トータル・イクリプス ファーイースタンフロント (ロートシルト男爵)
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序章

マブラヴもの初投稿になります
例によって露語ルビ多め(人名/機体名等の固有名詞は原作そのままの表記で統一します)


 

あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。

— 『創世記』22:17~18

 

 

「同志ローゼンフェルド。当機は40分以内にアメリカ領アラスカ国連軍基地に到着する」

 

「ああ、同志クロトフ、報告に感謝する」

 

ほぼ貸切状態のツポレフ——ソ連空軍払い下げの輸送機の中で微睡んでいる自分の目を覚ましたのは、インカムを介して突如耳に入ってきた若い機長——エフゲニー・クロトフ中尉の声だった。

 

 

1998年 8月。

アラスカ 国連軍ユーコン基地上空。

 

 

生まれて初めて渡る真っ青なベーリング海峡を見下ろしながら唐突に思い出されるのは、熱心なユダヤ教徒だった亡き父が物心付く前から自分に語りかけてくれたトーラーの一説だった。

 

俺の名はイサーク・ローゼンフェルド。国籍はソ連だが、名前の通り俺はロシア人じゃない。ユダヤ人(イェヴレイ)だ。

 

俺が生まれたのは70年代後半のソ連極東——ユダヤ自治州のビロビジャン。

尤もユダヤ自治州などという大層な州名に違い俺の故郷の人口の大部分はロシア人で、寧ろ俺達は少数派。申し訳程度に町の看板にヘブライ語とロシア語が併記されてるというお粗末な状態だ。

あそこは、一言で言うなら「第2のイスラエルになろうとして失敗した地」と言えよう。

まぁ、先祖の出自を鑑みればあそこに逃げてきたのも道理だ。

祖父は1917年の革命でトロツキーやカーメネフ、ジノヴィエフらと並ぶ革命の元勲。あのレーニンさんからも一目置かれてたそうだが、革命後にスターリンが権力を握るとみるみる落魄れ、終いには政争渦巻くモスクワを離れ、極東の片田舎で開拓民に紛れてその日暮らしというワケだ。

 

そんな訳で俺にとって複雑な縁のあった故郷のビロビジャンだが、今は州ごと地図上から消えてしまった。

BETA——即ち人類に敵対的な地球外起源種の攻撃に遭ったからだ。

火星や月を侵略して突如地球に降り立った奴等は、手当たり次第建物を壊し、人を喰い、ハイヴと呼ばれる巣を作り増えていく。

BETAは中国新疆(ウイグル) 喀什(カシュガル)に初めて降り立って以来、まるでアッティラかチンギスハーンの如く西ロシアからポーランドを経てヨーロッパを蹂躙し、極東では果ては日本にまで攻め入ったという。

世界一の国土面積を誇った我がソ連邦は滅茶苦茶。首都はモスクワからハバロフスクに遷都されたものの共産党のお偉いさんと一部のロシア人達はアラスカの租借地に避難。俺達少数民族はBETAとの戦いの矢面に立って今まで戦って来たという訳だ。

 

まぁともかくそんな世相だから親父は自分の子供を火に焚べて信仰心を示そうとしたアブラハムでも気取って俺にイサークなんて名前を付けたんだろう。つまり、「笑いながら試練を乗り越え、後の世代を富ませよ」と。

 

俺は火に焚べられるより苦しい試練を乗り越えてきた。

軍に入り、同期達と厳しい訓練を乗り切り、戦術機乗りとして空を飛び、 BETA(化け物共)に友が喰い殺されるのを横目に敵を切り刻み、また帰還する。これを何度も繰り返す内に俺は気付いた。

 

俺の身体に増える創傷が増えて行くのに反比例して、共に出撃する戦友達の平均年齢は明らかに幼くなっている。

 

同時に、俺の仕事はいつのまにか彼ら年端もいかない子供達と共に戦うことではなく、彼らを人型の棺桶に押し込み、人喰い宇宙人の大群の前に送り出すだけになってしまった。

 

 

試練は乗り越えた。

だが結果は聖書とは違い、この世に繁栄は訪れなかった。

いつからだろう…生者が死者を数えるのを辞めたのは…。

人類は確実に衰退の道を歩んでいる。

 

傾聴(ヴニマーニエ)。当機はこれより国連軍ユーコン基地に向け降下を開始する。搭乗者各位はシートベルトの着用を点検せよ』

 

クロトフの発する機内アナウンス通り機体は降下を始めたらしく、機首が僅かに下がる感覚を三半規管で感じる。

俺は窓の外をもう一度眺める。

再び目に入るのは紺碧のベーリング海。そして遥か後方に過ぎ去って行く、巨大な鉈のような形のカムチャツカ半島。

戦友達の涙と血を十分過ぎるほどに吸った祖国の大地が、刻一刻と遠ざかって行く。



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第1話 紅の姉妹 (スカーレットツイン)

 

アラスカ 国連軍ユーコン基地 ソ連租借地

 

 

ようこそアラスカへ(ダブロ パジャーラヴァチ ナ アリャスク)同志少佐(タヴァリシ マヨール)

 

アメリカ合衆国アラスカ州ユーコン川北岸——そこに広がっていたのは見慣れたソ連(我が国)の原風景だった。

 

戦術機整備В(ヴェー)格納庫の巨大な入り口に向けて足を進める俺の後に続く金髪の鮮やかな中尉——イェジー・サンダークは、先程の取って付けたような挨拶と敬礼で俺を迎えるなりまるで従者のように俺の半歩後ろを足並み一つ乱さずに付きまとってくる。

彼の階級は中尉 (レイテナント)だが、中央戦略開発軍団に所属し、同軍団のイーダル試験小隊の指揮官を務めていることから実質的には 大尉(カピターン)待遇らしい。

それでも階級としては佐官である俺の方が上なので、あくまでも慇懃無礼な態度は崩さないつもりらしい。

 

辺りを見回すと、こちらと目が合っても一切愛想笑わない整備兵達。慇懃且つ陰湿な表情を向ける幹部。キリル文字の注意書き、センスや清潔感の欠片も感じられない鉄コンの兵舎群などが目につき、やはりここはアメリカではなく鉄筋のカーテンの東側ではないかと錯覚してしまう。

まぁアラスカ自体もかつてのロシア帝国が二足三文でアメリカに売り払うまではロシア領だったことから、伝統的にどちらの領土かと言われれば返答に苦しむほかない。

ともかく我が国は他のユーラシア諸国同様領土を失い、ここユーコン川北岸はソ連が50年契約でアメリカから租借していることになっている。

冷戦はBETAという第三者の介入で我が邦の戦闘継続が不可能になり、一時休戦しているといった具合だ。

 

ソ連がアラスカを租借する理由…それはかつてナチスに国を占領されたフランスがロンドンに亡命政権を置いたように首都機能の維持が第1目標である。

いかなる国も領土を失えど、主権まで放棄しなければ消滅したとは言えないからだ。

また、「プロミネンス計画」の遂行——つまり、国連軍、日米その他の国々との最新戦術機開発を行うことで来るべきBETAとの戦いに備えるというのが第2目標だ。

 

辺りを見回すとMiG-29ラーストチカ、Mig-27アリゲートルなど第2世代型の我が国の戦術機が格納庫で整備を受けていた。その中にはかつて俺も搭乗していたSu-27ジュラーブリクの姿もある。

その中でも一際目を引くのは紫と白の派手な迷彩色を塗ったSu37UBチェルミナートル。

機体の型自体は見慣れたものだ。しかし両手に装備された凶悪なモーターブレードが、まるで返り血を浴び続けたかのような寒々しさを放っている。

果たしてこれに乗っているのはどんな凶悪な奴なのだろうかとつい勘ぐってしまう。

 

「おや?あれが気になるのですかな?いやはや少佐もお目が高い。実はあの機体の開発は、本計画に於ける我が国の最重要課題なのですよ」

 

「ほう、俺が極東で乗っていたのは Su-27(ジュラーブリク)だ。てっきり見たこともない最新鋭機を期待したのだが…改修機とはな」

 

「俺達居残り組が必死こいて極東を守っている間、揃いも揃ってアラスカに逃げてきた連中が作っていたのはたかだか改修機一体か」と皮肉を込めて俺が吹くと、サンダークはニヤリと笑い言葉を続けた。

 

「いえ、我々の計画の要は機体そのものだけではなく、それを扱う衛士なのですよ」

 

「衛士…?」

 

「そう。少佐をここへ招致したのもひいてはその衛士の開発の為なのです」

 

「何?」

 

「衛士を開発する」——その非人間的な語感に首を傾げているとサンダークは再び言葉を続けた。

 

「少佐も興味あるのでしょう?あの機体を扱っているのが一体どんな衛士なのか……もしおありなら、是非とも案内しますよ。彼女達の元へ」

 

「彼女…達」

 

この時代女性衛士は珍しくない。

二回の世界大戦でもそうだったようにロシアは古来女性兵士の国だ。同時に戦争、アルコール等あらゆる理由で先進国では珍しく男不足の激しい国である。事実、自分の所属していたジャール大隊も衛士の男女比は半々といったところだ。

あの機体に乗る衛士も、おそらくはかつての戦友達のようにテストステロン注射でも受けまくったかのような男勝りな女性衛士なのだろう。

 

「ぜひ会ってやって下さい。驚きますよ?きっとね…」

 

 

 

「さて到着です。是非とも仲良くやって下さい。私は先に帰っておりますので。少佐の宿舎に関しては近くの者にお尋ね下さい」

 

サンダークに誘導されるがままにやってきた兵舎の一角。

古ぼけた自動ドアの前で足を止めると、彼は壁にもたれかかりながら入室を促した。

 

「中尉は入らないのか?」

 

「ええ、私は嫌われていますからね」

 

「テストパイロットと指揮官の関係がそんなんで、この小隊大丈夫か?」

 

「ええ、実験屋としてはモルモットには好かれない方が良いですからね」

 

「散々な言い草だな。中尉。それでも人間か?」

 

吐き捨てるように言うサンダークの口調に若干苛立った俺はつい喧嘩腰な言葉を投げつけた。

だがサンダークはものともせずそれを受け流し、まるで歩哨が居眠りでもするかのような姿勢のままギョロリと片目だけ開き、透き通った青く冷たい視線を放った。

 

「正義感旺盛で結構なことです。少佐。願わくば、この先の敷居を跨いだ後もその正気が失われないことですな。では」

 

「待て!それはどういう——」

 

サンダークの不可解な言い草に疑問を持った俺は奴を呼び止めようとしたが、奴は敬礼をすると回れ左で既に廊下を歩き去り始めていた。

 

「一体何だというんだ…」

 

俺は自動ドアの前に立ち、渡されたカードキーを端末に通そうとして…一瞬躊躇った。

 

奴が仄めかすように扉の向こうの相手が、科学実験の所為か先天性の物か「モルモット」や「出会っただけで正気を失いかねないシロモノ」なら、顔を合わせたフリをしてこのまま宿舎に去るという手もある。しかしそうなると、今後この基地での訓練で顔も知らない化け物の乗った例のチェルミナートルと対峙する羽目になりかねない。

 

全く…今迄BETAという化け物相手にやってきたというのに何を怖気付いているのか…。

 

俺は一呼吸置くと、カードリーダーにキーを挿し込み、一気にスライドさせた。

 

こんにちは(ズドラストヴィチェ)——なっ⁈」

 

「えっ?」「あっ!」

 

 

扉の向こうで待ち構えていたもの——それは、美し過ぎる大小の肢体だった。

 

二人とも紫がかったプラチナブロンドの髪、シミひとつない乳白色の肌をしており、その美しさはどこか人工的なものさえ感じさせる。

 

2人ともよく似ているが、背の高い方は彫像のような肢体——椀型の大きな胸、その先のツンと上を向いた沈着やモントゴメリー腺の隆起が一切ないピンク色の乳首、贅肉の全く見られない腰、そこから急なカーブを描く肉の詰まった尻、陰毛や陰核(クリトリス)陰唇(ラビア)の黒ずみやはみ出の一切ないむき卵のような恥丘としなやかな太腿を有している。

 

背の低い方もスタイルがよく、細い線を描いているがやはり年齢は比較的幼いようで、腹筋がまだ完全に発達していないのか所謂「イカ腹」だ。

 

4つの青い視線がこちらを刺す。

2つには敵愾心、残り2つには恐怖の色が感じられる。

 

だめだ…さっきから自分の目が泳ぎっぱなしなのが分かる。

いざ言葉を発しようにも前歯がカチカチカチとカスタネットのような音を鳴らすだけである。

 

(サンダーク中尉め……こういうことか……)

 

ソ連の軍服を着ているとはいえ今の俺の姿は客観的には変質者そのもの。

いざ目の前の裸の少女たちが声を上げようものなら途端にMPか歩哨が俺を捕まえ、明日からの宿舎が営倉に代わりかねない。

 

「貴様……一体何者だ…?」

 

背の高い方が低い方に左腕を抱かせながらゆっくりと後退し、枕の下に手を忍ばせる。出てきたのは黒光りする ПМ(マカロフ)だった。

 

何ということだ…MPに捕まるならまだしもこの場で殺される可能性まで危惧する必要性が出来たようだ。

 

ふと頭に冷たい風が吹く。

戦術機での戦闘でもそうだ。人間、生きるか死ぬかの間際になると途端に冷静になる。

 

俺はなるべく彼女らを刺激しないように且つ早々に退散すべく、姿勢を正し、形ばかりの敬礼をしながら口を開いた。

 

「党の命令に本日付でイーダル試験小隊に配属することになった。イサーク・ローゼンフェルド少佐である。不注意とはいえ今回の非礼は謝罪する。また改めて出直させてもらおう」

 

気を付け(スミールナ)からクルリと回れ左(クルゴム)の動作を行い、俺が部屋を出かけた所でふと声がかかった。

 

「…待て」

 

「ま…まだ何か……」

 

「何って…こちらの自己紹介がまだではないか。ローゼンフェルド少佐」

 

「…え?」

 

俺が恐る恐る振り向くと、二人はいつの間にか黒シャツとカーゴパンツに着替えていた。

 

「イーダル試験小隊所属、クリスカ・ビャーチェノワ少尉だ。こっちはイーニァ・シェスチナ少尉。突然の配属、歓迎させてもらう」

 

クリスカ(ラット)イーニァ(カワイルカ)5(ピャーチ)6(シェスチ)……聞いたこともない姓名だ。その命名にはコードネーム…いや、彼女らがナンバリングされた人工物だといった意味のアナグラムにすら感じられるものがある。

 

(成る程…中尉の言葉はやはり……)

 

一介の衛士——しかも秘密主義の東側ともなると触れられる情報に限りはあるものの、この仕事をしていれば嫌でも耳に入ってくる噂がある。

 

「ソ連科学アカデミーはBETAとの交流を目的としたESP能力者を人工的に養成しているらしい」と

 

それが戦術機の操縦と何の関係があるのかは計り知れないが、ともかく噂は本当らしい。こいつらは我々のように人間の母から生まれ、普通の家庭で育った人間でない事は明らかだ。

 

ふと憐れみを感じる。何故だ…国家のエゴのままに散々虐げられ、人類の平和の為といいながら散々使い捨てられた自分達と彼女らの境遇に少しの違いも見られない筈なのに……この感情も自身のエゴだと感じつつも憐れみを感じずにはいられなくなった自分がいた。

 

「悲しくなんかないよ」

 

「——?」

 

「私はクリスカと一緒だもん。それにミーシャもいるし。ほら、ミーシャ!イサークさんにご挨拶しようね」

 

イーニァはベッドの上に置かれた熊のぬいぐるみ——ミーシャの両手を掴むと、こちらに手を振らせた。

 

「お前…俺の考えが分かるのか……」

 

「うん!あなたは、私のこと、可哀想だって思ってたけど、そんな事ないよ?私はいつも幸せ!そして本当に可哀想なのは…あなた」

 

「何だと?何故そう言い切れる⁈」

 

「わかんなーい。ただ、あなたの色が悲しいって言ってるのが見えるよ。こんな綺麗な色なのに…」

 

「色だと?…成る程……」

 

所謂読心術(リーディング)……イーニァにとって相手の心情は色として反映されるらしい。

眉唾物の噂はいよいよ現実味を帯びてきたようだ。

 

「さて、ビャーチェノワ少尉、シェスチナ少尉。私はこれにて失礼させてもらう。先程の非礼、もう一度謝罪させてもらおう」

 

「気にするな。私も気にしない」

 

「…そう言ってもらえると助かる。ではまた」

 

「ばいばーい」

 

俺は改めて部屋から出ると、自分の宿舎に向かうべく受付に向かって歩き出した。

 

実験動物と不良教官か……お似合いの組合わせになりそうだ…。

 

俺は着隊早々のハプニングにどっと出た疲労感を肩で感じながら、部屋が手配できたら何を食おうかとあれこれ考えつつ殺風景な廊下を進んだ。




おひさです男爵です
今回のTE二次創作、描いた動機が
・スカーレット姉妹とモフモフしたいんじゃ^〜
に尽きます!(不純)
アンリミ、オルタ等も読み直して資料を充実させてって短編ながらも「中身のある」作品にしたいなあと思い〼
でわ


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第2話 皆既日蝕計画(プラン・ポールナィ ザトミニィ)

一話投稿の時点でコメント、評価頂き感謝感激です。
仕事の合間or晩酌後の勢いで書いているため亀更新ですが、ぜひとも今後ともお読み頂けたら幸いです…


第2話

 

アラスカ 国連軍ユーコン基地 市街地演習場

 

 

「くっ…何て早さだ‼︎この動き…本当に例の姉妹が動かしているというのか⁈」

 

轟音と共に火を噴く敵機——Su37UB(チェルミナートル)のA-97突撃砲の 銃口(マズル)。何とか自機のSu37M2を遮蔽物に隠し、こちらも反撃すべく半身を晒し突撃砲の対空射撃で応戦しようにも、上空の敵はひらりと躱してどこかへ消えてしまう。

 

(この高機動戦でここまで的を絞らせないとは…化け物か⁈)

 

「戦ってはならない相手」——そんな言葉が脳裏によぎる。

 

俺は力の論理の信奉者だ。祖国ソビエトの国家戦略がそうであるように即ち俺は「弱い奴とは話をせず潰し、強い奴とは戦わない」のである。

これは民主主義選挙や起業など西側では一般的な手段で努力したとしても党員の肩書きなしには決して上へ上がる事の出来ない我が国のシステム、そして「どうあっても弱い者から喰われ、そこに同情や弁明は存在しない」過酷な対BETA戦を経て得られた教訓である。

 

訓練用のペイント弾とはいえ亜音速で飛来する突撃砲の弾幕をかいくぐりつつ、俺の射撃偏差地点を予測して自機を射線軸からずらす——凡そ人間の脳の情報処理能力は不可能な芸当だ。

 

だが相手——昨晩出会ったクリスカとイーニァと名乗った少女達はそれを易々とやってのける。

それは相手の機体が複座式であるからだけではないだろう。

事実、複座式戦術機は射撃と操縦、其々に特化した衛士2人がチームワークを発揮することで単座式より効率の良い戦闘が可能となるのだが、2人の衛士の息が合わなければ互いに足を引っ張り合い自機を危険に晒すという欠点がある。

だが目の前の機体はそんな欠点など微塵も感じさせないような挙動をし、まるで射撃と運動を分担する2人の搭乗者が同一の個体であるかのような印象さえ持たせる。

 

『…気持ちいい……』

 

「⁈」

 

『気持ちいいって…こういう感覚なのかな……』

 

ソ連軍の89式衛士強化装備のヘッドセットを通して彼女らの声が同時に響く。

しかしその声色は冷たく、まるで機械が喋っているかのよう——少なくとも以前聞いた人間らしい声色とは似ても似つかぬ様子で、恐怖すら覚える。

 

畜生っ‼︎(ブリャーチ)

 

制圧射撃で使ったこちらのA97突撃砲の残弾は4割——度重なる回避行動で浪費したためか残る推進剤も僅かだ。

 

俺はこれ以上の撃ち合いを避けるべく、ビーコンを撒きつつ市街深部まで自機を後退させ、両腕の突撃砲を格納してから腕部のモーターブレードを展開し、建物の陰に自機を隠した。

所謂ゲリラ戦だ。狙撃、近接戦と並ぶ、ソ連軍のお家芸である。

 

「…200(ドゥヴェースチ)100(ストー)……50(ピッディシャット)……‼︎」

 

レーダーに反映される敵機と自機との距離を数える淡々な作業。チャンスは一瞬。

 

俺は接近する敵機が等速飛行から急加速を行うのを目で確認し、急いで近接戦の姿勢で待ち構える。

 

 

チュイイイイイィン‼︎

 

 

近づいてくるモーターブレードの振動音。俺はそのけたたましい奇声に突き動かされるように自機のモーターブレードを起動した。

 

狙うは一瞬——奴が姿を現した瞬間だ。

 

 

チュイイイイイィン‼︎

 

 

ガリガリガリガリ

 

 

「⁈」

 

 

突如目の前で破裂するビルのコンクリ壁。

 

奴はあろうことか、こちらへの加速中に俺が隠れている遮蔽物ごと俺の機体を切り裂いた。

 

当然目の前で吹き上がる土煙に対し俺が取れたのは腕を上げての防御姿勢くらいで、敵機は俺の機体の肘から胸元にかけバッサリと撫で切りにしていた。

 

『イーダル2。コクピットブロックに被弾!イーダル1の勝利』

 

 

負けた……。

 

 

最前線でBETAと戦い、小便を漏らしながら死の8分を生き残り、後の世代に前線での生き残り方を教えてきたこの俺が……。

 

尤も対人戦となると話は違うが、それでも俺に勝てる衛士を少なくともソ連国内では見たことがなかったが故に、この結果は衝撃的だった。

 

『イーダル1よりイーダル2。模擬戦の参加に感謝する』

 

「イーダル1、こちらこそ。…まあ、なかなかやるじゃないか」

 

突如耳に入るクリスカの無機質な声に、俺は負け惜しみを込めて返した。

 

『イサークさ〜ん!こんにちは〜(プリヴェート)

 

「ああ、イーニァか。今の挙動、目覚ましいものだった。しかしあれだ…模擬戦とはいえ、俺が乗っていると分かっていながら何もコクピットを滅多斬りにすることはないだろうに…」

 

『私がイサークさんを…?ううん…何言ってるかわかんないよ〜』

 

 

……?

 

 

成る程、戦闘中はそれのみに集中するよう何かしらの精神操作を受けているとでも言うのだろうか…。

 

まあいい、現時点で詮索しても実験の当事者である本人らから返ってくる返答はたかが知れている…。後でサンダークにでも尋ねてみよう。

 

この完璧な姉妹の訓練に俺なんかを関わらせる真意を…。

 

 

俺は半壊状態のSu37M2を駆ると、整備格納庫へと足を進めた。

 

 

 

* * * * *

 

 

紅の姉妹(スカーレットツイン)との模擬戦、ご苦労でした。同志ローゼンフェルド」

 

アラスカユーコン基地北岸 ソ連租借地。

 

例の姉妹との模擬戦後俺を召還したサンダークはおもむろにそう切り出した。

 

 

「礼には及ばない。同志サンダーク。だがこれだけは聞かせてもらう……俺をこの演習に呼んだ訳は何だ?」

 

 

「単刀直入ですな……」

 

 

「当たり前だ‼︎あいつら——ビャーチェノワ、シェスチナ両少尉は現時点では我が国最高の衛士だ。それがなぜ俺のような三流衛士と模擬戦をする流行になる?例の人体実験と何か関係があるのか?」

 

俺はサンダークの労いの言葉も受け取らずに矢継ぎ早に己の心の内を全て晒した。

 

「……同志ローゼンフェルド。貴官は数年前、我が国のウラジオストク市で起きた民主化暴動の鎮圧に当たったそうだな。経歴にある」

 

「⁈」

 

1983年、国家人民軍第666戦術機中隊——通称黒の宣告(シュヴアルツェスマーケン)の衛士達により引き起こされた蜂起を発端とする、東独民主化の波は東側陣営各国に伝染。その後東欧諸国はBETA侵攻を受けながらも部分的に政治的自由を達成し、東欧州社会主義同盟の結成に至った。

そして我がソ連邦は西進するBETAの侵攻により欧州部の大部分を喪失し、その首都機能を極東部に移した。

 しかし、80年代東側で起こった政変は社会主義の総本山である我が国にも波及。労働者や知識人階級を中心に現体制への不満が募りはじめていた。

同時に過去四半世紀、対BETA戦への必要性から西側に身を置いた軍幹部や高級幹部の一部は同地のリベラルな政治システムを目の当たりにし、自国の掲げる社会主義イデオロギーの後進性を実感し始めていた。

彼らは現体制への不満を抱える大衆に迎合しし、一党独裁体制への反旗を翻す準備を着々と進めていた。

 かくして1991年のウラジオストクで、かつて83年のベルリンと同様の事態が再現された。

軍将校、大衆、進歩派の高級党員からなる反動分子による、大規模な軍事クーデタ——即ち8月クーデタ。

忘れもしない。俺はそこにおり、自らの手で彼らを鎮圧したのだ。

 

 

俺は腐ってもソ連軍の衛士として……いや、そうする以外に己の立場も人類の将来も確かではないのではないかという不安感を押し殺しながら必死にプラカードを掲げる彼らに銃を向けたのだ。

 

反乱軍は鎮圧され、数多の憂国の士の命と引き換えに我が国の崩壊は避けられた。

 

だが、それが正しい判断だったかと問われれば自信を持って答えることは出来ない。

 

さしずめ、70年前クロンシュタットで我が国の行く末を案じた水兵達に銃を向けた赤軍兵士の心情とたとえられよう。

 

俺の駆る巨大な戦術機を、まるで怪物でも見るかのような目で睨みつけながらなけなしの武器を捨て、立ち去って行った若者達のルサンチマンに満ちたあの視線は今でも忘れられない。

 

 

「……昔の話だ。それに、そんな話、今の俺に関係ないだろう」

 

 

「いえいえ、同志ローゼンフェルド。我々が貴官をこのアラスカに招聘したのは、貴官がそこまでして祖国の意向に従ってくれる存在…そう判断したからですよ。たとえそれが、義憤の余り部下を殺傷するような劣等教官だったとしてもね」

 

「昔の話はもう十分だ。そろそろ本題に入ってくれ。同志サンダーク」

 

部下の殺傷……これについては思い出すのも嫌な思い出として避ける他ない。

俺はソ連(この国)の情報収集能力に腹を立てつつもそれを顔に出さず詰問を続ける。

 

 

「で、そんな劣等教官とあの天才姉妹が関わらねばならない理由とはなんだ?同志サンダーク」

 

「簡単ですよ同志ローゼンフェルド。貴官もご存知の通り彼女らは普通の出自ではない……さしずめ、BETAと戦う為に作られたモルモットと言っても差し支えない。だがそこには致命的な欠陥がある」

 

「欠陥…?」

 

「二人のうちシェスチナ少尉——イーニァは我らがポールナィザトミニィ(トータル・イクリプス)計画に参加する以前、オルタネイティヴ3——つまりBETAとの意思疎通を目的として作られた第六世代型人工生命体なのですよ」

 

なるほど。それで6(シェスチ)という訳か。

道理で彼女が俺の心を読めるのも理解できる。

 

話には聞いていたが本当だったとは…。

オルタネイティブ計画…人類の救済を目的としているとはいえ我ながら自国の決断の非人道性に目を覆いたくなる。

 

「で、そのBETAの心が読める女の子が現在直接戦闘に転用されてるとなると、例の計画は失敗だったようだな。で、そんな不思議少女を俺に引き合わせる理由とは?」

 

「簡単ですよ。同志少佐。そのイーニァは、その戦闘能力を維持する為に誰か他の人格への依存を必要としており、それを断てば自動的に暴走するようです。現在はクリスカ——ビャーチェノワ少尉がその役を請け負っていますが肝心の戦闘力に近頃陰りが見られる……そこで我々は、衛士教育のエキスパート且つ愛国心も十分な貴官にその役目を代行して頂きたいのです」

 

「成る程。実験動物を繋ぎ止める為の軛になれという訳か、スキャンダルを起こした教官のお払い箱には丁度いい」

 

「無論彼女らの人格面の維持の他にも対BETA戦やサバイバル訓練も教えてもらいますよ。なにせ彼女らは完璧ではない——いかに対人戦や模擬戦で高特点を出しているとはいえ、インプット出来る戦闘技術はまだまだありますから」

 

「……そういう事なら仕方ない。少なくともあの二人、俺が受け持ってきたジャール大隊のクソガキ共よりは物分かりがよさそうだからな。悪くない仕事だ」

 

「くれぐれも…揉め事などは起こさぬように……新しい教官を探すのは骨が折れますから……」

 

「下手をしたら俺が八つ裂きか……まぁ心配なさんな。あんな事にはならないようにするさ」

 

 

俺は制帽(フラーシカ)の鉢に指を当て敬礼をすると、クロム革長靴(サパギー)の踵を返してサンダークの部屋を出、自室へと向かった。

 

夕日の差し込む窓の外へと目をやると、赤紫色(マゼンタ)のペイント弾の弾痕でベタベタになったSu-37M2が格納庫前に棒立ちになり整備兵達のかけるホースの水を浴びながらその身を清めていた。




余談
シュヴァケンでは83年に東西ドイツ統一がありましたが、2000年代までソ連が存続してる裏には何があったんかなぁって考察(独自設定)を加え入れてます(現実世界では1991年8月保守派クーデタが起こり失敗している)
当時、そして教官時代のイサークが何してたかは今後明らかになると思い〼


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第3話 歓楽街(リルフォート)

孤独のグルメ アラスカ出張編(書きだめ)

裏の顔はともかくナタリーかわいいよねナタリー。



アラスカ州 国連軍ユーコン基地 歓楽街(リルフォート) 。ポールスター

 

「あらいらっしゃい。君は…新顔だね。どこから来たの?」

 

「初見となる。俺はイサーク・ローゼンフェルド少佐。ソ連軍の衛士だ」

 

ユーコン基地の民間人居住区の一角。本来ソ連軍の兵士は立ち入り禁止だという事は事前に聞いていたものの、今日の模擬戦での緊張を和らげ、年端もいかぬ少女に負けた悔しさ、そしてサンダークに思い出さされた嫌な思い出を忘れるにはやはり酒だと辿り着いたバーで俺を迎えたのは、若い白人女性——長い亜麻色の髪とソバカスが特徴的なお仕着せを着込んだ若い女だった。

 

「はじめまして。私はナタリー・デュクレール。カナダ育ちのフランス人。この店のバーテン兼ウエイターよ」

 

「なるほど、ナタリーか、覚えておこう」

 

「何か飲む?何でもあるわよ。ここは国連軍の基地だからね…バーボンにテキーラ、フランスワイン、アクアビット、グラッパ、それにウォッカも」

 

「そうだな…折角だ。適当にウォッカでもいただこう」

 

ナタリーは背後の棚に手を伸ばし、青い瓶のアメリカ製ウォッカを手に取ると、冷やし過ぎて霜の張り付いたショットグラスに注ぎ、お冷(チェイサー)のミネラルウォーターと共に出した。

 

よし…これでいい。

出されたウォッカはおそらく西側ではカクテルの割り材——我らソ連人の中でも保守的な者ならば断じてウォッカと呼べないようなシロモノであるが、それでも前線の衛士が出征前の景気付けに呷っていたような航空用メチルエタノールに比べれば十分マシだ。

 

俺は軽く息を吐いてから上を向き、グラスの中身を口の上でひっくり返すと呼吸とともにそれを飲み干し、鼻からキツイエタノールの残り香を目の前の美女から香る爽やかな香水の香りを同時に吸い込んだ。

直後、戦術機の操縦で疲れた体の毛細血管の隅々にまでアルコールが巡り、40度の一気飲みに耐えられなかった喉粘膜にヒリヒリした灼熱感、そして頬骨の辺りに軽い熱っぽさを感じた。

 

「何かつままない?空きっ腹にスピリッツは後が辛いわよ?」

 

口直しにチェイサーをぐびぐびとやる俺を横目にナタリーが世話を焼いてメニューを持ってくる。

 

「そうだな…適当に喰えるサンドイッチ的な物を頼む」

「了解。ちょっと待っててね」

 

ナタリーが厨房の方に消えていくのを目で追った後、俺は店内を見回した。

 

店内では国連軍の作業服を着た衛士や整備兵達がノミ屋(ブックメーカー)の元に集い、やれ「次の模擬戦の賭けではオッズは幾らか」「配当は幾らか」などとやいやい騒いでいる。

 

「俺達は最前線で戦ってきたというのに後方の国連軍の兵士達は酒場で堂々と賭博か…」と軽蔑の目で彼らを一瞥していたのだが、俺は彼らを見るうち、彼らもまた我々と同じように祖国を喪い、その悲しみや明日への恐怖を紛らわしているのではないかと考えるようになっていった。

 

その点では、カムチャッカでドゥラークに興じ、酒を飲み交わし騒いでいた自分の同期や部下達と彼らの間に、何の違いも見られまい。

 

「お待たせ。アラスカ産キングサーモンのベーグルサンドよ」

 

ナタリーがカウンター越しにベーグルとフレンチフライの載った皿を出す。

思わず手に取り、齧り付く。

焼く前に茹でたモチモチとした生地の歯触り、上下にカットされた生地の断面に塗られたクリームチーズの酸味、その上のロックス(スモークサーモン)の旨味と散りばめられた輪切り玉葱の辛味が絶妙にマッチしてたまらない。

 

俺は気付いた時には目の前のベーグルを平らげていた。

 

「……旨かった。東側(こっち)では悪の帝国と噂される米国にも、美味いものはあるものだな」

 

「あら、気に入って頂いて嬉しいわ。最近ではニューヨーカーにも人気だって聞いてうちでも出してみたら好評なのよ。このサンド」

 

「確かに…栄養価も高いし味も悪くない、それに食材もコシェルにも反しない……悪くない組み合わせだ」

 

「あら、やっぱりユダヤ人(ジュー)なのね。名前で分かったわ」

 

「今はソ連軍の衛士だがな。どこか引っかかる言い方だが、気遣いには素直に感謝しておこう」

 

乳製品と肉を組み合わせた料理、タコや牡蠣など鱗のない海産物、反芻せず蹄の分かれていない獣の肉はユダヤ教では「不浄な食物」として律法で食べてはならないとされている。

故にこの国(アメリカ)に住むユダヤ人達は伝統的に鮭とチーズを組み合わせたこのベーグルのような食い物、あるいはマッツァーと呼ばれる種無しパンなどを食うらしい。

 

だがそれはBETAに侵されず、農業の面でも恵まれたアメリカでの話。

俺たちソ連に住むユダヤ人に与えられるのはさしずめ合成肉の缶詰め(トゥションカ)か輸入小麦のクラッカー。戒律など守れたものではない。

まぁ両親はともかく俺は世俗的な人間だし、そうあることが良きソ連人として人口大多数のロシア人と打ち解ける術と理解しているから戒律が守れなくてもそれはそれで諦めているが…。

 

 

御託は置いておこう。とりあえず塩辛くなった口内を潤すべく俺はナタリーに二杯目を頼む。

 

「いい飲みっぷりね。何かいい事でもあったの?それとも逆?」

 

「どう取ってもらっても構わんさ」

 

「そう…詮索はしないわ。だけどあんまり飲むと明日が辛いわよ?」

 

「明日は土曜、休日だ。モーセ曰く『6日のあいだ働いてあなたのすべての仕事をせよ。7日目はあなたの神、主の安息であるから、何の仕事をもしてはならない』。安息日(シャバット)は守るものだ」

 

「あら、じゃあ休日にBETAが攻めてきたらどうするの?」

 

「冗談だ。今はどこも戦時体制、休みが欲しいなどという自分勝手は許されないさ。今俺たちが享受している平和は極東で戦う同志達の屍の上にある。だというのに……」

 

俺はカウンター席の丸椅子を回しつつ振り返り、博打の話でもちきりの国連軍兵士達を侮蔑の目で一瞥した。

 

「あぁ?なんだぁ?テメェ。何ガンつけてやがる」

 

ふと目が合った兵士のうち一人——服装からして整備兵だろうか——軽く酔ってるのか軽く伸ばした茶髪と鍛えられた細身の身体を揺らしながらこちらに近づいてきた。

 

俺はわざとらしく辺りを見回し、カウンターに俺以外いないことを確認する。

 

「テメェだよテメェ!そこの白髪碧眼!見ねえ顔だな。テメェソ連軍か?」

 

「……だったらどうした?」

 

「ちょっと!」

 

整備兵と目を合わせずにウォッカを啜りつつ冷たく返した俺にナタリーが「相手にしたら駄目よ!」とでも言いたげに声をかける。

 

「聞いてるぞ?ソ連の軍人はここには立ち入り禁止だって。さっさと兵舎に帰ってマズいボルシチでも食ってろよ」

 

「おいヘンリク!やめろって‼︎」

 

屯していた国連軍の兵士のうち長い黒髪——見るからに女好きそうなラテン系の衛士が、ヘンリクと呼ばれた整備兵を諌める。

 

「うるせぇVG(ヴィージー)!お前は黙ってろ!——おいロシア人!テメェのツラが目に入ると酒がマズくなる。出て行け。それともあれか?ここで俺らの話を立ち聞きすんのも任務のうちってか?ハハッ!KGB(チェキスト)らしい姑息な奴め」

 

 

「……ヘンリクといったか……我が国に対して何か腹に一物あるようだな」

 

 

「当たり前だ!俺はポーランド人だ。テメェらソ連は俺たちを散々な目に扱った挙句いざ国土が危うくなったら極東へひとっ飛び。お陰で俺たちヨーロッパ人はBETAに国も家族も奪われた……こんなことになったのも全部お前らのせいだからな‼︎」

 

「…虫のいい話だな」

 

「何だと?」

 

