事かと尋ねると彼女は素っ気ない声で「別に」と言った。

 

「ひねくれ過ぎててダルいね比企谷」

 

「……あのな、流石に俺だってキレる時はキレるぞ」

 

 俺がこうなった原因の中枢に近いお前が、どのツラ下げてそんなセリフを言うのか。

 

「じゃあ私の事殴るの? キレたら何をしてくるわけ」

 

「それは……別に何もしねえけど」

 

「ヘタレじゃん何それダサ。結局昔と変わらないんだね比企谷も。私と同じじゃん」

 

「……っ!」

 

 つい、本当につい、真鶴の言葉が気に障り彼女の胸ぐらを掴んで振り上げて……その顔を殴りつける一歩手前まで感情が昂ぶってしまった。

 しかし、彼女が顔を逸らし、必死に目を瞑って痛みに耐えようとしてる姿を見て、俺は冷静さを取り戻し手を離した。

 

 こいつといると普段の俺からかけ離れたキャラになってしまう。何と言うか、怒りの沸点がやけに低くなるというか。それくらいこいつの事が真の意味で最も嫌いなんだなって理解出来た瞬間だった。

 

 俺はパンの袋をレジ袋に入れ、教室に戻ろうと立ち上がる。すると、背後から落胆したかのような声音で真鶴が言葉を吐き出した。

 

「……殴ればよかったじゃん。何でやめたんだよ、クソ谷」

 

「アホか。俺は博愛主義者だ。それに、お前がわざと殴られようとした事もそれで昔の事をチャラにしようとしてた事も見え透いてたし。そんなんで手を出せるわけないだろ」

 

「チャラにしようとなんかしてない。ただ単に分からないんだよ私には。比企谷の気持ちも、苦しみも、満足する謝り方も。だから……」

 

「だからで続かないだろそれ。だから俺に殴られて、それで何になるんだよ。俺がスッキリするとでも思ったのか? 殴った事に対する反省から許されるとでも思ったのか?」

 

「……」

 

「暴力で解決出来るのはバイキンマンの悪事だけで他の暴力はただの暴力だ。お前の頭ん中はよく分からねえけど、わざと俺を煽って殴った所でお前がした罪への精算にはならないだろ。単に俺に罪が加算されるだけだ」

 

 てか、ここまで身体を張って許されようだなんて一周回って必死過ぎないだろうか。こいつの意識に変化? があったのかどうかはさておき、何故か俺に許しを得ようとしてる姿勢は見て取れた気がした。そしてそれが嘘で、また俺は引っかかる。そこまで予見できた。

 

「はあ、もうここに居辛いし私もう教室戻るわ。じゃあね比企谷、邪魔してごめんね」

 

 またごめんと言った。こいつの謝罪は大安売りだ、大特価セールのような軽薄さのせいでさっきの「ごめんなさい」がネタなのかガチなのかの判断を難しくする。

 

 本当だとしても許す気など毛頭ないが。前提として許す許さない関係なく、このストーカー騒動が終わるまでの短い付き合いなのだから変に環境を変える必要もなし。あいつとの縁はすぐ切れるのだからどうでもいい。

 

 あ、そもそも俺と縁結んでくれる人なんかいないか。八幡号泣したい。

 

「……っ、?」

 

 立ち上がろうと手を階段に乗せた時、手のひらに何かが当たる感触がした。見てみると、そこには飴が一つ落ちていた。真鶴の忘れ物だろう。

 

「後で渡すか。……いや、地面に落ちてたから汚いよな、捨てるのが正解か?」

 

 俺が学校生活で最も重要としている1人の平穏な時間は、厄介事そのものである真鶴によってかき乱され最後には多少悩ませる問題を投下し去って行った。

 なんか今日あいつテンション変だったし、いつもより無駄にスタミナ使った気がするし、早く家に帰って小町にマッサージ受けながらカウンセリングされたい。あ、今の八幡的に超ポイント高い。

 

てかエロいな。小町にマッサージされながらカウンセリング。ゴホンゴホン、妹だったわ。



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11:嫌いの指針

 ここ三日間、真鶴は言った通りに俺の周りをうろちょろするようになった。その迷惑行為を受けて、ようやく俺の目にも真鶴の言う『ストーカー先輩』とやらの影が映った。

 

 校内で付きまとわれてるうちは特に暴言や暴力をして来ないからまだいいが、下校の時は素の真鶴で話しかけてくるから「うざ」だと「キモい」だの「クソ谷」だのパターン数の少ない文句で話しかけてくるし、ちょっとした事でイラつかれて殴ってきたりする。億劫だ。

 

 下校時以外でも、こいつがまとわりついてくるせいで周りに奇異の視線を向けられるし、気の所為かもしれないが雪ノ下がやたらと気に掛けてくる。

 あまり周りに見られるのは得意ではないので、言ってしまえばこの現状こそが一番俺にとって苦痛だ。日向に晒されるぼっちの図、干物になりそうだ。

 

 

 今日は女子バスケ部の練習が長引いてるようで、駐輪場に真鶴の姿は無い。

 あいつを置いて帰宅する絶好のチャンスだが、二日ほど前に同じ状況で帰ろうとしたら鞄をぶん投げられた挙句ひたすら冷たい声で罵倒された。

 

 ……後が怖いので待っておくべきか。

 

「む、八幡ではないか。こんな場所で何を……まさか我との悠久なる決闘を果たす為この場で待ち受けていたのか!」

 

 なんか斬新な切り口で声を掛けられた。背後を振り向くまでもなく、それが総武高校2年C組材木座(ざいもくざ)義輝(よしてる)である事を理解した。

 

 え、説明口調で他人行儀だって? そりゃそうさ、俺と材木座は他人だ。だから親しげにファーストネームを呼ぶ必要もないし会話に応じる必要もない。

 

 というか、真鶴が来るのを待つっていうやりがい皆無なクソ業務をこなしてるのに材木座に鉢合わせとか神の悪戯が度を過ぎてると思うんですけど。

 

「ムハーハッハッハどうした八幡! 剣豪将軍・材木座義輝! 既に戦闘準備は整っているぞ!!」

 

「なんで説明も無しにいきなりバトル展開突入してんだよ。会って即座にバトルとか安易なラノベでもやらない手法じゃないか? 目が合ったら即バトルのポケモン並みの理不尽さで戦闘入ったぞ」

 

「冗談だ冗談。八幡からの決闘であればまた別の機会に申し込むとしよう。いやなに、最近は筆も進まぬ故こうしてはっちゃける機会もなかったものでな」

 

「そうか、まあ程々にな」

 

 筆、というのは材木座が着手している戦国系異能バトル物のライトノベルの原稿の事なのだろう。

 

「それで、なにをしていたのだ八幡。こんな所で1人、まさか誰かを待ってるわけでもあるまい」

 

「そのまさかだよ」

 

「何っ!?」

 

「驚くなよ……てか材木座、お前はさっさと帰った方がいい。お前みたいなタイプの奴は、あいつと会わせると十中八九ロクなことにならないぞ」

 

「ふむ? 何を言ってーー」

 

「比企谷」

 

 今はタイミング悪いんだって、そういう話をした時に限ってなんでやってくるの? こいつ。

 声のした方を向くと、ジャージ姿の真鶴が立っていた。

 

「ごめん部活長引いちゃって。……誰?」

 

 セリフだけ聞いたらまるで俺に想いを寄せるヒロインが他の女といる所に居合わせて嫉妬しているような感じに聞こえる。だが実際はこうだ。

 

 ごめん部活長引いちゃって(だから私は悪くないし文句言ったら殺す)。……誰(このデブ、キモいんですけど)?

 

 みたいな感じ。目がそう語っている。

 

「……。八幡貴様、また我に対し裏切り行為を」

 

「なんだよ裏切り行為ってふざけんな。意味は問わないが今お前は俺の逆鱗に指先掠めたぞ」

 

「シャアラーーーップ!! 八幡、貴様だけは我の理解者であり同士、敵でありながら同じ道を歩みし戦士だと思っていたのにそれは我だったというのか!! そもそも八幡貴様は少し自分の立場を」「ねえ」

 

 湿り気を帯びた声で悲痛に泣き叫ぶ材木座の訴えを、真鶴が遮った。

 

「なんの話してるの? 私1人だけ置いてけぼりなんだけど」

 

「こ、これは失敬。我は剣豪将軍・材木座義輝。そこの八幡とは長き戦いを繰り広げてきた好敵手とも呼べる間柄で」

 

「意味分かんないって。その喋り方なに?」

 

 あれ、これ雪ノ下の時と同じパターンじゃね?

 

「むぐふっ!? これはなんて事は無い我にとって自然な」

 

「そうなんだ。面白いね」

 

「ムッ、面白い? ……汝、今面白いと言ったか?」

 

 あれ、材木座? 何嬉しそうにしてるの? 違うよそれ、面白いは面白いでも『見世物』程度の認識に過ぎない面白いだからね?

 

「うん? 面白いって言ったよ。個性的だなーって」

 

「そ、そうかそうか! 分かっているな貴様! ムハハッ、つい可憐な容姿をしているからまた雪ノ下嬢のように冷たい言葉を浴びせられるかと思ったがそれも早計だったようだ!」

 

「えーそうなんだ。私は好きだけどなー、個性的で自分の世界? みたいなの持ってる人って」

 

「……八幡どうしよう、好きって言われた。初対面の女子に脈アリサイン出されたんだが!?」

 

 いやーどうでしょう……それは果たして脈アリかなぁー。

 

「それで、材木座くん? でいいんだよね、名前」

 

「そ、そうでござるが!」

 

 ござるなんて言うキャラだったかお前。

 

「じゃあ材木座くん。いつになったら帰るの?」

 

「帰っ、え? ……ひっ!?」

 

 真鶴が材木座を見上げると材木座は声を上げる。真鶴は口元は笑ってるけど、目が笑ってない。どうしてだろう、巨体な材木座と小柄な真鶴の力関係が完全に見た目と逆転している。

 

 そりゃそうか。真鶴が最近弱キャラになってたのは強い女子勢に攻撃されてたからであって、こういう小物系女子って俺らからすると天敵だもんな。怖いよな、女子の視線って。

 

「そ、それではこれにて!」

 

 材木座は真鶴の視線から逃げるように背を向け、走り去っていった。あーあ、材木座には悪い事したな。

 

 材木座が去ると、真鶴は口だけ笑顔を解き素の表情で俺に「帰ろっか」と言ってきた。

 

 

 

「比企谷にも友達居たんだね」

 

「あれは友達なんかじゃねーよ」

 

「そうなの? 面白そうな人だし比企谷にはピッタリだと思うけど」

 

「俺にピッタリな奴なんか世界中探してもいねえよ。……面白そうな奴?」

 

 近隣住民にとって迷惑でしか無い並走をしながら、真鶴の言った言葉に疑問を抱く。一般的な女子というか、オタク文化に寛容じゃ無い連中にとって材木座の存在は腫れ物のようなものだ。それを面白そうな人って言うだなんて、こいつの趣味趣向や考え方からしてあり得ない発言だった。

 

 ……ああ、皮肉か。ああいうオタクっぽい奴はいじってて楽しいし、そういう面では比企谷とお揃いだなっていう。そういう感じか。

 

「……比企谷? なんかいきなり悲しそうな、寂しそうな顔してるけど。なんかあったの? 大丈夫?」

 

「気にかけるフリをするな。原因はお前だ」

 

「はあ!? ……まだ私と帰るの嫌なのかよ」

 

「そういう意味じゃねえよ。……嫌だけど」

 

「死ね」

 

 いつの間にやらこいつと自然に近い感覚でコミュニケーションを取れるようになって自分の成長具合に驚かされる。

 

 一応俺はこいつに利用されてはいれど『俺がいないと不利になるのは自分』である事には変わらない為、今はまだ対等の立場でコミュニケーションを取ることが出来る。

 ただ俺もこいつに黒歴史を人質に取られてるし、行き過ぎた事は互いに出来ないから絶妙なバランスを取り合っていた。

 

 さっさとこんな奴と縁切りたいのに黒歴史が枷となってそれが出来ない。全くもって人生貧乏くじである。

 

「てかさ、友達じゃないならなんなの? さっきの人」

 

「まだその話続けるかよ。……さあ、知り合いじゃねーの」

 

「じゃあ雪ノ下さんとゆい……なんとかさんは?」

 

「ああ? なんであいつらをここで出すんだよ。あと由比ヶ浜な」

 

「あーそうそれ、由比ヶ浜さん! まあそれは置いといて、同じ部活の人らだしさ。まあ同じ部活だからと言って友達じゃないって事もよくある話なのは分かるけど、3人しかいない部活なら何かしら関係性ってあるもんじゃん?」

 

「ないから。別に」

 

「無いんだ。ただの知り合いしかいない、それに活動内容もよく分からなくてイマイチ自分のメリットにもならない。そんな部活によく居れるね」

 

「俺の意思じゃねえよ。元はと言えば平塚先生に無理やり入れさせられたんだ」

 

「退部すればいいじゃん」

 

「拒否権は無いし退部も許されないんだと」

 

「ふーん。そんな一生徒に部活での活動を強要できる権利とか先生が持ってるもんなの? 別に比企谷、何か特別悪い事をしたわけじゃ無いんでしょ?」

 

 なんだ真鶴の奴、どうでもいい話題なのにやけに鋭い指摘をしてくるな。

 

 確かに俺は、論文やら文章を書く系の課題において世界に一石を投じるような斜め上の視線で物語った事を書くおかげで毎回平塚先生に呼び出しを食らっているが、だからと言って風紀を乱したり学校の名が地に堕ちる危険性のあるような問題行動をしたわけでは無い。

 

 俺からしても、たかだかちょっと風変わりな文を書いて提出しただけで部の強要をされるというペナルティを負うまででは無いと思う。言ってしまえば俺より問題ある奴とか沢山あるし。例えばこいつとか。

 

「……さあ、どうでもいいだろ。俺の事なんか」

 

「そんな事ないんじゃない」

 

「はあ?」

 

 いつもと違う返しに驚き横を見る。いつもなら、「確かに、比企谷なんかどうでもいいわ。でさー」って別の話題に転換する所だ。

 

「俺の話なんかしてもつまらないだろ。なに柄にもなく俺なんかに気を使ったんだよ、いらねえよその気遣い」

 

「気なんか使ってないけど。別に比企谷の話を聞いてつまんないわけじゃないし。だったら話も振らないじゃん馬鹿じゃないの」

 

「それはそう……なのか? いやでも、お前は俺の事嫌いだろ。そんな奴の個人的な話なんか聞いても何の得もないだろ」

 

 確認を取るようにそう言うと、いつも寄り道するコンビニに着いた。真鶴は自転車を停め、降りると同時に鞄から財布だけ出す。

 

「比企谷が私の事嫌いなのは知ってるけど、私は別にあんたの事嫌いとか一言も言ってないからね」

 

 とだけ言って、真鶴はコンビニへと入って行った。

 

 嫌いとか一言も言ってない? キモいだとかクソだとか、そういう罵倒は嫌いな相手だから自然とスラスラ言えるんじゃないのか? 嫌いだからこそ心にダメージを負っても構わない、だからこそ傷付ける、それが彼女にとっての普通じゃないのか?

 

 ……なんだかあいつ、日を増す毎に意味が分からなくなっている。俺を混乱させようとしているのだろうか。何故?

 

 

 

 それから真鶴が戻ってきて、いつもと変わらない中身のない会話を少しして別れる。悶々とした、疑問に満ちた俺の事など知る由もなく、彼女はいつもとなにも変わらずに帰って行った。



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12:臆病な真鶴弓弦は目を逸らす。

 比企谷は私と別れる時、なんの感情も抱かず去って行く。

 

 あいつは私が嫌いだ。だから去り際に私を厄介扱いしてそそくさと帰ればいいものを、そんな事はあいつはしない。

 

 あいつは私を殴りもしなかった。相当むかついてる筈だ、なのに殴らなかった。理性云々がイかれてるのだろうか。ぶっちゃけ気持ち悪い。

 

 ……なんなんだろ。最近、あいつがよく分からなくなっている。

 

 昔のキャラとは明らかに違う。

 

 今の比企谷がこんなキャラになった原因は……まあ私にあるんだろうけど、それでも人から好印象やらを獲得しようとしていた当時に比べると今の彼はまるっきり真反対で、見てるとなんだか痛くなる。あ、痛い人って意味ではなく。

 

「あら、お帰りなさい」

 

 玄関を開けると丁度洗濯物を運んでいたお母さんと目が合った。彼女がこの時間帯に家にいるのは珍しい。

 

「あんた、制服は?」

 

 お母さんは私が帰るなり冷淡な目でその姿を観察し、責める口調でそう言ってきた。

 

「……部活が長引いたから。このまま帰ってきた」

 

「部活が長引いたから? 着替える時間くらいあるでしょ」

 

「まあ……」

 

「……あんた、また変な遊びしてるんじゃないでしょうね。不純異性交遊とか」

 

「してないから」

 

「嘘おっしゃい。あんた中学入った頃から調子乗ってメイクしたり制服着崩したりしてるけど、それは変な友達と付き合ってるからでしょ? 私の仕事が忙しくなってきて見てないってのもあるけど、だからって何も知らないわけじゃないからね」

 

「……うざい」

 

 母親の話を無視して自室に戻ろうと横を通ろうとすると、途端に腕を掴まれた。顔を見ると、また一層と冷えた目線で母親は私を見据えていた。

 

「あんた、親に対しての態度がなってないわよ」

 

「……」

 

「お父さんから聞いたわ、ストーカーに付き纏われてるんだって? それもあんたの自業自得でしょう、あんたみたいに頭の緩そうな女は変な男を引っ掛けやすいのよ。自分がしっかりしてないのに家庭に面倒事を持ち込むなんて、最近のあんたは特に目に余r」「離してよ!!」

 

 強引に腕を払おうとするが、母親は思い切り私の腕を掴んでる為そんなんじゃ離れなかった。……というか爪が食い込んでる、痛い。せめて爪切ってよ。

 

「離してほしいなら正直に答えなさい。お母さん達に何か隠している事あるでしょ」

 

「無いってそんなの! 何を根拠に言ってるわけ!? 自分の子供の事少しは信頼してよ!!」

 

「信頼なんて出来るわけないじゃないあんたの事なんて!!」

 

 母親はキレると私を制圧する為に大声を出す。だから私は先手を取って声を荒げるけど、母親も負けじと声を荒げて私の意見を聞かずに自分の主張を押し通させる。

 

 居間にいる父親は私と母親のいざこざに干渉しない。というか私に興味がない。あの人はいつまでたっても子供だから、家庭の事なんかより単純に母親との甘い時間に重きを置きたいだけなのだ。無能の置物だ。

 

 力勝負でも母親には勝てない。だから私から折れるしか無かった。

 

「……ごめんなさい。本当に何もしてないんです、今日は本当に部活長引いて最終下校時刻を過ぎそうになったから着替える時間無かったんです」

 

「そう。そういう事なら先に言いなさいよ紛らわしい」

 

 今考えついた嘘っぱちの言い訳なんだよ。

 

 母親は私の言い分に納得すると手を離した。うわ……爪が食い込んだ所ちょっと赤くなってんじゃん最悪。死ねクソ親。

 

 あーもうホントクソ。父親がいる分には干渉してこないから別にいいんだけど、母親がいるとなんでもない事で私に噛み付いてくるから本当にうざい。心の底から交通事故で身体めちゃくちゃに損壊してほしい。

 

「はあ〜〜〜〜」

 

 自室に着き、鍵を内側から閉めて誰も入らないようにしてベッドに飛び込む。

 夕飯時に下に行かないとまたお母さんがヒスりだして部屋の前で暴れられるのですぐ出ないと行けなくなるのだが、それでも今は束の間の休息。疲れ切った体を休めるのに集中しよう。

 

「…………あ駄目だ。寝そう」

 

 ご飯とお風呂ともろもろもろもろ。まだやる事は沢山ある。今寝落ちするのは止そう。

 

 寝返りを打ち、天井の方を向く。全身が鉛のように重く、ずっぷりとベッドに沈み込みそうになりそうな感覚に襲われる。

 

 …………あー、怠い。なんか最近悪意に晒されすぎなんだよな私。むかつく。どいつもこいつも私に対して優しくなさすぎ。むかつく。

 

 むかつく。

 

「まあ……自業自得なんだけどさ」

 

 ここでお母さんの言葉が頭の中を反芻して口から溢れた。

 

 私に悪意をぶつけてくるのは母親と、雪ノ下と、比企谷。まあこれまで私が素で接してきたのなんて親か遥達一部の人間だけだし、それ以外で私の素を見せる相手なんて本性を知ってる人間しかいないし悪意をぶつけてくるのは当然なんだけど。

 

 で、悪意を最もぶつけてくるのは比企谷なわけだから、こんなむかつく気分になるくらいならあいつと離れればいいわけなんだけど。

 

 ……分かってるんだよなあ、そんな事。

 

 あいつにとってもそれが最善で、私と比企谷は分かり合えないし近くにいるだけで傷つけ合うハリネズミみたいなもんなのは分かってる。

 

「……はあ」

 

 でも、あいつと離れたら植木先輩は私とあいつで仲違いが起きた的な考えを起こして私に急接近するだろう。最初から仲良くなど無いのだけれど。

 

 そこで私が先輩を拒絶しても意味がない。比企谷がいて、先輩と比企谷が衝突して、そこで私が拒絶する事で意味を得る。

 

 単純な話だ。私が個人的に先輩を拒絶すればあの人の逆恨みを買うかもしれないけど、比企谷という第三者を用意して、一旦そっちに意識を向けて比企谷と先輩が衝突さえしてくれれば、私は先生を呼んで安全な位置から先輩に痛い目を見させる事ができる。

 

 その上、私はストーカー被害に遭い男子に助けてもらったという事で知名度を上げることもできる。何も知らない周りからすればそれこそ悲劇のヒロインだ。

 

 

 この内容は絶対誰にも話さないけど。浅はかだし、なんか馬鹿げてるし。それって結局比企谷を利用して自分だけ安全な所から美味しい部分だけ頂こうとしてるだけだし。

 

 ……弱みを握ってるってだけで、まったくこの件とは無関係な比企谷を危険な目に遭わせる事になるかもだし。

 

 まあそこは比企谷の立ち回り方で変わるでしょ。あいつだったら先輩に私との関係を聞かれた時に「はあ? ふざけんな、あいつとは何もねえよ気持ち悪い」とか言って拒絶してくれると思うし。

 そうすれば先輩に敵意を向けられる事もないだろうし。

 

 いい感じに比企谷が嫌悪を示してくれれば、側からはピリついてる風に見えても実際の所穏便に済ませられる。それこそ最善だ。

 

 

「お姉ちゃん、おかえり。なんか言い争ってたみたいだけど、大丈夫?」

 

 ボーッと考え事をしていたらドア越しに妹が話しかけてきた。

 

「んー、大丈夫。何もなかったし」

 

「そうなんだ」

 

「ん。あ、ねえ玲奈(れいな)、聞きたい事あるんだけど」

 

「うん? 何?」

 

「えっと」

 

 聞こうとしていた事は、比企谷の事だった。

 

 妹の玲奈は当然比企谷の事など知らない。だから比企谷を別に言い方で表して、何かを聞き出そうとしたのだが……上手い言葉が見当たらなかった。

 

 私にはあいつの事が何も分からない。当時のあいつの事も、私に傷つけられた時のあいつの事も、それからのあいつも、今のあいつも。あいつが何を考えてどう生きて、今みたいな性格になって、頭の中で何を考えているのか。

 

 ……私は、何故比企谷を平気で傷つけ、その上であいつの目の前で普通に私として振る舞えるのか。自分が、何故こんなに残酷で醜いのか。

 

 そんなのに興味を示すには自分ながらに珍しい事だとここでふと気付いた。そして、気持ち悪くなって私は玲奈に「やっぱいい」と言った。

 

「……ぶふっ、何悟り開こうとしてんの私マジキモい。私が醜いとかそんなの……昔からずっと知ってるじゃんか」

 

 そう、自分が最低な奴だって事は知ってる。当たり前だ。私は『私に都合の良い和』を維持する為に何の躊躇もなく私達の敵を作って蔑んできたんだから。気付かない方が異常だ、自分の醜さに。

 

 知った事じゃなかった。そんな当然の評価も、自分の王国の中には存在しないのだから。

 

 あ、だから今更になって気になったのか。

 

 比企谷は私の事が嫌いで、私の醜さをこれでもかと証明してくる。というか今のあいつこそ私の醜さの証明なのだから、余計意識せざるを得ないんだ。

 

 

「やっぱ毒でしかないなあ今の関係。私にとっても、あいつにとっても」

 

 

 結論は出た、そしてもうギブアップだった。

 

 居心地の悪い現実からは目を背けて、早く心地良い虚構に帰ろう。その為に、私は行動を起こす決心をする。

 

 明日、また比企谷に迷惑を掛ける。そうする事で、あいつに嫌な思いをさせる事で私はこの苦から解放される。

 きっとあいつも、形は何にせよ今の関係から解放される事を望んでるだろうから、それが結果的に互いに都合の良い物になるだろう。

 

 

 ……流石に自分本位過ぎるな。あいつの頭ん中なんて何一つ分かんないのに都合の良い方に勝手に決めつけて。

 

「……まいっか、どうでもいい」

 

 若干喉に引っかかりを覚えた言葉だが、私はそう自身に言い聞かせた。



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13:これであいつとの物語が終わる。

ちょっと強引が過ぎるし書いてて疑問符が沢山浮かびました。


 珍しい事が起きた。

 

 昼の時間や授業の合間なんかに無意味に俺の元まで来て話し掛けてくる真鶴が、今日は一度も姿を現さなかった。

 

 なんだ、俺の知らぬ水面下で問題が解決したのか? だとしたら大団円だ、もう無理してあいつに付き合う必要も無くなるのだから。

 

 カースト最底辺の俺が、まさにカーストを意識してそうな真鶴(あいつ)と関わる事が間違ってるんだ。これで平穏無事に、俺の本来の物語を再開する事ができる。俺の青春ラブコメはここから再スタートするのだ。

 

 

 

 部室に向かう途中、窓ガラスがビリビリと震えている事に気付く。今日はやけに風が強い、台風でも近付いているのだろうか。

 

 なんか、折角真鶴の顔を見ずに過ごした無難な1日だってのに天候が不穏な空気を生み出している。なにこれ、ラスボス戦みたいな雰囲気なんだけど。いつもより廊下暗いし。

 

「君、比企谷くんだよね」

 

「あん?」

 

 薄暗い廊下をボーッと歩いていたら、なんか男子生徒に話しかけられた。

 

 ……この人、真鶴の事を見てた人だ。いわゆるストーカー先輩。なんだ、今回の件のそれこそラスボスじゃないか。

 

 え? なに? 俺フラグ立ててから回収するまでが早過ぎない? なんなの、あと何回変身残してんの?