「東ドイツが良い例だが……貴様ら東欧諸国は我々ソ連を目の敵にして西側にコケるつもりでいた癖にいざ我々が去れば『何故助けてくれなかったのだ』とこんなアメリカの僻地で安穏としながら俺たちに文句を言う。今こうして貴様らが安酒と博打に興じていられるのは誰のおかげだ?他でもない——ベーリング海の向こうで今もなお必死に戦ってる我が国の人民のお陰だ。お前にはそれが分からないのか?」

 

「だ、黙れ‼︎侵略国家の分際で!帝政時代からずっとそうだ!都合が悪くなったからって綺麗事で自己正当化すんじゃねえ」

 

「……侵略でいえばポ・リトアニアのルーシ侵略やポ・ソ戦争を忘れて貰っては困るな」

 

「……いつの時代の話だよ…」

 

「いい加減にしなさい!ヘンリク!国籍絡みの議論はここでは禁句でしょ?」

 

ヘンリクが言い淀んでいると、テーブルの隅から一人の女性衛士が立ち上がった。

所属は国連軍。整った顔立ちとスタイル、伸ばした金髪が特徴的な北欧系の女だ。

 

 

「で、でもよ…こいつはロシア人だ!ステラだって分かるだろ!こいつらが今まで何をしてきたか」

 

「…私だって一スウェーデン人として思うところはあるわよ。でもそれをたまたま居たソ連軍の人に言って何になるの?第一、私たち人類の共通の敵はBETAでしょう?」

 

「そ、それはそうだが…」

 

 

ステラと呼ばれた女性衛士——スウェーデン人の女は女神のように優しく、されど強くヘンリクを諌め、ヘンリクもまた彼女に言われるがままに渋々矛を収めた。

 

スウェーデン——17世紀、戦の天才である国王カール12世と我らがロマノフ朝のピョートルの間で起きた大北方戦争で争い、惜敗して西欧世界での覇権を失って以来やはり我が国の事を良くは思っていないようだ。

 

されど、彼女の話には一理ある。俺は国の命令のままに人類共通の敵であるВЕТАを倒せる人材をより多く育成し、国連軍(こいつら)は残された人類の砦を守る——立場は違えど国籍やその民族が歩んできた歴史の違いなどはこの多国籍地帯では些細な事だ。

 

 

「連れが失礼したわね。私は国連軍アルゴス試験小隊の衛士、ステラ・ブレーメル少尉よ。こっちはヘンリク・ポニャトフスキ曹長。私たちアルゴス小隊の戦術機の整備士よ。お互い鉄のカーテン越しとはいえ、仲良くやりましょう?」

 

「俺はソ連陸軍イーダル試験小隊のイサーク・ローゼンフェルド少佐だ。ここへは昨日着任した。ブレーメル少尉。よろしく頼む」

 

「よろしく。ローゼンフェルド少佐。イーダル小隊といえば、例の紅の姉妹(スカーレットツイン)と同じ小隊ね。戦ってみた?」

 

「ま…まぁな。結果は…聞かないでくれると助かるが」

 

「うふっ、その様子じゃ、大体察せたわ。手強いわよね。あの子達…私たちの中にも勝てた者は居ないわ」

 

 

 

「おーいステラー!VGがいじめるー‼︎」

 

「あら?ちょっと立て込んでるみたいだから失礼するわね、ローゼンフェルド少佐。ついでに紹介しておくわ。あっちの色男(ロメオ)はイタリア軍のヴァレリオ・ジアコーザ少尉、隣の小ちゃいのがネパール軍のタリサ・マナンダル少尉。また会ったら一緒に飲みましょう?」

 

「よろしく…っておいおいついでかよ」

 

「ちっちゃいって言うな〜‼︎」

 

大小の二人の衛士はじゃれ合いながらもこちらに視線を向ける。

 

 

 

 

「……さっきは済まなかったな。ローゼンフェルド少佐」

 

気づいたらヘンリクがカウンターで俺の隣に座っていた。

 

「まぁな、勝手にシマを荒らしたのはこちらの方だ。じき出ていく」

 

「いや待て、迷惑料だ。一杯奢るよ。おいナタリー!スピリタスのショットを二杯、至急用意してくれ」

 

「はいはい。一杯だけよ。あなたそれ飲むといっつも潰れるんだから」

 

ナタリーがやや呆れつつショットグラスにスピリタスを注ぐ。

 

「あんた、さっきウォッカを旨そうにやってたみたいだが酒はいけるクチみてえだな。ウチの国のウォッカも、ぜひ味わってくれよ」

 

「いいだろう。ちなみに言っておくとスピリタスはウォッカじゃない。硫酸だ」

 

「んだって?」

 

「メンデレーエフ先生も仰ったようにウォッカは40度。これが世界の常識だ。知らないのか?」

 

「テメェ、うちの国の酒を馬鹿にすんのか?」

 

「…詫びの一杯じゃなかったのか?」

 

「あ、ああそうだった。まあとりあえず乾杯だ。酒の席でのアレは酒で濯ごう。健康の為に! (ナズダロヴィエ)

 

健康の為に(ナズダロヴィエ)

 

 

ヘンリクと盃を交わし、中身を啜る。

 

予想通り先ほどのウォッカとは比べ物にならない灼熱感が喉を襲うが、そこは一気飲みでないと男が廃るというもの。

 

90度のエチルアルコールをゴクリと飲み干した瞬間、俺の視界はグニャリと歪んだ。




余談
「健康の為に(ナズダロヴィエ)という乾杯の合図は波露共通だそうです(露:На здоровье 波:Na zdrowie)

尚登場する酒の銘柄は敢えて伏せていますが青い瓶のアメリカウォッカと言ったら…分かるかなぁ?(自分は嫌いじゃない)
ちなみに筆者スピリタスは飲めません(買ったはいいものの飲みきれずキャンプで燃やした)


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第4話 二日酔い(パフメーリエ)

二日酔いはツライ。
みんな飲み過ぎ食い過ぎはイカン!
ほどほどに…

ウラジオストクについては以前住んだ街ということで地名に関しては詳細な描写ができたかと。


1991年 8月

ソビエト連邦 沿海地方 ウラジオストク市 アケアンスキー通り

 

 

「ジャール2より各機体。状況を知らせろ」

 

ジャール大隊副隊長、フィカーツィア・ラトロワはやや焦燥感を露わにしながら頰のヘッドセットに向けて叫んだ。

 

時は1991年の夏。

数年前の第666戦術機中隊——黒の宣告(シュヴァルツェスマーケン)の衛士達によって引き起こされた東西統一運動に触発された衛士達、そして民衆によって引き起こされた暴動は瞬く間に極東中に広がり、カムチャッカ——ペトロパヴロフスクが誇るジャール大隊もまた治安維持任務に駆り出された。

 

すでにルースキー島の太平洋艦隊(ティハアケアンスキーフロット)の間にも革命の機運は高まり、この運動が抑えられる可能性は時間と共に限られていった。

 

尤も暴徒達の中には戦術機を扱えるソ連軍人もおり、彼らの中にはアメリカや欧州での訓練あるいは実戦経験を持つ衛士も少なくない訳で、鎮圧側にもそれなりの被害が出ていた。

 

 

アメリカ独立戦争を経験した後母国で革命を起こしたフランス軍人、 祖国戦争(ナポレオン戦役)でパリに攻め込んだのち自国とフランスとの人権意識のギャップに悩み決起した十二月党(デカブリスト)——かつて歴史は繰り返すと言った哲学者の言う通り、欧米の先進的な近代政治システムと自国の現状を知った若者たちの葛藤は、BETA大戦中の現代に於いてもこのような形で噴出したのだ。

 

 

「こちらジャール3。ジャール4と5と共にアケアンスキー通りで歩兵部隊の攻撃を受け戦術機は行動不能。ステパン……ジャール3が負傷!すぐに手当てしなければ!至急後送の必要がある!ラトロワ中佐!退避命令を!」

 

ジャール4——ステパン・コンドラチェンコもまたそんな衛士達による反撃を受け、腰から下に深刻な怪我を負った一人である。

 

「駄目だ!ジャール3。我々は予定通り革命戦士像前の決起部隊に対し攻撃を行う。スヴェトランスカヤ通りから到着予定のジャール6と合流し2100までに戦闘準備を整え攻勢に備えよ!」

 

「そんな…!ステパンはもう歩けないのですよ?ラトロワ大尉…いや、フィカーツィア!彼を見捨てるというのですか?」

 

「…私だってこんな決断したくはないさ…わかるだろう?同志イヴァノワ。だがここで反乱軍を抑えねば奴等はいずれ共産党本部にまで進撃する。ステパンの死は決して無駄にはならない。だからここは今暫く耐えてくれ…」

 

「嫌です同志ラトロワ!我々は家族!そう仰ったのは貴方ではありませんか!」

 

「黙れターシャ!仮に今からネルチンスカヤ、フタラヤ・レチカから南下中の歩兵部隊に貴様らの収容を依頼したとして、決起鎮圧の為の兵力弱体化の責任が貴様に取れるのか?」

 

「それは…」

 

ジャール3、ナスターシャ・イヴァノワが言いよどむ。

 

そう、軍隊というのは古今東西連帯責任が全て。

一兵士に取りきれない限りそこに自己責任は課さないのだ。

 

 

「ジャール2‼︎南——ヴェルフネポルトヴァヤ通りから戦術機3機が北上……マローズ小隊——第108教導団の機体です‼︎」

 

ラトロワはレーダーを確認する。確かに、「ワ」の字型のウラジオストク市の丁度左側の半島から楔壱型(アローヘッドワン)陣形で向かってくる機体——Su-27(ジュラーブリク)の一個小隊が確認出来た。

 

 

3機のジュラーブリクはスヴェトランスカヤ通りから匍匐飛行で広場にやってくると、戦闘態勢を取りながらゆっくりと通常歩行で反乱軍に躙り寄る。

 

 

「親愛なる我が国の市民に告ぐ。これ以上の貴様らの行為は国家反逆罪として処罰される!直ちに武器を捨てて投降せよ!繰り返す!直ちに武器を捨てて投降せよ!」

 

機体の主、第18師団108教導団のイサーク・ローゼンフェルド中尉は戦術機のスピーカー越しに冷たく言い放つ。

 

「うるせぇ!KGB(チェカ)の飼い犬共‼︎武器を捨てるのはお前らの方だ!さっさとコクピットを降りてその機体を俺らに渡せ!」

 

暴徒の一人がAK-74(カラシニコフ)を掲げながら叫ぶと、後に続いた暴徒達が投石を交えながらシュプレヒコールを繰り返す。

 

 

「今の投石…我が軍は戦闘行為と見なす」

 

 

ダダダダダダダダダダダダダダダッ‼︎

 

 

「うあああああっ⁈」

 

 

突如鳴り響く突撃砲の断続的な発砲音。

曇天のウラジオストクの夜空に橙色の光を放ちながら、そこにいる者全てを威圧するかのように唸り続ける銃口。

 

ラトロワは、その轟音に耳を塞ぎながら、されどローゼンフェルドが駆る機体の銃口が天を向いていることを目視で理解した。

 

「最終警告だ!武器を捨てて投降しろ‼︎次は水平に撃つ‼︎」

 

 

「に、逃げろ‼︎こいつら本当に撃ってくるぞ‼︎」

 

「ち…畜生‼︎それでも同じ人間か⁉︎」

 

革命戦士像の周りに集まっていた生身の暴徒達は各々の手に持った武器を捨て、MiG-21(バラライカ)に乗っていた衛士達は自身に向けられた、未だ湯気の立つ突撃砲の銃口に恐れをなしその手から長刀を取り落とした。

 

「フッ…鎮圧ってのはこうやるもんだ……しかし反乱軍とはいえ、同志に銃を向けるのはあまり気持ちがいいものではないな…」

 

「マローズ1。こちらジャール2。協力に感謝する」

 

「ジャール2、礼はいい。残りの反乱軍共は我々だけで捌ける。そっちは負傷者達を連れて退避しろ」

 

「マローズ1…なぜそれを….?」

 

「秘話通信回線にもせずあれだけデカい声で騒いでりゃ嫌でも耳に入るさ」

 

「面目ない…」

 

「その面目、立てたいと思うなら無事生きて帰って、次会った時にはストリチナヤの一杯でも奢るんだな。以上、通信終わり」

 

3機のSu-27はラトロワ機、そして戦意を喪失して片っ端から内務軍兵士や民警達に拘束されてゆく暴徒達を見下ろしつつ浮上すると、金角湾を渡りながら南下しルースキー島——反乱に加わった海軍歩兵達の本拠地へと向かっていった。

 

 

 

* * * * *

 

 

 

 

アメリカ合衆国 アラスカ 国連軍ユーコン基地 ソ連租借地

 

 

 

「イサークさん‼︎おきて!おきて!」

 

 

 

身体がぐわんぐわんと揺すられる感覚と同時に訪れる眩暈——例えるなら要撃(グラップラー)級か突撃(デストロイヤー)級の体当たりを受けた時に近い衝撃を全身で感じながら俺は目を覚ました。

 

尤も俺の身体はギチギチの衛士強化装備ではなく寝巻き代わりの縞シャツ(テリニャシカ)とジャージに包まれており、耳と鼻から入るのはВЕТА達の発する独特な硫黄臭や気色悪い金切り声ではなく、澄んだ少女の声とやや乳臭い少女の髪の香りだ。

 

時刻は5:50。

基地内に起床ラッパが鳴り響くにはまだ早い。

 

俺は言われるがままに寝台から身体を起こす。

 

頭の辺りにきつい制帽を被らされたかの様な鈍痛がする…それに胃がむかつき食欲もない。倦怠感もある。

 

「二日酔いか……」

 

ヘンリクと言ったか…例のポーランド人の奢りで昨日あれだけ酒を食らったのだ。無理もない。しかしウォッカは純粋なエタノールに限りなく近いためか、ブランデー(カニャーク)やウイスキーをやり過ぎた時のような嫌な残り方はしない。

 

 

「うぇ……お口…くさいよ…」

 

俺の身体を揺すっていたイーニァが、目を覚ました俺の呼気に思わず顔をしかめた。

 

「全く…国を守る衛士が二日酔いとは……見下げたものだな。同志ローゼンフェルド」

 

視線を隣へ移すと、クリスカが軽蔑の眼差しでこちらを見ていた。

 

「…面目無い……今から風呂でも浴びてこよう。しかし何だ?何故俺の部屋に居るんだ?」

 

「サンダーク中尉のお達しだ」

 

「何?」

 

「理由は分からないが、ローゼンフェルド少佐と一緒にいる時間を増やせとの指令でな。私たちは今日一日、貴官と一緒にいることになった」

 

「待て待て!俺のプライベートはどうなる?」

 

「プライベート?何だそれは?」

 

あのオヤジ……謀りやがったな……。

俺に成人も迎えてないこの少女達と同居しろと申すか。

俺はサンダークの顔を思い浮かべながら枕に掌底を叩き込んだ。

 

「何を苛立っている?私たちと一緒にいるのが嫌か?」

 

「…嫌とかそういう理由じゃなくてな……とりあえず風呂でも浴びてくる。それじゃあな」

 

俺は見苦しくない程度に眉と髪を唾で整えると、昨日浴びたエタノールの残滓のついた身体を清めるべく、着替えとタオルと石鹸を片手に営内のシャワー室へ向かった。

 

 

* * * * *

 

 

ザアアアアアッ‼︎

 

 

営内のシャワー室。

 

殺風景な打ちっ放しのコンクリートのお陰で寒々しさと狭さを感じるが、それでも成人男性一人が風呂を浴びるには十分だ。

湯を張るためのバスタブまで付いているのもポイントが高い。

 

「自分に合わせて環境を変えるな。環境に合わせて自分を変えろ」

俺が訓練兵時代に教官に言われていた言葉だ。

衛士の生活は全天候対応が常。

生活環境に拘らず、たとえ野宿となっても「他に適した場所がなければ今日の寝室はそこに決まり」と割り切れる人間は軍でも重宝される。

 

 

ザアアアアアアッ‼︎

 

 

シャワーヘッドから降り注ぐ温水で身体に纏わり付いた悪いモノを濯いでから、湯気の立つバスタブへ左右の足を入れ、そのまましゃがみ込む。

 

沁みる……。

 

体内からも汗腺を通して老廃物が出ていくようで心地よい。

俺はバスタブの中だというのに、そのままうとうとと夢心地で船を漕ぎ始めた。

 

「気持ちよさそうだな。ローゼンフェルド少佐」

 

「なっ⁈」

 

嫌な予感——それは大概的中するものだ。

 

聞き覚えがある声を耳にし俺が顔を上げると、湯けむりの向こうにはやはり一糸纏わぬクリスカとイーニァの姿があった。

 

「な、何入ってきてる‼︎ここは男子用だろう?」

 

「何?私たちは少佐と一緒にいるよう言われただけだが…」

 

「それとこれとは……第一そんな格好で恥ずかしくないのか?」

 

「恥ずかしい……?何故恥じる必要がある。私たちの姿に何かおかしな点があるとでも言うのか?」

 

この姉妹……出会った時からそうだが常に目的が最優先…故に人間として社会生活を送る為の常識というのが後回しなようだ。

 

「イサークさん…私たち……へん?」

 

「いや、どこもおかしくなんかない。だからあっちへ行こうね。いい子だから」

 

ダメだ。このまま彼女らの完璧な曲線を描く肢体を目にしていたら俺のサーベルの切っ先が天を向いてしまう。

 

「いや!私たちはおふろに入りたいの!だからでていかない!」

 

イーニァが子供のように駄々をこねむくれる。

 

 

 

「……あー分かった分かった。俺は上がる。後は好きにしてくれ——ッ⁈」

 

 

 

俺がなるべく股間に意識を集中させぬようそそくさと風呂場を後にしようとすると、背中からイーニァが抱きついてきた。

 

 

 

「イサークさんのこころ…あったかくて……きれいだよ」

 

「そ…そうか?」

 

「うん。だからそんなに…こわがらなくていいんだよ…こわいとね…かなしくなっちゃうから……」

 

「イーニァ……」

 

俺はイーニァの柔らかな肌が背筋に絡みついているのも忘れ、ただ呆然と立ち尽くしていた。

 

「良きソ連人民として模範でなければならない」「教官として将来前線で戦う訓練兵達の前では決して弱みを見せてはならない」「海を越えた先——ユーラシア本土にはハイヴがあり我々こそが人類最後の砦」

生まれてこのかたそれらだけを意識し、逆らう者は誰であろうと捩じ伏せてきた俺に、イーニァは初めて「無理をしなくていい」と語りかけてくれた。

俺は自身がこの最強かつ凶悪な姉妹を繋ぎ止める鎖であるという本分も忘れ、とうに枯れたと思っていた涙を音もなく流し始めた。

 

「なかないで…イサークさん。かなしくないよ。わたしもクリスカもいっしょだよ。クリスカがいるこの世界に、かなしい事なんてないんだよ」

 

「イーニァ…」

 

俺はイーニァの方に向き直ると、出しっ放しのシャワーで濡れた彼女の髪を撫でながらその小さな肩を優しく抱きしめた。

 

「さぁ、おふろに入ろう。クリスカもいっしょだからぽかぽかだよ」

 

「…そうだな」

 

俺はイーニァに背中を預け、クリスカと向き合う形でさほど広くないバスタブに身体を収めた。

 

 

* * * * *

 

 

「しかし…」

 

「どうかしたか?同志ローゼンフェルド」

 

湯船の中で俺は現在、先程から自分の背中に上体をぴったりとつけバシャバシャとバタ足をするイーニァ、そして目の前で乳房や陰部を一切隠そうとせず湯船に浸かったままのクリスカの板挟みになっている。

両手に花といえば聞こえはいいが、どちらかといえば前門の虎後門の狼…どちらに目を向けても目の毒になる状態だ。

 

 

「何というか…その…お前たちは綺麗だ。だから…気をつけるんだぞ。そういうの……邪な目で見るやつもいるらしいから……」

 

俺は自身を棚に上げながら心にもないことをつい口走ってしまった。

 

「うん?我々の強化装備は、男女の隔たりを無くすデザインで、男性衛士達も皆我々のこのような姿を見るのは慣れていると聞いているが…」

 

クリスカが首をかしげる。

 

理論的にはおかしくない。

人間、どんな欲求にも飽きが付き物とされる。

いかにステーキやスシが好物でも、そればかり食わされれば飽きがくるもの。

身体のラインがぴっちりと浮き彫りになる衛士の強化装備——特に日本の訓練兵のものは敢えて肌色にすること羞恥心を麻痺させる効果を狙ったものらしい。

我が国の89式強化装備の意匠も同様の目的で作られたものだし、裸に近いソ連軍女性衛士の姿も教官時代何度も目にした。

それでも、人間の本能というのは理論で完全に説明できるものではない。

 

特にこう、2人の少女と密着した状態では理論がどうのこうのとは言ってられない。

 

 

「ま、まぁあれだ……世の中理屈だけじゃ動かないってこと、それだけだ」

 

「理屈で説明できない事……例えば何だ?」

 

「そうだな…例えば、人を愛するということとか……」

 

「ほう。それは、祖国、人民への愛ということか?それなら案ずるに及ばない。それに、私には家族——イーニァがいる。何も不足はない」

 

やはり、この少女にとってはイデオロギーが最優先。同時に、互いに植え付けられた依存対象に対する関係を「愛」と思い込まされているようだ。

 

ソ連本国で俺は様々な人間を見てきた。

皆一様に国家や党への愛を叫んでいたが、腹の中では現体制に舌を出す者、あるいは公共の財産を掠め取って私服を肥やし、与えられた職権を濫用する者ばかりで本心から自国を愛している者など極少数に過ぎなかったように思える。

そういう意味では、所詮刷り込みとはいえ何の抵抗もなくこういう言葉を吐き出すクリスカの存在が一ソ連人として新鮮に思え、同時に人間らしい物の考え方を産まれながらに制限された彼女らに憐れみさえ感じた。

 

「………まぁ、そういうのもアリだな。じきに分かるさ。さて、俺はそろそろ上がる。お前達はゆっくりしててくれ」

 

「了解した。ゆっくりさせてもらう」

 

「ばいばーい」

 

俺は身体に纏わり付いた水滴をタオルで払いながら、バスルームの外へと出て行った。



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第5話 訓練兵(クルサント)

章単位の文量、4000〜5000字くらいのペースでやってこうと思って〼

今回は教官時代のイサークの話(ジャール大隊入る前のみんながまだ訓練兵時代)
ラトロワはまだ少佐、ナスターシャは先に入隊してる設定です。




 

 

1995年秋 ソビエト連邦 沿海地方 アルチョーム市 第108教導団官舎

 

 

「「1(ラス)2(ドゥヴァー)3(トゥリー)!」」

 

俺のかける号令に合わせてフローラ迷彩に身を包んだ、未だ成人も迎えていない男女の若い背中が潰れたり盛り上がったりを繰り返している。

 

彼ら訓練兵達は、かつての俺と同じように徴兵され、対BETA戦を勝ち残る為の訓練を受けることとなっている。

 

足元で這いつくばる顔ぶれを見ると白人の割合は1/3といったところでカフカス系の浅黒い肌の者、モンゴル、テュルクあるいはツングース系の頬骨の出っ張った一重瞼の者も少なくない。

ロシア語での意思疎通も片言な者も中には居るようだ。

 

そう、我が国——ソ連はかつて人口の大多数を占めていたロシア人が皆アラスカに移住し、俺も含め残された非ロシア系の男女は皆徴兵されているのだ。

 

「100以上の民族の平等」

 

我が国が建国当初に掲げた題目は、人類史上未曾有の緊急事態と一部支配層のエゴによって既に形骸化したのだ。

 

俺の仕事は、そんな不遇の若者達が前線で生き残れるよう、訓練を施し一人前の衛士に鍛え上げることだ。

 

しかしながら……。

 

 

 

「何をやっとるか貴様ァ!貴様はBETAの前でもそうやって潰れるつもりか?」

 

い、いえ(ニ・カク・ニェット ) 同志教官殿(タヴァリシ・インストルクトル)

 

何百回も続く腕立て伏せにとうとう耐えられなくなったのか、一人の女性兵士——トーニャ・ウスペンスコナ訓練兵がばたりと倒れ、テリニャシカに包まれた、まだ膨らみかけの胸をコンクリの床で潰しながら地面にうつ伏せになっていた。

 

「貴様のような腰抜け(スーチカ)を助ける為に、一体何人の友軍が犠牲になると思っている?全員100回追加だ!」

 

BETAの勢いが増すにつれ、我が国では男性人口のかなりの割合が死に絶え、かつて男性のみ18歳からだった徴兵年齢が男女ともに10代前半に引き下げられた。

当然脳機能的にも体力的にも発達段階である子供が徴兵されることにより教育隊全体の練度は右肩下りだ。

 

無論、ただ戦術機を操縦するだけなら男女の体力歳はさほど意味をなさないし、女性兵士は女性兵士で「子を産む」という身体の構造上男より痛みに強い。

だが、昆虫のような下等生物と違い哺乳類の雌は「産まれたばかりの無力な子供が死なないように乳をやるため生き残らなければならない」といった義務が本能に刻み込まれているためか、恐怖には滅法弱い。

 

低い平均体力と共に、そうした本能は衛士の適性上、足を引っ張るものだ。

 

現に経験上、実戦でBETAの大群に襲われた時真っ先に怯み、無駄弾を撃ったり隊列を乱し始めるのは決まって新人の女性衛士だし、そんな女性衛士を見て真っ先に救いの手を差し伸べようとしてBETAに喰われるのは同じく新人で、冷静な判断力の涵養が不十分なヒーロー気取りの男性衛士だ。

 

全く揃いも揃って……。

こんな練度の兵隊を前線に送り出すばかりで、果たして我々は本当にBETAから祖国を取り戻せるというのか……?

 

今回の連帯責任での懲罰も、元はといえばそんな練度の低い訓練兵のうち一人の起こしたミスにより行われている。

 

AKS74U——戦術機や航空機、戦闘車両の操縦者に一挺ずつ配られる、歩兵のAK74より幾分か短いカービン・ライフル。西側で言うPDW(個人防御火器)の一種であるが、俺が抜き打ちで点検した所、一人の衛士——キール・エフレーモフ訓練兵のものが完全に整備不良でほぼ完全に撃てない状態だったのだ。

具体的には銃身は錆びだらけ、マガジンキャッチ——5.45mm弾を30発収められるベークライト製のバナナ型弾倉を保持する留め金はヘタり、軽量化とサイズダウンを狙った折り畳み式のワイヤーストックを固定するロック機能はイカレてるときた。

 

それで俺は「祖国の人民が丹精込めて作った軍銃を粗末に扱うとは何事か?」

「貴様が仮に戦術機から脱出したとして、その文鎮にしかならない銃を担いでどう戦うつもりだ?」

 

と久々に雷を落としたという訳だ。

 

だが、そこにも俺なりの思いやりはある。

 

「一人のミスは皆のミス」

 

「どんな些細なミスも死に直結する」

 

一人一人が「自分さえ良ければそれでよい」と独善的にならず、互いにどんな些細な不備も確認し合うことの大切さを、身を以て教えれば彼らが初陣で所謂「死の8分」を生き残れる確率は上がるというものだ。

 

「時にウスペンスコナ訓練兵、貴様の希望配属先は何処だ?

 

「はっ…第211戦術機甲部隊であります。同志教官」

 

「ジャール大隊か……ククク………フィカーツィアの奴も災難だな。人手不足とはいえ、貴様のような腰抜けを部下に持つことになるとは……俺の見る限り貴様ら全員、ジャール大隊どころか衛士そのものに向いていない。命が惜しくば後方部隊への転属を志願することだな。そうは思わんか?ウスペンスコナ訓練兵」

 

「い、いえ、同志教官。私達は家族と祖国を奪ったBETAを倒したくて、衛士の訓練過程に参加しました!」

 

身体が休まったのか潰れていたトーニャが再び身体を起こしながら気丈に返した。

 

「成る程……。大層な志だ。ところでエフレーモフ訓練兵。そんな闘志満々の同志を、自分の不手際が原因でこんな茶番に付き合わせている自分をどう思う?」

 

「はっ。 同士教官……自分は…同志の足を引っ張るだけのクソ虫以下であります……」

 

俺は皮肉を続けながら今回の事故の張本人、キールに水を向ける。

 

「ほうほう。よく分かってるじゃないか。ならばその懺悔の気持ち、口先だけではなく態度で表してもらわんとな」

 

「は?……ぐえっ⁈」

 

俺は腕立てを続けるキールの刈り上げた茶髪を、長靴の底で踏みつけた。

 

「う…ぅぅ…」

 

俺が踵をぐりぐりと回す度にキールは小さく唸り、コンクリートの床に額から滲んだ赤い血の跡を薄っすらと描く。

 

 

「ちょっと!いい加減にしてよ‼︎このままじゃキールが死んじゃう!」

 

エスカレートする俺の私的制裁を見ていられなくなったのか、別の訓練兵——イリーナ・バラノワが立ち上がり、今にも俺に掴みかからん勢いで詰め寄りながら吠える。

 

「バラノワ訓練兵。貴様には二足歩行も発言も許可した覚えはないが……」

 

「うるさい!ジット(ユダヤ人野郎)!あんたさっきからやり過ぎだよ‼︎たかだか銃の整備くらいでここまでするなんて……もう我慢の限界だ!」

 

イリーナが殴る構えを見せて俺に足を進める。

 

だが、相手は体格が俺の半分程の10代の少女の身。加えて度重なる懲罰で手足はフラフラだ。

コマ送りでも見ているかのような速度で迫ってくるイリーナの拳を避けるでもなく、踏み込んできた前足を俺が軽く払ってやると、彼女はバランスを崩しながらぱたりと倒れた。

 

「「イリーナ‼︎」」

 

訓練兵達が腕立てを止め、倒れた彼女に思わず声をかける。

 

「ほう!貴様、徒手格闘訓練の相手が欲しかったようだな。見上げた向学心だ。付き合ってやる」

 

「この……!」

 

イリーナが憎しみの目でこちらを見ながら再び立ち上がろうとする。

 

俺は再び足払いをかけ、覚束ない彼女の重心を崩してやった。

 

バタンッ‼︎

 

「う…ぅぅ……」

 

「何だ?自分から喧嘩を売っておいてたかが2回こかされただけで泣きべそか?やはりお前のような弱い奴は衛士になどなってはいけない。相手が人間ならそうやって泣いて赦しを乞えば何とかなるだろうが、BETAはそんなお前の頭をもぎ取り、容赦無く噛み砕く。いや……お前なぞそうなる前に、この場で殺されてしまった方が幸せかもしれんな。

 

「ぐえっ‼︎ぐはっ‼︎い、痛い‼︎」

 

俺がうつ伏せのイリーナの脇腹——人間には鍛えられることのできない部位の一つである肋の辺りを爪先で軽く蹴ってやると、足の動きに合わせてイリーナが悲鳴を上げる。

 

「どうした?バラノワ訓練兵。戦場でもそんな情けない声を出して蹲っているつもりか?ハッ!情けない。実に情けない。こんな奴らが衛士になろうなどとは!実に情けな————」

 

 

 

 

 

タタタンッ‼︎

 

 

 

 

 

営内に鳴り響く乾いた破裂音。

 

 

腹筋に走る熱っぽさ。

次いで内臓から込み上げるような鈍痛。

波が押し寄せて引くように、その痛みは脈動と共に強くなっていき、俺は蹲るイリーナの眼前で膝をつき、そのまま上体を倒した。

 

 

暫しの沈黙。

 

 

朦朧とする視界の中、俺が音がした方に目を向けるとそこには、恐怖と後悔の表情で俺を見つめたまま、まだ硝煙の立ち上るAKS74Uを構えたままのヤーコフ・ニジンスキー訓練兵がいた。

 

 

「ヤーコフ‼︎あんた……なんてことを………」

 

金髪と白い肌の上に降り注いだ俺の鮮血を浴びながら、イリーナは開ききった瞳孔でヤーコフを見た。

 

「だ、だって俺は…このままじゃ……みんなが………う、うぅ………でもこれで終わりだ…俺は…もう……」

 

ヤーコフはガニ股の姿勢のままAKS74Uの床尾を床に立て、V字型のフラッシュハイダーを顎に向け、引き金に親指をかけた。

 

「大丈夫。あたしは生きてる!キールもターシャも生きてる!だから馬鹿なことはやめて!」

 

「イリーナ……」

 

「みんなで約束したじゃないか!一緒に衛士になって、祖国を取り戻すって‼︎今死んじゃったら、そんなチャンスだって永遠になくなっちゃうよ!」

 

「トーニャ……」

 

2人に慰められ、ヤーコフはようやくグリップから手を離した。

 

 

 

 

「……それでいい。ちゃんと撃てるじゃないか……」

 

 

 

「教官!」

 

俺が痛みに耐えながらぼそりと呟いたのを聞いた訓練兵らが俺の元に駆け寄り、俺をうつ伏せにし、よく研いだナイフでフローラ迷彩服とテリニャシカを切り、包帯で傷口を止血し始めた。

 

「教官!どうかお許しを!(プラスティーチェ ミニャー パジャルスタ)俺……大変な事を!」

 

ヤーコフが半狂乱になりながら手持ちのタオルで包帯では止めきれなかった血液を必死に止めようとする。

 

通常、手足の出血ならばゴム製の止血帯を使えばよい。

だが胴体となるとそうはいかず、こうして必死に患部を押さえつけるしか血を止めるしかないとヤーコフは理解していた。

 

「……いい判断だ。……手順も俺が教えた通りだ………」

 

「教官!」

 

「……このことは上とかけ合って……なんとかする。安心しろ。俺は死なんさ。お前達をラトロワ中佐(フィカーツィア)の所へ送り出す……それまで———」

 

「そんな……教官!目を覚まして下さい!おい誰か‼︎医務官を呼んでくれ!頼む!」

 

訓練兵達の叫び声を聞きながら、俺は時間と共に強くなる銃創の痛みと出血による無気力感に身を委ねつつ、冷たい床の上でゆっくりと目を閉じた。

 







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第6話 図書室にて(フ ビブリアテェーケ)

訓練兵に撃たれてしまったイサーク。
その後どうなったのでしょうか?


1997年冬 ソビエト連邦 カムチャッカ半島

 

 

例の事件から数ヶ月後、開腹手術とリハビリを終えた俺に待っていたのは、対BETA戦の要衝——カムチャツカ基地への召還だった。

カムチャツカ——俺の古巣、ジャール大隊の現在の本拠地であり、かつての同期——ラトロワ中佐の住まう地でもある。

 

 

同志大佐(タヴァリシ パルコーヴニク)ローゼンフェルド少佐(マヨール ローゼンフェリド)

貴官の命令により出頭しました(パ ヴァーシェム プリカーズ プリビル)

 

楽にしたまえ(ハラショー ボーリナ)

 

形ばかりの敬礼を終え、休めの姿勢を取る俺の前で書類に目を通しているのは、中央戦略開発軍団所属のブドミール・ロゴフスキー大佐。

外見は狡猾そうな老け顔をした老人。

階級を認めない我が国に君臨する、特権階級の一人である。

 

 

「同志少佐。身体の調子は大丈夫かね?」

 

「はい。ハラワタの縫合も上手くいったようで、問題ありません。同志大佐」

 

「ほう、それは良かった。貴官のような教官を失うのは惜しいものでね」

 

 

俺と手元の報告書を交互に見比べつつ、ロゴフスキーは言葉を紡いだ。

 

実際、俺の病状はなかなか危険だったらしい。

ヤーコフの放った5.45mm弾は、西側のAR-15系小銃に影響を受けた小口径弾頭で、74年のAK-74配備に合わせて作られたものである。

従来のAKMで使われた7.62mm弾よりも幾分か口径が小さいためストッピングパワーは弱く射程も短いが、その分反動は低い。

そして凶悪なのはその構造である。

鋼製弾芯(スチール・コア)弾——弾芯後部に空洞を作ることで、対象に当たると貫通せず体内で半回転し、主要臓器を破壊するといった凶悪な代物だ。

勿論闘士(ウォーリア)級や兵士(ソルジャー)級に対しては有効な弾薬の一つであるが、対人用途でもその効力は遺憾無く発揮される。

幸いだったのは肺や肝臓に弾が跳ね返らなかったことか…。

ともかく俺は損傷した腸の一部を摘出し、縫合することにより一命をとりとめた。

 

「身に余るお言葉です。同志大佐。ところでご用件というのは…」

 

 

ロゴフスキーは返答の代わりに一枚の書類を差し出した。

 

「辞令……でありますか?同志大佐」

 

差し出された書簡には「イーダル試験小隊」の文字が刻まれていた。

 

教官の緊急搬送——あれだけの事があったというのに俺に対して下された処分は意外なものだった。

 

「ん?ひょっとして降格か懲戒免職でも受けるとでも思ったのかね?同志カガン」

 

「……その呼び名はよして下さい。同志。不愉快です」

 

「すまないね。私もこの歳になって現場でブイブイ言わせてる若者を見ると、つい揶揄いたくなるものでね…スクリパーチ(バイオリン弾き)と呼んだ方が良かったかね?