 

 って冗談を言ってる場合じゃないな。例のストーカー本人が、真鶴とつるんでた俺に直に会いに来たのだ。もしかしなくても、それは俺に対する、こいつからの挑戦状。もしくは攻撃、脅しという線もある。

 

「ちょっと話があるんだけど、来てくれるよね」

 

 来てくれる“かな”ではなく、来てくれる“よね”。もうその口振りからして俺から優位を取ろうとしてるのは目に見えていた。

 

「あー、その、俺これから部活で」

 

「今日は休もっか」

 

「いや、そうは問屋が卸さないというか……部長に心無い言葉で口撃を受けたくないというか」

 

「わけを話せばわかってくれるだろ。少し会話するだけなんだし」

 

 どうあっても俺を逃がしてはくれないようだ。なんで今日、なんで今なんだ。てか別の機会に回してもいいだろって思う。

 

 ……まあ、いつかはこうなると思っていたし、これを機に真鶴との縁が切れるのならばそれも御の字か。気は乗らないけど。

 

「……分かりました。で、どこで話し合うんすか。出来れば脅迫とか受けたくないんで人目のつく所がいいんすけど」

 

「ありがとう」

 

 うわー、心の一切こもってないありがとうだー、意識疎通拒絶の醍醐味であるありがとうだー。

 

 ストーカーなんかする奴だから予想はついてたけど、こいつめんどくせぇなあ。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 先輩は思った通りの行動を取ってくれた。

 

 比企谷の事を遠目で観察していた私は、部室に行く途中であろう比企谷が先輩に捕まったのを目視するとその後を追った。

 

 今朝、植木先輩を呼び出し「あの、私の事好いてくれてるのは嬉しいんですけど……私には比企谷くんがいるので……その、2人の男子を同時に好きになるのは難しいというかなんというか……困ります」みたいな小っ恥ずかしい、馬鹿らしいセリフを吐いてやったらその日の内にこんな手立てを取るとは。

 

 正直こんなんで人が動くとは思ってなかったが、案外私には人を操る才能があるのかもしれない。馬鹿な人限定だが。

 

 というかよくあんなセリフで相手方にちょっかいかけようと思うな。あの文面だったら普通に自分の存在が邪魔なんだなって思って手を引くものじゃないの? ストーカーするような執念深い人が簡単に諦めるわけはないんだけどさ。

 

 まあ先輩のおめでたい頭が勝手に「比企谷に手を引かせれば自分の事を見てくれる」と思い込んでくれたのは上々だ。後は、比企谷に一方的な嫉みを抱いてて、比企谷のボソボソっとした喋り方にキレ始めた辺りで先生を投入すればいい。

 

 あっは、私まじ天才じゃんやば。

 

 

 

 2人の後を追うと、2人は授業以外では生徒が一切立ち寄らない化学室に不法侵入していった。確かに鍵が壊れてて実質入りたい放題だけど、選ぶ場所が陰気すぎる。あと職員室少し遠いし。

 

 うぅ、この部屋臭いから聞き耳立てたく無いんだけど。うざいなー。

 

「比企谷くん。正直に答えて欲しいんだけど、真鶴さんとはどういった関係なんだ?」

 

 お、始まった始まった。想定通り……ではなく苛立った様子の先輩に対し全然比企谷ビクビクしてないけど。なんか呆れたような顔で余裕かましてるし、何あの顔むかつくな。

 

「真鶴と俺の関係? あー、そうだな……」

 

 意外とハキハキ喋ってるし。なんだよあいつ、全然どもらないじゃんどうしたの? もしかして私と会話する内に会話に慣れちゃったのかな。

 

 こんな所であんましハキハキと自分の意思を表明されると先輩も素直に飲み込んじゃいそうで怖いんだけど。もっと低くて聞こえるか聞こえないかくらいのボリュームでボソボソどもりながら喋ってくれないかな。

 

「セフレ、って言えば分かるか?」

 

「えっ?」

 

 えっ?

 

 ……? 何言ってんのあいつ。セフレってなに? セックスフレンド的な奴? どんな妄想? え、やば。

 

 ちょっと待って待って展開が読めないんだけどなにこれ。どうなってんの? 当たり前だけど先輩めっちゃ狼狽してるし。そんな先輩に対して、比企谷は見下すような、嘲るような口調で言葉を続ける。

 

 

 ーーーーーーーー

 

 

 まず最初に、これは奉仕部の依頼じゃない。真鶴が卑怯な手を使って俺を脅し、無関係な俺を巻き込んで起きた事態だ。本当なら今この瞬間、このストーカー先輩に言い寄られるなんて事はあり得ない筈だった。

 

 だからこの傍迷惑な問題には、誰にも理解されなくとも俺独自のやり方を貫くことが出来る。咎められる謂れはない、俺は被害者なのだから。

 

 俺が真鶴のお守りをしなきゃならない理由はこの男が真鶴に付きまとうからで、俺が真鶴と離れ離れになる為にはこの男を真鶴から引き剝がさなければならない。

 

 矢印の方向がこいつから真鶴、真鶴から俺に向いている現状、こいつから真鶴を引き剥がす為に一番手っ取り早いのはこいつから俺に矢印を向ける事だ。で、こいつが真鶴のどこに惚れたのかは知らんが、少なからず真鶴に愛情と呼べるものを抱いてるとしたら、俺が真鶴を『不幸』にしてやってると吹き込めば、自ずとこいつは俺にだけ、敵意や憎悪といった『強い意識』を向けるようになる。

 

 する事は簡単で、俺は悪人になり真鶴に男性への恐怖を与えてる事にすればいい。

 

 有る事無い事でっち上げた所で、俺は真鶴に干渉しないし真鶴も俺に大して干渉したがらない人種だから関係のない話だ。こいつが勝手にそう思い込み、勝手に自分の中でルールを敷いてくれればそれだけでいい。

 

 それに俺が嫌いな真鶴なら、あいつの尊厳や人格をどれだけ貶す事になろうが、貶める事になろうが、全く何も感じないしそれが手っ取り早いのだから俺はやはりこの手段を取る事にした。

 

「セフレ……セフレって、それはつまり真鶴さんと」

 

「ああ。ヤッた。何度も犯した、家でも学校でもな。まあセフレっつっても、俺が一方的にあいつの弱みを握ってて逆らえないようにしてるんだけどな」

 

 善良な人間なら嫌な顔をしそうな、そんな嗤いを含めて言う。

 

「なっ……!」

 

「そんな顔すんなよ。あんた俺を責める資格ないんだぜ? あんただって、真鶴が嫌がってんのにストーカーしてたんだからな。警察から注意受けたんだろ? 駄目だろ、そんな事しちゃ」

 

 事実を突きつけての糾弾。ストーカー先輩は苦虫を噛み潰したような顔を浮かべる。自覚かどうかは分からないが、ストーカー扱いに対し思う事はあるようだ。

 

「そんな事! 僕は純粋に真鶴さんにアプローチしてただけで!!」

 

 そうなんだ。知らなかった、と言っても、ストーカーは自分が度を過ぎた行為をしてると自覚してないケースが多いからな。真鶴の怯えようを見た感じ、こいつもそっちタイプなんだろう。

 

 だが、それさえも材料にする。こいつが俺に憎悪を抱き、こいつが真鶴に気を遣い近付かないようにする為に。念には念を入れる。

 

「真鶴は最近男に対して怯えてるようなんだよ。ま、十中八九俺が無理やり犯しまくったからなんだろうけど。だから、あんたの言う純粋なアプローチってのも俺に汚されたあいつからしたら邪な気持ちを持って近付いてきた怖い男に過ぎないんだろうな。多分あいつはもう一生、グイグイくる男に対し心を開かないと思うわ。だからあんまり虐めてやんなよ? もうあんたの事はストーカーとしか見てないみたいだし、近付かないのがあいつの為なんじゃねえ?」

 

 嘘っぱちからの設定改変からの注意喚起。こいつが真鶴を想ってるのなら、その真鶴の気持ちを汲むよう指示するような発言をして、強制的に俺の言葉を脳に浸透させる。

 

「ぐっ……お、お前……自分が何を口走ってるのか分かってるのか!!」

 

 憎悪の膨れ上がりつつある目で俺を睨む。それで良い、あんたは俺の手のひらの上だ。

 

「ああん? あんたがわざわざ人のいない場所に連れてくるから正直に答えてやったんだろ。あ、そうだ、この事他の人とかにバラすなよ。繰り返し言うが俺は真鶴の弱みを握ってるし、言っちまえばこの事自体が弱みだからな。……あんたの大好きな真鶴がこれ以上壊れる姿、見たくないだろ?」

 

 ん〜〜〜自分で言っときながらめちゃくちゃ鳥肌立ったわ今のセリフ。女性の皆さん、こういう悪い男性に気をつけてくださいね、と。

 

「お前、比企谷ァ!!」

 

 目の前のスト先が猛り狂った。

 そりゃそうか、意中の相手が男に脅されてれば当然理性など保てない。ただ、俺だって殴られるのは嫌だ。

 

「おいおい待てよ、俺は痛い目なんか見たくないぞ? いいのか、俺の逆恨みで真鶴の秘密が学校中にばら撒かれても」

 

「っ!!?」

 

「あんたは真鶴が大切なんだろ? あいつは今相当弱ってるんだぜ? 今の状況で俺の持つ秘密や、あいつの現状がもし周りに散布されたら、間違いなくあいつは精神を病む。あんたそこそこあいつと付き合いあったんだろ? そんなあんたでさえもあいつは拒絶してるんだからな」

 

「くっ……そ、」

 

「賢明だ。あんたが利口で良かったよ」

 

 正直この手の輩(ストーカーするような奴)がこんな脅しで理性を取り戻すとは思わなかったが、動きが止まったので良かった。八幡奥義を披露しておでこと床がディープキスするような事態は免れたわ。怖かった。

 

「じゃ、俺は行くから。この事をバラすもバラさないもあんたの自由だが、真鶴の事を想うなら他言しない方がいいよ。あと、あいつに近付くのもやめた方がいいな、好きな相手の幸福をひっそり願ってやれ。……ってな、もう俺には関係ない事だからいいんだけどよ」

 

 これ以上スト先といると気が変わったスト先にボコボコにされそうなので、俺は捨て台詞で追い討ちをかけて早足に退散する。

 

 ガタッ。

 

 化学室を出る直前、扉付近で物音が聞こえた気がした。出た後には誰もいなかったが。

 

 しかし、教室を出た直後、廊下の突き当たりを曲がって行く背には見覚えがあった。

 

 

 

 その日は真鶴が駐輪場で待ってるという事もなく、スト先に闇討ちされる事もなく、ただただ平穏な時間が過ぎていった。

 

 風が強いと思ったら奉仕部を出た後に雨なんかも降り出して気分は最悪だったが、これからの事を考えるととても晴れやかな面持ちになっていた事だろう。

 

 俺は、チャリに差していた傘を広げ、強風の中片手運転で帰る。久々の1人での帰り道だった。



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14:文化祭実行委員にされるわ、また会うわで。

 真鶴を見なくなって二日目。自分への厄介があるとすぐ他者を頼る真鶴がこうも姿を現さないという事は、ストーカー問題は解決したと見てもいいのだろう。知らんけど。

 

 さて、平和を無事取り戻した俺だが、なんか文化祭実行委員に任命されていた。

 

 否、任命ではなく人柱だ。

 

 俺を生贄に差し出した連中の筆頭である平塚先生曰く、「委員が決まらずグダグダやっていたので比企谷にしておいた」との事。

 

 こんな世界あってたまるか。ぼっちに何でもかんでも押し付ければ良いだなんて、ぼっちの気持ちも少しは考えてくれよ。このサディスト教師め。

 

 

 まあそれはいい。全然良くないが、それこそ今の不満で一曲書けそうなくらい全然良くないが、まあそれはいい。

 

 文化祭実行委員は1クラスに男女1名ずつ。つまり俺の他にもう1人女子が選ばれるのだが、これが中々決まらず結果的に葉山の爽やかマジックによりやらざるを得なくなった相模という女子が任命されたわけだ。

 

 

 実行委員の決定初日から、早速実行委員会が開かれた。そこで雪ノ下と会い、城廻(しろめぐり)めぐりっていう三年の先輩と少し話し、後は退屈に時間の経過を待つだけの作業を行っていた。

 

 俺と雪ノ下は「記録雑務」ってのに入った。他にも宣伝広報、有志統制、物品管理、保健衛生、会計監査といった役割はあったのだが、どれも相応にやらないなって部分の内容があった為に手を上げずにいたら、まあ最終的に記録雑務に入れられたという運びだ。

 

 当日写真撮ったりするくらいでそこまでハードでもないし、これくらいが丁度いいだろう。めぐり先輩、ナイス手腕だ。

 

 肝心の実行委員長はうちのクラスの栄えある女子、相模南が務める事になったが、現状で不安要素と言うとそれくらいか。

 相模、なんか自己紹介の時に周りに自分のスキルアップを促してほしいという旨の内容言ってたし。ハナから責任感の弱い奴が逃げ道を作るときの言い分だ、あれは。

 

 

 

「……わっ、比企谷?」

 

 実行委員会が終わり、速攻教室を出た雪ノ下に続いて俺も教室を出ると、そこにはもう会わないだろうと思っていた真鶴が立っていた。

 

 横を素通りして帰ろうとすると、なんか制服の裾を掴まれた。あれだ、駐輪場でも同じやりとりをした事あるぞ。

 

「……んだよ。もう終わったんだろ、ストーカー問題」

 

「うん。先輩来なくなった」

 

「じゃあお前との縁もこれでおしまい。良かったな、じゃあな」

 

「いや、聞きたい事あったから丁度いいし」

 

「はあ?」

 

「待っててよ」

 

「嫌だよ」

 

「……」

 

 真鶴は「帰ったらどうなるのか分かってんのか?」とでも言いたげな目で俺を睨んだ。はて、どうなるんだろうか。また黒歴史を人質に取るのだろうか、このひとでなし!

 

「とにかく待っててよ。帰ったらマジ許さないから」

 

「えぇ……」

 

 俺に念押しすると真鶴は教室に入っていった。しばらく待ってると、戻ってきた真鶴に「行こ」と言われ半ば強制的に駐輪場……ではなく、空き教室に足を運んだ。

 

「なんなんだよ一体」

 

「遥……友達を待ってたんだけど、まさか比企谷がいるなんて思わなかったわ。文実とかキャラじゃないのに」

 

「うるせぇ、好きでやってるわけじゃないんだよ。周りがやりたがらないから無理矢理充てがわれたんだ」

 

「だと思ったわ。比企谷が自分からこういうイベント事に首突っ込むわけないし」

 

「……で、用はなんなんだよ」

 

 無駄話をしたいわけではないので、さっさと用件を聞き出す。

 

「私、昨日のやつ聞いてたんだ」

 

「……へえ」

 

 昨日の。それはつまり、ストーカー先輩に有る事無い事言い放ったあの時の事を指してるのだろう。

 

「つまりなんだ。その……勝手にセフレ設定にした事に対し、キモいとかうざいとか、とにかく俺を攻撃しに来たってわけか」

 

 確認を取ると、真鶴は首を横に振ってそれを否定した。

 

「違う、そういうんじゃない。……ねえ比企谷、なんであんな事言ったの?」

 

「なんで? ……別に、あれが最速で事態を終わらせる策だと思ったからあれを選んだだけだ。特別な意味なんかねーよ」

 

「そうなの?」

 

「そうだよ。実際、俺があんな最低野郎になりきってあいつを脅したからお前があいつに狙われる事はなくなった。それを見越してやったんだよ」

 

「へえ」

 

 俺の答えに、釈然としない表情で頷きはする真鶴。

 

「なんなんだよ。もう帰っていいだろ」

 

「待ってよ、まだ納得してないし」

 

「うぜえな……」

 

「うざいのはそっちだから。……マジ意味わかんないし、あんたさ、あの時わざとあんな馬鹿みたいな設定にして自分悪者にしたじゃん」

 

「だから、それが最速で最善だったんだって」

 

「そう……かも知れないけど。でもよりによってあんたが、私の為にそんな事してくれるわけないじゃん! あんなの、自己犠牲って言うんでしょ? あんな言い方したら私に非があったのに私は先輩に恨まれないし、むしろ私の分も重ねて比企谷が恨まれんじゃん! なんで私なんかの為にそんな事したわけ?」

 

 真鶴のその、ふざけた勘違いに呆れ長〜いため息が漏れる。はあ〜〜〜〜っと。

 

「自己犠牲? なんであれが自己犠牲になるんだよ。言ってんだろ、俺は俺にとって都合が良くなる為に、つまりお前と少しでも早く縁が切れるようにそうしたんだ。あんな素性も知らねえ俺とは無関係の馬鹿にどう思われようが知ったこっちゃないんだよ。それにお前の為? お前の為にやったなんておこがましいにも程があるだろ、お前にとって都合が良くならないとこの忌々しい関係を断ち切れなかったんだから、結果的にお前に都合が良い形になるようにしなきゃならなかったってだけで。何勘違いしてんだよ、気持ち悪い」

 

「……よく分かんない。何言ってんの、あんた」

 

 真鶴は心底困ったような顔をしてそう言った。

 

「早い話お前なんかの為に、っつーか誰かの為に俺が犠牲になってやるもんかって話だよ。俺のする事は誰かの為じゃなく、俺の為にするんだ。俺は誰も助けないし、結果助かっただけで勘違いしてんじゃねえって話。はい終わり、もういいだろ」

 

「じゃあもし、比企谷の言った事が周りにバラされたらどうすんの? 私は責められず、比企谷は何にも悪くないのに悪者にされるんだよ?」

 

「そうならない為に脅したんだろ。あのストーカー野郎の純情(笑)を」

 

「脅すって言ったって絶対誰にも口を割らないって決まってるわけじゃないじゃん。人って案外自分以外の秘密とか他人に喋っちゃったりするもんなんだよ? ……それが話題の種になるから」

 

「……」

 

 確かに、他人の秘密ってのは注目を浴びる大きなツールだろう。こいつがそういうのを広めて人気を獲得してきたように。

 

「別に正直に打ち明けて、私とは何もないって言えばよかったじゃん。そうすれば無駄なリスクは無かっただろうし」

 

「馬鹿か。そしたらお前に対する執念は消えなかっただろ。むしろ悪化する一方だったに違いない」

 

「それは……だって比企谷もっとボソボソ人をイラつかせる感じで喋ると思ったんだもん。それで先輩がキレそうになってきたら先生呼ぼうと思ったのに、内容が酷すぎて呼べなかったんじゃん」

 

「……教師を介入させたらストーカーは更に憎悪を肥大化させる。それは解決に繋がらない、根本の、ストーカー本人の気持ちを動かさなきゃ駄目だろ」

 

「だからわざと先輩に恨まれるように仕組んだの? それって結局自分が囮になってるし自己犠牲じゃん」

 

「っ、だから自己犠牲じゃねえって。なんでそうお前は俺を犠牲にさせたがるんだよ」

 

「……あんたの言ってる事、理解は出来ても納得出来ないんだよ。だってあんた、一回先輩に襲われかけてんじゃん。当たり前だよ、あんな内容話されたら誰だって動揺するし……正直、あの時のあんたはそれを誘発してるように見えた」

 

「殴られなかったろ。まあ誘発してたのは事実だな、あそこであいつが俺を殴れば受験前のあいつは全てがパーになる。だから俺に必死に口止めして、真鶴にも手を出せなくなるだろうし」

 

「……そんなリスクを背負う意味が分かんない」

 

「だからそれも、効率を考えた上で」「私が分からないのは!!」

 

 真鶴が突然大声で俺の声を遮った。なんなんだ、情緒不安定なのか? 生理なのか?

 

「私が分からないのは、それで傷つくのは比企谷だけって事だよ」

 

「……はあ? 何言ってんだ、俺は傷付かねえだろ」

 

「もしこの件がバレても、もしあの場で先輩が理性を保てなかったとしても、痛い目を見るのは比企谷だけじゃん。あんたが嫌いで、あんたに嫌な思いをさせて、あんたを巻き込んで、それでいて最終的にあんたを利用しまた裏切ろうとした私はどうあっても傷付かない。それが一番意味不明なんだって!!!」

 

「お前が傷ついたら意味ないだろって」

 

「うっさい!! ……それに、あんたが傷ついたら周りがどう思うかも考えてない。あんたが私のせいでどんだけ卑屈になってるのかは知らないけど、あんたが傷ついたら雪ノ下さんや由比ヶ浜さんも多分何かしら思うと思う。……そこら込みで私はあんたを利用してたわけだけど」

 

「……いきなり好き勝手言いやがって、俺の方法にケチつけるなよ馬鹿のくせに。結局これが一番効率的だった、今は何も起きてなくて平和そのもの。それでいいじゃねえか。なんなんだお前、もしもの話で勝手に盛り上がって」

 

 思ってもない言葉が口に出て少し驚くが、言った後で反復するようにフツフツと苛立ちが発生したのでその言葉を受け入れる。

 

 てか、分かってて人を利用してたくせに他人の気持ちだとか何をご高説垂れてんだこいつ。お前に説教される謂れはねえよ。

 

「てかお前、俺に傷をつけた自分が傷を負わないのはおかしいって理論だとすると結局少しでも楽になりたいだけだろ。自分も傷ついたから傷つけられる人の気持ちはわかる、そんな免罪符が欲しいだけなんじゃないのか」

 

「違うし馬鹿じゃないの!? ……比企谷だけが傷ついてるのは確かだし、それがなんか、なんというかむかつく。……本人が受け入れてるのもむかつくし……私は私でむかつくし……よく、分かんないけど」

 

「は、はあ」

 

 え、なにしおらしくなってんのこいつ気持ち悪。なに、一丁前に同情してるつもりなの? 何様なの、こいつ。

 

「……ごめんいきなり、うざいね私。でも、まじで比企谷の事が分かんなすぎて、なんかよく分かんない変な感じがしてイライラするんだよ」

 

「イライラされても困るんだが。それに実際今のお前かなりうざいぞ」

 

「……うっさい黙れ死ね」

 

 罵詈雑言の圧縮された弾丸が飛んできた。どんだけ暴言言い慣れてんだこいつ。

 

「てかお前がうざいのは今に始まったわけじゃねえから。中学の事件以来ウザく無かった瞬間は一瞬たりともなかったからなお前」

 

「……比企谷はまだ私の事嫌い?」

 

「当たり前だろ。いつお前に対する嫌悪感が消えるようなイベントあったんだよ」

 

「いや確認しただけだし。……昔の話してもいい? 最近、少しだけ比企谷にあんな事言った理由が分かった気がするし」

 

「知らん。興味ねえよ、帰るわ」

 

「……あっそ。うざ、クソ谷」

 

 そこから空き教室を出てそれぞれ別の方向へと歩き出そうとする。

 

「あ、待って比企谷」

 

「ちっ。まだ何かあんのかよ」

 

 不意に真鶴に呼び止められる。彼女は小走りで自販機まで行くと、そこでMAXコーヒーを購入し戻って来るやいなや俺の胸にドンとそれを押し付けた。

 

「痛いんですけど」

 

「うっさい。受け取れクソ谷」

 

「はあ……」

 

 言葉通り受け取ると、真鶴は下を向いて前髪で表情を隠し「じゃあね」と言って去って行った。

 まるでツンデレヒロインが主人公に心を開きデレを隠しながらもお礼の品を渡した名場面のように見えなくもないが、実際は『これ渡すから今までの分全部チャラな。文句言ったら殺す、受け取らなくても殺す』という意味のサブテキストが秘められている。

 

 しかし、今回は前回のコンビニ前と違い真鶴がいない為、俺は仕方なくMAXコーヒーを開け口に流し込んだ。

 

 存外、人の金で飲むMAXコーヒーは美味かった。



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15:相模の来訪

 文化祭が近付き、その準備の為に下校時刻外の教室利用が可能となり校内はどこも慌ただしくなった。

 

 ダンボールを運ぶ軍団と鉢合わせたり、絵の具がつきたての看板やらなんやらがブービートラップのように張り巡らされていたり、まだ文化祭は先だというのに皆気持ちが早っている。

 

 ……だりぃ。道を塞ぐな浮かれやがって、邪魔臭い。

 

 うちのクラスは腐海の貴婦人海老名(えびな)姫菜(ひな)が監督、演出、脚本を務める発酵食品さながらのミュージカルをするという事で。題材は『星の王子さま』、内容はまあ……ターゲットを女性と触れ込んでるので察し。

 初めこそ文実なんかに俺を巻き込んだクラスメート、ひいては平塚先生を憎んではいたが、今になって思えばそれは良い采配だった。

 

 

 

 実行委員会の開始時刻は四時。ショートホームルームが終わった時点ではまだ時間がある為、教室においての役割が無い俺は奉仕部の部室を目指していた。

 

「やっはろー」

 

 由比ヶ浜に挨拶に合わせ、雪ノ下は顔を上げ、若干俯いたのちに躊躇いがちに口を開く。

 

「……こんにちは」

 

 俺は「おう」とだけ返し、いつもの長机の端の席に着く。

 

 そこからしばらく、雪ノ下が文実だった話や俺が人柱にされた話をする。しかしいつもより、時が、間が、全てがちぐはぐで会話に違和感と、気持ち悪さを覚えていた。

 

 というか、言葉の節々に棘が出ていたと思う。

 別に雪ノ下に向けたものではない。自身に嫌気がさし、自分で刺す為の棘が喉を裂いて口から漏れ出るのだ。

 

 雪ノ下は俺の言葉にさして答えを用いない。視線は文庫本に落ち、まるで他の物を拒絶しているかのように見えた。

 

 時を刻む秒針の音のみが空間に響く。由比ヶ浜はその静寂を嫌ったのか、深く息を吐いた。

 

「えっと……、委員会って今日もあるんでしょ? 私もクラスの方の話し合いに出ないといけないんだよね……」

 

「ああ、そうだ。俺も文実があるからしばらく部活来れないから」

 

 由比ヶ浜が続けようとした言葉を俺が代弁し、さらにそれに重ねるように雪ノ下も本を閉じ口を開いた。

 

「……ちょうどよかった。私も今日その話をしようと思っていたから。とりあえず文化祭が終わるまで部活は中止しようと思うの」

 

 まあ妥当だ。委員会の仕事、クラスの出し物の仕事、文実もそうだが曲がりなりにもクラスの一員でありこれからの時期仕事をする機会が増えてくると考えれば部活に顔を出すのが労力を増やす一つのロスになる事は否めない。

 

 仕事なんかしたくないけど、せざるを得ない立場だからしょうがない。まったく、八幡働くの好きじゃないのに。

 

 話にオチがつき俺はさっさと部室を出ようと扉に手を掛けると、その退路を断つかのようにコンコンと向こう側からノックされた。ノックの主、1人じゃなく複数人いるのか、くすくすと笑う声が聞こえている。

 

「どうぞ」

 

 雪ノ下が入室を許可すると、扉が開かれ相模と、他2人のモブみたいな女子が入ってきた。

 

「失礼しまーす。奉仕部ってここで合ってますよねー」

 

 3人はくすくす笑いながら、というか相模は俺の顔を品定めするかのような瞳で観察した。これ、あれだ。真鶴が最初来た時とまるっきり同じ視線だ。

 

「さがみん? どしたの?」

 

「えー?」

 

 えー? じゃなくさっさと要件を話せ。なんで俺と由比ヶ浜を交互に見てんだよ相模。

 背後のモブ女子も同じ顔をしてるが、もう1人のモブ女子は打って変わって意外そうな顔をしていた。俺の顔に何か付いてるのだろうか。

 

「何かご用かしら?」

 

 いつまでも用件を話しださない相模に真鶴の時と同種の苛立ちを覚えたのか、雪ノ下は普段より数段増しの冷たい声音を放った。

 

「ひえっ……。急にごめん、なさい」

 

 短い悲鳴を出しかけた相模が謝罪を言って、語尾を正した。

 

「えっと、相談事があって……真鶴さんがそれなら奉仕部行けばって言ったから……だよね? 遥」

 

「えっ、う、うん!」

 

 雪ノ下の敵意に怖気付いたのかここで彼女には目を合わせず、同じく震え上がっている仲間に目配せをした。

 

「真鶴さんが、ねぇ……」

 

 その『真鶴』という単語が更に雪ノ下の放つ冷気の温度を下げてるのだが、本人達は知る由も無い。

 

「う、うち、実行委員長やることになったけどさ、こう自信がないっていうか……。だから、」

「助けてほしい、ということね」

 

 相模の言葉を最後まで聞かず、そう言うと分かりきっていた雪ノ下が口にする。

 

 実行委員長、つまり文化祭実行委員を纏め上げる長。その仕事の責任は重大で任せられる事も多く重い仕事もあるだろう、そんなのは誰だって尻込みするものだ。そして相模は任命した時のコメントで自身のスキルアップを他者に担わせたり人気者の葉山に言い伏せられてしまうくらいその場のノリで生きてて率先して仕事をするタイプではないのが伺える。

 

 正直、相模は器ではなかった。そして助けてやるべき人間でもない、自分が軽率に巻いてしまった種なのだから。

 

「……自身の成長、あなたはそれを自身の目的として掲げたけれど、私が手を貸すのはそれに反することではないのかしら」

 

 何を今更、と言う感じではあるが本人が他人任せな事に自覚無いのだからあえてこの場で言ってやったのだろう。

 

 ……雪ノ下、無視やレスポンスの悪さだけなら隠せていた葛藤が苛立ちとして表層に現れている。元より溜め込んでいたであろう何かが、真鶴という単語をきっかけとして怒りに換算されているのだろうか。

 

 相模は怯みながらも懸命に脆そうな笑い顔を維持し、言葉を続ける。

 

「そうなんだけどぉ、それはそれとしてみんなに迷惑かけるのが一番まずいっていうか、失敗したくないじゃない? そ、それにさ、誰かと協力して成し遂げる事もうちの成長の一つだと思うし、そういうのって大切じゃん。……真鶴さんが、雪ノ下さんは相談自体は結構真面目に考えてくれるって言ってたし」

 

 ピギッ。

 わあ、空間にヒビが入った。そんな気がした、その『真鶴』って単語は雪ノ下の前では禁句にしようぜ相模。

 

 いや、本来の雪ノ下ならあんな奴相手にしないしカスほどの印象も抱かないんだろうが。……今は、少しタイミングが悪い。

 

「そ、それにうちもクラスの一員だからさ、やっぱりクラスの方にもちゃんと協力したいっていうかさ。全然出ないって言うのは申し訳ないし。……ねえ、結衣ちゃん」

 

 決して相模に向けられてるわけではないが、依然として凍てつく波動を放っている雪ノ下の視線から逃れるように相模は由比ヶ浜に意見を求める。

 

「う、うん。そだね。あたしも誰かとやるって方が好きなタイプだし……」

 

 由比ヶ浜は話を振られ、僅かに間を置いて考えるが相模の言う事に意識を傾け賛同した。

 

「だよね〜。そういうイベント通してもっと仲良くなりたいし、そのためにはやっぱ成功させなきゃ!」

 

 由比ヶ浜の支援を受け、押され気味だった相模が強めの語尾でそう言い切った。横の二人も「だよねー」と言いたげな顔で頷いている。さっきまでの恐怖心はどこ飛んでった、単純か。

 

 

 まあ、なんだかな。この件も、結局真鶴の時と同じで相模が自分で招いた事態の尻拭い、とまではまだいかないがケツ持ちを雪ノ下に頼んでいる形だ。

 

 由比ヶ浜は渋い顔をしている。それは恐らく、俺も。

 

 真鶴の時は自業自得だがしかし被害者である事に変わりはなかった。だが依頼は受けなかった。今回は自分で調子乗っておきながらそれは被害者などではなく「文化祭実行委員長」という肩書きを欲しいが為のエゴなのだ。

 

 箔を付けたい、と言えば聞こえはいいがこの仕事を仮に遂行できたとして相模がその経験値を自身のスキルに取り入れる事、いわゆるスキルアップする事はないだろう。単に周りへの体裁を気にし虚勢を張る為、外部のバックアップを求めている奴が得られる達成感など底が見えるというもの。

 

 調子に乗って身を乗り出してそのツケを他人に払ってもらおうなんて虫の良い話あるかと言ってやりたい。失敗を戒めて一歩成長する、それが人間だとは言うが相模のしてる事はまるででしゃばりで自分の身の丈に合わない事でさえも首を突っ込みたがる子供のやる事だ。

 

 こんな遅くになって自分の限界はすぐそこだと気付いても、それを助けてやる義理は雪ノ下にはないし相模以外に持ち得ない。自分の問題だ。

 

「……構わないわ。要約するとあなたの補佐をすればいいということなのでしょう」

 

「えっ、いいの!? ありがとー!!」

 

 雪ノ下の返しに相模は喜びを体現する。

 

「私自身実行委員なわけだし、その範囲から外れない程度なら」

 

 冷め切ったままそういう雪ノ下に、相模達は能天気に喜び浮かれている。一方由比ヶ浜は、そんな雪ノ下に驚きのこもった視線を向けている。

 

 恐らく俺と由比ヶ浜の心中は同じだ。この手の依頼は自身の問題として跳ね除けるものだし、事実、真鶴の時はちゃんとしっかり断りを入れていたし。

 

 

 相模達が礼を言って部室を後にする。その直前、相模から遥と呼ばれていた女子は俺の前で立ち止まりなんか一度ニコッとされて会釈されたが、よく分からないまま三人は退散していった。

 

「……部活、中止するんじゃなかったの?」

 

 いつもより少し冷たい、僅かにマイナスを帯びた由比ヶ浜の言葉に雪ノ下は肩を震わせ、一瞬顔を上げすぐに目を逸らした。

 

「……私個人でやることだから。あなたたちが気にすることではないでしょう。……それに、これはきっと真鶴さんの、私への当てつけだから」

 

 ボソッと呟いたセリフは真鶴を言い訳に意見を受け付けなくする為の、卑怯なセリフなように俺には思えた。

 

「……ゆきのん一人じゃなくて、みんなでやったほうが」

 

「結構よ。文化祭実行委員会のことなら多少の勝手はわかっているから。私一人でやったほうが効率がいいわ」

 

「効率って……」

 

 そりゃそうかもしんないけど、と由比ヶ浜は消え入りそうな声で続ける。

 

 雪ノ下は先ほどの事も兼ねて、文庫本の表紙に目を落としたままこれ以上話す気はないという、強固な意思表明を見せた。

 

 雪ノ下雪乃は優秀だ。こいつの言う通り、相模の依頼は一人でなんとかこなしてしまう。そんな気は確かにする。

 

「……でも、それっておかしいと思う」

 

 言うつもりはなかったが、俺が思っていた事と同種のセリフを吐いた由比ヶ浜は踵を返した。

 

「……あたし、教室戻るから」

 

 そういってズンズンと教室の外に出ていった由比ヶ浜に注いで俺も出る。

 戸を閉める際に、雪ノ下が一人きりで佇む姿が見えた。

 

 

 

 教室に戻っていく由比ヶ浜と別れる前にした会話。あいつは雪ノ下が好きだとか、他の子が雪ノ下と仲良くなろうとするのが嫌だとか、そういった話を思い出し、あいつの信頼という思いで満たされた笑顔が脳裏に浮かぶ。

 

 勘の鋭いあいつが、空気を読む事を得意とするあいつが、回り道しか出来ないあいつが、俺に何を伝えたかったのか。それになんとなく気付きつつも、しかしハッキリと言葉にされてない為俺もそれにはとりあえず気付かないフリをして今日を過ごそう。

 

 そんな事を考えながら、俺は会議室に向かう廊下を進んでいた時だった。

 

 

「ムッ、八幡ではないか。アイヤ、こんな場所で偶然偶然」

 

「あっ、比企谷じゃん。おつかれ」

 

 ……なんか、材木座と真鶴が一緒に居た。

 

 往来の真ん中で、材木座が書いたであろう書物に真鶴が目を落としていた。材木座の腹を手でパチパチ叩きながら。

 

「……何してんの、お前ら」

 

「材木座くんが居たから声掛けて色々話してたら脚本見てほしいって言われて、今読んでる最中」

 

「ふはっはっは!! 我のクラスは演劇をやるのでな! その脚本を我手ずから用意してやったのだ!! 彼奴等がオリジナル脚本で演劇したいと言い出したのでな!!」

 

 あっ、やばい。いたたたたっ!! やばいよやばいよ、こいつの作風はよく熟知してるしこいつの設定の練り方も理解してる。だからこそ俺の反応はこいつの脚本に対し警笛を鳴らしている。出来れば、触れてはいけないものなのだと、そう鳴らしている。

 

 この脚本とやら、絶対現実の自分の知り合い、それこそ好きな女子や気に食わない奴や自分自身をキャラクター設定に盛り込んでるタイプだよ。で、コテコテの異能バトル戦国武将物だろ、もう痛さの欲張りセットだよ痛い!

 

「……材木座くん、このヒロインさ。元ネタ誰? 私この子知ってる気がするんだけど」

 

「ふっ、良い所に着目したな真鶴殿。この子は我と同じクラスのーー」

 

「えっ……やば」

 

 始まったか、黒歴史のきっかけとなる自作脚本のアポカリプスが。いいか材木座、これからお前は自分の夢小説を女子に読まれて蔑まれる事で人生で一、二を争う屈辱的な思いをする、今回ばかりは俺もお前を応援してるぜ。強く生きろよ。

 

 俺は材木座が真鶴に内容とキャラ設定、裏設定に至るまでを事細かに説明してる隙を狙い、その場を後にし会議室へと歩き出した。



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16:自覚の無い嫌悪と無意識の苛立ち。

 そういえばすっかり忘れていたが、少し前に折本の友達が葉山くんと接触出来るよう、なんとか話を付けてくれと頼まれた事を思い出した。

 

 葉山隼人の存在は知っている。総武高に通う女子ならおそらく知らない相手はいないであろう、爽やか王子の葉山くん。

 ただあの人と関わってその中核に入るのは難しい。男子の中でも特にカーストトップを突っ走ってるからそのぶん女子の競争率は高いし、別のクラスで頑張ってグループを作ったとしてそもそも接点が無いのだから眼中に入らないわけだ。

 

 そんなに仲良くないにしてもそこそこつるんでた折本の頼みだ、簡単に無下にすることは出来ない。だがしかし、私単体で葉山くんに話しかけたとしても周りに告白だとかと勘違いされそうで気が進まない。

 

 だが、遥は文実で手が空いてないし他の子もクラスの出し物であるお化け屋敷の準備で忙しそうにしてるし。こんな話を持ち込んでただ横にいてもらうのもなんか申し訳ないし。仕方ないのか。

 

 私は重い足取りで葉山くんのいる2年F組を目指す。……比企谷がいたら、また嫌な顔をされるだろうな。それに私もよく分からない感じになるし、気が引けるわまじ。

 

 

「……? 葉山くんと、比企谷?」

 

 廊下を歩いていたら、対面から比企谷が気だるそうにしながらも、葉山くんの横に並んで歩いていた。

 一言も会話を交わしてないが、歩行スピードは一緒だし葉山くんの方は何かと比企谷に合わせてるように見える。意外な組み合わせだ。

 

 比企谷がいるなら都合がいい。あいつにちょっかいをかけるついでに葉山くんに話を持ち掛けよう。

 

「……」

 

 なんか、気軽に近付こうと思ったのに足は二人の方を向かずそのまま通り過ぎてしまった。

 

 振り向いて二人を見る。

 何故、話しかけられなかったのだろう。葉山くんのイケメンオーラに拒絶反応が出たのだろうか。それとも比企谷の葉山くんに対する「話しかけるなオーラ」に充てられて近づく気が失せたんだろうか。

 

「何かあったの?」

 

 少し離れた場所、会議室の入り口で葉山くんが女子に尋ねていた。なんだ、あの人も文実なのか、なら会議終わるまで近付けないな。

 

 

 また後で時間空いてたら話しかけよう。

 そう思って教室に戻ろうと前を向くと、二人が歩いてきたのと同じ道順で遥の友達の友達である相模さんが一人で歩いてきた。相模さんは私に気付くと「あっ、弓弦ちゃんだ。やっほー」と話しかけてきた。

 

 ちなみに私は相模さんとそこまで仲良くない。遥にとっての相模さんが友達の友達なら私の場合友達の友達の友達程度の認識。つまりただの知り合いだ。

 

 だが遥とつるんでいると同じ部活のゆっことも共にする時間が多くなり、ゆっこと仲が良くて文実を通して遥と親睦を深めた相模さんとの接点も増えるのは当たり前。

 いつの間にやら私は彼女に『弓弦ちゃん』と呼ばれるようになり、私もそれに合わせて『南ちゃん』と呼ぶ事になった。

 

「やっほー南ちゃん。今日実行委員会ないの? もう四時はとっくに過ぎてるけど……」

 

「あー、クラスの方に顔出しててちょっと遅くなっちゃった」

 

「そーなんだ」

 

 遥から聞いたんだけどこの人実行委員長なんだよね。すごいマイペースな人だな、文実の人ら苦労しそう。

 

 あっ、そういえば比企谷も文実じゃんか、かわいそ。絶対あいつ仕事頼まれたら断れなさそうだしこの人も見るからに無能っぽいから一番割りを食うタイプじゃん。比企谷雑用とかさせられそうだし。

 

「ならこんな所で話してる場合じゃなくない? 多分みんな待ってるよ」

 

「えっ? あ、うん。そうだよね」

 

 思った事を正直に言うと相模さんはなんか不思議な顔をして私を見て、すぐ顔を戻し「それじゃ」と言って早足で会議室に向けて歩いていった。

 

 …………あ、相模さんって葉山くんと同じクラスじゃんか。連絡先聞いとけばよかった、なんでもっと早くに気付かなかったし。やらかしたわ。

 

 

「はあーっ、おつかれ」

 

「おっつー弓弦っち」

 

 教室に戻り中断していた段ボールの塗装を再開しようとしたら友人の詩織(しおり)の視線に気付いた。なんか、めっちゃ怪訝な顔されてる。

 

「……なに?」

 

「弓弦っち、なんか嫌な事でもあったん?」

 

「え、別に」

 

「そーなの? なんか、弓弦っちがしなさそうな顔してたよ? 絶対イライラしてると思ったんだけど」

 

 イライラ? ……はしてないけどな、うん。別に。

 

「悩みがあったら相談しなよ。弓弦っち、そーゆーの溜め込みそうだし」

 

「ん、んーどうだろね……まあ、ありがと」

 

 よく分かんないけどなんか気にされてる。本当に何も無いのに。

 

 それから普段通りの軽い調子に戻った詩織に合わせ私も普段通りに『私の輪』に入り作業をする。

 ……慣れたはずの『真鶴弓弦』が、なんだか今日上手く演じれなかった。だけどその理由は一向に分からなくて、なんだかまた苛立ちを募らせた。

 

 一体なんなんだろ、この腑に落ちない感じ。

 

 

 

 

 それから数日経ったが一向に私は葉山くんに話を付けることができなかった。

 

 それは置いといて、私の頭の中は一つの事で埋め尽くされていた。

 なんか最近文実の人らでちょくちょく委員会を休む人が出てるらしく、その一方で有志団体の増加や宣伝広報の拡大、予算関係の見直しが行われて人員不足が発生しているんだとか。

 日毎にいない所の仕事を各員が補ってローテが成される、それでも一人一人の仕事量が多く進捗が滞ってるらしい。

 

 そんな話を聞いてからなんか、よく分からない事でイライラする。恐らく、そのサボってる連中のせいで割りを食ってるのがあいつだから。皮肉屋で口が悪くてもどうせあいつはサボらないから、だからむかつく。

 