 

「…昔の呼び名です。今の私はイサーク・ローゼンフェルド教官。それ以上でもそれ以下でもありません」

 

「よろしい。同志ローゼンフェルド。しかし教官と名乗るのはもうよした方がよろしい」

 

「?」

 

「貴官が眠りこけている間に第108教導団の教官の任は外させてもらった。貴官には悪いとは思ったがね……」

 

「そ、それではあいつら——キールやトーニャ達は——」

 

「安心したまえ。私も人の子だ。アルチョムで何があったかは噂程度には聞いているし、事後処理は『訓練兵の不注意による暴発事故』にしておいた。エフレーモフ訓練兵は現在、無事訓練過程を終えてジャール大隊に配属中だ。面倒見のいいラトロワ中佐のことだ。貴官が心配することは何一つない」

 

「よかった……」

 

俺はホッと胸を撫で下ろした。

 

「しかしカガン——いや、ローゼンフェルド少佐。本件で貴官の日頃の私的制裁に関してはこちらとしても目に余るものがある」

 

 

「……返す言葉もありません…」

 

 

「そこでだ。やり直しはどうかね?同志少佐。アラスカに行って、もう一度衛士を育てるということそのものに関して考え直すのはどうかと。軍上層部はこう考えた訳だ」

 

事実上の左遷……。

 

そんな言葉が頭をよぎる。

 

だが、俺にはこの仕事以外道はない。

こうしてチャンスが与えられただけでも感謝せねばなるまい。

 

「はっ!同志少佐。私はたとえいかなる部隊に配属されても、同地で自身の職務を全うします!」

 

俺は踵を合わせ、右手の指先を制帽の鉢に合わせて敬礼しながら力強く答えた。

 

 

「よろしい。初めてのアラスカ勤務、ぜひ楽しみにしてくれていたまえ」

 

「はっ!」

 

きっと忘れられない思い出になるがね……。

 

 

去り際の俺に、ロゴフスキーがそう呟いたように聞こえたのは気のせいだっただろうか…。

 

 

 

* * * * *

 

 

 

1998年 アラスカ ユーコン基地 ソ連租借地

 

日曜の朝方。

基地内の図書館の一角。

 

俺の座る机の前には2冊の本が平積みにされている。

 

一冊目の背表紙には『Тевье-Молочник』(牛乳屋テヴィエ)。その上には、ソビエト科学アカデミー出版 『История Хазарского Кагана』(ハザール・カガン国の歴史)と書かれている。

 

幼少期より聖書に触れ、ユダヤ人らしく教育熱心な両親のお陰で本が好きだった俺は、このアラスカ基地内にも図書館があると最近知り、是非とも訪れたいと思っていたのだ。

 

 

牛乳屋テヴィエ——ショレム・アレイヘムなるウクライナ出身のユダヤ人劇作家により書かれた、帝政時代末期のユダヤ人家族の生活やポグロムを描いた近代イディッシュ文学の先駆けだ。

後にミュージカル化され、諸外国でも上演されたため最近ではСкрипач на крыше(屋根の上のバイオリン弾き)と言った方が知名度は高いだろう。

尤も主人公のテヴィエがバイオリン弾きな訳ではなく、題名の元ネタとなったのは古代ローマ帝国時代、暴君ネロの大虐殺を受け逃げ惑うユダヤ人達の中、一人逃げず屋根の上でバイオリンを弾き続けた男がいたという逸話だ。

ショレムと同じくユダヤ人だった画家シャガールもまた同様の絵を描いたように、有名な逸話である。

 

 

 

ハザール・カガン国——7世紀から10世紀にかけてウクライナからカフカスにかけて存在したテュルク系ユダヤ教国家。

東方正教会を信ずるビザンツ帝国とイスラームを信ずるアッバース朝に挟まれた経緯からユダヤ教を国教とし、10世紀にキエフ・ルーシ大公スヴャトスラフ1世によって首都イティルを滅ぼされるまで東西交易の要衝として奴隷貿易などで栄えた国だ。

 

俺がこの2冊を手に取った理由。それは過去俺についた渾名に関わるものだ。

 

一つ目の異名——スクリパーチ(バイオリン弾き)に関しては、大体お分かりだろう。

1980年代後半。まだ尉官だった俺はブリヤートの首都ウラン・ウデにて、カザフのエキバストゥズハイヴから東進を続けるBETAの大群と対峙した。

当時最先任だった俺は味方戦術機を一人でも逃がそうとその場で反転し、退路を確保しながら殿を務めた。

部隊にはビロビジャン出身者をはじめオデッサなどから故郷を追われたユダヤ人の衛士も少なからずおり、その姿が例の屋根の上のバイオリン弾きの姿に重なったのだろう。

 

ラザーリ……ソロモン……あの日俺が逃した衛士達はもうこの世には居ない。

皆各々の戦線で命を落としていったようだ。

 

ともかくあの作戦以来、俺は碌にバイオリンも弾けないのにスクリパーチ(バイオリン弾き)になった。

 

 

 

 

2つ目の渾名——可汗(カガン)に関しては非常に不名誉な理由からくる。

 

カガン——テュルク語で皇帝(ツァーリ)を意味し、モンゴル語の(ハン)と同根語のこの語を冠する国はかつて多数存在した。

例えば7世紀東洋で鮮卑族により成立し、日本や朝鮮にも仏教や律令体制などの面で様々な文化を伝えた唐は突厥(トルコ)から天可汗(テングリ・カガン)の称号を賜ったし、先に挙げたルーシの宿敵ハザール・カガンもまたその例に当てはまる。

 

弱い奴から容赦なく喰われる衛士としての対BETA戦の実戦を経験し、そして中央権力へのパイプが無ければ落ちる事はあっても決して上へ上がれない我が国の政治体制で過ごす内、俺はいつしか力の論理の信奉者となった。

 

教官となった後もその信条は変わらず、一年前の発砲事件でも見られるように衛士達からの評判は最悪だった。

 

加えて当時の世相を見るに、人口大多数のロシア人が少数民族を保護していた我が国の民族政策は、諸々の共和国そのものの消滅と共に打ち切られた。

 

勿論スターリン時代のウクライナやカザフでの飢餓輸出(ホロドモール)朝鮮人(カレイツィ)やクリミア・タタール人、ヴォルガ・ドイツ人の中央アジアへの棄民などにも見られるように、かつてニュルンベルクでナチスのホロコーストを非難し多民族の平等を建前としていたソ連が、国土消滅以前からジェノサイドに手を染めていないかと言われれば嘘になるが……。

 

ともかく今のソ連 (我が国)は一言でいえば「分断国家」だ。

 

そして、かつての帝政ロシアやドイツ同様国民が分断されると決まって流行るのは所謂陰謀論。

 

言論統制の厳しい我が国に於いても最近、我々「東欧のアシュケナージは1000年前逃げ延びたハザール・カガン国の残党で、正体は正統なユダヤ人であるセファルディム系とは違う『偽ユダヤ人』」だの「レーニンは実はユダヤ人で、十月革命はポグロムに怒ったユダヤの陰謀」だの挙げ句の果てには「BETAは実はアメリカのユダヤ人科学者が開発し、東側(社会主義)陣営を滅ぼす為に隕石に乗せて宇宙から放った生物兵器だ」などといった恭順派も吃驚の嘘歴史がまことしやかに囁かれた。

 

まず、テュルク語とヘブライ語とアシュケナージの話すイディッシュ語は全く語族系統が違うし、レーニンはユダヤ人ではなくロシアとドイツとスウェーデンとカルムイクの混血。ボリシェビキの閣僚達にもトロツキーやカーメネフやジノヴィエフ、ベリヤ等ユダヤ人が居たとはいえ彼らが主導権を握っていた訳ではないし、仮に握っていたとしてもスターリン派による粛清を経た現代ソ連の中枢で今でも彼らが糸を引いているとは考えにくい。

 

結局のところ、それらトンデモ学説は、ソ連という理不尽な国家体制へのルサンチマンが高じて捏ち上げられた当てつけに過ぎないのだ。

 

そんな訳で、訓練兵に対し奴隷でも扱うようなその権威主義と、「ハザール=アシュケナージ説」なる陰謀論の流行と相まって俺はいつしか皇帝(カガン)なるご大層且つ不名誉な渾名で影口を言われるようになったのだ。

 

(うるさい!このЖид(ジット)!)

 

(ひょっとして降格か懲戒免職でも受けるとでも思ったのかね?同志Каган(カガン))

 

 

「クソッ‼︎どいつもこいつも‼︎馬鹿にしやがって!」

 

 

気晴らしに借りた本が、嫌な記憶の引き金となっていることに俺は今更気づいた。

他に面白いものはある筈なのに何故俺はこの2冊を……。

 

 

「おこってるの…?イサークさん。色が赤いよ………」

 

「?」

 

柔らかな声色を聞き、振り返るとそこにはやはりイーニァが心配そうな目をしてこちらを見ている。

 

「あぁ、イーニァか。心配はいらない。お前には怒ってないよ。それよりクリスカ——いや、ビャーチェノワ少尉は一緒じゃないのか?」

 

「うん、イサークさんの色を追いかけてたら、はぐれちゃった。イサークさんは、なにしてるの?」

 

「いや、久しぶりに本でも読もうかと思ってな……」

 

「ご本?私も読みたーい!でも、難しいのはわかんないよ……」

 

「大丈夫だ。簡単な絵本でも借りてきて、一緒に読もう」

 

「ほんと?イサークさんありがとう‼︎」

 

「待ってろ。何か探してくる」

 

常に脳をいじられ、人為的に作られた相互依存状態を人間関係の全てだと刷り込まれ、生まれながらに戦闘マシーンとして育てられたあの二人の事だ。学校へ通い、友達と話し、自分の知らない世界と出会って知的欲求を満たすといった人並みの発達段階を踏めなかったのだろう。

 

俺は彼女らを不憫に思い、気づいた時にはそんな提案をしていた。しかし同時に俺は己の軽はずみな提案を後悔した。

 

この子達の世界はこの狭い籠の中で完結している。ある意味それが彼女らにとっての幸せなのかもしれない。

そこに俺という第三者が現れた目的——それは彼女らの閉鎖された人生に新たな風を送り込むことではなく、彼女らの暴走を防ぐ為の鎖となることに過ぎないのだ。

俺は絵本の並べられた本棚に手を伸ばしたまま、その指を止めた。

 

「どうしたの?はやくはやく」

 

「ああ……すまない。今行く」

 

されど一度吐き出した言葉は飲み込めない。

俺は引っ込みがつかなくなり

Маша и медведь(マーシャと熊)

と書かれた一冊の本を手にした。

 

内容は一般的なソビエト人民なら誰しも知っている。

 

祖父母に頼まれ茸狩りに出かけた少女、マーシャは森で道に迷い、熊の住まう家に迷い込む。

家の主の熊はマーシャを見つけると自宅に監禁し、女中のように働かせる。

やがて家の祖父母の元へ帰りたくなったマーシャは知恵を働かせて熊を騙し、見事家に帰ったといったものだ。

 

 

Ага(アガー),— говорит(ガヴァリット)

теперь не отпущу тебя!(ティペーリ 二 アトプシュー ティビャー)

Будешь у меня жить.(ブーディェシ ウ ミニャー ジーチ)

Будешь печку топить(ブーディェシ ペーチク タピーチ),

будешь кашу варить(ブーディェシ カーシュ ワリーチ),

меня кашей кормить(ミニャー カーシェイ カルミーチ)

 

 

(これは有難い。もう逃がさんぞ!お前は儂とここに住み、暖炉(ペチカ)を焚き、(カーシャ)を炊き、それを儂に食べさせるのだ)

 

 

語尾のтьで韻を踏みながら俺が流暢に音読してやる。俺の膝の上に座ったイーニァは興味深そうに挿絵を眺めながら俺の話を聞いていた。

 

「このくまさんかわいいね。ミーシャみたい!」

 

イーニァが、マーシャに凄む挿絵の中の熊を指差しながら振り向いた。

 

「そうか?実際の熊はそうでもないぞ?それにこいつはイーニァみたいな女の子を家に閉じ込めて働かせて……悪い奴じゃないか」

 

俺が返事を返すと、イーニァは怪訝そうな顔をしてこちらを振り返った。

 

「わるい…やつ?」

 

そうだ。この物語で例えるならイーニァの今の境遇はマーシャと変わらない。

狭い基地に閉じ込められ、毎日戦術機に乗って、ソ連という傲慢な熊のために、誰のためでもないタダ働きをさせられている。

しかし、彼女にとってそれは当然のことで、それが酷い事だとは思えないらしい。

 

「うーん、わたし、ミーシャみたいなくまさんだったらいっしょにくらしてもいいかな……でも、クリスカやイサークさんとおはなしできないのは…ちょっとさみしいかな…」

 

 

「そう。このマーシャにもお爺さんとお婆さん…つまり家族がいる。それを引き裂くことは、人間が人間に対して、絶対にやっちゃいけない酷いことなんだ」

 

「かぞ……く?そうだね!家族だもんね!かぞくはいつもいっしょにいなきゃね!」

 

「そうそう。さてイーニァ。マーシャがちゃんと家族のところへ帰れるかどうか、お話に戻ろうか」

 

「うん!」

 

 

朝方のカビ臭い図書室の中、絵本のページがめくられる音が響いた。




余談
前回にて露語での号令(1、2、3〜)について「アジン、ドゥヴァー、トゥリー」と誤字訂正頂きましたが、号令など口語での数え方は「Раз,два,три〜」となりますので、そのままにさせて頂きました。
(ちなみにソ連軍では点呼の際には1、2、3ではなく「1(ピェールヴィー),2(フタローイ),1(ピェールヴィー),2(フタローイ)と交互に数え総員と現在員を最後に報告します)


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第7話 演習(パドガトフカ)(1)

今回は長めになるので分割。
相変わらずミリネタ……特に軍装ネタが多いですが興味ある方はソ連軍の装備とか色々調べてみると面白いと思います。

そいやシュヴァケンでは衛士達が着てる東独の迷彩がレインドロップだったりその手の人には思わぬ所で細かい芸が入るのでやっぱ好きです。マブラヴ。
(冒頭の戦車級に襲われる衛士のヘルメットがマッシュルームじゃなくてナチス式なのは???となりましたが…)



1998年 8月

 

アラスカ ユーコン基地

 

 

閑散としたロッカールームの中、俺は歩兵用装備を身につけている。

 

まず星のレリーフが彫られたバックルの付いたゴム引き帆布(キャンバス)製ベルトを床に敷き、そこに左からAK-74用のナイフ型銃剣(シュティク・ノーシュ)Ф(エフ)1手榴弾が2発入る手榴弾嚢(グレネードポーチ)、ベルトと同生地のY字サスペンダーの左端、X字の綿製吊革が特徴的な水筒、サスペンダー後端、円匙(ラパータ)弾倉嚢(マグポーチ)、サスペンダー右端を通し、フローラの野戦服を着込んだ肩にサスペンダーのクッションを載せ、バックルを締める。

右肩から左肩にかけてはПГ(ゲーペー)5の入ったガスマスクバッグを吊るし、背中のサスペンダー後端には防水布のロール——プラシ・パラトカと呼ばれるテント兼雨合羽を差し込み、その上から鉄帽(カースカ)やら食料、替えの下着、タオル、飯盒やらが詰め込まれ、プラシ・パラトカ同様ロール状に巻かれた外套(シネーリ)の縛着された重い背嚢(ヴェシメショク)を担ぐ。

 

完成だ。

訓練兵時代はともかく、衛士になってからはあまり着る機会がなかった我がソ連軍の一般的な歩兵用完全装備である。

ベストにマグポーチだの水筒だの好きなものを好きな位置に装着出来る西側の装備に比べると、ベルトに装備を通しサスペンダーで吊るというスタイルはやや古臭く感じる。

戦後の1958年にこの装備規定が決められて以来、74年の新式銃採用などに連なる小改定はあれど50年もの間使われ続けている装備であるため時代遅れなのは当然だろう。

無論、どんな物でもただ新しければいいというものではない。

例えばこの長靴(キルザチー)

新隊員に支給される長靴は本来のサイズより1サイズ大きめだが、そんな時はポルチャンキという綿製の伝統的な巻き靴下を巻き、新聞、藁などを詰めることによりサイズを調節出来る。

勿論ポルチャンキはきちんと巻かないと簡単に解け、靴擦れを起こしてしまうのが欠点だが…。

 

背嚢もまた、頭陀袋の底にU字のループを縫い付けただけの簡単な構造であり、背負う時には口の部分をループで縛るだけであるため、部品の欠損を心配する必要はない。

我が国の主力小銃AK-74の設計にも通ずる、ある意味での「ロシア的合理性」とでも言うべきか…。

 

ともかく装備一式を身につけた俺は、指定された集合場所まで足を進めた。

 

 

* * * * *

 

「これより、戦術機が不使用な状況下での対BETA戦演習を行う。イーダル1より各員、用意はいいか?」

 

 

「イーダル1、問題なし」

「イーダル2、大丈夫だよ〜」

「イーダル3、問題なし」

 

ソ連領演習場。

草原の一角に建てられた拡声器を通じて管制官の声が響き、クリスカ、イーニァ、俺の順に返答する。

 

いつもはイーダル1である紅の姉妹(スカーレットツイン)のコールサインは、1,2に分割されている。つまりイーダル1がクリスカ、イーダル2がイーニァ、イーダル3が俺というわけだ。

 

つまり最先任はクリスカとなる訳だが、生身での実戦経験のない二人のことだ。指揮権は実質俺に一任されるといっていい。

 

隣をチラリと盗み見る。

一般歩兵用装備を身につけた二人の姿は新鮮だ。

クリスカはともかく、イーニァは銀髪の小さな頭に分厚い野戦色のSsh68鉄帽を載せており、その細い身体に重厚な装備を付けているためなかなかにミスマッチな格好である。

その姿は、ちょっと肩を押したら倒れ、そのまま起き上がれなくなってしまうのではないかという不安感さえ与えてしまう。

 

「本演習の目的は事前に通達した通り。一つは衛士の基礎体力の向上。2つ目は生身でBETAと擬似戦闘を行うことによる衛士の精神力向上。3つ目——これが最も重要なことであるが、何らかの理由で戦術機が使用できない際の、衛士の生存可能時間の増大だ」

 

死の8分——初陣を迎えた衛士に与えられる平均寿命と知られている。

しかし、戦術機のない衛士の寿命は、戦車から降りた機甲科の兵士と大差なく、退路や十分な火器、見方の援護なしには大抵2分……持って4分くらいと見ていい。

 

 

「予定の方も確認しておこう。まずはその草原の先にある塹壕にてBETA群を迎撃。その後は森林地帯を抜け、市街地演習場の目標地点に到着した時点で合格とする。弾薬、水と食料は中継地点の森林を始め各所に投下済みだ。制限時間は現刻0900より24時間。一人でも脱落者が出た時点で失格とする。何か質問はあるか?イーダル3」

 

「こちらイーダル3。質問はありません」

 

「よろしい。では早速演習に入ってもらおうか。良い旅を(シスリーヴァヴァ プチー)

 

 

「状況開始!同志諸君(タヴァリシ バイツィ)行軍開始(シャガーム マルシ)

 

俺と二人は、1km先の塹壕に向かって足を進める。

 

「クリスカ、イーニァ、大丈夫か?歩けるか?」

 

「同志ローゼンフェルド。心配はいらない。これでも行軍や射撃、白兵戦等の基礎訓練は受けている」

 

「そうか…ならいい。イーニァはどうだ?」

 

「だいじょうぶだよ〜。ちょっと重いけど、普段いっぱい歩いてるからね〜」

 

冷涼な朝のアラスカの気候だ。熱中症になる心配は殆どない。

装備の重さにだけ気をつければ、あとは大丈夫だろう。

俺は過去の異名よろしく殿でクリスカ達の歩調に合わせて歩幅を調節する。

 

 

 

暫く行くと塹壕が見えた。

塹壕といってもいつ構築したかわからないお粗末なもので、大分浅くなっている。

イーニァならやや屈めば入れるかもしれないが、俺やクリスカの身長で完全に身を隠すにはやはり浅すぎる。これでは手直しが必要になるだろう。

 

 

* * * *

 

 

「いつぶりだろうな……こうして穴を掘るのは……」

 

俺は手に円匙を持ち、クリスカ達と塹壕の手直しを行なっている。

 

ザクザクと地表にMPL-50(歩兵用スコップ)の刃先を突き立て、崩れた土を壕の外に掻き出す。

最新兵器である戦術機を扱うために選ばれた衛士達にとって、このような泥臭い作業をさせられるのは屈辱的だろう。

だが、自分含め現人員にそんな不平を漏らす奴が居ないのは幸いだ。

 

「あなほり、たのしいね」

 

「そうだねイーニァ。みんなでやるともっと楽しい」

 

それどころか、イーニァ達はこの地道な作業を楽しんでいる節さえある。

 

だが俺もその点に関しては同意見だ。

以前のように前線に出て命のやり取りをしたり、年端もいかぬ新隊員に対し声を枯れさせながら怒鳴りつけるよりは幾分平和的な仕事だ。

 

しかしまぁ…上層部の準備もお粗末なものである。

 

やった事といえば物資の空中投下だけで、工兵の派遣は行わなかったようだ。

 

お陰で塹壕は風化し放題。

掩体の堀り直しに加え、銃眼まで作り直すことになった。

 

しかし不幸中の幸いか、空中投下された物資の中にはRPG-7やNSV重機関銃銃、その弾頭も含まれていたため、これで戦車(タンク)級の襲撃を受けたとしても多少は気休めになるというものだ。

 

 

「…………くる!」

 

 

「何?」

 

イーニァが円匙を握る手を止め、遠くを見つめる。

俺も手を止め、手元のドイツ製双眼鏡を握り、双眸に当てがう。

 

「……距離5000……敵影概ね100!大多数が兵士(ソルジャー)!うち戦車(タンク)級10。戦闘準備!イーダル1は 機関銃(プレミョート)に!イーダル2は弾薬の装填を担当しろ!」

 

「「了解‼︎」」

 

俺の命令通り二人は先程構築した機銃壕に飛び出す。クリスカはNSVの銃把(グリップ)に手をかけ、イーニァは三脚に組みつき、セージ色の弾薬箱から機樹の機関部にかけて伸びた真鍮の弾帯を小さな手でちょこんと支える。

 

勿論実物のBETAではない。戦術機訓練に用いるのと同様のVR(空中投影)の虚像だ。

しかし、彼方から迫ってくるBETA群のうち、先陣を切って突進する赤い多脚の個体——戦車(タンク)級を見た俺は反射的に戦慄する。

東欧やシベリアの地で、俺は奴に飛びつかれコクピットごと喰われた衛士の断末魔を幾度も聞かされた。

奴らの行動パターンは極めて単純。

通常光線(レーザー)級と共に大群で現れ戦術機の空中退避を不可能にすると同時に、その侵攻を捌ききれなくなった衛士に飛びかかり、コクピットごとその大きな口で噛み砕くのだ。

 

故に、光線級に制空権が奪われていなければ航空機による絨毯爆撃。奪われていれば砲兵による間接射撃で大部分を無力化した後、そのお溢れを戦術機や戦車、或いは歩兵の大部隊で迎撃するのが定石だ。

 

兵士級——これに関しては発見が1995年……俺の現役時代には無かった個体であるため資料でしか見たことがない。

教本では小銃弾や小火器による射撃が有効な反面、対人探知能力や機敏性は非常に高く、近づかれるとその強靭な顎や腕でバラバラにされると言われているため、十分に距離を取っての火器による頭部への射撃が定石である。

 

「距離2000で戦車級から狙撃しろ。兵士級が小銃の射程圏まで来たら俺も攻撃に参加する」

 

せめて一個小隊分の歩兵と迫撃砲(ミナミョート)でもあれば一網打尽なのにな…。

 

と俺は一瞬考える。

だが本演習の目的はあくまで「手元にある武器を用いての対BETA戦」

戦術機から投げ出された衛士は常に単独行動になる上、与えられるのは精々PDWか拳銃のみ。

むしろこれだけの大盤振る舞いに感謝せねばならぬというものだ。

 

「2100……2000!発砲しろ(アゴーヌィ)

 

 

タタタタタタタッ‼︎タタタッ!タタタッ!

 

 

合図と共にクリスカが機関銃を発砲。

機関部右側から押し出される空薬莢の数だけ弾帯の12.7mm弾が薬室に吸い込まれる。

イーニァはその弾帯が絡まらないよう手で支える。

 

 

腕は確かなようだ。

 

彼我の距離がまだ2km弱だというのに、クリスカが放つ大口径弾は確実に戦車級の頭部に吸い込まれて行く。

戦車級の体格というのは胴体に人間の物に似た巨大な口があり、その上に頭部に似た複眼の感覚器があるといった感じだ。

 

その鉄をも噛み砕く歯は強度が高く、口が開いていれば体内にダメージを与えられるものの、閉じている口に弾を撃っても跳ね返されてしまうおそれがある。

故に要撃(グラップラー)級同様、感覚器を狙えば無力化できると言った具合だ。

 

クリスカもそれを理解しているようで、バーストを繰り返しながら確実に奴等の弱点を狙撃し、その残数を9、8、7と減らしてゆく。

 

「距離900。兵士級への発砲を加える」

 

俺はAK-74のコッキングレバーを引いて初弾を薬室に送り込むと、照尺(リアサイト)を9の位置に調整し、ゆっくりと接近する兵士級の腹に向けて単射(セミオート)で発砲した。

 

AK-74の有効射程は500m。やはり威力不足と弾丸の落下が起きたようで、兵士級は膨らんだ胴体下腹部に弾を受けて怯みつつも、なお大群で押し寄せてくる。

 

「距離500…400!」

 

タタタッ‼︎タタタッ‼︎タタタッ‼︎

 

俺は右手でセレクターを中間のод(単射)の位置から一番下のдв(複射)の位置まで下げ、タンジェントサイトを調整すると、先程よりくっきりと見えるようになった兵士級の胸元に向けて三連射した。

 

反動を利用した、縦軸の偏差射撃だ。

三連射したうち1〜2発は頭部に当たったようで、兵士級は次々と倒れて行く。

 

地球がBETAに侵攻される以前、中東戦争やベトナム戦争などでは我が国の銃——俺が撃つ74より1世代前のAK47が大量に配備されていた。

勿論同地には軍事顧問が派遣されるのだが、戦争の激化に伴い教える相手は少年兵という場合も少なくなく、銃のような精密機器を扱う知能も反動に耐える体格も足りない彼らには「とりあえず敵がいたら脚か股間を撃て」と教えていたと、ある歩兵将校から聞いたことがある。

反動での銃身の跳ね返りを見越し、予め照準を下げるのだ。

 

無論現行の74も1世代前の47も西側で言われるように「壊れづらいが当たらない銃」ではないし、ちゃんと整備してちゃんと狙えば当たる。

 

現に俺はこうして長距離射撃に成功している。

 

戦前、自国の赤軍兵士の射撃能力を高めようと尽力したヴォロシーロフ曰く

 

「Нет плохого оружия, есть плохие стрелки」

(悪い銃はない。悪い射手が居るだけだ)

 

 

整備、調節、正しい射撃姿勢それら諸要素が全て条件を満たして銃は初めて射手の命を守ってくれる。

故にその手入れは、新婚まもない妻の機嫌を取る以上の入念さを以って望むべきである。

尤も、俺に嫁が出来たことはないが…。

 

 

バーストを10回程繰り返し、兵士級を撃ち殺してゆく。

じきボルトストップがかかり、俺はマガジンキャッチのベロに右腰の弾倉ポーチから取り出した新しい弾倉を当てがって弾き飛ばし、再装填して再び射撃を再開する。

 

クリスカの方も順調で、戦車級の数も5を切ったといった具合だ。

戦車級はおよそ時速80kmで歩き、兵士級はそれよりも遅い。

つまり俺が接敵する兵士級を射程圏内に収めるまでには、クリスカ達は戦車級を先に攻撃しているといった算段である。

勿論、迫り来る戦車級を1体も撃ち漏らさないずクリスカ達も常人離れしているというか…今まで見てきた衛士達が皆持つ恐怖心や生存本能というものを全く備えていないかのようだった。

 

勝てる……俺たちならば勝てる…!

 

 

 

 

タタタタタタタッ‼︎タタタッ———

 

 

………⁈

 

 

 

俺がそう確信したのと、残り一体の戦車級を目の前にして機関銃の発砲音が途切れたのは同時だった。



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第8話 演習(パドガトフカ)(2)

ゆる(くない)キャン△

出張があり間隔が空いてしまった……。



「……くっ‼︎」

 

「クリスカ!弾が入らないよ‼︎」

 

 

眼前に迫る戦車級——最後の一体。

クリスカとイーニァに任せた重機関銃は、それを目前にして沈黙した。

 

原因は銃身および薬室の過加熱に起因するジャム(弾詰まり)。だがそれを修理している時間はない。

 

どうせ不合格だ。ならせめて……一矢だけでも——

 

俺は照尺(リアサイト)照星(フロントサイト)の凸凹を迫り来る最後のBETAの感覚器に合わせる。

 

 

 

 

 

シュッ‼︎

 

ドンッ‼︎

 

 

突如響く何かの飛翔音。少し遅れて戦車級の感覚器が爆炎と共に弾け足が止まる。

 

 

「——イーニァ⁈」

 

気づいたらイーニァが、予め壕外に据え置いていたRPG-7——空中投下された物資のうち一つをその細い肩で支え、構えていた。

 

反動制御のためのバックブラストが壕の岸壁で跳ね返ることを考慮してか、イーニァは壕外で仁王立ちのままRPG-7の撃ち殼を握りしめている。

その双眸からはいつもの天真爛漫さは消え去り、光の無い殺戮マシーンのものになっていた。

 

「——何だかわからんが助かる。イーダル2。これより兵士級の掃討を——なっ⁈」

 

最後の戦車級の掃討に気を取られている内に、兵士級の大群と彼我の距離は100mを切っていた。

 

残数80体程——俺やイーニァ、クリスカの持つAK-74の予備弾倉、手榴弾の量でいえば殲滅不可能ではない。

しかし、こうしたBETAの大群を前にして焦る歩兵は少なくなく、その殆どが十分な装備があるにも関わらず防衛線の突破を許してしまう。

 

俺は深呼吸すると、AKを握りながら二人に叫ぶ。

 

「各員!直ちに敵兵士級群に対し狙撃を開始せよ!距離50mで榴弾投擲を行う。慌てるなよ」

 

「「了解」」

 

俺は手近な兵士級から狙いを定め、全自動(フルオート)射撃を浴びせる。

二人もまた、俺に引けをとらない正確無比さで兵士級を仕留めていく。

 

「距離60…55……50…今だ‼︎手榴弾(グラナーティ)‼︎」

 

俺はパイナップル状のF1手榴弾を右手で握りながら、左手でピンを抜き、それを投げる。

後ろに置いた重心の前への移動、手首を上に向けた右手の振りかぶり、胴体の左回転を同時に行い手を離す。

 

教本通りの完璧な投擲だ。

二人の方も、見るからに弱そうな肩をしているにもかかわらずしっかりと手榴弾を投げ、それを見事50m先の敵群の足元に落下させている。

 

ドドドンッ‼︎

 

 

戦士級の足元に投げられた3発の手榴弾が一斉に爆ぜ、白い不気味な身体にその破片が刺さってゆく。

 

よくやった(マラッツィ)!各員、後は片付けだ。遠路はるばるやってきた奴等の頭に鉛玉の大サービスをくれてやれ‼︎」

 

タタタタッ‼︎タタタッ‼︎タタタッ‼︎

 

 

人海戦術で攻めてくるBETA達を前にテンションを上げた俺はトリガーハッピーでAKを撃ちまくる。

 

勿論弾は潤沢にあるのだが、こうしてジリジリと減ってゆく我々——そして白い頭にマジックで顔を描いたような不気味な風貌の兵士級との距離を見るに精密射撃だ何だとは言っていられないのだ。

 

しかし平常心の欠如は判断を鈍らす。

人間、最も集中した状態でも1000分の3の割合でミスを犯すという。

しかしそこに焦りやプレッシャーが加われば、その確率は10倍にも100倍にも膨れ上がるというもの。

 

タタタッ‼︎タタタッ‼︎

 

 

「——⁈」

 

兵士級を10m先に控え、イーダル2——イーニァのAKが沈黙する。

弾切れ——再装填の必要性が出てしまったようだ。

 

畜生(チョルト)!」

 

俺はすぐさまイーニァのフォローに回ろうと、大口を開けながら進む兵士級に銃を向ける。

 

 

その時——

 

フォン‼︎

 

ザクッ‼︎

 

 

突如悲鳴を上げる兵士級。

その頭には先程掩体構築に使った円匙(ラパータ)が刺さっていた。

 

隣を盗み見ると、投擲姿勢を取るクリスカの姿があった。

正確無比な投擲——だがこれを咄嗟の判断で行ったというのは驚きである。

やはり只者ではない……。

 

ソ連軍に於ける白兵戦の諸要素のうち最も特徴的なのは銃剣、徒手に加えスコップでの戦闘を重視していることだろう。

 

大抵はサーベル術の要領で敵の攻撃を躱し、反撃としてその刃で文字通り相手をブッタ斬る流れなのだが、空挺軍など特殊部隊では火器が使用できない状況下での殺傷手段として、今クリスカがしたように投擲技術も訓練される。

 

 

 

タタタッ‼︎ ブスッ‼︎ ザクッ‼︎

 

 

「お、おいお前ら——」

 

 

呆気に取られている内に二人は壕外に飛び出し、既に着剣したAKと円匙をその手に兵士級の群へと突貫してゆく。

 

勿論兵士級もただでやられている訳ではなく、眼前で舞う必死に二つのしなやかな影に向かって手を伸ばしたり牙を突き立てようとするのだが、彼女らは恐れることを知らずに奴等の腕を叩き切り、その顎に刺突やゼロ距離射撃を浴びせて黙らせる。

 

「…クソッ!あいつら命令もないのに……俺だって!」

 

俺は彼女らの奮闘に参加すべく円匙を片手に手近な兵士級に突貫する。

 

「死ね‼︎」

 

俺は半身の姿勢で奴の白い土手っ腹によく研いだ円匙の刃をぶつけようとする。

 

————‼︎

 

ダメだ!——足が動かない。

 

 

俺は力の論理の信奉者。

ゆえに、自分より強い相手とは戦えないのだ。

 

初めて見る種とはいえ、俺はこいつらの恐ろしさを知っている。

 

まずその、ヒトの物に酷似した両腕で敵を鷲掴みにし、その強靭な歯で獲物の頭を噛み砕く——最新版の教本にはそういった記録が残されていた。

 

戦術機や火器で闘うならまだしも生身での戦力差は明らか。そもそも白兵戦など無謀だ。

 

俺は興奮とプレッシャーのあまり判断力を失っていた。

 

——く…来るな‼︎

 

 

奴が両腕を伸ばしながら大口を開けて迫り来る。

俺に出来るのは、ただそのままの姿勢で円匙を持つ右腕を力なく振り上げることだけだった。

 

俺はいくら経験を積んだとはいえ戦術機に乗っていない生身の状態の自分が、奴等の前では所詮弱々しいゲーム(被捕食者)でしかない事を改めて思い知らされ、己の無鉄砲さを嘆いた。

 

 

タタタッ‼︎

 

 

突如鳴り響いた発砲音と共に、兵士級は口から血が噴き出しドサリと倒れた。

 

 

振り向くと、そこには硝煙たなびくAKを構えたままのクリスカが居た。

その目もやはりイーニァ同様光がなく、冷たい視線だけをこちらに向けている。

 

「イーダル3。貴官にどのような都合があるにせよ、わざと不合格になるような真似は勘弁してもらいたい。貴官が死亡判定を食らえば我々まで迷惑を被るのでな」

 

 

「な…何だとクリスカ!」

 

 

クリスカの発する、普段では考えられない程冷たく無遠慮な物言いに俺はカッとなる。

 

 

「我々は予定通りBETA群を掃討する。同志ローゼンフェルド。私達の足枷にならない自信が完全に無いならば黙って見ていてもらおう」

 

 

「くっ……了解した……」

 

 

俺は渋々了承する。

 

 

やはり人が変わったような物言いだ……まるで脳に何らかの電波を受信しているかのよう。

 

 

イーニァとクリスカは相変わらず血飛沫にまみれながらも疲れや恐怖など一切感じさせないかの様子で兵士級を撃ち、斬り、突き殺してゆく。

 

数十体で襲ってきた兵士級BETAが全滅するまで、さほど時間はかからなかった。

 

 

 

* * * * *

 

 

 

「ハァ…ハァ……」

 

 

我々三人以外動くものが居なくなった草原の上。

俺は弾倉に弾薬クリップを押し込みつつ、二人の様子を伺った。

 

二人は先程と打って変わって、糸が切れたように疲弊して塹壕の胸壁にもたれかかりながらも、俺と同じく弾を込めたり、弾を込め終わった弾倉を腰のポーチにねじ込んだりしている。

 

 

「………」

 

 

 

あの剣幕で己のミスを叱責された後だ。この際何か言うのは避けておこう。

俺が上官風を吹かせられる余地などないのは、彼女らの完璧な戦闘技術を見れば明らかだ。

 

俺は水筒(フリャーガ)から水を一口飲み、長靴の中で解けた巻き靴下(ポルチャンキ)を巻き直すと立ち上がり、彼女らに号令をかける。

 

 

「イーダル1およびイーダル2。先程の奮闘、感激するばかりである。これより我々は第2補給地点である森林地帯へ向けて移動。全員準備はいいな?」

 

「こちらイーダル1。準備完了だ」

「こちらイーダル2。わたしもだいじょうぶだよ〜」

 

 

2人が答えるのに合わせて俺は小休止を切り上げ、再び中間地点の森林への行軍を始めた。

 

 

 

 

* * * * *

 

森林地帯 第2補給地点

 

 

「さて、これでよし……っと。

 

 

俺は自分のを含め3人分のテント兼ポンチョ(プラシ・パラトカ)を利用し、仮の野営地を組み立てた。

 

プラシ・パラトカは縦横180cm。

一枚は床に敷き、2枚は立てたテントポールに掛けて山形のテントにする。

 

焚き火の方も二人に命じて薪を拾わせ、灯油を染み込ませた枯れ草に対して銃剣の背の鋸で火打ち石を擦ることにより問題なく起こせた。

 

銃の方も3挺。きちんと又銃してある。

 

これで、今日の宿は完成である。

 

 

「さて、飯にするぞ。2人とも、悪いが水を汲んで来てくれ」

 

「「了解」」

 

 

俺は2人が森の奥へと消え去って行くのを見計らって早速調理にかかる。

 

空中投下物資の中身は鍋、芋、玉ねぎ、人参などの根菜、トマト、ビーツ(スビョークラ)の缶、塩胡椒と(サーロ)位だ。

 

 

…ボルシチ位しか作れそうにないな……。

 

 

俺は焚き火の上に作った五徳に鍋を吊るし、サーロを乾煎りしつつ油を出しながら玉ねぎと細かく切った人参、そして汁を切ったビーツ、トマト缶を炒め合わせ、ソフリット(ザジャールカ)を作る。

 

そして、2人が来るまでの間切り株の上で銃剣を振るい、芋の皮を剥いて行く。

 

母親のレシピを見よう見まねだし、具は各家庭、そして地方により無限のバリエーションがあるため「これが本式のボルシチだ」とは言えないが、あながち間違いではないと信じる。

 

ボルシチとシチーを分かつもの——それはビーツ(スビョークラ)の紫色だ。

 

我がソ連でも全土に広がったボルシチだが、その源流は現在のウクライナ——すなわち黒海にあるとされる。

 

露土戦争の最中、アゾフ海で籠城したコサック達がビーツなと手元の食材を使って作ったのがボルシチの起源といわれている。

 

確かにビーツは地中海原産の温帯の植物でロシアの地では育たない作物であるが、コサックが作ったその料理をいざウクライナ料理と位置づけるのはいささか短絡的に過ぎるといえないだろうか……。

 

そんな下らないことを考えているうち、芋の下ごしらえは終わった。

 

「同志ローゼンフェルド。命令通り近くの水源から水を調達してきた」

 

よろしい(ハラショー)

 

2人がバケツ一杯の水を運んで来た。

 

俺はクリスカからバケツを受け取ると、ザジャールカと芋の入った鍋に中身をこぼし、背嚢から取り出した肉缶(トゥションカ)の中身を空けて塩胡椒を振る。

 

残りは2人から回収したアルミ水筒に詰め、ティーバッグと共に飯盒に入れて火にかける。

 

まだある分は手洗いうがいなど衛生用途にとっておいた。

 

 

「2人とも、手を洗ったら飯盒とスプーンを出せ。食事の開始だ」

 

 

「はーい」

「了解」

 

俺は2人がバケツの水で手を洗う間、各々の飯盒にお玉で出来上がったボルシチを入れてやり、蓋の方には各々の背嚢に詰められていたビスケットを敷いてやる。

 

 

上出来だ。我ながらよくやった。

 

演習中のサバイバル訓練では火が焚けない場合も少なくなく、食べるのは冷えて煮凝り(ジュレ)状態になったトゥションカ——冬季は肉味のシャーベット状になる——とクラッカーだけ。仮に火が焚けても携行品で作れるのは麦や蕎麦、米の(カーシャ)紅茶(チャイ)くらいのもので、こうして野外でたっぷりの根菜を摂れるだけでも十分贅沢というもの。

 

手抜きに横領が日常茶飯事の絵に描いたような腐れ役人体質のソ連軍上層部だが、訓練する対象がエリート衛士ということもあり、飯と武器だけは大盤振る舞いをしてくれているようだ。こればかりは心の中で感謝しておこう。

 

「いただきまーす」

 

「うむ、頂くとしよう」

 

イーニァ達が食事にありついたのに合わせて俺も飯盒の中のボルシチに手をつける。

 

 

「あったかい……おいしいね。クリスカ」

 

「そうだねイーニァ。こんなに美味しいもの、食べたのは久しぶりだ」

 

「お前ら…普段は何を食ってるんだ?そういえば食堂へ行ってもあまり見かけないが……」

 

「私達か?私達は普段注射を受けているから普段は何も食べなくても死なない。必要な栄養素の摂取はそれで事足りるから心配はいらない」

 

なるほど……彼女らと我々では食べる物すらも違うという事か……。摂取する栄養一切の管理……合理的ではあるが、それが果たして人間らしい営みなのだろうか……?

 

俺はスプーンを止め、彼女らに向き直る。

 

「まぁ……確かにそういうのもありだ。だが、食事という行為は何も栄養補給の為だけではない。一緒に食う相手や料理してくれた相手の感謝があって初めて心身ともに満たされるというものだ」

 

「ほう……それでは、私達は料理をしてくれた貴官に感謝すべきなのか?」

 

「いや……そういう事ではなくてな……まあいい。じきに分かるさ」

 

「……?貴官が何を言いたいのかよく分からないが、感謝すべきならしておこう。礼を言う」

 

何でも機械的に受け止めてしまうクリスカの返事に俺はやや呆れつつ、自分の器に向き直る。

 

別に問題ない。これでいいんだ…。

BETAと闘う為の機械として育てられた彼女らの心に「人間らしい生活を送りたい」という意志の種は蒔いた。それを育て実らせるか、はたまたそれを捨ててしまうかどうかは彼女らの選択に委ねる。

元々彼女らにとっての俺の役目は軛——彼女らの心の中に自由意志や人間性を育む事などは俺の仕事の範疇外だし、本来ならば許されざることなのだから…。

 

 

 

「イサークさん、わたし、りょうりっていうの、やってみたい!」

 

 

「そうか。この演習が終わったらぜひ教えてやる。だから、今日は沢山食べて明日の行軍に備えるんだぞ」

 

「うん!やくそくだよ」

 

 

俺が出過ぎた真似を省みる一方、イーニァの方は俺の持ち込む新たな文物や考え方に対して興味が尽きない様子である。

元々奔放な子だ。

 

「世界はもっと美しくて楽しい物で満ちている」

 

「自分の人生がこの狭い基地で完結しているわけではない」

 

——一度それを知らせてしまった以上、彼女の好奇心を止まらせるのは難しいことだろう。

 

 

まぁ仕方ないか——

明日の苦労は明日すれば良い。

今日取越したからといって、未来の事態が好転するとは限らないのだから…。

 

 

「二人共、食べ終わったら食器は洗っておけ。終わり次第不寝番の順番を決める」

 

 

「了解」

 

俺は無邪気に湯気の立つボルシチに舌鼓を打つ二人を眺めつつもそれだけ伝え、飯盒で煮立った紅茶をホーロー製カップに注いで一口啜った。

 

 

夜は更けてゆく。

 

パチパチと薪が燃える音、そして飯盒とスプーンが奏でるカチャカチャとした金属音だけが濃紺の夜空にただ響いた。

 

 

 



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第9話 二本の青い薔薇(ドゥヴェー シーニエ ローズィ)(1)

大変ながらくお待たせしました。(仕事の出張で時間が作れない日が多くなってます)
以降不定期更新になりますがよろしくお願いします。


1998年 アラスカ ユーコン基地 ソ連租借地

 

 

営内の演習場。

 

カンッ!カンッ!と木銃同士が叩きつけられる音と、キュッキュッと上履きのゴム底とワックスの塗られた体育館の床が擦れ合う音だけが響いている。

 

フェンシング用の(マスク)の網目の向こうで、構えの姿勢でバヨネット・フェンシング用のバネ式木銃を構えているのは、同じく面を装着し、防具(プロテクター)——スポーツフェンシング用とは違う白兵戦訓練用の特注品に袖を通したクリスカ・ビャーチェノワ少尉である。

 

例の野外演習を終え、束の間の休暇を取った俺たちに課されたのは体力錬成や白兵戦訓練など、新隊員時代に行われたものが殆どだった。

勿論少数の兵士(ソルジャー)級や戦車(タンク)級などならば1987年白ロシアのミンスクハイヴに対して行われたパレオロゴス作戦に我がソ連軍の空挺軍が参加したように一定の範囲内ならば対応は可能だ。

しかし最新鋭の戦術機を扱う我々衛士に対する教育として、歩兵戦の基礎教育ばかりさせることに何の意味があるのか……。

まぁそんな疑問の答えは上層部に委ねるとして、俺はとりあえず課せられた課題をこなす毎日を送っている。

 

先日の野外演習——戦術機操縦でも見せた、彼女らにしか扱えない特殊な集中状態……。

 

擬似的とはいえ一度死にかけた俺を救ったのは、殆ど彼女らの力といってよい。

BETA群の猛攻に対し、僅か一挺の機関銃の射撃で戦車級の突進を食い止め、円匙一つで兵士級の手足を砕いていった彼女らの奮戦を見て、俺には教えられる事など何一つないのだと思い知らされた程だ。

 

だというのに……。

 

「ハアッ‼︎」

 

「くっ‼︎」

 

今回の銃剣術教練で、俺は白兵戦に於いても驚異的実力を誇る彼女らに畏怖しながら立ち向かっているというのに、肝心の相手からは覇気がまるで感じられない。

 

クリスカは俺が繰り出す突きや銃床での打撃に対し、防御姿勢を取るばかりで一向に攻撃してこないのだ。

 

「喰らえっ‼︎」

 

「ああっ‼︎」

 

俺はクリスカが苦し紛れに繰り出した中刺突を右側に逸らすと、とどめとばかりに突貫し、その膨らんだ胸の中心——心臓の位置に一突きを食らわせた。

 

体重差もあり、その衝撃に耐えられなくなったクリスカはボールのように跳ね飛ばされ、ゴロゴロと板張りの床を転がっていった後大きく咳き込んだ。

 

「クリスカ!だいじょうぶ⁈」

 

「…ケホッ…ケホッ……ああ、イーニァ、大丈夫だよ」

 

見学中のイーニァが思わず飛び出し、咳き込むクリスカの面を取ってやると、背中をさすってやる。

 

「……ビャーチェノワ少尉…何か悪い物でも食べたのか…?以前の演習では俺さえブッタ斬れるぐらいの白兵戦を見せたというのに…」

 

「ローゼンフェルド少佐。心配はいらない。食事は官舎でいつもどおり摂っているし、注射だって受けている。しかし……以前というのは……?」

 

クリスカが怪訝そうに訊く。

 

 

「——?」

 

 

「以前って……前一緒に演習に行ったじゃないか!忘れたのか?お前は兵士級に襲われた俺を見て——」

 

「演習?少佐が襲われて私が——うっ!…痛い!……頭が…」

 

クリスカが横になったまま頭を抑え、芋虫のように蹲る。

 

「お、おい!本当に大丈夫か⁈」

 

成る程。やはりあの時、戦闘中に何かしらの力が働いたということか……。

 

詳細に関しては「なるべく一緒に居ろ」と言われているだけの俺が知る筋合いはないのだろうが、やはり特定のある一部分の記憶が抜け落ちるというのは心配になる。

 

エビングハウスの忘却線にもあるように、人間の脳はその瞬間に得た様々な情報を瞬間記憶として海馬に留め、瞬間記憶の反復によってその記憶を長期記憶として保存する。

酔っ払いが飲み屋で起こした騒ぎが瞬間記憶だとしてその内容は忘れても、帰路という長期記憶は失われないためきちんと家に帰れるのと同じ原理だ。

 

故に時間が経てば立つほど瞬間記憶というのは忘れやすいものであるが、彼女らの場合、つい数日前一緒に過ごした記憶まで思い出せないというのは異常だ…。

 

俺はイーニァが介抱するクリスカを抱き寄せると、そのシミ一つない頰を軽く叩きつつ、瞳孔、脈を確認する。

 

頭痛の為か脈拍が上がっているが、命に別状はない。意識もちゃんとある。

 

「……心配ない。偏頭痛の類だろう。上官の許可は取っておく。今日の演習はやめにしよう。水分をきちんと取って、あまり頭に負担をかけぬようにして休め」

 

「……すまない。少佐」

 

「歩いて帰れるか?負ぶって行った方がいいか?」

 

「……んなっ?そ、その必要はない。少佐、そんな事をしたら私の身体が少佐に——はっ?」

 

さっきまでの青白い顔はどこへ行ったやら……クリスカは頰をポッと好調させ、両手で顔を抑えて蹲った。

 

「おいおい。本当に大丈夫か?やはり肩だけでも…」

 

「う、うるさい!————はっ⁈し、失礼した少佐……私はイーニァと帰れるから、暫くそっとしておいてくれないか…?」

 

「あ、ああ…」

 

やれやれ、他人に身体を触られる事に対し羞恥心をようやく感じるようになったか……まるでこれでは俺が楽園でアダムとイブを唆して知恵の実を食べさせた蛇のようではないかと、少し罪悪感を感じる。

 

それでも……奴らも一応女の子だ。遅れてきた思春期とはいえ、自身の身体と心について知っていくこと自体は悪くないだろう。

 

俺は面とプロテクターを脱ぐと、白兵戦でかいた汗をワッフルタオルで拭きながら楕円形のアルミ水筒のスクリューキャップを外し、中の水を一口渇いた口内に含ませた。

 

 

 

* * * * *

 

 

兵舎の廊下。

 

俺はシャワーを浴び、上半身は白のタンクトップ、下半身はカーキ生地の上に陸軍を表す赤色のパイピングが乗った将校用ブリューキ(ストレートズボン)、足には短靴(バチンキ)というフォーマルとカジュアルの混ざった妙ちくりんな格好で廊下を歩く。

 

先程まで誰にも邪魔されずシャワーで入念に汗を流した肌を、傍に丸めた常勤服(キーチェリ)のせいでまた汗まみれにするのは御免だからである。

お堅い東側のことである。クーラーなどという小ブル的な利器は、対岸の米領にしか存在しないのだ。

 

勿論今の格好が上官にでも見つかれば服務規程違反を咎められるので早足で自室に戻る。

 

クリスカが体調を崩したお陰で折角空いた時間を、上官の嫌味ったらしい小言を聞くのに費やすのは御免こうむりたいからな。

 

 

さて……。

 

例のクリスカのことが頭に浮かぶ。

あの後俺は心配だったので念のため医官の診察を勧めたが、「専門の人が来る」とかなんとかで断られてしまった。

 

まぁ身体も頭も普通じゃない彼女らのことだ。サンダークが言っていたナントカ計画の主任面々に任せておけば、何とかなるだろう。

 

俺は心配をやめ、とりあえず自室に戻る。

 

 

「ローゼンフェルド少佐!」

 

 

ふと駆け足の足音と共に後ろから飛んできたクリスカの声に、俺は思わず足を止める。

 

「クリスカ!お前…治療は?走って大丈夫なのか?」

 

「そんなことは心配いらない。それより来てくれ!イーニァの調子がおかしい」

 

「何?」

 

 

* * * * *

 

 

彼女らの自室。

入り口を開けてまず目に入る2つの錆びついたパイプベッド。

 

そのうち右側——熊のぬいぐるみ、ミーシャが置かれている側にイーニァは横たわっていた。

 

「イーニァ!どうした?何があった⁈変な治療でも受けたのか⁈」

 

「…ぅぅ……イサークさん……イサークさん……」

 

イーニァは、先程のクリスカの様子とは打って変わって全身を紅潮させ、虚ろな目で俺を見ながらうわ言のように呟く。

 

「先程からずっとああなのだ。ずっと少佐の名前を呼んでいる。医官に聞いても原因を誰も答えてくれない。私はどうしたら……」

 

しょぼくれるクリスカを横目に、俺は彼女に先程したように思いつく限りの診察を行う。

 

脈拍は早く、いつも着ている黒のTシャツは汗びっしょりだが熱はないようだ。

呼吸も穏やかではないが、呼吸音もヒューヒュー、ゼーゼーといった肺炎や喘息に特有のものではない。

 

(ま、まさか発情……?)

 

クリスカが医官に聞いても説明して貰えなかったのも無理もない。

相手は性教育も受けてない子供。加えて我が国にはフリーセックス思想を西側の堕落と考え抑圧している背景がある。

そんな中で性への目覚めについてきちんと説明してやる親切な者など誰一人いなかったのだろう……。

 

「……仕方ない。俺が何とかする。クリスカは俺がいいと言うまで、席を外してくれないか?」

 

「い、嫌だ!クリスカの病名は分からないんだろう?なのに…なのにもし離れ離れになったりしたら私達……」

 

クリスカが半泣きになりながら横たわるイーニァを俺から庇うように押さえつける。

イーニァの方は小さな胸に一回り大きなクリスカの上半身の重みを受けたことによりやや苦しそうにしている。

 

「や、辞めろ!本当に死ぬぞ」

 

「い、嫌だ!私達は家族だ!家族の死に立ち会えずに永遠に別れることになったら私は……私は…」

 

クリスカの態度は変わらない。

 

「——仕方ないな……。よろしい、そこで見ていろ。なぁに、死ぬ病気じゃない。上官を信用しろ。それと、これから何が起きても驚くんじゃないぞ。やりづらい」

 

「わ、わかった」

 

「さてイーニァ。自分の身体がどんな状態かわからないのは…辛いよな?」

 

「イサークさん……わたし…さっきからイサークさんの事考えるとね…おむねがドキドキして……おまたがジンジンして……わたし…びょうきなの…?たすけて……おねがい」

 

「安心しろ。それは人間の本能。誰しも通る道だ。俺だってそういう経験はあったし、みんなそうだ。だから…どこもおかしなことはないよ。だから安心するといい」

 

俺がイーニァの白魚のような小さな指をぎゅっと握りながら語りかけると、イーニァも俺の、操縦桿と銃剣の握り過ぎでマメだらけになった手を縋るように握り返しながらコクリと頷いた。

 

「…さて、イーニァ。念のため確認しておくが、これからするのはお前のその疼きを止める作業に過ぎない。しかし本来ならば、こういう事は本当に好きな相手とその……するときに行う事だ。だから……誰彼構わず頼んじゃいけない。またしたくなったりしたら、今から教える通りに自分でするんだ。約束できるかい?」

 

「うん……約束する」

 

よろしい(ハラショー)。じゃあ、早い所終わらすとしよう」



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第10話 二本の青い薔薇(ドゥヴェー シーニエ ローズィ)(2)

*前置き
濡れ場あります。


 

 

 

俺はイーニァに丁度バンザイの格好をさせ、着ていた汗まみれのTシャツの裾をたくし上げて剥ぎ取る。

ブラはつけてないのか、膨らみかけの乳房——何度か目にしたくすみのない綺麗な乳輪と乳房が露わになる。

 

同時に俺は彼女のズボンのホックを外し、握れば折れてしまいそうな細い脚を一本ずつ衣服の拘束から解放してゆく。

 

たちまちイーニァは、秘部と臀部を覆い隠す白のショーツ以外の衣服を剥かれてしまった。

 

「んっ……ぬぎっこは……はずかしいこと……じゃなかったの…?」

 

「…そうだな。お前が正しい。誰かに裸を見られたり、身体を触られるという事は、本来ならしちゃいけない、恥ずかしいことなんだ。でも、今日は特別だ。だから気に病まなくていい」

 

 

「……うん。わたし、イサークさんを信じる…」

 

俺はイーニァが覚悟を決めたと見て、早速施術に入るべく、その無垢な身体に手を伸ばす。

 

まず、彼女の上体を起こして背中に回り、両手を両脇から通してぎゅっと抱きしめ、そのまま乳首を避けて敢えて焦らすようにクルクルと人差し指で乳輪をなぞる。

 

 

「……んっ……」

 

指が乳頭に当たる度、イーニァが時折甘い声で鳴く。

 

「胸は大切な所だから、ちゃんと保護しなきゃいけない。明日PX(売店)にでも行って、ブラを買いなさい」

 

「…う……うん……んあっ⁈イ、イサークさん‼︎だ、だめっ‼︎おむねが……きもち……いいっ!んっ‼︎」

 

俺は頃合いを見て、ビンビンに勃起したイーニァの乳首をキュッと摘み、そのまま指を上下に転がした。

 

イーニァはビクビクと身体を震わせながら喘ぎ、ショーツのクロッチに透明な粘液でシミを作ってゆく。

 

「イサークさん……おまたが…しめってる……わたし…おしっこ…おもらししちゃったの……?」

 

 

「違うよイーニァ。これも普通の事なんだ。これはその……気持ちよくなると女の子は皆そうなるんだ。だから恥ずかしいことじゃない。安心しなさい」

 

「う…うん」

 

 

女性器からの愛液の分泌……それが男性を受け入れる為の準備であるなどとは到底伝えられず、俺は中途半端にもお茶を濁した。

 

「イーニァ。これからその……股を弄る。もし痛かったり、声が我慢できなくなったりしたらこれを噛め」

 

俺はイーニァの花弁のような唇に自分の右手人差し指を差し出して咬ませ、不健康な程に細い太股を割って間に左手を伸ばした。

 

 

クチュ……クチュ…

 

 

「んっ…んんっ……」

 

俺はショーツの上から彼女の性器を愛撫する。

 

陰毛一つない恥丘を指先でなぞり、陰核は避けて陰唇から膣口にかけて湿った布越しに撫でる。

 

俺の指が彼女の敏感な部分に触れる度、イーニァは身体をぴくんぴくんと跳ねさせながら甘い声で鳴きつつ、俺の指に歯型をつける。

 

「んっ…………」

 

「痛いか?」

 

「ううん…いたくないよ……きもちいい……でも…触られる度に……なにかきて…あたまがふわっとしてね…こわい……こわいよ…」

 

「大丈夫。怖くなんかないよ。俺が一緒に居てやる。だから安心しろ」

 

「ほん…と?……ぁっ‼︎だめっ!そこ……きちゃう‼︎んんぅっ‼︎」

 

俺が指を前後させ、彼女の充血した陰核(クリトリス)を擦ってやると、イーニァは腰を一際大きく反らせながら俺の右手に飴細工のような小さな前歯で咬み跡をつけ、声を押し殺しながら逝った。

 

 

 

「ハァ……ハァ………き…きもちよかった……こんな…きもちいいことって…あったんだね……イサークさん……わたし…生きててよかった……」

 

 

絶頂後の甘い吐息と共にイーニァはそう呟き、俺の手を握りしめた。

 

 

背筋を駆け抜ける背徳感と後悔。

本人の望みとはいえ、俺はこの穢れなき妖精のような少女を汚し、性の喜びを教えてしまった……。

 

 

(さて、帰って自分の分の処理でもするか……これ以上ここに居てはいけない)

 

このままこの無防備な姿の二人と一緒に居たら、自分は確実に肉欲のままに彼女らの身体が齎らす甘い快楽を貪るだけの獣に成り果てるだろう……。

 

俺はそう確信し、未だズボンの中でテントを立てている自らのモノを気にしながら立ち上がって部屋の出口まで足を進める。

 

 

 

 

 

「ま、待ってくれ!」

 

「⁈」

 

立ち去ろうとした俺の手を握り、悲痛な声で呼び止めたのはクリスカだった。

 

「せ…施術は終わりだ……心配しなくても彼女はもう大丈夫だ。ビャーチェノワ少尉……」

 

「ち、違うんだ少佐。貴官がイーニァにした事………あれを…その……わたしにも……」

 

(い、言うな。お前までこの俺を堕落させようというのか?)

 

クリスカは俺の足元に縋り寄ると、ズボンの上から慣れた手つきで俺の股間を撫で始める。

 

「な、何を…」

 

「わからない…自分でも分からないんだ……でも、イーニァの様子を見て以前…こういう事…した気がするんだ……それがいつで…誰にさせられたかは……思い出せない……」

 

「お前…まさか上官たちに同じ事を……?」

 

嫌な予感。

それが的中するとすれば、おそらく彼女は自分の言葉通り、その無垢な肢体を上官の性欲処理のため汚し、その上記憶を操作され何もなかったかのようにさせられているのだろう。

 

( 共産貴族(ノメンクラトゥーラ)共め……どこまで恥知らずな奴等だ!)

 

俺は人間的怒りのままに毒づくとクリスカの細い手首を握り、己の本分も忘れて叫んだ。

 

「ビャーチェノワ少尉!もういい。やめるんだ。貴官は我がソ連軍の衛士だ。こんな下らない事に自分の純潔を汚すもんじゃない」

 

「……」

 

俺が叫ぶと、クリスカはしゅんとなりその手を止め、ゆっくりと俯きながら呟いた。

 

「私はただ……あの時の事を思い出して……とても痛くて辛かった気がしたけれど……勝手に身体が反応して……それでも……少佐の施術に安心しきったイーニァを見て…だから……少佐なら信じられると思って…」

 

クリスカが俺にしようとしていたことは、やはり以前に覚えさせられた事の無意識下での反復だったようだ。

 

パブロフの犬——特定の事象を再現することにより条件反射で身体が動くように、いくら海馬から記憶を消し去ろうともその行動パターンは消しきれてないようだ。

 

しかし、そんな酷い扱いを受けながらも

「俺が相手ならば安心できる」と言ってくれたクリスカの好意を無駄にするのもかえって悪い。

何より、イーニァにした事をクリスカにはしないというのはそれはそれで気の毒というものだ。

 

俺はかつてこの無垢な少女に手をかけた高官達と同じ穴の貉となる嫌悪感に苛まれながらも、クリスカに対しベッドインを促した。

 

 

 

 

 

「こ……これでいいのか…?」

 

「ああ、そのまま手と口でしてくれ。こっちはこっちで自分の仕事をさせてもらう」

 

俺は今、ズボンを脱いで仰向けの状態。一方クリスカは全裸で俺の頭を跨いだ何とも無防備な格好——所謂シックスナインの姿勢を取っている。

 

「んっ……んっ……」

 

クリスカが俺の竿を扱きながら、亀頭をまるで飴玉をしゃぶるように舐め回す。

 

ユダヤ教の習わしで、物心つかない間から割礼を受けただけあっていくらか刺激に鈍感になった俺の息子もこの時ばかりは敏感に反応し、我慢汁(カウパー)を嬉し涙のように吐き散らし始めた。

 

俺は久々の甘い刺激に耐えながらも、クリスカの分も気持ちよくしてやるべく目の前の花弁を両手で押し開き、湿った陰唇から陰核、肛門にかけてなだらかに舌を這わせ始める。

 

「んっ……はぁっ……少佐……そんな…ザラザラした舌で舐められたら……集中できなくて…少佐を気持ちよく出来ない……ぁぁっ!」

 

ピンク色だがややくすんだクリスカの陰唇を舐めつつ、その奥の唾液と愛液で濡れそぼった膣口に舌を捻じ込み、優しく前後させてやると、彼女は腰を震わせながら気持ち良さそうな嬌声を上げ始める。

 

「……んっ…少佐……私……そろそろ舌じゃなくて…少佐のが欲しい……」

 

「……わかった。じゃあそのまま上体をこっちに向けてくれ」

 

クリスカは言われた通り下半身を俺の頭から外し、所謂騎乗位の姿勢で俺の両太腿の上に跨った。

 

「濡らしたとはいえいきなりは痛いからな。ゆっくり、少しずつこいつの上に座ってくれ」

 

「り、了解だ」

 

クリスカが俺の亀頭に片手を当てがい、尻を下げるとたちまち俺の竿は彼女の胎内に飲み込まれていった。

 

陰茎を通じて骨盤にかけて駆け上る快感。柔らかな膣壁の圧迫感。身体と身体が触れ合う温かみ。

その全てがこの大理石の彫像のような少女から齎されていると思うと、背筋さえ凍るような幸福感さえ感じた。

 

「う、動くぞ」

 

「あ、あぁ。好きに動いてくれ」

 

俺は、自らの秘所で俺のモノを受け入れるクリスカに配慮しつつ腰を上下に振る。

彼女もまたそれに答えるように自らの尻を振り、肉襞で俺の裏筋をしごいていく。

 

パチン!パチン!と俺の太腿と彼女の尻がぶつかり合う音が響くのと共に亀頭の先が子宮口にキスをする。

その度に彼女は甘い声を上げ、俺もまた耐えられなくなった吐息を少しずつ漏らしていった。

 

「少尉……いや、クリスカ……すまん…そろそろイきそうだ…」

 

「ぁぁっ……はぁっ……わ、わかった。一緒にイこう」

 

俺はピストン運動を早めながらクリスカの上体を抱き寄せ、腰振りと共に揺れる2つの真っ白な乳房を揉みながら、その瑞々しい唇を吸った。

クリスカも俺の首に両手を回し、自らの口内に侵食してゆく俺の舌先に自分の柔らかな舌を絡みつけてゆく。

 

肉体と肉体の交わり。迸る互いの体液。

 

程なくして俺は快感に身を委ねるままに彼女の胎内に耐えていたものを吐き出した。

 

 

 

 

 

 

 

散らかされた下着。

 

互いの体液まみれのシーツ。

 

初めての絶頂の快感に放心したままの半裸のイーニァ。

 

スイッチが切れたようにベッドの上に横たわり、余韻に浸る全裸のクリスカ。

 

 

…やってしまった……。

 

 

未だ胸中に残る多幸感と後悔の入り混じったなんとも言えない感覚を消し去るべく俺は制服のポケットからアメリカ産の煙草を一本取り出して咥え、マッチを擦った。

 

人工的に作られた美しい青い薔薇と、どこにでも生えている枯れかけの野薔薇。

 

その交配が決して許されるものではないと知りながらも、俺は彼女らを求め、彼女らは俺を受け入れた。

 

 

この代償は高くつくだろうな……。

 

神という存在が認められない国に住みながらも、俺はもしそれが存在するのならば、彼はかつて聖書の中で幾度もそうしたように、一輪の花の如く無力な我々人間の産み出した果を見逃さず、たちまちその芽を摘み取りに来るのだろうとふと考えた。

 

そういう意味では、鎖である己の本分を忘れて愛欲に浸った俺に待ち受ける未来はある程度予想出来るというものだ。

 

 

もうこれっきりにしよう。こんなことは……。

 

 

Я люблю вас,(ヤー リュヴリュー ヴァス) мои дочери(マイー ドーチェリ)(愛してるよ。私の娘達)」

 

放心したままの二人に背を向け、俺は根元まで灰になった煙草の吸殻を床に放り投げると、彼女らに気づかれないようにぼそりと呟きながら部屋を後にした。



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第11話 東シベリア戦線(シビルスキー フロント)

今回も過去回想。
戦闘シーン苦手マンです…(疲れた)
ウラン・ウデは流石に行ったことないので休暇取れたら行きたいナァ……


1989年 冬 ソビエト連邦 ブリヤート共和国 ウランウデ

 

鉛色の空に巨大なレーニン頭像の聳え立つ首都広場。

普段は人通りも多く賑やかな街なのだが、今日ばかりは大通りを歩く民間人の姿は一人も見えず、近くの仏教寺院から聞こえる僧侶達の荘厳な読経の声も、ロシア正教会から響く重層的で優雅な鐘の音も一切聞こえない。

 

代わりに響くのは3機の戦術機——MiG-21バラライカの奏でるけたたましい稼働音だけである。

所属は第18師団第211戦術機甲大隊——通称ジャール大隊。

皆一様に半壊状態で、ある機体の頭部メインセンサー保護用ワイヤーカッターは千切れ、またある機体は胸部から双肩にかけての装甲を失って静かな曇り空に断続的なスパークを発生させ、あるいは四肢の一部を失っていた。

その場に小隊長クラスの指揮官がいたのならばこの場で自軍の全滅を理解し、撤退命令を出すのだろう。

しかしこの場に居るはずの指揮官——ジャール大隊第1中隊隊長のイサーク・ローゼンフェルド中尉はBETA群第1波との戦闘中、要撃級の攻撃で重傷を受け前線離脱。

残された衛士達の生き残り——ラザーリ・ラビノヴィッツ少尉、ソロモン・リリエンタール少尉、ダヴィド・アプフェルバウム少尉の3人は後退命令もないままに、民間人が首都から撤退するまで迫り来るBETA群の迎撃に駆り出されていた。

 

本来非ロシア人ばかりで構成される事の多いジャール大隊の例に漏れず、今季の第1中隊の衛士達は中隊長のイサーク・ローゼンフェルドを含めウクライナや極東から駆り出されたユダヤ系が殆どで、「ユダヤ人(イェヴレイ)中隊」とあだ名される程だった。

 

「総員傾注…9時方向より光線級を含むBETA群の侵攻を確認。ジャール2から4は楔形壱陣で迎撃姿勢を取れ」

 

「くそッ!まだ来るのかよ!撤退命令はまだかよッ!弾も推進剤も底ついてるってのに!」

 

最先任——ジャール2のラザーリが震える声で状況を報告すると、ジャール4のダヴィドが忌々しそうに毒づいた。

 

「仕方ねぇさ。俺たちは所詮捨て駒。向こうに逃げたお偉いさん達の生命を1分1秒でも生き長らえさせる為のな」

 

ジャール3のソロモンが東の方角を親指で指しながら達観したように言うと、HUD画面の向こうのダヴィドの表情が一層険しくなった。

 

「冗談じゃねえ!俺は抜けるぞ! 好きでもねえのに軍なんかに入れられて、こんなシベリアの片田舎でくたばるなんて…そんな人生あんまりだ!」

 

ま、待て!どこへ行く⁉︎(エイ! クダー イデョーシ)

 

ラザーリの制止も虚しく、ダヴィドは半壊状態のバラライカを駆り、なけなしの推進剤を使い鉛色の空に飛び立った。

 

 

 

 

突如曇天に煌めく白色の光。遅れて響く破裂音。飛散する装甲の破片。

 

 

 

飛び立ったダヴィドの機体を包み込んだのは遥か彼方西方から光線級が放ったレーザーだった。

 

「ジャール4——ダヴィドがやられた!」

 

「くそッ!もう近くまで来てるのか………もはや…これまでだな……」

 

 

石畳を震わせる振動音。鳴り響く警告音。ソロモンが壊れかけのメインカメラを西の方角へ向けると、計器類が示す通り地平線の彼方より迫り来る無数の突撃級の隊列が確認された。

 

 

「なぁラザーリ。お前、生まれはどこだっけ?」

 

「オデッサだ。風光明媚で賑やかな港町さ。今はどうだか知んねえけどよ。ガキん頃はあの階段でよくエスキモーを食ったもんさ。そういうお前はどこの出だ?」

 

「セヴァストポリ。クリミアだ。二回も三回も落とされかけた伝説のな。でも今回は駄目だった。もはや過去の街さ」

 

「くそっ!せめて一回くらいは故郷(くに)に帰りたかったぜ……ちくしょう……死にたかねぇよ……」

 

 

今まで気丈に振る舞っていたラザーリも、己の短い人生最期の瞬間に、既に喪われた故郷を思い出してか涙声で呟いた。

 

「全くだ…。こんな呆気なく終わるなんて……何のために生まれて来たんだろうな…俺たち」

 

近付いてくる無数のBETA群の足音に合わせて震える大地。

時が経つにつれ黒さを増してゆく封じられた 天空(そら)

 

 

それは、人類が最後に見ることのできた東シベリアの最後の姿だった。

 

 

突如、3時方向——既に無人となった筈の東からHUD画面に現れる小さな熱源反応。

 

2人が慌てて画面を凝視すると、接近する熱源が自軍のものであると識別出来た。

 

「⁈」

 

「増援だと?まさか⁈」

 

2人が思わず振り向くと、そこには匍匐飛行で近づいてくるブルー迷彩のMiG-23チボラシュカの姿があった。

 

他の機体の例に漏れず半壊しており、特に胴体部の損傷は痛ましく、剥がれた装甲は応急処置のつもりかテープや布切れで申し訳程度に覆っているといった具合だ。

 

その手に握られた大隊旗も穴と硝煙だらけで、同大隊が戦ってきた前線の厳しさを表しているようだった。

 

「燃える剣に211の文字……中尉だ!中尉が来てくれたぞ!」

 

 

「ジャール1——イサーク・イブラギモヴィッチ・ローゼンフェルド中尉は現刻を以って原隊に復帰する。ジャール2及びジャール3は以降私の指揮下に入れ————皆よく戦ってくれた。待たせてすまなかったな……特にラザーリ、よく頑張った」

 

「ち、中尉!それよりお怪我は⁈」

 

モニターに映し出されたイサークの顔を見たラザーリは思わず目を見開いた。

 

大丈夫だ(ナルマーリナ)。少し頭と手足が痛む程度だ」

 

 

実際、イサークの怪我は深刻そのものだった。

要撃級の前腕がコクピットに直撃し、頭を強く打ちつけたことによる脳震盪と頭蓋骨骨折。

加えてコクピット内に飛散した計器類が衛士強化装備の皮膜を貫いて全身に刺さったことによる大量出血。

 

「死にかけ」——これほどまでにそんな表現がピッタリな光景を2人は見た事がなかった。

 

こうしている間にも頭に巻いた包帯は真っ赤に滲んでおり、ガーゼ生地で吸いきれなくなった鮮血がイサークの瞼と頬を伝って流れ落ちている。

 

「中尉!もうやめて下さい!無理ですよそんな体で!撤退命令を‼︎」

 

「うるせぇ‼︎」

 

イサークはソロモンの助言に耳を貸さずMiG-23を駆り、2人の3歩後ろに機体を着地させると、大隊旗の石突を石畳に突き立て、同時に両肩の突撃砲をパージした。

 

「ジャール2及びジャール3、貴官らに私から最後の任務を与える」

 

「「了解」」

 

「まず1つ。間もなく後方の砲兵隊のБМ-21(グラード)がこの辺り一帯に重金属雲を構築する。民間人を乗せた航空機はその間に東へ撤退。我々は重金属雲の消滅までに光線級吶喊(レーザーヤークト)を行い、航路を確保すること。2つ目は命令があるまで、この大隊旗より後ろには、何があっても下がらないこと。質問はあるか?(ヴァプロース イェースチ?)