 ……? いやいや、だからむかつくって理不尽だわ。なに今の謎理論、自分でびびったわ。

 

 

「はぁ……」

 

 靴を履いてる最中、聞き覚えのある疲れ切ったため息が鼓膜を揺らした。

 

 音のした方を見ると、そこには今まで以上にやつれて濁りが深まった比企谷の姿があった。丁度よかった、むかついてたし嫌がらせしてやろ。

 

 

 ーーーーーーーー

 

 

 やってもやっても減らない仕事。上がサボる事で巡り巡って増える仕事。未来を見据えればこれは確かに良い社会訓練だ。

 

 仕事をしない連中の遅れを取り戻す為に人員が総動員して向き不向き関係なく時間を掛けて仕事をこなし、時折やってくる陽乃(はるの)さんと人一倍の仕事量をこなす雪ノ下、執行部の尽力によりギリギリの低空飛行で回転を維持してる感じ。

 

 そしてこの、仕事を完全には終えてないのにキリが良いからと中断し帰宅、もしくは持ち帰る拭いきれぬ倦怠感。これから帰宅だってのに何一つ達成感がない。なんだこれ、死にたい。

 

 

「おつかれ、比企谷」

 

 なんか名前を呼ばれた。女の声だった。

 疲労でゾンビのようになってそうな俺に声を掛けるとかどんな殊勝な奴なんだよ。そう思い声のした方を向くと、そこには真鶴がいた。

 

「……なんだよ、殺すぞ」

 

「ちょっ、いきなり当たり強くない!?」

 

「疲れてんだよ。お前に付き合ってる余裕はない」

 

「まあまあ」

 

 真鶴はまた小走りで自販機まで駆けていき、マッカンを買って俺の元へ戻るとそれを手渡して来た。

 

 真鶴もマッカンを持ってるので返却出来ない、料金だけは返そうと財布を出したら真鶴は「いいよ、奢り。手伸ばしてきたら噛むから」と言ってきた。なんで噛むんだよ、髪型がウルフカットだからそれに合わせてイヌ科キャラなのか。

 

 仕方なく開けて口に流し込む。……ん〜〜〜、口内に甘さが染みて身体に澄み渡ってくわ。

 

「うべっ……やっぱし甘い」

 

 隣にいる真鶴は目をバッテンのようにして渋ってるが。なんでそんな顔するのに買ったんだよこいつ、馬鹿なのか? あ、馬鹿なのか。

 

「今大変なんだってね。サボる人がいるせいで人員足りてないとか」

 

「そうだな。……なんで知ってんの? そんな事」

 

「遥が言ってた」

 

「遥? ……ああ、相模のお付きの片割れか」

 

 印象は薄いが相模のもう一人のお付きよりかは顔に覚えがある。何度かこっち見てる(自意識過剰じゃないよ)し比較的に俺に対する視線が周りと違うし。なんか興味津々、みたいな。

 

「比企谷はなんでサボんないの」

 

「は?」

 

「したくもないのに無理矢理押し付けられた役割なんでしょ。それに他の連中の尻拭いをさせられてる。これって普通にむかつかない?」

 

 何をいきなり言い出すのか。真鶴の顔を見ると彼も単純に疑問符を浮かべたような顔で俺の顔を見上げていた。

 

「……むかつくよそりゃ。今の状況は良いように使われてるに過ぎないしな。真面目にやってる奴の責任感に乗じて仕事を押し付けて楽をしてる奴らが許せない」

 

 そこまで言ったところでハッと、俺は真鶴に何で本音を打ち明けてるんだと思った。流石に疲労が溜まり過ぎてる、こいつに心の内を晒すとか、それこそ疲れてる証拠だ。

 

「良かった。前みたいに意味分かんない事言ってはぐらかされたら、私馬鹿だからまた自分を犠牲にしてるって思っちゃう所だったわ」

 

 真鶴の方を見る。彼女は前髪で表情を隠している、しかし僅かに見える口元は笑顔を作ってるように見えた。

 

「……本当に馬鹿だな。学習能力ないのかよお前。何度も言ってるだろ、俺は誰かの為に犠牲になんかなってやらないって」

 

「じゃあサボっちゃえばって私は思うけどね。でも比企谷はまた謎理論ぶっぱなして今の形を正当化するだろうし。だから何も言わない、どうせ勝てないし」

 

「謎理論て」

 

「あはは、まー比企谷は自分含め今いるメンバーに皺寄せが来てるのにめっちゃむかついてるって事は言質として取ったし。これで心置きなく言えるわ」

 

 真鶴は珍しく、というか俺の前で初めて素の嫌味がない感じの声で笑う。

 ……なんだこいつ、可愛い癖にちゃんと笑うなよ。可愛い子はもっと作り物の笑顔をするもんだぞ本来は。

 

「私、勝手にそっちにお邪魔して仕事手伝うね」

 

「……はっ?」

 

「良かったじゃん。これで一人分の労働力確保だ」

 

「いや意味分かんねえよ。確かに委員会は慢性的な人手不足だが、部外者であるお前に仕事を任せるのはまた別の問題が出るだろ」

 

 少なくともこいつのスキルが未知数な今仕事の割り振りは困難を極める。言うてこいつはそこまで真摯に仕事に取り組むタイプには見えないし、助っ人としての期待値は低め。

 

 いるだけでありがた迷惑、言わば無駄なタスクを増やすだけの徒労にも思える提案だった。

 

「はあ? 流石に舐め過ぎでしょ、私普通に仕事出来る方なんですけど」

 

 思った事をありのままに伝えると、真鶴は不満そうにそれらを否定し自身の優秀性を主張した。お前自分の事さっき馬鹿だって言ってたじゃねえか。

 

「クラスの方はどうするんだよ」

 

「時間を半々に分けるか日を分けるかで対応すればよくない? ゆーてもクラスの方はもう完成が見えてるし」

 

「……今から仕事を教えてやるのは明らかにロスだ」

 

「じゃあ空いた穴をそのまんまにして現状維持で行くの? 言っとくけどこれからも人は減るよ? したらあんたが好きな効率ってのは絶対下がるし。比企谷も分かるっしょ、人って基本自分に甘いんだから、みんながサボれば自分もサボっていいと正当化する」

 

 それは間違いない。ただ真鶴に正論を言われる日が来るとは。

 こいつ、馬鹿な癖に意外な所で馬鹿じゃないんだよな。考えが極端なせいでやはり後先考えない馬鹿感は否めないが。

 

「今だけ少し作業効率落として新たな労働力を確保するのと今を維持して周りが消えてくの、どっちが最終的な負担が大きいと思う? 少なくとも私はクラスの方は大方片付いてるからクラスを言い訳にサボらないし、この提案はあんたにとっても他の人らにとっても悪い話じゃないと思うけど」

 

「……」

 

「てか私が勝手にそうするって決めたわけであんたの為とかじゃないし止められる義理ないしね。ま、そういう事だから。明日からよろしく」

 

「えっ、おい。何を勝手に決めてんだよ。おいこら」

 

 言いたい事は沢山あったが、真鶴は自分の主張を一方的に俺に叩きつけるとそれ以降は一切耳を貸さず校門を出ていった。



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17:葉山隼人は普通に良い人だと思う。

「失礼しまーす」

 

 翌日。ノックもせずにガラッと一声掛けて、真鶴が会議室に入ってきた。

 

「部外者がここに何の用かしら」

 

 彼女が入室するなりいち早く雪ノ下は目を鋭くし真鶴に詰め寄る。それに対し、真鶴はニッコニコの偽りの笑顔を作り応対する。

 

「人手が足りないって聞いたから手伝える事ないかなーって思って」

 

「無いわ。帰ってもらって結構」

 

 真鶴の言葉に雪ノ下は用意していたとばかりの速度で拒絶する。

 

「雪ノ下さん、そんなすぐに断るのは悪いんじゃ……」

 

「事実を言ったまでですが」

 

 めぐり先輩に対してもピシャッと意見をぶつけ、雪ノ下は真鶴を冷ややかな目で睨む。

 

 それに対し真鶴も、偽りの笑顔は作ったままで対峙し……いや、よく見ると目が笑ってないな。

 

「無いって事はないでしょ、教えてくれれば自分なりのベストを尽くすし。ていうか遥から聞いたんだけど雪ノ下さんさ、自分一人で大半の仕事をしてるんでしょ?」

 

「その方が効率がいいのよ。問題ないわ」

 

 雪ノ下の返し。確かに、ほとんどの仕事は雪ノ下一人で処理している。それは彼女が有能であり、副委員長という決裁権を持つ立場におり、その上部活もクラスでの活動もないから時間は有り余っているという状況だからそうなっている。

 

 半分やそこら休んだところで、実際の所一人で十分にカバー出来てしまう。そんな感じだった。

 

「……また効率か。それに、あんたもあいつと同じような事してるし」

 

 雪ノ下の言葉を聞いた真鶴は一瞬だけ素の表情になり、またすぐに仮面を被る。

 

「でも、その効率の良い手段を取ってるのに関わらずみんな疲れ切った顔してんじゃん。人員不足なのは確かなんだし、今のままだと破綻するんじゃない? って思うんだけど」

 

「……」

 

 雪ノ下は何も返さない。それが、図星だから。

 

「その子の意見、俺も同じように思う」

 

 突然第三者が真鶴と雪ノ下の会話に入ってきた。その人物は、書類の束を持った葉山だった。

 

「人手が足りないなら補充するのは良い事だと思う。それに、彼女の言う通りこのままじゃいつしか破綻するのは確かだ。そうなる前に、人に頼った方がいいと思うよ」

 

 いきなり入ってきて何をペチャクチャと……と思ったんだが、確かに二人の主張は間違っては無かった。

 

 ただ、誰かに頼ると言う点においては、思う事があった。

 

「俺はそうは思わないな」

 

 そう言うと葉山、真鶴が同時に俺の目を見てきた。俺の目をじっと見て、言葉の続きを待っている。

 

「雪ノ下が一人でやった方が早い事はたくさんある。今回がまさにそれだろ、他にやらせるよりもロスが少ないのは事実だしそれは紛う事ないメリットである筈だ。何より信じて任すのは結構しんどいんだぞ。能力差があるぶん尚更な」

 

 人を信じて任せる。それは、少なくとも俺にはできない事だ。

 

 自分一人の失敗なら諦めはつくが、人にされた事では諦めがつかない。あの時あいつがこうしてたらとか、ちゃんとやっていればとか、自分の手の及ぶ範囲にある仕事をやらせておいてそんな重苦しい事を考えるのなんか、やってられない。

 

 そうなるくらいなら、自分一人でやってしまう方がいい。自分一人の後悔なら、受け入れられずとも嘆くだけで済むから。

 

 葉山はわずかに目を細め、少し憐れむようにふぅと短く息を吐くと何かを言おうとして、しかしその言葉は真鶴が先に発した事によって口の中に留まった。

 

「それじゃ上手くいかないから今こんな状況になってんじゃん」

 

 口調は強く、まるで俺と二人きりで話す時のようなトーンだった。

 

 空気が変わった事を察したのかめぐり先輩があたふたし始める。真鶴の言葉に補足するように、葉山が口を開いた。

 

「……現状回ってないし、遠からず破綻するのはこの場にいる誰もが分かってる。何より失敗できないだろ? なら、今までの方法とは変えていくべきだろう」

 

「まじそれ。まー雪ノ下が有能だからより多くの仕事をするのも分かるけどね。でも雪ノ下の負担は仕事量の分だけ大きくなるしそれで万が一体調を崩したらめっちゃ進捗遅れると思うし」

 

 葉山の正論に真鶴も持論を重ねて主張してきた。二人とも主張がごもっともすぎて何も言えずにいると、雪ノ下の口からも短くため息が漏れた。

 

「……そう、ね」

 

 雪ノ下は痛いところを突かれた、といった風な反応をしていた。真鶴と対峙していた彼女はいつの間にか椅子に腰を下ろしている。

 

「俺も手伝うよ」

 

 葉山がそう言った。真鶴に次ぐ、第二の助っ人だ。

 

「でも、気持ちは嬉しいけど、部外者の人にやってもらうのは……」

 

 葉山と真鶴の両名に対し、めぐり先輩が迷いのある様子で言葉を詮索している。それに対し、葉山は笑顔で答える。

 

「俺は有志団体の取り纏めだけ、やります。有志団体の代表ってことで」

 

「私は……なんの仕事が足りてないのかよく分かんないから割り振りは委員長さんに任せちゃう感じになるんですけど……出来る限りの事はします」

 

 二人の提案に、めぐり先輩は長い間悩んだ末、それでも現状を鑑みて微笑みながら答える。

 

「そういう事なら、うん。お願いできると嬉しいな」

 

「どうかな?」

 

 葉山が雪ノ下に問う。

 

「……」

 

 雪ノ下は顎に手をやり、葉山を見て、真鶴を見て、しばし考える。

 

「雪ノ下さん、誰かに頼るのも大事なことだよ」

 

 めぐり先輩が雪ノ下に優しく諭す。

 三者の提案や彼らの言うことは全くもって間違ってなくて、葉山と真鶴に関してはなんにせよ文実の悲惨な現状を見て手を差し伸べてくれたわけだからそれは良い事だ。美しい仲間意識、最高だ。

 

 葉山や真鶴、それにめぐり先輩も、きっと人に助けられる事に慣れているしだから躊躇なく人を頼れるんだと思う。

 

 ただ、俺はやはり、その仲間意識ってやつを賞賛する気にはなれなかった。

 

 こいつらは人に助けられてきたから人を助けることが出来る。

 

 みんなでやる事は素晴らしいし、それはいい事だ。じゃあ、一人でやる事は悪い事なのか?

 

 今まで一人でも頑張ってきた奴が否定される、そんなのは絶対に許さない。許容出来ない事だ。

 

「……頼るのは大事でしょうけど、頼る気満々の奴しかいないんですよね。頼ってるならまだいい、単純に使っているだけの奴g」「比企谷」

 

 真鶴の声にハッとする。思ったより攻撃的な声音で語ってしまった、めぐり先輩の顔色が変わっている。

 ほんわか美人で癒し系の彼女を怖がらせるのは気が引けるし、俺はおどけて見せた。

 

「あ、ぐ、具体的にはあれだ、……えーっと。そう、俺に仕事を押し付けてる連中とか、それが本当に許せないんですね。ほら、俺は楽できないのに俺以外の奴が楽をしてるし、それが許せない! 的な」

 

「的なじゃないけど」

 

 真鶴がジト目でツッコんできた。しかしめぐり先輩はこれを冗談と受け取ってくれたようで、明るい声で「君、最低だね!?」と返してくれた。

 

「そっちも手伝うよ」

 

「わー、葉山くん噂通りのイケメンだ」

 

 葉山が苦笑して俺に言い、ここでようやく真鶴が葉山に意識を向け話しかけた。とても笑顔だ、やはり女子はイケメンに弱いのか。

 

「……雑務にも皺寄せがいっているようですし、一度割り振りを考え直します。……真鶴さんの分も含めて。城廻先輩のご判断もありますし、二人の申し出はありがたくお受けします。……ごめんなさい」

 

 雪ノ下はそっと息を吐き、PCに向かったままそう言った。最後の謝罪については、誰に向けられたものなのか分からなかった。

 俺を気遣っての物だったのだろうか、別に俺は雪ノ下を庇ったわけじゃないが。だから謝られる筋合いもないし、純粋に俺は本当に誰かに押し付けて楽している奴が許せないだけだったし。

 

「じゃあよろしく」

 

「よろしくですー」

 

「私も明日から連絡できる人には連絡してみるよ」

 

 葉山はにこやかに微笑みかけ、真鶴もペラい笑顔で事務的に笑い、めぐり先輩はうんっと力強く頷いて見せた。

 

「あっ、そうだ。葉山くん、ちょっといい?」

 

 会議室の入り口付近で真鶴が葉山に話しかけた。三浦達がいない所での葉山にありがちな光景だ。

 

「うん? なんだい、ええと……」

 

「あーごめん。私、二Dの真鶴弓弦です。えっと、よければなんだけど連絡先交換しない?」

 

 けっ、流石カーストトップの葉山様だ。会って少し話しただけの女子に連絡先聞かれるとかどうなってんだ。

 

 俺なんか中学の頃、連絡先聞く為に一月近く話を合わせた結果気の良い女子になんとか交換までこじつけるも何を送っても『ごめん寝てたー』とかそれらしい理由付けて返信序列下の方に置かれた挙句一週間ほどで音信不通になったからな。

 

 それ以来携帯がゲーム機能付き目覚まし時計になったとまである。最近はそれ以外の使い方もせざるを得ない事が多いが。

 

「ありがとー、また連絡するね」

 

「うん。これから頑張ろうね」

 

「そうだねー」

 

 にこやかに葉山との会話を終えた真鶴は、スマホをついついと弄りながら俺の隣の椅子に腰を下ろした。

 

「……なんだよ」

 

「比企谷も連絡先ちょうだい」

 

「は?」

 

 なんでそうなるんだろうか。葉山の連絡先は持ってる時点でそりゃ女子の中で自慢出来る要素になるだろうが、俺の連絡先なんかに一銭の価値もないだろ。

 

「ほら」

 

「ほらじゃないが」

 

「携帯出して」

 

「……」

 

 言われた通りに携帯を出すと俺の手元からそれを奪い勝手に色々といじる真鶴。

 由比ヶ浜はよく人にあっさり携帯を渡せるねと言っていたが、勝手に奪う奴はそれ以上に異常な人種なんだろうか。

 

「ん、終わった。ありがと」

 

 一方的に奪って勝手にポチポチアドレスを登録してたくせにありがととはこれいかに。

 

 それから、しばらく真鶴はそのままスマホの画面を眺めていた。

 

「……っ、何見てんの」

 

 いつまで経っても机の上に置いた俺の携帯を返してくれないからなんだこいつって引き気味に見てたら真鶴が眉を寄せて抗議してきた。

 

「てか仕事しなよ。私まだ何も割り振られてないからやる事ないし」

 

「確かにそうだな。ならさっさと携帯返せ」

 

「あ、ごめん」

 

 指摘するとあっさり携帯が返ってきた。さて、強奪された物も返ってきたわけだし今日の業務を始めますかね。

 

「……」

 

「……」

 

「比企谷」

 

「あん?」

 

「なんか手伝おうか」

 

「……」

 

 作業の手を止めて横をチラッと見ると、真鶴は手持ち無沙汰といった感じでこっちを見ていた。髪をクルクル弄りながら。

 

 なんだこいつ、暇なだけなのか?

 

 まあこれからこいつも実行委員会に加わるわけだし、今のうちにいくらか仕事を教えておいたほうがいいのか。

 

「じゃ、他の奴に声を掛けたらいいんじゃないか。俺物事を人に教えるの得意じゃないし」

 

「は?」

 

 なんでそこで睨まれるんですか、俺間違ったこと言ってないだろ。八幡泣きそう。

 

「……分かった。テキトーに誰かの仕事手伝ってくる」

 

 不貞腐れたかのような顔をして真鶴は席を立って離れて行った。なんなんだ、あいつ。

 

「……ふふっ」

 

 なんか、雪ノ下の方から笑う声が聞こえた気がした。なんなんだ、お前。



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18:めぐり先輩がとってもかわいそう。

「だぁーっ、なんか人少なくないですかー? こんなん仕事終わりませんよー!」

 

 仕事を割り振られ、書面に目を通していた真鶴が身体を起こし濁音入り混じった声で言った。

 

 翌週の実行委員会。二人助っ人が加わったはいいがそれでも出席者は前回に比べ減っている。俺と、雪ノ下と執行部と残り数人、比較するまでもなかった。

 

 葉山は勿論の事、意外に真鶴もしっかり仕事をこなしてるからこそ、その雰囲気をぶち破るような一言もこの空間では許容された。

 

 めぐり先輩は困ったように唸らながら言う。

 

「連絡は、してるんだけどね。やっぱり相模さんの提案、ちゃんとダメって言えばよかったかな……」

 

「相模さんの提案? ってなんですか?」

 

 真鶴がめぐり先輩に尋ねる。そういえばこいつ、あの時この場にはいなかったな。

 

「前に雪ノ下さんのお姉さんで総武高OBの陽乃さんって人が来て、その、はるさんの話を聞いた相模さんが文化祭を楽しむためだとかなんとかで、クラスの方も大事って……それで、少しこっちの仕事のペースを落として、みたいな話をした事があってね」

 

「はあ。仕事のペースを落としてクラスも大事に、ですか。……言い分は分からないでもないんですけど、ゆとりを持たせたい的な意見ならこっちの仕事滞ってるしこっちにも時間割くのが普通じゃないんですか?」

 

 苛立ちは含めていないが、しかし純粋に理解出来ないといった風な口調で真鶴は言葉を発した。めぐり先輩は悪くないのに「そ、そうだよね」とあたふたしてるし。

 

 真鶴……少しは攻撃的な性格が剥がれたと思ったのに。無意識とはいえお前は誰かを追い込まないと気が済まないのか。

 

 困ってるめぐり先輩を庇うように、雪ノ下は書類から目を離し口を挟んだ。

 

「問題ないわ。各部署からの申請の審査、承認は私の方でしておくから。決裁までは問題なく進められると思います」

 

「そういう事が言いたいんじゃないけど……はあ」

 

 雪ノ下の発言に、真鶴は言い返す事なく作業を再開する。相変わらず人前では偽りの顔を貼り付けているが、それでも隠しきれない程彼女も疲労がたまっていた。

 雪ノ下が嫌いと言ってたあいつだ、多分雪ノ下に張り合ってあいつに次ぐ量の仕事を持ち帰ってまでしてこなしてるからストレスでも溜まってるのだろう。

 

 小声で「遥もサボってるし。あのバカ殺す、六億回は殺す」とか宣ってるし。身の丈に合う分の仕事してくれりゃそれだけで十分なのに、なにがあいつをそこまで駆り立ててるんだろうな。

 

 

 各人が作業を再開し、再び静寂が会議室を支配する。この重苦しい空気を嫌ってかめぐり先輩は出席している全員に声をかけて回った。

 

「ちょっと集まりは悪いけど、ちゃんと来てくれる人もいるし、真鶴さんもお手伝いさんなのに毎日来てくれるし、頑張るしかないね。 頼りにしてるよ!」

 

「ははは、そりゃどうも……」

 

 俺にもちゃんと声をかけてくれた。それはいいんだが、何故俺の時だけ真鶴の名を出すんだ。俺が気にし過ぎなだけか?

 

 鞄を置き今日の仕事を確認しようとしたら、背後から肩と、横から腕を同時に叩かれた。

 背後にはいくつものファイルを抱えた葉山がそこに立っていて、横には少し離れた席に座っていた真鶴が立っていた。

 

「なあ「ねえ……あっ」」

 

 同時に声掛けて同時に互いの存在に気づくな。なに俺を挟んで少女漫画みたいな事してんだよ、プロぼっちの俺をいたぶるのがそんなに楽しいかよ。八幡泣く。

 

「ご、ごめん」

 

「ううんこっちこそ。比企谷に用があったんだよね? 俺のは大した用事でもないしどうぞ」

 

「んーん、私こそ大した事ないからいいよ。自分でなんとかしてみる」

 

 だから人を挟んでラブコメの波動を放つなって。お前らに板挟みにされて波動直撃してる俺の身にもなってくれよ。両方の波状攻撃をいっぺんに受けて死にかけてるからね?