 

「はい、中隊長。無事光線級を撃破できた場合、その後の行動はどうなりますか?」

 

薄々返ってくる言葉に気付きながらもソロモンが尋ねると、イサークは言葉に詰まりつつも口を開いた。

 

「……光線級撃破後は……敵BETA群の中心を突っ切って戦線離脱。その後は砲兵と爆撃による波状攻撃で残存BETA群を殲滅する。お前達には補給として俺が今置いた突撃砲の弾倉を1つずつ掌握してもらう……いいな?」

 

「…………」

 

「全て聞いている。お前達の無線も、弾薬、推進剤の残量も、ダヴィドがどうなったかも。正直言って生きて帰れる確率は僅かだ。お前達が恐れる理由もよく分かる。だが、この大隊旗の向こうには何がある?」

 

「「我が祖国と我がソビエト人民です‼︎」」

 

「そう、その通り。我等はソ連軍の衛士。祖国と人民の盾であり、我等人類が掲げる剣の切っ先だ‼︎彼らを守る為にもお前達の命、今暫く俺に預けてくれ。 Советской армии, слава!!(サヴェーツカイ アールミィ スラーヴァ)(ソ連軍に栄光あれ!)」

 

「「Ура!!(ウラー)(万歳!!)」」

 

 

 

 

 

 

我に、続けーっ‼︎(ザムノイ フペリョード)

 

号令と同時に飛び出す3機の壊れかけの戦術機。

時折エンジンから黒煙や異音を響かせながらも果敢に進んで行く。

 

低く(ニージェ)低く(ニージェ)低く(ニージェ)!大丈夫だ2人とも。低く飛んでいる限り、奴等は絶対に同士討ちをしない」

 

「「はい(ダー)」」

 

「重金属雲の形成まで残り5カウント。合図で一斉吶喊だ。各機兵装自由。行くぞ!5(ピャーチ)4(チティーリ)3(トゥリー) 2(ドゥヴァー)——今だ‼︎突っ込め‼︎」

 

「「Ура!!(ウーラー)!!」」

 

頭上を通り過ぎ、目の前のBETA群に向けて降り注ぐБМ-21のAL弾。

それらが光線級のレーザーにより撃ち落とされるのと同時に眼前に広がるどす黒い重金属雲。

3機の戦術機はそこめがけて匍匐飛行から一気に飛び上がり、黒雲の狭間へと吸い込まれていった。

 

 

 

* * * * *

 

 

 

「ハァ………ハァ……こちらジャール3。残弾ゼロ。推進剤残量2パーセント」

 

「こちらジャール2。左右腕部欠損。推進剤残量3パーセント。もはや……これまでか………」

 

重金属雲が消え去り、足元に無数のBETAの死体が横たわるウラン・ウデ中心街。

 

BETA残存兵力に囲まれた3機の戦術機。

皆各々に疲弊し、推進剤、弾薬を殆ど使い切ったという状態だ。

光線級吶喊は成功した。

しかし退路の確保に必要な戦闘力は痛ましい程に足りなかった。

 

制空権は取り返した。

されど飛ぶ足がない。

 

それが今の実情だ。

 

「ラザーリ・ナタノヴィッチ・ラビノヴィッツ大尉。ソロモン・ミハイロヴィチ・リリエンタール大尉」

 

「…我々の階級は少尉ですよ。中尉」

 

最後の最後で鬼神の如き光線級狩りを見せたイサークも、とうとう壊れたかと呆れながらラザーリは答えた。

 

「……いや、実は言い忘れていたのだが、先程大隊本部より伝達があった。本作戦に参加した衛士全員を2階級特進させるとな」

 

「ハッ?それはどういう——」

 

「上はおそらくこの作戦、失敗すると…あるいは成功しても生還は不可能と踏んだんだろう。故にこの戦線に於ける光線級吶喊は記録には残らない。お前達の尽力もな。故にお前らは現刻を以って大尉、俺は少佐に昇任するという訳だ」

 

「何だよそれ!俺達にここまでやらせて、まだ大隊のメンツが大事ってか‼︎ふざけやがって」

 

2階級特進——その真意を知ったソロモンが毒づく。

 

「落ち着けリリエンタール大尉。まだ希望はある」

 

「希望……そんなもん何処に?」

 

「なるんだよ。語り部に。お前ら一人一人が今日まで生きてきた軌跡、散っていった部下の生き様。その全てを人任せじゃなく、お前ら自身の口からな」

 

「語り部……?でも…俺達はこのままじゃ——」

 

「ラビノヴィッツ大尉。ジャンプは後何回位出来る?」

 

「…1回か…持って2回が限界です」

 

よろしい(ハラショー)。それだけ飛べれば充分だ」

 

「ちゅうい……いえ、少佐、まさか…⁈」

 

「……現時刻を以って撤退命令を出す。貴官らは私と共に出来る限り高度を飛行してBETA群を超躍。その後は貴官らが追い付かれる迄に私が可能な限りのBETA群前衛を叩く」

 

「そ、それでは少佐は——嫌です!少佐を置いて逃げるなんて!」

 

「黙れ!これは命令だ!」

 

「で、でも……」

 

「生きろ。ラザーリ、ソロモン。生きて……自分の口から伝えろよ。自分の生きた軌跡を」

 

はい(ダー)!」

 

「よし、分かったら行け。エホバが貴方と共におられるように…」

 

然り(アミン)

 

 

すっかり暗くなった空に灯る3つ青白い炎。それらのうち2つは東の彼方へと飛び出し、残りの1つはUターンして西を向いた。

 

「さて………後は事後処理だな。 Беспощадно разгромим(ベスパシャードナ ラズグラミム) и уничтожим врага‼︎(イ ウニシュトージム ヴラガー)(容赦なく敵を撃破し、殲滅してくれようぞ‼︎)

 

周りの空気がビリビリと張り裂けるような轟音で、自分目掛けて迫りくるBETAに向け大祖国戦争時代のスローガンを叫ぶイサーク。

その手には白濁した密造酒(サマゴン)の瓶が握られており、ラムネ菓子のように頬張った鎮痛剤(アスピリン)を時折流し込んでいた。

 

敵陣に吶喊するMiG-23。

 

その両腕部には短刀(CIWS)が1振りずつ握られており、戦車級、要撃級、突撃級ありとあらゆる種類のBETA群を切り裂き、踏み潰し、突き殺してゆく。

 

グロテスクなBETAの群の真ん中で戦術機が舞い踊る度に、搭乗者たる衛士の名が示すようにBETAの体液で石畳に一面の薔薇畑が描かれてゆく。

 

「くたばれ‼︎消え去れ‼︎消えろ消えろ消えろ‼︎俺達のソ連(祖国)を!地球(ほし)を返せえぇぇぇっ‼︎」

 

元々整備不良を起こしやすい機体であったのに加えて、イサークが半壊状態のまま近接戦で負担をかけ続けるものだから、やがてガタがきたのかMiG-23は手足の関節を中心にキィキィと壊れたバイオリンのような金切り声を上げ始めた。

 

 

炭素の構造物が千切れる音、突撃砲の発砲音、けたたましい戦術機の稼働音。

 

死への行進曲を思わせる残虐な戦闘音は雪の降り始めたシベリアの大地に響き渡り、やがて消えた。



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第12話 家族(スィミヤー)

メシ回

ロシアの大衆食堂は安くて美味しく、レパートリーも豊富なので現地に行った際はぜひお試しあれ。
作中に出てくる料理は筆者が留学中によく食ってたメニューです(プロフは旨いぜ)


 

 

 

 

アラスカ ユーコン基地

 

いつもと変わらぬ殺風景な廊下を、覚束ない足取りで歩く俺。

 

紅の姉妹との一件の後居室に戻った俺は事後の気怠さに引きずられるままに居眠りをしていたらしい。

 

時刻は1700。本来の予定なら課業が終わり、国旗に正対している頃だ。

 

「…飯でも食うか……」

 

人類が掲げる剣の切っ先たる衛士に安息日など存在せず、365日24時間勤務が基本である。

つまり飯を食うことも寝ることもクソを放り出すことも仕事の内に入るのだ。

故に休みが与えられようと喫食は欠かさず、8時間の睡眠はきちんと取らねばならない。

 

俺は鳴き始めた腹の虫を鎮めるべく、営内の食堂(スタローバヤ)に向かった。

 

 

 

今晩は(ドーブルィ ヴェーチェル)同志少佐(タヴァリシ マヨール)

 

 

廊下の曲がり角を進んだ所で、聞き慣れた声に呼び止められた。

 

「……何の用だ。同志サンダーク」

 

イェジー・サンダーク中尉——クリスカが身を委ねた上層部の人間に、奴の名も入っているに違いない。

俺は嫌悪感を顔に出しながら奴の敬礼に答礼する。

 

「なんだとはご挨拶ですな。同志少佐。先程は、お楽しみだったようで——」

 

気づいたら俺は卑屈な笑みを浮かべて「先程の顛末を見ていたぞ」と仄めかすサンダークの胸倉を左手で掴み、右手を腰の合皮製ホルスターに収められたマカロフにかけていた。

 

「私は貴様をッ……貴様を誤解していたようだ……まさかあそこまで人でなしだったとは!彼女に…クリスカにあんなことを‼︎」

 

「……少佐、どうか落ち着いて、銃口を外してもらえませんかな」

 

「黙れ!その二足三文、二度と抜き差しできぬようにこの場で撃ち抜いてやろうか⁈」

 

俺がマカロフの照星をサンダークの喉元からズボンのジッパー部に移動させると、眉ひとつ動かさなかった奴も流石にたじろぎ、唇を開いた。

 

「……ビャーチェノワ少尉に手をかけていたのは、私ではありません。おそらく、彼女達の調整を担当する研究員達の仕業でしょう」

 

「……その話、嘘じゃないな?」

 

「ええ、彼女達の海馬——記憶を直接操作出来るのは彼らだけですから」

 

「…糞野郎共め……全員殴り殺してやる」

 

忘却——それは人間に与えられた災難にして最高の能力。

何を覚え、何を忘れるかを不作為に取捨選択することで人間は苦しい境遇に置かれた際に楽しかった思い出に浸り、辛い記憶を忘れることで明日を生きることができるのだ。

故に、記憶を第三者に操作されるということは人間性そのものの喪失を意味するといっていい。

 

極東では並ぶ者の居なかった熟練の衛士たる俺すらも上回る彼女達の驚異的な戦闘力はそうした人間らしさと引き換えに得られたもので、BETAに勝つという目的の為には手段を選ばず平然とそうした非人道性を発揮できるのが、俺たちの住むこのソビエト連邦だ。

 

 

 

「いやはや……あのシュトラハヴィッツ中将と共にウクライナ戦線を生き抜いたあの英雄、アブラム・ローゼンフェルドの子息がここまでの博愛主義者だったとは……聞いて呆れますな」

 

「黙れ!親父は関係ないだろ‼︎この場で撃ち殺すぞ‼︎」

 

俺の親父——アブラム・アーロノヴィチ・ローゼンフェルドは兵役時代ドイツ駐留ソ連軍の戦車兵で、1970年代のウクライナ戦線でワルシャワ条約機構軍の一員として当時の東ドイツ陸軍第1戦車軍団と共に戦い抜いた。

当時の東独軍を率いていたアルフレート・シュトラハヴィッツ中将はBETAの大群に立ち向かう中全滅しかけた親父の部隊を救い出し、パレオロゴス作戦等で数々の武功を挙げ、そして自国軍への戦術機導入を検討したことでも知られている。

尤も彼はその後東ドイツの体制とその行く末を憂いて体制批判とクーデターを画策して78年当局に粛清され、83年には落とし子たるカティア・ヴァルトハイムことウルスラ・シュトラハヴィッツによってその意志が達成されたことから我が国に於ける彼の評価は二分されるが、少なくとも命がけでBETAから祖国を救おうとしたその志を疑う者はなく、親父を含めソ連人でも彼を評価する者は少なくない。

尤も親父はその戦いで心身共に故障してからはひたすらラビ(律法者)として神に救いを求め、ビロビジャンに帰郷後は生まれた俺を軍から遠ざけるよう敬虔なユダヤ教徒として育てた。

 

 

 

「私に八つ当たりがしたいのでしたら幾らでどうぞ。しかし上からの処分と、ご自分もまた既に貴官の軽蔑する方々の同類であることをお忘れなく。では」

 

颯爽と去ってゆくサンダークの後ろ姿を見送りつつ、俺は行き場の無い怒りを鎮めるべく力が入りっぱなしの人差し指を用心金からゆっくりと外した。

 

 

 

 

 

営内の食堂。ここもまたアメリカにあるソ連だ。

料理は美味くもなければ不味くもない大量調理可能なメニューばかり——それでも食材には恵まれているのか、食肉不足に喘ぐソ連本国の食堂に比べればまだ質もレパートリーもマシだ。

飯炊き(ポーヴァル)はシチーを作る寸胴鍋に負けないくらい太った婆さんで、いつも浮かべている不機嫌そうな表情もソ連本国の調理兵と何一つ変わらない。

 

「ドライフルーツのコンポートとプロフ。サリャンカと肉団子(テフテリ)、あと茹で卵のマヨネーズがけを頼む」

 

「あいよ」

 

カウンターの向こうの婆さんに一通りの注文を伝えると、俺の持つ真っ赤な盆の上に乱雑に盛られた品々が乗せられてゆく。

ナイフとフォーク、スプーン、紙ナプキンはセルフサービスなので忘れずに取ってゆく。

 

少しカロリーオーバーな気もするが古来よりパイロットの飯は盛りだくさんというのが通例だ。

日々の体力錬成と戦術機の操縦で目の前の皿分は余裕で消費できる。

 

余談だが、ソ連式食堂のこのカフェテリア形式の注文方法は嫌いではない。

聞いた話によれば成立したのは雪どけ時代、フルシチョフ書記長の訪米以降で、アメリカのビュッフェを参考にしたらしい。

それまでの食堂といえば怠け者だらけのソ連の例に漏れず注文してからウエイターが飯を届けるまでの時間が、飯を食い始めてから食い終わるまでの時間を上回るという有様だった。

それに比べれば食べる側にとっても待ち時間がなく、出す側にとってもわざわざ客のテーブルに寄る必要がないので、非常に合理的なシステムだ。

 

この時刻になると、飯を食いにくる整備兵や衛士達で食堂はごった返す。

俺も食いっぱぐれぬように適当な席に座り、琥珀色をしたコンポートを一口啜ってからスプーンでプロフをすくい、口に運ぶ。

まずくはない。パラパラの米を咀嚼する度クミンと羊肉の脂のきつい風味が口内に広がり、食欲が進む。

細切りの人参と微塵切り玉葱、レーズンも米に適度な甘みを与えている。

ボルシ同様、プロフもまたウズベク風、カザフ風、トルクメン風と国や地域によって作り方や具が異なるし、各家庭によっても異なる。

原隊で同期だったウズベキスタン出身の衛士は「人参を先に炒めるか後に炒めるか」に非常に拘っており、食堂でプロフが出る度「実家と味が違う」と文句を垂れていたのが懐かしい。

 

お袋の味…か……。

 

ふと思い出す両親のこと。

幼少期より身体が弱かった俺はよく母親の作るチキンスープに助けられたし、ハヌカ祭の際には親戚一同が集まる中母親が丹精込めて作ったラトケスやブリンツを食うのが楽しみでならなかった。

 

今はもう戻らない過ぎ去りし日々。

貧しかったが平和だった幼き日々。

あの日のように皆が笑って過ごせるよう、俺たちは戦っているのだ。

 

 

「あっイサークさん!」

 

「隣…同席していいか?」

ふと聞き慣れた声を聞いて振り向くと、そこには予想通りイーニァとクリスカの姿があった。

各々ジャム入りピロシキや黒パン、グラス入りの紅茶の乗った盆を手にしている。

 

「…あ、ああ。構わない。座ってくれ」

 

 

俺が着席を促すと、2人は俺を挟むように座り、各々の盆をテーブルに置いた。

先程あれほどの事があったというのに、イーニァは身体の疼きがとれてすっきりとしたのかけろりとしている。一方クリスカはやはりあれだけ俺の上で乱れただけあってやや気恥ずかしそうに俯いている。

 

「お前ら、それで足りるのか?駄目だぞ。肉や野菜も食わないと。免疫力が下がる」

 

「え〜、お肉きらい」

 

「こらこら。好き嫌いは良くないぞ。俺が子供の頃はよく父さんに叱られたものだ。あれを食えこれを食うなとな」

 

「お父さん…とは何だ?」

 

気まずさを紛らわすための小言を言いかけてハッとした。そう、こいつらには父や母といった概念が理解できないのだ。

 

「クリスカ。わたし知ってるよ。イサークさんみたいなフツーの人はね、おとうさんとおかあさんからうまれてくるんだよ」

 

「イーニァ…俺、話したっけ?自分の両親のこと……」

 

「ううん、でも知ってるよ。だってわたしにはわかるもん。ほら」

 

 

イーニァは制服のポケットから何かを取り出し俺に手渡す。

無造作に畳まれたスケッチブックの切れ端を広げると、俺は目を見開いた。

 

「こ…これは……一体どうやって……」

 

クレヨンの拙いタッチで描かれているのはビロビジャンの見慣れた広場を歩く3人の人影。

左を歩くのはシルクハットにスーツ、長く伸ばした銀のもみあげといつもかけてる丸眼鏡が印象的な俺の父親——イブラギム・ローゼンフェルド。右端を歩くのは黒いドレスにブロンドの髪の母親——エヴァ・ローゼンフェルド。小さな頭にキッパを乗せ、親父と同じく長く伸ばした銀髪のもみあげを揺らしながら2人と手を繋いで朗らかに笑う子供——これは幼き日の俺、イサーク・ローゼンフェルド。

 

これはある日曜日、シナゴーグから帰る途中の俺だ。

正直当時の俺は両親に連れ回されトーラーを覚えさせられ、退屈な律法者の説教をじっと座って聞いているのが苦痛でたまらなかったし、当時の格好も学校へ行けば素行の悪いロシア人のガキにもみあげを引っ張られたりズボンを下ろされてズル剥けの竿をからかわれたりで、ユダヤ人の家庭に生まれた事を不幸に思っていた。

ただ、母は説法が終わったら「頑張ったご褒美」と毎回蜂蜜をかけた甘いパンやハルヴァを買ってくれたし、父はいじめられてボロボロになった俺の小さな背中を優しく抱きとめてくれたのが懐かしい。

 

既に自分でも忘れかけていた幼き日の記憶を、どうして目の前の少女は絵に描くことができるのか…。

 

「イメージ…っていうのかなぁ。時々頭にね、浮かんでくるの。イサークさんのちっちゃかった頃の思い出が。だからお絵描きしてみちゃった。じょうずでしょ?」

 

オルタネイティブ3——BETAとの意思疎通を目的として作られた第6世代型の人工ESPである彼女はこれまで見せてきたように他人の感情を色で読むことができるという。

しかし、相手の無意識下で眠っていた記憶を映像として描けるとは……。

 

「これ…くれるのか?」

 

「うん。あげる。気に入ってもらえたら嬉しいな」

 

ありがとう(スパシーバ)……」

 

どういたしまして(ニェー ザ シュトー)。でもうらやましいな。わたしのかぞくはクリスカだけ。わたしもイサークさんみたいなおとうさんとおかあさんがほしかったな…」

 

「俺が——」

 

「少佐⁈」

 

気づいたら俺は両腕で2人の肩を抱き寄せ、2人の小さな頭を胸で抱きとめた。

2人の口から告げられるあまりにも不憫な身の上を聞いているうちに目の奥が熱くなり、俺は目尻から一筋の涙を流していた。

 

「俺が……お前達の父さんになってやる。だからもうそんな顔をするな。約束だ」

 

「イサーク…さんが…おとうさん?」

 

「ああ、クリスカも、悪い奴らにまた何かされそうになったら俺に言え。父さんがぶん殴ってやる」

 

「…あ、ああ……」

 

 

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、 わたしのところに来なさい。 わたしがあなたがたを休ませてあげます。

わたしは心優しく、へりくだっているから、

あなたがたもわたしのくびきを負って、

わたしから学びなさい。

そうすれば、たましいに安らぎが来ます。

 

わたしのくびきは負いやすく、

わたしの荷は軽いからです。

 

 

マタイの福音書、11章28-30節。

俺は昔父が幼き日の俺にそうしてくれたように2人の肩を抱きしめ、軽く叩きながら昔繰り返し聞かされた聖書の一節を諳んじた。

 

もう寂しい思いはさせない。

いかに「家族ゴッコ」だの、「博愛主義者」だのと笑われようと、触れれば潰れてしまいそうな彼女達の心を支えてあげられるのはこの基地——いや、この世界に俺しかいないのだ。

ならばなってやろう。

彼女達の父親を。

演じてやろう。

彼女達の望む姿を。

俺の親父がかつて傷ついた俺にそうしてくれたように。

 

 

 

 

ふと耳に入るざわめき。

辺りを見回すと、食事を摂る衛士達や整備兵達、さらには調理兵までもが各々の手を止め、両手でイーニァとクリスカを抱きしめる俺を見つめていた。

どうやら俺が紅の姉妹を手籠めにしていると勘違いしたようで、ヒューヒューと口笛を吹く者やいやらしいにやけ顔を向けてくる者さえいる始末。

端的に言って、非常に気まずい。

俺は先程食事中のイーニァをいきなり抱きしめたことで頰についたブルーベリージャムを紙ナプキンで適当に拭くと、テーブルマナーも気にせず既に冷め切ったサリャンカをスープ皿から胃に流し込み、プロフやら肉団子やら卵やらをフォークでガツガツと頬張ってからコンポートで流し込んで目の前の皿を平らげた。

これでも極東の前線基地での勤務を経験した衛士だ。いつかかるか分からない召集に備えて早食いのスキルは磨いてある。

 

行くぞ(パイデョーム)。居室に帰ろう」

 

「え?でもまだご飯が——」

 

「持って帰って食え。さぁ」

 

俺は2人に冷めた紅茶を飲ませると、食いさしのピロシキやら黒パンを適当に紙ナプキンに包んで手渡し、二本の細い腕を掴んでそそくさと食堂を後にした。



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第13話 ポールスター

今まで読んでくれた皆様なら薄々お気づきでしょうが、筆者割と酒好きです(ガンギマリ)
トータルイクリプスの世界では飲み会シーンが何かと多くて和みますねぇ……


リルフォートの歓楽街。

道行く人々の話す英語。ショッキングピンクのネオンサインに彩られたダイナーの看板。車道を通る車のカーステレオから大音量で流れてくる陽気なジャズのリズム。

ユーコン基地(ソ連側)の営門を抜けて少し歩くと現れるこの資本主義的頽廃(デガダン)を体現したような光景を目にする度にここがかつての仮想敵国、米国であることを思い知らされる。

勿論俺たちの住むソ連領側はあくまで租借地。鉄のカーテンの東側を忠実に再現した箱庭であるからして、古くからこのアラスカの地に住む米国人達に言わせればこちら側が当たり前の世界。「他所からやって来てお前達は何を言っているのだ」と咎められればぐうの音も出ないところである。

 

そんな訳で初めて足を踏み入れた時には極東の最前線で十分太った俺の肝っ玉も余りのカルチャーショックに若干震えたが、こうして何度も訪れていれば見慣れたものである。

それに今日は1人じゃない。

愛らしい娘達も一緒だ。

何も恐れる事などない。

 

俺はいつも通り戦術機の飛行訓練を終え、課業外の空き時間を利用してクリスカとイーニァを街に連れ出した。

外の世界を知らず、営内での生活を当たり前の日常と信じていた彼女達とはいえ、やはり何の娯楽もない営内に閉じ込めて置くのも可愛そうな話である。

それに、「この世にはもっと楽しいものが、美しいものがある」と教えてやるのも父親となった俺の務めだ。

 

「お買い物、楽しいね。クリスカ」

 

「あぁ。ちゃんと父さんにお礼を言うんだよ。イーニァ」

 

「うん。ありがとう、パパ」

 

オイルと硝煙まみれの営内から出され、初めて目にした歓楽街に心を奪われた二人にあちこち引っ張り回された俺はいつしか二人の荷物持ちと化していた。

始めは菓子屋。次は花屋に洋服屋と、我が国との物価の差に辟易としつつも二人の喜びそうな店を順繰りに回り、気付いたら日用品も含め色々な物を買い込んでいた。

両手に花を抱きながら荷物まで抱え込んで歩いているのだ。周りの羨望の視線も含め、いかに訓練で軽機関銃や対戦車火器を持ち慣れた俺でも心身共に疲弊してきた。

 

「二人とも小休止だ……少し疲れた」

 

俺は適当に身体を休ませるため以前寄ったバー「ポールスター」の前で立ち止まった。

安く色々飲み食いできることで国連軍の将兵達に人気の店だ。

 

1900。丁度いい時間だ。多分奴らもやってきてる頃だろう。

俺は二人を連れて燻んだ真鍮のドアノブに手をかけ、門扉を開いた。

 

 

「あらいらっしゃい。また来たのね。ミスター・ジュー。」

 

店内に入った俺を迎え入れたのは見慣れた顔のそばかす女——この店のバーテン兼ウェイターのナタリー・デュクレール。

飯時ということもあり、今日はお仕着せではなく動きやすそうなタンクトップ姿で注文を取りに行ったり料理や酒をしきりに運んでいる。

 

「俺の名前はローゼンフェルドだ。ちゃんと呼んでくれ……とりあえずテーブル席を頼む」

 

「分かったわ。空いてる席に座ってちょうだい。ところで今日は一人じゃないのね」

 

「まぁ色々あってな。あまり事情は聞かないでくれると助かる」

 

「オーケー。とりあえず飲み物だけ頼んで頂戴。料理はまた後で注文取るわ」

 

俺はとりあえずイーニァとクリスカの為にそれぞれノンアルコールのファジーネーブルとチャイナブルーを、自分の分としてポートワインを頼んでおいた。

 

「「我らの愛を祝して(ザ ナーシュ リュボフ)」」

 

俺が乾杯の音頭を取り、やや遅れてワイングラスと2つのタンブラーが交わされる。

 

上官と同席することの多い部隊での宴会の癖が、家族水入らずの娑婆の世界でもやはり出てしまう。

これもまた職業病か……。

ロシア社会に於いてアルコール飲料を摂取する際、特に酒を注文したのが自分だけの場合同席者に対し乾杯も無しに口をつけるのは失礼にあたる。

その為咄嗟に思いついた音頭を口にしたのだが、これが今思い返してみれば何だか気恥ずかしい。

健康の為に(ザ ズダロヴィエ)」ではありきたり過ぎるし、「友情の為に(ザ ドゥルージブ)」ではちょっと違う。

まぁ(リュボフ)も「家族愛」と解釈すれば別段問題ないし、細かいことを考えるのはよそう。

 

俺は広口グラスに口をつけ、中のルビー色の液体を軽く口に含んでテイスティングする。

若いワインだ……。甘みに混じって少し雑味が目立つ。

ちなみにワインに関しては俺は特に拘りはない。強いて言うならハンガリーのトカイワインか、カフカスやクリミア、中央アジアで飲まれているような甘口派だ。

BETAの欧州侵攻以来、フランス産をはじめ由緒ある各国のワインやブランデーはダイヤモンドの如く値上がりを繰り返しており、今俺が口にしているのも恐らくカリフォルニアやチリの葡萄を使いポートワインと同じ製法で酒精強化して寝かせたただけの代用品だろう。

まぁどんな酒も無いよりはマシだし、こうして良心的な価格で各国の酒を堪能出来るだけでも有難い。何より、「本物かどうか確かめてやるからラベルを見せてみろ」と迫るのも文字通りエチケット違反だ。

 

それはそうと、面白いのは俺の杯の中身ではなく、クリスカとイーニァだ。

カクテル文化が「酒を割って飲むなど邪道」とばかりに根付かず、気軽に行けるショットバーなど身近に無いソ連側で暮らした二人のことだ。ノンアルコールとはいえこうしてカクテルを目にするのは初めてらしく、各々の手に握られた極彩色の液体を恐る恐る眺めたり、タンブラーの口に唇を近づけて戻しを繰り返している。

 

「と…父さん……これ本当に飲めるのか……?」

 

「大丈夫だ。毒なんか入ってない。それに酒じゃないから苦くない。甘くて美味いぞ」

 

「わ、わかった。では頂くとしよう」

 

「い、いただきまーす」

 

二人がタンブラーに口をつけ、こくこくと喉を鳴らしている間俺は周りを見渡す。

 

探すのは以前顔見知りになった国連軍の衛士や整備兵だ。

特に、前回俺に絡んできたと思ったらすぐ意気投合してきたあのパリャーク(ポーランド男)——ヘンリクの姿を探す。

 

「おっ、いたいた」

 

ヘンリクはタリサやステラ、VGといったアルゴス試験小隊の衛士達と共に、一つ向こうのテーブル席を囲んでいた。

卓上では飲み干された沢山のジョッキや食い散らかされた後の皿が散乱しており、特に真ん中の小さい奴——タリサの席の空きジョッキの数はパッと見た感じ10杯を越している。

 

ヘンリクの席には皿やグラスの合間を縫うように手製の賭博券や配当用のドル札が山積みに置かれていた。

俺は二人に席で待つよう言伝し、彼らの席に向かう。

 

「おっ、久しぶりだなイサーク。今回は紅の姉妹と逢引しての登場か。アンタ本当に肝が太えな」

 

「こういう同業者だらけの場所でまた堂々とノミ行為に興じるお前らの肝の方がよっぽど座ってるだろうよ」

 

「あら、そっち(ソ連側)じゃ賭け事も満足にさせてもらえないのかしら?」

 

ステラがワイングラス片手に口を開く。

 

「いや、やってる奴はやってるさ。ただ周りの目もあるし、こう大っぴらには出来ないって話だ」

 

「えーつまんねーの。仲間のやってる事くらい黙っててやれないのかよ」

 

タリサも口を挟む。

ジョッキの数が示す通り割と酔ってるのか言葉遣いがややぶっきらぼうなのは気にしないでおいてやる。

 

「基地内で気を許した仲間なんてほんの一握りさ。それは人民も同じ。うちの国では賭け事や政談含め人に見られてまずいことをする時は台所が相場と決まってる」

 

「はーなんじゃそりゃ。窮屈なこった。ねーヘンリク」

 

「……うちの国でも似たようなもんだったけどな…正直周りに疑われないよう生きるのが必死だったよ」

 

「あ……そっか…そいやポーランドも社会主義国だっけ。ゴメンなヘンリク」

 

「秘密は酔っ払いの舌の上」——我が国の良き諺だ。

酒が入ってつい失言したことに対しタリサが詫びると、ヘンリクは少し昔のこと思い出すような顔つきで窓越しの夜景を見つめた後、「気にすんな」とタリサを宥めた。

 

 

「なあなぁ、それよかあれよ。紅の姉妹。お前割とムッツリに見えてやり手なんだな。いつモノにしたんだ?」

 

少し暗くなった雰囲気を誤魔化そうとVGがシャンパンの注がれたフルートグラス片手に茶々を入れてくる。

 

「人聞きの悪いことを言うな。あいつらは……散々買い物に付き合わされたついでに連れてきただけだ」

 

「へぇー。買い物ねぇ……言っちゃ悪いけどお前、どっちが本命か決めてんのか?どっちつかずでほっとくと後が面倒だぜ?」

 

「……お前が言うと割と何だか説得力があるな」

 

「なんだよそれ、人を見た目で判断すんなってーの」

 

「そうだそうだ。チビだからってバカにしたら許さねーからなー」

 

「はいはい。二人とも、宴もたけなわだけどその辺にしましょうねー」

 

知り合って日の浅い人間に対してはなるべく相手のバックグラウンドに配慮してあまり踏み入った話をしないことを処世術としている俺ではあるが、こうやられっ放しでは面目が立たないので、適当に軽口でも叩いてやると相手も挑発に乗ってくる。

 

これでいい。やはり人間はこうではなくては。

何一つ心を開いてくれないと思ったらいきなり100までを包み隠さず話してくるクリスカやイーニァを悪く言うつもりはないが、戦術機の操縦と同じく人間関係というのは彼我の距離の探り合いで始まりその後の関係は8割方それで決まると言って良い。

しかしそういうことは口で言っても難しい。

だから俺はアルゴスの面々と楽しげに話している姿を二人に見せることで理解してもらおうと考えた訳である。

あの子達はまだ未完成だ…。

故に俺が育てなければならない。

兵器ではなく人間として。

 

ヘンリク達の談笑に適当に相槌を打ちつつ二人の席を見やる。

二人は俺と目を合わせると、ニコニコしながらこちらに手を振ってきた。

 

リルフォートの夜は更けてゆく。

 



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第14話 刺客(ウビィッツァ)

タイトルでもお分かりの通りなかなかキナ臭くなってきたユーコン基地。
起承転結でいえば転に入ったあたりですかね。


第16話刺客(ウビィッツァ)

 

2100。

国連軍衛士達による飲めや歌えや打てやの大宴会もピークを過ぎ、一人また一人と酔った身体をふらつかせつつ店を出て帰路についてゆく。

 

俺も帰らなければ……。

基地には門限がある。それに、今日は半日ががりの飛行訓練が終わって以降ずっとこのリルフォートを歩きっぱなしで、その後この乱痴気騒ぎに巻き込まれたのだ。俺もイーニァもクリスカもやや疲れ気味だ。

貴重な試験小隊の衛士を西側に連れ出し、あまつさえ風邪でもひかせようものなら俺の監督責任が問われることとなる。

 

「二人とも。そろそろ帰るか」

 

「ああ、帰るとしよう。楽しい時間をありがとう。父さん」

 

「いやはやすまんな。お前たちをほっといて俺ばっか楽しんじまった」

 

実際、俺がヘンリク達に絡みに行ってる最中二人とも付いてくる様子はなかった。

同じテストパイロット同士ということで彼らにライバル意識を持っているのか、或いは相手が西側の人間ということもあり警戒心を抱いているのか、とにかく輪に入ろうとするそぶりすら見せなかった。

 

BETAの侵攻で冷戦は休止した。

アメリカは俺たちソ連に土地を提供し、俺たちソ連は彼らを守る盾となりながら互いの技術力を共有し合うことで今の世界は安定を維持している。

しかし四半世紀以上閉ざし続けた鉄のカーテンの影響力は未だ消えず、人々の心を未だ遮り続けているようだ。

 

「ううん。いいの。ちょっとうるさいとこだけど、パパがたのしければわたしたちもたのしいから」

 

「ありがとう。イーニァ。さぁ、おうちへ帰ろう」

 

「あ〜ちょっと失礼。今日またうちに

来てくれたのも何かの縁だから、記念に一枚撮ってかない?」

 

手荷物を握り席を立とうとした矢先、ポラロイドカメラを持ったナタリーに呼び止められた。

 

「ああ、そうだな。お言葉に甘えるとしよう。さぁ二人とも、俺のそばに寄ってくれ」

 

俺はイーニァとクリスカを両脇に立たせ、両腕で二人の腰に手を回す。

 

イーニァの方は嬉しそうに自分から俺の腰に抱きついてくるが、クリスカは俺の手が自分の細い腰に巻きついた瞬間ピクリと身体を震わせ、伏し目がちに照れている。

 

「あらあら、照れ屋さんね。ほらローゼンフェルド少佐も笑って笑って」

 

クリスカはナタリーに言われるがまま苦笑いを浮かべ、俺もまた何年も笑ってなかったことから「いざ笑え」と言われても対応に困ってしまう。

 

ソ連人の悪い癖だ。「理由の無い微笑みは馬鹿の証」と諺にあるように、我々は本当に面白い事がない限り滅多に笑わない。

尤もBETA侵攻で領土と同胞を失い続け、共産党によるイデオロギー統制に締め付けられ続ける我が国の日常から笑えるような物事を探し出せという方が難しい話だが。

 

俺はとりあえず即席の気持ち悪い作り笑いを浮かべ、ナタリーにシャッターを押すよう促す。

 

 

「3枚くれ。二人の分と合わせてな」

 

「いいわ。大切にしてね」

 

「助かる」

 

俺は現像されたポラロイド写真を二人に手渡し、残った一枚を自分の懐に入れる。

 

「くれるのか……?」

 

「ああ。忘れないようにとっておけ。楽しかった思い出も辛い思い出も、自分自身を作るからな」

 

「ああ。絶対に忘れない。父さんのことも、父さんの好きな、この世界の事も、絶対に」

 

 

 

ナタリーに見送られ店を抜けると、既に帰った筈のヘンリクが店の前で煙草をふかしながらたむろしていた。

 

「お前…みんなと帰らなかったのか?」

 

「ああ、こんな夜更けに大荷物抱えて女二人連れじゃ何かと危ないからな。国境までなら送ってってやるよ」

 

「いや、それはお前に悪い」

 

「遠慮すんなって。さんざ酒に付き合ってもらった礼だ。これでも人民軍にいた頃は格闘の成績結構良かったんだぜ」

 

「成る程。心強いな。じゃあ頼もうか」

 

「おう、任しとけ」

 

 

* * * * *

 

真夜中のリルフォート。

ポールスターだけでなく他の飲み屋も店仕舞いに入ったようで、先程とは打って変わってしんと静まり返った繁華街を4人で歩く。

イーニァとクリスカは一日分の疲れからくる眠気がピークに達したのか段々と無口になり、時折寝ぼけながらも俺とヘンリクの後をついてくる。

 

「なぁイサーク、初めて会ったあの時、覚えてるか?」

 

「ああ、まるで昨日の事みたいに覚えてる。あの時はステラの仲裁があって良かったよ」

 

「ん?何でだ?」

 

「弱い奴を殺さずぶん殴るのは簡単だが、中途半端に強い奴を相手にすると場合によっちゃ殺しちまうからな」

 

「ハァ?何だそりゃ。勢い余って殺しちまうのは俺の方だって」

 

若気の至りか……初々しい。

教官をしていた頃はこういう奴を何人も受け持って来た。

中にはどうにも分を弁えない奴もいて、そいつらに雷帝のごとく拳と怒声で立場を分からせ、一人前の衛士として送り出すのが俺の仕事だった。

 

「しかし……ここは良いよな。なんかこう、ユーラシアの前線みたいに殺すの殺されるのってギスギスが無くてさ。俺は今の世界、結構好きだぜ」

 

「俺もそれには同意だ。ただ……」

 

「何だ?」

 

「俺達がこうしていられるのは何億人もの犠牲のお陰だ。前線で散った兵士や救いきれなくなった難民の方がこの星には多い。それにこうして多大な犠牲と引き換えに手にしたこの安定した社会でも、まだ誰かを平然と食い物に出来る奴らがいる。俺はそんなもの、本当の平和だとは思わない」

 

「なるほどな……RLF(難民解放戦線)の肩を持つつもりはねぇけどよ、俺もそれは思うぜ。なにせ俺も仲間の衛士も、皆その難民だったんだからな」

 

「………もう少しで営門だ。そろそろ別れよう。世話になったな」

 

「ああ、俺もこの辺、あんまうろついちゃまずいしな。ちゃんとそのお二人さん、基地まで連れて帰れよ」

 

「わかった。達者でな——」

 

ふと背中に感じる殺気。第六感というやつか……。

今まで後をつけられてはいなかった。

これは明らかに待ち伏せだ。

 

「……最低2人いる。後方警戒を頼む」

 

「了解。お前はお二人を見張ってろ」

 

俺は両手の荷物を地べたに置くと、寝ぼけた二人の目を覚まさせ、腰のホルスターを軽く触る。

 

「——ッ⁈」

 

足音もなく背後から飛び出す人影。

格好は黒ジーンズに黒ジャケット、黒ニット。

その手にはナイフが握られており、黒い刀身が営門の警衛所へと続く街灯の白い光を受けて鈍く輝きながらヘンリクの方へ突っ込んできた。

 

「喰らえっ‼︎」

 

ヘンリクは咄嗟の判断で前蹴りを刃物男の腰骨に食らわせて奴の突進を挫き、それでも尚下から上へ突き上げてくるナイフを手首ごと左手で制して顔面へのパンチと金的蹴りを矢継ぎ早に繰り出す。

ヘンリクは倒れた刃物男が取り落としナイフを奪い、膝立ちで奴の背を圧しつつ首元に突きつける。

 

「腕は確かなようだな」

 

「ハッ!口だけじゃねえぜ。イサーク‼︎前だッ‼︎」

 

電柱の影から襲ってくるもう一つの人影。

 

俺はその突進を半身になって躱し、両手で敵の手首を極めながらその右腕を左脇に巻き込んでアスファルトの硬い地面に投げ飛ばし、仰向けになった二人目の黒ずくめの両脇を膝で極めながら体幹をフルに使い外側に思い切り捻じる。

 

膝の下の男が「うっ‼︎」と小さく唸るのと同時に肩関節が脱臼し、両手に痛快な手応えを感じた。

少し遅れて握力を失った右手からナイフが落ち、刃先がアスファルトに触れる小さな金属音が闇夜に響く。

 

カドチニコフ・システマ——運動生理学の権威、ニコライ・ベルンシュテインの研究を応用したソ連軍隊格闘技の技の一つだ。

 

デクステリティ——簡単に言えば、鍛冶屋や大工が振り下ろす金槌の軌道が毎回違っても打ち付けられる場所は変わらない。

すなわち空手の型のようにA(アー)からЯ(ヤー)まで同じ動きを反復演練して筋肉や運動神経に記憶(インプット)させ、その動きを再現するのではなく、無意識的に身体を敵の攻撃に対して適応させ新たな動きを「創造(アウトプット)」するのだ。

 

俺が戦術機に乗っての対人機動性で滅多に負けないのも教範を再現しながら格闘戦を挑んでくる敵役(アグレッサー)に対しその都度何百万通りの対処法の中から新しい反撃法を創造しているからなのである。

 

 

「……こ、これは…うちの国のナイフじゃないか⁈どうして…」

 

俺は足元に転がったナイフを掴み上げ愕然とする。

НР43(43式偵察ナイフ)——大祖国戦争以来我が国の偵察兵に愛用されている暗殺用ナイフだ。

元になったのはフィンランドの狩猟刀であるプーッコナイフ。

帝政時代にはフィンカ(フィンランド式ナイフ)の渾名で素行の悪い連中に愛用されるようになり、逆手順手どちらでも刺突しやすいようにS字型の鍔や16cmもの長い刃のついた凶悪なものが次々と売られるようになってから一時は所持が禁止されるようになったという。

一方で火器を使えない暗殺、偵察任務に於ける使い勝手の良さから冬戦争の頃には赤軍やНКВД(内務人民委員部)で正式採用され、以来今だに製造され続けている曰く付きのシロモノだ。

 

(こいつら……ただの物盗りじゃない)

 

おかしいのはナイフだけではない。

第一、強盗殺人を起こすならソ連軍基地近くのこんな場所に張らずともリルフォートの方が容易い。それにこんな場所で騒ぎを起こせば警衛が飛んでくるに決まってる。

 

匂う……どうにもキナ臭い。

この一件、我々ソ連側が一枚噛んでいる可能性もあり得る……。

でも何が目的で…。

 

「イサーク!何してる‼︎後ろだ‼︎」

 

「——⁈」

 

背後から感じた殺気。

振り向けば電柱の暗がりから消音器(サプレッサー)が覗いている。

その冷たく黒い銃口が狙う先は俺ではなく、イーニァとクリスカ。

 

伏せろっ(ラジィーシ)‼︎」

 

「きゃっ⁉︎」

 

俺は足元の刃物男から手を離すと二人に飛びつき、両腕で首根っこを抱えて飛び退いた。

 

ハンマーの落ちる金属音。2発の小さな破裂音。スライドが前後し、薬莢がアスファルトに叩きつけられる音。

 

俺はすぐさま首だけを起こし、銃眼の方を伺う。

 

「——なっ⁈う…嘘だろおい‼︎」

 

気がつけば、ヘンリクが伏せた俺たちと銃眼を結んだ線を遮るように大の字で仁王立ちしていた。

 

肩で息をし、口から血反吐を流しながらも、足を一歩も動かさずに立ち尽くしていた。

 

俺は反射的に腰のホルスターからマカロフを抜きながら初弾を装填し、銃眼めがけて3発撃ち込む。

牽制だ。めちゃくちゃな照準だが、1発は当たったようで、電柱の向こうから未だ硝煙の立ち上る拳銃が転がり落ちてきた。

 

「に…逃げろ!イサーク!二人を連れて営門まで走れ‼︎」

 

「何馬鹿なことを言っている!お前も一緒に来い!」

 

俺は周りを警戒しつつヘンリクの元に駆け寄り、肩を貸してやる。

 

だがヘンリクは俺の手を振り払い、途切れ途切れの声で力なく喋った。

 

「い…いや……お前らだけで逃げろ!は、肺を撃たれた……俺はもうお荷物だ。それに……俺西側(あっち)の人間だ…東側(そっち)には行けねぇし、行きたくもねえ……これまでだ」

 

「ヘンリク⁉︎正気か⁈まだ助かるかもしれないんだぞ?一緒に来い!俺が後から責任を取る」

 

「……お前…ロシア人の癖にいい奴だよな…ソ連は大嫌いだけどよ……そっちにもまだ、お前みたいな奴…居たんだな」

 

「俺はロシア人じゃない!極東生まれだがルーツはお前と同じポーランドのユダヤ人(アシュケナージ)だ」

 

「そ…そうか……それはすまなかった…でも……今更どうでもいいや…民族とか…国籍がどことか……俺はただ…こうしてアラスカにやって来て…色んな国のみんなと平和に暮らせだけで……満足さ、、、」

 

次第に聞き取りにくくなるヘンリクの声に混じって、肺から吸った空気の漏れるヒューヒューとした雑音が聞こえ始める。

 

「ヘンリク!もういい喋るな!クリスカ!救急車を呼んでくれ!」

 

「駄目だ父さん‼︎ここはもう緩衝地帯。西側の車はすぐには来れない‼︎」

 

「くそッ‼︎手詰まりかよッ‼︎」

 

「父さん…か…。お前……子持ちだったんだな……随分別 嬪じゃねぇか。大事にしてやれよ……家族なんだから」

 

 

遥か後方から近づいてくる足音。

総数にして10。拳銃一挺で何とかなる相手ではない。

 

「父さん‼︎敵の増援だ‼︎走ろう‼︎そいつはもう駄目だ‼︎」

 

「ち…畜生ッ‼︎」

 

俺はアスファルトに黒い血溜まりを作りながら横たわるヘンリクから離れると、イーニァとクリスカを連れて力の限り走り始めた。

 

暫くすると、背中から幾度も発砲音が聞こえ、擦過音とともに銃弾の死線が肩やこめかみを掠める。

 

「パパ!こわい…こわいよ‼︎」

イーニァが走りながら恐怖に染まった顔を向けてくる。

 

「大丈夫だ。父さんがついてる。いいから走れ‼︎」

俺は二人との間隔を開かせ、弾除けのため時折ジグザグに蛇行させながら逃げ続ける。

日頃の体力錬成のお陰か疲れはしない。だが、蛇行しながらの移動のため敵との距離は50m、40mと次第に縮んでゆく。

弾種や銃にもよるが拳銃の有効射程は25m。

走りながらの射撃、加えてこんな暗闇の中ならどんな名射手でも当てるのは難しいだろう。

しかし、物事に100パーセントが無ければ0パーセントもあり得ないのが世の理。

 

 

「——ッ⁈」

 

左上腕部に衝撃を感じ、遅れて灼熱感が伝わってくる。

 

 

下手な鉄砲数撃ちゃ当たる。といったところか……。

 

対人機動戦でも生身での銃撃戦でも、相手がどのタイミングで身を乗り出して照準をつけ、撃ってくるかは長年の経験である程度予想できる。

しかし、滅茶苦茶に撃ってくる弾というのは読めないものである。

 

 

「父さん‼︎撃たれたのか?」

「パパ!」

 

「大丈夫だ。弾は貫通してる。ただのかすり傷だ。気にせず走るぞ‼︎」

 

走っているうちに外出着の袖口から絶えず血が流れ出てくる。

俺は走りながらも適当なハンカチで銃創より心臓に近い方——肩口のあたりをきつく縛り止血を終わらせる。

 

ライフル弾で胴体を何発も撃たれても要撃級にコクピットをぶち抜かれても死ねなかった俺にとってこんなのは怪我のうちに入らない。

 

走り続けるうちに警衛所が近づいてくる。

俺は遠目に吊れ銃の姿勢でAK-74を提げる警衛の姿を確認し、大声で怒鳴った。

 

「おいそこの貴様!何をしとるか‼︎敵の襲撃だ!さっさと門を開けろ‼︎」

 

「あ、ああ…はい少佐︎‼︎」

 

警衛の兵長(エフレイトル)は眠気と戦っていたのか、先程の銃声が聞こえていない様子だった。

 

しかしいちいち指導している暇は無い。

俺は警衛に非常警報の発令と増援の要請を頼み、クリスカとイーニァを連れて共に営門に飛び込んだ。

 

柵の外を見ると、もう追っ手たちの姿はない。てんやわんやの基地内に押し入ってまで俺達を追いかけるのは無意味と判断してか、黒ずくめの男たちはそそくさと退散していったようだ。

 

「一体何なんだ……一体、何が起きているというんだ……」

 

襲われた時から出まくっていたアドレナリンの分泌がようやく落ち着いたのか今更になって痛み出した左腕を抑えつつ、あちこち駆け回る兵士達を眺めながら俺は一人呟いた。




作中に登場した偵察用ナイフですが気になる方はぜひgoogle先生等で画像検索してみて下さい(割と凶悪な外見で筆者的には好き)


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第15話 陰謀

色々キナ臭くなってきてます(後半サービス回。


 

 

 

 

 

翌朝。

時刻は1030。

俺は自室にて、いつもより遅めの朝を迎えた。

寝不足、深夜の戦闘、負傷、ヘンリクの死、正体不明の刺客からの逃亡劇。

いかに心身共に頑丈な俺でも、昨日の出来事で蓄積した疲労の処理が追いついていないようで、とてもではないがいつもの起床時間に起きてベッドメイキングなど出来なかった。

尤も、真夜中に俺に叩き起こされ治療を強要された哀れな当直軍医曰く「入院の必要はないが暫くは安静にしてくれ」とのことなので無理して普段のルーチンワークをこなす必要はない。

第一、俺の左手は三角巾と硬いギプスで固められているため、両手を使って行う殆どの事は今は出来ない。

今さっき見舞いに来たクリスカとイーニァにその事を伝えたら、「まぁそれは大変」とばかりに身の回りの事は大体手伝って貰えた。

勿論朝食も上げ飯にしてもらい自室で摂ることにしたが、特にイーニァの方はよほど心配したのかスプーンを手にしながら俺に摂食の補助——所謂「はい、あーん」をしようとしてきたため「右手は普通に使えるから大丈夫」と丁重にお断りしておいた。

 

俺はとりあえず盆の上のグラスに注がれたケフィールと紅茶で喉を潤しつつ朝飯の(カーシャ)カッテージチーズ(トヴァローク)プディング(ザペカンカ)をスプーンでつつきながら、昨日のことについてあれこれ考え始めた。

 

わざわざ騒ぎになりやすい営門での待ち伏せ、凶器は明らかに我が国の軍用ナイフ、示し合わせたかのような増援、いかに銃規制の緩い米国でも一般人が持っている筈のない消音器(サプレッサー)付きの銃。

 

単なる物盗りの可能性は、まず有り得ない。

ソ連側の工作員を装った米軍側の陰謀……?

いや、ならばなぜ同じ西側の人間であるアルゴス小隊の整備兵——ヘンリクを殺したのか……。

 

考えれば考えるほど自分の認めたくない結論に近づく。

この件、やはり我がソ連側が一枚噛んでいるかもしれない。

となると、危ないのは柵の外ではなく、むしろ今俺の居るソ連領側——柵の中ということになる。

 

ふと、目の前の皿とグラスに目がいき、俺は反射的に指を喉に突っ込もうとする。

 

「いや…もし毒入りならとっくにやられてるか……」

 

 

食中毒に見せかけた毒殺はモンゴル帝国の支配時代から続く我が国のお家芸で、国内外を問わず政治家や外交官、軍人を含む多くの人間が同じ手口でやられている。

 

だが、暗殺する側の立場から考えれば不特定多数の将兵が食事を摂るビュッフェ形式の食堂に毒の入った食べ物や食器を混ぜるのは無理だし、第一それをイーニァやクリスカに運ばせるとは考えにくい。

 

昨日の様子から判断するに狙われていたのは明らかに俺。銃口が紅の姉妹に向けられたのはあくまで彼女らを庇おうとした俺を撃つ為だろう。

故に、ピンポイントで俺だけを殺したいならソ連が生んだ最高傑作たる紅の姉妹が誤って死んでしてしまうリスクを踏むような真似は出来ない筈だし、そんな事が起きれば我が国の国益に反するに決まっている。

 

しかし……何故俺なのだ……。

 

元ボリシェヴィキの祖父、元ソ連戦車兵の親父を持ちながらも、旧トロツキー派の末裔という、今の世ではあまり良いとは言えない出身成分であることに加え、今までの俺自身の生き方を振り返れば恨みも妬みも軽く自己破産出来る程度には買っている。

だが、極東やシベリアで十分な武功を挙げ、衛士を育て、果ては共産党上層部のお墨付きまで得てイーダル試験小隊の一員としてこの計画に参加する俺を殺す事に何の意味があるのか…。

仮に上層部がグルになっての計画だとして、そんな反革命的行為の汚名を被るようなリスクを負ってでも連中が得たがっているものは何なのだろうか……。

 

 

 

「イーダル試験小隊、サンダーク中尉、入ります」

 

 

朝食を食べ終え、イーニァとクリスカに食器を下げてもらってから食後の一服を決め込んでいると突然ドアがノックされ聞き慣れた声が扉越しに耳に届く。

 

「入れ」

 

俺はサンダークに入室を促し、奴の敬礼に対し答礼をしてやると、自分の座るベッドの3歩前に立たせた。

 

「昨日は災難でしたな……少佐」

 

「まるで他人事だな…中尉」

 

「いえいえ、貴官は我らがプロミネンス計画の貴重な一員。貴官という貴重な人材を失っては困るのは私ですから」

 

「……成る程、少なくとも貴様は俺の敵ではないようだな………何か分かったか?」

 

「ええ、まず営門前で死亡していた国連軍の整備兵——ヘンリク・ポニャトフスキ軍曹の体内から我がソ連製の9×18mmマカロフ弾が検出されたと西側から報告がありました。やはり少佐の予想通り、黒幕は我々の側に居るようです」

 

「……やはりな…しかし何故俺が…」

 

「……あくまで私の推論という前提で聞いてください」

「ああ、続けてくれ」

「ソ連共産党上層部の中には、現書記長の政策方針に反して、西側との戦術機の共同開発に反対する守旧派がいるのはご存知ですね?」

 

「ああ。よく知っている。なにせここに来るまでの今までの俺の仕事は、そいつらの命と利権を一日でも永らえさせるようなもんだったからな」

 

共産党内の保守派——その多くは軍人や官僚で占められ、直接前線に出てBETAと戦ったこともない制服組のロシア人が殆どだという…。

彼らは未だに歩兵や爆撃機、火砲や戦車等自国軍の旧式兵器を過信し、78年のパレオロゴス作戦で既存の兵器がBETAに対し一定以上の戦果を挙げる事がないと知るまで頑なに西側由来の技術である戦術機の配備を拒んできた連中だ。

流石に国土を丸々失った今となってはそんな古臭い考えに取り憑かれている者も消えただろうが、アラスカの地に逃げ延びて尚自国の戦術機生産技術を過信し、一時的ではあるが長い外交努力の末ようやく手にした西側との架け橋から螺子を一本ずつ抜くような真似ばかりしている。

彼らと我々の小目標は凡そ一致している。

それは国土の奪還だ。

だがその手段と、国土奪還後の大目標——国家戦略の時点で既に袂を分かっている。

彼らはあくまでも自分達の技術力のみで国土が奪還出来ると信じており、極東を起点にシベリア、ウラル以西からバルト海に至るまでの国土をBETAから奪還した暁には米国との再戦——即ち新冷戦を望んでいる。

そのため自国の保有する戦術機技術の西側への流出防止を理由に本計画に横槍を入れてくるのだ。

しかし、俺は「技術流出の防止」という理由さえ、後付けの口実に聞こえる。

彼らは怖いのだ。83年のベルリン、そして91年のウラジオストクの再現がこのアラスカの地で起こり、己の蓄えた利権が手元から失われることを…。

 

市場経済、議会制民主主義、思想の自由、基本的人権……。

 

自由主義陣営の総本山たる米国と地続きになったことで我が国の人民達の間に、俺たちのようなエリート軍人を通じて新技術と共にそうした新しい概念が膾炙し、「マルクス=レーニン主義」「階級闘争」「発展段階説」なる、この国で聖書のごとく信じられる種々の概念が実際は何も生み出すことのないただの絵空事であると判断されるのは時間の問題である。

故に彼ら赤い貴族(ノメンクラトゥーラ)は「BETAに勝つ」という志を西側と同じくしながらもその為に必要な「人類の団結」——即ち「東西間の協調」には何があろうと反対するのだ。

皇帝や貴族、臨時政府のブルジョワ達の脂肪太りの土手っ腹を突き崩してきた自らの銃剣が、今度は自分達の腹を切り裂きにくることを恐れるがために…。

 

「なるほど、なら話は早い。私はおそらくこの一件、保守派の陰謀ではないかと睨んでいます」

 

「同感だ。だが俺を殺す理由は……」

 

「中央戦略開発軍団のロゴフスキー中佐が保守派に属している事はご存知ですね?」

 

「ああ、奴とはカムチャツカで面識がある。今の極東戦線に光線級が滅多に出現しないのをいいことに、戦術機が普及した今でも尚航空機による爆撃を偏重してる石頭だ。奴がクロの可能性もありうる」

 

「しかし一方で、彼は我がП(ペー)3計画の推進派です」

 

「ああ、俺がここに来たのも奴の手招きだ……いや待てよ?もし奴が俺を殺したりしたら、俺という触媒を失ったイーニァ達はどうなる⁈」

 

「……あまり考えたくありませんし、そんなことをして何になるのかは私の知り及ぶ所ではないのですが、おそらく彼らの狙いはそれかもしれません」

 

「何てことだ…。俺はどうなっても構わないが、あの子達に何かあれば…」

 

「最悪、殺処分もあり得ますね。しかし随分な思い入れですな。実験動物風情に対して父親などとは……」

 

「………この場で貴様を組み伏せて二、三発ぶん殴るのも出来なくはないが、片手だけだと骨が折れるのでやめておこう……」

 

「ぜひそうしてください。人形達の事もあります。私としても貴重な触媒に不養生で死なれたら困りますから」

 

「減らず口を」

 

「まぁ何はともあれ人形達共々身の安全には気をつけて下さい。心ばかりの信頼の証として、基地内には我々側管轄下の特殊部隊(スペツナズ)も見張りにつけておきましょう。何かありましたらすぐに報告を。では」

 

いつものことで大分慣れて来たが相変わらず散々なサンダークの物言いに腹を立てつつも、俺は形ばかりの敬礼をベッドの上から行い、退出する奴の広い背中を見送った。

 

 

 

 

 

ふと、身体に不快なべたつきを感じる。

飛行訓練、深夜の全力疾走、そして負傷と、目まぐるしく変わる状況についていけなかった俺は治療を受けてから自室に帰るなり外出着のまま布団に横になってしまった。

勿論シャワーなど浴びていないし、汗やら血やらその他身体から滲み出る色んな液が下着に染み込んで膠のように身体に張り付いている。

端的に言って、非常に気分が悪い。

 

風呂は…やめた方がいいな。とりあえず着替えて身体でも拭くか……。

 

俺は負傷したばかりの左腕になるたけ衝撃を与えぬよう注意しつつゆっくり白のタンクトップを袖から外し、ベッド下にある洗濯カゴ代わりのバケツに放り込む。

 

次は下か……。

まずキャンバスベルトのバックルを外し、外出着のズボンをベッド上に放り出す。

その後片手でPX品の味気ない紺色のパンツの裾を掴んで、ゆっくりと足を外す。

片腕の負傷は今回が初めてではないが、やはりやりづらい……。

俺が懸命にまだ動く右手に鞭打っているうちに、パンツの裾から股ずれを起こしてやや赤くなった鼠蹊部、髪と同色の毛、ズルムケのアレが露わになり、生まれたままの姿になる。

 

洗面器にタオルをぶち込み、流しにもって行って水を汲み沈める。

 

所謂冷水摩擦だ。あのレーニンも獄中で欠かさずしていたというロシア伝統の健康法で、風呂に入れない状況でも皮膚の衛生状態や血行に良い影響を与えるらしい。

 

準備は出来た。後は絞って身体を拭くだけ——しまった。今の状態でタオルを絞るのは不可能だ。

俺はびちゃびちゃのタオルの入った洗面器を抱えながらベッドに再び腰掛け途方に暮れる。

 

そんな時——。

 

ガチャリ

 

「なっ⁈」

 

ふと扉が開け放たれ自室に2つの人影が飛び込む。

 

保守派の刺客——だったらまだ対処のしようがある。

枕の下のマカロフはいつでも撃てる状態だ。

しかし、俺の部屋にノックもせずに押し行ってきたのは刺客ではなく、紅の姉妹の二人だった。

 

「お、お前ら…何いきなり入って来ているんだ!上官の部屋への入室要領くらい分かるだろ!」

 

「え〜、めんどくさいじゃん。それよりパパ、おふろにはいれなくて困ってたんだよね。わたしたちが拭いてあげる」

 

「結構だ。第一俺の裸ばっかりそんなに見るな恥ずかしい」

 

俺は手近な毛布で下半身を隠しながら二人をシッシッと手で追い払う。

 

「うむ、裸を見られたという点で言えば初対面の時、私達はノックもせず入ってきた父さんに既に見られている。だからこれでおあいこ…ということになるな」

 

「ぐぬぬ……確かに…」

 

痛いところを突く。

こいつら、俺が色々吹き込んだからとはいえ最近口達者になった気がせんでもない。

しかしこれ以上言ったところで彼女らは一歩も引かないだろう。

どうせ一人じゃ出来ないんだ。多少気恥ずかしいがここは二人の好意に甘えよう。

 

「ほらほらパパ。えんりょしないで。クリスカとわたしきれいにしてあげるから」

 

イーニァとクリスカは俺が先程手にしていた洗面器の中から濡れタオルを2枚取り出し、適度に絞っておしぼりを作り、手に持って俺の近くに寄る。

 

「イーニァは前を頼む。私は背中を拭くから」

 

「うん。まかせて」

 

俺は、背中にクリスカ、目の前にイーニァとサンドイッチ状態のまま二人に身を清められる。

この状態、己の皮膚から一箇所一箇所悪いものが剥がれ、自らの身が清められる感覚が気持ちいいものの、クリスカが動く度に背中に彼女の柔らかな胸が押し付けられるし、イーニァが胸や首を拭きに近寄る度に、シャワーを浴びたての彼女の髪から立ち昇る少女の香が鼻腔を侵食する。

 

二つの女体に挟まれながら身体を清められていくうちに、昨日の一件で疲れ果てた筈の下半身には渾々と血液が充血していく。

 

「えっ…?うわぁ……パパ、ここすっごく腫れちゃってる……だいじょうぶなの?」

 

「こ…これはその……」

 

「違うよイーニァ。男の人はね、前の私たちみたいな気持ちになると、ここが大きくなるんだ」

 

「へぇ〜。じゃあわたしたちも、前パパがしてくれたみたいにきもちよくしてあげなきゃね」

 

「お、おい待てお前ら——ッ⁈」

 

男性の勃起の様子を初めて見たのか、イーニァが興味深そうに俺の息子をその柔らかな手で触ってくる。

俺はその戒めから逃れようと身体を揺らしたが、まず第一に片手は負傷中。それに加えて先程背中を拭いていたクリスカもいつの間にか服を脱ぎ、下着の黒いTバックのみ身につけた状態で俺に抱きつき、がっちりと肩から俺の身体を固定する。

 

「そうそう、上手だよイーニァ。もっと口も使って、根本から先まで綺麗にするんだ」

 

「うん。パパ、きもちいい?」

 

イーニァが手のしごき運動に加え亀頭に舌を這わせる度に、俺は耐えきれなくなった快感を逃がそうと腰を後ろに引こうとするが、背中からはクリスカが、その細い身体のどこにそんな力があるのかがっちりとホールドしているため徒労に終わった。

 

「くそっ、お前ら…シャワーも浴びてないのに…汚いと思わないのか⁈」

 

「うん?きたなくないよ。ちょっとなまぐさいけど、それでも大好きなひとのだから」

 

「そ、それならいいが……。——っ⁈」

 

亀頭と竿の快感に加え、耳に甘い刺激が走る。

振り向けば、クリスカが背中から俺の耳を舐めながら抱きついていた。

 

「普段から怖そうな顔をしている癖に、耳が弱いとは意外だな」

 

耳元に伝わるクリスカの囁きと吐息。首筋から背骨にかけて走るゾクゾクとした快感、拙いが甘い竿への刺激、亀頭に這うイーニァの舌の温かさ。

 

それら全てに耐えられなくなった俺は、クリスカに抱かれつつイーニァの口内に盛大に射撃した。

 

 

 

「白いの、いっぱい出たな。気持ちよかったか?」

 

「……ああ」

 

射精後にどっとくる気怠い身体をクリスカの胸に委ねると、彼女が耳元で優しく囁いた。

 

「うえぇ…にがい」

 

「……苦いなら無理して飲むなよ…」

 

足元では這ったままのイーニァが俺の出したモノをゴクリと飲み干し、顔をしかめていた。

 

 

「うん、でも飲んだほうが、パパを忘れずにいられそうだから」

 

「…ありがとう。お前は優しいな」

 

俺は竿を再び咥え尿道に残った精液を吸い出すイーニァの銀の髪を優しく撫でてやる。

彼女もまた頭を撫でられ、嬉しそうに微笑んでいた。

 

 

 



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第16話 騎兵(フサードニク)

ふとしたことから足負傷してしまいゲンナリ(早く治れ)
最新話。
フサードニクについては漫画版マブラヴオルタの社霞の過去のシーンで出てきましたね(マインドシーカー割と好き)



第17話 騎兵(フサードニク)

 

『フサードニク1、こちらイーダル1。感明おくれ』

 

『イーダル1、こちらフサードニク1。感明よし。こちらの感明送れ』

『・・感明よし。終わり』

 

昼下がりのユーコン基地、ソ連領A(アー)01市街戦演習場より北へ10km地点。

 

イーダル1——即ちSu-37UBを駆るクリスカの発する無機質な無線交話を聞き流しながら俺はSu-37M2の姿勢制御を行いつつ、予め取った楔参形(アローヘッド・スリー)を崩さぬよう、先頭で引率を行う紫のチェルミナートルに随伴する。

 

両翼はイーダル3から4までの同試験小隊の面々の乗る二機のMiG-29ラーストチカ。そして、それに随伴するフサードニク中隊——ソ連軍特殊戦術情報部隊所属のF-14 AN3マインドシーカーが一個小隊分。即ち4機。

 

フサードニク中隊。

 

人工ESP発現体によるBETAの思考探査を目的とした、オルタネイティブ3計画の一環で創立された部隊である。

同中隊で配備されている戦術機——F-14AN3マインドシーカーは米軍のF-14トムキャットをベースとした特殊偵察機だ。

配備されている機体の名、そして露語で騎兵を意味する部隊名から分かるようにこの機体は複座機で、本来長距離誘導弾を扱う筈の前席の兵器官制士官席は人工ESPである特殊偵察要員を乗せられるよう改造されている。

 

尤も同中隊は94年のスワラージ作戦で主目的であるハイヴ内でのBETAとの交信には失敗し、以降同計画のオルタネイティヴ4への接収と共にお払い箱になったようで、98年現在までは目立った活動を行なっていないと聞く。

我が小隊と同中隊との合同演習が企画されたのも、ハイヴ内における実戦経験豊富な彼らと連携しての対BETA集団戦訓練が主目的であり、同時に同じくオルタネイティブ3計画の過程で生まれた紅の姉妹の二人のサポート並びに戦闘データ収集が副次目標となっているようだ。

 

故に兵装も偵察仕様から元の長距離戦闘仕様に換装されており、ゴテゴテと装備されていたセンサー類もぶっとい6発のAIM-54フェニックス——米国製の長距離誘導弾に置き換わっている。

 

 

しかし急な話だ……。

確かにお払い箱になったとはいえ、オルタネイティブ3に於ける実戦経験のある歴戦の衛士達が、共産党上層部の鶴の一声でそう簡単に召集できるものなのか……?

 

確かに俺はともかく彼女達に小隊規模以上での戦闘経験はない。

それに、現在アラスカに駐留しているソ連軍の中には我が小隊の面々も含め対BETA戦を経験した衛士が少ないのは事実だ。

 

大方、人民の税金でタダ飯を食うだけのお荷物に辟易した党中央が体のいい当て馬としてあてがったというのが実情だろう。

 

 

『フサードニク1よりイーダル2、こちらユーリ・デグチャリョフ少尉だ。ローゼンフェルド少佐だっけか』

 

『フサードニク1、私語は慎め。管制官に聞かれてる』

 

『いや、構わんさ。そういえば貴官は、ハイヴ内への吶喊経験はあるか?』

 

『否だ。俺の戦場はブリヤートやカザフの平原だった。ハイヴに入った事はねぇ』

 

『そうか……なら覚えとくといい。ハイヴは恐ろしいぜ?何というか……全身の皮一枚一枚がピリピリして今にもコクピットごと押しつぶされるような感じがした。おまけに偵察機だからマトモに武器は使えねえし、前席には気色悪い超能力者。もうあそこには行きたくないぜ』

 

『……そうか…貴重な体験談、聞かせてくれて助かる』

 

 

フサードニク1のユーリ少尉の話に耳を傾けながら、俺は考える。

 

オルタネイティブ3——BETAとの意思疎通の失敗は即ち彼らとの徹底抗戦を意味する。

 

同計画の残滓であるイーニァ、クリスカの存在意義もまた、オルタネイティブ4への方針転換に伴い「BETAとの意思疎通」から「BETAの殲滅」に変わった。

 

だが人類は依然として負け続け、日に日に住める場所を失っている。

 

ならば……もしこの計画も失敗したら…?

 

南北アメリカ大陸、オセアニア——最後のエデンを喪った人類はこの星を放棄し、宇宙へと旅立つだろう。

しかし飛び立てるのはおそらく上層部の人間だけ。

残された者は最後の一人になるまでBETAと戦い続けるのだろう。

 

オルタネイティブ5——即ち地球の放棄と一部人類の宇宙空間への脱出。

最近国連やソ連共産党の高官達の間で実しやかに囁かれているという噂だ。

あくまでウワサ程度にしか知らないが、これだけ階級が上がれば少なからず耳に入ってくるし、実際にあり得る話だと俺は思う。

なにせ我が国はヨーロッパロシアの陥落に伴い大多数の人民を見捨て、党上層部の人間や支配民族であるロシア人のみのアラスカ疎開を平然とやってのけたのだ。

特権階級のみの地球脱出——うちの国ならやりかねない。

階級や格差を否定しながらも、生まれの良し悪しで全てが決まるこのソ連という理不尽な国で少数民族として育ち、党の命令でなければこのアラスカの地に本来居てはいけない人間だという自覚がある分、そういった抑圧の構造に対しては人一倍敏感な自信がある。

 

『俺はもう、前線で戦いたくない』

 

思索に耽る俺の耳に、俺と同じく最前線で戦い続けたユーリのそんな呟きが入ったのは気のせいだっただろうか……。

 

 

 

『イーダル2よりフサードニク1。これより目的地への降下を行う。小隊の各員に指示を頼む』

 

『………』

 

 

俺は降下地点のA01市街戦演習場上空にて後衛のフサードニク1に無線を送る。

だが、相手からの応答はない。

 

 

 

電信機器の故障……?ジャミング?いや、あり得ない。先程まで俺はユーリと話していた。この短時間でそんな事ははあり得ない。

 

 

 

『イーダル2よりフサードニク、どうした?応答せよ』

 

俺は頰にあてがわれた衛士強化装備のヘッドセットに手を当てながら繰り返し叫ぶ。だが返事は一向にない。

 

俺はチェルミナートルの頭部カメラを後方に向け、フサードニク中隊のマインドシーカーを確認し始める。

 

『——⁈』

 

 

後続する4機の青い機体を見て俺は瞳孔を見開いた。

 

各機の両腕、そして双肩のガンマウントに装備されたWS-16C突撃砲の銃口がこちらを狙っていた。

 

突如鳴り響く警報。俺達は既にロックされている。

 

『フサードニク1‼︎今回の演出は対人機動戦ではない。いかにペイント弾といえど銃口を易々と味方に——」

 

橙に光る銃口。鳴り響く破裂音。

 

それを確認する間もなく俺は殺気を感じ、すぐさまチェルミナートルを緊急停止させ、コブラ機動を行ってマインドシーカーの後ろに回り射線から外れる。

 

(奴ら……何故実弾を⁈)

 

目の前を飛び交う36mmチェーンガンの曳光弾。

先頭の3機から発せられた数珠繋ぎの弾幕は、先程まですぐ隣を飛行していた2機のラーストチカに向けて迫り来る。

フサードニクの正確な偏差射撃の照準に入ってしまったイーダル3、イーダル4の二機は推進剤のタンクや跳躍ユニットに何発も被弾し、各所から黒煙と火炎を出しながら錐揉み回転し、地表へと自由落下してゆく。

 

『イーダル1!助けてくれ(パマギーチェ)‼︎跳躍ユニットが動かない‼︎たすけ——』

 

咄嗟に回避できた俺、そして先頭切って飛行していたため射線に入らなかった紅の姉妹の機体はなんとか助かったものの、他の2名については悲惨だ。

 

二人とも味方からの急な発砲に反応できぬまま駆動系をやられ、脱出もできずに高高度から機体ごと叩きつけられたようだ。

 

『クソっ‼︎イーダル1!退散するぞ‼︎市街地演習場まで降りろ‼︎』

 

『『了解』』

 

降下する俺たちの機体を追ってブーストしてくる4機のマインドシーカー。

 

警告音が誘導弾の被ロックを伝えるけたたましい音に変わる。

俺は急激なGに耐えながらもチェルミナートルを宙返りさせ、白煙と共に迫り来る無数のフェニックスミサイルをチェーンガンの弾幕で一つ一つ迎撃しにかかる。

 

「くっ⁈撃ち落せない‼︎」

 

マインドシーカー1機につきミサイルは6発装備されている。

即ち6×4——計24発ものミサイルに狙われている状態だ。

だが俺達の突撃砲に装填されているのは36mm、120mm共にペイント弾。反撃しようにも出来そうもない。

更に厄介なことに装備されているのは対BETA用のクラスター弾ではなく完全に対人機動戦用の撃ち放し式空対空ミサイル。

躱しても躱しても追尾してくる。

 

『イーダル1!ひとまず市街地へ飛び込め!俺も行く』

 

俺は全力でペダルを踏みつけて跳躍ユニットを吹かしつつピッチ、ヨーを繰り返しながら地表——訓練用遮蔽物として使用されているビル群の陰に機体を突っ込ませる。

 

「——ッ‼︎」

 

俺は手近なビルを遮蔽物に決め、左側から身を隠しにかかる。

だが、捌ききれなかったミサイル群のうち先頭の1発が、まだ隠れていなかった機体左翼で爆発した。

 

『父さん‼︎』

 

『パパ‼︎』

 

左舷被弾。

幸いコクピットに異常はない。

しかし爆発の衝撃で左跳躍ユニットが咳き込み出したのに加え、左腕部がモーターブレードごと吹き飛んでしまったのは痛い。

 

『……イーダル1。心配しなくても大丈夫だ。それに、ここならミサイルも当たるまい。今度は我々の番だ』

 

近接戦はソ連軍戦術機の十八番。

一機一機誘い出しつつゲリラ戦法で挑めば勝機はある。

 

俺は残された右腕のモーターブレードの作動点検を行い、ЯСС(敵味方識別装置)をオフにすると、大通りの向かい側で同じく身を潜めるチェルミナートルに向けて、同じ作業をするよう指示した。

 

 

切り替え可能な敵味方識別装置——昔起きたきたソ連軍衛士の亡命事件の教訓から配備されるようになった新システムだ。

 

10年程前、ウラジオストク近郊チュグエフカ基地から発進したMiG-25スピオトフォズのうち一機が演習空域へ移動中にコースを離脱。

同じく演習空域に向かっていたソ連軍衛士達は亡命機に対し長距離誘導弾の発射を行おうとしたものの、敵味方判別装置が味方と識別してしまい撃墜には至らず、その後の日本帝国、函館空港への強制着陸、搭乗衛士の米国への亡命、そして当時西側で最新鋭の秘密兵器と噂されたMiG-25の西側への性能諸元漏洩などを許してしまい、我が国にとって手痛い損失だけが残る結果となった。

 