 

「真鶴さん、見た所疲れ溜まってるみたいだし無理せず人に頼った方がいいよ。俺はまだ余力あるし」

 

 そういって爽やかアピールをする葉山。言っておくが、お前も疲労がたまってるのがわかるくらいには笑顔がぎこちないぞ。

 

「……分かった。じゃあ少しの間比企谷借りるね」

 

 俺は物か。というか俺の手を借りるのに葉山の許諾を求めてんじゃねえよ。

 

「で、比企谷、作業中悪いんだけど少しだけ手を貸して。有志団体のリストのチェック、ちょっと量が多くて一人だと見落としあるかもだから」

 

「構わんが……それ、葉山の管轄だろ。なら葉山に教えてもらった方が早いんじゃないか。その間手が止まる葉山の分は俺の方で処理すればいいし」

 

 葉山は有志団体の取り纏めを主にやってる筈だ。有志のリストに目を通すってのは詰まる所その取り纏めの延長線上にある。

 一度扱った仕事内容なら、葉山も手早く目を通せるもんだと思うのだが。

 

「ま、まあ確かにそう、だね」

 

 こちらの意図が通じたのか真鶴は俺の指摘を飲んだ。しかしまた不貞腐れたような顔をしてる、なにこいつ葉山のこと嫌いなの? 葉山ざまあ。

 

「いや、比企谷が手伝ってあげた方がいいんじゃないか。俺は有志団体の取り纏めをしてるだけで逐一その内容をチェックしてるわけじゃないからな」

 

「っ、だってよ比企谷!」

 

「お、おう。そうか」

 

 いや別に仕事を手伝ってやるのはいいんだけどね。なんでこんなやり取りでそんなに浮き沈み激しいの?

 

「あーでも比企谷も自分の仕事あるし、自分がしてもらってばっかだとアレだからこれ終わったらあんたの仕事も手伝うよ」

 

「気持ちは嬉しいがお前がいるおかげで本来俺に来るべき仕事が三分の二くらいまで減ってるからそれには及ばないぞ」

 

「ゆーてそんなに減ってないんだね……」

 

「そもそもの仕事量が多いからな。人員不足ってより、次から次へと外部から舞い込んでくる仕事が一因ってのもあるんだが」

 

「確かにねー」

 

 

 そう言ったきり二人で黙々と、横に並んで作業に明け暮れる。と言っても出来上がったリストの紙面に目を通してるだけなのだが。

 

 しかしこいつ、前々から思ってたんだが髪の量多くないか? 長さはそんなに無いんだが、いかんせんボリューミーだからか、横に並ぶと髪の位置が近くてシャンプーの匂い? か分からんが良い匂いするんだが。

 

 これが世に女の子の匂いと形容されるものなのだろうか。確かに甘いな、しかしこんな香りをこいつが出しているだなんて……もっと清廉潔白な美少女が漂わせるならわかるんだが。

 

「……比企谷、顔近いんだけど」

 

「えっ、す、すまん!!」

 

 俺とした事が、いつの間にやら女の子の香りに洗脳されていたようだ。恐ろしいな、自然界の摂理が今の数秒間に凝縮されてたわ。カマキリだったら食われてたとまである。ぎゃー。

 

 真鶴の方を見る。彼女は相変わらず紙面に目を通しているが、なんだか心なしか耳や頬が赤くなっているように思えた。おそらく照明が真上にあるからそれが肌に反射してそう見えるだけなんだろうが。

 

「……ねえ、仕事して」

 

「はい、ごめんなさい」

 

 よくよく見ると整った横顔をチラ見してたら、不愉快そうな声音で真鶴から注意を受けた。だって俺も男の子なんだもん、仕方ないんだもん!

 

 なんかいつの間にか平塚先生が会議室に来てて雪ノ下やめぐり先輩となにやら会話をしていたが、その内容が頭に入ってこない。ここまで真鶴が近くに居た事がないから、動揺してるのだろうか。

 

「……比企谷、目悪いの? さっきから手が止まってるけど」

 

「いや、そんな事は」

 

「目薬使う?」

 

 そう言って差し出された目薬を見る。

 

「……いや、俺目薬嫌いだからやめとくわ」

 

「そ」

 

 あまりにも短い音だけ出して、真鶴は目薬を引っ込めた。

 

 ……思ったんだけど、このリストに目を通すって作業、密着する意味なくない? なんで俺ら横に座ってんの?

 

 いや、理屈は分かる。最初の内は一つのPCに映ったエクセルの画面を見て不備がないか確かめていたんだが、そもそもそのエクセルをプリントした紙面を見てたわけだからPC見る必要なくなって申請書類と並べてチェックしてるわけだ。

 つまり、最初一緒に一つの画面を見てたから密着してるのであって、この状態は結果論というか。

 

 近いわ。

 

 他人の髪の匂いが鼻腔にダイレクトとか近距離すぎるだろ、人生でもそうない出来事だぞ。

 と思ったんだが、そういや俺一度事故でこいつを抱きとめた事があったんだった。あの時に比べたら距離離れてるのか、うん。

 

 

 というか最近疑問に思ってたんだが、こいつみたいに小柄な女の子がブッカブカに着てるカーディガン。あれさ、なんでジャストのサイズで着ないの? 女子高生って何かとスカート短くするじゃん、それと相まってスカートの布がちょっとしか見えなくてビッチっぽく見えるんだが。

 

 その、なんというか、紙面に目を落としてると視界の端にチラチラと、真鶴の足が見えるわけだ。足というか、太ももというか。いや、太ももなんだが細いというか、本当にこいつ飯食ってんのか? 肌も白いし、なんか血管が透けて」「ねえ!」

 

 ビシッ。突如横の真鶴に肩を入れられた。

 何故だか怒った様子の真鶴が小声で、俺に対し非難してくる。

 

「人の足についてあれこれ考察しないでよ。まじきもいんだけど、クソ谷」

 

「口に出てたのか……」

 

「口に出てたのか、じゃなくて。……はあ、もうほんとまじなんなのあんた」

 

「いや違うんだよ誤解してるぞお前。俺は決してお前なんかに邪な事は考えないし仮に考えてたとしてそれは男として当然の摂理であり」

 

「こほん」

 

 静かな空間では咳払い一つでさえも人の意識を集めてしまう。

 

 つまり俺らのひそひそ話は周りに筒抜けである。咳払いによって俺の言い訳を遮った主が雪ノ下であると気付きそちらを向くと、いつもより数倍増しの冷たさを秘めた雪ノ下がこちらを睨んでいた。

 

「……二F担当者。企画申請書類が出ていないのだけれど」

 

 それと会議室での私語は謹んで欲しいのだけれど、という副音声が聞こえた気がした。

 

 それは相模が書いて出すはずの書類なんだが……まああまりにも俺らがうるさいから引き離して静かにする手段としてそれを差し向けたといった所か。そうだな、きっとそうだごめんなさい。

 

「……わり、書くわ」

 

「そう。本日中に提出」

 

 あまりにも事務的すぎる言い方をする雪ノ下から書類を受け取る。真鶴の横……に座る必要はない。一言添えて離れる事としよう。

 

「悪い、俺が協力出来るのはここまでだわ」

 

「ん、分かった。ありがとね」

 

 さっきまで烈火の如く怒っていたのに、それが嘘のようにアッサリしていた。こいつ切り替え凄まじく早いよなー。

 

 真鶴に話を付け、早速書類を書き始める。……いや、書く内容がぼっちかつ美術2の俺には難易度が高く設定されている。俺一人の力じゃこれは解決出来ないっぽいな。

 

「葉山……はいないのか」

 

 むぅん。さっき俺に任せてきた仕事を未だにしてるのかと思ったんだが、どうやらそっちは片付けクラスの方に顔を出してるらしい。

 仕方ない、クラスに残っている筈の由比ヶ浜にでも頼るか。

 

 俺は用紙をまとめると、会議室を後にした。



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19:良い人だけど、好きじゃない人。

 比企谷が会議室を出て行ったので一人で書類に目を通していると、比企谷と入れ違いに背後の扉から葉山くんが会議室に入ってくるのが視界に映った。

 

 葉山くんは付箋が沢山挟まったファイルを机に置くと、その中から雪ノ下さんに話しに行った。ホント、よく働く人だな葉山くんは。有志の出し物やクラスでの用事もあるだろうに。

 

 感心してばかりだと仕事が進まない、続きを再開しよう。あー怠い、怠いけど手抜きはカスだしちゃんとやらないと。

 

「手伝おうか? 真鶴さん」

 

「えっ?」

 

 なんか葉山くんが話しかけてきたんですけど。びっくりした。

 

「嬉しいけど、葉山くん自分の分の仕事はいいの?」

 

「一応ノルマは達成……したかどうかは今審査してるんだけど、結果出るまでは手が空くし何か手伝える事あれば俺も力になるよ」

 

「まじ? わーありがと! えと、じゃあこっちの束の見直ししてもらっていいかな?」

 

 一応笑顔を作って当たり障りない人格で応対する。葉山くんは葉山くんで、爽やかな笑顔で「分かった」と答えてくれた。

 

「隣、いいかな?」

 

「うん、いいよー」

 

 葉山くんが尋ねてきたので明るく返す。彼は、先程まで比企谷が座っていた椅子に腰を下ろした。

 

 

 またもや男子と二人並んで作業をする。なんか変な気分だ、比企谷は比企谷で、葉山くんは葉山くんで他の男子とは違った気分をさせられる。

 

「真鶴さんって比企谷と仲良いよね」

 

 不意に、葉山くんが話しかけてきた。

 

「そう思う?」

 

「ああ。まさかあの比企谷と普通に話せる女子が他のクラスにいるとは思わなかった」

 

「そか。まあ確かに、あいつの性格じゃまず第一印象で人にはよく思われないよね」

 

 そう、深く関わってるのならまだしも、あいつの性格はおおよそ人に好かれない。人は他人をちゃんと知ろうとしない生き物なのだから、内面の一番外側が分かりやすく無害でない限りは好印象を抱かないのだ。

 

「こんな事言うのはどうかと思うけど、私と比企谷は仲良くないと思うよ」

 

 思うよ、じゃなくて仲良くない。

 私があいつを拒否ってるんじゃなく、あいつが私の事を嫌ってるから。なんて言い方をすると私もあいつとの関係を拒絶してるのと大差無いのかもしれない。

 

 とにかくあいつは私が嫌いなんだ。当たり前だけど。

 

「そうかな。俺はそうは思わないけどな」

 

「その心は?」

 

「心、か。見たままの感想だけど、仲良くないっていう割には君は比企谷を何かと気にかけて近付いてる……ように思える。それに、比企谷も悪態をついたりする割には君を突き放さず、会話を楽しんでるように見える。あくまで主観的に見てだけどね」

 

「そっか、そんな風に見えてたんだね」

 

 葉山くんの意見、比企谷の事に関してはよく分からないが私についての部分は外れてはいなかった。

 

「そうだね、私はあいつに近寄ってる。でもそれはあいつに気に入られたいとか、あいつが好きだからとかじゃないよ。単純に興味があるだけ」

 

「へえ」

 

「葉山くんも葉山くんで、何かと比企谷の事を気にしてるようだけど。あいつの事好きなの?」

 

 とおどけて言ってみると、彼は困ったように苦笑しそれとなく否定した。

 

「い、いや。そんなんじゃないさ。言うなれば君と同じで、俺もあいつに興味があるんだ。いや、見張ってると言ったほうが正しいのかな」

 

「見張ってる……」

 

 普段ぼっちを自称する、つまり他者に干渉する事など本来は無いであろう比企谷を見張る必要などあるのだろうか。

 

 あいつが何かの危険因子になり得る、そんな風には私には思えなかった。少なくとも、自分から近付かない限りあいつは無害だ。いた所でいないのと変わらない、そんな存在の筈だ。

 

 まあでもあいつ本人は他人との関係を切り離してる分確かに計算外の事を当然のようにしでかすから意外性があるのは確かだ。

 あの時も……私が興味を抱くきっかけになった事件の時もあいつの思考は全く読めなかったし。

 

「良ければなんだけど、比企谷に興味を抱いたきっかけとか、どんな風に出会ったとか聞いてもいいかな」

 

「えーなにそれ。他人の人間関係聞き出すとか葉山くんちょっとだけキモいよ? わら」

 

「……君が比企谷と話すと、雪ノ下さんや結衣が困ったような顔をする。まあ教室に来た時も、結衣は君を警戒し、優美子を使ってまでして君を追い返した。そんな場面を見せられると、何があったか気にもなるさ」

 

 そう語る葉山くんの目は、まるで私を視察するかのように鋭くなっていた。

 だから素直に答えてやった。

 

「中学の頃のともだ……違うな。中学の頃のただの同級生だよ」

 

「友達、とは言わないんだね」

 

「言ったらあいつは嫌がるだろうからね」

 

「ははっ、流石の比企谷でも女子からの友達呼びを拒絶したりは」「そういう事じゃないんだ」

 

 彼の言葉を遮る。

 

「私はあいつを一度拒絶したんだよ。それこそ最低な形で。あの頃のあいつは目障りだったから」

 

「……」

 

 私の告白に、葉山くんは目の色を変える。先程までの観察の目ではなく、それは相手に敵意に似た何かの目。なんだこの人、比企谷のセコムか。

 

「でも、再会してから私はあいつに助けられた。いや、助けてって言ったのは私だしあいつの意思なんか一切無視してそうさせたのも私なんだけど、あいつは私の思い通りには動かず、自分だけリスクを背負うやり方で私を助けたんだ」

 

「あいつがそんな事を……」

 

「うん。だから興味が湧いたんだよ」

 

 書類に目を通したままだが、意識は完全に横にいる葉山くんに向いていた。

 

 比企谷と一緒にいると変な感じがするのは当たり前だ、一緒にいるはずじゃない相手なのだから。

 でもこの人と一緒にいて変に思うのは、きっと私はこの人と似てるからなんだと思う。

 

 私は私が嫌いだ。雪ノ下さんみたいなタイプも分かりやすく嫌いだが、一番嫌いなのは自分みたいな他人なんだと思う。

 丁度横に座ってる、葉山くんみたいな人とか。

 

「……葉山くんは、興味無い人にも愛想良く接せれて、自分の居心地の良い空間を守ろうとしてる。それで、その空間を崩しかねないと思ってる要素を恐れ、見張ってる。思ったんだけど、私と葉山くんって似てるのかもね」

 

「そうかな」

 

「そうだよ。だって、多分だけど葉山くんもさ、比企谷とは友達になれないと思ってるでしょ?」

 

「……だね」

 

「ほら。そういう所が似てるんだよ、私達」

 

「失礼しまーす」

 

 話してる最中に比企谷が会議室に戻ってきた。その背後にはあいつのクラスメートで奉仕部の仲間でもある由比ヶ浜さんがいた。

 

 比企谷が帰ってくると同時に、葉山くんは「これ、終わらせといたからね」と言って席を離れた。

 

 

 戻ってきた比企谷と由比ヶ浜さんは企画書類の作成に着手していたが、由比ヶ浜さんの指示は擬音が多くアバウトでそれに対し比企谷が困り果てている。

 

 由比ヶ浜さんが真面目そのものな態度で仕事している為か、心なしか会議室のピリついた、焦燥に駆られた雰囲気を払拭させていた。今までにない穏やかな時間が会議室に流れている。

 

「遅れてごめんなさーい! あ、葉山くんこっちいたんだ!」

 

 その空気を引き裂くように、ガラガラガラッと扉を開けた相模さんが能天気な声でそう言った。

 

 後ろにはゆっこと遥もいる。あいつら、なに平然としてんの? と睨むと、遥は私の視線に気付いたようで慌てて顔の前で両手を合わせた。問答無用、殺す。

 

「相模さん、ここに決裁印を。書類上の審査は問題ないと思うわ。不備についても……」

 

 葉山くんに歩み寄ろうとした相模さんの前に雪ノ下さんが立ちはだかった。彼女の仕事話に相模さんはしばし無表情で見つめ、すぐに笑顔を取り繕って周りに良い子アピールして書類を受け取った。

 

 ろくに確認せずにハンコを押すだけの赤ちゃんにも出来る作業。それを受け取り再度確認しファイリングしていく雪ノ下さん。これ、相模さんのいる意味はあるのだろうか。

 

 ろくに仕事せず、確認もせず、単純作業のみこなし、その確認すら他人に任せる。本来部外者である葉山くん、それに由比ヶ浜さんは、その適当な処理の仕方に思う所があるといった雰囲気を醸していた。勿論私も。

 

 ふと、微笑を湛えた葉山くんが相模さんに話しかけた。

 

「お疲れ、相模さんはクラスの方行ってたの?」

 

「うん、そうそう!」

 

「そっか。調子はどう?」

 

「じゅんちょーに進んでるかな」

 

 それまで機械的に作業していた相模さんが手を止め、ぶりっ子全開な様子で葉山くんの方を向いた。

 

「ああ、そうじゃなくてさ。文実のほう。クラスの方は優美子がちゃんとやってるみたいだからさ」

 

 わっ、怖い怖い。葉山くん、明確に毒を噴射したよ今。明らかに文実サボってる事に対しての確認を取ってんじゃんやば。

 

「あー、三浦さん、いつもと違って超元気だよねー、頼りになるっていうか」

 

 何言ってんのあの人。言葉の真意を掴めなかったの、それとも話を逸らしてるの? どちらにせよ葉山くんの神経を逆撫でしてるけど。

 

 それからしばらく葉山くんと相模さんの応酬は続いた。葉山くんは遠回しに相模さんの責任追及をし、相模さんはそれをのらりくらりと躱し話を逸らす。正直、仕事しながら聞いてて気持ちのいい物じゃなかった。

 

 

 しばらくしてから比企谷達が書類を書き終えたようで、それを雪ノ下さんに渡し決裁印を押すという無意味な行程に移った。雪ノ下さん、一度それをそのままファイリングしようとしてたし、そんな細かなミスをするくらいあの人も疲労が溜まってるようだ。

 

「相模さん。ここに印を」

 

 相模さんはそれまでしていたおしゃべりを止めて書類を受け取る。

 

「あ、はーい。てか、うちのハンコ渡しておくから押しちゃっていいよ?」

 

 それは、最早ハンコを押すという簡単かつ重要な委員長としての仕事さえも放棄し友達と話したいという、身勝手な願望からくる提案だった。

 見かねた城廻先輩が苦言を呈する。

 

「相模さん、それはちょっとよくないよ」

 

「えー? でも効率よくないじゃないですか。大事なのは形式じゃなくて仲間だと思うんですよねー。ほら、委任っていうんですか?」

 

 ……なにそれむかつく。

 そりゃ、ロクに見もしない相模さんの決裁を待つより雪ノ下さんに任せる方が効率はいいのかもしれない。でも、それすら放棄するんだったら相模さん、委員長である資格ないと思うんですけど。

 

「雪ノ下さんがよければ、いいけど……」

 

 城廻先輩がそう言う。でもそんなの、むかつく。

 

「確かにそっちのが効率いいけど、じゃあ南ちゃんはこの文実で何をしてくれるわけ?」

 

 むかつくからつい、頭より先に口が出てしまった。

 そこで初めて、相模さんは私の存在に気付いた。

 

「え、弓弦ちゃん? なんでここにいるの?」

 

「人が足らないって聞いたから助っ人」

 

「そ、そうなんだ。ありがとねー」

 

「……」

 

 それでも能天気に、相模さんは私に感謝などを伝えてきた。

 

 そこから私は追加で攻撃を仕掛ける事はしなかった。相模さんにそんな事を聞いても、どうせ中々答えは出してこないだろうし。小さい声で曖昧に何か言われてもイライラが増すだけだろうから回答は求めなかった。

 

「はい、雪ノ下さん。リストのチェックは一通り終わったから」

 

「分かったわ」

 

 雪ノ下さんにさっさと書類を渡し、その日は皆より早く帰った。まだ家で処理する書類は沢山あるし、こんな所で問答するつもりはなかった。

 

 それに、きっと余裕がなくなった私はすぐに苛立ちが顔と態度に出てしまうと思った。

 正直あの場で、皆みたいにいつまでも我慢を続けられる自信はなかったし、こうして一人で帰る事がこの場合正しかったんだと思った。



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20:何をしても裏目に出る。

 文化祭のスローガンにいちゃもんが付き、臨時で新たなスローガンを決める会議が開かれる事となった。

 

 途中雪ノ下が体調を崩し欠席するという事態が発生し一時は文実の進みが滞るかと思ったが、その遅れはめぐり先輩や執行部の面々、その時来ていた文実の精鋭達による尽力で微々たる物となった。

 

 しかし、仕事量は増える一方でやはり文実内の秩序は均衡を失いつつある。文化祭のスローガン決めの会議に、文実委員ではない陽乃さんや葉山、真鶴が出席しているのがそれを証明していた。

 

 会議は一向に始まらず、会議室内は雑談の喧騒で溢れかえっていた。場を諌める役職であるはずの相模が筆頭となって友達とくっちゃべってる以上、今の形に疑問を抱く者はいないのだろう。バカチンどもが。

 

 

「……」

 

 隣に座る葉山が何か言いたげな視線で相模を見ている。相模の方はその視線に気付きチラチラとそちらを見ているのだが、意図は汲み取れずにいた。陽乃さんは平塚先生と何かを話し合っており、真鶴は俺の前の列の左端で友達の話に適当に相槌を打ちながら携帯をいじっている。

 

 この場で意見を言えそうな面子がこぞってこのザマだ。雪ノ下も疲弊しきっててボーッとしてるし。全体的にモチベーションが著しく低い状態というのが、俯瞰して見て取れる構図だった。

 

 

「相模さん、雪ノ下さん。みんな揃ったけど」

 

 

 見兼ねためぐり先輩が相模に声を掛けると、相模はおしゃべりを中断し雪ノ下の方を見た。

 それに合わせ周りの視線も雪ノ下に集まった。雪ノ下はそれでもボーッと議事録を見つめていて、周りのことなど目に映ってないようだった。

 

「雪ノ下さん?」

「え……?」

 

 相模に声をかけられて、雪ノ下がはっと顔を上げ状況把握を始める。

 雪ノ下は気を張ったように表情を変える。

 

「それでは委員会を始めます」

 

 かくして、文化祭のスローガン決めの会議がようやく開始した。俺が校長先生ならみんなが黙るまでの時間を計測して伝えてやりたい気分だった。

 

 文化祭のスローガン。始めはそのアイデアを挙手制で募っていたが、協調性も積極性も欠いた今のこのメンバーでは有用な意見など出やしなかった。そんな中、葉山が挙手をし提示した『紙に書いてアイデアを募り後で説明してもらう』という形式を取る事となった。

 

 この方法なら表に出ない“根は真面目な奴”みたいな連中も臆せずアイデアを出すことができる。葉山らしい無難な案だ、とてもいいと思う。俺は勿論何も書かない、人の心を動かすような素敵なスローガンなど一生かけても思いつかないからな。

 

 

 紙が回収され、スローガンが記入されているものがホワイトボードに一つ一つ板書されていく。

 

 ・友情・努力・勝利

 ありがちだが、まあそんな感じのスローガンが多い。こういう場では最早あるあるだ。

 

『八紘一宇』

 確かに何かを作り上げる場であればそれなりに相応しい言葉だと思うが思想が強すぎる。これ、如何にも書きそうな奴に心当たりあるな……。

 

『ONE FOR ALL』

これもありがちな奴だ。1人はみんなのために、の横文字版。イケイケな小学生がそのまま成長したような連中が好みそうな。

 

「ああいうの、ちょっといいよな」

 

 と葉山が言い出した。そうそう、お前みたいな奴は好きそうだよな、こういうの。

 そうか? と鼻息で返事してやる。すると葉山は肩を竦めてわざわざ俺にだけ聞こえるようなトーンで話しかけてきた。

 