その教訓から現代では今俺の乗るチェルミナートルも含めて殆どの戦術機に対しオン・オフ切り替えが可能な識別装置が組み込まれたとか…。

 

尤も、その装置が組み込まれているのは敵——フサードニクの機体も一緒であり、そのせいで我々はミサイルに撃たれ放題の現在の状況を許してしまっている訳だが…。

 

 

『イーダル1、こちらイーダル2。中央道!北から2機、こっちへ来るぞ!俺が引きつけるから例の作戦でいこう‼︎』

 

『『了解(ポーニャル)』』

 

敵は当初、入り組んだ市街演習場のビル群に逃げ込んだ俺たちを誘導弾で炙り出そうとしていたようだが失敗し、しびれを切らしたのか2機のマインドシーカーを斥候に出したようだ。

だがいくら火力や員数を揃えようと、いくらこちらが手負い且つ遠距離兵器を持たないからと、たかだか米国製の旧式機体で近接戦に特化した我々の最新鋭ソ連機を墜とそうと考えたのは流石に敵側の判断ミスと言ってよいだろう。

 

俺は相手の見せた隙ににつけ込むように、大通りを進むマインドシーカーに対し右腕と双肩ガンマウント突撃砲のペイント弾を浴びせる。

 

『ハッ!馬鹿なことを。可汗(カガン)と恐れられたあのローゼンフェルドもとうとう血迷ったか!』

 

『……別に血迷っちゃいないさ。後ろ見てみな‼︎』

 

ペイント弾に塗れつつも一切慌てず、こちらにゆっくりと銃口を向けてきた2機のマインドシーカー。

その胴体がモーターブレードの唸り声と共に火花を上げながら真っ二つになり、切り離された上半身が椿の散るようにガシャリと地に落ちたのは同時だった。

 

コクピットごと切り裂かれ、下半身だけの状態で直立した2機のマインドシーカーの向こうでは、戦術機から飛び出した機械油を返り血のように浴びたまま両腕のモーターブレードを構えるチェルミナートルの姿があった。

 

『イーダル2、こちらイーダル1。目標2機撃破』

 

よくやった(マラッツィ)。直ちに武器弾薬を鹵獲して現座標より退却!この調子で残りも片付けるぞ。』

 

『『了解‼︎』』

 

 

 




Suシリーズを登場させるなら是非ともコブラ機動からの追尾回避をさせたいと思ってました(夢叶ったり)
ソ連戦術機の亡命で識別装置が云々の話は独自設定。元ネタはこっちの世界での某重大事件。その因子がオルタ世界ではどう作用したかを考えてみました)


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第17話 偶像(イーダル)

IS12巻、気づいたら発売されてた…買わねば。
あとマブラヴシリーズ原作も。
金カムととある3期も放送中やし……。
職業柄なかなか気になったコンテンツを消化できないのがツライ……。
はやく実家に帰ってゲームしたい…サバゲしたい泣


 

 

『こちらフサードニク4、フサードニク3がやられた‼︎何がどうなっている‼︎奴ら不死身か⁈ぐああぁっ⁈』

 

 

「ええい、手負いがたった2機だぞ!何を手間取っておるのだ貴官の衛士達は‼︎」

 

ユーコン基地、ソ連領。

中央戦略開発軍団事務室。

薄暗い室内で輝くディスプレイ。その中で踊り狂う空色と紫色のチェルミナートル、そして次々とそのモーターブレードの錆と化してゆく自軍のマインドシーカーを目の当たりにしたブドミール・ロゴフスキー中佐はその皺の寄った老け顔をさらに皺くちゃにしながら唸った。

 

「仕方ありません。相手はあの紅の姉妹と可汗(カガン)。我が隊とて、あの三人が相手ならこの程度の損耗は考慮に入れております故」

 

ロゴフスキーに対面する一人の衛士——彼と同じく青の国連軍軍服に身を包んだ黒髪の若い男はその赤い瞳を細めながら淡々と言った。

 

「ならばもっと増援を出せ!スピオトフォズでもラーストチカでも、ハンガーの機体はいくらでも持って行って構わんと言っておろうが‼︎それともまさか貴官、相手が自分の元上官だからと手加減してるのではあるまいな?答えようによっては党に報告させてもらうぞ?」

 

「同志中佐。先日の暗殺未遂、作戦指示書の偽装。その上基地内の戦術機まで勝手に持ちたりしたら……それこそ後で党にどう報告するというのです」

 

「ぐぬぅ……しかしだな……我々には何としてもあの人形の指揮権と確固たるデータが必要なのだ!あのサンダークに一泡吹かせる迄はここで失敗する訳にはいかん。人海戦術でも焦土作戦でも構わん。とっととあのくたばり損ないのユダ公の息の根を人形の前で止めろ‼︎」

 

ロゴフスキーが机上を拳でドンと叩くと周りの管制官達が恐れ慄く。

だがその衛士だけはロゴフスキーから一度も目を離さずに言葉を続けた。

 

「……中佐。突然ですが、不死身のコシチェイの逸話をご存知でしょうか?」

 

「何だね?リリエンタール大尉、こんな時にそんな話を………コシチェイ、確かスラブ神話にそんな名の怪物がいたような……」

 

「全身が骸骨で出来ており、何度殺しても蘇る。その不死身の化け物の殺し方を、ロシア人の貴官ならご存知の筈です」

 

「ああ、確か、奴の魂は海の向こうの島にある卵で、それを割れば本体も死ぬとか何とか………昔読んだ」

 

「そうです。私達は既にその卵が何処にあるか、どうすれば割れるかを知っています。全て我々にお任せ下さい」

 

「ほ…本当に可能なのかね?」

 

 

「ええ、なにせ我々には『あれ』がありますから。貴官が我々の今後の身分を保証して下さる限り、全て成し遂げましょう。勝利は我らが元に(パベーダ ザ ナーミ)

 

「………勝利は我らが元に(パベーダ ザ ナーミ)

 

 

薄暗く、重苦しい雰囲気の会議室の中、その衛士は一人静かに薄ら笑いを続けていた。

 

* * * * * *

 

 

A-01市街戦訓練場。

 

夕暮れのビル街に突撃砲の発砲音やモーターブレードの作動音が響く度に建物のあちこちから火の手が上がり、爆発音が次々と鳴り響く。

 

『ほらどうした蛆虫共‼︎まだまだ食い足りんぞ‼︎このローゼンフェルドを倒したいなら今の倍は連れてこい‼︎』

 

俺は隻腕のチェルミナートルを駆りながら紅の姉妹と連携しつつ、次々と現れる敵戦術機を撃墜してゆく。

フサードニクの奇襲から暫く経ち、俺たちはいつのまにか敵側に回ったたイーダル試験小隊の機体——MiG29ラーストチカやMiG-25スピオトフォズまで相手にしていた。

撃墜数は既に21機。たった2機で2個中隊分の戦術機を平らげた計算になる。

正直なことをいえば、先程切った大見得はハッタリに近く、度重なる対人機動戦で被弾と推進剤の浪費を繰り返した俺の機体には限界が来ている。

これまで取ってきた戦法も、俺が鹵獲弾薬と片腕のモーターブレードで陽動しその隙にプラーフカを発動したクリスカとイーニァが奇襲をかけるという行為の繰り返しだ。

衛士の戦闘意欲や精神力の方は無尽蔵でも、戦術機の耐久性というのは有限だ。

それは無論我が国が人工的に生み出した最強の衛士——紅の姉妹にも当てはまることである。

幾度も矢面に立つうち俺たちのチェルミナートルは機体のあちこちから悲鳴を上げ始めた。

 

退路の確保——それが、残された推進剤で出来る唯一の生還方法であると気付くのは必然だった。

 

俺はとりあえず基地内の現状を把握すべく、現時点では最も信頼できる相手に向けて秘匿回線を開く。

 

『サンダーク中尉、こちらイーダル2。状況はどうなっている?そちらでは何が起こっている⁈』

 

『イーダル2、手短に話すとすれば、我がソ連領内で起きているのは革命——即ちクーデタですよ。それも右からの』

 

『……保守派の陰謀か……。やはりロゴフスキーの仕業か?』

 

『それは分かりません。しかし大方そうでしょう。現在中佐とは通信が繋がりませんから』

 

『貴官はどこにいる⁈』

 

 

『ユーコン基地の南側です』

 

『何だと⁈』

 

『我が軍団の中にもあちらのシンパは紛れているようで、身の危険を感じた私は他の将校と共に基地の南側——つまりアメリカ側に避難しました。無論、人形達の制御に関する機材諸々と共に』

 

『奴らの狙いは紅の姉妹か?それとも俺か?』

 

『おそらく、その両方でしょう。中佐の狙いは軍上層部からのハト派——つまり親西側派の排除、それに自身とその部下による軍中枢部の席巻です。その為に彼には我々より先に手に入れ、上層部に対し己の実験成果として誇示する必要があるのでしょう……我が国が作り出した最強の衛士の指揮権、そしてその確固たる実戦データが』

 

『……こんな騒ぎを起こしてまでか‼︎』

 

『高レベルでのプラーフカの発動には人形が触媒に対し完全な依存状態である必要があります。そして、人形が暴走状態となった場合の影響も触媒への依存度に比例します』

 

『その為に俺の存在を散々刷り込ませて、後から俺を殺して暴れさせ、電池の切れた彼女達を戦闘データと一緒にひっ提げて党のお偉いさんにケツまくろうってか。奴の考えそうなことだ』

 

『ええ、紅の姉妹が改めて地球上最強の衛士だと共産党本部が判断すれば我々プロミネンス計画の関係者は用済みになり、我が国は再び彼女達のような人形を量産して当初の目標達成にあたるのでしょう』

 

オルタネイティブ3の残滓であり応用の成果たる彼女達。

本来BETAとの交信を目的とした第6世代(シェスチナ)のリーディング能力がバディとの完全な連携に応用され、対人、対BETA戦共に優れた二人で一つの兵器となる。

タカ派の真の狙いは暴走状態となった二人の実験データの採集並びに結果の報告、親西側勢力の排除による東西合同戦術機開発計画の打ち切り。自分たちの軍中枢部への浸透。

更には、凍結された筈のオルタネイティブ3計画を復活、応用する事で彼女達に準ずる戦闘能力を有する衛士達を栽培し、育った彼女達に隊伍を組ませてユーラシアへ送り込むことらしい。

だとしたら、既にお役御免の筈のフサードニク中隊が召集された理由も分からんでもない。

 

『……退路の確保を頼む。こちらも武器、推進剤共に心許ない』

 

『了解です。そちらの座標に移動ルートを示します。イーダル試験小隊の全機には南側への越境を提案します』

 

『南側だと?西側の哨戒機にいきなり撃たれるんじゃないんだろうな?』

 

『ご安心を。国連軍司令部には話はつけてありますから』

 

『分かった。感謝しておこう』

 

俺はモニターに表示された自機、そして紅の姉妹の機体の推進剤残量を確認すると、レーダーとカメラで四周を警戒した後に紺がかかった橙色の空へと舞い上がった。

 

 

* * * * *

 

低く(ニージェ)低く(ニージェ)低く(ニージェ)!胸壁に激突するなよ⁈』

 

『『了解‼︎』』

 

ユーコン基地、ソ連領。

米ソ国境線まで約8km地点。

 

サンダークが示した移動ルート——南側へと続く切り立った渓谷を進む俺と紅の姉妹。

この谷を道沿いに進めばやがて平地が現れ、西側管轄下の基地本部が現れる筈だ。

 

しかし、サンダークも良いところで機転を利かせたものだ。

 

ここなら渓谷という地形を活かして敵方から身を隠せるし、誘導弾等での上空からの攻撃にも対応しやすい。

欠点を強いて言うなら前後に取り付かれた場合敵の銃線から外れづらいというところか…。

 

 

『——機影6‼︎来た‼︎後方からだ‼︎』

 

突如鳴り響くサイレン。索敵レーダーに映る熱源反応。

後方警戒を行うと、MiG-29ラーストチカ、MiG-25スピオトフォズが各3機ずつ楔形壱陣で追尾してくるのが確認出来た。

 

『相手にはしていられない!このまま突っ切るぞ‼︎』

 

俺は背後から向けられる無数の銃眼になるべく入らぬよう、且つ渓谷の胸壁に機体をぶつけぬよう留意しながら紅の姉妹のSu-35UBの背後を随伴する。

 

『イーダル2‼︎あれを‼︎』

 

胸壁の間を蛇行する俺達の前に現れたのは、岩石で出来た天然のトンネルだった。

かなり太いが大分風化して脆くなっており、120mmで撃てば一気に崩れそうだ。

 

撃て(アゴーヌィ)‼︎』

 

俺の合図と共に、先行するチェルミナートルのガンマウントが後方の洞窟天井に向け120mmを2発同時に放つ。

 

『『撃ち終わり‼︎(ヴィーストレル)

 

クリスカとイーニァが号令に答えると同時に俺は自機を急発進させ洞窟を突っ切る。

 

直後、俺の背後で天井の岩石が崩れ始め、追尾して来た戦術機達が次々と巻きこまれてゆく。

 

よくやった(ハラショー)。これで暫くは追ってこれまい。先を急ぐぞ‼︎』

 

俺は大分咳き込み始めた跳躍ユニットを気にしながら、紫紺に包まれた空の下、目的地へと自機を走らせた。

 

 

* * * * *

 

 

ユーコン基地、米ソ国境線より2km付近。

 

想定時刻では間もなくターゲット——イーダル試験小隊のクリスカ・ビャーチェノワ、イーニァ・シェスチナ、そしてイサーク・ローゼンフェルドの3名が出てくるであろう渓谷の出口にて、暗闇の中跳躍ユニットの青い炎を輝かせるフサードニク中隊の5機のF14AN3マインドシーカー。

皆各々誘導弾を廃し既存の特殊偵察用センサー類を装備している。

 

その中の一機——レオニード・ドラガノフ中尉が駆るマインドシーカーが、中央の指揮官機——ソロモン・リリエンタール大尉の乗る機体に向けてまるで心配するように頭部を回し、青く輝くカメラアイを向ける。

 

 

『……本当にいいのか?リリエンタール同志大尉。相手は貴官の元上官と聞くが……』

 

『ドラガノフ中尉、我々の事は気にするな。どうせ覚悟は出来ている。貴様らとてそうだろう』

 

『ああ……確かに中佐は俺たちの部隊に存在意義をくれた。自らの選択に対する責任は果たすさ』

 

『責任……か。まるで西側の人間みたいな口ぶりだな』

 

『この際、縋れるものが何であれ構わねぇさ。俺は部隊のため。貴官は自分の為に責務を果たす。それだけだ』

 

『ああ。これは俺自身の為だ。俺は許さねぇ……俺らを置いて……ラザーリやダヴィドを極東で死なせておいて自分だけのうのうとこんな僻地で生きてるあいつを…。やっとこの手で仕留める機会を貰ったんだ。今更未練はねぇさ』

 

『そうか……貴官がそう決めたなら俺は止めねぇ。それにこれもまた祖国への服務。やるからには俺も精一杯やらせてもらう』

 

『あぁ。しっかりやってくれ。総員傾注‼︎間もなく目標2機が現座標に到着する。残ったのは俺たちだけだ‼︎誇り高き我ら騎兵の軍刀(シャシュカ)で操り人形の糸を切り裂いてやれ‼︎』

 

Урааааа‼︎(ウーラーー)

 

ソロモンが勇ましく訓示を行うと、他の騎兵(フサードニク)達も負けじと大声で叫び、各々の手に装備した突撃砲やCIWSを高く掲げた。

 

 

 

 



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第18話 ソロモンの指輪(ペチャーチ ソロモナ)

物語もいよいよ佳境。
元上官vs部下の対決です。


 

「なん…だと……?」

 

 

 

 

アラスカ州、ユーコン基地、米領より約2km地点。

 

必死の思いで壊れかけの戦術機に鞭打ちながら抜けた谷の先では、いつ先回りしたのか5機のマインドシーカーがホバリング状態で待機し、各々の手に装備された武器をこちらに向けていた。

一機あたり両手両肩のガンマウントに積まれた突撃砲が4挺。

つまり20門の銃口が俺たちに向けられている計算になる。

数世代前の機体であり、尚且つ偵察機であることから1機ずつ潰していけばこの窮地も逃れられなくはないが、相手は歴戦のフサードニク中隊。一騎当千の危険な賭けになるだろう。

 

 

『フサードニク7よりイーダル試験小隊の各機に告ぐ。お前達の逃走劇はここで幕引きだ‼︎全員速やかに武装解除し、機体から降りて投降せよ!繰り返す‼︎全員速やかに武装解除し、機体から降りて投降せよ‼︎』

 

 

指揮官機から投降を呼びかける冷たくも勇ましい声。それはかつてシベリアで聞き慣れた、戦友のものだった。

 

『……聞き覚えがあるぞ……その声……ソロモンだな⁈お前生きてたのか⁈』

 

『ええ…生きてきましたよ……中尉と別れたあの時からずっと変わらず……ハイヴと基地を——生者と死者の世界を行き来しながらずっとね‼︎』

 

『フサードニクなんかに入って何してるんだ‼︎そしてなぜお前がここにいる⁈分かってんだろ‼︎これが腐れ役人共の打った芝居だって事を‼︎』

 

『………中尉には分からないでしょうね』

 

『⁈』

 

『あなたには分からないと言ったんです‼︎中尉‼︎部下を大勢死なせたあの戦いの後、自分だけ前線から逃げ出して教導団なんかに入り、果ては特権階級のロシア人(ルースキー)共とこんな僻地に逃げ延びてのうのうと生きてるあなたなんかには‼︎』

 

『俺は‼︎別にそういう訳じゃ……あれも党の命令なんだ‼︎同じ軍人なら分かるだろう⁈ソロモン。お前がそんな事も分からない馬鹿じゃないことは、上官である俺が一番知っている』

 

『今更上官ぶるな‼︎俺はもうあなたの部下じゃない‼︎』

 

『……』

 

『何年も一緒に戦ったから分かる。俺はあんたがどんな人間なのかを‼︎あんたは天才だ……俺たち凡人じゃ一生かかっても辿り着けないような境地に行けて、その間にどんな辱めを受けようと毅然と立ち向かえる天才だ‼︎だがあんたは弱い‼︎あんた本当は弱い人間だ‼︎あんたはいつも目を逸らしてきたんだ‼︎自分より強い者の存在からも!自分より弱い者が辿る末路からも‼︎『勇猛無慈悲な可汗(カガン)』と、『部隊を救った提琴弾き(スクリパーチ)』と呼ばれる事に酔いながら……ずっと…』

 

『……もう十分だろう。確かに俺は弱い人間だ。自分より強い相手からも、自分には解決出来ない問題からも逃げてきた。だから負けなかった……。だから可汗でいられた……。だが、俺だって……俺だってお前達を…この国…この世界の弱者達を救ってやりたかった。ウラン・ウデでお前達を逃したのもそうだ……。俺だって本当はお前達もあの極東戦線からこの安全なアラスカに連れてきたかったんだ。でも出来なかった。許してくれ…これがかつてお前らの慕った上官に出来る事の限界だ』

 

『聞き飽きましたよ。中尉。あんたにはもうとっくに幻滅しました。後あんたに出来る事は、そこの人形の目の前で死に、俺たちの昇進の踏み台になることだけです』

 

 

 

コクピット内に次々と鳴り響く警告音。

周りを取り囲むマインドシーカーの突撃砲が次々と俺をロックしていく音だ。

 

 

 

『……なぁソロモン 。お前なら分かるだろう?以前の俺なら、こんな状況下に置かれた場合どんな選択をするかを』

 

俺は自らに突きつけられた複数の銃眼から目を逸らしながら、紅の姉妹のチェルミナートルを片目で確認し、秘話通信回線を開く。

 

(クリスカ、プラーフカはまだ使えるか?)

 

(ああ、あと一回なら可能だ)

 

(よろしい。俺が時間を稼いでいる間にサンダークに繋げ。合図は俺が動いた時だ)

 

(了解‼︎)

 

『以前…?今は違うとでも?全く往生際が悪いですね。最新鋭機に乗ってる今なら……F14相手なら勝てるとでも思ってるんですかね?手負いで…この戦力差で……。それとも強くなったのは守りたいものが出来たからとでも?なるほど。やっぱりあんたは変わった。昔なら、こんなリスクの高い選択はしなかった筈だ』

 

『まぁな。確かに俺は変わったよ。あれから色々あったからな……シベリアで勝てっこないBETAの群れに突っ込んで……ガキ共を前線が前線で死なないように必死に教育して……反乱を起こした海軍の戦術機を部隊ごと鉄クズに変えて……最強の姉妹に出会って……だがな、何も変わっちゃいねえ事が一つだけある』

 

『……ほう?聞かせてもらいましょう』

 

『それは……お前らごときが束になってかかって来ても、俺を絶対に殺せないことさ‼︎』

 

 

 

 

『——なっ⁈発砲しろ‼︎』

 

『うおぉぉぉっ‼︎』

 

俺は跳躍ユニットを斜め後方に噴射すると同時にチェルミナートルに蜻蛉を切らせる。

 

返る天地。黄土色の天——先程俺がいた空間を切り裂く無数の120mm弾頭。

俺はそれを気にも留めず満天の星が煌めく地の上に現れた2つの機影——逆さまになったマインドシーカーのうち1機に向け右腕の突撃砲から36mm徹甲弾をありったけ撃ち込んだ。

 

 

『ぐあぁぁぁっ——』

 

 

装甲の薄い頭部を貫通してコクピットに到達した無数の弾丸が敵機を貫いてゆく。

 

俺は宙返りを終えると同時に弾切れになったWS-16C突撃砲を手放す。そしてすぐさまもう一機目の背後に取り付き、そいつを盾にしながら右腕のモーターブレードで左から袈裟斬りにしてゆく。

 

『い……嫌だ‼︎死にたくな——』

 

火花を上げながら目の前で真っ二つになってゆく蒼色の機体。

戦術機越しであるため手ごたえは感じなかったが、おそらくコクピット内はミキサーにぶち込んだトマトも同様だろう。

 

 

 

眼前でゆっくりと崩れ落ちる敵機を見送りながら、俺は再び敵を見据える。

 

これでいい……日頃の飛行訓練が功を喫した。

市街地上空でのコブラ飛行もそうだが、いかに衛士強化装備がGを緩和してくれるとはいえ、天地が返るという異常状態から平衡感覚を戻すのは誰しも苦労する。

故に3次元戦闘を頻繁に行う衛士にとって定期的な鍛錬は必須要素となる。

 

「訓練で流した汗は戦場で流れる血を減らす」

 

訓練生時代の教官の言葉は間違いではなかった。

 

『狼狽えるな‼︎奴の武器は片腕のモーターブレードだけ。推進剤もさっきのでカツカツの筈だ‼︎このまま押し切れ‼︎』

 

『……散々同じ戦法でやられてまだ気付かないのか?やっぱ駄目だなぁお前。局所(ミクロ)は見えても大局(マクロ)は見えてねぇ。指揮官ってタマじゃねえぜ。ラザーリの方がまだマシだ』

 

 

『な……何⁈ハッ⁈』

 

 

ソロモンが急いで俺から銃口を外し、僚機に視点を移す。

だが時すでに遅し。ソロモンの左翼に展開していたマインドシーカーのうち1機が、既にプラーフカを発動した紅の姉妹のチェルミナートルに組み付かれ、胴体をХ(ハー)の字にモーターブレードで切り裂かれていた。

 

『『次はお前だ。覚悟しろ』』

 

機械油の返り血に塗れたチェルミナートルがソロモンの機体に向け吶喊する。

 

 

 

大尉(カピターン)‼︎やむを得ねぇ!プランБ(ベー)ですぜ‼︎』

 

 

『りょ…了解……「抑制‼︎」』

 

 

 

 

 

 

* * * * *

 

 

 

 

 

『ハァ…ハァ……やったか⁈ドラガノフ!』

 

『ああ……人形共は止まった。最終手段だから…出来れば使いたくなかったがな……』

 

マインドシーカーの暗い複座式コクピットの中、ソロモンは脂汗まみれの顔を背後に積まれた白色の楕円形カプセルに向けた。

 

いくつものチューブが繋がれ、悍ましいほどの寒々しさ漂うそのカプセルの中央にはキリル文字で

 

『Пятое поколение формуле Общего назначения Система Управления』

 

と書かれていた。

 

 

П•О•С•У ХХ01(第5世代公式共有指令制御システム)か……FCS(火器管制システム)まで潰したが御守り代わりに持ってきて良かったぜ。尤も、まだ試作の段階だからセンサー類の充実したこの機体にしか積めねえし、出来る指示は制限時間付きの「行動」と「抑制」の2つしかねぇがな……まぁとりあえず人形の動きは止められた」

 

『な…中には何が入ってるんだろうな』

 

さぁ、知るか(フレン イヴォー ズナーイェト)。考えたくもねぇ。大方俺らが乗せてきた魔女(ババヤーガ)の出来損ないがグズグズに溶けて充填されてるんだろうよ』

 

ソロモンは忌々しげにカプセルから正面に顔を戻すと、糸が切れたように立ち尽くす紫のチェルミナートルと、モーターブレードを構えながらこちらに対峙する空色のチェルミナートルをカメラ越しに見据えた。

 

『さてドラガノフ。最後の仕事だ。とっととあのクソ野郎を葬ってから人形の抑制状態を外し、適当に暴れさせた後奴らの脳波を計測して基地まで連れて帰りゃ任務は達成だ。くれぐれも南側には行かすなよ?』

 

『了解』

 

 

 

 

* * * * *

 

 

 

 

『クリスカ!イーニァ‼︎どうした⁈何をされた⁈返事をしろ‼︎』

 

 

『………っ』』

 

 

ノイズの入った音声からかろうじて聞き取れたのは、クリスカが発した言葉にならない僅かな声だけだった。

 

『ソロモン‼︎貴様!あの二人に何をした‼︎』

 

(アドナイ)の命により大天使(ミカエル)から託された賜物だよ。本当はここで使うつもりでは無かったがな…』

 

『………ソロモンの指輪か』

 

旧約偽典、ソロモンの遺訓。

古の賢王、ダヴィデが子ソロモンは大天使から授けられた指輪の魔力を利用し、悪魔72柱を使役してエルサレムに神殿を建てさせたという。

 

奴の譬え話がハッタリでないなら、悪魔に例えられているのはクリスカとイーニァ。そして指輪に例えられているのは彼女達を制御する何らかの装置。

いずれにせよこの状況……最悪だ。

 

こちらに残されたのはプラーフカを使うどころか意識さえ失った二人の乗ったチェルミナートル。

そして俺の機体に積まれた一振りのモーターブレードだけ。

 

 

 

『さぁて、奴らが眠りこけているうちにこっちはこっちで楽しもうぜぇ⁈』

 

 

 

2機のマインドシーカーが十字砲火(クロスファイア)を浴びせてくる。

 

俺は3次元機動で何とかその呪縛から逃れようとする。

 

だが……。

 

 

『クソっ‼︎もう燃料切れかっ⁈』

 

 

やっとのことで2方からの射線から外れ、着陸したところで俺のチェルミナートルの跳躍ユニットは完全に沈黙した。

 

『ようやく足止め出来たか。とっとと殺しちまうぞ。大尉』

 

ドラガノフの乗るマインドシーカーが突撃砲を収め、その手にCIWSを構えてゆっくりと躙り寄る。

 

『まぁ待て。このままあの二人の目が覚めて暴れられてもコトだ。今のうちに武装解除しちまうぞ』

 

『あぁ、そうだな。クソっ‼︎魔女のクソガキ共め‼︎俺らの仲間を大勢食いやがって‼︎武装解除どころかこの場でコクピットを一突きしてやりてぇ』

 

『ま、待て‼︎下手に傷つけたらここまで払ってきた犠牲が水の泡だ。俺がやる。お前は離れて突撃砲を構えて見張ってろ』

 

『さ……触るな……その子達に…』

 

俺はゆっくりと紫のチェルミナートルに近づき、ドラガノフが構える銃線に自ら入り、残された右腕を構える。

 

『あぁん?コイツ、人形共を庇う気かよ。不死身だって噂、本当かどうか試してやろうじゃねえか‼︎なぁっ‼︎』

 

 

 

夜空に閃くマズルフラッシュ。

轟音と共に撃ち出された120mm弾。

それは確実に俺のコクピットブロックを貫いた。

 

 

 

 

『————ッ‼︎ま……まだだ……こっから先へは行かせねぇ……』

 

 

風穴の空いたコクピット内。

各種計器類、主要操縦ユニットを破壊しながら機体内を抉り、内部で爆発した砲弾と爆炎が俺の身体を襲う。

 

 

『目……目が……ッ』

 

 

身体の方は砲弾や計器類、装甲の破片が刺さったものの、当たりどころが良かったからか衛士強化装備のお陰かなんとか守られた。

だが全く無防備な状態の頭部——顔面は酷い状態になっていることだろう。

まず何より眼窩に凄まじい熱を感じる。

頰から首に伝ってヌルヌルとした生暖かい血の感触が伝わる。

そして視界が暗い。

どうやら諸々の破片類が両目目掛けて飛来し、俺の双眸から永遠に光を奪ったようだ。

 

 

『……行かせない……この先には…』

 

 

『……クソっ‼︎まだ生きてやがる‼︎一体何で出来てやがんだ‼︎』

 

怖気付いたドラガノフがその手からガシャリと突撃砲を取り落した。

 

『慌てるな‼︎今度こそトドメを刺してやる‼︎』

 

ソロモンが俺のチェルミナートルににじり寄り、その手に握ったCIWSを逆手で振り下ろす。

 

 

 

風を切る残酷な音。コクピット中に伝わる衝撃。

左半身を擂り潰されるような激痛。

身体に備えられた痛覚が、俺の思考回路を焼き切るのは時間の問題だった。

 

 

 

(まだ死ねねぇ……だって…俺たちは……あの子達は……三人で一つなのだから)

 

 

 

薄れゆく意識の中、俺は彼女達を想いながら必死に歯を食いしばり、気を持ち続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




主人公、またしても瀕死(何回目だろ)

解説:
ババ・ヤーガ(БаБа Яга)とはスラブ民話に登場する、臼に乗って飛び鳥足の家に住む人喰いの老婆で、しばしば「魔女」と訳されます。(螺旋人先生の『靴擦れ戦線』にも登場しますね。
ソロモンの指輪、72柱について偽典のようですね(旧約聖書には記述がないそうな)
ちなみにダヴィド、ラザーリ、イサーク、ソロモンといった命名もユダヤ人の間でよく見られるようです。
姓の方も「ソ連軍の衛士なのに何故ドイツ姓⁈」って感じた読者の方もいらっしゃいますでしょうが、ロシア、ポーランド等において独語の姓(○○フェルド、○○タール、○○シュテイン等)を持つアシュケナージの方も結構いらっしゃいます。(例えばトロツキーの本名はレフ・ダヴィドヴィチ・ブロンシュテイン)


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第19話 終局(カニェーツ)

先週人生初となる献血行ってきました。
400cc抜かれたので割とフラフラしましたねぇ……。


 

 

 

 

 

 

「ぐはぁっ⁉︎」

 

この夜何度目かになる喀血。

おそらく、コクピットの床では血でコーティングされた瓦礫の山が築かれているだろう。

 

だが、それを確かめる術はない。

なぜなら俺の目はすでに光を失っているからだ。

俺はとりあえず頰についた血を拭おうと左手を動かす——が、腕が動かない。

というより、肩から上の感覚がない。

おそらく、先程のCIWSの刺突で巻き込まれたのだろう。

 

「……畜生…お前とお揃いんなっちまったよ…。チェルミナートル」

 

出血多量、視力喪失、左腕欠損という大怪我を負いながらも、薄れゆく意識の中俺の頭に思いついたのはそんな下らない洒落だけだった。

 

 

 

 

 

『どうだ?もう死んだか?』

 

『これはさすがに死んだだろ。なにせコクピットに120mmぶち込んでやった挙句CIWSでグサリだ。生きちゃいられねぇな』

 

『いや、奴は不死身だ。俺が直接手を下さねば』

 

両頬のヘッドセットから耳に入るソロモンとドラガノフの声。

 

次いで身体に感じる衝撃と、ベリベリと目の前で鉄板が剥がされてゆく音。

 

(……まだ俺が生きているか分かってないようだな。よし)

 

俺は眼窩から流れ出た血が口に入るのも構わず、にぃっと唇を歪め、残された右腕を操縦桿にかけた。

 

 

 

『せーの、よい、しょっと。——なっ、何⁉︎』

 

ハッチが引き剥がされたことによりむさ苦しいコクピット内に入ってくる新鮮なアラスカの空気。

そして聞こえたソロモンの声。

 

あれは明らかに動揺している奴の声だ。

おそらく奴はコクピットの向こうから見えない目でこちらを見据える俺を見て怖気付いたのだろう。

 

『………お前…躊躇ったな?』

 

『くっ‼︎』

 

『甘いな‼詰めが甘過ぎる‼︎だから殺せないと言ったんだ。俺はお前に、そいつ(CIWS)を使う時は、相手がBETAだろうと戦術機だろうと、一撃で終わらせろと教えた筈だがな…』

 

『は、離せ‼︎』

 

 

俺はまだ動く右腕で腕部を操作し、目の前にいるであろう敵に組み付く。

 

完全な直感による操作。

確かなのは敵が眼前にいることだけ。

だが、手応えはあった。

 

『ええぃ‼︎離せと言っている‼︎もう諦めろ‼︎その怪我じゃもうあんたは助からない‼︎あんたはここで死に、人形は俺たちの手に渡る!あんた達のチンケな家族ごっこも、もうオシマイなんだよ‼︎』

 

まくし立てながら俺の突進に抵抗するソロモン。

機体性能ではこちらが優っているが、やはり半壊状態且つ瀕死の身。

数十秒もしないうちに俺の機体の肘関節から嫌な音が鳴り出し、俺は押し負けてゆく。

 

『黙れ‼︎俺は約束したんだ!こんな俺を受け入れてくれたあいつらに……もう絶対に寂しい思いはさせねえって‼︎俺があいつらの家族に……父さんになってやるって‼︎』

 

 

『『かぞく………、とう…さん』』

 

 

『クリスカ!洗脳が解けたのか⁉︎良かった……』

 

俺はソロモンとの不利な鍔迫り合いを続けつつも、ようやく意識を取り戻したクリスカとイーニァの声を耳に安堵の声を上げた。

 

『クソっ‼︎あの魔女共‼︎目を覚ましやがった‼︎』

 

『大尉さんよぉ…そろそろやばくねぇか?早くそいつを始末しねぇと‼︎』

 

『わかってるさ‼︎今やってる‼︎この!』

 

ソロモンが組み付く俺に向けて再びCIWSを振り上げたのが感じられた。

なかなか獲物を仕留められないソロモンの苛立つ声。

その中に俺は勝機を見出した。

 

『今だ‼︎』

俺はCIWSを振り上げてガラ空きになったであろう奴の懐で素早く右回転し、左肩に残った対BETA戦用のカーボンブレードで敵の身体を引き裂いた。

 

『おのれっ‼︎まだ抵抗するか‼︎』

 

『……もうしねぇさ。必要ないからな』

 

『⁉︎』

 

娘達(レビャータ)‼︎出番だ‼︎』

 

直後鳴り響くSu37UBのモーターブレードの作動音。

それは俺たちの方向へ段々と近づいてゆく。

 

『————ッ‼︎があああぁぁぁぁっ⁉︎い、痛い‼︎痛い‼︎いた——』

 

近づいてくるモーターブレードの作動音に戦術機の装甲を巻き込んでゆく聞き慣れた音、そしてその中にいるソロモンが機械の刃に巻き込まれる断末魔が混じり、やがて止まった。

 

 

 

永遠にさらば(プラシャーイ )。ソロモン。お前達が極東のどこかで生きているかもしれないと感じながらも連れてきてもやれず、結局嫉妬と憎悪の念から解放されないまま死なせてしまったのは…全て俺の責任だ…すまなかった……許してほしい』

 

おそらくコクピット内で挽肉と化しているであろうかつての部下に向けて、俺は血なのか涙なのか……眼窩から暖かい液体を流しながら遅すぎる懺悔をした。

 

 

 

『おいおい何やられちまってんだよ大尉さんよぉ‼︎これじゃ作戦失敗じゃねぇか‼︎』

 

最後の一機に乗る衛士——ドラガノフはやや慌てながらも、呆れるような口調でそう言うと、形成逆転を判断してか北の方角へと去っていったようだ。

 

 

 

 

* * * * *

 

 

 

『パパ、お願い!死なないで‼︎パパが死んじゃったら……わたしは…わたしは‼︎』

 

『父さん、ごめんなさい‼︎私、あの時…何か私達にそっくりな……恐ろしいものを見て…それでそいつが「動くな」って……それで…助けられなくて……』

 

『……ああ…お前らか…。大丈夫だ。父さんは死んじゃいない。言ったじゃないか…お前らにもう寂しい思いはさせないって』

 

『父さん‼︎』

 

『クリスカ、あまり自分を責めるな……。敵の攻撃だったんだ…仕方ないだろ……。安心しろ。お前達はよくやってくれた……いい子だ。帰ったら頭を撫でてやるよ』

 

 

 

 

ユーコン基地、米ソ国境。

 

 

 

『こちらサンダーク!イーダル2、状況報告を頼む‼︎』

 

朦朧とする意識の中俺の耳に入ったのはサンダークのがなる声、そして戦術機の跳躍ユニットの作動音——おそらくMiG-29ラーストチカのそれだった。

 

 

『イーダル2‼︎状況報告を‼︎気を確かに持ってください‼︎このままでは人形が暴走してしまいます‼︎』

 

『……そんなに怒鳴らんでも聞こえているよ…』

 

『少佐!』

 

『ったく……遅えよ…糞中尉』

 

『少佐、身体の方は……』

 

『見ての通りだ。でも俺は生きてる。あの二人の方も何かしらの洗脳を受けてたみたいだが、俺の言葉に反応して無事——かはっ⁉︎』

 