「一人はみんなのために。俺は結構好きなんだ、ああいうの」

「なんだ、そんなことか。簡単だろ」

 

 そう言ってやると葉山が「えっ?」と声をあげた。こういう誰かが誰かを、といった内容の言葉を良い意味で捉えてるからこそ、その実現を人は難しい物だと、理想論だと語る。

 実現は至って簡単なのだ。

 

「一人に傷を負わせてそいつを排除する。……一人はみんなのために。よくやってることだろ」

 

 お前達の現状がそうだ、という旨の視線を送るつもりで会議室を見渡そうとした。視界の端に、苦虫を噛み潰したかのような顔で俯く真鶴が居た。……ああ、あいつにとっては耳が痛い言葉だったか。

 

「比企谷……、お前」

 

 隣の葉山にも鋭い視線を向けられ、周囲の意識もほんの数秒こちらに集中する。

 良からぬ注目を浴びる中、書記に当てていた友達と何か相談していた相模が立ち上がる事で全員の意識がそちらへ向いた。

 

「じゃあ、最後。うちらのほうから『絆 〜ともに助け合う文化祭〜』っていうのも……」

「なにそれ寒い」

 

 相模が意気揚々と自分達で考えたスローガンを板書しようとしたら、俺の座る席の左斜め前方、二Dの連中がこぞって座るエリアからヤジが飛んだ。

 ヤジの主は真鶴だった。

 

 周囲がざわつく。外面だけは良くする、誰に対しても当たり障りなく丁度良い関係を作るのが得意な真鶴が途端に場をかき乱すような事を言ったのだ。

 俺からしたら自然な発言も、周りからしたら全くのキャラ違いなのだろう。

 

「え、と……寒いってのは」

「んー? んー……いや、ごめん空調効き過ぎだなーって思って」

 

 若干眉をヒクつかせた相模に真意を問われると真鶴はいつものように作り上げた真鶴スマイルで全く関係のない言葉を打ち返した。

 

「でもそれに関しては一考の余地あるんじゃない? 文実全体の出席率はそんな良くないしその分一部の仕事量に偏りが出てるしさ。そこら辺にバラツキがある以上、これから結束してかないと『絆』って単語に納得を示さない人もいるかもじゃない?」

 

 そしてすぐさま相模が何かを言い返す暇も与えずに、真鶴は笑顔のまま“提案”という形で相模のアイデアに問題があるとやんわりと指摘する。

 

「……確かにそうかもね。ありがと、弓弦ちゃん」

「いえいえ」

 

 真鶴の変化球すぎる否定を前向きに捉えた相模が僅かに目を伏せながらも安堵したかのように感謝を伝える。だがそのやり方じゃ、貧乏くじを引いた連中の不平不満はちっとも解消されないし相模に今までの惨状を伝える事も出来ない。

 

 真鶴の曖昧なやり方は結局何も変えられない。やらないのと同じ。それに比べ俺は性格が悪い分、言いたい事は言ってやりたい性分なのである。

 

「俺からもひとついいか?」

「……うん、いいよ。どうぞ」

 

 お行儀良く挙手をすると相模は一瞬訝しげな顔をしながらも発言の許可を下した。

 

「紙には書かなかったんだが、『人 〜よく見たら片方楽してる文化祭〜』とかどうだろう? 今の文実を鑑みるとしっくりくると思うんだが」

 

 ……そして訪れる静寂。

 俺の発言はこの場に核爆弾を落としたようだ。相模もめぐり先輩も葉山も真鶴も、誰一人として何も言わない。ただ俺を見て、俺の発言を聞いて固まっていた。

 雪ノ下でさえ開いた口が塞がらないといった感じで、呆れに近い無表情で俺を見ている。

 

 

「あっはははははっ! 何、なのこの空間! バカだ、バカが二人もっ! あははっ、ひ、ひぃ〜! あー。ダメだお腹痛い」

 

 そんな中ただ一人だけ、陽乃さんだけが大爆笑をかました。平塚先生はそれに対になるような睨み顔で、俺に発言の意図の説明を求める。

 

「えー、人という字は人と人とが支え合って、とか言ってますけど、片方寄りかかってんじゃないっすか。誰か犠牲になる事を容認してるのが『人』って概念だと思うんですよね。だから、この文化祭に、文実に、ふさわしいかな〜と」

「犠牲、というのは具体的に何を指す」

「俺とか超犠牲でしょ。アホみたいに仕事させられるし、ていうか人の仕事押し付けられてるし。それともこれが委員長言うところの『ともに助け合う』ってことなんですかね。助け合ったことがないんで俺はよく知らないんですけど」

 

 そう言ってのけると全員の視線が相模に集中した。相模はわなわなと震えている、それに対し周りは口々に囁き声で文句なりなんなりを伝搬させていく。

 おかしいな、真鶴が言った皮肉を馬鹿にも分かりやすく言い直しただけなのにな。みんな鈍感すぎやしないかい?

 

「比企谷……」

 

 不意に傍の方から名前を呼ばれた気がした。見ると、やはり真鶴がこちらを見ていて、しかし俺が目を向けるとすぐにフイッと顔を逸らした。

 真鶴はまるでつまんなそうな、不機嫌そうな態度をあからさまに取りながらも周りの連中同様、雪ノ下の方を見つめて俺の戯言に対する裁断を待った。

 

「比企谷くん」

 

 不特定多数の視線を受けた雪ノ下は少しだけ議事録で顔を隠し方を震わせていたが、すぐに短い吐息を吐いてモードを切り替えると顔を上げて俺の名を呼んだ。

 

 その表情はとても暖かく、可憐で、穏やかな少女のような笑顔で染まっていた。

 

「却っ下」

 

 ですよねー。

 俺のアイデアが却下され、本日の会議にはこれにて終了。スローガンは今日出た案を元に明日決定する事となり、更に重ねて雪ノ下の「以降の作業については全員全日参加にすれば、この遅れも充分取り戻せる」という言葉によりこの場にいる全員が強制出席を承諾させられた。

 

 雪ノ下一人の発言でもこの状況を作るのは可能だったろうが、そこは真鶴の「これから結束してかないと」ってセリフが出たからだろうか、雪ノ下の判断に嫌そうな顔をする奴はいなかった。

 

 ただ、皆が俺の傍を通るとき、こちらに向けられる視線がチクリと痛かった。小声で俺を非難するような人までいる。

 文実メンバーがあらかた去って残されたいつもの執行部の面々。その中で一人、浮かない顔をしていためぐり先輩がそっと俺の近くまで来た。

 

「残念だな……。真面目な子だと思ってたよ……」

 

 そう、めぐり先輩は悲しそうに呟いた。

 真面目な子だと思われる、それは文実メンバー内でも全日参加しあれだけの仕事量をこなしてたからこその信頼による対価みたいなもんだ。俺の意思と関係なく勝手にそうレッテルを貼られ、こうしてボロを出して失望させてしまう。

 

 後悔と共にため息が溢れる。だから嫌だったんだ、と悔いながらも気合を入れて立ち上がると真鶴が前を通った。

 

「あんたさ、なんでああいう事言うわけ?」

「俺がそうしたかったからだが」

「なにそれ。呆れる、そういう所だって。比企谷の怠い所」

「なんなんだよお前……空気を読まずに雰囲気を悪化させた事を非難してるのか」

「それもある。わざわざあんな言い方して場をかき乱して。だから今回も比企谷が敵視されてる。それでいいわけ?」

 

 真鶴は俺を睨むでも無く、ただただ、悲しいような困ったような顔で、俺の顔を責めるように見つめている。

 

「……俺みたいな奴があんな言い方をするから伝わるんだろうが。ろくな会話をしてこなかった奴が如何に真意を分かりやすく伝えるか、そこに特化した最良の方法だった。ならそれでよかったって言えるだろ」

 

 ただ思った通りの文章を口に出す。

 

「重要な事が伝わってないじゃん。めぐり先輩、あんたの事単に不真面目な奴って思ってる。ちゃんと働いて周りの事考えてるのに、自分が楽したいだけの奴って思ってるんだよ?」

 

 噛みしめるようなトーンで、ゆっくりと苦しげに真鶴は言う。

 

「そこは勘定に入ってないからな。俺が伝えたかったのは必要な事だけ。サボってた奴らに対してサボってる事と、それの割りを食ってる奴がいる事を伝えるのが優先事項だ。それ以外の事でどう思われようが関係ないし、悪印象を抱かれたのならそれはもう拭えない一つの解でしかない」

「……そ。やっぱり分かんないわ、あんたの事」

 

 そう言って、真鶴も会議室から去って行った。

 悪しく思えたのならそれでも構わない。それで十全に事が運ぶのなら安い物だ。

 結局あの場にいた大多数が俺とは無縁の赤の他人なのだから、わずかな繋がりがある『今』に重点を置き仕事をしてもらって俺の負担を減らせればそれでいい。俺の事をどう思おうが、自分がしてきた事に負い目を感じてその分仕事をしてくれればそれで成功への近道になるし効率的にも良い筈だ。

 

 その後どう思われようが知ったこっちゃない、こっちは仕事でやってんだ。少しでも楽をする方法を模索してなにが悪い。

 

 俺も会議室を出ようとドアの方は歩み寄ると、雪ノ下がそこに立っているのが見えた。

 俺は言われるセリフを脳内でシミュレートし、それに対する返答を用意して彼女の視界の内側まで歩みを進めた。



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21:雪ノ下(姉)との軽いファーストコンタクト。

 スローガン決めの会議があった翌日から、欠員していたメンバーも総動員で仕事に強制参加する事となり文化祭実行委員会は再始動した。

 

 これまでの鬱々とした雰囲気から一変し会議室内はやる気に溢れた人の波でごった返しになっている。様々な意見が飛び交い、各々が自身の責務を全うしようとしていて、まるで今までの空気を払拭せんとしているようだった。

 その陰で、比企谷に対する陰口が絶えず耳に入ってくる。腫れ物を扱うかのように、共通の敵として見下すように。

 

 多分そうなってる理由はスローガン決めの際に彼が発した皮肉なんだろうけど、それなら私も同様の感情を向けられるべきだ。あの場で最初に空気を乱したのは私なのだから。

 

 そうならず今まで通り特にマイナスな感情を向けられずに会議室に居られるのは、人員が確保出来た事で実質お役御免となったからだろうか。今まで溜めていた仕事を終えたら私の助太刀はおしまい、言ってしまえば輪の外にある人間なのだからさした意識を向ける必要性はないって、そんな感じ?

 

 それか、私が言った嫌味よりもあいつが言った皮肉のがインパクトが強かったか。まあヘイトが集まってる理由はこっちの方が妥当か。

 

 

「雪ノ下さん、これ」

「……、確認します」

 

 他事に意識を向ける事なく淡々と作業を進め、仕事を終えたので業務的に雪ノ下さんの所へ行き書類を提出する。雪ノ下さんはワンテンポ置いてそれを受け取る。相模さんを通すのが正解だったのかと思ったけど、最終的には雪ノ下さんの元に行くんだからまあいいだろう。

 

「受理したわ。ご苦労様、真鶴さん」

「そ。分かった」

「今までありがとうございました。……貴女の助力には多少なりとも助けられたわ」

「え、いきなりなに。こわ」

 

 この私に向けて珍しく雪ノ下が攻撃を含まない言葉を個人的に投げてきた。それに対し言及しようとしたが、彼女はすぐに手元の書類に目を落としこれ以上話す気はないというような態度を取った為、コミュニケーションを取ることはやめた。

 

 ここ最近印象が薄まってたけど、やっぱ私こいつの事嫌いというか受け付けないわ。それは相手もだろうけど。むかつく。

 

 私は荷物をまとめて一瞬、比企谷の方を一瞥する。あいつ、なんか今日雪ノ下の姉にちょっかいかけられて鼻の下伸ばしてるように見えたし、まだ間抜けな顔してんのかと期待して見たのだがフツーに真面目に仕事に集中していた。つまんな。

 

 

「あっ、やっはろー。お初だねぇ。えーっと、名前なんだっけ。確か鶴って付いてたよね? 鶴、鶴……折鶴(おりづる)ちゃん?」

 

 会議室を出ると、軽快な声と共にそんな言葉を上から投げかけられた。雪ノ下の姉、雪ノ下陽乃さんがまるで私を推し量るかのような底冷えする視線と形だけ笑顔を作った口元を提げて立っていた。

 

「あはは、真鶴です。やっはろーです〜、雪ノ下陽乃さん」

「真鶴ちゃんね! よろしくね〜真鶴ちゃん。で、早速なんだけど君って比企谷くんの事好きなの?」

「は? ……あ、すいません! えっと」

 

 予想だにしない質問をされたからついつい素が出てしまったが、すぐに仮面を装って笑顔を作る。先に笑顔を浮かべていた陽乃さんを模倣するように。

 

「なんでそう思ったんですか〜?」

「お、質問に質問で返すか。その手法、同じセリフを同年代の子に言われた時に使ったらきっと痛い目みるよ?」

「あはは、そうなんですか? 気を付けます」

 

 同じセリフを同じ学年の子に言われたとして、対象が比企谷(あいつ)だった場合嫉妬や敵対心を仰ぐ受け答えにはならないと思う。笑い話のネタとして一つ落とし込もうとしたのだが、目論見は失敗したらしい。

 

「で? どうなの、君は比企谷くんの何なの?」

「え、あ、」

 

 突然、陽乃さんの声が冷気を帯びたような気がした。

 ヘラヘラケラケラとしていた数秒前とは一片、黒い感情が見え隠れするような変化につい、返答を詰まらせてしまった。

 

「ただの知り合い、ですけど」

「へぇ〜。どういう知り合いなの?」

「どういう?」

 

 聞き返してはみたが、何となく嫌な予感がするのを肌で感じていた。

 目の前にいる女は雪ノ下雪乃の姉であり、めぐり先輩の先輩であり、比企谷の知り合い。

 正直この人と皆の繋がりはよく知らないが、少なくとも確定してる情報は以上でそこに私が介入する隙は無い筈だ。

 

 私と雪ノ下陽乃は赤の他人、側から見てて享楽的に見える彼女が私に何らかの理由で興味を持ち弄りに来るまではなんらおかしく無いが、こんな黒い感情を向けられる謂れは微塵もない。

 

「あの、その質問って答えて何になるんですか。……てか、なんでいきなりそんな事聞いてくるんですか」

「お姉さんね、君の事少し教えてもらったんだ。だからね〜、まさか君があんな風に比企谷くんの意図を汲んだ発言をするなんて思わなかったんだ。それに、あの場で唯一比企谷くんの味方をしてたものだからさ」

「そ、」

 

 それは、と言いかけて、その先の言葉が頭の中で思い浮かばなかったから言い止まる。

 

「……別に味方したわけじゃないです。相模さんがちゃんちゃらおかしい事言ってたのにむかついたのは事実ですし、それを素直に伝えたらあいつに便乗されて、ヘイト集めるような事を言うから何してんのって言っただけで」

「違うでしょ?」

 

 陽乃さんは微笑みながら、まるで飾ったり装ったりしない妹の方の雪ノ下と似たトーンで喋る。

 

「君はあの会議で比企谷くんを観察していた。そして、彼がアクションを起こそうとした時にそれを食う勢いで主張を述べた。それってまるで、君は彼の性格をよく知っていて負の矛先が向かないよう仕向けたように見えたんだけど。違わないよね?」

 

 そこは、違うかな? と聞いてほしい所だった。

 

「……ただの気まぐれです。あいつを助けるとか意味分かんない」

「そう? じゃあ恋心も無し?」

「無いですよ。あいつの事が好きとか、そんなのあるわけないじゃないですか」

 

 これに関しては自信持って言えた。当然だ、私はあいつに酷いこと言ってフッてあいつを歪めた過去がある。揺るぎない事実がある以上、あいつのトラウマである恋愛関係をまた掘り返す事なんて出来る筈が無い。

 

 別に良い子ちゃんみたいにあいつに対してめちゃくちゃ負い目を感じてるってわけじゃ無い。ただ悪い子ちゃんでもないからまた昔と同じような事になってこれ以上あいつを人間不信にさせるような事はしたくないってだけの単純な話だ。

 

「そっか。なんだ、お姉さんの思い過ごしだったみたいだね」

 

 陽乃さんはあっけらかんと笑顔を取り戻した。一番聞きたかった事はどうやらこの事だったらしい。

 

 これで要件は済んだと思ったので、私は陽乃さんに「じゃあ私はそろそろ」と声を掛けた。彼女もうんと頷きもう用無しと言わんばかりに手をひらひらさせ踵を返しかけたが、突然何かを閃いたかのように「あっ!」と声を上げて私の意識を引き戻した。

 

「そうだ、比企谷くんにも同じクイズを出題したんだけど、集団をもっとも団結させる存在はなんでしょ〜?」

「えっ、えぇ……?」

 

 突然問題を振られ停止しかけた頭を巡らせ考える。安易に浮かんだのがめっちゃ優秀なリーダーだが、集団をもっともと言われるとそれはどうなのかとつい考えてしまった。

 

 集団をもっとも団結させる存在。それはつまり、もっともお手軽に和を形成するきっかけになる存在の事を指すのだろうか。

 ……………………。

 一番最初に、私は比企谷の事が浮かんだ。『比企谷みたいな奴』がそういうのに適してると考えついた。つまり共通の敵、共通してみんなが痛ぶれる、見下せる、比較対象にする事で絶対の優位性を見出せる「敵」というのが私が至った答えだった。

 

 口ごもる。そんな私を見て、陽乃さんは微笑みながらに踵を返した。

 

「この質問、君にとっては意地悪だったかな? 正解は明確な敵の存在だよ。ま、当の敵はとても弱っちい小物だから、何かあったらまたちょっかいでもかけてあげてねって事で」

 

 そう言って陽乃さんは会議室に入っていった。

 嫌な質問に嫌な答えで正解してしまった。考えた陽乃さんもそうだが、あっさり正解した自分の性格の悪さに少し嫌気が指す。

 

 基本的に比企谷セコムは私にとってむかつく奴が多いけれど、その中でも雪ノ下陽乃はずば抜けて恐ろしい人物だった。

 

 というか姉といい妹といい、雪ノ下家の人間はとことん合わないというか、根が怖い人しかいないのだろうか。

 雪ノ下は陽乃さんとあまり上手く付き合えてないみたいに見えてたけど、実は裏でめちゃ仲良しって可能性もあるしもうあの姉妹には関わらないようにしよう。そう思うくらいには、初対面にして私は雪ノ下陽乃に苦手意識を覚えた。



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22:私だけ、何もない。

 文化祭当日。といっても今日は2日目である。

 

 校内のみで行われる内輪ノリ百パーセントの1日目は特に何も起きる事なく平穏に終わった。

 私ら2年D組は規模は小さいがお化け屋敷を実施していて、そこでの私は役割は井戸から出てくる女幽霊だ。テレビから出る前の貞子っていうのが一番近いと思う。てかあれのパクリだし。

 

 で、待機場所が狭いし空調の真下って事で長時間いると寒くてやってられないという事で、私の担当箇所にはローテーションを組まれてる。午前は私がやって、午後からは別の二人が担当する。つまり今から私はフリーなわけだ。

 

 というわけで、今私は幽霊姿のまま校内を闊歩していた。自販機まで行ってジュースを買うために。

 

 ちなみにこの後、折本とその友達と待ち合わせしている。折本の友達となんとか一緒に回れないか葉山くんに頼んでみたら「本番前に少し一緒に回るくらいならいいよ」と言ってくれたのだ。

 本当は微塵も興味ないしダルいだろうに、良い人だなあ。

 

「お、おう……」

「わっ!?」

 

 突然近くを歩いていた男子が虚空に向かって話しかけていたのでビビって反射的に飛び退いてしまった。よく見たらそいつは比企谷だった。

 

「比企谷? ……何してんの?」

「え、や、仕事ですけど……。てか、誰ですか?」

 

 カメラを両手で持った出で立ちがなんか怪しい盗撮魔っぽく見えたので素直に質問すると、彼の方からは腕章を見せながらの返答と意味不明な追求をされた。

 あんた記憶喪失にでもなったのか、と思ったが今自分が幽霊姿をしている事に思い出し、ウィッグを外して見せる。

 

「なんだ真鶴か。脅かすなよ」

「脅かしてないし。そっちが勝手に驚いてただけじゃん」

「いや、学校の廊下に皿屋敷のお菊の亡霊みたいな格好した女が居たら誰でもビビるだろ」

「コンセプトは貞子なんだけど、まあいいや。じゃ」

「あ、待ってくれ真鶴」

 

 ウィッグを被り直し自販機の方は歩き出そうとした時、比企谷に呼び止められた。

 

「なに?」

「あー……写真撮らせてくれないか?」

「いいよ」

「即答かよ。なんにせよ助かる」

 

 私の返答に若干慄いた様子を見せる比企谷。そんなに驚く事でもないでしょって、文化祭で知り合いと写真撮るとか別に普通の事じゃん?

 幸い衣装として着ているワンピースは一応私物だし、教室から出た後にトイレでメイクだけは直しといたからウィッグ外せば撮っても問題ない感じにはなると思う。コスプレ撮影とか趣味じゃないし。

 

「じゃ、撮るよ〜」

「!? ちょっ、なんでそんな近付くんだよお前!」

「は?」

 

 スマホを出して私より背の高い比企谷もちゃんと映るように腕を拘束して身を寄せると、比企谷はいつにもなく狼狽した。

 

「写真撮るんでしょ?」

「ばっ、そういう事じゃなくて仕事のためにだな! お前今制服着てないし一般客に見えるから単品で撮ってもいいかって事なんだが」

「あー、うん。いいよ。じゃあスマホの方見て」

「だから、このプライベートな撮影は全くもって必要ないと思うんだが」

「……そ」

 

 まあ確かにそれも、そうか。

 こいつは私なんかと写真を撮りたがるわけがなかった。むかつくけど、仕方のない事だ。別に私もそんなに撮りたいってわけじゃないけどさ。

 

 スマホを仕舞い、比企谷が言ったように雑踏の中でピースを作る。そしてシャッターを押された事を確認すると、私は比企谷に背を向けて雑踏の中へと揉まれようと一歩踏み出した。

 

「ありがとうな、真鶴」

「ん」

 

 微かに聞こえた感謝の声にハッとし振り向いて顔を見そうになったが、なんかイラついていたのでそうはせず短く返した。なんで今こんなにイライラしてるのか、というかこれが本当に苛立ちという感覚であっているのか、分からない事だらけだったけどあいつの顔はこの瞬間だけは見たくなかった。

 

 

 

 

 

「やーお待たせー。久しぶりー真鶴!」

 

 制服に着替え集合場所に指定しておいた正面玄関でスマホをいじっていたら折本とその友達、仲町さんがやってきた。

 ちなみに葉山くんは今まで私と有意義にお話に花を咲かせていた。なんて事はない、互いの好物とか文化祭たのしーねーとかそんな中身のない会話だが。

 

 広く浅く人間関係を構築するのに長けた人間は中身のない会話を続けさせるのがとにかく上手い。なので私も葉山くんも、全く打ち解けてないし知り合いと言えるほどの仲でもないのにそこそこ仲良さげに会話が出来たりするわけだ。

 

 こんな偽物で牽制し合ってるような関係性、演ってて楽しさなど微塵も感じないが。

 

「遅かったねー折本。ほい、葉山くんだよ」

「どうも初めまして、葉山隼人です。よろしく」

「おー、爽やかイケメンだ! 初めまして、折本かおりです! 真鶴の中学の頃の友達なんだー、よろしくね!」

「ああ、真鶴さんから聞いてるよ。折本さん、それと仲町千佳さん、だよね?」

「あっ、うん。えと、初めまして! 海浜総合の仲町千佳です、今日はよろしくお願いします!」

 

 それまで折本の横で緊張の為か萎縮していた仲町さんが健気に元気を振り絞りながら言い切った。純情少女すぎてかわいい。

 

「じゃ早速回ろうか」

「と言っても葉山くんは次の演目が始まったら裏で控えないとだから本当に時間ないんだけどね」

「えー! そんなぁ……」

 

 仲町さんが肩を落とし落胆する。人への好意とか本音とか、そういうのを包み隠さず出せる人ってなんかいいな。かわいいし面白いし。

 

 折本はそこら辺が行き過ぎててむしろウザいけど。ウザい事が折本の親しみやすさとかカリスマ? みたいなやつの源になってるんだけども。この子は好きでも嫌いでもないけど、でもその生き方は素直に羨ましいものだ。

 

「じゃあ最初はーー」

 

 しょんぼりしている仲町をフォローするように葉山くんがアイデアを出し、仲町さんは彼が話しかけてきたという事自体に喜びを感じ葉山くんのセリフに肯定をする機械と化していた。ニコニコ笑顔だ、良い意味で猪突猛進だなあ。

 

 話し相手の葉山くんが別の人の方に行った事で列からわずかに外れようとしたら、仲町さんの横を歩いてきた折本が私の横にやってきた。

 

「ねえねえ真鶴、比企谷はいないの?」

「へ? 比企谷? なんで」

「え? 前電話した時に名前が出てきたからてっきり今回一緒にいるもんかと思ったよー」

 

 いやいやそんなわけないっしょ、と口にはしないがツッコミを入れた。

 私と比企谷の関係は中学の頃のメンツなら違和感を覚える組み合わせだ。こちら側にもあちら側にも気持ちの良い物じゃなくなるだろうし、折本と私というあいつが苦手意識を抱いてるであろう相手がいる中に投入などするわけがない。

 

「ちぇー、あいつがいたら面白い話出来ると思ったのに」

「面白い話?」

 

 やめとけばいいのに、つい反射的に私は地雷を踏み抜いた気がした。

 

「あれ、真鶴知らない? あたし、比企谷に告られたんだよ」

「なっ!?」

 

 知ってる知ってる、知ってるわ当たり前じゃん馬鹿じゃないの!?

 折本は私より先に比企谷に告られてフッている。そしてそれに次ぐように私が告られ、そしてとどめを刺した。言わば私と折本はあいつのトラウマをコンボで作り上げた関係性にある。

 

 そして葉山くんは比企谷セコムだ。こんな話をすれば高確率で食らいついてくるし、下手すれば私にまでその火の粉が……いや、大丈夫かな? セコムって言っても前会議室で話した時の比企谷トークに関するしつこさをネタにした表現だし実際のところは比企谷に対して多分敵意? みたいのを抱いてるようにも思えたし。

 

「へえ、そんな事があったんだ。少し気になるな、その話」

 

 いや食らいついたわ。真意はともかくセコム発動してらっしゃる、シリアス調な表情を浮かべてらっしゃるし。こわ。

 

「あはは、大した話じゃないんだけどさー、あいつと一時期仲良くなった頃があってその時に」

「そうじゃなくて。どうして彼に告白された話が面白い話になるのかなって。彼からしたらそれは本気だったろうに、それを笑うのは良くないと思うな」

 

 あくまで柔らかな口調で諭すよう語りかける葉山くんに折本は「そ、そうだよね。や、さっきのは無し! 変な事言ってごめんね!」と空気が凍りつきかけたのを察してか頭を下げた。葉山くんの向こうで仲町さんもオロオロしてるが、葉山くん自身は折本の姿を見て機嫌を直したのか微笑んで「別の話しようか」と言った。

 

 自分も巻き添え食らって過去話を掘り返されるんじゃないかとヒヤヒヤしたけど、結果平和に済んで良かった。

 

 

 

「それじゃそろそろ控えてないとまずいから俺はこれで失礼するよ」

 

 小一時間ほど構内を練り歩き、体育館の近くまで来た時に葉山くんがそう言って輪から離れていった。

 残された私達は葉山くんという鎖を失った事で誰も話さず気まずい空間が出来上がるかと思っていたがそうはならず、普通に仲町さんは打ち解けたように私に話しかけてくれた。

 

「ねえかおり。結局さっきの話はなんだったの?」

「さっきの話って?」

「ほら、誰々に告られたって話」

「あーそれね。比企谷の話か」

 

 体育館に入り空いた席に座って次の演目を待っている最中に、仲町さんと折本の間でまた地雷話をしようという空気が流れていた。

 

 まー比企谷セコムはこの場には多分いないし、ぶっちゃけ話振られてもテキトーに合わせてればいいし、そこまで気にする事もないか。

 

「……さっき葉山くんに怒られたんだしやめといたら? その話」

「ん? うーんそだね、あんましネタにする事でもないしね」

「えー」

「あははっ、でも真鶴がそんな事言うなんて珍しいねー」

「そんな事ないっしょ」

「そんな事あるよ、昔の真鶴だったらこの手の話絶対乗ってくるしめっちゃ話広げるじゃん! あの時と比べると別人すぎてウケるんだけど」

「ウケるんだそれ。まー人は常に変化するって事で」

「おー、真鶴さんって意外と知的なんだねー」

「ありがとー」

 

 どこが? どっか知的な要素あった? テキトーな事言って煽ててない仲町さん?

 

 やがて当たり障りのない女子トークをしたり葉山くんかっこいいよねトークをしたりしていたら、演者の人達がステージに入場して次の演目が開演した。

 観客席全体を圧倒するオーケストラの演奏が文化祭の浮かれきった雰囲気と調和し熱狂の渦に包まれる。ノリの良さでほとんどを構成されてる折本はもうテンション爆上がりで立ち上がって盛り上がり、それに触発され仲町さんも飛び跳ねそれが波のように伝播していく。

 

 なんだか、こうしてステージ上でこの場全体を指揮杖で操る陽乃さんやいち早く空気を作り上げ扇動する折本を見てると、誰かを犠牲にしなきゃ上に立たない自分が矮小な存在だと思い知らされて、その劣等感をありありと感じさせられる。

 

 感動と、圧巻と、熱狂と、嫉妬。気持ち良さと心地悪さを感じながら、自分でもよくわからないテンションで周りに合わせ雰囲気に乗っかる。

 

 実は視界の端に、きっと私と同じような事を抱いてる奴の背中が映ったけど、あいつと同じ事を感じてるってのはなんか癪だし私は気付いてないという事にした。

 

 

 

 

「ふいー、盛り上がったねぇ」

「ほんとね。すごいねーあの指揮者の人!」

「そだねー。あ、私トイレ行ってくる、二人は?」

「あたしはいいや」「私もー」

「そ。一人かぁ寂しいなー」

 

 とアホくさいやり取りを行なって体育館から抜け出すと、周囲の熱に当てられて火照った体を冷ますために廊下の窓際に空いた椅子を置いて腰を下ろした。

 

 ぶっちゃけ次の演目のバンドの演奏で出場する葉山くん筆頭のグループに知り合いはいないしそこまで見たいとも思わないからこのまま戻らなくてもいいのかもしれない。

 何してようか、体育館から出たとしてまだ校内には人がいるし。いつメンはクラスでお仕事中か文化祭実行委員としてお仕事中だし。

 

「……比企谷?」

 

 スマホを出して暇を潰そうかとも思ったら目の前を比企谷が凄い速度で走り去っていった。あれ? あいつ今体育館で仕事中なんじゃ?

 

「足はっや。あいつ必死になってるとイケメンなんだなー、勿体無い」

 

 一体何をあんなに焦ってるのかは全く分かんないが、何か緊急事態が起きているってのはあいつの表情からして明らかだった。また気まぐれに首突っ込んで暇を潰すのもいいかもと思ったが、今の比企谷の足に追いつける気はしないのでやめておく事にした。

 

 程なくして、体育館からのバンドの演奏が終わったと思ったらアンコールでもされたのか再び演奏が聞こえてきて、程なくして葉山くんとゆっこ、遥が比企谷と同じように走ってくるのが見えた。

 

「弓弦ちゃん! さがみん見てない!?」

「見てないけど、どうかしたの?」

「今からエンディングセレモニーで賞とかの発表にさがみんの投票結果が必要なんだけど、そのさがみんがどっか行っちゃってて……」

「まじ? やばいじゃん、私も探そっか」

「本当!? ありがと、じゃあ私達は特別棟の方探すから!!」

 

 とだけ言って、遥達は走っていった。遥とゆっこと違って葉山くんは何か別の事で焦ってる風に見えてそれが妙に頭の中に残った。その焦りが、心のどこかでどういう事なのか分かっていたからかもしれない。

 

 さて、どこ探そうかな。まずなんで消えちゃったのか分かんないし手掛かりは何もないんだけど。

 まあでもどうせここまで来て姿をくらませたって事は、プレッシャーに耐え切れなかったとか、誰かに構ってもらって必要とされたいとか、そんなアホみたいな理由で逃げ出したんだろうな。あの子の事よく知らないから勝手な憶測だけど。

 

「あ、材木座くんだ」

 

 とりあえずどこかでかくれんぼしてるのかと思い各クラスのベランダを見て回っていたら、2Cの教室のベランダで一人携帯をぽちぽちしていた材木座くんを見つけた。

 

「む、真鶴殿? ……貴様、何をしにここまで!! まさかここで我の息の根を止めようと!!!」

「しないよそんな事。ちょっと今人探しててねー」

「ほう、人探しか。……そういえば先刻、八幡も人を探してるかのような事を言っていた気がするな。我もそれを手伝っている最中だが」

「そうなんだ。……じゃあさ、比企谷が今大体どこにいるのかも知ってたりする?」

「む? 探し人は八幡なのか?」

「違うけど。でもあいつなら人が逃げるような場所にも検討付けられそうだな〜って思って」

「なるほど、一理あるな。八幡なら恐らく……特別棟の上にいるのではないだろうか」

「そか。ありがと」

 

 軽く礼を言って小走りで屋上へ向かう。

 屋上、屋上か。でもあそこって鍵があって普通は入れないようになってるんじゃなかったっけ? てか逃げるにしてもそんな中途半端に思いつきそうなところ行く? 何がしたいのかよく分かんないんだけど。

 

 屋上へと続く荷物置き場となった階段まで来ると、人が通った後のような隙間がそこにはあった。どうやら材木座くんの読みは当たっていたようだ。

 

 屋上の扉までくると、南京錠の壊れた扉がそこにはあった。ノブに手を掛け開けようとしたその時、向こう側からした声を聞いてその手が止まってしまった。

 

「本当に最低だな」

 

 直前まで相模さんは自分を卑下するような卑屈セリフばかり吐いていた。それに対し葉山くんが慰めとフォローをしていて遥とゆっこもそれに便乗するという反吐が出るような友情ごっこが繰り広げられていた。

 そんなやり取りがあっての比企谷の一言は、空気を一瞬にして凍結させた。



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23:偽物なんかいらない、らしい。

「本当に最低だな」

 

 苛立ちを混ぜた声音で、ため息まじりにそう呟く。

 

 力づくとかではなく、無理やりでもなく、相模自身の足で、相模が自らの意思で動こうとするような、そんな方法。それ自体は沢山ある。ただ、俺とあいつがコミュニケーションを取る場合、相模が目を逸らしたい事実を認識させ、尚且つ仕事に向き合わせる方法を取らせるには効率の良い手段は限られてくる。

 

 が、その限られた手段ってのは丁度良いことに俺はやり慣れている。少し前だって同じような手段を取った。条件も広い目で見れば同じだ。ここには誰かが傷つく事を許容できない、葉山隼人という王子様がいる。あの時とそう変わらないじゃないか。

 

「相模。お前は結局ちやほやされたいだけなんだ。かまってほしくてそういうことやってんだろ? 今だって、『そんなことないよ』って言ってほしいだけなんだろうが。そんな奴、委員長として扱われなくて当たり前だ。本当に最低だ」

「なに、言って……」

「みんなたぶん気づいてるぞ。おまえのことなんてまるで理解してない俺が分かるくらいだ」

 

 そこまで言うと、相模のお付きの一人、遥って名前の女子がその言葉を聞くとバツが悪そうな顔をして俺から目を逸らした。そういえば何かとこいつ文実とかで一緒の担当ってわけでもないのにこっち観察するように見てきたりしてたな。真鶴の友達だっていうし、変な勘違いでもしてたんだろうか。

 

 ……いや、今はどうでもいいことだ。こいつが俺の独白を聞いてなにを思おうと関係ない、今の俺は相模を糾弾している最中なのだ。

 

「あんたなんかと、一緒にしないでよ……」

「同じだよ。最底辺の世界の住人だ」

 

 憎悪に燃えた相模の目。もう一人もお付きも同じく俺に嫌悪感にも似た敵意の目を向けている。葉山も、冷たい視線を俺に送り、完全にアウェーな場が広がっていた。

 いい具合だ、葉山もきっと俺の目論見を見据えて、俺のやり方に不満を感じてるのだろう。

 さて、そろそろ客観的事実を述べて相模の怒りにアクセントを加えよう。怒りの次に絶望を与えよう。より俺に憎悪を抱かせ、より相模の心が摩耗するように。

 

「よく考えてみろよ。お前にまったく興味のない俺が、一番早くお前を見つけられた」

「……っ!」

「つまりさ、……誰も真剣にお前を捜してなかったってことだろ」

 

 相模の顔色が、苛立ちの募った物から驚愕しみるみるうちに絶望に染まっていく。痛ましいほどに唇を噛み、もう俺の言葉なんか聞きたくないだろうに葉山がいる手前逃げる事も出来ず、心が折れそうになりながらも俺への憎しみで睨みを効かせる。

 

「わかってるんじゃないのか、自分がその程度の」

「比企谷、少し黙れよ」

 

 言いかけたところで葉山の右手が俺の胸ぐらを掴み、壁に押し付けられた事で喉から空気が漏れ出して言葉が中断された。

 

 俺は必死に笑って見せ、対する葉山は深呼吸しながらも俺を睨みつける。空気が凍りつき、嫌な汗が背を伝う。

 

「暴力は良くないよ、葉山くん!」

 

 こうなれば女子3人のうち誰かしら止めに入るだろうと思っていたが、そこで声を掛けてきたのはここにいるはずのない真鶴だった。

 真鶴の声を聞くと葉山も彼女の登場に疑問を抱いたのかスッと手を離した。真鶴はこれでもかというくらい焦ったような様子で、相模の方を向く。

 

 

「南ちゃん、みんな南ちゃんがいないって捜してたよ! 早く戻ったほうがいいと思う!」

「で、でも、うち……」

「いいから早く! みんな委員長の南ちゃんが締めないと意味ないって言ってたし行ってあげなよ! みんなで作り上げた文化祭っしょ!?」

「……っ、うん、分かった。もう少しうち頑張ってみる、ありがとう弓弦ちゃん!」

 

 真鶴の言葉に自分が必要とされてると認識させられたのか、相模がさっきまでとは打って変わった表情で走り去って行った。

 お付きもついていくのかと思ったが遥の方だけ数秒だけ立ち止まり、俺の方を向いて一度頭を下げて走って行った。

 

「真鶴さん、君は……」

「葉山くんも戻ったら?」

 

 言葉を遮るように、仮面を外した素の真鶴が無関心な目をしながらそう言った。まるで「お前は邪魔だ」とでも言うように。

 

 葉山は俺を見て、相模達の後を追うように扉を閉めた。

 この局面において何故か真鶴と二人取り残された。壁に背をつけた俺の前まで真鶴が来ると、前髪の隙間からいつにもない表情で俺を見上げてきた。

 

 

「多分これから相模さんはプレッシャーに耐えきれなくてエンディングセレモニーでトチリまくると思う。で、あんなに泣きそうな顔になってたから泣くと思う。そしたらゆっこは比企谷の事を指して「あいつに酷いこと言われたから」って言いふらすだろうし葉山くんも取り立ててそれを止めるような事はしないと思う」

 

 真鶴は俺を見上げたまま、意外にも俺が思い描いていた通りの流れを予測した。

 

「……だろうな」

 

「それでも相模さんは役目を放棄したままにせず無事ではないにしても委員長としての最後仕事も全うできる。また、あんた一人が悪者になる事であんたを苦しめた奴が救われたんだね」

 

「救われた? ……はっ」

 

 発言の意図がよく分からない、俺は別にあいつを救ったわけじゃない。そんな見当違いな事を言われたので鼻で笑ってやった。

 

「義理もないのに俺が相模を救うわけないだろ。単に今回は誰も傷つかない世界が完成したってだけのお話だった、それだけでいい」

 

「誰も傷つかない世界? ……それさ、あんたの存在は含まれていないわけ。誰も傷つかないとか言っといてあんただけは傷ついてんじゃんって」

 

 まただ。真鶴の感情論。こいつ俺でもないくせに俺の事ツラツラと語りたがる所あるよな。正直迷惑なんだが。

 

「どこに俺が傷つく要素があったんだよ」

 

「はあ? 普通に考えればわかるっしょ。これから今までの出来事が校内に広がればあんたは不特定多数の知らない奴に悪者扱いされるんだよ? 学校一の嫌われ者になる事はもう確定したようなもんじゃん」

 

「……そうなったとして、別に傷つくってほどでもない」

 

「それはあんたが心の痛みに慣れてるからで、痛くないから傷にならないってわけじゃないじゃん」

 

「痛みがないならノーカンだろ。傷ってのは痛いから煩わしく思う物であってそれを俺が気にしないんなら別に」

 

 ダンッ!

 え、なになに怖いんですけどこのDQN女。いきなり俺の横から背後の壁を勢い良く蹴ってきたんですけど。

 

 俺とほぼゼロ距離まで接近した真鶴はそのまま葉山がさっきしたように俺の胸ぐらを掴んで思い切り下に引っ張った。俺は無様にも尻餅をつき、今度は真鶴を見上げる形になった。

 

 なんか久しぶりにこいつの暴力を見た気がする。そうだった、最近おとなしいから忘れてたけどこいつは本来短気で話が通じないタイプの馬鹿なんだった。

 

「あんたがどんだけ捻くれて痛みに慣れて嫌われる事をなんとも思わなかったとしても、そんな性格だから誰もあんたなんかと関わんなくなったとしたら。そんなの私は嫌だよ」

「……は?」

 

 何を言い出すのかと思えば……何を言い出してんだこいつ? 私はそんなの嫌だよって、どんなのだよ。何が嫌なんだってんだ。

 

「何その顔、そんな意味わかんない事言ってる? 私」

 

「ああ、相当意味分からない事言ってるぞ。今の俺じゃ解読できないくらい難解だわ」

 

「馬鹿なんだね」

「殺すぞ」

 

 真鶴は足を下ろし、俺と同じ視線の高さになるよう膝を曲げる。

 

「こんな私が言っても信憑性ないと思うけど、私は偽物なんかいらないんだ。空気を読んでとか、気を使ってとか、自分を隠してとか、そういうのくだらないとずっと思ってた」

 

「本当に信憑性ないな」

 

「うっさい。……あんたにだけは私は素の自分を全部出せるし、それに対してあんたももう寒い芝居せずに本音で向き合ってくれる」

 

 柄にもなく真鶴が独白を始める。その表現は穏やかでつい先ほど壁を蹴ってきた奴とは思えなかった。

 

「まーあんたからしたらそんなつもりはないだろうしこうして言葉にされると気持ち悪がるだろうから黙ってたけど。そんなあんたが気付かないうちに傷ついてると私はフツーにむかつくわけ。分かった?」

 

「………………いや、まったく」

 

「そっか。……よいしょ。あ、一つ謝っとくね」

 

  立ち上がった真鶴は扉の方へ向かいながら話を続ける。

 

「実はあんたが相模さんに最低だーとか言い出す前から聞いてたんだ。だからきっと、もっと早い段階から出てればあの子をその気にさせる演技は出来たしあんたがあんな事を言わずに済んだ、と思う。そうすればあんたが不要なリスクを負うこともなかった。……そう出来なかったから、私には誰も救えないんだなーってね」

 

「……そんな事しなくていい、余計なお世話だ。つか救うとか何の話だよ、俺は誰も救わないっつってんだろ」

 

「あんたの考えはどうでもいいし。私は単に、あんたの好き勝手にさせて誰かを救う代わりにあんただけ傷つくなんて、そんな事二度とさせたくないってだけ」

 

 こいつ、昔あんな事しておいて俺に傷つくなって、どんな心変わりだよ。過去と今でまるっきり真逆なことしてんじゃん本人気づいてないのか?

 

「それじゃ私行くから」

「おう」

 

 ……偽物なんかいらない、か。

 

最悪の決別をした中学三年のあの日から再開して、今更気を使ったりする仲になるわけもない。

互いが嫌い合ってるからこそ、そもそもスタートがマイナスだからこそ、関係が悪化する可能性を考慮する必要がなく無遠慮になれる。その空気が心地良いと感じた事はないが、むしろ早く終わってしまえと感じていた事の方が多いがそれも少し前までの話で、最近は小町と話す感覚に似た空気感を感じていた。

 

 それと同じ空気感を、こいつも感じていたんだろうか。

 

「真鶴」

「ん?」

「……あー、いや」

 

 なんで呼び止めたのか自分でよくわからなかった。それらしい話題が思い浮かばない。

 

「……写真でも撮る?」

「あっ? ああ、じゃあそれで」

 

 咄嗟に出た提案に反射的に返事をすると、真鶴はやけにテンションを上げた様子で俺の横に来ると強引に腕を掴んで寄せて写真を二、三枚撮った。

 

「あはっ、比企谷とのツーショットとかバカレアじゃんやった!」

「ちょっ、ツーショットとか口に出さないでください本当」

「? わかった、じゃあとっとと戻ろ!」

「おい待て、腕っ」

 

 腕を掴んだまま真鶴に引かれる。指摘はしたが本人からは気づいてないのか? まったく手を離す気配がない。女子に手を引かれ廊下を走るとかいう少女漫画やラノベでしか見ないような青春イベントを真鶴とやる事になるとは思わなかった。

 

 結局体育館の近くまで行ったところで真鶴が「じゃねー」と言って勝手に分散してったので俺は一人で体育館に入った。



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24:後ろ向きに歩けば、嫌な事も見ずに済む。

 エンディングセレモニーが行われ、私が予言した通り相模さんはカンペを見ながらもトチりまくって泣き出してしまった。

 

 それが感極まった、努力の末に流れる涙だと思い込んだ奴らが「がんばれー!」だとか「ありがとー!」だとか追い討ちをかけるかのように感謝のラストスパートをかけ、それが相模さんの感情に拍車をかけるきっかけとなり彼女の堰は決壊した。

 

 見てられなかった。だからエンディングセレモニーが終わると同時に私は遥を待たずさっさと詩織達と共に体育館を退場する。

 

 

「さっきの委員長の子、比企谷って奴が酷いこと言ったせいで泣いたんだってよ」

 

「えー、最悪じゃん!」

 

 どこでその悪評を耳にしたのか、クラスに入る前から私の輪もその周囲の輪もその話題で持ちきりだった。

 普段輪にいる遥がいない。最近あいつ相模さんと仲良いから、ゆっこと一緒に比企谷の悪評を周囲に言いふらしてるのだろうか。

 

 ……。

 

「弓弦っちどう思う? 比企谷って奴の事」

 

「えっ、私?」

 

「うん。弓弦っち結構文実の方に顔出してたじゃん? 相模って子とも何度か話してたっしょ」

 

「まあ」

 

「酷い奴だよね、相模って子委員長として頑張ってたんしょ?」

 

「……そだね」

 

 話を合わせるだけなのに、笑顔が上手く作れない。嘘は得意なのに、苦しくなる。

 

 私がここで比企谷の目論見、今回の件のことをあれこれ語ってしまえば少なからず私の周辺は比企谷に対して悪い感情は抱かないだろう。

 ……でも、上手く説明できるとも限らないし、比企谷の事好きだとか逆に相模さんの事が嫌いだとかで曲解されて嗤われるリスクが怖くて私はあいつを庇う事が出来なかった。

 

 …………そんなことも出来ないのに、あいつを救うとかあいつが傷つくのが嫌だとか、笑い話もいいとこだなと自分ながらに思った。

 

 私はあいつと違って嫌われる勇気がない。そんな奴があいつを理解するだとか到底無理な話だし、興味を持ったところで何一つ理解できないだろう。

 

「弓弦っち?」

 

「……ごめん、なんでもない」

 

「え、うん。変なの」

 

 帰りのHRも終わり、教室の話題は打ち上げという一つの事柄で溢れかえっていた。文化祭の前々日から話自体は出てたけど、いつの間にやら行くお店や人数が決まっていたようで、何故か私もそのメンバーに加えさせられていた。

 

 ……比企谷達のクラスは打ち上げどこに行くんだろ。てかあいつの場合……参加はしないよね。どうせ。

 

 なんなら私も打ち上げに行きたいって気分じゃないし今日はさっさと帰りたいんだけど。記念写真撮って回ったらもう早急に退散したいんだけれど、人数が決められてる時点でその申し出も出しにくい状況になってるな……。

 

 いや、私は打ち上げ行くって言った覚えないしどうせいつメンだからって理由で加えられてるだけだから行かなかったとして非難される謂れはないんだけどさ。なんだかなぁ、なんか丁度良い断り文句無いものか。

 

「あれ、遥っちは?」

 

「文実の方の打ち上げ行くって」

 

「そーなん!? あちゃー1人分キャンセルしなきゃだー!」

 

 側からの会話が耳に入ってきた。遥は文実の方の打ち上げ行くのか、それで今からキャンセルと。いや普通に文実の人間もメンツに加えるなら連絡くらいしなよって思うけど。流石に無計画すぎでしょ。

 

 ! 閃いた、その手があったか!