『少佐!もう喋らないで下さい‼︎』

 

 

幾度目かの喀血が俺の言葉を遮り、体内に残ったなけなしの体液が失われる。

 

『……南だ…俺を生きたまま西側へ連れて行け……その後ならどんな命令だって聞いてやる……もし逆らってあいつらに手を出したら……その時は残りの力を振り絞って俺の撃墜リストにお前も加えてやる……』

 

『ええ、わかってますとも。イーダル1!イーダル2の右翼を支えてくれ。私は左を支える』

 

『『了解』』

 

俺のチェルミナートルは右脇が紅の姉妹のチェルミナートル、左脇がサンダークのラーストチカに介抱される形で持ち上げられ、宙に浮きはじめる。

 

目指すは南——米国側だ。

俺はいい加減ながらも残った右手と口で出来る限りの止血を行いつつ、二人に支えられながら再び空を舞った。

 

 

* * * * *

 

 

コクピットに空いた大穴から冷たい風を取り込みつつ進む俺のチェルミナートル。

 

衛士強化装備の防寒機能がある程度緩和してくれるものの、血が出過ぎたのも相まって段々と身体に伝わる寒さが激しくなってゆく。

 

雪山で死にかけた登山家曰く、凍え死ぬ瞬間というのは、ほんのり身体が暖かく感じるらしいが今の俺がまさにその状態だ。

 

(だ、駄目だ……ここで死ぬ訳には…)

 

俺は身体に貼った止血テープを懸命に右手で押さえつけ、血液のロスを少しでも抑えようとする。

 

『頑張って下さい!ローゼンフェルド少佐!国境まであと少しです‼︎』

 

「ぇ…?ああ……」

 

「パパ、もうひといきだから。がまんして」

「だ…大丈夫…だ。約束だからな……」

 

イーニァの心配を少しでも和らげるべく風前の灯火のような意識に鞭打って気丈に見栄を張る俺。

だが、そんな俺の努力を嘲笑うかのように、まだ生きている計器のスピーカーから警告音が鳴り響く。

 

『機影……6⁈所属はイーダル試験小隊だと?少佐!寝返り組の追撃です!』

 

『……瓦礫ん中からようやく目ぇ覚ましたか。しぶてぇ奴らめ』

 

『少佐‼︎私が相手をします。少佐はどうかイーダル1と先行を‼︎』

 

『いや……敵は大方スピオトフォズとラーストチカが3機ずつだろう。いくら優秀な貴官でも無事じゃいられないだろ。サンダーク‼︎当初の目的を果たせ。俺を南まで連れて行け‼︎』

 

鳴り響く被ロック音。

おそらく、敵のスピオトフォズに装備されたAIM-54 フェニックスミサイルによるものだろう。

 

 

回避する術はない。

 

 

 

 

「もはや……これまでか……」

 

 

 

 

 

 

 

遥か遠く、南側より突如鳴り響く発砲音。

続いて後方より聞こえる戦術機の爆発音。

 

『——?サンダーク!今何が起きた⁈』

 

『少佐!南からの砲撃です‼︎おそらく国連軍の援護射撃でしょう』

サンダークが喋っている間にも次々と砲弾——戦術機の120mmの飛翔音が傍を掠め、遅れて後方で爆発が巻き起こる。

 

『こちらイーダル2。イサーク・ローゼンフェルド少佐だ。何者かは分からんが支援に感謝する』

 

『イーダル2。こちらはアルゴス試験小隊だ。話の顛末はサンダークのおっさんから聞いてるぜ。早くこっちへ来い』

 

先程の戦闘で至近弾を喰らい、未だ耳鳴りの止まぬ俺の耳に届いたのはアルゴス3——ヴァレリオ・ジアコーザ少尉の声だった。

 

『アルゴス4‼︎こちらアルゴス2!ポイントAの2機を撃ち漏らしちまった‼︎』

 

『アルゴス2、アルゴス4了解。うふふっ、相変わらず射撃がヘタねぇタリサ』

 

『う、うるせーステラ!この距離じゃなけりゃアクティヴの近接戦で確実に仕留められたよ‼︎』

 

『はいはいわかったわ………さて、ダメよお二人さん。そっちに行っちゃ』

 

タリサとステラが朗らかな掛け合いをしつつ、一機また一機と俺たちの方向に向かってくる敵機を撃ち落としてゆく。

 

 

『あと少しだ‼︎どうかもってくれよ少佐‼︎』

 

VGが大声で叫び、俺は倒れかけの上体を最後の力を振り絞って起こし続ける。

 

今までどのくらい跳び続け、基地まであと何m残っているか、そして俺の体力がいつまで持つか……。

 

 

光を失った目ではその全てを確認する術がない。

しかし、これだけは断言できる。

 

俺は救われた。

 

紅の姉妹達も、サンダークも。

 

そう思うとようやく安心でき、俺は引き裂かれるような全身の痛みに身を委ねながら深い微睡みの中へと落ちていった。



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第20章 余生

ようやく更新(繁忙期終わり)
長らくお待たせしました


 

長い長い微睡みの中から、俺はようやく目を覚ました。

 

「………⁈目が……」

 

眼窩の奥に異物感を感じ、2、3回瞬きをしたところで俺は、フサードニクとの戦いで失った筈の視力が元どおりになっていることに気付く。

 

病衣の袖から覗く左腕——同じく先の戦闘で喪ったはずのこちらも何故か元どおりになっていた。

 

念のため何度か手を握り、開く。

 

左掌は俺の思いのままに動いた。

ただ、切断面から先には血が通っている感覚がなく、幻肢痛——とでもいうのだろうか。全身に出来た刺し傷の痛みに混ざって、言いようもない鈍痛が残る。

 

「ここは……何処だ」

 

病室内を見回してみる。

最低限生活に必要なものしか置かれていない殺風景な部屋だが、ベッド脇のサイドテーブルには申し訳程度に百合の一輪挿しが置かれていた。

 

窓の外を見ると、黄色の鎌と槌の描かれた赤旗——即ち我が国の国旗が掲揚塔の上で翻っており、ここが鉄のカーテンの向こう——即ちソ連領であることがわかる。

 

「お目覚めですか?少佐。ここはアラスカ、ユーコン基地の北側ですよ」

 

聞き慣れた声がする方を振り向くと、そこには制服姿のサンダークがいた。

 

「北側だと…?俺たちは確か南側に……中尉、俺はあれからどのくらい眠ってた…?」

 

「ざっと2週間くらいですよ。少佐。あの後少佐は米軍の軍病院で応急手術を受け、ようやく移送しても問題ない段になってからこちらに移されました。少佐がお休みになられている間は臨時亡命、反乱事件の揉み消し等でこちらは色々火の車でしたが…なんとかこうして声が聞けて幸いです」

 

「この腕と目は?俺はあの時負傷して……」

 

「お気づきかとは思われますが、その腕は義手、目は義眼です。脳から送られた電気信号を視界、あるいは腕の人工筋肉に反映させるものでして、どちらもこちらで試作したものです。筋電義手(バイオニックアーム)……こういった技術は東側(我々)の得意とする分野ですから……外見は少佐の碧眼を再現致しましたが、やはり気になるようでしたらサングラスなどをご利用下さい」

 

「二人——イーニァとクリスカはどこだ?今どうしている⁈」

 

俺はやや食い気味に、あの逃走劇の最中一時的とはいえその精神を支配されつつも最後まで俺の背中を支え続け二人のことを聞き出す。

 

「人形達……ですか……それについては順を追って説明したかったのですがね…」

 

「前置きはいい!さっさと答えろ!紅の姉妹は今どうしてる?」

 

サンダークはやや言い澱みつつも、ようやく口を開いた。

 

「二人——シェスチナ少尉とビャーチェノワ少尉に関しては、貴官を触媒とした精神制御実験中に不測の事態…つまり今回のクーデタに加えて暴走未遂まで起きたということで、厳重に隔離した上での保護観察下に置かれています」

 

「……二人には、いつ会えるんだ?」

 

「大変申し上げにくいのですが、少佐と彼女達が相見える日はもうないでしょう。また、仮に会えたとしても、彼女らが貴官を覚えているかは…保証しかねます」

 

「何だと⁈俺が…あの子達が何をしたって言うんだ‼︎」

 

「分かりませんか?少佐。衛士の本分は祖国への忠誠。それはいかなる国家の軍に於いても変わりません。しかしいかに戦時体制下に置かれたこの世界に於いても、前線で戦う兵士達もまた人間。皆上部では党や国家に忠誠を誓いつつも、腹の底では各々に自分の信条を抱いているのです」

 

「何が言いたい?あいつらに反体制的思想があるとでも言うのか?むしろ逆だろ⁈あいつらにはソ連を……我が国を守る事に対して、何の疑念も無かった筈だ」

 

「だからですよ。少佐。彼女達は純粋過ぎた。故に厄介なのです。貴官のように表向きは党に媚びつつも、実はリベラルな思考を持った人々との接触、そして、現体制を暴力によって転覆できると考えている反乱軍の連中との接触が」

 

「故に無かったことにしなければならないのです。今回の前例が原因で、彼女達最強の衛士が我々に刃を向けるその日を避けるためにも」

 

「俺のせいだというのか?サンダーク中尉!むしろ責められるべきはこんなことをしたあのロクデナシ共じゃないのか⁈」

 

「ロゴフスキー中佐の事ですか?それについてはもう手は打ってあります。今回の一件を有耶無耶にする代わりに中央開発軍団、イーダル試験小隊の統帥権は我々側に完全移譲。今後彼らは我々の活動に口出ししないという形で手打ちとなりました。少佐には随分割りを食わせる結末となりましたが、私ごときの力ではこの大騒動の始末、これが限界です」

 

「ハッ……いくら平等だ何だと抜かしても、結局やっているのは階級支配と馴れ合いか……帝政時代から何も変わらねぇな…この国……もう愛想が尽きたよ」

 

 

鎖である己の本分を自覚しつつも、人形(イーダル)と呼ばれた彼女達に少しでも人間らしい生き方を知って欲しい一心で一緒に飯を食い、共に歩き、身体を重ね、さらには父親まで演じた俺の数ヶ月。

それらが全て無駄に終わったと知らされた俺の心は、まるで鉛を詰めた頭陀袋も同然となった。

 

 

パスカルはかつて『人間は考える葦』なる言葉を残したという。

 

 

何を信じるのか?何が正しくて何が悪いのか?何のために、何をなすべきか。

 

それらを自分の頭で考えることが出来て初めて人間は初めて一本の葦ではなく人間となるのである。

 

それは、いかに厳しい思想統制や軍規で固められた我等ソ連軍人と言えども代わりはない筈だ。

 

しかし、彼女達は違った。

 

オルタネイティヴ3の一環で人口の子宮から産み出された彼女達にとって、祖国に忠を尽くし、BETAを殺すことは産まれながらにして定められた宿命。

そこに善悪や人間らしさ、他人への愛情が介在する余地はなく、あるのは暴走防止の為の誰か特定の人物への依存欲求のみ。

 

そして、俺は今回の一件を原因として依存対象としての任を解かれた。

 

 

もしこの世が平和なら。

もしこの国が自由なら。

 

 

彼女達もまた、自分の意志で誰かを好きになり、本当は何がしたいのか考え、その通りに行動して自分の人生を生きられたのだろう。

 

けれど、結局そうはならなかった。

 

自分も彼女も、本来あるべき立場へと帰ったのだ。

そう思うと、下らない家族ごっこに費やしていた己の過去の思い出に対する未練もようやく捨てる踏ん切りがつくというものだ。

 

 

「少佐におかれましては、新しい身体に慣れるためにもこちらでリハビリを受けて頂いた後、原隊——ペトロパブロフスクのジャール大隊へ復帰するよう上層部から命令が下達されております。お気持ちはお察し致しますが、どうか今は傷ついた身体の治療にご専念下さいませ」

 

「……ああ。そうするとしよう」

 

「では」

 

 

サンダークはそれだけ言うと、敬礼をしてから病室外へ出た。

 

 

ふと外を見る。

掲揚塔に吊られて翻る赤旗は、アラスカの夕日を浴びながら国旗降納の喇叭と共に窓のサッシの下へとゆっくり沈んでゆく。

 

窓際のハンガーラックには俺が着ていたソ連軍の開襟服(キーチェリ)制帽(フラーシカ)がかけられていた。

 

制服の袖にはИдол(イーダル)の文字、そして糸に吊られた傀儡(マリオネット)をあしらった部隊章が未だ縫い付けられていた。

 

クソッタレ(チフー ティ)‼︎」

 

俺はその余りの皮肉さと悪趣味さに嫌気が差し、磨き上げられた病室の床にそう吐き捨てながら小さく唾した。

 

 

 

 

 

 

数ヶ月後

 

 

 

 

 

 

ペトロパブロフスク・カムチャツキー基地。

第3軍 第18師団 第211戦術機甲部隊 ジャール大隊本部

 

 

 

古来より、軍隊というのは概ね適性が全てだ。

前線に立つか後方支援に飛ぶかは、本人の希望だけではどうにもならず、また、本人がいくら「この分野が得意でこの分野が嫌いだ」と自覚したところで、実際に適性検査を受けてみれば真逆の結果が出ることも少なくない。

 

広大な基地の道路を走る指揮車の後部座席にて、俺は煙草を蒸かしながら隣に座る、フローラ迷彩の戦闘服を着込んだ金髪の女性衛士の姿を見やる。

 

 

フィカーツィア・ラトロワ。

新兵教育で同期だった女だ。

少数民族の中でも被差別階級のユダヤ人に生まれ、常に周りを己の腕っ節のみで黙らせてきた俺とは対照的に、特権階級のロシア人の産まれながらも誰よりも慈愛に満ち、同期を家族のように扱ってきた優しい女だ。

俺も一時は想いを寄せたこともあったが、いつの日か彼女は結婚し、息子を産んだと聞いてからは実ることのなかったその想いを胸の奥にしまい込んだものである。

 

おそらく教育者としては何ら申し分ない資質の持ち主で、俺も彼女の配属先は衛士訓練校になるだろうと踏んでいた。

だが結果は異なり、彼女にはジャール大隊での部隊勤務があてがわれ、一方の俺はアルチョムの衛士訓練校で教官をやらされる羽目になった。

 

俺の新兵教育が成功だったか失敗だったかはあのクソガキ共の部隊での勤務状況を聞く限り少なくとも失敗でないようだが、それでも教官が新兵に撃たれるなどという不祥事が起きるくらいなのだから、やはりいくら戦士の才があったとしても俺には教育者としての才はないのだろう。

 

「久しぶりだな。ローゼンフェルド少佐」

 

「ああ、久しぶりだ。フィカーツィア。おっと、そっちはもう中佐か。偉くなったもんだな」

 

「貴官の昇進が遅かっただけではないのか?前に会った時より増えたその顔の傷を見る限り、また何か無理をしたのだろう」

 

「まぁ…色々とな。多分この先も少佐止まりで、この隊でも大方窓際族だろうな…でも俺にはそっちの方が色々楽だ。教官職も隊長も、もう懲り懲りだよ」

 

「随分と枯れたものだな。髪の方はまだ残っているが、顔もめっきり窶れて……その様子だと、アラスカでの前の仕事は余程応えたのだろうな」

 

「……聞かないでくれると助かるよ。フィカーツィア。どっちにしろ、お前はまだまだ前線で指揮が取れるし、その指揮官を信頼して一緒に戦う若い人材だってこの国にはまだまだいる。もう俺の出る幕はないさ」

 

義手をニギニギと動かしながら、俺は吸い殻を窓から放り投げ、車内に流れ込む春のカムチャツカの新鮮な空気を一吸いした。

 

ふと空を見上げれば、ジャール大隊の部隊章がペイントされたSu-27(ジュラーブリク)一個小隊が、編隊飛行を行いながら俺たちの頭上を通り過ぎていった。

 

「トーニャ‼︎ヤーコフ‼︎俺だ‼︎ローゼンフェルド少佐だ!てめぇらにやられた傷の分、返しに来てやったから今すぐ降りてきやがれ‼︎」

 

跳躍ユニットのジェット音にかき消されて聞こえることはないと知りつつも、俺は天窓から身を乗り出して頭上の戦術機達に手を振った。

 

頭上のSu-27——勘違いでなければおそらく俺の指導した訓練生達が操縦しているであろう戦術機はそのまま後方へと飛び去りつつも、去り際に機械のマニュピレーターで挙手の敬礼を行なっていった。



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最終話 記憶( パーミチ)

長らくお待たせしました

これにてファーイースタンフロント、終了になります(番外編はかくかも)
マブラヴ、te、原作等を参考に致しましたがなかなか考証不十分なところが多く、その度訂正を頂いた読者の皆様に感謝するばかりてす。
今後はGate(こちらも完成まで長い時間が必要)の方の執筆にも力を入れてまいります

これまで読んで頂いた皆様、ありがとうございました


主はこう仰せられる。「わたしはシオンに帰り、エルサレムのただ中に住もう。エルサレムは真実の町と呼ばれ、万軍の主の山は聖なる山と呼ばれよう。」

— ゼカリヤ書 8章3節

 

 

 

古の昔。

磔にされ、ゴルゴダの丘に向かうイエスは、アハシュエロスなるユダヤ人の靴屋に休息を求めたが、彼ははそれを拒絶し、イエスを口汚く侮辱したという。

その靴屋はイエスに「お前達は最後の審判の日まで地上を彷徨い歩き続けることになるであろう」と予言され、以降ユダヤ人は故郷と安息を失い、永遠に彷徨い歩き続けることとなったという。

 

 

アッシリア、バビロニア両王国による二度の捕囚。ローマによる属州化。十字軍の侵攻。オスマン・トルコの支配。帝政ロシアのポグロム。ナチス・ドイツによるホロコースト。

2000年もの時を経て帰還したエルサレム——シオンの丘からも、BETAの侵攻により再び追い返されることとなった。

 

我等流浪の民はイエスの予言通りひと時の安らぎも得られることなく世界中に離散し、ありとあらゆる試練を受け続けてきたし、現在も、そして未来も受け続けるであろう。

 

勿論、生まれも育ちもソ連の俺にとってイスラエルなど見たこともなければ祖国と思った事は一度もない。俺の故郷は極東ソ連——今は無きハバロフスク州のビロビジャンだけだ。

 

希望(ハティクヴァ)』——シオンへの望郷の念を謳ったイスラエルの国歌を口ずさみながら俺はコクピットの脇から酒瓶を取り出し、キャップを開けて瓶口を咥え傾ける。

 

ラベルには緑のラテン文字でスピリタスと書かれている。

ヘンリクがポールスターでボトルキープしていた形見で、奴が死に、ナタリーに渡されて以来消毒液を兼ねてコクピットに忍ばせていたものだ。

 

度数は96度。勿論飲めたものじゃない。

咽頭から食道、胃にかけて硫酸を流し込まれたような灼熱感を感じ、直後義眼の奥の人工視神経に映し出された風景がぼやけ、傷だらけの身体が揺らぐ。

アルコールの鎮痛作用か、ウランウデで頭蓋骨を割って以来慢性的に続いた偏頭痛も、左腕の幻肢痛も少し和らいだ気がした。

 

酩酊感が強まるにつれ近づいてくる戦車級の足音。

ハッチをこじ開けようとひたすら鉄板を叩く悍ましい轟音。

 

「……いよいよか…もう、長くは持たないな……」

 

ここはカムチャツカ。ペトロパブロフスク。Ц(ツェー)04前線補給基地。

新しい身体にも慣れ、原隊に復帰した俺は基地警衛の任務についていたのだが、何処かの馬鹿が前回BETAの出現した坑道を塞ぎ忘れたらしく、現れたBETA群と交戦した。

俺も乗り慣れたSu27M2に搭乗し、事態の収拾にあたっていた。

ラトロワ指揮下の本隊——教導団で俺が受け持ったクソガキ共も奮戦していたようだが、ロゴフスキーの放った爆撃機の誤爆でその大部分が撃破され、その後出現した光線級に吶喊をかけて全滅したらしい。

俺も基地内に残った衛士達を駆り出し侵入したBETA群の掃討にあたったのだが、集められたのはぬるま湯に浸かった後方勤務の薄鈍と、教本を読んで間もないような新兵の間に合わせ。練度も統率もクソもあったものじゃない。

あっという間に俺を残して迫り来るBETA群に蹂躙され食い散らかされた。

もちろん俺とて無事ではない。

退路も兵站も絶たれ、弾薬も推進剤も使い切った俺のSu37M2は一個中隊規模の要撃級や突撃級を平らげた後、とうとう沈黙した。

小銃弾で撃ち抜かれても、満身創痍で東シベリアの最前線に一人で立たされても、刃物で襲われても、ロゴフスキーにけしかけられた一個中隊規模の戦術機と対峙して目を潰されても死ななかった俺だが、とうとう運が尽きたようだ。

 

突撃級に足元を攫われ、戦車級に囲まれ、文字通り手も足も出なくなった俺はとうとう自らの命を絶つ準備を始めた。

 

しかし生来の凝り性が災いしてか、いざ死ぬとなると死に方についてあれこれ考えてしまう。

 

かつてクレオパトラは胸を毒蛇に咬ませて死に、ヒットラーは青酸カリ入りカプセルを噛みながら拳銃自殺をしたという。

勿論コクピット内には自衛用のПМ(マカロフ)——ベークライト製のグリップにダヴィデの星とイディッシュ語の刻印が刻まれた特注品があり、それを咥えて引き金を引けば全てを終わらせることが出来る。

 

しかしそれではつまらない。

 

俺は飲みかけのスピリタスを持ち上げ、床に放り投げた。

ガシャリと足元で音がして瓶が割れ、中の中性スピリッツが水溜りとなって床に広がる。

 

コクピットの壁にテープで乱雑に止めた小箱。その中のパピロス(吸い口付き煙草)——いつ撃墜されてもいいように最期の一本として着隊当初から取っておいたため色褪せたものを咥え、同じく箱から取り出したソ連製マッチを擦る。

 

「モスクワのマッチ工場で火事が起こり、マッチだけが燃え残った」というアネクドートが作られる程に粗悪なマッチであるが、当たりを引いたのか問題なく橙色の焔を灯す事が出来た。

それを消えないうちに口元に持ってきて吸い口を軽く吸うと、藁半紙に詰まったマホルカの葉が薫り高く燃え始める。

 

美味い……。

 

ニコアナ・ルスチカ。

煙草は元々南米の作物であるため寒さに弱い。そのため寒さに強く、成長が早くなるようロシアで品種改良した種だ。

アラスカに来て以来探したがどこにもなく、吸うのを諦めていたため久々に吸う。

このなんとも形容しがたい独特の風味はやはり本物でなければ味わえない。

初めてこいつを吸ったのは訓練生時代。訓練の合間に同期達が回し吸いしていたのを分けてもらったのが始まりだ。

最初は噎せに噎せて咳が三日三晩止まらず、消灯後ベッドで眠る同期達に随分迷惑をかけたのを思い出す。

 

懐かしいものだな…。

 

極東からシベリア、果てはベーリング海を股にかけ、幾度もの出会いと別れを繰り返した俺の生涯。

 

故郷は塵に、戦友は皆灰となった。

死の淵から這い上がり、手にした残りの全ての人生を捧げようと思う程に愛した二人——紅の姉妹ももう俺のことを覚えてはいない。

 

そう考えると、自分のクソまみれの人生に対する未練が吹っ切れ、安心して戦友達の待つ常世の国へと旅立つ準備はできた。

 

……折角だ。あれも焼いてしまおう。

 

俺はテープで留めた二枚の紙——一つはイーニァが描いてくれた俺と両親の絵。もう一つはリルフォートで撮った集合写真をコクピットの壁から剥がし、足元の水溜りに落とした。

 

これでいい。

記憶を消されるのをいいことに彼女達の無垢な肢体を辱めた罪。

その罪が赦されることはあり得ないと知りつつも、それでもこうしてあの二人と過ごした日々の結晶を一つずつ灰燼に帰すことで、所詮自己満足に過ぎないが少なくとも己の犯した罪に対する罪悪感から逃れられる気がした。

 

「…そろそろだな……」

 

刻一刻と大きくなる戦車級がハッチを叩く音。

ハッチの方も限界を迎えたのか、暗いコクピット内に一筋二筋と外界の光が差し込み、同時にBETA特有の硫黄に似た腐臭がエタノールと煙草の匂いに混じって鼻につき始める。

俺はまだ紫煙を燻らせる煙草の燃えさしを指から手放す。

するとたちまち橙色の火種にエタノールが引火し、床一面が蒼く美しい焔に包まれていった。

 

父よ(アーヴ)……」

 

生贄の羊として父アブラハムにより薪をくべられたイサクは父の信仰心によりその命を神に救われ、己の子孫を繁栄させたという。

しかし、父はともかく自ら律法に反し神を冒涜し続けておきながら、その神に今更命乞いをする程俺も虫のいい人間ではない。

 

今度こそ終わりの終わり。

この気違いめいた戯曲のような俺の人生の。

 

次第に燃え盛る炎の中、俺は只管笑い続けた。

 

 

 

 

 

 

 

ふとどこかで聞こえる120mm突撃砲の発砲音。

唸るモーターブレードの作動音。

同時にハッチの外から鳴り響くBETA達の断末魔。

 

「⁈」

 

全てを忘れ、全身を焼かれながら只管笑い続けていた俺は外の様子の変化に気付き、ようやく正気に戻った。

計器類に引火し、蒼色から橙色に変わった炎に囲まれながら自分の身体を見てみると、所々炭化した衛士強化装備の皮膜に包まれた自分の皮膚があった。

 

「くそっ……やらかした…」

 

肝心なところでしくじった。

耐熱性のある衛士強化装備を着たまま焼身自殺を図ろうとしたところで、緩やかに熱が通って生きながらに下半身からローストビーフになるのが関の山だ。

 

俺は静かになった外の様子を見ようと一酸化炭素中毒と酸欠でふらつく頭を軽く叩き、時折ノイズが走る義眼のレンズをべこべこになったハッチに向けた。

 

開閉ボタンはとうに沈黙。蹴破れそうにもない。

俺はどうすることも出来ず立ち往生し、手元のマカロフを呆然と見つめていた。

 

突如揺れるコクピット内。ベリベリと剥がれ始めるハッチ。

熱のこもったコクピットに吹き込むカムチャツカの冷たい外気。

壊れかけのハッチを剥がしたのは戦車級の赤い手ではなく、戦術機の巨大なマニュピレーターだった。

 

「これは……チェルミナートル⁈まさか……」

 

ハッチの向こうに現れた紫色迷彩のSu37UB。

間違いない。これは…紅の姉妹のものだ。

 

「こちらイーダル1。友軍の生存を確認。これより回収する」

 

「イーニァ!クリスカ!……お前たちなのか……?って…」

 

「貴様が何故私達の名前を知っているのかは分からない。だが、どこか懐かしい響きだ。貴様、どこかで以前会ったか?」

 

「………いや、今回が初見だ」

 

「そうか……まあいい。早く脱出してこちらへ跳べ」

 

「了解」

 

俺はクリスカに言われるままに、BETAの返り血をべったりと浴びた壊れかけのハッチの奥で待機するチェルミナートルのマニュピレータに飛び移り掴まる。

 

そう。それでいい。

 

俺は名も知らぬ衛士に我が身を助けられ、その衛士達もまた俺の名を知らない。

 

古来よりどの種類の職業についたとしても、もっとも重視されるべきものがある。

 

それは適応力。

 

俺は俺の事を知らない「ことになっている」かつての家族達に救われた。

 

そして、かつて俺を知っていた筈の二人も「目の前の男が誰かわからない」という状況を事実と受け止め、名も知れぬ俺に救いの手を差し伸べたのだ。

 

なんという茶番。悲劇にして喜劇。

次第に笑いがこみ上げてくる。

 

全てを無かったことにしたい当局の連中、そしてかつて生活を共にしながらも全てを忘れさせられた二人を嘲笑うように。

 

 

 

(誰が何を言おうと、俺はここで起きた事を絶対に忘れないからな!)

 

 

「はははっ!はははははははっ‼︎」

 

「友軍!何を笑っている?一体どうしたというんだ⁈」

 

コクピット越しに俺の笑い声を聞いていたクリスカが怪訝そうに尋ねる。

 

「…いや。何でもない。さて、戻るか。俺たちのアラスカ基地へと」

 

「「了解(イェースチ)」」‼︎

 

漆黒の空の中、俺を乗せた一機のチェルミナートルが風を切りながら闇夜へその身を走らせる。

 

その搭乗手(パイロット)が、迫り来るBETAを背に必死に東へと舵をとる姿を想像して俺はほくそ笑みながら、先程の焼身自殺未遂で焼け爛れた背中や肩を冷やすべくチェルミナートルの冷たいマニュピレータに自分の上体を凭れさせた。

 

 

 

 

 



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エピローグ 鏡(上)

 

 

 

 

 

 

 

「……んっ」

 

頭蓋に鉛の詰まったかのような気怠さの中、

俺は目を覚ました。

 

枯葉舞うアスファルトの上に座ったまま自分の姿を見る。

身に纏っているのはいつもの常勤服(キーチェリ)ではなく民間人が着るようなダークグレーの背広。

頭に被っているのは正統派がよく身につけているようなデカいシルクハットだ。

 

帽子を脱いで頭部を触る。

 

おかしい。

 

かつてブリヤートで負傷した時に出来た後頭部の手術痕が無くなっている。

 

念のため左手、下腹部も見てみたが義手であった筈の左手にはちゃんと血が通っているし、教官時代撃たれた筈の腹からも手術痕が消えている。

 

「…痛っ!」

 

アラスカの一件以来、普段寝る前にそうするように義眼を取り出そうと瞼の中を触った瞬間俺は思わず痛みに飛び上がり、自分の身体全てが生まれたままの健康な状態に治っている事に気づく。

 

しかし…何故なのか……ここはどこで、俺は誰なのか…。

 

街を見渡す。

 

灰色のソ連型アパート群。正教会。キオスク。吸い殻や向日葵の種殻が乱雑に吐き捨てられたアスファルト。

どれも見慣れた我が祖国、ソ連邦の原風景だ。

遠目に見える煉瓦造の建物にはキリル文字とヘブライ文字で「ビロビジャン 」と書かれた看板が打ち付けられていた。

 

ビロビジャン …間違いない。俺の故郷た。

 

どうなっている……?

 

今まで生きていた世界では、もうこの街はBETAによって滅ぼされた筈である。

 

なのにどうして…。

 

俺はとりあえず何も分からぬままあれこれ考え込むのをやめ、最寄りのキオスクへ立ち寄る。

 

「シャウルマを。あとプリマをくれ」

 

「あいよ」

 

俺がキオスクの窓を叩くと、恐らく年金暮らしの太った婆さんが明らかにだるそうな目でこちらを睨み、所望の品を投げつけるように渡してきた。

 

「あの〜お客さん?何だいそれは」

 

「何って、ルーブル札だろ?」

 

「違う違う。そんな端金寄越すんなら帰っとくれ」

 

「何?一体幾らだ?」

 

「しめて3000ルーブルって所だねぇ…」

 

「3000⁈」

 

「仕方ないさ。お前さんだって昨今の不況くらい知ってるだろ?連邦は崩壊、エリツィンの「ショック療法」とやらで今や国中がハイパーインフレさ」

 

「連邦が…崩壊?婆さん!何を言っている?」

 

「おや、本当に何も知らないようだねぇ…。立ち振る舞いや身なりを見るに外国人…ってわけじゃなさそうだけど……まぁいいさね。シャウルマはまけといてやるよ。タバコの分だけ払っておいき」

 

「幾らだ?」

 

「2000ルーブルさ。さ、行った行った」

 

俺は財布から決して安くはない額の札を取り出して渡し、老婆に追い返される形でキオスクを去った。

 

暫く歩き、路上のベンチに腰掛けて手元の、レンジでチンされてまだ暖かいシャウルマに齧り付く。

 

 

「っ……⁈」

 

口に広がる、明らかにソースの物ではない嫌な酸味と辛味と苦味。そして妙な獣臭さ。

 

腐っているのか、もしくはあまり考えたくはないが食用でない肉を使っているのか、「これは食べてはならない」と舌が警告するがままに俺は口内の物を吐き出して暫く嗚咽した。

 

「……っく…何なんだ」

 

口直しに先程買ったプリマを開封して咥え、マッチで火を付け、紫煙を吐きながらもう一度周りを見渡す。

 

やはり、どこからどうみてもビロビジャン 。俺の故郷だ。

ただ、俺が幼少期に見た時よりも、幾分か建物の数は多い。それに、建物の壁にはうざったらしい共産党のプロパガンダポスターの代わりに海外製品の広告紙が至る所に貼り付けられている。

 

 

「おいオッサン。タバコ一本恵んでくれや」

 

暫く街を見渡していると、3人の若者が近づいてきた。

 

格好は全員丸刈り。ある者は草臥れた背広に革靴、ある者は海外製の3本線入りジャージにスニーカー。

皆一様に鳥打帽(ケープカ)を被り、首や手には金のアクセサリーを身につけている。唇の間から時折見せる歯は所どころ抜けているか金歯で、ヤニで真っ茶色に染まっている。

 

「……受け取れ(ヴァズミー)

 

俺が先程買ったプリマの箱を若者達に渡してやると、各々はそれを咥え、火を付け始めた。

 

あんがとよ(スパシーバ)

 

気にするな(ニチヴォー)。ところでお前らその格好、軍隊帰りか?」

 

「ああ。任期満了だ。去年までチェチェンに居た」

 

長い間軍隊にいると、同業者の匂いというのは感覚的に分かるものだ。

特に金のない若い奴は皆一様に汚い格好か変に粋がった格好で外に出てくるし、皆坊主が気になるのか安い帽子を被ってまるでシメジのように群れて街を練り歩く。

 

「チェチェン?カフカスか…まだあそこも滅んでなかったとなると……やはりここは俺の知ってる世界じゃないみたいだな…」

 

「さっきから何言ってんだ?オッサン。あ、タバコ返すぜ」

 

若者のうちリーダー格らしいジャージの男が俺にプリマの箱を返す。

中には申し訳程度にタバコが一本。他はごっそり抜き取られていた。

 

「……何のつもりだ?」

 

「ハッ!悪いな。でもよぉ…俺らにゃわかんだよ。オッサン、ユダ公(ジット)なんだろ?だったら話は早えだろ?俺らロシア人がこんな野良犬みてぇなクソまみれの生活送ってんのはてめぇらユダ公が富を独占してるからだってのは巷じゃ有名な話だぜ?」

 

(クソッ。ここでもユダヤ人かよ)

 

「待っててやるから最後に一本つけてけよ。オッサンにはなんの恨みねぇけど身包み剥がさせてもらうぜ」

 

いつのまにか背広男の方はポケットから巨大な二つ折りのハンティングナイフを取り出し、3人目の赤ジャージの男は背後に回っていた。

 

「……そうだな。もう一本だけ吸ってから考えさせてくれ」

 

「ああいいぜ」

 

俺はタバコに火を付け、一口吸う。

 

マッチの炎で葉が橙色に燃え始めたところで、俺は目の前でニタニタしている青ジャージの男の胸倉を掴み、その火を青い瞳に押し付けた。

 

ジュッ!と音を立てて火が消えるのと同時に、目の前の男は奇声を上げながら暴れ出す。

すかさず俺は金的蹴り、膝頭への前蹴り、鳩尾への膝蹴りを繰り出しくの字になった男の後頭部へ肘鉄を叩き込んで地面にねじ伏せる。

 

「⁈お、おいスタス!何やられてんだ⁈」

 

スタスと呼ばれた青ジャージ男の後ろでナイフを握っていた背広男は眼前で起きた事態に動揺し、急いで右手のナイフによる突きを俺に繰り出す。

俺はそれに合わせてそいつの右肩側に飛び込み、右手でナイフを持つ手首を極めながら左肘を頰に叩き込み、左脛で奴の右アキレス腱を刈って地面に押し倒し、そのまま胸を両膝で圧しながら上体を反時計回りに急旋回させて奴の右肩を脱臼させてからナイフを取り上げる。

 

「畜生…二人ともこんなオッサンに何やられてんだよ……こんな筈じゃなかったのに…」

 

俺が只管、足元で喚く背広男の顔面に断続的に突きを浴びせる様を見た3人目の赤ジャージ男は明らかに怯えきった様子でそう呟いた。

 

「ん?何してるんだ?早くかかって来いよ。お前らが仕掛けた事だろう?」

 

俺は潰れたトマトのようになった背広男の顔面から手を離すと、ゆっくりと赤ジャージの男ににじり寄り、血塗れの手でその胸倉を掴んだ。

 

「ひ、ひいっ⁈た、頼む‼︎み、見逃してくれ!」

 

「……見逃す代わりに少し答えてもらおう。まず、今は何年でここはどこだ?」

 

「い、今?た、確か1998年だ!」

 

「よろしい。で、この国の名はソビエト連邦で間違いないか?」

 

「ソ…ソ連だって?ち、違う。ソ連なんて国はもう無ぇ!ここはロシア、ロシア連邦だ」

 

「何?ソ連がもう無いだと?」

 

「あ、ああ。丁度7年前の冬、俺がガキの頃ににソ連は無くなった。ベラルーシもカザフもウクライナももう別の国だ。なぁもう良いだろ?とっとと帰してくれ‼︎」

 

「………」

 

俺は無言で手を離す。すると目の前の赤ジャージは目の前でアスファルトに倒れたままの仲間も見捨てて一目散に逃げ出した。

 

 

 

「やはり……ここは別の世界線なのか……じゃ、じゃあ俺は何者で、この世界で何をしていたというんだ?イサーク・ローゼンフェルド……」

 

鉛色の空の下、俺は肌寒い秋のビロビジャン を歩きながら思い当たる場所へと足を踏み出した。

 

 




イサークがもしオルタネイティヴじゃない世界線(1998年のロシア連邦)に飛ばされていたら……って設定のifストーリー。
(割と「帰ってきたヒトラー」に影響受けてます)
あの時代もあの時代で、なかなか大変だったようで…(当時を生きた人曰く)


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