 

「あーごめん、私も文実の方の打ち上げに行く事になってるからキャンセルしといて」

 

「うぇー。弓弦っちまぢー?」

 

「あはは、ごめんて。先輩に誘われてて。ってか一報も無かったのにメンツに加えられてたんだから文句言わないでよねー」

 

「ちぇっ、久しぶりに弓弦っちと遥っちと揃ってご飯食べれると思ったのに」

 

「ごめんて、また今度ね」

 

 教室にいる人らと写真を撮って、手をヒラヒラ振って後にする。1人で廊下を歩く、冷たい風が吹いて秋だなあって感じながら。

 

 

 聞こえる喧騒は文化祭が終わったという感嘆やこれからする打ち上げの話で溢れていた。そんな中、ごく僅かに『女子を泣かした嫌な奴』の話題も耳に入ってくる。

 本当にあいつは学校一の嫌われ者になってしまったようだ。私が同じように皆から嫌われたら、もうこんな学校来たくなくなるだろうな。

 

 ……。

 

 私があいつをフッて周りに言いふらした時と、嫌われ方は違えど状況は一緒、なんだろうか。一線引かれて、見下されて、噂だけ尾ひれがついて知らない相手にも一方的にそんな奴と嗤われる。

 

 ……。

 

 思えば私はまだちゃんと、あいつに謝ってなかった。

 ただ助けてほしくて、頼れるのはあいつしかいないからといって必死になってた時期もあったけど、結局私は今の今まであいつに本当の私として謝罪した事は無かった気がする。

 

 でも、どうせ、あいつは私の事なんかこれっぽっちも興味ないし関わる事がまず嫌なはずだから、謝ろうと謝らずとも何かが変わる気はしない。なら、わざわざ時間取らせて、本音とも思われない謝罪を口にして、聞いてもらって、それで何か意味はあるのだろうか。

 

 偽物はいらないとか言っておきながら、まだそんな事言って謝れない私は、どれだけ性格が悪く臆病なのか。

 

 私は比企谷を知らない。

 

 ここでどれだけあいつの内情を空想した所で、答えの出ない机上の空論だ。

 あいつの考えを勝手に決めつけて、意味もないからと、昔あいつにした仕打ちに対し向き合う事から逃げて、そんなのであいつの事を知れるわけなんかないし関係性も変わるはずがないのに。それなのにやっぱり、私は前進出来ない。

 

 

「やっはろー!」

 

 オレンジの差した廊下を歩いていたら、場の雰囲気のそぐわない元気な挨拶が聞こえた。気まぐれに少し遠回りして帰ろうとしたら、偶然、奉仕部の近くを歩いていたようだ。

 

 由比ヶ浜さんがメーターガン振りなテンションで2人に話を振って、主に絡まれている雪ノ下さんが淡々とそれに受け答えをする。雪ノ下さんが比企谷にちょっかいかけると、傍観に徹していた比企谷も普通に突っ込んだりして、由比ヶ浜さんがそれに対し喜怒哀楽のリアクションを取る。

 

 学校一の嫌われ者になっても、あいつは特に変わった様子もないようだ。

 

「こんないい居場所があるのに、なんであいつは……」

 

 ここまで居心地良さそうな関係性、世の中そんなにないのに。それなのに比企谷は自分を軽んじて、関係性が壊れるんじゃないかって考えた事はないのだろうか。

 

 もしこの関係性が綻んだら、あいつは一体どうなるんだろうか。……今以上に捻くれて暗くなって、めんどくさくなるんだろうな。

 

「弓弦ちゃん?」

 

「っ、……遥?」

 

 階段を下り終えた所で遥と鉢合わせした。てっきり相模さんと一緒にいるかと思ったんだけど一人だ。てか、文実の方の打ち上げに行くんじゃなかったの? なんで単独で行動してんの。

 

「今帰り? 打ち上げとか行かないの?」

 

「んー行かない。疲れたし、遥は?」

 

「私も行かない。文実もクラスの方もそんなに顔出してないし、来ても煙たがられるっしょ」

 

「そんな事ないと思うけど」

 

 少なからずクラスの方は悪印象何もないだろうし普段通り過ごせるだろう。文実の方も、言い方が悪くなっちゃうけどサボってたって言ったって相模さんのインパクトのが大きくて多分そんなに気にされてないと思うし。

 

「あ、てかそうだ。あんた相模さんと仲良さそうにしてたじゃん、あの子に付き添わなくていいの?」

 

「あー、まあ……それはなんていうか。一番に連れ戻しに来た比企谷って人に対してあの態度だから少し、ね。なんかめっちゃ泣かされたってゆっこも言って周ってて、やな感じだからさ」

 

「へえ、あんたもてっきりゆっこたちと一緒に悪い噂流してる側だと思ってたわ」

 

「おーすんなり友達の評価貶めてんじゃん、どんな性悪女だよって」

 

「文実サボって仕事増えてた事なにげまだ恨んでるからね」

 

「弓弦ちゃんの笑顔ちゃんと怨嗟こもってて怒り伝わってくんなー。ごめんよー」

 

「……私はいいけどさ」

 

 しかしこんな所で話し込んでると奉仕部の面々がやって来てしまうかもしれない。それはだるい、単体ならいいけど三点セットは絶対だるい。雰囲気が無理。

 

「あ、材木座くんだ」

 

 そそくさと学校を去ろうと校門を目指し歩いていると、なんか材木座義輝くんがノロノロとしたスピードで歩いてるのが見えた。

 

「誰? 材木座くんって」

 

「んー? あそこのでかいやつ」

 

「あ、アレで合ってたんだ。何、知り合い?」

 

「知らない。何回か話した人」

 

「へー」

 

「なんか落ち込んでるね」

 

「いや……後ろ姿じゃ分からないけど。落ち込んでんの?」

 

「っぽいよ。……もう詩織達も学校にいないだろうし、ちょっかいでもかけてみようかね」

 

「えー?」

 

 私は小走りで材木座くんの所まで走る。遥も合わせて走ってくるが、目指す先があの巨体だからか疑問符を顔に浮かべている。そりゃそうか。

 

「材木座くん、どしたの」

 

「うおひょっ!? 真鶴殿!? 何故このような場所に、まさか背後を狙って貴様!!」

 

「いつも頭ん中戦国乱世だね、さっき普通に話したじゃん。落ち着きなよ、テンションキモいよ?」

 

「ふぎゅっ!? ぎゅぎゅぎゅぎゅはぽんっ」

 

 なんじゃそりゃ、遥引いてんじゃん。

 

「で、どしたの? なんか落ち込んでんじゃん」

 

「ぬっ、落ち込んでなどいない。我は世の不条理を嘆いていただけだ」

 

「? 嘆いてんじゃん、落ち込んでるのと同じっしょそれ」

 

「ぐぬぬ、落ち込んでなどいない、嘆いてもいない、いつも通りだ我は」

 

「打ち上げハブられたとか?」

 

「グハッ!」

 

 あ、吐血した。血は見えなかったけど、この人の血は透明なのかな。

 

「わ、我はハブられてなどいない……クラスという矮小な楔では縛られない故自由意志を以って我が砦へと向かっている最中なのだ……!」

 

「お願いだから普通に喋って? イライラする」

 

「……ハ、ハハハ、カタジケナイ」

 

 材木座くんががっかりとして弱々しい口調でそう言った。

 

「……弓弦ちゃん」

 

「ん? なに、遥」

 

「いや、いやいやいや、弓弦ちゃんが男と仲良くしてても別に驚かないんだけど、流石にこれはキャラ違いすぎでしょ。なにこの痛い人」

 

「普通に面白いよ? 言ってる事は意味不だけど、何にでも必死だし」

 

「いやー、ウザいだけにしか見えないかも」

 

「わかる、ウザいよね。……でも、それは距離感の詰め方を知らないだけじゃん?」

 

「……はあ」

 

 え、なんか遥が呆れを感じさせる溜息を吐いたんだけど。私間違ってるかね? 自分なりに材木座くんみたいな人種を考察してみたんだけど。

 

「材木座くんさ、今から暇?」

 

「ぬっ、暇だが?」

 

「じゃー丁度いいや、私らと3人で打ち上げしよーよ。っても遥と材木座くんはお初だし珍メンだけど!」

 

「なぬっ!?」

 

「ちょっ、弓弦ちゃん!? 何言って……!?」

 

「折角文化祭が終わったんだしなんか食べないと勿体ないじゃん? 他のが騒いでんのに私らだけ大人しく帰るとか負け組みたいじゃん?」

 

「……言いたい事は分かるけど、でも、さあ」

 

 遥は材木座くんの方をチラッと見る。彼は初めましての女子に控えめに観察されるような目線を向けられた事で「ひんっ」と声を上げて臨戦態勢を取るように距離を開けた。

 

「……うーん、見た目で人を判断するのはあんまだけど、今日はパス。初めましての人と打ち上げは流石に無理だわ」

 

「んー、じゃ明日空いてる? どっか遊びに行こ」

 

「分かった。じゃね」

 

 そう言って遥はバス停の方へ歩いて行き、私と材木座くんだけが残された。

 

 

「じゃ、どこ行こっか?」

 

「!? ほ、ほほほほ本気で打ち上げをするのでっっっ!? この我と、真鶴殿が!? 二人で!? え、なんっ、何故っ!?!?」

 

「テンパりすぎ。理由ならさっき話したっしょ。私だけ負け組みたいの嫌だから打ち上げとか後夜祭みたいなやつをエンジョイしときたいんだよ」

 

「他のご学友とエンジョイでウェーイするべきなのではないだろうか!? 真鶴殿、せ、世間で言うギャルという物に分類される人種であろう!?!?」

 

「一々反応がうるさいな……ギャルだったとして、材木座くんを誘っちゃダメなわけ? つーかまじでウザいからそのハイテンション抑えないと材木座くんの事ウザい木座って呼ぶよ」

 

「むっ、ふむ……そう呼ばれるのは心外だ。だがしかし、」

 

「うっさい。行くよ、ほら」

 

 強引に材木座くんの袖を引っ張り歩く。

 正直、自分でも何を考えてるのだろうと不思議に思った。普段の私なら絶対に、材木座くんなんかに用事も無しに近付こうとしないし今回だって話しかける事は無かっただろう。

 

 今回話しかけた理由は、こいつが比企谷の数少ない友達のうちの一人だからか。それとも、こいつが昔の比企谷に似て…………。

 

 なんだそれ、比企谷(あいつ)の事考えすぎて関係ない事まで強引に繋いでんじゃんきも。やめよやめよ、今はあいつ関係ないし。



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25:材木座義輝の困惑

ごめんなさい。リアル文化祭とかで色々ごたついてサイト開いてませんでした、、、


 総武高文化祭が終わり、例年通りであれば我は直帰して今頃自室にて紙面に向かっているはずだった。

 

 現在、何故か我はサイゼリヤの店内に座し真鶴殿と会食を行なっていた。

 

「……」

「……」

 

 会話は無い。まだ席に案内されたばかりだが、真鶴殿は無言でメニューを開き目を通している。彼女にどこに行くのか尋ねられた際、咄嗟に視界に移ったので提案したのだが今になって若干やらかしてしまったのでは無いかと思ってしまう。

 

 真鶴殿無言だし。

 

 そもそも我と真鶴殿はどう因果がねじ曲がろうと二人きりでファミレスに来ることなどない住む世界の異なる人種である。決して卑屈になってるわけでなく、この手の女子は経験上我が近くに通ると嫌そうな顔をし学校行事などで注目を集めるような事が起きると侮蔑の視線を向けて来る。

 

 八幡といる時は奴といる事による相乗効果的な奴で気丈に振舞うこともできる。が、一人で対峙するにはあまりに敷居の高い、強大な敵だ。さながらわずかかの織田信長が四千の兵を率いその数倍以上の兵力、三万の兵を持つ今川軍と熾烈を極める争いを繰り広げた桶狭間の戦いのよう。しかし我には真鶴殿の前情報などなく逆転の目は見えない。背水の陣である。

 

 

 

 

「ねえ、材木座くんは比企谷の事どう思う?」

 

 しばらくして店員を呼び注文をすませると、それまで無言を貫いていた真鶴殿が不意に話を振ってきた。

 しかし、その質問は八幡と同性である我にするべきものなのだろうか?

 

「どう、とは。どうもこうも八幡は八幡だと思います、が」

 

「喋り方どしたの?」

 

「っ! ……るふん。ま、真鶴殿は何故、そのような質問を?」

 

「材木座くんとの共通の話題ってあいつの事くらいしか無いじゃん」

 

 ごもっともで。

 

 と言っても、我は実の所八幡の事を深く理解しているわけでは無い。もし、仮に、万が一、億が一真鶴殿が八幡に恋情を抱いていたとしても我は有力なアドバイスを与える事は出来ない。そういう流れが今後出てきたのなら忍びないが、相槌を打つだけにしておいて相談事には乗らないようにするべきだろう。

 

「それか、趣味の自作小説ってやつ読もっか? あ、でもここで出したら料理来た時片すのだるくなるか」

 

「フムゥ、我の方から質問をしても良いだろうか」

 

「ん? いーよ」

 

「真鶴殿は何の目的があって我を食事になど誘ったのだ?」

 

「え、さっき言わなかったっけ。他の人らが打ち上げしてんのに私だけしてないのまるで負け犬みたいで嫌だからって」

 

「それなら先程の連れの女子と打ち上げとやらをすれば良かったではないか。何故我を優先し友人を後回しにしたのだ?」

 

「……んー、だって今日誘わないと材木座くんと話す機会とか全然無いだろうし、したらもったい無いじゃん? 折角材木座くんと出会えたのにその出会いを無駄にするのってさ! だから親睦を深めるじゃないけど、折角の縁だしなんか話そうよー、的な? わら」

 

 

 真鶴殿はニコニコと、人の良さそうな顔でそう言った。それが心からの言葉であれば彼女は間違いなく聖女に近しい存在であろう。だって我に優しいし。

 

 だが、真鶴殿のソレは綻んでいた。これまでは上手く作ってきたであろうガワが、真鶴殿をよく知らない我でさえもガワに過ぎないと気付けるほどチグハグとしていた。

 

 偽る事に慣れている事に辟易しながら、偽っている。我から見た印象はそんな感じだった。

 

 

「我と縁を結んでもメリットは無いと思うが。特に真鶴殿、遠目から見た貴殿はとても我みたいな奴に損益を考えず無償に手を伸ばすような人には見えなかった」

 

「そーゆー人には見えなくてもそーゆー人だったって事はあるでしょ」

 

「そういう人なら自分からそうであると、自分に都合が良い方に誘導するような真似はしないと思うが」

 

「あー……そっか。うーん……」

 

 人の良い笑顔から困ったような表情に歪み、少し考えるそぶりを見せると途端に真鶴殿はガワを剥ぎ取り繕わない素の表情で我を観察する。

 

「……材木座くんもそういうキャラだったんだ。類は友を呼ぶって奴かね。なんていうか、あいつの周りは他の連中と違い過ぎだわ。一々疲れる」

 

 

 我との問答を一旦区切り、真鶴殿はため息をついてスマートフォンを取り出す。机に肘を乗せ頬杖をつく。

 

「材木座くんはさ、そんな事聞いてなんか意味でもあんの? それとも何、沈黙が気まずいから取り敢えず私が答えにくそうな話振って間を持たせようとしてんの?」

 

「そ、そこまで非道な事は考えていない! 深くは考えてないただの疑問だ。……き、気に障ったのなら謝ろう」

 

「そりゃ気には障ってるけどいいよ謝んなくて。疑問を抱くのは当たり前だろうし。じゃー、そうだな……」

 

 そこまで言ったところで料理が到着した。

 

「じゃ、食べ終わってから話すよ。続きは」

 

 続きはウェブではなかったようだ。

 

 

 

 料理が運ばれるまでも、運ばれてからも、真鶴殿は淡々としていた。

 会話が皆無という意味ではない。むしろ我と有意義に会話をしようとしているのがどことなく見て取れた。それ故に、あまりにも話題が合わなかったのはあまりにも不覚である。

 

 我自身が他者との意思の疎通に慣れていないとのこともあるが、真鶴殿はそれこそギャルという我とは波長の異なる存在だというのに、気を遣わせてしまった。申し訳が立たない。

 

 

「で、なんだっけ。材木座くんをご飯に誘った理由だっけ?」

 

「ム、その通りだ真鶴殿」

 

「そうだなあ。言っとくけど、思ったよりちゃんとした理由はないからね? 聞いたらある意味ガッカリするかもだよ? それでも聞くん?」

 

「そ、そう言われると少し怖い気もする……が、なんとなくどういう方向性の話なのかという予想はついているので良い。話してみせよ」

 

「そうだねぇ…………今の材木座くんって、ちょっと違いはあるんだけど昔の比企谷に似てるんだよ」

 

「ナヌ、八幡と我が似ているだと?」

 

「んー、そ。いやまあ厳密には全然違うのかもしれないけど。私は広い目でしか物事を見れないからほとんど同じに見えた。っていうのも、材木座くんも昔の比企谷も、あまり人との距離の詰め方を知らないから自分のペースを重視してるように見えてたんだ」

 

「……ふむ」

 

「得意な分野で饒舌になってコミュニケーション? を図って、あまり分からない話題に対しても無理して合わせている感が否めないんだよ。材木座くんの場合はほとんどが独自の世界観の中でそれが起きててなんとかなってるけど、比企谷は特に自分を殺してるように見えた。……別にそれが悪いとかじゃないんだけど」

 

「それが、我を誘った理由か」

 

「そだよ。つまりちょい似てたから、材木座くんと話せば少しは歩み寄れるのかなって画策したってこと。ど? 気分害した?」

 

「いんや、心配には及ばん。その程度のことで傷つくような柔な魂魄ならとっくに斬り伏せているさ」

 

「自分の魂は斬っちゃだめでしょ」

 

 

 まあわかってはいたさ、真鶴殿は我を誘ったところでメインは我に非ずだなんてことくらい。悲しくなんてないんだから!

 

 しかし、我と話をして歩み寄れると思った、か。

 

 

「……我は昔の八幡を知らない。ただこれだけは言える、今の八幡と我は全然違う。つまり、我と話したところで八幡に歩み寄れるわけではないし、やはり利点など一厘足りとも有りはしない」

 

「そうだね」

 

「この意見が余計なお世話だったり、すでに知っておるわと言うのであれば聞き流してもらって結構なのだが、八幡に歩み寄りたいのなら奴ともっと話をして奴自身を学ぶことが大事だと思う。我がそれを出来ているかと聞かれれば微妙なのだが、少なくとも奴は良い奴だ。悪意のない会話に対して邪険にする事はない」

 

「うーん。アドバイス自体は嬉しいんだけどさ。材木座くんは昔の比企谷も、昔の私も知らないでしょ? ……そんな簡単じゃないんだよ、案外」

 

 

 真鶴殿は悩ましげな顔をしながらも無理に笑う。ガワではなく強がっている笑顔。正解が分からず、素直になれず、後ろめたさか或いは目を逸らしたい何かがあってそれと向き合うことを恐れているかのような内面に、笑顔を貼り付けたような顔だった。

 

 彼女らの関係性について我は何も知らない。奉仕部ではないというだけで普通に仲の良い男女だと思っていたが、真鶴殿の顔を見てるとそれだけで括れるような間柄でもないように思える。

 

 

「……なんか話題切れちゃった。これ以上間を持たせるのもキツいだろうし帰る?」

 

「……そうですな」

 

 

 結局上手い言葉も出せないままに時間だけが過ぎ去り、彼女との会食も言葉少なめに終了した。

 

 

「よく分からぬが、我は応援しているぞ。真鶴殿」

 

 

 ただ空気を重くしただけでなにも気の利いたことを出来なかったので、別れ際に一応前向きなコメントを残しておく。すると、彼女は初めて我の前で恐らく素の笑顔を見せた。

 

 

「ありがと」

 

 

 とだけ言って、真鶴殿は歩いて行った。

 

 

「……かわいい……」

 

 

 真鶴殿の笑顔に不覚にも一瞬トキメキかけた我だがそこはギリギリ自制心が持ち堪えてくれた。しかしラブコメや少女漫画やギャグ漫画でさえもありがちな展開としてこう、落ちかけたのを耐えた矢先に第二波がやってきて完落ちするというパターンもある。

 

 つまり今から真鶴殿が再登場し、我に何かを渡すなり感謝を告げるなら目の前で転んで抱きついてくるなりが起きるチャンスというわけだ。カモン奇跡、カモンカモン!!

 

 

 そんな奇跡など起こるはずもなく、我は一人で家に帰っ……。

 

 

「材木座くーん!」

 

「!? ま、真鶴殿?」

 

 

 少し離れた位置から真鶴殿が大声で声をかけてきた。一体何事か、奇跡は起こるはずもないと思っていたが諦めた途端に起きたということなのだろうか。フムゥ、夕日をバックに我に向けて何かを伝える女子。青春也。

 

 

「また相談乗ってねーー!」

 

「えっ、なんだ、デュフッ、任せるのだ!!」

 

 

 なんか深く考えずに任せるのだ、などと自信満々に胸を張って応えてしまった。その場のノリ、というやつであろう。

 異性との会食も大声で対話するのも初めての経験だった。この胸の高鳴りを我は気の所為ということにし、頬を叩いて帰路についた。



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